毎日戦隊エブリンガー ~最強ヒーローの力で異世界を守ります~ (ケ・セラ・セラ)
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一の巻「ヒーローは異世界で空に舞う」
プロローグ「鋼鉄の男」


 

 

 

 

「四千年前、一人の"サムライ"がこの地に降り立った。それが新時代の始まりだった」

 

 

                          ――名も無き吟遊詩人――

 

 

 

 

 この街にはヒーローがいる。

 

 サイモックと呼ばれる星、マルガムと呼ばれる大陸。

 ディテク王国の首都、メットー。

 大陸屈指の巨大都市であるこの町は、巨大さに見合わない奇跡的な治安の良さでも知られていた。

 ここ数年殺人や誘拐などの重犯罪はほぼ絶え、窃盗なども大きくその数を減じている。

 

 とは言え少ないだけで犯罪がないわけではない。

 下町の一角、酒場などが立ち並ぶ飲み屋街に、今日は昼間から人だかりが出来ていた。

 街回りの警邏が二人、野次馬を押し分けて現場に入って来る。

 

「お疲れさん、状況はどうだい」

「お疲れ様です。まあ見ての通りですよ。食い逃げしようとしたみたいですが、店の主人とウェイトレスを人質にして立てこもってます。幸い怪我人は無し」

 

 野次馬を押しとどめていた警邏の一人が、親指を立てて背中越しに店を指した。

 

「真っ昼間から派手にやるなあ」

「流れ者ですかね」

「だろうな。事件発生からどれくらいだ?」

「確か十分くらい。ちょっと遅れてますけど、まあそろそろ来るんじゃないですか?」

「だな」

 

 突入するでもなく、犯人を説得するでもなく、のんきに言葉を交わす警邏たち。

 部下の警邏たちも、野次馬も、その様子に憤ったり不満を抱く様子はない。

 

 

 

「や、やべえよ兄貴。どんどん人が集まってくる」

「落ち着け! いざとなったら裏口から逃げりゃいい!」

 

 一方、店の中では剣を抜いた二人組の男が落ち着かなげに視線をさまよわせていた。

 小汚い革鎧と手入れのなってない得物からして冒険者くずれか、あるいは元追い剥ぎの類だろう。

 対照的に人質のはずの店主とウェイトレスはのんびり香草茶をすすっている。

 

「クソッタレが! 何でお前らそんなに落ち着いてやがるんだ!?」

 

 たまらずに舎弟らしき方の男が剣を突きつけた。

 二人は一瞬ぎょっとするが、すぐに落ち着きを取り戻して顔を見合わせる。

 

「だって、ねえ・・」

「ああ、だって・・・」

 

 ウェイトレスと店の親父の言葉がハモる。

 

「「この街にはヒーローがいるから」」

 

 その時だった。

 

「!」

「!?」

「キャー! ――様!」

 

 ファンファーレが鳴り響いた。それにともなって黄色い声。

 周囲の野次馬がいっせいに空を見上げる。警邏たちもだ。

 立てこもり犯たちは耳を疑ったが、その場にいた人間は全員確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。



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第一章「怪物退治の専門家」
01-01 雷光銃の少女


 

 

 

「かくて真なる魔術師らはこの地を去りて、天に九十九の新たな神となりぬ。

 ただ一人、真なる魔術師たちの長兄のみ地に残り、我らを守りたもう」

 

 

                          ――創世神話の一節――

 

 

 

 はあ、はあ、はあ。

 荒い息が洞窟の岩肌に反響する。

 

 はあ、はあ、はあ。

 呼吸を整えろ。

 奴らはすぐそこまで来ている。

 

 はあ、はあ、はあ。

 手にした雷光銃(ライトニング・シューター)――強力な古代の遺物(アーティファクト)だ――の水晶目盛(インジケーター)を確かめる。

 やはり残存エネルギーはほぼからっけつ。

 仲間を失い、雷光銃を乱射しながら逃亡した、当然の結果だ。

 

 後は自前で魔力をひねり出して供給するしかない。

 だが魔力を練るには体力がいる。

 疲労困憊した体ではろくに魔力を作れない。

 

「ちっ、ついてねえ」

 

 どうにか呼吸を整え、モリィは悪態をついた。

 まだ少女と言っていい年齢だ。やや釣り目ぎみの黒い瞳、無造作に縛った肩までの黒髪。

 蓮っ葉で勝ち気そうな顔立ちに浮かぶ汗を、左手のグローブで無造作にぬぐう。

 

 大きな武器を持たず、引き締まってはいるが豊満な体を闇に紛れる濃紺のタイツとつや消しした茶色の革鎧に押し込めているあたり、斥候(スカウト)技能屋(ローグ)と呼ばれる類の人種であろう。

 そのタイツと革鎧もあちこちが切り裂かれ、深手ではないが血がにじんでいる。

 

(――撃てて数発ってところか)

 

 戦闘では滅多に使わない、腰のナイフを意識する。

 魔力が尽きたなら後はこれを使うしかあるまい。

 両手で構えた雷光銃を額に当て、目を閉じて深呼吸を一つ。

 

 闇に閉ざされた視界の中で、無数の足音が聞こえる。

 数分と掛からず追いついてくるだろう。

 

 ダンジョンが生成するクリーチャーは大方闇の中でも目が見える。

 先ほどの戦闘でパーティがあっという間に壊滅したのもそのためだ。

 

 足音がいよいよ近づいてくる。

 視覚ほどではないにせよ鋭い聴覚は、彼我の距離をほぼ正確に割り出していた。

 

 まぶたの奥に顔が浮かぶ。今は思い出の中にしかいない、父と、母と、祖父。

 そしてもう戻れない、生まれ育った場所。

 

「クソッタレめ、こんな所で死んでたまるか。

 あたしには、あたしにはまだやらなくちゃいけないことが・・・」

 

 彼我の距離が20メートルに縮まったところでモリィは岩陰から飛び出した。

 

「あるんだ!」

「ギィッ!?」

 

 30を越すゴブリンの群れの中、ひときわ大きい一匹――恐らくホブゴブリンという奴だ――と、目についた二匹に流れるような三連射。

 雷光銃の銃口から放たれた閃光が心臓を正確に射貫き、三匹は倒れた。

 

「ギイッ!?」

「ギイイイッ!」

 

 恐れでゴブリンどもの足が止まった。

 ニヤリと笑い、ことさらに雷光銃を振ってみせる。

 何匹かが怯えて後ずさった。

 

(・・・まあ、もう撃てて一発なんだけどな)

 

 そんな内心はおくびにも出さずもう一度ニヤリと笑い、先頭のゴブリンに銃口をピタリと向けたまま、半身でゆっくりと後ずさる。

 しばらく動かなかったゴブリンどもだが、モリィが十歩ほど後ずさったところでおずおずと動き出した。

 距離を詰めないように、しかし見失わないように、モリィと速度を合わせてゆっくりとついてくる。

 

(送り狼ならぬ送りゴブリンか。絵にならねえな)

 

 雷光銃を構え、左手を壁につき、時々後ろを振り返りながらモリィが後退していく。

 その後を、錆びた剣や石の槍を手に構えたゴブリンたちがそろそろとついてくる。

 

 走って逃げようとしても既に体力は底を突き、ゴブリンどもにあっという間に追いつかれるだろう。

 このまま一時間ほど、ダンジョンの出口まで何とかしのぐ。

 外まで出れば正規軍が待機しているから、ゴブリンどもも追っては来れない。

 

 現状では唯一と言える生存の可能性だったが、唯一誤算だったのが消耗しきった体力と精神力。

 体力はもちろん、これまでの綱渡りの逃走劇で精神力もすり減らしていたモリィに、この緊張を後一時間も続ける事はできなかった。

 

 

 

 二十分ほども後退を続けたところで、突然限界が来た。

 急に足から力が抜け、がくりとその場に崩れ落ちる。

 

(やべっ・・・!)

 

「ギギギギギギギィィィーッ!」

 

 ゴブリンどもが喚声を上げて突っ込んで来た。

 反射的に雷光銃を撃つ。

 

 閃光は先頭のゴブリンの胸板を貫き、後ろのゴブリンの肩をも射貫いたが、それが限界だった。

 立ち上がろうとするがくらっと来て再び座り込む。手の指から力が抜けて雷光銃が落ちる。

 

(あ、こりゃ駄目だな)

 

 死にたくはないが、頭の片隅で冷静にそう判断するもう一人の彼女がいた。

 それでも生きあがこうとして何とかナイフを抜く。

 石斧を振りかざして突っ込んでくるゴブリンに震える手で応戦しようとして。

 ぱっと周囲が光に照らされた。

 

「へ?」

 

 ぱぐしゃあっ、と。

 熟れたスイカが砕けるような音がした。

 思わずまぬけな声が出る。

 

 今まさにモリィの脳天を叩き割ろうとしていたゴブリンの、あごから上が爆ぜて消えていた。

 盛大に血を吹き出し、ドサリと倒れる。

 

「ギャギャッ!?」

 

 ゴブリンどもが騒いでいる。

 良く見れば頭部を失ったゴブリンは一匹ではなかった。

 他にも胸の真ん中に大穴を開けるなどして、十匹近いゴブリンが倒れている。

 

「!?」

 

 遅ればせながらモリィは何か小さいものが複数、空を切る音に気付く。

 やはり疲労で集中力が鈍っていたのだろう、普段なら聞き逃さないその風切り音が続けざまに鳴る。そのたびにゴブリンの頭部が爆ぜ、あるいは胸に大穴を開けて倒れる。

 

 《加護》を受けた鋭い視力が高速で飛び交うそれをはっきりと捉えた。

 大きさは4、5センチほど、クルミほどの金属の球体。

 それらが自らの意志を持つかのように空を切り裂いて飛び、次々とゴブリンを餌食にする。

 

 最後の数匹がようやく事態を悟って逃げようとしたところでまたしても風切り音が鳴り、ゴブリンたちは全滅した。

 最初のゴブリンの頭が爆ぜてから、五秒と経ってはいなかった。

 

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 呆然とゴブリンたちの死体を眺めていると、後ろからかすかな足音が聞こえた。

 鉛のように重い体を無理に動かして、モリィは首だけでそちらを向く。

 

「良かった、間に合いましたね。大丈夫ですか?」

 

 そこにいたのは、一言で言えば童話の中から抜け出してきたような魔法使いだった。

 先端に小ぶりの宝玉、鋼色の地肌にびっしりとルーンを刻んだ、素人が見てもわかるような呪鍛鋼(スペルスティール)の魔法の杖。長さは180cmほど。

 金糸銀糸で魔法的紋様を縫い取った青い絹のローブ。宝石や金の環を飾ったつば広で先端の尖った同色の魔法使いの帽子。

 

 これでこの衣裳をまとうのが長い白ひげを蓄えた老爺ででもあれば絵になるのだろうが、残念な事に中身は長い黒髪の小柄な美少女――のような少年であった。

 衣裳に着られている感が半端無い。

 周囲には光を反射して太陽の回りを回る惑星のように空を飛ぶ8つ、いや9つの小さな金属球。

 

 正直仮装したおぼっちゃんにしか見えないが、三十匹からのゴブリンをあっという間に屠ったのもこの少年である。

 少なくともその格好が見かけ倒しでないことだけは確かだった。

 

「なんだよそりゃ・・・」

「え? あ、ちょっと!」

 

 慌てたような少年の声を聞きながら、モリィは意識を手放した。




 ちなみに一説によればスイカ割りの起源は古代中国で、当時は地面に埋めた罪人の頭を棒で殴って出陣の景気づけにする恐ろしい儀式だったとのこと。
 それを孔明大先生がスイカに置き換えることで以後余計な人死にを出さずに済むようになったのだとか。
 あれ、どっかで聞いたような話ですね。
 まああくまで与太話として聞いていただければw


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01-02 "大魔術師(ウィザード)"の少年

 

「ん・・・」

 

 鼻をくすぐる香草茶の香りでモリィは目を覚ました。

 慌てて上半身を起こすと、小鍋を火にかけている少年の姿が目に入った。

 先ほどは気付かなかったが全体的に華奢で、女性としては平均的な身長のモリィより頭半分背が低い。

 モリィは改めて少年の格好を上から下まで眺める。

 

 年の頃は15、6か。魔法使いの帽子に、豪奢なローブ。

 ベルトにぶら下がった無数の革ポーチとナイフ、肩に斜めに掛けた布かばんを除けば、このまま宮廷に上がっても違和感の無い服装だ。

 

 それでちょっと考えてみればわかることだが――まともな神経の人間ならそんな格好で冒険に赴くわけがない。

 専業術師でも厚手の麻の上下と外套くらいは身につける。

 

 水着のような鎧だの、豪華なローブだの、果てはドレスや夜会服だのを着て冒険に赴く、そうしたまともじゃない神経の持ち主を冒険者語では「カブキモノ」と呼んでいる。

 派手な奴、ちょっと頭のおかしい奴、そんな意味だ。

 

 まあ冒険者の間でも、カブキモノは腕が立つと評するものはいる――実力もないのにそんな格好をしている奴は大概早死にするからだ。

 豪華な衣裳もそれだけの金を稼ぐ実力があるという意味はある。

 とは言えこの少年については、やはり仮装にしか見えなかったが。

 

 腰のホルスターを探って雷光銃の存在を確かめ、安堵の息をつく。

 声をかけようとして、自分が毛布の上に寝かされていた事に気付いた。

 

「あ、目が覚めましたか。痛むところはあります?」

「痛むってそりゃお前」

 

 怪我してるんだから痛いに決まってるだろ、と言おうとして身を起こしたときに痛みも、ついでに体のだるさもなかったことに気付く。

 切られたはずの左腕を動かしてみたが、やはり痛みは感じない。

 おまけに切り裂かれていた服や革鎧まで綺麗に直っている。

 

「これお前が? ひょっとしてポーション使ってくれたのか?」

「いえ、魔法で。物質変性系は得意ですし、治癒系も初歩なら使えるので」

「治癒の魔法が使えるのか、すげえな!」

 

 感心するモリィ。

 この世界の魔法は俗に魔法百統と呼ばれるくらい多種多様で、その中で治癒の系統に才能がある者はそう多くはない。

 治癒術の心得があれば一生食いっぱぐれないと言われているくらいのものだ。

 

「僕としては変性の術に驚いて欲しいんですけど、まあ術師じゃない人からするとそんなものですねえ・・・あ、どうぞ。落ち着きますよ」

「お、すまねえな」

 

 渡してきたスズのカップを礼を言って受け取り、意外に上物の香草茶を音を立てずに喉に流し込む。

 ささくれ立っていた神経がリラックスしていくのがわかった。

 ゆっくりと、半分ほどを飲み干したところで大きく息をつく。

 

「それはともかく助かったよ。治療までして貰って借りができちまったな。

 おまえ、名前は? あたしはモリィだ」

「いえいえ、名乗るほどのものではありません」

 

 きらりーん、と星が散りそうな勢いでウィンクする少年。

 気まずい沈黙が降りた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

「いやあ、いっぺん言ってみたかったんですよね!」

 

 しばしのあと、輝かんばかりの笑顔で断言する少年。

 

(あ、こいつ腕は立つけど馬鹿だ)

 

 そうモリィは確信した。

 そして――後でわかる事だが――余り間違っていなかった。

 

「・・・で、改めて聞くけどお前の名前は?」

「僕はヒョウエです。雷光銃のモリィさんですね」

「ヒョウエ? どっかで・・・え、あたしの事知ってんのか?」

 

 意外そうに目を丸くするモリィ。

 実のところ彼女は冒険者を始めて一年になるかならないかの駆けだしだ。

 

「まあ雷光銃なんて珍しいもの使ってる人はそうはいませんし。古い冒険者で雷光のフランコって人がいましたけど、それにしたって下手すると百年近く前ですしね。

 その雷光銃はひょっとして彼の?」

「さーな。もらいもんだし」

 

 つまらなそうな口調にヒョウエは追求するのをやめた。

 それをちらり、とモリィが横目で見る。

 

「それでお前はカブキモノ・・・いや、冒険者族か」

「よくわかりますね」

「そりゃそんなまぬけな格好で黒目黒髪っつったら冒険者族と相場は決まってるだろ」

「まぬけはひどいなあ」

 

 けらけらと笑うヒョウエ。

 こうした正気を疑う格好で冒険に出る者が「カブキモノ」と呼ばれるのは先に述べた。

 その文化的源流になったのが「冒険者族」と呼ばれる人々である。

 

 冒険者族は古くは勇者などと呼ばれていたのが文献に見える。

 時折いずこからともなくやってくる者達で、たいがいは黒目黒髪。剣なり魔法なり知識なりで名を残してきた。

 

 魔王を倒して王になったものもいれば、冒険者ギルドを設立したものもいる。

 民主主義を導入しようとして盛大に失敗したもの、揚げ物のための油の精製と品種改良を成し遂げたもの、複式簿記をもたらしたもの、カレーライスを作ったもの。

 ノーフォーク農法を導入したもの、マッチを作ったもの、公衆トイレを普及させたもの、板ガラスの製法を確立したもの、メートル法原器魔術を完成させたもの、いろいろだ。

 

 冒険者族を先祖と公言する家も少なくなく、そうした子孫達もまた冒険者族を名乗り、優れた力を持っていることが多い。

 そもそも冒険者という言葉自体、彼らが使い始めたという説もある。

 

 文化的にもかなりの影響を与えており、「サムライ」と言えば「戦士の中の戦士」のような意味になるし、「カタナ」は最高の剣の代名詞だ。

 和服っぽい衣裳や装束もよくあるし、「カンジ」や「カナ」と称される冒険者族語の文字も「何となくかっこいい」という理由で看板などには良く用いられていた。

 

 そんな事を思い出しつつ、茶を飲み干す。

 ふう、と吐息がこぼれる。正直こんなうまい茶は久しぶりだった。

 

「まだありますけど、お代わりいりますか」

「ありがてぇな、貰おうか・・・ん?」

 

 茶を淹れていた小鍋の方を見て奇妙なことに気付く。

 湯を沸かしているのだから当然小鍋と、足の長い五徳がある。

 しかし鍋を温めるべき火やまき、炭といったものが存在しない。

 

「あれ? お前今、どうやって湯を沸かしてたんだ?」

「こうやってですよ」

 

 ヒョウエが一本指を立てる。

 ぼっ、とロウソクほどの小さな炎が指の先に灯った。

 モリィがヒュウッ、と口笛を吹いた。

 

「すげえな。ええと、光に治癒に修理に炎で四系統・・・いや、ゴブリン倒した奴も含めれば五系統も魔法使えるのか!」

「あれは念動の術ですね。得意なのはそれと変性ですけど、大抵の系統は初歩なら使えますよ。まあ本当に初歩だけですけど。たとえば火の術はこの"発火(イグナイト)"だけですし」

 

 この世界に数多くの魔法系統があるのは先に述べたが、少なくない術師が単一系統、下手をすればたった一つの魔法だけを習得して磨き上げる。

 "火球(ファイアーボール)"の魔法だけを徹底して鍛える"炎投げ師(フレイムスローワー)"などが典型例で、軍隊や冒険者の間ではどこにでも見られる人々だ。

 

 そこまで極端でなくても一系統の術に専念する者は多い。

 例えば治癒の術を使う癒者、音の術を使う芸人、天候の術を使う雨乞い、船に乗り込んで風を操る風呼び、修復の術を使う鍛冶屋など、大概の職業では一系統の術が使えれば十分食って行けるし、そもそも多数の術を習得するには相応の才能が必要だというのもある。

 

 そうした者達が火術師、治癒術師などと系統の名前を冠して呼ばれるのに対し、複数の系統を、それも高レベルで身につけたものが"大魔術師(ウィザード)"と呼ばれる。

 彼らはまさしく魔法の達人であり、畏敬の対象であった。

 

「思いだした。お前『六虎亭の大魔術師(ウィザード)』か!」

「へえ、そんな名前で呼ばれてるんですか。なるほど"大魔術師(ウィザード)"。悪くないですね」

 

 満更でも無さそうな顔で頷くヒョウエに、モリィが思わず突っ込む。

 

「いや馬鹿にされてるんだよ気づけよ! 今時"大魔術師(ウィザード)"ってほめ言葉じゃねえだろ!」

「わかりますけどね。それでも嬉しいじゃないですか?」

 

 本来"大魔術師(ウィザード)"が魔法の達人であり畏敬の対象であることに間違いはないのだが、実のところそんな達人は今のご時世ではそう多くない。

 現在では冒険者や街の便利屋などに見られる、複数系統をかじって雑多な呪文を習得した器用貧乏な術師への皮肉として使われる事が多かった。

 

「そーかぁ、大魔術師かあ」

「・・・」

 

 その辺を知らないはずはないだろうに、それでも嬉しそうにしているヒョウエ。

 お代わりの香草茶を口にしつつ、モリィはこっそり溜息をついた。



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01-03 《加護》

「さて、そろそろ行きましょうか。何でしたら出口まで送っていきますけど」

「いや・・・お前が良ければだけど、しばらくパーティ組んでくれねえか?

 死んだ仲間の遺髪と遺品くらいは回収してやりてえ。

 雷光銃はからっけつだけどお前が疲労回復してくれたから十発くらいは撃てるだろうし、ナイフも投げられる。罠や鍵、忍び足、聞き耳も多少は心得があるぜ。

 遺品の回収に協力してくれるなら、ぶんどり品はお前の総取りでいい」

 

 蓮っ葉な外見にも似ず、殊勝に頭を下げるモリィ。

 立ち上がって鍋や五徳を片付けていたヒョウエの手が止まり、ふむと頷く。

 

「いいでしょう。《加護》は何か持ってます?」

「《目の加護》だ。遠くのものも細かいものも見えるし、闇も見通せるぜ・・・まあ、余り役に立たなかったけどな」

 

 やや自嘲気味に肩をすくめる。

 再びふむと頷いて、ヒョウエがちょっと考え込んだ。

 

 《加護》とは知的種族の守護神である《百神》が授ける様々な恩恵だ。

 怪力や鋭い感覚、翼や硬い皮膚のような変異、何らかの才能や魔法的能力などその種類は多岐にわたり、程度も人によって違う。

 冒険者を志すものは何らかの強力な《加護》を持っている事が多かった。

 

 なおもっとも多く授けられる《加護》は《健康の加護》であったりする。

 閑話休題(それはさておき)

 

「それではパーティ成立って事で、あらためてよろしくお願いします」

「ありがてえ、助かるぜ」

 

 ヒョウエの差し出した手をモリィが笑顔で握る。臨時パーティの結成であった。

 

「じゃあ、ちょっとその雷光銃貸してください」

「? ああ、まあ、いいけどよ」

 

 いぶかしみながらもモリィが雷光銃を抜き、手の中でくるりと一回転させてグリップの方をヒョウエに差し出す。

 受け取ったグリップを握ってヒョウエが目を閉じた。

 

「うん・・・?」

 

 銃を握るその手がぼんやりと光ったように見えて、眉を寄せるモリィ。

 次の瞬間、その目が驚きに見開かれた。

 

 雷光銃の蓄えた残り魔力を指し示す水晶目盛(インジケーター)が、急速に上昇していく。

 十数秒で目盛は上限に達し、ヒョウエが目を開いた。

 今度はヒョウエがくるりと銃を一回転させ、グリップをモリィに差し出した。

 

「どうぞ」

「あ、ああ・・・嘘だろ、マジで満タンになってやがる」

 

 雷光銃に限らず古代の魔力遺物はそれ自体に魔力を蓄える機能がある。

 周囲の魔素(マナ)を少しずつ吸収して自然に回復する事もできるし、使い手が魔力を注入することでチャージすることも出来る。

 

 雷光銃の場合、自然回復に任せた場合は満タンになるまで十日、モリィ一人だと他に何もせずに専念して丸二日。

 それをこの少年は、たかだか十数秒で満タンにしてしまった。

 しかも疲労した様子は一切見せていない。およそ常識外れの魔力生成能力と言えた。

 

「そうか、お前何か魔力がらみの《加護》があるのか? それもとびきり強力なのが」

「ま、そんなところです。僕と組んでいる間は雷光銃の電池切れは心配しなくていいですよ」

「でんち?」

「魔力を溜めるところです」

 

 そう言うとヒョウエは荷物をかばんにしまい込み、右肩から斜にかける。

 明らかにかばんより大きい毛布がするすると入っていったことに、装備を確かめていたモリィは気付かなかった。

 

 

 

「さて。じゃあ、まずお仲間の遺品の回収から行きましょうか。遺体の方は、余裕があれば帰り際に」

「え? そりゃありがたいけどよ、四人もいるし一人は鎖かたびら着たでかいおっさんだぜ。あたしたち二人がかりでもちょっと骨だぞありゃ。それとも何か魔法でどうにかするのか?」

「もちろんですとも。何しろ僕は"大魔術師(ウィザード)"ですよ?」

 

 どことなく自慢げなヒョウエに、モリィが微妙な顔になる。

 と、ヒョウエが腰のポーチから大きなクルミほどの金属製の球体を取り出した。

 

「うん・・・それはさっきの?」

「ええ、あなたを救った武器ですよ」

 

 ふわり、と金属球が手から離れて浮かぶ。

 左手を軽く振ると先ほども聞いた風切り音を立てて金属球が勢いよく飛び、洞窟の岩壁に激突して破片を飛び散らせた。

 

「おー・・・」

 

 目を丸くするモリィの前で、金属球が壁から離れて再びヒョウエの手に収まった。

 

「こんな感じで、遺体も四人くらいなら運べると思いますよ。装備含めてもせいぜい500kgくらいでしょうし」

「あーまあ、そんなとこかな?」

 

 金属球を腰のポーチに戻し、ヒョウエが頷いた。

 

「じゃあ行きましょうか。道はわかります?」

「何となくはな。わかんなくても多分たどれるから心配すんな」

 

 言いながらモリィが歩き出す。

 ふうん?と首をかしげるがそれ以上問いはせず、ヒョウエは後について歩き出した。

 

 

 

 モリィを先に、ヒョウエが後になって歩いて行く。

 ヒョウエの杖の先に浮かぶ魔法の光は松明並――常人なら10m先くらいまでどうにか見通せるか、という程度の明るさになっている。

 

「もう少し明るくてもいいんじゃねえか? お前が不便なけりゃそれでいいけどよ。後、あたしは地面を注意してるから、お前も敵が来ないかどうか気を付けといてくれ」

「なるほど。でもそれならこの光量で足ります?」

「まぶしいくらいさ。心配しなくていいよ」

「中々便利な《加護》ですねえ」

 

 モリィがにやっと笑うのがわかった。

 

 "足跡追跡(トラッキング)"。

 狩人や野伏り(レンジャー)などが身につけている名前の通りの技術だ。

 地面の足跡、折れた枝、砕けた石、糞や血痕などの痕跡を辿って相手を追跡する。

 

 このダンジョンは岩の洞窟を模した景観をしていたが、それでも地面には多少の土が堆積していたし、ところどころにモリィ自身が落とした血痕もある。

 ロウソクよりマシな程度の光の中でも、加護を持つモリィの目にはゴブリンや自身の足跡、そして血痕が光り輝くように目立って見えた。

 

 

 

 さらに十分ほど歩いたところで二人は足を止めた。

 ヒョウエが身を翻し、モリィと背中合わせになる。

 

「参ったな、挟み撃ちかよ」

「前から狼くらいの四足歩行生物、後ろからは・・・30センチくらいで地面を這ってますし、これは虫ですかねえ?」

「意外と耳が良いな。それとも魔法か?」

「そんなところです。じゃあモリィさんが前、僕が後ろで」

 

 油断無く雷光銃を構えながらモリィが頷いた。

 

「頼む。ちんまいのはあんまり相性がよくねえ。後虫は苦手だ」

 

 そこで思い出したようにモリィが笑った。

 

「それとな、ヒョウエ」

「なんです?」

「モリィでいいぜ」

 

 背中合わせにヒョウエも笑う。

 

「了解、モリィ。3、2、1で光を強めますよ」

「おう」

「3,2、1、ゼロ!」

 

 突然、洞窟の中がまばゆい光に満たされた。

 薄暗がりが真昼のような明るさに取って代わり、二人の前後で悲鳴が上がる。

 

「ギャンッ!」

 

 前方からのそれはやはり狼のもの。

 胸が異常に膨らんではいるが、各部の特徴は紛れもなく狼だ。

 先頭の数匹がまともに光を見てしまったのか、目を閉じて悲鳴を上げていた。

 

 "ベローズ・ウルフ(ふいごオオカミ)"。別名"ダーク・ブリット(闇夜のつぶて)"。

 胸が異常に膨らんだ、ずんぐりむっくりしたユーモラスな体とは裏腹に、初心者殺しとして恐れられるモンスター。

 圧倒的な肺活量で石、正確に言えば分泌物を固形化した弾丸を撃ち出す、言わば生きた空気銃のような怪物だ。

 その射程は約50メートル。5メートル以内なら板金鎧を貫通するほどの威力がある。

 

 闇にまぎれて忍びより、射程内に入ったところで一斉に弾丸を発射。

 ひるんだ獲物に一斉に襲いかかって餌食にする。

 だがこの時ばかりは相手が悪かった。

 

「ギャブッ!?」

 

 悲鳴が断末魔に変わる。

 雷光銃から放たれた閃光が次々とベローズ・ウルフどもを貫いた。

 たとえるならリボルバーの撃鉄を指で弾いて高速で連射するファニング・ショット。

 数秒の間に十数発の閃光が走り、何をすることも出来ず狼の群れは全滅した。

 

「へっ」

 

 会心の射撃にモリィの頬が緩む。

 普段はここまで贅沢に乱射は出来ないが、今はヒョウエという無限の弾倉がある。

 

「おみごと」

「まあ制限なしに撃てるならこんなもんよ。つーかお前の方はそんなのんきに・・・ひえっ!?」

 

 得意げに振り向いたモリィの顔が愉快な感じにひきつった。

 

 

 

 狼の悲鳴と時を同じくして後方から聞こえて来たのは無数のギチギチギチ、というきしり音だった。

 体長30センチほどの肉食甲虫、ジャイアント・カラビッド・ビートルの大群。

 一言で言えば巨大オサムシ。

 黒い金属質の甲殻で身をよろい、集団で獲物に飛びかかって喰らい尽くす。

 

 その殺人甲虫が、高さ2m程に上から下までびっしりと重なって、ぎちぎちと牙を鳴らしていた。

 虫が苦手な人間にとってはあまり直視したい光景ではない。

 

「なんだこりゃ・・・見えない壁?」

「ええ。念動の術です。こいつらたかられると危ないですからね。まとめて――」

 

 言いつつ、伸ばした左手をゆっくりと握る。

 壁状にたかっていた巨大虫たちがひとかたまりになり、球体になって宙に浮かんだ。

 ギチギチと牙を鳴らす音が、ギギギギギ、と悲鳴のような甲高い音に変わる。

 ヒョウエが拳を握っていくのにつれて球体も圧縮され、悲鳴も高くなる。

 

「うえっぷ」

 

 モリィが慌てて後ろを向くのとほぼ同時に、湿った物が多数潰れる音がして虫の声がやんだ。



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01-04 ダンジョン

 それ以降は幸い他のモンスターに会うこともなく、入り組んだ洞窟を二十分ほど歩いて二人はモリィのパーティが壊滅した場所に到着した。

 

「・・・」

「・・・」

 

 地面には死体が四つ転がっていた。

 巨漢の戦士。革鎧を身につけた女戦士。長身の男。革服の少年。

 顔を歪めてモリィがうつむき、ヒョウエが静かに瞑目する。

 

ふいご狼(ベローズ・ウルフ)の群れに奇襲喰らってな・・・ランタン落とされて、あっという間だった。お前みたいな術師が一人でもいればなあ」

「ダンジョンの中で光を無くした時点で不利は否めなかったと思いますよ。灯りの呪文なんて光の魔法の初歩ですが、それでもみんなが習得してる訳じゃありませんからね・・・」

 

 この世界でもやはり専門の術師になるほどの才能を持つものはそう多くはない。

 駆け出しであれば一人も術の使えない冒険者パーティも珍しくはなかった。

 

 才能が無くても初歩の呪文の一つ二つなら習得は不可能ではない。

 冒険者、あるいは一般の商人や職人でも灯りや着火、血止め、水の浄化などの初歩だが便利な呪文を習得しているものはたまにいる。

 

 それでも不可能ではないと言うだけで簡単に習得できるわけでもない。

 術師にとっては初歩でも凡人は数ヶ月から数年修行してようやっと、というのが普通だ。

 大方の人間はそんな事をするくらいなら松明やマッチといった便利な道具に頼る。

 ちなみにヒョウエとモリィは「二人とも」闇の中でも不都合無く行動できるため、明かりは本来余り必要ない。

 

 

 

 モリィが遺体の傍らにかがみ込んだ。

 髪を一房ずつ切り、冒険者の身分証である板状の認識票(ドッグタグ)、食料や現金、いくつかの装備などを回収していく。

 認識票は四人とも朱色に塗られた木製。駆け出しの証だ。

 全員の遺髪と認識票を集めながら、ぽつぽつとモリィが話し始めた。

 

「ガースのおっさんはさ、兵役があがりになって冒険者になったんだ。腕は立つけど冒険には不慣れでさ。それでも頼りになるから自然とリーダーになってた。

 アルトルードの姐さんは貧乏騎士の娘でさ、結婚しようにも支度金が無くて修道院に行くか家を出るかしかなかったらしい。剣の腕はちょいとしたもんで、いつかぴっかぴかの板金鎧を買って立派な女騎士になってやるんだー、なんて言ってたっけ。

 槍使いのジェイドは陰気だけど悪い奴じゃなかった。ヤロスラは狩人上がりで、小銭握って娼館行こうかどうか迷ってるようなウブなやつでさ・・・」

 

 ヒョウエは何も口を挟まない。

 

「まだ2、3回一緒に依頼をこなしただけだったけどさ、いいパーティだったんだ。

 いつかは黒板、いや金板の冒険者に成り上がってやろうってさ。なのに・・・」

 

 ヒョウエに向けたモリィの背中が震える。

 

「・・・」

「・・・」

 

 しばらく沈黙が降りる。ヒョウエは何も言わない。

 

「すまねえな。もう大丈夫だ。さ、行こうぜ」

 

 振り向いたモリィの顔に涙のあとはなかった。

 

 

 

「で、これからどうすんだ。

 ひょっとして"(コア)"を攻略するのか?」

「まあ場合によっては。取りあえずはいけるところまででしょうか」

 

 ダンジョンとは神の心象、神の夢であると言われる。

 何らかの理由で神の心象が地上に顕現したものであり、それゆえにそれまで何もなかった荒野や山中、場合によっては街中にも現れうる。

 

「そのへん良くわかんねえんだよな。神さんの夢がなんでダンジョンになるんだ?」

「まあ一言で言うと・・・情報とはエネルギーだからです。

 通常は問題にもなりませんが、膨大な情報が動けばそれが物理的な現象を産み出します。思考だけで物理現象を起こすエネルギーを発生させる情報生命体、それが神なんです」

「すげえ、全然わからねえ」

「でしょうね」

 

 ヒョウエが苦笑しながら話を続ける。

 

「平たく言えば神は念じただけで世界を改変できます。念じるとそれが世界に満ちる魔力の源に波紋を起こし、現実を改変する。

 問題なのはこれが無意識でも起こってしまうことで、そうですね・・・モリィも寝ぼけて何かしてしまうことはあるでしょう?」

「まあな」

「モリィが寝ぼけてもベッドから落ちる程度ですが、神様が寝返りを打つとダンジョンができるんです。それが今のところの定説ですね」

「はた迷惑な話だな・・・」

 

 顔をしかめるモリィにあははと笑う。

 

「ちなみに神様のそれを技術として人間にも扱えるように落とし込んだのが魔術(ソーサリー)、もっと言えば"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"の使う真なる魔術(ウィザードリィ)という奴です」

「・・・よくわかんねえけど、普通の魔術とどう違うんだよ」

「僕たちが使う魔術は、例えば発火なら発火、治癒なら治癒と、それぞれ別の呪文です。

 呪文は一つ一つ覚えなくちゃなりませんし、治癒を覚えたから解毒も使えるなんてことはありません。

 対して真なる魔術は基本的に万能です。向き不向きはあったそうですが、念じるだけでどんな魔法でも使えるそうです」

「なんでみんなそれ身につけねえんだよ?」

「まあ習得も制御もメッチャ難しいので・・・言ってみれば真なる魔術は『念じて現実を改変する』というだけの術なんですよ。それで何かをするには、その概念を理解していることが重要になります。

 触れずにものを動かすとか明かりを出すくらいなら誰でも何となくできますが、例えば傷を治すにはどうして傷が治るか理解していないといけませんし、雨を降らせるにはどうして雨が降るのか理解していないといけないんです」

「はー」

「真なる魔術を呪文ごとに細切れにしたものが今の魔術ということになりますか。

 概念の理解その他をひっくるめて、『そう言う現象を起こす念じ方』として呪文一つごとに丸暗記させるわけです」

 

 着火の呪文を習得するのはマッチを買うようなもの、真なる魔術師は頭の中にマッチ工場を持っている、と評したオリジナル冒険者族がいるそうだが、ヒョウエも大体同意見だった。

 

「話を戻しますが、よほど危険なダンジョンでなければ消滅はさせませんよ。

 僕も色々と入り用なので」

「ま、金はあって困るこたぁねえわな」

 

 ダンジョンは心象ゆえに複雑な構造物であり、深奥にはその核となる何かがある。それを破壊すればダンジョンは消失するが、容易いことではない。

 そして、攻略するがわも必ずしもダンジョンの消失を目的とするわけではない。

 ダンジョンからは魔力結晶をはじめとして様々な物品が産出される・・・つまり金の成る木でもあるからだ。

 有名なダンジョンの中には千年にわたって延々と冒険者が潜り続けているものもあるし、ダンジョンの回りに村ができ町が生まれることも珍しくはない。

 

 一方でダンジョンを放っておけばそこから延々とモンスターが溢れてくるため、ダンジョンが見つかった場合破壊するにしろ維持するにしろ、軍を出して警備するのが普通だ。

 特に危険なダンジョンの場合、そうした軍がダンジョンを攻略してしまうこともある。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 ぱぐしゃあっ、と音がしてオーガの頭蓋が四散した。

 重い音を立てて2mを越す巨体が倒れる。

 周囲に付き従っていたゴブリンやホブゴブリンの群れは既に全滅していた。

 

「お疲れさま」

「そりゃまあ残り魔力を気にしないでいいんだからな。こんな楽なダンジョン探索はねえだろうよ」

 

 二人が笑みをかわす。

 モリィが雷光銃の魔力残量を確かめ、ヒョウエが金属球についた血や体液を振り落とす。

 その間に地面に転がるモンスターたちの体は薄れ、空気に溶けて消えていった。

 

 後には透明な、でこぼこの水晶のかけらの様なものが転がっていた。

 ヒョウエが杖をかざすとそれらがふわりと浮かび、左手に提げていた袋に収まる。

 ゴブリンのものは小指の爪ほど、ホブゴブリンのそれはもう少し大きく、オーガのそれはクルミほどの大きさがあった。

 

 ダンジョンが神の夢であれば、モンスターは神の想念の泡だ。

 ダンジョンの中にいるモンスターはダンジョンと同じく魔力で形作られた存在であり、倒せば今のように雲散霧消する。先ほど倒したゴブリンや虫たちも同様だ。

 

 そして、それが高レベルの冒険者たちが人並み外れた能力を持つ理由でもある。

 魔力とは生命力であり、現実を変化させる力でもある。

 魔術とは魔力を介して現実を改変する技術に他ならない。

 生命もまた本質的には強力な魔法であり、生贄や生物の一部が触媒として魔術に用いられるのもそれが理由だ。

 

 そして生命の核が砕けると命の力は魔力として放出され、それを浴びた者は変化を起こしやすくなる。つまり成長しやすくなる。

 人間の枠を越えた身体能力やあり得ない速度での技術の習熟、《加護》の強化、精神的成長に至るまでをもたらすのだ。

 特に肉体までも魔力で構成されたモンスターのたぐいからはより純度の高く濃密な魔力が放出される。術師や武術家がしばしば修行として冒険者の道を選ぶのも当然だった。

 

 更に倒した後にはダンジョンコアに相当する核・・・魔力結晶が残される。

 様々な魔道具のエネルギー源として使われるそれが、ダンジョンのもたらす最大の資源であった。

 

「大漁だな。それでいくらくらいになるかな?」

「オーガのが金貨40枚。残りが全部で銀貨五十枚くらい・・・あわせて4500ダコックってところでしょうか」

 

 この世界の貨幣はほとんどの国で規格が統一されており、白金貨一枚=金貨十枚=銀貨百枚=銅貨(ダコック)千枚になる。40ダコックあれば冒険者ギルドの直営宿屋で食事付きで大部屋に泊まることが出来た。

 ちなみに古代ではたとえば1金貨=20銀貨=480銅貨などというわかりづらい交換レートが、しかも国ごとに違っていたため、現在の通貨システムが成立して以来、商業と税制が大幅に発展したと言われている。

 国同士の貨幣を統一するなどという大事業がいかにして成立したかを明白に語るものはないが、冒険者族の仕業と言うことは大体において衆目が一致していた。

 

「しかし一段強いのが出て来ましたね」

「そうだな。そんなに深くは降りてねえはずだけど」

「大抵のダンジョンは階段とかで階層が変わりますけど、中にはひたすら平べったくて、奥に行けば行くほど階層が深くなるのもあるそうですから、予断は禁物ですね。

 ましてやここは人工物じゃなくて自然洞窟を模したダンジョンですし、明白な階層の境目がないというのもありえるかと」

「なるほど」



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01-05 地竜(リンドヴルム)

 ぴくり、とヒョウエの眉が動いた。

 

「じゃあ行こうぜ」

「あー、すいません、ここでちょっと待っててくれます?」

「え、何でだよ」

「野暮用です」

 

 ダンジョン内での排泄行為のことである。

 モリィが顔をしかめた。

 

「しゃーねーな。さっさと済ませてこいよ」

「すいません」

 

 小走りで来た通路を戻り、角を曲がってヒョウエの姿が消える。

 モリィが手持ちぶさたに待っていると、10分くらいで戻ってきた。

 

「お待たせしました」

「おし、んじゃ行こうぜ」

 

 二人は再び歩き出した。

 そして30分後。

 

「すいません、野暮用で・・・」

「またかよ!?」

 

 

 

 その後も(何度かヒョウエが「野暮用」で姿を消したのを除けば)快進撃は続いた。

 ジャイアントリザードや洞窟ライオンと言った巨大生物、トロールなどの亜巨人族なども出現したが、いずれも危なげなく屠ることが出来ている。

 キマイラやマンティコア、プリズミーア・キャットと言った魔獣に属する生物も出現するが、炎や尻尾の毒針と言った切り札をヒョウエの念動衝撃によって防がれ、光を操るプリズミーア・キャットに至っては真っ暗な洞窟の中だ、単なる山猫と大差はない。

 接近も出来ずに雷光銃の正確な射撃を受けては、モンスター側に勝てる道理がなかった。

 

 二人は洞窟の先、どんどん深くへ降りていく。

 六時間ほど探索を続けた後、さしわたし100mはありそうな広い空洞に出た二人は休息をとることにした。

 都合の良いことに、地面は砂地で大きなでこぼこもない。

 

 先ほどと同じように五徳と鍋を出し、指先からの炎で湯を沸かす。

 淹れた香草茶をすすり、干し肉やナッツ、固く焼き締めた乾パンや干しアンズなどをゆっくりと丁寧に咀嚼して腹に収めていく。

 自分が意外に空腹だったことにモリィは気付いた。

 

「なんつーか・・・味気ないと思ってたけど、結構うまいもんだな。

 この干しアンズなんかこんなに甘かったか?って思うぜ」

「空腹は最高のオードブルですからね。それにやっぱり初めてのダンジョン探索ですし、色々疲労が溜まってるんでしょう」

「・・・だな」

 

 会話が途切れる。しばらくの間、二人の咀嚼音だけが周囲に響いていた。

 

 

 

 ずしん、と。

 モリィが最後の干しアンズを口に運ぼうとしたところで洞窟が震動した。

 

「うわっ、と!?」

 

 手からこぼれた干しアンズを、素早くヒョウエが空中でキャッチ、指で弾くとアンズはモリィの口に飛び込んだ。

 

「むぐっ」

 

 そのまま残っていた香草茶を地面にぶちまけ、念動でカップとまだ熱い五徳と小鍋を乱暴にかばんの中に戻す。

 

「大物です。急いで」

 

 そのまま浮かせたかばんを斜めにかけてヒョウエが立ち上がる。

 アンズを雑に咀嚼して飲み込みながら、無言でモリィが頷いた。

 ヒョウエの腰からひとりでに九つの金属球が飛び出し、周囲を回転し始める。

 

 モリィが脇に置いた雷光銃を掴んで立ち上がるのと、震動の主が姿を現すのが同時。

 ヘビのような長い体、銀色に輝く鱗、一対の巨大な前足のみを持ち、後ろ足を持たない。

 角とたてがみを備えた竜の如き頭部。

 

「・・・地竜(リンドヴルム)!」

 

 らんらんと赤く光る目が10mを超える高さから二人を睨んでいた。

 

 

 

『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「うわっ!?」

 

 咆哮が轟いた。

 モリィが思わず両手で耳を押さえる。

 真なる竜の咆哮(ドラゴン・ロアー)のように魔力を帯びているわけではないが、それでも20mサイズの生物が上げるそれは、人間大の生物にはほとんど物理的な衝撃となる。

 脳を揺らす震動に耐えつつ、竜の喉元を狙って雷光銃を連射する。

 閃光が銀の鱗で弾けるが、全く効いた様子はない。

 続けて前足の付け根を狙ってヒョウエの金属球が飛んだ。

 

『GY!』

 

 こちらはそれなりに効いたらしく、地竜が短く苦悶の声を漏らす。

 ヒョウエが金属球を手元に戻し、再び加速してぶつけようとした。

 モリィが雷光銃に念を込め、今までのように連射するのではなく、エネルギーを集中させようとする。

 

 その刹那、地竜が動いた。

 ヘビのように下半身をくねらせ、加速時間無しにトップスピードで小さな人間たちに襲いかかる。

 巨大なビルが瞬間移動して迫ってくるような感覚。

 

「どわっ!?」

「失礼!」

 

 モリィの体が浮かび、ヒョウエと共に横っ飛びに飛ぶ。

 モリィのつま先から1m程先で、巨大な口ががちんと閉じた。

 たった今まで二人がいた場所を蹂躙し、地面をこすりながら地竜が通り過ぎて二人の方に向き直って止まる。

 

「ああ、なるほど。ここの床が平たかったのって、あいつが移動するからだったんですね」

「言ってる場合か!」

 

 ふわり、と二人が地面に降りた。

 いつの間にかヒョウエの回りを周回する金属球が七つに減っていた。

 ヒョウエが杖をくいっと動かすと、地面に落ちていた金属球が二つ、主の周囲に戻ってくる。

 地竜はやや警戒を深めたのか、いつでも突撃できるように前傾しつつ、こちらをうかがっている。

 

「どうします?」

「でかいのぶちかます。10数えてくれ」

「わかりました」

 

 雷光銃のつまみを回し、出力を最大――上限無しに合わせ、地竜に向けて構え直す。

 雷光銃の銃口に光が灯り、稲妻が走り始めた。

 十秒間雷光を貯め、自前の魔力のありったけも注ぎ込む、全力のチャージ攻撃だ。

 

「!」

 

 視線の先、雷光銃のチャージに合わせるように竜の銀色の鱗が帯電を始めていた。

 かすかな火花だったそれが、見る間に光度を上げてバチバチと唸る稲妻になる。

 明らかにまずいことになりそうな様子に、モリィが顔を歪める。

 

『GOA?!』

 

 地竜の頭に火花が散り、弾かれたように横に振れた。

 加護を受けたモリィの視覚は、その直前に地竜の頭部にぶつかった九つの小さな物体を正確に捉えている。

 さすがにゴブリンやスピア・リザード相手のように貫通はしないが、それでも銀色の鱗を砕いて肉にめり込んでいた。

 

(ナイスだヒョウエ!)

 

 視線は竜から動かさないまま、獰猛な笑みを浮かべる。

 更に帯電を激しくする地竜の燃えるような瞳と、視線が空中でぶつかる。

 

「くたばりやがれっ!」

『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 人間と地竜の咆哮が轟くのが同時。

 雷光銃の銃口から、名前の通り雷光を帯びた光線が放たれる。

 同時に地竜の体からもまばゆい稲妻がほとばしる。

 大広間が閃光に包まれた。

 

 

 

「へっ、見たか・・・な!?」

 

 稲妻の爆発が消えた後、一瞬モリィは自分の目を疑った。

 見えたものが信じられず、目をまばたかせるが現実は変わらない。

 地竜は無傷だった。

 

「んな馬鹿な! あれは大岩だってブチ抜けるんだぞ! いくら竜とは言え・・・」

「"リンドブルムの稲妻"ですね。地竜はブレスは吐きませんが、稲妻を広範囲に放つ事ができるそうです――雷光銃で相殺しなかったら、僕たちも丸焼きになってたでしょうね」

 

 恐らくは二人が身軽に攻撃を避けたのを見て、爪や牙では捉えきれないと思ったのだろう。こうした亜竜の知能は動物並みのはずだが、少なくとも愚かではないようだった。

 

「で、どうする。そう言う事なら、もう一発来られたらやべえぞ。っつーかいきなり強くなりすぎだろう、モンスター」

「・・・恐らくは守護者(ガーディアン)なんでしょうね」

「ダンジョンの核の手前にいるってあれか」

「はい」

 

 地竜は稲妻を放つ前の体勢のまま二人を睨んでいる。

 いつでも飛びかかれる姿勢ではあるが、帯電はしていない。

 銀の鱗もくすんでいる。

 

「どうやら連発はできないみたいですね」

「連発されてたらこっちが死ぬっての。今のうちに魔力補填頼めるか?」

「はい」

 

 ヒョウエが十秒ほど銃把を握ると充填は完了した。雷光銃を受け取ったモリィが水晶目盛を確認して視線を地竜に戻す。

 こころなしか、先ほどより鱗の輝きが戻ってきている気がした。

 

「で、どうするよ。お前ほど早く充填できないみたいだし、もう一発撃ってみるか?」

「やめたほうがいいでしょうね。

 そもそも竜やその眷族、もっと言えば魔力の強い存在には魔法が効きにくいですから。

 雷光銃も機械的に再現しているだけで、一種の魔法には違いありません」

「そうなのか?」

「強い魔力は魔力の干渉を打ち消すんですよ。高密度の魔力を練れる術師や、高い魔力を有する生物に魔法が効きにくいのはそう言う事なんです」

 

 地竜に目をこらす。

 鱗はいよいよ輝きを取り戻してきていた。

 

「じゃあお前のタマっころか? でもあれも大して効かなかっただろ」

「ええ、だから切り札を一枚切ります。今度は僕に十秒ください」

「稲妻撃ってきたら相殺しろって事だな」

「話の早い人って好きですよ」

「こきゃあがれ」

 

 ヒョウエの周囲を回っていた金属球のうち8つが腰のポーチに戻る。

 残りの一つを胸の前に浮かべ、それに左手をかざす。

 

地の星よ(Shanaishchara)

 

 金属球に光る文字がびっしりと浮かび上がった。

 モリィにルーンの知識があれば、これが「大地」を表すそれであると気付いたろう。

 ヒョウエが左手を持ち上げ、頭上に浮かんだ金属球が巨大な剣の形を取った。

 見る見るうちに巨大化するそれは、刃渡り10mを越えて更に巨大化を続ける。

 

『GO・・・GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 緊張に耐えきれなくなったかのように地竜が動いた。

 稲妻をフルチャージするまで待っていれば死ぬと直感したからかもしれない。

 

「オラァァァァァッ!」

 

 高速で突進してくる地竜に再びモリィがチャージした雷光を放つ。

 地竜の帯びる稲妻が雷光と打ち消し合い、鱗から輝きが消える。

 

(つるぎ)よ! 飛べ!」

 

 洞窟が揺れた。

 それでも勢いを止めずに吶喊してくる巨竜の胸をヒョウエの投げた巨大な剣が貫き、その勢いのままに吹き飛ばし、洞窟の壁に縫い付ける。

 僅かにピクピクと動いていたそれもすぐに動きを止め、地竜はがくりと首を垂れた。

 

「すっげ・・・」

 

 両手で雷光銃を構えたまま、モリィはそれを呆然と見上げていた。

 全長20mの巨大な蛇竜を岩壁に縫い付ける、刃渡り20mの巨大な剣。

 やがて地竜の姿がすうっと薄れ、直径60cm程の巨大な魔力結晶がごろごろっと転がる。

 ゴブリンやオーガのものとは違い、表面は滑らかで真球に近い綺麗な形をしていた。

 

「おおう・・・」

 

 再びモリィが感嘆の声を上げる。

 "守護者"や竜の落とす巨大な魔力結晶。

 話に聞いたことはあったが、聞くと見るのとでは大違いだ。

 

 僅かに遅れて洞窟の地面に1m程の剣のようなものが落ちて刺さった。

 銀色に輝くそれは先ほどの地竜の角の一本。地竜の強い魔力が凝固し物体化したもの。

 外見通り"地竜(リンドブルム)の銀角"と呼ばれるそれは、最高級の拾得物(ドロップアイテム)のひとつだ。

 何でもこれを高値で買い取って発電機にし、電気文明をマルガム大陸にもたらそうとする冒険者族の一派があるそうだが真偽は定かではない。

 閑話休題(それはさておき)

 

「ふうっ」

 

 地竜が消滅したことを確認すると、ヒョウエが肩を落として息をついた。

 右手の杖を動かすと巨剣が壁から抜け、スルスルと縮んで元の金属球に戻る。

 モリィの目はその周辺にキラキラした何かを捉えたが、すぐ空気に溶けて消えた。

 

「大丈夫か?」

「大した事はありません。ただ精神集中が必要なので、そういう意味では少し疲れましたね」

「なんだったんだ、あれ?」

 

 ヒョウエの左手に戻った金属球に目をやり、モリィが訊ねる。

 

「『大地の剣』と言ったところでしょうか。

 九つの球にはそれぞれ星辰に由来する別の呪法を刻んでありまして。これは『地の星(Shanaishchara)』、魔力を注ぐと見せかけの質量が増加して原子構造の組み替えを――」

「・・・・・・・」

 

 モリィの顔を見て、ヒョウエが言い方を変える。

 

「まあつまり魔力を注げば大きくなったり剣に変わったりするわけです。

 後はそれを念動で投げつけるだけ。これ自体は純粋な物理攻撃ですから、魔力の逆干渉にも影響を受けません。

 単純に力一杯ぶん殴れという敵に対してはこれが一番ですね」

「なーるほどなあ、大したもんだ」

 

 感心してうんうんと頷くモリィ。

 

大魔術師(ウィザード)ですからね!」

 

 ヒョウエが胸を張った。

 

 

 

 取りあえず銀の角はヒョウエのかばんに(サイズを無視して)しまい込まれ、かばんに入りきらない魔力結晶はヒョウエの念動で持っていくことになった。

 万が一後から他の冒険者が来た場合、持って行かれても文句は言えないのがこの業界の不文律だ。

 

「けどこんな重いもの持ってってお前は大丈夫かよ?」

「魔力消費という点で言えば問題はなく。同時に使える金属球が一つ減りはしますが、まあ問題ないでしょう。それにこの先はモンスターもいないでしょうからね」

「あ、そっか」

 

 "守護者(ガーディアン)"はダンジョンの核を守る最強のモンスターだ。

 そのダンジョンの中では群を抜いた強さを持っているし、複数いることもまずない。

 そして最後の守りとしてコアの直前のエリアに配置されるのが普通だ。

 二人が話しているのはそういうことである。

 頷き合うと、二人は歩き出した。

 

 



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01-06 ダンジョン・コア

 地竜の行動範囲だろうか、大きな洞窟が続いた。

 直径10mほどの通路を10分ほど歩き、300m四方はあろうかという巨大な空間に出る。

 

「ここが奴の巣か? お宝溜め込んでたりしねえかなあ」

「真なる竜はともかく、地竜(リンドブルム)でそう言う話はあんまりないみたいですねえ。期待はしない方が良さそうです」

「ちぇっ」

 

 舌打ちしつつ周囲を見渡す。

 1、2分ほど視線をさまよわせた後、不審そうに口を開いた。

 

「っかしいなあ。先に進む通路っぽいものがないぜ?」

「壁の上や天井は?」

「そっちも一応見たけど見あたらねえ。奥に奴のねぐらっぽいものはあったけどよ」

 

 この世界にも原始的な望遠鏡はあるが、モリィの《目の加護》はそれを遥かに上回る遠視能力を持つ。少なくとも人間大の生物が通れる穴があれば見逃すとは思えなかった。

 

「ふむ・・・取りあえず周囲をぐるっと回ってそこまでいきましょう。

 近くで見ればまた何か見つかるかも」

「んだな」

 

 

 

 広い空間を右手回りでぐるっと回っていく。

 十分ほど歩く間に異常は見つからなかった。

 

 岩壁のくぼみに地竜の巣はあった。

 地竜が体を丸めればすっぽり入りそうな空間で、砕けた砂利が敷き詰められている。

 モリィが壁回りをざっと見渡して首を振る。

 

「ここも・・・それっぽいのはねえなあ」

「ですか」

 

 ヒョウエが巣の中心に入り、杖を砂利の間に突き立てた。

 何をするのか聞こうとして、ピクっと足元が揺れたような感覚を覚える。

 

「――? 今何したんだ?」

「周囲の壁や床、天井を調べてみたんですよ。念動力の波を僅かに送り込んで、物質の状態を調べる術と併用して中身を探る。念響探知(サイコキネティックロケーション)とでも申しましょうか」

「えーと・・・」

「大工がレンガ壁を木槌で叩いて悪いところを調べたりするでしょう。そんな感じで一つ」

「なるほど!」

 

 モリィの反応に苦笑しつつ、杖を引き抜いて壁の一箇所を目指して歩いて行く。

 

「そこに空洞がありますので多分・・・」

「ああ、これかな?」

 

 モリィが壁の僅かな出っ張りをぐいっと押し込む。

 でっぱりは音を立てて引っ込み、ごりごりごりという音と共に壁の一部が開いて通路が現れた。

 

「おっしゃドンピシャ(Jackpot)!」

「・・・」

 

 唖然とした表情でヒョウエが固まった。

 ガッツポーズを取っていたモリィがそのヒョウエに気付く。

 

「あー・・・そのだな」

「はいはいおみごと。これからはおまかせしていいですかね」

「悪かった、悪かったからすねんなよ」

 

 

 

 通路の先は今までの洞窟とは全く違う、磨き上げた黒曜石を削りだして作ったような空間だった。

 床も壁も天井も光沢のある黒い石のようなものでできており、継ぎ目もなく完璧な正方形の通路がどこまでも真っ直ぐ続いている。

 

「・・・なあ、コアのエリアってこういうもんなのか?」

「わかりません。ダンジョンによってまるで違うという話が・・・」

 

 ヒョウエが目をしばたたかせた。

 

「え?」

 

 モリィがキョロキョロと周囲を見渡す。

 いつのまにか、二人は星のきらめく空間にいた。

 一応は存在していたはずの壁も天井もなく、足元が床を踏みしめている感覚はあるが肝心の床が見えない。

 

「ど、どういうことだよおい!?」

「落ち着いて。動かないように」

 

 モリィが黙り込むと共に動きを止めたのを確認して、少し考え込む。

 

「モリィ。いつのタイミングで周囲が切り替わったか、わかります?」

「・・・・・・・・・・いや。気がついたらこうだった。いきなり切り替わったんじゃねえ。気がついたらこうなってた(・・・・・・・・・・・・)

 

 それを聞いて再びヒョウエが考え込んだ。

 

「今まで見た限りではモリィの《目の加護》はかなり強力です。闇も見通せるし、どうも魔力も見えるみたいです。動体視力も高いし、遠くのものも細かいところも見える。

 でも今回に限っては切り替わった瞬間に気がつかなかった」

「・・・?」

「つまり、今見えてる景色は僕たちの心に送り込まれた幻かも知れないと言う事ですよ。

 視覚に働きかけるタイプの幻なら、多分モリィくらいの《目の加護》があれば見抜けないまでも違和感は感じるんじゃないかと」

「確かに、なんて言うか・・・説明はしにくいんだが、見え方に違和感があるな」

 

 モリィの言葉にヒョウエが頷いた。

 一口に幻と言っても二種類ある。

 一つは光学的に幻像を出現させる、言わば立体映像に近いタイプ。

 もう一つは人間の精神に働きかけるタイプだ。

 

 前者は大がかりな幻は見せにくいし、周囲と合わせないとあからさまな違和感を感じてしまう欠点があるが、魔力干渉で打ち消せないしその場にいる全員が見える。

 対して後者は対象にしか見えず魔力干渉の影響も受けるが、どんな幻を見せることもできるし、解呪(ディスペル)か精神干渉をはねのける術を使えない限り自力脱出はほぼ不可能だ。

 

「けどそれっておかしくねえか? あたしはともかくお前は凄い魔力があるんだろ? 半端な術は効かねえんじゃねえか?」

「それですよ。だから考えられるのは、これが単純に恐ろしく強力な術であるか、もしくは」

「もしくは?」

「ここが既にダンジョン・コアの中ではないかと言うことです」

「へっ?」

 

 思わず洩れたまぬけな声にヒョウエは答えず、ただ厳しい顔だった。

 

 ダンジョンは神の夢であるとは既に述べた。

 ダンジョン・コアはまさしくその核、神の心のかけらそのものだ。

 もちろん実体などあるはずがない。

 

「ちょっと待てよ、ダンジョン・コアって何かこう・・・魔力結晶みたいな水晶玉みたいなもんじゃねえのか? あたしはそう聞いたぞ」

「それは安定させた場合ですよ。安定させたコアは物質化して、宝石や水晶玉みたいな形を取ります。ただ、そうするには意志の力でコアを制御下に置く必要があります。

 ただ、神の心の一部・・・感情とか記憶とか残留思念とかそういうものですから、安定させるまでは目に見えない事も多いんだそうですよ。

 僕たちはその見えないコアの中――つまり、神の夢に取り込まれたんです」

 

 ぬう、とモリィが唸った。

 

「じゃあどうすんだよ」

「もっと奥へ進みます。コアの中心に到達したらコアを意志力で押さえ込んで安定化。

 そうしたらそのままダンジョンを脱出できます」

「できんのか?」

 

 モリィの言葉に肩をすくめる。

 

「やってみなくちゃわかりませんね。失敗しても死んだりは余りしないみたいですけど・・・」

「余りってのが不安だなおい」

「ごくごく一部とは言え相手は神ですからね。それと意志力をぶつけ合おうっていうんです、下手を打てばそれはただじゃすみませんよ」

「それもそうか」

 

 モリィが大きく息をついた。

 

「で、どっち行くんだ?」

「どっちでもいいから先に進みましょう。多分それで中心にまでいけます」

「そんなのでいいのか」

「夢ですから」

 

 はぐれないよう、二人は手を繋いで歩き出した。

 モリィが左手を差し出し、ヒョウエは杖を左手に移して右手でそれを握る。

 

(・・・綺麗な手だな)

 

 ヒョウエの手は本当に少女のような滑らかさと白さで、あかぎれや染みと言ったものには一切縁がないようだった。

 もっともモリィは気付かなかったがその手のひらは意外に硬い。

 職人か、あるいは戦士か。何かを握って振るう手だった。

 

「来ますよ。心を強く持って下さい」

「え?」

 

 呼びかけられた声に我に返って顔を上げる――そしてモリィは言葉を失った。

 

 

 

 小さな女の子が泣いている。

 暗い顔をした男女――両親であろう二人に手を引かれ、行きたくないと泣いている。

 彼らの後ろには瀟洒な作りと広い庭、巨大な樹のある豪邸。

 もう帰れないとわかっていて、でもそれを認められずに泣いている。

 

「―――――っ」

 

 現れた時と同様、情景は唐突に消えた。

 見えるのは先ほどまでと同様、無数の星のきらめきだけ。

 

「ほら、行きますよ。手を離さないで」

「あ、ああ・・・」

 

 いつの間にか足が止まっていた。

 手を引かれて、何も考えずに歩みを再開する。

 

「なあ、今のは」

「コアの影響ですよ。僕たちは神の精神世界にいるんです。影響を受けないわけがありません。昔の記憶やトラウマを刺激されたり、神の感情や思念に同調してしまったりすることが多いようですね」

「それが意志力のぶつけ合いって事か」

「はい。流されずにコアを制御できれば僕たちの勝ちです」

 

 言葉が途切れる。

 二人は手をつなぎ、歩み続けた。

 

 

 

 それからもコアの影響は二人を襲い続けた。

 突然に巻き起こる激しい怒りの感情。

 同様に巻き起こる対象のない憎悪。

 母親らしき女性の遺体にすがりついて泣く先ほどの少女。

 それとは別の黒髪の少女。ぽつんと一人孤立し、遠巻きに囲まれている。

 同じ少女が血を流して倒れる貧民らしき少年を抱き上げ、慟哭する光景もあった。

 

「・・・・・・」

 

 随分前からモリィは無言になっていた。

 必死でこらえてはいるが、叫び出したくなる事も何度かあった。

 左手に感じるヒョウエの手の感触がなければそうしていたかもしれない。

 

 ちらりと、いつの間にか自分を引っ張る形になっている少年の後ろ姿を見る。

 ここまで歩いてきて、少なくとも外見的には全くショックを受けた様子は見えない。

 昂ぶったとき、ショックを受けたときに何度か手を強く握ったが、ヒョウエの方から強く握ってきたことはない。

 

「・・・結構すげえやつだな、おまえ」

「え、何か?」

「何でもねえよ」

 

 

 

「着きました」

 

 ヒョウエが足を止めたのはそれからまもなくのことだった。

 固い表情のモリィが無言で頷く。

 無数の星のきらめきの中、星団のような柔らかい光の固まりが目の前にあった。

 

「これがそうか・・・それでこれをどうするんだ?」

「強いイメージを作り上げて、その形にコアを封じる・・・らしいですね。

 とにかくやってみますよ」

 

 繋いでいた手が離れる。

 僅かに名残惜しさを感じて戸惑うモリィの目の前に、今度はぬっと杖が突き出された。

 

「すいません、ちょっと持ってて貰えます?」

「あ、ああ」

 

 見ればここまで念動で運んできた地竜の魔力結晶もいつの間にか床?にあった。

 意外と重い呪鍛鋼の杖を受け取り、ちょっとためらってから口を開く。

 

「その、な」

「なんです?」

「・・・気を付けろよ」

「任せて下さい。何せ僕は大魔術師(ウィザード)ですから」

 

 振り返ったヒョウエがにっこりと笑い、モリィが思わず苦笑した。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 沈黙が降りた。

 ヒョウエが目を閉じ、両手を光の塊に差し入れる。

 モリィも無言でそれを見守る。

 

「!」

 

 突然周囲の風景が変わった。

 これまでのどこか虚ろなそれではなく、圧倒的に生々しい質感を備えた現実にしか思えない情景。

 

 先ほどの、二人目の少女と貧民らしい少年が遊んでいる。

 その周囲を囲んだ男たちが少年を連れて行こうとする。

 少女は少年を取り戻そうとするが、脅しつけられて怯えたように逃げていく。

 次に少女が彼を見たとき、少年は体中を青あざだらけにして死んでいた。

 

『僕が強ければ!』

 

 少女が泣く。

 

『僕にもっと勇気があれば!』

 

 少女が叫ぶ。

 

『僕が死なせたんだ! 僕が!』

 

 天を仰いで慟哭する少女がヒョウエに似ているように見えて目をしばたたかせる。

 その瞬間、白い光が全てを押し隠した。

 

 

 

 気がつくと黒い石でできた通路の終点に立っていた。

 ヒョウエの方を見ると、開いた手の上に正十二面体にカットされた巨大な赤い宝石がある。

 

「・・・なあ、ヒョウエ。今のは・・・」

 

 振り向いたヒョウエが笑顔で片目をつぶり、指を一本口に当てる。

 それで、モリィはそれ以上言葉を続けられなくなった。

 モリィから杖を受け取り、巨大魔力結晶を再びふわりと浮かべる。

 

「さて、じゃあ戻りましょうか。折角ですし、ダンジョンマスターの権限を行使させて貰いましょう」

「権限?」

「見てて下さいよ・・・えいっ」

 

 ヒョウエが赤い宝石に何やら念じる。

 次の瞬間、二人はダンジョンの入り口にいた。

 

「・・・えっ? ええええええ!?」

「この宝石を手にしたことで僕はこのダンジョンの主になったんです。

 このダンジョンの中なら大概の事はできるんですよ――こんな風に」

 

 戸惑うモリィをよそに、再び宝石に念じる。

 ガース達四人の遺体がモリィの横に現れた。

 こちらに気付いた兵士達が驚きの声を上げている。

 ギルドの職員が泡を食った顔で駆け寄ってきた。



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01-07 結成、毎日戦隊

 

「ええとそれでは、ダンジョンの所有権はお持ちになると。お仲間の遺体についてはこちらで?」

「それでお願いします。費用に関しては踏破報奨金から差し引くと言うことで」

「かしこまりました。それで登録ですが・・・」

 

 ヒョウエがギルドの職員と種々の手続きをしているのをモリィはぼんやりと見ていた。

 

 ギルドと各国の協定で、ダンジョンの所有権は基本的に最初にダンジョンコアを安定化させた人間、もしくはパーティのものになる。今回に関しては「ぶんどり品は全てヒョウエのもの」という約束があるため、ヒョウエの全所有だ。

 (故人の装備やモリィたちが倒した分の魔力結晶はモリィに渡されている)

 ダンジョンマスターはダンジョンをある程度操作できるため、内部のモンスターが地上に出てこないようにする、つまり金をかけて軍隊を貼り付けなくても安全に収益を上げられるようにできる、というわけだ。

 

 その様な事情があるためダンジョンを踏破した冒険者には報奨金が支払われ、踏破が早ければ早いほど額は上乗せされる。更に所有権を売却すれば莫大な一時金が支払われる。

 所有し続ける場合でも管理は基本的にギルドが代行し、冒険者から利用料を徴収する。

 

 利用料は中で手に入れた魔力結晶や宝物の1割。これを国とギルドと所有者で三等分。

 この「あがり」の額はダンジョンの性質や立地にもよるが、難易度が比較的手頃で王都から30分という理想的な場所にあるここなら、遊んで暮らせるレベルの額が毎月転がり込んでくるはずであった。

 

 ギルドの職員たちがガースたちの遺体を簡単に清めて荷馬に乗せる。

 ヒョウエがこちらに歩いてきた。

 

「お仲間の遺体を神殿に運んで葬式を上げて貰います――モリィ?」

「ああ悪い、ちょっとぼうっとしてた。もちろん行くよ。

 ・・・これでお前も大金持ちだな。おめっとさん」

 

 モリィの祝辞にヒョウエが肩をすくめた。

 

「ところがそうでもないんですよね。返さなきゃいけないお金がありまして」

「ダンジョンを即日踏破して足りない? いったいいくら借りてんだお前」

 

 呆れたようにモリィが言う。

 繰り返すが、普通なら一生遊んで暮らせる額である。

 

「まあ色々と入り用でして」

 

 あはははは、とヒョウエが頭をかいた。

 

 

 

 すっかり暗くなった森の中をギルド職員の引く荷馬がゆっくり進む。

 遠くない時期にダンジョン直通の道が整備されるだろうが、今はまだ道もなく馬車や荷車が通ることはできない。

 その後ろをモリィとヒョウエが並んで歩いている。

 

 翌日、死者の魂を司る霊魂の神(スィーリ)の寺院でモリィの仲間の葬儀が行われた。

 参列するのは司祭と墓堀人、ギルド職員、モリィとヒョウエだけだった。

 

 葬儀はつつがなく終わり、司祭と墓堀人、職員は一礼してその場を後にする。

 遺品のうち武具などは修理の上ギルドの店で売りに出されて葬儀代の支払いに充当される。家族の所在がわかっているものにはギルドが代行して形見などを届け、場合によっては一族の墓地に葬り直すこともあった。

 ともあれ彼らに関する限り、これでモリィとヒョウエのすることは終わりだった。

 

「・・・・・・・・」

 

 四人の墓碑の前でモリィは動かない。

 ヒョウエも何も言わない。

 しばらくそのまま時間が過ぎ、やがてモリィが振り返った。

 

「悪かったな、もういいぜ・・・つっても、これでお前とのパーティも解消か。

 付き合ってくれてありがとよ。命を助けてくれたことも含めて、改めて礼を言うぜ」

 

 さみしそうに笑うモリィに対し、ヒョウエは僅かに笑みを浮かべる。

 

「・・・?」

「それなんですけどね、このままパーティを組みませんか?」

「なぬ?」

 

 予想外の言葉だった。

 

「いやそりゃ・・・あたしとしちゃ願ってもない話だけど、お前あたしと組んでもメリットがないだろ?」

「そうでもありませんよ。僕の攻撃は物理系がメインで、つまりスライムやエレメンタルみたいな、不定形だったり実体が薄い敵は苦手なんですよ。

 その点雷光銃を持ってるモリィさんは相方として最適なんです。《目の加護》や色々便利な技能も持ってますしね」

「―――」

 

 思わぬ高評価に一瞬動きが止まる。照れ笑いをしながらモリィは右手を差し出した。

 笑顔のまま、杖から離した右手でヒョウエがそれを握る。

 

「それじゃあパーティの登録ですね! 六虎亭とモリィさんの使ってる方とどっちにしましょう」

「そっちでいいよ。別にあそこにこだわる理由はねえしな」

「パーティ名はどうします?」

「好きに決めていいぜ。どうせ大して使うわけじゃなし」

 

 こうして一つのパーティが解散し、一つのパーティが生まれた。

 彼らがこの先どのような冒険をするかはまだわからない。の、だが・・・。

 数日後。

 

 

 

「ヒョウエ! おいヒョウエのクソ野郎はどこだ!」

「何ですか、ここにいますよ」

 

 冒険者の酒場『六虎亭』。

 王都の南門近く、スラムにもほど近い場所にある冒険者の酒場だ。

 カウンターで係員と何やら話していたモリィが、オムレツをほおばるヒョウエの所にドスドスと足音を立ててやってくる。

 

「で、なんです?」

「これだよ!」

 

 モリィがテーブルに叩き付けたのは依頼受諾書。

 

「何だよこのパーティ名! 意味わかんねーよ! 受付の姉ちゃんに笑われたぞ!」

「好きに決めていいって言ったじゃないですか」

「オメーがこんな頭の沸いたセンスの持ち主だとわかってたら言わなかったよ!」

 

 モリィの剣幕に口を尖らせてヒョウエが抗議する。

 

「なんですか、失礼な。かっこいいじゃないですか!」

「どこがだ!」

 

 ギャアギャアとわめくモリィ。真顔で反論するヒョウエ。

 モリィが叩き付けた依頼受諾書。そのパーティ名の箇所にはこうあった。

 

 『毎日戦隊エブリンガー』。




 初めましての方は初めまして、前作から読んで頂けている方は引き続きよろしくお願いします。ケ・セラ・セラです。
 前作が二次創作だったのでオリジナルの異世界ものを書いてみたいと思ったのですが、異世界転生+アメコミヒーロー風味(あくまで風味)っぽいものになりました。
 取りあえずたらたらと投稿していきたいと思っておりますので、よろしければご笑覧下さい。

 感想・評価等よろしくお願いします。


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第二章「人々の自由と平和のために」
01-08 六虎亭


今回から予約投稿は19:00ぴったりに設定します。
(なろうの方が一時間刻みでしか設定できないので)


 

 

 

「はじめに虚空あり。創造の八神そこに生ず。 

 即ち『祭壇』『雌馬』『針』『牡牛』『エーテル』『足跡』『熊』『使命』なり」

 

                     ――創世神話の冒頭――

 

 

 

「また面倒な依頼が来たわねえ・・・」

「大丈夫じゃない? あの子が引き受けてくれるでしょ」

「まあね」

 

 事務員たちがカウンターの中で笑い合う。

 ここは六虎亭。いわゆる冒険者の酒場で、王都に10以上ある同種の店の中ではかなり流行っているほうだ。特に女性冒険者に人気が高い。

 

 その秘密は店の主人が習得している"味変化(デリシャシィ)"の呪文にあった。

 名前の通り食材に様々な味を付与する呪文だが習得難易度が高く、習得者はメットー全体でも二十人いないと言われる。そんな術者の大概は食神(バーテラ)の司祭か貴族お抱えの料理人になってしまうので、庶民を相手に商売する者はほとんどいない。

 

 主人の腕もあって料理が美味なのは当然だが、重要なのはむしろ飲み物だ。

 ひねりも何もなく"甘水(スイートウォーター)"と名付けられたそれはただの水。

 ただし、"味変化(デリシャシィ)"の呪文によって蜂蜜のような甘ったるい風味がつけられた水だ。

 

 これが馬鹿受けした。

 綺麗な水が貴重ゆえに酒類に対する許容度の高い世界ではあるが、それでも酒が苦手な者はそれなりにいる。

 おまけに甘味がまだまだ貴重な世界で、普通の水と大して変わらない値段で甘ったるい蜂蜜水を飲める!

 

 酒臭くない!

 酔わない!

 太らない!

 

 ここまで揃えば女性冒険者の人気が爆発するのも当然!当然!当たり前!で、これ目当てでやってくる一般人すら少なくない。

 ともかく、近頃のこの店には一人の名物冒険者がいた。

 

 いわく、銭ゲバ。

 いわく、仕事を選ばない節操無し。

 いわく、ギルドに逆らうものを裏で始末する掃除屋。

 いわく、ギルド長の愛人。

 

 同輩の冒険者たちからの評判はさんざんであり、対照的にギルド職員からの評価は非常に高い。

 冒険者登録をして一年未満の新人が既に緑等級――五段階ある格付けの上から三番目――であることからもうかがい知れるだろう。

 

 ちなみに冒険者の格付けは下から赤、青、緑、黒、金となっており、いわゆる「板」――認識票(タグ)の材質もそれによって変わる。

 最下級の赤等級の冒険者は朱色の木片。ここから上がらずに冒険者を引退するものも多い。

 青等級のそれは藍色に染め付けした陶器の板。一人前、あるいはベテランとして認識される等級だ。赤等級と青等級が冒険者のほとんどを占める。

 緑等級は翡翠の小片を埋め込んだ銅製。このクラスになるとぐっと数が少なくなり、周囲の見る目も変わる。

 黒等級は表面を焼いて黒染めした鉄製。シンプルで美しい光沢を放つそれはまさに英雄(ヒーロー)の、一流冒険者の証だ。

 そして最高等級が金。時代を代表する英雄のみがランク付けられる等級だ。見た事のある人間によれば、神々と竜の姿を刻んだ黄金の薄板だという。

 

 余談ながら冒険者語でパーティのことを「箱」と言う。

 初級冒険者のパーティなら「赤箱」というわけだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 青いローブの魔法使いの少年が酒場に入って来た。

 酒場の中を見回すが相方の雷光銃使いの少女の姿はない。

 まだ寝ているのだろうかと思ったところで階段(誰が決めたのか冒険者の店は一階が酒場、二階が宿屋が決まりだ)から下りてくるのを見つけ、手を振る。

 少女が笑みを浮かべて手を振り返そうとしたところで少年はつかつかと歩いてきたギルドの女性職員に捕まった。

 そのまま首根っこを掴まれて連行されていく。

 

「・・・なんだありゃ」

 

 

 

 冒険者の酒場奥の一室。

 ヒョウエと、結局ついてきたモリィが並んで長椅子に座っている。

 その前に座ったのは余り友好的ではない雰囲気を出している中年の男性職員だった。

 珍しく身をすくめているヒョウエを見て、モリィはちょっと事情がわかった気がした。

 

「えー、ヒョウエさん。何で呼ばれたかはわかってますね?」 

「あ、はい」

 

 愛想笑いに冷や汗をたらしつつ、ヒョウエがコクコクと頷く。

 男性職員が諦めたように溜息をついた。

 

「何度も言ってますけどね、困るんですよ、こう言う事されると。

 我々もね、冒険者のみなさんをちゃんと評価して依頼を割り振らなきゃいけないわけです。成功した依頼、失敗した依頼を正確に把握できなければいけないんですよ。

 そのへんはおわかりでしょう?」

「まあそのそうなんですけど・・・」

 

 身を縮こまらせるヒョウエ。

 それを横目で見つつモリィが口を挟んだ。

 

「なあ、事情がよくわからないんだけどさ。結局こいつ何やったんだ?」

「・・・傭兵ですよ。難易度の高い仕事を受けたパーティに呼ばれて、助っ人として依頼を解決するんです」

「別に悪い事じゃねえと思うけど」

「報告書にちゃんと名前を載せればね! この人は名前を出さない代わりに依頼料を全部持っていくんですよ! おかげでどの(パーティ)がどれだけの実力があるか、正確に把握できないんです!」

 

 つまり報酬と引き替えに実績を譲り渡していると言うことである。前述のとおり冒険者には5つの等級があり、最下級の赤から青になるだけでも実入りは随分と違う。

 もう少しで昇進できそうな(パーティ)、うだつの上がらない(パーティ)が等級昇進の実績稼ぎのためにヒョウエにこっそり協力を頼むことが少なくないのだと言う。

 話を聞いたモリィが、男性職員と同じような呆れ顔になった。

 

「最近はね、緑等級の(パーティ)までヒョウエさんに依頼してる節がありまして・・・困ってるんですよほんとに」

 

 ハンカチで汗を拭きつつ嘆く男性職員。

 モリィにじろりと睨まれて、ヒョウエが更に身を縮こまらせた。

 

「何でそんなにがっつくんだよ。例の借金か?」

「ええまあ・・・痛い痛い痛い!」

 

 モリィに耳をねじ上げられて、ヒョウエが悲鳴を上げる。

 

「あたしと組んでる限りそう言うのは無しだ。わかったな?」

「いやですけど・・・いたたたたたた! わかった! わかりましたから!」

「よーし、忘れんなよ?」

 

 モリィがヒョウエの耳を離す。ヒョウエは耳を押さえて恨みがましげに相方を見上げるが、モリィは意にも介さない。

 男性職員が拝まんばかりの感謝の眼差しを送っていた。

 

 

 

「さて、それはそれとしてヒョウエさん・・・いえ、毎日戦隊エブリンガーに受けて頂きたい依頼があるのですが」

 

 ヒョウエがあ、やっぱりという顔をした。

 一方でモリィは一転して渋面になる。

 

「なあ、ヒョウエ。やっぱ名前変えようぜ。あたしこんな名前やだよ」

「確か変えるには手数料が掛かりますよ。モリィが払ってくれるならどうぞ」

「いくらだ?」

「白金貨一枚、1000ダコックです」

「はあっ!?」

 

 モリィが思わず絶句した。大体一月の生活費に相当する額である。

 ちなみに答えたのはヒョウエではなく男性職員だ。

 

「ちょっと待てよおっさん!? いくらなんでも法外だろ!」

「昔依頼人から金品をちょろまかしたり不誠実な仕事をしてはパーティ名を変えて同じ事を繰り返した連中がいまして・・・それを戒めるために設定されたんですよ」

「・・・・・・・・」

 

 気の利いた反論が思いつかずに二の句の継げないモリィ。

 さすがに名前変更だけでそれだけの大金を払うのは二の足を踏まざるをえない。

 一方でヒョウエはなるほどなー、などと頷いている。

 

「で、依頼はこれなのですが・・・どうでしょう?」

 

 職員が差し出した紙をヒョウエが一瞥する。

 羊皮紙の類ではなく、手すき和紙に近い植物原料の紙だ。

 内容は猫探し、依頼人の欄には王国屈指の大商会の名前が書いてあった。

 

「内容の割に報酬が破格ですね。さすがクリーブランド商会」

「会頭の孫娘の飼い猫だそうです。そこにあるように大至急かつ無傷でとのことで」

「王都全部から探し出さなきゃならないのに期日限定か。失敗したら後が怖いし・・・僕に回ってくるわけですね」

「ええまあ報酬さえ弾めばこう言う面倒な依頼を受けてくれるのは、うちではヒョウエさんだけなので・・・」

 

 再びハンカチで汗を拭く職員。

 

「で、断ったら降格と」

「赤等級に降格の上で功績なしからやりなおしになります」

 

 職員が苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

 ヒョウエという便利な人材を降格させるなど支部にとっては大損でしかない。

 だが規則違反を繰り返されては目をつぶるにも限度がある。これでも甘甘の大甘の裁定なのである。

 

「まあしゃーねーな。頑張れよー」

「薄情ですね・・・」

「だってアタシにゃ関係ねーし」

 

 肩をすくめるモリィ。完全に人ごとの態度だが、次の職員の言葉でその態度も一変する。

 

「あ、この依頼に関しては失敗するとモリィさんの評価も下がりますので」

「何でだよ?!」

 

 ばん、とテーブルを叩いて立ち上がる。

 そのモリィを職員は実に気の毒そうな目で見つめた。

 

「連帯責任です。昔はともかく現在はお二方はパーティの一員ですから・・・」

「お前ナニしてくれてやがんだーっ!」

「ぐえーっ!?」

 

 モリィが力一杯ヒョウエののど首を絞め上げた。肩を叩いてギブアップの表示をしているあたり、本気で苦しいようだ。まぁまぁと職員が慌てて割って入る。

 

「それにあれですよ、モリィさんの《目の加護》があれば随分はかどるのではと」

「くそ、しゃあねえな・・・まあ確かに報酬はいいしな」

 

 ヒョウエののど首から手を離し、モリィが溜息をつきながら頷く。

 咳き込みながらヒョウエも頷いた。

 

「ではこの依頼は毎日戦隊エブリンガーさんが受諾と言うことで。代表者のかたのサインをお願いします」

「げほげほ・・・はい、どうぞ」

「たしかに。毎日戦隊エブリンガーさんの依頼受諾を確認しました・・・なにか?」

 

 モリィが職員の方に視線を向けていた。

 

「いいんだけどさ・・・あんた、良く笑わずにこんな名前をすらすらと言えるな?」

「プロですので」

 

 奇妙な無表情で男性職員は答えた。




 六虎亭、正式には冒険者ギルド南門支部と呼ばれるギルドの直営店ですが、元々酒場で当時の主人が今も酒場部分の運営に携わっているので、当時からの屋号がそのまま通称になっているという設定です。
 冒険者の店にはギルド直営店のほかに個人営業の酒場に業務委託している委託店もありますが、二つの違いは大体正規の郵便局と簡易郵便局と思って貰えれば。
 受付がいて鍛冶場や商店など様々な施設が付属してギルド職員が常駐している直営店、酒場のおじさんが副業で冒険依頼取り次ぎなどをやってる委託店、という感じです。


ちなみにヒーローもので冒険者階級をたとえると以下のような感じ。適当なので本気にしないように。

赤:防衛組織のモブ戦闘員クラス。もしくは町のお巡りさんや一般兵士。
青:ヒーローではない防衛隊のネームドクラス。戦闘員と格闘できたり、怪人相手に時間稼ぎができるレベル。滝和也、立花藤兵衛や神経断裂弾装備の一条刑事、G3マイルドくらい。
緑:マイナーヒーロー。町一つか一地方くらいは救える。アベンジャーズやジャスティスリーグからオファーが来る。日本だと琉神マブヤーなどのご当地ヒーローか、生身で怪人を倒せる倉間鉄山将軍や赤心少林拳の玄海老師。
黒:ヒーロー。国一つを救える。アベンジャーズやジャスティスリーグで主力を張れるレベル。日本なら大半の戦隊やライダー。
金:世界を救った生ける伝説。スーパーマン、バットマン、キャプテンアメリカ、(近年の)アイアンマン、仮面ライダー一号、ゴレンジャー。
それ以上:ウルトラマンとかギャラクタスとかそのへん。


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01-09 "青い鎧"

「で、どこから探す?」

 

 カウンターの裏、ギルドの事務所を通って酒場に戻りながらモリィが聞く。

 

「それなんですけど、モリィの目はどれくらいの範囲まで探せます?」

「猫だよな。野っ原なら4、5キロくらいならイケると思うけど・・・」

 

 王都メットーは建築物の密集する、しかもさしわたし8キロにも及ぶ巨大都市だ。

 いかにモリィの《目の加護》とはいえ、物体を透かして見る事はできない。

 

「ええ、だから障害物のないところから探せばいいわけで」

「?」

 

 

 

「うわ、うわ、うわああああああああああああああああああああああ!?」

 

 モリィの絶叫が響く。

 しかし、それを聞いている人間はヒョウエと鳥以外にいない。

 二人は今王都の上空500mの空中にいた。

 魔女のほうきのようにタンデムでヒョウエの杖にまたがり、空中に浮いている。

 

「おおおおお落ちる落ちる落ちるーっ!」

「落ちませんよ。念動の術でちゃんと杖に体を固定して・・・ぐえっ!?」

 

 後ろからヒョウエの首根っこにかじりついたモリィの腕が綺麗なチョークを決めた。

 パニックを起こしたモリィはそれに気づかず、ヒョウエは本日二度目の酸欠にジタバタしている。

 このコントはしばらく続いたが、幸いなことにこれで制御を失って仲良く墜落死、などというまぬけな死に方はせずにすんだようだ。

 

 

 

 モリィのパニックも収まり、杖にまたがった二人は王都の上を遊覧飛行していた。

 落ち着いてみれば確かに見えない壁に支えられている感じがして、多少体を動かしても落ちそうにはない。

 

「で、上から探せばいいんだな?」

「ええ。これなら路地ものぞき込めるでしょう?」

 

 狭い路地裏や生け垣の向こう、屋根や壁の上まで一目でのぞき込めるのである。

 モリィの《目の加護》と組み合わせれば、なるほど効率が良かった。

 

「結構野良猫多いなあ。まあかなり特徴的だから、いりゃあ目立つと思うけどよ」

 

 依頼書に添えられていた似顔絵?によれば灰色の美しい毛並みとすらっとした体型を持つ、我々の世界で言えばロシアンブルーに近い種である。

 外国から輸入した品種で、この国では滅多に見かけない。

 

「まあその辺をうろついてるだけならそのうち見つかるでしょう。

 問題は何者かに誘拐されてた場合ですけど・・・その時はその時で」

「オーケイ」

 

 しばらくそのまま二人は王都の上を飛び続けた。

 

「しかし飛ぶってのも意外と気持ちいいもんだな。どうよ、ヒョウエ。その辺に"青い鎧"が飛んでたりしねえかな」

「・・・さあ、どうでしょうね」

 

 "青い鎧"。

 "青騎士"、"空飛ぶ青"、あるいは単に"あの青いの"などとも呼ばれる、ここ数年で王都に現れるようになった『ヒーロー』である。

 呪鍛鋼(スペルスティール)の青い全身甲冑を身にまとい、真紅のケープを翻して空を飛ぶ巨漢。

 刃傷沙汰、盗み、追い剥ぎ、火付け、人さらい、そして人殺し。そうした犯罪が行われているところに現れては犯罪者を打ち倒し、被害者を助けて去って行く。

 

 確かに冒険者の中にも"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"などと呼ばれるタイプの人間はいる。犯罪を未然に防ぎ、あるいは解決して賞金と冒険者評価を稼ぐ人々だ。

 わずかではあるがそれで黒等級――"英雄(ヒーロー)"と呼ばれるランクにまで達したものもいる。

 

 しかし"青い鎧"はそれとは桁が違った。

 王都のどこであろうともそうした犯罪が発生するたびに、知っていたかのようにその場に現れては犯人を打ち倒して警邏に突き出し、被害者が怪我を負っていれば魔法で癒す。

 剣も魔法も跳ね返し、どんな凶悪な犯罪者であろうとも拳の一突きで打ち倒す。

 

 彼に捕縛された犯罪者は数知れず、彼のおかげで命を永らえた人々もまた数知れない。

 一年も経たないうちにその手の犯罪は激減し、今では警邏や"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"たちが髀肉の嘆を嘆くほどに王都は平和になった。

 

 どこから来たのか、何者なのか、誰も知らない。

 しかし、王都に住む誰もが彼を知っている。

 謎に包まれた最新の英雄(ヒーロー)、それが"青い鎧"であった。

 

 

 

「・・・・あっ」

「どうした?」

 

 ゆっくりと王都の上空を移動しているさなか、突然ヒョウエが声を上げた。

 

「ええとその、野暮用でして」

「ションベンが近いなお前。ひょっとしてマジで女なのか?」

「男ですよ!」

 

 むきになって反論しながらもヒョウエは手近の公園に降りていく。高さ15mの、王都でも屈指の高さを誇る時計塔のある公園。昔は見張り塔だったものを、都市の近代化を機に時計塔に改装したものだ。

 

 平日ではあるが午前中の公園にはそれなりに人がいて、子供達の遊ぶ姿も見られた。

 驚きの声が上がり、子供達が歓声を上げて駆け寄ってくる中で二人は着地し、ヒョウエはそのまま公衆トイレに駆け込む。

 

 そう。この世界、大都市には大体公園があり、公園には公衆トイレがあるのだ。

 都市の衛生政策の一環だが、冒険者族が絡んでることはいうまでもない。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「凄い!」

「どこから来たの!?」

「お姉ちゃんたち冒険者?」

「緑板? それとも黒板?」

「"青い鎧"のお友達なの?」

「あーうるさいうるさい、たかるなガキども。あたしたちは冒険者だけど、"青い鎧"とは関係ねえよ」

 

 わらわらと寄ってくる子供達を突き放すことはせず、素っ気なくだが相手してやるモリィ。意外に面倒見がいい。

 そうして適当に子供達の相手をしてやってるうちに、ぐらり、と地面が揺れた。

 

「わっ!」

「きゃあっ!?」

 

 この地域では地震は珍しい。そして今のそれはかなり大きかった。

 遊んでいた子供達の母親とおぼしき女性たちが慌てて子供達のところに駆け寄っていく。

 とは言えさほどの間を置かず揺れは収まり、モリィも胸をなで下ろそうとして――絶句した。

 

 時計塔が根元からひび割れて折れ、15mの塔が芝生にゆっくりと倒れ込む。

 その下には恐怖に硬直する母子。

 思わずモリィは走り出した。だが駆け寄るには余りにも遠い。モリィ自身も間に合わないとわかっている。

 

 助けられない。

 逃げる暇もない。

 誰もがそう思ったその瞬間――ファンファーレが鳴った。

 その場にいた人間は全員確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 倒れ込んだ塔が空中で止まっていた。

 否、止められていた。

 宙に浮かぶ、たった一人の人間の手によって。

 

 深い青の騎士甲冑。ひるがえる真紅のケープ。

 「青い鎧」。

 ついさっき噂していた謎の"ヒーロー"を、モリィは呆然と見上げている。

 

 長さ15m、太さ5mの塔が空中で停止し、しかもゆっくりと横に動く。

 周囲の人々が慌てたように場所を空け、「青い鎧」はそれを確認してゆっくりと塔を地面に下ろす。

 歓声が爆発した。

 

「うおおおおお!」

「わあああああああああああああ!」

 

 それらの歓声にも反応を見せず、青い鎧は助けた母子の方をちらりと見て頷いた。

 ついでモリィの方へ顔を動かす。

 

(・・・今あたしを見た?)

 

 モリィが眉をひそめたのもつかの間、青い鎧は一瞬にして彼方へ飛び去り、同色の青い空に溶けて消えた。

 

 

 

 歓声とざわめきが冷めやらぬころ、のんきな顔でヒョウエがトイレから出てきた。

 

「どうしました?」

「あー、ほれ、あの時計塔な。下敷きになりそうな奴を"青い鎧"が助けたんだ」

「あーなるほど」

 

 ヒョウエが何やら考え込む。

 

「しっかし人気だよなあ。ガキどもがこれだけ騒ぐんだから」

「そうですね」

「?」

 

 先ほどからどこかそっけないヒョウエに違和感を感じ、顔を覗き込む。

 ヒョウエはそれに反応せず、杖を宙に浮かべた。

 

「じゃあ仕事を続けましょう。またがって下さい」

「ん、ああ」

 

 二人を乗せた杖がふわりと浮くと、回りの子供達からまたどよめきが起きた。

 

「すげー!」

「浮いてる!」

「青い鎧みたい!」

「乗せて乗せて!」

「はいはい、あたしたちは今仕事中だからまた今度な」

 

 ふと気がつくと、ヒョウエが生暖かい笑み(モリィ視点)でこちらを見ていた。

 

「・・・あんだよ?」

「いえいえ、なんでも。それじゃ行きますよ」

 

 更に高度を上げる杖。

 子供達の歓声をバックに、二人は再び猫探しを再開した。

 



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01-10 娼婦ナヴィ

 夕方まで王都の上空を周回し、二人は六虎亭に戻った。

 

「見つけられませんでしたね。運が悪かったのか」

「どうするよ?」

「もう一日探してみて、それでダメならアプローチを変えてみましょう。今日はこれで解散って事で」

「オーケイ、んじゃまた明日な」

 

 六虎亭の前で二人は別れた。

 モリィは店の中に、ヒョウエは南門、スラムに近い方角に。

 モリィはちょっと怪訝な顔になったが、特に何も言わなかった。

 

 

 

 翌日。

 一日王都の上を飛んだが、やはり猫は見つからなかった。

 かなり日も傾いてきたところで二人は六虎亭に戻る。

 

「見つからなかったなあ」

「ええ。こうなると誰かに捕まったのか、もしくは本当にさらわれたのかも」

 

 じゃあどうする? とモリィが視線で問いかける。

 

「聞き込みをするか、もしくは広く懸賞金でも懸けて探すかですけど、前者は効率が悪いし後者は僕たちの手柄にはなりませんねえ」

 

 なにせ人口50万の超超巨大都市だ。

 目立つとは言えどこに逃げたかもわからない猫一匹を探すには余りに広すぎる。

 

「んじゃ打つ手無しか」

「まあ・・・こう言う時に頼れる人はいますから、諦めるのはそっちを頼ってみてからにしましょう。ついてきて下さい」

「ん、わかった」

 

 ヒョウエと連れだってモリィが歩き出した。

 

 

 

 二人が街路を歩く。

 アルファベットに似たこの世界の表音文字に加えて、つづりの怪しい漢字やひらがなが書き込まれた看板の群れは、ちょっと見るとファンタジーというよりサイバーパンクの街路にも見える。

 

「おうバアさん。椀に虫が入ってたぜ! こ~んなもんで客から金とろうってのかよ?」

「そ、そんなことは・・・!」

「あぁん?!」

「うっわー。古典的だなあ・・・」

 

 2街区(ブロック)ほど歩いたところで屋台の老婆がガタイのいいチンピラどもに絡まれているのに出くわした。

 難癖をつけてただ飯を食おうという輩だろう。

 

(ま、ご愁傷様)

 

 モリィが心の中で肩をすくめる――チンピラたちに対して。

 その時には既にヒョウエがチンピラたちの前に立っていた。

 

「お婆さんから手を放しなさい」

「は?」

 

 チビの闖入者に一瞬チンピラたちが目を丸くし、次いで爆笑する。

 

「おいおい、自分が何言ってるのかわかってるのかよこのガキ?」

 

 リーダー格らしい一番の巨漢が老婆を放り出してヒョウエに向き直る。

 放り出された老婆が、ふわりと地面に降りたことに気付いた者はほとんどいない。

 

「まあ金持ちのガキはちょっとばかり痛い目を見て・・・えぇぇぇっ!?」

 

 巨漢がヒョウエに手を伸ばそうとして、その手が空を切った。

 その手がどんどんヒョウエから離れていく。

 いや、巨漢が地面から浮いているのだ。

 

「ひゃっ、ひゃあああああああああああああああ!?」

「あ、兄貴・・・!?」

「ま、魔法使いだ!」

 

 情けない悲鳴を上げる兄貴分。ヘタレと言うなかれ、「飛行」が魔法の領域にしかない世界である。足が宙に浮いてその下に何もないという状況は恐怖以外の何物でもない。

 

「ひっ、ひ・・・」

「すいませんでしたぁぁぁぁ!」

「あ、お前らっ!?」

 

 舎弟二人が巨漢を捨てて逃走した。その間にも巨漢はぐんぐん上昇していく。

 

「大丈夫ですか、おばあさん?」

「は、はい、ありがとうございます・・・」

「助けてぇぇぇ! 俺が悪かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 涙と鼻水を垂らして謝る巨漢を更に数分放置してから、ヒョウエは地面に下ろしてやった。

 舎弟達と同じくほうほうの体で逃げていったことは言うまでもない。

 

 

 

「・・・・」

 

 先ほどの老婆にお礼として貰った水飴を舐めながら歩く。

 歩きながら、改めて相棒となったこの少年をしげしげと見た。

 モリィから見るとこいつはどうにも変な奴だった。

 見るからに争いごとを嫌うくせに、もめ事と見ると必ず首を突っ込んでいく。

 

 その現場に遭遇したことは、この二週間でも両手の指の数を超える。

 単なる喧嘩や言い争いなら強制的にでも二人を分け、片方がもう片方を虐げているようなら問答無用で立ちふさがる。

 杖の先がちょんと触れただけで10m以上吹っ飛ばされれば、何か別のところで用事を見つけようという気にもなるものだ。

 

 もっとも大多数の場合においてはその必要すらなかった。

 豪奢なローブに素人目にも明らかな呪鍛鋼の杖。半数くらいはまずここで怯む。

 "大魔術師(ウィザード)"の衣裳の上に乗っているのが美少女のような生っちろい少年の顔であっても、だ。

 

 それだけ術師は希少であり、畏怖されている。ましてや若々しい姿で数百年を生きる術者が数は少なくとも実在しているのだ。ひょっとしたら目の前のこれも、と思ってしまうのは当然だろう。まあ先ほどのチンピラたちのような底抜けの馬鹿もいるが。

 なおもう半分くらいはヒョウエの姿が視界に入っただけでこそこそ去っていく。界隈ではそれなりに有名なのだろう。こんな目立つ格好で暴れていれば当然だが。

 

 

 

 そんな事を考えつつ歩いてしばらく、モリィは妙なことに気付いた。

 

「おいお前この道、あたしの記憶間違いじゃなきゃスラムの方じゃないか?」

「そうですよ?」

「大丈夫かよ? いや、お前みたいに腕が立つなら問題ないだろうが」

「そうじゃなくて・・・まあ見ればわかりますよ」

 

 スラムは王都の南西部に広がる広大な地域だ。

 一応城壁の中ではあるが、治安は悪く外から来た流れ者も多い。

 元はと言えば二十年ほど前の飢饉で食べていけなくなり、王都に流れ着いた者たちが建物のまばらな南西部に住み着いたのが始まりで、その数があっという間に増えてバラックを形成し、かつては犯罪者の巣窟だった。

 "青い鎧"が出現した今でもお世辞にもガラのいい所とは言えない。

 

 が、その悪所に向かってヒョウエは恐れる様子でもなく真っ直ぐ歩いて行く。

 歩きながらもしばらく悩みはしたが、

 

(ま、こいつと一緒にいるなら問題はないか)

 

 そう割切ることにした。

 考えるのが面倒くさくなったとも言う。

 

 

 

(ん・・・んん・・・?)

 

 周囲の家の造りが雑になり、明らかにスラムとおぼしき街路に入り込んでしばらく。モリィは妙なことに気付いた。

 妙に小綺麗なのだ。

 通りは狭いし両側の家々も廃材で素人が作ったような粗末さなのは間違いないのだが、路上にゴミや汚物が転がっていることもないし、行き交う住人の服も粗末ではあるがちゃんと洗濯してあり、垢じみたという感じではない。

 

 道の両側にはやはり粗末ではあるが店や露店が並び、呼び込みの声が聞こえてくる。

 何より住人の顔が明るかった。貧困や犯罪に苦しむ住人の顔ではない。

 通行人や店の主人がヒョウエに笑顔で挨拶してくるのはまだしも、時折頭を下げてくるのも不可解だった。

 

「なあヒョウエ・・・」

「言ったでしょう? 見ればわかるって」

「まあなあ。あたしがガキの頃はこんなじゃなかったぜ? "青い鎧"のおかげか?」

「まあそれもありますが、色々ありまして」

 

 みすぼらしい身なりの子供がどんっ、とヒョウエにぶつかってきた。

 スリかと身構えたモリィだが、抱きついてにかっと笑う子供とその頭を撫でるヒョウエを見て思わず力が抜ける。

 

「ヒョウエさま、おかえりなさーい!」

「おかえりー!」

 

 いつの間にか何人かの子供がまわりに集まり、ヒョウエに話しかけてくる。

 

「こっちのお姉ちゃんだれー?」

「こいびとー?」

「およめさんー?」

「あいじんだろ」

「ちげーよ! 何だよヒョウエこのガキどもは!」

 

 子供相手にむきになって反論するモリィ。ちょっと顔が赤い。

 

「あー、ヒョウエさま呼び捨てにしたぞこいつ!」

「いけないんだー!」

「ああ、このお姉ちゃんはいいんだよ」

「えー」

 

 ぶーぶー言う子供達をなだめて、ヒョウエがモリィの方に向き直る。

 

「で、なんだよこいつら。それからヒョウエ『さま』ってのはなんだ」

「見ての通り近所の子供たちですよ。さま付けなのは・・・」

「それはここがこの人の土地だからよ。ね、『領主様』?」

 

 色っぽい、それでいてからりとした声がヒョウエの言葉を遮った。

 モリィがそちらに顔を向けるのと同時に、白い腕がヒョウエの首に絡む。

 

「ナヴィさん、そう言うのは仕事でやってほしいんですけど」

「つれないわねえ。領主様なら仕事抜きでいいって何度も言ってるのに。あー、ほっぺたの感触が最高だわ」

 

 年の頃は20才ほどだろうか、幸せそうにヒョウエにほおずりする女性。

 ヒョウエも迷惑そうな顔はしてるが突き放そうとはしない。

 明らかに娼婦だろう露出度の高い服装にあかね色の髪。色っぽくはあるが気さくなお姉さんと言った風貌。白粉はつけず、紅だけを差している。

 

「・・・・・・・」

 

 しばらくヒョウエの頬の感触を堪能した後、ようやく娼婦の女性――ナヴィは愉快な表情で硬直したモリィに気付いた。

 

「あら、ひょっとして領主様のお友達? ・・・あなたもすりすりする?」

「しねえよ!」

 

 素で聞いてきたナヴィに、モリィが力一杯突っ込んだ。



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01-11 スラム

「ヒョウエさまばいばいー!」

「はい、さようなら。もうそろそろ日が暮れますから早く帰りなさい」

「はーい!」

 

 やがて子供達が散っていき、後にはヒョウエとモリィ、そしてナヴィが残る。

 

「で。領主様ってのはどういうこったよ?」

「だからそのままの意味よ。このスラム街は丸ごとヒョウエさまの土地なの」

「ほわっ!?」

 

 顔のデッサンが崩れたような表情でモリィが大口を開けた。

 

「いやその・・・待てよおい! スラム丸ごと!?」

「このスラムね、潰されかかってたのよ。犯罪の温床だからって。

 当時は"青い鎧"もいなかったしある意味しょうがない話なんだけど、住んでる私たちにしてみれば『しょうがない』で済む話じゃないわよね」

 

 肩をすくめるナヴィ。

 ここから追い立てられると言うことは、王都からも追い立てられると言うことである。

 この時代、大都市でも壁の外には狼や、稀に地上に適応したゴブリンなどのモンスターも出没する。人間の追い剥ぎなどもだ。

 武力を持たない人々が安心して暮らしていける環境ではなかった。

 

「それでね、この人がスラムの土地を丸ごと買い取って私たちが暮らせるようにしてくれたの。私たちの暮らしの面倒も見てくれたりして・・・ね、領主様でしょ?」

「ただの地主ですよ。自治会にしても実際に動かしてるのは長老衆ですし」

「そのおじいちゃんたちをまとめてるのがあなたじゃない。だからせめて『税金』を受け取ってくれないかなー、なんて思うんだけど」

「受け取っても予算の足しにならないので、現金化して自治会に収めてください」

「あーん、領主様のいけずぅ」

 

 ナヴィにじゃれつかれるヒョウエをモリィは呆然と見ていた。

 この世界、基本的に土地は国王の所有物である。貴族の領地も建前としては王から下賜されたものであり、都市での土地の売買もあくまで「土地使用権」の売買だ。

 

 だから領主というのもふざけて言っているだけだろうが、家一軒程度ならともかく王都の1割以上の面積を持つ広大なスラム全てとなると、いくら金があってもそうそう許されるものではない。

 よほど高位の貴族か下手をすると王族の・・・と、そこまでモリィが考えたところでナヴィがヒョウエから離れた。

 

「余り引き留めても悪いし、私行くわね。領主様もお仕事頑張ってちょうだいな」

「はいはいどうも。ナヴィさんもお仕事頑張って下さい」

「はーい」

 

 苦笑するヒョウエに投げキッス。歩み去ろうとしたところで思い直したようにナヴィがモリィに歩み寄った。

 

「な、なんだよ?」

 

 とまどうモリィの耳に口を寄せる。

 

(領主様をお願いね? 冒険者って事は危険なこともしてるんでしょう?)

(そりゃまあそうだろうがよ・・・ぶっちゃけ一人でも大丈夫だぞあいつ)

 

 思わず小声で返したモリィに、今度ははっきりと苦笑を浮かべる。

 

(かもしれないけどね。あの子が仲間とか友達を連れて来たの、あなたが初めてなのよ。きっと信頼されてるんだわ。だからお願い。あの子を支えて上げてね)

(そりゃまあ仲間だから、必要なら支えるけどよ・・・)

 

「ふふっ、ありがと」

 

 これははっきりと口に出して、ナヴィがモリィをハグする。戸惑うモリィと肩をすくめるヒョウエにウインクしつつ、今度こそナヴィは去っていった。

 

 

 

「しかしこのスラム全部がお前の土地か。いくらかかった・・・おい、まさか例の借金って」

「ええまあ」

 

 ヒョウエが肩をすくめる。

 

「それじゃお前が銭ゲバしてたのも借金返済の?」

「それだけでもないんですよ。もっと恐ろしい相手がいましてね。借金の方は担保があるのである程度待って貰えますが、待って貰えないお金もあるんです」

「・・・盗賊ギルドにでも借りたのか?」

「まさか。その程度の話ならこんなに悩みませんよ」

 

 この上なく真剣な表情。

 モリィがごくりとつばを飲み込む。

 

「おい、それじゃあ一体・・・」

「それは・・・」

「それは?」

「固定資産税です」

 

 思いっきりシリアスな顔でヒョウエは言ってのけた。

 

 

 

 一瞬硬直していたモリィが再起動した。

 

「あ・・・アホか!?」

「アホとは何です! 税吏ってのは下手な犯罪組織より怖いんですよ!?」

 

 思わず突っ込んだモリィに、真っ向からヒョウエが反論する。

 元より徴税人というのは天下の嫌われ者だが、商業が盛んなこの世界では前近代では普通あり得ない所得税や法人税に相当する税が既に存在する。

 有力商人というのは基本的に武力も抱えているため、そうした税を導入したばかりの頃は力づくで抵抗することがままあった。その頃の名残で、税吏には独立した武力の保持とかなりの強権が認められている。

 

 アル・カポネだって殺人や密輸ではなく、脱税で逮捕されたのだ。

 そうした近代的な税務署が、既にこの世界にはあった。

 アンタッチャブルごっこをしたい冒険者族が暗躍していたとまことしやかに伝えられるが、真偽の程は定かではない。

 なお現在一番高い税収を誇るのは酒税である上に、密造酒で利益を上げようとするものは絶えない。件の冒険者族の望みは十分以上に叶えられたと言えるだろう。

 

「それじゃダンジョンの権利を売り飛ばさなかったのも・・・?」

「一定の収入を長期間確保できるのは極めて魅力的ですからね。売却だと多分十年しないうちに尽きます。

 後、あのダンジョンは立地が理想的でしょう。一時金より持ち続けて入場料をもらい続けた方が間違いなく得ですよ」

「なるほどなあ」

 

 そんな事を話しながら歩いていくうちに、周囲は夕暮れの赤い光に染まっていた。

 広大なスラムの奥へ奥へと二人は歩いて行く。

 やがてかなり薄暗くなった頃、二人は大きな屋敷の前に出た。相当に古いものだがそれなりに手入れはされていて、廃墟とかお化け屋敷という感じはしない。

 

「ここが?」

「ええ、僕の家です。どうぞ、モリィ」

「お招き光栄に存じます、領主閣下」

「よしてくださいよ!」

 

 ふざけて一礼するモリィにヒョウエが吹き出した。

 

 

 

 屋敷の中の様子もおおむね外から想像したようなものだった。

 古びてはいるが清掃は行き届いている。

 玄関ホールから階段を上って右側の廊下を歩いていく。

 

「ん」

 

 ヒョウエが足を止めた。

 廊下の角から執事服を完璧に着こなした女性が現れ、きびきびした動作で一礼する。

 ちなみにこれも冒険者族が持ち込んだものだがそれはさておき。

 

「お帰りなさいませ、ヒョウエ様。そちらのかたは例のご同輩でしょうか?」

「ただいま、サナ姉。モリィ、こっちはサナ。僕の世話してくれてる人。サナ姉、こっちはモリィ。話してたエブリンガーの仲間」

「お初にお目にかかります。どうぞお見知りおきを」

「モリィだ。よろしくな」

 

 やはりきびきびと礼をする執事に軽く会釈する。

 モリィより頭半分は大きい。175はあるだろうか、女性としてはかなり長身である。

 豊満だが均整の取れた、鍛えた体付きが執事服の上からでもわかる。

 腰までありそうな長い黒髪を頭の後ろでアップにまとめている。

 凜とした、という表現がぴったりの男装の麗人であった。

 

「・・・」

 

 その凜としたまなざしがちらりとヒョウエに向く。視線に微妙な色があった。

 

「なあ、サナさん」

「サナで結構ですよ。なにか?」

「ああその・・・毎日戦隊エブリンガーって名前、どう思う?」

「・・・わたくしからは何とも」

 

 サナがさっと目をそらす。

 ヒョウエはもの言いたげにしていたが、さすがに空気を読んで何も言わなかった。

 

「ところでサナ姉、リーザは?」

「リーザ様なら恐らくお部屋のお掃除かと思いますが」

「ありがと」

 

 一礼して女執事が去っていく。

 その背中を少し見送った後、モリィはヒョウエの後を追って歩き出した。



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01-12 リーザ

 本のカオス。

 部屋の中はそう表現するしかない惨状だった。

 歴史書に政経書、思想書や魔術書らしきタイトルがあるかと思えば小説、詩集、薬草書、旅行記、貴族名鑑、グルメ本、農業書、犬の飼い方指南。

 人を殴り殺せそうな鉄表紙の巨大な本もあるし、和紙を糸で閉じた和綴じ本も、羊皮紙の巻物や木簡もある。

 

 それらが本棚からあふれ出し、棚や床、ベッドの上にまで乱雑に積み上げられている。

 それを整理していたらしき少女が両手で抱えた本をよっこいしょとサイドテーブルに置いた。

 

「お帰りなさい、ヒョウエくん。そちらはお友達?」

「ただいま、リーザ。毎・・・冒険者パーティの仲間のモリィだよ。モリィ、彼女はリーザ。幼なじみで僕の友達」

 

 年の頃は15、6。裕福な平民の娘と言った感じの簡素だが上品な服装。短く整えた明るい茶色(ブルネット)の髪に素直そうな顔立ち。額には精緻な彫金を施した銀のヘッドバンド。

 胸は無いも同然だが、スレンダーで均整の取れた体つきをしている。

 そこまで見て取って、モリィは少女の目が先ほどから閉じているのに気がついた。

 

「その、あんたその眼・・・」

「はじめまして、リーザです。ええ、見えてませんよ。生まれつきですからお気になさらず」

 

 微笑みながらさらりと流すリーザ。

 しかし、そう言いつつも二人の方に歩み寄ってくる足取りに不確かさはなかった。

 

「そうか、何かそう言う《加護》があんのか?」

「はい、《耳の加護》が。音で大体どこに何があるかわかるんですよ」

「奇遇だな。あたしは《目の加護》だ。ああ、あたしはモリィ。よろしくな」

「よろしく。仲良くして下さいね」

 

 にっこりとリーザが笑った。

 

 

 

「ところでリーザ、僕の部屋の本は片付けなくていいと言ったじゃないですか」

「しょうがないでしょ。これだけ散らかってたらお掃除もできないもの。

 ヒョウエくんだってどこに何があるかわかってた方がいいでしょう?」

「片付けた方がわからなくなりますよ! 一見散らかってるように見えても、僕はどの本がどこにあるかちゃんと把握してるんです!」

 

 ヒョウエの熱弁を無言で受け流し、リーザが顔をモリィに向ける。

 

「モリィさん。私とヒョウエくんと、どっちが正しいと思います?」

「そりゃ全面的にこいつ(ヒョウエ)が悪い」

「ひどい!?」

 

 うんうんと頷き合う少女たち。

 ヒョウエの抗議は当然の如く聞き流された。

 

 

 

「夕食には少し時間がありますね。お茶でも淹れましょうか」

「ああ、その前にちょっと頼みたいことがあるんですが」

「何かしら?」

 

 ヒョウエの頼みはつまりリーザの《加護》で王都中のうわさ話を聞いて、例の猫に関する情報を集めてくれないかと言うことだった。

 

「そんなことできんのかよ!? すげえな、何でもやり放題じゃねえか」

 

 目を丸くするモリィ。

 繰り返すようだがさしわたし八キロ、人口五十万の超巨大都市である。

 その中から自分の聞きたい話を拾えるとなれば、スパイとしては無敵だろう。

 

「聞きたいことを確実に聞ける訳じゃないし、凄く疲れますけどね・・・そのへんわかってるよね、ヒョウエくん?」

「そうなんだけど他に手が思いつかなくて・・・お願いしますよ、リーザ様」

 

 唇を尖らせて「私不満です」とわかりやすくアピールするリーザと、手を合わせて頭を下げるヒョウエ。二人の力関係が見えた気がしてモリィは苦笑した。

 

 

 

 何度も拝み倒した末に、ようやくリーザは《加護》の使用を承諾した。

 ヒョウエは何やら代価を約束させられていたようだが、モリィが聞いても上機嫌なリーザは「秘密です」と笑うだけだった。

 

「それじゃヒョウエくん、あれ持って来るからちょっと待ってて」

「ええ、よろしく」

「ベッドの上の本、私が戻るまでに片付けておいてね」

「はいはい」

「はいは一度で」

「はーい・・・」

 

 リーザが部屋を出て行き、扉が閉まる。それを見送ったモリィが何とも言えない視線を向けると、ヒョウエはついと目を逸らした。

 

 

 

 ベッドに数十冊放り出していた本を、念動の呪文でまた適当にその辺に積み上げているところでリーザが戻ってきた。

 手にはヘッドバンドと同じく銀製の、護符のようなものを持っている。

 新しく積み上げられた本の山の方を向いて眉をぴくりと動かしたが、取りあえずお小言は後にすることにしたようだった。

 

「それじゃお願いね、ヒョウエくん」

「了解です」

「・・・?」

 

 リーザがベッドに仰向けに横たわり、銀製の護符を胸元に当てた。

 本の山の中から椅子を掘り出して、ヒョウエがその横に座る。

 モリィは訳がわからないながらヒョウエの後ろからその様子を覗き込む。

 

 リーザが深く息を吸い、吐く。ヒョウエが右手の杖から手を離し(杖は当然のように直立を続けている)、彼女の額、正確にはヘッドバンドに指先を当てた。

 

「!」

 

 ヒョウエをおぼろげな光が包んだ。額に当てた指先からは特に強い光が発せられている。同様にリーザの胸元の護符からも。

 それが通常見えない魔力と呼ばれるものであると、モリィは何となく理解していた。

 しばらく光は続き、リーザが手を上げるとふっと消えた。

 ヒョウエがリーザの顔を覗き込む。少女の額には僅かに汗がにじんでいた。

 

「大丈夫ですか、リーザ」

「うん、ヒョウエくんが守ってくれたから」

「そりゃまあ僕の頼んだことですしね」

 

 頬をかくヒョウエに、リーザがにっこり微笑んだ。

 

 

 

「成功したのか? つか今のは何だったんだ? もの凄い光だったけどよ」

「はい、聞こえたと思います・・・え、ヒョウエくんの魔力が見えたんですか?」

 

 ヒョウエに汗を拭いてもらいながら、リーザが目をしばたたかせた。

 

「モリィの《目の加護》はかなり強力なんですよ。モリィ、リーザの《加護》も強力なんですけど、余り沢山の『声』を聞くと負担が大きいんです。

 このヘッドバンドと護符はその負担からリーザの精神を保護するものなんですよ」

「でも最大限に力を発揮するときは普段より遥かに多くの魔力を・・・そうだ、ヒョウエくん! 急がないと!」

「え?」

 

 いきなり慌て始めたリーザの話はやや要領を得なかったが、どうやら猫はやはり意図的にさらわれたものであり、犯人たちにとって猫は既に「用済み」であるらしい。

 

「猫ちゃん、殺されちゃうかもしれない!」

「落ち着いて、リーザ。場所はわかりますか? 何か手掛かりは?」

「ば、場所は北西の、お屋敷が並ぶあたり! 西の方だとは思うんだけど・・・!」

「他には? 何でもいいです、どんな細かい事でも」

「ええと・・・そうだ、『庭のあのでかいオークの樹にでも吊すか』って言ってた!」

「庭に大きなオークの樹ですか。もう暗いですがモリィなら・・・」

「場所ならわかる」

 

 ぼそりと、モリィがヒョウエを遮った。

 

「えっ?」

「いいからとっとと支度しろ。飛ぶんだろ? あたしの指示に従って飛べ!」

 

 一瞬間が空いたものの、即座にヒョウエは首を縦に振った。

 

「わかりました。それじゃそう言う事でリーザ、サナ姉に伝えておいてください」

「う、うん。気を付けてね!」

 

 両拳を握るリーザの頬を優しく叩き、ヒョウエはバルコニーに飛び出した。モリィが後に続く。

 僅かに遅れて、リーザは二人が風を切って舞い上がる音を聞いた。




 ヒョウエの部屋にある本の種類は、江戸時代のベストセラーを参考にしています。
 こちらの世界は金属活字による活版印刷も一応開発されてますが、コストの問題で木板印刷と貸本文化が主流という設定。

 目の見えないリーザが本を整理できるのは、指で字を読めるからです。
 この時代の本の表紙は大体表紙にタイトルが刻字されてますので。
 ・・・と、言うことにしておこう。


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01-13 樫の木のある屋敷

 杖にまたがって、文字通り矢のスピードでヒョウエとモリィが飛ぶ。

 既に日は暮れ、王都は光の絨毯が敷かれたかのように美しく煌めいている。

 

「もちっと左だ! よし、そのまま!」

 

 二人は2分と掛からずに王都を縦断し、ひときわきらびやかな高級住宅街、豪邸が建ち並ぶ一帯にさしかかった。

 

「ヒョウエ、あれだ!」

 

 競い合うように明かりをともした豪邸の中、一つだけ暗いままの邸宅。

 庭に高さ20mを越す巨大な樹のシルエットを確認してヒョウエが進路を変える。

 三階建ての豪邸の屋根に音もなく降り立つと、ヒョウエは杖をついて軽く指で弾いた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 目を閉じてしばらく集中した後、ヒョウエが再び目を開いた。

 

「一階の正面から見て右奥二つめの部屋だと思います」

「えーと、あれか。大工のトンカチ」

念響探知(サイコキネティックロケーション)と言って下さい」

「どっちでもいいだろ。気付かれなかったか?」

「念動波の強さはギリギリまで弱めたので恐らく大丈夫だとは思いますが・・・急ぐに越したことはないですね」

 

 モリィが頷く。

 

「んじゃ右側の端に降ろしてくれ。そこに庭に出る扉がある」

「・・・? わかりました」

 

 疑問を覚えつつも、指示に従って自分とモリィを地面に下ろす。

 果たしてそこには扉があった。長い年月使われていなかったのだろう、うっすら錆のふいたノブに手をかけると、それはきしみながらも軽く回った。

 

「・・・」

「・・・」

 

 顔を見合わせる。

 頷きあって、二人は踏み込んだ。

 

 

 

 戦闘というほどの戦闘は起こらなかった。

 ドアを吹き飛ばして踏み込んだヒョウエに犯人たちは反応できず、七人全員がヒョウエの念動で身動き一つできなくなる。

 続けて突入したモリィの出番が無くなるほどに鮮やかではあったが、単純に犯人たちがチンピラ以下の実力しかなかったのもあるだろう。

 

「フーッ!?」

 

 ソファの脚に縄で繋がれたロシアンブルーの猫が毛を逆立てて二人を威嚇した。

 

 

 

「どうです、モリィ? 怪我とかしてませんか?」

「あー、大丈夫みてぇだな。傷がついてたら報酬大幅減になるとこだったぜ」

 

 モリィが縄を切り、猫をなだめて抱き上げる。

 ふう、と安堵の息をついてからヒョウエは犯人たちの方に向き直った。

 文字通り指一本動かせない犯人たちは、いずれも恐怖の表情を浮かべている。

 

「さて・・・仕事を済ませたのはいいんですけどちょっと気になりますのでね。

 正直に答えて貰えると嬉しいですが・・・何故猫をさらったんですか?」

 

 ヒョウエが杖を僅かに動かすと、今まで無言だった犯人たちが口々に叫びだした。

 

「お、俺達は雇われただけなんだよ!」

「その猫をさらってくれば大金をくれるって言われてさ!」

「助けて、殺さないで!」

「悪かったよ、あんたの猫だなんて知らなかったんだ!」

 

 叫びは次第にヒートアップし、依頼主への罵声と命乞いと自己正当化が混じった聞き苦しいものになっていく。

 顔をしかめてヒョウエが杖を振ると、わめき声がぴたりと止まった。

 

「僕が聞きたいのは罵倒でも命乞いでもありません。あなたたちの依頼主は誰か、その目的は何かと言う事です。素直に喋らないようなら少し痛い目を見てもらいますよ」

「・・・・・・!」

 

 犯人たちの目に恐怖の色が濃くなる。

 モリィも少しぞくりとしたほどに、ヒョウエの声は冷たかった。

 

「はい、では右端の人」

 

 今度は杖で指した一人だけが発言を許される。

 

「そ、その・・・俺たちゃ大金をくれるって言われて猫をさらっただけなんだ。

 依頼主はその猫の首輪を取ると、金をおいて後は好きにしろって・・・」

「ふむ。それで、依頼主というのは?」

「それは・・・」

 

 ヒョウエの目が細まった。

 

「痛い目を見たいようですね?」

「ま、待て! 待ってくれ! 喋りたくないんじゃねえ! どんな奴だったか思い出せないんだよ! 何かぼんやりして、声も顔も思い出せねえんだ!」

「む・・・他のみなさんも同じですか? 同じなら首を縦に振って下さい」

 

 今度は首の運動だけを許されたのか、他の六人が一斉に激しく頷いた。

 

「はい、もう結構。意外と奥が深いかも知れませんね、この事件」

「けどよ、あたしたちにこれ以上何か出来るか?」

「・・・できませんね。残念ですがこいつらを警邏に突きだし、猫を依頼人に引き渡して終わりでしょう」

 

 ヒョウエが大きく溜息をつく。

 

「そういうこった。あたしたちは"青い鎧"じゃないんだ、出来る限りのことはしたってことで満足しようぜ、相棒(チューマ)

 

 肩を叩くモリィに、ヒョウエはもう一度大きい溜息をつくことで応えた。

 

 

 

 ヒョウエの念動で壁を越える。犯人たちは身動きできないまま浮かせていた。

 

「それじゃ行きましょう。ここからならファンゾ街の詰め所が・・・モリィ?」

 

 モリィは今出てきた館を見ていた。静かに、だが強い情念を込めた眼差しで。

 ちらりと館の方に視線を移して、ヒョウエはダンジョン・コアの中で見たものを思い出す。

 

「・・・大丈夫ですか、モリィ?」

 

 呼びかけられたモリィが振り返り、肩をすくめた。

 

「あたしは何も言わなかったぜ。お前も何も言うな」

「了解」

 

 微笑んで、ヒョウエは歩き出した。



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01-14 クリーブランド商会

 

 詰め所には幸いヒョウエの顔なじみの警邏がおり、手続きや事情聴取は簡単に済んだ。

 七人を引き渡して二人は夜道を歩く。

 

 ちなみに町の治安を維持する警邏という組織を作ったのも冒険者族だ。

 町奉行所やスコットランドヤードと言った治安維持組織が生まれるのは通常近代になってからであり、それまでは「自分の身は自分で守る」が当然のことだった。

 多くの貴族や商人が私兵を抱えるのもそう言う理由なのである。

 閑話休題(それはさておき)

 

 王都の街路にはほぼ全て50メートルに一本くらいだが街灯が立っており、行政府に雇われた光術師の灯した魔法の光がそれなりの明るさで周囲を照らしている。

 

「なー、飛んでこうぜー。お前、飛ぶくらいなら全然疲れないんだろ?」

「そうですけど、すぐそこですから」

「あん?」

 

 ヒョウエが杖で指さした先には、周囲の邸宅に比べても一際きらびやかな豪邸が建っていた。

 

「クリーブランド商会会頭――依頼人の家ですよ。ついでに猫もお返ししましょう」

 

 

 

 門番に用件を告げて緑等級の認識票を見せると、僅かな時間を置いて二人は邸内に招き入れられる。

 広い中庭を抜けて玄関ホールに入ると、奥から上等な服を身にまとった中年男が小走りにやってきた。

 喜色満面に、二人を迎え入れるように両腕を広げる。

 

「おお、おお、良くやってくれた! 報酬は・・・」

 

 声が途切れる。その目はモリィの抱えた猫の喉元に注がれていた。

 

「な、なんだよ・・・?」

「首輪は! 首輪はどうした! 貴様ら盗んだな!」

「はあ!?」

 

 一転して激怒の相になった中年男が、モリィに詰め寄る。普段なら即座に十も二十も言い返すだろうモリィだが、あっけにとられて反論の言葉も思いつかないらしい。

 

「若旦那様、落ち着いて下さい!」

「お前は黙ってろ!」

 

 家人らしい壮年の男がなだめようとするが、中年男に殴り飛ばされる。

 再びモリィに詰め寄ろうとする男の前に、すっとヒョウエが割って入った。

 その手にはいつの間にか取りだした依頼書の写しがある。

 

「私どもが猫を見つけたときには既に首輪はありませんでした。これについてはファンゾ街警邏詰め所のゾード警邏長にご確認頂ければよろしいかと。

 また依頼には装飾品についての条項はありませんでした。私どもが故意に窃盗を働いたのでなければ、これで依頼は完全に遂行したものと考えますがいかがでしょう」

「ふざけるな! 仕事も果たさずに一丁前の口を! 大体猫など――」

「そのへんにしておけ、ピエトロ」

 

 静かな声が中年男の激昂を遮った。

 今まで荒れ狂っていた男が、嘘のように大人しくなる。

 玄関ホールの奥からゆっくりと、杖をついて現れたのは小柄な老人だった。

 

 小柄で寸詰まりの、吹けば飛ぶような老人である。ヒョウエより小さい。

 だがその体からは、この場にいる全員を静かに圧する威厳が放たれていた。

 "リトル"ヴィル・クリーブランド。一代で王都最大の商会を起こした立志伝中の人。

 そして今なお現役の、クリーブランド商会会頭でもある。

 

「―――――」

「・・・・・」

「・・・??」

 

 その眼差しが静かにヒョウエを見据える。そしてモリィを。

 ヒョウエは静かにそれを見返し、モリィは戸惑いながらも何か既視感を感じていた。

 

「お若いの、済まなかったな。依頼書にそのあたりを書かなかったのはこちらのミスだ。依頼料は先ほどの詫びと三日で見つけてくれた分も含めて色をつけてお支払いしよう」

「ですが父さん、首輪がなくては・・・」

「猫が戻ってきたのだ、それでいいではないか」

「しかし――」

 

 じろり、と会頭が息子を睨む。

 それだけで男は黙った。

 

「ところでお若いの。えーと・・・」

「ヒョウエです」

「ヒョウエくんか。首輪の行方に関してはわかりそうかね?」

「正直何とも。犯人たちもさっぱり心当たりが無さそうでして」

「そうかね」

 

 それきり、ヴィルは黙り込んだ。

 誰も口を開かず、僅かの間沈黙が落ちる。

 

 その沈黙の中、モリィが顔を上げた。絨毯の上を走る軽い足音。子供だろうか。

 果たして数秒後、足音の主は玄関ホールに姿を現した。

 二階から階段を二段飛ばしで降りてくるドレスの少女。年は七歳くらい。

 

「おじいさま! お父さま! バッカイが見つかったって本当?!」

「あああラナリア! 危ないじゃないか! 階段は静かに降りなさいとあれほど・・・」

 

 先程の剣幕が嘘のようにあたふたするピエトロ。ヴィルが僅かに苦笑を漏らした。

 

「こんなのへっちゃらよ、お父さま! それでバッカイは・・・あ、バッカイ!」

 

 目ざとく猫を見つけ、駆け寄ってくる少女。

 モリィがヴィルのほうを見ると、老人は僅かに頷いた。

 

「そーら、お姫様。放蕩者のお嬢さんのお帰りだぜ。今度は逃げられないようにな」

「えへへ! ありがと、お姉ちゃんたち!」

 

 猫を受け取り、無邪気な笑顔で礼を言うラナリア。

 ヒョウエが微笑み、モリィは照れたように笑った。

 猫を高く抱き上げたラナリアが怪訝そうな顔になった。

 

「あれ? 首輪はどうしたの? あの綺麗な赤い石、気に入ってたんだけどなあ」

「ごめんな、お姉ちゃんたちが見つけたときにはもう無かったんだ」

 

 ちょっと難しい顔をしていたラナリアであったが、すぐににぱっと笑った。

 

「ううん、いいよ! バッカイが戻ってきてくれたんだもの、石くらい何でもないよ!」

 

 それを聞いて父が複雑な表情になり、祖父は――今度ははっきりと――苦笑を浮かべる。

 ラナリアが更にヒョウエとモリィを手招きした。

 二人がしゃがんで頭の高さを合わせてやると、その頬に柔らかい感触が触れる。

 

「えへへっ、ありがとうのキス! 私からのお礼だよ!」

 

 満面の笑みで宣言する少女に、モリィはまたしても照れ笑いを見せ。

 ヒョウエはこれ以上なく優雅な動作で一礼した。

 

 

 

 二人が去った後――報酬は冒険者の酒場を通して後日払うことになっている――屋敷の廊下を歩く父と息子の姿があった。

 新しい首輪を約束し、部屋で猫と遊んでおいでとラナリアを下がらせた後、ヴィルは息子についてくるよう促し、以来無言のままだ。

 

「そ、その・・・すみません、父さん。我を失いました」

 

 じろり、と睨まれてピエトロの言葉が途切れる。この父には一生勝てる気がしない。

 だがその口から出てきたのは少なくともピエトロには意外な言葉だった。

 

「それはまあいい。良くはないがいい。だが相手を間違えるな」

「相手?」

 

 怒るなら冒険者や家人ではなく犯人や黒幕に怒れと言うことだろうかとピエトロは思ったが、父の言葉がそれを否定した。

 

「喧嘩は相手を見て売れと言うことだ、馬鹿者め」

「・・・?」

 

 それきり、ヴィルは口を開かなかった。

 




 ちなみにピエトロのイメージキャストはビッグオーのアレックス・ローズウォーター社長。
 ヴィルは巨神ゴーグのGAIL会長ロイ・バルボアです。
 ラナリアはドリス・ウェイブちゃん7才かな?
 バッカイはオハイオ州の別名で、州の木であるトチノキのことです。

 作者のモチベーションは読者の皆様の評価と感想です。
 評価と感想よろしくお願いします。


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第三章「五人揃って冒険者」
01-15 働かざるもの食うべからず


 

 

 

「魔術師の魔法と僧侶の魔法と呪い師の魔法の何が違うかって? どれも同じだよ。真なる魔法の残りカスさ」

 

                ――火の神(ボルギア)に仕える"炎投げ師(フレイムスローワー)"語る――

 

 

 

「えー、ノストロ村の二足歩行する人喰いサンショウウオ退治、クレンダ第二鉱山の巨大蜘蛛駆除、キリ谷のヒトデ擬態怪物の群れへの対処、水瓶山で目撃された身長2.4メートルの巨人の調査・・・後クソン村とファール村のゴブリン退治。

 以上毎日戦隊エブリンガーさんが受諾と言うことでよろしいですね?」

「・・・よろしいけどさ、毎回パーティ名連呼しなくてもいいじゃん・・・」

 

 げんなりした顔でモリィがぼやく。受付の女性は最近良く見る奇妙な無表情。

 

「規則ですので。それでは毎日戦隊エブリンガーさんの受諾を・・・ぷっ、ぶふっ!」

 

 いつものことだが、今日は情けないモリィの表情がだめ押しになったらしい。

 受付女性は横を向いて肩を震わせ始めた。

 釣られたのか、横に立っていたアシスタントの男性まで笑い始める。

 

 横に立っている馬鹿(ヒョウエ)を睨み付けるモリィ。

 すまし顔のまま、ヒョウエはついと目だけを逸らした。

 

 

 

 結成以来、毎日戦隊エブリンガーは・・・と言うよりモリィを仲間に加えたヒョウエはこれまでにも勝る勢いで大量の依頼をさばくようになっていた。

 依頼を受けない日は例のダンジョンに潜って、ひたすら怪物と戦う日々である。

 所有者なので使用料は免除だ。

 

 当然だが冒険者の依頼は命の危険を伴う案件であり、精神的疲労も馬鹿にならない。普通ならそれなりの中休みを入れなければ到底もたないだろう。

 が、ヒョウエはもちろんモリィも大金を必要とする身で、かつ危険や過労をものともしないタフさと実力を備えていた。

 ヒョウエが最低ラインとは言え治療呪文を扱えることも大きい。

 一回では1センチ四方の小さな傷一つを癒す程度とは言え、無制限に連打できるのであれば肉体の傷は問題にならない。

 

「馬小屋に泊まってちまちま治療呪文を発動してたのを思い出しますねえ・・・」

「なんで馬小屋?」

 

 治療されながら首をかしげたモリィだったが、冒険者族のスラングか何かだろうと聞き流すことにしたのはどうでもいい一幕である。

 

 一方で杖に乗って高速移動できる事、モリィの《目の加護》で対象を素早く見つけられるのも大きい。

 都市の冒険者の店であっても、周辺の村――都市の食糧供給を支えている人々だ――からの依頼は存外に多い。

 大半は村人が対応できない、ダンジョンから出て野生化したモンスターへの対応だ。

 

 この時ネックになるのがそうした村の大半が貧しく、十分な報酬を出せないこと。

 移動におおむね数日かかり、またモンスターを山野から探し出すのにも時間がかかる、つまり経費がかさんで更にもうけが少なくなる。

 拘束時間が長くなれば相対的な報酬がさらに低くなる。

 

 それでもゴブリン退治などは赤箱の初級冒険者などが良く受諾するのだが、対象が強くなるとそれを倒せるパーティにとっては報酬も手間もおいしくない仕事になりがちで、受諾に時間がかかったり、そもそも受諾されなかったりする。

 どうしても受諾されない場合はギルドが自腹を切って報酬を追加し、それなりのパーティに頼み込む事も多い。

 

 が、高速で飛行できるヒョウエならばこれらのデメリットをほぼ無視できる。

 《目の加護》を持つモリィが加われば尚更だ。

 ヒョウエが来て以来この手の依頼はすぐに解決するようになり、今ではその実績からそうした依頼はあらかた六虎亭に集中するまでになっていた。

 依頼と解決件数の多さも冒険者の酒場、つまり冒険者ギルド支部としての評価に直結するわけで、職員たちがヒョウエを高評価するのも自然な成り行きだろう。

 

「えーと、どこから行くんだ?」

「クソン村のゴブリン退治が一番近いですね。そこからクレンダ第二鉱山、キリ谷、水瓶山、ノストロ村・・・いや、巨人は実害が出てないので人喰いサンショウウオを優先しましょうか。ノストロから水瓶山、最後にファール村のゴブリン退治ですね。

 うまく行けば一日で終わりますよ」

 

 酒場の壁に貼ってある近隣の地図を眺めながら二人が相談する。

 人語を喋る馬を見るような目で他の冒険者がそれを眺めていた。

 

 

 

「ヒャッハー!」

 

 ご機嫌なモリィの声と共に風を切って杖が飛ぶ。

 あの後王都を出た二人は、さっそく最初の村に向かっていた。なお王都の門はちゃんと歩いて出る。空を飛んで城壁を越えると城門破りで犯罪になるからだ。

 

「現金なものですね。最初は僕の首を絞めてたのに」

「まあそう言うなって! 慣れてなかったんだからよ!」

 

 悪びれもせずモリィが笑う。もっともヒョウエも笑っているので根に持っているわけではない。

 

「それじゃスピードアップしますよ。一応気を付けてください」

「おう、わかった・・・待て! 街道の先! 隊商が襲われてる!」

「! わかりました!」

 

 自分で視認はできなかったものの、モリィに従ってヒョウエは杖の針路を変えた。

 

 

 

「きゃあっ!」

「くそったれがっ!」

 

 馬車の中から聞こえて来た悲鳴に、護衛のオレンジ髪の冒険者が罵り声を上げた。

 赤箱冒険者に良くある隊商の護衛。二月ほど街道をのんびり行き来する、楽な仕事のはずだった。

 それが都を出て三日目で山賊に襲われ、パーティの生き残りも今は自分だけ。

 それなりに腕に自信はあったが、三倍の数の敵に襲われてはどうにもならない。

 

「くそっ、ついてねえ・・・」

 

 腕と足を切られ、走る事も剣を振ることも満足にできない。

 下卑た笑みを浮かべてジリジリと近づいてくる山賊ども。

 俺もここまでかと覚悟を決めたとき、目の前の三人がいきなり妙なポーズを決めた。

 

「げっ!」

「が!」

「ぐひゃっ!?」

「・・・へ?」

 

 一瞬踊りでも踊っているのかと思ったが、すぐにそれが何らかの打撃を受けたからだと男は思い至った。直後に山賊たちは倒れ、すぐに周囲の山賊も同じ運命を辿る。

 理解が追いつかず、男と生き残りの商人たちが呆然と立ちすくんだ。

 

「おーい、大丈夫ですか!」

 

 見上げると金属の棒にまたがった、冗談みたいな格好の魔法使いが降りてくるところだった。

 

 

 

 幸いなことに、隊商と護衛に即死したものはいなかった。

 心臓や肺を貫かれていても脳が死ぬまでに数分の猶予はある。

 それまでの間ならばヒョウエの治療呪文でも十分間に合った。

 ヒョウエが治療をしている間に、軽傷の商人や護衛の男に手伝わせてモリィが山賊たちを縛り上げる。

 

「いやー、助かりました! お若いのに素晴らしい腕前ですなあ!」

 

 人の良さそうな隊商の長がヒョウエの手を掴みブンブンと上下に振る。モリィの雷光銃は手加減が難しいので、山賊たちを倒したのは全てヒョウエの金属球だ。

 

「些少ですがお礼として・・・」

「あーいや」

 

 金袋を開こうとしてくる長を止め、ヒョウエがちょっと考え込んだ。

 実際山賊を退治したり捕まえたりすれば報奨金が出るので、金銭的なお礼は――それは勿論あれば嬉しいが――必要ない。

 考えをまとめて、つい、と杖を動かす。

 

「うわっ!?」

「お?」

 

 隊商の壊れた木箱から小袋がひとつ飛び出して、モリィの手に収まった。袋にはメットーで有名な菓子店の焼き印が押してある。

 

「これを一つと、山賊たちを次の町の番所に僕たちの名前で引き渡すこと、それと二十の町や村で僕たちの名前と今の一幕を吹聴していただく。それでどうでしょう」

 

 ほう、と長が感心した顔になった。

 

「なるほど、商売の基本をよくわかっていらっしゃる。まずは名前を売ること、即ち信用を得ることというわけですな?」

「その辺りは商人も冒険者もさほど変わらないと思ってますよ」

 

 なるほどなるほどと上機嫌で頷く長。

 実際冒険者はフリーランスの何でも屋だ。名前が売れるに越したことはない。

 

「それで・・・とと、これはしたり。お名前を伺っておりませんでしたな。わたくしこの一団をまとめておりますジヴダッドと申します」

「ヒョウエです。こちらはモリィ。王都の六虎亭で『毎日戦隊エブリンガー』というパーティで活動しています」

「なるほど、耳に残る名前ですな。まず名前を売る手段としては悪くない」

 

 普通なら笑ってしまうような名前だが、商人としてはある意味で感じるものがあったらしい。モリィが「えー」という顔になる。

 一方でオレンジ髪の冒険者が首をかしげ、「あ」とヒョウエを指さした。

 

「そうか、お前六虎亭の"大魔術師(ウィザード)"か! ・・・あ、いや、すまん」

「別に謝る必要はありませんよ。僕は気に入ってますので」

 

 今度はオレンジ髪が「えー」と言う顔になった。恩人の手前口には出さないが。

 ふとその視線がモリィのそれと合う。

 

(・・・あんたも苦労してんだな)

(わかってくれるか・・・)

 

 常識人の二人が妙に通じ合っているのをよそに、長はうむうむと満足そうに頷く。

 

「いいですなあ、"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"! それで行きましょう!」

「いいですね、お願いします!」

「ええ、ええ、任せて下さい!」

「「ええ~~~!?」」

 

 今度はモリィとオレンジ髪がハモった。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいよジヴダッドさん! そりゃいくらなんでも失礼ですって!」

「何でです? いいじゃないですか"大魔術師(ウィザード)"」

 

 きょとんとする長。埒が明かないと見たオレンジ髪の冒険者は、今度は脇で話を聞いていた大柄な商人に水を向ける。

 

「なあルタリさん、あんただってそう思うだろう?」

「いやあ・・・俺も"大魔術師(ウィザード)"なんて言ったらかっこいいと思うけど」

「なんてこった、こんなに俺達と一般人で意識の差があるとは思わなかった・・・!」

 

 先に述べたとおり、"大魔術師(ウィザード)"は冒険者の間では軽侮の言葉に近い。

 とは言えあくまで冒険者の間では、である。

 そう言えば俺も子供の頃は大魔術師(ウィザード)"って普通にかっこいいと思ってたっけ?と頭を抱えるオレンジ髪。モリィもちょっと意表を突かれたのか戸惑った顔になっていた。




 受付嬢に男性アシスタントが付いてるのは、受付嬢(若くて美人です)に絡んだり、威圧的に接したりする馬鹿に対処するためです。


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01-16 "具現化(マテリアライズ)術式(スクリプト)"

 隊商と赤箱冒険者たちの歓声と感謝の言葉とともに、ヒョウエたちは再び空に舞い上がった。後ろでごそごそと袋を開く気配がする。

 

「おー、良い香りだなあ。"メナディ"の焼き菓子なんて久しぶりだぜ」

「僕にも下さいよ。メインで働いたのは僕なんですからね」

「へいへい、わかってますって」

 

 後ろから手を回して、袋の中身のビスケットをヒョウエの口に押し込み、自分の口にも放り込む。保存のために固く焼き締めてあるにも関わらず、小麦粉と油脂と砂糖、刻んだ干しリンゴの風味がふわりと口に広がった。

 

(――――懐かしいなあ)

 

 郷愁。自分でも意外なほどの懐かしさ。もしヒョウエがこの時のモリィの表情を見ていたら、少し驚いていたろう(そして生暖かい視線を向けてはたかれていた)。

 だが残念な事に、さすがのヒョウエも頭の後ろに目は付いていない。

 

「――さん、モリィさーん? 二つめが欲しいんですけどー? まさか独り占めする気じゃ・・・」

「うるせえこのいやしんぼが! 空気読め!」

「むぐぐっ!?」

 

 物思いを邪魔された腹いせに、モリィは二つめを力一杯ヒョウエの口に押し込んだ。

 

 

 

 二つめのビスケットを飲み込む頃には、ヒョウエにもクソン村が見えてきていた。

 

「あれで間違いないですよね」

「ああ、村の入り口の看板に名前が書いてある」

「・・・読めるんですか」

「便利な目だろ?」

 

 にやっと笑うモリィ。ちなみにまだ数キロ離れている。

 うーむと唸るヒョウエ。それから一分ほど飛行して、二人は高い柵で囲まれた村の入り口に降り立った。

 

 

 

 周囲で農作業やその他の仕事をしていた村人たちが目を丸くしている。

 用向きを伝えると、そのうちの一人が村の奥に走り去っていった。

 遠巻きにこちらを眺める村人たちを見て、モリィが溜息をつく。

 

「田舎の依頼は面倒なんだよなあ。あいつら自分で依頼しておいて、あたし達をごろつき扱いするしよ」

「実際そう言う不心得者もいますからねえ・・・まあ見ててくださいよ」

 

 数分ほどして小走りに村長らしき老人が何人かの村人と共にやってきた。

 どこか警戒していたその表情が二人を、正確にはヒョウエの派手な衣裳を見た途端にホッとしたものに変わる。

 

「・・・あれ?」

「結局の所、人間は外見で他人を判断するんですよ。

 その辺の人がイメージする『ちゃんとした冒険者』というのは光り輝く鎧を身につけた騎士や、豪華なローブの魔術師、法衣を着た大司教とかなんですよ。上級の冒険者ほどちゃんとした格好をしてるのはそういう意味もあるんです――まあ受け売りですけど」

 

 小声で囁くヒョウエ。今度はモリィの方がうーむと唸る。

 冒険者ギルドが設立されるまで、いわゆる冒険者というのはアウトローのごろつきが大半だった。今でもそうした者達がいなくなったわけではない。

 一方吟遊詩人の叙事詩では英雄的な冒険者が姫を救ったり怪物を退治したりする。

 そうした二極化した認識が農村部では一般的なのだ。

 

 ちなみにいわゆる「カブキモノ」もこうした一般人には比較的ウケがいい。わかりやすいからだ。

 繰り返すが冒険者はフリーランサーの何でも屋であり、まず名前と信用を売るのが成り上がる早道だ。派手な格好は一般人からすれば「英雄的冒険者」じみて見えるのである。

 なので初心者を脱したカブキモノが「真っ当な」冒険者の格好に切り替える事は実は少なくない。もちろん実力者になってもそうした格好を続ける、もしくは実力者になってからカブキモノに染まる冒険者もいるが。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 依頼はトントン拍子に進んだ。

 服装とヒョウエの見せた緑等級の認識票で村長たちからの事情聴取その他は順調に進んだし、ゴブリンに足跡を隠すなどという知恵はなかったからモリィの《目の加護》を併用した足跡追跡(トラッキング)であっさりと巣穴も突き止めた。

 後はゴブリンたちを殲滅して、村長に報告すれば終わり。

 二人が村の入り口に降りてから一時間も経っていなかった。

 

 

 

 半日ほど後、二人はほとんどの依頼を片付けて最後の村に向かっていた。

 人喰いサンショウウオと巨大蜘蛛、ウニ怪物はやや手間が掛かったものの敵ではなかったし、水瓶山の巨人は甲冑を着た遺体だった。

 知的で「優しい巨人」とも言われるスカイ・トロウル種であったため、仲間がいるにしても周囲の村落や人間に被害を及ぼすこともないだろうと判断、その旨を依頼者である近くの村の村長に伝えた。

 ギルドの判断次第で追加の調査があるかもしれないが、取りあえずは依頼完了だ。

 

「見えたぜ。ファール村だ。あ、ちょい左な」

「はい」

 

 モリィの指示に従って針路を微調整すると、数分して村が見えてきた。

 山あいという事を除けば最初のクソン村と大差ない、どこにでもあるような村。

 程なく二人は村の入り口に着地した。

 

 クソン村と同じく、村長との折衝は問題なく進んだ。

 が、その後巣穴を探して直行することはせず、二人は村の中を見回っていた。

 ヒョウエは村長が案内役につけた若者と何やら話をしながら歩き回り、モリィは手持ちぶさたにそれについて行っている。

 隠れているつもりなのだろう、子供達がチョロチョロついてきながら家や樹の影から二人を覗き込んでいた。その子供達を横目で見つつ、モリィが首をかしげる。

 

「なあ、ゴブリンだろ? なにか調べるようなことあるか?」

「ただのゴブリンとはちょっと思えないんですよ。普通のゴブリンなら村に侵入しても火をつけたり人を殺したりして無意味に被害を大きくします。

 ところが今回人的被害や家屋の被害がほとんどない。東側の一軒で火事が起きてそちらに注意が向いたところで、家畜小屋が襲われて山羊や鶏がごっそりやられてる。

 しかも村の人が気付いたのは火事が消えてから。ゴブリンにしては鮮やかすぎます」

「・・・なるほど」

 

 説明されて、モリィの表情も真剣なものになる。

 改めて周辺の地面を観察するが、踏み荒らされて足跡はほとんど残っていない。

 

「すいません、なにぶん襲われたのがもう五日は前の事で・・・」

「まあしゃーねーか」

 

 若者の言葉にモリィが溜息をついた。

 王都から離れた、しかも山奥である。徒歩かせいぜいロバくらいしか移動手段もない。

 襲撃があってから依頼を決めるまでの時間、山道を王都まで向かう時間を考えると、村人からすればむしろ驚くべき速度でヒョウエたちが来たという感覚だろう。

 恐らく王都に行った村人もまだ帰ってきてはいるまい。

 

「まあ、ここでわかる事はこのくらいでしょう。"過去視(ポスコグ)"の呪文が使えるわけでもありませんしね」

「便利だな魔法・・・」

「実際にそんなもの使える人は滅多にいませんよ。よほど探知系に長けているか、特殊な素質を持ってるか、さもなければ神様から直接授かるか、そういうレベルです。

 いたとしても警邏や政府が高額で雇い入れて手放さないでしょうね」

 

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

 

 

 二人はゴブリンが陽動で火を放った東側にも足を運んだ。

 もう再建が始まっているのか、木を割ったり削ったりする音が響いている。

 その中に、長さ10mほどの切り出したばかりの木を担いで運んでくる大きな影があった。身長は3mほど、不格好な人型で二足歩行するフォークリフトと言った感じだ。

 

「へえ、こんな田舎の村にもあれあんのか。えーと『ぱわーどすーつ』だっけ? それとも『ぱわーろーだー』か?」

「"具現化(マテリアライズ)術式(スクリプト)"、正確には『装着型具現化術式・筋力強化型』ですね。まあパワードスーツでも間違いじゃありませんが。

 ともかく、むしろあれはこうした田舎の村の方が需要が高いんですよ。ああした力仕事には必要不可欠ですからね。開拓を始めるときにはそう言う術師を一人連れていって、代々それを受け継いでいくわけですよ」

「ほーん」

 

 この世界では呪文そのものが実体を持つ事がある。

 例えば火球の呪文なら火の球を吐く杖、遠視の呪文なら望遠鏡のような中空の筒、透明化の呪文ならかぶると透明になる布。

 術者が死んでも具現化した呪文術式は残るし、魔力を通しさえすれば術者でなくてもある程度術を使うことができる。いわゆるマジックアイテムと呼ばれるものの半分くらいはこれだ。

 そして筋力強化の呪文が具現化したものこそ、今目の前で木を運んでいる"パワードスーツ"だった。

 

 どんな術者、どんな呪文であってもこれは起こりうる。

 呪文を使っていると、ある日突然"具現化(マテリアライズ)"を起こして実体化するのだ。

 はっきりとした理屈は真魔法文明衰退とともに失われたが、高度な術式を用いたり、同じ術を繰り返し使ったりすると発生しやすいことは知られている。

 

「ああいう・・・まあパワードスーツと言ってしまいますが、その手の具現化術式の中でも特に需要が高いですからね。専門の術師集団がいるんですよ。

 一族の子供とか素質のある子を引き取って、子供の頃から筋力強化の術だけをひたすら使わせて具現化術式を生み出すんです」

「へーえ。なあ、あいつ借りられないかな。あんな丸太を持ち上げられるなら、人食い鬼くらい殴り倒せそうじゃね?」

 

 誰もが一度は考える事だが、ヒョウエは肩をすくめた。

 

「やめておいた方がいいですよ。あの手の民生用の装着術式は筋力を本来の術式以上に強化するために速度を犠牲にしてるんです。軍用の装着術式はもちろんそんな事無いですけど、それほど出力が高くなかったり、魔力を馬鹿食いしたりしますからね。

 ものによっては一分動かしただけで干からびますよ」

「うへえ、そう言うのは勘弁だな」

 

 なお、魔力を練れない人間でも魔力結晶を組み込めばそうした術式を作動させることができる。ダンジョンで見つけた魔力結晶が高く買い取られるのも、多くは軍用民生問わずそうした具現化術式やマジックアイテムの動力源としてであった。

 

「というか、そもそも"呪鍛鋼(スペルスティール)"というのが具現化した術式そのものですし、モリィの雷光銃もそうした具現化の原理を使って作られてるんですよ」

「え、マジか?」

「"真なる魔法の時代"には"具現化(マテリアライズ)"を確実に発生させる技術があったようで。例えば雷光銃なんかは雷光を発生させる部分にそうした具現化したパーツを用いていて、他の部分を通常の手段で作ったパーツで構成してるはずです」

「へえ~」

 



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01-17 ゴブリンの洞窟

 

 結局東側の調査はヒョウエのうんちくを聞いただけで終わった。

 二人は杖にまたがり、地上すれすれを飛行しながら足跡を追う。

 

「どうです?」

「五日前の足跡なんざ、黄色いレンガの道みたいなもんさ」

「幸せに続いてそうにないですねえ」

「報酬には続いてるさ。ただ、ちっと気になるな・・・お前の懸念、正しかったかもしんねーぜ」

 

 モリィが眉をひそめる。

 

「と、言うと?」

「ゴブリンの足跡と、何かを引きずった後、血の跡もあるから多分羊だな。

 それはいいんだが、その中に人間大の足跡がある。狩人とか後をつけた村人のならいいんだけどよ」

「間違いないんですか?」

「間違ってたらメナディのビスケット、残り全部くれてやるよ」

「なるほど、それは間違いなさそうですね」

「自分で言ってて何だがむかつく反応だな・・・」

 

 そんなやり取りを交えつつ、二十分ほどで二人は巣穴らしき洞窟を発見した。

 

 

 

「・・・ゴブリンってな、見張りを立てて寝るのか?」

「余りやらないみたいですね。やっぱり知恵の回る何者かがいると考えた方がいいでしょう。ホブゴブリン・・・はそれほど知恵が回りそうでもないですし、シャーマンかな?」

 

 小声で会話を交わすヒョウエとモリィ。

 二人は巣穴の近くの茂みに隠れていた。

 会話の通り、洞窟の入り口の脇にはゴブリンと子馬ほどもある狼が二匹ずつ立っていた。狼の頭はモリィの肩ほどの高さがある。

 

魔狼(ワーグ)と言う奴ですね。まあ、あれならどうにかなるでしょう」

「んじゃやるか」

「やりましょう」

 

 

 

 ヒョウエが念動で四匹の動きを止める。

 声も出せないようにされたゴブリンと魔狼をすかさずモリィが雷光銃で始末した。

 さらにヒョウエが念響探知で洞窟の構造と内部の敵の位置を把握する。

 

「・・・やはりいますね。確かに一人、ゴブリンより大きい人間大の何かが」

「見つけ次第撃っちまって、後から考えればいいじゃねえか。敵にゃ違いねえだろ」

 

 雷光銃の動作を確かめるモリィの言葉に、ヒョウエが顔をしかめた。

 

「一応さらわれたり脅されたりしてる村人の可能性もあります。確認してから撃って下さいね?」

「へぇへぇ、わかりましたよ」

 

 モリィが肩をすくめた。

 ヒョウエが人殺しを嫌っているのはこれまでの短い付き合いでも良くわかっている。

 甘っちょろいとは思うが、半面その甘さも嫌いではなかった。

 

「じゃ、行きましょうか」

「おう」

 

 杖の先に魔法の光を灯し、九つの金属球がヒョウエの回りを周回し始める。

 モリィを先にして二人は洞窟に入っていった。

 

 

 

 掃討はあっさりと終わった。

 洞窟の構造と大まかな敵の位置がわかっているのだから、後は正面から潰せばいい。

 

「・・・いなかったな」

「ええ」

 

 洞窟の最奥、ゴブリンたちの死体が転がる中で二人が頷き合った。

 親玉らしきゴブリンの呪い師(シャーマン)は死体になって転がっているが、いるはずの「人間大の二足歩行生物」がいなかった。

 

「ホブゴブリンか、さもなくば人間の術師かとも思ったんですけどねえ。もう一度念響探知をやってみます」

「ああ、そうだな・・・」

「危ないッ!」

 

 頷いた途端、モリィは横にはね飛ばされた。

 激しい金属音が響き、転がって素早く膝立ちで跳ね起きる。

 

「!?」

 

 一瞬目を見張った。

 ヒョウエに襲いかかってるのは身長2mほどの大柄な人型生物。

 だがその下半身は煙のように薄れて細くなり、その下端はへその緒のようにゴブリンの一匹の死骸に繋がっている。

 

 対照的に上半身はたくましく、腕は人食い鬼(オーガ)かと思うほど太い。

 指先からはナイフのような太く長い爪が生え、それで獲物を切り刻もうとするが意外にもヒョウエはよく反応している。

 明らかに武術を修めた動きで呪鍛鋼の杖を華麗にとは言わないまでも堅実に操り、攻撃を防ぎ続けていた。

 

「ちっ!」

 

 動きを止めていた自分に舌打ちし、怪物に三連射。

 だが光線は肉を焼いて貫くことはなく、体の表面に僅かな波紋を残して消える。

 それでも多少のダメージは与えたようで、その隙にヒョウエは後退できた。

 銃口を怪物に向けつつ、モリィが横走りにヒョウエと合流する。

 

「助かりました、モリィ」

「こっちこそだ。けど何だありゃ?」

遺跡妖精(スプリガン)ですね。古い遺跡を守る妖精で本来は石像などに宿るんですが、よりしろを失ったり狂ったりしたスプリガンは生物に宿るんですよ。

 この時、スプリガンはその生物の欲望や嗜好に影響されるようになります。で、戦う時は生物が生きていればそのまま巨大化しますし、死んでたり無機物だったりするとこうなるわけです」

 

 あの瞬間、スプリガンがゴブリンの死骸から出現し、モリィを襲おうとしていた。

 念動でモリィを突き飛ばしたヒョウエだったが、すかさず攻撃対象を変えて襲ってきたスプリガン相手に魔法を使う余裕はなく、杖で攻撃を防いでいたのである。

 

「死んだシャーマンが契約していたのか、あるいはシャーマンも操られていたのか。まあその辺はちょっとわかりませんが・・・」

「GY!」

 

 ヒョウエの言葉を遮り、再びスプリガンが爪を振りかざして襲ってくる。

 が、今度はヒョウエも十分余裕があった。爪が見えない壁に弾かれて空中を滑る。

 すかさずモリィが雷光銃を撃つが、今度も邪妖精の体に波紋を残すだけに終わる。

 

「ちっ、何だよこいつは!?」

「スプリガンは半霊体半実体の存在なんですよ。この状態では雷光銃含めて通常の攻撃では相性が悪い。霊体を攻撃できる何かが必要なんです」

「・・・お前念動と修理以外は初歩しか習得してないんだよな? やべえじゃねえか」

 

 顔をしかめるモリィ。

 

「修理じゃなくて物質変性ですよ・・・まあ大丈夫です。そんな時のために兄弟子に術を刻んでもらったこの杖がありますから」

 

 言うとヒョウエは杖を左手で掲げ、先端からすすっと指を滑らせた。

 石突きから左手で握った中程、更には小さな黄色い宝珠のはまった杖頭に至るまでびっしりと刻まれたルーン文字が、指のなぞった部分からぼうっと光を放つ。

 全てのルーン文字と宝珠が光を放つと共に杖全体が発光する。

 

 そのまま両手で杖を握り直し、ヒョウエは無造作に光る杖を突き出した。

 攻撃を止める見えない壁など存在しないかのように、杖頭が邪妖精の腹に触れる。

 

「gi!?」

 

 途端、腹に焼きごてを当てられたかのようにスプリガンの動きが止まった。

 腹から薄い白い煙のようなものが吹き出し、それと共に全身が色を失っていく。

 数秒後、スプリガンは実体を失って空気に溶けて消えた。

 



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01-18 花の冠

「「ふうっ」」

 

 スプリガンがどうやら再生しないのを確かめ、二人が同時に息をついた。

 光の消えた杖と雷光銃をこつん、と軽く触れあわせる。

 

「しっかし危ないところだったな。お前が気付いてくれなきゃ、良くて大怪我だったぜ。

 お前も・・・そういや、お前意外に強かったんだな。術師なんて大概モヤシだと思ってたけど」

「子供の頃から色々仕込まれてましてね。かじる程度ですが格闘術、野歩きや罠外し、目利きや値切り、忍び足に縄抜けとまあ色々・・・」

 

 ヒョウエの言葉が途切れる。モリィが彼が今まで見たことのない表情をしていた。

 

「冒険者族はいいよな。才能に恵まれてて、苦労なんかしたことねえだろ」

「・・・モリィ?」

「いや、悪い。忘れてくれ」

 

 自己嫌悪の表情。銃を持った右手で目元を隠していたが、後悔の念だけはありありとわかった。見ないふりをして、ヒョウエが軽く肩をすくめる。

 

「否定はしませんよ。実際才能という奴には随分助けられてます」

「・・・」

「とは言えモリィも恵まれてるほうだとは思いますけどね。強力な《目の加護》にそれを十分活かせる雷光銃という遺失兵器(アーティファクト)

 どっちか片方でも冒険者としては手が出るほど欲しいと思いますよ?」

 

 モリィは無言のまま。

 

「まあ大金が必要らしいですしそういう意味では大変でしょうけど、そういう意味では僕も同じですし、事情の近い相棒がいるというのはありがたいんですよこれが」

「・・・あたしは自分の為、お前はスラムに住む連中のためだろ。比較にならねえよ」

 

 モリィををちらりと見てヒョウエが言葉を続けた。

 

「まあ確かにモリィは自己中心的で意地汚いですよね。

 移動してる間にもばれてないと思ってこっそりビスケット一人で食べるし、朝は起こされないと起きないし、魔力結晶が落ちてたら絶対に見逃さないし、小銭が落ちててもわざわざ小走りで拾うし、一緒にご飯食べたら大皿の最後のおかずは必ず取ってくし・・・」

 

 目を押さえるモリィの手がプルプルと震え始めた。ヒョウエは楽しそうに声のトーンを1オクターブ上げてとうとうとしゃべり続ける。

 

「後照れ屋なところもかわいいんですよねえ。

 銃の練習してても着替えで時間を取ったって見え見えの嘘をつくし、子供達にたかられててうるさそうにしてても結構面倒見よく付き合って上げてるし、屋台でお菓子買うときも一本買うか二本買うか迷って・・・痛い痛い、グリップでグリグリやめて」

「うるせえ! それ以上喋ったら殺すぞ!」

 

 モリィが後ろからヒョウエの首を絞め上げていた。顔を真っ赤にしているのが怒りか羞恥かはよくわからない。

 

「だって全部本当の事じゃないですか」

「やかましい! そのペラペラ回る口を閉じねぇと、ドタマにもう一つ口を開けるぞ!」

「きゃー、モリィさんが怒ったー!」

「だからそう言うのやめろっつってんだよ!」

 

 痛い痛いと言いつつ笑顔のヒョウエと、顔を真っ赤にしたモリィ。誰がどう見ても楽しそうにじゃれ合っているようにしか見えないその光景は、それからかっきり十分続いた。

 

 

 

「ぜーはーぜーはー・・・」

「大丈夫ですか?」

「てめーのせいだよ! げほっげほっ・・・」

 

 喉がかれていたところに大声を出して、咳き込むモリィ。

 腰の水袋を取って、がぶがぶと水を飲む。

 ようやく一息ついて、スプリガンが出てきたゴブリンの死骸に目をやる。

 スプリガンを構成していた半霊体物質(エクトプラズム)は分解拡散し、今はただのゴブリンの死骸だ。

 

「しかしスプリガンか。これでゴブリン分の依頼料じゃ割に合わねえぜ」

「モリィ、それ村の人たちの前では言わない方がいいですよ」

「なんでだよ?」

「追加料金が払えないからですよ。それにそう言うモンスターがいたと言っても、証拠が出せません」

「あー・・・」

 

 村の様子を思い出す。間違っても豊かそうには見えない開拓村で、貨幣すらろくに見たことのない住人も多いだろう。

 

「知っててだました風でもありませんでしたしね・・・そもそもわからないでしょう。

 言ったところで疑われるか、あるいは余計な気苦労をかけるだけですよ」

「まあ、そりゃなあ」

 

 たちの悪い冒険者がいるようにたちの悪い依頼人というのもいて、ホブゴブリンや歪んだ妖精(ツイステッド・エルフ)人食い鬼(オーガ)などがいるとわかっていて「ゴブリンの群れのみ」で依頼を出すことがある。依頼料をケチるためだ。

 もちろんばれればその後ギルドに依頼を出すことができなくなるのだが、後先考えない愚か者は常に一定数存在する。しかし、モリィから見てもファール村の村長や村人たちが悪意でそうした依頼を出したとは思えなかった。

 

「あーあ、じゃあその分はただ働きかよ」

「まあこう言う場合はギルドで申告すれば差額を補填して貰えたりしますし・・・そっちには一応言うだけ言ってみましょう」

「証拠がねえんじゃ望み薄だなあ・・・まあいいや、報告してさっさと帰ろうぜ」

 

 モリィが深く溜息をついた。

 

 

 

「ああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 村長たちへの報告はつつがなく済んだ。

 涙ながらに感謝の言葉を述べられれば、ヒョウエにしろモリィにしろ悪い気はしない。

 村の入り口まで村の主立った者総出で見送りについてくる村長たちを見て、ちらりと視線を交わす。

 

「・・・ま、こんなもんか?」

「いいんじゃないですか、これで?」

 

 ついてくる村長たちに聞こえないように言葉を交わし、二人は同時に肩をすくめた。

 

「ん?」

 

 さして広くもない村である。一行はすぐに入り口に着いた。

 何故か門の脇に子供達――先ほど村を調べたときについてきた――が集まっていた。

 なんだろうと思う間に、代表らしい数人の少女が走り寄ってくる。

 手には彼女たちが作ったのだろう、つたない出来の花輪があった。

 ちょっと迷ったがモリィの前でリーダー格らしい少女が立ち止まる。

 

「ねえ、お姉ちゃんたち悪いゴブリンをやっつけてくれた冒険者さんなんでしょ?」

「ああ、まあな」

 

 子供達の間から歓声が上がった。

 とりわけ女の子たちは一丁前にきゃーきゃーと黄色い声を上げている。

 

「これ、私たちからのお礼! つけて上げるからしゃがんで!」

 

 言われるままにしゃがんだヒョウエの帽子とモリィの頭に、子供達の作った花輪が競技会の月桂冠のように飾られる。

 少女たちが誇らしげに胸を張り、村長たちも顔をほころばせていた。

 

「どうですかモリィ。これ以上ない報酬ですよ。ねえ?」

「まあ、そうだな」

 

 笑顔でウィンクするヒョウエに苦笑する。

 実際、先ほど礼を言われた時以上に良い気分だった。

 それを知って知らずか、リーダー格の少女が手を組んで感極まったように叫ぶ。

 

「素敵! どっちのお姉ちゃんにも(・・・・・・・・・・・)とてもよく似合ってるわ!」

「え」

 

 ヒョウエの口からまぬけな声が洩れる。

 たまらずモリィが爆笑した。

 




 作者のモチベーションは読者の皆様の評価と感想です。
 評価と感想よろしくお願いします。


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第四章「憎まず、殺さず、(ゆる)しましょう」
01-19 雷光銃


「ヒーローはね、みんなが望んだときに現れるんだよ」

 

            ――青い鎧の追っかけ――

 

 

 

 

 

 六虎亭で依頼成功の報告をした後(なお追加報酬の件は意外にも一発OKをもらった)、モリィはヒョウエ宅の夕食に招かれていた。

 普通使用人は給仕に徹するものだろうが、そう言う事を気にしないのかヒョウエとリーザに加えてサナも席に着いている。

 

(うめえ・・・!)

 

 スープを一さじ口にしてうめく。

 一見した限りでは特に贅沢な材料を使っているというわけでもなかったが、17年生きてきてこれよりおいしいスープを口にした記憶は――子供の頃ですら――無かった。

 くすりとリーザが笑みを漏らす。

 

「ヒョウエくん食いしん坊ですから。魔術の兄弟子さんが料理上手で余計に口がおごっちゃって、サナ姉さん随分苦労したんですよ」

「何ですかリーザ。それじゃ僕がいやしんぼうの子供みたいじゃないですか」

 

 ヒョウエがむっとして抗議するが、リーザはつんと含み笑いのすまし顔。

 

「あら、違ったの?」

「サナ姉の料理とてもおいしいです」

「よろしい」

 

 俎上に上げられた当人は我関せずとばかりに完璧なマナーでスープを口に運んでいたが、その唇の端に笑みが浮かんでいるのをモリィは見逃さなかった。

 

 

 

 食後。

 片付けはサナとリーザに任せ、ヒョウエたちはテーブルでまったりしていた。

 

「なんだお前リーザに片付けやらせて自分はやらないのかよ。ダメ亭主だな」

 

 にっひっひ、とモリィが笑う。ヒョウエがちょっと渋い顔になった。

 

「サナ姉もリーザも絶対ダメって言うんだからしょうがないでしょう。サナ姉もリーザの手伝いは認めるのに僕にはやらせないんだから・・・まったくもう」

「ふーん。そういやリーザは何で手伝ってるんだ? 使用人って訳じゃねえんだろ?」

「本人がやりたがってるんですよ。別にいいって言ってるんですけどね・・・そうだ! 前々から思ってたんですけど、その雷光銃ちょっとじっくり見せて貰えません?」

「・・・・」

 

 きらきらした眼で聞いてくるヒョウエに即答を避ける。微妙にいやな予感がした。

 とはいえ盗まれるわけでもなし、それで断るのもいささか気が引ける。

 

「・・・壊すなよ?」

「壊しませんよ失礼な」

 

 手をワキワキさせる馬鹿(ヒョウエ)にグリップを向けて雷光銃を渡す。

 新しいおもちゃを前にした子供のように、いやむしろそれ以外の何物でもない表情で、ヒョウエはうやうやしげにそれを受け取った。

 

 

 

「~♪」

「・・・・・・・・・・・」

 

 楽しげに鼻歌を歌いながら雷光銃をいじり回すヒョウエ。モリィがそれを不安そうに見ているがヒョウエの手つきはどこか手慣れた玄人のもので、子供がおもちゃを振り回すという感じではない。

 

「・・・」

「・・・?」

 

 やがて、ヒョウエの表情がだんだんと変わってくる。上機嫌だったのが無表情に。それが渋い顔になり、さらに明らかに不機嫌な顔に。

 ついにはじろり、と睨んでくるその目にモリィが体をびくっと震わせた。

 意外なほどに気圧される。そう長い付き合いでもないが、普段は常ににこやかな少年が直接負の感情をぶつけてきたのはモリィの記憶にある限り初めてだった。

 椅子に座り直し、ヒョウエがモリィと正面から向き合う。

 

「さて、モリィ。僕は今結構怒ってます」

「あ、ああ」

 

 そりゃ見ればわかるよ、などと茶々を入れる余裕もない。

 

「理由は判りますか?」

「いやわかんねえよ。何でいきなり怒ってるんだよ」

「・・・・・・・・」

 

 自分を落ち着かせるように、ヒョウエが目を閉じて深呼吸をした。

 開いた目がぎろり、と再びモリィを睨む。

 

「なら教えて上げますよ! 何ですかこの雷光銃は! 全然手入れをしてないじゃないですか! 貴重な遺失武器に申し訳ないとは思わないんですか!」

「そこかよ!?」

「そこですよ!」

 

 モリィが反射的に返したツッコミを正面から切り捨てるヒョウエ。

 

(ダメだ、冗談も通じねぇ状態だこれ)

 

 まあ確かに素人には整備なんてできないし頼める相手も・・・などとブツブツ言っていたヒョウエが、戦慄するモリィをじろりと睨んだ。

 

「一晩預けて下さい。明日の朝にはぴかぴかにして返してあげます。いいですね?」

「あ、はい」

 

 もちろん、モリィに首肯する以外の選択肢は残されていなかった。

 

 

 

「ん・・・」

 

 懐かしい夢を見ていた。

 内容は思い出せないが、父がいて、母がいて、祖父がいた。

 そんな暖かいゆめ。

 

 カーテンの隙間から洩れる朝日とヒバリの鳴き声。

 目を開いて、色あせてはいるが高級そうな壁紙と装飾の施された柱を見る。

 そこでぼんやりと、ヒョウエの家に泊まったことを思い出した。

 無意識に枕元の雷光銃に伸ばした手が空を切る。

 そこで急速に目が覚めた。

 

「・・・」

 

 少し迷った後、手早く服を身につけて部屋を出た。

 

「えーと、確かあいつの部屋は・・・」

 

 昨日の記憶を引っ張り出して廊下を歩いていく。左翼二階の客間から、右翼二階のヒョウエの部屋へ。

 夜が明けたばかりだしさすがにまだ起きてないかなと思いつつノックを三度。

 

「モリィですか? どうぞ」

「お、おう」

 

 返事が返ってきたことに少し驚きつつ部屋に入る。

 大きな机の上にうずたかく積まれていた本が消えており、その周囲の本がその分高くなっていた。ジャンルも積み方も雑な本の山脈は今にも崩れそうで、リーザが顔をしかめる様子が容易に想像できる。

 

「懲りねえやつだな・・・」

「え、なんです? ともかくちょうどもうすぐできるところですよ」

「!?」

 

 モリィがぎょっとした。

 机の上が綺麗に片付けられていて、モリィには使い方もわからないような様々な道具が並べられている。

 そして彼女の雷光銃もバラバラにされて乱雑に並べられていた。

 思わずうわずった声が喉から出る。

 

「おおおおおまえーっ!」

「ちょ、落ち着いて!? 修理してるんだからバラすくらいは普通でしょう!」

「・・・あー、うん、そうだよな。悪い」

 

 努力してモリィが動揺を抑え込む。

 比較的感情の振れ幅が広い彼女ではあったが、今のは少し極端だった。

 

(よほど大事なものなんでしょうね)

 

 溜息をついて机の上の部品に手をかざす。

 数個の部品がふわりと浮き、カチャカチャと音を立てて組み上がる。

 組み上がった部品を回転させて検分。

 

 それを繰り返して最後に残った9つのパーツが精密な動きで組み合わさり、雷光銃の形を取り戻した。ぱちんと音が響き、ヒョウエが手慣れた手つきで動作を確認する。

 最後にグリップを握って魔力を充填。モリィがホッと息をつくのがわかった。

 

「はい、これで完璧・・・うわたっ!?」

「おわっ!?」

 

 ガンスピン(拳銃のトリガーガードに指を突っ込んでくるくる回すあれだ)をやろうとして雷光銃がヒョウエの手からすっぽ抜けた。反射的に発動した念動の術で雷光銃は空中でぴたりと止まり、ヒョウエの手に戻る。

 それをやや乱暴にモリィがひったくった。

 

「返せ、へたくそ! 慣れないことやってんじゃねえよ!」

「いやあ、いっぺんやってみたくなるもんでして・・・」

 

 あはははと愛想笑いを浮かべるヒョウエ。

 次の瞬間、その目が丸くなった。

 

 クルクルと、ヒョウエの素人丸出しのそれとはまるで違う綺麗なガンスピン。

 回転させながら胸元から頭の横に持ち上げて、そのまますとんと腰のホルスターに落とす。

 

「おおー」

 

 思わずヒョウエが拍手する。

 へへっ、とモリィが得意げに笑った。

 

「まあなんだな、人前で披露したきゃこれくらいはできるようになってからやるんだな」

「おっしゃるとおりで。しかしそんなのどこで身につけたんです?」

「・・・あーまあ、これくれた奴がやってるのを見てな」

「ふーん?」

 

 首をかしげるヒョウエ。モリィがやや強引に話を変える。

 

「あー、そう言えばこんなに早くから起きてたけど、まさかお前寝てないのか?」

「それはもう! さすがに"真なる魔法の時代"の技術は素晴らしいですね!

 いじらせてくれるなら後二日は食事も睡眠もトイレも必要ありませんよ!」

「いやトイレはいけよ!」

 

 思わず突っ込んだモリィではあるが、徹夜明けのテンションで語り続けるヒョウエは気にも止めない。

 

「かなり使い込んでる感じですけど、その間ちゃんと整備してなかったみたいですね。

 特にコンデンサーがへたってましたので素材から変性しておきました。新品同様ですよ」

「こん・・・なんだって?」

「雷光を蓄えるところです」

 

 よくわからんという顔のモリィ。更なる詳細な説明を始めるヒョウエ。

 

「つまりですね電池とは魔力を貯めるところコンデンサーは魔力から変換した雷光を発射までの間蓄えるところです魔力コンバーターもそうなんですが歴代の持ち主がチャージ攻撃を多用していたようでかなり劣化を起こしてまして再精製と変性するのに随分苦労しましたよこれで威力が一割ほど上昇チャージ攻撃の際のチャージ速度がフルで一秒強は短縮できるはずです加えて各部のエネルギー伝達や整流化機構についても・・・」

「わかった! わかったから! もう説明はいいから!」

「いいえ、雷光銃を使うならこれくらいは理解が必要です! いいですかそもそも雷光銃の基本原理は共振によって魔力を励起させ雷光つまり魔力ビームとも言える状態に・・・」

 

 モリィの制止を振り切り早口の説明は続く。自制というタガの外れたマニアのうんちくは、結局リーザが朝食に呼びに来るまで止まらなかった。

 

「勘弁してくれ・・・」



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01-20 天使にラブソングを

 

 朝食を済ませてリーザにもろもろのお小言をもらった後、二人は屋敷を出た。

 

「で、今日は休みって事でいいんだな?」

「さすがに徹夜明けで依頼こなすのは危険ですしね・・・ここ二週間休み無しで依頼ハシゴしてましたし、丁度良いタイミングでしょう」

 

 あくびをしながらヒョウエ。その手には木製の巨大なトランクのようなものを持っている。一応持ち手がついてはいるが、ヒョウエやモリィなら棺桶に使えそうなサイズだ。

 モリィの視線に気付いたのか、ヒョウエがにこっと笑った。

 

「どうせ今日は休みな訳ですし、モリィも見ていきませんか?」

「見ていく?」

「まあすぐわかりますよ」

 

 

 

 王都メットーは南北8キロメートル、ほぼ正方形の城壁の中に建設された超大都市である。北中央に王城があり、その周辺が貴族や富裕層の区域。

 そして南西の端、おおよそ東西3キロ、南北2.5キロに渡って広がるのがスラムだ。

 現在ではそのほぼ全ての地域の土地利用権をヒョウエが買い取り、ここ数年経済や治安も改善していることは既に述べた。

 

 ヒョウエの屋敷はスラムの中心からやや南西に寄ったあたり。

 二人はそこから北東に位置する大市場に出た。

 つまり、メットー全体から見ると四分割したうち南西のブロックの中心。最初の都市計画で南西区画の中心として設計された大きな広場だ。

 本来女王(クイーン)広場であったのが、誰が呼び出したか道化(ハーレクイン)広場と呼ばれるそこには今日も多くの人が集っている。

 

「おう、領主様! 今日は女連れかい? リーザの嬢ちゃんじゃないんだな! 両手に花かワハハ!」

「領主はやめてくださいって言ってるでしょう。彼女は冒険仲間ですよ」

 

「あらヒョウエちゃん久しぶり! ちゃんと休んでる? 危険なお仕事なんだからあんまり根を詰めるのは良くないわよ!」

「ありがとうございますミクシィ。でも大丈夫ですよ、今日はお休みですから」

 

「よっ、ヒョウエの旦那! これ持ってってくれよ! お連れさんも!」

「ありがとうございます。好きなんですよねこれ」

「お、おう、あんがとなおっちゃん」

 

「ヒョウエさまだー! ねえねえ、あれやるの?」

「ええ、やりますから暇なら見ていって下さい」

 

「おはよう領主様ー♪ ハグしていいかしら?」

「忙しいのでまた今度にして下さいナヴィさん」

 

 

 

 子供達(と、数人の暇な大人たち)を引き連れて、ヒョウエたちは芸人の集まる一角にやってきた。

 歌に踊り、吟遊詩人やジャグラー、火吹き、剣飲み、パントマイムに軽業。幻影を見せる幻術師や色とりどりの炎を燃やしてみせる炎術師、指先から水を噴き出す水術師。

 場末とは思えない盛況ぶりである。

 

 多くの芸人が芸を披露している中、何故か空いている一隅にヒョウエが入る。

 ヒョウエが奥の壁際に棺のようなトランクケースを置くと、子供達は慣れた動きで最前列に座り込んだ。

 ヒョウエが杖を振ると、手も触れずに箱が開く。

 

 中に入っていたのは20体ほどの人形だった。高さ50センチほど、素朴な木彫りの人形で色とりどりの衣裳を着ている。

 人形が宙に浮いて壁際に立てかけられると、今度は箱が変形していく。板や脚を引きだし、組み合わせて、一分ほどで幅3mほどの人形劇の舞台が完成した。

 

 ぱちぱちぱちと拍手が飛ぶ。この頃にはついてきた子供達以外にも、かなりの子供達やそれなりの大人たちが集まってきていた。

 今まで芸を演じていた芸人たちは、客を奪われて肩をすくめたり苦笑したりだ。

 こちらも毎度のことらしい。

 

「とざいとーざーい・・・」

 

 古めかしい口上とともにヒョウエが拍子木をチョンと鳴らす。

 冒険者族のおかげでこうした時代劇じみた口上や小道具もこの世界では一般的だ。

 

「これなるは世界のはじめの物語、この世には何もなく虚空のみがあった・・・」

 

 真っ暗な背景を描いた板が浮かび上がり、舞台にセットされる。

 背景の裏に並べられていたうち八体の人形がふわりと浮かび、舞台の上からゆっくりと降りてくる。

 観客がざわめいた。

 

「虚空より創造の八神生ず。

 即ち『祭壇』『牝馬』『針』『牡牛』『エーテル』『足跡』『熊』『使命』なり。

 『祭壇』は中心にありて他の者達の差し出すものを受け取り、捧げん。

 『牝馬』は生と死を司り、その頬を悲しみの涙で濡らしたもう。『針』は常に鋭く、また数多のものを縫い合わせり。

 『牡牛』は人の子らに名誉を教えたまい、『エーテル』は無限なりし。

 『足跡』は火を焚いて人の子らを増やし、『熊』は飲みかつ喰らい、『使命』は誰も知らぬただ一つの使命にその身を捧げん・・・」

 

 虚空から生まれた八柱の神が空を作り、大地を作り、海を作った。

 数多の生き物や人を作った。

 『祭壇』が「真なる魔術(ウィザードリィ)」を作り、百人の弟子にそれを教える。

 真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)と呼ばれる原初の魔術師だ。

 

 やがて創造の八神がこの世界を離れるときが来た。

 神々は百人の真なる魔術師(ウィザード)にこの世界の管理を任せ、旅立っていく。

 真なる魔術師(ウィザード)たちは新たな神として天に昇るが、その中でも長兄であった一人だけは地に残って人々を見守ることを望んだ。

 永劫の時を越え、彼は地上の民を守り続けているという。

 

「それではここで一区切り。十分の幕間の後、第二幕を上演したいと存じます」

 

 ちょん、と鳴る拍子木。

 歓声と拍手が湧いた。

 

 

 

「ほい、おつかれさん」

「あ、これはどうも」

 

 観客が用足しや腹に入れるものを調達しに席を離れると、モリィが木のコップに入った飲み物を手渡した。いつの間にか周囲に多数現れた屋台で調達してきたらしい。

 柑橘類を搾ったジュースは適度な酸味と甘味が混じり、徹夜明けの脳に優しい。

 

「あー、おいしいですねー」

「中々良かったぜ。それも仕込まれたのか?」

「いえ、子供の頃語り部のおじいさんがいましてね。その語りが素晴らしかったので、一時期弟子入りしてたんですよ。人形操りは見よう見まねですね。

 語りに関しては正直まだまだですよ」

 

 その言葉に、先ほどまでの人形劇の語りを思い出す。

 なるほど練達の技と言うには程遠いが、人形を抜きにしてもその辺の路上や酒場で飲み代を稼ぐ程度には十分な芸で、従ってその辺の子供達(大人たちも)を楽しませるのにも必要十分な程度の芸ではあった。

 

「片手間であれだけやれりゃ、まあ十分だろ。大したもんだよ」

「かもしれませんけどね・・・」

 

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

 

 

 時間通りに第二幕が始まった。

 創世の神々が去ってから二千年ほど後、歴史上初めて現れた冒険者族とされる一人の「サムライ」と真なる魔術師(ウィザード)の娘である白き髪の乙女との悲恋物語だ。

 

 創造の八神が生き物を作る時に作り上げてしまった失敗作である原初の魔獣たちが、隔離場所である〈昼も夜もない谷〉からあふれ出し、人々や妖精たちを襲い始めた。

 真なる魔術師(ウィザード)やその娘、〈百神〉の〈使徒〉や妖精の戦士たちが戦いを挑む。

 

 異世界のサムライは光り輝くカタナで何頭もの魔獣を屠り、また封印を助けた。

 戦いの中でサムライと白き髪の乙女は惹かれあい、恋に落ちる。

 だが常命であるサムライと永遠の命を持つ乙女は同じ時間を過ごすことはできない。

 

 別れを告げて最後の戦いに赴くサムライに、白き髪の乙女が歌を歌う。

 この世界の人間なら誰でも知っている歌、誰でも知っている名場面だ。

 

「~~~~~」

 

 綺麗なボーイソプラノが広場に響く。

 語りと同じく名人と言うほどではないが、十分に人を惹きつける歌だ。

 観客たちも舞台の上の二人を注視し、あるいは目を閉じながら耳を傾ける。

 

「~~~~~」

「!?」

 

 そこへ別の声が重なった。

 ヒョウエの物ではない、美しいソプラノ。

 

 ヒョウエの歌声が途切れるが、誰も気にしない。

 気にしないほどに誰もが聞き惚れている。

 

 モリィが歌っていた。

 天使の歌声。

 そうとしか表現できない歌声が広場に響く。

 買い物途中の主婦。露店の主人。はたまた恋歌をつま弾いていた吟遊詩人までが言葉を無くし、ただ聞き惚れていた。

 

 

 

 別れの歌の場面が終わる。

 万雷の拍手と喝采。

 モリィはぎょっとしたように一歩後ずさったが、やがて綺麗な動作で一礼した。

 

「アンコール! アンコール!」

「アンコール! アンコール!」

 

 鳴り止まないアンコールの声。

 困ったようにヒョウエを見ると、肩をすくめて銀の横笛を取りだした。

 

「まあ応えて上げましょうよ。この流れだと人形劇の続きをやってもですし」

「あー、なんか悪い」

「構いませんよ。いいものを聞かせて貰いましたし」

 

 にっこりと笑うヒョウエに我知らずモリィが赤面する。

 ヒョウエが楽しそうに横笛に口をつけ、古い流行歌の前奏を奏で始める。

 アンコールの声が静まり、再び天使の歌声が響き始めた。




 ちなみに唐の長安が東西9.7km、南北8.6kmで最大人口百万人だそうです。
 しかも7世紀、ヨーロッパはガチの暗黒時代で、二万人なら大都市という時代。すげーな中国!


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01-21 幻術(イリュージョン)

 

 数曲歌ったところで用足しと言ってヒョウエが姿を消した。

 その姿が角を曲がって消えた途端、モリィの周囲にわっと人が集まる。

 

「すげー! ねーちゃんすげー!」

「私感動しちゃった!」

「いやあ、凄いな嬢ちゃん! 格好からすると冒険者みたいだが」

「俺知ってる! この人ヒョウエ様の冒険仲間なんだぜ!」

「冒険者かあ。赤板みたいだけど歌い手の方が稼げるんじゃない?」

「わかる。凄かったよな」

「なあなあ、俺マーシャン劇場へのコネがあるんだけどさ、ちょっと歌ってみない?」

「あーうるせーうるせー! 散れよ!」

 

 モリィが両手を振り回してそうした者達を散らす。顔が赤い。

 

「あー、おねーちゃん照れてるー」

「てれてるー」

「黙れガキども!」

 

 きゃー、と虫の子を散らすように子供達も散っていく。

 少し離れた所で再び寄り集まると、何事か話してはくすくす笑っていた。

 

 

 

 数分後、モリィは何故か子供達に屋台の菓子をおごっていた。

 へこんだ鉄板に小麦粉を流し込んで焼く、餡の入ってない人形焼きのような菓子だ。

 

「クソッタレめ、なんでこんなガキどもに・・・」

「ねーちゃん押されると弱いタイプだよな」

「"れんあいじゃくしゃ"ってやつだ」

「悪い男にだまされそう!」

「ブッ殺すぞてめえら!?」

 

 モリィの脅しに最早逃げもせず、きゃっきゃと笑う子供達。

 完全に性根を見透かされている。

 

「ちくしょうめ・・・」

 

 人形焼きの残りをほおばって、怒りにまかせて咀嚼する。

 それを飲み込んだところで違和感に気付いた。

 

「!?」

 

 反射的に雷光銃を抜き、周囲を警戒する。

 《目の加護》を持つ自分がどうして気付かなかったのか。

 周囲の風景がおぼろげになっていた。

 霧でぼやけるとかそう言うことではなく、風景自体は変わりないのだが舞台の書き割りのように現実感のないものになっている。

 周囲の声も聞こえるが、そのどれもが意味の通った言葉として聞こえない。

 街路のざわめきのように聞こえるだけの、ただの音。

 

「なー、ねーちゃんどうしたんだ?」

「喋るな! 動かないで固まってろ!」

「・・・!?」

 

 訳がわからないながらも、モリィの本気に押されて子供達がコクコクと頷く。

 じっとりと、脇に汗がにじんできた。

 

 

 

「・・・・・・・・!」

 

 気がつくと、目の前に男がいた。

 瞬時に移動してきたとかではなく、ずっとそこにいたのに今気がついたような案配だ。

 いかにも魔法使いらしい濃緑色のフード付きローブ。ヴェールで顔は見えない。

 先ほどの広場で幻術を見せていた芸人術師だとモリィは気付いた。

 

(つまり、今見えてる景色は僕たちの心に送り込まれた幻かも知れないと言う事ですよ)

 

 ダンジョン・コアの中で聞いたヒョウエの声が甦った。

 躊躇せずに雷光銃のセーフティを外し、銃口を向ける。

 

「つまり、てめえがこの状況の黒幕って訳だ」

「ひひひ・・・鋭いね。それとも《目の加護》のおかげかな?」

 

 劇に出てくる「悪の魔術師」そのものの笑い声を上げて、幻術師が肩を震わせる。

 モリィは無言のまま。手にした雷光銃が雷光を撃ち出すことはない。

 

「そうそう、それでいい。軽々しく引き金を引けば、回りの何の罪もない人々に当たるかもしれないからねえ?」

「・・・チッ」

 

 含み笑いをする幻術師。モリィが舌打ちをして銃口を下ろした。

 

「で、何をしたいんだてめえは」

「君についてきて欲しいんだよ、ひひひ・・・」

「何のためにだ」

「それはもう、ヒョウエくんだよ。さすがにね、まともにやり合ったら不利だからね。君に人質になって欲しいのさ、ひひひ・・・」

 

 それを聞いた瞬間、モリィが腰を落として跳び下がろうとする。

 が、そこで動きがぴたりと止まった。

 体が動かない。動かそうとしても首から下の筋肉がピクリとも動いてくれない。

 

「なんだ・・・てめぇ、何しやがった!?」

「魔法だよ。それ以外にあるかい? まあ君程度なら無理矢理連れていくこともできるんだが、逆らわれると操るのも面倒でね。『私の言うことに従います』とはっきり言ってくれるとありがたいんだけどな」

「ざっけんなこの・・・」

 

 モリィが罵り言葉を言い終わる前に男が消えた。

 

「!?」

 

 動かない体で首だけを動かす。

 いつの間にかそこにいた男は、子供の一人の首に後ろから短剣を当てていた。

 子供達も体の自由を奪われているようで、刃を当てられた女の子は今にも泣き出しそうな顔をしている。

 

「ガキどもに手を出してみろ! ブッ殺すぞ!」

「はいどうぞ、お出来になるなら。ひひひ・・・」

 

 歯がみはするものの、体はピクリとも動かない。

 加えて相手が幻の使い手である以上、相手が今見える位置にいるとも限らない。

 泣きそうな顔。顔。顔。既に涙をこぼしている子供もいる。

 

(きついんだよなあ、こういうの・・・)

 

 弱り切った顔で溜息をつく。

 

「それで、どうするかね? まあ答えても答えなくても君は連れて行くけど、子供の死体が転がるかどうかは随分違うんじゃないかね、ひひひ・・・」

「あーあー、わかったよわかりましたよ! 『あなたに従います』! これでいいかチクショウめ!」

「けっこう、ひひひひ・・・。~~~~」

 

 男の呪文を唱える声と共に、モリィの意識はぶつりと途切れた。



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01-22 心を歪ませるもの(マインドツイスター)

 

 モリィが気がついたのは石造りの神殿の内部のような空間だった。

 大広間のような場所の真ん中に、縛られもせず、椅子に座らされている。

 魔法の光が周辺を照らす中で、作業台のようなものとその前に立つ幻術師が見えた。

 

「・・・っ!」

 

 モリィが思わず息を呑む。男はヴェールを外していた。

 右半分は美男子と言える顔立ちだが、左半分は酷い傷が額から顎までを走っており、左の目はまぶたがなかった。

 狂気がべったりと顔に張り付いていて、右側の整った顔立ちも台無しにしている。

 

「おはよう、モリィくん。気分はどうかね?」

「最悪だよクソッタレ」

 

 毒を吐きながら、さりげなく右腰のホルスターを探る。

 雷光銃が収まっているのを確認すると、男が身を震わせた。

 

「ひ、ひ、ひ、抜くなら抜いてどうぞ。ただし、『君は私を傷つけられない』」

「言ったなクソ野郎が!」

 

 素早く立ち上がり、会心の速度で銃を抜く。

 だが照準を男の胸板に合わせた瞬間、モリィの指は凍りついたように動かなくなった。

 

「・・・!」

「言ったろう、『君は私を傷つけられない』。『私の言うことに従います』と言ったろう? それでもう君は私には逆らえなくなったんだ。そう言う術でね、ひひひ・・・。

 実を言うと幻影はおまけ、こっちが私の本領なのさ」

催眠術師(ヒュプノティスト)か、てめえ」

 

 モリィが睨み付けると、男はげらげらと笑い出した。

 

「よしてくれよ! あんな手品師みたいな連中と一緒にするのは!

 私の術ははるかに高度で深遠なものさ!」

「へっ、そんなありがたい術ならもうちっとマシな使い方をしろってんだ、"心を歪ませるもの(マインドツイスター)"め」

 

 モリィが吐き捨てる。古い歌劇に出てくる、人の心を操る悪魔の名前だ。

 

「ははははは! 意外と教養があるじゃないか! しかしいいね! 私にぴったりだ! "心を歪ませるもの(マインドツイスター)"! これからはそう名乗るとしよう!」

「・・・」

 

 高笑いするローブの男・・・"マインドツイスター"にげっそりした顔になるモリィ。

 

「で、何であたしをさらったんだ? ヒョウエがなんでそんなに欲しいんだよ」

「ひひひ・・・そうだな、まずは後ろを見てみたまえ」

「・・・?」

 

 いぶかしみながらもモリィが振り向く。

 今まで気付かなかったが後方は広いバルコニーのようになっており、天井と同じく底もかなり深い。首をかしげつつ周囲を見渡し、モリィはぎょっとして一歩後ずさった。

 

 向かって左手にある巨大な構造物。

 巨大すぎて気付かなかったが、それは人の顔を模していた。

 

「あんっだ、こりゃ・・・」

 

 畏怖に打たれてそれを見上げる。顔だけでもモリィの身の丈の十倍以上。なまじ《目の加護》が強力すぎて全体を俯瞰しなかったために気付かなかった。

 良く見れば左側下方の壁と思っていたものは「それ」の胴体で、巨大な体にふさわしいサイズの手足がちゃんと生えている。

 恐らく全長は100メートルを超すだろう。全身が呪鍛鋼(スペルスティール)に似た光沢を持つ金属で構成されており、全身に銀色の甲冑を身にまとっているようにも見える。

 

「術式の"具現化"によって生み出された、"真なる魔法の時代"の"巨人兵器(ギガント)"だよ。

 彼の人形劇でもやっていたろう? "原初の魔獣"と戦う為にいにしえの魔術師たちはこんなものまで作り上げていたんだ。

 そんな魔獣とカタナ一本で戦っていたサムライとやらは、ひひひ、どれだけ強かったんだろうねえ・・・」

「・・・・・・・」

 

 楽しそうなマインドツイスターの講釈にも、モリィはただ顔を見上げるばかり。

 そのモリィを見てひひひと笑いつつ、マインドツイスターはローブの隠しから赤い宝石を取りだした。

 

「もちろん、魔術師たちも役目を終えたこれをそのまま放置はしなかった。

 知恵と心臓を奪って動けなくしたうえでここに封印したのさ。

 そしてその『知恵』に相当するのが、君たちも知っているこれだ――ああ、直接見た事はなかったかな? クリーブランド商会の猫の首輪にはまっていたやつだよ」

「!」

 

 言われて気付く。小指の先ほどの赤い宝石は確かに聞いたとおりのそれ。

 

「これは記憶の宝石と言ってねえ。あの老人は裏帳簿に使ってたみたいだけど、本来の用途はそんなちゃちなもんじゃない。

 この巨人の手足を動かすための全ての記憶がこれ一つに詰まっているんだ。ひひひ、何とも素晴らしいじゃないか、なあ?」

「・・・それで、なんでヒョウエが必要なんだよ?」

「これも具現化(マテリアライズ)術式(スクリプト)には違いないからね。発動するには魔力が必要なのさ。その点彼はうってつけだよ。まさかあんなものが実在するとはね! さすがオリジナル冒険者族と言った所だよ、ひひひ・・・!」

「オリジナル・・・冒険者族?」

 

 モリィの言葉にマインドツイスターは「おや」と意表を突かれた顔になった。

 

「なんだ、知らなかったのかい? それじゃそこから説明して上げようか。

 冒険者族は知ってるよね? 彼はそのオリジナル、異世界から転生してきた当人さ。

 子孫である普通の冒険者族も強い《加護》を持ってることが多いけど、オリジナル冒険者族はまさに別格だね。ひひひ・・・無限の魔力なんてものを、いにしえの"真なる魔術師(ウィザード)"たちなら知らず、当世の魔術師が操れるとは!」

「無限って・・・そりゃいくらなんでも大げさじゃ・・・」

 

 ひひひ、とマインドツイスターがモリィをあざけり笑う。

 

「ところが大げさじゃないのさ。

 彼ならこの巨人を全力で稼働させることだってできるだろうね!」

「だからってどうする気だよ。あいつにはお前の精神操作は通用しねえんだろ?

 魔力の強い奴には魔法は効かないって聞いたぞ」

「そうとも、だが彼の《加護》は幸い私にも扱えるんだよ!

 ああ、"隠された水晶の心臓"! 七つの穴開きし無限の魔力の門よ!」

 

 感極まったように両手を掲げ、天を仰ぐマインドツイスター。

 狂気に染まった目に、思わずモリィが一歩下がる。

 マインドツイスターの目が彼女を射貫いた。

 

「強力な魔術師の体内にね、水晶のような結晶が精製されることがある。

 これを"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"と言うんだ。具現化術式みたいなものさ。

 これはそれ自体が強力な魔力源となるし、生体と接続すれば術式処理能力を飛躍的に高めてくれる。思い出してごらん。彼は魔法を使う時に呪文を唱えていたかい?

 普通はよほどの達人か、火投げ師みたいな一芸馬鹿でもなければ呪文無しの魔法発動なんてできないんだよ?」

 

 そういえば、と思い出す。

 確かにこれまでの冒険の中で、ヒョウエは一度たりとて呪文を詠唱して魔法を発動したことはなかった。例外は地竜相手に巨大な剣を生みだしたときだけ。

 他の術者と組んだことなどないから、そうしたものだとばかり思っていたが・・・。

 

「それにあの人形の数と来たら! 一度に使える魔法の数は普通一つ、達人だってせいぜい二つだ。それを、九つの人形を同時に操る?! でたらめにも程がある!」

「・・・・・・・」

 

 呪文を一つずつ発動して同時に沢山の術を維持することはできる。

 例えばまず剛力(エンパワー)の術をかけてから敏捷(デックス)の術をかけ、さらに(アーマー)の術をかけるような。

 (もっとも、維持にも多少の精神負荷はかかるので、並の術師であれば3つくらいが限度とされる)

 

 しかしヒョウエのそれは明らかに違った。

 9つの術を同時に発動し、同時に制御している。

 いかな達人であれ、間違っても人間の到達しうる領域ではない。

 

 そして同じ術、同じ術力、同じ熟練度でも同時に二つの同じ術を使えば単純に威力は二倍以上。

 九つを、それも水晶の心臓によってブーストされた術力で使えば恐らくは数十倍から百倍以上。それが並外れたヒョウエの術力の秘密だったのだ。

 

「そちらも"隠された水晶の心臓"のおかげさ。伝承によれば完全な水晶の心臓には七つの穴がある。その穴一つごとに余計に魔術を扱えるんだ。

 それを彼は体内に持って生まれてきた! いやはや、"チイト"とはこのことだよ!」

「"チイト"・・・・冒険者族語で『凄い力』とかそんな意味だったか?」

「そうそう。君はやっぱり博識だねえ。とても興味深い。あるいは・・・いやそれはいいか。今はヒョウエくんのことだよねえ」

 

 まぶたのない、真円の目で全身をなめ回される。

 背筋におぞ気が走った。

 

「偶然目にした契約書、あれには驚いたよ。まさか完全な"隠された水晶の心臓"なんてものがこの世に存在するとは! しかもそれが借金のかたに担保に取られてる? 大笑いだ! だったら私がもっと有効に活用して上げるよ!」

「借金、担保? そういう・・・待て。お前まさかその水晶の心臓とやらを・・・」

「えぐり出すよ? 当然じゃないか。精神操作が効かない以上それしかないでしょ」

「このっ・・・!」

 

 思わずつかみかかろうとしたモリィだが、腕がぴたりと途中で止まる。

 動けなくなったモリィを回り込み、マインドツイスターが肩を叩いて笑う。

 

「だから無駄だって。あ、先に言っておくけど自殺もできないように命令してあるからね。まあ君を人質に彼を従わせられれば良かったんだけど、彼ホント危険だからねえ。

 勿体ないけど殺しちゃって心臓えぐり出すのが後腐れ無いでしょ、ひひひ・・・」

「くそっ・・・」

 

 動かない体で歯がみする。

 ひひひ、という笑い声。

 マインドツイスターが呪文を唱えるとともに、モリィの意識は再び途切れた。



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01-23 巨人兵器(ギガント)

 モリィが再び気がつくと山の中腹らしき森の中だった。木々の向こう、荒野の彼方に遠く王都が見える。マインドツイスターがにやっと笑いかけてきて、思わず顔をそむけた。

 

「君の王子様が来たよ、ひひひ・・・」

「そんなんじゃねえよ!」

 

 モリィが頬を染めて声を荒げる。マインドツイスターが少し意外そうな顔になった。

 

「ああそうか、それも知らなかったんだね。

 ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネは王弟アクティコ大公ジョエリー・シーシャス・ジュリス・ドネの嫡男、つまり現国王の甥っ子さ。れっきとした王族だよ、彼は」

「・・・!」

「それが自分のはらわたを売りに出してまでスラムを丸ごと買い取って、貧しき人々を救う? いやはやご立派! 涙が出てくるね!

 宮殿の奥でふんぞり返っていれば私なんかにはとても手を出せなかったし、そもそも"隠された水晶の心臓"の事を知ることすらできなかっただろう!

 いやあ、情けが仇になるとはまさにこのことだ、ひひひひ!」

 

 もぞり、とモリィの腹の底で熱いものが動いた。

 

「・・・れ」

「うん? なにかな?」

「黙れと言ったんだクソ野郎」

「っ・・・!」

 

 マインドツイスターが気圧された。

 モリィの言葉と双眸から、本人にも理解出来ないほどの怒りがほとばしっている。

 

「あいつを馬鹿にするな! あいつは・・・あいつは凄い頑張ってる奴なんだよ! 自分じゃない他人のために命を張って、みんなから好かれて、必要とされてるんだ!

 あたしやお前が馬鹿にしていいような奴じゃねえんだよ!」

「・・・・・・・」

 

 モリィが荒く息をつく。

 しばらく唖然としていたマインドツイスターがひひ、と笑みを漏らして拍手した。

 

「いやいや熱弁お疲れさま。何だかんだ君も彼と同じ種類の人間だねえ」

「はっ、一緒にするんじゃねえよ。あたしゃあいつみたいな馬鹿じゃねえ」

 

 マインドツイスターがひひひ、と笑う。

 

「まあそのへんはどうでもいいさ。それよりも見なよ。君の目なら見えるだろう?」

 

 マインドツイスターが指さす先の方に目をこらす。

 

「ヒョウエ・・・!」

 

 5、6キロほど先。杖にまたがったヒョウエが荒野のただ中にゆっくりと降りてくるところだった。

 目印のつもりなのか、粗末な白い旗がはためいている。

 

「はい、動かないでね」

 

 マインドツイスターの言葉と共に、モリィの体が動かなくなった。

 声を出す以外、まったく何も出来ない。

 

「ごめんね、雷光銃で居場所を教えられたりすると困るからさ。

 まあこれから起こることを特等席で見ていられるから勘弁してよ」

「・・・・」

 

 殺意を込めてマインドツイスターを睨むが、涼しい顔でひひひと笑うだけだ。

 

「さて・・・ショータイム!」

 

 パチン、とマインドツイスターが指を鳴らす。

 モリィたちから見て左側の山の崖がはじけ飛んだ。モリィたちとヒョウエとで丁度正三角形を描くような位置。

 バラバラと岩や破片が落ち、ヒョウエが素早く杖にまたがって空に舞い上がる。

 それと同時に土煙の中から巨大な何かが飛び出した。

 

「なっ!?」

 

 一瞬だったが、土煙からちらりと見えたその姿をモリィの目は見逃さなかった。

 

 鋼色の巨人(ギガント)

 あの神殿の中に封印されていた呪鍛鋼の巨兵、真なる魔法の時代の遺失兵器(アーティファクト)

 

「なっ・・・なんでだ!? ヒョウエがいないと動かないはずだろ!」

「おや、そんな事言ったかな? 言ってなかったかも知れないね。

 メインの心臓は取り外されてるんだが、予備の小さい心臓は生きていて一週間くらいなら動かせるのさ。

 まあ往時の出力には及ばないが・・・ヒョウエくんがいくら無限の魔力を持つと言っても、所詮は人間の魔術師だ。

 当世の"大魔術師(ウィザード)"程度では、本物の"真なる魔術師(トゥルーウィザード)"が作り上げた遺失兵器には勝てまいよ、ひひひ・・・」

 

 ぱん、と音がして土煙から巨人(ギガント)が飛び出す。

 4秒。

 たったそれだけで5kmの距離が詰められた。

 人間大なら100m五秒を切るほどの疾走。100m超の巨体であれば時速2000km、マッハ2を越える。

 先ほどのは空気の壁を越えた音。地上で発生するヴェイパーコーン。

 

 その速度のまま、完璧なフォームでの右パンチ。

 更に高速、音速の三倍で飛んできた拳が空中のヒョウエをまともに捉えた。

 

「ヒョウエッ!」

 

 思わず悲鳴が洩れる。

 はじき飛ばされたヒョウエが空中で体勢を立て直してホッとした瞬間、第二撃がまたしても直撃した。

 三撃。急降下して拳の有効攻撃範囲から外れたヒョウエがかわす。

 

「!」

 

 地竜を屠った巨剣を生み出そうとしたのか、金属球を取り出そうとしてヒョウエが血を吐いた。杖の軌道がふらつき、巨人(ギガント)の鋭い蹴りがかすってはじき飛ばされる。

 だが蹴りは拳ほど素早く攻撃を重ねられない。

 もう一度血を吐きながらも距離をとり、金属球を取り出す。

 唇が「地の星よ(Shanaishchara)」の形に動いたのがわかった。

 

 大地のルーンを刻んだ金属球が巨大化し、再び巨剣が顕現する。

 しかし、巨人(ギガント)の圧倒的な体躯の前には巨剣ですら小さく見える。

 人間のサイズで言えば30センチほど、大振りのナイフくらいのサイズ。

 それでも二発目の蹴りをかわし、気合いと共に射出する。

 

「!」

「おおっ!?」

 

 左の肩口に巨剣がつき刺さる。

 巨人がよろめいた。

 

「ひひひ! すごいじゃないか! あれは原初の魔獣を打ち倒すために作られた兵器だよ? 巨大な魔獣や竜の爪に耐える装甲を切り裂くなんて!

 水晶の心臓があるとは言えヒョウエくんはやっぱりすごいな!」

 

 マインドツイスターが手を叩く。モリィは視線を外せず、ただ見続けている。

 ヒョウエは剣を球に戻し、今度は別の球を取りだして20m程ある巨大な炎の球を、続けて雷を、いずれも左肩の傷口を狙って放った。目に見えて巨人の左腕の動きが鈍くなる。

 だがヒョウエも無傷ではない。

 その間に都合三度巨人(ギガント)の拳と蹴りが命中し、二回血を吐いた。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 顔や袖口から見える腕にも、見てわかるほどに青あざが増えつつある。

 念動障壁による防御でも防ぎきれない、衝撃によるダメージが蓄積しているのだ。

 なまじっか優れた《目の加護》を持っているがゆえに見えてしまう。

 もう長くは持たないと言うことが。

 

「・・・いいっ! もういい! 逃げろ! 逃げてくれヒョウエ!」

「ひひひ、麗しき友情・・・いや愛情かな? でも残念、無駄でした! 彼には聞こえないからね! おっと、それに巨人(ギガント)もしびれを切らしたみたいだ!」

「なっ・・・!?」

 

 足元をチョロチョロ逃げるヒョウエに向かって、巨人(ギガント)が手を伸ばした。

 そのとたん、高速で移動していたヒョウエが空中に静止する。

 

「・・・うそだろ、おい・・・」

「別におかしくも何ともないだろう? 念動の術くらい、真なる魔法の時代の魔術師なら誰でも使えたって聞くよ? 便利さを考えればそりゃあ一つや二つ仕込んでおくさ」

 

 ヒョウエは必死にもがくが、巨人(ギガント)の手が持ち上がるのに従って中空に持ち上げられていく。

 にたにたと笑みを浮かべていたマインドツイスターが目をしばたたかせた。

 

「ひひひ・・・え、ちょっと待って。だめだ、それはやりすぎ・・・」

 

 緊急停止させようとしたのだろう、マインドツイスターが呪文を唱え始める。

 だがその瞬間、巨人(ギガント)の胸の宝珠から青白い光が迸った。

 ヒョウエを一瞬に飲み込んだ青白い光は一直線に突き進み、大気を帯電させる。

 雲が消失し、空に巨大な穴が空いた。

 

 

 

「・・・・ヒョウエッ!」

「え、何? あれで生きてたの!?」

 

 先ほどまで浮かんでいた場所にヒョウエのシルエットを見つけ、モリィが叫ぶ。

 心底驚愕した表情のマインドツイスター。

 その二人の視線の先、巨人の伸ばした右手の先にヒョウエが浮いていた。

 

 ヒョウエの前の空間、巨人と彼を遮るように3mほどの黒い球体が浮いている。それが魔力光を防ぐなり吸収するなりしてヒョウエを守ったのだろう。

 少年に目立ったダメージはなかった。

 

 ヒョウエが黒い球体を弾けさせる。

 同時に巨人の念動の魔力も断ち切ったのか、ヒョウエが飛行して距離をとった。

 

 "大地の剣"が顕現する。

 それと同時に巨人が踏み込んだ。

 

 剣が飛ぶ。

 拳が飛ぶ。

 

 巨剣が巨人の左の肩口、炎と雷で灼かれた先ほどの傷痕に正確に命中して貫通する。

 爆発。火花を散らして巨人の左肩が吹き飛んだ。胸も大きくえぐれて内部機構が露出している。

 

 全く同時に巨人の拳がヒョウエを捉えていた。

 今までヒョウエを守っていた念力の盾がひしゃげ、ついに拳がヒョウエを直撃する。

 

「ヒョウエッ!」

 

 愕然としてモリィが叫ぶ。

 それでも完全に直撃ではなかったのか、ヒョウエが動いて体勢を立て直そうとするが、その体を巨人の拳が握りこんだ。

 

 巨人の胸が展開する。

 モリィが雷光銃をチャージするように、青白い光が宝珠を中心にして球形にわだかまる。

 

 自らの手と引き替えにしてでもとどめを刺すつもりなのか、そのままチャージを続ける巨人。

 ヒョウエに動きはない。

 

 光の玉が弾けた。先ほどに数倍勝る規模の圧倒的な青白い光が空を引き裂き、またしても天に風穴を開ける。

 その光の中に巨人は自らの手を突っ込み、内部のヒョウエを灼く。

 

「!」

 

 その背後で"大地の剣"が浮かび上がった。

 全力照射で動けない巨人目がけて巨剣が飛び、左胸の欠損部分に深くつき刺さる。

 刃の付け根どころか柄の先端までもが巨人の体内に深く埋め込まれる。

 次の瞬間、巨人(ギガント)は大爆発を起こした。



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01-24 SUPERMAN

 

 巨大な、青白い光の大爆発。

 数キロ離れているにもかかわらず、爆風でモリィの体は吹き飛ばされた。

 

「ひひひひひ! ひひひひひひ!」

 

 意識が途切れていたらしい。マインドツイスターの狂った笑い声でモリィは覚醒した。

 なぎ倒された木々の合間、下生えの中だ。

 動くなと命令されている体は受け身も取れない。

 運良く下生えに突っ込まなかったら死んでいたかもしれなかった。

 

「ヒョウエ・・・ヒョウエは・・・」

 

 必死に目を動かして爆発の跡を見ようとするが、下生えに埋もれた姿勢では何もわからない。

 

「ひひひ! やあ、起こしてしまったか! サービスだ! もう動いてもいいよ!」

 

 即座に跳ね起きて走り出した。

 多くの木が倒れている。倒木を飛び越えて、それが見えるところまで走った。

 ヒョウエが戦っていた場所が視界に入る。

 

「・・・・・・・・」

 

 何もなかった。

 岩も、荒野に自生していた僅かな植物も、荒野すらなかった。

 巨大なクレーターがひとつ、あるきりだった。

 

 力が抜けて、地べたにへたり込んだ。

 気張っていた心が破れる。ずっとかぶっていた鉄の仮面が剥がれ落ちる。

 ボロボロと涙がこぼれた。母が死んで以来、決して流すまいと思っていた涙が。

 

「ヒョウエ・・・・ヒョウエ・・・・ヒョウエェェェェェェェェェェェェェェ!

 なんでだよ、何であたしのために死ぬんだよ! お前死んじゃいけない奴じゃないか! スラムのガキどもを、サナさんやリーザはどうするんだよぉ!」

「ひひひ! ひひひひひ! いやあ、それが見たかった! 最高ですよモリィさん!」

 

 モリィが泣き叫ぶ。マインドツイスターが狂ったように笑う。

 

「いやでも本当に凄いや! まさか相打ちとは言えギガントを倒しちゃうとは!

 うん、正直舐めてたごめん! しょうがないな! あれが一番状態が良かったんだけど(・・・・・・・・・・・・・・・・)しょうがない(・・・・・・)!」

 

 地面に突っ伏していたモリィが頭を上げた。

 愕然とした表情が涙に濡れた顔に張り付いている。

 

「待て・・・お前今なんつった? 『あれが一番状態がいい』?」

「ひひひ! そうとも! こうなったらしょうがない! 人間捕まえて当座の燃料にするしかないね! 幸い人間がたぁくさんいる生け簀がすぐそこにある!」

 

 両手を広げて笑うマインドツイスターの肩越しに見えるのはメットー。

 50万人が住む大陸最大の都市。

 

「このっ!」

 

 神速。

 人間の反射神経が対応できない速度で引き抜かれた雷光銃が閃光を放つ。

 光はマインドツイスターの胸を貫いて大穴を開けた。

 

「え・・・?」

 

 モリィはむしろ唖然としていた。反射的に抜いて撃ったが、精神操作の術で止められると思っていたのだ。

 

「ひひひひ! この体ももういらないからね! サービスだよ! 付き合ってくれたお礼にここからのショーを特等席で見せて上げよう! さよならモリィさん! もうどうでもいいよ君!」

 

 狂ったように笑い続けるマインドツイスター。その顔面がいきなり二つに割れた。

 面の下にあったのは金属でできた顔のようなもの。

 そして脳があるべき場所に収まっている銀色の金属質の甲虫のようなもの。

 甲虫の頭には赤い宝石。先だってマインドツイスターがモリィに見せたそれと同種の。

 

「・・・記憶の宝石!?」

『ヒヒヒヒヒ! ジャアネ!』

 

 宝石のはまった甲虫が甲高い、きしるような声で喋る。

 マインドツイスターだったものの頭部から甲虫が飛び出す。

 あっという間に雷光銃の射程外に逃れたそれは、山の中に吸い込まれるように消えた。

 

 

 

 数分後。

 山全体が一斉に爆発した。

 

 巨人。

 巨人。

 巨人、巨人、巨人、巨人巨人巨人巨人・・・!

 

 50を越えるだろう巨人(ギガント)の軍団。

 そして、明らかに他の巨人とは違う、頭二つは大きな巨大で重装備の巨人。

 王の如き造形を施されたそれが、モリィを見る。

 口元がニヤリと笑ったように見えた。

 

「・・・・・・・・!」

 

 "マインドツイスター"の中に入っていた「あれ」だと直感する。

 「それ」が歩き出した。王に付き従う兵士のように他の巨人がそれに付き従う。

 

 人間の60倍の身長を持つ巨人たちだ。人間が歩いて十時間かかる距離を、彼らは十分で踏破する。

 その先にあるのは王都メットー。このままでは50万の人間が死ぬ。

 それがわかっていてモリィには何も出来ない。危険を知らせることすらできない。

 

 だが、モリィが忘れていることがあった。

 巨人の王が忘れていることがあった。

 ヒーローとは、こんな時にこそ現れるのだ。

 

 いや。

 

 こう言う時に現れるからこそ、ヒーローなのだ。

 

 

 

 「それ」が鳴った。

 

「!」

「!?」

 

 モリィが息を呑む。巨人たちが歩みを止める。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

『な、いったい何事・・・』

 

 巨人の王が呟いたその瞬間、青い閃光が走った。

 

「!?」

 

 軍団の左端を歩いていた巨人が吹き飛んだ。

 顔面がひしゃげ、首がへし折れ、壊れた人形のように回転して吹き飛んでいく。

 数キロ吹き飛び、封印されていた山の中腹に叩き付けられてようやく止まる。

 先ほど巨人が現れた時と同じくらいの、巨大な土ぼこりがあがった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

 

 モリィと巨人の王が共に絶句した。

 100mの巨人が小石のように吹き飛ばされる。

 理解と想像が追いつかない。

 現実味のまるで薄い光景。

 

 ほんの一瞬のことだがモリィには見えていた。

 それは巨人の顔面に炸裂した拳。

 

 それをなした「もの」は赤いケープをなびかせ、悠然とそこに在った。

 鮮やかな青い呪鍛鋼(スペルスティール)全身騎士甲冑(フルプレートアーマー)

 同じく鮮やかな、足元まで届く真紅のケープ。

 胸元に煌めく黄金の宝珠。

 そしてモリィには見える、全身を覆う直視できないほど濃密な魔力の光。

 

「青い・・・鎧・・・!」

 

 モリィは呆然とつぶやき、巨人の王は叫ぶ。

 

『馬鹿な! 『青い鎧』はメットーか、少なくともその近辺にしか出現しないはずだ!

 だからわざわざメットーから一日は離れたここまで奴をおびき寄せたんだぞ!』

 

 だがそれは確かにそこにいた。

 身長100mを越える巨人たちをも圧する存在感をもって。

 伝説か神話の如き光景。

 ヒーローは、今ここに降り立った。




 脳内BGM:『Superman』 https://www.youtube.com/watch?v=g1GNAXZMqCs


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01-25 ヒョウエ

 

 青き閃光が走る。

 そのたびに巨人たちが破壊されていく。

 

 首がもぎ取られる。

 胸に大穴が空く。

 頭から股間まで真っ二つに引き裂かれる。

 古代の偉大な魔術師たちによって作られた巨人兵器が、一秒ごとにスクラップになっていく。

 

「・・・」

 

 巨人の王とモリィが呆然としていた数秒の間に十体、五分の一の巨人(ギガント)が破壊されていた。

 

『       !』

 

 人間の声には聞こえない音を"王"が発する。

 生き残った巨人たちが、一斉に両手を掲げた。

 

 見えない念動の投網が青い鎧に次々と投げかけられる。

 僅かずつ青い鎧の動きが遅くなり、四体を更に破壊したところで空中に止まった。

 無数の念動の壁を全て同時に突き破るのは、青い鎧と言えども容易くはない。

 いつの間にか巨人たちは半円形の包囲網を作っている。

 

『やれ!』

 

 "王"の号令一下、巨人たちの胸が一斉に開いた。

 青い鎧によって多くが破壊されたとはいえ、それでも三十を越す青き魔光が放たれる。

 一つでも天を穿ち、地を焼き尽くすそれが三十数本。

 いかに青い鎧とは言え、避けることも耐えることもかなわない。

 かなわない、はずだった。

 

『なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 "王"が叫ぶ。

 一点に集中した青白い光線が強制的に拡散させられ、四方八方に飛び散る。

 光と稲妻の乱舞で視認はできないが、その中心にいるのは青い鎧。

 極限まで圧縮された濃密な魔力が巨人の魔力光と干渉し、分解・拡散させている。

 

 それでも巨人は魔力光を放ち続ける。

 飛び散る青白い光のかけらがあるいは雲散霧消し、あるいは荒野に着弾して数十メートルはあるクレーターを作る。大地が溶解し、急速に冷却されてひび割れたガラスになる。

 

 無数のクレーターが周囲を埋め尽くしたところで光が細り始めた。

 見る見るうちに光線の幅が狭まり、十数秒で光が消える。

 巨人達が手を伸ばした先には、先ほどと変わらず悠然と空に浮かぶ青い鎧。

 なびくケープにすら、焦げ目一つできてはいない。

 

 再び、青い閃光が走った。

 体内に残った魔力をほぼ使い切った巨人たちにそれに抗う術はない。

 今や巨人たちはその肉体を支える構造強化の術式、体を守る防御の術式ですらろくに稼働させられない。

 

 青い閃光が一直線に走るたびに、数体の巨人が粉々になって吹き飛ぶ。

 そのさまはもはや鋼鉄の巨人ではなく、"しょうがパン小僧(ジンジャーブレッドマン)"と大差ない。

 

 メナディのビスケットのように容易く粉々になる巨人たち。

 残った三十数体の巨人たちが全て破壊されるのに、十秒と掛からなかった。

 

 

 

『あ、あ、あ・・・』

 

 呆然と"王"が呻く。

 最後の巨人(ギガント)を破壊した青い鎧が"王"の方を向く。

 

『ひっ・・・』

 

 指揮官機ゆえの高度な演算能力が人間の感情をエミュレートし、理解してしまう。

 恐怖という感情を。

 

 慌てて両手を向け、念動の魔力を放つ。

 彼には兵士機の三倍の出力が付与されている。

 疲労した青い鎧が相手ならばあるいは・・・

 

 そう思った瞬間、"王"の右腕が肩から吹き飛んでいた。

 青い残像。

 誰もいない虚空に向けて、左手から念動の魔力が投げかけられる。

 

 再び青い閃光。

 左腕がやはり肩から吹き飛ぶ。

 

『あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああ!』

 

 絶叫が不意に途切れる。

 喉元に青い閃光が走ったかと思うと、"王"の首が吹き飛ぶ。

 ゆっくりと落ちていた右腕が、この時ようやく地面に落ちて土煙を上げる。

 十数秒遅れて体と首が地面に落ち、巨人の王は機能を停止した。

 

 

 

『クソ! クソ、クソ、クソッ! ナンデコウナル!?』

 

 銀の甲虫――巨人兵器指揮ユニットの中央演算デバイスは一直線に飛行していた。

 まさか、まさかたった一人の人間にあんな事ができるとは。

 彼を作ったいにしえの魔術師でも、生身であんな真似はできない。

 

『ナンナンダ、アイツハ!』

 

 だがまだ終わりではない。

 青い鎧の正体があいつなら、あの女を人質に取れば――!

 

 がくん、と空中でユニットは静止した。

 マニピュレーターをうごめかせるが、飛行ユニットを全開にしているのに躯体はピクリとも動かない。

 

「逃がすと思ったか?」

 

 深みのあるバリトンが死刑宣告のように響いた。

 

『ヒッ・・・!』

 

 青い呪鍛鋼の籠手にわしづかみにされる躯体。

 再び感じる恐怖という感情。

 

「彼女にあれだけの事をしてくれたお前を、許すわけがないだろう?」

『イ、イヤダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!』

 

 絶叫し、身をよじる。

 次の瞬間、彼は恐怖から永遠に解放された。

 

 

 

 

 モリィはその一部始終をつぶさに見ていた。

 そのもとに青い鎧が飛んでくる。目の前にふわりと降りた。 

 

「・・・・・」

 

 モリィが無言で青い鎧を見上げる。

 そうであって欲しいという気持ちと、まさかという気持ちがせめぎ合う。

 

 ぴしり、と音がした。

 鎧に無数のひびが縦横に入り、ジグソーパズルのようにバラバラになる。

 空中に浮いた無数のパーツが渦を巻いて組み合わされていき、それと共に色を失って鋼色になる。完成したのはモリィにもここ半月で見慣れた呪鍛鋼(スペルスティール)の杖。その先端に輝く黄金の宝珠は、青い鎧の胸についていたもの。

 

 鎧の中にいたものがとん、と地面に降り立った。

 にっこり笑いかけてくるその顔を見た途端、モリィの両目からボロボロと涙がこぼれた。

 

「ヒョウエ・・・ヒョウエぇぇぇぇ!」

 

 抱きついてくるモリィをしっかりと受け止める。

 

「すいません」

「馬鹿! 何で謝るんだよ! 悪いのはアタシだろ! ドジ踏んで捕まって・・・お前が死んだかと思った! ほんとに死んでたら・・アタシは・・・!」

 

 泣きじゃくるモリィの頭を、ヒョウエはしばらく撫でてやっていた。



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エピローグ「ヒーローになりたい!」

「英雄なんて子供の夢さ。でも、この世界にはその夢が実在するんだ」

 

                ――とあるオリジナル冒険者族――

 

 

 

「・・・さっき謝ったのはこういう意味か、おい?」

「まあそれだけでもないですけど」

 

 先ほどとは打って変わった、ぶすっとした顔でモリィがヒョウエをいびる。

 夕日の光で赤く染まる荒野のただ中。

 ヒョウエはモリィにおんぶされていた。

 全身がだらりと脱力し、全く力が入っていない。

 

「そのへんの悪党を殴り飛ばす程度なら全然平気なんですけどねえ・・・。

 今回はさすがに力を使いすぎました」

 

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の全力稼働。

 それによって生まれる膨大な魔力を超高度な術式によって制御・圧縮。

 およそあり得ない密度の魔力と術式が具現化したものこそ、あの青い鎧だった。

 

 全力を使いすぎるとしばらく水晶の心臓は停止し、ヒョウエも半ば心臓が止まったような状態になる。

 その結果がこの脱力状態だった。下手をすれば一日以上続くと言うことなので、やむなくこうして王都まで歩いている。

 

「そういやあ、お前事件があればどこにでも飛んでくるだろ。今回は何で一日かかったんだよ」

「リーザの加護――実は耳は耳でも心の耳なんですが――の範囲がだいたい王都周辺なんですよ。リーザが被害者の心の声を聞き、僕とサナ姉と三人の精神を結びつけます。サナ姉の加護を僕が使うことによって限定的に瞬間転移(テレポート)が使えるようになるんです」

「瞬間転移・・・あの魔法使いがパッと消える奴か」

「実際に使える人なんて滅多にいませんけどね。大魔術師(ウィザード)なみの技量と特殊な才能が必要なので。サナ姉だって自分で使ったら十数メートル転移するのがせいぜいですよ」

 

 ふう、とモリィが溜息をついた。

 

「どうしました?」

「いや・・・お前本当にヒーローだったんだなって思ってさ。

 自分のことしか考えてないあたしとはえらい違いだ」

 

 ふふっとヒョウエが笑った。

 

「僕だってそんな立派なもんじゃありませんよ――僕はね、子供の頃友達を見捨てたんです。怖かった。だから友達を見捨てて逃げて、友達は死んだ。

 言ってみればその時のつぐないをしているようなものです。

 褒められるような事じゃない。本当に褒められるようなことじゃないんですよ」

「それでもお前がみんなを助けてる事には違いないだろ。他の誰が認めなくても、お前が自分自身でそれを認められなくてもあたしが認めてやる。

 ――お前はヒーローだ。あたしの、ヒーローだ」

 

 無言。

 吹き渡る風の音と、モリィの足音だけが荒野に響く。

 

「・・・・・・・・・・・・・・ありがとうございます」

 

 ヒョウエはそれだけ言うのが精一杯だった。

 

 

 

 そのまま一キロくらいを歩いたとき、モリィが再び口を開いた。

 

「その、さ。前に冒険者族云々言った事があったろ」

「ありましたね」

「実はさ、あたしも冒険者族なんだ。まあ随分血は薄まってるけどさ・・・ひょっとして気付いてたか?」

「ええまあ」

 

 苦笑が混じった溜息をつく。

 

「ひいじいさんがその、オリジナル冒険者族だっけ? 異世界から来たひとでさ。

 雷光銃も元はと言えばその人が見つけたんだ」

「じゃあ・・・まさか?」

「ああ、"雷光のフランコ"だよ。本名じゃないらしいが」

「まあ日本人・・・冒険者族の名前じゃありませんね。ひょっとして棺桶でも引きずってました?」

「なんだそりゃ」

「いえなんでも」

 

 拳銃使いでフランコと言ったらやっぱりあれかなあ、などと馬鹿な事を考えているところでモリィが話を再開する。

 

「ひいじいさんは一生冒険者やってたらしい。じいさんもひいじいさんに仕込まれて冒険者やってたんだけど引退して商人になってさ、結構成功した。

 あたしが子供の頃までは生きててさ、雷光銃の撃ち方とかガンスピンとか教えて貰った。オヤジにはそっちの才能が全くなかったんだとさ」

「ああ、見事なものでしたね」

 

 ふう、と溜息をつく。

 

「けどオヤジには商人としての才能もなかったみたいでさ。子供から見ても馬鹿正直な人だった。それで屋敷は人手に渡り、スラム暮らし。数年で夫婦仲良く逝っちまったよ」

「・・・」

「そんでさ・・・お前のヒョウエってのも冒険者族の名前なんだろ?」

「ええ。僕が生まれたときにオリジナル冒険者族だというのがわかって、知り合いのオリジナルの人に頼んでそう言う名前をつけたそうです」

「実はさ・・・あたしにもあるんだよ。冒険者族の名前が。本当はさ、モリィじゃなくて『モリエ』っていうんだ。スラムで暮らすようになって、呼びにくいからモリィって呼ばれて、それが定着しちまった」

 

 モリィが首元を探り、認識票と並んで首に吊していた袋から紙切れを取り出す。そこには達筆な墨書で「小林 百里恵」とあった。

 

「じゃあ今後はモリエと?」

「・・・いや。あたしはモリィだ。少なくともあの家を、生まれたところを取り戻すまではスラムのモリィだ。それでいいよ」

「ですか。では今後ともよろしく、モリィ」

「ああ、よろしくな、ヒョウエ」

 

 

 

「そう言えばモリィは実家を買い戻すのが目標なんでしょう? 何でしたらお金貸しましょうか」

「いらねえよ、あんな金。後味が悪くて借りられるか。大体おまえ、返せなかったらあたしもヒーローの一味に巻き込む気だろうが」

「あちゃー、ばれてましたか」

 

 初めて会ったときのようにけらけらと笑うヒョウエ。

 苦笑を浮かべるモリィ。

 

「いいか、あたしはヒーローなんてやる気はねえからな。ガラじゃねえよ」

「いやいや、ヒーローなんて、案外誰でもなれるものですよ。たとえば子供達にお菓子をおごって上げたり、体を張って子供達を守って上げるとか」

 

 モリィの足がぴたりと止まった。

 

「・・・見てたのかよ?」

 

 今度はくすくすと、ヒョウエが笑う。

 

「今顔赤くしてるでしょう。モリィってやっぱりかわいいですよね・・・うわっ!? あいたあたたた! 痛い! 痛い! 引きずらないで!」

「うるせえ! しばらく反省しろ!」

 

 首に回していた腕を振り払い、馬鹿(ヒョウエ)の両足首だけを持ってモリィが疾走する。引きずられた背中に荒野のでこぼこや小石が当たってとても痛い。

 

「反省したから赦してください! 過ちを赦すのもヒーローの条件ですよ!」

「知るかクソボケ! あたしはヒーローなんかじゃないって言ってるだろ!」

 

 顔を真っ赤にして全速力で走るモリィ、悲鳴を上げながらどこか楽しそうなヒョウエ。

 夕やけ空に声が吸い込まれていく。

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。




 「毎日戦隊エブリンガー」これにて第一エピソードの終幕でございます。
 作者の好きなものをブチ込んでごった煮にしてみましたがいかがでしたでしょうか。
 第二エピソードからは一日一話更新に変更していきます。どこまで続くかはわかりませんが、いけるところまでいってみようかとw
 よろしければ今後ともご笑覧下さい。


 作者のモチベーションは読者の皆様の評価と感想です。
 評価と感想よろしくお願いします。


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二の巻「青い眼のサムライ」
プロローグ「天下御免」


 

 

 

 

プロローグ「天下御免」

 

 

 

「サムライって何かって? 片刃の剣持ってりゃ大体サムライだよ」

 

 

                     ――とある兵士崩れ――

 

 

 

 サムライという言葉には色々な意味がある。

 原義通りの異世界の戦士階級。

 腕の立つ人間。

 カタナを持った剣士。

 

 何しろ創世神話にも出てくる伝説の戦士だ。

 その後も継続的にオリジナル冒険者族が世界中に出現している。

 サムライという単語はこの世界のどこでも通じた。

 

 異世界では高潔な人物を指してサムライと言うこともあるが、この世界ではそうした意味はほとんどない。なので純粋に強い戦士、カタナを振るう剣士という趣が強かった。

 つまりどういう事かというと。

 

 プレートアーマーにナイトシールドを持った騎士が日本刀を提げていてもサムライだし、毛皮をまとった半裸のバーバリアンが曲刀を振るってもサムライだ。

 カタナなど全然関係ないチェインメイルのヴァイキング(これも異世界由来の単語だ)がバトルアックスで殴っても強ければサムライなのである。

 

 そして今、そうした「サムライ」の一人が六虎亭の扉をくぐった。

 奇妙な純白のプレートアーマーに異世界風の装飾。

 有り体に言えば外国人が勘違いした武士の鎧のような。

 

 背中にはやはり異世界風の天を駆ける龍の意匠を施した菱形の騎士盾。腰には、これは見事な純異世界作りの黒鞘の日本刀を差している。

 お供なのか、旅行用侍女服を着て黒髪をシニョンにした12才ほどの少女が一歩後ろに続いていた。

 

 「サムライ」が騒がしい酒場の中を見渡した。

 鎧と同じ白色の面頬をつけているために表情はうかがえない。

 しばらく視線をさまよわせているふうだったが、やがて兜の向きが一点で止まる。

 その視線の先に、青いローブをまとった少年と雷光銃を提げた少女がいた。

 

 

 

 モリィの朝は遅い。割と朝寝坊な上に一時間ほどを雷光銃の修練に当てるからだ。

 八時くらいに起きて、九時頃掃除のおばちゃんに部屋を追い出される。

 下に降りていくと既にヒョウエが待っていて、モリィは朝食を、屋敷で朝食をとってきたヒョウエは軽く何かつまみながらその日の作戦会議をするのが常であった。

 

「で、新しい呪文を覚えたって?」

「ええ。遭難した時に水がないと困るので"水生成(クリエイト・ウォーター)"に"水創造(イグジスト・ウォーター)"、後ついでに水や感知の術をいくつか」

「創造と生成ってどう違うんだよ」

「空気の中の水蒸気から水分を集めるのが"水生成(クリエイト・ウォーター)"、自分の魔力だけを元に無から水を作るのが"水創造(イグジスト・ウォーター)"ですね。もちろん創造の方が便利なんですが魔力消費が・・・」

「はいそこまで。お前の話は長いんだよ」

「聞いたのモリィじゃないですか・・・」

 

 ちょっとすねるヒョウエを無視して依頼の貼られる掲示板のほうを見る。

 

「今日はほとんど依頼が残ってねえな。ダンジョンいくか?」

「そうですねえ。それもいいですけど久しぶりに遠征しましょうか。新しい呪文の使い勝手も試したいですし」

 

 他の冒険者の酒場で依頼を漁ると言うことである。パーティが全滅する前日にモリィが当時の根城である冒険者の酒場でヒョウエを見かけたのがそれだ。

 

 ただでさえ目立つ上にギルドの評価が不当に上がっている(ように見える)ヒョウエはやっかみを買いやすい。

 ので、朝その日の依頼が貼られて他の冒険者が依頼を受けた後に残った依頼を全部さらっていくのがヒョウエ、今は毎日戦隊エブリンガーのスタイルであった。

 

「生活の知恵って奴ですね」

「それは違うんじゃねえかなあ・・・」

 

 そうした依頼は手間や必要経費を考えれば大体「おいしくない」ものが主なのだが、依頼料自体は比較的高い。そしてヒョウエなら依頼にかかるコストや手間は大幅に削減できる。

 加えて本来誰にも受諾されずにえんえん壁に貼られ続ける依頼を手早く片付けてくれるので、更にギルドの評価が上がり回りにやっかまれる。

 好循環と言うべきか悪循環と言うべきか・・・。

 

「まあいいや。どこに行くんだ?」

「前にモリィがねぐらにしてた西大通りは半月前に、その一月くらい前に南東広場の冒険者の酒場にも行きましたし、中央の・・・おや?」

 

 テーブルの横に奇妙な甲冑の人物が立った。

 留め金を外し、甲冑の人物が兜を脱ぐ。

 

「おっ?」

 

 モリィが軽い驚きの声を漏らす。

 長い金髪がふぁさりとこぼれた。

 兜の下から現れたのは16、7の上品そうな少女。

 

 サファイアのような深い青の瞳。背中に流れる金の髪。彫刻家が削りだしたような整った顔立ち。

 ただし深窓の令嬢ではない。馬術をたしなみ武芸を好む騎士の娘だ。

 つり目気味の目じりと勝ち気そうな眉がそれを助長している。

 それがつい、とヒョウエに近づいて、しゃがみ込んでその手を取る。

 

「ああ、ヒョウエ様! お会いしとうございましたわ!」

 

 きらきらした眼で頬を染め、少女がうっとりと叫んだ。

 お付きのメイドが困ったように笑う。モリィが唖然とし、ヒョウエが苦笑した。

 

 

 

「あなたが魔導鎧の技師ですの? そんな歳で、腕は確かなんでしょうね? しくじったら許しませんよ」

 

 二年前。

 同じ顔がヒョウエを見下ろしていた。

 冷たい声。

 傲慢な眼差し。

 ニシカワ伯爵家令嬢リアス・エヌオ・ニシカワとの、それが出会いだった。




 リアスの鎧はサムライレンジャー(アメリカ版侍戦隊シンケンジャー)のスーパーサムライショーグンモードを白色にしたところを想像して頂ければ大体あってます(ぉ
 いやまあ別に輝皇帝でもアメコミの例のあの人でもいいですけどw


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第一章「サムライレンジャーザンザザン」
02-01 ニシカワ伯爵家


 

 

 

「軍で使ってる具現化術式もすげえがニシカワの白甲冑、あれは本当に別格だわ。

 やっぱり真の魔法の時代の遺物(アーティファクト)は違う」

 

 

                     ――軍の魔導技師――

 

 

 

「ニシカワ伯爵家ですか? あの『白のサムライ』の?」

「そうそう。魔導鎧の調製を至急って依頼が来ててね。こっちも手が放せないんでヒョウエに行って貰えないかなってさ。伯爵家は金持ちだ、礼金は期待できるぞ」

 

 二年前、ヒョウエがその話を聞いたのは兄弟子の工房でだった。

 大型の魔道具を組み上げる手伝いが一段落ついたところでの打診。

 2mの体を窮屈そうにソファに沈めて香草茶をすする兄弟子を見上げる。

 後にトレードマークになる呪鍛鋼の杖は、まだその傍らにはない。

 

「それはありがたい話ですけど、こっちのほうはいいんですか?」

「後は細かい調整だけだもの。私たちだけで大丈夫よ」

 

 涼やかな声が割って入った。

 カップを持って兄弟子の横に座るのは水色の髪に眼鏡の麗人。こちらもヒョウエの姉弟子に当たる人物で、今は兄弟子と所帯を持って二人で魔道具の工房をやっている。

 

「じゃあ喜んで。『白のサムライ』をいじれるとはワクワクする話ですね」

「まったくだよ。俺だって仕事がなきゃ自分で思う存分・・・」

「あなた?」

「はい、すいません」

 

 結婚生活2年。すっかり尻に敷かれている兄弟子を見てヒョウエが失笑した。

 

「今は笑ってられるがな、ヒョウエ。いつかお前もきっとこうなるんだぞ。ああ、絶対にだ。その時になってお前は初めて俺とわかり合えるんだ」

 

 うらみがましげにヒョウエを睨む兄弟子。涼しい顔でカップを傾ける姉弟子。

 それを見比べてヒョウエはもう一度失笑した。

 

 

 

 ニシカワ伯爵家。貴族としての爵位名はダーシャ伯爵。

 名前の示すとおり、冒険者族を開祖とする家である。

 1500年ほど前の人物である初代イチロウ・ニシカワは冒険者であり、元の世界ではサムライ、正確には元サムライであった。

 サムライという存在が滅んだ時代の変わり目に生きた彼は、召喚された異世界で諦めていたサムライとしての生をまっとうしたいと望んだのである。

 

 真なる魔法の時代の遺物である魔導パワードスーツ・・・「白の甲冑」と称されるそれを手に入れた彼は英雄となり、伯爵家を新たに興す。

 今でも「白のサムライ」といえば酒場で歌われる英雄譚の定番だ。

 

 その後も代々の当主が白の甲冑を受け継ぎ、剣の達人を輩出してきた武の名家である。

 伝説に名高き白の甲冑をいじれることを別にしても、英雄の子孫である当代に会えるのは楽しみであった。

 

「おお」

 

 貴族の館として一般的な石造りではなく、白い漆喰の館。屋根も粘板岩(スレート)(平たく薄い石。西洋では屋根瓦の代わり)ではなく、和風の黒い粘土瓦。

 日本の城を思わせるそれは初代が故郷を懐かしんで建てたものらしい。

 中に案内され、応接間で待たされる事十分。

 

「あなたが魔導鎧の技師ですの? そんな歳で腕は確かなんでしょうね? しくじったら許しませんよ」

 

 つかつかと入って来た金髪の少女の第一声がそれだった。

 冷たい声。

 傲慢な眼差し。

 年齢は15才ほどであろうか。

 ニシカワ伯爵家令嬢リアス・エヌオ・ニシカワ。

 後ろには女中見習いであろうか、黒髪をシニョンにまとめた10才ほどの童女が付き従っている。

 

(ふうん?)

 

 二人を見比べていると、リアスがまた噛みついてきた。

 

「話をお聞きになってるのかしら? 腕利きと聞いたから依頼したのですけど」

「これは失礼。ですが、人を外見で判断するのは必ずしも正解とは言えませんよ。

 これであなたの十倍くらい生きているかも知れないんですから」

 

 ニヤリと笑ってみせると、金髪の少女はひるんで一歩退く。お付きの童女も僅かに表情が動いた。

 

「・・・本当にそうなんですの?」

「冗談です。ですが兄弟子の紹介を受けた依頼ですし、下手な仕事はしないことは誓いますよ。兄弟子の名前に傷はつけられませんからね」

「そう。きょうだい仲が良くていらっしゃるのね」

「・・・?」

 

 沈んだ物言いに首をかしげるが、聞き返しはしない。

 わずかに間を置いて、リアスが気を取り直したように口を開く。

 

「お部屋は用意させてありますので、仕事は泊まり込みでやっていただきます。このカスミをつけますので、何か必要なものがあればこの子におっしゃって下さい」

 

 控えていた黒髪の童女が一礼した。

 多少の質疑応答を交えて席を立つ。まずは現物を見ない事には話にならない。

 

 

 

 三人で連れ立って廊下を歩く。

 外観は日本の城のようだったが中は標準的な貴族の屋敷のおもむきである。

 ひょっとして建てた当時は板張りだったのかと聞くと、リアスが目を丸くした。

 

「ええ、初代様のお好みだったそうで、昔は壁に薄い木の板を張っていたと聞きます。

 数百年前の当主が改装して、以降はこのような普通の内装になったそうですが・・・どうしておわかりになりました?」

「まあ、こう見えて初代様と同類ですので」

「オリジナル冒険者族・・・!」

 

 リアスとカスミが揃って息を呑んだ。

 宮廷や冒険者の酒場を探せば冒険者族の一人や二人見つかる世界ではあるし、そもそもリアスもその血を引く冒険者族である。が、さすがに転移・転生してきたオリジナルは珍しい。

 そしてオリジナル冒険者族が例外なく強力な加護を持っている事は世に知れ渡っている。実際、明らかに二人のヒョウエを見る目が変わっていた。

 

(こう言うのは好きじゃないんですけどねえ)

 

 心の中で溜息をつく。

 前世の記憶を持つせいか、それとも生来のものか、肩書きや身分を振り回すのは苦手なヒョウエである。小市民とも言う。

 しかし依頼主に侮られているようではやはりいい仕事はできないし、多少ハッタリを利かせるくらいはこの際コミュニケーションのうちだと自分を納得させる。

 

「そういえばカスミさんも冒険者族の名前ですけど、ひょっとして?」

「ええ、元はと言えば初代様と一緒にこちらに来たオリジナル冒険者族のかたが先祖なのだそうで。初代様が家を興した後はずっと我が家に仕えてくれている一族なのですわ」

 

 かわいがっている妹を見るような目でカスミにほほえみかけるリアス。

 カスミは一礼したのみだが、それでもどことなく嬉しそうに見えた。

 ヒョウエが微笑ましげに眼を細めて。

 

「おやおや次期御当主様、お忙しいだろうにどうしたんだいそんな奴を連れて!

 それとも全部諦めて冒険者にでもなるつもりか、なぁっ!?」

 

 無遠慮な胴間声がその場の雰囲気をぶち壊した。

 

 

 

「ローレンス兄様・・・!」

 

 複雑な表情でリアスが闖入者を睨む。

 ニヤニヤとそれを見下ろすのは身長190センチほどの青年。

 貴族としてはラフな着こなしの胸元やまくり上げた袖からは、鍛え上げた筋肉の束が見える。立ち姿にも隙が無く、一見して腕の立つ戦士と知れた。

 顔立ちもそこそこ整ってはいるのだが、歯ぐきをむき出しにした下品な笑みがそれを台無しにしている。

 普段着だが腰の革ベルトには一本の刀。

 カタナを見たヒョウエがぴくりと眉を動かす。

 

「継承の儀はもうすぐだぜ? こんなところでご歓談してる場合じゃねえだろう」

「・・・この方は優秀な魔導技師です。そのために来て頂きました」

 

 かはははは、とローレンスが笑う。

 

「何人目だよ、おい? まあうまく行くことを願ってるぜ。ニシカワの御当主が『白の甲冑』を動かせないんじゃ末代までの恥だからなあ?

 もしそんなことになったら、廃嫡されてもやむなしだよなあぁぁ?」

「・・・・・・・」

 

 にちゃりとした笑みを浮かべてリアスの顔を覗き込む。

 唇を噛んで耐えるリアス。

 カスミとヒョウエが何かを言おうとする直前、ローレンスがぱっと下がる。

 かはは、とどこか無機質な笑い。

 

「まああんまり邪魔しても悪いからなあ。俺もそこまで暇じゃあないし。

 ま、せいぜい頑張ってくれよ技師の嬢ちゃん」

 

 ヒョウエが肩をすくめる。

 リアスの肩を乱暴に叩き、笑いながら男は去っていった。

 

 

 

「・・・・・・・!」

 

 憤懣やるかたないという顔でカスミが男の去っていった方を睨み付ける。

 どこか寂しそうにリアスが微笑んだ。

 

「およしなさい、カスミ。かわいい顔が台無しよ」

「ですがリアス様!」

 

 くやしくてくやしくてたまらない、そう顔に書いてある。

 

「それにあなたの無作法をヒョウエさんはどう思うかしら?」

「・・・! 失礼致しました、ヒョウエ様」

 

 無理矢理に平静な表情を取り戻して一礼するカスミ。

 ヒョウエがヒラヒラと手を振った。

 

「お気になさらず。女の子扱いされて僕だって怒ってるんですから」

「「えっ」」

「えっ?」

 

 三人三様のまぬけな声が上がり、数秒ほど時が止まった。




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02-02 白の甲冑

「あ、あの、申し訳ありませんでした」

「失礼致しました・・・」

「・・・いいですよ、慣れてますし」

 

 実際慣れているはずなのだが微妙に憮然として返すヒョウエ。

 二人の驚き顔が余りに真に迫っていたからかもしれない。

 

 なお異世界人の名前はこの世界の人間には耳慣れないものなので、ヒョウエが男名前とわかる人間は少ない。

 閑話休題(それはともかく)

 

「色々面倒な事情がありそうですね。聞いておいた方がいい話でしょうか?」

 

 その言葉に主従が視線を交わす。

 

「・・・そうですね。ただ廊下でするような話でも無いので、部屋の方でよろしいですか?」

 

 ヒョウエが無言で頷いた。

 

 

 

 案内されたのは続き部屋の客間だった。

 応接間、居間に当たる部屋の中央を空けてスペースを確保してある。

 その中央に座する一領の甲冑。

 

「おお!」

 

 思わず近寄っていた。触れはしないがそのままなめ回すように検分する。

 外国人が勘違いしたような和風の装飾が施されているが白色の素体は板金鎧、むしろSFチックなパワードスーツにも見える。

 

「ふーむ・・・ふーむ!」

 

 そのままどれだけそうしていただろうか。遠慮がちに声をかけられて我に返った。

 

「あの。カスミがお茶を入れてくれたので、お座りになりませんか?」

 

 気がつけば申し訳なさそうな顔のリアス。

 いつのまにかお茶の用意を完璧に整えたカスミが、半目でヒョウエを見ていた。

 

 

 

 香草茶はさすがに一級のものだった。茶葉もいいが淹れ方も素晴らしい。

 それを言うとカスミは微笑んで一礼し、リアスが得意げな顔になった。

 

「それで事情とやらですが」

「はい・・・薄々お察しとは思いますが、この件は家の後継争いが関わっています。

 血筋で言えば私が嫡流なのですが、ご存じのようにニシカワは『白のサムライ』の家です。白甲冑をまとって戦場に立てないものが当主になることは許されません」

「で、動かせなかったわけですか」

 

 こくり、と暗い顔のリアスが頷く。

 

「父は早世しまして、今は祖父が当主代行を務めています。私が15になったので正式に当主の座を受け継ぐことになり、白甲冑を装着する継承の儀を執り行うことになりました。

 白甲冑も人によって向き不向きというのでしょうか。すぐ動かせる人、動かせるようになるまで時間がかかる人。まれには全く動かせずに廃嫡される人もいたそうです」

 

 ちらり、と部屋の中央に座する白甲冑に目をやる。

 リアスの体にはやや大きいそれは、静かに彼女の話を聞いているようにも見えた。

 

「それで正式な継承の儀の前に慣れるための期間をおくのが通例になっているのですが・・・私には動かせなかったのです。無双の力を発揮する真なる魔法の時代の遺物(アーティファクト)がただの重い鎧でしかありませんでした。

 二度三度と挑んでも鎧は応えてくれず・・・今や廃嫡も公然と噂されているそうです」

「お嬢様・・・」

 

 重いため息。

 黒髪の童女が気遣わしげに主を見やるが、その心遣いは届いていない。

 

「先ほど廊下で会った人がその場合の継承候補、というわけですか?」

「はい。ローレンスと言いまして私の従兄です。子供の頃は良くかわいがってくれて、とてもいい人だったのですが・・・」

 

 口をつぐんでしまったリアスに代わり、カスミが後を続ける。

 

「リアス様の叔父様の長男、つまり先代様の甥ですし腕も立ちますので一族の中では一目置かれておられます。

 血筋の面でも技量の面でも、リアス様の次には御当主にふさわしいお方・・・なのですが」

「人が変わってしまったと」

「私の記憶している限りでもお優しく、えらぶるところのない方でした。リアス様が御当主の器だと明言もされておられました。

 それがここ一年ほどはあのように言動が粗暴になりまして。四六時中カタナを差して歩くようになり、リアス様にもお辛く当たられるようになって・・・」

「うーん」

 

 腕を組んで考え込む。

 確かに人間が豹変するのはないことではない。たとえば諦めていた当主の座を手に入れられる目処がついたとか・・・。

 しかし何かがずれている気がした。

 根拠はないし言語化もできないのだが、何かが違う気がする。

 

「あなたがこれを動かせないのが、あの人が何か仕掛けた結果という可能性は?」

「その可能性は低いかと。本来これは専門のもの達が常時複数で守っています。

 当主以外は基本的に触れませんし、買収などもほぼ不可能。ローレンス様が彼らを派閥に取り込んだと言うことであれば、細工よりそちらのほうがよほど問題でしょう」

 

 答えたのはカスミだった。

 10才の童女とは思えない理路整然とした物言いに思わず顔をまじまじと見てしまう。

 

「何か?」

「いえ何でも」

 

 もっとも、外見と中身のギャップという意味ではヒョウエも大概ではあるのだが。

 

 

 

 しばらく沈黙が落ちたのち、ヒョウエが首を振った。

 

「まあ、考えていても仕方ありませんか。僕は探偵じゃなくて術師ですし。今はリアスさんがこれを動かせるようにすることですね」

「そうですね。それができれば全ては丸く収まります。今、家のどれだけの人間があちらについているかはわかりませんが、兄様も文句はつけられないでしょう」

 

 リアスが頷く。カスミも。

 

「それじゃ早速始めましょうか。取りあえず一度白甲冑を装着して貰えますか? 鎧下(インナー)だけで結構です」

「え・・・」

 

 見る見るうちにリアスの顔が紅潮していく。

 カスミが怒りたいけど怒れない、そんな顔でヒョウエを見ていた。

 僅かにうろたえるが、その時脳裏に閃くものがあった。

 

「あー。ひょっとしてインナーが素肌の上にしか着れない?」

「はい・・・え、おわかりになるんですか?」

「まあ専門家ですので」

 

 先ほど鎧を検分していたときに気付いたことだ。

 軍の具現化術式などは速度・防御・筋力などを上昇させる術式を一体成型で具現化させているのだが、ヒョウエが見た限り白甲冑の表面装甲、プレートアーマーのプレートの部分には防御の術式しか付与されていなかった。

 『白のサムライ』が常人離れした膂力と速度を発揮したことは有名であり、つまりそれらを発揮する機構は鎧そのものではなく鎧下(インナー)に仕込まれている事になる。

 そしてこの手の遺失魔導鎧は普通の服の上に着る物もあるが、裸の上に直接装着するものもあるとヒョウエは知っていた。

 

「さすがに遺物(アーティファクト)、構造が洗練されてますね。

 しかし外付け強化かと思ったけど、素肌に直接と言うことは肉体の反射神経や筋力を上昇させる術式か? とするとその辺のマッチングで何か問題が・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 気がつくとまた、リアスとカスミが何とも言えない表情でヒョウエを見ていた。

 こほんと咳払いしてヒョウエはその場を取り繕う。

 

「取りあえずインナーだけ着てみてください。隣の部屋で待っていますので、終わったら声を」

「はい・・・」

 

 恥ずかしそうにうつむくリアス。

 

(? まあ、未婚の貴族令嬢ですしね)

 

 それで自分を納得させてヒョウエが部屋を出た。

 

 

 

「なるほど納得です」

「ヒョウエ様!」

 

 思わず頷いたヒョウエにカスミが噛みついた。

 噛みつかれた方は口の中に牙が見えそうだなと暢気なことを思っていたりする。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 そして納得された当人は両腕で体を隠し、恥ずかしそうに俯いていた。

 黒い革のような薄手の手袋に靴下、ヒジヒザに同色のサポーター。それらを皮膚に密着した黒いベルトともテーピングともつかないものが繋いでいる。

 体はパラシュートやロッククライミングのハーネスのように要所要所を支え隠しているだけで、貴族令嬢の感覚としては下着、ほとんど裸に近い。

 現代日本の基準でもなかなか過激なレベルで、この世界の女性が恥ずかしがるのも当然と言えた。

 

("鎮静化(カーム)"の呪文でも使えればなあ)

 

 ヒョウエが使える精神系の呪文は意識を一点に集中させる"精神集中(コンセントレイト)"だけである。精神の動揺を抑える"鎮静化(カーム)"とは似ているようで違う。

 溜息をつきつつ、持参した荷物の中から様々な器具を取りだして準備を始めた。

 それが整うと努めて事務的に、患者を診察する医者のようにチェックを開始する。

 

「魔力は練れますか? ではゆっくり呼吸して・・・はい、一、二、一、二・・・」

 

 幼少の頃からそちらの鍛練も積んでいるのかリアスの呼吸法はよどみないもので、安定して魔力を放っている。

 だがそれを見てヒョウエは眉をひそめていた。




 白甲冑のインナーは大体H●T LIMITです(ぉ
 大■ーガー養成ギプスでも可。

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02-03 問題の切り分け

「はい、結構です。それでは隣の部屋に下がっていますので着替えて頂いて結構ですよ」

「はい・・・」

 

 器具を取り付けて軽く歩いてみたり、装甲のある状態で魔力を練ってみたり、色々なテストが一通り終わってヒョウエは退出する。

 しばしの後再入室して、まだ僅かに頬を染めたリアスの向かい側に座る。

 音も立てず、香草茶のカップが彼の前に置かれた。

 

 溜息をついてカップに口をつけ、そのまま熱い香草茶を一息に飲み干す。

 カップをおいて、もう一度溜息をついた。

 驚きつつもよどみなくお代わりを注ぐカスミ。緊張の度合いを高めるリアス。

 

「今見た限りではインナーにも装甲にも機能上の欠陥は見受けられません。魔導鎧の異常である可能性はかなり低いと思われます。

 一方で魔力も十分に練れています。鎧のバッテリー、魔力を溜めるところですね。そこもほぼ満タンで、魔力が足りないから動かないと言うこともありません。ただ・・・」

「ただ・・・なんですの?」

 

 不安をありありと顔に出してリアス。

 

「あなたの生成する魔力がインナーに流れていません。つまり鎧に流れていないんです。

 鎧を動かすにはあなたと鎧が一つになって繋がっている必要がありますが、それが繋がっていないんです。

 人形操りの糸のようなものです。鎧を動かすにはあなたが糸を操る必要がありますが、あなたと鎧の間に糸が繋がってないのではそもそも操る事ができません」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 長い沈黙があった。

 カップに手もつけず、ヒョウエは次の言葉を待つ。

 この世界でも珍しい、機械式時計の音がカチコチと部屋に響く。

 時計の秒針が三回ほど回ったところでリアスが口を開いた。

 

「その、実はあなたの前にも何回か技師の方をお呼びしたのですが・・・そのうちの一人が同じような事をおっしゃっていました。私から鎧に魔力が流れていないと。

 黙っていて申し訳ありません・・・」

「構いませんよ。先入観を持たずに調べるのは大事な事です。

 それで、その方は他に何か?」

「いえ、特には・・・」

 

 ふむ、と考え込む。

 こう言う時はまず条件を絞り込まねばならない。

 身分違いで今までの魔導技師が言い出せなかったようなことも含めてだ。

 

「取りあえず二つ試してみたいことがあります。一つ目ですが、まずこの指輪をはめて頂けますか? どの指でもいいですよ」

「? はい」

 

 ヒョウエが左の小指から指輪を外し、リアスに差し出す。

 太めの金のリングに乳白色のオパールをはめたものだ。

 いぶかりながらもリアスは右の中指に指輪をはめる。

 

「それでは魔力を生成してその指輪に流し込んでみてください」

「わかりました・・・」

 

 次の瞬間、部屋がまぶしい光で満たされた。

 

「きゃあっ!?」

「うおっ!?」

 

 数秒で光が収まる・・・が、光に眩んだ目はすぐには元に戻らない。

 ネガとポジが逆転した視界の中で、リアスの手を小さな影が握っているのがわかった。

 握りこんだ手の隙間からまばゆい光がまだ漏れている。

 

「お嬢様、魔力を止めてください」

「注ぎ込んだ魔力を引き抜く感じでやるとやりやすいですよ」

「は、はい」

 

 試行錯誤していたようだが、数秒して光は止まった。

 

「大丈夫ですか、お嬢様、ヒョウエ様」

「え、ええ。ありがとう、ごめんなさい」

 

 光にくらんでいた目がようやく慣れてくる。

 その時にはカスミは既に元の位置に戻っていた。

 

 ショボショボする目でちらりとその顔をうかがう。リアスやヒョウエと違い、少なくとも見た目には全くあの光の影響を受けていないように見えた。

 

「まあそれはともかく、お嬢様はこの手の魔道具を扱い慣れてないので?」

「はい、そう言うものには余り頼るなと言う家風がありまして」

 

 先ほどとは別の意味で恥ずかしそうに俯くリアス。

 思わずヒョウエが眉を寄せる。

 

「魔導甲冑を操る『白のサムライ』の家系なのにですか?」

「だからこそです。力に頼っても溺れてはいけないと、戒める初代様のお言葉が残っていまして」

「なるほど・・・明治の男、いやサムライらしい物言いですね」

「お言葉は良くわかりませんが、質実剛健な方だったのは聞き及んでおりますわ」

 

 今度は微笑んでリアス。

 ヒョウエもつられて笑みを浮かべつつ頷いた。

 

「それはともかく、やはり普通の魔道具は問題なく扱えますね。あれだけの光を出せるあたり、むしろ魔力はかなり強い。この辺はさすがに冒険者族と言ったところでしょうか。

 それでもう一つ確認なのですが・・・『白の甲冑』は伯爵家の血筋のものでなくても操れるのですか?」

「っ!」

「ヒョウエ様、それはどういう・・・!」

 

 リアスとカスミが血相を変えた。

 

「落ち着いて! ただの確認です! ですが必要なことです!」

「・・・」

 

 両手を広げて強い調子で二人をなだめる。

 黙った二人に言葉を繋げる。

 

「まず問題なのはリアス様が魔力を生成できるがそれを魔道具や術式に注げない場合。

 これは今光の指輪を使ったことでないと証明されました。

 もうひとつは鎧の方に何らかの特殊なセキュリティ・・・つまり特定の条件を満たした人間しか使えないような仕掛けがある場合。

 この場合は認証を何とかごまかすなり条件を整えるなりすれば使えるようになります」

「・・・えーと、その」

「お話はわかりましたヒョウエ様。しかし白甲冑は初代様が真なる魔法の時代の遺跡から見つけ出したもの。使うための条件があるなど、ありえるのでしょうか?」

 

 説明に追いつかないのか口ごもる主の代わりにカスミが口を開く。

 やはり理解が早いと舌を巻きつつ、ヒョウエが頷いた。

 

「非常に珍しいことですがないとは言えません。

 肉体的特徴であったり、同じ組織に属しているという証であったり。

 血の契約を交わしている場合もあります」

「血の契約?」

「親と子は大概似ているし、犬から猫は生まれません。血の中にはそれを決める目印のようなものがあるんです。真なる魔法の時代にはそれを判別する方法があったんですよ。

 これを交わした魔道具は以降その契約者と同じ血を引くものにしか扱えなくなります。

 まだ契約していない甲冑と初代様が血の契約を交わしたのか、もしくはいにしえの時代に甲冑と契約した人が初代様と同じ血を持っていたのか、それはわかりませんけどね」

 

 ここで「?」とリアスが首をかしげた。

 

「初代様はオリジナル冒険者族ですわよ? この世界にご先祖はいらっしゃいませんわ」

「ええまあ。ほぼあり得ないことではありますが、ただ冒険者族自体は四千年前からいるわけですし、そのうちの一人が血を残してたまたまそれが初代様と血縁関係にある方だったら、ということです」

「ああなるほど」

 

 考えても余り意味はないですけどね、と肩をすくめる。

 

「それでですね。一度他の方、ニシカワの血を引かない方にこれを装着してもらうことは可能でしょうか。もちろん秘密裏に」

「っ・・・!」

 

 リアスが絶句した。

 ただし今度は言葉の意味を理解した上での絶句だ。

 

「それ、は・・・」

 

 白の甲冑を装着するための条件があるのか、あるとしたらそれは何なのか。

 それを探り出さないといけないと言うヒョウエの言葉は理解出来る。

 しかしそのために門外不出、一子相伝の家宝を他人の手に委ねてもいいのか。

 白甲冑を操る血筋、白のサムライを受け継ぐ血筋に誇りを持つべしと育てられた彼女にとって、大げさではなくこれはアイデンティティの危機であった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 かっち、こっち、と時計の音。

 ややあって、リアスが顔を上げた。

 

「カスミ。頼めるかしら」

 

 びくり、とカスミが震える。

 

「お、お許し下さい! そればかりは! そればかりは!」

「カスミ・・・?」

 

 思ってもいなかった強い拒否反応にリアスがあっけにとられた。

 黒髪の童女はぶるぶると震えながら頭を下げたまま動かない。

 ヒョウエとリアスが顔を見合わせた。




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02-04 邪気()が来る!

 更に幾ばくかの葛藤の後、リアスはヒョウエが白甲冑を装着することを許可した。

 他に選択肢がなかったのもある。

 

「では」

 

 ヒョウエが白甲冑を念動で浮かせ、一礼してから居間から寝室の方に移動する。

 寝室に入りドアを閉めた瞬間、その顔がでれっとゆるんだ。

 頬は紅潮し、眼はきらきらと輝いている。

 

(「白のサムライ」! 伝説の魔導甲冑! まさかそれをこの手でいじるどころか自分で身につけられるとは! ふおおおおおお!)

 

 もはやテンションは天井無しであった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 ぱんぱん、と手を叩いて安置した白甲冑を拝むと、ヒョウエはうきうきと服を脱ぎ始めた。

 

 

 

 一方、居間の方では黒髪の童女が渋い顔をしていた。

 

「・・・」

「どうしたの、カスミ?」

「いえ、何やら邪気・・・というか淫らな気を感じまして」

「?」

 

 リアスがかわいらしく首をかしげた。

 

 

 

 しばらくの後、ドアが開く。

 

「・・・!」

 

 リアスとカスミが息を呑んだ。

 歩み出て来たのは紛れもない「白のサムライ」。

 その歩き方で二人には「鎧が起動している」とわかってしまう。

 そのままヒョウエはスペースの開いた部屋の中央で少し動いてみせた。

 

 左右の拳を突き出す。

 手刀を振る。

 バク転。

 

 空中に跳んでの宙返り。

 軽くジャンプして天井に逆さまに着地。

 そのままもう一回転して自然落下、床に降りる。

 

 そこで演武もどきを終え、ヒョウエは兜を脱いで一つ息をついた。

 その頬が僅かに上気している。

 

「ご覧の通りです。いや素晴らしいですね! さすがは伝説に名高き『白甲冑』!」

「・・・」

 

 テンションを抑えきれないヒョウエにカスミがジト目を向ける。

 おほんと咳払いしてヒョウエが誤魔化した。

 

「失礼しました。つい」

「いえ、大丈夫ですわ」

 

 無邪気に喜ぶヒョウエの様子には苦悩より微笑ましさが勝ったようで、リアスは苦笑しながら謝罪を受け入れた。

 

「おほん、まあともかくそうした特殊な仕掛けがされてないのはこれでわかりました。

 となると・・・」

「ヒョウエ様。お考えになるのは結構ですが、まず白甲冑を脱がれてからにされては?」

「あ、はい」

 

 ジト目のカスミに指摘され、ヒョウエがおとなしく頷いた。

 

 

 

 再度着替えをして居間。「白のサムライ」は再び部屋の中央に座している。

 カスミが入れてくれたお茶を今度はゆっくりと口にする。

 

「さて。取りあえず一通り楽しませて、おほん、調べさせて頂きましたが、先ほども申し上げましたようにお嬢様の魔力生成も魔力の伝達も、鎧の方の動作も問題ありません。

 つまり原因は他にあります――例えばお嬢様の心的要因とか」

「心的要因?」

「つまり無意識のうちに・・・例えば戦いたくないとか、家を継ぎたくないとか思っている場合です。ご自身で自覚していなくても、そう言った無意識の拒絶が鎧との接続を邪魔していると」

 

 机を叩いてリアスが立ち上がった。

 

「そんな! ありえません! 絶対に!」

「落ち着いてください。人の心は深く広いんです。自分ですらわからない深淵、闇が必ずあります。どんな聖人であっても、英雄であっても、それは必ずあるんです」

「・・・」

 

 言葉を尽くしてリアスを説き伏せる。

 それでも納得のいかないような顔をして、だが一応リアスは席に着く。

 

 それに安堵しつつ、ヒョウエはむしろカスミの方が気になっていた。

 心的要因の一言を口にした瞬間、明らかに表情が変わった。

 一瞬だけだったが確信があった。

 

 

 

 その後、さほど進展はなく調査は終了した。

 リアスも次期当主であるから、ずっとこればかりやっているわけにはいかない。

 カスミを残して部屋を出た。

 

「・・・」

「・・・」

 

 ヒョウエは白甲冑の調査。

 カスミは部屋の隅に控えている。

 

 無言のまま時が流れる。

 かっち、こっちと時計の音。

 ふと、ヒョウエが手を止めてカスミを見た。

 

「カスミさん」

「なんでしょうかヒョウエ様」

 

 カスミの顔が僅かにこわばっている。

 これからヒョウエが何を言おうとしているのか、薄々とでも察したのだろうか。

 本当に鋭い子だと思いつつヒョウエがずばりと切り込んだ。

 

「リアス様が甲冑を動かせない理由。知ってるんじゃありませんか」

「・・・」

 

 再びこわばるカスミの顔。

 ポーカーフェイスを貫こうとしているが隠し切れていない。

 

「残念ですが、わたくしは存じません。存じていてもお話しするわけにはいきません」

「それがリアス様の運命に関わるとしても?」

 

 ぐっ、とカスミが歯を食いしばる。

 じっとヒョウエがカスミの目を見る。

 

「・・・」

「・・・・・・」

 

 かっち、こっち。

 時計の音だけが響く。

 

 カスミが何度も口を開こうとしてやめる。

 その間、ヒョウエは一度も視線を外さない。

 

 話すべきか、話さざるべきか。

 かっち、こっちと時計の音が響く。

 

「多分、この件ではカスミさんの知っている情報が核心的な手掛かりなんです。少なくとも僕にとってはそうですし、リアス様にとってもそうです。

 よほどのことだとは思いますが、リアス様のためにお願いできないでしょうか」

「・・・・・」

 

 カスミが俯いて唇を噛む。

 

「・・・」

「・・・」

 

 また沈黙。

 かっち、こっちと時計が音を刻む。

 だが、既にカスミの心は決まっていた。

 顔を上げ、ヒョウエと視線を合わせる。

 

「わかりました、お話しします」

「ありがとうございます!」

 

 深く頭を下げるヒョウエ。

 カスミは反応を示さない。

 顔を上げたヒョウエを、カスミの視線が射貫いた。

 

「・・・!」

 

 恐ろしく冷たい目。

 黒だと思っていた瞳が、今は氷のような冷たい青に変わっている。

 

「礼は結構です。全てはリアスお嬢様のため・・・ヒョウエ様であれば無いかとは存じますが、もし今からお話しする事を漏らしたり悪用するようであれば、ヒョウエ様を殺して私も死にます。どうかお含み置きください」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 十歳の子供とは思えない凄み。感情のうかがえない声色。

 冷徹で、冷酷で、やると言えばためらいなく実行する殺人機械の目。

 

 冷たい青い眼がヒョウエを射貫く。

 先ほどとは逆に、ヒョウエが詰め寄られる側。

 僅かに気圧されつつも、ヒョウエは自然に頷いた。

 

「わかっています。僕の両親と姉と友にかけて、この話を漏らさないことを誓います」

 

 ややあって、カスミがふうっと溜息をついた。

 深く一礼する。

 既にその目は先ほどまでの黒いそれに戻っていた。

 

「大変失礼いたしました、ヒョウエ様。重ね重ねのご無礼お許し下さい」

「いえ。お家に仕えるとはそういうことでしょう。カスミさんが忠義に厚い方であればなおさらです」

 

 少し意外そうに目をしばたたかせて。

 

「ありがとうございます」

 

 微笑んで、カスミが再度一礼した。




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02-05 暴走

「実のところお嬢様は『白甲冑』をお扱いになれます。いえ、扱えすぎてしまったのかもしれません」

「・・・?」

 

 謎めかしたカスミの言葉にヒョウエが眉を寄せ、無言で続きを促す。

 

「正式な継承の儀の前に慣らしの期間を置くことはお話ししましたね?

 その時お嬢様は見事に白甲冑を起動されました。

 ただ、その時に・・・なにが起こったかはわかりませんが、我を失われてしまったのです。

 その場に立ち会った数人に斬りつけ重傷を負わせて、護衛のものが魔法も使って総掛かりで押さえ込みました。

 幸い治癒術師も待機させていたために死人は出ませんでしたが、ご隠居様――御当主代行であるお嬢様のおじいさまが今伏せっておられるのもその時受けた傷が元なのです」

「・・・それはまた」

 

 治癒術は基本的に肉体の持つ自然治癒の機能を強化するものである。確かに肉体の損傷を修復してくれるが、大規模な負傷を癒せば当然体力も消耗する。

 老齢のリアスの祖父にはそれがこたえたのだろう。

 

「暴走か・・・? まあ確かにそんなこと、間違っても外に漏らせませんね――『白のサムライ』の家が、事もあろうに『白甲冑』を用いて無用に人を傷つけたなどと」

「はい」

 

 沈痛な表情のカスミ。

 外に漏れれば間違いなく大スキャンダルである。最悪お取りつぶしすらあり得た。

 

 貴族家の名誉や面子というのは、会社で言えば信用にあたる。

 現代日本で言えば、製品に致命的欠陥が見つかった会社のようなものだ。

 顧客は離れ、取引先も離れていく。最悪倒産も有り得る。

 それが、今のニシカワ家の状況であった。

 

「この件を知っている人間は?」

「即座に箝口令が敷かれましたので、その場にいたご隠居様と護衛のもの、治癒術師、そして私だけです。いずれも口は堅い人間だと思いますが・・・

 なにぶんにも大ごとになってしまいましたし、完全に隠し切れているとは思えません。察している人間はいるかと」

「ふむ・・・」

 

 血しぶきとか盛大に残っただろうし、関係者の様子とか見てれば隠し切るのは難しいだろうなと溜息をついて一つ頷く。

 

「そしてリアス様はその時の記憶を失われてしまっているわけですね」

「・・・はい。先ほど暴走とおっしゃっておられましたが・・・?」

「えーと、ですね」

 

 説明のために頭の中を整理しようとして少し言葉が途切れる。

 

「魔法、そして魔道具(マジックアイテム)遺物(アーティファクト)もそうですが、基本的には使い手が魔力を術式、もしくは具現化術式に注ぎ込むことによって効果を発揮するわけです。

 普通制御に失敗すれば術式は起動しない。魔法は発動しないしマジックアイテムも起動しないんですが、たまに相性が良すぎて制御に失敗することもあるんですよ。

 魔導甲冑のほうに問題がない以上、疑うべきはそちらの可能性ではないかと」

「魔法がうまく行きすぎて思わぬ効果を発揮する、あるいは暴発する・・・ということですね?」

 

 カスミの確認に頷いて説明を続ける。

 

「魔法というのは本来不確かなものですからね。どんな達人でも失敗して暴走暴発することはあります。

 魔道具でも同様で、こうなると制御できないのに術式自体は起動してしまいます。

 本人は意識を失ったような状態で呪文や魔道具が暴走するんです。

 お嬢様の場合はたぶん防衛本能が暴走して周囲の人間を敵として認識してしまったのかと。

 更に暴走が起こるとしばしば精神にダメージを負いますので、記憶を失うこともあります――まあ暴走自体がそうそう起こることじゃないですけどね」

 

 魔道具扱いの不慣れさ、内包する魔力の大きさ、そして恐らくは白甲冑との相性の良さ・・・そうしたものが相まって事故を起こしてしまったのだろう。

 溜息をつく。

 

「そうなると魔導技師としてはできる事はほとんどありませんね。先ほど申し上げたとおり、お嬢様の心因的な問題となるとまずそちらを解決しないことには」

「・・・この事をお嬢様にお話しするのですか?」

 

 カスミがためらいを見せる。

 

「そうならざるを得ないでしょうね。時間があるならまだしもですが」

「そう、ですね・・・」

 

 唇を噛んでカスミ。

 ヒョウエは無言で目を閉じた。

 

 

 

 リアスとの時間を作れたのは夕食の後だった。

 カスミからの説明を聞くにつれ、リアスの顔から血の気が引いていく。

 話し終えたときにはその顔は真っ青だった。

 

「・・・大丈夫ですか?」

「大丈夫です・・・いえ、大丈夫であるはずがありません・・・私が・・・白甲冑を暴走させて・・・おじいさまや他の者達を傷つけた? ありえません、あってはならないことです・・・」

 

 蒼白な顔で、夢遊病者のようにぶつぶつと呟くリアス。

 

「お嬢様、大丈夫です! 誰も死んだ者はおりません! ご隠居様もすぐにお元気になります!」

 

 肘掛けを強く掴む手に、ひざまずいたカスミが両手を重ねる。

 少し表情を和らげて何かを言おうとしたリアスが、はっと何かに気付いたような顔になった。

 

「お嬢様?」

「カスミ・・・私は。私はひょっとしてあなたを傷つけてしまったの・・・?」

「それは・・・」

 

 一瞬の表情の変化。

 付き合いの長い彼女たちの間ではそれで十分だった。

 

「!」

「お嬢様!」

 

 椅子を蹴立ててリアスが立ち上がる。

 止める間もなく、リアスは部屋から駆け出していった。

 

 

 

 一瞬呆然としていたカスミだが、すぐにヒョウエに一礼するとリアスを追って部屋を飛び出した。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 ふう、とヒョウエが深い溜息をつく。

 こうなるとヒョウエにできることはあまりない。

 色々と悪巧みをする余地はないでもないが、事がリアスのトラウマの問題である限りはカスミに任せるのが一番いいだろう。

 

 ちらり、と白の鎧に視線をやる。

 先ほど装着してみた感じ、実用に問題があるレベルではないがそれでも多少いじる余地はあった。

 せめて完璧に調整しておこうと思い、ドアが開けっ放しなのに気付く。

 

「おや。まあしょうがありませんか」

 

 席を立ち、てくてくとドアの方に歩いて行く。

 ノブに手を伸ばしたところで、横から伸びてきた腕がこんこんこんこん、と開いたままのドアをノックした。

 

「・・・?」

 

 視界を遮る腕の主を見上げる。

 半日ほど前に見た顔だった。

 

「よう、かわいい技師さん。今ちょっといいかい?」

 

 均整の取れたたくましい体格、ほどほどに野性味のあるハンサムだがべっとりと張り付いた下品な笑みがそれを台無しにしている。

 リアスの従兄、ローレンス・オトゥール・ニシカワだった。




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02-06 ローレンス

 返事を待たずにつかつかと部屋に入ってくるローレンス。

 その視線はヒョウエではなく部屋の中央に鎮座する白の甲冑に向けられている。

 

「サー・ローレンス? 僕に御用なのでは?」

 

 ドアを閉めたヒョウエの皮肉げな声。

 ローレンスは振り向かず、どこか楽しげな声で返した。

 

「まあそう言うなよ。俺だってこいつは触るどころか滅多に見られないんだ。

 ちょっとばかし堪能させてくれたっていいじゃないか」

 

 ローレンスと並ぶ位置に立ったヒョウエが、ちらりとその顔を見上げた。

 先ほどまでの下卑た笑みは姿を消し、無邪気で楽しそうな表情がその顔を彩っている。

 

(これが本来の彼なんでしょうかねえ)

 

 視線を下げて彼の腰に目をやる。

 ベルトに無造作に差し込まれているのは朱塗りの鞘の日本刀。

 転生者であるヒョウエの目から見てもきちんとした作りで、こちらの世界で作られた模造品ではなく、向こうの世界から持ち込まれた本物かもしれないとの考えが頭をよぎる。

 

 だが、ヒョウエの目を惹きつけたのはそのカタナが本物の日本刀だからではない。

 明らかに魔力を帯びている。それも余り良くないものであるように思えたからだ。

 

(こんな時"魔力解析(アナライズ・マジック)"の呪文でも習得していればなあ)

 

 魔素(マナ)に親和性を持つもの、つまり術師の素質を持つものは魔力を感知できる。

 ただしかなりおおまかにだ。有無についてはともかく性質については何となく雰囲気がわかる程度で、初めて会った他人を第一印象で判断する程度の精度でしかない。

 正確に分析するには専用の呪文なり魔道具なりが必要になるが、さすがに「解析したいのでそのカタナちょっと貸してくれません?」とは言えない。

 

 やがて堪能したのか、ローレンスがヒョウエの方に視線を向ける。

 その顔には最初に見たときと同じ下卑た笑みが、再びべったりと張り付いていた。

 

 

 

「・・・で、何の御用で?」

 

 冷たい視線。まずはヒョウエが問いかける。

 かはは、とローレンスが笑った。

 

「怖いなあ、お嬢さん。あんたはうちの家の事情には関係ないだろう? 職人としてはもう少しフレンドリーな雰囲気を出さなきゃ客が離れるぜ」

「雰囲気についてはお客様次第ですね。後僕は男なので」

「そうか。そりゃ失礼、お嬢さん」

 

 ぴくりと片方の眉だけを上げる。

 かはは、とまたローレンスが笑った。

 

「しかし、やっぱり白甲冑(こいつ)はいいなあ! ちゃんと調整はしてあるのかい?」

「無論仕事はしておりますとも。そのために呼ばれたわけですし」

 

 にやにや顔のローレンスに素っ気なく応える。

 ローレンスの笑みは変わらない。

 

「リアスはこいつをうまく動かせているのかい?」

「テストした限りでは問題なく」

 

 相手の意図はわからないが無難に、そしてどうとでも取れる答えを返す。

 ヒョウエも仮にも王族であるから、言葉の重みというものについて多少は薫陶を受けている。加えて前世で僅かなりとも身につけた腹の探り合いの手練手管もあった。

 

「そりゃあ楽しみだ。継承の儀ではでかいツボを持ち上げるからな。あの細腕が人食い鬼(オーガ)でも持ち上げられないような金壺を持ち上げるのはちょっとした見物だろうぜ。

 動かせれば、の話だがな」

「大きな金属製の壺、ですか?」

 

 煽りを無視して気になった所を突っ込むヒョウエ。

 昔見たカンフー映画の、焼けた釜を持ち上げるシーンが脳裏によぎる。

 微妙な表情が出ていたのか、ローレンスが頭をボリボリとかいた。

 

「まあ意味わからんよな。初代様の言い残した事を元に三代目か四代目の当主が始めたらしいが。えーとなんつったか、『カナエ』か。それを持ち上げるのが当主の器かどうか図ることになるとかなんとか」

 

(「(かなえ)の軽重を問う」ってそれそういう意味じゃないから!)

 

「・・・なんだ?」

「・・・いえ」

 

 叫ばずに我慢した自分を褒めてやりたいとちょっと思うヒョウエであった。

 

 

 

 ローレンスの探りはそれからも続いた。

 それをのらりくらりとヒョウエが何とかかわしていく。

 三十分ほどもそれが続いた後、ローレンスが忌々しげに舌打ちした。

 

「生意気なオカマ野郎が。かわいげがねえぜ」

「それはどうも。かわいげで商売してる訳じゃありませんのでね」

 

 涼しい顔を何とか維持しつつヒョウエ。

 30分間の腹の探り合いは慣れていない人間には辛い。

 

「まあいい。どうせ動かせやしねえんだ。継承の儀の日が楽しみだよ」

「でしたら驚いて腰を抜かさないようにお気をつけを。お年寄りが使う歩行補助用の具現化術式がありますがどうです? いい店をご紹介しますよ」

「ちっ」

 

 もう一度大きな舌打ちをして、ローレンスは荒々しく部屋を出て行った。

 深く溜息をついて開けっ放しのドアを閉めると、ぺたんとソファに座り込む。

 そのまま冷えてしまった茶を一気に飲み干し、並べられた茶菓子をやけ食いし始めた。

 

 

 

 ヒョウエが茶菓子を全部むさぼり尽くした頃、カスミが戻ってきた。

 一礼して溜息をつく。

 

「どうでした」

「取りあえず落ち着いてはいただけました。ですが・・・」

「さすがにショックでしたか」

「はい」

 

 二人揃って溜息をついた。

 ヒョウエとしてもここで気の利いたセリフを吐けるほど人生経験は積んでいない。

 しばらく沈黙が続いた。

 

「それでヒョウエ様。ご隠居様がお話がしたいとおっしゃっておられるのですが」

「当主代行様が? 僕にですか?」

「はい。よろしければお願いできないでしょうか」

 

 確認の態を取ってはいるが、とはいえ断る選択肢はほぼない。

 相手は伯爵家の事実上の当主で、今のヒョウエは平民の魔導技師に過ぎないからだ。

 

「まあ構いませんけど・・・何の御用でしょうか?」

「さあ、私にはなんとも」

 

 首をかしげながらヒョウエは立ち上がった。




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02-07 当主代行

 カスミに案内されて屋敷の奥まった一室に向かう。

 ノックの後、思ったよりしっかりした声で返事が返ってきた。

 

「それでは失礼致します、ご隠居様」

 

 一礼して入室する。

 顔を上げると、ベッドの上に上半身を起こした老人がいた。

 髪やひげが真っ白く染まった今でも、肩には昔日のたくましさが見て取れる。

 眉の下から、これは衰えていない眼光がヒョウエを貫いていた。

 

「カスミ、外してくれ」

「かしこまりました。それでは失礼致します」

 

 一礼してカスミが退出する。

 部屋の中、老人とヒョウエが一対一で対峙した。

 

「さて。わしは先代ダーシャ伯爵シンゲン・デカッツ・ニシカワ。君は――ヒョウエくんとお呼びすればよろしいのかな」

「今はただの術師ヒョウエです。どうぞそうお呼びください、ご隠居様」

 

 ポーカーフェイスのヒョウエ。頷くシンゲン。

 ヒョウエが何者なのか、何があったのか――余計な事はどちらも口にしない。

 

「それで御用とは何でしょう?」

「うむ。リアスの事だ――何があったかはカスミから聞いたな?」

「はい」

 

 シンゲンが深く溜息をついた。

 

「リアスは宝だった。ニシカワの歴史をひもといてもそうはいない才能の持ち主だ。

 だが、あの日よりリアスは白甲冑を使えなくなった。このままではあの才能は世に出ないまま埋もれることになるだろう。それはニシカワの家のためにも、リアスのためにもなるまい」

「お嬢様は何か強い加護をお持ちなので」

「《剣の加護》だ。それもとびきりのな。極めれば天を裂き地を割ることもできよう――まあ、身内の欲目かもしれんがな」

 

 《剣の加護》。

 俗にそう呼ばれるそれは、弱いものであれば単に剣の才能をそこそこ増してくれる程度だが、磨き抜いて極めれば剣技と言うに留まらない超常の技を会得すると言われる。

 飛ぶ斬撃。岩を豆腐の如く切り刻む斬岩。実体のない霊体をも斬る水月の太刀。

 伝説に謳われる最初の冒険者族、始祖のサムライに至っては、刀の一振りで海を割ったとも伝わる。

 

 身内の欲目とは言うが彼も武門の、それも代々剣の達人を輩出する家の当主だ。その彼がここまで言うのだから、実際にリアスの才能と《加護》は並外れているのだろう。

 老人がすっと頭を下げる。

 

「だからこそそれを全力で発揮しうる場を与えてやりたいのだ。

 術師ヒョウエ、祖父として頼む。あれを助けてやってくれ」

「頭をお上げください、ご隠居様。元より、僕はそのためにここに来ました。

 まあ、魔導技師としての仕事からは外れてしまうかもしれませんが――依頼された仕事から多少外れてはいても、結果が良くてみんなが幸せになるならそれでよろしいのではないでしょうか?」

 

 にっこり笑うヒョウエに、顔を上げたシンゲンもまた笑みを浮かべる。

 

「いやいや、そんな事はないとも。君はあくまでも不調な白の甲冑を調整してリアスにそれを着けさせただけ。君は魔導技師なのだからそれ以外の事をするはずがない。

 ローレンスが痛い目を見ようとも、リアスを廃嫡しようなどと企む馬鹿どもが災難に遭っても、それは不幸な偶然だし君には関係ない事だ。

 何があってもわしが保証しよう、術師ヒョウエ」

「僕はそこまで言ってませんよ!?」

 

 思わずヒョウエが突っ込んだ。

 一見すると好々爺の笑みだが、言ってる事は実に腹黒い。

 

(これだから貴族って奴は・・・)

 

 渡っていくのにそういうあれこれが必要な社会だというのはわかるが、どうにもなじめないヒョウエである。

 もっともそういう性格でなければ、市井で魔道具屋の手伝いやらをして暮らすことはなかっただろう。

 

「いやなに、もちろん君がそんなことをしない人間だというのはわかっているとも。

 ただ、不幸な偶然というのはどこにでも転がっていると、そういうことだ」

 

 いかにも老武人然とした風貌に好々爺の笑みを浮かべて、それでいてひどくえげつないことを口にする老人。

 ヒョウエが諦めの溜息をついた。

 

「・・・最大の問題はお嬢様の心にあります。こればかりは時間が解決してくれるのを待つか、強烈なショックを与えるかしかありませんが、後者はリスクも伴いますからね。

 いずれは克服できると思いますから、取りあえず当座を凌いでその後事実を外面に追いつかせるとしましょう。

 戦があるわけでなし、継承の儀を乗り切れば時間はあるのでしょう?」

 

 まあな、とシンゲンがひげをしごく。

 

「大ごとにしないで済むならそれに越したことはないが・・・リアスは心の傷を克服できると思うかね」

「それに関しては専門外ですよ。どうしてもというなら心の神(ウィージャ)の神官医にでも訊いてください。むしろご家族であるご隠居様やカスミさんのほうがよくご存じでは」

 

 肩をすくめるヒョウエにシンゲンが苦笑した。

 

「それを言われてはな。まああれは強い子だ。わしも信じるとしようか。それで、具体的な策はあるのかね」

「はい。まず継承の儀で使う(かなえ)についてお聞きしたいのですが・・・」

 

 

 

 それから継承の儀までの間、リアスは手すきの時間をヒョウエの作業室に籠もって過ごすことになった。

 その間カーテンは閉め切られ、扉の前にはカスミが陣取る。

 魔法的な手段もヒョウエに察知妨害されるため、ローレンス派のものたちをかなり焦らせる事になったようである。

 

「ヒョウエ様、今日は何かありましたか?」

「カーテンの隙間から魔力の波動が何度か。兄弟子から借りた解呪の魔道具で何度か追い払ってやったら途切れましたけど」

「多分、覗き見の術だと思います。言ってみれば望遠鏡と鏡を組み合わせたような」

「でしょうね。光系統の術なのは何となくわかりますよ。僅かな隙間から光を何度も屈折させて中を見る術式かな? 間諜(スパイ)がそう言う術を使うって聞いたことがあります」

 

 ヒョウエとカスミの二人が専門的な話をしている横で、リアスは静かに香草茶を口にしていた。

 話に混ざれないのが寂しいのか、心なしか肩がすすけている。

 

「・・・カスミも随分ヒョウエさんと仲良くなったのね・・・」

「お嬢様!? いえ、これは仕事上必要な・・・」

 

 リアスの恨みがましげな視線にあたふたするカスミ。

 こちらも静かに茶をすすり、ヒョウエが苦笑する。

 

「カスミ、ちょっとこっちに来なさい」

「え、しかしヒョウエ様が・・・」

「いいから」

「はい」

 

 溜息をつき、観念したようにリアスに歩み寄る。

 ヒョウエがなんだなんだと思っているとリアスはカスミを抱き上げ、膝の上に載せた。

 そのまま後ろから抱きしめて頭をなで始める。カスミの匂いを嗅いでいるようにも見えた。

 

 カスミも困り顔はしているが嫌がってはいない。

 ヒョウエと目が合うと少し恥ずかしそうに笑った。




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02-08 青い眼の童女

 

 

 しばしの後、満足したのかリアスがハグを解いた。

 ヒョウエに一礼するとカスミが元の位置に戻る。

 

「あー、ひょっとしてお疲れで?」

「それはそうでしょう。あなたこそ、ずっと術を使いっぱなしなのに良く疲れないものですね?」

「これでも術師としては優秀な方ですので」

「そのようですわね・・・」

 

 ふう、とリアスが溜息をついた。

 確かにその顔にも疲労が濃い。

 

(休みを入れた方が良さそうですね)

 

 そんな事を考えていると珍しくカスミが口を挟んできた。

 

「そう言えば実際お嬢様たちは何をしていらっしゃるのですか?」

「あ、そう言えばちゃんと説明してませんでしたっけ?」

 

 二人が部屋に籠もっている間、カスミはずっと外で見張り番をしている。

 文字通り蚊帳の外な訳で、気になるのも当然と言えた。

 

「え? いえその、それは・・・」

「ちょっと、なんでそこで頬を染めるんです? 恥ずかしげにうつむくんです!?」

「・・・ヒョウエ様?」

   

 ヒョウエが慌てる。対照的に冷静なカスミはすうっと眼を細めた。

 その眼がいつの間にか、いつぞやのような冷たい青に変わっている。

 その一方でリアスは俯いたまま言葉を続ける。

 

「だって・・・そうじゃありませんの! 裸身をまさぐられ、全身をくまなく撫でられ、まるで人形のようにもてあそばれて・・・家督を継ぐために必要なことでなければ、腹を斬って今すぐ果てたいくらいのことですのよ!」

「リアス様ーっ!」

 

 叫ぶリアス。

 頭を抱えて絶叫するヒョウエ。

 びくり、と震えてその動きが止まった。

 

 氷よりも冷たい青い瞳。

 無感情に人の命を奪う殺人機械が彼を見据えている。

 

「いや、そのですね」

「・・・そう言えば。時折中から妙な声が聞こえて参りました。

 必要なことと思って何も申し上げませんでしたが、立場を利用してリアス様にいかがわしいことをしていたのでしたら、私も必要な行動を取らざるを得ません」

 

(ヤバい殺られる)

 

 全身から汗が噴き出す。

 勝てるかどうかはともかくとして、目の前の童女はやると言ったらさくりとやる。

 絶対に近い確信があった。

 

「とにかく! その殺る気を抑えてください! リアス様も紛らわしい事言わない!」

「わたくしは冷静です、ヒョウエ様」

「まぎらわしいとは何です! 事実ではありませんか!」

「ヒョウエ様、やはり・・・!」

「いいからおまえら二人とも黙れ! 動いていない魔導甲冑を動かしているように見せるために、操り人形を動かすようにお嬢様の体を動かして誤魔化す、そのための練習です! やましいことはまったくありません!」

 

 カスミの目にややいぶかしげな色が混じる。

 しかしそれだけだ。

 

「意味がわかりませんが。あなたがお嬢様の体に無遠慮に触れているということには何の違いもないのでは?」

「術です! 念動の術! 触れずにものを動かす術があるんですよ!」

 

 カスミの動きが止まった。

 ただし目の冷たい青は変わっていない。

 

 ヒョウエが指を振ると香草茶を淹れたポットが宙に浮き、ヒョウエのカップにお代わりを注いで元の場所に戻った。

 カスミが顔をリアスの方に向ける。

 

「・・・本当ですか、お嬢様?」

「ええ、そうですわ! 魔法とは言え、見えない手に体中をまさぐられているような感触! もう何度も恥ずかしくて死んでしまおうかと・・・!」

 

 すうっ、と目の色が青から黒に戻っていった。

 それとともにまとっていた無機質で冷たい空気も雲散霧消する。

 大きく溜息をついて、ヒョウエに一礼。

 

「大変・・・大変失礼いたしました。どうぞ私どもをお許し下さい」

 

 ヒョウエが大きく息をついた。

 

「まさかこんなところで命のやり取りを覚悟する羽目になるとは思わなかった・・・」

「重ね重ね申し訳なく・・・」

 

 安堵の息をつくヒョウエに対して、リアスは不満げな顔。

 

「え、なんでわたくしも謝らねばいけないんですの? 本当の事ですわよ!」

「お嬢様」

 

 ずい、とカスミが詰め寄った。

 

「な、なんですの?」

「お嬢様はまがりなりにも伯爵家の当主となられるお方。そうですね?」

「そ、そうですけど・・・まあヒョウエさんの策がうまく行けばですが・・・」

「それはひとまずおきます。問題はリアス様が人の上に立つお方だと言うことですっ!

 聞いていたのが私だけだから良かったようなものの、他の家臣の皆様が聞いていれば今頃ヒョウエ様は怒り狂った方々によってなますにされていたかも知れないんですよ!」

 

 ずずい、と再びカスミが詰め寄る。

 

「そ、そんなこと」

「ありえるんです! 前々から思っておりましたが、リアス様はご自分のお言葉に無頓着すぎます! いいですか・・・」

 

 始まるお説教。

 リアスは反論しようとするが、正論を重ねるカスミの前に敢えなく撃沈される。

 15才の娘が10才の童女に説教されるというかなりみっともない構図。

 その視線がちらりとヒョウエを見る。

 

(あの、助けて・・・)

(地獄で逢おうぜベイビー)

 

 拳を握ってぴっと親指を立てる。

 蜘蛛の糸にすがる依頼主を、ヒョウエはにっこり笑って蹴り落とした。

 

 

 

「うう、カスミがひどいですわ・・・」

「まだ反省が足りないようですね?」

「わかりました! わかりましたから眼を青くしないでっ!」

 

 悲鳴を上げるリアスに同情しつつも助けの手はさしのべないヒョウエである。

 実際人の上に立つものが軽々しく言葉を発したら、それを真に受けて馬鹿をやるものが絶対に出る。ヒョウエ自身が子供の頃から叩き込まれてきたことだ。

 

(誰のエピソードでしたっけ? 谷の深さを知りたいと言ったら部下が飛び降りて父親に叱られた奴。うーん、さすがに思い出せない)

 

 さすがに前世の、しかも子供の頃の話となると記憶もおぼろげだ。

 漫画でも似たような話を読んだ気がするが、覚えていない。

 へたりこんだリアスを放置してカスミがヒョウエに向き直る。

 

「しかしお嬢様を操り人形にして、実際にうまく行くものなのでしょうか?」

「行かせるしかないですね。幸いと言えるかどうか、自分の動きを念動で強化するのはそこそこ慣れていますし、人形操りもそれなりには経験があります。

 ご隠居様に(かなえ)について詳しくお聞きしましたが、高さ1.5m、直径1m程となると、多分1トンくらいでしょうか。それ位なら十分僕の念動で支えられます。

 それでお嬢様が鼎を持ち上げてみせれば、みなさん納得せざるを得ないでしょう」

 

 そういえば、とリアスが口を挟む。

 

「ヒョウエさんが鼎自体を持ち上げるのではいけませんの? そのほうが自然な動きになりませんこと?」

 

 私もこんな特訓をしなくてすみますし!と言外に主張するリアスに二人して苦笑する。

 

「残念ながら。鼎の方に術をかければ術師の人、素質のある人には察知されてしまいますからね。

 お嬢様に術をかければ、魔導甲冑の発する魔力としか思わないでしょう。誤魔化すためにはお嬢様の方を動かすしかありません」

「ですのね・・・」

 

 リアスががっくりとうなだれた。




 谷に飛び降りたのは真田信之・幸村兄弟と赤沢嘉兵衛と言う人のエピソードです。
 三人揃ってこっぴどく叱られ、余計な言い訳をした赤沢さんの方はしばらくお家を追放されたとか。
 漫画の方は望月三樹也のジャパッシュですね。
 それの元ネタが何かあったような気がするんですけど思い出せません。


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02-09 継承の儀

 それから数日があっという間に過ぎ、継承の儀が行われる日となった。

 リアスが正式に当主と認められる日であるから、客人も招いて盛大な宴を張る。

 一族の主立った者に家臣たち。ローレンスやその父、カスミの祖父をはじめとしたカスミの一族もいる。

 そして付き合いのある貴族家の客が数十人。

 

 千五百年の歴史を持つ家はこの世界でもそう多くはない。

 その伝統と格式を物語るように、伯爵家の催しには不釣り合いなほど多くの高位貴族がこの場に姿を見せていた。侯爵が五人、公爵も二人、王族まで来ている。

 

「皆様、ご注目を。ニシカワ伯爵家当主代行、先のダーシャ伯爵シンゲン・デカッツ・ニシカワ卿と伯爵家嫡子、リアス・エヌオ・ニシカワ卿です!」

 

 呼び出しの者が声を張り上げると、奥の両開きの扉へ注目が集まる。

 重い扉が音も立てずにすうっと開き、まずシンゲン、次いで「白甲冑」を身につけたリアスが入場してくる。

 フードを被りベールを下ろしたヒョウエと、こちらは普段通りのカスミが脇を固めていた。

 

(ヒョウエ様はどうしてベールを?)

(まあその色々ありまして)

 

 小声で会話を交わすカスミとヒョウエ。

 今は離れているとは言えヒョウエは立派な王族である。

 客の中に顔見知りは沢山いたし、なんなら家族まで来ている。

 間違っても顔は出せなかった。

 

 

 

「おお・・・」

「あれが・・・」

 

 客がざわめく。一族の者や家人もどよめきを完全には抑えきれない。

 伝説に名高き「白のサムライ」の白甲冑。

 平和な時代が続いたここ数十年では一族の人間でさえそうそうは目にできない代物だ。

 

 兜を小脇に抱えるリアスに視線が集中する。

 ちらりと伺った横顔も緊張はしているが固くなってはいない。

 

(この調子ならいけそうですね)

 

 あれからの数日でヒョウエとカスミの「二人羽織」はかなりのところまで完成度を高めている。激しい動きをするのでなければそうそう見破られない自信があった。

 四人の後ろで扉が閉まる。

 シンゲンが軽く一礼して挨拶を始めた。

 

「このたびは皆様方にはお集まり頂き感謝にたえません。この継承の儀は――」

 

 この手の儀式としては割合短めにシンゲンは挨拶を切り上げた。次はリアスが新当主に選ばれた感謝と抱負を述べ、これからも精進することを誓う。

 拍手の中でリアスが頭を下げた。

 

 その他色々な儀式や儀礼が続き、締めくくりにいよいよ(かなえ)を持ち上げるときがやってきた。

 広間の中央に鎮座していた「なにか」から白い布を外すと、長い三本足のついた巨大な青銅の壺――意匠はヒョウエの知っているそれと違うものの、まさしく鼎が現れた。

 

 80センチほどの足に同じくらいの壺本体。表面は深い青緑の緑青(ろくしょう)に覆われ、歴史を感じさせる。壺部分の直径は1mほど、両脇に持ち上げるための耳。

 事前に聞いていたとおり随分と肉厚で、確かに一トンくらいはありそうに思えた。

 ごくり、とリアスがつばを飲み込んだ。

 

「リアス。白甲冑を身につけていれば力は増すが、自分より重いものを持ち上げようとすると逆に自分の体が持ち上がってしまう。

 横から耳を掴むのではなく、足の間に体を差し込んで下から担ぎ上げるように持ち上げなさい」

「は、はい、おじいさま」

 

 頷き、リアスが兜をかぶった。面頬が自動的にスライドしてその顔を覆う。

 リアスが一歩を踏み出した。人の波が割れ、その間をリアスが歩く。

 鼎の前で立ち止まり、祖父の方を――そしてヒョウエとカスミの方を振り向いて、一つ頷いた。

 シンゲンと、そしてヒョウエとカスミが小さく頷く。

 目に僅かの安堵の色を浮かべ、リアスが鼎に向き直った。

 

(・・・)

 

 リアスに施した術式に集中しつつ、ヒョウエがちらりとローレンスの顔を伺う。

 何の細工もなくこの場に出て来たことをいぶかしむ表情と、まさかという表情がぶつかっているようにも思えた。

 

(一泡吹かせてやりましょう)

 

 お嬢様扱いされた怒りと、ねちねち鬱陶しく探りを入れてきたいらだち、リアスの座を奪おうとしている事に対する義憤。

 そうしたものが積み重なって、ヒョウエに悪い笑みを浮かべさせる。

 

「・・・っと」

 

 リアスがしゃがみ込み、壺の下に入り込む。

 その全身にぐっ、と力が入るタイミングでヒョウエが念動の力を解き放った。

 

「お」

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 先ほどに倍するどよめき。

 1トンを越えると思われる巨大な青銅器が浮いていく。

 さして大柄でもない少女の手によって。

 

 ゆっくりとそれは持ち上がり、アドバイス通り肩に担ぐような形になっていたそれを、両腕で高く差し上げる。

 それは紛れもない勝利のポーズだった。

 

「・・・・・・・・・・・!」

 

 ぱらぱらと拍手が起きる。すぐにそれは万雷の喝采となった。

 その場の全員が手を叩くなか、ただ一人呆然とそれを見ている人間がいる。

 ローレンスだ。

 ローレンスについた家人でさえ手を叩いて感嘆する中、一人彼だけが違う表情を浮かべている。

 

「・・・どけっ!」

「!?」

「兄様?」

 

 人をかき分けて、鼎を持ち上げたままのリアスの前に出る。

 

「危ないです兄様、離れて・・・」

「うるさいっ!」

 

 叫んだローレンスのその手に、魔法のようにあの朱鞘の刀が現れた。

 抜刀するのと斬りつけるのがほぼ同時。

 鼎を持ち上げた姿勢のまま動けないリアスに片手で斬りつける。

 

「きゃあっ!」

 

 リアスの悲鳴と甲高い音がほとんど同時に響いた。

 鼎の足の一本を切り落として、刀が「白の甲冑」の胸甲を袈裟懸けに切る。

 青銅の足を切り落として勢いが削がれたか、刃は胸甲に浅い傷をつけるに留まった。

 

「!?」

 

 だがその瞬間リアスよりもショックを受けていたのは、あるいはヒョウエであったかもしれない。

 刃が胸甲を傷つけた瞬間、念動の術が解けた。

 

(あの刃に・・・斬られた!?)

 

 あらゆる魔力を喰らう呪いの刃。妖刀。

 そんなものの話を聞いたことはあるが、実在は眉唾だと思っていた。

 術式を無理矢理破られた衝撃がヒョウエの精神にも伝わる。

 だが状況はそんな物思いにふけることを許してはくれない。

 

「やっ!」

 

 倒れ込むリアスをとっさに術を用いて引き寄せる。

 直後、石床を揺らして青銅の鼎が地面に落ちた。

 

 下手をすれば足を潰されていただろう。

 稼働していない白甲冑は少し頑丈な板金鎧にすぎず、1トンを越える落下物に挟まれたらひとたまりもない。 

 

 悲鳴や怒号が響く。

 その中でローレンスは軽やかにバックステップして転がる鼎を回避する。

 そして鼎の向こうのリアスに飛びかかろうと右足に力を入れて。

 次の瞬間無造作に剣を振り抜く。

 

 火花と金属音を散らし、数本の金属棒が弾かれて地に落ちた。

 それと同時に数人の家臣がローレンスを取り囲んでいる。

 いずれも手に細長い二等辺三角形のナイフ。先ほどの鋭く尖った金属棒を手にしている者もいる。

 揃って黒髪で、どこか東洋風の顔立ちをしていた。

 

(棒手裏剣? 苦無!?)

 

 ヒョウエが目をみはった。

 リアスをかばうようにカスミがいつの間にか前に出ている。そのカスミの手にも同じナイフがあった。

 

(・・・忍者!)




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02-10 妖刀

「ローレンス様!」

「お気を確かに!」

 

 カスミの一族、忍者の末裔達が口々に呼びかける声もローレンスには届いていない。

 

「があっ!」

 

 獣の様に吼えてローレンスが刀を振り抜――こうとしてその動きが止まった。

 現在のヒョウエが同時に発動できる術は6つ。そのうち4つは先ほど術式を破壊された衝撃のバックラッシュで「痺れて」しばらくは使えない。

 残り2つのチャンネルを使った念動の金縛り。

 

「今です!」

 

 戸惑っていた忍び達がヒョウエの声に反応して一気に接近する。

 その瞬間。刀が魔力の炎を吹き上げた。

 

「!?」

 

 魔力感知能力を持つものにだけ見える炎のような魔力のうねり。

 それは刀身から吹き上がり、あっという間にローレンスの全身を覆う。

 同時にローレンスを縛っていた念動の術式を喰らい尽くした。

 

「ぐっ!」

「ヒョウエさん!」

「ヒョウエ様!?」

 

 更に術を破られ、ヒョウエが両膝を突く。

 顔を上げた先でローレンスが忍びたちに斬りかかるのが見えた。

 

「まずい!」

 

 「痺れた」魔力のチャンネルを無理矢理励起して、念動の術を呼び起こす。

 同時に閃光が走った。

 

 武術は切り紙、現代日本で言えば剣道初段程度のヒョウエでは影を追うのが精一杯の、稲妻のような連続斬撃。

 周囲を囲んだ忍び達が血を吹き出して倒れた。

 

「ぐうっ・・・」

 

 限界を越えて酷使したチャンネルが体に負担をかける。

 左目の端から一筋、血が流れた。

 だがそうしなければ、今の一撃はいずれも致命傷になっていたことだろう。

 ヒョウエがとっさに張った念動の盾が彼らの命を救ったのだ。

 

 とは言え深手であることには違いない。

 治療を受けなければ長くは持たない。

 

「かは。かはははは。美味い。美味いなあ、魔力。もっとだ。もっとよこせよ・・・」

 

 血のしたたる刀を下げ、にまあ、と口が裂けるほどに笑みを浮かべるローレンス。

 既に立ち上がっていたリアスが、反射的に腰の刀を抜いた。

 だがそれだけだ。気圧されている。自分から斬りかかろうという意気地がない。

 

 一歩、また一歩。

 倒れた忍び達を踏み越えて、ゆっくりとローレンスがこちらに迫る。

 と、その顔がいぶかしげになり、次いで再び愉快そうな凶笑を浮かべる。

 

「そうかそうか、その鎧、使えるようになったわけじゃないんだな。

 そっちの小僧の術か? 器用な真似・・・」

「ローレンス、貴様・・・乱心しおってっ!」

 

 シンゲンの怒声。ローレンスの言葉をかき消す意味もあったのだろう。

 かはは、とどこか無機質な笑い声。

 

「あんたにだって責任の一端はあるんじゃねえかよ、爺様。リアスが鎧を使えなくなった時点で俺を後継者にすりゃあ良かったんだ。

 けど悲しいなあ。凄まれても、もう全然怖くねえや。歳を取ったら天馬もロバ以下だ。それともリアスに斬られた傷がまだ痛むかい、かははは・・・」

「・・・」

 

 シンゲンがぎり、と無念そうに奥歯を噛みしめる。

 リアスの顔のこわばりが一段と増した。

 

 ちらり、とカスミが後ろを見る。

 固まったリアスの表情。震える剣。

 

「・・・お嬢様、お下がり下さい。ご隠居様とヒョウエ様のカバーを」

「カスミ!」

 

 リアスが悲鳴を上げるが、カスミは振り返らない。

 悲壮な覚悟を顔に浮かべ、苦無を逆手にローレンスの前に立ちはだかる。

 

「かはは。カスミ、カスミ、カスミィィィ! けなげだなあ、忠義だなあ、そして無惨だなあ! 斬られるとわかってて出てくるとはよ!」

「・・・」

 

 カスミは無言。苦無を手にして身を低くする。

 ゆるり、とローレンスの剣が持ち上がった。

 両手で顔の横、垂直に刀身を立てる、右八双。

 

「~~~」

「キェェェェイッ!」

 

 短くカスミが何事かを口ずさみ、同時にローレンスが剣を振り下ろす。

 瞬間、広間がまばゆい光に包まれた。

 

「きゃあっ!」

「うわ!?」

 

 閃光をまともに見てしまった客たちの悲鳴。

 押っ取り刀で周囲を囲んでいたニシカワの家人たちも目を押さえて後ずさる。

 

「ぐっ・・・!」

「カスミ?!」

 

 小さな苦鳴とともに軽いなにかが倒れ込む音がした。

 目を押さえながらリアスが叫ぶ。

 吹き飛ばされたか後ろに飛んだか、いずれにしても倒れ込んだカスミの肩が血に染まっていた。致命傷ではないがかなりの深手だ。

 そしてそれをなしたローレンスは、やはり目を押さえて顔をしかめていた。

 

「ちっ・・・知ってはいたが見ると聞くとは大違いって奴だな」

 

 あの時カスミが発動した目くらましの閃光の呪文。ローレンスの妖刀はやはりそれをも「斬った」。

 だがそれでも完全に無効化はできなかったらしく、目をしばたたかせている。

 

「まあいい。邪魔だ、お前の魔力も残らず喰ってやる!」

「カスミ!」

 

 悲鳴を上げて駆け出そうとするリアス。だがまだ目はくらんだままで、剣を突き刺そうとするローレンスの方が圧倒的に早い。

 血しぶきが上がった。




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02-11 青き鎧と白き鎧

 

 

「!?」

「カスミ!?」

「ヒョウエ・・・さま?」

 

 剣が止まっていた。

 ヒョウエがローレンスの前に立ちはだかり、体でその刃を止めていた。

 素手でむき出しの刃を握り、切っ先を僅かに肩に埋めている。

 

 リアスが光の指輪を暴走させたとき、カスミだけが素早く動けた。

 ヒョウエはそこからカスミが光の術の使い手であり、それゆえに強烈な光に対して素早く対応できたのではないか、そう考えたのだ。

 そして光の術で実力で上回る相手に対抗するなら閃光の呪文ほぼ一択。

 

 果たしてヒョウエの読み通りにカスミは閃光の術を放ち、目を閉じていたヒョウエはその影響を受けずに済み、こうしてとどめの一撃に割り込むことができたのである。

 そして今、ヒョウエの肉体に異変が起こっていた。

 

「なんだ・・・テメエ・・・?」

 

 ローレンスの声に僅かに畏怖が混じる。

 ゆらゆらと、湯気のような、炎のような、オーラのような青い「何か」がヒョウエの体から立ち上る。

 

 魔力。

 魔力知覚を持たないものでも視認できるほどの膨大な魔力。

 術式という媒介を経ずにマナと反応し、物理現象を起こすほどの魔力がヒョウエから吹き出していた。

 

(何だこの手応え・・・?)

 

 一方でローレンスの背にじわり、と汗がにじむ。

 人間の体に突き込んだとは思えない感触。まるで鉄板のような。

 

 そもそもこんなチビに素手で止められるほどローレンスの突きは甘くない。

 妖刀の力が有れば尚更だ。

 そしてその妖刀ですらあふれ出す魔力を喰らいきれず、妖刀の吹き出す反魔力の炎がヒョウエの魔力にかき消されそうになっている。

 ゆらゆら揺れる魔力の中で、時折装甲板のようなビジョンが見えるのは気のせいだろうか・・・?

 

「ちっ!」

 

 舌打ちしてローレンスが飛びすさろうとする。

 

「!?」

 

 だが動かない。万力に挟まれたように刀が離れない。

 生意気な小僧の顔を睨み付けると、その口からぼそりと言葉が飛び出した。

 

「いつまで(ほう)けてるんです」

「・・・?」

 

 ヒョウエの言葉が理解出来ず、眉を寄せるローレンス。

 その視界から外れたところで少女の体がぴくりと震えた。

 

「『白のサムライ』、家の跡継ぎ、周囲の期待からの重圧・・・そんなものがなんです。あなたはなりたかったのでしょう、『サムライ』に!」

 

 刀を握る少女の手に力がこもる。

 一方でローレンスは目の前の少年から視線を外せない。

 自分の事ではないとわかってはいても、その言葉が何故か心に響く。

 

「その姿が! 今のあなたがサムライですか! 情けない! 憧れはどこにおいてきたんです! このまま何も出来ず! 何もせずに! 一生後悔だけして生きていくつもりですか!」

「「!」」

 

 それは、一生抱えていく後悔を今も引きずる少年の言葉。

 今も苛まれる記憶とともに生きる少年の言葉。

 

 少女の目に火が灯った。

 狂気に囚われた男の目に鋭さが甦る。

 

「おどきになって。あなたのおっしゃるとおり・・・ここから先はあなたの出る幕ではありませんわ」

 

 静かに――だが闘志の籠もる声がヒョウエの後ろから掛かる。

 ヒョウエが微笑んで手を離し、後ろに下がった。

 軽く精神を集中させると両手と肩からの血が止まり、傷口が塞がる。

 

「・・・治療呪文が使えますの?」

 

 ちらりとヒョウエを見てリアス。

 

「初歩ですが」

「でしたらカスミ達をお願いします」

「承りました」

 

 ヒョウエが頷いたときには、既にリアスはそちらを見ていない。

 視界の中にいるのは目前の敵だけ。

 

「構えなさい、乱心者。ニシカワ家当主リアス・エヌオ・ニシカワの名において成敗します!」

「やってみろよ、小娘!」

 

 リアスは中段まっすぐ、青眼の構え。

 ローレンスは先ほどと同じく右八双に構える。

 

 ぴりっ・・・と緊張が走った。

 悲鳴や怒号を上げていた貴顕淑女も怯えたように静まりかえる。

 例外はカスミ達を治療するヒョウエと、杖をつきながらも鋭い眼光を放つシンゲンのみ。

 

「・・・」

「・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 息詰まる数瞬が過ぎる。

 リアスも、ローレンスも。

 ヒョウエも、シンゲンも、客や家臣達も。

 ヒョウエに癒してもらった忍びやカスミ達でさえ身動きできない。

 指一本動かしただけで取り返しのつかない何かが起きるのではないか――そんな張り詰めた空気。

 だが破局は、常に突然訪れる。

 

「イェェェェェェェェェェェェェッ!!!」

 

 怪鳥音――あるいは示現流剣士の猿叫に近いものを上げて、ローレンスが剣を振り下ろす。その速度はまさしく雷光にも比すべきそれ。並の剣士なら反応もできない。

 だがその瞬間、リアスは雷光を超えた。

 

「えっ・・・」

「あ?」

「え・・・?」

 

 その場にいたほとんどの者が目をしばたたかせる。

 剣を振り下ろしたローレンスの背後、剣を振り抜いた白のサムライ――リアスが立っていた。

 

 素人にはローレンスの振り下ろした剣が見えなかった。

 だがリアスの速度はその踏み込み自体を認識させなかった。

 この場にいるほとんどの人間には、リアスが瞬間移動してローレンスの背後に立ったようにしか見えまい。

 

 剣を振り下ろしたローレンス。横一直線に剣を振り抜いたリアス。

 引き延ばされた一瞬の中で二人は動かない。

 リアスが振り向いて残心を取る。

 同時にローレンスが血を吐き、その体が半ば両断されて床に崩れ落ちた。

 

 同時に歓声が上がった。

 ヒョウエとカスミ、シンゲンが揃って大きく息をつく。

 それと共にリアスの目から闘争心の光がふっと消えた。

 倒れたローレンスに駆け寄る。投げ捨てられた刀が絨毯の上に転がった。

 

「お兄様! ローレンスお兄様!」

 

 面頬を開き、ローレンスを抱き起こす。

 ローレンスが目を開いた。憑き物が落ちたような表情。既に死相が現れている。

 

「は・・・は。やっぱ強いなあ、お前・・・敵わねえや」

「お兄様・・・」

 

 言いたい事は沢山あるが言うべき言葉が見つからない。

 目じりに涙をにじませて、リアスは唇を噛みしめる。

 

「使えたんだな、それ・・・ああ・・・やっぱかっこいいなあ・・・」

 

 ローレンスの目に映るのは白甲冑をまとったリアス。

 子供の頃から憧れ続けてきた『白のサムライ』そのものの姿。

 

「一度でいい、それを身につけてみたかったな・・・」

「兄様!」

 

 それきり、ローレンスは目を閉じた。

 

 

 

 広間にリアスの嗚咽が響いていた。

 勝利に沸いていた客たちも、シンとして音もない。

 その場の人間の視線は彼女に集中している。

 シンゲンが悲痛に首を振り、ローレンスの体を運び出すように指示しようとしたとき、ヒョウエの体から立ち上る青い炎がふっと消えた。

 

「ヒョウエくん・・・?」

 

 返事は返らず、ヒョウエはそのまま意識を失ってくずおれる。

 

「ヒョウエさん!?」

「ヒョウエ様! ヒョウエ様!?」

 

 リアスとカスミの悲鳴が広間に響いた。

 




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02-12 見慣れた天井

 ヒョウエが目を覚ますと、ここ十日ほどで慣れた客間の寝室だった。

 開いた窓から日差しが差し込み、カーテンを風がゆらす。

 日差しの方向と高さからして午後半ばくらいだろうか。

 首を傾けると、口元を抑えて目を見開いたカスミと目が合った。

 

「おはようございますカスミさん・・・でいいのかな?」

「いえ今は午後三時・・・ではなくて! 申し訳ありません、失礼します!」

 

 慌てて一礼すると、カスミがパタパタと走り去る。

 さほど時間を置かずにリアスを連れてカスミが戻ってきた。

 走り寄ったリアスが上半身を起こしたヒョウエのベッド脇にひざまずき、手を取る。

 

「ああ! 良かった・・・良かったですわヒョウエ様! あのままお目覚めにならなかったらどうしようかと・・・」

「ご心配をおかけしました。多分魔力の使いすぎで・・・ん? ヒョウエ『様』?」

 

 ヒョウエが眉を寄せる。リアスが顔を背け、頬を染めた。

 いやな予感がした。

 

「あの、リアス様?」

「いやですわそんな・・・リアスとお呼び下さいまし」

 

 ヒョウエの背にじっとりと汗がにじんできた。

 カスミの表情が引きつる。

 

「お嬢様・・・?」

「い、いやその、いやしくも伯爵家のご令嬢、いや今は御当主でしたか――が一介の術師を様づけというのは色々問題があるかと。ほら、誤解されるといけませんし・・・」

 

 ぎゅっ、とヒョウエの手を握る力が増した。

 うるんだ目が引きつったヒョウエの顔を見上げている。

 

「そんな事は言わないで下さいまし。ヒョウエ様はカスミ達を助けてくれた上にわたくしの背を押してくれました。

 あそこでヒョウエ様のお言葉を頂かなかったら、私はこうしてここにいないでしょう。このご恩は一生かけてでも返さなくてはなりません。

 さもなくば『白のサムライ』の名に泥を塗ることになるでしょう!」

「・・・」

 

 ちらり、とカスミに視線をやる。

 ぶんぶんぶん、と猛烈な勢いでカスミが首を振った。

 

「と、ともかくですね! あれから何日経っているのか、あの後何が起きたのか、まずはそれを説明して頂けるとありがたいのですが!」

「あ・・・そうですわね。わたくしとしたことが、気のつかない事で申し訳ありません」

 

 ちょっと意表を突かれた顔になり、リアスが手を離して立ち上がった。

 ヒョウエもベッド脇に用意されていたサンダルに足を通して立ち上がる。

 リアスと、お茶の用意をしようとしていたカスミが驚いた顔になった。

 

「いけません、ご無理はなさらないで下さいまし」

「大丈夫ですよ。むしろ力がみなぎっている感じです」

「ならよろしいのですが・・・」

 

 ガウンを羽織り、居間に移動する。カスミが手際よく茶の用意をととのえた。

 淹れてもらった香草茶を口にして落ち着いたところで口を開く。

 

「それで、あの後何が?」

「そうですね。兄様の件については概ね慮外者の乱心と言うことでケリが付きました。

 死者も出なかったことですし、私の当主継承もつつがなく認められましたので、そちらについては概ね問題ないと思います」

「それは良かった」

 

 安堵の息をつく。

 そもそもニシカワ家に呼ばれたのがリアスの継承の儀を成功させるためである。ようやっと肩の荷が下りた感じだった。

 

「それで、今はあれから何日経っているんですか?」

 

 普通なら腹の減り具合などで察する事もできるだろうが、何せ魔法の世界である。

 食神(バーテラ)の神殿や術師に金を積めば、意識のない人間に栄養を補給することも不可能ではない。

 点滴が実用化されていないこの世界では医療上地味に重要な術であるが、術の系統が違うので治癒術師でこの術を習得しているものは少ない。

 閑話休題(それはさておき)

 

「まだ半日というところですね。昨晩は大変だったんですよ? マリー・・・治癒術師に『心臓が止まっている』と言われた時にはわたしの方も心臓が止まるかと思いましたわ」

「え・・・?」

 

 さすがにこれは予想外だったのか、ヒョウエが目を丸くする。

 リアスの方も余り良くは理解していないのか、つっかえながら説明を続ける。

 

「その、正確に言えば心臓は止まっているが息はあるという奇妙な状態だそうでして・・・医神(クーグリ)の神官様をお呼びにやろうとしたのですが、ちょうどその場に到着されたヒョウエ様の兄弟子様と姉弟子様が無用とおっしゃられまして」

「ふむ・・・?」

 

(何かを知っているのか? ひょっとして『これ』がらみか・・・?)

 

 自分の胸に意識を向ける。そこには超高純度の魔力結晶にして具現化術式、『隠された水晶の心臓』がある。軽く魔力を通すと、昨日までは明らかに違う感触が戻ってきた。

 間違いなく魔力の経絡(チャンネル)が開いている。四つしか開いていなかったはずの水晶の心臓の経絡が今は七つ全て開いていた。

 恐らくは昨夜限界を超えて魔力を酷使したせいだろう。

 心臓が止まっていると言われたのもそれか?と考えてふと気付いた。

 

「そう言えば兄さんたちはどうしたんですか? まだこの屋敷に?」

 

 ヒョウエの問いにリアスが困った顔になった。

 

「お帰りになられました。『寝かせておけば元に戻る、後はよろしく』と言われまして」

「薄情者め・・・」

 

 しかし、何か知っているのは間違いない。帰ったらとっちめて吐かせてやると決意する――主に兄弟子の方を。

 姉弟子の方はとっちめるどころか返り討ちに逢いかねないのでスルーだ。

 と、その表情を見てリアスがクスリと笑った。

 

「なんです? 人の不機嫌な顔が面白いですか?」

「すいません。でもやっぱり仲がよろしいんだなと思いまして」

 

 くすくすと笑いを重ねるリアス。いつの間にかカスミも僅かに笑みを浮かべている。

 さらに仏頂面になるヒョウエ。

 何か言うと墓穴を掘りそうな気がしたので、無言で香草茶を飲んで誤魔化した。

 

 

 

「そう言えばローレンス様の持っていた刀はどうしました?」

 

 二人の微笑ましげな視線に耐えるいたたまれない時間をしばらく過ごした後、ふと思いだしたことを口にする。

 魔力を食らう妖刀。ローレンスの様子が豹変したころから持ち歩くようになった。

 なら逆に、ローレンスを変えたのがあの妖刀であると考えられないだろうか?

 

("知恵持つ剣(インテリジェンス・ソード)"ってのもあるしなあ。"知恵持つ刀(インテリジェンス・カタナ)"があってもそりゃおかしくないか・・・)

 

 ヒョウエの質問に、リアスとカスミが顔を見合わせる。

 

「そう言えば・・・カスミは何か聞いてるかしら?」

「いえ、わたくしもあの後お嬢様と一緒に下がらせて頂きましたので・・・何かお気になることでも?」

 

 んー、と少し唸って。表現をソフトにしつつも推測と抱いた疑念をそのまま伝える。

 話が進むにつれ、リアスとカスミの表情が曇っていく。

 

「・・・それは本当なんですの?」

「現時点ではあくまで推測です。ちゃんと調べたわけでもありません。

 カスミさんはあの刀に何か感じませんでしたか?」

「ただのカタナではないとは思いましたが、それ以上のことは――申し訳ありません、私も多少の術は使えますが光系統のみですので」

「でしょうね。お気になさらず」

 

 術師の素質にも色々あって、ある系統の術にしか発揮されない素質というのもある。

 専門系統には尖った才能を発揮するが、それ以外はからっきしという類のそれだ。

 当然、魔力感知でも自分の専門外の魔力には精度が大幅に甘くなる。

 歳に似合わない術の見事さからすると多分彼女もそれだろうなと思っていたが、どうやら当たりらしい。

 

「ともかく、その剣についてはおじいさまなり家の者なりに確かめておきましょう。

 それでその・・・ヒョウエ様はいつまでこちらに?」

「? それはまあ、仕事も済んだことですし、体調も問題ないですし、この後にでも荷物をまとめて・・・」

「いけません!」

 

 いきなりの大声にヒョウエとカスミが驚く。

 リアス自身意外だったようで、恥ずかしそうに俯いた。

 

「その、仮にも心臓が止まっていたのですし、大事をとりませんと・・・一週間、いえ、数日ほどでも当家に滞在して静養を・・・」

「いやまあお心遣いはありがたいんですが、本当に調子は良いので」

 

 これは本当だった。

 「隠された水晶の心臓」が全開で稼働しているせいか、体の調子がこれまでになくいい。

 魔力は生命エネルギーの一種であるから魔力の高い人間はそれだけで健康・長寿になる傾向があるが、恐らくそう言う事なのだろう。

 

「それに貧乏暇無しと言う奴で、頑張って稼がないといけない身でして・・・お恥ずかしい限りですが借金があるんですよ」

「で、ではニシカワ家専属の魔導技師になりませんこと!? 借金についてもわたくしが何とか・・・」

「お嬢様・・・?」

 

 どうしてこんなに必死になるのか、自分でもわからないままにリアスが食い下がる。

 その後ろには愉快にひきつったカスミの顔。

 限りなくいやな予感を覚える。

 

「まあその、お心遣いだけ頂いておきます。多分お嬢様個人のまかない(ポケットマネー)だけでは足りないと思いますので」

「「え」」

 

 主従がハモった。

 冷や汗を一筋たらし、カスミがおずおずと口を開く。

 

「その、ヒョウエ様の借金はどれくらいおありになるので・・・?」

「あは、あは、あははははは・・・」

 

 多分カスミが想像してるよりも桁が二つか三つ違う金額を改めて思い起こし、ヒョウエが乾いた笑いを上げた。

 

 

 

 ヒョウエの虚ろな笑いがしばらく響いた後、居間に沈黙が落ちる。

 勇を鼓してというのがぴったりの表情で沈黙を破ったのはリアス。

 何故沈黙を破るのに勇を鼓す必要があるのかは本人もわかっていない。

 

「それでは、どうしても我が家をお出になるのですね――それではその、あの光の指輪をお貸し願えませんか!?」

「・・・? これをですか?」

「はい!」

 

 小指にはめている指輪を見下ろし、首をかしげる。

 

「そのですね、私もめでたく白の甲冑を継承いたしまして、こう、魔力のコントロールとかを覚えなければと思うのです。白甲冑は当主でもそうそう身につけられるものではありませんし、練習用に指輪をお貸し願えれば・・・!」

「・・・」

 

 光を出す指輪の一つや二つ伯爵家なら買えるだろうに、何でこの人はこんなに必死になっているのだろうと思うヒョウエ。

 わかる気もするがわかりたくない。

 

 後ろに控えるカスミをちらっと見る。

 すごく複雑な顔をしていた。顔面の表情筋が複雑骨折を起こしたような。

 

 渡したら身の危険を感じるが、渡さなくても身の危険を感じる。

 一瞬もの凄く真剣に考えて――結局ヒョウエは思考を放棄した。

 こういうところがトラブルの元になると、本人はまだ気付いていない。

 ともあれ溜息とともに指輪を抜いて、リアスに手渡した。

 

「そう言う事でしたらどうぞ。あの立ち会いを見る限り、ほぼ問題はないと思いますけどね」

 

 肩をすくめるヒョウエとは対照的に、リアスは受け取った指輪を胸元にぎゅっと握り込む。

 

「ありがとうございます・・・一生大事にしますわ!」

「・・・一生?」

「い、いえ! 心構えの話です! 心構えの!」

 

 顔を真っ赤にして慌てて弁解するリアス。

 

(ひょっとして僕は選択を誤ったんでしょうか)

 

 真顔になるヒョウエ。

 耐えきれなくなったのか、ついにカスミが頭を抱えてうずくまった。




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第二章「はいるひどら」
02-13 ほら吹きサーベージ


 

 

 

「つまり真なる竜はゴジラ、亜竜は火を吐くだけのティラノサウルスだな」

「ごじらってなに?」

 

 

                     ――転生者の祖父と孫の会話――

 

 

 

「・・・と、言うことがあったんですよ」

「へ、へーえ・・・」

 

 話は現在の六虎亭に戻る。

 モリィがヒクヒクとこめかみを痙攣させた。

 

 取りあえずリアスを落ち着かせて席に着かせた後、モリィにざっと事情を説明した。

 大雑把にしか聞かせていないはずだが、どうも説明した以上の事も察したらしい。

 女の勘とも言う。

 

「そうなのです! あの時のヒョウエ様は強く! 気高く! 美しく! ああ、あの情景を絵画にして永遠に残しておけたら・・・!」

 

 まあ、女の勘は必要ないかも知れない。

 二年の間に諦めの境地に至ったか、カスミは虚ろな目で茶をすするのみだ。(さすがに冒険者の酒場と言うこともあり、立って給仕はしていない)

 

「・・・」

 

 一方でモリィは目がどんどん据わってくる。

 このまま放置しておくと非常に良くないことが起こりそうなので急いで話を変える。

 

「そう言えば何故ここに? しかも『白甲冑』をまとって」

 

 門外不出のはずの秘宝である。

 当主といえど戦場以外に持ち出すものではない・・・はずなのだが。

 

「武者修行です!」

 

 鼻息荒くリアスは答えた。

 

「はい?」

「だから武者修行です!」

「いやそこじゃねーよ! 言葉は聞こえてるよ! 伯爵家の御当主様がなんで武者修行なんて出てるんだよ!」

 

 ヒョウエが言おうとして躊躇した言葉を、代わりにモリィが言ってくれた。

 ああ、とリアスが笑顔のままで頷く。

 

「それはもちろん、わたくしが未熟だからですわ。才能は実践でこそ磨かれるもの。武の道でしたら尚更ですわ」

「ご隠居様や叔父上様や武芸指南様や私の一族の腕利きをまとめて叩き伏せる程度の未熟ですけどね・・・」

 

 ぼそりと呟いたカスミの言葉はリアスには届かない。

 

「それで冒険者ってか? ・・・まあ『白のサムライ』ともなりゃ、そりゃ腕は立つんだろうけどよ」

 

 不満そうではあるが不承不承に実力は認める風のモリィ。

 彼女とて『白のサムライ』の物語には子供の頃から慣れ親しんでいる。

 さすがにその継承者の力を疑うことはできなかった。

 

「と言うわけでお願いがあるのですヒョウエ様!」

 

 リアスが一段と声を張り上げた。

 ヒョウエとモリィとカスミが、図ったように同じ表情になる。

 

「・・・想像はつきますが、どうぞ」

「わたくしとカスミをヒョウエ様のパーティに入れて下さいまし!」

 

 ヒョウエとカスミが揃って溜息をついた。

 

 

 

「ぐぬぬぬぬ・・・」

 

 モリィが唸る。

 感情的にはなにがなんでも拒否したいが、実利的には拒否する理由がない。

 

 現在エブリンガーはヒョウエとモリィの二人パーティで、両方とも遠距離タイプ。

 ヒョウエはそれなりに接近戦もできるがやはり術師。力を発揮するのは後衛として前衛に守られている状態でだ。

 前衛として確かな実力を持つだろうリアスと、中衛として優秀と思われるカスミが入るのは戦力として理想的なバランスとも言える。

 

 が、それとは別に自分がそう言う感情を抱いていることも表だって認めたくはないのがモリィという少女であった。

 実に面倒くさい。

 そんな事を知ってか知らずか(※多分知らない)、リアスはきらきらした眼でヒョウエとモリィを見る。

 

「どうでしょう、お二方。私たちをパーティに参加させてはいただけないでしょうか?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」

「うーん」

 

 唸り続けるモリィ。

 モリィの方をちらりと見ながら苦笑するヒョウエ。

 カスミがリアスに見えないところで申し訳なさそうに頭を下げていた。

 

 

 

「・・・まあ、いいんじゃねえか」

 

 長い息詰まるような沈黙の後、モリィが絞り出すように言った。

 ヒョウエとカスミがほっと息をつく。

 リアスもさすがに何かを察したのか、ちょっと固い笑みで頭を下げる。

 

「その、ありがとうございます」

「いいよ、別に。けど『白のサムライ』だなんて大口叩いたからには働いてもらうぜ」

「それはもう!」

 

 ぱあっとリアスの顔が明るくなった。

 立ち上がってモリィの手を取る。

 

「不詳リアス・ニシカワ、初代様の名に誓って決して足手まといにはなりませんわ!」

 

 素直にぶつかってくるリアスに悪態もつけず、モリィは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 酒場の入り口の方がざわっと軽くどよめいた。

 振り向くと小汚い老人が入って来たところ。

 適当に刈り込んだ頭髪と短く刈り込んだ髭が赤ら顔の下半分を覆っている。

 小さめのかばんを肩にかけ、染みだらけの上着とズボンに布の帯を締めている。

 左目を布で覆っており、1m程の木の杖を突いているが足取りは確かだ。

 

「師匠~!」

「師匠!?」

 

 ヒョウエが立ち上がって手を振る。

 三人が一斉にそちらの方を振り向いた。

 

「お師匠様というと魔法のですか?」

 

 目を丸くしてカスミ。

 

「いえ・・・お年の割には歩き方に隙がございませんし、武芸の方の?」

 

 興味深げにリアス。

 

「んー・・・? 誰だっけ、どっかで見たような・・・?」

 

 首をかしげるモリィ。

 

「師匠、ここです、ここ!」

「おう、おまえか」

 

 ヒョウエに気付いたのか、老人も手を振り返してヒョウエたちのテーブルにやってくる。

 そのまま無造作に椅子を引いてどっかと座り、ヒョウエがエールを注文する。

 

「すいませーん、こちらにエールを一杯!」

「はーい、ただいま~!」

「おう、すまねえな」

「いえいえ」

 

 流れるような一連のあれこれに少女たちが言葉を失う中、モリィが「あ」と声を漏らした。

 

「どっかで見たと思ったらあれか、あんた"ほら吹きサーベージ"か!」

「ほら吹きとは失礼な。おれの話は全部本当のことばかりだぞ」

 

 かっかっか、と笑う白ひげの老人。

 

「どういう方ですの、モリィさん?」

「あー、モリィでいいよ・・・あちこちの酒場に現れるじいさんでな、昔は腕利きのサムライで竜を倒しただの、悪魔を斬っただのってホラ話をしては酒代をせびる爺さんだよ。

 ただ、ホラにしても話が面白くてさあ。結構人気があるんだ。サーベージってのも本名じゃなくてあだ名らしい」

 

 ふーん、と感心したようにリアスが頷く。

 サーベージというのは昔話に出てくる緑色のドラゴンだ。

 

「ではヒョウエ様のお師匠様というのも・・・?」

「ええ。語りのお師匠様ですよ」

「あー、前に言ってたあれか。まさかこの爺さんだったとはなあ・・・」

 

 感心しているうちにエールが届き、サーベージがぐっとそれをあおった。

 ヒョウエたち四人をぐるりと見回し、からからと笑う。

 

「いやしかし、華やかだな。四人とも美人揃いじゃねえか、ええ? 両手に花どころか花畑だ」

「僕は男ですってば。そんな事言ってるとまた奥さんに怒られますよ」

 

 溜息をつくヒョウエの皮肉にも、サーベージ老人はびくともしない。

 

「いーんだよ、あんな白髪ババァ。それより練習は欠かしてねえんだろうな?

 一席やってみろよ。酒の肴に聞いてやらあ」

「もちろんですとも。それでは」

 

 ヒョウエが立ち上がって語りを始めた。




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02-14 語り部

 転移してきた冒険者族がいきなり小国の王に推戴される。

 ところが王国には金もない兵もない家臣すらろくにいない。

 実のところ主人公が王になったのは前の王が逃げたからで、言わば貧乏くじ。

 それをなんとかしようと、諸侯や魔女や竜や魔王と口八丁で渡り合い、最後はどうにか国を統一して妖精王の娘を妻に迎える。

 

 コメディチックな物語を語り終えると、周囲から拍手が起きた。

 彼の技量を知ってるモリィもそうだが、リアスやカスミも感嘆しきりだ。

 話の間にエールを二杯お代わりしたサーベージ老人も満足そうに頷いた。

 なお、お代はヒョウエの払いである。

 

「よしよし、上達してんじゃねえか。それじゃお代わりのエールの分、俺も一つ演ってやろう」

 

 手に持ったエールのジョッキを飲み干し、更にお代わりを注文すると、ヒョウエと入れ替わりに老人が立ち上がった。

 

 

 

 語り出して五分と経たないうち、酒場の中に響くのは老人の声だけになった。

 北の蛮人として生まれ、剣一本で諸国を放浪して冒険を重ね、ついには南の大国の建国王と成った戦士の物語。

 魔法も使えず加護もないが剣を取っては天下無敵、いかなる困難も知恵と力と勇気で乗り越えていく英雄の活躍に誰もが聞き惚れている。

 

 サーベージ老人が語るのはその中でも東方へ冒険の旅に赴いたときの物語。

 東方の風俗、町並み、そこに歩く人々の姿まで目に浮かぶような語りに、客は元よりウェイトレスやギルドの職員までが酔いしれた。

 主人公を罠にはめる悪辣な廷臣には怒りの声を上げ、主人公に襲いかかる怪物に悲鳴が上がり、不屈の意志ととっさの機転、そして鍛え上げた肉体の力で罠を打ち破った主人公に歓声が上がる。

 

 最後には悪党の廷臣が自らけしかけた怪物に食われ、主人公が怪物を両断して帰路につく。

 満場の大喝采とともに話は大団円を迎え、老人は気取って一礼し、茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。 

 

「で、実はこの南の大国を建国した戦士というのがおれのことでな! いやはや有名になるのもつらいもんだ!」

「ワハハハハ! うそつけ!」

「バカヤロー!」

「言ってろ!」

 

 モリィの言った通りこの界隈では有名なのだろう。笑いの混じった罵声が降り注ぎ、おごりのエールのジョッキがたちまち10近くテーブルに並ぶ。

 

「いやはや気前が良いな皆の衆! これだけあってはエールの海に溺れてしまいそうだ!」

「飲めないなら手伝ってやるぜ、じいさん!」

「馬鹿言え、もらったからには全部俺のもんだ! 一滴たりともくれてやるものか!」

 

 言ってうまそうにエールをあおる。確かにジョッキの十どころか大樽丸ごとを飲み干してしまいそうな、いい飲みっぷりだった。

 

 

 

 ぱちぱちぱち、と目を輝かせてリアスが拍手をしていた。カスミも同様だ。

 モリィも満足げに笑みを浮かべているし、ヒョウエはいうまでもない。

 

「いやあ、さすが師匠! お見事でした!」

「かかか、てめえごときにゃまだまだ負けねえよ。弟子を突き放すのが師匠の役目ってもんだ」

 

 呵々大笑しながらジョッキを傾けるサーベージ老人。

 かなりのハイペースで飲んでいるはずだが、最初から赤ら顔なのを除けば全く酔う様子がない。

 

「しかし華やかなのもそうだが随分と豪華なメンバーじゃねえか。

 小僧もそうだが『白のサムライ』に『紅の影』、『雷光のフランコ』と来たもんだ。

 ちょっとしたオールスターだな」

 

 ヒョウエ以外の三人が揃って驚いた顔になる。

 最初に口を開いたのはリアスだった。

 

「よく一目でおわかりになりましたね?」

「そりゃ飯の種だからな。初代様には随分エールをおごってもらってるよ、お嬢様」

「まあ、悪し様に言うのでなければ構いませんけれど」

 

 ウインクする老人に苦笑するリアス。

 一方でモリィはカスミに好意的な驚きの眼を向けている。

 

「そうか、お前『紅の影』の血筋か。ニンジャってやつか」

「一族の末席ではございますが」

 

 カスミがはにかむように微笑んだ。

 サムライほどメジャーではないがニンジャもこの世界ではそれなりに知られた存在だ。

 

 もっとも本物を見た人間はそうはいないだろう。

 モリィの表情にはそう言う意味合いもある。

 何だかんだで彼女は曾祖父をはじめとする英雄譚が好きだし、憧れてもいる・・・表だっては決して認めないが。

 

「そう言うモリィさん・・・モリィも『雷光のフランコ』のご子孫なのでしょう? すごいではありませんか!」

「あ、ああ・・・」

 

 立ち上がり、両手を組んできらきらした眼で詰め寄ってくるリアス。

 思わずのけぞるモリィ。

 圧が強い。

 

「つってもアンタのところと違ってうちは商人に鞍替えしたからなあ。

 残ってるのは雷光銃だけだし、ひいじいさんの話とかもあんまり伝わってねえぜ?」

「そうですか・・・残念ですわ」

 

 正確には子供の頃祖父から色々話を聞いていたとは思うのだが、さすがに十年以上前の事なので記憶はおぼろげだ。

 リアスはそれを聞いてちょっと目を伏せたが、すぐに再び眼をきらきらさせ始めた。

 

「それはそれとして・・・ぶしつけとは思いますがその、名高い雷光銃を一目見せて頂けませんか? 触らせてくれとは申しません、見るだけでも結構ですわ!」

 

 きらきらした眼がいっそう圧を増す。

 

(・・・ま、いいか)

 

 一瞬迷ったが素直に雷光銃を抜き、手の中で回転させて柄を差し出す。

 顔を輝かせ、礼を言ってリアスはそれを手に取った。

 

「やけに素直に渡すじゃないですか、僕の時なんて・・・」

「あーあー、聞こえないなー。あ、そこのつまみは回すなよ。今鍵がかけてあって撃てない状態になってるけど、そこ回すと雷光が出てくるからな」

「わかりましたわ・・・見て、カスミ! あの雷光銃よ!」

「う、うわあ・・・」

 

 素直に頷いてためつすがめつ、あれこれ雷光銃を検分するリアスとカスミ。

 ヒョウエと違ってその様子はいかにも素人丸出しだったが、二人一緒にきゃいきゃいと熱中している様子は仲の良い姉妹のようで、モリィも思わず頬をゆるめた。

 何の気無しにちらりとヒョウエを見る。

 モヤモヤは取りあえず脇に置くことにしたのか、ニコニコと二人の様子を眺めている様子に何かカチンと来た。

 ヒョウエが視線に気付く。

 

「・・・何です?」

「いや別に? ただ、お前と違ってかわいげがあるなーってさ」

 

 にしし、と笑うモリィ。

 

「はいはい、どうせかわいげはないですよ。

 大体男なんだからかわいげがある必要はないでしょ」

 

 ヒョウエが口をへの字に曲げる。

 九杯目のジョッキを飲み干し、サーベージががははと笑った。

 

 

 

 その後サーベージと別れて酒場を出た。

 なお追加注文も全てヒョウエ持ちだ。

 

「さすがに甘過ぎねえか?」

「それだけの価値はあると思いますけどね」

「そりゃまあなあ」

 

 見事な語りを思い出し溜息をつく。あれに師事できるならエールの一樽くらいの価値はある、という考え方もありだろう。

 とはいえ借金でぴぃぴぃ言ってる人間がやるにはやや高くつく趣味である気もした。

 

「そんな事やってるから金が貯まらないんじゃないのか?」

「・・・・」

「おい」

 

 無言で目をそらすヒョウエに、モリィが再び溜息をついた。




 「紅の影」はもちろんカスミのご先祖で初代「白のサムライ」の相棒だった忍者さん。多分鳥を模した仮面とかつけてる(嘘)

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02-15 郊外の保養地(サバーブ・リゾート)

 それはともかく、彼らが向かっているのは半月ほど前にヒョウエとモリィが攻略した例のダンジョンであった。

 今では「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」などという名前がつけられ、比較的初心者向けの利便性の高いダンジョンとして毎月ヒョウエに多額の利用料をもたらしてくれている。

 西門を出てダンジョンへ向かう一行。すでに森を切り開いて道路が造られ、石畳の工事も始まっていた。

 リアスなどはそれを見て目を丸くしている。

 

「・・・ダンジョンへ向かう道を整備しますの?」

「極端なことを言えば、ダンジョンなんて鉱山みたいなものですからね。冒険者はフリーの鉱夫。鉱脈を見つけて魔力結晶をせっせと掘り出しては日銭を稼いで酒を飲むんですよ」

「うーん・・・」

 

 複雑な顔になるリアス。カスミも微妙に眉を寄せている。

 ダンジョンと言えば選ばれた勇者が足を踏み入れて竜や巨人と戦い、さらわれた姫を助けたり宝を手に入れたりという良くある英雄譚のイメージが強いのだろう。

 ヒョウエとモリィが顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 森の中を30分歩くと、不自然にぽこりと盛上がった岩山に洞窟が口を開けているのに出くわす。周囲を兵士達が固めており、天幕やギルドの職員の姿も見える。

 

「光ー! 光売りますよー! 火だね要らず、落としても消えない!」

「幸運はいらんかねー。いざというときに身を助けてくれる幸運の魔法だよー!」

「買い忘れた冒険道具、色々揃ってますよー! 松明にランタン、ほくちにロープ、登山釘にハンマー、携帯食、お菓子! ポーションもあるよ!」

「喰らう前の毒効かずの呪文! 半日は毒が効かなくなるよ!」

「ダンジョンの攻略情報! 地図とモンスターの出現傾向だ!」

 

 周囲に群れる商人や魔法屋。軽食を売る屋台まである。

 リアスとカスミが更に呆れた顔になった。

 

 入り口で認識票を見せ、記帳する。

 ヒョウエの書いた「毎日戦隊エブリンガー」というパーティ名を見てリアスが眉を寄せた。

 

「あの、このお名前は誰が?」

「僕ですよ」

「そ、そうですか。その、いいお名前ですわね・・・」

 

 やや表情を引きつらせたリアスの肩を、ぽんぽんとモリィが叩く。

 

「なぁお嬢様。時にははっきり言ってやるのもやさしさってもんだぜ」

「別にいいですよ。どうせ僕にはセンスがありませんからね!」

(うーん)

 

 唇を尖らせたヒョウエがつかつかとダンジョンに入っていく。

 三者三様の微妙な表情を浮かべながら、少女たちが後に続いた。

 

 

 

 ヒョウエが杖の先に光を灯し、カスミも短く呪文を唱えて宙に光を浮かべた。

 予備のランタンやナイフ、マッチやポーションなどの道具類を確認。

 

 ヒョウエの周囲を金属球が回転しはじめた。モリィは雷光銃。

 リアスは刀に騎士盾を構え、カスミは右手に棒手裏剣。

 カスミは腰の後ろに刃渡り50センチほどの脇差しめいた片刃剣を差している。

 

(忍者刀かな)

 

 反りのない、短めの日本刀っぽい作りを見て、後で見せてもらおうと心に決めた。

 そんな事を考えつつ暗闇の中に足を踏み入れると、さすがにリアスとカスミの顔に緊張が浮かぶ。

 

「大丈夫ですよ。緊張するな・・・と言っても無理でしょうが、僕もモリィもいます。

 いざとなったら僕たちのどちらかだけでも大概の怪物は倒せますのでまずは慣れる事を優先してください。最悪二人は立ってるだけでも問題ありませんから」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます、ヒョウエ様」

 

 緊張が完全に取れたわけではないが、二人が笑顔で頷く。

 

「それと」

「?」

 

 ヒョウエが指を一本立てた。

 

「僕たちはこれからパーティの仲間です。様付けもさんづけもなしで行きましょう、お互いにね。いいですね、リアス、カスミ?」

「はい、ヒョウエ様!」

 

 嬉しそうに叫んで、直後リアスが固まった。

 ヒョウエとモリィが失笑する。

 顔を赤くしたリアスがもごもごと何かを呟く。

 

「そ、その・・・」

「まあなんです。徐々に慣れると言うことで」

「はい・・・」

 

 穴があったら入りたいという表情でリアスが頷いた。

 

 

 

 2x2の正方形の隊列を組む。

 前列に探索役のモリィと前衛のリアス、後列にカスミとヒョウエ。

 戦闘時はモリィとカスミが入れ替わる。

 入り口付近で少し入れ替わりの練習をするとパーティはダンジョンを進み始めた。

 

「例によって足跡の少ない方をお願いしますね」

「オーライ」

 

 朝の十時くらいだったが、既に十隊近いパーティがダンジョンに潜っている。

 このダンジョンは放射状に広がる扇のような構造をしているため、闇雲に進んでいてはよそのパーティとかち合う危険性も高かった。

 

「足跡? この岩の地面でですか?」

「《目の加護》があるんでね」

「モリィの《目の加護》は強力ですよ。闇の中でも見えるし、遠くのものも細かいものも見える。足跡を見分けるのもお手の物です」

 

 ほう、と感心した顔になるリアスとカスミ。

 何かに気付いたような顔になり、カスミが口を開く。

 

「それでは今のうちに互いの《加護》を確認しておいた方がよろしいのではないでしょうか。わたくしは《光の加護》です。正確には光の術の素質ですね」

「ニンジャなのに目立つ加護だなあ。《闇の加護》とかの方がそれっぽいんじゃねえの?」

「よく言われますが、使い方次第ですよ」

「ふーん」

 

 カスミの斜め上に浮遊している光球をヒョウエがちらりと見た。

 ヒョウエの術が杖に光を灯しているのに対し、カスミの術は自在に宙を動いて周囲を照らす光球を生み出した。それなりに高度な呪文で、見る限り動きも正確に制御されている。

 少なくとも光の術に関してはかなり高レベルの術者なのは間違いなかった。

 

「僕は《魔力の加護》。リアスは《剣の加護》でしたね」

「おー、さすが《白のサムライ》の直系だな。頼みにしてるぜ」

 

 モリィの称賛にリアスが照れて顔を伏せた。

 

「いえそんな・・・まだまだですわ」

「ご謙遜、ご謙遜」

 

 ローレンスと立ち会ったときの動きを思い出し、ヒョウエが笑う。

 それに、どのみちすぐに実力を見せてもらうことにはなるはずだった。

 

 

 

 一時間ほど歩いて、他の冒険者が入っていない分岐に入った。

 そこからさらに十分ほど歩いたところでモリィがピタリと足を止めた。

 後ろのカスミと頷き合い、練習通りに素早く位置を入れ替える。

 カスミが棒手裏剣を左手に移して腰の脇差しを抜いた。

 

「敵ですか」

「地面をカサカサ這ってるし、足音が重めだからスピア・リザードじゃねえかな」

「なるほど。確かにその様な音ですね」

「・・・!」

 

 リアスが刀と盾を握り直し、前方の闇を睨む。

 その肩に、後ろからぽんとヒョウエが手をおいた。

 

「落ち着いて。相手は1mほどのトカゲです。頭部に鋭い角がありますし、素早く突進してきますから最初は戸惑いますが、その鎧なら角は通りませんし、リアスなら落ち着いていけば何と言うことはありません」

「は、はい!」

 

 振り向いて頷いた後、リアスは大きく息を吸い、自然体で刀と盾を構え直した。




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02-16 ダンジョンの洗礼

 結論から言えば、リアスとカスミは十分な働きをした。

 ヒョウエが瞬間的に光量を上げ、地面を低く這ってくるスピア・リザードたちが悲鳴を上げる。

 リアスは動きの止まった先頭の一匹の首に騎士盾の下端を上から叩き込む。鈍い音がして首の骨が折れた。

 

 そいつの脇から突進して来た一匹に、すくい上げるような地摺りの一刀。切っ先が正確に頸動脈をはね斬り、血を吹き出してこちらも絶命した。

 さらに仲間の死体を乗り越えて来た一匹は顎を蹴り上げてひっくり返す。切っ先が素早く心臓に突き込まれ、短く悲鳴を上げて三匹目も動かなくなった。

 

 カスミの方もそこまで派手ではないが堅実にダメージを与えている。

 ひらりひらりと闘牛士のように突撃をかわし、カウンターで斬撃や刺突を送り込む。

 4回目でこちらも頸動脈を斬られ、絶命した。

 その合間に左手で棒手裏剣を投げ、他のトカゲどもを牽制。

 何本かは目につき刺さって、哀れな爬虫類を苦痛に悶えさせている。

 

 無論ヒョウエとモリィも全力ではないが遊んでもいない。

 空気を裂いて金属球が飛び、トカゲの頭を槍のような角ごと潰す。

 雷光が迸り、鱗に覆われた体を焼く。

 十数匹のトカゲは五分と経たずに全滅していた。

 

 

 

「すげえな。さすがは『白のサムライ』だ。そっちのおチビちゃんもな」

「いえいえまだ未熟です。そちらこそ『雷光』の継承者、見事なものですわ」

「ありがとうございます、モリィ様。お嬢様やモリィ様たちに並ぶのですからこれくらいはいたしませんと」

 

 モンスターのかりそめの肉体が消滅し、魔石結晶を生み出すまでの僅かな間。

 少女たちが互いの実力を認め合う中、一人ヒョウエはリアスの甲冑を注意深く観察していた。

 

「『白の甲冑』の動作は問題ないようですね。とは言え二年前に見たそれに比べると明らかに劣りますが・・・手加減していましたか?」

「え? あ、はい。手加減と申しますか・・・何度か装着してはみましたが、あの時ほどの動きはついぞ出来ませんでした。私の中の覚悟と言いますか、そう言うものが足りないのではと・・・」

 

 それを聞いてヒョウエが考え込んだ。

 

「ふぅむ・・・精神状態によって出力が上下するのか・・・? リアスの発する魔力が増大していたのか、それとも《剣の加護》との相乗効果か・・・」

「あ、あの・・・」

 

 ヒョウエにじろじろと見られてリアスが恥ずかしそうに身をよじらせる。

 ヒョウエとしては機器の様子を精査しているだけなのだが、装着しているのが年頃の乙女と来ては見られる方はそうもいかない。

 

「ふーむ・・・魔力の流れは問題ないようですね。装甲だけではなくインナーの方にも順調に魔力が循環している」

「い、インナーもわかりますの!?」

「ええ、最近"魔力解析(アナライズ・マジック)"の呪文を習得しまして。これを使えば範囲内の魔力の流れが手に取るように・・・ぶべっ!?」

 

 白甲冑の腰の辺りを覗き込んでいたヒョウエが後頭部を強打されて洞窟の床に沈んだ。

 無論、炸裂したのは雷光銃の柄頭(グリップ)である。

 モリィが顔を赤くして叫んだ。

 

「この変態がっ!」

「失礼な! 僕はただ魔導鎧の点検をしてただけですよ!? いくらなんでも今のはひどいとは思いませんか!」

 

 よほど痛かったのか、頭を抱えてちょっと涙目のヒョウエが抗議するがモリィの怒りを押しとどめることは出来ない。

 

「それは外してからにしろ! 女をじろじろ見るだけでも変態だってのに、下着まで覗き込むのが変態でなくてなんだっ!」

「ぬ、ぬぬ・・・」

 

 勢いに押されたヒョウエが助けを求めるようにちらりとリアスとカスミを見るが、リアスは顔を赤くしてうつむくのみ。

 カスミの方とは言えば、これは無表情に眼を細めている。その黒目がちょっと青い。

 

「その、ヒョウエ様。わたくしとしても・・・」

「少なくとも状況は考えて頂きたいところです」

「・・・ハイ、スイマセンデシタ」

 

 二人の視線と、これ見よがしにグリップを手のひらに打ち付けるモリィの脅迫にヒョウエは屈した。

 

 

 

 魔力結晶を回収すると一行は奥へ進む。

 その後もダンジョン探索は順調に進んだ。

 本気を出したヒョウエの金属球の乱舞の前にモンスターは出てくるなり破砕され、屍となって次々雲散霧消する。

 

 初めてモリィと会ったときのように二十匹ほどのゴブリンの頭が次々に砕けてはじける。

 ふいご狼(ベローズ・ウルフ)が喉に大きな穴を開け、笛のような甲高い音を立てて倒れる。

 

火の星よ(Angaraka)

 

 ヒョウエの「力ある言葉」に応じ、金属球に光る文字が浮かび上がる。

 10秒ほどの時間を置いてそれは巨大な火球となり、洞窟を数十メートルにわたってびっしりと埋め尽くす蜘蛛の群れを焼き尽くした。

 リアスとカスミは素直に感心していたが、モリィはふてくされているんだろうなと何となく察して白い目で見ていたのはご愛敬である。

 

 

 

 蜘蛛との戦闘後、ぶるっと震えてモリィがカスミを見た。

 

「しかしおめー、蜘蛛見ても全然平気だったな。正直あの手のを見ると背筋に寒気が走るんだが」

「私もですわ・・・冒険者をするなら慣れなければいけないのでしょうけど」

 

 自分の肩を抱いてリアスが同意する。

 やはり彼女もあの手のモンスターは苦手らしい。

 カスミが苦笑した。

 

「まあ、私も気持ち悪いのは同じですから。気持ち悪くても普段通りに行動できるかどうかが肝要かと存じます」

「そりゃわかるけどさあ・・・」

「言われて出来るなら苦労はしませんわ・・・」

 

 と、ここでリアスがヒョウエを見た。

 

「ヒョウエ様もその辺は平気なのですね。やはり男子でいらっしゃるからかしら」

「僕だって気持ち悪いですよ。ああ言うのが気持ち悪くないのは五歳か七歳くらいまでじゃないですかね」

 

 こちらも苦笑して肩をすくめるヒョウエ。

 前に潜ったときの事を思い出してしまったか、モリィがしかめっ面になった。

 

「気持ち悪いの度合いが違うんだよ。この前なんか巨大オサムシ山ほど念動で集めたあげく、握りつぶして汁にしたろ。あたしらにはそんな真似はできねえよ」

「モリィさん! お願いですから勘弁して下さいまし!」

 

 リアスの悲鳴が地下迷宮に響き、ヒョウエとカスミが顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 一行は迷宮を進んで行く。

 いつの間にか洞窟の壁はじっとりと濡れ、ぴちょんぴちょんとしずくが垂れてくる。

 

「こんな感じのところは初めてだな」

「まあ洞窟と言っても色々ありますからね。ダンジョンだと古い館の中を歩いていたらいつの間にか地下洞窟になってたとかそう言うこともあるそうですので、このくらいならかわいいものでしょう。あ、みなさん足元には気を付けて」

「わかりましたわ」

 

 濡れた床がつるつるして、ところどころ水たまりを作っている。

 とはいえカスミの足取りに全く乱れはないし、モリィとリアスもほとんど動きが鈍っていない。一番おっかなびっくり歩いているのは当のヒョウエであったりする。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 ぴちょんぴちょんと絶え間なく音が響く中を一行は進んで行く。

 時折ヒョウエが足を滑らせるが、それ以外は問題ない。

 

 ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん。

 ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん。

 ぴちょん、ぴちょん、ぴとっ。

 

「ん?」

 

 ヒョウエの隣を歩くカスミが突然立ち止まった。

 前を歩くモリィとリアスは気付いていない。

 どうしたのだと声をかけようとして、カスミの目が異常に中央に寄ってることに気付く。そして顔の真ん中にへばりつく・・・

 

「いやあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"! どっでぇえ"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"!」

「うわあああ!?」

 

 常に冷静沈着な忍者の末裔とは思えぬ、盛大な鼻声の泣き声。

 身も世もなく泣きわめくカスミがヒョウエに抱きつき、ヒョウエが足を滑らせて後ろに倒れ込む。後頭部を強打してヒョウエが悶絶した。

 カスミはヒョウエを押し倒しながらも泣きわめくのをやめず、顔の真ん中にへばりついたものを取ろうとするかのように頭を左右に振りつづける。

 

 突然のことにぎょっとして振り向こうとする前衛の二人だがその直前、モリィは前方の暗闇の中にモゾモゾと大量にうごめくものを見つけてしまった。

 恐らくはカスミに張り付いているものもその仲間なのだろう。

 洞窟の床から壁から天井からびっしりと張り付いた、小さいものは5センチほど、大きなものは5メートルを超えるであろう――無数のなめくじ。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!」

「きゃああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 悲鳴が三重奏になった。




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02-17 カエルと蛇となめくじと

「よし、こいつはあたしが焼き払う! 焼き払うから・・・それまでの間こいつら止めててくれな!」

「ちょっと! それはさすがにあんまりじゃありません!?」

 

 言いざまに一歩後ろに飛び下がり、雷光銃のチャージを始めるモリィ。その額には大粒の汗。

 引きつりながらもやむを得ずリアスは盾を構えた。半分泣きそうな顔で。

 

「ええい、来なさい軟体動物ども! 『白のサムライ』の名にかけてここは・・・ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 

 勇ましく名乗りを上げようとしたリアスの顔が見るも無惨に引きつる。

 こちらに向かってくる巨大ナメクジ。

 スピード自体は子犬が走るくらいの速度だが、なにせ体長5m、体高3mのそれだ。

 ゆうに5トンを超える超質量との衝突を、伝説の魔導甲冑は1メートルを後ずさっただけで耐えて見せた。

 

「早く! 早くして下さいまし!」

「わ、わかってるよ! もうちょっと待て!」

 

 涙の粒が盛上がるリアス。汗玉の数が倍に増えるモリィ。

 内心では前衛じゃなくて良かったと心底思っている。

 

「きゃあああああ! なめくじが! 大きななめくじが鎧の足を這い上がってー!」

「ひいいいいい! 実況すんな! しなくていい!」

 

 かしましく騒ぐ二人の少女。様子だけ見ているとコメディチックな光景だが、本人たちは必死だ。

 茶化そうものなら細切れにされた後雷光銃のチャージ攻撃で蒸発させられるだろう。

 

「おっしゃチャージ完了! どけリアス!」

「はいいいいいいい!」

 

 足を這い上がって来た50センチくらいのナメクジを叩き落とし、泣きながらリアスが離脱。もうひたすらにこの粘液をしたたらせる巨大な軟体から離れたいという思いしかない。盾にべっとりと付着した粘液が糸を引いているのを見て更に泣きそうになる。

 全力で飛び退いてモリィよりも更に後ろ、カスミにしがみつかれてもがいてるヒョウエよりも後ろまで逃げる。

 次の瞬間巨大な雷光が洞窟を貫き、なめくじたちはまとめて焼き払われた。

 

 なおこんな時一番役に立ちそうなヒョウエは後頭部を強打して朦朧としていたのと、ひたすら泣きわめくカスミに抱きつかれて数秒間行動不能になり、術を発動できるようになったときは既にチャージがほとんど終了していた。役に立たない。

 

 

 

「申し訳・・・申し訳ありませんっ・・・!」

 

 体を震わせて洞窟の床に土下座するカスミ。

 先ほどとは別の意味で泣き声になっている。

 三人が心底困った顔でそれを見下ろしていた。

 

「いやまあ・・・しょうがねえっちゃしょうがねえし・・・」

「忘れてましたわ、ナメクジだけはダメなんでしたね・・・」

「ほら、みんな気にしてませんから顔を上げて・・・」

 

 迷惑したのは事実なのだが三人とも、特にモリィとリアスは気持ちがわかりすぎるほどわかるだけに何も言えない。

 一方でまじめなカスミが気に病む気持ちもわかるので慰めるのも難しい。

 

「誰にでも弱点ってあるもんだなあ・・・」

 

 モリィが溜息をつく。

 結局カスミが(精神的に)復活するまでに10分ほどかかった。

 

 

 

 ヒョウエが新しく習得した"水流(ウォーター・プレッシャー)"の呪文でリアスの盾と鎧にべったりついた粘液を洗い流し、一行が再起動する。

 

「あ、すいません。ちょっと野暮用です」

「さっさと戻って来いよ」

「ええ。それでは失礼」

 

 そこから一時間ほど探索を続けたところで、突然ヒョウエがパーティから離脱した。

 さっさと道を戻り、ダンジョンの闇の中に消えてしまう。

 

「ヒョウエ様? え?」

「どういうことですか?」

 

 リアスとカスミの視線が集中し、モリィが肩をすくめた。

 

「あー、つまりあれだよ。花摘みってこと」

「ああ・・・」

 

 面頬に隠れてわからないが、僅かに顔を赤らめてリアスが頷いた。

 

 

 

 言った通りヒョウエは程なく戻ってきて、パーティは探索を再開した。

 少し行った先でオーガーの群れと遭遇する。3m近い巨躯に分厚い筋肉の束。

 動きも野生動物並みに早く、棍棒をまともに喰らえば大抵の人間は即死を免れない。

 

 だがリアスが鮮やかに二匹を切り伏せ、カスミが両目に棒手裏剣を当ててもう一匹を迅速に無力化する。金属球と雷光が残りを片付けて、初心者の壁扱いされるこのモンスターたちはあっさり屍をさらした。

 モリィが密かに唸り、ヒョウエが上機嫌で頷く。

 

 毒吹き大ガマガエル(カブキ・グレート・トード)と戦った時はもう少し簡単だった。

 毒を霧状に吹き出す厄介な相手で、目に受けようものなら最悪失明する。丸呑みされた冒険者の装備品が腹の中から見つかるというのもたまに聞く話だ。

 

 しかしヒョウエの念動の盾があれば、この手の軽質量攻撃はほぼ完全にシャットアウトできる。

 リアスに切り伏せられ、カスミの忍者刀を急所に叩き込まれ、次々と息絶えていく。

 時折大跳躍する個体があるが、それこそ金属球と雷光のいい的だった。

 もっとも虫ほどではないにしろカエルも苦手なのか、リアスは少し顔を引きつらせていたが。

 

 それから更に数時間進んで、ようやく広い場所に出た。

 差し渡しは100メートルを超えようか。

 鍾乳洞の中のような、地面から盛上がった石筍と天井から垂れた鍾乳石が無数にある。

 その中央に百を越えるリザードマンの一群がうずくまっており、熾烈な戦闘となった。

 

「あそこのくぼみまで後退します! リアスとカスミは相手をこちらに突破させないことを優先で!」

 

 一行は壁際に下がり、石筍と壁のくぼんだところを利用して囲まれないようにする。

 リアスとカスミが必死に防いでいる間に、ひたすらに金属球を飛ばして数を減らす。

 

 たとえオーガーでも腕や足を吹き飛ばされれば痛みで動けなくなるものだが、リザードマンは爬虫類であるせいか体の一部が欠損してもほとんど動きが鈍らない。

 狙いを正確にして一撃で仕留めざるを得ず、さすがにこの数では瞬殺とは行かなかった。

 

 一方でモリィの方もやや手こずっている。

 リザードマンの表皮は分厚く、通常の出力では急所を狙っても即死させるのは難しい。

 0.5秒のチャージを行って、こちらも着実に倒していく必要があった。

 幸いなのは目の前を守るカスミの背が低いため、遠慮無く頭の上を通して雷光銃を撃てることだろうか。

 そんなモリィの視線を鋭く感じたのか、カスミが一瞬だけジト目で振り向く。

 

「・・・何か?」

「いや、何でも?」

 

 モリィは口笛を吹いて誤魔化した。

 

 

 

 十分ほどの戦闘の後、ようやくリザードマン達は全滅した。

 ヒョウエが全力を出したにも関わらず十分かかったのは、当人としても予想外だった。

 

「まさか心臓ぶち抜かれても動くとは思いませんでしたよ・・・」

「マジでな。あいつら心臓が二つか四つあるんじゃねえか? それとか、心臓が体の右側にあるとか」

「心臓の場所は人間と変わらないらしいんですけどねえ。まあ野生化したリザードマンの解剖所見ですが」

 

 人間は普通右利きだから心臓は左側、リザードマンは左利きだから心臓は右側? んなアホなと思いつつ、一抹の疑いを捨てきれない。

 カスミが眉を寄せた。

 

「どこのどなたがそんな頭のおかしい・・・ええと、奇特なことを調べられたんです?」

僕たちの同族(冒険者族)ですがなにか?」

「納得ですわ」

 

 疲れたようにリアスが溜息をついた。

 




 蛇じゃなくてトカゲだけど細かい事はキニシナイ(ぉ

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02-18 小休止

 実際疲労も貯まっていたので、ここで休憩を取る事になった。

 念動で手早く魔力結晶を集めた後ヒョウエがお湯を沸かしてお茶を入れ、カスミが食事の用意をととのえる。

 リアスとカスミは何とはなしに連れだって花を摘みにその場を離れた。

 なにぶん鍾乳洞であるから石筍の影なり、そうした事に適した場所はいくらでもある。

 

「・・・一つ教えて下さいまし」

「ん? なんだ?」

 

 ただ花を摘みに来ただけだと思っていたモリィがきょとんとした顔になる。

 

「その・・・モリィさんはヒョウエ様と・・・あの、その・・・契りを交わしてらっしゃいますの?」

「ちぎ・・・?」

「こ、婚約していらっしゃるのかと言うことですわ!」

「こっ・・・お、おまむぐっ?!」

 

 モリィが硬直した。

 大声を出しかけたその口をリアスが慌てて押さえる。

 耳ざとくそれを聞きつけたか、ヒョウエとカスミがこちらに振り向いた。

 

「リアス様、どうかなさいましたか?」

「いえ、何でもありませんわ! もうちょっと待ってて下さいまし!」

「はぁ・・・」

 

 カスミがヒョウエを顔を見合わせた。

 

(まあ、何かあったんでしょうね)

(ええ、くだらないことが)

 

 小声で二人が話していたのは、動揺しているリアスとカスミには聞こえなかった。

 

「あ、あたしは別に奴とそう言う関係じゃねえし・・・」

「嘘ですわね」

 

 動揺しながらも否定するモリィ。その顔が赤い。

 それをリアスはズバッと切り捨てた。

 

「なんでだよ!?」

「だったら最初に私たちがパーティに参加するのをあれほど渋ったりはしないのではなくて?」

「うっ・・・」

 

 痛いところを突かれてのけぞるモリィだが、それでも認めようとはしない。

 

「か、関係ねえよ。あいつとあたしは相棒、それだけだ!」

「では、ヒョウエ様をニシカワ家の入り婿に迎えてもよろしいですね?」

 

 ぴしっ、とモリィが固まった。

 ふっ、とリアスが勝ち誇った笑み。

 

「まあお認めにならないならお認めにならないでも結構ですが、わたくし勝負は正々堂々とやりたいんですの・・・手袋は、もう投げつけましてよ」

「・・・」

 

 無言のまま、二人はしばらく立ち尽くしていた。

 

 

 

「長いですねえ」

「ヒョウエ様、思っていても殿方がその様なことを口に出すべきではないかと存じます」

「はーい」

 

 なお取り残されたヒョウエとカスミは勝手に食べ始めるわけにも行かず、だれて茶飲み話をしていた。

 

 

 

「うわうめえ! 何だこの・・・玉ッコロ?」

「私の一族に伝わる保存食です。オリジナル冒険者族であるご先祖様が元の世界で・・・」

 

 カスミの用意した保存食にモリィが目を丸くし。

 

「これは・・・ヒョウエ様がお淹れになったんですの?」

「カスミのお茶が美味しかったので。サナ姉・・・世話をしてもらってる人に頼んで教えて貰いました」

 

 リアスがヒョウエの手前を褒める。

 ヒョウエが小話などを披露し、和気藹々と食事は進んで行った。

 

 

 

「そーいやーさー、最初に潜ったときはこうやって休んでるときに『あれ』が来たんだよな」

 

 食事も終わり、ゆっくりと茶をすすっているときにモリィがふと口にした。

 

「『あれ』?」

地竜(リンドヴルム)です。ここのダンジョンの"守護者(ガーディアン)"でした。"守護者(ガーディアン)"は二人とも知ってますよね?」

「はい。地竜(リンドヴルム)ですか・・・!」

「高さだけでも10mはあってなあ。すげえ稲妻を出してチャージ攻撃相殺しやがった。ヒョウエがいなかったらやばかった・・・」

 

 ずん、と地面に震動が走った。

 全員が真顔になり、モリィに視線が集中する。

 

「な、なんだよ? あたしが悪いってのかよ!?」

「いえ、そういうわけではございませんが・・・」

「でもなあ・・・」

「『"瞬足神(マリーチ)"を呼んだら"瞬足神(マリーチ)"が来る』ということわざがありますし・・・」

 

 ぬぐぐ、と唸るモリィ。

 

「うるせえよ! 今はそんな事を話してる状況じゃねえだろ!」

(あ、ごまかした)

(ごまかしましたわね)

(ごまかされましたね)

 

 他の三人も内心でツッコミはするが、それ以上は何も言わない。

 ヒョウエが五徳と鍋をしまい込み、食器をカスミが手早く片付ける。

 モリィが雷光銃のセイフティを解除する。リアスが兜をかぶり、面頬がスライドしてその顔面を覆った。

 ずしん、と震動が大きくなる。

 

「!?」

 

 広間に水が流れ込んできた。

 元から濡れていた床にたちまちの内に水が溜まり、足首にまで達する。

 

「・・・! みなさん、浮かせますよ!」

「!?」

 

 ヒョウエが念じると、四人の体が宙に浮いた。

 何度も経験のあるモリィはもう慣れたもの、リアスとカスミも驚きはしたが取り乱してはいない。

 

 その間にも響く震動と流れ込む水。

 震動にざりざりという何かをこするような音が混じりだし、それと共に水が黒く濁り始めた。

 

「これは・・・なんですの!?」

「やっぱりか・・・」

「何か知ってんのかヒョウエ?」

 

 ヒョウエが答える前に「それ」が広間に入って来た。

 ゴォッ、という風が吹き抜けるような音。

 象かブロントサウルスのような太い足。しかしその先端にはトカゲのような鋭い爪。

 全身を覆う黒い鱗と、そこからしたたり落ちる黒い粘液。太い尾。

 何より特徴的なのは、トカゲのような体から生える九本の蛇の首。その頭一つだけでも1mはある。

 

「・・・毒龍(ヒドラ)!」




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02-19 毒龍(ヒドラ)

 毒霧が爆発した。

 九つの首から濃い紫色の毒霧が一斉に噴射され、吹き付けられる。

 

「ちっ!」

 

 咄嗟に全員を浮かせたまま、全力で後退させる。

 自分と仲間に張った魔力障壁が辛うじて一瞬早く効果を発揮し、霧状の毒液を防いでいた。

 

「うおっ・・・」

「申し訳ありません、助かりました」

「気にしないで下さい。パーティですからね」

 

 

 

 毒龍(ヒドラ)。真なる竜の遥かに劣化した子孫である、いわゆる亜竜の一種だ。

 だが地竜(リンドヴルム)同様、竜と言われているだけあってその力は凄まじい。

 直接的な戦闘力は地竜に大きく劣るが全身から絶えず毒を分泌し、更に毒霧も吐く。

 更には異常なまでの再生力を有し、首をはねられようが手足をもぎ取られようがしばらくすれば生えてくる。ギリシャ神話のそれと違い不死身というわけではないが、それに限りなく近い厄介な怪物だった。

 

「昔話だと傷口に火を当てて再生を防いだ・・・でしたかしら。斬るのはわたくしがやりますが、雷光銃で傷口を焼けますかしら?」

「ええと・・・どうなんだ、ヒョウエ?」

 

 困った顔でモリィがヒョウエを見る。

 少し考え込んで、途切れ途切れに言葉を口にする。

 

「おそらくは・・・無理でしょう。チャージ攻撃でもです。雷光銃は雷光とは言いますが本質的には魔力によるビームです。相応の熱量は発生しますが、傷口の細胞を焼いて再生を阻害するには・・・」

 

 そこではたと気付いて周囲を見渡す。

 呆れ顔、ぽかんとした顔、必死に理解しようと努めるが理解の追いつかない顔。

 まあいつものことである。

 

「・・・ともかく、傷口を焼くのは僕がやります。ダメージを与えるのはリアスとモリィで。リアスは囮も兼任、モリィは基本チャージ攻撃をメインで」

「そりゃいいけど焼くって・・・ああ、あのでかい火の玉か?」

「今回はちょっと不向きですね。みなさんの飛行と毒霧からの防御で魔力経絡(チャンネル)はほぼ使い切ってますから、チャージに時間が掛かりすぎます。まあ任せて下さい」

 

 モリィが頷いた。それだけの信頼は既に二人の間にある。

 リアスがちょっと唇を尖らせた。

 

「カスミは・・・ちょっときつそうですね。目つぶし玉とかあります?」

「多少は用意がございます。後は光の呪文で」

「ではそれで牽制を」

 

 カスミが頷いた。

 ヒドラは飛行して後退したこちらを警戒しているのか、しゅうしゅうと威嚇音を上げているが攻撃を仕掛けてこようとはしない。

 それにちらりと目をやって、ヒョウエは全員の顔を見渡した。

 

「これからあなたたちに飛行呪文の制御を渡します。一人ずつ試しますから、失敗しても落ち着いて」

「どういう事だ?」

「自分の意志で飛び回れるようになると言うことですよ」

 

 つまり現在はヒョウエがリモート操縦するドローンで三人を飛ばしているが、そのコントローラーを三人に預けると言うことだ。

 

「できんのか?」

「慣れればそれほど難しくはありません。失敗してもやり直せますから一人一人やりましょう。まずはモリィから」

 

 ちらちらとヒドラの様子を窺いつつ、ヒョウエは制御の委任を始めた。

 モリィとリアスは最初戸惑っていたようだったが、すぐに慣れて飛び回るようになる。

 そしてカスミに制御を委譲しようとした瞬間、攻撃が来た。

 

「!」

 

 ブレスのように喉元を膨らませるといった準備動作無しに、首のうち六本が何かを吐き出す。

 同時にカスミが制御を失い、斜め下に錐もみしながら落下を始めた。

 

「回避してっ!」

 

 自分を含む四人に張った障壁に一層の魔力を注ぎ込む。

 同時に回避運動を指示し、自分も回避をかける。更に一つだけ残った魔力経絡で最後の術を発動、錐もみするカスミを支える。

 

「きゃあっ!?」

「何だこりゃ、汚ねえっ!?」

 

 飛行に慣れているヒョウエは回避した。制御を失ってランダム軌道を取るカスミも逆にそれが幸いしてヒドラの吐き出したものを回避する。

 だが制御できたとは言えまだ不慣れなモリィは一発、リアスは二発をまともに食らった。

 体の表面、正確には体を覆う障壁にべっとりと粘りついたそれは、言ってみれば毒液の痰。

 ねばっとした粘液は体の動きを阻害こそしないものの、腕を振った程度でははがれない。

 

(どうする? 毒をはがすには洗い流すか一度防御幕を解除する必要が・・・)

 

 幸い防御幕の上からなので二人が毒の痰で害されることはないが、ぬぐい去るには少し集中して作業をする必要がある。

 ヒョウエが扱える魔力経絡(チャンネル)は9つ。その割り振りを考え直そうとしたところで、ヒョウエはまたしても驚かされることになった。

 

「なぁっ!?」

 

 ヒドラが水面を滑るように動いた。

 泳ぐというスピードではない。

 水中翼船のようにしぶきを蹴立て、馬が全力疾走するよりも早く水面を高速移動する。

 

「ヒェッ!」

 

 がちん、と1m程の距離で巨大な牙が噛み合わされた。

 一瞬にして術式の制御を切り替えたヒョウエが全員をまとめて回避させたが、そうでなければモリィは右足を喰われていた。

 毒霧・毒痰が効かないと見るや高速移動しての噛みつき。判断が速い。

 10mを越す長い首から逃れられる高さは、この空間にはない。

 

(・・・そうか、足に魔力を集中させて、あめんぼみたいに水面に浮いているのか)

 

 一方でヒョウエは冷静にヒドラを観察していた。

 文字通り水面に浮いて機動力を確保する。恐らくは推進力もある種の魔力だろう。

 そして空中に浮くか水面に立つ呪文がなければ、冒険者たちは毒液の混じった水に浸かって戦わねばならない。

 水のある環境では、あるいは地竜を上回る強敵であるかも知れなかった。

 ちらり、と洞窟の岩肌を見る。

 

「降りますよ。20秒くらい耐えてください。毒霧と痰は防ぎますので」

「は、はい?」

「新呪文の威力を見せて上げましょう」

 

 鍾乳洞の岩棚に降り、飛行呪文を解除する。それと同時に防御幕を一括で張り直し、個々の魔力障壁を外して毒痰を振り払った。

 訳がわからないながらも他の三人が身構え、ヒョウエが精神集中を始める。

 例の玉ッコロじゃないのか?とモリィが思う暇もなく、ヒドラの首が来た。

 

「かぁっ!」

 

 食らいつこうと牙をむくヒドラの頭を、リアスが騎士盾で殴り飛ばす。

 間髪入れずに襲いかかって来たもう一つの頭の横っ面にカタナを叩き付け、辛うじて攻撃を逸らした。

 

「このこのこのこのこのっ!」

 

 モリィは後のことを考えず、雷光銃を乱射。

 それでも大半がヒドラの目やその周囲に命中しているあたり、並の腕ではない。

 目への攻撃を嫌がるヒドラが首をくねらせ、リアスへの圧力を大幅に減じている。

 

 カスミもそこまでではないが着実に牽制を果たしていた。

 タイミングを狙い、正確にヒドラの目を狙って目つぶし玉を投げつけていく。

 卵のカラにさまざまな粉末や香辛料を詰めたそれが目に辺り破裂すると、ヒドラの首が短い悲鳴を上げて苦痛に首をくねらせる。

 風が目つぶしの粉末を巻き上げ、残った粉末が別の目に入ってまた別の首が悲鳴を上げた。

 

「おい、まだかヒョウエ! いくらリアスがつえーったって限界がある・・・ぞ?」

 

 振り向こうとしたモリィの声が途切れる。

 ヒドラの首が一斉に苦しみ始めていた。目をパチパチさせ、苛立たしげに咳き込んでいる。

 

「もうそろそろ大丈夫です。下に降りますよ」

「下と言われましても・・・!?」

 

 下にチラリと目をやった三人が、異口同音に驚きの声を漏らす。

 

「水が・・・!」

 

 いつの間にか水が引いていた。

 ところどころ水たまりはあるが、人間が歩いて移動するのに何の不都合もない。

 水面に浮かんでいたヒドラの足も、今は洞窟の床を踏みしめていた。

 

 更に良く考えれば、先ほどからヒドラは一度も毒霧や毒痰を吐いていない。

 皮膚から絶え間なく分泌していた毒液も止まっており、明らかに異常だった。

 

「何やったんだ、おい? 念動で水を持ち上げた・・・ってわけじゃないよな」

 

 気がつけば天井の一角に巨大な水の玉があった。

 ただし毒の体液の混じっていない綺麗な水であり、かつそれではヒドラの異常が説明できない。

 

「"水生成(クリエイト・ウォーター)"です」

「"水生成(クリエイト・ウォーター)"!?」

「まあ、呪文なんて使い方次第と言うことですよ」

 

 ウィンクするヒョウエ。

 "水生成(クリエイト・ウォーター)"。空気中の水蒸気を集めて蒸留水を生み出す。

 最大数リットルの飲み水を生み出す、普通ならただそれだけの呪文である。

 

 ただ、「空気中の水蒸気を集めて」というのが今回の肝だ。

 普通なら周囲十メートルくらいの水蒸気を集めるに留まるが、ヒョウエの術力をもってすればこの広大な洞穴全てから水蒸気を集める事もできる。

 これ以上水が入ってこないように洞窟の入り口を塞ぎ、空気中の水蒸気、そして地面の水からも水分を奪う。

 そしてカラカラに乾燥した空気を念動で攪拌し、ヒドラの体表や喉、目の粘膜も乾燥させる。

 

 呼吸器や喉の粘膜を乾燥させる事によって毒霧や毒痰を吐かせず、体表を乾燥させる事によって毒液の分泌を阻害する。

 そしてフィールドを水辺から強制的に洞窟に戻すことで高速移動も封じる。

 そして仲間は念動で作った泡の中にいるため、この乾燥の影響を受けない。

 

「オーケー、理解した。後は――」

「倒すだけ、というわけですわね!」

 

 モリィとリアスが獰猛な笑みを浮かべる。

 趣味も育ちも戦闘スタイルも何もかも違う二人であったが、こういうところだけは良く似ていた。




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02-20 まだ行けるはもう危ない

 四人がふわりと着地する。

 同時にヒョウエが飛行の呪文を切った。

 

「申し訳ありませんが魔力のチャンネルが足りません。飛行の呪文は・・・」

「必要ありませんわ」

「えっ?」

 

 聞き返す間もあらばこそ、リアスが飛んだ。

 遺失技術で生み出された魔導甲冑が生み出す筋力と瞬発力が、板金鎧を着込んだ人間を5mを遥かに超えて跳躍させる。

 

 一閃。

 ゆうに直径1mはあろうかという首の一本がすっぱりと、まるで人参でも斬るかのように両断されて落ちた。

 ヒョウエが目を丸くし、モリィが口笛を吹く。目つぶし玉や光の術で牽制を続けていたカスミの口元がほんのすこし、注意していないとわからないくらいに微笑んだ。

 

「さあ、ヒョウエ様! 再生する前に!」

「あ、はい!」

 

 今度はヒョウエが(呪文の力で)飛んだ。

 怒りの咆哮を上げる8つの首を鋭角的な軌道でかわし、傷口に肉薄する。

 綺麗な切り口は既にブクブクと泡立ち、新たな首が生えようとしていた。

 

「"発火(イグナイト)"」

 

 ぼっ、とロウソクほどの大きさの炎がヒョウエの指先に灯った。

 火炎系の基本である発火の呪文。ヒョウエは湯を沸かすのにも使っているが、本来は名前通り種火にするか、タバコに火をつけるくらいしか用途のない呪文である。

 指先や杖の先に小さな火を生み出すだけの呪文であるため、攻撃にはまず使えない。

 だが高い術力で膨大な魔力を込め、その一点に圧倒的な熱量を集中させる事が出来るなら。

 

 ヒョウエの指先に灯ったオレンジ色の炎が青く、白く、そして炎を超えてまばゆい光となる。

 恐らくは摂氏数千度、鉄が瞬時に融解し、人間なら骨まで灰になる温度。

 その光る指先を素早く縦横に、何度も動かす。

 

「シャアアアアアーッ!」

 

 傷口を焼かれる激痛にヒドラがのたうつ。

 ヒョウエが飛び離れた時、網の目状に焼かれた首の傷口は完全に再生が止まり、黒く炭化した断面をさらすのみ。

 この時点で、既に勝敗は決していた。

 

 

 

 最後の首を落とされ、ヒドラの胴体が動きを止めた。

 モリィのチャージ攻撃で体を半分削られて、それでもまだ動いていたのは驚異的生命力と言うほかないが、脳と切り離されてはさすがに動けない。

 

 ヒョウエがこれまでの8本と同様素早く傷口を焼き、再生を阻害する。

 その強烈な生命力ゆえに心臓はまだ動いているが、じきに動きを止めるだろう。

 モリィとリアスが笑顔を浮かべ、銃と刀をカチンと打ち合わせた。

 

「凄いですわ! まさか初めてのダンジョンでヒドラを討ち取れるなんて!」

「いやー、凄かったなお前! ヒドラの首をポンポンポンってよ!」

「モリィさんも!まさかヒドラの胴体を半分削れるとは思いませんでしたわ!」

 

 モリィがリアスの肩を叩き、リアスも屈託なく笑っている。

 話している内容を考えなければ、年頃の少女同士の会話だった。

 

 一方でヒョウエは宙に浮かせた巨大な水の玉を見上げている。

 周囲の水分を奪って作った水球だが、念動を解けば当然地面に落ちてくる。

 毒が浄化された訳ではないので、そうなれば一面の毒の沼の復活だ。

 

「うーん、どうしましょう、これ」

「わたくしではなんとも・・・」

 

 はしゃぐ二人をよそに、ヒョウエとカスミが眉を寄せていた。

 

 

 

 結局水は元に戻した。

 戻した上で"浄化(ピュリフィケーション)"の呪文を洞窟全体にかけて真水に変える。

 毒を分泌するヒドラがいなければ、大量の水もただの水だ。

 

「とは言えこの先に向かうのは少し骨ですね・・・」

 

 ヒドラの現れた通路の入り口を見ながら考え込む。

 水の流入は既に止まっていたが、それでも高さ5,6mはあるだろう通路の半ばは水没している。

 ちらりとリアスとカスミを見た。

 

「とはいえ今回は二人のお試しですから、ここで戻ってゆっくり休むのもありですか」

「ま、まだやれますわヒョウエ様!」

「わたくしもやれと言えばこなしてみせますが、ヒョウエ様のご判断でしたら」

 

 予想通りの答えに僅かに苦笑。

 

「まあ『まだ行けるはもう危ない』というのが冒険者の金言でして。普通のダンジョンならここから帰るのもまた一苦労ということをお忘れなく。

 それに、今何時くらいだと思います?」

「え? ええと・・・午後二時か三時・・くらいでしょうか?」

「残念、午後八時です」

「え・・・ええっ?!」

 

 ヒョウエが懐中時計を取り出す。その文字盤は、確かに午後八時を僅かに回っていた。

 

「ダンジョンの中では時間がわかりづらくなりますからね。その辺は常に気を付けませんと」

「はい・・・」

 

 まだ驚きの余韻を残しながらリアスが頷いた。

 視線をカスミに移す。

 

「カスミはあんまり驚いていませんね。やっぱりそう言う訓練を?」

「はい、閉所暗所でじっとしている場合でも腹具合や喉の渇きである程度は・・・とは言えわたくしも午後六時くらいだと思っておりましたのでまだまだです」

「初めてのダンジョンでそこまでやれれば十分ですよ。それじゃ帰りましょうか」

 

 全員が頷いた。ただし、モリィはにやにやしながら。

 

「モリィさん、何か?」

「まあ驚くからな。見てろって」

 

 人の悪い笑みを浮かべる相棒に苦笑しつつ、ヒョウエが精神を集中させる。

 ダンジョン・コアを預けてあるとは言え、ヒョウエがこのダンジョンの「マスター」である事には変わりがない。

 ヒョウエにだけわかる波動を辿り、地上のギルド出張所の金庫に安置されたコアと精神的な接続を確立する。

 

「それじゃ行きますよ・・・1、2、3!」

「えっ!?」

「ふわっ!?」

 

 リアスとカスミ、二人の驚きの声と共に一行は地上に転移した。

 

 

 

 外は既に暗かった。

 衛士と、運悪く出て来たばかりだった同業者がいきなり現れた一行を見てぎょっとする。

 仰天するリアスたちを見てモリィが笑っていた。

 あるいは珍しく年相応の驚き顔を見せるカスミに微笑ましさを感じていたのかもしれない。

 

 衛士とギルド職員を相手にお定まりのやり取りをしながら、ふとヒョウエの脳裏に引っかかるものがあった。

 "守護者(ガーディアン)"である地竜に匹敵する力を持つ毒竜。

 普通なら守護者こそがダンジョン最強のモンスターであり、それに並び立つモンスターなど生まれないはずなのだ。

 

(・・・そのうちあの洞窟の先を探索してみないといけないかもですね)

 

 僅かな引っかかりではあったが、その疑念は確かにヒョウエの胸に根付いた。

 

 

 

「キャーッ! キャアアアアアアッ!?」

「・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 翌日。

 一行はヒョウエの杖にまたがって郊外の空を飛んでいた。

 例によって郊外の依頼のためであるが、なにぶん二人は飛行が初めてである。

 

「く、くるしい・・・いきが・・・」

 

 ひたすら悲鳴を上げるリアスに強烈な胴締め(ベアハッグ)を喰らって呼吸困難になるモリィ。腕を叩くがリアスは気付かない。

 普段ならそれをフォローするカスミも、無言で目を見張っていて助けにならない。

 ちらりと振り向いたヒョウエが苦笑する。

 

「やれやれ、大丈夫かなあ」

「たす・・・けろ・・・このタコ!」

 

 新生エブリンガーの前途は少々多難なようであった。




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第三章「デーモン・イン・ア・ボトル」
02-21 剣客再び


 

 

 

「わかっちゃいるけどやめらんねえ!」

 

 

                     ――飲んだくれの叫び――

 

 

 

 

 例によって山のような依頼を受け、エブリンガーは王都の周辺を飛び回る。

 その日の依頼をほぼ全部片付けて、パーティはルダイン村にやってきた。

 クソン村やファール村と同じ、良くある山奥の開拓村だ。

 今は午後二時ほど。ここでの光山猫(プリズミーア・キャット)の群れの討伐を終えれば、今日の依頼は完了である。

 

「ここは温泉があるみたいですよ。仕事が終わったら入らせてもらいましょうか」

「お、いいなあ。酒もついてりゃ最強だ」

「やだ、モリィさんおじさんくさいことを・・・」

「まあ風呂に入って月見酒、なんて言うのもそれはそれで粋なものでは」

「そ、そうなんですのカスミ?」

「わたくしに聞かれましても・・・」

 

 杖にまたがっての飛行にもすっかり慣れて、リアスもカスミもそうした無駄話に興じる余裕がある。

 一行はそのまま村人の驚きの声に包まれて村の入り口に降り立った。

 なお派手な格好のヒョウエと同じくらい、白甲冑をまとったリアスは好奇と憧れの目で見られていた事を記しておく。

 

 

 

「他の冒険者?」

「ええ。依頼の件とは関係なくいらっしゃったのですが、話を聞いてしばらくご協力して下さると言うことになりまして・・・」

「それは立派な方ですね。武士道精神の持ち主ですわ」

 

 やって来た村長の言葉にリアスがうんうんと頷いた。

 なおこの世界、武士道と騎士道は(本物を知っている人間が稀少なこともあり)大体同じものとみなされている。

 本人が騎士を好むなら騎士道、サムライを好むなら武士道と言う程度のものだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「それで、その方は今どこに?」

「片方は酒場ですが、もう片方は村の周囲の見回りに・・・ああ、戻っていらしたようです」

 

 村長の言葉に振り向くと、いかにも手練れの冒険者と言った風情の大柄な男が歩いてくるところだった。革鎧に要所を覆う金属製のプレート。腰には片手半剣(バスタードソード)、赤いぼさぼさの髪と、同色の短いひげが顔を覆っている。

 

「・・・んん?」

 

 既視感にヒョウエが眉を寄せた。

 何か、どこかで会ったような・・・。

 

「ローレンスお兄様?!」

「え? おお、リアスにカスミ! 魔導技師のお嬢ちゃんもか! こりゃ驚いたな!」

 

 盛り上がりもドラマチックさもない、それはリアスの従兄ローレンスとの再会だった。

 

 

 

「え、え? ちょっと待てよおい! コイツ死んだはずだろ!? あたしゃそう聞いたぞ!」

 

 一瞬遅れて事情を理解したモリィが再起動する。

 この場で唯一見知らぬ顔にローレンスが首をかしげた。

 

「リアス、こいつお前の仲間か?」

「え、ええ。雷光のフランコのひ孫のモリィさんですわ」

「へぇー! こいつぁどうも! 従妹が世話になってるみたいだな、ありがとよ!」

「あ、ああ、こっちも・・・じゃなくて!」

 

 ツッコミを止められないモリィに、ぼりぼりとひげに覆われた頬をかく。

 

「リアス、お前そんな事言ったのか? それとも家じゃそう言う事になってんのか?」

「そう言う事は無い・・・と思うんですけど。あの後ヒョウエ様が兄様を癒してくれていたのがわかって、傷が治った後に放逐扱いになったことは・・・」

「聞いてねーよ! 大体『私の腕の中でそっと目を閉じた』とか言われたら死んだと思うだろ、普通!」

 

 ヒョウエとカスミがあー、という顔になった。

 呆れ顔になってローレンスがリアスを見下ろす。

 

「なんだ、やっぱりお前の言葉足らずか」

「や、やっぱりとは何ですか!」

「だってお前昔から言葉が足りなくてみんなを誤解させてたろ。爺さんもオジキも親父も使用人もみんな慣れちまってただけで。お前の友達のジュリーだったか? あれに凄い勘違いさせて大騒ぎになったことがあったじゃねえか」

「うぐぐう・・・」

 

 反論したいが反論できず、顔を赤くして拳を握るリアス。

 ヒョウエたちがその後ろで苦笑していた。

 

 

 

「まあリアスさんの言葉足らずには僕もひどい目に会いましたがそれはおいておいて」

「ううう、ヒョウエ様はいじわるです・・・」

 

 更に顔を赤くしてうつむくリアス。穴があったら入りたいと言わんばかりだ。

 カスミも再度苦笑している。

 

「こんな山奥の村に一体何の御用です? まあ差し支えなければでいいですが」

 

 ヒョウエの問いかけに、ローレンスは少し無言になった。

 頭をボリボリとかいて大きく息をつく。

 

「そうだな、お前達には話さなきゃならねえだろう。この面子がまた揃ってるってのも何かの縁だ。ついでに手伝ってくれるとありがたい」

「お兄様、それはまさか」

「ああ。例の妖刀が見つかった」

「・・・・・・・・・・・・!」

 

 緊張が走り抜けた。

 

 

 

「そう言えばその辺聞いてなかったな。妖刀とやらはどうなったんだ?」

「はい、おじいさまや使用人たちにも確認してみましたが、あの後誰もあの刀を見たものはいませんでした」

「俺があの刀を手に取った時――例の事件の一年くらい前だったと思うが、その時もいつの間にか手元にあった記憶しかないんだよな・・・」

「うへえ」

 

 連れだって村に一軒だけある宿屋兼酒場に向かいながら会話を交わす。

 

「やはりあの刀がローレンスさんを操っていたんでしょうか?」

「いいわけ臭いが、少なくとも影響は受けてたんだろうなあ。否定はできねえや」

「それで、例の妖刀はどこに?」

「近くの村で依頼を受けた冒険者が斬られてな。生き残りの話を聞くと魔力を喰う、反魔力の炎を吹き上げる、朱鞘、とまあ間違いないだろう。それがこっちの方に逃げてきたらしい」

「何者がふるっていたんですの?」

「それがな・・・どうも"怪人(ヴィラン)"みたいでな」

「"怪人(ヴィラン)"・・・!」

 

 沈黙が落ちた。

 "怪人(ヴィラン)"とは言わばダンジョンの生物版・・・神の心象、想念の泡が人間に宿ってしまったものだ。

 生物、特に知恵ある生物が神の想念の泡を宿すことは少ない。魂の持つ意志の力がそれらを弾くようになっているからだ。

 しかし何らかの理由で神の想念の泡と引き合ってしまった生命体が強力な力を得て変異することがある。

 それが"怪人(ヴィラン)"と呼ばれる存在だ。

 

 人間であれば元の知性を残した者も多く、変異を隠しつつそれまでの生活を十年近く継続した例もある。

 しかしその精神はほぼ例外なく変異を遂げており、人類にとっては危険以外のなにものでもなかった。

 

「・・・強いのか?」

「らしいな。斬られた連中はもうすぐ緑になろうかって、青等級の中でも指折りの腕利きだったそうだ。それが不意を打たれたでもなく、正面からやり合って一瞬で壊滅した。

 前衛が鎧ごと真っ二つにされた、何が起こったかわからない、生き残ったのが不思議だって、(パーティ)の術師が言ってたよ」

 

 そんな事を言いながら、賑やかな酒場の中へ入っていく。

 ひなびた村、それもまだ夕方前には不釣り合いな、多くの人の笑い声とヤジが飛び交う。

 その中心にいたのは――

 

「おう、小僧に小娘ども! ここで会うたぁ奇遇だな!」

「師匠!」

「師匠!?」

 

 ヒョウエの語りの師匠、飲んだくれの大ぼら吹きの小汚い隻眼の老人、"ほら吹きサーベージ"だった。

 

 

 

「何で師匠がここに・・・!?」

 

 目を丸くするヒョウエに、ローレンスがげんなりした顔を向ける。

 

「お前らこの爺さん知ってるのか?

 どこで聞きつけたか勝手について来やがってなあ。毎日酒代をせびるわ、断ったら断ったで一席ぶってはおごりをせしめて、いやそれが悪いってんじゃないんだが・・・

 弟子だってんなら引き取ってくれよ、おい」

 

 割と本気で懇願するローレンスの眼差しに、四人揃ってさっと顔を背ける。

 ローレンスが長い長い溜息をついた。



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02-22 光山猫(プリズミーア・キャット)

 六人で同じ卓について作戦会議。もっとも、サーベージは飲んでいるだけだ。

 

「まあ、まずは光山猫(プリズミーア・キャット)だな」

「モリィの《目の加護》で足跡を追えば、多分日が暮れる前には片付くでしょう。ただ、その途中で偶発的に怪人(ヴィラン)と遭遇してしまう危険性は否定できませんね」

「良ければ俺も同行させてくれ。リアス程じゃあないが剣には自信がある」

「ええ、知ってますよ。目の前で見てましたからね」

 

 ヒョウエとしては特に他意のない言葉だったが、ローレンスとリアス、カスミが盛大に苦笑した。

 

「あー失礼」

「構わんよ。まあ多分あの時は妖刀の力もあったから、あれよりは下がると思うがな」

「それでも一族随一の使い手と言われてましたし、きっとヒョウエ様のお役に立つと思います!」

「ヒョウエ様、ねえ」

 

 再び苦笑してヒョウエに微妙な視線を送る。

 気付かないふりをしてヒョウエが話を進めた。

 

「それじゃあまあ、行きましょうか。日が暮れる前に依頼の方は片付けておきたいですからね」

 

 サーベージの追加注文の分まで銅貨を置いて、ヒョウエが席を立った。

 

 

 

「すげえな、《目の加護》ってな、これほどのもんか」

「モリィのは特別製ですよ」

「後は技量って奴だな。まあ本物の名人に比べりゃ《加護》におんぶに抱っこだけどよ」

 

 森の中。

 例によってヒョウエの杖に鈴なりにまたがりつつ、モリィの《目の加護》で足跡を追跡する。長さ180cmの長杖とは言え、五人もまたがるとさすがにせせこましい。ローレンスは大柄なので尚更だ。

 行ったり来たりして足跡をごまかす野性の知恵を加護というチートで粉砕しつつ、一行は二時間ほどで群れを見つけた。

 

「ウォフッ?!」

 

 警戒して叫び声を上げた瞬間、見張り役のプリズミーア・キャットが動けなくなる。

 しかしその周囲が薄闇に包まれたかと思うと、次の瞬間レーザーのような光を撃ち出してきた。

 

 続けて動けなくなった群れの他のプリズミーア・キャットも同様に光を撃ち出してくる。

 「プリズム」の名の通り、光を吸収して撃ち出すプリズミーア・キャットの奥の手だ。

 しかし、今回ばかりは相手が悪かった。

 

「フギャッ!?」

 

 プリズミーア・キャットの虹彩が最大限に開かれ、文字通り目が丸くなった。

 ヒョウエの体表に命中した光線が曲げられたのだ。

 

「ちょっとコツがあるんですけどね。念動の術でも光は曲げられるんですよ」

 

 ちっち、と指を振りながら楽しそうに語る。

 これはいけないと見たか、後続のプリズミーア・キャットたちが目標をカスミに変える。しかし、これも一歩遅かった。

 

透明化(インヴィジビリティ)

 

 カスミの姿が消える。次の瞬間、カスミのいるだろう空間をプリズミーア・キャットたちの光線が素通りしていった。

 

「え、どういう事ですの?」

「透明になると言うことは、光を素通りすると言うことです。光である以上、当然あの攻撃も効きません」

 

 こうなるとプリズミーア・キャットにはもはや打つ手もなく、ヒョウエの防御術をかけて貰ったリアスとローレンス、そしてカスミの手によって機械的にとどめを刺された。

 

「おまえらすげえな、いつもこんな楽に仕事してんのか・・・」

 

 ローレンスが呆れと羨望が半々くらいの溜息をついた。

 

「わ、わたくしもこうした依頼は今日が初めてでして・・・」

「反則的なのは間違いございませんね。エブリンガーは異常な数の依頼をこなされているという話は調べておりましたが・・・こんな事がお出来になるなら、それは他のパーティの数十倍の速度で依頼を達成されてもおかしくはございませんでしょう・・・」

 

 うろたえるリアスに、ローレンスと同種の溜息をつくカスミ。

 さすが忍者、情報収集は手抜かりないなとヒョウエなどは感心していたりする。

 

「んじゃ耳切り取って帰ろうぜ」

「いえ、丸ごと持って帰りますよ。村に渡せば毛皮の分、依頼料に多少色がつきますし」

「十匹以上の群れをか。本当に便利だなお前・・・」

「"大魔術師(ウィザード)"ですので!」

 

 えっへんとヒョウエが胸を張った。

 

 

 

「なんかとどめを刺しただけなのに分け前もらうの悪いな」

「そこはきっちりしませんとね。金を粗末に扱うのは縁を粗末に扱うも同じだと、金銭神(ネーザ)も言ってます」

「あってるような違うような・・・」

「そもそもそんな事言ってたっけ?」

 

 村長に依頼達成を報告し、ついでに毛皮をそれなりの値段で売りつけて一行は宿屋に向かっていた。

 意外なようだがこう言う時の価格交渉はヒョウエの役目である。

 本人の意志と実家の教育方針で、大概の技能は初歩的ながら身につけているからだ。

 

「いざというときに頼れるのが愛と勇気だけってのも困りますからね。せめて手に職はつけておきませんと」

「何の話だか」

 

 モリィのぼやきに、他の三人がうんうんと頷いた。

 

 

 

 酒場に河岸を移して、夕食を取りながら作戦会議。

 とは言っても余り話すことはない。

 空中から地道に妖刀と怪人の魔力を探すと言うことで話はまとまって、後は酒盛りになった。飲んでいるのは主にサーベージ老人だったが。

 そして酒盛りが一段落すれば、後はお楽しみの温泉である。

 

「さーて、温泉だ! ひとっ風呂浴びてこうぜ!」

「いいですわね、温泉! わたしちょっと憧れてましたの!」

「楽しそうですねえ、二人とも」

「なんだお前入らないのか?」

「明日の準備もありますのでね、後で入りますよ」

「そうかい」

 

 肩をすくめる。そのままモリィとリアスは連れだって温泉に行ってしまった。いつの間にか結構仲良くなっている。

 そのままヒョウエは自室で作業を始め、一段落ついた時にはもう随分夜も更けていた。

 

「んー・・・まあ、ついでですし入っておきますか。入らないとサナ姉やリーザがうるさいですしねえ・・・」

 

 懐中時計のふたをパチンと閉じて立ち上がる。

 彼自身は研究や作業をしていれば食事も風呂もトイレも気にしないタイプの人間だが、家族二人に口うるさく言われているため、多少は気を付けている。

 うーん、と伸びをして、着替えをひっつかんで部屋を出た。

 

 

 

 温泉は露天の岩風呂だった。

 湯気の煙る中、折しも良く晴れた夜空に大きな月がかかり、黒くこんもりとした山と森を照らしている。

 

(名月や お湯を巡りて 夜もすがら・・・うん、うまくもなんともないですね)

 

 馬鹿な事を考えつつお湯をかけようと腰をかがめて、その瞬間風が吹いた。

 湯気が吹き払われ、水面があらわになる。

 

「え」

「え・・・?」

 

 3m程の距離で、裸身のカスミとヒョウエが見つめ合っていた。

 

 

 

「あ・・・」

「うわああああああ!? し、失礼しました!」

 

 大声を上げたのはヒョウエだった。

 慌てて身を翻したところで後ろから声が掛かる。

 

「お、お待ち下さいヒョウエ様!」

 

 ヒョウエが振り向こうとして慌てて首を戻す。

 

「な、なんでしょう?」

「その、わたくしのことでしたらお気になさらずに・・・体は手ぬぐいで隠しておりますし、その、まだ子供ですからお気になさることはないかと・・・」

 

 顔を赤らめながらもカスミが言う。

 

「いやまあ・・・そうかもしれませんけど・・・」

 

 実際カスミはこの世界ではまだ子供と見なされる年齢ではある。

 来年になったらかなりアウトだし、何なら今でもギリギリだが。

 

「明日からは妖刀を持った怪人の捜索です。どちらか片方だけでも強敵なのに、双方が揃っているとなったら間違っても侮れる相手ではありませんっ。

 (パーティ)の要であるヒョウエ様にはゆっくり疲れを抜いて頂かないと!

 いいからお入りになって下さい! お気になるならわたくしが出て行きますから!」

「あ、はい」

 

 正論と勢いに負けてヒョウエが頷いた。

 




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02-23 湯けむり純情

 

「・・・」

「・・・」

 

 背中合わせになってヒョウエとカスミが湯に浸かる。二人とも無言。

 五分か、十分か。沈黙に耐えきれずにヒョウエが口を開いた。

 

「えーと、そのですね・・・」

「ヒョウエ様には感謝しております」

「はい?」

 

 機先を制され、ヒョウエが首をかしげた。

 カスミが両手を組んで天を仰ぐ。

 

「ずっとお礼を申し上げたかったのです。あの頃、お嬢様は本当に苦しんでおられました。

 お嬢様が当主を継承できたのも、白の甲冑を使えるようになったのも、ヒョウエ様のおかげです。

 今でも、あなたはお嬢様の心の支えになっているのです。そして・・・いえ、何でもございません」

「・・・」

 

 むずがゆそうな顔で、ヒョウエが顔をポリポリとかいた。

 

「もちろん、だからどうこうとヒョウエ様に押しつける気はございません。

 ただわたくしもお嬢様もヒョウエ様には心底感謝していると、そうお伝えしたかったのです」

 

 カスミが笑顔で目を閉じる。

 ヒョウエが何かを言おうとして途中で止めた。

 それを何度か繰り返して、ようやく言葉を形にする。

 

「まあ、なんです。お役に立てて幸いですよ」

 

 くすり、とカスミが笑った。

 

「・・・なんです?」

「いえ。ヒョウエ様らしいお答えだと思いまして」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 何もかも見透かされているような気分になる。

 見透かしているのが年下の童女であるという事実が更に微妙な羞恥心をかき立てる。

 体を湯船に深く沈め、ブクブクと口から泡を吐き出した。

 それしかできることがなかったとも言う。

 

 

 

「さて、それではそろそろ失礼して先に上がらせて頂きます」

「あ、はい」

 

 それから十分ほどたったろうか、さすがにのぼせてきたのかカスミが湯船から立ち上がろうとした。

 その瞬間。

 

「いやー、いい月出てるじゃねえか! こりゃまたいい酒の肴だ!」

「はっはっは、わかってるじゃないか、若いの! その通り、月に花、雲に鳥! 季節季節の風景があればそれだけで酒はうまい!」

 

 風呂場の引き戸ががらりと開き、入って来たのはローレンスとサーベージだった。

 二人とも全裸で酒の瓶とお銚子を手に持っている。

 どうもあれからずっと酒盛りを続けていたようで、完全に出来上がってた。

 

「お、ヒョウエにカスミじゃねえか! どうだ、駆けつけ三杯!」

「いいねえ! かわいいお嬢ちゃんたちのお酌ともなれば酒も進むというもんだ!」

「それ以上進んでどうするんですか師匠・・・」

 

 げんなりと呟いたヒョウエの横でカスミが硬直していた。

 

「い」

「あん?」

「いやああああああああああああああああああああああ!?」

 

 涙声の悲鳴が露天風呂に響いた。

 同時にまばゆい光が視界を覆い尽くす。

 直視していないヒョウエでさえ思わず目をつぶったほどの圧倒的な光量、白い闇だ。

 

「ぎゃああああああああああ!?」

「ぐおおおおおお!?」

 

 一方でそれをまともに見てしまったらしいローレンスとサーベージは目を押さえて悶え苦しんでいる。全裸なので見苦しいことこの上ない。

 気がつくとカスミの姿はなかった。

 

(・・・もうしばらく浸かってから出ましょうか)

 

 溜息をついてヒョウエは湯船に浸かり直した。

 目の前で転がっている見苦しいものを視界から外しつつ。

 

 

 

 翌朝。

 モリィ達三人とローレンスを杖に乗せてヒョウエは飛び立った。

 酒臭い息を吐くローレンスに、リアスとカスミが嫌な顔をしていたのは余談である。

 

 付近の山を周回し、森の上から「それ」が放っているであろう魔力光を探す。

 モリィの《目の加護》と運だよりの仕事だ。

 

「いっそ青箱の人たちが襲われた現場から足跡を辿った方が良いかもしれませんねえ」

「つっても一ヶ月前の事だからなあ。さすがにどうだ?」

「一ヶ月かあ・・・それはちょっと自信ねえなあ。状況によってはイケるかもしれねえけどよ」

 

 溜息をつきつつ、地道に周囲を探す。

 一日目は何も得るところなく探索は終わった。

 なお酒臭さに我慢できなくなったリアスとカスミの抗議によって、ローレンスに探索中の禁酒令が言い渡されたりした。

 

 次の日も、そのまた次の日も成果はなかった。

 更に次の日も、そのまた次の日も。

 ヒョウエの「野暮用」がその間三回ほどしかなかったのは幸いだったと言えるだろう。

 そして一週間目、ヒョウエがリーザに手を借りようかと考え始めたころ。昼食を終えて飛び立って少し。

 くん、とモリィが鼻を鳴らした。ほとんど同時にカスミも。

 

「ヒョウエ、血の匂い・・・って言うか死体の匂いだ」

「死体ですか? 野生動物のではなく?」

「それはわかりませんがわたくしも感じました。野生動物一体の腐臭にしては強すぎます。よほど近くにあるか大量か・・・モリィ様?」

「見渡す限りでは近くにはねえな。ヒョウエ、ちょっと風上に飛んでくれるか?」

「わかりました」

 

 うなずいて高度を下げ、ゆっくりと杖を飛行させる。

 20分ほどかけて、一行はその場所に到達した。




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02-24 酸鼻

「なんだこりゃ・・・」

 

 顔をしかめたのはローレンスだった。

 カスミも表情を堅くし、リアスは顔を青くしている。

 

 そこに転がっていたのは大量のゴブリンの死骸だった。

 既に腐敗が始まっており、蠅がたかっている。腐肉あさりに襲われたか肉の大半がなくなっているが、それでも鋭利な刃物で、しかも一太刀で絶命したらしいのはわかった。

 モリィとカスミがしゃがみ込み、しばらく死体を検分する。

 

「どうでしょう、モリィ様?」

「もう大分暖かくなってきてるしな。殺られてから一日、せいぜい一日半ってところだろう」

「で、ございますね」

 

 カスミが頷いた。

 ヒョウエがローレンスに視線をやる。

 

「例の青等級の(パーティ)が襲われたのは時刻的にはいつ頃ですか?」

「昼間から夕方の間だな。オーガー退治してその帰りだったはずだ」

「オーガーとの戦いで手傷は?」

「ポーション一本で治る程度の怪我しか負ってなかった、つってたから疲労はしてただろうがせいぜい軽傷だな」

 

 オーガー。身長2.5mから3mの巨躯を誇る人食い鬼である。

 その巨躯に見合った怪力と頑健さ、そして10m程度なら一瞬に距離を詰めてくる俊敏さも持つ。ほぼ道具を使い、知恵もあるヒグマと思っていい。

 それを相手に軽傷で勝てるパーティを、妖刀を持った怪人は瞬殺した。

 

「ふらりと現れたそうだ。むき身の刀を持ってはいるが、最初は同業者だと思った。ピンク色に逆立てた髪と、同色の毛皮鎧(ハイドアーマー)を着て、腰には朱鞘」

「カブキモノにしても派手ではありませんこと・・・?」

 

 リアスが呆れたような表情。

 もっとも、白甲冑も知らない人間から見れば割とカブキモノの範疇ではある。

 そんな事を思ったかどうか、ローレンスが苦笑した。

 

「まあそうだが、たまにもっと凄いのもいるからな。ともかく、それが良く見たら鎧じゃなくて体から直接生えてるんじゃないか、と気付いて、その瞬間襲いかかって来た。

 後は話した通り、あっという間にやられて、五人パーティのうち生き残ったのが二人だけという有様さ」

 

 溜息をついてローレンスが話を締めくくる。

 リアスがきっ、と眼差しを強くした。

 

「その方々のためにも、必ずや妖刀とその怪人はこの世から消し去らねばなりません・・・みなさん、力を貸してください」

 

 強い目で周りを見渡す。

 固く握られた拳に、そっとヒョウエが手を重ねた。

 

「肩に力が入りすぎてますよ。大丈夫、みんな手を貸してくれます。仲間ですから」

「あ・・・はい」

 

 心持ち頬を染めてリアスが頷く。

 モリィがやってられるか、と言う表情で唇を尖らせた。

 一方でローレンスは面白そうな顔になり、しゃがみ込んでカスミの耳元に口を寄せる。

 

(なあおいカスミ。やっぱりあれってそう言う事なのか?)

(・・・私の口からは何とも申し上げかねます)

 

 疲労と呆れと困惑と諦めとが玉突き事故を起こしたようなカスミの表情。

 それだけで全てを察したのか、ローレンスが吼えるように笑った。

 笑いながらカスミの頭をグリグリと撫でる。

 カスミが疲れたように溜息を吐き、振り返ったリアスがきょとんとした顔になった。

 

 

 

「まあ問題はゴブリンより足跡ですね。モリィ、追えます?」

「追える・・・と思うがよ」

「何か?」

 

 険しい表情のモリィを見下ろす。

 

「人間の足跡じゃねえぞこれ。熊でも鹿でも狼でもねえ」

「・・・!」

 

 緩んでいた空気が再び引き締まった。

 

「やっぱり怪人(ヴィラン)か」

「変異も相当進んでるようですね」

「それこそ獣並みの身体能力持ってる可能性もあんのか」

「恐らくは相応の剣技も備えているとなると・・・白の甲冑を着ていても油断できませんわね」

 

 全員が頷き合う。

 

「出くわしたらリアスを中心に、ローレンスさんとカスミが前衛。念動障壁で防御を固めますが、知っての通りあれは術式と魔力を喰らいますから余り過信はしないで下さい」

「あたしゃ殴り合いは弱ぇーからな。悪いけど頼むぜ」

「わかってます。牽制はお願いしますわ」

 

 モリィとリアスが頷き合う。

 

「それじゃ追跡を始めましょう。みなさんくれぐれも油断しないように」

 

 ヒョウエの言葉に、再度全員が頷いた。

 

 

 

 五人で杖にまたがり、モリィが足跡を追跡する。

 数キロほども行ったところでリアスが口を開いた。

 

「そう言えば・・・あの妖刀と怪人の目的は何なのでしょうか?」

「目的ですか・・・ローレンスさま?」

「ンー・・・そうだな・・・」

 

 カスミの問いに、少し考えた後ローレンスが口を開いた。

 ヒョウエとモリィも、それぞれの仕事に集中しつつも耳をそばだてている。

 

「具体的にどうこうってのはなかったような気がする。ただリアスやカスミ達を斬った時にあいつらの魔力が俺の中に流れ込んできて、もの凄い高揚感を感じたのは覚えてるぜ。

 リアスは鎧の表面を斬っただけだがヒョウエ、あれはお前さんの魔力を喰ったってことでいいのか? いや、カゲたちを斬った時にも薄膜一枚何か斬った感覚があったがあれも?」

「ですね。術式を斬られて魔力を吸われたのはともかく、魔力を使うための経絡(チャンネル)も痺れたのは参りました」

 

 ああ、とカスミも頷いた。

 

「そういえばわたくしもローレンス様に斬られた時、同じような感触を受けました。今にして思えばあれが術式制御というか、魔力経絡に対するダメージだったのですね」

「だと思います」

「ヒョウエ様はあんなものを受けてよく術を紡げましたね・・・?」

「全くだ。果てには妖刀の一撃を魔力で止めるしよ・・・」

「まあ《魔力の加護》がありますので。僕は魔力経絡も特別製なんですよ」

 

 あはは、と笑って誤魔化すヒョウエ。

 さすがに"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"のことを簡単にばらすわけにもいかない。

 それでも《加護》という隠れみのがある分、二人とも素直に納得してくれた。

 うんうん、とローレンスが頷く。

 

「大したもんだな。実際カスミ達全員よりお前さんの術の方が『喰った』魔力量は多かった記憶があるぜ」

「そこまでですの・・・!」

 

 きらきらした眼でヒョウエを見るリアス。

 後頭部にむずがゆさを感じてヒョウエがポリポリと頭をかく。

 何とはなしにむっとしてモリィが口をへの字に曲げた。

 

「話がそれたが、魔力を喰うのが奴の目的の一つかもしれんな。魔力を喰って生きてるのか、それとも喰った魔力で何かしようってのかはわからんが・・・。

 魔力を喰うたびに剣が喜んでるような気がしたし、あれに取り憑かれてる間、何度か人を斬りたくなる衝動がわき起こったことがある」

「ちっ、つくづく物騒な話だぜ」

 

 舌打ちをするモリィ。実際ローレンスがその衝動に負けていたらもっと大規模な被害が出ていた可能性もある。リアスがすがるようにヒョウエを見た。

 

「ヒョウエ様は、何か心当たりはございますの?」

「妖刀なんてあの時までは僕も伝説の中の代物だと思ってましたよ。"意志を持つ剣(インテリジェンス・ソード)"というのは存在しますが、それとも異なるようですしね」

 

 この世界における"意志を持つ剣(インテリジェンス・ソード)"というのは概ね真なる魔法の時代の遺物(アーティファクト)だ。

 剣だけではなく、甲冑や腕輪が意志を与えられることもある。

 

 つまる所、現代日本風に言えばユーザーを補助するAIのような用途。

 情報や知識を蓄えたAIによって使い手の行動をサポートするための技術だ。

 もっとも、魔道具に擬似的な知性を与えるのは当時の技術ですら難しかったようで、そうそうある代物ではない。付与される人格も不安定で、人を斬りたがる剣だの蜘蛛が苦手な喋る剣だのの噂も、冒険者の与太話としてよく聞く代物だ。

 

「根拠はありませんが、むしろ刀に怨念が取り憑いたとかそう言う類かも知れませんね。もしくは"怪人(ヴィラン)"の物品版のような」

「そっちの方がよほどこえーよ」

「全面的に賛同いたします」

 

 ぼやくモリィに、げんなりした顔でカスミ。

 直接の被害者の一人としては、考えたくもないことに違いあるまい。

 

「後は怪人のほうの目的ですね・・・被害に遭った箱のみなさんから、何か?」

「んー・・・いやだめだな。それ以上のことは思いつかん。今ならもう少し何か思い出してくれるかもしれないが、何ぶん話を聞いた時には襲われた直後だったからな・・・。

 生き残りはしたが、魔力を根こそぎにされてまともに体も動かせない状態で、あまり長いこと話を聞くことも出来なかった」

 

 彼らが担ぎ込まれた村には幸い医神(クーグリ)の神殿があったが、肉体的な負傷はともかく破壊された魔力経絡、言い換えると肉体の欠損そのものを修復するような高度な魔法の使い手は、医神の神官と言えどもそう多くはない。

 山奥の開拓村であれば、治癒術の使い手がいただけでも御の字であろう。

 

「僕も初歩の治癒呪文なら使えますが、魔力経絡を修復するような術は使えません。

 即死しなければ何とかなりますが、斬られたらメットーに戻らないと治療は不可能だと思ってください」

 

 ヒョウエの真剣な声に全員が頷いた。




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02-25 不意打ち(アンブッシュ)

 追跡は続く。

 午後一杯を使って足跡を追うが、時間切れで夕方になった。

 森の中で杖を止める。

 

「今日はここでやめておきましょう。一度村に戻って明日の朝また追跡再開です。かまいませんか?」

 

 全員が頷いた。

 妖刀を持った怪人に夜の山の中で襲われるなど考えたくもない。

 

「それでは・・・」

 

 一瞬だった。

 五人は誰一人油断していなかった。

 それでもなお、敵はそれを上回った。

 

 五人のすぐ後ろ、若葉色の下草がショッキングピンクに色を変えた。

 それが人の姿をとると同時に跳躍する。

 その手には夕やけの光を浴びて不吉な赤に染まる日本刀。

 

「っ?!」

 

 最後の瞬間に振り向き、不完全ながらもそれに対応して見せたローレンスは称賛されるべきだろう。

 だがそれでも間に合わなかった。

 

「がっ!」

「ローレンス様!」

「お兄様!?」

 

 最大限に体をひねり、バスタードソードを半ばまで抜刀。

 甲高い金属音が鳴った。

 ヒョウエの施した四重の防壁を切り裂いたそれを不完全ながらも弾き、辛うじて致命傷だけは回避した。

 

 妖刀の刃は、同時に飛行の術式をも切り裂いていた。

 バランスを崩して投げ出される五人。

 ショッキングピンクの怪人は妖刀を逆手に振りかぶり、刺突でローレンスにとどめを刺そうとする。

 

「兄様ッ!」

 

 リアスは「白の甲冑」の身体能力で無理矢理に起き上がり、抜刀する。

 だがそれでも一手足りない。怪人の一太刀に間に合わない。

 

「させま――せんっ!」

 

 ちぃんっ、と澄んだ音が響いた。

 カスミが交差させた両手のクナイで辛うじて妖刀を弾いたのだ。

 並外れた体術を持つ彼女は杖から投げ出されながらも体勢を整えて着地し、素早く割って入っていた。

 

 更に後ろではヒョウエが地面に転がりながらも術を発動させ、不完全にではあるが怪人の体の自由を奪っていた。

 それがなければカスミの腕力では押し切られていただろう。

 

 そこでようやく、一行は怪人の姿をはっきりと見た。

 毛むくじゃらの、雪男か毛羽毛現と言った姿の人型。

 全身の毛は鮮やかで毒々しいショッキングピンク。手に持った妖刀と腰に巻いた白の布帯、そこに差した朱鞘だけが異彩を放っている。

 目鼻は一応あるようだが、毛に埋もれてはっきりとしない。

 

「クソがっ!」

「カスミとお兄様から離れなさいっ!」

 

 カスミほどではないが身の軽いモリィが素早く体勢を立て直して雷光銃を乱射する。雷光を浴びてひるむ怪人に、リアスが神速の踏み込みで斬撃を送り込んだ。

 ダンジョンで見せたよりも二割増の踏み込みと膂力。先ほどよりも遥かに重い金属音が森に鳴り響く。

 

『ガァァァアァ!』

「くっ!」

 

 だが白の甲冑の、古代遺物の魔導甲冑の力をもってしても怪人を押し切るには至らなかった。リアスの渾身の一撃は正面から受け止められ、怪人を僅かに押し返したに留まる。

 

「このっ!」

『グォォッ!』

「くっ!」

 

 フリーになったカスミが、リアスとつばぜり合いをしている怪人にクナイで斬りかかる。

 だがヒョウエの念動術で動きを止められていながら、怪人は何とかそれをかわした。

 

「くそっ、制御が甘くなってる・・・!」

 

 手を伸ばし、必死に術式を維持しながらヒョウエがうめく。

 魔力経絡にダメージを受けながらの術の行使に、指先の毛細血管が破裂して血をしたたらせていた。

 彼の魔力感覚には自分の魔力を食い尽くそうと見えない反魔力の炎を上げる怪人と、それに何とか拮抗する自分の術式が見えている。

 

 眉をしかめて次の瞬間、ヒョウエはぎょっとした。

 怪人の双眸――毛に埋もれて見えないが――が自分を見つめている。

 次の瞬間リアスが斬りかかって視線はそれたが、間違いなく自分を見ていた。

 それも執念に近い何かとともに。

 背筋のゾッとする感覚。それを忘れようと努力しつつ、ヒョウエは術式に更に魔力を送り込んだ。

 

 火花が散る。

 リアスとカスミを相手に激しく斬り結ぶ怪人。入れ替わり立ち替わる動きの激しさにモリィも雷光銃の引き金を引けない。

 

「モリィ、ローレンスさんをこっちに! それからポーションを!」

「お、おう!」

 

 モリィが雷光銃をホルスターに納め、ローレンスの体を引きずって戦いから引き離す。

 腰のベルトから取りだしたポーションを飲ませ、更に新しいポーションを傷口に振りかける。だが傷が深く、出血も激しい。即死していてもおかしくないほどの深手なのだ。

 そのローレンスと怪人の間をヒョウエの視線がさまよう。

 

(現状の魔力経絡を全部使って、かろうじてリアスとカスミと互角。今ローレンスさんを治療しないと手遅れになるが、念動の枷を一つでも外せば・・・)

 

「ヒョウエ様。金縛りを解いてローレンス様の治療を」

「! そうですわね、お願いします、ヒョウエ様!」

 

 剣戟の金属音の合間、カスミの冷静な声がヒョウエの耳に届いた。

 怪人と打ち合って激しい火花を散らしつつ、リアスがそれに続く。

 

「ですが・・・」

「お任せ下さい。勝算はございます。お嬢様、少し」

「わかりましたわ!」

 

 リアスが頷いて、盾での体当たり(シールドバッシュ)をかける。僅かにとは言えよろめいた怪人に、遮二無二斬撃を送り込む。

 カスミが頼んだ数合の時間稼ぎ。一言二言で通じるだけの信頼が二人にはあった。

 

 カスミが体を沈めてクナイを構えた。

 すうっ、と。その瞳が黒から北海の氷のような透き通った青に変わっていく。

 

 が、リアスは早くも押されていた。カスミと二人で何とか互角だったのだ、そう長続きするはずもない。

 今度は逆に盾を押されてリアスがバランスを崩す。リアスに追撃をかけると思いきや、怪人が鋭く踏み込んでカスミに刀を振り下ろす。

 

「しま・・・カスミっ!」

「このっ!」

 

 ヒョウエが念動の術に力を入れるが、僅かに剣先を鈍らせただけ。

 妖刀の刀身が、するりとカスミに斬り込んだ。

 

『!?』

「えっ!?」

 

 カスミを袈裟懸けに斬った、と見えた一太刀がカスミをすり抜けた。

 怪人から発せられる驚愕と困惑の気配。

 それと同時に、カスミの姿がぶれた。

 

 一つのカスミからいくつものカスミの姿が分かれて、透き通った七体のカスミになる。

 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。それぞれのカスミが異なる光を発している。

 

「!」

 

 七人のカスミが七方に散った。

 赤いカスミのクナイが後ろから怪人のすねを斬る。パッと青黒い血が飛び散った。

 

『ゴアッ!』

 

 斜め前から飛びかかって来た青のカスミを、反射的に怪人が斬る。

 妖刀が触れるか触れないかのところで青のカスミがふっと消えた。

 

『ガアッ!?』

 

 同時に、緑のカスミが斬りつけた腕を浅く斬っている。

 

「無駄です。姿は虚」

 

 紫のカスミが斬られて消え、すぐに怪人の左側に出現する。

 

「しかして攻撃は実」

 

 橙色のカスミのクナイが怪人のこめかみを浅く斬った。

 

「開祖様から伝わる技を光の術と組み合わせた・・・名付けてヒダ流幻舞陣! あなたともう一度戦う時のために編み出した技です!」

 

 あれほど圧倒的な力を見せていた怪人を、七人のカスミが翻弄している。

 斬られても一瞬消えるだけで、またすぐに現れる七色の影は一瞬たりとも留まることなく、怪人の血を流し続ける。

 他の三人が呆然とその様を見ていた。




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02-26 カスミ幻舞

「ヒョウエ様! 金縛りを解いてローレンス様の治療を! リアス様、お願いします!」

「は、はい! わかりましたわ!」

「・・・! わかりました、念動を一段ゆるめますよ!」

 

 再起動したリアスが渾身の一撃を振るう。

 それを受け止めようとした瞬間背中を斬られて、リアスの剣を止めはしたものの怪人がはっきりとよろめいた。

 同時にヒョウエが魔力経絡一つ分の念動の術を解除し、ローレンスの傷口に指先を当てる。

 魔力経絡一つ分の術ゆえにいつもほどの回復力はないが、それでも着実に血は止まり、傷口も塞がる。とは言え出血がひどく、容態は予断を許さなかった。

 

「ちっ、大赤字だぜ」

 

 買っておいたポーション五本を使い切ったモリィがヒョウエと入れ替わりに立ち上がり、瓶を放り投げて再度雷光銃を抜く。

 

「・・・」

 

 ショッキングピンクの怪人、それと激しく斬り結ぶリアス、その周囲を跳ね回って牽制する七色のカスミ。

 狙いをつけられず銃を下ろす。

 ちらりとヒョウエを見る。

 

 何度か自身やモリィを治療した時と違い、一箇所に長く指を当てている。

 発せられる魔力の光も弱く、治癒の効き目が弱いのがわかった。

 逆袈裟に深く斬られたローレンスの顔は、夕日の光の中でも青く血の気がない。

 

「・・・なあヒョウエ、やばいんじゃねえか、このままだと」

「ですが・・・」

 

 ヒョウエが何か言おうとしたところでカスミの平静な声がそれを遮る。

 

「術式を全て治療に回して下さい、ヒョウエ様。その間だけなら何とか押さえ込んでご覧に入れます」

 

 怪人と全力で斬り結ぶリアスもはっきりと頷いた。

 

「ヒョウエ様! わたくしからもお願いいたします!」

「~~~~っ!」

 

 逡巡の表情を見せた後、ヒョウエが叫ぶ。

 

「今から3つ数えて解除します! 急いで治療しますのでなんとかもたせて下さい!」

「はいっ!」

「心得ました」

 

 勢いのあるリアスと、あくまで平静なカスミ。

 対照的な二人の返事を聞きながら、ヒョウエはカウントをとる。

 

「3、2、1・・・解除!」

 

 その瞬間、怪人の動きがほとんど二倍の速さになったように思われた。

 リアスの剣が強烈な一撃に吹き飛ばされかけ、カスミの分身が三体まとめて消し去られる。

 同時にヒョウエの指先の魔力光が圧倒的に密度を増し、モリィが目を覆うほどになる。

 

「すぐに治療を終わらせます! それまで!」

「無論です!」

 

 斬られたはらわたの中に指を突っ込み、内臓の傷を癒す。

 深く斬られているだけあってそれなりに時間はかかったが、それでも今までの治療よりは遥かに早い。

 

 だがその短い時間の間にもリアスとカスミは目に見えて追い詰められていく。

 カスミの分身が二人、三人と消えていく。再出現も追いつかない。

 リアスも防御で手一杯だ。刀と盾を両方防御に回して、辛うじて重い斬撃を凌いでいる。 

 ローレンスの治療を続けながら、ヒョウエが傍らのモリィに小声で囁いた。

 

「モリィ、今のうちにチャージを。ローレンスさんの治療が終わったら一発ぶちかまして逃げます」

「! 了解だ!」

 

 モリィが腰を落とし、雷光銃を両手で構える。白の甲冑と同じ古代遺物(アーティファクト)が唸りを上げ、雷光が球体となって銃口に渦巻き始めた。

 ヒョウエが出来うる限りの出力で、しかし丁寧に内臓の傷を塞ぐ。

 意識のないローレンスがうめく。その顔に僅かに血色が戻ってきているように見えた。

 

「こっ、の・・・!」

 

 白の甲冑と盾の表面をガンガンと刀が叩く。古代の遺失技術で生み出された特殊合金は辛うじてその斬撃に耐えているが、衝撃は防ぎきれない。

 天翔る龍が彫金された盾は既に傷だらけで、深い切れ込みもいくつかある。そう長くはもたないだろう。

 

 白の甲冑の生み出すスピードと膂力で防御に専念するリアスをして防ぎきれない、野性の荒々しさと達人の技を兼ね備えた剣。

 余りの速度に、剣が三本あるかのような錯覚を起こす。

 

「もうすぐです! 何とかこらえてください!」

「無論・・・カスミっ!?」

 

 斬られるたびに再出現しながらも、ペースが間に合わずに数を減らしていたカスミの分身。

 その最後の一体がついに消えた。

 

「カスミィィィィッ!」

 

 リアスの絶叫が響く。モリィの顔がこわばり、ヒョウエが歯をギリッと鳴らしたその瞬間。

 

「え・・・?」

 

 怪人の喉から、忍者刀の真っ直ぐな刃が突き出していた。

 

「姿は虚、と申し上げたはずです。忍びが何故姿をあらわにして戦わねばならないと?」

 

 怪人の頭の後ろ、何もない空間から声がした。

 一瞬遅れてすうっ、とそこにカスミの姿が現れる。

 忍者刀を無造作に動かすと、怪人の首があっけなくごろりと転がり落ちる。

 ふわり、とカスミが飛び降りた。

 

「・・・ああ、カスミ!」

 

 感極まったようにリアスが破顔一笑する。

 術の行使の疲労か、額に汗を浮かべてカスミが笑みを浮かべた。

 

 だがヒョウエの直感はまだ何かあると訴えていた。

 何だ? 何がおかしい? そこまで考えて気付く。

 首をはねられた怪人の体が、まだ倒れていない!

 

「リアス、どけっ!」

「なっ!」

 

 首をはねられた怪人の体が素早く振り向き、術を解いたカスミに斬りかかる。

 同時にモリィが躊躇なく、カスミを巻き込んで雷光銃のチャージ攻撃を放った。

 リアスは驚きながらも横に飛び退く。一瞬だけチャージ攻撃に巻き込まれたものの、白の甲冑の防御術式が辛うじて攻撃を弾いた。

 

「カスミッ!?」

 

 リアスの悲鳴が響く。

 童女と怪人の姿は魔力照射に飲まれて見えない。

 

 2秒ほど経ったところで黒い影が飛び出した。

 体中を焦がした怪人。

 驚くべき事に、単なる鋼にしか過ぎないはずの妖刀の刀身には染み一つない。

 

「ちっ」

 

 チャージ攻撃を終えてモリィが舌打ち一つ。

 そのモリィに殺意を向けようとして、リアスの視界にカスミの姿が映った。

 

「!?」

 

 チャージ攻撃で直線状にえぐられた山肌の中、カスミとカスミの周囲の地面だけが無事に残っている。

 

「カスミさんは僕の術で守らせて貰いました。モリィがきっと我慢できずに撃っちゃうと思いましたからね」

「ばーか、お前がカバーすると確信したから撃ったんだよ。信頼って奴だ、喜べ」

「ほんとかなあ」

 

 木のふもとにうずくまる怪人から注意は逸らさず、人の悪い笑みを交わす二人。

 

「・・・・!」

 

 リアスが驚きと嫉妬の入り交じった複雑な表情でそれを見比べた。

 

「まあ、無駄話をしている余裕はありません。カスミは動けますか?」

「何とか。ただかなり魔力を消耗しましたし、何度か幻像に剣がかすりましたから、簡単なものでも術式の起動は難しいと思います」

 

 魔力を消耗すると言うことは、イコールで体力を消耗すると言うことだ。

 幻像が消えてもすぐに復活したのは妖刀に斬られて消えたのではなく、その直前に自ら幻像を消して再度出現させていたということだろうが、ヒョウエではあるまいし術をそのように濫用してそう長く持つはずがない。

 

 疲労困憊したカスミはほぼ戦力外。

 リアス一人とヒョウエの念動による行動阻害だけで怪人を倒せるだろうか?

 考えるまでもなく、勝算は薄いと言わざるを得なかった。

 

(だが)

 

 一つだけ手段はある。

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の膨大な魔力を一時的に無制限に放出するヒョウエの切り札。二年前、ローレンスの操る妖刀すら止めた青き鋼。

 ちらりと手の中の杖を見、そしてうずくまる怪人を見る。

 この僅かな時間の間に黒こげになった表面は再生し、見る見るうちにピンク色の毛皮が新生していく。

 はね飛ばされた首の断面が泥のように盛り上がり、新たな頭部を形成しようとしていた。

 

(逃げると言う手もありましたが、もう遅いか)

 

 チャージ攻撃が終わった瞬間に逃げを打っていたとしても、動けないローレンスがいる。不完全ながら再生した怪人に襲われて、先ほどの二の舞になった可能性は高かった。

 

(・・・やむを得ません、か)

 

「全員下がって。とっておきを使います」

「おい、まさか」

 

 声色に含まれる何かを察したのか、モリィが焦ったような顔でヒョウエに振り向く。

 

「やめろ、馬鹿!」

「この際これしか手がありません。後はよろしく」

「・・・?」

 

 顔に疑問符を浮かべつつ、リアスとカスミが後退する。

 緊張を感じ取ったのか、うずくまっていた怪人が立ち上がり、炭化した表皮がポロポロとこぼれ落ちた。

 怪人が剣を構え、ヒョウエが切り札を発動しようとして。

 

「やめとけよ、小僧」

 

 のんびりした声が両者を遮った。




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02-27 柳枝の剣

「師匠?」

「ほら吹きのじいさん!?」

 

 木立の中からふらっと現れたのは薄汚れた旅装束に杖をついた赤ら顔の老人。

 ヒョウエの語りの師匠、"ほら吹きサーベージ"だった。

 

「なんで・・・いや、どうやってここに!?」

「なに、俺は健脚でな」

 

 からからと笑うサーベージ。

 ヒョウエの飛行の術があるから簡単に行き来できるものの、ルダインの村からは歩いて半日以上、道もない山の中という事を考慮すれば丸一日以上はかかる距離だ。

 年齢を感じさせないかくしゃくとした老爺ではあるが、だとしても普通の人間が気楽に出没できる距離ではない。

 

「で、あれが噂の怪人とやらか。名前は・・・まだねえか」

「考えてませんでしたが・・・即興ですがムラマサ、なんてどうです」

「ムラマサか。それっぽいな」

 

 顎髭をいじりながらサーベージが頷く。

 

「ともかくここは俺に任せてお前達は逃げろ。・・・いや、物語では良くあるセリフだが、実際に言ってみると中々気持ちがいいな!」

 

 一つしかない目を細めて、がははと豪快に笑うサーベージが杖を構えた。

 1メートルほどの杖を木刀のように両手で持ち、下段にだらりとぶら下げる。

 

 その姿が、いつの間にか怪人とヒョウエたちの間にあった。

 普通に、ゆっくりと歩いて来るようにしか見えなかったのにだ。

 

「・・・・・!」

 

 リアスが目を見張った。

 ただ杖を垂らしているだけなのに、隙が全くない。

 白甲冑の力を全開にして後ろから斬りかかっても、まるで打ち込める気がしない。

 

 一行の中で、もっとも接近戦に長けたリアスだけが理解出来ること。

 そして、妖刀を構えた怪人もそれを理解した。

 

『ヴ・・・ウゥ・・・』

 

 妖刀を肩に担ぐように構え、しかし怪人は動けない。

 下手に動けば「斬」られる。

 そう剣士の本能が告げていた。

 

 

 

「ヒョウエ様! サーベージ様のお言葉通りここは撤退を! 今生き延びるためにはそれしかありません!」

「け、けどよリアス!」

「大丈夫です、モリィさん。この方は私より強い(・・・・・・・・・)!」

「・・・!?」

 

 モリィが目を白黒させる。

 同時に、その言葉が迷っていたヒョウエを決断させた。

 

「逃げますよ、みなさん! 師匠、後よろしく!」

 

 その言葉と同時にサーベージを除く五人の体がふわりと浮いた。意識を失っているローレンスを含めてヒョウエの杖にまたがり、そのまま飛び去ろうとする。

 

『ヴォッ!』

 

 さすがにこれは見過ごせなかったか、怪人が動いた。

 まずは目の前の邪魔者を排除しようと、閃光のような斬撃を送り込む。

 左肩から逆袈裟に切り下げられ、血の海に沈むサーベージ・・・を、リアス以外の誰もが幻視した。

 だが。

 

『ヴァッ!?』

「えっ!?」

 

 怪人ムラマサとヒョウエたちが等しく驚愕の声を上げる。

 妖刀は僅かに軌跡を変え、サーベージの頭から1センチほど上を通り過ぎた。

 サーベージがやったのは、杖を妖刀に添えて力のベクトルをずらしただけ。

 火花を散らすことも激突音を打ち鳴らすこともなく、怪人(ムラマサ)の剛剣は無力化された。

 

『グウォウォウォウォッ!』

 

 怒りにはやったか、ムラマサが矢継ぎ早に斬撃を繰り出した。

 リアスをして剣が三本に見えると言わしめた剣速。

 三面六臂に三本の剣を持つ阿修羅の剣。

 だがそれをすらも、老人の振るう杖は柳に風とばかりにことごとく受け流していく。

 

「ハハッ! 怒ったか! どうした、そんなものか!」

 

 カラカラと笑いながらも、サーベージの体さばきには一切のブレがない。

 早くはない。

 膂力でも完全に負けている。

 そのはずなのに、ムラマサの剣は老爺の体にかすりもしない。

 

「・・・・!」

 

 全力で飛び去り、あっという間に遠ざかりながらもヒョウエたちは驚嘆の目でそれを見ていた。

 四合、五合と打ち合いを重ねても老爺の守りは崩れない。

 羽虫を払うような気軽さで、魔獣をも即死させる剛剣をさばいていく。

 

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 

 ムラマサが怒りの咆哮を上げる。

 だがそれでもその剣は空振りを続けるばかり。

 

 七合、八合。

 十合、十五合、三十合。

 そこで山の陰に入り、モリィの《目の加護》でも二人の姿を捉えられなくなった。

 

「・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 一行の間に沈黙が降りていた。

 既に日は暮れている。

 怪人の視界を外れたのを確認して、ヒョウエが大きく方向を変えた。

 村に向かってくる可能性を考慮して、飛び立つ時にほぼ正反対の方向へ飛んだのだ。

 

 山の陰を、ギリギリ木の梢に当たらないくらいの高度で飛び抜ける。

 山二つほどを越えたところでリアスが恐る恐る口を開いた。

 

「その、ヒョウエ様・・・あの方は一体・・・?」

 

 ヒョウエの帽子を被った頭が左右に振られる。

 

「わかりません。武芸の心得が相当あるかなくらいには思ってましたが・・・」

 

 ヒョウエの実力は、現代日本で言うなら実戦経験を加味しても剣道三段程度。

 歩き方や身のこなしを見て武芸の心得があるかどうかはわかるが、立ち会いもせずに実力を見定められるほどの目は持っていない。

 

「なあ、リアス」

「何でしょう、モリィさん?」

 

 言葉を濁したヒョウエと入れ替わるようにモリィが口を開いた。

 しばらく口ごもってから言葉を継ぐ。

 

「その、だな・・・あの爺さんお前より強いって言ってたが・・・白甲冑をつけた状態のお前よりってことか?」

「もちろんです。ご覧になったでしょう?」

「そりゃまあ、なあ。けどよ・・・」

 

 モリィの言葉が途切れて消えた。

 伝説の魔導甲冑をまとったリアスよりも、飲んだくれの語り部の老人が強かったという事実を受け入れ切れていない。

 一方でリアス本人は素直に事実を受け入れていた。

 相手の実力を正確に評価する専門家らしい態度でもあるし、初見でかなりの腕を持っていると見抜いていたせいもあるだろう。

 

「一族のものを含め、あれほどの技量を持った剣士は見た事がありませんわ。

 もしあの方が白甲冑をまとえるなら、あの怪人も一太刀で切り伏せるでしょう」

「・・・」

 

 再び沈黙が落ちる。

 今度の沈黙は村に到着するまで続いた。

 

 

 

 ルダイン村に到着した頃にはローレンスの意識も回復していた。

 ひとまず今晩は様子を見て、明朝一番にメットーの医神の神殿に担ぎ込むことにする。

 ヒョウエ以外の三人は何か起きた時に備えて村で待機だ。

 

「手紙をしたためますのでそれをお持ち下さい。神殿への寄進は我が家の方から出させて頂きます」

「ありがたいですね。今回ここの宿泊費とポーション分だけでもかなり赤字ですし」

「だなあ」

 

 溜息をついてヒョウエ。モリィもそれに追随した。

 村側の好意でかなり安くしてもらっているとは言え、それでも六人で一週間となるとそれなりにつらい。

 ヒョウエとモリィは金銭を稼ぐ手段として冒険者をやっているので、どうしてもその辺は気になる。

 遅い夕食を無言で腹に詰めて、四人はベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 翌朝。

 

「師匠!?」

「よっ。うまく逃げられたみてぇだな」

 

 朝起きて下の酒場に降りると、サーベージがしれっとエールを飲んでいた。

 開けたばかりと見える樽が既に半分くらい減っている。

 

 ちなみにビール(エールビール)を再現した冒険者族もいるのだが、ホップに相当する作物の生産が難しいために高級品になっていた。

 閑話休題(それはさておき)

 

「まあなんです、ご無事で何より」

「当たり前だ。無事で済むような相手でなきゃ助けねえよ」

 

 わははと笑う老人にヒョウエは苦笑するしかない。

 

「昨日の今日でよくもまああそこから帰って来れたな?」

「言っただろう、俺は健脚なんだよ」

 

 健脚で説明のつく距離ではないのだが老人はモリィの疑問をあっさり切り捨て、ぐびりとエールを喉に流し込む。

 何杯目かはわからないが豪快な飲みっぷりにはいささかの乱れもない。

 

「それで・・・あの怪人はどうなりましたの?」

「適当にまいて逃げてきたよ。まあつけられるようなへまはしてないから大丈夫だ・・・多分な」

 

(多分と言っておけば嘘をつかないで済むなんてことわざもあったなあ)

 

 そんな事を考えていると、じろりと睨まれた。

 

「何だ小僧、何か言いたいことでもあるのか?」

「いえいえ尊敬するお師匠様に何もってその様な」

「ふん」

 

 にやりと笑ってまたエールをあおる。完全に見透かされているがポーカーフェイスは維持した。




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第四章「チャンバラ」
02-28 奥義促成コース


 

 

「奥義を身につけて勝てれば苦労はしねえよ」

 

 

                     ――不詳――

 

 

 

 

 朝食の後、ローレンスを乗せてヒョウエが飛び立った。

 向かう先は王都メットー、医神(クーグリ)の神殿だ。

 傷は癒したとは言え深手で体力を消耗し、その上に魔力経絡に大ダメージを受けている。治療を受けても数日は安静だろう。

 いつもにもまして形状に気を遣った「後部座席」の上で楽な姿勢をとりながらローレンスがぽつりとこぼした。

 

「すまねえな、足手まといになっちまった」

「いえいえ、そんな事は。小さな女の子が斬られたら良心の呵責が半端じゃありませんけど、ひげ面のむさいおっさんが斬り殺されても手を合わせれば終わりですからね。

 いい仕事をしてくれましたよ、ローレンスさんは」

 

 気遣って言ってくれているのはわかるのだが、それでも余りにあんまりな言いぐさにローレンスが苦笑する。

 

「まあおおむね俺も同意するが一つだけ・・・俺はまだ26だ、おっさんと呼ぶんじゃねえよ」

「僕から見れば十分におじさんですよ。何せ若いので」

「この野郎・・・」

 

 苦笑が深くなる。

 お嬢ちゃん呼ばわりした二年越しの意趣返しである。

 肩を震わせて笑っている少年の後頭部を軽くこづいて、ローレンスは目を閉じた。

 

 

 

 一方でルダイン村。

 メットーに飛び立つ二人を見送った後、モリィ達三人は酒場の中に戻っていった。

 先ほどからずっとエールを飲み続けるサーベージの正面にリアスが座る。戸惑いながら他の二人も席に着いた。

 兜を脱ぎ、深々と頭を下げる。

 

「まずはお礼を。昨日はありがとうございました、サーベージ様」

「ああ。いいっていいって。こうしてただ酒にありつけてるわけだしな」

 

 リアス達をちらりと見はしたが、手をヒラヒラさせてそのまま飲み続けるサーベージ。

 しばらく迷った後、意を決してリアスが口を開く。

 

「それでですね、その・・・あの怪人――ムラマサはまだ健在なのでしょう?」

「ああ」

 

 サーベージが関心無さげに樽から新たなエールをくむ。

 

「ムラマサを討ち取るのに、ご協力願えませんでしょうか。サーベージ様は私などより遥かに上の技量をお持ちとお見受け致します。なにとぞご助力を頂けないでしょうか」

「やだよ、めんどい。年寄りを働かせるな」

 

 リアスの方を見もせずにサーベージ。

 

「私たちを、いえ、ヒョウエ様を助けて下さったではありませんか」

「小僧を助けたのはたまたまだ。二回もやる気はねえよ。勝てねえなら諦めろ」

 

 にべもない。

 が、リアスも必死で食い下がる。

 

「どうしても討たねばならないのです! 報酬はお支払いします!」

「いらねえよ」

「ならば、せめて私に一手御指南を! あの風にそよぐ柳のような剣をお教え下さい!」

 

 そこで初めてじろり、と老人がリアスを見た。

 

「う・・・」

 

 その眼光にリアスの言葉が途切れる。

 

「一朝一夕で身につけられるわけがねえだろ、馬鹿。

 大体あんなもんは技でも何でもない。敵の太刀をさばいてるだけだ。あれが何か凄い技に見えるなら、お前さんの鍛錬が足りてないだけだろう」

「・・・・・・」

 

 リアスが沈黙する。

 完全な正論であった。

 

 老人は何か変わったことをしていたわけではない。

 杖で相手の剣を防いでいただけだ。

 ただその技量が隔絶しているために、特別な奥義か何かに見える。

 

 リアスにだって出来るのだ。技量が追いつきさえすれば。

 しかし技量が修行してすぐに上がるならば誰も苦労はしない。当たり前の話だ。

 それでも、リアスに諦めるという選択肢はなかった。

 

「それでしたら何でも構いません! 私に稽古をつけてくださいまし!」

「あのなあお嬢ちゃん。だから俺は・・・」

「稽古をつけて下さるのでしたら、今後メットーでお酒を飲まれる時は全て代金を伯爵家が肩代わりさせて頂きます!」

 

 サーベージの動きがぴたりと止まった。

 妙にまじめくさった顔でリアスの方に顔を向ける。

 

「そうだな。次代を担う若い才能を育てるのも先達のつとめの一つだろう」

「それでは!」

 

 顔をぱっと明るくするリアス。サーベージがしかつめらしく頷いた。

 

「ああ、稽古をつけてやろう。何ならどうだ、奥義の促成コースというのは」

「奥義の促成コース!?」

「ちょっと待てコラ」

 

 リアスの驚愕の声とモリィのツッコミが朝の酒場に同時に響く。ツッコミはいつだって思わず出る。

 

「なんだよ、何か文句あるのか雷光の嬢ちゃん」

「モリィだ、覚えろ! お前さんざん鍛錬が足りないだけだとか奥義じゃないとか何とか言っておいて、促成コースとか舐めてんのか! そんな簡単に奥義が身につくなら誰も苦労しねーよ! 大体タダ酒に釣られただけだろテメー!」

 

 モリィの剣幕にも老人は微動だにしない。

 静かに彼女を見据える様子は、外見だけなら――いや、技量については間違いなくそうなのだが――悟りを開いた達人に見えなくもないから不思議だ。

 

「それは誤解というもんだ。俺は彼女の才能に惚れ込んだのさ。掌中に珠があれば、磨いてみたくなるのが人情というものだろう」

「・・・・」

 

 いけしゃあしゃあとのたまうサーベージに、もはや反論する気力すら湧かない。

 大丈夫かコイツ?という目でモリィがリアスを見た。カスミも。

 それにひるみながらもリアスは頷いた。

 

「それでは、御指南頂けるということでよろしいですのね?」

「よろしいとも。丁度良い、腹ごなしだ。表に出な」

「はいっ!」

 

 鼻歌を歌いながら席を立つサーベージと、緊張した顔でその後に続くリアス。

 その二人を見送った後モリィとカスミは顔を見合わせ、深々と溜息をついた。

 

 

 

 一時間ほどしてヒョウエが戻ってきた。

 

「・・・何がどうなってああなったんです?」

 

 酒場の外を振り向きつつモリィ達に訊ねる。

 

「リアスが酒飲み放題を提示したらじいさんが奥義を三日で教えてやろうとかそんな感じのことを言い出したんだよ。それよりあれ何やってんだ? 魔力生成の練習か?」

「ああ」

 

 酒場の裏、林との間にある空き地で二人がやっていたことを思い出してヒョウエが頷いた。

 一抱えほどもある石にリアスが腰掛けて手と足を組み、目をつぶっている。

 その後ろをサーベージがうろうろしており、時折手の杖でリアスの肩を叩いていた。

 

「ザゼンという精神修養法の一つです。ただ者じゃないとは思ってましたけど、オリジナル冒険者族か、少なくともその教えを継ぐ筋の人ではあるみたいですね」

「冒険者族の技ってことか」

「まあそんなところで」

 

 本の虫であり、高度な教育を受けたヒョウエをしてこちらの世界で座禅という言葉を見た記憶は無い。サーベージ老がオリジナル冒険者族である可能性はそれなりに高かった。

 

(オリジナル冒険者族だとしたら、古武道か何かの人かなあ)

 

 向こうの世界で武術を極めた上で何か強力な加護を持っているなら、あの強さも納得できなくはない。

 だとしても桁が外れているとは思うが。

 

「で、あたし達はどうする?」

「とりあえず今日一日は休養で。僕にしろカスミにしろかなり消耗してますからね。リアスさんの修行もありますし、そのへんはお昼にでも話しあいましょう」

「オーケイ」

 




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02-29 秘密兵器

 

「そうだな、ものにするのに三日と言うところか」

「へえ?」

 

 ヒョウエが声を上げたのは三日という日数に対してではなかった。

 サーベージの表情に対してだ。

 

 ヒョウエはサーベージとはそれなりに付き合いが長い。

 酒の飲み放題に釣られて適当に教えているにしては、ずいぶんと楽しそうだった。

 そんな考えを読んだか、サーベージがヒョウエの肩を掴んでぐいと引き寄せる。

 

(いや、あの嬢ちゃんは大したもんだぜ。最初は適当に技の一手でも教えるつもりだったが、なんのなんの。ありゃあ本当に玉だぜ。磨けば光る)

 

 囁かれた言葉にふーむと感心するヒョウエ。

 そう言えばリアスの祖父も彼女の素質を高く評価していたなと思い出す。

 当のリアスは疲れた様子でこそあったがそれだけで、普通に昼食をとっていた。

 

「大丈夫なのか?」

「ええ。この程度は造作もありません。ですがお師匠様が三日と言ったからには三日で修めねばなりませんわ」

「思い詰めるのがお前の悪い癖だぜ。もうちょっと肩の力を抜けよ」

 

 モリィとしてはまじめなアドバイスのつもりだったが、リアスはまじまじとその顔を見た後、疲れたように溜息をついた。

 

「私に言わせればモリィさんが適当すぎるのですわ」

「んだとぉ?」

「何です?」

 

 食事の手を止め、モリィがリアスを睨み付ける。リアスもそれをにらみ返し、火花が散る。

 低レベルなにらみ合いをカスミが温かい目で見守っていた。

 

 

 

「ところで、師匠」

「ん? なんだ?」

 

 食事の手を止め、ヒョウエがサーベージをじっと見る。

 

「聞きそびれていましたが、あの時のやめとけよというのはどういう事です?」

「さてなあ。それに口に出したら困るのはお前の方じゃあねえのか?」

「・・・・・・・・・・・」

 

 ヒョウエが老人を睨む。

 我関せずとエールをあおるサーベージ。

 結局、食事が終わるまでサーベージからは何も引き出すことができなかった。

 

 

 

 またたく間に三日が過ぎた。

 この間、ヒョウエ達も何もしなかったわけではない。

 高度を取って怪人の足跡を追跡しようと言うアイデアもあったが、さすがに木の枝で隠れている足跡を上空から追跡することは出来ない。

 かといって地上すれすれを飛んでいては前回の二の舞になることは確実だった。

 

「ムラマサの例の擬態、こちらから積極的に探すとして、モリィの目なら見抜けますか?」

 

 ヒョウエの質問に、モリィは珍しくしばらく沈黙した。

 

「・・・やってみなきゃわかんねえけど、出来ないこたぁねえと思う。

 ただ、出来るとしても相当集中しないと無理だ。足跡つけて木から地面から周囲を全部あらためろ、ってのはちょっと身がもたねえな」

「ですか」

 

 ヒョウエが溜息をついてその話はおしまいになった。

 結局リアスが修行をしている間ヒョウエは部屋に籠もって何やら作業、モリィとカスミは村の周囲を回ってトラップを仕掛ける事になった。

 

 そしてトラップ設置も終わった三日目の午後。

 やる事もなくなったモリィとカスミが酒場でまったりしている。

 リアスは修行の大詰めらしい。

 ヒョウエは部屋でやはり作業中。

 

「「!」」

 

 緩んでいたモリィとカスミ、二人の表情が豹変した。

 森に仕掛けていた鳴子が鳴ったのを、二人の鋭い聴覚が捉えたのだ。

 

「私が先行します! モリィ様はヒョウエ様を!」

「けどお前!」

「モリィ様よりは時間を稼げます! ご遠慮なく!」

 

 言うなりカスミは酒場の外へ走り出した。

 

「ちっ!」

 

 モリィは舌打ちして階段を駆け上がる。

 一分後、二階の窓から杖にまたがったヒョウエとモリィが飛び出した。

 

 

 

 宿屋の裏に回ると、リアスとサーベージが剣と杖を構えて対峙していた。

 

「リアス! 奴が村の近くに現れた! これから迎撃する!」

「!」

 

 リアスがヒョウエを見上げて目を見張る。

 

「わか・・・」

「気をそらすな!」

 

 サーベージが一喝した。

 

「今が大事なところだ。集中しろ!」

「は、はい!」

 

 一瞬逡巡したものの、リアスがサーベージに視線を戻して頷いた。

 今度はサーベージがヒョウエを一瞥する。

 

「もう少しでものになる。それまでもたせろ」

 

 それだけ言ってリアスに向き直ると、後はもう目もくれない。

 

「わかりました師匠! リアスをよろしくお願いします!」

 

 それだけ言ってヒョウエたちが飛び去る。

 

「へっ」

 

 振り向かず、サーベージが僅かに笑った。

 

 

 

「あっちだ!」

「はい!」

 

 カスミを途中で拾い、三人で飛ぶ。

 ちらりと後ろを見ると、リアスとサーベージは互いに構えたまま動かない。

 

「ギャアーッ!」

「・・・!」

 

 誰かの悲鳴――あるいは断末魔が聞こえた。

 言葉にならない思いを飲み込みつつ、ヒョウエが飛ぶ。

 飛行すること十数秒。

 村から100mと離れていない木立の中に怪人(そいつ)はいた。

 

 毒々しいショッキングピンクの体毛で全身を覆い、頭部の毛は長く逆立っている。

 腰に巻いた白帯とそこに無造作に差し込まれた朱鞘がいっそ滑稽だ。

 

 そして右手には血に濡れてぬらりと光る鋼。

 モリィの目にはその刀身が吹き上げる反魔力の炎、魔力を喰らう炎の舌が見える。

 

 足元には背中を深く斜めに切られた村人。

 逃げようとしたところをやられたのだろう。

 即死ではないが、治癒呪文無しにはほぼ致命傷だ。

 

 怪人――ムラマサが足を止めた。

 その前に三人が降り立つ。

 

 中央にヒョウエ。右にモリィ。左にカスミ。

 怪人はまだ構えない。

 この中に自分を抑えられる人間がいないとわかっている。

 

 ヒョウエが念動で村人を引きずりよせ、体勢を崩さないまま杖の先を傷口に当てて治癒呪文を発動する。

 呪鍛鋼で出来た物品は、その性質上極めて魔力を通しやすい。ヒョウエの杖であれば大抵の呪文は媒介できた。

 

 治療を続けるヒョウエを見てもムラマサは動かない。

 完全にヒョウエたちを舐めている。

 

「ヒョウエ様、モリィ様、私の後ろへ。何とか私が抑えてみます」

「だめだ。今のカスミには任せられない」

 

 厳しい言葉に、思わずカスミがヒョウエの顔を見上げる。

 怪人から目を離さず、ヒョウエが言葉を続ける。

 

「昨日あの術を使ったときに何度かかすったと言ってたろう? 僕みたいに魔力の加護があるならともかく、魔力経絡の傷は一日で治るものじゃない。

 術自体を使うことは出来るけど、制御も効果も甘くなってるんじゃないか?」

「・・・お見通しですか。参りますね、ヒョウエ様には」

 

 一瞬目を見張った後、カスミが深く息をつく。

 

「プロですからね、一応」

 

 口調を元に戻して、くすりとヒョウエが笑った。

 それでもカスミは言いつのる。

 

「ですがそれでもヒョウエ様が前に立つよりは時間を稼げます。

 時間を稼いで・・・そうすればお嬢様が何とかしてくれます」

「後半は同意。でも前半は賛成できないかな。僕にもそれなりの考えはあるんですよ」

「・・・?」

 

 首をかしげたカスミが、ヒョウエの左手首にはまった見慣れない腕輪に気付いた。

 青珊瑚を削りだして作った細い腕輪。

 限定的な魔力感知能力しか持たないカスミにも、僅かに魔力を感じ取れる。

 

「それは・・・」

「秘密兵器です。モリィ、この人を村に。それと注意喚起。カスミ、援護お願いします」

「チッ、しゃあねえな。死ぬなよ」

「この程度で死にませんよ。いざとなれば切り札だってある」

「そうだったな。まあ適当に相手して、後はリアスに任せな。どれだけ強くなってるか知らねえけどよ」

 

 そのままモリィは村人を村に引きずっていく。

 どうしてモリィ様はこんなにヒョウエ様の事を信頼しているのだろうかとの考えがカスミの脳裏によぎる。

 

 が、それも一瞬のことですぐに精神は戦闘モードに入った。

 物心つく頃から続けてきた精神鍛錬の効果で、一瞬にして心がフラットになる。

 冷徹・冷酷な忍者の精神。

 黒い瞳がすうっと青に変わっていった。

 

「それでは・・・」

 

 ヒョウエが何か言おうとして、ムラマサの姿が霞んだ。

 鋭い金属音。

 ヒョウエの呪鍛鋼の杖が、妖刀の刃を弾き、受け流していた。

 

「!」

 

 カスミがさっとヒョウエから距離をとる。

 

(・・・?)

 

 その刹那、ヒョウエの左手首の腕輪から強い魔力を感じた。

 モリィがここにいれば、腕輪が燃え上がるような青い光を発しているのが見えただろう。

 

 妖刀が再び閃いた。

 目にも止まらぬ速度のそれを、杖の表面を滑らせることでかわす。

 鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散った。




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02-30 杖術師魔導帳

(すごい・・・!)

 

 傷ついた魔力経絡で術を発動するため、必死に集中しながらカスミは目を見張った。

 三撃。四撃。五撃。

 モリィの《目の加護》でもなければはっきりと捉えられないはずのムラマサの剣速に、ヒョウエは完全に対応している。

 

 白甲冑をまとったリアスと互角に打ち合う怪人だ。パワーでは圧倒的に負けている。

 だが反対に敏捷性ではヒョウエが勝っていた。

 だから正面からは受け止めない。剣に対して斜めに杖を構え、力のベクトルをそらす。

 被弾経始ならぬ被斬経始。鉄を断ち切る妖刀といえど、刃筋を立てねば刃物は切れない。

 

 ヒョウエがちらりと青珊瑚の腕輪に目をやった。

 魔道具製作者であるヒョウエには、腕輪の魔力回路を走る自らの魔力と、それが稼働させる術式がはっきりと見えている。

 

(いい感じですね。最後までもって下さいよ――!)

 

 当たり前だが、戦士としてはちょっと腕の立つ程度のヒョウエが、リアスですら押し負けた怪人と互角にやり合えるわけがない。

 その種はやはり、左手首の腕輪であった。

 

 メットーでローレンスを医神の神殿に放り込んだ後ヒョウエはその足、もといその杖で兄弟子と姉弟子の店に飛んだ。

 そして使い手の敏捷性を増大させる術式の込められた腕輪を強引に借りだし、それが自らの魔力に耐えうるよう、この三日間調整と強化を続けていたのだ。

 (ヒョウエは肉体を強化する術を"生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)"以外に習得してないので、既製品をいじることは出来ても自分で作ることは出来ない)

 

 戦闘が始まって三秒。

 その間に、既にヒョウエは十を越える斬撃を受け流していた。

 とは言えヒョウエに余裕がある訳ではない。

 敏捷性のみなら上回ったとはいえ、剣の軌道を逸らすにも筋力の差は如実に表れる。

 

(それにこいつ・・・やっぱり剣士としてもすごい!)

 

 単に力が強い、身のこなしが素早い、というだけではない。

 純粋に剣士としての技量が高い。あるいはリアスよりも。

 

 敏捷性それ自体では勝っていても、動きの効率度が違う。

 踏み込みのタイミング。

 先読みのうまさ。

 攻撃の組み立て。

 コンパクトで、それでいながら十分な破壊力を生み出す剣筋。

 それらが全て、剣速を押し上げていく。

 

 実質的な速度はほぼ互角。

 一太刀一太刀、紙一重でしのぎ続けているに過ぎない。

 一手ミスをすれば即座に首が飛ぶ、命がけの詰め将棋。

 

 それでも何とかヒョウエが身を守れているのは、基本的な速度で勝っているのと、杖という武器、杖術という技術が守りに強いものであったのが理由だろう。

 

 心を無にして、ひたすら斬撃をそらし続けるヒョウエ。

 その視界の端に、魔力を高め精神集中するカスミが目に入った。

 

「カスミ! 無茶はしないでください!」

「時間稼ぎにはなります。

 それにヒョウエ様ではありませんが・・・この程度で死にはしません!」

 

 カスミには珍しい、強い意志を込めた言葉。

 それと共にその姿がうっすらと輝き、三日前のように色とりどりの姿に分裂する。

 

 ただしその数は三日前のような七つではなく、五つ。

 浅手とはいえ魔力経絡を傷つけられたダメージがまだ回復していないのだ。

 それでもカスミにこの状況を座視するつもりはない。

 黄・緑・青・藍・紫のカスミが五方に散った。

 

 

 

 三日前の光景が再現されていた。

 カスミの分身が五体に減ったとは言え、怪人の振るう妖刀をしのぎ続けるヒョウエの姿は、まさしく三日前のリアスの姿だ。

 

 ムラマサが苛立たしげに剣を振るう。

 空間に閃光が走るが、閃光に触れるか触れないかのところで黄色のカスミがふっと消えた。

 それと同時に左腕からパッと青黒い血が飛び散る。紫のカスミの忍者刀だ。

 

『ガァァァァァッ!』

 

 怒りを込めてムラマサが吼えた。

 わかってはいても怪人はカスミに対応せざるを得ず、それがヒョウエへの「圧」を大幅に減らすことに繋がっていた。

 それはつまり、ヒョウエに攻撃のチャンスを与えると言うこと。

 

「突けば槍」

『ゴァッ!?』

 

 ヒョウエの杖の先端が正確にムラマサの右目を突く。

 泥だか肉だかわからないような怪人の体組織だが、少なくとも人間と同じ場所に感覚器官はあるらしく、怪人が僅かにひるんだ。

 

『ガァッ!』

 

 反射的にムラマサが刀を振るうが、それはヒョウエに届かない。

 六尺杖(ろくしゃくじょう)、メートル法で言えば180cmの呪鍛鋼の杖。

 対して妖刀の長さは柄まで含めても100cm余り。

 杖に目を突かれた状態で剣を振るおうとも、単純に長さが足りない。

 

「払えば薙刀」

 

 目を突いた杖を外し、鋭く踏み込んでくるその一瞬前、外された杖の先端で剣を持つ怪人の手元を上から叩く。

 膂力の差で僅かに剣がずれただけだが、その僅かの隙間につけいる隙がある。

 同時に緑のカスミの忍者刀が怪人の右のすねを斬っている。隙間が更に広がった。

 

 タイミングを合わせて相手の間合いの内に滑り込み、相手の手を払って勢いがついた杖をくるりと一回転。

 同時に素早く手を滑らせて持ち手を変える。先端から50cmほどのところを握って振り下ろす。

 相手の刃渡りは70cm。その20cmの差が、怪人に刀を使わせない。

 

「打てば剣!」

『!』

 

 振り下ろす一瞬だけ、敏捷度増加の腕輪に回していた魔力を念動の魔力に変えて杖の先端に叩き込む。

 みしり、と。念動の剣と化した鋼の杖が怪人の肩にめり込んだ。人間なら鎖骨が砕け、腕は使い物にならなくなるダメージだ。

 

『~~~~~~~~~~~~っ!』

(じょう)はかくにも外れざりけり・・・ってね」

 

 怒りと苦痛、あるいは屈辱に、ムラマサが吼える。

 魔力を素早く腕輪に戻して怒る怪人の剣をさばきつつ、後退しながらヒョウエはニヤリと笑った。冷や汗を流しつつではあったが。

 

 

 

 俗に槍に勝る剣なしという。

 両者の力量が同程度であれば、リーチに勝る方が有利なのは当然の話だ。

 逆に敵の武器が振るえないほど密着すれば、ナイフや短剣を持つ方が一方的に攻撃できる。

 武器にはそれぞれ間合い=有効な距離があり、そして扱い方次第で槍にも剣にも短剣にもなる、それこそが杖の強み。

 

 杖には鋭い切っ先がない。刃もない。それは殺傷力に劣るという欠点であると同時に、どこを握っても振るうことができ、前後どちらを使っても打撃を与えられると言うこと。

 手元に近いところを持てば槍。

 中程を持てば刀。

 切っ先に近いところであれば短剣。

 

 相手がどんな武器を使うのであれ、苦手な距離はある。

 だが杖に苦手な距離はない。

 技量や速度によほど差があるのでない限り、常に相手の苦手な距離で戦える。

 

 そして相手の苦手な距離とは、相手の攻撃力が最大限に発揮できない距離と言うこと。

 相手の踏み込みの速さによってはあっさり無効化される利点ではあるが、敏捷性を限界近くまで上昇させているヒョウエは怪人相手にそれができる。

 

 一瞬とは言え敏捷強化を切って打撃力を強化するのはリスクが高いが、自分を傷つけられない相手を警戒するものなどいない。

 カスミもヒョウエも自分にとって致命的な存在でないと判断すれば、ムラマサは防御を度外視して全力での攻撃を仕掛けてくる。

 そうなった場合に攻撃を凌ぎきれる自信はヒョウエにはなかった。

 

 

 

 命をすり減らすような剣戟が続く。

 ヒョウエと、カスミと、ムラマサが火花と血を散らし合う。

 

 ムラマサの体は既に何度もヒョウエの杖やカスミの忍者刀によって傷つけられている。

 だがどのような構造をしているものか、血を流してもあっという間に傷口はふさがり消えてしまう。

 首をはねてすら再生復活してきた正真正銘の怪物。

 ならば恐らくこの人型はただの傀儡。

 本体は・・・

 

(妖刀、か? 泥人形の中に核がある可能性もあるけど)

 

 ムラマサは全身からかなりの魔力を放っている。

 攻撃の合間をぬって一瞬だけ発動した"魔力解析(アナライズ・マジック)"の呪文でも、特に魔力が濃かったり薄かったりする場所は確認できなかった。

 

(しかしこれは、本当に"鎧"を出すか、リアスに来てもらわないと・・・)

 

 人体が全力を出せる時間はそう長くはない。

 カスミと二人がかりであっても、一呼吸で三回の斬撃を繰り出してくるムラマサを相手にしていては精神も肉体も恐ろしい速さで消耗する。

 そしてもう一つ、急激に消耗しているものがあった。

 

 青い珊瑚の腕輪・・・ヒョウエの敏捷性を担保している魔道具。

 それが前触れもなく突然砕け散った。

 調整・改造していたとはいえ、桁外れなヒョウエの魔力に腕輪の回路が耐えきれなかった。

 

(やばっ)

 

 突然、世界が加速する。

 先ほどまで余裕を持って追えていたムラマサの剣筋が突然見えなくなる。

 気がついた時には、ヒョウエの腹に妖刀の刀身が突き立っていた。




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02-31 防御戦

「ヒョウエ様!」

 

 分身のカスミの顔色が変わった。

 五体が一斉に、ムラマサの背中から刃を振るう。

 

「ッ!?」

 

 それに対応しようとして、ムラマサは突き込んだ刀が抜けないのに気付いた。

 腹に突き込まれた刀を、ヒョウエが渾身の力で握りしめている。

 怪人の魔力感覚には、両手と腹に極大の魔力が集中しているのが見えていたはずだ。

 

『シギャァッ!!!』

 

 緑のカスミが動けないムラマサの背中を袈裟懸けに斬った。

 残りの四人が両手両足にそれぞれ斬撃を送る。今までより激しく血が吹き出し、左上腕は半ばまで切り裂いた。

 

『GAWOOOOOOOOOOOOOOOO!』

「うおっ?!」

 

 かんしゃくを起こした子供のように怪人が剣を振り回した。

 小柄とは言え50kgはあるヒョウエの体が紙くずのように振り回される。

 怪人からすれば靴底にガムがへばりついたような感覚なのかもしれない。

 

「これは・・・無理っ!」

 

 両手に集中させていた念動の力を思い切りよく解除し、ヒョウエが宙に舞った。

 念動の術を再発動させて空中で止まり、そのままカスミ達の背後にすとんと落ちてくる。

 カスミたちのうち、藍色のそれが振り向いて叫ぶ。

 

「ヒョウエ様、お怪我は!」

「大丈夫、はらわたには届いてません」

 

 かなり必死な声色のカスミに脂汗を浮かべてヒョウエがウインクした。

 

 

 

 腕輪が砕け散ったあの瞬間、とっさにヒョウエは全身に念動障壁を張った。

 それで突き込まれたダメージを最低限に抑え、素早く両手で掴むとともに魔力を両手と傷口に集中してそれ以上押し込まれないように固定する。

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の大出力や多重発動能力に目を奪われがちだが、こうした術式の切り替え、魔力の移動がヒョウエは非常にスムーズでうまい。

 非常に実戦向きな――火力術師や研究職に留まらない、冒険者術師の素質があると言えた。

 

(・・・とはいえ実際にはちょっと届いてたかも)

 

 腹に手を当てて傷口を癒す。

 へその下あたりを一センチか二センチ貫かれただけだ。冒険者や兵士としては軽傷もいいところ。治療呪文があればなおさらだ。

 

(毒とか塗ってなくて助かりましたね・・・あっ!)

 

 その瞬間、ヒョウエの脳裏に閃くものがあった。

 踏み込もうとした瞬間に体の動きを制限され、ムラマサがつんのめる。

 そこにカスミ達が襲いかかり、再び血しぶきが上がった。

 

「・・・!?」

 

 ムラマサが困惑していた。

 この青い敵と相対する時はしばしばあったことだが、体が押さえつけられているように動きが鈍くなる。

 だがそれでもあの白い敵を押し込む程度の力は出せたし、この小さな敵を加えても互角に戦うことはできた。

 

 しかし今度は違う。

 押さえ込まれてはいないが、動けない。

 動くたびに体がバランスを崩し、まともに剣も振れない。

 

 弱いくせに! 遅いくせに! 俺のエサに過ぎないくせに!

 今日一番の怒りを込めてムラマサが吼えた。

 

 

 

(いやまったく、今まで何故気付かなかったんだか)

 

 目の前のピンクの怪人に集中しつつ、ヒョウエが小さく苦笑した。

 やった事は簡単。

 念動による金縛りを身体全体にかけるのではなく体の一点、具体的には剣を持つ右の手首にしただけ。

 そこ以外はフリーになるが、その一点に掛かる力は全身にかけた時の比ではない。

 

 それでも腕を動かせなくなるほどではないが、常人が鉄球付きの手かせをつけられたくらいの妨害にはなる。

 そして負荷が体の一箇所に集中するため、体のバランスが崩れる。これが効いた。

 

 剣術に限らず、全身を使う技術は体の各部をいかにタイミング良く、連動させて動かすかが肝だ。

 足の裏、足首、膝、股、腰、肩、肘、手首。いかなる動作であっても体の全ての関節が重要だし、体の全ての部分は重心を保つバランサーになる。

 

 ヒョウエが仕掛けた念動の手かせは、この連動と重心をはっきりと崩した。

 全身に等しく荷重がかかっていればバランスは取れていただろうが、一箇所だけにそれを集中したことによって、体の各部が連携できなくなる。

 力の流れをせき止めるボトルネック。

 

 しかも体幹ではない、体の末端ゆえに重心もぶれる。

 ぶれるから、効率的な動作が更に難しくなる。

 怪人も何とかそれに対応しようとしているが、短時間でできることではない。

 

『グォッ!』

「!」

 

 カスミが目を見開いた。

 怒りの余り、ムラマサが自らの腕を切り落としたのだ。

 即座に傷口が盛上がって再生する。

 フリーになったムラマサが残った左手でカスミに斬りつけようとした途端、踏み込もうとした怪人はつんのめって転倒した。

 その左足首には念動の枷。

 

「馬鹿ですね。術なんだから、集中してれば一瞬で場所なんか変えられますよ」

 

 ヒョウエが敵の愚かさを笑う。

 とは言え、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"があっても並の術師にはできない。

 ヒョウエだから言えるセリフ。

 

『ガアァァァァァアアァァァァアァ!』

 

 ムラマサがもはや何度目かわからない怒りの咆哮を上げた。

 

 

 

 直接的な足止めをカスミに任せ、ヒョウエはひたすら念動の枷に集中する。

 普通なら一分ともたない膨大な魔力消費を、ヒョウエの水晶の心臓はほとんど恒久的に支え続けることができる。問題はカスミだった。

 

 ヒョウエの見たところ元々が光の幻像、しかも単色であり、分身の数が抑えられていることもあって魔力消費はそこまで大きくはない。

 しかしそれを複数操り続ける集中力と、肉体的な疲労は相当なもののはずだった。

 

 現に斬られる前に分身を消すのが間に合わず、黄色のカスミは先ほどから復活できないでいる。

 二人目のカスミが消えるまでの時間は、一人目が消えるまでの時間より短いだろう。

 そこから先は恐らく雪崩れるように消えていくはずだ。

 

 ヒョウエのなけなしの男のプライドが軋みはするが、正直今はカスミだよりだ。

 もちろんヒョウエの術があってこそ可能な足止めだが、カスミの気力と体力がどれほどもってくれるかが稼げる時間に直結する。

 

 息詰まる時間が過ぎる。

 並の剣士なら百回は死んでいるような斬撃の連続。

 

『シャアッ!』

「くっ!?」

 

 そしてついに二人目、緑色のカスミが消えた。残っているのは藍・青・紫。

 それらの姿が一瞬ぶれて揺らいだ。

 妖刀の恐ろしいところは術式を斬られるだけで魔力経絡にダメージを受けること。

 恐らくここから先は分身の動きも鈍くなったり単調になったりにならざるを得まい。

 

「先日のあの切り札は使わないで下さいね、意味がありませんから。後一人消えたら逃げますよ」

「・・・わかりました」

 

 頷いたカスミがムラマサを三方向から包囲して忍者刀を構える。

 囲まれたムラマサにはやや余裕の気配。

 むしろ包囲するカスミとヒョウエの方に焦りがある。

 

 それでも意を決してカスミたちが同時に飛びかかった瞬間。

 藍色のカスミの胴体をぶち抜いて雷光がムラマサの左目を貫いた。

 

『GYEAAAA!』

 

 短く絶叫するムラマサ。

 ほとんど同時に紫と青のカスミがそれぞれその体を切り裂いている。

 雷光でもろともに貫かれた藍色のカスミはそのまま消滅したが、僅かな間を置いて復活する。その目がジロリ、とヒョウエの後方を見た。

 

「随分と乱暴なことをなさいますね?」

「悪りぃ悪りぃ。けど、それならぶち抜かれても平気なんだろ? いーじゃねーかよ」

 

 悪びれずに笑うのはモリィだった。

 走ってきたのか息が荒い。

 

「モリィ、村の人は?」

「おう、ちょっと手間どったが全員避難始めてる。リアスの方はすげえ雰囲気で声かけられなかったけど、うまいこと行ってんじゃねえかな、あれは」

 

 視線はムラマサから外さないままヒョウエが頷いた。

 

「では援護をお願いします」

「おう。で、お前はぶち抜いていいんだよな、カスミ?」

「・・・まあ、こちらで気を付けますので何とか。ですが今度からは一声かけてからにしてください」

「オーケーオーケー、安心しろ、あたしゃ同じ失敗はしない女だぜ」

 

 軽く請け合うモリィに、ヒョウエとカスミの内心は一致した。

 こいつ絶対にまたやる、と。

 




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02-32 秘太刀

『ガアアッ!』

 

 そんな寸劇(コント)などおかまいなしにムラマサは襲いかかってくる。

 だが雷光のような踏み込みがなければ、その脅威度は飛躍的に低下する。

 前衛が動きを拘束できる程度の機動力であるならば隊列が機能する。

 後衛が全力を発揮できる――!

 

「オラオラオラオラオラッ!」

 

 雷光銃の乱射。

 だが一見そう見えて、放たれた雷光はそのほとんどが怪人の左膝付近に集中して命中している。

 高速再生できる怪人とは言え、傷を修復する時間がゼロな訳ではない。

 機動力を更に失い、カスミにも余裕が生まれる。

 

 前回の戦いではリアスとカスミ、怪人がめまぐるしく体を入れ替えて斬り結んでいたために、モリィでも誤射の危険を排除しきれなかった。

 しかし今怪人ムラマサは大幅に機動力を削がれている。

 であれば、モリィの腕なら十分可能なこと。

 わかっていれば射線に入らなければいいだけなので、カスミが誤射されることもない。

 

 前衛のカスミ。動きを鈍らせ(デバフ)るヒョウエ。牽制するモリィ。

 完全にパーティが機能してムラマサを押さえ込んでいる。

 理想的な膠着状態と言えた。

 

 だが。

 

「・・・おい、こいつ動きが速くなってないか?」

 

 はじめに気付いたのは、やはり《目の加護》を持つモリィだった。

 

「まさか」

 

 カスミは疑いつつも否定しきれない。

 

「僕にはわかりませんが、モリィが言うならそうなのかも・・・まさか、慣れて来てる?」

 

 ヒョウエのつぶやきが正しかったのは、十分ほど後になって明らかになった。

 

「おいヒョウエやっぱりだ! こいつ少しずつ速くなってんぞ!」

「同意いたします! あきらかっ、に! 剣が鋭い!」

 

 ムラマサの剣を危ういところでかわし、紫のカスミもモリィに同意した。

 技量でカスミに劣るヒョウエにも、今は僅かながらそれが見える。

 

「・・・この短時間でこれに対応しますか。やはり剣士としては飛び抜けてますね」

 

 力や素早さといったムラマサの肉体的なスペックが上がったわけではない。

 枷をつけたまま効率的に戦う動きを学習し、見る見るうちにそれに熟練しているだけ。

 

(天才ってレベルじゃないでしょう!)

 

 自分が同じ事をさんざん言われたのを棚に上げて、心の中で悲鳴を上げる。

 とはいえ、実際この学習速度は天才にしても異常だ。

 それなりの才能の持ち主でも、片腕に鎖鉄球をぶら下げたまま使える剣法を編み出せなどと言われたら数ヶ月、あるいは一年以上の時間を要するだろう。

 

 あるいは過去の達人の霊でもついているのだろうかとどうでもいいことを考えながらも、ヒョウエは自分の仕事を続ける。

 念動の枷をはめる場所をこまめに変えてみるが、それでもやはり怪人は前ほどに混乱はしなくなっているし、踏み込みも速くなっている。

 ちっ、とモリィが舌打ちした。

 

「どうすんだよ、これ。身一つで逃げるようには言ったが、村の連中の足じゃそう遠くには行けてないぞ」

 

 村人には当然老人も子供もいる。逃げ出せと言われてすぐにそうするような人間ばかりでもない。

 山に逃げ込むように指示は出しておいたが、下手をすれば今ようやっと全員村を出たくらいのものだろう。

 

「あと一つカスミの分身が消えたらこちらも逃げます。奴に見える様に空を飛んで誘導できれば・・・」

「!?」

 

 ヒョウエの言葉が途切れる。その瞬間、三人が同時に絶句した。

 紫のカスミがかわせないタイミング、かわせない軌道で剣を振るムラマサ。

 だがどうということはない。

 当たる直前に幻像を消し、新しく出せば済むこと。

 

 そうならなかったのはその後。

 紫のカスミを「斬った」勢いを止めず、剣が360度回転する。

 フィギュアスケーターが空中で回転するように。

 バレリーナがつま先立ちで綺麗な回転を見せるように。

 

 後ろから怪人を斬ろうとしていた青いカスミを、妖刀が今度こそ存分に斬った。

 

「うぐぅっ!」

 

 カスミの苦痛の悲鳴。

 これまでの戦闘で初めて妖刀の直撃を受けた幻像が歪んで消える。

 幻像を作り出していた術式が破壊され、魔力が妖刀に吸い取られて消えていく。

 それはあたかも、カスミが妖刀に喰われたようだった。

 

「撤退っ! 二人ともこっちに!」

 

 即座に決断し、同時に念動の枷をムラマサの首に移す。

 

『!?」

 

 さすがにこれは意表を突いたようで、一瞬ムラマサの動きが止まった。

 同時に最後に残った藍色のカスミが正面から特攻する。

 

「くっ!」

 

 幻像が斬られて消えると同時にヒョウエの横にカスミの姿が現れ、ヒョウエの腕にすがりついてぐったりする。

 更に雷光銃が顔面に向かって連射され、両目を含めて顔面をズタズタに引き裂く。

 それを見ることもなく、ヒョウエは全力でカスミ・モリィとともに空に舞っていた。

 

「よっしゃっ!」

 

 ヒョウエにしがみついたまま、モリィが快哉を叫ぶ。

 大粒の汗の玉を浮かべ、呼吸も乱れてはいたが、カスミも大きく笑みを浮かべた。

 一瞬にして10m以上を上昇し、そのまま上昇を続ける。

 あの怪人であればこの距離でも跳躍してくるかも知れないが、ただ跳躍するだけの相手に空中機動で負ける気はしなかった。

 

(・・・ん?)

 

 ぐんぐん小さくなる怪人が、刀を鞘に収めた。そのまま腰を落とし、刀の柄に右手を、鞘の鯉口に左手を添える。

 ぞくり、とヒョウエの背中に強烈な悪寒が走った。

 

 ムラマサが抜いた。

 雷光の如く鞘走る神速の抜刀。

 ヒョウエが針路を急転換したその瞬間、見えない「何か」が通り過ぎた。

 

「っ!」

 

 苦悶の悲鳴を無理矢理にかみ殺す。

 見えない鋭い何かはヒョウエの背中をばっさりと切り裂いていた。

 

「ヒョウエッ!」

「ヒョウエ様!」

 

 二人の悲鳴が響いた。

 血が吹き出し、術式が破壊されて一行を支える念動の魔力が途切れる。

 大木の枝をへし折り、三人は地上に落下した。

 

 

 

「つつ・・・」

「ヒョウエ!」

「大丈夫ですかヒョウエ様!」

 

 大木の枝によるブレーキと、最後の最後でギリギリ再発動に成功した念動の術によって、三人は何とか軟着陸していた。

 杖を片手に立ち上がるヒョウエに少女達の声がかかるが、本人は二人の方を見ていない。

 その視線の先には、毒々しいショッキングピンクの怪人。

 

("隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"、全力稼働(オーヴァードライヴ)

 

 杖を顔面の前に立て、即死だけを回避しながら"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"のポテンシャルを全解放する。

 どくん。

 魔力の波動が響く。

 

「ヴァッ!」

 

 そして、それは10m以上離れたムラマサにも感じ取れたらしい。

 僅かに腰を落とす。距離を一瞬に詰めてヒョウエを切り伏せる準備動作。

 だがそれを為そうとするより半瞬前。

 「見えない何か」が両者の間を駆け抜けた。

 

「!」

『!?」

 

 一直線。

 数十メートルを超える一本の線に沿って、下草が切断されて宙に舞った。

 ムラマサの左奥に生えていたナナカマドの木から、一抱えはある枝が静かに離れて地面に落ちる。

 ヒョウエとムラマサの双方が動きを止めたところに、のんびりとした声が掛かった。

 

「よせと言ったろぉが。人の話を聞かねえ小僧だな」

 

 肩をすくめながら三日前のように現れたのは、謎の老人サーベージ。

 そして白甲冑をまとったリアスだった。

 




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02-33 見巧者

 ヒョウエたちを追い越して数歩歩いたところで、リアスが足を止めて抜刀した。

 盾は持たない。両手で刀を握り、構えは青眼。

 

 ムラマサとの距離はおおよそ9m。

 白甲冑を着たリアスと怪人にとっては互いに一足一刀の間合い。

 一歩踏み込んでそのまま斬り込める、完全戦闘距離。

 

 リアスは動かない。

 ムラマサも動かない。

 治療を終えたヒョウエも、いつのまにかその肩を支えていたモリィも。

 

「・・・」

「おっと」

 

 疲労が限界に達したのか、ふらついたカスミをサーベージが支える。

 今この場でただ一人、彼のみが悠然としていた。

 

 時折、挑発するようにリアスが肩を揺らす。

 するとムラマサも、牽制するように肩を揺らす。

 

 ムラマサが剣を揺らすと、リアスは剣の切っ先を僅かに下げる。

 どちらかが足を数センチ右側に動かせば、もう片方もそうする。

 

 ヒョウエたちには理解出来ない世界、理解出来ないレベルの高度な攻防が繰り広げられていた。

 

(ムラマサが、リアスを互角の相手と認めたと言うことか? それとも・・・?)

 

 最初出会った時からムラマサは恐るべき強敵だった。

 ヒョウエが辛うじて影を捉えられる程の剣速、板金鎧(プレートアーマー)を着た戦士を両断する膂力。ほとんど瞬間移動にしか見えない踏み込み。

 

 だがそれだけだった。

 強く、速く、鋭い。

 無論恐れるべきではあるが、それだけだったのだ。

 

 それがやがて、それだけではなくなった。

 念動の手かせにたかだか十分や二十分ほどで適応した。

 単純に斬るだけの動きではなく、同時にカスミ二人を斬る絶技を見せた。

 そしてヒョウエたちを撃ち落とした見えない何か、あれはひょっとして《剣の加護》を極めた者が会得するという飛ぶ斬撃ではなかったか――?

 

「師匠」

「ん、なんだ」

 

 隣に立つサーベージを見上げる。

 

「あの怪人が――もしくはあの妖刀が、どんどん色々な事を学習している・・・いえ、思い出している(・・・・・・・)というのは有り得るでしょうか?」

「・・・」

 

 サーベージが片眉を持ち上げて、まじまじとヒョウエを見た。

 

「学習しているのはあるかもしれねえなあ。だが、『思い出す』ってのはどういうこった? どうしてそう思う?」

「出くわした最初からあれは達人の動きをものにしていました。身のこなしも剣の振りも、明らかにただ素早いだけの獣の動きじゃない。洗練された剣士のものです。

 それだけならまあそう言う流派ということもありえますが、それではその後のあれこれの説明がつかない」

「・・・続けな」

 

 頷いて、ヒョウエが言葉を重ねる。

 

「手枷足枷に対応してみせたのはまだしも、体を一回転させて前後の敵を同時に斬る動き、あれは確か新陰流の奥義の一つだったはず。

 それまでそれらしき技を全く出さなかったのに先ほど開眼したというなら、あいつは剣聖並みの実力者ってことになります。

 僕を斬った飛ぶ斬撃や、今リアスさんと交わしている高度な牽制の応酬に至っては何をかいわんやでしょう。

 そこまで速く学習し技を編み出せると考えるよりも、思い出したと考えた方が自然だろう、そう思っただけです」

「・・・・・・・・!」

 

 今度こそサーベージが目を大きく見開いた。

 そのまま数秒固まった後、ほうと大きく息をつく。

 

「お前がそこまで見巧者(みごうしゃ)だとはなあ。負けたよ、確かにその通りだ」

「見る方も大したものじゃありませんよ。先人の知識の賜物です」

 

 ヒョウエが謙遜する。単なる事実でもあるが。

 サーベージが苦笑した後、少しまじめな顔になった。

 

「一つだけ教えてくれ。その技はお前が言った通り新陰流の奥義の一つだ。

 流派で違いはあるだろうが、少なくとも目録(上級者)でなきゃ見る事もできねえはずだ。

 こう言っちゃなんだが、お前の腕じゃ到底見られないと思うんだが・・・どこで見た?」

 

 うん?とヒョウエが首をかしげた。

 

(あれ? ひょっとしたら思ったより年が離れてる? 物言いからしたら明らかにオリジナル冒険者族だし・・・?)

 

 日本とこの世界ではどうやら時間の流れが違うらしい、というのがオリジナル転生者の間では定説である。

 転移・転生のタイミングに二十年ほど差がある場合でも、記憶を辿ってみると向こうでは二年の差しかない、ということがちょくちょくあり、どうやら向こうとこちらでは時間の流れに十倍ほどの差があるらしかった。

 つまり、仮にヒョウエとサーベージに百歳の差があっても、向こうを離れた時の時間差は十年程度のはずなのである。

 

(十年前ならその手の動画サイトもとっくに一般化してたと思うんだけど・・・

 いや、向こうでネットにうといお年寄りだったならあり得るか)

 

「えーと、ですね。僕らの時代では剣術に限らず芸事全般、大抵の技は誰でも見られるようになってるんですよ」

「はぁっ!?」

 

 愕然としてサーベージが叫ぶ。

 すぐそばで行われている真剣勝負も忘れたかのようだった。

 

「じょ、冗談だろ・・・。そんな事して流派が成り立つのか・・・? 茶や華は! 踊りや謡(うたい)はどうすんだよ!?」

 

 やっぱりこの人相当昔かたぎだなあと思いつつ、考え考え説明を続ける。

 

「そのへんも探せば大体どこかの流派はやってますね。お茶なら表千家も裏千家も武者小路もやってましたよ」

「マジか・・・」

 

(何と言うジェネレーションギャップ)

 

 呆然と立ち尽くすサーベージ。

 この人本当に何十年(日本基準)前から転移転生してきたんだろうと思いつつ、ヒョウエは軽く肩をすくめた。

 なお「マジか」と言う言葉は江戸時代からあるらしい(本当)。

 

「それで? 実際そう言う事はありえるんですか?」

 

 再度の質問に、何とか気を取り直してサーベージが答えた。

 

「あ、ああ、その通りだ。あいつは・・・あの剣に宿ってるのはどうやら俺の昔馴染みでな。長いこと追ってたんだ」

「! でしたか・・・でもそれなら何故リアスに?」

 

 サーベージが溜息をつく。

 

「そりゃお前、俺も見ての通りトシだからな。あちらはあちらで因縁もある。

 それにあの嬢ちゃんにゃ光るものがあったからな。先達として何か残してやってもバチは当たるまい」

「じゃあ飲み放題は関係ないんですね?」

「馬鹿を言え。折角貰ったんだ、死ぬまで好きなだけ飲ませてもらうさ」

 

 老人がニヤリと笑い、ヒョウエがでしょうねと肩をすくめた。

 

「妖刀についてはわかりましたがあの体の方については何か?」

「そっちは俺もよくわからんが・・・多分"怪人(ヴィラン)"だろうな。妖刀を怪人が拾ってえらいことになってるってわけだ」

「考え得る限り最悪の状況ですね。勝てますか?」

「知るか。あらかじめ勝ち負けがわかるなら、立ち会う必要なんざねえよ」

「ごもっとも」

 

 そのまま二人は無言に戻り、リアスとムラマサの立ち会いに意識を向けた。




 新陰流云々はフィクションです。念のため。
 元ネタは白土三平先生の忍者武芸帖という古い漫画。
 主人公が剣聖・上泉伊勢守の一族を助けたときに伝授して貰った技です。

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02-34 白のサムライ

 山あいの森の中、風の音だけが響く。

 あれから十分。誰も口を開かない。

 リアスとムラマサは僅かずつ、すり足で移動する。

 最初は正面奥のムラマサをリアスが迎え撃つ位置関係だったのが、今やムラマサは左斜め奥、リアスも一行から見て右斜め前に移動していた。

 

 二人の距離も詰まっている。

 当初9mほどだった彼我の距離は今や6mほど。一呼吸で打ち合える距離が半呼吸ほどになった。

 リアスは中段青眼にまっすぐ。基本にして万能の構え。

 ムラマサは八双、あるいは示現流の蜻蛉(とんぼ)にも似て、右上に剣を高く立てている。攻撃一辺倒、一撃必殺の構え。

 

(妖刀に操られていたお兄様も八双・・・あれはニシカワの剣ではなく、妖刀の身につけたもの・・・?)

 

 二年前の事を思い出しつつ、相手の隙をうかがう。

 すり足でにじり寄ってみるが、相手は動じない。

 

(しょうがないことですわね。相手は真の達人。こちらは、素質があると言っては貰いましたが付け焼き刃。辛うじて勝負の場に立ったに過ぎません)

 

 深呼吸。ふう、と息をつく。

 肩の力が抜けた。

 

「おっ」

「・・・・・・?」

 

 この場でそれを理解したのはサーベージとムラマサのみ。

 サーベージは面白そうに眼を細め、ムラマサは僅かに戸惑ったように眉?を寄せる。

 

「少々勘違いしておりましたわ」

 

 下草をかき分けてスタンスを広くとり、腰を落として刀を脇に構える。

 

「ご教授を頂いたとは言え、技量は明白にこちらが下・・・であれば! 攻めずしてどうします!」

 

 鋼鉄のブーツが大地を蹴る。リアスが飛ぶように翔けた。

 

「キェェェェェェェイッ!」

 

 火花が散る。金属音が鳴った。

 切り下ろすムラマサの剣と、切り払うリアスの剣の激突。

 元の膂力で上回る上に、重力の助けを借りた妖刀がリアスの刀を弾く。

 たたらを踏み、体勢を崩してなおリアスが笑う。

 

「なんの!」

 

 左に振った刀を切り返して左側から胴を狙う。

 だがムラマサの方が速い。切り返した剣で軽くリアスの剣を弾き、更に返す刀でリアスを左肩から袈裟に斬る。

 

(間に合わねえ!)

 

 モリィは《目の加護》で、見るだけであれば何とか二人の剣戟に追いつける。

 そのモリィをして、その一太刀はかわせないと確信する。

 火花が散った。

 

「え・・・」

 

 モリィが唖然とする。サーベージは動じない。ムラマサも。

 

 剣は弾かれていた。

 弾かれた剣を、ムラマサと同じくらい速く切り返し、横から叩き付けてギリギリ防いだ。

 白の甲冑の肩鎧の飾りが僅かに斬られてはじけ飛ぶ。

 目を見張るモリィを置き去りにするかのように、激しい剣戟が始まった。

 

 ムラマサの一の太刀。先ほどとは逆にリアスの右肩を狙った逆袈裟。

 刀を叩き付けてそらす。

 

 二の太刀。そらされた刀をやはり切り返してリアスの胴体左側、逆胴を狙う。

 同じく切り返した刀で弾く。

 

 三の太刀。右斜め下からの切り上げ。

 刀を真上から妖刀に打ち付ける。

 重力の助けがパワーの差を相殺し、二本の刀は火花を上げてがっちりと噛み合う。

 

 斬られた肩鎧の飾りがようやく地に落ちた。

 

「・・・」

「・・・・・・・・」

 

 サーベージは悠然と、他の三人は瞳に畏怖を浮かべてそれを見ている。

 白の甲冑の肩鎧の飾りが斬られてからここまで、ほぼ一秒。

 その一秒の間に三度の攻防が交わされた。

 

 かつて自身が阿修羅の如きと評したムラマサの剣速。

 その剣速に、リアスは完全について行っていた。

 

 剣が噛み合っていたのは一瞬のことだった。

 二振りの刀は火花を散らしてすぐに離れ、常人の目では追うこともできない鋼の舞踏を再開する。

 閃く銀光と妖刀の発する妖気。飛び散る火花。鋼と鋼のこすれあう鈴のような音。

 驚愕からまだ冷めやらぬ顔で、ヒョウエがサーベージを見上げた。

 

「・・・何をしたんです、師匠? たった三日で・・・」

「大した事はしちゃいねえよ。あの小娘はな、元からあれくらいの速さで動けたんだ」

「そんな馬鹿な。人間がそんなに速く・・・いや、そうでもない、のか?」

 

 ヒョウエの脳裏に浮かんだのは、いわゆる「周囲の時間の流れがスローに見える」現象。

 事故に会うなど、生命の危機に陥った時に感覚が加速される現象だ。

 そして、ごく一部の達人・名人と呼ばれる人種はこうした現象をある程度意識して起こすことができる。

 「ボールが止まって見えた」と言い放ったいにしえのホームランバッターなどがそれだ。

 

 ボールが止まって見える世界の中で、鍛えているとは言え通常の人間である彼らはそれをバットで叩いてホームランにすることができる。

 鍛えていない人間ですら受け身を取って致命傷を避けることができる。

 「見え」さえすればある程度対応できるだけのスペックを、人間の体は有しているのだ。

 

 ましてやリアスがまとっているのは白の甲冑、伝説の強化魔導装甲だ。

 一秒間に三連撃と言うおよそあり得ない速度の攻撃に対しても、見えてさえいれば対応は不可能ではないだろう。

 

(サイバーパンクでお馴染みの強化反射神経(ワイヤード・リフレックス)も、神経速度以外は強化していませんしね・・・いやあれはフィクションですけど)

 

 前世で結構見ていたその手の小説や映画を思い出しながら独りごちる。

 そうした推論を告げると、老人はにやりと笑った。

 

「まあ大体お前の考えたとおりだよ。人間、才能と修行次第でその域に達することができる。あの嬢ちゃん、才能が並外れているのもそうだが、一度『抜けた』っぽいからな。

 偶然でも何でも一度達した境地なら、それを思い出させてやれば良かったわけさ」

「あー・・・」

 

 ヒョウエの脳裏に思い浮かんだのは、二年前、ローレンスを斬った一太刀。

 あれ以降リアス本人も再現できていないあの動き。

 

 感情の高ぶりが魔導甲冑の力を限界まで引き出したのだと思っていたが、リアス本人の限界突破でもあったのだろう。

 それが、今日の力に繋がった。

 

「ですが、それでも押されてませんか、師匠?」

「ああ。さすがに付け焼き刃じゃちぃーっと厳しかったかな・・・」

 

 眉をしかめてサーベージ。

 確かにリアスはムラマサの剣を全て受けきっている。

 だが、ろくに攻められていない。

 こちらから攻撃に転じるだけの速度が足りない。

 

 そしていかに白甲冑をまとっているとは言え、怪人と人間では元々の体力が違う。

 決め手がないまま続く長期戦は、リアスにとって圧倒的に不利。

 神速の剣戟が始まってより五分。

 リアスの鎧を妖刀が何度もかすめ、火花とともに甲冑の表面を削る。

 一瞬たりとも止まらない鋼の舞踏に、リアスの疲労は早くも色濃くなりつつあった。

 

(このっ、ままではっ・・・!)

 

 疲労と焦りが集中力を乱す。

 リアスの鎧に大きく火花が散った。

 

 剣戟が続く中、下草に落ちた金属板。

 白甲冑の、左側の肩鎧。

 それが半ばからすっぱりと切り落とされていた。

 一歩下がって間合いをとる。

 

「やるしか、ありませんか」

「おい馬鹿! やけを起こすな!」

 

 リアスの気配の変化を鋭く察したか、ここまでしかめ面をしながらも泰然としていたサーベージが叫んだ。

 

「勝機はあります。ただ、サーベージ様は目をおつむりください!」

「本物の馬鹿かてめえは! 三日だけとは言え弟子が命賭けてるのに目をつぶってられる・・・」

 

 その瞬間、色々な事が同時に起きた。

 閃光が走り、サーベージが悶絶して転がる。

 そして全く同時に、真っ向正面からの唐竹割の一刀が白甲冑の兜を真っ二つに斬り割った。

 

「リアスッ!?」

「っ!?」

 

 ヒョウエの喉から悲鳴がほとばしる。

 そう、ヒョウエだけから。

 何が起きるか知っていたカスミは静かに。《目の加護》ゆえにそれを見定めることができたモリィは驚愕の叫びを上げた。

 

 その一瞬前、白甲冑が弾けていた。

 中から飛び出したのはインナーのみを身につけたリアス。

 二年前のあの一太刀に勝るとも劣らぬ速度でリアスが斬り抜ける。

 中身のない兜を妖刀が垂直に斬り割った次の瞬間、水平の一刀が妖刀の中程を断ち切り、怪人の体をも両断していた。




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02-35 青の騎士

 斬り飛ばされた妖刀の切っ先が回転しながら宙に舞い、下草にさくりと刺さる。

 どさりどさりと、両断された怪人の体が地面に落ちた。

 

「リアス様!」

 

 喜色を満面に浮かべ、疲労で足をもつれさせながらもカスミが駆け寄り、リアスに抱きつく。

 荒い息をつきながらも、リアスが優しい表情でそれを抱きしめた。

 そこでようやく成り行きを理解したか、ヒョウエが大きく息をついた。

 

「装甲の緊急排除機能ですか。危ない橋を渡りましたねえ」

 

 足元に転がる白い装甲板を見ながら、呆れとも感嘆ともつかない息を吐く。

 白の甲冑はインナーに身体能力上昇、装甲部分に防御力上昇の機能が付与されている。

 装甲部分を排除すれば身体能力の強化はそのままで軽量化できるわけだが、それは当然あの妖刀の攻撃に素肌をさらすことになる。

 並の覚悟で為せる技ではなかった。

 にっこりとリアスが笑う。

 

「お師匠様がおっしゃったでしょう。『踏み込み行けば後は極楽』と。それを実行しただけですわ」

「だとしてもですよ。到底僕には真似できないですね」

「腕は相手の方が上でしたもの。無茶をしなければ勝てない・・・あっ・・・」

「?」

 

 ほほえんでいたリアスが突然赤面してうつむき、ヒョウエが首をかしげる。

 あっ、とモリィが声を上げた。

 

 装甲を排除したリアスは、今当然インナー一枚。

 この世界の感覚では余りに過激すぎる代物だが、現代日本の感覚では露出の多い水着、という位の感覚だ。

 なので、ヒョウエには一瞬何のことだかわからない。

 

「見るな馬鹿っ!」

「ぎゃあっ!?」

 

 目隠ししようとしたモリィの指が、勢い余って見事にヒョウエの目につき刺さる。

 先に目つぶし(光)を喰らったサーベージと、たった今綺麗に目つぶし(物理)を決められたヒョウエが師弟仲良く悶え転がった。

 

 

 

「今の明らかに悪意がありましたよねー。なんですか、僕がリアスのインナー姿見るのがそんなに怒るようなことですか」

「いや、だから悪かったって・・・ちょっと待て、女の下着姿をじろじろ見るのは悪いに決まってんだろ!」

「あたっ!」

 

 しばし後、すねるヒョウエとそれをなだめたり拳骨を落としたりするモリィの姿があった。

 その横には装甲を元に戻して頬を染めてくねくねするリアスと、溜息をつくカスミがいる。

 

「ああどうしましょう、このままではお嫁に行けなくなりそうですわ。でもヒョウエ様がお望みになるなら二人きりの時に・・・」

「リアス様? 今の発言は未婚の淑女が口にするには随分と限度を越えておりますが」

「じょ、冗談ですわ! こんな事で眼を青くしないで!」

 

 リアスは顔を赤くしたり青くしたり忙しい。カスミが更に大きな溜息をついた。

 ようやく目が元に戻ったのか、地面を転がっていたサーベージがよっこいしょと立ち上がった。

 

「ったく、ひでえことしやがるなあ。助けてやったのによ」

「無論サーベージ様には感謝しておりますがそれはそれ、これはこれでございます」

 

 にべもない返答を聞き、肩をすくめる。

 それからあたりを見回し、その視線が地面に突き刺さった妖刀の切っ先部分で止まった。

 

「・・・」

「・・・」

 

 しばしサーベージの動きが止まる。

 じゃれ合っていた四人も静かになった。

 僅かに瞑目した後、突き刺さった妖刀と怪人の(むくろ)の方に一歩を踏み出して。

 

「お前ら、逃げろっ!」

 

 サーベージが全力で後ろに飛んだ。

 

「! 飛びますよっ!」

「え?」

「あ?」

「っ!」

 

 ヒョウエの念動の術が自分を含めた四人を丸ごと空中に引っ張り上げる。

 同時に、怪人の「死体」が爆発的に盛り上がった。

 森の緑の中に突然現れたショッキングピンクの小高い丘。

 しかもそれが見る見るうちに高くなっていく。

 その成長に反比例するように、周囲の緑が枯れていく。

 茶色が広がる森、その中に盛上がるどぎついピンク色の毛玉の塔。

 

 それをヒョウエたちは杖にまたがって空中から呆然と眺めていた。

 最初引っ張り上げられなかったサーベージもちゃっかり乗り込んでいる。

 遠くからざわめきが聞こえた。避難している村人たちのものだろう。

 

「ありゃあ・・・なあ、あれ一体何だよヒョウエ!?」

「すいません、僕にもわかりません」

 

 悲鳴のようなモリィの問いに、ヒョウエも語る言葉を持たない。

 

「ただ・・・」

「ただ、なんですの?」

 

 すがるようなリアスの声。振り返らずにぽつぽつとヒョウエが語る。

 

「恐らく・・・あれはやはり怪人(ヴィラン)で、今まで妖刀の制御下にあったのが自由に・・・周囲の生命力を吸い取って巨大化・・・今はまだ周囲の植物だけですが、このまま移動したら地脈から大規模に・・・そうすれば更に巨大化して・・・」

「つまり、ぶっ倒すなら今しかねえってわけだな」

 

 どこか面白がっているような声。

 今度は振り向いて、ヒョウエはその声の主をじろりと睨んだ。

 

「こう言う時にこそ腕に覚えのある方が頑張るべきでは?」

「馬鹿言え。あれが剣術でどうにかなる相手かよ」

「どうだか」

 

 リアスが来る直前の「飛ぶ斬撃」を思い出しつつ白い目でにらむヒョウエ。

 がはは、と笑いながらどこからか取りだした革の水袋からワインをあおるサーベージ。

 ヒョウエに限らず他の三人の目も白い。が、それで動揺するほどこの男の面の皮は薄くはなかった。

 

「むしろ俺ぁなあ。こう言う時こそ『ヒーロー』の出番じゃないかと思うんだよ。ほれ、王都にいただろう。赤い盾だか緑の兜だかってやつ」

「・・・おい、じいさん」

 

 モリィの表情が一変する。まさか、とやはり、が半々くらいの様子で老爺を凝視。

 だが《目の加護》でもその真意をはかることはできない。

 

「『青い鎧』ですよ、師匠」

「そうそう、その青い鎧。あいつがびゅーんって飛んできてくれりゃあ、あれくらいなんとかなるんじゃねえかってな?」

 

 感情を消した顔でサーベージの顔をうかがうヒョウエ。

 楽しそうにその視線を受け止めるサーベージ。

 果たして折れたのはヒョウエの方だった。

 

「はあ・・・わかりました。いいですよ、もう。リアスとカスミなら大丈夫でしょうし」

「いやあ、そうか、悪いなあ? いやあ、俺も最近は腰も痛いし目も霞んでよぉ。もうお迎えも近いかなあ」

「もしそんなめでたい日が来たら、師匠の魂が地獄の一番奥で一番熱い火に焼かれるように祈ってますよ」

 

 師弟の心温まるやり取り。困惑の度合いを深めるリアスが、おずおずと口を開いた。

 

「あの・・・ヒョウエ様。サーベージ様と先ほどから何の話を?」

「えーと、ですね」

「いいからさっさとやれよ。そのほうが口で説明するより手っ取り早いだろ」

 

 それに対するヒョウエの答えは深い溜息だった。

 

 

 

 ピンクの塔――いや、今やその下半分は二股に分かれ、脇からは一本ずつ太い枝が生え――パーティが最初に会った時より大雑把な形ではあるが、間違いなく同じショッキングピンクの人型がそこにあった。

 大きさは150mを超えるだろうか。二十日ほど前に遭遇した巨人(ギガント)の王よりも更に大きい。

 

 それを見据えつつ、ヒョウエたちは村を挟んで反対側に降りた。

 森ではなく、あぜ道の続く畑の中。

 こちらにはまだ怪人の生命力吸収の影響も及んでいない。

 

「それでは焚きつけられたから行きますが・・・万が一があったらモリィ達の事をお願いしますよ。いいですね?」

「おいおい、じじいに無茶言うなよ。おれは・・・」

「い・い・で・す・ね?」

 

 据わった目でヒョウエ。降参降参とばかりにサーベージが両手をヒラヒラさせた。

 

「おー、怖い怖い。わかった、わかりましたよ。そのときゃあ、俺が何とかするさ」

「ふん」

 

 ヒョウエが鼻を鳴らした。

 正面に向き直り、地面から足をちぎるショッキングピンクの大怪人を睨み付ける。

 

『ゴアアアアアアアアアッ!』

 

 巨人が吼える。

 ずん、と。

 一歩を踏み出した巨大怪人によって大地が揺れた。

 その足取りは一直線に村を踏みつぶし、畑を踏みつぶし、村人たちを狙うもの。

 

 ヒョウエが軽く周囲を見渡した。

 ささやかな、だが開拓者たちにとっては全てである村。

 山の中、貴重な平地を苦労して切り開いた村人たちの血と汗の結晶である畑。

 そして後方2kmほどには避難しようとしている村人たち。

 

 いずれもが150mの大巨人にとっては数十歩の距離。

 彼らの存在を背中に強く感じつつ、王都に念を飛ばす。

 

「あの、ヒョウエ様。本当に一体?」

「ああ、いいから見とけよ。それでわかる。まああえて言うなら――野暮用さ」

「はあ・・・えっ!?」

「ヒョウエ様!?」

 

 額に杖を当て、何かを念じていたヒョウエの姿が前触れもなくふっと消えた。

 それと同時にもう片方の足も大地からちぎり取った巨大怪人が二歩目を踏み出す。そのまま村の家を踏みつぶそうとして――次の瞬間、吹き飛ばされた。

 

 150m、推定十万トンの巨体が宙を飛ぶ。

 1kmを越す距離を水平に吹き飛び、山肌にぶつかって山津波を起こす。

 そして空中に悠然と浮かぶ、それをなしたであろう青い影。

 

「おっしゃ、来やがった!」

 

 モリィが会心の表情でぱちん、と指を鳴らす。

 対照的にリアスとカスミの主従は呆然と空を見上げる。

 

「・・・嘘。本当に・・・」

「まさか・・・」

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。




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02-36 君の視線は百万ジュール

 王都メットーの住人でこのファンファーレを知らぬものはいない。

 風より早く、巨人よりも強く、雲より高く飛ぶその姿を知らぬものなどいない。

 青い全身甲冑。風になびく真紅のケープ。

 人々の自由と平和を守るヒーロー。

 "青い鎧"。

 

 ショッキングピンクの巨人が起き上がる。

 見たところダメージを受けているようには見えない。

 実際今の一撃は村を戦場にしないための「押し出す」攻撃だった。

 それでも1km、人間サイズに直せば10mを軽々と吹っ飛んで山を削るだけの衝撃は受けているはずだが、その影響は見られない。

 

 ならば、と青い鎧はうなずく。

 今度はその体を貫いてやろう。

 その姿が、青い閃光となって(はし)った。

 

「?!」

 

 次の瞬間、その場の全員が目をみはった。恐らくは青い鎧本人も。

 閃光となって怪人を貫いた青い鎧が、本当に怪人の巨体を貫いた。

 まるで手応えなく、巨体に10mを越す大穴が空く。

 ピンク色の土くれのような肉片?がバラバラと散らばった。

 

 だが巨人は何ら痛痒を感じないかのように腕を振る。

 青い鎧がかろうじてかわしたほどにその一撃は鋭い。

 

「!」

 

 距離をとってもう一度攻撃を仕掛けようとした青い鎧が目を見張った。

 たった今貫いた胴体の大穴が、あっという間に小さくなっていく。

 地面の穴に泥を注ぎ込むように、10mの穴が見る間に塞がってしまった。

 

『グヲオオオ!』

 

 巨人の二発目、三発目。それを大きく下がってかわしつつ、青い鎧の瞳が燃える。

 

「・・・なら!」

 

 再び、青い閃光が(はし)った。

 

『ガッ!?』

 

 ピンクの巨人の右の二の腕部分がはじけ飛んだ。

 鋭角的にターンして青い閃光がもう一本(はし)る。

 後ろからの直撃を受け、頭部が吹き飛んだ。

 もう一度。もう一度。もう一度。もう一度・・・

 無数の青い直線が乱反射してピンクの巨体を貫き、その肉体をえぐり取っていく。

 ピンク色の泥が周囲に散らばり、緑色の野山にペンキをぶちまけたような有様になっていた。

 

 青い乱反射がやんだ。

 巨体を誇っていた人型は既にその形をとどめておらず、ピンク色の泥沼が広がっている。

 動きを止めてそれを見下ろしていた青い鎧がぴくりと動く。

 

 次の瞬間、燃える光の筋が二本、ピンク色の泥から突き出された。

 双方ともに狙うのは上空の青い鎧。

 だが一瞬早く動いていた青い鎧の動きを捉えきれず、燃える光線はむなしく宙を切る。

 

 それと同時にピンク色の泥沼が盛り上がり、周囲の草木が枯れていく。

 茶色に変わる風景の中で、泥沼があっという間に巨人の姿を取り戻した。

 

「・・・!」

 

 モリィ達が息を呑む。

 再び立ち上がった巨人。両手から発するのは二本の燃える光線。

 ゆらゆらと揺れてはいるが、固定化されたそれは光の剣のように見えた。

 モリィの《目の加護》がその燃える光の正体と、更にその発生源に気付いた。

 

「ありゃあ・・・あのカタナの発してた魔力を喰らう炎か!」

「妖刀の・・・炎ですって!?」

「あ、今はおまえ達も見えてんのか・・・いやそんなことより! あれがあのカタナの魔力を喰らうタネだ! つうか腕の先っちょに折れたカタナが一本ずつ埋まってんぞ!」

「ンだとぉ!」

 

 顔をしかめたリアスやサーベージが目をこらすが、《加護》無しでは到底見えない。

 カスミが右目の前に両拳で望遠鏡を作り、呪文を唱えた。

 

「・・・確認いたしました。モリィ様の言われる通り、両拳の先端に刀身が見えます」

「うん? ああ、光を拡大したのか。便利な呪文持ってんな」

「ありがとうございます。光の系統だけですが」

 

 巨人が燃える光の剣を振った。続いてもう一振りも。

 青い鎧は華麗な軌道でそれをひらりひらりとかわす。

 妖刀に宿っていた「もの」は成仏したか消滅したか、その振りに先ほどまでの達人の技量はない。だがそれを支えた馬鹿げた膂力と速度は微塵たりとも衰えていなかった。

 剣筋は荒いが早く、鋭い。防御に徹していればいずれ一撃を受けるだろう。

 

 そして妖刀の魔力を喰らう性質は恐らくそのまま。

 直撃しても即死と言うことはなかろうが、ごっそりと魔力を持って行かれるのはまちがいない。

 魔力とは生命力の一形態だ。周囲の生命力を喰らって成長再生する巨大怪人が"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"が生み出す莫大な魔力を喰らったらどうなるか、想像したくもない。

 

「おいじいさん、あれどうにかなんねえのか?」

「どうにかつったってなあ・・・」

 

 珍しく苦り切った表情でサーベージ。

 

「普通の"怪人(ヴィラン)"ならどっかにコアがあるはずだ。ダンジョン・コアと同じな。ただ、これもダンジョン・コアと同じで、『安定化』してねえことがある。

 その場合は精神的に干渉して安定化させるか、怪人の体を完全に破壊し尽くすしかない」

「しかしサーベージ様、破壊し尽くすと言っても・・・!」

 

 粉々に砕いてなお再生する存在をどうすればいいのか。

 

「・・・これをあいつに貸したら、どうにかなんねえかな?」

「雷光銃か。それならあるいはとも思うが・・・いくら雷光銃(アーティファクト)でもあいつの馬鹿魔力を受け止めきるだけの器があるか・・・?」

「くそっ!」

 

 悔しそうに顔を歪めるモリィ。

 

「ヒョウエ様、その、青い鎧があれを砕いたところで、モリィさんがチャージ攻撃で焼くというのはどうでしょう?」

「あたし程度じゃ到底威力が足りねえ。かと言ってあいつが出すでかい火の玉でも20mくらいだしな・・・焼いた端から回りの生命力喰われて再生されておしまいだ」

「・・・」

 

 リアスが拳を握る。白い籠手はかすかに震えていた。

 だが1km離れた青い鎧は、その二人の会話を聞き取っていた。

 その脳裏に、前世で聞いた伝説が甦る。

 大地の神の子たる巨人を、生身で絞め殺した怪力無双の大英雄。

 半神である不死身の巨人を、英雄はいかにして打ち倒したか?

 

(それだ!)

 

 一旦距離をとる。

 しかし巨人は両手を伸ばし、光の剣で追撃してくる。

 

(おっと!)

 

 それ自体には驚いたがむしろ好都合。

 少し攻撃をかわした後、両方の腕を素早く弾いて絡ませ、一瞬の隙を作る。

 その一瞬の間に青い鎧は再び閃光と化して飛んだ。

 

「馬鹿っ! 同じ事を・・・っ!?」

「おおっ?」

 

 《目の加護》でそれを見てとったモリィと、こちらは素で見えているサーベージが驚きの表情になった。攻撃ではなく、最初の一撃と同じ「押し出す」攻撃。

 ただし横にではなく、体の下に潜り込んで真上に持ち上げる。

 

「!?」

「ヒョウエ様、何を・・・?」

 

 10万トンの巨体が、音速を超えるスピードで上空に持ち上がっていく。

 あっという間に青い姿は見えなくなり、ピンクの人型もモリィとカスミ以外には小さな粒にしか見えなくなった。

 

 

 

 高度一万メートルで、青い鎧はショッキングピンクの巨人を突き放した。

 ゆっくりと自由落下を始める巨人に、太陽を背に相対する。

 

「運が悪かったな、お前。夜なら・・・あるいはこの周辺に大きな地脈が走ってたらどうにもならなかったかもしれない。けど、ここならお前が吸収できる生命力も魔力もない。

 そしてここには光がある。お前を焼き尽くせるだけの光が」

『オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ !』

 

 薄い空気の中、あらん限りの声で咆哮する大怪人。

 その両手が伸び、魔力を喰らう燃える炎の剣が青い鎧に迫る。

 だがその直前に、青い鎧が右手の手刀を頭上から一回転させ、宙に円を描く。

 その瞬間、青い鎧の周囲が闇に包まれた。

 

『ヴォッ!?』

 

 青い鎧の背中に見える太陽や空が一瞬にして暗黒に塗りつぶされると同時に、伸ばした両腕の手首から先が「焼失」する。

 漆黒の世界の中でただ青い鎧だけが浮き上がっている。いや、その瞳に燃える赤い光はなんだ?

 

 膨大な魔力と限界突破した九つの連動術式が作り出した、直径10kmの念動力レンズ。

 それによって収束させた光を両目から(正確にはその10センチほど前方から)放つ。

 

 10センチの虫眼鏡でさえ、焦点温度は紙の発火温度を越える。

 それが直径10kmとなれば? 

 

「太陽よ、我に力を貸し与えたまえ! "太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"!」

『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!』

 

 焦点温度六千度の灼熱の視線。

 まさしく太陽に等しい熱に全身を焼かれて、巨人は断末魔の悲鳴を上げる暇もなく熱分解され、消滅した。

 

 

 

 地上。

 青い鎧と巨人が消えた空の上で、一瞬何かが光った。

 リアスが焦ったように後ろの二人を振り向いた。

 

「カスミ、モリィさん、何がありましたの?」

「申し訳ありません、お嬢様。私の術ではさすがに詳しいことは・・・ですが」

「あのピンクのデカブツは消えてなくなった。そいつぁ確かだぜ」

「ああ・・・!」

 

 モリィが男前な笑みを浮かべて親指を立てる。

 リアスが感極まったように両手を胸の前で組み、カスミが安堵の息をついた。

 

「目玉の嬢ちゃん。あの刀はどうなった?」

「いい加減名前覚えろよ! 後目玉って言うな! ・・・腕の先っぽが消えてなくなってたからな。多分一緒に消し飛ばされただろうよ」

「そうかい」

 

 サーベージは、短くそう言ったきりだった。

 

 

 

 一分ほどして青い鎧が降りてきた。

 鎧を分解・解除し、中からヒョウエが現れる。

 

「―――――!」

「本当に、青い鎧の正体がヒョウエ様だったのですね・・・」

 

 改めて二人が驚く。

 既に見た事のあるモリィはにやにやとその様子を眺めていた。

 

「何を笑ってるんですかモリィ・・・師匠はどうしました?」

「え?」

「あれっ!?」

「そんな・・・たった今までそこに」

 

 飲んだくれの語り部、ヒョウエの師匠、武芸の達人にしてオリジナル冒険者族。

 開けた耕作地の中、その姿はもうどこにも見えなかった。

 

「最後の最後まで訳のわかんねえじいさんだったなぁ・・・」

 

 モリィの溜息が、その場の総意のように響いた。

 

「まあどうせそのうちどこかでひょっこり出て来ますよ。何ならメットーじゅうの酒場を調べればどこかにはいるでしょう」

「ですわね・・・」

 

 この三日間で、村の酒場のエールを倉庫半分飲んでしまった飲んべえの老人の姿を思い出しつつ、リアスが頷く。

 ふう、と杖に体重を預けてヒョウエがうなだれた。

 

「それよりも、流石に疲れました。宿に戻りましょう・・・」

「あー、おんぶいるか?」

「お願いします」

「え?」

 

 眼を白黒させるリアスとカスミの前で、モリィが手際よくヒョウエを背中に担ぐ。

 

「ちょ、ちょっと何をしているんですのモリィさん!?」

「あー、これこれしかじかであれを使いすぎると体が動かなくなりまして・・・ほら、ローレンスさんの件の後『心臓が止まったけど息がある』という状態になったでしょう? あれですよ」

「・・・ああ!」

 

 それで腑に落ちたのか、二人が納得した顔になった。

 いや、リアスは理解はしたが納得はしていない。

 

「ですがその、モリィさんがおぶわれるのはうらやま、いえお辛いでしょう? 白甲冑を着た私のほうが力がありますわ!」

「お嬢様・・・」

 

 下心ダダ漏れの女主人に、カスミが顔を片手で覆った。

 聞かなかったふりをしてヒョウエが丁重にお断りする。

 

「モリィでいいでしょう。どうせ今回大して働いてないんですし・・・痛い痛い痛い」

「ん~。この口かぁ~? 人におぶわせておいてナメた事言うのはこの口かぁ~?」

 

 意地悪な笑みを浮かべながらヒョウエの口をつねりあげるモリィ。

 ヒョウエも何とかガードしようとするが、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"全力稼働の余波で、体に力が入らない。

 

「ひ()(じゃ)ない()すか、疲れてるのに」

「あ~、聞こえないな~。どこかの貧弱くんがさえずってるけど何言ってるかわからないな~」

「モリィさん、いい加減になさいませ! 私にも・・・じゃなかった、私にお代わりなさい!」

「お嬢様・・・」

 

 賑やかに、そして和やかに一行はあぜ道を歩いて行った。

 




 日輪の力を借りて、今必殺の! サン! アタァークッ!

 今回ググって調べてみたんですが、どれだけでかいレンズで光を集めても太陽の表面温度より高い温度にはならないようで。
(ただし高い温度にならないだけで、レンズが大きければ熱量は相応に集まる)
 レンズマンの太陽ビーム砲とかドクターヘルの太陽レンズ(桜多吾作版)とか否定されちゃったよ!
 熱力学の第二法則が云々とのことですが、文系には頭がスポンジですわw

 あともう一つ驚いた事。太陽の表面温度って8000度じゃなかったの!?(現在だと摂氏5500度~6000度らしい)



 作者のモチベーションは読者の皆様の評価と感想です。
 評価と感想よろしくお願いします。


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エピローグ「特になんてことない日々」

 

 

 

「晴れてよし 降ってよし 生きてよし 死んで良し」

 

 

                    ――不詳――

 

 

 

 

 幸い村や畑にはほぼ被害はなかった。

 戻ってきた村人たち(モリィがひとっ走り行って来た)への対応はリアスに任せ、ヒョウエは部屋に引き取る。ベッドに入ってすぐ、寝息を立て始めた。

 しばらく後、ノックされるヒョウエの部屋の扉。

 

「ほーい。開いてるぜ」

 

 振り向かないまま返事したのはベッドそばの椅子に座っていたモリィ。

 静かに扉を開けてリアスが入って来た。

 

「ん・・・なんだ、珍しいな。おチビちゃんはいないのか」

「少し用を頼みました。ヒョウエ様のご様子は?」

「よく寝てるよ。今回もかなり疲れたみたいだ。そう言えばお前さんもお疲れさまだな。よくやったよ」

「ありがとうございます・・・モリィさんはこう言う事を何度も?」

「いや、まだ二回目。この前はあたしが助けられてな」

「ですか」

 

 そこでしばらく沈黙が落ちた。

 

「ダンジョンで、ヒドラの出てくる前に言ったことを覚えてます? 手袋は投げつけた、というのを」

「え? あ、ああ、まあな」

 

 モリィが少し顔を赤らめた。

 

「あの挑戦は取り下げますわ。入り婿の話は諦めます。ヒョウエ様とモリィさんは、随分と深く結びついていらっしゃいますもの」

「いや別にそんなんじゃ・・・」

 

 更に顔を赤らめる。そっぽを向いて、誤魔化すためにコップに口をつけた。

 

「ですので! 私とモリィさんと、二人してヒョウエ様に嫁入りする方向で話を進めたいと思いますわ!」

「ブーッ!?」

 

 盛大にモリィが吹いた。

 顔がベッドの方を向いていなかったのがせめてもの幸いだろう。

 

「ゲホッゲホッ・・・いきなり何言ってやがんだ! 諦めたんじゃないのか!?」

「『入り婿を』諦めたと言ったのですわ。ヒョウエ様を諦めたといった覚えはかけらもありませんでしてよ」

「ぬ・・ぬぬ・・・」

 

 にっこりと笑って顔をずいっと近づける。圧が強い。

 モリィが思わずのけぞった。

 

「まあその場合でもヒョウエ様が承諾下さるなら入り婿にお迎えしてもよいでしょう。

 モリィさんにも公認愛人の座を差し上げますわよ」

「誰が愛人だこのクソアマ!?」

 

 少女たちのかしましい会話は、戻ってきたカスミに二人揃ってお説教されるまで続いた。

 ヒョウエが目を覚まさなかったのは色々な意味で幸運というほかない。

 

 

 

 一日休養をとった後、一行はメットーに帰還した。

 ささやかな礼として宿泊費をただにして貰ったので、多少赤字を補填できている。

 ローレンスは傷は回復したものの、体力の静養を兼ねてまだ医神の神殿にいた。

 

「お爺様も叔父様もあの狼藉は妖刀のせいだったと言うことで、勘当を解くとおっしゃってます。そう言うわけで家に戻って頂きたいのですが・・・」

「それで、お前も帰るのか?」

「それは」

 

 言葉に詰まり、ちらりとヒョウエを見る従妹を見て、ローレンスはニヤッと笑った。

 

「自分は好きにほっつき歩いて他人に仕事を押しつけようとは、いやはやあの小さいリアスが悪どくなったもんだなあ!」

「そ、そう言う事ではありません! みんなお兄様のお帰りを待ってるんですよ!」

「気が向いたら戻るよ。この根無し草の生活も随分気に入っててな。お前もしばらくは男の尻を追いかけていたいんだろ?」

「お兄様!」

 

 顔を真っ赤にして怒るリアスに、わっはっはと豪快に笑う。

 そこに口を挟むのはカスミ。目が少々青い。

 

「ローレンス様。少々お口が過ぎるのでは?」

「馬鹿言え、かわいい妹をいじめたりするもんか。これは家族の会話って奴さ」

「であれば、それが過ぎた時にお諫めするのは家臣のつとめかと存じます」

「ほほう」

 

(あっ)

 

 ローレンスの目がきらりと光った。

 

「つまり、ヒョウエと一緒に露天風呂を楽しんだりするのも家臣のつとめなわけだな?」

「ファーッ!? ろ、ローレンス様それは・・・」

「うううううう裏切りものーっ! まさかカスミ、あなたまで・・・!」

 

 リアスが絶叫し、カスミがぶんぶんと首を振る。

 

「誤解です! お嬢様、ローレンス様がおふざけになっておられるだけです!」

「でも一緒に風呂に入ってたのは事実だよな?」

「ローレンス様ーっ!」

「カスミーッ! あなたは、あなただけは信じてたのに!」

「ふ、二人とも落ち着いて!」

 

 もはや阿鼻叫喚であった。

 泣くリアス、うろたえるカスミ、仲裁しようとしてできていないヒョウエ、大笑いするローレンス。

 その中でモリィは一人、呆れた顔で溜息をついた。

 

「あんたさ、あいつらをからかって楽しいか?」

「ああ、とても楽しい!」

 

 満面の笑みでローレンスは言ってのけた。

 後ろからヒョウエの悲鳴のような救援要請。

 

「ちょっとモリィ! だべってないで助けて下さいよ!」

「あーもー、しょーがねーな!」

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけその1

 

「おい、引きずるなよリアス!」

「いいえ、少なくとも一度は顔を出して頂きます! その後のことは叔父様とよく話しあって下さい!」

「お前、さっきのこと絶対根に持ってるだろ!? あれはちょっとしたお茶目・・・あいたたたたた!?」

「あーら、何のことかわかりませんわねお兄様。さ、きりきりお歩きなさい!」

 

 あの後大騒ぎした一行はまとめて叩き出され、結局ローレンスは青筋を立てたリアスに伯爵家まで連行されていった。

 いくら鍛えていても、魔導甲冑の膂力に勝てるものではない。

 ひどく疲れた顔のカスミが二人の後からとぼとぼと歩いていった。

 

 

 

おまけその2

 

「あの剣速が出せない・・・! 怪人と戦った時はあんなに自在に扱えたのに!」

「ひょっとして師匠、三日目にタイミングを合わせて、一時的にあの領域に達するようにリアスさんの体と精神を整えていたんじゃ」

「あの境地に自在に達するにはまだ技量が足りてないと言うことですわね・・・」

「ま、まあ、二度も達したんですし、修行を重ねればいずれは・・・」

 

 ムラマサと戦った時の境地が火事場のクソ力、それもサーベージによる人為的なものだと気付いてリアスはがっくりとうなだれる。

 ヒョウエが必死に慰めているがあまり効果はないようだった。

 

 

 

おまけその3

 

「しかし白甲冑が・・・なんてこと・・・」

「術式が仕込んでありますから普通の鍛冶屋じゃ無理ですね。僕でも修理はできますけど、装甲排除とか使ってますし一度オーバーホールしましょう」

「おーばーほーる?」

「部品一つ一つをチェックして、細かいところまで全部点検修理することです。

 腕のいい鍛冶師と細工師に心当たりがありますので、彼らの手も借ります。よろしいですか?」

「ヒョウエ様が紹介して下さるのでしたら何なりと」

「では決まりで」

 

 白の甲冑の修理がどうなるのか、それはまた別のお話。

 

 

 

おまけその4

 

「敏捷の腕輪壊したのか?!」

「あれは高いのよ。ツケておくから六十万ダコック、耳を揃えて払ってね」

「ノォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」

 

 ヒョウエの借金返済行はまだまだ続く。




 タイトルの言葉、何か元ネタがあるようなのですが拾った画像が元なのでその辺は不明です。
 原語は「rain or shine, live or die;everything on this world is beyond our intention(雨も晴れも生も死も、全ては人の意志の及ばぬ所なり)」ですが、
 それを「晴れてよし 降ってよし 生きてよし 死んで良し」と訳するのはいかにもセンスがあるなと。

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三の巻「ファントム・オブ・メットー」
プロローグ「悪魔のバイオリン」


 

 

 

「月夜に悪魔と踊ったことはあるかい?」

 

 

                          ―― ジョーカー ――

 

 

 

 

 数ヶ月前、まだ毎日戦隊エブリンガーが結成される前の話。

 兄弟子の工房からの帰り道に、ヒョウエがふと足を止めた。

 

「・・・!」

「・・・・・・・・! ・・・・・・・!」

 

 遠くて内容は聞こえないが、明らかに暴力的なものを含んだ叫び。

 反射的に駆け出した。

 

「オラッ!」

「稼いでんだろ! ちっとこっちにもよこせよ!」

「こ、これは妹の・・・あうっ!」

 

 小柄な少年をガラの悪い少年たちが三人、取り囲んで殴打している。地面にうずくまった少年は大きな弦楽器らしきものを自分の体でかばいつつ、されるがままだ。

 

「!」

 

 ものも言わず、ヒョウエが飛んだ。

 体の周囲に念動障壁を張り、そのまま加害者の一人に後ろから体当たりする。

 

「ぎゃっ!?」

 

 まぬけな悲鳴を上げてチンピラ少年が吹き飛ばされる。

 そのまま前にいたもう一人の少年も巻き込んで地面に倒れた。

 

「・・・」

 

 二人を「ひき逃げ」して着地したヒョウエが振り返って最後の一人をにらんだ。

 

「この野郎!」

 

 何が起きたか理解していないのか、チンピラ少年が殴りかかろうと腕を振り上げて――その腕が後ろから掴まれた。

 

「お?」

 

 ヒョウエが目をまたたかせた。

 腕を掴まれた次の瞬間、腕と体が折りたたまれるようにチンピラ少年が地面に突っ伏す。

 前世であれば、警察の逮捕術の模範演武に出て来そうな綺麗な動き。

 

「あだだだだだ!」

「おー」

 

 後ろ手に腕を極められたチンピラ少年が悲鳴を上げ、思わずヒョウエが拍手する。

 お手本のような技を極めた金髪の青年が、パチンとウィンクして見せた。

 

 

 

「大丈夫・・・でもないか。ちょっと動かないで下さいね」

 

 チンピラ少年たちが逃げていった後、ヒョウエが倒れ込んだ少年のそばにかがみ込んだ。

 体中に青あざができており、痛々しい。

 その傷にヒョウエが人差し指を当てると、指先を当てた部分のあざがすうっと消えていった。

 

「うわあ・・・」

 

 少年が感嘆の声を上げる。青年がそれを興味深げに覗き込んでいた。

 

「ほぉー。治癒の呪文も使えるのか。その年で大したものだ・・・しかしこう、もうちょっとパッと治らないのかね?」

「吟遊詩人の歌に出てくるような、全身を一瞬で治す治癒魔法なんてそうそうお目にかかれませんよ。治癒呪文と言ったところで僕は最低限のものしか習得してませんし」

 

 指先一つ分の傷をちまちま治しつつ、ヒョウエが肩をすくめて青年を見上げた。

 一言で言うとロックスターのような派手な男である。年齢は二十代後半か。

 やせぎすのハンサムで身長は175cmほど。ボリュームのある、くすんだ金髪を伸ばしている。

 ヒョウエのような少年のそれではない、大人の男の色気が発散されていた。

 

「ふふ、まあそうかもしれないな。お話の中に出てくる魔法など大体はそんなものだ」

 

 喉を震わせて笑う青年。

 鮮やかな青い上着、胸元にフリル、ぴっちりした黒ズボン、えりの高い黒びろうどのマント。

 一見すると貴族のようだが、ギターを背負っているあたり吟遊詩人の類かもしれない。

 

 そう、ギターである。リュートではない。

 600年ほど前に突如として現れたこの楽器によって、フィドルやバンドゥーラ、三味線などそれまで地方ごとに様々なバリエーションを持っていた弦楽器は「統一」された。

 滅びることこそ無かったもののその汎用性と演奏のしやすさによって、今やいわゆる「文明諸国」においてギターこそが弦楽器の不動の王者だ。

 例によって冒険者族の仕業であるが新しい文化を広めたと見るか、文化の多様性を破壊したと見るかは難しい所だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「どうです。まだ痛いところはありますか?」

「あ、はい、大丈夫みたいです」

 

 少年が立ち上がってぺこりと頭を下げる。

 14才くらい、こげ茶色の髪に薄茶色の瞳。ヒョウエほどではないが中性的な顔。体格も似たようなものか。

 やや気弱そうな顔立ちで、頬が少し赤い。

 

「僕、ハーディって言います。そこの"鳩と鷹"広場で演奏をして稼いでます。お二人ともありがとうございました! 助かりました!」

「どうしたしまして。僕はヒョウエ、冒険者の術師です」

「私はジャリー。見ての通りの楽士だよ」

「「『見ての通りの?』」」

 

 ヒョウエとハーディの声がハモった。

 ジャリーがちょっと憮然とした表情になる。

 

「・・・何も声を揃えなくてもいいじゃないかね、少年たち(ボーイズ)

「少年『たち』?」

 

 ぎぎぎぎ、と音がしそうなぎこちない動きでハーディがヒョウエを見た。

 にやにやするジャリーに視線を移し、もう一度ヒョウエに。

 

「ええええええええええええええ~~~~~~~~~~~~!?」

 

 路地裏に悲痛な悲鳴が響き渡り、今度はヒョウエが憮然とする。

 ジャリーが腹を抱えてげらげら笑った。

 

 

 

「ときめいたのに! 本気でときめいたのに! 返してよ! 僕の初恋を返してよ!」

「あなた意外と図太いですね・・・」

 

 気弱そうな外見とは裏腹なハーディに呆れるヒョウエ。

 まあ外見はどう見ても少女にしか見えないのでこれはしょうがない。

 相変わらずげらげら笑っていたジャリーが、目じりの涙をフリル付きのハンカチでぬぐいつつようやく笑いを収めた。

 

「まあそう悲しむな少年。これで君も一歩大人の階段を上ったんだ。幸せではなくなったかもしれないがね」

「子供のままでいいから幸せでいたかったです・・・」

 

 ガチでへこんでいるハーディを見て、更に憮然とするヒョウエである。

 女の子に間違えられるのも告白されるのも初めてというわけではないが・・・。

 

「しかし珍しい楽器だね」

「あ、はい。『悪魔のバイオリン』って言うんだそうです」

 

 奇妙な、というよりけったいな、という表現が似合いそうなそれは確かに名前の通りの楽器であった。

 全体的にはハーディの身長くらいの杖のようであるが、下半分にはバイオリンのような胴があり、弦も張られている。

 弦の下、バイオリンの胴下部には四角い箱があり、ここを叩いても音が出るようだった。

 

 だが何と言ってもインパクトがあるのは杖のてっぺんだ。

 三角帽をかぶったむさいひげ面の中年男の頭が杖頭についており、帽子の縁には金属の短い棒がずらりとぶら下がっている。それを鳴らすとちりんちりんと風鈴かトライアングルのような音がした。

 

 ちょっとハーディが弾いてみると、バイオリンの音色とチリンチリンという鈴の音、弓で箱を叩く太鼓の音と、杖を地面に打ち付けて鳴らすどんどんという重低音の四つが連続する、面白い音が出た。

 

「ほほう、中々ではないかね」

「しかし悪魔ねえ。悪魔と言うより変なおじさんって感じですけど」

「まあその、死んだ父さんの故郷ではこれを悪魔払いに使ってたそうですけど・・・あっ!」

 

 ハーディが突然声を上げて荷物を漁り始めた。紙包みを取りだして開き、ほっとした表情になる。

 紙包みの中には、女の子向けの木製の人形がひとつ。

 

「よかった・・・」

「人形?」

「察するところ妹さんへのお土産かね」

「はい。双子なんです。だから出来れば二つ買いたかったんですけど、僕の稼ぎじゃ一個がせいぜいで・・・」

「ふむ」

 

 ジャリーが空を仰いだ。日は大分傾きつつあるが、それでも日没までにはかなり時間がある。

 

「そう言う事なら少年たち(ボーイズ)、麗しの淑女達のためにちょっと気張ってみないかね」

「「?」」

 

 ヒョウエとハーディが顔を見合わせた。

 

 

 

「君に魔法をかけて上げよう どんな魔法がいいだろう

 雨を降らせようか 火を灯そうか 花を咲かせて上げようか

 踊りの魔法に高跳びの魔法 迷ってばかりで決められない

 でも君はもう僕に魔法をかけた 絶対解けない恋の魔法――」

 

 深みのあるテノールが"鳩と鷹"広場に響く。ギターを弾きながら歌うのはジャリー。

 演奏も歌も、文句のつけようのない名人級のそれだ。

 

 その左右には銀の横笛を吹くヒョウエと"悪魔のバイオリン"を奏でるハーディ。

 ジャリーとヒョウエはもちろん、ハーディもそれなりに整った顔立ちなので、三人が並んで立つと否応なしに人目を引く。

 二時間ほどの演奏を終えて拍手と共にその場を去る頃には、木製のギターケースにかなりのおひねりが入っていた。

 

「ほら、分け前だ。これだけあれば人形をもう一つ買えるだろう?」

「あ・・・ありがとうございます!」

 

 客を呼んでいたのは明らかにジャリーの演奏と歌だ。

 にもかかわらず、おひねりの1/3ほどを差し出されたハーディは一瞬声を詰まらせ、大きく頭を下げた。

 

「さっさと行きたまえ。もうすぐ夕方だ、グズグズしていては店が閉まってしまうぞ」

「は、はい! ありがとうございました、ジャリーさん! ヒョウエくんも!」

 

 もう一度頭を下げてハーディは走り出す。

 その姿が人混みに消えるまで、二人は無言でそれを見送っていた。

 

「さて、それじゃ僕もこの辺で」

 

 言いつつギターケースに伸ばした腕をジャリーの手が掴んだ。

 見つめ合う二人。

 

「・・・何か?」

「言わなかったかな? ハーディ君に渡したのは彼と君の分け前だ」

「言ってませんよ」

「察したまえ」

「あいにく"読心(リードマインド)"の呪文は習得していないので」

「随分と豪華な衣裳を着ているじゃないか。金には困っていないだろう?」

「その言葉、そっくりお返ししますよ」

「年長者に敬意はないのかね」

「愉快な人だとは思っています」

 

 再び二人が見つめ合う。やがて、同時にプッと吹き出した。

 

「いや、悪い悪い! ちょっとからかってみたくなってね!」

「お気になさらず。性格が悪そうなのは最初からわかってましたから」

「お互い様だろう?」

 

 そこでまた二人が笑った。

 

「それではまた」

「ああ、いつか会えるといいな。ハーディ君も含めて」

 

 再会を約して二人は別れた。それがどのようなものになるか、彼らはまだ知らない。




 「悪魔のバイオリン(Diabelskie skrzypce)」は実在の楽器です。
 ポルトガル北部の楽器で、形状は概ね本編の通り。悪魔払いに使っていたというのもその通りです。
 ただ本当はバイオリンやチェロのように弾くものではなく、棒で弦を叩いて音を出していたとか。

 https://www.werandacountry.pl/cache/832-1238/bfe41a533e4ae75fe529cc4ccb6c5a63/15371_1354786948.jpg


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第一章「ローレル&ハーディ」
03-01 スラムの冒険者たち


 

 

 

「ともあれまずは炭だ。炭屋に土下座して前借りしてこい」

 

 

                          ――とある飲んだくれの鍛冶屋――

 

 

 

 

 ルダイン村で怪人(ヴィラン)を打倒してから三日後。ディテク王国、王都メットー。

 その南西に位置するスラムの奥に一行は足を踏み入れていた。

 

「こっちお前んちの近くだよな。その鍛冶師ってお前んとこのやつなのか?」

「まあお給料は自治会から出てて、自治会に資金出してるのは僕なのでそうと言えなくもないですが、お抱えとかではないですよ」

「・・・このスラムって丸ごとヒョウエ様の土地だったんですのね・・・」

「それは伯爵家のまかない程度で足りるはずもありませんか・・・」

 

 二年前の会話を思い出しつつ、リアスとカスミが呆れたようにぼやいた。

 そしてそこに現れる不審者一名。

 

「りょーうーしゅーさーまーっ♪」

「むぐっ」

 

 いきなりヒョウエに抱きつく20才ほどの色っぽい女性。

 「気さくなお姉さん」という単語を人の形にしたような娼婦、ナヴィだ。

 

「んー、やっぱりこのほっぺ、いいわねー」

「だからやめて下さいと言ってるじゃないですか」

 

 幸せそうに頬ずりするナヴィを、迷惑そうにしてはいるがヒョウエも止めない。

 顔なじみのモリィもだ。

 が、初対面で箱入り娘のリアスにはいささか刺激が強すぎたようだ。

 

「ななななな、何をなさってるんですの! ヒョウエ様から離れなさい!」

「あら、かわいいお嬢さんね。領主様の新しいお仲間?」

「そうですけど・・・ふわーっ!?」

「ああ、きめ細やかな肌! 綺麗な金髪! もうかわいいわねえ!」

 

 抱きついて頬ずりされたリアスが硬直する。

 こちらも一瞬硬直した後、あわててカスミが止めに入った。

 

「あの、お嬢様! リアス様はそう言う事に不慣れですのでその辺にして頂けると・・・!」

「え、お嬢様って私のこと? やだ、凄い新鮮!」

「あー、ナヴィ姐さん。そいつ一応伯爵様だから。一応」

 

 モリィも投げやりに制止するが、テンションの上がったナヴィは聞いてない。

 

「なに、あなたもかわいいじゃない! メイドさんよメイドさん!」

「ふぁーっ!?」

 

 再び標的を変えたナヴィが、今度はカスミを抱きしめて頬ずりする。

 敏捷さが売りの彼女をして回避できない、必中のハグ。

 リアス以外の人間にこう言う事をされるのは馴れてないのか、先ほどのリアス以上に混乱し、硬直していた。

 そこでリアスがはっと再起動する。

 

「そ、そこまでですわ! ヒョウエ様はまだしも私以外の人間がカスミを愛でるのは許しません!」

「えー、けちー。じゃあ一緒に堪能しましょうよ」

「そう言う問題ではありませんわ!」

「愛でてんのかよお前・・・」

 

 モリィの呆れた声がむなしく響く。

 ぽこん、とヒョウエの杖がナヴィの頭を叩いた。

 

「いったーい。何するのよ領主さまー」

「はいはいそこまで。僕の仲間なんですから加減して下さい」

「うーん、いけずぅ。でも領主様に言われたらしょうがないわねー」

 

 最後にひとしきりカスミの抱き心地を堪能して、妖怪ほっぺすりすりは去っていった。

 

 

 

「何ですのあの方は! いきなり抱きついてきたと思ったら私のカスミにいかがわしいことを!」

「その伝で行くとリアスがカスミにしていたのもいかがわしいことになりますが」

「あの、リアス様もヒョウエ様も、もうそのへんで・・・」

「お前も大変だな・・・」

 

 リアスはぷりぷりと怒っていた。肩を怒らせながら街路を歩いて行く。

 

「まあ見ての通りの人ですよ。何故か僕にしょっちゅう絡んできますが、基本的にはいい人です」

「・・・ヒョウエ様がおっしゃるならそうなのでしょうけど」

 

 まだ納得していない様子でリアス。どこかすねてるようにも見える。

 カスミを取られたのがよほど悔しくあるらしかった。

 しかし一難去ってまた一難(?)。すぐに一行は次なる試練と出くわしたのだった。

 

「あ、ヒョウエさまだ!」

「女の子沢山連れてるぞ!」

「はーれむってやつだな、おれはくわしいんだ!」

「ねーねーヒョウエさま、どれがせいさいでどれがあいじんなの? それともあれかな、どろどろのさんかくかんけいってやつ?」

「ちっこいのは違うだろ」

「いや、俺聞いたことがある! そういうのゲンジボタルって言うんだぜ!」

「それなんか違くね?」

「・・・・・・・・」

 

 ヒョウエの回りにたかって好き放題言いまくる子供達。

 先ほどのナヴィとはまた別のタイプの傍若無人さに、育ちのいいリアスが硬直する。

 カスミも子供達の勢いにちょっと押されていた。

 

「ともかくあなたたちお黙りなさい! わたくしたちはヒョウエ様の箱仲間(パーティメンバー)で、ハーレムでも三角関係でも光源氏でもありません!」

 

 えー、と残念そうな声を上げる子供が半分。おおっ、と目を輝かせる子供が半分。

 大体前者が女子で後者が男子だ。

 

「それにそんな事、いちいち聞くことではありません! 私が正妻でモリィさんが愛人に決まっておりますわ!」

「はたくぞコラ」

「ああでもカスミはどうしましょう。本気でヒョウエ様の事をお慕いしているなら許して上げなくも・・・」

「お嬢様、だからそれは誤解だと・・・!」

 

 妄想にひたり込むリアスにはカスミの訴えも届かない。

 周囲の子供達からは何故かおー、と感嘆の声が上がっていた。

 

「ほら、その辺にしておいてください。今日は用事があるんですから」

「そうでしたわね。そう言う事ですのであなた方・・・」

 

 と、ヒョウエが促してその場を立ち去ろうとしたところで子供の一人が気付いた。

 

「そういえばねーちゃんの鎧って何かサムライっぽいな!」

「ヒョウエさまの人形劇にでてきた奴ににてる!」

「『白のサムライ』のこすぷれだ!」

 

 ヒョウエがしまったという顔になる。何かを言おうとしたが、リアスの方が早かった。

 

「失礼な! 私はリアス・エヌオ・ニシカワ! 『白のサムライ』イチロウ・ニシカワさまの直系にして『白の甲冑』の纏い手ですわ!」

 

 思わず叫んだリアス。周囲が一瞬シンとなり、次の瞬間爆発した。

 

「すっげー! すっげー! 本物の『白のサムライ』だぁ!」

「マジか! マジか! スッゲー!」

「いやあ、流石ヒョウエ様だ。『白のサムライ』の末裔を仲間にしなさるとは!」

「え? え?」

 

 いつの間にか露店のおっさんや井戸端会議をしていた主婦たちまで集まって、周囲に人垣を作っていた。

 握手やら何やらを求められ、困惑するリアス。

 モリィが肩をすくめ、ヒョウエがあちゃあと額に手を当てる。

 結局一行はその場を離れるまで二十分近い時間を費やすことになった。

 

 

 

 そこから更に十分ほど歩いて、スラムの奥の壁ぎわ。

 他のスラムの家とは違い、比較的広い敷地に建つ石造りの家があった。

 余り寒くならないこの辺には珍しい、大きな煙突がある。

 

「ナパティさん、ハッシャさん、いますかー?」

 

 大声で呼ばわりながら入っていくヒョウエに、他の三人も続く。

 

「うっ」

「げっ」

「これは・・・」

 

 一歩中に入った途端、ヒョウエ以外の三人が顔をしかめた。

 手前が土間、奥が一段上がった板間になっており、板間の手前に履き物が転がっているところを見ると日本風の入り口で履き物を脱ぐタイプの家らしい。

 が、奥の板間はテーブルの上に酒瓶やつまみの食べ残し、周囲に汚れた服や書き損じの丸めた紙らしきもの、酒樽、貸本らしい艶本(エロ本)などがそこらへんに散らかっており、左を見ると土間にある台所の流し場には洗っていない食器が山を作っていた。

 

「きったねえ家だな・・・」

「ヒョウエ様。あの流し場を片付けてよろしいでしょうか。正直見るにたえません」

「あー・・・それは後でね。ん、鍛冶場の方かな」

 

 ヒョウエが右側、話し声の聞こえる方にスタスタと歩いていく。

 少女たちも取りあえず目の前の光景から目をそらして後についていった。




 この世界には源氏物語も孫子も論語も史記も椿説弓張月もプルタアク英雄伝もあります(ぉ


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03-02 鍛冶師と細工師

「えっ」

「嘘・・・」

 

 土間を伝って別棟に入った一行が見たのは、最初の板間とはまるで違う整然とした鍛冶場だった。

 鍛冶仕事になどまるで詳しくない三人だが、それでも「プロの仕事場」という雰囲気を感じる。

 

 だが、三人が驚いたのはそれにではなく、その中央で言い争いをしている二人だった。

 片方は身長190cm、しなやかな褐色の長身に黒髪、笹のような細く長い耳をした男。

 もう一方は同じく褐色肌に茶髪茶ひげの、身長150cmほどながらたくましい体躯の男。

 

「エルフと・・・ドワーフ」

「初めて見たぜ・・・」

「エルフの細工師にドワーフの鍛冶職人とは凄いですね・・・」

 

 ただ、その感動も二人の言い争いの内容に気付くまでだったが。

 

「乳! 尻! ふともも! 偉大なる先人も言った通り、それこそが女の魅力! それが何故わからんハッシャよ!」

「お前こそわかってねぇんだよ、ナパティ! グラマーなんてただのデブだ! 胸も尻も薄い、ノミで極限まで削り上げたような精妙なバランス! それこそが究極の女体だ!

 それはそれとしておっぱいとケツも大好きだが!」

 

 少女たちが固まった。ヒョウエは毎度のことなのか無表情に聞き流している。

 なお上がエルフで下がドワーフのセリフである。

 

「あー、もしもし・・・」

 

 インド舞踊のような綺麗な動きでエルフがくるくると回転し、ドワーフにぴしっと指を突きつけた。

 

「そもそも乳とは子を育てるためのもの! 尻とは子を生むためのもの! 大いなる神の作りたもうた機能美が美しくないと言うことがあるか! どうだ!

 具体的には『ルタシュ』のイーシャちゃん! お前も結構散財してただろう!」

「クッ、あの娘を引き合いに出されるとつれぇが・・・だがそれでも俺は自分を曲げねぇ! 自分を曲げる時は男としての俺が終わる時だ!

 同じ『ルタシュ』のラレーナちゃんでどうだ! あのスレンダーなボディに匂い立つ色香! 貴様も一時期お熱だったよなあ!」

「ぬぐっ!」

「あのー?」

 

 どうやらひいきの一座(グループ)歌姫(アイドル)らしい名前を互いに挙げる両者。

 彼らの間では一種の勝負らしく、熱中する二人にはヒョウエの声も届かない。

 

「ところでナパティ。おっぱいが子を育てるためのもの、尻が子を生むためのものとするなら太ももはなんだ?」

「む・・・」

 

 ハッシャの問いかけにナパティが考え込む。

 くどいようだがグラマー推しがエルフのナパティで、スレンダー推しがドワーフのハッシャだ。

 

「・・・顔を挟んで圧迫して貰う?」

「それだ!」

「それだじゃねえよ!」

 

 ここでようやっと、硬直していたモリィが再起動した。

 年頃の娘らしい恥じらいより、ツッコミの衝動の方が勝ったらしい。

 二人もようやくこちらに気付いたようだった。

 

「誰だ嬢ちゃん・・・あれ、ヒョウエの若旦那?」

「やっと戻ってきましたか。さっきから呼んでたんですが」

「それは済まなかったな。取りあえず立ち話も何だ。居間で茶でも淹れてやろう」

 

 ナパティが頷いて一歩踏み出すが、そこにモリィの冷たい声が掛かる。

 

「居間ってのがあのゴミためのことなら慎んでお断りするぜ」

「あれは女の子を招待するところじゃありませんよ、ナパティさん」

「むう、善意を拒否された! ナパティ悲しい!」

 

 またもや片足でくるりと一回転して妙なポーズ。

 動き自体は綺麗なのが妙に腹立たしい。

 そこで改めて、ナパティは一行を見渡した。その鋭い目に感嘆の表情が現れる。

 

「ふむ・・・ヒョウエも色を知る歳か」

「そう言うのじゃありませんから」

 

 真顔で否定するがナパティは聞いていない。

 

「謙遜をするな! 蓮っ葉巨乳! パツキン女サムライ! クール系ロリメイド! 何とも見事なラインナップ! ところで教えて欲しいのだがどの辺まで行っているのだ?

 最後までは行ってないようだが接吻くらいは・・・待て、落ち着け、話しあおうではないか」

 

 両手を上げて冷や汗を浮かべるナパティ。

 目の全く笑っていない笑顔でリアスが腰の刀に手をかけていた。

 腰を落とし、抜き打ちに首を飛ばせる間合いである。

 

「ナパティさんですわね? 私リアス・エヌオ・ニシカワと申します。以後お見知りおきを」

「おお、これはご丁寧に・・・」

「思うのですけどナパティさん。淑女の前でするような話かそうでないかははっきりと区別する必要があるのでは?」

「うむ、おっしゃるとおりだな、うむ」

 

 ナパティがこくこくと素直に首を振る。背中は滝のような汗。自分に向けられた殺気の意味をはっきり理解している。

 ふと、その目が僅かに見開かれた。

 

「ん・・・ニシカワ・・・まさか、『白のサムライ』か!」

「なにっ!?」

 

 ナパティの叫びに鋭く反応したのはハッシャだった。

 

「え・・・ちょっと?」

「おお、素晴らしい・・・」

「モノホンの『白の甲冑』だぜ・・・!」

 

 二人して目の色を変え、リアスににじり寄るナパティとハッシャ。

 リアスが怯えたように後ずさった。

 

「おお、伝説の白甲冑よ! 今私の手の中に!」

「待て、俺が先だ!」

「ひいっ!」

 

 次の瞬間、鈍い音が二つしてリアスに飛びかかろうとしていた二人がひっくり返った。

 思わず手を出そうとしたリアスや、雷光銃のグリップで殴り倒そうとしていたモリィの動きが止まる。

 二人の額を直撃したのは、ヒョウエの懐から飛び出した二つの金属球だった。

 

「はあ・・・すいませんね、リアス。二人とも腕はいいんですよ、腕は・・・」

「い、いえ、ありがとうございました」

 

 頭を下げるヒョウエに気を取り直して礼を言うリアス。

 雷光銃のグリップを左の手のひらにぱしぱしと叩き付けつつ、モリィが白い目でヒョウエを見る。

 

「言っとくがな、ヒョウエ。いつぞやのリアスの下着をじろじろ覗いてたお前も、今のこいつらと大差ないからな?」

 

 ヒドラと出会ったダンジョン探索で、ヒョウエが"魔力解析(アナライズ・マジック)"でリアスの鎧を(リアスが着たまま)調べようとした時の事である。

 

「それはひどくないですか? 僕は・・・」

「失礼ながらヒョウエ様、私も同意見です」

「・・・」

 

 カスミにも白い目で見られてヒョウエは沈黙した。

 

 

 

「いててて・・・」

「ひどいぜ若旦那・・・」

 

 ぶつくさぼやきながら二人が再起動した。

 女性陣の白い視線にさらされているのだが、それを全く気にしていない。

 その白い視線が若干自分の背中にも刺さっているのを感じつつ、ヒョウエが口を開いた。

 

「それで、二人に白甲冑の修理に手を・・・」

「心得た! 大船に乗ったつもりでいるがよい!」

「ドンと任せとけ若旦那!」

 

 ゼロコンマ二秒。

 一瞬唖然として苦笑する。

 

「まあ職人なら当然ですか・・・」

「こう申し上げたら何ですが、二年前ニシカワ家にいらしたヒョウエ様も大体このようなものであったかと存じます」

「うぐぅ」

「か、カスミ!」

 

 カスミの冷徹なツッコミにヒョウエが再度へこんだ。

 まあスキップしながら古代の魔導甲冑を堪能していた人間には確かに反論できない。

 

 

 

 居間は流石に汚いと言うことで、テーブルと椅子を持って来て鍛冶場で話をすることにする。

 二人の淹れる茶は女性陣が嫌がったので、ヒョウエが香草茶を用意した。

 

「カスミ、兜を」

「はい、お嬢様」

 

 荷物の中から布包みを出してほどく。

 中には真っ二つになった白の甲冑の兜と、切り落とされた肩鎧、同じく切り落とされた飾り。

 

「むう」

「こいつぁすっぱりとやられたな・・・」

 

 それを見た途端、ナパティとハッシャの表情が職人のものになる。

 それまで半信半疑だった三人も、この表情で随分と評価を改めたようだ。

 

「魔力の残り香があるな。防御術式を発動した状態で切られたのかこれは?」

「ええ、妖刀を持った怪人にばっさりと」

「うへえ、想像したくもねえな。飾りはチョチョイのチョイだが兜と肩鎧は面倒だな。

 魔力の経絡線を繋がないと・・・何だよこれ、びっしりと線走らせすぎだろ! これ全部繋ぐのかよ!?」

「まあ真なる魔法の時代の遺物ですからねえ。現代のものとは根本的に作りが違いますよ。それでですね、装甲の修復自体は僕がやりますので・・・」

 

 職人同士の会話を交わす三人。

 少女たちは茶を口にしつつ、手持ちぶさたながら頼もしそうにそれを見ていた。

 しばらく後、話が一段落したようでヒョウエがリアスのほうを振り向いた。

 

「それでですね、装甲の緊急排除機能を使ったのでアンダーの方も・・・あっ」

「何ですの、ヒョウエ様・・・あっ」

 

 リアスが自分の姿を見下ろして悟る。

 今回白の甲冑は装甲からアンダーまで全て修復する予定だ。

 なのに白の甲冑はリアスが身につけている。

 

「すいません、あらかじめ言っておくべきでしたね」

「いえ、全部修理すると言われたのですから私が気を付けておくべきでした。ついいつものクセで・・・」

「まあしょうがない。風呂場ででも着替えてくるとよい」

「絶対に嫌です」

 

 きっぱりとリアスが断った。

 憤慨したのか、ナパディが反射的に立ち上がってクルクルとつま先立ちで回転し、ポーズを決める。

 

「何故だ! 我らがのぞきをするとでも思うのか!」

「あれだけ下品な話をしといて言えた義理かボケ!」

「そちらはかろうじて信用するとしても、部屋をあんなに汚くしてる人たちが、風呂場だけ綺麗なわけがないでしょう! そんな所で着替えるなど死んでもごめんこうむりますわ!」

 

 本気で嫌がるリアスに、ナパティとハッシャが顔を見合わせた。

 

「・・・そんなに汚くはないはずだな?」

「ああ、半月前・・・少なくとも一月前には掃除したはずだぜ」

 

 ぶちん、と。血管か堪忍袋の緒か、そんな何かが切れる音がした。

 リアスとカスミが同時に席を立つ。

 

「宿屋に戻って着替えてきますわ!」

「それがよろしいかと存じます」

 

 白い目・・・いや、青くなりかかった目でカスミも同意する。

 こちらもしゃーねーなと立ち上がって、モリィが何かに気付いた顔になる。

 

「そうだヒョウエ。おまえんちで着替えさせてやったらどうだ? 確かすぐ近くだろう」

「あ、そうですね。リアス、よければ」

「えっ? ヒョウエ様の家に!?」

 

 一瞬でその顔面に血が昇る。

 

「・・・お嬢様。今何をお考えになりました?」

「考えてません! 何も考えてません! だから眼を青くしないで!」



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03-03 幼なじみ

 

 五分ほど歩いて、ヒョウエの屋敷に到着する。

 鼻歌を歌いながらお嬢様風の少女――リーザが門前の掃き掃除をしていた。

 一行を認めてその顔がぱっと明るくなる。

 

「あ、ヒョウエくんお帰りなさい! モリィさんもいらっしゃい。他のお二人は初めてでしたっけ?」

「ただいま、リーザ。背の高い、甲冑を着ている方がダーシャ伯爵リアス。当代の『白のサムライ』。ちっちゃい方が侍女のカスミ。リアス、カスミ、友達のリーザです。

 こう見えて《耳の加護》があるので日常生活に不都合は無いんですよ」

 

 ぺこり、とリーザが頭を下げた。その間も目は閉じられたままだ。

 

「はじめまして、リーザです。『白のサムライ』の方ですか! すごいですね! カスミちゃんもよろしくね!」

「ご丁寧に。リアス・エヌオ・ニシカワです。お見知りおきを」

「カスミです。こちらこそよろしくお願いいたしますね」

 

 リアスとカスミも礼儀正しく挨拶を返す。

 その目が獲物を捕らえる鷹の目のような鋭さを帯びた。

 

(リーザさん・・・モリィさんとはまた別のタイプの強敵になりそうですわね)

(お嬢様ぁ・・・)

 

 カスミが頭痛をこらえるような顔になった。

 

 

 

「今日はどうしたの? お仕事が早く終わった?」

「いえ、リアスの『白の甲冑』が傷ついてしまいまして。ほら、おととい話した」

「あー、妖刀を持った怪人(ヴィラン)を切り伏せたっていう!」

「え? ご存じですの?」

 

 リアスがちょっと汗を浮かべた。

 多分怪人と戦った時の装甲排除のことでも思い出しているのだろう。

 

「はい、ヒョウエくんが話してくれました! ヒョウエくん、夕食の時にいつもその日の冒険のこと、話してくれますから! リアスさんが槍トカゲを蹴散らした話とか、ヒドラの首をすっぱり切り落とした話とか」

「そ、そうですか・・・」

 

 装甲排除とかなめくじとか、まずい話は伝わってなさそうだと知って密かに胸をなで下ろす。

 

「私、この目ですから本は読めないんですよね。だから、昔からヒョウエくんの話してくれる物語が凄く楽しみなんです」

「へーぇ」

 

 にやにや笑いを浮かべたモリィが、ヒョウエを肘でこづいた。

 

(ようよう、お前が語りを身につけたのってひょっとしてさあ・・・)

(さて何の事やら)

 

 素知らぬ顔のヒョウエである。

 

「それはさておき、修理に出すのに鎧をいっぺん脱がなきゃいけないので、着替える場所が必要なんですよ。リーザ、適当な部屋に案内して上げてくれます?」

「うん、わかった。でも着替えはあるの?」

「あ、そうですね。まあなければリーザの・・・」

 

 ヒョウエの言葉が途切れた。

 ハッシャが絶賛しそうなスレンダーな体つきのリーザ。

 モリィほど豊満ではないが出る所は出て、くびれるところはくびれたリアス。

 

「・・・ヒョウエくん、今何考えたの?」

「いえ何でもありません、リーザ様」

 

 鋭い幼なじみに冷や汗を流すヒョウエである。

 

 

 

 女執事のサナが用があるというので、女性陣と別れてヒョウエは厨房に向かった。

 リアスたちはリーザの案内で館の奥に向かっていく。

 

「それほど広くはないですけど、私の部屋でいいですよね?」

「ええ、結構ですわ。どのみち着替えるだけですもの」

 

 ちらり、とモリィがリーザを見下ろした。

 

「なんです?」

 

 リーザが振り向いた。

 こいつ目は見えないはずなのに勘が鋭いな、と思いつつモリィが言葉を探す。

 

「ああそのなんだ、お前とあいつ(ヒョウエ)、どんな関係なのかと思ってさ。

 幼なじみみたいな事は聞いた気がするけど」

「えーと・・・みなさん、ヒョウエくんのことは?」

「二人とも『全部』知ってるよ。あいつから聞いてないか?」

「ああ、そうでしたか。はっきりとは聞いてなかったので」

 

 リアスとカスミが頷くのを確認すると、リーザは昔を懐かしむように語り始めた。

 

「私はヒョウエくんの乳母の娘なんです。乳母子(めのとご)というあれですね。

 歳も同じですから遊び相手としてつけられて、ヒョウエくんは余り活動的な子供じゃなかったから、私でもどうにかなると思われたみたいです」

「やっぱり高貴の生まれでいらしたんですのね」

 

 納得して、リアスが首をかしげた。

 

「あら、乳母子なんですの? 普通それだとヒョウエ様の事は様付けにしそうなものですが」

「本当ならそう呼ぶべきなんですけどね。ヒョウエくんが『リーザから様付けは嫌だから呼び捨てにして下さい』というので、妥協案としてくん付けになったんです」

「それで大丈夫だったんですか?」

「もちろん、他に人のいない時だけですよ」

 

 目を丸くするカスミにくすくすと、当時を思い出してかリーザが笑った。

 

「物心ついた頃にはヒョウエくんは既に本の虫で、本の山に埋もれたヒョウエくんを呼んで来るのは大体私の役目でした」

「容易に想像がつくな・・・」

 

 本の腐海になっているヒョウエの部屋の惨状を思い起こしてモリィが唸った。

 

「それで・・・モリィさんは知ってると思いますけど、私の《加護》は非常に広い範囲の声を聞き取ることができます。それこそメットー全てをカバーできるくらいの」

「・・・!」

「それは」

 

 リアスとカスミが目を見張った。

 その様な強力な《加護》、物語の中でもそうそうあるものではない。

 カスミはその「使い道」についてもうっすら気付いたようだった。

 

「7つくらいのころに私の《加護》が暴走し始めたんです。聞きたくないこと、聞いちゃいけないことがどんどん聞こえて来て、ベッドの中で泣いてて。

 そうしたらヒョウエくんが手を握ってくれて、僕がどうにかしてあげるって。

 それから一ヶ月で魔道具作る術師さんに弟子入りして、私の《加護》をコントロールする魔道具を作ってくれて。あの時は嬉しくて本当に泣きました」

 

 額の銀のヘッドバンドに手をやりながら頬を染める。

 

「「「・・・・・・・・」」」

 

 三人が思わず沈黙した。その沈黙をどう取ったか、リーザがあたふたと両手を振りながら付け加える。

 

「あのですね、その時に作ってくれたのは一番目で、これは三番目なんですよ。暴走を止めながらもっと加護が使いやすいようにって何度か改造したり新しいのを作ってくれたり・・・」

 

 リーザは何とか話を繋げようとするが、そんな事を聞かされてもモリィたちとしてはますます何も言えなくなるばかりである。

 

「あー、そのだ。それでなんでおまえさん今ここにいるんだ? あいつが実家飛び出したのもそうだけどよ」

「詳しいことは知らないんですけど、このスラムを買い取る時に色々あったみたいで、勘当されちゃったんですよ。多分ヒョウエくんが何か意地を張ったんだと思います。

 昔から一度決めたらてこでも動きませんでしたから」

 

 もう一度くすくすと笑う。

 

「それではその時についていったわけですわね」

「いえ、その時は置いてかれちゃって・・・《加護》を使って捜そうとしたんですが、その時は今ほど使い慣れていなかったので倒れちゃったんですよ。

 そうしたらいつの間にかヒョウエくんが枕元にいて、一緒に来ますかって言ってくれたので思わず抱きついちゃいました」

「「「・・・・・・・・」」」

 

 沈黙再びであった。もうのろけと変わりない。と言うかそのものだ。

 

「それで母さんのお許しも貰って宮殿を出て。それからはずっとここです」

 

 その時の条件として一月に一度実家に手紙を出すことを約束したのは言わなかった。

 おそらく母もヒョウエの父親も、監視とは言わないまでも何かしら紐をつけておきたかったのだろうなと今にして思う。

 

「・・・え?」

「宮殿?」

「リアスさん? カスミさん?」

 

 そして気付けばリアスとカスミが、先ほどとは別の意味で固まっていた。

 リーザがかわいらしく首をかしげる。

 

「その、リーザ様、宮殿(王族の住居)というのは・・・」

「そう言えば聞いたことがありましたわ・・・王弟殿下には私と同じくらいのご子息がいて、少女のような美貌の持ち主で術師としての並外れた才能があって、しかも出奔したとか・・・あああああ、何で今まで気付かなかったんですの!?」

「道理でお披露目の時に顔をお隠しになっていたと・・・!」

「え? え? え?」

 

 頭を抱えて叫ぶリアス。珍しく驚きをあらわにするカスミ。

 二人の反応にリーザが戸惑う。

 

「ちょっと、モリィさん! お二人とも全部知ってるって言いましたよね!?」

「えーっと・・・」

 

 冷や汗を浮かべてモリィが宙に視線をさまよわせる。

 

「悪い。そっちは言ってなかった」

「えええええええええ!?」

 



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03-04 姉のような女性(ひと)

 少女たちが騒いでいるころ、ヒョウエは厨房で魔道具をいじっていた。壁からはかなりの熱が発せられており、ヒョウエもそばに控えるサナも汗がにじんでいる。

 

「どうでしょう、ヒョウエ様。直りますか?」

「応急処置なら全く問題ありません。ただ、あちこち魔力の経絡線がへたれてますので、ついでに修復しておいた方がいいですねこれは」

「お手をわずらわせて申し訳ありません」

「構いませんよ。それを言ったらサナ姉にはいつもお世話になってるわけですし」

 

 ヒョウエがいじっているのは据え付け型のかまどの魔道具。

 壁の発する熱を吸収蓄積して、燃料を消費せずに調理ができるすぐれものだ。

 今は壁の発する熱を伝達する魔力経絡線が切れて、熱を吸収できなくなっている。

 

 熱を発する壁も、やはり魔道具だ。

 「悪魔の板」またの名を「マクスウェル・プレート」とご大層な名前が付けられたそれは、縦横1mほどの材質不明の板だ。

 この板は片方の面から常に熱を吸収し、片方の面から常に熱を放出する。

 しかも魔力の供給無しにだ。

 

 とあるオリジナル冒険者族が作り出したものだが、いまだに製法も材質も解明されていない。伝説によれば彼は生涯をかけて神の理に挑んだが正気を失い、ついには百枚ほどのこの板を残して姿を消したのだそうだ。

 当初は何の役に立つのかわからず放置されていたが、別のオリジナル冒険者族が「これ冷蔵庫に使えない?」と言い出して、すぐに王侯貴族や豪商の間で奪い合いになった。

 

 何しろ熱を生み出す手段はいくらでもあるが、温度を下げる手段は極めて少ない。

 魔力や術師を使わず、恒久的に氷室が維持できるとなれば、どこも欲しがった。

 しかもちょっとした魔道具を接続すれば、熱もかまどの火として有効活用できる。

 一石二鳥の永久機関であった。

 

 この屋敷にあるものはヒョウエたちが移り住んだ時に地下室から発見したものだ。恐らくは物珍しさで手に入れたまま放置されていたのだろう。

 それを幸いと厨房と貯蔵室の間の壁にはめ込み、兄弟子から中古のかまど魔道具を譲り受けて整えたのが今の厨房だった。

 出力が高く、かなりの広さのある貯蔵室を摂氏零度前後に保つことができている。

 

「よいしょ・・・と」

 

 奥の方の経絡線を修理するため、仰向けになって魔道具の中に潜り込む。

 小さい体は面倒も多いが、こう言う時には便利だ。

 

「あ、サナ姉。経絡線の予備取って。金ばさみも」

「はい、どうぞ」

 

 ゴソゴソと何やら作業をする気配。魔力も感じられる。

 恐らくは念動で道具や経絡線を宙に浮かべて作業をしているのだろう。

 自前の両手に加えて念動を同時に九つ発動できるヒョウエは手が十本以上あるようなものだ。こう言う作業のさいには便利どころの話ではない。

 しばらくそれを見ていたサナだったが、おもむろに口を開いた。

 

「ところでヒョウエ様、一つよろしいでしょうか?」

「ん、なに、サナ姉?」

「リーザ様含めて、あの四人のどなたとご結婚なさるおつもりで?」

 

 ゴン、と凄い音がしてかまどが揺れた。

 悶絶しているのか、突き出した足が一瞬硬直した後プルプル震える。

 

「~~~~~~~~っ!」

 

 しばらくしてヒョウエが勢いよく体を引き出した。顔が赤い。額がもっと赤い。

 

「いきなり何を言ってるんです、サナ姉!」

 

 立ち上がり、食ってかかるヒョウエをサナが楽しげな顔で見つめる。

 

「何と申されましても、家臣といたしましてはそう言う事も考えねばならないわけでして。本来ならば許嫁が決まるどころか、婚儀を上げているご年齢ですよ?」

「家を出たんだから関係ありませんよ!」

「何をおっしゃいますか。男子たるもの妻を娶って家庭を築き、血を残すものです。

 身分の上下は関係ありません」

「・・・」

 

 姉のような女性を疑わしげに見上げるも、その表情は変わらない。

 

「そんなのはそのうち自然に決まりますよ。今無理に決めることはない」

「そう言う考え方もありますが、ヒョウエ様を放っておくとずっと本を読むか魔道具をいじるかで、女性に縁のないまま生涯を終えられそうなので」

「ぐっ」

 

 自分でもありそうだと思ってしまったので反論できないヒョウエである。

 

「まあリーザ様はそれでもご満足でしょうが、わたくしとしては手遅れになる前にどうにかしたいところです。今すぐご婚約とは申しませんが、意識はして頂きたく」

「・・・結婚というならサナ姉の方が僕よりずっと年上でしょう。

 家臣であるなら子孫を残して主家に使える血筋を絶やさないのもつとめでは?」

「それは順序が逆ですね。主家が続かないのであれば家臣の家が続いても仕方ありません。

 まずは主家の存続が肝要かと」

「うぬぬぬぬ」

 

 ヒョウエもそれなりには弁が立つ方だが、この姉代わりの女家令には一度も口で勝てたことがない。

 ふと、サナが表情をまじめなものに変える。

 

「それに、わたくしはお母君にあなたの事を頼まれております。ヒョウエ様の御婚儀を見るまで身を固めるなど考えられません」

「・・・」

 

 ヒョウエの母親は元から体が弱く、ヒョウエが十歳の時に病で亡くなった。

 そして縁あってヒョウエの母に拾われ、ヒョウエづきの従者になったのがサナだった。

 年齢はヒョウエより丁度十歳上。

 名前の通り冒険者族の血を引いていて、代々武芸の家だったらしい。

 母親同士が友人だったようだが、サナも詳しいことは知らない。

 

 ただ、サナは語らないが幼い頃に相当な苦労をしてきたのは確かなようだった。

 サナの両親はその中で娘に精一杯の教育を施し、技を伝えて亡くなった。

 

「私をまがりなりにも人がましく生きられるようにして下さったのはお母君です。

 報恩復仇、恩には必ず報い、仇は必ず討ち果たす。それが我が家の家訓ですから」

「やれやれ、リアスよりサナの方がよほどサムライっぽいですね」

 

 ヒョウエが肩をすくめて溜息をつく。

 サナが苦笑いを浮かべた。

 

「ありがとうございます――オリジナル冒険者族であるヒョウエ様からすればそうなのかもしれませんね。

 ですが今のお言葉、リアス様の前ではお口にしませんように」

「それくらいはわかってますよ、さすがに」

 

 もう一度溜息をついて、ヒョウエが改めてリアスを見上げた。

 

「何か?」

「いえ。恩というなら既に返して貰ってると思っただけです。命より重い恩義もないでしょう」

「それは考え方次第ですね」

 

 サナが微笑んだ。

 

 

 

 サナの下腹部には5センチほどの刺し傷がある。

 サナ十五歳、ヒョウエ五歳の時受けたものだ。

 

 王弟一家が郊外の別荘地に出かけた時、深夜暗殺者に襲われた。

 王弟夫婦を狙った暗殺者は護衛に討たれたが、ヒョウエを狙った暗殺者は護衛を倒して標的に肉薄した。当時はまだ術を使いこなせていなかったし、戦いの心得もなかった。

 

 その時隣室に控えていたサナが《転移の加護》で突然出現してヒョウエをかばった。

 ヒョウエがかけた念動の術が運良く成功し、そのままサナがとどめを刺したが、サナの乱入がなければ万が一があったかも知れない。

 ヒョウエの母がサナに絶対の信頼を置くようになったのはこの時からだった。

 

「母君にはまるで実の娘のようにかわいがって頂きました。その分、新たなご恩が積み重なっております」

「はいはい、そうですか。どうせなら僕がサナ姉を貰って上げましょうか?

 そうしたら母上も喜ぶだろうし、サナ姉も母上に義理が立つだろうし、サナ姉も嫁き遅れなくて済むし、一石三鳥ですよね」

「ほぉ」

 

 その声の響きにヒョウエがはっと気付いた時には、サナの右手がヒョウエのあごをくいっと持ち上げていた。

 

「さ、サナ姉?」

 

 息がかかるほどの距離に顔が近づく。

 男装の麗人であるサナと少女のような容姿のヒョウエだけに、一種倒錯した光景が現出する。

 

「ヒョウエ様がそれほどわたくしのことを想って下さっているとは存じませんでした。

 ふつつか者ではございますが、このサナ、心と体の全てを捧げて一生お側にはべらせて頂きます」

 

 そのまま顔を近づけていく。

 互いの唇が触れそうな距離にまで。

 

「あわわわわわ!」

 

 そこでヒョウエがあわてて数歩下がった。

 顔が真っ赤だ。

 くすくすとサナが笑った。

 

「軽はずみなことは言わないことです。小さい頃から守り役のゲインズ様に口を酸っぱくして言われたでしょう。『軽々しく言葉を扱うな』と。

 たとえ王族の地位を捨てたとしても、言葉が重いのは変わりませんよ」

「はいはい、わかりましたよ。サナ姉はいつでも正しいです」

 

 まだ顔を赤らめながら、ヒョウエがふてくされたように目をそらす。

 

「そうそう、それと・・・」

「まだ何かあるんですか」

「今の言葉、サナは少し嬉しかったですよ」

 

 耳元で囁かれて、今度こそヒョウエは真っ赤な顔で硬直した。



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03-05 虹の彼方に

 ヒョウエたちが厨房から出てくると、食堂には既に少女たちが待っていた。

 

「ああ、白の甲冑もいいですがそう言うのも似合いますね」

「ありがとうございます、ヒョウエ様」

 

 僅かに頬を染めてリアスが微笑んだ。

 飾り気のない革の上着とズボンで、質実剛健な武人的雰囲気がある。

 平たく言えばいわゆる「女騎士」的なそれだ。もっとも腰の剣帯に下げているのが相変わらずカタナなので本人的には「女サムライ」なのだろうが。

 

「白の甲冑は僕が持ちましょう・・・と言いたいところですがカスミのそれ、やっぱり"隠しポケット"ですか」

「はい。でないと流石にお嬢様と私と二人分の荷物を運べませんので」

 

 カスミの背負い袋を見ながらヒョウエが頷いた。

 色々な呼び方があるが外見より沢山のものを入れることができ、さらに中身の重量も無視できるという便利な魔道具だ。

 ヒョウエも同様の機能を持つかばんを愛用している。

 

 安い物ではないが騎士や小金持ちの冒険者、商人などが良く購入しているため、比較的多く出回っている。

 もっとも荷物を大量に持ち運ぶよりは密輸や隠し武器など、荷物を隠して運ぶ用途に使われる方が多い(と言われている)ためにこんな名前で呼ばれているのだが。

 

「んじゃ行こうぜ」

「行ってらっしゃい、ヒョウエくん・・・待って!」

「リーザ?」

 

 ヒョウエが真剣な顔で振り向いた。

 額のヘッドバンドに手を当ててうつむくリーザ。

 その意味するところを彼は知っている。

 

「ヒョウエくん、火事! 『ブルー・キッド』通りと『ビッグ・ニモ』通りの交差するあたり!」

 

 ヒョウエが頷いた。

 その場を見渡し、全員が頷くのを確認する。

 

「ナパティさんたちのところへ行くのはちょっと遅れそうですね――どうやら僕の出番です」

 

 ヒョウエ、リーザ、サナが精神を集中する。

 ヒョウエの姿が食堂からふっと消えた。

 

 

 

「サニーッ! サニーッ! 放して、娘が中に!」

「もう間に合わん! ここはもう駄目だ、早く逃げるんだ!」

 

 燃えさかる二階建ての家。女性の声が響く。

 もがく女性をスラムの自警団(ヴィジランテ)らしき男が後ろから羽交い締めにしている。

 周囲には既に火が回り、火の粉が絶え間なく降ってきていた。

 

 三軒隣の家を自警団の男たちが壊し、延焼を食い止めようとしている。

 春先の風の強い時期であり、しかもスラムの建物はほとんどが木造だ。

 このままではスラムの大半、それどころか王都の他の地区にまで飛び火しかねなかった。

 

「ああっ!?」

「・・・・・・・・・!」

 

 バキバキと音を立てて家が崩れ始めた。

 女性が悲鳴を上げる。

 自警団の男が悲痛な表情で顔を背けた。

 

 ほかの場所からも同じような悲鳴が聞こえる。

 悲劇に見舞われたのは一人だけではない。

 人間にできるのはその悲劇を可能な限り少なくすることだけ。

 

「ちくしょう・・・」

 

 誰かがうめく。家が炎に飲まれる。

 その瞬間、青い風が吹き抜けた。

 

「!?」

「なんだ?!」

「来た! 来やがったっ!」

 

 戸惑いの声と、歓喜の声。

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 音を立てて家が完全に崩れた。

 その上空、火災のもたらす上昇気流に深紅のケープをなびかせる影。

 青い鎧。

 その腕の中には、五歳くらいの少女と泣き続ける赤ん坊。

 

「あ・・・ああ!」

 

 両手を組み、母親が泣き崩れた。

 降りてきた青い鎧が少女を下ろし、少女と母親が抱き合う。少女の体に、負っていたであろうやけどの痕はもうない。

 自警団の男に赤ん坊を委ねると、青い鎧は再び空に舞った。

 

 上空から見ると火災の広がり具合が良くわかる。まだ十数軒くらいだが風が強い。

 王都と言えども庶民の家は大半木製だ。石や煉瓦の家は裕福な人間でなければ住めない。

 このままでは本当にメットーの大半を焼き尽くしてしまう可能性もある。

 

 両手を合掌の形に合わせる。

 それを天に向けて突きだし、呪文を発動。

 

「"水流(ウォータープレッシャー)"」

 

 大瀑布を逆さまにしたような膨大な量の水が、合わせた手から直上にほとばしった。

 十数秒の間を置いて、それは土砂降りの雨となって周囲一帯に注ぐ。

 一分足らずで土砂降りはやみ、その時には火事は全て鎮火していた。

 

 避難や消火に当たっていた人々が呆然として空を見上げる。

 そして次の瞬間その表情が歓喜に変わった。

 

「青い鎧!」

「我らがヒーロー!」

「ばんざい、青い鎧!」

 

 拳を突き上げ、あるいは力一杯手を振り、人々がヒーローを讃える。

 呪鍛鋼(スペルスティール)完全兜(フルヘルム)がゆっくりと地上を見渡す。

 

「"生命感知(センス・ライフ)"」

 

 青い鎧の視界に、生命の放つオーラの色が映った。

 若く強い生命の色。老いて衰えた薄い色。病を抱えているのであろう、黒いまだらに染まった色。負傷によって一部痛々しく変色した色。

 

 ふわり、と地上に降りて変色した色のオーラの持ち主に次々と触れていく。

 軽いやけどは瞬時に消え、崩れた家屋の破片で負った打撲傷も消える。

 皮膚がほとんど炭化した重傷者も青い鎧の手が触れると共に痛みが消え、筋肉と真皮が再生し、炭化した皮膚組織の下からピンク色の新しい皮膚が現れる。

 

「おおおおおお!」

「すげえ、古傷まで治ってる・・・」

「俺一生この手を洗いません!」

「いやそこは洗えよ」

 

 更に歓声が沸く。

 周囲を見渡してこれ以上の負傷者がいないのを確認すると、青い鎧は焼け跡に足を向けた。

 人混みが割れ、青い鎧が焼けた家の前に立った。

 

(ひどいもんだな・・・)

 

 火が回った家は十数軒。

 半分ほどは全焼し、残りの半分ほどは何とか形をとどめているレベルだ。

 ひざまずいて右手を地面に当てた。人差し指でとん、と地面を叩く。

 微細な念動力の波が、指を中心に広がっていった。

 

「ん?」

「お?」

 

 周囲の群衆の中で何人かが首をかしげた。

 足元に走る念動力の波を感したのだろう。

 

 念響探知(サイコキネティックロケーション)

 コウモリが音波で周辺を探知するように、念動波を伝播させて周囲の物体を調べるヒョウエオリジナルの技術だ。

 

(・・・ん、まあこれならどうにかなるか)

 

 頭の中で周囲の地形と地質、火事の前の町並みを考えてゴーサインを出し、次の呪文を発動する。

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"」

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「"硬化(ハードニング)"」

 

 焼け落ちた家の元の形にそって、地面から泥のような土の壁が盛上がる。

 それは十数秒ほどで家の形を取ったかと思うと色を変え、立派な石造りの家になった。

 

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?」」」」」

 

 群衆が叫ぶ。もはや絶叫だ。

 数分後には焼けた全ての家が石造りの新築になっていた。

 

「青い鎧! 青い鎧! 青い鎧! 青い鎧!」

 

 奇跡のような光景を目にして熱狂する群衆。

 青い鎧がふわりと宙に浮かぶ。空には雨上がりの虹。

 群衆に軽く手を振り、青い鎧は虹の彼方に飛び去った。




 ヒョウエくんは物質を変性・変形させることはできても、無から物質を生み出す事はできません。
 足りない分の質量は家に地下室を作って補っています。


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03-06 エルフとドワーフと

 消えてから十数分後、食堂に再びヒョウエが姿を現した。

 既に青い鎧の変身は解いている。

 

「おつかれ、ヒョウエくん!」

「お疲れさまです、ヒョウエ様」

 

 おお、と驚く三人娘をよそにねぎらいの言葉をかけるリーザとサナ。

 この辺はもう慣れたものだ。

 

「なるほど、こんな感じなのか・・・まあお疲れ。今回はおんぶはいらないのか?」

「いりませんよ。火事を消しただけですし」

 

 ヒョウエが肩をすくめる。

 が、それに反応する少女が一人。

 

「え、おんぶ? ヒョウエくん、わたしそれ聞いてない!」

「力を使い切って脱力状態になったところをおぶって貰っただけですよ。それじゃそろそろ行きましょうか」

「あ、ああ」

 

 面倒くさいことになりそうだと思ったのか、ヒョウエが逃げた。

 モリィ達もちょっと気にしつつ後に続く。

 

「ちょっと、ヒョウエくん、詳しい話!」

「行ってらっしゃいませ、皆様方」

 

 騒ぐリーザと腰を折って礼をするサナに見送られ、ヒョウエたちは屋敷を出た。

 

 

 

 鍛冶場に戻ると、ナパティとハッシャが色々な準備をしているところだった。

 

「おう、来たな、若旦那に嬢ちゃんたち」

「よろしくお願いしますわ。カスミ」

「はい。どうぞ、これをお預けします・・・っと」

「うむ、任せておけ」

 

 ヒョウエたちが手分けしてカスミから鎧のパーツを受け取り、作業台の上に並べる。

 

「そう言えばリアス。妖刀と打ち合って腰のものも刃こぼれしていたりはしませんか? ついでに研ぎを頼んでは」

「ええ、これから付き合いのある研ぎ師に出そうかと思っておりましたが・・・そうですね、お願いできます?」

「うむ、任せるがよい!」

 

 自信満々に頷くナパティ。

 

「それではお預けしますね」

 

 剣帯から外したカタナを、作法に則ってハッシャに差し出す。

 ナパティとハッシャが同時に微妙な表情になり、ヒョウエがプッと吹き出した。

 

「あははははは! やっぱりそう思いますよねえ!」

「笑うのはひどいぞ、ヒョウエ!」

「そうだよ、若旦那・・・」

「いや、すいません」

 

 憤然と回転してヒョウエを指さすナパティ。溜息をついて頭をボリボリかくハッシャ。ヒョウエは謝ったが顔は笑っている。

 

「え? どういうことですの?」

「リアス、ナパティが細工師でハッシャが鍛冶師だと思ったでしょう」

「それはまあ、エルフとドワーフですから」

「逆です。ナパティが鍛冶師でハッシャが細工師なんですよ」

「「えー!?」」

 

 リアスとモリィの声がハモった。カスミも声には出さないものの、目を見開いている。

 

「何を驚く。エルフとて鍋釜や刃物は使うのだぞ。鍛冶屋がいなければ暮らしていけないではないか」

「ドワーフだって金物だけじゃ生きていけねえよ。それともベッドやハンカチまで鉄でできてると思ってたか?」

「いや、そりゃそうだけどよ・・・」

 

 この世界でもエルフと言えば森の民というイメージが強いし植物を愛する傾向が強いのは事実だが、必ずしも木の上に住んでいたりするわけではない(そう言うのもいるが)。

 《百神》が人の子に精霊の力を与えてしもべとした種族を俗に妖精と言い、エルフはその一つだ。

 今では人間社会と交わることはほとんどなく、世界中の隠れ里に潜み住んでいる。

 

 正確に言えばエルフが住むのは自然の力、つまり大地を走る魔力の流れ=地脈が強い所だ。人里の近くだとそれは往々にして森林になる。

 なので孤島に暮らす海のエルフもいれば、山中で石の館に住むエルフもいる。

 伝説によれば大砂海の奥にも蜃気楼の城に住むエルフがいると言う。

 土地土地に応じて生活様式が異なるのは当然だった。

 

 一方で同じ妖精ながら世界中どこでも似た暮らしをしているのがドワーフだ。

 岩穴を掘り抜いて住居にし、あるいは石の館を建てる。

 限定的ながら人間とも交流があり、ドワーフの武具は同じ重さの金より高く取引される。

 

「そらまあドワーフなら一度は鎚を持つから俺だって鍛冶仕事はできなくもないがな。

 俺に頼むくらいなら人間のちゃんとした鍛冶屋の方がよほどいい仕事をするだろうよ」

 

 肩をすくめるハッシャに、三人娘は唸るしかできない。

 

「まあ私の場合は《加護》がそちら向けだったのもあるが。《火の加護》の一種でな、おかげで炉いらずで鍛冶仕事ができる」

「そりゃすげえな。炭代いらねえじゃねえか」

 

 ヒュウッ、とモリィが口笛を吹く。

 ナパティが寂しげに微笑んだ。

 

「まあ、とはいえ制御の難しい《加護》でもあってな。そのせいで一族を追放されたりもしたのだが」

「あー」

 

 モリィが気まずそうに目をそらした。

 その一方でリアスは疑わしそうな目でナパティを見ている。

 

「ちなみに具体的に言うと?」

「うむ、女湯を覗いていたら興奮して発火してバレた」

「自業自得じゃねーか!」

 

 モリィが全力でツッコミを入れた。

 

「こちらで着替えなくて本当に、ほんっとうに良かったですわ。

 で、ハッシャさんも同じ様なくだらない理由で人間の社会に出てこられたんですの?」

「俺をそこの馬鹿と一緒にするな! 俺が一族を飛び出したのは自分を磨くためだ!」

「あら、それは失礼しました。それで具体的には?」

 

 リアスの目は冷たいままだが、それに気付かずハッシャが熱っぽく言葉を続ける。

 

「細工の修行をしていても、ずっと何かが欠けてる気がしてた。石工や木工織物、色んな技術を修行してみても何が足りないのかわからねえ。だから俺は一族を飛び出した。

 人間たちの間でなら何かわかるかも知れないと思ってな・・・」

 

 そこで言葉を切る。しばしの沈黙。

 真剣なものを感じ取り、カスミが口を開く。

 

「それで、何が足らなかったのですか?」

「スレンダーな女体だ!」

「はい?」

 

 一瞬本気で意味がわからず、カスミが素で返した。

 

「だからスレンダーな女体だよ! 職人としての俺に足りなかったのはそれだったんだ!」

「あ、あの、職人としてのあれこれと女性の体つきが何の関係が・・・」

「あるんだ!」

 

 ぐわっ、と身を乗り出すハッシャ。押されてカスミが一歩下がる。

 

「人間の女にはグラマーも普通もスレンダーもいる! エルフだってそうだ! しかるにドワーフはどうだ! グラマーかデブかの二択だ! 不公平じゃねえか!

 旅に出てエルフの細マッチョ姉ちゃんの限りなく平坦なおっぱいを見た時にわかったんだよ! ああ、俺が求めていたのはこれだったんだってな! 

 もちろんでかいおっぱいもケツも好きだ! だが俺の心のハンマーが真に雄々しくそそり立つのは・・・」

 

 言葉が途中で途切れる。

 ごりっ、と眉間に銃口が押しつけられていた。

 

「おいおっさん。今すぐその口を閉じないと、目ン玉の間にもう一つ口が開くぜ」

「アッハイ」

 

 もちろんハッシャは黙った。

 

 

 

「おほん」

 

 静まりかえった室内に、ナパティの咳払いが響く。

 白い目のまま、モリィが雷光銃を腰のホルスターに戻した。

 

「まあともかく佩刀をお預かりしよう、ニシカワ卿」

「は、はい」

 

 リアスが改めて差し出した刀を、ナパティが作法に則って受け取った。

 持ち主が頷いたのを確認しておもむろにすっぱ抜く。

 

「うーむ・・・流石ニシカワ=マサムネ。いい・・・実にいい」

 

 そのままじっと刀身を凝視する。いつの間にかハッシャも同様に刀身を凝視していた。

 一分前まで女湯だのおっぱいだの騒いでいた連中とは思えない。

 

「そう言えばヒョウエ様、前々から思っていたのですがマサムネというのは刀工の名前ですの? それともあの剣そのものの名前?」

「刀工の名前ですよ。日本――僕たちの来た国では最高の名工の一人です。名工のことを俗に何とか正宗と言うくらい高名な人ですよ」

「そうでしたのね。そのへんは失伝しておりまして」

 

 嬉しそうに笑うリアス。

 

「まあ千五百年も前の事ですからね、しょうがないですか」

 

 くだんの刀が名刀なのは間違いないが、本当に正宗かどうかはわからない。

 

(初代「白のサムライ」は幕末の人ですから存外四谷正宗とかかもしれませんしねえ)

 

 刀の目利きを身につけておけば良かったなと思うヒョウエであった。

 

 

 

「それじゃ始めますか。一日くらいで終わると思いますのでみなさんはその間自由時間・・・そう言えばリアス、予備の武器はあります?」

「ワキザシ程度なら」

「代剣くらいは用意してある。その体格なら・・・このあたりか」

 

 ナパティが壁に掛けられた武器の中から一振りの剣を取って渡す。

 刃渡り70cmほどの直剣だが、柄が長く両手でも扱える様になっている。

 リアスが抜いた剣を軽く振る。ナパティが「ほう」と称賛の声を上げた。

 

「少し軽めですがバランスが良いですわね。職人としては信頼できそうです」

「まるで人間としては信用できないような言い方をするではないか」

「そう言ってるんですのよ?」

 




 トールキン先生ごめんなさい(ぉ


 四谷正宗というのは幕末の名刀工である源清麿(みなもとの すがまろ/きよまろ)のことです。
 隆慶一郎の「鬼麿斬人剣」とか時代小説でもたまに出てくる人ですね。


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第二章「シャドウ・ザ・リッパー」
03-07 通り魔


 

「そは影からいづるなり、影の如く黒く、影の如く厚みがなく、影の如くとらえどころなきなり」

 

 

                          ――とある歌劇の一節――

 

 

 

 

 

 ヒョウエも含めて職人モードに入った三人を残し、一行は鍛冶場を出た。

 何となくぶらぶらと、ヒョウエの屋敷への道を歩く。

 

「暇になっちまったなあ。いっそダンジョンでも行くか?」

「このパーティのリーダーはヒョウエ様ではございませんの? ヒョウエ様抜きでダンジョンに入れるんですか?」

「登録には別にリーダーとかねえし、大丈夫だよ。ヒョウエ抜きでも三人いれば・・・」

「だとしてもお嬢様も白甲冑といつものカタナがございませんから少々危険ですね」

 

 あ、とモリィが声を漏らした。

 無意識のうちにリアスの防御力を頼みにしていたらしい。

 

「そういやそうか。んじゃ何か食いに行くか? ちょっと北に行ったあたりに揚げドーナツの屋台があるんだ。バラのジャムが入っててさ、一緒に売ってる柑橘系の香草茶と良く合うんだぜ」

「へーえ・・・」

 

 目を輝かせるカスミ。リアスが微笑んで眼を細めた。

 

「それじゃカスミが物欲しげな顔をしていますし、ご一緒しましょうか」

「お、お嬢様!」

 

 顔を赤くしてカスミが抗議するが、楽しげなリアスは取り合わない。

 モリィがニヤニヤしながらカスミの頭を乱暴に撫でた。

 

「ま、いいんじゃねえの? ガキなんだからたまにはワガママ言えよ、おまえも」

「うー・・・」

 

 不本意そうなカスミ。

 だが揚げドーナツの誘惑には勝てなかったのか、反論はしない。

 モリィとリアスが笑みをかわし――次の瞬間悲鳴が聞こえた。

 

「「「!」」」

 

 モリィが走り出す。一瞬遅れてカスミとリアスも。

 雷光銃、忍者刀、ショートソードと、走りながら素早く獲物を抜く三人。

 一瞬前までの和やかな雰囲気はもうどこにも残っていない。

 

 

 

 現場に到着すると血だまりを作って若い女性が倒れていた。

 こちらも負傷した男性が何とか手当をしようとしている。

 

「!」

 

 モリィの目が一瞬建家々の屋根を跳ねる人影を捉えたが、すぐに町並の影に消えた。

 

「ちっ」

 

 舌打ちして男と女性に駆け寄る。

 既に素人らしい男性に代わってカスミが女性の応急手当を始めており、リアスも男性の手当を始めていた。

 カスミの手つきは玄人はだしで、リアスも素人のそれではない。

 自分の出る幕は無さそうだと判断し、モリィは雷光銃を納めて腕を組んだ。

 

 

 

「いや、済まないお嬢さんたち。私はどうにも不器用でね」

「お気遣いなく。こう見えてもそれなりに心得がありますので」

 

 男が礼を言う。長い金髪や絹の衣裳も血で汚れているが、ロックスターのような伊達男振りは損なわれていなかった。

 かたわらにネックの折れたギターと折れたナイフが転がっている。

 

「それで、いったい何が?」

「私にも良くはわからないんだが、この女性が襲われていてね。助けに入ったんだがこのざまさ」

「相手はナニモンだ?」

 

 モリィが口を挟む。

 

「よくわからん。紫色の甲冑を着て刃物を持った人間・・・かな?

 ただ、人間にしては体も手足も細すぎるし動きも速すぎた。

 モンスターか、あるいはいわゆる"怪人(ヴィラン)"という奴なのかも知れないが」

「また怪人かよ・・・」

「勘弁してほしいです・・・」

 

 モリィ達が一斉に顔をしかめた。

 

「また? おやまあ、世間という奴は意外と狭いね! レディの治療が終わった後で良ければ話を聞かせてくれるかな。いい(うた)が書けそうだ!」

「あなたの治療もですよ、サー?」

 

 冗談めかしてリアスが言う。

 

「はっはっは、私はそんな上等な人間ではないよ。貴族だとしたらせいぜい小鬼(ゴブリン)の貴族というところさ!」

「まあ」

 

 くすりとリアスが笑う。

 女性の方を手当てしていたカスミが深刻な表情で顔を上げた。

 

「お嬢様、手当はいたしましたが血が止まりません。急いでヒョウエ様のところへお連れしませんと」

「わかりましたわ。あなたはヒョウエ様のところへ。私たちはお二人を何とか運んでいきます」

「かしこまりました」

 

 頷くなり、カスミが走り出した。その足は下手な大人より速い。

 

「ヒョウエ・・・?」

 

 男が首をかしげる。

 

「モリィさん、こちらは私が肩を貸して歩きますから、そちらの方をおんぶできます?」

「わかった、なんとかなんだろ」

「いやいや、力仕事をレディに任せるのは申し訳ない。それに麗しの乙女を運ぶのは男の役目ではないかね、お嬢さん方」

「怪我人は黙ってらっしゃいな・・・あ、ちょっと!」

 

 傷だらけにもかかわらず、男が女性を軽々と抱え上げる。

 

「それじゃ行こうか?」

 

 キザなウインクを一つ。女性を横抱きにしたまま、すたすたと歩きはじめる。

 リアスとモリィが顔を見合わせて、その後について歩き始めた。

 

 

 

 二、三分ほどでヒョウエとカスミが文字通り飛んできた。

 

「リアス、モリィ、怪我人の容態は・・・え、ジャリーさん?」

「久しいな少年。変わった名前だとは思ったが・・・いやそれより今はこちらのご婦人だ」

「とっと、ですね」

 

 頷いて、ジャリーが地面に寝かせた女性の傷口に手を当てる。

 指先から癒しの魔力がほとばしった。

 ジャリーの表情にあからさまに安堵の色が混じる。

 

「やれやれ、君がいてくれて助かったよ・・・しかし半年経っても指一本か? 進歩がないぞ少年。『男子は三日で新しい呪文を習得する』ということわざもあるだろう」

「おや、それだけ減らず口を叩けるなら治療の呪文は必要ないようですね。

 それとも減らず口を治す"沈黙(サイレンス)"か"口封じ!(シャットアップ!)"のほうがご入り用ですか?」

 

 互いに軽口を飛ばすヒョウエとジャリー。二人とも顔は笑っている。

 モリィとリアスは呆れ顔だ。

 

「おお、おお、なんと残酷な事を言うのだろうこの少年は。

 言葉こそは詩人の魂、ほとばしる霊感の泉、魔力を介さぬ詩人の魔法。

 それを奪おうなどと詩神(クーリエ)も御照覧あれ、けして許されない行為だよ!」

言葉神(クーリエ)なら『あ、コイツは黙らせておけ』とおっしゃりそうなものですが」

「ひどい、ひどいなあ! 怪我人に対する言葉かねそれが!」

 

 ちなみに詩神(クーリエ)は詩の神と呼ばれてはいるが、本来は言葉とその持つ力を研究していた真なる魔術師(ウィザード)であり、神だ。

 つまるところこの神が司るのはいわゆる言霊(ことだま)であり、言葉の持つ力を重んじてその軽率な使用を戒める神でもある。

 なるほどジャリーの様な人間を積極的に守護する神ではあるまい。

 

 ともあれそうやって二人が言葉を浪費していると、女性が目を覚ました。

 

「う、ん・・・」

「気がつきましたか? もうしばらくじっとしてて下さい。怪我を治していますからね」

「え・・・ヒョウエ様?!」

 

 目を見張ったところを見ると、彼女もスラムの住人らしい。

 

「ええ、もう大丈夫ですよ。通り魔は行ってしまいました。・・・っと、こんなものかな。

 どうです、痛いところはありますか?」

「え、ええと・・・はい、大丈夫みたいです」

 

 こくりと頷く女性。

 最後にヒョウエが手をすうっと滑らせると、女性の体の血のりが綺麗に消えた。

 

「ですか。後から痛みに気付くこともありますから、我慢できないようなら医療所に」

「は、はい」

「さて。ジャリーさんの方は・・・つばでもつけときゃ治るかな?」

 

 半目で笑うヒョウエ。ジャリーもおどけて返す。

 

「おいおいひどいじゃないかね、少年。レディをかばって受けた名誉の負傷だよ?」

「傷が男の勲章というなら残しておくべきでは?」

「たった今考えを変えた。そんな古色蒼然とした価値観は一掃するべきだとね」

「信念を簡単に変えてしまう人は普通風見鶏と言うんですよ、知ってましたか?」

「信念にすがる奴よりはマシさ。有徳の人は態度をコロコロ変える(君子は豹変す)というじゃないか」

「・・・間違っちゃいませんがもうちょっと言い方を考えて欲しいところですねえ」

「昔の人間のありがたいお言葉なんてその程度のものさ」

「かもしれませんね。はい終わり」

 

 ものの一分ほどでヒョウエはジャリーの治療を切り上げた。

 

「やけに早いな、少年。手を抜いてるんじゃなかろうね?」

「そんなことはありませんよ。治療する価値がないだけです」

「何てことだ、君がそんな奴だったなんて。心の奥に抱いていた綺麗な思い出を汚された気分だよ。ああ、切なき青春の思い出よ」

「あなたの青春は僕と出会う10年は前に終わってたんじゃないでしょうかね?」

 

 それに、とヒョウエは思う。

 

(そもそもほとんど怪我をしていないじゃないですか、あなた)

 

 確かにジャリーは全身に切り傷を負っていた。

 血はにじんでいるし、服も切り裂かれているが、しかし深手は一つとしてない。

 戦闘に支障のない部分だけを敢えて切らせたようにすら見える。

 

 既にその体には傷一つ残ってはいない。

 リアスの応急処置だけでも、2、3日あれば完治していただろう。

 

「何かね、少年?」

「・・・」

 

 最初に出会った時と同じ笑みをたたえる男を、ヒョウエはしばし無言で見上げた。

 

「あ、ところでギターとナイフと服も修理してくれないかな?

 商売道具がこれでは明日から飯の食い上げだよ」

「あなたなんで僕が修理の魔法使えること知ってるんです?」

 




 バラジャム入り揚げドーナツの元ネタはポーランドのポンチキというお菓子です。
 なんでもポーランドではポンチキを食べる日があるくらい一般的なんだとか。
 柑橘フレーバーの紅茶と一緒に頂きましたが、非常に美味でした。


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03-08 インヴィジブル・マローダー

 その日を境に王都中で謎の通り魔事件が連続して起こるようになった。

 最初は二日か三日に一回くらいだったのが、やがて毎日になり、ひどい時には一日数回起きるようになった。

 そのたびに青い鎧が駆けつけるのだが、現場到着にはどうしても数分はかかる。

 現場で青い鎧が見るのは、常に切り裂かれた犠牲者だけだった。

 

 ならばと冒険者を休業して、青い鎧のまま一日中上空をパトロールしてもみたのだが、そんな日に限って通り魔は出てこなかった。

 情報紙で「見えざる襲撃者(インヴィジブル・マローダー)」などとあだ名されるそれは、今やメットー中の噂の的だ。

 

「やれやれ、ですね。パトロールしていれば出てこないけど、それはそれで経済的に痛すぎる」

 

 ヒョウエが溜息をついた。

 ヒョウエ、リーザ、サナ、モリィ、リアス、カスミ、関係者が全員揃って食堂で作戦会議中である。

 

「なーんか、ジャリーさんが事情を知ってそうな気はするんですけどね・・・」

 

 あれから半月ほど、ジャリーはあの日以来姿を見せていない。

 出会った時から胡散臭いとは思っていたが、あの一件でその印象が不動のものになった。

 

「ともあれ今はインヴィジブル・マローダーですね。勘が鋭いのか、身を隠す能力を持っているのか、それとも僕たちの行動を予測ないし観察できるのか・・・」

「うーん・・・少なくとも何かに見られたり聞かれたりしてる感覚はないかな。ヒョウエくんをずっと見ているとかだとわからないけど」

「リーザが言うなら最後の線はないか・・・モリィは何か気付いたことは?」

「本当にちらっと見ただけだからなぁ。極端な話、全く無関係まであるぜ」

 

 ヒョウエが視線をリーザに戻した。

 

「リーザ、襲われた人の『声』は具体的にはどんな感じなんです?

 襲われる前に悲鳴を上げたりとかは?」

「あ・・・そう言えば、そう言うのはなかったと思う。みんな思うのは『切られた』『痛い』って事ばかりで、犯人の姿を見て驚いたり怖がったりって声はなかった」

「ふむう」

 

 ヒョウエが考え込む。

 不思議な事に、今まで死者は一人も出ていない。

 多くの者は放っておけば助からないような傷を負っていたが、逆に言えば即死したものは一人もいない。

 リアス(既に白の甲冑を再びまとっている)が口を開いた。

 

「被害者は全員一般人ですわ。気付かれないように襲えるなら、簡単に殺せるはず。

 被害者が三十人近いのに死者が一人もいないのは、殺す気が無いのでは?」

「同意いたします。どう考えても殺そうとしていない」

 

 厳しい顔でサナが頷く。

 本物の暗殺者を何度か相手にしたことがあるだけに、その言には説得力があった。

 

「話を戻すと、現場にいて影を見たのがモリィ一人だけというのが気になるんですよね。

 飛び跳ねているなら、リアスやカスミも何か見たくらいはあってもよさそうなものですが」

「まあそうだな。特にカスミは目も冴えてっかんな」

 

 ちらりとカスミを見てモリィ。カスミがうなずく。

 

「屋根の上を飛び跳ねていたなら、何かいた位のことは気付いたと思います」

「なので、その時既に"インヴィジブル・マローダー"が透明化なり擬態なりの視覚を誤魔化す能力を発動してたんじゃないでしょうか。透明だったからモリィにだけ見えたんです」

「なるほど」

 

 ふうっ、と複数の人間が息をついた。

 

「そうなると打つ手がありませんね。ヒョウエ様に常時警戒して頂き、その間にリーザ様の《加護》でしらみつぶしに『声』を集めて頂く――くらいしか思いつきません」

「ヒョウエくんが魔力を供給してくれないと、同時に聞けるのは2、3街区ぶんくらいだから・・・まぐれ当たりを期待するのはかなり辛いと思う、サナ姉さん」

 

 リアスがカスミを見た。

 

「カスミ、あなたたちの一族ならどうにかできないかしら?

 ニンジャは情報を集めるのもお手の物なのでしょう?」

「・・・一族のものを駆り出せば、情報集めはできると思います。

 ただ今回の場合だとそもそも目撃者がこの広いメットーで、それもどれほどいるかと言うことになってしまいますので、有益な手掛かりを得られるかどうかは・・・」

「だめかぁ。ちょっと期待してたんだけど」

「申し訳ありません、リーザ様。ニンジャと言えども人間ですので・・・」

 

 複数の人間が溜息をつき、再び沈黙が落ちる。

 

「あー、しょうがねえなあ」

 

 頭をボリボリとかいて、モリィがテーブルに突っ伏した。

 意外そうな顔でヒョウエがそれを見る。

 

「何か心当たりがあるんですか?」

「心当たりっつーか、当てっつーか・・・絶対に行きたかないんだがなあ」

 

 もの凄く嫌そうな顔。

 全員が何とはなしに視線を集中させる中で、ヒョウエが口を開く。

 

「モリィ。お願いできますか」

「わーったよ畜生め。まあ、ほっとけないだろこれは」

 

 大きな溜息をつくモリィに、全員が多かれ少なかれ頬が緩む。

 

「モリィのそう言う所、僕は大好きですよ」

「だからそういう事を口にするんじゃねえよこのスットコ!」

「あっはっは、痛い痛い」

 

 顔を赤くしたモリィの拳が、馬鹿(ヒョウエ)の脇腹にガシガシと打ち込まれる。呆れたような、あるいはうらやましそうな視線が周囲から集まった。

 

 

 

「本当について行かなくて大丈夫ですか?」

「心配性だな、お前はあたしのオフクロかよ」

「モリィを放っておくといつ爆発するかわからなくて不安なんですよ」

「本気で殴るぞ?」

「まぁまぁ、ヒョウエ様もモリィさんもその辺で」

 

 目が据わるモリィをなだめるのはリアス。

 屋敷の玄関先である。

 

「ヒョウエ様も真剣に心配してらっしゃるのですから・・・」

「真剣だから逆にむかつくんだよ! コイツ本気でそう思ってるって事だろ!」

 

 つい、とヒョウエが目をそらす。

 更にモリィの目が据わる。

 それに気付いてか気付かなくてか、リアスがふっと胸を張る。

 

「それにたとえモリィさんが暴発しても私がついておりますわ。

 ヒョウエ様におかれましては、大船に乗ったつもりでご安心下さいまし」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 もっとモリィの目が据わっただけだった。

 慌ててカスミがフォローに入る。

 

「ほ、ほらそろそろ上空の警邏に出ませんと。ヒョウエ様が警邏しておられれば、少なくとも被害者は出ないんですから」

「そうですね、それでは失礼します」

 

 スタスタと妙に早い足取りで屋敷の中に戻っていくヒョウエ。

 長居してなにが起こるかわからないほどには彼も愚かではない。

 その後ろ姿をちょっと睨んだ後、モリィが振り向いた。

 

「チェッ、ったく、あいつはよ、人の気も知らないで無神経で・・・」

 

 唇を尖らせてすねてる様にしか見えないとカスミは思ったが、もちろん口には出さない。

 

「まあいいや、それじゃ行こうぜ。さっきも言ったがしゃべるのはあたしに任せろよ」

「わかっておりますわ。餅は餅屋ですわね」

「はい、お任せします」

 

 

 

 歩く事三十分。メットーを南北に走る中央の大通りから二つ東に入った通り。

 それなりに賑わう繁華街のようだが、午前中の今は人通りも多くはない。

 酒場の店員たちも目を覚まし、店の前の掃除や開店の準備を始めている。

 

 そんな店の一つにモリィ達は近づいていった。

 店の前を掃き掃除している若い男がそれに気付く。

 

「お客さん、開店はもうちょっと待ってくれよ。今時分で飲みたいなら通りの・・・」

 

 モリィの右手が素早く動いた。

 指を二本立てて拳を半回転。そのまま三回振って拳を握る。

 

「ああ、『常連さん』だったか。なら一杯飲んで行きな。値は張るがね」

「知ってるよ」

 

 にやりと笑みを交わす。顎をしゃくってついてくるよう促し、モリィは店の扉をくぐり抜けた。二人も緊張しながらそれに続く。

 小走りで追いかけて、リアスがモリィの耳元に囁いた。

 

「それではモリィさん、ここが・・・」

「ああ」

 

 モリィも小声で返す。

 

「盗賊ギルドだ」

 




 ちなみにモリィとリアス17才、ヒョウエ16才、カスミ12才です。

 関係ないが「ふぁいやーまんずぎゃりー」と打つと「ファイヤー萬子ギャリー」と出てくる私のPC。なぜだ。


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03-09 盗賊ギルド

 薄暗い店の中、無愛想なバーテンの横を通って奥に向かう。

 無言で金属のコップを磨くその手がふと止まった。

 

「・・・戻ってくるとは思わなかったな」

「あたしだって戻ってきたかぁなかったよ」

 

 手をヒラヒラさせてモリィがいなす。

 バーテンは無言に戻り、モリィもそのまま奥に向かう。

 二人を交互に見やりながら、リアスとカスミも何とか無言を維持してそれに続いた。

 

 少し奥へ進むと、男が二人ドアの両脇に立っていた。

 どちらも屈強というほどではないが、その辺のチンピラとは雰囲気が違う。

 場所に似合わない少女たちの一団を見て、その眉が怪訝そうにひそめられた。

 

「"違い目"のおっさんはいるかい」

 

 口を開いたモリィに対して、男の眉がますます怪訝そうにひそめられる。

 

「ああ、いるが――見ない顔だな?」

「いや、待て・・・お前モリィか?」

「えっ!?」

 

 二人目の男の言葉に、最初の男の目が丸くなった。

 

「化けたもんだなあ。あの山猫のようなクソガキがよぉ」

「あー、うるせえうるせえ。わかったんならさっさと通せよ」

 

 まだ何か言いたそうにはしていたが、男は口をつぐんで扉をノックした。

 

 

 

 部屋の中は、こざっぱりした執務室だった。

 左右の棚には本や書類入れが整然と並び、中央には高価そうな執務机。

 どこぞの商会の一室と言われても違和感はない。

 

 そしてそこに座っているのは、それこそ商家の番頭と言った雰囲気の男だった。

 こざっぱりした服装に愛想笑いを浮かべた細身の男だが、歳がよくわからない。三十は超えているだろうが、四十に見えなくもないし、五十を越えていそうな雰囲気もある。

 整えた髪はくすんだ金色。"違い目(ヘテロクロミア)"の二つ名の通り、細い眼の片方からは青、もう片方からは金色の瞳が覗いていた。

 

「やあ、久しぶりだねモリィ。"スラムの王様(スラムキング)"とパーティを組んでよろしくやっていると聞いたけど」

 

 何か言おうとしたモリィがぶふっ、と吹き出した。

 

「す、"スラムの王様(スラムキング)"って! あいつが? 似合わねえ! だ、だめだ、我慢出来ねえ! ひゃはははは!」

 

 そのまま腰を折って大爆笑するモリィ。

 リアスとカスミも何か言いたげではあるが、かろうじて我慢したらしい。

 

「実際そんなものじゃないか? それに『王様』と呼ぶ事にどういう意味があるか、君なら知っているんじゃないかい?」

「・・・」

 

 モリィが笑いを止めて"違い目"を睨む。"違い目"の愛想笑いは変わらない。

 

「それで、そろそろそちらの伯爵閣下とお付きのメイドさんも紹介して欲しいところだけどね」

「・・・!」

 

 目を鋭くするリアスとカスミ。モリィが肩をすくめる。

 

「まあ知ってるよな。おっさん、こっちがリアス・エヌオ・ニシカワ。そっちがカスミ。

 リアス、カスミ、こいつが"違い目"。多分メットーじゃ一番の情報屋だ」

「お初にお目にかかります、お二方」

「こちらこそ」

 

 立ち上がり、一礼する"違い目"。リアスとカスミも礼を返す。

 モリィ達に長椅子を勧めて自分ももう一度席に着いた。

 

「それで? カタギになってもう戻ってこないと思っていたけど、一体全体どういう風の吹き回しだい」

「単刀直入に言うぜ。"インヴィジブル・マローダー"の情報が欲しい」

 

 一瞬、僅かに"違い目"の目が見開かれた。

 

「・・・それは予想してなかったね。まあ、本気であれの情報を集めようと思ったら確かにここ以外はないか」

「で、どうなんだよ。それとも青い鎧にボコられて、盗賊ギルドもそろそろ看板か?」

「痛いところを突くね。確かに彼が現れて以来、いくつかの部署は開店休業状態だが」

「潰されたって素直に言えよ」

 

 "違い目"が肩をすくめる。

 盗賊ギルドは犯罪組織だ。当然、"青い鎧"は商売敵である。

 彼が現れて数年、強盗や殺人と言った類の犯罪者はほぼ一掃されていた。

 逆に人を傷つけなければ基本お目こぼししてくれるので、窃盗・スリ・詐欺や裏金融などの分野では未だに盗賊ギルドは隠然たる勢力を誇っている。

 

「とは言えその分他の部署で回さなきゃならないからね。ここはそれこそ大回転さ。

 人材育成で冒険者ギルドと一部業務提携しようという話も持ち上がってるよ」

「盗賊ギルドと冒険者ギルドがですか?! ・・・あ、申し訳ありません」

 

 思わず口を挟んでしまったリアスが頭を下げる。

 

「いや、今のはしゃーねーよ。あたしだって驚いた。

 けどあれだろ、冒険者に罠外しや隠密の技能を教えるとかそう言う話だろ?」

「ああ。今は個人的な技能教授に頼っているようだし、ダンジョンや遺跡を探索する限り技能屋(ローグ)の需要は絶えないからね。

 どこかで組織的な人材育成をする必要があるとあちらも思っていたみたいだ」

 

 ああなるほど、と今度は口に出さずにリアスとカスミが頷く。

 

「まあ本題に戻ろうか。実を言うと我々もあれに関してはほとんどつかめていない。

 なにぶん目撃情報自体がなくてね」

「そいつはつまり、犯人の姿が・・・」

 

 ぱちん、と"違い目"が指を鳴らした。

 

「さすが、気付いていたか。そう、見えないのさ。

 うちの配下の物乞いの目の前で事件が起きたことが二回ほどあるんだが、片方は被害者の体からいきなり血が吹き出して、そのまま青い鎧が来るまで何も起きなかった。

 もう片方は一瞬だけ姿が見えたらしいんだが、紫色の影としかわからなかった。

 "怪人(ヴィラン)"じゃないかって推測してる奴も少なくない。最低でも"透明化(インヴィジビリティ)"の呪文が使える光術師ではあるだろうね」

 

 ちらり、とカスミを見やる"違い目"。

 

「腕の立つ光術師なら透明化の術も見抜けるそうだけど、そんな人材は滅多にいるものじゃないからね。我々としても打つ手がないのが現状だ」

「はっ、なんだよ役に立たねえな。足の運び損だぜ」

 

 失望した、と露骨にゼスチャーで示すモリィ。

 "違い目"が再び愛想笑いを浮かべた。

 

「・・・何だよ?」

「いや、確かに"インヴィジブル・マローダー"そのものの情報は無いんだ。

 けど関係しそうな、重要な情報はある」

「勿体ぶるなよ。さっさと言え」

 

 苛立たしげにモリィが急かす。

 

「せっかちなのは良くないよ? 『あわてる乞食はもらいが少ない』ってのは冒険者族のことわざだろ?」

「知らねえよ。たまたまひい爺さんがそうだっただけだ。で? どんな情報なんだ?

 ここまで引っ張っておいて大した事がなかったら、額にもう一つ目を増やすぞ」

「ははは、こわいこわい。とは言え君たちも知っている話なんだけどね」

「あん?」

 

 いぶかしがる三人を楽しげに見つつ、"違い目"はもったいぶって告げた。

 

「吟遊詩人ジャリー。彼がね、頻繁に目撃されているんだ。通り魔事件が起きたのと同じ時刻、同じ場所でね」

「・・・・・・・・・・!」

 

 

 

 三人が無言で帰路につく。

 中央の大通りを越えて10分ほど歩いたあたりで、カスミが言葉を選びつつ口を開く。

 

「少なくとも、あの方が何か事件と関係しているのは確実でしょうか」

「そう・・・考えざるをえませんわね。ヒョウエ様のご友人を疑うのは気が引けますが」

「・・・」

「モリィ様?」

 

 カスミの呼びかけにモリィがハッと気付いた。

 

「ああ、悪い――今まで気付かなかったけどさ、あいつ犯人と戦ってたろ」

「ですね」

「それが何か?」

「他の事件では被害者を傷つけただけでさっと姿くらましてんのに、なんであいつだけ犯人と戦えたんだ?」

「――!」

 

 リアスとカスミの足が止まった。モリィも。

 三人が互いの顔を見交わす。

 

「やはり、ジャリーさんに話を聞く必要がありそうですわね」

「ヒョウエの奴からも、どういういきさつで知り合ったのか、その辺聞いておきてえな」

「とはいえ、現在警邏中ですからしばらくはお帰りになりませんね。ギルドでジャリー様の足取りがつかめれば良かったのですが」

「"違い目"のおっさんがつかめてない時点であたしらが捜すのは無謀だろうな」

 

 うーん、とリアスが口元に拳を当てる。

 

「もう一度ギルドに行って、彼を捜して貰うのはどうでしょう?」

「手かもしれねえがあんまりやりたくはねえな。あっちもプロだから何も聞いちゃこないが、『どうしてあたし達が"インヴィジブル・マローダー"の情報を欲しがるのか』ってことを今頃考えてるはずだぜ。

 二度三度と行けばそれだけこちらの手の内をさらすことになるし、そうしたらあのこともバレかねねえ」

「で、ございますね」

 

 この中では一番の情報のエキスパートであるカスミがうなずく。

 

「こちらから動けばそれだけ情報は洩れます。それに、賞金がかかっているわけでもないのに情報を聞き回るというのは冒険者として明らかに不自然かと」

「ですわね・・・」

「ただ、この場合は私どものリーダーがヒョウエ様と言うことが隠れ蓑になるかも知れませんが」

 

 リアスとモリィが同時に首をかしげた。

 

「どういうこった?」

「ヒョウエ様はスラムのまとめ役でいらっしゃいます。腕の立つ冒険者でもある。通り魔の被害を減らすために積極的に捕まえようとしてもさほど不自然ではないでしょう」

「あ、なるほど」

 

 そのまま三人は屋敷に戻った。

 リーザを介して警邏中のヒョウエにざっと結果を伝え、夕食時に改めて作戦会議。

 

「ジャリーさんがですか・・・」

「犯人に関わりがあるかどうかはわかんねえけど、"違い目"のおっさんが言うんだから間違いないと思うぜ」

「まあうさんくさい人だとは思ってましたけどねえ」

 

 サナ特製のレーズンパンを咀嚼しつつヒョウエが考え込む。

 

「ヒョウエくん、口にものを入れたまましゃべらない」

「はーい」

 

 パンを飲み込んでから返事するヒョウエ。

 とは言えジャリーを捜す手段が見つからない以上、話はまた振り出しに戻ってしまう。

 結局、今の態勢を続けてモリィ達とリーザが情報集めという事で話は終わった。



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03-10 地獄に堕ちた者のサーガ

 数日後。ヒョウエは例の人形劇のトランクを持ってスラムを歩いていた。

 しばらく同じ事ばかりやっているので気分転換に、と気を遣われたのだ。

 実際限界出力でないとはいえ、「青い鎧」状態を一日中維持する負担もそう軽くはない。休養は必要だった。

 

(一人で行動するのも久しぶりですね)

 

 サナやリーザに加えてここ一月ほどはモリィをはじめとする毎日戦隊エブリンガーの仲間がいつも一緒だったことに気付く。

 

(寂しいような気楽なような・・・まあたまにはいいですか、こういうのも。

 しかしこの名前を使うと何故みんな微妙な顔になるんでしょうねえ)

 

 首をかしげながら芸人の集まるいつもの広場に足を向ける。

 「定位置」に近づくとどこかで聞いたような声が聞こえてきた。

 

(おや)

 

「だからここ空いてるじゃないですか。どうして演奏しちゃダメなんですか?」

「あー、おめえさん新顔だな? ここは『領主様』の場所なんだよ。他の奴が使っちゃいけねえことになってるのさ」

「領主様って・・・噂の"スラムの王様(スラムキング)"ですか!?」

 

 こげ茶色の髪の少年、ハーディが驚いた顔になる。その手には例の「悪魔のバイオリン」。

 ひげ面の中年・・・近くで屋台をやっているおっさんがここぞとばかりに両手を広げて深刻そうな顔を作る。

 

「おうともよ。雲を突くような大男で腕は丸太よりも太い。基本的には優しいお方だが、自分の邪魔をする人間は容赦せずにぶっ潰す恐ろしいお方でもあるんだぜ!」

「えええ・・・」

 

 明らかにからかっており、周囲の人間も笑いをこらえているのだが、からかわれている方はそれに気付いていない。

 

「じゃ、じゃあ僕は・・・」

「かなりヤバいな。ご自分の席を取られたと知られたらどんなに怒り狂うことか。おめえさんなんざ、親指と人差し指だけで頭をプチッと・・・」

「?」

 

 恐ろしげな表情を作って少年を脅かしていた中年男の言葉が途切れた。

 固まった表情の、その視線の先にはニコニコ笑う魔術師姿の少年。

 笑みを含んだ哀れみの視線が中年男に集中する。

 

「どうしました、アーサー? 続けて下さいよ、ねえ。親指と人差し指だけで頭をどうするんです?」

「あ、いや、そのですな・・・」

 

 冷や汗を流すアーサー。ハーディが振り向いて目を丸くする。

 

「え、ヒョウエくん?」

「や、どうも、お久しぶり」

「えっと・・・どういうこと?」

 

 ハーディはそこでようやく周囲の微妙な雰囲気に気付いたらしい。

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

「かつがれたんですよ。アーサーも、知らない人をからかうのはほどほどに」

「へ、へい・・・ひょっとしてそちらのお人は・・・」

「まあ友人ですね」

「し、失礼いたしましたーっ!」

 

 脱兎の如く逃げ出すアーサー。周囲から笑いが起きる。

 

「・・・」

 

 しばらく固まっていたハーディが再起動する。

 ぎぎぎぎ、といつぞやのような動きでハーディがヒョウエを見た。

 

「あの・・・ひょっとして"スラムの王様(スラムキング)"って・・・」

「まあ、僕のことらしいですね。正直似合わないにも程があるとは思うんですが」

「ええええええええええええええ~~~~~~~~~~~~!?」

 

 広場に驚きの声がひびく。

 周囲の通行人がそれを見て笑っていた。

 

 

 

「うーん、まさかヒョウエくんがスラムの王様だったなんて・・・」

 

 驚きの余韻冷めやらぬハーディが嘆息した。

 石畳のへりに座りながら二人で串焼きをかじっている。

 先ほどのアーサーがお詫び代わりに差し出してきたものだ。

 ヒョウエが苦笑する。

 

「単なる地主ですよ。まとめているのは長老衆ですしね」

「でもこのスラム全部でしょ? 凄いお金持ちなんだね」

 

 ハーディがうらやましそうに眼を細めた。

 

「大体借金ですよ。冒険者稼業でいくら稼いでも追いつきやしない」

「うーん、でもやっぱりすごいよ。それだけ稼げるんだから」

 

 羨望と称賛が混じった視線にヒョウエがむずがゆそうに身をよじる。

 照れ隠しに食べ終えた串をぴんと弾くと、街角のゴミ箱に見事に飛び込んだ。

 

「おー」

 

 ハーディがパチパチと手を叩く。

 立ち上がったヒョウエが気取って一礼した。

 

「それはともかく、今日はこの辺で演奏するんですか?」

「うん、そのつもりで顔役の人にも挨拶してきたけど場所が無くて・・・」

「それならまた一緒にやりませんか? 今日は僕の人形劇の伴奏と言うことで」

「え?」

 

 

 

「うわあ・・・」

 

 ヒョウエのトランクから様々な人形が飛び出す。

 次いでトランクがバラバラに分解して、人形劇の舞台が組み上がっていく。

 初めて見た大半の人間がそうであるように、ハーディも目を丸くしている。

 既に最前列に陣取ってる子供達も目を輝かせてそれに見入っていた。

 

「今日は"悪魔の如き(デヴィリッシュ)"ユウの妖精の娘との出会いの下りだけどわかります?」

「あ、それならわかるよ」

 

 "悪魔の如き(デヴィリッシュ)"ユウ。2000年ほど前のオリジナル冒険者族で、《投擲の加護》で名高い。体長6mの巨大虎十二匹を投石で打ち倒した話が特に有名だ。

 英雄となった彼は妖精の娘と恋に落ちるが、彼に恨みを持つ歪んだ妖精(ツイステッド・エルフ)の手によって石像にされ、魂は地獄に落ちてしまう。

 百年後呪いは解け、冒険の旅の末に再び出会った二人は今度こそ結ばれる・・・というのが大まかな筋書きだ。

 

「それぞれのシーンで盛上がる曲、静かな曲、悲しい曲、おどけた曲とかをそれぞれつけて貰いたいんですよ」

「わかった、やってみるよ、ありがとう!」

「いえいえ」

 

 

 

 伴奏付きの人形劇は意外なほどに盛上がった。

 観客が喜んでいたのはいつも通りだが、盛り上がり方がはっきり違う。

 

(うーん、やっぱり音楽の有無は大きいですねえ)

 

 数時間の上演を終え、観客の拍手。

 銀貨を数枚ハーディに渡す。

 

「はい、今回の演奏料です。後僕がいない時はこの場所使っていいですから」

「えっ!? でもおひねりがないのにお金は・・・」

「僕はおひねり貰わないことにしているので。でもハーディはそれだと困るでしょう?」

「・・・ありがとう」

 

 手にした銀貨を握りしめ、ハーディはそれだけを口にした。

 

「あ。そう言えばハーディ」

「な、なに?!」

 

 いきなり話しかけられてハーディが慌てる。

 

「ジャリーさんいるでしょう。あの派手なギター弾きの。最近見ませんでした?」

「ジャリー・・・ジャリーさん?」

 

 びくん、とハーディが震えた。

 手にした"悪魔のバイオリン"の杖頭の悪魔の目がぎょろりと動き、口を開く。

 

『ハーディ』

「あ、ああ・・・」

『ハーディ。ハーディ・・・』

「と、父さん・・・」

「ハーディ?」

 

 ヒョウエがいぶかしげに名前を呼ぶ。

 バイオリンの悪魔は、ただの人形の顔だ。

 

「ご、ごめんヒョウエくん。僕急いでるから・・・」

「ハーディ?」

 

 いぶかしがるヒョウエの顔を見ることもなく、ハーディは一目散に走り去る。

 その姿はあっという間に雑踏に消えた。



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03-11 引力

「・・・・・・・・・・」

 

 ハーディが走り去り、しばし呆然としていたヒョウエがハッと再起動する。

 

「アーサー、すいませんけど舞台と人形見ててください!」

「え? は、はい!」

 

 屋台の親父に荷物を頼み、杖にまたがって宙に舞い上がる。

 

「・・・いない?」

 

 夕方近いスラムの街路は買い物客や早めに仕事の終わった労働者などでごった返していて、こげ茶色の髪の少年の姿は見えない。

 とは言えそんなに長く呆然としていたわけでもなく、あの勢いで走っていったならどこか目の端にでも止まるはずだ。

 

(どこかの路地にでも入りましたか? ・・・"失せもの探し(センス・ロケーション)"でも覚えておけば良かったですね)

 

 前回擬態する怪人に奇襲された経験から、ここしばらくは"透明感知"や"隠身看破"のような呪文を集中的に勉強していたのだが、うまく行かないものである。

 似たようなものだと思うかも知れないが、微妙に系統(スキルツリー)が違うのだ。

 

「あーもう、こうなれば・・・」

 

 半ばやけで、役に立ちそうな感知系の呪文を片っ端から唱える。

 

「"生命感知(センス・ライフ)"」

「"オーラ感知(センス・オーラ)"」

「"感情感知(センス・エモーション)"・・・・・・・うっ」

 

 少しくらっと来てヒョウエが目を押さえた。

 今ヒョウエの目には生物の放つ生命力、霊的なオーラ、加えて感情の色がいっぺんに映っている。

 慣れていないとややつらい。

 だがそれを何とか抑えて、上空を飛行しながら通りと路地を見渡す。

 

「ハーディの様子は明らかにおかしかったし、何か異常でもあれば・・・」

 

 そのまま数分、周囲を飛び回ったヒョウエの目に異様な「色」が飛び込んできた。

 明らかに人のものではない霊気。

 通りを覗き込む路地から発せられてるそれは――

 

 

 

 ふわり、とヒョウエは路地に降り立った。

 またがっていた杖を地面に突く。

 一応「戦闘態勢ではない」というサイン。

 

 気配を感じたのか、その人物が振り向いた。

 貴族のような衣裳に、辺りを払うロックスターのような華やかな雰囲気。

 ふわりと膨らんだ金髪にやせぎすのハンサム。

 吟遊詩人、ジャリー。

 

 ヒョウエを認めたその目が笑みの形に細められる。

 肩をすくめて出て来たのは、いつも通りの軽口。

 

「おや、これはこれは領主殿。――その顔付きからすると、ばれてしまったかな?

 いやはや、参った参った。"大魔術師(ウィザード)"の二つ名も伊達ではないようだね」

「ばれたというのは何ですか? あなたが楽士じゃないことか、それとも外見を10才くらい若作りしている事ですか?」

「ちょっ・・・いくらなんでもそれはひどいんじゃないかね!?

 私は正真正銘楽士だし、まだ若い! 君と10才くらいしか違わないはずだぞ?!」

 

 余裕のある態度を崩さなかったジャリーが、割と本気でムキになる。

 それを十秒くらい頭のてっぺんから靴の先まで視線を動かして。

 

「ハッ」

 

 ヒョウエが鼻で笑った。

 ジャリーの目が据わる。

 

「少年、それは宣戦布告と取っていいかな?」

「これは失礼。つい反射的に」

「いいかね少年。今は確かに水もしたたる美少年だろうが、歳を食ったら必ず容色は衰えるんだ! 君だって20年30年したらデブハゲの見苦しいおじさんになるんだぞ!」

 

 熱弁を振るうジャリー。

 無邪気な笑顔でそれを聞き流すヒョウエ。

 

「なるほど、確かにそうですね。

 まあジャリーさんは10年したらデブハゲのおじさんになるわけですけど」

「私はいいんだよ! 気を遣ってるから!」

「気を遣ってても限界はあるでしょう。大体今だって40近いのを化粧で誤魔化したりしてるんじゃないですか?」

「しつこいな君は! 私はナチュラルメイクだよ!」

「ハッ」

「笑ったな? また笑ったな!?」

 

 大人げなくヒョウエを睨み付けるジャリーと、意地悪そうな笑みを浮かべるヒョウエ。

 二人はしばしにらみ合っていたが、やがてどちらからともなく表情を元に戻した。

 

 ヒョウエはわずかに厳しさを帯びた無表情。

 ジャリーはいつものとらえどころのない笑み。

 

「・・・」

「・・・」

 

 更にしばし、二人が見つめ合う。

 先に沈黙を破ったのはジャリーだった。

 

「それで? 私に用があったんじゃなかったのかね」

「ええ。ハーディの様子がおかしかったので、追いかけて来たらあなたがいまして」

「ハーディくんならあちらの路地にいるよ。心配なら早く行ってあげたまえ」

「そうですか。で、あなたは何故ここにいるので?」

「・・・」

 

 答えは無言。変わらぬ笑み。

 

「質問を変えましょうか、ジャリーさん」

「何かね、ヒョウエくん」

 

 ヒョウエの目が細まった。

 

あなたは怪人なんですか(・・・・・・・・・・・)?」

「・・・」

 

 それは質問ではなく、ほぼ確認だった。

 ジャリーの笑みが大きくなる。

 地面に立てていた杖を、ヒョウエが斜めに構えた。

 それと同時、壁際に立っていたジャリーが体を傾けて壁にもたれかかる。

 

「!?」

「それじゃ、また」

 

 それだけを言い残して、ジャリーがもたれかかった壁にするりと潜り込んだ。

 壁が僅かに波打ち、水面のようにジャリーの体を飲み込む。

 ヒョウエが駆け寄った時には、もう壁はただの漆喰の壁だった。

 

「~~~」

 

 とん、と杖の石突きを地面に軽く突く。

 念動波が地面や周囲の構造物を伝わっていく。

 念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

 だが、ジャリーらしき手応えはない。

 地面や壁に触れているなら、たとえ地面に潜っていてもわからないはずはないのだが。

 

「くそっ」

 

 軽く悪態をついてきびすを返す。

 通りに出て、先ほどジャリーが指した方角にむけて足早に歩く。

 本当にハーディがいるのであれば、今はそちらの方が重要だった。

 

 

 



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03-12 ソアラとレア

 

『ハーディ。ハーディ・・・』

 

 闇の中に浮かぶ悪魔の顔。

 

(とうさん・・・)

 

『ハーディ。ハーディ・・・はぁぁぁぁでぃぃぃぃぃいぃいぃぃぃ』

 

 怨念すら感じる悪魔の声。ハーディが苦しそうに体を抱いて膝を折る。

 

「う、うう・・・!」

「ハーディ、しっかり!」

「あ・・・え。ヒョウエくん?」

 

 気付けば路地で、魔法使い姿の少年に両肩を揺さぶられていた。

 何度かまばたきをした後、意識をはっきりさせるように頭を振る。

 

「大丈夫ですか?」

「うん、だと思う・・・」

 

 まだどこかぼんやりした様子にヒョウエが顔をしかめた。

 

「送っていきますよ。家はどこですか?」

「いや、いいよ、悪いし・・・」

「お気になさらず。今日はお休みですし。ほら、歩けますか?」

「あ、うん・・・」

 

 ハーディの右手を左手で引き、ヒョウエが歩き出した。

 ハーディはどこかおぼつかない足取り。左手には「悪魔のバイオリン」。

 

 

 

 ハーディの家はスラムの北側、数ブロックほど歩いた場所にあった。

 スラムではないというだけで、やはり豊かな層が住む地区ではない。

 木造の集合住宅の三階、部屋の扉を開けると、テーブルと椅子、寝わらのベッドくらいしかない粗末な部屋だった。窓にもガラスなどと言った豪勢なものははまっていない。

 あやとりで遊んでいた12才くらいの女の子二人が顔を上げた。

 

「お帰りなさい、お(にい)! ・・・え、誰その人!?」

「・・・お兄ちゃんのお嫁さん?」

「「いや、それはないから」」

 

 真顔のヒョウエとハーディの声がハモった。

 一瞬で正気に戻ったあたり、数ヶ月前の「初恋」の痛みはまだ尾を引いていたらしい。

 

「ど、どうぞ・・・」

「ありがとうございます」

 

 赤茶けた髪の妹が水の入ったコップをテーブルに置く。

 にっこりと礼を言われて赤面。

 テーブルの反対側、兄の袖を掴んでいる青い髪のほうも僅かに頬を染めている。

 

「先に紹介しておこうか。こっちの青いのがレア、そっちの赤いのがソアラ。

 レア、ソアラ、彼がヒョウエくん。ほら、人形を買う時に手伝ってくれた魔法使いのお兄さんだよ」

「あー・・・!」

「よろしく、レア。よろしく、ソアラ」

 

 ヒョウエがにっこりと微笑むと、また赤面。

 

「ほら、二人ともお礼は?」

「あ、ありがとう!」

「ありがとうございました・・・」

 

 赤面しつつも元気よく礼を言うソアラ。

 兄の袖を更に強く掴みつつ、消え入るような声音で礼を言うのがレア。

 対照的な姉妹であった。

 二人の顔を見やりつつハーディが笑みを浮かべる。

 

「親が二人とも早く死んじゃってね。今は三人暮らしなんだ。

 父さんが残してくれたこれのおかげで何とかやってるんだよ」

 

 ちらりと「悪魔のバイオリン」に目をやる。

 

「お父さんも楽士だったんですか」

「みたい。余り話してくれなかったけど」

「今はハーディがレアとソアラのお父さん代わりというわけですね」

 

 何の気無い言葉に、ソアラとレアが顔を見合わせた。

 

「お兄ちゃん、お父さん・・・?」

「あはっ、ないない! 頼りないもの!」

「あはは・・・」

 

 身も蓋も無いソアラの言葉に、ハーディが困ったような顔で笑みを浮かべる。

 くすりとヒョウエが笑った。

 

「そう言えば今日はどうして道化(ハーレクイン)広場に? 普段は別のところでやってるんでしょう?」

 

 まずは無難な話題を振る。先ほどのことと言い、ジャリーが見守っていたことと言い、何かあると勘が告げていた。

 

「うん、普段は西の大通りの"鳩と鷹"広場で演奏してるんだけど、ほら最近通り魔、なんて言ったっけ・・・」

「インヴィジブル・マローダーだよ、お兄」

「そうそう、それのせいかお客さんがめっきり少なくなってさ。

 道化広場はまだ賑わってるって聞いてそっちでやってみようかなって」

「あー」

 

 インヴィジブル・マローダーが出現して以来、ヒョウエはスラムの自治会に働きかけて自警団のパトロールを頻繁にさせるようになった。

 他の地区でも王都の警邏がパトロールを強化しているが、スラムではそれに加えて自警団の姿をちょくちょく見る。それが安心感に繋がっているのかもしれなかった。

 

「ヒョウエくんはいつもあの場所で?」

「いつもと言うほどはやってませんね、冒険者稼業の方が忙しいので。借金返さなくちゃいけませんし、貧乏暇無しですよ。

 ――最近は半月に一回か下手すると月一回ですし、そう言う事ならハーディもそうですけど他の人にあの場所を使って貰ったほうがいいのかなあ」

 

 腕を組んで考え込むヒョウエ。

 今度はハーディが笑う。

 

「もうちょっとわがままになってもいいと思うよ、ヒョウエくんは。

 スラムの王様なんでしょ? 自分用の場所なんてかわいいものじゃない」

「え、ヒョウエお兄ちゃん王様なの?」

「すごーい!」

 

 苦笑してぱたぱたと手を振る。

 

「ただの地主ですってば。どこでそんなあだ名がつくんだか」

「じぬし?ってなに?」

「大家さんってことだよ、ソアラ」

「えっ、じゃあたくさんお家賃もらえるんだ!」

 

 目をきらきら輝かせるソアラに、ヒョウエは今度こそ吹き出した。

 

「家賃は取ってませんよ。スラムに住んでる人たちは、ソアラよりもっともっとお金がない人たちですからね」

「えー」

「お、お金のない人たちからお家賃取っちゃだめだよソアラ・・・」

 

 露骨に失望した顔になる姉妹をなだめるレア。

 

「だって私たちは大家さんに毎月お家賃払ってるのに!」

 

 耐えきれずにヒョウエとハーディが笑い出した。

 

 

 

 ひとしきり笑いを収めた後、二人と妹たちはたわいもない話をした。

 ソアラはおはじきがうまいだの、レアは人参が苦手だの・・・

 

 だが、その裏でヒョウエの不安は跳ね上がっていった。

 理由は判らないが、和やかな雰囲気の中でいやな予感だけがどんどんと膨らむ。

 

 夕日が窓から差し込む。

 まぶしさに眼を細めた一瞬、ヒョウエは気付いてしまった。

 

 不安を感じさせていたのは、異常を覚えていたのはヒョウエの術師としての魔力感知能力だと言うことに。

 その不安の元が、今目の前で笑っている友人から発せられていることに。

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・・!)

 

 表情に出さず、内心で苦悩しつつもヒョウエは無言で呪文を発動した。

 

("オーラ感知(センス・オーラ)")

 

 ヒョウエの視界に物体や生物の放つ霊気が捉えられるようになる。

 

(っ・・・!)

 

 わかってはいた。

 多分無意識で察していたのだと思う。

 だがそれでも答えを突きつけられてヒョウエはショックを受ける。

 

 ハーディは、"怪人(ヴィラン)"だった。

 

 



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03-13 インヴィジブル・マローダーを追え

 バイオリンの悪魔の目がぎょろりと動いた。

 

『ハーディ・・・気付かれたぞハーディ・・・』

 

 ひげの下の口が動く。闇の奥底から響いてくるような声。

 

(とうさん!? こんなところで!)

 

『ハーディ・・・お前のつとめを思い出せハーディィィィィ・・・!』

 

(ソアラとレアもいるんだよ!?)

 

『はぁぁぁぁぁでぃぃぃぃぃ・・・!』

 

 

 

「とうさん、ダメだとうさん・・・」

 

 何かをぶつぶつと呟いて頭を抱えるハーディ。

 バイオリンの悪魔は、彼以外の目にはただの木の彫刻のままだ。

 

「お兄ちゃん?」

「ハーディ・・・?」

 

 気取られないように、自然に杖をたぐり寄せる。

 だが一瞬遅い。

 

「きゃあっ!?」

「ソアラ!?」

 

 座っていた妹をはじき飛ばし、ハーディの手が「悪魔のバイオリン」を掴む。

 そのまま窓の木戸をはね飛ばして、少年の姿は外に消えた。

 

「ハーディ! ・・・くっ!」

 

 即座に追おうとしたヒョウエだったが、足を止めてはじき飛ばされたソアラのかたわらにしゃがみこむ。

 幸い怪我などはしていないようだった。

 

「大丈夫ですか? 痛いところは?」

「だ、だいじょうぶ・・・でも・・・」

「・・・」

 

 まだ混乱している。レアも同様だ。

 

「お兄さんを連れ戻してきます。それまで部屋から出ないように。いいですね?」

「は、はい」

 

 かろうじてレアが返事をするのを確認すると、ヒョウエも窓の外に飛び出した。

 

 

 

 外に飛び出すと同時に飛行の呪文を発動する。

 "オーラ感知(センス・オーラ)"によって強化された視覚が、視界の端の異様な霊気を捉えた。

 一瞬で路地に消えたが見間違いようがない。

 屋敷にいる幼なじみの少女の顔を念じる。

 

(リーザ! リーザ!)

(ヒョウエくん? 言っておくけど・・・どうしたの?)

(怪人、おそらくインヴィジブル・マローダーが見つかりました。僕と同じくらいの年格好、こげ茶色の髪の少年です。頭のついた杖のような楽器を持っています。

 現在「ほうれん草とカッテージチーズ」通り、"幽霊(スペクター)"広場の手前あたりを東に向かって移動中。モリィ達に連絡を)

(う、うん、わかった!)

 

 モリィには"巨人(ギガント)"事件のあとに、リアス達には"ムラマサ"事件のあとに、それぞれ銀の護符を作って渡してある。リーザが心の声で呼びかける目印になる魔法の護符だ。

 既に接続が確立しているヒョウエとサナに比べるとやや時間はかかるが、確実にモリィ達に伝わるはずだった。

 そこで接続を切って追跡に専念。三階の高さを維持しつつ、東に飛ぶ。

 

(・・・速い!)

 

 通りを矢のように走り抜けていくハーディ。

 最初に大きく離されたとは言え、ほぼ全力で飛行するヒョウエが未だに追いつけない。

 それでも少しずつ距離を詰めていくうちに、奇妙なことに気付く。

 

 通りを走り抜けるハーディに、誰も気付いていないのだ。

 すぐ横を通り過ぎても風を感じる程度で、大半の通行人は存在自体に気付かない。

 

(やはり透明化してるのか? オーラ感知の呪文がなければ、僕も見つけられませんでしたかね、これは・・・・む)

 

 通りの向こうからカスミが駆けてくるのが見えた。かなり後方にはモリィをかついで走るリアス。一人で先行してきたらしい。

 

(白の甲冑着てるリアスはわかりますけど、やっぱりカスミって何か特殊な修行してますよねえ・・・っ!)

 

 カスミがヒョウエを視認した。

 直後ハーディがカスミとすれ違い、カスミが驚いた顔になる。

 そしてその一瞬後、ハーディは東西に走る「ほうれん草とカッテージチーズ」通りから、南北に走るノーマン司祭通りを北に曲がった。

 舌打ちして地上のカスミに手を伸ばす。

 

「きゃっ!?」

 

 カスミの体がふわりと浮いて、ヒョウエの腕に収まった。

 そのまま杖の前に乗せて急旋回。

 

「二人を待ってたら見失いかねません。このまま追跡を続けます!」

「は、はいっ!」

 

 頷くカスミの頬が僅かに赤い。

 そのまま二人は飛んだ。

 

 

 

「先ほどのが怪人だったのですか!?」

「む・・・やはりカスミにも見えなかったんですか?」

「はい。念のために透明化を見破る術も使っていたのですが」

 

 飛行して追う二人。

 いまや距離は100mを切っている。

 通りの先の方、走るハーディを指さす。

 

「あの辺にいますが、見えますか?」

「・・・見えません。周囲の人の動きで何かいるのはわかりますが」

 

 目をこらすがやはりカスミには何も見えない。

 ヒョウエも、この頃には自分が見ているハーディは彼の形をした霊気であり、ハーディの肉体自体は見えていないことに気付いている。

 無言で速度を上げる。

 75m、50m、25m・・・いよいよ距離が詰まる。

 

「術で捕縛します。援護を」

「かしこまりました」

 

 高度を下げ、右手を伸ばす。

 

「っ!?」

 

 七重八重に絡みつく、不可視の念動の糸。ハーディの動きが止まった。

 同時にカスミが飛び降りてクナイを抜き、降りてきたヒョウエをかばう位置に立つ。

 

「"魔力解析(アナライズ・マジック)"」

 

 呪文を発動し、ヒョウエがハーディにゆっくりと近づく。

 魔力を分析する呪文の効果は、ハーディの体の中に明白な魔力の核・・・安定化したコアがないことを示していた。

 

 周囲がざわつき始めた。いきなり空から降りてきた魔法使いと小さなメイド。

 ただ、彼らにはハーディの姿が見えないために何をしているのかは理解出来ない。

 

 それを横目でちらりと見て、再度念動の手応えを確認する。

 怪人だけあって高い魔力を持っているようではあったが、ヒョウエの術を弾けるほど並外れたものでもなければ、ムラマサのように魔力を喰らう力を持っているわけでもない。

 

「カスミ、これから彼のコアを安定化させて、引き抜いてみます。

 うまく行けば怪人化を解除できるはず」

「お一人でですか? 危険では」

「大丈夫ですよ。どのみち安定化は一人ででしかできませんし」

「ですが・・・」

 

 心配そうに見上げてくるカスミの頭にぽんと手を置いてにっこりと笑う。

 軽く撫でた後手を離し、振り向いて左手をハーディの体に当てた。

 その時。

 

「え?」

 

 ぎょろり、と悪魔の目が動いた。



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第三章「こんな世界なんて」
03-14 偽りの王都


 

「神様が何で世界と人間を作ったかって? さあねえ、寂しかったんじゃないかな」

 

 

                          ――無名の旅の神官――

 

 

 

 

 

 気がつくと、ハーディが消えていた。

 周囲の通行人たちも、何事も無かったかのように流れている。

 さらに夕暮れ時だった空は昼とも夕方とも、くもりとも晴れともつかない、うすぼんやりとしたものになっていた。

 

「ふむ。となると・・・」

「ヒョウエ様、これは一体?」

「カスミ!?」

 

 ヒョウエが驚いて振り向いた。

 今まで立っていた同じ場所に、やはり困惑した顔でカスミが立っている。

 

「カスミも一緒に・・・? しかし、この状況を考えるとそれしか・・・」

「あの、できれば状況を説明して頂けるとありがたいのですが」

「おっと、すいません」

 

 考え事に没頭してしまうのは我ながら悪い癖だと思いつつ、以前ダンジョンコアに取り込まれた事をカスミに話す。

 

「規模が違うとはいえ、ダンジョン・コアと怪人(ヴィラン)のコアは同じもの。神の想念の泡です。

 同じ事が起きてもおかしくありません。ただ、接触した僕だけじゃなくカスミまで飲み込まれたのは少し意外でしたが」

「ではここは王都の通りそっくりのなんというか、作られた世界と言うことでしょうか。この人々も?」

 

 やっぱり理解が早いなと微笑みつつヒョウエが頷く。

 

「多分そうだと思います。どういう理由でそうなったのかはわかりませんが」

「では?」

「ええ。とにかくコアの中心にたどり着いて、安定化させます。

 それがこの世界から脱出する、今のところ唯一の方法でしょう。ついてきてください」

 

 身を翻し、歩き始める。

 カスミがとてとてとついてきた。

 

「そちらにコアがあるのですか?」

「いや、適当です。彼の家がそっちにありますからね。

 ここは王都そっくりだけど王都じゃないから、どっちに進んだら中心に向かうかはわからないし、多分どっちに進んでも中心にはたどり着けるんです」

「そういうものですか・・・」

「なにぶん前例が少ないもので。本でも具体的な事はほとんど書いてないんですよね」

 

 なるほどと頷いた後、カスミが少しためらってから口を開いた。

 

「そのですね、ヒョウエ様」

「はい」

「今彼とおっしゃいましたが、インヴィジブル・マローダー・・・いえ、怪人の事をご存じなので?」

「あー・・・そう言えば説明していませんでしたよね」

 

 少し重い溜息をつきつつ、ヒョウエはハーディのことを説明しだした。

 

 

 

「そうでしたか・・・話を聞く限りでは本当に普通の方にしか思えませんが」

「悪人だから怪人になる、と言うわけではありませんからね。

 ただ、精神的に異常のある人がそうなる確率は高いようです」

 

 無人のノーマン司祭通りを南に歩きつつ、二人が話す。

 

「もしくは一時的にでも理性が飛んでいたり、生死の境にいたり、病弱だったりして抵抗力の・・・うーん?」

「どうかなさいましたか?」

 

 歩きながらヒョウエが周囲に目をやる。

 

「いや、さっきの話のダンジョンコアではしばらく歩くと過去の情景が・・・」

 

 言葉の途中で周囲が白く染まった。

 

 

 

「この馬鹿が! 何度間違えれば気が済む!」

 

 ひげ面の男が10才くらいの少年をひっぱたく。少年の髪はこげ茶色。

 

「ご、ごめんなさい父さん・・・」

 

 打たれた頬を抑えて少年がうつむいた。

 その横には「悪魔のバイオリン」。

 

「もう一度だ! 最初から!」

「は、はい」

 

 語気荒く命じる男の右手は激しく震えている。手の甲から肘にかけてひどい傷跡。

 かつては腕利きの楽士だったのかも知れない。

 その手で人を感動させる音色を紡いでいたのかもしれない。

 だが今その手は、楽器を弾く弓を持つ事すらできそうになかった。

 

 情景が変わった。

 みすぼらしい一室、中央に12才くらいのハーディが立っている。

 邪悪な笑み。別人かと思うほどの。

 

 伸ばした手の先には異臭を放つ白煙を上げる、なにかどろどろしたもの。

 どこか人の形をしているようにも見える。

 布きれや、靴の皮の切れ端のようなものがどろどろした何かに浮かんでいる。

 

 後ろには涙を浮かべて震える赤と青の姉妹。

 邪悪な笑みを浮かべたハーディが振り向く。

 びくっと、姉妹が身をふるわせた。

 

「が・・・がが・・・!」

「お兄!」

「お兄ちゃん!?」

 

 ハーディの動きが止まった。

 苦悶の表情で頭を抱え、その場に崩れ落ちる。

 ソアラとレアが駆け寄った。

 

 

 

 ハッと二人が白昼夢から醒めた。

 顔を見合わせる。

 

「今のは・・・」

「ハーディの過去の記憶、ですね」

「あのドロドロに溶けていたのはもしやとは思いますが・・・」

「流れからしてハーディのお父さん、でしょうか? 断定はできませんけど」

 

 言ってからしまったと思った。

 カスミの顔から血の気が引いている。

 

「・・・」

 

 いかに忍び、いかに才能豊かといえども、まだ12の少女である。

 ずっとリアス付きだったならば、修羅場や無惨な死体に接した経験が豊かというわけでもないだろう。

 

(配慮が足りませんでしたね)

 

 一瞬目を閉じて、カスミの前にしゃがみ込む。

 

「すいません、カスミ。気遣いが足りませんでした」

「いえ、そんな・・・きゃっ」

 

 しゃがみ込んだまま、カスミを抱きしめる。

 その体は僅かに震えていた。

 抱きしめたまま、優しく肩を叩く。

 

「大丈夫、大丈夫ですよ、カスミ。僕がついてます」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 カスミは何かを言おうとしたが、結局口にはしなかった。

 目を閉じて、ヒョウエの抱擁に身を委ねる。

 しばらく二人はそうしていた。

 

 

 

 カスミの震えが止まってしばらくしてから、ヒョウエは抱擁を解いた。

 どちらからともなく身を離す。

 カスミが少し頬を染めて頭を下げる。

 

「その、ヒョウエ様。ありがとうございました」

「いえ、僕も無思慮でした。ただ、恩に感じてくれるなら一つお願いを聞いてくれませんか」

 

 うん?とカスミが首をかしげた。

 

「構いませんが、なんでしょう?」

「今の事はリアスにはないしょにして置いて下さい。リアスを差し置いてカスミを抱きしめたとなったら、嫉妬に狂った彼女に斬り殺されかねませんからね?」

 

 ヒョウエのウィンク。

 

「・・・はい、かしこまりました」

 

 一瞬唖然とした後、カスミが可憐に微笑んで頭を下げた。

 



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03-15 情報収集

「うーん。違いましたか」

「こちらの方々が・・・?」

「ええ、ハーディの妹さんたちです」

 

 二人は集合住宅のハーディの部屋にいた。

 テーブルではソアラとレアがにこにこ笑っている。

 

「ソアラ、レア。お兄さんがどこに行ったか知りませんか?」

「お兄は仕事だよ!」

「夕方になったら・・・帰って来ると思います」

 

 にこにこ。

 

「だめそうですね」

 

 溜息をつく。カスミも頷いた。

 その瞬間、再び光が走った。

 

 

 

 情景が流れていく。

 今いる部屋で、三人揃って食事をする兄妹。

 食事は粗末なものだが、楽しげな顔で笑っている。

 

 兄の演奏を眼を細めて聞いている妹たち。

 手拍子で演奏に合わせている。

 

 妹たちのおままごとに付き合う兄、怒るソアラとたじたじになるハーディ、それをなだめようとするレア。

 再び光が走った。

 

 

 

 気がつくとハーディの部屋の外にいた。

 

「・・・もう一度入りましょうか?」

「その必要は無いでしょう。余り踏み込んでいいところでも無さそうです」

「で、ございますね」

 

 溜息をついてからカスミがヒョウエを見上げた。

 

「この後はどうしましょう? 歩き回るには王都は少々広すぎますが」

「んー・・・」

 

 考え込むヒョウエ。その脳裏に、十数分前にハーディと交わした会話の内容がよぎる。

 

「"鳩と鷹"広場に行きましょう。いつもそこで演奏していたようですし、そうでなくても誰か知っている人がいるかもしれません」

「"鳩と鷹"広場ですか。ええと・・・」

「西の大通りと"鷲男"通りの交差するところですね。ここからだと北に2街区(ブロック)、西に3街区(ブロック)ですか」

 

 すらすらと答えを出すヒョウエに少し尊敬の眼を向けて、カスミは頷いた。

 

 

 

 "鳩と鷹"広場。

 ここもやはり市が立ち、大勢の人が行き交っている。

 ところどころに芸人の姿。

 

 光が走る。

 ハーディの記憶であろう情景が再現される。

 悪魔のバイオリンを演奏して、そこそこの拍手を貰うところ。

 その日の稼ぎが少なくて、とぼとぼと家路を帰るところ。

 親切な屋台の老婆に「妹さんに」と売れ残った菓子を貰って喜ぶところ。

 タチの悪いのに絡まれ、暴力を振るわれたところ。

 そうした日常の情景がいくつか流れた後、ヒョウエたちは元の広場に立っていた。

 

「・・・取りあえず周辺を探しましょうか」

「・・・はい」

 

 十分ほどかけてざっと広場を回るが、気弱そうな少年の姿はなかった。

 

「やはりいませんね」

「ですか」

「そうなると地道に聞き込みしかありませんか。他に心当たりがあるわけでもなし」

 

 面倒くさいな、と唸る。

 心得はあるが不特定多数との接触はおっくうなヒョウエであった。

 

「そう言う事でしたらお任せ下さい。それなりに心得はございます」

「そうですか? じゃあお願いします」

 

 少しほっとして頷く。まあ忍者って元々スパイですしそのへんも・・・などと考えていたところでいきなりカスミががばっと地面に伏せて泣き出した。

 

「うわああああああああああん!」

「え?」

「おい、どうした」

「なんだなんだ」

 

 周囲に人が集まってきた。

 カスミががばっと上半身を起こす。

 その目からは本物の涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。

 

「わたしがお仕えしている貴族のお嬢様が鞭でぶつのです! 私を裸にして、背中を!

 今日もハーディさんという楽士の方を夕方までに連れてくるようにと命令されて、連れてこられなかったら鞭でぶった後、裸で一晩中外にいろと・・・!

 親切な術師様に助けて頂きましたが、お家の方にもいらっしゃらず、こちらにいなかったら私、鞭でぶたれてしまいます!」

 

 12才の少女の真に迫った演技に、周囲はすっかりだまされて同情の色を濃くしている。

 

「なんて奴だ」

「ひどい主人もいたもんだなあ」

「貴族ってなそんなもんさ。おい、誰か知らねえか?」

「僕くらいの年格好で、こげ茶色の髪の少年です。人の顔のついた楽器を持ってます」

 

 ヒョウエが説明すると、周囲が再びざわめき始めた。

 

「ああ、そいつなら見た事があるぜ」

「今日は誰か見たか?」

「昨日は来てたけどなあ」

「あー・・・」

「なんです?」

 

 かなり年かさの、老人と言っていい年齢の屋台の店主がひげをしごく。

 

「ちょっと待ってくれ、ええと・・・そうだ、あのけったいな楽器! 悪魔のバイオリンと言っとったな?」

「! ええ、そうです! ご存じなんですか?」

 

 喜色を浮かべるヒョウエを手で制し、老人がこめかみをもむ。

 

「そのハーディとか言う小僧ではないが、20年ほど前、そう言う楽器を演奏する楽士に会ったことがあるんじゃ・・・どこだったかな・・・」

 

 しばし沈黙が周囲を覆う。

 目を閉じて必死に何かを思い出そうとしている老人。

 ややあって、指をパチンと鳴らす。

 

「そうじゃ、"マロニー"じゃ!」

「裁判所通りの酒場ですか?」

「そうそう。そこでやせぎすの男が演奏しておった。髪は濃い茶色でな、無愛想な感じじゃったが腕は良かったの」

 

 老人と周囲の人々に礼を言って二人はその場を離れた。

 一街区ほど歩いたところで、ちらりとカスミに目をやる。

 涙はとっくに乾いており、顔には泣いていた痕跡すらなかった。

 ヒョウエの視線に気付いたカスミがクスリと笑う。

 

「何でしょうか、ヒョウエ様?」

「いえ、見事なものだなと」

 

 降参だ、と言った風に肩をすくめる。

 くすくすと、またしてもカスミが笑った。

 

「これでも忍びでございますので。そう言う事も一通り仕込まれております」

「おお、こわいこわい。・・・にしても、意地悪なお嬢様ですか? カスミを裸にひんむいて鞭を打つ?」

 

 面白げなヒョウエの声音。

 カスミが片目をつむり、指を一本口の前に立てる。

 口元は笑ったままだ。

 

「リアスお嬢様には秘密でお願いしますね?」

「二人だけの秘密が増えてしまいましたね」

 

 ヒョウエも楽しそうに笑う。

 そして二人は声を合わせて笑い出した。

 



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03-16 酒場"マロニー"

 王城から南門まで、王都の中央を貫く中央大通りを越えて、王都の東南部。

 比較的中流に近い層が住む地区にその酒場はあった。

 「マロニー」と下手くそな文字で看板が出ている。

 中に入ると赤ら顔の、頭のてっぺんが綺麗に禿げた親父が二人を見た。

 

「らっしゃい・・・うちのエールは子供にはきついぞ。それとも飯か?」

「いえ、ちょっと聞きたいことがありまして」

 

 ヒョウエが親指でコインを弾く。

 ちりん、と音を立てて銀貨がカウンターに転がった。

 親父が銀貨を取って本物なのを確かめる。

 

「・・・何を聞きたい?」

「20年くらい前に、ここに楽士がいたと聞きました。やせぎすでこげ茶色の髪で、悪魔の顔のついた奇妙な楽器を弾いていたと」

「ああ・・・いたな。息子と娘二人と、四人で上の部屋借りて住んでたよ。

 8年くらい前に怪我して弾けなくなって、引き払ってそれっきりだ」

「ふむ・・・部屋を見せて頂けます?」

 

 更に銀貨を二枚。

 

「金を払ってくれるなら構わんよ。元々貸すための部屋だ。好きなだけ見ていってくれ」

 

 肩をすくめて店主がコインをしまい込み、鍵束を取りだした。

 身振りでついてくるように指示して、二階への階段に向かう。

 頷き合って、ヒョウエとカスミは後についていった。

 

「ここだよ」

 

 店主が鍵束で部屋の扉を開ける。

 一歩下がった店主の横を通り、ドアを開ける。

 その瞬間白い光があふれ出し、世界を塗りつぶした。

 

 

 

 部屋の中は、ありがちな宿屋、あるいは下宿の一室だった。

 ベッドが一つ、テーブルが一つ、椅子がいくつか。

 今のハーディ達の部屋と大して差はない。

 そこに、一組の家族がいた。

 

 30絡みの痩せた男が一人。ハーディによく似た8歳くらいの少年、ソアラとレアに似た幼女たち。

 まかないであろうスープとパンだけの食事だが、楽しそうに笑っている。

 食事を終えて片付けようとしたとき、ソアラとレアが父親の演奏をせがみ始めた。

 

「ねえねえお父さん、あくまのおじさんー」

「あくまのおじさん・・・私も聞きたい・・・」

「悪魔のバイオリンだよ、ソアラ、レア」

 

 ハーディが苦笑して訂正するが、ソアラは自説を曲げない。

 

「だっておじさんじゃない! あくまのおじさん!」

 

 父親が笑いながら悪魔のバイオリンを手に取る。

 

「まあいいけどな、おじさんで。何が聞きたい?」

「たのしいやつ!」

「えーと、めがみさま・・・」

「『収穫の女神(タリナ)の踊り』か。わかった」

 

 演奏が始まる。

 軽快なメロディと、チリンチリンという涼しげな音。そこに挟まるトントン、という太鼓の音。

 子供達三人が手拍子を打ち、それに合わせる。

 

 渋みのあるいい声で父親が歌い出す。

 子供達も、つたないながらそれに合わせて歌う。

 父も、息子も、娘たちも。

 全員が楽しそうに笑っている、幸せな家族の情景。

 

「・・・」

「・・・」

 

 だがヒョウエとカスミはその先を知っている。

 この僅か二年ほど後の彼らがどうなっているか。

 更にその後に何が起きるのか。

 幸福の情景を見つめながら、二人の表情は沈痛だった。

 

 

 

 光が走り、過去の幻視(ヴィジョン)が消える。

 

「え、これは?」

「・・・おや」

 

 光が収まった後、酒場の部屋は消えていた。酒場の主人も。

 周囲の情景は一変しており、宮殿か貴族の館の廊下のようであった。

 

「ここは・・・?」

 

 油断無く周囲を見渡すカスミに、少し憂鬱そうな顔でヒョウエが答える。

 

「ジュリス離宮・・・僕の実家ですよ」

「・・・!」

 

 珍しく、カスミが目を丸くした。

 

「失礼しました。しかし何故? ここはハーディ様の心の中だと思っていましたが」

「いえ、想定していてしかるべきでしたが、コアが見せるのは取り込んだ人全員の心の情景なんです。つまり、僕やカスミのそれが映し出されても何ら不思議はありません」

「そうですか・・・」

 

 固い顔でカスミ。

 それには気付かないふりをして、ヒョウエが言葉を続ける。

 

「とにかくここも歩き回ってみましょう。見かけが違うだけで、ここもコアの中であることには違いありません。とにかく動いていれば中心に近づくはずです」

「はい」

 

 カスミが頷くのを確認してヒョウエは歩き出した。

 

 

 

 しばらく無言で歩く。

 離宮とは言え王都の一街区に匹敵する面積を持つこの建物は、敷地だけでも500m四方の広さがある。時折すれ違う使用人たちが、ヒョウエに恭しく頭を下げていた。

 

「・・・どちらへ向かっているのですか?」

「僕の部屋です。とりあえず」

 

 ヒョウエの部屋に向かう間、白い光が二度走った。

 書庫に引きこもる本の虫。

 王族に義務づけられた様々な技術の習得。

 サナやリーザとの日常。

 子供ながら王族故の人付き合いの煩わしさ。

 そんな情景が流れていく。

 

「・・・」

 

 それらの情景がなかったかのように、ヒョウエは足取りをゆるめずに先に進む。

 そしてダンジョンの奥底でモリィも見た、友達を見殺しにした少年の慟哭。

 

「・・・・・・・・・・・・・・!」

「気にしないで進んで下さい。大丈夫です」

 

 凄惨な情景に思わず立ち止まるカスミを促して、ヒョウエは進む。

 カスミが慌てて後を追った。

 

「ここです」

 

 ノックもせずに扉を開く。自分の部屋なので当然だが。

 

「お帰りなさい、ヒョウエく・・・様。そちらの子は見た事がないですけど・・・お客様のお付きの人?」

 

 10才くらいのリーザが頭を下げてヒョウエたちを迎えた後、首をかしげた。

 ヒョウエが16才に成長している事には違和感を抱かないらしい。

 

「リーザ。私たちだけなのですから、いつもの調子で構いませんよ」

 

 涼やかな声が部屋に響いた。

 

「はい、奥様」

 

 リーザが照れたように笑い、対照的にヒョウエが身を硬くする。

 部屋の奥に一人の貴婦人が座っている。百人が百人絶世の美女と言ってはばからないだろう、そんな女性だ。傍らにはリーザと同じ髪色の女官。後ろには今より少し若いサナ。

 

「どうしました、ヒョウエ? あなたの部屋なのです、遠慮せずに入って来なさい」

 

 ヒョウエの母、ローラ・ラバン・ワルツ・ドネがにっこりと微笑んだ。



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03-17 母の面影

 微笑むヒョウエの母(ローラ)

 その笑みを覚えている。

 その美しさ、やさしさを覚えている。

 

 病に伏せる直前の、死ぬほんの半年ほど前の母。

 元気で美しかった最後の頃の母だ。

 

「母上・・・」

 

 かろうじてそれだけを口にした。

 カスミがその顔を見上げ、それからもう一度ローラを見た。

 母親似なのだろう、顔だちも、長く伸ばしたつややかな黒髪もとても良く似ていた。

 

「どうしました、ヒョウエ。あなたがそんな顔をするなんて珍しいですね」

「ヒョウエ様は色々とやんちゃでいらっしゃいますからね。強情っぱりも大概になさいませ」

 

 微笑む母。隣の女官――リーザの母でヒョウエの乳母――が口を出して、二人で笑う。リーザも笑った。後ろに控えるサナも、僅かに口元をゆるめている。

 

「それでヒョウエ、そちらのかわいらしいお嬢さんはどなたかしら?

 離宮では見ない顔だけれども」

「え・・・」

 

 カスミが僅かに目をみはった。

 カスミの知る限り、多くの貴族は使用人を基本「いないもの」として扱う。

 明らかに使用人の服装である少女に屈託なく話しかけたり、「お嬢さん」扱いしてくる貴人というのは――自分の主人を除けば――初めてだった。

 

「ニシカワ伯爵家のご令嬢に仕えるカスミです。ご令嬢とはぐれてしまったようで・・・カスミ、こちら僕の母上のローラ。乳母のマーサとその娘のリーザ、奥がお付きのサナ」

「よ、よろしくおねがいします」

 

 どのように接すればいいかわからず、とりあえず普通の貴族に対するように頭を下げる。

 

「戸惑うわよね、よそと違って。でもカスミちゃん、この方はそういうのが普通だから、そういうものだと思いなさい」

 

 乳母のマーサが笑う。リーザを大きくして恰幅を良くすればこんな風になるだろうか。

 ローラもつられて笑った。

 

「どうもね、あの人に見初められて大公妃なんてやってるけど、元々が自分でつくろい物もしなきゃいけない貧乏貴族の娘だったのよね。余り堅苦しいのは肩がこるのよ」

「は、はあ」

 

 カスミとしては何と返事をすべきかもわからない。

 

「まあ、こう言う人なので諦めて下さい」

 

 自分の母親に初めて会う人間は大体こうなる。ヒョウエは苦笑して肩をすくめた。

 

 

 

 本人が言った通り、ヒョウエの母は下級貴族の出身だ。

 よく言えば融通無碍で天衣無縫、悪く言えば天然ボケな人で、ヒョウエの父とは互いに一目惚れし合った、大恋愛の結果の結婚であった。

 ヒョウエ自身も子供の頃「いやあ、下手をすれば王位継承権を取り上げられるところだったんだよ」と父親が大笑いしているのを聞いたことがある。

 母親は一緒に笑っていたが、周りの人間が揃ってこわばった笑みを浮かべていたのも。

 リーザやモリィなら、この親にしてこの子ありと溜息をついただろう。

 

 ただ、こう言う母親だからこそヒョウエが歪まずに成長できたところはある。

 ヒョウエが生まれた時点でオリジナル冒険者族だということは判明していたし、彼らが強力な《加護》を持つと共にしばしば奇行に走る問題児であることも知られている。

 何より彼らは腹を痛めた子供でありながら、同時にこの世界の存在ではない「誰か」でもあるのだ。親兄弟から不気味がられて疎遠になる事は少なくない。

 (逆に利用価値のある「道具」として扱われることもあるが、大概の場合は逃げられたり反抗されたりしてひどいことになる)

 

 が、ローラはそんな事を全く気にしなかった。

 ヒョウエが奇行に走ろうとも、大人のようなしゃべり方をしようとも、我が子として慈しみ育てた。

 

 今にして思えば、そうした母の態度には随分救われていたと思う。

 向こうと全く同一人物としてこの世界に出現する転移者と違い、ヒョウエのような転生者は前世の記憶と意識を受け継いでいると同時にこの世界で生まれた赤ん坊でもある。

 赤ん坊の精神と大人の知識を併せ持ったアンバランスな存在なのだ。

 

 人にもよるが、大抵の転生者はこの両者を統合するのにそれなりの時間がかかる。早くて物心ついたとき、遅ければ思春期終わり頃。

 ヒョウエは生まれた時にオリジナル冒険者族だとわかっていたし、転生者としての記憶や自意識を持ち始めたのもかなり早くからだったから、周囲とはどうしても壁があった。

 

 父親もヒョウエを息子として愛してはくれたが、それでも僅かにはばかるところがあったから、赤ん坊としてのヒョウエが素直にのびのびと育ったのは多くが母のおかげだ。

 もっともリーザなどは「素直にのびのび育ちすぎ!」と文句を言うかもしれないが。

 

(・・・ですが)

 

 ヒョウエはそんな母親に何も返せなかった。

 抱きしめてくれた腕が熱を失い、泣きじゃくる涙をぬぐってくれた手が動かなくなるのを指をくわえてみているしかなかった。

 溢れんばかりの才能があるとは言え術師としてはまだ未熟だったヒョウエには、医神の神官たちも太刀打ち出来ない難病をどうすることもできなかった。

 

(得意な念動や物質変性ばかり学ばず、治療の呪文を集中して学んでいれば・・・)

 

 ひょっとして母親を救えたのではないか。

 今笑っているように、現実の世界でも母は笑っていられたのではないだろうか。

 いくら考えても意味のないその考えを、ヒョウエは捨てきれない。

 

 当時は本物の貧民街だったスラムでの炊き出しの帰りに倒れた母。

 珍しい病気だった。

 医神の神殿の診断記録にも僅か数例しか残っていない難病。

 治療法は不明。かかって生き延びた者はいない。

 

 どこがどう悪くなったわけではない。

 ただ当時医術の心得がなかったヒョウエにも、タガのゆるんだ木桶のように、母の命がどんどんしみ出してこぼれていくのがわかった。

 それでも母は美しかった。

 血色の失せた頬で、もうろくに見えていないだろう目でこちらを見た。

 父と二人で手を握ると微笑んだ。

 

「あなたたちは、体に気を付けてね」

 

 それが最後の言葉だった。

 父が泣くのを初めて見た。サナの涙を見たのも、多分あれが最初で最後だった。

 その後のことは良く覚えていない。ただ、リーザと一緒に沢山泣いたと思う。

 

「なあに。泣いているのですか、ヒョウエ?」

「泣いていません、母上」

 

 涙は頬を伝っていない。

 だが、ローラは立ち上がってヒョウエを抱きしめた。

 

「泣きたいときは、泣いていいのですよ」

「もう、沢山泣きましたから」

 

 笑顔。

 いつの間にかヒョウエの身長は母親より高くなっている。

 母を抱きしめ返し、そっと離れた。

 

「行くのですか」

「友達が待っていますから」

 

 ローラが眼を細めて微笑む。

 

「もう逃げてはいけませんよ」

「はい、決して」

 

 決意を込めた表情でヒョウエが頷く。

 ローラも微笑んだまま頷く。

 

「ではお行きなさい――ヒョウエ」

「はい、なんでしょう母上」

「大きくなったあなたを見れて嬉しかったわ」

「え・・・」

 

 ヒョウエが目を見開く。

 

「そうそう。私が死んだことをあんまり気に病んではいけませんよ。どうしようもないことだってあります。

 元気でね、わたしのかわいいヒョウエ」

 

 母上、と叫ぼうとして白い光が周囲を塗りつぶす。

 気がつくと、二人は宮殿のどこかの廊下に立っていた。

 

「・・・母上」

 

 伸ばした手が空を掴み、ヒョウエがうつむく。

 カスミにはしばらくそうしていたようにも思えたが、実際には短い時間だった。

 振り向いたときには、もういつものヒョウエの顔。

 

「それじゃ行きましょうか」

「・・・よろしいのですか?」

「言ったでしょう。友達が待っていますからね」

 

 ヒョウエが笑う。とくんと、カスミの心臓が少し跳ねた。



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03-18 スラムの王子様

 廊下を歩いて行くともう何度目か、白い光が走る。

 今度は広い豪華な部屋だった。

 先ほどのヒョウエの部屋も当然豪華な装飾が施されていたが、ここは更に一段上だ。

 部屋の中で対峙しているのは12才くらいのヒョウエと、30ほどのくすんだ金髪の男。筋の通った眉と鼻梁を持つ、いかにも若き王族と言った顔立ちだ。

 男――ヒョウエの父、ジョエリー・シーシャス・ジュリス・ドネが困惑した顔で叫ぶ。

 

「何を馬鹿な事を言っているのだ!? スラムが犯罪の温床なのは知っているだろう!

 十数年前の飢饉以来、難民が集まってきている! 衛生状態も悪い! このままにはしておけないのだ! わからんお前でもあるまい、ヒョウエ!」

「その間、スラムに住んでいる人はどうするんです! 城外に追い出すんですか!」

「・・・城外に集落を作ってそこに住まわせる」

「その間、兵士をずっと動員し続けるんですか?」

「それは」

 

 ジョエリーが言葉に窮した。

 前に述べたとおり、この世界ではたとえ首都の近くでも城外で魔物に出会う確率はゼロではない。ましてや体の弱い老人や女子供も多いのだ。

 城壁や軍隊の庇護なしには、いずれ嗅ぎつけられて襲われるのは間違いなかった。

 

「だから僕が買い取って、現状を改善します。時間はかかるでしょうけど、少なくとも今より悪化はさせません」

「炊き出しくらいでいいだろう。お前の領民というわけではないのだぞ」

「それでは根本的な解決にならないから申し上げているのです。だからこそ、陛下もスラムを一掃しようとされたのでしょう?」

「だからと言ってお前の心臓を質にとれというのか!」

「僕個人の財産というと今のところそれくらいしかありませんので」

 

 とん、と握った右手の親指で心臓の上を突く。

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。無限の魔力と高度な術制御能力を与える桁違いの《加護》にして生きたアーティファクト。

 実在したならば国家間のバランスを大きく崩すような、神話や伝説の中の存在。

 それがヒョウエの胸の中にある。

 金銭に換えるというならば、スラムどころか王都丸ごとでもまだ足りないだろう。

 

「陛下に申し上げて下さい。スラムから犯罪と貧困を撲滅します。少なくとも王都の他の区域と同じくらいに。ゆえに取り壊しと住民の追い出しについてご一考頂きたく、と」

「・・・」

 

 厳しい顔で息子を見下ろしていたジョエリーの口元がにやり、と笑みを作った。

 

「?」

「まあそこまで言うのだ、陛下に奏上はしてみよう――だがな、ヒョウエ。

 この件をお前に任せる条件として兄者がお前の心臓ではなく、カーラとの婚約を持ち出して来たらどうする?」

「う"っ!?」

 

 うろたえる息子に、してやったりの表情になるジョエリー。

 カーラはヒョウエの従妹で現王の四番目の娘だ。

 「兄しゃま、兄しゃま」となついてくる幼女の顔を思い浮かべてヒョウエが渋い顔になる。

 

「カーラはまだ四つじゃないですか! 大体妹みたいなものですよ、彼女は」

「王族の婚約としては別におかしなことじゃあない。俺だって一歳の時には婚約者が決まってたぞ? まあ物心つく前に死んだんで、存在自体随分後まで知らなかったがな。

 ローラが嫌がらなかったらお前だってとっくに婚約はしてたはずだ」

「それはまあ・・・そうかもしれませんけどねえ」

 

 ふだん子供らしからぬ息子が年相応の戸惑った顔をしてるのに、父親として微笑ましさを感じる。そこで何かを思いついたのか、ジョエリーが好奇の表情になった。

 

「そう言えばお前は前世の記憶があるわけだよな?」

「何ですか藪から棒に。それはオリジナル冒険者族ですからありますけど」

「いやな、お前は生まれ変わる前には大人だったわけだろう?」

「ええまあ」

「それだとやっぱり大人の女性じゃなければ恋愛対象にならなかったりするのか? カーラとの婚約を避けるのはそのせいか? だったらカレンなんかどうだ」

 

 ヒョウエが露骨に呆れ顔になった。

 カレンは第二王女でこちらは16才。こちらも子供の頃からヒョウエをかわいがってくれた従姉である。

 

「何を言うかと思えば・・・年の差以前にカーラは赤ん坊に毛が生えた程度の子供じゃないですか」

「世間一般から見ればお前も子供だがな。で、どうなんだ? カレンならいいのか?」

 

 んー、とヒョウエが少し考え込んだ。

 

「人によるのかも知れませんけど、僕は特にそう言うのはないですね。精神は肉体に引っ張られますから、まだこの体が色気づいてないってことでしょう。

 まあ元からあんまり惚れた腫れたには興味のない人間でしたけど」

「うーむ。まあ確かにお前は本が恋人みたいな人間だからな・・・ローラはそのうち好きな女の子も出来るだろうなどと言っていたが、父としては大変に心配だぞ」

 

 凄く嫌そうな顔になるヒョウエ。

 とはいえ、結婚して子孫を残すことの重さが現代日本とは比較にならないほど重要な世界であるのも理解してはいる。王族や貴族であればなおさらだ。

 というわけで肩をすくめて適当に茶を濁す。

 

「まあ相手はぼちぼち見つけますよ」

「俺が生きている間に孫の顔は見せろよ」

「・・・」

 

 実家に帰るたびに結婚や孫のことを言われるOLってこんな感じなのかなあと思うヒョウエである。

 と、ジョエリーの表情が再びにやついたものになった。

 

「まあスラムの件奏上はしてみるがな。婚約を条件にされてもうろたえるんじゃないぞ」

「本当に伯父上がそうするとお思いで?」

「ない話じゃあない。カレンもカーラもお前のことを気に入ってるし、兄者はあれで子煩悩だ――ま、人生には思いがけない苦難という奴がつきものなのさ」

 

 悪い顔で笑うジョエリー。

 

「おっしゃるとおりで」

 

 ヒョウエが肩を落として盛大に溜息をついた。

 

 

 

 光が走った。

 周囲は今度はスラム――カスミの知っている小綺麗なところではなく、本物の不潔で粗末な貧民街――になっている。

 目だけを動かして素早く周囲を見渡し、危険がないのを確認する。

 そのあとヒョウエをちらりと見上げた。

 

「なんです?」

「いえ、あの後結局どうなったのかと思いまして。王女様と婚約されたんですか?」

 

 ヒョウエがカスミの顔をまじまじと見た。

 

「・・・今その質問必要ですか?」

「あーいえ、その。参考のためにお聞きしたく」

 

 少し頬を赤らめてもじもじするカスミ。

 彼女が子供であり、冷静沈着な忍びであると思っていたヒョウエには結構意外な反応だった。

 

「カスミもそう言う話に興味があるんですか」

ロマンス(コイバナ)が好きじゃない女の子なんかいません!」

 

 頬を紅潮させたカスミが力強く断言する。

 反応に困る、といった表情のヒョウエ。

 

「カスミも女の子なんですねえ・・・まあ別に隠す事でもないですけどしてませんよ。そうでなかったら宮殿飛び出したりはしませんし」

「なるほど」

 

 少し残念そうな、少しほっとしたような顔のカスミ。

 その表情に疑問を抱きはしたものの、追求しない方が良さそうだと本能がささやく。

 無言のままカスミを促して、ヒョウエはまた歩き始めた。

 

 

 

 二人は人の行き交うスラムを進んで行く。

 人々の顔はあるいはすさみ、あるいは疲れ切っていた。

 街路にはゴミや汚物が散らかり、並ぶ家も小汚い。

 

「ここは・・・」

「四年か五年ほど前のスラムですね。僕がここを買い取ったときはこんなものでした」

 

(この人は、この四年間でどれだけのことをしてきたんでしょうか)

 

 再びヒョウエを見上げる。

 そのまなざしには畏敬の念が籠もっていた。

 

「なにか?」

「いえ、なんでも」

 

 カスミが微笑む。

 

「?」

 

 ヒョウエは首をかしげたが、さほど気にはしていないようだった。

 

「まあ、どうやって今のスラムになったかと言うことを知りたいなら、多分これから見られると思いますよ」

「そう・・・」

 

 そうですか、とカスミが答えようとしたとき、白い光が走った。



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03-19 ヒョウエ最初の冒険

「ヒョウエ様。このたびはスラムのもの一同、感謝にたえませぬ」

 

 狭く粗末な家の中、みすぼらしいなりの老人や中年達が一斉に膝を折る。

 いつの間にかヒョウエは椅子に座っており、カスミはその傍らに、斜め後ろにサナが控えていた。

 

(先ほどは外側からヒョウエ様を見て、その前と今回はヒョウエ様がヒョウエ様で・・・ころころ変わるのはどうしてでしょう?)

(わかりません。どういう理屈で決まってるんでしょうねえ)

 

 内心首をかしげながらもヒョウエが一同――スラムの長老たちに頷く。

 

「スラムの撤去はひとまず棚上げになっただけです。治安・衛生・問題を解決しなければ結局は実行されるでしょう。あなたたちの協力が必要です。

 ええと、長老さん、お名前は」

「ペリエ、と申します」

 

 最長老であろう、白ひげをたくわえた老人が頭を下げる。

 身なりはみすぼらしいが、物腰には高度な教育を受けたもの特有のそれがあった。

 

「ではペリエ。そのために必要なことはなんだと思いますか」

「貧しい者達への炊き出し、街路の清掃、住民の戸籍の作成、自警団の編成・・・色々とございますが、まずはスラムを我が物顔で荒らし回るごろつきどもの撲滅を」

「"アキレス"ですね」

 

 ヒョウエが記憶を辿って答えると、ペリエが驚いた顔になった。

 

「ご存じでしたか。頭目は《剛力の加護》持ちの乱暴者で、滅多なことでは手が出せません。まずはあれをどうにかしないことには何とも・・・」

 

 首を振るペリエにヒョウエは頷いて席を立った。

 

「では行きましょう、サナ、カスミ。僕たちの初仕事です」

「はっ」

「は、はい」

 

 サナはよどみなく、カスミも僅かに遅れてそれに従う。

 長老たちが驚いて身を起こした。

 

「い、今からですか?」

「大丈夫、知ってますから」

 

 微笑んでヒョウエは身を翻した。

 

 

 

 部屋から出た途端、情景が切り替わる。

 荒廃した、かつては豪華だっただろう屋敷の大食堂とおぼしき場所。

 いかにもな荒くれ、ごろつきたちが数十人ヒョウエたちを囲んでいる。

 

(あれ、ここは・・・ヒョウエ様のお屋敷!?)

 

 目をみはるカスミに軽く頷いて、ヒョウエは正面に視線を戻した。

 そこにいるのはぼさぼさ髪を長く伸ばした半裸の巨漢。手にはジョッキ。

 顔には青い隈取りのような刺青を入れ、2mを越す巨体は人食い鬼(オーガ)のような筋肉ではち切れんばかりだ。

 

「そうそう、そう言えばこんな感じでしたね。アキレスというよりヘラクレスかオリオンですが、どっちにしろ名前負けしてますか」

「女ばかりでやって来たと言うから会ってやったが・・・悪くねえなあ。おい、お前ら。この小娘は俺のだ。他の二人はお前らの好きにしろ!」

 

 舌なめずりするボス。周囲の手下どもから野卑な歓声が上がる。

 ぎらつく視線の大半は後ろのサナに集中していたが、ボスの視線はヒョウエに吸い付いて離れなかった。一部カスミに熱い視線を向けているのもいるが。

 ヒョウエが溜息をつくと、サナがくすくすと笑った。

 

「何がおかしい? お前達状況がわかってねえんじゃねえのか?」

「状況がわかってないのはあなたたちの方だと思いますよ」

「あ?」

 

 凄むボスを無視し、ヒョウエは説明を始めた。

 

「スラムを全て取り壊し、住人を城外に追放しようとする動きがあります。それを防ぐためにはスラムから犯罪をなくし、衛生環境を改善するのが最低限の条件になるんですよ。

 つまり、あなたがたが今まで通り暴れていたら、あなたたちも一緒に追放です」

「は? 知るかよ。んなもんよそに移ればいいだけじゃねえか」

「あなた方が盗賊ギルドからお目こぼしされてるのはここがスラムで、うま味のない場所だからですよ。よそで同じようにやったら、すぐ暗殺者がやってくるでしょうね」

「・・・」

 

 ボスが黙った。

 

「それとも取り壊しにくる王国軍と戦ってみますか? 彼らは強いですよ。警邏とは比べものにならない。何せ怪物やタチの悪い冒険者を相手にしてる人たちですからね。

 ちょっと《加護》が強いだけのチンピラなど相手にもならないでしょう」

「んだとぉ!」

 

 ジョッキを床に叩き付け、ボスが立ち上がって傍らの巨大な鉄棍(モール)を手に取る。

 周囲のごろつきたちも武器を抜いた。

 

「犯罪をやめて、まじめに働く気はないようですね」

「やれ!」

 

 ボスが吼えた瞬間、食堂の窓ガラスが一斉に割れた。

 

「なっ!?」

「ぎゃっ!」

「ぐわっ!」

 

 金属球に頭部を強打され、ボスを含めて十人近い男が意識を失って昏倒する。

 ほとんど同時にサナとカスミが動いた。

 

「かっ・・・」

「ひいっ!?」

 

 高く上がったサナの足が三日月のような曲線を描く。

 ごろつきどもの注意がそれた一瞬、サナのかかとが後ろにいた二人の顎を刈り、脳震盪を起こさせた。

 崩れ落ちる二人には目もくれず、左の男のみぞおちに左拳の一撃。

 拳がめり込み、体をくの字に折ったところに突き上げるようなアッパーカット。

 完全に意識を刈り取られ、三人目も倒れた。

 

(・・・鋭い! それにまるで後ろが見えているかのような・・・!)

 

 驚きながらカスミも手は止めない。左手から放たれた棒手裏剣が三人のごろつきの腕や肩に刺さり、動きを止めた。体を低くして踏み込み、すねを斬って無力化する。

 

 もちろんヒョウエの金属球も止まってはいない。

 十数秒後、50人近くいたごろつきたちは全滅していた。

 

「おい、お前達の仲間は他に何人いる?」

 

 足を斬られて歩けないごろつきの喉首をサナが掴み、片手で持ち上げる。

 

「こ、このほかに15人くらい・・・娼館とかにしけ込んでるのがいるから、この屋敷には後五人くらいです・・・!」

「よし」

 

 ヒョウエが床に手をついて念響探知(サイコキネティックロケーション)を発動しようとしたところで、倒れていたボスが素早く身を起こした。

 

「どけっ!」

「っ!」

 

 咄嗟に念動障壁で身を守るが、それでもかすっただけで吹き飛ばされた。

 サナが素早くカバーに入ってくれなかったらまともに食らっていたかもしれない。

 その姿が一瞬で扉の向こうに消えた。

 

「ヒョウエ様!」

「こっちは大丈夫! サナは!」

「問題ありません!」

 

 頷きあって後を追う。無論、カスミもそれに続いた。

 

 

 

 ボスは恐ろしく足が速かった。廊下には既に影も形も無い。

 長老は《剛力の加護》と言っていたが身体能力全般を強化するタイプかもしれない。

 

「地下室への階段です!」

 

 聴覚の鋭いカスミの指示に従って地下への階段を下る。

 地下室に飛び込んで、三人が一瞬目を疑った。

 

 誰もいない。

 石造りの広い地下室には色々な木箱や荷物こそあれ、人影はなかった。

 

「! そこの右の隅! 石畳の下に空間があります!」

 

 今度こそ念響探知(サイコキネティックロケーション)を発動したヒョウエが部屋の隅を指さす。

 

「ぬっ・・・!」

 

 駆け寄ったサナが持ち上げようとするが、鍛え上げた彼女ですらびくともしない。

 ヒョウエが指さすと分厚い石の板がふわりと持ち上がり、その下に階段が現れた。

 

 床に落とした石板がズゥン、と重い震動で床を震わせる。

 こんなに早く隠し通路を見つけられたのも、数百キロはあろうかという石板を軽々と持ち上げられたのも、ボスにとっては誤算だったに違いない。

 互いに顔を見合わせ、三人は暗い階段に飛び込んだ。



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03-20 悲しみのアキレス

 明かりもつけず、三人は階段を高速で降下していく。走っていては追いつけないと、ヒョウエの念動で飛行しながらの追跡。

 周囲に張った念動障壁が時折岩壁に当たってガリガリと音を立てた。

 

 前方に時折明かりが見え、ギャングのボスがいるのがわかった。

 カスミは忍者の修行である程度夜目が利くが、横の二人はそのカスミ以上に不自由していない様子で、僅かに首をかしげた。

 それに気付いたのか、ヒョウエが小声で説明を始める。

 

「僕は念動波というか、念響探知(サイコキネティックロケーション)の応用で大体周囲の物体が感知できます。

 サナ姉は《転移の加護》を持ってますけど、これは効果範囲内の空間を把握できるという、似たような効果があるんですよ」

「《転移の加護》なのにですか?」

「転移するには転移先の状況を把握していなければなりません。

 転移した先が石壁の中で、そのまま壁に塗り込められたら怖いでしょう?」

「・・・なるほど」

 

 想像してしまい、一筋汗を垂らすカスミ。

 クスリと笑って、ヒョウエは更に速度を上げた。

 

 

 

 階段を下りきるとそこは地下迷宮だった。

 正確に言えば古代の都の遺跡。

 現在では下水道として流用され、ところどころに汚水が流れており、建築物には溶解痕がある。

 

 そこを五分も飛ぶと、ようやくボスの背中が見えた。

 巨大な門の中に駆け込んだそれを追って、三人も門に飛び込んだ。

 

 

 

「これは・・・!?」

 

 サナが思わず叫ぶ。声に出しはしないものの、カスミも同じような状態だ。

 ボスの持つ明かりの魔道具に照らされたそこは広大な空間で、床も壁も金属とも石ともつかない奇妙で滑らかな素材でできていた。

 床も平面ではなく、壁際でカーブを描いて上昇して壁と繋がり、天井もその様になっている。中央に巨大な柱が立ち、その中央に柱の上下と繋がらない黒い球体が浮かんでいた。

 

(巨大なカボチャをくりぬいて中から見たらこんな感じでしょうか)

 

 一瞬抱いたそんな感想を、周囲に灯った明かりが中断させた。

 広い空間の奥から野太い笑い声が聞こえてくる。

 

「がはははは、一歩遅かったなあ!」

 

 床から震動が伝わってくる。

 柱の影から「それ」が姿を現した。

 身長5メートルの、黒光りする異形の巨人。

 各部には用途もわからない器具が取り付けられている。

 頭部の透明な窓からは"アキレス"のボスの顔がのぞいている。

 その瞳が、赤い光を反射して恐ろしげに光っていた。

 

「搭乗型具現化術式! それも真なる魔法の時代のアーティファクト!」

 

 喜色満面でヒョウエが叫ぶ。サナとカスミがげんなりした顔になった。

 一方でそんなことに気付かないボスは、満面の笑みで三人を見下ろす。

 

「ぐはははは、どうだ、泣いて謝るなら今のうちだぜえ。見ろよこれを!」

 

 ボスが具現化術式の右手を上げると、腕の一部が展開した。

 次の瞬間、まばゆい光の束がそこから撃ち出される。

 数秒間照射されたそれは三人の横を通り過ぎ、壁を溶解させて消えた。

 

「・・・!」

 

 超古代の建築素材を撃ち抜く威力に戦慄するサナとカスミ。

 

「ふむ」

 

 一方でヒョウエは興味深そうに眼を細めていた。

 

「さあどうする! 服を脱いで裸踊りするなら許してやってもいいぜ、メスども! ぐわははははははははあ!」

 

 勝利を確信してボスが高笑いする。その視線はやはりヒョウエに釘付けだった。

 ぎらぎらした視線を感じつつ、ヒョウエがぴっと指を立てる。

 

「二つほどよろしいですか?」

「あん?」

 

 馬鹿笑いをしていたボスがいぶかしげな顔になる。

 

「ひとつ。まずそれでは僕たちには勝てません」

「んだとぉ!」

 

 勝利を確信していたボスの額に青筋が浮かぶ。

 

「ふたつ。僕は男です」

「えっ」

 

 ボスの愕然とした表情。

 サナとカスミが思わず吹き出した。

 ヒョウエが肩をすくめる。

 

「う、うそだ!」

「本当ですってば。しょっちゅう間違えられるのは確かですけど、胸はありませんし、つく物もついてますよ?」

 

 ぱんぱん、とローブの胸を叩く。

 

「まあそう言う御趣味ならそれはそれで個人の自由ですから尊重しますが、できればお相手は別のところで見つけて頂きたく」

「う、うるせえ! お前みたいのが男な訳ねえだろうが! ひんむいて確かめてやらあ!」

 

 もはや涙目で叫ぶボスに、ヒョウエが再度肩をすくめた。

 

「サナ、カスミ、下がっていて下さい。僕の相手です」

 

 頷いて二人が素早く門の所まで駆け戻る。

 

「うおあああああああああ!」

 

 ボスが怒りと悲しみと虚無感と、色々なものが混ざりすぎてもはや形容できない叫びを上げる。

 同時に具現化術式が床を蹴った。

 おそらくは時速数百キロ、10メートルの距離を一秒足らずで詰める踏み込み。

 《目の加護》を持つモリィか、リアスなみの近接戦闘者でなければ対応できない速度。

 ヒョウエにこの速度に対応できる反応速度はない。

 

「?!?」

 

 だが床を蹴って0.5秒。

 ヒョウエから6m程のところで具現化術式が盛大にすっ転んだ。

 がしゃがしゃがしゃん、と凄い音がする。

 床を滑ってくるそれを、ふわりと浮かんでヒョウエが横っ飛びにかわした。

 

「な、なっ・・・?」

 

 広間の端まで滑っていって、具現化術式は止まった。

 何が起こったのかわからず、混乱しながらもボスが術式を立ち上がらせる。額からは血。

 ヒョウエは立ち位置が変わった以外は先ほどと変わらない自然体。

 

「・・・」

 

 少し用心深くなったのか、ボスはヒョウエの様子を窺って動かない。

 30秒ほど躊躇した後、ボスはまたしても具現化術式を突撃させた。

 

「ぐぶっ!?」

 

 結果は先ほどと同じ。

 何もないところでつまずいて転び、ボスも再び顔面を強打する。

 立ち上がったボスの、前歯が一本欠けていた。

 

「なんだ! なんだてめえ! 何しやがったんだよ!」

「さあ、なんでしょうね?」

 

 笑ってはいるが、種は下らないほど簡単だ。

 念動障壁で、術式の足元に"引っかけ罠(スネア)"を置いただけ。

 12才当時のヒョウエが使える魔術経絡は4つ。現在の半分以下の出力しか出せず、古代のアーティファクトを押さえ込めるかどうかはかなり微妙だった。

 それ故のトラップである。

 

「くそっ! 人が手加減してりゃいい気になりやがって!」

「別に手加減して下さいと頼んだ覚えはありませんが」

「うるせえ! 好みだからなんとか生かしてやろうと思ったが、男はいらねえ!」

「そう言う趣味だからって僕は差別しませんよ? 僕の趣味ではないですが」

「ブッ殺すっっっっ!」

 

 完全に頭に血が昇ったボスが、右腕の雷光射出機構を展開させた。

 間髪を入れず魔力の光が発射される。

 

「死ね死ね死ね死ねぇ!」

「「ヒョウエ様!」」

 

 ヒョウエの姿が光芒に飲まれ、さすがにサナとカスミが叫ぶ。

 だが二人があることに気付くのと、ボスが顔色を変えるのが同時。

 

「!?」

「これは・・・」

「二人とも、僕は無事ですよ。安心して下さい」

 

 魔力の光が切り裂かれていた。

 川の流れが二つに分かれるように、ヒョウエの手前で魔力光が二つに分かれている。

 

「念動障壁を三角形に張って、魔力の流れをそらしてるんです。さすがに真なる魔法文明の時代の遺物、正面から受け止めると辛いですがそらすだけなら何とか」

「くそっくそっくそっ! 消えやがれぇぇぇ!」

 

 のんきに解説するヒョウエ。更に頭に血を昇らせたボスが魔力光の出力を上げる。その目に赤い光が更にいくつも浮かぶ。

 数十秒間ほどか、連続で照射した後、魔力光がふっと消えた。

 

「え」

「あれ?」

 

 力を失った具現化術式がぐらりと傾き、激しい音と共に倒れた。

 

「おい! どうした! 何があった! 動け! 動けよ!」

「動きませんよ。真魔法文明時代の遺物とは言え、魔道具には違いありません。魔力無しで魔道具が起動するわけないじゃないですか」

 

 三度、肩をすくめるヒョウエ。

 その足元の床はYの字型にえぐられ、後方の壁も大きく溶解していた。

 

「いったい何が起きたんです?」

「なに、最初の動作で魔力不足だったのがわかりましたからね。多分最初に見つけた時に調子に乗って魔力光を撃ちまくったんでしょう。術式が警告を出していましたけど、彼には理解出来なかったんですね」

「・・・ああ」

 

 ところどころ溶解痕のあった地下の町並みと、ボスの目に浮かんでいた赤い光を思い出してカスミが頷いた。

 



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03-21 カスミの秘密

 

 白い光が走る。

 今度は街路、貴族が多く住む一角のようだった。

 行き過ぎる人々も裕福そうな格好をしているものが多い。

 例によって周囲をさっと見渡した後、カスミがヒョウエを見上げた。

 

「これは興味本位で聞くのですが、あの後どうなったんでしょうか、ヒョウエ様?」

「まあ特に面白いことはなかったですよ。ふん縛って警邏に突き出して、同様に犯罪組織を一掃した後に自警団を組織して、食料の炊き出しを大規模に行って、トイレを整備して街路を掃除させて・・・まあ色々です」

 

 肩をすくめるヒョウエ。

 カスミが呆れた顔で溜息をついた。

 

「ほとんど――いえ、領主様の仕事そのものじゃないですか。

 それはみなさんもヒョウエ様を領主様呼ばわりしますよ」

「僕はほとんど何もしてませんよ。やってくれたのは大体ペリエさんたちで。

 まあ炊き出しについては提供は僕と言うことになるかと思いますが」

「食材提供しているならそれはヒョウエ様の功績では・・・そう言えばあの地下の遺跡は?」

 

 珍しいことに、ヒョウエがちょっと自慢げに笑った。

 

「あれは今でも秘密基地として運用してますよ。"孤独の要塞"と言ったところですか」

「要塞はわかりますが、孤独なんですか?」

「まあ、ちょっとしたお遊びです、気にしないで下さい」

「はあ」

 

 カスミが曖昧な答えを返す。

 

「搭乗型術式以外に色々と便利なものもありましたし、結構助かってますよ。

 そのうち案内して上げます」

「はい、楽しみにしています」

 

 笑い合う。気を引き締め直し、改めて周囲を見渡した。

 

「貴族街のあたりですね。ええと・・・」

「ニシカワのお屋敷にそう遠くないあたりです。もう少し南へ行くと貴族の方々向けの商店が並ぶ一角ですね」

「ああ、そうでしたね。それでは・・・どっちでもいいですがニシカワのお屋敷の方に向かいましょうか?」

 

 カスミが硬い表情になった。

 しばらく無言になった後にもう一度ヒョウエを見上げる。

 

「ヒョウエ様、その・・・コアの中では私の過去や秘密も見えてしまうのでしょうか?」

 

 ヒョウエがカスミを見下ろした。

 その顔には、いつになく真剣な表情――そして僅かに恐怖のようなものが見える。

 ためいき。

 

「可能性はあります。ここは精神の世界ですからね。当人にとって重要な記憶、深刻な記憶であるほど見えてしまうようです。ただ、実際に見えるかどうかは運次第としか」

「ですか」

「ここで何を見ても口外はしませんよ。カスミをぶつ意地悪なご主人様の事もこみで」

 

 ヒョウエがウインクして人差し指を口元に当てる。

 カスミがやや無理をして笑顔を作った。

 

「そうですね。そう言う事でお願いします」

「はい、承りました」

 

 にっこりとヒョウエが微笑んだ。

 

 

 

 ニシカワ伯爵家の屋敷にはすんなり入れた。

 カスミが会釈したのみで、門番はヒョウエに注意を向けようともしない。

 

「先ほどの宮殿やヒョウエ様のお屋敷でもそうでしたけど、随分と都合の良い・・・」

「まあ夢ですからね。細かい矛盾は無視するんでしょう」

「そういうものでしょうかねえ」

 

 首をかしげつつ、カスミの足がふと止まった。

 正面にはヒョウエも覚えがある伯爵家の屋敷。

 右には木立の奥に、屋敷と同じくどことなく和風の館が建っている。

 

「どうしました?」

「いえ、正直どちらに向かうべきかと・・・」

「まあどっちでもいいんじゃないですか? いや、それとも向かう先次第で見えるものが違ったりするのかな」

 

 考え込むヒョウエ。

 それに何かカスミが言おうとして、白い光が走った。

 

 

 

 カスミの記憶は、一族の道場での鍛錬から始まる。

 物心つく前に既に鍛錬は始まっていた。

 

 走る、跳ぶ、泳ぐ、馬に乗るなどの基本的な体の動かし方。

 素手で戦う為の体術。

 苦無、棒手裏剣、忍者刀、その他含み針や捕縛術など武器の扱い。

 変装、情報収集、尋問、忍び足や鍵開け、一般常識やサバイバルの知識。

 そして一族に伝わる光の術。

 

 それらを毎日徹底的に叩き込まれた。

 辛いとは感じなかったと思う。

 周囲の一族の子供もそうだったから、そう言うものだと思っていた。

 農民の子供が土を耕し、鍛冶屋の子供が鍛冶を習うようなものだと。

 

 ただ、子供の頃から自分が一族の中でも特別扱いされているのは薄々感じていた。

 母のおかげか、それとも他の子弟に比べて明白に優れていたからそのせいかと、ぼんやりと思うばかりで特に気にはしなかったが。

 

「リアスお嬢様をお守りするのですよ、カスミ。それがあなたのつとめなのです」

 

 それが母の口癖だった。

 母は長い黒髪の美しい女性で、長の娘だった。

 物心ついて以来父はなく、聞いても「いずれ話すわ」と言うばかりで、であるならそういうものだろうとこれも素直に受け入れていた。

 

 6才くらいの頃だったと思う。ある日、ニシカワの屋敷のほうが騒がしくなった。

 離れになっている一族の館に出入りする大人たちも深刻な表情をしている。

 

「カスミ。ついてきなさい」

 

 鍛錬の後、母に呼ばれた。

 大広間に一族の主立ったものが集まっており、その中心に座らされた。

 長が上座に座り、一同が頭を下げる。

 

「多くのものは知っていると思う。今朝方、御当主様が亡くなられた」

 

 長の言葉に驚きの声は漏れなかった。

 一族の重鎮の一人が口を開く。

 

「レップウサイ様。何者かに殺められた、という可能性はないのですな?」

「ない。わしも御遺骸をあらためたが、あれは病だ」

 

 あくまでも確認だったのだろう、男も頭を下げてそれ以上は言わない。

 長がカスミに視線を投げる。

 周囲の大人たちも一斉にカスミに視線を集中させ、僅かに身をこわばらせた。

 

「硬くならずともよい。

 もう少し先にするつもりであったが、こうなっては伝えておいた方が良かろう」

「はい」

 

 思ったよりしっかりした声が出た。

 カスミの祖父でもある男は満足げに眼を細めて頷く。

 

「では心して聞くがよい。~~~~~~~~~~~」

 

 長の言葉は衝撃的なものではあったが、何故かすっと頭の中に入ってきた。

 驚きはしたが、心は意外なほどに揺れない。

 長がもう一度、満足そうにうなずく。

 

「それで、私はどうするのでしょうか。このまま鍛錬を?」

「いや、鍛錬は続けてもらうがお前には新たなつとめを与える。次期御当主たるリアス様につき、お守りせよ。表向きはリアス様づきの侍女と言うことになる」

「かしこまりました」

 

 深々と頭を下げる。

 

 

 

 三日後、カスミは真新しいメイド服に身を包み、伯爵家の廊下を歩いていた。

 幼い顔立ちと体つきでチョコチョコ歩くその姿は愛らしく、忙しそうに動き回る家人たちも僅かに頬をゆるめている。

 

 案内役の男がとある扉を叩き、一礼してから中に入る。

 同様に一礼してから中に入ると、お人形のような少女がいた。

 年の頃は十歳くらい、喪服らしきドレスを身につけていても、豪奢な金髪と生まれ持った気品が強烈な華やかさを放っている。

 

「ペドロ、その子が?」

「はい。カスミ、ご挨拶を」

「リアスお嬢様、カスミでございます。以後お側にお仕えいたします」

「そう、よろしくね」

 

 父を失ったばかりであろうに、少女はにっこりと笑う。

 その笑みが心にすっと染み入ってくるのを感じながらカスミは思った。

 この方が私の生涯の主であり――私の腹違いの姉なのかと。



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03-22 リアスとカスミ

 白い光が走る。

 二人は伯爵家の屋敷の廊下に立っていた。

 

「――――!」

 

 たった今見たものに衝撃を受ける。

 かろうじて口には出さないものの、流石にヒョウエも驚愕していた。

 そんなヒョウエをちらりと見上げてカスミがぽつぽつと語り始める。

 

「リアスお嬢様のお母君はお嬢様を産んで亡くなられました。

 その後お側にはべったのが私の母親で、ということらしいです。ですがその・・・」

「何か?」

 

 口ごもったカスミの頬が僅かに赤いのに気付く。

 

「そのですね、リアス様のお母君と婚姻なさる前、十代のそれも若い頃に、先代様と母は一時惹かれ合ってたそうで・・・あ、リアス様のお母君を愛していなかった訳ではないと思いますよ?! 母もそう言っておりましたし!

 ですがその、奥方様が亡くなられた後に寂しくなられた先代様に乞われて、そのですね・・・」

「焼けぼっくいに火が付いたと」

 

 苦笑するヒョウエ。赤面したカスミがこくりと頷いた。

 歩きながら二人は話している。

 

「元はと言えばお嬢様と私のように、子供だった頃の先代様に母が侍女見習いとしてついていたのだそうです。母が一族の長の血筋だったのもあると思いますが――」

「子供の頃からの付き合いで、自然と仲良くなって、家の都合で別れて、独り身になって障壁が消えて・・・見事なまでに恋愛もののメロドラマの設定ですね」

「まあそれは・・・そうですね」

 

 照れたように笑うカスミ。

 

「ですがそれを言うならヒョウエ様にもリーザ様がいらっしゃるではありませんか。

 実際のところどうなんでしょう?」

「えぇ・・・? そう来ますか・・・?」

 

 目をきらきらさせるカスミに、一転して渋い顔になるヒョウエ。

 とは言えカスミの事情を聴いてしまった上で口をつぐむというのも不公平な気がする。

 

「まあその・・・現状ではやっぱり友達ですね。ただ、結婚しろと言われたらそれはそれでという感はありますかねえ」

「何ですかそれは」

 

 残念を通り越して露骨に呆れた表情になるカスミ。

 いやむしろ、残念な人を見る目か。

 

「何ですかと言われても実際そんな感じですしねえ」

「そんな感じって、こう・・・何かもっとないんですか? 大事な人だとか他の男には渡せない、とか!」

 

(押しが強い!)

 

 ずいずいっ、と寄せてくる。

 普段控えめなカスミの、意外な姉との共通点を見るヒョウエである。

 割と本気で困る。

 

「そう言われても実際そんなものですし。大体そんな事言ったらリアスはどうするんです」

「それはそれ、これはこれです!」

 

(誰か助けてください)

 

 割と本気で天を仰いだ瞬間、白い光が走った。

 

 

 

 新しい主は何と言うか、「かわいい」人だった。

 まじめで優秀、他人に優しく自分に厳しく、使用人にも分け隔てしない。

 人格的にも能力的にも非の打ち所がない。

 

 ない、はずなのだが・・・どこか抜けているのだ。

 まあもちろん十歳そこそこの子供だし、箱入りのお嬢様でもあるので至らない所があるのは当然だ。

 

(けど、召使いの結婚祝いに新品の砥石はないと思う)

 

 古い斧で薪割りに苦労していた所を見たから、らしいのだが、流石にあの時は周囲が総出で止めた。

 贈られるところだった当人は豪快なたちで、「それはそれで嬉しかったかもな、わはははは!」などと笑ってはいたが。

 

「結婚祝いに砥石というチョイスもそうですが、いっそ新しい斧を贈れば良かったのでは」

「あ」

 

 真っ赤になってしばらく固まっていた主はちょっとかわいかった。

 

 

 

 またしばらく後のある日。

 どこかの貴族が家族を連れて館を弔問に訪れ、リアスが年の近い長男のお相手をすることになった。

 概ね大過なくホスト役をこなしていた(一緒に遊んでいたともいう)のだが、そろそろ帰るかという頃になって彼がリアスに結婚を申し込んだ。

 子供同士の微笑ましい一幕と言えばそれまでで、普通ならここから交際が始まったりしても良さそうなものだが、リアスは

 

「ニシカワ家は武門の家! わたくしより弱い方には嫁げません!」

 

 と言い出して木剣での試合を望んだ。

 相手も武門の家で、それなりに腕に自信があったのが災いした。

 「はじめ」の声が響いた瞬間、リアスの木剣に頭を割られて卒倒してしまったのだ。

 

 微笑ましげに試合を見守っていた両家の人々や家臣が真っ青になり、大騒ぎになった。

 互いに武門の家であるのと相手側から言い出した事でもあるので深刻な問題にはならなかったが、リアスは当然のように叱られた。

 

「何が悪かったのでしょう・・・怪我をさせてしまったのは申し訳ないことをしましたが、間違ったことはひとつもしてないと思うのですが」

 

(これは本気で言ってますね)

 

 部屋に引き取ってから首をひねるリアス。

 反省はしていた。だが理解はしていなかった。

 

(ああ、要するに脳筋なんだこの人)

 

 腑に落ちて、大きく頷くカスミ。

 リアスがまた首をかしげた。

 

「何です、カスミ?」

 

 カスミの目が光った。

 

「よろしいですか、お嬢様?」

「な、なんでしょう」

 

 思わず召し使い相手に敬語を使ってしまうリアス。

 かわいい妹のようだと思っていた娘がちょっと怖い。

 

「武門の家でございますし、決闘するのも相手を負かすのもするなとは申しません。

 ただ、向こうの面目というものもお考え下さいまし。ましてや怪我をさせるなど!」

「そ、それは真剣な立ち会いであればしょうのないことで・・・」

「お嬢様は一介の兵士ではございません。伯爵家の当主となられる方です。

 武芸や礼儀だけでなく、政治もたしなまねばならないお立場なのですよ。

 コーストさまもおっしゃっておられたでしょう」

 

 眉間に皺を寄せた、リアスの守り役の老人の姿を思い出すカスミ。

 彼も十年間ずっとこんな苦労をしていたのだと思うと頭が下がる。

 

「じ、じいやは今は関係ない・・・カスミ、何か眼が青くて怖いのだけれど・・・」

「話に集中して下さい、リアスお嬢様」

「アッハイ」

 

 

 

 白い光が走り、二人は再び伯爵家の廊下にいた。

 何とも言えない表情でカスミを見下ろすヒョウエ。

 カスミが恥ずかしげに身を縮こまらせた。

 

「まあその何と言うか・・・大変でしたね」

「そのですね、リアス様も一杯いいところはあるんです。

 お優しいですし、まじめですし、自分より人のことを優先されますし。

 困った人を見過ごせないたちですし、わたくしども召使いの名前も全員覚えておられますし、いつだったかご自分の昔の服を色々と私に着せて下さいましたし・・・」

 

(それはカスミを着せ替え人形にして愛でていただけなのでは)

 

 眉を寄せるヒョウエには気付かず、カスミのフォロー?はヒートアップしていく。

 

「買ってきたお菓子を分けて下さいますし、私どもが粗相をしてもたしなめるだけで決して声を荒げたりはしませんし・・・」

「はいはい、カスミがリアスのことを大好きなのはわかりましたから、その辺にしておいて下さいませんかね。正直砂糖を吐きそうです」

 

 肩をすくめると、カスミがハッと気付いてうつむいた。顔が赤い。

 ヒョウエが微笑ましそうにその頭をなでてやった。



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03-23 ヴィラン・コア

 

 その後も何度か白い光が走った。

 流れる情景のほとんどがリアス絡みだったが、指摘はしなかった。

 それでも自覚はあるのか、カスミはますます身を縮こまらせていたが。

 

 やがて何度目かの白い光が走ると、微妙に雰囲気が違う場所に出た。

 

「ここは・・・貴族の館のようではありますが」

「ニシカワのお屋敷ではありませんね。私が覚えてない時代のお屋敷という可能性もありますが・・・」

 

 首を振りつつ歩き始める。

 しばらく歩くと、扉が光っていた。

 

「・・・ここに入れと言うことでしょうか?」

「これまでのそれとは違うと言う事かもしれませんね」

 

 頷きあって、ヒョウエが扉を開ける。

 白い光が走った。

 

 

 

 部屋の中は館の主の居間だった。

 内装からしてそこそこ裕福な貴族の家。

 

 館の主人らしい40がらみの男、息子らしい14才ほどの金髪の少年。

 テーブルを挟んで庶民らしい20才ほどの若い痩せぎすの男。

 少し離れた所に召使いらしき赤髪の若い女性が座っていた。

 

 当主らしき男が頭を下げる。

 

「頼む、ゲイロ。お前しかおらんのだ。うんと言ってくれ」

「・・・若様が手をつけた女性を引き取れというのですか」

「デイビットには未来があるのだ! 召使いに手を出して孕ませたなどと!」

 

 黙って聞いていた少年がたまりかねて口を挟んだ。

 

「嫌だよ父さん! 僕は彼女を愛しているんだ! 一緒にいたいんだよ!」

「黙れ痴れ者が!」

「あうっ!」

 

 当主が息子に平手打ちを食わせた。

 息子は頬を手で押さえて黙り込んでしまう。

 

(どこかで見たような・・・若い男の方も)

 

 ヒョウエが首をかしげている間にも話は進む。

 

「わかりました、この話お受けいたします」

「おお、やってくれるか! この借りは忘れないぞ! ユーリもそれでいいな?」

 

 こくん、と赤髪の女性が首肯する。

 

「ユーリ!」

 

 悲痛に叫ぶ少年。赤髪の女性、ユーリがそれを見やった。

 その顔にはどんな表情も浮かんでいない。

 

「その辺にしておかれませ、坊ちゃま。あなたとのことなど所詮は遊びです。

 まあ色々と頂きまして懐が温かくはなりましたが」

「そんな・・・!」

 

 淡々と告げるユーリ。

 少年は気付いていないが、膝の上で握った拳が震えている。

 だがゲイロの方はそれに気付いたようだった。

 

「そうかそうか、ユーリはわきまえておるな! お前を手放すのは惜しいぞ!」

 

 こちらも気付いてないのだろう、上機嫌の当主。

 ユーリが無言で頭を下げる。

 

「うぐっ!」

「ぐうっ!?」

 

 その瞬間、金髪の少年とユーリが短い悲鳴を上げて身を折った。

 少年は胸を、ユーリはおなかを押さえている。

 

「む?!」

 

 顔をしかめていたヒョウエが目を見張った。

 カスミも僅かに眉をひそめている。

 

「ヒョウエ様、今魔力が・・・」

「カスミも感じましたか」

 

 光の術専門のカスミにも、僅かながら魔力感知能力はある。

 逆に言えばそれは、今起きた現象が並外れた魔力を放出していたと言うこと。

 ヒョウエが"オーラ感知(センス・オーラ)"と"魔力解析(アナライズ・マジック)"を発動する。

 

 その瞬間、理解した。

 少年と女性の中の胎児に飛び込んだ魔力の塊、それが《想念の泡》であること。

 ゲイロはハーディの父、デイビットと呼ばれた少年は吟遊詩人ジャリーであり、女性の腹の中の子供はハーディであると言うことを。

 

「!」

 

 女性を中心として光が広がる。

 周囲の光景が歪んで消え、何もない真の闇になった。

 その真の闇の中にぽつんと二人、ヒョウエとカスミ。そしてサッカーボールほどの光の塊がゆらゆらと揺らめいて浮いている。

 

「これは・・・お話にあったダンジョン・コアの?」

 

 何もないのに足元に確かな感触。

 そのギャップに戸惑いながらもカスミがヒョウエを見上げた。

 

「はい。少なくとも非常に良く似た状態ではありますね。光がかなり小さいですけど、これはダンジョン・コアと怪人のコアの内包する魔力のスケールの差と見るべきでしょうか」

 

 言いつつ、ヒョウエが無造作に光の玉に歩み寄っていく。

 

「今からコアを安定化させてみます。

 強い意志で押さえ込むのがコアを安定化させるコツのようですので、僕が失敗したらお願いします」

「ヒョウエ様!」

「はい?」

 

 意外な強い調子に振り向くと、カスミがヒョウエをきっ、と睨んでいた

 

「お言葉ですがヒョウエ様、戦いの前に不吉は禁物です。

 意志と意志の戦いなのであれば尚更のこと。自分が失敗したら後がない、くらいの気持ちでお臨み下さい」

「・・・」

 

 目を丸くした後破顔一笑する。

 

「なるほどリアスが妹のようにかわいがる気持ちがよくわかりましたよ」

「いえその、そういうことではなく!」

 

 少し頬を染めながらも語気は強い。

 笑いながら再び背を向けた。

 

「わかってます。僕が必ず安定化させてみせますよ。二回目でもあることですしね」

「はい、その意気です」

 

 後ろからの視線を感じつつ、杖から手を離す。

 笑みを浮かべた頬を両手で叩いて気合を入れ直した。

 

(・・・よしっ!)

 

 精神を集中させ、ゆらゆらと揺らめく光を両手で挟み込む。

 白い光が走った。



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03-24 バイオリンの悪魔

 二人の前に記憶の情景が広がる。ハーディの記憶だ。

 父親が「いなくなった」後、住んでいたところを引き払った。

 幸い父親の芸人仲間だった人が拾ってくれて、しばらくはそこに住めた。

 

 必死で技術を磨き、少しずつ自前での稼ぎも増えていく。

 二年ほど世話になってから独立した。

 

「いっそうちの子にならんか? うちには息子しかおらんしな、女の子がいると賑やかでいい」

「いえ・・・ありがとうございます。でも、家族で住みたいんです」

「そうか・・・」

 

 家主には引き留められたが、それでも妹たちと三人で住みたかった。

 家主の紹介で小さな集合住宅を借り、新しい生活を始めた。

 

 そのころからだ。

 悪魔のバイオリンが父の声でしゃべり始めたのは。

 

『ハーディ・・・痛い・・・苦しい・・・』

 

 父親が死んだときのことをハーディは覚えていない。思い出そうとすると激しく頭が痛んだ。

 妹たちは父親がただいなくなったと言ったし、ハーディもそれを信じた。

 

 だが親切な家主に引き取られて以降、時折『悪魔のバイオリン』がこちらをじっと見ている様な気がした。

 引き取られて一年経った頃には、目をぎょろりと動かしてこちらを見るようになった。

 妹たちにそれとなく聞いてみても、自分以外にはそれは見えないようだった。

 

 親切な家主の家を出たのも、そうした不安から逃げ出すためだったかもしれない。

 バイオリンの悪魔を見られたくなかったのか、悪魔に取り憑かれた自分を見せたくなかったのか、それはハーディ自身にも判然としなかった。

 

『ハーディ・・・俺の体を・・・体を返してくれ・・・はーでぃ・・・』

 

(わからないよ! 父さんは死んだだろ! 死んだ人間は生き返ったりしないだろ!)

 

「・・・!」

 

 それを見ていたヒョウエとカスミがハッと目を見開いた。

 ハーディは父の死んだところを覚えていない。

 そして妹たちからは父がいなくなったとしか聞いていない。

 

 にもかかわらず、今ハーディは父が死んだと言った。

 無意識ではわかっているのだ。だがわかりたくない。自分が人殺しで親殺しだと理解したくないから、記憶にふたをしている。

 

『生き返らせろ・・・俺を生き返らせろ・・・』

 

(できるわけないじゃないか! 僕は神様じゃない!)

 

 バイオリンの悪魔が語りかける。

 この世界でも"死者復活(リザレクション)"の呪文というものは存在する。

 だがそれを実際に習得した人間を見たというものはほとんどいないし、それが行使されたという記録も四千年の歴史の中でほんの十数例しか存在しない。

 実質伝説の中の存在と言って差し支えない。

 だがそれでも悪魔は執拗だった。

 

『殺せ・・・溶かせ・・・俺をそうしたように・・・人の血を、体を集めて俺を甦らせろ・・・』

 

(溶かすってなんだよ! 訳がわからないよ!)

 

 そんな風に悪魔から語りかけられる日々が半年ほど続いた。

 

「これは・・・」

 

 だが、それを外から見ているヒョウエとカスミにとっては違った。

 

「殺せ・・・溶かせ・・・俺をそうしたように・・・人の血を、体を集めて俺を甦らせろ・・・」

 

 憑かれたような表情でくぐもった声でしゃべるハーディ。

 

「溶かすってなんだよ! 訳がわからないよ!」

 

 頭を抱えて、素の声で叫ぶハーディ。

 父親の声でしゃべるバイオリンの悪魔も、ハーディも、どちらもハーディだった。

 

「これは・・・一体?」

 

 戸惑うカスミ。

 答えてやりたいが、コアを押さえ込もうとしているヒョウエにはその余裕がない。

 

(二重人格とは。であればあの怪人も・・・)

 

 ヒョウエの予測通りに過去は進む。

 

『ハーディ・・・お前の・・・』

「えっ」

 

 最初は手がぴくりと動くだけだった。

 次第に手、肘、肩と勝手に動く部分が増えていった。

 

『ハハハハハ! ハハハハハハ!』

 

 ついにある日、体が全く言うことを聞かなくなった。

 勝手に動いて「何か」をしようとした。

 

「やめろ! やめろぉっ!」

 

 その時は叫んだ拍子に体を取り戻す事ができた。

 

(あいつは・・・やっちゃいけないことをやろうとした・・・)

 

 それだけははっきりとわかった。

 同じ事が繰り返され、そのたびに体を奪われる時間が長くなった。

 

(いけない、このままじゃ・・・あいつを止めないと・・・でも・・・)

 

 何度か自殺を考えもした。だができなかった。

 自分は兄だ。妹二人を残してはいけない。

 悩む間にも悪魔――もう一人のハーディの浸食は進んだ。

 

『ハーディ・・・お前のつとめをなすのだハーディィィィィ・・・!』

 

(だめだ! それはやっちゃいけない!)

 

 そしてある日それは限界を超えた。

 バイオリンの悪魔が怪人の力を引き出し、肉体を変質させる。

 その姿は紫色の微細な鱗に覆われた、額に一本角の生えたトカゲ人間。

 瞳孔のない瞳、ひょろりとした手足と体、そして右手の人差し指から一本だけ伸びた、湾曲したナイフのような鋭く長い爪。

 

 そのまま街路を走った。

 誰もハーディに気付かなかった。

 

 あっという間にスラムに入り込み、しばらく獲物を物色する。

 女性を一人見つけた。どこか母に似た匂いがした。

 襲いかかる。

 鋭い爪が腹部をたやすく切り裂き、女性は悲鳴を上げて倒れた。

 

『命・・・俺の命』

 

 ハーディではないハーディがとどめを刺そうとする。

 殺して、溶かして、それを啜ろうとしているのがわかった。

 

(やめて! だめだ!)

 

 ハーディが悲鳴を上げた瞬間、体の動きが止まった。

 爪を振り下ろそうとする体と、それを止めようとする心と、二つの意志がしばらく拮抗する。

 

 ちぃん。

 

 その決着がつく前に、澄んだ音がして爪が弾かれた。

 

(ジャリーさん!?)

 

 貴族のような衣裳に黒びろうどのマントの伊達男。

 それが恐ろしく真剣な顔でナイフを構えている。

 ハーディが驚いた隙に、悪魔が体の制御権を取り戻す。

 

 激しい打ち合い。

 常人では対応しきれないだろう速さと不可視の体、そして武器のリーチのハンデがあってなお、ジャリーは怪人と互角に打ち合っていた。

 たがいに武器がかするが、ジャリーのナイフでは怪人の体表面を滑るだけでダメージを与えられない。一方で怪人の爪も薄皮一枚を切り裂くだけ。

 

 十合ほど斬り結んだだろうか、ジャリーのナイフがへし折れた。咄嗟に掲げたギターのネックも一撃で砕ける。

 好機とばかりに踏み込もうとして、いきなり怪人の体にひどい苦痛が走った。

 見ればジャリーも胸を押さえて後退している。

 

「ぐっ! やはり、近づくと・・・」

「・・・? グガッ!」

 

 舌打ちのような動作なのだろう、一声唸って怪人が跳躍してその場を逃れる。

 苦痛の走る体を押してジャリーが女性の応急処置を始め、遠くから足音が聞こえた。

 

 

 その後も、何度も悪魔はハーディの体を乗っ取って人を襲った。

 そしてそのたびに、かろうじてハーディは人死にを防いだ。

 

(止めて・・・誰か僕を止めて・・・)

 

 コアがふっと抵抗を失い、ヒョウエの手の中で凝固する。

 目を開くと、数メートル先にハーディが浮かんでいた。

 

「ハーディ」

「そういうことなんだ。ごめんね、ヒョウエくん。チャンスはあったのに、僕は悪魔を、もう一人の僕を止められなかった。僕に代わって僕を止めて・・・殺して欲しい。

 もうどうしようもないんだ」

 

 ハーディが寂しそうに笑う。

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

「かまいませんよ。体内のヴィラン・コアはギルドに売り飛ばしてひともうけ、

 妹さんたちは僕の屋敷ではべらせて愛人にして、飽きたら娼館に売り飛ばしますから」

「えっ」

 

 ハーディの顔が引きつった。

 くすくすとヒョウエが笑う。

 

「馬鹿な事を言ってないで、まずは生きることを考えて下さい。

 妹さんをどこかの男の愛人にはしたくないでしょう」

「そ、それはそうだけど・・・」

 

 ぱちん、とヒョウエがウィンクをした。

 

「まあこちらでも色々やってみますので、そっちもがんばってください。

 案外どうにかなるかも知れませんよ」

「・・・うん、そうだね。ありがとう、ヒョウエくん。何とか頑張ってみるよ」

「その意気です」

 

 手の中に硬い感触。

 それと同時にハーディの姿と、周囲の闇がかき消えた。

 



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第四章「男の戦い」
03-25 地下都市の追跡


 

「俺はここで水をまくことしかできない。だが君にならできる。君にしかできないことがあるはずだ」

 

 

                          ――加持リョウジ――

 

 

 

 

 

 周囲の風景が王都のものになる。

 生きた通行人がいて日暮れ前の空がある、本物の王都だ。

 正確に言えば二人の意識が戻ってきたのだが、実感としてはそのようなものだった。

 

「・・・」

 

 ハーディを縛る念動の術を確認する。

 しっかりした手応えが返ってきたことに安堵しつつ、魔力感知でハーディの体内のコアの場所を確認。

 

「これからどうするのですか、ヒョウエ様」

「コアを物理的にえぐり出せば怪人化は解除できる・・・はずですが、僕の治療呪文だけだとハーディの命が危ないかもしれませんね」

「では医神(クーグリ)の神殿に?」

「ええ。術者の人に来て頂いて・・・」

「離れろ、少年!」

「!?」

 

 焦りをにじませたその声と同時に術式からの手応えに異常を感じる。

 ハーディに触れていた手を離して飛びすさる。

 

「つっ!?」

 

 指先に激痛。

 ハーディに触れていた部分が僅かに溶けていた。

 "瞬間移動(テレポート)"でも使ったかのように吟遊詩人ジャリーの姿が現れる。

 いつも余裕のある笑みを崩さないこの男には珍しい、焦った表情。

 

「早く離れろ! 彼の能力は『溶かす』力だ! 無差別に発動したら・・・!」

 

 ヒョウエには、半ばその言葉は聞こえていなかった。

 魔力視覚に映る自らの術式。

 それが目の前でどろりと『溶けた』。

 

「・・・・・・・・・っ!」

『ガァァァァ!』

 

 怪人(ハーディ)の咆哮。

 戦慄しながら術式を瞬時に解除し、ベルトの金属球に意識を集中する。

 金属球が九つ飛び出すのと、ハーディの周囲の街路が溶けるのが同時。

 

「南無三っ!」

 

 街路の溶解が爆発的に広がる一瞬前、九つの金属球をハーディの周囲の地面に、直径6mほどの円を描くように叩き付ける。

 溶けてもろくなった街路が金属球の衝撃と合わさって、円形に陥没した。

 その下には下水道として使われている古代都市の遺跡。

 街路と共に怪人の姿が消えた。

 

『オオオオオォォォォ!?』

 

 驚愕の咆哮が遠ざかる。

 運の良いことに――怪人にとっては運の悪いことに、この一帯の遺跡は比較的深かった。

 あの運動能力をもってしてもまず登って来れない程度には穴は深い。

 

「おい、こりゃどういうこった!?」

「これは・・・」

 

 リアスがモリィを担いで走ってきた。

 モリィの目で飛ぶヒョウエを追いかけてここまでやってきたらしい。

 

「ナイスタイミングです二人とも! 下に降りますよ!」

「下に降りるって・・・うおっ!?」

 

 カスミを含む三人を念動で引き寄せ、杖にまたがって穴の中に飛び込む。ジャリーが慌てたようにそれに飛びついた。

 杖の端っこに捕まってぶら下がるジャリーを、階段にこびりついたガムを見るような目で見下ろすヒョウエ。

 

「申し訳ないですけど定員オーバーですね。リアス、蹴り落としてください」

「え、ええ・・・?」

「ちょっと待て! 乗せてくれよ少年! 私はものをすり抜ける事はできるが飛ぶことはできないんだ! この高さから落ちたら流石に痛い!」

 

 戸惑うリアス。

 割と必死な顔で訴えるジャリー。

 地表から3mほど下あたりでホバリングしながらヒョウエがいかにも気の毒そうに首を振った。ただし口の端に笑みが浮かんでいる。

 

「痛いで済むなら問題ないですね。なにぶん魔力が足りないので申し訳ありませんが・・・」

「話す! 色々事情は全部話すから頼むよ!」

 

 にっこり、とヒョウエが笑った。

 

「商談成立ですね」

「覚えてろよ、少年!」

 

 恨みがましい必死な顔という器用な表情でジャリーが叫ぶ。

 ヒョウエはもう一度にっこり。

 

「じゃあ取りあえず掴まっててください。やる事があるので」

 

 上空を見ると、穴の周囲にこわごわと人が集まりはじめていた。

 

「~~~」

 

 ヒョウエが短く呪文を呟くと、穴がすうっと縮まっていった。上空からの光がどんどん細くなり、やがてふっと消える。

 

「周囲から質量を拝借して穴を埋めました。その分薄くなってますので後で補強しませんとね」

「便利な奴だな君は・・・」

大魔術師(ウィザード)ですから!」

 

 ヒョウエが胸を張った。

 

 

 

 闇の中でかすかな話し声が反響する。

 一行はヒョウエの杖にまたがったまま、古代遺跡の街路にまで下りてきていた。

 

「もっとも、これでは『街路』とは到底呼べませんね」

「これはなあ・・・」

 

 怪人(ハーディ)が力を解放した結果なのか、周囲の遺跡は跡形もなく溶けて巨大な水たまりを作っていた。

 触れたらどのような悪影響があるかわからないので街路?には降りず、杖にまたがったまま浮いている。

 

「それじゃモリィ、追跡をお願いします。ジャリーさんはその間に話を」

「あいよ」

「わかった」

 

 そのまま一行はハーディの追跡を始めた。

 灯りをつけないのは相手に見つかる確率を少しでも減らすためだ。

 ヒョウエは念動ソナー、モリィは《目の加護》、リアスは白の甲冑の暗視機能、カスミは修行で身につけた夜目と、この面子なら灯り無しでも基本的に問題ない。

 ジャリーはわからないが、何も言わないので何か闇を見通す手段はあるのだろう。

 

「さて、ではまず少年とカスミさんは知っていると思うが、私と彼は恐らく同時に怪人になった」

「ええ。コアの中の記憶で見ました。"オーラ感知(センス・オーラ)"と"魔力解析(アナライズ・マジック)"で確認しましたよ」

「ほお、記憶の中でも有効なのか、そう言う呪文は。

 まあつまり私と彼のヴィラン・コアはどうも何らかの関係性――それも相反する能力を備えているようだ。

 彼の能力は他者を溶かし、自分と一つになる能力。溶け込む力かもしれない。

 私の能力は他者から離れて誰からも触れられなくなる能力だ。そしてこの二つが力を発動しているとき近づくと反発というか、互いに苦痛を伴うらしい」

 

 ふむふむ、と頷きながら、ふとヒョウエは首をかしげた。

 

「うん? では壁をすり抜けたのはなんです? 呪文ですか?」

「いや、あれも怪人としての能力だ。

 何と言うかな、普通に使うと他からのあらゆる干渉を弾くような、そう言う能力になるのだが、精神を集中させると『さわれるけどさわれない』状態になるんだ。

 壁と自分が互いにそこにあるのはわかるが、ぶつからず、触れずにすり抜けていくような・・・説明が難しいな」

 

 うーん、と唸るジャリー。

 ヒョウエが興味を引かれた表情になった。

 

「分子構造を希釈して、互いの分子が互いの隙間を通り抜けるような感じでしょうか? 

 あるいはトンネル効果か。量子論の世界ですね。念響探知がきかないわけだ」

「すまない、私にもわかるように説明してくれないかね」

「言うだけ無駄だぜおっさん。こいつはいつもそんなもんだ」

 

 モリィがポンポンとヒョウエの頭を叩く。

 

「何か最近モリィからの扱いが悪い気がします」

「自業自得だろ・・・お、そこを右だ」

 

 どこか楽しげにヒョウエの頭をガシガシかき回すモリィ。

 無論その間にも追跡の手ならぬ追跡の目はゆるめない。

 

「ご教授どうも、お嬢さん。だが私はおじさんと呼ばれる年齢ではないぞ、断じて!」

「おっさんはいつでもそう言うんだよ」

「まあ十代から見れば30才はおじさんなので諦めてください」

「私はまだ28だと言っているだろうが!」

 

 思わずと言った感じでジャリーが反論する。一方で無言を貫くリアスとカスミ。

 

「・・・」

「・・・」

「そちらの二人も何か言ってくれ! 礼儀正しく何も言われないのが一番傷つく!」

「大声を出さないように。今追跡中なんですよ? 状況わかってます?」

「君が言うかねそれを!?」



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03-26 ファーストファイブ

(この方向は・・・)

 

 ジャリーが不本意そうに口を閉じて数分、ヒョウエはきな臭いものを覚えていた。

 精神を集中して幼なじみの少女を呼び出す。

 

(もしもしリーザ?)

(どうなったのヒョウエくん!? 大丈夫?)

(こっちは大丈夫です。ただちょっと気にかかることがあるので・・・)

 

 手短に説明するとリーザの頷く感触が返ってきた。

 

(わかった、今すぐサナ姉に伝えてくる。・・・ヒョウエくん?)

(なんです?)

(その・・・気を付けてね?)

(ありがとう、大丈夫ですよ)

 

 心配そうな表情を浮かべているのだろう。

 その顔まではっきりと見える気がしてヒョウエが笑みを浮かべた。

 

 

 

 紫色の怪人、ハーディは遺跡の街路を獣の様に四つん這いで走っていた。

 稀に十字路で一瞬停止し、匂いを嗅ぐように周囲を見渡し、次の瞬間また走り出す。

 その様はまるで獲物の匂いを辿る猟犬。

 走る速度が上がる。

 獲物はすぐ近くだった。

 

 

 

 さらに一分ほど飛んだ後、モリィが眉をひそめた。

 

「なあおい、この方角、お前の家の方じゃないか?」

「流石に方向感覚は鋭いですね。ええ、多分」

 

 ヒョウエがちょっと驚く。

 生来のものか、あるいは野外活動者として鍛えた勘なのかも知れない。

 

「ヒョウエ様、お屋敷の方に向かっているとなると狙いはお屋敷ではなく・・・」

「ええ。"孤独の要塞"でしょうね」

「孤独の要塞? なんですのそれは」

「良くわかんねえけど、どうせコイツの命名だろ。センスがねえよ」

「失礼な!」

 

 割と本気でヒョウエが怒った。

 マニアの好きなものをバカにしてはいけない。

 

 とは言え今は怒っていられる状況ではない。

 手短に屋敷の地下の古代遺跡のことを話す。

 

「そんなものが!?」

「おい、やべえんじゃねえのか?」

「一応手は打っておきました。が、とにかく急ぎましょう」

 

 飛行する杖が最後の角を曲がる。ここからは"孤独の要塞"まで一直線。

 

「いたぞ!」

 

 遺跡の大通りを全速で走る紫の影。

 全速力を出してもこのままでは間に合わない。

 

「ジャリーさん、そう言う事ですので飛び降りてください。大丈夫、多分死にません」

「まだ言うかね少年!?」

「おい冗談言ってる場合じゃねえぞ! このままだと・・・」

 

 焦ったモリィの言葉を、まばゆい光芒がさえぎった。

 

『グウォォォォォ!?』

 

 全身を焼けただれさせ、吹き飛ばされた怪人が街路に転がる。

 

「あれは・・・!」

「マジかよ」

 

 中の光が漏れ出す"孤独の要塞"の入り口。

 そこに黒い影が仁王立ちしていた。

 身長5メートルの、黒光りする異形の巨人。

 たった今魔力光を放った右腕をがしゃん、と折りたたむ。

 

「サナ姉! 間に合った!」

「えっ!?」

 

 黒い巨人の頭部、覗き窓の中で黒髪の執事が不敵に微笑んだ。

 

 

 

 黒い巨人と合流すべく、距離をとって裏路地を回り込む。

 視界から怪人とサナの双方が消えた。

 

(リーザ、サナ姉と繋いでください)

(了解!)

 

 飛ばした思念に、打てば響くように返ってくる答え。付き合いの長いヒョウエとサナが相手なら、リーザはほとんど負担もタイムラグも無しに三人の意識を繋ぐことができる。

 

(サナ姉、そのまま魔力光で牽制してください。接近するとアーティファクトでも溶かされる可能性があります)

(! わかりました。あのご指示はそう言う事でしたか)

(まあ無駄になれば良かったんですけどね)

 

 路地を高速で飛び抜ける。

 街路の隙間から光が洩れ、再びサナが魔力光を放ったのがわかった。

 更にもう一度光がひらめき、それが消えるとほぼ同時にサナと合流して杖から降りた。

 

「お疲れさま、サナ姉。・・・当てていますよね?」

「どうでしょう。威力は最大ですが動きが素早く、当たってもすぐに光から逃げてしまいます。光を当て続けなければいけないという点ではいささか使いづらい武器ですね」

「普通は一回当てた時点で蒸発すると思いますけどね・・・」

 

 魔力光によってえぐられた街路や建物と、表面が多少焦げているだけの怪人を見くらべ、ヒョウエが溜息をついた。その表情が次の瞬間劇的に変わる。

 

「気を付けて! 溶解が来ますよ!」

「!」

 

 緊張が走る。

 それと同時に怪人の目が緑色の光を放つ。

 魔力視覚を持つものには更に身体全体から不気味な魔力が放出されたのがわかった。

 建物や街路、怪人の周囲10mほどの構造物が一瞬にして溶解し、半透明の液体となる。

 

『グゴォォォォ!』

 

 怪人が吼えると同時にその液体が意志を持つかのように津波となって襲いかかって来た。

 溶解液の津波に飲み込まれた街路が表面の形を失い、また溶解液の一部となる。

 

「くそったれがっ!」

「!」

 

 モリィの雷光銃とサナの搭乗型具現化術式の右腕が光を放つが、収束された光の束は津波を突き抜けこそするものの、勢いを止めるには至らない。

 

「ハッシャっ!」

「おうよ!」

「えっ!?」

 

 ヒョウエが叫び、リアスが驚いて振り向く。

 その声と共に、"孤独の要塞"の門の影からスレンダー趣味のドワーフが現れた。

 大きく息を吸ったその胸が、ハトのように膨らむ。

 轟、と空気が唸った。

 

『ガアアアッ?!』

 

 人間の口から出たとは思えない、圧倒的な風圧の暴力。

 それが溶解液を押し戻し、怪人が自ら産み出したそれを頭からかぶる。

 

「ナパティ!」

「心得た!」

 

 ハッシャの反対側から現れたのは、やはり褐色長身のエルフ。

 両目を限界まで見開くと、そこから閃光のような二筋の火炎がほとばしった。

 

『ギャアアアアアアアアアアッッ!』

 

 溶解液ごと炎に包まれ、怪人が今度こそ悲鳴を上げる。

 咄嗟に飛び退きはするが、溶解液はそうはいかない。

 あっという間に大半が蒸発し、湯気になる。

 

「"浄化(ピュリフィケーション)"!」

 

 蒸発した溶解液にヒョウエの呪文が浴びせられる。

 魔力を帯びた蒸気が瞬時に無害な空気に変性された。

 

「オーケイ、溶解液自体は強い魔力を持ってますけど、蒸発拡散すれば何とかなるみたいですね」

「おおお・・・」

 

 モリィが目を丸くして唸る。リアスとカスミも大体同じような表情だ。

 

「相手が『溶かす』能力でしたからね。《火の加護》で焼き払えるナパティと《息の加護》で突風を起こせるハッシャ、それにサナ姉に搭乗型術式で待機して貰ってたんです」

「お前らすげえな。正直ただの変態かと思ってたわ」

「「失礼な!」」

 

 ナパティとハッシャが、この時ばかりは声を揃えて怒った。




X-MENの最初の五人(ファーストファイブ。サイクロプス、エンジェル、マーブルガール(フェニックス)、ビースト、アイスマン)の能力は、スーパーマンの能力を五人に分けたという説があるそうです。


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03-27 ジャリーの意地

「それでここからどういたします? コアは安定化させましたが、それを取り出すには・・・」

「難しいですね。術式も溶かされてしまいますし――流石に神の想念だけあって概念的なレベルにまで力が及んでいます――はさておき、やはり何とか近づいて・・・」

「そこは私がなんとかしよう」

「ジャリーさん?」

 

 手を上げたのは伊達男の吟遊詩人だった。

 

「私がものをすり抜けられるのは言っただろう? 私と彼の間にはある程度力を相殺するような関係が働いているようだが、それでも彼の体内に手を突っ込んで、体に傷をつけずにコアを抜き出すことはできると思う」

「危険ですよ?」

「承知の上だよ。だが、彼の溶解攻撃に耐えられそうな強い魔力の持ち主と言えばこの場では私か君。どちらがやるべきかというならこれはもう私だろう」

「・・・」

 

 無言でこの胡散臭い吟遊詩人――元貴族の若様のデイビット――を見る。

 

「そんな顔をするなよ少年。私だってね、彼にこれくらいはしてやりたいのさ」

「・・・わかりました」

 

 僅かに悩んでから、ヒョウエは頷いた。

 

 

 

 サナの操る黒い巨人――ヒョウエ命名、"不正を討つもの(インジャスティス・バスター)"とモリィの雷光銃が魔力光を連射して怪人を牽制する。

 刀を構えたリアスとカスミがその前で武器を構え、残るヒョウエたちは待機。

 怪人はこちらの様子を窺いながら回避に専念している――ように見える。

 

 だがその体内で魔力が高まっているのがヒョウエには見えた。恐らくはジャリーにも。

 隣のジャリーをちらりと見上げる。頷いた。

 それで十分だった。後は自分の仕事に集中する。

 

 壁に街路に跳ね回っていた怪人が、ピタリと動きを止めた。

 サナとモリィがここぞとばかりに魔力光を放つが、それが命中する寸前に。

 

「来ますよ!」

「「「「!」」」」

 

 怪人から莫大な、よどんだ魔力が爆発的に放出される。

 それに触れたものは生き物でも物質でも、あるいは術式や魂すらもが溶かされ、怪人の一部となる。

 回避しながら体内に蓄力した魔力を一気に放出、周辺の全てを溶解させるための一撃。

 だが、それこそがヒョウエたちが待っていたチャンス。

 

暗黒の星よ(Rahu)!」

 

 怪人が魔力を放つより一瞬早くヒョウエの金属球が飛び、直径数メートルの黒い闇の塊となる。

 

『グギィッ!?』

 

 怪人の喉からほとばしる驚愕の叫び。

 放たれた膨大な魔力の大半が、効果を発揮することなく暗黒の球体に吸い込まれる。

 

 "羅侯星(ラーフ)"。

 ヒンドゥー神話において太陽と月を喰らい、日食を起こす暗黒星。

 かつて真なる魔法の時代の遺失兵器"巨人(ギガント)"の山を貫く魔力光すら防いだそれは、周囲の魔力を無制限に吸い込んで無力化する反魔力武装。

 

 怪人の能力であれ魔力を介する以上、基本は魔術と変わりない。

 闇の塊が周囲の魔力を食らいつくし、怪人の周囲には魔力の空白とそれなりに周囲を浸食した溶液の池が残る。

 

「ナパティ! ハッシャ!」

 

 素早く闇の塊を元の金属球に戻してヒョウエが指示を出す。

 

「うむっ! 俺がナパティだ!」

「知っとるわ!」

 

 ナパティの目からほとばしる二筋の炎の視線(フレイムビジョン)

 そしてハッシャの唇から吹き出す、風速150mにも達する大烈風(スーパーブラスト)

 先ほどとは逆の順番、それも二人の全力で放たれたそれは溶液を蒸発させ、蒸気を跡形もなく吹き飛ばす。

 

『ガッ・・・ゴオオオオ・・・ッ!』

 

 もちろん、史上最大級の竜巻にも匹敵するこの吐息を受けて、いかに怪人とて人間サイズの生命体が平気でいられるわけがない。

 右手の爪を深々と街路だった場所に突き刺し、必死に地面にへばりつくのが関の山だ。

 

『ギィッ!?』

 

 そして再び驚愕の叫びが怪人の喉から洩れる。

 へばりついた地面、そこから突き出した手が自分の胸に深々と突き刺さっていた。

 

 

 

『ギ、ギギギ・・・』

「驚いたかな? そうでなければ演出を手伝って貰った甲斐がないというものだ」

 

 怪人が思わず身を起こした拍子に、その胸に埋まった手が地面から引き抜かれる。

 溶解したクレーターの底面から出て来たのは金髪の吟遊詩人、ジャリーの顔。

 この男はヒョウエたちの攻撃にあわせて地面に潜り、地面にへばりつくであろう怪人の胸のコアをピンポイントで狙ったのだ。

 

「それでは頂いていくよ――これは、君には必要ないものだ」

『ガッ・・・』

 

 鍵を回すように、ジャリーが腕をひねる。

 怪人が振りかぶったカギ爪が途中で痙攣して止まった。

 抵抗もなく、するりと胸から抜ける腕。

 手の中には、十センチほどのいびつで透明な水晶玉のようなもの。

 

「・・・」

「おっと」

 

 力を失って倒れる怪人をジャリーが抱き留めた。風はやんでいる。

 そのまま完全に地上に出て、怪人の体を地面に横たえる。

 ヒョウエたちが駆け寄ってきた。

 

「ジャリーさん! ハーディは!?」

「見ての通りさ」

 

 怪人の首に手を当てて呼吸と脈を確かめると、笑顔でジャリーが振り向いた。

 異形のトカゲ人間だった怪人は、少しずつ人間の姿を取り戻しつつあった。

 伸びた鼻面が戻り、全身の紫色は薄れ、皮膚も人に似たものになりつつある。

 ただその速度はかなりゆっくりで、まだ元のハーディの面影はうかがえない。

 

「どうなんだろう少年。私は正直詳しくないんだが、これは元に戻るものなのか?」

「難しい所ですね。ケースバイケースとしか。特にハーディの場合は生まれた時から神の想念の泡が体内に宿ってたわけですし。

 医神(クーグリ)の神殿、いや競技神(ソール)魔法神(アートシム)のほうがいいか? 場合によっては心の神(ウィージャ)も・・・」

「やれやれ、ダコック金貨が何千枚必要になるやら」

 

 天を仰ぐジャリー。

 二人の会話にモリィが頭にハテナマークを浮かべた。

 

魔法神(アートシム)心の神(ウィージャ)はわかっけどよ、なんで競技神(ソール)だ? あいつら全員マッチョの脳筋じゃねえか」

 

 魔法神(アートシム)は名前の通り魔法の働きそのものを司る神、競技神(ソール)は兵士や冒険者、競技者などの体を鍛える者達に崇められる神だ。

 健康や健全な肉体を司る神でもあるが、癒しを期待するなら医神(クーグリ)の神殿に頼るのが普通だ。

 

競技神(ソール)は元々肉体の生理――どんな作りをしているとか、どんな風に働くとか、そう言う事を研究する真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)だったんですよ。

 その延長線上で例えば筋力や素早さを強めたり弱めたりする術を開発したわけですが、高位の神官なら肉体そのものの形を変える術も使えるんです。

 例えば骨が曲がってくっついたとか、生まれつき足が曲がっているとか、慢性的な腰痛や猫背とかには医神(クーグリ)よりも競技神(ソール)の方が頼りになるんですよ」

 

 へえ、と感嘆の声を上げるモリィ達。

 

「ここまで変わっちまっててもか?」

「問題ありません。高位の術者なら顔から体からまるで別物に作り替えられますからね。うろこの跡くらいは大丈夫でしょう」

「盗賊ギルドに悪用されそうな術だなあ・・・」

 

 実際その通りである。

 なので競技神(ソール)の神殿も、同じ系統の術を操る術師も、この術の存在自体あまり公言しない。

 ナパティがくるくると五回ほど綺麗な回転をみせた後、ぴたりと止まって歌舞伎の大見得のようなポーズを決めた。

 

「ともあれ一件落着だな! いやめでたしめでたし!」

「これで嬢ちゃんたちもちったぁ俺達を見直しただろう、ガハハハハ!」

 

 両手を腰に当てて高笑いするハッシャ。

 三人娘の方をちらり、と見る視線がわざとらしい。

 

「ああ、見直したぜ。《加護》は便利なの持ってるよな」

「見直しましたとも、能力の面では」

「存念を口に出しますと大変なご無礼になろうかと存じますので控えさせて頂きます」

「なんだよお前らひどいじゃないか!」

 

 揃ってハッシャに冷たい視線と言葉を浴びせる三人。ハッシャは涙目である。

 なお、前々から面識のあるサナは本当に礼儀正しく無言を貫いていた。

 




 羅侯星は正確には羅「目侯」星です。機種依存文字なのでここは当て字と言うことで。


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03-28 かくてファンファーレは鳴り響く

「抗議するぞ! お前達の私たちに対する認識にはかなりの問題がある!」

「十割十分十厘自業自得でしょう!」

 

 笑い声や怒鳴り声がひびく。

 周囲には弛緩した雰囲気が漂っていた。

 恐るべき能力を持った怪人を全員の協力で倒し、被害者であったハーディも何とか無事に救出したのだ。気が緩むのも当然と言えた。

 

(このままでぇぇぇ・・・このままで終わるものかぁぁぁぁぁぁぁ・・・!)

 

「「「「!?」」」」

「がっ!?」

 

 心の声が響く。

 同時にジャリーが苦痛の叫びを上げて膝を折った。その懐からハーディの体内にあったヴィラン・コアが光を放って空中に飛び出す。

 

「このっ!」

 

 咄嗟にヒョウエが放つ念動の術。

 光るコアが宙に停止する。

 

 通常ダンジョン・コアやヴィラン・コアに意志はない。

 それは指向性を持った魔力の塊であり、意志の力を加えてやれば一定の現象を発生させるが、そうでなければただの石ころだ。

 

(ダンジョン・コアやヴィラン・コアに取り込まれたときの"幻視(ヴィジョン)"だって、取り込まれた人間の心象を鏡のように映しているだけ。

 であるなら・・・)

 

 頭脳をフル回転させているヒョウエがそこまで考えたとき、再び「声」が響く。

 

(体を・・・体をよこせぇぇぇぇぇぇ・・・・!)

 

「!」

 

 その瞬間、風景が一瞬にして入れ替わった。

 

 

 

「・・・え?」

 

 スーはその瞬間目を疑った。

 夕食の買い物の帰り道。石工の夫がもうすぐ帰ってきて、三人の子供たちと一緒に「腹減った」の大合唱を始める頃合いだ。

 肉体労働者の夫と育ち盛りの子供の胃袋を支えるべく、主婦は今日も孤独な戦いに臨む――はずだった。

 

「なに・・・あれ・・・」

 

 周囲の買い物客たちもざわつき始めた。

 周囲は今までいたのと変わらない、王都の通りの一つだ。

 だが空が変わっている。

 先ほどまでの青く、しかし地平線に少し赤みを見せる空ではなく、おどろおどろしい、雲とも瘴気ともつかないものが渦巻く空。

 

「・・・」

 

 ぺたり、と力なく地面に座り込む。

 見えるものが信じられなかった。

 王都の城壁の外、都を一目で見下ろす、高さ数キロメートルの人影。

 人の顔のついた枯れ木のような、泥人形のような、ひげ面の人間のような何か。

 体の下部からは木の根にも似た無数の触手。

 

 ヒョウエやジャリーが見れば一目で何かわかったろう。

 バイオリンの悪魔。

 それがいびつな巨人となって、王都とそこに住む人々を見下ろしていた。

 

 

 

「おいおっさん、これどうなってるんだよ!? 引きはがして終わりじゃないのか!?」

「恐らくは奴に精神的に取り込まれたんだろう。王都の人々と共にね。

 あの悪魔は、ハーディ少年のもう一つの人格だ。本来ならコアを抜いたときに少年の心の中に残るはずだったが、私たちの思っていたよりコアとの繋がりが強かったんだ。

 少年の心の中ではなく、コアの方に残った人格がコアを操っているんだ。後おっさんはやめてくれと言ったろう!」

 

 そしてモリィ達もまた、「王都」の街路にいた。

 バイオリンの悪魔が作り出した偽りの王都に。

 サナはいつの間にか術式を降りて身一つになっている。ハーディは人間の姿に戻っていた。

 

『よこせ・・・お前達の体をよこせぇぇぇぇぇぇ・・・・!』

 

 バイオリンの悪魔が巨大な手を王都の人々に伸ばした。

 王都中の街路から一斉に悲鳴が上がる。

 

「どうする少年・・・少年!? くそっ! こんな時にどこへ行った!」

 

 周囲を見回してヒョウエの姿がないことに気付くジャリー。

 そのジャリーを、女性たちの笑みを含んだ視線が取り囲んだ。

 

「・・・何かね? それともこんな時に何か安心できる要素があるとでも?」

「当然だろう?」

 

 モリィがニヤリと笑って空を指さした。

 

「王都にはヒーローがいるんだぜ」

「!」

 

 ジャリーが空を見上げる。モリィ達も。そして精神を取り込まれた王都の人々も。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 巨大な悪魔から王都を守るように、空中に仁王立ちする「青い鎧」。

 深い青の騎士甲冑、風になびく深紅のケープ。

 

「青い鎧! 青い鎧!」

「我らがヒーロー!」

 

 呆然、不安、恐怖。

 そこに現れたヒーローの姿に、王都の人々が一転して熱狂的に声を上げる。

 巨大な悪魔も伸ばそうとした手を引っ込めて、おののくように青い鎧を注視していた。

 

『・・・』

「・・・」

「「(ブルー)! (ブルー)! (ブルー)!」」

 

 青い鎧と悪魔の視線がぶつかり合う。

 僅かな時間の間の沈黙。

 王都の民衆たちの声援だけが精神世界に響く。

 

『クク・・・』

「・・・?」

『グハハハ! グワハハハハハ!』

 

 のけぞって高笑いする悪魔。

 「青い鎧」は無言。

 

『青い鎧が現れたとてそれがなんだ! ここは精神の世界、精神の力だけがものを言う! この世界で俺に勝てるものなど・・・』

「「「「!?」」」」

 

 青い鎧の姿が霞んで消えた。

 青い閃光が走り、次の瞬間高さ数キロメートルの巨大な悪魔が吹き飛ばされる。

 山が吹き飛ぶが如き光景。

 

 それを成したのは人間大の青い鉄籠手に包まれた拳。

 地響きを立てて大地を転がる巨大悪魔。

 

『馬、馬鹿な・・・馬鹿な・・・この巨体を!?』

「馬鹿はお前だ」

 

 深みのあるバリトンが響く。それは王都の民衆全てにはっきりと届いた。

 

「お前の力は所詮『神の想念の泡』によるもの。突き詰めれば魔力だ。

 同等の魔力があれば後は精神力の勝負。

 それにお前が言った通りここは精神の世界だ。体がいくら大きかろうが関係ない――このようにな」

 

 その言葉と共に、見る見るうちに「青い鎧」が巨大化する。

 地響きと土ぼこりを立てて大地に降り立つ鋼の巨神。

 その体躯は今や悪魔と遜色ない。山と山の対峙。

 

『なっ・・・!』

 

 愕然とする悪魔。 

 

『そんな事があってたまるか! 怪人の力は神の力のカケラだぞ!

 この世で一番強い力なんだぞ!? それを・・・ぶごぉっ!?』

 

 触手をうごめかせて立ち上がったとした怪人が、再び打ち倒された。

 

『がっ! ぐっ! ぶぉっ!』

 

 巨大な悪魔を、鋼の巨人が打ちすえる。

 呪鍛鋼(スペルスティール)の拳がめり込むたび、枯れ木のような表皮が陥没し、ひび割れが走る。

 

「これで! 終わりだっ!」

 

 鋼の拳が悪魔の顔面を打ち抜く。

 

『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 絶叫と共に悪魔の全身にひび割れが走り、次の瞬間粉々に砕け散った。

 



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03-29 戦わなければならぬ時

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」

 

 民衆たちの歓声が爆発する。

 

「やりましたわ!」

「はい、さすがです」

 

 それはリアス達も同じことだ。

 

「・・・」

「いや、待て・・・おかしかねえか?」

 

 その中で、付き合いの長いサナとモリィだけが違和感に気付いた。

 一瞬遅れてジャリーも異常に気付く。

 

「何がですの・・・あっ!?」

「!」

 

 言いながらリアスとカスミも気付いた。

 青い鎧が、ヒョウエが戦闘態勢を解いていない。

 

『ぐはははは! はははははははははは!』

 

 高笑い。

 映像を逆再生するかのように悪魔が再生する。

 ものの数秒で、山のような巨躯が復元していた。

 

 

 

『ここは精神世界だ! 体を砕こうとも精神がある限り再生する! そしてこの俺が! 生まれて以来闇の中に閉じ込められてきた俺の怨念が! こんな事で消えるものか!』

 

(魔力量は減少している・・・削って削りきれないわけではないが)

 

 魔力知覚で相手の内包する魔力量を量るヒョウエ。

 だがまがりなりにも相手は神のカケラ、ヒョウエに"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"があるとは言え、削りきるのにどれだけかかるかわかった物ではない。

 

「・・・」

 

 モリィが険しい顔で眉を寄せる。

 その足元でハーディがピクリと動いた。

 

 

 

 巨人と巨魔の殴り合いが続く。

 とは言っても巨魔の攻撃はほとんど効いていない。

 巨人の拳に弾かれ、あるいは厚い胸板に当たってむなしく砕けるのみだ。

 だが。

 

「!」

 

 青い鎧が足元を見てわずかに動揺した。

 その隙を狙って繰り出された悪魔のパンチを右腕でガード。

 青い鎧の目に赤い光が灯る。

 

「"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"!」

 

 灼熱の視線が巨人と巨魔の足元を焼き払う。

 王都の郊外、無人の田園風景と共に焼き払われたのは木の根のような無数の触手。

 悪魔は青い鎧と戦いながら、密かに根を伸ばし、王都の人々の精神を喰らってその肉体を我がものにしようとしていたのだ。

 

『グググ・・・気付かれたか。だが次は地面の中を這わせてやるぞ。肉体を得られれば俺の勝ちだ・・・!』

「・・・」

 

 青い鎧が無言で拳を握った。

 

 

 

 巨人と巨魔との戦いは続く。

 何度も巨魔が砕け散るが、そのたびに時間を逆行させたかのように復活する。

 根を這わせるのを警戒しているのか、時折青い鎧が巨魔を持ち上げては投げつけ、可能な限り王都から遠ざけようとしていた。

 

 それら全てをハーディは見ていた。

 体?は街路に横たわったまま、不思議な事に意識は覚醒して周囲を知覚していた。

 

(あれは・・・僕に取り憑いていた悪魔・・・)

 

 自分の中にいた存在だと一目見た瞬間にわかった。

 

(これで僕も奴から解放される・・・父さんから・・・ぐっ!?)

 

 刺すような痛みが脳裏に走った。

 

(思い出すな。決して思い出すな。今まで通りの生活を続けていきたいなら)

 

 どこからかそう言う声がする。

 だが同時に別の声もしていた。

 

(思い出せ。思い出さなくてはならない。そうでなければ、一生後悔するぞ)

 

 相反する声。

 どちらが正しいのか判断が付かない。

 どちらも正しい。

 どちらも間違っている。

 どちらも、どちらも、どちらも・・・。

 

(うううう・・・!)

 

 意識のハーディが頭を抱えて唸る。

 それをやめさせたのは巨大な悪魔の咆哮だった。

 

『俺を生んだのは奴だ! ハーディだ! 臆病者の奴ができない事を俺がしてやった!

 奴が望んだとおり父親を消し、邪魔な妹どもも消そうとしてやったのに!』

 

 がつん、と来た。

 頭が割れるような激しい頭痛。

 

「うわあああああああああああっ!」

 

 痛みで覚醒した。

 意識が肉体?と同期し、横たわっていたハーディの額から血が一筋流れる。

 周囲の人々が驚いたように話しかけるが耳には入っていない。

 激しい頭痛をこらえながら、身を起こして彼方の戦いを見る。

 

『もう俺は自由だ! ハーディの影じゃない! ハーディを殺して俺が唯一の人格になるんだ!』

「させるかっ!」

 

 青い鎧の激しい殴打。

 文字通り山をも砕くそれがバイオリンの悪魔の顔面を打ち抜き、何度目かの崩壊を誘発した。

 青い鎧が"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"でその残骸を焼くが、それでもこれまでと同じく、悪魔は再生する。

 

『グググ・・・ハハハハ・・・ハハハハハ! そこにいたか、ハーディ! 目を覚ましたな、ハーディ!』

「!?」

 

 悪魔の視線がハーディを射貫く。ハーディがそれを呆然と見返した。

 

「僕が・・・僕が父さんを殺したの?」

『ハハハハハ! そうとも! お前が望んだ! だができなかった! だから俺が生まれたんだ! お前の代わりに殺してやったんだ! 代価をよこせ! 体をよこせ!』

 

 うそだ、とは言えなかった。

 それが真実だと理解した。

 そうであることを既に知っていた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ただ呆然と立ち尽くす。

 

『ハハハ! ハハハハ・・・ブゴォッ!?』

 

 青い鎧の、両手を組んだ渾身のダブルハンマーパンチが悪魔の顔面を叩きつぶした。

 

「お前、少し黙れ」

 

 怒気の籠もった青い鎧の言葉。

 ハーディを見て軽く頷く。

 

(お前は俺が守る)

 

 そう言っているかのように。

 立ち尽くすハーディの肩を、ぽんとモリィが叩いた。

 

「なに、心配すんなって。ちょいと手こずってるがあいつは負けねえ。

 あいつに任せておけばどうにかなるさ」

 

 にっ、と笑みを浮かべて親指を立てる。

 ジャリーも笑みを浮かべてそれに頷いた。

 

「もう君が心配することは何もない、少年。無事に帰って、妹さんたちを安心させて上げることだけを考えたまえ」

「・・・なんです」

「うん?」

 

 ジャリーがハーディの顔を覗き込んだ。

 うつむいて表情はよくわからないが、固く唇を引き結んでいる。

 

「少年?」

「だめなんです! 僕が・・・僕が行かないと!」

 

 振り向いて、ジャリーを見上げるハーディ。

 その目に籠もる意志の強さに、僅かだがジャリーが圧された。

 

「・・・!」

「すいません!」

 

 ジャリーの手を振り払って駆け出すハーディ。

 その先には今も地響きを立てて殴り合う巨人と巨魔。

 

「バカ、何やって・・・」

 

 駆け出そうとしたモリィを、ジャリーの手が遮った。

 

「すまない、行かせてやってくれないかね」

「えぇ・・・?」

「何をお考えなのですか?!」

「・・・」

 

 戸惑うモリィ。詰め寄るリアス。サナは無言。

 カスミが静かに尋ねた。

 

「よろしいのですか?」

「男なら、走り出さなければいけないときはあるさ。

 私たちにできるのは、その背中を見守ってやることくらいだ」

「・・・」

 

 遠ざかるハーディの背中を見やりつつ、ジャリーはいつもの微笑みで答えた。



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03-30 君の名は

 王都の西大路をハーディが駆ける。

 かかえ上げた悪魔を投げ飛ばし、地面に転がした青い鎧がそれに気付く。

 

「『青い鎧』!」

 

 ハーディが走りながら叫ぶ。

 

「僕を・・・僕をあいつの所まで連れていってください!」

「・・・!」

 

 一瞬青い鎧が動きを止めるが、すぐに頷いた。

 

『が・・がが・・・何を・・・ぐぉっ!?』

 

 起き上がった悪魔に青い鎧が飛行しながらのタックルを仕掛けた。

 悪魔の、人間で言えば腰のあたりを両腕で抱え込み、王都から離れる方向に押し込む。

 そのまま肩に担いで空に舞い上がり、上空から郊外の広大な森林地帯に投げ落とす。

 

『ガハッ!』

 

 巨大な土ぼこりが上がり、無数の木々がへし折れた。

 

『おの、れ・・・?』

 

 悪魔の顔がいぶかしげに歪んだ。

 青い鎧が追撃を行うでもなく、宙に浮かんだままでいるのだ。

 周囲に激しく渦を巻く空気。

 頭上に高く掲げた両手の間には、太陽のようなまばゆい輝き。

 

『"火球(ファイアーボール)"のたぐいか・・・!?』

 

 悪魔がそう思った瞬間、両手の間の輝きがふっと消えた。

 

『ふん、不発か! 驚かせおって!』

 

 高笑いする悪魔。だがヒョウエも兜の下でニヤリと笑う。

 

「いいや? これでいいのさ――受けよ、全てを凍てつかせる冬の神の息吹・・・冬神の吐息(テトラ・ブレス)! 」

 

 見えない「何か」が体の前に構えた両手の間から発射される。

 それは回避する暇もなく巨魔に命中し、次の瞬間白い爆発を起こした。

 

『・・・・・・・・!』

 

 半径数キロにも及ぶ白い大爆発。

 爆発の届かなかった王都にも、突風のような激しい風が吹く。

 その正体は極限まで圧縮・冷却された数兆立方メートルの空気だった。

 

 圧縮した事による高熱を念動の魔力を応用して周囲に逃がし、冷却する。

 それを本来の体積に拡散することによって熱も拡散し、温度は極限まで低下する。

 

 絶対零度近いそれが範囲内の全てを凍てつかせた。

 砕かれただけならすぐさま再生する巨魔も、氷に包まれては身動き一つできない。

 文字通り指一本動かせない巨魔を尻目に、青い鎧は王都にとって返した。

 

 

 

 青い鎧が飛ぶ。

 山のようだった巨躯は見る見るうちに縮み、普段通りのサイズになった。

 王都の西大通りに急降下すると走っていたハーディの手を掴んで再び舞い上がる。

 

 手を引っ張られているのに、身体全体が持ち上げられる感覚にハーディが戸惑う。

 同時に倒れたまま氷漬けになった巨魔を見て目を丸くする。

 だが、それら以上に今は気になる事があった。

 

「ありがとう、青い鎧。僕をこのまま・・・悪魔の口の中に放り込んでほしいんだ」

「・・・」

 

 無言で青い鎧が頷く。

 

「それとその、間違ってたらゴメンなんだけど・・・ヒョウエくん?」

「・・・!」

 

 伝わってくる驚きの気配。

 内心がダイレクトに伝わりやすい精神世界ゆえか、それともハーディにヴィラン・コアの残り香があったのか。

 

「秘密ですよ?」

 

 指を一本口元に当てるヒョウエ。ウインクしている気配もある。

 

「うん!」

 

 嬉しそうにハーディが頷いた。

 

 

 

 氷に封じられて動けないままの巨魔。凍てつき壊死した細胞が少しずつ再生していく。

 ハーディの声は彼にも聞こえていたが、具体的に何をするつもりなのか判らない。

 ヴィラン・コアの魔力を感覚器官に集中させて目と耳を優先して再生させる。

 無数の氷の霜が固まったような不透明な氷を見透かすことはできなかったが、空を切る音はかろうじて聞き取れた。

 

(いったい何を・・・むぐっ!?)

 

 氷を透かして赤い光が走ると同時、口の部分に熱を感じた。

 "太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"による強引な解凍。

 

「武運を――いや、幸運を祈るよ」

「ありがとう」

 

 青い鎧の言葉に笑顔で頷く。

 そのままハーディは躊躇なく、底なしの巨大な口に飛び込んでいった。

 

 

 

 落ちる、落ちる、落ちる。

 底なしの暗黒の中をハーディは落ち続ける。

 

(こんなに落ち続けられるものかな)

 

 頭をひねったとたん、落下が止まった。

 逆さまに落ちていたのがふわりとひっくり返って、足を下に浮かぶ状態になる。

 

『ハーディ・・・はぁぁぁぁぁでぃぃぃぃぃ・・・』

「!」

 

 目の前に「悪魔」が現れた。

 外のそれとは少し違う、木人形のような姿。

 目がぎょろりと動いてハーディをにらんだ。

 

『殺されに来たのか・・・それとも永遠に闇の中に沈むのがいいか・・・俺がそうだったように・・・』

 

 ハーディが首を振った。

 

『なら俺を殺しに来たのか・・・恩知らずめ! お前の父を殺してやったのは誰だと思っている! 邪魔だと思っていた妹たちも片付けてやろうとしたのに止めやがって!』

「違うよ。僕はそんなことをしにきたんじゃない。君に謝りに・・・君と一緒に生きる為にここに来たんだ」

『ふざけたことを!』

 

 人形の顔でもはっきりわかるほどに悪魔が激昂する。

 

『謝罪だと! 謝るなら俺に席をよこせ! お前の体をよこせ! お前の存在を、全て俺によこせっっっ!』

 

 カッ、と悪魔の目が光った。

 

「うわっ!?」

 

 びくん、と痙攣してハーディの体が固まる。

 続けて悪魔の口が大きく開いた。

 シュウシュウと音を立てて空気が吸い込まれる。

 

「!?」

 

 ハーディの足から煙のようなものが立ち上り、それが悪魔の口に吸い込まれていく。

 それと共にハーディの足が少しずつ薄くなっていった。

 

「ぐ・・・」

『どうだ、怖いか。お前は消えるんだハーディ。お前の存在を全て吸い尽くして俺がお前の体を動かすんだ!』

 

 ハーディがくすっと笑った。

 その足は既にほとんど消えかけている。

 

『・・・何がおかしい』

「君は僕のもう一つの人格だろう? 僕を消そうったって消せるものじゃないさ。

 僕がいくら君を否定しても君が消えなかったように」

『ふざけるな!』

 

 今度の激昂は前のそれよりなお激烈だった。

 

『俺はお前じゃない! お前の代わりに面倒を押しつけられた別の人間だ! お前を消す! 消して俺は俺になるのだ!』

 

 身震いするほどの怒りを叩き付けられてなお、ハーディは平静だった。

 いつもなら怯えて逃げてしまうほどの恐怖にも、今は何故か穏やかでいられる。

 

「君、自分の名前を知っているかい」

『何?』

「僕の体を乗っ取って、僕の人生を乗っ取って、でも自分はハーディじゃないというなら、君は誰だ?」

『・・・それは』

 

 悪魔が初めて口ごもった。

 ハーディの腹までが消え、今度は腕が消え始める。

 それでもハーディは静かに言葉を紡ぐ。

 

「教えて上げるよ。君の名前はハーディだ」

『違う! 俺は俺だ!』

 

 反論する悪魔の声にも、先ほどの力はない。

 

「違わない。君は僕だ。

 父さんを殺したのは僕。妹たちを殺そうとしたのも僕。

 怪人になって沢山の人を傷つけたのも僕だ。

 ハーディ。君は僕なんだ」

『・・・』

 

 話している間にも腕が消え、胸が消えた。

 ハーディはじっと悪魔を――もう一人の自分を見つめている。

 

「僕は君だ。ハーディ」

 

 その言葉を最後に、ハーディの全身は悪魔の中に吸い込まれた。

 

 

 

 凍てついた巨魔の上空。

 ハーディが飛び込んでいった底なしの穴の上で、青い鎧はただ待っていた。

 

「!」

 

 ぴしり、と音がした。

 氷の隙間から見える巨魔の体に無数のひび割れが走り、崩壊する。

 今までのそれとは違い、巨魔の体は崩れ落ちるようにではなく、無数の細かいチリに変わり、空気に溶け込んで消えていった。

 

「・・・」

 

 中身が消えてなくなり、からっぽの氷の抜け殻になった場所に青い鎧が降下する。

 高さ1000mの氷のドームの中は無数の光が乱反射して、たとえようもなく美しかった。

 

「・・・! ・・・・・・!」

「!」

 

 かすかな呼び声を、極限まで強化された青い鎧の聴覚がキャッチする。

 ドームの中にぽつんと立つ人影が見える。

 青い鎧が矢のように飛び、ふわりと着地した。

 

「・・・ハーディなんですか?」

「うん、僕だよ」

 

 こげ茶色の髪。道化広場で演奏していたときと同じ服装。

 顔立ちも、笑みを浮かべる様子もいつものハーディだ。

 

「ああ、でも正確に言えばヒョウエくんの知っていたハーディではないのかな。

 あの悪魔は僕から分かれたもう一人の僕だった。今は一つに戻ったから、少し変わってるかもしれない。

 ・・・全部僕のやった事だったんだ。それも、これも、全部僕が背負って行かなきゃならない。それがわかったから僕たちはこうして一つになったんだ」

 

 青い鎧が頷いた。

 その全身にひびが入り、無数の細かいカケラになって宙に舞う。

 渦巻くカケラが呪鍛鋼の杖の形になったとき、そこに立っていたのはヒョウエだった。

 右手を差し出してにっこりと笑う。

 

「おかえりなさい、ハーディ」

「ただいま、ヒョウエくん」

 

 にっこりと笑って、ハーディがその手を握り返した。

 



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エピローグ「そして人生は続く」

 

 

「もし自分が悪魔でなかったら、いっそ悪魔に身を売っちまいたい位の気持ちでさ」

 

 

                       ――メフィストフェレス、『ファウスト』――

 

 

 

 

「それでどうなったの、ヒョウエくん?」

 

 口元をぬぐいながらリーザが尋ねた。

 夕食の席である。

 

 いつものヒョウエ、リーザ、サナに加えてモリィ、リアス、カスミ。

 今回活躍したナパティとハッシャもご褒美と言うことで招待されていた。

 

「う! ま! い! ぞ~~~~っ!」

「うるせえよエロエルフ! 飯は静かに食え!」

 

 叫びながら食うナパティにモリィが文句を言う。

 

「サナ嬢、お代わりを」

「はい、少々お待ちください」

 

 一方ハッシャは無言で、ひたすらに食事を腹に詰め込んでいた。

 それらに微笑ましげな視線をやると、(口の中のものを飲み込んでから)ヒョウエはリーザの質問に答えてやった。

 

「ハーディは妹さんたちのもとへ戻っていきましたよ。

 ジャリーさんの方はどこへ行ったやら。一応夕食にも招待したんですけどね」

 

 その時のことを思い出してヒョウエが苦笑した。

 

 

 

 精神世界から戻ってきた後、ハーディの肉体は急速に元に戻った。

 心のバランスが回復したことにより、ヴィラン・コアの影響が抜けたのかも知れないが、理由は判らない。

 取りあえず屋敷に上がり、ヒョウエの部屋で服を借りて着替える。

 二人っきりになった部屋の中で、ハーディが深く頭を下げた。

 

「ヒョウエくんありがとう。それじゃ、僕は警邏に自首してくるから」

「え?」

 

 驚いた顔をすると、ハーディはさみしそうに笑った。

 

「だって父さんを殺してしまったのは僕だし・・・怪人になって王都の人々を傷つけて回ったのも僕だ。罪は償わないといけないだろう?」

「どっちもハーディがやったことじゃあないでしょう。あの怪人は・・・」

「あれが生まれたのは僕の意志だし、今はあいつも僕の中にいる。だったら彼のやった事の責任は僕が取らなくちゃ」

「・・・」

 

 正論ではある。

 ただ・・・

 

(生真面目すぎる)

 

 ヒョウエの内心の嘆息に気付かず、ハーディはいたずらっぽく笑って言葉を続ける。

 

「それでなんだけど、ソアラとレアの事をお願いできないかな――何だったら愛人にしてくれてもいいよ?」

「勘弁してください」

 

 今度は盛大に溜息をつく。ハーディがくすくすと笑った。

 

「ともかくそう言うわけだから、取りあえず家に戻って着替えてくるよ。

 服を返したらそこから警邏に――」

「行っても、何を言ってるんだコイツと一蹴されて終わりでしょうね」

「え?」

 

 今度はハーディが驚いた顔になる。

 

「で、でも、僕は・・・」

「コアだけじゃ証拠になりませんよ。お父さんのことにしても死体もないのでは信用もされません」

「で、でもヒョウエくんが証言してくれれば・・・」

「そして一番大きな理由はね、僕がそれを握りつぶすからですよ」

「はい?」

 

 ハーディが驚きを通り越して呆けた顔になる。

 言っている事が理解出来ない、そんな顔だ。

 

「僕の本名はヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネ。

 王弟アクティコ大公ジョエリー・シーシャス・ジュリス・ドネの嫡子です」

「え」

「れっきとした王族ですから、僕が一言言えば本当かどうかも怪しい『怪人』なんて門前払いを喰らって終わりですよ」

「ええええぇぇえぇえぇぇええええ!?」

 

 

 

「ああ、あの声ってそう言う事だったのね。何かと思った。

 それにしても・・・愛人?」

「いや、反応するところそこじゃないので!」

 

 微妙に剣呑な雰囲気を漂わせるリーザにヒョウエが焦る。

 経験的に、彼女がこう言う顔をするときはろくな事にならない。

 

「まーいーんじゃねえの? 話聞く限りあいつだって被害者だろ、どう考えても」

「そうそう、そうですよ! もうインヴィジブル・マローダーは出現しないんですから、犯人が捕まる必要は無いんです!」

 

 モリィの合いの手に、我が意を得たりと頷くヒョウエ。

 

「ヒョウエくん今『ナイスタイミング!』とか思ってるでしょ」

 

 少し冷たさを感じる幼なじみのツッコミは全力でスルーする。

 

 実際、ハーディが自首することには、本人の気持ち以外には全く意味はない。

 とは言えそれが事実であるならば、警邏としても放って置くわけにはいかない。

 父を殺したことも合わせ、恐らくは死刑が下されるだろう。

 

 なので、ヒョウエは王族としての立場を使ってそれを潰した。

 本来有り得ただろう封建制社会に比べればまだしも風通しはいいが、それでもここは現代日本のような民主主義社会ではない。王族が許せと言えば許される、そんな世界だ。

 

 そして王族が持っているのは権力だけではない。権威もだ。

 大宗教の教祖のように、許しを与えれば与えられた側が納得するほどの。

 

「まあ実際に手を回すと色々面倒くさいですからね。ハーディが納得してくれて助かりました」

「お父さんに借りを作る事になるもんね」

「ご実家にお帰りになる丁度良い機会だったのですが、惜しいことをしましたね」

「ぐぐ・・・リーザもサナ姉もひどくないですか」

 

 へこんだヒョウエを見て、リーザとサナが顔を見合わせて笑った。

 

「そう言えばジャリーのおっさんはどうしたんだ?

 いつの間にかいなくなってたけど」

「そう言えばそうですわね・・・」

 

 モリィとリアスの会話を流しつつ、ヒョウエは姿を消す前のジャリーの言葉を思い出していた。

 

 

 

「それじゃそろそろ失礼するよ。少年達によろしく」

「名乗らないんですか?」

「16年間放りだしておいて今更父親でございと? 私はそれほど恥知らずじゃないよ。

 彼の父親はゲイロさんだ。それに二人の淑女に君のお兄さんは君たちと半分血が繋がっていないんですよ、などと今更伝えて悲しませたくない」

 

 胸を押さえて大げさに悲しみの身振りをするジャリー。

 ヒョウエが思わず失笑した。ぱちり、とジャリーのキザなウインク。

 

「まあそのほうがいいかもしれませんね。このまま姿を消せば実年齢がバレなくてすみますし」

「まだそのネタを引っ張るのかね? 大体君わかってて言ってるだろう?」

 

 にやにやするヒョウエとそれを睨み付けるジャリー。

 しばらくそれを続けた後、二人は同時にプッと吹き出した。

 

「それではまた」

「ああ。またどこかで会えるといいな――君がハゲデブのおじさんになったころに」

「その時は貧相な老人になったジャリーさんを見て笑って上げましょう」

 

 ははは、と声をあわせて笑う。

 それがジャリーとの別れの言葉になった。

 

 

 

「あの方、結局何だったのでしょうね? ハーディさんに何か関係があったのか・・・あの方も怪人であるなら、コアを抜き取っておいた方が良かったのでは」 

 

 現在の食卓でリアスが首をかしげる。

 音を立てずに香草茶を飲みながらヒョウエが首を振った。

 

「まあ、大丈夫だと思いますよ。胡散臭い人ではありますが、悪人ではありません」

「私もそう思います、お嬢様。ハーディ様のことは・・・何か色々あったのでしょう」

 

 リアスとモリィが、同時にカスミを見た。

 

「な、なんでしょう?」

「カスミ・・・あなた、ヒョウエ様と何かあったんですの?」

「今妙に息がぴったりあってたよなあ」

「・・・」

 

 カスミが冷や汗を流した。

 恐るべきは女の勘。ジャリーの事に余り触れるべきではないとヒョウエのフォローをしたのだが、普段からすると「らしくない」行動が二人の直感に引っかかったらしい。

 

「そう言えばコアを安定化させたって言ってたよなあ・・・コアに取り込まれると互いの記憶が見えたりするんだよな・・・」

「そうなんですの? ではヒョウエ様の記憶を・・・モリィさんも見てるのに私だけ!」

「お、お嬢様! 大した物が見えたわけでもありませんから!」

「二人ともずるい! 私もそんなの見た事ないのに!」

「おめーはガキの頃から一緒だったんだからさんざんコイツのこと見てるだろ!」

「そうですわ! 私なんてこうして冒険の時にしかご一緒できませんのに!」

「それはそれ! これはこれだもん! カスミちゃん話して!」

「ひょ、ヒョウエ様の記憶を勝手にお話しするわけには・・・!」

 

 もはや収拾の付かない夕食のテーブル。

 

「ふーん・・・そう言えばなぁ~んか距離が近いよなあ?」

「そうだね。明らかにちょっと前よりヒョウエくんよりだよ・・・」

「カスミ・・・コアの中でヒョウエ様と何があったのです!? 白状なさい! まさか私を差し置いてヒョウエ様と・・・!」

「違います! 決してそのような!」

 

「ま、まあまあ、僕のプライバシーの問題ですから」

 

 ヒョウエが助け船を出そうとする。

 

「ヒョウエくんは黙ってて」

「はい」

 

 泥船だった。

 

「だらしないですね、ヒョウエ様?」

「助けて下さいよサナ姉!」

「これも男の修行の一貫かと存じます。存分に苦しんで下さい」

「・・・・・・・・・・」

 

 からかうようなサナの目を恨めしげに睨みつつ、ヒョウエは頭を抱えた。

 

 

 

 数日後。

 道化広場の「王様の場所」。

 こげ茶色の髪の少年が奇妙な楽器を弾いていた。

 バイオリンと大太鼓とトライアングルとドラムを合わせたような音色。

 

「おじさんだ!」

「悪魔のおじさんだ!」

 

 楽器のてっぺんを飾る奇妙な顔を子供達がはやし立てる。

 不思議な事に、その顔が笑っているように見えた。

 

 一曲を終えた少年に拍手と、僅かながらのおひねりが飛ぶ。

 次の曲を演奏しようとして、少年は大きなトランクを手に下げた黒髪の魔法使いの姿に気がついた。

 子供達がわっとその周囲に群がる。

 

「こんにちわ。これから劇を上演しようと思うんですが、音楽をつけて貰えますか?」

「うん、喜んで!」

 

 満面の笑みでハーディが頷いた。

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。



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四の巻「四つ辻の物語」
プロローグ「王宮の姉妹」


「泣く子と地頭には勝てない」

 

                          ――日本のことわざ――

 

 

 

 王都の北西、昼前の高級商店街。

 いつもの四人が大通りの歩道を歩いていた。

 (メットーを升の目に区切る17×17の大通りには車道と歩道がそれぞれ作られている。ちなみにオリジナル冒険者族(日本人)が作っただけあって、車道は左側通行だ)

 

 歩いているのは貴族や召使いが多いが、冒険者らしき人々もちらほらと見かける。

 とは言え彼らもそれなりに小綺麗な格好をしていて、ギルドの酒場の隅っこで万年赤板(最低ランク)をやってるような薄汚れた、あるいはガラの悪い連中はいなかった。

 

「存外に早く終わりましたねえ」

 

 ギルドから名指しで頼まれた貴族相手の厄介な依頼だったが、思いがけず早く完了して時間ができてしまっていた。

 

「まあこう言うこともあるだろ。どうする、この後は解散か?」

「そうですね。働きづめですし、半日休みにするのもいいでしょう」

 

 相変わらず、普通の(パーティ)なら数日がかりの案件を一日に数件という、非常識なオーバーワークを続けている毎日戦隊エブリンガーの面々である。

 

 ヒョウエは借金持ち、モリィは実家を買い戻すために貯金中。

 リアスは金銭的には困っていないが、武者修行のために怪物と戦うのは望むところ。

 カスミもそんな主の方針に異を唱えることはない。

 そんなわけで"インヴィジブル・マローダー"の騒ぎが終わった後、一週間で30を越える依頼を達成。その後一週間警備依頼につき、たった今それが終わったところだった。

 

「そう言えばモリィ達も青等級になったことですし、今日はお祝いでぱっとやりましょうか? 丁度その辺に美味しい料理を出す店が沢山あることですし」

「ああ、それはいいですわね! カスミの喜びそうな、甘い物があるところならなおよしですわ」

「いえその、お嬢様、わたくしは・・・」

 

 顔を赤くするカスミ。

 ヒョウエは微笑ましげに、モリィはにやにやと、リアスは愛でるような表情で。

 三者三様にカスミの様子を楽しんでいると、突然ヒョウエが帽子を深く被って顔を隠した。

 

「どうした?」

「そのまま話を続けてください。周囲から気取られないように」

 

 小声での指示に、モリィは頷くこともなく笑顔で会話を続ける。

 視線だけは鋭く、油断無く周囲に注意を払って。

 

「甘いのはあたしも食いてえな。リアスはここらへんでうまい店って知ってるのか?」

「え? ええ、そうですわね、確かお父さまに連れて行っていただいた"プラ・クリプ"という英雄譚をモチーフにした店が・・・」

「派手な店でございましたね。従業員がみな劇の登場人物のような格好をしていました」

 

 ぎこちないながらもリアスがそれに合わせ、カスミは如才なく相槌を打つ。

 

(・・・それっぽいのはいねえな。何があった?)

 

 回りから悟られないようにキョロキョロせず、視線だけを動かして周囲を確認する。

 

「そういやぁバラのジャムの揚げドーナツ、結局食わずじまいだったな。

 飯食った後、おやつに食いに行こうぜ」

「それは楽しみでございますね!」

 

 カスミに話しかけるように自然に首を動かし、後ろもちらりと確認するがやはりそれらしき脅威は見つからない。

 

(どうだ?)

(なんとも)

 

 笑顔を浮かべるカスミにアイコンタクトで訊ねてもみるが、やはり成果はない。

 もっとも強力な《目の加護》持ちのモリィが見つけられないものを、鍛えているとは言え人間の域を出ないカスミが見つけるのは難しいだろう。

 

(・・・ん?)

 

 そのまま歩いていると、程なく一台の馬車が車道の端により、一行と速度を合わせてゆっくりと併走し始めた。

 四頭立ての大きな乗用馬車。装飾も手が込んでおり、並の貴族や商人が使う代物ではない。

 

「・・・!」

 

 馬車の紋章を見たリアスが目を見開く。僅かに遅れてカスミも。

 首をかしげたモリィが口を開こうとしたところで馬車の窓から上品そうな女性の声が降ってきた。

 

「そこの術師、帽子を取りなさい」

「ハテ、ダレカトオマチガエデハ?」

 

 作り声でヒョウエがごまかそうとするが、声の主には一切の躊躇も容赦もなかった。

 

「帽子を取りなさい、ヒョウエ。私たちの顔を見て素通りするつもりかしら?」

「・・・・・・・・・・・・・・はい、姉上」

 

 大きく溜息をつく。

 観念したようにヒョウエが帽子を脱いだ。

 いつの間にかヒョウエたちの足も馬車も止まっている。

 馬車の窓から顔を出したのはくすんだ金髪の20才ほどの貴婦人だった。

 

「あら、まあまあまあ。年頃になって男の子らしくなってるかもと思ってたけど、とんでもない。もの凄い美人さんになったじゃないの、ヒョウエ?」

「勘弁してください、カレン姉上」

 

 ヒョウエが顔をしかめたところで馬車のもう一つの窓が開いた。

 

「兄様! ヒョウエ兄様!」

「久しぶりですね、カーラ」

 

 顔を出したのはカレンによく似た八歳くらいの少女だ。喜色満面に力一杯手を振っている。

 こちらには素直に笑顔を浮かべ、ヒョウエも手を振り返してやった。

 眼を細めてそれを見ていたカレンが頭を垂れて控えるリアスに気付く。

 

「あら、リアス卿。お久しゅう」

「お、お久しぶりでございます、カレン殿下、カーラ殿下」

「え」

 

 モリィがあんぐりと口を開ける。

 貴族社会には縁のない彼女だが、それでもこの国の王女の名前くらいは知っている。

 そして今更ながらに思い出したことだが、馬車の紋章はこの国の王家の紋章ととても良く似ていた。

 そんなモリィにちらりと視線をやってから、カレン――ディテク王国第二王女――は視線をリアスに戻す。

 ちなみにカーラは第四王女だ。

 

「家を出て冒険者になったと聞きましたが、まさかヒョウエと?」

「はい。武者修行も兼ねてヒョウエ様のお供を務めさせて頂いております」

「そう、弟を助けてくれてありがとう。今おつけになっているのが噂に名高い"白の甲冑"かしら? 眼福をさせていただいたわね」

「恐縮です」

 

 ちらり、とモリィとカスミに視線。

 それに気付いてリアスが二人を紹介した。

 

「カレン殿下、カーラ殿下。こちらがモリィ。"雷光のフランコ"のひ孫に当たる方で、当代の雷光銃の継承者ですわ。こちらはカスミ、私づきの侍女です。

 モリィ、カスミ、こちら第二王女カレン殿下と第四王女カーラ殿下でいらっしゃいます」

「よろしく、二人とも。それにしても"雷光のフランコ"とは。

 それに剣を下げているところを見ると、カスミの方も冒険者なのよね?

 冒険者族っぽい名前でニシカワ家に仕えているということは、ひょっとして噂に名高い"紅の影"の血筋のものだったりするのかしら?」

「お目もじ恐悦に存じます、モリィです」

「カスミです。ご慧眼、恐れ入ります」

 

 ややぎこちなくはあるが、モリィが礼儀正しく挨拶を返した。

 蓮っ葉な印象の彼女ではあるが、それなりの家の生まれであるから多少の作法は仕込まれている。

 一方でカスミはごく自然に貴人に対する礼を返した。

 カーラの相手をしてやっていたヒョウエが口を挟んでくる。

 

「カレン姉上のあだ名は『地獄耳』ですからね。いとこの中では一番こわい人ですよ」

「まあ、失礼ね」

 

 扇で口元を隠して笑うカレン。裏がありそうでもあり、なさそうでもある。

 

「ともかく久しぶりに会ったのだから乗りなさい。色々と積もる話もあるし」

「え!」

 

 カーラがパッと顔を輝かせる。

 

「あなた方もご一緒にどうかしら? 色々と弟の話を聞きたいの」

「は、はあ」

 

 リアスが戸惑い、モリィとカスミが目を見交わした。

 ヒョウエは困った顔。

 

「今これからですか?」

「私たちに一言も無しに姿を消して四年間音沙汰無し。あなたには説明責任があると思わない?」

「いや、僕も色々忙しくてですね・・・うっ」

 

 カーラが不安そうな顔でこちらを見ているのに気付き、ヒョウエのいいわけが途中で途切れる。

 

「乗りなさい、ヒョウエ」

「・・・はい」

 

 にっこり笑う姉のドスの利いた声と、妹の懇願の眼差しにヒョウエは屈した。




億が一この作品がアニメになったら、カレンの声優さんは甲斐田裕子さんにお願いしたい(何故)


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第一章「一の辻・金板(ゴールドプレート)の男」
04-01 君の行いがいけないのだよ


「《健康の加護》? 悪い事は言わねぇ、冒険者はやめとけ。

 《健康の加護》持ちが冒険者として成功した例なんざ――ああいや、一人だけいたか」

 

                          ――元冒険者――

 

 

 

「兄様!」

 

 馬車に乗るとカーラが飛びついてきた。

 

「相変わらずカーラは甘えん坊ですね」

「兄様が悪いんだもの。四年間お話しもできなかったんだから!」

「はいはい、それは僕が悪かったですよ」

 

 カーラを抱き上げて、額にキスをしてやる。

 嬉しそうな顔をして、カーラがヒョウエの頬にお返しのキスをした。

 

 そのままヒョウエが六人がけの座席の御者側、カレンと正面から向き合う場所に座る。

 カーラはそのままヒョウエの膝の上に。ヒョウエの横にモリィとカスミ。カレンの右隣にはヒョウエとも顔なじみの侍女が座っている。

 リアスはヒョウエの横に座ろうとしたが、一瞬躊躇して結局カレンの左隣に座った。

 

「リアス卿はおやさしくていらっしゃるわね」

「そんなのではございませんわ」

 

 くすくすと、楽しそうな笑みを浮かべるカレン。

 

「皆様、そんな怖がらなくても大丈夫ですわ。取って食べたりしませんよ」

「はい、お姉さまはお優しいです!」

 

 満面の笑みでカーラ。

 そんなカーラの頭を撫でながらヒョウエが溜息をついた。

 

「そりゃカレン姉上はカーラにだけは優しいですからね。カーラはそう言う感想になるでしょうよ」

「あら、あなたの事も随分とかわいがって上げたと思うのだけれど?」

 

 面白そうに眼を細めるカレン。ヒョウエが笑みを浮かべる。

 

「ええ、『かわいがって』いただきましたとも、それはもう」

「???」

 

 微妙なニュアンスの違いを理解出来ないカーラがキョロキョロと二人の顔を見比べた。

 

「だいたい僕なんかに構ってる暇があるなら旦那さんでも捜したらどうです」

 

 この世界、20は嫁き遅れに足を突っ込みつつある年齢である。王侯貴族なら尚更だ。

 せめてもの反撃であったが、不用意な一撃には強烈なカウンターが待っていた。

 

「それがねぇ、あなたに振られてから、それ以来話が無いのよね」

「「えっ!?」」

 

 愕然、と言った感じでモリィとリアスの喉から声が漏れる。

 モリィとリアス、そして声を上げなかったカスミをちらりと見るカレン。

 

「・・・どこからそんな話を聞いたんです。陛下からですか、それとも父からですか」

「さてねえ。私は地獄耳だものね?」

 

 扇で口元を隠して目だけで笑うカレン。

 カーラはよくわからなかったらしく、ハテナマークを浮かべている。

 

「お姉さま、『ふる』って何ですか?」

「私とヒョウエが結婚することになってたのに、ヒョウエが嫌がったってことよ」

「ええぇっ!? お姉さまずるい! 私もお兄様と結婚したい!」

 

 腕を振り回して怒るカーラ。ずり落ちそうになるのを慌ててヒョウエが支える。

 

「安心しなさい、あなたも振られたから。あなたとの結婚話もあったのにヒョウエが嫌がったのよ」

「ちょ、カレン姉上!?」

「・・・・!」

 

 姉の言葉にショックを受けるカーラ。

 ヒョウエを見上げる目に、見る見るうちに涙が盛上がる。

 カレンの額に汗が噴き出した。

 

「やば、やりすぎた」

「やりすぎたじゃないですよ! どうするんですこれ?!」

「お兄様、カーラのこと嫌いなの・・・?」

「そんな事はありませんよ! カーラのことは大好きです!」

「そうよ、カーラ。今のは冗談! ヒョウエもお姉様もあなたの事は大好きなんだから!」

 

 泣きそうな妹を必死でなだめる姉と兄。

 残りの三人が何とも言えない目でそれを見つめ、侍女が溜息をついていた。

 

 

 

 二人の必死の努力の甲斐あって、何とかカーラは機嫌を直してくれた。

 こぼれそうだった涙もヒョウエがハンカチでぬぐってやっている。

 ただし。

 

「意地悪なこというお姉様なんか嫌い!」

「ああああああああ」

 

 ヒョウエの胸元にしがみつく妹は、頭を抱えてわかりやすく落ち込む姉に目もくれない。

 

「自業自得ですよ」

 

 溜飲を下げたヒョウエが悪い顔で笑った。

 その手は止まることなくカーラの頭を撫でてやっている。

 むふう、とカーラが満足の溜息を漏らした。

 

「ヒョウエお兄様は大好き! カレンお姉様と違って!」

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」

 

 カーラが大輪の笑顔でヒョウエの胸に顔を埋める。

 頭を抱えて悶え転がる姉にはやはり目もくれない。

 

(これを天然でやれるあたり、やっぱりカレン姉上の妹なんですねえ・・・)

 

 現国王には正室と2人の側室がいるが、カレンとカーラは第三夫人の生んだ同母姉妹だ。

 他に同腹の兄弟姉妹はおらず、年が離れていることもあってカレンはカーラを猫かわいがりしている。

 カーラも非常に懐いているのだが、今回は盛大に地雷を踏んでしまったようだった。

 

「その、大丈夫ですか、殿下・・・?」

「だ、大丈夫です。大丈夫ですわ・・・」

 

 頭を振ってショックを回復しようとするカレン。

 

「つーん」

「ううっ!」

 

 これ見よがしに視線を逸らしてみせる妹に追加打撃を喰らうが、大丈夫、まだ許容範囲。

 

「そう言えばあなた達、どうしてあんな所を歩いていたの? 依頼の絡みかしら?」

「そんな所です。守秘義務があるので具体的にはお話しできませんけど。

 後、僕以外の三人が赤から青等級に上がったのでお祝いにその辺の店で食事でも、と考えてたんですよ」

「まあ」

 

 カレンが目を僅かに見開いた。隣に座るリアスに視線をやる。

 

「私の記憶に間違いがなければ、確かリアス卿が冒険者になったのは一月ほど前でなかったかしら?」

「は、はい。おっしゃるとおりです」

「凄いですね。赤等級から上がらずに終わる方も多いのでしょう?」

「おおよそはヒョウエ様のおかげですわ。私などまだまだです」

「はいはい、ご謙遜。毒龍(ヒドラ)や怪人と渡り合った当代の『白のサムライ』が何をおっしゃいますかね」

 

 ヒョウエが笑いながらからかうと、リアスは頬を染めて俯いてしまった。

 

「お兄様、ヒドラってなに?」

「あそこの建物と同じくらい大きくて、九本の首があって毒を吐く、怖い怪物ですよ」

 

 説明してやると、カーラは目を輝かせた。

 

「すごーい! さすがリアス卿は『白のサムライ』の後継者でいらっしゃるのね!」

「恐縮です」

 

 素直な賛辞に、今度ははにかみ笑いを浮かべるリアスである。

 

「さて、それじゃその時のことを話してあげましょうか・・・」

 

 

 

「かくして怪人は打ち倒され、妖刀は白のサムライの振るう剣によって真っ二つにされたのでした・・・めでたしめでたし」

 

 ヒョウエの語りが終わり、ぱちぱちぱち、と馬車の中に拍手が響いた。

 えぐいところやニシカワ家の内情、「青の鎧」の活躍などは抜いて、ヒドラ退治と怪人退治の下りをざっと語ったが、とりわけカーラには好評だったようだ。

 目を輝かせて拍手し、リアス達に対する目もこれまでとは随分違うものになっていた。

 

「相変わらず・・・いえ、随分と上達したわね」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

 

 茶目っ気たっぷりにヒョウエが礼をしてみせると、カレンがクスクスと笑った。

 

「そう言えば毒龍(ヒドラ)で思い出したけど知ってる? 今ディテクに『星の騎士』が来ているらしいのよ」

「えっ!?」

「本当ですか?」

「マジかよ、星の騎士ってあれだろ、ライタイムの金(等級)だろ? 一体全体何で・・・あ、申し訳ありません」

 

 思わず素が出たモリィが慌てて頭を下げる。

 

「構わないわ。私たちだけだもの――理由は判らないわ。でもちょっと前にトラルまで来てたらしいし、もうすぐメットーに来るんじゃないかしら?」

「うーん・・・」

 

 西のライタイム王国は東のディテク王国と並ぶ、大陸の二大国家の一角だ。

 ディテクの更に東方には謎めいた帝国アグナム、南方には八人の大魔道士が統べるゲマイ魔道共和国、北方の草原にはダルクと呼ばれる部族制の騎馬遊牧民の国がある。

 トラルはディテク第四の都市で、メットーの西十日ほどの所にあった。

 

 そして大陸全土でも十人いない金等級冒険者の一人が、今名前の上がった『星の騎士』グラン・ロジストだった。

 「星をまとった冒険者」「盾の英雄」「騎士の中の騎士」「守護者」。

 無数の二つ名を持ち、神より賜った金剛不壊の盾を持つ男。

 そして歴史上唯一、強力な《加護》を持たずに金等級まで上り詰めた冒険者。

 

 授けられる《加護》で最も多いのは《健康の加護》というのは前述した。

 彼の《加護》もまた、何の変哲もないその他大勢と同じ《健康の加護》。

 冒険者としては大成しないと言われる中で、彼は自らの技量と機転で名を上げ、高潔な人格とカリスマで人を惹きつけ、大部隊の冒険者グループをまとめている。

 

 そして百二十年前、一時はライタイムを滅亡の縁に陥れた「真なる毒龍(ヒドラ)」を討伐したことによって、彼は伝説となった。

 ライタイムの貴族位を授かり、それでいながら今も怪物や犯罪者と戦っている。

 金等級の中でも最も尊敬される英雄。全ての少年の憧れ。それが「星の騎士」だった。

 

「あれ? お兄様、でもその人が真なるヒドラを討伐したのが百二十年前なんでしょ? リアス卿みたいに代々継承者がいるの?」

「いいえ、彼は特別です。自分を磨いた彼は《加護》も極めています。《健康の加護》が極まると、どうもほとんど歳を取らなくなるらしいんですよ」

「すごい! エルフみたい!」

 

(間違ってもカーラをナパティには会わせられませんね)

 

 純真無垢な妹の夢を壊してはならないと固く決意して、ふと周囲の異常に気付く。

 

「あれ? どこへ向かっているんです? 王宮とは道が違いますよね?」

 

 いやな予感を覚えつつ姉に尋ねると、口元を隠したカレンが目だけでニマァと笑った。

 

「もちろんジュリス宮殿よ。叔父様にも久しぶりに会わせて差し上げたいしね。

 おっと、逃げようとするのは無しよ。あなたは私たちに説明をしなきゃならないんだから。その場所がたまたまあなたの実家と言うだけで」

「はかったな! 姉上、はかったな!?」

「ほーっほっほっほ!」

 

 顔色を変えるヒョウエ。扇で口元を隠したまま、カレンが高笑いする。

 残りの五人――カーラすら含めて――が、呆れた顔でそれを見ていた。




ディテク→ディテクティブ・コミックス(DC、スーパーマンの版元)
ライタイム→LYTIME→TIMELY(マーベルコミックスの前身)
アグナム→AGNAM→MANGA
ゲマイ→GEMAI→IMAGE (アメリカ第三位のコミック会社)
ダルク→DALK HORSE(アメリカ第四位のコミック会社)


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04-02 星の騎士

「うん?」

「カスミ、どうしました?」

「先の方が何やら騒がしいようです、お嬢様」

 

 リアスとカスミがそれぞれ窓から外をうかがうが、おかしなものは見えない。

 カレンが御者を呼んだ。

 

「グレッグ! 何か先の方で起こっていますか?」

「ええと・・・はい、凄い人だかりです。楽の音もしていて・・・行列らしいものがこっちにやってきます」

「行列? アリー、今日何かあったかしら?」

「いえ、姫様。わたくしの記憶の限りでは・・・」

「ふーん?」

 

 窓を開けてモリィが身を乗り出した。

 

「ありゃ冒険者か? 100人近い群れで中央にいるのは星をあしらったサーコートに水色の甲冑を着て馬に乗った騎士・・・おい、まさか」

「・・・」

 

 馬車の中が沈黙に包まれる。

 車輪が舗装の敷石を踏むゴトッゴトッと言う音だけが車内に響いた。

 

 やがて歓声とざわめきが馬車の中にもはっきり聞こえるようになった。

 モリィは眉をしかめながら窓の外を見ている。

 

「モリィさん、その水色の騎士は認識票を出していますか?」

「出してます。これ見よがしにサーコートの上に――金です。神々と竜の刻まれた金の薄板」

「・・・・・・・・・」

「姉上?」

 

 あごに手を当ててカレンが考え込む。

 モリィも振り向いて姉姫の方を見た。

 

「そうね・・・いえ・・・」

 

 カレンが何かを言う前に、御者の声がそれを遮った。馬車が止まる。

 

「姫様、人混みで馬車が進めません。いえ、今人垣が割れて・・・水色の騎士がこっちに来ます!」

「!」

 

 モリィとカスミが素早く窓をのぞく。

 それ以外の車内の人間が顔を見合わせた。

 

「何のつもりでしょう?」

「挨拶・・・でしょうか?」

 

 カレンの馬車には王族であるカレン個人の紋章があしらわれている。

 メットーの住人か、そうでなくても多少詳しい人間なら一目で王家の馬車とわかる。

 

 全身を覆う水色の騎士甲冑。翼をあしらった兜、銀の星を染め上げたサーコートに真紅の籠手。

 馬車の前で騎士が馬を下り、兜(口元だけが見えるタイプだ)を脱いでひざまずいた。

 やや濁った大声で口上を述べる。

 

「これなるはライタイム王国が金等級冒険者、"星の騎士"グラン・ロジスト!

 ディテク王国第二王女カレン姫にご挨拶申し上げるっ!」

 

 馬車の中では、カレンに視線が集中した。

 

「どうします、姉上?」

「王家の人間として、挑まれて逃げる訳にはいかないわね」

 

 カレンが立ち上がり、不敵に笑った。

 

 

 

 きい、と音がして馬車の窓が開いた。

 おお、と群衆がざわめく。

 

「私はディテク王国第二王女カレン。あなたの挨拶を受けましょう、グラン・ロジスト」

「恐悦至極にございますっ!」

 

 男が勢いよく顔を上げた。

 金髪を短く刈り込んだ、ごつごつした顔付きの男だ。

 いかにも冒険者、あるいは兵士と言った印象を与える風貌である。

 カレンが眉をひそめたのには気がつかず、男が再び大声を張り上げる。

 

「おお、何ともお美しい! お許しを頂けるのであればあなたとお近づきに・・・」

「控えよ」

 

 ぴしゃりと相手の言葉を遮る。

 声を張り上げはしなかったが、相手を圧するだけの威厳があった。

 

「・・・!」

「紳士は事をせくものではなくてよ。まずは挨拶から。その後のことはその後に」

 

 一瞬唖然としていた「星の騎士」が再び勢いよく頭を垂れた。

 

「ははっ! 我がご無礼、お許し下さい! 余りにもお美しいかんばせに触れ、我を失っておりました!」

 

 今度はカレンが目を丸くした。扇で口元を隠し、目だけで笑う。

 

「そう。ではごきげんよう。今度はもう少し礼儀を身につけてきなさい」

「ははーっ!」

 

 カレンが促し、馬車が動き始める。人だかりが割れて馬車を通し、立ち上がった「星の騎士」が蕩けたような顔でそれを見送っていた。

 

 

 

「どうでした、モリィ?」

「お近づきにとか言い出した時点で馬に乗ってる奴の一人が慌てて何かしようとしてた。

 後、噂に名高い金板の(パーティ)にしちゃあ、小汚い奴が多いな」

 

 モリィの言葉にヒョウエが頷く。

 

「ふうん」

「なんです、姉上?」

「別に? それで、あの"星の騎士"、あなたはどう見た?」

「まあ、あからさまにおかしいですね。礼法も心得ていないし、噂に聞くような高潔さを感じません」

「それね」

 

 カレンと、リアス、カスミも頷く。

 本来王家のものと話すときは許しが出るまでは頭を下げたままでいるのが普通だ。

 百年以上を生き、騎士の鑑と讃えられるような人物がそんな基本的な礼儀作法も心得ていないというのはあからさまにおかしかった。

 

「まあ口だけは多少達者なようでしたけど」

 

 無礼を詫びる「星の騎士」の様子を思い出して笑う。

 口先が達者な廷臣はいくらでもいるが、無骨な冒険者の口がペラペラ回るというのが少しおかしかった。

 

「それに金等級の格というか、そういうものも感じられないんですよね。腕は立つと思いますがその程度です」

「さすがは緑等級の現役冒険者ね。でも誰と比べているのかしら?」

「さてね」

 

 笑みを含んだ姉の視線に、ヒョウエは肩をすくめて答えた。

 

 

 

 そのまましばらく馬車が走る。

 ざわめきが聞こえなくなった頃、ヒョウエが口を開いた。

 

「止めて下さい、姉上」

「行くのね?」

「どうにも気になりましてね」

「え? ヒョウエ兄様行っちゃうの!?」

 

 驚いた顔で兄を見上げるカーラ。

 ヒョウエがその頭を優しく撫でてやった。

 

「少し寄り道するだけですよ。ジュリス宮殿で待っていて下さい」

「うん・・・」

 

 不安げに頷くカーラ。

 にたり、とカレンが笑った。

 

「約束を破ったらひどいわよ、ヒョウエ。生身の女じゃなくて本にしか欲情出来ない変質者だって噂をメットー中にばらまいてやるから」

「あのですねえ・・・」

「そうですよ姫様。本当の事を言ったところでお仕置きにはなりませんから」

「ちょっとモリィ?」

 

 ヒョウエの不服そうな視線をものともせず、二人の女が悪い笑みを交わした。

 

「あなたとはいいお友達になれそうね、モリィ?」

「あたしもそう思うぜ、姫様」

 

 いつの間にかモリィの言葉遣いが随分と砕けたものになっている。

 

「「「・・・はあ」」」

 

 リアスとカスミ、侍女が揃って溜息をついた。



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04-03 田舎者

 四人揃って馬車を降りる。

 走り去る馬車の窓から身を乗り出して、心配そうにこちらを見ているカーラに手を振ってやった。

 馬車の影も小さくなったところで身を翻し、先ほどの集団の方に歩き始める。

 途中の店で地味な外套を買ってヒョウエとリアス、カスミに着せた。

 

「もうそろそろこの格好じゃ暑いんですけどねえ・・・」

 

 季節は乙女の月に入った所。もうそろそろ初夏である。

 

「お前らみたいな目立つ奴らがうろついてたら一発でばれるだろ」

「モリィさんはいいんですの?」

「恨むならそんな派手な格好をしてる自分を恨みな」

 

 モリィは豊満な体つきを除けば、よくある斥候(スカウト)風の革の上下。

 対して他の三人は派手なローブに派手な白鎧にメイド服。

 恨みがましげなリアスの視線に、ニヤニヤしながらモリィは答えた。

 

 

 

「星の騎士ー!」

「グランさまー!」

 

 二街区(ブロック)ほど戻ったところで集団の端っこに接触した。

 周囲の群れはミーハーや野次馬の類のようで、歓声がひっきりなしに飛んでいる。

 

「人気だなあ・・・まあわかるけどよ」

「サインでも貰ってきますか?」

「よせやい、本物ならいざ知らず」

 

 モリィが肩をすくめる。

 そんな無駄口を叩きつつ、一行はしばらく行列についていった。

 

 先頭に「星の騎士」と数人の騎乗した男。その後ろに行進曲を奏でる数人の楽士。

 それに続くのはおそろいの青いマントと星形の止め具をつけた冒険者らしき男たち。武装はまちまちだが金属鎧を着ているものや、腕の立ちそうな連中はほとんどいない。

 

「・・・」

 

 ちらり、と仲間の三人に視線を飛ばす。

 モリィが再び肩をすくめ、リアスとカスミは無言で首を振った。

 

 更に一街区を東へ進み、行列は北へ曲がった。

 メットーは基本的に北の方へ行くほど金持ちや身分の高い人間が住んでいる。

 

「どこかの豪商か貴族に呼ばれたんでしょうかねえ」

 

 更に一街区半を進み、そこで騎乗した数人が貴族の館らしき敷地に入っていく。

 冒険者風の男たちは外で待機し、野次馬たちを散らす。

 

「ほれほれ、『星の騎士』さまはお貴族様と会見だ! もうしばらく出てこねえよ!」

「ちぇー」

「あーあ」

「・・・!」

 

 残念そうに散っていく野次馬たち。

 その中でヒョウエと仲間達が僅かに目をみはっている。

 

 ウィナー伯爵邸。

 つい先ほどまでヒョウエたちがいた場所だった。

 

 

 

 ウィナー伯爵。

 つい先日、冒険者ギルドに面倒な依頼を持ち込んだ男だ。

 貴族としても、商売人としても、軍人としても優秀な男だが、後ろ暗い噂が絶えない。

 

「魔道具にも造詣が深く、魔導技師としての知識と技術は極めて高いというのが同業者の間でのもっぱらの噂です」

 

 姉弟子から聞いた話を思い出す。

 そんな男からの依頼は貴重品の警備。秘密厳守、最低緑等級以上、拘束期間数ヶ月。

 受ける冒険者がいなくて困っていたギルドが泣きついたのがヒョウエ達だった。

 割増料金付きで請け負ったが、結局仕事は一週間で終わった。

 

「この『星の騎士』の来訪と何か関係が・・・」

「あのー、もしもし?」

 

 僅かに物思いにふけっていたらしい。

 後ろから肩をつつかれ、ヒョウエは振り向いた。

 

「あの、これは何かのお祭りなんですか?」

 

 四人の後ろに、大柄な男が立っていた。

 一見して田舎の純朴な兄ちゃんと言った雰囲気の青年である。

 体つきはたくましいが武術の心得があるようには見えない。

 野暮ったいが貴族街を歩いていてもぎりぎり見苦しくない程度に服装は整っていた。

 

(田舎の村長の息子さんとかでしょうかね)

 

「ああいえ、ライタイムの『星の騎士』さんがメットーに来てましてね。そこの伯爵家に入っていったところですよ」

「へえ、星の騎士! すごいなあ、一目見たかったなあ! いや僕もね、ライタイムの方から来たんだけど。もうちょっと早く出発してたら一緒に旅できてたなあ」

「へーえ。それは残念でしたね」

 

 ちらり、とカスミの方を視線だけでうかがう。

 極々僅かにカスミが頷いた。

 

「そう言えばメットーへは何の御用で? あ、僕はヒョウエです」

「これはご丁寧に。僕はロージ。用は・・・物見遊山かなあ。一応受け取らなきゃならないものもあったりするけど、ついでにあちこち見て回ろうかな、なんて」

「アトラからいらしたんですか? 向こうに比べるとメットーの町並みは物珍しいでしょう」

 

 ライタイム王国の首都アトラ。

 900年前の大地震で崩壊したメットーと違い、地盤の安定した地域にあるアトラは真なる魔法文明の時代からの古都だ。

 王国の名前は何度も変わったが、都は変わらず古代の建築様式を色濃く残している。

 冒険者族によって整然と再設計されたメットーとは、雰囲気がまるで違うはずだ。

 果たして青年が笑顔で、勢いよく頷いた。

 

「いや本当に驚いたよ! あっちは路地がごちゃごちゃしててね。

 メインストリートですらまっすぐじゃないし、幅もここの大通りの半分くらいしかない! いやあ、先進的な町だねえ!」

 

 それからもメットーのこと、ライタイムのこと、『星の騎士』のこと・・・話は弾んだ。

 その途中、くう、とヒョウエの腹が鳴る。

 

「あははは、失礼」

「いえいえ・・・おっと」

 

 ぐぎゅるるる、と今度は青年の腹が盛大に鳴る。

 一瞬顔を見合わせて、二人は笑い出した。

 少女たちが揃って苦笑を浮かべている。

 

 

 

 五人は少し南に下り、繁華街の屋台が並ぶあたりに来ていた。

 中華料理の屋台(無論オリジナル冒険者族が持ち込んだものだが、こちらの世界風に大分アレンジがかかっている)に腰掛ける。

 

「おやっさん、炒飯大皿と鶏排、春巻、エビチリに葱油餅、香草茶と食後に仙草」

「アイヨー!」

 

 馴染みなのか手慣れた様子で注文するヒョウエに、石炭かまどで両手用の中華鍋を振っていた親父が威勢よく返事する。

 

「他に何か食べたいものあります?」

「いや、取りあえずはそれ位でいいかな・・・仙草ってなに?」

「香草で黒く色づけした寒天を四角く切って、甘味のある蜜で食べるデザートです。

 油ものの後に食べるとさっぱりして美味しいですよ」

「へーえ」

 

 運ばれてきた点心をつまみながら話を再開する。

 この頃になるとヒョウエだけではなく、モリィ達も話に加わるようになっていた。

 

「この屋台も許可制でしてね。毎年免許を更新しないと商売できないんですよ」

「へー、そうなのかあ。ディテクは色々違うなあ」

 

 ぽつぽつした語り口で、話がうまいというわけではないが反応が率直で素直。

 野暮ったくはあるが好青年と言っていい人物だった。

 

「そういやあロージ、最近ライタイムの方はどうなんだ? 何か大事件とかあったりするのか?」

「いやあ・・・特にはないと思うよ。もちろん冒険者の人はゴブリン退治やら猫探しやらで毎日忙しいみたいだけど」

「その辺はこちらとお変わりないようですね・・・」

「『星の騎士』がこっちに来てるのは何故か、ご存じですか?」

「うーん、わからないな。そもそも星の騎士がライタイムを出たって言うのも、国境を越えてから知ったし」

「ふむう」

 

 『星の騎士』はライタイム最強の冒険者の一人だ。

 つまり、国家防衛の要の一つでもある。

 そうそうたやすく国を出られる身分ではない。

 到着した鶏排(鶏のスパイス揚げ)をかじりつつ、ヒョウエが唸る。

 話に唸っているのか、味に唸っているのか、多分両方だろう。

 

「それじゃあ・・・」

 

 ヒョウエが何かを言おうとしたときだった。

 

「!」

 

 一瞬だが、ロージの目に別人のような鋭い光が宿る。

 

「オヤジさんごめん!」

「ヒエッ!?」

 

 かまどで両手鍋を振っていた店主に手を伸ばし、鍋を引っこ抜いて後ろを振り向く。

 同時にカスミの聴覚が宙を切る音を捉え、モリィの目がこちらに飛んでくる五つの、拳ほどの石つぶてを捉えた。

 

「やべ・・・」

 

 警告を発しようとするが既に遅い。

 ヒョウエも素早く立ち上がっていたが、振り向く前に石つぶてが着弾する。

 その時。

 

「!」

 

 ロージが両手で持った中華鍋をくるりと回転させる。

 ただそれだけの動きで、こちらの卓を狙っていた石つぶてが全て弾かれた。

 五つのつぶてがそれぞれ石畳や街路樹に当たって止まる。

 

「きゃっ!」

「わっ!?」

 

 驚きの声がいくつか上がった。

 

「おお・・・!」

 

 リアスとカスミが感嘆の声を上げる。

 そして《目の加護》を持つモリィにはそれ以上のことも見えた。

 正面から防いだら貫通するであろうそれを、鍋の曲面で全て受け流す。

 それを誰にも当たらないように、しかも真昼の通行人の多い大通りでやってのけた。

 鉄製とは言え、ただの薄い鉄板でしかない中華鍋にはへこみ一つない。

 

(ナニモンだこいつ・・・!?)

 

 呆然と警戒が入り交じった視線で男を見る。

 そいつが振り向いて笑顔を向けてきた。

 

「やれやれ、危ないことする奴がいるもんだ・・・うわっちぃぃぃぃ!?」

 

 ロージが絶叫して鍋を放り出した。

 両手が真っ赤になっている。

 

「いや兄ちゃん、火に掛けてた鍋を素手で掴んだらそりゃそうなるヨ」

 

 涙目で両手に息を吹きかけるロージに、店の親父が呆れたように言った。



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04-04 木化け

「やれやれ、締まりませんね」

 

 苦笑しながらヒョウエが杖を動かした。

 転がった鉄鍋が宙に浮き、土ぼこりが綺麗にぬぐい去られ、最前から空中にぴたりと止まっていた鉄鍋の中身――彼らがこれから食べるはずの炒飯――が鍋の中に戻る。

 そのまま手元に戻ってきた鉄鍋を、店の親父が目を丸くして見ていた。

 

「念動の魔法かい? すごいなあ・・・あいたたた」

「はいはい、動かないように」

 

 両手にふうふう息を吹きかけているロージに一声かけて、赤くなった手のひらに指を当てる。やわらかな魔力光が指先に灯り、すっとやけどが消えていった。

 

「おおー。治癒魔法まで使えるのかい! 若いのにすごいねえ! いや、ありがとう!」

 

 手をぐっぱぐっぱと開いたり閉じたりしながら、ロージが感嘆の声を上げた。

 ヒョウエはそれに答えず、曖昧な笑みを浮かべる。

 

 一方でモリィ達は飛んできた石を回収していた。

 石はどれもつるりとした球形で、均一の灰色をしている。

 

「自然の石じゃねえな。投石紐(スリング)使いからしたらよだれものの弾丸だろうけどよ」

「モリィ様は投石紐(スリング)の心得もおありで?」

「いや、前に一緒に仕事した奴から聞いた話だ。こんな完璧な石は天然ものなら一生に一度お目にかかれるかどうか、だそうだぜ」

「とするとやはり魔法でしょうか。土の術にこのような石を飛ばすものがあるそうですが・・・」

 

 ロージの治療が終わり、三人はそこで話を切り上げた。

 五人が再び席に着き、食事を再開する。

 到着した炒飯を、もりもりと食べるロージ。豪快ではあるがどこか品がある。

 

「しかし、危ないいたずらをする奴もいるもんだね。誰にも怪我が無くてよかったよ」

「あなたがやけどしましたけどね?」

 

 ヒョウエが笑み混じりにからかうと、苦笑してボリボリと後頭部をかく。

 

「いやあ、それを言われるとつらいね。それにこの炒飯も無駄にならなくてよかった!」

「ヒョウエの野郎は食い意地が張ってるからな。そりゃあまず最初に飯を助けるさ」

「一度あなたとはちゃんと話をすべきかも知れませんね、モリィ?」

 

 快活に笑いながら更に炒飯をかきこむロージを見て、モリィとヒョウエがじゃれ合う。

 リアスが僅かに眉をひそめていた。

 

(いたずら、ですか。どう見ても故意の襲撃ですが)

(その通りですが話を合わせて下さいお嬢様)

(わかってますわそのくらい)

 

 リアスが唇を尖らせる。カスミが納得したように頷いた。

 

(ああ・・・さらりと話を合わせるモリィ様に焼き餅を焼いているんですね、これは)

 

「カスミ、何か言ったかしら?」

「何でもございませんお嬢様」

 

 

 

 六人分ほど注文した料理をデザートまで綺麗に平らげて、一同は席を立った。

 ちなみにロージとヒョウエで三人分以上食べている。代金はロージが二人分出した。

 

「いやあ、いい店を教えて貰ったよ、ありがとう!」

「いえいえ、楽しいおしゃべりでしたよ。それじゃこのへんで」

「ああ。メットーにいる間にもう一回くらい食事できるといいね」

 

 手を振ってロージが雑踏の中に消えていく。

 笑顔で手を振り返してそれを見送った後、四人が視線を交わして頷き合った。

 

 

 

 数分後、エブリンガー一行の姿は空中500mにあった。

 もっとも、透明な『場』にくるまれて周囲から見る事はできない。

 

「どれくらいもちますか、カスミ?」

「二十分というところかと」

「疲れてきたら言って下さい。疲労を回復しますから」

「かしこまりました」

 

 術を発動・維持するためには魔力が必要になる。そして魔力を練るには体力が必要になる。つまり術を使うと肉体的に疲労する。

 逆に言えば疲労を回復する手段があるのならいくらでも術は使えるし、ヒョウエは"疲労回復(レスト)"程度の呪文ならほとんど無限に使える。つまりそう言う事だった。

 

「ロージさんはどうですモリィ?」

「ずっと北に向かってるな」

「つまり、ウィナー伯爵邸ですか」

「ああ、今のところは・・・っ!?」

 

 モリィが引きつった声を出す。

 

「どうしました」

「視線があった。あいつ振り向いてこっちを見やがったぞ!」

 

 リアスが呆れたような声を出す。

 

「まさか。500mは離れているんですのよ?」

「ならどうしてあいつは振り向いて何もない空中を見たんだよ?」

「それは・・・」

 

 ヒョウエが後ろを振り向いた。

 

「カスミ、透明化の術は問題ありませんね?」

「はい」

 

 厳しい表情でカスミが頷く。

 

「カスミの術の問題じゃねえ。あいつが鋭いんだ。正直舐めてた」

 

 ヒョウエが今度はモリィの顔を見る。

 

「・・・できますか?」

「ああ。獣と同じだ。山の中の獣だ。あいつら、下手すりゃ一キロの距離からでもこっちの視線を感じて逃げやがる。だから木になるんだ」

「木?」

「あたしに野外活動者(レンジャー)の技術を仕込んでくれた奴が言ってた。

 獣を狩るときは木になる。人間の視線を感じれば奴らは警戒するが、木や石に見られても警戒はしない」

 

(・・・マタギの口伝に「木化け」「石化け」というのがありましたね。

 合気道の開祖植芝盛平は銃弾の弾道が赤い線として見えて、一瞬早く動くことで銃弾をかわすことができた。しかし狩りの名人の銃弾はかわせないと言った。

 そう言うあれでしょうか?)

 

 目を閉じて深呼吸するモリィを見ながら、そんな知識を掘り起こす。

 やがてモリィが深呼吸をやめ、目を開く。

 目が合い、頷いた。

 

「いいぜ。やってくれ」

 

 ヒョウエが無言で頷き、追跡を再開する。

 裏路地を早足で歩くロージを、モリィが静かな目で追いかける。

 ウィナー伯爵の屋敷に到着するまで、彼が振り向くことはなかった。

 

 

 

 ウィナー伯爵の屋敷は6mの高い塀に囲まれている。

 周囲を確認し、ロージがずだ袋から手ぬぐいと水袋を取りだした。

 手ぬぐいを濡らしてから水袋を戻し、ずだ袋を塀の中に放り投げる。

 そのまま垂直にジャンプして、塀のてっぺんに濡れた手ぬぐいを投げる。

 手ぬぐいはピタリと塀に張り付き、それを手掛かりにロージはそのまま軽々と塀を越え、内側に着地した。

 

「・・・ってわけだ」

「何ですのそれは? 魔法か、何かの《加護》でしょうか?」

「いえ、お嬢様。我が家に伝わる体術の中にそう言うものがあります。濡れた布は、驚くほどぴったりと壁や屋根にくっつくんですよ」

「ですね。まさかこっちの世界で見る事ができるとは思いませんでしたけど。モリィ、ロージさんは?」

「そのまま庭木づたいに隠れて・・・今屋敷に入った。やべえな、手際がよすぎる。あいつプロだぞ」

「そんな人には見えませんでしたが・・・」

 

 快活で純朴そうな人となりを思い出し、ヒョウエが沈思黙考する。

 とはいえ、短い会話だけで本性を見抜けるほど人物眼に自信があるわけでもない。

 

「どういたしますの、ヒョウエ様?」

「少し待ちましょう。多分騒ぎが起きるでしょうから、それに乗じて突入します」

 

 四人が頷く。

 屋敷の周囲が騒がしくなり、門前で待機していた「星の騎士」の一党が屋敷の中に突入したのはそれからまもなくのことだった。



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04-05 突入

「ちょっと失礼」

 

 ヒョウエの指が自分とリアス、カスミのマントをなぞる。

 指の動きに従い、マントが上から下にすうっと鮮やかに青く染まった。

 

「うおう、なんだこりゃ」

「物質変性の術のちょっとした応用と言ったところです」

 

 「星の騎士」に付き従っていた青いマントの冒険者たちが屋敷の玄関から中になだれ込む。

 ヒョウエ達は透明化を解除し、その最後尾に紛れて屋敷の中に突入した。

 

「透明化解除して大丈夫かと思ったが、誰も気付かねえな」

「寄せ集めなんでしょう。青いマントを着てればわからないんですよ」

「なるほど」

「急げ! 二階だ!」

 

 誰かの指示に従って、広い階段を二階まで駆け上がる冒険者の群れ。

 二階に上がって少し走ったところで人の流れが止まる。

 

「おい、どうした!」

「先の方が動かない・・・なんだありゃ!?」

 

 少し前の方で立ち止まっていた男たちの会話。

 更に先から鈍い打撃音、武器が打ち合う金属音。人が倒れるような音、短い悲鳴。

 その様なものが人垣の向こうから聞こえてくる。

 

「くそっ、見えねえ!」

 

 荒事をなりわいにする男どもであるから、前の人垣はヒョウエたちより頭二つ分高い。

 悪態をつくモリィをよそにヒョウエが術を発動して、四人は50センチほど浮いた。

 

「・・・!」

 

 目をみはる。

 廊下の突き当たり、広いホールで大立ち回りが繰り広げられていた。

 その中心にいるのはロージ。左手には敵から奪ったのか粗末な木の丸盾、右手は素手。

 武装した十数人の男に取り囲まれ、だが床にはその倍近い男たちが倒れている。

 

「おおりゃああ!」

 

 三人が右前、左、真後ろから同時にロージに斬りかかった。

 右前の一人から逃れるように左斜め「後ろ」にバックステップ。

 

「ぬぉっ!?」

 

 まさか振り向きもせず後ろに飛んでくるとは思わなかったのか、真後ろから斬りかかろうとした男が虚を突かれた。

 ぶん、と裏拳のように丸盾が振り抜かれ、ロージがくるりと一回転した。

 

 丸盾が左の男のあごをかすめ、真後ろの男の振り下ろした剣を弾き、踏み込もうとした右前の男を牽制する。

 最初の男は盾に脳を揺らされ、二番目の男は右フック。最後の男はたたらを踏んだところにアッパーカット。

 

 三人がほぼ同時に倒された。

 一呼吸の間の出来事。

 魔法を使ったわけでもない、何かの《加護》でもない。

 ただ自分の力と技だけでそれをやってのけた。

 

(つええ)

(何と言う、見事な・・・)

(・・・)

 

 モリィが目を見張る。近接戦の専門家であるリアスの驚きは更に上だ。

 ヒョウエは無言でロージを観察している。

 

「・・・」

「・・・・・・ううっ」

 

 周囲の男たちが一歩後ずさる。数で圧倒しているにもかかわらず。

 人の流れが止まった理由も同じだった。

 後から来た冒険者たちの足が、広間の入り口で止まってしまっている。

 

「な、何をしている! 行け! 行かないか! たった一人だろう!」

 

 震える声で叱咤しているのは『星の騎士』を名乗っていた男だ。

 剣を抜いているが前に出ようとはしない。

 その周囲では騎乗していた傍づきの男たちがうろたえていた。

 

「ひっ!」

 

 ロージが『星の騎士』を名乗っていた男の方を向いた。

 一歩踏み出すと、二人の間にいた冒険者たちが一歩下がる。

 

「ば、バカ! 引くな! 引くんじゃない!」

 

 悠然とロージが歩き出す。

 海が割れるように、囲みが割れた。

 『星の騎士』とロージの間に割り込もうとする人間はいない。

 

「やれやれ、ここが潮時か。もう少し倒して欲しかったがね」

「えっ・・・?」

「・・・何?」

 

 「星の騎士」の取り巻きの一人が溜息をついて肩をすくめた。

 「星の騎士」が驚いた顔で振り向く。

 ロージの眉がしかめられた。

 

「何者だお前は?」

「本当なら百人全員殺してくれれば良かったんだがね。まあ無力化してくれただけでもいいか」

 

 ロージの言葉を無視して男が懐をまさぐる。特にこれと言って特徴のない、中肉中背の男だ。

 

「っ!」

 

 何かを感じたのか、ロージが駆け出そうとする。

 だがそれより一瞬早く、男の術が発動した。

 倒れた冒険者たちの襟元についていた星形のマント止め。

 それらが青白い光を放ち、光が伸びて触手のようにロージに絡みつく。

 

「ぐ・・・」

「かっ・・・かかか・・・」

 

 倒れて動けない冒険者たちが苦悶の声を上げて痙攣する。

 ヒョウエが"生命感知(センス・ライフ)"か"魔力解析(アナライズ・マジック)"の呪文を発動していれば、マント止めが冒険者たちの生命力を吸収して光を放っているのがわかったろう。

 

 マント止めが光っているのは倒れた冒険者たちだけではない。

 ロージの周囲を囲んでいた冒険者たち、ホールの入り口で立ち止まっていた冒険者たちのそれからも妖しい光が発せられている。

 

「うぐっ・・・」

「おおおおお」

 

 膝をつき、悶え苦しむ冒険者たち。

 ただ、倒された者達に比べるとマント止めの光は鈍い。

 

(抵抗されているから効果が薄いんですね)

 

 うずくまる冒険者たちの上を通り過ぎて扉の影から中の様子を窺う。

 倒れた冒険者たちから霊体のような青白い触手が伸び、十重二十重にロージの全身に絡みついていた。

 全く動けないわけではないようだが、もがいても触手から逃れることができない。

 

「貸せ」

「えっ・・・お、おい!」

 

 術を発動した男が、「星の騎士」の剣を奪い取った。

 何か言いつのろうとした「星の騎士」が、術師の裏拳で顔面を砕かれ昏倒する。

 ロージが男を睨む。

 

「お前は・・・何者だ・・・!」

「ははは、わからんだろうな。お前を恨んでいる悪人など、それこそ星の数ほどいる――が、これならどうだね?」

「!」

 

 男が懐に手を入れる。

 取りだして顔につけたものを見て、ロージが息を呑んだ。

 

「"鉄の髑髏(アイアン・スカル)"・・・! きさまか!」

「ご名答。まあ、こんなものをかぶる人間がそうそういるとも思えんがね」

 

 ぐっぐっぐ、と鉄の髑髏の仮面をつけた男――アイアン・スカルは笑った。

 



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04-06 アイアン・スカル

 "鉄の髑髏(アイアン・スカル)"。ライタイムの有名な怪人(ヴィラン)だ。

 星の騎士が倒した真なる毒龍(ヒドラ)を崇めていた部族の出身で、毒龍を殺した星の騎士とライタイム王国を恨み、しばしば陰謀をめぐらせて星の騎士と戦っている。

 

「貴様、何故こんな手の込んだことを・・・」

「別に説明する必要はなかろう? まあしばらくは生かしておいてやるさ。

 抵抗する気もなくなるくらいに痛めつけさせてはもらうがね・・・」

「!」

 

 アイアン・スカルが笑い、倒れた「星の騎士」の手から、更に盾を奪い取った。

 それと同時に後ろに控えていた"取り巻き"たちが台車に乗せたものを運んできた。

 覆いを取るとその下には緑色の微光を放つ、ガラスの棺のようなもの。

 見るものが見れば一目で真なる魔法の時代の遺物とわかる。

 

(あれは・・・まさか?)

 

 それの放つ魔力の波動にヒョウエは覚えがあった。

 そのものを見る事はできなかったが、この一週間ほど感じ続けてきた、ヒョウエたちエブリンガーが警備していた「もの」の魔力だ。

 こちらも何か心当たりがあるのか、ロージの顔色が変わった。

 

「はは、わかるか。まあそう言う仲だものな、私たちは。

 お互いのことなら大抵は知っている、そうだろう、"親友(モナミ)"」

「やめてくれないかな。お前と友人などと言われるくらいなら、肥だめに頭から突っ込んだ方がマシだ」

 

 全身を縛る触手に全力で抗いながらも、歯を食いしばって笑みを浮かべるロージ。

 

「ははは! それは残念! 取りあえずは死なない程度に体を切り刻んで、動けない程度に血を抜いてやろう!」

「できるかな、その体で! 僕を舐めるんじゃあないぞ!」

 

 剣と盾を構え、ゆっくりとアイアン・スカルが近づく。

 ロージはもがくが、やはり自由には動けない。

 不思議な事に、近づいていくアイアン・スカルには触手は何ら影響を与えない。

 仮面の下で含み笑いをしながら、髑髏の男が剣を振り上げる。

 

「さて、余り傷つけるわけにも行かんがとりあえず腕の腱から・・・ぶぎゃっ!?」

 

 その瞬間、ロージの丸盾が髑髏の仮面を中身ごと叩き割った。

 

 

 

「えっ!?」

 

 顔面を砕かれてぐらりと揺れるアイアン・スカル。

 それに一番驚いているのは他ならぬロージだった。

 気がつけば体を束縛していた青白い触手が消えている。

 

 その一瞬の間にホールに駆け込んでくる影が三つ。

 咄嗟にそちらに盾を向けるが、三人はいずれもロージの方には向かってこない。

 

「っしゃっ!」

 

 スカウト風の少女・・・モリィが手にした雷光銃を素早く連射する。

 悲鳴を上げて「星の騎士」の取り巻きが次々と崩れ落ちた。

 頑丈な鎧を着込んでいたのか、それでも二人ほどが耐えて剣を抜く。

 

「はっ!」

「やっ!」

 

 そこに走り込んでくるのが「白の甲冑」を纏った女サムライとメイド忍び。

 敵ではないと判断してロージはアイアン・スカルのほうを振り向いた。

 ひしゃげた仮面。ふらつきながらも振り下ろす剣を、丸盾で弾く。

 斜めに流れた剣を追って、体も前に泳ぐ。左手に構えていた盾も体が開き、正面ががら空きになる。

 

「そんな程度じゃその盾は使いこなせないね・・・っと!」

 

 渾身のストレートがアイアン・スカルの顔面を捉え、怪人は今度こそ昏倒して大の字に転がった。

 

 

 

 周囲を警戒していたヒョウエがふうっ、と息をついた。ロージが不利になったら援護に入ろうかと浮遊させていた金属球も、心なしか動きがゆるくなる。

 リアスとカスミも、それぞれの相手を無力化していた。

 ホールに歩み入り、モリィとハイタッチ。

 見ると、ロージがこちらに歩み寄ってきていた。

 

「ありがとう、助かったよ」

「いやあ、あなたの実力でしょう」

「あの触手が消えなかったら危なかったけどね。君だろう?」

「まあね。最近身につけた解呪の術が、早速役に立ちましたよ」

 

 ヒョウエがにっ、と笑う。

 にかっ、とロージが笑い返す。

 拳と拳をコツン、と合わせた。

 

「しかし驚きましたね、まさか本物の星の騎士にお目にかかれるとは」

 

 ロージが片目をつぶり、唇に指を一本当てた。

 

「僕はライタイムの田舎者、ロージさ。そう言う事にしておいてくれ」

「ですか」

 

 くすくすとヒョウエが笑った。

 モリィが肩をすくめる。

 

「田舎者の演技にすっかり騙されたぜ。『星の騎士が国外に出ていたなんて、国境を出るまで気付かなかった』なんていけしゃあしゃあと言いやがってよ」

「モリィ、それは嘘じゃないですよ。だって自分が国境を越えたかどうかは、国境を越えた瞬間に気付くんですから」

「あー・・・」

 

 ぽかんと口を開けるモリィにまたくすくす笑い。

 

「まあ実際見事に化かされましたよ。"石弾(ストーン・ブリット)"の呪文を防ぐまで、武芸の心得があるようには見えませんでした」

「ちょっとしたコツがあってね。武芸の心得があるとついつい無駄のない動きをしてしまうけど、農民はそうじゃない。体を動かすとき、『よっこいしょ』と一抱えはある豚を持ち上げるようなつもりで動くと結構ごまかされてくれるものなのさ」

「なるほど」

 

 表情を多少まともなものに戻し、大の字に転がる髑髏の仮面に視線をやる。

 

「しかしアイアン・スカルですか。いやにあっけないですけど本物ですか?」

「まあ、本物と言えば本物かな。あいつはね、体を乗り移ることができるのさ。

 だから倒しても倒してもきりがない。

 こいつも適当な奴に乗り移って操作していた影武者ってところだろう」

「ふむう」

 

 緑色に光るガラスの棺に"魔力解析(アナライズ・マジック)"をかける。

 

「霊と精神・・・いや、魂かな? そんな系統の術式に見えますね。それ以上は詳しく調べてみないとわかりませんけど」

「やっぱりか」

 

 ロージが溜息をつく。

 

「心当たりが?」

「僕の体を乗っ取ろうとしているのさ。肉体と《加護》はそのまま使えるからね。

 痛めつけて抵抗力を削いでから、その遺物(アーティファクト)で体を奪おうとしてたんだろう」

「なるほど。では・・・」

 

 ヒョウエが何かを言おうとしたとき、ホールの反対側の扉が開いた。

 豪華な衣裳を着た男の後に、兵士と警邏達が続いている。

 さほど年を取っているとも見えないが、男は綺麗な禿頭だった。

 両手を広げ、満面の笑顔でこちらに歩み寄る禿頭の男。

 

「なんと、もう片付いておりましたか! 御礼申し上げねばなりませんなロジスト卿! あなたが来ると聞いて屋敷に招待したものの、まさか怪人とは!

 私もあやうく殺されかかるところだった! こうして兵を引き連れてきたが、一歩遅かったようですな!」

「・・・ウィナー伯爵」

 

 数時間前までの雇い主の名前をヒョウエが呟く。

 禿頭の男がにっこりと笑った。

 

「なぜ僕をグラン・ロジストと思われるのですか?」

 

 表情を消してロージが訊ねる。

 ウィナー伯爵はにこにこ顔を崩さない。

 

「昔ライタイムに出向いたことがありましてね。お顔は拝見しておりました。

 そちらに転がっている星の騎士殿の顔を見ていぶかしんだら、奴らめ、武器を抜いて襲いかかってまいりましてな。命からがら逃げ延びたというわけです」

「・・・」

 

 ロージが黙り込む。入れ替わりにヒョウエが口を開いた。

 

「僕からも一つよろしいでしょうか?」

「構わんよ、言ってみたまえ」

「ありがとうございます。あちらの」

 

 と、緑の光を放つガラスの棺を指さす。

 

「アーティファクトは僕たちが警備していたものだと思いますが、何かはご存じだったのですか?」

「いや、知らないな。偽物の使者が先に持って来たのだ。非常に重要なものと聞いたので警備をつけたが、思ったよりも早く彼らがついたので君たちとの契約も終了したわけだ」

「ですか」

 

 ヒョウエが溜息をつく。

 

(これ以上問い詰めても何も引き出せませんね、これは)

 

 そこで話はおしまいになった。

 警邏が手際よく冒険者たちを捕縛していく。

 どうも彼らはディテクに入ってから雇われた赤等級の冒険者たちらしい。

 それらしく見せるためのサクラ兼、ロージを捕縛するための生贄というわけだ。

 

 偽星の騎士およびその取り巻きたちは恐らくアイアン・スカルの一党だが、アイアン・スカルによる精神制御を受けている可能性が高く、むしろ被害者かも知れないとのことだ。

 

 

 

「奴はそう言う系統の術に長けていてね。やっかいなものだよ」

 

 貴族街の街路を歩きながらロージがぼやく。

 警邏が出て来た以上、彼らの出番は無い。

 星の騎士の装備品はいったん警邏が預かるのが普通だったが、ウィナー伯爵の口利きで直接返還して貰っていた。

 

「ご同情申し上げますよ」

 

 そうした敵の厄介さを知っているヒョウエが深く溜息をついた。

 

「それはこっちもだよ。・・・あの伯爵、ただものじゃあないね。アイアン・スカルに似たものを感じるよ」

「勘弁して下さい、否定はしませんけど」

 

 二人が苦笑をかわす。後ろを歩いていた三人娘も。

 

「それじゃあこのへんで。妹を待たせてますので」

「そうか、それじゃまた。それとあと一ついいかな」

「なんでしょう?」

「メットーで美味しい料理を出すお店、教えて貰えないかな?」

「帰るんじゃないのかよあんた!?」

 

 思わず突っ込んだモリィに、ロージが快活な笑顔を向けた。

 

「言ったろう? ついでにあちこち見て回るって。ライタイムからはそうそう出られない身分だし、少し位遊んでもいいじゃないか、ねえ?」

 

 ぱちりとウィンク。

 モリィが何とも言えない顔になり、残りの三人が揃って苦笑した。



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第二章「二の辻・メットー壊滅計画」
04-06 実家


「我が忠実なるデストロンの諸君、プルトンロケットを東京に撃ち込むゼロアワーが近付いて来た。

 いよいよ我々の世紀が始まるのだ」

 

                          ――デストロン首領、仮面ライダーV3――

 

 

 

「おお、良く帰ってきたなバカ息子――で、どれがお前の嫁だ?」

「このクソ親父が何をおっしゃいますかね。サナみたいな事を」

 

 ヒョウエの実家であるジュリス宮殿、玄関先の階段。

 一行を迎えたヒョウエの父、ジョエリーが開口一番放ったのが上のセリフだった。

 カレン達と同じくすんだ金髪、ヒゲを整えた30代半ばのハンサムで、王国の軍事を統括する大将軍でもある。

 その若々しい顔付きが満足げな表情を浮かべて頷いた。

 

「うむうむ、サナも心配してくれているのだな。やはりあれをお前につけて良かった。

 で、もう一度聞くが誰がお前の嫁だ?

 ああ、もちろんカレンやカーラや、何だったらサナやリーザでも構わんぞ?」

 

 ジョエリーの視線が一同の間をすり抜ける。

 モリィが思わず目をそらし、リアスが恥ずかしげに笑う。

 カスミは無表情を装っているが、他の二人と同じく僅かに頬を染めていた。

 満足そうにうむうむと父親が頷く。

 

「あのですね・・・」

「だめ! ヒョウエ兄様は私と結婚するの!」

 

 ヒョウエが何かを言う前にカーラが力強く宣言する。

 ヒョウエの左腕をしっかりと抱え込んで、離すものかと全身で主張していた。

 

「ははは、そうだな! 今日はヒョウエはカーラのものということでいいだろう!」

「わーい!」

 

 破顔一笑するジョエリー。嬉しそうにヒョウエの腕にしがみつくカーラ。

 ヒョウエが笑い続ける父親をじろりと睨む。

 

「勝手に息子を売り飛ばさないでいただけますかねえ」

「子供の結婚なんぞ親が決めるものだろうが」

「そりゃそうですが」

 

 この世界では正論ではある・・・とは言え。

 

「そう言うわけでさっさと孫の顔を見せろ。子孫を作るのは王侯のつとめだ・・・おっと、カーラが相手なら後七、八年は待たなきゃならんかな」

「親の決めた結婚をぶっちぎって身分違いの娘と結婚した上に、子供を一人作っただけで母上が死んだ後再婚も側室も置かないような人に言われたくはありませんが?」

 

 ヒョウエのカウンターに動じる風もなく、再びジョエリーが大笑する。

 

「はは! そりゃあしょうがないだろう、お前! ローラ以上の女がこの世にいるわけがあるまい! 後添えなんぞ貰う気にもならん!」

「・・・」

 

 もの凄く何か言いたげだが何も言えないヒョウエ。

 くすくすと、口元を隠してカレンが笑った。

 

「叔父様に一点ね、ヒョウエ?」

「姉上?」

「おお、こわいこわい」

 

 大げさに怖がる振りをして身を翻すカレン。

 憮然とした顔付きのヒョウエを見て、ジョエリーがまた笑った。

 

 

 

 いい加減立ち話も何だろうと言うことで、互いの紹介を済ませた後、一同は宮殿の廊下を歩いていた。

 モリィなどは「へー」と感嘆して廊下の装飾などを眺めている。

 隣で繰り広げられる、暖かい親子の会話から目をそらす目的もあったかもしれない。

 

「大体暇なんですか父上は。わざわざ玄関先まで出迎えに来て」

「誰がお前なんぞ出迎えるか。かわいい姪っ子が飛び出していったからに決まっているだろうが」

「?」

「父上はカーラとカレン姉上が大好きと言うことですよ」

「うん、私も叔父様が大好き! お父様とお母様とヒョウエ兄様の次位に!」

「ははは、ありがとうカーラ」

 

 そこでジョエリーが首をかしげた。

 

「ん? カレンのことは好きじゃないのかな?」

「お姉様は嫌い!」

「あああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 ふんっ!と勢いよく顔を背ける妹に、姉が頭を抑えて悶える。

 ジョエリーが呆れた顔になった。

 

「察するところ、何かお前をからかうつもりでカーラに流れ矢が飛んだのか」

「良くおわかりで」

「伊達に十年以上もお前達の父親や叔父をやってはおらん」

 

 カーラのしがみついてない方の肩だけで、器用にヒョウエが肩をすくめた。

 

 

 

 広い応接間、大きなソファにそれぞれが腰を下ろす。

 もちろんカーラはヒョウエの膝の上でご満悦だ。

 手回し良く用意されていた香草茶を一口飲んで、ふう、とジョエリーが息をついた。

 

「それで、誰が本命なんだ?」

「いつまで続けるんですかそれ?」

 

 息子の白い目にはっはっはと笑う。

 

「四年も顔を出さない放蕩息子だ、これくらい言っても悪い事はあるまい。

 んじゃまあご要望に応えてまじめな話をしようか」

「・・・」

 

 父親が笑みを消す。ヒョウエもまじめな顔になった。

 

「この四年のスラムの改善、見事なものだった。『青い鎧』の活躍を差し引いても大したものだ。陛下に奏上した甲斐もあったというものだ。お前を誇りに思うぞ、ヒョウエ」

「はい、父上。ありがとうございます」

 

 ヒョウエが静かに頭を下げる。

 周囲の人々が笑みを漏らす。そばにはべるベテランの侍従や侍女たちも、一見してそうとは見えないくらい、ほんの僅かに唇をゆるめた。

 

 

 

 その後はにこやかな歓談になった。

 "白のサムライ"の話、"雷光のフランコ"の話。

 雷光銃の実物にカーラはもとよりジョエリーやカレンも目を輝かせる。

 ヒョウエが冒険譚をいくつか披露し、拍手が起こった。

 

「ねえ、お兄様・・・」

 

 目を輝かせて、カーラが何か言おうとしたときにそれが来た。

 

「!」

 

 ぐらり、と部屋が揺れた。

 大きい。震度で言えば五か六はあるだろうか。

 悲鳴が上がり、飾られていた陶器(アリタ)が落ちて割れる。

 

「ひっ!」

「きゃあっ!?」

「・・・!」

 

 しがみついてくるカーラを左手で抱きつつ、床を杖で強く突く。

 

念響探知(サイコキネティックロケーション)!)

 

 特大の念動波が離宮全てに波及する。

 

「ぬんっ!」

 

 それで把握した宮殿とその中の構造物、加えて人間までをも全て"念動"の呪文で固定化する。

 

「え・・・」

「あれ・・・?」

 

 波が引くように混乱が収まっていく。

 揺れは感じるが、皿一つ棚から落ちはしない。

 人間の周囲には見えない壁のようなものがあって、転倒するのを防いでくれていた。

 

 それから一分ほど経って揺れは収まった。

 もう一度念響探知をかけて宮殿内に怪我人のいないことを確認すると、カーラを抱き上げてカレンに渡す。

 

「それではスラムが心配なので戻ります。申し訳ありません」

「うむ。俺も王宮に参内する。カレンとカーラも一緒に帰ろう」

「はい、叔父様」

 

 カーラを抱きしめて、カレンも頷いた。

 身を翻そうとして、カーラのすがるような目に気付く。

 杖から手を離し、その頬を両手でそっと包み込んだ。

 

「兄様、行っちゃうの・・・?」

「すぐにまた会えますよ。約束します」

「うん・・・」

「ほら、小指を出して」

 

 小指をからめて唱えるのはおまじないの言葉。

 

「「指を切り、千本の針にかけて我らは誓う。汝が願い、けして違える事なし」」

 

 からめた指を離し、不安そうな妹の額に口づけする。

 直立し続けていた杖を再び手に取った。

 

「モリィ、リアス、カスミ、悪いけど『野暮用』なので先に戻ります。屋敷で合流って事で」

「おう」

 

 言葉短く四人が頷きあう。それは「青い鎧」の出番を示す符丁。

 

「では失礼」

「あ、おい、どこから・・・」

 

 父の戸惑ったような声を無視して窓を開き、ぴょんと飛び出す。

 次の瞬間、ヒョウエの姿はもうどこにもなかった。



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04-08 震災

 青い鎧が王都の空を駆ける。

 ざっと見て一割、スラムでは三割を越す家が崩れ、そこかしこに煙も立ち上っていた。

 メットーのあたりは地盤が安定しており、滅多に地震が起きることはない。

 そのため建物の耐震性には不安があったが、思ったよりは被害は少なかった。

 昼下がりで昼食の時間が終わっていたのも幸いしているだろう。

 

(取りあえずは消火ですね)

 

 関東大震災の死者は約十万人だが、そのおよそ九割が火災による死者だ。

 オリジナル冒険者族の都市計画によって作られたおかげで建物の過度な密集も少なく、石造りの建物も多いメットーは当時の東京に比べれば火災に強い都市だが、それでも21世紀の東京とは比較にもならない。

 合掌するように両手を合わせ、天に向けて突き出す。

 

「"水流(ウォータープレッシャー)"!」

 

 全魔力を込めた両手からほとばしる洪水のような水。重力に逆らって下から上へと流れる大瀑布。それは優に王都の四分の一を濡らす土砂降りとなる。

 王都南西のスラムから南東の平民街、北東から北西をぐるりと回り、王都を一周。

 ものの数分で王都各所から立ち上っていた煙は全て消えた。

 

(次は救助活動ですね)

 

 "生命感知(センス・ライフ)"の呪文を唱え、倒壊した建物の中に残っている生命反応を特定。

 倒壊した建物を手当たり次第に掘り起こし、被災者を救出して、並行して治療呪文。扱いが多少雑だったが、非常時である。やむを得ないと自分に言い聞かせて数を助けることを優先した。

 

 一時間ほどで王都の要救助者はほぼいなくなった。

 見送る歓声に脇目もふらず南へ飛ぶ。

 王都の南には狭い平原が広がっており、川を半日も下ると海に出る。

 青い鎧はそのまま海へ出た。

 

(ジュリス宮殿で念響探知をしたとき、地震の震動波は南から来ていた――確かめておかなきゃならない)

 

 津波である。

 正確な統計を取ることはできないが、東日本大震災では恐らく死傷者の大多数がこれによる。

 滅多に地震の起きないメットー周辺では、当然津波に対する認識も薄い。

 

 王宮の書庫で読んだ古文書では、王都が一度崩壊した900年前のそれが最も新しい津波だった。

 よほど強力な魔術師か、神と契約して永遠の命を授かった〈百神〉の〈使徒〉でもなければ直接見た人間は既にこの世におるまい。

 津波に対する備えや知識も恐らくは失われているだろう。

 震度五か六程度であれば問題はないと思うが、念のため確認しておく必要があった。

 

(ん・・・)

 

 いくつかの離島を飛び越え、沖合20kmほどの所で津波を発見する。

 ただしその高さは30センチほど。

 青い鎧をまとったときの強化された視覚か、あるいはモリィの《目の加護》でもなければ上空からでは見逃してしまうだろうほどの波。

 念のためにもう少し南へ飛んで新しい津波が来ていないかどうか確かめてから、青い鎧は陸地にとって返した。

 

 

 

 その後、河口の港町ビップルを始めとしたメットー周辺の町や集落の救助を終えて、ヒョウエは屋敷に戻った。既に空は赤く染まっている。

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"も停止寸前で、"巨人(ギガント)"や怪人と戦った時ほどではないにしろ、かなり消耗していた。

 居間に転移し、杖にもたれかかって深く息をつく。

 

「ヒョウエ!」

「ヒョウエくん!」

「ヒョウエ様!」

「お疲れさまでした。ご無事で何よりです」

 

 少女たちの声に手を上げて応える。声を出すのもおっくうだった。

 

「お役目お疲れさまでした。お父上から使者が参りましたが、その件は後にした方が良さそうですね」

「うん、そうして。流石に疲れた、先に休ませて貰いますよ・・・」

「それでは」

「ふわっ!?」

 

 フラフラと部屋に戻ろうとしたヒョウエを、サナが無造作にお姫様抱っこする。

 

「ちょっとサナ姉!?」

「昔は何度もこうして寝所まで運んで差し上げたではありませんか。恥ずかしがる事はありません」

「今は僕も大人ですよ!?」

「そう思うならもっと肉をつけることですね。ヒョウエ様は昔も今も羽根のように軽くていらっしゃる」

「いや僕は頭脳労働者ですし・・・あ、ちょっと! 下ろしてくださいよ!」

 

 騒ぎながら抵抗することもできず運ばれていくヒョウエを、四人の少女が唖然として見送った。

 

 

 

「おはようございます」

「おはよう、ヒョウエくん!」

「よっす」

「おはようございます、ヒョウエ様!」

「おはようございます」

 

 ヒョウエが目を覚ましたのは翌朝だった。

 泊まっていたモリィ達と共に朝食。

 焼きたてのパン、鳥肉のホワイトシチュー、スクランブルエッグ、カリカリベーコンに生野菜のサラダ。

 それらを親の仇のように腹に詰め込んでいく。

 朝食としては重めの料理の山が見る見るうちに消えていくさまを、モリィ達が目を丸くして見ていた。

 

「ふーっ・・・ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 

 だらんと椅子の背にもたれかかるヒョウエ。

 食事の後の心地よい虚脱感だ。

 

「それでお父上からのご伝言ですが、今よろしいでしょうか」

「ええ、お願いします」

「今日の朝十時までに王宮に参内するようにと」

「はい?」

 

 ヒョウエが怪訝そうな顔になった。

 

「僕がですか? ジュリスではなく王宮に?」

「はい。礼服や馬車などはジュリスで用意するので、その前に立ち寄るようにとのことですが」

「うーん・・・」

 

 頭をひねってみるが、それで答えが出るものでもない。

 ちらりと置き時計を見るが、もうすぐ八時半というところだった。

 

「まあしょうがありませんか。これから出ますからサナ姉とリーザはついてきて下さい。

 他の三人はすみませんけど留守番お願いできますか」

「うん、わかった!」

 

 リーザとサナ、モリィ達がそれぞれに頷くのを確認して、ヒョウエは席を立った。

 

 

 

 スラムからジュリス宮殿は数キロ。歩いて一時間ほどあるので、杖でさっと飛んでいく。

 宮殿を守る兵達は空から降りてきた一行にぎょっとしたが、ヒョウエと気付くと一糸乱れぬ敬礼の姿勢になった。

 

「ご苦労様です、モート、フォレスト。フォレストは随分様になりましたね」

「!」

「・・・はっ! ありがたくあります!」

 

 名前を呼ばれて感動している二人に微笑みかけると、ヒョウエは玄関に続く階段を上っていった。

 宮殿に入るなり父親への挨拶もそこそこに、侍女のおばちゃん達に捕縛連行される。

 

「さあ若様! 今日ばかりは逃しはしませんよ! 旦那様にきつく言われてますからね!」

「勘弁して下さいよ、カニア。今まで逃げた事なんてないでしょうに」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。嫌なときは最初から書庫に立てこもって出てきやしないんですから! リーザやサナを随分困らせてたのもご存じないでしょうね!」

「えーと・・・」

 

 姉代わりの執事と乳母子の方をちらりと見る。

 にっこり、と明白な拒絶の笑顔を突きつけられてヒョウエは溜息をついた。

 

 

 

 冠代わりのサークレットにぴったりした青のチュニックとズボン、短いマント。

 王族にふさわしい衣裳を着せつけられて、ヒョウエは父と一緒に馬車に乗っていた。

 サナと、ジョエリーの従者が同乗している。

 自分の着ている服を見下ろして、誰にともなくヒョウエが独りごちた。

 

「しかし、四年で体つきも随分変わっているのに良くぴったりに仕立てられますねえ」

「それだけ仕立て屋の腕がいいと言うことだ。カーマインはいい仕事をしてくれている。

 しかしお前、それを本当に持っていく気か?」

 

 ジョエリーの視線が向いているのは、呪鍛鋼(スペルスティール)の杖。普段の魔法使いルックならともかく、今の王子様スタイルには似合わないことおびただしい。

 

「別にいいでしょう、これくらい。術師としては手元に置いておかないと落ち着かないんですよ」

「・・・まあいいがな」

 

 素人目にも業物なのは理解出来るので、ジョエリーもそれ以上は言わない。

 

「しかし、王宮に呼び出しと言うことは陛下の? 地震で何かあったんですか」

「ここでは言えん話だ。兄者から直々に聞くがいい」

「・・・わかりました」

 

 そこはかとない不安に溜息をつきつつ、ヒョウエは背もたれに身を預けた。



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04-09 マイア・ジェイ・ボッツ・ドネ

 

 さほどの時間もおかず馬車は王宮に着き、ジョエリーとヒョウエは奥に案内される。

 サナたちは専用の控え室だ。

 

 閣議の間に入る。

 既に国王を除く他の面々は揃っていた。

 ヒョウエのいとこである王太子や各大臣、カレンの姿もある。

 二人の、正確にはヒョウエの姿を見て一斉に驚きの声が漏れた。

 

「おおう・・・」

「・・・ヒョウエ、か?」

「なんと」

「美しい・・・」

 

 ざわめく一同。カレンだけは扇で口元を隠して楽しげに笑っている。

 ジョエリーが苦笑し、ヒョウエが皮肉げな笑みを浮かべて一礼した。

 

「ご無沙汰しております、お歴々。ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネ参上致しました」

 

 思わず「美しい」などと言ってしまった大臣の方にちらりと視線を向けると、でっぷりした老人は慌てて咳払いしてごまかした。

 ヒョウエのいとこである王太子アレックスがやや呆れたように口を開く。

 

「久しぶりだな、ヒョウエ。いやしかし・・・子供の頃から叔母上に似て美しかったが、お前もう16だろう? まさかとは思うが本当に女なんじゃなかろうな?」

「それ以上言ったら戦争ですよレクス兄。大体一緒に水浴びをした仲でしょうが」

 

 睨んでくる従弟に苦笑するアレックス。

 ちなみに彼は五つ年上の21だ。

 

「まあそうだが誤魔化す手段はないでもないからな。実際お前はオリジナル冒険者族だし、桁外れに優秀な術師なんだろう?」

 

 ちらりとヒョウエの持つ杖を見るアレックス。

 

「相性というものがありましてね。使えない訳じゃないですが得手ではありません」

 

 肩をすくめる息子の胸を、ジョエリーが軽くこづく。

 

「アレックスもヒョウエもその辺にしておけ。さっさと席に着くぞ」

「はいはい」

「すみません、叔父上」

 

 二人が席に着くと、間もなく儀礼官が国王の入来を告げた。

 一斉に起立し、頭を下げるとともに国王マイア・ジェイ・ボッツ・ドネが入室し、席に着く。弟に威厳と風格を足したような、40間近の謹厳そうな男性だ。

 

「みなのもの、大儀である。着席せよ」

 

 一同が席に着くと、マイアはヒョウエをしげしげと眺めた。

 

「ジョエリー」

「なんでしょう兄者」

「そこにいるのは本当にヒョウエか? 今まで隠していた双子の妹とかではないのか?」

「伯父上!」

 

 ヒョウエが叫ぶ。そろそろこめかみに青筋が見えそうな表情。

 思わず吹き出したアレックスを、更に剣呑な表情でヒョウエが睨んだ。

 

「はは、許せ許せ。だが忙しいとは言え四年も音沙汰無く、俺の大事な末娘(カーラ)が枕を涙で濡らしていた事を思えばこれくらいは構うまい?」

「それを言われると弱いですけどね・・・」

 

 実に楽しそうな笑みを浮かべるこの国の最高権力者。

 横でニヤニヤしているナンバーツーとは本当に似たもの兄弟だと思いつつ、父親の脇腹を肘でえぐる。

 国王がそれを見て笑みを深くしていた。

 

「まあそれはさておきだ、ヒョウエ」

「はい」

 

 マイアが表情をまじめなものに改める。ヒョウエもまじめな表情に戻って国王に向き直った。

 

「この四年のつとめ見事なものであった。褒めて取らす」

「勿体なきお言葉にて」

 

 立ち上がり、一礼する。

 拍手が起きた。

 アレックスとカレンは自慢の弟を見る目で、大臣たちもほほえましげな表情で両手を叩いている。マイアとジョエリーがうむうむと頷いた。

 

「さて」

 

 ぱん、と国王が手を叩く。

 

「家出息子の話はここまでにして、本題に入ろう。

 取りあえずお前達は下がれ」

「はっ」

 

 国王とカレンの背後に控える二人を除いて儀礼官や衛士達が一礼して下がる。

 ドアが閉まって二呼吸ほどして、改めてマイアが口を開いた。

 

「さて。他でもない、昨日の地震のことだ。

 青い鎧のおかげで大きな被害は出なかったが、それでも百人を超える民が死んだ」

「・・・」

 

 何人かが瞑目する。ヒョウエもその一人だ。

 恐らくは世界最強であろう力を持ってはいても、助けられないものはいる。

 

(その無力感を乗り越えて進め。失敗して、犠牲者を出しても折れるな。お前が動くことで、たとえ一人でも必ず助かる人間がいる。諦めるな。決して歩みを止めるな)

 

 子供の頃に教えられた言葉。

 あるいは前世で見聞きした言葉だったかも知れない。

 それをあらためて心に焼き付ける。

 次の一人を助けるために。

 

「ヒョウエ」

「はい」

 

 目を開き、伯父の目を見返す。

 

「お前を呼んだのはスラムの代表として話を聞きたかったからだ。

 スラムの状況はどうだった?」

「青い鎧が初動で火を消してくれたのが最善手だったと思います。木造の建物も多く、しかも密集している。

 前世のニホンでのことですが、昨日のそれよりも遥かに巨大な地震が首都で起きたことがあります――その時は、火事で十万人が死にました」

「・・・・・・・・・!」

 

 閣議の間の全員が息を呑んだ。十万人という数字に理解が追いつかないのだろう。

 淡々とヒョウエが言葉を続ける。

 

「この王都も九百年前の大地震のとき、大火で当時の1/3近い人数が死んでいます。

 再建された今のメットーは街区ごとに広い大通りに遮られてますし、火除け地も多い。そこまで火が回る事はなかったかもしれませんが、試してみる気にはなれませんね」

 

 閣議の間のあちこちからうなり声が起きる。

 

「そうか、広い大通りは交通の便のためと思っておったがそう言う意味もあったのか」

「その辺を書いた本が王宮の書庫にありますよ。メットー行政府の公文書庫にもあったはずです」

「流石お前は本の虫だな・・・」

 

 呆れたようにジョエリーが言う。

 

「お褒めにあずかり恐悦至極」

「褒めとらん」

 

 四年経っても全く変わらない親子漫才に周囲から思わず苦笑がこぼれる。

 カレンだけは楽しそうに眼を細めているが。

 

「まあ地震についての講釈はそれ位でいいだろう。青い鎧がいなかったら大きな被害が出ていたのも間違いない」

 

 国王の言葉に、周囲がまじめな顔に戻って頷く。

 

「それで・・・だ。ウェルダー」

「はっ」

 

 国王の背中に控えていた男が頷いた。

 

「~~~」

 

 一言呪文を唱え、印を切る。

 次の瞬間、術式が部屋全体を包んだのがわかった。

 

(相変わらず見事なものですね)

 

 ウェルダーと呼ばれた彼は沈黙術師(サイレマンサー)。音系の魔法の使い手の中でも特殊なタイプの術師だ。

 密談のときに沈黙の結界を張り、音が部屋の外に漏れないようにする。加えて外部からの念視や盗聴の魔法を防ぐ結界も張る。

 高位の貴族の家にはよく見られる人々で、長く王宮に仕えているだけあってウェルダーの術式と魔力はたいしたものだった。

 

 "魔力解析(アナライズ・マジック)"をかけて周囲を確認する。規則正しい術式構成とそこにみなぎる魔力が美しい。

 それに気付いてこちらを困ったように見てくるウェルダー。

 ごまかし笑いを浮かべると、あちらも困った顔のまま笑みを浮かべた。

 

「よし。それでだ。わかっていると思うがこれから話すことは他言無用。

 漏らした場合、家門断絶もあると心得ろ」

「・・・!」

 

 ぴりっ、と緊張が走った。

 その中で、代表してアレックスが口を開く。

 

「それで父上。一体何が起こっているのですか?」

「ああ」

 

 マイアが厳しい表情で頷く。

 

「まだ未確認だが・・・昨日の地震は人為的なものである可能性がある」

「!!!!!!!!!!!!」

 

 部屋の中がどよめきに満たされた。



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04-10 会議は揺れる

「兄者、さわりだけは聞いたが一体どう言う・・・?」

「詳しいことはカレンに説明して貰う。この情報を持って来たのもあれの部下だからな」

 

 国王の言葉に、室内の視線がカレンに集中した。

 

「姉上が・・・?」

「あら、流石に知らなかったみたいね。私たちの母が"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"――名前は知ってるわね、王国諜報組織――の長の娘だったのよ。

 その関係で二年ほど前からそちらの仕事を任せて頂いている、というわけ」

「はー、伯母上がですか」

 

 流石に驚いたのか、ヒョウエが大きく息を吐く。

 

「まあ納得できると言えば納得できる話ですが」

「あなたも言ったでしょ。私は地獄耳なのよ」

 

 扇で口元を隠し、カレンがしてやったりと微笑んだ。

 だがそれもつかの間、すぐに扇を閉じて表情を仕事向けのそれに戻す。

 

「現状ではあくまでも推測ですが――数ヶ月前、民間の学者が姿を消しました。

 その研究資料もほとんど無くなっておりましたが、残ったものを調べさせたところ、メットー近辺に大地を操る真魔法文明時代の遺跡がある可能性が浮上したのです。

 大地の力を操って土地を豊かにしたり、地震の被害を抑えたりするための施設だったようですが――悪用すれば今回のように地震を起こすこともできるのではと」

 

 部屋の中がざわめいた。

 無言で考えこむヒョウエにちらりと視線をやる。

 

「わかるかしら、ヒョウエ?」

「今の話だけだと何ともですが、地脈やプレートを操る魔法装置でもあるんでしょうか。

 地震を起こしたり被害を減らすだけなら慣性制御――手を触れずにものを動かす念動の術でもできるでしょうが、大地の力を操るというなら多分そちらですね」

「よくわからないけどあり得るって事ね」

「そんな感じです」

 

 説明しても理解出来るとは思えなかったので肩をすくめて適当に流す。

 カレンの方も期待はしていなかったようで、軽く頷いた。

 

「そう言えば姉上。三ヶ月ほど前にも中央公園の時計塔が崩れる地震がありましたが・・・」

「青い鎧が時計塔を支えてくれたあれね。可能性があるとしか言えないわね、現時点では」

「ですか」

 

 溜息をつくヒョウエ。カレンが視線を戻す。

 

「陛下にご報告して調査を続行しておりましたが、残念ながら昨日地震が発生してしまいました。無論自然のものと言う可能性もありますが、無視はできないでしょう。

 わたくしからは以上です」

 

 部屋の中がざわつく。

 しばらくそれを放置した後、マイアは手を打って彼らを沈黙させた。

 

「カレン、その遺跡とやらの場所は今もってわからんのだな?」

「はい、陛下」

「何者がそれをやったかも」

「はい」

「あれ以上の地震を起こせるか、もう一度起こせるかどうかもわからんと」

「仰せの通りです」

 

 国王が溜息をついた。

 

「雲を掴むような話だな」

「申し訳ありません」

 

 カレンが苦笑する。

 

「いや、いい。お前達はよくやってくれている。引き続き調査と探りを頼む」

「はい、陛下」

 

 まじめな顔でカレンが一礼した。

 マイアが全体を見回す。

 

「そう言うわけだ、この事態に能動的に対処するには情報が足りない。

 現状でやれることは、次の地震に対する備えだ」

 

 一同が頷き、マイアが視線をヒョウエの方に向ける。

 

「ヒョウエ」

「なんでしょう、陛下?」

「オリジナル冒険者族であるお前の知恵を借りたい。地震の被害を抑えるのに有用なニホンの知識。この世界でも実現できそうなものがあれば片っ端から上げていってくれ」

 

 ああなるほど、と頷く。

 

「かしこまりました。ただそう言う事でしたら、先にも申し上げました王宮の書庫にある書物が有用かと。大方は都市設計と防災思想を論じたものですが、そうした具体的な防災手段に関してもいくらか言及があったかと思いますので取ってきましょう。

 場所は大体覚えてますし」

「おお、それは助かるな・・・待て、ヒョウエ。まさかとは思うがお前、あのホコリとカビの山のどこに何があるか全部わかってるのか?」

 

 眉を寄せてマイア。

 

「まあ大体は読みましたから」

「読んだのか・・・」

 

 父親と同じような表情でアレックス。

 周囲の人々も同じ表情で視線を集中させている。

 

「しかしホコリとカビの山とはご無体な言いようじゃないですか。司書が泣きますよ」

「実際そんなものだろうが」

 

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

「否定はしませんけどね。それはそれとして凄いのは過去のオリジナル冒険者族ですよ。わかりやすく分類する方法は彼らが伝えたんですから。ではちょっと失礼致します」

 

 一礼するとヒョウエが退出する。

 一斉に溜息が漏れた。

 

「普通は数万冊の本を全部読破したりしないんだよ、ヒョウエ・・・」

 

 疲れたようなアレックスの声が、その場の総意であるかのように響いた。

 

 

 

 十分と経たずヒョウエは戻ってきて、それからはしばらく大まかな防災計画の立案が話しあわれた。書記を呼び戻し、出席者それぞれの発言を記録させていく。

 昼食を挟んで会議は夕方まで続いた。

 

「ふう・・・」

 

 会議の終了と解散が告げられ、ヒョウエは大きく伸びをした。

 微笑ましそうにジョエリーが息子を見下ろす。

 

「疲れたか」

「ええまあ」

「お前だって順当に行けばもうそろそろ何かの仕事は任せられた年齢だ。

 ま、徐々に慣れていくんだな」

「正直スラムのことだけで手一杯なんですけどねえ」

「スラムの広さがどれだけだと思ってるんだ、お前は? メットーの行政の1/5位はお前が担っていることになるんだぞ。であれば、他部署との折衝は避けられん仕事だろうが」

「はいはい、おっしゃるとおりで」

 

 溜息をつくヒョウエ。

 そこにマイアが歩み寄ってきた。

 

「ご苦労だったな、ヒョウエ。やはりこう言うときにはオリジナル冒険者族は助かる」

「お役に立てて幸いです、陛下」

「仕事は終わりだ、伯父上で構わん――いや、もう一つお前には仕事があったな。国王命令である。謹聴せよ」

「はっ」

 

 国王の謹厳な表情に、ヒョウエが居住まいを正す。

 

「これから奥へ向かい、俺の末娘(カーラ)の相手をしてやれ。晩餐も食っていけ」

「・・・拒否権は?」

「ない」

 

 一瞬前までの謹厳な表情を一転、盛大にニヤニヤ笑いを浮かべるマイア。

 

「仰せのままに、陛下」

 

 同じようなニヤニヤ笑いを浮かべる父親を蹴り飛ばしたい衝動に耐えつつ、溜息をついてヒョウエは一礼した。

 

 

 

「ヒョウエ兄様!」

 

 部屋に入るなり、カーラが飛びついてきた。

 それを抱き上げて、額にキスをしてやる。

 カーラのお返しのキスを頬で受けて、ソファに座る。カーラはもちろん膝の上だ。

 侍女がごく自然に香草茶を用意した。

 

「ねえねえ、兄様、今日はどうしたの? こんなに早く会えるなんて思ってなかった!」

「ちょっとお仕事のついでにね、顔を見に来たんですよ。いい子にしてましたか」

「うん!」

 

 満面の笑みで頷いて、ヒョウエの首っ玉にかじりつくカーラ。

 そのまま頬ずりしてくる。

 会うたびに頬ずりしてくるスラムの娼婦ナヴィのことをちょっと思い出しつつ、ヒョウエは妹の頭を優しく撫でてやった。

 



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04-11 主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました

 それから数日間、事態は全く進展を見せなかった。

 リーザの心の耳も、カーラの諜報機関も、何一つ有効な情報を掴んで来れない。

 が、事態は意外なところから動いた。

 

「・・・脅迫状?」

 

 眉を寄せてヒョウエ。

 向かい側には少し疲れた顔のジョエリー。

 深刻な状況に対する表情ではない。どちらかというと呆れた顔だ。

 ジュリス宮殿の、ジョエリーの居間である。

 

「ウォー・シスターズ商会。覚えてるだろ」

「ええ、ぶっそうな名前ですしね」

 

 アクティコ大公家の出入り商人の一つである。名前に反して文房具や書物、靴や照明器具などを扱うところで、ヒョウエもかなり世話になった商会だった。

 

「そこにこれが来たそうだ」

 

 テーブルの上に無造作に放り出される紙片。

 雑に折りたたんだ和紙だ。

 この世界では冒険者族が持ち込んだこれが最も一般的な記録媒体として通用している――閑話休題(それはさておき)

 

「えーと、

 

『先だっての地震はただのデモンストレーションに過ぎない。

 いずれメットーを完全に壊滅させる巨大地震が起きる。

 されど我らに白金貨で十万ダコックを支払うならば難を逃れるであろう』

 

 ・・・なんですこれは」

 

 紙片を読み上げたヒョウエが顔を上げた。

 父親と同じような表情になっている。

 

「会頭のハリエットの話じゃ、結構あちこちに来ているそうだ。

 どこも本気にしちゃいないが、ハリエットが念のためにと届けてくれた」

「うーむ」

 

 馬鹿馬鹿しい、と言った感じでジョエリーがソファにもたれかかる。

 

「で、一応お前にも見せておこうと思ったわけだ。何か気付いたことはあるか?」

 

 ふむ、とヒョウエが考え込む。

 

「まあニホンではよくある詐欺ではありますね」

「よくあるのか・・・」

「他人の言葉を真に受けやすい人や気の弱い人はどうしても一定数いますからね。

 ニホンは、たとえるなら銅貨一枚あれば一万枚の手紙を出せるようなところなので、こんな感じの手紙をとにかく送りつけるんですよ。

 一人でも本気にして金を払ってくれれば万々歳というわけで」

「ニホンとは恐ろしいところだな、おい」

「返す言葉もありません」

 

 ジョエリーが深く溜息をつく。

 苦笑してヒョウエは肩をすくめた。

 

「で、どうする」

 

 ヒョウエが表情をまじめなものに戻した。

 

「ハリエットさんに、話に乗るように伝えて貰えませんか。

 それと一応カレン姉上にも伝えておいた方がいいかと思います」

「わかった」

 

 

 

「いやはや、お綺麗になりましたねえ、若様」

「そこは『ご立派になりました』じゃないでしょうか、ハリエット?」

 

 ヒョウエが目の前の老女を半目で睨む。

 上品な物腰ではあるが目つきは鋭く、どこか伝法な雰囲気がある女性だ。

 

 ハリエット・ウォー。

 "リトル"ヴィル・クリーブランドほどではないにしろ、姉妹四人でゼロから商会を起こして成功した女傑として、界隈ではそれなりに知られた女性である。

 上得意であったヒョウエとはそれなりに面識があった。

 

「ははは、美人なんだからしょうがないじゃないですか。本当にね、お母君そっくりになられまして。まあ、スラムのお噂は聞いておりましたがよくぞという感じですね」

「それはどうも」

 

 自分の回りにはどうしてこう言う喰えない連中ばかりなんだろうと溜息をつく。

 自分も同類であることはとりあえず棚に上げておく。

 

「それで、そちらのお三方が若様の箱仲間(パーティメンバー)ですか?」

「ええ。左から雷光銃使いのモリィ、"白のサムライ"リアス・ニシカワ、リアスの侍女のカスミです」

「まあよろしくな」

「よろしくお願いしますわ」

「お見知りおきを」

「ああ、こちらこそよろしく・・・」

 

 挨拶を受けながら、ハリエットが首をかしげた。

 

「どうしたんです、ハリエット?」

「いやね・・・あんた、ひょっとしてコバヤシさんちのモリエちゃんかい?」

「はい!?」

 

 モリィが目を丸くした。

 

 

 

「いやモリエちゃんの爺さん、レイさんには商売始めた頃にお世話になってねえ。

 あの人が冒険者から同業になった後も色々世話になったりお返ししたりしてたのさ。

 あんたが小さい頃にも何回か会ったことがあるんだけど・・・」

「悪ぃ、全然覚えてねえわ・・・」

「はは、気にしなさんな。コバヤシ商会が潰れた後、あんた達のことを探し回ったんだけど見つからなくてね・・・オヤジさんとオフクロさんは?」

 

 無言でモリィが肩をすくめた。

 

「そうかい」

 

 ハリエットが深く息をつき、瞑目した。

 

「まあ昔話はこの辺にしとこうか。今夜、連中が受け取りに来ることになっている」

 

 執務机の上の布袋を指してハリエット。

 小袋程度のそれには、白金貨100枚が入っているはずだった。

 ヒョウエが頷く。

 

「ハリエットは連中にそれを渡してくれれば結構です。後は僕たちがやりますから」

「もうあたしらの仕事はないって事でいいんですか、若様?」

「また何かあるかも知れませんが取りあえずは。勿論ですが僕たちのことは気取られないようにして下さい」

「任せて下さいよ。あんなチンピラに気取られるほど、年期は浅くありませんさね」

 

 くっく、と老女が笑った。

 

 

 

 夜半。

 商会の裏口の上で、ヒョウエたちは杖にまたがって浮かんでいた。

 もちろんカスミの術で透明の場を周囲に張っている。

 しばらくして、モリィが周囲を見渡した。

 

「・・・ん? 何人か周囲に忍んでる奴がいるな」

「どこです?」

「はす向かいの店の二階の窓と、あそことあそこの路地と・・・あ、そこの屋根にもだ。警邏っぽいが弓持ってやがんな」

「ふむ」

「"暗視(ナイトヴィジョン)"」

 

 カスミが術を発動する。

 リアスも白の甲冑の視覚強化機能を作動させた。

 

「こちらでも確認しました。明らかに隠密の技能を身につけた方々ですね」

「警邏の制服を着ていますが・・・」

「多分王国の諜報機関の人たちですね。取りあえずは放っておきましょう。あっちも目的は同じでしょうし」

「ですわね」

 

 姉の手のものである、とは言わなかった。

 王国の秘密を漏らすのがまずいと思ったからではない。

 

(何とはなしに後が怖そうですし)

 

「ヒョウエ様、なにか?」

「いえ、何でもありません」

 

 そんな事を考えながら待つ。

 そして王都の鐘が真夜中を告げた頃、そいつらはやってきた。

 

 

 

 街路を歩いてきたフードの男たち。

 それが商会の裏口の門を、一定のリズムで何度か叩く。

 門を開けて出て来たのはハリエットだった。

 

 こわごわと差し出す袋を、男たちがひったくる。

 哀願するように何かを話しかけるハリエットを、男たちはハエでも払うようにあっちへ行けというしぐさ。

 膝をつき、両手を組んで懇願するハリエットだったが、男たちは気にも止めずにさっさと立ち去ってしまう。

 悲しげなうめき声を上げて老女は街路に突っ伏した。

 

「ノリノリだな婆さん」

「やり過ぎですよもう・・・」

 

 ヒョウエが溜息をついた。

 

「まあ、これで向こうがカモと思ってくれんならまた来る可能性もあるけどよ」

「ではそれを狙って?」

「ないとは言えませんけどね。多分楽しんでるだけですよあれは」

 

 男たちが去った後、ひひひと笑う老婆を見てヒョウエはもう一度溜息をついた。




ウォー・シスターズ商会 DCコミックスの親会社である「WAR(NER)BROTHERS」から。ハリエットもワーナー兄弟長男のハリーから。


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4-12 手(ハンド)

 路地を行く男たちを上空から追跡する。

 その前後、距離をとって先ほどの警邏姿の男たちが囲むように追跡していく。

 

「今更だけどよ、飛べるって便利だなあ・・・」

「頭の上に目はついてませんからね」

「脅迫犯はともかく、プロである諜報機関の連中も全然上を振り向く様子がないですね」

「まあ透明にもなってますしね」

 

 500m先から透明化したこちらに気付いた金等級冒険者の顔がちらりと脳裏によぎるが、全員揃って無視した。あれは例外中の例外だ。

 

「しかし・・・なあ?」

 

 同意を求めるように、モリィが後ろを振り向く。

 リアスとカスミが頷いた。

 

「なんです?」

 

 ヒョウエが振り向くと、三人が三様に複雑な表情を浮かべる。

 

「なんて言うか・・・素人臭くないか?」

「同感です。少なくとも隠密や間諜の訓練を受けているとは思えません」

「武芸の腕も素人に毛が生えた程度・・・言ってしまえば雑兵ですわ」

「うーん」

 

 実はこの三人の中でヒョウエだけが視覚強化系の能力を持っていない(「青い鎧」状態の時は別だ)。

 なので三人ほど綿密な観察ができなかった。

 

「あわよくばくらいのつもりでしたけど、やっぱりただの便乗犯ですかねえ」

「まあ取りあえず最後までつけてみましょう」

「ですね」

 

 溜息をついてヒョウエは尾行を続行した。

 

 

 

 男たちが入っていったのはメットーを貫いて流れるハイオ川の川岸、港周辺の倉庫街だった。

 警邏姿の男たちが表と裏を囲むように動き、ヒョウエたちは屋根に着地する。

 

念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

 目を閉じて、杖の先をとん、と屋根につく。

 次の瞬間、その目が驚愕に見開かれた。

 

「突入しますよ!」

「え、ではいっぺん降りて・・・」

 

 リアスの言葉が終わらぬうちに、四人の足元が崩れる。

 

「ぬぉわぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「きゃあっ!?」

 

 モリィとリアスの悲鳴が尾を引いて、薄暗い倉庫の中に落下していった。

 

 

 

 床に激突する直前に、四人はふわりと減速した。

 カスミは完璧な着地を、モリィとリアスはそれでも何とか両足で地面に降りる。

 周囲に瓦や木材といった構造物が降り注いだ。

 

「!?」

 

 僅かに動揺を見せて振り向いたのは、黒覆面の男だった。

 手には血のしたたるサーベル。

 

(いや、刀・・・か?)

 

 足元にはたった今首筋を綺麗に切り裂かれた男が転がっていた。

 小さなランプの灯りが薄暗い倉庫内に横たわる、いくつもの人体らしきものを照らしている。周囲にはむっとする血の匂い。

 

「治療してみます。三人で何とか!」

「おうっ!」

 

 モリィが応えるのと、抜きはなった雷光銃が光芒を放つのがほぼ同時。

 初見ではないのか、それとも実戦経験の為せる技か、黒覆面は咄嗟に回避するがそれでも何発かは肩や手足をかすめる。

 

「ハッ!」

 

 火花が散った。

 白の甲冑による超人的速度の踏み込みで振るわれたリアス抜き打ちの一刀を、黒覆面がかろうじて受け流したのだ。

 

「っ!」

 

 リアスの影に隠れるように接近、地面すれすれから振るったカスミの忍者刀が、体勢の崩れた黒覆面のふくらはぎを切った。

 黒覆面の目の色が変わる。倒れた男を治療していたヒョウエに、ぞくりと走る悪寒。

 

「下がって!」

 

 言いつつ、三人と自分、治療していた男を念動で引き戻し、黒覆面との間に念動障壁を立てる。同時に倉庫の扉が破られ、諜報部員が踏み込んでくる。次の瞬間、黒覆面が襟元の輪を引っ張ったかと思うと、その体が大爆発を起こした。

 

 

 

 カスミの詠唱が響く。

 真昼のような強い光が瞬き、周囲がパッと照らされる。

 倉庫の中は惨憺たる有様だった。

 

 天井の穴と瓦礫、十人近い斬殺死体。流れ出た血の海は早くも凝固しつつある。

 入口には顔を覆ってうずくまる諜報部員が一人と、右肩を押さえているのがもう一人。遅れて裏口から入って来たもう一人はこの惨状を見て立ちすくんでいる。

 そして黒覆面のいた中央付近には焼け焦げた痕とバラバラになった死体のパーツが転がっていた。

 

(よし、何とか持ち直しそうですね)

 

 抱えた男の首筋に手を当てて容態の安定を確かめると、ヒョウエは男をモリィ達に任せて、入口の方に歩き出した。

 

「大丈夫ですか、お二方」

「お前達は・・・失礼しました、ヒョウエ殿下でいらっしゃいましたか」

「無理はしないで下さい。傷口を」

 

 敬礼しようとするのを止め、右肩の傷口に指を当てた。

 食い込んでいた破片を念動で抜いてから応急で血を止める。

 顔面に破片が食い込んだ方も、時間はかかったが同様に治癒できた。

 

「はい、終わりです。僕の治癒は雑ですので、できれば専門の医者にかかってください」

「かたじけなくあります」

 

 一礼するとリーダーらしい男は倉庫の中を見渡した。

 

「しかしこれは・・・」

「やはり地震を起こした組織が存在し、その末端が勝手に金儲けを企んだ。その懲罰兼口封じというところでしょうか」

「そのようなところであろうかと」

 

 頷くリーダー。

 

「あの男はこちらで引き取らせて頂いても?」

「ええ。流石に尋問の経験はありませんしね――しかし連中は雑魚もいいところでしたが、あの黒覆面は恐ろしい敵でしたね」

「全くだ。あの距離で急所を全部外されるとは思わなかったぜ」

「モリィ」

 

 生き残りを諜報部員に任せた三人がこちらに歩いてきていた。

 

「モリィさんの雷光をかわして体勢が崩れた上で私の一撃を凌がれましたわ」

「私の攻撃も、気付いてかわそうとはしていました。侮れない強敵であったかと」

 

 三人の言葉に、ヒョウエとリーダーが頷く。

 

「思っていた以上にやっかいな事になるかも知れませんな」

 

 黒覆面の右手がそこだけ綺麗に残って倉庫の床に転がっている。

 リーダーの言葉と共に、その手が妙にヒョウエの印象に残った。



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4-13 子犬

「それでどうなったんです、カレン姉上」

 

 数日後の王宮、カレンの居間。

 膝の上にカーラを乗せてヒョウエが聞いた。

 

「地震に乗じて放火をするために雇われたごろつきだったみたいね。

 青い鎧のおかげでほとんど役には立たなかったけど」

「青い鎧さまさまですね」

 

 しれっとのたまうヒョウエ。

 

「で、あそこに溜まっていたのは・・・"本番"があったということですか?」

「らしいわ。いつとは聞かされていなかったようだけど――まあ念のために残しておいただけで、実際にはもろとも地震に巻き込まれる予定だったかもしれないわね」

「下っ端は辛いですね」

「因果応報よ」

 

 カレンが優雅に香草茶を口にした。

 

「で、その本番がいつかはわかってないんですか?」

「それがまったく。お父さまもおっしゃったけど雲を掴むような話でね」

 

 香草茶のカップを置き、カレンがお手上げのポーズ。

 

「あいつらに依頼をした何者かの話は聞けなかったんですか?」

「接触したのが頭目格の一人だけでね。そいつは最初に、ってわけ」

 

 カーラも聞いているので表現を濁す。

 

「振り出しに戻ってしまいましたね」

「ええ」

 

 言葉が途切れる。

 視線を宙にさまよわせて何やら考え込んでいた二人だが、下の方からの仰ぎ見るような、こちらの様子を窺うような視線に気付く。

 くすり、とカレンが相好を崩した。

 

「まあいつまでも考えていてもしょうがないわね。

 折角三人でいるんだからもっと楽しいことを話しましょ。ね、カーラ?」

「はい、姉様!」

 

 カーラの顔がパッと明るくなり、ヒョウエの首に抱きつく。

 今まで我慢していた賢い妹に、ヒョウエはご褒美とばかりに額にキスをしてやった。

 

 

 

「それでね、それでね。キャリーの犬が子供を生んだの!

 とてもかわいい子犬で、私にも一匹分けて貰ったのよ!」

「へえ。名前はなんて言うんです?」

「それがね、この子悩んでばかりで全然名付けられないのよ。代わりにつけて上げようかって言ったら怒るし」

「もう、お姉様うるさい! 私ちゃんと考えてるんだから」

「そうね、ごめんなさい」

 

 口を尖らせる妹に、笑みを浮かべて謝るカレン。

 

「そうだ、ヒョウエお兄様。お兄様が名前をつけてくれない?」

「あら、ヒョウエはいいの?」

「お兄様はいいの!」

 

 きっぱり断言するカーラ。ヒョウエとカレンが笑い出した。

 

「はいはい、いいですよ。でもその前にその子犬と会わせてくれませんか?」

「うん、わかった!」

 

 言うとカーラはヒョウエの膝から滑り降り、ドレスのすそをつまんで走り出した。

 

「これ、カーラ様! その様なはしたないことを!」

 

 カーラ付きの女官がたしなめるが、本人は気にも止めない。慌てて後を追う女官を、姉と兄が苦笑しながら見送った。

 

「相変わらず元気ですね、カーラは」

「かわいいでしょう?」

 

 姉馬鹿そのものの顔で胸を張るカレンにもう一度苦笑する。

 

(むしろそうしてカーラを愛でてる姉上もかわいいというか)

 

 そんな事を考えていると、カレンが半目でこちらを睨んでいるのに気付く。

 

「ヒョーウーエー? 今何を考えたのかしらー?」

「いえいえ、何でもございませんとも、お美しいカレン姉上」

「ふーん」

 

 全く信じていない表情でカレンが相槌を打つ。

 立ち上がり、ヒョウエの横に腰掛けてほっぺたを引っ張る。

 

「痛いんですが」

「相変わらず嘘は下手ね。あなた顔に出るんだからもうちょっと気を付けなさい」

「はーい」

 

 自覚はあるので素直に頷いておく。

 

「よろしい」

 

 満足そうに微笑んで指を離す。

 引っ張られた頬をさすっていると、今度は肩に腕をおいてしなだれかかってきた。

 

「・・・今度は何です?」

「いえね、あのモリィって子。随分と仲良さそうだったじゃない?」

「まあ、いい相棒ですよ」

「ふぅん」

 

 更に身を乗り出すカレン。

 ひしひしといやな予感がする。

 

「ただの相棒なの? それにしては随分打てば響くように通じ合っていたけど」

「言ったでしょう、いい相棒なんですよ。最高の、でもいい」

「相棒な訳だ、あくまでも」

「何を言いたいんですか」

 

 更に身を乗り出す。頬と頬がふれあわんばかり。

 

「いえね、ヒョウエにそう言う人がいないなら――まだ私にもチャンスあるかなって?」

「・・・」

 

 思わず真顔で姉の方を振り向く。

 額を寄せ合うほどの距離で目が合った。

 

「言っておくけどね、ヒョウエ。私は――」

 

 ばん、と扉が開かれた。

 

「お兄様! 子犬を・・・あーっ!? お姉様ずるい! 私のいない間にヒョウエお兄様と仲良くしてる!」

「あら、早かったわね」

 

 艶然と微笑み、カレンがヒョウエの首に抱きつく。

 

「私だってヒョウエのことは好きなのよ? いいじゃない、少しくらい、ねえ」

「僕に同意を求めないでいただけますかね」

「ずるい! 私も!」

 

 てててっと走りより、子犬をそっと長椅子に置いて兄の体によじ登る。

 ヒョウエが苦笑しながら妹を抱き寄せてやった。

 

「むー!」

 

 ヒョウエの首に抱きつき、姉を睨む。にっこりと微笑み返すカレン。

 

「くぅーん」

 

 長椅子に放置された子犬が、どこか切なげな声で鳴いた。

 

 

 

 なお子犬の名前はあれこれ一段落した後、ヒョウエによって無事「クリプト」と命名された。

 

「秘密基地なら"孤独の要塞"以外有り得ませんし、犬の名前ならこれ以外ないです!」

「お姉様、お兄様は何を言ってるの?」

「ヒョウエは時々おかしな事を言い出すのよ。あなたも慣れておきなさい」

「失礼な」

「ただの事実でしょ」

 

 

 

 ――暗闇の中で、影が会話している。中央にいるのは禿頭のシルエット。

 

「始末したか」

「こちらと接触したものは確実に殺しました。生き残ったものがいてもただの下っ端でしょう」

「ご苦労・・・ちっ、あの放蕩王子め。星の騎士の件と言い目障りな。優秀な人員を育てるための投資も馬鹿にはならんのだぞ」

「消しますか」

「――あれは腕が立つ。消すなら確実に消さねばならん。準備を整えろ」

「はっ」

 

 それきり、声は途絶えた。

 

 



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第三章「三の辻・さすらいの剣士」
4-14 二刀流の男


「例え相手が二刀流でも一刀の技に勝るとは限らん!

 悪い頭でも考えればきっと勝機は掴めるでござる!」

 

                          ――るろうに剣心――

 

 

 

 奇妙な男だった。

 肩から腰をすっぽり覆う胴鎧(ブレストプレート)。卓の上に飾りのないシンプルな鉄兜(ノルマン・ヘルム)

 革の上着とズボンにマント、ブーツ。足元には投げ出した背負い袋。

 

 ここまでならよくある冒険者か傭兵の装いだが、胴鎧はどこか奇妙に見える。

 更に奇妙なことに、腰には長剣が左右に二本。盾は持っていない。

 

 この世界でもやはり二刀流は珍しい。片手武器に盾か、両手武器が普通。

 カスミのように右手で武器、左手で様々な道具を用いるタイプもいるし、レイピアなどの軽い剣に防御用の短剣というスタイルもないことはないが、それにしても常時武器を二本というのはまずいない。

 単純に弱いからだ。

 

 腰を入れて振らなければ剣はまともに切れない。そして人間に腰は一つしかない。

 つまり、一度に振るえる武器はどうあっても一本。

 残り一本を防御に使うスタイルであっても、それなら盾の方がいい。

 しかし二刀を自在に操って無双するのは多くの剣士が抱く夢だ。

 

「だってかっこいいし。ニホンにだって二刀流の超強い剣士がいたんだろう?」

 

 まあ大体このようなものである。

 どこぞの二天ナントカ流の開祖様が講談やら小説やらをベースに滅茶苦茶に美化されて伝わった結果、鍵屋の辻の三十六人どころではない百人斬り千人斬り、果ては竜を斬っただの、城を真っ二つにしただの、とんでもないスーパーヒーローになってしまっているのだ。

 

 もっとも四千年前の「最初のサムライ」からして「海を一刀で断ち割った」などの伝説が伝わっているために、この世界ではそこまで荒唐無稽というわけでもない。

 「最初のサムライ」ほどではないが荒唐無稽な冒険譚の主人公として人気があり、ヒョウエのような語り部や劇団にとってはいい飯の種になっている。

 閑話休題(それはさておき)

 

 それらを身につけているのは一見してさえない男である。

 もじゃもじゃのくせっ毛に無精ひげ。

 頬のこけたやせぎすの顔に、とろんとした覇気のない目。

 くたびれた冒険者というのがぴったりの表現だ。

 

 一人でテーブルに座り、注文した串焼き定食をもそもそと腹に詰め込んでいる。

 昼食時の賑やかな六虎亭で、その姿は忘れ去られたように埋没していた。

 

 やがて食事を終えて、串焼きの串で歯をせせる。

 その目がちらりと、二つ向こうのテーブルを見た。

 

 

 

「やっぱりここの料理はいけますねー」

「前々から思ってたけど、メシでここ選んだろお前。スラムにだって冒険者の店はあるのに、食い意地の張った奴だ」

「失礼な。否定はしませんが」

「しないのかよ」

 

 鳥のソテーを大きめに切ってほおばるヒョウエ。頬を膨らませる様は少しリスっぽい。

 モリィは呆れ顔。

 

「実際美味しいですわ。このソテーのソースなど家でも出して欲しいくらいです」

「基本は柑橘系のソースですが、複雑すぎて私ではちょっとわかりませんね・・・あ、甘水のお代わりお願いします」

「はーい」

 

 カスミがウェイトレスに甘水(スイートウォーター)――六虎亭名物の、魔法で甘ったるい味をつけた水――を注文する。ちなみに五杯目だ。

 それに眼を細めつつ、リアスが口元をナプキンで拭いた。

 

「しかし、まさかペット捜しが立て続けに四件も入るとは思いませんでしたわね。しかも私どもを名指しで」

「リアス達が加入する少し前にクリーブランド商会の猫捜しをしましたからね。

 そっち方面の噂が広まったのかも」

「クリーブランド商会の・・・なるほど」

「意外とヤバい依頼だったよなあれも」

 

 王都最大の商会の名前にリアスが頷き、ぽろっとこぼれたモリィの言葉にヒョウエが顔をしかめる。

 

「はいはいお口にチャックですよモリィ。口止め料も込みで報酬貰ってるんですから」

「わーってるよ。そう言えばお口にチャックのチャックってなんだ?」

「・・・あ、なるほど。そりゃこちらの世界にはチャックなんてありませんよね」

「ニホンの産物なのですか?」

「ええ。こんな感じで互い違いになっていて、ここのつまみを引っ張ると前が合わさって・・・」

 

 先日覚えたばかりの初歩の幻影魔法で仕組みを説明するヒョウエ。この世界、チャックはないが「お口にチャック」という言い回しだけは何故か定着している。

 

 なおチャックは(ジッパーも)登録商標で、正式にはファスナーが正しい。

 携帯カセットテープ再生機がみんなウォークマンだったり、ゲーム機が全部ファミコンだったりするようなものである(古)。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「ですからこれがこうなって・・・」

「??? 訳がわかんねえ。どうしてこれでぴったり閉じるんだ?」

「私もわかりませんわ・・・カスミはどう? わかる?」

「ええと、なんとかわかると思いますが・・・このからくりを考えた方は天才ですね」

 

 ファスナーの構造で盛上がっているヒョウエたちのテーブル。

 

「ごちそうさま」

 

 それを横目で見ながら、奇妙な男は店を出て行った。

 

 

 

 六虎亭を出た後、ふらふらと裏路地に入り込み歩き回ること一時間。

 

「うーん・・・?」

 

 男は首をかしげた。

 ならばとスラムに入り込み、狭い路地をしばらく歩く。

 

「うーん?」

 

 再び首をかしげる。

 路地の向こうから歩いてきた通行人を呼び止める。

 

「もしもし済まないね、ちょっといいかい。スラムってまだ遠いのかな?」

 

 通行人は一瞬きょとんとした顔になり、次いで笑い出した。

 

「遠いも何も、ここがもうスラムさ! あんた東の方からずっと来たのかい?

 なら、もう半分くらい通り抜けちまってるよ!」

「はい?」

 

 今度は男がきょとんとする番だった。

 

 

 

「なるほど、その王子様がスラムを文字通り立て直してくれたと・・・」

「炊き出しをして、スラムの住人を雇って街路を掃除させて、家も少しずつ建て直して、俺達スラムの人間にとっちゃ本当神様みたいなお方さ。

 母君も優しいお方で、親子二代に渡って世話になりっぱなしさね」

 

 男が腕組みをして唸る。

 

「うーん、普通裏路地とかスラムとか歩くと、大体ガラの悪い連中に絡まれるものなんだけどねえ」

「ガラの悪い連中はヒョウエ様と執事さんが片っ端から退治して回ったからねえ。

 ああ、あんたよそから来た人かい? そっちは"青い鎧"のおかげもでかいかな。

 とにかく今のメットーはどこもかしこも、女子供でも安心して歩ける町ってわけさ」

 

 自慢げな通行人に、男が溜息をつく。

 

「絡んで欲しかったんだけどねえ」

「え、何だって?」

「いや、何でもないよ、ありがとう」

 

 右手を振って、男は歩み去っていった。

 左手で剣の柄をさすりながら。

 

 

 

 その後、未練がましくスラムや下町を一時間ほどウロウロして男は六虎亭に戻った。

 既にヒョウエたちの姿はない。恐らくは杖にまたがって猫捜しをしているのだろうが、男に知るよしはないし、どうでもいいことだった。

 

 テーブルや受付ではなく、依頼の張られた壁に向かう。

 一通り眺めた後、男は溜息をついて店を出た。

 

 その後も、男はいくつかの冒険者の店を回った。

 五つめの店で、お目当ての依頼を見つけたのか依頼書を壁から剥がす。

 山賊退治の依頼だった。

 

 

 

「お姉さん、この依頼お願いします」

「はい、ではこちらの依頼受諾書にお名前とパーティ名、等級、これまで仕事をした店をご記入下さい」

「ほいほいっと」

 

 さらさらと、羽根ペンで紙に必要事項を書き込んでいく男。

 ちなみにこの世界筆記用具の主流はまだ羽根ペンだが、「かっこいいから」という理由で和風の筆を使う人間も一定数いる。

 閑話休題(それはさておき)

 

「どうぞ」

「はい、ありがとうございました。バリントンさんですね・・・お一人ですか?」

「のんびりものでねえ。仲間がいてもペースが合わないんだよね。

 一人だと気楽だしさ。あ、ひょっとして疑ってる? 本当に青等級だよ、ほら」

 

 ははは、と笑う男を受付嬢が見上げる。

 胸元から取りだした認識票は、確かに藍染めの陶片――青等級冒険者の証だった。

 

「山賊は少なくとも数人から十数人の集団と思われますが・・・?」

「大丈夫だって。特に腕利きがいるわけでもないんでしょ? そのくらいならおじさん一人で十分よ」

 

 依頼受領書に再度視線を落とす。字は意外と達筆で、教養を感じさせる。

 もう一度男を見上げる。しょぼくれているしどこかだらしないが、使い込まれた防具は手入れが行き届いており、物腰にも素人臭いところはない。

 

「わかりました。それではバリントンさんの依頼受諾を確認致します。

 ――気を付けて下さいね?」

「わかってます、わかってますとも。俺だって死にたくはないからね。それじゃ」

 

 ひらひらと手を振り、貧乏臭い笑顔とともに男は身を翻した。



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4-15 猫捜しと山賊退治

 そのころヒョウエとモリィは。

 

「うーん、二匹目まではあっさり見つかったんだけどなあ」

「この広いメットーで、午前中だけで二匹も見つかったのが僥倖ですよ。

 焦らずじっくりいきましょう」

「うんまあそうだけどさ」

 

 王都上空を遊覧飛行しながら、ひたすら地味な捜索作業を続けていた。

 

 

 

 そして手すきのリアスとカスミは見つけた猫の二匹目を依頼人に届けていた。

 中程度の商家である。

 青等級冒険者とは言え、見るからに身分ある騎士とその従者と言った風体のリアスとカスミが門前払いを喰らうことはなく、二人はスムーズに奥に通される。

 部屋に入って一礼。

 

「失礼します。毎日戦隊エブリンガー、ご依頼の猫を捜して参りました」

「これはこれは・・・おや?」

 

 両手を広げて歓迎するそぶりを見せていた商家の主が、リアス達を見て怪訝な顔になった。

 

「何か?」

「ああいえ、エブリンガーのリーダーは男性、少女のように美しい少年だと・・・失礼ですがリーダーの方ですか?」

「いいえ、パーティメンバーのリアスと申しますわ。リーダーは別口の依頼を遂行中でして、手すきの私どもが参りました」

 

 リアスの返答に商家の主は困ったような、不本意そうな顔をする。

 

「いやしかし――依頼を達成したなら、リーダーが報告に来るのが筋ではないですか?」

「そう言う考え方もおありでしょうが、一般的ではございませんね。慣習的にもそうした事は認められておりますが」

「しかしですな・・・」

「わたくしではご不満と?」

「い、いえ・・・」

 

 依頼を受けた冒険者と依頼主であるから男の方が立場は上のはずだが、見るからに貴族であるリアスに対しては、商家の主と言えども下手に出ざるを得ない。

 結局依頼の完了を報告して、リアス達はそのまま商家を出た。

 

 

 

 商家を出てしばらく歩いたところでリアスが口を開く。

 

「妙でしたわね」

「はい、お嬢様」

 

 カスミが頷く。

 

「やけにヒョウエ様に執着しているように見えました」

「最初の依頼主の方も、あそこまで露骨ではありませんでしたが、お嬢様と私を見ていぶかしげな顔をしておられました」

「一応、ヒョウエ様にはお伝えしておくべきでしょうね」

「はい」

 

 そのまま二人は六虎亭に戻っていった。

 

 

 

 それから数日後。

 奇妙な男、バリントンがメットーから東に続く街道を歩いていた。

 

「・・・ここか」

 

 やがて立ち止まったのは何の変哲もない曲がり角。

 だが、周囲を深い森に覆われ、曲がりくねった道は前後の見通しも利かない。

 奇襲するにはベストと言ってもいい位置。

 

 さらに、草むらの中。茂みに隠れた錆びた短剣、布の切れ端、砕けた木片などをバリントンのとろんとした目はしっかりと見つけ出していた。

 ふんふん、と鼻をうごめかせる。

 

「・・・」

 

 無言のまましばらく周囲の匂いを嗅ぎ、バリントンは森の中に入っていった。

 

 

 

「ワハハハハハハ!」

「そぉら、三つ揃いだ!」

「げーっ!?」

 

 夜の闇に浮かび上がる朽ちかけそうな山小屋。

 本来は猟師か何かの避難所だったところに彼らはいた。

 

 十人ほどの男が酒を飲み、サイコロを振り、騒ぎ立てる。

 先日襲った隊商は大当たりで、良質の酒を大量に手に入れることができた。

 万年赤板(最下級)の冒険者だった頃には口にできなかった美酒に、彼らは酔いしれる。

 

「ちっ、ついてねえ・・・」

 

 バクチに大負けして頭を抱えて叫んでいた男がフラフラと立ち上がった。

 

「おうなんだ、逃げんのかよ!」

「うるせえ、小便だ! 戻ってきたらギッタンギッタンにしてやらぁ!」

「おーおー、吠えるぜ!」

 

 ぎゃはははは、と笑いに包まれる山小屋の中。

 立ち上がった男が扉を開けると、そこに胴鎧を着た男がいた。

 

「あ?」

「こんばんは」

 

 一瞬事態を理解出来ない山賊の男。

 ドシュッ、と鈍い音がした。

 

「あん?」

 

 酔った山賊たちが振り向いて見たのは、両手をだらんと下げ、口の中から首の後ろに剣が貫通した仲間の姿。

 

「・・・てっ、てめえ!?」

 

 事切れた山賊がドサリ、と床に投げ出される。

 ようやっと状況を理解して山賊たちが一斉に剣を抜く。

 

「ひのふの・・・八人か。まあいいでしょ。

 改めてこんばんは。君たちには――今から俺と殺し合いをしてもらいます」

 

 薄笑いを浮かべて、バリントンが二本の剣を構えた。

 

 

 

「いやあ、済まないね。『仕事』の前に何人か斬っておかないとどうも落ち着かないんだ。我ながら難儀な性分だと思うけど、申し訳ない。

 でもまあ、ほっといても誰かに殺されて死ぬから、別にいいよね?」

 

 極めて物騒で自分勝手なことを述べつつ、二本の剣を中段に構えて無造作に部屋の中央に歩み入る。

 山賊たちが一斉に斬りかかった。

 だがその動きはバラバラで、統率の取れたものではない。

 

 一歩右に踏み出す。

 それだけで、バリントンから見て左から三人までの剣が届かなくなる。

 三人が後一歩踏み出して間合いに入るまでの数秒で、右端の二人を斬った。

 

 残る三人もあっさり斬り伏せる。

 一度に一人。同時に三人以上に攻撃される位置には決して身を置かない。

 一対一から次の一対一に素早く移る。右手の剣を振り、続けて左手の剣を振る。

 剣を腕の力だけで振るのではなく、あくまでも腰を入れた振りを連続して、一分の隙もなくやってのけているだけ。

 窮め尽くした剣理と合理性のみが成し得る技。

 

 残り三人。

 二人が斬られるのと、最後の一人が身を翻して後ろのドアに駆け込むのが同時。

 

「やれやれ、殺し合おうって言ったじゃない。おじさんもう少しやる気を出して欲しいなあ」

 

 裏口も、人が通れる程の窓もないことは確かめてある。

 悠然とその後を追うバリントンであったが――

 

「ありゃ」

「ぶ、武器を捨てろ! さもないとこの女を殺すぞ!」

 

 山賊がベッドの上で裸の女の喉にナイフを突きつけていた。

 恐らくは隊商を襲ってさらったのだろう。

 

「そういや、依頼書にそんなことも書いてあったっけなあ」

 

 バリントンが溜息をつく。

 

「聞いてんのか! わかったら武器を捨てろ!」

「やだよ、俺が殺されちゃうじゃない」

「 」

「 」

 

 あっけらかんと答えたバリントンに、山賊の男と人質の女が双方絶句した。



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04-16 生クリームのひみつ

 

「優先順位の問題なんだよ。

 いい? 一番大事なのはもちろん俺の命。次にその子の命。

 その子の命は大事だけど、俺の命がなくなったらダメでしょ?

 だったら俺の命が助かるほうを選ぶしかないじゃない。依頼も達成できるし」

 

 1+1は2、とでもいうかのように軽く言い切るバリントン。

 山賊の男の脳がフリーズする。

 

「――うるせえ! とにかく武器を捨ててそこをどけ! 本当にブッ殺すぞ!」

「ひっ・・・!」

 

 再起動した山賊が、ナイフを更に女の喉に押しつける。

 血がにじんだ。女の顔が恐怖でこわばる。

 

「あーわかったわかった、しょうがないね。これでいいかい」

 

 バリントンが剣を捨てて、両手を高く上げる。

 重い音を立てて二本、長剣が床に転がった。

 

「よ、よし! そこをどけ! 俺が外に出るまで動くなよ! この小屋から出たらこいつは放してやる!」

「きゃっ!」

 

 震える女を無理矢理立たせ、引きずるように部屋の出口を目指す。

 バリントンは道を開けるようにドアの前から体をどけた。

 

「あ、そうそう」

「なんだ!」

 

 バリントンが何の気なしに口を開く。手は上げたままだ。

 震える声で山賊の男。

 

「いや、そっちのお姉さんの方。目をつぶってた方がいいよ。見たくないものが見えるし」

「・・・」

 

 どう反応していいかわからないようだったが、ともかく女は目をつぶった。

 そのまま山賊の男に引きずられて再び歩き出す。

 

「・・・?」

 

 次の瞬間、頭上と顔のすぐそばを何かが通りすぎたのがわかった。

 喉元に突きつけられていた刃の感触がなくなる。

 山賊の男の体から力が抜け、倒れるのがわかった。びしゃりと液体のはねる音。

 

「ひっ・・・」

 

 思わず身を固くしたところで、ごつい手が女の目を覆った。

 

「はい、そのまま。見ても何もいいことないからね。これから運んで上げるけど、目は閉じておくことをお勧めするよ」

「・・・!」

 

 こくこくと女が頷く。

 

「やれやれ、ガラじゃないんだけどねえ」

 

 ぼやきながらバリントンは散乱していた服を集めると、女を横抱きに抱き上げた。

 

 

 

 その様な会話が交わされている頃、ヒョウエたちは屋敷で揃って夕食をとっていた。

 

「結局、三つ目の依頼主もヒョウエ様が目的だったようです」

「腑に落ちませんね・・・何か嫌な感じです」

「同感です、ヒョウエ様。あるいはヒョウエ様の素性がばれたのかもしれませんが」

「こいつとお近づきになりたいって事か、サナさん?」

「ヒョウエくん、王子様だって隠してるわけでもないもんね。長老たちには名乗ってるし」

 

 サナの言葉に首をかしげるモリィ。リーザが溜息をつく。

 テーブル下の「隠しポケット」の背負い袋から、カスミが依頼書を二通取りだした。

 

「今日になって名指しの依頼も二つ追加されましたしね。片方はやはり猫捜し、ただもう一つは・・・」

「何ですカスミ・・・ケーキ作りの手伝い? 冒険者に頼むようなことですか?」

 

 文字を読み取ったリアスが怪訝そうな顔になり、ヒョウエが苦笑した。

 

「ああ、それは多分別口ですね」

「あ、バーバンク子爵様だっけ? 前にも呼ばれた」

「そうそう」

 

 思い出した!と手を打つリーザに頷くヒョウエ。

 

「バーバンク子爵・・・どなたでしたかしら、うっすら聞き覚えが・・・」

「夫婦揃ってお菓子が大好きなおじさんですよ。作る方も食べる方も」

「ヒョウエ君がお土産に持ってきてくれるお菓子も美味しいんだよね!」

 

 嬉しそうな顔のリーザ。その言葉にぴくりとまぶたを動かすカスミ。

 それを横目で見つつリアスが頷いた。

 

「ああ、思い出しましたわ。ですが何故ヒョウエ様が?」

「それがですね・・・生クリーム造りの手伝いなんですよ」

「「「はい?」」」

 

 三人娘の声がハモった。

 なおこの世界にも生クリーム(ホイップクリーム)は存在したが、極めて手間のかかる貴重品だったそれを、冒険者族が泡立て器の発明などでコストを下げて一般庶民にもどうにか手の届くものにしていた。

 泡立て器を一子相伝の秘伝としていたお菓子職人の一族がそのあおりを受けて衰退し、呪いの叫びを上げたという伝説があるが真偽は定かではない。

 

「つまりですね・・・生クリームの作り方知ってますか?」

「知ってるわけねえだろ」

「存じません」

「冷やした牛乳を泡立て器(ホイッパー)でひたすらかき混ぜる・・・でしたか?」

「カスミ正解」

 

 パチンと指を鳴らすヒョウエ。

 

「正確にはクリームと脱脂乳を分けたり寝かせたり色々ありますが、ともかくそれを何時間もひたすら続けなくちゃならないから、正直凄い辛い仕事なんですよ。

 おまけに上手く混ぜないと美味しいクリームにならないし」

 

 ぴん、とモリィの脳裏に閃くものがあった。

 

「そうか、お前の念動か!」

「モリィ正解。素早く大量に作れる上に僕の作るクリームはきめ細かくて質が良い、っていうのでお二人とも大変お気に入りなんですよ。

 拘束時間が一時間くらいの割に、報酬は金貨で支払ってくれますし」

 

 苦笑するヒョウエ。

 転生チートで手に入れた魔法がハンドミキサー代わりにされているとなれば、現代日本を知るオリジナル冒険者族としては苦笑するしかあるまい。

 

 もっとも、電気のない世界にハンドミキサーが九本である。

 九つの泡立て器が宙に浮いて回転し、九つのボウルをかき回す様はこの世界の菓子職人には神の御技としか見えないだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「まあそっちは受けさせてもらっていいでしょう――あ、今回はメレンゲもですね。

 問題は猫捜しの方ですが・・・商家ですか?」

「はい。これまでと同じく中規模の、そこそこの商家です」

「最初はクリーブランド商会の話が伝わったのかとも思いましたが、流石にちょっと不自然ですね」

「いかが致しましょう?」

 

 問うてくるカスミに、ちょっと考えてからヒョウエは返事を返した。

 

「次の依頼達成の報告は僕が行ってみましょう。その際は何があるかわかりません、三人とも気を付けて」

 

 モリィ達が真剣な表情で頷いた。

 

 

 

「いやあ、よく見つけて下さいました!

 このご恩は忘れませんぞ!」

「いえ、冒険者として依頼を果たしたまでです」

 

 四件目の依頼の主。四十過ぎの、小太りで頭頂がハゲかかった商家の主が喜色を浮かべてヒョウエの手を両手で握る。

 どう考えても、そこそこの商家の主が緑等級とは言え一介の冒険者にとる態度ではない。猫捜し程度の依頼なら尚更だ。

 ヒョウエの方は営業スマイル。ちらり、とモリィの方を見る。

 

「いやあ、私はあの猫がいなくては昼も夜も明けませんでしてな! いやはや噂通りの腕利きだ! よろしければこれからもいいお付き合いをお願いしたいですぞ」

 

 モリィが頷いたのを確認して、ヒョウエが主に向き直った。顔は営業スマイルのまま。

 

「いえいえ、こちらこそよろしくお願いしたいところです。

 ところで噂とおっしゃられましたが、どちらで?」

「えーえまあ、これでも商家の主でございまして。その辺は色々と」

「なるほど」

 

 営業スマイル。

 

「で、あなたが欲しいのは僕とのお付き合いですか? それとも僕の実家との?」

「え、いやあ、もちろんあなた個人との・・・」

 

 モリィが首を振る。

 営業スマイル。

 

「それでは最後に。僕のフルネームをご存じですか?」

「いやあそれは・・・」

「知ってるってさ」

 

 モリィが肩をすくめた。

 

「いや、そんな事はございません・・・」

 

 営業スマイルが冷たい無表情に変わる。

 

「ダーシャ伯爵、王族に対する暗殺従犯容疑でこの者を捕縛せよ!

 抵抗するなら殺害してもかまわん!」

「はっ! 大人しく縛につけ! さもなくば切り捨てるぞ!」

 

 武芸の心得もない商人には目にも止まらぬ抜刀。

 後ろ手は雷光銃を構えるモリィと、捕縛用の縄を構えるカスミ。

 

「え・・・ひえええええええええ!?」

 

 目の前に突きつけられた刀の切っ先と、ヒョウエの言葉の内容。

 それが脳にしみこんだのか、主は情けない声を上げて腰を抜かしてしまった。




ダーシャ伯爵というのはニシカワ家が持つ称号です。(普通は領地である土地の名前)
例えばアメリカ独立戦争で有名なラファイエットも「ラファイエット」というのは本人の名前ではなく称号だったりします。
フルに記すと「ラファイエット侯爵マリー=ジョセフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ」となりますね。
これをリアスに当てはめると「ダーシャ伯爵リアス・エヌオ・ニシカワ」というわけです。
名前や名字で呼ぶよりこの場合はハッタリになるかなと。


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04-17 お白州

 さて、ここで種明かしをしておこう。

 無論ヒョウエたちは最初からこの主を疑っていたが、それを確信に変えたのはモリィの《目の加護》であった。

 表情筋、視線の動き、全身の緊張――極めて高い精度を誇るモリィの視覚は、人間の出す様々なサインを見逃さない。

 子供の頃からこの力に慣れているモリィは、熟練の交渉者をも上回る精度で相手の内心を察知することができる。それゆえの今回の起用であった。

 

「さあ、全て白状しろ! 素直に吐くならばお上にも慈悲はあるぞ!」

「は、ひいいい! ひらに! ひらにご容赦を!」

 

 どこの町奉行か大目付かと言いたくなるような口上を叩き付けるヒョウエ。

 恐怖と混乱で顔をぐちゃぐちゃにして主が平伏した。

 三人娘が呆れた表情になる。

 

(ノリノリじゃねえか)

(楽しんでいらっしゃいますわね)

(意外と子供っぽいところのある方ですし・・・)

(いやどこをどう切ってもガキだろ)

 

「私をこの場におびき寄せ、何を企んだ! 事と次第によってはそのそっ首はねて広場にさらすぞ!」

 

 そんなことを思われているとはつゆ知らず、ヒョウエが杖を突きつけた。

 主が更に情けない悲鳴を上げる。

 

「ぞぞぞぞ存じません! 本当でございます! うちの若い者がスラムの方との飲み話に、スラムを立て直したのがヒョウエ殿下だと言う話を聞いて参りまして!」

「ふむ、それで?」

「毎日戦隊エブリンガーとか言う変な名前のパーティで冒険者をやっていると・・・」

「よしお前車裂きの刑な」

「ひいいいいいいいいいいいいいいい!? お許しを、お許しをぉぉぉぉ!?」

 

 真顔のヒョウエ。

 涙と鼻水を垂らし、額を絨毯にこすりつける主。

 呆れを通り越して哀れみの表情になったモリィが、雷光銃のグリップでヒョウエの後頭部をこづく。

 

「あいたっ」

「そのへんにしとけよ。大体名前が変と言われるたびに処刑してたら、メットーに住んでる奴は九分九厘処刑しなくちゃならねぇだろ」

「そこまで言います?」

「サナさんやリーザ含めて身内に賛同者が一人もいない時点で察しろ、馬鹿」

「うぬぬぬぬぬぬ」

 

 救いを求めるようにリアスやカスミの方を見るも、曖昧な笑みを返されるだけだった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ま、まあそれは置いておきましょう。今は・・・うん?」

 

 平伏したままピクリとも動かない主。

 どうやら緊張の余り気絶してしまったらしい。

 

 

 

「つまり、猫捜しなり何なりをダシにすれば僕とお近づきになって、王弟大公家とのコネクションもできるのではないか・・・と」

「はははい、そうでございます・・・!」

 

 ヒョウエが新しく覚えた"意識覚醒(アウェイクン)"の呪文で目を覚まさせた後、まだ緊張でガチガチの主から聞いたのはその様な事だった。

 彼の店の若いのが、見知らぬ男と仲良く酒を飲んだ。

 その話の中で色々と吹き込まれて、それを主に話した。聞いた主がそれならばと試してみたのが今回の一連の出来事だ。

 

 王都在住の商人にとって、貴族とのコネは喉から手が出るほど欲しいもの。

 ましてや王族、さらにさらに王族御用達ともなれば、これ以上の金看板はない。

 商売の種が向こうの方から寄ってくる。

 

「取りあえず五つめの猫捜しはキャンセルですね」

「だな」

 

 モリィと顔を見合わせて溜息をつく。リアスもだ。

 

「一連の事件の手掛かりかもしれないと期待しておりましたが・・・そのスラムの人間を自称する男というのはどのような?」

「は、はい、今連れて参ります」

 

 しばらくしてやってきた男は、やや線が細く実直そうな若者だった。

 

「はい、なんでしょう旦那様」

「こちらの・・・」

「冒険者」

「ぼ、冒険者の方々に、お前が話を聞いた男の人相その他を教えて差し上げなさい」

「? はい、わかりました」

 

 主の言葉を遮るヒョウエ。

 その様子をいぶかしげな顔で見ながら、若者は頷いた。

 

「ではまず最初に。どこでどのようにして出会ったのですか?」

「あ、はい。ここから東南の方の、『ディニロス』です。場所は・・・」

「"地に平和(ピース・オン・アース)"通りと"犯罪との戦い(ウォー・オン・クライム)"通りの角ですね」

「は、はい」

 

 ちょっと驚いた様子で若者が頷く。

 

「それで、どんな相手でした?」

「そうですね・・・ええと・・・あれ・・・え? すいませんちょっと待って下さい。ええと・・・」

 

 眉をしかめて必死に何かを思い出そうとする若者。

 しばらく部屋に沈黙が降りた。

 じれたのか、主が若者を叱りつける。

 

「おい、何を遊んでいるんだ! 早く教えて差し上げろ!」

「も、もうしわけありません。それが・・・」

「相手の顔も声も、ぼんやり霞がかかったようで思い出せない?」

「! そ、そうです! そんな感じで!」

「?」

 

 ヒョウエの言葉に、勢いよく頷く若者。逆に主はクエスチョンマークを浮かべている。

 モリィの顔色が僅かに変わった。

 

「おい、それって・・・」

「ええ、"心を歪ませるもの(マインドツイスター)"と同種の術でしょうね」

 

 "巨人(ギガント)"事件の黒幕であった、"巨人(ギガント)"指揮官機の中枢ユニットが使っていた術だ。

 モリィに頷いてみせると、ヒョウエは再び若者の方に向き直った。

 

「で、聞いたことがもの凄くいいアイデアに思えて、ご主人に話したと」

「は、はい」

「ふむ。"認識阻害(インヒビション)"に"示唆(サジェスチョン)"あたりですかねえ」

 

 いずれも名前通りの精神系統の術だ。

 あごに手を当てて考え込むヒョウエを見て、若者がハッとした顔になる。

 

「・・・・・・その、まさかあなたは・・・」

 

 いたずらっぽい顔でヒョウエが口元に一本、指を当てた。

 

「僕はただの術師ですよ。しいて言うなら"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"とでも」

 

 格好をつけてウィンクをするヒョウエ。

 その後ろでモリィが溜息をついていた。

 

 

 

 結局それ以上の情報は手に入れることができず、ヒョウエたちは商会を後にした。

 

「しかしまた面倒くさい話になってきたなあ」

「ですねえ」

 

 ヒョウエが溜息をつく。

 

「なんでこう、僕の回りにはトラブルが絶えないんでしょうね。

 のんびり生きたいと心から願ってるのに」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 周囲の雰囲気を察してヒョウエが振り向いた。

 

「なんですかその沈黙は。何か変なこと言いましたか?」

 

 先ほどに引き続いてモリィが再び溜息をつく。

 

「・・・まあなんだ、お前は取りあえず自分の胸に手を当てて考えてみような」

「よくわかりませんけど頭撫でないでくれます?」

 

 そうやっていると、誰かが歩み寄ってきた。

 じゃれ合いを中断して、四人の視線がその人物に集中する。

 

「おやまあ、これはこれは凄い美人さんばかりだねえ。ひょっとして毎日戦隊エブリンガーのみなさんかな?

 どうも、はじめまして。青等級冒険者のバリントンと言います」

 

 飾り気のない鉄兜に胴鎧。マントに皮の上下。

 とろんとした目つきの男が、貧乏くさい笑みを浮かべて手を上げた。

 



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04-18 バリントン

「バリントンさん、ですか? 僕たちのことをどこで?」

 

 ヒョウエが用心しいしい口を開く。

 顔は営業スマイル。

 

 対して貧乏くさい笑顔のバリントン。

 本人は屈託ない笑顔を浮かべているつもりだろうが。

 

「いやいや、そりゃ有名じゃないの。少なくとも六虎亭にいたら毎日名前は聞くよ?

 空を飛び回って毎日五つも六つも依頼をこなす冒険者、ってだけで十分話題になる要素満載じゃない。おまけにタイプの違う美少女揃いときた」

「僕は男ですが?」

「見てる分には気にならないでしょ? 女の子と思えば頭の中では女の子なんだって」

「あのですねえ・・・」

 

 普段なら腹を立てるところであるが、ここまできっぱり言われるとヒョウエとしても苦笑するしかない。

 

「それにまあ、(パーティ)の名前がインパクトがあって覚えやすいじゃない?

 ちょっと変わってるけど悪くないよ」

「えっ」

 

 思わず声を上げたのはモリィ。

 ヒョウエの目がキラリと光った。

 

「ほほう。そう思いますか」

「思う思う。毎日(everyday)戦隊(squad)エブリンガー(EVERYNGER)って、単語同士がちょっと無関係なのが逆に耳に残っていい」

「ですよね!」

 

 我が意を得たりと勢いよく頷くヒョウエ。

 一方後ろのモリィは愕然とした顔になっている。

 

(ンな馬鹿な・・・あのオッサン嘘ついてねえ)

(えっ)

(えぇ・・・)

 

 小声で囁きかわす少女たち。

 リアスはモリィほどではないが驚いた顔。

 カスミは呆れ顔だ。

 

(いるんだなあ、あいつみたいな頭のネジが外れたセンスの持ち主が)

(い、いえそのモリィさん? それは流石に言いすぎではないでしょうか)

(リアス様。自分でも信じてないことで他人を説き伏せることはできませんよ)

 

「いやあ、こんなところで賛同者に会えるとは思いませんでした!

 理解してくれる人が本当に少なくて・・・」

「わかるわかる。ハイセンスなネーミングって中々理解されないものなのよねほんと」

 

 そんな三人を置きざりにして、ヒョウエとバリントンは変な方向に盛上がっていた。

 

 

 

「んじゃまあ、この辺で。最近は六虎亭に顔を出してるんで、また会うこともあるかも知れないね」

「その時は食事でもご一緒にどうです」

「ははは、そうだね、縁があったら」

 

 しばしの歓談?の後。

 後ろ手に手を振って、バリントンは去っていった。

 にこやかに手を振って見送るヒョウエ。

 げんなりした顔の三人娘。

 

 しばし手を振り続け、バリントンの姿が雑踏に消えたあたりでヒョウエが振り向いた。

 表情は普段のものに戻っている。

 

「で、どう見ました?」

「驚いたよ。あのオッサン最初から最後まで嘘をついてなかった。

 まさかお前みたいな頭の沸いたセンスの持ち主が他にもいるとはな」

「そこじゃないですよ!」

 

 溜息をつくモリィ。

 珍しく、ヒョウエのほうが突っ込んだ。

 

「どこだよ?」

「いやその・・・何と言うか、はっきりとは言えませんけど、何か怪しくなかったですか?」

「うーん・・・?」

 

 考え込む三人娘。

 最初に顔を上げたのはリアスだった。

 

「そう言えば一見してみすぼらしい感じではありましたが、青等級にしてはかなり腕が立つように見受けました。ただその、強いのか強くないのかフワフワした感じで・・・申し訳ありません、はっきりしませんわ」

「私は不自然なところは感じませんでした。不自然なところがなさ過ぎる、と言えなくもないですが・・・」

「モリィはどうです?」

 

 ちらり、と目をやる。

 うーん、と唸って黒髪の少女は首を振った。

 

「あたしはそう言うのは感じなかったなあ。逆にお前はどの辺が変だと思ったんだ?」

「鎧です」

「普通の胴鎧(ブレストプレート)に見えましたけれど」

 

 と、リアス。

 

「大まかなところはね。ただ、こそげ落としたりしてはいますが、あれは魔法のものです。それも真なる魔法文明時代の遺物でしょう」

「へえ?」

 

 興味をそそられたのか、モリィが眉毛をぴくりと動かした。

 

「けどよ、それがどうかしたのか? 魔法の鎧なんて多くはないだろうけどそれなりにはあるだろう?」

「ただの防御強化の鎧ならそれは珍しくもないですけど、魔力経絡線の配置を見ると、間違いなく何か魔導機構(ギミック)が組み込まれてます」

「私の"白の甲冑"のような何かだと?」

「同種の、それもかなり強力な物ではあると思います。ただ、肉体強化の魔力ではないかなと」

 

 モリィが頭をひねる。

 

「うーん・・・? あいつの鎧が凄いのはわかったけど、それがどう怪しいって話になるんだ? あいつがしょぼくれてるところか?」

「ですから」

 

 ヒョウエがいったん言葉を切る。

 

「強力な遺物(アーティファクト)に青等級とは思えない剣の腕、武具の手入れは丁寧。

 そう言う人間が青等級に甘んじているのっておかしくないですか?」

「・・・それは・・・」

「確かにそうですわね」

 

 リアスが頷いた。

 カスミが考えながら言葉を紡ぐ。

 

「確かに。みすぼらしい格好も、軽薄な言動も、自分の力を隠す意図があるとも考えられますね。

 裏があるとは断言できませんが、疑念を抱くだけの理由ではあります」

 

 忍びの少女がヒョウエを見上げる。

 

「あの鎧は、意図的に普通のものに見える様に細工をしてあるのですね?」

「だと思います。装甲を強化したりするための細工じゃありません」

「では決まりですね。黒と決まったわけではありませんが、警戒対象とすべきでしょう」

 

 残りの三人が頷く。

 

「こんな状況ですしね。用心に越したことはありません」

「ああ。何よりコイツと趣味が合う変態だ。それだけでも疑ってしかるべきだろうぜ」

「そろそろ怒りますよ?」

 

 半目で睨むヒョウエ。にひひ、とモリィが笑みをこぼした。

 

 

 

 バリントンが市場に入る。

 果物を扱う露店で、リンゴに似た緑色の果物を手に取った。

 それに目をやる事もなく、店の主人が誰に話すともなく口を開いた。

 

「どうだ?」

「いやあ、勘が鋭いね。気付かれちゃったかもしれない。鎧じろじろ見てたしね」

「・・・だから直接接触するのは控えろと言ったんだ」

「まあ俺としては必要な事なんだよ。仕事はするからそれでいいだろ」

 

 懐から銅貨を出して、指でピンと弾く。

 銅貨が回転しながら吊り下げられたザルに飛び込み、チャリンと音を立てた。

 そのまま身を翻す。

 

「毎度あり」

 

 店の主人の声を背中に聞き、バリントンは果物にかじりついた。



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04-19 バーバンク子爵

 そんなこんなで数十分後、ヒョウエはバーバンク子爵邸の門前にいた。

 

「失礼します。ご依頼を受けました毎日戦隊エブリンガーのヒョウエですが」

「ああ、いつもの冒険者さんですね。どうぞ、お待ちしておりました。中へ」

「ありがとうございます」

 

 貴族の屋敷の門番と言えば大抵は横柄な態度をとるものだが、主の薫陶か門番の受け答えは至極丁寧なものだ。

 頭を下げてヒョウエはバーバンク子爵邸に足を踏み入れた。

 

「ヒョウエ様ですね。こちらへどうぞ」

「どうも」

 

 同じく丁寧な物腰の使用人が調理場までヒョウエを案内する。

 調理場の前で礼を言ってドアをノック。

 

「失礼します」

 

 返事を待たずに中に入った。

 中はちょっとしたホールほどもある調理場。

 木製の作業台がずらりと並び、魔導かまどや冷蔵庫などの高価な設備も揃っている。ヒョウエの実家のジュリス宮殿の調理場と比べても規模・質ともに遜色ない。

 

「おお、ヒョウエくんか! よく来てくれたな、待っていたよ!」

 

 小太りでコック姿の中年男が振り返り、喜色をあらわにする。手元には今まで刻んでいたのだろう、見事な彫刻を施されたチョコレートの小鳥。

 ヒョウエがとん、と杖を突いて一礼。営業スマイルではない笑顔を浮かべる。

 

「いえいえ、閣下。いつもお世話になっていますし」

「君はいつも頑張ってくれているからね、当然だよ」

 

 にこにこと、親しみやすい笑みを浮かべるこの人物がバーバンク子爵。

 貴族と言うよりは定食屋の主人か小金持ちの学者といった方がぴったりの人のよさげな風貌で、気品あるダンディな風貌で片眼鏡を手放さない料理長と並ぶと、どっちが主人かわからないとよく言われるような人物であった。

 横にはふっくらした同年代の女性――似たもの夫婦と言われる子爵夫人――も立っており、笑顔で一礼する。ヒョウエも笑顔で礼を返した。

 

「今日はメレンゲも作ってもらいたいから、いつもよりちょっと時間かかるけど大丈夫かな?」

「はい、大丈夫ですよ」

「うん、じゃあまずクリームからお願いするね。おーい、生クリーム準備してくれ!」

「はいっ!」

 

 若いコックたちが大きな冷蔵庫(加熱に比べて冷却は高度な術式を必要とするため、これだけでも一財産だ)からよく冷やした牛乳の入ったボウルと、氷水の入ったボウルを取り出す。 

 一抱えもある牛乳のボウルを、同じく一抱えもある氷水のボウルに重ねて、作業台にそれを九つ並べる。

 

「では、お願いしますね」

「はい」

 

 頷くと、ヒョウエが杖を掲げた。

 同じく作業台に並べられていた大型の泡立て器が九つ、ふわりと宙に浮く。

 続いて杖で作業台とボウルを指さすと、泡立て器がボウルの牛乳に先端を沈め、次の瞬間猛烈な勢いで回転し始めた。

 

「おおおおおおおおおお」

 

 ぱちぱちぱち、と料理人一同及び子爵夫妻が拍手する。

 ヒョウエが苦笑して肩をすくめた。

 

 

 

 さすがの魔導ミキサーでも、一瞬でクリーム分離とは行かない。

 一分もすると料理人たちはそれぞれ自分の仕事を再開した。

 料理長はそれらの監督、子爵は新しくライオンらしいチョコレートの彫刻だ。

 

 それらを横目で眺めつつ、ヒョウエはひたすらに泡立て器を回転させる。

 時々ボウルをちらりと確認すれば、後は自動のようなものだ。

 調理場を見渡すくらいの余裕はあった。

 

 訓練された料理人たちが、一糸乱れない動きでそれぞれの品を素材から料理に仕上げていく。

 その様はミュージカルの役者が集団でダンスを踊っているようにも、あるいは巨大な彫刻を集団で仕上げているようにも見えた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 それらを楽しそうに観察する。

 ヒョウエはものを作るのが好きだったし、作っているのを見るのも好きだった。

 ただの木片や石ころや肉の塊でしかないそれを、人の知恵と技術で椅子や家や料理にしてしまう、その過程が好きだった。

 

「『創造とは長く骨の折れる仕事である。破壊とはたった一日の思慮なき行為である』でしたっけかね」

 

 酒と葉巻の好きな、皮肉屋で毒舌な某英国首相の言葉を思い出すヒョウエ。

 ちなみに肥満で猫背でふてぶてしい顔のイメージが完全に定着している彼であるが、若かりし頃はヒョウエもかくやという美少年であった(本当)。

 二十代でもダンディな美青年であったが、三十代になってからぶくぶく太り始めたという。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 三十分ほど経ち、泡立て器が動きを止めた。

 

「料理長、クリーム分離出来ました」

「ああ、わかった・・・うん、やはりいい出来だな。便利なものだ」

 

 片眼鏡をつけた料理長がボウルを一瞥して笑みを浮かべる。

 

「この術で美味しい料理を作れるなら、いくらでも活用させて貰いますよ」

 

 料理長が笑顔のままヒョウエの肩を軽く叩いた。

 

「それじゃ次はメレンゲを頼む」

「わかりました」

 

 先ほどと同じく手すきの料理人たちが既に用意されていた、砂糖を混ぜた卵の白身のボウルを冷蔵庫から出してくる。

 入れ替わりに抽出したクリームをバットに入れて冷蔵庫に。

 ここから数時間寝かせることでクリームがなじんで舌ざわりがよくなる。

 

「料理長! 泡立て器、洗い終わりました」

「ご苦労。じゃあ頼むぞ、ミスタ・ヒョウエ」

「はい」

 

 頷き、再び術を行使する。

 九つの泡立て器が浮き上がり、ボウルの中で回転を始めた。

 透明な卵の白身が、泡立て器の回転に応じて見る見る不透明になっていく。

 それを満足そうに見て、料理長は再びヒョウエの肩を叩くとかまどの方に向かった。

 

 

 

 ひたすらに念動で泡立て器を回転させる。

 十分ほど後。泡立った白身は空気を含んで大きく盛り上がっている。

 

(そろそろかな?)

 

 確認のために料理長を呼ぼうと、調理場の奥に視線を向ける。

 その瞬間、背後の調理台の中から影が飛び出した。

 みすぼらしいマントを纏ったその影の両手には、鈍く光る二本の長剣が握られている。

 同時に振り下ろされる二振りの剣。

 

 何かを切り裂く鈍い音。血しぶきが飛ぶ。

 九つのボウルが作業台から落ち、泡立て器とメレンゲが床に散乱した。




>酒と葉巻の好きな、皮肉屋で毒舌のイギリス人
もちろんサー・ウィンストン・チャーチルさんのことです。
興味ある人はググってどうぞ。若い頃はほんと凄い美少年/美青年です。


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04-20 刺客

「くっ」

 

 短くうめいて、影が後ろに飛んだ。こめかみから一筋、血が流れている。

 両手の剣は弾かれて、メレンゲの作業台を叩き割るに留まっていた。

 ヒョウエが驚いた顔で振り向く。

 

「今のをかわしますか。完全に不意を突いたと思ったんですが」

「いやあ、不意を突いたのはこっちのはずでしょ。

 お菓子作りに集中しているところを後ろから襲いかかったのに。

 おじさん自信なくしちゃうなあ。それとも、ひょっとして最初から気付いてた?」

 

 影――バリントンが困ったようにへらへら笑う。

 

「さあ、どうでしょう? ただ、身の回りが不穏でしたからね。

 用心をしておいて損は無いんじゃないですか」

 

 にっこり笑うヒョウエの周囲にはいつもの金属球。

 背後の作業台の下、戸棚の中からバリントンが飛び出した瞬間、ヒョウエはその素早く念動の魔力を金属球にスイッチし、バリントンを迎撃したのである。

 

 ヒョウエは戸棚の中にバリントンがいることも知っていたし、念入りに油を差した戸棚が音もなく開いた時にもそれを察知していた。

 前者は部屋に入ったときに発動した念響探知(サイコキネティックロケーション)の、後者は念動を応用した全周囲触覚の賜物だ。

 サナほどはっきりと周囲のものを感知できるわけではないが、数十メートルの範囲内なら大雑把に何かがあって、何かが動いたくらいはわかる。

 むしろ完全に不意を打ったと思った瞬間に逆に不意打ちを受けたバリントンが、金属球の直撃を避けた事の方を称賛するべきだろう。

 

「しかし」

 

 ちらりと作業台が叩き割られたせいで床に散乱したボウルとメレンゲに目をやる。

 

「僕を狙ったり子爵を利用した事も許せませんが、食べ物を粗末にした事も同じくらい許せませんね。この卵と砂糖と、どれだけの人の手がかかってると思うんですか!」

「あ、はい、すいません」

 

 素直に頭を下げるバリントンに、逆にヒョウエが面食らう。

 

「謝るくらいなら最初からしないで欲しいですねえ・・・」

「いや、おじさんのもくろみだとね、君だけを綺麗に斬ってメレンゲや作業台は傷つけないつもりだったんだよ。でもその玉ッコロ?で弾かれちゃったからさあ」

「斬られそうになったらそりゃ身をかばいますよ。つまり襲って来たあなたが悪い」

「おじさんもね、仕事だからね。その辺は勘弁してね」

 

 へらへらと笑うバリントン。

 すっ、とヒョウエの目が細まる。

 宙に浮く金属球に緊張が走る。

 対してバリントンの両手の剣は左右中段に広げた自然体。

 

「!」

「?」

 

 突然、金属球が一つを除いて床に落ちた。

 ヒョウエが視線はバリントンから外さないまま、調理場の奥の方に一瞬意識を向ける。

 

「あちゃあ」

 

 バリントンが溜息をついた。

 

 

 

 調理場の奥では、料理人たちや子爵夫妻が手に手に包丁や彫刻刀などの刃物を持っている。

 ただしその切っ先はバリントンやヒョウエではなく、自分の喉に向けられていた。

 

 ヒョウエの操っていた金属球が地面に落ちると同時、それらの手から刃物がはじき飛ばされる。

 どこか虚ろな目で、のろのろとそれを拾おうとする料理人たちが、見えない縄でまとめてくくられたかのように一箇所に集められた。

 ヒョウエの念動だ。それでも数が多い。もがく彼らを傷つけないよう、動けないように捕縛するのはヒョウエと言えども難しかった。

 

「こっ、の・・・精神操作、いや後催眠系の術か! 面倒な真似を・・・」

「あー・・・ごめんね。でもお仕事選べるような立場じゃないんだ、先に謝っておくよ。

 君が死ねば彼らも解放されると思うからさ」

 

 最後の金属球が落ちる。

 ゆらりと踏み出したバリントンを念動の鎖が縛るが、その動きはほとんど変わらない。

 

「・・・経絡一つ分だけとは言え、なんて筋力!」

「しょうがないね、おじさん結構強いから。それじゃ――」

 

 ヒョウエの額に汗が浮かぶ。

 バリントンが右手の剣を無造作に振りかぶる。

 ヒョウエが集中しながらも杖でそれを防ごうとして、その瞬間調理場の扉が破られた。

 

「!?」

 

 咄嗟にバリントンが跳んだ。

 雷光が三条、ヒョウエをかすめて疾る。

 

 床に転がったバリントンに更に追撃。

 両手に剣を持ったまま背筋の力だけで跳ね起き、杖のように剣をついてバリントンはそれもかわす。

 

 同時に駆け込んでくるリアスとカスミ。

 斬りかかるリアスの剣を右手一本でいなし、左からの一刀。

 リアスも深追いはせず、素早く跳び下がる。バリントンも一歩後ろに跳んだ。

 

 その間にカスミが素早くヒョウエとバリントンの間に割り込み、リアスもそれに続く。

 ヒョウエが大きく息をついた。

 

「助かりましたよ、三人とも。

 できればもっと早く来て欲しかったですけど」

「お前と違ってズレがあるんだよ。間に合ったんだからいいじゃねえか」

 

 油断無く雷光銃を構えながら、モリィが調理場に入ってくる。

 リーザの加護による、心の声の中継のことだ。

 ヒョウエ、リーザ、サナの三者間ではほぼ瞬時に意志疎通が可能だが、数ヶ月程度の付き合いである三人娘ではどうしても声が伝わるまでにタイムラグがある。

 

「いやあ、別行動してるって話だったけど・・・そこまでお芝居だったわけか。全く一杯食わされたね」

「用心に越したことはないって言ったでしょう?」

 

 汗をぬぐいながら、にやりと笑みを浮かべるヒョウエ。

 

 ――ヒョウエたちは最初からバーバンク子爵の依頼が罠である可能性を考えていた。

 そこで六虎亭で一芝居打って別行動をする振りをしつつ、三人はカスミの術で監視を撒いて付近で待機していたのである。

 

「僕は暗示を受けた人をどうにか無力化します。その人をお願いできますか?」

「わかりました」

「気を付けろ、そいつあたしの射撃を全部かわしやがったぞ」

「あら、モリィさんの腕が悪いのではなくて?」

「こきゃあがれ」

 

 ちっ、と舌打ちするモリィ。

 視線と銃口はバリントンから外さない。

 リアスもだ。

 

(――とは言え、雷光をかわしたのは偶然でもモリィさんの腕のせいでもありませんわね)

 

 リアスの目が鋭くなる。

 バリントンが雷光をかわすところはリアスも見ていた。

 最初の三連射は狙われていることを咄嗟に察知して大きく避けた。次の三連射は明らかにどこに雷光が来るかを知覚し、モリィが引き金を引く一瞬前に体をかわしていた。

 

(並じゃない)

 

 技量はもちろん、身体能力も桁外れに高い。

 よほどの実戦経験を積んで、モンスター――あるいは人間の生命の核から放射される魔力を浴びてきたのだろう。

 

(難敵ですわね)

 

 それでも勝てないとは言わない。冷静な判断だ。

 正面から青眼に構えるリアス。

 主の援護をしようと、カスミが左側から回り込む。

 右側からは、作業台を盾にしつつモリィが慎重に回り込む。

 

 バリントンは薄笑いを浮かべて両手中段。

 時折剣先がぴくりと動いてリアスとカスミを牽制している。

 

(自信。よほどの)

 

 技量は確かに相手の方が上。

 だが身体能力は白の甲冑を身につけたリアスが一回りか二回りは上回る。

 「柔よく剛を制す」とは言うが、同時に「剛よく柔を断つ」もまた事実。

 問題はその両者の合計がどれほどか、だ。

 

 バリントンの技量は恐るべきものだが、その上で怪人ムラマサほどの身体能力か、サーベージ老ほどの超絶的な技量の持ち主でもなければリアスには勝てない。

 祖父をして天才と言わしめた剣技、白甲冑の破格の身体強化に勝てるものはそうはいない。

 

(ですが油断は禁物)

 

 まさか技量でリアスを上回るほどの難敵が、彼我の実力を見誤るとも思えない。

 それはつまり。

 

(ヒョウエ様も指摘していらしたあの胴鎧・・・)

 

 何かがある。だがそれが何かわからない。

 警戒を新たにした瞬間、無造作にバリントンが踏み込んだ。

 

 虚を突かれて、ごく僅かにリアスの反応が遅れる。

 間を盗まれた。

 相手の僅かな意識のズレにつけ込む、完全にタイミングを合わせた攻撃。

 

 だがそれでもリアスの方が早い。

 カスミも反応している。

 モリィも雷光銃の引き金に力を込めている。

 

 牽制をかけたカスミの忍者刀が右手の剣で弾かれた。

 咄嗟に振るったリアスの刀が左手の剣でそらされる。

 バリントンの剣は二本。これで攻撃は防ぎ止めた。

 雷光銃をかわすために追撃は諦めざるを得ないはず。

 そうリアスが確信した瞬間、雷光が空中で弾けて飛び散り、熱い何かがリアスのみぞおちを貫いた。

 

「な・・・」

 

 ごぼりと喉が鳴り、口の端から血がこぼれる。

 確かにバリントンは達人の域に達した剣士だ。

 身体能力も恐ろしく高い。

 二刀の理を突き詰めたその剣さばきもおよそ理想的と言える境地に達している。

 

 だがそれだけで足りるわけがない。

 いくら早くてもあの怪人ほどに早いわけではなく、二刀流とは言え剣は二本。カスミとリアスの攻撃を受け止めつつ、リアスに攻撃できるわけがない。

 だから答えは、とても簡単だった。

 

「四本、腕・・・!?」

 

 バリントンのマントの下、奇怪な胴鎧から二本。剣を握った銀色の腕がにょっきりと生えていた。

 



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04-21 ショーグン

 四腕四刀。

 異形の神々のごとき姿。

 自前の二本の腕に長剣を握り、胴鎧の脇の下から生えた銀色の腕は、先端にやや細めの長剣がそれぞれ取り付けられている。

 カスミとリアスの攻撃を防いだのが自前の二本の腕と剣。

 リアスの腹を貫き、モリィの雷光を空中で受け止め四散させたのが銀の腕の剣。

 光り輝くそれが、ハチドリのはばたきのような、微細な振動音を発していた。

 にまっ、とバリントンの口元が緩み、すぐに引き締められる。

 

「おっと」

 

 バリントンがやや慌てたように一歩下がった。

 

「チェェェェェッ!」

 

 ほとんど同時に上段からリアスの一閃。

 自分の腹に刺さる剣の腕を狙っての一撃だったが、だが一瞬早く後退したバリントンには届かない。

 バリントンのもつれた前髪が数本切り飛ばされ、胸甲に火花が散った。

 

「くっ・・・」

「リアス様!」

 

 ごぼり、と吐血。

 動いたせいで血が逆流した。

 幸いにも刺されたのは肺ではなく胃だ。

 呼吸に支障はないが、だからと言って問題がないとは言えない。

 

「問題ありませんわ」

 

 剣の抜けた腹の傷の周辺にひきつりのような違和感。

 リアスは知らないが、これも《白の甲冑》の機能だ。

 周囲の筋肉を収縮させて、無理矢理に止血する。

 傷が治るわけではないが、失血死を先延ばしすることはできる。

 そんな事を理解しているわけではなかったが、リアスはもう一度はっきりと言った。

 

「問題ありません」

 

 

 

(参ったねえ)

 

 バリントンは内心で嘆息していた。

 「白のサムライ」の末裔、ニンジャとおぼしき少女、そして雷光銃の使い手。

 一人一人なら斬って倒す自信はあったが三人、それもかなりの連携を積んでるとなるとたやすく倒せる相手ではない。

 

(こいつを見せたからには全部斬っておきたいんだが、というか今ので少なくとも白のサムライのお嬢ちゃんは殺れると思ったんだけどねえ)

 

 高速で震動する「ハチドリの剣(ヴァイブローブレード)」を突き込む瞬間、バリントンは咄嗟に狙いを心臓から胃に切り替えた。心臓と胸は筋肉の収縮が激しく、剣が咄嗟に抜けない可能性がある。

 そして腹を刺された状態でなお、リアスは踏み込んで上段の一撃を放ってきた。

 心臓を刺した場合リアスを無力化できてはいたかもしれないが、腕を引くのが一瞬間に合わず、最後の一撃で腕を切り落とされていただろう。

 

 殺害できていればまだしも、今の呼吸を整えて剣を構える様子を見ると、心臓を刺していても戦闘を続行する恐れがあった。それで腕一本は割に合わない。

 それを見切っていたわけではないが、勘に従ったのはどうやら正しかったらしい。

 そこまで考えて、バリントンは次の瞬間、モリィの言葉に目を丸くした。

 

「・・・思い出した! お前ひょっとして『ショーグン』か!?」

「おやまあ」

 

 今度ばかりは心底驚くバリントン。

 もっともその表情や口調から違いは判別できないが。

 

「よく知ってたね、そんな古い名前。おじさんだって忘れかけてたのに」

「盗賊ギルドに『違い目』って情報屋がいてな。昔話に話してくれたのさ。四本腕の馬鹿みてぇに強い剣士がいたってな」

違い目(ヘテロクロミア)・・・ああ、ソルの奴か? やだなあ、面倒な奴が生き残ってたもんだ」

 

 嘆息する。

 モリィの返事は無言の乱射。

 

「たっ! とっ! はっ!」

 

 顔をこわばらせながらもそれをかわし、かわしきれないものは銀の腕のハチドリの剣で弾くバリントン。高速震動してきらめく銀の刀身は、どういう訳か魔力の塊である雷光を弾いて四散させることができるらしい。

 

「はっ!」

「――!」

 

 そして同時に斬り込むリアスとカスミ。

 僅かに動きが鈍いとは言え、正面から白の甲冑の膂力と速度で斬り込んでくるリアス。

 低い位置から足を狙ってくるカスミも、剣使いとしてはやりづらい相手だ。

 

 そして後方、調理場の奥の方ではヒョウエが可能な限り手早く、子爵夫妻と料理人たちを物理的に拘束している。

 バリントンの額にじわり、と汗がにじんだ。

 

 今のうちに彼女らを突破しなければ、あの念動の術が全力で自分に襲いかかるだろう。

 一対一ならひょっとしたら活路はあるかも知れないが、それまでに少なくとも三人を倒しておかないとバリントンにはもう手の打ちようがなくなる。

 だが今の三人を手早く突破する手段がバリントンにはない。

 

(いや、あるっちゃあるけど・・・使いたくないんだよなあ)

 

 顔をしかめた瞬間、バリントンの後方に何者かが出現した。

 

「「「「「!」」」」」

 

 ヒョウエとバリントンを含めた、その場にいる全員が吃驚する。

 現れたのは召使いのお仕着せを着た男。

 ヒョウエを調理場まで案内したあの男だ。その両手には数十本の異様な光を反射する太く長い針。振り向いたバリントンが棒手裏剣と同様の武器だと見てとった瞬間、男が針全てを投げはなった。

 

「!」

 

 バリントンの右脇を通るように放たれた針。

 そのうちの何本かをバリントンの剣が叩き落とし、召使いの男――そう化けた暗殺者が顔を歪める。

 残りの針が飛ぶ先はヒョウエ。

 

「ヒョウエ様!」

 

 それを悟ったリアスの声も一手遅い。

 魔術的な強化がかかっているのか、矢よりも速い速度で毒針がヒョウエに迫る。

 何もない空閑からいきなり放たれた銃弾に等しい攻撃。

 

 とはいえ、術の切り替えと発動にほとんどタイムラグを要さないヒョウエにとっては、念動障壁を張るのに十分な時間である。

 魔力の発動を感知した暗殺者はしかし、それでも内心ニヤリと笑った。

 

(あの針には全て解呪の術が仕込んである。どれほど強力だろうとも、魔法である限り無効化して貫通できる)

 

 強力な催眠の術を操る暗殺者、バーバンク子爵家という罠、バリントンという捨て駒の囮、そして極めて高価な解呪の毒針。

 それだけのものを重ねて得た、逃れ得ぬ必殺の一瞬。

 だが、その自信は一瞬にして、文字通り「ひっくり返」される。

 

「っ!?」

 

 ヒョウエが左手を床に突く。

 それと同時に床板の石が数枚めくり上がり、ヒョウエと子爵夫妻、料理人たちを守る盾になった。

 間髪を入れず数十本の毒針が石板に突き刺さる。

 

「うわぉ」

 

 石の床板を貫通して目の前で止まった毒針を見て、ヒョウエが思わず冷や汗を流した。

 

 

 

「くっ!」

 

 必殺の罠を回避され、愕然とする暗殺者。

 だが素早く頭を切り換え、次の行動をどうするか考えたところで、バリントンの――生身の――右手がそののど首をぐいと掴んだ。

 

「なっ」

 

 そのままバリントンが、無造作に暗殺者をリアスに投げつける。

 両断しようとして、咄嗟に刃を返して暗殺者を叩き伏せた。

 刀の背が暗殺者の脇にめり込み、アバラの折れる嫌な音が響く。

 

 その時にはもう、バリントンは身を翻して壁際に向けて駆け出していた。

 駆けながら、四本のうち左の二本の剣でカスミを狙う。

 正面からぶつかってはカスミに勝目はない。やむを得ず間合いを外す。

 それによって空いた空間をバリントンが走り抜ける。

 ヒョウエは盾にした石畳で視界が遮られている。

 

「ちっ!」

 

 モリィが雷光銃を構える。

 得意の三点射。

 

「!?」

「くっ!」

 

 雷光がマントを貫き、バリントンの脇腹をかすめる。

 だがバリントンの動きは鈍らず、大きなゴミ箱を開けてその中に飛び込んだ。

 

「え!?」

 

 慌てて駆け寄ったリアスが見たものは、真っ暗な穴。

 飛んできたヒョウエが覗き込んで頷いた。

 

「ああ・・・下水直通のゴミ捨て穴ですね。古い屋敷には多いと聞きます」

「追いますか?」

「暗く入り組んだ地下道で、腕利きの暗殺者を相手に? やめておきましょう」

「で、ございますね」

 

 カスミが溜息をついて頷いた。

 モリィも雷光銃を下ろして大きく息をつく。

 ヒョウエがその顔をちらりと見るが、何も言わない。

 口に出したのはリアスだった。

 

「モリィさん」

「あんだよ」

「あなたなら外す距離ではないでしょう。相手はヒョウエ様を狙った暗殺者でしてよ」

「・・・わざとやったわけじゃねえよ」

 

 答えにくいというか、きまりの悪そうな顔になるモリィ。

 

「モリィさん?」

 

 リアスの声の調子が半オクターブ上がった。

 

「それは・・・」

「彼が、料理人たちに命中しそうだった毒針を弾いたからじゃないでしょうか」

「えっ!?」

 

 リアスの傷を癒しながらヒョウエ。

 リアスとカスミが揃って驚く。モリィが頷いた。

 

「あの時、あいつヒョウエに当たらない奴だけを選んで剣で弾いたんだ。

 そのまま飛んでたら、そこの端っこで転がってるコックたちに当たってた」

「・・・!」

 

 目を丸くするリアスとカスミ。

 角度的に彼女たちからではそれはわからず、狙われたヒョウエと《目の加護》によって高度な空間把握能力を持つモリィだけがそれを理解出来たのだろう。

 その困惑が撃つ手をブレさせたのかも知れない。

 カスミが戸惑うようにモリィを見上げる。

 

「料理人の方々を守った、ということでしょうか?」

「裏の奴らにも色々あってな。表の連中に迷惑かけるのを何とも思わない奴らもいれば、カタギには絶対手を出さないって奴もいる。あのおっさんは多分後者なんだろうさ」

「・・・」

 

 リアスは難しい顔をしていたが、取りあえずモリィを追求するのはやめたようだった。

 はあ、とヒョウエが溜息をつく。

 

「しかし、僕だって表のカタギなんですけどねえ。手を出しちゃいけない対象には含まれないんでしょうか?」

 

(・・・ご自分が王族でスラムの統治者であちこちの事件に首を突っ込むお節介という自覚はないのでしょうか?)

(か、カスミ!)

 

 リアスとカスミが小声で何かを言い交わし、モリィが無言で肩をすくめた。



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第四章「四の辻・大破壊(カタストロフ)」
04-22 前兆


「2011年3月11日14時46分18.1秒」

 

                          ――東日本大震災発生時刻――

 

 

 

 

「くそっ! しくじりおって!」

 

 ウィナー伯爵が拳を机に叩き付けた。

 伯爵家の書斎である。

 

「・・・」

 

 周囲には主の激昂にも動じず、不動で直立するいくつかの人影。

 

「クレーラーが捕らえられたのは痛いな。そう簡単に口を割るとも思えんが・・・」

「"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の尋問技術は侮れません。いずれは情報を抜かれてしまうかと」

「だろうな」

 

 舌打ちをするウィナー。

 あの後、王国諜報機関に引き渡された催眠術使いの暗殺者のことである。

 

 "片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の尋問技術は裏の世界では名高い。

 話術による心理操作、物理的な拷問、魔術を使っての肉体や精神への干渉。

 暗殺者クレーラーは強い意志と忠誠心の持ち主だが、それでも"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の尋問に耐え抜けるという夢想は彼らの誰もが持っていなかった。

 

「やむを得ん。可能な限り早く動くしかあるまい。

 アイアン・スカルから接触はまだないか?」

「はっ、あの一件以来音沙汰がありません」

「所詮は蛮族出身の脳足らずか。転送棺の調整も呪縛のマント止めも全部こちらでお膳立てしてやったというのに――いや、あれは放蕩王子の動きが見事だったか」

 

 再び舌打ち。

 

「石材や木材の買い付けは順調だな?」

「はい。主な生産地には既に人を配しております。追加の要請にも応えられるかと」

「よし。大工や石工ギルドに引き続き手を回すのも忘れるな」

「はっ」

 

 これがウィナー伯爵にとっての、メットーを破壊するメリットであった。

 人為的に大災害を起こし、抑えておいた資材や人材を高く売り抜ける。

 それによって得られる財は、彼をディテク一の大富豪に押し上げるはずだった。

 

「"青い鎧"はいかが致しましょう。恐らくは出てくるかと思いますが」

怪人(ヴィラン)の類であっても所詮は人一人だ。地震を止められるものでもあるまい。

 万が一止めたなら、それはそれで絶好の機会だ。とにかく発動まで遺跡の場所を気取られぬ事だけを考えろ――本番のためのエネルギーはいつ溜まる」

「報告では三日か四日と」

 

 ウィナーが頷いた。

 手元の小像をいじると、壁の本棚がスライドして隠し扉が現れる。

 

「よし。それまで私は『あれ』の調整に集中する。計画の進行は任せたぞ」

「はっ」

 

 影達の礼を背に、ウィナー伯爵は隠し扉の中に入っていく。

 扉が音もなく閉まった。

 

 

 

「うめえ・・・」

「これは・・・おいしいですわね」

「・・・! ・・・!」

 

 感嘆の声を上げるモリィとリアス。

 ひたすらお菓子を口の中に詰め込むカスミ。

 

 そのころ、ヒョウエの屋敷ではお茶会が開かれていた。

 チョコケーキ、バウムクーヘン、クッキー、甘納豆、羊羹、カステラ、月餅、胡麻団子、花を封じた透明な飴、ナッツをカラメルで固めたシリアルバーのようなもの。

 オリジナル冒険者族が四千年間積み上げてきた涙と汗の結晶、欲望の行き着く果て。

 食堂はさながら国籍どころか世界も問わない、お菓子の博覧会の様相を呈していた。

 

「バーバンク子爵様のお土産だよね? 一体どうしたの、こんなに沢山?」

 

 ペア(丸ごとバナナを生クリームと薄いスポンジで包んだケーキ)を切り分けながらリーザが首をかしげた。

 モンブランケーキを念動で宙に浮かべて丸かじりしていたヒョウエが、口の中のマロンクリームを香草茶で洗い流す。

 

「ヒョウエくん、お行儀悪い」

「モンブランは切ると崩れやすいから面倒なんですよ・・・まあ、例の一件で子爵が大変感謝してくれまして。それでお土産をどっさりくれたんです」

「ああそれで」

「どっちかというと僕が巻き込んでしまった方なんですけどねえ」

 

 いささか申し訳なさそうなヒョウエ。

 とは言えあの後解呪の術をかけて、姉と交渉して諜報機関の精神術の専門家のケアを受けられるように手配したのもヒョウエである。そういう意味では恩義も十分にあった。

 

「しかし壮観ですね。一週間くらいは朝昼晩お菓子だけでいけそうです」

 

 こちらはベイクドチーズケーキを上品に口に運んでいたサナが楽しげに言う。

 

「それは流石に勘弁ですね。保存の利くものが大半ですし、今日明日で生ものだけ片付けてしまいましょう」

「大丈夫でしょう、カスミが頑張ってくれてますし」

 

 リスかハムスターのようにはむはむはむと、ひたすらお菓子を食べ続けるメイドを見ながらリアスが微笑んだ。

 普段から甘いものが好きな彼女だが、目の前に広がる圧倒的な甘味の無法地帯、糖分の桃源郷(シャングリラ)に理性を飛ばしてしまったらしい。

 隣で交わされる会話も、時折主人に口元をぬぐって貰っていることにも気付かずに少女はこの夢の世界を堪能し続ける。

 カスミが我に返って盛大に悶え転がるまで後十二分三十秒。

 

 

 

「あの男はどう?」

「手強いですね。ダーシャ伯が気絶させてから術を使う隙は与えなかったはずですが、あらかじめ自分の記憶をブロックするような術をかけていたようです」

 

 "片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の執務室で部下の報告を聞き、カーラは溜息を漏らした。

 

「随分優秀な部下を抱えていること。ウィナー伯爵は良い人持ちね」

「その点は認めざるを得ませんな。部下の育成に随分と投資しているようで」

 

 部下が物言いたげな笑みを漏らす。

 カーラもからかうような笑み。

 

「あら、もっと予算が欲しいって? 我慢しなさい。どこも厳しいんだから」

「わかっておりますとも。活動資金は可能な限り節約して動いておりますよ」

「けっこう」

 

 互いに笑みを交わす。

 長身に禿頭、彫りの深い顔立ちのこの部下は、祖父の懐刀だった男だ。

 才能があるとは言え弱冠二十才でカーラが諜報機関の長を務められているのも、この男の力によるところが大きい。

 

「それにこの件では後手後手だものね。予算獲得のためにはまず実績を上げなきゃ」

「心得ております」

「頼むわよ、"狩人(ハンター)"。ヒョウエによれば最悪メットーが更地になるらしい。そんな事態を引き起こすわけにはいかないわ」

「無論のこと」

 

 きびきびした動作で"狩人(ハンター)"と呼ばれた部下が一礼して退出する。

 諜報活動とディテク王国に全てを捧げた男。彼の本名はカーラも知らない。知っているのは死んだカーラの祖父――先代の"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"長官だけだろう。

 

「さて、私もヒョウエに笑われないように仕事しなくちゃね」

 

 うん、と伸びをして、カーラは目の前の大量の報告書を片付けにかかった。

 

 

 

「それでジョエリー、ヒョウエはその後どうした?」

「冒険者の仕事は休んで、家で大人しくしていろと言ったのだがな。それなら遺跡の場所を探す手伝いをすると言って学者たちに混じって王宮(こっち)の書庫に籠もっておるよ」

 

 国王の執務室。

 マイアとジョエリーの兄弟が顔を付き合わせて話している。

 

「命を狙われたというのに図太い奴だな。まあオリジナル冒険者族でお前とあれ(ローラ)の息子だ。そんなものかもしれないな」

 

 どこか遠い目の兄をジロリと睨む弟。

 

「言ってくれるじゃないか兄者。そんなことを言うなら兄者の子は第一王子(アレックス)以外図太いのしかおるまい。カレンなんぞ最たるものだろうが」

「・・・カーラは繊細な子だ。そんなことはない」

 

 一瞬口ごもる兄に、にやりと意地の悪い笑み。

 

「そうかな? もう徴候は現れてきてるぞ。今は純真に見えるが、五年もすればカーラも・・・」

「やめろ! 言うな! カーラは、俺の末娘はいつまでも素直でかわいい娘なんだ!」

 

 頭を抱えてマイアがわめき、ジョエリーが満面の笑みを浮かべる。

 

「それで? わたくしはいつまでこの寸劇(コント)を見物していればよろしいのですかな?」

 

 先ほどからずっと無言で二人の会話を聞いていた老人が冷たく言い放つ。

 兄弟二人が揃って咳払いをした。

 

 フィリップ・ワイリー。二人の祖父、ヒョウエの曾祖父の代から王国に仕える老人だ。

 内政の長である宰相であり、国王であるマイア、軍の長であるジョエリーと並んで王国のトップ3であった。

 

「改めてお尋ねしますが、私はこのまま帰ってよろしいのでしょうかな」

「・・・悪かったからそう睨むな。甥ッ子が殺されかけたのだ、心配にもなろうが」

「あの方は強い方ですよ。命を狙われた程度でどうにかなるほどヤワではございません。

 わたくしとしては、むしろ歳を食っても全く成長の跡が見られないお二方の方が気になるところですな」

 

 僅かに笑みを浮かべる老人。兄弟二人がばつの悪そうな顔になった。

 

「まったく、これだからおまえはやりにくいんだ」

「幼い頃からいたずら小僧二人に付き合ってきた、些細な代価と言うところでしょうか」

 

 笑みが大きくなる。おほん、とマイアが再度咳払い。

 

「まあともかくお前達を呼んだのはだ。農業研究所のウィンスローから報告があった」

「?」

 

 ジョエリーとワイリーが顔を見合わせた。

 

「この状況で農業研究所? フィル爺はともかく俺に関係のあることか?」

「ウィンスローは優れた地相術師(ジオマンサー)だ。地脈を辿って例の施設がないかどうかを調べさせていたんだが・・・王都の下に走る地脈の異常な膨張と緊張を確認したらしい。この前の地震の直前にもあった、そしてそれより更に強いものだと」

「・・・それはつまり・・・」

「そうだ。『本番』が近づいている」

 

 それきり、部屋にはしばらく沈黙が落ちた。



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04-23 ヘウレーカ!

「暇だなあ」

「暇ですわね」

「暇でございますね・・・」

 

 王宮の一室。

 書庫にほど近いそこで、三人娘は髀肉の嘆をかこっていた。

 すっかりぬるくなった香草茶をすすり、モリィが溜息をつく。

 

「こればかりは手伝えねえからなあ・・・」

「お一人にするわけには参りませんから付いては来ましたが・・・」

「学問の心得はございませんしね・・・」

 

 この世界、オリジナル冒険者族の尽力によって読み書きそろばんはそれなりに普及していたが、それでも小学校や中学校といった近代的な教育機関はない。

 しいて言うならカスミが現代日本の小学校卒業くらいの教育(それにしても、この世界ではインテリの部類である)を受けてはいたが、ヒョウエの手伝いをできるレベルには到底達していない。

 モリィも幼い頃に家が破産しているために、かろうじて読み書きそろばんができるレベルだ。

 肉体労働や手仕事の合間をぬってそれらを教えてくれた両親を思って、ふと斜め前に座る金髪の少女に目をやる。

 

「そういやあリアス、お前ならあたしらよりよっぽど勉強してるだろ? 手伝いくらいはできんじゃないのか?」

 

 びくっ、とリアスが身をふるわせた。 

 

「い、いえそのそれは・・・」

「あん?」

 

 いかにも不審げな様子に、モリィが眉をひそめる。

 

「・・・もしかして、お前意外と頭悪い?」

「失礼ですわね! わたしはその・・・ちょっと本を読んだり計算したりするのが苦手ですけど・・・」

「お嬢様、それでは認めてるようなものですよ」

「カスミ!?」

 

 悲鳴のようなリアスの叫びが響いた。

 

「・・・」

 

 カスミが痛ましそうに首を振る。

 

「カスミ! 何ですかその反応は!」

「だからコースト様もわたくしも、口を酸っぱくして申し上げていたではありませんか。

 武芸だけではなく、学問にももっと励みますようにと。

 その結果が今の状況です。猛省なされませ」

 

 ぐうの音も出ない正論で真っ向上段に斬り伏せられ、リアスがうめく。

 

「うう、カスミの裏切りものぉ・・・」

「・・・」

 

 カスミの目にスッと青みがさした。

 

「あっ」

「あっ」

「結構。まだご理解頂けてないようですね。それでは、僭越ながら一からご説明いたしましょう」

「あ、あのその・・・」

「もはや問答無用でございます、お嬢様」

 

 蛇に射すくめられるカエルの如く、身を縮こまらせるリアス。そんな彼女から、モリィがそっと距離をとる。

 それからしばらく、静かな室内にカスミのお説教が響いた。

 

 

 

「コナー先生! 見つけた! 見つけましたよ! 」

 

 静かな王宮書庫にヒョウエの声が響く。

 長机のあちこちで本のページをめくっていた学者たちの視線が一斉に集中した。

 

 ヒョウエが読んでいた本を抱えて長机の中央に持って来る。

 学者たちがその周囲に群がった。

 王室付き学者の長でヒョウエの恩師でもある老人が差し出された書物を読み上げる。

 

「地脈を操り・・・大地の力を豊かにし・・・地震の被害を抑えしめん・・・おお、間違いありませんなヒョウエ様! まさか都市建設関係の書に記述があろうとは!」

「何となく引っかかったのでそのへんを当たってみてたんですが、ドンピシャですね。

 『一番太い地脈』に建設予定とありますから――」

 

 と、長机の中央に置いてあったディテク王国の地脈図を示す。

 

「このメットーの北から南西に流れる地脈の上のどこかにあるはずです」

 

 おお、と歓声が上がった。

 地脈とは大地のエネルギーの流れるラインで、レイライン、龍脈などとも言う。

 大地のエネルギーを操る施設であるから、件の遺跡はいずれかの地脈の上にあるだろうと考えられてはいたが、メットー周辺だけでも無数に分岐した地脈が無数に流れている。

 既に王室付きの地相術師(ジオマンサー)たちが捜索に当たってはいるが、いかんせん彼らの数は多くない。無数の候補の中から正解を見つけ出したことで、捜索は一気に進むはずだった。

 

「遺跡の探索記録を当たろう。探索済みで枯れた遺跡の中に未探査の部分があるかも知れない」

「地上部分が崩壊して地下に残ってたら厄介だな。王室お抱えの地相術師(ジオマンサー)だけじゃ足りん。収穫の女神(タリナ)山神(ボルドゥ)土の神(ガールヴ)の神殿にも協力を頼もう」

「この地脈、王都の北西にエルフの集落があったはずだ。使者を出して協力して貰えないだろうか」

 

 新しい発見に触れて行動を開始し、あるいは意見を交わす学者たち。

 地相術師(ジオマンサー)とは土の術師の中で特に大地の力の流れや構造に通じたものを指す。

 名前の上がった三つの神はそれぞれ農業、地質学、土の元素を司る神々(それらを研究していた真なる魔術師)だが、その神官たちは得意分野は異なっても等しく土の術を習得するため、地中の遺跡や地脈の異常を発見できる術者がいる可能性があった。

 それらを見てヒョウエが満足そうに頷く。

 

「いい感じですね。伯父上に中間報告に行って来ます。

 今出た意見も進言してきますよ」

「よろしくお願いします、ヒョウエ様」

 

 コナーが深々と頭を下げた。

 笑顔のままでヒョウエが再度頷く。書籍から手掛かりを発見できたのがよほど嬉しかったらしい。

 

「こんな時に何ですが、これが学究の喜びという奴ですね、先生」

「しかりですな。師として鼻が高うございますぞ」

「いやあ、風呂に入って、素っ裸で町に飛び出したい気分というのがわかります!」

「王族がはしたないとかそう言う以前に、下々のものの情緒に多大なダメージを与えますのでどうかご自制願いたく」

「わかってますよ、軽い冗談です」

 

 真顔になって注意する師匠と、けらけら笑う弟子。

 動じたところがないのは歳の功だろう。

 なお。

 

「あれが冗談?」

「まあ、ヒョウエ殿下もオリジナル冒険者族だしなあ・・・」

「オリジナルじゃしょうがないか・・・」

「正直見たい」

 

 などという会話もひそひそとかわされていた。

 冒険者族及びオリジナル冒険者族がどう見られているかの一端を示すものだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「良くやったわヒョウエ! あなたって最高よ!」

「ちょっと、姉上・・・わぷっ」

 

 執務室で伯父に報告すると、その場にいたカレンに抱きすくめられた。

 ヒョウエより頭半分ほど背の高いカレン。それなりに豊かな胸元に頭を抱え込まれ、なで回される。肩を叩いてギブアップを表示するが、姉と言う名の暴君は意にも介さない。

 

「カレン、そのへんにしておけ。まじめな話だ」

「やれやれ」

 

 呆れ顔で注意するのはヒョウエの伯父にしてカレンの父親である国王マイア。

 同じく呆れ顔で嘆息するのは王国宰相ワイリー侯爵。

 不本意そうなカレンにようやく解放されたヒョウエが、文字通り一息ついた。

 

「大体ヒョウエももう16だ。大人の男だぞ。子供の頃のような気分でかわいがるな。

 お前だってもう淑女だろう。はしたないぞ」

「あら、お父様。だってこんなに可愛い弟なんですもの。とても大人の男だなんて考えられませんわ」

「それは僕に喧嘩を売ってるって事でいいんですね、姉上?」

 

 ジト目で睨んでくる弟を、扇で口元を隠して笑い目でカレンが見下ろす。

 

「それに将来夫にするなら別に問題ないのではなくて?」

「ちょっと、姉上!?」

 

 悲鳴のような声が上がる。無論暴君はそんな声には耳もくれない。

 一方でマイアは興味を引かれた顔になる。

 

「ほほう。そう言う事なのか? だがカーラが泣いてしまうな」

「私たち二人でヒョウエと結婚すればいいんですわ。幸い今特定の相手はいないようですし」

「ふむ、一考に値するな」

「伯父上! 姉上!」

 

 かなり強めに二人を睨むヒョウエ。

 睨まれた二人はそっくり同じ、人の悪い笑みを浮かべている。

 

「やれやれ、国王の執務室は三文喜劇(ファルス)を演じる貧乏舞台ではないのですがな」

 

 この国を統治する人々によるコントを繰り返し見せつけられている老宰相が深く溜息をついた。 



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04-24 ズールーフの森

 

「・・・でまあ、遺跡の場所の手掛かりもそうなんですが、エルフの集落や各神殿への協力要請も・・・あ、後ですね、軍による救助活動の準備は進んでいますか?」

「ああ。ジョエリーがその件でずっと司令部に詰めっぱなしだ。アレックスも王都外の野営地でそれを指揮している」

「レクス兄が、ですか」

「ああ」

 

 無言で視線を交わす。

 これは保険だ。万が一王城が崩壊してマイア達が死んでも、野外にいれば王太子であるアレックスは生き延びるだろう。そのための用心だ。

 

「ま、レクス兄が頑張っているなら僕も頑張らないといけませんね。姉上もそれなりに頑張ってるようですし」

「それなりとはひどいわね」

 

 姉の抗議を仕返しとばかりに聞き流して伯父に向き直る。

 

「では早速頑張るとしますか。失礼致します、陛下」

「あら、どこ行くのよ?」

「野暮用ですよ」

 

 言いつつ、庭に通じる扉を開けて退出する。

 

「!?」

 

 次の瞬間、ヒョウエの姿は消えていた。

 

 

 

 青い鎧がメットーの空を舞う。

 だが今回は災害や犯罪を察知したためではない。

 地脈を辿るためだ。

 

 ヒョウエの青い鎧は限界まで圧縮された超高密度の具現化(マテリアライズ)術式(スクリプト)だ。

 核となるのは念動の術式であるが、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"と融合したそれはヒョウエの持つ能力であればほぼ全てを増幅する力を持っている。

 たとえば魔力感知能力だ。

 

 地脈は大地の生命力の流れ、つまり巨大な魔力の流れでもある。

 件の遺跡はどのような方法によってか、地脈に干渉しているのは間違いない。

 地脈の流れに異常があるなら、極限まで強化された今の魔力感知能力に引っかかるかも知れないとの考えであった。

 

(・・・とはいえどうかなこれ)

 

 以前述べたように、呪文ではない魔力感知はかなり大雑把な能力だ。

 あるかないか、魔力の元がどこか、その程度は判断できても細かい流れを精密に読み取るのは難しい。

 オーラ感知の呪文も併用してはいるが、どこまで読み取れるか正直自信はない。

 

(まあ本を相手にするより、今はこっちの方が役に立つでしょう)

 

 モリィ達には既にリーザを介して屋敷に戻るように伝えてある。

 ヒョウエがいなくても、伯爵であるリアスがいれば出入りは問題ない。

 

 比較的ゆっくり――鳥と同じくらいの速度で――青い鎧が地脈にそって北に飛ぶ。

 異常がないのか、あっても読み取れないのか、見た範囲では異常はなかった。

 

(・・・?)

 

 ケープをひらめかせ、ゆっくりと飛び続ける。

 何とはなしに違和感を感じて、首を動かさずに横を見る。

 精神を集中させると、何者かの影が感じられた。

 

(むう)

 

 そうそうないことである。

 青い鎧はヒョウエの知覚能力、魔術的な感知能力も大幅に引き上げる。

 にもかかわらず、自分の存在をある程度隠してのけるのはただ事ではなかった。

 

(・・・そう言えば)

 

 空中にぴたりと止まって振り向く。

 影が身じろぎし、動揺が感じられた気がした。

 そのまま影はヒョウエの横を通り過ぎていく。

 

(ホバリングできない飛行手段・・・となるとやはり)

 

 振り返って再び加速。

 Uターンしようとしていた影の横にぴたりとつける。相手が息を呑む気配。

 低めのバリトンの声色を作り呼びかける。

 

「率爾ながらお尋ねもうす。ズールーフの森のエルフの方であられるか?」

「・・・」

 

 一瞬間が空いて、翼の差し渡しが5mに達する巨鳥が現れた。鷲に似ているが全体的に鮮やかな緑色で、尾羽は色鮮やかな虹の色。エルフが乗るという孔雀鷲(モチール)だ。

 背中には軽い革鎧を身につけ、槍と弓を持った人影。

 青い切れ長の目に後ろで束ねた銀の髪。薄い褐色の肌に尖った耳の、人間で言えば18から20ほどの若い女性。エルフの戦士だ。

 勝ち気そうな顔立ちには警戒の色を浮かべている。

 

「私はズールーフの森の《風の乗り手》セーナ。お前は何者だ? 何故私の存在に気付いた?」

「まず二番目の質問から答えさせて頂くが、身隠しと看破の術は単純に精度の勝負。

 上回れば気づき、負ければ気付かぬだけのこと。

 世に名高き"エルフの隠れマント"も僅かながらそれがしの知覚が勝っていたようだ」

 

 得意げな響きが入らないよう、注意して言葉を紡ぐ。

 「エルフの隠れマント」はマントと通称されているし、一般人は魔法の宝物の一種だと信じているが、実のところはエルフに伝わる術の一種だ。

 透明化や意識をそらす術に似ているが、そう単純な物ではなさそうだとヒョウエは見てとっていた。

 セーナが歯がみして、悔しそうにヒョウエを睨む。

 

「見破られたのはここが遮るもののない空で、私が術が苦手だからだ。森か、あるいは達者の術なら見破れはせん」

「やもしれぬな」

 

 肩をすくめるヒョウエ。

 どうやら結構な負けず嫌いであるらしい。

 

「で、最初の質問だが、"青き鎧"と呼ばれている。人族の護り手というところだ」

「・・・そうか、お前は"来たりし者(アラーキック)"なのだな」

「エルフの言葉でオリジナル冒険者族のことであったか。まあ秘密と言う事にして頂きたい」

 

 ほとんど答えているようなものではあるが、ニュアンスは伝わったようだった。

 セーナが頷く。

 

「"最初の戦士(パハーラ・ヨッダ)"と同族というなら、その恐ろしいほどの魔力も納得するしかないな。では三つ目の質問だ。何故このあたりを飛んでいた」

「それは・・・」

 

 少し考えたが、すぐにわかる事である。

 説明してしまうことにした。

 

「少し前に大地が揺れたであろう。あれは真なる魔法の時代の遺跡を悪用した、人の手になるものだ」

「なんだと!?」

 

 流石に驚きを見せるセーナ。

 

「それを引き起こしたものは、更に強い大地の揺れを引き起こすつもりとおぼしい。お主らの集落が存在するこの地脈のどこかにその遺跡があるらしい。

 私はそれを捜していたのだ」

「むう・・・」

 

 ヒョウエの言葉を咀嚼するように、セーナが腕を組んで唸る。

 エルフの集落はほぼ例外なく、大きな地脈の上に作られる。

 

「地脈か大地の力を利用する遺跡らしいが、何か手掛かりはご存じないだろうか?

 それといずれ人族の王から、お主らのところに使者が来るはず。その時は人間に協力するよう、偉い方にお口添え願えぬだろうか」

「むむむ」

 

 腕組みをして天を仰いでいたセーナが、やがてヒョウエの方に向き直った。

 

「私の一存では決められない話だ。お前の話が本当という証拠もない。

 だから――エルフの里に来て、直接話をしてくれないか」

「・・・!」

 

 さすがのヒョウエが息を呑んだ。



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04-25 エルフの族長

「こちらだ」

「それがしが降りていって問題なかろうか?」

「騒ぎにはなるだろうな。だが必要な事だ」

 

 エルフの森の中の開けた空間。

 大きく翼を羽ばたかせる孔雀鷲(モチール)に従って、ゆっくりと降りていく。

 広場でエルフ達がこちらを指さして騒いでいるのが見えた。

 降下するにつれ数が増え、中には武器を構えているものもいる。

 

騒ぐな(マト・キャロ)! こやつは敵ではない(ヤー・アダシュ・ナヒン・ハイ)!」

 

 だが地面に降り立ったセーナが一喝すると、エルフ達は一斉に武器を引き、両手の拳を合わせた。これが彼らの礼なのはヒョウエも知っている。

 

「ほう」

「こっちだ、ついてこい」

 

 戦士の一人と何やら会話を交わすと、セーナは身振りでついてくるように促した。

 

 

 

「ほぉぉ・・・」

 

 思わず素が出そうになり、ヒョウエは気を引き締め直した。

 とは言え無理もないだろう。エルフの里に入り込んだ人間など、歴史を見てもそういるものではない。

 森の中、木と寄り添うように立つ家は木製のようだが、その表面は磨いたように滑らかで継ぎ目も釘の跡もない。

 

("木変形(シェイプ・ウッド)"の呪文で作ってるんでしょうか)

 

 鋼鉄の面頬で視線がわからないのをいいことに周囲に視線を飛ばす。

 大人から子供から老人から、道ばたや家の窓からエルフたちが目を丸くしてこちらを眺めていた。多くは褐色の肌に金属光沢のある水色や薄緑の髪。赤みのかった銅色やくすんだ金色の髪もあった。

 

(カラフルだなあ。そしてエルフでも老けるんですねえ)

 

 知ってはいても本で読むのと自分の目で見るのとは違う。

 師の教えを思い起こし、ヒョウエは僅かに感慨にふけった。

 

 

 

 森の奥に踏み込んでいくと、ある所で雰囲気が変わった。

 

「これは・・・?」

「わかるか。さすがだな」

「結界の一種か」

「その様なものだ」

 

 そこから五分も歩くと、再び雰囲気が変わった。

 森の中の一本道と見えたのが大きく開けた草原となり、その中央に巨大な木があった。

 地球の菩提樹に似ているが幹はジュリス宮殿ほどにも広く、先端は雲の中に消えている。

 木の表面にはいくつもコブのようなものがあり、良く見ればそこには窓や中で動く人影が見て取れた。恐らく、この木の表面に"木変形(シェイプ・ウッド)"呪文か同種の効果で建築物を建て増しているのだろう。

 

「なんと・・・!」

「驚いたであろう。人間がここに入るのは数十年ぶりだ、"来たりし者(アラーキック)"よ。我らが"魂の住処なる樹(パラカー・カ・ヴルシュ)"へようこそ」

 

 流石に驚きを隠せないヒョウエを見て、セーナが愉快そうに笑った。

 

 

 

 恐らく彼らの王宮に相当するのだろう、巨木の中へ入っていく。

 

(ドライブスルー・ツリーなんか目じゃありませんねこれは)

 

 メットーの王宮にも負けないほど大きな正門を通り抜け、感嘆に首を振る。

 門衛が手に持った槍を立ててセーナに礼を捧げた。

 

 そのまま奥に進むと、玉座の間らしき場所に出た。

 意外に狭い。幅も奥行きも10m、メットーの王宮の半分から三分の一ほどだ。

 

(ああ、あくまで樹の隙間に居住空間を確保してるから、当然と言えば当然ですか)

 

 そんな事を考えている間にもセーナはずんずんと奥に進んでいく。

 玉座の周囲の廷臣や兵士達がこちらを見てざわめいていた。

 セーナが声を上げた。

 

「お爺様、お話があります!」

「控えよ、セーナ! いまだ《護り手》でしかないお前が軽々しく立ち入るで・・・」

 

 玉座に座る銀髪の老人の傍にいた、人間で言えば40才ほどに見えるこれも銀髪の男がセーナを叱責しようとして絶句した。その視線がヒョウエから離れない。

 

「よい。ナタラ。見てわかるとおり、軽々しき事態ではないのだろう」

「はい、父上」

 

 動揺しながらも中年男が頷く。驚愕と警戒の視線はやはりヒョウエから離れない。その額に目を模した意匠の頭飾り。

 セーナがひざまずく。

 

「わたくしでは判断できないことが起こりましたゆえ、この者をお爺様の前に連れて参りました。詳しい話はこの者からお聞き下さい」

「うむ」

 

 頷く銀髪の老人。頭には四つの顔を彫刻した金の冠。

 

「青い鎧よ、あちらにおわすのがズールーフの森の長、トゥラーナ。お爺様、こちらが"来たりし者(アラーキック)"、人族の護り手である青い鎧です」

「王女だったのか・・・」

 

 驚きつつも、紹介を受けたヒョウエが同様に膝をつき、騎士の礼を取る。

 今の外見は青い騎士甲冑の巨漢なので非常に様になっていた。

 

「それがし、ご紹介にあずかった青い鎧と申すもの。顔を見せられぬ訳がござるゆえご寛恕いただきたい」

「その必要はない。立つがよい、ローラの息子ヒョウエ、最も新しき"来たりし者(アラーキック)"よ。汝がことは生まれた時から知っておる」

「!?」

 

 謁見の間に驚愕が走った。




ナパティがそうですが、ズールーフの森のエルフは割とインド系のイメージで書いてます。
インド人に銀髪や水色の髪はいないって? 知らん、そんな事は俺の管轄外だ。


ドライブスルー・ツリーはカリフォルニアにあったメタセコイアの巨木です。高さ80m、車が通れる穴が根元に開いていました。2017年の大嵐で倒れたそうです。


謁見の間が結構狭いとか書きましたが、例えばヴェルサイユ宮殿だと玉座の間(アポロンの間)は差し渡し10mあるかないかですね。
日本人は大広間の奥に玉座があるのをイメージしますが、そうでない宮殿もあったようです。


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04-26 神授魔法と精霊魔法

 広間が驚きでざわめく。セーナが思わず立ち上がった。

 他のエルフ達と同じく、ヒョウエも驚愕で動きを止めていた。

 エルフの老族長トゥラーナが口を開く。

 

「それでじゃな。良ければ顔を見せてはくれぬか、ローラの息子ヒョウエよ」

 

 祖父が孫に語りかけるような口調。

 一瞬躊躇したあとヒョウエは立ち上がり、青い鎧を解除した。

 甲冑に幾何学的なひびが入り、無数の細かいブロックになって周囲に渦巻く。

 ふわり、と着地したヒョウエの手が形を変えた杖を握った。

 

「あ・・・え・・・!?」

 

 あんぐりと口を開けてヒョウエを指さすのはセーナ。

 言いたい事はあるのだが、驚きの余り言葉にならないらしい。

 ヒョウエが肩をすくめる。

 

「想像と違っていて申し訳ありませんが、これが本当の僕です。余り失望させたのでなかったらいいんですけど」

「い、いや、失望とかではないが・・・その」

 

 口ごもる。

 ヒョウエが苦笑する。

 

「言いたい事があったら言って下さって結構ですよ。慣れてますし」

「では言葉に甘えて言わせて貰うが・・・お前、その体であの甲冑をどうやって動かしてたんだ? サイズが違いすぎるだろう!」

「あ、そこですか」

 

 青い鎧は身長190cmほど、対してヒョウエは身長150cmあまり。

 どう考えても中に入ってまともに動かせるサイズではない。

 

(そう言えば昔そう言うロボットの超合金がありましたねえ)

 

 毎回名前を名乗らずに登場する主人公を思い出しつつ、肩をすくめる。

 

「まあ、魔法ですので。余り深く考えない方がよろしいかと」

「神授魔法は我らのそれに比べて単純な魔法系統と聞いたが、中々侮れないな・・・」

「そのへんはまあ、ものによりけりじゃないですかね」

 

 神授魔法、ないし系統魔法と言われるものはかつての真なる魔術師、今の《百神》が真なる魔法をデチューンして生みだしたものだ。

 「念じて現実を改変する」という単純にして至難の術である真なる魔法を呪文ごとに切り分けたもの。

 習得しやすいがその分天候制御や呪い、運命や魂、予知と言った複合的・概念的な術は苦手だ。

 

 対してエルフが使うのは妖精魔法、精霊魔法、あるいは呪術と呼ばれるものだ。

 基本的には真なる魔法の系譜を継ぐものだが、万能である真なる魔法と違い、使い手の種族や流派によって大きく得手不得手がある。

 

「例えば俗に魔女と呼ばれる人間の呪術師ならば霊との交信、癒し、呪いとかですか」

「ドワーフの精霊使い(スピリット・シャーマン)であれば大地や食物、酒などに特化していると聞くな」

「エルフの使う妖精魔法は、人間はもちろん他の妖精族に比べても一線を画す強大なものだそうですが」

「・・・言っただろう。私は魔術は苦手なのだ」

 

 恥ずかしそうにそっぽを向くセーナ。

 

(エルフとしては、ってことなんだろうなー)

 

 見事な「エルフの隠れマント」の術を思い出し、ヒョウエがひとりごちた。

 

 なお、人間の神官たちの使う魔法も基本的には術師たちと変わらない。神殿で神の教えにそった魔法を教えているから特定の魔法系統に偏るだけで、事実上彼らは魔術師である。

 ただそれとは別に神官は神から直接魔法を授かることもある。これは神授魔法の呪文と同様の効果を持つが、概ね通常より強力であり、魔力もほとんど消費しない。

 例えば、通常数十人で儀式を行う天候操作の魔法を一人で発動させたりするのがこれに当たる。授かるものも非常に少なく、言ってみれば魔法というより《加護》の一種だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「ふむ」

 

 孫娘と会話するヒョウエを見て、トゥラーナが頬をゆるめた。

 

「ローラによう似ておるの・・・いや、生き写しじゃ」

「よく言われますけどね。母親に似ていると言われても男としては微妙な気分です」

 

 老エルフの笑みが大きくなった。

 それを複雑そうな表情で見上げる。

 

「何故、母や僕をご存じなんです?」

「さて、ローラとの約束もあるでの。いずれは話すときもあろう。星辰が満ち、運命の指が時を指し示す折りにはの」

「・・・」

 

 予言めいた言いぐさに、追求しようとしていたヒョウエが口をつぐんだ。

 その辺の誰かが言ったなら煙に巻こうとしているようにも聞こえただろうが、恐らく千年近い歳を経た老妖精の言葉には奇妙な真実味があった。

 

「ではその件はまた後日に。ただ、私が青い鎧である事はここだけの話にしておいて頂けると助かります」

「よかろう」

 

 老族長が鷹揚に頷いたのを確認して、ヒョウエが居住まいを正した。

 

「ではアクティコ大公ジョエリー・シーシャス・ジュリス・ドネが一子ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネ、ズールーフの森の族長トゥラーナ様に申したてまつります」

「うむ」

「人間たちの族長の一族だと・・・」

 

 再び謁見の間がざわめく。

 もう何度目か、セーナが目を丸くしてヒョウエを見下ろしてきた。

 

「お前族長の子だったのか――そうは見えないな」

「あなたも王女には見えませんよ。まあ人間の目からはという意味ですが」

「父も言ったが私はまだ《護り手》に過ぎん。族長の孫ではあるが、族長を継ぐ資格はないのだ」

「なるほど」

 

 何かしきたりがあるのだろう、何となく察してヒョウエが頷いた。

 

「まあそういう事なら僕も継承権は十位かそこら、随分と低い方ですからね。

 傍系ですし、王子と言っていいかどうか結構微妙なラインですよ」

「ふーむ」

 

 こちらも何となく納得したのだろう、セーナが頷いた。

 

 

 

「と言うわけで改めて地震を起こそうとしている勢力があり、前回よりも遥かに規模の大きい地震が起きるのは間違いないかと思われます」

 

 学者の失踪、遺跡の手掛かり、地脈の緊張、商会を脅迫しようとした末端と暗殺者、バリントンのことなどを伝える。

 

「その件でもうすぐ使者が来ると思われますので、叶うならばご協力を願いたく」

 

 そう締めくくると、老族長は重々しく頷いた。

 

「我らの中でも大地の流れを読んで再び地震が起きると察していたものは多い。言うまでもなく、大地の災いを防ぐために出来る限りの事はしよう、ヒョウエよ」

「かたじけなく」

 

 再び一礼。

 

「遺跡の位置についてだが・・・サーワ。何か心当たりはあるか?」

「地脈の上と言うことでしたら、この森にも二つはございます。森の外となると書物に当たらなければなりませんが」

 

 族長の問いかけに、傍に控えていた妙齢の女官が答える。職掌の印なのだろうか、額に三日月の頭飾り。

 

「うむ。では客人を連れてそれを調べてくれ。

 ヒョウエよ、我らが森の遺跡については我らの方で調査隊を出そう。

 セーナ、ヒョウエの世話役はそなたに任せる。人間の族長の一族であるから、礼を失さぬように」

「かしこまりました、お爺様」

「ありがとうございます、族長様」

 

 セーナが一礼する。ヒョウエも再度礼をし、二人はサーワに連れられて退出した。




ゲーム的に言うと、神授魔法はスキルポイント制で魔法を一つ一つ覚えるタイプ、精霊魔法はクラス制でレベルアップで自動的に魔法を覚えるタイプですね。
もちろん個人やクラスごとに習得魔法に差異はあります。


>名乗らない主人公とロボットの超合金 
パァァァァイル・フォォォォウメイションッ!


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04-27 本の魔法使い

 案内されたのは書庫だった。規模はメットー王宮のそれにも劣らない。

 

「ここがエルフの書庫ですか! いやあ、許されるなら一ヶ月くらい滞在させて頂きたいところですね!」

 

 目をきらきらさせるヒョウエにセーナが微妙な表情になり、サーワがくすっと微笑む。

 

「そう言う感覚はわからんな・・・私はこう、弓の稽古でもしている方が楽しいのだが」

「ダメですよセーナ様、もっと書にも親しまねば。族長を継ぐなら武芸だけでは足りないと、お父様にも言われているでしょう」

「それは・・・そうだが」

 

 リアスがカスミに同様のお小言を言われていたとはつゆ知らず、今度はヒョウエがクスリと笑った。

 

「さて・・・地脈上の、真なる魔法の時代の遺跡についてでしたね」

 

 言いながら、サーワが書棚に並ぶ本の背表紙に手をついた。

 

「~~~」

「む?」

 

 サーワが何かを口ずさむと手から流れた魔力が本棚と本を駆け巡った。

 やがて本棚から手を離したサーワが書庫の奥を指し示す。

 

「こちらへどうぞ」

 

 一分ほど歩いたところで、サーワが棚から二冊の本を抜き出す。

 向かいの棚からもう一冊。

 

「遺跡の位置についてはこの三冊に書かれております」

「おお! 便利な魔法ですねえ!」

 

 読書狂(ビブリオマニア)として実感のこもったヒョウエの感嘆の声。

 セーナが得意げに胸を張る。

 

「サーワは本の魔法の使い手だからな。ここの本ならどこに何があるかすぐわかるんだ」

「司書ですからね」

 

 妙齢のエルフの美女が微笑んだ。

 

 

 

 書庫内の机に移動して本を広げる。柔らかい魔法の光がページを照らした。

 

「ズールーフの森の遺跡がこれ、北の方の地脈周辺の地図がこちら、人族の都周辺から南にかけてはこれですね。ただ、私どもも把握していない遺跡がある可能性はお断りしておきます」

「それはもちろん。では失礼しまして・・・」

 

 かばんの中から和紙の束を取り出す。

 続いて矢立(携帯筆入)を取り出そうか(ヒョウエは和風の筆記用具を愛用する趣味人の一人である)、それとも複写の魔法を使おうかと考えて、サーワがそれを止めた。

 

「紙がありますなら私が」

「そうですか? ではお願いします」

 

 興味深げに頷くヒョウエ。

 目がちょっとキラキラしているのが見て取れて、エルフの美女が再び微笑んだ。

 

「~~~」

 

 再びサーワが呪文を口ずさむ。左手の人差し指は広げた本の一冊に、右手の人差し指はヒョウエの出した紙の一枚に。

 ヒョウエの魔力視覚が、本のページをなぞる魔力を感知する。

 魔力がページをなぞるに従い、紙の上に同じ線が描かれていく。

 

「おお・・・」

 

 セーナもこれは見たことがなかったのか、感嘆の声でそれを注視している。

 この世界で一般的な植物性のインクとも、和風の墨とも違う黒い線が和紙の上を走る。

 数秒で模写は完了した。

 

「これはまた便利な・・・神授魔法にも複写の術はありますが、ここまでお手軽じゃありません」

 

 ヒョウエも同様の術は使えるが、ヒョウエの術力と処理能力をもってしてもこのような複雑な地図を綺麗に写すには一分ほどかかる。

 

(おそらく図形を見て写しているのではなく、地図という概念、本という概念をそのまま紙に写してるんですねこれは)

 

「残り二枚もちゃちゃっとやってしまいますね」

 

 十秒後、真新しい模写三枚が完成していた。

 原本と付き合わせて漏れがないかどうか確認すると、ヒョウエが頭を下げた。

 

「ありがとうございます、サーワさん。時間が節約できました」

「お役目ですので」

 

 微笑むサーワ。

 

「それでは早速これを王都に届けてきます。セーナさんもありがとうございました。

 またこちらにくるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

「うん?」

 

 何を言っているのだお前は、という顔のセーナ。

 

「うん?」

 

 ヒョウエも同じような顔で首をかしげた。

 

「私もついていくぞ。この件の間はお前について助けてやれと、お爺様はおっしゃられた。世話をするというのはそう言う事だ」

「あー。ではもうしばらくよろしくお願いします。メットーの王宮に行きますけど問題ありませんか?」

「ああ。許される限り、お前についていこう」

 

 満足そうな笑みを浮かべ、セーナが頷いた。

 

 

 

 世界樹の王宮を出て、来た道を戻る。

 広場から再び孔雀鷲(モチール)の背と杖にまたがり、二人は空高く舞い上がった。

 

 足止めされるのが面倒なので、城門はスルーする。

 そのままメットー北部中央の王宮へ飛ぶ。セーナに言ってあらかじめ「エルフの隠れマント」は発動させてあった。王宮の前庭に着地。衛兵たちが駆け寄ってくる。

 

「何者・・・これは、ヒョウエ様。失礼しました。ですが・・・」

「すいませんね、状況が状況なもので。もう一人客人がいるんですが、今姿を見せますので驚かないで下さい」

「は?・・・え、ええええええええええ!?」

 

 ヒョウエの横に孔雀鷲とセーナが姿を現す。

 衛兵たちがあるものは絶叫し、あるものは口をあんぐりと開けた。

 

 

 

「まず玉座の間で伯父――国王に謁見して状況を伝えます。いや、今時分ならまだ執務室かな。その後は書庫で写しを学者たちに渡して、仲間と合流してから捜索開始です」

「うむ」

 

 少女のような美貌の少年と褐色銀髪の凜とした顔立ちのエルフの少女が王宮の廊下を歩いていく。

 すれ違う廷臣や侍女たちはあるいは呆然と立ち尽くし、あるいは頬を染めてそれを見送る。腰を抜かしてしまうものもいた。

 そうした廷臣たちの一人から伯父がまだ執務室にいることを聞き出して、ヒョウエたちは王のもとへ向かった。

 

「失礼します、陛下」

「ヒョウエか、どうし・・・ぬぉっ?!」

 

 ワイリーと何かを話していたマイアが、大声を出してのけぞる。

 振り返ったワイリーはのけぞることこそなかったが、それでも絶句した。

 

「伯父上、フィル爺。こちらズールーフの森の族長トゥラーナ様の孫にあたるセーナさん。セーナ、こちらが僕の伯父、ディテク国王マイア・ジェイ・ボッツ・ドネ陛下。あちらは宰相、そちらで言えば内の長であるフィリップ・ワイリー侯爵閣下です」

「かたじけない。人族の王よ、私はズールーフの森のエルフが一族、セーナ。

 そなたら風に言うのであれば『護り手にして(ラクシャ)』『風の乗り手(ハバスヴァリ)』『直なりし長の幹なる(シーダ)』セーナ。セーナ・ラクシャ・ハヴァスヴァリ・シーダだ。お見知りおき願いたい」

 

 ようやく気を取り直したマイアが頷いた。

 

「う、うむ。丁寧な挨拶痛み入る。ディテク国王マイア・ジェイ・ボッツ・ドネである」

「宰相を務めさせて頂いております、グラディ侯爵フィリップ・サベッジ・コライド・ワイリーです。・・・エルフなど、半世紀ぶりに見ましたよ」

 

 あ、と何かを思い出したようにヒョウエがワイリー侯爵の方を向く。

 

「そう言えばフィル爺、昔エルフの森に使者に行ったことがあるんだっけ?

 じゃあ僕の前、数十年前にエルフの王宮に立ち入った人間ってフィル爺のこと?」

 

 父親達がフィル爺呼びするので、自然と身についた呼び方で宰相を呼ぶヒョウエ。

 口調も家族に対するように砕けたものになっている。

 実の祖父、マイアたちの父は早世しているので、彼がヒョウエたち王族の子供にとっては祖父のようなものであった。

 

「はい、そうなりますかな。まだ30かそこらの若造でしたが、未だにあの雄大な情景は忘れられません」

「ほぉ。あなたがあの時の使節か。意外な縁があったものだな。私もあの時は幼かったから、兄と一緒に人間を一目見ようと王宮の廊下にこっそりと隠れていたものだ」

「おや、それはそれは」

 

 驚いた表情になったあと、ワイリーが頬をゆるめる。

 

「それで、この顔を見てご満足頂けましたかな」

「いやあ・・・申し訳ないが拍子抜けだったな。エルフではないが、それだけだ」

 

 苦笑するセーナ。ワイリーは微笑み。

 

「エルフも元は人族より産まれたものですからな。大きくは違いませぬでしょう」

「だな」

 

 セーナが笑って頷く。

 

「すまぬ、話がそれたな。この件で族長はあなた方人間と協力するつもりだ。

 既にエルフの領域にある遺跡には調査隊が差し向けられているはずだし、使者を出せば色よい返事を返すだろう」

「そうか、ありがたい! この地図の写しも含めて感謝する」

「こちらこそ原因を教えて貰って感謝に堪えない。自然現象ではいかんともしがたいが、人工的なものであれば止められる可能性があるからな」

「その通りだ」

 

 マイアとワイリーが真剣な顔で頷く。

 

「先だっての地震ではここメットーでも百人を超える死者が出た。

 青い鎧がいなければ、あるいは千人、一万人の犠牲者がいたかもしれん。

 二度とその様な事を起こすわけにはいかん」

「はい」

 

 同じく真剣な顔でセーナとヒョウエも頷いた。

 

「ところで」

「?」

 

 ちらりとヒョウエを見下ろすセーナ。

 

「その青い鎧というのはいったい? ヒョウエ王子から名前だけはちらりと聞いたが」

 

 僅かに笑みを含んだ声。

 ヒョウエはポーカーフェイス。

 

「そうだな、人々を助ける謎の戦士だ。強大な力を持ち、メットー周辺で活動している。

 一年ほどでこの都の犯罪の大半を撲滅し、ここ最近数ヶ月だけでも暴走した真なる魔法文明の時代の巨人兵器を破壊し、身の丈200mに達する怪人を打ち破り、夢の中に引きずり込まれた人々を救っている」

「夢の中?」

「心を操る能力を持った怪人だったらしいが、詳しいことはわからん。これについてはヒョウエの方が詳しいのではないか?」

「なるほど、確かに詳しそうだな」

「・・・」

 

 楽しそうに笑うセーナ。

 それから数分、ヒョウエは苦労してポーカーフェイスを保ちつつ、いかにもそれらしく聞こえる「推測」をでっち上げて語るはめになった。



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04-28 精霊神の託宣

 王宮でマイアと謁見して少し後、ヒョウエと三人娘、セーナはメットー周辺の空を飛んでいた。

 地脈上の未発見の遺跡は軍に護衛された地相術師(ジオマンサー)達が捜索に当たっている。

 先だっての提案の通り、大地に関わる神々の神官、また数は少ないが民間のフリーの術師までも駆りだした総動員体制だ。

 

 地相術師(ジオマンサー)は土地の地力や地形の危険度の調査、断層などの発見ができるために農業や建築関係でかなり有用な人材である。

 そのため神官でない術師の大半は公的機関か神殿の作るその手の組織(農協や建築ギルドに相当する)に所属していた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 一方でヒョウエ達に下された使命は、既に発見された遺跡の再調査。

 強力な《目の加護》を持つモリィ、専門ではないが地脈の相をある程度感じられるセーナ、点在する遺跡を素早く飛び回り、念響探知(サイコキネティックロケーション)で未発見の区画を発見できるヒョウエと、今回の仕事にはベストマッチとも言える人材である。

 セーナを引き合わせた時の三人娘やサナ達の反応も、概ね好意的なものだった。

 

「腕利きの狩人だな」

「戦士としても中々のものとお見受けします」

「私どものものとはやや違いますが、きちんと作法を身につけた物腰のお方ですね」

 

 それぞれモリィ、リアス、カスミのセーナに対する第一印象である。カスミはどことなくリアスと同類っぽいとも思ったが、もちろん口には出さない。

 

「この面々なら探索も手早く済むでしょう。王国とエルフの森の一大事です。

 ちゃっちゃと片付けますよ!」

「おう!」

 

 ヒョウエの檄に、四人が意気高く頷いた。

 

 

 

 二日後の昼下がり。

 メットーの南西百数十km、海岸沿いにある遺跡から五人が出て来た。

 いずれの顔も疲労の色が濃い。

 

 飛行。到達。探索。空振り。

 飛行。到達。探索。空振り。

 飛行。到達。探索。空振り。

 飛行。到達。探索。空振り。

 飛行。到達。探索。空振り・・・

 

 いつもにも増したハードスケジュールで丸二日を探索に費やしたものの、古代の魔法装置もメットーを壊滅させようと企む悪の秘密結社も見つからなかった。

 いくつかの遺跡で未到達区域は見つけたものの、いずれも人の出入りした痕跡は全くないし、地震を起こせるような魔法装置もその痕跡もなかった。

 

「クワックワックワッ!」

 

 入り口で待っていた孔雀鷲が嬉しそうな鳴き声を上げ、セーナが首を撫でてやる。

 それをちらりと眺めながらモリィがうなり声を上げた。

 

「結局全部外れか。どうすんだ、未発見の遺跡でコソコソやられてたら手の打ちようがねーぞ」

「地脈の緊張からして、もう今日明日に迫っているようですが、どうしようもありませんね。上が新しい手掛かりを掴んでるかもしれませんし、まずは報告して・・・」

「クワーッ!?」

「?」

 

 切羽詰まった孔雀鷲の鳴き声。

 四人が驚いて振り向くと、セーナが棒立ちになっていた。

 天を仰ぐその目は虚ろで、正気とは思えない。

 次の瞬間、何かがヒョウエたちに吹きつけた。

 

「ぐっ」

「うおっ・・・」

「これは」

「何? 何ですの!?」

 

 ヒョウエが歯を食いしばり、モリィが目を押さえる。カスミの頬を一筋、汗が伝う。

 魔力感知能力を持たないリアスですら、異様な雰囲気に畏怖を覚えていた。

 

「≠仝・・・*∴‡・・・」

 

 セーナの喉から洩れる、声とは思われない音。

 全身から放射される高次元の、高密度の、余りにも強大で神秘的な魔力。

 恐らくは神と呼ばれる存在の。

 

「#%’$&%・・・A・・・Ah・・・Oh・・・おお、大いなる流れ、枯れたり・・・」

「!」

 

 ヒョウエが目を見開く。

 その間にもセーナの声帯は声を発することをやめない。

 

「大いなる流れ枯れたり・・・かつてありたる流れの上に都は築かれ・・・大地の社もまた築かれん・・・彼方の島・・・心せよ、いとまはない・・・」

 

 ふっ、と放射される魔力が消えた。

 それとともにセーナの目に光が戻る。

 ふらついたセーナを、慌てて駆け寄ったヒョウエが腰に右手を回して支えた。

 ヒョウエは150cm、セーナは170ほどあるので、自然と肩を貸すような形になる。

 

「セーナ! 大丈夫ですか!」

「う・・・あ・・・ヒョウエか。何があった?」

 

 セーナが意識をはっきりさせるように頭を振り、額に手を当てる。

 額にはいつの間にか玉のような汗が浮かんでいた。

 

託宣(オラクル)を受けました。あるいは予言でしょうか。ともかくトランス状態になっていたのは間違いないと思います」

「そうか・・・また起きたか」

「あれは一体?」

 

 ヒョウエと、呆然と自分を見つめる三人娘の顔を見る。

 ひどく真剣な顔でセーナが言った。

 

「私の《加護》が何か話していなかったな。私の加護は《精霊の加護》・・・精霊神アウレリエンの加護だ」

「!!!」

 

 精霊神(アウレリエン)

 精霊と呼ばれる世界の霊的なエネルギーの循環を司る神であり、最初の妖精族であるエルフを生みだした神、そして妖精族全体の守護神でもある。

 その神の直接的な、文字通りの加護をセーナは受けているのだという。

 

「ではあの声は・・・」

「ああ、精霊神(アウレリエン)の声だ。いや、正確には私の声なのだが・・・」

「高次情報生命体である神の発する情報を、あなたが受け止めて、言わば翻訳しているわけですね。僕たち人間にもわかるように」

「うむ、そんな感じだと思う。昔一度だけ託宣を受けたことがあるが、その時は森の木々に根腐れの病が流行した。託宣がなければズールーフの森の木の三割は枯れていたかも知れない・・・っつう・・・」

 

 再び額に手を当て、苦しそうにセーナがうつむく。

 

「大丈夫ですか?」

「すまない。前の時もそうだった。前は三日三晩寝込んだからまだマシだな・・・」

「高密度の情報を、エルフとは言え人間の脳を介して無理矢理翻訳してるんですから、そりゃ負担もかかるでしょうね・・・ちょっと失礼」

「? お、おお・・・」

 

 杖を持つ手でセーナの腰を支えたまま、こめかみに左手の指を当てる。

 指先に治癒の光が灯り、目に見えてセーナの表情が和らいだ。

 

「セーナのそれは負傷ではありませんけど、脳の酷使によるものですからね。生命エネルギーを直接送り込めば多少マシになると思いましたが、うまくいったようで何よりです」

「ああ、助かる。こう、すーっと効いてくるな・・・」

 

 目を閉じ、リラックスした表情でセーナがヒョウエにもたれかかる。

 腰に力を入れて、肩を貸す姿勢でヒョウエがそれを支える。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 しばらく二人はそのままの姿勢で立っていた。

 

「・・・ん?」

 

 やがて、というかようやく、と言うべきか。ヒョウエが三人娘の視線に気付いた。

 

「あの、みなさん? なんでそんな剣呑な表情をしていらっしゃるので?」

「べーつーにー」

「セーナさん? もうかなり回復されているようですし、ご自分で立つべきではないでしょうか?」

「うら若き女性の腰に長いこと手を回されているのはどうかと思いますヒョウエ様」

「「・・・」」

 

 ヒョウエとセーナが顔を見合わせる。

 次の瞬間、ぱっと二人は身を離した。二人とも顔がちょっと赤い。

 

「ああいやすいません、僕が気がついてしかるべきでした」

「いや、悪いのは私の方だ。その、余りにも気持ちいいものだから・・・」

 

 三人娘の視線が更に剣呑になる。

 少し顔を引きつらせながらセーナがかがんだ。

 

「その、まだ頭が痛むのでもう少し・・・その、体が触れあわない程度に!」

「そうですね、体が触れあわない程度に!」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 無言のプレッシャーを受けつつ、ヒョウエの治療はそれから十分ほど続いた。



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04-29 古地図

「『大いなる流れ枯れたり』『かつてありたる流れの上に都は築かれ』『大地の社もまた築かれん』『彼方の島』・・・

 これはたぶんかつて存在した大きな地脈があって、その上にメットーと件の遺跡が建造された。恐らく遺跡は沖の島のどこかにある。そう言う事だと思います」

 

 治療を続けながらヒョウエが推測を語る。

 四人が頷いた。

 

「それで、あたしらはどうするんだ?」

「王宮に戻ります。サナ姉に伝言を頼む事も考えましたが、ここからなら大して違いは無いでしょう。どっちにしろ古い地脈図がないと・・・そうだ、セーナ!」

「な、なんだ?」

 

 いきなり話を振られてエルフの娘が動揺する。その頬がまだ僅かに赤い。

 

「ひょっとして、そちらの王宮の書庫に真なる魔法の時代の古い地脈図が残っていたりしませんか?」

「・・・! そうだな、確かにあるかも知れない。サーワならすぐに見つけ出してくれるはずだ」

 

 勢いよくセーナが頷いた。額にヒョウエの指が当たったままなので今一つ締まらないが。

 

「よし。今リーザにお願いしてサナ姉に伝言を頼みました。サナ姉なら王宮まで十分くらいでいけるでしょう。治療が終わったらすぐに・・・」

「いや、もう大丈夫だ。礼を言う。それよりも早く森に向かおう。私でもこの周辺の大地が緊張を孕んでいるのがわかる。託宣でも時間は無いと言っていたのだろう?」

 

 セーナがヒョウエの手を優しく脇にどける。

 一瞬迷ってヒョウエが頷いた。

 

 

 

 ヒョウエたちが飛ぶ。

 

「うお、おおおおおおおおお!?」

 

 悲鳴と驚愕と歓声の混じった声をセーナが上げる。

 モリィ、リアス、カスミが、程度の差はあれ同類を認める笑みを浮かべた。

 

 矢の速度で飛ぶヒョウエの杖。今はセーナもその最後尾にまたがっている。

 ヒョウエの杖の速度は全力を出せばほとんど亜音速に達する。孔雀鷲の約五倍だ。到底追いつけないと言うことで、五人が杖で先行する事にしたのだ。

 後方を飛ぶセーナの孔雀鷲の姿が、あっという間に豆粒ほどに小さくなる。

 

「クエーッ・・・」

 

 凄まじい速度差で置き去りにされた孔雀鷲がさびしげに鳴いた。

 

 

 

「もう少し右の方・・・そう、その方角だ」

「あの森の中の開けたところか? ならごく僅かに左だな」

「・・・この距離で見えるのか? 私でもそこまではわからないぞ」

「へへ、まあ目だけはな」

 

 振り向いて得意げにニヤリと笑うモリィ。セーナは素直に感嘆の面持ちだ。

 前を向いて杖を飛ばしながら口元をゆるめるヒョウエ。

 ほどなく、杖はエルフの森の孔雀鷲の発着場に降下していった。

 

「そうそう、この三人と屋敷にいた二人は僕が青い鎧だって事を知ってますので」

「え、お前バラしちまったのかよ!?」

「セーナと会ったのが青い鎧着たままでしてね・・・族長さんに一目で正体を見抜かれてしまいましたし、まあ隠してもしょうがないかなと」

 

 静かな瞳の老エルフを思い出し、ヒョウエが僅かに遠い瞳になる。

 

「・・・」

「・・・?」

 

 むっつりと、モリィが不機嫌そうな顔になる。

 雰囲気の変化を察し、ヒョウエが怪訝な表情になった。

 

「なんです、モリィ」

「べーつーにー。なんでもねーよ。下見てちゃんと降りろ」

「だったら拳で頭をグリグリやらないでくれますかね・・・」

「?」

 

 じゃれあうヒョウエとモリィにセーナが首をかしげ、リアスとカスミが溜息をついた。

 

 

 

「うおっ・・・」

「これは・・・」

「うわぁ・・・」

 

 エルフの集落と大樹の王宮に言葉をなくすモリィとリアス。目を輝かせるカスミ。

 その様子を微笑ましく眺めながら、セーナは一行を玉座の間に案内する。

 トゥラーナはナタラやサーワ達とともに善後策を練っているところだった。

 最初にナタラが気付き、他のエルフもこちらを向く。

 

「む・・・どうしたセーナ。その者達は?」

「ヒョウエの"狩りの友(ダスタ)"です。

 お爺様、お父様。精霊神(アウレリエン)からお言葉を授かりました」

「!」

 

 広間に沈黙が落ちた。

 トゥラーナが口を開き、問いかける。

 

「それで、精霊神(アウレリエン)様はなんと?」

「『大いなる流れ枯れたり かつてありたる流れの上に都は築かれ 大地の社もまた築かれん 彼方の島 心せよ、いとまはない』・・・でよかったな?」

 

 ヒョウエが頷くのを見て視線を正面に戻す。

 これまで常に泰然としていたトゥラーナの顔に、初めて苦悩の表情が浮かんだ。

 

「やはり"大破壊(プラリワ)"は近かったか。森の同胞たちも多くがそれを感じ取っている。『大いなる流れが枯れた』と言ったな?」

「はい。ヒョウエはかつて存在した枯れた地脈の上に人間たちの都と件の遺跡が作られたのではないかと」

「なるほど。人間たちには伝えたのか?」

「ヒョウエが伝言したそうです。それで場所を特定するために古い地脈図が必要なのでサーワに捜して欲しいのですが」

「サーワ」

 

 族長の言葉に女官が頷き、足早に玉座のそばを離れる。

 厳しい表情。

 

「急ぎましょう、皆様方。もはや一刻の猶予もないようです」

 

 無言で頷き、ヒョウエたちはサーワの後を追って謁見の間を退出した。

 

 

 

「~~~」

 

 書庫の入り口。本棚に手をついてサーワが呪文を口ずさむ。

 僅かな時間目を閉じていたかと思うと、すぐに身を翻して歩き始めた。

 セーナとヒョウエがその後を追い、モリィ達も戸惑いながらもそれに続く。

 

「おい何だ今の? 魔法か?」

「本を捜す妖精魔法だそうです。写しを作る魔法もありますよ」

「はー」

 

 そんな会話を挟みつつ、奥に進んでいく。

 最も奥、木とも金属ともつかない、ノブも取っ手もない扉にサーワが触れる。

 カチリと音がして扉がひとりでに開いた。

 

「皆様はここでお待ち下さい、すぐに戻ります」

 

 返事を待たず、サーワはそのまま奥に入っていった。

 奥から洩れてくる「なにか」に、ヒョウエとモリィ、セーナが顔をしかめる。

 

「ここは・・・ただの閉架書庫ではないようですが。禁書庫のようなものでしょうか?」

「・・・お前は本当に鋭いな。私も詳しくは知らない。ただ、この中は危険な知識が収められていると聞いている」

「ですか」

 

 眉を寄せて頷く。

 そこにサーワが戻ってきた。

 

「これです。今写しを・・・」

「どうぞ。二枚お願いします」

 

 手際よく取りだしておいた紙を渡すヒョウエ。

 サーワは頷き、紙を受け取ると振り向いて扉を閉める。

 重い音を立てて、禁じられた書庫の扉が再び閉ざされた。

 

 

 

 サーワから写しを受け取ると、ヒョウエたちは王宮から飛び出した。

 通り抜ける時間も惜しいとばかりに、杖にまたがって孔雀鷲の広場までを飛び抜ける。

 何人かのエルフ達が腰を抜かしていた。

 

「悪いことしちゃいましたかね!」

「危急の際です、やむを得ませんでしょう。しかし王宮から直接飛び上がるのはいけなかったのですか?」

 

 リアスの疑問にセーナが答える。

 

「王宮周辺は――この集落もそうだが、結界に包まれて一種の異世界になっている。

 上に飛び上がっても果てしない空を飛び続けるだけで、決して森の外には抜けられないそうだ」

「うへえ、そりゃゾッとしねえな」

 

 モリィが顔をしかめるとともに杖は集落を抜け、広場から上空に――現実世界の空に飛び上がった。



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04-30 モンソン島

 飛行しながら、地図の写しを確かめる。

 全力飛行の時は周囲に念動障壁を張るので風を気にする必要は無い。

 

「この都を通る地脈がそれだとすると、その主流の上にある離島はこのあたり、その中で遺跡があるのはこの島です。恐らくはここが本命!」

「ですがヒョウエ様、それでは私どもは直接そちらに向かった方が良かったのでは?」

「難しい所ですが、エルフの孔雀鷲でも王宮までは多分三十分近くかかります。僕なら数分のロスで済みますからそっちの方が効率的でしょう。

 時間はかかりますが伯父上の方からも人をよこしてもらえるでしょうし」

「なるほど」

 

 言葉通り、杖は数分で王都の上空に達した。今度は前庭に降りる手間すらかけず、執務室の前のこじんまりした中庭に降りて、直接執務室の中に入る。

 中にいたマイアと、でっぷりした老人の大臣がぎょっとした顔になった。

 

「伯父上、時間が無いので失礼します!」

「ヒョウエ!? ええい、驚かせるな! それで、地図は見つかったか」

「このとおり」

 

 手にした写しの一枚を執務机の上に置く。

 

「この王都を通る地脈がそれと思われますので、遺跡の位置を記した古地図と照らし合わせますと、恐らくはここ、モンソン島だと思われます」

「良くやった!」

 

 マイアが破顔一笑し、机を叩く。ペンを取って写しのモンソン島に×印をつけると、鈴を鳴らして召使いを呼ぶ。

 

「これをカレンの所に持っていけ! 大至急だ!」

「はっ!」

 

 緊張した面持ちで召使いが駆け出す。

 

「姉上のところですか? 父上のところではなく?」

「王宮にはお前の知らぬ事も沢山あるのだ、ヒョウエ」

 

 マイアがにっ、と歯を見せて笑う。

 

「ふむ」

「そうだ、これを持っていけ」

 

 マイアが引き出しから取りだしたのは、2センチほどの小さな白い球。

 手に取ってしげしげと眺める。

 

「これは・・・"動かざる星(ツバルファ)"ですか」

「そうだ。これを目印に後続が続く」

 

 "動かざる星(ツバルファ)"とはこの世界における北極星に相当する星だ。

 その名を冠したこの魔道具は、対となる表示器に対して常に位置情報を送信する。現代地球における発信器のようなものだ。

 

「カレンから預かっていたのだ。来たら渡しておいてくれとな」

 

 頷いて、ヒョウエがきびすを返す。

 

「それでは僕たちは先にモンソン島に向かいます。"青い鎧"以外で僕より早く移動できる人はいないでしょう」

「次は表のドアから入ってこいよ?」

「急ぎでなければね」

 

 「次は」――つまり無事で戻ってこいと言う、からかいめいたマイアの激励に、ヒョウエは笑って答えた。

 

 

 

 杖が飛ぶ。向かう先は南の離島、モンソン。

 先だっての地震の際、ヒョウエが津波を確認した場所より更に南の孤島だ。

 カスミが首をかしげた。

 

「大地の力を操って豊かにするための魔法装置なのに、どうしてこんな海の上に作ったのでしょう?」

「多分ですが・・・今回のようなことを避けるためじゃないでしょうか。

 今回は意図して地震を起こしていますが、何らかの事故や暴走でそうした事が起きるのを避ける為に、あるいは起きたときに被害を抑えるために離れた場所に作ったのかも。

 地脈を介せば大地の力を遠隔で操作することは可能ですしね」

 

 ううむ、とセーナが唸る。

 

「これだけ離れた場所から大地を操るか・・・真なる魔法の時代の遺産とは恐るべきものだな・・・」

「神になった人たちが作り上げた文明ですからね。真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)は恐らくはエルフに比べても圧倒的な魔法能力を持っていたことでしょう。

 それを個人技に終わらせず、学問として確立したのは本当に凄いと思いますよ。

 まあ、受け継ぐ人が絶えた訳ですから完全に確立できたわけではなかったんでしょうけど・・・」

 

 説明を聞いたセーナが溜息をついた。

 

「神話の時代、魔法の時代、人の時代と、妖精族を含めた我ら『ヒト』の能力はどんどんと衰えてきているようだからな。やむを得ないことではあるのだろう」

「エルフもなのですか、セーナさん?」

「ああ。魔法能力もそうだが、寿命もな。かつては数千年を生きる種族だったと我らの伝承にはあるが、今は千年を生きるものもまず見なくなっている。

 ズールーフの森で最も年長の一人がお爺様だが、それでも800才余りに過ぎない。

 あと数千年もすれば、エルフも人間と大差ない寿命になるか・・・もしくは人族に戻ってしまうのだろうな」

「人に戻る? どういうことですの?」

 

 リアスの疑問に答えたのはヒョウエだった。

 

「妖精族というのは元々人族です。それは知っていますね?」

「ああ」

「えっ、そうなんですの!?」

 

 頷いたのはモリィ。驚きの声を上げたのはリアス。

 

「お嬢様」

「う"っ」

 

 後ろから冷たい視線を感じてリアスが縮こまった。

 触れない方が良さそうだと判断して、話を続ける。

 

「そもそもはくだんの精霊神(アウレリエン)が世界の精霊力を管理するため、地上における代理人として人族に精霊の力を与えたのがエルフです」

「我らの伝承では、人族であった祖先が『精霊の種(アートマ)』を授かって変生したのが最初のエルフと言うことになっているな」

 

 セーナの補足に頷いて先を続ける。

 

「エルフはあらゆる点で優れた能力を持ちましたが、その反面繁殖力や種としての活力に欠けた種族となってしまったと言われます。

 人間に大きな力を注ぎすぎた反動だとも言われますが実際のところはわかりません。

 それを鑑みたのか他の神々が作ったドワーフやピクシーは、能力を限定したり抑えたりすることによって種としての活力を維持しつつ必要とされる能力を得たと言う事です」

「話が見えねえな。それが魔法の力の低下とどう関係してくるんだ?」

 

 やや腑に落ちない顔のモリィ。

 

「精霊の力と言いますけど、本来はあらゆる生物に宿っているんですよ。もちろん人間にも。で、それが薄くなっているのが魔法の力の低下の原因ではないかと」

「・・・それは、ひょっとして大変まずいことなのではないでしょうか?」

 

 僅かに汗をかいたカスミの疑問に、ヒョウエが笑って答えてやる。

 

「どうでしょうね。この世界に命が増えすぎたので、一人ずつの力が弱まってるだけかも知れませんよ。どちらにしろ、僕たちの生きている間は――セーナの生きている間にも多分関係ない話です」

「だといいがな」

 

 セーナが苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 そんな話をしている間にモンソン島が見えてくる。直径1kmほど、海から岩が突き出しているような島だが、いくらかは砂浜もあり、植物も多い。

 その中からそれを最初に発見したのはやはりモリィだった。

 

「山の中・・・道の残骸らしいものが見えるぜ。あれじゃねえか、遺跡ってのは。

 岩山の間の入り江に船・・・待て! 入り江の反対側の砂浜・・・何か引きずったみたいな跡がある!」

「! その跡の方に降りますよ」

「了解だ」

 

 島の向かって左側、砂浜があるあたりに着地する。

 引き上げたボートは簡単なカモフラージュが施されていたが、モリィとセーナによってすぐに見つかった。

 ほとんど痕跡の残ってない砂浜を見てカスミが唸る。

 

「よくおわかりになりましたね、これが船を引きずった跡だと」

「足跡とボートを引きずった跡を葉っぱで消したんだろうが、それはそれで結構不自然な跡が残るもんなのさ。言ったろ、あたしの目は特別なんだ」

「つくづく反則でございますね・・・」

 

 呆れはするが、それ以上に気にかかることがあった。

 

「しかしここに船があると言うことは」

「彼らの不意を打とうとする何者かがいるということですわね、カスミ?」

「恐らくはそうであろうかと存じます」

 

 モリィがちらりとヒョウエを見た。

 

「どうする? 足跡もたどれるが・・・」

「そうですね・・・いえ、遺跡を優先しましょう。彼らの敵と言うなら、恐らく僕たちの敵ではないでしょう――少なくともこの件の間は。

 カスミ、ここからは透明化の術を」

「かしこまりました」

「ほう。人族の隠れマントか。自分以外にもかけられるのだな」

 

 セーナが興味を引かれた顔付きになり、カスミがはにかんだ顔になる。

 

「伝説のエルフの隠れマントに比べてどうかは存じませんが、短い時間であれば」

「まあ神授魔法も妖精魔法も一長一短ですよ。人間が使うなら神授魔法のほうが使いやすいという程度です」

「らしいな。本当に森の外は勉強になることばかりだ――本を読むよりよほどいい」

 

 ヒョウエの言葉にセーナが頷き、一行は再び空に舞い上がる。

 セーナの言葉の後半にリアスが目を輝かせていたのと、それを見たカスミの目が少し青くなっていたのは見なかったことにするヒョウエであった。



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04-31 遺跡

 透明化したヒョウエたちがモリィの指示で飛ぶ。

 岩山に刻まれたスロープの終着点、中腹にぽっかりと口を開けた開口部。

 人の身長の三倍ほどの入り口は扉で封じられていた形跡があるが、門扉は無惨に破壊されていた。

 

「すげえな。これ真なる魔法時代の遺跡だろう? 力づくでぶち破るのはほぼ無理だって聞いたぜ」

「魔法でしょうか・・・?」

「そうですね、リアスの白甲冑ならどうにか――この跡は"物体破壊(シャター)"の呪文や熱などで破壊した跡じゃありませんね。物理的に破壊したんでしょう。

 大型の筋力強化型具現術式(パワーローダー)か、何らかの遺物(アーティファクト)をどうにかして運び込んだかな? 火薬があればまだしもですが」

「"かやく"とはなんでしょうか?」

「向こうの世界に存在した魔道具みたいなものです。火をつけると凄い爆発をします。

 こっちの世界では未だに再現できていないようですが」

 

 こちらの世界に流れ着いて、火薬を再現しようとしたオリジナル冒険者族は多い。

 が、鉱物の組成が違うのかそれとも物理法則自体が異なるのか、未だに再現できたものはいない。

 

「まあその研究の副産物で"鱗粉花火(ハナビ)"とか"火球玉(ファイアーボール・スフィア)"なんてものが出来たのでそれ自体は無駄ではなかったんですが・・・」

 

 火薬を魔法的な処理や錬金術、稀少なモンスター素材などを使って再現しようとしたものがこれらのアイテムである。

 前者はほぼ打ち上げ花火、後者は直径10mほどの範囲で爆発する手投げ武器だ。

 

 ただし高度な職人芸や素材を必要とするため、価格は跳ね上がっている。

 "鱗粉花火(ハナビ)"は大型のものなら百万ダコック、日本円換算で一億ほどするし(なお日本では最大の四尺玉が250万円)、後者も数百万円はする(普通の手榴弾の価格はその一万分の一)。

 現代の花火祭の感覚でポンポン打ち上げたら、ディテク王国でも金欠で滅ぶだろう。

 

「"鱗粉花火(ハナビ)"がその"かやく"から生まれたものだったんですか!」

「王子や姫さんが生まれた時くらいしか見ないが、ありゃすげえよな・・・」

「ええ。地球でも、花火は火薬の最も素晴らしい使い道でしたよ」

 

 前の世界の事を少し懐かしんで、ヒョウエが微笑んだ。

 

 

 

 破壊された扉の中に入ると、そこはかなり広い空間だった。

 物資の搬入用か、大きな扉がそこかしこにある。

 

「ぬん」

 

 杖を床について念響探知(サイコキネティックロケーション)

 一瞬遅れてヒョウエが顔を盛大にしかめ、セーナが首をかしげる。

 

「どうしたのだ、ヒョウエ?」

「思っていたより大きいですよ、この施設。岩山の中、てっぺんから海面下までびっしりと部屋やら何やらが・・・人がいて巨大な魔力反応があるのは下の方なのでそこだと思いますが。モリィ、足跡わかりますか?」

「んー・・・まあ何とかだな。どこまで続いてるかはわからないけどよ」

 

 施設自体は真なる魔法の時代のすべすべした未知の材質で出来ているものの、外から吹き込む微細なほこりなどが床につもり、モリィの目でなら十分追える足跡があった。

 ただし、これが遺跡の奥までずっと続いているかどうかはわからない。

 

「大体の構造はわかっていますし、いけるところまでよろしくお願いします。

 途切れたらそれはそれで臨機応変に」

「つまり出たとこ任せだな」

「その通りですけど、もうちょっと言い方があるんじゃないですかね」

「事実だろ」

 

 微妙な顔をするヒョウエに、にひひとモリィが笑った。

 

 

 

「こっちだな」

 

 モリィを先頭に、横にリアス。二列目にヒョウエとカスミ。

 探索時のいつもの隊列だが、今は最後尾に弓を構えたセーナが続く。

 ヒョウエとモリィは、その弓と矢にまつわりつくぼんやりとした魔力を捉えていた。

 

「モリィさん? 先ほどからチョークで壁に何を?」

「後から王国の部隊が来るんだろう? 目印をな」

「チョークというのか、便利なものだな。私たちは布や石を並べたものを使うが」

「ある種の石を粉になるまで砕いて焼き固めたものです。これなら符丁がわからない人にも通じますからね」

 

 その様な事を話しつつ、施設の奥に進んでいく。

 途中魔法的施錠が施された扉や簡単なブービートラップがあったが、ヒョウエの解呪とモリィの盗賊技術によって難なく解除されていく。

 

 たどり着いたのは、少し広い空間だった。

 同じような湾曲した両開きのドアが等間隔でいくつも並んでおり、ドアとドアの間や上には奇妙な黒い板が取り付けられている。

 武装した男が四人、周囲にたむろっていた。術師も一人いる。

 

「・・・なんだありゃ?」

「モリィ、足跡はドアの中に?」

「ああ。どれにも続いてるな・・・真ん中のが一番多いか?」

「まあどれでも同じでしょう」

「ヒョウエ様、あの扉は一体? 別々の部屋に続いているにしては間隔が狭すぎますが・・・」

「なに、ただの昇降機(エレベーター)ですよ。まあ通行証(リボン)持ってるかも知れませんし、取りあえずあの番人たちは倒してしまいましょうか」

 

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

 

 

 見張りに配された兵達は決して油断していなかった。

 数時間立ち続けるだけの単調な任務を直立不動でやり遂げるだけのプロ意識を持っていたし、厳しい訓練と実戦を重ねてどんな状況にも即応できるだけの練度を有していた。

 

流れる星よ(Ketu)

 

 だが、見えないところでこっそりと呟かれた呪文に気付かなかった事が、彼らの敗北を決定する。

 

「・・・?」

 

 見張りのリーダーがくらりと来て踏みとどまる。

 

「おい、おまえた・・・ち・・・」

 

 声をかけようとして、隣に立っていた術師が無言のまま倒れた。

 

「・・・! ・・・・・・!」

 

 声を上げて警戒を促そうとするが、頭が上手く働かない。

 腰につけた連絡用の魔道具を動作させることを思いつけない。

 

 どさり、どさり。

 

 それが更に二人倒れた音だと気付かないまま、リーダーもまた倒れて意識を手放した。

 

 

 

「よっしゃっ!」

 

 モリィがパチンと指を鳴らす。

 

「まだ動かないで下さいね。広間の空気を入れ換えますから」

「何をしたのだヒョウエ? 空気が濁ったぞ」

「それであってますよ。空気を濁らせたんです。洞窟の奥にガスが溜まるみたいにね。

 それを吸ったものだから、ああして気が遠くなって倒れてしまったわけです」

「恐ろしい術を持っているなお前・・・」

 

 セーナが冷や汗を流す。カスミも。

 

「屋外ならともかく、閉所でやられたら逃げようがございませんね・・・」

「だから中々使えないんですけどね。これは空気を変性させる術ですが、閉鎖空間でないと変性させてもすぐに散ってしまうんですよ。

 少し時間がかかる上、下手にやると味方も巻き込むというわけで」

 

 言いつつ、物質変性を象徴する『水銀』のルーンが刻まれた金属球を手元に戻す。

 魔力をカットされたルーン文字が色と光を失って、ただの金属球に戻った。

 

「・・・で。どうやって開けるんだこれ? 取っ手もノブもねえぞ。魔法の扉か?」

「まあ魔法と言えば魔法ですね。みなさんそこの黒いパネルには触らないように」

「言われたって触らねえよ。どこに罠があるかわからねえし」

 

 肩をすくめるモリィに、他の三人がうんうんと頷く。

 

「結構。さっきも言いましたがこれは昇降機(エレベーター)です。中に人を乗せる箱や板があってそれが魔法の力で上下に動き、階段を上り下りせずに階を上下できるんです。

 ただ、上のパネルを見て下さい」

「・・・明かりが付いてるな」

「どこの階に昇降機(エレベーター)があるか表示してるんです。これが動くと、下にいる連中に昇降機(エレベーター)を使ったことがばれます」

「それでは、どうするんですの?」

 

 リアスの疑問にヒョウエがにっこり笑って答えた。

 

「簡単です。昇降機(エレベーター)を使わずに降りればいいんですよ」

 

 

 

 見張りを拘束して傍の部屋に放り込み、扉を物質変性の術で溶接。念動でエレベーターのドアを無理矢理左右に開く。杖に乗った五人が中に入り、ドアを閉めた。

 

「あ、ちょっと待ってくれ。チョークで目印描いとかないと」

「おっとと」

 

 その様な一幕もあったが、五人はそのままエレベーターシャフト内部を降下していった。

 

「あの見張り、どれくらいで見つかるかね」

「相手しだいですね。連絡用の魔道具を持ってましたし、こまめに定時連絡があればすぐでしょう」

 

 手の中の、メダルのような魔道具を示しつつヒョウエ。

 

「まあ、あの広間をずっと監視してる可能性もありますし、だとしたらもうばれてますが」

 

 むう、とセーナが唸る。

 

「凄いな。その様な術者がいるのか」

「真なる魔法文明の利器ですよ。多分この建物全体に魔法の目があります。

 稼働しているかどうか、侵入者が使いこなしているかどうかは賭けですけどね」

「やな感じだな。どこに張ったらいいかもわからねえのに賭けなきゃならねえってのは」

 

 苦々しげにモリィが吐き捨てる。

 無言の賛同がシャフト内に響いた。



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04-32 味方

 杖が円形のエレベーターシャフト内部をかなりの速さで降りていく。

 直径は3m少し、カスミの作った光球に照らされた周囲の壁は滑らかで、地球のそれにあるような配線やワイヤーロープなどはない。

 

「!」

 

 ヒョウエの懐に振動が走った。

 取りだしたのは先ほど見張りのリーダーから奪った魔道具。

 光を点滅させ、振動している。

 

「ヒョウエ様、それをこちらに。それと皆様、声をお出しになりませんように」

「中央の光る石を押し込めば話が出来ます」

 

 ヒョウエが必要な事だけを告げて魔道具をカスミに手渡す。

 他の四人が全員頷いたのを確認して、カスミが魔道具のスイッチを押した。

 魔道具から乾いた感じの、感情を律した声が流れ出す。

 

『"本陣"より"大手門"へ。出るのが遅かったがどうした』

「"大手門"より"本陣"、すまない。部下がだらけていてな。注意していた」

「「「「!?」」」」

 

 他の四人が、かろうじて叫ぶのをこらえる。

 童女の喉から流れ出したのは低くしゃがれた男の声。

 目をつぶって声だけを聞いたら、ひげ面の中年軍人がぱっと思い浮かぶような。

 

『結構。部下の手綱は握っておけ。ここからが重要な所だ。もう少しなのだからな』

「わかっている。こちらは異常なしだ」

『よし』

 

 ぷつんと軽い音がして通信が切れる。

 ふうっ、と一斉に溜息が漏れた。

 

「・・・何だ今のは。それも人族の魔法か?」

魔法(マジック)じゃありませんよ。技術(アート)です。

 凄いですね、流石忍者。僕も声色の心得はありますが、そこまでは到底出来ません」

「そんな事ができたなんて・・・わたくしも知りませんでしたわ」

「いやほんとすげえわ。その芸だけでも食ってけるぜお前」

 

 周囲から浴びせられる称賛の嵐にカスミがはにかむ。

 

「まあ、芸人に化けて情報を集めたりするのも忍びのつとめの一つですので」

「昔はサムライの傍で戦うのが忍びだと思っておりましたわね」

「お嬢様ぁ・・・」

「い、今はわかっておりますわよ! それにしょうがないじゃありませんの! カスミのご先祖様の逸話って初代様の傍で戦ってる話ばかりですし!」

「あーまあ確かに」

 

 情けなさそうな声を上げるカスミ。最近お説教ばかりなのでちょっと焦るリアス。モリィが苦笑しつつ頷いた。

 

「戦闘しかしないのは忍者じゃなくてニンジャですね・・・さて、そろそろですよ。みなさん、気を引き締め直してください」

「!」

 

 カスミの作る薄明かりの中、円形の昇降機の天井が見えていた。

 

 

 

 昇降機の上に降り立ち、五人が杖から降りる。

 ヒョウエが足元をとん、と指でつついた。

 

「それでどうするんだ? この床ぶち抜けばいいのか?」

「そんな野蛮なことをしなくても大丈夫ですよ。カスミ、ちょっとここ光ください」

「はい」

 

 カスミが宙に浮く光をヒョウエの手元にやると、四角いハッチのようなものが浮かび上がった。

 ヒョウエがその周囲を何やらいじると、ハッチが僅かに浮かび上がって手で開けられるようになる。

 

「世界が違ってもこの辺は変わりませんね――降りますよ」

 

 ヒョウエがハッチを開け、するりと中に滑り込んだ。

 

 

 

 ヒョウエに続いて四人が次々に昇降機の中に降りる。

 いずれも体術にはそれなりの心得があり、着地も危なげない。

 2m半ほどの空間の周囲はやはりのっぺりした材質で出来ており、扉の横と上にパネルがある。

 広さと形状を除けば、現代地球のエレベーターと変わらない雰囲気だ。

 

「さて、と・・・」

 

 目を閉じて、床に杖を突く。いつもの念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

「ふむ」

 

 ややあって目を開いたヒョウエがあごに手をやって考え込んだ。

 セーナが弓を手に取りながら聞く。

 

「それで周囲のことがわかるのだったな。どうだ、ヒョウエ?」

「かなり広い空間ですね。周囲にいくつか通路があって、10人くらいの人間が守っています。板金鎧を着た重装備も三人。後残りのうち二人は恐らく術師ですね」

「透明になって飛び出したら不意を打てねえかな」

「それもいいですけど、まずこっちを試してみましょう」

 

 ヒョウエが取りだした金属球に『水銀』のルーンが光り輝いて浮かび上がった。

 

 

 

 昇降機の扉の右下の隅にヒョウエが指を当てた。

 音もなく表材がえぐれ、直径五センチほどの円形の穴が開く。

 モリィ達がざわめいた。

 

「え、何だ? お前今何したんだ?」

「物質変性は得意だと言ったでしょう。これは"物質分解(ディスインテグレイト)"の術です。

 名前の通り、物質をとても細かい粒に分解してしまいますので、消えてしまったように見えるんですよ。で、ここから・・・」

 

 手の中の金属球を、穴の中に押し込む。

 

「後は待つだけ」

 

 エレベーターホールの見張りが一酸化炭素中毒で全員意識を失ったのは数分後だった。

 

 

 

 上と同様に空気を再度浄化し、手分けして拘束する。

 武器や重要そうな装備は剥ぎ取ってヒョウエとカスミの「隠しポケット」の中に。

 

「へへっ、役得役得。魔道具もいくらか持ってやがったし、結構いい値段で売れるよな」

「・・・まあ悪人の持ち物ですし、事情も存じておりますからあれこれ言いませんけど」

「モンスターのドロップアイテムと同じだろ。倒した奴のもんさ」

 

 鼻歌でも歌いそうな上機嫌な表情で、モリィが魔法のものらしい、装飾を施した剣を取り上げた。

 

 

 

 拘束を終え、脇の部屋に見張りたちを放り込む。先ほど同様、物質変性の術で扉を溶接してから再び杖にまたがる。

 

「・・・待て」

 

 最後に杖にまたがろうとしたセーナが、振り向いて弓を構えた。

 一瞬遅れてカスミが飛び降り、同様に身構える。

 

「敵ですか?」

「精霊が囁いてくれた。我々の降りた縦坑の中を降りてきている。複数だ。ほとんど音がしない・・・手練れだな」

「カスミ、透明化の術を」

「はい」

 

 全員が武器を抜いて身構える。

 その姿がすっと消えた。

 

 エレベーターの閉じた扉が音もなく開く。

 中には誰もいない。

 

 しばらく経ってから、こげ茶色の革服と覆面を身につけた男が上から降りてきた。

 音もなく着地し、周囲を確かめると上にハンドサインを送る。

 

 続いて十数人の、同様の姿の男たちが降りてきた。

 油断無く周囲を伺いながら素早く展開して武器を構える。

 

(おい、ヒョウエ、あれ・・・)

(え・・・あ!)

 

 安全を確認したのだろう、リーダー格らしい男が頷く。またしてもハンドサイン。

 

「もし、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の方々ですか?」

 

 動き出そうとした瞬間、後ろから声がかかる。全員がぎょっとして振り返った。

 

「・・・!」

 

 思わず武器を構えた一団だったが、次の瞬間ほっとしたように脱力した。

 

「ヒョウエ殿下。驚かさないで頂きたい」

 

 苦笑しながらリーダー格の男が覆面を取る。

 

「どうも、しばらくぶりです。星見の板を持ってるのはそちらで、僕の方はあなた方が何者かわからないわけですからね。用心して当然でしょう」

 

 リーダー格の男――少し前に倉庫街で敵の暗殺者の自爆に巻き込まれ、ヒョウエに右肩を治療して貰った"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"のエージェント――が更に苦笑の度合いを深めた。



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04-33 魔法装置

 手早く情報を交換する。

 

「なるほど、我々以外にも侵入者が・・・」

「味方ではないにしろ、敵ではないと思うんですけどね。しかし・・・」

 

 ディグと名乗ったリーダー格の男――多分偽名だろうが――を見上げる。

 

「なにか?」

「良くこんなに早く追いつけましたね?」

「機密事項ですが、そう言う秘蔵の魔道具があるんですよ。後は殿下が目印を残していって下さったおかげですね」

 

 きらりとヒョウエの目が光る。

 

「ほほう。途中であれこれやっていたとは言え、僕の杖に近い速度で移動できる魔道具ですか・・・」

「あ、申し訳ありませんが殿下には絶対見せるなと厳命がございまして」

「ええっ!?」

 

 悲鳴のような声を上げるヒョウエ。

 上司の上司(ヒョウエの姉)から直々に聞かされた通りの反応にディグがまた苦笑した。

 

 

 

「殿下、そう言えばもう一つ」

「なんです?」

 

 苦笑を収めたディグの言葉にヒョウエが首をかしげる。

 

「早いとおっしゃいましたが、魔道具以外にも理由がございまして。

 殿下が情報を持って来る半日ほど前に、とあるルートを使って密告があったのです。

 この島の位置と、大雑把な施設内の構造も含めて」

「!」

 

 ヒョウエたちに驚愕が走る。

 

「裏を取っていたところで更にヒョウエ様の情報が入り、待機していた我々に出動命令が下されたのだと思います」

「ディグさんよ、相手はわかってんのか? 調べたんだろ?」

「調べたとも。だがわからなかったようだ。時間がなかったのはあるが、な」

「うーむ」

 

 唸りはしたものの答えが出るわけでもない。

 彼らは無言で頷いて前進を再開した。

 

 

 

 そこからは至極スムーズに前進できた。

 

 ブービートラップをモリィやセーナが見抜き、その道のプロである"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"のエージェントたちがそれに対処する。

 カスミの透明化やヒョウエの念動の術のおかげで、見張りの兵士達もろくに反応できずに沈黙していった。

 そしてたどり着いたのは最下層の大扉。周囲の兵士達は既に無力化されている。

 ヒョウエが杖を突いた。念響探知(サイコキネティックロケーション)

 その瞬間。どん、と縦揺れが来た。

 

「!」

「うわあっ!?」

 

 モリィやリアス、エージェントたちの何人かが思わず声を上げる。

 彼らは生まれてこの方、二回しか地震を経験していない。

 取り乱していないだけ称賛されるべきだろう。

 

「これは・・・!」

『ははは! ははははは!』

 

 唐突に、通路に声が響く。

 ひどく愉快そうな高笑い。

 

「この声は・・・」

「ウィナー伯爵! やはりお前か!」

『そうだとも! 今のその顔! お前のその顔が見たかったぞ放蕩王子! 魔法装置は起動した! もう地震は止められない!』

「くっ・・・」

 

 悔しさに顔を歪めるヒョウエ。それが嗜虐心を刺激したようで、ウィナー伯爵は更に高笑いを放つ。

 

『隠密理に潜入できたと思っていたか? 残念! 施設は完全に機能している! 貴様らの行動など最初から筒抜けだったのだ! 見逃されていたとも知らず・・・』

「全員! 突入しますよ!」

「! はっ!」

「お、おう!」

 

 得意げなウィナーの言葉を遮り、ヒョウエが号令をかけた。

 モリィ達と、指揮権があるわけではないがディグ達もそれに続く。

 

「"脆化(フラジール)"!」

 

 ヒョウエの変性呪文によって大扉にひびが入る。

 続く念動の術で、大扉が文字通り吹き飛んだ。

 

「がっ!」

「ぎゃあっ!?」

 

 大扉の破片が弾丸と化して、待ち構えていたウィナーの部下たちを襲う。

 

「うおおお?!」

 

 爆発。

 "火球(ファイアーボール)"の呪文を準備して、ヒョウエたちが入ってくると同時に投げつけようとしていた"火投げ師(ファイアスローワー)"が、破片を受けて制御を失った。

 周囲の三人を巻き込んで自爆する。

 本人を含めて三人が即死、もう一人が瀕死の重傷。

 

 他に複数いた術師も破片の散弾を受け、準備していた術の精神集中を失っていた。

 (この世界の術師は重装備すると術が使用できなくなるわけではないが、魔法は疲労が激しいため、やはり軽装のものが大多数である)

 それでも装甲や自らの頑健さで耐えたもの達に対して、

 

「「光よ!」」

「ぐおおおおっ!?」

 

 カスミとディグの部下、二人の"閃光(フラッシュ)"の呪文が炸裂する。

 視線が扉という一点に集中していた事もあり、待ち構えていたウィナーの部下、ほぼ全員の目がくらんだ。

 

「生死は問わん! 速やかに無力化しろ!」

「うぉらぁぁぁぁ!」

「チェェェェェイッ!」

 

 モリィ、リアス、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"のエージェントたちがなだれ込む。

 刀や手槍が敵の体を切り裂き、雷光がほとばしる。

 セーナの放った、ただの矢にしか見えないそれが重甲冑を纏った騎士の腕を肩から吹き飛ばした。

 ヒュウッ、とモリィが口笛を吹く。

 

「やるじゃん」

「武芸だけは得意でな」

 

 にやりと、二人の飛び道具使いが笑いあった。

 

 

 

「何っ!?」

「こいつらっ!」

 

 だがそれで打ち倒せたのは十人ほど。

 残りの十人ほどは目がくらんでいるにもかかわらず、あるいは重装備で耐え、あるいは音と気配を頼りに致命傷を避ける。

 

「何と言う手練れ揃い・・・!」

 

 同じ世界に身を置くディグが戦慄するほどの質の高さ。

 だがそれでも引くわけにはいかない。

 

「ディグ、そいつらは任せました! 僕は魔法装置を止めてみます! リアス、道を切り開いて! モリィたちも適宜援護を!」

「おう!」

「かしこまりました!」

 

 床が揺れ始めた。すぐに立っていられないほどの揺れが始まるが、敵味方含めて戦闘は継続される。

 リアスが先頭に立ち、吶喊する。女サムライが切り開いた道を飛び抜けて、部屋の奥、巨大な魔法装置に取りついた。

 

「これは・・・確かに止めるのは無理か。だが魔力を注いでやれば何とか・・・!」

 

 ほとんど未知の魔法装置ではあったが、優れた魔導技師としての見識によってヒョウエは僅かな時間で機能と操作を大方理解していた。

 魔法装置は地脈から魔力を吸い上げ、あるいは刺激して操作するものだ。

 

 操作記録によれば既に魔力は地脈に打ち込まれ、後数分で止めようもない巨大地震が起きる。

 蓄えられていた魔力はほとんど使いきってしまっていたが、ヒョウエには"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"による膨大な魔力がある。

 

「魔力を再チャージして地脈を安定させられれば、被害は随分減らせるはず・・・!」

「これは精霊力を操る古代遺物(アヴァーシェ)なのか?」

「セーナ?」

 

 いつの間にかセーナが近づいて来ていた。

 文字通り矢継ぎ早に矢を放ちながら、ちらりと魔法装置の方を見る。

 

「わかるんですか?」

「お前達の言う地脈というのは即ち精霊の流れだ。そもそも世界の精霊力(アートマ)を整えるのが我らエルフの務めだからな――私もなにがしか手伝えるかもしれん」

 

 予想外の言葉に振り向く。

 

「というと?」

「祈りだ」

「祈り」

 

 思わず聞き返すが、セーナは真剣だ。

 

「エルフには全て祈り――精霊の力に接触することによってそれを制御する力がある。《精霊神の加護》を受けたものは、更に大きな祈りの力があるのだ。

 どれだけのことが出来るかは正直わからないが、大地の怒りを収めるために何がしかの事は出来るかも知れない」

「お願いします。今は猫の手でも」

 

 借りたい、と言おうとした瞬間。真紅の閃光が走った。

 ヒョウエがものも言わずに吹き飛ばされ、壁面を埋める魔法装置に激突する。

 積み重ねられた馬車ほどもある魔法装置が崩れ落ち、ヒョウエの姿を埋め隠した。

 

「――――!」

「ヒョウエッ!」

 

 驚愕と悲鳴が錯綜する。

 集中する視線の先には、青い鎧のネガのような、甲冑姿の怪人物が浮かんでいた。

 古代の遺物(アーティファクト)とおぼしき全身を覆う真紅のパワードスーツ。いかにも騎士の甲冑である青い鎧とは対照的な、ヒョウエが見ればSF的と称するだろう造形。

 これもまた魔法の品なのであろう、紫色のマント。

 

「伯爵閣下!」

「何!?」

 

 部下たちの一人が叫んだ声に、ディグが目を剥く。

 

「ククク・・・ハハハ・・・ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 真紅の駆動騎士が、ウィナー伯爵の声で笑った。



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04-34 真紅の衣

「ハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 地震の唸りを圧して高笑いが響き続ける。

 真紅の駆動騎士。

 極めて優秀な魔導技師でもあるウィナー伯爵の、これが切り札だった。

 超古代の遺物(アーティファクト)である魔導甲冑(パワードスーツ)

 魔法干渉力場を生みだし、ほとんどの魔法を阻害する紫のマント。

 それらから感じ取れる莫大な魔力はリアスの「白の甲冑」すら遥かに上回る。

 

 彼らが呆然としていたのは一瞬だった。

 だがその一瞬の隙を突いて、三人のエージェントが倒されている。

 

 流れが変わった。

 エージェントたちが押される。

 モリィ達が加勢してようやく互角。

 地上に降り、援護に加わろうとしたセーナに悠然と近づく真紅の駆動騎士。

 

「近づくな!」

 

 言葉と同時にセーナの矢が放たれる。

 放たれるとほとんど同時に着弾したそれは、真紅の甲冑の表面装甲とぶつかってまばゆい光の爆発を起こす。

 光の消えた後には、全く無傷の真紅の甲冑。

 

「・・・」

 

 既に二の矢を構えていたセーナの額に汗が浮かぶ。

 

「はははは、驚いたかね? 慣性中和装甲と言ってね、物理的なエネルギーを魔力でもって相殺してしまうのさ。

 君のそれは呪術で矢を強化している――単純に威力を上げているのではなく、矢という概念を強化しているのかな?

 まあとにかく呪術だろうと神授魔法だろうと、結局のところは強い方が勝つ。ましてや真なる魔法の産物に、その残りカスである呪術が勝てるわけはあるまい」

「くっ・・・!」

 

 見下した口調であざけるウィナー。

 魔法には大雑把に分けて《真の魔法》と、そこから分化した《神授魔法》、《妖精魔法》があることは先に述べた。「呪術」とは妖精魔法の別名だが、神授魔法を重視するものは侮蔑的表現として使うことがある。

 今のウィナー伯爵がまさにそれだった。

 

「しかし《精霊神の加護》か・・・ここで折角の地震が中途半端なものになっては困る。

 万が一もあるし、君にはここで消えて貰わねばなるまい」

「セーナ!」

「セーナさん!」

 

 セーナの周囲には白兵戦の能力を持たないモリィしかいない。

 この中で一番白兵戦に強いリアスは三人がかりで押さえ込まれている。

 負けてはいないが、見事な連携の前に攻めあぐねていた。

 

「・・・」

「!」

 

 ウィナーの突き出した両手の間に光球が生まれる。

 

「クソッ、チャージを・・・!」

「残念、遅い」

「! モリィ! どけっ!」

「なっ」

 

 間に合わないと察したセーナがモリィを突き飛ばし、反対方向に跳ぶ。

 

「ご立派」

 

 駆動兜の下で笑みを浮かべてウィナーが光球を解き放つ。

 雷光銃のフルチャージ攻撃をも凌ぐほどの光が、セーナを飲み込んだ。

 ファンファーレは、鳴らなかった。

 

 

 

「・・・。・・・っ!?」

「なっ・・・」

 

 ファンファーレは鳴らなかった。

 だがその男は魔法のように現れた。

 

「・・・嘘だろ、おい」

 

 全身を覆う水色の騎士甲冑。翼をあしらった同色の兜、銀の星を染め上げたサーコートに真紅の籠手。

 右手に持つのは冷え冷えとした光を放つ剣――真なる毒龍(ヒドラ)の腹を切り裂いて出てきたという魔剣"毒龍を切り裂くもの(ヒドラ・スタッバー)"。

 左手に構える騎士盾、たった今ウィナーの光芒を弾いたそれは、神より授かりし金剛不壊の盾"ヴィブラント"。

 

「星の・・・騎士っ!?」

「こんなとこで何やってんだよロージ!?」

 

 モリィのツッコミに、ロージ――金等級冒険者『星の騎士』、もう一人の英雄(ヒーロー)は兜の覗き穴からウィンクして応えた。

 

 

 

「来るのが遅いですわ! 何をやってらしたんですの!」

「いや申し訳ない、レディ。魔法装置の伝達系統・・・だっけ? を処理していてね。恐らくだがこの男が意図したほどの地震は起こせまい」

「・・・ひょっとして、最初からこの計画のことを察しになられて?」

「ヒョウエくんに君たちがいるように、僕にも頼りになる仲間がいてね。

 まあこの場に間に合ったのは僕ともう一人だけだけど、そっちは戦闘はからっきしなもので、援軍は僕一人だけさ。戦力が不足してたらごめんね」

「あなたを相手に戦力不足と言える人はそうはいらっしゃいませんよ・・・」

 

 呆然とした表情のままでカスミ。

 にっ、とロージの時のまま、星の騎士が好青年の笑みを浮かべた。

 

「そう言う事だ! ウィナー伯爵は僕が抑える! レディ・セーナは何とか地脈を抑えてくれ! 他のみんなは倒せなくてもいい、伯爵の部下を押さえ込んでいてくれ!

 レディ・セーナに手を出されなければこちらの勝ちだ! そうすればヒョウエくんを治療する余裕も出来る!」

「「「「おおおおおおおおおおおっ!」」」」

 

 雄叫びが上がる。

 モリィが、リアスが、カスミが、ディグや"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の面々すらもが叫び、高揚している。

 子供の頃から寝物語に聞かされた、世界を救った伝説の英雄。

 その英雄と今肩を並べて戦っている。

 裏の世界で戦ってきた男たちにすら火をつけるほどのカリスマ。

 

「こ、こいつら・・・っ!」

 

 流れが再び変わる。

 リアスやエージェント達がウィナーの部下たちを押し始めた。

 その様子をセーナが唖然として見ている。

 

「レディ・セーナ! 頼む!」

 

 ハッとしたセーナが表情を引き締めて頷いた。

 

「わかった、そちらも頼む」

 

 セーナが膝をつき、床に手を当ててエルフの聖句を唱え始める。

 星の騎士がうなずいて剣と盾を構え直した。

 

 

 

「お・・・おのれおのれおのれ! またしても貴様か『星の騎士』ッ!」

 

 真紅の甲冑の拳が震えている。

 

「好きこのんで君の邪魔をしているみたいに言わないで欲しいな。

 元はと言えば君の仲間が僕の装備を盗んだからこうなったんじゃないか」

「あいつを仲間などと言うな! けがらわしい! ・・・だが、貴様が出て来たところでどうしようもない! "青い鎧"ならまだしも、貴様にこの魔導甲冑のパワーが受け止めきれるかっ!」

 

 風が唸った。

 あるいは"青い鎧"のそれに匹敵しようかというパンチ。

 だが水色の騎士はそれを"ヴィブラント"の表面で滑らせる。

 ベクトルをそらせた反動を強靱な足腰で完全に吸収し、大陸最優の冒険者は小揺るぎもしない。

 

 流れをそらされ、完全に無力化された拳が通り過ぎると同時に長剣が振り下ろされる。

 的確に関節部に食い込んだその剣は、先ほどのセーナの矢と同じく小さな魔力の光を爆発させて止められた。

 

「やれやれ、面倒な」

「ちっ」

 

 ぼやくロージ・・・星の騎士グラン・ロジスト。

 舌打ちしてそれを睨むウィナー。

 

「だが一発でも当たればおしまいだ! この『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』のパワーにどこまで耐えられるか!」

「必要とあらば、夜明けまででも」

 

 星の騎士が不敵に微笑んだ。



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04-35 金剛不壊の冒険者

 大地が激しく揺れる中、戦いは続く。

 そう、続いている。

 

 あらゆる攻撃を防ぎ止め、山を砕く膂力と目にも止まらぬ速度を与える真紅の魔導甲冑。

 それをまとったウィナー伯爵相手に、『星の騎士』は一歩も引かない。

 

 時速五百キロで疾駆する真紅の拳。

 毎秒十発近く放たれるそれを、ことごとく剣と盾でかわし、そらし、受け止める。

 防いだところで普通の武具なら中身ごと潰され、仮に"ヴィブラント"同様の不壊の盾を持っていたとしても腕が砕ける。

 

 更に言うなら、どれだけベクトルを逸らそうとも、その反作用はゼロにはならない。

 吹き飛ばされ、少なくとも体勢は崩すはずだ。

 

(だのに・・・こいつはっ!)

 

 全力で連打しようとも、渾身の力を込めて強打しようとも、不意を突いて胸から光線を放ってさえ、小揺るぎもしない。

 むしろ僅かながら前進し続け、ウィナーにプレッシャーを与えてくる。

 

 組み合いに持ち込もうとしてもあっさりとかわされる。

 足払いも通用しない。

 体当たりで吹き飛ばそうとしても、足に根が生えているかのように動かない。

 空を飛んで上から突破しようとすれば、相手も空中に駆け上がってウィナーをブロックしてきた。魔導甲冑に備わった魔力感知機能と魔導技師としての経験が即座に正解を導き出す。

 

(ちっ、"空中歩行(スカイウォーク)"の魔力を付与されたブーツか!)

 

 駆動兜の下で舌打ちすると、見えていないはずなのに星の騎士がニヤリと笑った。

 

「それはこれくらい用意してるさ。僕は魔法も使えなければ強い《加護》もないからね」

「くっ・・・」

 

 足元の戦況をちらりと見る。

 部下たちは更に一人倒されていた。

 ダーシャ伯の相手をしている者達は部下の中でも特に手練れだが、それでも一人が重傷を負って動きが鈍くなっている。あれが倒れたら一気に斬り伏せられるだろう。

 

「ミターパーラ・ジェニプライティ・プタムーマサ・フリダヤム・ハーワース・ティーホー・サン・ラーパ・カーテ・パーラ・カーテ・サン・ラーパ・カーテ・・・」

 

 剣撃や魔法の炸裂する戦闘音の中で、エルフの聖句が静かに響いている。

 魔導甲冑の機能でも解析しきれない力が、確かにセーナから発せられて床にしみこんでいく。

 心なしか、先ほどより揺れが収まっているような気がした。

 

(《精霊神の加護》と言っていたな。あるいは、本当に地震を止められるのか?)

 

 大陸の長い歴史の中でも、神そのものの《加護》は二例しか確認されていない。

 だとしても杞憂と断ずることは出来なかった。

 

(それにしても・・・他の者どもは何をやっておる)

 

 遺跡内部にいる残りの部下の動きがないのが気にかかった。

 星の騎士に何人か倒されたにしても、まだ二十人を超す部下が各所に点在している。

 彼らがここに参戦すれば、自分が星の騎士に足止めされていてもセーナを殺せる。

 そうすればウィナーの勝ちだ。

 

 だがこの場に現れるものは一人としていない。

 少なくともモニター室に配置した部下たちはここの状況を把握して、他の者達に指示を出しているはずだった。魔導甲冑の思考スイッチで通信機能を起動する。

 

「モニター室! どうした! 早く増援を送れ! お前達もそこを放棄してこちらに援軍に来るんだ!」

 

 返事がない。

 

「・・・!?」

 

 愕然とするウィナー。

 星の騎士が眼を笑みの形に細める。

 

「よくわからないが、どうやら当てが外れたようだな、伯爵? 同情するよ」

「だ・・・黙れ黙れ黙れっ!」

 

 焦りと怒りに駆られてウィナーが拳のラッシュを叩き込む。

 大陸最優の冒険者は、先ほどまでと同じく冷静にそれをさばいた。

 

 

 

 無数の映像が空中に浮かぶモニター室。

 そのいくつかには、当然ながら魔導装置を安置した広間の光景も映っていた。

 

『モニター室! どうした! 早く増援を送れ! お前達もそこを放棄してこちらに援軍に来るんだ!』

「いやあ、無理だと思うねえ。なんせほら、おじさんが全部斬っちゃったし」

 

 へらへらと、貧乏くさい笑みを浮かべるのは四本腕の剣士――バリントンだった。

 周囲には血の海に倒れ伏す死体。死体。死体。

 中には後ろから斬られたもの、剣を抜いてすらいないものもいる。

 

「ま、捨て駒にされた借りはこれで返したって事で。それじゃ、後は若い者どうしでよろしくやってちょうだいな」

 

 へらへらした笑みが闇の中に消えた。

 

 

 

 連打(ラッシュ)連打(ラッシュ)連打(ラッシュ)

 空中でのめまぐるしい攻防。

 雨あられのような拳の連打をひたすらに星の騎士が凌ぐ。

 

「ちっ」

 

 舌打ちしてウィナーが距離をとった。

 ロージは追わない。油断なく剣と盾を構えて様子を窺う。

 息を整えて心を落ち着ける。

 

(認めよう、確かに奴は大陸最強の冒険者の一人だ。単純な性能(スペック)ではこの『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』には遠く及ばないが、技量が圧倒的だ。

 あの盾も侮れない。金剛不壊というのも満更嘘ではない・・・単純な殴り合いでは勝ち目はないか)

 

「・・・む?」

 

 真紅の魔導甲冑が両腕を大きく広げた。いぶかるロージ。

 次の瞬間、体の各部がシャッターのように小さく展開する。

 

「っ! モリィ、セーナの傍に! 他の人間も備えろっ!」

「!」

 

 声に含まれた切迫感に、モリィが反射的にセーナの方に跳ぶ。

 同時に盾を構えてロージが突撃をかける。

 

 真紅の魔導甲冑の全身から光弾が発射された。

 散弾のようにばらまかれるそれは星の騎士の盾どころか鎧でも何とか防げる程度の威力しかないが、それは彼の甲冑が遺物(アーティファクト)を除けば最上級の防御力を誇る業物だからだ。並の装備で防げる攻撃ではない。

 

「くっ!」

「ぬっ!」

 

 大半は肉薄した星の騎士の体に阻まれ、その影にいたセーナとモリィは無傷だったものの、それでも幾ばくかの光弾がリアス達とエージェントたちに降り注ぐ。

 白の甲冑を纏うリアスは直撃にも耐えられるが、それ以外の人間にとってはかなりの脅威だ。

 実際に三人のエージェントが被弾する。一人は重傷。ポーションで処置はするが、もう戦力としては数えられない。

 

「チェェェェェェイッ!」

 

 ほぼ同時に、着弾で僅かに動きが鈍ったウィナーの部下をリアスが切り伏せる。

 白甲冑を纏っていると言うこともあるが、光弾を全く意に介さずに剣を振ったリアスと、光弾を僅かにでも意識した男の違い。

 

「それ! それそれそれそれっ!」

「くっ!」

 

 だがウィナーの光弾は一斉射だけではない。

 先ほどは星の騎士が肉薄できたが、そもそも飛行速度はウィナーの方が圧倒的に上。

 セーナとモリィを守るために、ウィナーと二人をさえぎる直線上から動けない。

 三度目の斉射で更に一人エージェントが脱落。同時にウィナーの部下も一人倒れたが、ディグ達にも負傷が蓄積している。

 その様子を見てウィナーの口元に笑みが戻ってくる。

 

「ははははは! お前達! 部屋から離脱しろ! 逃げ遅れたものはどうなっても知らんぞ!」

「! ははっ!」

 

 言うなり、ウィナーが両手の間にエネルギーを溜め始める。

 セーナに撃とうとした、最初にロージの盾に弾かれた一撃だ。

 ただ、規模が違う。30センチほどだった最初の光球が、今度は2メートルを大きく越し、更に大きくなり続けている。

 

(魔法装置は惜しいが、既に役目は終えた! 地震の被害を抑えられるよりは破壊してしまった方がいい!)

 

「ははは! はははははははは!」

「くっ・・・!」

 

 狂喜に近い笑い声を上げるウィナー。

 星の騎士がそれを追うが、やはり機動力の圧倒的な差で追いつけない。

 

「~~~っ! 全員! セーナ殿下を守れ! 何としてでもだ!」

 

 撤退するウィナーの部下たちを放置して、動けないセーナの周囲にエージェントたちが集まる。

 戦闘不能になった者達も、ふらつく足で立ち上がってセーナをかばう人盾になった。

 

「くそっ! 間にあわねえ・・・!」

 

 モリィが雷光銃をチャージしようとするが、チャージの速度が比較にならない。

 ウィナーが雷光銃を見て興味を惹かれた表情になる。

 

「雷光銃か! そう言えば報告にあったな! なんだったらそれを差し出せばお前は見逃してやるぞ、娘! そこの扉から出ていくがいい!」

「ざけんな! ヒョウエにしてくれたことの落とし前をつけてやる!」

 

 雷光銃から光芒がほとばしる。

 真紅の甲冑が掲げる光球に命中するものの、何か影響を与えたようには見えない。

 

「ははは、残念! だがこの『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』に比べればやはり玩具でしかないな! ではさらばだ! 放蕩王子と同じところへ行け!」

 

 四メートルを超すサイズの光球をウィナーが放つ。

 巨大な光の爆発が広間を包み込む。

 

「ははは! はははは・・・は?」

 

 ウィナーの高笑いが途中で途切れる。

 光が収まった後に残るのは、全く無傷の魔法装置とモリィ達。その顔全てに歓喜の色。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 



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04-36 大地の怒りを止めるもの、海の怒りを止めるもの

「"青い鎧"」

 

 呆然とその名を口にするもの。

 

「"青い鎧"・・・」

 

 感極まったように頬を染めるもの。

 

「"青い鎧"っ!」

 

 歓喜をみなぎらせ、拳を突き上げるもの。

 

「"青い鎧"だとっ!?」

 

 怒りを込めて叫ぶもの。

 

 ヒーローがそこにいた。

 どこまでも青い騎士甲冑。

 翻る紅のマント。

 空中に浮いているにもかかわらず、腕を組んで仁王立ちしたその姿は山よりも不動。

 見上げるその視線は真紅の魔導甲冑にひたりと据えられて離れない。

 

 見下ろす真紅の魔導甲冑。

 青い鎧とは対照的にのっぺりした、宇宙服のようなそのヘルメットに隠されてウィナーの表情は見えないが、憤怒の相を浮かべていることだけは確信できる。

 静かな青い鎧の視線と憎々しげな赤い鎧の視線が宙でぶつかり、火花を上げる。

 

「ナマス・サルヴァジュ・ヤティスマ・ヤーム・カナーラ・アールヤ・アウレー・・・」

 

 トランス状態のセーナが唱えるエルフの聖句だけがその場に響く。

 ふと、赤い鎧からの憎々しげな気配が消えた。

 

「くくく・・・ふふふ・・・ははははは!」

「・・・?」

 

 いぶかる青い鎧やモリィ達を見下ろし、ウィナーが哄笑する。

 

「考えてみれば・・・これはこれでチャンスではないか!

 私を邪魔しようとするものは全てここに集まっている!

 貴様ら全員を殺して改めて魔法装置を発動させればいい!」

「馬鹿が! 青い鎧に勝てるとでも思ってんのか!」

 

 あざけるモリィを、余裕の笑みで見下ろすウィナー。

 その笑みがわかったのか、モリィがカチンと来た顔になる。

 

「青い鎧が何ほどのものか! 正面からのぶつかり合いでこの真魔法文明の遺産、『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』に・・・」

 

 ウィナーは言葉を最後まで続けることが出来なかった。

 青き閃光が疾る。

 "青い鎧"の拳が顔面に炸裂し、慣性中和装甲が発動して光の爆発を起こす。

 同時に凄まじい破壊音。

 光が消えたとき、真紅の魔導甲冑は奇妙なオブジェのように壁にめり込んで停止していた。

 

「うわーお」

 

 星の騎士が唖然として呟く。

 

「五月蠅い」

 

 マントを翻して青い鎧が床に降りる。

 彼がウィナーに対して示した反応はそれだけだった。

 

 

 

 いつの間にか地震はほとんど収まっていた。

 青い鎧を纏ったヒョウエの目には、この地上で見るには余りに異質で高密度な魔力――恐らくは神の力がセーナを取り巻いているのが見える。

 その魔力がふっと消え、揺れが完全に止まる。

 

「おっと」

 

 倒れそうになるセーナをモリィが支えた。

 

「すまん、大丈夫だ」

 

 ふらつきながらもセーナが自分の脚で立ち、青い鎧を見上げる。

 青い鎧が頷く。

 

「お見事にござった」

「いや・・・」

 

 声色を作った青い鎧の言葉にセーナが首を振る。

 

「大地の怒りを収めることは出来たが、海の怒りを抑えるには私の力が足りなかった。

 何とかせねば・・・海沿いが・・・」

「!」

 

 緊張が走ったのは青い鎧だけだった。

 その他の人間は津波という脅威を知らない。

 時として城の塔より高くそびえ、人の営み一切合切を薙ぎ払っていく海の暴威など。

 

「よくわからねえけど、止められるのか?」

 

 モリィの言葉に青い鎧が頷く。

 交わす視線にあるのは信頼。

 青い鎧が周囲の面々を見渡す。

 

「それではそれがし、今から海の災い――津波を止めに参る。

 貴公らも注意しつつ撤収されよ」

「お、お待ち下さい!」

「何か?」

 

 声をかけたのはディグだった。

 

「申し訳ないが、ヒョウエ殿下をお助け願えまいか。リアス閣下の助けを借りるにしても我々だけでは・・・」

「「「「あっ」」」」

 

 事情を知っている四人の口から異口同音に声が漏れる。

 考えてみれば「ヒョウエ」は魔導甲冑に吹き飛ばされて馬車ほどもある魔法装置複数の下敷きになっているはずなのだった。

 

「・・・何です、その反応は?」

「気にするな。・・・むっ」

 

 セーナとディグの会話をよそに青い鎧が手を伸ばす。

 崩れた魔法装置を持ち上げ、その下から血まみれのヒョウエが現れた。

 

「!?」

 

 「何故か」目を白黒させるリアス達をよそに「ヒョウエ」に手をかざすと、その傷が治っていく。

 続けて手をかざしたディグ達のそれもだ。

 

「おお・・・」

「では彼のことはよろしく頼む」

「おう、任せな」

 

 最後にモリィに「ヒョウエ」をおぶわせて頷く。モリィがにやりと笑った。

 

(・・・そうか、幻術!)

 

 酒場でファスナーの説明をしていたときのことを思い出してカスミが腑に落ちた表情になる。

 こちらは訳のわからないといった表情のリアスがカスミにささやきかける。

 

(ええとその・・・どういう事ですのカスミ? それに何故私ではなくモリィさんに?!)

(後で説明致しますから、今は黙っていて下さいお嬢様)

(・・・はい)

 

 しょぼんとするリアスを見て、モリィが「こいつはなあ」という表情になった。

 こつん、とブーツが床に触れる音がして青い鎧が振り向いた。

 上空から降りてきた星の騎士。背中に気絶したウィナーを背負っている。

 二人の視線があった。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・驚いたね。つまり、そう言う事なのかい?」

「さて、何のことを言っているかはわからぬが・・・貴公ほどの男、見立てが大きく間違っていると言うことはそうあるまいよ」

「そうか」

 

 笑みを見せる星の騎士。

 

「では急ぐので失礼・・・と、それを下ろしてはくれまいか」

「? わかった」

 

 ロージが真紅の魔導甲冑を床に下ろすと青い鎧が喉元に手を当てる。

 僅かに間を置いて奇妙な音――現代日本人が聞けば電子音――と空気の圧搾音がして、魔導甲冑が開く。のびた中身(ウィナー)を放り出すと、真紅の魔導甲冑ののど首を掴んで持ち上げた。

 

「? ・・・!」

 

 光――常人にも見えるレベルの膨大な魔力が腕を伝って青い鎧の方に流れていく。

 「真紅の衣」が蓄えていた膨大な魔力を吸い尽くすと、空になったそれを放り出す。

 

「では、後は頼んだ」

「任せてくれ」

 

 星の騎士が微笑んで頷く。

 頷き返し、青い鎧の姿が消えた。

 

 

 

 全身を淡く輝かせ、青い鎧が飛ぶ。音の壁を越えた衝撃波が周囲の空気を切り裂く。

 

(・・・間に合ったっ!)

 

 周囲の海が比較的浅いのが幸いした。(津波は海が浅いほど速度が遅くなる)

 島を飛び立ってから十秒かからずに津波を追い越し、陸を背に津波に立ち向かう。

 

「・・・!」

 

 巨大な津波だった。

 高さ100mにも届こうかというそれに、さすがに一瞬気圧される。

 

「だが」

 

 両手を高く掲げる。冬神の吐息(テトラ・ブレス)の構え。

 周囲の空気を圧縮してから圧縮断熱により生じた熱を周囲に排出し、絶対零度の烈風を叩き付ける、青い鎧の必殺技の一つ。

 

 全身にみなぎる「真紅の衣」から奪った魔力と"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"が生み出す無限の魔力を全てつぎ込み、普段の数倍、周囲十数kmの空気を手の中に収める。

 手の中に生まれたプラズマの太陽が熱を失い、常温に近い超超高圧空気の塊となる。

 

(イメージしろ。一気に解き放つのではなく、一箇所だけ穴を開けて、迫り来る津波を冷気で薙ぎ払う。風神の風袋のイメージ)

 

 

 

 その日の午後遅く、浜辺で漁師の男が今日の漁を終えて網を繕っていた。

 かなり古く、あちこちほつれてきてはいるが、しがない漁師にとっては高い道具だ。

 そう簡単に買い換えるわけにもいかない。

 

 穴を塞ぎ、切れた部分を新しく繋いで数時間。終わる間際に地震が起きてぎょっとしたが、大した事もなく収まって胸をなで下ろす。

 修繕の終わった網を広げて満足そうに頷き――その顔が凍りついた。

 

「あ、あ、あ・・・」

 

 山が迫ってくる。

 近海ですら高さ数十メートルに達していたそれは、海岸近くになって200メートルを遥かに超える天変地異と化していた。

 

「         」

 

 思考が停止する。砂浜にぺたんと座り込み、目前の死をただ眺める。

 その時ファンファーレが鳴り響き、風が吹いた。

 空にキラキラと光の粒が帯状に舞い、消えていく。

 青い鎧の冬神の吐息(テトラ・ブレス)により生じたダイヤモンドダスト。

 

「・・・あ?」

 

 空のきらめきに見とれていた男は自分がまだ生きていることに気付く。

 水の壁は凍りついていた。見渡す限り海岸線に沿ってそびえ立つ高さ200mの氷壁。

 それが夕日にきらめいてこの上なく美しい。

 

 村の方から自分を呼ぶ声が聞こえる。

 そこでようやく助かったのだと気付いた。

 涙が両目から溢れだす。

 神に祈るように両手を組み、天を仰いで、男は静かに涙を流し続けた。



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エピローグ「メットーで朝食を」

「生きているというのは体にものを入れてくということなんだな」

 

                          ――孤独のグルメ――

 

 

 

 

 

「いやあ、うまい! アトラ(ライタイム王都)の屋台飯もうまかったが、メットーのそれも負けず劣らずだなあ」

「あんたいつ帰るんだよ? セーナはとっくにエルフの森に帰ったぞ」

 

 新鮮な魚介類に酢飯を合わせて醤油につける料理――つまり握り寿司をもりもりと食べながらロージが感に堪えたように漏らした。実に幸せそうな顔をしている。

 ツッコミを入れたモリィを始め、女性陣は呆れ顔だ。

 

「まあまあそう言わないでやってくれ。地元だと中々羽を伸ばせないんでね。後アトラは山の中だから、新鮮な魚は中々食えないんだよな。あ、アカミとエンガワ二つずつ」

「あいよッ!」

 

 そう言いながら自分もぱくぱくと寿司をつまむのは、人のよさげな中年男といった様子の男性。ただし、その身長は1メートルほどしかない。

 "バグシー"と呼ばれる小人族だ。妖精の一派なのだがその中では最も俗っぽく、人間に近い暮らしをしている。力はないがタフで俊敏、天性の狩人で盗賊。

 

 そもそも「バグシー」という名前自体、盗人(バーグラー)こそどろ(シーフ)を混ぜた悪口である。

 本来は正式な種族名があったのだが忘れ去られ、本人達もこっちの方を使っているのだからいい加減なものだ。

 大半の者は大陸に点在する里で素朴な農耕狩猟生活を送っているが、里を飛び出して冒険者として名を挙げる者もいる。

 

「まあ、この世界における忍者の元祖のようなものですね」

「"忍びの者"というわけですか」

 

 ヒョウエのうんちくに、カスミが敬意とライバル心半々くらいで頷いた。

 

「本物の忍者に認めて貰えるとは嬉しいね、全く」

 

 名を挙げた者の一人、星の騎士の相棒として有名なバグシーの盗賊"冬の"バギー・ビルは一見人の良さそうな笑顔を見せた。

 ちらり、と大通りの建物を見る。いずれの建物もヒビ一つ入っていない。

 

「まあ俺達の苦労も無駄じゃなかったわけだ。美味しいところはエルフの姉ちゃんに持ってかれたけどな」

 

 最初の揺れこそひどかったものの、セーナによって地震の威力は大幅に抑えられていた。

 スラムでも倒壊した建物はほとんどない。作りのしっかりしているその他の区域では尚更だった。

 ヒョウエが笑顔で頷く。

 

「ええ、あなた方がいなかったら、ここが廃墟の山になってたかもしれません。存分に堪能していって下さい」

「ありがとよ。まあ、流石にそろそろ帰らなきゃいけないだろうけどな」

「ええっ? もうちょっとくらいいいじゃないか」

 

 反論するロージに、バギーが渋い顔になる。

 

「コートやロマンから矢の催促なんだよ! 全く、すぐに連絡が取れるってのも良いことばかりじゃねーな」

「そんなぁ・・・」

 

 がっくりと肩を落とすロージ。

 何とはなしに既視感を感じて、三人娘がちらりとヒョウエの顔を見る。

 

「・・・なんです、みんなして」

「べっつにー」

「い、いえその・・・」

「言わぬが花、という事もあるかと存じます」

「むう」

 

 ヒョウエが不満そうに眉を寄せる。

 

「変わんねえなあ、どこも」

 

 バギーが肩をすくめた。

 

 

 

「本当に今回は寿命が縮みましたね」

 

 マイアの執務室で大きく息をつくのは王太子アレックス。

 

「王になったらこの程度の・・・とは言わないまでもそれなりの問題は何度も襲ってくる。

 今回は良い経験が出来たと思っておけ、レクス」

「まあそうだな。とはいえレクスもまだ若い。その年で苦労をかけることにならなくて良かったよ」

「まあな・・・」

 

 弟の言葉に遠い目をするマイア。

 父が夭逝し、若くして王位を継いだ自分に照らし合わせているのだろう。

 ジョエリーとワイリー、妻たちがいなければ途中で折れていたかもしれない。

 

「あの時は苦労致しましたが、良く切り抜けられましたよ。

 マイア様もジョエリー様もご立派でしたぞ」

 

 兄弟二人が顔を見合わせる。

 

「おい聞いたか兄者。フィル爺が俺達を褒めたぞ」

「参ったな、折角地震を止めたのに次は台風か、それともモンスターの大量発生でも起きるのか?」

「・・・はあ」

 

 わざとらしくひそひそと会話する王と王弟に、老宰相は溜息をついた。

 まだまだこのヤンチャ坊主どもからは目を離せないようだ。

 

 

 

「結局『星の騎士』が捕縛したのと、魔法装置のところにいた連中の生き残りだけか、捕縛できたのは」

「残りは全て斬殺されておりました。金属鎧も綺麗に断ち割る凄まじい切り口です」

 

 "片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"の本部。"狩人(ハンター)"とディグが執務室で会話を交わしている。

 先ほどまで残務処理をしていたディグの顔には疲労の色が濃かった。

 

「報告書を見る限り・・・『星の騎士』の仕業ではないか」

「はい、ロジスト卿に倒されたものは全て一命を取り留めております。

 ヒョウエ殿下にお見せしたところ、以前襲われた四本腕の剣士の仕業ではないかと」

 

 報告書をめくりながら、"狩人(ハンター)"が溜息をつく。

 

「『ショーグン』か。今になってその名前を聞くとはな―― 一応冒険者ギルドには回状を出しておけ。ウィナー伯爵の屋敷は?」

「もぬけの空でした。残っていたのは何も知らない使用人だけです。それなりの数の魔道具は押収しましたが・・・」

「ウィナー本人は"納骨堂(ヴォルト)"行きだが・・・残党の跋扈も厄介だな。

 追跡は継続しろ。次に・・・」

 

 考えつつ、ディグに新たな指示を下す"狩人(ハンター)"。

 王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"。

 王国の危機がひとつ去ったとしても、彼らの仕事がなくなることはない。

 

 

 

「むー」

 

 ディテク王国第四王女カーラ殿下はおかんむりであった。

 近頃お気に入りの子犬を胸に抱いているが、それもご機嫌を直す役には立っていない。

 

「ねえお願い、カーラ。機嫌を直して頂戴。姉様悲しいわ」

「だって姉様! ヒョウエ兄様が全然来てくれないんだもの! 全然お話ししたりないのに!」

「ヒョウエだって忙しいのよ。ただでさえ仕事が多いんだから」

「そうだけど・・・」

 

 口を尖らせるカーラ。普段は我慢できる娘だが、姉にだけはこうしてわがままを言うことがある。

 そんなかわいい妹の髪を手で梳きながら、ふとカレンの顔に邪悪な笑みがよぎった。

 

「そうね。でもカーラはいい子にしてるんだから、ヒョウエも会いに来ないといけないわよね。いいわ。姉様が連れて来て上げる」

「ほんと!?」

 

 姉の邪悪な笑みに気付かず、カーラの顔がぱぁっと明るくなる。

 

「くぅーん」

 

 カーラの胸の子犬が、怯えたように身を縮こまらせた。

 

 

 

「私からの報告は以上です」

 

 ヒョウエの屋敷で一日休んだ後、セーナはズールーフの森に帰還していた。

 謁見の間で膝を突き、それまでのことを族長に報告する。

 

「ご苦労じゃった。疲れたであろう、しばらくはゆっくり休め」

「はい、お爺様」

 

 頷く。気遣いがありがたかった。

 精霊神の託宣を受け、更には大地震を止めたのだ。

 一日休んだ程度で疲れが抜けるものでもない。

 

「よくやったぞセーナ。俺もお前のことが誇らしくてたまらん」

「・・・はい、父様」

 

 滅多に人を褒めない父が、この時ばかりは褒めてくれたのが嬉しくて、セーナが破顔する。

 トゥラーナやサーワが微笑んでその様を見ていた。

 

 

 

 数日後。毎日戦隊エブリンガーは今日も今日とて山のような依頼を受注していた。

 

「ディスク村から逃げた四頭の象の捜索、ルスーム砂漠の四本腕リザードマンとの折衝、ペルシド大空洞の翼竜人の目撃情報、"大亀裂(リフト)"周辺の黒衣の術師集団の調査、ドゥームゲート14区で目撃された這い寄るおかゆの対処、後いつものゴブリン退治が・・・」

「これがおかしく思わなくなってきた自分が怖いぜ・・・」

「そういうものでしょうか・・・いえ、どう考えてもおかしいですわね」

「はい、考えなくてもおかしいかと」

 

 受付で手続きをするヒョウエを見ながら三人娘がそんな会話を交わす。

 

「島で回収した装備は随分な値段で売れたのでしょう? もう少し休んでもいいのではなくて?」

「あたしの目標はせいぜい屋敷一つだし、まあ確かに随分前進したけどよ。

 あいつのほうはそれでも雀の涙がカラスの涙になったくらいだろうからな。

 まあ休む気にはなれねえんだろ」

「それは・・・で、ございましょうが」

 

 カスミが溜息をつくと、ヒョウエが手続きを終えて振り向いた。

 

「何の話をしてたんです?」

「何、今日も頑張って稼ごうってことさ」

 

 モリィがニヤッと笑い、ヒョウエが破顔する。

 

「全く貧乏暇なしですね――それじゃ行きましょうか」

 

 三人娘が口々に返事を返し、一行は杖にまたがって宙に飛び上がる。

 足元には彼らが守ったメットーの町並みとそこに暮らす人々。

 

「――まあ、悪くない気分だよな」

「モリィ、何か?」

「何でもねえよ」

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。



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五の巻「不思議の国のヒョウエ」
プロローグ「モリィの失言」


「説曹操、曹操就到(曹操の話をすれば曹操がやってくる)」

 

                          ――中国のことわざ――

 

 

 

「グラス湖に出没する白い仮面をかぶったオーク、退役軍人ノードストローム氏からの盗賊撃退依頼、サイドオータム村のヒマワリを荒らすゴブリン駆除、サークル村の井戸から出てくる女の調査、エノレム村からの爪刃熊(クロウブレード・ベア)駆除依頼・・・」

 

 夕方の六虎亭カウンター。

 先だっての事件から半月ほど、今日も今日とて毎日戦隊エブリンガーは山のような依頼を掛け持ちしていた。

 今日はやや早めに依頼が終わり、日のある内にメットーに戻って来れている。

 

「はい、全て確認致しました。こちら報酬の三万三千ダコックになります」

「どうも」

 

 金貨の詰まった袋を手に取って一礼する。

 にへら、とモリィが顔をゆるめた。

 

「今日は払いのいい依頼が多かったなあ。どうよヒョウエ。お前もそろそろ黒(等級)に昇進するんじゃね? そしたらあたし達も黒箱だぜ、黒箱!」

「これで昇進はちょっと難しいですかねえ」

 

 肩をすくめるヒョウエ。

 その背後から受付嬢が口を挟む。

 

「緑等級までは実績を積んでいけば昇進できますが、黒等級、そしてもちろん金等級への昇進は相応に大きな案件を解決しなければ難しいです」

「例えば真なる毒龍(ヒドラ)の討伐、とかですね」

 

 頷く受付嬢。

 納得がいかないのか、モリィが言葉を続ける。

 

「でもダンジョン即日踏破とかしてるだろ? それでも足りねえのかよ?」

「あのダンジョンは『穏やかな』類でしたからね。評価が高くなるのはモンスターがあふれ出して、周囲に甚大な被害を与えるタイプです。

 ああした比較的安全なダンジョンの攻略で黒等級になるなら、多分十個以上は・・・」

「ちぇっ、ケチくせえなあ」

「そう言う規則ですので」

 

 ぼやくモリィに肩をすくめる受付嬢。

 報酬が少ない、依頼主の扱いが悪いなど、けんか腰で文句をつけてくる連中に比べれば、この程度の文句などかわいいものだ。

 

「大きな被害を出した案件ほど、解決時の評価点も高くなりますからね。そんな事件が起こらないのが一番ですよ――まあそれはそれとして、お金になる案件がもっとあると嬉しいんですけど」

「ヒョウエ様、台無しです」

 

 カスミが溜息をついた。

 

 

 

 空いたテーブルにつき、ヒョウエが金貨の袋を開けた。

 330枚の金貨がひとりでに飛び出して、じゃらじゃらと10枚ずつの山になる。

 隣のテーブルの冒険者達がぎょっとした顔になっていた。

 

「では例によって一割、三千をパーティ共有資金に集めて、残りは7500ずつ山分けと言うことで」

「「「異議なし」」」

 

 金貨の内三十枚、山三つが別の袋に入り、ちゃらちゃらと音を立てる。

 ヒョウエが手を振ると残りの山が7つ半ごとに4つに分かれ、四人それぞれの手元に積まれた。

 

「ひょう、何度見てもいいなあ、この輝きは!」

「まあお金が大事なのはわかりますけど」

 

 苦笑するのはリアス。

 最初の頃は自分の分もまとめてカスミに預けていたが、これも修行だと言うことで、このところは自分の分は自分で管理している。

 

「仕事終わったんだからいいじゃねえかよ。料理も来たしまずは乾杯しようぜ!」

 

 満面の笑顔を浮かべるモリィの提案に、反対する者は一人もいなかった。

 

 

 

 エールを一気に煽ったモリィがぷはあ、と息を吐く。

 ちなみにヒョウエは香草茶、リアスはワイン、カスミは甘水(スイートウォーター)だ。

 

「あー、この瞬間のために生きてんなー。

 しかし昇進かあ。ヒョウエなら黒どころか金板狙えると思うんだがなあ」

「金等級が生まれるって言うのは金等級が必要になるくらいの大事件が起こるって事ですからね。

 それに金等級だと国家にも強く束縛されますから、いいことばかりでもないですよ」

 

 先日出会った金等級冒険者を思い起こして溜息をつく。

 素朴な正義感と善性の極みのような人物であったが、それでも言葉の端々に窮屈さを感じているのが見て取れた。

 リアスが頷く。

 

「ですわね。相応の身分には相応の義務が伴うものです」

「それでも黒板くらいにはなりてぇもんだな。

 黒箱なら随分と割の良い依頼も来るだろ?」

「そりゃまあ、信頼と実力の双方をギルドが最高に評価してるって事ですからね。

 依頼主の方もそれは大金を預けようって気になりますよ」

「うらやましい話だねえ。あーあ、黒箱に昇進するくらいの丁度良い大事件が起きないかなあ」

 

 頭の後ろで手を組み、椅子の脚を宙に浮かせてブラブラするモリィ。

 

「あのね、モリィ。そんな事言ってると・・・セーナ!?」

「え?」

 

 酒場の入り口に姿を表したのは、先だっての事件で知り合ったエルフの戦士、《風の乗り手》セーナだった。

 ヒョウエたちの姿を認めると、周囲のざわめきを無視して足早に近づいてくる。

 その顔は今にも泣き出しそうだった。

 

「ヒョウエ、そして仲間達よ・・・頼む、我らが森を助けてくれ。今ズールーフが大変なことになっているのだ!」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 他の三人からの視線が集中する。

 

「な、何だよ? あたしゃ関係ないぞ!? 関係ない・・・よな?」

 

 焦ったモリィが大きく手を振って無実をアピールした。



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第一章「兎の穴に落ちて」
05-01 狂気の世界


「ここじゃあ、みんな気がくるってるんだ。みんなおかしいんだ」

 

                          ――不思議の国のアリス――

 

 

 

 取りあえずセーナのためにリラックス効果のある香草茶を頼んで席に着かせる。

 勝ち気な彼女らしくもなく、席に着くなり突っ伏してしまった。

 運ばれて来た香草茶を飲ませてしばらく待つと、落ち着いたのかぽつぽつと彼女は語り始めた。

 

「その・・・最初は些細なことだったのだ。ツクシソウの生えていたところにオオエラシダが生えていたとか、樫の木(オーク)が半月ほど早く花を咲かせたとか・・・

 それが次第にエスカレートしていって、バラの木に百合の花が咲いたり、角の生えた兎が出没したり、体長5mを越す猪が目撃されたり・・・」

「ちょっと待って下さい。それってモンスターの類では・・・? 一角兎(アルミラージ)じゃないんですか?」

 

 話を遮るヒョウエ。

 真剣な顔でセーナが頷く。

 

「可能性はある。だがモンスターの一角兎(アルミラージ)を見たものによれば、明らかに別物だそうなのだ。私も見たが、角が生えている以外は本当にただの兎だ。

 猪もサイズ以外はズールーフの森に通常住んでいるそれだったそうだ」

「ふーむ」

 

 顎に手をやって考え込むヒョウエ。セーナが話を続ける。

 

「だがそこまではまだマシだったんだ・・・一週間ほど前からは・・・」

 

 香草茶のカップを持つ手がプルプルと震える。

 怒っているのかとも思ったが、少し違うようだ。

 

「いや、私が話すより実際に見て貰った方が早いだろう。

 ヒョウエ、モリィ、リアス、カスミ。森に来てくれないか。

 無論礼はする。頼む、もうお前達しか頼む相手が思いつかないのだ・・・」

「・・・これはズールーフの森の総意としての依頼ですか?」

「いや、私の独断だ。前の一件でおまえたちに助けられたとはいえ、それでも人間と交わるべきではないという意見も根強いからな・・・」

 

 ちらりと仲間達の顔を見る。

 全員が頷いた。

 

「わかりました、この依頼引き受けましょう」

「あ、ありがとう! 感謝する!」

 

 セーナがヒョウエの手を両手で握る。

 リアスやモリィが微妙な表情になるが、今にも泣き出しそうなセーナの顔を見ては何も言えなかった。

 

「まあ取りあえず、今夜は僕の家に泊まっていって下さい。

 ひどい顔をしてますよ」

「いやだが・・・そうだな、よろしく頼む」

 

 

 

 結局その夜は、モリィ達三人も一緒にヒョウエの屋敷に泊まることになった。

 翌朝四人は杖に、セーナは孔雀鷲(モチール)に乗って城門から空に舞い上がる。

 門番や旅人の驚きの声を背に、一行は北へ向かった。

 

「ええと、ズールーフの森は確か・・・!?」

 

 モリィが絶句する。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 いたたまれない顔で沈黙を守るセーナ。

 

「モリィさん、どうしたんですの?」

「あーいや・・・うん、すぐにわかる。確かに見た方が早ぇわ」

「・・・?」

 

 残りの三人が顔を見合わせた。

 

 

 

「うわぁ・・・」

「何ですのこれは・・・」

「・・・」

 

 十分も飛ぶと、ヒョウエ達にもその様子がわかるようになってきた。

 

「だろう?」

「・・・」

 

 モリィはげんなりと、セーナもいたたまれない様子で目を伏せる。

 彼らの視線の先、本来なら初夏の青々とした木々が生い茂る森は、青、ピンク、黄色、赤、紫、明るい茶色、オレンジ、水色、黄緑・・・その他鮮やかな色の乱舞する、サイケデリックなキャンパスと成り果てていた。

 

 

 

「うおっ!?」

「ま、待て! 違うのだ!」

 

 孔雀鷲の発着場。

 近寄ってきた人々の一人を見て、思わずモリィが雷光銃を構える。

 両手を振って慌てて後ろに下がるそのエルフ?は、首から上がトナカイだった。

 

「・・・これもその異常の一つですか?」

「これだけなら可愛いものだ・・・」

 

 うなだれたセーナの案内で森の中を歩く。

 

「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」

 

 四人はもはや絶句するしかなかった。

 

「~~~~~~~♪」

 

 エルフの顔をしたカエルが樹に張り付いて、調子っ外れの陽気な歌を歌っている。

 張り付く樹は樹でピンク色の幹に蛍光緑の葉が茂るオークの樹だ。

 その隣の樹は水色の幹にオレンジの葉が繁り、咲き乱れるのは赤青緑の原色の花。

 

 翼の生えた魚が空を飛び、川の中を真っ赤な小鳥が泳いでいる。

 青い卵が列を成してぴょんぴょん道を跳ね、足の生えたカボチャが目の前を横切っていった。

 

「頭がおかしくなりそうだぜ・・・」

 

 モリィのつぶやきに、その場の全員が頷いた。

 

 

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・なあ、もう帰っていいか?」

「頼む! 気持ちはわかるが帰るな! 私を見捨てないでくれ!」

 

 セーナがモリィにすがりつく。

 エルフ達の王宮、文字通り天を貫く巨大な世界樹の真ん中にこれ見よがしに咲いた直径1kmを越すヒマワリの花と、その中央に浮かび上がる暑苦しい男の笑顔。

 二足歩行する虎のラインダンスだの、ペチャクチャ喋りかけてくる白塗り厚化粧の顔付き大樹だの、「ねえ、私きれい?」と語りかけてくる牛だの、正気をガリガリ削ってくる代物をさんざん見せつけられた末にこれである。

 鋼の意志もくじけようというものだ。

 

「僕は行きますよ」

「ヒョウエ! お前はきっとそう言ってくれると信じてたぞ!」

 

 再び涙目でヒョウエの手を取るセーナ。彼女も大分消耗している。

 

「あの森もそうですが・・・鷲の広場にいたあのトナカイ頭の人。

 同じような人がもっと沢山いるんじゃないですか?」

「あっ・・・」

 

 モリィとリアスが目をみはった。カスミも僅かに表情を動かす。

 セーナが沈痛な顔で頷いた。

 

「変異した大半のものは家の中にいて出てこない。

 中には人としての知性を失い閉じ込められているものや、森の中に消えてしまったものもいると聞く。

 この状況を何とかしたいのだ、ヒョウエ」

 

 無言でヒョウエが頷いた。

 

「モリィ」

「あー、わーったよチクショウめ。そんな話を聞いて帰れるかってんだ」

 

 モリィが苦々しげに息を吐く。

 

「きっとそう言ってくれると思ったぞ、モリィ」

 

 セーナが微笑んだ。

 

 

 

「ゲーロゲロゲロ♪ ゲーロゲロゲロ♪」

「やっぱり帰れば良かったかな・・・」

「私も少しそんな気が・・・」

「頼むから言わないでくれ・・・」

 

 王宮の中も、森の中に負けず劣らず狂気の世界だった。

 壁を這うツタに花ではなくカエルの頭が咲き、ゲコゲコとやかましく合唱している。

 げんなりするモリィとリアスにセーナが再び懇願し、ヒョウエも流石に苦笑するだけであった。

 

「まあ、虫やミミズでないだけまだマシかと」

「やめろよおい!?」

「勘弁して!」

 

 カスミがぽろりと漏らした一言に想像してしまったのだろう、二人が悲鳴を上げた。



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05-02 白黒大熊猫

 謁見の間。

 ひざまずいた一行に族長であるトゥラーナが重々しく頷く。

 

「このようなおりではあるがよくぞ参った。力を貸してくれ、ヒョウエと仲間達よ」

 

 ブフッ、とモリィとリアスが吹き出した。

 顔を真っ赤にして笑い出すのを我慢している。

 カスミも吹き出してこそいないが、プルプルと細かく震えていた。

 

「微力を尽くしましょう」

 

 一方でヒョウエは平静そのものの様子で頭を垂れる。

 セーナは複雑な表情で無言。

 トゥラーナが溜息をつく。

 

「あー、なんじゃ。我慢しないでよいぞ。ここにいる者どもも、一度は笑いおったからの」

 

 周囲にいたエルフ達・・・セーナの父親や司書のサーワ達が気まずそうに顔を背ける。

 

「ぶ・・・・はははははははは!」

「あは、あはははははは!」

 

 モリィ達三人が一斉に笑い出す。

 それを見て玉座に座る冠と族長の衣を身につけた見事なジャイアントパンダ――セーナの祖父にしてズールーフの森のエルフの族長、トゥラーナは深く溜息をつき、ヒョウエが肩をすくめた。

 

 

 

「あー、なんだ、悪ぃ・・・」

「申し訳ありませんでした・・・」

「まったくもって・・・」

「気にするな。同族どころか家族でも吹き出したのだ、おまえたちを責める筋合いではない」

 

 言いつつもセーナの顔には憂鬱そうな色があった。

 そのセーナがふとヒョウエを見下ろす。

 

「そう言えばお前だけは全く平気な顔をしていたな。さすがの自制心だ」

 

 セーナの言葉にはかなり本気の称賛がこめられていたが、褒められた当人は苦笑するばかりであった。

 

「いやまあその。オリジナル冒険者族(アラーキック)だからと言っておきましょうか。奇妙な事件には慣れていますので」

「そう言うものか・・・ニホン、だったか? そこではこれくらいの異変など珍しくもないのか。恐ろしい場所だな」

「そう言うわけでもないんですが・・・」

 

 遠い目になるヒョウエの脳裏に、中国拳法を使うパンダのヴィジョンが浮かんでいた。

 

 

 

「ところでサーワさん」

「はい」

 

 パンダの横にはべる女官に視線を向ける。

 

「今回の件について、何か手掛かりはないのですか?」

「残念ながら。族長様にも言われて捜してみてはいるのですが・・・類似の事例は見つかりませんでした」

怪人(ヴィラン)の仕業でしょうか」

「それも何とも。可能性は高いかと思われますが」

 

 まあ手掛かりがつかめていれば、自分のところにセーナが来たりはすまい、と頷いて納得する。

 

「ありがとうございました。何かあればよろしくおねがいします」

「それはもう」

 

 最後に一礼してヒョウエはきびすを返した。

 

 

 

 王宮の外に出る。

 頭の上で笑う巨大な人面ヒマワリを努めて無視しながら歩く一行。

 

「サーワさんはああおっしゃいましたが、この件については何かわかっているんですか?」

「それがさっぱりでな・・・ああそうだ、変異が起こる時刻は常に太陽が中天に上るときだ。それ以外でも発生しているかも知れないが、変異が起きたと確認されたのはどれも正午だった」

「ふーむ・・・?」

 

 考えたが答えは出ない。ヒョウエ達は森に分け入った。

 

 

 

「buzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz!」

 

 魚が空を飛び、セミの声で鳴く。

 

「りんご りんご りんごの樹♪ おいしく食べてねりんごの実♪」

 

 梨の木に鈴なりになった顔のあるトマトが深みのあるバリトンで合唱する。

 森の中もやはり狂気の世界だった。

 

「確認しておきますが、場所などは関係ないんですよね?」

「ない。同胞に限っても家にいたものもいれば、狩りに出ていたものもいる。

 獣や鳥、木々や草も同様だ」

「うーん」

 

 普段なら空からモリィの《目の加護》で捜索をかけるところだが、森の中ではそうも行かない。加えてこの森には結界が張ってあり、上空に飛び上がればどうなるかわからないと言う理由もあった。

 エルフ達は孔雀鷲に乗って上空を飛んでいるが、エルフではないヒョウエたちがそれをやって無事でいられるかどうかはわからない。

 結局地道に森を探索するしかなかった。

 

「けどこれって当てずっぽうじゃね?」

「そうとも言いますね。まあ手掛かりがないんだからしょうがないんですけど・・・」

 

 王宮で複写して貰った森の地図を手に、森の中を飛行して回る。

 結局のところはモリィの《目の加護》頼りではあるが、それでもしらみつぶしに捜して回るしか手はない。

 そして二日目、日もかなり傾いてきてそろそろ今日の探索を打ち切ろうかと言うときに彼らにかかった声があった。

 

「ほうい、お前さん達ぃ。ひょっとして『ニンゲン』かねぇ?」

「!?」

 

 振り向くと、3mほどはある岩に巨大な人の顔らしきものがついていた。

 思わず杖を止めたヒョウエたちに、岩が嬉しそうに語りかける。

 

「ああ、やっぱりエルフじゃないなぁ。やっぱり『ニンゲン』なのかねぇ? それとも『どわーふ』かなぁ?」

「ご明察通り、僕たちは人間ですよ。あなたは?」

 

 そう訊くと、岩はゴロゴロと笑い声のようなものを立てた。

 

「ただの喋る岩だよぉ。名前なんかあるもんかねぇ」

「それじゃ呼びにくいですね・・・(ロック)・・・エルビスさん、でどうです?」

 

 岩が目に当たる部分を大きく開いた。どうやら驚いているらしい。

 

「ほう、そうかぁ! それはわしの『名前』かねぇ?」

「ええ。お気に召しませんか?」

「とぉんでもない! 気ぃに入ったともぉ! そうだなぁ、わしは今日から『エルビス』じゃぁ」

「お気に召して頂けたなら幸いですよ」

 

 ヒョウエがにっこり笑った。

 

 

 

 岩だけあってエルビスはのんびりしていた。どうやら以前にも何度かエルフ達と出会って話をしていたようだった。

 日が暮れてもヒョウエは話に付き合っている。

 既にモリィはだれてごろりと転がり、リアスたちも手持ちぶさたにしていた。

 

「しかしこの森でエルフ以外の『ヒト』を見たのは二度目じゃよぉ。エルフも獣も鳥たちも見ていて楽しいがぁ、たまには変化が欲しいからのぅ」

「変化ねえ」

 

 少なくとも今現在この森には変化しかないのでは、と言いかけたが、この岩にとっては変異した後の森が「普通」なのだろう。

 苦笑しかけてふと引っかかる。

 

「エルフ以外の『ヒト』と言いましたね? 一回目も人間でしたか?」

「うんにゃあ? なんつったかのう・・・ちっこくて羽が生えてて空を飛ぶ・・・そうそう、ピクシーじゃよぉ」

「ピクシー?」

 

 ちらりとセーナを見る。

 エルフの護り手は、真剣な顔で首を横に振った。




「ピクシー」で画像検索してみましたけど、ポケモン多すぎるだろw
なおポケモン除外したらガンダム一色だった件。


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05-03 大岩エルビスの話

「アレはちょっと前の事じゃったのう。わしが目がさめてからあんまり経ってないころ・・・だったような気がするなぁ」

「・・・明るくなったり暗くなったりを何回繰り返したとか、そういうのはわかりませんか?」

「うーん、すまんのう。そう言う事はよぉ気にせんわぁ」

「ですか」

 

 溜息をつくヒョウエ。

 うすうす感じてはいたが、やはり時間感覚は人間と随分違うらしい。

 

「ファンタジー・・・いえむしろSFのお約束ですねえ」

「んん~。何かゆうたかのぉ?」

「じいさん、こいつは時々訳のわからないことを言うんだ。聞き流しておけばいいぜ」

「失礼な」

 

 例によってヒョウエが抗議するが、こちらも例によって聞き流すモリィ。

 溜息をついてカスミが続きを促した。

 

「申し訳ありません、話を続けて頂けますか、エルビス様」

「ほいほいぃぃ。えーと、そうそうぅ。ピクシーのことじゃったのぉ。

 ちょっと前にフラフラ飛んでてのぉ。鳥でも虫でもエルフでもなかったから話しかけてみたんじゃ。

 『ほうい、お前さん。一体全体虫かのぉ? 鳥かのぉ? それともエルフなのかのぉ?』っての。そしたら顔を真っ赤にして怒りよってのぉ。

 『おれはピクシー! ピクシーのミトリカ(ピクシィ'ズ・ミトリカ)だっての!』となぁ」

「ピクシーですか・・・」

 

 ピクシーとはエルフやドワーフと同じ妖精の一種族で、名前の通り透き通った虫のような羽の生えた小妖精だ。

 魔力の制御に特化した種族で、特に術の精度についてはエルフをも上回ると言われている。

 

「セーナ、もう一度確認しておきますがこの森にピクシーはいないんですね?」

「少なくとも私は聞いたことがないな。昔はいたかもしれないが」

「それで何を話したんですか?」

「それでじゃのぅ、えーと・・・」

「・・・」

「うーんと・・・」

 

 沈黙が生まれる。

 コオロギの鳴き声や、ガランガランとやかましい鐘の音が遠くから聞こえる。

 

「うん、思い出せんわぁ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 四人が盛大に溜息をついた。

 

「まあそんな事だろうと思いましたが」

「おいじいさん」

「いやあ、長く話してた記憶はあるんじゃがのぉ。何を話してたかがおぼろげでなあ」

 

 疲れたように肩を落とすモリィ。ヒョウエが不審げに頭をひねる。

 

「うーんん」

「ヒョウエ様、何らかの魔法でしょうか?」

「可能性はありますね」

「精神を操る類の奴か?」

「ええ。あくまで可能性ですが」

 

 その後もしばらく会話を重ねたが、意味のある話は引き出せなかった。

 既に周囲は暗い。カスミの灯した魔法の光だけが周囲を照らしている。

 

「日が暮れてからかなり時間も経ちましたし、そろそろ戻りましょうか」

 

 ヒョウエの言葉に他の三人が疲れたように頷く。

 

「おやぁ、帰るのかぃ。また話に付き合ってくれると嬉しいねぇ」

「まあ時間がありましたらね」

 

 たっぷり三時間は付き合ったヒョウエが苦笑しつつ頷いた。

 

 

 

「ふむ、その岩、エルビスか・・・改めて話を聞いてくる必要があるかもしれんの」

 

 丁度間に合った夕食の席でパンダ、もとい族長であるトゥラーナが頷いた。

 ちなみにパンダは本来雑食である。笹しかないからそれを食べているだけで、肉でも穀物でも普通に食う(本当)。なので、料理はエルフの時と変わらない。

 

(うーんシュール)

 

 そんな食事風景を眺めながら、それを表に出さずにヒョウエが頷いた。ただ、その表情に疲労の色がある。

 

「そのお役目は誰か別の方にお願いしたいですね。ただでさえテンポが間延びしていて辛いのに話が長くて・・・おまけに当人はおしゃべり好きで何時間でも平気で喋っていられるんですから」

「まあ年寄りは話が長いからな」

 

 苦笑するトゥラーナ。

 見慣れるとパンダでも多少表情が読み取れるようになるのだから不思議なものだ。

 それに対してセーナの母サティが悲しげに眉をひそめた。

 

「それもあるかもしれませんが、話が出来るのにその場から動けず、森の中でただ時間を過ごすだけというのもお辛いのではないでしょうか」

「ああ・・・それは違いないな」

 

 妻の言葉にセーナの父ナタラが頷いた。

 なお「上品な貴婦人」という形容が形になったような彼女であるが、若かりし頃はセーナも鼻白むほどの女傑、猛女であったらしい。

 閑話休題(それはさておき)

 

 ナタラがヒョウエの方を向いて軽く頭を下げた。

 

「ともあれ重要な情報を持ち帰ってくれた。私からも礼を言うぞ、ヒョウエ殿」

「かたじけなく。人間というのがうまい具合に働いたかもしれませんね」

「そうか、なるほどな。私の方でもその岩のことは報告を受けていたし、話を聞きに行かせもしたんだが、さっぱり要を得なくてな」

「僕もその要を得ない話を数時間聞きましたよ」

「それは大変だったな」

 

 苦笑し合う。

 

「ともあれ一歩前進じゃ。まずはそのピクシーを捜してみるとするか」

 

 その場の全員が頷いた。

 

 

 

 月が出ていた。

 真円の、青い月。

 

「結界の中でも月って出るんですね・・・」

 

 王宮の窓、無数の木のこぶに開いた穴からヒョウエは月を見上げていた。

 与えられた部屋は想像していたよりは広く、拳闘(ボクシング)のリングがすっぽり入る位はある。

 

「当たり前だろう」

「セーナ?」

 

 苦笑を含んだ声。

 入り口の垂れ幕をめくって入って来たのはエルフの王女だった。

 

 

 

「お前達はどのような務めをして暮らしているのだ?」

「えー、お金と言ってわかります?」

 

 不思議な味のする水――エルフ版の甘水(スイートウォーター)に近いものらしい――を傾けつつ、しばらく二人で他愛ない話をした。

 借金のこと、都市での暮らし、エルフの護り手の務め、族長の後を継ぐために修めなければならないもろもろ。家族や仲間からのお説教。

 

「まー耳が痛いんですけど、それはそれとしてそうできたら苦労はしないというか」

「まったくだ。言われて簡単に変えられるようならとっくに変えている」

 

 うんうんと頷き合う二人。

 サナやリーザ、セーナの両親や祖父がいたら即座に雷が落ちただろう。

 

「しかしなんだな」

「うん?」

 

 長椅子に並んで腰掛け、二人で月を眺める。

 

「お前ほど気兼ねなくなんでも話せる相手は初めてだ。無論森に友人がいないわけではないが、何と言うかな。お前といると、不思議なほどに口が軽くなる――」

「・・・」

 

 セーナの横顔を見上げる。

 褐色の頬が僅かに紅潮していた。

 

「僕は・・・」

「お前だな! 魔力のカタマリ!」

「「!?」」

 

 突然、部屋に声が響いた。

 甲高い少女の声。

 月光の中に浮かぶ小さなシルエットは、羽の生えた人間の姿をしていた。



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05-04 Pixy'sMTRK

「ピクシー・・・」

「おう、ピクシーだ、文句あっか?」

 

 腕を組んで空中にふんぞり返る小さな妖精。

 身長は15センチほど、透き通った鋭角な羽根からはかすかな燐光が放たれている。

 つり目に赤金メッシュの跳ねた短髪、荒っぽい口調のよく似合うきつめの美少女だ。

 

「おうおう、なんだ、何じろじろ見てやがる。オレのツラがそんなに珍しいかよ?」

「いや失礼。ピクシーを見たのは生まれて初めてですのでね。

 思っていたより綺麗なものですね」

「・・・。うん、そうかそうか! 何せオレ様だからな! 綺麗で当然だ!」

 

 一瞬目を見開いた後、ピクシーの少女は笑みを浮かべ、腰に手を当ててそっくり返った。

 口元には満足そうな笑み。

 

「ところであなたのお名前は? 僕はヒョウエ、彼女はセーナです」

「ヒョウエにセーナか! 変な名前だな! オレはピクシーのミトリカだ!」

「「!」」

「ん、なんだ? オレの顔に何かついてるのか?」

 

 首をかしげるミトリカ。ちらりとセーナと視線を合わせる。

 

「ここから少し北のところに喋る岩のおじいさんがいたでしょう。

 あのひとからあなたの事を聞いたんですよ」

「あーあのじいさんか。話なげーよな」

「ですよねー」

 

 うんうんと頷き合う二人。

 セーナは何か言いたそうだが口には出さなかった。

 

「とにかく話がくどくてさー、同じ事を何度も・・・って、そうじゃねーよ! テメー何もんだ!」

「おおう」

 

 我に返り、いきなり大声を出したミトリカに、今度はヒョウエがのけぞる。

 ちなみに人間の1/1000ほどの肺活量と声帯しかないピクシーが、何故人間と問題なく会話できるのか。

 魔力で無意識のうちに声量を上げているという説、限定的な精神感応を併用しているからではないかという説などがあるが、気まぐれで飽きっぽいピクシーが長期間研究に付き合ってくれた例がないため、未だに確かな研究成果はない。

 閑話休題(それはさておき)

 

「何者だと言われましても、人間の大魔術師(ウィザード)ですが」

「そういう意味じゃねーよ! テメーみてーな魔力のカタマリに森を歩き回られると困るんだよ! さっさと森から出ていけ!」

 

 すっ、とヒョウエの目が細まった。

 明らかに変わった雰囲気に、ミトリカがびくっと震える。

 

「な、なんだよ?!」

「そこのところ、もう少し詳しく話して貰えませんか。僕が森を歩くと・・・いいえ、巨大な魔力が森にあるとなぜまずいんです?」

「そ、それは・・・」

「それは?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・う、うるせーっ! 邪魔なんだよおまえはっ!」

「!?」

「ヒョウエ!?」

 

 ミトリカの体から――ヒョウエのそれに匹敵、あるいは凌駕するような――巨大な魔力が放たれた。

 虹のような色とりどりの花火が部屋の中で静かに弾ける。

 

「―――」

 

 セーナがまぶしさに思わず目をつぶる。

 目を開いた時、部屋の中にピクシーの姿はなかった。隣にいたはずのヒョウエも消えている。

 

「ひょ、ヒョウエ! どこだ!?」

「大きな声を出さなくても聞こえてますよ。こっちです」

「ああ、ヒョウ・・・えっ?」

 

 声のした方向――足元を見下ろして、セーナが絶句した。

 

 

 

 ばたばたと足音がしてモリィが、続けてリアスとカスミが飛び込んできた。

 

「どうした、何だ今の魔力、の・・・」

「ヒョウエ様、ご無事・・・」

 

 モリィとリアスが絶句する。

 そしてカスミは。

 

「か・・・かわいいーっ!」

「勘弁して下さい、ほんとに・・・」

 

 手を組んで目をきらきらさせるカスミ。

 身長30センチ、2.5頭身のデフォルメされた姿になったヒョウエが深い深い溜息をついた。

 

 

 

 遅れてやって来たエルフの戦士達に事情をぼかして説明し、主立ったものを――寝ていたものは叩き起こして――会議室に集める。

 

「・・・で、そう言うわけです」

「なんとなあ・・・」

 

 ぬいぐるみサイズ、それもキュー●ー人形か、ね△どろいどのような頭でっかちのディフォルメヒョウエが――セーナがその場に最初からいた事を除いて――事情を説明し終えると、ジャイアントパンダのトゥラーナが溜息をついた。

 周囲の人間もつられて溜息。

 話の内容に溜息をついたのか、それともこのビジュアルに溜息をついたのか、多分両方だろう。

 

 なお理性を飛ばして先ほどまでヒョウエを愛でまくっていたカスミは、我に返ってから顔を真っ赤にして俯いていた。

 おほん、とセーナの父ナタラが咳払いをする。

 

「しかし、ミトリカと言ったか。そのピクシーが犯人か、もしくはそれに近いところにいるのは間違いないな」

「ですわね。取りあえず発見して斬り捨てるべきでしょう。ヒョウエ様に狼藉を働いた相手に情けは無用ですわ」

「・・・他に手段がない場合にはな」

 

 笑顔でぶっそうな事をのたまうリアスに、ナタラが冷や汗を浮かべた。

 妻の若い頃を思い出してでもいたかもしれない。

 

「まあともかく、逆にこれで手掛かりを得られたかもしれません」

「どういうこった、ヒョウエ?」

「・・・なるほど、感染呪術ですね?」

「はい」

 

 サーワの言葉にヒョウエが頷いた。

 

 『感染』。

 感染呪術 、伝染呪術などとも言われる魔術理論の一つだ。

 簡単に言えば一度接触したもの同士、元は一つであったもの同士には繋がりが出来ると言うことで、例えば丑の刻参りの時に藁人形に髪の毛を入れたり、魔法陣を描くインクに自分の血を混ぜたりなどがこれに当たる。

 

「彼女の魔力で僕はこうなったわけですからね。今彼女と僕の間には強い繋がりがあります。魔力が僕の体に残っていますから尚更に」

 

 この場で気付いているのはヒョウエ以外にはいないが、呪術の名を関するとおり、この手の作業は人間の使う神授魔法(系統魔法)より妖精魔法(呪術)の使い手のほうが向いている。

 しかし探知系統の専門家かヒョウエのように多彩な術を修めている術師であれば、アドリブでそうした術の痕跡を追うことは不可能ではない。

 少し前に習得した"失せもの探し(センス・ロケーション)"などもあるから尚更だ。

 神授魔法と妖精魔法が本質的には同一のものであるという証左であろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「魔力の強いものというのも引っかかりますが・・・」

「その辺も相手を見つけて問い詰めるしかないでしょうね。

 エルフの方々は引き続き森の捜索を、僕たちはミトリカを追うと言うことで」

「戦士達を何人か、あるいは何十人かつけてもよいが」

「僕くらい魔力のある方がいらっしゃるなら是非ともお願いしたいですが」

「それはさすがに・・・おらんのう」

 

 トゥラーナが苦笑する。

 

「咄嗟のことで防御が完全ではなかったのもありますが、相手も強力無比な魔力の持ち主ですからね。下手に人を増やしても犠牲者が増えるだけです。現状では僕たちだけで追うのがベストではないにしろベターかと」

 

 出席者が一斉に頷く。

 

「よかろう。あらためて頼むぞヒョウエ」

「最善を尽くします」

 

 ヒョウエたち五人が一礼した。

 

 

 

「ところで、ヒョウエ様はずっとそのままなんですの?」

「解呪できなくもないでしょうけど、さすがはピクシーと言うべきか、術のかかり方がかなり強固で時間がかかりそうです。それに解かない方が魔力による繋がりが強いでしょうから・・・なんです、みんなしてその目は」

「いやあそのな・・・」

「当分戻らないと言うことでしたら、その、抱っこさせて頂けないでしょうか?」

「わ、わたしもお願いしますヒョウエ様!」

「あたしも・・・」

 

 自分を見る少女たちの目の光に、ヒョウエが冷や汗を流す。

 

「ちょっとセーナ、助けてくれませんか」

「・・・すまん。私も抱きたい」

「ブルータスお前もか!」

 

 ヒョウエの絶叫が会議室に響く。

 トゥラーナやナタラその他はそれを生暖かい目で、サーワがちょっと異常な光を宿した目でそれを見つめていた。




どうでもいい話ですが、キューピー人形は2005年に著作権が切れているそうです。


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05-05 SDヒョウエの大冒険

 翌朝、一行は宮殿を出発した。

 ヒョウエの杖は服とともにミニサイズになってしまったので、徒歩での追跡だ。

 ヒョウエの術力なら全員を浮かせて移動することも十分可能だが、呪鍛鋼(スペルスティール)の杖という媒介がないとやはり効率が悪いらしい。

 

 なお前の晩、全員に愛でられまくったうえにカスミが最後まで添い寝をしたがったが、断固拒否したことを言い添えておく。

 閑話休題(それはさておき)

 

 ふよふよ浮かぶ●んどろいど、もといヒョウエを先頭に一行が歩く。

 それに続くのが目の鋭いモリィと、ここがホームのセーナ。

 リアスとカスミが後方警戒を兼ねて後ろに続く。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「もしもし、お二方、ないしお四方。何か後ろから妙な視線を感じますがちゃんと周囲を警戒してくれてます?」

 

 後ろから動揺の気配があった。

 

「・・・」

「い、いえ、ちゃんと見ておりますわ!」

 

 無言のセーナとカスミに、リアスの言い訳。モリィはわざとらしく口笛を吹いている。

 

「はあ・・・お願いしますよ、もう」

 

 疲れたようにヒョウエが溜息をついた。

 

 

 

「気配が強くなってきました。かなり近いですよ」

 

 半日ほど歩き、そろそろ昼食にしようかというところでヒョウエが口を開いた。

 全員の顔が引き締まる。

 

「隊列を入れ替えましょう。先頭にリアス、続いてモリィ、セーナ、カスミで」

「かしこまりましたわ」

 

 素早く隊列を入れ替えて前進を再開しようとするところで、ヒョウエがリアスの肩に降り立った。

 

「ヒョウエ様?」

「ここからは気付かれないよう、忍び足で行きます。リアスは難しいでしょうから、僕が浮かせます。他の三人は大丈夫ですね?」

 

 三人が頷いた。モリィとセーナは腕のいい野伏(レンジャー)であり、狩人だ。獲物に気付かれないように静かに忍びよる術には長けている。

 まして忍者のカスミが忍びの術に長けていないわけがない。

 

「・・・」

「・・・(こくん)」

 

 ヒョウエのゼスチャーにやはりリアス以外の三人が頷く。

 一行は無言で前進を再開した。

 

 

 

「・・・(すっ)」

「・・・」

 

 ヒョウエが手を上げるのと同時、一行が音も立てずに停止した。

 

「!」

 

 指さす方向を見て目を見開いたのはモリィとセーナだけだった。

 超高精度カメラ並みの視覚と、精霊の加護を得たエルフの感覚だけが、森の木々の奥に隠れた小妖精の存在を捉えられたのだ。

 

「・・・」

「(こくり)」

 

 ヒョウエがカスミの方を見て、カスミがそれに頷いた。

 セーナが手を上げてそれを制止する。

 

「?」

「? ・・・!」

 

 カスミが首をかしげ、一瞬遅れてヒョウエが「それ」の存在を思い出す。

 セーナに対して「了解」のハンドサインを出すと彼女は頷いて精神を集中させ、僅かに間を置いた後、魔力が一行の姿を覆い隠した。

 

「よし。小声でなら喋ってもいいぞ。何せ相手はピクシーだからどこまで通じるかはわからないが、この距離であれば大丈夫だろう」

「なんだこりゃ? 透明化の呪文か?」

「いわゆる"エルフの隠れマント"ですよ、モリィ。薄々感じてましたが、気配や音も遮断するみたいですね」

「え? 隠れマントって魔法の宝物じゃねえの?」

「そういう宝物は確かにあるが、これは精霊の力を借りた魔法だ。エルフなら大概のものは使える」

「はー・・・」

 

 目を丸くするモリィ。同様の術を使うカスミが感心したように頷く。

 

「噂には聞いておりましたが、音や気配まで遮断できるのは便利でございますね」

「精霊魔法は総合的な魔法ですからね。『隠す』という概念自体を術にすることが出来ます。その分制御も消費もきついですけど。さ、行きますよ」

 

 無言に戻って四人が頷いた。

 

 

 

 そろそろと、これまでにも増して静かに一行が忍びよる。

 やがて見えてきたミトリカは、何かに集中しているようで一行には気付いていない。

 

「むーん・・・やっ!」

 

(!)

(?)

 

 ヒョウエたち、魔力を見る事ができるものには強力な魔力がミトリカから放たれて、かたわらの樫の巨木に吸い込まれるのが見えた。

 

「よーしよしよし」

 

 満足げに頷くミトリカだが、ヒョウエやモリィにも何が起こっているのかはわからない。

 ただ、セーナだけは僅かに眉をひそめた。

 どうする?とでも言いたげにセーナがヒョウエに視線をやる。

 やりましょう、というようにヒョウエが頷くと、四人が頷きを返した。

 

 

 

「にゃあっ!?」

 

 ミトリカが奇声を上げた。

 全身をがっちりと絡め取る、念動による金縛り。

 その時には既に周囲をリアス、カスミ、槍を構えたセーナが固めていた。

 後方には雷光銃を構えたモリィと、その肩の上で杖を構えるヒョウエ。

 浮遊の術も打ち切って文字通り全力を込めた念動の魔力を、さすがのミトリカも振り払うことが出来ない。

 

「あっ、お前!? くそっ! 放せよクソヤローッ!」

「女の子が乱暴な言葉使っちゃいけませんねえ」

 

 にやっと笑うヒョウエ。

 ね●どろいどにしてくれたささやかな意趣返しである。

 

「テメーの知ったこっちゃね・・・」

 

 わめき声が途切れる。ヒョウエの念動が口まで及んだのだ。

 

「さて、あなたに聞きたいことは三つ。

 ひとつ、あなたは何者か。

 ふたつ、この森を覆う異変と関係があるのか。

 みっつ、この異変は何が原因なのか。

 無論、答えによっては質問が増えますけどね。さあ、どうです?」

 

 杖を動かして口回りだけ念動を解除し、ミトリカがぷはっと息を吐き出す。

 それと共に、嵐のような罵詈雑言が一行を襲った。

 

「*★∩≠♀♂※▽〃▼#∵∞∫¶∃!!!!!!」

 

 R18およびR18Gタグを付けたくないので内容をここで記すことは差し控えたい。

 ただ、リアスとカスミとセーナが顔を真っ赤にし、モリィですら鼻白むレベルのものだったとだけ述べておく。

 顔をしかめたヒョウエが再び杖を振り、森に沈黙が戻る。

 

「―――」

 

 程度は違うにせよ唖然、もしくは憮然とする一行。

 ヒョウエが大きく息をついたのが合図だったかのように、どうにか再起動する。

 

「ったく、とんでもねえやつだな・・・色々な意味で」

「しかしどうしましょう?」

「私は王宮に連れて行くのがいいと思う。エルフの術師が総掛かりならこいつを押さえ込み続けることも可能なのではないか? もちろんヒョウエの術がどれほどもつか次第だが」

「王宮まででしたら問題ないでしょう。では――っ!?」

 

 その時、樫の大樹の表面がバリバリと裂けた。

 

「何だ、人の顔?!」

 

 はっと気付いたセーナとヒョウエが同時に空を見上げた。

 

「そうか、正午!」

 

 巨大な顔のついた樹の両側から太い腕が生え、引き抜いた根が足になる。

 

「!」

「しまった!」

 

 それでわずかながらに集中が途切れたのか、それとも先ほどから解呪を試みていたのか、僅かながら念動の枷が緩む。

 

「ЫНИМЫЦЬФЕРАФ!」

 

 ヒョウエにも理解出来ない言語でミトリカが何かを叫び、周囲が暗転した。



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05-06 夢の森

「・・・」

「なんだったんだ・・・今のは?」

 

 一瞬の暗転の後、周囲は何事も無かったかのように元の景色のままだった。ただ、ミトリカの姿だけがない。

 

「いや待て! "歩く樹(ウォーキング・ウッド)"になってた樹が元のままだぞ!」

「! 確かに」

 

 先ほど人の顔を付けて地面から這い出した樫の巨木は、何の変哲もない樫の巨木のままそこに立っていた。

 ヒョウエが"魔力解析(アナライズ・マジック)"の術を発動して樹を観察する。

 

「特に異常はないですね・・・モリィ、セーナ、そっちは?」

「あたしの見る限りでは変な魔力は感じねえなあ」

「私もだ。先ほど動き出したときは明らかに異常な精霊力を感じたのだが・・・」

 

 木の幹に手をつけ、目を閉じてセーナ。

 しばしそうしていたが、やがて目を開けてヒョウエたちの方に向き直る。

 

「ともかくこれから・・・ヒョウエ?」

「ん、ああ、すいません」

 

 考え込んでいたヒョウエがふわりと宙に浮いた。

 

「何が起きたかはともかく、繋がっている感覚はまだ残っています。

 追跡を続行しましょう」

 

 四人が頷く。

 ヒョウエが進もうとしたところで、森が揺れ動いた。

 

「!?」

 

 地面から一列に木の芽が生える。

 それはものの数秒で巨大な古木に成長し、からみあってそびえ立つ大樹の壁を形成した。

 

「おいおい・・・なんだこりゃ」

「セーナさん?」

「いや・・・私もこんなものは見た事も聞いたこともない。

 伝説にあるようなエルフの樹術師(プラントマンサ―)の術であればあるいはだが」

 

 森の中なので視界は悪いがそれでも見渡す限り、森を東西に貫いて大樹の壁は続いているように見えた。

 

 

 

「"物質分解(ディスインテグレイト)"!」

 

 気合を込めた、ヒョウエ渾身の呪文が炸裂した。

 大樹の壁が幅数十メートルにわたって消滅し、壁の向こう側の木々も含めて巨大な空間が生まれる。

 

「うおっ・・・!?」

 

 だがモリィの口から思わず漏れた声は、ヒョウエの呪文に対してではなかった。

 ヒドラが数匹悠々と並んで通れる位の空間を、下から生えてきた新たな樹があっという間に埋めてしまったからだ。

 

「では・・・」

 

 ヒョウエの姿がふっと消えた。

 今度も"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の全魔力経絡(チャンネル)を叩き込んだ全力全速。

 

「嘘でしょ・・・!」

 

 だが亜音速に達するそれと同じ速度で大樹の壁は上方に伸びた。

 横に飛ぼうとも、追随して大樹の壁が増殖する。

 向こう側に行くことが出来ない。

 

 エルフの結界のせいか、どれだけ上空に飛んでも息は苦しくならない。

 恐らく一万メートルほど上昇したと思われるところでヒョウエは諦め、地上に戻った。

 

「・・・向こう側には行けなかったか」

「はい」

 

 セーナの問いに、疲れたように首を縦に振る。

 

「どうしましょうねえ。小人になる呪文でもあればですが」

 

 物体や生物の巨大化、もしくは縮小という呪文自体は存在する。

 しかし質量そのものを上下させるそれは極めて高度な概念を操作する魔術であり、真なる魔法の使い手か、最低でも魔法を極めた文字通りの大魔術師(ウィザード)にしか成し得ない技だ。

 

「エルフの魔術にはそうした呪文はないな。あったとして私には使えないだろうが」

「植物を操作する術はあるでしょう? それでどうにかなりませんか」

「私の腕ではな・・・」

 

 先ほどの"物質分解(ディスインテグレイト)"の結果を見る限り、大樹の壁は厚みも20mほどあった。

 セーナの扱える程度の術式ではせいぜい数メートル範囲の操作が限界だ。

 

「ふむ。では"融合(ユナイト)"を試してみませんか?」

「"融合(ユナイト)"か!? いや確かにお前の術力で"植物操作(コントロール・プラント)"を使えばあるいは・・・」

 

 考え込むセーナ。リアスが首をかしげた。

 

「何ですの、"融合(ユナイト)"とは?」

「簡単に言えば二人で一つの呪文をかけることです、お嬢様。うまく息を合わせれば強力な術を発動できます。ただ、この場合は呪文をセーナ様が、術力と消費する魔力をヒョウエ様が供与するという形になりますから・・・かなり難度は高いかと」

 

 モリィがヒョウエとセーナを見比べる。

 

「できんのかよ、そんな都合の良いこと?」

「理屈の上では。ただ、僕もそう経験がある訳じゃないですし、断言は出来ません」

「そもそも神授魔法と精霊魔法で"融合(ユナイト)"が可能なのか?」

「神授魔法も精霊魔法も『真なる魔法』が元ですからね。極論すれば呪文の覚え方が違うだけで、理屈は全く同じです。つまり術式によって見えない網のようなものを作り、その網の中に"魔素(マナ)"を捕らえて・・・あいたっ」

 

 モリィがSDヒョウエのおでこにデコピンを喰らわした。

 

「今は講釈してるときじゃねえだろ。後にしろスットコ」

「はーい・・・」

 

 額をさすって溜息をつくヒョウエ。

 モリィの方もヒョウエの扱いはもう慣れたものだ。

 リアスがちょっとうらやましそうに見ている。

 

「まあともかくやるだけやってみましょう。駄目で元々です」

「・・・そうだな」

 

 僅かな逡巡の後、セーナが頷いて大樹の壁の方を向いた。その肩にヒョウエが乗る。

 

「お嬢様、モリィ様。少し下がっていましょう。反動で何かあるかも知れません」

「わかりましたわ」

 

 三人が下がると、ヒョウエとセーナの二人が集中を始めた。

 モリィの目には、二人の魔力が解け合っていくのがわかる。

 そしてモリィの目にも見えないところでもまた。

 

「・・・」

「・・・」

 

 ヒョウエとセーナの精神が触れあった。

 最初は注意深く、やがてもっと大胆に。

 握手するようにお互いの思念を握りしめ、それがもやい綱のように精神を結びつける。

 それと共に相手の断片的な思考が幾ばくか流れ込んでくる。

 

 融合魔術に対する不安。

 幼い頃の、森で兄と遊んだ記憶。

 借金と冒険の日々。

 ヒョウエに対する淡い思い。

 

「!? い、いや、それはだな・・・」

「集中して下さい。集中です、セーナ」

「う、うむ、そうだな」

 

 動揺を抑え、平静を努める。

 心の手を固く握り合い、二つの精神が完全に同期する。

 

 呪文に集中。

 自分の術式という矢を、ヒョウエの引き絞った弓につがえるイメージ。

 雑念が消えていく。

 

 術力という弓を引き絞る、たくましい精神の腕。

 それにそっと寄り添って狙いをさだめ、矢をつがえる。

 そのまま的に思念を集中。集中。集中。

 

 ――気付けば、矢は放たれていた。

 

 

 

「・・・おお!」

 

 思わず声を上げたモリィ達の目の前で、分厚く絡み合った大樹がほどけて、樹のトンネルが生まれていた。

 

「そのまま急いでトンネルを通って下さい。いつまでもつかわかりませんので」

 

 三人が頷き、トンネルの中に走り込む。

 肩にヒョウエを乗せたまま、その後をセーナが――精神集中を乱さないよう――ゆっくりと追った。

 息詰まる数分が過ぎ、20mのトンネルをセーナが通り抜ける。

 大樹の壁の向こう側にたどりつくと、セーナとヒョウエが同時に息をつき、樹のトンネルはゆっくりと閉じていった。

 



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05-07 スーパーヒョウエシスターズ

 幸いなことに大樹の壁を越えても新たな壁が現れることはなく、一行は追跡を続ける。

 30分ほど歩いたところで、森が途切れた。

 木々が途切れて平原が見えたという意味ではない。

 大地そのものが途切れていた。

 

 先ほどの大樹の壁と同じく、左右見える限り垂直の断崖絶壁。数キロより先はもやに包まれて見えない。

 深い谷は幅50mはあり、底に見えるのは暗闇だけだ。

 

「セーナ、念のために聞いておきますがズールーフの森にこのような場所は・・・」

「あるわけないだろう!?」

「ですよねー」

 

 笑うしかないと言う表情のヒョウエ。

 セーナは勘弁してくれとばかりに頭を抱えて唸っている。

 

「まあ、さっきのに比べりゃ簡単じゃねえか。お前なら杖無しでもあたしら全員向こうに渡せるだろ?」

「うーん・・・だといいんですが」

「? どゆこったよ?」

 

 難しい顔をするヒョウエ。セーナも似たような表情になっていた。

 

「なんというか・・・谷の上空に魔力の空白というか、そんな感じが」

「それは私も感じるな。精霊の力が妙に薄い気がする」

「うーん?」

 

 《加護》を受けた目を凝らしてみるが、モリィにはよくわからない。

 

「言われてみりゃあ、なんか空気が希薄な気がするけど・・・」

「視覚ではわかりづらいのかもしれませんね。ともあれちょっと試してみましょう。カスミ、ロープを僕の腰に結びつけてくれますか。もう片方はその辺の木に」

「かしこまりました」

 

 このパーティの荷物持ち担当は大容量の「隠しポケット」リュックを背負い、それらの道具の扱いにも慣れたカスミである。

 ロープを取り出した彼女は手際よく片方をヒョウエの腰に結び、もう片方を太い木に結びつけた。

 念のためにロープを肩に回したリアスがそれを少しずつ繰り出す形にする。

 

「それじゃ行きますよ。リアス、お願いします」 

「お任せ下さい!」

 

 意気込むリアスに苦笑すると、ヒョウエは谷に向かって移動し始めた。

 

 5メートル、10メートル。

 異常はない。

 

 15メートル、20メートル。

 やや速度が落ちてきた気がする。

 

 25メートル。谷の真ん中ほどでヒョウエの表情が変わった。

 方向転換して戻ろうとするが遅い。

 吊り糸がぷっつり切れたかのように、突然落下した。

 

「ヒョウエっ!?」

「大丈夫です、支え・・・重いっ!?」

 

 ロープを回したリアスの肩と腰に、ずしりと重みがかかる。

 身長30センチの今のヒョウエではあり得ない重量。

 咄嗟にセーナが後ろから支えるが、それでも引きずり込まれないようにするのがやっと。

 そしてモリィが目を見張る。

 

「おい、何か下から黒いのが絡みついて来てたぞ!」

 

 雷光銃を抜いたところで逡巡する。

 下から絡みついている黒い「何か」は、ヒョウエの体の影になってここからでは狙えない。谷風がロープをゆらしているから尚更だ。

 脇に走って横から狙うか、それともリアスを支えるのに加わるか。

 考え込んだところで光が爆発した。

 

「光よ!」

「うわっぷ!?」

 

 直視ではなかったが、モリィの真横に駆け寄ったカスミの手からまばゆい光が放たれる。

 光にひるんだか、ヒョウエの体に絡みついていた黒い「なにか」が離れた。

 

「"念動(サイコキネシス)"!」

 

 ヒョウエもそれを感じたか、念動の術を再起動して全力で上昇する。

 ロープを引っ張っていたリアスとセーナが尻餅をついて倒れ、それと同時にヒョウエが崖の上に姿を現した。

 

 

 

「ふう・・・ありがとうございます、助かりましたみなさん」

「いいって事よ。仲間だろ」

「今回モリィさんだけ何もしてらっしゃらなかったような?」

「うるせーな、黒いアレのことを教えたろ」

 

 くすくすと含み笑いをするリアスに、唇を尖らせて返すモリィ。

 どちらもじゃれあっているだけなので、周囲も笑みを浮かべる。

 

「まあ私には見えませんでしたから、モリィ様でないとわからない類のものだったのは確かでございますね」

「しかしあんなのがいるとはな」

 

 表情を戻してセーナ。ヒョウエが溜息をつく。

 

「谷の上空を進むごとに術の効力が弱くなっていって、それはまあ想定内でしたがあんなのまでいるとは。あいつらに触れられた瞬間、魔力を吸い取られる感じがしましたよ」

「やっかいですわね・・・私一人なら跳び越えられないでもないですが、ヒョウエ様はまだしも人一人抱えてとなると・・・」

「跳べるのかよ」

 

 顔を引きつらせたモリィのツッコミは全員からスルーされた。

 

「その場合でも、途中であれに下から捕まえられる可能性もありますし、できればやって頂きたくはないですね」

「そうだな・・・パラヴァニがここにいればな。魔術に頼らない飛行手段であればどうにかなるやもしれぬが」

 

 セーナの乗騎の孔雀鷲(モチール)の名前である。

 とはいえここから孔雀鷲の発着場であるあの広場に戻るとなったら、どれくらいかかるかわかったものではない。

 

「うーん、そうですね・・・ちょっとギャンブリックですが、ここは一つリアスにお願いできますか? やや危険ですが・・・」

「はい、何なりとお申し付けください!」

 

 満面の笑顔、ノータイムで即答する主に、カスミがこっそり溜息をついた。

 

 

 

 少し後、崖から10mほど離れた所にリアスの姿があった。

 後頭部にはヒョウエ、腰には命綱、背中にはカスミの背負っていたバックパック。

 足元からは崖っぷちまで一直線に、ヒョウエが作った石畳の道が続いている。

 とんとん、と足元を確かめるように足踏み。

 

「いつでも行けますわ、ヒョウエ様」

「ではお願いします」

 

 頷き、前傾姿勢。

 次の瞬間、爆発したかのような勢いでリアスの体が飛び出した。

 あっという間に距離を詰め、崖っぷちから大跳躍。

 一秒で20m以上を跳び越えて中間地点を越える。

 このままなら問題なく渡りきれると見えた時、ヒョウエが叫んだ。

 

「カスミ!」

「はい!」

 

 バックパックの口から声が聞こえ、小さな手がにゅっと突き出した。

 

「光よ!」

 

 まばゆい閃光がほとばしり、足元から無言の悲鳴が響く。

 リアスの足元を狙っていた見えない黒い何かが、底なしの暗闇の中に引っ込んでいく。

 その隙にリアスは悠々と対岸に着地した。

 

 

 

「はい、もう出てきて結構ですよ。お疲れさまでした」

 

 リアスが足下に置いたバックパック。

 声をかけるとそれがもぞもぞと動き出した。

 ぷはっと息を吐いてカスミ、モリィ、セーナが這い出てくる。

 

「あー息苦しかった」

「隠しポケットの中にどれだけ空気があるかは賭けでしたからね。今回はせいぜい一分か二分でしたから大丈夫だと思ってましたけど」

 

 つまりヒョウエ以外の三人を重量や体積の無視される「隠しポケット」に入れて、それをリアスが背負って跳躍したのだ。

 谷底からの「なにか」に備えて、カスミが呪文を放つ用意もしたうえで。

 石の舗装道路も、無論ヒョウエの物質変性の術で造った間に合わせの助走路だ。

 

「驚いたが見事な策だったぞ。それでは行こうか?」

 

 セーナが微笑みながら、無造作に弓を引く。

 放たれた矢が対岸の木の結び目に命中し、命綱がはらりとほどけて落ちた。

 




映画「スーパーマリオブラザーズ」めちゃくちゃ面白かったです。
まあスーパーマリオ遊んだ人じゃないと面白さが理解出来ないのが欠点ですけど、実際にマリオ要素抜いたら割と凡庸なアクション映画ですけど、世界人口の半数以上はマリオ知ってるから問題ないよね!で大成功した超力業映画w


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05-08 アンリアル鬼ごっこ

 それからも妨害は続いた。

 何度かミトリカの後ろ姿を捉えもしたのだが、そのたび図ったように障害が現れる。

 巨大なトゲだらけの針の山、倒しても甦る歪んだ狼のような怪物の群れ、眠りを誘う花畑、見えない蟻地獄が無数に潜む大砂丘、謎を解かなければ通れない門。

 

 トゲだらけの針山はヒョウエの術で森の木を引っこ抜き、針山に突き刺して渡り板にした。

 不死の狼はセーナの獣を操る魔法によって、脇にのいている間に通り過ぎた。

 眠りを誘う花の香りはカスミの家秘伝の毒を通さない忍び手ぬぐいを使って防いだ。

 見えない蟻地獄はモリィの目によって全て見分けられ、一行は慎重にその間を通り過ぎた。

 謎かけをしてきた人面獅子獣(スフィンクス)はブチ切れたリアスに鞘で殴り倒され、門が開いた。

 

「あー、疲れたぜ・・・頭を使うのは苦手だ」

「スッキリしましたわね!」

 

 蟻地獄を見分けるのに集中を続けたモリィが、疲れたように目元をもみほぐす。謎解きをまじめに考えていたのもある。

 対照的にスフィンクスを殴り倒したリアスは晴れ晴れとした顔であった。よほどストレスが溜まっていたのかもしれない。

 ノックアウトされたスフィンクスのほうをちらりと振り向き、カスミが深い溜息をついた。

 

「しかし一体どんな力が働けばこれだけのことが出来るというのだ。

 森の木々が姿を変える程度ならまだしも、大樹の壁にしろ底なしの谷にしろ、真なる魔術師か、さもなくば神々でもなくば到底叶わぬ業ではないか?」

 

 疲労と困惑がない混じった顔でセーナが首を振った。

 

「全くその通りです――ここが現実の世界であるなら、ですが」

「? どういうことだ?」

「――! それはつまり、ここがダンジョン・コア・・・いえ、怪人のコアの中であると?」

「推測ですけどね」

 

 僅かな時間を置いてカスミが正解にいたり、ヒョウエが頷いた。

 

「あー、あれか。インヴィジブル・マローダーの、偽の王都みてぇな?」

「そうそう」

「・・・なんですの。この前といい今回といい、折角ヒョウエ様と一緒にコアに取り込まれたのに、全然ヒョウエ様の思い出とか私の思い出とか、互いに見せ合ったりするような展開がないではありませんの」

「お嬢様、今はそんなことを言ってる場合ではございません」

 

 唇を尖らせる主に、冷や汗を浮かべながらカスミが諫言する。

 何せこの件に関してはカスミのほうが経験者で、リアスはそうではない。下手な事を言えば地雷を踏む。

 

「なるほど・・・察するに、ここはズールーフの森に似ているだけで別の場所と言う訳か?」

「大体そんなところだと思います。加えて言うなら、恐らくはミトリカさんの精神世界の色が強いのではないかと」

「根拠は?」

「勘ですが、彼女が逃げるたびにそれを守るように障害物が現れるところとか・・・呪的逃走って知ってますか?」

「いや」

 

 呪的逃走。昔話や神話で良くある、追っ手から逃げるために主人公が色々なものを投げつけると、それが障害物に変わって追っ手を食い止め、主人公は無事逃げ延びる・・・という物語類型のことだ。

 例えばイザナギが黄泉醜女から逃げるために櫛の歯を投げると、タケノコが生えて黄泉醜女がそれを食べている間にイザナギは逃げ延びる。

 グリム童話の「水の魔女」では魔女に追われる兄弟がはけを投げると、無数のトゲの生えた山になって魔女を阻む。

 旧約聖書のモーゼが海を割って、それを追うエジプト軍が渡ろうとすると海が閉じてエジプト兵が溺れ死ぬのも一種の呪的逃走と言える。

 

「『カルフィとヨキ』とか、『四枚のおふだ』とかあるでしょう? ああいうのです」

「あー、なるほど」

 

 こちらの世界にある昔話の例を上げると、モリィ達が納得したように頷いた。

 

「昔話では魔法の道具を投げるとそれが追っ手を阻みますが、ここがミトリカの精神世界だとすれば、ミトリカの『捕まりたくない』と言う意志が形になって僕たちの追跡を阻んでいるのではないかと」

「何か気に入らない話だな。あいつの方が主人公ってか?」

「彼女の精神世界ですからね。だったら彼女が主人公でもおかしくないでしょう」

「ちっ」

 

 舌打ちするモリィに、ヒョウエが肩をすくめた。

 

「しかしどうして私たちを自分の中に取り込んだのでしょう? 何らかの考えがあったのでしょうか」

「それは何とも・・・ただ、僕たちから逃げようとして、自分の心の中に逃げ込んだというのもありそうな気はします。推測ですけどね」

 

 その場の全員が顔をしかめ、やがて無言で歩き始めた。

 

 

 

 三十分ほども追跡を続けて、またしてもミトリカの背中が見えた。

 30m程先で振り向いたのが見える。顔には恐怖の表情。

 

「このっ・・・!」

 

 手をかざして、これまで同様力を解放しようとする。

 だが、種がわかった以上はヒョウエたちにも打つ手がある。

 

「来たれ、"青き鎧"よ!」

「!?」

 

 周囲を覆う青い鋼鉄。

 壁のみならず、地面、天井をも青い鋼が覆い尽くし、ヒョウエたちとミトリカを閉じ込める。

 気がつくと全員が密閉空間の中におり、ミトリカとの距離は数メートルにまで縮まっていた。

 

「な、なんだよ!? なんで・・・テメー何しやがった!?」

「簡単な事ですよ。精神世界とは言え、魔法と魔力は現実を改変するもの。そして魔力はより大きな魔力、術式はより強固な術式にかき消される・・・小さな波紋を大きな波紋がかき消すようにね」

 

 周囲をぐるりと見渡してヒョウエ。

 周囲の様子はさながらリベットと鉄板を重ねて作った家のようであり、一面にびっしりと精緻な表面彫刻(カービング)が施されている。

 モリィ達はそれが青い鎧の甲冑に施されている紋様に良く似ていることに気付いた。

 

 この場所を外から見る者がいたら、曲線を多用して作った装甲板のようなシルエットを持つ、青い鋼鉄の家が見えたことだろう。

 そして玄関の上にフルヘルムのような装飾があることも。

 

「僕たちとあなたを僕の術式でぐるりと囲みました。いやあ、さすが心の世界。随分と応用が利くものです」

「ぐぐぐ・・・」

「取りあえずは座りませんか。お茶でも飲みながら話しあいましょう」

 

 ヒョウエが指をパチンと鳴らすと、地面から青い鎧のマントのような赤いテーブルクロスの敷かれた、これも青い鋼鉄製のテーブルと椅子が生えてきた。

 

 

 

 ヒョウエの入れた香草茶と、カスミの出したお茶請けでお茶会が始まった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 無言で茶をすする音が響く。

 ヒョウエたちも、セーナも、ミトリカも、誰も口を開こうとしない。

 ミトリカが一抱えもあるビスケットを持ち上げてかじりつく。

 無言で咀嚼していたが、すぐに勢いよくかじり始めた。

 

「おいしいでしょう、"メナディ"ってところのビスケットですよ。僕たちのお気に入りなんです」

「・・・」

 

 無言のままヒョウエに視線を向ける小妖精。

 だがその視線は今までよりも険が取れたように見えた。

 他の四人は黙ってヒョウエの言葉を聞いている。

 

「木に魔力を与えて"歩く樹(ウォーキング・ウッド)"にしてたでしょう。ああ言うのが楽しいんですか?」

「・・・別に楽しいわけじゃねーよ・・・いや、ちょっと楽しいかな。

 森の中があんな感じで賑やかになるのは面白いだろ?」

「まあ、変化には富んでますね」

 

 セーナが顔をしかめるが何も言わない。

 ヒョウエは何事も無かったかのように言葉を続ける。

 

「じゃあ楽しいからやってるんですか」

「・・・ダチの頼みだよ」

「ああ言うことをしていたら、その友達は喜ぶかも知れませんけど、将来友達になれるひとも失ってしまいますよ」

 

 ミトリカの表情が一変した。

 

「うるせーっ! テメーなんかにわかってたまるか!

 大体なんだよ! そんなすげえ魔力持ってるのに、何でテメーには友達がいるんだ!」

「・・・」

 

 ヒョウエの表情に理解の色が差した。

 ミトリカの前に手をさしのべる。

 

「な、なんだよ」

「なら・・・あなたも僕の友達になりませんか。あなたの気持ちはわかるつもりですよ。僕だって最初から友達がいた訳じゃない」

「・・・」

 

 ミトリカが逡巡した。

 多分このピクシーは怪人であるか、そうでなくても並外れた魔力を持って生まれてきたのだろう。同族から白眼視され、人間の社会に飛び出しても恐れられ、蔑まれ・・・。

 

 先ほどヒョウエたちを鼻白ませた罵詈雑言の嵐についてもそうだ。

 あれだけ罵倒に詳しいと言うことは、常にそれを身近で聞いてきた・・・あるいは彼女本人が浴びせられてきたということだ。

 想像でしかないが、大きくは違っていないという確信があった。

 

「オレは・・・オレは」

 

 視線をあちこちにさまよわせ、ミトリカが口ごもる。

 ヒョウエは無言。

 

「!?」

 

 次の瞬間、周囲がぐにゃりと歪んだ。

 視界がぼやけ、何もかもが希薄になっていく。

 

「ミトリカ!?」

「ヒョウ・・エ! 顔だ! でかい木の顔・・・!」

 

 それを最後に、ミトリカはヒョウエたちの前から姿を消した。

 



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第二章「マッド・ティーパーティ」
05-09 悪夢の国のミトリカ


『「ワインはいかが」と三月うさぎが親切そうに言います。

 

 アリスはテーブル中をみまわしましたが、そこにはお茶しかのってません』

 

 

                          ――不思議の国のアリス――

 

 

 気がつくとそこは森の中だった。

 モリィが眉を寄せる。

 

「ここは・・・まだあいつの心の中か?」

「わかるんですの?」

「説明はしにくいんだけどな。何となく見え方が違うんだよ。まあ別の奴の心の中かもしれねえけどな」

「《目の加護》のおかげと言う事でしょうか」

 

 顎に指を当てて少し考えた後、リアスがヒョウエに視線を向ける。

 他の三人の視線も集中して、ヒョウエが少し考え込んだ。

 

「鎧が解除されたのも気になりますが、取りあえずは彼女を捜してみましょうか。どのみち、コアを見つけないと出るのは難しそうです」

「そのコアか、それ以外にここから出る方法はあるのか?」

「精神世界に取り込まれているのもある種の術式ですから、解呪の術か、極めて強力な魔力で無理矢理術構成を破壊すればなんとか。まあ相応の反動も来ますけどね」

「なるほど」

「では行きますよ」

「例によって方向は適当かよ?」

「そんな感じで」

 

 軽く笑うとヒョウエは身を翻し、ふよふよと飛び始めた。

 

 

 

 十分も歩かないうちに閃光が走り、風景が変わる。

 植物性の家の中、どうやら木の葉を魔法で細工して作ったその中に蓑虫のミノのようなゆりかごが、天井から蜘蛛の糸でつり下げられている。

 そこに眠るピクシーの赤ん坊を、両親らしき男女のピクシーが見下ろしていた。

 

「何と言うこと・・・私たちの・・・」

「こんな不安定な・・・」

「何故・・・娘に・・・」

 

 途切れ途切れに聞こえてくる声。

 男女の顔は見えない。

 

「産まなきゃよかった」

 

 女性が呟いた最後の言葉だけが嫌にはっきりと聞こえた。

 

 

 

「・・・今のは」

「ミトリカの過去の記憶ですよ。少なくともあれに近いことがあったはずです」

 

 セーナの顔には嫌悪感と義憤。

 他の面々も大体同じような表情。

 

「ピクシーには時折『ドータボルカス』と言う破格に強力な魔力を持つ子供が生まれるそうです。古い言葉で『とんでもないもの』のような意味だそうですが。

 しばしば自分の魔力を制御できずに自滅したり、周囲に被害をまき散らすので忌まれているようです」

「・・・だからってなあ!」

 

 手近な木の幹に拳を打ち付けるモリィ。

 貧しい中でも必死で自分を育ててくれた両親を持つ彼女からしてみれば、あれらを「親」と呼ぶ事は到底出来ない相談だった。

 ヒョウエが溜息をつく。

 

「想像はしていましたが・・・ともかく、先に進みましょう。そうしなければなりません」

 

 陰鬱な顔で四人が頷いた。

 

 

 

 代わり映えのしない森の中を歩く。

 どれだけ進んだか、方向感覚も距離感覚も時間感覚もあてにならない。

 やがて、再び白い閃光が走った。

 

 

 

「ミトリカちゃん! ルリイロスズメの雛がかえったの! 見に行かない?」

「ほんと? いくいく!」

 

 物心つく頃にはミトリカがドータボルカスだというのは知れ渡っており、誰もが遠巻きにしていた。

 ただ、その中でも一人だけミトリカと親しくしてくれる友人がいた。

 名前はノーチー。ふわっとした金髪の優しい女の子だ。

 

「それでね、今育ててるギンバネテントウが結構大きくなってね。今度見に来てよ!」

「うん、いいよー」

 

 他愛もない話をしながら森の中を飛んでいく。

 大半はミトリカが一方的に喋り、ノーチーがそれに相槌を打っている。

 

(このころはまだ男言葉じゃないんですね)

 

 楽しそうな二人を見るうちに、視界が暗転した。

 

 

 

「あ・・・あああ・・・」

「ち、違う・・・違うのよ・・・そんなつもりじゃ・・・」

 

 ノーチーの顔が恐怖に引きつっていた。

 地面に散らばるのは原形をほとんどとどめていない鷹の死骸。首だけが冗談のように綺麗に残っている。

 散乱する枝と葉と羽根。孵化しかけで割れた卵。生まれる事の出来なかった雛。ちぎれた瑠璃色の小さな翼。

 

「わたし、あなたを、助けようとして、それで・・・」

 

 ミトリカの言葉が途切れる。

 自分を見るノーチーの目にあるのは、紛れもない恐怖と嫌悪。

 抵抗しようもない何かがミトリカの背筋を走る。

 

「・・・・っ!」

「ミトリカちゃんっ!?」

 

 耐えられずに身を翻し、全力でその場を飛び去る。

 

「待って?! ミトリカちゃん、待って!」

 

 ノーチーが何かを言っていたが、ミトリカにそれを聞く余裕はなかった。

 

 

 

 またしても視界が暗転する。

 ノーチーの前で力を暴走させ、そこから逃げたその足でミトリカはピクシーの森を飛び出していた。

 元より親も含めてミトリカを愛してくれる人はそこにはいない。

 唯一の心のよりどころであるノーチーを失った今、未練はなかった。

 

「ほれ、ミトリカ。あの店だ」

「おうよ、任せときな」

 

 ミトリカが小さく何かを呟くと、頑丈に施錠された店の扉がばらばらに吹き飛んだ。

 素早く侵入する盗賊たち。不寝番をしていた用心棒も、ミトリカの呪文で意識を失って眠りこける。

 そのまま店の奥の頑丈な金倉にたどり着くと、またもやミトリカの呪文で錠前がバラバラになった。

 扉を開けて中の金貨を運び出す盗賊たち。

 そのまま戦利品を持って、彼らは夜の闇に消えていった。

 

 ――幼いミトリカが森を飛び出して、拾われたのは旅芸人の一座だった。

 気のいい人々で、ピクシーを珍しがりこそすれ怖がる事も虐待することもなかった。

 芸人夫婦の娘である10才の少女とも仲良くなったし、一座の興行に参加して喝采を浴びたりもした。

 

 が、それも長くは続かなかった。

 襲ってきた盗賊たちに力を使い――そしてやりすぎてしまった。

 ノーチーを失ったときと同じように、ミトリカはまた友達を失った。

 

 そこからは転がり落ちるだけだった。

 都市のスラムにまぎれこみ、その力で恐れられ、口先三寸でいいように利用された。

 荒稼ぎしすぎて官憲に目を付けられ、最後には盗賊団にすら捨てられた。

 

 誰もいないねぐらで待ち続けていたミトリカと、手入れに入った官憲が出くわした。

 ものを壊すのは平気だったが、人を傷つけることは出来なかった。

 ノーチーの、旅芸人一座の少女の恐怖の表情が忘れられなかった。

 

 幻術で警吏達を惑わして逃げた。

 逃げて逃げて、気がつけば町外れの夜の森にいた。

 

「――どうしよう」

 

 もうわかっていた。

 優しかった様に見えた盗賊団のみんなも、結局はミトリカのことを恐れていたのだ。

 恐れていたから、用済みになったら捨てられたのだ。

 

「ねえ」

 

 はっと顔を上げた。

 たった今まで誰もいなかった場所に女が立っていた。

 黒いローブ、フードを下ろしているので顔は影になってわからない。

 

「友達になって上げましょうか?」

 

 右手にぶら下げたものをミトリカの足元に転がす。

 盗賊達の生首だった。

 

「・・・!」

 

 目を見張る。

 女の顔を覗き込む。

 そこには―――

 

 

 

「っつう!?」

 

 突然、脳裏にノイズが走る。

 テレビ画面が砂嵐になって雷が走るような感覚。

 

「ここは・・・」

「あ~? おまえさんがた、どこから現れなすったね?」

 

 間延びした声。

 "歩く樹(ウォーキング・ウッド)"の巨大な顔がヒョウエたちを見下ろしていた。

 



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05-10 "歩く樹(ウォーキング・ウッド)"

 "歩く樹(ウォーキング・ウッド)"。

 名前の通り、動物のように動く木の総称だ。

 モンスターの一種ではあるが、特に人間のような顔を持つものは知性を持ち穏やかであることも多い。

 

「それでお前さんがた、どこから現れなすったね?」

 

 先ほどと同じ質問を"歩く樹(ウォーキング・ウッド)"の老人――恐らく自意識に目覚めたばかりであるので老人というのもなんなのだが――が投げかけてくる。

 その顔立ちと形状を見て、ここが精神世界ではなく現実世界だと確信する。

 

「そうですね、ここではない世界から、と言うところですか」

「ほう、そりゃあすごいなあ」

「僕たちはこの場にぱっと現れたのですか?」

「ああ、わしがぼうっとしていたら、目の前にいきなりな。いや、そう言えば目を覚ましたときにちょっとだけいて、ぱっと消えたのがお前さん達だったかな?」

「うーん」

 

 少し話してみたが、やはり木の話は要領を得なかった。

 知性を持っているとはいっても、その形は人間や人間を元にした妖精達とは随分違う。

 時間感覚や外界の認識の仕方も恐らく根本的に異なる存在とコミュニケーションをとるのは簡単ではない。

 

「うーん・・・ありがとうございました。それではこれで」

「おうよ。良かったらまた話し相手になってくれな」

 

 一礼してその場を辞する。

 ふよふよと飛び去るね△どろいどヒョウエの後を四人が追った。

 

 

 

「感染何とかだったか。あいつの事、まだ感じるのか?」

「感染魔術ですね。いえ。存在自体は感じますけど、何かぼやけていると言うか・・・先ほどまでみたいに場所が何となくわかるような感覚がなくなっています」

「何者かによって繋がりが断たれた・・・いや、妨害されているのか?」

「だと思います」

 

 セーナの言葉にヒョウエが頷く。

 リアスが眉をひそめる。

 

「それでは・・・手掛かりをなくしてしまったということで?」

「いえ、ミトリカの最後の言葉があります」

「? なんだっけか」

「木の顔。大きな木の顔と言っていました。今その言葉で思い当たるのは――」

 

 四人が一斉にげんなりした顔になる。

 

「・・・あの王宮の顔かよ・・・」

「暑苦しいんですのよね・・・」

「正直あんまり見たくないです」

「言うな。私はあそこに住んでいるんだぞ・・・」

 

 士気をダダ下がりさせたまま、一行は王宮への道を戻っていった。

 

 

 

 大樹の王宮がそびえ立つ広大な空間。

 その入り口に立って一行は王宮を見上げていた。

 

「・・・しかし」

「うーん・・・」

「その、やはり・・・」

「余りまじまじと見たくないですね・・・」

「・・・」

 

 ヒョウエですら顔をしかめる謎の顔面X。

 暑苦しい笑顔を浮かべたハゲ頭の男性の丸い顔。しかもその周囲をヒマワリのようなオレンジ色の花弁が取り囲んでいる。

 見ているだけで正気度が削れそうなそれは、間違っても直視したい代物ではない。

 

「まあ取りあえずは報告ですね。族長にお伝えしませんと」

「お爺様も頭が痛いだろうな・・・」

 

 

 

 トゥラーナは自室でサーワと話している最中だった。

 ざっとこれまでの話をすると、部屋にしばし沈黙が降りる。

 

「・・・」

「うーん・・・」

 

 サーワが苦笑する。

 一方でトゥラーナは仏頂面だった。

 後で「(パンダ)の憮然とした顔なんて初めて見たよ」とモリィが漏らしている。

 

「あれがか・・・」

「あれがです」

「正直見たくも触れたくもないのじゃがなあ・・・」

「同感です」

 

 部屋の中にいる全員が揃って溜息をついた。

 

「まあ見てみぬふりというわけにも行くまい。頼めるか、ヒョウエ」

「元よりそのつもりです。それでは」

「あ、ちょっとお待ち願えますか」

 

 一礼して出ていこうとするヒョウエたちをサーワが呼び止めた。

 

「なんでしょう?」

「いえ、大した事ではないのですが・・・彼女の跡を追えないのでしたら術を解除しないのですか?」

 

 にっこりと、微笑む。

 

「・・・」

 

 その目に異常な光を見て、ヒョウエが思わず一歩(飛んでるが)下がった。

 

「あら、何でしょう?」

 

 にっこり。

 

「いえその、場合によってはまた状況が変わるかもしれないので、まだ術は残しておきたいと思うのですが」

「そうですか。では・・・」

「急ぎますので失礼します。では」

 

 早口でまくしたてるとヒョウエが身を翻す。

 意外そうな表情や苦笑を向けて、少女達もそれに続いた。

 垂れ幕を抜けて彼らが姿を消すと、トゥラーナが視線をサーワに向ける。

 

「のう、サーワよ・・・」

「なにか?」

 

 にっこり。

 

「・・・いや、何でもない」

 

 パンダと化したエルフの族長は、先ほどよりも更に重いため息をついた。

 

「そうですか。それでは続きをしましょうか、族長?」

「はい・・・」

 

 パンダが諦めたようにがっくりと首を落とした。

 

 

 

 そんな事はつゆ知らず、王宮の廊下をそそくさと逃走するヒョウエ一行。

 

「あの姉ちゃんはまともに見えたんだがなあ・・・」

「それ、あなたが言う資格はありませんからね、モリィ? リアスとカスミとセーナもです」

 

 昨晩、ね△どろいどになった後に代わる代わる抱き上げられて愛でられた恨みつらみが言葉に籠もっている。

 振り返るヒョウエのジト目に、四人がそれぞれ目をそらした。

 

 そんなこんなで表に出る。しばらく王宮から離れた後、五人は振り向いて上を見上げた。

 やはり変わらない、見ているだけでやる気が失せてくるような暑苦しい笑顔。

 溜息一つついて、ヒョウエは仲間の方を振り向いた。

 

「それじゃ取りあえず近くによって調べてみます。みんなはここで待機していて下さい」

「わかりましたわヒョウエ様」

 

 頷くとヒョウエは上空に向けて飛び立った。



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05-11 フライ・ライク・アン・アロー

 風を切り裂いてヒョウエが飛ぶ。

 小さくなっても、いやむしろ小さくなったからこそ速度は上がっている。

 速度が上がりすぎて、周囲に念動障壁を張らなくてはならないほどだ。

 

「・・・?」

 

 飛び立って一分ほどして違和感を感じた。

 今ヒョウエはほぼ全力、亜音速で飛行している。周囲に障壁を張らなければ空気抵抗でダメージを受けるレベルの速度だ。

 それなのに顔に到達しない。せいぜい3キロほどの高度であるのに、全く距離が縮まらない。

 

「!?」

 

 下を見て目を見張った。

 飛び立って数秒ほど――距離で言えばせいぜい1キロほどしか離れていない。

 そのまま一分ほど上昇してもみたが、やはり地上との距離は開かなかった。

 ため息。

 そのままヒョウエは針路を変えて地上に降りていく。

 今度はぐんぐんと地上が近づいて来た。

 

 

 

「おい、一体どういう事だよ? 途中で止まってたぞ」

「ああ・・・やっぱり地上からだとそう見えるんですね」

「どういうことですの?」

「実はこれこれしかじか」

 

 簡単に状況を説明すると、四人とも眉を寄せて考え込んだ。

 

「どういう事だ? わけわかんねえな」

「幻術、それとも精神操作の類でしょうか?」

「その様な事が出来るんですの、カスミ?」

「申し訳ありません、心の術に関しては私も詳しくは・・・一族の先達にその様な話を聞いたことがあるだけでして」

「まあ心の術かどうか、確かめるのは簡単・・・でもありませんか。モリィ、セーナ。あなたたちの得物はどれくらい遠くまで届きます?」

「あ、なるほど」

 

 ぽん、とモリィが手を打った。

 

「あたしの雷光銃はフルチャージなら数百メートルは行けるが、それ以上遠くに届くかどうかはわかんねえなあ」

「あの顔に届かせるだけなら問題ない。ヒョウエの言ったような妙なものがないのであれば、だが」

「じゃあセーナにお願いしましょうか。問題は王宮に矢を撃っていいのかということですが」

「あー・・・それは大ごとですね、言われてみれば」

「・・・一応お爺様にお伺いを立ててみようか?」

「そうしましょう」

 

 まじめな顔でヒョウエが頷いた。

 

 

 

 幸い許可は二つ返事で下りた。

 いわく、

 

「イボに針を刺したところで患者を害したことにはなるまい」

 

 とのことである。

 再び王宮の外に出て、正面2kmほどのところで立ち止まる。

 目ざとい衛士達が視線を向けてきていた。

 

「それでは少し離れていてくれ」

「わかりました」

 

 ヒョウエたちが離れたのを確認すると、セーナは弓と矢を持ち、大きく深呼吸した。

 呟くように呪言を口にする。弓に矢をつがえ、斜め上に構えて静止。

 

「・・・おお・・・」

「・・・!」

 

 器に水が満ちるように、弓を構えた姿に魔力が満ちていく。

 ヒョウエとモリィが目を見張る中、ふっ・・・と矢が放たれた。

 

「!」

 

 視線が上空に集中する。

 果たして、セーナの放った矢は空中の一点で静止していた。

 

「あー、やっぱりか・・・」

「僕が飛んでいたときもあれくらいの?」

「そうだな、あれくらいの高さだった」

 

 1キロほどの高さにある一本の矢であるから、常人が視認するのは難しい。

 モリィは《目の加護》で、セーナはエルフの鋭敏な視覚で、ヒョウエは魔力感知能力によって大体の距離を測れるが、リアスはもちろん、カスミでも遠視の術を使わねばろくに見えない。

 

「こうなると精神操作の術という線はなくなりましたね。矢には心はないでしょうから」

「お前の念動みたいに空中で動きを止める術がかかってるのかね?」

「少なくとも念動ではないと思います。飛んでいたときにはそう言うのは全く感じませんでしたから。

 何と言うか、全力で飛び続けてはいるんですよ。でも前に進まないんです」

「???」

 

 眉を寄せて目を白黒させるモリィ。

 リアスが溜息をついた。

 

「いつものことですが・・・魔法というのは本当にわかりませんわね」

「一応魔法を扱える身で言うのも何だが・・・同感だ」

「同じく」

 

 セーナとカスミが異口同音に頷いた。

 

「けど、じゃあなんなんだ?」

「それなんですけどセーナ、ここから上空に飛び上がると、永遠に飛び続けると言ってましたね?」

「ああ、結界の・・・つまりあれもそうだというのか?」

「現状では可能性でしかありませんが。結界を張った人か、そうでなくても魔術に長けた人に相談できませんか?」

「わかった。話してみよう」

 

 セーナが頷いた。

 

 

 

「ほれ、早くせんかい! はよう! はよう!」

 

 目をらんらんと輝かせているのはズールーフの森の術の長、シャンドラ。

 白ひげと白髪の塊からシワだらけの目元が覗く、猿のように小柄なエルフの老人である。

 セーナから話を聞くなり、止める間もなく飛び出てきた。

 

「急かさなくても顔は逃げませんよ。むしろ逃げてくれた方が嬉しいですが」

 

 そんなことを言いつつ王宮から再び出てくると、先ほどいたあたりの地面に一本の矢が刺さっている。

 セーナが撃った矢だった。

 

「お? どうしたんだ?」

「言ったでしょう、空中に止まってるわけじゃないって。空中を飛び続けて、今地面に落ちたんですよ――逆に言えば何分も飛び続ける矢を撃ったセーナが凄いんですが」

「言われたとおり全力で撃ったからな。弓だけは得意なのだ」

 

 セーナがはにかむように言ったが、その表情もシャンドラのセリフで暗転する。

 

「弓だけはな。いずれ族長となる身なんじゃから学問や術も苦手なりに修めんかい。素質は悪くないのに術の修練から逃げ回りよって」

「うっ」

 

 顔を引きつらせるセーナ。

 冷たい目で主を見上げるカスミ。

 リアスがセーナと同じように顔を引きつらせる。

 それらに見てみぬふりをする情けがヒョウエとモリィにもあった。

 

 

 

 地面に落ちた矢を、セーナが再び全力でヒマワリの暑苦しい顔に向けて撃つ。

 放たれた矢はやはり、上空一キロほどのところで静止した。

 

「ふむう。面白い。面白いな」

 

 術で視覚を強化しているのだろう、シャンドラは空中に静止した矢を飽きもせずに眺めている。

 

「姫よ、孔雀鷲を回してくれんか。もそっと近くで見たい」

「何でしたら僕がお連れしますが。孔雀鷲と違って空中に止まれますよ」

「おう、できるのか。では頼もうかい。ほれ早く、ほれ早く!」

「はいはい」

 

 興奮するシャンドラに苦笑するヒョウエ。

 騒がしい老人だがこう言うのは嫌いではない。

 何と言ってもヒョウエ本人がその同類だ。

 

 

 

「おっ。おおおお! 何となあ。これほどの念動術を見たのは800年の人生で二回目じゃわい!」

「ヒョウエは"来たりし者(アラーキック)"だからな。我々と比べても術力は桁外れだ」

 

 はしゃぐシャンドラに、どことなく自慢げに説明するセーナ。

 ヒョウエが無言で肩をすくめた。

 

 六人を持ち上げても速度は余り変わらない。

 一分ほどして一行は上空一キロメートル、飛ぶ矢に追いついた。

 

「ふむう」

「本当にぴったり止まってますわね・・・」

「何と言うか、力はかかったままですね。止まってるわけじゃなくて、やっぱり飛び続けてるんです」

「何言ってるんだか、ほんと訳わかんねえ」

 

 念動を得意とするだけあって、ヒョウエは力のベクトルというものを感知できる。

 空中に静止してるように見える矢には射出したときとほぼ変わらない力がかかっており、「静止しているように見えるが飛び続けている」という状態であることがわかった。

 

「じゃろうな」

 

 シャンドラが頷く。

 

「何かおわかりで?」

「うむ。簡単に言えば広さを無限に引き延ばす結界じゃな」

「無限の空間ということですか!? つまり無限の速度で移動できない限り突破できないと?」

「おお、わかるか。まあかいつまんで言えばそう言う事じゃ。無限の広さを一瞬で移動できる手段か、そもそも空間を越えて転移する手段を持っていなければ突破することはできん」

「もしくは結界そのものを破るか、ですね」

「無論それもある。ただその場合・・・」

「ヒョウエが二人に増えた・・・」

 

 猛烈な勢いで専門的な話を繰り広げるね▲どろいどと老人を、残りの四人がげんなりした目で見つめていた。



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05-12 書庫の怪

 

 数分か数十分か、熱心な問答を続けていたヒョウエが四人のげんなりした視線に気付いた。

 時計の針が時を刻むように、浮かぶ矢も向きを変えて斜め下の方に向いている。

 

「ん? なんです皆さん、そんな景気の悪い顔をして。また一歩前進したんですよ?」

「それはいいんだけどよぉ・・・正直ついていけねえんだよ。まあいつものことだけど、今回はそっちの爺さんもいるし」

 

 モリィの言葉にリアスとカスミが頷いた。

 セーナも疲れたような表情で額に指を当てる。

 

「せめてわかる言葉で話して欲しいものだな・・・」

「今回はそこまで難しい言葉は使っておらんわい」

 

 じろり、とシャンドラがセーナを見た。

 

「普段勉強していないからそうなるのだぞ。学ばぬかい、姫よ」

「ぐう」

 

 正論の一言で叩き伏せられ、セーナがへこむ。

 リアスが恐る恐るカスミを見て、視線に気付いた従者がにっこりと微笑んだ。

 

「まあそれはともかく、だ」

 

 周囲で演じられる小芝居から目をそらし、モリィが咳払いをした。

 

「取りあえず下に降りねえか? それともまだ近くで観察する必要があるか?」

「ああ」

 

 それは気付かなかった、とヒョウエが頷いた。

 

「まあ降りてもよかろう。書庫で漁りたいものもあるしな」

「わかりました」

 

 SDヒョウエが杖を一振りすると、一行がゆっくりと降下し始めた。

 

 

 

 落ちてきた矢を回収した後、歩きながら会話を交わす。

 なにぶん例の顔を見上げるには1キロか2キロほど離れないといけないので、歩きだと入り口まで二十分ほどかかる。

 

「んーまあ何となくわかった。近く見えるけどすっげえ遠いんだな?」

「そんな感じです。モリィの目でも何かわかりませんでしたか?」

「いやさっぱり。ただ、空の上であの顔を見たときに雷光銃で撃ったらどうなるかな、と思ったんだけどよ」

「思ったんだけど?」

 

 続きを促すヒョウエ。

 いつの間にか二人の会話に全員が耳を傾けている。

 

「当たらねえ、って思ったんだ。いや、正確に言えば届かねえ、か? 見た目は確かに2キロかそれくらいしかないし、見るだけなら顔の表面の木肌のシワまで見て取れたんだけどよ」

「・・・なるほど」

「やはり見た目だけは通常通りと見るべきかのう」

 

 頷いたのはシャンドラ。長い顎髭をしごく老人をヒョウエが見やる。

 

「エルフの魔法で突破することはできませんか?」

「難しいのう。わしらの魔法は精霊の力――自然のあれこれを媒介とする事で成り立っておる。

 森や木、あるいは川の流れなどに沿って結界を張ったり破ったりは出来るが、結界そのものを操る術には実はうとい。こう言う場合はむしろ神授魔法のほうが向いておる」

「精霊魔法は概念の術ですからね。核となる概念に沿っていない術はどうしても苦手になりますか」

「うむ。とはいえそれで諦めるのも芸がない。サーワにあれこれ捜して貰う必要はあるが・・・」

 

 話しながら一行は王宮に入っていった。

 

 

 

「お探しの本はこちらの書架にはないようですね」

「そうか」

 

 サーワの魔法による検索が不発に終わり、シャンドラがヒゲをしごいた。

 

「では奥の扉を開けて貰うしかないのう」

「・・・今の状況はご存じですね、シャンドラ様?」

「わかっとるわい。弟子から報告は受けとるからの」

 

 サーワが溜息をついた。

 

「わかりました。シャンドラ様にセーナ様、ヒョウエ様たちもいらっしゃいますし、まあどうにかなるでしょう」

「待て待て待て。いったい何が起こってるんだ?」

「あら、ご存じありませんでしたか?」

「聞いてない」

 

 かわいらしく小首をかしげる――理知的な妙齢の美女がやると奇妙な味が出るしぐさ――サーワに、僅かに汗を浮かべてセーナが突っ込む。

 

「まあ、想像はつくじゃろう?」

 

 くくく、と含み笑いをするシャンドラ。

 そのあたりでヒョウエ達にも何となく察しが付いた。

 嫌そうな顔でモリィが口を開く。

 

「サーワさん、つまりそいつは・・・」

「はい、禁書庫の中が変異を起こしております。森の木々や動物達のように」

 

 にっこりと、サーワが微笑んだ。

 

 

 

 ぱたぱたぱたぱた。

 がさごそ。

 がりがりがり。

 

 ノブのない扉の向こうからは、そのような怪しげな音が聞こえてきていた。

 既にモリィなどは回れ右して帰りたそうな顔をしている。

 

「それではこれから扉を開けますが、開けたら素早く中にお入り下さい。

 皆様が入り終わったらすぐに扉を閉じて施錠いたします」

「そりゃねえよサーワさん!」

 

 悲鳴が上がる。

 にっこりとサーワ。

 

「私、戦いは不得手ですので。

 それともこちらの書架にある本に被害が出た場合、弁償して頂けます?

 数千年以上経過した書などもゴロゴロございますが」

「・・・」

 

 引きつった顔のモリィ。

 あきらめ顔でその肩をぽんぽんとセーナが叩く。

 

「何を言っても無駄だモリィ。サーワは書庫の中では最強だからな」

「キッチンでは負けたことがないんですねわかります」

「はい?」

「いえなんでも。それより突入の準備をしましょう」

 

 この世界の人間にはわからないボケを自分で流し、ヒョウエは扉に向き直った。

 

「あ、中の本は傷つけないで下さいね」

「無茶言うなよ!?」

 

 モリィが今日何度目かの悲鳴を上げた。

 

 

 

「お疲れさまでした、皆様方」

「・・・」

「・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 禁書庫の扉を開けて、サーワが深々と頭を下げる。

 結論から言うと、禁書庫の掃討は女性陣の精神に深刻なトラウマを刻みつつも何とか完了した。

 

 モリィの引きつった表情が元に戻らなくなっていたり、

 後頭部に謎のたんこぶを作って気絶したリアスがヒョウエの念動で運び出されたり、

 謎の粘液まみれになったカスミが泣きそうになっていたり、

 ひたすらけたけたと笑い続けるセーナが、ほとんど半裸レベルにボロボロになった服の上からマントを一枚はおる扇情的な格好だったり――

 

「尊い犠牲じゃったの」

「今だからいいですけど、彼女らが正気だったら袋叩きにされてますよ」

「だから言っとるんじゃないか」

「・・・」

 

 そんなことを言っているシャンドラとヒョウエもひどい有様だ。

 シャンドラ自慢の白髪と長い白ひげは右半分がチリチリのアフロになっているし、ヒョウエも頭からつま先まで虹色の粘液まみれだ。

 更にシャンドラの左腕はタコの足のようになって吸盤が生えているし、ヒョウエの髪も先端がうにょうにょと勝手にうごめいている。

 

「これ治りますかねえ・・・」

「わしの腕はすぐには難しいのう。お主の髪は・・・まあ自分で解呪の術を使えばどうにかなるじゃろ」

「ですか」

 

 ヒョウエが溜息をつく。

 帽子を脱ぐと虹色の粘液がボタボタと床に垂れた。

 

「申し訳ありませんがそうした事は外でやっていただけますか? これから掃除が大変なんですよ」

「お前さんはもうちょっとわしらにねぎらいの気持ちを持つべきじゃないかね」

 

 シャンドラがサーワをじろりとにらんだ。



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05-13 浴場にて

 

 ともかく、その日はそれでお開きになった。

 ヒョウエの"浄化"の呪文で粘液やら体液やら返り血やらをざっと綺麗にしたうえで魔法治療。

 禁書庫にある色々な「もの」の悪影響を外に持ち出さないための魔法的検査。

 場合によっては何かを植え付けられている可能性もある。

 

 ヒョウエの髪やらリアスのたんこぶやらは簡単に治ったが、精神的ダメージ――生理的嫌悪感だけではなく、特異な存在との精神的接触によるもの――を癒すには癒し手の長であるエルフの老婆の尽力が必要だった。

 シャンドラは自前で左腕にあれこれ術を施したり魔法薬を振りかけたりしていたが、やはり治療には時間がかかりそうだった。

 

 幸いにも検査で異常はなく、治療が終わってようやく一行は解放された。

 服も洗濯だ。

 

 ちなみにヒョウエのローブと帽子には術式が仕込んであり、魔力を通すとシワはぴんと伸び、損傷は自然に補修され、付着した汚れも綺麗になる優れものである。

 魔力で綺麗になるからとずっと着ていて、サナとリーザに怒られたことがあるのは秘密だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 さしわたし10mほどのスペースに湯気が満ちている。

 巨大な木のうろの中、天然の木の壁が音を吸い込んであたりは静かだ。

 

「ふう・・・」

「癒されますわね・・・」

 

 湯船に浸かったモリィとリアスが並んで溜息をついた。

 カスミがコクコクと頷き、セーナは放心したように壁にもたれかかっている。

 普段なら入浴のマナーあれこれで口論が起きてもおかしくないところだが、今日ばかりはじゃれ合う元気も二人にはなかった。

 

「何なんだよあの紫のタコは・・・吸盤に一つ一つ牙が生えてたぞ」

「虹色の粘液を吐いてくるとは思いませんでしたわね・・・どういう取り合わせなのでしょう」

「サーワの話によるとあそこには異界の知識を記した書もあるそうだから、その関わりかも知れないな・・・カスミはあの球体に丸々飲み込まれていたが大丈夫か?」

「そちらはまだ我慢できました。むしろあのヒトデのようなナメクジが・・・」

 

 カスミがぶるっと身を震わせる。その頭を慰めるようにセーナが撫でてやった。

 

「倒した後にタコが爆発するとは思わなかったな」

「ヒョウエ様がまともにかぶってましたわね・・・」

「幸いにも毒や酸でないからようございましたが、正直危なかったと思います」

「そうだな」

 

 そんな感じでだべっていた彼女達であるが、ふとモリィがリアスの顔を見た。

 睨むような、呆れるような、恐れるような、微妙な表情だ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「な、なんですの?」

「いや・・・お前、強かったんだなって」

 

 その時のことを思い出し、モリィの背筋に冷たいものが走る。

 戦闘中、紫のタコが微光を放つ体の表面色を変化させてきた。

 これにどうやら催眠効果があったらしく、リアスが見事に引っかかってしまったのである。

 

「いやほんと、マジで死ぬかと思ったわ」

「も、申し訳ありません・・・」

 

 ひきつった笑顔で首筋をさするモリィ。

 赤面したリアスが湯船に体を沈め、ぶくぶくと泡を吐いた。

 

 催眠洗脳されて振り向きざまに首を狙って来た一撃を(《目の加護》があったとは言え)かわせたのは奇跡だったと言える。

 ヒョウエが素早く気付いてリアスに全力の金縛りをかけ、金属球で気絶させなかったら間違いなく死人が出ていただろう。

 もっともその代償として、爆発した紫タコの粘液をまともにかぶってしまったのだが。

 

 と、モリィが雰囲気を変えてニヤリと笑った。

 

「けどあれ明らかに殺気があったよな。この機にあたしを抹殺しておこうと思ってたりしたか?」

「い、いえ、そんな事は!」

 

 慌てるリアスにモリィのにやにや笑いは更に大きくなる。

 

「だってさあ、後ろにはあたしと並んでセーナもいたろ? あたしの方を一直線に狙って来たのはどう考えてもあったよなー、殺意」

「よ、良く覚えておりませんので・・・」

「ふむ・・・ただ攻撃するならリアスに背中を向けていたカスミが一番攻撃しやすかっただろうし、無意識で目標を決めていた可能性はあるな」

「セーナさん!?」

 

 こちらも面白がるようなセーナの物言いに、リアスが悲鳴を上げた。

 にひひひひ、とモリィの笑みが限界まで大きくなる。

 

「まあー、しょうがないよなー? ヒョウエが好きなのはあたしだしー? 始末しようと思ってもしゃーねーよなー」

「・・・ほう?」

 

 一瞬で空気が冷えた。

 温かい湯に浸かっているはずなのに、寒気を感じる。

 

(やべっ)

 

 笑みはそのまま、モリィのこめかみに一筋冷や汗が流れる。

 白甲冑も刀も抜きでも、リアスは近接戦闘の専門家だ。本気で取っ組み合ったら勝ち目は全くない。

 眼を細めたリアスの視線は剣呑で、からかうつもりで一線を越えてしまったことは明白だった。

 

「お、落ち着いて下さいお嬢様! モリィ様は冗談をおっしゃっておられるだけです!」

「そ、そうそう! 冗談だよ冗談! いやー、本気になっちゃって困るぜ!」

 

 二人がかりで止めに入るが、モリィに襲いかかりはしないものの剣呑な雰囲気は収まらない。

 カスミが振り向いた。

 

「セーナ様も何とか言って下さい!」

「・・・」

「セーナ様?」

 

 セーナが先ほどのモリィのようにニヤリと笑った。

 いやな予感にカスミが表情をこわばらせる。

 

「何故止めるのだ? モリィとリアスが共倒れになれば、その隙にお前がヒョウエの横に滑り込めるだろう?」

「「「ブーッ!?」」」

 

 三人娘が一斉に吹き出した。

 

「カカカカカカカスミ、あなたやっぱり?!」

「汚ねぇ・・・流石ニンジャ汚ねぇぜ・・・!」

「違います! 違いますってば!」

「ははははははははは!」

 

 一転自分が標的になり、あわあわと手を振り回して弁解に追われるカスミ。

 こらえきれなくなったのか、セーナが爆笑していた。

 

「・・・?」

 

 笑いながら、セーナが首をかしげる。

 胸にちくりと刺さるものがあった。

 それが何であるか、今の彼女はまだ気付いていない。

 

 

 

「はー・・・」

「むっはー・・・」

 

 一方男湯。

 ヒョウエとシャンドラが並んで湯に浸かり、溜息を吐いている。

 

「効きますねえ・・・」

「ええのう・・・」

 

 女湯の騒動をよそに、ここはどこまでも平和であった。



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05-14 トゥインクル・トゥインクル

 翌朝、大樹から2kmのいつもの場所で何やら作業が始まった。

 シャンドラがあれこれと指示を下して色とりどりの砂だの、磨いた綺麗な石ころだの、奇妙な木の杭だの、様々な器具を配置させているが、彼の左腕は呪紋の施された布で巻かれており、動かせない。

 なので雑用兼護衛にシャンドラの弟子と、衛兵が十人ほどせわしげに行き来していた。

 一方ヒョウエは精緻な紋様を編み込んだじゅうたんの中央にちょこんと座り、結跏趺坐っぽいものを組んで目を閉じている。

 

「なんだよそりゃ、ザゼンってやつか?」

「わたくしがお師匠様から受けたあれですか? ・・・肩を叩く役目を引き受けた方がよろしいのでしょうか」

「いりませんよ。別にこのポーズに意味はありませんし。寝っ転がっても逆立ちでもいいんですが、強いて言うなら集中しやすい姿勢と言うだけですか」

 

 ふむ、とセーナがしゃがんでじゅうたんに触れる。

 

「私の知らないものだが、魔力を伝達する紋様だな。ヒョウエの魔力を何かに利用しているのか?」

「けっこうけっこう。姫よ、多少は勉強しておったようじゃな」

 

 じゅうたんを覗き込んでいた一行の後ろから上機嫌そうな声がかかった。

 シャンドラである。

 

「そいつは上に座ったものの魔力を魔道具の魔力源として利用できるようにするためのものじゃ。

 いやあ、普通なら術式の準備で一日がかりじゃが、時間が短縮できてありがたいの」

「あー・・・ヒョウエを財布にして好き放題財布の中身を使ってるってことか?」

「まあ大体そんな感じで」

 

 的確だが容赦のないたとえに、ヒョウエが肩をすくめる。

 本人が金で苦労しているだけに、直感的に理解出来たらしい。

 

「おい、お前搾取されてんぞ。使った魔力の分ちゃんと請求しとけ」

「人聞きの悪い事を言うな。ちょっと手を貸してもらっとるだけじゃわい」

 

 割と真顔で言い放つモリィに、心外そうにシャンドラが返す。

 そのまま口論になる二人を、ヒョウエが苦笑して見ていた。

 

 

 

「だから働いたならその分上乗せするのは当然だろうが!」

「よく働いてくれとるんだから当然考慮はするわい! じゃがいちいちそのたびに勘定してたのでは面倒にもほどがあるじゃろうが! これだから人間はせせこましいんじゃ!」

「エルフの方が大雑把すぎんだよ!」

 

 ヒートアップしていく口論。

 周囲は呆れたように眺めるばかりだ。

 

「ここはエルフの森なんだからエルフの流儀で通すべきじゃろうが!」

「わざわざ森の外から助っ人に呼ばれたんだから、報酬は人間の流儀で貰いてえな。毛皮とか木の実じゃ話になんねえぜ」

「この・・・」

「なんだ・・・わぷっ?!」

 

 にらみ合う二人の上から文字通り冷や水が浴びせられた。

 

「はいはい二人ともそこまで。お弟子さんが困ってるでしょうが」

 

 "水生成(クリエイト・ウォーター)"呪文で水をぶっかけたヒョウエがふわりと浮き上がる。

 口論していた二人を挟んで向かい側で、設営の終了を報告しに来たシャンドラの弟子が、困った顔でたたずんでいた。

 

 

 

「で、結局これから何すんだ?」

 

 まだ髪を湿らせたモリィの質問に、同じく髪とヒゲを湿らせたシャンドラが振り返った。

 円を描いて地面に打ち込まれた奇妙な杭、紋様を描いて地面に撒かれたカラフルな砂や磨いた石の中心。

 持ち出した書物を弟子に持たせて、記述をチェックしていたところである。

 

「そうさな、簡単に言えばあの結界を盾として、その盾を力づくで叩き割ろうとしているところかの。ヒョウエ殿の魔力も借りれば、結構いいところまでいけるんじゃないか」

「やっぱりヒョウエを搾取してんじゃねえか。ちゃんと報酬上乗せしろよ」

「ケチ臭いのう。互いに協力してんじゃから少し位ええじゃないか」

「お二人とも、そこまでにして頂きたいですね。今度は氷水にしますよ」

 

 冷たい視線のヒョウエに、二人が首をすくめる。

 

「わかったわかった。まあ話を戻すが、わしが弟子の補助を受けて術式を構成、そこにヒョウエ殿の魔力を注ぐと言ったあんばいじゃな」

融合(ユナイト)はしないのか? まあ、確かに難しかったが・・・」

「なぬ? ヒョウエ殿と融合(ユナイト)したのか!?」

「うお!?」

 

 シャンドラがセーナに詰め寄り、セーナが思わず一歩下がる。

 しばらくセーナを質問攻めにした後、うむむとシャンドラが唸った。

 

「精霊魔法と神授魔法の融合(ユナイト)という発想はなかったが、そうさな・・・いや、やはり取りあえずは予定通りに行こう。それでうまく行かなかったら融合(ユナイト)も考えざるをえまい」

「わかりました」

 

 

 

 儀式が始まった。

 円陣の中心に立つシャンドラの詠唱に周囲を囲む弟子たちが同調し、再びじゅうたんの上で結跏趺坐を組んだヒョウエは目を閉じて精神を集中している。

 

「~~~」

「~~~~~~」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 低く始まった詠唱は次第に高調し、それと共に魔力視覚を持つものには円陣がまばゆいばかりの魔力に包まれていくのがわかる。

 

「クリミロアノ・ヴェグダ!」

 

 最高潮に達したところでシャンドラが「力ある言葉」を叫ぶ。

 円陣に満ちていた強大な魔力が可視光となって放たれ、上空に飛ぶ。

 飛びゆく光が上空に伸び、やはり上空一キロほどのところで四散して消えた。

 

「・・・」

「・・・・・・」

 

 沈黙が落ちる。

 しばらくしてそれを破ったのはモリィだった。

 

「・・・なあ、どうなったんだ? 成功したのか? 失敗したのか?」

「まあ失敗じゃな」

 

 溜息をついて答えたのはシャンドラだった。

 

「こちらの放った魔力が、全く手応えなく消滅したわ。

 結界自体はさほど高度でもないが極めて堅牢じゃ。込められた魔力も底が知れん。

 これを張ったのがそのピクシーの小娘かどうかはわからんが、そうであるとしたら流石ドータボルカスと言ったところじゃの」

「となるとどうします? 融合(ユナイト)は・・・やってみる価値はあると思いますが」

「そうさのう。引っ張り出してきた魔導書(グリモア)にはまだ2、3使えそうな手も・・・うん?」

 

 シャンドラとヒョウエ、加えてシャンドラの弟子の一人が上を向いた。

 それにつられて何人かが更に上を向く。

 

「!?」

 

 頭上に花咲く暑苦しい顔。

 それがバチン!と衝撃波を生み出しそうな勢いで左目をウィンクさせる。

 その余りの暑苦しさと存在感に、上を向いたもの、それにつられて上を向いたものが全員絶句した。

 

「うえっぷ」

「なんですのあれは・・・」

「いやなものを見てしまいました・・・」

 

 口々に感想を述べたりうめいたりする一同。

 

「・・・?」

 

 だが、その中でもヒョウエとモリィ、そしてシャンドラだけは怪訝そうな顔をしていた。

 

「なあ、ヒョウエ、じいさん。今何か・・・」

「モリィも感じましたか。いえ見えましたか、かな?」

「ふむう、《目の加護》か。魔法の素質は皆無のようだが、それで今のを感じたのは大したもんだ」

 

 会話を交わす三人に、他の面々も気付く。

 

「どういうことだ?」

「何かお感じになったのですか?」

 

 セーナとリアスの問いかけにシャンドラが頷く。

 

「あの不気味な目配せの瞬間、奇妙で微細な魔力の波を感じた」

 

 シャンドラの言葉にヒョウエとモリィが頷く。

 

「何らかの魔術を放ったと?」

「魔術とは違いますね。魔力の波ではありますが、そう言う明確な術式のない・・・。!」

「どうしたヒョウエ? ・・・あっ?!」

 

 空を見据えて固まったヒョウエ。

 その視線の先を見て、モリィもまた驚愕の表情になる。

 中天高く昇った太陽。

 頂点に達したそれが、今正午であることを告げていた。



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05-15 美魔女アディーシャ

 ウインクを終えた巨大な顔と中点に輝く太陽を、誰もが交互に、そして不安そうな目で見比べていた。

 

「関係あると思います?」

「ないとしたらとんでもない偶然ってことになるだろうのぉ」

 

 正午に変異を起こす人や木々。ミトリカが魔力を放射し、正午に"歩く樹(ウォーキング・ウッド)"と化したオークの樹、そして正午に魔力の波を発した巨大顔面ヒマワリ。

 それらの関連を疑わないようであれば、睡眠不足か"大たわけ(スチューピッド)"の呪文の影響下にあるのを疑った方がよいだろう。

 

「にしても・・・」

 

 と、大樹の顔を見上げながらモリィ。

 

「何で誰も気付かなかったんだ? 魔力の波動を毎日発してたってことだろう?」

「そりゃまあ、間違ってもまじまじと見つめたいものではありませんし・・・」

「顔を中心に放射状に発せられとるから、王宮の中では気付けんかったんじゃろうなあ・・・波も微細なものじゃったし、実際外にいたところで、わしら以外は気付かなかったわけじゃしな」

「私や他のエルフも気付かなかったからな。森の中の様々な変異の波動が邪魔になっていたのかもしれん」

「ですね。まあそれは後で議論することとして」

 

 セーナの言葉に頷いて、改めてヒョウエが樹の顔を見上げる。

 

「やはりあれがもろもろの変異の原因の一つなのは間違いないでしょう。

 あれに干渉する前に、少なくとも並行して、あれを改めて調査してみる必要があると思うのですがどうでしょう」

 

 シャンドラが頷いた。

 

「じゃな。しかしそれには手が足りん・・・シュヴィン、ちょっとひとっ走り行ってアディーシャ達をこっちに呼んでこい」

「いいんですか、お師匠? アディーシャ様が変異の治療に当たっているのは・・・」

「トゥラーナにはわしが許しを貰ってくる。対処療法を続けるより、まずは大本をどうにかせねばなるまい」

「わかりました」

 

 命令された若いエルフが王宮広場の外に駆け出した。

 シャンドラが周囲を見渡す。

 

「そう言うわけでわしは報告を兼ねて族長の所に行ってくる。

 ヒョウエ殿達はすまぬが待機しておいてくれ。お前(弟子)らはこの陣を保持、そっち(衛士たち)はまだ何かあるかも知れんから、他に用がなければこのまま待っていてくれ」

「わかりました」

 

 ヒョウエたち、弟子たち、衛士達がそれぞれ首肯するのを確認し、シャンドラは王宮のほうに歩いて行った。

 

 

 

 術師の中ではシャンドラに次ぐ地位にあるというアディーシャは、紫色の髪と神秘的な雰囲気を持つエルフの中年女性だった。

 中年とは言ってもその顔にはシワ一本なく、前世で言えば美魔女と言われるたぐいの人種である。

 

「アディーシャ様は遠見や予見の術に長けた方なんですよ」

 

 シャンドラの弟子の一人は誇らしげにそう言ったもので、人望も厚いのだろうなと察せられる。

 弟子であろう数人のエルフを連れてこちらに歩いてきたアディーシャが、ヒョウエの前で軽く膝を折る、人間の貴婦人風の礼をした。

 

「お初にお目にかかります、ヒョウエ殿下。シャンドラ様の下で術師を務めさせて頂いております、アディーシャと申します」

「これはご丁寧に、アディーシャ殿。故ありまして今はただの術師ですので、どうぞヒョウエとお呼び下さい」

「わかりました、ではヒョウエ殿と」

 

 物腰は丁寧だが、どこか謎めいた雰囲気でアディーシャが微笑んだ。

 

「しかし僕たち人族の礼儀にも通じていらっしゃいますが、森の外に出たことがおありで?」

「はい、若い頃に少し」

 

 アディーシャが頷く。微笑みはその間も絶やさない。

 

「しかし・・・話には聞いておりましたが、さすが"来たりし者(アラーキック)"、凄まじい魔力をお持ちですね」

「まあ《加護》がそちら方面なので。生前から魔法には憧れていましたから運が良かったですね」

「"来たりし者(アラーキック)"の《加護》は本人の望みに応じて授かるものなのでしょうか?」

「その辺は何ともわかりませんが・・・いや、確かに本人の希望や適性と《加護》がずれていたという話は聞きませんね。

 リアスのご先祖様も確か《剣の加護》ですよね?」

 

 リアスの付けている白の甲冑を見つけた初代『白のサムライ』のことである。

 幕末から明治にかけての武士だった彼は、こちらに来て無双の剣の冴えで歴史に名を残した。

 

「はい、その様に伝えられておりますわ。そう言えばカスミとモリィさんのご先祖様はどうなのでしょう?」

「『紅の影』さまについてはわたくしも存じません。ただ、光と闇の術をよくしたとは聞いております」

「あたしも聞いたことはねえなあ。ただ、爺さんも親父も《目の加護》だったんで、ひょっとしたらひい爺さんもそうだったかもしれねえな」

 

 そんな事を話して暇を潰していると、シャンドラが戻ってきた。

 

「トゥラーナの頑固ジジイめ、渋りよったが何とか説き伏せたわい。まったく、まず原因をどうにかしないことには被害が延々増えるだけじゃろうが」

「頑固ジジイって、お前も頑固ジジイだろうが」

 

 呆れた顔のセーナに、両手を振り回してシャンドラが叫ぶ。

 

「わしの方が一歳若い! だから奴の方がジジイじゃ! 後わしは柔軟な思考の持ち主じゃ! 奴と違ってな!」

 

 胸を張る白ひげの猿のような老人に、直弟子を含めて呆れた顔になる一同。

 アディーシャだけが微笑みの表情を維持していた。

 

 

 

 その日の午後は次の術式の準備と予備観測で過ぎた。

 ヒョウエは術式構築の補助や魔力供給、"融合(ユナイト)"の試行。

 モリィは《目の加護》を用いた並行観測などで術師たちに協力し、カスミは荷物からサイドテーブルを取り出し、茶を淹れたり菓子を用意したりなどでちょろちょろと動き回っている。

 

「暇ですわ・・・」

「ああ・・・」

 

 その一方でリアスとセーナは無聊をかこっていた。

 高度な術が使えるわけでもなく、知識があるわけでもなく、魔力に敏感なわけでもない。

 しかも下手に身分があるせいで雑用をしてもらう事もできない。

 一応セーナは現在戦士階級である"護り手"であるから、建前としては衛士達と同等なのだがそれはそれである。

 

「暇ですわ・・・」

「ああ・・・」

 

 置いていかれたような感覚を覚えつつ、草原に座り込んだ二人が繰り返す。

 その背中がすすけていた。

 

 

 

 数日が過ぎた。

 その間、二回ほどシャンドラが儀式を執り行ったものの、やはり結界を解除するには至らなかった。

 一方でアディーシャ率いる観測班の方は少しずつではあるが着実に情報を蓄積していった。

 

「まずあのヒマワリ顔ですが、やはり毎日正午に微細な魔力波動を発しているのを確認しました」

 

 王宮内部、族長の部屋で会議を兼ねた報告が行われている。

 ナタラやサーワなど主立った者が集まっているが、シャンドラの姿はない。

 

「加えてそれとはまた別の波動を持続的に発しています」

「ふむ? ウインクするときの波動が変異を起こしているとして、そちらは何をもたらしているのだ?」

 

 族長(パンダ)が首をかしげる。

 

「そちらは何とも。ウインクによる波動が変異を起こしているというのも、状況証拠からの類推でしかありませんし・・・」

「うーむ」

 

 顎をつまんだトゥラーナが周囲を見渡す。

 

「そういえばシャンドラはどうした。今朝会議をするのは伝えてあったはずじゃろう」

「はい、父上」

 

 ナタラが頷く。

 

「ふん、クソジジイめ、ついに耄碌したか。わしのことをさんざんジジイ呼ばわりして自分が寝ぼけていれば世話はないわ」

 

 悪態をつくトゥラーナに、ナタラやアディーシャが苦笑する。

 どうやらこの老人二人はそう言う仲であるらしい。

 

「誰ぞ、あのクソジジイを叩き起こして連れてこい。寝間着のままでもかまわ――」

「失礼します!」

 

 衛士が部屋に飛び込んできた。

 

「ほ、ご報告・・・」

「落ち着け! 何事だ!」

 

 一喝したのはナタラ。

 衛士は深呼吸すると、直立不動の体勢になった。

 

「じゅ、術の長シャンドラ様が殺害されました!」

「何いっ!?」

 

 全員が椅子を蹴倒して立ち上がった。

 



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第三章「スペードの女王」
05-16 黒い獣


『首をおはね!』

 

                          ――ハートの女王――

 

 

 

「衛兵が今、シャンドラ様を殺害したとおぼしき怪物と交戦中・・・」

「行きますよ!」

「おう!」

「はい・・・っと!?」

 

 衛士の言葉を遮ってヒョウエが叫んだ。

 モリィ達が応えるのとほぼ同時に、セーナを含む五人の体が宙に浮かぶ。

 

「失礼します!」

 

 返事も待たずに、ヒョウエたちが窓から飛び出す。

 きらめく光の矢が大樹の王宮内部から放たれ、同じ窓から飛び出したであろう黒い影が空中を滑空していくのが見えた。

 

「うおっ!」

 

 鋭角に方向転換し、黒い影を追撃する。

 大きい。

 全体的な姿はむささびのような皮膜と、体中に角のような突起を持つ、黒いオオトカゲ。

 赤い結膜に金の虹彩を持つ目が、ぎょろりとこちらを見た。

 

「このっ!」

「フゥッ!」

 

 雷光と魔力をまとった矢が空を切り裂いて飛ぶ。

 不安定な体勢から放った射撃だったが、双方は過たず黒い獣の体に命中する。

 

「?!」

 

 するっ、っと雷光が体の表面を滑った。

 続けて命中した矢も、同様に体の表面を滑ってそれる。

 そのまま滑空を続け、広場の端、周辺の森にほど近いところに着地する。

 

「待て!」

 

 再度放たれる光の矢の射線を遮らないよう、斜め前から追跡する。

 三度目の光の矢が放たれる前に獣は森に逃げ込み、ヒョウエたちも後を追った。

 

 

 

「・・・!」

 

 風が唸る。

 周囲の空気と念動障壁がぶつかり、音を立てる。

 

 3mの巨体ながら、まさしく影のように木々をすり抜けていく黒い獣。

 木々の間からちらちらと見えるそれを追うヒョウエたちだが、森の中と言うこともあり距離を詰め切れない。

 

「ちっ!」

 

 時折モリィが雷光銃を放つが、命中はしてもやはり弾かれる。

 セーナは弓を撃てない。

 木々の間をすり抜けるのに、四人を一塊のように小さくまとめているからだ。

 

「くっ・・・」

 

 追い切れない理由はもう一つある。

 魔力を効率よく媒介する呪鍛鋼の杖を介さず、念動術で直接四人を浮かせて動かしているからだ。

 ヒョウエ自身が小さく軽くなった分を差し引いても、やはりこれが不利であった。

 

「ヒョウエ様、私たちを置いて先に!」

「!」

 

 後ろを振り向こうとしたところでリアスが叫んだ。

 

「ヒョウエ様が先行して奴を足止めして下さい! 私たちが後から追いますわ!」

「そうだな、それがいい。森の中なら私なりモリィなりが後を追える」

 

 セーナもそれに続く。

 逡巡は一瞬だった。

 

「わかりました、では下ろしますよ!」

 

 言うなり四人を念動から切り離して着地させる。

 一瞬逆方向の念動でブレーキをかけた後、術の力を全て自分に集中させる。

 

「!」

 

 人間四人を支えていた力が、30センチの体になったヒョウエ一人にかかる。

 まさしく弾丸の速度でヒョウエは森の中に姿を消した。

 

「ヒュウ、すげえな。しかし良いかっこしやがって。あたしが言おうと思ってたセリフなのによ」

「先んずれば人を制す、とニホンでは言うそうですよ。今回はお嬢様とセーナ様がモリィ様を制されたかと」

「ちぇっ・・・とと」

 

 苦笑するモリィをリアスが無造作に担いだ。

 人並み外れた身体能力を持つ他の三人と違い、モリィは基本常人並みのスペックしか持たない。

 

「では、行きますわよ!」

 

 三人がヒョウエの後を追って走り出した。

 

 

 

 弾丸の速さでヒョウエが飛ぶ。

 鋼鉄よりも固く圧縮された念動障壁が、時折木に接触する。

 枝が吹き飛び、幹がえぐれて弾ける。

 

(エルフの皆さんすみません!)

 

 心の中で謝罪しつつ、更にスピードを上げる。

 

(・・・?)

 

 木々の間に見える黒い影。

 もうすぐ追いつけそうで追いつけない。

 

「しまった!」

 

 魔力を切り替え(スイッチ)

 全力の"解呪(ディスペル)"を放つと、木々の間に見えていた黒い影は足音や気配もろともスッと消えた。

 

幻術(イリュージョン)――!」

 

 恐らくは森に飛び込んだあたりで入れ替わったのだろう。

 モリィの《目の加護》でも木の向こうを見通すことは出来ない。

 とはいえセーナの、エルフの感覚をもごまかしきったのだから並の術者でないことは確実だ。

 

(ミトリカか・・・? いや、まだわからないか)

 

 そこでハッともう一つの違和感に気付く。

 今ヒョウエは立ち止まっている。

 モリィ達と別れて単独で追跡していた時間はそうは長くない。

 リアスたちであれば、少なくとも足音くらいは聞こえて来ていいはずだ。

 にもかかわらず森は静かだ。足音どころか、獣の息づかい、鳥の羽ばたき、風が梢を揺らす音すら聞こえない。

 

「参りましたね・・・分断された・・・いや、閉じ込められたのか?」

 

 溜息をついてヒョウエは周囲を見渡した。

 

 

 

 三人が走る。

 

「・・・おかしいと思わないか?」

「あんたもそう思うか」

 

 セーナの問いに、真剣な顔で答えるモリィ。

 もっとも、リアスの肩に米俵の如く担がれている状況ではいまいち締まらない。

 

「どういうことですの?」

「ヒョウエの気配が途切れた」

「それと、さっきから足跡が全然見あたらねえ。あのトカゲ野郎が何なのかは知らねえが、空を飛んでる訳じゃねえだろ。ってことは幽霊かそれとも・・・」

「幻像ですか!」

 

 カスミが目を見張った。

 三人が足を止め、モリィがリアスの肩から降りる。

 

「一杯食ったみてぇだな」

「セーナさんの感覚でもわかりませんの?」

「恥ずかしい話だがさっぱりだ」

「・・・」

 

 四人が顔を見合わせた。



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05-17 森の中

 モリィ達四人と分断されたヒョウエが、宙に浮きながらしばし考え込む。

 

(黒トカゲは最初からこれを狙っていた? だとすれば僕と、僕たちの能力をよく知っている人間でないとこれはできない。

 内部に裏切者? であるならば誰だ? シャンドラさんを殺害したのは儀式を妨害してあの顔を守るため? それとも口封じ? 

 僕たちを分断して閉じ込めたのも、儀式の妨害か? あるいは・・・ああ、駄目だ駄目だ)

 

 思考に深くはまり込みかけた事に気付き、ほっぺたを両手でパンパンと叩く。

 

「悪い癖ですね。わかっちゃいるけどやめられない、ってほんとですよ・・・さて」

 

 ふわりと地面に降りる。

 30センチになってしまった呪鍛鋼の杖を両手で握り、森の土に突き立てた。

 

念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

 銀色の杖を中心に、見えない波動が周囲に伝わっていく。

 しばらく目を閉じて集中していたヒョウエが、ふう、と息をついて目を開いた。

 

 続けて"失せもの探し(センス・ロケーション)"の術を発動する。

 物にせよ生物にせよ、術者の見知った何かのある方向とそこまでの距離を大まかに示してくれる術である。

 今度もしばらく集中していたが、やはり息をついて目を開く。

 

「やっぱり周囲にモリィ達の気配はなし。噂に聞く『隠れ里』に閉じ込められましたかね。あるいはモリィ達のほうが、かな」

 

 『隠れ里』。異界化、妖精境などとも言うが、つまる所異空間に閉ざされた結界、小世界を作る術である。ズールーフの森を包む結界もその一種だ。

 真なる魔術師=神々を除けば今の世界でそれを作れるのはエルフかピクシーの妖精魔法使い、それも多数の術者が協力し合う必要があると言われている。

 

「とは言え突然変異(ドータボルカス)なり怪人(ヴィラン)なりなら、一人でやってしまえる可能性はありますか。ヴィラン・コアに取り込まれたこともありましたしね」

 

 "失せもの探し(センス・ロケーション)"の術を発動したとき、何とはなしに対象であるモリィの気配を感じはしたのだが、その先がもやに隠れたようにはっきりとしなかった。

 壁というか結界というか、そうしたものに阻まれたのは恐らく間違いない。

 インヴィジブル・マローダーに取り込まれた偽の王都、ミトリカに取り込まれた彼女の内面世界を思い出しつつ周囲を見渡す。ぐるっと見渡して最後に上。

 

「取りあえずはまあ、迷った時は上からですよね」

 

 再び宙に飛び上がり、そのまま森の木々の上に出る。

 

「うわー・・・」

 

 思わず声が出た。

 太陽のない、それでも真昼のように明るい青空。

 地平線の彼方まで三百六十度全方位に続く森。

 青空と木々の梢以外には鳥の姿すら見えない。

 

「まあ取りあえず、こう言う時は実験ですね」

 

 溜息をつくと、ヒョウエは全力で上空に飛んだ。

 

 

 

 結果として、やはりこの森?は閉じた世界だった。

 上空に飛べば、巨大顔の結界の時のように一キロほどより上には行けない。

 いくら飛んでも位置が変わらないような状態だ。

 

 ならばと森の木に目印を付けて適当な方向に飛べば(太陽もなければ方位磁石も当然のように働かないので方角がわからない)、一分ほどで元の場所に戻ってきた。

 周囲が閉じた空間になっているのは確定らしい。

 

「全速で飛びましたから・・・さしわたし20キロほどでしょうかねえ。

 さて、ダンジョン・コアやヴィラン・コアの中なら取りあえずどっちかに向けて進めばいいんですけどこの場合は・・・」

 

 先ほど述べたように『隠れ里』は結界の一種だ。これをかけた術者が中にいるとは限らないし、ダンジョン・コアのような術式の起点が内部にあるとも限らない。

 そうしたものが無い場合、内側から結界の脆い部分を見つけて力づくで押し通る必要がある。

 その箇所、弱点を見つけなければ、いかにヒョウエが魔力チートの持ち主とは言え、力任せに推し破るのは不可能だ。

 溜息をついて地上に降りる。

 

「やれやれ・・・っと」

 

 "霊気探知(センス・オーラ)"と"魔法感知(センス・マジック)"、"警戒(アラート)"――敵意を持つものや危険なものが周囲にあれば注意喚起してくれる術――を発動し、適当な木の幹に"染色(ペイント)"の呪文で白い丸を描いて目印を付けると、ヒョウエは適当な方向に移動を始めた。

 

 

 

 ヒョウエが溜息をつきながら『隠れ里』のほころびを捜している時、残されたモリィ達は――にらみ合っていた。

 

「ですから、まずはヒョウエ様の居所を突き止めるのが先ですわ!」

「仕切んなよ。足跡がないんだから追えるわけねえだろ」

「捜してみもせずにわかりませんわ! 近くに行ったら何か感じるかも知れないでしょう!」

「だからいっぺん戻ってだな・・・」

「ヒョウエ様が危地にあるかもしれませんのに悠長なことはしてられませんわ!」

「・・・」

「・・・」

 

 普段は多少の反目はあってもうまく折り合いを付けてやっている二人である。

 だが、ヒョウエが恐らくは罠にかけられて分断されてしまった現状、互いに焦りが余裕を奪っていた。

 

「お嬢様、モリィ様。それこそこの場で言い争っていては埒が開きません。ますますヒョウエ様を危うくするだけです」

「そりゃあまあ・・・」

「わかってはいるのですけど」

 

 カスミが割って入るが、結局のところ問題はどちらを選択するかなので状況が解決するわけではない。

 カスミも立場的にどちらについても角が立つ。

 

「・・・」

「・・・」

 

 自然、モリィとリアスの視線はセーナに流れる。

 カスミを含めて三人の視線を集中されたセーナが溜息をついた。

 パーティの「お客さん」であるゆえに今まで口出しはしなかったが、こうなってはやむを得ない。

 

「今回、お前達の言い方で言えば私が依頼をして報酬を払う。そしてお前達がその依頼を受ける立場で、私は依頼人だ。それはいいな」

「そりゃそうだ」

「ええ、それが何か?」

「なら導き手(リーダー)であるヒョウエがいない場合は依頼人として私が指示を出させて貰う。ここは私のホームグラウンドでもあるしな。どうだ?」

 

 モリィとリアスが顔を見合わせた。

 

「まあそれなら」

「しょうがありませんわね」

 

 二人が頷き合い、カスミがほっと溜息をついた。

 セーナが苦笑する。

 

「お前達、二人とも年上なのだからカスミに苦労をかけるな。かわいそうに、弱り切っていたではないか」

「せ、セーナ様! わたくしはそのようなことは・・・」

 

 カスミが慌て、モリィとリアスはばつの悪そうな顔になる。

 また苦笑。

 

「ともかく、ヒョウエが気配ごと消えたと言うことは何らかの強力な魔術が絡んでいる可能性が高い。

 私は魔術は不得手だし、モリィも魔術を見る事はできても干渉は出来ない。

 ここは引き返して、術の達者なものを応援に呼んで来るべきだろう。

 丁度この森には感知の術の達人がいる。

 アディーシャと彼女の弟子たちがいれば、ヒョウエ救出の可能性は随分上がるはずだ。いいな」

 

 セーナの確認に、三人が無言で頷いた。

 

 

 

 ふらふらと、ヒョウエが森の中をさまよっている。

 本人としては捜索しているつもりだが、当てもなく飛んでいるだけなので、傍から見ればやっぱりさまよっているようにしか見えない。

 

「・・・!?」

 

 いきなり、目の前に巨大な木が立っていた。

 巨大と言ってもズールーフの王宮ほどに大きくはない。高さ40メートルほどの「常識的な」巨木だ。

 良く見れば各所にこぶのようなふくらみがあり、それぞれには蜂の巣かキツツキの住処のような穴がぽっかりと空いている。

 

「これは・・・」

「きゃっはー!」

 

 いきなり、空中のヒョウエに抱きついてくる影があった。

 

「!? ミトリカ!?」

「うん、そうだよヒョウエ! 待ってたんだ!」

「・・・!?」

 

 ヒョウエの首っ玉にかじりつき、満面の笑顔でピクシーの少女がそう言った。



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05-18 ズールーフの一番長い日

 

 時間はやや巻き戻る。

 ヒョウエたちが飛びだした後、会議室は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 治癒の長ナッグのところに運び込まれたシャンドラは幸い息を吹き返したものの、手を尽くしても意識が戻らないとの報告が上がっていた。

 

「傷は治ったのだろう。毒か、それとも呪いの類か?」

「わたくしも検分しましたが、呪いではございません。ただ極めて衰弱しておられ、また精神の働きがひどく弱くなっています。ナッグ様なら癒すことは可能かと思いますが、時間はかかるものと・・・」

「そうか」

 

 アディーシャの言葉に族長が頷く。

 

「それこそ心と魂の術はシャンドラが得手であったからのう・・・他に使えるものはおらんのか、アディーシャ」

「わたくしは全く・・心得のあるものでしたら何人かおりますが、シャンドラ様に比肩するものとなると、とてもとても――強いて挙げるならナッグ様でしょうか」

「弟子くらい育てておかんか、馬鹿ものめ・・・それだからお前は抜けているというのだ」

 

 族長が首を振り、寂しそうにつぶやいた。

 僅かに生じた沈黙を、ナタラが敢えて破る。

 

「問題は何者がシャンドラを害したかと言うことだ」

「窓が破られておりました。室内には物色された様子もなく、窓が内側から破られておりましたゆえ、犯人はシャンドラ殿を害して外に逃げたものと思われます」

 

 セーナの上司でもある護りの長が答える。

 

「それ以外には何かわかっておらぬか?」

「アディーシャ殿を始め、そうした術に長けたものの助けも借りましたが、痕跡が残っておりませんようで」

「周到に自分の痕跡を消す手段を講じていたものと」

 

 アディーシャが言葉を引き取る。

 

「しかし何が目的だ? このタイミングでシャンドラ様を害するとなると・・・」

「それはあの顔への対処を妨害、もっと言えば今回の異変を維持したいものの仕業であろうよ」

「くだんのピクシー・・・いやその他の手駒か、あるいは黒幕か」

「うーむ・・・」

 

 周囲で交わされる議論。ナタラが唸ってから周囲を見渡した。

 

「昨日、シャンドラにおかしな様子はなかったか? 夜に彼に会ったものはいるか?」

 

 サーワが手を上げた。

 

「おそらく、ここにいる中では私が最後にお会いしたと思います。

 昨日、夕食の前に禁書庫から再び魔導書を出してお渡ししました。

 その時は特に変わったことは・・・ただ」

「ただ?」

「わたくしの見間違いでなければ、先ほど部屋を見たときにはありませんでしたね」

「・・・」

 

 周囲の視線がサーワに集まった。

 

「なんです?」

「いや・・・わかるのか?」

 

 ヒョウエの部屋にも負けず劣らず本と巻物の腐海になっているシャンドラの部屋を思い返しつつナタラ。

 呆れつつもこいつならやりかねないという顔になっている。

 

「わかりますよ?」

「わかるものですよ」

 

 うんうんと頷き合うサーワとアディーシャを見て、周囲のエルフ達の視線も疑念のそれから生暖かいものに変わる。

 

(((ああ、こいつら同類か)))

 

 ・・・と。

 

「サーワ、一応確認してきてはくれんか」

「かしこまりました」

 

 サーワが退出すると、一斉に溜息が漏れた。

 唯一まじめな顔を崩していない護りの長が話を無理矢理もとに戻す。

 

「しかしそうなりますとまた話が変わって参りますな。

 その魔導書にあの顔に対処しうるような重要な術なり情報なりがあって、犯人はそれを知っていた、もしくは魔導書そのものが目的だった可能性もあります」

「それもありうるか」

 

 苦々しげにトゥラーナが呟く。

 サーワが魔導書の紛失を報告したのは五分ほど後のことだった。

 

 

 

 サーワと時を同じくしてモリィたちが戻ってきた。

 事情を説明するとうなり声がそこかしこで上がる。

 逆に今までの経緯の説明を受け、セーナがほっとしたように息をついた。

 

「それではシャンドラはとりあえず無事なのだな」

「まだ安心できるかどうかはわかりませんが、少なくとも今のところは」

「それでいい。息があるならあの爺様のことだ、簡単にくたばりはすまいよ」

 

 セーナの言葉に、トゥラーナ始め何人かが笑みを漏らした。

 

「そうじゃな、あのクソジジイがそう簡単にくたばるものか。

 治りかけたところで見舞ってからかってやろうわい」

「父上、生死の境をさまよったのは事実なのですからお手柔らかに」

「わかっておるわい」

 

 笑みを浮かべながらもナタラが父をたしなめる。

 セーナ達も笑みをこぼすが、それをまじめなものに戻した。

 

「で、どうでしょうお爺様。アディーシャ達を借りたいのですが」

「適切な判断かと存じます、族長」

 

 二人がトゥラーナのほうを見ると、パンダ姿の老エルフが頷いた。

 

「それがよかろう。シャンドラが倒れた今、ヒョウエはこちら側では最も優れた術者であり、欠くべからざる人材じゃ。ローラとの約束もある。

 セーナ、アディーシャ、使えるものは全て使って構わん。ヒョウエを助けよ」

「無論です、お爺様」

「かしこまりました」

 

 二人が一礼して、モリィ達と共に立ち上がった。

 退出しようとしてアディーシャが振り向く。

 

「そう言えばサーワ様、シャンドラ様が借りだされた魔導書は何の?」

「いくつかの禁術が載った書だと聞いております。ものがものだけに、私も詳しくは・・・」

「ですか・・・ありがとうございました」

 

 一礼してアディーシャはセーナ達の後を追った。

 

 

 

「待ってたんだよヒョウエ! いっぱい、いっぱい、いーっぱい話そうね!」

「・・・!?」

 

 ヒョウエの首っ玉に抱きつき、頬ずりするミトリカ。

 15センチほどだったはずの身長が、何故か30センチほどの今のヒョウエと変わらない大きさになっている。

 初めて会ったときのような男言葉でもなく、険しい表情もしていない。

 幻視の中で友達と飛んでいたときのように、無邪気で優しい笑顔を浮かべている。

 

「ほら、いこ!」

「え、ええ・・・」

 

 ヒョウエの首から腕を放し、今度はヒョウエの手を引いてこぶの沢山ある巨木のほうに連れていこうとする。

 取りあえずついていくことにして、ヒョウエは頷いた。

 

(これは・・・ピクシーの家でしょうか)

 

 蜂の巣のような丸いこぶの一つにヒョウエたちは入った。

 中には木材を射出成型したような、滑らかな形の家具が並んでいる。

 蜘蛛の糸のような半透明の繊維で出来たハンモックや寝具もあった。

 

「座ってて! すぐに香草茶用意するから! あ、蜂蜜のお湯割りのほうがいい?」

「え、ええ・・・取りあえず香草茶で」

「わかった、ちょっと待っててね!」

 

 新妻の如く甲斐甲斐しく飛び回るミトリカ。

 ヒョウエの目からすると多少手際は悪かったが、それでも香草茶のポットと、お茶請けらしい木の実が並んだ皿をお盆に載せて持って来た。

 

「さ、召し上がれ! とっておきのサトウドングリの実だよ!」

「ありがとうございます」

 

 礼を言ってカップを手に取る。

 ミトリカはやはり満面の笑み。

 

「それで・・・」

「なに?」

「これからどうするつもりですか?」

 

 ミトリカが一瞬きょとんとするが、すぐに笑い出した。

 

「そんなの決まってるじゃん!

 ヒョウエはわたしとここで暮らすの! ずっと! ずっと! ずーっとだよ!」

 

 幸せそうな、満面の笑みでミトリカが言い切った。



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05-19 世界には二人だけ

 ミトリカは何くれとなくヒョウエの世話を焼きたがった。

 食事、ピクシー風の服のコーディネイト、森の中の案内、背中流し、添い寝。

 とにかく片時もそばを離れようとしない。

 

 

「ね、ね、おいしい? イノシシタケをソテーにしてみたんだ! 本物の肉みたいでしょ!」

「ええ、おいしいですよ(実際おいしいなこれ・・・)」

「こっちのポルチーニのスープも飲んでよ! 自信作なの!」

「おお、これは・・・」

 

 

「ヒョウエもね、そんなに綺麗なんだからオシャレしたらもっとビシッと決まるんじゃない? ほら、この胴着(ダブレット)なんかどう? こっちの髪飾りも!」

「と言っても僕は魔法使いですし、これが気に入ってるんですよ。大体もっとオシャレしたらますます女の子みたいに見られかねないし・・・」

「ん、何か言った?」

「いえ、なんでも」

 

 

「あっちにさ、クレナイリンゴの木があるの! 今丁度実がなっててね、木の上から下までずらりと赤いリンゴが連なってるんだよ!」

「へえ、クレナイリンゴは鮮やかな実をつけると聞いてましたけど、見るのは初めてですね」

「きっとびっくりするよ! とても綺麗なの!」

 

 

「ちょっと、入ってますよ?!」

「えへえ。大丈夫、やりかたはわかってるからさ!」

「どこでそんなことを覚えてくるんだか・・・」

 

 

「寝床が一つしかありませんけど」

「え? 一緒に寝るんだよ? 当然じゃない?」

「(無言で天を仰ぐ)」

 

 

 幸いと言うべきかミトリカの性意識は十歳程度で、背中流しも同衾も子供のやるそれと何ら違いはなかった。

 安堵の息をついて自分にしがみついて寝息を立てるミトリカの髪を撫でてやる。

 

 この「隠れ里」の目的がミトリカを利用したヒョウエの足止め、ないし封印なのは疑う余地は無いだろう。

 ただ、その術者がミトリカなのか、それともただの囮に過ぎないのか、あるいはここにいるミトリカがそもそも本物ではなく、本人が生みだした願望の表れとしての分身なのか。

 それを見極めないことには、強引な行動は取れない。

 

「とはいえ、ずっとこのままというわけには行きませんよねえ・・・」

 

 ミトリカの髪を撫でつつ、ヒョウエは溜息をついた。

 

 

 

 それから数日、ヒョウエはミトリカと過ごした。

 おままごとのような二人の暮らし。

 ヒョウエとしては妹がもう一人出来たようで悪い気はしなかったが、それでもこのままここで過ごすわけには行かない。

 

 ミトリカを観察し、会話で何か情報を引き出せないか試してみる。

 あるいはミトリカと共に森を歩き回り、何かないかと探し回る。

 それでも、何かを見つけることは出来なかった。

 

「しかし・・・」

 

 ヒョウエは植物学についてはそこそこ程度だが、植生からしてこの森のモデルはミトリカの精神世界で見た彼女の故郷の森であるように思われた。

 植生は、だ。

 

 最初に森をさまよっていた時から感じていたが、この森には動物がいない。

 鳥のさえずりも、下生えを走りぬける小動物の音も聞こえない。

 虫すらいなかった。

 聞こえるのは木々を揺らす風の音だけ。

 この森は沈黙に満ちていた。

 

「なに、ヒョウエ? 何考え込んでるの?」

「いや、静かすぎるのも何ですねと。ミトリカ、この森には獣や鳥はいないんですか?」

「!?」

 

 びくん、とミトリカの肩が震えた。

 見開いた目に恐怖の色がある。

 

「ミトリカ?」

 

 恐る恐る呼びかけたヒョウエに、堰を切ったようにミトリカがしゃべり始める。

 

「いや、いらねーだろそんなの! この森は安全なんだよ! 動物なんていないんだ!

 狼も、鷹もいないんだ! 大丈夫なんだよ!」

 

 必死にまくし立てるミトリカ。口調が最初に会ったときのような男言葉になっている。

 いぶかしげにそれを見ていたヒョウエが、ハッとした。

 

(・・・そうか、ミトリカにとって動物・・・いや、僕に危害を加えるような存在は恐怖の対象なんだな。もっと言えば、『力を使わざるを得ない状況』が)

 

 鷹に襲われた幼友達の前で力を爆発させて、鷹とルリイロスズメの親子を殺してしまったこと。

 襲われた旅芸人の一座を助けようとして、野盗を無惨に殺してしまったこと。

 

 コントロールできる範囲ならまだいい。

 だが「自分の力を使って外敵を排除する」状況、それによって「友達を失う」事こそがミトリカにとって最大の恐怖なのだ。

 

「ミトリカ・・・」

「・・・!」

 

 取り乱していることに自分でも気付いたのか、ミトリカが身を固くする。

 

「うん、大丈夫だよヒョウエ。とにかく、ここは安全ってこと」

 

 一呼吸ほど置いてにっこり笑い、元の表情と口調を取り戻すミトリカ。

 明らかに努力して自分を押さえ込んでいるのがわかる。

 

「そうですね」

 

 そう答える以外、ヒョウエに選択肢はなかった。

 

 

 

 それから二日後の夜。

 ベッドの上。

 大の字になったヒョウエにしがみつくようにしてミトリカがベッドに潜り込んでくる。

 この数日ですっかり習慣になってしまった行為。

 

「おやすみヒョウエー」

「・・・」

「ヒョウエ?」

 

 身を起こし、いぶかしげに顔を覗き込んでくるミトリカを寝たまま見返す。

 

「ミトリカ。このままでいいと思ってますか?」

「な・・・何がよ?」

 

 僅かに動揺。

 

「ずっと僕と二人だけでいいのかって、そう言ってるんです」

 

 いつの間にかその目がひどく真剣なものになっていた。

 

「たぶん、僕と一緒なのは楽しいんでしょう。

 いえ、自分を怖がらない誰かと一緒にいられるだけで嬉しいんでしょう?」

「・・・・っ! そ、そうだよっ! お前だってわかるんだろう、そういうの?!

 "来たりし者(アラーキック)"だものな! なんだよその魔力! オレよりよっぽどお前の方が化け物じゃんかよ!」

 

 ハッと気付いて口を閉じるミトリカ。

 そのまま目をそらそうとしたその頬を、両手で包む。

 

「・・・ヒョウエ?」

「ええ、あなたの言う通りですよ。僕は"来たりし者(アラーキック)"・・・オリジナル冒険者族だ。

 桁外れの魔力を放つ、恐れられる存在だ」

「・・・」

 

 少しほっとしたように見えたミトリカの顔が、だが苦しそうに歪む。

 

「けど・・・お前には友達がいるじゃんかよ・・・なんでだよ! 何で友達がいるんだよ!」

「・・・運が良かったんでしょうね」

 

 脳裏に浮かぶのは両親、リーザ、サナ、サナの母親、そして伯父や伯母、いとこたち、大公家に仕える使用人たち。

 長老やナヴィを始めとするスラムの人々、そしてモリィ、リアス、カスミ、セーナ。

 

「じゃあオレは運が悪かったのか」

 

 自嘲するミトリカを見て、ヒョウエが眼を細める。

 

「運なんて良くなったり悪くなったりするものですよ。少なくとも、今のミトリカは明らかに運が良い――僕に出会えたんですからね」

「それって・・・」

「僕の友達を紹介しますよ。まずは彼女たちと友達になりましょう。大丈夫、僕と友達になれる人たちです。きっとミトリカとも友達になってくれますよ」

 

 何かを言いかけて、ミトリカが俯く。

 

「でも、ここは・・・ここには、もう誰も・・・」

「そんな事はありませんよ。みんな、きっと迎えに来てくれます。ほら、そこに」

「!?」

 

 振り向いたミトリカの目の前に、空間のゆらぎがあった。

 それにヒョウエが手を伸ばして、魔力を込めながらノブのようにひねる。

 魔力をつぎ込み、ゆらぎをひねるごとにそれは広がっていき、やがて空間がひび割れてはじけると、ヒョウエとミトリカは森の中に浮かんでいた。

 いつもの服装のヒョウエ、前に見たのと同じ姿のミトリカ。

 周囲を囲むのはモリィ、リアス、カスミ、セーナ、そしてアディーシャとエルフの術師達。

 全員の顔に歓喜の色がある。

 

「ね?」

 

 ヒョウエが、とっておきの笑顔でミトリカを振り向いた。



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05-20 友達

 ヒョウエの周囲に人々が集まった。

 もとのSDサイズに戻ったヒョウエ。その後ろに今のヒョウエの半分くらいのミトリカが隠れた。

 

「あ・・・」

「ヒョウエ様、その娘は・・・」

「そう言えば正式な紹介はまだでしたね。彼女はミトリカ。僕の友達ですよ」

「友達・・・でございますか」

「・・・」

 

 慎重に言葉を選ぶカスミ、無言のセーナ。

 ヒョウエが後ろを振り向いて、しがみついているミトリカの肩を抱く。

 

「ミトリカ、黒髪の革上下がモリィ、白い鎧がリアス、メイド服がカスミ、銀髪のエルフがセーナ。みんな僕の友達です。良かったら友達になって上げて下さい」

「・・・まあ、ヒョウエが言うんなら大丈夫なんだろ。あたしはモリィ、よろしくな」

「リアス・エヌオ・ニシカワです。リアスと呼んで下さって結構ですわ」

「カスミと申します」

「セーナだ」

「あ、ありがと・・・」

 

 ミトリカの精神世界で過去を見ていた面々が、笑顔でミトリカに挨拶する。

 おずおずとそれに応じるピクシーの少女を、エルフの術師たちが笑顔で見守っていた。

 

 

 

「・・・さて、ちょっといいかしら?」

 

 挨拶が一段落したところで、アディーシャがずいっと割り込んできた。

 微笑みが普段より大きく、頬が紅潮しているようにも見える。

 

「ひっ!?」

 

 おびえたミトリカがヒョウエの後ろに隠れた。

 

「あらあら、そんなに怖がらなくてもいいのよ」

「いや、怖いぞお前」

 

 セーナのツッコミにその場の大半が頷くが、興奮した美魔女は気にも止めない。

 

「わたしはアディーシャ、ズールーフの森の術師よ。あなたドータボルカスなんですってね。素晴らしい魔力だわ! こうして見ているだけでも、放つ霊気の綾がまるで虹のよう!」

「そ、そんないいもんじゃねーよ・・・」

 

 ヒョウエの袖を掴み、ミトリカが弱々しく呟く。

 アディーシャの笑みは変わらない。

 

「ええ、ええ、その通りね。あなたは魔力の制御を学ばないといけない。でもそうすれば、もう誰かを無意味に傷つける事は無くなるのよ」

 

 ぴくり、とミトリカの肩が動いた。

 ヒョウエの影から、顔半分を出してアディーシャの顔を覗き込む。

 

「ほ、ほんとか・・・?」

「もちろん。事情は大体聞いたわ・・・たぶん、あなたの森にはあなた(ドータボルカス)にそれを教えられるだけの術者がいなかったんでしょうね」

 

 笑みを消して真剣な顔になるアディーシャ。

 エルフに比べてピクシーは小規模な、場合によっては家族単位のコミュニティを形成することが多い。

 ピクシーが魔術に優れた種族とはいえ、術師の質にも大きなムラが生まれるのは当然だった。

 

「ヒョウエ殿でもいいでしょうけど、私には術師として積んできた長い経験があるわ。こと教えることに関しては私の方が向いてると思うのだけれど・・・どうかしら」

 

 アディーシャの視線にヒョウエが頷く。

 それを見たミトリカが考え込むような顔になった。

 

「ヒョウエがそう言うなら・・・」

「ほんとう!?」

「ひっ!?」

 

 凄い勢いで笑顔を近づけるアディーシャ。ミトリカが再びヒョウエの後ろに逃げ込む。

 

「ハイストップストップ。ミトリカは人付き合いが苦手なんですから、アディーシャさんも慎重にね」

「アディーシャ、やりすぎだ」

「ああん」

 

 小さい手のひらで押しとどめられ、セーナに肩を掴んで引き戻され、残念そうな声を出すアディーシャ。

 ヒョウエが再びミトリカのほうを振り向く。

 

「どうします? ミトリカが良ければ僕が教えてもいいですけど」

「・・・」

 

 しばらく考え込んだ後、ミトリカが顔を上げた。

 

「いや、やっぱりアディーシャに頼む。悪い奴じゃないみたいだし、それに・・・」

「それに?」

 

 ニヤリと笑う。

 

「こいつなら吹っ飛ばしてもあんま気に病まないですむだろ?」

「あなたね・・・」

「ありがとう! 嬉しいわミトリカ!」

「わっ!?」

 

 苦笑するヒョウエの言葉を遮って、アディーシャが割り込む。

 

「アディーシャ、そこ喜ぶところじゃないぞ」

 

 処置なし、と言った風にセーナが天を仰いだ。

 

 

 

「! ヒョウエっ!」

「ヒョウエ様っ!」

 

 モリィ、リアス、カスミ、セーナが一瞬で表情を変え、振り向いた。

 

「わかってます!」

「え、え?」

 

 同時に一行を包む念動障壁。

 一瞬遅れて黒い巨体が不可視の障壁に前足を叩き付ける。

 

「ひえっ!?」

 

 エルフの術師たちは、その時点で初めてその存在に気付いた。

 悲鳴を上げ、中には腰を抜かしてしまうものもいる。

 かろうじて動揺していないのはアディーシャだけだった。

 

「ちっ、情けねえな。エルフの術師なんだろうに」

「彼らは護り手ではない術師だ。実戦慣れしているものは少ない」

 

 悪態をつき、あるいはフォローをしながら雷光と矢を放つ二人だが、ヒョウエの念動障壁をすり抜けたそれも、やはり黒く滑らかな表皮に滑って弾かれてしまう。

 

「脂・・・でしょうか?」

「余り斬りかかりたくはありませんわね」

 

 てらてらと濡れ光る表皮を見てヒョウエ。

 刀と盾を構えて待機していたリアスが嫌そうに顔をしかめた。

 

「ひぃっ!? う、後ろ!」

「!?」

 

 エルフの術師の一人が上げた悲鳴に、ヒョウエたちが振り向く。

 後ろから、同じ黒いオオトカゲが忍びよってきていた。

 いや、後ろからだけではない。いつの間にか、四方八方から同じ怪物どもがジリジリと近づいて来ていた。

 

「ヒョウエ、あれっ!」

「!」

 

 ミトリカの指さした方に、5mを越す一際巨大なオオトカゲがいた。

 その背中に生えているのは、女性の上半身のようなシルエット。ただし、その表面はオオトカゲの表皮と同じぬらぬらした皮膜で覆われており、顔には目も鼻もない。

 口に当たる部分が裂け、笑みの形を作った。

 

「あいつは・・・」

「まさか、ミトリカを操っていた奴ですか?」

「わ、わかんない・・・けど凄く魔力が似てる・・・!」

 

 ぎりっ、とミトリカが歯を鳴らした。

 その体に魔力が集中する。

 

「あいつは・・・オレが・・・っ!?」

 

 ぽん、とヒョウエがミトリカの肩に手を置いた。

 

「ヒョウエ・・・?」

「あなたはまだ魔力の制御を会得していないでしょう。

 どうやら、僕の出番のようです」

 

 「隠れ里」から脱出したときとはまるで違う、不敵な笑顔をヒョウエが浮かべた。



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05-21 "ブラゴール"

「術師の皆さん、護りの術をよろしく」

「聞いたわね。みんなしゃきっとしなさい! 私たちの森は私たちで守るのよ!」

「は、はいっ!」

 

 怯えていた術師たちがアディーシャの一喝でどうにか体勢を立て直す。

 

「"緑の盾"! 全員で詠唱!」

「はっ!」

 

 術師たちが同調して術を発動する。

 周囲を緑がかった半透明の力場が覆う。

 黒い獣たちの体当たりが力場に弾き返されたのを確認し、ヒョウエの姿がふっと消えた。

 

「転移の魔術!?」

 

 目を見張ったアディーシャとミトリカ、エルフの術師たちが再度目を見張った。

 対照的に、モリィ達はにやりと口元を歪める。

 

 疾風が吹きぬけた。

 あるいは青い閃光。

 3mを越える黒獣たちの巨体が、嵐に吹き飛ばされる子犬のように吹き飛ばされる。

 頭を砕かれ、体をへし折られ、森の木に叩き付けられて動かなくなる。

 

 そしてもう一度。

 それで一行の周囲の黒獣達はほぼ一掃されていた。

 10mほどの距離を開けて遠巻きに囲む形になった生き残りと、女体型が天を仰ぐ。

 モリィ達もまた。

 

 木々の梢の間にいて、それでも全く損なわれないその存在感。

 透き通った湖のような青い騎士甲冑。どこまでも鮮やかにひるがえる真紅のマント。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 周囲を睥睨する「青い鎧」。

 この形態になったときのみ発動する魔法的感覚が、森の木々を透かして周囲の敵を視認する。

 生き残りはおよそ百五十。

 そして体躯は5m程度だが、ほかの黒獣の数十倍の魔力を内包する女体型の生えた黒獣。

 

(やはり、奴がボスか)

 

 動こうとしたとき、感覚が異変を捉えた。

 

(!?)

 

 はじき飛ばし、体を砕いて叩き付けた黒獣達の体がじゅるり、と溶けた。

 水たまりのようになったそれは地面をするすると移動し、女体型に向かう。

 女体型の足元にたどり着いたそれは女体型に吸収されるように消えた。

 

「!」

「巨大化しやがった・・・!」

 

 液体状になった黒獣を吸収した女体型は、体長10mを越えていた。

 体高は6mを越え、アフリカ象の倍ほどの大きさになっている。

 顔のない女が、赤い口を更に広げてニヤリと笑った。

 

(このっ・・・!)

 

 急降下。

 青い拳が顔のない女の顔面をとらえ、振り抜かれる。

 肉と骨を砕く手応え。

 ぱぁん、と女の頭部が破裂する。

 

(!?)

 

 巨大黒獣が地面に這いつくばる。

 それと同時に全ての黒獣が破裂した。

 先ほどと同じようにその体が液体のように地面に広がる。

 

「え・・?」

「おい、どうしたんだ?」

「勝った・・・のか?」

 

 ざわつく術師たち。

 

「ちげーよ! 全然変わってねえよ! こいつらまだ生きてんぞ!」

 

 ミトリカの声が響く。

 それが合図であったかのように、全ての液体化した黒獣が女体型目がけて殺到する。

 

(ちっ!)

 

 青い鎧が女体型を持ち上げる。だが黒獣達の方が一瞬早かった。

 液体化した黒獣達は矢の速度で宙を飛び、女体型に融合して一つの塊となる。

 

(・・・いけない!)

 

 融合した固まりが脈動し、うねり、物理法則を無視して本来のサイズ以上に巨大化していく。

 

(やむを得ないか!)

 

 このままでは森への大規模な被害が不可避と見て、決断する。

 結界の向こう、森の中に数キロにわたって広がる空白と、その中央に立つ巨大な樹。

 

「ぬんっ!」

 

 その広場の端、大樹と人のいる場所を避けて黒い塊を投げつける。

 王宮周辺の結界をすり抜けるときに一瞬稲妻を走らせ、うごめく黒い塊が地響きと土煙を上げて大地に叩き付けられた。

 

「な、なんだっ?!」

 

 王宮の周囲を守っていた衛士達がざわめきながらも即応体勢をとる。

 青い鎧が黒い塊と王宮の間に割り込み、王宮と衛士達を背に守る形になる。

 その視線の先で黒い塊が100メートル以上の大きさに成長し、何かの形をとろうとしていた。

 

 

 

 大地が揺れる。

 震動に足を取られながらも先行して走るカスミとセーナの速度は落ちない。

 再び震動。

 木々の間を飛び出し、不安におののくエルフたちの居住区画を走り抜けたところで更に震動。

 居住区画をもう少しで抜けるというところでそれが来た。

 

「・・・!」

「なんだ!?」

 

 まばゆい光が木々の間を貫いて二人の目を刺す。

 王宮広場に駆け込んだ二人が見たのは、黒いオオトカゲの背中に角のある女性の上半身の生えた、先ほどの女体型を100mほどに巨大化させた大怪物。

 その周囲に広がるのは融解し、ガラス化した地面。

 

 で、ありながら巨大女体型には目立った損傷は見られない。

 大樹と巨大怪物の間、高度200mほどに青い鎧が浮いていた。

 

「まさか・・・あの光の術を受けて無傷とでも? そんな馬鹿な」

「あの"黒い怪物(ブラゴール)"のことを警戒しているな。何らかの術を放って、それで傷をつけられなかったというあたりか?」

「で、あろうかと存じます・・・ブラゴール?」

「エルフの伝承に出てくる、あのような怪物の名前だ」

 

 かつてこの怪物を越えるサイズと再生力を持っていた怪人"ムラマサ"を一瞬のうちに焼き尽くした青い鎧の必殺技、"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"。

 それを弾く"ブラゴール"に空恐ろしいものを感じる。

 物理打撃はすぐに再生し、熱にも強い。

 

(ヒョウエ様・・・!)

 

 カスミの頬を汗がひとしずく伝った。

 



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05-22 畜力(チャージ)

 王宮を背に、1kmほどを挟んで青い鎧と"ブラゴール"がにらみ合いをしている。

 

(これは・・・恐らく単純に熱変化に強いんでしょうね。あの表面の脂なりなんなりで弾いたわけではない。"冬神の吐息(テトラ・ブレス)"もこの分では望み薄ですね。それ以前にあれは周囲への巻き添えが大きい)

 

 大気を集めて過冷却し、極低温の冷気として叩き付ける"冬神の吐息(テトラ・ブレス)"は、原理上効果範囲が拡散しやすい。

 拡散させなければそもそも冷気が発生しないためだ。

 

(となると・・・いや、まずはもう一つ試してみるか)

 

 青い鎧が閃光と化して突貫する。

 角を生やした巨大な女体型の口が、真っ赤に裂けて笑みの形を作った。

 

 

 

 どん、と"ブラゴール"のへそ、女体型とトカゲの継ぎ目あたりに青い鎧が飛び込んだ。

 周囲の黒い肉が流体のようになって鎧をすり潰そうとするが、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の生み出す膨大な魔力を圧縮した騎士甲冑はびくともしない。

 それでも注意を怠らず、全身で魔力波動を知覚する。

 魔力の波動を放ち、その反射を感知する念響探知(サイコキネティックロケーション)にも似た捜索行為。

 

(・・・核がない・・・"怪人(ヴィラン)"ではないのか!?)

 

「むん!」

『!?』

 

 念動の力を無制御に、全方向に放つ。

 "ブラゴール"の肉が内側からはじけ、女体がちぎれて地面に落ちる。

 その中から青い鎧が飛び出して先ほどと同じ位置に戻るが、その時には液体化した女体部分がトカゲと再融合し、数秒で元通りの半人半獣型になる。

 

「・・・」

『・・・』

 

 ふりだしに戻ったな、と言いたげにブラゴールが口を歪ませる。

 

(いいや、違うね)

 

 だが兜の下で、ヒョウエもまた笑みを浮かべた。

 

 

 

 しばしにらみ合いが続く。

 追いついて来たリアスとモリィ、ミトリカとアディーシャたち。

 王宮の周辺に展開した衛士達もスケールの違う戦いを前に、見守ることしかできない。

 

「!」

 

 ブラゴールが体中から触手を射出した。

 一キロの距離を瞬時に詰めて、数十本の黒い槍が青い鎧に殺到する。

 

「ふっ!」

 

 青い鎧がそれらを両手で払う。

 吹き飛ばされた触手の先が液体化して、下の広場に黒い水たまりを作った。

 いくらかは防ぎきれずに騎士甲冑に当たるが、傷一つ負わす事もできずに弾かれる。

 

「・・・ヒョウエは何故動かない?」

「わかんねえ。何かあるんだろうとは思うが・・・いや待て」

 

 モリィの目には、僅かながら魔力が鎧の隙間から洩れているのがわかった。

 

(こいつぁ・・・何か待ってるんだな?)

 

 触手が次々と射出される。

 次第にさばききれなくなる青い鎧を見ながら、モリィが強く唇を噛んだ。

 

 

 

(もう少し・・・もう少しだ)

 

 両手ならず両足をもフルに使い、触手を叩きつぶす青い鎧。

 広場には黒い液体となった触手の残骸が雨のように降り注ぐ。

 

 誰もが空を仰いでいた。

 青い鎧は触手を払い、ブラゴールを睨み付けている。

 ゆえに、誰も気がつかなかった。

 

「・・・!? 全員、構え! 前方に敵だ!」

「!?」

 

 衛士の一人の叫びに、全員が地上を見た。

 これまで地上に降り注いだ触手の破片が、最初に見た黒トカゲの姿になってにじり寄ってきていた。

 その数は百近い。

 

「やべえ、援護するぞ!」

「言われずとも!」

 

 モリィ達が一斉に走り出す。

 エルフの衛士達は槍を構えて横列を組み、衛士隊の中に小数いる術師が援護の術に集中し始める。

 そこに、一気に速度を上げたブラゴールの分体の群れが激突した。

 

「うわあああーっ!」

「怯むな! 耐えろ!」

 

 3mを越す巨獣の体当たりにも、エルフの衛士たちは耐えた。

 精霊魔法を用いて人間を越えた身体能力を得ている上で、術師たちの護りの呪文を受けてかろうじてではあるが。

 

「このっ!」

「おおっ!?」

「怯むな! あやつが本体を倒すまで耐えるのだ!」

「セーナ様!」

 

 刀を構えたリアスと、得物を槍に持ち替えたセーナが斬り込み、モリィとカスミがそれを援護する。アディーシャ達も術での援護に加わった。

 だが、それでも数が違う。

 基本のスペックが違った。その上分体たちはほぼ不死身だ。

 リアスが切り裂こうとも、液体からすぐに元の黒トカゲに再生する。

 モリィが雷光銃のフルチャージで吹き飛ばしても、多少体積が減る程度で、ほとんどダメージを受けているようには見えなかった。

 

「くっ、もう少し・・・!」

 

 面頬の下でヒョウエが歯がみする。鎧の隙間から洩れる魔力が一段と強くなっていた。



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05-23 輝く閃光

 

「・・・」

 

 そしてまたミトリカも歯がみしていた。

 小さな象ほどもある巨体にのしかかられ、必死で耐えるエルフの衛士。

 額に玉のような汗を浮かべ、それでも矢継ぎ早に術を放つ術師たち。

 モリィやリアス、セーナやカスミ達は元よりだ。

 それなのに自分は離れた場所で、こうしてただ見ているだけだ。

 

「こんな魔力があるのに・・・あいつら全員助けられるくらいの力があるのに・・・あたしは・・・!」

 

 涙のにじんだ目で空を見上げる。

 その視線の先に、黒い触手に包まれようとする青い鎧。

 

「・・・?」

 

 ピクシーの生来持つ魔力視覚が、青い鎧の本質をある程度まで見抜く。

 極めて膨大な魔力を圧縮し、術式と共に固形化した具現化術式。

 今も発する巨大な魔力を更に集中させ――

 

「・・・!」

 

 目を見開く。

 道がぱっと開けたような気がした。

 

「こう・・・だよな」

 

 自らの強大すぎる魔力を少しずつ解放する。

 だがそれを発散させず、暴走させず、心の手で掴んで自分の回りに押しとどめる。

 力を放出しながらそれを押しとどめるマルチタスク。

 それが魔力の制御のまさに基本であることに、ミトリカは気付いていない。

 

「・・・よし・・・!」

 

 これ以上ははじけてしまうというほどに自分の周囲に魔力を圧縮し、前方を睨む。

 もう一度魔力を掴む心の手を確かめ、ミトリカは突貫した。

 

「うわあああああああああ!」

「!?」

『ギギッ!?』

 

 弾丸の速度で光の玉と化したミトリカが飛ぶ。

 衛士達の隊列に襲いかかっていた分体達を横一直線に貫き、次々に破裂させた。

 半分ほどの分体達を液体に変えたところでミトリカは宙に舞い上がった。

 まとっていた魔力の光はほぼ消えている。

 

「はあ、はあ、はあ・・・」

「それよ! それでいいのよミトリカ! あなたは今、魔力を制御したのよ!」

 

 アディーシャの言葉に、ミトリカが汗のにじんだ顔に笑みを浮かべた。

 

 

 

 自分に絡みつく触手の隙間からそれを見て、青い鎧は頷いた。

 

(ならば・・・!)

 

 魔力をさらに集中させる。

 その体が、魔力視覚を持たないものにもわかるほどの、淡い燐光を放ち始めた。

 

『ギギギ・・・』

 

 更に触手を放ち、青い鎧を完全に包み込んでしまうブラゴール。

 1kmも伸びた触手の先に黒い球体。

 笑みを浮かべ、青い鎧を握りつぶそうと力を込めた次の瞬間、まばゆい光と共に触手の先端が消失した。

 

『!?』

 

 消失だ。焼き切られたのでも砕かれたのでもない。

 触手の玉のあった空間にまばゆい光。

 いや、まばゆく光を放つのは青い鎧。

 

輝き(シャイニング)よ――あれ!」

 

 光が直視できないほどになる。

 その光が宙高く飛び上がり、頂点で反転してブラゴールを目がけて一直線に降下する。

 

「はじけろ!」

『カ―――アアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 まばゆい輝きと共に閃光(スパーク)が走る。女体型の絶叫。

 次の瞬間、ブラゴールの巨体は細胞の一片も残さず原子の塵に返った。

 

 "物質分解(ディスインテグレイト)"。

 ヒョウエの得意とする物質変性系の術の一つ。

 それを極限まで高めた上で体にまとい、体当たりして全力で放出する。

 青い鎧を出しているときは、魔力を自分の体に集中させているために、離れた場所に術の効果を及ぼすことが難しい。

 それ故のこの形態だ。

 

「怪人の場合、コアを砕いてしまうと魔力の暴走が起きかねませんが・・・もしあなたが怪人だったら、本当に無敵だったかも知れませんね」

 

 本体の消滅と共に液体となり、今度は再生せずに動かなくなった分体達を見やってヒョウエは安堵の息をついた。

 

「ヒョウエ! ヒョウエー! 見てたよな!? オレやったぜ!」

 

 下からミトリカが飛び上がってきて、兜の装飾にしがみつく。

 面頬の下で笑みを浮かべ、ヒョウエはこのおしゃまなピクシーの頭を撫でてやった。

 

 

 

「さて・・・と。ちょっと下で待っててください、ミトリカ」

「? ああ、わかったぜ」

 

 素直に離れていくミトリカを確認して、ヒョウエは更に精神を集中させた。

 天に掲げた右手を大きく一回転させる、"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"の構え。

 

 大樹の王宮を見る。

 ここからだと例の顔を丁度真横から見る形になった。

 

(集中・・・範囲を絞って・・・)

 

 光が走る。

 次の瞬間、巨大な顔は周囲の花弁ごと焼き切られて消失した。

 

 

 

「お・・・おおっ!?」

「父上!?」

「族長!」

 

 王宮内部、謁見の間。

 緊張した面持ちで玉座に座っていたパンダ、もといトゥラーナの姿が一瞬ぶれて元のエルフの老人に戻った。

 

「これは・・・やってくれたの、ヒョウエたちが」

「はい。恐らくは他の同胞や森の変異も・・・!」

 

 

 

 一方王宮周辺の広場でも、周辺にいくつかあった変異が元に戻っていた。

 アディーシャが興味深げに頷いている。

 

「なるほど。あの顔が常時出していた波動は、変異を維持するためのものだったのね。

 まずミトリカが魔力で下準備をする。ウインクで変異を起こす。その後はもう一つの波動を常時発して、変異を固定化してたんだわ。

 年単位でこの状態が続けば、変異が完全に定着してたかもしれないわね」

 

 あー、と周囲が頷く。

 

「それはわかったけどよ、あの化け物を倒したのはともかく、どうやってあの顔を焼き切ったんだ?

 どうにも手出しが出来ないから今まであのまんまだったんじゃねえか」

「簡単な事よ。まあその簡単な事にシャンドラ様も私も今まで気付いていなかったのだけれど。あの結界、結界があるにもかかわらず樹はそのままの距離に見えるでしょ? つまり――」

「光だけは素通しすると言うことですよ、あの結界は」

 

 アディーシャの言葉に、いつものボーイソプラノが重なった。

 

「ヒョウエ!」

「ヒョウエ様!」

「や、皆さんお疲れさま」

 

 杖にすがって、ぐったりと立つヒョウエがいた。久しぶりの等身大だ。

 

「"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"は収束させてこそいますが、純粋な光の束ですからね。わかってみれば簡単なものです――まあ、こちらの世界でその光の性質に気付いてる人はそう多くはないと踏んでのことでしょうけど」

「ですね」

 

 アディーシャが頷く。

 ふう、とヒョウエが息をついた。いつもの如く、その顔には疲労の色が濃い。

 

「おんぶいるか?」

「あ、お願いします・・・」

「お待ちなさい、モリィさん! 今度こそ私の出番ですわ! 力があるのはどちらか考えれば、自明の理でしょう!」」

「おめーは鎧着てるだろ。ごつごつしてて痛ぇんだよ!」

「優しくおぶいますわ!」

「ならあたしの時もそうしろよ! マジで痛いんだからなあれ!」

「あーもしもし、リアス様、モリィ様」

「何ですか、カスミ」

「なんだよ」

「あちらを」

 

 カスミが指さした方には、セーナにおんぶされるヒョウエの姿があった。頭の回りをミトリカが飛び回っている。

 

「こんなものでいいか?」

「すいませんね」

「なに、お前の働きに報いるにはこんな物では到底足りるまい」

「いいなー。あたしもヒョウエにおんぶしたい」

「ま、そのうちにな」

「「あああああああ!?」」

 

 モリィとリアスが絶叫する。

 エルフの衛士、術師たちから和やかな笑い声が起こり、カスミが溜息をついた。



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第四章「誰がタルトを盗んだか?」
05-24 腑に落ちないこと


『誰かさんが言ってましたよ。みんなが余計なお節介をしなければ世界は回るって!』

 

 

                          ――不思議の国のアリス――

 

 

 

 

「うーん」

「どうしたの、ヒョウエくん? 何かここのところずっと上の空だけど」

「まだセーナさんたちの森のことがお気になるんですの? 変異した方々や森もみんな元にお戻りになったではありませんか」

「・・・」

 

 あれから一週間、夕時のヒョウエ邸。早めに依頼を終わらせて、全員揃っての夕食時だ。

 あの後、リアスの言う通り森の変異は完全に収まり、木々や動物、エルフ達の変異も全てもとに戻った。

 ミトリカもおとがめなしで、今はアディーシャのもとで魔力制御の修行に励んでいる。

 唯一シャンドラだけはまだ意識が戻らなかったが、体調は徐々に回復しているため、まず問題はないだろうとのことだ。

 毎日戦隊エブリンガーの面々も、宝石や稀少な素材、いくつかの魔法のアイテムを貰ってめでたしめでたし・・・のはずなのだが。

 

「うーん」

 

 ヒョウエはスプーンを口にくわえ、天井を見ながら椅子を揺らしている。

 

「ヒョウエくん、お行儀悪いよ」

「うーん」

 

 リーザの指摘にも上の空のヒョウエ。

 この一週間というもの、ずっとこのような調子であった。

 サナが口を開いた。

 

「ヒョウエ様。何か気になる事がおありなのですか?」

「具体的にどうこうと言うんじゃないんですよね。

 ただ、ミトリカもあの黒い女体型の正体を知りませんでしたし、何より何のためにやっていたのかが不明なのが気になるんですよ」

「森の中に変異をまき散らして楽しんでいた・・・じゃねえのか?」

「そういった愉快犯的犯行にしては、色々本気すぎたと思いませんか?」

「まあ、そりゃな」

 

 モリィ達の脳裏に黒い怪物、ブラゴールの姿がよぎる。

 分体でさえ小さな象なみのサイズと、雷光銃やセーナの矢を弾く表皮、肉体を破壊されても瞬時に再構成できる異常な再生能力。

 本体である巨大ブラゴールに至っては、巨大化した怪人に匹敵する戦闘力に加え、焦点温度数千度の圧倒的な熱量にすら耐えて見せた。有機物なら蒸発分解し、岩や鉄でさえ一瞬で熔解を免れないレベルのそれにだ。

 

「それほどお気になるのであれば、もう一度森を訪ねてみては? ヒョウエ様と方々ならば門前払いは受けないでしょう」

「ですがしかし・・・いえ、そうですね。明日にでも行ってみましょう。みんな、いいですか?」

 

 モリィ達三人が一斉に頷いた。

 

 

 

 翌日。

 朝食をとって朝一番で出発する。

 ヒョウエの杖にまたがって北西、ズールーフの森の方に飛んでいく一行。

 城門から飛び立って数分ほど、モリィが眉を寄せた。

 

「・・・ん~~~?」

「どうしました、モリィ?」

「いや、森が・・・ピンクとか紫とかじゃあないんだけどな。その、なんか・・・説明しづらいな。『なんか元気がない』って感じか? 特に色がくすんでるわけでもねぇんだけどよ」

「うーん?」

 

 やがて森に接近すると、ヒョウエにもモリィの言葉の意味がわかってきた。

 

「確かにこれは何と言うか・・・『元気がない』というのが適切な表現ですね」

「だろう?」

「?」

「どういう事でしょうか、ヒョウエ様、モリィ様」

 

 頷き合うヒョウエとモリィに対して、リアスとカスミは腑に落ちない顔だった。

 

「もしや魔力の?」

「正解です。何と言うか、森の魔力がよどんでいるというか・・・良くない魔力が森を覆ってる感じがします」

 

 硬い表情のヒョウエ。

 一行はそのまま孔雀鷲の発着場に降下していった。

 

 

 

 幸い拒絶されることもなく、取り次ぎが行き来するしばらくの時間を挟んでヒョウエたちは王宮に案内された。

 

「・・・」

 

 森の中を通り、王宮への道を歩いて行く。

 エルフ達の居住区もだ。

 確かに以前来た時のような奇妙奇天烈な変異は姿を消している。

 しかしここまで来ると魔力知覚能力を持たないリアスやカスミにも、雰囲気がよどんでいることが察せられた。

 森に生気はなく、生き物の姿もない。

 居住区を行き来するエルフ達にも活気がなかった。

 

「・・・」

 

 案内役として一行の前を歩いていく若いエルフの女性衛士も、発着場を離れて以来硬い表情で口を利かない。

 結局一行は、そのまま無言で王宮に到着した。

 

 

 

「ヒョウエ!」

 

 王宮に入るなり、セーナが駆け寄ってきた。

 ヒョウエの手を掴み、安堵の表情を浮かべる。

 

「良く来てくれた! モリィもリアスもカスミも!」

「友達じゃないですか。それに、終わったはずの依頼が終わってなかったというのは冒険者として問題がありますからね」

 

 笑顔で答えるヒョウエに、手を掴む力が強くなる。モリィ達もにやりと、あるいは微笑んで頷いた。

 それに頷き返すとセーナがヒョウエの手を離した。

 

「来てくれ、案内する」

 

 また頷いて、ヒョウエたちは歩き出した。

 王宮の廊下を歩いていく。

 

「ミトリカはどうしてます?」

「素直なものだ。回りにもかわいがられていて、アディーシャのところで頑張っている――」

「セーナ?」

「これからお爺様のところに連れていく。驚かないでくれ」

「パンダ族長よりも驚く事なんてそうそうありませんよ」

「はは、そりゃそうだ」

 

 ヒョウエの冗談にモリィ達は笑みを浮かべるが、セーナの顔は浮かないままだった。

 

 

 

「――族長様」

「おお、ヒョウエたちか。よう来てくれた・・・」

「族長様、そのまま」

 

 案内されたのは謁見の間ではなく、トゥラーナの私室だった。

 部屋の主は寝台に伏せている。

 起き上がろうとする彼を手で制してヒョウエが歩み寄る。

 トゥラーナが力尽きたように再び寝台に沈んだ。

 

「一体これは?」

「特に病があるわけでもないのだが、体の動きがおかしくなってしまってな・・・アディーシャの見立てでは一種の呪いと言うことだったが、解呪まではかなわなんだ。こうして無様をさらしている有様よ」

「確かに」

 

 今起き上がろうとしたときの動きだけでも、ただ弱っているというのではなく、言ってみれば半身不随の人間が何とか起き上がろうとしているようなぎこちなさがあった。

 

「失礼」

 

 "魔力解析(アナライズ・マジック)"を発動する。

 

「・・・?」

 

 ヒョウエが眉を寄せた。

 トゥラーナの体幹を中心に走る術式は意外なほどに整然としていて、いわゆる呪いのような混沌としたものとは一線を画している。

 

「アディーシャも驚いておった。正確に言えば解呪は何度か成功したのだが、そのたびにまた術式が復活してしまうのじゃ。解呪にも手間がかかるし、体を動かしにくいこと以外には支障はない故、しばらく放っておいて貰っておる」

「うーん・・・取りあえず僕も解呪させて頂きたいと思いますがよろしいでしょうか」

「うむ、やってみてくれ」

 

 トゥラーナが頷くのを確認して、ヒョウエが解呪の術を発動する。

 老エルフの体に走る術式が、さほどの抵抗を見せることもなく綺麗に消えた。

 

「おお、やはり余計なものが無くなるといいのう。すまんなヒョウエ」

「いえいえ。これくらいなら片手間で出来ますし」

 

 ヒョウエはそう言うが、アディーシャ達がここにいたら恐らく溜息をついただろう。

 熟練のエルフの術師が数人がかりでやっと解ける術が、片手間で解かれるとは・・・と。

 

 トゥラーナが身を起こす。

 今度は動きも軽やかで、人間で言えば80才の老人とも思えないほど自然で力強い。

 ぐっぱ、ぐっぱ、と手を開け閉めしている。

 

「術式が復活とおっしゃいましたがどの程度で?」

「そうじゃなあ、正午に解呪して貰った時は、夕方になる前に体の動きがぎこちなくなってきて、日が沈んだ後にはもう完全に元通りになっておったわ」

「ふむう。それでは半日ほどしたらまた参りますので、その時にもう一度お体を診せて頂いてよろしいでしょうか」

「うむ」

 

 トゥラーナの首肯を確認して、ヒョウエが立ち上がった。

 

「それではこれで」

「うむ。わしの体もそうじゃが、森にかかる呪いを何とか解いてくれ。頼んだぞ」

「微力は尽くしましょう」

 

 一礼してヒョウエたちは部屋を辞した。



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05-25 犯人は現場に戻ってくる

 その後ヒョウエたちは許可を取ってシャンドラの部屋に向かっていた。

 ヒョウエたちを王宮まで案内してくれた護り手のエルフが一人、世話役としてついてきている。

 戦士ながら武張ったところを余り感じさせない、穏和な女性だ。

 

「護り手のティカーリです。改めてしばらくの間よろしくお願いします」

「ヒョウエたちの世話役なら私一人で十分じゃないか。何でお前がついてきている?」

 

 自分が不適格だと言われているような気分なのか、不服そうにセーナ。

 ティカーリが溜息をついた。

 

「それはもちろん戦いならセーナの方が強いよ? でもセーナって自分が正しいと思うと、意地になって突っ走るじゃない。

 今は難しい時期だし、いくらヒョウエくんが人族の王子で腕の立つ術師だと言っても、人間を森に入れること自体いい顔をしない人だって少なくないんだよ?

 そう言う人たちは、事件解決するのに人間族の手を借りたことさえ文句言ってるのに、そこにセーナが正論でぶつかったらどうなると思う?

 そりゃトゥラーナ様もナタラ様も心配するに決まってるじゃない」

「うぬ・・・」

 

 悔しいのか、口元がひくつくセーナ。

 反論しないあたり、自覚はあるらしい。

 随分と気安いことからして、幼なじみかそれに近い立場なのだろう。

 ヒョウエで言えばサナやリーザに相当するような。

 

「・・・なんです?」

「別に」

 

 視線に気付いたヒョウエがモリィ達の方を振り向くと、モリィは口笛を吹いて誤魔化した。

 

 

 

 シャンドラの部屋は窓が仮修繕されてはいたが、それ以外は事件の時のまま保全されていた。

 

「本は・・・先だって見た時と変わりませんね」

「お前本当に本については記憶力とんでもねえのな・・・いや本以外でもすげえけどさ」

「サーワさんには及びませんよ。習得できるものなら弟子入りして本の魔法を学びたい位です」

「あれはまあ、この森でも特別だからな・・・」

「だよねー」

 

 溜息をつくセーナ、うんうんと頷くティカーリ。

 

「で、あたしは何を見ればいいんだ?」

「まあ全般的にと言うか、どちらかというと念のためにですね。現場百回とも言いますし」

 

 じゅうたんにべっとりひろがる血痕は既に固まり、黒ずんでいる。

 

「よくもまあ生きてたものです」

「シャンドラはまあ、生き汚いじじいだとお爺様がよく言っていたよ。家族みんなして苦笑していたものだが、今回ばかりはそれが本当でよかった」

 

 苦笑を浮かべるセーナに、他の面々も僅かに苦笑を浮かべる。

 血痕のほとりにヒョウエが杖を突いた。

 

 念響探知(サイコキネティックロケーション)

 微弱な念動波が広がり、部屋を舐めるように伝わっていく。

 しばらくヒョウエは目を閉じて集中していたが、やがて目を開いた。

 

「やっぱり特に隠された部屋とか宝箱とかありませんねえ。ダイイングメッセージとかも見あたりませんし」

「なんだそりゃ?」

「物語ではよくあるでしょう、殺された人間が最後の力を振り絞って血文字を残すとかのあれですよ」

「あー。・・・特にないな、そう言うのは」

 

 血のりを含めて床を注視するモリィだが、やはり《目の加護》をもってしても何も見えない。

 

「まあこれだけ血だらけではね――"魔力解析(アナライズ・マジック)" ・・・ああ、ついでにかけておきましょうか。"警戒(アラート)"」

「今かけた術は何ですの?」

「周囲に敵意を持つものや危険な何かがあったら注意を喚起してくれる術ですよ。

 あの四本腕のおじさんとか、そうでなくてもエルフ一の術者を不意を打って倒した怪物がいるわけですからね」

「なるほど。例えばわたくしが透明になって襲いかかろうとしても――」

「カスミが僕の探知術を妨害できる、"対魔法隠匿(マジック・ステルス)"のような術を使わない限りは察知できるわけです」

 

 先だっての事件を機に学んだ、警戒・探知系の術。

 一応くらいのつもりでかけておいたそれが後で役に立つことになる。

 

 

 

「お、いいぜ。何もねえ」

「わかりました」

 

 念動で宙に浮いていた本棚がゆっくりと床に降りた。

 本や様々な呪術の道具、家具などを調べては持ち上げ、いちいちモリィの目とヒョウエの"魔力解析(アナライズ・マジック)"で確認する事2時間。

 特にダイイングメッセージや犯人の遺留品が見つかると言うこともなく、一行は部屋を後にした。

 

「あーあ、無駄足だったな」

「まあ捜しても何もないという結果は得られましたよ。決して無駄ではありません。他のところを当たってみましょう」

「捜索というのは面倒なものだな・・・私は護り手で良かった」

「セーナは興味のないことはとことん根気がないからねえ・・・」

 

 階段を下りていく一行。

 ヒョウエのローブの袖に、すっかり固まってつくはずのない血痕が赤々と、一滴だけついていることにまだ誰も気付いていない。

 

 

 

 階段を下りながら、ヒョウエがふとセーナを振り向いた。

 

「そう言えば、結局魔導書は見つかってなかったんでしたっけ?」

「え? ああ、シャンドラが禁書庫から借りだしたというあれか。そうらしいな。詳しいことは聞いていないが」

「何が書かれていたのかはわかります?」

「アディーシャやサーワも詳しくは知らないらしい。禁呪の類がいくつか載っていたそうだが」

「ふーむ」

 

 口元に拳を当ててヒョウエが考え込む。

 

「歩きながら考え込むなよ。危ねーぞ」

「大丈夫ですよ。リーザみたいな事を言わないで下さい」

「見てて危なっかしいんだよ・・・で、何がそんなに気になるんだ?」

 

 ヒョウエが足を止める。

 他の五人も足を止めてヒョウエの言葉を待つ。

 

「状況からして魔導書はシャンドラさんの部屋にあったはず。

 それがなくなっていたというならあのブラゴールが持ち出したか、混乱に紛れて何者かが奪ったことになる。

 つまり、やはり明確に敵は残っている。そして魔導書を用いて何事かをしようとしている。そう考えるのが自然でしょう」

「うむ、そのあたりは長の集いでも議題に上がって、同じ結論が出たらしいな」

「が・・・」

「が?」

「どうもそこが引っかかるんですよね。そう考えるのが一番筋が通っているとは思うんですが、何か見落としているような気が・・・」

「うーん・・・」

 

 全員で頭をひねるが、答えは出ない。

 そうこうしているうちに窓の外から声が聞こえてきた。王宮の下の方がざわついているらしい。

 

「? どうしたんだ?」

「騒ぎになっているみたいだな。降りてみよう」

「外ですよね? 面倒ですし窓から降りましょう」

「え、窓って・・・きゃああああ!?」

 

 ヒョウエたちがふわりと浮かぶと一列になって窓をくぐり、大樹の外に飛び出す。

 慣れていないティカーリが悲鳴を上げた。

 

 

 

 窓から飛び出すと、ヒョウエたちは一塊になってゆっくりと降下していく。

 

「おお~~~」

 

 ティカーリがセーナの肩につかまり、こわごわと周囲を見渡していた。

 滑空するように、降りながら王宮正面へ向かっていく。

 正門周辺に人だかり。

 

「うん? あいつぁ・・・」

「モリィ?」

「ナパティだぞあれ?」

「え、あの鍛冶屋と細工師の?」

「ナパティさんが? この森の出身だろうとは思ってましたが・・・」

「・・・ナパティ?」

「・・・」

 

 口々に疑問を口にするヒョウエたち。セーナだけは無言。

 首をかしげながら六人は王宮正門前に降り立った。

 

 

 

「だから中に入れてくれ! 族長に話があるのだ!」

「いや、ですから・・・」

「その、あなたは・・・うん? ヒョウエ殿? それに・・」

「なぬ、ヒョウエ?」

 

 衛士達と何やら言い合っていた褐色長身のエルフ。

 衛士達の反応で後ろのヒョウエたちに気付いたらしく、振り返ると喜色を浮かべた。

 

「おお、ヒョウエか! 天から降ったか地から湧いたか、地獄に仏トイレに巻紙! こいつらに言ってくれ! 俺を奥に通せと――ぐぼばっ!?」

 

 言葉を遮って、セーナの槍がナパティを殴り倒した。

 どよめきが起きる。

 何故か一人の女性衛士がガッツポーズを取っていた。

 

「ぐおおおお、ぐふっ!?」

 

 頭を抑えて悶絶するナパティの腹を、踏み抜かんばかりの勢いでセーナが踏みつける。

 頭上で回転させた槍の穂先が、その喉元にピタリと据え付けられた。

 慌ててヒョウエが間に割って入った。

 

「す、ストップストップセーナ! 一体どうしたっていうんですか!」

 

 ふーっ、ふーっ、と荒く息をつくセーナ。必死に自分を抑えているようにも見える。

 

「こいつは・・・ヒョウエ、こいつはな・・・私の兄なんだ!」

「えっ」

「えっ?」

 

 ヒョウエたち四人の動きが止まる。

 あちゃあと言う顔をしてティカーリが額に手を当てていた。

 



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05-26 馬鹿が歩きでやってくる

 王宮正門前は修羅場になっていた。

 なお衛士達は誰も自分たちの王女を止めようとはしていない。

 女性衛士に至っては期待に目を輝かせているものすらいる。

 ナパティの人望のほどが察せられよう。

 

「セーナ! お前は兄をその手にかけようというのか!?」

「できるものならあの時に息の根を止めておきたかったわ! この一族の恥が!」

「・・・何があったんだよ?」

 

 恐る恐る訊ねたモリィを、セーナがきっと睨む。

 

「お前達、こいつが森を出た理由は聞いているか?」

「・・・・・・・・・・・・・・あー」

 

 風呂を覗いていたら興奮して火の加護が暴走、発火して気付かれたという話である。

 本人はそれ以上語らなかったが、その後何があったかは想像するに余りある。

 

「それだけでも最悪なのに、あの時覗かれた中に私もいたんだ!」

「うわぁ」

「それは・・・」

「仕方ございませんね。ケジメとしてもここはキュッと殺っておくべきでしょう」

「何を物騒なことを言っているのだクール系ロリペドメイド!?」

「誰がクール系ロリペドですか?」

 

 北極の氷のような視線で、踏みしだかれている馬鹿(ナパティ)を見下ろすカスミ。

 その瞳は既に真っ青に染まっている。

 

「おおう、ちょっとゾクゾクする・・・ナパティ新性癖!」

「それが末期の言葉と言うことでいいんだな?」

 

 カスミと同じくらい冷たい目でセーナが言い放ち、槍を振り上げる。

 

「待て、待つのだ愛しき妹よ!」

「言いたい事があったら言ってみろ。遺言代わりに聞いてやる」

 

 必死のナパティだったが、完全に目が据わっているセーナにはまるで通じない。

 

「全然聞く気がないではないか! ヒョウエ、お前からも何か言ってやってくれ!」

「と言われましてもねえ。よそ者の僕たちが身内の問題に首を突っ込めるはずがないでしょう。ああ、骨は拾ってあげますよ」

「ヒョウエ! 冗談にもほどがあるぞ!?」

 

 ついに泣きの入ったナパティに、ヒョウエが溜息をつく。

 

「割と本気だったんですけどね。大体なんでここに来たんですか。追放されたんですよね?」

「理由があるからに決まっているだろうが! 流石に何のわけもなく、追放された故郷に戻ってくるか!」

「ふむ。ではどう言った理由で?」

 

 ナパティが真剣な表情になって頷いた。

 

「うむ、夢で見たのだ」

「よし殺す!」

「ストップストップストップ!」

 

 本気で槍を振り下ろすセーナを、必死でヒョウエが止めた。

 

 

 

「あー、取りあえず、族長様なりナタラ様なりのご裁可を待つことにして、ナパティ様は牢屋に入って貰うって事で・・・どうかな?」

「む・・・」

 

 しばらく揉めた後、ティカーリが出してきた提案を何とかセーナに納得させる事に成功する。

 その場の全員が疲れた顔になっていた。ただし馬鹿(ナパティ)を除く。

 

「貸し一つですからね、ナパティ様」

「うむ、感謝するぞ、さすがティカーリ! 愛しているぞ愛しの君よ!」

「蹴りますよ? 死ぬまで」

「アッハイ」

 

 笑顔でドスを利かせる幼なじみに、ナパティはそう答えるより他なかった。

 

 

 

「はあ・・・」

 

 牢に連行されていくナパティ(何人かの女性衛士にこづかれているのは見なかったことにする)の背中を見ながら、セーナがぐったりと自分の槍にもたれかかった。

 その背中から疲労と悲哀の匂いが漂ってくる。

 

「あー・・・取りあえずそれではお父上に会いに行きませんか。報告もしなくてはなりませんし」

「そうか・・・そうだな・・・」

 

 おっくうそうにセーナが身を起こした。

 

 

 

 セーナとナパティの父ナタラは、トゥラーナに代わって玉座で長達と話をしていた。

 ナパティの話を聞き、その顔が疲れたように歪む。

 周囲の長――人間の世界で言えば大臣たちも同様だ。

 

「・・・あの馬鹿息子が・・・」

「いかが致しましょうか、父様」

「しばらく放っておけ。多少は奴の頭も冷えるだろう」

 

 深い溜息と共に言葉を吐き出す。

 大方のものはそれに頷いたが、サーワは厳しい顔のままだった。

 

「むしろ即座に森の外に再追放してしまうべきではないでしょうか? ナタラ様の御子とは言え、決まりは決まりです」

「うんまあそれはそうなんだが・・・」

 

 弱り顔のナタラ。

 

(・・・サーワも覗かれた一人なんだ)

(あー・・・)

 

 ヒョウエの耳に囁くセーナ。

 

「聞こえてますよお二方」

「ひえっ」

 

 ちろりと睨まれて二人が首をすくめる。

 ナタラとサーワはしばらく言い合っていたが、なんとかナタラがサーワをなだめてその場は収まった。

 

「ところでナタラ様。シャンドラ殿の部屋からは残念ながら何も見つかりませんでした。

 森を一通り回って見たいと思うのですが、目星は付いていませんか? 森を覆う・・・なんというか、瘴気の濃いところとか」

「ふむ・・・」

 

 ちらりと周囲の長達の顔を見まわすが、どの長も首を横に振った。

 

「うーん。霊地のようなところはありますか? 地脈の力が吹き出している場所とか。そうしたところで異常はないのでしょうか」

「アディーシャにいくつか回って貰ったところでは、そうしたところに特にこの、瘴気と呼んでしまうがそれが濃いと言うことはないらしいな」

「やはり一筋縄ではいきませんか。サーワさん、少しよろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょう?」

「書庫にあるですね・・・ん?」

 

 ヒョウエが自分の袖を見下ろす。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも。それで書庫に入らせて頂きたいのですが・・・」

 

 ちらり、とナタラの方を向く。

 ナタラが頷いたのを確認してサーワが頭を下げた。

 

「わかりました、ではどうぞ」

 

 ヒョウエたちも一礼して謁見の間を退出する。

 サーワについて歩きながら、ヒョウエが自分の袖を見る。

 青い袖に一点、真紅の血の染みが付いていた。

 

 

 

「これですね」

 

 書庫で見せて貰ったのはズールーフの森の地脈ポイント、先ほど言った霊地のリストだった。

 

「はい、ありがとうございます」

「?」

 

 モリィが首をかしげるが、何も言わない。

 

「それでは写して頂けますか」

「はい、少々お待ちを」

「・・・?」

 

 サーワがヒョウエの出した和紙に地図を写す。

 今度はヒョウエが首をかしげた。

 

 

 

 写して貰った地図を手に、サーワと別れて廊下を歩く。

 

「で、その霊地に行くのか?」

「ああは言いましたが一応確認してきたいですからね。モリィの目ならアディーシャさんも気付かなかった何かに気付けるかも知れませんし」

「余りおだてるなよ? 魔法にゃ無力なことも多いって、この前わかったろ」

「得手不得手はありますよ。頼みにしてるんですから頑張って下さい」

「・・・へっ」

 

 照れたように、モリィが鼻の頭をかく。

 むすっとするリアスを、カスミが必死になだめていた。

 それを横目で見つつ、セーナが口を開く。

 

「しかし禁書庫に入ったのは何か意味があったのか? 禁書庫の本に用があったわけでもあるまい」

「まあそれこそ念のためと言う奴ですね。

 ・・・何かこう、ひっかかるんですよ。

 本当に何かつかめそうなのにするりと手から抜けていく感覚があるんです。

 ああもうもどかしい・・・」

 

 地図を握った拳でこめかみをこつこつと叩きながら、ヒョウエは廊下を歩いていく。

 顔を見合わせながら、少女たちがその後に続いた。



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05-27 じゃじゃ馬ならし

「ミトリカちゃんはついさっきアディーシャ様とお出かけになりましたよ」

「おや、タイミングが悪かったですね」

 

 書庫を出た後、アディーシャの研究室にミトリカを尋ねたが、いたのは人の良さそうな若いエルフの男性だけだった。

 書類を整理していた彼によると、アディーシャと弟子たちは異常箇所を見つけるために森中に散って動いているらしい。

 最年少の彼が集めたデータを整理しているとのことだった。

 

「皆さんが来たのを聞いて喜んでましたから、是非会って上げて下さい。夜なら戻ってると思いますので」

「それはもちろん。では失礼します」

「はい、お疲れさまです」

 

 礼を述べて部屋を辞すると、ヒョウエが肩をすくめた。

 

「まあ当然ですか。エルフの人たちだって原因を探すのに色々尽力してるんだし」

「大丈夫なのかね、術師がばらけてよ。あのクロトカゲみたいな怪物がでないとも限らねえだろう?」

「そこは流石に衛士の護衛を付けるとは思うがな」

「まあそれはそうですわね。流石にそこまで不用心でもないでしょう」

「それでは・・・うん?」

 

 ヒョウエが自分の袖を見下ろした。一点の血の染み。

 

(うーん? "魔力解析(アナライズ・マジック)"でも何も反応がないんですけどねえ)

 

「どうされました、ヒョウエ様?」

「いえ、何でもありません。そう言えばシャンドラさんのご容態はどうですか?」

「命に別状はないようだが、まだ意識が戻る気配はないそうだ。まあナッグ婆がついているから問題はないと思うが・・・」

 

 癒し手の長の老婆の名前である。

 セーナにとっては祖母のような存在であるとのことだった。

 

「・・・魂を抜かれたような状態だと言ってましたね?」

「精神の働きがひどく弱くなっているとは言っていたな。それがどうかしたのか?」

「いえ・・・うん、まあ後回しでいいでしょう。今はまず霊地の巡礼を片付けてしまいましょうか」

「アイサー、オヤブン」

 

 片言の日本語で、モリィがふざけて敬礼した。

 

 

 

「どうです?」

「うーん・・・こっちも何もねーな」

 

 杖にまたがって森の中を高速移動し、霊地を巡ること十幾つかめ。

 他の霊地と同じく、3mほどの自然石を立て、周囲に石を並べた小さなストーンサークル。

 更にその周辺に綺麗な輪っか状のキノコの列、いわゆる「妖精の環(フェアリーリング)」が広がっている。

 

「なあセーナ、この『妖精の環』ってエルフの住んでない森でも見るけどよ、魔法のものなのか?」

「ええとその・・・なんだったかな・・・ティカーリ!」

 

 最後尾のティカーリが苦笑した。

 彼女は杖にまたがれず、ヒョウエの念動だけで宙に浮いている。

 

「ほとんどのものは違うみたいだね。大多数は自然の働きにより円形にキノコが生えるんだって。でもこうした霊地の立石(メンヒル)の周辺に生えるものは地脈の力が関係しているんだって」

「そう言う事だ。まあ詳しいことは後でサーワにでも聞いてくれ」

 

 うむうむと頷くセーナの耳を、ティカーリが軽く引っ張る。

 

「何を偉そうにしているんだか。一緒にリシュー様に教わったでしょ」

「そ、そうだったかな・・・」

 

 耳を引っ張る力が強くなる。

 

「セーナはね、昔から嫌いなことは手を抜きすぎなんだよ。

 まだナパティ様の方がまじめに勉強してたよ?」

「ぐぐぐぐぐぐぐぐ」

 

 事もあろうに兄と比較され、悔しそうに顔を歪めるも反論できないセーナ。

 ヒョウエが苦笑して――

 

「伏せてっ!」

「!?」

 

 杖が側転した。

 ほとんど同時に光の弾丸が一行の後方から前方、一瞬前まで彼らの頭部があった空間を貫く。

 "警戒(アラート)"の術がかかっていなければ、そしてヒョウエが素早く反応してなければ、全員が即死していただろう。

 

「・・・!」

 

 光の弾丸がヒョウエの念動障壁を軽々と削り取るのを《目の加護》で目撃し、モリィが目を見張る。

 同時に光の弾丸の正体に気付き、更にその目が見開かれた。

 

「降りますよ!」

 

 念動の力を分割し、六人を地上に降ろすヒョウエ。

 全員が瞬時に戦闘態勢を整えた。

 

「おい、ヒョウエありゃあ・・・」

「わかってます」

「何・・・!?」

 

 セーナ達はこの時点でようやっと、敵の正体に気付いたようだった。

 光る弾丸は一抱えほどの光球となって宙に静止している。

 その中に見える小さな人影は。

 

「どうしたんです! ミトリカ!」

 

 光る玉の中で、シルエットしか見えないピクシーがヒョウエたちを睨んでいた。

 

 

 

「ミトリカ!」

 

 ヒョウエの声に応えるように、ミトリカが再び光の弾丸になった。

 

「やべえ、伏せろっ!」

「きゃあっ!?」

 

 ティカーリの槍が粉々に砕けて吹き飛んだ。

 余波ではじき飛ばされ、ティカーリが転がる。

 

「マジでやべえなあいつ!」

 

 ヒョウエの持つ九つの魔力経絡。

 それを全部注ぎ込んだ障壁を、たやすくとは言わずとも貫通した光の弾丸。

 

「ヒョウエ様の術でも防げないのですか!?」

「念動障壁は魔力を集中していると言っても面レベルですからね・・・点に集中しているミトリカ相手ではいささか分が悪いですね」

「のんきに言ってる場合か! 金縛りとかあるだろう!」

「僕が"巨人機(ギガント)"の集中砲火を喰らったときのこと、忘れました? 強い魔力は魔力を弾くんですよ」

「魔力なら怪人(ヴィラン)以上って事か・・・!」

「後は集中効果ですね。この短い間に随分と制御がうまくなったようで」

「言ってる場合か!」

 

 またしても光の弾丸。

 全員が伏せてミトリカの体当たりをやり過ごす。

 

「きゃっ!」

 

 間に合わなかったリアスの盾が、左上二割ほど削り取られた。

 

「ミトリカ! いい加減にしないとひどいですよ!」

 

 びくっ、と光球が震えた。光球の中のミトリカの瞳が揺らぐ。

 だがそれも一瞬のことで、次の瞬間には再びその瞳から感情の色が消える。

 

「なら、叱って上げますよ! ミトリカ!」

「ヒョウエ!」

 

 セーナの声が響いた。

 よたび、ミトリカが光の弾丸となる。

 その前に仁王立ちで立ちふさがるヒョウエ。

 光が爆発した。

 

「お・・・・おおお!」

 

 術で過剰な光をカットできるカスミでさえ見えないほどの魔力の光の爆発。

 それをはっきり見て取れたのは、やはり《目の加護》を持つモリィだけだった。

 

 正面から突っ込んで来たミトリカの光球を、ヒョウエが両手で正面からがっちりと受け止めている。その手に膨大な魔力が集中しているのが見えた。

 オリジナル冒険者族の魔力チートである"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"と、魔法種族の天然チートであるドータボルカスの魔力が真っ向正面からぶつかって凄まじいスパークを発していた。

 

「アアアアアアアアア!」

 

 ミトリカが叫ぶ。

 

「ミトリカァァァッ!」

 

 ヒョウエが叫ぶ。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ミィィィィィイィトォォォォォォォリィィィィィカァァァァァァァ!」

 

 光が爆発した。

 

「ぐっ!」

 

 物理的威力を伴った魔力の爆発に、さすがのモリィも目を押さえ、圧力に押されて地面に転がった。

 それでもすかさず立ち上がり、爆風の余韻の中で目を凝らす。

 

「ヒョウエ! ミトリカ! どうなった!」

「決まってるじゃないですか」

 

 少し疲労のうかがえる、だがいつも通りの声。

 

「じゃじゃ馬娘のお帰りですよ」

 

 ヒョウエの両手の上に、意識を失ってぐったりしたミトリカが横たわっていた。



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05-28 意外な犯人

 モリィが安堵したように息をついてニヤリと笑う。

 

「へっ、じゃじゃ馬娘のお帰りか。確かにその通りだな」

「まあ、最近僕の回りはじゃじゃ馬ばかりではありますけど」

 

 ヒョウエの不用意な一言でモリィの目がすっと細まる。

 

「ほーお。そりゃあたしのことか? あたしのことか?」

()たい()たい」

 

 モリィに頬をつねられるヒョウエ。両手にミトリカを乗せているので抵抗できない。

 その様子を見て溜息をつくリアスとセーナを見て、更に溜息をつくカスミとティカーリ。

 

(「じゃじゃ馬」にご自分も含まれると言うことは・・・)

(夢にも思ってないんだろうなあ・・・)

 

 互いに気付いたカスミとティカーリが、視線を合わせて更に溜息をつく。

 

「「?」」

 

 リアスとセーナが振り向いて、同時に首をかしげた。

 

 

 

「"疲労回復(レスト)"」

 

 ヒョウエの両手から発せられた魔力が、手の上のミトリカに吸い込まれていく。

 すぐにミトリカが目を開いた。

 

「ミトリカ!」

「大丈夫ですか、ミトリカ」

「あれ、セーナ・・・ヒョウエじゃん。どしたの・・・」

 

 ぼんやりとした顔で上半身を起こし、周囲を見渡していたミトリカだったが、突然ハッと目を開いた。

 

「え? え? どういうこと? オレ何したんだ!? あいてて、体が・・・」

「落ち着いて。魔力を使いすぎた反動です。今治療しますけどしばらくは安静に」

 

 再び魔力がミトリカに吸い込まれ、表情が落ち着いていく。

 

「悪い、助かった。それでオレは・・・」

「アディーシャさんたちと出かけていたと聞きましたが」

「そうだ! 最近森のケーキが悪くて、アディーシャが森の調査に出かけるってんでついてったんだよ」

「森のケーキ?」

「景気だろ」

「雰囲気と言いたかったんじゃないでしょうかね。で、それで?」

「アディーシャと一緒に飛んでたんだけど、アディーシャがいきなり立ち止まってさ、これからヒョウエが来るからそれを襲えって・・・え? 何でオレはそれに頷いたんだ!?」

 

 ショックを受けた顔になるミトリカ。

 

「落ち着いて下さい。それで?」

「う、うん。それで何か変な薬を飲まされて・・・後は良く覚えてねえや・・・」

 

 ミトリカの言葉が空気に溶けて消える。

 他の六人は何も口に出来ず、ただ顔を見合わせるばかりだった。

 

 

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 沈黙が森の中に満ちる。

 それを破ったのはやはりヒョウエだった。

 

「ミトリカ、その時衛士はいましたか? 護衛の人です」

「いや、オレとアディーシャの二人だけだったな。腕には覚えがあるから大丈夫って」

「ではもう一つ。そのアディーシャに見覚えはありませんでしたか?」

「見覚え?」

「昔、盗賊の生首を転がしてきた、例の黒フードの女にですよ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 ミトリカが考え込む。それと入れ替わるように、セーナとティカーリが声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待てヒョウエ!」

「アディーシャ様がこの事件の黒幕だって言うんですか!?」

「そう思いたくはないんですけど・・・色々符合してしまうんですよね。

 『探知の術、千里眼の術の達人なのに何も見つけられていない』

 『昔森の外に出ていたことがある』

 『ミトリカの身柄を引き取ることを熱心に希望した』

 『危険な時期にもかかわらず、ミトリカと二人だけで森を歩いていた』

 ・・・どうです?」

「ぬ・・・」

「いえ、ですがしかし・・・」

 

 擁護しようとは思うが、反論が出てこない二人。

 

「つまりこうです。

 アディーシャさんは昔からこの計画を考えていた。目的はわかりませんが、そのために手駒や色々な道具、知識を集めていた。

 人間の世界を旅していたのも、ミトリカを仲間に引き入れたのもそのため。

 準備が整って今回の事件を起こしましたが、僕たちが邪魔になって始末しようとしている。

 それとこれは邪推に近いんですが・・・千里眼や予見の術が得意なんですよね?」

「ああ。その方面ではシャンドラをも上回るともっぱらの評判だ」

「それで心や魂の術は全く習得してない?」

「会議でそう言ってたらしいな。それが何か?」

「あ・・・」

 

 僅かに顔色を変えたのはティカーリだった。

 

「どうした、ティカーリ? 何か知ってるのか?」

「探知の術ってね、心の術とは親和性が高いの。全く同じではないけど、探知の術に長けているとそうした術を習得しやすくなるし、探知に適性のある人は、心の術にもそれなりに適性があるみたいなんだよ。

 だから、探知の術を習得している人は心の術も習得していることが多いって聞いたことがある」

「それがどうした?」

 

 よくわかっていないセーナ。一方でモリィとカスミが眉を寄せた。

 

「不自然だってことですよ。もちろん本人が興味を示さなかったという可能性はありますけど、例えば組み討ちが得意なのに首を絞める技だけ習得していない、というのはおかしいと思いませんか?」

「む・・・」

 

 セーナが唇を噛んだ。リアスもこの時点で理解したようである。

 

「習得していながら習得していない振りをしていた可能性がある、ということですわね」

「まあ、あくまで仮説です。今のところは全部推測ですし、勘違いや偶然ということは十分有り得ます。有り得ますが・・・放っておくわけにもいかないでしょう」

「悪い方には見えませんでしたけど・・・」

「外ヅラだけじゃわかんねえよ。どう考えてもいい奴だと思ってたのが、ある日正体を現してごっそり財産盗んでいく事だってあらぁな」

「・・・で、ございますね」

 

 それでも信じられないリアスに、実体験なのか、さめた表情で肩をすくめるモリィ。

 カスミが固い表情で頷いた。

 

「それで、どうです、ミトリカ。雰囲気だけでも何とはなしに似てたりはしませんか?」

「うーん・・・言われてみれば結構似てたかなあ。少なくとも雰囲気はそっくりだったぜ」

「・・・」

 

 再び沈黙が落ちた。

 ヒョウエを含めて、全員の顔に「信じたくはないが疑わざるを得ない」と書いてある。

 

「っと」

 

 ヒョウエが杖を突いた。

 こぉん、と念動波が地面を伝っていく。念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

「やっぱり反応はありませんか。近くにまだいるかもと思いましたが」

「長話してたのがまずかったかな」

「まあミトリカの治療もありましたし・・・いたとしても失敗した時点で逃げてるでしょう。もう一つ・・・"失せもの探し(センス・ロケーション)"」

 

 しばらく集中していたヒョウエだが、目を開けて首を振った。

 

「こっちもアディーシャさんの反応はなしです。まずは王宮に戻りましょう。報告を・・・?」

「え?」

 

 ヒョウエのローブの袖がぴくりと動いた・・・ような気がした。

 凝視していると、もう一度ぴくりと、今度ははっきりと動く。

 

「動いた? ヒョウエ、これお前じゃねえよな?」

「違いますよ」

 

 真剣な表情で視線を向けるヒョウエの前で、またぴくりと動く。

 

「ただの血痕ではないと思いましたけど、どこかに誘っているみたいですね・・・行ってみましょう」

 

 

 

 森の中を十数分程飛んだろうか。

 

「これは・・・結界?」

 

 何らかの結界とおぼしき魔力の境界を通り抜けてすぐ。

 一行は樹齢数百年を数えようかという大きなブナの木の前で杖を降りた。

 

「おいおい・・・なんだこりゃあ・・・」

「馬鹿な・・・」

「その、まさかこれって・・・!」

 

 巨大な樹の幹に、エルフの女性の形がくっきりと浮き上がっている。

 その人型は、紛れもなくアディーシャの顔をしていた。



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05-29 鬼子母神

「一体どういう事だよこれは・・・?」

「少なくともただの彫刻じゃありませんね。中にアディーシャさんが入ってます」

「!」

 

 "魔力解析(アナライズ・マジック)"を発動したヒョウエが人型を観察して断言する。

 振り向いて今度は周囲を見渡す。

 

「この周囲の結界――この木を隠すように張られてますね。しかもエルフの術です」

「わ、私にはよくわかりませんけど・・・そうなんですか?」

「ほら」

 

 と、ヒョウエが杖で指したのは、結界に沿って生えるキノコの列。

 良く見ればそれはこの木の周りをぐるりと取り囲んでいた。

 

妖精の環(フェアリーリング)――!」

「エルフの妖精魔法は自然を媒介にして発動します。例えば森と平地の境とか、川とか・・・あるいは妖精の環とか。

 木に封印する魔法もそうですが、ほぼ間違いなくエルフのものでしょう」

「あ――そう言えばお爺様も実際に見たことはないと言っていたが、昔は重罪人を木の中に永遠に封じ込める罰があったらしい」

「トゥラーナ様が見た事ないって言うなら相当だね」

 

 800年を生きる老エルフが知らないというならどれくらい昔の事なのか、ちょっと考えかけてその思考を頭から追い出す。

 

「決まりですね。何者かがアディーシャさんをこの木に封じ、見つけられないように結界で隠したんです」

「オレを操ったアディーシャは偽物ってことか?」

「恐らく」

 

 難しい顔でヒョウエが木を見上げる。

 

「なあ、出してやれねえのか?」

「難しいですね。これは単純に木の中にアディーシャさんを突っ込んでいるんじゃなくて、概念レベルで融合してます。僕なら力づくで引っ張り出せなくもないでしょうが、やはりエルフの術者に慎重に解除して貰うのが安全かと」

「そうか・・・で、これからどうする?」

「やはり急いで王宮に戻りましょう。何をやるにしろ、これを報告してからです」

 

 ヒョウエの言葉に頷くように、その右袖がぴくりと揺れた。

 

 

 

「お帰りなさいませ、アディーシャ様。連れていたピクシーはどうしたんです?」

「いつも私といても何でしょうし、少し遊んでもらっていますよ」

「ですか」

 

 王宮の門番と会話を交わし、アディーシャが悠々と大樹の中を歩いていく。

 謁見の間に入り、一礼。

 玉座に近づこうとしたとき、後ろから声がかかった。

 

「ちょっと待ったぁ!」

「ヒョウエ殿?」

 

 ナタラ達は困惑顔だが、振り向いた「アディーシャ」の顔が僅かに歪んだのをモリィは見逃さなかった。

 

「どうしたのです、皆様方。そんなに血相を変えられまして」

「実は皆さんに見て貰いたい物がありましてね・・・これです!」

 

 ヒョウエが取り出したものを見て、今度こそはっきり「アディーシャ」の顔色が変わる。

 腰の「隠しポケット」のかばんから念動で飛び出したのは、木に封じられたアディーシャその人。

 アディーシャの入った部分だけを切り出して、かばんに無理矢理詰めて持って来たのだ。

 

「!?」

「返せよ! アディーシャを返せよ、このクソ化け物!」

 

 叫ぶミトリカ。

 玉座の方ではナタラを始め数人がやはり顔色を変えている。

 術に長けたエルフにはわかるのだ、これがただの彫刻などではないと言うことが。

 

「アディーシャ・・・お前は?!」

「くっ・・・」

 

 アディーシャの姿がぐにゃりと歪んだ。

 肌や髪、服が黒く染まりブラゴールと同じ油脂の質感を帯びる。

 

(魔力を借りるぞ、ヒョウエ殿)

 

「!?」

「え? ヒョウエ?!」

 

 ヒョウエの手が自然に上がり、ヒョウエでも見極めきれない複雑な術式を放つ。

 術式はキラキラしたチリを生みだし、それがアディーシャだったものに降り注ぐと、それは悲鳴を上げて倒れ、苦しみだした。

 

「GAGAGAGAA・・・!」

「これは・・・!?」

 

(ほい、ご苦労様)

 

 ゆらり、と幽霊のような幻像がヒョウエの右斜め前に現れる。

 

「シャンドラ!?」

「ご心配をおかけしておりますの、若様」

 

 かかか、と笑う小柄なエルフの幻像は、紛れもなく昏睡状態になっているはずのシャンドラだった。

 

「どういう事だよ、じいさん! あんた死にかけなんじゃ!?」

「まあ確かに死にかけたわな。なので『こりゃやばい』と思って、魂を自分の血痕に宿らせておいたのよ。魂の術は得意じゃからな」

「それで・・・ですが、どうしてそんな回りくどいことを?」

「それはな・・・」

 

 じろり、と玉座をにらむシャンドラの幻影。

 いや、正確にはその左横に立つ一人の人物をだ。

 

「そろそろ正体をあらわさんかい、サーワ。いや、禁書庫の怪!」

「!」

 

 「サーワ」の体が崩れた。体の端からペラペラと本のページをめくるようにばらける。

 腕が重ねたトランプ、あるいは本のページのような無数の薄い薄片となり、それが玉すだれのように伸びて玉座のナタラに襲いかかる。

 

「カアッ!」

「させません!」

 

 シャンドラとヒョウエの気合が響き、ナタラを緑の盾と念動障壁が守った。

 

「ガアッ!?」

 

 続けて金属球を飛ばそうとした瞬間、黄金の流星がサーワの体に突き刺さり、その体を吹き飛ばした。

 

「!? あ、あれは・・・わしの黄金の三叉戟!?」

 

 叫ぶのは玉座のナタラ。

 慌てて振り向いた玉座の右側、サーワと反対の方角に、にっこりと笑う彼の妻、セーナとナパティの母サティがいた。

 右腕の手首には直径1mはありそうな巨大な斬撃輪(チャクラム)が回転している。

 

「何を持ち出しているんだ! あれは次期族長の証だぞ!」

「いいじゃないですか、使ってないんですし」

 

 夫の抗議を一言でねじ伏せると、その笑みが鬼女のものに変わる。

 

「さて、人の旦那様を害そうなどと言う不届きものには、相応の罰が必要ですね」

「!」

 

 黄金の三叉戟で縫い止められた「サーワ」に、巨大な斬撃輪が飛ぶ。

 盛大な破砕音が起こり、木片が爆発四散した。

 

「ヒエッ!?」

「落ち着け、味方だから・・・今はな」

 

 身をすくめるミトリカを、セーナがなだめる。

 

「手加減しろ! 謁見の間だぞ!?」

「あら、ごめんあそばせ」

 

 悲鳴のような夫の言葉にちろりと舌を見せたサティだが、次の瞬間真顔に戻る。

 

「あなた! 気を付けて!」

 

 破砕された穴から「サーワ」が飛び出した。

 だが次の瞬間、ヒョウエの金属球とモリィの雷光、セーナの矢が次々にその体に突き刺さり、今度は玉座脇の壁に叩き付けられる。

 

「あら、やるじゃない」

 

 どこからか槍と山刀を取り出しながらサティが微笑み、夫を守るように玉座と「サーワ」の間に立ちはだかった。

 対する「サーワ」は一歩後ろに下がり、サティとヒョウエたち双方を警戒している。

 その体には全く傷が付いていない。

 

「やれやれ。どうなっているんでしょうね、あの司書・・・いえ、"インフェ・ビブリオ"さんは」

「インフェ・・・なんだって?」

「インフェルヌス・ビブリオティカ。『地獄の図書館員』という意味ですよ」

 

 既に剣と盾を構えたリアス、忍者刀と手裏剣を構えたカスミ、槍と盾を携えたエルフの衛士達がジリジリと包囲網を狭めている。

 その後ろには弓を構えたセーナ、雷光銃を構えたモリィ、金属球を周回させるヒョウエ。ミトリカも体に魔力を集中させて光り始めている。

 サーワ・・・"インフェ・ビブリオ"は舌打ちのような音を立てると今度は全身が薄片になり、一筋の蛇のようになってサティの開けた穴から逃げ出した。

 

「あらまあ」

「ええい、だから乱暴にするなと言ったのだ!」

「言ってる場合か! セーナ、ヒョウエ、お前達急いで追うんじゃ! 森の瘴気を吸われたら厄介だぞ!」

 

 言いながら幻影のシャンドラが指を動かすと、アディーシャに化けていたブラゴールが煙を上げて蒸発した。

 頷いてヒョウエたちが走り始める。

 

「今の術、どうやってブラゴールを倒したんです? 僕は結構苦労したんですけど」

「あれは魔力で膨らんだ風船みたいなもんでな。魔力を吸い取ってやりゃあイチコロよ。言ってみればなめくじに塩をぶっかけるのとそう変わらん――ま、あのくらいのサイズでないと通用せん手だがな」

「なるほど」

 

 話しながら、一行は王宮の正門から飛び出した。



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05-30 インフェ・ビブリオ

「いかん、これはもう遅かったか」

 

 幻像のシャンドラがうめく。

 王宮前広場には森全体に漂っていた陰鬱な魔力――瘴気が濃度を増し、黒い竜巻となって渦巻いていた。

 その竜巻の中に舞っているのは無数の本のページ。

 

「恐らくあれが禁書庫の怪――サーワに成り代わっていた禁書の一つじゃ」

「異界の知識を記した書物とか言う?」

「うむ。書物とは言うが、わしらの知っている書物ではなく、異界に存在する何者かの知識そのものを魔法で書物の形にしたものである可能性がある。

 であれば、知識だけではなくその存在の自意識の欠片が混じっていると言うことも有り得る話だ」

「「「なんて迷惑な!」」」

 

 モリィ、リアス、セーナが声を揃えて悲鳴を上げた。

 その間にも森全体から瘴気が集まり、渦に吸い込まれていく。

 差し渡し5kmを越える広場全体が薄い瘴気の嵐に覆われていく。

 

「くそ、やべえな。あれどうにかならねえのか?」

「出来なくはないが、極めて強力な魔法が必要じゃな。最初からこれが目的だったんじゃろう」

「ちょっと待って下さいよ、本物のサーワさんは?」

「わからん。アディーシャのようにどこぞに封じられておるのか、あるいは取り込まれておるのか・・・おい、どうした!?」

「く・・・かっ・・・」

「ティカーリ!?」

 

 ティカーリを始めとしたエルフの衛士達が苦悶の色を浮かべて膝をつく。

 倒れないまでも、胸を押さえて苦しんでいるものも多い。

 セーナも顔を僅かに歪めていた。

 

「いかん! 衛士達を王宮の中へ連れていけ! 王宮の中なら大樹の護りで多少は防げる!」

「わかりましたわ!」

「シャンドラ、これはどういう事だ!」

 

 ティカーリに肩を貸しながらセーナ。

 その後ろではミトリカが倒れた衛士達を数人まとめて念動の術で引きずっている。

 

「魔力――精霊力を吸われておるようじゃ。あの瘴気がその下準備だったのかもしれぬ・・・この分では森中の同胞が精霊力を吸われておるぞ」

「セーナ様は大丈夫なのですか?」

「この娘は術がへっぽこなだけで魔力だけは馬鹿みたいに高いからの。多少吸われてもそりゃ平気じゃろう。

 そっちのドータボルカスも同様じゃろう。逆にお主ら人族は元から体内の精霊力が薄いから、さほど影響が出ているようには見えんのだ」

「へっぽこは余計だ!」

 

 セーナが叫ぶがそれ以上の反論はしない。ヒョウエ達が苦笑する。

 シャンドラもそれには取り合わず、ちらりとカスミのほうを見た。

 

「ただ、ヒョウエ殿はともかくそちらのお嬢さんは、いつも通りに術は使えんと思った方が良かろうな」

 

 カスミが頷く。

 ヒョウエが真剣な表情になった。

 

「つまり、ここは――」

「ああ、お前さんの出番と言うことじゃな。"来たりし者(アラーキック)"よ」

 

 不敵な笑みを浮かべてヒョウエが頷くと、次の瞬間その姿がふいと消えた。

 

 

 

「!」

 

 渦巻いていた瘴気が急速に収束する。

 渦のあった空間の中央、空中10mほどの高さに浮かぶのは黒い人型。

 ただしブラゴールと違ってその姿はどこか霧のようで、シルエットもおぼろげ。

 

 これはブラゴールの女体化と同じ顔のない顔が、一同を見下ろす。

 その口元が確かに裂けて笑みを浮かべる。

 あの女体型と全く同じ笑み。

 

「ちっ・・・!」

 

 モリィ達が手に手に得物を構える。

 幼なじみをまだ元気な衛士に託して戻ってきたセーナもだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 笑みを僅かに大きくして右手を上げたその瞬間、"インフェ・ビブリオ"が弾かれたように上を見上げた。

 対照的にモリィ達は全員が笑みを浮かべ、残っていたエルフの衛士や、シャンドラも困惑した顔になる。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 空中に浮かぶ黒い影。

 それを睥睨するかの如く、青い騎士が更に高く、天空に浮かぶ。

 

 腕組みをして見下ろす青い鎧。

 顔のない顔で、それでもはっきりと憎々しげにそれを見上げる黒い影――"インフェ・ビブリオ"。

 

「・・・」

「・・・」

 

 青と黒の視線が交錯し、世界が止まる。

 五秒。十秒。三十秒。一分・・・

 

 そのまま世界が止まり続けると思われた中、戦いは唐突に始まった。

 閃光となって急降下する青い鎧。

 それを迎え撃つべく、黒い影が霧のような瘴気を吹き出す。

 

「!」

 

 重力を味方に付けて突貫してきた青い鎧の拳が黒い霧に包まれて勢いを殺される。

 ぐにゃりと歪んだ黒い霧に完全にスピードを殺されたと同時に、インフェ・ビブリオの体から黒い槍のような触手が数十本射出される。

 

「くっ!」

 

 後退しながら両手両足でそれをさばく青い鎧。

 矢の速度で迫るそれを何とか凌ぎきって、距離を取る。

 インフェ・ビブリオもやや後退して、一人と一体は空中で対峙した。

 

 

 

 最初の攻防を終えて、状況は振り出しに戻る。

 距離を置いて対峙する一人と一体。

 

「やべえな・・・あいつの拳止めるとかどうなってんだあの霧は?」

「あれは瘴気・・・よどんだ魔力の塊だ。

 巨大な地脈の上に広がるズールーフの森、そこから少なくとも一週間、いや、場合によってはこの異変が始まった半年ほど前、あるいはそれより更に前から溜め込んでいた魔力。

 下手をすればヒョウエ殿の《加護》をも上回るかも知れん・・・!」

「・・・!」

 

 唇を噛み、少女たちが空を見上げた。

 

 

 

「スゥー・・・ハァー・・・」

 

 呼吸を整え、相手を見つめ直すヒョウエ、否、青い鎧。

 視線の先には戦いの当初から変わらぬ黒い影、そして裂け目のような笑みの表情。

 その笑みに冷たい怒りが湧いてくる。

 頭は冷静なまま、昂ぶる心。

 

(ままよ、わんざくれ、だ)

 

 どうにでもなれ、の意味である。

 本来ヒョウエは戦闘向きの人種ではない。

 慎重に慎重を重ねて石橋を叩いて渡るタイプだ。

 だが両親の血か、それともオリジナル冒険者であるせいか、最後の最後でこうしてタガの外れる、あるいは全部投げ出して全力で突破してしまうところがある。

 

「!」

 

 再び青い閃光が走った。

 再びインフェ・ビブリオの手からほとばしる黒い霧。

 結果も先ほどと同じ。

 青い拳が黒い霧に絡み取られ、勢いを殺される。

 

「~~~」

 

 ニヤリと笑いを大きくする黒い影。

 再び黒い槍を射出しようとしてその顔が驚きに歪んだ。

 

「押して駄目なら・・・」

 

 止められた右拳はそのまま、振りかぶる左の拳。

 

「押し潰せっ!」

 

 右を引き、叩き込まれる左の拳。

 それも途中で勢いを殺され、黒い霧に埋まって止まる。

 だが僅かに黒い霧が押され、後退した。

 

「オオオオオオオオオオオッ!」

「!?」

 

 更に右を叩き込む。間髪入れず更に左。

 右。左。右。左。

 右、左、右、左・・・

 右左右左右左右左右左右左右左右左右左――!

 

 亜音速に達する拳の連打が黒い霧をへこませる。

 黒い霧を更に吹き出し、射出される黒い槍がその勢いを僅かに削るも、青い鎧は止まらない。

 見る見るうちに黒い霧が削られ、押し戻され、本体が露出する。

 

 連打。連打。連打連打連打連打。

 全身を滅多打ちにされてシルエットを大きく歪ませる"インフェ・ビブリオ"。

 

「これで、しまいだ――!」

 

 胸の中央を拳で打ち抜かれ、黒い影が爆発四散した。



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05-31 融合(ユナイト)

 歓声が上がった。

 拳を振り抜いた青い鎧。胸を撃ち抜かれ、四散した"インフェ・ビブリオ"。

 明白な勝者と敗者の図だった。

 

「・・・いや待て! まだ終わっておらぬ!」

 

 幻像のシャンドラの声が鋭く響いた。

 それとほぼ同時に青い鎧が急速離脱。

 一瞬遅れて本のページと黒い瘴気が渦巻いた。

 

 数分前の再生であるかのようにそれは急速に収束し、再び黒い人型を生み出す。

 "インフェ・ビブリオ"。

 青と黒が、またしても対峙する。

 

(・・・ならば!)

 

 青い鎧が天高く右手を掲げた。それをくるりと一回転させ、円を描く。

 太陽光を収束して焦点温度六千度の高熱を生み出す、必殺の"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"の構え。

 

「GY・・・!?」

 

 それに戸惑っていたインフェ・ビブリオが奇妙な声を上げた瞬間、まばゆい光に包まれた。

 

「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!」

 

 悲鳴を上げるインフェ・ビブリオ。

 到底目を開けていられないほどの光の中で、そのシルエットが宙に溶けた。

 

 

 

「おお!」

「今度こそやった・・・何?!」

「・・・!」

 

 光が収まった後に舞い上がったのは、渦巻く古文書のページ。

 そこに黒い瘴気が巻き込まれ、またもや先ほどの光景が再現される。

 

 何事も無かったかのように再生される黒い人型。

 その再生直後に、青い鎧がタックルをかけた。

 

 爆散するのではなく追いやられる黒い影。

 一瞬でその姿は王宮広場の端を越えて、周囲の森の上空に強制移動させられる。

 

「なんじゃ、何をするつもりじゃ!?」

「恐らくは、巻き添えを避けたのですわ!」

 

 リアスが言ったときには、既に青い鎧の両手は頭上に掲げられていた。

 膨大な量の空気が渦を巻いてその両手の間に吸い込まれ、圧縮されてプラズマとなり、熱を強制放出して輝きを失う。

 

「受けよ――"冬神の吐息(テトラ・ブレス)"!」

 

 白い爆発が起こった。

 黒い影から射出された槍の触手が一瞬に凍りつき、周囲の木々もそれに巻き込まれて樹氷と化す。

 空気中の水分もまた凍結してダイヤモンドダストとなり、あるいは凍りついた木々にまとわりつく白いドレスとなる。

 

「なんちゅう荒っぽい真似を!」

 

 森を傷つける暴挙にエルフの衛士達が呆然とし、シャンドラがわめく。

 

「しょうがねえだろ、それともあんたがどうにかしてくれるのかよ!」

「ぐぐ・・・なぬ!?」

「えっ!?」

 

 白く凍りついた樹氷の森の中央。

 またしても黒い瘴気が渦を巻いた。

 

 

 

「・・・埒があかん!」

 

 再生したインフェ・ビブリオと対峙する青い鎧を見上げてシャンドラが歯ぎしりする。

 

「おいジジイ! 大丈夫なのかよこれ!?」

「だーってろ! わしだって今考えとんのじゃ!」

「ミトリカ、シャンドラの邪魔をするな。大人しくしていよう、な?」

 

 焦るミトリカとシャンドラが言い合い、セーナがそれをなだめる。

 

「くそ・・・大丈夫なのかよ、お前?」

 

 微動だにしない青い鎧を見上げ、モリィが漏らした。

 

 

 

(・・・・・・・・・)

 

 油断無くインフェ・ビブリオの様子を伺いつつも、青い鎧は攻めあぐねていた。

 

(コアになっているのがあの書物なのは間違いない。恐らくそれに瘴気がまとわりついて生まれているのがあれ・・・書物を破壊し、瘴気を断つ。両方が出来なければ・・・しかし・・・そうか!)

 

「え、ヒョウエ様が?」

「・・・お、おう、わかった!」

 

 突然、モリィ達が耳を押さえて何事か頷いた。

 セーナと何事か言葉を交わすと、セーナとミトリカが王宮の中に駆け込んでいく。

 シャンドラが眉を寄せた。

 

「? どういう事じゃ?」

「ああ、それはな・・・って、じいさん薄くなってないか?」

「何を縁起の悪いことを・・・お、おおっ?!」

「じいさん? おい、じいさん!?」

 

 驚きの声と共にシャンドラの姿が消えた。

 

 

 

 青い鎧、甲冑の内部。

 シャンドラは、唐突に自身が青い鎧の一部となっている事に気付いた。

 

(確かにわしの魂はヒョウエ殿の袖に付いた血痕を媒介にして安定化しているが・・・無理矢理呼び寄せるか普通!?)

(どうぞ抗議は後で。あなたの術が必要だったもので)

 

 青い鎧の視線の先には実体を持ちながらもゆらりと揺らめく黒い影。

 シャンドラもさすがのもので、それを見た瞬間にヒョウエの意図を理解する。

 

(じゃがあの術だけでは奴を倒せぬぞ。奴を倒すには・・・そうか、姫とミトリカを行かせたのはそう言うことか!)

(そう言う事です。では行きますよ)

(おう)

(("融合(ユナイト)"!))

 

 タイミングを完璧に合わせて思念を放ち、二人の精神は一瞬にして完全に協調した。

 

 

 

「むん!」

 

 青い鎧が両手を組み合わせる。

 

(~~~~~~~!)

 

 同時に放たれる思念は、シャンドラの詠唱。

 次の瞬間、組んだ拳から放たれたのは謁見の間でブラゴールの分体を消滅させた術式だった。

 

 ただし、あの時とは量も、輝きの強さもまるで違う。

 謁見の間のそれが輝くチリなら、これはまばゆき銀河の奔流。

 無数の星のきらめきが、回避する暇も与えずにインフェ・ビブリオに襲いかかる。

 

「GA、GOOOOOOOOOOOOOOO!?」

 

 悲鳴が上がる。

 濁流ならぬ星の奔流に飲み込まれたインフェ・ビブリオ。

 

 瘴気と言うがその本質はよどんだ魔力。

 そして肉体という容れ物に魔力を内包するのではなく、異界の書物という核の周囲に魔力を纏うこの黒い影は、魔力を奪う術式に対して抵抗する術を持たない。

 魔力の塊なればこそ高熱も冷気も打撃も受け流せるが、魔力を吸い取る攻撃に魔力で対抗しても、吸収速度が上がるだけ。

 更に言えば、この奔流に包まれている限り新たな瘴気を呼び寄せて吸収することも出来ない――!

 

「GYYYYYYYYYY・・・・!」

 

 やがて現れたのは、身にまとう瘴気を全て剥がし尽くされた核・・・おぼろげな人の形をとる、渦巻く本のページだった。

 

「GA・・GO・・・DA、DAが・・・わREは不滅・・・お前には・・・我を殺すことは」

 

 瘴気、言い換えればブラゴールの要素が剥ぎ取られたせいか、不明瞭な発音ながらもインフェ・ビブリオが言葉を放つ。

 だが次の青い鎧の言葉によって、驚愕と共にその言葉は途切れた。

 

「そう、確かに殺すことは出来ない。何故なら貴様は概念だからだ」

「!?」

 

 その様子を心地よさそうに見下ろしながら、今度は青い鎧からシャンドラの声が響く。

 

「お前さんは本であって本ではない。異界存在の一部に『本』という概念をかぶせてその形にしたものだ。物理的な力で滅ぼすことは、そりゃあ難しかろうな。

 このまま魔力を込めた攻撃で殴り続けてもいいが、それは流石に時間がかかりすぎる」

「NAらばわREを滅ぼすことはYAはり・・・」

「なので」

「本という概念を滅ぼす」

「!?」

 

 1kmほど彼方。

 王宮の入り口に、ナパティの姿があった。

 

 

 

「つまり、青い鎧に向けて炎を放てばよいのだな?」

「そうだ! 急げ!」

「任せておくがよい、愛しき妹よ! 俺がナパティだ!」

「知っとるわ!」

 

 張り倒したい気持ちをこらえてセーナは拳を震わせる。

 だが助平でいい加減ででたらめで不真面目で訳のわからない、ぶっちゃけ変人以外の何者でもない兄だが、それでも一つだけ確かなことがある。

 いざという時は頼りになるのだ――この兄は。

 

「受けよ! 世界を浄化する火神の炎を!」

 

 ナパティが目を限界まで見開くと、紅蓮の炎が二筋ほとばしる。

 それは1kmの距離を一瞬にして越え、青い鎧に命中した。

 

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 青い鎧の全身が炎に包まれる。

 だがその体は焼けない。炎を自らのまとう魔力と術式のうちに取り込んで、鎧自体から炎が吹き上がる。

 

 組んでいた両手を離し、星の奔流を右手に集中。

 左手に念動の力を発動させる。

 

 炎が渦を巻いた。

 回転し、円盤状になったそれはまるで左手に掲げられた丸盾のよう。

 いや、回転を続けるそれは炎のエッジを持つ巨大丸ノコか。

 

「GAA、こんな、こんなところで・・・このような事なら、あの小僧を追放ではなく殺しておくのだったわ・・・!」

 

 何故ナパティが追放されたか。何故サーワに化けたインフェ・ビブリオがナパティの即時再追放を要求したか。

 それはナパティもまた神の加護を持つがゆえ。

 

 《火神(ボルギア)の加護》を持つナパティが放つ炎は、ただの物理現象に非ず、概念の域に昇華された真の炎。

 仙道で言う「三昧(ざんまい)の真火」そのものだ。

 そして概念の炎ゆえに、書物の概念であるインフェ・ビブリオを焼き尽くすことが出来る。

 

「外に出たのが間違いだったな。サーワさんの姿を盗んだんだ、書庫の中にいれば負けなかっただろうに」

「GY・・・GYYYYYYYYYYYYYYYY!」

 

 星の奔流、巨大な輝く剣を右手に、炎の丸ノコギリを左手に、全身を炎で包んだ青い鎧が今度こそ怪異を滅するべく突貫する。

 

「受けろ! 捨て身のファイヤークラッシャー!」

 

 武器でありエネルギー源であった瘴気の鎧を剥ぎ取られ、内包する魔力すら大幅に削り取られていた怪異にそれをかわす術はなく、焼き尽くされた人型が異様な色のきらめく光となって四散する。

 大樹の根元から歓声が上がった。

 



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エピローグ「黄金色の昼下がりに」

 

「何にだって教訓はあるもんだよ。見つけさえすればね」

 

                          ――公爵夫人――

 

 

 

 

 青い鎧の纏っていた炎と、きらめく剣が四散し、消滅する。

 その後には元通りの青い鎧。

 

 インフェ・ビブリオの倒された後に現れた異様な色のきらめく光が一瞬強くなり、ぱっと弾ける。

 光の中から現れたのはサーワ。

 

「!」

 

 青い鎧が素早く飛び寄ってその体をキャッチ、横抱きに支える。

 熱を持った鎧でやけどしないように、念動で僅かに隙間を空けて体を浮かせていた。

 

「ん・・・」

 

 サーワが目を開ける。

 青い鎧の魔力感覚から見ても間違いない、正真正銘エルフのサーワだ。

 

「ヒョウエ殿・・・ありがとうございます・・・このたびはご迷惑を・・・」

「お気になさらず。あなたがご無事で何よりだ――何かあったら本を探して貰えないからな」

 

 サーワが微笑む。

 そのままゆっくり目を閉じると、寝息を立て始めた。

 

「おやすみなさい、ごゆっくり」

 

 兜の下で微笑むと、青い鎧は手を振る仲間達のところへ降りていった。

 

 

 

「うおおおお! 青い鎧! 感謝するぞ! よくぞこの森を救ってくれた! ズールーフのエルフを代表して御礼申し上げよう!」

「勝手に代表するなこの馬鹿兄が!」

「ぐぶぉっ!?」

 

 青い鎧に真っ先に駆け寄ってきたナパティが、青筋を立てた妹に後ろから殴り倒される。

 はぁはぁと息を整えるセーナに、同じく駆け寄ってきていたモリィ達も苦笑を禁じ得ない。

 

「いやすまん、見苦しいところを見せた。だが私からも感謝するぞ。また森を救ってくれたな」

「気にするな。好きでやっていることだ」

 

 笑みを含んだ声で返事をしつつ、抱き上げていたサーワをセーナに渡す。

 

「サーワは大丈夫なのか?」

「見た感じは大丈夫そうじゃがの。ナッグの婆さんのところに連れていった方がええじゃろの」

 

 と、再び姿を現したシャンドラ。

 親指を立てて目をつぶるモリィに同じくサムズアップを返すと、早くも回復して起き上がってくるナパティに会釈する。

 

「ナパティどのもかたじけない。貴公の助けがなくば、あの怪異は討ち滅ぼせなかった」

「いやいや、当然のことをしたまで! 大いなる加護には大いなる義務が伴うからな!」

 

 胸を張るナパティ。

 実際インフェ・ビブリオ打倒には彼の力が欠かせなかったので、セーナももう一度殴り倒したりはしない。

 殴りたそうな顔はしていたが。

 

「・・・ん?」

 

 ナパティの様子にモリィ達が首をかしげた。

 腰に手を当てて高笑いするナパティに頷いて、青い鎧が一歩下がる。

 頷くとその体が宙に浮かび、空の彼方に消えた。

 

 

 

「いやあ、強敵でしたねえ」

「!」

 

 後ろからかけられた声に振り向くと、ヒョウエがいた。

 モリィ達が何かを言う前に、ずかずかとナパティが歩み寄って肩を叩いた。

 

「おお、ヒョウエか! 今までどこに行っていたのだ! 青い鎧が全て解決してしまったぞ! まあこの俺の力も大きかったがな!」

「へぇ、それはそれは」

 

 笑顔で話すナパティと、笑顔で話を合わせるヒョウエ。

 その後ろではモリィ達が声を潜めてひそひそ話をしている。

 

(まさかとは思いますが、あれ気付いていないのでは・・・)

(どうするのです? 教えなくてよいのでしょうか?)

(まあヒョウエがすっとぼけてるって事はそう言うことなんだろうなぁ・・・)

 

 エルフの衛士達もひそひそと声を潜め、セーナが何とも言えない顔になる。

 巨樹の根元に、脳天気なナパティの高笑いが響き渡っていた。

 

 

 

 翌日。

 サーワが療養している一室にヒョウエたちやトゥラーナなど、関係者一同が集まっていた。

 なお昨日、へたれたヒョウエをどちらが担いでいくかでモリィとリアスが一触即発になったのは余談である。

 (結局ジャンケンで勝ったモリィが担いでいくことになって、負けたリアスが芝生に沈んでいた)

 

「恐らくだが、全ての始まりは禁書庫の中でも厳重に封印されていた例の書物の封印が緩んだことだったのだ」

 

 話し始めたのはシャンドラ。

 既に元の肉体に戻っている。

 治療を受けたとは言え死にかけたダメージは大きいはずだが、それを感じさせるものはなかった。

 隣に座っているトゥラーナが「やっぱり心配するだけ損だったわい」と呟いたほどのものである。

 

「それは例の地震で?」

 

 とヒョウエ。

 シャンドラが首を振った。

 

「それが決定的なきっかけにはなっただろうが、始まったのは随分と前だろうな。サーワに本人が気付かないほど少しずつ浸食を続け、下準備をしていたのだろう。

 それが先だっての地震に伴う地脈の異常活性化で更に霊気を喰らって力を増し、完全に封印を解いてサーワと入れ替わったのだ」

「オレを誘ったあの黒いのは? あれ半年くらい前だから、地震とは関係ねえと思うんだけど」

「恐らくはブラゴールだったんじゃろう。自分は動けなくても、使い魔を派遣するくらいの力はあったわけじゃ。

 偽のアディーシャと似た感じを受けたのも、本質が同じだったからじゃろうな」

 

 モリィが溜息をついた。

 

「ぞっとしねえ話だな。あんなのがまだ残ってるのか?」

「可能性はある・・・としか言えんのう。本体は滅したが、それで自然消滅するかどうかはわからん」

 

 リアス達もため息を漏らす。

 

「全滅していればいいのですが・・・そう言えば私たちがこの森に来た時のなんというか、訳のわからないあれらは何だったのでしょう?」

「・・・」

 

 部屋にいる全員が眉を寄せ、こめかみを揉んだ。

 あの狂気の世界を思い出したくもないらしい。

 

「恐らくはサーワさんの無意識の抵抗だったんじゃないでしょうか?」

「どういうことでしょう?」

 

 サーワがかわいらしく小首をかしげる。

 怪異に乗っ取られていたときと、そこは変わらない仕草に笑みを誘われつつ、ヒョウエが言葉を続けた。

 

「あれの目的は多分、森の地脈から溢れる魔力を自分の為の魔力――瘴気に変換して力を付けることだったでしょう。

 あの巨大な顔によってその瘴気を様々な異変を起こす事に流用して、結果的にインフェ・ビブリオに魔力が集中しないようにしたんだと思いますよ」

「あれを壊してしまったので、相手の計画の本筋が発動してしまったわけか・・・危ないところだったな」

 

 セーナが冷や汗をぬぐう。

 トゥラーナが頷いた。

 既にその体にかかった呪術は解除され、健康体を取り戻している。

 

「思えばサーワがわしの執務室に頻繁にやってくるようになったのがその後だったの・・・今にして思えば、その時何を話したか、何をされたのかは全く覚えていなかったし、来た事自体忘れさせられていた節がある」

「こやつの体にはこの森のエルフの中で最も純粋で強力な大樹との結びつきがある。

 大樹はこの森の地脈の中心でもあるから、恐らくはそれを利用して地脈の力を一気に吸い上げるつもりだったんじゃろうな」

「危ないところだったんですねえ・・・」

 

 お付きで来ていたティカーリが心底からの安堵の息をつく。

 寝台の上に上半身を起こしていたサーワが深々と頭を垂れた。

 

「禁書庫の管理人でありながら禁書に取り込まれ・・・面目次第もございません。申し訳ありませんでした」

「気にしてはいけませんよ、サーワ。むしろあなた一人に禁書庫の守護を任せていたのが私たちの力不足なのですから」

 

 サティがサーワの肩を抱いて慰める。

 トゥラーナやナタラ、シャンドラも頷いた。

 トゥラーナが座っていた椅子ごとヒョウエたちに向き直り、頭を下げた。

 

「改めて礼を言うぞ、ヒョウエ。お主らがいなければ、ズールーフの森の同胞たちは全滅していたかもしれぬ」

「いえいえ、友達のためですから」

 

 ちらりと横を見ると、頬を染めたセーナが嬉しそうに頷き、ミトリカもくるくると喜色を露わにして宙に舞った。

 

「ありがたいことじゃ。この前のそれに加えて礼は厚くせんといかんの」

「ふむ」

 

 ヒョウエが考え込む。

 

「なんじゃ?」

「そう言う事なら母とのあれこれを話して頂いてもよろしいでしょうか?」

「それはまだじゃの。言ったろう、約束があると?」

「・・・このくそじじい」

 

 ぼそっと呟いたヒョウエにトゥラーナは、老いた顔にいたずら小僧のような笑みを浮かべた。

 ふうっ、とナタラが息をつく。

 

「しかし今回の功績を考えると、ナパティを森に戻す必要があるだろうな」

「まあ、そうじゃの。若もこの森を救ったのだ、獲物を仕留めた狩人には肉の分け前があって当然だろう。そもそも若がこの森を追放された一件にしても、サーワに取り憑いた禁書の仕組んだことではないのか?」

「いや、あれは俺の意志だぞシャンドラ?」

 

 あっけらかんとしたナパティの言葉に、部屋の中に沈黙が下りた。

 セーナの額にぴしりと青筋が走る。

 冷や汗を浮かべたティカーリが慌てて割って入った。

 

「い、いやそのね? ナパティ様が覗きとかしたの、あの怪異が悪いんだよね? お願いだからうんって言って!」

「何を馬鹿な事を言っているのだティカーリ! 俺はナパティ! 自分を曲げない男!

 責任を他人に押しつけるような不誠実な男ではない!

 天地神明、精霊神も御照覧あれ! 俺は俺の望むままに好色であった!」

 

 言っている事は一見格好よく聞こえるが内容は最低である。

 ティカーリが頭を抱え、セーナが拳を握った。

 

「この・・・!」

 

 セーナが立ち上がってこの馬鹿兄に天誅を加えようとした瞬間、部屋が揺れた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 部屋に痛いほどの沈黙が満ちる。

 全員の視線の先には、木の壁に頭をめり込ませている馬鹿(ナパティ)

 裏拳を振り抜いたポーズのまま、ナパティとセーナの母サティがにっこり笑った。

 

「母さん、久しぶりに親子水入らずで話したくなったわ。そう言うわけですので皆様、失礼ながらちょっと中座させて頂きますね――セーナも来る?」

 

 ぶんぶんぶん、と冷や汗をダラダラ流しながらセーナが勢いよく首を振る。

 

「その、わしは・・・」

「あなたは来なさい」

「はい」

 

 屠殺場に連れて行かれる豚のような目でナタラが立ち上がった。

 冷や汗を浮かべたサーワが懇願するように友人を見上げる。

 

「その、サティ・・・ほどほどにね」

「大丈夫よサーワ。家族の話し合いをするだけだもの。それでは皆さん失礼しますね」

 

 にっこり笑ったまま、馬鹿息子の頭をわしづかみにして引きずりつつ、虫も殺さぬ風情の貴婦人はサーワの部屋から出ていった。

 

 

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 部屋にまたしても沈黙が落ちる。それを破ったのはヒョウエだった。

 

「あー、おほん。お礼で思い出しましたけどセーナとミトリカに贈り物があるんですよ」

「えっ!?」

「えっ!」

 

 対照的な二人の反応。

 戸惑いと恥じらいが混じるセーナに比べて、ミトリカは純粋に無邪気に喜んでいる。

 反対にモリィ達は、一斉にむっとした顔になっていた。

 

「えーと、これだこれ。はいどうぞ」

「おお・・・」

「わーい!」

 

 ヒョウエが出してきたのはそれぞれエルフとピクシー用の首飾りだった。

 セーナのものは銀のメダルに弓と矢、ミトリカのそれには同じく銀のメダルにディフォルメしたピクシーの図柄が彫り込まれている。

 モリィ達の表情が不機嫌から戸惑いになった。

 

「あ・・・それって」

「ふむ・・・精神感応系の術の気配がするの?」

 

 覗き込んでくるシャンドラに頷く。

 

「これを身につけていると僕の友達を介して念話が届くようになります。二人には持っていて欲しいんですよ」

「やっぱそれかあ」

 

 納得して頷くモリィ達。同じものを彼女たちも持っているのだ、それは嫉妬することでもない。ちょっとだけもやっとはするが。

 

「ねえねえヒョウエ、これ付けてよ!」

「わ、私も・・・」

「はいはい」

 

 はしゃぐミトリカと頬を染めるセーナの後ろに回り、銀のメダルを付けてやる。

 

「ねえ、似合ってる? 似合ってる?」

「ええ、とても似合ってますよ」

 

 くるくる回るミトリカと、熱っぽい目つきでメダルを手に取るセーナ。

 

「やれやれじゃなあ」

 

 トゥラーナが苦笑してためいきをついた。

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。

 

 

 

 

追記:ナパティは「親子の話しあい」の結果、「人間の世界で修行する」という名目でもうしばらく森から叩き出されることになった




ちなみにセーナを始め、ズールーフの森のエルフ達はインドの神様から名前を取ってます。

セーナはシヴァの息子で孔雀に乗る韋駄天(スカンダ)の別名、マハーセーナ(偉大な戦士)から。
セーナの祖父トゥラーナはブラフマーの異名チャトゥラーナナ(四つの顔を持つ者)。
セーナの父ナタラはシヴァの別名ナタラージャ(踊る者)
母であるサティはシヴァの最初の妻の名前から。シヴァの妻は全て輪廻転生した同一人物という説もありますので、カーリーやドゥルガー、パールヴァティのイメージなども混ぜてます。
兄のナパティはガネーシャの別名ガナパティ(衆生の主)。
サーワは学問と技芸の神サラスヴァティ(弁財天)のもじり。
シャンドラは九曜星(太陽と月、水火木金土星と流星、暗黒星の9つの星)とその神々のこと。
その他の名前もインド神話から持ってきたりひねったりしてます。


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六の巻「ヒーローの価値は」
プロローグ「白百合の騎士」


「【クライムファイター】(名詞)

 主にスーパーパワーを持たない犯罪者と戦うヒーローのこと。 

 バットマンは最も有名なクライムファイターである」

 

     ――アメコミ用語――

 

 

 

 カラン、と氷が鳴った。

 透明なグラスに注がれた琥珀色の液体に、砕かれた氷の破片が浮かんでいる。

 奥にステージのあるそこそこ上品な酒場。カウンターに座り、物憂げな顔で蒸留酒を舐めるのは銀色のドレスを着た麗人であった。

 

「・・・」

 

 年の頃は二十五、六か。

 薄く青のかった銀色のベリーショート、切れ長の目に透き通った水色の瞳。

 中性的で硬質な、整った顔立ち。凛々しさという極々一部の女性だけが持ちうる特性を、生まれながらに持ち合わせた美貌である。

 豊満で女性らしい体つきや薄手のドレスもその雰囲気の妨げとなってはいない。

 

 カウンターの奥から店員が近づいてくる。

 手には水の入った木桶。

 

「サフィアさん、すいません。氷が切れてしまったので・・・」

「ん」

 

 言葉少なに答えると、サフィアと呼ばれた女は右手の人差し指で額を素早く何かの形になぞった。

 

「~~~」

 

 続けての詠唱と精神集中。

 指で触れた木桶の端のほうから、桶の中の水が少しずつ凍結していく。

 一分ほどそれを続けると、手桶の中の水はほぼ氷になっていた。

 

「ふう」

 

 女が息をついて指を放す。

 

「ありがとうございます」

「ん」

 

 頷いてまたグラスの酒を口にする。

 それだけのことがいちいち絵になる女性であった。

 別の店員が近づいて来た。

 

「サフィアさん、楽士の準備が出来ましたのでそろそろ・・・」

「わかった」

 

 残りを一気に飲み干し、グラスをカウンターに置く。

 

「ごちそうさま」

 

 女は席を立ってステージに向かった。

 

 

 

「あの花はどこへ行ったの あの日あなたが摘んでくれた花は 

 あの花はどこへ行ったの あなたが作ってくれた花のかんむりは

 みんな消えてしまった あの花も

 みんな消えてしまった 優しいあなたも――」

 

 澄んだアルトの歌声が酒場に響く。

 老若男女問わずその歌に聴き惚れているが、ステージかぶりつきに群がっているのは圧倒的多数の若い娘たちであった。

 

「キャーッ! サフィアさまーっ!」

 

 歌が終わる。拍手と共に黄色い歓声が上がり、無数の花束が差し出された。

 笑顔でそれを受け取ろうとして――その瞬間、切れ長の目が鋭く細められた。

 

「・・・!」

 

 人差し指で素早く額に複雑な紋様を描くと、極々僅かに雰囲気が変わった。

 右手の指輪の台座を90度回すとカチリと音がして、銀色のドレスが体にぴっちりあった青系統の胴着とズボンになる。

 腰の剣帯には一見して業物とわかるレイピア。頭には白い羽根飾りの付いた帽子。肩からは短いマント。

 再び黄色い声を上げる娘たちに微笑みかける。

 

「すまないね、キミたち。だが、どうやらボクの出番だ――!」

 

 そのままひらりと(ファンの少女たちの頭の上を跳び越えて)ステージから降りる。

 背中に浴びせられる黄色い声援と、「がんばれー!」といういくつかの応援。

 片手を上げてそれに応えると、店内を駆け抜けて出口に消える。

 

 彼女の名はサフィア・ヴァーサイル。

 人呼んで"白百合の騎士"、緑等級冒険者にしてメットー随一の"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"。青い鎧以外で英雄(ヒーロー)と呼ばれる数少ない人物だ。

 

 

 

「待てっ!」

 

 ステージから一瞬だけ見えた、酒場の前を通り過ぎた男――右手に血の付いたナイフ、左手に小袋を下げた男を追う。小袋の口からは、

 

黄金と宝石をあしらった首飾りがはみ出ていた。

 男はちらりと後ろを見ると、更に猛然と走り始めた。

 

(――早い!)

 

 恐らくは何らかの加護を得ているのであろう、夜の街を人並み外れた速度で疾走する男。

 サフィアも全力で走ってはいるが、緑等級である彼女の脚力をもってしても、僅かずつではあるが離されていく。

 歩みを止めず、またしても額に手をやる。

 

(――"競技者(オリンピアン)")

 

 複雑な紋様を書き終えると共に、体つきが瞬時に変わった。

 見るものが見ればわかる、戦闘ではなく瞬発力に特化した肉体。

 競技者として完璧な筋肉のつきかた、そして先ほどとはこれも明らかに違う、短距離走者としての理想的なフォーム。

 その二つをもって、サフィアはぐんと加速する。

 

「?!」

 

 もう安心だろう、そう思って振り向いた男が目を見開いた。

 ぐんぐんと距離を詰めてくる女剣士(サフィア)

 このままでは間違いなく追いつかれる。

 覚悟を決めて、男は立ち止まり、今度は体ごと振り返った。

 腰を落として女剣士を睨み付ける。

 女剣士もまた足を止め、抜刀した。

 

「大人しく縛につけ! 今ならまだ最悪の事態には至らないかもしれないぞ!」

 

 剣を突きつけながら投降を勧告する。

 無駄だとは思うが、やってみないわけにはいかない。

 それは彼女が"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"として己に課した誓いであった。

 

「うるせえっ! テメエなんぞ食ってやるっ!」

 

 言うなり男の体が巨大化し、破れた服の下から剛毛が生えてきた。

 

「――《獣の加護》か!」

 

 《獣の加護》。獣神(ガイラー)の最も強い恩寵の証であり、様々な動物の力を身に宿す事のできる《加護》だ。

 戦闘に、狩りに、偵察に、力仕事にと用途は広く、軍や冒険者、あるいは農村などでは引っ張りだこの《加護》である。

 

「まじめに仕事をしていれば食い扶持には困らないだろうに。何かやらかして追い出されたかい?」

「ウるせえっ! ちょっト女をこマそうとしたダケで犯罪者扱いしヤガって!

 コっちからおん出てやっタのよっ!」

 

 言う間に男の体は1.2倍ほどの大きさになり、直立した狼のような姿になった。

 周囲の野次馬が怯えて後ずさり、出来ていた人垣が1.5倍ほどの大きさになった。

 

狼人間(ワーウルフ)か。さすがにこれはボクも初めてだね」

「食ッテヤルゾ! 手足ヲ食ッテ、死ヌマデ犯シテヤル! 俺ハ選バレシ者ナンダッ!」

「慎んで御免蒙るよ」

 

 剣を持った右手の人差し指で、素早く額をなぞる。

 

(――"剣士(フェンサー)")

 

 またしても体つきが変わる。構えからも先ほどまであった隙が消えた。

 リアスやカスミが見れば感嘆の声を漏らしただろう。

 それほどに見事な立ち姿だった。

 

「GRRRRRRWOOOOOOOOOOOO!」

 

 咆哮と共に狼男が爪で殴りかかる。

 文字通り野生生物に等しいそのスピードを最小限の動きでかわす。

 

「GYAッ!?」

 

 同時にレイピアが閃き、狼男の片目を奪う。

 

「GWOOOOOOOOOO!」

 

 怒りに吠える狼男がやたらめったらに殴りかかる。

 それをひらりひらりとかわして突きを与えるサフィア。

 腕。胸。顔。

 次々に増えていく狼男の傷跡。

 

「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」

 

 さばいて、さばいて、さばいて、さばく。

 それを数十合も続けて街路にも無数の血痕が落ちたとき、サフィアが眉をひそめた。

 

「・・・ククク。気付イたか? 気付イたな?

 そウだよ、オかしイよなア。これだけ傷を付けて、倒れてなイんだもんなア!」

「超回復能力か。伝説だと思っていたが、本当なんだな」

 

 数十も付けたはずの傷は、狼男の体から一つ残らず消えていた。

 最初に貫いた左目も、既に開いている。

 

「へへへ・・・怖イか? 怖イだろウ!?」

「やれやれ、良く喋る駄犬だね」

 

 無感情に言いながら素早く額を指でなぞる。

 

(――"学者(スカラー)")

 

 数瞬相手の体つきを観察した後、すぐにもう一度額を指でなぞる。

 

(――"剣士(フェンサー)")

 

「GRRRRRRWOOOOOOOOOOOO!」

 

 それと同時に狼男が殴りかかってくる。

 一撃。二撃。三撃。四撃。

 連続攻撃に合わせて、再びレイピアによる突き。

 先ほどの再現――ではなかった。

 

「・・・!?」

 

 狼男が呆然とする。

 だらん、と垂れた両手。力を入れて動かそうとしても、ピクリとも動かない。

 その一瞬の隙を突いてサフィアが踏み込む。

 レイピアが二度閃き、狼男が力を失って倒れ込んだ。

 

「ど・・・どウなってるんだこれハ!? ウごけ! ウごけよ!?」

 

 サフィアが剣を振り、刀身についた血を振り払う。

 狼男は手足をバタバタさせようとするが、モゾモゾと芋虫のようにうごめくしかできない。

 

「どうやら君の超回復能力は、あくまでも自然回復の延長線上にあるようだね」

「・・・!?」

「腱は自然に治癒しない、ってことさ」

 

 訳がわからない、と言った風情の狼男に肩をすくめる。

 これが彼女の加護、《仮面(ペルソナ)の加護》だった。

 いくつもの自分をストックしておき、それぞれの自分を使い分けることで限りなく万能に近くなれる能力。

 "学者(スカラー)"として積み上げた知識で狼男の腱の位置を確認し、"剣士(フェンサー)"の能力でそれを断った。

 と、周辺がざわめいた。

 

「・・・?」

 

 野次馬たちにならって空を見上げるとファンファーレが鳴った。

 

「これは・・・!」

「青い鎧!」

「青い鎧!」

(ブルー)! (ブルー)! (ブルー)!」

 

 歓声が響く。

 王都の住人なら知らぬものとてないそのファンファーレ。

 魔導街灯の光に照らされて夜空に浮かぶ、紅のマントを翻した蒼穹の色の騎士甲冑。

 王都の最も新しい、最強のヒーローがそこにいた。

 

 片腕には狼男より一回り大きい虎の獣人とずだ袋をぶら下げている。

 青い鎧が着地し、手の荷物を放り出す。

 深みのあるバリトンが面頬の奥から発せられた。

 

「腱を切って不死身の獣の動きを止めたか。お見事にござる」

「君ほどじゃないさ、"英雄(ヒーロー)"。そっちはどうやって無力化したんだい?」

「超回復能力と言っても体内のエネルギーを使って回復しているには違いなかろう。

 なら動けなくなるまで殴り倒せばよい」

 

 脳筋の極みのような戦術である。

 

「何ともはや」

 

 サフィアが肩をすくめる。

 青い鎧が面頬の奥で笑っているような気がした。

 

「それではこれはお任せする。少し急いでいるのでな。ああ、袋の中身はここからまっすぐ1kmほど先の宝飾店から奪われたものだ」

「あ、ちょっと待ちなよキミ・・・」

 

 言い終わる前に、青い鎧は宙に浮かんで星空の彼方に消えた。

 

 

 

「やれやれ、せわしないことだ」

 

 サフィアは苦笑した。

 

(――あれが本物のヒーローか)

 

 羨望と共に青い鎧の消えた空の彼方を見上げる。

 才能はある。力量も、運もあった。

 その彼女が犯罪を撲滅しようと十年間戦ってきたよりも遥かに巨大な偉業を、それもたったの半年で成し遂げてしまった真の英雄。

 

(かなわないなあ。ボクなんかじゃ到底)

 

 一抹の寂しさと悔しさと共に、サフィアは目を閉じた。

 

 

 

 ヒョウエは青い鎧を解除し、とある山の中に転移した。例によって魔獣退治の依頼の途中である。

 

「おう、お疲れ」

「まあ簡単な事件で良かったですよ。怪我した人も軽傷でしたし。しかし――」

 

 森の木々の合間から見える星空を見上げる。

 

(あれが"白百合の騎士"。メットー最強のクライムファイターか)

 

 ヒョウエの力は、本人の研鑽もあるがオリジナル冒険者族としての強力な加護あってのものだ。

 かたや彼女のそれは加護があるとは言え、全て自分の研鑽と修練によって積み重ねられたもの。

 筋力も、敏捷も、魔力も、知力も、一切の強化はかかっていない。

 

 最強の力を持って生まれたヒョウエは、生身の、純粋に自分の力だけで戦う彼女にいくらかの嫉妬と引け目を感じざるを得ない。

 もちろんそれは傲慢だと、わかってはいるのだが。

 

「おい、どうしたよ? 足跡は見つけてるんだ、さっさと片付けようぜ」

「そうですね。ただでさえ時間がかかってますし、終わらせて夕食にしましょう」

 

 そんな内心などおくびにも出さず、ヒョウエは快活な笑顔で頷いた。



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第一章「"何でも屋(ファクトタム)"」
06-01 陰謀の胎動


犯罪と戦うもの(クライムファイター)(冒険者用語)

 主に犯罪者を相手として、賞金やギルドからの報奨金を収入とする冒険者の俗称。

 ライタイム王国の"星の騎士"がその代表格とされる」

 

     ――ディテク広辞苑――

 

 

 

「良くやった」

 

 後処理を終えてサフィが酒場に戻ると、楽屋で杖をついた男が待っていた。

 40がらみでこざっぱりした格好、均整の取れた体つき。右足は膝から下が棒状の義足。

 髪は灰色で顔立ちもそこそこ整ってはいるが、剃刀のような雰囲気と無愛想の極みのような表情がそれを帳消しにしていた。

 

「マネージャーのおかげです」

 

 サフィが神妙に頭を下げる。

 先ほど店の外の音を聞きつけ、サフィアに指示を出したのもこの男だった。

 

 彼女が子供の頃にその才能を見いだし、これまでみっちり鍛えてきたのがこのマネージャー・・・「Q・B」を名乗る男であった。

 歌手としての彼女のマネージャーであると共に冒険者としての彼女のパーティメンバーであり、"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"としての彼女を支える裏方でもある。

 

 常に漂わせる隙のない雰囲気から元はベテランの兵士か冒険者だろうと思ってはいたが、聞いたことはない。

 ただ武術や盗賊的な技能のみならず、様々な知識や教養の教授、果ては歌のレッスンまでこなせる多芸ぶりに、元は貴族だったのではないかと思う事はあった。

 

(それにしては気品と愛想がないけれどね。交渉術は達者なくせに普段は鉄面皮だし)

 

 そんな事を考えているとちろりと睨まれた。

 

「何か言ったか?」

「いえ、何でもありませんマネージャー」

 

 内心はおくびにも出さず、しれっと答えるサフィ。

 QBがふん、と鼻を鳴らす。

 

「無愛想なのは生まれつきだ。それより今の事件、どう感じた?」

「ひえっ。まあそれはさておきそうですね・・・マネージャーの耳がなければ迷宮入りだったかもしれませんね。青い鎧が片方を捕まえてくれましたけど、そうでなければあちらの方は逃げおおせていたでしょう。

 仮にも緑等級であるボクより足が速いとなれば、多分警邏じゃ捕まえきれない。《獣の加護》、それも獣人になれるレベルのそれですから、戦いになったらかなりの犠牲者が出ていたかと」

 

 ぴくり、とQBが眉を寄せた。

 

「青い鎧が出て来ていたのか――他に気になったことは?」

「そうですね、獣人になれるレベルの《獣の加護》が二人もというのは少し珍しいですか。まあ同類の悪党同士が意気投合したというのもありそうな話ではありますが・・・それでも青い鎧なら・・・」

「サフィア?」

「・・・いえ、なんでもありません。それよりそろそろ次の出番ですね」

「今は歌姫の時間か」

 

 サフィアが指輪の台座をつまんで回すと、服装が先ほどまで着ていた銀のドレスに変わる。

 

「それじゃ行ってきます」

「ああ」

 

 サフィアが身を翻して楽屋を出て行く。

 

「・・・」

 

 QBが無言のまま考え込んだ。

 

 

 

「サフィア」

「はい、マネージャー」

 

 遅い夕食の後、QBがサフィアを呼んだ。

 彼女らの「アジト」である、QBの所有するこじんまりとした家だ。家主の性格を反映してか中は殺風景で、サフィアの用意した花瓶と花くらいしか装飾と呼べるものはない。

 呼ばれたサフィアは背筋を伸ばし、次の言葉を待つ。

 

「宝石店から奪われた宝石の中に、いわく付きが混じっていたらしい」

「いわく付き、ですか。呪いの宝石とか?」

「少し違うが似たようなものだな。記憶の宝石というのを知っているか? 中に色々な情報を詰め込める、真魔法文明時代の遺物だ。様々な魔法機器にはめ込んで、動きを制御していたらしい」

 

 サフィアの目が鋭くなる。

 

「例えば兵器のような?」

「可能性はある」

 

 サフィアが顎に手をやって考え込んだ。

 

「あの二人組は知っていて盗んだのでしょうか?」

「わからないとしか言いようがないな。ただ"レスタラ"、知っているだろう」

「! はい」

 

 "復古軍(レスタウラツィオン)"、通称レスタラ。

 真魔法文明時代に存在した統一王国の系譜を引くと主張する、50年ほど前に存在した武装組織。

 オリジナル冒険者族によって統率されたそれは選民主義を奉じ、古代王国人の血を引く者達による統治を掲げていた。

 圧倒的な遺失兵器、空中要塞"夜神(ニュクス)"を擁してディテクに侵攻、当時の王国軍や冒険者たちにも大きな被害を出したが、当時の金等級冒険者"白き翼(ヴァイスフリューゲル)"が自らの命と引き替えにこれを破壊。

 残りの金等級冒険者たちとライタイムから駆けつけた「星の騎士」によって残党も駆逐され、滅びた――はずだった。

 

「あいつらの体にレスタラの構成員が入れる刺青――髑髏と放射状に交差する三本の剣――があったそうだ」

「レスタラが復活したと!?」

 

 驚きの表情を浮かべるサフィア。

 普段は余り仕事をしない彼女の表情筋だが、今回は例外だったらしい。

 

「予兆はあったようだ。それらしき活動がな。ただ、はっきり尻尾をつかめたのは今回が初めてと言うことだ」

「なるほど」

 

 明らかに公的組織からでなければ入手できない情報。

 広い情報網を持つ男であったが、時々こうした不可解な情報を持って来ることがあった。

 疑問に思うことがないではないが、それが"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"としての活動に資しているのも間違いないので、出所は聞かないことにしている。

 

 恐らくは官憲なり諜報機関なりにコネがあるのだろう。

 ときおりそれらの組織のために働かされているのではないかとも感じてはいたが、たとえそうだとしても犯罪と戦っていることに違いはないし、何よりQBはサフィアに命令しなかった。

 拒否したときは「そうか」というだけで叱責も非難もしない。

 

 自分を鍛えてくれた恩義や十数年来の付き合いもあるが、主にそうした理由でサフィアはこの男と組んでいた。

 

「ではボク達はそれを捜査するわけですか?」

「雲を掴むような話だがな」

 

 QBが溜息をついた。

 サフィアが苦笑する。

 

「手掛かりはないんですか、手掛かりは」

「あいつらの似顔絵くらいだな」

 

 かばんから取り出した紙を二枚、テーブルの上を滑らせる。

 片方はサフィアにも覚えがある狼男の変身前の顔。もう一枚にはもう少しごつめの男の顔が描かれていた。

 

「明日は俺も聞き込みに回る。自分の分は写しを作っておけ。絵はお前の方がうまい」

「マネージャーは芸術的センスに欠けてますからね」

「放っておけ」

 

 QBが鉄面皮を僅かに歪める。それを見たサフィアが少し笑った。

 

 

 

「この人たちを見た事ないかな?」

「ううん」

「しらなーい」

「ひょっとしてねーちゃんたんてい? ヒョウエ様の劇で観たぞ!」

「けいじかも!」

「すぱいだよ!」

「えいごだとどれも『でぃてくてぃぶ』なんだよなー」

「まぎらわしいよ、ねー」

「キミたちは何を言っているんだい?」

 

 戸惑う一幕はあったものの、子供達は何も知らなかった。

 サービスで一つずつあめ玉を上げてから、歓声を上げる子供達と別れる。

 

 聞き込みを始めて二時間。いまだに収穫はなし。

 地味な服装――当然のように男物だが、豊満な体を隠し切れておらず、かえって目立っている――のサフィアがふう、と息をついて辺りを見回す。

 

 粗末だが不潔ではない格好。

 あちこちからかかる呼び込みの声。

 スラムの市場であった。

 

 聞き込みの舞台にここを選んだことに特に理由はない。

 強いて言うならば、"探偵(ショルメス)"の勘だ。

 《加護》による仮面の一枚であるそれは、名前の通りの能力と技能を有する。

 盗賊に近いことも出来るが基本は頭脳労働者であり、情報収集と分析がメインだ。

 

「さてと。お昼にはまだ時間がある。もう少し聞き込みを・・・」

「さーふぃーちゃーん!」

「おっ!?」

 

 いきなり抱きついてきたのは、あかね色の髪に露出度の高い服装をした20才くらいの女性。

 気さくなお姉さんという言葉を形にしたような娼婦、ナヴィであった。

 

「んー、やっぱサフィちゃんは良い匂いがするねー!」

 

 嬉しそうに頬ずりするナヴィに思わず苦笑が漏れる。

 

「変わらないねえ、キミも」

「サフィちゃんもね。今日はどうしたの? お仕事?」

「ああ。キミもこの連中を――」

「サフィア?」

「――サナ?」

 

 振り向いた先にいたのは、執事服を隙なく着こなした男装の麗人――ヒョウエの家令、サナであった。



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06-02 幼なじみ

 買い物に出て来たらしいサナを見て、サフィアの表情が柔らかくなる。

 

「サナか。久しぶりだねえ」

「ええ。あなたも元気そうで何よりです、サフィア」

「え? サナさんとサフィちゃん、友達?」

 

 サフィアの首から腕を放して、キョロキョロと二人を見比べるナヴィ。

 

「ああ。幼なじみさ」

「腐れ縁と言うべきかも知れませんね」

 

 くすくすと二人が笑い合った。

 

 

 

 サフィアは武術道場の娘だった。

 四人兄妹の末娘で、他の兄弟が男ばかりだったこともあり、かわいがられていた記憶がある。

 小さな頃から武術の才能は目を見張るものがあり、一方で歌もうまかった。

 家族からは、末は達人か歌姫かとちやほやされたものだ。

 今にして思えば《加護》の萌芽だったのだろう。

 

 QBに会ったのは7才か8才の時。

 冒険者になったのは15の時。

 

 時を同じくしてサナが両親を亡くし、大公家に引き取られた。

 サナの父とサフィアの父は同門の親友であり、二人も子供の頃から見知った仲だった。

 大公家に引き取られるのでなかったら、サナはサフィアの実家に引き取られていただろう。

 冒険者として巣立つとき、大公家に引き取られるサナと交わした会話を覚えている。

 

「やっぱり大公家に行くのかい」

「ええ。あなたがいるならヴァーサイルの家にお世話になることも考えましたが」

「それはそれは。出て行くことになって申し訳なかったね」

 

 笑みを浮かべて肩をすくめる。

 サナもクスリと笑みをこぼした。

 

「いえいえ。元からそのつもりだったのは知っていましたし。でも大丈夫ですか? "犯罪と戦うもの(クライムファイター)"は生活が厳しいと聞きますが」

「最初のうちはギルドであれこれ仕事を受けるのがメインになるだろうね。

 仕事の合間に治安活動をする感じさ。師匠が歌の仕事も取ってきてくれるとは言っているけど」

「師匠、ですか」

 

 サフィアの背後に立つ男をちらりと見る。

 屈強ではないが引き締まった、実戦向きの体に目が行く。

 片足が義足で杖を突いてはいるが、その立ち姿に隙が見えなかった。

 

「実際師匠のおかげでボクは随分と強くなった――武術ではそれでも何とかキミと互角程度だけどね」

「私はあなたほど器用ではありませんので」

 

 笑うサナに、サフィアがもう一度肩をすくめた。

 

「ボクとしてはキミの方こそ心配だけどね。貴族の家に仕えるのも色々大変と聞くよ。大公家なら尚更だろう。そもそもなんで大公家に?」

「大公妃様が母の友人だったようで。まあ、待遇についてもそこに期待するほかはないでしょうね」

「そうか・・・がんばりなよ」

「あなたも」

 

 最後に拳を軽く打ち付けて、二人は別れた。

 二人が再会するのは七年後のことになる。

 

 

 

「そういえばキミの王子様は元気かい?」

「ええ、今日も今日とて、借金返済のために飛び回っていますよ」

 

 溜息をついてサフィアが周囲を見渡した。

 

「かなわないね、まったく。ボクがクライムファイターを志したのはここ(スラム)を少しでもまともな場所にしたいと思ってのことだったんだけど、たった数年でボクの仕事はほとんどなくなってしまった。

 青い鎧といい、キミの王子様といい、彼らのおかげでボクの人生設計は狂ってばかりだよ。ここのところは歌姫が本業みたいなものさ」

 

 よよよ、と芝居がかって嘆いてみせるサフィアにサナが苦笑する。

 

「でもサフィちゃん、この前も泥棒捕まえたりと頑張ってたじゃない。サフィちゃんが頑張ってるから助かってる人、いると思うよ?

 それに青い鎧や領主様がいなかったころ、スラムのために頑張ってくれてたのはサフィちゃんだけだった。助けて貰った人はみんな感謝してるんだよ。

 もちろん私も」

「ふふ、ありがとう」

 

 ナヴィの頬に軽くキスをする。

 

「えへへ」

 

 その顔が嬉しそうに笑み崩れた。

 

 

 

 歓声を受けて青い鎧が空に舞い上がった。

 眼下の通りには昏倒して警邏に束縛された男と、手を振る女性と警邏の姿。

 通り魔に刺されて負傷した被害者と、それを止めようとしてやはり負傷した警邏だったが、青い鎧によって怪我どころか服の穴や血のりも綺麗に消えていた。

 

 満足そうに頷いて手を振り返し、空の彼方に飛び去ろうとして――ふと青い鎧が北の方を向く。

 一瞬逡巡して、青い鎧がそちらに飛び去った。

 

("幻影(イリュージョン)")

 

 目指す先は王都北西にある瀟洒な屋敷の一つ。

 幻影を発動して、カラスの幻影を自分に重ねる。

 人一人入るほどのカラスは明らかに巨大すぎるが比較するもののない空中、下から見上げてそれに気付くのは難しい。

 

(げっ)

 

 庭で待つ人影を見て、思わず青い鎧がうめいた。

 心の中で盛大に頭を抱えつつ、着地と同時にカラスの幻影を解除する。

 バルコニーで先ほどから青い鎧の名前を呼んでいた男がほっとしたように叫ぶのをやめた。

 

 庭のあずまやに設置されたテーブルセット。

 そこに年の頃20ほどの貴婦人が座り、傍らには40ほどに見える長身禿頭の男が立っている。

 貴婦人が立ち上がり、スカートのすそをつまんで優雅に礼をした。

 

「ごきげんよう青い鎧様。メットーの守護騎士、民を守るもの。

 わたくしはディテク王国第二王女カレン・スー・ボッツ・ドネ。

 まずは招待に応じて頂いたことに感謝いたしますわ」

 

 にっこり笑う従姉に顔を引きつらせつつ――この時ほど、青い鎧を表情の見えないデザインにしたことを感謝したことはない――少なくとも外見は鷹揚に頷く。

 

「丁寧な御挨拶痛み入る。それがしは青い鎧。ただその様にお呼び頂きたい」

「かしこまりましたわ。それでは青い鎧様。わたくしと一緒に朝のお茶などいかがですか」

「頂こう」

 

(どうしてこうなった! どうしてこうなった!)

 

 悠然とした態度を維持しつつ、頭の中で裸のヒョウエが転がり回っていた。

 

 

 

 ティータイムが始まった。

 傍らに控える長身禿頭の男――ヒョウエも知っている王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の副長官、"狩人(ハンター)"が給仕を務める。

 

 どういう理屈なのか、青い鎧は面頬を上げないまま茶を飲み菓子を食べている。

 茶や菓子の消える口元をカレンが真顔で見つめていた。"狩人(ハンター)"は無表情。

 いくらかの世間話の後、ややあってカレンが話を切り出す。

 

「"レスタラ"? それはまた古い名前が出て来たものですな」

「わたくしもそう思っていたのですけれどね」

 

 よそ行きの態度で優雅に溜息をつくカレン。

 普段の傍若無人な暴君の顔しか知らないヒョウエにとってはむしろ新鮮な心地すらする。とは言えもちろん、それに騙されるようなことはない。

 

「何か確証がおありか?」

「ええ、実は先だってあなたが"白百合の騎士"と協力して捕まえた宝石泥棒。その盗んだ宝石が――」

 

 カレンの話は、先だってサフィアがQBから聞いたものとほぼ同一であった。

 "巨人機(ギガント)"とその指揮官機であった"心を歪めるもの(マインドツイスター)"の事を思いだして、面頬の下で顔をしかめる。

 

「記憶の宝石については、釈迦に説法かしら? あなたが破壊してくださったあの真魔法文明の遺失兵器もそれで動いていたと聞いておりますわ」

「うむ。あれはいささか苦労いたした」

「いささか、ね」

 

 カレンが苦笑する。"狩人(ハンター)"ですら僅かに眉を寄せた。

 

「まあともかく同じようなことが起こりうると考えてよいのですな?」

「王家転覆、世界征服を企む武装組織でしてよ。少なくとも快適な生活のために冷蔵庫や洗濯機を揃えようという話ではないでしょうね」

 

 真なる魔法文明の時代には家事や様々な生産活動を行う魔道具も多数作られていた。

 それらを揃えるのが上流階級のステータスの一つであったりもする。

 閑話休題(それはさておき)

 

「つまり、レスタラの痕跡を追えと」

「無論、命令ではなくお願いですわ。王家の力をもってしても、あなたに何かを強制できるとは思えませんもの」

 

 艶やかな笑顔。だがその裏にある腹黒さを知っているヒョウエとしては、内心で肩をすくめるしかない。

 

「そう言う事であれば否やはござらぬ。元より人々を守るのが我が務めゆえに」

「王家と、ディテクの民を代表してお礼申し上げますわ」

「うむ」

 

 鷹揚に頷くと青い鎧は立ち上がった。内心ではこの場から一刻も早く逃げ出したい思いで一杯である。

 

「ところであなたに連絡を取りたいときはどうすればよいのかしら。よろしければ王宮の南西の塔に青い旗を掲げた時にこの屋敷で会うようにして頂けるかしら?」

「よろしいかと存ずる。茶と茶菓子、美味にござった。ではまた」

 

 非の打ち所のない所作で一礼すると、青い鎧は空の彼方に消えた。



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06-03 倉庫街

 それからしばらくは、サフィアもヒョウエも、そして"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"も情報収集に奔走した。

 そして。

 

「魔導兵器密輸?」

「ああ。これを見ろ」

 

 "白百合の騎士"のアジト。

 テーブルの上に置かれた瓦版には、王都郊外の街道で馬車から王国軍で使っているのと同タイプのパワードスーツ――肉体強化系具現化術式が数着と大量の魔力結晶、剣や弓矢と言った通常の武器が見つかったと報じられていた。

 発見したのは街道警邏隊。事故を起こした馬車を調べようとしたら攻撃を受け、居合わせた冒険者パーティの協力によって全員を拘束したとされていた。

 

「ここには書いていないが、実際に馬車を発見して通報したのも、テロリストどもを拘束したのもこの冒険者達らしいな」

「何者ですか?」

「それがな――どうやら"毎日戦隊エブリンガー"というらしい。最近名を上げている冒険者だそうだが・・・」

「え、サナの王子様が?」

「なに?」

 

 QBが眉を寄せた。

 

 

 

「・・・なるほど、大公家に奉公したあの娘が、出奔した大公家の嫡子についていっていたと」

「はい」

「大公家の王子の話は聞いていたが、冒険者もやっていたとはな」

「オリジナル冒険者族で、強力無比な《魔力の加護》を持っているとか」

「優れた術師というのは聞いていたが・・・そうだな、確かにオリジナル冒険者族であればそれくらいはやるか。

 だがそれなら好都合だ。彼女と話をつけて、詳しいことを聞き出せないか?」

 

 サフィアが頷く。

 

「本人と何度か直接会ったこともありますし、問題はないと思います。

 ただ冒険者稼業が忙しいそうですので、すぐには無理かもしれません」

「そうか。だがなるべく早く話を聞いておきたいところだな。

 まあ、ひょっとしたら諜報機関の方から既に依頼を受けている可能性もあるがな。何せあそこのトップはヒョウエ王子の従姉だ」

「ですね」

 

 頷き合う二人。

 そこで言葉が途切れ、しばらく無言になる。

 

「・・・ところで、だ」

「はい」

「この『毎日戦隊エブリンガー』というのは何だ? 若い連中にはこういうセンスが受けているのか?」

「それはありません。決して。決して」

 

 真顔できっぱり否定するサフィア。

 

「そうか・・・まあオリジナル冒険者族だからな」

「ええ。オリジナル冒険者族ですから」

 

 またしばらく沈黙が落ちる。

 

「・・・そろそろ行くか」

「はい、マネージャー」

 

 ヒョウエが聞いたら憤慨するような会話を交わして二人は席を立った。

 

 

 

 一時間ほど後。

 サフィアの姿は河沿いの倉庫街にあった。

 あれからマネージャーと二人で稼いできた情報を突き合わせ、"探偵(ショルメス)"によって精査し、分析と推理を重ねた結果である。

 

「馬車の荷物の送り先、交通網、流通、物の流れ・・・それを分析していけば自然と怪しい場所は絞られる。さて、この分析が正しいかどうか運試しと行こうじゃないか」

 

 超巨大都市であるメットーには、当然膨大な量の物資が毎日運び込まれてくる。

 とはいえそれはほとんどの場合定まったルートを通り、定まった品目を運び込んでくるものだ。

 商家の取引関係、どこそこから注文が入った、ここ数ヶ月で新しい倉庫を借りるものがいた、あれこれの商会が王都に進出してきた――そうした情報をつき合わせれば、通常の取引、流通に含まれない異物が浮かび上がってくる。

 

 QBの姿はない。

 片足の彼ではどうしても足手まといになるからだ。

 それでも近辺に潜んでいざというときのバックアップを担当してくれている。

 

(本来なら、官憲と協力して踏み込むべきなんだろうけどね)

 

 QBを介して、怪しい箇所の情報は既にその筋に伝えられているはずだ。

 "探偵(ショルメス)"の分析能力は"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"をして舌を巻くレベルのもので、過去にスカウトを受けたこともある。

 

 かなりの高給を提示されたが、丁重にお断りした。

 理由は今回単独行動しているそれと同じだ。

 

「ボクは、クライムファイターだからね」

 

 誇り、意地、使命感、そうしたものがない交ぜになった感覚。

 こればかりは理屈ではない。

 とはいえ今回は別の理由もある。

 

("探偵"の勘が、今踏み込まなければ逃げられると囁いている・・・!)

 

 これまで外れたことのない勘を、今回もサフィアは信じる事にした。

 

「さて、まずは最初の・・・お?」

「え」

「あっ」

 

 倉庫街に踏み込み、最初の角を曲がったところでばったりと出会ったのはヒョウエ、モリィ、リアス、カスミの毎日戦隊エブリンガーの面々だった。

 

 

 

「サフィアさん、お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだねヒョウエくん。元気そうで何よりだ。冒険者になったんだって? 随分と活躍しているそうじゃないか」

「なに、貧乏暇なしと言うところですよ」

「全く物好きなことだね、王子という地位を捨ててまで」

「そこのところはお互い様でしょう。緑等級ならいくらでも稼げるでしょうに、わざわざ"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"になるんですから」

「おっと、これはヤブヘビだったかな」

 

 二人で声を合わせて笑う。

 ちょいちょい、とモリィがヒョウエの方をつついた。

 

「なあヒョウエ、この姐さん誰だ?」

「ああ、そうですね。サフィアさん、こちら僕の箱仲間(パーティメンバー)でモリィ。白甲冑がリアス、ちっちゃいのがカスミ。

 それでこちらはサフィアさん。サナ姉の親友で緑等級の冒険者、"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"です。僕が来るまではこの人がスラムの平和を守ってたんですよ」

「あー、あんたが"白百合の騎士"か!」

 

 感嘆の声が上がる。

 尊敬の眼差しにまぶしそうに眼を細めてサフィアが苦笑した。

 

「なに、ヒョウエくんのしたことに比べれば大した事はないさ。あの頃のボクはまだまだ未熟で非力だったしね」

「まあそれはおいておきましょう。こんな時刻にこんな場所に何の御用で?」

 

 わかってて言っているだろうその表情に、サフィアも薄く笑みを浮かべる。

 

「多分キミと同じじゃないかな。むしろボクとしては君たちがどうやってここを突き止めたのかが気になる所だが」

「優秀な情報源がありましてね。そのおかげですよ」

「ふむ」

 

 ちらりとモリィの方を見る。

 

「察するところ・・・盗賊ギルドあたりかな?」

「ノーコメントで」

 

 ヒョウエが肩をすくめる。

 

「そうだね、情報源を聞き出そうなどと失礼だった。許して欲しい」

「いえ、お気になさらず」

 

 なお実際のところはリーザの奮戦の成果である。

 ここ数日はヒョウエの"疲労回復(レスト)"をひっきりなしに受けながら、一日中街の声を拾っては休息してを繰り返していた。

 

「あの頑張りを見せられるとな・・・あたしたちもたるんだ真似は出来ねえよな」

「その通りですわ。リーザさんの意気に報いねば、何をもってサムライを名乗れましょう」

 

 カスミも含めて三人娘が頷き合う。

 微笑ましそうにサフィアが笑みを浮かべた。

 

「では共同戦線と言うことでいいかな? 賞金は山分けで」

「いいでしょう。みんなも構いませんね?」

 

 三人が頷くのを確認し、ヒョウエが手を差し出す。

 サフィアがその手を固く握り返した。

 

 

 

「ところでヒョウエくん。(パーティ)の名前で毎日戦隊エブリンガーというのは――」

「それ以上言ったら戦争ですよ、サフィアさん」

「アッハイ」

 

 真顔のヒョウエを見て、サフィアは口に出そうとしていた言葉を飲み込む。

 ため息、困り顔、苦笑。

 三人娘が三者三様の表情を浮かべた。



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06-04 猫

 目当ての倉庫の最初の一つ。

 その裏口に回ると、そこには真新しい、特注と思われる錠前がかかっていた。

 

「これはいきなりビンゴかな?」

「まあ、普通の倉庫にこんなお高い錠前は付けねえわな・・・しかしこりゃ正面から攻略するにゃちょっと難物だぜ」

 

 このパーティの技能担当であるモリィがちらりとヒョウエの方を見る。

 (ヒョウエとカスミも一応技能は身につけている)

 

「壊しますか?」

「いや、それは最後の手段にしておこう。潜入はスマートにやるに越したことはない」

 

 腰のポーチから先端を鋭く尖らせたマイナスドライバーのようなものを取り出して、サフィアがしゃがみ込む。

 ピックと呼ばれる錠前破りの道具だ(「ピッキング」のピック)。

 

「・・・お?」

「へえ」

 

 一分とかからず、カチリと気持ちいい音を立てて錠前が外れた。

 

「見事な業前でいらっしゃいますわね」

「必要だったからね」

 

 リアスの称賛に笑って応えると、サフィアはピックをしまい込んだ。

 素早く中に入ると一行は扉を閉める。

 

念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

 軽く念波を放って外の様子を透視し、念動で錠前をかけ直す。

 カチリという音がカスミとサフィアの耳に届いた。

 

「さてと」

 

 周囲を見回す。

 倉庫の中はだだっ広い空間になっており、多くの木箱が積まれている。

 どうやら隣の倉庫と続きになっているらしく、中程に大きな両開きの扉。壁の二階から三階ほどの高さにキャットウォーク、そして泊まり込みや事務仕事に使うのか、奥の壁に沿って小屋があった。

 

「あの高いところに歩廊(コリダー)?があるのはなんですの?」

 

 貴族らしい言葉でキャットウォークを表現するリアス。

 

「あれは高いところで作業をするための通路ですよ。猫の通り道になぞらえてキャットウォークと言います」

 

 キャットウォークの先には扉があり、これも隣の倉庫に通じているのが見て取れる。

 それを見上げながら、ヒョウエが仲間を見渡した。

 

「どうします? 念響探知(サイコキネティックロケーション)をかけてもいいですが、あれは鋭い相手がいる場合察知される可能性もありますし」

「多分この中で一番隠密行動に長けているのがボクだろう。まずはキャットウォークを伝って僕一人で偵察に行ってみるのがいいんじゃないかと思うんだが」

「で、ございますね」

 

 エブリンガーの中では一番隠密に長けたカスミが頷く。

 

(技能自体は恐らく互角と見ますが、身体能力が一回り上ですね、この方は)

 

 冒険者は基本的に等級が高いほどに身体能力も高い。

 倒した敵の生命力、魔力を取り込んで自分を強化することが出来るからだ。

 緑等級であるサフィアと、青等級であるカスミの地力の差である。

 

「では行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 おどけた会話を交わしてサフィアがキャットウォークに続くハシゴに飛びつく。

 影のようにするするとハシゴを登り、キャットウォークを伝って隣のスペースに繋がる扉にぴたりと耳を付けた。

 

 その間に、ヒョウエたちが隣の倉庫に繋がる一階フロアの扉に移動。

 ヒョウエたちとアイコンタクトを交わすと、サフィアは扉のちょうつがいに油を差す。

 ちょうつがいに確実に油が回ったのを確認して、男装の麗人はそっと扉を開けた。

 

 

 

(・・・・・・・・・・・・!)

 

 さすがのサフィアが一瞬絶句した。

 扉の先、眼下に見えたのは二十機を超える軍用の強化具現化術式(パワードスーツ)

 それに応じた魔導兵器一式。その周囲をせわしなく動き回る男女。

 魔導兵器や具現化術式にはそこまで詳しくないサフィアでもわかる。

 

(冗談じゃない・・・城塞都市だって落とせる戦力だぞ!)

 

 警邏はもちろん、軍も通常部隊では甚大な被害を覚悟せねばなるまい。

 最低でも同数の同じ強化具現化術式を装着した魔導化歩兵か、サフィアと同じ緑あるいはそれ以上の等級の冒険者が必要だ。

 

 整備台の上に乗せられた具現化術式をいじる魔導技師らしい女。

 手巻きの紙巻きタバコをふかしていた男たちが下品な冗談を交わしている。

 それらを見ながら、もう少し近くで聞き耳を立てようと下から見えないようにキャットウォークを這って進む。

 ガタッ、と音がした。

 

「!」

「誰だっ!」

 

 整備していた者を含めて、ほとんど全ての「レスタラ」構成員が即座に戦闘態勢を取った。何人かは素早く強化具現化術式を装着している。

 その視線はキャットウォークに向かっている――ただし、サフィアが潜んでいる場所ではない。

 

「ナ"ーオ"」

 

 安堵の息をついて構成員たちが武器を下ろす。

 サフィアも同時に安堵の息をついた。

 

「ニャア?」

 

 音の主は太り気味の野良猫であった。尻尾に茶色のブチがある。

 どこからか忍び込んだものが、キャットウォーク上に放置してあった荷物を崩してしまったものと思われた。

 

(やれやれ)

 

 苦笑したサフィアの表情が、次の瞬間こわばった。

 

「おい、何をしてる? 馬鹿な事はやめろ」

「ここに籠もりっきりで退屈なんですよ、中尉。これくらいのお楽しみはいいでしょう」

 

 まだ若いレスタラの構成員が、クロスボウを構えていた。

 箱状の弾倉が上部に取り付けてあり、レバーを引くと連射できるタイプだ。

 

「・・・外に音を漏らすなよ。矢もだ」

「そう来なくっちゃ」

 

 にまっと下卑た笑みを浮かべるクロスボウの男。

 

「ナ"ー?」

「へっへっへ・・・脅かしやがって、この毛玉が」

 

 何をされるのかわからず首をかしげる猫。

 狙いを定めて引き金に指をかけるクロスボウの男。

 

「死ねっ!」

 

 男が引き金を引いた。

 狙い違わず、一直線に猫に飛ぶクロスボウ・ボルト。

 中尉と呼ばれた男含めて何人が顔をしかめ、クロスボウの男が会心の笑みを漏らす。

 

「「「「!?」」」」

 

 だが次の瞬間、その全ての表情が驚愕に彩られた。

 内壁に当たり、レンガの破片をまき散らしてキャットウォークに落ちる矢。

 その横に立つのは魔法のように現れた銀髪の麗人。

 硬質の美貌が溜息をつく。

 

「ああもう、キミのせいだぞ」

「ナ"ーウ?」

 

 サフィアの腕の中で、太ったブチ猫がきょとんとして首をかしげた。



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06-05 ヒーローであるということ

「戦闘態勢!」

 

 中尉と呼ばれていた男の鋭い命令が響く。

 猫の登場で弛緩していたレスタラ構成員たちが一斉に動いた。

 「中尉」を始めとした男女たちが待機中で展開状態の具現化術式に体を滑り込ませ、素早く起動する。

 具現化術式を纏った強化兵が次々と立ち上がり、他の者も弓や剣と言った武器を手に取る。

 その間にサフィアは猫を抱いていた手を離す。

 

「ほら、さっさと行きなよ!」

「ナ"ー?」

 

 首をかしげながらもふとっちょ猫は床に降りたってキャットウォークを走って行く。

 この期に及んで構成員たちの殺気に微塵も怯えていないのはある意味大物だろう。

 

「"脆化(フラジール)"」

「!?」

 

 隣の倉庫に通じる扉に無数のヒビが入ったかと思うと、次の瞬間無数の破片にばらけて飛び散った。

 

「ぐわっ!?」

 

 クロスボウの男を始め、具現化術式を装着していなかった大半の者が破片に打たれて倒れる。

 扉から現れたのはヒョウエたち。

 

「ちっ! 全員キャットウォークの奴を撃て!」

「!」

 

 念動で体を浮かせ、ヒョウエが飛び出した。

 同時に指揮官が整備台の横に設置されていた魔法装置らしいもののスイッチを叩く。

 

「!?」

 

 モリィ達とテロリストたちの間に発生する揺らめく壁。

 モリィの雷光が壁に阻まれて四散し、カスミの手裏剣が弾かれて床に落ちる。

 指揮官以外の魔導化歩兵達が手にした筒――日本人が見れば一目で銃だとわかる物体――の筒先をサフィアに向ける。

 身を翻して明かり取りの窓を目指して走り出すが、距離が絶望的に遠い。

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に前に飛んで伏せようとするが、その刹那、足元が崩れてボコリと穴が開いた。

 古くなっていたレンガのキャットウォークに穴が開く。足元を取られてたたらを踏んだのと、魔導化歩兵が手にした銃が火を吹くのが同時。

 

「――!」

 

 そしてまた同時に。

 一瞬早く形成前に力場の壁をすり抜けたヒョウエがサフィアと銃弾の間に滑り込んだ。

 全力で展開される念動障壁。

 銃弾が炸裂し、爆発が起こる。ヒョウエが吹き飛ばされ、壁に大穴を開けて外に消えた。

 

 それと同時にキャットウォークが崩れ、サフィアは投げ出された。

 壁を蹴って瓦礫に巻き込まれないよう距離をとりつつ、身を翻して着地する。

 着地と同時に剣を抜いて構える。

 ほとんど同時に19の銃口がサフィアに向けられた。

 

「ヒョウエくん――! くそっ!」

 

 その顔に浮かぶのは悔恨。

 自分より年下の、親友の大事な人である少年を犠牲にしてしまった事への。

 

「サナに何と言って詫びればいいんだ・・・!」

 

 だが状況は感傷にひたることを許してくれない。

 突きつけられる銃口は微動だにせず、ヒョウエの仲間達は力場の壁の向こう。

 モリィが雷光銃のチャージを始めているが、サフィアを救うには間に合うまい。

 具現化術式を装着した指揮官が一歩踏み出した。

 

「終わりだ、ヒーローのお嬢さん。どうだ、命乞いでもしてみるか? 我々も案外情け深いかもしれないぞ?

 なんなら戦争規範にのっとって捕虜として扱ってやろう」

「断る!」

「ほう」

 

 剣を突きつけて、きっぱりとした拒絶。

 指揮官が思わず感嘆の声を漏らした。

 

「理由を聞いても?」

「キミが言ったじゃないか。ボクがヒーローだからさ!

 確かにヒーローだって負ける事はある・・・けど、敵に降参するヒーローなんていやしない!」

 

 そのまっすぐな視線に指揮官の男が眼を細める。

 

「残念だよ・・・その信念、その勇気、その気高さ・・・同じ旗を仰いでいれば、貴女は私の尊敬すべき同胞だったろう。

 最後に名前を聞いてもいいかな?」

「礼儀を知らない人だね? 人に名前を尋ねる時は、まずそちらが名乗るものじゃないかい?」

 

 いたずらっぽく微笑むサフィアに、指揮官の男も苦笑する。

 

「おっと、これは失礼した。私は復古軍(レスタウラツィオン)直属行動部隊隊長シャトレイ中尉。貴女は?」

「(やはり・・・)ディテク王国緑等級冒険者、サフィア・ヴァーサイル。人呼んで『白百合の騎士』!」

 

 堂々と名乗りを上げるサフィアに、シャトレイが敬意のこもった眼差しを送る。

 

「そうか・・・ではお別れだ、白百合の騎士。私は貴女の気高さを永遠に忘れまい」

 

 シャトレイ中尉が手を上げる。

 

「ちっ!」

 

 力場の壁の方へ走り出すサフィア。

 

「無駄だ! 潔く死を受け入れたまえ!」

 

 シャトレイの言葉と共に再び火を吹く銃口。

 爆発が起こった。

 

「――――」

「なっ・・・」

「こいつは・・・!」

 

 思わずサフィアの足が止まった。

 その瞬間、空気が渦を巻いた。

 何かが空気を押しのけたのだ・・・具現化術式より強く、弾丸より早い「何か」が。

 まるで魔法のように忽然と、その「何か」はそこに存在していた。

 

 翻る紅いケープ。

 銃弾は再び受け止められていた。

 今度は、青い騎士甲冑によって。

 

「青い――鎧!」

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

「魔導兵器を弾き返すだと――まさか、貴様が噂の青い鎧か!」

「まあ、それがし以外にそんな真似が出来る者がいるなら会ってみたいものではあるな」

 

 笑みを含んだ青い鎧の声。

 

「総員撤退っ!」

 

 シャトレイが一瞬で判断を下す。だがそれでも遅きに失した。

 命令と同時に力場の壁をまばゆい光の奔流が貫き、力場発生装置が火を吹いて機能を停止する。

 

「なっ!」

 

 驚愕と共に振り向いたシャトレイの目に映ったのは、魔導武装らしきものを両手で構える黒髪の少女、突貫してくる白のサムライと侍女ニンジャ。

 そこまで見てとった瞬間に強烈な衝撃を受け、シャトレイの意識は暗転した。

 

 

 

 瞬時に半数を青い鎧が打ち倒す。

 いくら防御力を高めてあるとは言え、人間サイズの強化具現化術式では青い鎧の一撃を防ぐべくもない。

 そして残りの半数も、モリィ、リアス、カスミ、サフィアによってまたたく間に駆逐された。

 

 生き残った内の数人が、青い鎧の影から出たサフィアに再び銃口を向ける。

 せめて一矢報いたいというのだろう。

 

「!?」

 

 だが連射された弾丸は、ことごとくサフィアの体をすり抜けるようにして外れた。

 後ろの壁面で爆発が起こる。

 

(――見える!)

 

 "剣士"の仮面(ペルソナ)。サナと同じく武芸を極めたサフィアの目には、筒先から放射される殺気がレーザーポインターのように幻の紅い線として映る。

 その赤い線から身をかわすと、一瞬遅れて弾丸がその線上を正確になぞって通り過ぎる。

 

 二十本の火線は避けきれなくとも、数本ならば。

 緑等級冒険者の速度で接近された魔導化歩兵たちは二射目を発射することも、接近戦武器に持ち替えることも出来ず、防御の薄い関節部を的確に貫通されて動けなくなった。

 

「これで最後っ!」

 

 ほとんど同時に、最後の一人をリアスが斬り伏せている。

 もう倉庫の中には、彼ら以外動く者はいなかった。

 



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06-06 全ては救えない

 最後の一人が倒れた瞬間、サフィアが身を翻す。

 

「すまない、ここは任せる!」

「お待ちください、どこへ?」

「決まっているだろう、ヒョウエくんだよ! むしろ君たちはヒョウエくんの仲間だろう! 良く心配にならないものだな!」

「・・・」

 

 激昂するサフィア。

 対してモリィ達は、揃って微妙な表情を浮かべた。

 

「・・・なんだい、その反応は?」

「えーそのそれは・・・」

「あーいや、なんだ。あいつだったら大丈夫だと思うぜ。あの程度でどうにかなるようなやつじゃねえ――なあ、青い鎧さんよ?」

「う、うむ」

 

 モリィの言葉に青い鎧が頷く。

 カスミもコクコクと必死に頷いた。

 

「彼ならそれがしが治療しておいた。すぐに目を覚ますことだろう」

「そ、そうか・・・よかった、本当に・・・」

 

 サフィアが安堵の息をつく。

 青い鎧とモリィはサフィアの目に涙が浮かんでいるのに気づいた。

 その視線に気付いたサフィアが顔を上げる。

 どのような手管を使ったか、その目に浮かんでいたはずの涙は影も形も無い。

 

「なんだい、ボクが泣いているとでも?」

「いや、そうではないが・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 しばらく沈黙が落ちた。

 その沈黙をサフィアが破る。

 

「なあ、ヒーロー」

「なにかな」

 

 2m近い長身をサフィアが見上げる。この上なく真摯な眼差し。

 

「キミは、その・・・失敗したことはあるかい?

 誰かを助けられなかったり、手を届かせられなかったり・・・」

「ああ、ある」

 

 ゆっくりと青い鎧が頷いた。

 

「・・・そうか」

「・・・」

 

 言葉が途切れる。

 二人のヒーローが見つめ合う。

 ふう、と息をついたのはやはりサフィアだった。

 

「ありがとう。こんな事を言うのは何だが・・・少し気が楽になったよ。キミでも失敗することはあるんだな」

「ああ。恐らく『星の騎士』でもな」

 

 頷きつつヒョウエは思う。

 最強の力と全知全能はイコールではない。これだけの力を持っていても人を助けられないことはある。

 忘れてはいけない。漫画の中のヒーローでさえ、全てを救うことは出来ないのだと。

 それを知ってなお挑み続けるサフィアが、ヒョウエには余りにまぶしく思えた。

 多彩な技能を身につけているとは言え、サフィアはけっして超人ではない。

 空も飛べず、鉄を砕く腕力もなく、風のように走る事もできない。

 そんなただの人間であるからこそ尊く思えたのだ。

 

 青い鎧を見上げつつ、サフィアは思う。やはり彼は真のヒーローだと。

 圧倒的な存在感、まばゆい輝き、巨大な熱量。

 そのどれもこれもが中途半端な自警団(ヴィジランテ)もどきである自分のメッキの輝きを打ち消す輝く太陽。

 だがだからこそ、矮小な半端者であっても、彼の前では胸を張っていたい。

 彼は自分の事を僅かなりとも認めてくれたのだから。

 であれば、メッキであろうとも彼を失望させるわけにはいかないのだから。

 

 

 

「さて、それでは失礼する。他にまだ用もあるのでな。ではまたいずれ」

「あ、ちょっと待ちたまえよ・・・って、こんなやりとり前もあったね」

 

 ややせわしなく、青い鎧が壁の穴から飛び去る。僅かにほっとした雰囲気を漂わせるモリィたち。

 今の仮面(ペルソナ)が"剣士(フェンサー)"であったから良かったものの、サフィアが"探偵(ショルメス)"の仮面(ペルソナ)をかぶっていれば、間違いなく何事か見抜かれていたに違いない。

 入れ替わりのようにヒョウエが壁の穴から現れ、ふわりと着地する。

 

「やれやれ、ひどい目に会いました」

「ヒョウエくん!」

「ご無事でしたか、サフィアさん」

「ほらな、大丈夫だったろう?」

「ですわね!」

 

 エブリンガーの面々によるいささかわざとらしいフォローであったが、それでも感激と安堵にひたっているサフィアには十分だったようだ。

 とはいえサフィアが"探偵(ショルメス)"の仮面を以下略。

 

「ああ、良かったよ! キミを犠牲にしていたら、サナに顔向けできなくなるところだった!」

「わぷっ!?」

 

 今度こそ涙をにじませてヒョウエを抱きしめるサフィア。

 頭一つ高い相手の胸元に顔を埋め、ヒョウエが窒息する。

 

「「「・・・!」」」

 

 モリィ達が何とも言えない顔になるが、彼女の立場からすれば当然のことではあるので何も言えない。

 しばらくそのまま固まって、慌てたようにサフィアが抱擁を解く。

 

「すまない、つい」

「いえいえ。こちらこそ心配をおかけして申し訳ありません」

 

 笑顔でそれに頷くと、サフィアが一転していたずらっぽい表情になった。

 

「そちらのお嬢さん方にも申し訳ない。ああ、ヒョウエくんはボクからしたら弟のようなものだから、そちらの方は心配しないでいいよ」

 

 一つウィンク。

 女性歌劇団の男役のような美貌と雰囲気は、そうした仕草もキザと感じさせない。

 

「っ!」

「い、いえその、そのようなことは・・・」

「・・・」

 

 図星を突かれてあたふたするモリィ達にくすりと笑い、表情をまじめな物に戻す。

 周囲には倒れたレスタラ構成員たち。そして強化具現化術式を始めとする魔導兵器。

 リアスが斬り伏せたものたちもまだ一応生きてはいる。

 

「取りあえずふんじばってから死なない程度に応急処置でしょうかね」

「ヒョウエ様は治療に当たるとして、この中で一番足が速いのは恐らくわたくしでしょうから、警邏の詰め所に行って参ります」

「よろしくカスミ。サフィアさんたちは、取りあえず具現化術式を着ていない連中から拘束してください」

「わかった」

「おう」

「わかりましたわ」

 

 ヒョウエの言葉に三者が三様に頷いた。

 

 

 

 現場検証は警邏本部から人員が派遣される大がかりなものになった。

 事もあろうに王都のど真ん中でフル装備つきの強化具現化術式が二十体だ。

 現代日本でいえば、東京のど真ん中でテロリストが最新式の戦車を数十台用意していたというのに等しい。

 

 下手をしなくても警邏のお偉いさんの首がいくつかまとめてすっ飛ぶ事態。

 現場検証と捜査の大がかりさ、必死さはその辺の事情の一端を伺わせるものだった。

 

 参考人として倉庫の一角に留め置かれ、彼らの現場検証を見るともなしに見ているヒョウエたち。

 その様な事をサフィアから説明され、モリィが吐き捨てる。

 

「ちっ、王都が火の海になるかもしれねえってのに自分の首のほうが大事ですってかよ」

「嘆かわしいことですわね・・・」

 

 憤懣やるかたないリアスも同調するのに、ヒョウエが肩をすくめた。

 

「まあ理由はともあれ必死なのはいいことですよ。それに初動の速さから見るにいつでも出動できるように準備はしてあったんでしょう。

 これでもたもたしてるようなら、こちらも何か考えなくちゃなりませんでしたけど」

「へぇ、具体的にはどうするつもりだったのか、お姉さんに教えてくれないかなヒョウエくん」

「残念ですがそればかりは秘密ということで」

 

 口の前に人差し指を当て、いたずらっぽく目をつぶる。

 サフィアも同じようないたずらっぽい顔。

 

「意地が悪いなあ、ヒョウエくん。どうだ、教えてくれたらおねえさんがいいことをしてやるぞ?」

「魅力的なお誘いですがお断りしておきます。サナ姉に生皮を剥がされたくはありませんから」

「いやいや、ボクがサナの弟みたいな子にいかがわしいことをするわけがないじゃないか・・・もっとも? サナに秘密にするなら考えないでもないよ?」

「それこそまさかですよ。サナ姉とリーザに隠し事が出来た試しがありませんのでね」

「まあそれはねえ。キミが顔に出過ぎるんじゃないかなぁ」

「従姉にもよく言われますけどねえ。まあ否定はしません」

 

 うんうんと頷く三人娘を横目で見つつ、ヒョウエが肩をすくめた。



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第二章「サフィア・オリジン」
06-07 そもそもの始まり


「オリジン(名詞) 起源、由来、源。アメリカン・コミックスにおいては特に特定のキャラクターの生まれ育ちや原体験を描いたものを指す」

 

     ――アメコミ用語辞典――

 

 

 

 サフィアが"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"を志したのは七歳か八歳の頃だった。

 二十年近く前の事だ。

 

 当時出来たばかりのスラムで知らない子供と友達になった。

 サナとも一緒に三人でよく遊んだものだ。

 王都から300キロばかり離れた村に住んでいた子供で、畑の作物が全滅して食べていけなくなり、王都まで流れてきたのだった。

 

 その頃は天候不順と飢饉で多くの難民が王都に流れ込んでおり、比較的空白地が多かった南西部に人が集中して難民キャンプに近い状況になってはいたが、まだ一頃ほどに治安は悪くなかった。

 本格的に治安が悪くなるのは難民が集まって元からの住人が去り、王都の犯罪者たちが流入するようになってからだ。

 難民たちには犯罪を起こすほどの気力もなかったと言った方が正確だろうか。

 彼らはただただ生きる為に必死だった。

 

 それでも弱い人々が集まるところには、それを食い物にしようとするやからが集まってくる。

 そうした流れの中で事件は起きた。

 

 

 

「離せ、ニカを離せよ!」

「うるせえっ!」

「ぐっ!」

「サフィアちゃん! サフィアちゃん!」

 

 小汚い男に抱えられた少女が泣き叫ぶ。

 もう一人の男に蹴り飛ばされてサフィアが地面に転がった。

 

「ま、待て・・・」

 

 石畳に叩き付けられた頭がぐらぐらする。

 唇が切れて血が垂れている。

 朦朧とする視界の中で男たちが走り去っていった。

 

 

 

「ニカが悪い奴らにさらわれたんだよ! 助けてよ!」

「けどなあ・・・」

「スラムの子だよな。難民だろう?」

「そんな!」

 

 サフィアの懇願に、困った顔をしつつも動こうとはしない警邏たち。

 王都の警邏が全員正義感溢れる働き者ばかりというわけではない。

 とはいえこれでも彼らはまだマシな方だ。タチの悪い連中は権柄ずくで賄賂を要求し、気に入らない者に難癖を付けて暴力を振るう。

 

 加えてニカが難民だということが話を難しくしていた。

 王都に難民が流れ込み始めてまだ数年、王都の人々から見れば彼らはよそものという意識がある。

 彼らも子供が相手だからまだしも柔らかく応対しているが、大人だったらもっと冷たくあしらわれたことだろう。

 

 人さらい達も、だからこそ難民の子供を狙った。

 ニカの家族も沈んだ顔で、娘はもう戻らないものと早々に諦めている。

 

「いいんだよ、もういいんだよサフィアちゃん」

 

 疲れ切った顔でそうこぼしたニカの祖母の顔を、サフィアは今でも思い出せる。

 苦難と絶望にうちひしがれ、全てを諦めてしまった人の顔。

 カッと頭に血が昇った。

 

「必ず、必ずニカを取り戻すよ!」

「あ、ちょっとお待ち・・・」

 

 ニカの祖母が止める間もなく、サフィアはスラムの街路を走り去っていった。

 

 

 

「お願いだよ、サナ。ニカを助けるのに力を貸してくれ!」

「わかってます。必ずニカを助けましょう」

 

 家族も二の足を踏む状況、サフィアが頼れるのは親友であるサナしかいなかった。

 二人で手分けして、あちこちを探し、あるいは人に話を聞いていく。

 

 子供だからと侮られ、邪険にされながらも二人は根気よく聞き込みを続けていった。

 サフィアは年齢の割には恐ろしく頭の回転が速かったし、サナには親に叩き込まれた礼儀正しさといくらかの教養があった。

 そして、どちらも運動能力の高さと武術の腕には自信があり、それらは聞き込みの中で役に立った。

 特に、間違ってやばそうな相手に話しかけてしまったときには。

 

 

 

「まだ追ってきますよサフィア!」

「意外としつこいな! ひょっとしたらあいつも人さらいかもしれないね!

 次の角で曲がって、すぐそこのテントに飛び込むよ! うまく行ったら後をつけるんだ!」

「了解です!」

 

 言うなり二人は林立するテントの間に逃げ込み、姿を消した。

 後を追ってきていた男たちはしばらくその辺をウロウロしていたが、やがて立ち去っていく。

 テントの中で二人の少女が笑みを交わした。

 

「あんがとね、おばあちゃん」

「いいさ、困ったときはお互い様だよ」

 

 「悪い奴に追いかけられてるんです!」と飛び込んできた二人を布団の中に隠した老婆は、歯抜けの口で笑う。

 老婆に礼を述べると、二人は今しがた追いかけてきた男たちをつけ始めた。

 自分たちをつける影があるとは思いもせず。

 

 

 

「うわっ!?」

「このっ・・・ぐっ!?」

 

 幸運は何度も続かなかった。

 「運悪く」人さらい達のアジトを突き止めてしまったサフィアとサナは、ヘマをしでかして人さらいどもに捕まった。

 粗末な、それでも家の形をとどめた小さな倉庫の中、人さらいの拳が羽交い締めにされたサナの腹に突き刺さる。

 大人の男の拳に、サナが胃液を吐いた。

 

「サナッ!」

「~~~~~っ!」

 

 少女の悲鳴が上がる。縛られ猿ぐつわをかまされたニカと他の誘拐された少女も、くぐもった悲鳴を上げた。

 

「てめぇもだっ!」

「ぐっ!」

 

 サフィアが拳で頬を張られる。

 七才の少女に対して、大の男が手加減も遠慮もなしに暴力を振るう。

 十度ほど殴られて意識が朦朧としたところで、男の手がぴたりと止まった。

 

「・・・!?」

 

 首をかしげた瞬間、どこからか声が響いた。

 

「火事だ! 火事だぞ!」

 

 この時朦朧としていたサフィアは気付いていなかったが、裏口の方から煙が入り込んできていた。

 男たちが一斉に顔を青ざめさせ、サナやサフィア、さらった少女たちも放り出して出口の方へ殺到した。

 

「・・・?」

「サフィア・・・大丈夫ですか・・・っ」

 

 腹を押さえながらサナが起き上がる。

 頷きつつ、サフィアは周囲をいぶかしげに見回していた。

 

「どうしたんです、サフィア」

 

 ニカたちの縛めを何とかほどいてやろうとしつつ、サナが首をかしげる。

 

「いやね――火事という割に、煙は出ているけど何かが燃える音は聞こえない。

 そもそもあれを見なよ。裏口の下の方から煙が入り込んできてるだろ? 火元がよほど近いか、さもなきゃこの小屋が燃えていないとおかしいんだ。つまりこれは・・・」

「正解だ」

「「!」」

 

 サフィアとサナがはじかれたように振り向く。

 入り口から入って来たのは、20代半ばとおぼしき男だった。

 鍛えた体付きをしているが、右足が義足で杖を突いている。

 

「あの、あなたは・・・」

「運に恵まれたとは言え人さらいのアジトを突き止めたのは大したものだ。褒めてやる。だが詰めが甘い。

 加えてあちこち聞き込むのは自分の存在を相手に知らせることでもある。

 情報収集のつもりでこちらの情報を垂れ流していては本末転倒だ――だが見込みはある。

 そのつもりなら南東区画の俺の家に来い。東から3区画目、"夜の梟(ナイトオウル)"通りと"見張り男(ウォッチメン)"通りの間、屋根の青い家だ」

 

 一方的に喋ると、男はきびすを返した。サナが慌てて呼び止める。

 

「ちょっと待って下さい、警邏に通報を――」

「もうした。お前達は王都の生まれだろう? お前達が踏み込んで捕まったから、この事件は『難民の行方不明』ではなく『メットー市民の誘拐事件』になった。お手柄だな」

「・・・」

 

 僅かに笑みを含んだ声を残して、男は姿を消す。

 警邏が到着したとき、小屋の表には手足を折られてうめく犯人たち、裏には何か薬品を燃やした跡が見つかった。

 

「・・・」

「サフィア?」

 

 男の消えた戸口をじっと見続けるサフィア。

 彼女が義足の男――QBに弟子入りしたのは三日後の事だった。



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06-08 正義の誕生

 QBの指導は恐ろしいほど的確で、厳しかったが体を壊すほどに厳しすぎはしなかった。

 素手や武器を使った戦闘技術、地理や言語とそのアクセントの違い、人種の見分け方、文化風俗から様々な教養に至るまでの広範な知識、足跡追跡や鍵開け、尋問、変装、聞き込みや情報分析と言った技能を徹底的に叩き込んでいく。

 

 常にギリギリを見極め、現時点のサフィアならかろうじてクリア出来るというラインを限界まで追求する。

 サフィアが壊れない程度に技術と知識を叩き込み、肉体をいじめ抜く――そのギリギリの見極めが恐ろしくうまかった。

 

 そして限界を超えれば次の日にはまた新たな限界を超える試練を課される。

 その繰り返し。

 

 誰もが――武術家の父ですら案じるほどの厳しい訓練に、サフィアは黙々と励んだ。

 最初はいぶかしがり怪しんでいた家族もQBの巧妙な説得と、何よりサフィア自身の熱意に負けてそれを許容していた。

 

 加えてQBが仕込んだのが《仮面(ペルソナ)の加護》の効率的な使い方だった。

 通常部分的にしか切り替わらない「仮面」を暗示と切り替えのスイッチとなる動作を設定することによって、それぞれの仮面を更に特化させ、尖った能力に鍛え上げる。

 

 平均的な(平均と言うほどこの《加護》の持ち主は多くはないが)《仮面の加護》の持ち主が、全能力と技能のせいぜい三割ほどしか組み替え出来ないのに対し、サフィアは実に八割の能力を切り替える事ができる。

 筋力を知力に、耐久力を知覚力に、剣の技能を医師の知識に、交渉能力を魔法に。

 切り替えられないのは子供の頃から身につけていた武術の基本と歌くらいのものだ。

 

 状況に合わせて剣士にも術師にも学者にも探偵にも軽業師にもなれる。

 その気になれば優秀な盗賊やスパイになれたし、商人や大道芸人になりすますのもお手のもの。

 

 超一流でこそないが、あらゆる方面で一流と言っていい"万能の冒険者(ユーティリティ)"。

 それを一通り完成させた15の春、QBはサフィアが冒険者となり"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"となることを許可した。

 いつものように無言で軽く頷いて。

 

 

 

「待てーっ!」

「な、なんだっ!?」

 

 スラムで活動を開始したサフィアの、最初に出会った犯罪者はひったくりのチンピラだった。

 身体能力と運動に特化した"競技者(オリンピアン)"の仮面によってぐんぐんと距離を詰めてくる少女に仰天する小汚い男。

 

「ちくしょう、このガキがっ!」

「!」

 

 逃げ切れないと判断したか、ナイフを抜いて男が斬りかかってくる。

 動揺して仮面の切り替えが遅れた。

 それでも"競技者"の仮面の身体能力で大きく後方にジャンプしてその場を逃れると、指で額に印を描く。

 "剣士(フェンサー)"の仮面をかぶり直し、剣を抜く。

 

「らああああっ!」

「くっ!」

 

 サフィアが逃げたと解釈し、気を大きくして斬りかかってくる男。

 通常であればサフィアの相手になるべくもないチンピラだ。

 だがその時、サフィアの体はろくに動かなかった。

 ぎこちない回避、力んだ突き、冷静さを失った大振り。

 数分程度の斬り合いだったが、当時のサフィアには一時間ほどにも感じた。

 

「はあ、はあ・・・・・・」

「いてえ・・・いてぇよぉ・・・」

 

 レイピアで手足を突き刺され、身動きできなくなったひったくりを、荒い息をついてサフィアは見下ろしていた。

 ぽん、とその肩が叩かれる。

 びくりと震えて振り向くと、QBがいた。

 

「落ち着け。俺は敵じゃない。剣を向けるな」

「あ・・・」

 

 反射的に細剣を向けていたことに気づき、赤面して剣を下ろす。

 

「師匠、ボクは」

「お前にとっては最初の実戦だ。相手がチンピラとは言え、初めての命のやりとりでそれだけ出来れば上等だろう」

「・・・ありがとうございます」

 

 先ほどの無様な戦いを思い出す。

 十年磨いてきた戦闘技術をろくに出す事も出来なかった。

 身体能力さえ活かせていたとは言い難い。

 

 ガチガチに緊張した体で素人のように突き、素人のようにかわす。

 思いだしても恥ずかしい戦いかただった。

 

「最初は誰でもそんなものだ。いずれ慣れる。それよりまわりを見てみろ」

「まわり・・・?」

 

 今始めて気がついたように周囲を見渡すサフィア。

 周囲をこわごわと囲んでいた人々から、まばらに拍手が上がる。

 全員ではないにしろ多くが笑みを浮かべている。

 子供達が歓声を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・ありがとうございます!」

「良くやったぞ!」

「ねーちゃんかっけー!」

 

 姿勢を正して深く頭を下げるサフィア。

 強くなる拍手。

 QBがごく僅かに――注視していなければわからないほどの――笑みを浮かべた。

 

 

 

 それなりの間、クライムファイターとしての自警活動は仕事の合間にしかできなかった。

 確かに当局は犯罪者に賞金をかけているし、現行犯で捕まえた犯罪者なら賞金がかかっていなくても"嘘発見(トゥルース・セイヤー)"の魔道具でチェックを受けて証明できれば報奨金が支払われる。

 

 とはいえその額は雀の涙で、先ほどのひったくりならダコック銅貨二十枚。一日分の宿代にすらならない。それだけでは到底食って行けなかった。

 であるから、この頃はそれなりに冒険者らしい冒険者をやっていた。

 

 パーティを組んで隊商の護衛、ゴブリン退治、ダンジョンアタック。

 猫を探したこともあれば金持ちの家の警備をしたこともある。夏場には氷結の魔法で氷を作って売りもした。

 

 それに加えてQBの仲介で酒場で歌い日銭を稼ぐ。

 彼をマネージャーと呼び始めたのもこのころだ。

 そんな生活が二年ほど続いた。

 

 青等級に昇進したのを機にパーティを抜け、自警活動に専念することにした。

 しきりに引き留められたが、最後には納得してくれた。今でもたまに会う。

 

 この頃には時折ある賞金首の捕縛や歌(趣味でもあるので歌うのは続けた)でそれなりの収入が入るようになっており、通常の冒険者活動で金を稼ぐ必要は無くなっていた。

 無論これはサフィアが上澄み中の上澄みだからであって、一般にクライムファイターと言われるような人々の大半はやはり赤等級か青等級。

 冒険者活動や実家、理解者からの援助がないと暮らしていけない者が大半だ。

 

 それでも彼らがクライムファイターとしての活動をやめないのは、やはり根本的にこの世界の治安が悪いからだ。

 彼らのほとんどは自分や家族が犯罪に巻き込まれた経験がある。

 義務感や正義感と言ったものは無論あるが、犯罪と戦わずにはいられない衝動を持ったものが大半だ。

 本質的に復讐者(アベンジャー)である、犯罪と戦う者達。

 それがクライムファイターと呼ばれる人種であった。

 

 

 

 それから更に数年、緑等級に上がった頃には白百合の騎士の名は王都中に轟くようになっていた。

 犯罪者の巣窟であるスラムを駆け、悪を懲らし弱きを助ける美貌の女剣士。

 英雄(ヒーロー)と呼ばれるようになり、吟遊詩人は彼女の武勲を歌い、絵姿が売られるようにもなった。

 彼女がスラムを歩くだけで歓声が上がり、人さらいや強盗はコソコソを身を隠す。

 ある程度ではあるが成し遂げた、と思った。

 目標であった、スラムに平和をもたらしたと。

 

 そして更に数年後、自警活動を始めてから七年目。彼女は希望と絶望を同時に見る事になる。

 

 

 

「・・・」

 

 呆然と空を見上げる。

 その場にいた全ての人々と同じように。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 ファンファーレと共に現れたそれは青い騎士甲冑を纏った屈強な巨漢。

 当時メットーを荒らし回っていた強盗団の巣窟を探り当て、全員を苦もなく打ち倒して捕縛した。

 強盗団の情報を手に入れるために聞き込みをしていたサフィアは、スラムの人々と共にそれを呆然と見上げていた。

 

 そして青い鎧は一時だけの存在ではなかった。

 犯罪が行われるところ、またたく間に現れ、傷ついた人々を癒し、壊れた家を直す。

 

 時を同じくして出奔したヒョウエによってスラムそのものも見る見るうちに正常化された。

 炊き出しが日常的に行われるようになり、下水や街路が修復される。

 テント村が素朴な木の家になり、雨風を凌げるようになった。

 経済活動が起こり、ゆっくりと富が分配されていく。

 

 二年ほどの内にスラムは貧民街ではなくなった。

 犯罪は青い鎧によって根絶された。

 そしてサフィアはそれをただ呆然と見ているだけだった。

 

 ――彼女の心に鬱屈した(おり)がつもり始めたのはこのころだ。

 犯罪を減らしてパトロールをするだけで何かを成し遂げた気分になっていたような自分がたまらなく恥ずかしかった。

 

 いつしか、自警活動も機械的になっていく。

 青い鎧はスラムから犯罪を根絶した後も王都の犯罪と戦い続け、盗賊ギルドはついに暗殺と強盗から手を引いた。

 

(ボクは何をした?)

 

 何も。何もしていない。

 

(ボクは何のためにいる?)

 

 いてもいなくても変わらない。その程度の存在。

 

(ボクは――ボクは誰だ?)

 

 その問いに答える者はいない。



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06-09 アジトにて

 現場検証に付き合っている内にQBが合流してきた。

 QBが現場の責任者と何やら話し、一行が解放される。

 

「さっきまで偉そうにしてた奴が急に物わかりがよくなったな。何か上の方とコネがあんのかい、あんた?」

「まあ蛇の道は蛇というやつだ」

 

 ニコリとするでもなく、QBが歩き出した。

 

「随分時間がかかりましたね。何かあったんですか」

「それもまとめて話す」

「どちらへ向かわれるんですの?」

「取りあえず情報を交換しよう。目指すところは同じだろうからな」

 

 ヒョウエが頷いた。

 

 

 

 向かった先はサフィアたちのアジトだった。

 

「今までの資料も色々まとめてある。読んで貰ってからのほうが話がしやすいだろう」

 

 卓に座り茶を出して早々に、QBが十枚ほどの紙の束を置く。

 ヒョウエがそれを手に取り、仲間達が周囲に集まったところで後ろから声がかかった。

 

「私も見せてもらってかまわないかな」

「!」

 

 後ろからかかった声に全員が咄嗟に振り向く。

 

「あなたは・・・」

「お久しぶりです、ヒョウエ殿下。それに」

「今はQBです、閣下」

「そうか。元気そうだな。まあ昔から殺しても死なない奴だったが」

「おかげさまで厄介な仕事ばかり押しつけられていますのでね。死んでいる暇もないんですよ」

 

 この場でただ一人動揺していないQBが平然と対応する。

 

「多少はジョークのセンスも身に付けたようで何よりだ。昔のお前を知ってる連中が見たら、ひっくり返るな」

 

 足跡はおろかドアを開く音もさせずに忽然と現れたのは、長身痩躯、彫りの深い顔立ちに禿頭の男。王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"副長官、"狩人(ハンター)"だった。

 

 

 

 驚き半分、警戒半分でヒョウエが男を見上げる。

 

「・・・今、何をしました? 僕の念動知覚にも反応しなかったんですが?」

「さて? 何のことでしょうかな」

 

 僅かに笑みを浮かべて、"狩人"が余った席に腰を下ろす。

 

「瞬間移動でも持っているんですか?」

「殿下のところの執事ではあるまいし、そんな便利な《加護》は持っておりませんよ。

 まあ一つご教授できるとするなら、人のやることには必ず穴が出来ると言うことです」

「・・・」

 

 ヒョウエが口をつぐむ。

 モリィがその脇腹を肘でつついた。

 

「なあ、このおっさん何者だ? ただもんじゃないオーラ出してっけどよ」

「ああそうですね。紹介しておきましょう。

 こちら王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"副長官、"狩人(ハンター)"です」

「"狩人(ハンター)"? 本名かよ?」

「あだ名ですよ、僕の知る限りでは。"狩人"、こっちは・・・って、もう知ってますか」

「ええまあ。只今ご紹介にあずかりました"狩人"です。モリィくん、リアス閣下、カスミくん、サフィアくん、よろしく」

 

 "狩人"が軽く頭を下げる。

 

「お、おう。モリィだ」

「・・・リアス・ニシカワです。お噂は耳にしたことがありますわ」

「カスミです。お見知りおきを」

 

 僅かに緊張しつつ、三人も挨拶を返した。

 どこか納得した顔のサフィアが新しい茶を差し出す。

 

「なるほど、マネージャーが太い情報網を持ってるわけだ。あなたみたいな人と繋がりがあるんだからね。どうぞ」

「ありがとう。大半は彼が自身で築き上げたものさ。それほど頻繁に情報を流してるわけではないよ」

 

 "狩人(ハンター)"が礼を言ってカップを受け取った。

 

「なにか?」

「あ、ああいえ・・・」

 

 "狩人"に物問いたげな視線を向けていたリアスが、逆に視線を返されて焦る。

 呼吸を整えて一息。

 

「ぶしつけな質問をお許し下さい。何百年も生きていらっしゃるというのは本当ですか?」

「さて、どうでしょうな」

 

 "狩人"は薄く笑ったのみで答えない。

 ヒョウエが肩をすくめた。

 

「少なくとも11年前に会ったときから全く老けてないのは確かですね。

 まあそれよりQBさんの調べた情報を拝見しましょう。お茶会を楽しんでいられるほど、僕たちには時間の余裕がありません」

「ですな」

 

 "狩人"が無表情に頷いた。

 

 

 

 しばらくの間、ヒョウエが紙をめくる音だけが部屋に響く。

 それを覗き込んでいた"狩人"が頷いた。

 

「流石に大したものだな。こちらも掴んでいない情報がいくつかあった。写させて貰っていいか?」

「無論です」

「ああ、それなら僕が複写しましょう」

「物質変性の術はお得意なのでしたな。それでは五枚目と八枚目をお願いします」

「了解です」

 

 ヒョウエが取り出した紙を写す原本の上に重ねる。

 

「―――」

 

 精神を集中して紙の中央上から下に向かって、ゆっくりと指でなぞる。

 なぞる指に沿って、白い紙に次々と文字が浮かび上がった。

 

「おー・・・」

「これは」

「サーワさんの時も思いましたが、便利な物ですね」

「僕の場合は字を見てそれをなぞってますが、あちらは文章という概念ごと移せますからね。手書きの筆写と活版印刷くらいの差がありますよ――っと」

 

 術を終え、写しと原本を"狩人"に手渡す。ちなみにこの世界、活字を組んで印刷する活版印刷も木の板(版木)に文字や絵を刻んで印刷する木版印刷もあるが、金属活字が高価なこともあって活版は余り普及していない。

 ざっと見比べて"狩人"が頷いた。

 

「問題ありませんな。きれいなものです」

「どうも」

 

 もう一枚を複写すると、"狩人"は改めて礼を述べてから着席した。

 他の面々も自分の席に戻り、緊張した空気が戻る。

 口火を切ったのは"狩人"だった。

 

「話を始める前にお尋ねしておきたいのですが、殿下」

「うん? 何です?」

「この話をどこからお聞きになりました? この件に関しては限られた人間にしか伝えておりませんし、カレン様を含めてそうした方々と殿下にここのところ接触はなかったと記憶しております」

 

 "狩人"の言葉にモリィがしかめ面になる。

 

「こいつを四六時中監視してんのかよ、おい?」

「殿下はそれだけ重要人物と言うことだ、お嬢さん。それで、どうなのです?」

「そうですね・・・"蛇の道は蛇"とでも」

 

 先ほどのQBを思いだしてでもいるのか、ヒョウエが軽く笑みを浮かべる。

 ちらり、と"狩人"の視線がモリィに向いた。

 

「盗賊ギルドですか」

「ノーコメントで」

「左様で」

 

 ヒョウエがとぼける。

 追求するでもなく、"狩人(ハンター)"が頷いた。

 何となくむずがゆさを感じて、モリィが頭をボリボリとかいた。

 

「サフィアもそうだけどよ、王国の情報機関のおえらいさんがなんであたしなんかの事にそんなに詳しいんだよ。盗賊としても冒険者としても、そこまで腕利きってわけじゃねえぞあたしゃ」

「それは少々過小評価が過ぎるな。まあ確かに君個人は優秀な冒険者という程度だが、《目の加護》に加えて雷光銃はそれだけ強力で目立つ古代遺物(アーティファクト)なのだよ」

「そんなもんかね・・・」

「そのようなものだ」

 

 淡々と答える"狩人"にモリィが肩をすくめる。

 QBがその"狩人"を見据えた。

 

「それで? まさか俺やヒョウエ殿下の情報網を当てにしてわざわざいらしたわけでもないでしょう。しかも我々が合流してここに戻るタイミングを見計らって」

「ああ。お前とお前の弟子、ヒョウエ殿下の(パーティ)に頼みたい事がある――"レスタラ"の前線基地の調査だ」

「!!!」

 

 "狩人"を除くその場の全員が厳しい顔になった。



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06-10 ダンジョンウォーカー

「――お話はわかりました。ですが何故俺達に? 今回の件、そこまで手が足りないのですか?」

「まあ、そうとも言える」

 

 QBの疑問に"狩人"が苦笑を浮かべた。

 

「やつら、ダンジョンに隠れ潜んでいるらしいのだ。ダンジョンを踏破できる人材がいないわけではないが、餅は餅屋ということでな」

「ああ、なるほど・・・しかしダンジョンの中に拠点ですか?」

「公式には未攻略のダンジョンだが、ひょっとしたらやつら、既に攻略してしまっているのかもしれん」

「とすれば、それは確かにまたとない秘密基地になりますね」

 

 ヒョウエの言葉に"狩人"と三人娘が頷いた。

 ヒョウエが「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」を攻略した後のように、ダンジョンを攻略してダンジョンマスターとなった人間は他者を連れてダンジョンの中を自由に転移できるし、またモンスターの出現や行動をある程度コントロールする事が出来る。

 

「試したことはありませんが、確かに安全地帯を作ることはできそうですね」

「殿下、ダンジョンマスターならダンジョンの地形を操作することはできるのですか?」

「出来る場合もあると文献には記されていますね。僕も試したことは無いのではっきりしたことは言えません」

「ですか。ともかくそのダンジョンに"レスタラ"の構成員らしき人間が頻繁に出入りしているのは確認済みだ。冒険者ギルドにも協力を要請して見張らせて貰っている」

 

 ダンジョンの前に必ずある、冒険者ギルドの施設のことだ。

 冒険者の出入りをチェックし、ダンジョンの利用料を徴収し、モンスター暴走などの非常時には結界を発生させて入り口を封鎖する。

 そこに諜報員を常駐させて監視しているのである。

 

「副長、そいつらは正式に冒険者ギルドに登録してるんですか?」

「入場の時の記帳によればフォセットの冒険者でな。裏は取れてない」

「お隣の国ですか。ひょっとして連中のアジトがあるんでしょうか」

「調査はさせているが間に合わないだろうな」

「ですな」

 

 淡々と会話を交わすQBと"狩人"。

 ふんす、とリアスが鼻息荒く立ち上がった。

 

「聞くべき情報はそれだけでしょうか? ならば今すぐ準備を整えてそのダンジョンを攻略しに行きましょう。善は急げ、戦の支度はもっと急げと申しますわ」

「・・・リアスさんのご先祖はひょっとして薩摩の人だったりします?」

「え? 何の話でしょうか?」

「いえなんでも」

 

 リアスにしろ従兄のローレンスにしろ、八双からの斬り下ろしを得意にしてたよなと思いつつヒョウエが肩をすくめた。

 

「まあ実際その通りです。他になければ今すぐ準備にかかろうと思いますが」

「ええ、現状ではそれだけです、殿下。QB、そちらもいいか?」

「問題ありません。サフィア、いけるな?」

「まあマネージャーが行けと言うなら」

 

 はあ、とサフィアが気が重そうに溜息をつく。

 

「サフィアさん? 何か気になる事でも?」

「ああいやいや、そうじゃないんだ――ただね、その、なんだ。

 ボク、ダンジョン・アドベンチャーって苦手なんだよねえ」

 

 サフィアが苦笑した。

 

 

 

 そこから素早く準備を整えて、昼頃ヒョウエたちは王都を発った。

 行き先は王都の東北、歩きで一日ほどのダンジョン村である。

 「"迷宮と豹(ラビリンス&レパーズ)"」という、迷宮はともかく何が豹なのか訳のわからない名前のこの村は何もない山の中、同名のダンジョンを中心に作られたほぼ冒険者専用の集落だ。

 

「まあ観光地というか山奥の温泉旅館というか。旅館から装備から魔力結晶の買い取りから、治療を始めとした呪文サービスまで何でも揃ってるそうですよ」

「ぶっそうな観光資源だねえ」

「鉱山街でもいいですよ」

「ははは、そっちの方が近いかな。しかしすごいなこれは! それに気持ちいい!」

「気に入って頂けて幸いですよ」

 

 現在、五人はヒョウエの杖で北東に向かって飛行していた。マネージャーは早馬で後から追ってくる。

 目を輝かせて眼下を見下ろすサフィアに、ヒョウエの口元もほころんだ。

 

「しかし、姐さん飛ぶのは初めてだろ? 良く怖くねえな」

「ですわね。私どもは慣れてしまいましたから平気ですが」

「いやあ、全然? これくらいの高さから落ちたこともあるし、今更怖くはないよ」

「むしろこの高さから落ちてどうやって生き残ったのか伺いたいところですね・・・」

 

 そんな事を話しつつ、杖は風を切り裂いて飛んでいく。

 巡航速度ではあるものの、それでも30分ほどで村が見えてきた。

 

「カスミ、お願いします」

「わかりました。~~~~~~~~~~」

 

 ヒョウエの指示でカスミが術をかける。

 

「これは・・・透明化かい? 全体にかけるとは大したものだね」

「光の術は得意ですので。そう言えばサフィア様は剣と盗賊の技能の他には何がお得意なのですか?」

「そうだね、レイピア以外にも大概の武器はそれなりに扱える。後は知識と運動能力の強化、それに術だ。水と氷の術、音と光、探知の術を少しかじっている。

 後は着火と血止めくらいかな。ほんとに血止め程度だから治療は当てにしないでくれよ? それに術師の仮面をかぶるときは戦闘力が大幅に落ちるから、前衛としての働きも当てにしないで欲しい」

「それだけお出来になるなら大した物ですわ」

「お褒めにあずかり恐悦至極。とは言え攻撃的な術は"冷却(コールド)"と"氷の刃(アイスブレイド)"くらいしかないからそっちの意味でも期待しないで欲しいな」

「? "氷の刃(アイスブレイド)"はわかりますが、"冷却(コールド)"が戦闘の役に立ちますの?」

 

 「?」とリアスが首をかしげる。

 それに答えたのはサフィアではなくヒョウエだった。

 

「人間、体温を五度くらい下げるとあっさり意識を失うんですよ。特に脳はね。

 そういう意味でも戦闘と言うよりは不意を突いて相手を無力化するためのもの、隠密調査向けの術編成という感じですね。"暗視(ダークヴィジョン)"も使えるんでしょう?」

「ご明察。出来れば精神系の術も習得したかったんだけど適性がなくてね。

 一番適性があったのは水の術だったのさ――ああそうそう、言い忘れていたけど他に歌以外にも商人と大道芸と職人仕事のいくつかは身につけている。

 今回の仕事には多分関係ないだろうけどね」

「変装と情報収集のために、ですね?」

「おチビちゃん正解。そう言えば忍者なんだったね、君は」

「はい。その手の技能は私もいくらか仕込まれました」

 

 商人と職人、芸人は実のところこの世界の旅人のトップ4のうち3つを占める職種である(残り一つは巡礼者)。

 商人は物を運ぶのが仕事だし、職人と芸人は同じ場所にいつも仕事があるとは限らない。必然移動する必要が出てくる。

 つまり、見知らぬ顔がその辺をうろついていても怪しまれないと言うことだ。

 実際忍者の「七放下(七つの変装)」には虚無僧や僧侶に加えて商人と大道芸人が含まれる。それだけ汎用性の高い変装なわけだ。

 

「しかし、それならいっそ芸人一座に扮して潜入するのもありでしたね。

 僕は語りと笛、モリィは歌、リアスも楽器は出来ましたよね? カスミとサフィアさんはそれこそ芸達者もいいところですし」

「ええ、ギターと歌を少し・・・そうですわね、ヒョウエ様と一座を組んで諸国を回るというのもそれはそれで・・・」

 

 くねくねし始めた主に、カスミが溜息をつく。

 モリィがヒョウエの頭をぺしっと叩いた。

 

「馬鹿、それじゃダンジョンに入れねえだろ」

「おっと、そうでしたね。それじゃまあ、まともに冒険者として入りますか・・・こっそりとね」

 

 そのまま一行はダンジョン入り口に建つギルドの事務所に降りていった。

 

 

 

「それじゃ、いいですね?」

 

 ギルド事務所の"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"情報員と接触して情報を確認した後、姿を消してダンジョンに入る。

 入り口から少し入ったところ、ヒョウエの確認に全員が頷いた。

 

「例によって前衛はモリィとリアス、中衛に僕とカスミ。サフィアさんは後ろを固めて下さい。

 戦闘になった場合は状況に応じて判断はお任せします。その場で最善と思われるようにしてください。正直貴女の能力はまだ把握し切れてませんので」

「了解。信頼には応えないとね」

 

 ウインクするサフィアの背中には弓、腰には矢筒。

 手に持っているのはレイピアに似ているが、柄頭から先端まで長さ150cmはある細身の両手剣。

 剣とは言うが刃はついていない。

 

 この武器の名前はエストック、またはタック。端的に言えば巨大な針だ。

 チェインメイルやプレートの隙間を狙って攻撃するための刺突専用剣。

 対人に特化した武器であるレイピアの代わりに持って来たものと思われた。

 

「普通の剣も使えなくはないけどね。レイピアに使い勝手が似ているこっちのほうが多少は扱いやすいんだ」

「なるほど」

 

 頷くとヒョウエが前を向く。

 

「それでは行きましょうか。ダンジョン探索です」



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06-11 苦手な冒険

「"床凍結(アイスバーン)"!」

 

 石床に突いたサフィアの手から、ヒョウエたちの足元をすり抜けて術式が走る。

 それは前衛のリアスとカスミの一歩手前で発動し、幅3mの石畳の通路の表面を薄い氷で覆い尽くす。

 

「GRRR!?」

 

 巨大な棍棒を振りかざして突撃してきたトロール達が雪崩を打って見事に転ぶ。

 目の前にまで滑ってきた一匹の首にリアスが一刀を送り込み、綺麗に切り離す。

 カスミが素早く松明で傷口を焼き、再生を防いだ。切り離された頭は声を上げることも出来ず、むなしく歯を鳴らす。

 それでも強靱な生命力でジタバタする仲間の体を這い上がって二匹目が接近するが、四つん這いで突き出た顔にモリィが躊躇なく雷光を叩き込んだ。

 

「~~~~~~~ッ!」

 

 思わず棍棒を取り落とし、両目を押さえ膝立ちで悲鳴を上げるトロール。

 跳躍したリアスが水平にふるった一刀がトロールの首と両手首を切り離し、悲鳴がやんだ。

 

「GWOOOOOッ」

 

 一方通路の奥ではいくつもの怒号が上がっていたが、スイカが砕けるような音とともにそれらが次々にやんでいく。

 風を切って飛ぶのはヒョウエの鉄球。

 それが次々とトロール達の頭を砕き、程なくトロール達は全て沈黙した。

 

「サフィアさん、呪文の解除を。カスミ、手分けして傷口を焼いてしまいましょう。僕が奥から行きますから、カスミは手前からお願いします」

「了解だ、ヒョウエくん」

「かしこまりました」

 

 ヒョウエが奥に飛び、"発火(イグナイト)"の呪文を発動させる。

 カスミは手前から頭部を失ったトロールの傷口をたいまつで焼いていく。

 程なくしてジタバタしていたトロール達の体も絶命し、魔力で構成された肉体が消散して魔石が後に残された。

 

 

 

 数時間後。

 一行は早くも第五階層までたどり着いていた。

 ヒョウエの攻略した「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」と違い、ここ「"迷宮と豹(ラビリンス&レパーズ)"」は石造りの人口建築物(に見える)ダンジョンで、暗い石組の通路は名前通りの地下監獄(ダンジョン)らしさをかもし出していた。

 初手がトロールであったことからもわかるとおり、次々と現れるモンスターも「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」上層部に比べてかなり手強く、総じて中級者以上向けのダンジョンと言えた。

 

「まあ、その分実入りもいいって事なんだけどね♪」

「だよな!」

「いやあ、かけだしの頃を思い出すと天と地の差だなあ。あの頃は苦労したからねえ・・・ヒョウエくんは本当にいい腕といい仲間を持ってるよ、うん」

 

 弾んだ声で会話を交わしながら、足取り軽く進むのはサフィアとモリィ。

 ヒョウエとカスミの「隠しポケット」には既に山のような魔力結晶と拾得物(ドロップアイテム)が収められている。

 金で色々苦労してる分、実感がこもっていた。

 

 ヒョウエも苦労していると言えば言えるが、本質的に王族(ボンボン)なのでそこまで無邪気には喜べない。

 苦笑していると後ろから頭をわしゃわしゃとやられた。

 

「どうしたどうした。君だってお金には苦労してるんだろう? もっと喜んでもいいじゃないか」

「まあ確かに貧乏暇なしと言うやつではありますけどね。僕の場合は額が大きすぎて実感が湧かないというか」

「あーまあそれはそうか」

 

 何しろ端の方とは言え首都の1/5ほどの土地を買収するほどの金額だ。

 王族価格と言うことで多少割り引いて貰ってはいるものの、貴族や王族の尺度からしても目のくらむような金額には違いない。

 

「とは言え少し疲れましたね。次に部屋に入ったら一休みして腹ごしらえしましょうか」

「さんせーい」

 

 嬉しそうにモリィが同意した。

 

 

 

念響探知(サイコキネティックロケーション)

 

 扉の前、ヒョウエが室内に念動の波を送り込むと、静まりかえっていた扉の中が一転してギャアギャアとけたたましい鳴き声に包まれた。

 

「ありゃ、気付かれてしまいましたね。強行突入しますよ」

「オーケイ」

「了解ですわ」

「かしこまりました」

 

 モリィとカスミが素早く位置を入れ替え、リアスが盾を構えて扉の前に進み出る。カスミとヒョウエがその後ろに続いて飛び込む姿勢。カスミは"閃光(フラッシュ)"の詠唱を既に済ませている。

 が、後はヒョウエの号令だけというところでサフィアが声を上げた。

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

「はい。どうしたんです?」

 

 ヒョウエの反問には答えず、サフィアが額を指でなぞる。

 しばらく扉の中の音に耳を澄ませた後、もう一度額を指でなぞり、短く何かを呟いた。カスミと同じくあらかじめの呪文詠唱。

 

「『~~~~~』。よし、いいよ。突入してくれ」

 

 詠唱を終えたサフィアが、ヒョウエの前に割り込んで三番手に突入する位置につける。

 サフィアの編んだ術式を見てとり、ヒョウエが片眉を上げた。

 

「それは・・・ふむ。いいでしょう、突入!」

「はいっ!」

 

 リアスが今度こそ扉を蹴り破る。

 ちょうつがいごと吹き飛び、分厚い樫の木の扉が部屋の奥まで飛んでいく。

 

「ギャブッ!?」

 

 不運にも、それをまともに食らって奥の石壁に叩き付けられ、動かなくなったのは人より一回り大きな蝙蝠獣人(マンバット)

 

「光よ!」

「沈黙のとばりよ!」

 

 カスミとサフィアの呪文が続けざまに発動する。

 

「・・・・・・・・!?」

「・・・・・・・! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 光に目を灼かれ、沈黙の空間に包まれたマンバットたちが右往左往する。

 彼らは目も決して鈍くはないが、蝙蝠だけあって超音波による音響探知(エコーロケーション)に周囲の感知を強く依存している。

 つまり、沈黙の空間は彼らにとっての真っ暗闇に等しい。

 加えてカスミの呪文でなけなしの視覚も封じられたマンバット達にリアスの剣とヒョウエの金属球、モリィの雷光が襲いかかる。

 戦闘も逃亡も何一つ行動する時間を与えられず、マンバットたちは全滅した。

 

 

 

「いやあ、お見事。中の連中が蝙蝠獣人(マンバット)だとよくわかりましたね?」

 

 リアスが吹き飛ばした扉を修理・溶接しつつ、ヒョウエがサフィアを見る。

 カスミが既に荷物を広げて休息の準備を始め、リアスとモリィがそれを手伝っていた。

 

「まあね。マネージャーから色々な動物の鳴き声は教え込まれたんだ。

 その中にたまたまコウモリのものもあったのさ」

 

 扉の中から聞こえる鳴き声に何か聞き覚えがあるなと思ったサフィアは"学者"の仮面(ペルソナ)をつけて、その声がコウモリの物に良く似ていること、コウモリが音で周囲の物を探知することを思いだした。

 そして"術師"の仮面(ペルソナ)をかぶって"沈黙(サイレンス)"の呪文を発動し、音響探知(エコーロケーション)を封じたというわけだ。

 

「動物の鳴き声を覚えるとこう言う時に役に立つのですね。考えもつきませんでしたわ」

「合図に使うこともございますね。例えばふくろうの鳴き声がしたら味方とか」

 

 準備を終えたモリィがほがらかに声をかける。

 

「なんだ姐さん、ダンジョン苦手なんて言って全然やれんじゃねえの」

「たまたまだよ、たまたま。青等級の頃までは本当に苦労してたんだって。いや、本当にきつかったなあ」

 

 苦笑しながら、サフィアが遠い目になった。

 まあ、基本(シティ)の冒険者である彼女にとってダンジョン攻略や怪物の相手は得手でないのは確かだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「おお、これは綺麗なものだね」

「先日バーバンク子爵という方のお菓子作りを手伝って、お土産に頂いたものなんですよ」

 

 食後のお茶を楽しむ一行。お茶請けは透明な寒天を固めた中にピンク色の花びらを浮かべたもの。川に流れる花びらをイメージして「花の筏」と呼ばれる菓子だ。

 例の事件の後また生クリーム作成に呼ばれた、その時のお土産である。

 

「そういえば少し前にサナが『お裾分けです』とお菓子を持ってきてくれたけどそれも?」

「あの四本腕のオッサンの時かな」

「多分そうですね。あの時は事件解決のお礼に食べきれないくらい貰いましたし」

「四本腕?」

「ああ、それは・・・」

 

 古代遺物(アーティファクト)の胴鎧から生えた腕で二刀流どころか四刀流を駆使する暗殺者、バリントンの話などをして時間が過ぎていく。

 しばらく雑談を重ねて茶を飲み干したあたりで、一行は探索を再開した。




 「花筏」という和菓子は実在します。
 大体作中で描写したとおりの形状。
 実に綺麗でおいしそうでした。


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06-12 大あり名古屋は城でもつ

「ふむ」

 

 杖を手放してヒョウエが溜息をついた。

 

「大工のトンカチには反応なしか」

念響探知(サイコキネティックロケーション)!」

 

 階層を降りるたび、また数百メートル移動するたびにヒョウエは念響探知(サイコキネティックロケーション)をかけていた。

 場合によっては最近覚えた透視の術も併用する。

 事前の予想通り相手がダンジョンの構造を変化させていた場合の事を考えてだ。

 

 なお透視と言っても目の前の壁を抜けてその先の光景が見えるわけではない。

 あくまで自身から2mの範囲内のものを壁を抜けて知覚できるだけだ。

 (なので壁の近くにいなかった蝙蝠獣人を知覚できなかった)

 

 現在地下十二階。中級のダンジョンではかなり奥の方。

 通常のパーティなら数日かけて降りてくる領域だ。

 

 チート魔力で金属球を操るヒョウエ、古代遺物である雷光銃の使い手であるモリィ、同じく古代遺物である魔導パワードスーツ"白の甲冑"をまとうリアス、光の術に多彩な忍び道具を駆使するカスミ。

 実力では既に緑等級も遥かに超えている彼らだからこそ、途中の怪物達をほぼ全て瞬殺し、驚異的な速度でここまで来れている。

 

 サフィアもダンジョンが苦手とは言いつつ、的確な支援と臨機応変のカバーリング、時折ヒョウエも舌を巻くほどの知識量でパーティに貢献している。

 この辺は流石に緑等級冒険者。加えて十年分の経験が物を言っているのだろう。

 

「とは言え入ったのが遅かったですからね。流石に今日はこの辺で大休止しましょう」

「ダンジョンの中で野宿か。やったことないけど大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。とっておきの手段がありますから」

 

 

 

「・・・なるほど、これは確かにとっておきだな」

「でしょう?」

 

 ヒョウエが野営場所として選んだのは壁の中だった。

 正確に言えば壁の中に穴を掘って出来た空間だ。

 念動で壁を剥がし、"物質分解"で掘り進め、空気穴だけを残して跡形もなくふさぐ。

 火を使わなければ窒息することもない。完璧な隠れ家である。

 

「一応一人ずつ見張りに立って寝ましょう。術を使って疲れてるカスミとサフィアさんは最初と最後で。僕は《加護》がありますのでほとんど疲れてませんから」

「そういえばそうだったね。オーケイ、お言葉に甘えよう」

「それではお先に立たせて頂きますので、皆様お休み下さい」

 

 何事も無く休息は終わり、周囲にモンスターや冒険者がいないのを念響探知(サイコキネティックロケーション)で確認してから一行は通路に戻った。

 そして二日後。

 

「だあああああっ、どうすんだよ、隅から隅まで全部攻略しちまったぞ!?」

「攻略ではなく踏破ですね。ダンジョン・コアを安定化させてません。

 未踏破領域まで全部マッピングしましたから、そこそこの稼ぎにはなりましたけど」

「んなこたどーでもいいんだよ! いやもうかったからそれはいいけど、レスタラもアジトも影も形もねーじゃねーか!」

「ヒョウエくんの念響探知でもモリィくんの《目の加護》でも見つからないということは、通常の手段じゃちょっと見つからないだろうね、これは」

 

 サフィアが溜息をつく。

 何やら考え込んでいたリアスが、晴れ晴れとした表情で顔を上げた。

 

「名案を思いつきましたわ! ヒョウエ様が得意とするのは念動と物質破壊の魔法・・・ならばそれでダンジョンの入り口を破壊してしまえばいいのです!

 情報を手に入れるのは難しくなりますが、少なくともアジトを潰すことはできるでしょう!」

「「「「・・・」」」」

 

 その場に沈黙が落ちた。

 

「あ、あの・・・何か問題がありましたかしら?」

「大ありです」

 

 静かに、しかし真冬の風のような声でだめ出しを叩き付けたのはカスミ。

 その目が既に真っ青に染まっている。

 

「え、その、なんで怒って・・・?」

「一般の冒険者の方が巻き込まれたらどうするんです! 普通の方は瓦礫を押しのけることも、石壁に穴を開けることも出来ないんですよ!」

「そ、それは入場者名簿で他に冒険者の方がいないのを確認して・・・」

「目撃された数人以外、誰がレスタラの構成員かわからないんですよ? 一般の冒険者のふりをされたら見分けが付きません。

 何食わぬ顔で重要な書類なり証拠なりを持ち出されておしまいです」

「え、ええと・・・」

 

 言葉に窮するリアス。モリィが溜息をついた。

 

「お前本当に脳筋だなあ」

「も、モリィさんに言われたくはありませんわ!」

「ンだとぉ!?」

 

 例によってぎゃあぎゃあと始まる言い争い。ヒョウエが苦笑した。

 

「まあ、アジトを潰すという点では申し分ない策なんですけどねえ。

 最低限ここのアジトが使えなくなればいいわけですし。

 ただ、長続きはしないので効果に疑問があるのと、もう一つ問題が」

 

 ダンジョンは神の夢である。言い換えるとコアを中心に形作られた一つの異界だ。

 ダンジョンによって差もあるが、崩落しても一週間ほどすれば大概は自動的に修復される。アジトとしての機能を潰すなら、定期的に破壊しなくてはならない。

 

「なるほどねえ。それでもう一つの問題というのは?」

「最低億単位の賠償金を課されることになります」

「そりゃあかんわ」

 

 溜息をついてモリィが天井を仰いだ。

 

「モンスターの暴走でもない限り、ダンジョンの故意の破壊は極めて重罪ですからね。

 死ぬことも許されず、ガチガチに精神制御魔法をかけられて一生奴隷として扱われるというルートもありますが」

「大逆罪よりはマシというレベルですわね・・・」

 

 リアスの額に冷や汗がにじんだ。

 

「まあそう言うわけですので、ちょっと魅力的ではありますがこの案は・・・」

「いいや? 存外悪くないとボクは思うな」

「え」

「えっ?」

 

 驚きの視線が集中する。くっく、とサフィアが笑った。

 

 

 

 翌日。

 ヒョウエたち五人が、今度は姿を現して堂々とダンジョンに入る。

 それと時を同じくしてダンジョンの入り口のある村中央の広場、そこに面した冒険者向けの雑貨屋。

 店先で居眠りしていた主人が奥に引っ込んでいくのを誰も見とがめなかった。

 

 店の奥の住居、タンスの隠しスペースから奇妙なペンダントを取り出す店主。

 中央の突起を押し込んで少し待つ。

 やがてピッ、という奇妙な音と共にペンダントの中央が発光し始めた。

 

『こちら"穴熊"。こちら"穴熊"。"雑貨屋"、どうした』

「こちら"雑貨屋"。今ヒョウエ王子が現れた」

『何っ!?』

 

 数秒間沈黙が落ちた。

 

『おい、"雑貨屋"。応答しろ。それで、王子はどんな様子だった?』

「どういう手段を使うかはわからないが、どうも王子はダンジョンを破壊するつもりらしい。今ギルドにねじ込んでいる。入り口を崩落させてアジトとしての機能を失わせるつもりだ」

『何と言うことだ・・・くそっ!』

「どうする?」

『・・・そちらは引き続き通常通り任務を継続しろ。あくまでも普段通りだ。何かあったと気取られるな。以上(エンデ)

「了解した。任務を継続する。以上(エンデ)

 

 ペンダントの点滅が止まる。

 ふう、と息をついたのは店主ではなく、カスミだった。

 いつのまにか通話相手が変わっていた事に、"穴熊"と名乗った男は気付いていない。

 

 カスミが振り向いた先には、沈黙の空間の中に囚われた店主とそれを押さえ込むリアス。

 首筋にナイフを突きつけるQBと、術を維持するサフィア。

 

 「向こうも地上を見張る人間を誰か配置しているはずだ」というサフィアの推測は正解だった。

 まずヒョウエが幻影の(パーティ)を引き連れ、姿を見せる。

 ダンジョンの入り口を見張れる場所は限られるから、そこで動いた者を抑えればいい。透明化してモリィの《目の加護》で見張っていれば不可能な話ではない。

 そこに飛び込んでスパイを取り押さえ、カスミの声色で偽情報を流す。

 半日ほど遅れて馬でやってきていたQBとも相談して決めた策であった。

 

 モリィがにやっと笑って親指を立てる。

 カスミが微笑んで頷いた。



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06-13 ダンジョン「踏破」

「そう言えばヒョウエ様。レスタラの構成員かどうかはどう区別するんでしょう。顔が割れている相手ばかりでもありませんよね?」

「ダンジョン・コアはべらぼうな魔力の塊ですから、持っていれば見分けが付きます。それ以外は・・・ちょっと難しいですね」

「観察していればある程度はわかると思うよ。君たちみたいな規格外はともかく、ダンジョンで戦っていればそれなりの痕跡はあちこちに残るものだ。

 君たちでさえ、前衛のリアスさんには返り血なり何なりの痕跡が残っているわけだからね

 対して連中は急いで脱出してくるわけだから、妙に小綺麗な格好の冒険者をチェックすればいい」

「なるほど」

 

 知力と観察力に特化した仮面である"探偵(ショルメス)"。それをつけたサフィの言葉に、一同が頷く。

 ふう、とリアスが溜息をついた。

 

「面倒ですわね。出てくる冒険者を全員捕縛すればよろしいではありませんの」

「「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」」

「な、何ですのその視線は?」

 

 はぁぁぁぁぁぁぁ、とカスミが深い溜息をついた。

 目が黒いままである。もはや怒る気にもなれないらしい。

 

「お嬢様。繰り返しになりますが一般冒険者の方々と区別が付かないのですよ? 巻き込まれたらどうなさるおつもりです。無用の戦闘が起きる可能性もございますよ」

「そ、それはわかりますが、捕縛なのですし取り返しが付かなくなる危険性は低いでしょう? 今回は取り逃すリスクが大きすぎますわ。巻き込まれる一般冒険者の方々に不自由を強いることになりますが、この場合はそれを押してご理解を頂くべきでは?

 それにこう言っては何ですが、この程度のダンジョンに潜る方々ならヒョウエ様お一人で無力化できるのではありませんか」

「「「「・・・」」」」

 

 再び沈黙。

 ただ、先ほどのそれとは少し意味が違う。

 

「お前、意外と物を考えてたんだな」

「失礼な?!」

 

 顔を真っ赤にして怒るリアスに、悪い悪いと笑いながらそれをなだめるモリィ。

 カスミがもう一度溜息をついた。

 

「お嬢様。日頃の行いが悪いからそのように言われるのです。猛省なされませ」

「カスミ!?」

 

 がっくりと肩を落とすリアスを見て、ヒョウエとサフィアが苦笑をかわした。

 

 ちなみにこの迷宮「"迷宮と豹(ラビリンス&レパーズ)"」(ややこしい)は中級レベルのダンジョンであるが、階層の深化によるモンスターの強化の度合いはそれほどでもない。

 一方でヒョウエの所有する「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」は浅いところでは初級者向けのモンスターが出てくるが、深く潜るにつれて飛躍的にモンスターの強さが上昇する。

 初心者から上級者まで利用できる便利なダンジョンであるが、書物を調べても他に類例のない極端な強化傾向に、やはり何かあるのではないかとヒョウエは疑念を深くしていた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 レスタラ構成員たちの捕縛については余り語る事もない。

 冒険者ギルドの力も借り、ダンジョンへの立ち入りを一時禁止。

 雑貨屋店主の連絡以降出てきた冒険者パーティを「呪いに汚染されている可能性がある」と口実を設けて隔離する。

 ヒョウエの魔力感知によってダンジョン・コアを持って出て来た冒険者たちも一目で判別して、そちらは最初から実力行使で捕縛した。

 

 ざっと尋問した限りではダンジョンの最深層に繋がるテレポートの魔法陣を、構造を変化させて隠していたとのことだ。

 厚さ10mを越す壁の中の魔法陣を感知するのは、さすがのヒョウエでも難しかったということだろう。透視の術も、今ヒョウエが習得しているものは範囲2mがせいぜいで、そこまで奥を見通すことは出来なかった(術式の限界であるので、術力が高くてもこれを大きく強化することは難しい)。

 

 リーザを介してヒョウエが心の声でメットーと連絡を取る。

 一時間ほどして、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の人員がやってきた。

 どんな手段を使っているのかヒョウエがしきりに知りたがったが、カレンに直接釘を刺されている隊員たちの口は固かった。

 

 それはともかく、派遣部隊に混じっていた"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の心術師が隔離捕縛した冒険者たちの尋問を執り行う。

 出て来た冒険者の数は二十一人。大半がレスタラの構成員だった。

 名簿によれば現在ダンジョンに入っている冒険者はいないので、これ以降出てくる冒険者がいればそれはレスタラの構成員と言うことになる。

 

「まあ封鎖はもう解いてよろしいかと。人をおいて名簿と突き合わせするのはしばらく続ける必要があるでしょうが」

「ああ。そちらは任せる」

 

 部下の言葉に頷いたのは"狩人"。

 この王国諜報機関の副長官は自ら部隊を率いてここに来ていた。

 

「あんたも大概腰が軽いな・・・」

「それだけ重大事態と言うことだ。ついでにヒョウエ殿下、一つよろしいでしょうか」

「なんでしょう」

 

 "狩人"が小箱の中から取り出したのは、くるみほどのトパーズのような、正二十面体の黄色味のかった魔力結晶だった。

 

「このダンジョン・コアですが、現状ではレスタラ構成員の制御下にあります。

 放置しておけばまたやっかいな事になりかねません――たしか、ダンジョン・コアの所有権は上書きできるのでしたな?」

「ええ。僕にやれと?」

「お願いできますか」

「構いませんよ。確かに物騒ですし・・・」

 

 と、そこでヒョウエがニヤリと笑った。

 

「僕がコアの所有権を持つという事は、以降このダンジョンの所有者は僕と言うことになりますが?」

「公式には未踏破ですから、踏破の褒賞も殿下と殿下の(パーティ)のものと言うことになりましょうな」

 

 こちらはニコリともせずに"狩人"がうなずく。

 

「オーケイ、ではそれで」

 

 晴れ晴れとした顔でヒョウエがダンジョン・コアを受け取った。

 サフィアが「おっ」という顔になる。

 

「というと、ひょっとしてボクも分け前にあずかれると思っていいのかな?」

「もちろん。僕たち五人でダンジョンを『踏破』したわけですしね」

「ヒャッホウ! ヒョウエくん愛してるよ!」

 

 ヒョウエに抱きついて頬ずりするサフィア。喜びようが結構尋常ではない。

 苦笑しながらヒョウエがサフィアを押しのける。何気に慣れた手つきであるのは、どこかの人なつこい娼婦のお姉さんのおかげであろう。

 

「はいはいどうも。・・・しかし、そんなに金銭事情が厳しいので?」

「"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"は厳しいんだよ。その辺をパトロールして犯罪者を捕まえるだけでもろくに稼げないのに、潜入捜査とか調査とか始めると根本的に割に合わない。その辺の苦労なら丸一日でも語れるけど?」

「アッハイ」

 

 割と地雷っぽい話題だったことに気付き、ヒョウエが真顔になった。

 大きく息をつくと、手の中のダンジョン・コアに意識を集中させる。

 

「・・・」

 

 周囲の注目が集まる中、ダンジョン・コアがおぼろげな光を放ち始める。

 

「・・・?」

「!」

 

 しばらくヒョウエが集中していたが、突然光が強くなる。

 モリィ、カスミなどコアに精神を飲み込まれた経験者の顔色が変わった。

 

「おい、まさか・・・やべえぞこりゃ!」

「これは、コアに精神が・・・」

「え、ではついにわたくしもヒョウエ様と精神を繋げることができるんですの?」

「お嬢様、そこは喜ぶところでは――!」

 

 カスミがリアスにツッコミを入れようとしたところで、まばゆい光が全てを覆い尽くした。



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第三章「英雄灰燼」
06-14 髑髏の仮面王


「今日は死ぬにはいい日だ」

 

     ――ベトナム戦争のアメリカ兵――

 

 

 

 

 気がつくと、そこは王都メットーの一角だった。

 東の大通りから少し北に入ったあたり、そこそこ裕福な人々が住む区画だ。

 

「!? モリィ、リアス、カスミ、サフィアさん!」

「お、おう!」

「あなたのリアス、ここにおりますわ!」

「お嬢様! ・・・わたくしもおります」

「ボクもいるよ・・・なんだいこれは? 

 ダンジョン・コアを持っていると瞬間転移できると聞いたけど、まさか王都まで転移できるとは」

「あー、それはですね」

 

 かくかくしかじかと説明する。

 

「なるほど、ボクたちはダンジョン・コアに取り込まれたと・・・肉体はそのままなのかい?」

「の、はずですが確認したことはないので・・・ただ、精神が死ぬと肉体が死んでしまう可能性はそれなりにあると聞きます」

「ダンジョンの中でなかったことが幸いだね。マネージャーや"狩人"さんが少なくともボクたちの肉体の安全は確保してくれる」

 

 ため息。

 

「で、どうすればここから出られるんだい?」

「普通ならコアを安定化させれば出られるはずなんですが、既に安定化してますしね・・・所有権の更新自体そうある事ではないので、こう言う事もあるかもしれないと言えばそれまでですが」

「それじゃ取りあえずは安定化と同じ手段でどうにかしてみる方向か」

「ええ。場合によっては戦闘や捜索、情報収集が必要になる可能性もあります。サフィアさんのことは頼りにさせて貰いますよ」

「任せたまえ」

 

 微笑んでサフィアが額を指でなぞる。

 

「ふむ」

 

 自分の手を見下ろして、握ったり開いたり。

 

「どうです?」

「うん。この精神世界とでもいうのかな、ここでもボクの《加護》は問題なく使えるみたいだね。街中だし、しばらくは"探偵(ショルメス)"の仮面(ペルソナ)を着けることにするよ」

「はい、それでお願いします。・・・にしても。気付きました?」

「ああ。"探偵"の仮面のおかげでね」

 

 頷き合うヒョウエとサフィア。

 他の三人が首をかしげた。

 

「ヒョウエ様、サフィアさん。何か不審なところでもありますの?」

「それがですね。『王国(キングダム)』通りと『驚異(マーベルズ)』通りの交差するあたりだというのはわかるんですけど・・・」

「町並みが微妙に違うんだよね。ほら、あちらの屋敷なんかボクの知る限りでは集団住宅だったはずだし、その隣のお屋敷は、建ててから数十年は経っていて、かなり古びていたはずなんだ」

「なるほど、ここは過去の情景と言うことですね?」

 

 頭の回転の速いカスミが最初に答えにたどり着いた。

 

「恐らくはね」

「多分誰かの過去の記憶から再構成されてるんでしょう」

「でもこの中にそんな年寄りはいねえだろ。それともあれか、おまえ(ヒョウエ)の生まれる前の記憶とか?」

 

 モリィの推測にヒョウエが肩をすくめる。

 

「僕の前世ならニホンの情景になってますよ。多分他に取り込まれた人がいて、その人の記憶なんでしょう」

「めんどくせえな。そいつも助けなきゃならないのか?」

「安定化させたら勝手に助かると思いますよ」

「そう願いたいものですね・・・」

 

 カスミが溜息をつき、一行は歩き始めた。

 

 

 

 数時間ほど歩き回り、一行は情報を集めた。

 疲れもし、空腹を覚えもしたので、どこかで見たような店主の引く中華料理の屋台で昼食?をとる。

 

「ハイヨー。エビチリにチンジャオロースー、チマキに小籠包お待ちー。海鮮炒麺はもうちょっと待ってネー」

「ありがとうございます。相変わらずおいしそうですね」

「アレ、お客さん前に来たっケ?」

「そのうち来る予定なんですよ」

「???」

 

 首をかしげつつ主人が屋台の方に戻っていく。

 サフィアが料理の皿を眺めつつ、懐かしそうな顔になった。

 

「チンジャオロースーか。マネージャーの得意料理でね。駆け出しの頃はよく肉抜きの奴を二人でもさもさ食べてたものさ」

「肉の入っていない青椒肉絲(チンジャオロースー)ってチンジャオロースーって言っていいんでしょうか」

「金のない時には言うのさ」

「アッハイ」

 

 

 

 しばらくは五人とも無言でひたすら料理をむさぼった。

 料理が美味だったこともあるが、意外に空腹だったことに気付いたせいでもある。

 

「しかし何かおかしくねえか? ここにいるあたし達は心だけのあたし達なんだろ?

 だったら腹が減ったり疲れたりしねえんじゃねえのか?」

「そのへんはまあ色々議論のあるところですね。

 心を完全に体から切り離せるのか、切り離せるとしても心と体は連動しているのではないか、そもそもここにいる僕たちは本当に心だけの存在なのか。

 魂の術の達人がこう言うところに入った記録が今のところないので、そのへんははっきりわからないと言うのが正直なところです。狙って入れるところでもないし、高レベルの魂の術を操る人が冒険者やったりは余りしないので」

「ふーん」

 

 一通り料理を腹に収め、人心地がついたところでまじめな話を再開する。

 

「それで・・・やっぱり50年ほど前のメットーみたいですね、ここは」

「今から二代前・・・先々代陛下の御代ですわね」

「僕たちのお爺さんお婆さんの世代ですね。知っている人だとフィル爺とウォー・シスターズ商会のハリエット、リアスのおじいさんのシンゲンさんくらいかなあ。後はエルフやドワーフの人たちと『星の騎士』」

「フィル爺?」

「あ、僕たちの時代だと王国宰相やってる人です」

「フィリップ・ワイリー侯爵か!」

 

 うむむ、と唸ったサフィアの視線がふと上を向く。

 ヒョウエたちの視線も。店の親父、道行く人々、家々の窓からも揃って人々が上を見上げた。

 ざわつく街路。悲鳴を上げて座り込んでしまう女性もいた。

 一瞬前の青とは全く違う、毒々しい赤に染まった空。

 そこに浮かぶのは鋼鉄のトサカのついた鉄兜を被り、髑髏を模した仮面を着け、甲冑と軍隊の礼装をまとった男の上半身。恐らくは超巨大な幻影。

 

「これは――! 読んだことがあります!」

「奇遇だな。あたしも話に聞いたことがあるぜ」

 

 ざわめく王都を見下ろして、巨大な男の影が声を発した。

 

『ごきげんよう、愚民諸君。我らは"復古軍(レスタウラツィオン)"。偉大なる古代魔法王国の系譜を継ぐ者である。これより我ら"復古軍(レスタウラツィオン)"は本来あるべき姿に世界を戻すため、偽りの統治者たちに宣戦を布告する!』

 

 "復古軍(レスタウラツィオン)"首領「髑髏王(トーテンコプフ)」の宣戦布告。

 歴史書に幾度も描かれ、吟遊詩人の歌に謳われることになる情景。

 "復古軍(レスタウラツィオン)"との長い戦いの開始を告げるそれがヒョウエたちの眼前に展開していた。



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06-15 トラルシティ攻防戦

「GYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!」

 

 無数の足音が大地が揺るがす。

 数え切れないほどのゴブリンどもが口から泡を吹き、奇声を上げてトラル市の北城壁に駆け寄る。

 メットーの西10日ほどの場所に位置する、ディテク王国第四の都市だ。

 

「術師隊、構え!」

 

 対する城壁の上に、二十人ほどの男たちが立ち上がる。

 ローブ、軽い革鎧、僧衣に鎖かたびらなど服装も年齢も様々な一団だが、共通しているのは両手の間に1m前後の燃えさかる火の玉を浮かせていること。

 軍や冒険者、火の神(ボルギア)の神官など、あちこちから引っ張って来た"火球(ファイアーボール)"特化の火術師たち、俗に言う"火投げ師(ファイアスローワー)"だ。

 

「撃てぇーっ!」

「ツァーッ!」

「"火球(ファイアーボール)"!」

 

 20を越える火球が一斉に放たれた。

 城壁に殺到してくるゴブリンの大群に向かって100mほど飛んだそれは着地点で炸裂して、それぞれ直径20mを越える爆発を起こす。

 

「GYAAAAAAAAAAA?!」

「GY・・・GYGY・・・GYABU!」

 

 悲鳴を上げて、あるいは悲鳴を上げる暇もなく絶命するゴブリンたち。

 爆発の端の方にいたものは大やけどを負いながらもかろうじて生きのびていたが、後に続く同族たちに踏み砕かれて先に逝った仲間の後を追った。

 

「GYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!」

 

 火投げ師(ファイアスローワー)たちによって焼き殺されたもの、仲間に踏み殺されたもの、合わせてざっと二千。およそ三割のゴブリンが死んだ。

 だが仲間の死を見ても全く怯えることなく、残ったゴブリン達は遮二無二突っ込んでくる。

 臆病で慎重なこの種族には通常あり得ない行動。

 数十年に一度起こるモンスターの大攻勢、"暴走(スタンピード)"と呼ばれる現象だ。

 

(だがそれにしても異常すぎる・・・前回のそれから二十年も経っていないというのに)

 

 城壁の上で指揮を執るヒゲの騎士が、まだ叙勲を受ける前の従士だった前回の"暴走(スタンピード)"を思いだして顔をしかめる。

 とは言えおかしくても何でも、モンスターからこのディテク第四の大都市を守るのが彼の任務だ。

 ちらり、と城壁の上の火投げ師(ファイアスローワー)たちを見る。

 

「ぜえ、ぜえ・・・」

「はあ・・・はあ・・・」

「スー・・・ハー・・・スー・・・ハー・・・」

 

 先ほど巨大な火球を放って千を越すゴブリンを屠った術師たちは、体力を使い切って城壁上の矢狭間にもたれかかっていた。

 術を使うには魔力を練る必要があり、魔力を練るには体力を消耗する。

 全力の術を放った術者は個人差もあるが通常の疲労と同じく、全快するのに一時間から二時間を要する。

 大半は息も絶え絶えであえぐばかり。一部の高度な修行を積んだものが座禅めいたポーズで呼吸法を行い、体力を効率よく回復しようとしていたが、それでも先ほどの規模の術をもう一度放つには二十分ほどはかかるだろう。

 

 火球の術一つに絞って修行を積んでいる火投げ師たちだが、術の熟練とともに威力や魔力効率も上がるとは言え、人間という器には自ずから限界がある。

 チートの塊であるヒョウエや、小規模な術がメインのカスミでもなければ普通はこのようなものだ。

 

「火投げ師たちを安全なところまで連れていけ! しばらく我々でもたせるぞ!」

「「「オオオオオッ!」」」

 

 武器を構えて気勢を上げる王国軍の兵士達。

 

「弓隊構え! ありったけ撃ち続けろ!」

「弓隊撃てーっ!」

 

 続く号令とともに雨あられと矢が放たれる。

 無数のゴブリンが矢に貫かれて絶命するが、それと同じくらいのゴブリンどもが草原を駆け抜け、城壁に取りついた。

 枝を落としていない木を城壁に立てかけ、それをはしご代わりにして城壁を昇っていく。

 

「油落とせーっ!」

「GYYAAA!?!?!?」

 

 城壁上、鉄鍋でぐつぐつと煮えたぎるひまわり油やコールタールがぶちまけられる。石や生ごみ、割れた壺や壊れた家具など、ありとあらゆるものもだ。

 悲鳴を上げながら、後続を巻き込んで次々とゴブリン達が落ちていく。

 上から更に松明が投じられ、油やタールにまみれた木が炎上する。

 

「せーの、で押すぞ!」

「「「「せーの!」」」」

 

 炎上して登れなくなった木を槍やさすまたの先端で押しやり、城壁のてっぺんから外す。

 隣の木を巻き込み、ゴブリン達の悲鳴を響かせながら木が城壁の下に倒れていった。

 時にはそれでも木を登り切り、城壁に到達するゴブリンもいる。泡を吹いて狂ったように戦うゴブリンに兵士達も手を焼くが、それでも何とか押し返す。

 

「ゲホッ!」

「ゴホッゴホッ!」

 

 その様な事を何度も繰り返し、城壁の下は燃える生木の丸太が山積みになった。

 生木から立ち上る煙にいぶされ、城壁の上の兵士達が激しく咳き込む。

 だがそれはゴブリン達もこの城壁を登れないと言うこと。

 

「これで小鬼どもが諦めてくれればいいんだがな・・・」

 

 そんな事はあり得ない、という口調で騎士が溜息をつく。

 果たしてその直後に伝令が駆け寄ってきた。

 

「隊長! 西側にゴブリンどもが移動しつつあります!」

「よし、一番隊はここを守れ! 残りは西の城壁へ移動する!

 ゴブリンどもを絶対に城壁の中に入れるな!」

「オオッ!」

 

 一時間近い攻防で疲労しているものの、それでも兵士達は意気軒昂に武器を掲げて雄叫びを上げた。

 

 

 

 激しい攻防戦が続く。

 西の方に回り込んだゴブリン達がやはり木を立てかけて城壁を昇ろうとする。

 

「弓隊、てーっ!」

「GBBBB!」

 

 矢が降り注ぐが、枝どころか葉もろくに払っていない木は矢の雨を地面に通さない。

 ヒゲの騎士が弓隊の射撃をやめさせた頃には、ゴブリン達は再び城壁の下にたどり着いていた。

 

「油落とせーっ! 弓隊は後続を撃て!」

「GYYAAA!?!?!?」

 

 再び現出する阿鼻叫喚の地獄絵図。

 全身やけどを負ったゴブリンどもが悲鳴を上げて落下する。

 そんな攻防が更に数十分続いた。

 ゴブリンに登り切られる事も多くなり、負傷者が増える。矢や油などの消耗品も残り僅かだ。

 

 やがて先ほどと同じく、城壁の下は燃えさかる生木に埋め尽くされ、煙が視界を遮る。

 そしてその後の展開もまた。

 

「隊長、ゴブリンどもが今度は南に!」

「聞いたな! もう少しだ、気合いを入れろ!」

「「「オウッ!」」」

 

 疲れた体に鞭を打ち、兵士達が走る。

 もう油も矢もない。立てかけられた木を力任せに外し、登ってきたゴブリンを気力だけを頼りに斬り殺す。壮絶な消耗戦。

 

「"火球(ファイアーボール)"!」

「おおっ!」

 

 その時、ようやく回復した火投げ師たちが地上に全力の火球を放った。

 炸裂した火球が地上のゴブリンと、そして立てかけられた木の根元を焼く。

 火球の呪文で着火した木の根元が煙を上げ始め、何匹かのゴブリンが落下する。

 

「ここが最後だ! 勝つぞ!」

「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」」」」

 

 雄叫び(ウォークライ)が轟き、煙を吸いながらも城壁に上がってきたゴブリンどもに兵士達が殺到する。

 疲労困憊、満身創痍。

 それでも歯を食いしばって槍の穂先をゴブリンに突き立てる。

 短くも激しい戦闘の後、城壁の上に登ってくるゴブリンはいなくなった。

 立てかけられた木を外し、下に落とす。

 やがて生木の煙が視界を覆った。

 

「・・・うおおお」

「ウオオオオオオオオ!」

 

 最初はぽつぽつと、やがて次々と歓声が上がる。

 紛れもない勝利の雄叫び(ビクトリークライ)

 騎士もそれを止める気はなかった。

 地上で生き残っていたゴブリンの数は既に百を切っている。

 恐らくは逃亡するだろうし、更に東に回り込んでくるとしても、負ける数ではない。

 勝利と言って良かった。

 ――そのはず、だった。

 

「・・・・・・・」

 

 東の城壁から駆けてきたであろう伝令の姿を見て、なぜだか心臓をわしづかみにされたような気がした。

 怯えきった目。動揺が明らかに見て取れる動き。

 

「た、隊長殿、た、た、・・・」

「落ち着け! 深呼吸二回! 何があったか正確に、簡潔に話せ!」

 

 命令通り、伝令は深呼吸を二回繰り返してから背筋を伸ばし、叫んだ。

 

「東の城壁近く、森の中からゴブリンの新手が現れました! その数およそ五千!」

 

 城壁の上が凍りついた。

 勝利の雄叫びがピタリとやみ、多くの兵士が膝からくずおれる。

 泣き出すものもいた。

 

「そんな・・・そんな・・・」

「ちくしょう・・・ここまでやったのに」

「勝てっこねえ・・・」

「まだだ! まだ負けたわけではない! 立て! 俺達の街を守るんだ!」

 

 騎士の檄にも兵士達は反応しない。

 緊張の糸がぷっつり切れた。意気地が折れた。勝利の高揚から絶望に叩き落とされた、その落差が人の心を凍りつかせる。

 

「・・・神々は我らを見放したもうたか」

 

 天を仰ぐヒゲの騎士。

 その表情がふと動いた。

 

「――――?」

「!?」

「え・・・?」

 

 心折れていたはずの兵士達もまた、天を仰いだ。

 聞こえるはずのないものが聞こえた気がして。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

「!」

「隊長っ!」

「言わんでいい! 見えてるっ!」

 

 東の方角に、巨大な白い爆発が起こった。

 

「立てる奴だけでいい! ついてこいっ!」

 

 言い放って騎士が走り始める。驚くほど多くのものがその後についていった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 たどり着いた東の城壁から、呆然と彼方を見つめる。

 数千とも一万とも思える無数のゴブリン達が、氷像となって立ち尽くしていた。

 その上空にはためく真紅のマント。

 

「何だあれは・・・青い、鎧?」

 

 青い騎士甲冑がこちらを振り向く。

 次の瞬間、目にも止まらぬ速度で「それ」は空の彼方に消えた。



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06-16 白の翼

「ふう・・・」

 

 城壁から離れたトラル・シティの中央部。

 幻術とカスミの透明化の術を組み合わせて戻ってきたヒョウエが溜息をついた。

 なおサフィアに対しては青い鎧の仕業というところは何とか誤魔化している。

 

「お疲れ」

「お疲れさまでした。しかし、この時代の人間でない私たちが軍のみなさまを助けてよかったのでしょうか・・・確かにここは夢の中のようなものと聞きますが」

「そうですが、苦難に陥っている人間を助けないのはどうでしょうか、カスミ」

 

 難しい顔で首をひねるカスミとリアスにヒョウエが苦笑する。

 

「そうなんですけど全く非現実というわけでもないようですしねえ。

 何よりこの町がゴブリンに蹂躙されるのは見たくないじゃないですか」

「それについては全面的に同意するよ」

 

 頷いたサフィアが眉を寄せた。

 

「しかし、五十年前のメットーにいたかと思えばいきなりトラルか。

 どうも脈絡がないね」

「多分これは歴史書で見たトラルシティ攻防戦ですね。

 後の調査で、真なる魔法文明の時代のアーティファクトを使って人工的にゴブリン達の暴走を引き起こしたと判明したはずです」

「ゴブリンにしちゃやけに手際が良いと思ったが、そう言う事か」

 

 スプリガンがゴブリンの群れを操っていたファール村の事件を思いだし、モリィが顔をしかめる。

 

「・・・実際の歴史ではどうなったんですの、これ?」

「東の城門を破られましたが、応援に駆けつけた冒険者の奮戦もあり、何とか撃退しました。ただ守備兵と騎士団は大損害を受け、市民にもかなりの犠牲者が出たはずです」

「それは・・・やはり助けて良かったと言うべきなのでしょうね」

「まあ、多分ね」

 

 ヒョウエが肩をすくめるのと同時、青い空に白い筋が一本走った。

 

「お」

「なんだありゃ?」

 

 ヒョウエが眼を細め、まぶしそうにその白線を見上げる。

 

「あれがその応援に駆けつけた冒険者ですよ。"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"。この時代の、ディテク最強の金等級冒険者です」

「・・・マジか! マジだ! 本物だ!」

 

 《目の加護》によってその姿をはっきり捉えたモリィが、興奮して声を上げる。

 額に一本、ユニコーンのような角が伸びた銀の騎士甲冑。純白に青の縁取りをしたサーコート。

 背中には火と煙を吐く細長い樽のようなものを背負っており、その側面から白銀の、金属とも有機物ともつかない不思議な材質の翼が広がっている。

 

 モリィも寝物語に聞かされ憧れた、伝説の英雄。

 命を賭けてメットーと四十万の市民を救ったヒーロー。

 

「・・・ああ」

 

 ヒョウエと同じくまぶしそうに眼を細めて嘆息し。

 白い光が走り、周囲の情景が消失した。

 

 

 

 

「やったな、ウォル!」

「僕は何もしてないよ。あの青い鎧の人のおかげさ、ジェット」

 

 髪を金色に染めて逆立てた派手な男が、"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の胸甲を軽く拳で叩く。背中の翼はたたみ込まれたのか、姿を消していた。

 

「結果は同じさ。生き残りを掃討したのはお前なんだしな!」

「まあそうだけど」

 

 白銀の兜を脱いだその顔は、意外なほどに若い少年のものだった。

 やさしげで、むしろ気弱そうな顔に苦笑を浮かべている。

 

「百匹かそこらだったし、自慢にはならないよ。ほとんど全部トラルの守備隊と、例の青い鎧を着た人のおかげさ」

「あれもすげえよな。何者だろう?」

「少なくとも僕たちの味方だよ。それで十分さ」

「お前は単純すぎるんだよ。もうちょっと疑り深くなってもいいんじゃねえか?」

 

 屈託なく笑う金等級冒険者"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"に、"黒琥珀(ジェット)"と呼ばれた派手な男は肩をすくめた。

 

 

 

 それからも、白い光が瞬くごとに情景は"白の翼"を中心として進んで行った。

 レスタラの尖兵との戦い。

 ジェットを始めとする仲間達との協力。

 時には誰も救えずに涙することもあった。

 

 

 

 村が焼き払われていた。

 人も、家畜もみな死んでいる。

 "白の翼"たちが駆けつけたとき、もう動くものは何もなかった。

 兜を脱いだ"白の翼"――ウォルが涙を浮かべる。

 

「この人たちは、騎士でも兵士でもなかった! ただの、ただの村人だったのに!」

「10km先にレスタラの大部隊がいる。王国軍にこの村を拠点にされると、連中としてはまずいことになってただろう。補給拠点としても潰しておいた方が得策だ」

「ジェットッ!」

 

 激高したウォルがジェットの胸ぐらを掴む。ジェットは無言。

 

「・・・」

「・・・」

 

 しばらくして、ウォルが胸ぐらを掴んだ手を離す。

 そのまま力なく地面にへたりこんだ。

 ジェットが葉巻を取り出し、吸い口を噛み切って火をつける。

 漂う紫煙。

 そのまましばらくウォルも、ジェットも動かない。

 何度目かに煙を吐き出した後、ジェットが口を開いた。

 

「なあウォル。俺達は戦争をやってるんだ。いい加減慣れろよ」

「・・・」

 

 ウォルは無言のまま。

 言ったほうもわかっている。

 こいつは決して兵士になれない奴だと。

 素朴な街の少年がたまたま古代のアーティファクトを見つけてヒーローになってしまった時から、まったく変わっていないのだと。

 

 半世紀前、モンスターの脅威は今より遥かに大きかった。

 人族の領域は現在に比べて圧倒的に狭く、辺境の村がモンスターに襲われて一夜にして壊滅することも珍しくない時代。

 そうしたモンスターたちに戦いを挑み、辺境の村々を護り続けてきたのが"白の翼"とその仲間たちだった。

 もちろん軍への所属を熱心に求められたが、ジェットがそれらを全て断っていた。

 

 ウォルが決して兵士になれない人間だと、彼は知っていた。

 金等級冒険者ではあるが、冒険者でないことも知っていた。

 彼はただ、ヒーローだった。

 だからこそ、ヒーローだったのだ。

 

 ウォルが立ち上がった。

 ジェットが葉巻を投げ捨てて、靴底で踏み消す。

 

「行けるのか?」

「行くさ。そうでなきゃ、誰も守れない」

「また、間に合わないかもしれないぜ」

「だとしても、だよ」

 

 ウォルが白銀の兜をかぶる。

 ただの青年が英雄になるための儀式。

 

「今日の僕は失敗した。誰も助けられなかった。

 けど明日の僕は違うかもしれない。誰かを助けられるかも知れない。

 今日の僕は無価値だ。だが、明日の僕には価値がある」

「そうかい」

 

 ジェットが"白の翼"の肩を叩く。

 二人は仲間達の方に向かって、歩き出した。

 

「"狩人(ハンター)"から連絡があった。"髑髏王(トーテンコプフ)"の新しい古代兵器が現れたそうだ。もうすぐ奴らの前線基地に到着するらしい。

 このへんの村にはまだ人が残ってる。そいつらが逃げる時間を稼ぐ――いや、俺達でその古代兵器をぶっ潰すんだ」

「ああ。必ず破壊してやるさ。僕たちがみんなを守るんだ」

 

 二人は歩いて行った。まっすぐに。

 




ジェット(黒玉)は樹木の化石である真っ黒な石ですが、昔は琥珀(こちらは樹液の化石)の一種と考えられていました。
こちらの世界ではまだその認識ということですね。


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06-17 ノイエ・ヨルカー破壊作戦

「どうだ、アラタズ?」

 

 肉体に戻ってきた仲間にジェットが聞いた。

 手品師でもあり、霊魂を操る術に長けたこの術師は、自らの魂を体から抜け出させて自由に行動することが出来る。今はその能力を使って敵の野営地へ偵察に行っていたところだった。

 結跏趺坐を組んでうつむいていたアラタズが体を起こし、深呼吸をする。

 

「確かにそれらしいのがあった。俺の知識じゃわからないが、真魔法文明時代の古代遺物(アーティファクト)なのは間違いない」

「魔導兵器なのか?」

「わからんと言ったろう。俺は古代文明の研究者じゃない」

 

 肩をすくめるアラタズ。"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"が顎に手をやって考え込んだ。

 

「どうする、ウォル。強行突破か?」

 

 地平線の上に灯る野営のかがり火の群れを見ながら、ジェットが尋ねる。

 一万近い敵部隊に対して僅か数人の冒険者集団ではあるが、それでも神のごときとまで言われる金等級の(パーティ)"アクション・ミックス"の戦闘力と、古代遺物"白の翼"の機動力をもってすれば荒唐無稽な絵空事ではない。

 

 そしてそれらの会話を、カスミの術で透明化したエブリンガーの面々が少し離れた場所で聞いていた。

 周囲には沈黙のとばりも下ろし、音は一方通行で集音しているので、音を聞かれる危険性もない。

 

「どうします?」

「別にいいんじゃないか? こっそり助けちゃえば」

「ですわね」

 

 ヒョウエの問いに、サフィアとリアスが頷く。

 わかっていて頷くのがサフィア、わかっていないまま頷くのがリアスだ。

 溜息をついてカスミも頷いた。

 

「モリィはどうです?」

「いや、もうやっちまってるしそれは構わないけどよ・・・」

「けど?」

「どうせならああいう普通にかっこいい名前の(パーティ)に所属したかったぜ」

「怒りますよ?」

 

 ヒョウエがモリィを睨んだ。

 からかうでなく、ニヤニヤするでもなく、しみじみと溜息をついたのが逆に癇に障ったらしい。

 

「事実だろぉが。毎回受付の姉ちゃんに笑われる身にもなってみろよ」

「うぬぬぬ」

 

 反論の余地のない事実を前に歯ぎしりするヒョウエ。

 もっとも、こんな事を言っているモリィも、(懐にそれなりに余裕も出て来たのに)敢えて改名しようとは言い出さないので何をか言わんやではある。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「・・・ふふ」

 

 "復古軍(レスタウラツィオン)"第四師団師団長、シャトレイ准将は満足げにワイングラスを回した。

 真魔法文明時代の装束を模したその軍服は、ファンタジー世界のそれと言うよりは現代世界やSF世界のそれをイメージさせる体にぴったりした上下一続きのジャンプスーツ。

 鎧下としての機能も考えてか体のあちこちにクッションを入れて厚みを持たせているのは、ある種の宇宙服か特撮ヒーローのスーツのようにも見える。

 

「"ノイエ・ヨルカー"。この距離からメットーを砲撃できるとは、何と言う素晴らしい兵器か。やはり真なる魔法文明こそ世界を統べるにふさわしいのだ」

 

 ワイングラスを掲げて見上げるのは、画見台に掛かった抽象画。

 ヒョウエや美術愛好家など、見るものが見れば真魔法文明時代の絵画だとわかっただろう。

 

「技術だけではない。文化の面でも我ら"復古の民(レスタメンシェン)"こそ至高の芸術を紡ぐもの。下等民族の作るものなど、それにくらべれば塵芥に等しいわ」

 

 グラスを傾け、紅い液体を喉に流し込む。

 

「冒険者族などという異世界人の作った醜い都などいらぬ。メットーの消滅した跡に、我らの理想の・・・」

「たた、大変ですシャトレイ准将!」

「ぬおっ!?」

 

 天幕の入り口の布をかき分けて走り込んできた部下の形相に、思わずむせる。

 口元をハンカチで拭いて、走り込んできた部下の少尉を怒鳴りつけた。

 

「何を慌てておるか! "復古軍(レスタウラツィオン)"の士官たるもの、いかなるときでも常に冷静たれ!」

「は、はい、申し訳ありません!」

 

 直立不動で謝罪する部下。

 無様をさらした溜飲が多少なりとも下がったのか、シャトレイは落ち着きを取り戻して再びワインを口に含む。

 

「それで? 何があった? つまらぬ事なら承知せんぞ」

「そ、それが・・・」

「それが?」

「"白の翼"が正面から殴り込んできましたっ!」

 

 シャトレイが盛大にワインを吹き出した。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおーっ!」

 

 "白の翼(ヴァイスフリューゲル)"が翼を広げて突貫する。

 ヒョウエのそれに似た見えない障壁が全身を覆っており、特に翼がまとうそれに触れたレスタラ兵は、かがり火やテントごと吹き飛ばされていく。

 

 それを踏みしだくのが左右四本、計八本の馬蹄。

 馬鎧(バーディング)を装備した重軍馬に乗った赤青二騎がリーダーに続き、彼の切り開いた傷口を更に広げる。

 大曲刀(グレートシミター)を振り回す女騎士、"赤"のタラミス・カリメアと巨大な騎士槍で蹂躙する無骨な青年、外見は壮年の騎士"青"のヴァジル・ランテ。"白の翼"の仲間として名高い二人だ。

 

 そしてもっと異様なのが更にその後に続く巨大な猿。

 ゴリラにも似ているが身長4mを越え、馬とほとんど変わらない速さで四つ足で疾走する。

 "白の翼"と二騎の騎士の攻撃をまぬがれたレスタラの兵士達を、腕の一振りで吹き飛ばし、叩きつぶす。

 "白の翼"の仲間の一人、「コンゴ」と呼ばれる男。

 《獣の加護》を持つ彼は、極めて優秀な五感と身体能力、野性の勘を持つ野伏り(レンジャー)だが、《加護》の力を最大限に発揮することによってこの形態に変身する。

 だが"復古軍(レスタウラツィオン)"の兵士達もけして無能ではない。

 

「怯むなっ! 小数だ、囲んで倒せっ!」

「魔導化部隊はまだかっ!」

 

 急襲を受けたにもかかわらず、兵士達は統率の取れた動きで隊伍を組み、それなりの矢が冒険者たちに降り注いだ。

 大盾を構えた重装歩兵部隊が壁を作り、"白の翼"たちの行く手を塞ぐ。

 だが矢は障壁に、鎧と盾に、分厚い毛皮と筋肉に弾かれる。

 鋼鉄と人間の壁は亜音速で飛行する翼の戦士に吹き飛ばされ、赤と青の騎士の軍馬に踏み砕かれ、巨大ゴリラの拳に薙ぎ払われる。

 

「防げ! 防げーっ!」

「奥まで通すなっ!」

 

 人の身である限り、これらに対抗できようとは思えなかった。

 だがそれでも"復古軍(レスタウラツィオン)"の士気は高い。

 吹き飛ばされるのを承知でこれらの、人の姿をした暴威に立ち向かっていく。

 

「理想王国の建設のために!」

「優良種たる復古の民が統治する世界の為に!」

 

 その目には紛れもない狂気がある。

 

 

 

「おーおー、派手にやってるぜ」

(お前の頭ほどではないと思うがな)

「うるせえよ。こいつは俺のポリシーだ」

 

 "白の翼"たちが突入している反対側、草むらに隠れて野営地に近づくジェットの姿があった。

 "オーラ感知(センス・オーラ)"を発動するか、霊視の持ち主ならその横に幽体離脱したアラタズがいるのが見えただろう。

 "白の翼"達が暴れている方角で爆発音がし、夜空を切り裂く光が走る。

 

(レスタラご自慢の魔導化兵士部隊が出て来たぞ。急げ)

「ああ」

 

 言葉少なにジェットが頷く。普段の軽い調子とはまるで別人。

 そのまま二人は野営地に突入する。その服装はレスタラの兵士のそれだ。

 今暴れている四人は陽動。彼らが敵の目を引き付けている間に、隠密担当のジェットがアラタズの案内で古代兵器に接近し、これも古代兵器である小型魔導爆弾で破壊するのが作戦だった。

 

「西の方に松明の明かりが見えたぞー! 西の方にも敵がいる可能性がある!」

 

 右往左往する兵士達に紛れ、デマを叫びながら古代兵器に向かって一目散に走る。

 その耳がぴくりと動いた。

 

「おい、アラタズ。北の方が騒がしくないか? 別働隊がいるのか?」

(いや、そんな話は聞いてないが・・・ジェット、あれだ!)

「おっと了解だ・・・ちっ、奴らも動きが速い」

 

 古代兵器「ノイエ・ヨルカー」。その形状は我々の世界における列車砲にどことなく似ていた。

 そのの周囲を既に兵士達がぐるりと囲んでいる。実弾式魔導銃を装備した魔導兵だ。

 あれをすり抜けて古代兵器に接近するというわけにも行くまい。

 それでも何食わぬ顔をしてその列に加わろうとすると、腕をぐいと掴まれた。

 

「貴様、我ら復古の民の同胞ではないな?」

「!」

 

 ふりほどこうとするが相手の方が一手早かった。

 掴まれた腕を振り回され、受け身も取れずに地面に叩き付けられる。

 仮にも金等級冒険者であるジェットをだ。

 一瞬朦朧としたところに追撃が来る。踏み下ろしたブーツの靴底がアバラをへし折った。

 

「ぐっ」

 

 それでも短くうめいただけで後ろに転がり距離をとる。

 

「ほう」

 

 ジェットの変装を見抜いた男が感心したような声を上げた。いかにも実戦で鍛え上げた歴戦の軍人と言った風情の男だ。

 だが、その両腕と両足は奇妙に膨れあがり、銀色の金属光沢を放っていた。

 

「ちっ・・・その手足、魔導義肢か」

「いい目をしているな。動きもいい、度胸もある。だがこれは我ら"復古軍(レスタウラツィオン)"の理想の礎。貴様如きにくれてやるわけにはいかん」

 

 既に男の後ろの兵士達は魔導銃を構えてジェットを狙っていた。

 いかに金等級冒険者とはいえ、これだけの飛び道具を回避する自信はない。負傷した体では尚更だ。

 

(ジェット!)

「見届けろ、アラタズ。報告は任せた」

 

 自分でも驚くほど冷静な声が出る。

 懐の魔導爆弾に手を伸ばし、投擲の構え。

 重要なのは自分の命ではなく、古代兵器の破壊。

 メットーの破壊を食い止められるなら・・・

 

「撃・・・がっ!」

「!?」

 

 懐の小型魔導爆弾を投げようとした瞬間、ジェットのあばらを折った男が短い悲鳴と共にくずおれた。

 同時に後ろの兵士も悲鳴を上げてばたばたと倒れていく。

 ジェットの目はかがり火の光を一瞬反射して飛び過ぎる何かを捉えたが、金等級冒険者の視力をもってしてもそれが限界だった。

 

(な、なにが・・・!? 魔法なのか? 魔力は感知できるが・・・)

「今考えてる時間はない。俺達はやるべき事をやるだけだ」

 

 手に持った魔導爆弾を素早く仕掛けて、全力でその場から脱出する。

 ジェットが野営地を抜けるのと、野営地の中央で大爆発が起きたのがほぼ同時だった。




白の翼の仲間の名前はスーパーマンの載っていた雑誌「アクション・コミックス」に一緒に掲載されていたヒーローから取っています。
パーティ名もここから。

ミスターアメリカ →タラミス・カリメア 
ヴィジランテ→ヴァージル・ランテ 
コンゴ・ビル→コンゴ 
ザターラ→アラタズ

です。



ノイエ・ヨルカーは「ニューヨーカー」のドイツ語読み。ナチスドイツのいわゆる「超兵器」で、ドイツから直接ニューヨークを攻撃できる超長距離ミサイル・・・というかICBMの原型のようなものだったようです。


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06-18 リビー

「ご苦労だった。"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"と"アクション・ミックス"に感謝する」

「礼を言うなら言葉じゃなくて報酬で言って欲しいね。ま、あいつは気にしないだろうがな」

 

 どこかの建物の一室。

 簡素な石造りのオフィスと言った趣の室内は、主人の人柄を反映してか人間味を感じさせないほどの整理整頓がされていた。

 大量の資料や報告書も整然と積まれて立方体を形作り、幾何学的なラインを描いている。

 

 部屋にいるのは二人。一人は"アクション・ミックス"のジェット。

 その山を機械的な正確さで処理しているのは40絡みに見える禿頭長身の男だった。

 

(・・・"狩人(ハンター)"!)

(驚きましたわね、本当にお年を召されておりませんわ)

 

 そしてヒョウエたちは、今度は情景としてそれを眺めていた。

 部屋の中にいるにもかかわらず、腕利きのスパイである"狩人(ハンター)"と金等級の斥候(スカウト)であるジェットが全く気付いていない。

 

「で、状況はどうなんだ"狩人"さんよ」

「君たちのおかげで古代魔道兵器は破壊され、連中の軍の中核である魔導化歩兵部隊にも大きな損害が出た。トラル方面はしばらく動きはあるまい」

 

 "復古軍(レスタウラツィオン)"は真なる魔法文明時代の古代王国の末裔を称するだけあって、古代兵器のみならず様々な魔道具、具現化術式を擁している。

 それでも大半の兵士の武器は普通の剣や槍、弓や盾であり、精鋭である魔導化部隊を潰せたのは戦力的に大きかった。

 

「ここのところ君たちにも随分と働いて貰った。少なくとも数日は余裕があるだろうからゆっくり休んでくれ」

「本当だよ。一週間でディテクの端から端まで往復する羽目になるたぁ思わなかったぜ」

 

 ジェットのいやみも耳に入らないかのように、"狩人"が書類にサインをして「処理済み」の箱に入れる。

 

「必要な事だったのでな。今軍にもお前達以上の戦力はいない。次の攻勢に備えて力を蓄えて貰わねばならん」

「ンなこったろうと思ったよ。人使いの荒いこった」

 

 もう一枚の書類にサインをして、ふと"狩人"が顔を上げる。

 

「そう言えば"白の翼"はどうしてる?」

「女のところに行ってるよ」

「ほう」

 

 表情をぴくりとも動かさないまま、"狩人"が相槌を打った。

 

 

 

「やあ、久しぶり」

「そうね、半年ぶりだったかしら?」

「そんなものかな。ここのところバタバタしてて、記憶が曖昧なんだ」

「でしょうね、英雄さんは忙しいもの」

 

 メットーの西大通りから少し入ったところの喫茶店「うさぎのピーター」。

 テラス席で待っていた女性と挨拶を交わして席に着く。

 名前はリビー。"白の翼"ことウォルと同じ孤児院で育った仲間だ。

 今はウォルが所有するこの喫茶店の雇われ店長。

 とは言えウォルは金を出しているだけで、実質的な経営者は彼女だ。

 

「英雄はよしてくれよ。僕はただの冒険者さ」

「でもあなたとあなたの仲間のおかげで沢山の人が助かってるのよ。

 トラルシティ、あなたたちが守ったんでしょう?」

「まあね」

 

 その後の調査で判明した、破壊した古代兵器が射程数百kmの超長距離魔導砲だったこと、恐らく狙いはこのメットーだったことを聞いてはいたが、口にはしなかった。

 その代わりに懐から出した紙包みをテーブルの上に置く。

 

「これは?」

「開けてみてよ」

 

 リビーが紙包みを開くと、銀細工のブローチが現れた。

 驚くほど精緻な花をかたどったそれに、「リビー」と名前が刻んである。

 

「すごい・・・」

 

 リビーが息を呑んで、ただ銀の花を見つめている。

 

「気に入って貰えたなら嬉しいよ。ほら、子供の頃どこかの貴婦人が慰問に来てくれたことがあってさ、その人の着けてたブローチを誰が作ったんですか、って尋ねてたじゃない。

 トラル・シティでその人の店を見つけたんで作ってもらったのさ」

「驚いた。私だってそんな事今の今まで忘れてたのに」

「そういうこともあるさ」

「ありがとう。大事にするわ」

「ああ」

 

 しばらくリビーはブローチを見つめていた。

 ウォルはリビーを。

 

「貰いっぱなしじゃ悪いわね」

 

 しばらくして顔を上げたリビーが言った。

 

「そんなの気にしなくていいのに」

「そうも行かないわよ・・・そうだ、あなた劇好きでしょ」

「そう言えば最近見ていないな」

「ロメート劇場で『ヨルセンの詩』をやってるのよ。行きましょう。おごるわよ」

「いやそれは・・・」

 

 悪いよ、と言おうとしてウォルは思い直した。

 これも持ちつ持たれつと言うものだろう。

 

「じゃあそうしようかな。いつ行く?」

「今度のソーマの日でどう?」

「オーケー、それじゃあその日で」

「チケット取っておくわね」

 

 その後は香草茶を飲みながら他愛ない話をした。

 天気の話、食材や香草茶の価格上昇の話、五歳か六歳の頃けんかして、リビーがウォルをノックアウトした話(リビーはウォルより一つ年上だ)、吟遊詩人が歌う「勇ましき英雄・白の翼」の話・・・

 

「本当にそう言うのは勘弁して欲しいんだけどなあ。僕が戦ったのはレスタラの他は危険な野生生物やモンスターくらいで、怪人"アンダーテイカー"なんてのと戦った覚えは毛頭無いんだけど。

 ましてや"真なる火竜(ドレイク)"だって!? 僕は"星の騎士"じゃないぞ!」

 

 お手上げだ、と言いたげに肩をすくめて天を仰ぐウォル。

 リビーがクスクスと笑った。

 

「あら、あなただって金等級冒険者じゃない」

「彼は本物の救国の英雄だよ。彼がいなかったらライタイムは滅んでた」

「あなただって現在進行形で国を救いつつあるけど?」

「あっちは100年ものだ。格が違う」

 

 またくすくす笑い。

 

「普通の人はそんなものよ。英雄とか怪物とかとらわれのお姫様とか、とにかくそう言うものが欲しいの。

 あなただって子供の頃、なんとかっていう冒険者が雷を放つ魔法の杖で怪物や悪人をなぎ倒す話を夢中になって聞いてたじゃない」

「"雷光のフランコ"だよ。オリジナル冒険者族で、早撃ちの名人。

 それに魔法の杖じゃなくて雷光銃。魔力を雷光にする魔法の武器で、僕の『白の翼』と同じ古代の遺産さ」

「それがどう違うのかよくわからないのよ、私には」

「むう」

 

 不服そうに口を尖らせるウォル。

 それを見てリビーがまたクスリと笑った。

 

 

 

 ソーマの日までの時間はまたたく間に過ぎた。

 ジェットやアラタズにはからかわれ、タラミスはまじめくさった顔で着ていく服についてアドバイスをくれた。

 コンゴとヴァジルは肩をすくめただけだった。

 

 当日、花を買っていこうかと思って思い直した。

 別にデートでもなんでもない。

 友達と劇を見に行くだけだ。

 その後食事をして、家まで送っていって、それから、それから・・・

 

(ウォル!)

 

 声のようで声でないそれが、耳を素通りして直接脳裏に響いた。

 

「アラタズ?」

 

 記憶が正しければ、いつもおどけて余裕を見せる霊術師がここまで切羽詰まった声を出したことは今までにない。

 

(すぐに戻れ! メットーを目指して、何か・・・何かとんでもなく巨大なものが飛んできている!

 髑髏に三本の剣の紋章! レスタラだ!)

 

 ウォルは身を翻して駆け出した。

 リビーの面影は綺麗に消えていた。



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06-19 空飛ぶゆうれい船

 数十分後、"アクション・ミックス"の面々は戦闘態勢で軍司令部に集合していた。

 部屋には他にも"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"に協力してきた黒等級と緑等級の冒険者たちが数十人集まっている。

 

 王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"は独立行動権を持ってはいるが、形としては軍の一部だ。軍の作戦にも参加するし、憲兵のような役目をになうこともある。

 現代地球と違い飛び抜けた戦力を保有する個人が存在することもあって、隠密行動を得意とする人材の集まる彼らは自然と諜報機関と特殊部隊を兼ねるような形に発展してきていた。

 上位冒険者を束ねて即応部隊として組織したとき、それを使いこなせるのはここしかいなかった。

 閑話休題(それはさておき)

 

「で、どういう事だ。アラタズから何か大きいものが飛んできたとしか聞いてないが」

 

 ヴィジルの言葉に"狩人"が頷いた。

 

「コースト市が壊滅した」

「!」

 

 部屋の中に動揺が走った。

 メットーから北西に位置する、王国有数の大都市だ。

 

「やったのはレスタラの紋章をつけた巨大な空飛ぶ船。現地にいたうちのエージェントが魔道具で送ってきた画がこれだ」

 

 "狩人"の操作で、宙に映像が浮かび上がる。

 暗雲の立ちこめる空を悠々と進むのは銀色の光沢を放つ金属製の、船あるいは蓋をしたお椀のような丸い物体。

 船底?から魔力光を放ち、市街を破壊している。

 矢や魔法が地上から飛ぶが、ほとんどのものは届きすらしない。

 

「真魔法文明時代の遺跡でこんな感じのフワフワ飛ぶ奴がいたな・・・いや、あっちは30cmくらいだったが」

「空飛ぶ船と言うよりは空飛ぶ砦だな」

「空中要塞か」

「どっちでもいいさ。それで、こいつがコースト市を焼いたのか」

 

 "狩人"が更に手元の魔道具を操作すると映像が切り替わる。

 そこに映ったのは、空中要塞から小さい粒のようなものが降ってくる映像。

 

「これは?」

「小さくてわかりづらいが、この小さいのが具現化術式を装備したレスタラの兵士たちだ――報告によれば魔導甲冑レベルのやつで、それが一気に200以上降ってきたらしい」

「ぐえっ」

「魔導甲冑が、しかも200かよ・・・」

 

 うめき声が多数洩れた。

 特に決まった基準があるわけではないが、装着型具現化術式(パワードスーツ)の中でも特に重武装で高性能なものをそう呼ぶ。

 ヒョウエ邸地下の『孤独の要塞』に残されていた黒い巨人――ヒョウエ命名、"不正を討つもの(インジャスティス・バスター)"や、ウィナー伯爵の装着していた『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』などがそれだ。

 

 さすがにあれらは真魔法文明時代の遺物としても最上級のものだが、それでも洒落にならない戦力であることは間違いない。

 平均的なそれであれば、冒険者と比べて緑等級以上黒等級未満というところだろうか。

 "白の翼"ら「アクション・ミックス」の戦闘力を考慮しても、軍の具現化術式部隊とこの場にいるディテクの冒険者の上澄みを併せてどうにか対抗できるか、というレベルだ。

 

「それで、今こいつはどこにいるんだ?」

「一直線にメットーへ向かってきている。明日か、遅くても明後日には」

「作戦は決まってるのか?」

「避難はもう始まってる。援軍の要請もな。だが恐らくは間に合わん。メットー郊外で迎え撃つことになるだろう」

 

 視線が"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"に集中した。

 

「・・・おいおいおいおい。まさかうちのウォルに一切合切全部押しつける気かよ!? こいつは・・・」

 

 激昂するジェットを、そっと"白の翼"が制し、静かに頷く。

 

「僕が行くよ。それが必要であるなら」

「感謝する」

 

 "狩人"が深々と頭を下げた。

 金等級とは言え一介の冒険者に対する最大限の礼。

 

「・・・」

「・・・」

 

 沈黙が部屋を覆う。

 ややあって、30半ばのベテラン中のベテランである黒等級の冒険者が"白の翼"の肩を叩いた。

 

「すまねえな、頼りない先輩どもでよ。頼むぜウィング・ボーイ。空の上となったらおまえさんが頼りだ」

「微力を尽くしますよ」

 

 "白の翼"はまだ19才だった。

 この部屋にいる誰よりも若い。

 だが、空を自在に舞える人間は他にいない。

 しばらくたって"狩人"が口を開くまで、誰も、何も言わなかった。

 

「――王都にも魔導兵器部隊はいる。あそこまで届く武器がないわけじゃない。"空中歩行(エアウォーク)"のブーツもな。

 そいつらに援護させるから、"白の翼"は突入して内部の兵器を破壊してくれ。王宮の宝物庫を総ざらいにしてでも使えそうな武器を持ってきてやる。

 アラタズは霊体化してナビゲートとこちらとの連絡役を頼む。

 その他のお前達は地上で魔導甲冑どもの相手だ。王都騎士団と近衛の精鋭も全力でブチ込む。

 何としてでも奴らを追い返してやる。私達の後ろにはメットー四十万の市民がいる。絶対に抜かれるわけにはいかん」

 

 鋭い眼光で部屋の中の冒険者たちを見回す"狩人"。

 

「ディテク王国はお前達が義務を果たす事を期待する」

「冒険者としての義務かい」

 

 やや皮肉げなジェットの声。

 

「人としての義務だ」

 

 きっぱりと言い切る"狩人"。

 その眼差しには、社会の裏と汚れを見てきた皮肉屋の盗賊さえ黙らせる何かがあった。

 

「お前もこの二年でレスタラのやってきたことを見たろう。

 街を焼き、人を焼き、人が生きてきた全ての痕跡を消す。

 つまるところはただ『汚いから』と言うそれだけの理由でだ。

 奴らこそが真の人間で、俺達はただの掃除すべきゴミでしかないと、あいつらは本気で信じている。

 冗談じゃない。俺達は人間だ。たとえクソであっても人間だ。意地もあれば誇りもある。それに・・・」

「それに?」

 

 にやり、と"狩人"が笑みを浮かべる。

 

「そんな連中の澄ましたツラに一発ブチ込んでみたいとは思わないか?」

「・・・」

 

 しばらくの沈黙。

 にやり、と。ジェットもまた笑みを浮かべた。

 

「いいぜ。てめえはクソ野郎で死ぬほど嫌いだし、俺はウォルみてぇなお人好しじゃねえ。

 だが乗った。あいつらの澄ましたツラを一発張り飛ばしてやる。

 なあてめえら、やってやろうじゃねえか!」

 

 おおっ!と歓声が上がった。

 拳を突き上げ、意気を上げる。

 

「レスタラ野郎をブッ飛ばせ!」

「髑髏仮面を鋳つぶして蹄鉄にしてやらあ!」

「魔導甲冑を一つ頂くぜ! 前から欲しかったんだよな!」

 

 やにわに賑やかになる部屋の中。

 "白き翼"は兜の下でそっと微笑んだ。



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06-20 ウォルター・ボウイー最後の冒険

「ええ、その日は凄く良く晴れた日でした。

 ところが前日から警報が出てて、メットーから避難することになりましてね。

 城門から数キロほど歩いたところで『あれ』を見たんです」

 

                  ――ロビン・クリストバル、雑貨屋の主

 

 

 

 日は中天にあった。

 抜けるような青空を、真っ白い雲が足早に駆け抜けていく。

 

 メットー郊外数十キロにわたって広がる草原地帯。

 そこに王都を守る全ての戦力が集結していた。

 

 普段は駐屯地の奥にこもって姿を見せることもない数々の魔導兵器。

 "空中歩行(エアウォーク)"の魔力を込めた蹄鉄を装着した空中騎兵。

 装着型具現化術式(パワードスーツ)を装備した魔導化兵士たち。

 

 とは言えそれらの具現化術式は一つ一つが魔術鍛冶――具現化術式を専門に作る術師たちのハンドメイドであり、規格化する方法が事実上存在しない。

 作る人間が同じ術を何度も重ねることによって薄皮の如く形成されていく実体を持った術式。

 作るのに時間がかかる上に、同じ術式を全く同じように発動できる人間は――たとえヒョウエのようなチート持ちでも――現代には存在しない。

 なので形状・大きさ・性能共にバラバラなそれらの具現化術式をまとった兵士達の群れは、統一感にまるで欠けた変異怪物の群れのようであった。

 

 そしてかき集められた冒険者たちは更に統一感に欠けている。

 騎馬に乗った騎士もいれば、いかにも冒険者といった実用一辺倒の鎧姿の斧使い、軽装の弓使いに毛皮と棍棒の蛮人戦士、ローブをまとった術師、更には水着や歌劇の衣裳のような派手な服をまとった"カブキモノ"も散見される。

 

「・・・!」

 

 ざわめきが起こった。

 目のいいもの、視覚強化の《加護》や術を持つものが「それ」を認識したのだ。

 

 銀色の円盤、もしくは船、あるいは要塞。

 とにかくそうした何かが陽光を反射して空中を進んできていた。

 その底面一杯に描かれているのは、髑髏と交差する三本の剣。

 レスタラのエンブレム。

 空中に巨大な影が現れた。

 あの日と同じ、甲冑に髑髏の仮面を着けた男。

 

『ふはははは・・・哀れな下等人種よ。復古軍(レスタウラツィオン)が誇る最終兵器、"夜神(ニュクス)"に対してそれっぽっちの戦力で挑む蛮勇にまずは敬意を表そう。

 そして思い知るがいい。お前達の力などどれほどちっぽけな蟷螂の斧に過ぎないのかと言うことを!』

 

 映像が消える。ギリ、と"狩人"の歯が鳴った。

 それでも冷静に命令を下す。

 

「空中騎兵、上昇開始! 魔導砲兵準備! まだ撃つなよ!」

 

 見えない坂道を駆け上がるように騎兵たちが宙を走り始めた。

 その身に帯びる魔力が飛行ではなく空中歩行であるゆえに、彼らは急激な上昇を苦手としている。

 それでも騎兵の一団が整然と、渦を巻いて天高く駆け上がっていく情景は壮観だった。

 

 続けて馬に匹敵する脚力を持ち、同じく"空中歩行(エアウォーク)"のブーツを支給された十人ほどの冒険者たちも空気の坂を駆け上がる。

 騎兵と冒険者たちが空中要塞と地表の間ほどまで上昇したとき、要塞に動きが起きた。

 

「報告っ! 空中要塞が魔導甲冑部隊を降下させ始めました!」

「よし! 地上部隊、攻撃準備! 魔導砲兵、敵が5km入ったら撃ち方始め! 壁術師、詠唱開始!」

「了解!」

 

 壁術師――つまり石壁や土壁、力場の壁などを作る術師たちの部隊がある。

 冒険者や大地の神の神官までも駆りだして増強した部隊の術師たちが詠唱を開始し、見る見るうちに魔導砲兵達を中心として即席のトーチカが完成する。

 その直後、空中要塞から閃光が走った。

 魔力光が数キロの距離を超えて着弾し、術師たちの作ったトーチカに炸裂する。 

 だが術師たちが魔力を込めて生みだした障壁は、ギリギリのところで中の兵士と兵器を守っていた。

 術師たちが再度詠唱を始め、トーチカの破損部分を修復する。同時に王国側の魔導砲も魔力光を吐き出し、空中要塞に叩き付け始めた。

 

 地平線の向こうから姿を現した二百人ほどの魔導甲冑の一団が恐ろしい速度で距離を詰めてくる。こちらの地上部隊もそれに合わせて接近するが、彼我距離が1kmほどになったところでレスタラの魔導甲冑達が手に持った小型魔導兵器を発射した。

 雷光銃と同じ魔力のほとばしりが冒険者や術式強化兵たちを打ちすえる。

 だが腐っても緑等級、直撃を受けても半数以上のものは耐えた。そのままあっという間に乱戦に入る。

 アクション・ミックスの赤騎士と青騎士、巨大猿が古代兵器を身につけた兵士達を薙ぎ払う。

 

 そして空だ。

 空中要塞からはひっきりなしに魔力光の対空砲火が放たれる。

 そして10人程度の小数ながら放たれる、飛行可能な魔導甲冑のレスタラ兵達。

 空中騎兵たちが魔導甲冑を抑えに掛かるが、空を駆ける以外は通常の騎兵である彼らにははっきりと荷が重い。緑等級の冒険者たちがかろうじて対抗できるレベルだ。

 それでも数の差で何とか魔導甲冑達を押さえ込み、乱戦をすり抜けて"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"は飛んだ。

 

「・・・くっ!」

(ウォル! 無茶をするな!)

「無茶でも何でも、ここで止めなきゃだめだろ!」

 

 地上から撃ち上げられる対空砲火と、"夜神(ニュクス)"から放たれる弾幕の交差する合間を縫って"白の翼"が飛ぶ。霊体化したアラタズが悲鳴のような声を上げるが、聞いている暇はない。

 濃密な、雨のような対空弾幕。地上からの支援砲撃もそれを減ずる役には立っていない。 

 

「もうすぐ・・・もうすぐ・・・」

(ウォル! 後ろだっ!)

「っ!?」

 

 それでも要塞に肉薄するところまで来た"白の翼"がアラタズの悲鳴を聞いて振り返った。

 後ろに迫るのは半数ほどに数を減らした飛行魔道甲冑。

 彼らを足止めしていた空中部隊は全滅していた。

 

「くっ・・・」

 

 両脇に抱えた長い筒、"狩人"から渡された魔導兵装を見る。

 内部から"夜神"を破壊するための切り札だったが、現状では――

 

「やむを得ないか!」

 

 対空砲火を回避しながらセーフティを解除し、筒先を飛行魔道甲冑達に向ける。

 引き金を引こうとした瞬間、その目が見開かれた。

 肉眼でも目視できるほどの魔力を内包した「何か」が飛来する。

 数十条のそれは飛行魔道甲冑部隊に襲いかかり、その大半が命中し、爆発した。

 

「なんだ!?」

「あれは!」

 

 突如空中に現れたのは鮮やかな緑色の翼と、虹色の尾羽を持つ数十羽の巨大な鳥。そしてその背中に乗っているのは・・・

 

「エルフの戦士だーっ!」

「ズールーフの森のエルフ達が助けに来てくれたぞーっ!」

 

 エルフの精鋭達。

 後の王国宰相、ワイリー侯爵が族長トゥラーナを説き伏せて引き出した援軍だ。

 それがギリギリのところで間に合った。

 

 "白い翼"が援軍達に感謝の意を込めて手を振る。

 戦士達の長らしい壮年のエルフが手を振り返した。

 

「よし!」

 

 翼を畳み、体の周囲に力場の障壁を小さくコンパクトに、その分固く展開する。

 次の瞬間、出撃用らしいハッチを突き破って"白の翼"は空中要塞"夜神"の中に突入していた。

 

 "白の翼"が突入してからしばらくして、"夜神"が火を吹いた。

 その巨体がゆっくりと傾き、対地砲火も途切れる。

 やがて、不意に空中要塞は巨大な爆発を起こした。

 

 エルフの戦士達が乗る孔雀鷲たちもバランスを崩し、何羽かは墜落した。

 互角に戦いを進めていたレスタラの魔道甲冑部隊も戦意を失い、あるものは逃走し、あるものは投降した。

 この時"夜神(ニュクス)"内部であったことを、数日後に目覚めた霊術師アラタズはこう語っている。

 

「古代王国の研究者が大雑把だが内部の想像図を作ってくれててな。そいつがドンピシャだったのさ。

 最短の経路で魔力炉にたどり着き、そいつを破壊した。

 その後は推進器だ。そいつも首尾良くぶっ壊してそこから脱出するつもりだったが、そこに現れたのが髑髏王(トーテンコプフ)だ。2mを越す大男で、剣も槍も使わず素手で殴りかかって来やがった。

 ウォルが、金等級冒険者"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"が全力で戦ってなお苦戦するほどに強かった。

 火が回って自分も逃げなきゃいけないだろうに、ただ『死ね! 死ねっ!』と狂ったように叫んで殴りかかっていたよ。

 その後あのとんでもない爆発が起きて、俺も意識を失った――体がないのに意識を失ったってのも妙なもんだがね。

 最後に聞こえたのはウォルの言葉だった。ああ、確かこうだ。

 

『まだ死ねない。「ヨルセンの詩」を見てないんだ』

 

 それだけだった」

 

 

 

 "夜神"の巨体が爆発したその時。

 無数の残骸や破片が落下する中、一筋の銀色の物体がその場にいた全ての人間の目を引いた。

 一直線に落ちてきたそれはまるで墓標のように垂直に草原に突き刺さる。

 "白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の、銀の翼だった。



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06-21 "狩人"

 メットー郊外で行われた、後に「翼の戦い」と呼ばれるそれに、多くの犠牲を払いながらも王国軍と冒険者たちは勝利した。

 復古軍(レスタウラツィオン)首領である髑髏王(トーテンコプフ)の行方不明と、最終兵器である"夜神(ニュクス)"の喪失をもってレスタラ戦役の大勢は決した。

 その後組織だった戦闘は数年間継続したが王国軍が大きく押し込まれることはついぞなく、占領された一部の地域の解放と残敵掃討を経て王国に平和が戻ることになった。

 

 "白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の死亡は今に至るも確認されていない。

 「アクション・ミックス」の面々は彼が空中要塞の爆発に巻き込まれて行方不明になった後も戦い続けたが、王国がレスタラ戦役の終了を宣言したのを機に解散した。

 

 "赤"のタラミス・カリメアは王国騎士であった兄の戦死により実家に戻って家を継いだ。長男には「ウォル」と名付けた。

 "青"のヴァジル・ランテは軍に入って戦い続けたが、レスタラ残党との戦いで戦死。享年二十九才。

 《獣の加護》を持つレンジャー、コンゴは辺境の開拓村に隠遁した。開拓と村の防衛を黙々と続けながら多くの息子と娘をもうけ、孫とひ孫たちに囲まれて穏やかに生涯を閉じた。

 霊術師アラタズは芸人術師に戻った。しばらくは戦役の英雄のネームバリューもあって大いにもてはやされたが、数年ほどして檜舞台からは姿を消す。

 それでも細々と芸人生活を続け、結婚もしてまずまずの人生を送った。

 「アクション・ミックス」の実質的なサブリーダー、ジェットは姿を消した。数年してリビーの前に一度だけ姿を現したが、以降の消息はようとして知れない。

 

 ウォルの友人リビーは喫茶店の経営を続けた。

 その合間にウォルの仲間やその他の当時を知る人々に話を聞いて回り、一冊の本を書いた。

 「ウォルター・ボウイーの生涯――"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"と呼ばれた男」と題されたその本はベストセラーになった。今日人々が彼について知っていることは、ほぼこの本の内容による。

 喫茶「うさぎのピーター」はまだ営業中だ。

 店の奥で時々うとうとしながら、彼女は彼と劇に行くのを今でも待っている。

 

 

 

 路地裏で男は紫煙を吐き出した。

 レスタラ戦役が終了してから数年。

 かつてジェットと呼ばれた男は、今は"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の一員として"狩人"の腹心、組織のナンバー3にまで上り詰めている。

 トレードマークだった派手な髪型も顔も変え、今はどこにでもいるような平凡な職人にしか見えない。仕事を終えて一杯引っかけようかという装いだ。

 天を仰いで紫煙を吐き出していたその顔が、ふと横を向く。

 

「・・・脅かすなよ。毎回足音も立てずに現れやがって」

間諜(スパイ)がドタドタと足音を立てて現れるわけもあるまい」

 

 ほんの3mほど離れた場所に"狩人"が立っていた。ジェットと同じ職人の格好。

 気付くのが一瞬遅れていれば、そして"狩人"にそのつもりがあれば致死の一撃を送り込める間合い。

 金等級冒険者、それも気配に敏感な斥候(スカウト)であるジェット相手に難無くそれをやってのけた。

 ジェットが舌打ちする。

 

「ったく、心臓に悪いんだよ。変な《加護》でも持ってんのか、あんた?」

 

 "狩人"が唇を歪めた。

 

「そんな便利な《加護》や術は持っておらんよ。

 まあ一つ教授してやるとするなら、人のやることには必ず穴が出来ると言うことだ」

 

 ジェットが肩をすくめるのを見て、"狩人"がまた笑った。

 

 

 

 どちらからともなく表情を真剣なものに戻す。

 

「それで、どこまで進んだ」

諜報機関(うち)の中に虫がいるのは間違いないな。容疑者は十人くらい・・・特に臭いのになると3人に絞られる。フレディ、フィルモア、シャイローだ」

 

 "狩人"が頷く。

 これが、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のナンバー2と3が変装して路地裏で会っている理由だった。

 

「戦役の前からおかしいとは思っていたんだ。相手の動きがこちらの上を行きすぎている。古代王国のとんでもない遺物か何かがあるのでもなければ、答えは一つしかない」

「それもかなり上のほうだ・・・念のため聞いておくが、トップがそれ(内通者)ってことはないよな?」

「閣下は青臭いが、それだけに純粋だ。あの方の愛国心を疑うくらいなら自分を疑うよ」

「そうかい」

 

 鼻で笑うジェットだが、反論はしない。

 今の"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"長官――カレンの祖父に当たる男――がそう言う人物だと言うことは彼もよく知っている。

 

「それで・・・」

 

 "狩人"が何かを言おうとしたとき、路地裏で爆発が起こった。

 

 

 

 倒れていたジェットが、頭を振りながら意識をはっきりさせようとする。

 

「・・・畜生、嗅ぎつけてやがったか。おい"狩人(ハンター)"・・・」

 

 呼びかけた言葉が途中で途切れる。

 "狩人"の背中に大きな金属の破片が深々と突き刺さっていた。

 一目で急所とわかる。

 数分以内に治療術師の術をかけて貰わなければ死は免れないだろう。

 "狩人"が身じろぎした。

 

「くく・・・これで一人に絞られたな。私が今日外出することを知りえたのはシャイローだけだ・・・」

「おいまさか、わざと」

「そこまで危ない橋は渡らんよ。それよりも・・・」

「いいからもう話すな! シャイローのことは後だ! 今すぐ医神(クーグリ)の神殿に・・・」

 

 ジェットがぎょっとした。

 "狩人"が自分の顔に手をかけ、それをベリベリと剥がしたのだ。

 剥がれた顔は白い陶器の仮面(マスケラ)に変わり、仮面の下には皮膚のない、筋肉が露出した顔。

 仮面の額には紅い宝玉――記憶の宝石がはまっている。

 

「少し早いが・・・これをくれてやる。これをはめた人間は"狩人"の顔とこれまでの全ての"狩人"の記憶を受け継ぐ・・・今日からお前が"狩人"だ・・・」

「おい馬鹿! 諦めてんじゃねえ! まだ助かるかもしれねえだろうが!」

「馬鹿はお前だ」

 

 言って"狩人"――"狩人"だった男は血を吐いた。

 

「肺を貫通してる。もう五分ともたん。治癒術師がその辺をそうそう歩いているわけがない。

 引き継ぎが出来なくなるリスクのほうを重視すべきだ。さあ、早くこれをかぶれ」

「強制かよ。また義務か」

「義務とは強制されるものではない・・・自ら果たすものこそ義務なのだ・・・」

 

 目の光が消える。

 石畳に落ちた仮面をジェットが拾い上げた。

 それを顔に当てる。逡巡はなかった。

 一瞬にしてその顔が"狩人"のものに変わる。

 同時に"狩人"の護衛だったのだろう、ジェットとも顔見知りの"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の人員が路地裏に駆け込んできた。

 

「副長官! ご無事ですか!」

「私はな」

「これは・・・」

 

 人員の一人が、石畳に転がる顔のない死体に気付く。

 

「ジェットだ。丁重に弔ってやれ。それよりも急いで本部に戻るぞ。レスタラの虫を全部芋づる式に引っ張り出してやる」

「はっ!」

 

 "狩人"が路地裏の奥に向かって大股で歩き出した。その靴は足音を立てない。

 その後に"ジェット"の体を担いだ護衛たちが続く。

 

「・・・」

「・・・」

 

 幽霊のような状態で一部始終を見ていたヒョウエたちの目の前で、彼らは煙と土ぼこりの中に消えていく。

 白い光が走り、世界が切り替わった。




"狩人"はMGSシリーズのビッグボスと刑事コジャックを混ぜたようなイメージで書いてます。
中身の方は先代がユル・ブリンナーでジェットがジェイソン・ステイサムかなw


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第四章「メットー上空三十分」
06-22 世界経済会議


「白の翼―― (一)ディテクの金等級冒険者。レスタラ戦役の「翼の戦い」において空中要塞を落とし、行方不明になる。(二)(一)の使用していた古代遺物(アーティファクト)。使い手に自由に天翔る術を与える」

 

     ――ディテク王国百科事典――

 

 

 

 

 

 光が収まると、冒険者ギルド支部の一室だった。

 記憶にある、精神世界に引き込まれる寸前の様子と全く変わったところはない。

 ヒョウエの手の中にはトパーズのような黄色い正二十面体のダンジョン・コア。

 

「なんだ!?」

「ヒョウエ殿下! "狩人(ハンター)"! ご無事ですか!」

 

 口々に叫ぶ諜報員たち。

 閃光でくらんだか、目元を押さえて唸っている者達もいるのを見るに、ほとんど時間は経ってないのだろう。

 

「動揺するな。殿下たちも私も無事だ。恐らくはダンジョン・コアの魔力が漏れ出したのだろう。心配する事はない」

「・・・はっ!」

 

 "狩人"が半分振り向いて制すると、ざわめいていた部下たちも冷静さを取り戻した。

 

「殿下達も体調に異常は・・・」

 

 ヒョウエたちの方に振り向こうとして、彼らの視線が自分に集中しているのに気付く。

 モリィがためらいながら口を開いた。

 

「その、さ。あんた・・・」

 

 言葉が途中で途切れる。ヒョウエが手で制した。

 どういう表情をしていいかわからない、そんな顔で"狩人"を見ている。

 

「・・・」

 

 "狩人"は薄く笑い、懐から取り出した葉巻に火をつけた。

 

 

 

 それからしばらくは、再び手掛かりを求めて東奔西走する日々が続いた。

 しつこく催促されていたカーラへの訪問ついでにカレンにそれとなく聞いてみたところ、しばらく後に貿易協定に関する大規模な外交会談が行われるのでぴりぴりしているのだと教えられた。

 

「フォセット、アールア、オルスター、モアフらディテクの周辺諸国と、ライタイム、アグナムから特使が。ダルクからは族長会議の一人、どうもゲマイからも来るようね」

「・・・ほとんど大陸の縮図じゃないですか」

 

 ヒョウエが目を見開く。

 「星の騎士」がいる西方のライタイムはディテクと並ぶ大陸の二大国家。

 アグナムは極東の謎めいた島国。

 ダルクは北方の騎馬民族の国。

 ゲマイ魔導共和国は術師によって統治される南方の国。

 ディテク、ライタイムにこの三国を加えた五カ国がマルガム大陸の列強諸国として認識されていた。これらの国を含んだ貿易協定が成立するなら、それは大陸の歴史に残る大きな動きになるだろう。

 

「そうなのよ。当然下交渉やらも随分前から動いてたらしくてね。

 逆に考えればレスタラが今になって復活してきたのもこれに合わせてのことかもしれないって、お父様が言ってたわ」

「なるほど」

 

 二人揃って溜息をつく。

 膝の上のカーラの頭を無意識に撫でるヒョウエ。

 頭を撫でられたカーラが、姉と兄の顔をキョロキョロと見くらべた。

 

「ワフッ?」

 

 つられてカーラの膝の上の子犬も三人の顔を見比べるが、こちらもよくわかっていないようではある。

 

「中止にするわけには・・・いかないんでしょうねえ」

「お父様と国の面子は丸つぶれね。ディテク王国衰退の引き金を引きたいなら止めないわよ」

 

 肩をすくめるカレン。

 大げさなように聞こえるが、決してそうではない。

 面子というのはイコールで能力に対する信頼、信義に対する信用だ。

 それが潰れるということは外交力の低下であり抑止力の低下であり、広い意味での軍事力の低下でもある。

 また一般国民や諸侯からの侮りを受けることによって、内政面でも大きな禍根を残す事になる。

 このような大舞台でのしくじりとなれば尚更だ。

 

 何故王や領主に権威が必要なのか。

 それは極論すれば家臣や民に言うことを聞かせるためだ。

 

 この場合言うことを聞かせるというのは、法律を守らせる事を含む。

 教育レベルの低い社会で法律を守ることの重要性を理屈で教えるのはほぼ不可能だから、権威付けや軍事力をもって従わせるしかない。

 それによって社会をスムーズに動かし、内政コストを下げることによって更に社会を良くすることにリソースを割くことができる。

 

 法律に従わない人間が多ければそれを取り締まるのにコストを必要とするし、社会を回すにも無駄が多くなる。

 経済力が低下し、国力が低下する。

 無論悪徳貴族の跋扈など様々な弊害は発生するが、この文明レベルにおいてはそれが最適化された手法なのだ。

 

「会談はどこで行うんです?」

「アイズナー離宮よ。メットーのど真ん中」

「まああそこならまだましですね・・・色々魔導防衛機構もありますし、レスタラが空中要塞を持ってこない限り大丈夫でしょう」

「・・・まだ他にあるの、あんなのが?」

「複数建造されたのは確からしいですよ」

 

 再びため息。妹と子犬がきょろきょろ。

 

「お兄様、お姉様。空中要塞って、"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"のお話に出てくるあの?」

「ええ。まあ大丈夫ですよ。もし本当に出てきても青い鎧がやっつけてくれます」

「・・・うん、そうだね!」

 

 カーラがにっこり笑う。

 妹一直線(重度のシスコン)のカレンは元より、ヒョウエの心も和ませる力がその笑顔にはあった。

 カレンが笑み崩れていた表情を戻して、考え込む顔になる。

 

「姉上、何か?」

「いえ、何でもないわ」

 

青い鎧(ぼく)との接触のことを考えていたかな)

 

 何となく察しはするが口には出さない。

 

「まあこの話はここまでにしておきましょう」

「そうね。三人集まってるところでする話でもない・・・大体あなたが振ってきたんでしょうが」

「姉上ほど地獄耳じゃないんですよ、僕は。かわいい弟を助けると思って見逃して下さい」

 

 肩をすくめるヒョウエ。一方でカレンは猫のように眼を細める。

 

「へえ、かわいいって自分で認めるんだ?」

「言葉の綾です」

「でも助けたからにはお礼があってしかるべきよね? さーて、どうしようかしら・・・」

 

 何かろくでもないことを言いかけて、ふと下からの視線に気付く。

 妹の睨む視線。

 

「お姉様、お兄様をいじめちゃだめ!」

「あら、いじめてるわけじゃないのよ。これは・・・」

「だめ!」

 

 かたくなな妹の視線に、カレンが手を上げて降参する。

 

「はいはい、姉様の負けよ。愛されてるわね、ヒョウエ?」

「カーラはいい子ですからね。いい子でかわいくて愛らしい。完璧じゃないですか」

「えへへ・・・」

 

 頭を撫でられたカーラの表情がほにゃっと崩れる。

 

「まあそれについては私も100%賛成だけれども」

「けれども?」

 

 言葉の端に含まれた微妙なトーンに、ヒョウエが片眉を上げた。

 カレンが立ち上がり、ヒョウエの隣に腰を下ろす。

 

「カーラにはかわいいと言って上げるのに、私にはかわいいと言ってくれないのかしら?」

 

 満面の笑顔でしなだれかかる姉。

 弟が半目でそれを見上げた。

 

「何よ」

「そろそろかわいこぶりっこが痛々しい年齢では?」

 

 真顔で言うと頬を全力でつねられた。

 普段のからかい混じりのそれではなく、明らかに力一杯ひねっている。

 

「それで? 年齢がなんですって? ね・ん・れ・い・が・な・ん・で・す・っ・て・?」

「痛い痛い痛い」

「今のはお兄様が悪いと思う・・・」

 

 首をすくめてカーラが呟いた。




小国の名前として上げられているのは、DCコミックス(スーパーマン、バットマン他の出版社)が過去に買収した出版社のもじりです。
映画になっているだけでもワンダーウーマン、フラッシュ、シャザム、グリーンランタン、アクアマン、ドクターフェイト(ドウェイン・ジョンソンの「ブラックアダム」に出て来た金ぴか兜の魔術師ヒーロー)、それ以外でもグリーンアローやスペクターがこのへんの出身です。
え、グリーンランタンは主演の人が射殺されたから映画化流れたろって? そうだったかな・・・そうだったかも。


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06-23 メットーの守護者たち

 外交会談までの日々は不気味なほど静かに過ぎていった。

 各国の特使(中には近隣国の国王もいる)のメットー入りに際してはカレンの依頼を受けて青い鎧として上空から警護に当たったが、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"を始めとする各部署の警戒は元より、青い鎧の超感覚、リーザの《心の声の加護》、モリィの《目の加護》と盗賊ギルドのコネ、サフィアとマネージャーの情報収集。

 いずれをもってしても何も怪しいものは引っかからなかった。

 

「まあ取りあえずここまでは平穏無事ですね。取りあえずは」

 

 ヒョウエ邸での、みんな集まっての夕食会。

 ヒョウエの言葉にサフィアとマネージャーを含めたその場の全員が頷く。

 ここしばらくはこの二人も含めた面子で朝昼晩の食事をとっていた。

 

「えーと、警備が厳重だからレスタラの人たちも諦めたって事は・・・」

「ないでしょうねえ」

「それはないとボクは思うよ」

「ないな」

「ねえだろうなあ」

「有り得ませんわね」

「わたくしもまずないかと存じます」

「だよねー・・・」

 

 言うだけ言ってはみたものの口々に否定されて、あははと空笑いするリーザ。

 ヒョウエがQBに視線を向ける。

 

「何かをやってくるのは間違いないんですよね?」

「それは間違いない。"迷宮と豹(ラビリンス&レパーズ)"で捕縛した連中を尋問した結果、少なくともこの期間に何かをやるという指令は受けていた」

「具体的な内容は伝えられてない、と?」

「心を読む魔法があるんだ、そりゃ知ってる奴は少ねえほうがいいだろうよ」

 

 視線を向けるリアスに答えたのはモリィだった。

 

「ああ、なるほど・・・」

「正解だ。流石元盗賊ギルドメンバーだな」

「そう言う褒められ方されてもあんま嬉しかねえけどな」

「それは失敬」

 

 QBの称賛に苦笑するモリィ。リアスやリーザは素直に感心している。

 

「でもそのへんちょっとわからないことがあるんだけど」

「なんです、リーザ?」

 

 シチューにつけたパンをかじりながらヒョウエ。

 その様子に眉を寄せながらリーザがまじめな顔になる。

 

「ヒョウエくんお行儀悪い。――外交会談のタイミングで攻撃してくるなら、目的はメットーに集まってるえらい人たちとか、王族の方々だよね?」

「まあおそらくは」

「レスタラの人たちの目的がえらい人の皆殺しだとして、そのあとどうするの? メットーに攻め込んでディテク王国を征服するだけなら、他の国の人を殺す必要ないと思うんだけど」

「・・・」

「・・・」

 

 テーブルに着いていた他の人間が顔を見合わせる。少しの間を置いて口を開いたのはサフィアだった。

 

「いい疑問だ、リーザくん。ボクの中の"探偵(ショルメス)"もそこに違和感を感じている」

「それじゃ、やっぱり何かあるんですね?」

「ああ。間違いなくね。これに関しては結構時間をかけて情報を精査してみた。その結果は――」

 

 サフィアが一旦言葉を切る。

 ごくり、と誰かが喉を鳴らした。

 

「――情報不足、だ」

「役に立たねえな探偵!」

 

 食卓に漂っていた緊張が一気に弛緩した。

 思わずと言った感じでモリィがつっこむ。

 

「ま、まあまあモリィさん。専門の人がそう言うんだから本当にそうなんじゃないかと・・・」

「まあそれはわかってるけどよ・・・ここまで引っ張っといてそれはねえだろ」

 

 サフィアの口元に苦笑が浮かんだ。

 

「まあ言われてもしょうがないけどね。でも柱が足りなかったら家は建てられないんだ。今のところわかっている情報だと、このタイミングで攻めてくる合理的な理由が思いつかないんだよ」

「"狩人"閣下も似たような事を言っていた。もちろん奴らの目的は大陸制覇だから、ライタイムもアグナムもその他の国も全て最終的には敵なわけだが、この時点ではっきりと敵に回す理由がない。

 特使を殺されれば、他の列強も面子上レスタラに宣戦布告せざるをえん」

 

 サフィアの言葉をQBが補足する。リアスが頷いた。

 

「強いて理由を考えるなら派手に宣戦布告をして敵の士気をくじくとかですが・・・今のレスタラのトップは馬鹿でも無能でもなさそうです。その程度の理由でわざわざ不利になるような真似をするとは思えませんわ。

 私なら『我々復古軍(レスタウラツィオン)の目的はディテク王国のみであって、他の国に対する野心はない』として、他国の傍観を誘いますわね。

 こう言っては何ですがディテク一国に負けた程度の戦力で、ライタイムや、まして他の列強全てを相手に出来るとは思えませんし・・・なんです?」

 

 自分に集中する視線に気付き、リアスが眉を寄せる。

 

「お前、ケンカのことになると頭が回るのな。普段は脳筋のくせに」

「とことん失礼ですわねモリィさんは!?」

 

 始まりそうな口げんかに、素早くヒョウエが割って入る。

 

「ハイストップ。今はケンカしてる時じゃありませんからね」

「・・・わかりましたわ」

 

 リアスが不承不承矛を収める。

 モリィも何か言いたそうではあったが追撃はしなかった。

 空気を変えようと、サナが口を開く。

 

「ですがサフィア、だとしてもやれることは変わらないのでしょう?」

「まあそうなんだよね。何かありそうだとは思うんだけど、今は警備を徹底的に固めて、情報に目を光らせて、何かあったときに即応できるようにすること。結局はそれしかない。歯がゆいね、まったく」

 

 サフィアを含み、いくつかのため息が同時に洩れた。

 

 

 

「失礼する」

「ああ、すまないな。わざわざご足労願って」

「気に召されるな。どこにでも現れるのがそれがしの取り柄ゆえにな」

 

 笑みを含んだ声。

 軽いジョークに"狩人"が僅かに頬を歪める。

 

 数日後、アイズナー離宮の庭にある離れ。離れとは言ってもちょっとした邸宅並みの大きさはある。

 そこに青い鎧の姿があった。

 それを迎えるのは"狩人"と部下たち。

 ここが現在離宮警備の指揮所になっていた。

 

「カレン殿下は・・・離宮本殿か」

「ああ。初日の今日は、出奔しているヒョウエ殿下を除いて、メットーにいる全ての王族が集まっているからな」

「・・・カーラ殿下もか? まだ8才だろうに」

「王族の義務という奴だ。慣例でもあるからな。こればかりは特に理由もなくやめるわけにはいかん――ヒョウエ殿下が混じっていてくれれば、これ以上ない護衛だったのだがな」

「・・・」

「何か?」

「いや、なんでもござらぬ」

 

 まさかここにいますとも言えず沈黙するヒョウエ。

 "狩人"も僅かにいぶかしんだが、さすがに千里眼か読心術でも持っていなければ、目の前の巨漢が少女のように小柄なヒョウエであるなどとは見抜けもしないだろう。

 

 もっとも、青い鎧状態のヒョウエは圧倒的に高密度の魔力の塊なので、魔力は魔力を弾くという基本原則により、生半な千里眼や読心術、あるいは予知能力ですら弾いてしまうのだが。

 青い鎧に確実に効力を発揮する探知系の能力があるとすれば、セーナなどが持つ神そのものの《加護》や神託の類くらいだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「取りあえず拙者は上空で待機する。何かあったらここで声を上げて呼ばわれよ。大嵐でもない限り聞こえる」

「聞こえるんですか!? ・・・あ、すいません」

「聞こえ申す」

 

 思わず声を上げてしまった"狩人"の部下その1に、まじめくさって頷く青い鎧。

 

「聞こえんのかよ」

「便利な人だなあ・・・」

 

 おほん、と"狩人"が咳払いをして部下たちのざわめきが静まる。

 ふう、と流石に呆れたように溜息をついた後、机の上にあった木箱を開けて中のものを青い鎧に差し出した。

 

「これは・・・遠話の魔道具か」

「ああ、一応付けておいてくれ。最悪壊しても構わん」

「心得た――必ず守るぞ」

「ああ。レスタラのクソ野郎どもに我々の国を好きにされてたまるか。

 奴らが初日に仕掛けてくる可能性は高い。頼むぞ、青い鎧」

 

 メットーの守護者二人が真剣な顔で頷き合った。



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06-24 急いで待て

「来なかったじゃねえか」

「虚を突くのも兵法ですわ・・・まあやられると腹立たしいことこの上ないですけど」

 

 夕食の席、憮然とした顔でモリィとリアスが会話を交わす。

 

「後先考えず派手にやるなら間違いなく初日だとは思ったんですけどね。まあ来ないで助かったと言えば助かりましたが」

 

 結局初日は何事も無く無事に終わった。

 関係者一同がほっと胸をなで下ろし、すぐに気を引き締め直している。

 本命が明日来るかも知れないし、なんなら今夜来るかも知れないのだ。

 

 王族たちは王宮やそれぞれの離宮に戻り、各国の代表たちはアイズナー離宮に滞在している。

 "狩人"を始めとした警備責任者たちは眠れない夜を過ごすだろう。

 

 会議の日程は現状決まっているだけでも一ヶ月。

 遠隔通信の手段が極めて限られているこの世界では、外交交渉を行うにもその下準備をするにも、当事者同士が直接顔を付き合わせるしかない。それゆえの長さだ。

 これほど大がかりな貿易交渉であれば一ヶ月でも短いかもしれない。

 延長される可能性も十分にあり、当事者の緊張は当分続くことになりそうだった。

 

「勘弁してほしいぜ。正直一月も二月もこれが続くと言われたら逃げ出したくなるわ」

「ほんとにねえ」

 

 テーブルに突っ伏したモリィに、サフィアがしみじみと頷く。

 親友のぼやきにサナが笑みを浮かべた。

 

「相変わらずじっとしているのが苦手ですね、サフィ。せっかちというか元気過多というか」

「性に合わないんだよ。悪党を追いかけてるほうが気楽だ」

 

 モリィと同様にだれるサフィアをたしなめるでもなく、QBが淡々と言葉を紡ぐ。

 

「待つのも戦いのうちだ。待ちながら、だが心身を弛緩させるな。適度な緊張状態を保ったまま『急いで』待て――それもまた戦士の仕事だと教えたはずだがな」

「言うは易く行うは難しですよ、マネージャー」

「そーだそーだ」

 

 溜息をつくサフィアに、テーブルにあごを載せて同意するモリィ。

 

「君は腕のいい狩人だと聞いたが、モリィくん」

「待つ狩りは苦手なんだよ・・・師匠にも言われたけどさあ」

 

 くわえたスプーンを仏頂面でぴこぴこと上下させるモリィに、この鉄面皮の男は僅かに苦笑を浮かべた。

 

 

 

 二日目も、三日目も敵は来なかった。

 十日目、指揮所で青い鎧とカレン、"狩人"が顔を付き合わせている。

 

「今日も何も無し・・・か」

 

 青い鎧が腕を組んで"狩人"を見た。

 

「言いにくいのだが、情報分析が間違っていた可能性は?」

「ないとは申しませんが、私も連中の目標は離宮(ここ)だと思いますわ。

 他に狙うべき目標がないんです。

 もちろん軍の駐屯地なり市街なりを攻撃目標にする可能性はありますが、それなら遠距離から砲撃すれば済みます。具現化強化術式(パワードスーツ)を複数用意していたなら、攻撃目標は王宮かアイズナー離宮・・・王宮は今はもぬけの空ですから、離宮で間違いないはずなのです」

「なるほど」

 

 自分の見た事のない、「仕事をする姉」の姿にいささか感心したのも含めて青い鎧(ヒョウエ)が頷く。

 続いて"狩人"もカレンの言葉に頷いた。

 

「うちの分析官たちも同じ結論だ、青い鎧。加えて言うなら私もな。

 具現化強化術式の数を揃えるなら、狙いはここで間違いないはずなんだが」

「一応言うだけは言ってみるが、王族以外の王宮の価値・・・宝物庫に何か古代の遺産でもあるとか、そう言った事はござろうか」

「そいつも考えはしたが、王宮の方からは心当たりがないという答えだった。とぼけているのか、気付いてないのか、本当にないのかはわからないがな」

「お父様に聞いてみましたが、あの反応は嘘はついていませんでしたわね。少なくとも気付いていて隠していると言うことはないでしょう」

 

 "狩人"が再び頷く。

 

「カレン様の表情を読み取る技能は折り紙付きですからな、間違いないでしょう。王族でなければ尋問官として雇いたいところで」

「お父様も国王の割には読みやすいのよね。まあ流石にヒョウエほどではないけど」

 

 肩をすくめるカレンに青い鎧が視線を向ける。

 

「なるほど、怖いお方だ。であればこの兜は御身の前では外せんな」

 

 笑みを含んだ声。もっとも内心は割と忸怩たるものがある。

 

「あら残念。その面頬の下にどんな顔があるのか見てみたかったのですけれど」

「ご寛恕願いたい。あれこれ恨みを買っているのでな」

「名誉の代償ね」

 

 くすくすと笑ってから表情をまじめなものに戻すカレン。

 

「ともかく、このままここを守りきるしかありませんわ。未だに攻めてこない理由は不分明ですが・・・」

「ですな。取りあえずはこのままで行きましょう。おまえさんも頼むぞ、青い鎧」

「無論のこと」

 

 頷いて、青い鎧は姿を消した。

 

 

 

 翌日のアイズナー離宮。

 街区を丸ごと一つ使ったそれは周囲に広く深い堀があり、正面以外ではたとえ魔導甲冑でも攻め入る事は出来ない。

 リアスの「白の甲冑」でも跳び越えるには難しい所だ。

 

 それでもその周囲は住人以外通行止めにされ、壁術師たちを動員した臨時の陣地や掩体壕が造られて王国軍の精鋭がずらりと固めている。

 通常の槍兵や弓兵に加えて、離宮の中庭には魔導兵器部隊、正面には数百の魔導化歩兵・・・具現化術式を装着した精鋭兵士達が配備されていた。

 

 小国ならこの戦力だけで蹂躙どころか消滅させられる圧倒的な戦力。

 大陸の二大国家の面目躍如たる陣容だった。

 

「空を飛ばれたり水面を歩ける場合はどうするんだよ? 確か『翼の戦い』でも空飛ぶ敵がいくらか出て来てたろ?」

「アイズナー離宮には極めて強固な魔導防衛機構があります。魔導甲冑程度では到底破れないはずですよ」

 

 ヒョウエたちとサフィアは、他の上位冒険者たちと一緒に離宮の一角にしつらえられた大天幕で待機していた。

 天幕の中には長椅子や卓、仮眠用のスペースもあり、冒険者ギルドの職員たちが香草茶などを給仕している。

 現在のディテクには金等級の冒険者はいない。

 上から二番目の階梯である黒等級の(パーティ)が二組、緑等級が数十人ほど。

 時折ヒョウエたちにぶしつけな視線を送るものもいるが、さすがに上位冒険者だけあって絡んでくるようなガラの悪い連中はいなかった。

 

「まあ緑等級黒等級ともなれば、実力と同じくらい人品も評価の対象になりますからね。いくら強くても信用がなければギルドとしては重要な仕事を任せるわけにはいきません」

「周囲からこう、じろじろ見られるのは落ち着きませんわね・・・」

「僕たちは実力の割にギルドに優遇されていると見られてますからね。まあやっかみの対象になるのは避けられないでしょう」

 

 やれやれ、と溜息をつくリアスとヒョウエ。

 

(・・・単に目立ってるだけじゃねえか?)

(まあそれは・・・)

 

 ひそひそと会話するモリィとカスミ。

 派手な大魔術師の格好をした美少女のような術師と、明らかに古代遺物である魔導甲冑を身にまとった女サムライ。上位冒険者には派手な格好、あるいは高価な装備を身につけているものも多いが、この二人はその中でも際だっていた。

 メイド姿のカスミもかなり目立っているのだが、こちらは自覚があるようで身を縮こまらせている。

 

「まあ目立つのは悪い事じゃないさ。有名は無名に勝るし、時には悪名ですら有名に勝る」

 

 うんうんと頷くサフィア。

 そう言う彼女も羽根飾りの付いた帽子に派手な胴着、鮮やかなマントと非常に目を引く格好で、十分「カブキモノ」に分類されるレベルだ。

 

「"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"でその格好は目立ちすぎませんの?」

「そう言う欠点もあるけどね。やっぱりまずは覚えてもらう事と、後は抑止力としての意味もある――まあマネージャーの受け売りだけど」

「なるほど・・・」

 

 リアスが頷こうとしたところで、震動が空気を震わせた。

 

「!」

 

 その場にいた全員が一瞬にして戦闘態勢に入り、天幕の外に飛び出す。

 

「・・・・・・・・・!」

 

 全員が空を見上げる。

 メットーの空に浮かぶ銀の円盤と、その上空に浮かぶ巨大な人の幻像。

 鋼鉄のトサカのついた鉄兜を被り、髑髏を模した仮面を着け、甲冑と軍隊の礼装をまとった男の上半身。

 五十年前の再現。甦った悪夢。

 "復古軍(レスタウラツィオン)"首領「髑髏王(トーテンコプフ)」がそこにいた。



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06-25 ちょっとした余興

髑髏王(トーテンコプフ)!?」

「本物か?」

「ありえん! "白の翼(ヴァイスフリューゲル)"と一緒に死んだはずだ!」

 

 ざわめく人々を見下ろし、髑髏面の怪人が言葉を発する。錆び付いた扉の軋みのようなそれは、王都全ての人々の耳に届いた。

 

『あえて久しぶりと言わせて貰おう、メットーの諸君。五十年ぶりだが相も変わらず下等な生物がうじゃうじゃと群れていて、実に気色が悪いな。まるで河原の石をひっくり返したようだ』

「ほざけ!」

「何様のつもりだ!」

「●●の××野郎が!」

 

 冒険者たちの罵り声。

 中には聞くに耐えない罵声もある。

 それらをあざ笑うかのように髑髏王の言葉は続く。

 

『五十年前、我々は敗北した。それは素直に認めよう。だがお前達は我々を倒すことは出来なかった。一時的に撤退させたに過ぎない』

「よくもまあ大口を叩くものですな。鼻たれ小僧がしわくちゃの老人になるほどの時間が経ったというのに」

 

 離宮の中庭では、王国宰相ワイリー侯が静かに、しかし強い意志を秘めた目で幻像を見上げた。

 その隣ではヒョウエの父親、王弟ジョエリー大公が力強く頷く。

 

『五十年前の戦いではあの金等級冒険者の小僧、"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"にしてやられた。だが奴も結局は無駄死にだったと言うことだ』

「・・・・・・・・・・・・」

 

 "狩人"の表情は変わらない。

 仮面に隠れたその表情は、カレンですら読み解けない。

 ただその背中から、隠し切れない怒りの気配がにじみ出ていた。

 

『ともあれ昔は昔だ。今のディテクに金等級冒険者はおらぬ』

「馬鹿め!」

「青い鎧を忘れてるぞ!」

「青い鎧なら空中要塞も一発だぜ!」

 

 あざけりの笑いが響く。

 中庭に集まっていた国王を始めとする各国要人たち、特使の一人がマイアに視線を向ける。

 

「マイア陛下、『青い鎧』というのは?」

「そうですな・・・ディテク最強の『ヒーロー』とでも言っておきましょうか」

 

 ディテク国王の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

 このときはまだ。

 

『とはいえ今は"青い鎧"なる羽虫がこの国を飛び回っていると聞く。

 羽虫ながら厄介な奴だともな。そこでちょっとした余興を用意した』

 

 幻像が切り替わった。

 

「???」

「石・・・か?」

 

 星空を背景とした巨大な岩の映像。

 極めて巨大で精細な映像だ。

 

『この映像は先ほどこの惑星の静止軌道上から捉えたものだ。この石・・・おまえたちにわかるように言えば流れ星の直径はおおよそ1kmほど。このまま行けばコースト市の近辺に落着する』

「?」

「何を言っているんだ・・・?」

「――――!」

 

 ざわめく人々。

 そのほとんどは髑髏王が何を言っているのか、わかっていない。

 その中でただ一人、ヒョウエだけが顔色を変えた。

 

『愚昧で無知な貴様らにわかりやすく言ってやろう。このままではコースト市とその周辺は消滅する。

 壊滅ではない。天より降り注ぐ鉄槌によって跡形もなく消滅するのだ。

 さあ、青い鎧よ。この天の怒りを止めることが出来るかな、フ、フハハハハハ・・・!』

 

 幻像が消えた。銀の円盤――空中要塞もまた。

 周囲がざわめく中、ヒョウエが杖にまたがる。

 三人娘が無言で視線を向け、振り向いたサフィアがいぶかしげに首をかしげた。

 

「ヒョウエくん?」

「リーザから声が届きました。郊外の森にゴブリンの大群が集結してるようです」

「! 今の流れ星云々は陽動か!」

「わかりません。取りあえずそちらに行って対処します。ゴブリンなら、時間はかかりますが僕一人でどうにかなるでしょう」

「・・・大丈夫かい?」

 

 ゴブリン云々はもちろん嘘であるが、眉を寄せるサフィアにヒョウエが軽くウィンクをしてみせる。

 "探偵"の仮面をかぶっていないとは言え、この勘の鋭いクライムファイターを誤魔化すには、これくらいの芝居は必要だ。

 

「巻き添えが怖いので、今回に限ってはむしろ僕一人のほうが適してますよ。

 モリィ、リアス、カスミ、後をお願いします。サフィアさんもお気をつけて」

「おう」

「お任せ下さいまし」

「わかりました」

「無事に戻ってきたまえよ、ヒョウエくん。サナに嫌な報告をしたくない」

「そちらこそ。サナ姉にサフィアさんの訃報を伝えるのはまっぴら御免です」

 

 笑みを交わす。

 

「では失礼」

「武運を祈るよ」

 

 次の瞬間杖にまたがったヒョウエが北の方に飛び去り、あっという間に見えなくなった。

 

 

 

 離宮の臨時指揮所。バルコニーに青い鎧が舞い降りた。

 

「青い鎧!」

「今の話は本当なんですの?」

 

 こちらを認めて歩み寄ってくるカレンと"狩人"に頷いてみせる。

 

「残念ながら本当にござる。こちらでも確認し申した」

 

 ヒョウエは青い鎧をまとった後、一旦地上数百キロまで上昇して、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の超魔力を目に集中させて得た超視覚で隕石を探した。

 ハッタリであればいいと思っていたが、隕石は実在した。

 さすがに正確なコースまでは計算できないが、このままでは間違いなくディテク周辺に落下する。どうにかしなければならなかった。

 

「天から巨石が降ってくることなど有り得るのか、青い鎧」

「古い文献でそうした事があった、というのは読んだことがあるわ、"狩人"。青い鎧も肯定している以上、疑う余地は無いわね」

「しかり。真なる魔法文明の時代であれば、そうした天の彼方からの飛来物を監視する魔道具もあったやもしれぬ。古代の魔道具を多数保有するレスタラであれば、そうした魔道具を手元に置いていても不思議ではない・・・といったところか。

 恐らくはこの大地の遥か天空にそうした"生きた"魔道具が浮いていて、それに接触する手段を確保していると言ったところであろうが」

 

 カレンが唇を噛む。

 

「でもこれで合点がいったわ。恐らくこのタイミングで仕掛けてきたのはあの流れ星が落ちてくるのに合わせて。ひょっとしたらこの外交会談すら関係なかったかも知れない」

「! なるほど」

 

 青い鎧が頷く。

 "狩人"が青い鎧に視線。その目からは既に怒りも動揺も読み取れない。

 

「それで青い鎧。あれを何とかできるのか?」

「恐らくは。ただ、どれだけ早く戻ってこれるかは保証いたしかねる」

 

 カレンが扇を開き、ぱちんと閉じた。

 

「構いませんわ。50年前はあなた抜きでも勝てましてよ。

 あのような亡霊ごときにディテクは負けませんわ。どうぞ義務を果たしていらして下さいな」

 

 艶やかな笑みと男前な啖呵。

 青い鎧の兜の下で微笑む気配がした。

 

「それではお言葉に甘えさせて頂こう。しからば御免」

 

 青い鎧が身を翻す。

 次の瞬間、その姿は空の彼方に消えた。



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06-26 満を持して

 空気を切り裂いて一直線に隕石を目指す。

 雲が吹き飛ばされ、空に巨大な穴が空く。

 

 飛びながら念動で周囲の空気を集め、圧縮固定する。

 空気の薄い上空に飛んだときの酸素ボンベがわりだ。

 

(このくらいで十分か・・・術の制御を手放さないようにしないとな)

 

 圧縮した数十立方メートルの空気を鎧の中に「しまいこむ」と、青い鎧は今度こそ一直線に空の果てを目指して飛んだ。

 

 

 

 高度十キロ、二十キロ、三十キロ。

 見る見るうちに空気の抵抗が減少していく。

 空の青さが黒に変じる。

 高度三十キロを超えればもうそこはほとんど暗黒と星、宇宙の世界だ。

 

 かつて怪人「ムラマサ」を焼き尽くした時でさえ、高度は10km。

 高度30kmともなれば、大気の濃度は地上の僅か1%。

 かつてのヒョウエの世界では地上100kmより上を宇宙としていたし、いわゆる大気圏への再突入は120kmほどから(再突入による圧縮加熱が始まる高度、つまりそこまでは極々僅かながら空気がある)だが、ここまで来れば感覚的にはほとんど真空と言っていい。

 

 その暗黒の真空の中を青い鎧が飛ぶ。

 超望遠視覚(テレスコピック・サイト)によって捉える目標を目指して。

 ぐんぐん大きくなってくる・・・というには青い鎧の速度をもってしてもまだ余りにも遠い。

 

 それでも接触するのは問題ない。問題はうまくランデブーできるかどうかだ。

 隕石の速度は恐らく秒速40km。時速でも分速でもない、秒速だ。

 音速で言えばマッハ30以上。

 空気抵抗のほとんどないこの高度でも、青い鎧の最高速度を恐らく上回る。

 

(しくじれば隕石に激突――そうでなくても二度目のチャンスはない。しくじるなよ、ヒョウエ――!)

 

 遥か彼方の、だが天体スケールで見れば指呼の間の隕石を目指し、ヒョウエは飛んだ。

 

 

 

 アイズナー離宮。

 その中で、外で、幻像の消えた空を多くの人々がまだ見上げている。

 一方で指揮所では冷静な会話が交わされている。

 

「・・・攻め手が遅いわね?」

「同感です。こちらの切り札だった青い鎧がこの場を離れた今、即座に攻めかかって来ると思ったんですが・・・おい、周囲の警戒を密にするよう伝令を出せ。ひょっとしたら気付かないうちに始まっているのかもしれん」

「ハッ!」

 

 待機していた兵士が部屋を飛び出していく。同様に待機していた"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"局員は遠隔通信用の魔道具で各所に指示を伝える。

 同様の疑問を持ったものも何人かいたが、それらは十分ほど後に解消されることになる。

 

「伝令ッ! 南部ビップル駐屯地からの念話です! レスタラの、空中要塞が現れたとっ!」

「! 針路はっ!」

ここ(メットー)に一直線だそうです!」

「それ以外の情報はあるかしら」

「い、いえ。それだけで念話が切れてしまいまして・・・恐らくは・・・」

 

 俯く心術師。カレンがけわしい顔で親指の爪を噛んだ。

 

「やられましたかな・・・だが任務は果たしてくれた。今度はこちらがそれに応えねばなりますまい」

「ええ、わかってるわ。全軍に迎撃準備! 冒険者たちも準備させなさい。

 要人の避難準備、離宮の防衛設備もフル稼働。それと例の部隊は・・・?」

「既に待機しております」

「よし。タイミングは任せるわ、経験者のあなたに」

「はい・・・なんでしょう?」

 

 カレンが自分を興味深そうに見上げているのに気付き、"狩人"がいぶかしげな表情になる。

 

「いえ、ね」

 

 カレンがいたずらっぽい表情でくすくすと笑う。

 

「あなたほど表情の読みにくい人間も珍しいと思っていたけど・・・あなたでも顔に出る事はあるのね。少し安心したわ」

「おたわむれを」

 

 "狩人"が僅かに苦笑した。

 

 

 

「そう言えばメットーの市民は大丈夫かしら。パニックを起こされでもしたらかなり面倒な事になるけれど」

「避難計画は既に立案してあるはずです。我々の仕事ではないことで頭を悩ませるのはやめましょう」

 

 どこかよそ見をするような雰囲気で責任を回避する"狩人"。

 形としてはこの一件の最高責任者である彼らが負うはずだったそれらの仕事を、政治力を駆使して多方面に押しつけたことはおくびにも出さない。

 

「そうね。担当者の幸運を祈りましょう」

 

 同様に、しれっとした顔でカレンは自らの責任を回避した。

 

 

 

 先だって述べたとおり、アイズナー離宮の周辺には深くて広い堀がある。

 船遊びなどをするためのものでもあるが、同時に防衛のためのものでもあり、50mを越える幅と数メートルの深さを持つそれは船や翼なしに越えられるものではない。

 南に幅20mほどの陸橋が続いている他は橋もなく、攻め入るならそこに戦力を集中させるか、空を飛んでくるしかない。

 

 現在その周囲からは一斉にメットー市民の避難が始まっており、その喧騒をよそに周囲を厳しい顔で軍の部隊が固めている。

 陸橋には三重の陣地が配置されており、物々しい雰囲気をかもし出している。

 50年前の「翼の戦い」で活躍した虎の子の空中部隊や魔導砲兵部隊などが離宮の堀ばたで待機し、上位冒険者たちは遊撃として離宮から少し離れた市街地に配置されていた。

 その中に混じっているモリィ達に、合流したQBがその辺を解説していた。

 

「見ての通りアイズナー離宮は堀に囲まれた城だ。落とすのであれば正面から攻略する必要がある」

「メットーの道路は一直線ですから隠れる場所は限定されますが、家屋に潜んで魔導兵器を撃ってきた場合はどうでしょう、マネージャー?」

「ある程度は有効だろうが、こちらには魔導砲兵部隊がある。そうなったら家屋ごと砲撃して終わりだろうな」

「余り市民の財産を損壊したくないものですが・・・戦争ですものね」

「そういうことだ――それでも安心できる状況ではないがな」

 

 顔をしかめるリアス。無感動に頷くQB。

 モリィは不愉快そうに口をへの字にするが、何も言わない。

 と、その表情が変わった。

 

「来るぞっ!」

「え? あっ!」

 

 モリィが叫ぶのと同時に彼方から尾を引く火の玉が降り注いだ。

 アイズナー離宮に炸裂すると見えたそれは離宮の上空10mほどで爆発し、轟音を轟かせ炎の花を咲かせる。

 閃光が収まったその後には無傷の建物。

 

「すげえな、ガラス一枚割れてねえぞ。あれか、ヒョウエの念動障壁みたいな・・・?」

「らしいね。ヒョウエくんもそんなことを言ってたが」

「とは言えこんなのはほんの挨拶程度だろう。本命は・・・」

 

 震動が響く。

 再び全ての人々が天を見上げた。

 

『フフフ・・・』

 

 深くて不快な声が響く。

 

「来たか」

 

 "狩人"が呟く。

 

『ハハハ・・・』

 

 声のトーンが上がる。

 サフィアが無言で上空の「それ」を睨み付けた。

 

『ハハハ! ハハハハハハハハハ!』

 

 底面いっぱいに髑髏の紋章がペイントされた巨大な銀の円盤。

 誰もが知る"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の英雄譚。

 そこに語られる悪の権化、レスタラの空中要塞。

 それが五十年の時を経て、ついにメットーの上空に現れた。



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06-27 緒戦

『今度こそメットーを焼き尽くしてくれる・・・戦闘準備! ウジ虫どもを撃滅する! 全艦・・・』

 

 司令室で髑髏の仮面をかぶった巨漢が手を上げた。

 

「全部隊に伝えろ! 安全装置解除! 全ての装備の使用を許可する! 総員・・・」

 

 離宮の指揮所。カレンが椅子に座り、彼方の空中要塞を睨む。

 そのかたわらで"狩人"が手を同様に振り上げる。

 

『「攻撃開始っ!」』

 

 両者の手が同時に振り下ろされ、一瞬遅れて空中要塞と離宮周辺から魔力光が閃いた。

 

 

 

 空中要塞の魔導砲と、離宮の魔導砲が魔力の光芒を吐き出し、叩き付け合う。

 空中要塞はその装甲で、離宮の魔導砲は防御力場で守られ、互いに有効打は出せていない。

 巻き添えを食らい、市街地にも被害が出ている。

 離宮の防御力場に頼れない外部の部隊はあるいは自前で力場を展開し、あるいはあらかじめ構築しておいた遮蔽物や大盾によって凌ぐ。

 

 空中要塞の後方の装甲が一部展開した。

 そこからパラパラと花びらのようにばらまかれたものがある。

 

「敵強化具現化術式確認!」

 

 パラシュートを開いてタンポポの綿毛のように降りてくるそれらは、しかし一騎当千の能力を持つ兵器。

 五十、百、二百・・・要塞は際限なく魔導兵士を吐き出す。

 

「撃て撃て撃て! 地上に降りてくる前に少しでも数を減らせ!」

「空中騎士団、動かせないか! 連中が空中で身動きが取れない間に数を減らすんだ!」

「馬鹿言え! こんな状況で上がれるか!」

 

 悲鳴と怒号、爆音が交差する。

 降ってくる魔力光と、逆に空に向けて駆け上がる魔力光。

 その交差する空間は破壊の光芒の豪雨。

 まともな神経で突入できる場所ではない。

 

 具現化強化術式が接地する。足のアブソーバーが展開し、膝を大きく折って着地の衝撃を和らげた。

 多少撃ち減らされながらも大半の魔導化歩兵は着陸に成功し、突撃を開始する。

 

復古軍(レスタウラツィオン)万歳!」

「いにしえの理想社会の復興を!」

 

 叫びながら実弾式魔導銃を発射し、高速で突撃してくる。

 離宮の正面陸橋を守る部隊から、お返しとばかりに同様の魔導銃や魔力強化を施された矢が放たれ、この世界ではまず見る事のできない壮絶な銃撃戦が展開される。

 防御力場の範囲外ではあるものの掩体壕や陣地によってある程度被害を防げる王国側と違い、突撃してくる復古軍側には適当な遮蔽物がない。

 家屋に侵入して攻撃を行おうとしたものもいたが、"狩人"が言ったように魔導砲部隊の一部が動き、家屋ごと吹き飛ばされた。

 それでも狂ったように突撃してくるレスタラ兵に押され、王国側にもかなりの被害が出つつある。

 

 それらを少し離れた家屋の中に潜んで見ている者達がいる。

 三人娘やサフィアたちを含む召集された上位冒険者たちだ。

 

「うわ、派手だねえ・・・」

「俺らあそこに突入させられるの?」

「安心しろ、今はまだだ。冒険者は攻撃力は高いが防御力が心許ない。投入は互いに消耗してからだ」

 

 小型の望遠鏡で戦況を確認しながら説明するのはQB。背中には巨大なクロスボウ(アーバレスト)

 紆余曲折を経て、彼はこの場の冒険者たちの臨時指揮官に任命されていた。

 

「もっとも、俺のやることは突入と撤退のタイミングを指示することだけだ。

 細かい戦術はそれぞれの(パーティ)に任せる」

「わかってるじゃないか、兄さん」

 

 ニヤリと笑ってQBの肩を叩いたのはこの中でも二箱しかいない、黒箱のリーダー。

 大剣を背負った快活そうな角刈りの大男だ。

 

「寄せ集めの集団に戦術だの何だの言ったところで対応できるわけでもあるまい。

 それが出来るなら軍隊の訓練など必要ない――ただ、突入と撤退の指示にだけは従ってくれ。

 これは戦争だ。通常の冒険者稼業とは違う。勝手な行動が全体の敗北に繋がることもあるんだ。命令に反したら最悪反逆罪に問われることも覚悟しておいて欲しい」

 

 淡々と、しかし厳しい目で周囲を見渡すQB。

 なにせ自由人である冒険者のこと、反発するような目もあったが、口に出してそれを言うものはいない。

 先ほどの大男が表情をまじめなものに変えて頷いた。

 

「QBさんよ、俺たちもその程度はわかってるさ。これが本当にヤバい状況だってことがな。だったら、多少の我慢はしようって気になるもんだ」

「我慢か。まあそれでいいさ」

 

 QBが僅かに苦笑の色を浮かべる。

 大男も表情を穏やかなものに戻して、ちらりとモリィ達のほうを見た。

 

「しかし・・・おたくら"毎日戦隊エブリンガー"だよな?」

 

 尋ねられたモリィがげんなりした顔になる。

 

「好き好んで名乗ってるわけじゃねえけどな・・・なんだよ?」

「いや、"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"はどうした? さっきまでいた気がしたが」

「? ヒョウエを知ってんのか?」

「まあ前にちょっと戦ってるのを見たことがあってな。あいつがいたら随分と頼もしいんだが・・・」

「あー。なんだっけ、郊外にゴブリンの大群が出て来たんでそっちの対応に飛んでったよ」

 

 先ほどのヒョウエの言い訳を思い出しつつモリィが説明すると、大男は溜息をついた。

 

「なんてこった。タイミングの悪い・・・いや、これもレスタラ野郎どもの仕組んだことなのか?」

「50年前のレスタラ戦役では古代の魔道具でゴブリンの群れを操ったこともあったそうですから、恐らくは」

 

 ジェット・・・"狩人"の記憶の中で読み取った事を思いだし、リアスが答える。

 

「かーっ! いやらしい真似しやがって! 高貴な血筋が聞いて呆れらあ!」

 

 頭をかき回しながら大男がぼやく。

 それには応えず、モリィが空を見上げようとして、ふと気付いた。

 

「あれ? サフィア姐さんどうしたんだ?」

「あら?」

「いらっしゃいません・・・ね?」

 

 三人娘がきょろきょろと周囲を見渡す。

 派手な格好のクライムファイターは、いつの間にか姿を消していた。

 

 

 

 壮絶な戦いは続く。

 戦力自体はほぼ拮抗しているが、王国軍にはあらかじめ構築しておいた陣地がある。

 しかし空中要塞の砲撃も離宮の魔導砲から陣地のほうに集中し、その利点も相殺されつつあった。動員された壁術師部隊が即座に修復を図るが、それでも押されつつある。

 指揮所でその様子を見てとって、カレンが"狩人"を見上げた。

 

「"狩人"。そろそろではなくて?」

「はい。ですがあの砲撃が飛び交う中では・・・」

 

 同様に空を見上げる"狩人"。

 その表情は厳しい。

 

「あそこまでとは思わなかったわね。折角金を注ぎ込んで空中戦力を揃えて来たと言うのに」

「それについては反省しきりです。50年前の空中要塞はあれほどではなかった。とは言えこのままでは・・・っ!?」

 

 "狩人"が素早く振り向いた。

 どこから取り出したのか、50センチほどの短剣を抜いている。

 視線の先には何の変哲もない伝令兵。

 だが、その顔に"狩人"は見覚えがない。

 素早く立ち上がり、"狩人"の後ろに下がったカレンが温度の下がった視線で闖入者を貫く。

 

「あなたは? レスタラの刺客かしら?」

「いえ、違います殿下・・・何をしに来た? QBの差し金か?」

 

 伝令兵が口元に笑みを浮かべ、兜を脱ぐ。

 右手の人差し指で額をなぞり、顔をもみほぐす。

 

「・・・!」

「お初にお目に掛かります、カレン殿下。ボクは緑等級冒険者、サフィア・ヴァーサイル。『白百合の騎士』とご記憶下さい」

 

 ふぁさり、と広がる肩マント。

 いつの間にか姿形を変えた元伝令兵、銀髪のクライムファイターが帽子を胸に当て、完璧な作法で一礼した。



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06-28 銀の翼

 "狩人"がサフィアを睨み付ける。

 

「それで何の用だ。今お前のいる場所は待機中の冒険者部隊のはずだろう。さっさと戻れ」

「冒険者部隊だけでは切り札にならないでしょう。空中要塞がある限り、結局は散らされておしまいだ」

 

 窓の外を指す。

 この世界ではほとんど誰も見た事のないだろう壮絶な砲撃戦。

 空中要塞の魔導砲は少しずつこちらの遮蔽物を削っていくが、王国側の砲は空中要塞の装甲の表面でむなしく四散している様に見える。

 

「空中部隊もあるのに、あれのおかげで出せていない。まあ馬の速度であそこに放り出したら、いい的にしかならないから当然ですが」

「・・・何が言いたい」

 

 "狩人"はいぶかしげに眉を寄せる。

 にやり、とサフィアが笑みを浮かべた。

 

「あるんでしょう? それを覆せる切り札。あの砲火をかいくぐれる速度を出せる装備――古代遺物"白の翼"が」

「!」

 

 カレンが目を見張る。

 "狩人"が苦虫を噛み潰したような表情になった。

 

「QBめ、ばらしやがったな・・・準最高ランクの機密だぞ」

 

 地脈を操る古代遺跡の島に現れたディグ達。メットーから丸1日はかかるはずの"迷宮と豹(ラビリンス&レパーズ)"に、一時間ほどで到着した"狩人"たち。

 "片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の局員が、しばしばあり得ない高速移動をする秘密がこれであった。

 

 英雄"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の操った同名のアーティファクトを解析し、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の術師たちが小数ながら量産に成功した伝説の魔道具のデッドコピー。

 それが彼らの使う魔道具「銀の翼」だった。

 

「こう言う状況じゃなかったらマネージャーも教えたりしなかったでしょうね。

 高価で数がないとは言え、ちょっとした部隊を編成するほどの数は十分にある。この状況なら出さない訳がない。それが出てきてないというのは――自信がないんでしょう、あの砲火をかいくぐれる自信が。

 まあ、マネージャーの受け売りですけど」

「・・・」

 

 "狩人"の表情が更に剣呑なものになっていく。

 カレンは無言で二人の様子を観察していた。

 サフィアが笑みを消して、胸に手を当てる。

 

「ボクにならできる。"競技者(オリンピアン)"は身体能力の増強に特化した仮面(ペルソナ)だ。

 これまでの砲撃で確認した。

 空中要塞の砲口がどちらに向いているか地上からでも視認できる。

 発射の前兆を捉えて、発射までの間に回避行動を取れる敏捷性もある。

 障壁力場で体を守りつつ、空中要塞内部に突入できるだけの耐久力もある。

 そして内部に入れば"学者"の仮面で構造を類推し、"剣士"の仮面で目的を達成するまで戦闘を継続できる。

 ボクにならできるんだ、"狩人(ハンター)"!」

「・・・」

「あっ」

 

 短くカレンがこぼした次の瞬間、"狩人"が爆発した。

 

「寝言を抜かすな、英雄願望の小娘が! お前青い鎧みたいな超人(スーパーマン)でもなったつもりか!」

「!?」

 

 豹変した"狩人"にサフィアが唖然とする。激情を吐き出し続ける"狩人"。

 

「それともお前如きがあいつに――"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"に匹敵するとでもほざくか!

 お前一人で何ができるっ! え、何ができると言うんだ!」

「・・・!」

 

 サフィアはダンジョン・コアの中で"狩人"の記憶を見ている。

 その正体が"白の翼"の親友ジェットであることも、親友である"白の翼"を単身向かわせそして彼が帰ってこなかった事も。

 

 サフィアの表情を見て、"狩人"もそのことに気付いたようだった。

 全身にみなぎっていた怒気が消える。

 いつもの冷静な表情と、言って聞かせるようないっそ優しげな口調。

 

「作戦を考えるのは指揮官の仕事だ。今は耐えて時間を稼げ。わかったな」

「・・・・・でもっ! それじゃ被害が広がるばかりです! このまま火力を叩きつけられ続けたら、戦線の維持だってできるかどうか分かりません!」

 

 熱の籠もったサフィアの反論でも、その冷徹の仮面を崩すことは出来ない。

 

「そんな事は貴様に言われないでもわかっている。だが貴様一人を行かせたところで犬死にだ。持ち場に戻れ。命令違反と不法侵入は見なかったことにしてやる」

「・・・」

 

 無言で"狩人"と視線をぶつけあうサフィア。

 その表情から何かを読み取ったのか、カレンが「へえ」という顔になった。

 

「・・・ボクは確かに青い鎧みたいな超人じゃありません。ひょっとしたらヒーローですらない、ただの人間です」

「だったら・・・」

「だけどっ! 超人じゃないボクにだって何かはできます! この現状を打破するために! 仲間を救うために! 行かせて下さい、"狩人"っ!」

「・・・!」

 

(今日の僕は失敗した。誰も助けられなかった。

 けど明日の僕は違うかもしれない。誰かを助けられるかも知れない。

 今日の僕は無価値だ。だが、明日の僕には価値がある)

 

 "狩人"、いやジェットの脳裏に甦る親友の言葉。

 五十年間忘れていたそれ。

 

「"狩人"! お願いします!」

「・・・」

「いいじゃない。やらせてみましょうよ、"狩人"」

「カレン様・・・」

 

 笑みを浮かべる上司をどこか所在なげに見下ろす"狩人"。

 この男とは短くない付き合いだが、それでも見た記憶のないその表情。カレンが更に笑みを深める。

 

「実際彼女の言うことは筋が通ってるわ。ファイルは見たけど、特化した状態であれば彼女の能力は黒等級にも迫る。

 "片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"にそれだけの能力を持った局員はいないわ」

「ですが」

「どのみち、にっちもさっちもいかない状況よ。賭けてみるしかないのではなくて」

「・・・」

 

 反論が思いつかず、視線を上司から女剣士に移す。

 先ほどのそれと全く変わらない、真摯な眼差し。

 純粋な熱意を燃やすその目に再び思い出すのは、かつての親友。

 

(ああ畜生)

 

 心の中だけで天を仰ぐ。

 

(わかっていたさ。どれだけ頼りなく、未熟に見えても、こいつがあいつと同じ「ヒーロー」って人種だって事は)

 

「"狩人"」

「今日のお前には価値がある、か」

「え?」

 

 良く聞き取れなかったのか、サフィアが目をしばたたかせた。

 

「なんでもない。行け。自分の言葉が駄法螺でないと証明してみせろ!」

「・・・はいっ!」

 

 

 

 指揮所に使われる建物の一階。客間であろうそこで、サフィアは"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"から「銀の翼」の取り扱いのレクチャーを受けている。

 

「なるほど、操作自体は簡単なんだね」

「はい。慣れれば思った通りに動きます。ただ機動性に関しては本人の敏捷性次第と言うところが」

「それなら得意分野だよ、任せてくれ」

「それとこちらは通信用の魔道具です。恐らく空中要塞の中に入ったら通じなくなるとは思いますが」

「ミスター・霊術師(アラタズ)のサポートが欲しいところだね」

 

 笑うサフィアに、局員が真剣な顔で頷く。

 

「ご武運を。それと"狩人"から追加の命令です」

「なんだい?」

 

 今更他に何かあっただろうか、と首をかしげるサフィア。

 局員が直立不動の姿勢になり、声を張り上げる。

 

「命令の内容は一つ・・・『生還せよ』! 以上です、白百合の騎士!」

「・・・了解っ!」

 

 破顔一笑して駆け出す。局員が敬礼でそれを見送った。

 庭を走り、いくつか設定された隙間から障壁力場の外に出る。

 玉すだれのようにパーツが展開し、その背に銀色の翼が広がった。

 浮揚の魔力が体を包み、重力の感覚が消失する。

 

「スカイ・・・ハァーイッ!」

 

 カレンが。"狩人"が。モリィ達が。QBが。

 正規軍が。レスタラの兵が。冒険者たちが。逃げ遅れた市民までもが空を見た。

 魔力光の交差する中、銀色の流星がひとすじ、空に駆け上がっていく。

 

「死ぬなよ、ヒーロー」

 

 指揮所でそれを見上げながら、"狩人"が呟いた。

 



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06-29 SKY-HIGH

「当てなくてもいい! 上に向かって撃ちまくれ! あの馬鹿を死なせるな!」

『サー、イエッサー!』

 

 "狩人"が通信用の魔道具に叫んでいる。

 カレンはただじっと地上から天空に駆け上がる銀の流星を凝視している。

 地上の戦闘はいよいよ激しい。

 

 

 

 一瞬だったようにも思えるし、一生ほどの長さだったようにも思える。

 高速化した視界の中で光芒が交錯する。

 地上の魔導砲から撃ち上げられた魔力光がすーっと、低空飛行するツバメくらいの速度で脇を通り抜けていくのがわかった。

 

 正直なところ魔力砲火の密度自体はそこまで大した事はない。

 あくまで要塞や戦艦同士の大口径砲の撃ち合いであり、人間や高速飛行物体相手の対空砲火ではないからだ。

 それでも大砲同士の撃ち合いであることに変わりはない。

 直撃どころか、かすっただけでも死ぬ。

 「銀の翼」の制御と空中要塞の砲塔だけに全神経を割り振り、サフィアは飛ぶ。

 

(来たっ)

 

 砲塔が動いた。

 翼をごく僅かにひねり、スピードを落とさないまま軌道を変える。

 次の瞬間、魔力砲撃の光芒がたった今までいた場所を通り過ぎていく。

 空中要塞の全ての砲門を常時観察し、自分の方に向いたと思った瞬間に回避機動を取る。

 地上と空中要塞の中間点に達するまで、それで三回の砲撃をかわした。

 

 そこで空中要塞の砲手たちはサフィアの存在に気付いたようだった。

 複数の砲台がサフィアの方を向き、砲口が魔力光を帯び始める。

 中には砲撃ではなく対空砲火用の小型砲台もあった。

 

「ひえっ!」

 

 軽く悲鳴を上げてランダム軌道を取る。

 複数の魔力光がサフィアを狙って放たれる。

 いくつかは至近弾になり、「銀の翼」の力場障壁を点滅させる。

 対空砲火の小規模な魔力弾がいくつか直撃し、力場の上からサフィアを揺らした。

 

 再現したとは言え所詮はデッドコピー、あらゆる面で"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の使っていたオリジナルには及ばない。

 魔力砲撃の余波だけでも連続して受ければ機能停止に陥りかねなかった。

 

「南無三!」

 

 全力で回避機動を取りつつ、それでも可能な限りの速度で接近を試みる。

 長いようで短い、無限の一瞬。

 十数本の火線をかわしきり、空中要塞の表面に肉薄する。

 接近してしまえば、もう砲台はサフィアを撃てない。

 

「こう・・・」

 

 かつての"白の翼"のように自分を覆うように翼を閉じ、力場障壁の密度を上げる。

 銃弾のような尖った形の先端に障壁を集中させつつ、サフィアは凄まじい破砕音と共にメンテナンス用ハッチに突入した。

 

 

 

「あいててて・・・」

 

 警報が鳴っている。

 周囲には破片。

 ゴウゴウと空気が耳元で叫んでいる。

 

 体中の痛みをこらえつつ、サフィアは体を起こした。

 メンテナンス用の狭い通路。

 狂ったように赤いランプが点滅している。

 

 自分の体と「銀の翼」に目立った損傷がないことを確認して、魔道具の翼を畳む。

 翼は玉すだれのようにするするとパーツを重ね合わせ、動きに支障のないサイズまで折りたたまれた。

 

「結構重いけど・・・仕事の後で飛び降りるわけにもいかないしね」

 

 腰に吊したいくつかの魔道具を確認して額を指でなぞる。

 

「"学者(スカラー)"」

 

 拡大された知性と記憶力が、脳の奥底に沈んだ知識を引っ張り出して有機的に結合させる作業を開始する。

 

「"白の翼"の落としたそれとは少し違うみたいだけど、基本的には同じ構造・・・だとしたら動力室はここ、司令室も恐らくここ・・・」

 

 50年前に王室付きの学者たちが推測した内部構造図を思い出しつつ、自分が今いる場所と重要なポイントを重ねていく。

 通路の向こうから多数の人間の靴音が聞こえて来た。

 

「よし! それじゃあ命令を果たすとしようかな」

 

 素早く指で額をなぞると、サフィアは猛然と走り始めた。

 

 

 

 

 空中要塞"黒伯爵(シュバルツ・グラーフ)"の司令室。

 魔法の世界にそぐわないSF的な、宇宙船の艦橋のような場所。

 一段高い司令席にしつらえられた玉座に、鋼鉄の甲冑をまとった巨漢――髑髏王(トーテンコプフ)が座していた。

 

「入り込んだネズミはどうした。まだ始末は付けられんのか」

「そ、それが未だに発見できず・・・センサーにも反応が」

「馬鹿者!」

 

 雷のような声が響いた。

 報告したレスタラ構成員が直立不動で震え上がる。

 

「何故すぐに報告せん! 全艦の障壁を下げろ! 閉じ込めるのだ!

 単身飛び込んできたのだ、姿を隠す手の一つや二つは用意していてもおかしくはなかろうが!

 見つけられずとも、物理的に移動を阻害すれば・・・」

 

 司令室に鈍い震動が走った。

 コンソールのパネルが一斉に赤く点灯し、緊急事態を告げる。

 

「遅かったか。無能どもめ」

 

 苦々しげな口調で髑髏王が吐き捨てる。

 

「と、髑髏王(トーテンコプフ)陛下! エンジンがやられました!

 砲撃を継続すれば数分でエネルギーを使い切って墜落、砲撃を中止しても20分はもちません!」

「むう・・・」

 

 髑髏王がわずかに考え込む。

 命令を下そうとしたところで、司令室の扉が音もなく左右に開いた。

 

「伝令か・・・うん?」

 

 扉の左右に立っていた兵士がいぶかしげな顔になる。

 扉の外には誰もいなかった。

 その場に立っていた兵士より早く、髑髏王が叫ぶ。

 

「馬鹿者! 敵だ!」

 

 きょとんとした顔で振り返る兵士達の間に、突然サフィアの姿が現れた。

 その手には既に剣。

 

「ぎゃっ!」

「ぐわっ!?」

 

 肩と太ももを刺され、信じられないと言った顔で兵士達が倒れた。

 司令室にいたオペレーターたちが騒然と立ち上がる中、悠然と玉座から彼女を見下ろす髑髏王。

 一振りして血のしずくを払い、レイピアの切っ先を髑髏王に向ける。

 

「我が名はサフィア・ヴァーサイル! ディテク王国緑等級冒険者にして"犯罪と戦うもの(クライムファイター)"! 人呼んで『白百合の騎士』! 髑髏王、お前の野望もここまでだ!」

 

 凜とした声。

 オペレーターたちが気圧されて身をこわばらせる。

 その声にまるで動じることもなく。

 鋼鉄の甲冑をまとった巨漢が玉座から身を起こした。

 



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06-30 髑髏王(トーテンコプフ)

「もう諦めて降伏しろ! 艦内の手下はほとんど無力化した! 今頃は隔壁に閉じ込められて右往左往しているだろうさ!」

 

 降伏勧告をするサフィアに一瞥をくれた後、髑髏王(トーテンコプフ)は軋むような声でオペレーターたちに指令を下す。

 

「砲撃は使用エネルギーを半分にして継続。その後脱出準備をせよ。脱出後自動操縦で離宮にぶつけるようにセット。

 ヒーローを名乗る小娘はこのわしが自ら誅戮してくれよう」

「は・・・ハッ!」

「・・・!」

 

 ゆっくりと階段を下りる髑髏王。

 怒りの色を強めるサフィアの視線を、正面から見返す。

 

「降伏しろと言ったのが聞こえなかったか? 随分耳が遠いんだな。まあ本物ならよぼよぼの老人だし、しょうがないか」

「そう言うセリフは私を倒してから言う事だ。このまま行けば地上のお前の仲間が全滅するのも遠い事ではあるまい?」

 

 ちらりとモニターに視線を動かす。

 映像の中では、王国軍とレスタラの兵が互いに火力を叩き付け合い、壮絶な殲滅戦を演じていた。

 簡易ながら遮蔽に籠もり、さらに並の板金鎧を越える防御力を持つ具現化強化術式(パワードスーツ)を装着していながら、王国の精鋭達が次々と倒れていく。

 レスタラの兵達にもかなりの損害が出ていたが、装備の質と狂信的な士気の高さが攻撃側である不利を補っている。

 だがそれでも、白百合の騎士は胸を張る。

 

「そうはさせない! ボクがここでお前を倒し、捕縛する! 地上部隊も救う!」

「くっ・・・はは、ははははは!」

 

 髑髏王が失笑し、それが哄笑に変わる。

 

「捕縛! はは、捕縛か! 甘い事だ。それが下等な人間の限界だな。

 感情などと言う物に振り回されるから、甘さを露呈する!」

「たわごとを!」

「事実だ! 青い鎧は間に合わない! お前達はここで全滅する! それが全てだ!」

「そんな事はない! ボク達は生き残るし、青い鎧はきっと間に合う! 何故なら・・・あの人は本物のヒーローだからだ!」

「ははは! ははははははは!」

 

 再びの髑髏王の哄笑。階段を下りきってフロアに立つ。

 

「よかろう! ならばその幻想にすがりながら死んでゆけ!」

「幻想かどうかはすぐに分かるっ!」

 

 腰に差した剣を抜くこともなく、髑髏王が拳を構える。

 同時にサフィアが駆け出した。

 

 

 

 火花が散る。

 短く軽い金属音が連続する。

 

「ふははははは、軽い、軽いなあ。貴様の意地はその程度のものか、小娘!」

「くっ」

 

 サフィアが飛びすさる。

 両者はひとしきり、最初の攻防を終えていた。

 

 

 

 素手の髑髏王とレイピアを構えたサフィア。

 2mに届こうかという巨体ではあるが、それでもリーチはサフィアの方が長い。先手は彼女が取った。

 

 髑髏王は古風な、古代王国風の全身甲冑。

 ウィナー伯爵の装着していた『真紅の衣(クリムゾン・ガーブ)』に近い、SF的な装甲服やパワードスーツに近い印象のそれだ。

 それでも関節部分は金属板ではなく、自由に変形する樹脂状のもので覆われている。

 

(そこをっ!)

 

 閃光のような刺突(ファーント)

 髑髏王も鈍くはないが、緑等級、しかも"剣士"の仮面(ペルソナ)を付けたサフィアの方がスピードでは一枚上手だ。

 

「!?」

 

 しかし一瞬後、サフィアの表情が驚愕に彩られる。

 ほとんど同時に振るわれた丸太のような腕をかわして、別の箇所を連続攻撃。

 

 火花が散る。

 短く軽い金属音が連続する。

 

 攻撃はいずれも弾かれていた。

 軽い細剣とは言え、魔法強化の施された業物であるのにだ。

 

「ふははははは!」

 

 暴風のように腕を振り回す髑髏王。当たれば一撃でKO、下手をすれば頭が吹っ飛ぶだろうことを確信させる、轟々という風切り音。

 連続攻撃を何とかかわしてサフィアが飛びすさる。

 間合いを外して、仕切り直しだ。

 

 

 

「隔壁開け!」

「総員脱出準備!」

「予備エンジン回せ! 焼き付いても構わん! 十分もてばいい!」

 

 コンソールを操作する機械音と命令を伝達する声が響く。

 半身でレイピアを構えるサフィアと、拳闘の構え(ファイティングポーズ)を取る髑髏王。

 

「・・・」

「・・・」

「!」

「っ!」

 

 今度動いたのは髑髏王の方だった。

 重い全身甲冑を身につけているとは思えない速さ。

 単純に速度だけなら恐らくはサフィアを上回る。

 

(やはり具現化強化術式の類か・・・っ!?)

 

 空気を引き裂く嵐のようなコンビネーションブロウ。

 それを紙一重でかわし、時にはカウンターの突き返し(リポスト)を送り込む。

 反撃は――仮面の目を狙ってさえ――やはり火花を散らすだけだったが、それでもわかったことがある。

 

(こいつ、技量はそこまでじゃない!)

 

 敏捷性・速度自体は間違いなくサフィアより上だ。

 だがサフィアに比べれば動きに無駄が多い。その速度を最大限に生かし切れていない。

 回避し続けるのはたやすいとは言わないでも出来ないことではなかった。

 だが。

 

「この、ちょこまかと!」

「鬼さんこちら、ここまでおいで!」

 

 冷や汗を一筋垂らしながらも、ひらりひらりとかわし続けるサフィア。

 

「遅い、遅いね! 拳にハエが・・・」

「死ねっ!」

「っ!」

 

 怒りが速度を倍加させたか、今までで一番鋭い一撃が来た。

 それでもかすっただけでかわす・・・が、凄まじい破砕音が響いた。

 

「・・・化け物かい、キミは。いや、その拳か腕輪かな?」

 

 髑髏王から少し意外そうな気配が放たれた。

 

「ほう。存外鋭い目をしている。まあ一人で乗り込んできただけはあると褒めておこうか。

 その通り、これは真なる魔法文明の遺産よ。それを受け継いだ我らが貴様ら如き下等人種に負けるわけがないのだ」

 

 壁から拳を引き抜いて、髑髏王が振り向く。

 拳の打撃痕を中心として崩れ落ちた壁には、2m近いクレーターが出来ていた。

 

 

 

 嵐のような髑髏王の連続攻撃。

 サフィアの剣では自分の防御を貫けないと理解した髑髏王は防御を度外視して、捨て身の攻撃を打ち込んでくる。

 その嵐のような攻撃をひたすらかわす。

 

(ここは耐える・・・耐えて、好機を待つ!)

 

 高速の、絶え間ない連続攻撃。

 動きは鈍らず、疲労も感じさせない。

 それでも待つ。

 

 何度かまぐれ当たりが体をかすめる。

 そのたびに体に走る電流。

 冷や汗を滝のように流しつつ、それでも待つ。

 

「ふはははは! 気の利いた反撃もできんか、小娘!」

「(・・・まだだ!)」

 

 更に数合の攻防。

 苛立ったのか、僅かに大振りになる拳。

 髪の毛一本ほどのチャンス。

 

「ぬっ?!」

 

 剣を捨て、懐に飛び込んだ。

 こめかみを髑髏王のガントレットがかすり、僅かに血が飛び散る。

 

 腕を取る。

 腰で相手を背負う。

 足を払う。

 その三動作を同時に、完璧にタイミングを同期させて力の流れを操作する。

 

「ぬおおおおおおおおっ!?」

 

 髑髏王の巨体が反転した。

 山嵐。

 小兵が巨漢を投げる技。

 伝説的な柔道の達人・西郷四郎が得意とし「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」とまで言わしめた必殺技。

 

 サフィアの山嵐も西郷のつま先程度には届いたであろうか。

 真っ逆さまに落ちた髑髏王の頭部が樹脂状の床に突き刺さり、先ほどの壁に勝るとも劣らない破砕音が司令室に響いた。



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06-31 髑髏王の正体

 逆落としに叩き付けられた髑髏王(トーテンコプフ)

 その頭のあたりからボギッ、と不吉な音がした。

 サフィアがいやな予感を覚える間もなく、ごろごろと重い音を響かせて何かが転がる。

 

「え・・・?」

 

 髑髏王の頭だった。中身入り。

 

「わーっ!?」

「「「「「わーっ!!??!?!??!」」」」」

 

 司令室に残っていたレスタラの士官たちと、サフィアの悲鳴がハモる。

 

「と、髑髏王(トーテンコプフ)様の首がもげたー!?」

「陛下がヒーローに殺られた!」

「退却だ! 退却しろー!」

「ちょ、ちょっと待ってこれは何かの間違い・・・」

「逃げろ! 俺達もやられるぞ!」

 

 サフィアが必死で無実を訴えるも、恐慌に陥った彼らは聞く耳を持たない。

 あっけなく士気を崩壊させ、蜘蛛の子を散らすように司令室から姿を消した。

 

「あ・・・ああああ・・・・・」

 

 呆然と、開きっぱなしの扉を見つめるサフィア。

 伸ばした左手がむなしく宙をさまよっている。

 

『フハハハハハ、愚かな奴らだ。わしが死んだなどと、いつ言った?』

「う、うわああああああ!?」

 

 司令室に――首がもげて死んだはずの――髑髏王の声が響いた。

 思わず数歩も後ずさるサフィアの視線の先で、地面に転がった髑髏王の頭が愉快そうに身を――体はないからそう言うのもなんだが――震わせている。

 

『フハハハハ、愉快愉快。貴様のその顔で多少なりとも溜飲が下がろうと言うものよ』

「く、首が喋って・・・」

 

 そこでハッと気付く。

 

「そうか! 妙に体重が重いし動きも変だと思ったら・・・オマエ、髑髏王じゃなくて替え玉の魔法人形か何かか!」

『ようやく気付きおったか、愚物が。何故わし自らがお前達の前に立つ必要がある? 貴様らの相手など、デク人形で十分よ』

 

 哄笑が響く。

 

「!」

 

 "探偵"の仮面がその声に含まれた成分を読み取り、一つの直感を導いた。

 

『だが、単身で空中戦艦を落としたその実力・・・やはり認めぬ訳には行くまい。

 その艦はくれてやろう・・・・貴様の棺としてな!』

 

 

 

 空中要塞が爆発した。

 敵も味方も一瞬動きが止まる。

 

「ああっ!?」

 

 王国兵士が悲鳴を上げる。

 

「・・・!?」

 

 レスタラの魔導化兵達が愕然と後ろを振り返る。

 

「・・・・・・・・・!」

 

 折れるほどに、カレンが扇を握りしめ。

 

「白百合の騎士ッ!」

 

 "狩人"が絶叫した。

 

 

 

『うろたえるな、わが復古軍(レスタウラツィオン)の精鋭達よ』

「陛下だ!」

「髑髏王様の声だ!」

 

 どこからか戦場に響く機械音声。

 指導者の声にレスタラの兵達が沸く。

 

『空中戦艦が落ちたとは言え、私は健在である! だがヒーロー気取りの小娘は死んだ! 諸君、勝利まで後一歩だ!』

 

 レスタラ兵達の間から歓声が上がる。

 

番人(ワーデン)を出せ!』

「はっ!」

 

 髑髏王の命令に従い、先ほど空中戦艦から投下されていた10個ほどのコンテナが展開する。

 ざわり、と王国陣営に動揺が走った。

 

 開いた箱の中から立ち上がってきたのは盾と剣を構えたマッシブな魔導甲冑。

 ただし、その身長は4mにも達する。

 

「て、てぇーっ!」

 

 空中要塞に火線を集中していた魔導砲部隊が目標を変更し、巨大魔導甲冑に一斉に発砲する。

 まばゆい光芒が数体の『番人(ワーデン)』に集中し、魔力光が弾けた。

 

「・・・っ・・・」

 

 砲兵達が絶句する。

 家屋を一撃で破壊する魔導砲の直撃を受けながら、『番人(ワーデン)』には傷一つなかった。

 隊伍を組んで前進する『番人(ワーデン)』。

 魔導砲に加えて強化具現化術式部隊も火力を集中させるが、魔導砲の火力で抜けない装甲を手持ちの火器で抜けるわけがない。魔導砲の直撃で時折揺らぎはするものの、具現化術式部隊の攻撃は雨粒ほどにも効いていない。

 

「!」

 

 レスタラの魔導兵たちが並ぶ前線にまでやってきたそれの、盾の表面が左右に展開する。

 装甲板の下から現れたのは50センチほどの青い宝珠。

 

「! 壁術師、全力で壁を強化しろ!」

 

 前線指揮官の悲鳴のような声。

 それに一呼吸遅れて青い宝珠が赤く染まったかと思うと、紅蓮の炎を吹きだした。

 

「うわーっ?!」

「ぎゃあああああああああああああああああああああ」

 

 炎のように見えるだけで、恐らくは通常の火炎ではないだろう。

 岩をも燃やす魔法の炎。

 壁術師たちの術の発動が間に合った範囲の部隊は何とか生き延びたが、そうでなかったものたちは障壁ごと焼かれた。

 生きたまま焼かれる人間の悲鳴が響き、肉の焼ける臭いが充満する。

 

「撃て! 撃て撃て撃て撃て!」

 

 魔導砲部隊が砲撃を集中し、さすがの『番人(ワーデン)』も体勢が揺らぐ。

 それでもエネルギーを放出して青に戻った宝珠が少しずつ赤く染まっていく。

 

「壁術師、魔力が尽きるまで壁を作れっ!」

 

 がくり、と壁術師の一人が倒れた。

 魔力の練りすぎで体力を使い尽くしたのだ。

 魔炎に灼かれて崩れた障壁の穴から見える、真っ赤になった宝珠。

 

「――――!」

 

 真紅に染まった宝珠が再び魔炎を発しようとした瞬間。

 『番人(ワーデン)』の頭部が爆発した。

 

 首のなくなった『番人(ワーデン)』がぐらりと傾き、倒れる。

 その前に立つ華麗な影一つ。

 

「白百合の騎士・・・」

「白百合の騎士・・・!」

「白百合の騎士っ!」

 

 銀の翼を広げ、剣を構えた男装の麗人。

 緑等級冒険者、《白百合の騎士》サフィア・ヴァーサイルがそこにいた。



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06-32 ヒーローの素質

 王国兵から歓声が沸く。

 元よりサフィアの、「白百合の騎士」の名前は広く市民に知られている。

 それが今、伝説の英雄の如くそこに立っていた。

 

 歓声の中、倒れた『番人(ワーデン)』の向かって左隣にいた同型機が動いた。

 剣を振り上げ、鋭く振り下ろす。

 サフィアの――緑等級冒険者の基準で見ても素早く、鋭い振り。

 だがその剣が石畳を深く切り裂いたとき、既に男装の麗人の姿はそこにはなかった。

 

「――おお!」

「見ろ!」

「あれは・・・!」

 

 銀の翼を広げ、空に舞う美貌の剣士。

 それはまるで、五十年前の戦役の英雄のようで。

 

「白の翼――」

「白の翼!」

 

 翼を広げたサフィアが急降下する。

 巨人は剣を切り上げようとするが間に合わない。

 右肩のあたりをかすめるように、サフィアが飛んだ。

 一瞬の閃き。

 

「・・・!」

 

 遅れて巨人の右腕が、肩からすっぱりと切断されてゆっくりと地上に落ちていく。

 あり得ない光景に王国軍からは歓声が、レスタラの兵達からは驚愕の声が上がる。

 等級が上がるほど身体能力も上昇するとは言え、サフィアは緑等級止まり。

 金等級や「青い鎧」ならいざしらず、細身の女性、それも刺突用のレイピアで巨大魔導甲冑の肩を落とせるわけがない。

 

(本当に凄いなこれは)

 

 その手品の種は、脱出のついでに髑髏王(トーテンコプフ)の身代わり人形から奪ってきた左右一対の腕輪だ。

 拳、ないし武器の表面に力場障壁(フォースフィールド)を形成し、破壊力を大幅に上昇させる古代遺物(アーティファクト)

 力場の刃をまとった細剣は、古代の技術で作られた魔導甲冑であろうとも、関節部であれば一刀両断出来るだけの威力があった。斬撃に向いていなくとも、魔法強化されたレイピアが力場の剣の芯鉄(しんがね)として優秀だったのもある。

 

 一瞬だけ振り向いてそんなことを考えていたために、反応が遅れた。

 

(しまった!)

 

 動いていたのは向かって左側の一体だけではなかった。その更に左にいた一体が、急降下して隣の一体の肩をかすめたサフィアにすくい上げるような一刀。

 オリジナルの「白の翼」ならまだしも、レプリカでは既にかわせないタイミング。

 

(この連携、こいつら髑髏王より技量は高いな)

 

 そんなのんきな考えが脳の片隅をよぎるが、スルーしてそれでも何とか直撃は避けようとする。

 

(片翼は持って行かれるか)

 

 覚悟して衝撃に備えたとき、巨人がぐらりと揺れた。

 片膝を折り、体勢が崩れる。

 それでぶれた剣の軌道をかろうじて回避し、サフィアが舞い上がる。

 その目に映ったのは巨人の左膝の裏、突き刺さる一本の巨大な太矢(クォレル)

 喉元の通信魔道具から、無愛想な、しかし安堵を感じさせる声が聞こえてくる。

 

『良く戻ってきた。だが乱戦では周囲に気を払えと、しつこく言ったはずだがな』

「マネージャー!」

 

 300m程離れた建物の窓にQBの姿があった。手にしているのは2m近い巨大弩(アーバレスト)

 その巨大弩で正確に関節の裏を射貫き、サフィアを救ったのだ。

 またしても歓声が上がる。

 

「白百合の騎士!」

「白の翼!」

「サフィア・ヴァーサイル! 我らがヒーロー!」

 

 先ほどまでひたすら耐えていた王国兵達が、天をつくばかりに気を吐く。

 逆に熱狂的な士気を維持していたレスタラ兵達が、僅かながらうろたえている。

 

「俺達も忘れるなよっ!」

 

 そして新たに戦場に飛び込んできたのは角刈りの大男。身長と同じくらいの大剣を振り下ろし、向かって左端にいた『番人(ワーデン)』の二の腕を半ばまで断ち割る。

 モリィ達と会話していた黒等級パーティのリーダー。恐らくはディテク最強の冒険者の一人。

 その後にパーティメンバーたちも続く。

 

「うおおおおおおおおおおお!」

「おあああああああああああああああああ!」

 

 もちろん彼らだけではない。

 もう一つの黒箱(トップパーティ)、そして緑等級冒険者たち。

 その誰もが吼えている。叫んでいる。武器を掲げ、高らかに雄叫び(ウォークライ)を上げている。

 剣が唸り、斧が猛り、魔法と矢が飛来する。

 支援魔法が(パーティ)の枠を越えてばらまかれ、壁術師たちが新たな障壁を生み出す。

 ナパティの火神の炎が巨人の装甲を融解させ、宝玉から放たれる魔の炎をハッシャの猛烈な風が吹き飛ばす。

 

「・・・馬鹿な!たかが一人が生還しただけでここまで・・・!」

 

 レスタラの前線指揮官が呆然と呟く。

 

「ここまで・・・変わるものなのね。士気というのは」

 

 同じようにどこか呆然としながらカレンが呟いた。

 "狩人"は無言で通信用魔道具を取り出す。繋げる先はかつての部下。

 

「QB」

『はい、閣下』

「あの小娘には・・・サフィア・ヴァーサイルには何かあるのか? 人を奮い立たせるような《加護》か何かが」

『そんなものあるわけないじゃないですか』

 

 即答。一瞬、さすがの"狩人"が鼻白むほどのきっぱりとした断言。

 

『ですが・・・』

「ですが?」

『あいつにはあるんですよ。魔法や《加護》ではないにしろ、それに匹敵するような何かが』

 

 また沈黙。

 "狩人"の視線は戦場に据え付けられたまま。

 空を自在に駆け回る白百合の騎士、そしてそれに率いられるように猛然と反撃する王国軍と冒険者たち。

 

「どうやらそのようだな・・・《加護》とはまた別の、英雄(ヒーロー)の素質ってわけか」

『わかりません。ですが俺はそう言う何かがあいつにはあると思っています』

「・・・」

 

 一瞬"狩人"が目を閉じた。まぶたの裏によぎるのは、昔日の友の面影か。

 その顔に浮かぶのは獰猛な笑み。

 

「まあいい、そのへんは後でゆっくり考えればいいさ」

 

 スイッチを切り替え、通信先を戦場全体に響く広域放送に設定する。

 

「総員に告ぐ! 白百合の騎士は使命を果たして生還した!

 今度は『俺』たちが仕事をこなす番だ! もう一度踏ん張れ、野郎ども!」

 

 口調の変化に目を丸くするカレンを無視して、今だけジェットに戻った"狩人"が通信を終えた。

 

 

 

「YEEEHAAAAAAAAAA!」

「王国万歳! 白百合の騎士万歳! 奴らのケツに真っ赤に焼けた鉄の棒をブチ込んでやれ!」

「ファックしてやるぜ、ベイヴィィィィィ!!」

「ヒャッハー! 射精しそうだぜ!」

「まだイキ足りねぇだろう!? ぶっといイチモツをブチ込んでやるぜぇぇぇぇ!」

 

 先ほどまでのレスタラ兵達にも負けず劣らず、熱狂的に高揚する兵士と冒険者たち。

 サフィアやリアスを始めとして、まともな羞恥心を持つ女性陣が顔を赤らめている。

 

「げ、下品だなぁ、もう!」

『諦めろ。軍隊なんてあんなもんだ』

 

 通信魔道具から、QBの素っ気ない声が響いた。



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06-33 鉄腕の黒騎士

「っ!」

 

 力場の剣(フォースソード)で右腕を落とした『番人(ワーデン)』を仕留め、三体目に飛びかかろうとしたところでサフィアは咄嗟に回避機動を取る。

 直後、首筋をかすめて光線が飛来した。

 

「なんとぉーっ!」

 

 連続して照射される魔力光を舞うように回避していく。

 数発が「銀の翼」の力場障壁にかすって火花を上げた。

 

 光線の連射がやむ。

 きっ、と空中を睨むサフィアの視線の先、黒い魔導甲冑をまとったレスタラの兵士がいた。

 両肩と両足に特徴的な盛り上がりがあり、背中に二つ並んだ流線型の筒から火を吐き出して空中に浮かんでいる。

 レスタラ側でも貴重な飛行型魔導甲冑と光線型魔導兵装を装備していることからしても、レスタラの中でも上位に位置する強者と知れる。

 

「・・・」

「・・・」

 

 僅かな時間、空中でにらみ合う。

 沈黙を破ったのはレスタラ兵の方だった。

 

「白百合の騎士だったか、まずは見事と褒めておこう」

 

 意外に歳のいった声であった。

 恐らく老人と言っていい年齢だろう。

 

(・・・? どこかで・・・)

 

 既視感を覚えて眉を寄せるサフィアをよそに、老兵士は言葉を続ける。

 

「我は復古軍(レスタウラツィオン)随一の勇者、ローター・フォン・ベルヒリンゲン! 人呼んで《鉄人》ローター!」

「・・・あっ!」

 

 サフィアが目を見開いた。

 歳を取ってはいるがこの声、そして両腕と両足の奇妙な盛り上がりに覚えがあった。

 トラル・シティ郊外で"白の翼"たちが超長距離砲ノイエ・ヨルカーを破壊したとき、ジェットの前に立ちふさがった機械化兵士。

 金等級冒険者である彼を苦もなく捉え、地面に叩き付けた男。

 両手両足を古代の魔導義肢に置き換えた超人騎士だ。

 

「貴殿に恨みはないが、これも理想社会建設のため! わしのケツを舐めろ、小娘!」

「下品っ!」

 

 《鉄人》ローターが2m近い大剣を抜き、斬りかかってくる。その刀身にはサフィアと同じ力場障壁。

 僅かに頬を染めつつ、サフィアも応じる。

 力場の刃がぶつかり合い、耳障りな音を立てた。

 

 

 

 壮絶な戦いは続く。

 魔導兵器の撃ち合いに加えて、巨人兵器とディテクトップクラスの冒険者たちが投入された戦場はますます混沌の度合いを深めていた。

 

「くそっ! たかが小娘一人が! あいつのせいで勢いを止められた!」

「うろたえるんじゃあないっ! 復古軍はうろたえないっ! あんなものは一時的な狂奔に過ぎん!

 それに今ローター様があの小娘を倒し、突破口をこじ開けてくれるっ!」

 

 自らに言い聞かせるようにレスタラ兵達が叫ぶ。

 その上空では、余人の届かない剣戟が繰り広げられていた。

 

 銀の翼を広げた白百合の騎士、サフィア。

 背中から炎を吐く、黒き鉄人ローター。

 

「やるな小娘! 本当に緑等級か、おまえは!? 昔やり合った金等級と比べても見劣りせんぞ! いや、むしろあの小僧より上か!」

「ギルドの、審査は、中々厳しくって、ね!」

 

 巨大な大剣を指揮棒か何かのように振り回すローター。

 速度と技量ではサフィアも負けていないが、パワーが、そして質量が圧倒的に違う。

 互いに力場の刃、そしていくらしなやかで頑丈な魔法強化剣と言えども針のような細剣(レイピア)に過ぎない。

 正面から当たれば、無惨に折れる事は必定。

 

 本来なら勝負にもならない。

 レイピアは軽すぎてグレートソードの一撃を受け止められない。

 グレートソードは重すぎてレイピアの攻撃を防げない。

 だがサフィアにはレイピアでグレートソードをさばくだけの超人的技量があり。

 ローターにはグレートソードでレイピアについていけるだけの速度があった。

 

 本来あり得ないはずの疾風の速剣と鉄塊の剛剣の剣戟。

 それが今、この場に限っては成立している。

 

 閃光の如き連続刺突。更にそこからの斬撃。

 最小限の無駄のない動きと、巨大武器とは思えない速度がそれを防ぎ止める。

 反撃の一太刀が振るわれる前に、銀の翼が間合いをとった。

 

 山をも断ち割る剛剣の一撃。

 細剣がその刀身にそっと添えられ、必要最小限、攻撃を避けるのに十分なだけ軌道を逸らす。

 だが間髪をおかず、黒騎士は下から切り返した。

 重力を無視して跳ね上がるそれは、脇の下からサフィアの体を切り裂かんばかりだったが、今度はローターの方が間合いを外す。

 

「ちっ、油断も隙もない」

「そっちこそ」

 

 レイピアを胸元に引き付けて刺突の構えで笑うサフィア。ローターの声にも笑いの気配がある。

 あの一瞬、サフィアはカウンターの突き返し(リポスト)を狙っていた。

 ローターが斬撃を止めていなければ、綺麗に決まっていただろう。

 剣戟は、互角。

 

「やむをえんな。こうなれば本気を出すしかあるまい」

「ハッタリをかましてくれるじゃないか。ボクの"学者(スカラー)"はキミの使ってるタイプの義肢の性能は現状がほぼ上限だと言ってるぜ」

「ほほう」

 

 感心したようなローターの声。

 

「その剣技にしてその知識、大したものよ。

 だが自分の知識だけで決めつけるのは若い者の悪い癖だ。復古軍(レスタウラツィオン)の技術陣は古代遺産の更なる力を引き出す業をものにしておる――このようになっ!」

 

 その瞬間、魔導甲冑――その様に見える古代遺物の魔導義肢――の両腕と両足の部分が大きく膨らみ、余剰魔力を肩と太ももから噴出させる。

 展開した装甲の隙間から、みなぎる魔力が流れる様が見えた。

 

「え、ちょっと、待って」

「待てんな」

 

 にやり、と笑う気配。

 同時に速度の倍加した剛剣がサフィアに襲いかかって来た。

 

 

 

 そこからは防戦一方になった。

 レイピアと同じ速度で振るわれるグレートソードを必死に、ひたすらにさばき、回避する。

 剣の帯びる力場がぶつかり合い、火花を散らす。

 銀の翼の帯びる力場障壁に何度も斬撃がかすった。

 サフィアの体にも。

 

 体と、銀の翼に少しずつ傷が増えていく。

 血しぶきが何度も舞った。

 落ちてくる血に、両軍の兵士達が上空を見上げる。

 

「白百合の騎士!」

「サフィア・ヴァーサイル!」

 

 悲鳴のような兵の声が響く中、ローターが間合いをとって大きく息をついた。

 その声に感嘆の色がある。

 

「これでも倒れぬか。その技量、意志力・・・見事なものよ」

「・・・褒めて貰ってなんだけど、ボクの意志力なんかそんなに大したものじゃないさ」

「ほう。では、その今にも倒れそうな体を支えているのはなんだ? 並の人間なら疲労と失血で気絶していてもおかしくなかろうに」

 

 フッ、とサフィアが血まみれの顔に気負いのない笑みを浮かべる。

 

「大した事じゃない・・・本当に大した事じゃないんだ。ただ・・・」

「白百合の騎士!」

「倒れるな!」

「がんばってくれ!」

 

 いつの間にか戦場全体から聞こえる応援の声。

 その声を背に笑みを大きくする。

 

「声援が有る限り・・・見ている人がいる限り・・・ボクは絶対に倒れる訳にはいかない。それだけなのさ。本当に」

「なるほど。それがヒーローであると言うことか」

「さあね。案外口だけかも知れないよ?」

 

 笑みをいたずらっぽいものに変えるサフィアに、ローターはあくまで真剣な声で頷く。

 

「謙遜する事はない。その強さ、称賛に値する。紛れもなく貴殿は敬意を払うべき強敵よ」

「そりゃどうも。悪党に言われてもいまいち嬉しくはないけどね」

「それは残念。最大級の賛辞だったのだがな。だがそういう事であれば――」

 

 黒騎士ローターが大剣を顔の前に立てて構える。

 サフィアもまた、レイピアを顔の前に立てて構える。

 尊敬すべき敵に対する礼のしるし。

 

「――剣で語るとしよう!」

「来いっ!」

 

 再び剣戟が始まった。




知ってる人も多いでしょうが、フォン・ベルヒリンゲンの元ネタは義手の騎士、盗賊騎士として有名な「鉄腕ゲッツ」ことゴトフリート・フォン・ベルヒリンゲンです。
ベルセルクのガッツのモデルでもあるのでそっちで知ってる人もいるかも。
モーツァルトが作曲し、小林源文先生の黒騎士で有名な「俺のケツを舐めろ」というセリフも、元ネタはこの人の自伝だったりします。

名前のローターはドイツの殿堂入りサッカー選手ローター・マテウスから。
この人は義手ではありませんけど、「鉄人」「戦車」などのニックネームを奉られてるあたり、まあ割とキャラは近い気がしますw


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06-34 炎の魔神(ザイフリート)

「第二陣地を放棄! 第三まで後退しろ!」

「これで最後の陣地ね」

「敵の衝力――突破力はほぼ消失しております。このままなら粘り勝ちが狙えるでしょう。正規軍の援軍も間もなく参ります」

 

 離宮内の指揮所。"狩人(ハンター)"の報告にカレンが頷く。

 

「そうね。王族と国賓の方々もほぼ脱出は終了しているし」

「はい。現状では我々の戦術的勝利は既に確定したと言えるでしょう・・・何か気になる事でも?」

 

 扇をぱちりと閉じてカレンが溜息をつく。

 

「そうね。そのはずなんだけど・・・何か気になるのよね。あなたはそう言う何かを感じない?」

「・・・」

 

 無言の"狩人"。その沈黙が言葉よりも雄弁に彼の内心を語っていた。

 

 

 

 広く薄暗い室内。

 玉座に座るのは髑髏王(トーテンコプフ)

 その姿は、先ほどサフィアと殴り合っていたそれと寸分たがわない。

 

「戦況はどうか」

「はっ。展開しておりました敵魔導砲戦力は半減、具現化強化術式部隊も同じく。

 アイズナー離宮前の陸橋の陣地も三つのうち二つまでは抜きましたが・・・」

「残りの一つが落とせずに膠着状態、か」

「御意。当方も向こう側と同程度の損害をこうむっており、『番人(ワーデン)』も既に半数が戦闘不能。

 我が方の衝力は既に消失したと言っていいでしょう。

 このまま消耗戦に持ち込めば恐らくは勝てるでしょうが・・・」

「向こうに増援が来なければな」

「仰せの通りです」

 

 髑髏王の言葉に参謀が頷いた。

 

「王族と外交会談の出席者は?」

「『予定通り』地下から脱出した模様です」

 

 カレンと"狩人"が聞けば顔をこわばらせそうな報告をさらりと流す。

 

「よし、それでは『あれ』を発動させる」

「はっ」

「出来ればあれは温存しておきたかったが・・・最終段階発動、急げ。何としても離宮を確保する。ここからは時間との勝負だ!」

「了解しました!」

 

 参謀が通信オペレーターに何事かを指示する。

 髑髏王は玉座に体を沈め、戦況の映るモニターを凝視した。

 

 

 

 銀の翼のサフィアと黒の騎士ローター、二人の舞踏は続いている。

 一瞬一手でも気を抜けば即座に体を両断される、刃の上の綱渡り。

 それが突然、ふっとやんだ。

 

「・・・?」

 

 圧倒的優勢にもかかわらず剣を止め、間合いを離す黒騎士ローター。

 警戒を緩めはしないが、それでも怪訝そうに相手を伺う。

 ローターが溜息をつくのがわかった。

 

「すまんな、白百合の騎士。決着をつけたかったがこれも主命、許せよ」

「キミはいったい何を・・・」

 

 それには答えず、ローターが再び剣を立てて構えた。

 

 

 

「なんだ?」

 

 三体目の『番人(ワーデン)』を倒した黒箱リーダーが眉を寄せた。

 他のパーティが倒したものも含めて、これで六体目、残り四体。

 今倒したもの、まだ戦闘中のものを含めて全ての『番人』の動きが止まり、目から光が消える。

 

「!」

「うおっ!?」

 

 あちこちから驚愕の声が上がった。

 『番人』の盾に据え付けられていた宝玉。

 それが赤く変色し、炎を引いて一斉に飛び上がった。

 

「!」

 

 火の玉が尾を引いて集結していく先は宙に浮かぶ黒騎士、「鉄人」ローター・フォン・ベルヒリンゲン。

 10の火の玉が螺旋を描いて「鉄人」に集中した瞬間、巨大な火柱が立った。

 

「おお・・・」

「なんだと・・・」

 

 何度目だろうか、兵士達が空を見上げた。

 炎の巨人。

 岩をも燃やす魔の炎が半ば実体を持って身長20mほどの大雑把な人体を形作る。

 時折透けて見えるのは体の各部に浮かぶ宝珠と、骨のようにそれを繋ぐ光の線。

 宝珠という点を光のワイヤーフレームで繋いだ骨格に魔炎の肉体をかぶせた巨人。

 大きく裂けた口とまなじり鋭い鬼神の顔の中、それを操るのは復古軍最強の黒騎士ローター・フォン・ベルヒリンゲン。

 

『吼えよ"炎の魔神(ザイフリート)"! 我らの敵を薙ぎ払え!』

「!」

 

 魔神の口からまばゆい光芒が飛び出した。

 

「!?」

「きゃあっ!」

 

 一直線に突き進んだそれは離宮の周囲を覆う魔導障壁を薄紙のように貫通し、離宮の建物の一つを消し飛ばした。

 

「・・・!」

 

 戦慄が走る。

 先ほどまで『番人』を何とか攻略してきた冒険者たちも、魔導砲部隊も、強化術式部隊も。

 その彼らの視界の端にきらめく、一筋の銀の流星。

 

「白百合の騎士・・・」

「白百合の騎士!」

 

 

 

 躊躇していたのは一瞬だった。

 その後は体が勝手に動いた。

 「銀の翼」の出力をフルスロットルに叩き込み、突貫する。

 回避機動も何もない、一直線の全力飛行。

 

(あれは・・・二発目を撃たせちゃいけない!)

 

 まだ離宮の中には人が残っているのが見える。

 お偉いさんは逃げたかも知れないが、召使いや従者はまだ多くが残っているだろう。

 あの頭の切れるお姫様や"狩人"、銀の翼の使い方を教えてくれた若い局員もだ。

 

(それだけは、させられない!)

 

 じろりと、炎の巨人が首を巡らせてサフィアを見る。

 その奥の、黒い魔導甲冑と目が合った気がした。

 先ほどまでは伝わって来ていたローターの感情が、今は全く伝わってこない。

 ただ邪魔者を排除するという意志だけを乗せて、燃える拳が振るわれる。

 全力の「銀の翼」と同じくらいの拳速。それを奇跡的にかわして頭部に肉薄する。

 

「やあっ!」

 

 通りざまに振った力場の剣の一太刀。

 それが魔神(ザイフリート)の頭部を浅くではあるが切り裂く。

 王国軍から歓声が上がった。

 

 巨人の頭部をかすめて過ぎた銀の流星が反転する。

 二度、三度。頭部の操者を狙った攻撃が繰り返される。

 だが浅い。内部のローターには届かない。

 加えて切り裂いた炎の肉体も、すぐに隙間を埋めて元通りになってしまう。

 

「撃て撃て撃てーっ! 白百合の騎士を援護するんだ!」

 

 サフィアの攻撃に力を得て砲撃を再開する魔導砲部隊や強化術式部隊。

 だがその攻撃も直撃すれど牽制以上のものにはなっていない。

 

「・・・それでもっ!」

 

 四度目の突貫。

 少なくともこれを繰り返している間は魔神はあの光芒を放てない。

 離宮の人々が逃げる時間を稼げる。

 

 だがサフィアもわかっている。

 幼い頃、友人を助けるときに思い知ったこの世の真理――幸運はいつまでも続かない。

 今回の幸運は七回目までで終わった。

 

 

 

(っ!)

 

 八度目の突貫で「終わった」と思った。

 軌道を変えて何度も攻撃したが、今回は完全にタイミングを合わせられた。

 元より魔神の操者は歴戦の勇士。巨体を操ることにまだ慣れていないとはいえ、積んできた経験がそれを補う。

 即座に回避軌道を取るが、それでもサフィア本体への直撃は免れない。

 

「ああっ!?」

「白百合ーっ!」

 

 絶叫や悲鳴が上がる。

 スローモーションで近づいてくるそれを見ながら、サフィアは目を閉じなかった。

 近づいてくる絶対確実な死。意地でもそれに屈するものかと思った。

 

 後一秒。

 無限に引き延ばされたその一瞬、空気が渦を巻いた。

 まるで魔法のように忽然と、その「何か」はそこに存在していた。

 

 翻る紅いケープ。

 炎の拳が止まっていた。

 青い騎士甲冑の鉄籠手によって。

 

「青い――鎧!」

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。




「ザイフリート」はジークフリートのこと(あるいはその元ネタ)。
作中ではイフリートと引っかけてますが、炎の魔神という意味は本来ありません。


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06-35 ヒーローと、英雄(ヒーロー)と、英雄と

 何度目かの歓声が上がる。

 

「青い鎧!」

「青い鎧!」

「白の翼!」

「白百合の騎士!」

 

 王国軍が、冒険者たちが、拳を突き上げて二人の名を呼ぶ。

 炎の巨人の拳を止めたままの姿勢で、青い鎧とサフィアがちらりと視線を交わした。

 

「流れ星はもういいのかい?」

「ああ。星の海へお帰り願った」

 

 半ば激突するように隕石とのランデブーを成功させた青い鎧は、全力でベクトルをずらして突入軌道を変えた。

 その結果、大気圏上層をかすめるようなコースに軌道変更された巨大隕石は、この星の大気に弾かれて再び宇宙の彼方へ去っていったのである。

 

「こやつは任せてくれ。サフィア殿は下の援護を」

「わかった。頼むよ、『ヒーロー』」

「そちらこそだ、『ヒーロー』」

「っ・・・!」

 

 その言葉に、思わず涙ぐみそうになった。

 憧れであり、羨望であり、隔絶だった存在が自分を同格に扱ってくれる。

 その喜びを抑えきれなくなりそうで。

 それを隠して身を翻し、直下の戦場に飛び込む。

 

「さあ、白百合の騎士はここに居るぞ! 青い鎧も来てくれた! この戦い、もはやボク達の勝利だ!」

「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」

 

 王国側の士気はもはや留まる事を知らない。

 誰もが叫び、痛みも恐れも忘れて戦いに身を投じる。

 その先頭を切ってレスタラ兵たちに斬り込んだサフィアの剣が、瞬く間に数人の魔導兵達を斬り伏せた。

 

「・・・」

 

 それを横目で見やり、面頬の下でヒョウエが僅かに笑みを浮かべた。

 視線を正面に戻す。

 巨大な燃える拳と青い籠手が僅かに揺れた。

 

 会話の間中もずっと、両者は力比べをしていた。

 だが炎の魔神(ザイフリート)が渾身の力を拳に込めても、青い鎧の腕が僅かに揺らぐだけ。

 巨人の目の中に垣間見える黒騎士の兜。その視線が青い鎧のそれとつかの間交差した。

 

「・・・化け物め」

 

 ザイフリートの頭部で「鉄人」ローターがうめいた。

 

「この最終兵器をもってしても、力では勝てんのか」

 

 髑髏王(トーテンコプフ)が警戒しているとはいえ、金等級冒険者ほどのものだと思っていた。

 五十年前に一度復古軍の理想をくじいた"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"、憎くも尊敬に値するあの空の騎士ほどのものであると。

 であるなら、五十年前を凌駕する戦力をもってすれば負けることはあるまいと。

 

「とんだ間違いだったわい」

 

 魔導甲冑を介して炎の魔神に念を送るが、どれほど力を込めてもやはり青い鎧は動かない。

 

「やむをえんか」

 

 本当に最後の奥の手と念押しされた「それ」のスイッチを入れる。

 

「っ・・・!」

 

 世界が揺れるような衝撃が来た。

 そして魔導甲冑を介して自分が溶けていくような、巨人の体に吸い込まれていくような感覚。

 自分が希薄になり、広がってゆくのがわかる。

 

 過剰同調(オーバーチューニング)

 

 魔導甲冑を通して同調しているこの魔神(ザイフリート)との、その同調のリミッターを外した。

 ローターの精神が魔神の肉体と完全に融合する。

 10の宝珠とそれの生み出す半ば物質化した魔の炎が完全にローターと同化する。

 ローターの本来の肉体は魔神の一部でしかなくなり、広がった精神が元に戻ることはもうない。

 

 復古軍の技術者たちが開発した、古代遺産と人間の意識を融合させる秘術。

 操者と機体の間に生じるラグを打ち消し、古代遺産の出力自体も飛躍的に上昇させる。

 

 だが、元よりこのザイフリート自体が古代遺産である「ヤスカの宝珠」をオーバーロードさせて無理矢理固体化して人の形にしている代物だ。長くはもたない。

 そしてザイフリートが朽ちると言うことは、同一化したローターの精神も朽ちると言うこと。

 たとえ青い鎧を倒そうが、復古軍が勝利を収めようが、もはや死は免れない。

 

『これが過剰同調か。妙な感覚だな』

「・・・!」

 

 青い鎧が目を見張り、間合いをとる。

 ローターと同一化したゆえか、魔神の外見にも変異が生じていた。

 ところどころ透けていた炎の肉体はより密度が高まり、強固に実体化している。隙間からワイヤーフレームや宝珠が見えるような事ももうない。

 熱量も増したのか、周辺のレスタラ兵が慌てて退避を始めている。

 足元の石畳が高熱で融解し、溶岩のようになって足の周囲から溢れてきていた。

 

 そして大雑把でいびつな人型をしていた肉体は、均整の取れた甲冑のような姿に。

 裂けたまなじりと牙の生えた口と、まさしく鬼神のようだった顔はひげを蓄えた眼光鋭い老爺のそれに。

 右手にはいつの間にか炎で形成された大剣が握られていた。

 

「ローター様」

「ローター様だ・・・」

 

 老爺の顔が地上を見る。

 その口が動き、轟くような響きはあるものの、ローターとはっきりわかる声が流れてくる。

 

復古軍(レスタウラツィオン)の同志達よ! 王国の勇者はわしがこの命と引き替えにしても屠る!

 貴公らはただ前に進め! 復古軍に勝利を!』

「復古軍に勝利を!」

「我らの悲願を!」

「いにしえの理想社会を!」

 

 剣を振り上げるザイフリート=ローターに呼応してレスタラの兵士達も武器を掲げ、シュプレヒコールを叫ぶ。

 白百合の騎士の復活と青い鎧の登場によって王国側に傾いた士気の天秤を、五分五分に戻す老兵の檄。

 地上の戦いは再び先が読めなくなっていた。

 

『さて・・・と。待たせてしまったのう』

 

 腕組みをして宙に留まる青い鎧。

 それにローターの姿をした炎の魔神が改めて相対する。

 

「お気にめされるな。ロマンチストと呼ばれるやも知れぬが、戦場にも礼というものがあろう」

『ふっ』

 

 青い鎧の物言いに炎の魔神(ローター)が苦笑を漏らした。

 

 実際、ローターが檄を飛ばすのを黙って見ていたのは、礼儀や騎士道精神にのっとってのことではない。

 しかし騎士道的価値観が色濃く残るこの世界で、特にそうした古風な意識が強いレスタラの兵士達が、自軍を代表する英雄が「卑怯な不意打ち」を受けるのをを見たらどうなるか?

 今以上に爆発的な士気の上昇を招く恐れもある。

 そのリスクを恐れて手出しが出来なかったのだ。

 ローターが苦笑したのはそうしたあれこれを察したということでもあるだろう。

 

「それに貴公の口上を遮ろうが遮るまいが問題はあるまい。貴公はここで敗れる。復古軍もここで潰える。敗者に対するせめてもの情けと思われよ」

『言ってくれるわ』

 

 更に苦笑の度合いを深める炎の魔神。

 

『だがわしは負けぬ! わしが生涯をかけたもののために! 倒れて屍となれい、王国の勇者よ!』

「断る!」

 

 その言葉と共に青い鎧が閃光となって飛んだ。

 炎の魔神もまた閃光の速度で剣を振り下ろす。

 青い閃光と紅蓮の閃光がぶつかり合い、爆発した。



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06-36 燃えつきたあとに

 ぶつかり合う青の籠手(ガントレット)と炎の巨大剣。

 砕けたのは剣の方だった。

 物質化した魔炎が破片となって散らばり、炎の剣に大きな刃こぼれが出来る。

 

 落ちてきた破片の直撃を受けた両軍の兵士が、具現化術式や魔導甲冑ごと瞬時に蒸発する。

 石畳に落ちた場所には直径2mほどの溶岩だまり。

 

 追撃をかけようとする青い鎧に、炎の魔神(ザイフリート)の左の拳が繰り出される。

 青い鎧からすれば片腕で止められるほどの攻撃ではあるが、それでも剣とのぶつかり合いとで最初の勢いは殺された。

 

 しかし青い疾風は止まらない。

 巨大な手を払いのけ、すれ違うように巨人の胸元へ突貫する。

 

「オオッ!」

『っ!』

 

 全力の拳が炎の巨人の胸中央に炸裂する。

 巨大な鐘を全力で突いたような、腹に響く重い音。

 周囲の兵士達が思わず耳を押さえてうずくまる。

 

 巨人がたたらを踏んで二、三歩後ずさった。

 その後には足の形に溶解した石畳。

 

 だが青い鎧が注視するのは地上ではない。巨人の胸元。

 勢いを殺されていたとは言え、全力の一撃。

 にもかかわらず騎士甲冑の胸甲にも似た巨人の胸にはへこみ一つなかった。

 

 ザイフリート。

 ドイツの英雄ジークフリートの元となった伝承の一つ。

 中世吟遊詩人の演目の一つ、「不死身のザイフリートの歌」がその由来だ。

 

 広く知られるジークフリートの伝説と同じく、彼もまた不死身の肉体を得る。火に焼かれた竜の流す体液を浴びて硬化・角質化したその表皮はあらゆる武器を弾き返したのだという。

 

(つまりこいつは不死身の騎士(ザイフリート)であり、炎の魔神(イフリート)でもあるということか)

 

 一旦距離をとり、周囲の状況を確認して顔をしかめる。

 ザイフリートもそれを追わず、剣を構え直す。

 剣に出来た大きな刃こぼれは既に修復されていた。

 その周囲にはいくつかの溶岩だまり。

 

(剣だけであれだ、こいつをここで倒して爆発でもしたら・・・)

 

 最悪、周囲1kmほどが溶岩のるつぼになる可能性もある。

 僅かに考え込んだ瞬間、今度は炎の巨人が動いた。

 

『かっ!』

「!」

 

 燃える老爺の口から吐き出された一直線の光芒が青い鎧を打ちすえる。

 とっさに両腕を交差させて防ぐ。光芒は青い鎧に当たって傷つけることなく四散したが、弾けた光の粒が離宮の魔力障壁に当たって炸裂し、障壁と離宮を揺らした。

 先ほど離宮の建物を一棟吹き飛ばした魔の光芒。威力自体はそれほど変わらないが、その分素早く出せるようになっているようだった。

 交差させた腕を開き、現在の位置よりやや上にある巨人の頭部を睨み付ける。

 

「ぬう、存外無粋な手を使うではないか、黒騎士殿」

『卑怯未練は敗者のざれ言よ。ましてや魔竜の吐息(ファブニールアーテム)すら弾く正真正銘の化け物を相手にするのに手段を選んでおれようか』

 

 今放たれた魔の光芒、黒騎士言うところの「魔竜の吐息(ファブニールアーテム)」。もし青い鎧がそれを避けていれば、光芒は先ほどと同じく魔力障壁を抜けて離宮の建物を吹き飛ばしていただろう。

 青い鎧の非難に、「鉄腕」ローターと呼ばれた男は悪びれた様子もない。

 

『離宮を吹き飛ばせば我々の勝ち! 貴公を足止めできればやはり我々の勝ち! どちらに転んでも負けはないわ! 好きな方を選べ、王国の勇者!』

 

 言葉と共に次が来た。

 先ほどより更に太い、全力を込めた魔竜の吐息(ファブニールアーテム)

 それをやはり両腕を交差させて防ぐ青い鎧。

 先ほどまでのような数秒間だけの照射と違い、口から途切れずに膨大なエネルギーの束を吐き出し続ける炎の魔神。

 

 光芒は青い鎧の装甲表面でむなしく弾け、周囲に光の破片をまき散らすだけだが、その破片ですら離宮の魔力障壁を揺らすだけの威力。

 動けばそれが離宮を直撃する。恐らくは離宮の主殿を丸ごと吹き飛ばすだけの威力。

 それがわかっているからこそ、青い鎧は動けない。

 ただ、一つ疑問があった。

 

(「離宮を吹き飛ばせば」勝ち? 何故だ? 王族や重要人物を殺害する事が目的ではないのか?)

 

 そもそもの疑問はあった。

 王族や各国の大使を殺してどうするのか。

 そして戦闘開始からこれだけ時間が経過して、VIPたちが抜け穴や後方から脱出する可能性を考慮していないなどと言うことがあり得るのか。

 

(最初から離宮の破壊が目的だった・・・? 何のために? 離宮に何があるというんだ?)

 

 更に強まる光芒の圧力。

 思考を打ち切って、全身の魔力を更に高める。

 エネルギーの奔流に逆らい、少しずつ前進する。

 速度は人間が普通に歩く程度。

 だが確実に距離を詰める。

 

『・・・・!』

 

 一方でそれに脂汗を流すのは炎の魔神(ローター)

 掛け値なし全力の魔竜の吐息(ファブニールアーテム)を放ってなお、この超人は小揺るぎもしない。

 

(化け物め)

 

 自らも超人騎士と呼ばれ、今や古代の遺産と一体化して無敵の巨人、炎の魔神となったはずの自分。だが目の前の青い騎士はその自分ですら遠く及ばない。

 離宮を、そして離宮に残る人々を人質に取っていなければ、既に打ち倒されていたかも知れない。

 

(だが負けるわけにはいかん。復古軍の悲願を、いにしえの理想社会を諦める事は――できん!)

 

「!」

 

 魔竜の吐息(ファブニールアーテム)の勢いが更に増す。

 エネルギーの密度がさらに高まり、怨敵青い鎧を灼きつくさんと猛る。

 それでもなお、少しずつ、少しずつ。一歩一歩距離を詰める青い騎士甲冑。

 

『ぬう・・・ぬうううううううううう!』

 

 更に威力を強める魔竜の吐息(ファブニールアーテム)

 既に体に埋め込まれたヤスカの宝珠は十機全てが限界を超えて稼働している。

 

(元より終わりの定まった我が命! ここで使い切らぬでどうする! 吼えよ、ザイフリート!)

 

『『オオオオオオオオオオオ!』』

 

 歴戦の老騎士が吼える。

 炎の魔神が吼える。

 完全に同期した二つの命が咆哮を重ねる。

 その咆哮の中で限界を超えてエネルギーの吐息を吐き出し続ける。

 既に魔神に余力などない。

 巨人が命を削って放ち続ける光芒。

 正面から立ち向かい、前進を続ける青い鎧。

 それをいつしか、王国兵もレスタラの兵も、戦いの手を止めて見上げていた。

 

「・・・がっ・・・頑張れ! 頑張れぇ! ローター様!」

 

 我慢が限界を迎えたかのように、レスタラ兵が声をふり絞って叫んだ。

 

「負けるな! 青い鎧!」

 

 即座に王国兵から上がるのは青い鎧への声援。

 

「『鉄人』!『鉄人』!」

(ブルー)! (ブルー)! (ブルー)!」

 

 双方から放たれる、戦士(チャンピオン)達への応援の声。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』

「・・・」

 

 吼えるローター。

 無言のまま青い鎧が距離を詰める。

 一歩。また一歩。

 そう表現するのが似つかわしいペースで、ジリジリと距離を詰める。 

 

(さ・・・せ・・・・ん・・・絶対に・・・ぜ・・・た・・・い・・・)

 

 暴走。

 限界以上の力を絞り出すためにあらゆるリミッターを外して魔竜の吐息(ファブニールアーテム)に力を注ぐ。

 そのエネルギーと情報の奔流の中に老兵の魂は溶け崩れてゆく。

 

(我が魂・・・我が命の全てを賭けて・・・!)

 

 ついに青い鎧と魔神との距離が3mを切った。

 次の瞬間、青い鎧の拳を叩き込める距離。

 

「・・・・っ!」

「ローター様ーっ!」

 

 青い鎧が拳を振り上げ、レスタラ兵達から絶望の呻きと悲鳴が上がる。

 反対に、王国側からは歓声が。

 

「・・・」

「・・・?」

 

 だがその瞬間、全てが止まった。

 炎の魔神が吐き続けていた魔の光芒が止まり、青の鎧が振り上げた拳を静かに下ろす。

 

「え・・・」

「嘘だろ・・・」

 

 炎の魔神が止まっていた。

 炎の腕は萎え、炎の脚は力を失い、色を失った剣は二度と振るわれる事はない。

 限界を超えたエネルギーの制御と焼け付いたエネルギー放出機構を無理矢理稼働させ続けた反動。

 それは英雄レベルとはいえ人間の範疇でしかないローターの魂の処理能力を超えていた。

 文字通りその全てを使い尽くして、鉄の騎士は死んだのだ。



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06-37 ヒーロー・イズ・バック

 メットーの中央。離宮前の広場に老騎士「鉄人」ローターの姿をした炎の巨人が立ちすくんでいる。

 その巨体を包んでいた炎は消え、魔炎が具象化した肉体は焼けた鉄のような光を放ち続けてはいるものの、先ほどまでのような触れただけで石をも溶かす熱は感じられない。

 何より、強い意志を感じさせていた双眸から光が消えていた。

 口から魔竜の吐息(ファブニールアーテム)を吐いていた姿勢のまま、ピクリとも動かない。

 誰の目にも明らかなそれは、壮絶な立ち往生の姿だった。

 

「ローター様・・・」

 

 生き残っていたレスタラの兵達ががくりと膝を落とした。

 すすり泣く声があちこちから聞こえる。

 銃を放り出し、既に戦意はない。

 王国兵達も、それを攻撃はしなかった。

 

『役立たずめ』

 

 その時、憎々しげな声が響いた。

 

「この声は!」

「髑髏王様?!」

 

 戸惑う声を圧して、髑髏王の憎悪に満ちた声が響く。

 

『最終兵器を起動させながらしくじりおって。"鉄人"だの精鋭だのが聞いて呆れる。とんだ見かけ倒しよ。もう"番人"も貴様らもいらぬ。離宮もろともに吹き飛ぶがよい。さらばだ』

「・・・」

「・・・?」

 

 そのままぶつりと消える声。

 しばらくの沈黙を挟んで、それに最初に気付いたのは青い鎧と"探偵"の仮面をつけたサフィアだった。

 

「青い鎧っ! ヤスカの宝珠が再起動している!」

「わかっている。恐らくは自爆させるつもりだ」

 

 すぐにその徴候が目に見える様になった。巨人の体の各部の宝珠が、唸りを上げて最後の暴走を始める。

 巨人の体の各部から漏れる、暴走の唸りと禍々しい赤い光。

 

「そんな!」

「我々もろともに消し飛ばそうというのですか陛下!?」

 

 レスタラ兵達が悲鳴を上げる。

 

「話している暇はない。これを出来る限り上空に運んでみる!」

「青い鎧っ!」

 

 言う間もあればこそ、魔神の巨体を持ち上げて、青い鎧が空の彼方に飛び去る。

 一秒。二秒。魔神の巨体が空の彼方に見えなくなる。

 五秒。六秒。何も起こらない。

 八秒。空の彼方にまばゆい光。

 

 まばゆい光は空の半分を埋め尽くす光となり、僅かに遅れて轟音が響く。

 強風がメットーの街路を吹き荒れる。

 一瞬のことだったが、その閃光はそれを見ていたものたちの目に永く焼きついた。

 

「青い鎧ーっ!」

 

 叫んだのはサフィアではなかった。

 離宮の指揮所で、バルコニーに身を乗り出してあらん限りの声で叫ぶのは"狩人(ハンター)"。

 その他の人間はサフィアやカレンを含めて声もない。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 光が消えた。

 "狩人"が呆然と空を見上げる。

 

「・・・またか。また俺を置いていくのか」

「"狩人"・・・?」

 

 歴戦のスパイが茫然自失する。

 心の中が漏れているのも気付かないほどに。

 

 王国兵も、冒険者も、レスタラの兵達も。

 ただ呆然と上空を見つめている。

 どれだけの時が経ったか。

 待つ人々にとっては永劫にも思える時間。

 やがて、そのうちの一人――モリィが声に喜色をにじませて空の一点を指さした。

 

「いた! 戻って来た! 帰って来やがったぞ!」

 

 群衆がざわめく。いくらかのものは視覚強化の術や《加護》を発動しようとする。

 だがそれらが効力を発揮する前に、状況は誰の目にも明らかになった。

 青い空の一点に浮かんだ、空よりなお青い青と燃えるように閃く真紅の赤。

 それがあっという間に大きくなり、青い騎士甲冑と赤いケープの姿をとる。

 この短い時間の間に二度ディテクを救った英雄の帰還。

 

「あ・・・」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 歓声が爆発した。

 拳を掲げ、剣をかざし、あるいは脱ぎ捨てた兜を振って英雄の帰還を讃える。

 王国兵や冒険者たちだけではない。

 レスタラの兵達ですら歓喜の声を上げ、手を振っている。

 

「ふう」

 

 "狩人"が肩の力を抜いた。

 英雄の帰還。

 五十年前は見られなかった光景。

 胸中を行き交う様々なもの。

 その背中を、カレンが眼を細めて見ている。

 

「・・・何か?」

 

 振り返った"狩人"の目にいぶかしげな表情。

 カレンが扇を広げ、口元を隠した。

 

「いいえ、なんでも?」

 

 楽しそうな声でくすくすと笑う。

 "狩人"が――実に珍しいことに――仏頂面で目をそらした。

 

 

 

「青い鎧! 青い鎧!」

(ブルー)! (ブルー)! (ブルー)!」

 

 もはや王国兵もレスタラ兵もなく、歓声を上げる群衆の中央に青い騎士甲冑がふわりと舞い降りた。

 取り囲む群衆の最前列には銀色の翼を畳んだ白百合の騎士。

 少し遠巻きにしてエブリンガーの三人娘。

 

 モリィは得意げな顔で腕を組んで。

 リアスは安堵の表情で胸に手を当てて。

 カスミは人の波に紛れて姿が見えないが、微笑んでいる姿が容易に想像できた。

 

 歓声を上げていた人々が静かになる。

 彼らを代表するかのようにサフィアが青い鎧に歩み寄り、拳でこつんとその胸甲を叩いた。

 

「キミの勝ちだな、ヒーロー」

「いいや、私の勝利ではない」

 

 青い鎧がかぶりを振る。

 戸惑うサフィアの手首を優しく握り、高々と掲げる。

 

()()の勝利だ!」

 

 歓声が爆発する。

 手を掲げる二人のヒーロー。その姿を見た全ての人々が声の限りに叫んだ。

 そして彼ら全員が、死ぬまでこの時のことを忘れなかった。



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エピローグ「メットーのヒーロー」

「【ヒーロー】(名詞)

 (一)英雄 (二)悪と戦う者。特にクライムファイターの中で広く知られている者をそう呼ぶ」

 

     ――冒険者族語の基本知識――

 

 

 

「取りあえずは大きな被害もなく勝ったか」

 

 溜息をつくのはディテク国王マイア・ジェイ・ボッツ・ドネ。弟の大将軍ジョエリーと、宰相のワイリー侯爵、王太子であるアレックスも一緒だ。

 

「場所は王宮に移しましたが、貿易協定の交渉も引き続き継続しております。

 市街の被害も・・・まあ、あれだけの戦闘があったにしては軽微と言うべきでしょうな。現在焼け出された住民に避難所の提供と、破壊された家屋の修復を急がせております」

「軍のほうは軽微どころではないな。精鋭である魔導化部隊に大きな損害が出た。

 人員もそうだが強化具現化術式はすぐに補充するというわけにはいかん。遺失兵器である魔導砲は尚更だ」

「我が国の軍事力を白日の下にさらしてしまったわけでもあるしな」

 

 弟の言にマイアが再度溜息をついた。

 固い顔のアレックスが手の書類に目を落とす。

 

「冒険者たちにも軽くない被害が出たそうです。黒等級冒険者が一人死亡、緑等級冒険者が同じく二人死亡、五人が負傷で一線を退くと」

「黒等級もか・・・痛いな」

 

 この世界、冒険者は正規軍ではないものの、事実上国家戦力の一部として扱われている。

 長らくライタイムがディテクを差し置いて大陸最強の国家として扱われてきたのも、星の騎士とその仲間達をはじめ、複数の金等級冒険者を抱えている事が大きい。

 一方で現在は青い鎧の出現により、天秤が大きくディテク側に傾きつつある。

 今までは「メットーに有能なクライムファイターがいる」程度の認識だったが、恐らく今回の一件で各国にその実体が知れ渡るだろう。

 そうなれば大陸の軍事バランスも大きく変動するはずだ。

 

「とはいえ彼は冒険者ですらないからなあ・・・戦力として頼りにするには余りに不確定すぎる」

「カレンのほうで連絡手段は確立したと聞いたが、兄者?」

「あくまで連絡手段だ。命令できるわけではない」

「まあ見せ札に使うのがせいぜいでしょうな。

 少なくとも我が国の民を守ってくれているのは確かです。

 抑止力としては絶対的な存在と言っていいでしょう」

「再軍備の時間は十分稼いでくれるというわけだね、フィル爺」

「左様で」

 

 ワイリーが頷いた。

 

「まあ我が国の利益になってくれているのは確かだ。高望みはすまい。

 再編はジョエリーに任せよう。フィル爺は交渉のほうに注力してくれ。無論市街の再建と避難者への対応を軽視するわけではないが」

「心得ております」

 

 老宰相が頭を下げる。

 そこから話は将来の展望に移った。国を動かす彼らだ、やる事はいくらでもある。

 

 

 

「こわくはありませんでしたか、カーラ」

「全然! お兄様とお姉様、青い鎧が守ってくれるって信じていたもの!」

 

 一点のくもりもないカーラの笑顔に、ヒョウエとカレンもまた笑顔で視線を交わした。

 あれだけの大ごとの後でカーラが大丈夫かどうか様子を見に来たヒョウエだったが、この分では心配はなさそうだった。

 

「そうですね。僕とカレン姉上があなたをきっと守りますよ。伯父上や父やレクス兄も」

「えへへ・・・」

 

 額に口づけされたカーラがはにかむ。

 そう言えば、とカレンがヒョウエの顔に視線を動かす。

 

「東の方にゴブリンの大群が出て、あなたがそれに対応したそうだけど、実際の所何があったの? 草原が広い範囲にわたってガラス化してたと報告にあったけど」

「まあ実際そんなものですよ。炎の術で焼き尽くしました」

 

 もちろん嘘である。出来なくはないがゴブリンが本当にいたなら窒息させるか地面に埋めた方が早い。

 

「ガラス? 地面がガラスになるの?」

 

 首をかしげる妹に、ヒョウエが優しく教えてやる。

 

「強い炎の呪文を使うとですね、地面が溶けてガラスになるんですよ」

「すごい! きれい!」

 

 目を輝かせるカーラ。

 多分彼女の頭の中ではガラスづくりの草や花がキラキラ輝くメルヘンな光景が展開されているのだろう。

 兄と姉が今度は苦笑をかわす。

 少なくとも今、この場所は平和であった。

 

 

 

 ふうっ、と職人姿の"狩人"が紫煙を吐き出した。

 メットーの路地裏である。

 葉巻をもう一度口元に運ぼうとして、その視線が路地の奥に向けられた。

 

「遅かったじゃないか」

「マネージメントというのは意外と忙しいものでして」

 

 現れたのは杖を突いた仏頂面の男。

 サフィアの「マネージャー」、QBだ。

 

「すっかり冒険者稼業が板に付いたようだな」

「これはこれで中々楽しいものですよ。閣下も一度どうです」

「よせ」

 

 "狩人"、かつての金等級冒険者ジェットが思わず苦笑する。

 少し沈黙があいた。

 

「戻ってくるつもりはないか」

「まだしばらくは無理ですね。サフィアのサポートをしなきゃなりません」

「そうか。正直お前には期待していたんだがな」

 

 QBが片眉を僅かに上げた。

 

「そこまで評価して頂いていたとは知りませんでしたよ」

「昔から評価はしてたさ。だがこの十年で随分跳ね上がったのも事実だ。小娘のお守りが随分と性にあったと見える」

「色々と学ぶことがあったのは間違いないですね。それに・・・」

「それに?」

「何と言うか、面白いんですよ。あいつと組んでるのは」

 

 わずかな、極々僅かな苦笑とはにかみの混じった笑み。

 それをしばらく見つめた後、"狩人"が紫煙を吐き出した。

 

「面白い、か。本当にお前は変わったな」

「そのようですね。自分ではよくわかりませんが」

「・・・」

「閣下?」

「いや、何でもない。そう言えば東南の街区で頻発している詐欺の話を?」

「いえ」

「それがだな・・・」

 

 そうして"狩人"は、情報を掴みはしたが対処する余裕がない案件をかつての部下にリークする。

 

(俺が引退できる日はもう少し先になりそうだ)

 

 爆発でさっさと引退できた先代はまだしも楽だったかも知れないなと益体もないことを考えつつ、顔のないスパイは煙を吸い込んだ。

 

 

 

 カラン、と氷が鳴った。

 透明なグラスに注がれた琥珀色の液体に、砕かれた氷の破片が浮かんでいる。

 カウンターに座り、蒸留酒を舐めるのは銀髪の麗人。

 

 今日はその隣に長い黒髪を下ろした二十代半ばの女性がいる。

 珍しく私服に着替えたサナだ。

 手にはサフィアのそれと同じ、蒸留酒のロック。

 カウンターの中の女性がおつまみの皿をそっと両者の間に置く。

 

「今回サフィアちゃんが大活躍したんだって? サナちゃんの王子様も。凄いじゃない!」

「いやあ、どうかなあ。ヒョウエくんはともかくボクはそこまで活躍したわけじゃないし。頑張ったのは青い鎧とあの場にいたみんなさ」

 

 謙遜しながらも、サフィアの顔は笑みを隠し切れていない。

 「キミの勝利」とサフィアが言ったのに対して、「我々の勝利」と返した青い鎧。

 その一言だけで何もかもが報われた気がした。

 最高のヒーローに、同格として扱って貰えたならば、それ以外は全て些事。

 後は、その言葉に恥ずかしくないように精進するだけだ。

 サナと、カウンターの女性はそっと笑みを交わす。

 

「まあそう言う事にしておきましょうか」

「そうだね。サフィアちゃん照れ屋だし」

「サナもニカも、それ以上言うとひどいよ?」

「はいはい」

「はぁい」

 

 くすくすと笑う二人。

 カウンターの中の女性――かつて誘拐された、サナとサフィアの幼友達ニカ――が成長しても変わらない笑顔でにぱっと笑う。

 

「でも新しい二つ名も出来たね。『白の翼(ヴァイスフリューゲル)』だっけ」

「『翼の騎士(フリューゲルリッター)』だよ。さすがに『白の翼』の二代目を名乗るのは荷が重いさ」

 

 先だっての事件のあと、サフィアは引き続き銀の翼を貸与されることになった。

 功績に対する報償という意味合いもあるが、おおっぴらに存在が広まってしまった以上、「王国が使用する汎用装備」ではなく「有名冒険者が使うオンリーワンのアーティファクト」としておいたほうが都合が良いのもある。

 髑髏王の替え玉から奪ってきた腕輪もある。こちらはサフィア個人の所有物になったが、"狩人"からは使わなくなったら研究のために譲ってくれと頼まれていた。

 

「でもサフィアちゃんはそれだけじゃないよね――好きな人でも出来た? ひょっとしてヒョウエくん?」

「サフィア?!」

 

 愕然とした顔でサナが振り向く。

 サフィアが両手をぶんぶんと振り、慌てて否定する。

 

「違う違う違う! 前にも言ったけどヒョウエくんは弟みたいなものだって!」

「そ、そうですか・・・」

 

 どうやら嘘ではないようだと直感し、ほっと胸をなで下ろすサナ。

 

「――まあ、好きな人が出来たって言うのは当たりだけどね」

「あ、やっぱり! 誰々?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべるサフィアに身を乗り出して食いつくニカ。

 

「どうでしょうね、サフィアのことですし――」

「『青い鎧』さ。ああ、あの屈強な鎧の中にはどのような素顔があるものか!」

「ブフォォォォッッ!?」

「サナ?!」

「サナちゃん!?」

 

 サナが口中の酒を盛大に吹き出した。

 

 

 

「へくちっ!」

「ヒョウエくん、風邪? 頑張った後なんだから、ちゃんと体を休めないとだよ」

「はーい」

 

 ヒョウエがいささか古めかしい反応を見せたのは、屋敷での夕食の席でだった。

 サナが休みを取って外出しているので、リーザとカスミの合作である。

 なおそれなりの腕はあるのだがリーザが拒否するのでヒョウエは手伝えない。

 残りの二人は当然戦力外である。

 

「まあ今回はいつもにも増して大変だったよな。

 あのでかい石ころ、宮殿くらいあったんだろう?」

「もうちょっと大きいですよ。そうですね・・・メットーの街区で縦横三つ分くらいです」

「ひえっ」

 

 メットーがこの世界で最大級、規格外の大都市であるから感覚が麻痺しているが、街区三つ差し渡し1.5kmといえば人口二万、この世界では十分大都市のサイズだ。

 

「空中要塞に流れ星に炎の魔神に魔神の自爆、本当に随分とせわしない・・・リアス様?」

 

 何やら考えている様子の主人をカスミが見上げる。

 

「え? ああ、すいません。考え事をしておりましたわ」

「髑髏王の目的のことですか」

「はい」

 

 あの時離宮を吹き飛ばせば復古軍の勝利だと、「鉄人」ローターが言っていたのをリアスも聞いていた。

 戦の前に覚えた疑問が、それによってまた首をもたげてくる。

 

「先だっても申し上げましたが、ディテク一国ならともかく大陸のほとんど全ての国に同時に宣戦布告する意味がありません。

 つまり彼らの目的は会議の参加者やディテク王国ですらなく――」

「離宮の破壊」

「はい」

 

 訳がわからないとは思うが、彼らの言動を付き合わせていくとそうとしか思えなくなるのだ。

 いつの間にか、他の三人も二人の話に耳を傾けている。

 

「――それで?」

「いえ、これでおしまいですよ。離宮に何があるのか、今は何もわからないわけですし」

「なんだぁ」

 

 少し緊張していたリーザが一気にだれた。

 

「しょうがないじゃないですか、わからないんだから。

 まあ姉上には伝えてありますし、良い具合に報告は上げてくれるでしょう」

 

 肩をすくめて、ヒョウエが食事を再開した。

 訳のわからないことをいつまで考えていても仕方がない。

 苦手なことはそれが得意な他人に押しつけるのが社会をうまく回すコツだ――などとうそぶきつつ。

 思いは既に、明日受けるべき冒険依頼の内容に飛んでいた。

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。



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七の巻「黙示録の世紀」
プロローグ「瀕死の急使」


「しろやぎさんから おてがみ ついた くろやぎさんたら よまずに たべた」

 

     ――童謡 やぎさんゆうびん――

 

 

 

「そう言えばヒョウエくん、あのぼうえききょうてい、だっけ? まだ続いてるの?」

「続いてますよ。そう簡単に終わるものじゃありません」

 

 今日も今日とて依頼をこなした夕食の席。

 あれから一週間ほど。特に民衆に告知があるわけでも式典があるわけでもなく、貿易交渉は続いている。

 一部の瓦版などは概要を書いているが、さすがに国政に関心のある一般市民はこの世界では多くなく、売れ行きが悪いので当然のように話題にならなくなっていった。

 

 むしろ復古軍の首都強襲という超弩級のビッグニュースが一般市民の間では持ちきりだ。

 再び襲い来た空中要塞とレスタラ軍、それに対抗すべく集まった王国の精鋭とトップクラス冒険者たち。空中要塞を単身落として生還した白百合の騎士。そしてクライマックスとなった炎の魔神と青い鎧の一騎打ち。

 既に吟遊詩人が彼らの活躍を歌にしており、気の早いところでは一連の騒動を劇にして上演しているところもあるらしい。

 

「ニカさんの酒場とか大変な事になってるんだっけ、サナ姉?」

「嬉しい悲鳴というやつですね。サフィアが歌うときはテーブルを全部取り払って、カウンター以外立ち見になっているそうですよ」

「この世界でライブハウスを見られるとは思わなかったなあ」

 

 ヒョウエが苦笑する。まあ大衆は飽きっぽいものだし、数ヶ月もすれば元に戻るだろうがこれだけの大事件だ、数年くらいは話題が持つかも知れないなとも思う。

 ちなみに日本の江戸時代の話だが、刃傷沙汰や大がかりな逮捕劇、心中事件などが起きると、数ヶ月はそれだけで話の種がそれ一色になったという。

 現代と違ってニュースや娯楽が乏しい時代と言うことだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「話を戻しますけど、交渉はあと何ヶ月か続いても不思議じゃないですし、ついでに言うなら多分今回で終わりでもないでしょう」

 

 王族として叩き込まれた知識と前世の記憶を引っ張り出して、リーザの疑問に答えてやる。

 モリィがうへえという顔になった。

 

「マジかよ、気の長ぇ話だな。何年かかるんだ?」

「何しろこの世界ではちょっと前例のない交渉ですからね。

 二国間の貿易協定ならまだしも大陸五強が一堂に会して、しかも広い範囲で貿易協定を結ぶとなれば、それはいくらでも揉める種があるでしょうよ」

 

 一例を挙げるならTPP、環太平洋パートナーシップ協定は2005年に交渉が始まり、参加国の追加や脱退を経て2018年にようやく締結・発効した。

 11ヶ国間の交渉に実に13年もの時間を要したわけで、この世界で同様のものを作るとなれば、どれだけの時間がかかるかしれない。

 

「まあ全権大使をやりとりしての交渉は二年以上続いていたそうですし、今回である程度形はできるかもですね。

 伯父上は今回で成立させたがってるようですが、どうなりますやら」

「交渉というのはそれほど時間がかかるものなんですの?」

 

 リアスの質問。

 一瞬貴族としてどうかと思うが、経済官僚でもなく軍人貴族ならこんなものかなと思い直す。

 

「戦争に置き換えてみて下さい。たとえばディテクとライタイムが戦争をしたとして、どちらかが相手にある程度要求を呑ませられるだけの優勢を確保するまで続くとしたら、一月や二月で終わると思います?」

「・・・無理ですわね。どちらかがよほどの失策をするか、それこそレスタラの空中要塞のような何かがあれば別ですが」

「そういうことです」

 

 リアスに頷く。

 戦争や戦いの話に置き換えると割と理解が早いのが最近わかってきたヒョウエである。

 そんな彼を、カスミが尊敬の目で見つめていた。

 

「けどあたしらに関係のある話でもねえだろ?」

「まあそうですね。基本的に関係するのは税吏と商人、後は農民とか鉱夫とか職人とか、まっとうに働いてる人たちだけでしょう」

「あたしらまっとうに働いてない人間には関係ないわけだ」

 

 にひひ、と笑うモリィに肩をすくめて見せる。

 

「そう言う事です――もっとも、商人の往来が盛んになれば護衛の冒険者の仕事も増えるかも知れませんけど、僕達には余り関係ない話ですね」

「護衛の仕事は金にならねえからなあ」

「そうなのですか、モリィ様?」

 

 エブリンガー以外で活動したことがないので、実は冒険者一般にはうといカスミが聞く。今度はモリィが肩をすくめた。

 

「とにかく拘束期間が長いからな。最低でもコーストとかトラルとか大きな街までずっとだし、その割に一日あたりの報酬はショボいんだよ。飯には困らないから、駆け出しの頃はありがたい仕事なんだけどな」

「はー・・・」

 

 食事その他を現物支給するので、その分更に報酬が安いとも言う。

 ゴブリン退治や狼の駆除と並んで、駆け出し冒険者御用達の仕事だ。

 もっとも、山賊でも凶悪な相手にはそうした赤等級冒険者などは気休めにしかならないのだが・・・

 閑話休題(それはさておき)

 

 食事がもうすぐ終わりそうになった頃、リーザが真剣な顔で額のサークレットに手を触れる。

 同時にサナが目を閉じて精神を集中した。

 

「ヒョウエくん!」

 

 ヒョウエが無言で頷き、口の中のものを飲み下す。

 

「どうやら僕の出番ですね」

 

 傍らの杖に手を伸ばすと、その姿がふっと消えた。

 

 

 

 太陽が地平線の下に消えようとする街道。

 周囲には既に暗闇が忍びよりつつあり、歩いている旅人の姿はない。

 旅人の姿は。

 

「ちっ、てこずらせやがって」

「ぐ、うう・・・」

 

 血だまりと共に地面に転がるのは急使らしい男。

 その背には矢が二本。

 日没で城門が閉まる前にメットーの中に入ろうと急いでいたところを野盗に襲われたのだろう。

 

 その周りを囲むのは野盗らしき数人の男。

 近くでは彼が乗っていた馬が暴れるのを押さえ込もうとする野盗の仲間の姿があった。

 

「なんだあ? ろくに持ってねえじゃねえか」

 

 急使の持っていたかばんを広げて、失望の声を上げる野盗の頭。

 こうした急使は手形や宝石類などを運んでいることがあり、それを狙って襲ったのだろう。

 だがかばんの中に入っていたのは厳重に封をされた装飾を施した小箱・・・重要な手紙などを入れるための文箱(ふばこ)だけだった。

 

「まあ、こいつが何かによるな・・・」

 

 こう言う訳ありのものを買い取ってくれそうな故買屋の顔を思い浮かべ、封を切り開こうと腰からナイフを抜く。

 そこで頭は鬱陶しそうな顔になって足元に視線を落とした。

 

「か・・・えせ・・・」

 

 急使が頭の足首を掴んでいた。

 あと数十分ももたないような状態でなお自分の使命を果たそうとする急使。

 だがそれも盗賊にとっては鬱陶しい死にぞこないでしかない。

 

「るせえ、とっとと死ね!」

 

 抜いたナイフを逆手に持ち替え、振りかぶって急使の背中に突き刺そうとした瞬間、頭領の動きがぴたりと止まった。

 周辺にいた他の野盗も。そして馬までもが動きを止めて空を仰ぎ見る。

 

 急速に光を失っていく空の中にも鮮やかにひるがえる真紅のケープ。

 深く透き通った光をたたえる青の騎士甲冑。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 青い鎧は急使に駆け寄って傷口に手を当てた。

 既に周囲の野盗どもはうめき声一つあげず気絶している。

 メットーから離れた場所で活動していたために青い鎧の目を逃れていた彼らも、ついに幸運の種が尽きたというところだろう。

 あるいはリーザの能力が更に拡大しつつあるのかも知れない。

 

「ぐ、うう・・・」

「動きめされるな。傷は深いぞ」

 

 青い鎧の手から強力な魔力が放たれ、急使の全身を覆う。

 治癒の魔力が全身を駆け巡り、傷口をふさぎ、失われた血液を補填する。

 急使の顔にも血の気が戻ってくるが、もとの出血が激しい。

 しばらくは動けないだろう。

 

「こ・・・これを・・・」

「これは・・・?」

 

 右手の文箱を差し出す急使。

 気絶させられた頭領が落としたものを、瀕死の状態ながら這い寄って拾い上げていたらしい。

 

「あ、青い鎧・・・あなたに預け・・・どうか・・・」

 

 青い鎧がその手を文箱ごと握ると、急使は安心したように意識を失った。

 慌てて脈をとり、呼吸もあるのを確認すると青い鎧は安堵の息をつく。

 

(さてどうしたものか)

 

 "意識覚醒(アウェイクン)"の呪文などで強制的に目覚めさせることは出来るが、大きなダメージを受けた状態でそれをやると脳に深刻な後遺症が残る恐れがある。

 軽々しく使うことはできなかった。

 

(やむをえないか)

 

 溜息をつくと、馬に近づいて鞍の上に急使をくくりつける。

 右手に馬、左手に野盗達十数人をひとまとめにして持ち上げると、青い鎧は飛び立つ。

 メットー目がけて飛ぶ青い鎧の後ろで太陽が地平線に没し、周囲は闇に包まれた。



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第一章「謎の円盤」
07-01 託されたもの


「UFO撃退の準備はできた!」

 

     ――謎の円盤UFO OPナレーション――

 

 

 

 メットーに到着する寸前に日が沈み、城門は閉じられた。

 ピクピク痙攣する野盗達を城壁の上の守備兵たちに預けると、青い鎧は最寄りの医神(クーグリ)の神殿に急使を預け、姿を消した。

 次の瞬間、屋敷の食堂にヒョウエの姿が現れる。

 

「ヒョウエくんおつかれ・・・どうしたの、それ?」

「実はかくかくしかじか」

「ふぅん?」

 

 ヒョウエの手の中の、血まみれの文箱に一同が目を落とす。

 我々の世界で言えばタブレットほどの大きさの金属製の箱だ。

 精緻な彫刻と象嵌が施されており、箱自体かなり高価なものとわかる。

 調べてみなければわからないが、何らかの魔力も付与されているようだ。

 当然、それを使うのもかなり身分の高い人間だろう。

 川の流れと川端に咲く花をかたどった装飾と、箱を閉じる紐に施された封蝋の紋章を見ながら、ヒョウエが首をかしげた。

 

「この装飾はゲマイっぽいですね。でも封蝋を使うと言うことはディテクかライタイムかな・・・?」

「ゲマイのリムジー家だと思いますわ」

「!?」

 

 視線がリアスに集中した。

 

「この山猫(ワイルドキャット)と『X』の字の意匠はリムジー家のものですわ。

 リムジー家はゲマイを建国した八つの名家――『創世八家』の一角ですが、八家の中では比較的外との交流が多いせいか、封蝋を使うこともあるそうです」

「なるほど・・・よく知ってましたね。凄いですよリアス」

「ええまあ」

 

 ヒョウエの驚きと尊敬の視線にリアスがはにかむ。

 もっとも、それも次のモリィの言葉を聞くまでだったが。

 

「マジすげえな。リアスのくせに」

「何ですって?!」

「ちょ、落ち着け! 褒めたんじゃねえかよ!?」

「ほめ言葉ではありませんわ!」

「お嬢様、落ち着いて下さい!」

 

 そのまま取っ組み合いというか、一方的な蹂躙が始まるのをカスミが必死に止めようとする。

 

(まあ家紋は言ってみれば敵味方識別コードですからね・・・本当に戦いに関する事だけは凄いなあ)

 

 恐らくは戦場で必須の知識として叩き込まれたのだろう。

 とは言え普通は専門の紋章官という役職が置かれるほど煩雑なのが貴族の紋章というものである。

 それを外国のものまで一目で見分ける知識の広さと深さは十分尊敬されてしかるべきことだが・・・

 

「まあ日頃の行いですねえ」

「ヒョウエ様! それは余りにひどうございますわ!」

 

 ショックを受けた顔でリアスが振り向く。

 戦場の知識は砂が水を吸うように我がものとするのに、なぜ貴族として必須の教養は石畳のように表面を流れ落ちていくのだろう、という感想は流石に口には出さなかった。

 

 顔をわしづかみにされたモリィがイソギンチャクのように痙攣している。

 サナは礼儀正しく何も言わない。

 リアスを止めようとしていたリーザとカスミが、目を見合わせて同時に溜息をついた。

 

 

 

 しばし後、何とか事態を落ち着かせて全員が再び席に着く。

 頭蓋骨を握りつぶされかけたモリィはテーブルの上に突っ伏して動かない。

 真剣な表情で手元の文箱を凝視するヒョウエ。

 

「・・・」

 

 しばしの沈黙の後、リーザが問いかけた。

 

「どうしたの、ヒョウエくん?」

「リアスの言う通り、この箱がリムジー家のものだとしたら腑に落ちないことが一つ――今ディテクに来ているゲマイの代表はファーレン家の当主です。

 リムジー家の人間ではない」

「!」

 

 沈黙が落ちた。

 今明かされた事実がなにを意味するか、それぞれに考えている。

 

「ファーレン家・・・『創世八家』の一つで、筆頭格でしたわね」

「はい。当然、現在の魔導君主の一人でもあります」

 

 ゲマイは大陸全土を見渡しても唯一と言われる魔導共和制国家だ。

 術師が支配階級であり、その頂点に君臨するのが八人の魔導君主だ。

 概ね創世八家の当主がその地位につくが、術師としての実力や政治的判断によってはそれ以外の人間がその座につくこともある。

 術師と平民の区分けは絶対的なものであるが、面白いのは支配階級である術師たちの特権が「政治に携われること」と「敬意を払われること」のみであり、少なくとも法律の上では術師と平民の扱いに差がないことだ。

 

 術力を持っていれば親が平民でも支配階級の一員になれるし、逆もまた然り。

 術師が犯罪を犯したときと平民が犯罪を犯したときも扱いに差はないし、犯人が平民で被害者が術師であるからと言って、犯人の罪が重くなったりはしない。

 民事訴訟で術師と平民が争うときでも、少なくとも裁判官の扱いには全く差がない――まあ、腕のいい弁護士を雇えるかどうかで財力の違いが出る事はあるが。

 

「そういう意味で一度行ってみたい国ではあるんですが、割と閉鎖的なところですからねえ」

「ヒョウエ様があの国に生まれていたら、魔導君主の座は間違いないところでしょうね。何でしたら"魔導上王(キング・オブ・キングス)"も狙えるのでは」

 

 笑みを浮かべたサナが珍しく冗談を飛ばす。魔導上王はゲマイで稀に置かれる、八人の魔導君主をも従える絶対的支配者のことだ。よほどの魔力がなければ任じられる地位ではない。

 果たしてヒョウエが渋い顔になった。

 

「嫌ですよ、王様なんて。面倒くさいだけで何もいいことありゃしません」

「まあヒョウエくんならそう言うよね」

 

 くすくすとリーザが笑う。つられてリアスとカスミも笑み。

 更にヒョウエが渋い顔になった。

 

「まあそれはさておき」

 

 表情を真剣なものに戻す。

 

「ファーレンは創世八家の筆頭格ですが、リムジーもそれに次ぐ勢力を誇る家です。まあ特殊な家もありますが・・・概ねゲマイのナンバー1とナンバー2と言っていいでしょう。

 となると色々想像してしまいますよねえ。実は内部は一枚板ではなくて、協定賛成派と反対派がいるとか、交渉代表の座を巡って暗闘があったとか、単に権力争いの一貫であるとか」

「えぇ・・・。国の代表なんだから、みんな納得してるんじゃないの・・・?」

「人間が三人集まれば派閥が出来る、なんて言葉もありますからね。ディテクだって伯父上やフィル爺、父上が比較的うまくやってますから目立たないだけで、やっぱりあれこれの派閥はありますよ。

 それをまとめなきゃならないのが国王というものです」

「なるほどなあ。そりゃお前じゃなくてもなりたくねえわな、そんなもん」

 

 ようやく体力を回復したモリィがこめかみをさすりながら上体を起こす。

 

「あら、復活されたんですのね」

「あたしの頭をトマトみてーに握りつぶそうとした奴のセリフかっ!

 このゴリラ女がっ!」

「一万歩譲って気心知れたと言って差し上げてもいい程度の仲ではありますが、それでも言っていいことと悪いことがありましてよ!」

 

 またつかみ合いになりそうな二人の頭を、ヒョウエが杖で軽く叩く。

 

「あいてっ!」

「痛い!」

「はいそこまで。人の家で騒がないよーに。

 まあこうしていてもしょうがないですね。それでも素直に考えれば国元を任されたナンバー2が、国外のナンバー1に何か急ぎ手紙を送った・・・というところで不自然ではないんですが。

 それにしてはあの急使の人の様子が不自然だった気もするんですよねえ」

 

 必死に文箱を取り返そうとしていた様子や、青い鎧と知って文箱を託そうとしていた様子を思い出す。

 

「単に代表団に届けて欲しいならそう言うと思うんですよね」

「それは・・・確かにそうなりますね」

 

 カスミが考え込む。

 サナが言葉を継いだ。

 

「そうなると中を見なくてはなりませんが・・・ヒョウエ様なら封蝋を割っても修復できるのでは?」

「あ、なるほど」

 

 それは気付かなかった、とモリィが感心顔になる。

 

「やっぱ便利だな修理の魔法。手紙でも何でも中を覗きほうだいじゃねえか」

「まあそうですけど今回は使いませんよ」

「どうしてだよ?」

「・・・」

 

 ヒョウエが少し呆れ顔になるが、考えてみれば術師でない人間にはあの時何をやっていたかわからないか、と考え直す。

 

「前回の事件で、迷宮の中のレスタラのアジトを探してたでしょう」

「ああ、大工のトンカチ使ってたな」

念響探知(サイコキネティックロケーション)。まあそれはともかく、あの時に透視の呪文も併用してたんですよ。範囲がせいぜい2m程度だったんで、余り役には立たなかったんですけどね」

 

 透視と言っても初歩の術であるから、目の前の壁を抜けてその先の光景が見えるわけではない。

 あくまで自身から2mの範囲内のものを壁を抜けて知覚できるだけだ。

 (なので壁の近くにいなかった蝙蝠獣人を知覚できなかった)

 

「ですが、箱の中を見るだけなら十分というわけですわね」

「です」

 

 リアスの言葉にパチン、と指を鳴らす。

 

「じゃあちょっと覗いてみます。集中しますので皆さんお静かに」

 

 無言で少女たちが頷き、ヒョウエが文箱の上に手をかざす。

 まず発動したのは"魔力解析(アナライズ・マジック)"。

 

(やっぱり探知阻害系の術・・・それに物質強化と魔法の鍵の呪文も付与されているか。透視系を使って反応する呪文罠は・・・ないかな?)

 

 しばらく魔法的なあれこれを調べてから今度こそ透視(シースルー)の呪文を発動する。術自体は初歩の物だが、術力が桁違いに高いために防御呪文も意味を為さない。

 

「ん・・・んんん? これは・・・これは!?」

「ヒョウエくん!?」

「ヒョウエ様!」

「ヒョウエ! おいどうした?!」

 

 口々に名を呼び、彼を案じる少女たち。

 それらの言葉も聞こえないかのように、ヒョウエは手をかざしたまま呆然としていた。




ゲマイ→イメージ(コミック)
リムジー→ジム・リー
ファーレン→トッド・マクファーレン

イメージ・コミックはアメコミの準大手出版社、有名どころはスポーンとか。
ジム・リーとトッド・マクファーレンは創立に関わった有名アーティスト(漫画家)です。


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07-02 グルグル回ーる

「おい、大丈夫かよ。どうしたんだ?」

 

 モリィがヒョウエを揺する。

 それでようやく我に返ったようだった。

 

「あ、ええ、すいません。ちょっと自失してました」

「そりゃわかるけどよ、いったい何が? よっぽどヤバいもんでも入ってたのか?」

「やばいというか呆れるというか・・・」

 

 ヒョウエが指を小さく動かすと、文箱の上に平べったい絹の包みが出現した。

 半透明なので幻影とわかる。

 

「これが中身です」

 

 もう一度指を動かすと、包んでいた絹がほどけて広がる。無駄に芸が細かい。

 現れた中身を見て、少女たちが一斉に表情を動かした。

 

「これは・・・! なんだ?」

「えーと・・・?」

「???」

「・・・」

「ヒョウエくん・・・なにこれ?」

 

 困惑するリーザたち。ヒョウエも頭痛をこらえるような表情で、こめかみを揉んでいる。

 

「まあわかりませんよね」

 

 宙に浮いているのは厚さ1センチ、直径10センチ弱ほどのつるっとした円盤。

 よく見れば薄い透明な二枚の円盤の間に、濃い茶色の何かが挟み込まれている。

 

「磁気テープ・・・多分オープンリールテープと呼ばれる、僕の元の世界に存在した記録メディア――まあ本みたいなものです」

 

 宙に浮かぶ円盤を見ながら、ヒョウエが溜息をついた。

 

 

 

「はあ・・・」

 

 ヒョウエがもう一度溜息をついた。

 彼の目の前では謎の円盤・・・オープンリールテープの幻影がゆっくりと回転している。

 

「このサイズだと音声用かな・・・? いや、昔のコンピューターの記録機器もこんな感じだったような・・・」

 

 ヒョウエが頭をひねる。メーカーのロゴでも書いてあれば見当がついたのだろうが、残念ながらテープの円盤(リール)部分には何も書いておらず、手掛かりにできるようなものはなかった。

 

「よくわかりませんが、つまりこれは、転生者の方々が向こうの世界から持ち込んだ品と言うことでしょうか?」

 

 王族かつ転生者であるヒョウエのそばにはべり、その辺の事情に多少は通じているサナが疑問を呈する。

 

「姐さん、そんなことあるのかよ? ヒョウエみたいなのって赤ん坊で生まれてくるんだろ?」

「転生者とひとくくりにはしていますが、ニホンから来る方々はヒョウエ様のように子供として生まれてくる場合と、向こうでの姿そのままにこちらに移ってくる場合があるそうです。

 転生者と転移者、と呼び分けるのが正確なのでしょう。後者の場合は持ち物もそのままこちらに移動してこられるそうで」

「向こうの世界の魔法で作られたものということですか」

「それで、どう使うのでしょう、これは?」

「いやその・・・」

「?」

 

 いつも大抵の事はわかりやすく解説してくれるヒョウエが口ごもる。

 珍しい事態に少女たちが首をひねった。

 

「ヒョウエくんでも知らないくらい珍しいの?」

「珍しいというか何と言うか」

 

 ヒョウエが苦笑する。

 

「向こうの世界の魔法にも色々種類がありまして、僕の生まれた頃にはとっくにすたれてた魔法なんですよねえ、これ」

 

 このタイプの磁気テープが市販されていたのはおおよそ1950年から60年代。

 それ以降はカセットテープに駆逐されて業務用ですらほとんど使われていない。

 コンピューター関連ならなおさらで、業務用のメインフレームならまだしも一般人の目に触れるところで使われる規格ではなかった(一応パソコン用も存在はする。本当に一応)。

 平成生まれの人間には伝説のアーティファクトと大差ない代物である。

 

「それではヒョウエ様でもわからないと言うことですか・・・困りましたね」

「その通りです。ですので、わかる人の所に聞きに行きましょう。明日の仕事はお休みですね、これは」

「ああ、あのひとたち?」

「ええ」

 

 リーザとサナが頷く。

 残り三人の頭の上にはハテナマーク。

 

「明日一緒に行きましょう。そのうち紹介するつもりでしたし、ちょうどいい」

 

 そう言うと、ヒョウエは食べ残していたデザートのカスタードクリーム乗せビスケットを口にした。

 

 

 

 翌日。

 朝食を終えて朝一番で向かったのは、スラムの中心である「道化(ハーレクイン)」広場からニコルソン通りを北に向かい、メットーを南北に分ける東西の大通りを越えて少し行った場所。

 王都の中央をそれぞれ東西と南北に貫く大通りはメットーのメインストリート。それを更に四等分する井桁状の四本の通りはそれに次ぐ賑わいを見せる準メインストリートである。

 そこに面した場所、しかも中流以上が住む地域に店を持っているあたりはかなり繁盛しているのだと見えた。

 

「なんだ? アキリーズ&パーシューズ魔法道具店?」

「ええ。僕の兄弟子と姉弟子の店ですよ。おはようございまーす」

「おーう」

 

 ヒョウエが挨拶しながら店の扉を開けて入っていくと、太い声が答えた。

 続いて中に入った三人が、ぎょっとして身をすくめる。

 のっそりと、巣穴から出てくる虎のように店の奥から現れたのは巨漢の男であった。

 

 熊と言うには細く、狼と言うには大きい。

 身長は2mほど、たくましい体つきだがそれなりに均整が取れている。

 野性的な太い眉にがっしりとした顔つき、そこそこ程度のハンサムだがどこか涼しげで愛嬌がある。

 にっ、と。

 ヒョウエを認めて、その唇が笑みを作る。

 

「おはようございます、兄さん。姉さんは?」

「外回りだよ。借金返す算段は付いたか?」

「うっ。毎月少しずつ払ってるじゃないですか」

 

 縮こまるヒョウエ。巨漢は溜息をついて肩をすくめる。

 

「借金のカタに生皮剥がされたくなかったら急いだ方がいいんじゃないか? うちの嫁さんは怖いぞ」

「そりゃわかってますけど・・・」

「なんだお前、あちこち借金あるな」

 

 モリィが呆れたように言う。

 

「兄さんたちへのは必要経費ですよ。ほら、怪人ムラマサとやりあったときの敏捷性強化の腕輪。あれを壊しちゃった代金ですよ」

「あー」

 

 あの時一緒に戦ったカスミが納得の声を上げた。

 

「で、借金返しに来たんじゃなかったらなんだ? また魔道具かっぱらいに来たのか」

「魔道具と言えば魔道具の話ですね。ただ、この世界の魔法で作ったものではないですけど」

「ほう?」

 

 巨漢の片眉が興味深そうに持ち上がった。

 視線がモリィ達三人の上を流れる。

 

「そう言う事なら茶ぐらい出してやる。お前の仲間も紹介してもらいたいしな」

「ええ、そのつもりですよ」

 

 ついてこい、とジェスチャーで示して巨漢が奥に入っていく。

 にっこり笑ってヒョウエがそれに続いた。

 

「ところでそっちがニシカワ家の白甲冑か・・・後でちょっと見せてくれないもんかね? もちろん変な事はしない。調整して調べて構造を記録するだけだ」

「も、申し訳ありませんが・・・」

 

 目に異常な光を宿し、両手をワキワキと動かすイサミ。やや顔を引きつらせてリアスが断ると、イサミはがっくりと頭を垂れた。

 

「そうか・・・残念だな・・・ヒョウエは隅から隅まで見たのにな・・・」

「いかがわしい言い方をしないで貰えますかね、兄さん」

 

 半目で兄弟子に突っ込むヒョウエ。

 

(((確かに兄弟弟子だな/ですわね/でございますね・・・)))

 

 そんな二人を見て、三人娘の心の声が綺麗に一致していた。

 

 

 

 卓に付き、茶を淹れて自己紹介を終える。

 

「で、ものはなんだ?」

「これです」

 

 ヒョウエが手を前に出すと、手のひらの上に先ほどと同じオープンリールテープの幻影が浮かび上がった。

 

「へえ」

 

 巨漢が興味深げに身を乗り出した。

 

「兄さんならわかりません?」

「俺も詳しくはないぞ。こんなもん、どこの家にもあるもんじゃなかったからな」

「そうなんですか? 昔は一家に一台オープンリールデッキがあったみたいな事を聞きましたが」

「レコードプレイヤーの間違いだと思うぞそれ」

「ちょ、ちょっとお待ちになってください!」

「ん?」

「何だい、伯爵閣下」

「あ、リアスでけっこうです・・・そうではなくて! そう言う話が通じるというのはまさか・・・」

「・・・」

 

 ヒョウエと巨漢が視線を合わせる。

 

「なんだお前言ってなかったのか?」

「言ってませんでしたっけ?」

 

 と、これは三人娘に向けてヒョウエ。

 

「聞いてねえよ!」

「聞いておりません!」

 

 珍しくモリィとリアスが声を揃えてつっこんだ。カスミも口には出さないが同様の表情をしている。

 

「じゃあ改めて紹介しますか。こちらはイサミ・ハーキュリーズ。僕の兄弟子であり・・・僕と同じ転生者です」

「・・・!」

 

 無言の驚きが部屋に満ちた。

 




アキリーズ→アキレウス
パーシューズ→ペルセウス
ハーキュリーズ→ヘラクレス

なお某ダンジョンで何かする小説の主人公の名前はヘラクレスをもじった物であるという説があります。
特に関係ありませんが。ありませんが。(強調)


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07-03 もう一人の転生者

「俺はこいつ(ヒョウエ)と4つ差でな。つまりあっちだと40年くらいの差があるってこった」

 

 「おいこいつまさかこのツラで20才かよ」というモリィの視線が突き刺さる。

 慣れているのか目元をぴくりとさせるだけのイサミ。

 ヒョウエが礼儀正しく気付かないふり。

 同じく礼儀正しく気付かないふりをするカスミ。

 

「僕たちにも理由はわかりませんけど、向こうでの年の差の十分の一くらいがこちらでの年の差になるらしいんですよ。なので、年代的には丁度これが使われてた時期に重なるんですよね」

「まー時期だけならな。見た事はあっても手に取ったことはないぞ」

「そうなんですか? カセットテープみたいなものでしょう?」

 

 ヒョウエが首をかしげると、イサミが肩をすくめた。

 

「馬鹿言え、8ミリカメラとかオープンリールデッキとか、金持ちのおもちゃ以外の何ものでもねえよ。あれ給料の三ヶ月分くらいしたんだぞ?」

「愛と同じ値段ですね」

「あれも不条理だよなあ。誰が決めたんだか」

 

 1970年大阪万博のころの8ミリカメラ本体が大体そのくらいであったと言う。 

 金持ちか、よほどの趣味人でもなければ手の出せない代物だ。

 

 なお「お給料の三ヶ月分」は当時ダイヤモンド販売を牛耳っていたデ・ビアス社のキャッチコピー。

 昔懐かしパタリ■の国際ダイヤモンド輸出機構の元ネタだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「まあともかくオープンリールデッキはまだマシだが、それでもホイホイ買えるもんじゃねえ。あの時代に一般人が音楽聞くならレコードプレイヤーだな。

 オープンリールテープはそれより高級路線で売り出したけど普及しなかった・・・まあレーザーディスクみたいなもんだ」

「レーザーディスクってなんです?」

「!?」

 

 イサミが愕然とした表情になり、次いで手で顔を覆ってテーブルに肘を突く。

 

「ど、どうなされたんですの?」

「ジェネレーションギャップを受けてるんでしょう。いい年なのはいい加減自覚してると思いましたが」

「うるせえ! 転生したんだから今はピチピチの20才だよ!」

「そのピチピチって表現が既に古いんですが・・・」

 

 どう反応していいかわからない、という顔のヒョウエに、がーっと吼える。

 

「うるせえって言ってるだろ! デッキを買って悪いか! 昔のアニメ見たさに給料の大半をLDボックスにつぎ込んだのが悪いか! その後すぐにDVDの時代になって周囲から笑われたのがそんなに悪いかちくしょうめ!」

「いえ、悪くありませんから話を進めてください」

 

 勢いに気圧されつつも、何とか兄弟子をなだめようとするヒョウエ。

 はあはあと息をつきつつも、イサミが平静を取り戻す。

 

「ともかくだ、多分コンピューターの記録用とかじゃあないな。あれもっとでかかったはずだし」

「じゃあやっぱり音楽用とかですか」

「いやあ、音楽用のももっと大きかった気がする。

 なんだったかな、録音再生できる小型の奴だったような・・・」

 

 うーん、と二人で唸るヒョウエとイサミ。

 手持ちぶさたな三人娘がお茶をすすっている。

 

「というか、これゲマイの連中が運んでたって事は、ひょっとしてあいつらオープンリールデッキ持ってるのか?」

「じゃ、ないでしょうかねえ」

「あの方々は大抵の事は魔法で出来ると聞きますが・・・。わざわざ異世界の物品を使うのですか?」

 

 話が変わったところでリアスが疑問を挟んできた。

 男同士で話が盛り上がっているので、ヒョウエと話をしたくて我慢できなくなったらしい。

 

「魔法が高度に発達した国だからじゃないですか? 魔法で盗聴する手段もそれを防ぐ手段も沢山あるでしょうが、これ(テープ)なら根本的に、魔法で解読することも盗聴することも出来ません」

「ああ・・・」

 

 納得がいったのかリアスが頷いた。目に感心の色がある。

 

「異世界から持ち込まれたものを魔法で直すなりなんなりして使っているのですね」

「でしょうね。あるいは・・・あっ」

「どうした、ヒョウエ?」

「思い出しました! オープンリールデッキのありかに心当たりがあります!」

「マジか?!」

 

 ヒョウエ以外の四人が一斉に目を丸くした。

 

「で、心当たりって?」

「王宮ですよ。宝物庫で小さな頃にそれらしいものを見た記憶が」

「そこかあ」

 

 子供の頃、いとこたちと共に宝物庫を見せて貰ったことがある。

 ニホンから持ち込まれた物品を展示した一角があり、日本刀や武士甲冑、キセルやサイドカーなどが展示されていた中にそんな形のものを見たような気がするのだ。

 

「じゃあ王様に頼んで見せて貰うか」

「それだと僕が青い鎧だって事がばれちゃうじゃないですか」

「なーるほど。じゃあ手は一つしかないなあ」

「ありませんねえ」

 

 にやり、と兄弟子弟弟子が悪い笑みを交わす。

 三人娘が顔色を変えた。

 こいつならやりかねないという表情のモリィ。

 まさかという顔のリアス。

 そして思わず声の出たカスミ。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいヒョウエ様。まさかとは、まさかとは思いますが・・・」

 

 悪い顔が揃ってカスミに向けられる。

 

「そのまさかですよ。カスミも協力してくれますよね?」

「・・・」

 

 絶句する。

 

「やってくれますよね?」

 

 にこにこと、肩に置かれる手。

 ちらりと主人の方を見るが、事件の解決への義務感とヒョウエへの好意と貴族としての倫理観がせめぎ合ってフリーズを起こしている。

 

「か、考えさせて下さい・・・」

 

 カスミにはそう答えるのが精一杯だった。

 

 

 

「うう、まさか王城に泥棒に入るなんて・・・」

「カスミの術が必要なんですよ。申し訳ありませんが」

「あたしまで連れてくることねえだろ!?」

「魔法的トラップがあった場合モリィの目が必要なんですよ」

 

 いつもの四人からリアスを引き、イサミを加えた四人組がヒョウエの杖に乗って王都の空を飛んでいた。

 まだ午前中だが、その姿は当然ながらカスミの透明化の術で見えなくなっている。

 

「大丈夫ですよ、僕が一緒なんですから最悪でも暫く牢にブチ込まれるだけですみます」

「十分大ごとだ!」

 

 ちなみにリアスにはご遠慮願った。

 今回のスニーキングミッションには鎧兜のサムライは邪魔でしかない。

 一緒に行きたい気持ちと王城に忍び込むなど畏れ多いという気持ちの狭間でひどく複雑な顔をしていたが。

 

 昼日中にもかかわらず、侵入は完璧に成功した。

 王宮にも透明な賊に対抗する為のトラップや、透明看破の術を身につけた光術師たちはいる。

 が、王宮の間取りどころかトラップの位置と種類、果ては隠し通路まで全部知っているヒョウエが相手では流石に分が悪かった。

 まだ朝で、この時間帯に侵入する賊などまさかおるまいという先入観も有利に働く。

 王族用の隠し通路から侵入したヒョウエたちは物質分解(ディスインテグレイト)の術で宝物庫の下まで穴を掘り進め、まんまと侵入を果たしたのである。

 

「うわあ・・・」

「すげっ・・・」

 

 カスミとモリィの口から感嘆の声が漏れた。

 さすがに大陸二大国家の王宮の宝物庫。平民どころか下手な貴族でも一生お目にかかれないような宝物のオンパレードである。

 博物館の類が存在しない世界であるから尚更だ。

 イサミも口笛を吹いている。

 

「はいはいお静かに。沈黙の結界を張ってますけど、仕掛けがないとも限らないんですからね」

「お前も多芸だなあ」

大魔術師(ウィザード)ですから。音の術も便利だというのをこの前身に染みて実感しましてね。新しく習得したんです・・・あ、多分あそこですね」

 

 王宮に仕える"沈黙術師(サイレマンサー)"や、少し前に冒険を共にしたクライムファイターを思い出しつつ、ヒョウエが宝物庫の一角に向けて歩き出した。

 

 

 

「おお、懐かしき文明の香りよ」

「生まれ変わったとは言えノスタルジーを感じますねえ」

 

 うんうんと頷き合う転生者二人。

 彼らの目の前には陸王のサイドカーや三八式歩兵銃、日本刀やかんざし、望遠鏡やラジオ、昭和初期の少年雑誌や懐中時計などがずらりと並べられていた。

 中には8ミリカメラや明治時代のものらしき映写機などもある。

 

「お、これじゃないか」

「ですね」

 

 40センチ四方ほどの箱を見つけ、ヒョウエとイサミがその前にしゃがみ込む。

 箱の右上には例の円盤より大きめな、空の円盤がはまっていた。

 モリィとカスミがその後ろから覗き込んだ。

 

「さて、それじゃ帰りますか」

「帰るのかよ!?」

 

 モリィが全力で突っ込んだ。




>一緒に行きたい気持ちと王城に忍び込むなど畏れ多いという気持ちの狭間
ああっ、どうすれバインダー!


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07-04 イサミの《加護》

「え? このまま帰るんですか?」

「この『でっき』を持ち帰るんじゃねえのかよ!?」

「声が大きいですよ。沈黙の結界があるとは言え、我々が隠密行動中だと言うことをお忘れなく」

「お前が言うなお前が!」

 

 イサミがしばらくオープンリールデッキをいじくり回した後のやりとりである。

 

「大体持ち帰るとか何を言ってるんです。僕たちは泥棒じゃないんですよ?」

「泥棒以外のなんだってんだよ」

 

 モリィの白い目にもヒョウエは動じない。

 

「まあそれは見てのお楽しみってやつだ」

 

 ニヤリと笑ってイサミが立ち上がった。2mの身長のせいで小山が立ち上がったような錯覚を覚える。

 大男はそのまま連れだってヒョウエと歩き出してしまった。

 

「ほら、行きますよ」

「あ、待てよ・・・どうする?」

 

 困ったようにカスミを見下ろすモリィ。

 問われたメイドの少女は、色々諦めたような顔で首を振った。

 

 

 

 そのままヒョウエたちは本当に帰って来てしまった。

 むろん床の穴やトンネル、隠し通路の痕跡や解除したトラップなどを全て元に戻して、である。

 そのまま透明化して空を飛び、イサミの店に戻る。

 店に入ってきた一行を見たリアスが、心底安心した表情を見せていた。

 

「え? 『でっき』を持ち帰ってこなかったんですの?」

「ひどいですねえ。リアスは僕が泥棒をするような人間だと思ってたんですか?」

「え? い、いえ、そんな事はつゆほども・・・」

 

 動揺するリアス。

 意地の悪い笑顔をしていたヒョウエの頭をモリィがはたいた。

 

「あたっ」

「誰がどう聞いたってそう思うだろ・・・で、イサミのにいさんよ。これから何をどうするんだ?」

「おう、奥でやるからちっとついてきな」

 

 にやり、と笑み。

 するすると巨体に似合わぬ滑らかな動きで奥に消えるイサミと、それに続くヒョウエ。顔を見合わせた後、三人娘はその後を追った。

 

 

 

 入った先は作業室のような部屋だった。

 ちょっとした納屋か馬小屋くらいのスペースがあり、表と直接繋がっている。

 

「魔道具を組み立てたりする場所です。大型の魔道具、例えば馬車などにあれこれ組み込む場合もあるので、こうして外に直接出せるようにしてるんです」

「なるほど」

「ヒョウエ、外の鍵を確かめてくれ。それから障壁頼む」

「はい」

 

 表に続く大扉の鍵を確かめると、ヒョウエが短く呪文を呟いて大部屋全体に念動障壁を張る。

 モリィが目を見張った。

 

「・・・何をやるんだ?」

「見てりゃわかる」

 

 大男は笑みを浮かべると作業台の前に座り込み、表情を真剣なものに戻した。

 深呼吸して作業台の上の見えない何かを包むように手を広げる。そして集中。呪文はない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 他の四人も自然と無言になる。

 緊張が場を支配する。

 僅かに耳鳴りがするような気がした。

 

「!」

 

 モリィが僅かに目を見張った。

 広げた両手から、その中間点に向かって光の糸が流れていく。

 最初は一本、二本と増えていたそれはあっという間に無数の光の糸の束となり、広げた手の中間で結びつき、絡まり合い、何かの形を作っていく。

 毛糸で糸玉を作るように、あるいは編みぐるみを作るように。

 

「・・・・・・・!」

 

 モリィとヒョウエがそれを感嘆と共に見守っていると、光がふっと消える。

 作業台の上に、たった今まで存在しなかった奇妙な箱――王宮の宝物庫で見たオープンリールデッキが出現していた。

 

「えっ?」

「なっ!?」

 

 リアスとカスミが驚きの声を上げた。

 魔力を感知できない二人にとっては、全く前兆無しにその場に現れたように見えただろう。

 

「ほい、終わりっと。ヒョウエ、"疲労回復(レスト)"くれ」

「はい」

 

 うーん、と伸びをするイサミの背中にヒョウエが杖を当て、呪文を発動する。

 術式によって指向性を与えられた魔力の流れがイサミの体に伝わり、大量の魔力を練ったイサミの体の疲労を癒す。

 

「OK、そのへんでいい。それで、くだんのテープの現物は?」

「ここに」

 

 ヒョウエがかばんから例の文箱を取り出して作業台におく。

 イサミはそれに両手を触れてしばらく目を閉じていたが、やがて先ほどと同じように集中して両手から光の糸を出す。今度両手の間に現れたのは、文箱の中に入っているはずの小型オープンリールテープだった。

 

「・・・」

 

 もはや言葉もなく、モリィ達がテープとデッキを凝視する。

 

「こりゃあ・・・」

「兄さんはですね、大抵のものは生み出す事ができるんですよ。ある程度集中して物体を解析すれば、ほぼ完璧にコピーできます。ナイフとかりんごみたいなありふれたものなら解析の必要すらありません。なんだったら物体の持つ魔力も複製できますよ」

 

 再度兄弟子の疲労を回復しながらヒョウエ。

 

「べらっぼうな魔力が必要になるがな。光の指輪みたいな小物ならなんとかなるが、それ以上となるとヒョウエ抜きじゃとてもとても・・・まあともかく、これが俺の天より授かった恩恵(チート)ってわけだ。さ、再生してみようぜ」

「電池は?」

「割と使ってるからな。完成したものが既にここに用意してございます」

「まあ、なんてスピーディ。ではセットしてと。何が録音されてるんでしょうね・・・ん?」

「あれ?」

 

 テープとデッキをかちゃかちゃいじってるうちに、怪訝な顔になるヒョウエとイサミ。

 

「どうしました?」

「いや・・・」

「突起にテープがはまらねえ」

「ええ?」

「つまり・・・?」

「王宮に泥棒に入らせといて無駄足かよおい!?」

 

 モリィが顔を引きつらせる。カスミも絶句。

 下手をすれば裁判無しで打ち首になるような真似をして、それが全く無駄だったと言われればこうもなる。

 

「ま、待って下さい! リールは回りますから、物質変性の術でここの突起を細くしてはめ込めるようにすれば・・・」

「あ、そうだな。テープの太さは同じだし、無理にでもセットすれば多分聞けるだろ」

 

 しばらくいじって、無理矢理テープをデッキにセットする。

 

「それではスイッチオン!」

 

 静かに回り始めるオープンリールデッキ。

 二つのリールが回転し、薄い茶色のテープがゆっくりと流れていく。

 しかし、何らかの音を発するはずのスピーカーは沈黙を保ったままだ。

 無言の時間が過ぎるにつれ、モリィの目つきがだんだん剣呑になっていく。

 

「おい」

「ま、待って下さい! セットの方向が表裏逆だったのかも・・・」

「そうか? まあやってみるが・・・」

 

 あれこれやってはみる二人だが、やはり音は出ない。

 二人は知らなかったがオープンリールテープには同じ太さ、同じ音声記録用でも複数の規格があり、それが違うと再生は出来ない。

 同じ規格でも録音スピードによって違いがあり、回転速度をちゃんと合わせないとまともに音が出ない。

 カセットテープと違って磁気テープ黎明期の代物なので、やたらに大量の規格があるのを知らなかったのが敗因であった。

 

「・・・」

 

 ぽきぽき、と指の骨を鳴らしながらモリィが二人に迫る。

 顔を引きつらせて思わず下がるヒョウエとイサミ。

 そのとき、真冬の北風のような声が作業場に響き、二人の動きを凍りつかせた。

 

「面白いことをやっているじゃない。私も混ぜて貰えるかしら?」

「「・・・」」

 

 ぎぎぎぎぎ、とそっくりな動きで声のした方を見る兄弟弟子二人。

 そこに立っていたのは水色の髪をまとめ、メガネをかけた麗人だった。

 前世の日本でなら、スーツを着てオフィスに立っていれば、さぞやり手のビジネスウーマンに見えるだろう。

 

「め、メディ、これはだな・・・」

「あのね、姉さんこれはですね・・・」

「言い訳は結構です」

「「アッハイ」」

 

 一言だけで馬鹿二人が沈黙した。

 

「説明を要求します。嘘も、誇張もなしで」

「「イエス・マム」」

 

 むろん、イサミとヒョウエに逆らうという選択肢はなかった。

 



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07-05 アンドロメダ・ハーキュリーズ

「痛ってぇ・・・」

「ひどいじゃないですか、モリィ」

「黙りなさい、二人とも」

「「アッハイ」」

 

 冷たい目がイサミとヒョウエを睨む。

 頭を抑えて唸っていた馬鹿二人(イサミとヒョウエ)が背筋を伸ばして口を閉じた。

 年齢は20才ほどであろうか、水色の髪をアップにした理知的な容貌の彼女はイサミの妻にしてヒョウエの姉弟子、この魔道具店「アキリーズ&パーシューズ」の共同経営者であるアンドロメダ・ハーキュリーズ――愛称メディ。

 

「うーむ」

 

 モリィが唸る。リアスとカスミは僅かに引いていた。

 

「さて、お三方」

「は、はい」

 

 身を固くする三人娘にアンドロメダが苦笑する。

 

「そんなに固くならないで下さい。このたびはうちの宿六と弟弟子がご迷惑をおかけしました」

 

 深々と頭を下げる彼女に、かえってうろたえる三人。

 

「い、いやそんなこたぁ・・・」

「止められなかった、わたくしどもの責任でもありますし・・・」

「・・・」

 

 かろうじて礼儀正しく無言を貫くカスミを含めた彼女らの様子を見て、メディがクスリと笑う。

 

「そうですね、今はあなたたちがヒョウエの仲間なのですし、あなた方に任せるのが筋ですね。何がとは申しませんが」

「・・・」

 

 三人の視線が何とはなしにヒョウエに集中する。

 ヒョウエが僅かにのけぞった。額に冷や汗。

 

「俺もそっちに任せて貰いたいなあ・・・」

「あなたはこっちに来なさい」

「痛い! 痛いって!」

 

 冷たい目のアンドロメダに耳を引っ張られ、イサミが悲鳴を上げた。

 

 

 

 改めて場所を移して店の奥。お茶をいれ直して全員が卓についていた。

 テーブルの上にはイサミの生み出したオープンリールデッキとテープの複製、そして封をしたままの文箱。

 

「それで、問題はこの"異界遺物(ディファレント・アーティファクト)"ですか」

「なんですよ。これこれしかじかで、青い鎧として受け取ったものなので、おおっぴらに調べるわけにもいかなくて・・・」

「ちょっと待ちなさい、ヒョウエ」

「はい」

 

 メディが三人娘の方に視線を走らせる。

 モリィ達が僅かに身を固くした。

 

「彼女たちには全部話したのですか?」

「ええ。全部」

 

 ヒョウエに頷き返してメディが再び三人に視線を向けた。

 今度はその視線の中にそこはかとない優しさがある。

 

「そうですか。事情を知ってヒョウエの仲間になってくれたのですね。

 天然で考えなしでフラフラしていて、そのくせ無駄にスペックが高くてやたらに突っ走る面倒くさい子ですが、どうかよろしくお願いします」

 

 再び深々と頭を下げる。

 

「・・・」

「あ、いえ、その・・・」

「・・・」

 

 モリィが照れくさそうに頬をかき、リアスがあたふたし、カスミがはにかむ。

 それを見たアンドロメダがにっこりと笑った。

 

「しかし姉さん、何もそこまで言わなくてもいいじゃないですか」

「全部本当の事でしょう。何ならあなたの仲間に聞いてみたらどうですか」

「・・・」

 

 三人娘の方をちらりと見る。

 うんうんと頷くのがモリィ。

 後ろめたそうに目をそらすのがリアス。

 礼儀正しく何も言わないのがカスミ。

 

「ぬぬぬぬぬ」

「これだけ欠点があってもあなたについてきてくれるんです、感謝しなさい」

「はーい・・・」 

 

 ヒョウエががっくりと頭を落とす。

 イサミが生暖かい、同類を見る視線を投げかけていた。

 

 

 

「話を戻しましょうか。この・・・」

「オープンリールテープ」

「オープンリールテープが問題なのですね」

「ええ。普通に考えれば王宮のゲマイ代表に渡すのが筋であるとは思うんですが・・・リアスによればこの紋章が全権大使であるファーレン家ではなく、リムジー家のものだと言うことで、どうもひっかかりまして」

 

 ヒョウエの説明にメディが頷いた。

 

「賢明な判断でしたね。確かにこの家紋はリムジーのものです。そしてこの世界で言葉の環(スピークリング)・・・オープンリールテープを使っているのは、私の知る限りリムジー家だけです」

「!?」

 

 驚愕の視線がメディに集中した。

 ただし、心底驚いているのはモリィ達三人だけだ。

 

「あの、そこまでご存じと言うことは・・・」

「はい。私は元々リムジー家の人間です。それも直系の当主候補でした」

「・・・!」

「まあそれは今は関係ないのでおいておきますが」

 

 絶句した三人の反応をさらりと流し、メディが話を続ける。

 

「もう二十数年前の話ですが、ニホンからの転移者がリムジー家に保護されました。

 保護と引き替えに彼の知識や持ち物を提供していただいたのですが、その中にこのオープンリールテープとデッキがあったのです。

 『魔法によらない記録手段』という点に当時の当主が注目し、研究が始まりました。一年ほどでこれらを複製する技術が完成し、音声の吹き込みと再生が可能なデッキとテープの生産が、今でも小数ながら続けられているはずです。

 ニホン製のテープなら作った工房の紋章が刻み込まれているそうですが、これにはないでしょう? そういうことです」

 

 後ろ暗い仕事や伝達にも使うから足が付かないように、と言うことだ。

 うむう、とイサミが唸る。

 

「しかしさすが創世八家、よくもまあそんな短時間でコピーできたもんだ。俺みたいなのがいたらともかく・・・いや、そうか。その時期は」

「ええ。先生がリムジー家に逗留していらしたころよ」

「なるほどねえ。師匠なら納得です」

 

 イサミとヒョウエがうなずく。

 興味を引かれたようにリアスが口を開いた。

 

「ヒョウエ様やお二人の魔法のお師匠様ですか。どのような方ですか?

 さぞかし腕の立つ術師なのだと推察いたします、が・・・?」

 

 リアスの語尾が迷ったように消える。

 兄弟弟子である三人が一斉に渋い顔をしていた。

 

「あの人はなあ・・・」

「掛け値無し"大魔術師(ウィザード)"と呼ばれるのにふさわしいお方なのですが・・・」

「そうですねえ・・・リアス、サーベージ師匠のことを覚えてます?」

「え? ええ、それはもちろん!」

 

 怪人ムラマサの事件で一時期行動を共にした、リアスにとっては剣の師でもある転生者の老人を思い出す。

 性格に問題はあるが、語り部としても剣士としても技量は超一流だった。

 

「あの人をもっとわがままに、偏屈に、自分勝手に、破天荒にすると僕たちのお師匠様になります」

「えぇぇぇ・・・」

 

 思わず声を上げてしまったのはカスミ。

 風呂に乱入されたこともあり、いいイメージを持っていないらしい。

 モリィとリアスも大体同じような表情だ。

 

「まあそれはともかく、デッキの話です」

 

 メディが強引に話題を元に戻す。どうやら仕切り属性であるらしい。もっとも破天荒な師、割と後先考えない亭主と弟を相手にしていれば、自然とこうもなるだろう。

 

「当てがあるのか?」

「はい。ただ、ゲマイに戻る必要があります」

「ということは・・・」

「ええ。ヒョウエ、あなたの協力が必要です」

 

 メディの瞳がヒョウエをひたと見据えた。



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07-06 マッハGoGoGo

「行きたい行きたい! 俺もゲマイに行きたい! なあいいだろヒョウエ!」

「いやあ・・・兄さん重いので正直勘弁して欲しいんですけど・・・」

 

 子供のようにわめきながらずいずいと迫ってくる兄弟子に、僅かに顔が引きつるヒョウエ。顔がでかい。圧が強い。暑苦しい。

 実際2mの身長に広い肩幅で筋肉の塊という巨漢である。下手しなくても一人で三人娘を合わせたのと同じくらいの体重がある。

 いくらヒョウエでもこの重い荷物を抱え込むのは二の足を踏む。

 

「悪いな兄さん、この杖は五人乗りなんだ」

「この世界で通じないボケかましてんじゃねえよ! お前なら念動で余計に連れて行けるだろ! いいのか、これ以上拒否するようなら泣きわめくぞ! いい年した男がみっともなく床の上でジタバタするぞ!」

「そこまでして行きたいんですか・・・」

 

 行きたいに決まってるだろ、と言おうとした瞬間、イサミの背に危険信号が走る。

 後ろにナイフを持った殺人鬼が立っているのと同じくらいの反応速度で振り向くと、そこには愛する妻が立っていた。

 くい、とメディがメガネを直す。

 

「あなた」

「はい」

「気持ちはわかるけどわがままはそのへんにね」

「はい」

「軍からの依頼がまだなんだから、帰ってくるまで作業を進めておいて」

「・・・はい」

 

 がっくりうなだれる大男。

 その哀愁漂う背中を、ヒョウエが複雑な表情で見ていた。

 

 

 

「あ、私たちの通行手形と旅行用のマントを用意しておいて。いい感じに灼けてしおれたやつを」

「鬼かお前は!? あれ魔力認証ついてるからしんどいんだぞ!」

「必要なのはわかるでしょ。ヒョウエもいることだし。使えるものは親でも使えってのはあなたの世界の言葉じゃない」

「それちょっと違う・・・」

「お土産買ってくるから今回は我慢してちょうだい。ね?」

「へーい・・・」

 

 微笑みながら夫の頬を撫でるメディ。

 溜息をついてイサミは自らの【加護】を発動させるべく手を広げて集中を始めた。

 

 

 

 マッハ0.9。

 普段の数倍、亜音速で呪鍛鋼(スペルスティール)の杖が飛ぶ。

 ヒョウエ、モリィ、リアス、カスミのいつもの四人に加えてメディ。

 カスミの術でその姿を隠し、遥か南西のゲマイを目指して、一直線に杖が飛んでいた。

 高度500m程にもかかわらず、恐ろしい勢いで流れていく眼下の風景。

 初めてというわけではないモリィ達も流石に唸る。

 

「すっげえなあ、おい・・・これどれくらいのスピードが出てるんだ?」

「そうですね、一時間に大体1000kmくらいでしょうか」

「1000km・・・!」

 

 リアスが絶句する。

 旅慣れた人間が徒歩で移動できる距離が大体一日40kmだ。

 一日の移動時間がおおむね八時間と言うことを考えると、通常の200倍の速度と言うことになる。しかも地形にそって曲がりくねった道を辿るのではなく一直線に飛べるし、山や川、海や砂漠と言った障害も全く問題にならない。

 ディテクとゲマイの間には世界の屋根と呼ばれるような巨大な山脈があるからなおさらだ。

 

「・・・昔、ディテクからゲマイまで旅した方の旅行記を読んだことがありますが、片道だけでも確か三年以上かかっていたような・・・この速度だとゲマイまではどれくらいかかるのですか?」

「えーと・・・」

 

 リアスの質問にヒョウエより早く答えたのはメディだった。

 

「そうですね、直線距離だと恐らく6000kmほどでしょうから、六時間というところでしょうか」

「六時間・・・」

 

 再度絶句するリアス。

 それに代わり、真顔のモリィが会話に入ってくる。目には妙に強い光。

 

「・・・なあ。それ、冒険者よりディテクとゲマイの間を往復してさ、あれこれ売り買いした方がもうかるんじゃねえのか?」

「モリィ様・・・」

 

 呆れたような声を出すカスミ。

 モリィが少し焦って弁解する。

 

「だ、だってそうじゃねえかよ! ゲマイのものをディテクに持ってきたり、逆にディテクのものをゲマイに持っていって売りさばいたら高く売れるだろう? すげえ大金持ちだぜ!」

「まあそれは考えないでもありませんでしたけどねえ」

「だろ? だったら何でやらなかったんだよ?」

「うーんまあ、民業の圧迫はやっちゃいけないかなーと」

「は?」

 

 後ろの四人が一斉にクエスチョンマークを浮かべる。言葉の選択を誤ったかとヒョウエが苦笑した。

 

「つまりですね、ディテクとゲマイの間を何年もかけて往復してものを運ぶ人たちがいるわけですよ。沢山旅費もかけてね。

 そういう事ができるのは、運ぶ品物が高値で売れるからですけど、僕がそう言う品物を大量に運んで売りさばけば、当然値段は下がります。

 商会がいくつも潰れたり、下手すると首をくくる人が出ますよ」

「ぐっ・・・」

 

 モリィが言葉をつまらせる。

 幼少の頃、親が商売にしくじって家と家族を失った彼女だ。

 特にヒョウエがそれを示唆したわけではないし状況も違うが、そう言われると何も言えなかった。

 

「まあ小規模なら大丈夫ですけど、それくらいなら毎日冒険者やってるのと大差ないんじゃないかなあと」

「ぬぬぬぬ・・・」

「後はまあ、どう考えても僕は商売人には向いてませんし」

「あら、ヒョウエも商売のいろはくらいは教わってるんじゃなかった?」

「そうですけど、やっぱり向き不向きはありますよ、姉さん」

「まあそうね。でも売り子になったらお客さんが沢山来そうじゃない? そっちの方を考えてみる気はないかしら? 酒場の看板娘でもいいわよ」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 想像してしまったのだろう、三人娘の動きが一斉に止まる。

 

「勘弁して下さい」

 

 背後の気配とくすくす笑う姉弟子に、ヒョウエが深々と溜息をついた。

 

 

 

 ゲマイの首都、クリエ・オウンドについたのは空が赤く染まり始めた頃だった。

 

「うわっ・・・」

「船が空飛んでるぞ!?」

「あ、あっちの船がこちらに手を振ってますよ!」

 

 メディの指示でカスミの術を解除したときは大丈夫かと思ったものだが、その懸念は目の前の情景を見て吹っ飛んでいた。

 夕日に照らされる海に漁船から大型商船まで大小無数の船が浮かび、その上空には小型船や空飛ぶじゅうたん、あるいは生身で飛行する無数の影があった。ヒョウエたちもその中に埋もれて全く目立っていない。

 中にはヒョウエたちのように杖にまたがっているものもいる。

 

「まあ。あの方々も念動の術で飛んでいらっしゃるんですか?」

「場合によりますね。『空飛ぶ箒』と呼ばれてる魔法の道具で飛んでる場合もあります。あれは魔道具の方でしょうね」

「ほうき、ですか? 掃除に使う? 杖にしか見えませんが」

 

 カスミが首をかしげる。

 一方でモリィはあー、というように頷いた。

 

「魔力が見えるとな、あの杖の後ろから魔力が放出されてるのが見えるんだ。確かに言われてみれば箒みてぇだな」

「なるほど」

「・・・」

 

 納得して頷くカスミ。メディが懐かしそうに眼を細めていた。

 

「ヒョウエ、そのまま港のあそこに見える赤い屋根の建物に向かって下さい。大きな門の横にあるやつです」

「わかりました。あれが噂に名高い魔導門ですか?」

「ええ。正確にはその中でも最大級のものの一つですね」

「まどうもん? 姐さん、なんだそりゃ?」

「ゲマイは国境線全てに結界を張って国への出入りを厳しく管理しているんです。ヒョウエと私がいれば結界を破って密出入国は出来なくもありませんが、正規の手続きを踏むに越したことはありませんからね。ご禁制の品を密輸出などすると特に罪は重いですよ」

「へーえ・・・」

 

 よく見れば港周辺は壁で覆われており、魔導門を通らなければ都市部に入れないようになっている。モリィの目には、壁の上空と海岸線に沿って、強力な魔力で構成された不可視の壁が存在するのも見えた。

 商人や漁師、旅人や魚を乗せた荷車などが門をくぐり、賑やかに行き来している。

 高さ幅ともに20mを越えようかという巨大な門は滑らかな大理石で作られており、モリィの目には門を飾る精緻な彫刻や表面に刻まれた無数のルーン文字もはっきり見えた。

 

「すげえなあ・・・」

 

 感嘆を隠し切れないモリィを微笑ましげにちらりと見やると、ヒョウエはそのまま門の横の関所の建物を目がけて降下していった。

 




クリエ・オウンド → クリエイター・オウンド

アメコミでは作品の著作権は基本的に出版社が持つ慣習で、クリエイターはしばしば強制的に権利を売り払わされます。
有名どころではスーパーマンの権利を手放してしまって困窮した原作者二人組(ジェリー・シーゲルとジョー・シャスター)とかですね。

それに対抗して作品の著作権はそれを作り出した漫画家・原作者にあるという考え方が"クリエイターの所有(クリエイター・オウンド)"で、ゲマイのネーミング元であるイメージ・コミックはそれを普遍的に確立させるために、当時のトップクリエイターたちによって設立されました。
まあそのイメージコミックもその後色々あったんですけどね!



一説には魔女の乗る箒も、実は杖だったという話があります。
後方からエネルギーを放出してるので、ジェット噴射みたいなそれが箒の穂先みたいに見えるという説。


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第二章「魔導の国」
07-07 クリエ・オウンド


「インド人もびっくり」

 

     ――カレー屋のキャッチコピー――

 

 

 

 幸いにも入国審査はすぐに終わり、それぞれに入国証が貸与された。

 物質的にどころか内包された魔力までコピーできるイサミの複製は、事実上本物と全く変わらない。"過去視(ポスコグ)"や"来歴調査(リーディング)"のような特殊な呪文を使わない限り、偽物と見抜く手段はないだろう。

 精神集中のきつさと魔力消費の多さに、作業が終わるなり突っ伏してしまった兄弟子を思い出してヒョウエが少し笑う。

 貸与された入国証は小さなメダルに鎖が付いたもので、首にかけられるようになっていた。

 

「これをかけていれば各地の魔導門を通過できるようになります。どこでいつ通ったのか通行をチェックされますし、あちらがその気になれば即座に追跡できる機能もありますが」

「うへっ、おっかねえ」

 

 そんなこんなで門をくぐり、雑踏に紛れて市街地の方へ向かう。

 

「明かりー! 明かり売るよー! 一週間もってたったのダコック一枚!」

「絶対に効く恋のおまじない! ホーティ銀貨一枚ぽっきり!」

「壊れ物何でも直すアルヨー。1キロあたりダコック三枚ー」

「飛行の呪文いらんかねー。一分で1ダコックだ!」

 

 パン、串焼き、野菜、香辛料、金物や衣料・・・よその国でも見るような様々な露店に紛れて魔法を売る露店がそこかしこに店を広げている。

 目を丸くするヒョウエたちをよそに、メディは懐かしそうに目を細めながら進んで行った。

 

 様々な国の様々な民族が行き交う街であるが、同様の国際都市であるメットーに比べてもやはりここは空気が違う。

 南国の熱くじっとりした大気、見慣れない街路樹、エキゾチックな建築物や石畳。

 何より空気の臭いが違う。香辛料や香木、行き交う人や動物の体臭。そうしたものが鼻の奥をつんと刺激する。

 普段ならそれらを率先して堪能しようとするヒョウエだが、流石に今は疲労が強いようだった。

 

「あー、それにしても疲れましたね・・・」

「ええ、お疲れさま」

「おんぶはいるか?」

 

 ぴくり、とリアスが反応する。そんな主にカスミは半目。

 

「大丈夫ですよ。ただ今日はもう横になりたいですね。ほぼ全力で半日飛びましたし」

「そうですね。私たちも疲れていますし、今日は宿を取って早めに休みましょう。いいですか、みなさん?」

 

 メディの問いに、四人が頷く。

 

「そう言やぁヒョウエさ、全力ってことはあれ以上スピードは出ないのか?」

「短時間なら出ますよ。ただ、あれ以上速度を出すと念動障壁をかなり強化しないといけませんから、さすがに消費がとんでもないことになります。

 簡単に言えば空気を切り裂いて飛ぶことになるので、念動障壁の強度と形状を考えないと、切り裂かれた空気で大怪我しちゃうんですよね」

「空気を・・・切り裂く? 怪我?」

「???」

「まあわかりませんよね。僕たちの元の世界だと『音の壁』と言われるものですが」

「?????」

「つまりですね・・・」

 

 大雑把に説明した結果、大雑把には理解して貰えたようである――リアス以外。

 

 

 

 港湾区にほど近い、旅人向けの酒場に一行は宿を取った。

 

「ここは外国人向けに香辛料薄めの料理も出してくれますので、みなさんでもさほど苦にはならないと思いますよ」

 

 手慣れた様子でメディが注文する。しばらくして出て来たのは香辛料を利かせた豚の焼肉に香草のサラダを添えたものと、同じく香辛料の利いた混ぜご飯。こちらの世界で言えばビリヤニが近いか。

 

「!?!??!」

「これは・・・」

 

 ネイティブのメディと、前世でも食い道楽だったヒョウエは平然と食べているが、未経験のモリィ達は初めての味覚への衝撃に目を白黒させている。

 それでもしばらくすると慣れてきたのか、普段と同じようなペースで食事を口に運び始めた。

 

「最初はびっくりしましたけど、慣れてくるとおいしいですわねこれ・・・」

「辛いですけどこのどろっとした牛乳みたいなのを飲むとすっと引きますね」

「この肉いいなあ。酒が進むぜ!」

 

 片手にジョッキ、片手にフォークで料理を堪能するモリィ。

 ジョッキの中身は薄い牛乳にも見えるが、ヤシのような植物の実から作った発酵酒だ。

 薄いどぶろくのような味で、甘味がある。

 それがまた味付けが強めの焼肉によく合った。

 

「モリィさん? ほどほどにしておかないと後でひどいことになりますよ」

「だーいじょうぶだって姐さん。こう見えても酒にゃ強いんだから」

 

 そう言ってジョッキの残りを一息に飲み干すと、モリィは新しいジョッキを注文した。

 

 

 

「うぐがががががが」

「だから言ったでしょうに」

「頼むから黙っててくれ姐さん、頭に響く・・・」

 

 翌朝、見事にフラグを回収したモリィはベッドの上で芋虫のようにモゾモゾとうごめいていた。

 外から聞こえる雑踏の音も辛いのか、時折ビクンビクンと跳ねているのが気色悪い。

 メディが溜息をついた。リアスとカスミは呆れ顔。

 

「おいしいお酒でしたが・・・よくあるんですの、こういうことは?」

「ええ。口当たりが良くて飲みやすいので、慣れていない人がついつい飲み過ごすんですよ」

「一応毒消しを飲んでいただきましたがどこまで効果があるか・・・」

 

 三人揃って溜息をついたところで、ノックの音が響いた。

 ゲマイは比較的男女のあれこれに厳しいので、念のためにヒョウエは別部屋だったのである。

 

「おはようございまーす。そろそろ食事に行きませんか?」

「うがげげげぐごががが」

 

 ノックの音とヒョウエの声が頭に響いたか、斬新な前衛的管楽器と化したモリィがまたしても怪音を発する。

 三度、溜息をついて何か言おうとしたメディが何かに気付いた様な顔になり、歩み寄って扉を開いた。

 

「おはようございます、ヒョウエ」

「おはようございます、姉さん・・・ああ、やっぱりああなりましたか」

 

 ベッドの上で無様にもがくモリィ芋虫を見てヒョウエが嘆息する。

 

「それなのですが、あなた毒抜きの魔法は使えましたっけ?」

「ええ、数ヶ月くらい前に習得しました――まさか二日酔いの治療に使うとは思いませんでしたけど」

 

 溜息をつきながらヒョウエが部屋に入ってきた。

 

 

 

「いやー、すげえな! 跡形もなくスッキリしたぜ! 魔法すげえ!」

 

 満面の笑顔でモリィが朝食のクレープのようなパンにかじりつく。おかずは香草を混ぜた炒り卵とパンに付けるソースらしきもの、バター。それに香草茶だ。

 ヒョウエが肩をすくめる。

 

「お役に立てて幸いですよ。巨大ガマガエル(ジャイアント・トード)みたいな声をこれ以上聞かされなくてこちらも助かりました」

「ぐっ」

 

 言葉をつまらせたモリィがヒョウエを睨み付けるが、言い返しはしない。

 メディがそれとは少し違う、呆れたような視線をヒョウエに投げかけていた。

 

「なんですか、姉さん?」

「いえ、なんでも」

 

 本来解毒(アンティドート)の呪文というのは主に肝臓や腎臓を強化・高速化することによって人体の持つ有毒物質の分解・濾過機能を強化し、体内の不純物の分解を促進するものだ。

 一方でアレンジされたヒョウエの呪文は本来の効能に加えて体内の有毒物質を術者であるヒョウエが感知し、"物質分解(ディスインテグレイト)"の応用で直接分解する機能を付与されている。

 現実の血清程度には時間のかかる治癒をほぼ一瞬で行えるわけで、毒の治療としては革命的と言って差し支えない。

 そんな術を使いこなせる人間が世界中探しても何人いるのか、という話はあるが。

 メディが呆れたような目をしていたのはそう言う事だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「それでは行きましょうか。一応荷物は全部身につけておいて下さい」

「わかりました、姉さん。近いんですか?」

「ええ、30分もかかりませんよ」

 

 食後、一行は宿を出た。一応三日間は取ってあるが、いつでも脱出できるようにとの無言の心構えを全員が固めている。

 雑多な建物が並ぶ、入り組んだ裏道を進むこと十数分。

 粗末な木製の住宅の前でメディが足を止めた。

 

(昭和30年代の下町の家みたいだなあ)

 

 大体ヒョウエの感想通りの家である。一階は特に店をやっているようでもない玄関と開け放たれた窓。二階に物干し場兼任のバルコニーらしきもの。

 とんとん、とメディが引き戸を叩く。

 

「もしもし。いらっしゃいますか」

 

 反応は激烈なものだった。

 

「うるせえ! 帰れ! 金ならねえぞ!」

 

 二階の窓から響く、モリィとカスミが思わず耳を塞いだほどの大声。

 

「”#$%&’)~=!」

 

 それに続いて響いた極めて下品な悪口雑言にリアスも耳を塞ごうとして、兜で塞げないことに気付いて慌てて兜を脱ぐ。

 

(ミトリカを思い出しますねえ)

 

 師匠でその手の罵詈雑言に慣れているヒョウエがそんなことを考えていると、メディが声を張り上げた。

 

「バーリー! 私です! アンドロメダです!」

 

 大声がピタリとやんだ。ドタドタという足音がする。

 

(あ、転がり落ちた)

 

 盛大に何かが叩き付けられる音がした。少し間が空いて引き戸が勢いよく開く。

 そこにいたのは寸詰まりのゴリラの様な男だった。全身が毛むくじゃらで猫背、両腕が地面に着くほど長い。体には粗末な長い布を巻き付けているだけで、苦行者のような雰囲気もある。

 猿か人間かわからないような眉の飛び出たひげ面がくしゃりと笑み崩れた。

 

「おおおおお! 姫! 姫じゃねえか! 久しぶりだなあ!」

「ご無沙汰しています、バーリー」

 

 メディが懐かしそうににっこりと笑った。



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07-08 霊猿(ヴァナラ)

 

 

 バーリーの家の中、ちゃぶ台のようなテーブルに一同は座り、奥からバーリーが井戸水を入れたカップを持ってきた。形がいびつな物や欠けた物ばかりなのが彼の生活程度を示している。

 家具はちゃぶ台と引き出しの沢山ついたタンスくらい。

 タンスにちらりとヒョウエが眼を向けていた。

 なおゲマイは湿気と泥が多いせいか、家の中では靴を脱ぐのが一般的である。

 

「きたねえ家で悪いな。香草茶なんて気の利いたものもねえが、まあ勘弁してくれや」

「大丈夫ですよ、知ってますから」

 

 あははと声を合わせて笑うバーリーとアンドロメダ。

 二人とあっけにとられる三人娘をよそに、ヒョウエがバーリーを興味深げに観察していた。

 

(これが霊猿(ヴァナラ)ですか。初めて見ました)

 

 ヴァナラ。

 妖精の一派で見たとおりの猿人間である。

 森に住む種族で、基本的にはエルフ同様人間とは余り交流がないが極めて好奇心が強く、住処の森から出て人間社会を旅する個体が少なくない。

 メットーにも何人かいるようで、サナは見かけたことがあるらしい。

 

 能力は妖精としては平均的で、身体・魔法能力ともに人間より一回り高い程度。体躯は2mくらいが普通のはずだが、この男は随分と小柄だ。

 知力も人間と同程度だが柔軟で適応力が高く、多彩な技術を身につける傾向が強い。

 優れた野伏りで、森や山で彼らと戦うのはエルフでさえ避けると言われている。

 

 性格は一言で言えば馬鹿正直で個人主義。思ったことを率直に口にして他種族といさかいになることがしばしばある。

 その反面善良で勇敢で誠実、一度友と認めれば絶対にそれを裏切らない。

 ヒョウエが今持っている知識はそのくらいだった。

 

 

 

 ずずず、と茶碗の水をバーリーが音を立ててすする。

 

「それでなんだ、姫? 帰ってくるからにはよくよくのことだろ」

「はい。リムジー家に潜入する手伝いをして欲しくて」

 

 ブフッ、と三人娘が一斉に吹いた。

 ひげに囲まれたバーリーの口元がニヤリと歪み、黄色い歯がむき出しになる。

 

「かはっ。いいねえ。どうすんだ、オヤジさんをくびり殺すのか? だったら是非とも俺にやらせてほしいもんだがな」

「今更あの男に恨みも何もありませんよ。必要な物がありまして。言葉の環(スピークリング)、覚えてますか?」

「あ? ええと・・・ああ、あのニホンのからくり仕掛けか! 声が出る奴だよな」

「はい。それの再生機が欲しいのです。それも足が付かない形で」

「あれ?」

 

 ヒョウエが首をかしげた。

 

「だったら何故兄さんを連れてこなかったんです? 兄さんの力で複製すれば完璧じゃないですか」

「そう言う手もありましたが、荷物はなるべく少なくするに越したことはありませんし」

 

 夫をさらりと荷物扱いするメディ。

 王宮に忍び込んだことをまだ怒っているのかも知れない。

 

「ではどういう? 盗み出してもバレないデッキがあるんですか?」

「いいえ? 狙うのはデッキ本体ではありません・・・デッキを作る魔法の鋳型です」

 

 にっこり、とメディが微笑んだ。

 少し考えた後、ヒョウエがぽんと手を打つ。

 

「そうか、部品を作って組み立てるんじゃなくて・・・」

「はい。物体創造(クリエイト・アイテム)の効果を持つ具現化術式です。魔力を流せば完成品が出てくるたぐいの。

 解析に成功して量産できたと言うより、先生が色々試していたら鋳型をぽんと具現化してしまったのでそこで研究が終わってしまったという感じですね」

「師匠ェ・・・」

 

 相変わらずでたらめな老人だと、ヒョウエが呆れた顔になる。

 もっとも、それを口にしたらこの場の全員から「お前程じゃない」と突っ込まれることだろうが。

 

「私のいたときと変わらなければ、鋳型は工房に安置されているはずです。

 それなりに大型ですし、リムジー家の術師たちをもってしても、十数人が数ヶ月の儀式を行って魔力を注いでようやく一個生産できる、というレベルですからね。

 余り厳重に守る必要がありません」

「なーるほど、つまり僕がいれば」

「ええ。あなたが全力で魔力を注いでくれれば恐らくは一時間もかからずに新しいのが作れるでしょう」

「マジか。オリジナル冒険者とは言え化け物じみてんなあ、おめえ。エルフやピクシーでもンな魔力は出せねえぞ?」

 

 流石に呆れるバーリーに、ヒョウエは無言で肩をすくめた。

 

 

 

 奥に引っ込んでしばらくして、メディがゲマイ風の原色の装束に着替えて出て来た。

 ロングスカートの赤いワンピースに青い長い布を巻き、頭には真紅のスカーフ。

 庶民の女性が着る服だが、着ているのが並外れた美人のアンドロメダなので実に絵になる。

 

「うわあ、新鮮ですね」

「おきれいですわ・・・!」

「あら、ありがとう」

 

 リアスの賛辞にメディがにっこりと微笑む。

 バーリーがにやにやしながらその姿を上から下までじろじろと無遠慮に眺める。

 

「へへっ、昔のまんまじゃねえか、姫よ。おめえのものを取っといてよかったぜ。

 まあ一番心配なのは結婚なんぞしてぶくぶく太ってやしないかってことだったがな。

 どうにか見れるケツは維持してるじゃねえか」

「ケッ・・・!」

 

 リアスが絶句する。カスミも同様だ。モリィは目を丸くしている。

 メディがにっこりと笑った。ただし目が笑っていない。

 

「あいにくと亭主が宿六ですのでね。苦労のしつづけで太る暇もありません」

「そうかそうか! それなら俺に任せとけ。今度こそブチ殺してやる」

 

 心底嬉しそうにバーリーが手をすり合わせた。

 メディが大仰に驚いてみせる。

 

「あらあら、そんな事を言って、五年前にボロボロになるまで殴り合って、結局負けたのを覚えていないんですか? 参りましたね、そろそろ歳ですしボケが始まったんでしょうか」

「馬鹿言え、あれはお前の男だってえから手加減してやったんだ。本気を出しゃあ、あんなウドの大木イチコロよ」

 

 そのまま笑い合う二人。リアスとカスミは呆然とし、ヒョウエとモリィは視線を交わして肩をすくめた。

 

「それで姉さん? 多分情報収集だと思いますが、その間僕たちは?」

「取りあえずここで待っていてちょうだい。お昼頃には帰ってくるから。ついでに食べる物も買ってくるわ」

「食う物なら台所に香料漬けの肉があるぜ?」

「アレは大抵の人間にとっては食べ物と言わないんですよ、バーリー」

 

 そんな事を言い合いつつ、メディとバーリーは出て行った。

 居間に取り残された四人。しばらく沈黙を保っていたが、やがて誰からともなく溜息をつく。

 

「強烈な人でしたねえ」

「それと渡り合うメディ姐さんもすげえや」

「よくもあんな・・・あんな・・・」

 

 口ごもるリアス。カスミもコクコクと頷く。

 

「まあ姉さん本人も割とアクが強いとは思ってましたけど、ああ言う人相手に鍛えられていたなら納得です・・・」

 

 ドンドンドン、と戸を叩く音がした。

 

「先生! バーリー先生! いる!?」

 

 続けて飛び込んできたのは、腰布一枚を巻いただけの肌の浅黒い少年。

 見慣れない格好のヒョウエたちを見て目を丸くしている。

 

「バーリーさんは今お出かけ中です。どうしたんですか?」

「え、ええっと・・・」

 

 口ごもる少年に、にっこりとヒョウエが微笑みかける。

 このへんの相手の緊張を解く手管は交渉の初歩だ。

 

「僕はヒョウエ。バーリーさんの客です。何かあったなら助けさせて頂きますよ?」

 

 それでも少年はしばらく迷っていたが、やがて意を決して喋り始めた。

 

「クリピーが、妹が腹が痛いって苦しんでるんだ! 何か変な物食べたのかもしれなくて・・・どうにか出来る?」

「食あたりですか。何とかしてみましょう。医療の心得はありますし、解毒の術も使えますから」

術師(ジャードゥガ)・・・!」

 

 少年が目を見開く。

 肩を叩いて落ち着かせ、案内を頼んでヒョウエはバーリーの家を飛び出した。

 

 

 

 少年――クリパという名前――の妹は、果たして食あたりであった。

 食あたりというのはつまる所食物の中の毒素で中毒を起こした状態なので、解毒の術で治療できる。

 モリィの二日酔いを治したときと同じく、特別製のヒョウエの解毒の呪文がクリピーの体を駆け巡る。

 

「あれ・・・?」

 

 今まで苦しんでいた少女が身を起こし、下腹に手を当てて目をパチパチまばたかせる。

 

「クリピー!」

 

 クリパが妹を抱きしめる。目を白黒させるその様を、ヒョウエが眼を細めて見つめていた。

 

 

 

「お帰りなさいませ、ヒョウエ様」

「おう、お帰りー」

 

 バーリーの家に戻ると、まだメディ達は帰っていなかった。

 

「あの子の妹さんは・・・?」

「もちろん快癒しましたよ。ほら、これをお礼に貰ってきました」

 

 手に持つ野菜や豆を入れた竹籠を指し示すと、リアスはほっとした顔で胸をなで下ろす。

 メディ達が帰ってきたのはそれから二時間ほどしてからだった。




ヴァナラはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する知恵を持つ猿の一族です。
ハヌマーンとかがこれですね。


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07-09 水の《加護》

「只今帰りました」

「おう、大人しく待ってたかガキども・・・なんだ、患者が来たのか?」

 

 昼前に二人が帰ってきた。バーリーが土間におかれた野菜のかごを目ざとく見つける。

 

「ええ、これこれしかじか」

「ほーぅ。解毒の呪文が使えるのか」

「ヒョウエは医療の知識も持っていますし、信用していいと思いますよバーリー」

「ふん、姫がそう言うなら信じてやらあ。まあ一応後で見には行くがな」

「ですね。大丈夫だとは思いますが確認はしておかないと」

 

 ヒョウエが頷く。リアスが感心したように微笑んだ。

 

「それにしてもバーリー様はお医者様でいらしたのですね」

「そうは見えねえだろう?」

 

 けけけ、と笑うバーリー。リアスが僅かに頬を朱に染めた。

 ちなみにヒョウエは居間にあるのが薬たんすだと気付いた時点で、医者か薬師の心得があるのだろうと察していたりする。

 

「も、申し訳ありません」

「いいって事よ。どうせ聞きかじった知識で適当にやってるだけだ。そこのボウズの方がマシかもしれねえぜ?」

 

 くすくすとメディが笑う。

 

「・・・なんだよ」

「いえいえ。そう謙遜しなくてもいいでしょうにと思っただけです。このへんの人々の病気や怪我をほぼ一人で何十年もまかなっているんじゃありませんか」

「ふん」

 

 むっつり顔のバーリーがぷいと横を向く。ひげでわかりにくいが顔が少し赤い。

 くすくすとまたメディが笑った。

 

「まあその話はおいておきましょうか。町で少し気になる話を聞いてきました――どうもリムジー家が麻薬の売買に手を染めているらしいという話があるんです」

「ええ!?」

 

 あくまで噂のレベルである。出回っているという麻薬も、その出所がリムジー家であるという点も確認が取れてはいない。しかし・・・

 

「参りましたね・・・放置するわけにはいかなくなりました」

 

 ヒョウエたち、特にヒョウエにとっては放置できる話ではない。

 日本から来た転生者の多くはそうだが、彼も麻薬に対しては本能的な忌避感があった。

 

大麻(ガンジャ)に似てはいますが、より強力なもののようで・・・超大麻(シドガンジャ)とでも言うべきでしょうか」

「サフィアの姐さんがいてくれりゃあよかったんだがなあ」

「サフィア様もあくまでメットーのクライムファイターでいらっしゃいますからね。ゲマイのようなアウェーではやはり苦労されるでしょう」

「なるほど、そうなのですわね・・・」

 

 一同が考え込んだところでメディが言葉を挟む。

 

「取りあえず優先順位はオープンリールデッキです。麻薬についてはできればと言うところにしましょう。よろしいですか?」

 

 全員が頷いたのを確認して話を続ける。

 

「目標はここから歩いて一時間ほどのところにあるリムジー家の工房です。場所が変わっていなければ、一階の大工房の一つにあるはずです」

「わたくしは透明の術が使えますが、それで?」

「いえ、このような国ですから透明術に対する対策も一般的です。単純に透明になって近づくだけでは、壁を乗り越えたところで透明化を解除されて警報が鳴るだけですね」

「さすが魔導の国ですねえ」

 

 うーむ、とヒョウエたちが感心する。

 

「ではどうやって?」

「地下水道から侵入します。魔導による感知もあそこは甘くなっています。何せ金属製のパイプ一杯に水が満ちてますからね。魚人(オアンネス)水中呼吸(ウォーターブリーズ)の術が使える術者でもなければ侵入は不可能です。

 そして五分や十分でたどり着ける距離ではありませんから、それなり程度の術師では途中で溺れて終わりですね」

「うわ、怖ぇ」

「何か魔法の道具がおありですの?」

「・・・というか」

「アンドロメダ様がご自分で何度も使ってらしたのでは?」

 

 ヒョウエとカスミの半目の視線。

 元リムジー家のお姫様は無言で、ただにっこりと笑った。

 

 

 

「モリィ、周辺に人はいませんか?」

「おう。少なくともあたしの見た限りでは誰もいねえな。鳥とカエルとトカゲ、ああ、2km先に魔導門の守衛がいるが、こっちを見ちゃいねえ」

「どうも」

 

 半日後。日が暮れる直前になって一同はクリエ・オウンド郊外の貯水池に到着していた。ここから首都の2割ほどの街区に水を供給しているが、創世八家や公的機関などいくつかの重要な施設には直接パイプを引いている。

 リムジー家の工房もその一つだった。

 

「・・・地下に金属のパイプを埋めて、その中に水を通してるんですの!?」

 

 リアスが目を丸くする。メットーにも水道はあるが、それでも井戸や石製の地下水路、水樋(木製水路)などを通してのもので、地中に埋めた金属管など想像の外であった。

 

「流石に大都市だけですけどね。ニホンにも同じような仕組みがあったのでしょう?」

「ええ。随分とお金がかかりますけどね。魔導の国とは言えよく作るものです――しかし、これからどうするんですか? 姉さんは普段着のままでいいと言いましたけど」

 

 メディが頷く。

 

「はい、そのままで大丈夫です。それとリアスさん、念のために聞いておきたいのですがその白甲冑は『泳げ』ますか? つまり水に沈んだりしてしまわないかと言うことですが」

「はい。使ったことはありませんが、兜を閉じればしばらくは水の中でも息ができるとか」

「それは重畳。ではバーリー、お願いします」

「おうよ」

 

 バーリーが水際に立った。

 周囲を見渡して長い腕を持ち上げ、祈るように上に向かって広げる。

 水面に、バーリーを起点として波が広がる。

 

「・・・」

「!?」

 

 突然、水面に「切れ目」が入った。

 液体であるはずの水が四角く成型されてゆき、水面に四角い穴が空く。

 穴の中の水面が一段下がり、50センチほどの長方形を残してもう一段下がる。

 それを何度も繰り返し、一分ほどで水でできた下り階段が完成した。

 緩やかにカーブしたその先には、鉄格子で封鎖された穴がある。

 水の階段の前に立っていたバーリーが一歩脇へ下がり、優雅な動作で完璧な一礼をした。

 うやうやしく、芝居がかった口調とともにメディに手を差し出す。

 

「さあどうぞ、我が姫よ。どうぞ卑しきこの身のエスコートをお受け下さい」

「喜んで」

 

 にっこりと笑ってメディがその手を取る。

 

「おー」

「「「・・・」」」

 

 軽く感心しているヒョウエと、唖然としている三人娘。

 

「ほら、何をしているんです。ついてきなさい」

「はい、姉さん。ほら、行きましょう」

「あ、ああ・・・」

 

 そのまま階段を下り始めるアンドロメダとバーリーに続いてヒョウエは楽しそうに、三人娘はおっかなびっくり水の階段を下り始めた。

 半分ほど水没している鉄格子に、メディが懐から取り出した何かを触れさせる。

 すると鉄格子が縁の一点を中心に、滑るように半回転して口が開いた。

 

「それじゃ沈むぞ。慌てるなよ」

「それはどういう・・・」

 

 ヒョウエの言葉の途中で、いきなり水の階段が消失した。

 元の液体に戻った水は全員を飲み込み、貯水池の水面は元通りになった。

 

「’%&$#’&”#”!???!?? ・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 もがいて咄嗟に上に浮かび上がろうとしたモリィだったが、途中で息ができる事に気付く。よく見れば、体の周囲数センチを空気が覆っており、自分を含めて全員それぞれの体に合わせた泡の中にいるのがわかった。

 リアスも動揺しながら自分の周囲を確認しており、カスミもモリィ達よりはマシだがやや動揺している。ヒョウエは魔力解析(アナライズ・マジック)の呪文を発動して術式を観察しているようだった。

 

「これは・・・どういうことですの?」

「バーリーの《水の加護》です。こと液体であれば、バーリーは自由自在に操れるんですよ。加えて水系統の術にも高い適性があります」

「おおー」

「ははあ・・・」

 

 ヒョウエたちが感心するが、その中でも特にヒョウエとカスミの顔に感嘆の色が濃い。

 ヒョウエはもちろんだが同じ一系統特化型の《加護》だけに、バーリーの凄さがわかるのだろう。

 

「さ、行くぜ。はぐれないようにお手々つないでついて来いよ」

 

 バーリーがあごで水路の入り口を指す。

 パイプの大きさは2m以上あり、(この場にはいないが)巨漢のイサミでも立って歩けるほどだ。

 六人の姿が水路の中に消える。丸い鉄格子の蓋が再び回転して水路の入り口を閉じた。

 



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07-10 リムジーの工房

 カスミの光球に照らされ、六人が金属パイプの中を移動していく。

 高速で流れていくパイプの継ぎ目。

 もちろん水流もあるが、明らかにそれより早い。

 はっきりとはわからないが、恐らく馬以上だろう。

 自分で泳ぐこともなく、周囲の水に動かされているような感じだ。

 

「便利ですねえ」

「へっ、こんなのはお茶の子さいさいよ」

 

 思わず漏れたヒョウエの言葉にバーリーが胸を張る。これもバーリーの仕業なのか、水に阻まれていても普通に会話はできた。

 

「やっぱり姉さんがしょっちゅう使ってたんですか?」

「おう、姫は修行でよく工房に押し込められててな。それに飽きると俺に連絡して・・・」

「バーリー」

 

 後ろからメディの声がかかる。くるりと一回転したバーリーのにやにや顔。

 

「おう、なんだい姫」

「あまり弟たちに余計なことを吹き込まないで下さい」

「いいじゃねえか、おめえ昔から表情が固くて避けられてたんだからよ、こうして少しは愛嬌のあるエピソードを話してやって親近感をだな・・・」

「バーリー!」

 

 語気を強めたメディの声。僅かに顔が赤い。

 けっけっけと笑ってバーリーが口を閉じた。

 

「そう言うわけだ、話の続きは姫のいないところでな」

「続けなくて結構!」

 

 更にいらだたしさをにじませた声に、バーリーは今度は大口を開けて笑った。

 

 

 

 三十分ほど経った頃、バーリーが速度をゆるめた。

 

「このあたりだったか?」

「ええ、そろそろ・・・ありました」

 

 メディが指さしたのはパイプの脇にはまる丸い鉄格子。格子の隙間を通り、水が流れていくのがわかる。

 バーリーが指を動かして全員をその場に止め、メディが体を入れ替えて懐から取り出した護符(タリスマン)を鉄格子に触れさせると、入り口同様鉄格子が半回転して口が開いた。

 息のあった様子に、思わずヒョウエの口元に笑みが浮かぶ。

 

「・・・何か?」

「いえ、なんでも?」

 

 笑みを浮かべたまま、ヒョウエはすっとぼけた。

 

 

 

 少し行ったところでパイプが上向きになる。途中二度、更に鉄格子を通りすぎて浮かび上がったのは屋内のため池のような場所だった。

 石造りの四角い池に水が満たされ、そこから更にいくつかのパイプが壁を伝って上に延びている。

 明かりがなく殺風景なのを除けば浴室のようにも見えた。

 

 そのため池の水面に六人が浮かび上がる。

 固い地面であるかのように水面に立ち、モリィなどは興味深そうに足踏みして足元を確かめていた。

 アンドロメダが無造作に足を踏み出し、歩き始める。

 その顔はいつの間にかスカーフで隠されていた。

 

「さ、ついてきて下さい。まずは鋳型です。私のいたときと変わらないままなら、木星(ブリハス)の大工房にあるはずです」

 

 頷いてヒョウエたちは歩き始めた。

 

 

 

 オープンリールデッキの鋳型はあっさり見つかった。

 アンドロメダが言った通り「木星の大工房」に設置されたままだったのである。

 

「こりゃでけえな。動かしたくねえのもわかるぜ」

 

 モリィが軽口を叩く。彼女の言葉の通り「鋳型」は大きかった。

 さしわたし縦横高さが3mほどはあり、周囲の床には銀色のろうで様々な紋様が描かれている。

 

「これは・・・魔力を効率よく伝達して蓄積するためのものですね。この大きな外装、ほとんどそれじゃないですか?」

「ええ。前にも言ったように、デッキを具現化するには膨大な量の魔力を、それもある程度一気に注ぎ込まないといけませんからね。

 あなたみたいな反則級の《加護》でもなければ、術師を何千人も集めるか、こうした補助が必要になります」

 

 ふむふむとヒョウエが頷く。

 

「まあ、でしょうね――あんまり貯まってませんね。中の鋳型に直接魔力を注ぐよりは、これを介して鋳型を起動させた後、改めて適当に魔力を注いだ方がいいかな?」

「ですね。操作や魔力目盛の見方はわかりますね?」

「ええ。姉さんたちに教えて貰った形式のままですし。では始めますよ?」

「よろしく。私たちはその間にここを少し探してみます」

「麻薬関係ですか」

 

 リアスの確認にアンドロメダが頷く。

 

「正直こちらで何がわかるものでもないでしょうが、市の中心から離れているのでひょっとしたらという可能性もあります」

「オーケイ。あたしらに任せときな、姐さん。カスミも頼むぜ」

「微力を尽くします」

 

 再度アンドロメダが頷いた。

 

「そう言うわけでヒョウエ、行ってきます。管理棟の二階から探していきますので、万一の時はそちらに」

「わかりました」

 

 ヒョウエが頷いたのを確認して、アンドロメダたちは部屋を出た。

 勝手知ったる自分の家、すいすい歩くアンドロメダの後をついていく。

 先頭に立つ彼女の横にはモリィ。中央にリアスとバーリー、最後尾にカスミだ。

 

「姐さん、あのドアに魔法がかかってるぜ」

 

 しばらく歩いた後、モリィが廊下の突き当たりにあるドアを指す。

 

「ええ。管理棟との連絡通路ですのでそれなりのセキュリティがかかってます。まあ多分問題ないとは思いますが」

 

 言いながら懐から護符(タリスマン)を取り出す。中央に一つ、周囲に八つの銀枠にはまった色とりどりの宝石を丸く並べて組み合わせたもので、同じく銀の鎖が付いている。

 

「さっきも出してたけどなんだいそれ?」

「リムジー家の一員であると証明する、まあ冒険者の認識票みたいなものです。これがあれば大体の鍵や扉は開けられますよ」

 

 口笛を吹こうとして自重する。

 

「どうしました?」

「いや、なんでもねえよ」

 

 流石に人様の家に忍び込むのは久しぶりだし、盗賊としては随分なまってるなあと思いつつ、ふと疑問が浮かぶ。

 

「そんなすごいもんよく持ち出せたよな。姐さんが持ち出したって一発でわかんじゃねえのか?」

「普通ならそうでしょうが、私には世界一の贋作師がついていましたので」

「ああ」

 

 微笑むメディ。イサミのことを思いだして、三人娘が頷いた。

 

 

 

 メディの足音と、リアスの鎧がこすれる僅かな音が廊下に響く。

 他の三人は音を立てていない。

 そこから何度かチェックのある扉をメディの護符で通り抜け、工房に併設された管理棟の二階に到着する。

 モリィとカスミが交互にドアに耳を当て、メディに頷いた。

 護符を当てると、カチリと音がして鍵が解除される。五人が素早く滑り込むと扉は閉じられた。

 

 中はかなり質の高い調度の整えられた執務室だった。

 モリィが周囲を見渡して、今度こそ口笛を吹く。

 

「すげえな。壁の絵から小物から棚から本から、全部魔法がかかってるぜ。調度品も含めるとこの部屋だけでリアスの屋敷くらいは買えんじゃねえの?」

「・・・本当ですの?」

「マジマジ。そこのソファの背にかかった織物とか、なんとか山羊って特殊な品種の毛でさ。ディテクだと同じ重さの黄金と取引されるってよ」

「・・・」

 

 唖然としつつも籠手を外して白い毛織物に手を伸ばすリアス。

 

(あ、気持ちいい)

 

 伯爵家令嬢であるリアスをして、今までに感じたことのない絶妙な手触り。

 そのまま夢中になって毛織物をさするリアスに、メディが笑みをこぼした。

 

「まあ多分そこまでではないと思いますけどね。

 カルノー山羊はゲマイの北の"世界の屋根(バルプカ・ニヴァース)"に生息している種ですし、魔道具にしてもゲマイではディテクより随分安く取引されています。

 リムジーは魔道具の製作を得意とする家柄ですから尚更ですね」

「なるほど」

 

 説明しながらもメディは執務机の奥の棚をいじっている。

 カチリと音がして、棚の一部がスライドした。

 そこには鍵穴のついた、小さな鉄の扉。

 短く呪文を口ずさんでメディが頷いた。

 

「やはりここは護符だけでは開きませんね。モリィさん、鍵開けをお願いできますか」

「おうよ、任せてくれ。このままじゃやる事がなくて体がたるんじまうってもんだ」

 

 モリィが懐から巻いた皮を取り出す。様々な道具が並ぶそれを開いて細長いピックを取り出し、一つ深呼吸をした。



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07-11 * おおっと *

「姐さん。これ魔法がかかってるけどさ、あたしは普通に鍵だけ開けりゃいいのか?」

「はい。護符を持ったものが正式な鍵を使えば開く形だと思います。

 鍵自体にも魔力が込められている可能性がありますが、その場合はヒョウエの作業が終わったところで強引に穴を開けてしまいましょう」

「オーケイ、わかった。なら気楽なもんだな。

 お前ら、なるべく離れてろよ。それと正面に立つな。矢とか飛んでくる可能性があるからな。まあゲマイのお偉いさんの家なら魔法の罠とかだろうけど」

 

 リアスとカスミが頷き、後ろに下がる。メディは護符を掲げたまま、金庫の脇。

 バーリーは腕を組んでその横に立った。

 

「おいおっさん」

「何かあったら姫を守るのは俺の役目だ。いいからとっととやれよ」

 

 メディの方に視線をやる。長身の美女は微笑んで肩をすくめた。

 溜息をついて、鍵に向き直る。一つ、深呼吸をして精神集中。

 

「・・・」

 

 《目の加護》を受けたモリィの視線が、金庫の表面を舐めるように調べる。

 彼女の目は透視の力を持っているわけではないが、それでも表面に何らかの仕掛けがあるなら見逃しはしない。

 そうしたトラップが表面にないのを確認すると、身をかがめてモリィは鍵に取りついた。

 

「・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

 かちゃかちゃと、モリィが鍵をいじる音だけが響く。

 鍵穴に細い針金を刺して、動かした鍵の機構を固定。

 作業が進むにつれて細い針金の数が増え、それが四本に達してしばらくしたところでかちゃり、と音がした。

 

「っし!」

 

 モリィのガッツポーズ。

 額に僅かに汗が浮いている。

 その横で金庫の扉が静かに開いた。

 

 

 

「お疲れさまでした。さて・・・」

 

 アンドロメダがモリィをねぎらい、金庫の中身に手を伸ばす。

 その瞬間、周囲が暗転した。

 

「!?」

「これは・・・」

 

 カスミの光球が消えた。

 リアスの網膜に、白甲冑からのメッセージが表示される。

 

「古代文字? ええと、魔素・・・欠乏?」

「どういうこった、部屋中ぴかぴかしてた魔法のオーラが一斉に消えたぞ?!」

「"魔素断絶(マナ・ダウン)"!? しまった! 罠です!」

 

 言うなり、アンドロメダが凄い力で殴り倒された。

 

「おっさん!?」

「バーリー様!」

 

 モリィとリアスの悲鳴が上がる。

 アンドロメダを全力で殴ったのは、矮躯のヴァナラ、バーリーだった。

 

「ふっ!」

 

 二人が悲鳴を上げるのと同時にカスミはバーリーに飛びかかっていた。

 その目が既に青い。

 左手で棒手裏剣を三本、同時に投擲すると同時に忍者刀を抜いて斬りかかる。

 

「ガアアアアアッ!」

「っ!」

 

 バーリーがオランウータンのような長い腕を振り回す。

 棒手裏剣は腕の表面に刺さらずに弾かれ、カスミも腕をまともに食らう。

 

「カスミッ!」

 

 リアスの悲鳴。軽量のカスミが吹き飛ばされ、ソファとテーブルセットを巻き込んで派手に転がった。

 悲鳴を上げながらリアスも抜刀している。モリィもピックを投げ捨てて雷光銃を抜いていた。

 

「このっ! 怪我しても恨むなよ・・・なぬっ!?」

 

 放たれた雷光が、銃口1.5メートルほどのところで途切れて消える。

 モリィの頭が一瞬真っ白になった。

 

 "魔素断絶(マナ・ダウン)"。

 名前の通り、範囲内の魔素(マナ)を除去する呪文ないし技術。

 魔法や魔道具を車にたとえるならば、術式はエンジン、魔力はガソリン、そしてマナは酸素だ。

 魔力とマナが反応することで初めて術式は駆動する。

 酸素がなければ、どれだけ燃料があっても燃焼は起こらない。

 放たれた雷光、つまり魔力ビームは大気中のマナと反応することで本来の破壊力を発揮する。

 雷光が尻すぼみになって消えてしまったのはそう言う理由だ。

 

 一方で白甲冑は完全に通常通りの性能を発揮していた。

 多くのアーティファクト、とりわけ高級なものには魔力のみらずマナを蓄える機構がある。

 ゆえに、周囲からマナを吸気できなくとも蓄えたマナの続く限り問題なく駆動できる。

 通常の魔道具がジェットエンジンなら、アーティファクトはロケット。

 真空であっても燃料の続く限り飛んでいける。

 

 雷光銃が雷光の発射自体はできたのもそう言う事だ。

 雷光に含まれたマナが、マナの真空の中でも僅かの間は魔力の燃焼を支えているのだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「けあっ!」

 

 カスミが殴り飛ばされたことで、リアスの脳裏から手加減という言葉は消えている。

 完全に斬り殺す気で振り下ろされた一刀を、バーリーがギリギリのところで甲冑の両手首を掴んで止めた。

 

「ガアアアア!」

「?!」

 

 額に刃を食い込ませ、血を流しながらもバーリーの両手はリアスの斬撃を止めている。

 その力の異常さと、焦点のどこかあっていない瞳が頭に血の昇ったリアスを冷静にさせた。

 

(いくら妖精族、いくら上位冒険者並みの経験を積んでいると言っても、この白甲冑に伍する膂力など・・・まさか魔法による洗脳、あるいは薬・・・っ!)

 

 バーリーの腕からふっと力が抜けた。

 体ごと沈み込んで、リアスの両腕をひねる。

 柔道やレスリングの、高度な「崩し」の技術。

 

「くっ!」

 

 右足で踏ん張る。

 鍛えた体幹と技術で何とか耐えた。

 だが組み合っている状況には変わらない。

 

(メディさんとカスミはまだ動けない、モリィさんもこの状況では戦えない。ヒョウエ様が気付いて助けに来るには遠すぎる。わたくしが何とかしなければ――!)

 

 全身に力を入れ、伝説の魔導甲冑のポテンシャルを最大限発揮させようと集中する。

 互角の力と高い技量を持ったバーリーを相手に、一瞬たりとも気は抜けない。

 恐らく無手の体さばきではあちらの方が上。

 下手に蹴りを入れれば倒されて無力化されかねない。

 愚直にでも力比べを続けるしかない。

 

 そう思ったとき、光が閃いてバーリーの腕から力が抜けた。

 何を、と思う間もなく反射的に体が動き、剣を翻す。

 渾身の力で振り下ろした西川正宗の峰がバーリーの脳天を直撃し、猿人は物も言わずに倒れた。

 

「何が・・・」

 

 見下ろすと、バーリーの背中に焦げたような傷跡。

 その向こうに雷光を吐き出し続ける雷光銃――それはまるで光の剣のようで――を手にしたモリィがいた。

 雷光銃から吹き出し続けていた雷光が消える。

 目が合うとモリィはニヤリと笑い、雷光銃を掲げてウインクをして見せた。

 

「ふう・・・」

 

 息をつく。

 

「一体何だったんだ?」

「わかりませんが、とにかくヒョウエ様と合流しましょう。私はカスミとバーリーさんを担ぎますからモリィさんは」

 

 メディさんをお願いします、と言おうとしたところで窓の外が明るくなった。

 

「ちっ!」

 

 モリィが舌打ちして、素早くカーテンの隙間から外を覗く。

 

「・・・!」

 

 モリィの目には一見してわかる、魔導甲冑と高位術者を中心とする部隊がびっしりと周囲を固めていた。



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07-12 地下牢は暗く・・・

「ちっ」

「・・・」

「・・・」

 

 モリィが舌打ちをした。

 首都中心部にあるリムジー家の地下、魔素断絶(マナ・ダウン)処理が施された結界内部の牢獄である。

 身分ある人間のためのものなのか牢獄と言うにはかなり豪華で、ちょっとした高級ホテル並みの内装はあるが、それでも人を閉じ込めるための部屋には変わりない。

 あの後踏み込んできた魔導甲冑と高位術者の部隊に、三人は為すすべ無く降伏した。

 回復したカスミを含めて三人だけならまだ何とかなっただろうが、気絶したメディとバーリーをかばいながらでは流石に分が悪かった。

 

 その後、主な持ち物を取り上げられてここに押し込められた。

 素直に降伏したのがよかったのか、荒っぽい真似はされていないしメディとバーリーも治療が施されている。

 

 今部屋にいるのはモリィ、リアス、カスミ、そしてベッドで眠り続けるメディ。

 バーリーは治療を受けた後、どこかに連れて行かれた。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 舌打ちが響いた後、再び部屋の中に沈黙がわだかまった。

 ここに押し込められて既に数時間。

 奇妙なことにヒョウエの姿はないし、彼女らも彼のことを口にしない。

 

「んん・・・」

「姐さん!」

「メディさん!」

 

 ベッドの上のアンドロメダが身じろぎした。

 三人が駆け寄ると、まぶたが開く。

 

「ここは・・・」

「ご本家らしき館の地下、貴人を軟禁する部屋のようですわね」

 

 頷いてメディが身を起こす。

 

「大丈夫か、姐さん?」

「ええ。問題ありません。それより・・・」

 

 事情を説明して下さい、と言おうとしたタイミングで部屋の扉がノックされた。

 四人が顔を見合わせる。再度ノック。

 

「・・・はい、どうぞ」

 

 メディが答えると鍵を開ける音がしてドアが開く。

 入って来たのは魔導甲冑の護衛を数人はべらせた、ターバンを巻いた貴族風の若い男。

 25から30ほどだろうか、知的でハンサムな風貌。ひげを綺麗に刈り整え、自信ありげに笑みを浮かべている。

 服の布地や仕立てもよく、金の鎖や宝飾品をじゃらじゃらとつけていた。

 

「やあ、アンドロメダ。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

「あなたも元気そうで何よりですね、シーニー」

 

 冷たくよそよそしい声にも、男の笑顔は崩れない。

 

「まさか戻ってくるとは思わなかったよ。だがこれで君と私の優秀な血を混ぜ合わせることができる。イプラのような代替品でなくてね」

「あなたの奥方でしょうに。大体私は人妻です」

「そんなこと! あのウドの大木とのことなら無効に決まってるじゃないか!

 まあ私は寛大だ。義務さえ果たしてくれれば、ちょっとした戯れくらいは許してあげるよ。もちろんあんなものの血を引く子供などを産まない限りにおいてだが」

 

 メディが不愉快そうに眉をしかめる。

 後ろの三人はもっとだ。

 

「あなたの妄言には付き合いきれませんね。それよりバーリーはどうしたんです。彼に何を」

 

 アンドロメダがシーニーに詰め寄る。

 後ろの護衛たちが動こうとしたが、シーニーが手を上げると元の位置に戻った。

 

「はは、大した事はしてないさ。ただ薬をちょっとね。それで暗示をかけたんだが、見事にはまってくれたよ。人間どころか妖精族にまで効くとは! 素晴らしいとは思わないか!

 これなら魔素断絶(マナ・ダウン)も関係ない! 人間を好きに操れる!」

 

 その瞬間、アンドロメダの脳裏に閃くものがあった。

 

「まさか、このところ起こっているという麻薬騒ぎというのは」

「おお」

 

 シーニーが目を丸くした。

 

「素晴らしい! 君はやはり優秀だ! いや、私の血とかけあわせたときに、どれほど素晴らしい優良種が産まれることか!

 ああそうとも、あれは実験さ。貧民に薬を流してね・・・」

「シーニー様」

 

 後ろに控えた護衛の一人が彼をたしなめる。

 シーニーが大げさに驚いて、口を手で塞いだ。

 

「とっと、これはしたり。いやはや、好きなことになると饒舌になっていけないね。

 わかってはいるんだがやめられない悪癖だよ」

「そんなことはどうでもいい! バーリーはどうしてるんです!」

「ははは、たかが猿にずいぶんご執着だね。会いたければ会わせて上げるよ。ほら」

 

 シーニーがぱちんと指を鳴らすと扉が開き、バーリーがのっそり入って来た。

 感情豊かだった顔からはそうした物がごっそり抜け落ちており、無機質な視線を床に向けている。

 

「バーリー!」

「・・・」

 

 メディの声にも小柄なヴァナラは反応しない。

 

「ははは、無駄無駄。そんな事で解ければ苦労はしないよ。

 ああそうだバーリーくん。アンドロメダに再会の挨拶をしたいので、少し動かないように抑えていてくれるかな」

「・・・」

「なっ!」

 

 バーリーがアンドロメダの両手首を掴み、後ろにまわって彼女を動けなくする。

 そこに近づいたシーニーが、アンドロメダの顎を右手で持ち上げた。

 

「なっ・・・やめなさい! やめて、バーリー!」

「だから無駄だって。さて、君の夫として再会の挨拶をしないとね。君が誰の物か、理解して貰わないと」

「~~~!」

 

 もがこうとするが、ヴァナラの強い筋力は万力のように彼女の動きを封じている。

 その間にもシーニーの唇はアンドロメダのそれに近づいていく。

 

「っ!」

 

 止めようとしたモリィ達が、護衛たちのクロスボウを突きつけられて動きを止めた。

 シーニーの唇がアンドロメダのそれと重なろうとする瞬間。

 

「え?」

 

 強い力でアンドロメダの体が後ろに引き戻され、ぽーんとベッドに放り投げられる。

 

「え?」

 

 唇を合わせようとしていた姿勢のまま、まぬけな声を上げるシーニー。

 その顔面に、バーリーの拳が炸裂した。

 

「ぶぎゃっ!?」

 

 ドアの近くまで吹っ飛ぶシーニー。

 一瞬、アンドロメダも、三人娘も、護衛たちすら何が起こったのかわからず立ちすくむ。

 慌ててバーリーにクロスボウを向ける護衛たちだったが、その瞬間ドアの向こうから何かが飛んできて、護衛たちの魔導甲冑の左脇腹の一点を正確に打ち抜く。

 

「・・・!」

 

 モリィの《目の加護》は飛んできた「何か」が見慣れた金属球であることをはっきりと捉えていた。

 それと同時に通常の視覚では見えず感じられない、魔力の爆発が五度起きる。

 同時に護衛たちの体が痙攣し、ばたばたと倒れた。

 

「ひいいいい!」

 

 起き上がったシーニーが、這いずりながらドアの外に逃げようとする。

 リムジー家でも屈指の高位術師である彼なら、魔素断絶の結界の外に出さえすればどうとでもなる。そうすれば・・・

 そんな事を考えていた彼は、何かにぶつかって尻餅をついた。

 

「・・・」

 

 見上げる。広い戸口をほとんど完全に塞いでいるのは人間。

 筋肉の塊のような大男。鴨居で顔が半分隠れている。

 伸びてきた手がシーニーの襟首を掴み、軽々と宙に持ち上げた。

 

「よう、久しぶりだな。で。誰が、何を、許すって?」

「あ・・・あ・・・」

 

 歯が欠け、血を流す口をガクガクと震わせるシーニー。

 それを見下ろしてにたりと笑ったのは。

 

「あなた!」

「悪い、遅れた」

 

 アンドロメダの夫、イサミ・ハーキュリーズが妻のほうを向いて笑った。

 視線を持ち上げたシーニーに戻す。笑顔が怖い。

 

「で? 誰が、何を、許すって?」

「あ・・・ひ・・・」

 

 もはやシーニーは震えるだけ。

 そのシーニーを掴んでいた左手で、軽く宙に放る。野球のコーチがノックするボールを放り上げるように。

 そして落ちてきたシーニーを。

 

「うおらぁっ!」

 

 丸太のような右腕による、渾身の顔面ラリアット。

 宙で一回転したシーニーが飛んで跳ねたのはバーリーの目の前。

 満面の笑みを浮かべた猿人の両手は、既に頭の上で組み合わされて。

 

「どらあっ!」

 

 岩をも砕こうかという、全身全霊のダブルハンマーパンチが仰向けに転がったシーニーの顔面に振り下ろされる。

 鈍い音がして、シーニーの体がびくんと痙攣した。

 

「「イェーイ!」」

 

 イサミとバーリーの、満面の笑みでのハイタッチ。

 その足元で、寝取り(未遂)男がピクピクと震えている。

 

「イサミ!」

「ととっ」

 

 ベッドから起き上がったメディが夫に抱きつく。妻を抱き返すイサミ。

 

「・・・へへっ」

 

 その二人を三人娘とバーリー、そして戸口のヒョウエが優しく見つめていた。




シーニー → ミスター・シニスター
シニスターの部下 → マローダーズ → 左胴致命的命中(ぉ


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07-13 ケイフェス・リムジー

 外で気絶させたシーニーの部下たちを引きずり込んで武装解除した部屋の中。

 かちゃかちゃと響くのはリアスが白甲冑を身につける音。

 取り上げられた武装はヒョウエが"失せもの探し(センス・ロケーション)"で探し出して持ってきていた。

 モリィは雷光銃の動作を確認し、手早く装備を整えたカスミは主が鎧を着ける手助けをしている。

 

「それにしても、よく間に合いましたね? まさかうちの宿六まで連れてくるなんて」

 

 短杖(ワンド)や小袋が無数についたベルトを装備しながら、メディがヒョウエに尋ねる。

 

「まあそこはサナ姉とリーザのおかげですね。ごっそりと魔力を消費してしまいましたけど」

「本当にデタラメですねあなたは・・・」

 

 メディが嘆息する。

 

「魔力があればまあ何とか。それにリーザの潜在能力は、僕たちが思っているより随分と大きいのかも知れませんよ」

 

 あの時、ヒョウエは咄嗟に工房を飛びだして逃れた。

 リーザを介して――6000kmの距離があるにもかかわらずだ――モリィ達に降伏を指示したのもヒョウエだ。

 その後サナの力を借りて瞬間移動でメットーと行き来し、イサミを連れて来た。そして麻薬で操られていたバーリーにも接触し、解毒と精神安定化の呪文で暗示を解除し、今に至るというわけだ。

 

 シーニーは部下同様に武装解除されて拘束されている。イサミのラリアットとバーリーのダブルハンマーをくらった顔面が酷いことになっていた。

 その上半身をイサミが起こして、後ろから活を入れる。

 

「うぐっ・・・」

 

 ダメージと活による吐き気で朦朧としているシーニーに、トイレからくんできた水(驚くべきことに現代日本に近い水洗式である)を遠慮無くぶっかける。

 

「あ・・・あ?」

 

 ぼんやりとしていた目の焦点が次第に合ってくる。

 気がついたとき目の前にあったのは、満面の笑みを浮かべるイサミとバーリーの顔。

 

「おっはよー」

「よう、どうだ、気分は?」

「きゃあああああああああああああ!?」

 

 シーニーの悲鳴は監禁室の分厚い扉と壁に阻まれ、外に漏れることはなかった。

 

 

 

「どうせ何も話さないだろ。重しをつけて港に沈めようぜ。あそこ結構深いしな」

「馬鹿、こんなハラワタの腐った奴を沈めたら魚が浮いてくるだろうが。

 キュッとシメて庭に埋めようや。庭木が腐ってもどうせリムジーの庭だしよ」

「ひいいい! やめて! やめてぇぇぇぇ!」

 

 いい顔で物騒なことを話しあうイサミとバーリー。涙と鼻水とよだれと血と、その他色々な物を垂らして怯えるシーニー。

 

「はあ・・・」

 

 馬鹿な男どもにメディが溜息をついた。

 身につけたベルトの締まり具合を確認して、両手をぱんぱんと打つ。

 

「はいはい、そこまでにしておきなさい。そいつには聞き出さなければならないことがあるんですから」

「「へーい」」

 

 残念そうに返事する男ども。

 何気に息があっている様を、ヒョウエが生暖かい目で見守っている。

 ぱあっと顔面を明るくしたシーニーが、ずりずりとメディの方に這いよってきた。

 

「ああ、ありがとうアンドロメダ! 君はやっぱりやさしいひとだ!」

「やさしい?」

 

 そのメディの一言だけで、急に室温が低下したように思えた。

 装備の点検をしていた三人娘さえ思わず振り向くような、そんな声。

 メディがしゃがんで顔を近づける。俯いたその顔はシーニー以外からは見えない。

 

「ええ、もちろん私はやさしいですとも。それをあなたに向ける理由は欠片ほども思いつきませんが」

「あ・・・ひ・・・」

「選びなさい。あなたが知っていることを全て話すか・・・それとも私の魔道具を思う存分味わってみるか」

 

 もはや悲鳴を上げることもできず、硬直するシーニー。

 呆然とそれを眺める三人娘。

 イサミ、バーリー、ヒョウエの三人が、揃って肩をすくめる。

 結局、一分きっかりでシーニーは落ちた。

 

 

 

「――つまり、ここ二年ほど麻薬が市井に流れていたのはあなた方の仕業だったと」

「そ、そうだ。父さんの雇っていた薬師がこの薬品――僕たちは"鬼薬(ヤクシャ)"と呼んでたけど――による洗脳技術を開発して・・・その確立のために実験を繰り返していたんだ」

「父が病と称して最近表に出てこないという話を聞きました――殺したのですか」

 

 底冷えのするようなアンドロメダの声。

 シーニーが慌てて喋り始める。

 

「け、ケイフェス様は生きてる! 薬で人事不省にしてあるだけだよ! お父上の派閥の他の連中も殺しちゃいない! 大半は薬漬けにするか、洗脳するか、人質を取って言うことを聞くようにしてあるけど!」

「反吐が出ますね。ではこの計画に荷担している残りの主な人間を教えて貰いましょうか」

「あ、ああ。まずは父さんに・・・」

 

 

 

 あらかた吐かされた後、シーニーは再び(物理的に)昏倒させられた。

 しばしの沈黙の後、代表して夫のイサミが口を開く。

 

「それで? どうするんだこれから?」

「――」

 

 少し考え込み、アンドロメダが一同を見回す。

 

「もうこことは縁を切った身ですが、放置しておくとはた迷惑ですし、後味も悪いですし、やってしまいましょう。

 みなさん、手伝っていただけますか?」

 

 全員が頷くのを見て、メディの口元に微笑みが浮かんだ。

 

 

 

 一同は扉を溶接してシーニー達を閉じ込めてから地上に上がり、堂々と当主の寝室を目指した。

 

「げっ!」

「ぐわっ!」

「ぎゃあっ!」

 

 金属球が宙を飛び、衛士を次々と打ち倒す。

 物陰に隠れて術を発動しようとする術師も、ヒョウエの感知能力を逃れられるものではない。

 カーブして通路を曲がってきた金属球にあばらを折られ、あっさりと気絶した。

 他の面々が身構えてはいたものの、全く出番が無い。

 バーリーが口笛を吹いたところで、一行は当主ケイフェス・リムジー――アンドロメダの父の寝室に到着した。

 ノックもせずにドアを開け、転がる衛士をまたいで中に入る。

 ベッドの傍に座っていた中年の侍女が最初に怒りの、次いで驚きの表情を浮かべた。

 

「ノックも無しに無礼な・・・姫様!?」

「久しぶりですね、アディル。元気でしたか」

「姫様・・・ああ、姫様!」

 

 駆け寄ってきた侍女がメディにすがりつき、泣き出す。

 

「大丈夫ですよ、アディル。どうにかしますから。ヒョウエ、お願いします」

 

 ヒョウエが無言で頷き、ベッドに歩み寄る。

 肩までの髪を綺麗になでつけ、ひげを短く刈り込んだロマンスグレイの初老の男である。薄く目を開け、ぼんやりと宙を見たまま横になっている。

 "診断(ダイアグノシス)"の呪文で体内の様子を調べたヒョウエが表情を堅くした。

 

(なんて量の薬物ですか――いえ、さすがは創世八家の当主というところでしょうか。この量を投薬しなければ、眠らせておくこともできないということですね)

 

 一つ深呼吸して集中する。

 解毒、そして"生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)"の呪文をかけると、ぼんやりしていた目が一瞬にして焦点を取り戻し、がばっと男は起き上がった。

 視線がヒョウエ、そしてメディの方に移動する。

 

「お前は何者・・・アンドロメダか」

「ご無沙汰しております、『父上』」

「・・・事情を話せ」

 

 言いたい事をぐっと飲み込み、出奔した娘に説明を促す。

 アンドロメダの説明は断片的、端的な物であったが、それだけでケイフェスも事情をおおよそ察したようであった。

 

「よしわかった。ついてくるか」

「むろんですとも。処置は?」

「頭と手だけだ」

「いいでしょう」

 

 頷き合う父と娘。

 

「アディル、羽織る物を」

「はい、ただいま!」

 

 侍女が駆け出していく。

 モリィがこっそりヒョウエに耳打ちした。

 

(なあ、姐さんたち何話してるんだよ?)

(裏切った傍系の派閥を潰して連中がやってたことにケリを付ける、手伝う気があるならついてこいと言ったのに対して、手伝いはしますけど連中はどうするんですって聞き返して、トップと実際に実験をやってた連中は身柄を拘束して蟄居幽閉、後は適当に罰を与えてそのままと言うことでしょう)

 

 そんな事を話していると、ガウンのような物を羽織ったケイフェスがヒョウエの方を向いた。

 

「・・・この"生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)"はお前が?」

「はい、御当主様」

 

 読んで字の如くの術である。

 長らく人事不省状態にあり体力の衰えているケイフェスが、一時的にせよ常人と同様かそれ以上に元気に歩き回れるのはヒョウエがかけたこの術あってのことだ。

 

「見事なものだ。魔導君主でもこのレベルの魔力を練ることはできまい。

 ――何者だ、お前は?」

「さて。"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"とでもご記憶頂ければ」

 

 ウィンクするヒョウエにケイフェスが僅かに苦笑を漏らす。面識のある、傍若無人な大術師のことを思いだしてでもいただろうか。

 

大魔術師(ウィザード)大魔術師(ウィザード)か。確かにそうではあろうがな」

「私の弟弟子ですよ。さしあたってはそれで十分でしょう」

 

 誇らしげに胸を張る娘に、ケイフェスが僅かに目を見張った。

 

「そうか・・・まあいい。では行くぞ。時間は恒河(ガンガー)の砂より多いように思えて、金の粒より貴重なのだからな」

 

 その場の全員が頷いた。




ケイフェスのビジュアルはダブスタクソ親父でひとつ(ぉ


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第三章「黙示録の四騎士」
07-14 言葉の環(スピークリング)


「小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。

そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた」

 

     ――ヨハネ黙示録――

 

 

 

 ケイフェス・アンドロメダ父娘主導の逆クーデターはほとんど一瞬で終わった。

 リムジー家本拠にいたシーニーの一派は一瞬にして壊滅・捕縛。

 主立ったケイフェス派の家臣達もあるいは縛を解かれ、あるいは解毒され、あるいは家族を見張っていた反動分子たちを瞬殺され、それぞれが改めて当主に忠誠を誓った。

 

 そのまま彼らの私兵数百を引き連れて首謀者であるシーニーの父、現リムジー家のナンバー2であるサヌバヌールの邸宅を急襲、邸宅にいた全ての者を捕縛した。

 分家当主のサヌバヌールと側近の何人かは邸宅にいなかったが、それでも鬼薬(ヤクシャ)と洗脳の技術を研究していた薬師と催眠術師たちも捕縛され、反動派はほぼ壊滅したと言っていい。

 そのほとんどを一人で無力化したヒョウエに、周囲から畏怖の視線が注がれていたのは言うまでもないことである。

 

 そして翌日の朝。リムジー本家の朝食。

 ヒョウエたちやアンドロメダ、主立った家臣達も揃った場で、ケイフェスが一同を見渡して口を開いた。

 

「このたびは大変よく働いてくれた。お前達には改めて感謝しよう」

 

 ハッ、とバーリーが鼻で笑う。アンドロメダは素知らぬ顔。

 他の面々はおおむね無難にかしこまっているが、モリィがぴくりと片眉を上げた。

 

(なんだ、あいつ王様かよ。えらそうに)

(そうですよ? ゲマイを統治する八人の魔導君主の一人なんですから、よそなら王様です)

(・・・マジ?)

(マジマジ)

 

 更にいくらか感謝とねぎらいの言葉を述べた後、ケイフェスの視線がやや鋭いものになる。

 

「――それで。何故戻ってきた、我が娘よ」

「おや、親子の縁は切ったと思っておりましたが」

 

 白々しく驚いてみせる娘に、父親は表情を変えず言葉を重ねる。

 

「それはそれ、これはこれだ。今回の功績が大きいから不問に付すが、八家の工房に忍び込んだのは斬首にも値する罪だぞ」

「それはもちろん正義のためですよ。縁を切ったとは言え生まれた家が麻薬を流して人をさらっているなどと聞いてはね」

「・・・」

「・・・」

 

 ケイフェスの視線が更に鋭いものになる。

 食卓に肘を突き、両手を組む。

 

「ここには来ていないが、術師ヒョウエが昨夜助けた中にネムバスと言う男がいる。ネムバスはわしらの知らないサヌバヌールの企みを察知し、"言葉の環(スピークリング)"にメッセージを吹き込んで飛空瓶(フライング・ボトル)でメットーに送ったというのだ」

 

 飛空瓶(フライング・ボトル)

 読んで字の如くの魔道具で、瓶や筒に手紙や品物を入れると、遥か遠隔地まで一直線に飛んでいくというものだ。ディテクまでとなると相当なコストのかかるものだが、裕福な商家や八家の有力者なら使えないほどのものでもない。

 

「それもご丁寧に自分の記憶を消し、追跡をかわすため言葉の環(スピークリング)も最初は隣のトラル市まで送った後、通常の早馬でメットーに送るように手配してな。

 ――言葉の環(スピークリング)。持っておるな?」

 

 視線で圧力をかけたり、語気を荒くすると言うようなことはない。

 しかしその言葉には言い逃れやごまかしを許さない厳しさがあった。

 ヒョウエとアンドロメダが視線を交わす。姉弟子が頷いたのを確認して、ヒョウエが懐からオープンリールテープを取り出し、テーブルの上に置いた。

 ケイフェスが手を持ち上げるとテープが宙に浮き、その中に収まる。

 

(ほう、無音呪文ですか。それも集中なしに)

(それは・・・凄いのですか? ヒョウエ様はいつも呪文無しに金属球を操っておられるではないですか)

 

 感心するヒョウエに、ヒョウエを挟んでモリィと反対の席に座るリアスが疑問を漏らす。

 ヒョウエとカスミ、イサミとアンドロメダが一斉に苦笑を浮かべた。

 

(お嬢様。無音呪文というのは、本来かなり高度な習熟を要する技術なんです。

 ましてや精神集中のタイムラグ無しにそれを操るのは火投げ師(ファイアスローワー)のように一つの呪文だけを鍛えるような術師か、特殊な《加護》を持っているか、あるいは本物の大魔術師(ウィザード)でなくては手の届かない領域なんですよ。

 ヒョウエ様は大魔術師(ウィザード)の中でも例外中の例外です)

(はあ・・・ヒョウエ様が凄すぎてわからないけど、あの方もやはり魔導君主と呼ばれるにふさわしい技量の持ち主と言うことですわね)

(そう言う事です)

 

 ヒョウエが頷く。

 ケイフェスはしばし無言だったが、そのまま何を言うでもなく朝食が始まった。

 

 

 

 朝食後、ヒョウエたちはケイフェスの居室に呼ばれた。

 リムジー家の家臣は裏向きのことを任されているケイフェスの腹心が一人だけ。

 テーブルの上にはオープンリールテープと、王宮で見た物より随分小さいデッキが一つ。この場にいる人間は誰も知らないが、録音・再生用に市販されていた小型デッキだ。

 着席したアンドロメダがちらりと父を見た。

 

「もう聞いたのですか?」

「まだだ。最悪、一度声を再生したら消滅するような何かが仕込まれている可能性もある」

「おはようフェノレプスくん、と言う奴ですね」

「なおこのテープは自動的に消滅する」

「「・・・」」

 

 ヒョウエとイサミが顔を見合わせた。

 

「「YEAAAAAAAAAAAAAAH!」」

 

 満面の笑顔でピシガシグッグと、謎の擬音を出してハイタッチする馬鹿兄と馬鹿弟。

 その二人を、アンドロメダがものも言わずに拳でぶん殴った。

 

「痛い!」

「何するんだよメディ!」

「二人とも時と場所をわきまえなさい!」

「あの、姫様・・・再生を始めてもよろしいでしょうか?」

 

 ケイフェスの脇に控えていた腹心がやや呆れたような顔で確認する。

 主人の方も僅かに呆れ気味だ。

 

「はい、お願いしますエラキス」

 

 頭痛をこらえるような顔でアンドロメダが言った。

 

 

 

 カチリ、と音がしてデッキが止まった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 沈黙が部屋に満ちる。

 

「マジかよ」

 

 モリィが思わず漏らした言葉が、概ねその場の全員の総意だった。

 テープの内容がそれほど壮大にして、恐ろしくも馬鹿馬鹿しかったのだ。

 

「ファーレンの当主が既に鬼薬(ヤクシャ)で操られていて」

「ディテク国王を含むメットーに集まったVIPたちにも薬物による洗脳を施して」

「最終的にはマルガム大陸、いやこの世界をサヌバヌールのものにする?」

 

 ヒョウエがケイフェスの方を向いた。妙に真顔だ。

 

「当主様。これは本気なんでしょうか? 極めて手の込んだいたずらという可能性は?」

「・・・少なくともネムバスはそのような真似をする男ではない・・・ないが・・・」

 

 頭痛をこらえるような顔で俯くケイフェス。

 その後ろでは、腹心のエラキスが必死で無表情を保とうと努力していた。

 

「ではディテクへとって返すべきですわね。それがまことであれば不埒者どもを成敗してファーレン家の当主様を解毒せねばなりません。まことでなければないで、こちらに再びとって返して、こんな事をしでかした者達にお仕置きが必要でしょう」

「・・・」

 

 行動あるのみ! と言わんばかりのリアスの脳筋の主張に再び沈黙が落ちる。

 ヒョウエが苦笑しつつも頷いた。

 

「そうですね。真偽を確かめるためにもまずは現地に行ってみないと」

「脳筋の意見もたまには正鵠を得ているもんだな」

「モリィさん? 最近言葉にトゲがあるのではなくて?」

「ま、まあまあ・・・」

 

 三人娘によるいつものコントを斜めに見て、ケイフェスが息をつく。

 

「そうだな。とにもかくにも動かねば始まらん。アンドロメダ」

「みなまで言わなくても結構。リムジー家とよりを戻すつもりはありませんが、事が事です。大陸を巻き込む大戦争が起こりかねないなら、止めなくてはならないでしょう」

 

 娘の言葉に父が大きく頷く。

 

「よし。エラキス。それでは至急飛空瓶(フライング・ボトル)を手配・・・」

「不要です。ヒョウエの杖で飛んでいく方がよほど早いので」

 

 ケイフェスとエラキスの動きがぴたりと止まった。

 真顔でヒョウエを見た後、再びアンドロメダを見る。

 

「・・・アンドロメダ。それはひょっとして冗談で言っているのか?」

「単なる事実ですよ」

 

 平然としてるように見えて、どこか勝ち誇った表情のアンドロメダ。

 そんな馬鹿な、しかしこいつならひょっとしてと、半信半疑、いや四信六疑くらいの目で二人がヒョウエを見つめていた。




アディル、ネムバス いずれもアンドロメダ座の星の一つ。
エラキス ケフェウス座の星。別名ガーネットスター。


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07-15 とんぼ返り

 眼下の光景が矢のように流れていく。

 "世界の屋根(バルプカ・ニヴァース)"と呼ばれる世界最大の山脈を軽々と跳び越えて、ヒョウエの杖は一路メットーを目指す。

 凍てつく寒さや薄い空気も、念動障壁の中には入ってこない。

 白い山々、その遥か下に浮かぶ雲。ただ絶景だけが眼下にあった。

 

「しっかし、行く時に比べてちょっと遅くないか? あたしの気のせいか?」

「気のせいじゃありませんよ。重い荷物を乗せてますからね」

 

 ちらりと後ろを見る。

 最後尾に乗っているというか、杖に乗り切らないので念動障壁にもたれかかっている大男が仏頂面でその視線を見返した。

 

「何だよ、俺が悪いとでも言いたいのか」

「実際重いんですよ。兄さんだけで重さが五割増なんだから」

「ふん、なら俺だけ転移で送ればよかったろうに」

「6000km転移させるのがどれだけ魔力使うかわかってます? ましてや150キロもある肉の塊を。向こうに着いたときに余力は残しておきたいんですよ」

「お前にも人間らしく限界があると知ってうれしいよ」

 

 イサミが肩をすくめる。

 メディがくすくすと笑った。

 

「それはそれとしてヒョウエ、メットーまではどれほどかかるかしら?」

「この速度だと多分九時間ほど、日が暮れた後になりますね」

「間に合うかね」

「間に合わせましょう」

 

 真剣な顔でメディが頷いた。

 

 

 

 日が暮れて少ししたあたりで一同はメットーに舞い戻った。

 緊急の際でもあるし、透明化の呪文で城門はスルーする。

 スラムの屋敷に降りるとサナとリーザが待っていた。

 

「お帰りなさいませ、ヒョウエ様。夕食の支度がととのっております」

「お疲れ。とにかくごはん食べよ。話はその後で」

 

 頷いてヒョウエたちは屋敷に入った。

 普通なら旅塵を落としてから・・・となるものだが、ずっと念動障壁の中にいたヒョウエたちには無縁のものである。

 それぞれの部屋に荷物を置いて、すぐに食事が始まった。

 途中で弁当を食べただけであったし、ゲマイから戻った組はクリームシチューやグレービーソースに泳ぐ牛焼肉などサナの料理を腹の中に詰めていく。

 

「うめぇっ! ゲマイの飯もうまかったけど、やっぱり食い慣れたものが一番だな」

「ですわね。とはいえゲマイの料理も中々目先が変わって美味でした。たまには口にしてみたいものですわ」

「東南の猫女(キャットフィメール)広場にゲマイ料理の屋台がある。黄色い屋根の奴だ。食いたくなったら是非行ってみるといい。

 香辛料のスープとパンのセット、それに窯焼きの鳥肉がお勧めだ。香草の揚げ物とヨーグルト飲料をつけるのも悪くない。

 たまに菓子を売っていることもあるから、見つけたら買っておくといい。香草茶に良く合う。

 珍しいメニューとしてはモツ煮込みだな。羊や牛、豚などのモツをまとめて香料スープで煮込むんだが、どういう訳か柔らかく煮込んでいるのにモツの弾力がはっきり残っていて、柔らかさと味覚のハーモニーは筆舌に尽くしがたい。

 そしてこちらは更に珍しいんだが、淡水魚のスープが絶品で――なんだ?」

 

 自分に視線が集中しているのに気付き、イサミが眉を寄せた。

 リアスが曖昧な笑顔を浮かべる。

 

「いやまあその・・・」

「いきなり饒舌に語り始めたら、大概の人は驚くんですよ、あなた」

「俺、そこまで無愛想じゃないだろう?」

「そう言う問題ではなくて」

「兄さん料理の話になると早口になるの気持ち悪いよね・・・」

「だからこの世界じゃわからねえボケかましてんじゃねえよっ!」

 

 食事を終え、サナとリーザが大急ぎで片付けを終えると、一同は作戦タイムに入った。

 テーブルに置かれたオープンリールテープを見下ろして、イサミが腕組みする。

 

「で、どうするんだ? 聞いた話じゃ、こいつは青い鎧として受け取ったもんだそうじゃないか。

 つまり、ヒョウエとして表立って活動するのは難しいだろ?」

「その辺は考えてありますよ。まず兄さんが師匠を通じて、青い鎧と知り合いな事にする」

「まあ嘘ではないわな。それで?」

「姉さんがゲマイの人だと言うことも知っているので協力を要請し、姉さんたちは僕らに協力を要請してゲマイに飛んだ。そしてあれこれあってケイフェスさんの協力も得て中身を知り、とって返した。

 そして青い鎧にそれを話し、青い鎧はそれを知って王国諜報機関にこの情報を伝える――そういう線でどうでしょう。

 むろん姉さんたちには同時並行で『本来の宛先』と接触してもらいます」

「ふむ。問題なさそうですね」

 

 メディが頷く。

 

「ではこれで」

 

 ヒョウエが頷いてテープを懐に戻した。

 

 

 

 カチリ、と音がしてデッキが止まった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 ケイフェスの居室でそうだったように、沈黙が部屋に満ちる。

 王都北西にあるカレンの別邸、もっと言うなら王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のセーフハウスの一つ。

 その応接室で青い鎧、カレン、"狩人(ハンター)"が顔を付き合わせていた。

 滅多に見れないような硬い表情で、カレンが青い鎧を見上げる。

 

「青い鎧様。念のため。本当に念のためにお聞きしますが、手の込んだいたずらではないのですね?」

「レディ・アンドロメダ、正確にはそのお父上であるケイフェス閣下によれば、このメッセージを送ったのはその様な事をする人物ではないとの事にござるがな・・・」

 

 自信なげに答える青い鎧。

 演技のようでもあるが、実際ヒョウエとしてもいまだに今一つ確信が持てない。

 

「麻薬と催眠術によって魔法によらない精神操作を行う――まあそこまではいいでしょう。権力を握るために邪魔な当主や、ライバル家の当主を洗脳するのもよしとしましょう」

 

 そこで一旦カレンが言葉を切って、大きく息を吸う。

 

「ですがそれを、大陸中から集まった各国貴顕に施す? それを足がかりにして、大陸の全ての国家首脳を洗脳して世界を我が物とする? 陰謀を企むにしたってやり方というものがあるでしょう! 吟遊詩人の三文叙事詩ではないのですよ!?」

「カレン様」

 

 "狩人"が口を開いた。たしなめるような響き。

 もっとも、彼も眉を寄せて目元を揉んでいるあたり、感想は似たり寄ったりらしい。

 

「長くこの仕事をやって来ましたが、陰謀を企むものが皆まっとうに行動するとは限りません。

 ウィナー伯爵の事件の時にメットーの商家を脅迫した馬鹿者どもがいたでしょう?

 ああ言うのは必ず一定数います。身の程をわきまえないのか、自分の得た力に酔っているのか、あるいは単に馬鹿なのか。

 まあ、それら全部でしょうな」

「えぇ・・・」

 

 凄く嫌そうな表情で顔をしかめるカレン。

 苦笑しながら"狩人"がデッキを持ち上げた。ためすがめつ、ひっくり返して観察する。

 

「しかしニホンの技術は素晴らしいな。青い鎧、ものは相談だが・・・」

「そのテープはともかくデッキの所有権はハーキュリーズ夫妻にある。買い取りたければそちらと交渉して頂きたい」

「わかった」

 

 頷いて"狩人"はデッキをテーブルに戻した。

 

「まあ正直あるとありがたいけど、それは後でもいいわ。問題はどうやって対処するかよ。本来なら心術師に探りを入れさせるところだけど」

「"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"と言えど魔術ではゲマイの間諜にかなうべくもなかろうな」

「まあ魔法だけが諜報ではない。何とかやってみるしかあるまいな」

「ところでこのメッセージの本来の宛先はどこなのかしら?」

「そちらはハーキュリーズ夫妻が接触しているはずだ。どうも顔見知りらしくてな。今回の件については彼らと協力するのがよかろう」

「そうですわね。・・・」

「殿下、何か?」

「いえ、何でもありませんわ。それでは他になければ失礼します。すぐに動く必要がありそうですからね」

 

 僕を使うかどうか考えてるのかな、と思いつつ青い鎧も席を立つ。

 

「うむ。ではそれがしも失礼する。何かあったらハーキュリーズ夫妻のほうに伝えておこう」

「了解だ」

 

 "狩人"が頷くか頷かないかのうちに青い鎧の姿が消える。

 開いた窓に掛かるカーテンが揺れていた。

 

 

 

 そのころ。

 メットーの北西、富裕層の住む地区にメディとイサミの姿があった。

 名の売れた魔道具店の経営者だけにこの辺りからもしばしば仕事を受けている二人であるが、今回はそれが目的ではない。

 

「ここよ」

「ああ」

 

 二人がある屋敷の前で足を止める。

 呼び鈴を鳴らすと家令らしき男が現れ、アンドロメダに頭を下げる。

 そのまま奥に招き入れられ、応接間に通された。

 しばらくして屋敷の主人が姿を現す。

 車いすに座った、初老の貴婦人。若い頃はさぞかし美人だっただろう容貌が、二人を見てほほえみを浮かべた。

 

「久しぶりですね、アンドロメダ。イサミさんも初めまして」

 

 二人が席を立ち、会釈した。

 

「は、はあ・・・?」

「ご無沙汰しております、母上」

「えっ?」

 

 イサミがぽかんと口を開けた。




>ライバル家
ごく自然に「雷張家」と変換される私のPCは少しおかしい。
だからドリルは取れと言ったのだ・・・。


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07-16 シェダル・リムジー

「お母さん? お前の!?」

「そうですよ」

「聞いてないぞ!」

「まあ、言ってませんでしたから・・・そのうち言おうとは思ってたんですが」

「一緒になったのですから、それ位は教えておきなさい。そうでないとそのうち私たちみたいになってしまいますよ、アンドロメダ」

「はい、すいません」

 

 婦人がアンドロメダをしかると、娘は神妙に頭を垂れた。

 

「謝る相手が違うでしょう」

「ごめんなさい、あなた」

「ああ・・・まあ何か訳ありらしいしそれはいいけど、一体?」

「それではそこからお話ししましょうか。取りあえずは座って下さい、婿殿、アンドロメダ」

「はい」

 

 二人が長椅子に腰を下ろし、老婦人の車いすが長テーブルの端につく。

 車いすを押していた年配の侍女が、一礼して部屋から下がった。

 

「さて、あらためて初めまして。私はシェダル。アンドロメダの母です。よろしくね、イサミさん」

「は、はい・・・その、ご主人とは?」

「あの人に会ったことがおありかしら?」

「ええ、何度か」

「でしたら、何となく察せられるのではないかしら」

 

 数年前、妻と初めて会った頃に何度か、つい先日も見たケイフェスを思い出す。

 有能だが傲岸不遜で、他人は自分に従って当然という顔をしていた男。

 数年越しに再び相まみえても、その印象はほとんど変わらなかった。

 

「なるほど」

 

 頷いたイサミにシェダルが笑みを浮かべた。

 

「まあそれはおいておきましょう。それで、用は何かしら?

 イサミさんを紹介しに来てくれたのなら嬉しいのだけれど、そうではないようね」

「はい、母上。取りあえずはこれをお聞き下さい。ネムバスから母上あてのメッセージです」

 

 イサミがヒョウエのそれとよく似たかばんから取り出したデッキを卓の上に置き、テープをセットする。

 

「まあ、言葉の環(スピークリング)。よほどのことのようね」

「はい」

 

 デッキから音声が流れ始めた。

 

 

 

 再生が終わると、シェダルは深々と溜息をついた。深刻そうな表情と呆れたような表情が半々くらい。

 

「何を荒唐無稽な、と言いたいところですがサヌバヌールならやりかねませんね。それだけの力を持っているという意味でも、常軌を逸しているという意味でも」

「――サヌバヌール卿には、思えば物心ついて以来敵のように睨まれていた記憶しかありません。ろくに話したこともないのですが、どういう方なのです?」

 

 娘の質問に、もう一つ溜息。

 何かを思い出すように遠くを見る。

 

「そうですね。ほんの小さな頃からどこか異常なところのある子でした。

 『優秀かどうか』にひどくこだわり、生まれにかかわらず魔力の強いもの、武芸の達者なもの、学問に通じたものなどで自分の周りを固めていました」

「まあ人間を生まれじゃなくて能力で評価すること自体は美点と言えますが・・・その言い方だとそれだけじゃなかったんですね?」

 

 イサミの確認に頷く。

 

「優秀なものを優遇する反面、そうでないものには極端に厳しく当たる傾向がありました。優秀な人間以外は生きる資格はないと考えていた節があります」

「うへえ」

 

 顔をしかめるイサミ。

 その脳裏によぎるのは、前世で見聞きした独裁者や軍閥による大量殺戮だろうか。

 頭の後ろで手を組んで、宙を仰ぐ。

 

「どーしてああ言う連中は極端に走るかねえ。そりゃ優秀な奴には価値があるが、優秀じゃない奴だって世の中回すには必要なんだぜ?

 大体本人は優秀なだけに手に負えねえ・・・やっぱり優秀だったんですよね?」

「術力と魔導に関する造詣の深さはケイフェスを大きく上回っていました。

 仮に彼が本家に生まれていたら、家を継いでいた可能性はかなり高いでしょうね」

「魔導君主並みかあ。それとも"魔導上王(キング・オブ・キングス)"狙ってるのか?」

「私も十年以上彼とは会っていません。今のサヌバヌールがその域に達していても不思議とは思いませんね」

 

 八人の魔導君主をも従える絶対的な支配者、魔導上王。

 この企みの首謀者はその域に達しているかも知れないとシェダルは言う。

 その情報はイサミとアンドロメダを憂鬱にさせるに十分であった。

 

「しかし・・・えーと、義母上」

「あら」

 

 シェダルが嬉しそうに微笑んだ。

 イサミが頭をボリボリとかく。

 

「この言葉の環(スピークリング)ですが、ネムバス殿はどうして義母上にこれを送ったのでしょう? メディが俺にあなたの事を伝えなかった事にも関係してるんですか?」

「それは」

 

 アンドロメダが口ごもる。

 シェダルが娘をちらりと見た。

 

「恐らく、遁世して静かに暮らしている私を騒がせたくないとか、下手に会いに来て私があの男に目をつけられるとか、そんな事を無駄に心配していたのでしょう、この頭でっかち娘は」

「母上、それはひどいです!」

「何がひどいものですか。あなたはなまじっか頭がいいものだから考えすぎて空回りするのです。もう少し素直にものを見なさいと何度も言ったではありませんか」

「・・・」

 

 ぴしゃりと言われてアンドロメダが沈黙した。

 

「まあともかく、私は確かにゲマイを出てメットーに隠れ住んでいるようなものですが、それでも現世と縁を切ったわけではありません。こちらのゲマイ人のまとめ役のようなことをしていますし、ネムバスともそれなりにやりとりはしていたのですよ」

「ええ・・・」

 

 アンドロメダが唖然としている。

 

(よほどのことがあったんだろうなあ。創世八家、それもナンバー2の家の正妻が国を出て外国で隠棲してるんだから)

 

 娘としては、そんな母親をそっとしておきたいだろうというのも、まあそれはわかる。

 ただこの一件に関しては完全なアンドロメダの早とちりのようであった。

 

「それで? つまりネムバスが頼るほどの何かを、母上はお持ちなのですね?」

「さて、頼られるほどかどうかはわかりませんが」

 

 鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。

 何事かを言いつけると、侍女は下がっていった。

 

「今呼びにやりました。その間、イサミさんとのことでも話してちょうだい。もちろんイサミさんが娘のことを話して下さるのでもいいですよ」

「ほほう」

 

 イサミの目が怪しく光る。

 

「それではメディが小さな頃のあれやこれやを話して頂いても?」

「あなた!?」

「ええ、もちろん」

 

 にっこりと、聖母の笑みを浮かべるシェダル。

 

「母上!」

 

 応接間にアンドロメダの悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 それからしばらくの間、アンドロメダの尊厳を生贄に捧げて笑いの絶えない朗らかな会話が続いた。

 痛めつけられた彼女の神経がそろそろ限界に達しようかという頃、扉がノックされる。

 

「ツィー?」

「はい、奥様。ルクバー様がお見えになりました」

「そう、通してちょうだい」

「はい」

「えっ?」

 

 イサミが首をかしげると共に扉が開き、小柄な中年男が一人入ってきた。

 やせぎすで頬骨の浮いた、肌の色の濃い、見るからにゲマイ人と言った風貌。

 

「やっぱり。ルクバー、こりゃどういうことだ?」

「ありゃ、イサミの旦那? そっちこそどういうことですかい?」

 

 互いに目を丸くするイサミとルクバー。

 シェダルも意外そうな顔をしている。

 

「知り合いだったの?」

「お得意さんですよ、奥様」

「ほら、昨日話した"猫女"広場のゲマイ料理の屋台の主だよ、メディ」

「ああ」

 

 取りあえずルクバーを座らせる。

 

「じゃあ改めて紹介するわね。こちらはアンドロメダ、知ってると思うけど私の娘よ。こっちはイサミさん、アンドロメダの旦那様。お二人さん、ルクバーはゲマイ人のまとめを手伝ってくれているの」

「はー。まさかイサミの旦那がシェダル様の婿がねとはねえ」

「人の縁ってどこで繋がってるかわからんもんだなあ・・・」

「まったくでさあ」

 

 しみじみ頷く男二人。

 アンドロメダの目が、眼鏡の奥ですっと細まった。

 

「それで母上。わざわざ呼ぶからには、ゲマイ人の互助会の話を聞くためでもないでしょう。ルクバーは何をしている人なのですか?」

 

 シェダルが笑みを浮かべた。ルクバーもニヤリと。

 

「ルクバーはね、ゲマイ人のまとめ役でもあるけど、彼らの話を聞いて私に伝えてくれる役でもあるの。王宮の廷臣が店でこれこれのことを話していたとか、娼館の寝物語で口を滑らせたとか、裏道でフードをかぶった貴族さまがコソコソ歩いていたとかね」

 

 イサミとメディが真顔になる。

 

「それはつまり・・・」

「そ。彼は腕のいい料理人で、同時に至極優秀なスパイマスターでもあるというわけ」

 

 イサミとメディの二人に見つめられ、人の良さそうな小男は屋台の客に向けるのと全く同じ笑顔を向けた。

 



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07-17 スパイ&スパイ

「それで奥様。どういったご用件でしょう?」

「リムジーの跳ねっ返りがメットーで馬鹿なことをやろうとしているみたいなのよ。王国の諜報機関と連絡が取れないかしら?」

「あ、母上。そちらのほうには青い鎧がつなぎをつけています」

「青い鎧?!」

 

 ルクバーが目を丸くした。

 

「実はこういうわけで・・・」

 

 ヒョウエとは別口に、あくまでも「青い鎧」と面識があるという形で事情を話す。

 

「はー・・・」

「ふぅん。青い鎧・・・それにあの王子様がね」

 

 ルクバーはひたすらに驚愕しているが、シェダルは一瞬だけ意味ありげに眼を細めた。

 

「「・・・」」

 

 イサミとメディが僅かに身を固くするが、老婦人はお構いなしに話を続ける。

 

「ルクバー。あなたの把握しているゲマイ人の中で、リムジーの、特にサヌバヌールの派閥に通じているものはいますか?」

「はい、数人ほど」

「そのグループに動きは?」

「なんとも。例の経済会議関係のお祭りやレスタラの攻撃で混乱してまして、忙しくしているようだとは思ったんですが・・・」

「なるほど。まあしょうがありませんか」

 

 シェダルが溜息をつく。結果を見れば、彼らはレスタラ事件の混乱に紛れてうまく動いていたということになるのだろう。

 

「娘たちの話によれば、すぐに王国諜報機関・・・ええと、何と言ったかしら」

「"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"です、母上」

「そう、それね。その"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"が接触してくるそうだから、それまでになるべく情報を集めておいてちょうだい」

「かしこまりました」

 

 ルクバーが一礼する。

 それに頷くと、シェダルが表情をゆるめる。

 

「さて、それではまだ少し時間もあるだろうし、みんなで夕食にしませんか。

 話したいこと、聞きたいこともまだ色々ありますしね」

 

 にっこりと笑う母親に、アンドロメダが僅かに頬を引きつらせた。

 

 

 

「奥様、お客様が参りました。片隅からいらしたと仰せですが」

「あら? 思っていた以上に早かったわね。さすがと言いましょうか。お通ししてちょうだい」

 

 丁度食事を終えたあたりにそれはやってきた。

 侍女が食器を片付けるのと入れ替わりのように入って来たのは、そこそこ裕福な平民の若奥様とそのお付きの男――に見える二人。

 二人の顔を見てイサミが目を剥いた。

 

「カレン殿下!? それにそっちは、ひょっとして――」

「どうも、お久しぶりですわね、イサミさん。アンドロメダさんも」

「おまえさんがイサミ・ハーキュリーズか。話が早くて助かる」

 

 にっこりと笑うカレン。

 帽子を脱ぎながら、"狩人"が無感情に頷いた。

 

「初めまして、レディ・シェダル・リムジー。ディテク王国第二王女カレン・スー・ボッツ・ドネです。お目もじ嬉しく思いますわ」

「ありがとう、カレン殿下。このような体ですので失礼しますわね」

「いえいえ」

 

 和やかに挨拶を交わした後、二人が席に着く。

 タイミングを計ったかのように茶が運ばれてきた。

 上品な笑みを浮かべてシェダルとカレンが言葉を交わす。

 

「それにしてもまさかこんなに早く、しかもカレン殿下と"狩人"閣下直々のお出ましとは驚きましたわ」

「魔導君主のお后たる方ともなれば、相応の礼を尽くすのは当然でしょう。

 早め早めに動きましたのは、それだけ事態が深刻であるとご理解頂ければ」

 

 頷きつつシェダルが溜息をついた。

 

「ごめんなさいね。本当にもう、身内の恥がご迷惑をおかけしてしまって。何とおわびすればよいやら」

「いえいえ、お気になさらず。今回の件がうまく収まるところに収まれば、それはそれで我が国の利益にもなりますので」

「まあ」

 

 ころころと上品に笑う二人。

 もっとも言ってることは微笑ましくもなければ上品でもない。

 

(要するにこの件で圧力かけて、ゲマイの代表に交渉で大幅に譲歩を強いるってことだろうからなあ)

 

 イサミがこっそり溜息をつく。

 "狩人"はさすがに平然としていたが、ルクバーの額には一筋の冷や汗が流れていた。

 

「そう言えば、おいでになるまでにいくらかおもてなしを用意しようと思ってたのですけれど、恥ずかしながら何も用意できませんでしたの」

「先触れも無しにお邪魔したこちらに責任のあることですわ。お気遣いなきよう。それで、ご用意頂けるはずだったおもてなしというのは具体的には?」

「その点は実務を預かってくれる者達で話して貰った方がようございましょうね。ルクバー」

「はい、奥様」

「頼むわ、"狩人"」

「お任せ下さい」

 

 貴婦人たちの、言い換えると政治家たちの儀礼的な挨拶と交渉から一転、実務者である狩人とルクバーが具体的な話し合いを始める。

 それを横目で見て、カレンがイサミ達に視線を移した。

 

「そう言えば、こうしてゆっくり話すのは初めてね。どうも、ヒョウエの姉のカレンです。弟がお世話になってますわ」

「こちらこそ。私たちにとってもあれは弟みたいなものですから」

「随分と苦労されているのではなくて?」

「お互い様でしょう」

 

 二人の姉が無言で微笑みをかわす。

 ほほえましさより寒気を感じる。イサミは心の中でこっそりと、弟分の冥福を祈った。

 

 

 

「薬を使うならまず臭いのは料理人だと思うんですよ。ゲマイの代表が来てるって事は、王宮の方にもゲマイの料理人が上がってるんじゃありませんか?」

「もちろんだ。今部下にその辺を調べさせているが、そちらの方に協力してくれるとありがたい。やはり外国人のコミュニティ相手では探りを入れるにも限界があるからな」

「もちろんです。後は香水師ですね」

「香水師? 香りだけでそんな強烈な薬効があるものか?」

「香辛料の利用が多いお国柄だからでしょうかね、ゲマイでは伝統的に香りを重視します。まっとうにリラックスしたり雰囲気を盛り上げたり、夜のことについて利用することもありますし、医療や、あるいは色々後ろ暗いことにもよく使いますよ。

 創世八家の中にもそうした方面に特に通じてる家があります」

「さすがゲマイ、文化が多彩でうらやましいことだな」

「いえいえ、要はそれを用いてどう結果を出すかでしょう」

 

 現存する王国の中で一番古いのはディテクだが、文明として一番古いのがどこかという話になると、これはまずゲマイだろうと言うことで衆目の一致を見ている。

 真なる魔法文明、古代王国が崩壊した後、その術を伝える生き残りたちが南方の地で古代王国と魔法の復興を掲げていち早く築いたのが古代ゲマイ文明なのだ。

 閑話休題(それはさておき)、"狩人"とルクバーの話し合いはその後も続いた。

 その間カレンとアンドロメダは弟をダシにして盛り上がり、イサミは姑と和やかな会話を交わしていた。

 

「ではこのへんでよろしゅうございましょうか、閣下」

「ああ。レディ・シェダル。場合によっては娘さんと御夫君にもご出馬を願うことがあるかも知れませんが、よろしいでしょうか」

「今回の事は娘が持ってきた話です。どうぞいかようにもお使い下さい」

「母上!」

 

 しれっとのたまう母親に抗議する娘。

 イサミが眉を寄せた。

 

「出馬って、手助けするのはかまわないが、何をやらせようってんだ?」

「単純に戦力として、魔導技師としての特殊技能を見込んででもある。ついでに言えばオリジナル冒険者族としてのそれもな」

「知ってたかぁ」

 

 溜息をつく。

 

「ヒョウエ殿下が典型的だが、オリジナル冒険者というのは子供の頃から異常な振る舞いを見せるからな。網を張っていれば結構見つかるものだ。

 ともかく殿下もそうだが、レディ・シェダルやレディ・アンドロメダなら、そのまま王宮に上がっても何ら問題はないご身分の方だ。そうした立場で頼りになる戦力を確保できるのはこっちとしても助かる」

「ヒョウエから聞いてたが、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"も結構人材不足らしいな」

「我々の本分は諜報だ。戦闘ばかり繰り返している冒険者や、『チイト』持ちのオリジナル冒険者族と比較されても困るよ」

 

 "狩人"が肩をすくめた。

 



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07-18 戦支度

「・・・で、何だこれ?」

「決まっているでしょう、メイド服ですよ」

「いや、そりゃわかるよサナ姐さん。問題は何であたしがこんなもん着なきゃならないのかってことなんだけど」

 

 ヒョウエの実家、ジュリス宮殿。

 その一室で、ロングスカートのメイド服を身につけたモリィが何とも複雑な顔をしていた。

 リアスとカスミ、サナ、リーザ、アンドロメダも一緒にいて、ジュリス宮殿に仕える侍女の一団が彼女たちの身なりを整えている。

 ヒョウエとイサミも別室で同様の扱いを受けているはずであった。

 

 慣れている他の面々はともかく、他人に着替えさせて貰うなど(ごく幼い頃を別とすれば)とんと経験のないモリィとしては困惑しきりである。

 白いドレス姿のリアスが腰に手を当て、呆れたようにモリィを睨んだ。

 首まで覆うデザインに長手袋、ロングスカートと、ほとんど肌の見えない上品なものである。

 

「"狩人"閣下から説明があったではありませんか。私どもが歓迎パーティに出席してあれこれ探るとともに、いざというときの戦力として待機するためですわ」

「だったら控えにでも待機してりゃいいだろ? 何でこの格好だよ。なんつうかこう、長いスカートは駄目なんだ。ぞろっとしてて歩きづらくて・・・」

「モリィさんには《目の加護》で相手の反応を観察して貰う仕事がありましてよ。

 控え室にいては仕事ができないではありませんか」

「そりゃまあそうだけどさぁ・・・」

 

 天を仰いで嘆息する。いつも無造作に後ろで束ねているだけの黒髪は綺麗になでつけられ、貴族の侍女として見苦しくないようポニーテールに整えられていた。

 ウィナー伯爵の地震事件の時に、ヒョウエを利用しようとした商人の表情を読んだように、モリィの《目の加護》は相手のごく僅かな表情筋の動きからその内心を読み取ることができる。

 その精度はカレンのそれにも匹敵するもので、こうした貴族のパーティや尋問、交渉などの読み合いにおいては破格の威力を発揮する。

 

「だいたい何でアンドロメダ姐さんのお付きなんだよ。まあヒョウエにはサナとリーザがついてるからしゃーないけどさあ」

「まあまあ。お付きが一人もいないとなると無条件で舐められますので我慢して下さい」

「何でしたらわたくしの侍女という役どころでもよろしくてよ?」

「ブッ殺すぞテメエ」

 

 剣呑な目つきでリアスを睨むモリィ。

 

「おほほ、親切のつもりでしたが、お気に召さなかったらごめん遊ばせ」

 

 普段はモリィが不用意な一言でリアスを怒らせるのが常だが、今回に限っては立場が逆転している。そして更にモリィを苛立たせることが一つ。

 

「だいたい何でてめえがヒョウエの相手役なんだよ!」

「そこから説明しなくてはいけませんの? アンドロメダ様は既婚者ですし、サナさんもリーザさんも当然カスミも、王族のエスコート相手としては身分が足りませんわ。

 でしたらわたくしが務めるしかないでしょう。もちろんモリィさんでは何をどう誤魔化そうとも貴婦人には見えませんわ。美女と野獣ならぬ美少年と野獣でしてよ」

 

 おほほほほ、と扇で顔を隠してカレンのように悪役令嬢笑いをするリアス。

 ぶちり、と血管の切れる幻聴が響いた。

 

「リアス様、おたわむれはその辺に。あくまでも潜入の一巻のお芝居としてのエスコートなのですから、調子に乗られませんよう」

「そうですよ。あくまでお芝居なのですから、モリィ様もお気になさることはないかと」

 

 沸点に達したモリィが爆発する前に、素早くカスミとサナのフォローが入る。

 この辺はもう付き合いも長いし慣れたものだ。

 

「そうそう、あくまでお芝居なんだからね、お・し・ば・い。リアスさんもその辺はちゃんとわかってるって」

「あの、リーザさん? ちょっと目が怖いんですけど?」

「そう? 気にしないでいいですよ?」

 

 にっこりと、いつも通りの笑みを浮かべ、しかし目は笑ってないリーザ。

 お芝居お芝居と連呼された上に無言の威圧を受けては、ヒョウエの相手役を仰せつかって調子に乗っていたリアスもさすがに自重せざるを得なかった。

 しばらくして扉がノックされる。

 アンドロメダが返事をすると、こちらも着飾ったヒョウエとイサミ、そして侍女頭であるカニアが入って来た。

 

「おおー」

 

 声を上げるのはヒョウエ。

 

「きれいですよリアス。素晴らしい」

「ありがとうございます、ヒョウエ様」

 

 リアスが頬を染めて俯く。

 

「リーザとモリィもいい感じですよ。新鮮だ」

「そ、そうか?」

「宮殿にいた頃はずっとこんな感じだったけどねー」

 

 さんざんぶーたれていたモリィだが、褒められれば悪い気はしない。

 

「カスミは・・・まあいつも通りですね」

「ですのでお気遣いなく」

 

 童女がくすりと笑う。

 

「あー、なんだ、きれいだぞアンドロメダ」

「ありがとう。あなたも男ぶりが上がっているわよ」

 

 こちらはヒョウエに比べるとかなりぎこちないイサミだが、それでもアンドロメダは満足のようだ。

 それをよそに、侍女頭のカニアがサナに近づいて来た。

 50絡みの丸っこい、一見してエネルギッシュで人なつこい女性である。

 

「ちょっといいかい、サナ?」

「カニアさん。なんでしょう?」

 

 そこでカニアが小声になる。

 

(いや、話には聞いてたけどさ、随分ときれいどころをはべらせてらっしゃるじゃないか。どうだい、一人くらい若様のお眼鏡にかなった娘さんはいるのかい?)

(いえまったく)

 

 サナが溜息をついた。

 

(彼女たちはおおむねヒョウエ様に好意的なのですが・・・肝心のヒョウエ様がかけらほども興味をお示しになられませんで)

(相変わらず本の虫かい)

(はい)

 

 二人揃って溜息をつく。

 

(伯爵様ならお相手として申し分ないと思うんだけどねえ。そちらのほうも全然?)

(まったくもって。最近は第二王女殿下からもアプローチをかけられているようですが、そちらもなしのつぶてです)

(やれやれ・・・こうなったらサナ、あんたが多少強引にでも手ほどきしてやんな。そうしたら周りの女性にも目が行くかも知れない)

(え・・・ええ!? いえ、そんな・・・!)

(場合によってはそう言う手ほどきをして差し上げるのもお付きの役目だろ。ましてや若くて美人で若様とは小さいときからの馴染みなんだから、そう言うお役目にぴったりじゃないかい。尻だって安産型だしさあ。あんただって満更でもないんだろ?)

(そ、それはその・・・)

 

 顔を真っ赤にしてしどろもどろになるサナ。

 ヒョウエが相手であれば姉の威厳で軽くあしらえもするが、逆に少女の頃から面倒を見てもらっているカニアが相手では分が悪い。

 なおカニアは小声で話しているつもりだが、おばちゃんの習性か、いつのまにか声が大きくなっていること、部屋にいる全員が聞き耳を立てていることには気付いていない。

 

「・・・」

 

 侍女たちの視線がヒョウエに集中し、少年は盛大に顔を引きつらせた。

 

 

 

「それではレディ・ダーシャ、お手をどうぞ」

「ありがとうございます、ヒョウエ殿下」

 

 ヒョウエがリアスの手を取る。

 お芝居お芝居と強調されていてもうれしいものはうれしいのか、リアスは頬を染めていた。

 

「・・・」

「・・・」

 

 モリィとリーザの視線が突き刺さるが、今の無敵状態のリアスには何ほどの効果もなかった。浮かれポンチともいう。

 そのままヒョウエとリアス、イサミとアンドロメダが歩いて行く後ろをサナ、リーザ、カスミ、モリィがついていく。

 

「ジュリス王弟家嫡子、ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネ殿下! ならびにダーシャ女伯爵レディ・リアス・エヌオ・ニシカワ!

 リムジー家ご息女レディ・アンドロメダ・ハーキュリーズ・リムジー! ならびに御夫君イサミ・ハーキュリーズ閣下!」

 

 典礼官が名前を読み上げると、レセプション会場がざわめいた。

 

「ヒョウエ殿下だと?」

「何故この時期にリムジー家のご息女が・・・?」

 

 ざわめきは静まらない。

 会場の中央に進み出た四人に向かって、人の波が生まれた。

 サナ達は一礼して壁際に控える。

 周囲から迫り来る貴顕淑女を視線だけで素早く見渡して、ヒョウエが僅かに笑みを浮かべた。

 

(さて、社交という戦いの始まりだ)

 

 腹をすえ、ヒョウエは微笑みという兜をかぶり直した。

 




正直宮殿についていく侍女がメイド服(家内の作業服)ってのはどう考えてもおかしいのですが
そこはそれ、創作の嘘って事で・・・


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07-19 社交と言う名の戦場

 

「これはこれはヒョウエ殿下、ご立派になられましたな。スラムのお噂は聞いておりますぞ」

「お久しぶりですショウ侯爵。閣下も随分と恰幅がよろしくなられましたようで」

「ははは、これは手厳しい。趣味のクラブの活動がここのところ途切れがちでしてなあ・・・」

 

 純粋に挨拶に来た者。

 

「どうも、ダーシャ女伯爵(カウンテス)閣下。遠縁のフロストですがお覚えいただけてまして?」

「もちろん覚えておりますわ、子爵夫人。継承の儀にもおいでいただきましたし」

「それは嬉しいですわ、閣下。それにしてもヒョウエ殿下と並ぶと、何とも映えますこと。一体どこで仲良くなられたのかしら? 女伯爵(カウンテス)ではなく伯爵夫人(カウンテス)、いいえ大公夫人(グラン・ダッチェス)になられるおつもりで?」

「あ、え、それはその・・・」

 

 血縁を生かして何とかチャンスを捉えようとするもの。

 

「初めまして、ヒョウエ殿下。ナルド男爵ピアースと申します。友人には"《司教(ビショップ)》"などとあだ名されておりますな。どうかお見知りおきを」

「ええと、確かコーストの北の方の方でいらっしゃいましたか。こちらこそよろしく」

「おお、存じて頂けていたとは嬉しい限り。それでですな、殿下がスラムでやっておられること、まこと高きお志と存じまする。つきましては炊き出しなどに資金援助を・・・」

「それはありがたいお話ですね(スラムの商業活動に一枚噛みたいのかな)」

 

 善意の皮をかぶって縁を繋ごうとするもの。

 

「お初にお目にかかります殿下。ナルド男爵の友人でハリ男爵リランドと申します。実はわたくしのあだ名も"《司教(ビショップ)》"でして」

「おや、ではそれだとどうやって区別するんです?」

「髪の色からあちらが白司教、私が黒司教などと呼ばれておりますな。時にヒョウエ殿下、スラムのペリエという男をご存じで?」

「ええ、スラムのまとめをして頂いてる人たちの一人ですが」

「そうですかそうですか。では余り殿下にまとわりついても他の者達に恨まれましょうからな、これで失礼致します」

「お心遣い感謝しますよ(何が目的だったんだろう? でも何が目的にせよ、それは達成したみたいですね)」

 

 雑談に交えて、情報を引き出そうとするもの。

 そうしたディテク貴族達の相手を一通りこなしたころにはリアスは見るからに疲労困憊していた。

 ヒョウエも慣れない仕事にかなり疲労を感じてはいたものの、その手の教育は受けているのでそこまでではない。

 リアスも当主の後継として育てられた以上そうした教育は受けているはずなのだが、それはそれである。

 

「疲れているようですね」

「あ、いえ・・・」

「少し休みましょう。僕も疲れました」

「はい、ありがとうございます」

 

 頬を染めるリアス。そのまま二人は会場の端の長椅子が並べられた一角に腰を下ろした。

 サナがヒョウエに、カスミがリアスに飲み物を持ってきてくれるのに、それぞれ礼を言って口にする。

 

「肝心のゲマイの人たちに全然接触できませんでしたね・・・ヒョウエ様とお嬢様の周りが凄い人だかりでした」

「クソにたかるハエみてーだったな」

「モリィさん、こういうところでそう言う言葉を使わないで!」

「とと、悪い」

 

 モリィの下品な言葉にこちらも眉をしかめながらも、リーザが肩をすくめる。

 

「ヒョウエくん、これが実質社交デビューみたいなものだからねー。そりゃみんな挨拶くらいはしにくるよ。そういう意味ではリアスさんが単独で来た方がよかったかも」

「まあそうですけどね」

「へー」

 

 さりげなく貴族社会への造詣の深さを見せるリーザに三人娘が尊敬の眼を向ける。リーザの母は下級貴族の娘でヒョウエの母の友人でもあり、リーザ自身ヒョウエの側近候補でもあったから、相応の教育は受けている。

 

(それを差し引いてもモリィとカスミはともかくリアスが感心してどうするんだとは思いますが)

 

 そんな事を考えるヒョウエ。むろん口には出さないが。

 しばらく休んでいるとアンドロメダたちもやって来た。イサミの目元にはやや疲労の色があるが、足取りはしっかりしている。

 

「ほらモリィさん、アンドロメダ様たちに飲み物を」

「お、おう」

 

 慌てて彼女たちの「侍女」であるモリィが動き、二人に飲み物を乗せた盆を差し出す。

 礼を言って口をつけると、アンドロメダたちも長椅子に腰掛けた。

 ヒョウエが無言で沈黙の結界を張る。

 

「で、どうでした姉さん」

「うまく接触できましたよ。幸いディテク貴族の方々は誰かさんに群がってましたからね」

 

 くすくすと笑うアンドロメダに、モリィが呆れた顔になる。

 

「なんだよ姐さん、こいつを撒き餌にしたのか?」

「囮と言うべきでしょうかね。本命はエサによってくる人たちではありませんから。

 まあそれはさておき・・・残念ながらファーレン家の当主は真っ黒ですね。お付きの方々も明らかに鬼薬(ヤクシャ)の影響下にありました」

「やっぱりですか・・・」

 

 アンドロメダの眼鏡は魔道具であり、様々な視界強化と感知能力を有する。

 そこに仕込まれた"診断(ダイアグノシス)"の呪文の力でゲマイの全権大使、魔導君主の一人でその筆頭であるファーレン当主の様子を確認してきたのである。

 

「それと気になる事が一つ。彼ら以外にも鬼薬(ヤクシャ)の影響を受けていた人がいました」

「マジで?!」

「一体誰ですの、アンドロメダ様?」

「既に洗脳が始まっているということですか?」

 

 口々に問い詰める面々をアンドロメダが手で制する。

 

「コネル殿下です」

「!」

 

 コネル・ジョナレイン・ボッツ・ドネ。

 現国王マイアの次男で、第二夫人の子。

 

「そもそもコネル兄がこんなところに出て来てたんですか? こう言っては何ですが、滅多に調薬室から出てこないような人なのに」

「滅多に書庫から出てこないヒョウエくんが言うと説得力があるね?」

「・・・まあその話は後にして」

 

 にこやかなリーザの指摘にあさっての方を向いて冷や汗を流すヒョウエ。

 コネルは当年とって二十才。次男であり、現状では第二王位継承者だ。

 王太子のアレックスに何かあれば後を継ぐ立場であるが、政治や公務には興味を持たず薬学の研究に没頭している。

 ぶっきらぼうで人付き合いは苦手、王族なら本来しているはずの結婚もしていない。次男だから許されているところもあるが、つまるところは重度のオタクである。

 オタク同士の共感ゆえかヒョウエとも仲がよく、薬剤に魔力を込めた魔法薬(ポーション)の作成実験にもよく手を貸していた。

 

「・・・どうしますか、ヒョウエ?」

「とりあえず僕が一人で接触させてもらっていいでしょうか? この目で確認したいんです」

 

 その場の全員が無言で頷く。

 それを確認してヒョウエは席を立った。

 

 

 

「コネル兄、久しぶり」

「ヒョウエか。大きくなったなあ」

 

 懐かしそうに笑みを浮かべるのは、見た目20才ほどの小柄な青年だった。

 大きくなったなどと言ってはいるが、体格はヒョウエとさして変わらない。

 顔立ちは整っているが、覇気と愛想に欠ける表情がその魅力を大きく減じている。

 普段はぼさぼさで適当にまとめていた長髪が、今日は流石に整えられていた。

 

「冒険者をやってるとは聞いていたが、今日はどうしたんだ?」

「親にたまにはこう言うところに顔を出せと言われてさ」

「はは、お互い様か。ところで先ほど一緒にいたご婦人は?」

「ああ、彼女は・・・」

 

 笑顔の会話。家族であるから、ヒョウエの言葉遣いも普段より柔らかい。

 そうして家族の会話を交わしながら、詠唱も身振りも無しに"診断(ダイアグノシス)"の呪文を発動する。

 

(・・・!)

 

 果たして、従兄の体を駆け巡っていたのはまぎれもない鬼薬(ヤクシャ)だった。

 反応を押し殺すヒョウエを見てコネルが笑う。

 

「顔に出るところは相変わらずだな。カレンに何度も言われてるだろうに」

「コネル兄」

「言っておくけど、俺は連中に洗脳されていないぞ。強いて言うなら俺は自分で自分を洗脳したんだ」

「・・・一つだけ聞かせてよ。何故?」

 

 ヒョウエが尋ねると、コネルは遠い目をした。

 

「俺が薬学に打ち込むようになったのはいつごろからか、覚えているか」

「? それは割と昔からじゃなかったっけ? 少なくとも七つか八つの時には実験の手伝いをした記憶があるけど」

「まあな。昔から薬学には興味があった。けど、何もかも捨ててこの道に打ち込むようになったのはどんな病気でも治せる薬を作りたかったからだ。病気に苦しむ全ての人を救いたかったからだ。

 ――いや、違う。お前に対してだけは嘘をついちゃいけないな」

「どういう、こと?」

「俺が救いたかったのはローラ叔母上だ。俺は・・・お前の母親を助けたかったんだよ、ヒョウエ」

「・・・!」

 

 ヒョウエが目を見開いた。




冒頭のショウさんたちはX-MENの懐かしの悪役ヘルファイヤークラブの面々。
「ヘルファイヤーとかベタすぎてださいな」と思ってたら、英語でもださい響きらしくて草w

英語だと「伯爵の妻」と「女伯爵」を区別しません。どっちも「カウンテス」です。(女公爵/公爵夫人とかも同様)
リアスはもちろん独身で本人が爵位を持っていますが、日本語訳だと「伯爵夫人」でも別におかしくないんですね。
この作品ではイメージ的にも「女伯爵」にしていますが。
ヒョウエくんとリアスが結婚したら伯爵だけど、大公を継いだヒョウエと結婚したらあなたは大公妃ですね、とフロストさんは言ってるわけです。

コネル君の外観は初期もこっちを男性化したような感じで。
名前はコン・エルとジョナ・レインのもじり。
いずれもスーパーボーイ(スーパーマンのサブヒーロー)経験者です。


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07-20 未来を信じるもの、未来を知るもの

 しばらく沈黙が続いた。

 笑いさざめく貴顕達の中、ぽっかりと沈黙のポケットが生まれる。

 ややあって、ヒョウエがおずおずと口を開く。

 

「・・・コネル兄は、母上を愛していたの?」

「ガキの感情だ。恋とも言えない、淡いものさ。けど、あの人が死んで初めて気付いたんだ。俺はあの人に生きていて欲しかったって」

 

 コネルが首を振る。

 それは未練を振り払うようでもあり、ヒョウエを拒絶するようでもあった。

 

「だから薬学に・・・?」

「それが俺にできる唯一の事だったからな。人前で喋るのは苦手、駆け引きも苦手、人使いもうまいとは言えない。人を動かして何かするのは早々に諦めた。

 幸いにして薬学は師もいたし蔵書も不自由しなかったし才能もあった。金もな。お前にも手伝って貰えた。

 ・・・けど、それじゃ足りない。足りないんだよ」

「だから、サヌバヌール一派と手を組んだと?」

 

 コネルが頷いた。

 

「連中はろくでもないことに使っているが、鬼薬(ヤクシャ)には可能性がある。

 まず精神と肉体の活性化。つまり病への抵抗力や負傷への自然治癒の強化が見込めるってことだ。活性化の副作用として魔力の増強も見込める。

 そしてある種の没入(トランス)状態への極めてスムーズな移行。連中はこれを洗脳に使っているが、心の病を癒すことにおいては極めて有用な手段になりうる。もちろん管理は厳重にする必要があるがな。

 治癒術は強力だが、使い手は極めて少ない。すでにレシピも9割方は判明している。原料の薬草をディテクで栽培できれば、鬼薬(ヤクシャ)が低いコストで量産できる。多くの人を癒す画期的な手段になり得るんだ!」

 

 熱弁を振るう従兄。その高い理想に、ヒョウエはまぶしいものと同時に危うさを感じる。

 

(確かに薬なんて使い方次第です。ですが・・・)

 

 その脳裏によぎるのは前世での薬害の数々。

 某国で依存性のある強力な鎮痛剤を安易に流通させたために起きた大災害。

 一つの薬だけで最大50万人が死亡し、年によっては最大で九万人が死んでいる。

 前世の日本の様に厳しい法律と高度な監視態勢が整っている国ならともかく、今のディテクでそうした強力だが副作用のある薬を扱いきれるとは思えなかった。

 コネルが片眉を上げた。

 

「余り賛成はしてくれてないな」

「可能性があるのはわかるけどね、リスクが大きすぎるように思えるんだよ。ことに歴史に学ぶと」

「ニホンの積み上げてきた歴史か。何度か話は聞いたが、素晴らしい世界ではあるが、ろくでもない世界でもあるようだ」

「人間なんてどこの世界でも変わらないよ。長い歴史を積み重ねてきたって事は、いいことも沢山あれば悪い事も沢山あるってことさ」

「向こうはこちらの十倍の速さで時間が流れるんだったな」

 

 ヒョウエが頷く。

 

「つまりそれは、こちらの十倍の試行錯誤を重ねて来たって事なんだ。

 だからわかるよ。コネル兄や信用のおけるごく少数の人間が扱うならともかく、広く人々を救うために量産したら、どこかで必ず穴ができる。

 そうしたらその後は、副作用で多くの人々が死ぬ。悪いけど、助かる人より死ぬ人の方が確実に多い」

「かもしれない。でも俺はやってみせる」

「・・・」

「・・・」

 

 言葉が途切れた。二人がにらみ合う。

 ヒョウエの目にも、コネルの目にも、わかり合えない悲しみと、それでも譲れない信念の光があった。

 

 ぱち、ぱち、ぱち。

 唐突に拍手の音が響いた。

 二人が同時に振り向く。

 

「いやあ、すばらしい! この短い時間にここまで鬼薬(ヤクシャ)を解明するとは!

 本当にあなたは天才だな、コネル殿下!」

 

 二人に歩み寄ってきたのは、ライタイム風の正装に身を包んだ壮年の男。

 コネルとヒョウエ、双方が不審げな顔になる。

 心の声でリーザにメッセージを送る。壁際に待機していたモリィ達がさりげなく動き始めた。

 

「コネル兄・・・も心当たりはないみたいですね」

「ああ。誰だお前は」

 

 男が柔らかい笑みを浮かべた。

 だがその表情の端々に傲慢さと邪悪な愉悦がにじみ出ている。

 

「それをあなた方に話して何か私に得があるのかな?」

「では、何をしに出て来たんですか?」

 

 視線を動かさず、視界の端に映るモリィ達を確認する。

 広い会場のこと、怪しまれないように移動するとなるともう少し時間がかかる。

 

「君たちに敬意を表してのことさ。この短期間で鬼薬(ヤクシャ)をそこまで解明したコネル殿下と、我々の企みを粉砕してくれたヒョウエ殿下に対してね。

 いや、実際大したものだよ。おかげでこちらは店じまいを余儀なくされた! まあ元からずさんな計画ではあったけどね!」

「待て、それは・・・」

 

 コネルが焦りを見せる。

 にっこりと、男が笑った。

 

「そう。ディテクでの計画はおしまい! あなたとの盟約も終わり! せめて幕引きは派手に行こう!」

「ぐっ!?」

「コネル兄!?」

 

 コネルが体を折ってうずくまる。

 咄嗟に"魔力解析(アナライズ・マジック)"と"診断(ダイアグノシス)を発動する。

 コネルの体の中で魔力と鬼薬(ヤクシャ)の成分が混合し、反応を起こしている。

 同時に会場の各所から悲鳴が上がった。

 

「自分に洗脳は効かないと思って鬼薬(ヤクシャ)を体に入れたのはミスだったね。

 あなたに言ってない、そしてあなたがまだ解明できてなかったことがある!

 鬼薬(ヤクシャ)はね、特定の魔力と反応して人間の体に著しい変異を起こすのさ!」

「・・・っ! 解毒(アンティドート)!」

 

 ヒョウエの手から解毒の魔力がほとばしる。

 

「ははは、無駄無駄! それではこれで失礼するよ! この目で見届けられないのが残念だ!」

「くそっ!」

 

 そう言うと、男は青い霧に姿を変え、文字通り雲散霧消して消えた。

 既に周囲は悲鳴と騒音、戦いの音で埋め尽くされている。

 緑色の巨人(ハルク)や巨大な爪を持ったクズリ(ウルヴァリン)のような獣人、一見普通の人間に見えるが膨大な魔力を溢れさせ、呪文も無しに周囲の物体に魔力を込めて手当たり次第に射出する破片の射手(ビット・ガンナー)

 そしてヒョウエの目の前では同じく膨大な魔力を放出しながら、コネルだったものがゆっくりと立ち上がっていた。

 全身が銀色のプレートで覆われ、礼服の背中がバリバリと裂けて同色の翼のようなものが生えてくる。

 

「・・・!」

 

 銀色のデスマスクで覆われた顔。

 今や死の大天使(アークエンジェル)となったコネルが、瞳のない目でヒョウエを見る。

 

「っ!」

 

 咄嗟に念動障壁を張るのと、コネルの姿がぶれて消えるのが同時。

 次の瞬間、強烈な衝撃がヒョウエを襲った。

 振り向くと、ホールの空中に銀色の翼を広げたコネルの姿。

 そしてまたその姿がぶれて消える。

 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。

 

 障壁越しでもヒョウエの体を揺らすほどの高速の体当たり。

 速度が速すぎて、ヒョウエですら障壁から金縛りに術をスイッチする隙がない。

 幸いなのはコネルが自意識を失っても執着は消えていないのか、ヒョウエ以外の人間を狙っていないこと。

 もしヒョウエを放置してパーティ会場の人間を無差別に襲っていたら、念動で動きを止めるとしても、それまでに相当な数の犠牲者が出ていたことは想像に難くない。

 

(けど)

 

 衝撃を受けつづける念動障壁の中で、ヒョウエは静かに呟く。

 

「実戦経験がなかったのがあなたの敗因だよ、コネル兄」

 

 衝撃が走る。

 ヒョウエの二の腕が切り裂かれ、鮮血が舞った。

 

 

 

「・・・!? ・・・! ・・・!」

 

 コネルが床に落ちてもがいている。

 魔力を見ることができるものなら、その体に網状の魔力が絡みついているのが見えただろう。

 ヒョウエは術をスイッチするのではなく、念動の障壁を網の目状にして周囲に広げたのだ。

 そこに突っ込んだコネルは網に捉えられ、身動きできなくなったというわけだ。

 障壁をほどいて網にした分防御力が低下したが、それも致命的なものには程遠い。

 

「言ったでしょ。経験の差だよ」

 

 浅く切られた二の腕を治療しつつ、ヒョウエが呟いた。




古いアメコミファンならおわかりでしょうが、今回変異した人たちはアポカリプスのフォー・ホースメン(黙示録の四騎士)の中から有名どころをチョイスしております。それぞれハルク、ウルヴァリン、ガンビット、アークエンジェルですね。


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第四章「地獄の黙示録(アポカリプス・ナウ)」
07-21 カチコミカチコミ申さく


「御怒りの大いなる日が、すでに来たのだ。誰がその前に立つことができよう」

 

     ――ヨハネ黙示録――

 

 

 

 幸いと言うべきか、本当に奇跡的な事に死人は出ずにすんだ。

 ヒョウエに加えて王宮に仕える治癒術師たちが待機していたのと、三人娘、サナ、アンドロメダとイサミ、会場に潜り込んでいた"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のエージェント、そして衛士達の奮闘のおかげである。

 

 リアスは甲冑こそ着けていなかったが、体の線を隠すドレスの下に白甲冑のアンダースーツ――白甲冑の、筋力強化と敏捷強化の魔力を発揮する部位――を着込んでおり、カスミが隠しポケットで彼女の刀を持ち運んでいたため、防御力以外はほぼ普段通りの戦闘力を発揮する事ができた。

 スカートの下に雷光銃を隠していたモリィ、隠しポケットに装備を持ち込んでいたカスミ、無手でもその戦闘力を遺憾なく発揮できるサナ、全身に魔道具をごっそりと装備していたアンドロメダとイサミもそうだ。

 

 壮絶な白兵戦の末に、緑色の巨人(ハルク)はリアスに手足の腱を切られて動けなくなった。

 クズリ(ウルヴァリン)のような獣人はモリィの神技とも言える連射で鋭い爪を全て根元から吹き飛ばされ、カスミの目つぶし玉を喰らって悶絶したところをしびれ薬で無力化された。

 魔力をフォークやナイフに込めて投げつけていた破片の射手(ビット・ガンナー)はアンドロメダの魔道具により魔素断絶(マナ・ダウン)の結界に封じられたところをイサミに殴り倒された。

 他に何人も変異したものはいたが、どうにか収めることができた。

 

 そしてヒョウエ達がパーティ会場の混乱を収めているころ、カレンと"狩人"が素早く動いていた。

 ゲマイの代表団一行を有無を言わせず拘束、怪しい料理人(驚くべき事に、ゲマイの人間でないものがそれなりにいた)、また彼らに協力していたと思われる市井に潜んだものたちを芋づる式に逮捕していく。

 夜明けを待たず、この一件に関わった容疑者たちはほぼ全滅していた――例の、ライタイム風の服装の男を除き。

 

 

 

「それで・・・鬼薬(ヤクシャ)を投与されて変異した方々の容態は? 中にはファーレン家の当主もいらっしゃるのでしょう?」

「正直何をどうしていいかわからんらしいですな。医神(クーグリ)競技神(ソール)心の神(ウィージャ)の神殿は全面的な協力を約束してくれましたが、それでも取りあえず生命維持を優先しないといけない状態のようで。

 例外的にコネル殿下はヒョウエ殿下の解毒を受けたせいか、比較的変異の度合いが軽いようですが他の面々は・・・」

 

 "狩人"の言葉に一斉に溜息が漏れる。

 王宮の中、カレンが公務を取る部屋に一同は集まっていた。

 医神(クーグリ)は名前の通りの医術を司る神、競技神(ソール)は肉体的な変化を司り、魔法非魔法問わず様々な治療を施す神でもある。心の神(ウィージャ)もそのまま精神を司る神で、心の病の治療や今でいうカウンセリングに近い技術も保有していた。

 

「最悪とは言いませんけど、それの三歩手前くらいの状況ね。

 こともあろうにゲマイの国家元首の一人がディテクで毒を盛られて怪物になったなんて。下手をすれば全面戦争でしてよ」

 

 お手上げ、と言った様子のカレン。ヒョウエやイサミ、"狩人"など、その辺が理解出来る人間が深刻な表情で頷いた。

 

「あのライタイムの男は?」

「ライタイムの代表の付き人らしいが、完全に行方をくらました。家臣もほっぽり出してだ。申し訳ないが代表団にも監視をつけさせて貰ってる」

「・・・となると、本人でなかった可能性もありますね」

 

 変身ないし変装の術でなりすましていたと言うことだ。その場合本物は既にこの世にいないだろう。

 

「そういえば」

 

 カレンがアンドロメダに眼を向けた。

 

「ご実家の方にはもうご連絡されまして?」

「いえ。母には伝わっていると思いますが、事が事ですからあなたがたの許可を頂いてからにしようかと。連絡するにせよ事態を整理してからのほうがよさそうですし。

 多分あの男は争いを収める方に動くでしょうが、それはそれとして利益を最大化しようともするでしょうね」

「賢明なご判断に感謝します」

 

 "狩人"が頭を下げる。アンドロメダが微笑んだ。

 

「お気になさらず。今はディテクが私の故郷ですから」

 

 周囲に笑みが伝染する中、ヒョウエは硬い表情。

 最初に気付いたのはモリィだった。アンドロメダと笑い合っていたカレンも一瞬遅れてそれに気付く。

 

「・・・」

「おいヒョウエ」

「なんです?」

「なんですじゃねーよ。思い詰めた顔しやがって」

「あいたっ」

 

 モリィがヒョウエを軽くこづく。

 

「あれだ、カチコミしに行くんだろう? そう言うツラしてたぜ」

「そうね。本当にあなたはわかりやすいわ」

 

 ちらりと視線を交わして、ニヤリと笑うモリィとカレン。

 

「姉上が二人に増えた・・・」

 

 嘆息するヒョウエにアンドロメダが視線を向ける。

 

「カレン様やモリィでなくてもわかるわよ。あなたは顔に出るんだから気を付けなさいといつも言ってるでしょう」

「・・・」

「三人だったな、ヒョウエ」

「兄さんうるさい」

 

 渋い顔になりつつも、ヒョウエが立ち上がる。

 

「いい機会だしここではっきり宣言しておきますよ。僕はサヌバヌールを追います。

 麻薬をばらまくような奴を放っておく気は元からありませんでしたが、家族に手を出されて黙ってはいられません。サヌバヌールにはちゃんと落とし前をつけさせます」

 

 ぐるりと周囲を見渡す。

 モリィ、アンドロメダ、イサミは笑みを浮かべて、リアスとカスミは真剣な顔で頷いている。

 "狩人"は溜息をついているが、止めようとする雰囲気ではない。

 ヒョウエの視線がカレンのそれと正面からぶつかった。

 真剣な顔で二人が見つめ合う。

 

「ヒョウエ」

「なんでしょう、姉上。まさか止めるおつもりで?」

 

 僅かな沈黙の後に、カレンが笑みを浮かべる。

 

「まさか。私だってコネルがあんな事になって怒ってるのよ? でも私はここを離れられないから、私の分までそいつを殴っておいてくれる? 百発くらい」

「僕の殴る分が残りませんよ」

 

 ヒョウエが肩をすくめる。

 姉弟がニヤリと笑みを交わした。

 

 

 

 風が鳴る。

 高度1000mの冷たい大気が一行の周囲を通り過ぎていく。

 しかしその音も空気の冷たさも、念動障壁で守られた一行には届かない。

 

「なあヒョウエ、お前やっぱり俺に対しては扱いが悪くないか? 兄弟子だぞ? 敬意を払えよ。せめてもうちょっと広くしてくれ」

 

 例によって杖に乗れず、障壁の内側にごろんと転がされたイサミがぶつくさと文句を言う。内部はそれほど広くもないので、2mの体躯には狭苦しいことこの上ない。

 

「敬意は払ってますよ。無駄に重くて邪魔になるのに隠しポケットに入れずにちゃんと外にいさせて上げてるじゃないですか」

「隠しポケットの中の空気なんざ三十分も持たないだろうが」

「息を止めてればいいでしょう?」

「できるかっ!」

 

 ものにもよるが、そんなものである。

 ヒョウエやカスミのかばんなら人間を数人放り込むくらいの余裕はあるが、それだけ詰め込めば空気は数分ともつまい。

 以前ミトリカの精神世界の中でかばんにリアス以外の面々を詰め込んだことがあったが、あの時は中でヒョウエが空気浄化の術を連続して使用していたからである。

 首だけ出していればいいじゃないかという意見もあるだろうが、「隠しポケット」は開けっ放しだと故障の原因になる。外の空間と繋げ続けることで、中の亜空間が不安定になるからだ。

 閑話休題(それはさておき)数時間後、一行は再びゲマイの土を踏んだ。




「地獄の黙示録(原題:Apocalypse Now)」は説明不要の超有名映画。
「ゲート」で自衛隊のヘリが「ワルキューレの騎行」流しながら地上掃射していたあれの元ネタw
あれのラスト、ベトナムの奥地で現地民手なずけて王国作ってた狂った米軍大佐を主人公が殺害した後に、現地民が主人公にひれ伏すんですけど、監督はあれ何を言いたかったのかなあ。
未だにわからない。


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07-22 日和見

 ゲマイの首都クリエ・オウンド。

 猿人バーリーのところに顔を出した後リムジー本家に今度は正面から堂々と入り、当主ケイフェスのところに押しかけて人払いを要求した上で事情を話す。

 

「なるほどな。それで? 私に何を求めるのだ」

「サヌバヌールの捕縛、もしくは処刑に対する協力を。探索はしても手は出していないのでしょう? 彼はゲマイ有数の術師と聞きますからね」

 

 両手を組み、ケイフェスが疲れたように深い息をつく。

 魔法治療を施され、現在でも"生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)"の術をかけられているとはいえ、長期間薬漬けにされていた影響はぬぐいきれない。

 

「有数、ではないな。知る限りではゲマイ最強だ。少なくとも私と比べれば遥かに上なのは間違いない。奴と側近だけでも、正面から戦ったらかなりの被害を覚悟せざるを得まいな――それで? 協力の代価は?」

「今回の事を穏便に済ませてあげる、だそうです」

「それは経済交渉における大きな妥協を要求しないと言うことかな?」

「まさか。ですが、もし戦争になったら魔導君主の力をもってしても相手にすらならないでしょうね、今のディテク相手には」

「・・・青い鎧とやらか」

 

 苦虫を噛みつぶしたような父の顔を、娘が楽しげに眺める。

 

「おや、随分とお耳が早いようで」

「わかってて言っているだろう? あれだけ大騒ぎを起こして調べない馬鹿がいるか」

「さあ、どうでしょう。それで? 飲むのですか、飲まないのですか? 飲まないなら今度の件の責任は徹底的に追求されることになるでしょうね」

「アンドロメダ、お前どちらの味方だ」

 

 もはや敵意すら浮かべる父親に、満面の笑みの娘。

 

「わたくしは既に家を出た身ですので。今回もあくまで向こうの言葉を伝えるだけです」

「・・・わかった。具体的には何が入り用だ」

「ご協力頂けると思っていましたよ」

 

 満面の笑みを浮かべたまま、アンドロメダは一礼した。

 

 

 

 いくらかの要求と僅かな交渉の末、必要な協力(主に情報)と物品を約束させて一行は退出した。

 鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌に歩くメディを先頭に、リムジー家の広い廊下を歩く。

 先だってはバタバタしていたために余り観察のチャンスもなかったヒョウエやモリィなどは、物珍しげに周囲を見回していた。

 ふと、思いついたようにイサミが口を開く。

 

「しかしヒョウエよ」

「何です?」

「オヤジさんがメディに『おまえどちらの味方だ』って言ってたろう」

「ええ、それが?」

「『愚問ですなあ、俺は俺の味方ですよ!』とか言ってみたかったなあ」

「・・・わかる。凄くわかる」

 

 たわけた事をほざく馬鹿兄にうんうんと頷く馬鹿弟。

 

「何の話でしょう?」

「きっとオリジナル冒険者族にしかわからない何かですよ」

「まあ馬鹿な事なのは間違いねえだろうな」

 

 アンドロメダとモリィが二人に呆れた視線を向けた後、盛大に溜息をついた。

 上品にスルーしたリアスが話題を変えるべくアンドロメダに水を向ける。

 

「それでアンドロメダ様、これからどうするんですの?」

「そうですね。サヌバヌールの居場所は父も把握していないようですし、取りあえずは判明しているサヌバヌールの隠れ家に片っ端から踏み込んでみようと思います」

「リムジー家の手勢は貸して頂けるのでしょうか? 先ほどの話を聞いていると望み薄ですが」

「ですね。そうでなくても、サヌバヌールにこちらの優秀な術師を何人かやられていますし、これ以上リムジー家の手勢を消耗させたくないのでしょう。私たちが勝手にやるぶんには言い逃れできるという目算もあるでしょうね」

「義理の親父殿を悪く言いたくはないが、本当にこの国を出て正解だったな、メディ」

「本当ですよ――まあ創世八家の長としては正しいのかも知れませんけどね」

 

 イサミとアンドロメダが揃って溜息をつく。

 リアスは難しい顔だ。

 

「となると、今回は全て私たち独力でやる必要がある訳ですか」

「あの男が手出しをしないのはサヌバヌールが強力な術者である以上にもう大した事はやれないと高をくくっているのもあるでしょうから、何かそうした証拠をつかめれば話は違ってくると思います。

 現状では手を出すリスクと出さないリスクを天秤にかけて、前者がマシだと思っている訳ですから」

「――各国代表の方々を洗脳するもくろみが失敗し、本拠地と手勢の大半を失った上で、まだ何かやってくるとお思いですか?」

「そうですね・・・」

 

 思い出すのは母親との会話。

 彼の異常性を数十年見てきた女性のそれ。

 そして幼少の頃からこちらを見つめてきたぎらつく瞳。

 その瞳に浮かぶのは憎悪か、狂気か、羨望か。

 

「母の受け売りもありますが・・・正直ないとは言えません。大して話したこともありませんが、彼が普通でないことだけは断言できます」

「まあどっちにしろやる事は変わりません。野放しにしておいたら確実にまた何かやらかすでしょうし、そもそもこれまでやって来た事だけでも断罪されるには十分すぎます」

「ですね」

 

 ヒョウエの言葉に全員が頷く。

 

「まあ相手はゲマイの、それも魔導君主に準じる家の人間です。アジトにも大量の魔法の罠が仕掛けられてる可能性は高いですから、その辺は頼りにしてますよ、モリィ」

「うっしゃ、任せな!」

 

 ご指名にガッツポーズを見せるモリィ。

 ちょっとうらやましげにリアスがそれを見ていた。

 

 

 

「またかよ・・・ゲマイの連中は頭おかしいぜ・・・」

「え、またですか? どこです?」

「ほら、そこの廊下の先、じゅうたんの継ぎ目に」

「うわぁ・・・じゅうたん自体に魔力が付与されてるから気付きませんでした」

 

 長旅の疲労を抜くために一晩休み、郊外に建つ最初のアジトの捜索を始めて一時間。

 早くもモリィはげんなりした顔になっていた。

 

 まあ三分に一回はトラップやら警報装置やらを見つけていたのではそうもなる。

 しかもヒョウエとの会話にあったように、あちこちに魔力を帯びた家具や内装、美術品などが置かれていて、それに紛れ込ませる形で術式やトラップ用の魔道具が仕込んであるので面倒くさいことこの上ない。

 ヒョウエもイサミもアンドロメダも魔力感知はできるし、ヒョウエは自前で、アンドロメダは眼鏡で"魔力解析(アナライズ・マジック)"の術を発動しているのだが、こと隠されたものを見つけるとなると完全にモリィの《目の加護》と技能が頼りであった。

 

「ところで、イサミの兄さんは何で"魔力解析(アナライズ・マジック)"だっけ? それ発動してねぇんだ? 使えるんだろ?」

「いやいやいや」

 

 イサミが手をパタパタと振る。

 

「魔道具を使ってるメディは当然として、ヒョウエと一緒にせんでくれ。

 単に魔力感知するだけならともかく、"魔力解析(アナライズ・マジック)"は結構魔力を消耗するんだ。

 連続使用は並の術師なら三十分、俺でも二、三時間くらいが限度だよ」

「あーそーゆー」

 

 納得しながらも、視線は周囲の探索を怠っていない。

 床、壁、天井、柱、サイドテーブル、サイドテーブルの上の花瓶、ドア、ドアノブ、鍵穴、ちょうつがい・・・それら全てを詳細に観察する。

 

「大丈夫ですか?」

「あー、大丈夫。魔法よりは疲れねーよ」

 

 心配そうに見てくるヒョウエに軽い調子で返してみせつつ、モリィは再度観察に集中した。



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07-23 方針転換

 

「疲れた・・・目がいてえ・・・しかもまるっきり無駄足とかさぁ」

「お疲れさま・・・」

 

 三時間後。

 館から出て来たモリィが溜息をついた。

 ヒョウエが頭を撫でて労をねぎらう。

 視界に入る全てに観察力を注ぎ続けることを数時間ぶっ続けでやっていたのだ。

 モリィの《目の加護》がいくら優れていたとしても、人間には限界がある。

 

「本当に何もありませんでしたね」

 

 アンドロメダも溜息。イサミが疲れた顔で言葉を続ける。

 

「館そのものが時間稼ぎを兼ねた罠だったんだろうな。いくらか残ってた魔道具も全部まぬけ罠(ブービートラップ)仕掛けられてたし」

「どうなさいますか、ヒョウエ様、アンドロメダ様? サヌバヌールが本当に何かを企んでいるなら、このままアジトをしらみつぶしに探していっても、相手の思うつぼにはまるだけですわ」

「敵の戦力を足止めして、消耗させるなりその間に目的を果たすなりというのは兵法の定番ですからねえ」

「・・・」

 

 アンドロメダが顎に手を当てて考え込む。

 

「いっそアジト全部、ヒョウエ様に破壊して頂きましょうか? そうなれば潜んでいたネズミも泡を食って飛び出てくるかと思いますが」

「お嬢様ぁ・・・」

「最近ちょっと見直してたけど、お前やっぱり脳筋だなあ」

 

 嘆くカスミと呆れるモリィにリアスがうろたえる。

 

「ま、間違った事は申しておりませんわ! 罠にいちいち丁寧に引っかかりに行くよりはましでしてよ! 万が一偽物の中に本物が混じっていても、丸ごと破壊すれば敵の策動は防げるではありませんか!」

「まあ一理ありますけどね」

「でしょう? でしょう!?」

 

 ヒョウエの言葉にがぜん勢いを取り戻して胸を張る。

 

「とは言え、何か重要な手掛かりがぽろっと落ちてる可能性も否定はできないので難しい所ですが・・・どうします、姉さん」

「そうですね・・・」

 

 考え込んでいたアンドロメダが顔を上げる。

 

「取りあえず、隊を二手に分けましょう」

「ほう?」

「そうですね、バーリーの用意も整った頃でしょうし、一度クリエ・オウンドに戻りましょう。ヒョウエ、お願いします」

「わかりました」

 

 

 

 そのまま一行は市街地に戻った。

 透明化の術は使っていない。

 空飛ぶじゅうたんやら馬車やら『魔法の箒』やら飛行するあれこれはこの都では珍しくないし、透明化の術を見破れる人間もそれなりにいるのでむしろそちらの方が目立ってしまいそうだ、という判断である。

 丁度昼時でもあり、近くの屋台で適当なあれこれを山のように買い込んでから一行はバーリーの家の戸をくぐった。

 なお1/3ほどはイサミが一人で食べる。

 

「おじゃましますよ、バーリー」

「入って来てから言うんじゃねえよ。まあ姫だから許すがな」

「バーリーくーん! おっじゃましまーす!」

「うるせえ、ウドの大木が。無駄にでかいてめぇが入ってくると家が狭くなるんだ。通行の邪魔にならねえように道の脇のドブの中に転がってろい」

 

 アンドロメダの挨拶に返ってくる親しみの籠もった返答と、イサミの挨拶にノータイムで飛んでくる罵詈雑言。

 ニヤリと笑って大男が肩をすくめる。

 

「何だろうね、この扱いの差。アンドロメダを俺に取られたことがよほど悔しいと見える」

「馬鹿言え、タデ食う虫も好き好きって言うだろうが、このタデ野郎が。姫の男の趣味が悪いのは残念だが、俺も人のことを言えるほど趣味がいいわけじゃねえからな。

 ちなみに俺の趣味は無駄に図体だけはでかい無駄飯ぐらいを意味もなく殴りつける事なんだが、どこかに殴っていい木偶の坊がいないもんかね?」

「奇遇だな。俺の趣味は口を開けば罵詈雑言しか流れ出さない性根のひん曲がった猿野郎を殴り倒して黙らせることなんだ。

 どうよ、その辺に歩いてないか?」

「ククク・・・」

「はっはっは」

 

 本気なのか冗談なのかわからない笑顔で二人がガンを飛ばし合う。

 ぱんぱん、とアンドロメダが手を打った。

 

「はいはいそこまで。みんなおなかが空いてるんですからね。

 バーリー、テーブルを片付けて皿を出して下さい。あなたはお昼ごはんを並べてちょうだい」

「「へーい」」

 

 声を揃えて返事すると、馬鹿二人はいそいそと動き始めた。

 その背中を見てヒョウエが肩をすくめ、三人娘が呆れた顔になる。

 

「なあ姐さん。結局あいつら仲がいいわけ? 悪いわけ?」

「もちろん仲良しですよ。見ての通りね」

 

 くすくすとアンドロメダが笑った。

 

 

 

「さて、では作戦会議と行きましょうか。バーリー、頼んだものは?」

「おう、準備できてるぜ」

 

 昼食をとった後、食休みを挟むこともなく作戦会議が始まった。

 ヒョウエが指を動かすとちゃぶ台の上に散乱する大量の包み紙や竹串、皿などが宙に浮き、土間のゴミ箱と洗い場にそれぞれ飛んでいく。

 カスミが立ち上がってトテトテと洗い場に向かっていった。

 

「おうすまねえな、嬢ちゃん」

「いえ、お邪魔しておりますのでこれくらいは」

 

 笑顔で一礼するとカスミが洗い物を始める。

 それを横目で見ながら、バーリーは居間の片隅に置いてあった古ぼけた木箱の蓋を取る。

 

「おお?」

「これは・・・」

 

 中から出て来たのは数着のゲマイ風の礼服だった。素人目にもはっきりわかるほどいい生地を使っており、仕立てもいい。

 もっとも育ちがよかったり、仕事上見慣れていたり、金目のものを見分ける訓練をしていたりで、その辺について完全に素人なのはこの場ではイサミくらいだが。

 

「どうすんだ、これ?」

「またパーティ会場に潜入するとか・・・?」

「まあ大体その様なものです。ただ、今回潜入するのはグラン・ゾントですが」

「魔導宮かよ!?」

 

 イサミが叫んだ。

 魔導宮グラン・ゾント。

 他の国で言えば王宮、日本で言えば国会議事堂と首相官邸をあわせたような場所だ。

 八人の魔導君主を頂点とする魔導貴族=行政官僚たちがゲマイという国を動かす行政府にして立法府。

 

「言われたから用意したがなんでまた?」

 

 バーリーも首をかしげている。

 

「一つには、本当にサヌバヌール達の足取りがつかめないと言うことです。

 リムジー家が全力で探りを入れれば、ゲマイ国内でわからないこと、探せないものなどほとんどないはずなのです。

 例外は他の創世八家か、もしくは」

「魔導宮ですか」

 

 洗い物を終えて戻ってきたカスミの言葉にアンドロメダが頷いた。

 

「それでまずは魔導宮に潜り込もうって腹か。しかし潜り込んだところで居場所を見つけられるのか? 地下室や隠し部屋にでも籠もられてたらおしまいだろう。あるいは魔術で顔を変えるとか」

「そのための図面と魔道具をあの男から借り出してきました。

 変装についてはモリィさんに協力して貰います。ここ何日かで確信しましたが、手段を問わず変装の類なら間違いなく彼女の目で見破ることができます」

「幻影や物理的な変装はともかく、肉体変化系の術で顔や体ごと変えていたら?」

「その場合は肉付きや筋肉の動きがおかしい人を捜して貰います。

 肉体変化系の場合、あくまで操作・造形するのは術師ですからね。自然に無理のない肉のつきかた、骨のつきかたにするにはよほどの熟練が要ります」

「あ、何となくわかったぜ」

 

 ぱちん、とモリィが指を鳴らした。

 

「あれだろ、怪我して顔の筋肉が引きつってるとか、歩き方がおかしいとか、そう言うのを探せばいいんだな?」

「はい、正解です」

 

 にっこりと笑うアンドロメダ。

 表情を元に戻して話を続ける。

 

「そしてもう一つ心配なことが。創世八家の、それも限られた人間でないと知りませんが、魔導宮には古代の巨大な魔法装置があります」

「魔法装置?」

「危険なものなのですか?」

 

 アンドロメダが首を振る。

 

「いいえ。まったく。効果は『国土全体に使用者の声を届ける』だけのものですから。便利なものではありますが、人を傷つけるような力はありません――普通なら」

「わからねえな。何が心配だってんだよ、姫?」

「あ・・・」

 

 顔を青くしたのはヒョウエとイサミだった。

 視線を交わした後、代表するようにヒョウエが口を開く。

 

「つまり、何らかの手段によって麻薬をばらまいて中毒者を大量に生み出したら・・・」

 

 アンドロメダが頷く。

 

「はい。場合によっては、ゲマイの国民全てを一度に支配下に置くことも可能かも知れません」

「――!」

 

 その場の全員が顔をこわばらせた。



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07-24 おもいっきりおっさん探偵団ヒョウエ組

「只今戻りました」

「オヤジさんとの話し合いはどうだった、姫・・・ってそのツラじゃ言うまでもないか」

 

 夕方近くになり、バーリーの家に戻ってきたアンドロメダとイサミ。

 その顔を見てバーリーが皮肉げに口元を歪める。

 怒りがぶり返したのか、アンドロメダが爆発する。

 

「ええ、全く駄目ですよ! あそこまで優柔不断な男だとは思いませんでした!」

「家中の術師と兵士たちを待機させて、証拠さえ見つければ即応することは約束してくれたがな・・・魔導宮の件に関しては半信半疑と言ったところだ」

 

 肩をすくめるイサミに、ヒョウエが溜息をつく。

 

「まあ現状ではかなり突拍子もない意見でしょうしね・・・ただ、例の鬼薬(ヤクシャ)で洗脳されていたらと考えるとあり得なくはないんですよねえ。

 創世八家筆頭であるファーレンの当主ですら洗脳してのけたわけですし・・・そう言えばあれ、どうやったんでしょうね? それこそ国王みたいなものですし、守りは魔導宮の比じゃないと思うんですが」

「確かサヌバヌールの祖母がファーレン家の出だったと思います。

 その縁で話を繋げて、どうにかして薬を盛ったのではないかと・・・彼は魔力においてはゲマイでも群を抜きますが、頭も切れれば話術にも長けていて、貴族家の当主としても優秀な能力を持っていたそうです」

「単なる脳筋じゃねえってわけだ。テメェとは大違いだな、ウドの大木?」

「何だとこの寸詰まりの猿野郎」

 

 隣でじゃれ合う男二人に最早一瞥をくれることもなく、アンドロメダが話を続ける。

 

「そう言うわけですので魔導宮には私とモリィさん、リアスさんとカスミさん。

 並行で残ったアジトの捜索にイサミとヒョウエ」

「うん? 俺は留守番か、姫? まあ楽でいいけどよ」

「まさか、この忙しいときにそんなのんびりさせるわけないじゃないですか」

 

 にっこりと微笑む。

 

「バーリーにはクリエ・オウンド周辺の水源地を見回って貰います。ゲマイ市民に大量に薬を盛るなら、恐らく水ですからね」

「なるほど、俺向きだな」

 

 《水の加護》を持つバーリーは水に関する感覚も常人より遥かに敏感だ。

 臭いを嗅ぐだけでもその中に何が混ざっているかは大体わかる。

 

「でもよ、アンドロメダの姐さん。アタシ抜きでアジトの捜索できるか?

 そりゃヒョウエも多少は心得あるし大工のトンカチもあるけどよ」

念響探知(サイコキネティックロケーション)

「・・・ともかくその他に呪文があるにしたって、アタシ抜きじゃ危ないんじゃねえの?」

「ですわね。実際トラップはほとんど全部モリィさんが見つけていましたし」

「で、ございますね」

 

 割と本気で心配している三人娘。イサミが腕組みをしてうんうんと頷いている。

 

「そうだそうだ。俺達だけで行くのは危険に過ぎる。なあヒョウエ?」

 

 が、それに対する反応は冷たいものであった。

 

「兄さんがそれを言います?」

「あなた?」

 

 ヒョウエは半目で突っ込む程度だが、アンドロメダは明らかに声が冷たい。

 僅かにイサミがたじろいだ。

 

「だ、だってよ! あれ凄く疲れるんだぞ? 頭が痛くなるんだ!」

「なあヒョウエ、どういう事だ?」

「兄さんはね、その気になれば周囲のあらゆる物を広範囲にわたって物理的魔法的に解析できるんです。それこそ壁の裏でも床下でもあっという間に」

 

 三人娘が一斉に驚き顔になる。

 

「すごいですわね。そんな《加護》も持ってらしたのですか。それとも魔法ですか?」

「いや、ものを複製する《加護》の応用ですよ。何かを精密に作ろうと思えば、同じだけ精密にものを解析しないといけないでしょう?」

「ああ・・・」

「複製する前に何か集中してたのはそれか」

「そういうことです」

 

 なおヒョウエの説明の間、イサミは妻に睨まれてあっさり屈服していた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「あー、やっぱり気乗りしないなあ」

「まだ言いますか」

「マジで疲れるんだよ。使いすぎると目の奥が痛くなる」

「脳の処理能力がオーバーヒートするんでしょうかね」

「そんな感じだろうなあ。あれは"疲労回復(レスト)"じゃ中々取れないし」

「まあ本来は肉体的疲労を回復する呪文ですからねえ」

 

 そんな会話を交わしつつ、ヒョウエとイサミが銀色の杖にまたがって空を行く。

 同乗者が一人だけなので普段より軽々と・・・と行きたいところであるが、装備品を含めるとイサミ一人で三人娘とほとんど変わらない重量になるので速度は余り変わらない。

 今回の目標は高級住宅街にあるサヌバヌールの別邸。

 バーリーの集めてきた情報によれば、つい最近人の出入りがあったそうだ。

 

「あの人もどうやって情報集めてるんでしょうね?」

「貧民街のガキどもに小遣いやって、あちこちうろつかせてるんだそうだ」

「ちょっとしたベーカー街(ベーカー・ストリート)遊撃隊(・イレギュラーズ)ですね」

「少年探偵団ってか。小林少年はいるのかな」

「覇悪怒(はあど)組かもしれませんよ」

「あれもすげえネーミングだよな。暴走族かと当時思ったわ」

 

 そんな馬鹿話をしながらも、幻影をかぶって素早く別邸の庭に着地し、てきぱきと侵入の準備を整える。

 この辺は流石に阿吽の呼吸だ。

 準備ができるとまずは玄関先、地面にイサミが手をつく。

 

「むっ・・・」

 

 目を閉じて精神集中。

 と、その脳裏に周囲の情景がワイヤーフレームのCGのように浮かび上がる。

 物質的なものを示すワイヤーフレームに重なって、ぼんやりした魔力の塊と術式も。

 

「取りあえず周りの窓には全部術式が仕込んであるから入るなら正面玄関からだな。

 鍵開けは任せるが、扉にも開けた途端発動する"吸命の呪い(ライフドレイン)"が仕込んであるから、鍵外してそれ解除してからだな」

「昨日のアジトでも思いましたが、偏執狂的ですねえ。それともサヌバヌールの部下の術師はよほど暇を持てあましてたんでしょうか」

 

 嘆息するヒョウエに、イサミは肩をすくめることで答えた。

 

 

 

「あー、頭がいてえ」

「昨日、モリィから同じようなセリフを聞きましたね」

「あの嬢ちゃんは一箇所だけだろ。おれは三箇所こなしたぞ」

「はいはい、えらいえらい。姉さんによしよししてもらいましょうね」

「やっぱりお前は俺に対する敬意が足りないな」

「気のせいでしょう」

 

 午後三時頃。二人は杖に乗ってバーリーの家に向かっていた。

 午前中に二箇所、昼食を挟んで午後にもう一箇所。

 そこでイサミがギブアップしたので今はこうして(途中でおやつを買い込んで)帰路についている。

 

「しかしまじめな話、大丈夫ですか?」

「割と辛いな。流石に三軒ハシゴはこたえたわ。今晩休んでも明日は二箇所くらいがせいぜいかもな」

「体への負担は"再生(リジェネレイト)"みたいな高度な術式を使わないと回復しませんからねえ」

 

 単純な筋組織の疲労と違い、肉体を酷使することによる負荷は、体組織を疲労させるのではなく破壊する。

 (余談ながらそこから筋組織を修復するのがいわゆる超再生だ)

 なので、そうした構造的疲労は疲労回復より負傷を治癒する呪文の方が必要になる。

 それが重度であったり、脳のような複雑な構造の組織であれば更に高度な肉体再生呪文が必要になると言うわけだ。

 

 ヒョウエも治癒系統の才能はあるのだが、同じ系統でも術式が高度になればなるほど素質がものを言うようになってくる。

 頑張れば習得できるレベルの術ではあるが、習得に他の術の二倍か三倍ほどかかるとなると二の足を踏まざるを得ない。

 

「とはいえ、そろそろ習得してもいいころでしょうかねえ。メットーの医神(クーグリ)神殿にいけばいいと言う話もありますが」

「日銭を稼いでるとスキルアップのための時間は中々取れないよなー」

 

 微妙に生々しい話をしつつ、ヒョウエの杖は貧民街に降下していった。

 



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07-25 魔導宮グラン・ゾント

 バーリーの家の居間で蒸しパンやらカレージャガイモ揚げパンやら焼き菓子やらを口にしつつ、他の面子を待つヒョウエとイサミ。

 夕方になってバーリーが戻ってきた。

 テーブルの上の揚げ菓子を口に放り込みつつ、どっかりと腰を下ろす。

 

「ヨーグルトつめた揚げ玉買ってこいよ。気がきかねえ奴だな」

「あれすぐに湿気るから持ち帰りには向かねえだろ」

 

 もしゃもしゃ咀嚼しつつ、理不尽な文句を言うバーリーにイサミが肩をすくめる。

 

「まあいい、姫は?」

「まだだ。そっちは何か収穫はあったか?」

「今のところ水には何も混ぜられちゃいねえな。そっちはどうだ」

「こっちも三箇所回って何も無しだ。明日は俺達もそっちに回った方がいいかもな。クリエ・オウンド中の人間に薬を盛るなら、なにがしらの大がかりな仕掛けがあるだろうし」

「なるほど、一考の余地はあるな」

 

 軽食を食べながらごく普通に作戦会議を進める二人。普段の仲の悪さはそこには全くない。

 

(アンドロメダ姉さんがいなかったら普通に会話できるんだなあ)

 

 そんな事を考えていると二人からじろりと睨まれ、ヒョウエは首をすくめた。

 

 

 

 日が沈んでしばらく。

 秋でも暑いゲマイの空気がようやく涼しくなる頃合いになっても、アンドロメダたちは帰ってこなかった。

 ヒョウエが"失せもの探し(センス・ロケーション)"の術を発動する。

 強力な対感知結界を抜けた先に、僅かに三人娘や姉たちの感触。

 方向と距離は、魔導宮グラン・ゾントにぴったり一致する。

 

「これは・・・姉さんたちしくじりましたかね」

「だろうな」

 

 腕組みをしてバーリーが唸る。

 

「どうする。オヤジさんの方に知らせるか?」

「姫を利用するつもりか」

「父親が娘を助けるのは当たり前だろう?」

 

 アンドロメダの身の危険をてこにリムジー家の介入を誘うという話だ。

 もっとも、あの父親が縁を切った娘と家を天秤にかけてどちらを取るかというのは予測しがたいところもある。

 

「そのへん、どうなんです?」

「・・・それは・・・」

「なあ・・・」

 

 二人とも言葉を濁すあたり、ケイフェスの信用度が見て取れる。

 

「取りあえず伝えるだけ伝えてこっちは勝手に動くのでどうです?」

「まあそのあたりかな」

「しゃーねーな」

 

 二人が同時に溜息をついて頷いた。

 

 

 

 大きいのと小さいのを後ろに乗せて呪鍛鋼(スペルスティール)の杖が夜空を駆ける。

 リムジー家の門番(幸いイサミの顔を知っていた)に伝言と走り書きのメモを押しつけると、泡を食った門番の声を無視して再び夜空に舞い上がる。

 向かう先は丘の上にそびえ立つ奇妙で巨大な宮殿だ。夜の闇の中、ライトアップされたかのように浮かび上がっているが、よく見ると建物そのものがぼんやりとした光を発している。

 ヒョウエの生家であるジュリス宮殿より一回り大きいだろうか。

 

「正面が500mくらいでしょうか? あれこれの官僚機構が入っているにしても随分とまあ巨大な」

 

 ヒョウエの前世の記憶でも、これだけ巨大な宮殿は記憶にない。

 バッキンガム宮殿が200mほど、最大級と思われるベルサイユ宮殿でも400m、紫禁城も一つ一つの建物はせいぜい100m程度だ。

 というか普通は用途ごとに別々の建物を建てる。

 

「建物自体は古代ゲマイ文明の時代より前、真なる魔法文明の技術で建てられたって話だ。なんで、中は結構空き部屋も多いって話だぜ」

「なるほど。確かにそれっぽいですね。それで潜入はどうします? 水道を通るか、穴を掘って地中から入り込むのがいいかと思うんですが」

 

 透明化の魔道具はイサミが用意しているが、この魔導の国のそれも中枢に、たかが透明化程度で潜り込めるとはヒョウエもイサミも思っていない。幻影や門衛の認識を誤魔化すたぐいの術も同様だろう。

 ヒョウエの言葉を聞いてバーリーが口元をへの字に歪める。

 

「真なる魔法文明の建築物だって言ったろ。地下までがっちりと魔法防御が施されてて、そんじょそこらの術じゃ傷一つつけられねえよ。まあおめえならわからんが・・・水道も細かいパイプを通して深い地下からくみ上げてて、地上の水路とは繋がってねえ」

「・・・そうなると出たとこ任せの強行突破か?」

「それっきゃねえんじゃねえかな」

 

 さすがに気が重いのか、バーリーが溜息をつく。

 

「ヒョウエ、近づいてもう一度"失せもの探し(センス・ロケーション)"でどうにかならないか? 俺じゃ全然術力が足りないが、お前なら・・・」

「どうでしょうねえ。元々距離は余り関係ない術ですし。1km程度近づいたところで大差はないと思いますよ。

 ただ、あの大きさなら念響探知(サイコキネティックロケーション)をフルパワーで打ち込めばどうにかなるかも知れません」

「てめえ、話を聞いてなかったのか? あそこは魔法防御があって・・・」

「いや、そうか、それならいけるかもしれん!」

「あん、どういうこった?」

 

 魔導宮グラン・ゾントを覆っているのはあくまで対呪文の結界である。それ故に"失せもの探し(センス・ロケーション)"のような探知系の呪文は効きが悪いか、あるいは全く反応しない。

 一方で念響探知(サイコキネティックロケーション)の震動波は同じく魔法で発生させているものとはいえ、それ自体は純然たる物理現象だ。

 いかに強力であろうとも、対呪文結界で干渉できるたぐいのものではない。

 

「なるほどなあ。範囲は大丈夫なのか?」

「フルパワーでやればどうにかなるでしょう。それじゃ、外壁のところにおりますよ」

「おう、どうせなら派手にやってやれ、けけけけけ」

 

 にんまりと笑みを浮かべるバーリー。

 それに呼応するようにヒョウエも悪い笑みを浮かべる。

 魔導宮の城壁の外、見張りから離れたあたりに着地し、ヒョウエが杖を振り上げる。

 

「んー・・・せいっ!」

 

 とん、と軽く杖が石畳を突く。

 

「のわっ?!」

「うおおおおおお!?」

 

 その瞬間、クリエ・オウンド全域を震度三の地震が襲った。

 

 

 

 遠くから悲鳴とものが壊れる音。街が騒がしくなる。魔導宮の中からも人が駆け回る気配が伝わって来た。

 そして、まるでそれらが存在しないかのように、ヒョウエは瞑目して杖から伝わる気配に全神経を集中させている。

 すぐにその目が開かれた。

 

「見つけました! 中央部地下に巨大な空間があります!」

「よしよくやった!」

 

 言葉と共に、イサミの拳骨がヒョウエの脳天に落ちた。

 一瞬星が飛んで視界がチカチカする。

 

「っつぅ・・・何するんですか、一体!」

「加減しろ、莫迦! メディ達の場所を探すためと言っても程度ってものがあるだろうが!」

「いやあ、派手にやれって言われましたし」

「地震起こせとは言ってねえよ!」

 

 しれっとのたまうヒョウエに、今度は青筋を立てたバーリーが突っ込む。

 

「しょうがないじゃないですか。まじめな話、相手は真魔法文明時代の生きた遺跡ですからね。どれだけ力を入れれば反応が返ってくるものやらわからなかったんですよ。

 それにクリエ・オウンドのこの辺は高級住宅街ですし、建物はほとんど全部石造りでしょう? この程度の地震では家が丸ごと潰れたりしませんよ」

「む」

 

 確かに言われてみれば建物が崩れたり、火が出たりしている様子はない。

 

「ちっ、口ばかり達者になりやがって」

「そうでもありませんよ。サナ姉やカレン姉上やアンドロメダ姉さんには一度たりとて口で勝てたことがありませんし」

「そりゃ単にお前が女に弱いだけだ」

「・・・」

 

 ヒョウエが口をつぐむ。ヤブヘビになりそうなので反論はしなかった。

 

 

 

「ひょぉぉぉぉ!」

「うおおおおおおお! 俺の嫁を返せぇぇぇぇ!」

「ヒャッハーッ!」

 

 三人三様の雄叫びを上げつつ、杖が宮殿の直上から結界を破って侵入する。

 魔法の警報が高く鳴り響くが、そんなものは気にしない。

 

「っ!? て、敵だ! 侵入者だっ!」

 

 警報に気がついた守備兵が叫ぶが対応できるものはほとんどいない。

 結界の天頂部分から垂直降下し、中庭の噴水の脇に狙いを定める。

 

「行くぞぉぉぉぉ!」

「行っけぇぇぇぇ!」

 

 ヒョウエが念じると共に、周囲を取り囲む念動障壁の形が変化した。

 先端が尖り、何層にも分かれて平行して回転する。それぞれの層には"物質分解(ディスインテグレイト)"の魔力をまとわせた鋭い爪。

 即ち――ドリル。

 

「ギガァ! ドリルッ! ブレイクゥゥゥッ!」

「むしろジェットモグラぁぁぁぁっ!」

「何言ってんだかわかんねえよ!」

 

 二人の転生者と一人のヴァナラの叫びと共に、魔導宮グラン・ゾントの中庭が構造物ごとぽっかりと大きくえぐれて大穴が空いた。




魔動宮ではありません。
人間の顔みたいな形はしているかも(ぉ


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07-26 囚われ人

 牢獄が揺れた。

 まるでSF映画の宇宙船内部のような、白く光沢のある素材で壁も床も天井も一面覆われた無機質で殺風景な部屋。部屋の隅に便器がある以外は本当に何もない。

 イサミが見たら「映画で観た、精神病患者を閉じ込めておく部屋みたいだな」とでも言ったかもしれない。

 そこにアンドロメダと三人娘が横たわっていた。目だった怪我はないが武器や魔道具は取り上げられており、アンドロメダもトレードマークの眼鏡を失っていた。全員が大振りな金属製の手かせをはめられている。

 リアスがのろのろと身を起こした。彼女は甲冑とアンダーを剥ぎ取られ、白いローブのようなものを着せられている。

 

「揺れましたね・・・地震でしょうか」

「ゲマイでは地震は多いのですか、アンドロメダ様・・・?」

「それなりには・・・ありますね。ただ今のはひょっとしたら・・・ああ、駄目です。頭にもやがかかって・・・」

「くそっ・・・何だよこの手かせは・・・こいつをつけられてから全然力も出ないし頭もまわらねえ」

「恐らくは"封印の手かせ(シールド・シャックル)"ですね・・・」

 

 "封印の手かせ(シールド・シャックル)"。

 つけられたものの肉体的能力や魔力はおろか、知力や判断力、身につけた魔道具の効果すら著しく減衰させてしまう古代遺物(アーティファクト)

 

「全然力が出ませんわ・・・ええい口惜しい・・・」

「しょうがないでしょう・・・これを付けられると、金等級冒険者でも赤等級なみに力が落ちるとか・・・」

「なるほど、それはどうにもなりませんわね・・・」

 

 身を起こしたリアスがそれすらおっくうになってごろんと転がった瞬間、先ほどのより小さな、それでも間違いない衝撃が部屋を揺らした。

 

「・・・!」

 

 全員が、少なくない努力を払って身を起こす。

 低血糖状態の、あるいは高山病患者のようなだるさ、めまい、思考力の低下。

 意志の力でそれらをはねのけ、何とか上半身を起こす。

 

「今のは・・・」

「間違いないでしょう、ヒョウエ様達です」

「・・・なるほど、最初のはヒョウエの念響探知(サイコキネティックロケーション)ですね。あれで私たちの位置や、内部構造を割り出したのでしょう」

「大工のトンカチか。どれだけ強くブッ叩いたんだか・・・」

「モリィさんも、いい加減覚えてさしあげたらどうですか・・・」

 

 そんな会話を交わしつつ、四人が立ち上がる。

 両手に枷をはめられていると言うこともあるが、ただ立つだけということに全精力を費やさねばならない状態。

 それでも四人は立った。

 

「それでどうすんだ、姐さん」

「今は何もしません。いざというときに備えて下さい。恐らく状況の方が先に動くでしょうが」

「それは・・・」

 

 何なのか、とリアスが質問しようとしたところで、空気の圧搾音を立てて扉が開いた。

 魔導甲冑を着込んだ私兵数人を引き連れて、アンドロメダとも顔見知りの術師――サヌバヌールの腹心の一人がずかずかと中に入ってくる。

 

「おまえら、ついてこい! 馬鹿な真似はするなよ!」

 

 アンドロメダが僅かに口をゆがめ、三人娘が顔を見合わせた。

 

 

 

 遠くから悲鳴や何かが壊れる音、重いものが床や壁に叩き付けられる音がかすかに聞こえてくる。

 サヌバヌールの腹心は顔をこわばらせて早足にそちらの方に歩いて行く。

 本人も高位の術師であり周囲を魔導甲冑兵に囲まれていながら、その顔にはぬぐいきれない恐怖の色があった。

 

「どうしました、調子が悪いようですが、ドルヴァ」

「・・・!」

 

 歩くのも辛い状態でありながら、なお笑みを含んだアンドロメダの声に、術師ドルヴァがきっと振り向く。

 

「うるさい! 今のお前はリムジーの姫じゃない! 俺達の人質なんだ! 身の程をわきまえろ!」

「はいはい」

 

 その声が震えている。アンドロメダの笑みが大きくなった。

 

「・・・」

 

 しばらく無言で全員が歩き続ける。笑みを消したアンドロメダが、再びドルヴァに語りかけた。

 

「あなたほどの術師なら、他に身の振り方もあるでしょう。父もあなたの事は評価していました。このままサヌバヌールに付き従う必要はないのではありませんか?」

「・・・」

 

 再びドルヴァが振り向いた。先ほどとは違う、静かで決意を固めた表情。

 

「できない。それだけはできないよ、姫様」

「・・・なぜ?」

 

 ドルヴァが宙を見上げ、溜息をつく。

 

「俺はサヌバヌール様に見いだされてあの人にお仕えすることになった。

 創世八家のナンバー2のお方が平民の、それも極貧の出である俺を家臣の列に加えて下さったんだ」

「術師の素質があれば、サヌバヌールの下でなくてもそれなりの暮らしはできたでしょう?」

「だとしても、よほど桁外れの素質がなければ下っ端官僚として町役場で職を得るのがせいぜいさ。

 いや、そもそも素質を見出されることなく、泥をすすって生きていたかもしれない。

 代々平民のやつが魔術の才能を見出されるなんて、本当に奇跡的な幸運がなきゃあり得ないことだからな」

「・・・」

 

 淡々と言葉を続けるドルヴァの横顔には、迷いも気負いもない。

 

「けどあの方は違った。俺の素質を見抜いて高度な教育を授けて下さった。

 貧民出の俺を他の家臣と同列に扱って下さった。

 あの方から頂いた扶持(きゅうりょう)で、家族に豊かな暮らしをさせてやることもできた。

 俺は十一人兄弟の四番目だ。餓えと病で俺の生まれる前に兄が一人、俺が生まれてから姉が一人と妹が一人死んだ。けど七才で俺がサヌバヌール様に見出されてから、病気や餓えで死んだ兄弟はいない」

「・・・」

 

 いつの間にか足が止まっていた。

 その場の全員が無言でドルヴァの言葉を聞いている。

 ドルヴァが周囲を囲む魔導甲冑兵を見渡す。

 

「こいつらだって似たようなもんさ。代々あの方にお仕えする家柄の奴もいるが、大半は武術の才能を見込んで拾われた平民だ。貧民出身も多い。

 サヌバヌール様のおかげで人がましい生活ができた、家族を死なせずに済んだってやつも多いんだ。

 そしてそう言う連中でもサヌバヌール様は能力以外で差別はしない。代々の家臣と同等に扱って下さる。それがどれだけ嬉しいことか、あんたにはわからないだろう」

 

 周囲の魔導甲冑兵たちが無言で頷いた。

 

「だからサヌバヌールの悪事に手を貸すのですか。それが多くの人を不幸にするとしても?」

 

 反論するアンドロメダ。だが言葉に力がない。

 その顔を、ドルヴァが正面から見据える。

 

「ああ、そうだ。たとえ悪事だとしても俺達はあの方についていく。

 ・・・なあ、姫様。俺は何もあんたを責めてるわけじゃないし、正直あんたの事は嫌いじゃない。けど、だとしてもあんたにはわからない世界がある。

 あの方が何をするにしても、もう俺達はあの方についていくしかないんだ。それだけのものを先払いで貰っちまってるんだよ」

「・・・」

 

 言葉の出ないアンドロメダの顔を静かに見つめた後、ドルヴァが振り向いて歩き出した。

 魔導甲冑兵たちにうながされ、アンドロメダたちも再び歩き出す。

 その顔には怒りでも悲しみでも蔑みでもない、しいて言うならやるせなさが色濃く浮かんでいた。




眼鏡ッ娘から眼鏡を奪うなんて、なんてひどい奴なんだサヌバヌール許せねえ!
精神病患者を閉じ込める真っ白い部屋というのは一時期のテンプレですが、今はやってないそうです。
そりゃあんなところにいたら正常でもおかしくなるわw


ドルヴァはヒンズー語で北極星(ポラリス)のこと。
アメコミ好きなら多分わかるあの人のことでもありますね。
あの人アポカリプスの求める12ミュータントの一人なので。


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07-27 活劇映画の悪役

 アンドロメダたちが連れて行かれたところは、巨大な吹き抜け、ないしは縦穴の中に作られた広いフロアだった。

 直径100mはあろうかという縦穴の周囲を幅20mを越える広い床がぐるりと取り巻き、様々な機器が壁際に据え付けられている。

 縦穴を挟んで反対側に十数人の人影があり、その中に一際巨体を誇る男がいた。

 

「サヌバヌール・・・」

 

 体躯は2mを優に超える。イサミより更に頭一つ、縦横にひとまわり大きい。

 ゴリラの様ないかつい顔に分厚い唇。

 アーティファクトとおぼしき魔導甲冑を身にまとい、顔だけが露出している。

 強大な魔力の影響か、目には僅かに燐光が灯っていた。

 その目がじろりとアンドロメダたちを睨む。

 100m近い距離を越えてなお、その威圧感はただ事ではなかった。

 

「アンドロメダ! また会えるとは思ってなかったよ! ディテクに行ったと聞いていたけど戻ってきたんだね!」

「うわっ」

 

 アンドロメダが顔をしかめた。

 サヌバヌールを取り巻く一団に近づくと、髪とヒゲを整えた伊達男が飛び出して来る。

 軟禁されていたはずのアンドロメダの元婚約者候補、シーニーだった。

 

「やはり僕たちは結ばれる運命にあるようだね。こんな時ではあるが、僕たちの血を結んで生まれる子供が楽しみだよ!」

「・・・」

 

 たわごとを並べるシーニーに最早一瞥もくれることはなく、手かせでぼんやりした頭を必死に回転させる。

 だがこれまで無理に回転させ続けた頭脳は満足に動いてくれず、シーニーの背後から投げかけられる燐光の視線が圧力をかけてくる。

 いつの間にか風景もシーニーもモリィ達も消え、真っ暗な闇の中にサヌバヌールの光る目だけがぼんやりと浮かんでいるような心地さえした。

 

 突然暗闇も光る目も消え、アンドロメダは現実に戻ってきた。

 モリィ達が心配そうな顔で何事かを口にしているが、耳には入らない。

 ただシーニーが恐れおののいたような顔で脇に退いているところを見ると、父親(サヌバヌール)に何か叱責を受けたのであろうかと思われた。

 

「大丈夫です、大丈夫・・・」

 

 ぐらつく頭に手を当てて、必死に倒れまいとする。

 モリィとリアスが両脇からその体を支えた。

 その顔が、同時に前を向いた。

 

「・・・」

 

 悠然と歩み寄ってくるのは魔導甲冑を着込んだ巨体の術師。

 騎士甲冑のような重装備にも関わらず、足音一つしない。

 その後ろに付き従うのは数人の魔導甲冑兵と、これも術師とおぼしき老婆。

 

「ミロヴァ・・・やはりですか」

「どなたですの?」

「サヌバヌールの腹心で、ゲマイでも数少ない瞬間移動(テレポート)の術を使える大魔術師(ウィザード)です」

瞬間移動(テレポート)・・・!」

 

 アンドロメダたちの視線が自分に向いていることに気付いたのか、老婆が一礼する。

 かつてヒョウエが瞬間移動(テレポート)の呪文について『大魔術師(ウィザード)なみの技量と特殊な才能が必要』と評していたが、その両者を併せ持つ数少ない術師の一人がこの老婆だった。

 

「あの婆さんがあいつらを脱出させたってわけか」

「恐らくは」

 

 サヌバヌールが足を止める。

 2m30の高所からじろりと、天上から地べたを見下ろすかのような視線。

 

「久しいな、アンドロメダ・・・リムジーの面子に泥を塗り、おめおめとよく帰って来れたものだ」

 

 声からにじみ出る、ケイフェスでも比較にならない傲慢さと威圧感。

 それをぐっとこらえて、何とか平常通りの声を絞り出す。

 

「あなたがろくでもないことを始めたからでしょう。私だってあの男がいるこの国に戻ってきたくなどありませんでしたとも」

「ふん」

 

 サヌバヌールが笑みを浮かべる。

 

「それにしてもやってくれたものだ。我が計画が完遂間近というところでリムジー本家に潜入し、貴様の父親を始めとした人質をあっという間に全て解放して我が家臣達の大半を拘束。やはり貴様は優秀だな。

 貴様を我が手に出来れば、計画も随分順調に進んだろうに、惜しいことよ」

「私の功績ではありませんよ。大方は夫や弟弟子、友人たちのおかげです」

 

 サヌバヌールの笑みが大きくなる。相手を押し潰すような、威圧感溢れるそれ。

 

「ディテク王弟家の王子か。あの男(イサミ)といい、オリジナル冒険者族をたらし込むのは得意らしいな」

「そう言う言い方は不愉快ですね」

 

 グッグッグ、と濁った笑い声。

 

「褒めたつもりだがな。優秀なものを繋げ、まとめ上げるのもまた優秀さの証よ」

「いい加減世間話はやめましょう。さっさと降参するなり逃げるなりしなさい。

 このまま進めても、あなたの計画が成功することなどありえません。

 最早全ては露見しているのですから」

「それはどうかな。創世八家がそれを認識しているなら、ここに乗り込むのがお前達だけなどと言うことはあるまい。

 ファーレンの当主はディテクで人事不省、留守居やお前の父を含めて、魔導君主を名乗る平和ボケした老人どもは様子見に徹しているのであろうよ」

「・・・」

 

 図星を突かれ、アンドロメダが沈黙する。

 また笑い声。

 

「まあ魔導宮の仕掛けを知っていて、そこから我の計画に気がついたまでは見事だったが・・・後が続かなかったな」

「やはり水に鬼薬(ヤクシャ)を混ぜて・・・!」

「うん?」

 

 サヌバヌールが怪訝な顔になり、すぐに破顔した。

 

「なるほど、なるほど! 水源地に鬼薬(ヤクシャ)を投入して、クリエ・オウンド中の人間に飲ませると、そう考えたか!

 惜しいが違うな。それでは不確定性が大きい上に、水を飲むタイミングの違いで効果時間がずれる危険性も大きい。

 水道を直接使わず、水瓶に水を溜めておく家も多いからな」

「む・・・では一体・・・」

 

 必死に考えるアンドロメダを見下ろして、サヌバヌールが苦笑する。

 

「普段のそなたであればすぐに考え至ったであろうがな。封印の手かせ(シールド・シャックル)をはめられた状態であれば詮無いことか。

 鈍くなった頭でよく考えるがよい。食物よりも水よりも人に不可欠で、一分とおかずに摂取せねばならぬもの。それはなんだ?」

「・・・空気? まさか、香の形で!?」

 

 サヌバヌールが満足げに頷いた。

 

「正解だ。鬼薬(ヤクシャ)を香にして、クリエ・オウンド全体に焚きしめる。

 都を覆う結界には、雨や大風を凌げるよう、一時的に水や空気を通さぬ機能がある。

 それを発動して十分な量の香を焚けば、それこそ魔導宮の地下にでもいない限り、都にいる全ての人間が十数分で鬼薬(ヤクシャ)のとりことなる。

 後は魔導宮の仕掛けを発動させれば終わりだ。貴様の父も、他の魔導君主も、むろん地べたを這う無能なゴミどもも! 全てが我が手に落ちる!

 ハハハ! ハハハハハハハ! 世界が我が前にひれ伏すのだ!」

 

 高笑いをあげるサヌバヌールを、アンドロメダと三人娘が睨み付ける。

 

「あなたがこれほど愚かとは思いませんでしたよ、サヌバヌール。自分に都合良く考えることしかできなくなりましたか。物事が何もかもあなたの思い通りになるとでも?」

 

 高笑いが止まる。

 アンドロメダたちを見下ろす顔には、歯ぐきをむき出しにした満面の笑み。

 

「愚かなのは貴様だ、アンドロメダ。ほんのわずかにでも阻止される可能性がある計画を、我がペラペラ喋ると?

 そんな物は三文英雄譚の悪役だけで十分よ」

 

 アンドロメダの顔が、さっと青くなる。

 

「ま・・・まさか・・・」

 

 サヌバヌールの笑みが更に大きくなる。

 

「3分50秒前に、既に実行したわ」

 

 爆発音。

 杖にまたがったヒョウエたち三人が壁を突き破り、縦穴内部に侵入して来たのはまさにその時だった。




言ってやった言ってやった!w

ミロヴァ → ミハイロヴァ(ミハイルの女性形) → ミハエル・ラスプーチン(X-MENのヴィランでポラリスと同じくアポカリプストゥエルブの一人)


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07-28 霧男(ミスティ)

「来たか」

 

 呪鍛鋼(スペルスティール)の杖にまたがって急降下してくるヒョウエたちを見上げ、サヌバヌールが宙に手をかざす。

 ほとんど同時に空気を、音の壁を切り裂いて飛来する九つの金属球。

 サヌバヌールとその周辺の術師たちを狙ったそれは、しかし見えない障壁に激突して空気を震わせた。

 

「ぬうっ、さすがに・・・!」

「念動障壁!?」

「ヒョウエ様と同じ術!」

 

 サヌバヌールが顔を歪める。

 全力の念動障壁は、何とかヒョウエの金属球の激突に耐えたが、それでも術師の目には大きく歪んだ障壁の形が見えたことだろう。

 

「ちぇっ!」

 

 舌打ちしながらも金属球を手元に戻し、鋭角的に落下方向を変える。

 同時に八つの金属球が再び空を裂いて飛び、今度はアンドロメダたちの周囲を固める術師ドルヴァと魔導甲冑兵を直撃した。

 

「無駄な事を・・・むっ!?」

 

 サヌバヌールの念動障壁に弾かれるかと見えた金属球は、そのままぴたりと念動障壁にへばりつく。

 

「うわっ!?」

「うおおおおおおおおお!」

 

 次の瞬間、ドルヴァ達が悲鳴を上げて吹っ飛んだ。

 自分の周囲には大きく場を広げて張ったサヌバヌールであったが、アンドロメダたちに保護を与える必要は無いと踏んだのか、ドルヴァ達には個別に念動障壁を張る形になっており、そこがヒョウエのつけいる隙になった。

 大きな念動障壁の場を動かすのはヒョウエでも難しかったが、人ひとりサイズの念動障壁なら障壁ごと中身を持ち上げられる。

 念動で持ち上げられたドルヴァ達が激しい勢いで壁に叩き付けられた。

 障壁は外部からの攻撃を防ぐことはできても、慣性の法則から守ってはくれない。

 魔力経絡一つ分とは言え、それ自体反則的な出力を誇る勢いと衝撃をそのまま身に受けて、ドルヴァ達は気を失った。

 

「ドルヴァ・・・」

 

 アンドロメダが一瞬だけ切なそうな表情を浮かべるが、それはすぐに消えた。

 

「きゃっ!?」

「ぬ!」

 

 今度はフリーになったアンドロメダたちがサヌバヌール達から離れるように念動で持ち上げられる。

 距離を開けた両者の間に立ちはだかるように、ヒョウエたちが着陸する。

 杖を構え、金属球を浮かべたヒョウエがサヌバヌールと視線をぶつけ合う。

 互いに魔力をみなぎらせて、しかし軽々しくは動けない。

 イサミが四人の手かせを解析して外し、ここに来るまでにヒョウエの"失せもの探し(センス・ロケーション)"で見つけた彼女たちの持ち物を手渡していく。

 

「ヒョウエ! あなた! バーリー! 既に彼らの計画は発動しています! 急がねば、クリエ・オウンド中の人々が取り返しのつかない事に!」

「なんだと!?」

「なんてこった・・・」

 

 絶句するイサミとバーリー。ヒョウエは動かないが、僅かに歯ぎしりの音。

 その間にも女性陣は装備を整え直していく。

 

「お嬢様、お召し替えを」

「ありがとう、カスミ」

 

 カスミが小さく呪文を口ずさむと二人の周囲に闇の壁が立ち、視界を遮った。

 数十秒ほど経って闇の壁が解除されると、そこには黒い紐というか水着のようなアンダースーツを着たリアス。

 

纏え(ウェスティオ)!」

 

 リアスがコマンドワードを唱えると、足元に散らばっていた白甲冑のパーツが浮かび上がり、次々にリアスの体に装着される。

 剣を抜き、盾を構えて、そこにいるのは完全武装の"白のサムライ"だ。

 傍らにはメイド姿の忍びが忍者刀を抜いて控えている。

 

「へっ」

 

 モリィが一歩歩み出た。右手に雷光銃を構え、左手で封印の手かせ(シールド・シャックル)をくるくると回している。

 ヒョウエがサヌバヌールと視線をぶつけ合ったまま、それを制する。

 

「モリィ、あまり前に出ないように」

「わーってるよ。けどよ」

「けど?」

 

 がちゃり、とヒョウエの右手首に封印の手かせ(シールド・シャックル)がはまった。

 同時に両足首にもそれぞれ一つずつ。

 それを為したのは、モリィの両ふくらはぎから生えた紺色の触手。

 

「モ・・・」

「前に出なきゃさあ、これを君にはめられないだろぉ?」

 

 べろっ、と舌を出したその顔は既にモリィのものではない。

 ディテクのパーティ会場でヒョウエとコネルを挑発しに訪れた、ライタイム使節の顔をしていた霧男(ミスティ)のもの。

 ヒョウエが何かを言おうとした瞬間、サヌバヌールの発した強烈な念動力の渦がその胸板を貫く。

 封印の手かせ(シールド・シャックル)を、それも三つもはめられて体を動かすことすらできないヒョウエをそれは直撃した。

 

「っ!」

「!?」

 

 ヒョウエが吹き飛ばされるのと同時に殺気が交錯した。

 念動力の渦が発せられると共に離脱しようとした霧男(ミスティ)に、だが同時に二振りの剣が襲いかかった。

 

「チェェェェェィッ!」

「・・・!」

「ぐっ?!」

 

 霧になって逃げようとした霧男(ミスティ)の腕と足を、リアスの剣とカスミの忍者刀がそれぞれ切り飛ばす。

 切り飛ばされた手足は青い霧になって空気に溶け、雷光銃が床に転がった。

 

「ひっ・・・!」

 

 リアスの二の太刀が霧男の胴体に食い込む。刃が胴を真っ二つにする直前、その体が青い霧に変じて消えた。

 

「壁よ!」

 

 リアス達とほぼ同時に反応していたイサミが懐から金属製の印章護符(タリスマン)を取り出し、発動させる。

 その時にはもう、こちらは反応し切れていないアンドロメダを、バーリーが腰を抱いて脇に跳んでいた。

 地面から突き立った力場の壁が念動の渦を防ぎ、追撃を防ぐ。

 そこでようやく、一連の攻防が終わった。

 

「ヒョウエ!」

「ヒョウエ様!」

 

 イサミ以外の四人が振り向くと、胸板をえぐられて鮮血と共に吹き飛ばされたヒョウエがフロアの手すりの外側にぶつかり、穴の中に落ちていくところだった。

 

「くっ!」

 

 ここでようやくアンドロメダが我に返った。

 

「$%&&・・・」

 

 短く合言葉(コマンドワード)を呟くと、履いていた奇妙なデザインの靴が僅かに魔力光を放つ。

 ふわり、とアンドロメダの体が浮いた。

 

「ぬんっ・・・」

「ぐぐぐ・・・!」

 

 念動の渦を発し続けるサヌバヌール。

 護符を掲げ、それを力場の壁で防ぐイサミ。

 

「少しもたせて! 私がヒョウエを・・・」

 

 飛行靴の魔力を発動させ、宙に飛び出すアンドロメダ。

 だがイサミに向けた顔を戻した瞬間、目前の空中に忽然と、老婆が現れていた。

 

「申し訳ありませぬが、姫」

 

 ミロヴァ。

 世界全体を見ても三桁はいないだろう、瞬間移動の術の使い手。

 そして瞬間移動の術を使えるということは、ほぼイコールで大魔術師(ウィザード)と呼ばれるだけの実力者であると言うこと。

 

「このっ!」

「遅い」

「がっ!」

 

 アンドロメダが引き抜こうとした魔力の籠もった短杖(ワンド)を、ミロヴァの放った稲妻が叩き落とす。

 縦穴の中に落ちていく短杖。始まる空中戦。

 ミロヴァがゲマイ屈指の大魔術師(ウィザード)なら、アンドロメダとて天才と謳われた術師にして魔道具作成者(アイテムメイカー)だ。

 戦闘経験の差を身につけた無数の魔道具で補いつつ、何とか隙を見つけてこの老婆を出し抜こうとするが、やはり歳の功。相手が一枚も二枚も上手だ。

 

「サニヤム! ジール!」

「ぐっ!」

 

 短い呪文と印を組み合わせて放たれた魔力がアンドロメダの動きを止めた。

 空中にはりつけにされたかのように動かないアンドロメダに、印を結んだままミロヴァがジリジリと近づく。

 

「メディ!」

 

 イサミが叫んだ瞬間、印章護符(タリスマン)が限界を迎えて砕け散った。

 先ほどのヒョウエ同様に吹っ飛ばされるが、力場の壁がそれでも威力の大部分を相殺したためか、床に叩き付けられるだけで済んだ。

 障壁がなくなり、サヌバヌールの脇で待機していた術師と魔導甲冑兵がリアス達に殺到する。

 一体一体はリアスやバーリーに劣るとは言え、カスミの忍者刀では傷をつけるのは困難。

 

「幻舞陣!」

 

 カスミの秘術が発動するも、有効打を与えられないのでは幻惑にも限界がある。

 10を越える魔導甲冑兵に押し包まれ、更には術師による行動妨害も受けて、あっという間に劣勢に追い込まれる。

 

「くっくっく・・・」

 

 それを横目で見て、立ち上がろうともがくイサミの頭をサヌバヌールがわしづかみにして持ち上げる。

 

「ぐあああああああああ!」

 

 ミシミシと頭蓋骨が軋む。外そうとするが、生身の力で魔導甲冑に抗すべくもない。

 サヌバヌールが笑みを浮かべる。

 

「まあ良くやったと褒めておこう。実際お前の力は惜しい。生きるべき優秀な人材だ。

 どうだ? 我に忠誠を誓う気はないか。なれば貴様の罪を許し、相応の待遇を与えてやろう。アンドロメダもくれてやるぞ?」

 

 頭を握りつぶされそうになりながらも、イサミが笑みを浮かべる。

 

「くそくらえだ。世界が欲しいなら箱庭でも作ってろよ。うちの人気商品、魔法の箱庭基本セットを100金貨(エイビス)で売ってやるぜ」

「くくく・・・まあそれもよかろう」

「があああっ!」

 

 笑みを広げて、イサミの頭蓋骨を今度こそ握りつぶそうとするサヌバヌール。

 その手がふと止まった。

 どう反応していいかわからない、そんな表情で上を向く。

 

 サヌバヌールだけではない。

 アンドロメダ。ミロヴァ。リアス。カスミ。バーリー。シーニー。その他の術師と魔導甲冑兵たち。

 全てが動きを止めて、中空の一点を見ている。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 



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07-29 戦いのお時間

 ファンファーレが高らかに鳴り響いた。

 空よりも透き通る青。

 炎よりも鮮やかに赤。

 とらわれの姫をその手に抱いて、鋼鉄の正義がここに降臨する。

 

「ヒ・・・青い鎧! それにモリィさんも!」

「あれがか!」

 

 恐怖を通り越して畏敬さえ含んだ言葉が老術師の口から漏れる。

 ミロヴァ。シーニー。そしてその他のサヌバヌールの部下の術師たち。

 なまじ優秀であるがゆえに、彼らは目の前にいる存在がどれだけ規格外なのか理解出来てしまう。

 こと魔道においてはほとんど何者にも負けぬとの自負、実際にそれだけの裏付けのある自負をこっぱみじんに粉砕されるほどの、それは衝撃。

 

「隙ありです!」

「しまっ・・」

 

 ミロヴァほどの大術師が、動揺で僅かに術式を緩めた。

 先ほどから必死に隙をうかがっていたアンドロメダとの、そこがわずかながら勝敗を分ける差。

 アンドロメダが腰に吊していた球体を、かろうじて動く右手で投げる。

 

 それが魔法であれば、ミロヴァが常時纏う対魔法結界でほぼ無力化されただろう。

 それが物理的打撃を与える武器であれば、同じくミロヴァが常時纏う念動障壁に似た魔法の「鎧」で防げただろう。

 だがそれはどちらでもない。

 イサミの科学知識とほぼあらゆる素材を生成できる反則ものの《加護》、アンドロメダの天才的な魔道具作成者としてのセンスを融合させた結果生まれた怪物。

 ある種の特殊な金属粉とモンスターの素材を組み合わせて作られた、この世界において唯一実用の域に達した『爆弾』。

 まともに作るなら単価一億ダコックは下らない、アンドロメダの切り札。

 

「なんだっ!?」

 

 その瞬間朝日よりもまぶしい光が縦穴を照らした。同時に轟音。

 ミロヴァのまとう魔法の「鎧」が爆風それ自体からは彼女を守ってくれた。

 しかし数千度に達する非魔法の熱エネルギーを防ぐための術を、彼女は自らにかけていなかった。

 彼女ほどの術師がかけた耐熱の術であれば、あるいは数千度の炎からも彼女を守ったかも知れない。

 だがミロヴァは切り札の存在を知らなかった。いや、魔法によらずそんな高熱を発生させる手段があるとは思いもしなかった。

 ゆえに彼女は全身を焼かれ、意識を失い、縦穴の中を落ちていく。

 

「さよならです、ミロヴァ」

 

 術師が意識を失ったことによって、アンドロメダの拘束が解かれる。

 ごく僅かなあいだ、アンドロメダは旧知の術師のために瞑目した。

 

 

 

 青い鎧の登場。

 その次の一瞬に起こったミロヴァの敗北。

 呆然としたサヌバヌールの手勢たちにもやはり、ミロヴァに起こったのと同じ事が起きた。

 

「ぎゃっ!」

「ぐわっ!」

 

 リアスを囲んでいた魔道甲冑兵が立て続けに二人、斬り倒された。

 

「ぬおっ!?」

 

 何人かの魔道甲冑兵が、足を取られて倒れた。足元に絡みついているのはカスミの投げた、ボーラのような分銅と紐を繋げた武器。

 そのうちの一人に、さらにリアスが剣を突き込んで無力化する。

 

「このっ!」

「ぬおっ!」

 

 同時にイサミとサヌバヌールを爆炎が包んだ。

 アンドロメダが投げたそれを至近距離で使っての、相打ちを恐れない自爆。

 一瞬遅れて爆炎の中からイサミが転がり出す。

 あちこち焦げて煙を上げているものの、常に身につけている耐火の護符がダメージを最小限に抑えている。

 

「こしゃくな真似を!」

 

 それに続き、爆炎を吹き飛ばす勢いで突進してきたのはサヌバヌール。

 怒りに顔を歪め、拳の一撃を放とうとするその瞬間、青い閃光が走った。

 モリィを下ろして飛び込んできた青い鎧の拳が、サヌバヌールを吹っ飛ばし、壁に叩き付ける。

 壁際に設置されていた装置が崩れ落ち、その姿を覆い隠した。

 

「ありがとよ、青い鎧。あっちのゴリラは任せたぜ」

 

 ニヤリと親指を立てて礼を言うイサミ。

 青い鎧もまた親指を立ててそれに返した。

 

 

 

「~♪」

 

 こめかみから血を流したまま、イサミが鼻歌を歌いながら腰の"隠しポケット"の小袋から取り出した何かに、魔力を込めた短杖(ワンド)を装填する。

 超大型拳銃の銃身部分にレンコン状の太い筒を装着したようなそれは、地球でならペッパーボックスピストルと呼ばれる物に酷似していた。

 単発の火縄銃を銃身ごと8つ束ねたような回転拳銃だ。

 レンコンに空いた8つの穴にワンドを装填し終えたところで、リアス達を包囲していた術師の一人がそれに気付いた。

 

「気を付けろ、こいつ――」

 

 イサミの手の魔導ピストルが唸った。最後まで言えずに術師が吹っ飛んで、縦穴の底に落ちていく。

 それに気付いた魔道甲冑兵が二人、包囲網から外れてイサミの方に向かってきた。

 再びイサミの手元のペッパーボックスピストルが唸った。

 イサミの魔力で回転するそれは回転ごとにワンドが自動的に魔力を吐き出す。

 ワンドにはいずれも衝撃波(ショックウェーブ)の術式。

 一つ一つなら耐え切れただろう魔道甲冑兵たちも、一発一発が人間一人を吹っ飛ばせるだけの秒間八発の空気の爆発をこらえ切ることは出来ない。

 手すりを越えて押し出され、術師の後を追った。

 

「おっしゃ、ガンガン行くぞ!」

「おう!」

 

 下着一枚のモリィが雷光銃を構え、凶暴な笑顔でそれに応えた。

 

 

 

 かつん、かつんと足音が響く。

 床に降りた青い鎧が、ゆっくりと壁際の残骸の山、サヌバヌールが埋まった箇所に歩み寄っていく。

 

「!」

 

 と、機器の残骸が動いた。

 

「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

 

 咆哮。

 数トンはある機器を軽々と吹き飛ばして、青紫の甲冑をまとったサヌバヌールの巨体が姿を現す。

 数千度の爆炎に加えて青い鎧の拳を受けたというのに、魔道甲冑の表面が僅かにすすけただけで傷一つない。

 2m近いたくましい体躯の青い鎧。それを更に上回る2m30の巨人じみた体に魔道甲冑をまとうサヌバヌール。

 両者の視線がようやく正面からぶつかる。

 

「・・・」

「・・・」

 

 先ほどの激突から一転、静かな視線のぶつかり合いが周囲の大気を張り詰めさせる。

 

「・・・・・・」

 

 青い鎧の登場以来、腰を抜かして縦穴沿いの手すりにもたれかかっているシーニーがガチガチと歯を鳴らす。

 顔は涙と鼻水とよだれと、様々なもので既にドロドロだ。

 そんな息子に一瞥もくれず、サヌバヌールがふっと笑った。青い鎧を迎え入れるように両手を広げる。

 

「見事! そなたこそは世を導くべき優れたもの、選ばれしものだ!

 どうだ、我が同志、そして後継者として共に・・・」

「断る」

 

 短く、誤解しようのない端的な答え。

 かはっ、とサヌバヌールが息を吐き出した。

 

「惜しい、惜しいな。アンドロメダやそこのイサミとかいう男もそうだが、そなたは特に惜しい。我とそなたはこの世にある術師の中でも最も優れたもの同士。我らが手を組めば、この世に成せぬ事などなかろうに」

「だとしても、貴公とそれがしでは向いている方向が違う。それがしの望むのは、優れたものも、そうでないものも相応に尊重され、幸せに暮らせる世界だ。

 恐らく貴公とは金輪際相容れまい」

「そのようだな」

 

 笑みを浮かべたまま、サヌバヌールが拳を握った。

 

「であれば全力でそなたを排除せねばならん。

 ところでアンドロメダはこの魔導宮の機能についてどこまで知っておったかな?」

「何のことだ」

「恐らくは『国土中に声を届ける』という機能しか知らなかったのだろう。

 そうでなければもっと焦っているはずだからな。

 だが魔導宮には封印された、そして忘れられた機能がもう一つある。

 この魔導宮はそもそも大がかりな魔道具を作るための工房でな」

「・・・?」

 

 鉄仮面の下でヒョウエが眉を寄せる。

 何を言おうとしているのかはわからない。だが嫌な予感はもの凄い勢いで膨れあがっていく。

 

「術師非術師問わず人間から直接魔力生命力を集めて、魔道具を作るためのエネルギーを確保する機能がある。

 効果範囲はほぼこの都全て。もっとも、同意した人間に限るがな」

「――まさか?!」

「そう、その通りだ!」

「!」

 

 サヌバヌールの宣言と同時に青い鎧が閃光と化して疾る。

 だがそれでも一瞬遅かった。

 先ほどの炸裂弾に数倍するまばゆい光がほとばしる。

 洗脳されたクリエ・オウンド中の人間から集められた膨大な魔力が、ただそれだけで山をも砕く拳を止めた。

 

「?!」

 

 その場の全員が目を疑った。

 光の中から現れたのは、差し渡し10mはあろうかという巨大な腕。

 それがサヌバヌールのそれだと気付いた時には、床に叩き付けられたそれが青い鎧を拳の下敷きにし、周囲に衝撃波を走らせている。

 すかさず拳の下から脱出して空中に逃れる青い鎧だが、それでも驚愕がその体を走るのが傍から見ていてもわかった。

 光が収まった後に立っていたのはサヌバヌール。姿は寸分違わないが、身の丈はゆうに20mを越えている。

 

「見るがよい、我サヌバヌールの真の力を! そしてその命を捧げるのだ!」

 

 およそ十倍に巨大化した魔神の声が縦穴の空気を震わせた。



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07-30 超人対黙示録の男

「Woooooooooooooooo!」

 

 魔神が吼えた。

 どういう理屈かはわからないが、鬼薬(ヤクシャ)で服従させた市民から自発的に拠出させた魔力。クリエ・オウンドに住まう数十万人のそれを束ねた膨大な力を吸収し、巨大化した。

 

 空中の青い鎧に向かって拳を繰り出す。

 その拳には先ほどヒョウエが地面を掘り進んだときと同じ、回転する螺旋状の念動障壁。

 高速でかわす青い鎧だが、それでもかわしきれない鋭さと速さがその拳にはある。

 

「!」

 

 回転する念動障壁が青い騎士甲冑の表面をかすり、ぎゃりぎゃりぎゃり、と耳障りな音と火花を立てる。

 鋭く反転した青い軌跡がこんどはこちらだとばかりに、サヌバヌールの胸元を目指して一直線に疾った。

 

「ぬ!」

「ぐおっ!」

 

 青い鎧の拳がサヌバヌールの胸板に炸裂する。

 最早音とも言えない、腹に響く物理的衝撃が周囲を襲った。

 だがそれでもサヌバヌールは僅かに揺らいだ程度。

 古代魔法文明の技術の粋である"炎の魔神(ザイフリート)"ですら数歩は後退させたそれを受けてだ。

 僅かな驚愕と同時に、しかし青い鎧は僅かな時間でそのからくりを見抜く。

 

(念動障壁! 古代遺物の魔道甲冑に加えて膨大な魔力に支えられたそれが、強固な守りになっている!)

 

 つまりサヌバヌールは常時念動障壁を体表面に張っている。イサミの爆弾を受けて顔にやけど一つ負ってないのもそのせいだ。

 それが攻防一体の武装として機能しているのだ。

 

「羽虫が! ちょこまかと!」

 

 魔道甲冑の両肩が開き、無数の白い炎弾を吐き出す。

 それは回避機動を取る青い鎧を、操られているかのように追尾して襲いかかった。

 

「くっ」

 

 青い鎧が両手を構える。

 白い炎弾の群れが軌道を曲げて一箇所に集中し、盛大に連鎖爆発を起こす。

 爆発した後、無数の小さな白い炎が燃えながらパラパラと地面に落ちていく。

 フロアに落ちた白炎が広範囲にわたって炎のじゅうたんを形作った。

 

「今度はこちらから行くぞ!」

 

 閃光が走った。

 巨人の周囲を鋭角的に屈折する青いレーザービーム。

 超音速で空を切り裂くそれが絶え間ないソニックブームと共に巨人を乱打する。

 

 だが巨人と化したサヌバヌールもただ者ではない。

 同等とは言わないまでも、亜音速の身のこなしは体をブレさせるほどに早かった。

 青い輝線と化したヒョウエと、残像を繰り返して分身したかのような錯覚を起こさせるサヌバヌール。

 腹に響く重い衝撃音が途切れず鳴り響く中、それはある種の舞を舞っているようにも見えた。

 

(むう)

 

 兜の中でヒョウエが唸る。

 「殴り合い」は現在青い鎧が圧倒的に優勢だ。

 だがサヌバヌールが翻弄されっぱなしかというとそうでもないし、何発かは青い鎧もサヌバヌールの拳を受けている。

 とは言え互いにほぼダメージはない。

 

 互いに膨大な魔力をもって強力な念動障壁と具現化術式を身にまとって戦うヒョウエとサヌバヌールは、言わば同質の存在同士の戦い。

 どちらかがどちらかを圧倒できるほどの差は今のところない。

 強いて言うなら自前の"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"が生み出すそれと、クリエ・オウンド市民から集めたそれという違い。

 市民のエネルギーを無理矢理供出させているなら、あるいはエネルギー切れも狙えるかも知れない。

 

(だが・・・!)

 

 魔力は無限ではない。そして生命力も当然無限ではない。

 魔力が尽きて気絶するだけならいいが、疲労で死んだ人間がいるように、術の使いすぎで死んだ術師も絶えたことがない。

 このままでは魔力の供出のしすぎで死亡する人間が間違いなく出る。

 その前に勝負をつけねばならなかった。

 

「むん!」

「ぬお?」

 

 青い鎧が巨人に「組み付いた」。

 一撃を与えて離脱という今までと変わった動きに、巨人(サヌバヌール)が僅かに戸惑う。

 次の瞬間、その体が宙に浮いた。

 

「お、おおおおおおおおおおお!?」

 

 背中側から腰のあたりに取り付いて、そのままサヌバヌールの身体全体を持ち上げる。

 体格差十倍のバックドロップ。

 落とす先は――縦穴の中。

 

「おおっ!」

「やっちまえ、ヒョウエ!」

「サヌバヌール様!」

 

 仲間達の声援と、サヌバヌールの部下たちの悲鳴。

 それを聞きながら、サヌバヌールの巨体は縦穴の中へと真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 

 落ちる。落ちる。落ちる。

 重力という自然現象に加えて青い鎧の念動の全力が落下のベクトルに加わる。

 

「ぬうう!」

 

 サヌバヌールもまた全力の念動でそれに抗うが、1000トン近い巨体の質量を相殺できるほどではない。

 一秒ごとに加速度は増し、500m下の金属の床が見えてくる。

 落下を始めて九秒、後一秒で床に激突する。

 

「終わりだ! サヌバヌール!」

「そなたがな」

「?!」

 

 瞬間、サヌバヌールが消えた。

 青い鎧の直上、逆さまになった青い鎧から見れば足元にサヌバヌールの巨大な足の裏。

 轟音。

 何の反応をするいとまもなく、巨大な足が青い鎧を金属床に埋め込んだ。

 

「フハハハハハハ! どうだ、ん? んんん・・・! む!」

 

 青い鎧を踏みにじっていたサヌバヌールの体が揺らぐ。

 

「ぬおっ!?」

 

 右足を持ち上げられ、サヌバヌールが地響きを立てて転倒した。

 宙に浮くのは青い鎧。見た目に全く損傷はないが、動きが僅かに鈍い。

 

「フハハハハ! ダメージは隠せぬな! 念動の制御にも影響が出ておるぞ」

「お気遣い痛み入る。しかしよもや瞬間移動(テレポート)とはな・・・ずっと隠していたと言うことか」

「見せびらかす必要もあるまい。ミロヴァという隠れ蓑もおったことであるしな」

 

 ニヤリと笑ったサヌバヌールが、笑みを消した。

 その視線が、床の端に落ちたいくつかの人体に向けられる。

 

「惜しい女であったわ。だが負けた以上はそれまでのこと」

「冷酷だな」

「力あれば生きる価値あり、力なくば死に果てるのみ。それがこの世の理よ」

 

 すっ、と青い鎧の雰囲気が変わった。

 

「なればここでそれがしが勝てば、貴公に生きる価値無しと言う事になるな」

「いかにも」

 

 サヌバヌールが頷く。

 

「もっとも」

 

 その口元が再び笑みの形を作る。

 

「そなたが我に勝つ可能性など万に一つもないがな!」

「!?」

 

 サヌバヌールの背中から、10を越える何かが射出された。

 魔力ロケット、この世界で言えば「魔法の箒」のような魔力を噴出して推進する小型ユニット。

 小型と言っても巨大化したサヌバヌールから射出されたものであるから、一つ一つが2m近くある。

 リフティングボディの本体に小さな翼が付き、先端には魔力射出口らしき部位。

 

「オールレンジ攻撃?!」

 

 驚愕する青い鎧に向けて、12本の魔力光が発射された。

 避けようとしたところでサヌバヌールが合わせた両手から渾身の念動を放つ。

 

「かぁぁぁぁぁっ!」

「ぬっ!」

 

 念動による金縛り。

 古代兵器巨人(ギガント)が保有していた機能と同じだが、100mを越える巨人(ギガント)が数十機で何とか封じた青い鎧を、一瞬とはいえサヌバヌールの念動は押さえ込んでみせる。

 全方向から放射された魔力のビームが青い鎧を直撃した。

 



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07-31 九曜星

 

 

「ふん、この程度ではやるだけ無駄か」

 

 結果がわかっていたかのように――事実、予想はしていたのだろうが――サヌバヌールが独りごちる。

 全方向から放射された魔力ビームの爆発。その光芒の中から飛び出したのは青い鎧。

 その鎧には傷一つついていない。巨人(ギガント)の青き魔光を弾いたのと同じく、圧倒的密度に圧縮された魔力がサヌバヌールの全方位攻撃を弾いたのだ。

 

「・・・」

「・・・」

 

 にらみ合う巨人とヒーロー。

 二人の周囲を、いつもヒョウエが金属球でやっているようにサヌバヌールの魔導端末(ソーサル・ビット)が12体、隙を窺うように周回している。

 

(・・・?)

 

 ふと嫌な予感がする。

 そして現実はその予感を裏切らなかった。

 

「ルクヴァット・ショーシャ!」

「!」

 

 サヌバヌールが素早く呪文を唱えて印を切る。

 二人の前後左右上下を囲む12体の魔導端末(ソーサル・ビット)が、空中で静止して結界を展開する。

 12の頂点を結ぶ正二十面体の緑色のフィールド。

 

「これ・・・は!」

 

 一瞬戸惑い、直後驚愕に震える青い鎧。体中から急速に何かが漏れていく。

 魔力と呼ばれる、青い鎧の強さの根幹を成す力。

 

「フハハハハハ! 驚いたようだな!

 どうだ、魔力を吸収される気分は!」

 

 基本的に魔力は生命力を練り上げ、精製したもの。つまり人間の体内で働く力だ。

 術式などによって外に放出したそれを吸収したり抑制したりすることはできるが、人間から体内のそれを直接吸収する事は極めて難しい。

 それが術師の常識のはずであった。

 

「・・・そうか、魔導宮の魔力吸収機構!」

「頭の回転も速いようだな。さすがだ」

 

 歯ぐきをむき出しにして魔神が笑う。

 恐らくサヌバヌールは魔導宮の魔力吸収機構を研究し、自らの魔道甲冑に組み込むなり術式を構築するなりしてそれを再現することに成功したのだろう。

 "魔導上王(キング・オブ・キングス)"になってもおかしくない、というアンドロメダの母シェダルの言は全く間違っていなかったということだ。

 

「さあ、舞踏(ダンス)再開と行こうではないか! その状態で、どこまでステップが踏めるかは見物だがな!」

「くっ!」

 

 乱打の音が、地の底で再び鳴り響き始めた。

 

 

 

 打撃の舞踏が続く。

 結界に閉じ込められた二人が、互いの全力を尽くして拳を放ち合う。

 青い閃光の筋と化した青い鎧。その閃光を拳で捉えんとするサヌバヌール。

 だが、先ほどに比べ僅かに青い鎧の速度が鈍っている。魔力を吸収され続けている影響だ。

 

 一方でサヌバヌールの拳は僅かながらに加速し続けている。

 青い鎧の魔力を一方的に吸収し、結界を通じて自らに流し込む。

 結界を作る十二機の魔導端末(ソーサル・ビット)を破壊したいところだが、結界内部からは干渉できない上に、サヌバヌールの拳がそんないとまを与えてはくれない。

 

「ぐっ!」

 

 サヌバヌールの拳がクリーンヒットした。

 続けて一発。更に連続してもう一発。

 とどめとばかりに平手で打ち落とされ、床に落ちたところを全力の踏みつけ。

 

「ぐおおっ!」

 

 一発、二発、三発。追撃の踏みつけに、床面に完全にめり込んだ青い鎧はたやすく逃れられない。

 

「ハハハハハ! ハハハハハハハ!」

 

 サヌバヌールが拳を握る。今度は拳の周辺の念動障壁がトゲ付き鉄球(モーニングスター)のような形状に変化し、動けない青い鎧に全力で振り下ろされた。

 

「がっ!」

 

 着弾と共に魔力の爆発。

 が、これはサヌバヌールの起こしたものではなかった。

 鎧の表面を構成する術式を崩壊させて魔力を一瞬爆発的に放出。リアクティブアーマーのような使い方をして、青い鎧は宙に舞い上がった。

 高度10mほどに逃れたときには既に破損した鎧表面は再生している。

 

「ほほう、器用なものだ。だがどうだ? 魔力の残りはまだあるのか? 我の魔力はまだまだ尽きぬぞ。

 しかしこの魔力吸収結界の中でまだそこまで動けるとは! 惜しい、まこと惜しいな!」

「・・・」

 

 青い鎧が無言で姿勢を正す。

 

「む」

 

 何か危険信号を感じ取ったかサヌバヌールが口を閉じた。

 素早く両手を合わせて念動の渦を発生させようとするが、青い鎧が一言呟く方が早い。

 

暗黒の星よ(Rahu)

「なっ!?」

 

 瞬間、周囲が漆黒に包まれた。

 思わず、驚愕がサヌバヌールの口から漏れる。

 魔導端末(ソーサル・ビット)とのリンクが断絶する。魔導甲冑のアイモニターには"魔素断絶(マナ・ダウン)"の表示。

 続いて爆発音。一、二、三、四・・・あわせて立て続けに十二。

 ふっ、と。現れた時同様、唐突に闇は消え去るが、魔導端末とのリンクは回復しない。

 周囲には魔力を伴った爆発の痕跡。結界は消失している。あの暗黒に包まれた一瞬で、魔導端末は全て破壊されていた。

 

「こしゃくな!」

 

 発動しかけだった念動の渦を放ち、動きを止めようとする。

 先ほど以上の全力の魔力を込めた念動力の破壊の渦。これに巻き込まれれば、メットーの王城ですらひとたまりもあるまい。

 その渦を。

 

「なっ! なんだとぉ!?」

 

 青い鎧は左手を軽く掲げるだけで止めた。

 いや、正確には受け止めているのではない。

 青い鎧の掲げた手の、わずか数センチ前で黒い球体に吸い込まれて念動力の渦は消滅し、マントの端を揺らすことすらできていない。

 青い甲冑の左の籠手。その手の甲から手のひらまで、暗黒の星を表すルーン――ヒョウエの使う金属球に刻まれたそれと同じもの――が光っていた。

 

 そう、金属球だ。ヒョウエの"念動(テレキネシス)"の術式が具現化したあの呪鍛鋼(スペルスティール)製の金属球にはアンドロメダとイサミとヒョウエという、ディテク屈指の魔道具製作者たちが追加で様々な術式を刻んでいる。

 同じくヒョウエが具現化させた術式である呪鍛鋼(スペルスティール)の杖が青い鎧と化してヒョウエの体を守っているように、九つの金属球もそれぞれに姿を変えてヒョウエの体に装備することが可能である。

 

 今までそれをしなかった理由はただ一つ――見るものが見れば、ヒョウエの術式と青い鎧の術式が同じであると察せられてしまうからだ。

 並の術師ならともかくサヌバヌールやミロヴァ、エルフの森ならシャンドラやアディーシャ、ヒョウエの師匠やディテクの宮廷魔術師長と言ったあたりは、ルーンと術式を見れば確実に類似性に気付くだろう。

 ゆえに。

 

「これを見せてしまったからには相手を確実に倒さねばならない――地の星よ(Shanaishchara)!」

「!?」

 

 サヌバヌールが目を剥いた。

 青い鎧が掲げた拳、それが一瞬に巨大化して現れたのは、拳だけで30mはありそうな巨大な腕。それが青い鎧の右肩から生えている。

 

「ぐぶぉっ?!」

 

 激しい打撃音と破砕音。

 巨大の上にも巨大な拳がサヌバヌールの巨体を上から丸ごと叩き潰す。

 奇しくもサヌバヌールが巨大化したときの焼き直し。青い鎧の"やられたらやり返す(リベンジ)"。

 さすがの古代遺物の魔道甲冑が軋んでひび割れた。

 

「"雷の星よ(Brihaspati)!" "雷の星よ(Brihaspati)!" "雷の星よ(Brihaspati)!"」

「がっ! ごっ! ぐおっ!」

 

 巨人のみぞおちに、超絶の雷撃を纏った拳の三連打。

 真なる魔法にて生み出された超古代の呪鍛鋼(スペルスティール)が、莫大な魔力の干渉によって劣化し、無数のヒビが走る。

 

「このっ・・・いい加減にしろっ!」

 

 魔導甲冑の肩が開き、砲口がまばゆい光を吐き出す。

 見るものが見ればわかるそれは"物質分解(ディスインテグレイト)"の光線。

 城砦を丸ごと塵と化す、もっとも危険な術式の一つ。

 

「"月輪よ(Soma)"」

 

 静かに呟いた青い鎧の左の人差し指が、くるりと宙に円を描く。

 出現するのは直径3mほどの厚みを持たない真円の鏡面。

 サヌバヌールの切り札の一つであった物質破壊光線は、普通の鏡が光を反射するように、その鏡面に触れて丸ごと反射する。

 

「ぐあああああああああああ!?」

 

 物質破壊光線に飲まれるサヌバヌール。魔導甲冑に走るスパーク。

 古代の具現化術式の防御機能が、かろうじてサヌバヌールの命と自身を救う。

 光線の発射を中断したとき、魔導甲冑の節々からはうっすらと煙が、そしてその背後の壁はサヌバヌールの形を残して円形にえぐられている。

 自身も防御のために魔力を振り絞り、一瞬朦朧とするサヌバヌール。

 

「ぐぶぉっ!」

 

 意識がはっきりした直後に青い鎧が一撃を放ったのか、それとも一撃の衝撃が意識を取り戻させたのか。

 

「"火の星よ(Angaraka)!"」

 

 ともかくもそれが最後の一撃。

 渾身の魔力を込めた燃える拳が、貫手の形をとってひび割れたみぞおちに突き込まれる。

 

燃えて(Heat)・・・」

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 貫手から内部に流し込まれる超高熱の炎。

 それは内部から魔導甲冑とサヌバヌールの肉体を灼く。

 

尽きろ(End)っ!」

 

 次の瞬間サヌバヌールの巨体は炎をあげ、大爆発を起こした。

 




ドラグ・スレイヴや「雷の娘シャクティ」の呪文を未だに空で言える人、手を上げてー(ぉ


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エピローグ さらば魔導の国

エピローグ「さらば魔導の国」

 

「適者生存」

 

     ――アポカリプス――

 

 

 

「ぐ・・・ぐ・・・」

 

 サヌバヌールが意識を取り戻した。

 体は既に元のサイズに戻っている。身にまとっていた魔導甲冑は粉々の破片以上の何かではなくなっており、魔導甲冑を介して受け取っていたクリエ・オウンド市民の魔力も今はない。

 動かない体を必死に動かし、視線だけで敵を探す。

 青い鎧は床の端に落ちた死体に対して何か術を施しているようだった。

 

「"水の星よ(Budha)"」

 

 今のサヌバヌールにもわかる、強力無比な治癒の魔力が死体を覆っていく。

 折れた首、砕けた骨、破裂した内臓や筋肉、そうしたものが元の姿を取り戻していく。

 

「・・・蘇生させたのか? 死者を?」

 

 それでサヌバヌールが意識を取り戻した事に気付いたのだろう、青い鎧が立ち上がってこちらを振り向いた。

 

「蘇生ではない。単に傷を治し、肉体を修復しただけだ。

 取り返しの付かない傷を負っても、魂が肉体から離れるまでにはしばしの間がある。

 普通なら致命傷でも、それまでの間にそれがしなら治せる傷がある。本当の一般人であれば助からなかっただろうが、鍛え抜いた体と魔力の守り、魔導甲冑がギリギリのところで命を繋いだ」

「・・・全員、生きておるのか」

「然り。ミロヴァ(おう)もな」

「そうか」

 

 短く答えて、無理矢理動かしていた首から力を抜く。

 見上げる光景は無限に続くかと思われる巨大な縦穴。

 サヌバヌールの人並み外れて鋭敏な視覚は、リムジーの姫の一党が下を覗き込んで手を振っている姿を捉えた。

 

「ともあれそなたの勝利だ。我が首を取れ。そして世界をそなたの思い通りに形作ってゆくがよい」

 

 首を振る気配。

 

「・・・?」

「それがしはその様なものを望まぬ。あるべき未来を夢見はしても、それはそれがしが強要するものであってはならない。万人の幸せを望むとしても、それは一朝一夕に叶えてはならない。

 そうしようとすれば必ず歪みを生み、それは新たな不幸を生むからだ。

 それがしは世界の支配者としてではなく、あくまで一人の民として世を動かす」

「それは責任からの逃避だな」

 

 思わず言葉が出た。それは相手を理解出来ないことに対するいらだちだったかも知れないし、自分が認めた男が自分の価値観から外れた行いをすることに対する失望だったかも知れない。

 青い鎧の頷く気配。

 

「やもしれぬ。だがそれがしは、絶対的な支配者に盲目的に従う奴隷よりも、一人一人が賢明な王であらんとする世を望む」

「・・・」

「・・・」

 

 しばらくの沈黙の後、サヌバヌールが大きく息をついた。

 

「!? 今何をした!」

 

 サヌバヌールが飛ばした念を感知し、青い鎧が戦闘態勢に入る。

 忘れていたこと。この男は魔導宮のシステムを支配下に置いていた。

 魔導甲冑がなくなって魔力を受け取ることはできなくとも、システムに指示を出すことは――

 

「暗示を解いた」

「・・・何?」

「暗示が暴走したときのために、あらかじめ仕込んでおいた暗示を解除する暗示だ。

 我と同じような事をするものがおらねば、都の民は何事も無く一生を終えるであろうよ」

「――!」

 

 兜の下でヒョウエが目を見開いた。

 

「何ゆえ・・・?」

 

 探るような物言いに、サヌバヌールが笑みを浮かべる。

 先ほどまでのそれと同じ、歯ぐきをむき出しにした獰猛な笑み。

 

「そなたが我より優れているからだ。この我に勝る選ばれし者であるからだ。

 敗者は勝者に従うべきである。そうでなくばこの世は成り立たぬ」

「そうか」

 

 サヌバヌールに気取られぬよう、視線をミロヴァたちに飛ばす。

 しかしそれ以上のことは何も言わなかった。

 

 

 

 その後は大騒動になるかと思いきや、大した混乱は起きずに事件は終息した。

 夜であり、かなりの数の人間に酒が入っていたこと、サヌバヌールが洗脳した人間に魔力の供出以外はやらせていなかったこと、加えてここぞとばかりに一致団結した魔導君主たちの力の賜物である。

 

「サヌバヌールという反乱者を出したリムジー家の責任も追求されるところでしたが、あの男(ケイフェス)の政治力と他の魔導君主の協力もあって、致命的な損失にはならなかったらしいですね」

 

 港の魔導門。

 ケイフェスがひどい目にあわなくて残念、と、リムジー家の人間がひどい目にあわなくてほっとした、の中間くらいの口調でアンドロメダが溜息をついた。

 複雑なところだろうなと察しつつ、ヒョウエが杖にまたがる。

 

「それじゃそろそろおいとましましょうか」

「そうですね。バーリー、それではまた」

「おう、そのウドの大木をブッ殺して欲しい時はいつでもいいな。どこであっても駆けつけるぜ」

「おうよ、いつでも返り討ちにしてやるから自分用の傷薬を忘れるなよ」

 

 にやっと笑って拳を打ち合わせる巨漢と小兵の猿人。

 最早お馴染みの光景にアンドロメダがクスクス笑い、ヒョウエと三人娘が肩をすくめる。

 

「さて、それでは・・・」

「アラ、ちょっと待ってくれないカシラ? 少し話がしたいのヨ」

「!?」

 

 三人娘と共にヒョウエの杖にまたがろうとしていたアンドロメダが勢いよく振り向いた。

 その顔には驚愕の色。イサミ、バーリー、ヒョウエの顔にも同じ表情。一方で三人娘の顔には、驚愕は驚愕でも自分の常識から外れた存在に対する僅かな拒否感と不可解さへの疑問――要するにちょっと引いた表情が浮かんでいる。

 

「お久しぶりね、アンドロメダ嬢! アラアラまあまあ! 随分とお綺麗になったジャナイッ?

 そちらはワタシの事を知らないみたいネッ! よければ紹介して頂けないかしラ?」

 

 耳障りな甲高い声。

 そこにいたのは、一言で言えば恐ろしく太った人間だった。

 身長は(おそらく)座った状態で1m50、体重は600キロは優に超えているだろう。

 肉の塊というのがぴったりの外見で、薄衣のようなものを羽織ってはいるがほぼ全裸に近い。

 到底歩けないような体型ではあるが、宙に浮かぶ円い輿のようなものに座って移動しているようだ。

 周囲には一見して手練れとわかる護衛の兵と術師、そして数人の侍従と侍女がいた。

 

「・・・喜んで。皆さん、こちらはダー・シ・シャディー・クレモント様。

 クレモント家の当主で、八人の魔導君主の一人でいらっしゃいます」

「・・・!」

 

 やはり、という感じでヒョウエが目を見開いた。

 ダー・シ・シャディー・クレモント。800年前に分裂していたゲマイを統一し建国されたゲマイ魔導共和国の最初の魔導君主たち、いわゆる「創世の八人」の中で、未だに魔導君主の座にある唯一の人物。

 『星の騎士』と並び、《百神》の《使徒》以外で不老不死を達成した唯一の人物と言われている。

 

(まあその代償として、半ば人間であることをやめているようではありますが)

 

 時折モゾモゾと不気味にうごめく肉塊を眺め、ヒョウエが独りごちる。

 肉体の維持に魔力をつぎ込んでいるのか、サヌバヌールのような並外れた魔力も感じない。

 モリィがあっ、という顔になる。

 

「思いだした! 『ゲマイの死なない王様』か!」

「あら、ディテクだとそんな風に呼ばれているノ? まあ悪くはないわネ!」

 

 ぐふふふふ、と不気味に笑うダー・シ。

 慌ててモリィが頭を下げた。彼女はこう見えて基本的な礼儀作法は身につけている。

 

「あ、いえ、ご無礼を」

「イヤイヤ、気にしないでいいわヨ! 時間があればディテクでどんな風に言われているのかもっと聞きたいところだけどネ!」

 

 カバの鳴くような笑い声を上げるダー・シ。

 その一方でアンドロメダはようやく冷静さを取り戻していた。

 

「ぶしつけな質問ではありますが、ダー・シ様。あの男(ケイフェス)に力を貸したのは・・・」

「アタシ、という事になるかしらネ? ケイフェスちゃんも随分と苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたケド」

 

 クレモント家は規模だけで言えば創世八家の中でもっとも小さな家の一つだ。

 しかし当主のダー・シが培ってきたコネクション、老獪な手腕と政治力、世界最高の術師の一人であるという評判と重ねて来た年齢そのものが、彼に並々ならぬ力と格を与えていた。

 実際今回のことで、リムジー家はこの男に巨大な借りを作ったことになる。

 

「まああんまり引き留めても悪いシ、それジャアネ! 御母様にヨロシク!」

「はい、母にもよろしくお伝えします」

 

 一礼してからヒョウエたちは杖にまたがり(イサミだけは例によって障壁の中に転がされているが)、飛び立った。

 ダー・シとバーリーの姿がどんどん小さくなり、クリエ・オウンドも豆粒より小さな点になったところでモリィが息をついた。

 

「あー、びっくりした。何だったんだあの百貫デブは」

「百貫(約375kg)どころではなさそうでしたけどね。まあ、端的に言えばモリィが言った『ゲマイの死なない王様』そのものですよ」

「アタシが聞いた昔話じゃ銀の孔雀の羽から不老不死の薬を作って千年生きてるって話だったけど、まさかあんな肉の塊だったたぁな・・・」

 

 少女の頃の夢を壊されたような顔でモリィがげんなりした顔になる。

 アンドロメダが苦笑。

 

「まあ数百年生きているのは事実ですけどね。話によれば、ゲマイが建国した当時既にあの姿だったそうですし、千年生きていてもおかしいとは思いません」

「・・・何しに来たんだろうな」

 

 腕組みをしたイサミがぼそりと呟いた。

 結局ダー・シはアンドロメダから各人を紹介されただけで、それ以上は何も話そうとしなかったのだ。

 アンドロメダが首を振る。

 

「わかりません。単に物珍しかったのかも知れませんし、あの男(ケイフェス)への牽制かも知れません。それ以外に何かディテクで暗躍しようとしているのかも知れませんし・・・もしくは」

「・・・」

 

 視線を無言でヒョウエに向ける。

 

「僕、ですか」

「ええ。あくまで可能性ですけれども」

「・・・」

 

 何かを言おうとしたヒョウエに、口調をがらっと変えて声をかぶせる。

 

「まあそんな事より重要なこともありますけどね」

「なんです、姉さん?」

「あなたの借金ですよ。今回のあなたの取り分は全部こちらによこして貰いますからね。今回の件と合わせて、それで腕輪の件はチャラにして上げます」

「そんな殺生な?!」

 

 ヒョウエの悲鳴が上がる。

 ただでさえここのところあれこれで忙しくて仕事ができていないのだ。

 レスタラの一件やその前のズールーフの森からの謝礼はあるが、あちこち借金や税金だらけでピーピーしているヒョウエの懐にはかなりの致命的打撃(クリティカルヒット)である。

 

「何が殺生なものですか! 売り先が決まっているものを無理矢理借り出して壊してきて! 突貫作業で代わりを作るのに凄く苦労したんですよ! 文句があるなら体を売ってでもお金を作りなさい!」

「そんなあ!」

 

 右側に身を乗り出してヒョウエを叱責するアンドロメダ。

 杖の上が一転して騒がしくなる。

 イサミが肩をすくめ、三人娘が溜息をついた。

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。

 




クレモント→クリス・クレアモント(X-MENその他のライターでイメージ創立者の一人)
ダー・シ・シャディー→ヒンズー語で「嫁き遅れ」→喪女→モジョー

ダー・シさんのモチーフはもちろんD&D映画にも出て来たサーイの国の赤いリッチさんですが、ついでと言うことでモジョジョジョ(違)さんも混ぜてみましたw

後今更ですがサヌバヌール→エン・サバー・ヌール(アポカリプスの本名)のもじりですね。


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八の巻「ファスト・ザン・ウィンド、ヒート・ザン・ブレイズ」
プロローグ「音速の騎士」


「本当の壁は空にはなかった」

 

     ――チャック・イェーガー、人類で初めて音の壁を越えた男――

 

 

 

 

「荷物運びですか」

「はい、トラル・シティまで大至急・・・実は他の方を捕まえるはずだったのですが、契約を結ぶ直前でライバル商会に取られてしまいまして」

 

 六虎亭の依頼用別室。

 今日も今日とて壁の依頼を総ざらいしようとしていたヒョウエたち毎日戦隊エブリンガーを、受付嬢が引っ張って来た先がここであった。

 そこで待っていたのはどこぞの商会の人間と思われる中年の商人らしき男。

 服装もきちんとしていてそれなりにできる男の雰囲気を漂わせているが、今は神経質そうに眼をきょろきょろさせて、うっすらと汗をかいていた。

 

「タム・リス社と言えば運送業の大御所じゃないですか。早馬なり何なりいくらでも用意できるでしょう。

 高速移動できる古代遺物(アーティファクト)も保有していると聞いてますし、何故わざわざ僕に?」

 

 タム・リス社。オリジナル冒険者族が創立した、郵便から商品を運ぶ荷馬車隊、人間を運ぶ寄り合い馬車まで、物流という概念をこちらの世界に打ち立てた巨大商会だ。

 街道を整備して交通網を作り、国内の商業を盛んにしようとしていた当時のディテク当局ともうまく話を噛み合わせ、都市間を結ぶ定期馬車のみならず、都市部とその周辺の農村地帯との定期便、農作物を定期的に輸送する商隊、手紙や荷物の郵送などを総合的に引き受けるなど、実質的な多業種企業体(コングロマリット)と言っても過言ではない。

 

「よくご存じで・・・ですが現状ではそれが使えませんで・・・」

「最近きな臭いとは聞いてたけどよ、カル・リス社か?」

 

 横から口を挟んだモリィに、男が額の汗をふきながら頷く。

 近年、タム・リス社から独立した幹部が新たに設立した輸送会社で、タム・リス社で培ったノウハウを活かして急成長している。

 最近では本家筋であるタム・リス社との争いが激しく、タム・リス社のシェアを狙って強引な手法を多用し、たびたびトラブルを起こしているとのことであった。

 

「ヒョウエたちはいつもあらかた取り尽くされた後の依頼書しか見てないから知らないだろうけどな、気を付けてると時々それがらみじゃねえか、って依頼が見つかるんだよな。この三ヶ月くらいで結構増えたと思うぜ」

「なるほど・・・」

 

 面倒くさそうな依頼の割にヒョウエたちが見たことがないというのは先に取られてしまうから。つまり、金払いがいいからだ。

 カル・リス社のさまざまな妨害任務、タム・リス社の護衛任務。いずれもそれだけの金が動くし、また守秘義務がきついから噂にもならない。

 だから、意外に顔が広くて情報通のモリィであってもこの程度が限界であった。

 実のところギルドでは遠回しに断るようにほのめかしていたりもするのだが、それでも依頼を受ける人間は後を断たなかった。

 

「ここのところカル・リス社の妨害が激しく、現状普通の手段では安全にお届けできない可能性が大きいのです。

 ので、空を飛び回れて腕も立つと評判のみなさま方にこうしてお願いに上がったしだいでありまして・・・」

 

 格好からすれば大商会でそれなりの地位にありそうな男が、フリーランサーの冒険者であるヒョウエたちに対してあくまで低姿勢。

 ヒョウエたちが緑等級の実力者であり、飛行という特殊技能者であるのもあるが、それだけ切羽詰まっているというのもあるのだろう。

 

(後は、あちこちでばらまいてきた宣伝工作がようやく実を結びましたかね)

 

 モリィと出会った直後に山賊から助けた商隊、礼金の代わりにパーティ名を吹聴する事を頼んだ商隊長の人の良さそうな顔を思い出しながらヒョウエが頷いた。

 あれ以外にもヒョウエはちょこちょこ無償の人助けをしては、その代わりに自分やエブリンガーの事を他人に話すようにしていたのである。

 

「それで運ぶものは? むろん、仕事を引き受けない場合でも他言はしないことを誓いますよ」

 

 冒険者ギルドの鉄則の一つだ。

 これを軽んずるような人間は、どれだけ実力があっても青等級から上には行けない。

 場合によってはギルドからの懲戒・除名処分が下り、更にはなはだしき場合は「掃除屋」が送り込まれて秘密裏に処分されると、まことしやかに囁かれている。

 

(まあ眉唾でしょうけどね)

 

 一部からはその掃除屋ではないかと噂されてる少年は肩をすくめた。ひょっとしたら本当にいるのかも知れないが、少なくともヒョウエでないのは確実だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「むろんそれは承知しております。ましてや緑等級の方ともなれば。

 運んで頂くのはこの文箱です。明後日の正午までに、トラルの支店に。

 その後、宛先であるトラル公爵閣下の城まで護衛もお願いしたい。

 報酬は成功報酬がエイビス金貨で800枚、八万ダコック。明後日正午より早く商会支店に届けてくだされば、一時間ごとに二千ダコックを追加でお支払い致します」

「む・・・」

「何か?」

「いえ、何でも」

 

 ヒョウエは王族であるから、当然身分の高い人々には結構顔を知られている。

 まあ多分公爵本人が出てくることはないだろう、恐らくきっと多分メイビー。

 

「それでは今すぐ出立しようと思います。みなさん、いいですか?」

 

 三人娘が頷いたのを確認して、男に頷いてみせる。

 これまで無言でやりとりを見守っていた初老のギルド職員が、依頼受諾書とペンを差し出した。

 既にこれまでの条件と報酬、仕事内容などが書き込まれている。

 一瞥して頷くと、ヒョウエは仲間達にそれを差し出した。

 三人が再び頷いたのを確認して、ヒョウエは依頼受諾書にサインした。

 

 

 

「うっひょぉぉぉぉ!」

 

 空気を切り裂いてヒョウエの杖が飛ぶ。

 その上にはヒョウエ、モリィ、リアス、カスミのいつものメンバー。

 叫んでいるのはモリィだ。

 

「一時間早く着けば二千ダコック! 二時間早く着けば四千ダコック! 十時間なら二万ダコック、二日なら四万八千ダコック!

 このペースなら追加五万ダコックは固いぜ!」

 

 我が世の春が来た、と言わんばかりに満面笑みを浮かべるモリィ。

 リアスは苦笑し、カスミは微笑ましそうにそれを見守っている。

 

「まあ、僕向きの仕事ではありますね。早く飛べば飛ぶほど報酬が増えるのがいい」

 

 こちらは楽しそうにヒョウエ。元より金銭感覚が良くも悪くも壊れているというか、頭で理解はしていても実感の薄い少年である。

 報酬が入るという事もあるが、それ以上に力を使って役に立つのが楽しいのだろう。

 まあ、借金の額が実感できないレベルで巨大すぎるのもあるだろうが・・・

 

「ふんふんふーん・・・ん? おい、ヒョウエ」

 

 上機嫌で歌っていたモリィの鼻歌が途切れる。

 

「・・・!?」

 

 モリィが指さした先、地上の街道を見てヒョウエが目を見開いた。

 

「・・・え?」

「はい?」

 

 僅かに遅れて地上を見たリアスとカスミも絶句する。

 王国を東西に繋げる大街道。東のメットーから西のトラルに向けて伸びるそれの上を、徒歩や騎乗、馬車で移動する旅人たちに紛れて一人の男が走っていた。

 

 それだけならどうということはない。徒歩で走る飛脚か何かだろう。

 尋常でないのはそのスピードだ。

 

 ヒョウエたちの足下では景色が流れるように後方へ通り過ぎていく。

 しかしその男とヒョウエたちとの位置関係はほとんど変わっていない。

 亜音速で飛ぶヒョウエと同じ速度で地上を走っているのだ、その男は。

 

 秒速300メートル。

 時折すれ違い、あるいは追い抜かれる旅人たちも、ほとんどはその男の存在自体に気がついていない。

 すれ違った少し後に「うん?」と首をかしげるものがたまにいるくらいだ。

 

「くそ、もっとスピード出せヒョウエ! 走ってる奴に抜かれんじゃねえ!」

「と、言っても別に競争してるわけじゃないですしねえ・・・」

 

 そう言って再び下を見下ろした瞬間、目が合った。

 男――遠いしゴーグルをつけているので顔立ちはよくわからないが、恐らくはまだ若い。ヒョウエたちの方を見上げて鷹のような鋭い顔立ちにニヤリ、と愛嬌のある笑みを浮かべる。

 指を二本立ててシュッ、と振ると、男は一段階スピードを上げた。

 

「え・・・」

「うそだろ、おい?」

 

 男が、少しずつではあるが距離を離し始めた。

 呆然とそれを眺めるリアス達。

 

「おいヒョウエ・・・あ」

 

 リアスが見たのはヒョウエの少女のような顔に浮かぶ獰猛な野獣のような、それでいてひどく楽しそうな笑み。

 

(あかん、火が付いたなこれ)

 

 一瞬で諦めモードに入るモリィ。煽ったのをちょっと後悔するがもう遅い。

 

「みなさん、ちょっと腹に力を込めてて下さいね。飛ばしますよ」

「ヒョウエ様?!」

「ちょ、ちょっと待ってくださ」

 

 い、と言おうとした瞬間、周囲の念動障壁が恐ろしく強化されたのがカスミにもわかった。

 そして次の瞬間、ずん、と加速の衝撃が全身を貫く。

 

「 」

「ごっ・・・」

「っ」

 

 悲鳴すら上げることもできず、三人娘はヒョウエと共に音を置き去りにした。



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プロローグ「音速の騎士」その2

 高度500m。

 空の壁を切り裂き、異音を響かせてヒョウエたちが飛ぶ。

 魔力視覚を持つものが見れば、念動障壁が鋭角な刃の切っ先のような形に変形しているのが見て取れたろう。

 その強固で鋭い先端が空気を裂き、衝撃波(ショックウェーブ)と雷のような轟音、いわゆるソニックブームを引き起こしているのだ。

 ヒョウエたちが通り過ぎた後の地上では、旅人たちがメットーの方角を見上げて首をかしげている。

 

 音の壁を破ることによる轟音(ソニックブーム)はほとんど減衰せずにヒョウエたちの前方の地上に届く。

 しかし地上に届く頃には音の発生源、つまりヒョウエたちは超音速で上空を通過してしまっているので、音の聞こえた方に顔を向けても何もいないのだ。

 コンコルドなどの超音速機華やかなりし頃、洋上の船がしばしば謎の轟音を聞いたのもそれが理由である。

 

 それほどまでに早いヒョウエたち。

 真の龍でもなければ、恐らくはこの速度で飛ぶことはできないだろう。

 だが、だがしかし。

 

 そのヒョウエと競うものがいた。地上を音速を超えて走るゴーグルの男。

 いっときはヒョウエたちを突き放しかけたものの、今はその差がジリジリと縮まっている。

 

「しかし地上を超音速で移動すれば間違いなく衝撃波が発生するはずなんですけど普通に他の人たちとすれ違ってますね。何かからくりがあるんでしょうか」

 

 魔法か? それとも《加護》か? と独りごちるヒョウエに、後ろから応えるものがあった。

 頭を振り振り、意識をはっきりさせようとしているリアスだ。

 ちなみにカスミはまだ意識がもうろうとしており、モリィに至っては白目をむいて気絶している。

 

 一説によれば女性は男性より重力加速度に強いと言うが、それでも慣れてない人間にはきつかったらしい。

 カスミは小さいながら忍者の修行の過程で鍛えた肉体が、リアスはこの中で一番高い耐久力に加えて"白の甲冑"の肉体強化と保護の機能が守ってくれたのだろう。

 

「ヒョウエ様、しょうげきは?とはなんでしょう? スピードを上げたときのあれですか?」

「いえ、それとは違います。前にゲマイで『空気を切り裂く』という話をしたのを覚えてますか?」

「あー・・・ええとその」

「わからないならわからないでいいですよ。つまりあの時説明した事が今まさに起きているわけですが・・・そうですね、刀を振れば音がするでしょう」

「はい」

「達人がいい振りをしたときと、素人が無様な振りをしたときは、音が違うでしょう? 達人でも軽く振ったときと本気で振ったときでは、やはり音が違うでしょう」

「はい」

 

 リアスの声に僅かながら理解の色が混じった。

 

「今の僕たちは白の甲冑を着たリアスの最高の振りよりも更に早く空を飛んでいます。

 すると物凄い太刀風(たちかぜ)が起こるわけですよ」

「なるほどなるほど」

 

 太刀風、つまり剣を振ったときに起きる風である。

 いかな達人であれ、音速を超える太刀の振りは不可能だ。

 一説によれば達人の刀の振りが秒速18メートル、時速で64キロ。

 現在のヒョウエたちの速度はその二十倍を優に超える。

 およそ人間の届き得ない領域であろう・・・と言いたいところだが、この世界であればひょっとしたらいる、あるいはいたかも知れないとちょっと思う。

 

「魔法も奇跡も《加護》もありますからねえ」

「"始まりのサムライ"などはそれ位できてもおかしいとは思いませんわね」

「ですねー」

 

 何しろ巨竜を斬り、海を割ったと言われる伝説の男だ。

 単なる健康の力をほとんど不死身の領域にまで引き上げた『星の騎士』などもいるし、最初から戦闘用の強力な《加護》を鍛えに鍛え抜いたらそれ位できそうだと思わないでもない。

 

「まあともかく、その太刀風が衝撃波(ショックウェーブ)です。僕たちも周囲にばらまいてますけど、これは誰もいない空だからであって、鳥か何かが下手に近づいて来たら、暴れ牛にはねられる子犬みたいに吹っ飛ばされるはずですよ」

「でも、あの方はそうなっていませんわね」

「ええ。だからあれは単純に肉体を強化するんじゃなくて、何か速度自体を概念的に強化する術か《加護》なのではないかと」

「なるほど」

 

 何気なくリアスが前方を見た。白の甲冑の視覚強化機能が自動的に起動し、リアスが「あ」と声を漏らす。

 

「・・・ヒョウエ様、このままですと」

「ですね」

 

 僅かに残念そうにヒョウエが頷いた。

 その視線の先、数十キロほどのところにあるのは山。

 一番高いところで今のヒョウエたちのいるのと同じ、標高500m程度だがそれでもいくつかの山の連なりが十数キロにわたって続いている。ヒョウエたちはその上を飛んでいけるが地上を走る男は山道を走るか、大きく迂回するかしないといけない。

 そうなると速度はほぼ互角であるから、この「勝負」は自動的にヒョウエの勝ちと言うことになるだろう。

 

「まあしょうがありませんか。向こうは歩きでこっちは飛んでるんですし」

 

 自分を納得させるように呟いて、ヒョウエが少し高度を上げた。

 名残惜しそうに下を見る。

 

 数キロ先で大きく街道が曲がり、迂回して山あいを通る。

 後数秒でこの楽しいかけっこも終わり。

 

「・・・うん?」

 

 ゴーグルの男が減速しない。

 このままでは山肌に激突する。あるいは・・・。

 

「まさか、山を駆けのぼるつもりですの? 森を突っ切って?!」

「いや、これは・・・!」

 

 ヒョウエの声と同時に、男が飛んだ。

 いや、飛行ではない。跳躍だ。

 だがそれでもヒョウエたちと並行しつつ、ぐんぐんと恐ろしい勢いで高度を上げる。

 山の頂上の更に上、高度600m。

 30mほどの距離を隔てて男とヒョウエたちが並んだ。

 

 にやり、と男が笑う。

 にやり、とヒョウエが笑い返す。

 そこからゆっくりと男が高度を落としていく。

 

 もちろんほとんど同じ速度で併走しているからの錯覚であって、実際には超音速からの高さ600mに達する超絶の跳躍。

 低いとは言え山をひとっ飛びで跳びこえたそれの跳躍距離は、恐らく数キロに達しているのではなかろうか。

 何事も無く、男は街道から外れた草原に着地した。そしてすぐに街道に戻る。

 その間ほとんどスピードは落ちていない。

 

 かけっこが再開された。

 

 

 

 「ゴール」であるトラル・シティの城門が見えてきた。

 門前には入市審査待ちの人々の列。

 このころにはモリィやカスミも目を覚まして、レースの行方を注視している。

 門まで後十数キロ。

 

「うおおおおおおおおおおおお!」

 

 ヒョウエが吼える。

 全身を駆け巡る魔力をありったけ念動の術に回し、術式を駆動させる。

 膨大な魔力をくべられた術式が周囲の魔素(マナ)を喰らい、主と共に常人には聞こえない魔力の排気音を轟かせる。

 

 下を見ればゴーグルの男も歯を食いしばり、全力を最後の十キロに叩き込んでいる。

 流れる汗。必死の表情。両手は風車のように回り、足の先端は最早影すら見えない。

 ただ街道を蹴立てる土ぼこりだけがその存在を主張していた。

 

 最後のデッドヒート。

 決着は、ゴールするその瞬間までわからない。

 

 トラル城門前。

 その最後尾に並んでいた、行商人とおぼしき男がふと振り返る。

 遠くに誰かいる。そう思った瞬間、目の前に一人の男と、おとぎ話に出てくるような、ほうきにまたがった魔女が現れた。

 同時に突風がぶわっと吹き付け、行商人は思わず腰を抜かしてしまった。

 

「ああ、すいません。大丈夫ですか」

「おう、悪いなおっちゃん。大丈夫か?」

 

 杖を降りた魔女(よく見ればほうきではなかった)と旅人らしいゴーグルをつけた男が同時に心配そうな言葉をかけてくる。

 行商人はコクコク頷いて、ゴーグルの男に引っ張って貰い立ち上がる。

 結局ヒョウエが男であることに彼は気付かなかった(後ろに美少女三人が並んでいるのには気付いた)。

 

 転んだ行商人が立ち上がって向こうを向いたのを機に、ヒョウエとゴーグルの男は二人揃って大きく息をつく。

 

「引き分けかな」

「ですね」

 

 彼らは数百メートル前まで全力で飛んで(走って)、最後尾の行商人の丁度1m手前でぴたりと止まって見せた。

 毛先一本、鼻半分くらいの差はついていたかもしれないが、だとしても二人ともそれで勝利を宣言する気にはなれなかった。

 ただただ、競い合ったこと自体がすがすがしかった。

 

「いやあ、俺と競争できる奴なんて初めてお目にかかったぜ」

「僕もですよ」

 

 手を握り合い、健闘をたたえ合う。

 

「友は喜びを二倍に、悲しみを半分にしてくれるというが、してみると俺達は既に友だな!」

「ですね!」

 

 はっはっはと笑い合う男とヒョウエ。モリィ達が苦笑しながら肩をすくめていた。

 

「あ、お先にどうぞ。こっちは四人で時間がかかりますので」

「悪いね」

 

 男がゴーグルを首に下ろして、にへら、と笑った。

 短く刈り込んだ髪に鋭い顔立ち、愛嬌のある目つき。こうして顔を崩すと中々茶目っ気がある。長身で、ひょろりとしているが体は引き締まっていた。

 

「俺はゴード。音速騎士のゴード・ソニックって知らないかい?」

「ああ、トラルの緑等級ですね。僕はヒョウエです」

「そっちは"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"か。知っててくれたとは光栄だね」

 

 にこやかに話す野郎二人。"大魔術師(ウィザード)"は人によっては揶揄のニュアンスがある言葉だが、この男は普通にほめ言葉として使っているらしい。

 やがて入市審査も滞りなく終わり、ゴードとは城門の前で別れた。

 再び空を飛んでタム・リス社の支店に向かう途中、モリィが溜息をついた。

 

「変な奴だったなあ・・・腕は立ちそうだけどよ」

「ですわね。フラフラしているように見えて隙はありませんでしたわ」

 

 リアスが同調する。

 

「聞いての通りの緑等級ですが、運び屋みたいな事もやってるのでちょっと有名ですよ。目の玉の飛び出るような額を要求するそうですが」

「らしいな・・・なあヒョウエ」

「運び屋は却下です」

「ちぇーっ」

 

 ふてくされるモリィに三人とも苦笑。

 

「でも、気持ちの良い方でしたね」

「ですね。まあまたどこかで会うこともあるでしょう」

 

 ヒョウエがそう言ったその数分後。

 

「あれ?」

「おや?」

 

 領主の城の門前で、ヒョウエとゴードは盛り上がりもへったくれもなく、あっさりと再会した。

 




この人、アメコミその他でよくある「もの凄いスピードで走れるキャラ」モチーフではあるのですが、直接の元ネタはトーグというTRPGで筆者が使ってたスーパーヒーローPCです。

超高速走行と超跳躍能力持ちの音速の騎士「ソニックナイト」というキャラ。
名前はちょっと前に映画をやってた光速ランナーヒーロー・フラッシュ→フラッシュ・ゴードン(フラッシュだけかぶってるけど基本関係ない別人)→音速なので格下げしてソニック・ゴードンという流れ。
本人は音速の騎士だけど師匠の「フラッシュナイト」は光速で走れる、たぶん(ぉ

昔TRPGのサイトで同コンセプトのキャラ見た事があるので、多分日本で十人くらいは似たようなキャラ作ってるw
まあ戦闘力は普通の剣士より強いという程度でしたけどw


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第一章「チキチキマシン猛レース」
08-01 企業は闘争を求める


「仕事はスピードが命」 

 

     ――詠み人知らず――

 

 

 

「む・・・」

「ぬ!」

 

 トラル・シティの領主、トラル公爵アケドクフの城の門前。

 にらみ合っているのはヒョウエたちではない。

 ヒョウエたちと同行してきたタム・リス社のヒゲの支店長と、ゴードと同行している切れ目のハンサムな若い男である。

 

「あ~~~」

 

 ゴードが戸惑いの表情でヒョウエたちを指さす。

 トンボに目を回させるときのように、くるくると回る人差し指。

 

「ひょっとしてあれか、タム・リス社の?」

「そう言うそちらはカル・リスの」

「「あちゃあ」」

 

 ゴードとヒョウエがそろって顔を手で覆った。

 

「ええ・・・」

 

 声を上げたのはリアス。

 言うべき言葉が見つからないらしい。

 

「あ、もしかしたらですけど、タム・リス社が捕まえ損ねた人材ってゴードさんのことですか?」

「そうかもしれねえなあ。タム・リスから依頼は来たけどカル・リスの方が早かったんでね。世の中何よりもスピードが大事さ。特にビジネスはな」

 

 わはは、と笑うゴード。

 ヒョウエとしては肩をすくめるしかない。

 

「タム・リス社支店長ベアード! カル・リス社支店長ハイド! 入られませい!」

「おっと」

 

 門番が二人の名前を呼び、ヒョウエたちは前に向き直った。

 

「む」

「ぬ」

 

 同時に中に入ろうとして、両者の支社長がにらみ合った。

 まずタム・リスのヒゲの支社長が足早に前に出た。カル・リスの切れ目の支店長が足を速めてそれを追い越す。

 更にヒゲ支社長が前に出て、切れ目支社長がまた更に追い越す。

 互いにほとんど走っているのに近い早足になるのに、そう時間はかからなかった。

 

「・・・」

「・・・・・」

「・・・・・・・」

 

 その様をヒョウエたちとゴード、そして門の衛兵たちが呆れた顔で見ている。

 

「仕事にスピードが必要ってこう言う事ですかね?」

「多分違うんじゃねえかな・・・」

 

 ヒョウエとゴードは顔を見合わせて溜息をつくと、足早にその後を追う。

 同じく溜息をつきつつ、三人娘もそれに続いた。

 

 

 

 走っていないだけで全力で歩く、期せずして競歩のような状況になっている二人の支社長。

 互いに必死で相手より速く歩こうとしているが、若いハイドのほうが有利に見えてベアードも鍛えているのか年の割に足が速い。

 大廊下を足早に歩いてデッドヒートを演じる二人を家臣や使用人たちがいぶかしげに、あるいは目を丸くして見ていた。

 

 一方でその後ろを歩く五人は涼しい顔でそれについていっている。身長140センチほどのカスミもだ。

 モンスターと戦い、その生命力=魔力を浴びて常人とは隔絶した能力を持つ冒険者ならではだろう。

 

 両支店長のレースは大廊下の突き当たり、謁見の間に通じる大扉で終わった。

 大扉の手前3mほどで立ち止まり、肩で息をしている二人。

 その間にも相手を睨み付けることは忘れない。

 扉を守る衛兵たちが「何をやってるんだこいつら」という、露骨に呆れた顔で二人を見ていた。

 

「さて」

「!?」

 

 支社長二人がようやく息を整え、表向きは冷静に用向きを告げる。

 その後ろでヒョウエが帽子をとり胸に当てると、三人娘とゴードが目を丸くした。

 

「・・・」

 

 ヒョウエが片目をつぶり、口元に指を当てる。

 その顔立ちが別人のものになっていた。

 髪は変わっていないし輪郭もほぼ同じだが、受ける印象はまるで違う。

 少女のような優しげな顔は僅かに頬のこけた精悍な顔になり、眉や目つきもその様な印象を与えるものになっている。

 遠目に見ればそれほどは変わらないが、ヒョウエをよく知っている人間ほど別人のように見えるに違いない。

 

「あー」

 

 モリィがぽん、と手を叩き、お面をつけるようなジェスチャーをする。

 

「正解」

 

 ヒョウエが再び片目をつぶった。

 

 今ヒョウエが使ったのは幻影の術である。

 顔全体を覆うくらいの幻影を作り、そこに偽の顔を生み出したのだ。

 強力な《目の加護》を持つモリィ以外には全く見破れないあたりは、ヒョウエの桁外れに高い術力と技量の賜物であろう。

 どうやらアケドクフ公爵本人に「お目通り」することになるようなのでその予防措置だ。

 

(まあ城に入る前にやっておけばよかったとは思いますけど)

 

 公爵のことばかり考えていたが、考えてみれば使用人や家臣の中にもヒョウエの顔を見知っているものは少なくないはずなのだ。

 王族というのもあるが何せヒョウエは目立つ。母譲りの美貌に普通の子供とは明らかに違う物腰。前世の記憶を持つ転生者故の落ち着いた雰囲気が幼少からその美貌を際だたせていた。本人に自覚はなかったが、周囲の人間にしょっちゅう言われていれば流石に気付く。

 

 ともかく一番最近でも四、五年前のことではあるはずだが、今のヒョウエを見て当時の彼を思い出すものは少なくないだろう。

 念には念を入れておくに越したことはない。

 興味深げに見下ろしてくるゴードの視線を受け流しつつ、ヒョウエは扉が開くのを注視した。

 

 

 

 アケドクフ公爵の謁見の間。

 縦横10mほど。メットー王城のそれに準じた作りで、豪華さは近い物があるが流石に規模は大分小さい。

 奥の椅子に公爵が座り、その横に家令。左右にずらりと衛兵が並んでいる。

 家令の顔にも見覚えはあったが変装が効果を発揮しているのか、二人ともヒョウエに気付いた様子はなかった。

 

「タム・リス社トラル支社長、ベアード! カル・リス社トラル支社長ハイド! まかりこしてございます!」

 

 典礼官の名前を読み上げる声が響く中、支社長二人が絨毯の上に進み出る。扉前までの醜態はどこへやら、公爵の前ではさすがに大商会の幹部にふさわしい立ち居振る舞いだ。

 その後に続くヒョウエたち四人とゴード。

 だがヒョウエとリアス、カスミの顔には僅かな疑問が浮かんでいる。

 

(本来こう言う場面で中に入れるのは支社長お二人だけで、その従者に相当する僕たちは扉の外で待つのが普通なんですけどね)

 

 リアスとカスミも僅かに頷く。

 預かった文箱をヒゲの支社長に渡してそのまま外で待つのかと思いきや、文箱を持ったままついてこいと言われた時には首をかしげたが、雇い主の命令であり周囲の衛兵や典礼官も止める様子がないのでそのまま付き従った。

 

(条件からして何かあるかもとは思いましたけど)

 

 とは言え、タム・リス社がカル・リス社からの激しい妨害工作を受けているのが事の発端である。公城までの護衛ならまだありえるかなとは思っていたのだが・・・

 

「両名、文箱をこれに」

 

 公爵の脇に控える家令が声をかける。

 

「「はっ」」

 

 ベアードとハイドがヒョウエとゴードにそれぞれ視線を送る。

 それぞれ頷いてかばんから文箱を出し、貴人に対する礼に従って捧げ持ち、前に出る。

 意外なことにゴードの作法も堂に入ったものであった。

 

(元貴族かな。それとも高位冒険者だから必要に迫られて身につけたか)

 

 その様な事を考えている内に公爵の脇に控えていた家令が二人から文箱を受け取り、中身をあらためてから主人に差し出す。

 受け取ったそれを見て公爵が満足そうに頷く。

 

「うむ、両社共に間違いない。まさかこれほど早く届けてくるとは思わなかったが。

 ベアード、ハイド。双方褒めて取らすぞ」

「ははっ! 恐悦至極に存じます」

「勿体ないお言葉にて」

 

 支社長二人が卒なく一礼する。

 恐らく二人とも平民出身だろうが、お辞儀をする姿はその辺の貴族よりよほど堂に入っていた。

 ベアードが顔を上げ、公爵の顔を見る。

 

「それでは・・・?」

「うむ」

 

 笑みを浮かべて頷くアケドクフ公。

 

「かねてからの約束通り、レースの勝敗をもって決着をつけようではないか!」

「「ははぁっ!」」

 

 再び、支社長二人が頭を下げる。

 

「「レース?」」

 

 ヒョウエとゴード、二人の声がハモる。

 礼儀正しく顔を伏せたまま、何とはなしに二人は互いの顔を見合わせた。




書いてて気付いたけど末尾に「ド」の付く名前多いなw


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08-02 タム・リスとカル・リス

 

 

「詳しいことは後日決めるとしよう。大儀であった!」

 

 そう言われて退出を促された一同は、謁見の間を出て大廊下を歩いていた。

 行きとは違い、今度はベアードもゴードも普通に歩いている。

 互いに時々睨み付けながらではあったが。

 

 その後ろを何となく並んで歩いているヒョウエたちとゴード。

 五人とも今聞いた話の意味を考えている。

 

「妙なことになりましたねえ」

「ほんとだよ。まあ依頼受けたら変な事になってたから逃げた事も結構あるけどさあ」

「ゴードさんって後先考えず依頼を受けてトラブルに巻き込まれるタイプじゃありません?」

「そんなことないよー、ほんとほんと。ただ単に時々運が悪いだけだってばさあ」

 

 本気で言っているのかどうなのか、にこにこと両手を広げて本当です!アピールをするゴード。

 

「どうせ依頼が張り出されたら最初に気に入った依頼を一枚取ってそのまま受諾書にサインしてるんじゃないですか? 『スピードが命!』とか言って」

「な、何故わかった!?」

 

 本気でショックを受けた顔のゴードに、はあと溜息をつく。

 

「確かに早いのうまいの安いのは良いことですけど、少しは考える時間もおきましょうよ。ギルドが一応審査してるとは言っても、結構裏のある依頼って多いんですから」

「壁に残った依頼を全部さらって、しょっちゅう裏のある依頼を掴まされているお前が言うと説得力があるな?」

「うっ」

 

 にひひひ、とモリィが笑みを浮かべてヒョウエの頬をちょんちょんとつつく。

 顔は頬のこけた精悍な幻影のそれのままだが、顔自体を変えているわけではないので、指先から伝わってくる感触がふにふにしていて気持ちいい。

 リアスが自分もつつくべきか真剣に思案しているのを見て、カスミが溜息をついた。

 

 そんなこんなをしているうちにエントランスを通って門をくぐり、跳ね橋を渡る。

 門を出た瞬間ヒョウエが自分の顔をつるりと撫でると、幻影で覆われていたそれが元の顔に戻っていた。

 

 跳ね橋を渡り、門衛が両脇に並んだ場所を越えて城の敷地の外に出る。

 支店長二人が最後ににらみ合った後、別々の方向へ歩き出す。

 

「冒険者の方々、こちらについてきて頂きたい」

「ミスタ・ゴード。事務所で次の仕事の話を」

「お二方、ちょいとお待ちを」

 

 そこで声をかけたのはゴードだった。

 

「む」

「なんだね。この場でなければいけないことかな」

 

 やや不快そうに声を上げたのは、カル・リス社のハイド支社長。

 今回の依頼におけるゴードの雇い主にあたる人物だ。

 

「ああ。この場で聞いておかなきゃいけないな」

 

 ヒョウエとのかけっこの最中や無駄話をしている間のそれとは違う、今までにない硬い表情。

 支社長二人もやや居住まいを正す。それを見ながらゴードが言葉を継いだ。

 

「今回の事、俺は『急ぎの運搬依頼』としか聞いてねえ。聞いてみればこっちの毎日戦隊エブリンガーの皆さんもそうだっていうじゃないか」

「毎日戦隊エブリンガー? は、はははは! 何かねそのセンスのない(パーティ)名は?」

「まじめな話だぜ、ハイドさんよ」

「・・・」

 

 硬い表情を崩さないゴードに、ハイドも笑いを収める。

 三人娘もだ。普段ぐちぐち文句を言うモリィでさえ、本気で睨み付けているのだから何をか言わんやである。

 肝心のヒョウエはにこにこ笑っているが、これはもちろん気にしていないわけではない。

 内心でこの男をブラックリストに入れている。

 笑みとは本来攻撃的な(ry

 

「で? 聞いていればどうもおたくら二社でレースをするみたいじゃねえか」

「まだ未定の話だったものでね。もちろんここからは新しい依頼になるし、相応の依頼料も支払おう。改めて冒険者ギルドを介してもいい」

「別に受けるのが嫌だって話じゃねえよ。ただレースなら競い合いってことになるだろう。俺はな、妨害行為のある競争ってのは好きじゃねえ」

 

 じろり、とハイドを睨むゴード。

 睨まれた支社長はにこやかな笑顔を作る。

 

「まさか。変な噂を聞いているようだが、我が社はそんな事はしないよ。むしろそちらのタム・リス社の方を疑うべきじゃないかな」

 

 ベアードの方をチラリ。

 

(嘘っぱちだな)

(でしょうね)

 

 モリィが囁き、ヒョウエが頷いた。

 彼女の《目の加護》は表情から相手の内心を読み取ることができる。

 ヒョウエの目から見てもハイドはかなりうまく隠していたが、それでも彼女の目をごまかせるほどではなかった。

 そして、ゴードが何かを言う前にベアードの方が爆発した。

 

「ふざけるな! 我が社のノウハウを盗んで独立して以来、陰に日向に妨害工作を仕掛けてきているのはそちらだろうが! 先月もラキ伯爵領への薬の輸送を妨害しおって!

 他の品ならまだしも薬だぞ! 人の命がかかっているんだぞ!」

「おやおや、言いがかりをつけられては困りますね、ベアード支社長。我が社が妨害工作をしたという証拠でもあるんですか? 

 あるならば、恐れながらとお上に訴えればよろしいではありませんか。

 そうでないなら、根拠のない噂を垂れ流すのはやめて頂きたいですね」

「ぬぬぬぬ・・・!」

 

 顔を真っ赤にするベアードだが、うまい反論が思いつかない。

 ふん、とハイドがあざけるような笑みを浮かべる。

 

「待ちなよ。まだ俺の疑問に答えて貰ってないぜ。向こうへの妨害行為はするのか、どうか」

 

 厳しい顔のまま言葉をぶつけるゴードに、営業スマイルを貼り付けながらハイドが答える。 

 

「もちろんしないとも。我が社は正々堂々と戦って相手を打ち負かすのだ」

「けっこう。それを守るなら俺はあんたらと契約してやるよ。ただし」

「ただし?」

 

 鋭い目でハイドを見下ろすゴード。

 

「約束を守らなかったら全部チャラだ。そいつは覚えておくんだな」

「かまいませんとも。それでは失礼、ベアード支社長と妙な名前の冒険者諸君。

 正々堂々と雌雄を決しようじゃありませんか」

「ふん! 何が正々堂々なものか! そこの君も注意するんだな! 勝つためだったら君にだって一服盛りかねない奴らだぞ!」

 

 ヒゲの支社長の捨て台詞を切れ目の支社長が鼻で笑い、去っていく。

 長身の緑等級冒険者は肩をすくめた後、にやりと笑みを浮かべて最初の時のように指を二本、シュッと振る。

 ヒョウエもにやりと笑い返すと、気持ちよさそうに高笑いしながら去っていった。

 リアスが溜息をつく。

 

「本当に気持ちのいい方ですわね・・・嫌な思いをなさらなければよろしいのですが」

 

 ベアードが頷く。

 

「まったくだよ。奴の言う通り明白な証拠がないから正式に訴え出ることはできないが、下っ端や野盗を雇っての妨害工作や、法に触れない範囲での嫌がらせがここ数年日常茶飯事だ。

 多分今回も仕掛けてくるだろう。まっすぐな青年だし、余り嫌な物を見せたくはないな・・・君たちと彼が正々堂々勝負できればいいんだが」

 

 憂鬱そうな顔のベアード。ヒョウエが敢えて軽く振る舞ってみせる。

 

「おや、僕たちが依頼を受けるといつ言いました? 僕たちだって話によっては依頼をお断りするかも知れませんよ? もちろん、話自体も今回の報酬を全額頂いてからですけどね。

 早く届けたことの追加報酬もお忘れなく」

 

 笑みを浮かべて片目をつぶる。

 ベアードは一瞬きょとんとして、それから破顔した。

 

「は、ははははははははははは! それはもっともだな! 取りあえずもうすぐ昼時だ。そのへんは飯を食いながら話そうじゃないか。もちろん私のおごりだ!」

「ヒャッホウ! 太っ腹だねえ、おっちゃん!」

 

 指をパチンと鳴らしたのはモリィ。

 にっこりと念を押すのはヒョウエ。

 

「おいしい店でしょうね?」

「もちろんだとも、とっときのを教えるよ」

 

 そう言ってやや腹の出た中年商人は不器用にウィンクした。



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08-03 冒険者族の酒場

 ベアード支社長が連れて行ってくれた店は実際美味だった。

 舌の肥えたヒョウエと貴族であるリアスが唸っているのだから相当だ。

 モリィも夢中で料理を腹に詰め込んでいる。

 その割に店の内装は素朴で、客層もさほど裕福そうではない平民が大半だ。

 

「うまいだろう。私が知る限りここにまさる料理屋はトラルにないよ」

「この味で、よくもこの値段で提供できるものですね?」

 

 カスミが不思議そうにテーブルの上の皿を見渡す。

 竜田揚げ(のようなもの)、ミートボールスパゲッティ(のようなもの)、回鍋肉(のようなもの)、シーザーサラダ(のようなもの)・・・エトセトラエトセトラ。

 どれもこれも手が込んでいて、そのへんの酒場で出せるようなものではない。

 

「これ、ニホンの・・・正確にはニホンに伝わった色々な国の料理が元ですよ。多分冒険者族の店なんでしょうね」

「うわはははは、先祖伝来の秘伝の味と言う奴じゃな!」

 

 ヒョウエたちの会話に混ざってきたのは女将だった。山盛りの皿を沢山乗せた盆を軽々と抱え、手際よくテーブルに置いていく。

 小柄で細身の少女で、赤い服に黒いエプロン、腰まであるストレートロングのきれいな黒髪。

 黙っていれば清楚な美少女に見えるし、声も十分にかわいいのだが、やたらワイルドな表情と物言いがそんな印象を完璧に打ち消している。

 興味深そうにヒョウエが身を乗り出した。

 

「冒険者族の方ですか」

「うむ、10代前の先祖がここに店を開いてな! その後も代々ここで飯屋をやって来たんじゃよ!」

「その割には随分とニホンの血が濃いですね」

 

 顔立ちも髪質もほぼ日本人で通る女将をヒョウエが興味深そうに見る。

 

「ははは、その後も三人ほどオリジナル冒険者がやって来ては婿入りしたり嫁入りしたりしてのう!

 やはり人間胃袋を掴まれると弱いと見える!」

「ですね」

 

 うんうんと極めて真剣な顔で頷くヒョウエを、今度は女将がしげしげと見た。

 

「なんです?」

「お主も冒険者族じゃよな? それもかなり血の濃い。ひょっとしてオリジナルかの?」

「ええまあ一応」

 

 周囲がざわめき、視線が集中する。

 冒険者族自体は決して稀な存在ではないが、オリジナルとなるとこれはもう稀少の上にも稀少の、もう一つ上に稀少がつくし、多くのオリジナル冒険者族が桁外れの力を持っているのはよく知られたところだ。

 何しろその筆頭が海を割り巨大な魔獣を斬り伏せた「最初のサムライ」なのだ。

 いろいろと尾ひれも付いているだろうが一般人の認識は推して知るべしである。

 その様な周囲の反応を意にも介さず、女将が機嫌良く高笑いする。

 

「そうかそうか! それでものは相談なんじゃがの、お主うちに婿にこんか? とびきりの手料理を毎日食わせてやるぞ!」

 

 ヒョウエと本人を除く、酒場にいた全員が吹き出した。

 

「ななななな、何言ってやがんだてめえ!?」

「そうですわ! その、踏むべき手順というものがあるでしょう!」

「え、あの、そのですね」

 

 顔を赤くして食ってかかるモリィ、同じく顔を赤くしながら否定するリアス、同様に赤面しながらモゴモゴと何か言っているカスミ。

 それらを見て女将が再び破顔する。

 

「うはははは、お主モテるんじゃのう! ますます欲しくなったわ! どうじゃ、そいつらも愛人って事でよいからまとめてうちにこんか?

 わしも見ての通り、ぴっちぴちの娘盛りじゃぞ!」

「うわぁ」

 

 流石に引いたのか、ベアードが顔をひきつらせてうめく。

 どうしたものかとヒョウエが考えていると、厨房の方から声がかかった。

 

「女将、揚げ物スペシャル盛り合わせ上がりましたよ。遊んでないでちゃっちゃと運んじゃって下さい。

 それから少年、騙されちゃいけませんよ。女将は若く見えますけどこれで三十間近ですからね。とんだ若作りババァですよ。

 性格も根性のひん曲がったサディストですし、何かあると変な踊りを踊ったり、タンスをカタナで押し切ろうとする変態ですし、信じて結婚なんかしようものなら一生後悔すること請け合いですよ」

 

 カウンターから顔を出し、ジト目で女将に冷たい視線をくれるのはハイティーンに見える少女。髪は金髪だがこちらも冒険者族に近い顔立ちをしており、あさぎ色と白のエプロンを着けている。

 

「貴様ぁ! 行き倒れて道ばたに転がってたへっぽこ食い詰め剣士を拾ってやったのは誰だと思ってるんじゃあ! 後縁起が悪いから最近アツモリは歌っておらんわい!」

「そっちこそ料理ができる弟さんとケンカして店が潰れる寸前だったのを、ヘルプで厨房に入って救って上げたのは誰だと思ってるんですか!」

 

 ぎゃあぎゃあと始まるみにくい口ゲンカ。

 ベアードを含めて、ヒョウエたち四人以外の店内は爆笑の渦。

 誰も止めないし文句も言わないところを見るに、毎度恒例らしい。

 注文したらしい客がそつなくスペシャル盛り合わせの皿を自分のテーブルに回収していく。

 

「・・・どうする?」

「冷めないうちに料理を頂きましょう。僕たちはご飯を食べに来たんですから」

「それが賢明だな」

 

 笑いながらベアードが大皿から手元の皿にミートボールスパゲッティを山盛りに盛った。

 

 

 

 結局女将と調理担当のケンカは周囲の笑いを誘いながら30分ほど続いた。

 新しく店に入ってきた客もUターンせずにテーブルに座ってはやし立てるわ、手慣れた客が勝手に酒やつまみを持ち出して女将たちをサカナに酒盛りを始めるわ、やりたい放題である。

 

「さて」

 

 テーブルの上の料理を全部片付けたところでベアードが切り出した。

 

「あ、ちょっと待って下さい。デザート持ってきますから」

「デザートって・・・肝心の料理人があれだぞ?」

 

 モリィの指さす先の床には、女将と料理人がクロスカウンター相打ちからのダブルノックアウトで沈んでいた。

 

ホワイトボール・アン・ミツ(白玉あんみつ)でしょ? 材料さえあれば簡単ですよ。こっちじゃ滅多に食べられるものじゃありませんし、折角ですから作ってきます」

「場所がわかんねえだろ・・・ああ、行っちまった」

 

 そのまますたすたと、女将たちを乗り越えて調理場に入っていってしまう。

 調理場の入り口のところで調理棚に手を突く。

 

「"即時探索(インスタント・サーチ)"」

 

 突いた手を中心として知覚の術式が厨房中を駆け巡った。

 調理道具や食材の置き場所、床下の酒の倉庫、高かったであろう魔道具の冷蔵庫の中身、洗い場の下水へ通じるパイプ・・・そんな物のビジョンがヒョウエの脳裏に次々と映し出される。

 一通り厨房を探査し終え、ビジョンを脳内で整理するとヒョウエは動き出した。

 ちゃっちゃと、熟練の料理人のように無駄のない動きで材料と皿を取り出し、白玉あんみつを五人分、さっと作って盛りつける。カウンターから覗き込んでいた物見高い客が思わず拍手。

 

「み・・・見事じゃ・・・やはりそなたこそはわしと縁を結び、この店を継ぐべきもの・・・」

「あ、復活した」

 

 よろよろと立ち上がったのは黒髪の(見かけは)美少女女将。

 後ろでは金髪の料理人の方もフラフラと身を起こしている。

 

「今のを見て確信したぞ! 初めて入った厨房でまるで熟練の料理人かのような動き!

 そなた、わしの嫁になれい! そしてわしに毎日うまいミソスープを作ってくれ!」

「お前が作ってもらうほうかよっ!」

「いいから俺達の注文を作れっ!」

 

 客席から飛んできた皿が後頭部に直撃し、再び女将は床に沈んだ。

 

 

 

「さて、じゃあデザートを頂きながらお話を伺うとしましょうか」

「う、うむ」

 

 後頭部にたんこぶを作って床に沈んだ女将と、同じくたんこぶを作り、泣きながら鉄鍋を振る料理人にちらちらと視線を送りながらベアードが頷いた。

 息をつき、気を取りなおす。

 

「まあ・・・君らも何となく状況はわかっているのではないかと思う。

 つまるところだな、我が社とカル・リス社のいさかいが――敢えてそう言うが――事の発端なのだ」

「それで見かねたアケドクフ閣下が仲裁に入って、レースで決着をつけることにしたと」

「簡潔なまとめありがとう。今回君たちに頼んだ仕事はその前段階・・・レースが成立するかというテストだったわけだ」

「なるほどねえ」

 

 モリィが頷き、ヒョウエとリアス、カスミもそれぞれに頷いた。

 

「それで、改めて本戦であるレースへの参加を依頼したいのだが・・・どうだろう?」

「そこのところ割と今更なんですけど、社員じゃない僕たちが参加してもいいんですか?」

「まあ私もそう思うが・・・はっきりとではないが許可すると言われてね」

 

 ベアードが苦笑する。

 

「ですか」

 

 生暖かい笑みを浮かべて、ヒョウエが肩をすくめた。

 

「で、どうかな。報酬は五十万ダコックを提示したいが」

 

 ヒュウ、とモリィが口笛。カスミも珍しく目を丸くしている。

 一方でヒョウエとリアスの二人は冷静だ。お坊ちゃまお嬢様なので金額がどれくらい凄いか余り実感が湧かないともいう。

 

「僕は文句はありません・・・それに、受けなかったら多分ゴードさんをガッカリさせることになりますからね」

 

 ニヤリと笑みを浮かべてヒョウエ。

 モリィが笑みを浮かべて肩をすくめ、リアスとカスミは笑みを交わしあう。

 

「そう言う事でしたら、私どもから申し上げることはありませんわ。今回の主体はヒョウエ様ですし。ねえ、カスミ?」

「はい、お嬢様」

「どうせお前がやる気だし、やめろって言ってもやめる気ないだろ。思いっきり飛んで来い。そしてあたしの懐を温かくしてくれ」

 

 にひひと、少々意地の悪い激励をするモリィ。

 ヒョウエは苦笑して、ベアードに頷いてみせた。




異世界居酒屋ノッブ・・・なんちて(ぉ


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08-04 マルガム横断ウルトラレース

「えー、ダズン村のライズマン村長からの貴族の別荘に立てこもったゴブリンロードの抹殺依頼、

 エーウォール駐屯部隊のゲンダー中隊長からの人質奪還依頼、

 ツェット・ベーファオ(Z  v  b)村のアッシュ村長からロングコートを着た"首無し騎士(デュラハン)"の討伐依頼、

 "自殺(スーサイド)"通りの女ピエロのような幽霊の対処依頼、

 キッパー商会からの娼婦心中事件の調査依頼、

 国境のエニウェア村のサモンジ頭領からの謎の武装集団の侵入事件調査、

 以上毎日戦隊エブリンガーさんが受諾でよろしいでしょうか?」

「はい、結構です」

「ではこちらにサインをお願いしますね」

「はい」

 

 カリカリと小気味よい音を立てて、羽根ペンで受諾書に署名する。

 毎度のこととて山のような依頼。

 毎日戦隊エブリンガーという吹き出してしまうような名前にも、最早慣れたものだ――何となれば、ギルドの受付嬢たちはプロ中のプロであるのだから。

 そんな所で評価されたくないと、本人たちは言うかも知れないが。

 書類を点検して頷くと、受付嬢がふと思い出したように言った。

 

「そうそう、これはあくまで噂ですけど、近々ヒョウエさんが黒等級、他の皆さんが緑等級に昇格するかも・・・ということです」

「マジか!?」

「噂ですよ。あくまで噂です」

 

 形相を変えて食いつくモリィに、笑顔の鉄面皮で応じる受付嬢。

 

(それこそ噂では聞いてましたけど)

 

 ギルドが冒険者を緑等級以上に昇級させる場合、事前に噂の形で本人に伝えることがある。

 話を聞いてどう反応するかというテストでもあり、「上位冒険者に昇格するんだから身を慎めよ? お前の一挙手一投足にギルドの体面がかかる立場になるんだからな? わかってるな? フリじゃないぞ?」という暗黙のメッセージでもあるわけだ。

 

「まあこの前のレスタラ事変で黒等級が一人、緑等級が十人ほど戦死したり引退したりしましたからね。

 ギルドとしても新しい戦力を育成するのは急務でしょう」

「あー・・・」

「・・・」

 

 はしゃいでいたモリィの表情が暗くなる。

 受付嬢も無言で俯いた。

 空気を変えようとヒョウエが別の話題を振る。

 

「しかし僕が黒等級ですか? そこまで活躍した自覚はありませんでしたが・・・あ、ひょっとしてズールーフの森から何か?」

「いやいやいやいや」

 

 受付嬢が思わず素に戻って、真顔で手を振る。

 

「レスタラ事変の際にゴブリン数千匹を撃退・・・いえ、撃滅されたじゃありませんか」

「あ」

 

 本気で忘れていた、という顔のヒョウエ。

 

「あ、ってなんですか、あ、って」

「いやまあその・・・」

 

(実際はそんなものいませんでしたからねえ・・・ばれたら虚偽報告扱いになるよなあ、これ)

 

 レスタラ事変の際にレスタラが利用した天空からの使者、遥か宇宙の彼方から飛来した1kmを越える巨大隕石。

 まともに落着したらディテク王国の半分がクレーターになり、周辺の人間は全滅、氷河期が始まってもおかしくなかった代物の大気圏落下を防ぐため、青い鎧の力が必要になった。

 レスタラの侵攻を目前にしてヒョウエが戦線離脱の言い訳として用意したのが、メットー郊外に現れた存在しない数千匹のゴブリンの大群であった。

 

 戦闘後、アリバイ作りのために数キロ四方に渡る平原を火炎の術を込めた金属球でガラス状になるまで焼いた。

 そこまですればゴブリンの死体が見つからなくても不審がられまいという目論見であり、実際ヒョウエのそれまでの実績と信用もあって報告は信じられた。

 

 もし本当にそんなものがいてレスタラ事変に乗じてメットーを襲っていたら、史実でのトラル・シティ攻防戦より遥かにひどい被害が出ていただろう。

 ギルドはそれを食い止めた()ヒョウエの功績を非常に高く評価したのだ。

 

(・・・うしろめたい!)

 

 そこまで理解してヒョウエの額に冷や汗がダラダラと流れる。

 傍から見れば何をどう言い訳しても虚偽の功績を稼ぐためのマッチポンプ、どころか大規模偽装である。

 もっとも巨大隕石を食い止めて世界を救い、炎の魔神を撃退し、魔神の自爆を防いでメットーの半分を救ったのだから実際の功績は遥かに上回るのだが、それはあくまで「青い鎧」の功績であって、ヒョウエのそれではない。

 詐欺と見るか、方便と見るかは人によるだろう。

 

 そんなヒョウエの様子に首をかしげつつも、受付嬢が言葉を継ぐ。

 

「後はそれまでの実績の積み重ねですね。私も詳しくは教えて貰ってませんが、ウィナー伯爵の事件とレスタラ事変に関係して、王国の方から強い推薦があったとか。

 後はお言葉通りズールーフの森の件もからんでるみたいですね・・・噂ですよ? あくまで噂です」

「はあ」

 

 ぱちこん、とかわいいウィンクをして誤魔化す受付嬢に今更でしょうとマジレスで返すのもはばかられて、曖昧な返事を返す。

 そこに割り込んでヒョウエの肩を叩いたのはモリィ。

 

「まっ、昇進するってんだからいいじゃねえか。前向きに考えようぜ。等級が上がりゃあ、同じ依頼でも報酬が上がるんだろ?」

「それは俗説ですね。等級が上がれば重要で信用できる人間にしか割り振れない依頼が増えますから、結果として報酬は高くなりますが」

「まあいいや、稼げるならかまわねーよ。

 ここんとこの事件で随分目標額に近づいたからな。満額成就も見えてきたぜ!」

 

 上機嫌のモリィに苦笑しつつもそれだけではない笑みを浮かべるヒョウエ。

 

「それを言うなら満願成就ですよ。でもおめでとうございます。ようやっと屋敷を買い戻せますね」

「まあ、そうなのですか? もうひとがんばりですわね」

「おめでとうございます、モリィ様」

 

 リアスやカスミも含めて口々に祝われたモリィがてれてれと顔を赤くする。

 

「いやまあ、まだ達したわけじゃねーし、頑張って稼ごうぜ・・・稼ぐといやあ、例のレースの話はどうなったんだ。あれから全然音沙汰なしじゃねぇか」

「そう言えばそうですわね。こうやって他の依頼を受けていてもよろしいのでしょうか?」

「レース?」

 

 首をかしげた受付嬢に、かくかくしかじかと話しても問題ない範囲の情報を伝えてやる。口を滑らせたフリをして色々教えてくれた礼だ。

 

「という訳なんですが、タム・リス社から依頼とか待機願いとか来てませんよね?」

「私の知る限りでは・・・上の方にも聞いてみます」

「よろしくおねがいしますね。僕たちはこれから仕事ですので」

「はい、無事のお帰りをお待ちしております」

 

 深々と頭を下げる受付嬢に手を振って、ヒョウエたちは六虎亭を出た。

 

 

 

 日没。

 帰還したヒョウエたちが確認したところ、やはりその様な依頼は来ていなかった。

 サナに頼んで豪華にして貰った夕食でモリィの前祝いをしつつ、依然少し引っかかるものを覚える。

 

「一応明日タム・リス社に確認してみますかねえ?」

「ですね。連絡が行き違ってる可能性もありますし」

 

 その様なやりとりをして翌日。

 依頼の前に朝一でタム・リス社に突撃したヒョウエたちが聞いたのは予想外の事実だった。

 

「・・・え? レースが王室預かりになった?」

「はい、連絡が遅れたのは申し訳ありません。ですが我々も事情が良くつかめませんで・・・それもどうやら五大国対抗、しかも、レース自体ディテク国内ではなく、メットーからアトラ・・・ライタイムの都までの間で競われるとか」

「はああああああああ!?」

 

 いつの間にかディテク国内の二つの商会の競争から、全世界国家対抗大陸横断ウルトラレースになっていた事実を知り、ヒョウエたちの目がまん丸になった。




ニューヨークへ行きたいかーっ!(古)

それはそれとして今回の依頼の元ネタ。

ダズン村→ダーティ・ダズン(「汚れた12人」、映画「特攻大作戦」の原題) ライズマンは主人公の軍人。
エーウォール駐屯部隊→AWOL(二〇年ちょっと前の深夜アニメ、主人公の中の人が玄田哲章)
ツェット・ベーファオ村→カンプグルッペZbv(ツェットベーファオ)(小林源文の戦争漫画) アッシュは主人公、首無し騎士は「隊長っていつもコートの襟を立ててるよな」「首が繋がっていないのさ」という作中の軽口から。
"自殺(スーサイド)"通りの女ピエロ→「スーサイド・スクワッド」のハーレイ・クイン。
キッパー商会→岡本喜八 映画「独立愚連隊」の監督。娼婦との心中も作中の事件から。
エニウェア村→メックウォリアーRPGリプレイ「独立愚連隊」シリーズの舞台「惑星エニウェア(どこか)」。

と言うわけで今回は懲罰部隊(犯罪者部隊)もので統一してみました。
いや独立愚連隊はどっちも素行不良なだけで犯罪者ではないけどw


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第二章「スピード・レーサー」
08-05 通信インフラの話


「光より速く進むものはない。ただし悪い噂だけは例外で、こいつばかりは特別な物理法則が適用されるらしい」 

 

     ――ダグラス・アダムズ――

 

 

 

「あなたも意外と目立つのが好きねえ」

 

 例によって情報収集に向かったカレン・カーラ姉妹のところで、開口一番姉に言われたのがそのセリフだった。

 同じく例によってカーラを膝に乗せながら、肩に肘を載せてくるこの姉に嫌そうな顔で口を尖らせる。

 

「別に好きで目立ってるわけじゃありませんよ」

「そうね、あなたは自分が目立とうが目立つまいが頓着しない子だったものね、昔から」

 

 猫のような笑みでカレン。

 カーラがクスクスと笑う。

 

「しょうがないわ、カレン姉様。ヒョウエ兄様は何もしてなくても目立つもの」

「まあ否定はしませんよ」

 

 カレンのみならず周囲に控える侍女たちからも笑みがこぼれるのを見て、ヒョウエが天井を仰いで大きく肩をすくめた。

 

「それで? タム・リス社とカル・リス社の因縁をレースで決着させるというのが、何で大陸横断チキチキウルトラレースになってるんです? しかも国別対抗って」

「ウルトラレースとかチキチキというのはわからないけど、まあ多少は知ってるわ」

 

 カレンが肩をすくめる。

 

「それがね、アケドクフ公爵が街道を使用するので話を通すついでに、お父様にそれを面白おかしく話したらしいのよ。

 しかも話したのがパーティ会場でだったものでゲマイの魔導君主様が話を聞いていて、どうせなら各国の友好を深めるために国別対抗にしたらどうかって話になって。

 アグナムの全権大使も乗り気になって、速さを競うなら負けてはおれないとダルクの族長も割り込んできて、そうなるとまあ、ライタイムも自分だけ参加しませんと言うことにはならないわよね」

 

 国力および国土の広さでは五大国の中でもディテクとライタイムが双璧ではあるが、ゲマイは魔導において大陸一と評される国であるし、ダルクは草原の国だけあって馬と速度に対する誇りは並々ならぬものがある。

 アグナムは東海に浮かぶ島国で、広さだけで言えばその他の群小国家とさほど差はないのだが強力な《加護》持ちがしばしば生まれること、高い頻度でオリジナル冒険者族が降臨することが知られていて、質で言えば大陸最高ではないかとも言われている。

 

「あれ、ファーレン家の御当主は先日の騒ぎで変異させられていたでしょう。もう起き上がっていいんですか?」

「地元からとびきりの治癒術師を呼んで治療したそうよ。その方の協力で、コネルたち他の面々も後は安静にしていれば治るって」

「それはよかった」

 

 ヒョウエが安堵したように息をついた。

 

「さすがにゲマイというところですか。しかしみなさんノリよすぎじゃないですか? いずれも国家元首かそれに次ぐクラスの方々が」

「メンツがかかるとそんなものよ」

 

 苦笑するカレンに、こちらは満面の笑みのカーラが言葉をかぶせる。

 

「でもみんなで一生懸命走るんでしょ? それで仲良くなれるのはとてもいいことだと思うの!」

「・・・」

「・・・」

「え、なに? お兄様もお姉様も・・・?」

 

 兄と姉をキョロキョロと見比べる幼女。

 ヒョウエもカレンも、周囲の侍女達も微笑ましさ満載の笑みを浮かべている。

 特にカレンは笑み崩れるというのがぴったりの表情で、我慢できなかったのか、ヒョウエの膝の上のカーラに抱きつく。

 

「わぷっ!?」

「ああもうあなたって素敵よ、カーラ!」

「? ? ?」

 

 目を白黒させてはいるもののカレンが喜んでいるのはわかったのか、カーラが曖昧な笑みを浮かべる。

 その頭をヒョウエが優しく撫でてやった。

 

「それにしてもあなた、私に聞きたいことがあるときだけこっちに来るわね。つまりもっと色々無理難題を押しつければもっと私とカーラに会いに来てくれるのかしら?」

「恐ろしいことを言わないで下さい」

 

 真顔でヒョウエが返す。

 カーラが同じくらいの真顔で兄と姉を見上げた。

 

「・・・そうなの?」

「ええそうよ。だから大変なことが起きるとしょっちゅう会いに来るようになったでしょう?」

「・・・」

 

 今までの人生でこの愛らしい顔にこれ以上真剣な表情を浮かべたことがあるのだろうか、というくらい真剣な顔でカーラが考え込む。

 

「姉上! カーラに変なことを吹き込まないで下さい!」

 

 ヒョウエの悲鳴が居間に響く。

 カレンがにっこりと邪悪な笑みを浮かべ、侍女たちが一斉に溜息をついた。

 

 

 

 それからの数週間、大陸中を魔導通信と転移術師が駆け巡った。

 この世界、ゲマイの飛空瓶(フライング・ボトル)のような小数の例外はあるが、基本的に伝令や早馬などによらない高速通信は王家と一部の大貴族、心術を得意とする交流神(コア・ヒム)と千里眼や魔力感知などの術を得意とする占術神(ファルタル)の神殿の独占物である。

 "遠距離精神感応(テレパシー)"や"遠視(ファーシー)"の術を使える術師かその術を再現した魔道具かという違いはあるが、それらを各都市に配備してネットワークを構築、伝言ゲームで伝えていくのが基本となる。

 

 もちろん、例えばディテク王国のメットーからゲマイ魔導共和国のクリエ・オウンドまでメッセージを送ろうなどとしようものならば、庶民が一生働いても手の届かないくらいの金額が必要となる。

 庶民が遠くにメッセージを運ぼうとするなら、商隊などと個人的に契約して手紙を託すのが普通だ。

 

 ちなみに"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"として心による交感、複数の人間の精神による相互作用を研究していたのが交流神(コア・ヒム)であり、心の働き自体を研究していたのが心の神(ウィージャ)である。

 現代では前者がある種の通信ネットワークインフラとして、公的組織や商家における生きた嘘発見器として、また家庭裁判所的なもめ事の仲裁所として扱われており、後者は心の病(この世界では既に20世紀レベルの「精神疾患」という概念がある)に対処する医者、ないしカウンセラーとしての性格が強かった。

 

 一方でそれより更に貴重なのが転移術師(テレポーター)だ。

 転移(テレポート)の術や《加護》を持つものだけでも大陸全土で100人いないと言われているが、大陸の端から端まで駆け回れるほどの術師となればまず十人いるかどうか、と言われている。

 

 有名どころではライタイムにある瞬足神(マリーチ)大神殿の高司祭コンチェ。

 ライタイム周辺の小国ヴェレットの大魔術師(ウィザード)ジャケ。

 ゲマイの魔導君主ファーレン家に仕える大魔術師(ウィザード)フーディーニ。

 同じく魔導君主リムジー家の分家に仕える大魔術師(ウィザード)ミロヴァ。

 

 加えてゲマイ以外の五大国もそれぞれ一人はそうした術師を抱えていると言われている。実際今回の外交交渉でもそれらの国の代表は何年もかかる旅をすることなく、直接メットーに現れていた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「それで、レースがメットーからアトラまでってのは確定なのか?」

「姉に聞いた限りではそうみたいですよ」

「わざわざディテクの首都からライタイムの首都まで・・・いえ、走者がヒョウエ様とゴードさんでは無理からぬ事ですわね」

「そらぁな。トラルまで普通に行きゃあ十日のところを三十分で行っちまうんだ、ディテクの端から端までだって一日あれば行き来できるだろうさ」

 

 例によって例のごとく山のような依頼を受けて、依頼から依頼へ飛行中。

 エブリンガーの面々はその様な会話を交わしていた。

 

「大体レースってどうやるんだ? メットーからヨーイドンで始めてアトラまで走りっぱなしか?」

「さすがにメットーからアトラまでだと、僕でも丸一日かそれ以上かかりますねえ。

 途中でチェックポイント・・・関所みたいなものを作って、一つの関所から次の関所まででレースは一区切り、後は次の日に。そう言う流れとかがありそうですが」

「なるほど・・・」

「いやするっと流してるけど、一日でアトラまでいけるってのは、果てしなく頭おかしいからな?」

 

 この世界の人間の感覚的には世界の果てから果てまで位である。

 ヒョウエの知識からしても、恐らくこの惑星の裏側くらい。

 (これまでにも何度か言っているがこの世界は球体の惑星である)

 

「まあこの世界の常識からするとそうでしょうね。もっとも僕の数倍で飛行する機械・・・異界遺物(ディファレント・アーティファクト)が普通にあった元の地球を考えると、巡航速度ではマッハ1がせいぜいの僕はそれほど大したものじゃないんじゃないでしょうか」

「マジかよ」

「想像もできませんわね・・・」

「恐るべき世界ですね」

 

 戦慄する三人娘。

 とはいえ超音速を維持したまま世界を半周できるような航空機は、21世紀の地球でも(少なくとも商用ベースでは)いまだに実用化されてはいない。

 コストを度外視すればあるいは可能であったかも知れないが、令和の地球の基準でもその程度にはヒョウエは常識外であった。



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08-06 ダルクの神馬

 伝説は伝える。ダルクの果てしなき草原に一つのダンジョンがあると。

 どこが入り口かも定かではないそれは稀に自ら勇者を招き、試練を課す。

 入り口の中にはやはり果てしなき草原が広がり、無数の獣が闊歩している。

 

 麒麟。天馬。飛龍。一角獣(ユニコーン)鷲獅子(グリフォン)合成獣(キメラ)。貘(ばく)。白澤。

 巨大な猪、青き巨狼、象ほどもある鹿、鉄の牛、大蛇、大モグラ、人面の羊、毒を吐くオオトカゲ。首切り兎、殺人リス。

 

 それらのモンスターをかいくぐり、ダンジョンとそしてダンジョンの深奥に住まう真の龍に認められた勇者は一頭の白馬を授かるという。

 青い瞳とひづめ以外は一点の染みなく全身が純白の巨馬。

 それはあらゆるダルク人から等しく敬意をもって「神馬」と呼ばれる。

 

 言ってみればモンスターの一種なのだが、人に害を為さず、主に忠実であり、ほとんど不老不死であり、風よりも速く走る。

 現在ダルクに存在する大小数百の氏族の中でこれを持つものは三つ。

 いずれも神馬に認められた勇者の子孫である族長の家系が代々伝えるものだ。

 

 そして今、ダルク開闢以来国外不出であった神馬の一頭がディテクにやってきていた。

 メットーの中央を南北に貫き、南門から王城に直通するクラーク大通り。

 特にパレードがあるわけでもなく、ディテク側が出迎えを準備していたわけでもない。

 それでも供を連れてメットーの大路を堂々と進む白馬の存在感は圧倒的であり、メットーの人々の目は釘付けになった。

 

「すげえな。何だあの馬?」

「何でもダルク一の馬だそうな」

「一体どうしてそんなのがディテクに? 例の何だかってあれのせいかい」

「なんだ、知らないのか? 五大国が仲良くするためにメットーからアトラまでレースをするんだってよ。あれがダルク代表なんだとさ・・・」

 

 仕事をさぼっている職人のおっさんたちが交わすそんな会話を聞きつつ、ヒョウエたちもまた大通りでそれを見ていた。

 

「すげえなあの馬」

「ええ・・・国王陛下だってあんな素晴らしい馬はお持ちではないでしょう」

 

 自身も騎兵(サムライ)としての教育を受けているリアスが、感に堪えないといった風情で首を振った。

 その頬が僅かに朱に染まっている。

 それをよそにどうしたものかとモリィが頭をかいた。

 

「あーいや、それもあるんだけどな」

「魔力ですね」

 

 ヒョウエの言葉にモリィが頷く。

 

「お前ならわかるだろうけどさ、とんでもない魔力だぜあれ。今まで会ったモンスターで言うなら、地竜(リンドブルム)毒龍(ヒュドラ)と比べても遜色ねえ」

「そんなにですか。あれもガーディアン級でございましたよね」

 

 カスミが目を見張る。

 最初に試しで潜ったヒョウエ保有のダンジョン「郊外の保養地(サバーブ・リゾート)」で遭遇したのが真なる龍の力の劣った子孫である亜竜の一種、毒龍(ヒュドラ)であった。

 力が劣るとは言えそれは天地を揺るがす真の龍と比較してのこと。周囲を毒の湖に変えた事も含めて、四人の全力をもってしてもかなりの苦戦を強いられた戦いだった。

 それと同等の力を普通の馬と大差ない肉体に秘めているのだ。

 全力で走ればどれだけの速度を発揮するものか。

 

「・・・」

「・・・!」

 

 ふと、神馬の騎手とヒョウエの視線が合った。

 黒目黒髪に日に焼けた肌。野性的で精悍、かつ冷酷な印象を与える顔立ちの壮年の男である。

 その口元がにやりと歪んだ。目は獲物を見つけた狼のように鋭く細められている。

 ヒョウエが笑みを返して帽子をちょいと持ち上げる。

 笑みをやや大きくした後、男は前に向き直ってそのまま去っていった。

 

「・・・っふう」

 

 モリィが大きく息をついた。既に秋であるのに、額が薄く汗ばんでいる。

 

「何だありゃ。やべえ奴だぞ」

「相当な手練れとお見受けしますわね」

「はい、お嬢様」

 

 カスミが頷く。

 

「アル・グ氏族のカイヤン。氏族の次期族長で黒等級冒険者ですよ。

 神馬を駈って、無数の冒険をくぐり抜けた本物の英雄です。

 神馬を授かった氏族の始祖でダルクの伝説の英雄ヘト・ターの再来とも言われていて、馬と話が出来るそうです」

「へええええ」

「馬と話が出来るって・・・それも《加護》ですか?」

「ええ、騎神(フリフット)の・・・」

 

 と言いさしたところでヒョウエが周囲の様子に気付く。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 いつの間にか周囲の人々がヒョウエたちの会話に耳を立てていた。

 

「・・・撤収っ!」

 

 杖を掲げて号令をかけると、三人娘が苦笑しながらそれに続く。

 

「あ、ちょっと待てよ術師の嬢ちゃん! 一杯おごるからさ、話をもっと聞かせてくれ!」

「申し訳ありませんが、またそのうちにっ!」

 

 性別に対する誤解を解くのももどかしく、駆け足でその場を後にする。

 

「ああ、そんなあ! ちくしょう、べっぴんさんばかりだったのに・・・」

「下心丸出しだから警戒されたんだよアホウ」

「おめえが人のこと言えた義理か!」

 

 後ろから聞こえる会話を小耳に挟み、ヒョウエはげんなりと、三人娘はますます苦笑を強くした。

 

 

 

 王都の東西南北を井桁状に走る四本の準メインストリートのひとつ、西のニコルソン通り沿いにあるアキリーズ&パーシューズ魔法道具店に一行はやって来ていた。

 ヒョウエの兄弟子と姉弟子が夫婦で共同経営する店である。

 

「こんにちわー・・・あれ?」

 

 ヒョウエが戸を開けて挨拶するが返事がない。

 

「留守なのでは?」

「鍵がかかってませんし、台帳が出しっぱなしですからいるはずですよ。

 中で作業でもしてますかね。兄さん姉さん入りますよー」

 

 勝手知ったる他人の家、一声かけて中にずんずん入っていくヒョウエ。

 一瞬顔を見合わせて、三人娘もそれに続いた。

 

「ヒョウエ様、そちらの方から話し声が」

「応接間か。来客かな?」

 

 こんこんこん、とノックをしてから扉を引き開ける。

 

「兄さん姉さん、お邪魔します・・・えぇっ!?」

「なんだ・・・げっ!」

「な!?」

「えっ!」

 

 アキリーズ&パーシューズ魔法道具店の応接間。

 ソファに並んで座るイサミとアンドロメダ、それに向き合って座っている小柄な老婆が一人。

 先だっての事件で戦ったサヌバヌール配下の大魔術師(ウィザード)、ミロヴァだった。



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08-07 ゲマイの術師

 一声を上げた後時間が止まる。

 ソファに座るミロヴァの存在に、さすがのヒョウエたちが一瞬固まって動けない。

 その間に老婆が隙のない、しかし上品な身のこなしで立ち上がり、深々と頭を下げた。

 

「ヒョウエ様、モリィ殿、リアス様、カスミ殿。先だってはご迷惑をおかけ致しました。我が主サヌバヌール様に代わりおわび申し上げまする」

「・・・」

 

 驚きはしたもののヒョウエが帽子をとり、胸に当てて一礼する。

 三人娘も少し遅れてそれにならい、ミロヴァが更に深々と頭を下げた。

 

 

 

「しかし、よくお国を出られましたね? いや、あなたがその気になれば何と言う事はないでしょうが」

 

 改めてお茶をいれ直して会話が仕切り直しになる。

 ヒョウエの質問にミロヴァが僅かに微笑んだ。

 

「ケイフェス様に命じられましてのう。お家と若様(サヌバヌール)への心象を良くするためにも断れる立場ではございませぬよ。なので、そのついでに姫様とイサミ様におわびを申し上げに来たと言うわけで。

 折を見て皆様のところにも参るつもりでしたゆえ、ここでお会いできてようございました」

 

 ヒョウエたちがうなずく。

 敵ではあったがアンドロメダたちにも礼儀正しく振るまい、サヌバヌールに忠義を尽くしたこの老術師には元より誰しもが悪意を抱いていない。

 

「しかしこのタイミングでという事は・・・まさかと思いますがミロヴァさんが今回のレースのゲマイ代表ですか?」

 

 ミロヴァが一瞬きょとんとした後、上品に笑い声を上げる。

 

「ほ、ほ、ほ・・・そうではございませぬよ。瞬間移動の術を使っては速さ比べになりますまい。

 この婆の役割はレース通過地点の各所に様々な魔道具を届けること、段取りのために人員をお連れすることです。

 他にファーレン家のフーディーニどの、ライタイムのコンチェ高司祭やヴェレットのジャケどの。顔は合わせておりませぬが、アグナムのタイ・ツォンどのも駆り出されておるとか」

「壮観ですねぇ・・・各国の人間国宝が勢揃いじゃないですか」

 

 はー、と感心するヒョウエにアンドロメダが頷く。

 

「全くです。にしても人が国の宝とはうまいことをいいますね、ヒョウエ」

「ああ、それはニホンの言い回しでね。特に優れた技能を持つ人間を国が褒賞する制度があって、それを俗に人間国宝と呼ぶのさ」

 

 夫の言葉にまたアンドロメダが頷く。

 

「なるほど。まあミロヴァがそれに値する術師であることには全く異論はありませんが」

「ほほほ・・・過分なお言葉、ありがたいことにございまする、姫」

 

 微笑む小柄な老婆の顔を、興味深げな顔でイサミが覗き込む。

 

「ところでミロヴァさん、ついでだから聞いちまいますけど今回の件、ゲマイの代表についちゃ何かご存じないですか?」

「存じておりますよ。確かイサミ様もご存じだったはず」

「え、誰です?」

「ビシク家のマデレイラ様でございますよ」

「あの子がですか?!」

 

 アンドロメダが眼鏡の奥の目を丸くする。

 「誰だっけ?」という夫の視線に気付くと、おほんと咳払いして表情を整えた。

 

「あなたと会って一年位したころだったかしら。リムジーのお偉いさんの家にお師匠様と一緒に行った時、私にやたらなついていた眼鏡の女の子を覚えてる?」

「・・・ああ!」

 

 イサミが得心した顔で膝を叩いた。

 

「姉さん、どういう子なんです?」

「・・・」

「何か?」

 

 質問に答えるでもなく、じっとヒョウエの顔を見るアンドロメダ。

 その表情が少し懐かしげである。

 

「そうですね。サヌバヌール同様リムジーの分家筋の長女です。一言で言えば魔道具の天才で、明けても暮れても魔道具のことばかり考えているような魔道具"ヲタク"です。あなたを女の子にしたらあんな感じになるかと思いますよ」

「何か今さらっと僕を馬鹿にしませんでした?」

「単なる事実ですよ」

 

 弟分のジト目を微笑みでさらりとあしらうアンドロメダ。

 三人娘とイサミは苦笑しつつ、ミロヴァは微笑ましそうにその様を眺めていた。

 

 

 

「うん? イサミ様、アンドロメダ様、お客様のようです」

「おっと。俺が出てくるよ、メディ」

「すいません、あなた。お願いするわね」

 

 それからも歓談が続く中、聴覚の鋭いカスミが表の声を捉えた。

 イサミが席を立って応接間を出て行く。

 少しして、再び応接間の扉が開いた。

 

「あら、あなた、早かった・・・」

「お・ね・え・さ・まーっ!」

「!?」

 

 開いた扉から弾丸のように飛び出してきたのは小柄な眼鏡の少女だった。

 ぴょん、と飛んでそのまま座っていたモリィ達を飛び越し、アンドロメダの首っ玉に――ヒョウエの従妹の小さいカーラがヒョウエに良くやるように――抱きつく。

 激突するのではなくふわりと接触しているところを見るに、恐らくは何らかの魔術か魔道具を使っているのだろう。

 

「マデレイラ?!」

「ああ、お姉様だお姉様だ! アンドロメダお姉様だぁ!」

 

 首っ玉に抱きついて頬ずりする眼鏡の少女。

 しばらく目を丸くした後、アンドロメダは苦笑しながらその頭を撫でてやる。

 ヒョウエや三人娘、戸口のところのイサミはそれぞれ苦笑を浮かべて、ミロヴァは微笑ましそうにそれを見守っていた。

 

 

 

「初めまして、みなさま方。ミロヴァおばあちゃんはお久しぶり。ビシク家の長女マデレイラ・ビシクです。この前の事件では父もわたくしも、皆様には大変お世話になりました。

 改めて御礼申し上げます」

 

 アンドロメダの横にちょこんと座っていた少女が立ち上がり、深々と礼をする。

 小柄な少女だ。14歳と言うことだが、12歳のカスミと比べてもほとんど体格は変わらない。

 大きな眼鏡を掛けており、ぱっちりした眼に元気そうな顔立ち、アンドロメダのそれに似た水色の髪をお下げにして背中に垂らしている。

 いいところのお嬢様とはちょっと思えない革の作業着のようなものを着ており、恐らくアンドロメダの真似なのだろうが、小袋の沢山ついたベルトをたすき掛けにしている。

 

「ああ、サヌバヌール派でないと言うことは」

「はい、父と共に軟禁されていました。自分で言うのも何ですがサヌバヌール・・・は私に結構目をかけていたみたいで、他の家の方々に比べると随分温情的な処置をされていたみたいですが」

 

 サヌバヌールに敬称をつけようとしてマデレイラが言葉を濁した。

 

「その節は申し訳ありませんでした、マデレイラ様。・・・若様はあなたさまの才を高く評価していらっしゃいましたからのう。できれば穏便に味方にしたいと思っておられました」

 

 頭を下げるミロヴァに、ぶんぶんと首を振るマデレイラ。

 

「おばあちゃんが悪いわけじゃないよ――実際あの人には随分良くして貰った覚えがあるし。誕生日にはいつも贈り物をくれたし、私にはいつも笑顔で接してくれたし・・・」

「サヌバヌールがですか!?」

 

 信じられないという顔のアンドロメダ。

 

「私などは物心ついて以来、睨まれていた記憶しかないのですが・・・」

「あー・・・多分お姉様は本家の嫡流だったからじゃないかなあ。多分分家の子とかだったら私みたいに接してたんじゃないかな? 才能って言うなら私よりお姉様の方がよっぽどなんだし」

「まあ、恐らくは」

 

 溜息をつくミロヴァ。

 

「まあ頭を握りつぶされかけて言うのもなんだが、才能に対して素直な評価をするところだけは認めてもいいと思うぜ、あいつは。アンドロメダについても才能はきっちり認めてたし」

「ですね」

 

 イサミの言葉にアンドロメダとヒョウエが頷く。

 

「しかし良くここがわかりましたね?」

「シェダル伯母様に教えて頂きました!」

「ああ・・・そう言えばあなたの母君は母上の従妹でしたね」

「はい、なので伯母様がディテクに行った後も文通をしてらっしゃいました!」

「全くもうあの人は・・・まあ教えるなとは言いませんが」

 

 溜息をつくアンドロメダの胴体に、笑顔のマデレイラが横から抱きつく。

 

「私、またお会いできて幸せです! この前の時は折角お戻りになったのにお会いできなかったので!」

「そうね、ごめんなさいマデレイラ。ええ、私も会えて嬉しいですよ」

「えへへ・・・」

 

(似てるなあ・・・)

 

 頭を撫でられて笑み崩れる少女に、妹の面影を見るヒョウエであった。

 

「ところで今あなたの事を話していたのですが」

「お姉様が!? 私のことを!」

 

 マデレイラの顔が光を放つんじゃないかと思うくらい輝く。

 苦笑しつつ言葉を続けるアンドロメダ。

 

「ほら、あなたがここに来た目的ですよ――あなたが代表と言うことは、使うのですね? 『アレ』を」

「はい」

 

 マデレイラの笑みが変化した。

 にこにこ、から、にやり、に。

 慕い尊敬する姉に対する喜びのそれから、自分の持つ何かに対しての絶対的な自信を示すそれに、だ。

 

「ほほう」

 

 興味津々の顔でヒョウエが訊く。

 

「リムジーは魔道具に力を注ぐ一族。その一族がここぞというところで出してくるなら、それは術師ではなく・・・」

「ええ。ビシク秘伝の古代遺物(アーティファクト)ですよ! 特に数年かけて私が改良したそれは――」

「ストップです、マデレイラ」

 

 あ、これヒョウエと同じでオタトークが始まる奴だ、と三人娘が身構えたところでアンドロメダの声がそれを遮った。

 

「え、お姉様?」

「このヒョウエはですね、あなたと同じレースの代表選手の一人です。それを承知でなら構いませんが、余り手の内を明かすものでもないでしょう――まあ彼の名誉のために言っておくなら、今のは単に魔道具狂いのヒョウエが好奇心を発揮しただけだと思いますが」

「・・・へええ」

 

 マデレイラの目の色がまた変わった。

 素直なそれから、少しねっとりした、めんどくさそうなオタクのそれに。

 

「つまり、あなたは魔道具オタクとして私に勝負を挑んでるんですね!」

「違います」

 

 即座に真顔で否定するヒョウエ。面白そうな顔でアンドロメダが口を挟む。

 

「そうそう、この子は私の弟弟子でもあるんですよ。魔道具のあれこれも手ほどきしていますし、時間のあるときに助手もやってもらっています」

「そんなっ!? 私もいつかお姉様に手ほどきして貰って一緒に魔道具を作りたかったのに! あなたがお姉様の初めてを奪ったのね!?」

「女の子がそう言う事言わない! 姉さんも余計な事を言わない!」

 

 ヒョウエが悲鳴を上げるが、マデレイラの目のねっとりしたものは既にナパームのように火が付いて燃えさかっている。

 

「お姉様を真に姉と呼べるのは誰か! その決着をつけるためにあなただけには絶対に負けません!

 レースの日をお待ちなさい! 我が家秘伝のアーティファクトの力、お望み通り存分に見せつけて差し上げますわ!」

「何でそうなるんですか!」

 

 ヒョウエの絶叫に、その場の全員が目をそらした。




マデレイラ・ビシクの名前はカート・ビュシークとジョー・マデュレイラのもじりです。リムジー家のネーミング元であるジム・リーがプロデュースしたアメコミのトップアーティストで、詳しい人なら多分聞き覚えはあるかと。


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08-08 バーチャルボイスチェンジセルフ受肉邪神おじさん

 その後も次々と、各国から代表選手がメットーに集まってきた。

 アグナムからはまだ若い男。黒目黒髪のまじめそうな、もっと言えば堅物そうな眉の太い顔立ち。大柄ではないが鉄片を打ち付けたような鍛え上げた体つきで、額には太陽をかたどった金の環、簡素な白衣に身を包んでいる。

 名前はシロウ。姓はない。一種の修行僧であるらしい。

 モリィ曰く、「山で暮らしてる人間の歩き方だな」とのこと。

 

 最後にやってきたのはライタイムの代表だった。浅黒い肌で190センチほどの長身、ベリーショートのくすんだ金髪にすらりとした筋肉質の女性である。ヒョウエやイサミに言わせれば「女性陸上選手のような」体つきだ。

 よそ行きらしいそれなりの服に身を包んでいるが、袖口や襟元から恐らくは真なる魔法文明の時代に作られたのであろう、奇妙な質感のスーツが見えている。

 

「何だろうな、あれ?」

「彼女はモニカ・シルヴェストル。ライタイムの黒等級冒険者ですよ。元軍人で攻防一体の強力な《加護》を持っていると聞いています。スーツは・・・調べてみないとわかりませんけど、リアスのアンダーみたいな強化具現化術式かもしれません」

「なるほど。しかし"風の精霊(シルヴェストル)"ですか。確かに早そうなお名前ですわね」

「さて、風ですめばいいですけどね」

 

 黒に稲妻のマント。黒馬にまたがり都大路を進む彼女と一行を見てその様な会話を交わしていたヒョウエたちであったが、更にその後出くわした「それ」には流石に仰天することになる。

 

「アラッ! アンドロメダちゃんと一緒にいた子たちジャナイッ!? お元気だったカシラッ!?」

「ファーッ!?」

「クレモント閣下!?」

 

 ヴェールを下ろした大きな屋根付きの輿。

 レースを見物に来たどこかの貴族だろうと思っていたのだが、中にいたのは体重一トンはありそうなぜい肉の塊。

 「ゲマイの死なない王様」こと、ゲマイの魔導八君主の一人、クレモント家当主ダー・シ・シャディー・クレモントであった。

 

「これはこれは、お目もじ恐悦に存じます・・・しかし何故こちらへ? レースの御見物ですか?」

 

 パーティを代表してのヒョウエの挨拶に、カバのような笑い声を上げるダー・シ。

 

「マア見物と言えば見物ネ! ただヒョウエくんだったカシラ? クレモント家の得意とする魔導はご存ジ?」

「ええと確か伝達と遠見・・・ということはひょっとして?」

「ソッ! レースの様子を逐一観客と運営に伝えてそれを記録するノ。

 ニホンの言葉で"ハイシン"と言うんだったカシラ?

 場所を確保して一人銅貨数枚くらいで入場料を取れバ大もうけヨ、大もうけ!」

「おおう・・・」

 

 キャハハハハ、と今度は甲高い笑い声を上げる肉の塊を、驚愕と尊敬の目で見つめるヒョウエ。

 一方でリアスは首をかしげる。

 

「ですがクレモント様。庶民から銅貨数枚ずつを取るよりも、貴族を相手に売り込んだほうが利益になるのでは?」

 

 ダー・シが甲高い笑い声を止めて、ちっちっちっ、と指を振る。

 

「甘い、甘いワネ、お嬢さん。モチロン王侯貴族にも売り込んで、お酒や料理、ふかふかのクッションや冷暖房完備の特等席で観覧して貰うワ。

 ケド、金貨を何十枚も支払ってそんなところで観戦できるようなお金持ちは、メットーでもそう何百人もいるものじゃナイ。一方でメットーに住んでる庶民ハ50万人。

 貴族100人が金貨50枚、つまり5000ダコックを支払うとして、メットーの庶民の4割、20万人クライが銅貨5枚を支払ってくれるとしたらいくらくらいになるカシラ?」

「え、ええと・・・?」

「!」

 

 リアスは戸惑っているが、素早く暗算したカスミが驚きに目を見開いた。

 

「貴族100人の払うお金が50万ダコック、庶民20万人の払うお金が・・・100万ダコックです」

「えっ?!」

 

 リアスが目を丸くし、モリィが口笛を吹く。

 ダー・シが再びカバのような笑い声を上げた。

 

「アラ、賢いお嬢ちゃんネッ! その通り、商売っていうのはネ、沢山の人間を相手にした方が儲かるノヨッ! マア冒険者なら余り関係ないかも知れないケド、貴族のお嬢様なら覚えておいて損はないワっ!」

「・・・」

 

 呆然と目の前の肉塊を見るリアス。

 

「一人から金貨一枚を盗むより、千人から銅貨一枚を盗め、とどこかの商人が言っていましたね」

 

 笑みを浮かべて肩をすくめるヒョウエ。

 またしてもカバの笑い声。

 

「マアそう言う事ネッ! 貴族や商人なんてドロボウみたいなものダシ!

 ソレに別にメットーだけで商売しなきゃいけないわけじゃないワッ!

 ディテク各地の大都市に、ライタイムに、ゲマイに、通り道の各国! いくらでもお客様はイルのヨッ!

 ソウソウ、今回の記録映像は再生機とセットで売り出すつもりダカラ、良かったらお友達ヤご親戚に宣伝しといてネッ!」

 

 馬鹿笑いを上げる不格好な肉の塊を感嘆の目で見つめるヒョウエ。

 この世界の商業レベルは中世に毛が生えた程度のものだ。

 たとえ日本の知識が多少あるとしても、その中で商業に対してこれだけ先進的な理解ができる人間が世界中に何人いるか。

 魔導や政治力を別としても、この1トンデブは間違いなく大した人物であった。

 

(まあ見かけが果てしなくあれですが)

 

 流石に口にはしないが、それを言っても笑い飛ばしそうな気は少しする。

 そんな事を考えていると、ダー・シが片手を上げる。

 地面に降りていた輿がふわりと浮かび、担ぎ手たちが長柄を肩に担いだ。

 

「ソレジャ、色々用もあるから今日はこれでネッ! マア、ヒョウエくん――ヒョウエ殿下にはまたすぐ会えるでしょうケドッ!」

「えっ」

 

 程度は違えど、驚きを見せる三人娘。

 ヒョウエは帽子を脱いで胸に当て、不敵な笑顔で一礼した。

 

 

 

「それではここに、ディテク、ライタイム、アグナム、ゲマイ、ダルクの五ヶ国の名において大陸横断大レース『マルガム・ラリー』の開催を宣言致します!」

 

 歓声が上がった。

 メットー王城の大広間。壇上に立つディテク王と各国の大使達が手を上げてそれに応える。

 一月ほど前に変異した怪物が暴れた痕跡は既にぬぐい去られ、着飾った貴顕淑女達がひしめいていた。

 各国の代表たちの姿――当然片隅にヒョウエたちの姿もある。

 

 正体がばれるのを嫌ったのか、ヒョウエはアケドクフ公爵の城で見せた幻影の顔。

 三人娘はリアスの実家で整えた正装で参加している。

 珍しい事に、カスミも子供用のドレス(リアスのお下がり)で正装していた。

 

「あ、あの・・・やはりこれは恥ずかしいと言いますか、大変場違いなのでは・・・」

 

 顔を赤らめてもじもじするカスミ。

 その様子がむしろリアスのハートにクリティカルしたらしい。

 

「そんな事はありませんわ! ああ、昔のドレスを取っておいて良かったですわ! だってこんなに愛らしいんですもの!」

「そうそう。似合ってるぜ。たまにはこう言うのも悪くないだろ」

「うぅ・・・」

 

 満面の笑みを浮かべてリアス。

 満更でもないようにモリィ。馬子にも衣装とは言うが、彼女もそれなりには似合っている。

 そんな二人に囲まれて、カスミのモジモジは更に度合いを増すのだった。

 

「しかし、大ごとになってしまったものだなあ」

 

 四人の傍にいた礼装のヒゲの中年――タム・リス社のトラル支社長、ベアードが溜息をついた。事は彼の手を離れているようなものだが、これまでの経緯もあるので彼がヒョウエたちの担当のようになっている。

 

「そうですねえ」

 

 ヒョウエとしては苦笑するしかない。

 本来二つの商会のいざこざをレースで解決するという話であったものが、何故か国の威信をかけた大陸横断レースになってしまっている。

 ベアードならずとも溜息の一つもつきたくなろうというものだ。

 ちらりと壇上を見る。

 そこにはタム・リス社の社長である老爺とカル・リス社の会頭である老婆が上がっており、アケドクフ公爵が両社の因縁を面白おかしく出席者に語っていた。

 軽妙な語り口に時折笑いが上がる。

 

「アケドクフ公爵の意外な才能ですね。あれなら芸人で食べていけますよ――おっと、今のは秘密でよろしく」

「ははは、ではそうしよう。とは言え社交的で有名な方だから、あれくらいはたしなみのうちだろう」

「ですね」

「でも正直知っている話を聞くのも退屈なものですわァ。どうです、わたくしとおしゃべりをして頂けません?」

「?」

 

 後ろからかかった、鼻にかかった甘ったるい声に一同が振り向く。

 そこにいたのは16,7の、その若さにして蠱惑的な魅力をたたえた少女。

 グラマーでバランスの取れた肢体を、北方遊牧民風のぴっちりしたドレス(チャイナドレス)に包んでいる。

 

「っ・・・!」

 

 ぎょっとした顔。

 ベアードが表情を引きつらせつつ、何とか笑顔を維持していた。

 

「ベアードさん、この方は?」

「あらぁ。わたくしのこと、ご存じなら紹介して欲しいわぁ」

「・・・喜んで。ヒョウエくん、モリィくん、リアスくん、カスミくん。こちらミン・ニム・ボーインさん。

 今壇上にいるカル・リス社会頭イナ・イーナ・ボーインのお孫さんだ」

「!」

 

 四人が揃って目を剥く。

 

「よろしくねぇ」

 

 カル・リスのご令嬢である少女はそれを見やって楽しそうに微笑んだ。




シロウ 無限の剣製とかやる人ではありません。元ネタはサンファイアという日本人ミュータント。まあ色々ツッコミ所満載の人ですw

モニカ・ランボー(キャプテンマーベルに出て来た黒人少女。後にマーベル襲名) → モニカ・シルヴェスター → モニカ・シルヴェストル
風の精霊 → 本来「シルヴェスター」というのは「森に囲まれた(Silvanと同語源)」という意味らしいですが、こちらは「ベルゼブルの竜」という古いゲームブックに出て来たお気に入りのキャラからです。


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08-09 蹄の跡に剣を探さず、他人の倉に鍬を置かず

 紹介が済むと同時につつつ、と近寄ってヒョウエの首に腕を絡めてくるミン。

 

「それでヒョウエくん? それともヒョウエで・ん・か?」

「!」

 

 僅かに、あるいは結構盛大に顔をこわばらせる三人娘。

 ヒョウエ本人はポーカーフェイスを維持。

 ちなみにヒゲのベアード支社長は目元をぴくりと動かしただけで無反応。

 薄々ではあるが、ヒョウエの正体には気付いていたらしい。

 

 ともかくもポーカーフェイスを維持して首に回された腕を柔らかく外す。

 幻影の顔はやや頬のこけた精悍さを感じさせるもので、目元は鋭く、眉は太め。顔のパーツの配置だけは同じだが普段のヒョウエからは似ても似つかない。

 

「さて、誰かとお間違えでは」

 

 ある意味想定通りのヒョウエの答えに、うっすらと笑みを浮かべる少女。

 

「っ」

 

 思わず息が止まる。

 16,7の小娘とは思えない蟲惑の笑み。

 女であるモリィ達ですら一瞬言葉を失う。

 ベアードに至ってはライバル会社のご令嬢ということも忘れ、ぽぉっと頬を染めていた。

 40半ばのひげ面親父がやると中々に気持ちが悪い。

 

「うふふ。間違ってはいないわよぉ。聞いていた顔とは少し違うけれども、まあ色々誤魔化す手段はあることだし?」

 

 ヒョウエの頬に手をやり、するりと撫でる。

 そっち方面には余り興味のないヒョウエですらぞくりとくるほどの、それは魅惑だった。

 

(傾国というのはこう言うのを言うんでしょうかね。どう見ても僕と同年代なのに、まるで手練れの娼婦みたいだ)

 

 やや警戒心を強めるヒョウエ。

 会うたびにじゃれついてくる知り合いの娼婦ナヴィを思い出して僅かに苦笑する。

 

(ナヴィさんにこの人の半分でも色気があれば随分と売れっ子になるでしょうに)

 

 美人だが蟲惑の欠片もない気さくなお姉さんを思い出しつつ、ひどいことを考えるヒョウエ。

 もっとも女性の好みは人それぞれであるのでそこまで単純な話でもなかろうが。

 閑話休題(それはさておき)

 

「何の事やらわかりかねますね。僕は冒険者ヒョウエです。それ以上でもそれ以下でもありません」

「うふふ。それならそういうことにしておきましょう。でも、それはそれで好都合かしら? わたくしあなたとお話ししたいんですもの。緑等級冒険者と言うことは、色々冒険を重ねてらしたんでしょう? お話沢山聞かせて頂きたいわぁ」

「さて。互いに立場というものもあるでしょうし、レースが終わるまでの間は余り賢明なこととは言えないのではないでしょうかね」

 

 またしても頬に伸びた手をさらりとかわしてヒョウエ。

 もっとも、内心では結構動揺している。

 色恋沙汰と無縁に生きてきた――と、当人は思っている――16才の少年にとって、大人の、それも傾城傾国と言えそうなレベルの色気はいささか香りが強すぎた。

 

 それに彼女はヒョウエが口にしていないのに緑等級と言うことを知っていた。

 間違いなくこちらのことをかなり調べてきている。

 それを口に出したのは迂闊ゆえか、それともこちらを惑わすための撒き餌か。

 

 更に言えばそうした理屈とは別に、理性ではない脳のどこかが警戒信号を発している。

 危ない、深入りするな。さもなければ食われるぞ・・・と。

 

「ふふふ」

 

 その様なヒョウエの内心も見抜いているのだろうか、ミンが一歩前に出た。

 吐息が顔にかかるほど顔が近づく。

 

「関係ありませんわぁ。わたくしはわたくし。お婆さまはお婆さま。

 それに商会の仕事に関わっているわけでもありませんもの。

 だったらその辺の町娘と冒険者が仲良くおしゃべりするだけではなくて?」

「蹄の跡に剣を探さず、他人の倉に鍬を置かず、とも言いますよ。

 僕たちはそう思わなくても他人は見たいように物事を見るものです」

 

 地球で言う「瓜田に靴を入れず、李下に冠を正さず」のようなことわざを引き合いに出すヒョウエ。

 そこでようやく再起動したのか、ヒゲの支社長ベアードが割り込んで来る。

 

「そ、そうですぞ! あなたがボーイン会頭のお孫さんだというのは誰もが知っていることなのですから、我が社の契約した代表選手に近づくのはご遠慮願いたい!」

 

 話している内にその顔から動揺の色が消えていく。

 変わって現れるのは、40の若さで大商会の支部を任されるだけの度量。

 

「それに、御社が色々と黒い噂を立てられているのをご存じないわけでもありますまい。繰り返しになりますが、会頭のお孫さんが対抗相手の選手に接触するのは色々と痛くもない腹を探られますぞ」

「ふぅん」

 

 やや興味をそそられたようにベアードの顔を見上げるミン。

 

「まあそういう事なら、今回はあなたの顔を立てて上げようかな。思ったよりはデキそうな殿方だし」

「ひぐっ!?」

 

 ちらりとあらぬ方を見ながらヒゲの支社長の頬を撫でる。

 顔を赤くし、体を硬直させるベアード。

 

「じゃあね、ヒョウエ様。今度またお話ししましょうね」

 

 ヒョウエにウインクして、くるりと軽やかに身を翻す。

 蠱惑的な笑みの印象を残して、色気過剰な少女はパーティの人混みの中に消えていった。

 

「・・・ふうっ」

 

 五人から同時に溜息が漏れる。

 強力なモンスターを相手にした後のような疲労感があった。

 

「なんつーか・・・とんでもねえやつだったな」

「何らかの《加護》でしょうか?」

「難しいところかと」

「少なくとも魔力のたぐいは発してなかったと思うけどな・・・」

「モリィ」

「ん」

 

 モリィが視線を向けた先には、かなり真剣な表情のヒョウエ。

 

「今の彼女・・・何か腹に一物あったような感じですか? それとも本当にただ僕と?」

 

 モリィがちょっと考えてから首を振る。

 

「少なくとも何か企んでそうな様子はなかった・・・と思う。ただあたしもちょっと雰囲気に呑まれてたから、断言はできねーな」

「ですか」

 

 考え込むヒョウエ。モリィとリアス、ベアードもそれぞれに考え込むが、一人カスミだけは更に溜息を吐いた。

 

「どうしたんですの、カスミ?」

「いえ。ミン様が狙ってやったかどうかはわかりませんが、とりあえずヒョウエ様とベアード様は目の前の困難を乗り越えるのが先ではなかろうかと」

「困難?」

 

 二人が同時に顔を上げる。

 

「「げっ」」

 

 思わず出たうめき声。視線の先に立つのはベアードと同年代の裕福な平民のご婦人。

 そして豪奢なドレスを着た二十才くらいの貴婦人と、同じくドレスを着た八才くらいの少女。

 

「あなた? 先ほどの娘さんはどこのどなたかしら?」

「ヒョウエ? カル・リス社の孫娘と何を仲良く話していたのかしら?」

「お前!?」

「姉上?!」

 

 ベアードの妻らしき女性がベアードに詰め寄る。

 ヒョウエには従姉のカレンがにこやかな笑みで。

 確かに顔を真っ赤にしていたベアードは何か疑われてもしょうがない状況だし、曰く「顔に出やすい」ヒョウエの方もカレンから見たら内心はバレバレだ。

 

「蹄の跡に剣を探さず、他人の倉に鍬を置かず、だな」

「ですわね・・・」

「あれ? お兄様? でも顔が違うし、けどニシカワ様と一緒にいるし・・・」

 

 同じく従妹のカーラが幻影で顔を変えたヒョウエに首をかしげるのをよそに、三人娘が深々と溜息をついた。



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08-10 自分、不器用ですから

「ふぅん。目をつけられたみたいね。あのミン・ニム・ボーインと言う娘、確かに表向きは商会の仕事に関わってないみたいだけど、どうも色々と動きが怪しい・・・ちょっと、聞いてるの」

「聞いてますよ。続けて下さい」

 

 カレンが弟をじろりと睨むが、珍しくヒョウエは意にも介さない。

 

「それでは次は・・・こう!」

「うわあ、フィルじいだ!」

「こうしゃくさまだ!」

 

 ぱちぱちぱち、と拍手が鳴り響く。

 幻影で顔を「フィル爺」こと王国宰相ワイリー侯爵のそれに変えたヒョウエが軽く一礼した。

 ミンが状況を引っかき回して去ったあの後、ヒョウエは状況を説明してカレンを何とか納得させた。疑わしげなジト目のままではあったが。

 

 幻影の顔を解除したときにカーラがひどく驚いたので百面相をやって見せたら、手持ちぶさたな年少の貴族の子弟たち、更には大人たちまで集まってきてちょっとした演芸会になってしまっている。

 先ほどの会話も幻影の百面相をしながらだ。

 

 ヒョウエとしても、勝手にあっちから近寄ってきただけなのに不服そうな顔で文句を言われては文句の一つも言いたくなる。

 実際に言ったら絶対に返り討ちに会うので口にはしないかわり、わざとらしくカレンの言葉を軽視するようなポーズを取って苛立たせているというわけだ。

 他ならぬカーラが大喜びしているので、カレンも強くは出られないところまで計算しての姑息な反抗であった。

 

 なおベアード支社長の方は未だに奥方に詰め寄られてしどろもどろになっている。

 内容がいつの間にかミンのことから日頃の様々な不平不満にシフトしているが、それを指摘するものはいない。

 夫婦喧嘩は犬も食わぬのだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「はいっ!」

「わ、わたし!?」

「ほいっ!」

「うわ、ジミー!」

「やっ!」

「グラントだ!」

「どう?」

「マギー!?」

 

 有名人は大体網羅してしまったので、その場にいる子供達の顔をコピーし始めるヒョウエ。

 パーティ会場の一角が更に賑やかになる。

 思わせぶりな手つきで子供達の注意を引きつつ、視線は正面に向けたまま横のカレンに話しかける。

 

「ひょっとして商会の『別の仕事』でもやってるんですか。他の運送会社との接触とか」

「否定はできないわね。証拠もないけど」

 

 カーラを始めとする子供達に遠慮してぼかしてはいるが、つまりタム・リス社への妨害工作など、後ろ暗いあれこれを担当しているのではないかということだ。

 そうした会話の間も子供達を喜ばせる手は止めない。

 

「とざいとーざーい。これより始まりまするは妹の持参金のために魔法使いに弟子入りして金の作り方を習おうとする青年の物語。

 今も昔も貴族が嫁入りしようとすれば持参金、結納金、名前は何でもよろしいがとにかくお金がかかります。

 ただでさえ土地も狭く家畜もろくに持っていない貧乏領主、このままではかわいい妹が嫁に行けないと、はて青年が決意いたしましたるは・・・」

 

 流石に百面相のネタも尽きたか、今度は一人芝居が始まった。

 空回りという比喩的な意味ではなく、文字通り登場人物全員を一人で演じ分ける芸だ。

 

 本来は仮面や演技でキャラクターを演じ分けるのだが、そこはヒョウエである。

 顔を変え、声も(カスミほどではないにせよ)声色で変えることによって、主人公の青年から魔法使いの老人、村の少女まで様々に演じ分けてみせる。

 演技もまあそれなりで、観衆の没入感を損ねない程度のレベルには達していた。

 

「それで、彼女に他に何か?」

「今のところは何もないわ。けど・・・」

「『しかし息子よ、この書き付けは我が父の若かりし頃のもの。かの魔法使いがそのことを覚えているとは限らぬぞ』」

「けど、なんです?」

 

 カレンの言葉が途切れた。

 カーラの顔を見ていて隣のヒョウエに視線を向けていなかった彼女がようやく気付いたこと。

 この弟、劇のセリフと自分との会話を同時にこなしている。 

 

「・・・どうやってるの?」

「"腹話術(ヴェントリロキズム)"って知りません? 語りは自前の口で。この会話は音を出す魔法でこなしているんですよ」

「別々にやるのはそれはわかるけど・・・同時にできるものなの、そういうこと?」

「実際に今やっているじゃないですか」

 

 自分と会話をしながらも、一人芝居の口上やセリフに全くよどみはない。

 まじまじとこの色々特異な弟を見下ろして溜息。

 

「・・・」

「なんです?」

「人間関係もそこまで器用ならいいのにねえ・・・」

「全力でほっといて下さい」

 

 からかうでなく心底嘆息する姉に、幻影の下で盛大に渋い顔をしてヒョウエはくさった。

 

 

 

 瞬く間に半月の時が過ぎた。

 この頃には大陸横断レースのことも一般国民に周知されており、期待のムードも盛上がっている。

 王都の中央広場と北西・北東・南西・南東の四つの広場、及び王都東城門外の草原ではぜい肉袋、もといダー・シが言ったように見物のための空間――地球で言うところのパブリックビューイングそのもの――が設営されており、入場券は前売りだけで10万枚を越える大人気となっていた。

 商人たちもこの降って湧いた好機に飛びつき、各国の国旗・代表選手の似姿絵・人形・カップ・皿・馬のぬいぐるみなどの様々なグッズを(むろん版権元には無断で)売りさばいて大もうけした。

 あるかわら版屋などはどうやって調べたものか、それぞれの代表選手の簡単なプロフィールを掲載した特別版を売り出し、これもまた大ヒットした。

 木版が印刷に追いつかずすり切れてしまい、新しいのをわざわざ、それも何度も作り直すほどだったという。

 

「ちなみにダントツで一番売れてるのはヒョウエくんの似姿だってさ」

「まあ我が国の代表選手で黒等級冒険者、先のレスタラ事変で大活躍した英雄、しかも見目麗しい美少年と来ては人気が出ない方がおかしいでしょうね」

「知りませんよ」

 

 姉と乳兄弟にからかわれて、またしてもヒョウエがくさる。

 なおゲマイ代表のマデレイラ・ビシクとライタイム代表のモニカ・シルヴェストルは「メガネっ娘最高!」「巨女いいよね・・・」と、一部のマニアの間で人気沸騰しているらしい。

 閑話休題(それはさておき)、モリィがややまじめな顔で考え込む。

 

「どうされましたの、モリィさん?」

「いやな・・・これ、下手するとヒョウエの正体がおおっぴらにならないか?」

「あ」

「で、ございますね」

 

 それは気付かなかったという顔のリアスと、モリィ同様の表情で頷くカスミ。

 リーザも驚いた顔をしているが、逆にサナは冷静だった。

 

「ヒョウエ様のご身分はスラムの人間ならほぼ知っておりますからね。

 黒等級になった時点で一般に知れ渡るのも時間の問題だったでしょう」

「このかわら版にはあくまでスラム出身の黒等級冒険者としか書いてありませんが、それでもでしょうか?」

 

 カスミの指摘にヒョウエが溜息をつく。

 

「まあ恐らく。そもそも何で黒等級冒険者として書いてあるんでしょうね。正式にはまだ昇進してないのに」

「冒険者ギルドも一枚噛んでるって可能性もあるんじゃねえか」

「新しい黒等級をこの機にアピールしておきたいって?」

「そうそう」

「やれやれ、面倒くさいことですね」

 

 ヒョウエがもう一度溜息をついた。

 

 

 

 そんな大騒ぎの間、各国の代表選手も最終調整に余念がない。

 ダルクの神馬の乗り手カイヤンはメットー近くの草原で神馬と駆け回っており、姿を現さない他の面々もそれぞれに仕上げをしているものと思われた。

 

「なのに、何であなたは冒険依頼を受けてるんです?」

「そりゃまあ冒険者ですし」

 

 心底不思議そうにこちらを見てくるギルドの受付嬢に、こちらも不思議そうに首をかしげるヒョウエ。

 その手には例によって他の冒険者が受けたがらない残りものの依頼が多数。

 

「大きな依頼を受けてるんでしょう? そちらに集中するのが筋では?」

「僕の魔力は日々の実戦によって培われてるんですよ? つまりこれも鍛錬のうちです」

「・・・」

 

 何とも言いがたい目になった受付嬢に、流石に苦笑を浮かべる。

 

「それにまああれですよ。拘束期間中お金を払って貰えるわけでもなし、依頼料にその分上乗せされてるわけでもなし、一ヶ月何もしなかったら大損ですよ」

「まああなたはそうでしょうねえ・・・」

 

 受付嬢が溜息をついた。一日で平均三万から四万を稼ぐヒョウエたちである。

 一月となればその間の収入は恐らく百万ダコックに達する。日本円で言えば優に一億を超える額だ。

 さすがの大商会タム・リス社も、レースの報酬に加えて百万ダコックをぽんと支払えるほどに太っ腹ではなかったらしい。

 

「では行ってきます」

「ご無事のお帰りを」

 

 いつも通りのやりとりをしながら、受付嬢の顔には隠し切れない苦笑が浮かんでいた。



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第三章「キャノンボール・ラン」
08-11 出撃の号砲


「先んずれば人を制す」 

 

     ――殷通、項羽に斬られた会稽郡の長官――

 

 

 

「さあ大陸横断マルガム・グランプリ、ついにそのスタートの日がやってきた!

 事もあろうに大陸横断二万キロ、ディテク王国の首都メットーからライタイム王国の首都アトラまで、真なる魔法文明の大魔術師たちが作り上げた大陸の大動脈、『ア・マルガム大街道』を通っての、空前絶後の超長距離走! 

 まさしく世界の端から端までを、たったの十日で駆け抜けようという超人たちの競演! それが今まさに始まろうとしています!」

 

 王都の中央広場及び北西・北東・南西・南東広場及び東側の草原に作られた特設会場、そして王都西側のスタート地点に、立て板に水とばかりに流れるような司会者(アナウンサー)の声が流れる。

 いずれの会場も既に観客で満員で、今か今かとスタートの号砲を待っている。

 

 いつもの魔法使いルックに呪鍛鋼の杖のヒョウエ。

 革の上下に短い剣を差した、冒険者の装いそのままのゴード。

 口元だけが見える奇妙なヘルメットと全身スーツ――SF映画のパイロットかレーサーのような、というのが近い――のマデレイラは同じくアーティファクトであろう、ガラス屋根のついた2m半ほどの棺か小舟のようなものをいじっている。

 薄い鉄板を縫い付けた革の上着にサーベルをはいたカイヤンは神馬の首を撫で。

 相変わらず修行僧のような格好のシロウは静かにたたずんでいる。

 そして体にぴったりした、恐らくは真なる魔法文明製のボディスーツとベルトに革ポーチを下げたモニカ・シルヴェストル。

 選手六人がついに出そろった。

 

 ディテクからライタイムまでの大街道沿いには中小の国々が並んでいるが、戦争と疫病を除いて大街道の通行を妨げることはいかなる場合でも禁止という不文律がある。

 更には現在協議中の貿易協定をちらつかせることによってそれらの国は全て積極的ないし消極的にレースに協力を約束していた。

 

 それらを十の区間に分け、十日に分けてレースをする。一区間は平均二千キロ。

 気でも狂ったのか?と多くのものは言うだろう。学のあるものなら尚更だ。

 優れた術師なら、瞬間転移の術を使うならあるいはと言うかも知れない。

 それだけの距離だ。

 

 司会者の言う通りまさしく世界の果てから果て。片道でも五年以上はかかる距離。

 超古代の技術で整備され、未だに劣化の兆しも見えない大街道や橋、山道、山を貫くトンネルなどがなければ恐らくその数倍。

 それを十日で、たったの十日で踏破しようというのだ。正気の沙汰ではない。

 

 だがその狂気を正気に変えうる超人たちがここには揃っている。

 メットーからトラルまで、10日の距離を半時間で踏破したヒョウエたちのことを知ってなお、各国が送り出した代表たち。

 つまり、恐らくはいずれもが最低亜音速で移動するであろう参加者たちだ。

 むしろこのくらいのレギュレーションでなければ彼らには舞台が不足。

 

 ルールは以下の通り。

 

 ひとつ、ルートは自由。ただし10の区画それぞれに設定されたスタートとゴールは必ず通らなければならない。

 ふたつ、勝敗は区画ごとのタイムの合計で競う。

 みっつ、参加者は全員現在位置を知らせるための魔法的なビーコンを身につけていなければならない。身につけていない間のゴールは無効となる。

 よっつ、瞬間移動は禁止。

 いつつ、妨害は即時失格。

 

 以上のルールを守った上で、超人たちはそのスピードとスタミナを競うことになる。

 なお秒速300mを越える超人たちが相手では同等の超人でもない限りついていく事はできない。

 そこでダー・シは参加者に持たせる魔法的なビーコンを用いて参加者一人一人に千里眼と念視を組み合わせた術を連動させた。

 クレモント家指折りの術者がそれぞれに専属でつき、レースの間は常時彼らの姿を念視で映す。

 その映像は各会場と王侯貴族達(ディテクだけではない)の席に設置された水晶玉に転送され、観客に生でレースの興奮を届けるというわけだ。

 

「ってぇわけだけど、これ寝てるときやトイレ行ってるときも映るのかねえ。やだ、人権蹂躙・・・」

 

 そう言いつつ、自分の体を抱いていやーん、とくねらせるのは『音速の騎士』ゴード。

 スタート地点で肩を並べているヒョウエが肩をすくめてそれを否定する。

 

「一応ゴールするまでの間だけで、そこから翌朝の再スタートまでは映さないはずですよ。後女性もいることですし、映像のオンオフはできるようになってます。これを首から外せば、術師の方で映像をカットしてくれるはずですよ」

 

 首から下げたビーコンの首飾りを掲げてヒョウエ。

 アンドロメダが持っていたような、ゲマイで一般的な中央に一つ、その周囲に八葉の葉を並べてそれぞれに宝石をあしらったデザインをしている。

 少し離れた場所でガラスの丸天井が着いた手押し車ほどの角の丸い箱のような――オリジナル冒険者族たるヒョウエから見ればSF映画に出てくる飛行ポッドか何かのような――ものをいじっているメガネの少女をちらりと見るが、鬼のような表情でにらみ返されて肩をすくめる。

 ゴードがケラケラ笑ってぱっと両手を開いた。

 

「まー、こんな変なお兄さんの用足しシーンを見ても興奮する人はいないから、そのところは大丈夫だろうけどねー」

「まあ多分」

 

 世の中にはそう言う趣味の人もいなくはなかろうと思いつつ適当に頷いておく。

 

「むしろ危ないのはヒョウエの方だよな。用足しをするシーンなんか放映されちゃったら、大多数の女性と一部の男性がもう悶絶ものよ? 聞いたよ、似姿が馬鹿売れしてるらしいじゃん?」

「・・・」

 

 にやにやするゴードのすねを、ヒョウエが無言で蹴った。

 

 

 

「よう」

「おや」

 

 ゴードが後ろ手に手を振って去った後、ダルク代表のカイヤンがやって来た。

 相棒たる神馬を引き連れての登場だ。

 

「やはりお前だったな」

 

 傷のある唇をめくり上げて、獰猛な笑みを浮かべる。

 それでもどこか親しみを感じさせるのは、族長の跡継ぎとしての風格だろうか。

 

「僕のことを調べられていたので?」

 

 こちらも僅かに笑みを浮かべるヒョウエに、今度は大笑いする。

 

「馬鹿を言え。お前が競う相手ならいいと思っただけだ――そうであったことを騎神(フリフット)に感謝せねばいかんな」

「それはどうも。しかしこれが神馬ですか・・・一目見てみたいと思っていました。願いが叶いましたよ」

「さもあろうな」

 

 感嘆をもって白い巨馬を見上げるヒョウエ。満足そうにカイヤンが頷く。

 

「名前はあるのですか?」

「"天翔る銀の船(シルシープ)"と呼ばれている。馬は名前という概念を持たないようなんだが、それでも自分の事だというのはわかるらしいな」

「そうなのですか? いや、馬と話せる方の話を疑いはしませんが」

「野性の馬は基本的に群れで物事を考える。"天翔る銀の船(シルシープ)"は人間よりも賢いが、それでも考え方は普通の馬に近い。我らと共に暮らす馬も、人間と馬をあわせて一つの群れと考えているのだ」

「なるほど・・・」

 

 改めてこの偉大な馬を見上げていると、いきなり"天翔る銀の船(シルシープ)"が顔を横倒しにして、べろりと舌を出した。

 

「うわっ!?」

 

 思わず一歩下がるヒョウエに、カイヤンが楽しそうに笑う。

 

「はは、許せ許せ。こいつはふざけるのが好きなのだ。特に人が見ているところで変なことをすると面白がられるのがわかっているようでな」

 

 言いつつ神馬の首筋を撫でると、いたずら好きの白馬は嬉しそうにいなないた。

 

「さて、そろそろだな。互いに全力で駆けようではないか。むろん偉大なるヘト・ターの名にかけて勝つのは俺と天翔る銀の船(シルシープ)だが」

「ええ。僕も負ける気はありません」

 

 挑発的な笑みを浮かべながら頷きあうと、カイヤンは自分の位置に戻っていった。

 ヒョウエも帽子を被り直し、杖にまたがって軽く宙に浮く。

 六人の挑戦者たちが闘争の準備を整える。

 

 ぴりっとした空気。

 典礼官が口上の後、カウントを開始する。

 

「10、9、8、7・・・」

 

 全員が真剣な顔。視線は前方に固定され、他の競技者のことすら脳裏から消える。

 

「6、5、4、3・・・」

 

 数十万人の観客が、幻像を通して息を詰めて見守る。

 

「2、1、ゼロ!」

 

 レースの号砲が鳴ると同時に巨大な爆発がスタート地点を吹き飛ばした。




キャノンボール(砲弾)ランってそういう意味じゃねーから!


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08-12 スタートダッシュで出遅れる

 レース会場で起こった大爆発。

 それは明らかにスタートの合図の花火や点火と言ったようなものではなくて。

 

「なんだ!?」

「演出か?」

 

 パブリックビューイングで見ていた人々がざわつく。

 まさかテロか?と誰しもがその脳裏に不安をよぎらせたとき。

 

「あっ!」

「出たぞ!」

 

 歓声が上がった。

 爆炎の中から現れたのは四つ足で駆ける馬と自らの足で疾走する一人の男。

 ダルクの神馬とそれを駆る騎手カイヤン。

 自らの足で音速を超える男、ディテク最速の足を持つ音速の騎士ゴード。

 彼らの姿があっという間に街道の彼方に消える。

 

 それらに次いで爆炎を突き抜け姿を現したのは杖にまたがったヒョウエ。続いて光の粒子に包まれて空を飛ぶ女性――ライタイム代表のモニカ・シルヴェストル。

 それからしばらく経って、ようやく奇妙な形の白い箱――古代文明の生み出した飛行ポッド、ゲマイ代表の少女マデレイラ・ビシクの操るそれが飛び出した。

 

 先行するライバルたちの後を追い、これらもまたあっという間に姿が見えなくなる。

 歓声。

 パブリックビューイングの映像は六分割され、うち五つはヒョウエたち五人を個別に映し出している。

 その脇には別の映像があり、メットー周辺の地図を西に動く色とりどりの輝点が映っている。

 

「・・・うん?」

「あれ?」

 

 その中で、一つだけスタート地点から動かない赤い点。

 スタートに興奮していた観客たちがざわめき始める。

 爆煙が晴れたスタート地点で倒れている一人の男。

 地面に横倒しに倒れてピクリとも動かない。

 アグナム代表、シロウだった。

 

 

 

 時間はスタート時点に巻き戻る。

 号砲と同時に起こった爆発を、レースに集中していたヒョウエは察知できなかった。

 既に周囲に纏っていた念動障壁が爆発からは守ってくれたものの、回りの出場者たちを守ることはできない。

 他の五人はまともに爆炎に巻き込まれた。

 それでも咄嗟に戦闘態勢を取って周囲を警戒する。

 

「えっ!?」

 

 次の瞬間、ヒョウエはあっけにとられた。

 爆発にもかかわらず、そして多少のやけどを負っているにもかかわらず、ゴードとカイヤンの二人が飛び出したのだ。

 普通こんな事があればレースは中断、改めてスタートになるだろうが、彼らはそんな事は関係ないとばかりにレースを始めた。始めてしまった。

 

 視界の端で同様に周囲を警戒しようとしたライタイム代表の元女軍人、モニカ・シルヴェストルが同様に唖然としているのが見えた。

 飛行ポッドのキャノピーからは、中のメガネ少女(マデレイラ)が混乱して周囲をキョロキョロ見回しているのがわかる。

 

「!」

 

 アグナム代表のシロウが倒れているのが見えて、反射的にそちらに飛んでいこうとする。

 その杖を何故か途中で止め、ヒョウエは方向転換して先行した二人の後を追った。

 モニカ・シルヴェストルは驚いた顔でそれを見ていたが、意を決したのか深呼吸すると精神集中する。その体が光の粒に包まれたかと思うと、彼女はヒョウエの後に続いて猛然と空に舞った。

 

「・・・ええい、もう!」

 

 最後に残ったマデレイラはしばらく呆然としていたが、倒れたのがシロウだけで、しかも大会の係員が駆け寄っていくのを見てとると、やけになったように古代遺物(アーティファクト)飛行ポッド――"ドルフィン"のアクセルを全開に蹴り込んだ。

 ピィィ、とまさしくイルカの鳴き声のような駆動音を上げて魔導エンジンが咆哮する。

 後方に魔力を噴射して、遅ればせながら"ドルフィン"が飛び出す。

 

「レースの順位なんてどうでもいい! あいつだけには絶対に負けません!」

 

 その頃には爆煙も晴れており、集まった観客の声援を受けながら"ドルフィン"は街道の彼方に飛び去った。

 

 

 

「はははは! 派手なスタートだったな! なあ"音速"の!」

「まあそうだねぇ! うちのスポンサーの仕業じゃなきゃいいんだが!」

 

 スタート10キロほどの地点。後ろのヒョウエたちをちらりと振り返り、カイヤンが笑う。

 神馬と併走する"音速の騎士"ゴードも、走りながら器用に肩をすくめて答えた。

 

「お前のスポンサーだと? 何か裏があるのか?」

「あるかも知れないって話。聞いても余り面白い話じゃないと思うぜ?」

「なるほど、なら聞くまい!」

 

 ゴードも驚くほどきっぱりとカイヤンは話を打ち切る。

 

「随分ときっぱり言うもんだね・・・俺が言うのも何だけど気になったりしない?」

「しないな」

 

 やはりきっぱりと答えるカイヤン。

 

「俺の邪魔をしないならどうでもいい。俺の邪魔をするなら殺す。それだけだ」

 

 腰に吊したサーベルを叩きながら笑う草原の男。

 その割り切りは厳しい土地で生きてきた騎馬民族ゆえか。

 ゴードがまたしても、走りながら器用に肩をすくめた。

 

「さて」

「うん」

 

 カイヤンの声が変わった。

 ゴードがゴーグルの奥の目を鋭くして、ちらりと併走する騎手を見る。

 

「そろそろまじめに走れ、"天翔る銀の船(シルシープ)"」

 

 その言葉と共に白い神馬が、人間であるゴードにもわかるほどはっきりと、嫌そうな表情を浮かべて主の方を振り向く。

 

「そいつ、それでまじめに走ってないの!?」

「おうとも」

 

 笑みを浮かべてカイヤン。

 

「こいつはケツをひっぱたかないと本気で走らない奴なのさ。

 部族対抗の競争でも、一度も本気で走ったことがない――それでも他のどんな馬より早いがな。本気で走れば、この地上に勝るものはない」

「へえ」

 

 プライドを刺激されたか、ゴードの目が更に細まる。

 牙をむき出すようなカイヤンの笑み。

 

「どうやらお前も本気では走っていないな。ならばついてくるがいい。駆けろ、"天翔る銀の船(シルシープ)"!」

「!」

 

 白い神馬と音速の騎士が同時に加速した。

 音の壁を破り、神馬の周囲に衝撃波が走る。

 

「なん・・・だと・・・!?」

 

 ゴードは目を疑った。

 掛け値無し全力で走っている自分を、僅かずつだが神馬は置き去りにして前に進んで行く。

 ヒョウエとレースしたとき以上の全力をつぎ込んで走行するが、それでもカイヤンとの距離は開くばかりだ。

 

「馬鹿なっ・・・この俺がスロウリィ?!」

 

 呆然と、ゴードは遠ざかっていく馬影を見つめた。

 

 

 

 だが数時間後、ディテク王国の西の国境、山中の町カンダクに設置された第一チェックポイントに最初にたどり着いたのはカイヤンと神馬"天翔る銀の船(シルシープ)"ではなく、"音速の騎士"ゴードであった。

 カイヤンと"天翔る銀の船(シルシープ)"は壮絶なデッドヒートの末「クビ差」で二位。

 以下ヒョウエ、モニカ、マデレイラとスタートした順でゴール。

 シロウはリタイヤ扱いとなった。

 

 何故ぎりぎり逆転できたかと言えば、その理由は地形にあった。

 カンダクは国境の高地にある町だ。当然周囲の道は険しく、起伏もある。

 地上を走る速度では"天翔る銀の船(シルシープ)"がゴードをはっきりと上回っていたが、かつてヒョウエとのレースで披露したように山を一跳びで跳びこえられるゴードと違い、神馬は斜面の踏破力で劣っていたのだ。

 ダルクには丘程度の起伏はあるが、山と言えるほどの山はない。馬はそうした平原に適応した生物であるから、神馬とは言え馬である"天翔る銀の船(シルシープ)"がそれだけの跳躍力や踏破力を有していないのもやむを得ないところであろう。

 

「・・・」

「・・・(ついっ)」

「・・・おい」

「・・・(ついっ)」

「おい、こっちを見ろ!」

「・・・(ついっ)」

 

 なお、睨みつけるカイヤンを、"天翔る銀の船(シルシープ)"は徹底的に視線を逸らすことでかわしていた。

 どことなく後ろめたそうなのが何とも言いがたい。

 

「何とも人間くさい馬ですねえ・・・」

 

 他の参加者がそうした様を見て呆れていた。

 



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08-13 二日目

(・・・で、こちらはそう言うわけです。そっちはどうです?)

(うん、大盛り上がりだよ。でもリアスさんがカレン様に聞いてきた話では、アグナムの・・・シロウさんだっけ? その人が重傷で治療が時間かかるから出場辞退したって)

 

 夕方。

 第一チェックポイント、国境の街に用意された部屋に引き取り、ベッドの上に仰向けに寝転がりながらヒョウエはリーザと心で会話していた。

 

(ですか・・・)

(あ、命には別状はないし、時間をかければ後遺症も残らないからそのへんは安心だって。今警吏の人たちが犯人を捜してるって)

 

 ヒョウエが少し考え込み、思念の間が空く。

 

(犯人はやはりカル・リス社でしょうか? その辺は聞いてません?)

 

 脳裏に伝わってくる否定の思念。

 

(そのへんは教えて貰えなかったみたい。え? ああうん、可能性は否定しないみたいな事を言ってたって)

(まあ、でしょうね。あれだけの事をして、そう簡単に素性がばれるような仕掛けはしないでしょう)

 

 リーザの思念にも間が空いたのは、恐らく近くにいるリアスが何か言ったのだろう。

 ヒョウエとリーザの思念会話はほぼ直通電話なみにリアルタイムだが、三人娘とのそれは電子メールくらいのタイムラグがある。

 リーザ及びサナと他の三人との付き合いの差だ。

 なのでリーザを介して思念をやりとりするよりは、伝言して貰う方がよほど早い。

 

(そっちの方は大丈夫かって、モリィさんたちが心配してるよ。もちろん私やサナ姉もだけど・・・)

(今のところは何もありませんね。スタートのあれを受けて、僕たち選手や運営の人たちにも護衛が付いてます。おちおちトイレにも行けませんよ)

 

 溜息をついてヒョウエ。

 この部屋の表にも、槍を持った衛兵が二人立っていた。

 もっともヒョウエを傷つけられるような相手なら、その辺の国境守備兵など相手にもならないだろうが・・・。

 

(気を付けてね)

(わかってますよ。みんなにもよろしく)

(うん)

 

 それを最後にヒョウエはリーザとの思念の接続を切る。

 

「・・・」

 

 両手を頭の後ろに回し、ヒョウエはしばらく天井を見つめていた。

 

 

 

 翌朝九時。

 この国境の町に、どこにいたのだろうと思えるほどの群衆が姿を見せていた。

 それと同時に目を引くのが多くの兵士。

 恐らく近くの駐屯地から大急ぎでやって来たのだろう、最低でも千人以上と思われる兵士達が周辺を厳重に警護していた。

 スタート地点に臨時に設けられたパブリックビューイングから、メットーにいる実況者の声が流れる。

 

『さあー、史上最大、空前絶後の大陸横断レース、マルガム・グランプリ! 二日目のスタートです!

 メットーからここ国境の町カンダクまで2000キロ! 普通なら二ヶ月はかかる距離をたった一日、それも数時間で踏破するなどと誰が考えたでしょう!

 不幸な事故によりリタイアしたアグナム代表シロウ氏を除き、代表五人全てがそれを成し遂げたのです!

 さて、いよいよスタートが近づいて参りました・・・』

 

 大歓声の中、第一走者であるゴードが出て来た。

 歓声に手を振って応えている。カイヤンがそれに続き、ヒョウエたちもその後ろに並んでいる。

 

 マルガム・グランプリは前述の通りメットー=アトラ間を十の区間に分けてそれぞれのタイムを合計して勝敗を競うレースだ。

 それぞれのゴールした時間は計測され、次の日のスタートはまずトップでゴールした選手から、そして前日のゴールしたタイムによって、時間差をつけてそれぞれにスタートすることになる。

 ゴードとカイヤンの差が2秒ほど。その次のヒョウエが一分ほどおいてスタート、モニカが30秒、マデレイラが更に一分ほど遅れのスタートとなる。

 

 最初にスタートするゴードが位置に着き、間髪置かずにスタートするカイヤンと"天翔る銀の船(シルシープ)"がその横に並ぶ。

 カイヤンの眉が怪訝そうにひそめられた。

 

「? ゴード、何をしている?」

「まあちょっとね、おまじない?」

 

 言いつつ、ゴードは抜いた短剣で石畳の隙間をガツガツと突き刺している。

 しばらく続けた後、納得がいったのか短剣を二本、互い違いに石畳の隙間に突き立てた。

 

「?」

「???」

 

 周囲が首をかしげる中、係員が手を上げる。

 

「選手の皆さん、もうすぐスタートです。準備を」

「はいよー」

 

 屈託のない笑顔でそれに応えると、短剣を突き立てたところにゴードがかがみ込んだ。

 

「!」

 

 観客や運営、幻像を通してそれを見ているほとんど全ての視聴者が首をかしげる中、ヒョウエだけが目を見開いて「それ」の意味を完全に理解した。

 

「あの、ゴード選手。それでよろしいのですか?」

「いいよいいよ。そのままカウント始めちゃって」

「? それではカウントします・・・10、9、8、7・・・3、2、1、スタート!」

「!?」

 

 ヒョウエを除くほとんど全員が目を見開いた。 

 普通人間は――馬もだが――いきなりトップスピードで走り出すことはできない。

 静止している状態から加速する必要があるからだ。

 

 だがそれを覆す工夫がある。

 人間が営々と考え、積み上げ続けた早くなるための工夫のひとつ。

 クラウチング(・・・・・・)・スタート(・・・・・)

 

 水平の地面ではなく、垂直に近い斜面の金具を蹴ることによってダイレクトに横方向へのベクトルを生み出すスタート・テクニック。

 どこで習い覚えたのかゴードは石畳に突き立てた短剣を足場とすることによって、それを再現して見せたのだ。

 

「・・・!」

「カイヤン選手、スタート!」

「っ! ちぃっ!」

 

 驚きの余り一瞬動きの止まったカイヤンが、舌打ちして馬の腹を蹴る。

 神馬は猛然と駆け出すが、それでも数秒のロスと異世界の技術を用いて初速を確保したゴードには遠く及ばない。

 遥か遠くに消えた人影を追って、人馬は猛然と走り出す。

 それを驚きと称賛の表情で見送りつつ、ヒョウエは自らのスタートに備えた。

 

 

 

 杖が風を切る。

 レースは肉薄した競争を演じ続け、観客の歓声は途切れることを知らない。

 岩石砂漠に覆われた高地を走る、一本の石畳の街道。

 古代の偉大な魔術師たちが作り上げたア・マルガム大街道でトップ争いをするのは変わらずゴードとカイヤン。

 直線ではカイヤンの神馬が、山道で曲がりくねった場所では跳躍でショートカットできるゴードが前に出て、熾烈なデッドヒートを繰り広げている。

 その後ろから飛んでいくのは杖にまたがったヒョウエ、光の粒子を噴出しながら飛ぶモニカ、古代のアーティファクト「ドルフィン」を操るマデレイラ。

 

(・・・僕以外の二人も、これは何か温存していると見るべきでしょうかね)

 

 ちらりと後ろを振り向くヒョウエ。

 初日のスタート以来、ヒョウエ以下の三人は順位が変わることなくここまで来ている。

 前の二人に追いつこうとペースを上げるでもなく、また大きく引き離されるでもない。

 まがりなりにも国家代表として出てくるだけの相手だ。自分がそうであるように、相手にも何か切り札がある、もしくは体力や魔力を温存していると見ていいだろう。

 

(さて、こう言う駆け引きは苦手なんですけどね)

 

 そううそぶいて前に視線を戻す途中、ヒョウエの目が見開かれた。

 警戒のためにイサミたちから借りてきていた感覚強化の魔道具で強化された視覚が、それをはっきりと認識する。

 

「・・・まさかと思いますが、こう言う手で来ましたか!?」

 

 その視線の先、数キロほど離れた山中の村が賊に襲われているのが見えた。




クラウチングスタートをするための金具(スターティングブロック)が一般化したのは1948年のロンドンオリンピックからです。
それまではオリンピックでも足のところに穴を掘って、そこを蹴って加速していました。(ベルリンオリンピックの記録映像とかで見られます)
本編では下が石畳なので、短剣を突き刺してスターティングブロックの代わりにしました。


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08-14 浄化の波動

「む!?」

 

 その瞬間、ライタイム代表モニカ・シルヴェストルは自分の目を疑った。

 杖にまたがって前方を飛んでいたディテク代表の片割れ、ヒョウエという黒等級冒険者の少年がいきなりルートを外れて飛び出したのだ。

 明らかにショートカットなどではない方向転換。彼の向かう先に目をやるが何も見えない。せいぜい山間に村らしき影があるくらいだ。

 

「おい、どこへ行く!?」

 

 声をかけるが、既に生身の人間の声が届かないほどに距離は開いていた。

 それに光の粒子に包まれたこの状態の彼女は肉体的な活動には少々不便がある。

 

「!?」

 

 迷う一瞬の間に、後続の空飛ぶ箱――ゲマイ代表のアーティファクトもまたディテク代表の少年を追って方向転換した。

 

(何だ? 罠? 何らかのショートカット? それともディテク代表に釣られただけ?)

 

 瞬時に様々な思考が走り――彼女はこのままのルートで飛行することを決断する。

 正しかろうと、間違っていようと、決断しないよりはマシ。

 山賊との戦いでも、モンスターの討伐でも、その決断の速さが何度も彼女と彼女の部下の命を救ってきた。

 今度もそれが正しいことを祈りつつ、彼女は思考の残滓を振り切って一直線に飛んだ。

 

 

 

『ご主人様。ライタイム代表、レースを続行するようです』

「しょうがないわ、ボボ。高度な視覚強化か何かがないと、あれは気づけないでしょう」

 

 ヒョウエの後を追って飛んでいく"ドルフィン"の中で、マデレイラはそんな会話を交わしていた。

 会話の相手は10センチほどの球体。目のような二つの小さい穴が空いており、声を出すたびにそれが点滅している。

 そのマデレイラは奇妙なヘルメットと全身スーツを装着し、寝そべってバイクにまたがるような姿勢で"ドルフィン"を操縦しており、目の前のパネルの右のほうに空いた穴に喋る球体――ボボがすっぽりとはまり込んでいた。

 

 魔導ポッド"ドルフィン"はある種のレースカーか翼のない飛行機のような流線型をしており、中央に大きく透明なキャノピーが設置されている。

 操縦するマデレイラの全身がキャノピーを通して外からはっきり見えており、逆にマデレイラの視界も良好に確保されている。

 そのキャノピーの内部には、数十キロ先の村が山賊に襲われているのがはっきりとわかる望遠映像が映し出されていた。

 

 

 

「む?」

 

 マデレイラより一分ほど――距離にすれば20キロほど――先行するヒョウエは目を疑った。

 火が燃え移った家屋を、村を襲っているであろう山賊が消火しているのだ。

 一瞬村人かとも思ったが、ぼろぼろの革鎧を着て剣を下げた村人というのも普通おるまい。

 

 そして、別段彼らが救助活動をしているわけでもない。

 周囲では同様の出で立ちの山賊が村人に斬りつけたり、女性や食料を奪ったりして明らかに狼藉を働いている。

 疑問を抱きつつ、ヒョウエは村に突貫した。

 

「ぎゃっ!?」

「ぐえっ!」

 

 戦闘自体は数秒で終了した。

 高速で飛来する金属球で叩き伏せられ、十数人の山賊は一瞬にして地に伏せる。

 

「"水の星よ(Budha)"!」

 

 時間がないので普段は使わない「水」の金属球の力で周囲の人々を一気に治癒する。この時点になってようやく事情がつかめた村人たちから口々に感謝の声が漏れた。

 

「おや?」

 

 治療が終わり、火も消したところでマデレイラのポッドが到着した。キャノピーを開けてすっくと立ち、空中に浮かぶポッドの上からヒョウエを見下ろす。

 

「あら。来る必要なかったかしら」

「ですね。これでももうすぐ黒等級なので。それより何で追ってきたんですか。レースの途中ですよ」

「その言葉、そっくりあなたに返すわ。ここにいるんだから同類でしょ」

「それはまあ冒険者ですので・・・いや、おっしゃるとおりですね」

 

 言い訳になってる事に気付き、ヒョウエが言葉を止めて苦笑した。

 

「まあ、ちょっとは見直して上げるわ。ちょっとはね」

 

 文字通り上から目線の評価にもう一度苦笑。

 

「ともかく後はこいつらを身動きできなくしておかないと・・・どうしましょうか、縄で縛ったら抜けられるかも知れないし・・・」

 

 戦いの心得などなさそうな村人たちをちらりと見つつヒョウエ。

 

「全員手足折っておいたら?」

「恐ろしい事言いますねあなた!?」

「冗談よ、冗談」

 

 顔を引きつらせて振り向くヒョウエに、傷ついたような顔で唇を尖らせるマデレイラ。まあヒョウエもそれを考えなかったとは言わないが。

 

「だいじょうぶ、こう言う時のために用意されたかのような機能がこの"星雲の衣"にはあるの! 山賊(そいつら)、ひとまとめにしてくれる?」

「ふむ?」

 

 首をかしげつつも、気絶したり、動けずにうめいている山賊を念動で村の広場の真ん中に集める。

 それを確認するとマデレイラはポッドの上に立ったまま右の手の平を向けた。

 古代に作られたスーツの右手に緑色の光が集まる。

 

「心の星よ、愛の炎よ、その身のうちに甦れ――コンシェンシャス・ウェーブ!」

 

 マデレイラの右手の平から緑色の波打つ光が放たれ、横たわる山賊たちを包む。

 その効果は劇的だった。

 

「うおおおおおおおおおお!」

「俺は、俺はなんて事をしてしまったんだぁ!」

「すまねえ、母ちゃん! すまねえ、姉ちゃん! 俺汚れちまったよ・・・!」

「俺が悪かった! 金に目がくらんで村を襲ってくれなんて変な依頼を受けるなんてしちゃいけなかったんだ!」

「まじめに・・・まじめに生きていくつもりだったんだ! それがいつの間にか!」

「殺せ! 殺してくれぇ! こんな罪深い人間、生きてちゃいけねえんだ!」

 

 気絶していたものも含めて全ての山賊が目を覚まし、滂沱の涙を流し、絶叫しておのれの罪を悔いている。

 良心の呵責に耐えきれないのかゴロゴロと転がるもの、地面に頭を打ち付けるもの、自分の頭を叩き続けるもの。

 血を吐くような後悔と懺悔の叫びが村に響き渡る。

 ヒョウエがぽつりと言った。

 

「地獄絵図ですね」

「ち、違っ・・・! ご先祖様が使ったときは悪人は後悔の涙を流して改心したって・・・!」

 

 これは完全に想定外だったのか、口元を引きつらせ、ブンブンと手を振り回して否定するマデレイラ。"魔力解析(アナライズ・マジック)"を発動したヒョウエが溜息をついた。

 

「コンシェンシャス・ウェーブでしたか。精神系統の、良心(コンシェンス)を無理矢理甦らせて良心の呵責で苦しめる術式みたいですね。

 それは確かに悪行を積み重ねた人間ほど後悔の涙を流すでしょうけど・・・なんともえげつない」

「だから違うんだって!?」

 

 ヒョウエばかりか村人たちにまで畏怖の視線を向けられ、軽くパニックに陥るマデレイラ。

 これまでの人生や賊に落ちていく過程を涙と絶叫と共に告白する山賊たちに、もはや同情の視線を向ける村人たちすらいる。

 

「それじゃあ、レースに戻りましょうか」

「ちょっと待ってよ?! こいつらこのままに放っておく気!? いや、私が言える事じゃないんだけど!」

 

 あたふたするマデレイラにヒョウエが苦笑する。

 

「効果は永続とは言わないまでもかなり長いこと続くようですし、多分放っておいても村人たちに害はないでしょう。数時間すれば軍もやってきますよ」

「だといいけど・・・」

 

 あの肉達磨が配信している映像は、既に彼ら二人の行為と事の顛末を捉えて世界中に伝えているはずだ。

 このニコロデ王国はそう大きな国ではないが、盗賊に襲われた村の存在が全世界に知れ渡ってしまった以上、国家のメンツをかけて全力でそれに対応せざるを得ない。

 その辺を説明するとマデレイラも何とか納得したようでポッドに乗り込んだ。

 

「・・・」

 

 山賊たちの絶叫が未だに響く中、飛び立つ二人を村人が畏怖の目で見送る。

 ヒョウエは苦笑いで、マデレイラは逃げるように村を後にした。

 なおヒョウエの言葉通り三時間ほど後には王国の騎兵隊が村に到着したが、彼らすらこの惨状にはどん引きしていたという。

 合掌。




なんだろう、好きな特撮番組のパロディをやろうとしただけなのに何故こんな阿鼻叫喚の地獄絵図に・・・w


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08-15 レース妨害活動の傾向と対策

「よう、お疲れさま。大活躍だったみたいじゃないの」

「うぐっ!?」

 

 三位のモニカから十分ほど遅れて第二チェックポイントでゴールした直後、待ち受けていたゴードから発せられたのがこの言葉だった。

 ポッドから降りてきたマデレイラが、強烈なボディブローを喰らったかのように身をかがめてうずくまる。

 その様子に苦笑しつつも両手を広げて、にやにやするゴードからうずくまる少女を遮ってやる。

 

「はいはい、いたいけな少女をいじめないよーに。大体わざわざ待ち受けて暇なんですかあなたたち」

 

 ちらりと見渡せばゴードの他にもカイヤンと神馬、モニカ・シルヴェストルもその場にいた。

 カイヤンはゴードと似たようなにやにや顔、対照的にモニカはうつむき加減で表情は優れない。

 

「いやいや、俺達もさっきゴールしたばかりなんでね」

「そうそう。すぐに部屋に引き取るのもなんでね。ちょっとぶらついていたのさ」

 

 顔を見合わせてニヤニヤと笑みを交わすゴードとカイヤン。

 

「お二人とも随分とウマがあったようで何よりですね」

「強い奴には敬意を払う。当然のことだ」

 

 皮肉にもまじめくさって――にやにや顔はそのままに――答えるカイヤンにヒョウエが溜息をついた。

 

「ん」

 

 とことこと、うずくまるマデレイラの方に神馬"天翔る銀の船(シルシープ)"が歩み寄る。

 首を下げて少女の頬に自分の鼻面をこすりつけるシルシープ。

 少女が立ち上がってその顔を撫でる。

 

「なに、慰めてくれてるの? ・・・ありが」

 

 ありがとう、と言おうとしたとき白馬が豹変した。

 

「ブヒヒヒヒヒヒ!」

 

 目を見開き、歯ぐきをむき出しにしてべろん、と舌を出すシルシープ。

 神馬などと呼ばれて崇敬されている生物とはとても思えない。

 

「うわあああああああああん! 馬にまで馬鹿にされたぁ!」 

 

 最早涙目で頭を抱えるマデレイラ。

 それを指さしてげらげら笑う駄目な大人二名。

 

「割と最悪ですねこの人たち」

 

 ジト目のヒョウエが呟いた。

 

「まあなんだ、レースを中断してでも村を助けにいったのはえれぇよ。ヒョウエもそうだがよくやったぜ嬢ちゃん」

「うむ、身内でもない奴を助けに行くのは馬鹿だが中々できることでもない。胸を張るがいい、小娘」

「だったら最初から素直に褒めてくれないかなあ!?」

 

 ついにマデレイラがキレるも、その程度で駄目人間たちの面の皮は破れない。

 

「いやー、だってあれ凄かったしなあ」

「まさしく地獄絵図とはあのことだったな。子供に見せて『悪い事をするとこうなるんだぞ』と言い聞かせれば効果抜群だろう」

「チクショー!」

 

 うがー、と吠える少女。

 駄目な大人たちはまたしてもゲラゲラ笑い、ヒョウエが何度目かの溜息をつく。

 

「うん?」

 

 今まで無言無表情で彼らを見守っていたモニカ・シルヴェストルが歩み寄ってくる。

 

「え」

 

 そしてそのまま、ヒョウエとマデレイラに対して直立不動で深々と頭を下げた。

 190センチはある長身のモニカの頭が、150そこそこのヒョウエの頭より下にある。

 

「えっ?」

 

 男二人が馬鹿笑いをやめ、マデレイラがきょとんとした表情になった。

 頭を下げたまま、モニカが口を開く。

 

「ヒョウエ殿。マデレイラ殿。申し訳なかった。村が襲われていたというのにあなた方だけを向かわせて、私はレースを優先してしまった。

 ありえない判断ミスだ。どうか許して欲しい」

「いやいやいやいや! それはしょうがないでしょ! モニカさん、村の様子を見て取れるような《加護》も魔道具も持ってなかったんだろうし!」

「そうですよ。あの時あなたが把握できた情報からすれば、レースの続行は問題ない判断です。気に病まれることはありません。何より、村人たちにも犠牲者は出なかったんですし」

 

 モニカが頭を上げたが、その表情は優れない。

 

「そう言って貰えると少しは気が楽になる。だが私がいれば手早く彼らを拘束することもでき、マデレイラ殿が、その、あの光線を放つことも・・・」

「わー! わー! それなし! もう言わないで!」

「わ、わかった。わかったが・・・その」

 

 マデレイラの勢いに押されて言葉を切るモニカだが、その視線がちらりとあさっての方を見た。

 

「?」

 

 ヒョウエとマデレイラがそれに釣られて後ろを見る。

 

「ありゃ」

「ぎゃああああああああ!?」

 

 ゲマイ魔道君主クレモント家自慢の高精度伝達幻像が、自信満々に良心呵責光線を放つマデレイラとそれを喰らってのたうち回る山賊たちの様子を延々リピートしていた。

 

 

 

(・・・それでどうなったの?)

(かわいそうに、完全にノックアウトされて部屋に籠もっちゃいましたよ)

(まあ、私たちも見てたけど凄かったもんね・・・)

(まあねえ・・・)

 

 昼食の後部屋に引き取ったヒョウエが、リーザと心で会話している。

 リーザの心の声には同情もあったが、呆れと苦笑の気配も多分に含まれていた。

 

(それより、レースの順位はどうなったの? ヒョウエくんが四位になってもの凄いブーイングが起きていたけど)

(それがですね、村を助けにいった分の時間もカウントするとのことで・・・四位はそのままです)

(えーっ!?)

 

 頭の中で大声が響き、思わずヒョウエは両耳を押さえた。何の意味もないとわかってはいるのだが。

 

(何それひどい! 誰かが困ってても見捨てろってことじゃない!)

(まあレースはレースっていうのも間違いではありませんからね・・・)

 

 とは言え不満は勿論ある。人命よりもレースが重いわけがない。

 少なくともヒョウエにとってはそうだ。

 

(問題はこれが一応は公正な審判の判断なのか、それとも何者かの思惑が関係しているのか・・・ですね)

 

 さすがの付き合いの長さか、ヒョウエの思念に込められた微妙なニュアンスをリーザが鋭く感じ取る。

 

(え・・・それって、ひょっとして今回の山賊が村を襲ったのって、ヒョウエくんを足止めするための罠だったってこと!?)

(少なくとも、山賊にあの村を襲え、ただし火事を起こさないようにと依頼した奴はいると思いますよ)

(火事?)

(例の良心呵責光線。あれで山賊の一人がそんなことを口走ってたんですよ。

 ここから先は推測ですが、数キロ先で煙が上がれば、何か起きているのはわかるでしょう? でも数キロ先で人を襲っているだけなら、よほどの視力がなければ何が起きているかはわかりません)

 

 少し間があった。

 

(ええっと、つまり、「ヒョウエくんにだけわかるような事件」をわざと起こしたってこと?)

(ではないかと思うんですけどね。調べる時間がないのが・・・そうだ!)

(ヒョウエくん?)

(今すぐ彼女に連絡を取って下さい。連絡先がわからないようなら・・・)

 

 最初は首をかしげていたが、説明を受けるうちにリーザも得心して勢いよく首を振る。

 

(わかった! 今すぐ伝えて探して貰うね!)

(よろしくお願いします)

 

 リーザとの思念接触を切ると、ヒョウエはすこし気の晴れた顔でベッドに寝転がった。

 

 

 

 翌朝。

 朝食を終えたヒョウエは宿舎を出て、街中に向かう。

 「冒険者の酒場」の看板を出している宿屋に入り、一階の酒場でワインを一杯注文してから一直線に卓に向かう。

 朝食をとっていた冒険者の何人かがヒョウエに気付き、指さして小声でひそひそと会話を交わしていた。

 

「や、どうも」

 

 テーブルには先客がいた。

 いかにも駆け出しの冒険者らしい粗末な革鎧に古びたマント、腰にはレイピア。

 ただし見るものが見れば剣の作りの良さや両手首の魔法のものらしき腕輪など、その辺の赤等級冒険者ではないことに気付くだろう。

 

「やあ、ヒョウエくん。あれ以来だね」

「お久しぶりです、サフィアさん」

 

 普段とは違う地味な格好に着替えたメットー屈指の女クライムファイター、サフィア・ヴァーサイルがにこりと笑った。



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08-16 助っ人参上

 挨拶を交わしてテーブルに着くと、ワインが運ばれてきた。

 

「わざわざいらして頂きありがとうございます」

「なに、報酬を貰って働くんだからボクとしては何も問題ないさ。

 まさかサナの《加護》にあそこまでの力があったとは思わなかったけどね。瞬間移動(これ)を経験できただけでも今回の依頼を受けた価値はあったよ」

 

 朗らかに笑うサフィアに笑みをこぼすヒョウエ。

 昨日、急遽リーザ達を介して連絡を取って貰ったのが彼女だった。

 実のところ、精神リンクしていればヒョウエ、リーザ、サナの三人は互いの能力をほぼ自由に使える。

 そうしてサナの瞬間移動の力でこちらに来て貰ったのだ。

 

 青い鎧のみならず冒険者としてもクライムファイターじみた真似をしているヒョウエであるが、目についた犯罪者を手当たり次第にというスタイルなので、実のところ真っ当な捜査活動は得意ではないし、得意な知り合いもいない。

 そこで数少ない例外であるこの男装の麗人に来て貰い、一連の流れを調べて貰ったのだ。

 

「すいませんね、時間がなかったもので。それでどうでした」

「カレン殿下と"狩人(ハンター)"氏の協力も得て、運営の外部スタッフとして潜り込めた。

 殿下に頂いた身分証明のおかげで山賊たちに聞き込みができたし、例の村にも行ってみた・・・多分君の推測、当たりだよ」

 

 ヒョウエが頷く。

 例の山賊に襲われていた村はここから1000km近くあるが、彼女にはこの前の事件の報酬としてディテク王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"から貸し出されている古代のアーティファクトの模造品、"銀の翼"がある。

 流石にヒョウエたちには遠く及ばないが、それでも時速500kmほどの速度は出るそれで手早く往復してきたのだろう。

 ちなみに型番にもよるが、ゼロ戦の最高速度が時速550km前後である。個人装備でそれに迫る性能を引き出せる真なる魔法の時代の技術がいかに優れていたかを窺わせる。

 

 今はもちろん装備していないが、恐らくは足元に転がしてある小ぶりな革袋の中に入っているのだろう。

 魔力を感じるそれは恐らく"隠しポケット"と呼ばれる魔法の袋。一抱えほどもある古代遺物(アーティファクト)も、魔法の袋であれば重さもサイズも関係なくしまい込める。

 閑話休題(それはさておき)

 

「山賊たちは『僕を』足止めするために雇われたってことですね」

「現状ではそう結論づけざるを得ない。もっとも、黒幕についてはさっぱりだからあくまで現状では、だけど」

「黒幕については何かないんですか?」

「魔法の達人と言うことくらいかな。黒いローブに身を包んでいて顔は影が差していてわからない、声もボコボコした変な響きで聞き取りづらかった、って言ってる」

「ふむ。幻影(イリュージョン)(シャドウ)、声は腹話術(ヴェントリロキズム)変音(サウンドチェンジ)あたりでしょうか」

「そのへんだろうね。それにそいつ、金に目がくらんで襲いかかろうとした山賊の一人を、睨むだけで燃やしたそうだよ」

「無音呪文ですか・・・!」

 

 無音呪文。名前の通りの高等技術だ。

 "大魔術師(ウィザード)"や魔導君主レベルの実力の持ち主かヒョウエのようなチート持ち、さもなくば特定の呪文だけをよほど鍛えた"一芸魔術師(エクスソーサラー)"のたぐいでなければまずものにはできない。

 たとえば火球(ファイアーボール)の呪文だけを徹底的に鍛える"火投げ師(ファイアスローワー)"と呼ばれる人々は、ほぼ例外なく火球の呪文(だけ)を無音で発動できる。

 火をつけたのは恐らく"火炎生成(プロジェクト・フレイム)"あたりだろうが、比較的初歩の呪文とは言えそれを無音で発動するのはやはりただものではない。

 

「やっぱり火事を起こさないように言い含められてたんですね?」

「大金の入った金袋を放り出してこれこれのタイミングであの村を襲え、時間は必ず守れ、何をしてもいいが火をつけるのだけはなしだ、火が付いたらすぐに消せ・・・それだけ言って姿を消したとか。

 もちろん、自分に襲いかかってきた馬鹿を火だるまにした後でね」

「・・・」

 

 沈黙が降りた。ヒョウエもサフィアも、考え込んで口を開かない。

 

「まあ考えていても仕方がありませんか。どう考えても情報が足りません」

「そうだね」

 

 サフィアが溜息をつく。

 彼女が"仮面(ペルソナ)"を切り替えて生み出される"探偵(ショルメス)"は"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のベテラン分析官をも凌ぐ情報分析力を持つが、情報がこれだけ乏しくてはいくら頭脳の冴えがあってもどうしようもない。

 

「カル・リス社が一番怪しいのは確かなんだけれどね。ここで何を言っても憶測にしかならないというか」

「ですねえ」

 

 溜息をついた後、ヒョウエが居住まいを正す。

 

「うん?」

「なので、サフィアさんには更に別途依頼をさせていただきたいんですが」

 

 サフィアが笑みを浮かべて頷く。

 

「もちろんだとも。そのために視覚強化と"迷彩(カモフラージュ)"の魔道具も用意してきたから」

「用意が良いですねえ」

 

 感嘆の面持ちでヒョウエが頷く。

 

「なに、"簡単な推理さヒョウエくん(Elementary , my dear Hyoue)"というやつだ。これが妨害であるなら間違いなく敵は二の矢三の矢を放ってくるだろう。

 キミがレースと自らの良心を両立させたいなら、キミほどではないにしろ機動力があって腕の立つ冒険者・・・つまりボクに対応を依頼するのが一番手っ取り早い。

 残念ながらここはディテクじゃないから、青い鎧が飛んできてくれるのも期待できないしね」

「そ、そうですね」

 

 もちろんそういう意図ではないだろうが、一瞬冷や汗を浮かべるヒョウエ。

 うん?と首をかしげた後サフィアが近辺の地図を取り出した。

 こちらもあらかじめ用意しておいたらしい。

 

「ボクの"仮面(ペルソナ)"、"探偵(ショルメス)"の推理によれば、次に襲われるとしたら恐らくここかここだね。ちょっと近いけどこちらもありうる」

「根拠は?」

「至極単純に大街道からの距離だよ。キミが気がつくことができて、他の参加者が気がつかない距離となると恐らく五キロから十キロの間。

 あちらもキミの視力の正確なデータは持ってないだろうから、ある程度試行錯誤にはなるだろうけどね。それと地形的にここは街道を歩いていると気付かないけど飛行していると気付くかも知れない」

「なるほど」

 

 感心しきりのヒョウエ。

 

「それではお任せしてしまってよろしいでしょうか」

「任された。というか、レースの行程を考えるとボクはもう出ないと間に合わないね。

 それじゃ」

「お願いします」

 

 そのままサフィアは立ち上がり、すたすたと酒場を出て行く。

 頼もしそうにその背中を見つめて、ヒョウエは注文したワインを口にする。

 一杯一ダコックの安ワインがやけに美味く感じた。

 

 

 

 その後、スタート地点に向かったヒョウエを待っていたのは極寒とは言わないまでもかなり冷たいマデレイラの視線であった。

 

「ふぅん。朝からお酒ですか。昨日はちょっと見直しましたけど、その評価は撤回しますね」

「え? いや、これは・・・」

 

 言い訳しようとするヒョウエの肩に、がしっとゴードの腕が回された。

 

「お嬢ちゃん、そこは理解してやりなさいよ。男にはね、呑まなきゃやってられないこともあるのよ!」

「何ですか、余計な口を・・・」

 

 逆側からがしっと回されるもう一本の腕。

 

「そうだぞ小娘。女が男の世界に踏み込むものではない」

 

 まじめくさった顔でカイヤン。ただし目が笑っている。

 対照的にマデレイラの視線の温度は急降下。

 

「見下げ果てた人たちですね。所詮あなたもその二人と同類ですか」

「違いますって!」

 

 結構必死で訴えるも、マデレイラがそれを聞き届けることはなかった。合掌。



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08-17 聞いてしまったね?

 三日目。

 ツートップでゴードとカイヤン、やや遅れてモニカ、大きく遅れてヒョウエとマデレイラという順位でスタートした第三区間であったが、順位は変わらずヒョウエとマデレイラがそれなりに差を縮めてゴールとなった。

 最後にゴールした二人を、それでも群衆が大きな歓呼の声で迎える。

 

「キャー! ヒョウエくーん!」

「ヒョウエ様ー! 愛してるー!」

「私とワンナイトメイクラブ!」

 

 無数の女性(一部男性)の黄色い声に、よそ行き笑顔で手を振るヒョウエ。

 生まれが生まれだけにこの辺は慣れたものだ。

 一方で同じ貴種で美形でオタクでも、割と引きこもり属性持ちのマデレイラはそうもいかない。

 

「メガネッ子最高ー!」

「俺に良心呵責光線を撃ってくれー!」

「キミになら悶え苦しめられてもイイ!」

「~~~~~~~っ!」

 

 一応は手を振ろうとキャノピーを開けて起き上がったマデレイラだったが、心ない(?)ヤジに顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 

「マデレイラちゃんはメガネを外した方が可愛い。メガネは所詮デバフに過ぎないからな!!」

「何だとこの野郎」

 

 一部で殴り合いも起きたがそんなものは目にも入らず、キャノピーを閉じたマデレイラはそのまま"ドルフィン"で宿舎の方に飛んで行ってしまった。

 

「ご愁傷様」

 

 ヒョウエが盛大に溜息をついた。

 

 

 

 用意されていた宿舎で食事をとって部屋に引き取る。

 しばらくそうしていると、胸元のメダルが僅かに震動した。

 

「・・・」

『・・・・・・』

 

 メダルに向かって何事かを呟き、ヒョウエは部屋を出た。

 部屋の外で警護していた兵士たちが着いてくると強硬に主張するので、まあいいだろうと同行を許す。

 どのみち聞かれても問題のある話ではない。

 

「やあヒョウエくん・・・そちらの方々は?」

 

 ギルドの酒場で待っていたサフィアと合流。妙な顔をされたが肩をすくめると大体察したようだった。

 

「そちらのお二方に好きなものを。僕には香草茶で」

「はっ、ありがたくあります」

 

 しかつめらしく返事をする兵士達だが、ここぞとばかりに高い蒸留酒を注文するあたりはちゃっかりしている。

 まあトップランク冒険者のヒョウエに比べれば、ヒラ兵士の俸給など冗談抜きで百分の一にもならないのでそのへんはしょうがあるまい。

 酒をおごってそれなりに仕事熱心な兵士達を黙らせると、ヒョウエはサフィアと差し向かいになる。

 

「それで、どうでした? それらしきものは見かけなかったのでうまくやってくれたと思いますが」

「そうだね。こことここの周辺で見つけたけど」

 

 と、地図を指しながらサフィア。

 

「どちらも村から10キロほどのところで発見できたし、特に強い奴もいなかったし、全員片付けられたよ。さっき賞金を受け取ったところさ」

「勤労の対価ですね」

 

 笑い合うヒョウエとサフィア。

 冒険者ギルドには基本的に嘘発見の魔道具が設置されており、依頼外の山賊や魔物を退治したときはこれの検査を受けて宣誓すれば証拠がなくても賞金が支払われるシステムになっている。

 

「それで、そいつらの依頼人は?」

「ああ、やっぱりだよ。黒いローブにボコボコした変な声。キミが通る時間帯を見計らって火をつけずに村を襲え、とね。無音呪文で山賊を燃やしたところまで同じだ」

「あらま。どっちのです?」

「両方さ」

 

 ヒョウエが溜息をつく。

 

「山賊って奴は・・・」

「物事を考える頭があれば山賊なんてやってやしないさ」

 

 肩をすくめるサフィアがちらりと兵士達の方を見る。

 先ほどまで滅多に口にできない高い酒を楽しんでいた二人は、「おい俺達結構ヤバい話聞いちゃったんじゃないの?」と顔を青くしていた。

 

「あ、あの。口を出す立場ではありませんが今のお話は・・・」

「安心したまえ。もちろん運営には伝えてあるし、恐らくは王国の上の方にも話は行ってるだろうね」

「で、ですか」

 

 露骨にほっとする二人。

 だが悪魔は心の緩んだその瞬間に牙をむく。

 

「でもこの事は内密にされているからね。正直聞かれてしまったのは困ったなあ。

 キミ達も昼から高い酒を飲んでいるところを見られたら、痛くもない腹を探られる可能性もあるかもねえ?」

「うっ!?」

 

 一転して兵士の顔がこわばる。

 安心して酒を口に含んでいたもう一人は不意打ちを受けて、折角の高い酒を吹き出していた。

 

「ゲホッ! ゴホッ!」

 

 酒を吹いた兵士が激しくむせる。

 気管支に強烈なアルコールが入れば、まあたいていの人間はそうなるだろう。

 吹き出した酒の方は空中にしぶきとなってピタリと静止している。

 反射的に念動障壁を張ったヒョウエの仕業だ。

 ぱちんと指を鳴らすと高濃度アルコールのしずくが酒臭い臭いを残して蒸発した。

 

「・・・」

 

 ちらちらと、不安げに周囲を見渡す兵士その一。

 彼にとっては不幸なことにサフィアもヒョウエもとびきりの美形であり、しかもヒョウエは今や時の人だ。酒場に入って来た瞬間から周囲の視線は彼らに集まっている。

 数こそ少ないが、「何で兵士が私のヒョウエくんと一緒にいるんだよ、しかも昼間から高い酒飲みやがって」という嫉妬の視線もある。

 

「・・・」

「何、任せておきたまえ。悪いようにはしないとも。もちろんキミ達がボクのためにちょっと働いてくれたら・・・の話だが」

 

 むろん兵士達には引きつった顔で頷く以外選択肢はなかった。

 

(悪い顔してるなあ)

 

 呆れと感心半々くらいのヒョウエの視線に気付くと、この男装の麗人はいたずらっぽくウィンクをして見せた。

 

 

 

「うわあああああああああああ!」

 

 広場に悲鳴と怒号が混じり合ったようなマデレイラの絶叫が響く。

 

 四日目。

 レースの順位はゴードとカイヤンが抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じている以外は変わらず、しかし下位の三人も徐々に差を詰めてきている。

 レースは前半戦、まだ慌てるような時間じゃないと言うことだろう。

 

 それはそれとして何故マデレイラが叫んでいるのかと言うことだが、今回ゴール地点の広場がパブリックビューイングの会場を兼ねており、巨大な幻像がゴール地点からよく見えたことにある。

 それだけならどうと言うこともないのだが、問題はレースが終わったことでこれまでの名シーンダイジェストが流れていたことだ。

 

『心の星よ、愛の炎よ、その身のうちに甦れ――コンシェンシャス・ウェーブ!』

 

 "ドルフィン"の上に仁王立ちのマデレイラの右手の平から緑色の波打つ光が放たれ、横たわる山賊たちを包む。

 響き渡る絶叫と、血を吐いてのたうち回る山賊たちの映像の地獄のマリアージュ。

 

「ぎゃああああああああああああああああ」

 

 マデレイラが頭を抱えて絶叫するのも致し方あるまい。

 

「いいぞ嬢ちゃん!」

「山賊め、ざまあみろだ!」

 

 純粋に彼女を褒め称えるものもいるのだが、今のマデレイラにとってはそれすらも羞恥心をえぐり出す天国と地獄の重ね拳。

 泣きながら運営本部に殴り込もうとする彼女をモニカとヒョウエと運営のスタッフが必死で制止し、ゴードとカイヤンは酒瓶を片手にゲラゲラ笑ってそれを眺めていた。

 合掌。

 

 

 

「・・・遅いですね」

 

 例によって昼食をとり、待ち合わせ場所のギルドの酒場で待つヒョウエ。

 今日も途中で村が襲われていたりする様子は見えなかったのでうまくやってくれたとは思うのだが、決して時間にルーズではないサフィアのこと、気にもなる。

 

(リーザの精神通話を補助してくれるペンダント、サフィアさんにも渡しておくべきでしたかねえ)

 

 胸元のメダル、その実は通信用の魔道具にも応答がない。

 やきもきしていると黒いローブの人影が二人、酒場に入って来た。

 

「失礼」

 

 迷う様子もなく一直線に歩いてくるその人物は一言断ってヒョウエの前に座る。もう片方がその後ろに立った。

 座った方は懐に手を入れ、警戒するヒョウエの前でゆっくりそれを抜く。

 

「!」

 

 テーブルの上に置いたのは翡翠をひとかけら埋め込んだ、緑色の小さな銅板。

 緑等級冒険者の認識票だ。

 

(まさか)

 

 こわばる顔。

 そのままゆっくりと、黒ローブが認識票を裏返す。

 そこにはサフィア・ヴァーサイルの名前が刻まれていた。



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08-18 V-MAX

「・・・・・・・・!」

 

 ぴりっ、と空気が緊張する。

 黒ローブが取り出したサフィアの認識票。

 指一本動かしはしないが、ヒョウエの全身に戦意が満ちる。

 

「・・・」

 

 黒ローブはどちらも無言。だが座っている方がゆっくりと手を上げてヒョウエを制止する。

 

「・・・」

 

 緊張を僅かにゆるめ、しかし何が起きても即応できるように体の力を抜く。

 そのヒョウエの目の前で、黒ローブがゆっくりとフードを引き上げる。

 

「・・・!」

「ふふふ。驚いてくれたようねぇ? お久しぶり、ヒョウエくん」

 

 年の頃は16、7くらいの少女。

 そして年齢に見合わない蠱惑的な魅力。

 カル・リス社会頭の孫娘、ミン・ニム・ボーインだった。

 フードを――ヒョウエに目線が見える程度に――戻して、ワインを注文する。

 

「大丈夫よ。サフィアさんなら医神(クーグリ)の神殿で静養してるわ。傷が深かったので今は眠って貰ってるけど」

「何があったんです?」

「昨日あなたがひっかからなかったんでおかしいと思ったお婆さまが、次の手を打ったのよ。緑等級でも一人じゃ厳しいだけの戦力を揃えて、それを"翼の騎士(フリューゲルリッター)"にぶつけたの。

 で、私と部下がそれを助けて上げたってわけ」

「ですか。・・・それで、何故あなたがここに?」

 

 平静を装ったつもりだが声に内心が出たのだろう、くすくすとミンが笑った。

 あるいは常日頃言われているように顔に出ていたのかも知れないが。

 ミンが懐から小さい三角錐のようなものを取り出して何事かを呟く。

 酒場の喧騒が遠くなった。

 

「沈黙の結界ですか」

「大丈夫、心配しないで。私は味方だから・・・と言っても信じられないかぁ。

 そうね、最初から話しましょうか。あなた、カル・リス社について調べるくらいはしたんでしょう?」

「ええまあ」

「イナ・イーナ・ボーインに息子や娘がいたって話、聞いたことがある?

 あるいは夫でもいいわ」

「・・・いえ。全く不明でした」

「でしょうね」

 

 ミンの顔から笑みが消えた。

 

「あの女と私はね、実のところ全く血縁関係なんてないのよ。

 私はただの町娘で、ある時両親が死んで途方に暮れていたところでご親切にもあの女が引き取って私を孫にしてくれたわけ。

 どういう訳かあいつは強い《加護》の持ち主を捜し出せるらしいのよ」

「ではあなたも?」

 

 こくり、とミンが頷く。

 

「パーティ会場でも見たでしょう? 私の《加護》はあれよ。《魅了の加護》。魔法とかじゃなくて純粋な魅力でくらっときちゃうらしいわね。

 同じような境遇の子は沢山いるけど、私を『孫』にしたのはそれだけ利用価値があったってことなんでしょうね。実際飴も色々用意されてるし」

「カル・リス社のためにあれこれ働いてきたと」

「まあそういう事ね。詳しく聞きたい?」

「やめておきましょう。どう考えても気分のいい話じゃない」

「賢明ね」

 

 両手を上に向けて肩をすくめる。

 ミンが僅かに笑ってワインで唇を湿らせた。

 

「それで・・・まさかとは思いますが、ひょっとしてご両親は」

「証拠はないわ。私がよそのうちにお出かけしている間に、両親が貝の中毒で死んで私だけ残った、というのはまああり得なくもないでしょう。

 けど、その葬式も終わらないうちに『遠縁ですが』とひょっこり聞いたこともない親戚が出てくるのはどう考えてもあやしいわよね」

「・・・」

 

 ヒョウエが腕を組んで天井を睨む。

 反対にミンが身を乗り出した。

 

「そういうわけよ。私はあの女の商会をどうにかしてぶっ潰したい。

 あれを死刑台に送れれば最高だけど、少なくともあいつの野望をくじいてやることくらいはしたいわ。手を貸してくれないかしら」

「その言い方だと、会頭の犯罪の決定的証拠は見つけていないようですね?」

 

 顔を向けてくるヒョウエに、悔しそうな顔で頷くミン。

 

「ええ。奴は海千山千の怪物よ。こっそり動いてたのもあるけど、ほとんど情報は集められていない。なくはないけどどれも尻尾切りされたらおしまいってレベル。

 奴はあちこちから集めてきた、強い《加護》を持つ子飼いの使い手を集めて強力な集団を組織してるわ。

 戦闘に長けた人間、魔導に長けた人間、諜報活動や経済活動に長けた人間もいる。

 どいつもこいつも一筋縄じゃ行かない連中ばかりよ――何人かはたらしこんだけど、本格的にあの婆と敵対することになった場合、どれだけ私のために動いてくれるかはわからないわ」

 

 後ろに控える黒ローブを見上げて、ふうと溜息をつく。

 そのミンを静かに見据えるヒョウエ。

 

「ですが何か考えがあるんでしょう? 僕に話を持ちかけてくるからには」

「ええ。まあ単純な話だけど・・・レースに勝って。少なくとも一位を争って」

「会頭を刺激するわけですか」

「そうよ。そして妨害に出て来たらそれらを全てあなたと私で撃破する。

 どうもあいつ、随分と今回のレースにご執心らしいの。うまく行けば焦って隙を見せるかもしれないし、何らかの証拠をつかめるかもしれない」

「しれない、ですか」

「言ったでしょ、奴は怪物よ。正直こうしてあなたと会っていることだって露見しているかも。それでも私はもう、あいつの靴を舐めるのは嫌なのよ」

 

 うつむくミン。机に置いた両拳が硬く握られ、震える。

 しばらくそれを見た後、ヒョウエが頷いた。

 

「いいでしょう。それで、手はずは?」

「サフィアさんとも話しあう必要があるけどまずは・・・」

 

 

 

 五日目の朝。

 今日もまたマルガム・グランプリの幕が上がる。

 例によってほぼ同時にスタートするゴードとカイヤン。

 一分半ほどしてからモニカ。

 その後五分ほど空けてヒョウエとマデレイラだ。

 

 「こいつにだけは負けない」という執念、最早怨念めいたものを込めてヒョウエを睨みつけるマデレイラ。

 どこ吹く風と、杖をいじっているヒョウエ。

 それらを横目に見ながらモニカはスタートを切った。

 

 

 

 光の粒子を纏わせて飛行しながらモニカは考える。

 

(そろそろレースも五日目。ここまではトップでも下位でもないうまい位置を維持できたがそろそろ仕掛けるべきか)

 

 モニカの体を包む粒子は、モニカの《二元の加護(バイナリー)》と呼ばれる《加護》の賜物だ。

 モニカは肉体を半ば謎のエネルギー(どういうエネルギーなのかはモニカにも、ライタイムの学者たちにもわからない)に変換することによって飛行やエネルギーの光線を発射する能力を得る。

 変換度合いを強めれば強めるほど出力は上がるが、制御は難しくなるし生物としての身体機能にも不自由をきたすようになる。暴走すれば元の人間に戻れなくなる可能性もあると学者たちからは忠告されていた。

 

(だがこのままでは埒があかん。後ろの二人が隠し球を持っていないとは限らないのだ。

 リスクをとってでも前に、祖国の名誉のために、最下位になることだけは避けねばならん)

 

 自分が見逃した山賊を見逃さず、レース途中だというのに助けにいった二人。

 それゆえに自分が現在得ている三位というリードに良心が痛む。

 その呵責を押さえつけてエネルギーの変換度を上げようとしたその一瞬、モニカは何もかもをも忘れて後ろを振り返った。

 

「ヒャッホォォォォォォ!」

 

 恐ろしい勢いでカッ飛んでくる鋼色の杖と、青いローブの少年術師。

 呪鍛鋼の杖の後ろの端からは輝く炎がプラズマとなって噴出し、文字通りほうき星のように尾を引いている。

 そのまま一瞬のウィンクを残して、ヒョウエがあっさりモニカを抜き去った。

 呆然とするモニカがまた振り向いた。後方からの声。

 

「ま・ち・な・さぁぁぁぁぁい! あなたにだけは絶対負けないんだから!」

 

 その後を追ってくるのはマデレイラの魔導ポッド"ドルフィン"。

 その周囲には無数の緑色の光る筋が走り、まるで光のトンネルを走っているようだ。

 こちらはモニカには目もくれず、しかし同様に彼女を抜き去っていく。

 どんどん距離を離していく二人に一瞬呆然としたモニカだったが。

 

「・・・ハッ」

 

 男前な笑みが自然と浮かぶ。

 

「やらせんぞ! そう簡単に私の前を飛べると思うなよ!」

 

 その体がまばゆく光り輝いた。

 エネルギー変換度を一気に限界近くまで上げ、モニカもまた大幅に速度を上げる。

 その顔には、一瞬前までの鬱屈とした表情はかけらも残っていなかった。



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第四章「一発逆転」
08-19 仕切り直し


 

 

「触れもしないスピードには どんなパワーも通用しない」 

 

     ――アイシールド21――

 

 

 

「しかしつまらんな!」

「何がだい、カイヤンの旦那!」

 

 果てない荒野に続く一本の大街道。

 地平線の彼方まで人の影とてないそこを、ゴードと神馬が駆けてゆく。

 

 双方それなりに全力で走っているとはいえ、マルガム・グランプリは長距離走だ。

 一区画を走りきるのに、彼ら超人の足をもってしても二時間か三時間はかかる。

 それゆえに、ラストスパート以外でならこうした軽口を交わす余裕もあった。

 

「リタイアしてしまったシロウとか言う奴はしょうがないが、仮にも俺と競えるだけの敵手が四人もいるのに、俺と真っ向から勝負しようとする奴はおまえだけだ!

 小賢しく策を練っている奴など、競うにも値せん!」

「なるほどね」

 

 ゴードが笑った。

 

「けどそれは心配ないんじゃないの? レースも半分過ぎるし、そろそろ本気出してくるよきっと」

「ふん、そうだといいがな・・・どうした、"天翔る銀の船(シルシープ)"?」

 

 二人の会話に割り込むように、短くいななく銀の馬。

 

「!」

 

 表情を引き締めてカイヤンが振り向く。

 遊牧民の生活で鍛えられ、冒険者として更に能力を伸ばしたその目は、10キロ先の野ネズミをたやすく見つけ、昼間に星を見る。

 その超人的視力が捉えたのは地平線の彼方に光る三つの光点。

 常人なら存在にも気付かないだろうそれを、カイヤンは確かにヒョウエ、マデレイラ、モニカの三人であると見てとった。

 向き直ったカイヤンの顔を見て、ゴードが口笛を吹く。

 

「よう、どうしたい旦那。そんないい笑顔しちゃって? ・・・ははあ、やっぱり追いついて来たか」

「笑う? そうか、俺は笑っているのか」

 

 目を見開き、歯をむき出しにしてカイヤンは笑っていた。

 ただし、そこにあるのは肉食獣の、これから獲物を食いちぎり引き裂く喜び。

 子供なら泣き出してしまいそうな狼の笑み。

 白い馬が嫌そうにいなないた。

 

「そうだな、シルシープ。覚悟を決めろ。今回ばかりは死ぬまで走ってもらうぞ!」

「ブヒヒヒヒヒヒヒィン!」

「いや死ぬまでは勘弁してやれよ!?」

 

 神馬の抗議とゴードのツッコミにも馬耳東風、狼の笑みを浮かべたカイヤンが馬の腹を蹴る。

 

(? 今・・・)

 

 馬の腹を蹴った足と、蹴られたところから力の波動が弾けるのを感じるゴード。

 魔法の才能がないとは言え、感覚の鋭い人間(多くの高位冒険者が該当する)や《加護》を磨いた人間はそうした魔力や《加護》の波動をある程度感じる事ができる。

 

「ヒヒイイイイイイイイイイイン!」

 

 悲鳴のようないななきを上げて、シルシープが猛然と加速する。

 今までの競い合いである程度相手の限界はわかっていたつもりだが、その推測をも上回るそれ。

 

「おっと、他人の事気にかけてる場合でもないね! ここは一つ、お兄さんも本気出しますか!」

 

 ズレかけていたゴーグルをぴん、と弾いて位置を直す。

 自分の奥底、滅多に手を伸ばさない領域に手を伸ばし、「それ」を引きずり出す。

 

(入った)

 

 ゴードの視界に映る世界。それが一斉に青くなった。

 海や湖に入る事になぞらえてゴードが「飛び込み」と言っているそれの正体は青方偏移。光のドップラー効果により近づくものが青く見える現象。

 ゴードの《加速の加護》がもたらす、通常あり得ないそれ。

 今振り向けば逆のドップラー効果により後方の世界が赤く見える(赤方偏移)だろう。

 

 この《加護》はただ物理的に加速するわけではない。全力を出せばそれは使用者の周囲の時間そのものを加速する。

 本来音速を超えたときに発生する衝撃波やソニックブームをゴードが出していないのはそれゆえだ。

 死ぬ気で神馬を走らせるカイヤン。恐らくは奥の手を出して猛追してきているヒョウエたち。

 

「さぁ、こっからがレースだぜ!」

 

 最高にハイな表情で叫び、ゴードは先行したカイヤンに向かって更に加速した。 

 

 

 

「ぬぐぐぐぐぐ! 『これ』をもってしても追いつけないとは!」

 

 光に乗って空を駆ける魔導ポッド"ドルフィン"の中でマデレイラは歯ぎしりをしていた。

 "ドルフィン"を包む緑色の流れる光の正体は、ポッドの力で生み出した疑似空間。

 周囲の世界の法則を一時的に書き換え、高速移動やその他のさまざまな効果を生み出す古代の大魔術。

 

 仮想次元空間(イマジナリー・ディメンション)、マデレイラが「マジン空間」と呼ぶそれの中では空気抵抗は関係ない。

 飛行し続けるのに魔力の消費もいらない。機体にかかる負荷もゼロ。

 その維持にかなりの魔力を必要とすることを除けば、全てが"ドルフィン"に都合の良い空間だ。

 

 だが。

 だというのに、あの小憎らしい女みたいな顔の術師、崇拝する姉アンドロメダから弟の如くかわいがられている生意気な少年(※マデレイラの主観)はそれでもこの古代遺物の先を行く。

 スタート直後にいきなり杖から火を吐いて加速した、それに少し遅れてマデレイラがこの機能を発動させたから、スタートダッシュで出遅れた分はしょうがない。

 だがその差は縮まるどころか僅かずつながら開いている。

 何度も何度も計器で確かめたから間違いない。

 

「お・の・れぇぇぇぇ~~~~~っ!」

 

 怨念すら籠もった絶叫がポッドの中に響き渡った。

 

 

 

「あはははははははははは!」

 

 対照的にヒョウエは高笑いのまま飛行を続けている。

 ヒョウエのスピードアップの理由は簡単。

 念動力で飛んでいるところにロケットエンジンを追加しただけだ。

 念動障壁で筒状の構造を作り、その原始的な燃焼室の中にヒョウエの金属球「計都(ケートゥ)」の力でロケット燃料を生成する。後は同じく「(アンガーラカ)」の金属球の力で高温燃焼させるだけ。

 

 ちなみにロケット燃料の術式を刻み込んだのは《創造の加護》を持つイサミだ。自分の加護で物品を作り上げる過程のいくつかを術式に落とし込むことに成功したイサミは、それらを実験的にヒョウエの金属球に封じたのだ。

 なお次なる段階として核パルス推進の実現を企んでいたようだが、ヒョウエの必死の説得とアンドロメダが叩き付けた花瓶(金属製)によって、どうにか断念させることができた経緯がある。

 閑話休題(それはさておき)

 

 ともかく、念動力だけで音速を実現できる魔力と出力限界を誇るヒョウエだ。

 燃料の生成と燃焼室の維持に魔力と魔力経絡を割り振る必要があり、また小型でかなり原始的なものとはいえ仮にもロケットエンジン。

 地球脱出速度を叩き出す同類には遠く及ばなくても、その推進力は全力のヒョウエの念動に匹敵、もしくは凌駕する。

 

 単純に合計して、今までの二倍以上の加速。

 レースの開始以来つきまとっていた陰謀への警戒、それによって全力を出せない鬱屈から一時的にでも解放されたヒョウエは、今全身全霊で楽しんでいた。

 この世界では恐らく誰も体感したことのない重力加速度でさえ、今のヒョウエが感じる高揚を打ち消すことはできない。

 

「かっとビングだぜ、オレ!」

 

 前世で気に入っていたアニメの名セリフを叫び、ヒョウエは更に加速した。




BS7で遊戯王ZEXAL好評放送中!

アフリカの平原などに住む人たちは、今でも視力6~8くらいを維持してるそうです。
更に極々稀には視力20なんて人がいて、そう言う人は昼間でも普通に星空が見えるとか。
坂井三郎(「大空のサムライ」ですな)は戦闘機パイロットとして視力の特訓をして、昼間でも星が数個は見えたそうです。
逆にタレントのオスマン・サンコンは視力6.0だったのが、日本で暮らし続けて視力1.2に落ちたらしいです。
「あなたは一日に13キロの山道を歩けますか?」ではないですが、人間は適応の動物なんですなー。


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08-20 熱狂と冷徹

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

『いったいったヒョウエがいったー! いや、ヒョウエ選手だけではない! マデレイラ選手、モニカ選手もトップの二人を猛追! ぐんぐんと差が縮まっていく!

 おおっと、ここで先頭の二人も大きくスピードを上げた! ぬるい走りをしてるんじゃねえトップはオレだと言わんばかりの傲岸不遜!

 これはもう全くわからない! トップの二人が逃げ切るか、追う三人が差し切るか、まさに待ったなし触れなば切れなんの一触即発のレース展開だーっ!」

 

 ヒョウエがモニカを抜き去った瞬間、世界中のパブリックビューイングで大歓声が起こる。

 初日の事故、二日目のヒョウエたちの順位ダウンに続いて三日目四日目と順位の変わらない単調な展開で焦らされた分の勢いが今一気に吹き出していた。

 

「いいぞ! 差せ! 差し切れ!」

「負けるな音速の騎士! オレぁおめえに賭けてんだ!」

「マデレイラちゅわーん!」

「モニカお姉様ー! がんばってー!」

「カイヤンの! ちょっといいとこ見てみたい!」

 

 各国ではそれぞれの国の代表に対する応援が飛び交う。

 もっとも外見やら賭けやらで他国代表を応援する人間もいるし、代表の出てない国で特定の代表選手を応援する人間もいる。

 

「勝て! 頼む、勝ってくれヒョウエくん!」

「おたくディテクの人だろ。音速騎士が勝ってもおたくのとこの勝ちなんだからいいじゃん」

「ディテクだけ二人出てるってずるいよな・・・あ、わかった。あの子に大金賭けたんだろ。それともそう言う趣味か?」

「いや、うちタム・リスの下請けなんで・・・」

「「あ、そういう」」

 

 閑話休題(それはさておき)

 

「! 動きましたか!」

 

 カイヤンには届かないまでも、姉弟子から借りだしてきた感覚強化の魔道具の力によって、ヒョウエは先頭の二人の動きを察する。

 やはり奥の手を隠していたのだろう、二人ともこれまでのペースを考慮した走りではない。特にゴードはヒョウエとの競争の時にも見せなかった全力中の全力。

 だが、それでもなおヒョウエの方が僅かに早い。

 後ろを確認し、キャノピーの中で歯ぎしりするマデレイラと、笑みを浮かべるモニカの顔を確認する。

 

「ふふふ、みんなで楽しもうじゃないですか。今だけは僕も何も考えず、レースを楽しませてもらいますから・・・!」

 

 「流れる星(Ketu)」の金属球を介して燃焼室に更に大量のロケット燃料を送り込む。

 内部の圧力が更に上がり、噴射炎が一段と大きくなる。

 燃焼室の念動障壁を強化しつつ、ヒョウエは笑顔で更なる重力加速度を受け入れた。

 

 

 

「ってな具合で、今頃楽しんでるんだろうなあ、ヒョウエのヤツ」

「・・・見てもいないのに勝手に決めつけるのは邪推というものでしてよ、モリィさん」

「けどあいつならそんな感じだろ絶対」

「・・・」

「・・・」

 

 モリィの断言に、一応はたしなめたリアスも沈黙する。

 透明の結界を張っているカスミもフォローらしきものは口にできない。

 

「まあ確かにヒョウエくんならそんな感じかなぁとも思うけど、無駄話はほどほどにね。

 特にモリィ君の目は今のボクたちの命綱なんだから」

「へーい」

 

 苦笑するサフィアに生返事を返すモリィ。

 今、彼女たちは高度1000mの空中にいた。

 ヒョウエの介入を狙って騒ぎを起こすであろう山賊と、それについているであろうカル・リス側の戦力に対応するためだ。

 カレンに無理を言ってサフィアと同じ飛行魔道具を借り受け、カスミの術で姿を隠しつつモリィの目で山賊たちを探している。

 今回襲われそうなもう一つの村にはミン・ニム・ボーインとその部下たちが向かっているはずだった。

 

「しかしこの・・・白の翼は難しいですわね」

「銀の翼。白の翼はオリジナルな」

「どっちでもいいじゃありませんの。白の翼を元にして作られたのでしょう、これは?」

「違うのだ!」

「ふわっ!?」

 

 いきなり形相を変えたモリィにリアスが軽く引く。

 

「"白の翼"は英雄(ヴァイスフリューゲル)だけのもんだ。オリジナルに敬意を払え!『LESSON4(レッスンフォー)』だ!」

「は、はい」

 

 普段ならカチンと来て思わず言い返しているだろうリアスだが、今回は自分の方が地雷を踏んだらしいのが何となくわかる。

 何がレッスン4だかよくわからないが(多分ニホン産のスラングか何かだろう)、妙な勢いのモリィに逆らわない方が良さそうだと判断して素直にコクコクと頷いた。

 

「よし。まあお前重いからな。あたしらは思った通りに飛べる感じなんだが」

「誰が重いですって!?」

「鎧! 鎧のことだよ!」

 

 今度は攻守一転、リアスが般若の形相でモリィに噛みつく。

 当然だがソフトレザー・ジャケットのモリィとサフィア、「着込み」程度のカスミに比べて全身金属鎧を装着しているリアスは重い。

 普段軽々と動けているのは筋力強化がかかっているからであって、軽量堅牢な魔法合金製とは言え、やはりこの四人の中では突出して重い。

 リアスが女性としては体格がいいからなおさらだ。

 だが、だとしても女性に体重と年齢の話を振ってはいけない。たとえ同じ女性であっても。たとえ同じ女性であっても。

 

 ちなみにカスミの「着込み」とは薄く小さな金属の輪を縫い付けた服だ。

 チェインメイルではない本来の意味での「くさりかたびら(鎖を縫い付けた服の意)」である。忍者のみならず武者が鎧の下に良く着ている。

 ドラマなどで鎧を脱いだ武者の鎧下に黒く小さな何かが着いていたりするのがそれだ。

 チェインメイルの概念が日本に入って来たときに訳語としてこれが当てられたが、本来はリングメイルアーマーの方が近い。

 閑話休題(それはさておき)

 

「お、見つけたぜ。ひのふの、30人ちょいってところか」

 

 ぎゃあぎゃあじゃれあいながらも、きっちり仕事はしていたモリィ。

 リアスも即座に口を閉じて臨戦態勢に移行する。

 

「山賊だけかい?」

「いや、間違いなくカル・リスなり地元の殺し屋なりが混じってるな。

 山賊が30人くらいだけど、その中に明らかに歩き方が違う奴が五人混じってる。

 同じような小汚ねえ格好はしてるがその辺のごろつきじゃねえ、殺しのプロだ。

 多分真っ向からやりあったらサフィアの姐さんでも二、三人が限度だろ。

 後、少し離れた所に透明化して後をついてきてる術師っぽいのが一人いる」

「おおう」

 

 思わず声が漏れる。

 同時に思わず呆れた表情が出てしまったがボクは悪くあるまい、とサフィアは思う。

 

「この距離からよくもまあそこまで・・・本当に便利な《加護》だな」

「姐さんだって大概だろ」

 

 肩をすくめて返すモリィ。

 まあ剣士と魔術師と探偵と運動選手とスパイと芸術家と職人その他を同時に兼ねられるサフィアの《加護》だって確かにとんでもない。

 ゲームで言えば通常の人間が三つしか技能を取れないところ、三十個技能を取れるようなものだ。

 そのたとえで言えば同時に使える技能が三つという制限はあるが。

 

「で、どうするんだ? 今はあんたがリーダーだぜ、姐さん」

「そうだね。まずは後方に降りて不意打ちで術師を倒そう。尋問したいからなるべく生け捕りで。

 透明化に気付かれるようならモリィ君が雷光銃で何とか術師を倒してその後は流れかな。

 ただ一つ聞いておきたいんだけど、カスミくんの作る闇、モリィくんは見通せるかい?」

「問題ないぜ」

「よし」

 

 一つ頷いてサフィアは話を続ける。

 

「ならばまず術師を倒し、その後カスミくんは相手を闇で包んでくれ。それ以外は何もしなくていい。ただ相手を闇から出さないように。

 そこにモリィくんが手練れのヤツを狙って雷光銃を撃ち込む。うまく始末できたら、後は雑魚を掃討するだけだ」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 三人娘が絶句してサフィアを見る。

 

「? なんだい?」

「いや、えげつねえなサフィア姐さん・・・」

「地の利は活かすものさ。こちらで地の利を作れるときは尚更ね」

 

 そう言って、この百戦錬磨のクライムファイターは色っぽく微笑んだ。

 

 

 

 その後のことは詳しく語るまでもない。

 おおよそはサフィアの立てた計画通りに運んだ。

 まず不意を打たれた術師はリアスの峰打ち一発で昏倒させられた。

 「透明の術を使える人間は、得てして他者がその術を使ってくるとは思わないものです」とはカスミの言だ。恐らくは一族に伝わる戒めだろう。

 その後突然闇に包まれた殺し屋たちをモリィがあっという間に射倒す。

 いかに手練れとは言え、右往左往する山賊に巻き込まれて回避もままならない状態ではいかんともしがたかった。

 そして残りのごろつきたちを片付けて彼らの仕事は終わった。

 

「なんつーか・・・あっさりしたもんだなあ」

「策がはまるというのはこういうことさ。あらかじめわかっていればいくらでもやりようはある。さて、それじゃ尋問タイムと行こうか?」

 

 昏倒した術師を見下ろして朗らかに笑うサフィ。モリィが肩をすくめた。



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08-21 青い弾丸

『すっごぉーい! 少しずつ、しかし確実に距離を詰めるヒョウエ選手!

 トップの二人、ゴード選手とカイヤン選手も更にスピードアップしている!

 にもかかわらず、それでもなおジリジリと差を削っていく!

 さながら達人は動いていないような僅かな足運びで少しずつ移動するという、ニホン武術の奥義を思わせる!』

 

 幻像から響く実況者の声。

 その声をかき消すほどの大声援が各地のパブリックビューイングから響く。

 どこにこれだけの人がいたのか、レースの意味を理解して応援しているのか、そんなことはどうでもよかった。

 人々はただ魂を削るような熱いデッドヒートにつかの間酔いしれていたのだ。

 

 

 

「マジかよ、これでも追いついてくんの!?」

 

 カイヤンほどの超人的な感覚は持っていないはずだが、それでも野性の勘と言うべき何かでゴードはヒョウエの猛追を捉えた。

 切り札を切りながら、それでも追いつかれつつあることに軽くはないショックを受ける。

 だが。

 

「楽しませてくれんじゃないの、ヒョウエ! それでこそ俺の友! 好敵手!

 おまえも、カイヤンも、お嬢ちゃんたちも、俺の前は走らせねえ!」

 

 それすら楽しめる精神性こそゴード・ソニック。

 不利であればあるほど、追い詰められれば追い詰められるほど燃え上がる。

 

「負けねえぞおらぁぁぁぁぁっ! 取りあえずカイヤン! シルシープ! 俺に道を譲れぇっ!」

 

 叫びながら、ゴードは猛然と突進した。

 むろんカイヤンも譲れと言われて譲るタマではない。

 一層激しく神馬の腹を蹴り、もっと走れと急かす。

 

 魔力の流れを見ることのできるものなら馬の横腹を蹴る足、手綱を握る手から馬の口元、尻から鞍を通して馬の背中へ、それぞれ不可思議な魔力が流れ込んでいるのが見えただろう。

 それこそはカイヤンの《騎手の加護》。

 時に馬神とも呼ばれる騎神(フリフット)の与えるそれは文字通り人馬一体の境地へと使い手と乗騎を導いてくれる。

 

 馬の横腹と足、手綱や鞍を通して繋がる魔力は二つの生き物を一つに繋げるライン。

 それは意志を疎通する神経であり、魔力を流れ込ませる血管であり、人と馬という異物を直接繋げて連動させるための腱ですらある。

 

「この期に及んで出し惜しみは無しだぞ"天翔る銀の船(シルシープ)"!

 このまま手を抜いて負けてみろ、貴様ひき肉(ミンチ)にして刻みニンニクとタマネギで()えて食ってやるからそう思え!」

「ブヒヒヒンッ!?」

「おいおいおい」

 

 驚愕と恐怖と抗議のない混ざった神馬のいななき。

 斜め後ろまで追いついて来たゴードが、ハイテンションを一瞬真顔に戻して突っ込んだほどの暴言。

 もしダルク人が聞いていたら、暴動か戦争が起きていただろう。

 ダー・シ配下の術師たちが音ではなく映像だけを念視し、投影していたのは幸いなことであった。

 

 

 

「待て待て待て待て! 私を抜き去って、そのままで済むと思うな! ミスタ・ヒョウエもそうだがまずはあなたからだ、レディ・マデレイラ!」

「モニカさんか! 正直あいつ以外の相手なんてどうでもいいけど・・・それでも抜かれるのはいい気はしないわね!」

 

 一方で後方でも熾烈なデッドヒートが展開されている。

 かたやマジン空間を展開、光に乗って空中を走る魔導ポッド「ドルフィン」。

 かたや自らの体を半ば光の粒子に変えて流星の如く天翔る風の精霊(シルヴェストル)、モニカ。

 

 どうでもいいと言いつつ、マデレイラもやはり抜かれるのも最下位になるのも面白くないと思う。

 モニカもそれは同じだ。違う事と言えば、先ほどまでは祖国の名誉のためであったのが、そうではなくなったことくらい。

 

(ともかくもこのお嬢さんには――)

(このお姉さんには――)

 

((負けない!))

 

 期せずして心の声を同調させる二人。

 恐らく面と向かって聞かれれば言下に否定するだろうが、今や彼女たちもまた存分にレースを「楽しんで」いた。

 

 

 

『走る! 走る! 走る! 跳ぶ! 跳ぶ! 跳ぶ!

 これまでの激走をも更に上回るデッドヒートを見せるディテク代表"音速の騎士(ソニックナイト)"ゴード・ソニック! ダルク代表アル・グ氏族のカイヤン!

 そして呪鍛鋼(スペルスティール)の杖から竜の吐息の如く火を吐き出し、猛烈な勢いで差を詰めてくるもう一人のディテク代表、第二次レスタラ戦役の英雄ヒョウエ!

 弱冠十六歳ながら数千のゴブリンに単騎挑み、炎の呪文でことごとく焼き尽くした大魔術師(ウィザード)

 若くして黒等級、将来は金等級確実と言われる逸材、炎のアルペンローゼがこのレースでもついにその本領を発揮するのかーっ!』

「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!」

 

 ヒョウエが聞いていたら恐らく盛大に顔を引きつらせていたであろう実況に、パブリックビューイングの大観衆達が最早人の声とは思えない咆哮を上げて熱狂する。

 走る人と馬、後を追う空飛ぶ杖。

 その差は確実に縮まっていくも、第五区間のゴールはもうすぐだ。

 

『追う! 追う! だが届かないか! 届かないか! 差は縮まっていくも、この区間で逆転は無理そう! だが良くやった! がんばった! 山賊に襲われた村を助け、それが理由で圧倒的な差を開けられてもめげなかった不屈の少年!

 運営をののしることもなく、あくまでも正々堂々とレースに臨むその姿に我々全てが勇気をもらいました!

 この第五区間では届きませんでしたが、第六区間では・・・な、なんとぉっ!?』

 

 一瞬、さすがの海千山千の実況担当者が絶句した。

 杖の後方から火を吐いて飛行していたヒョウエの、後方の炎が爆発した。

 いや、それは錯覚。文字通り爆発的に巨大化した噴射炎がそう見えただけ。

 

 噴射炎の直径は今や三倍、いや五倍。

 むろんそれ相応の推力もセットだ。

 

 爆発的に巨大化した噴射炎の、爆発的に増大した推力。

 おそらく五の自乗、従前の二十五倍。

 

「なっ!」

「なにいっ!?」

「ヒンッ!?」

 

 驚愕に顔を歪める二人と一頭を置き去りにし、圧倒的な速度でゴールを通過。

 大歓声が巻き起こった。

 

「え」

「あっ!?」

 

 その大歓声が一転して悲鳴に変わる。

 後方から噴射していた炎が消失すると同時に杖がコントロールを失い錐もみする。

 そのままルートを逸れ、領主の館とおぼしき城館の城壁に激突、そのまま壁を崩壊させてヒョウエの姿は瓦礫と土煙の中に消えた。

 

「ヒョウエくんっ!?」

「ヒョウエ様!」

 

 顔を青くして立ち上がるリーザとサナ。

 一方頭を抱えるイサミと手で顔を覆うアンドロメダの夫婦。

 

「あの馬鹿、制御そっちのけでエンジンの本数増やしやがったな!」

「本当にあの子はもう、無茶を・・・!」

 

 次の瞬間、世界中で安堵のため息が漏れた。

 何事も無かったかのように瓦礫をかき分けて歩み出てくるヒョウエ。

 土ぼこりまみれではあるが無傷。少年が自らの勝利を誇示するように拳を突き上げる。

 再び、全世界のパブリックビューイングは熱狂に包まれた。



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08-22 自分の言葉は必ず自分に跳ね返る

「参ったねこれは」

「まるで貝だな」

 

 ヒョウエが大歓声を受けている一方で、そんなことはつゆ知らず頭を抱える人々もいる。

 山賊たちを全滅させてから数十分後、三人娘とサフィア達は苦り切った顔で溜息をついていた。

 最初に昏倒させて残しておいた黒ローブの術師を(雷光銃と刀を突きつけた上で)尋問してみたのだが、大抵の犯罪者なら口を割らせることのできるサフィアの尋問テクニックをもってしても何ら成果は上げられなかった。

 口が固い以前に、何を訊かれても何も答えない。明らかに尋問に対するトレーニングを積んでいる反応だ。

 

 拷問も考えてはみたがサフィアはQBからその手のテクニックを伝授されていないし(曰く「向いていない」とのこと)、カスミもいろはをさっと教わった程度だ。

 それくらいならカレン、"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"に引き渡した方がまだしもだろう、と言うことで話がまとまり、

 サフィアが冷却呪文で失神させた上で拘束する(人間は脳の温度が30度以下になると意識を保っていられなくなる)と、彼女たちは術師をぶら下げてヒョウエが――ミンも――待っているであろうチェックポイントの街に向けて飛び立った。

 

 

 

「「「ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ!」」」

「うぬぬぬぬぬ!」

 

 歓声を受けるヒョウエをマデレイラが睨んでいる。

 怒りの余りメガネから破壊光線(ビーム)が出そうなご面相だ。

 例によって流されているレースダイジェストの例のシーンも最早気にならないようだ。

 自慢の魔導ポッドの切り札を切って、それでもなおヒョウエに負けたことがよほどプライドを傷つけたらしい。

 

 隣に立っていたモニカ(何とかマデレイラが四位はキープした)が苦笑しながら頭を撫でてやるが、マデレイラはその手を乱暴に振り払って女冒険者をきっと睨む。

 身長差は50センチをゆうに超えるので、かなり首の角度が苦しそうではあるが。

 プルプルと震えながらそれでも自分を睨みつけるマデレイラを見て、モニカの苦笑はますます深くなるようだった。

 

 いつもならそれをゲラゲラ笑って見ていそうな駄目な大人二人も、今回はその元気がない。

 終盤のスパートで疲労困憊しているのもあるだろう。

 だが一番大きいのは全力を出して負けたこと。

 つまりはマデレイラと同じだ。

 二人はちらりと視線を交わした後、ものも言わずに別れてその場を去っていった。

 

 

 

「「「ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ!」」」

 

 歓声にしばらく応えて愛想を振りまくと、ヒョウエは激突した石壁に向かって"修理(リペア)"の呪文を発動する。

 

「おおおおおおおおおおおおおお」

 

 歓呼の声が感嘆と驚愕の声に変わった。

 ドラゴンでもぶつかったのかと言うくらいの大穴を開けて崩壊した壁が見る見るうちに復元していき、完全に元通りになる。周囲の壁より新しく立派に見えるくらいだ。

 

「「「ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ! ヒョウエ!」」」

 

 更に熱を帯びて響き始めた声援に軽く手を振って応えると、ヒョウエは護衛の兵士を伴って与えられた宿舎に引き取った。

 

「うん?」

 

 部屋の前に籠を持ったメイドと共に運営のスタッフ。

 二人が深々と頭を下げる。

 

「お疲れさまでした、ヒョウエ選手。部屋の中に湯と桶、着替えがご用意してございます。お召し物は洗濯してすぐにお届けしますので・・・」

「ああ」

 

 どうやら汚れてしまったので気を利かせてくれたらしいと合点して、笑顔で頷く。

 

「ありがとうございます。お湯はありがたく使わせて頂きますけど、洗濯は結構ですよ」

「え? しかし・・・」

 

 パチン、とヒョウエが指を鳴らした。

 土ぼこりにまみれたヒョウエの格好に視線をやった二人と後ろの兵士たちの目が丸くなる。

 帽子、上着、袖、すそ。

 土の色にまみれていた布地が、すうっと元の青さを取り戻していく。

 

 魔力を見る事ができれば、魔力の波に洗われた部分から汚れが取れていくことに気付いたろう。

 十秒も経たずに、ほこりまみれだったヒョウエの帽子とローブは元の青さと鮮やかな金糸銀糸の綺羅綺羅しさを取り戻していた。

 もう一度パチンと指を鳴らすと、今度は自前の"清掃(クリーニング)"の呪文で顔や髪についた土ぼこりがすっと消える。

 

「ほわああああああ」

「まあこう言うわけで、魔法の服ですので洗濯はいらないんです」

「ははー・・・・・・・」

 

 驚きすぎて変な声を出すメイドと、言葉にならない運営スタッフ。

 

「それではこれで。お湯ありがとうございました」

 

 一礼してヒョウエは部屋の中に入った。

 

 

 

 桶に張った湯に浸かり、体を手ぬぐいでぬぐう。

 ぬるくなると"発火(イグナイト)"の呪文で沸かし直し、体がポカポカしてきたところで用意してもらった新しい下着に替え、ごろりとベッドの上に転がる。

 

「あー・・・極楽ですねえ」

 

 できればこのまま寝てしまいたいのだが、現状はそれを許さない。

 それでも(ヒョウエの基準からしても)大量の魔力を練った疲労からうとうとしていると、一時間ほどでそれが来た。

 

(ヒョウエくん?)

(ああリーザ。みんな来ました?)

(うん、モリィさんたちから連絡があった。それより大丈夫?)

(大丈夫ですよ。多少ぶつけましたけど、この程度どうってことはありません。大体リーザもサナ姉も心配しすぎなんですよ・・・)

 

 言ってから「しまった」と思うヒョウエ。

 まるで目の前にいるかのように、幼馴染みの少女の中で拳銃の撃鉄がガチンと落ちるのが見えた。

 

(ヒョウエくん?)

(はい)

 

 面と向き合っていたら思わず正座していたであろう。

 寝転がったヒョウエの背筋がぴんと伸びる。

 

(私も、サナ姉さんも凄く心配したんだからね!? モリィさんたちだって!

 私たちがヒョウエくんのこといつも心配してるのわかる!?)

(はい、存じております。すいません)

 

 全面降伏の平謝り。

 「女を怒らせたときはとにかくあやまれ」とは父親の薫陶である。

 

(そうですよヒョウエ様。ヒョウエ様の無茶には慣れておりますが、あの時は見ていて心臓が止まるかと思いました)

(はいすいませんサナ姉。おっしゃるとおりです)

(そうだよ! それで心配しすぎって! 心配するに決まってるじゃない!)

(はい、このたびは不用意な発言でご不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございませんでした)

 

 珍しいことにサナまで参加してくる。

 普段は気を利かせているのかリーザとの会話に割り込んで来ることは滅多にないのだが、今回ばかりは控えめな女執事も腹に据えかねたらしかった。

 

(聞いてるの、ヒョウエくん?)

(いいですか、ヒョウエ様?)

(はい、聞いております。ご心配をおかけして申し訳ないと思っております)

 

 心の中でひたすら平身低頭するヒョウエ。

 二人がかりのお説教はそれから更に十分ほど続いた。

 モリィ達が待っていなければ更に二十分は続いたであろう。

 因果応報。

 



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08-23 耳年増してもいいころ

「遅かったな。始めちまってるぜ」

「すいませんね、ちょっとありまして」

 

 冒険者の酒場に行くと、既にモリィ達とミン達が揃っていた。

 もちろん護衛はまいてきたし、ヒョウエの姿は幻影で別人に変わっている。

 あてがわれた部屋のベッドではヒョウエの幻影が高いびきをかいているはずだ。

 

 三人娘やミンも言われなければわからないほどの変装をしていた。

 ミンは護衛なのか三人の男女を連れていたが、彼らも恐らくはそうなのだろう。

 サフィアを入れた八人は既に運ばれてきた料理を腹に入れ始めていた。

 

「当てて上げましょうかぁ。女の子とトラブルでしょ。恋人か誰かに泣かれちゃったかしらぁ?」

「ああ、派手にやらかしたらしいな。リーザとサナさんにお説教喰らったか」

 

 眼を細めて、根拠もないのにずばり言い当ててくるミン。

 にひひと笑ってこちらも正確に事実を指摘するモリィ。

 いたずらっぽく笑って肩をすくめるサフィアはまだしも、リアスとカスミにも「ああ」と納得顔をされている事に納得がいかない。

 

「女難を退けてくれる神様っていませんでしたかねえ」

 

 ヒョウエは割と本気で天を仰いで嘆息した。

 

「まあ取りあえず食事にしますか」

「お、ごまかしたごまかした」

「あーうるさい」

 

 女性陣(ミンのお付き含む)の視線から逃れるようにヒョウエが席に着き、料理を勢いよく腹に詰め込み始めた。

 実際、昼時である。加えて先ほどまでのレースでヒョウエ基準でもかなりの魔力を消費しているので随分と空腹だった。

 九人分の料理があっという間に卓の上から消えていく。追加注文した料理も来る端からヒョウエの胃袋に直行だ。

 慣れている三人娘もふくめ、他の八人がまじまじとその様子を見ている。

 

「・・・その体のどこにそれだけ入るのかしらねえ。私より小さくて細いのに」

「それがあたしらも疑問なんだよなあ」

 

 ミンとモリィ。いつの間にか気安くなってる二人が溜息をついた。

 

 

 

「あー食べた食べた。ごちそうさまでした!」

 

 ヒョウエが大きく息をついた後、両手をぱしんと合わせる。

 恐らくは十人前ほどの料理がその胃袋に収まっているはずだ。

 ゆったりしたローブを着ていることもあるが、その腹はほとんど膨らんだように見えない。

 ミンのお付きたちが幽霊でも見るような目でその様を見ていた。

 

「そう言えばサナが言ってたなあ。魔法を沢山使った後のヒョウエくんの食事を作るのは大変だって」

「これの面倒見れるのはあの姐さんくらいだろうなあ・・・」

「わ、私だってどうにかしてみせますわ! ・・・料理人を沢山雇って・・・」

「・・・」

 

 「お嬢様、こう言う時に他力本願は評価が下がりますよ」と口にしないのがカスミの優しさである。

 

「おめー他力本願かよ。だっせーな」

「何ですって!?」

 

 一方で遠慮なしに口に出すのがモリィだ。

 「本当の事を言うときは馬のあぶみに片足をかけておけ(=逃げる準備をしておけ)」とか、「その通り だから余計に 腹が立ち」とか、昔の人はうまいことを言ったものである。

 閑話休題(それはさておき)

 

「それじゃ反省会と行こうか。こっちは山賊25人、手練れの殺し屋らしき人物五人を片付けて、術師を一人確保した。これは"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"に既に引き渡してある」

 

 まず口火を切ったのはサフィア。"犯罪と戦う者(クライムファイター)"である彼女には割と普段の活動の延長線上だ。

 それに口を尖らせて抗議するのはミン。

 

「あいつらに引き渡したの? こっちに渡してくれれば使い道もあったのに!」

「かも知れないけどね。彼女たちにも恩は売っておきたいのさ。それにまさかキミ達の方が"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"より優秀な尋問要員を抱えているわけでもないだろう?」

「むう」

 

 口をへの字にして黙り込むミン。

 そうしていると意外に年相応の少女に見える。

 

「まあでも、私のところにはいないけどお婆さまには気を付けなさい。

 あいつのところには多分"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェイル)"なみの尋問官がいるから」

 

 すっ、とサフィアの眼が細められた。

 

「それは尋問術の達人かな? それとも魔術か、あるいは《加護》か」

「私も詳しくは知らない。でもよほどの相手でも抵抗できずに情報抜かれるような事は言っていたわ」

「ふむ・・・」

 

 首を横に振るミンに、サフィアが考え込む。

 代わってヒョウエが口を開いた。

 

「ここにいるところを見るとそちらもうまくやったようですね?」

「もちろん。ただまあ、それも今日まででしょうけどね」

「ですね」

 

 頷くヒョウエ。

 

「そっか、連続で対処されたら」

「当然攻め手は変えてくるわ。多分、ヒョウエくんを直接狙ってくるんじゃないかしら。それも多分レースの合間に」

「ですね」

 

 モリィが気付き、ミンの言葉にヒョウエが頷く。

 一応護衛の兵士は付いているし大会の方でもスタッフが待機しているが、相手がヒョウエの実力の一端なりと知っている以上、相応の手練れを送り込んでくるだろう。並の兵士や冒険者では役に立たない。

 

「・・・今日来ますかね?」

「ないとは言えない、かな」

 

 恐らくカル・リス社、イナ・イーナ・ボーインの配下はマデレイラのそれを大型化したような十数人乗りの高速魔導ポッドを使っている。

 ミン達も同じものを使っているが、これは10人ほどが乗れる代わりに「銀の翼」より更に遅い時速300kmが限界(それにしてもこの世界では驚異的な速度だが)だ。

 今イナ・イーナがいるはずのメットーからでは、一万kmほど離れたこの場所には丸一日半ほどかけねば到達できない。

 だから状況の変化に即応はできない、はずなのだが・・・。

 

「あの妖怪ババァが"瞬間移動(テレポート)"の使える術師の一人くらい確保してても驚きはしないわね」

「でしょうね。それこそ運送関係の大商会ですし、どこかの転移術師にコネがあってもおかしくはないでしょう」

 

 頷き合う。

 

「取りあえず、今夜からサフィアさんとモリィ達は僕の部屋に泊まって貰えます? できれば透明化の術をかけた上で」

 

 リアスの顔にぼんっ、と血が昇った。

 

「ヒ、ヒョウエ様とどどどどどど、同衾っ!? そんな、いけませんわ! まだ婚約も交わしておりませんのに! いえですがヒョウエ様がお望みなのであれば・・・」

 

 妄想が暴走し恋情が炎上するズッコケさむらいドンデラリアスを、ヒョウエが無表情に、モリィが醒めた目で、サフィアとミンが面白そうに、ミンのお付きが唖然と。

 そしてカスミが深い深い溜息をついた。

 

「なあカスミ。取りあえずぶっ叩いて正気に戻すか?」

「お気遣いありがとうございます。ですがこう言う場合に特効薬がございまして」

 

 ニヤニヤするモリィの提案を断り、カスミが椅子の上に立ち上がる。

 

「ああ、駄目ですわヒョウエ様、嫁入り前の娘にその様なことを・・・」

 

 更に耳年増の妄想がヒートアップする駄目娘の耳元に、カスミが何事かを囁く。

 

「・・・」

「!?」

 

 リアスの体が硬直し、顔からさっと血の気が引いた。

 ぎぎぎ、と音を立てそうな動きで傍らの、妹のような侍女のほうを振り向く。

 

「か、カスミ・・・な、なんで・・・」

 

 カスミが片目をつぶり、リアスの唇に人差し指を当てる。

 

「語らぬが華、と言うこともあろうかと存じます、お嬢様」

「・・・」

 

 その笑顔の前に、リアスは沈黙するほかなかったようである。



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08-24 アストロレーサー

 ヒョウエの部屋に泊まり込んで一夜を明かした三人娘とサフィア達だったが、幸いなことに刺客の襲撃はなかった。

 翌朝にまた護衛をまいて、冒険者の酒場で朝食を取りがてら作戦会議。

 

「まあ取りあえず僕は昨日までと同じようにレースをやってればいいんですよね」

「ええ。最悪このまま尻尾をつかめないとしても、あなたがレースで優勝してくれれば、お婆さまの野望はくじけるわ」

「このまま諦めてレースの流れに任せてくれれば良いと思うんだけどね。キミはどう思う?」

「私もそう思うけど・・・まあ、ないわね。あのクソババァのことだし」

「で、ございますか」

 

 溜息をつくカスミ。

 一方で彼女の主は一瞬で戦闘モードに入っている。

 

「かまいませんわ、カスミ。来るというなら残らず切り捨てるまででしてよ」

 

 忍者は徹底したリアリストで、武士や騎士はリアリストとロマンチストの混合物だ。

 諜報者である忍びと、戦闘者であるサムライの差とも言える。

 

 談笑からシームレスで殺し合いができる精神性。それを支えるのは戦士としての誇り。

 そういう意味ではリアスは既に一流のサムライ、少なくともそうなれる素質があった。

 

「・・・ふぅん」

 

 ミンがそれを面白そうに見つめている。

 彼女のお付き達も昨日の醜態との落差に少々驚いているようだった。

 こちらは少し感心顔のサフィアが地図を広げた。

 

「今日も一応周囲の村に網を張っておこう。今までの基準で行くならこことここ、後こことここも回っておくべきかな」

「そうね。私は異論ないわ」

「僕もです」

 

 一同が席を立った。彼女らの移動速度で対応を考えるなら、レース開始の一時間以上前には出発しないと間に合わない。

 

「それでは無事でまた会えることを願っていますよ」

「はっ、余計なお世話だぜ。お前はレースに集中してりゃいいんだよ」

「ご武運を祈っております」

「頑張ってくださいませ、ヒョウエ様」

 

 三人娘のそれぞれの激励に頷くと、ヒョウエは身を翻して冒険者の酒場を出た。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! かっとビングですよ、僕!」

 

「突き抜けろぉ! 青く! もっと青く!」

 

「俺の魔力全てくれてやる! 貴様も使い切れ、"天翔る銀の船(シルシープ)"!」

「ヒヒィィィィン!」

 

「光に乗れぇ! 吠えろ稲妻ァ! お姉様の弟を自称するあいつに天誅をォ! ボボ、リミッター解除よ!」

『しかしご主人様、この時点でリミッターを解除すれば機体の負担が・・・』

「構わない! あいつにだけは負けたくないの!」

『・・・了承しました。"READY"』

 

「負けない! もっと、もっとだ! 限界まで削り尽くせ! 燃やし尽くせ!」

 

 火を吐く杖にまたがるヒョウエ。

 自分の足一つで音速を叩き出すゴード。

 白き残像となって駆け抜けるカイヤンと神馬シルシープ。

 緑の流れる光に包まれて宙を飛ぶマデレイラとサポートAIボボ。

 半ばエネルギーの塊となって空を駆けるモニカ。

 

「すばらしい! 我々は今夢を見ているのでしょうか! いかに魔導、いかに奇跡、いかに神より授かった《加護》や神獣、古代魔道の叡智を集めたアーティファクトがあると言えど、人がこれだけの速度で競い合えるなど誰が思ったでしょうか!

 序盤の波乱、第三区間から第四区間の偽りの安定を経て第五区間での大逆転!

 あのヒョウエ選手の猛追撃からの一位フィニッシュに、選手も、観客の皆さんも、そして我々実況にも火が付いた!

 怒る心に火をつけろ! 一レース完全燃焼! タマとバットは男の証! 失礼、代表のうち二名にはツいておりませんでした! 謹んでお詫び申し上げます!」

 

 五人と一匹と一体が繰り広げる壮絶なデッドヒート。

 実況と観客の熱狂も最高潮に達している。

 下品な失言にブーイングも飛ぶが、ほとんどの観客はレースに熱狂している。

 

 結局のところレースは前日と変わらない順位でゴールした。

 トップにヒョウエ、やや遅れてゴードとカイヤンがほぼ同着、更にやや遅れてマデレイラとモニカ。

 だが疾走二時間、レースの様子を中継する幻像から目を離す観客はほとんどいなかった。

 

 

 

 そのまま三日が過ぎた。その間襲撃はない。村が山賊に襲撃されることもなく、ひたすらレースの熱狂の中に日々が過ぎていく。

 が、周辺を警戒するモリィ達の不安は逆に膨らんでいった。

 相手が何も仕掛けてこないわけはない。あるいは既に仕掛けられているのではないか――そんな不安に耐えながらも、ヒョウエを含めた八人は自分の仕事をこなしていった。

 

 九日目の昼。

 レース後、例によってあてがわれた部屋に引き取り、用意された昼食をとってごろりと横になる。

 リーザやサナがいたら注意されるところだが、今ここには二人ともいない。

 

「あー、解放感ですねー」

 

 別にリーザたちや三人娘のことが嫌いなわけではないが、一人でゴロゴロしていたい時間というのはどうしてもある。

 男なら尚更だし、レースがらみのあれこれで神経が疲れているのもある。

 寝台の上でうとうとしていると、馴染みの声が脳裏に響いた。

 

(ヒョウエくん、聞こえる?)

(あー、聞こえますよ。感度良好)

(・・・ご飯食べた後横になってなかった? 少し反応鈍かったけど)

(いえいえ、そんなことは)

(ふーん?)

 

 しばしの沈黙。

 あ、これ絶対ばれてるなと思いつつも、おとぼけを続けるヒョウエ。

 やがてリーザの方が溜息をついた。今回は見逃してやるというサイン。

 何だかんだと言って彼女はヒョウエには甘い。そして今回はもう一つ理由もあった。

 

(もういいよ。それよりも急いで。モリィさんから思念が届いたんだけど、かなり切羽詰まった状態になってるらしいの)

(! 誰か怪我でも?)

(わからない。生きるか死ぬかの瀬戸際って感じではないけど断言はできないよ)

(わかりました。今すぐ行きます)

(ヒョウエくんも気を付けてね?)

(ええ、もちろん)

 

 幼馴染みとの精神通話を切り、ヒョウエはベッドから跳ね起きた。

 

 

 

 幻影での変装やカモフラージュを済ませ、リーザから聞いた冒険者の酒場に小走りで急ぐ。

 朝食をとる冒険者たちで騒々しい酒場の中でただひとつ、険しい顔で無言の卓。

 モリィ。リアス。カスミ。サフィア。そしてミンのお付きの三人。

 ミンだけがいない。

 彼女らの顔が、ヒョウエを認めてほっとしたように緩んだ。

 

「何がありました?」

 

 挨拶ももどかしく、席についてすぐ尋ねる。

 

「それが・・・」

 

 モリィがちらりと、ミンのお付きの三人の方を見る。

 顔を見交わすと、この中ではリーダー格らしい20代後半ほどの女が口を開く。

 体にぴったりした革の上下、ミンほどではないが色気を振りまくタイプのあだな女性である。

 

「それがねえ、その・・・ミンちゃんが捕まっちゃったんだよ」

「・・・!」



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08-25 超スーパーカー ガッタイガー

 ミン・ナム・ボーインが捕まった。

 その情報に一瞬固まるがすぐに気を取り直す。

 

「状況はどういう?」

「それなんだけどさぁ・・・」

 

 ミンのお付きの女性――「ムーナ」と名乗ったが恐らく偽名かコードネーム――の話によれば、ここ数日やってきたようにルート沿いの村周辺を見回っていたところ、村を目指して移動している賊の群れらしきものを見つけた。

 いつものように姿を消して強襲しようとしたが返り討ちにあい、ミンを取り戻したければヒョウエがレース中にこれこれに来い、というメッセージを伝えられて放置されたのだという。

 

「強かったんですか?」

「強かったのもそうだけど、あたしらの装備や戦い方、《加護》まで熟知していた動きだった。手も足も出なかったよ。ありゃうち(カル・リス)の人間だね・・・」

 

 意気消沈する三人組。

 ヒョウエが三人娘とサフィアの方に視線を向けると、それぞれが頷いた。

 

「あたしらの方もそんな感じだった。サフィアの姐御がいなかったら負けてたかもしんねえ」

「こちらも、明らかに戦法を熟知した上で対策を取られてたね。雷光銃を弾く魔道具、ボクの力場の剣を相殺する力場の盾、リアスくんの"白の甲冑"でも防げない音波攻撃、透明化を見破る術師と対策する魔道具・・・地力で何とか押し切ったようなものだよ」

 

 肩をすくめるサフィアに、硬い表情でリアスとカスミも頷く。

 ヒョウエの見たところ三人組と三人娘の間にはそこまでの実力差はない。

 雷光銃や白の甲冑、力場の腕輪などの強力な装備品が明暗を分けたのかもしれなかった。

 

「お願いだよ、ヒョウエさん、いや殿下! ミンちゃんを助けておくれよぅ!」

 

 うっすらと涙を浮かべてリーダー格の女が懇願する。

 それを断ることはヒョウエにはできなかった。

 ためいき。

 

「あなたたちとミンさんに貸し一つですよ。それも大きな」

「!」

 

 三人組の顔がぱっと明るくなる。

 

「すれてねえ奴らだな、裏稼業のくせに」

 

 モリィが苦笑を漏らした。

 

 

 

 翌日。

 ライタイム国境の町から始まる最終区間、いよいよ笑っても泣いてもこれで最後。

 ヒョウエ、ゴード、カイヤン、マデレイラ、モニカ。

 順位こそ変わらないが、既にその差は先頭のヒョウエから最後尾のモニカまで時間にして一分を切っていた。

 

 誰が勝ってもおかしくない僅差。

 今日の終わりに先頭に立っているのは誰か。

 それが、いやが上にも観客たちの熱狂を駆り立てる。

 

「ヒョウエーッ!」

「ゴードーッ!」

「勝ってくれカイヤン! お前はダルクの誇りなんだ!」

「マデレイラ様ーっ!」

「モ・ニ・カ! モ・ニ・カ!」

 

 むろんアグナムを除くそれぞれの代表選手の故国でも、選手たちに対する声援は否応なしに最高潮に達している。

 ディテクの首都メットー。ダルクの遊牧民が交易のために集う「石の町」。魔導の都クリエ・オウンド。ライタイムの古都アトラ。

 それらの国の地方都市やアグナムを含めたその他の国の都市に設置されたパブリックビューイングは、一つの例外もなく熱狂と声援に満ち満ちていた。

 

「うおおおおおおお!」

「来た来た来た来たぁ!」

 

 最後の号砲が鳴った。

 ヒョウエが、ゴードが、カイヤンと"天翔る銀の船(シルシープ)"が、マデレイラの魔導ポッドが、輝く流星となったモニカが次々と飛び出していく。

 

 大歓声。

 ここまでの九日間、熱狂してきたように。

 いや、それ以上の熱いクライマックスを見られると、観客は信じて疑っていなかった。

 

「え?」

「あれ」

「おい、どうした?!」

 

 ざわめく会場。

 パブリックビューイングの幻像はそれぞれの選手について一つずつ。

 加えて地図上に選手を示す色違いの光点が表示されるものの、計六つ。

 そのうちまずヒョウエを映していた幻像が消えた。地図上の光点はそのままだ。

 それに続いてマデレイラ、モニカ、そしてゴードとカイヤンを映した幻像も消え、地図上の光点だけが残った。

 

「おいどうした、幻像来てねえぞ!」

「早く戻せ!」

「あの点が動いてねえってことは、全員止まってるってことか・・・?」

 

 首をかしげるものもいるが、大多数の観客は怒濤のブーイング。

 それが怒号になり、観客たちが騒ぎ出すのにはそれほど時間はかからなかった。

 

 

 

 メットー北西区画のとある豪邸。

 ゲマイの魔導八君主の一人、「ゲマイの死なない王様」ことダー・シ・シャディー・クレモントが数ヶ月間借り上げているその場所には、今や無数の魔道具と術師が詰め込まれ、全世界にレースの幻像を中継する放送拠点となっていた。

 今回の放送の責任者の一人である術師が、通信用の魔道具から口を離してダー・シに向き直る。

 

「各地のパブリックビューイングが荒れており、暴動になりかかっている場所も複数あります。この際放送を再開しては・・・?」

「ダメヨ。選手たちガ全員自発的にビーコンを外してるんダカラ。

 無理に放送したラ後で何があるかわからないワッ。選手の中ニハ、王族や魔導君主家の人間だっているのヨ!」

 

 広い部屋の中央、輿に乗ったままヒョウエたちの幻像を見ているダー・シが部下の進言をはねつけた。

 今回のレース中継、魔導ビーコンを首から外せば幻像はカットされると言うことになっているが、それは選手の都合を優先した処置にすぎない。

 ダー・シ配下の術師たちによる念視はあくまでビーコンを目標として発動しており、ビーコンを遠くに捨てでもしない限り念視は維持される。

 捨てた場合でもヒョウエやシルシープのような化け物じみた魔力を持っているのでもない限り、元から念視や千里眼を得意とする彼らの術を防ぐことは難しい。

 なので、現在各地への中継を切っているだけでヒョウエたちへの念視は続いている。

 

「しょうがないワネッ! これまでのダイジェストを流してお茶を濁しナサイッ! すぐにレースは再開しますって言っておくのも忘れずにネッ!」

「は、はっ!」

 

 ダー・シの命令一下、部下たちがきびきびと活動を再開する。

 

「・・・」

 

 指示や報告が飛び交う中、ダー・シはヒョウエたちの幻像をじっと見つめた。

 

 

 

「――と、言うわけです」

 

 溜息をつきつつ、ヒョウエは説明を終えた。

 周囲にはレース参加者である四人と一匹と一台が勢揃いしている。

 

 ミンをさらったカル・リス社の人間からのメッセージに従ってレースを途中離脱しようとしたらまずマデレイラが、そして他の面々もついてきてしまったのでビーコンを外して幻像をカットした上で事情を説明するはめになってしまったのだ。

 誤魔化そうとも思ったが、当事者でもあるゴードにはバレるだろう。

 ならばいっそというわけだ。

 

 なお"失せもの捜し"の術はよほど強力な対探知手段を講じているのか、全く反応がない。なので出たとこ勝負というわけである。

 閑話休題(それはさておき)

 

「・・・何それ!」

「許せんな」

 

 真っ当に怒りを露わにするのはマデレイラとモニカ。

 表情にこそ出さないが、怒っているのはゴードもだ。

 

「よーくわかった。あいつら、ハナっから俺にまともに勝負をさせる気はなかったってことだな」

 

 普段は軽い調子の彼だが、今のゴードにその面影は全くない。

 一切遊びのない表情の奥からは、マグマのような怒りが垣間見える。

 

「お前の怒りは正当なものだ、友ゴード。そこまでコケにされたら殺すしかあるまい」

 

 カイヤンが頷く。

 

「もっとも、それはお前らの問題だ。俺には関係ない」

「ですか」

 

 ドライに言い放つカイヤン。

 ヒョウエもある程度予想していたので驚きはない。

 ゴードやモニカも同様だ。しかしマデレイラは腹に据えかねたらしい。

 

「何それ! こんな事やらかしてレースをダメにされて、黙って引き下がるの?! それ以前に人として許されないって思わない?」

「別に。俺や身内がやられたらケジメをつけさせるが、他人がどうなろうと知ったことではない」

「~~~~~~~!」

 

 怒り心頭と言った表情で、マデレイラがドンドンと足を踏みならす。

 モニカも不愉快そうな顔はしているが何も言わない。

 

「だがしかし、だ」

「?」

 

 カイヤンがそこでニヤリと笑みを浮かべた。

 

「貴様らをこのまま行かせてレースを続けてもそれはそれで困る。

 後から『あの時レースを続けていれば俺が勝っていた』などと言われては不愉快極まるからな」

 

 ヒュウ、とゴードが口笛を吹いた。

 ヒョウエとモニカが笑みを浮かべ、対照的にマデレイラがさめた表情になる。

 

「結局行くんじゃない。だったら最初からそう言えばいいのに、なによ、ごちゃごちゃ前置きして言い訳しなきゃ気が済まないのが大人の男ってもんなの?」

「何だとこのガキ」

「まあまあ」

「まあまあまあ」

 

 一転してマジ顔でマデレイラを睨みつけるカイヤン。

 大人げないダルクの英雄を、苦笑を浮かべたヒョウエとゴードがなだめる。

 

「お前も素直じゃない主人で大変だな」

「ヒヒン」

 

 こちらも苦笑するモニカに、「わかってくれるか」とでも言いたげに神馬がいなないた。




超スーパーカー ガッタイガーは名前の通り合体するスーパーカーのアニメ。
五人の選手が協力する展開なのでこのタイトルに。
中国訳だとガッ「タイガー」だからなのか「猛虎号」って名前になっててちょっと草w


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08-26 人質の受け渡し場所

「で、どうすんの」

「ヒヒン」

 

 何となく車座になって作戦会議をする五人と一匹。

 当然のように首を突っ込んでる白馬に苦笑した後、ヒョウエが表情をまじめなものに戻す。

 

「当然ながら僕一人で行かなければ人質が危ない。ので、僕の仲間もこのへんの地点で待機しています」

 

 杖の先で地面に簡単な地図を描き、ポイントを指定する。

 

「透明の呪文でも使えればいいんだけど・・・」

「向こうも当然そのくらいの用意はしていますよ。透明看破の魔道具と術、両方を揃えてるみたいです。

 なので地平線に隠れて見えない10キロ、念を入れて20キロくらい離れた所で待機してもらってるわけです。魔道具で連絡は入れておきますので、みなさんには彼女たちと合流して、いざというときには駆けつけてもらいます」

 

 視力の問題は置いておいて、どれだけの距離を見渡せるかは基本的に視点の高さで決まる。

 敵が近づいたらわかるように高い見張り塔を立てたり、砲弾の着弾観測のために山に陣取ったり、戦艦の艦橋を高くしたり、果ては観測気球や飛行機を用いるのはそのためだ。

 

 そして人間、身長175cmと仮定した場合、その視点から見えるのは大体7、8kmほどまで。それより先は地平線の影に隠れてしまう。

 10キロ、20キロというのはそこを勘案して出した数字だ。

 それに加えて野外活動(レンジャー)の心得があるモリィもいるし、隠密の心得があるカスミやサフィアもいる。間違いなく簡単には見つけられないようになっているはずだ。

 

 20km離れていても時速500kmで飛行できる「銀の翼」を装備しているモリィ達なら2分半、ここにいるメンツなら一分で到着できる距離だ。

 そういう意味でも無茶な数字ではない。

 

「まあ、こうしている時点で中継幻像が途切れてますから、みなさんがこっちについてくれたことは多分ばれてるでしょうけどね」

「よほどのバカでも何かおかしいとは思うだろうな」

 

 通信用の魔道具は、もちろん一般人に手の出るようなものではないがそれでもそれなりの金を出せば普通に手に入る。

 カル・リス社のエージェントがどこに潜んでいるかわからない以上、運営スタッフなりパブリックビューイングなりから既に情報は漏れていると考えるべきだった。

 

「ええ。というわけですので、割と出たとこ勝負になりますね」

「なんだよヒョウエちゃーん。人にあれこれ言っておいて、自分だって成り行き任せなんじゃなーい?」

「はいそこうるさい。他に何か質問は?」

 

 ゴードのからみをさっと流して周囲を見渡す。

 

「・・・ブルルッ」

「・・・?」

 

 いつも人間くさい神馬が、妙に神妙な顔をしている。

 

「どうした、ヒョウエ」

「いえ、シルシープの様子がおかしいような」

「そうか? まあ武者震いだろうさ。こいつだってその程度に神経はある」

「ブルル……」

 

 人間並みの知能を持ち、人語も概ね解するシルシープだ。悪口を言われたのだから反発しそうなものだが、それでも白い神馬は妙に大人しいままだった。

 

「まあいいでしょう。ではそのように」

「おう」

「いいだろう」

「絶対やっつけてやるわ!」

「必ずミンどのを助けだそう」

 

 五人が頷き合った。

 

 

 

 ふわり、と杖が降下していく。

 指定されたポイント、荒野のただ中の岩山に囲まれた盆地。

 一見周囲には誰もいないようだが、空中や岩陰に透明化した何者かがいるのがわかる。

 

(久々に役に立ちましたね)

 

 随分前の擬態怪人ムラマサに苦労したので習得した、"透明看破(シー・インヴィジビリティ)"の呪文の恩恵である。

 そのまま周囲を警戒しつつ盆地の中央、悪趣味な髑髏の旗のところに降りると、周囲の土がもこもこと盛上がって数十人の人影が現れる。

 恐らくは地の術師の術によるものだろう。

 50人を超える、それもほとんどは手練れの戦士か術師。思わず溜息が漏れる。

 

(多い多い。どれだけ評価されてるんですか――いや、今までの戦績からするとそんなものですか)

 

 数人の手練れと30人程度の山賊が一蹴されているし、それに相手の戦い方を研究した上で特化した戦力を投入して負けているのだ。

 黒等級(昇進確実)で、数千匹のゴブリンを単身全滅させた(嘘だが)ヒョウエが相手と考えれば、これでも少ないほどだ。

 

(恐らくは念動や物理打撃、火炎攻撃に対する対策もしてあるんでしょうね)

 

 ヒョウエは人前で念動以外の術を見せた事はほぼない。山賊や強盗に襲われた怪我人を助けるために負傷治療の呪文を使ったくらいだ。

 ただレスタラ事変ではアリバイのために草原をガラス化するまで焼いたから、その点はギルドも把握しているし、かわら版や吟遊詩人の歌にも謳われるようになった最近では、そちらの方がむしろ有名かもしれない。

 

 戦士、術師たちは素早く周囲を囲み、それぞれに得物や呪文を構える。

 ほとんどの術師はヒョウエに直接かける術ではなく、術で作り出した火や石の弾丸、金属の槍や氷の弓など、物理的な弾体を作り出して敵にぶつけるタイプの術でヒョウエに狙いを定めていた。

 魔力は魔力を打ち消すという原則に従い、魔力で直接干渉するタイプの術ではヒョウエの馬鹿馬鹿しいほどの魔力に弾かれる可能性が高いので、物理的な弾体を作り出す術で間接的に攻撃しよう、ということだ。

 

(用意周到なことで・・・お)

 

 包囲の一角が割れて、男が一人現れた。

 中肉中背だが、体中に古傷の走るがっしりした肉体。

 歴戦の兵士の印象を与える男だが、狡猾そうな目つきがこれまでの人生の一端を物語っていた。

 手には大振りな金属製の手かせがふたつ。

 

(・・・封印の手かせ(シールド・シャックル)!)

 

 はめられた人間の能力を極めて制限してしまう魔法の手かせだ。

 一つはめれば金等級冒険者が赤等級並みに能力が低下すると言われ、二つ三つとはめられればヒョウエでもろくに動けなくなる。

 

「これが何かはご存じですな? はめてくださればミンお嬢様のところにお連れしましょう」

「冗談」

 

 ふん、ヒョウエが鼻を鳴らす。

 

「そもそもミンさんがまだ生きているかどうかだってわかったものじゃない。

 まずは彼女に会わせてもらってからですね」

「お嬢様は会頭のお孫さんですぞ? そう簡単に害するわけがないではありませんか」

「本当にそうなら人質の役に立たないことになりますね。帰っていいですか?」

 

 言いつつ杖にまたがり、ふわりと空中に浮く。

 周囲の術師や飛び道具持ち達が身じろぎし、古傷の男が慌てた様子でそれらを止めた。

 

「わかった! わかりました!」

 

 ヒョウエがニヤリと笑う。古傷の男は苦虫を噛み潰したような顔。

 

「おい」

 

 戦士の一人に顎をしゃくると、しばらくしてミンが連れて来られた。

 後ろ手に封印の手かせ(シールド・シャックル)をはめられているのがちらりと見える。

 ヒョウエと目が合い、力なく笑う。

 

「ごめんヒョウエくん。捕まっちゃった」

「いえ、無事で何よりですよ」

 

 笑い返すヒョウエに、厳しい目で古傷の男が近づく。

 

「馬鹿な事は考えないことですな。何かあればお嬢様のお命はありませんよ」

 

 その言葉と共に、ミンの喉にナイフが二本、突きつけられる。

 周囲を取り囲む術師や飛び道具持ちも、半分がその狙いをミンに変えた。

 

「はいはい、わかってますよ。僕一人じゃどうにもできませんしね」

「レースのお仲間が来る、と言いたいのでしょう? 残念ながらそちらも望みはありませんな。会頭はそれほど甘いお方ではありませんよ」

「ありゃ」

 

 ヒョウエがそう漏らした瞬間、遠くで爆発が起こった。恐らくはここから数キロ、モリィ達が隠れていた場所と同じ方向だ。

 

「!」

「おお、派手にやってますな。正直あの連中を止められるかどうかひやひやしてましたが、うまく罠は働いたようだ。さて、では観念してこの手かせを・・・おぉっ!?」

 

 隊長の言葉が途中で途切れる。

 手かせをはめようとしたヒョウエが、いきなり地面に引きずり込まれたのだ。

 

「きゃあっ!?」

 

 続けてミンも。

 

「おい、地術師! 何をやってる! 勝手な真似をするな!」

「わ、私では・・・!」

「何!?」

 

 流石に混乱する一団。

 

「どこだ? どこだ!」

 

 騒ぐような者は一人もいないが、それでも周囲や足元を不安げに見回すものは多い。

 

「あっ、あそこだ!」

 

 盆地の東側の縁。

 輝く朝日を背に立つ男が一人。

 その後ろにはヒョウエとミン。

 

「馬鹿な・・・その小僧にもお嬢様にも、もう動かせる手駒はいないはず! 何者だ、貴様!?」

 

 白のターバンに純白の衣、赤の帯。

 口元はやはり白布で隠されており、額には黄金の太陽。

 

「忘れてしまったとはさみしいな。それとも手にかけたものが多すぎて、いちいち覚えてはいないか」

「・・・げえっ!?」

 

 今度こそ隊長が我を忘れて吃驚する。

 口元の布を下げて出てきたのはレースのスタート地点、メットーでリタイアしたはずのアグナム代表、シロウの顔だった。



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08-27 虹を越えてきた男

「ふんっ!」

 

 ヒョウエが気合いをかけると共に、ミンを後ろ手に拘束していた封印の手かせ(シールド・シャックル)がこっぱみじんに砕け散る。

 

(ああ、もったいない)

 

 心の中で嘆くヒョウエ。魔道具好きの彼としてはなるべく壊したくはなかったのだが、魔法的な鍵を解くのにどうしても時間がかかるのでこうせざるを得なかった。

 

(それにまあ壊してしまえば再利用もできませんしね)

 

 モリィに化けた変身能力者に封印の手かせ(シールド・シャックル)をかけられて死にかけたのを思いだして溜息をつく。

 

「ありがと、助かったわ・・・丸腰じゃ役に立てそうにないけど」

「僕の後ろに隠れていてください。まあ助太刀の必要もないかもしれませんけどね」

 

 のんびり話す二人の目前では、シロウによる八面六臂の大暴れが繰り広げられていた。

 

 

 

「撃てぇっ!」

「神気遠当ての術! とぉーっ!」

 

 衝撃から立ち直った古傷の隊長が命令を下すのと、シロウが手刀を振り下ろし大音声で気合いをかけたのとが同時。

 

「なっ!?」

「ぐわーっ!?」

 

 シロウの気合いと共に、雨あられと射かけられた氷や雷撃の矢、火の弾丸、金属の槍などが空中で砕け散る。

 それどころか盆地にいた50人を越す戦士や術師――恐らく最低でも青等級から緑等級に相当するであろう精鋭たち――の、シロウに近い方にいた半分くらいが、見えない突風か爆発に巻き込まれたかのように吹き飛ばされた。

 

「!」

「!?」

 

 未知なるものへの恐怖と驚愕で男たちの足が止まる。

 その隙にシロウが斬り込んだ。

 

「たあっ! とぉっ!」

 

 徒手空拳のシロウが、面白いように男たちを打ち倒していく。

 時折火を放って広範囲の敵を燃やしたり、雷を落として後方の術師を打ち倒したりと言った超常的攻撃も交え、カル・リス社のエージェントたちは見る見るうちにその数を減らしていった。

 

「ぎゃっ!」

「ぐわっ!」

 

 むろんその周囲では、背後からシロウを狙おうとする敵をヒョウエの金属球が次々と打ち倒している。

 シロウがちらりと感謝の視線を向け、新たな敵に斬り込んでいった。

 

 

 

「な・・・何あれ・・・?」

 

 呆然と、その常識外れの大暴れにミンが呟く。

 

「単純に黒等級レベルの戦闘力ですね。最初のあれはニホンの古武道で言う遠当てと、いわゆる外気功を組み合わせたものでしょうか。

 武術の達人は生命エネルギーや魔力を練って、飛ぶ打撃を繰り出せると聞きますが」

 

 かつて遭遇した妖刀を操る怪人と語りの師匠を思い出しながらヒョウエ。

 古武術で言う遠当ては相手が動こうとする瞬間に大声で気合いをかけて動きを制限する技。乱暴に言えば大声で相手をすくませる技だ。

 一方で外気功は、かめは●波とか百歩神拳とか真空波動●とかサイコソ●ドとか鳳龍●空斬とかの、いわゆる気を飛ばす技そのものである。

 声に気功を乗せて、精神面と肉体面の両方に同時に衝撃を与え、打ち倒す技ではないかとヒョウエは見てとった。

 

「でもあの火や雷は? どう見ても呪文とか唱えてないし・・・無音呪文使いなの? あれだけ肉弾戦強くて!」

「まあその可能性もありますが・・・多分あれ精霊魔法(・・・・)ですね」

「!?」

 

 目を白黒させるミン。

 精霊魔法、あるいは呪術、妖精魔法とも言う。

 遥かな古代に存在した真なる魔法の後継技法であり、真なる魔法を小分けして生み出された神授魔法(系統魔法)とは兄弟かいとこのような関係に当たる。

 

 「念ずることで現実を改変する」万能の業である真なる魔法を呪文ごとに一つ一つ切り分けて習得するのが神授魔法。

 現代の人類(妖精含む)の魔法能力では超古代の"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"のように真なる魔法を完全な形で操ることはできないため、できる事を限定してその範囲の中で万能であろうとしたのが精霊魔法だ。

 例えば人間の精霊魔法である魔女術ならば、霊との交感や治療、占術や病気の治療、呪いなど。その一方で妖精の中でも魔力の強い種族であるエルフやフェアリーの精霊魔法はかなり広範な分野の事象を操ることができる。

 

「け、けどあんなの魔女術(ウィッチクラフト)じゃ全然ないわよ! 強力な魔女(ウィッチ)は天候を操れると聞いたことはあるけど・・」

「まあ人間の精霊魔法と言っても色々あるんでしょう、僕たちの知らないようなのが」

 

 言いつつ、ヒョウエはシロウの術にゲマイのそれの気配を感じていた。

 ヒョウエの九つの金属球に刻まれた術式はイサミとゲマイ出身のアンドロメダによるものだ。だから、金属球の術と彼の使う術に類似性があるのがわかる。

 

日輪(Surya)火の星(Angaraka)月輪(Soma)雷の星(Brihaspati)・・・明らかにゲマイ九曜術の系統だ。けど雰囲気や術の使い方は精霊魔法なんだよな・・・?)

 

「そもそも何よあれ! 大怪我でリタイアしたんじゃなかったの!?」

「さあ、だと思うんですが」

 

 金属球でシロウを援護し、自分たちの方に来る攻撃をそらしながら、器用に肩をすくめて空とぼけるヒョウエ。

 普段ならミンも何かを察したかもしれないが、動揺しているせいか気付いた様には見えない。

 

 実はヒョウエは、シロウの負傷が見せかけだと言うことに気付いていた。

 あの時治療しようと近づいたヒョウエに、シロウが目配せした。

 杖を転じてレースに飛び出したのはそれが理由だ。

 その後も何度かコンタクトをとっている。

 姿を隠して暗躍してもらった、その結果が現状だった。

 

 

 

 それからさほど間を置かず、盆地にいたカル・リス社の暗躍部隊は全滅していた。

 半分以上はシロウが倒したものだ。

 

「・・・!」

 

 カル・リス社の精鋭達があっという間に全滅してしまった事に眉を寄せるミン。

 その右手がぴくりと動いたが、何かをする前に空の彼方に視線が向けられる。

 

「お、来ましたね」

 

 空に見えるいくつかの影、地上を走ってくる二つの影。

 三人娘とサフィア、レース参加者の四人と一匹、そしてムーナ達が乗っているのであろう、大型の魔導ポッドがこちらに近づいて来ていた。

 

「おう、無事だったか!」

「ヒヒンッ!」

「さぁすが、二人で片付けちゃったか・・・あれ、あっちの人誰?」

 

 最初に到着したゴードとカイヤンが首をかしげている間にも、他の面々が追いついてくる。

 最後に魔導ポッドが着陸すると、中からお付きの三人が飛び出した。

 曖昧な笑みを浮かべるミンにムーナが抱きつく。

 

「ああ、よかったミンちゃん! ごめんねえ、ごめんねえ・・・」

「大丈夫よ、ムーナねえさん。このとおり、ヒョウエ君たちに助けられて傷一つ負ってないから」

 

 涙ながらに喜ぶムーナ。後ろの男二人も抱きつきはしないものの、涙ぐんで喜んでいる。

 

「ほんとすれてねえ連中だな」

 

 再びのモリィの苦笑。

 

「・・・何? お前、アグナムのシロウか!?」

「なんだとぉ?!」

「ど、どーゆーことですか!」

「だましてすまないと思っている。これには訳があってな・・・」

 

 一方でシロウの正体に気付いた面々が驚愕したりしている中で、サフィアがちらりとヒョウエに視線をやる。

 ヒョウエが頷くと、エブリンガーとサフィア達、レース参加者たちが散開してミンを取り囲み、武器を突きつけた。

 

「え? え? え?」

 

 金属球。雷光銃。日本刀。忍者刀と手裏剣。レイピア。

 馬上用のサーベル。ショートソード。小型の雷光銃。拳に宿る破壊の光。振り上げられた手刀。

 それらに取り囲まれ、ムーナを始めとする三人のお付きがおろおろする。

 

「・・・」

 

 そしてミンは、冷静な顔でヒョウエを見返した。




ごちゃごちゃ言ってますが、要するにレインボーマンネタがやりたいだけです(ぉ
なお

かめは●波・・・説明不要
百歩神拳・・・「闘将!拉麺男」の主人公、ラーメンマンが使う必殺技として有名だが、元ネタは中国拳法の伝説から。
真空波動●・・・ストリートファイターシリーズのアレ。電刃波動拳も好き。
サイコソ●ド・・・少年キャプテンでやってた「剣豪ゼロ」という漫画の超能力剣法。高層ビルや宇宙戦艦もぶったぎれる。
鳳●虚空斬・・・「隣り合わせの灰と青春」と同じファミコン必勝本で連載していたウィザードリィ漫画の外伝主人公(侍)の必殺技。空間切れる。


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08-28 人間やめて何になる?

「ちょ、ちょっと待っておくれよ!」

「せやで! ワシら仲間ですやんか!?」

 

 全滅したカル・リスのエージェントたち。

 周囲を包囲して武器を突きつける一同と、包囲されるミン。

 存在を半ば無視されたお付きの三人は目を白黒させてうろたえている。

 だが周囲を取り囲む面々は揺らがない。マデレイラやモニカに僅かに迷いが見える程度で、それ以外の面々は冷徹にミンだけを狙っている。

 ふうっ、とミンが息をついた。

 

「参ったわね。最初から私を疑っていたの? シロウさんのことを話してくれなかったのもそのせい?」

「それは関係ないですよ。はかりごとは密なるをもって良しとす、という奴です」

「なんだいそれ! 結局ミンちゃんを信じてなかったってことじゃないかい!」

 

 お付きのリーダー格である蓮っ葉女、ムーナが凄い剣幕でヒョウエに食ってかかる。

 

「いえ、そのですね・・・」

 

 これは予想外だったのか、それとも単に年上の女性に弱いだけか、ヒョウエが押されているその背後でミンが薄く笑う。

 

「ミンちゃん・・・?」

「な、なんでっか・・・?」

 

 お付きの男二人が不安そうにミンの顔を見る。

 そんな二人に構うことなく、少女は口を開く。

 

「そう、何か私はミスをしたかしら?」

「ミ、ミンちゃん・・・?」

 

 愕然とした顔でムーナが振り向く。

 ミンは依然として薄笑い。

 

「どうなの、ヒョウエくん?」

 

 それに答えたのはヒョウエではなく、レイピアを抜いたサフィアだった。

 

「いいや? ボクたちが調べた限り、キミはここまで一切のミスをしていない。見事なものだよ」

「そう。じゃあ何故?」

「そうだねえ・・・強いて言うなら探偵の勘かな? 君の話は細部まで作り込み、背景も全般的にうまくできていたけど、どこか嘘くさかった。そんなところだけど、最初の疑いを持つには十分だったかな」

 

 いたずらっぽく微笑むサフィアに、苦々しげな顔でぷい、と横を向くミン。

 

「私探偵ってキライ!」

「そりゃどうも」

 

 サフィアの微笑みが大きくなり、そして消える。

 

「さて、ここで大人しく投降して貰えるなら助かるんだけどね」

 

 改めてレイピアの切っ先を突きつけるサフィアに、ムーナが慌てて割って入る。

 

「ちょ、ちょっと待っとくれよ! 別に何か証拠がある訳じゃないんだろ!

 なあ、ヒョウエ殿下! あんただって確信があるのかい?」

「ええ、確信はありませんよ」

「じゃあ・・・」

 

 ムーナ達の顔がパッと明るくなるが、ヒョウエの表情は変わらない。

 

「でも、その人は人間じゃない」

「!?」

 

 愕然とした顔でムーナが振り向く。

 薄笑いのままのミン。

 そのミンの体から、数十本の鋭いトゲが伸びてムーナの体を貫いた。

 

「み、ンちゃ・・・」

「がっ!」

 

 ムーナの唇から血がこぼれる。

 そしてミンの体から伸びたトゲはムーナの影、死角にいたヒョウエの体をも貫いていた。その先端には細く長い刃。

 

「油断したわね? どんな強固な念動障壁でも、十分強力な解呪の術が施された武器があれば」

 

 血しぶきが舞った。

 セリフを最後まで言わせず、包囲していた面々の武器が一斉に振り下ろされる。

 その肉体が切り刻まれ、貫かれ、砕かれ、焼き払われる。

 

「なっ・・・」

 

 しかしそれでもミンはその場に立っていた。

 頭を真っ二つに割られ、胴を両断され、心臓を貫かれ、片足をなくしても、なおそこに立っている。

 傷口からは黒い瘴気のようなもの。

 

「・・・!」

 

 ただならぬものを感じた面々が一斉に後ろに下がる。

 にたぁ、とミンが・・・ミンだったものが笑った。

 ごぼり、と口から血を吹き出してムーナがくずおれた。その体に血管が浮かび、どんどん青黒く染まっていく。

 

「毒・・・です! 僕が治療しますから・・・皆さんは・・・」

「ヒョウエ!」

 

 自らもローブを朱に染め、膝をつきながらも、金属球を取り出して自分とムーナの治療を始めるヒョウエ。

 一瞬逡巡はしたものの、他の面々はミンに向き直った。

 シロウが鋭い視線で少女の姿をとっていた何者かを貫く。

 

「やはりか、イナ・イーナ・ボーイン。いや、この世にあらざる魔性よ」

「!?」

 

 驚愕する面々をよそに「ミン」がにたりと笑う。

 

「く・・・くくくくく。そうか貴様金剛眼の伝承者か。

 我が主が殺し尽くしたはずだが、まだ生き残りがいたか。このレースに参加したのも最初からそれが目的か?」

 

 そう言うとぐにゃり、とその姿が歪んだ。

 黒い瘴気に包まれてゆらゆらと変わったその姿は・・・

 

「か、会頭ぉ!?」

「イナ様!?」

 

 思わず叫んだのはミンの取り巻きだった男二人。

 他の面々も目を見張っている。そこに立っていたのはカル・リス社の会頭であり、ミンの祖母であったはずの老婆、イナ・イーナ・ボーイン。

 

「本性を現せ、この世ならざる魔性よ!」

 

 シロウの両目が一瞬色を失い、金剛石(ダイヤモンド)のような透明さと輝きを放つ。

 そこから放たれたまばゆい光が老婆の体を炎上させる。

 

「お お お お お お お お お お お お」

「破邪顕正! 冥府外道の真の姿を照らし出せ!」

 

 老婆が立っていた場所から黒い瘴気の柱が立った。

 

『くかかかかかか・・・ばぁれたかぁ!』

 

 瘴気の中から老婆の声。

 それと同時に地面を広がる瘴気の沼。

 周囲を囲んでいた人々が飛び下がろうとするが、負傷して毒に冒されたヒョウエとムーナ、お付き二人、体術の心得がないマデレイラはそれができない。

 

「ちっ!」

 

 モニカが身を翻してマデレイラをかかえ上げようとするが、少女の足に瘴気の沼から飛び出した触手とも粘液とも付かないものがへばりつき、離脱を妨げている。

 

「は、離せ! 離しなさいよ!」

 

 パニックに陥ったマデレイラがジタバタするが、黒い触手はびくともしない。

 

「この・・・!?」

 

 引きずり込もうとする力がいきなり消失し、モニカは急上昇する。

 周囲にはムーナを抱き上げて宙に浮いているシロウ、お付きの男二人をそれぞれ抱えて飛んでいるサフィアとモリィ。

 そして、力尽きたように動かず、瘴気の沼に沈んでいくヒョウエ。

 状況を理解してしまったマデレイラの声が震えている。

 

「嘘・・・私をかばって・・・?」

 

 あの時、逃げ遅れた五人に等しく黒い触手は襲いかかった。

 毒を受けていたヒョウエに平常時の出力は出せない。

 ムーナはかろうじてシロウが拾い上げてくれたが、マデレイラを含む残りの三人を助けて自分も助けるには力が少し足りなかった。

 だから選択した。ただそれだけのこと。

 

「この・・・この・・・ヒョウエーッ!」

 

 泣き顔のマデレイラが初めて、絶叫と共にヒョウエの名前を呼んだ。

 

「くそ、馬鹿野郎が!」

 

 モリィが苦衷の表情で吐き捨てる。

 

『ひゃは』

 

『ヒャハハハハハハハハ!』

 

 耳障りな笑い声と共に瘴気の柱と沼がスルスルと後退し、一つにまとまっていく。

 形作られるのは30mほどのおぼろげな人型。

 

『こやつは我が神への良い手土産となろう。残りはいらぬ。神への供物となるがよい』

 

 形が明確になっていくにつれその表皮が質感を備え、実体を感じさせるものに変化していく。

 茶色の毒々しい、キノコやある種の菌類のような色合い。

 

「おいシロウさんよ! あれは一体何なんだ!?」

 

 宙に浮けないゆえに後退していたゴードが、上空のシロウに怒鳴る。

 目の前の変化から目を離せないシロウ。そのこめかみに一筋の汗。

 

「あれは・・・悪魔だ」

 

 全員の目の前で、瘴気が完全に実体化する。

 ぬめる表皮と菌糸類のようなフォルムを持った身長30mの人型。

 それが荒野のただなかに、岩山に囲まれた盆地の中央に顕現していた。



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08-29 菌糸の悪魔(ファンガス)

「悪魔!?」

 

 誰かが叫んだ。

 身長30mほど、毒々しい茶色の、ぬらぬらとした表皮を持つ人型は悪魔と言うよりもSF映画の侵略宇宙人のようにも見える。

 頭部のキノコのカサのような造形の下に顔のようなもの。カサの部分から数本の触角、体の各部からは菌糸か粘菌のようなねっとりしたしずくが無数に糸を引いている。

 さしずめ菌糸の悪魔(ファンガス)と言ったところか。

 

 瘴気の沼に沈んでしまったヒョウエの姿はない。

 恐らくあの中に取り込まれてしまっているのだろう。

 

「悪魔ってあの、昔話の? 願いを叶えてくれるとかそう言う奴?」

「概ねそんなところだが、本物の悪魔はそんな生やさしいものではない。

 あれはこの世界の外から来る異物だ。

 人間の負の感情や欲望につけ込み、様々な誘惑や契約を持ちかけてくる。

 最終的には魂を取り込まれ、その人間は悪魔に乗っ取られてしまうのだ」

 

 シロウの言葉に一同が沈黙する。

 衝撃的な事実に言葉もない中、モニカに手伝って貰って魔導ポッド(AIによる自動操縦で飛んできた)に乗り込んだマデレイラが疑問の声を上げた。

 

「悪魔の事は神秘学の授業で聞いたことがあるけど・・・何のためにそんなことをするの?」

「一族に伝わる話ではこの世界を侵略するために、と言うことだった。

 創世の八神が生み出した世界の壁に阻まれてたやすく侵入はできないが、時折壁のほころびを見つけたり、あるいはこちらの世界からの呼び声に応えたりして壁を越えてやってくるものどもがいる。

 それらの正体を暴き、滅してこの世を守るのが我ら虹の一族の使命なのだ」

 

 頷くマデレイラ。

 

「金剛眼の術師、伝説の魔を討つ九曜法の伝承者ね。

 二千年以上前に滅びたと思っていたけど、まさかアグナムに継承者がいたなんて」

「生き残りがいたのだ。その最後の一人、デーヴァタ大仙からゲマイの深山幽谷にて教えを受け、金剛眼と九曜の精霊魔法を会得したのが我が祖先だと聞いている」

 

 会話を交わしながらも、シロウの目は油断なく悪魔を見据え、腕の中のムーナに解毒の治療を施し続けている。

 

「もうすぐ奴の実体化が終わる。攻撃に備えるんだ」

「その前に攻撃しちゃいけねぇのか?」

「人の姿をとってはいるが、今の奴は実体を持たない。霊体を攻撃できる手段がなければな。私も多少は心得があるが、今は手が放せない」

「あー、遺跡精霊(スプリガン)みたいなあれか」

「うむ」

 

 かつてヒョウエと共に戦った狂った遺跡妖精を思いだし、モリィが渋い顔になる。

 彼女の雷光銃も半霊体であるスプリガンには満足な効果を発揮せず、ヒョウエの杖に刻まれた術で霊体を破壊して倒した。

 マデレイラの魔導ポッドやモニカのエネルギー体にもそうした効果があるかもしれないが、余り期待はできまい。

 

「取りあえずボク達は、彼らを安全な場所に連れて行こう。魔導ポッドで退避して貰うのがいいだろう」

「えろうすんまへん・・・」

「まさかミンちゃんが・・・」

 

 サフィアとモリィに抱えて貰っている男二人がしょぼんとしている。

 ミンの正体が悪魔だった衝撃とムーナの負傷、戦いに協力できない情けなさが二重三重に彼らを打ちのめしている。

 

「いいえ、黒等級と緑等級がこれだけ揃っているんですもの、むしろ戦力過多なくらいですわ。

 それよりあなた方は、いざというときの脱出の足になって貰わないといけません。

 すぐに離脱できるよう待機しておいて下さいな」

「・・・は、はいでっさ!」

「わかりましたでまんねん!」

 

 リアスの励ましにパッと顔を明るくする男二人。

 ムーナを含めて魔導ポッドに連れて行かれる三人の後ろ姿を見ながら、カスミが主人にささやく。

 

「お見事でございました」

 

 妹のような侍女の称賛にリアスが微笑む。

 

「人の上に立つものとしては当然ですわ。本来ならムーナさんのお仕事ですけど、この状況なら差し出口を挟んでも許されるでしょう」

「はい、お嬢様」

 

 微笑みながらカスミが忍者刀を抜き、リアスは改めて剣と盾を構えた。

 

 

 

「来るぞ!」

 

 モニカが叫ぶと共にその体を構成する半エネルギー体の輝度が一際高くなる。

 それが戦いの合図になった。

 菌糸の悪魔(ファンガス)・・・イナ・イーナ・ボーインと名乗っていたそれが風船のように大きく体を膨らませる。

 

「何だっ!?」

「いかん! 引けっ!」

 

 サーベルを肩に担ぎ、騎馬突撃しようとしていたカイヤンが馬首を翻して叫ぶ。

 同じく突撃しようとしていたゴードも、訳がわからないながら転進する。

 

『HYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!』

 

 奇妙な叫び、あるいは風切り音と共に巨魔の全身から煙のようなものが吹き出した。

 

「! 胞子だっ! 触れるな、危険だ!」

 

 モニカが叫ぶとその全身からエネルギーの矢がほとばしった。

 幅広の光線は胞子の雲を切り裂き、触れた範囲の胞子をたやすく焼き尽くす。

 その横ではマデレイラが魔導ポッド「ドルフィン」の先端から雷撃を放って同様に胞子を焼いているが、空気中に広がる胞子の雲を相手に、効率的に焼却できているとは言いがたい。

 

 現在この場にいるのはリアス、カスミ、ゴード、カイヤンとシルシープ、マデレイラ、モニカ。

 シロウ、サフィア、モリィはムーナ達を魔導ポッドに連れて行っている最中で、戻ってくるのに少しかかる。シロウはムーナの解毒もしているので更に遅れるだろう。

 ヒョウエがいないこの状況で、胞子を焼けるモリィとシロウが更に欠けているのは痛い。

 

「ちっ、あの小僧がいればな。強力な炎の術の使い手だと言うのに。あいつらも頑張ってはいるがこうも胞子が広がっては・・・」

「!」

 

 カイヤンの漏らした言葉に、ゴードが笑みを浮かべた。

 

「どうした、何か思いついたか友ゴード」

「おうとも。マデレイラのお嬢ちゃん! モニカの姐さん! 力を溜めといてくれ!」

 

 叫ぶなり、ゴードの姿が消えた。

 

「?!」

「マデレイラ、ぼうっとするな! 何をするかは判らないが、あいつの言った通りに力を溜めるんだ!」

「わ、わかった!」

 

 黒等級の実戦経験のたまものと言うべきか、モニカが即座に判断を下してマデレイラを叱咤する。

 わけがわからないながらも、マデレイラがそれに従って電撃砲のエネルギーをチャージし始めた。

 

「・・・!?」

 

 それなりに焼かれたとは言え、"ファンガス"を中心に胞子の雲は広がり続ける。

 直線状のビームや雷撃砲では、広範囲の胞子を一気に焼くわけにはいかない。

 

「けど、そいつを一箇所に集めたらどうだ?」

『!』

 

 ファンガスの後ろからかかる声。

 慌てて振り向くも、そこにはもう誰もいない。

 その足元を影がよぎった。一瞬の間を置いてもう一度、更に一度。更に更に更に・・・

 

『こ、これは!?』

 

 影の正体は周囲を駆け回るゴードだった。

 彼の加護は《加速の加護》。自分と自分の触れているものの時を加速させる加護だ。

 普段は自分と自分が身につけているものだけを加速しているが、その気になれば周囲のものを加速させることも不可能ではない。

 今、自分の周囲の空気の流れを加速しているようにだ。

 

 巨魔の周囲を円を描いて駆け巡るゴード。

 二つ名の通りその走りは音速を超え、周囲の空気もまた音速で渦を巻く。

 

「?!?!」

 

 人一人が巻き起こした極小の竜巻に胞子が巻き上げられる。

 

「今だ! 嬢ちゃん、姐さん、撃て!」

「! おお!」

「は、はいっ!」

 

 先ほどまでのそれとは比較にならない極太のビームの帯と放射状の雷撃が、巻き上げられて球状に固まった胞子の半分以上を焼き尽くした。

 

『ちいっ』

 

 ファンガスが右手を上げる。その手からは念動の魔力。

 空中に散りかけた残りの胞子を念動力でわしづかみにし、塩をまくように投げつけようとする。

 その瞬間、先ほどの二人の攻撃を更に超える太さの雷光が走った。

 

『GYYYYYYYYYYYYYYY!』

 

 その余波に右手をも焼かれ、巨魔が悲鳴を上げる。

 憎々しげに睨むのは、彼方からこちらに向かって飛んでくる三つの影。

 

「へっ、どうよ」

「お見事」

「戦いは二手三手先を読んでやるもんだ、そうだろ?」

 

 モリィがここぞとばかりに見事なドヤ顔を披露する。

 単に戻ったらすぐにチャージ攻撃をぶちかまそうと準備しただけなのだが、そのことはおくびにも出さない。

 サフィアとシロウが顔を見合わせて苦笑した。



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08-30 大乱戦スマッシュシスターズ

 戦いは続いている。

 巨魔(ファンガス)もさすがに連続してあれだけの胞子を吐き出す事は不可能らしく、体から伸びる数十本の触手を竜巻のように回転させて周囲を薙ぎ払う。更に菌糸の塊を撃ち出す遠隔攻撃のおまけつきだ。

 

「おららららららっ!」

「はっ! やっ!」

 

 触手のムチや時折撃ち出される菌糸の塊を避けつつ、巨魔の足元を駆け回るのは音速の騎士ゴードと神馬の騎手カイヤン。

 ゴードは分身しているようにしか見えない素早い動きで蹴りやショートソードを叩き込み、カイヤンは馬の体重と速度を乗せたサーベルで巨魔の足を存分に切り裂いている。

 

 その足元には着弾した菌糸の塊があちこちにわだかまっている。

 遠くで菌糸に触れてしまったトカゲが離れられずにもがいているのが見えた。

 粘着質のそれに触れてしまえば、恐らくゴード達も同じ末路を辿るだろう。

 

「なぁに、ちょうどいいハンデさぁ!」

 

 全体重を乗せた神速の蹴り。

 質量xスピードという、どんなに魔法や科学が発達しようとも覆らない物理打撃の法則。

 

「つまりスピードが無限大なら蹴りの威力も無限大! 速く! もっと速く! 青く! もっと青くっ!」

 

 既にドップラー効果による青方偏移を生じる「青の領域」に入り込んでいるゴード。

 蹴りが当たる瞬間、更に加速して打撃の威力を増している。

 打点の周辺、1m近い範囲の菌糸体が爆ぜて四散した。

 

「ハイヤーッ!」

「ヒヒーンッ!」

 

 一方でカイヤンは周囲を駆け回りながら巨魔の足を切り裂き、つま先を斜めに切り落としたりと、ヒットアンドアウェイに徹している。

 ゴードのような強力な加護を用いてはいないが、至極単純に速く、強く、そして戦い方がうまい。

 相手の攻撃を予測して一瞬早く回避機動を取り、これしかないというベストの位置とタイミングでサーベルを叩き込む。

 刀身の根元近くまで斬り込まれたサーベルが、まな板の上のマッシュルームよりたやすくキノコ巨魔の足を切り裂いていく。

 

「つあっ!」

「やっ!」

 

 一方上空では白の甲冑のフェイスガードを下ろし、胞子を吸い込まないように完全気密になったリアス。

 そこまでではないが口元を赤紫の忍び手ぬぐいで覆ったカスミ。

 力場で細剣を覆うサフィア。

 光の剣を両手に生み出したシロウ。

 四人それぞれに接近戦を挑んでいた。

 リアスの西川正宗とサフィアの力場剣、シロウの光の双剣が巨魔の肉体を切り裂き、カスミは三人の回りを飛び回って触手を切り払うなどフォローに努めている。

 

「おらおらおらおらっ!」

「はっ! はっ! はぁっ!」

「このっ! このっ!」

 

 少し離れたところではモリィ、モニカ、マデレイラの飛び道具組が雷光やエネルギー光線、雷撃砲を撃ちまくっている。

 強力な上に狙いが至極正確な雷光銃、威力ではそれに匹敵、あるいは凌駕するモニカのエネルギー光線に比べると、本来移動用であるドルフィンの雷撃砲はやはり威力に劣った。

 加えて巨魔(ファンガス)の体はいくら切り裂いても焼き払っても、あっという間に復元癒着してしまう。スライムか何かを相手にしているような気分だ。

 

「くっ・・・こうなったら・・・」

『いけません、ご主人様。リスクが高いです』

「わかってるわよそんなこと! でもやらなかったら死ぬわ!」

『・・・ご主人様の保護性能の低下、駆動時間の大幅な低下。非常用緊急離脱のためのエネルギーを残すと五分が限界です』

「いいわ! やって!」

『READY』

 

 ドルフィンのコンソールにはまった白い球体、サポートAIのボボ。

 その両目が一瞬光った。

 

「何!?」

 

 カイヤンとシルシープを蹴り飛ばそうとした巨魔(ファンガス)の足に、魔導ポッド「ドルフィン」が体当たりをかます。

 巨魔(ファンガス)が体勢を崩し、その隙に離脱した草原の勇者が目を剥いた。

 

 魔導ポッドの白い外装に割れ目が走る。

 割れた外装からパーツが更に伸び、先端が両脇に展開して腕になる。

 次の瞬間、そこには身長4mほどの人型が出現していた。

 

格闘(ピニカ)モード変形完了、いけます、ご主人様』

「OK! レーザーサーベル展開!」

『了解、レーザーサーベル展開』

 

 人型のパワードスーツとなったドルフィンの両手の甲から光が伸び、それぞれ2mほどの細身の剣の形をとる。

 踏み込んだドルフィンの連続斬撃が、巨魔(ファンガス)の足を「M」の字に切り裂いた。

 

「ほぉ、そんな芸があったのか!」

「無駄口を叩かない! とにかく攻撃して、再生能力を超える損傷を与えないと!」

「あいよ!」

 

 軽口を叩きながら、笑みを浮かべるゴード。その速度が更に上がり、6人ほどのゴードが同時に巨魔(ファンガス)の足を蹴りつける。

 

(ぐっ、きついなこれ・・・)

 

 だがそのゴードも限界が近い。《加速の加護》は強力なだけに消耗も激しい。先ほど竜巻を起こすなどと言う無茶をしたから尚更だ。

 同様に攻撃を続けるカイヤンがそれに気付いて舌打ちした。上空に目配せをするとモニカもそれに気がついたようである。このあたりはやはり経験の差だ。

 

「モリィ! シロウ! このままでは埒があかん! 出力を上げられるか?」

「できるけど時間をくれよ、姐さん」

「私も溜めが必要になる」

 

 二人の返事に頷き、モニカの体の光が強くなる。自らの肉体をエネルギーに変換するその比率を、暴走覚悟で更に高めたのだ。

 

「そうか。私はこのあたりが限界だ。私が支えるその間に何とかしてくれ」

「おう」

 

 言葉短かに頷くモリィ。シロウは無言で頷くと周囲を飛んでいたカスミを呼び止めて何やら話している。

 前に向き直ったモニカの横に並ぶ、颯爽たる影一つ。

 

「待ちなよ。一人で格好いい真似はさせないぜ?」

 

 ぱちり、とウィンクするサフィアに苦笑一つ。

 

「別に格好をつけているわけではないんだがな」

「それが既にしてかっこいいのさ。ああ、妬けちゃうね」

 

 それだけ言うと、サフィアは両手の腕輪の力を合わせ、二倍ほどになった力場剣を両手で構えて巨魔に突貫していく。

 モニカも苦笑を収め、限界ギリギリまで上昇させた出力をビームにして、可能な限りの連射を始めた。

 

 

 

 その持てる全てを振り絞り、巨魔に挑む面々。

 モリィは雷光銃のチャージに集中し、シロウとカスミも何やら呼吸を合わせて精神集中している。

 だがゴードとモニカは限界が近く、マデレイラのドルフィンも駆動時間は残り短い。

 

「ああもう、伝説の破山剣でもあれば!」

 

 リアスが苛立たしげに叫ぶ。

 「銀の翼」の機動力と白の甲冑の膂力、リアス自身の剣技によって全く危なげなく戦えてはいるが、この巨魔を切り倒すには剣の大きさが足りない。

 なお破山剣というのは一度だけなら山をも断つという伝説の剣だ。大地の力を秘めていると言われているが、なにぶん実在も定かではない代物のこと、実際のところはわからない。

 

「!」

 

 その表情が変わった。

 巨魔がモリィとシロウのチャージに気付いたのだ。

 

『オオオオオオオオオオオオオオ』

 

 二人、カスミを入れて三人の方に巨魔が踏み出し、拳を振り上げる。

 

「カスミ! させませんっ!」

「サフィアとリアスは腕を! 他は右足を狙って!」

「わかりました!」

 

 モニカの指示が飛ぶ。全員が一斉に阻止にかかるが、それでも止めるには火力が足りない。

 集中しているシロウの目元に焦りが浮かぶ。

 術の発動には後一呼吸必要だ。その前に攻撃を受ければ術は破られ、注いだ"気"も無駄になってしまう。

 

「ちっ!」

 

 モリィが雷光銃を撃ち放った。

 完全でないとはいえ、大岩をも貫く雷光銃のチャージ攻撃だ。

 咄嗟に狙った胴体に大穴を開けるも、しかし貫通には至らない。

 巨魔は僅かに揺らいだだけで、一直線にシロウを目指す。

 悪魔にもわかっているのだ。魔を討つ九曜の精霊魔法、その奥義を受ければいくら自分でも危ういと。

 

『じゃが・・・わしが一手上を行ったな!』

「そうは左遷の吹きだまり!」

『なぬ?!』

「!?!」

 

 その場の全員が驚愕した。

 後方で待機しているとばかり思っていたムーナ達の大型魔導ポッド。

 操縦席に見えるのはムーナの部下の男二人。

 10mほどはあるそれが一直線に巨魔に向けて突っ込み、そして衝突した。

 

『!? き、貴様らっ!』

「ムーナさまのかたきでんねん!」

「死んでねえですよっ?!」

 

 むろんこの程度でどうにかなる巨魔ではない。

 だがそれでも大質量高速度の物体との衝突は、拳を繰り出そうとしていた巨魔のバランスを崩し、片膝をつかせるのに十分ではあった。

 一方激突した大型魔導ポッドは弾力のある巨魔の体に大きく弾かれて、荒野を派手に転がっていく。

 

『この・・・あっ!?』

 

 そちらを憎々しげに睨んだ巨魔が、ハッと気付いて正面に向き直る。

 シロウの、そしてカスミの術が完成していた。

 

「天魔伏滅・・・大日輪無量光!」

 

 十字に交差させた光の剣から太陽のようなまばゆい光がほとばしり、閃光が視界を塗りつぶした。




マデレイラの魔導ポッドが人型に変形するのは、当時ポピニカから発売されていたマシンドルフィンの超合金に搭載されていた、玩具オリジナルの人型変形機能が元ネタです。
マシンマン本編では人型変形はなかった・・・はずw


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08-31 それは愛ゆえに

 大日輪無量光。

 太陽の力を借りて破邪の光を放つ、九曜の精霊魔法最大の奥義の一つ。

 光という属性を利用しカスミの術力を上乗せして放たれたそれはまさしく太陽の輝きの如く、菌糸の悪魔(ファンガス)を焼いた。

 全身を焼きただれさせて"ファンガス"の巨体がぐらりと揺れ、地響きと共に大地に倒れ込んだ。

 

「やったっ!」

「おい、大丈夫か!? あいつの中にヒョウエがいるんだぞ!」

「わからぬ。だが手加減して勝てる相手ではとても・・・む?」

「わからぬっておまえ・・・なぬ?」

 

 倒れた巨魔の体がぐずりと崩れた。

 そのまま溶け崩れるように広がり、人の形を失って楕円形の染みが盆地に広がる。

 

「・・・ちょっと、どういうことですの? ヒョウエ様はどこに!?」

 

 水たまりのように薄く広がった"ファンガス"の体は蒸発して消えていく。その染みのどこにもヒョウエの体はなかった。

 

「モリィさん、あなたの目で探せませんの?」

「無茶言うなよ。あたしの目だって透視はできねぇぞ」

「私はできるぞ」

 

 シロウの発言に周囲が一斉に目を剥く。

 

「マジか」

「さすが金剛眼の継承者・・・なんともはや」

「ただ、さすがに今は消耗が激しい。少し休ませてくれ」

 

 そう言うシロウの顔には汗がにじみ、肩で呼吸をしている。

 彼の術に全力で力を注ぎ込んだカスミ、《加護》を使いすぎたゴードやモニカも同様だ。

 マデレイラの人型魔導ポッドもエネルギーが残り少ないのか、片膝立ちで動きを止めていた。

 

「ボクはムーナさんたちの方を見てくる。ポッドをひっくり返す必要があるかもしれないから、リアスくんもついてきてくれないか」

「・・・わかりました」

 

 巨魔の死体が作った染みをちらりと見はしたものの、ここにいても何も出来ないと理解したのか、リアスは素直にサフィアに従った。

 幸いポッドに大きな損傷はなく、中の三人も打ち身こそあったが大した負傷はない。毒で昏倒していたムーナもショックで目を覚ましていた。

 

「ふー・・・はー・・・」

 

 大型魔導ポッドに乗って五人が戻ると、盆地の中央でシロウが呼吸を整えていた。

 今から術を使うところらしい。

 他の面々もその周囲に集まっている。

 

「・・・」

 

 シロウが目を閉じて両手を合わせる。

 周囲に沈黙が広がり・・・と思った瞬間警告の叫びが響いた。

 

「逃げろ!」

 

 言うのと、騎乗したままだったカイヤンが馬首を巡らすのが同時。

 他の面々も素早く反応するが、文字通り一歩遅かった。

 円形の盆地に走る無数の光の筋。見るものが見れば、魔法陣と呼ぶであろうそれ。

 

 跳躍した"天翔る銀の船(シルシープ)"がひと飛びで盆地の縁を跳びこえるのと、魔法陣に覆い尽くされた盆地の内部全てから菌糸が吹き出すのが同時。

 地上を走っていたゴード達のみならず、飛んで逃げようとした面々も菌糸に捕まって身動きが取れなくなる。

 

「くっ!?」

「畜生!?」

『ぎは。ぎはははははははは!』

 

 響く高笑いはイナ・イーナの声。

 100m近い盆地を覆った菌糸はそのままモリィ達を取り込んで成長し、カイヤンが見上げる前で巨大な円形のドームになる。

 ドームの頂点によじれる菌糸が伸び上がり、形成するのは巨魔(ファンガス)の上半身。

 

『愚か者め。ここを選んだ時点で仕掛けをしておらぬわけがなかろうが。我が風下に立ったがウヌらの不覚よ!』

 

 恐らくは、ヒョウエと全面的に戦う事を想定していたのだろう。悪魔としての自分の力を増幅するための魔法陣、そこに蓄えたエネルギー。

 ヒョウエ抜きの面々が相手なら使うこともあるまいと温存して置いたそれを使うことになったのは誤算だが、発動させたからにはどのみち負けるわけがない。

 それだけの自信が巨魔(ファンガス)にはあった。

 ぬらり、とその目がカイヤンとシルシープを見下ろす。

 

『さあどうする? お前は逃げてもいいぞ。最早用済みだからなあ』

「・・・」

「ブルルッ」

『ぎは。ぎはははははははは!』

 

 けたたましく笑う巨魔を、険しい表情で見上げるカイヤン。

 怒りの眼差しで見上げる"天翔る銀の船(シルシープ)"。

 

「・・・?」

「フゴッ?」

『・・・なんだ? なんだ?』

 

 唐突に、一人と一匹と一体の表情が変わった。

 戸惑ったように周囲を見渡すカイヤンに、鼻を鳴らす"天翔る銀の船(シルシープ)"。

 不愉快そうに辺りを睨む"ファンガス"。

 

 荒野に鳴り響こうはずもないその音色。

 一流のオーケストラがかきならすが如きその響き。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

『HUVOA!!!?』

 

 吐息とも悲鳴とも、破裂音ともつかない音を巨魔(ファンガス)が発する。

 同時にその腹――巨大な菌糸のドームが破裂し、無数の菌糸の切れ端が荒野に飛び散る。

 その中から光る球体に包まれて出てきたのはモリィ、リアス、カスミ、サフィア。

 ゴード、マデレイラ、モニカ、シロウ。ムーナ達の乗った魔導ポッド。

 そしてヒョウエ。

 ご丁寧にカル・リス社のエージェントまで助け出している。

 ヒョウエを含めて何人かは気を失っていたが、見える限りで怪我をしているものはいない。

 

 盆地の縁、ゴード達の矢や後方にそれらが降りて光の玉が消える。

 だが降りてきた面々を含めて、そちらを見ているものは誰もいない。

 全ての視線はその上空、大空の花道に仁王立ちする人物に集中している。

 

 海よりも深い青。

 炎よりも燃える赫。

 

「・・・青い鎧っ!」

 

 顔面を歓喜と恋情に輝かせてサフィアが叫ぶ。

 盤面に打たれた逆転の布石。ヒーローは今ここに降臨した。

 

 

 

「青い鎧・・・!」

「青い鎧、あれが・・・?」

 

 同じディテクの冒険者とは言えメットー以外での活躍が多いゴードと、先日のレスタラ事変での活躍を聞いたモニカが呆然と呟く。

 だがその名を知らなくとも、いずれ劣らぬ高位の冒険者なり術師である彼らにはわかる。

 あれは、とんでもない。

 

『ふっ・・・フザケルナアッ!』

 

 ドームの胴体を半分以上吹き飛ばされ、ちぎれかけていた構造物が高速で癒着していく。

 最早人間らしさを装うつもりもないのか、人のそれから大きく外れた発声で巨魔が怒りを表現する。

 

『コノ期に・・・コノ期に及ンデ何故キサマガ出テクルッ!』

「呼ぶ声があったからだ」

『・・・ナニ?』

「たとえ刻を越えようとも、呼ぶ声があるならばやってこよう。それがしは『ヒーロー』であるのだから」

 

 ちらり、と下を見る。

 地面に横たわった「ヒョウエ」の横についていたモリィが小さく頷いた。

 無視されたことに気付いた巨魔の、更なる怒りの咆哮。

 

『コチラヲ見ロッ! コンナトコロニ来テマデ私ノ邪魔ヲ! ナゼダッ!』

「・・・」

 

 その瞬間、閃光が走った。

 鋭角的に乱反射する青いレーザービーム。

 無数の青い光線に貫かれ、先ほど以上に大量の菌糸の破片が宙に飛び散る。

 待機していたモリィ達が、気を失った者達を連れて慌てて後退した。

 盆地に盛上がったドームはほとんど形を失い、円形の菌糸の地面だけが広がっている。

 それを見下ろして、青い鎧がいつの間にか静かに空中に浮かんでいた。

 

「何故と聞いたな。だが誰かを助けるのに理由など必要ない。

 あえて言うなれば・・・愛ゆえにだ」

 

 静かな声が荒野に響いた。



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08-32 正義の心

 青い鎧に引きちぎられ、荒野に散らばった茸悪魔の菌糸が溶けて蒸発していく。

 

「青い鎧殿!」

「わかっている」

 

 シロウの声に頷くと、青い鎧は盆地――今は菌糸で埋め尽くされている――のほうに向き直る。

 それを待っていたかのように、削り取られた菌糸のドームが再生を始める。

 先ほどよりも更に早く菌糸のドームが形作られ、上半身もまた再生する。

 

『けひひひひ、わしは不死身よ。最後に勝つのはわしじゃ!』

 

 青い鎧が苛立たしげに舌打ちした。

 

「地脈からの魔力を得ている――が、それだけではないか。それに結局のところ悪魔の本体は霊体だ。かりそめの体を破壊しても限界がある。

 シロウ殿、策はないか?」

「なくはない――が、今の状況だときゃつの魔力が圧倒的すぎて通用するかどうか以前に魔力差で弾かれるな」

「何としても奴をあそこから引きはがさねば、というところ――む!」

 

 ぐぐっ、と巨魔(ファンガス)が全身に力を込める。

 

「全員、地面に張り付いていろ! 障壁を張るんだ!」

『げひひひひひひひ!』

 

 青い鎧が叫ぶのと、力を解放するように両手を広げた巨魔の全身から、先ほどとは比べものにならないほどの大量の胞子が吹き出した。

 周囲をあっという間に覆い尽くしたそれは、地面に降りて固まったモリィ達をも一瞬で飲み込む。

 

「わぷっ・・・あれ?」

 

 顔を覆ったゴードが困惑の声を出す。

 その周囲には光り輝く障壁。

 それが彼を周囲の胞子から守っていた。

 良く見れば魔導ポッドに乗っているマデレイラと三人組を除き、全員がそれに守られている。カル・リスのエージェントはひとまとめにして大きな結界。

 シロウが両手で印を組み、強い魔力を発していた。

 

「日輪の守りだ。しばらくはもつ」

「モリィくん、リアスくん、カスミくん、『銀の翼』の障壁を強化するんだ。そうすれば自前で胞子から防御できるはずだ」

「助かる、サフィア殿」

 

 モリィ達が障壁を強化したのを確認し、彼女たちの分の術を解除する。減った負担に息をついたのもつかの間、空中を見上げたその目が大きく見開かれた。

 

 

 

「むん」

 

 くるり。

 くるりくるり。

 くるりくるりくるりくるりくるりくるり――!

 

 全員が地上に降り、障壁を張ったのを確認して、青い鎧が高速回転する。

 最初の二、三回ほどを回った所でそれは肉眼で確認できない速度になり、あっという間に巨大な気流の流れを作り出す。

 

 竜巻。

 周囲数キロを覆い尽くした胞子をひとつ残らず吸い上げる巨大な気圧変化。

 上空に筒状に固まったそれを。

 

火の星よ(Angaraka)!」

 

 右拳を天に突き上げ、全身に炎を纏って竜の如く空を駆けのぼる。

 炎の昇り龍と化した青い鎧が、竜巻に囚われた胞子を残らず焼き尽くした。

 

『ぐくっ、おのれ!』

 

 叫ぶなり、巨魔が巨大なドームを含めた全身から無数の触手の槍を射出する。

 

「ふんっ!」

 

 青い鎧が右手を一振りすると、それらはことごとく焼き尽くされて灰になる。

 だがしかし、巨魔の口元はニヤリと歪む。

 

「!」

 

 カカカカカッ、と青い鎧の装甲に突き立ったのは黒い針のような細い短剣。

 つい先ほど、ムーナとヒョウエを貫いた解呪の術の籠もった針。

 いかに強力な魔力であれど、実体化した具現化術式であろうと、術式である以上ただでは済まない。

 だが。

 

『なっ!?』

 

 青い装甲に突き立ったと見えた解呪の針短剣が一斉に砕け散った。

 驚愕する巨魔だが、青い鎧が何かしたわけではない。

 シロウも言った圧倒的な魔力の差。それが術式同士の相性を吹き飛ばしたのだ。

 

『・・・!』

 

 一瞬の驚愕。だがそれだけで十分だった。

 巨魔が我に返ったときには、既に青い鎧の右の手刀がくるりと円を描いている。

 ふっ、と周囲が薄暗くなる。

 

「"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"!」

『GYAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 巨大な念動レンズによる、太陽光の集束。

 焦点温度6000度、毎秒二億キロジュールの莫大な熱は、一瞬にして巨魔を盆地ごと焼き尽くすのに十分だった。

 単純な熱で術式を破壊する事はできないが盆地は今や溶岩のるつぼと化しており、用意されていた魔法陣も恐らくは完全に破壊されただろう。

 

「・・・」

 

 しかし青い鎧は戦闘態勢を解かない。

 その体が青い閃光と化して消えた。

 

(ぐわぁ!)

 

 魔力の小爆発が起こり、精神的な悲鳴が上がる。

 悲鳴として聞き取れたのは青い鎧とシロウだけだが、いずれ劣らぬ術師や高位冒険者たちも、精神的な衝撃としてそれを感じ取っていた。

 

「なんだ!?」

「消えたんじゃないのか?」

「さっき言った通り、悪魔の本体は霊体だ。実体は完全に破壊し、魔法陣との繋がりも断ったが霊体そのものを滅ぼさないことには奴にとどめを刺すことはできん。

 あの鎧にも対霊体術が仕込まれているようだが、彼の魔力に対して術式の規模が小さすぎる。あの規模の霊体を滅ぼすのは難しい」

 

 解説するシロウに視線が集中する。

 

「じゃあまたあんたの術で?」

「今の私では融合(ユナイト)したとしても十分な力は生み出せない・・・だが、切り札はもう一人いる」

「・・・?」

「!」

 

 その言葉を聞いた瞬間にそれが誰だか気付いたのはモニカと、ヒョウエからの伝言を中継したモリィだけだった。

 

 

 

(ひ、ひひひひひ! ひやりとしたわい! だがその程度の対霊体術式でわしを滅ぼそうなど、貧弱! 貧弱!

 巨人並みの筋力があろうとも、武器が爪楊枝の如きではわしは倒せぬわ!)

 

 霊体となった"ファンガス"と青い鎧が空中で対峙している。

 青い鎧の騎士甲冑はヒョウエの呪鍛鋼(スペルスティール)の杖が形を変えたもの。

 そして遺跡妖精(スプリガン)を倒した対霊体術式が杖には刻まれている。

 それは当然青い鎧になったときも使用可能だが、しかしシロウやファンガスの言う通りその術式では青い鎧の魔力を全て乗せることはできない。

 

「そうだな。この拳では貴様を倒すには僅かに足りぬ」

(そう言う事じゃ。ここまで追い詰めておいて悔しかろう、口惜しかろう?

 だがわしもこの場では貴様を倒せぬ。勝負はいずれまたじゃ。力を蓄え直し、今度こそ・・・)

「いいや。お前はここで滅ぶのだ」

 

 青い鎧がきっぱりと否定する。

 

「・・・? ・・・!」

 

 ファンガスが発した怪訝の気配が、次の瞬間驚愕のそれに変わる。

 青い鎧の後方に浮上したのはビシク家の秘宝、魔導ポッド「ドルフィン」。

 キャノピーを開けてすっくと立つのはパイロットスーツを着込んだマデレイラ。

 きらめく太陽の光を受け、その仮面が赤く燃えている。

 

(し、しま・・・! その手があったか!)

 

 今までの余裕は影も形もなく、身を翻して逃げる霊体のファンガス。

 だが遅い。

 既にマデレイラの右手は真っ直ぐ伸びて霊体を狙い、青い鎧は瞬間移動したかのようにその背後から両手でその右手を包んでいる。

 

「心の星よ」

「愛の炎よ」

「「その身のうちに甦れ――コンシェンシャス・ウェーブ!」」

 

 村で発したときは比べものにならない巨大でまばゆい緑の光線。

 それは上空目がけて必死に飛ぶ"ファンガス"を正確に貫く。

 

(ぐ・・・ぐわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!)

 

 素養を持たないものでもはっきりと聞こえるほどの、精神波の絶叫。

 悪意の塊である悪魔に、青い鎧の桁外れの魔力で撃ち込まれた良心生成術式。

 それは悪意が強ければ強いほど、犯した罪が重ければ重いほどに強く反応する。

 

 魔の塊に産まれた良心とおよそ人間が持ち得ないほどの悪意とが反応した、想像を絶する精神的苦痛。

 この世の外から来た強大な精神生命体と言えども、いや、強大であればあるほど耐えきれるものではなかった。

 

 精神波の絶叫が不意に途切れる。

 悪魔が消滅したことの証だった。



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08-33 史上最大のレース

「うおおおおお!」

「やったっ!」

 

 地上で上がる勝利の雄叫び(ビクトリークライ)

 そして空中では。

 

「やったあっ!」

 

 喜色満面のマデレイラが青い鎧の首に飛びつき、嬉しそうに頬ずりする。もっとも両方ともヘルメットをつけているので頬ずりと言っていいかどうかは微妙だが。

 

「・・・」

 

 それに一瞬驚いた後、青い鎧は苦笑の気配を放ちながらマデレイラを抱きしめ返し、ヘルメットをポンポンと叩いてやった。

 

 

 

 ゴードやモリィ達が叫ぶ中、カイヤンは僅かに口元を歪めただけで、騎乗したまま静かに宙を見上げている。

 その視線がふとシルシープの足元に落ちた。

 

 モゾモゾと何か動くものがある。

 甲高い声できいきいと鳴く、文字通りノミほどのサイズのそれを、黒等級のレベルでも並外れたカイヤンの視力は正確に捉える。

 

『タスケロ! ワシヲタスケロ!』

「ほう、これは」

 

 荒野の土の上をフラフラと歩くそれは、手足の生えた人型の菌糸のようなもの。

 その手足や顔はたった今消滅した茸悪魔(ファンガス)のそれと明らかな共通点があった。

 

「菌糸・・・いや、胞子が残っていたか? 茸だけにしぶといものだな」

 

 キイキイ、と哀れっぽい声で鳴くそれは恐らくまき散らした胞子の一体。

 相手に吸い込ませて内部から浸食しようとしたそれとは別に、自らの霊体をほんの僅かに分けて地に潜らせたのだろう。本体が倒されたときのために。

 ここまで小さいのは、そうでなければ青い鎧の超感覚から逃れられないからだ。

 

『ケイヤク! ケイヤクをムスンダハズダ! ワシにテをカスト!』

「そうだな、お前とは確かに契約した」

 

 ファンガス・・・イナ・イーナ・ボーインとカイヤンは密約を交わしていた。

 場合によってはヒョウエを妨害し、ゴードを勝たせるために。

 

 イナ・イーナからしてみれば、ゴードが一位にならなくともヒョウエより上なら問題ない。

 カイヤンからしてみれば、他者の順位がどうあれ自分が一位なら問題ない。

 ある意味ではウィン=ウィンの契約だ。

 

 だがしかし、もはやカル・リス社の勝利はほとんど意味を為さない。

 それでも、この期に及んでカイヤンを頼る理由がこの悪魔のなれの果てにはあった。

 

『ならワシをタスケロ! シンメのチカラでワシをツレダセ!』

 

 神馬(しんめ)"天翔る銀の船(シルシープ)"の最後の力。

 唯一カイヤンだけが引き出せるそれは瞬間転移。

 ルールに抵触するゆえにレースでは使えないが、この場からこの菌糸を救い出すには十分な力。

 そしてこの場を脱出さえすれば、安全な場所で力を蓄えていずれは復活することもできるだろう。

 

「そうだな。契約に従えば俺にはお前を助ける義務がある。義理もある」

『オオ! ソレデハ!』

 

 喜色を満面に浮かべる小菌糸(ミニ・ファンガス)

 そしてまたカイヤンも笑みを浮かべた。

 獰猛な、狼の笑みを。

 

「だがお断りだ。こいつ(シルシープ)が貴様を乗せたくないとさ」

『!?』

 

 驚愕する暇こそあれ、魔力を帯びた――それも亜竜並みの――神馬のひづめが踏み下ろされる。

 悲鳴すら上げることなく小菌糸、悪魔ファンガスの最後の一片は霊体ごと消滅した。

 

「ブルルッ」

 

 ふん、と鼻息を荒く吹き出すシルシープ。

 サフィアがそちらを振り向いた。

 

「・・・どうしたんだい?」

「なに、毒虫がいたんでな」

 

 笑って返し、神馬の首をなだめるように撫でてやる。

 

「ふぅん」

 

 サフィアはそれに何かを感じたようだが、口にはしなかった。

 

 

 

 ひとしきり喜んだ後、青い鎧が抱擁を解いた。

 マデレイラがヘルメットを脱いで、その顔を見上げる。

 

「行っちゃうの?」

 

 青い鎧が頷く。

 

「また会えるかな」

「約束はできない。だがどこにいようとも、それがしは虐げられるもの、弱きものの味方でありたいと思う」

「そっか」

 

 マデレイラが頷く。

 

「さらばだ」

 

 青い鎧がふわりと浮き上がり、ドルフィンから離れる。

 次の瞬間、その姿は空の彼方に消えた。

 

「・・・」

 

 その空の一角を、しばらくマデレイラは見つめ続けていた。

 

 

 

 マデレイラが降りてくると、丁度ヒョウエが目を覚ましたところだった。

 

「ああ、もう! 心配したよヒョウエくん!」

「そうだぜまったく!」

「いやあ、申し訳ありません。ご心配をおかけしまして」

「言ったろ、こいつなら大丈夫だって」

「ですわ」

「・・・?」

 

 サフィアやゴードが大喜びしているのに対し、モリィ達三人の喜びようがそれほどでもない気がする。

 付き合いの長さとか信頼の証と言えばそれまでだろうが、少しだけ何か引っかかった。

 つかつかと近寄っていくとあちらも気付いたのか、地面に座り込んだまま手を振ってくる。

 そののんきさがちょっとむかついた。

 

 何を言うにも、こいつ(ヒョウエ)は自分を助けて危ない目にあったのだ。

 しかも毒に冒されていたのにわざわざ自分(たち)を優先して茸悪魔に呑まれた。

 こっちがどれだけ心配していたと思っているのだ!

 

「こっちがどれだけ心配していたと思っているのよ! のんきそうな顔して!

 なによ、自分が危ないってのにこっちを助けて、私がどんな、どんな思いで・・・」

 

 ボロボロと涙がこぼれる。

 あたふたと慌て始める鈍感(ヒョウエ)を見て、脳のどこかでざまあみろと思うが言葉が続かない。

 ぽん、と頭の上に手が置かれた。

 

「ま、諦めろや。こいつはそう言う奴だからな。危なっかしくてしょうがないんだけどよ!」

「むー!」

 

 言葉になっていないうなり声を発してモリィの手を振り払うと、また頭に手。

 

「ですわ。本当にいつもいつも心配をさせられておりますの」

 

 慈母のようなほほえみを浮かべるリアスの手を、これも振り払う。

 その後ろでカスミがうんうんと頷き、サフィアがくすくす笑っている。

 おろおろするヒョウエの肩にゴードとカイヤンが手を置き、何やらにやにやと話しかけてはヒョウエがそれに食ってかかっていた。

 

 

 

 しばらく後。

 スタート地点から30kmほど、ヒョウエがコースを外れた辺りに一同が集まっていた。

 

「ほんとうにやるのかよ、今更?」

「それはそれ、これはこれですよ。ほら、放送再開するんですから早く離れてください。あ、サフィアさん、作音(サウンド)の術で合図お願いできます?」

「へいへい」

「ふふふ、了解だ」

「わかりましたでまんねん!」

 

 三人娘とサフィア、ムーナ達の乗った魔導ポッドが離れていく。

 荒野を走る大街道、そこに横一列で並ぶレース参加者たち。

 

「ここに私が混じっていいのか?」

 

 困ったようにシロウが尋ねるが、それを否定する人間は一人もいない。

 

「元々参加者じゃないですか。最後くらいちゃんと競いましょうよ」

「そうそう、気にするこたぁないって」

「事情があったのは理解したが、負け逃げなど許さん。負けるならば正面から俺と競って負けろ」

「わかった。そう言う事なら私も全力を尽くそう――負けたからと言って恨んでくれるなよ?」

 

 相変わらずのカイヤンに、ニヤリと笑って挑発を返すシロウ。

 

「言うじゃないか、アグナム野郎。ぐうの音も出ないほど完全に打ち負かしてやる」

「ヒヒン」

 

 大人げないなあ、とでも言うようにシルシープがいななく。

 そうした様子を見て、離れた岩陰からサフィアが声を張り上げた。

 

「それじゃあ行くよ! 5、4、3、2、1、スタート!」

 

 かぁん、という鐘の音。大陸横断レースの最後の一区を走破すべく、六人と一匹が一斉に飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒョウエたちが聞き逃した声があった。

 消滅の間際、一瞬の閃きのように放たれた耳に聞こえない声。

 

『うおおおおお、おのれ、おのれぇえええええ! だが我が主よ! 見つけました! お探しのものをついに見つけましたぞぉぉぉぉ!』

 

 悪魔ファンガスの最後の思念。

 荒野に響き渡ったそれにまぎれ、明白な指向性を持って放たれた一本の矢のようなメッセージゆえにヒョウエたちが聞き逃したそれ。

 それを誰が受け取ったのか、それをヒョウエたちが知るのはもう少し先のことになる。



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エピローグ「シビビーン・ラプソディ」

「ピンチになれば空を切り、魔球の如く現れて、風のごとく去っていく」

 

     ――「逆転イッパツマン」ナレーション――

 

 

 

 

 

 メットー北西部の、とある豪華なお屋敷。

 大小様々な魔道具が持ち込まれた大きな広間に、歓喜の声が響いた。

 

「ダー・シ様! 選手がビーコンを装着しました!」

「見えてるワヨッ! 装着した選手から順次映像を流しなサイッ! ああもう、手間取ってくれちゃっテ・・・!」

 

 キイキイ声で指示を出しつつ、中央の輿に座した肉の塊・・・ダー・シ・シャディー・クレモントが安堵に胸をなで下ろす。

 それまでのダイジェスト映像を流すことで各地のパブリックビューイングも取りあえずは収まったが、それでも時間と共に不満が溜まるのは避けられない。

 実際一部のパブリックビューイングでは暴動に近い状況になっていた。

 レースが再開することで何とかそれも収まるだろう。

 

 命令一下、きびきびと動き出す家臣たちを眺めつつ、先ほど見たものを思い出す。

 ミン・ニム・ボーインの誘拐。その正体がイナ・イーナ・ボーインであること。

 そしてその真の姿、悪魔ファンガスと選手たちの戦い、そして青い鎧の出現。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ダー・シが沈思黙考する。何人かの家臣はそれに気付いたが、よほどのことがない限りこの状態のダー・シに声をかけるものはいない。

 瞑目することしばし、ダー・シが目を開いた。

 

「マア、取りあえずはあの戦闘を編集して、スペシャルエディションの特典映像にしまショ! プレミア感も出ていいワヨネッ!」

 

 キャハハハハ、と甲高い笑い声が広間に響いた。

 

 

 

「イィィィィヤッホォォォォォ!」

 

 ア・マルガム大街道にヒョウエの歓声が響く。

 杖の後部からはこれまでの数日で見せていた五連ロケットエンジンの爆発的噴射。

 

「ハッハーッ! 今日こそ抜き去らせて貰うぜ、ヒョウエよ!」

「そしてお前ら二人を俺が抜き去る! それこそ完璧な勝利というものだ!

 シルシープよ、ここで負けたら本当に刻み肉だぞ!」

「ブヒヒヒヒヒン!」

 

 それを追うのはゴードとカイヤン。両方ともそのテンションは普段通り。

 ほぼ同着でその頭上を飛ぶシロウが不敵に笑う。

 

「さて、そううまくいくかな」

「くっそー!」

「何としても最下位だけは・・・!」

 

 そこからやや遅れてマデレイラとモニカが最下位争い。

 マデレイラの「ドルフィン」も、モニカも、先ほどのファンガスとの死闘で力を使い果たしている。

 レースについて行けているだけ驚きという状態だ。

 

 もっとも、誰も彼もが少なからず消耗している。

 ヒョウエは"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"をフル稼働させて、心停止状態には至らなくともいくつかの経絡が閉じてしまっているし、ゴードやモニカ、シロウも消耗が激しい。

 マデレイラのドルフィンも魔力が枯渇寸前だし、カイヤンとシルシープは一見消耗が少ないように見えて、騎獣の能力を底上げする《騎手の加護》を全力で使用して双方共にかなりの疲労がある。

 トップを行くヒョウエですら、全力時に比べればかなりのスピードダウンを起こしている。

 

 だがレースを投げるようなものは一人もいない。

 積極的ではなかったシロウですら、残った全力をつぎ込んで飛行の魔力を絞り出している。

 そんな彼らを、世界中の観衆が熱狂して応援していた。

 

「見えた!」

 

 先頭を飛ぶヒョウエが叫んだ。

 大陸横断レースのゴール、ライタイム王国の首都アトラ。

 それがもう、ほんの20kmほど先にある。

 アトラから1kmほどのところに設置されたゴールまで、遮るものは何もない。

 

「かっとビングだぜ、俺!」

「早く! もっと早く! 限界を超える!」

「駆けろ! "天翔る銀の船(シルシープ)"!」

「アヌッタ=サミャク=サボディ! アヌッタ=サミャク=サボディ!」

「きばれ、ボボ! 全部、全部つぎ込みなさい!」

「おおおおおおおおおおおお!」

 

 全員の脳裏によぎるのはこの十日間の出来事。

 衝撃のスタート、山賊の出現、五日目の劇的な大逆転とそこからの連日のデッドヒート。そして巨魔ファンガスとの戦い。

 それら全ての思いを込めて、今はただ駆ける。

 泣いても笑っても、あと一分。

 

「!」

「何い!?」

 

 全員が同時に仕掛けたラストスパート。その中でも、明白にゴードが抜き出た。

 併走していたカイヤンとシロウを突き放し、トップのヒョウエに肉薄する。

 

「来たぜヒョウエェェェェェェェェ!」

「くっ・・・このぉっ!」

 

 この期に及んで更にロケットエンジンを増やす。

 使用可能な経絡を、一つを残して全てロケット燃料の生成に回し、念動障壁すら空力制御のみに限定して速度を上げる。

 最後の1kmを、並んで駆ける二人。

 モリィの目ですら、どちらが先かを判断できないだろう。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ぬあああああああああああああああ!」

 

 全てを振り絞る絶叫。

 二人の力と意地のぶつかり合いは全くの互角。

 そして。

 

「えっ?」

 

 ゴールラインの1m前で、それまでの加速が嘘だったかのようにゴードが完全停止する。

 衝突回避で空に舞い上がりながら呆然と振り向くヒョウエ。

 直後、こちらも何が起こったかわからない他の面々がほとんど同時にゴールしたのを確認すると、ゴードは悠々と歩いてゴールラインを越えた。

 

 

 

「・・・どう言うつもりですか?」

「わかるだろ? 勝負は勝負。けどレースの勝ち負けは別だ。形だけでもカル・リスを勝たせるわけにはいかないからねー」

「そう言う事か。お前でなければ殺しているところだぞ友ゴード」

 

 ゴール後。ゴードの謎の行動に困惑はあったものの、それでも大歓声の中で六人がそんな会話を交わしている。

 得心したシロウが溜息をついた。

 

「まあ確かに、あのまま続けていても同着ではあったろうな」

「そゆこと」

 

 にへら、と笑ってゴードが頷く。

 

「めんどくさいやつね。どうせカル・リス社は潰れるだろうし、レースしてればいいじゃない」

「マデレイラ。私も理解は出来ないが、男というのはそう言う所があるのだ。害があるではなし、大目に見てやれ」

「ふん」

 

 苦笑しつつ肩をポンポンと叩くモニカに、マデレイラはそっぽを向きはしたが反論はしなかった。

 それを眼を細めて見ていたゴードが何かろくでもないことを思いついた顔でカイヤンに振り向く。

 

「まあ、あれだよね。『全力で走ってたら俺の勝ちだった』ってとこか」

「前言撤回だ。お前は殺す――あだだだだ!?」

 

 額に青筋を立ててサーベルに手をかけたカイヤンの頭にシルシープが噛みついた。

 さんざん暴言を吐かれたり酷使されたりして腹に据えかねていたのだろう。

 その様をひとしきり笑い、ゴードはくるりと身を翻した。

 

「どうしたゴード殿。この後表彰式だぞ」

「お色直し。髪が乱れちゃったからねー」

「式には間に合わせなさいよ。折角ここまで欠けずに来たんだから」

「へいへい」

 

 へらへら笑いながら、ゴードは適当に手を振ってその場を後にした。

 

 

 

「うげごがががげごがごげがげごごごご」

「あー、やっぱりこうなりましたか。見栄を張りすぎですよ」

 

 ゴードの控え室。ベッドの上で痙攣しながら怪音を発するゴードに、最近覚えた"透明化(インビジビリティ)"の呪文で忍び込んできたヒョウエが溜息をついた。

 

「だ、だってあそこで倒れたらかっこわるいじゃん・・・」

「あんなことすればそりゃ反動がきついですよ。なんですか、減速無しの瞬間停止って。それを超音速でやったんだから体がミンチになってないだけ感謝しなさい」

 

 治療を司る「水」の金属球と大振りの魔力結晶を取り出し、馬鹿(ゴード)の治療を始めるヒョウエ。

 モンスターを退治して現れる魔力結晶は文字通り魔力の塊だ。術師にとっては魔力の電池代わりにもなる。流石にチート持ちと言えど、今さっきで自前の魔力を絞り出すのは辛い。

 

「おー・・・効く効く・・・」

「この魔力結晶結構高いんですからね。これで貸し借り無しですよ」

「はーい。義理堅いねえ。気にしないでもいいのに」

「僕の気分の問題です」

 

 言い張るヒョウエに、ゴードがにへらと笑みを浮かべた。

 

 

 

 その後はさほど語ることもない。

 表彰式。パーティ。休養の後、モニカに案内されてアトラの名所旧跡巡り。

 "星の騎士"にばったり出会って全員が驚き、ヒョウエと気安く話していることに更に驚く。

 再会を約し、瞬間転移術師の力を借りて彼らはそれぞれの国に帰っていった。

 ゴードもカイヤンもモニカもマデレイラもシロウも、それぞれの生活に戻っていくだろう。

 

 タム・リス社とカル・リス社の因縁には綺麗に決着がついた。

 会頭と後継者である孫娘が同時に行方をくらましたカル・リス社は瓦解し、タム・リス社に吸収。

 ただし後ろ暗い面々――トラル支店長ハイドなどは一網打尽に逮捕された。

 王国諜報機関"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"主導だったのは謎とされている。

 

 ミンのお付きだった三人はヒョウエの口添えもあって無罪放免されたが、ムーナが助けてくれたシロウに一目惚れし、野郎二人を連れて例の魔導ポッドでアグナムまで追いかけていってしまった。

 その後の経緯は不明である。

 

 そしてメットーに戻って数日ほど後。サフィアを連れたエブリンガーの面々が王都の通りを歩いていた。

 

「いやー、助かるよ。いつも頼んでる魔導技師の人には手が出せないって言われちゃってね」

 

 苦笑するのはサフィア。"ファンガス"との戦いで限界まで出力を絞り出した力場の腕輪の調子があれ以来悪いのだ。

 古代遺物(アーティファクト)としてもかなり高度なものであるため、それを扱える数少ない魔導技師――つまり、ヒョウエの兄弟子と姉弟子を紹介しに行くと言うわけだ。

 

「いえいえ、いつもお世話になってますし。あ、ここですよ。こんにちわー・・・」

 

 からんからん、とドアベルが鳴る。

 扉を開けたヒョウエが固まり、ハテナマークを浮かべて後ろから覗き込んだ四人が目を丸くした。

 

「いらっしゃいませ! アキリーズ&パーシューズ魔道具店にようこそ・・・あ、ヒョウエじゃない! どうしたのよ、一週間顔も見せないで!」

 

 満面の笑顔を浮かべるのは作業服に革エプロンの小柄なメガネ少女。

 見間違えようはずもない、大陸横断大レースの参加者マデレイラ・ビシク。

 

「ど、どうしてここに・・・?」

「えーと・・・そのさ、あれよ、やっぱり私未熟だなって! ドルフィンには自信あったけど実質モニカさんと同着最下位だったし!

 ドルフィンの修理にお姉様の手も借りたいし! それにメットーってさ、青い鎧もいるんでしょ? ここにいればまた会えるかなって・・・」

 

 頬を赤らめてモジモジするマデレイラ。後ろのアンドロメダが頭を撫でてやる。

 

「ええ、彼はそれなりの頻度でメットーに現れますから、そのうちきっと会えますよ。遠くないうちにね」

 

 その頬に邪悪な笑み。その更に後ろでは両手を合わせて瞑目する役立たず(イサミ)

 三人娘+1が顔を覆ったり天を仰いだり、溜息をついたりくすくす笑ったり。

 

「私の妹同然の子ですし、仲良くしてやってください」

「ヒョウエ! 良かったら今度一緒に仕事しようね! 姉様と一緒に魔道具作るの!」

「・・・」

 

 ヒョウエにできたのは、引きつった笑みで頷くことだけだった。

 

 

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。

 




と言うわけで八巻完結でございます。
今回の全体の元ネタは懐かしのタイムボカンシリーズ「逆転イッパツマン」。
巻タイトルも主題歌の一節をニンジャスレイヤーっぽくひねったものです。

色々な時代に未来の製品をリースする主人公側、それを妨害する悪玉側、ピンチに現れるヒーローという構図で、リース業をファンタジーらしく運送業に置き換え、それをレースという形に更にひねったわけです。
主人公たちがリース業やっても面白くありませんからねw
名前の元ネタは以下の通り。

タム・リス社→タイムリース社
カル・リス社→スカル・リース→シャレコウベリース社

ミン・ニム → MIN NIM → MINMIN → ミンミン
イナ・イーナ → イナイイナイババー
ボーイン → ボーイング → コンコルド → コン・コルドー

ヒゲの支社長ベアード→ ヒゲの部長
支社長ハイド → 隠(かくれ)球四郎

まあわかる人は結構わかってたと思いますがw

どうでもいい裏設定。
「九曜の術」なのに使い手が「虹の男」なのは虹の七色に加えて人の目には見えない二つの光(紫外線、赤外線)も数えているから。
実際九曜星の一つ、羅「目侯」(らごう、ラーフ)は人の目に見えない暗黒星です。

後前作の途中からシコシコ溜めていた書きためがついに尽きました。
今後は平日更新、土日お休みになるかと思います。
ご了承下さい。


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九の巻「狭間の世界の魔法使い」
プロローグ「やみのなか」


「はじめに言葉ありき」

 

     ――創世記――

 

 

 

 ふと目を覚ました。

 周囲には何もない。

 ただ暗闇があるばかりである。

 

 天はなく、地もなく、光もなく、音もない。

 そこで気がついたが、そもそも自分がなかった。

 手を顔の前に持ち上げようとするが、その手が見えない。

 

 不自然な気もするが、これが自然である気もする。

 そもそも何が自然だったのか、何故これを不自然と思うのか、それが思い出せないのだが。

 

「~~~~」

 

 何かが聞こえた。

 そのとたん、「自分」が現れた。

 女の子のような細い腕。白く綺麗な指。

 

(女の子のような?)

 

 その感想にも疑問を覚えて、自分の「体」を見下ろす。

 薄くはあるが明らかに男性の胸板。

 毛の薄いほっそりした体、股間からぶら下がるもの。

 取りあえず自分は男性であるらしい。

 

 足も腕と同じく、ほっそりしていてなめらか。

 ただ良く見ればある程度の筋肉はついている。

 

 そこで気付いたが、いつの間にか足が地面に付いていた。

 重力が体にかかり、筋肉が体を支えるのを感じる。

 

 空――空ってなんだっけ?を見上げる。

 やはり暗闇のままで何も見えない。

 下を見下ろす。やはり何も見えないが、足元にはしっかりとした平面の感触。

 

「~~~~」

 

 また何かが聞こえた。

 そちらの方に向けて足を踏み出す。

 一歩。また一歩。

 おぼつかなかった足取りが、一歩一歩確かなものになっていく。

 

「~~~~」

 

 どれだけ歩いたか、またそれが聞こえると同時に、周囲が光に包まれた。

 

 

 

 彼は目を覚ました。

 周囲にはただ暗闇があるばかりである。

 

 しばらくすると眠気で朦朧としていた意識がはっきりしてきた。

 それに伴うかのように、夜明けの光が僅かにカーテンの間から差し込んできて部屋の中の様子を浮かび上がらせる。

 勉強用の机とその上の筆記用具、いくつかの本。

 椅子。

 本棚。

 私物を入れて置くための(チェスト)

 質素ではあるが十分な家具。

 

「ん・・・」

 

 そして今彼が横たわっているベッドと布団。

 こちらも豪華なものではないが、学生の身には十分だろう。

 

(学生・・・?)

 

 思考がぐるぐると頭の中を回る。

 そうだ、自分は学生だ。

 

「おはよう、クロウ。意外と朝が早いな」

「おはよう、スケイルズ。何か目がさめてしまったんだ」

 

 少し離れたもう一つのベッドから声がかかった。

 彼の名前は「川べりに落ちた鱗」。通称「スケイルズ」だ。

 そして自分の名前は「数字の海を飛ぶ鴉」、通称「クロウ」。

 共にこの世界「ビトウィーン」で最高の学術機関とされる「エコール魔道学院」に入学したばかりの新入生だ。

 

 んっ、と身を伸ばして上半身を起こす。あくびひとつ。

 横を見ればスケイルズも同様に上半身を起こしている。

 

 顔を洗い、制服のローブを着込み、朝食を取りに食堂に降りていく。

 おしゃべりをしていたせいか、食堂は既にそれなりに人がいた。

 

「・・・・ちっ」

 

 制服の上から飾り紐や銀の鎖を付けた、派手な格好の学生が彼らを睨んで舌打ちした。

 「獅子の頭上に輝く太陽」、通称ソル。どこかの街の領主の息子だそうで、それゆえに懐も温かい。

 周囲には既にして取り巻きが何人もいる。

 

「うらやましいね、お金持ちは」

お前(クロウ)は特待生だからまだいいだろ。うちなんて俺を学院に入れるために結構無理してるからな、プレッシャーきついぜ。まあ、顔のせいかもしれないけどな」

「勘弁してほしいなあ、そういうの」

 

 クロウは名前の通りの鴉の濡れ羽色の髪と瞳を持つ絶世の美少年である。それは大概の男は嫉妬するだろう。

 

「そう言えば『カワセミ』組の生徒見たか? それがもう凄い美人でなあ・・・」

「はいはい」

 

 口から先に生まれてきたようなスケイルズのおしゃべりを適当に受け流しつつ、適当に料理を取ってソルの隣のテーブルにつく。ソルがまた舌打ちした後、笑顔を作って話しかけてきた。

 

「いよう、おはよう、お二人さん! 昨夜はよく眠れたか?」

「まあぼちぼちかな」

 

 見た目はあくまで上機嫌に話しかけてくるソルだが、目の奥には敵意がある。彼は何故か入学初日から二人にちょっかいをかけてくるのだ。

 

(あいつ、故郷では魔術師に個人的な授業も受けて、天才だってもてはやされてたらしいんだよな。特待生のお前のこと敵視してるんじゃね?)

(えー?)

 

 そんな会話をスケイルズと交わしたことが思い出される。

 確かにクロウは成績優秀と言うことで学費を免除されているが、だからと言って自分が一番だとかそう言う意識はあまりない。

 ソルからしてみればそう言う態度こそが、かんに触るのだろうが。

 

「今日の授業、光の術の実習だろ」

「ああ、そうだな」

「お前には負けないからな」

 

 指を突きつけられる。

 

(ライバル視されているのかな、これ)

 

 心の中で肩をすくめると、クロウは朝食の残りを片付けて席を立った。

 教室に向かう足が、自然と跳ねて踊る。

 入学して初めての魔法の実習。

 クロウだって心躍っているのは否定できないのだ。

 

 朝の日射しが青い大理石の学舎と緑豊かな中庭を照らす。

 生徒たちが笑いさざめきながら石畳を歩き、教室に向かう。

 木の枝や空中からそれを見ているのは半透明の風精霊(シルフ)たち。

 

 ここはエコール魔道学院。

 八つの島からなる世界「ビトウィーン」で唯一にして最高の魔術の教育機関だ。

 

 

 

「・・・・・・・!」

「・・・! ・・・・・!」

 

 闇の中。

 周囲には何もない。ただ闇があるばかりである。

 天はなく、地もなく、光もなく、音もない。

 

 そんな空間に、音ならざる音が響いている。

 だがそれは誰の耳に届くこともなく、やがてかすれるように消えた。



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第一章「エコール魔道学院の影」
09-01 天才


「誰も永遠に仮面を被り続けることはできない」

 

     ――セネカ、ローマの哲学者――

 

 

 

「!」

「わぷっ!」

「うおっ、まぶしっ!?」

 

 カーテンを下ろした教室。薄暗い空間がまばゆい光に包まれた。

 大抵の魔術師が最初に覚える、"光"の呪文だ。

 もっとも魔術師の卵の呪文など通常はロウソク程度、せいぜいランプくらいだ。

 最初の授業では発動すらできないものも多い。

 にもかかわらず、クロウの発動した光の呪文は目を開けていられないほどにまぶしく、教師以外の全員が思わず目を閉じていた。

 

「え、ええと・・・」

「はい、そこまでですクロウくん。良くできました」

 

 老齢にさしかかった男性教師が戸惑うクロウの手を取り、解呪の魔力を流す。

 両手の間に輝いていた光がふっと消え、教室に薄暗さが戻ってきた。

 まあ、ほとんどの者は目がくらんで何も見えていないが。

 

「初めての発動としては素晴らしい出来です。ですが必要以上に魔力を注ぎ込んではいけません。よく言うように『斧とナイフにはそれぞれ役目がある』のです。今後は制御にも心を砕くように」

「は、はい。ありがとうございました」

 

 頭を下げるクロウ。

 ぱちぱちぱち、と拍手が飛んで少し頬が赤くなる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 その様子を、憎しみすらこもった瞳でソルが見ている。

 

「そうです、詠唱(チャント)の授業で教わったように、落ち着いて、ゆっくりと。身振りと印も大体で結構です。最初ですから失敗しても構わないのですよ」

「ロザム、ラーラ、クエス、フォウ、ビアズ、カテコ、エルプ・・・」

 

 教師の言葉に従い、習った通りに腕を動かし、ゆっくりと呪文を唱える。

 この世界では魔術はまず根源的には意志の力に魔力を乗せて発動させるものだが、身振りと詠唱にも重要な意味があるとされていて、学院でもそれぞれ専門の授業がある。

 これは術者の精神と肉体を術式と結び合わせる意味があり、特に初心者にとっては重要だ。上級者になればなるほど省略されがちなものではあるが、それでも重要な術を発動する場合はあえて本式の身振りと印、詠唱を行う術師も多い。

 

 それはさておき、緊張しつつもソルは正確に身振りと詠唱を行い、最後に印を組んで詠唱を終える。

 両手で結んだ印の上に、ランプほどの明かりが灯った。

 

「素晴らしい。安定していますね。光量も強い。見事な業です、ソルくん」

「・・・ありがとうございます」

 

 教師の称賛に礼儀正しく一礼するソル。

 実際、新入生としては間違いなくトップクラスの術力である。

 だが、ちらりとクロウを見たその瞳に籠もる敵意は一層強くなっているようだった。

 

 

 

 言霊の術の授業。

 意志と魔力を乗せて言葉を発することにより、現実の事象に影響を与える術。

 たとえば「君に幸運あれ」と祝福することにより本当に幸運を与えたり、逆に「ねこのうんこふめ」と呪うことで本当にその通りの事象が偶然起きてしまうような、そんな術だ。

 ある意味では魔術の根幹に最も近い術と言われ、101人いる学園の教師たちでも使いこなせるのはほんの一握り。だが魔術の基本でもあり、まれに優れた素質を示すものもいるために、新入生は必ずこの術の授業を受ける。

 

「六ゾロっ!」

 

 クロウが叫ぶと、投げたサイコロが本当に六ゾロを出してぴたりと止まった。

 これで十回連続の六ゾロだ。

 

「おおおおおおおおおお」

 

 同級生たちのどよめきが教室を揺らす。

 

「すげーなクロウ! こんな術が使えるならあっという間に大金持ちだぜ!」

 

 興奮するスケイルズの後ろに、糸目で黒髪のロングヘアの女教師がいつの間にか立っている。

 

「そう言う性根で術を使っていると、あっという間に術の力が衰えますよ。雑念は何よりも魔術師の敵なのです」

「ひえっ!? き、肝に銘じます!」

「それ以前に何かこれ凄い疲れますよ・・・」

「まあ極めて本質的、イコールで極めて高度な術ですからね。術者の精神への負担はどうしても大きくなります。あなたの才能は飛び抜けたものですが、それでもたやすい事ではありません。繰り返しますが軽々しく使わないように」

「はぁい」

 

 椅子にもたれてぐったりするクロウを、ソルがやはり敵意を込めた目でじっと見ていた。

 

 

 

 その後も、ほとんど全ての授業でクロウは目を見張るような成績を示し続けた。

 召霊術の授業では、教師の召喚した霊魂の声を一人だけ聞く事が出来た。

 幻術の授業では本物とまごうばかりの猫の幻影を生み出してみせた。

 薬草学(魔力を秘めた薬草の扱いは治癒術とも関係が深いし、魔道具作りの第一歩でもある)では薬草の種類と効能とを完璧にそらんじてみせた。

 難しいと言われる治癒の術でも、ごく小さなものではあるが最初から傷を癒す事に成功した。

 

 もちろん失敗もある。

 念動力の術の授業で力を込めすぎて浮かせた石が窓を突き破ったり、肉体操作の術で右手が巨大化して元に戻らなくなったり(教師が戻してくれた)、物質変性の授業で木の机を丸ごと鉄に変えてしまったりと色々あったが、それでも入学したばかりのひよっこには到底成し得ないはずの術である。

 

 クロウが何かをするたびに周囲は称賛し、評価を高め、その評判はいやが上にも高まった。

 そしてそれに比例するようにソルのまなざしに籠もる敵意は強まっていった。

 

 

 

 二ヶ月後。

 

「・・・?」

「どうしたよ、クロウ?」

「いやさ・・・ソルって、召霊術の授業の時は何かピリピリしてない?」

「そうか? 最近は大体あんなもんだと思うけどなあ」

 

 教室を移動しながら、スケイルズとクロウがちらりと後ろを振り返る。

 ここのところソルの眉間には少年らしからぬシワが常に寄っており、彼を近づきがたい人間にしていた。

 取り巻きでさえも彼の顔色を窺い、遠巻きにしているありさまだ。

 

 召霊術の授業。

 教師は霊媒師(ミーディアム)と呼ばれているにしては極々普通の、ただ少し生気に欠けるタイプの壮年男性だった。

 いつものようなぽつぽつとしたしゃべり方で、今日の授業の説明を進めていく。

 

「それでは・・・前回も言ったように、今日は個人的に関係のある霊魂を召喚を試してみることになります。入学前に通達しておいたはずですが・・・親しい故人の形見のようなものを準備できた方は?」

 

 教師の問う声に答えて、半分を少し超えるくらいの生徒が手を上げた。

 クロウとスケイルズは持っていないがわ、ソルは持っているがわだ。

 

「まあそのようなものですね・・・故人の形見など、必要になったからと言って必ずしも用意できるものでもないでしょう。では召霊儀式の部屋に移動します・・・出席番号順に試行して貰いますので準備して下さい」

 

 教室を出ると、生徒たちは普段は閉ざされた大きな鉄の扉をくぐり、深い地下へ螺旋階段を下りていく。

 暗い地下階段を照らすのは、ところどころにあるロウソクほどの光を放つ魔道具のみ。

 どれだけ降りたかわからなくなったくらい降りた後、一行は先ほどと同じような鉄の大扉に突き当たった。

 厳重に施錠された扉を開け、中に入るとそこは円形の巨大な広間だった。

 壁と天井はドームのように綺麗な半球型を描いており、床にも壁にも継ぎ目一つ無い。扉を含めて全ての壁と床と天井にはびっしりと意味もわからないルーンが刻まれていた。

 

「では始めて貰います・・・まずはアネモネから」

 

 最初の生徒が進み出る。彼女は形見を持っていたが、祖母の霊を呼び出すことは出来ずに終わった。

 何人かの生徒が進み出るが、いずれも成功しない。

 そして七人目、クロウの番になった。

 「こいつなら」という期待の眼差しが周囲から浴びせられる。

 

(親しい故人か・・・思い出せないなあ)

 

 一瞬そんなことを考えつつ、それでも雑念を綺麗に振り払って精神を統一し、詠唱を始める。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア・・・ライア、サバツ!」

 

 きわめて正確な身振りと詠唱と共にクロウが念を放つと、儀式の間の中央に白いもやが現れた。

 

「おお!」

「やっぱすげーよあいつ!」

 

 白いもやはうごめき、急速に収縮して具体的な何かの形をとっていく。

 普段は無表情の教師が目を見張る。

 

「おお・・・ここまで明確な姿をとるとは・・・!」

 

 やがて白いもやは一人の女性の姿をとった。

 長い黒髪、どこかクロウに顔立ちの似た絶世の美女。

 

「・・・はは、うえ」

 

 クロウが呆然と呟く。

 霊魂の美女はニコリと笑い、ふっと消える。

 

「・・・」

「あの・・・ソルさん、大丈夫ですか?」

 

 呆然とするソル。

 取り巻きの声も聞こえない。

 ざわめく同級生の中で、彼は魂を抜かれたように呆然とそれのいた空間を眺め続けていた。



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09-02 収穫祭の夜

 召霊の儀式の間。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!

 カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!」

 

 クロウが召霊に成功したどよめきもさめやらぬ中、ソルが必死に呪文を詠唱していた。

 額に汗を浮かべ、これ以上ないと言うほど集中し、少し離れた場所、儀式の間の中央に置かれた女物の首飾り――恐らくは触媒となる故人の形見――を穴の空くほどに睨みつけている。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!

 カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!」

 

 何度も繰り返される詠唱。身振りと印もほぼ完璧なものだ。

 だが、儀式の間には霊魂どころかその出現の前兆となる霊的物質(エクトプラズム)のもやすら見えない。

 他の生徒たちなら既に諦めているところを、彼は更に詠唱を繰り返す。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!

 カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!」

「ソル」

 

 教師が声をかけるも、極度の集中に没入しているソルは気づきもしない。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!

 カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ!」

「ソル!」

「!」

 

 大声を上げて腕を掴むと、ソルはぎょっとしたようにその顔を見た。

 

「・・・せん、せい?」

 

 呆然と自分を見る生徒を確認すると教師が頷いて手を離す。

 

「良かった・・・戻ってきましたね。魔術師にとって集中は大切ですが、没入しすぎるのは危険です。こうした召霊の術や精神の術では特に。

 術は制御できてこそ術なのだと言うことを肝に銘じなさい。さ、触媒を持って下がるように・・・次の人の番です」

「そんな! もう一度! もう一度やらせて下さい! もう一度やれば成功できます!」

 

 ソルが必死に食い下がるが、教師は静かに首を振る。

 あるいは毎年似たような生徒を見ているのかもしれない。

 ソルの肩に優しく手を置き、諭すように話し始める。

 

「亡くなられた方に会いたいのはわかります。ですが召霊は元々難しい術ですし、出来ないときは出来ないのが術というものです。チャンスは今回だけではありません。

 術力と術の制御を鍛え、精神修養を重ねて自分を磨きなさい。いずれは成功するようになります。いいですね?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

 

 長い沈黙と葛藤の後、自分を納得させるようにソルが頷いた。

 儀式の魔法陣の中央に置いた首飾りを、丁重な手つきで白絹に包んで後ろに下がる。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア、ライア、サバツ・・・」

 

 次の生徒が進み出て、詠唱を始める。

 その日、霊魂の召喚を成功させたのは結局クロウだけだった。

 

 

 

 季節は巡る。

 春が終わり、夏が過ぎ、秋の収穫祭の季節。

 エコール魔導学院が存在する同名の小島でもやはり収穫祭が行われ、学院のふもとにある街もお祭り一色になる。

 魔導学院の学生たちにとっては冬至、春分、夏至の祭りに並ぶ、数少ない羽目を外せる時期でもあった。

 街に繰り出すものも少なくないが、多くが学院の中庭で開かれるパーティに参加する。

 

 クロウとルームメイトのスケイルズもそんな生徒たちの一人だった。

 テーブルに盛られた様々な地方の料理を食べ歩き、同級生や上級生と歓談する。

 既にクロウの名前は上級生たちにも知られており、話しかけてくるものも多い。

 

「おい」

 

 そんな中、料理をほおばっていたスケイルズがクロウの脇腹を肘でつつく。

 

「? ・・・!」

 

 何かに憑かれたような目つきでまっすぐこちらに近づいて来たのは、ソルだった。

 

「・・・」

「最近ますますやばくなってないか、あいつ?」

 

 耳打ちしてくるスケイルズの言う通り、ここ半年ほどでその容貌は一変していた。

 育ちの良さと気品を感じさせた中々にハンサムな顔立ちは、幽鬼のようなやせ衰えたそれに。入学当初は女子にもそれなりにもてていたものだが、今は女子どころか取り巻きですら近づかない。

 こけた頬に落ちくぼんだ眼窩。眼光だけはぎらぎらと輝き、ますます近づきがたい雰囲気をかもし出している。

 教師たちも心配はしていたものの、成績はクロウに次ぐトップクラスであるため中々口も出しにくいらしい。

 唯一変わらないのはクロウに対する敵意だけであった。

 

「・・・」

 

 そのソルがクロウの前で立ち止まった。

 

「?」

 

 それまで話していた上級生が大丈夫か、と言うようにクロウに目配せ。クロウが頷くと肩を叩いて離れていく。

 

「なんだい、ソル」

「・・・ここじゃしにくい話だ。二人きりで話せないか」

「いいよ」

 

 頷くと、心配そうなスケイルズに頷くとクロウはその場を歩み去った。

 

 

 

「・・・頼む! 俺じゃダメなんだ! どうしても!」

「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 中庭周辺の森の中。

 パーティの賑やかな声も遠いそこでソルが最初にしたのは土下座だった。

 

「今までの件については謝罪する! 俺に出来ることなら何でもする! だから頼む!」

「だから何を・・・ひょっとして、召霊かい?」

「そうだ!」

 

 地面から額を離さないソルの言うことには、あの後何度も試行してはみたが、ことごとく失敗した事。

 どうやら自分には召霊の才能がないこと。

 教師に頼んではみたが危険だからと断られたこと。

 それで思いあまってクロウに頼みに来たということだった。

 

「それにしても何故今日・・・いや、そうか。収穫祭は」

「そうだ」

 

 ソルが顔を上げた。

 

「冬至、春分、夏至、秋分は大地と天空の力が強まる時。

 特に秋分――つまり収穫祭の祭りは大地の力が一年で一番強まる時だ。

 死者の霊は大地に属するものだから、召霊は大地の力が強いほど成功しやすい。召霊の儀式の間が地下深くにあるのもそのせいだ」

「首飾りがあっても、僕は呼び出す人を知らない。成功率は低いぞ」

「わかってる。失敗しても恨まない。お前が最後の望みなんだ」

「・・・呼び出すのは誰の霊魂なんだ」

「俺の・・・母上だ」

 

 溜息をついて、クロウは頷いた。



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09-03 影

 暗い魔導学院の廊下を二人の少年が駆けてゆく。

 生徒の大半は中庭におり、そうでなくても周辺の木立か寮に戻っているか、監督する教師たちもほとんどは中庭にいて校舎には注意を向けていない。

 明かりもつけず、暗視をもたらす猫目の術を用いて走って行くクロウの後を、ソルが必死で追いかける。

 クロウがいなければ間違いなく学年首席の座を手に入れられるだけの実力はあるが、それでも彼にこんな真似は出来ない。

 今更ながらにこの本物の天才との差を痛感する。

 

「ここだ。見張りを頼む」

「ああ」

 

 廊下の途中の召霊の間に通じる大扉。

 クロウが指を触れると、しばらくして鍵の外れる音がして扉が僅かに開いた。

 素早く中に入って扉を閉めると再び鍵をかける。

 ソルがランプほどの光を手の平の上に灯し、二人は足早に階段を下りていった。

 

「うおっ・・・」

「う・・・」

 

 召霊の間の中は、恐ろしいほど濃密な魔力に満ちていた。

 大地の力を引き出し制御するように作られたこの部屋は、一年でもっとも大地の力が強まるこの日に、少年たちが感じたことの無いほどの圧倒的な大地の魔力で満ち満ちている。

 

「・・・多分術を始めたら先生たちが誰か気付くと思う。時間との勝負だ。首飾りを」

 

 こくり、と無言で頷くソル。

 部屋の中央に白絹の包みから取り出した例の首飾りを置くと、扉まで後ずさる。

 それを確認してクロウが部屋の中央に進み出た。

 1mほど離れた首飾りを見下ろし、身振りと共に呪文を唱え始める。

 

「カヤーサ、ヌージュ、ルカーヒー、アーリマ、ラキーア・・・ライア、サバツ!」

 

 反応は劇的だった。

 クロウが詠唱を完了し印を切ると同時に、部屋全域に白いもや――霊魂の仮の肉体を形成するエクトプラズムが発生し、首飾りを中心に渦巻き始める。

 

「おお!」

「何だ・・・おかしいぞ!」

 

 母親らしき霊魂を召喚したときよりも遥かに激烈な反応にクロウの頭の一部が警鐘を鳴らし始める。

 

「ああ、母上・・・!」

 

 だが心を強い感情で塗りつぶされたソルにはそれがわからない。

 広間の中心、何かの形を成そうとしているエクトプラズムに、近づこうとするソルの手を、クロウが掴む。

 

「よせ、近づくな! 何かおかしい!」

「うるさい! 放せ・・・!?」

 

 渦巻いていた白いエクトプラズムが一瞬で黒に染まる。

 ソルが目を見開いた瞬間、人間ほどの大きさになったエクトプラズムの塊が扉の方向・・・つまり二人に向かって飛んでくる。

 不運なことに、ソルを止めようとしたクロウは部屋の中央に背を向けていた。

 振り向いた瞬間目に入ってきたのは黒く長い髪を振り乱し、落ちくぼんだ眼窩と歯も生えていない口を持った幽霊――そのビジョンを最後に、クロウの記憶は途絶えた。

 

 

 

 気がついたときには学内施療院のベッドの上だった。

 三日間寝ていたらしい。

 喜色満面のスケイルズが大騒ぎしてつまみ出され、ソルはクロウの手を握って泣きながら何度も何度も謝っていた。

 

 彼らや治療師から聞いたことによれば、クロウの呼び出した黒い影は膨大な魔力をまき散らしつつ、地面を突き抜けて地上に出、収穫祭のパーティに大混乱をもたらしたらしい。

 多くのものが魔力を吸われたが、現在ではほぼ回復しているとのこと。

 

 奇妙なことに、クロウと一緒に襲われたはずのソルも魔力を吸われただけで、クロウのような重篤な症状は出ていなかった。

 母の形見の首飾りは卒業まで取り上げられることになったが、それでも憑き物が落ちたかのようにさっぱりした表情をしていた。

 少なくともそれだけで召霊の術を行った甲斐はあったかなとクロウは思う。

 「お人好しもほどほどにしとけよ」とスケイルズにはこづかれたが。

 

「それで、あれは一体何だったのですか?」

「本来・・・召霊の術は明確に対象を念じて行わなければならない。霊魂の世界は広く・・・また危険な霊も多いからだ。

 もっとも普通ならそんな術は効果を現さずに立ち消えするものだが・・・不幸にも君にはそれを押し通すだけの強大な術力があった。

 世界の壁の向こう側を乱暴に引っかき回した事によって、霊魂の世界とこの世界の間の壁が大きく広がり・・・危険な影の霊魂(ソウルシャドウ)が出て来てしまったのだ。

 あのまま放っておけば・・・世界の壁に大きな穴が開き続け、霊魂の世界から沢山の魂があふれ出てきてしまっただろうな。

 学長がいなかったらと思うとぞっとするよ・・・」

「申し訳ありません」

 

 深々と溜息をつく召霊術の教師に頭を下げる。

 

「まあそれはいい。今のところ大きな被害は出さずに済んでいるからな・・・君を除いては」

「はい」

 

 あれ以来、クロウの魔力は大きく減じていた。

 最初は体が回復していないせいかとも思ったが、体調がほぼ回復しても魔力は戻らない。何かと繋がっていること、そのラインを通って継続的に魔力がよそに流れているのが直感的にわかった。

 

「あの夜、教師たちもあの影の霊魂(ソウルシャドウ)を捕縛、あるいは霊界に帰そうと試みた・・・だが成し得なかった。理由が判るかクロウ」

「・・・僕と繋がっているからですね。僕というよりしろ、現世に沈着するための錨と繋がっているから、普通の霊魂に対する術が効かない」

 

 教師が頷いた。

 

「だが、あの影を放っておくことは出来ない・・・間違いなくあれは世界に悪影響を及ぼす。だから選択肢は二つだクロウ・・・お前を殺してあれをこの世界にとどめる重しを取り除くか」

「僕自身があの影に対抗するか」

 

 再び教師が頷いた。

 

「そうだ。どうする」

「僕はまだ死にたくありません。それに、あんなものを呼び出した責任もとらなくてはならないでしょう」

「よし・・・船と食糧を用意する。召霊に造詣の深い教師は後始末でここを離れられん。霊の世界との穴は、まだ仮に塞いだだけだからな・・・天候操作の術は習得しているな」

「船を動かす程度には」

「うむ・・・明後日出航だ。準備をしておけ」

「はい」

 

 

 

 そして翌々日。

 船着き場にもやわれた、一人用としては明らかに大きい帆船とその前に立つ二つの人影を前にしてクロウは困惑していた。

 

「スケイルズ・・・ソル・・・何でここにいるんだ? 今は知覚の術の授業中だぞ?」

「水くさいなあ。ルームメイトだろ?」

「俺にも取るべき責任がある。アクベの領主の嫡子として、名誉にかけて責任から逃げる訳にはいかん」

「・・・」

 

 あの影は危険なんだぞとか、お前達魔術師の修行はいいのかとか、やってくれたなクソ教師とか、色々な言葉がクロウの脳裏をよぎるが・・・結局出てきたのは溜息だけだった。

 

「好きにしろ。足手まといになるようなら置いていくぞ」

「だーいじょうぶ、まーかせてっ! こう見えても海辺の村の出身だからな! 魚を釣るのも船を漕ぐのも得意なんだぜ!」

「俺の風呼びの術の腕前は知っているだろう。嵐の時以外は船は任せて貰って構わない」

「やれやれだ」

 

 またしても溜息をつきながら船に乗り込むクロウ。

 しかし、その口元には僅かに笑みが浮かんでいた。



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09-04 うなばらをゆく

 ビトウィーンの海を、滑るように帆船が行く。

 全長10m幅2mほど。三人用としても大きめの船だが高言しただけあってソルの風呼びの術は強く、帆は安定して風をはらみ、すいすいと海上を進んで行った。

 

「ソル、左に五度くらい風を曲げてくれ」

「オーケイ」

 

 針路を指示するのはクロウの役目だ。

 地図とコンパス、そして自分の中の影との繋がりが頼りになる。

 

「『針の島』のほうか?」

「ああ。海を渡ってそっちに行ったんだろう。『祭壇』の本島の方に行かなかったのは謎だが」

「追い出されたのかもしれないぞ。何しろ学院があるだけあって、『祭壇の島』は八つの島の中でも一番術師が多いからな」

 

 この世界は概ね八つの島とそれらの周囲の小島からなっている。

 魔導学院のあるエコール島は第一島『祭壇の島』に属する小島。

 『祭壇の島』は八つの島の中でも一番西にあり、これから向かう第三島『針の島』はその北東にあった。

 

「スケイルズ、何か意見はないのか?」

「え? ああ、いいんじゃないの?」

 

 先ほどから一心不乱に釣り糸を垂れているスケイルズが上の空の返事を返す。

 この男は船が海に出るなりソワソワしだし、沖に出た途端に手際よく用意していた釣り竿を準備して、それ以来ずっと石になったかのように船べりから動かなかった。

 そう言えば学院でも時々釣り竿と魚籠(びく)を持って帰ってきたことがあったな、と思い出す。

 ソルがふん、と鼻を鳴らす。

 

「役に立たん奴だ」

「まあいいんじゃないの。少なくともああやって釣りに集中してくれている間はあのおしゃべりを聞かなくて済む」

「なるほど、違いない」

 

 クロウが肩をすくめる。

 ソルが浮かべた皮肉げな笑みと言葉も耳に入らず、スケイルズは一心不乱に釣りに集中していた。

 

 

 

「ジャーン! どうだっ!」

「おおう・・・」

「人間何か一つは取り柄があると言うが本当だな」

「うるっせえよ」

 

 夕方。

 スケイルズの足元の水を張った木桶には数十匹の魚が跳ね回っていた。

 三人で食べても十日はもつだろう。

 

「さーて、じゃあ俺は釣りして疲れたしワタ抜きは頼むぜクロウ!

 飯が出来るまで少し横になるわ」

「しょうがないなあ・・・」

 

 一日中釣りをしていたスケイルズ、風を操っていたソルと違い、クロウは海図とコンパスとにらめっこして、後は時折船の索具をいじって帆の角度を調節していただけである。

 ついでに言えばこの三人の中では彼が一番料理がうまい。

 よっこいしょ、と腰を上げたところでソルの冷ややかな声がかかった。

 

「待て、スケイルズ。こう言う時は釣ってきた人間がハラワタを抜くのがルールだろう」

 

 ぎくり、とルームメイトの肩が震えた。

 思わずクロウが半目になる。

 

「・・・スケイルズ?」

「い、いやだってよぉ・・・俺が釣ったんだし・・・」

「ルールはルールだ。それにお前は釣りを楽しんでいたんだろうが。まじめに働いていたクロウと一緒にするな」

「ちぇーっ」

 

 がっくりうなだれて、夕食で食べる分の魚を水を張った木桶から魚籠(びく)に移し始めるスケイルズ。

 ソルが鼻で笑った。

 

「ありがとうと言うべきかな、ソル」

「礼を言われるほどのことでもない。大体お前はお人好しすぎるぞ。俺が言えた義理ではないがな」

 

 目の前でぶーたれているルームメイトも同じ事言ってたなと思いつつ、疑問を口にする。

 

「そう言えばハラワタは釣った人が抜くなんてルールよく知ってたね。釣りが趣味だったの?」

「いや、俺の故郷は内陸の方だしそう釣りが盛んな訳じゃない。ただうちの下男が釣り好きでな、普段はいい奴なんだが釣りのことになると人が変わると言うか・・・毎回奥方に『釣った魚は自分でワタを抜け!』と怒鳴られているので覚えてしまったのさ」

「なるほど」

 

 にやにやと笑うソル。クロウもくすくす笑いつつ、魚料理のレシピを考えながらかまどの方に歩き始めた。

 

 

 

 魚をぶつ切りにして香味野菜と塩で煮込んだ、こちらの世界で言えばブイヤベースのような魚鍋をつつきながら三人で会話を交わす。

 腹を割って話してみると、これでソルはいいやつだった。

 お坊ちゃん育ちゆえのちょっとした高慢さはあるが、頭の回転が速く気遣いも出来る。

 入学以来ぶつけてきた敵意とライバル心も綺麗さっぱり消え失せ、母親に対する執着も憑き物が落ちたように消えて無くなっている。

 

(多分これが本来のソルなんだろうな)

 

 何よりありがたかったのはスケイルズと違って、こちらが黙っていて欲しい時にはそれを察してくれることだ。

 このルームメイトは間違いなく善良で友情に厚くて献身的なのだが、時にそのおしゃべりが原因で絞め殺したくなることがある。

 その点ソルは間違いなくスケイルズよりも素晴らしい話し相手だった。

 

「ん? 何か言った?」

 

 ペラペラとしゃべり続けていたスケイルズが首をかしげる。

 

「「いや、何も」」

 

 クロウとソルが声を揃えて返事を返した。

 

 

 

 翌朝。

 前夜に食べきれなかった分の魚をスケイルズがワタを抜き、クロウがさばいて塩を振る。それを船縁に並べて天日で乾かす。簡単な干物だが、それだけでかなり長持ちする。

 初日と同じくソルは船尾で舵を握りながら風呼びの術を使い、スケイルズは船縁から釣り糸を垂らした。

 

「なに、まだ釣る気? そんなに釣っても食べる前に腐っちゃうよ」

「食わない分は海に戻すさ」

「じゃあ何で釣るんだ?」

 

 呆れ顔のソルに、スケイルズが今まで見たこともないような真剣な顔を向ける。

 

「釣りというのはな、男と男、人と魚の真剣勝負なんだ。人生の全てを賭けるに足る競技なんだよ!」

 

 それに対してソルの反応はたった一言だった。

 

「アホか」

「何だとぉっ!?」

「ま、まあまあ・・・」

 

 顔色を変えて食ってかかるスケイルズをなだめるのに十分くらいかかった。

 

「いいかっ! 今後一切てめーに俺の釣った魚は食わせねーからなっ!」

「ほう、そうか。なら俺が風を吹かせて進んだ分の距離を、お前は手こぎボートでついてこい。もちろん自分で風を吹かせるのでもいいがな」

「ぐっ!?」

 

 頭に血が昇ったところに、綺麗なカウンターを決められてスケイルズが絶句する。

 規格外のクロウ、十分天才の部類に入るソルと違ってスケイルズの成績は平凡だ。そして天候操作の術はスケイルズの苦手な分野だった。

 彼が起こすそよ風は夏に涼む分にはいいだろうが、動かせるのはせいぜいおもちゃの小舟くらいだ。

 

「で、どうする? 俺はどちらでも構わないぞ」

「ぐぐぐぐぐぐぐ」

「まあまあ、まあまあ・・・」

 

 二人が付いてきてくれたおかげで色々な雑事をやらずに済むし、船を進めるために風の術で魔力を消耗しなくて済む。その分影と対決するときのために力を蓄えておける。

 大変ありがたいし感謝もしているのだが・・・。

 

(僕何やってるんだろうなあ)

 

 そう思いながら何とか二人をなだめるクロウであった。



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09-05 『針の島』

 二十日ほど経って、彼らの船は『針の島』に到着した。

 見た目は砂漠に覆われていることもなく、森の木々が水色の葉をつけていると言うこともない、ごく普通の島だ。

 エコール魔道学院の生徒たちは八つの島から集められるのだが、スケイルズは『祭壇の島』出身で他の島に行ったことがない。

 だからか先ほどから舳先に立って興奮しながら島を指さしていたのだが、島影が大きくなるにつれその興奮はしぼんでいくようだった。

 

「なんだ、普通の島だな。島中に針が生えているのかと思ってたのに」

「馬鹿かお前は。それを言ったら『祭壇の島』は島中に祭壇があるのか」

「ウチの島ではどの家にも神に供物を捧げる祭壇があるぞ」

「ンなもんどこの島だって同じだっ!」

 

(この二人もすっかり仲良くなったなあ)

 

 などと思いつつクロウが海図を取り出す。コンパスで方向を確かめた後、軽く精神統一して自分の中から流れていく魔力の方向を確認。

 気がつくと、じゃれ合っていた二人が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「どうだ?」

「感覚は変わらない。こっちに来ているのは間違いないと思う」

「先週立ち寄った小島でも、影っぽいやつを目撃してた人がいたな」

 

 スケイルズの言葉に頷き、地図に指を走らせる。

 

「今このへん、『針の島』の南西の端だな。どちらかというと東の方に強い力を感じるから、ここから東、南の海岸沿いに進んで影を探そう。いいか?」

「もちろん!」

「船長はお前だ。その指示に従うさ」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 沿岸沿いに船旅は続く。時折漁師達と情報交換したり、補給のために上陸したりを挟みつつ、嵐に遭うこともなく船は順調に進んでいった。

 

「うひょう、久々の肉だぜ!」

 

 歓喜の声を上げるスケイルズがかぶりつくのは鹿肉のステーキ。

 上陸の時に狩ってきた獲物だ。

 ソルの弓の腕は中々のもので、クロウの探知の術、隠形の術と組み合わせるとあっという間に丸々太った鹿を一頭仕留めてしまった。

 世の狩人が聞けば泣いてうらやましがるであろう。

 

「スケイルズ。あなた、この前僕が『そろそろ魚のメニュー考えるのもつらいなあ』と言ったら滅茶苦茶怒ってませんでした?」

「えー、それはそれ、これはこれだよ」

「クロウ、お前はそろそろ怒っていい」

 

 後に、自分の分だけ調味料抜きにされたスケイルズは泣きながら土下座して謝ったがそれはさておき。

 

「・・・感じる方向性が変わりました。東から、北東の方に動いてます」

「本当か!」

「つまり、内陸にいるって事だな・・・正確な距離はわからないのか?」

「近づいているとは思いますがまだ・・・感じる方向が真北に近くなったら接岸して上陸しましょう」

 

 二日後、精神集中していたクロウの言葉に二人が頷く。

 更に二日後、船は内陸へ向かう河を、北に向かってさかのぼり始めた。

 

 

 

「ふう」

 

 クロウが精神集中を解き、息をついた。

 まぶたの裏に浮かんでいた、川べりの村のヴィジョンが消える。

 

「そろそろかな」

「船を下りるのか?」

 

 スケイルズの質問に頷く。

 

「この辺で船を下りて北東に進もう。千里眼の術で見たら少し先に村があるから、そこで船を預かって貰う」

「大丈夫かな」

「魔導学院の人間だと言って、幻影の一つも見せれば大丈夫でしょ。船の方にもそう言う術を仕掛けておいて」

「なるほど」

 

 実際その通りになった。

 村長と会い、金貨を渡して船を預ける。

 ずるそうな目で承知した村長だったが、それもクロウの作り出した怪物の幻影を見るまでだった。

 

「ひっ、ひいい!?」

「もし船に手を出したらこの怪物に食い殺されますから、村の人たちにもよく言っておいて下さいね?」

「は、はい・・・!」

 

 カクカクと首を縦に振る村長と笑顔で握手し、クロウは肩を叩いた。

 

「ところでここから北東の方に何かありますか?」

「は、はい。この周辺の領主のお城があります。紋章は『黄金の旅立ち』、御当主は『富を守る兜』様です」

「結構。くれぐれも船のことよろしくお願いしますね?」

 

 首を振っているんだか震えているんだかわからないほどの高速で頷く村長に笑みを浮かべると、クロウは二人を伴って歩き出した。

 村を出てしばらくした後、耐えきれなくなったようにスケイルズが笑い出す。

 

「ははははは! 見たかよ村長のあの顔! 今にもおしっこちびりそうなツラしてたぜ!」

「卵とは言え魔術師を舐めるからああなる。だいたい金貨を貰っておいて欲の皮をつっぱらせるのがいかん」

 

 楽しそうにそれに同調するソル。

 クロウの顔にも「してやったり」の表情が浮かんでいた。

 

「まあ正直あの幻影はやり過ぎかもと思いましたけど、やっぱりやっておいて良かったですかね」

「よく言うぜ! 最初からそのつもりだったくせによ!」

 

 スケイルズがバシバシとクロウの肩を叩く。

 笑いながら三人の少年は連れだって歩いていった。

 

 

 

 荒野のただ中にその城はあった。

 周辺にはそれなりに農地などもあるものの、どことなく暗い印象を受ける。

 赤くなりかけた夕方の太陽が余計にそう思わせるのかもしれない。

 

「・・・ここか?」

「はっきりとはわからないけど、あの影の気配を感じる。少なくともつい最近ここに来たんだと思う・・・領主様に面会をお願いして、話を聞いてみよう」

 

 二人が頷いた。

 

 

 

 予想に反して城門には門番はおらず、門も開けっ放し、跳ね橋も下ろしっぱなしだ。

 

「数百年放置してたみたいな感じだな」

 

 スケイルズが無駄口を叩くが、今回はクロウも同感だった。

 ぼろぼろに風化しているというわけでもないが、どこか古びた印象がある。

 

「ごめんなさい、どちらかいらっしゃいませんか」

 

 声をかけながら跳ね橋を渡り、門をくぐって奥へ進む。

 城壁に囲まれた広い中庭には厩舎や納屋、馬場などもあるが、どこにも人の気配はない。

 中央の居館に向かい、正面の大扉をノックした後力一杯押す。

 鍵やかんぬきが掛かっているということもなく、きしみ音を立てて大扉は開いた。

 

「・・・」

 

 扉の中は想像したとおりの広間だった。

 左右に階段があって二階の回廊に続き、左右の棟に続くのだろう扉と、奥に続く扉がある。

 質素で飾り気のない、地方領主の館という感じだ。

 

「もしもーし、誰かいませんか・・・」

 

 期待をせずに、礼儀上声をかける。だから声が返ってきたときにはそれなりに驚いた。

 

「あら、お客様?」

「!?」

「うおっ!?」

 

 二階の回廊から少女が見下ろしていた。

 簡素な白い貫頭衣を身につけ、腕と足はむき出しだ。

 肌は浅黒く、艶のある黒髪をおかっぱにしていた。

 

「し、失礼しました。わたくしどもはエコール魔道学院の生徒で、故あってこの地にまかりこしました。

 わたくしは"数字の海を飛ぶ鴉"、クロウと申します」

「え? あ、ああ。"川べりに落ちた鱗"、スケイルズです」

「"獅子の頭上に輝く太陽"、ソルと言います」

 

 ぼうっと少女を見ていたスケイルズが、脇腹を肘でつつかれて慌てて名乗る。

 こちらは領主の息子らしい育ちの良さと礼儀を見せて、ソルが優雅に一礼した。

 

「ふぅん」

 

 階段の上から三人を見回して面白そうな顔になる少女。

 

「私は"月の女神の微笑み"、セレ。よろしくね」

 

 少女が微笑んだ瞬間、クロウの頭の片隅に極々かすかな違和感が走った。

 



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09-06 セレ

「お客さまよ。ご案内して上げて」

「はい、セレ様」

「!?」

 

 唐突に、セレの後ろに侍女が現れた。

 そればかりではない。

 

「スケイルズ、ソル、気付いたか?」

「なにが?」

「ああ。いきなり人の気配が湧いて出た」

「えっ?」

 

 驚くスケイルズを放置して、クロウとソルが頷きあう。

 魔術師には周囲の魔力の波を感じる能力があり、これはイコールで生命の波動を感じる能力として応用が効く。

 あくまで副次的なものであり、"生命感知(センス・ライフ)"ほど鋭敏なものではないのだが・・・今回は明らかにそれでは説明が付かないほど多くの、そしてはっきりした生命の波動がいきなり出現したように感じられた。

 城門をくぐってからこちら、クロウにもソルにもまったくと言っていいほど人の気配を感じられなかったのにだ。多くの人間が息を潜めて気配を消していたか、あるいは急に現れたとしか思えない。

 

「・・・どう思う?」

「わからん。警戒はすべきだろうな」

「なあ、二人とも何納得してんだよ! 無視するなよ! 泣くぞ!」

 

 厳しい顔、小声で会話を交わす二人。

 訳がわからず騒ぐスケイルズ。

 セレがその様子を見てかすかに笑った。

 

 

 

 もてなしは丁重なものだった。

 部屋と言い、料理と言い、地方領主のレベルとしては完璧と言ってもいい。

 ただ、晩餐の席に現れたのは給仕の侍女を除けばセレだけだった。

 

「・・・ここの主はあなたなのですか、セレ?」

「いいえ」

「ではあなたは主のご令嬢か何か?」

「それもいいえ。私は代理人に過ぎないわ」

「ではここの主は・・・」

 

 す、とセレの白魚のような指がクロウの唇を封じた。

 スケイルズがクロウを凄い目で睨んでいる。

 

「主とはいずれ会えるわ。今はもっと楽しい話をしましょう」

「・・・」

 

 クロウの唇から指を放すと、セレがにっこりと微笑んだ。

 

「私、エコール魔道学院の話が聞きたいわ。話して下さる?」

「喜んで!」

 

 ここぞとばかりにスケイルズが口を開いた。

 雪崩を打って飛び出して来る色々な話を、セレは楽しげに聞いている。

 出会ってからずっとこの少女に感じ続けているかすかな違和感。

 時折相槌を打ちながら、クロウは静かに彼女を観察していた。

 

 

 

 夜半。

 クロウは寝付けずにベッドの上で寝返りを打っていた。

 三人別々、しかもかなり上等の部屋だ。上客をもてなすのに使うような。

 

「・・・」

 

 主の正体。

 セレの行動。

 "影の霊魂(ソウルシャドウ)"との関係。

 この城と、その周辺から感じる大地の強い力。

 それはとりもなおさず、霊魂の世界に近いと言うこと。

 それらのことが頭の中でぐるぐると回って眠れない。

 不意に、とんとんとん、とノックの音がした。

 

「・・・?」

 

 物思いを中断し、扉の方を見る。

 再びとんとんとん、とノックの音。

 どうやら気のせいではなかったようだと確かめて声を上げる。

 

「どなた?」

「わたし。セレよ。いいかしら?」

「・・・どうぞ」

 

 ベッドから降りて立ち上がると同時にセレが入って来た。

 寝間着の薄物姿である。

 

「何か御用で?」

「用はあるわ、もちろん。だからこそ来たのだし」

 

 セレがベッドに腰掛ける。

 笑みを含んだ上目遣い。

 

「・・・」

「座ったら?」

「いや、このままで結構ですよ」

「そう」

 

 くすっと笑ってベッドに横になる。

 

「あなたに見せたいものがあるの。ついてきてくれるかしら?」

「スケイルズやソルは?」

「あなたひとりだけ」

「・・・」

 

 しばし沈黙して、クロウは頷いた。

 

 

 

 指の先に魔法の光を灯し、二人は地下へ降りていく。

 

「素敵ね、魔法って! ロウソクよりずっと明るいし、ススも出ない!」

 

 楽しそうに笑ってセレが螺旋階段を軽やかに下りていく。

 三階ほどは下りただろうか、階段は分厚い樫の木の扉で終わっていた。

 少女が扉に触れると、重そうな樫の扉は音も立てずにすっと開く。

 

「さあ、どうぞ」

「・・・・・・・・!」

 

 一歩踏み込んだクロウが目を見張った。

 差し渡し10mほどの地下空間。

 その中央に鎮座するのは直径4mから5mはありそうな、巨大な天然物の水晶。

 そしてそこから放出される膨大な魔力――大地の力、霊の世界に通じるそれ。

 一瞥した瞬間、背筋に走る最大限の警報。

 

「セレ・・・!」

 

 振り返ったクロウの視界に映ったのは瞳のない、闇だけをたたえた空っぽの眼窩。耳元まで裂けるような笑みを浮かべた「セレ」と共に閃光が走り、クロウの意識は断絶した。

 

 

 

「・・・」

「・・・・・・。・・・・・・・・・・・・!」

 

 ふと目を覚ました。

 

 周囲には何もない。

 ただ暗闇があるばかりである。

 

 天はなく、地もなく、光もなく、音もない。

 そこで気がついたが、そもそも自分がなかった。

 手を顔の前に持ち上げようとするが、その手が見えない。

 

「~~~~」

 

 何かが聞こえた。 

 ハッと気付くと肉体が生まれている。服装も先ほどまでの寝間着のままだ。

 まるで経験があるかのようにスムーズに出来た気がする。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

 

 目の前で誰かが、涙ながらに詫びている。

 

「・・・!」

 

 涙を浮かべてひたすら詫びの言葉を口にしているのは、たった今まで一緒にいた少女、セレだった。

 周囲にはゆらゆらと、おぼろげな人影が無数にうごめいている。

 

「これは一体・・・」

 

 言いかけて、クロウは今までセレに感じていた違和感を目の前の少女からは感じないことに気付いた。加えて服装も違う。

 

「取りあえずここはどこだか教えて頂けますか、セレではないセレさん」

 

 そう言うと目の前のセレはひどく驚いたようだった。

 

「わかるんですか?!」

「まあ、これでも魔術師の卵ですので」

 

 にっこりと微笑んでみせると、セレも何とか落ち着いてきたようだった。

 

「その、正直私にもよくわからないんですが、ここはあの水晶の中らしいんです」

「やはり」

 

 想像していたこともあり、驚きはなかった。

 あの巨大な水晶は恐らく魔力結晶の一種なのだろう。

 

「私たちはあの水晶に『喰われ』たんです。それ以来私たちの魂はこの中に閉じ込められ、肉体はこの水晶に操られて・・・」

「恐らくこの水晶は古き妖魔のたぐいですね。『創世の八神』がこの世界を作った時に自然発生した霊的な存在ですが、時折強大な力で災いをなすと聞きます」

「魔術師様ならどうにか出来ないんですか?」

 

 すがるようなセレの眼差し。

 

「今は何とも。色々試してみるつもりではありますが」

「そうですか・・・あ、でも最近『何か』がここに入って来て、それ以来少し水晶の様子がおかしいんです」

「というと?」

「意地汚く何でも口に入れた結果、変なものを喰って腹を壊しているということだ。端的に言えばな」

「!」

「え、えっ!?」

 

 その場にいきなり現れた第三者。

 影のようなそれはクロウと同じ顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

「・・・! 今ピクって動いたぞ!」

「本当だ! 何かあったのかも!」

 

 ディテク王国王都、メットー。スラム街にあるヒョウエの屋敷。

 その一室、魔法の儀式用に整えられた部屋、床に描かれた魔法陣の中央には眠るように横たわるヒョウエの姿。

 モリィたちやリーザ、サナ、イサミとアンドロメダたちがその周囲を囲んでいる。

 恐らく魔法陣を制御しているのだろう、結跏趺坐を組む老婆が近づこうとするモリィ達を制する。

 

「落ち着け。恐らくは接触したようじゃが、まだ何とも言えぬ。

 それに・・・ここからが本番じゃ」

「やっぱりヒョウエ一人じゃ危険だったんじゃないですか、師匠」

 

 イサミの言葉に老婆が首を振る。

 

「今回はどのみち誰もついて行けん。わしでは弾かれてしまうしの。小僧(ヒョウエ)の力に賭けるしかない」

 

 ヒョウエたちの師匠、メルボージャは険しい顔で首を横に振った。



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09-07 "影"

「え? え? え?」

 

 二人のクロウを見比べてきょろきょろするセレ。

 唐突に現れた影のようなもう一人のクロウは顔立ちこそ瓜二つであるものの、体のシルエットは周囲の闇に溶け込んでおり、雰囲気にもどことなく薄暗いものがあった。

 

「お前は・・・影の霊魂(ソウルシャドウ)か」

『お前達がそう呼ぶものではあるのだろうな』

 

 本当は聞く必要もなかった。

 自分とこいつが繋がっているのがクロウにははっきりわかる。

 こいつが自分と同じ姿をしているのも、恐らくは「奪われた」から。

 クロウの中にある魔法の源の一部、接触した瞬間に奪われたそれは「クロウ」の一部でもある。

 

 DNAのようなものだ。

 あの瞬間、影のような何かだったこれは手にした「クロウ」と混じり合って姿を得たのだろう。

 

『本来ならもう少し力を蓄えるつもりだったが・・・ちょうどいい。ここでお前を全て取り込んでやる』

「・・・! セレ、下がって!」

「は、はい!」

 

 意味のないことだ。

 ここは恐らく精神の世界。近かろうと遠かろうと同じ事。

 それでも揺らめく幽霊たちの中に埋没してこちらを見つめるセレを視界の端に捉えると、少し気が楽になる。

 

「・・・」

『・・・』

 

 にらみ合うクロウと影。

 「とりこんでやる」などと言った割に、影はすぐに攻めてこようとしない。

 こちらを窺っているようにも見える。

 恐らくこの戦いは存在の奪い合いになるのだろう。

 どれだけ自己を固く保っていられるか、どれだけ相手の存在をちぎり取れるか。

 

(・・・けど、警戒してるって事は僕にもチャンスがあるって事だ)

 

 自信満々な言葉は相手を動揺させるための牽制。

 本当にそこまで自信があるなら、すぐさま襲いかかって一方的に食い尽くせばいい。

 それをしないというのは、そういうことだ。

 恐らく奪われたのはクロウの魔法の力の二割ほど。影自体の力があるにしてもクロウを圧倒できるほどではないのだろう。

 

 にらみ合い。

 物質世界で言えば剣を構えて互いに互いの側面に回り込むような、拳銃の早抜きでどちらが先に抜くか牽制し合うような、そんな動き。

 セレや他のおぼろげな幽霊達が息を呑んで見守る中、どれほどの時が過ぎたか。

 

「かっ!」

『オオッ!』

 

 先に動いたのは、意外にもクロウ。

 むろん影もそれに応じて動く。

 両手を伸ばし、組み合う。

 手四つと言われる姿勢。

 

 互いに組んだ手と手は互角。

 震えながら互いに互いを押し込もうとする。

 

 やがて僅かだが均衡が崩れた。

 じりじりと押され、体勢を崩していく"影"。

 "影"に一部を奪われたとは言え、クロウの力は強大なものだ。

 八割の力しか残っていなくても、"影"を押し込むには十分。

 

(よし・・・!)

 

 精神世界での格闘は多分に象徴的なものだ。

 このまま押さえつければ相手を無力化して、奪われた力を取り戻す事ができる。

 更に反っていく"影"の背中。ついに片膝を突き、クロウはそこから更に押し込む。

 だが。

 

「何?!」

『・・・』

 

 "影"がニヤリと笑った。

 押し込んでいた腕が止まる。

 押し返されることはないが、それ以上押し込めない。

 

「っ!」

 

 クロウが表情を変えた。"影"の胴体に蹴りを入れて身を離す。

 "影"がゆっくりと立ち上がった。

 クロウは"影"から目を離さず、しかし何かを確かめるように手を何度も握ったり開いたりしている。

 

『ようやく気付いたか』

 

 あざけるような"影"の声。

 クロウは沈黙。

 しかしその目には相手の言葉を認める色がある。

 

『お前は少しずつ俺に力を奪われていた。もう引けは取らん』

 

 最初に奪われた力はおおよそ二割。だが今は恐らく五割近くを奪われているだろう。

 今や力は互角。だが触れて力を奪われるのでは勝負にならない。

 

(どうする・・・?!)

 

『さあ、いくぞ!』

「くっ!」

 

 考える暇もなく、"影"が襲いかかって来た。

 動きの速さも鋭さも最初の時の比ではない。

 

『そら! そら! そら! いつまで逃げ切れるかな!』

「・・・!」

 

 繰り出される手刀から必死に身をかわし続けるクロウ。

 時折体をかすめた手刀から、僅かながらに力が奪い取られるのがわかる。

 だがその脳裏は襲い来る攻撃ではなく、別の事で占められていた。

 

『しゃあっ!』

「っ!」

 

 息もつかせぬ連続攻撃。動きだけではなく、技も巧妙になってきている。

 

『獲った・・・がっ!?』

 

 踏み込んできた"影"の一撃。それに対して、逆に踏み込んで頭突きを見舞う。

 これも僅かに力を奪われるが、"影"がひるんだ隙に距離をとった。

 

『ちっ・・・だが俺が勝つことには変わらん。お前は奪われるだけなのだからな』

「そうでもないよ。君の名前さえわかれば」

『!』

 

 "影"の表情が変わった。

 

 名前とはその本質を現す言葉だ。そしてしばしば本質そのものと同一視される。

 言霊の術の奥義の一つに「真の名前」というものがある。

 物質、生物、あるいは風や火といった事象に至るまで、その真の名を知るものはその全てを操ることが出来る。

 そこまで行かなくとも名前を知っているというのは重要だ。

 失せもの探しの術を使うにせよ、呪いをかけるにせよ、逆に癒すにせよ、相手の名前を知っているのとそうでないのとでは術の効きに雲泥の差が出る。

 "影"はクロウの名前を知っている。クロウは"影"の名前を知らない。

 

(霊魂の世界に存在する暗い霊魂の一つなんだろうが・・・)

 

『そうか、貴様さっきから攻撃してこなかったのは俺の名前を探り出そうとしていたのか』

「・・・」

 

 名前が重要なのであれば、当然それを探り出す術もある。

 真の名を探り出すとなればそれこそ大魔術師にしか成し得ない技だが、一般的な意味での名前であればクロウでも十分扱える範疇だ。

 

『だが無駄だな。貴様には探り出せん』

 

 "影"の言葉は事実だった。

 先ほどから試みてはいるのだが、一向に反応がない。

 

(けど、何か手応えがおかしいんだよな・・・霊界の暗い霊かと思ったけど、何か芯に別のものがある・・・むしろ暗い霊の方が付属物のような・・・)

 

 思考はそこで中断された。

 "影"の攻撃が再開される。

 必死に回避しながら名前を探る術を試すが、効果はない。

 

『はは! はは! ははははは!』

 

 クロウの存在が、魔法の力の源がどんどん削られていく。

 五割、四割、三割。

 二割、一割。

 "影"が手を止めて再び哄笑する。

 

『ははははは! これまでだな! たとえ俺の名前を知ったとしても、もうどうにもなるまい!』

「・・・」

 

 その通りだった。

 同じ土俵に立っても、力がそこまで違うともう勝負にならない。

 だがそれでもクロウは諦めてはいない。

 

「もう一度会うんだ。――に・・・」

 

 はっとする。

 今、自分は誰の名を口にした?

 

『誰かは知らんがもう無理だな! 消えてなくなれ!』

 

 とどめを刺し、クロウの全てを吸収するべく襲いかかる攻撃。

 チカッと、何かがフラッシュバックした。

 

 どこかの豪華な屋敷。

 床に描かれた魔法陣。

 横たわる黒髪の少年と、その周囲を囲む女性たち。

 

「―――」

「―――!」

 

 彼女たちが口々に叫ぶ名前。それは――

 

ヒョウエ(・・・・)

『!?』

 

 "影"の手刀がぴたりと止まった。

 おごそかに、朗々と、祝詞のようにクロウが呪文を唱える。

 

「太古の言葉により命ず 冥府より来たる死の影 汝にまことの名を与えん 我は汝、汝は我なり」

『や、やめ・・・』

 

 恐怖の表情で後ずさる"影"。それを見すえながら、クロウは最後の一言を発した。

 

「汝の名は『ヒョウエ』なり」

 

 言葉にならない悲鳴を上げて"影"が爆発した。

 その下から現れたのは、クロウと瓜二つの、しかし影を纏っていない少年。

 クロウと少年が鏡合わせのように手を上げ、触れる。

 二つの人影が揺らいだかと思うと、次の瞬間そこには一人の人間が立っていた。

 揺れ動くおぼろな影の中から、こわごわとセレが顔を出す。

 

「クロウ・・・?」

「ええ、クロウですよ。ヒョウエでもありますけど」

 

 少年がにこりと笑った。



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09-08 あるべきものをあるように

「ええとその、どういうことなんです?」

「つまりですね、推測も入りますが・・・」

 

 混乱するセレ。

 記憶が定かではないが、クロウが何とか説明を試みる。

 

「たぶん僕は本来この世界の人間ではないんです。何らかの使命を果たすべく霊の姿でこの世界にやってきて、『クロウ』として存在を得た。

 しかし、どこかで分裂してしまったんですよ。今の"影"はその片割れなんです。それが今ようやく一つになって、記憶もある程度は甦ったんでしょう」

 

 正確に言えば、分裂したヒョウエの片方が地上の世界で「クロウ」となり、霊魂の世界で迷子になっていたもう片方に霊魂の世界の暗い霊、つまり"影の霊魂(ソウルシャドウ)"が取り付き、我がものとして操っていたのがあのもう一人のクロウなのだろう。

 ソルに頼まれて召霊を試みたときに"影の霊魂(ソウルシャドウ)"が現れたのは偶然ではなかったし、"影の霊魂(ソウルシャドウ)"と繋がりが出来たのも最初に襲われたせいではなかった。

 何のことはない、同一人物だった両者の間に元から繋がりがあっただけなのだ。

 

 他の者が魔力を奪われただけだったのに対してクロウが存在の一部を奪われたのも、この元からあった繋がりのせいだ。

 ただ、クロウの名を知っていた"影の霊魂(ソウルシャドウ)"に対して、"影の霊魂(ソウルシャドウ)"の本質・・・つまり「ヒョウエ」を知らなかったために、力が一方的にあちら側に奪われていったのだ。

 

 「クロウ」はヒョウエが分裂した後に生まれた名であり、もう片方のヒョウエはヒョウエではあってもクロウではない。そして確固たる本質を持たない影の霊魂は、ヒョウエの片割れを乗っ取りながらその本質を逆に乗っ取られかけていた。

 クロウの存在を吸収して「ヒョウエ」の割合が増えれば増えるほどそれは進行し、最後の方には実質「自分を"影"だと思い込んでいるヒョウエ」のような状態になっていた。

 ゆえに自分の存在を見失った影の霊魂の支配力は弱まり、1/10にも満たない存在になったクロウ=もう一人のヒョウエの術によって「ヒョウエ」は再統合され、取り付いていた影の霊魂ははじき飛ばされて消滅したのだ。

 

「まあ、ひょっとしたらまだ僕の中に残っているかもしれませんが、取りあえず影響はないみたいですね」

「ははー・・・」

 

 と、その様な事を全て理解したわけではないだろうが、こくこくと頷くセレ。

 

「それで、これからどうするんです? 私たちがここに閉じ込められてるのは変わりませんけど・・・」

 

 "影"が現れて中断していた話を最初に戻す。

 しかし、憂鬱そうなセレに比べてヒョウエは自信満々だった。

 

「大丈夫ですよ。こちらの世界でもそれなりに破格の才能を持ってはいましたが、僕の真の才能はそれだけじゃありませんから」

 

 

 

「あ、また動いたよ!」

 

 メットーのスラムにあるヒョウエ邸。その儀式の間と化した広間の一つ。

 嬉しそうなリーザの声に、仮眠していたモリィ達が飛び起きた。

 

「マジか・・・って、うお!?」

「・・・!」

「な、なに?」

 

 モリィとカスミの反応にリーザがうろたえる。

 

「落ち着かぬか」

 

 儀式が始まって以来数日、結跏趺坐を組んで解かないヒョウエたちの師匠、メルボージャがやんわりと制する。

 

「まあ、気持ちはわかるがの」

「だよな。こいつがこんな馬鹿げた魔力を発するのは・・・あー、その」

「青い鎧を纏うときくらいじゃというのじゃろう?」

「!」

 

 モリィ達の視線が老婆の背中に集中する。

 ちなみにサナは雑事で席を外している。

 イサミとアンドロメダは「お前らがいたって役に立たんのだからまじめに働け」と老婆に蹴り出されていた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 くっくっく、と老婆が肩を震わせる。

 

「それは知っておるわい。なんせ小僧(ヒョウエ)が青い鎧の術式を組むときにはわしも手伝ったんじゃからのう」

「そうでいらっしゃいましたか」

「あの時は正直自信を無くしたわい。小僧め、術式構築に関してはわし以上の・・・いや、それはどうでもよいわな。問題はこの魔力を何に使うかじゃ」

 

 カスミが深刻な顔で頷く。

 光以外の魔力には鈍い彼女ですら強烈に感じるほどのそれ。

 隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)が紡ぎ出す莫大な魔力が魂のラインを通って虚空に消えていく。

 今の彼女たちにはそれを見守るしかできない。

 

 

 

「来た来た来た来た、来ましたよ!」

「う、うわ・・・」

 

 巨大水晶の中。クロウ=ヒョウエの体が光り輝く。

 霊魂と精神の世界だけあって、魔術の素養の無さそうなセレにもそれがわかった。

 

『や、やめろ!』

 

 先ほど影が現れた時のように、唐突にセレがもう一人現れた。

 姿形は瓜二つだが、浮かべる表情とうつろな眼窩がこの水晶――古代の妖魔の化身(アヴァター)だと明白に主張している。

 

『お前は外に出してやる! 体も返す! それに他の者はもうこの中でしか生きられない! ここ(ワタシ)を壊せば・・・』

 

 ぴくり、とヒョウエの腕が止まる。

 振り返れば拳を握りうつむいたセレと、ゆらゆら揺れるおぼろげな人影らしきもの。

 

『そうだ。この中にいれば・・・』

「いりません」

 

 猫なで声になった「セレ」の言葉を、本物のセレの言葉が鋭く切り落とす。

 

「かまいません、クロウさんのヒョウエさん。どうせこのままここにいれば、こいつに記憶も心も食べられて、あんな風になるんです!

 そうなるくらいなら・・・やっちゃってください!」

「・・・いいんだね?」

「はい」

 

 ヒョウエの言葉に、目は揺れながらもきっぱりと頷く。

 

『ヤ、ヤメ・・・』

 

 次の瞬間、まばゆい光が視界を塗りつぶし、世界がひび割れる。

 水晶が砕けるその音の中に、ヒョウエは人ならざる古きものの絶望の悲鳴を聞いた気がした。

 

 

 

 ハッと気付くと、館の二階廊下だった。

 スケイルズとソル、セレと侍女二人が一緒におり、

 スケイルズ達は夢からさめたような表情をしている。

 

「クロウ? ソル? こりゃどうなって・・・」

 

 侍女二人がバタリと倒れた。

 

「おい大丈夫か・・・」

 

 かがみ込もうとしたソルがぎょっとして身を引いた。

 倒れた侍女二人の体が塵になっていく。

 痛ましそうに目を伏せたクロウにソルが気付く。

 

「クロウ! どういうことだ! お前、何か知っているのか?」

「それは・・・」

「みんな、もうとっくに死んでいたんです。地下の水晶が生きているように見せていただけ」

「セレ」

「クロウさん、ありがとうございます。最後に自分の体に戻れた」

 

 にっこりと少女が笑った。

 震える声でスケイルズが口を開いた。わかっているけどわかりたくない、そんな顔。

 

「せ、セレちゃん・・・」

「スケイルズさん、あなたのお話とても面白かったです。話してたのは私じゃないけど、あなたともっとおしゃべりしたかった」

「セレちゃん・・・そんな! 待てよ! そんなのないだろ!」

「最後に・・・ぎゅってしてくれませんか。男の人にそうして欲しかったんです」

「・・・」

 

 震える腕でスケイルズがセレを抱きしめる。

 

「ああ」

 

 嬉しそうに――本当に嬉しそうに微笑んで。

 セレの体は塵になった。

 

「あ・・・」

 

 クロウとソルが目を背ける。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 スケイルズの絶叫が館に悲しく響いた。

 



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第二章「暗渠の少女」
09-09 君去りてのち


「恐ろしい! 恐ろしい!」

 

     ――ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』――

 

 

 

 

 スケイルズが落ち着くのを待って、三人は館を見て回った。

 そこかしこに塵になった人と思われる痕跡が残っている。

 生きた人間は一人もいなかった。

 うまやから尖塔のてっぺん、厨房までをも回ったが、どこも数十年は放置されていたかのような荒れようだった。

 

「ダメだな、食糧もない」

「昨夜オレ達が食べてたのは何だったんだ・・・?」

 

 空元気も多分にあるだろうが、多少は調子を取り戻したスケイルズがゾッとした顔になる。

 

「魔法なんだろうな。そうとしか言いようがないよ」

 

 明かりをつけるとか火の玉を撃ち出すと言った小手先の現象を操る術ではなく、現実をまるごと改変する本物の「魔法」。

 魔術師を目指す三人の少年はそのスケールの大きさ、遠大さに思いを馳せて溜息をついた。ただ、ヒョウエでもあるクロウだけは慣れ親しんだそれとの違いに違和感を感じている。

 

(こんな現実そのものを改変するような術、よほどの大魔術師か精霊魔術・・・あるいは"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"でもなくちゃできないはずだ。妖魔がそれだけ強力だと言われればそれまでだが・・・

 この世界は一体何なんだ? 思い返してみれば学院で習った術も系統魔術とはどこか違ったような気がする)

 

 物思いにふけっていたクロウの肩をソルが叩いた。

 

「どうした、クロウ。何か気になる事でもあるのか?」

「うーん・・・いや、よくわからない」

「なんだそりゃ」

 

 少し身構えていたスケイルズがどっちらける。

 肩をすくめてクロウが歩き出した。

 

「どこ行くんだ? もう大体回ったろ?」

「最後に地下室を見ておきたくてね」

「・・・ああ」

 

 ソルが頷いて歩き出した。スケイルズも後についていく。

 

 

 

「・・・これはすごいな」

「どれだけでかい水晶だったんだよ?」

 

 水晶の破片が散乱する地下室に踏み込んで、二人が感嘆の声を上げる。

 差し渡し10mほどの地下の広間は、一面大小の水晶の破片で覆われていた。

 暗闇の中クロウの作った魔法の光を反射する光景は、一種幻想的な美しさがある。

 

「そうだな、しげしげと見る時間はなかったが、4、5mくらいはあったか?」

「すごいな・・・」

「これ、いくつか持って帰ったら高く売れないかな?」

「「やめとけ」」

 

 クロウとソルのツッコミがハモった。

 三人で行動するようになって以来、結構起きている気がする。

 閑話休題(それはさておき)

 

「それは妖魔の一部だぞ。力が残っていたらどうする」

「最悪スケイルズを喰らって存在を乗っ取るかもしれませんね」

「ひえっ」

 

 二人がかりで脅されて首をすくめるスケイルズ。

 これなら小遣い欲しさにこっそり水晶をポケットに入れたりはするまい。

 

「・・・ん?」

「なんだよ、人にはやるなって言っておいて自分はポッケナイナイするのか?」

「一緒にしないでくださいよ、君じゃあるまいし・・・とと」

 

 言いながらヒョウエは散乱する水晶の破片の中を歩いていく。

 部屋の中央、かつて水晶が鎮座していたあたりで腰をかがめ、何かを拾い上げた。

 

「なんだ、それは?」

「なんだろう。指輪・・・かな?」

 

 拾い上げたのは半透明の色鮮やかな石で出来た指輪、少なくとも元はそうだったと思われるそれだった。

 ほぼ真っ二つに割れており、半円形の部分だけが残っている。

 

「翡翠か?」

「翡翠は赤と緑が混じってたりしないんじゃないかな・・・」

 

 こわれた指輪をつまみ、魔法の光に照らすクロウ。

 継ぎ目のない一つの石から削りだしただろう指輪はきらめく透明な部分、どんな翡翠やエメラルドも敵わないような鮮やかな(みどり)、炎のようにきらめく紅が入り交じって息を呑むほどに美しい。

 

「なんだそりゃ、すげえ・・・」

「こんな輝石は見た事も聞いたこともない。クロウ、お前はどうだ?」

「僕もありませんね。光の加減によって赤くきらめいたり緑色にきらめいたりする宝石(アレキサンドライト)があると聞いたことはあるけど、明らかに別物に見えます」

 

 まがりなりにも領主の息子であるソル、博識のクロウも聞いたことのない、奇妙で美しい石。三人はしばらくそれに見とれていた。

 

「ん・・・?」

「どうした」

「いや、何か魔力の流れを感じて」

 

 目を閉じて精神集中する。

 

「・・・」

「どうだ?」

 

 クロウが目を開き、息をついた。

 

「かすかに、ほんのかすかにどこかへ向かう流れを感じる・・・東、少し南だと思うけどそれ以上はわからない」

「きっとその片割れのところだぜ! 場所は洞窟の奥で、目もくらむような財宝があるんだ!」

「だといいですけどね」

 

 目を輝かせるスケイルズに苦笑する。

 

「取りあえず、この旅の目的は達しました。魔導学院に戻りましょう」

 

 二人が頷いた。

 

 

 

 数日かけて来た道を戻り、川べりの村に戻る。

 脅しがよほどに効いたのか、あのごうつくばりの村長はクロウ達の顔を見た途端安堵の息をついていた。

 船に近づくと現れる幻影をクロウが消し、数日ぶりに乗船する。

 

「どうだ?」

「荒らされてる様子はないね。まあ大したものは積んでなかったけど」

 

 声を合わせて笑う。

 やがて村長と、数人の村人のホッとした顔に見送られ、船は川岸を離れた。

 

 

 

 三人を乗せた船は河を下り、海に出る。

 

「しっかしすげえよな、クロウは! "影の霊魂"を一人で倒した上に古代の妖魔まで退治しちまうんだからよ!」

「まったくだ。才能の暴力にもほどがあるぞ」

「まあ色々と経験がありますので」

 

 肩をすくめるクロウ。

 しかし内心ではやや違和感を感じている。

 

(「クロウ」だった僕がベースになっているのはありますけど、今僕はクロウだったヒョウエとクロウじゃないヒョウエが融合した存在です。

 どうしてもどこかに違和感や差異は出ると思うんですが・・・)

 

「そう言えばスケイルズ、ソル。

 僕を見て何か変わったと思いません?」

「んー、特に? お前は初めて会ったときから滅茶苦茶変わってたからな。多少変わったくらいじゃわかんねえよ」

「俺から見ても特には・・・何かあったのか?」

「それはまあ色々ありましたよ。特に影の霊魂(ソウルシャドウ)との・・・そうですね、『戦い』なんて自分が消えてしまうかと思いました」

 

 適当な言い訳だが、それでも二人には納得のいくものだったらしい。

 

「まあそうだよな。変な幽霊に自分を半分持ってかれちまったんだから、そりゃ元に戻ってもしばらくはしっくり来ないだろうな」

「さすがのお前でも色々疲れてるんだろうな。雑事は俺とスケイルズでやっておくから、お前はゆっくり休んでろ。帆の向きの調整ならこいつにやらせればいい」

「えー。まあしゃーねーか」

 

 「鱗」の名前の通り海べりの村の出身であるスケイルズは、海で生きるための技能を一通りは身につけている。

 釣りほどではないが、泳ぎや船の操作もそれなりにこなせた。

 

「・・・そうですね。じゃあしばらくはお願いします」

「おう、任せろ。大船に乗ったつもりでどんと来い!」

「嵐でも来ない限りはやってもらう事はない。大人しく寝てろ」

「はいはい、感謝しますよ」

 

 笑みを浮かべながらクロウ。

 

(まあ、実際元から両方とも僕なんですから、変化と言うほどの変化はないのかもしれませんね)

 

 そう自分を納得させると、クロウは寝床に毛布を敷いて横になった。




「闇の奥」は「地獄の黙示録」の原作。
舞台が植民地コンゴからベトナム戦争に変わってはいますが。
戦争描写の方が有名な作品ですが、本来は白人による有色人種支配の愚かしさを描いた作品です。


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09-10 呼び出し

 三人の航海は順調だった。

 この時期特有の季節風が逆風になり、行きよりもやや時間がかかりはしたものの、それ以外は特筆すべき事もなく船はエコール島に到着した。

 船をもやってから港の番人に預け、三人は魔導学院の門をくぐった。

 そのまま召霊の主任教師、クロウに航海を命じた彼の部屋に直行する。

 

 主任教師は副主任――召霊術のいくつかの専門的な事項については彼が教える――と話しているところだった。

 やせぎすの長身、男性だが紫の髪とアイシャドウに頬紅と口紅という特徴的な風貌の副主任が振り向いて笑みを浮かべる。

 つかつかつかと歩み寄ってきて、いきなりクロウの頬を両手で包んだ。

 

「あら、あらあらあら! 無事で帰ってきたわね! どう、ちょっと見せて。うん、変なところはないみたいね。幽体も欠損はないみたいだし、うまく取り戻せたのね。ちょっと影の痕跡があるけど、これは時間が経てば消えるかしら? 少なくとも"影の霊魂(ソウルシャドウ)"との経絡(ライン)は――」

「クリス。後にしてくれ・・・まずは報告を聞きたい」

「おっと、そうね。スィーリもクロウくんもごめんなさい、私ったらはしゃいじゃって」

 

 副主任が手を引き、笑顔のまま脇に下がる。

 

「あー、いえいえ。そう言えば寝ている間にはお世話になりましたようで。ありがとうございます」

「いいのよぅ。仕事と興味の両立した案件だったしぃ」

 

 肩を抱いてくねくねする副主任。

 

(聞きしに勝る強烈なキャラだなあ)

 

 後ろで呆然としているスケイルズとソルにしぐさで促すと、クロウは二人を伴って主任教師の前に歩み出た。

 二人と共に一礼する。

 

「『数字の海を飛ぶ鴉』ならびに同行者二名、帰還しました」

「ごくろう・・・まずは概要を」

「はい」

 

 頷くとクロウは『針の島』の領主の城と、そこであった出来事をかいつまんで話した。

 

「ふむ・・・」

「へぇぇぇ・・・」

 

 興味深そうに頷く主任。壁により掛かって何やら考え込む副主任。

 

「その妖魔は・・・倒したのか?」

「本体と思われる水晶は砕きましたが、完全に倒せたかどうかは私では何とも」

「そうだな・・・古代の妖魔は私たちでははかりかねる存在だ。私も一度遭遇したことがあるが魂の形態・・・存在そのものが完全に人とは異なっていた。正直意志が疎通できることすら不可解だ」

「人間も犬や猫とある程度意志を疎通している、少なくともそのつもりになってはいますが似たようなものでしょうか」

「たとえとしては悪くない・・・人と犬と言うよりは人と土くらいの差異ではあるがな。精霊の方がよほど人に近い」

「そう言えば霊界との穴は?」

「ああ。何とか塞いだよ・・・クリスや副学長も手伝ってくれたことだしね・・・」

「でしたか・・・お」

 

 クロウがローブのポケットに手を入れた。

 取り出したのは、あの紅翠混合の輝石(アレキサンドライトもどき)から削り出された、こわれた指輪。

 

「そう言えば水晶を砕いた後からこのようなものを見つけたのですが・・・」

「「!」」

 

 主任と副主任が目を見開いた。

 

「ねえスィーリ、これって・・・!」

「・・・ああ。お前達、これは誰かに見せたり、これのことを話したりしているか?」

 

 クロウ達三人が顔を見合わせる。

 

「見たのはこの三人と先生方だけですし、港からここに直行しましたので、誰にも話してはいません。だよな、スケイルズ?」

「何で俺に聞くんだよ・・・ええと、多分話してないと思います。クロウの言う通り、この島に戻ってからは誰とも話してないんで」

「俺の記憶でもそうだったと思います」

「よし」

 

 少しほっとしたように主任が頷く。

 

「三人とも・・・城であった事とこの指輪に関しては一切の口外を禁じる。聞かれたら・・・収穫祭の夜に現れた邪悪な霊を倒したとだけ言っておけ」

「わ、わかりました」

 

 三人が頷くのを確認して、主任も再度頷く。

 

「それと・・・だ」

「はい、まだ何か」

「言い忘れていた・・・良く戻った。地下の世界の邪悪な霊を祓い、古代の妖魔も打ち倒してみせた。お前達を誇りに思う。数日はゆっくり休め。授業も休んでいい」

「・・・ありがとうございます!」

 

 クロウが、それに続いてスケイルズとソルが深々と頭を下げた。

 

 

 

 しばらく休めと言われたが、クロウは翌日から即座に授業に復帰していた。

 食堂に向かって階段を下りながらスケイルズと会話を交わす。

 

「熱心だねえ。2、3日は休んでもバチは当たらないと思うぜ」

「そうだけど勿体ないじゃないですか。折角エコール魔道学院に入学できたんですし」

 

 ヒョウエとしての自分を取り戻して様々な術を思いだしたクロウではあるが、それを差し引いてもこの魔道学院での授業は新鮮味溢れるものだった。

 基本的にはヒョウエの知っている系統魔法と変わらないが、アプローチがかなり違う。応用性も広い。

 系統魔法が剣術の型を反復して技を覚えていくとするなら、学院で教わる魔法は剣術を学ぶのにまずランニングから始めるようなおもむきがある。

 

(まるで呪術・・・いや、真なる魔法ですねえ)

 

 学院に入って以来感じていた違和感はこれだったのかと納得する。

 半身を取り戻して以来、そのへんの差異が更によくわかるようになり、比例して学院の授業がより魅力的になっていった。

 

「まじめな奴だなあ」

 

 そう言って肩をすくめるスケイルズも、実のところ授業には熱心である。成績は平凡だが。

 前に語ったとおり、学費の捻出にかなり無理をしている両親の姿を見ているとそうならざるを得ないのだろう。成績は平凡だが。

 夜も明かりの魔法を使って遅くまで勉強しているのを同室のクロウはよく知っていた。成績は平凡だが。

 

「よう、二人とも。やっぱり今日から授業には出るのか?」

 

 食堂。ソルが目ざとく二人の服装に気付いた。

 そう言うソルも制服のローブをまとっている。

 

「おまえもじゃんかよ」

「ソルは普通に優等生だからね」

 

 召霊術にこだわっていた時期も他の授業に熱心に出席していた姿を思い出してクロウが笑う。スケイルズと違って成績は常にトップクラスだった。スケイルズと違って。

 まあ残念ながらクロウがいるのでトップにはなれないのだが。

 

「おいあれクロウとスケイルズだぜ」

「戻ってきてたんだ」

「・・・横にいるのソルだよな?」

「どうしたんだよ、まるで別人じゃないか」

「というかいつの間にクロウ達と仲良くなったんだ・・・?」

 

 そうした声にも頓着することなく、三人は食事をとりながら談笑を続けていた。

 

 

 

 クロウ達が学院に復帰し、日常が戻ってから数日後。

 三人は揃って会議室に呼び出された。

 

「あの指輪のことかな?」

「まあ妖魔のこととか影のこととか、色々あるんじゃねえかな・・・」

 

 セレのことを思い出しているのか、スケイルズの声が沈む。

 無言のまま、クロウは会議室の扉をノックした。

 

「クロウです。スケイルズとソルも一緒にいます」

「入りなさい」

「はい、失礼します」

 

 部屋の中では主任と副主任、それに二十人ほどの教師たちが卓についていた。

 

(想像より多いな。それだけ大ごとと言うことか)

 

「揃ったようですね」

 

 奥から声がかかった。涼やかでありながら深い年月を感じさせるような、女性の声。

 座っていた教師たちが一斉に起立し、頭を下げる。

 

「・・・!」

「うお・・・」

 

 扉から出て来た人物を見て、クロウが目を見張る。

 ソルは思わず驚愕の声を漏らし、スケイルズに至ってはぽかんと口を開けている。

 

「三人とも楽にして下さい。話が聞きたいだけですので」

 

 にっこりと笑うのは白いローブに白い肌、くるぶしにまで届く美しい白い髪、宝石のような青い眼の女性魔術師。クロウが紅顔の美少年ならこちらは絶世の美女。

 見たのは入学式の時だけだったが、その印象的な姿は忘れようもない。

 

「副学長・・・!?」

 

 驚きと共にクロウの声が漏れた。




どうでもいいけど週五になったので、金曜分の事前投稿をした後、ついついその次の投稿の日付を土曜にしてしまう。


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09-11 白き髪の大魔女

「ともかくも座って下さい」

「は、はい」

 

 言葉と身振りでクロウ達にうながすと、副学長は教師陣をじろりと睨んだ。

 

「大体なんですかあなたたち、立たないで結構、そういうのよして下さいと言ってるじゃないですか。お師様にならわかりますが、私は一番弟子に過ぎないんですよ。あなたたちと同格です」

「最年長にして美しく優秀で聡明な姉弟子に対する崇敬の表れですよ。みんなあなたを敬愛しているのです」

 

 教師の一人がしかめつらしく頭を下げる。ただしその口元には笑み。

 他にも何人か笑っているのを見るに、お定まりのやりとりなのだろう。召霊術副主任と、意外なことに主任も笑っている側だ。

 副学長の純白のこめかみがピクピクと動く。

 

(ひねくれた親愛の情の表明だなあ)

 

 心の中で肩をすくめつつ、クロウが着席する。

 敬愛してるのは本当だろうが、素直にそれを表現できないのだろう。

 あるいは敬愛する姉弟子をいじって楽しんでいるのか。

 

「・・・ふう、まったく」

 

 納得いかなそうな顔をしてはいるものの、クロウ達が着席したのを見て副学長も席に着いた。

 教師たちも笑いを収めて着席する。

 場が静まったのを確認して、副学長がクロウ達に視線を向けた。

 

「まずはこのたびの探索行(クエスト)、ご苦労様でした。本当に良くやってくれました」

「いえ、自分の愚行の尻ぬぐいをしただけです」

 

 クロウ、そしてソルが神妙に頭を下げる。スケイルズも少し神妙な顔。

 副学長が微笑ましげな笑みを浮かべた。

 

「それでも、ですよ。あなたたちは期待以上の働きをしてくれました。エコール魔道学院副学長として、その働きを称賛しましょう」

 

 ぱちぱち、と教師たちから拍手が起こる。

 クロウ達が改めて頭を下げた。

 

「さて」

 

 副学長が表情を改めた。拍手がやむ。

 

「今回の探索行、霊の世界から迷い出てきた邪悪な霊魂は退けることが出来ましたが、新たな問題も浮上しました」

 

 クロウ達に視線。

 

「あの指輪のことですか」

「ええ。ですので、改めて今回の探索行の一部始終を――関係ないと思われることでも――全て話して下さい」

「船で移動中のあれこれとかもですか?」

「あれこれもです」

 

 両隣に座るスケイルズやソルと視線を交わす。

 長くなりそうだなと思いつつ、クロウは話し始めた。

 

 

 

 話は本当に微に入り細に入り細かい事まで尋ねられた。

 スケイルズが釣りに没頭した話、釣りへの情熱を鼻で笑われてケンカになった話。

 狩りや鹿肉のステーキや調味料、がめつい村長と幻の怪物。

 いくつかの話で教師たちの笑いを引き出しつつ、話はいよいよ佳境へ向かっていく。

 

 古びた城、突然現れた少女と召使いたち、豪華な晩餐と夜の誘い。

 魂を喰らう巨大な水晶、その中にいた本物のセレと"影"。

 "影"との戦いの顛末と、相手の名前を見抜いて再結合を果たしたクロウ。

 

 途中でスケイルズとクロウの補足(どうやら妖魔のセレとクロウが連れだって二人を寝室から連れだしたらしい)が入ったが、概ねクロウの説明で話は進む。

 塵となったセレの下りでは鼻を啜る声が聞こえ、最後に指輪と帰路のあれこれを話してクロウの話は終わった。

 

「話は以上です」

 

 そう話を結ぶ。

 気がつくと副学長がじっとクロウの方を見つめていた。

 

「・・・なんでしょう」

「他に何かありませんか?」

「いえ、何もありません」

「・・・」

「・・・」

 

 副学長がじっと見つめる。

 それを見返す。

 

「・・・」

「・・・」

 

 教師たちがざわつき始めた。

 スケイルズとソルも、クロウの横顔を見たり、互いに顔を見合わせている。

 

「・・・」

「・・・」

 

 副学長がふう、と息をついた。

 

「いいでしょう。そう言うならそう言う事にしておきます」

「よくわかりませんがわかりました」

 

 ヒョウエとしてもクロウとしても、内面が顔に出やすいのは自覚がある。

 

(何か気付かれたかな)

 

 副学長以外の教師も何人かは疑問の目でクロウを見ていた。

 とは言え「私は他の世界から来たクロウを名乗る何者かです」などと名乗ったら頭のおかしい人扱いされる事間違い無しだ。

 むしろ大魔術師ぞろいのこの場でそんな事を言って信じられてしまったときの方が危ない。

 最悪拘束されて肉体と精神と魂を隅から隅まで解剖されかねない。

 

「それで」

 

 副学長が懐から小さな布包みを取り出す。

 視線が集中する中、布を開いた中から出て来たのはあのアレキサンドライトもどきの指輪だった。

 

「クロウ、スケイルズ、ソル。これについて何か知っていますか?」

 

 三人とも首を振る。

 

「でしょうね。これについて知っているのは私のお師様・・・学長とそのご兄弟、私たち学院の教師101人以外にはほとんどいないはずです」

 

 部屋の雰囲気が心なしか重くなった気がした。

 

「それで・・・これは何なんです?」

 

 三人を代表してクロウが質問を投げかける。

 一息間が空いた。

 

「全ての真なる竜の祖――黄金鱗の虹竜の左目から削り出された指輪。これはその片割れよ」

「え?」

 

 スケイルズが思わず声を上げた。クロウとソルも声を上げはしないものの、驚愕の表情を浮かべている。

 副学長が微笑んだ。

 

「スケイルズ生徒、あなた黄金の虹竜について知っているようね。言ってみなさい」

「へ? は、はい!」

 

 まさかここで授業が始まるとは思わず、思わずスケイルズがしゃちほこばる。

 

「え、ええと。金の竜――黄金の虹の竜は神様・・・『創世の八神』が世界を作る前に生み出した巨大な竜で、創世の八神は竜の背に乗って世界をどう作るか話しあって、やがて竜は疲れて神様の作った海に体を浸し眠りにつくと、その八つのこぶが八つの島になったって・・・」

「結構、よくできました。『オオヤシマの竜』の昔話よね」

 

 ぱちぱちと雑な拍手をすると、白い魔女は居住まいを正す。

 

「私たち人が知恵の生きものなら、竜は力の生きもの。風や炎や海や大地と同じく、ある意味ではこの世界の一部です。神々は人と竜の双方によって安定するようにこの世界をお作りになりました。その辺はいずれ授業で教わることになるでしょう。

 それはさておきこの指輪は八つの島となった黄金の虹竜の左目を削りだして作った指輪。使い方によっては黄金の虹竜を目覚めさせる事も、逆に竜の体を流れる力――つまり地脈を操作することも出来る。

 神々はこの指輪を通じて竜の力を調整し、島を安定させていたのだけれども、ある時指輪は失われて、それ以来竜の力を制御する術は失われたの」

「・・・それって凄い大ごとじゃないです? それがないと神様でも竜の力で地脈・・・ああ、だから竜脈っていうのか・・・がコントロールできないんですよね?」

「ええ」

 

 副学長が溜息をつく。

 

「幸いにして今のところ致命的な事態にはなっていないけど、それでも色々な歪みやよどみが溜まり続けているのは確かよ。どうにかして指輪を取り戻して、定期的な調整(メンテナンス)を行わないことには、いずれ大災害が起こるでしょうね」

 

 ごくり、とスケイルズが生唾を飲み込んだ。

 クロウとソルも流石に表情が堅い。

 

「それで・・・僕達にそんな話を聞かせてどうしようというんですか? まさかとは思いますが・・・」

「ええ、そうよ。あなたたちに、この指輪の片割れを探しに行って欲しいの」

 

 にっこりと、白い髪の美女が微笑んだ。



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09-12 スターダストボーイズ

 世界を司る指輪の片割れをクロウ達に探しに行って貰う。

 そんな衝撃的な言葉が会議室に沈黙をもたらした。

 

「・・・何のご冗談で? 話を聞く限りでは、それこそ学院の教師方の中から手練れを揃えて挑むべき探索行(クエスト)じゃないですか。

 何故わざわざ生徒に過ぎない僕達に?」

「そうね。道理だわ。でも理由はある。一つには、あなたたちが優秀であると言うこと。霊界から現れた死の影を退け、古代の妖魔をも打ち滅ぼすなんて、私たち教師でも簡単にできる事じゃない」

 

 副学長がぴっ、と指を一本立てる。更にもう一本。

 

「もう一つはこの指輪があなたたちと運命によって結びつけられている可能性」

 

 言霊の術の教師と、因果学の教師が頷いた。

 この世界では「運命」や「因果」、あるいは「運不運」といった眼に見えない力が魔術的にある程度観測・解明されている。

 当たったり外れたりする占いのようなものだが、そうしたものが存在していること自体は魔術師ならば誰も否定出来ない。

 

「そしてみっつめ」

 

 三本目の指が立てられる。

 

「あなたと、あなたの影がその指輪と関わっている可能性」

「・・・確かにあいつは『もう少し力を蓄えてから』と言っていました。それが?」

 

 白皙の美貌が頷く。

 

「あいつには力を蓄える当てがあったと言う事よ。その指輪と関係があるかどうかはわからないけどね」

「・・・」

 

 僅かな沈黙。

 

「僕達が適任と言うことですね?」

「少なくともある意味ではそうよ。加えて例の召霊による霊界の穴の影響がまだ無視できないの。戦力外であるあなたたちを当てたいという目論見がないこともないわ」

「そう言ういい方はずるいと思いませんか?」

「諦めるのだな少年。それが歳の功という奴だよ」

 

 教師の一人が脇から口を挟んだ。

 ぎろりと、ライオンも睨み殺せそうな眼で白い魔女が睨むと、彼は満面の笑みを浮かべて頭を下げる。

 和やかな笑い声。それらを上げた連中も睨みつけると、副学長は溜息をついて表情を戻した。

 

「そういう事で、頼まれてくれないかしら?」

 

 まっすぐにこちらを射貫いてくる視線。

 今度はクロウが溜息をついた。

 

「わかりました。自分の尻ぬぐいの続きと言うことでもあるみたいですし」

「ありがとう」

 

 副学長が微笑んだ。

 

 

 

 翌日、再び三人の姿は港にあった。

 つい数日前まで乗っていた船なのに、もう懐かしく感じる。

 

「そう言えばこの船名前あるのか?」

「このサイズの船に普通名前はつけないんじゃないかな」

「よーし、これからまた長い航海に出るんだし、いっちょかっこいい名前付けてやろうぜ! アルゴー号とかどうよ!」

「悪くはないが、俺はドーントレーダー(あさびらき)とかいいんじゃないかと思う。東に出航するわけだし」

「乗ってる連中のことを考えるとサジタリウスあたりが分相応な気が・・・」

 

 ぼそっと呟いたクロウに、スケイルズが耳ざとく反応する。

 

射手座(サジタリウス)か、かっこいい名前じゃないか! 確かにオレ達にぴったりだぜ!」

「まあ・・・そうだな・・・」

 

 星屑(スターダスト)少年隊(ボーイズ)というか、犬と蛙とキリンとサボテンというかラザニアというか、そんなイメージを脳裏によぎらせつつ曖昧な笑みを浮かべるクロウ。

 

冒険(エンタープライズ)!」

「サンタマリア!」

「タートル!」

「ロシナンテ!」

「レッドドワーフ!」

理想郷(アルカディア)!」

「ブリュンヒルト!」

「タイタニック!」

「エスポワール!」

 

 船名で盛上がるスケイルズとソルの二人。

 クロウはしばらく放っておくことにした。

 

 

 

「・・・で。決まったか?」

「いやー。どれも悪くはないんだけどなあ」

「いまいち決め手がない感じだな」

「そうか。だけどタイタニックとエスポワールはやめとけ」

「なんで? "巨神の如きもの(タイタニック)"とかかっこいいじゃん」

「これから先の見えない探索の旅に乗り出すんだし、"希望(エスポワール)"も悪くはないと思うんだが」

「縁起が悪いからダメ!」

 

 きっぱりとクロウが拒否すると、流石に二人も諦めたようだった。

 

「んじゃ何にするのさ?」

「そうだな・・・黄金の竜の眼から削り出された指輪を探しに行くんだ、『竜の眼(ドラゴンズ・アイ)』号でどうだ?」

「まあ・・・それでいいか」

「悪くはないな」

 

 同意を得たところで三人は船のもやい綱を解き、再び東の海へ向かって出発した。

 

(無駄な時間を・・・いやまあいいか)

 

 こう言うのもこれはこれで楽しいなあと思ってしまうのはこいつらに毒されたせいかとクロウは思う。

 他の二人に聞かれたら、絶対元からだと反論されるだろうが。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

          《熊》

 

        《針》

            《雌馬》   《雄牛》

    《祭壇》

          《エーテル》

 

          《足跡》    《使命》

 

 

 

 大雑把に記せば、この世界の島の位置関係は上のようになる。

 一つ一つの島は最大で本州の倍くらい、小さいものでも北海道くらいはある。

 島の間の距離はそれぞれ数百~千キロほどだ。

 

 《針の島》の、河をさかのぼって行ける場所からほど近いところに"影"がいたのは結構な幸運だったと言えるだろう。

 そうでなければいくらクロウが"影"を感じられると言っても、島中を歩き回って半年くらいはかかっておかしくなかったはずだ。

 

「それで、どこ行くんだ?」

「例の城の地下で東やや南と言っていたか? 今はどうだ?」

「先生たちによれば大体間違ってないらしい。《針の島》から東南東だから、《祭壇の島》からは東北東。《雌馬の島》か《雄牛の島》じゃないかって話だった。さっきも少しやってみたけど、ここから東北東で間違ってないと思う」

「じゃあまた《針の島》を経由してそれから《雌馬の島》か」

「だな」

 

 そう言う事になった。

 

 

 

 船はゆく。

 相変わらずソルが風を呼び、スケイルズが釣り竿を垂らし、クロウが海図を見て料理を作ると言う役割分担だ。

 前回は幸い出くわさなかった嵐にも出くわしたが、「ヒョウエ」に戻ったクロウにしてみれば何と言う事もなかった。

 嵐が通り過ぎるまで十時間ほど、『竜の眼(ドラゴンズ・アイ)』号の周囲をすっぽりと念動障壁で覆い、中の物品や人間を固定し続ける。

 嵐の中で料理(しかもブイヤベース)まで作ってしまうのだから、世の船乗りが聞けば土下座してでも自分の船に乗って貰おうとするだろう。

 

「・・・しかしどういう理屈なんだ? いや見えない壁で雨や水しぶきが船に入ってこないのはわかるんだよ。でもこれだけ揺れてるのに、何で中のオレ達は・・・この料理も・・・跳んだり跳ねたりしないんだ?」

「うーん、何と言おうか、この船が丸ごと念動で固定されている感じ? 外部からの力は影響しないように固定しているけど、中の人間や物が下に落ちる力は有効にしてあるというか」

「うんさっぱりわからねえ」

「やはりお前は化け物だな・・・」

 

 あっさり思考を放棄するスケイルズと、理解してしまい冷や汗を流すソル。

 肩をすくめつつ、クロウはほどよく煮えた新鮮な魚肉を口にした。




「宇宙船サジタリウス」は80年代の名作SFアニメ。
ただしNHKのアニメはほとんど再放送しないので世代以外の知名度は異常に低い。
キャプテンフューチャーとか太陽の子エステバンとかアニメ三銃士とかモンタナ・ジョーンズとか飛べ!イサミとか。
ナディアとか未来少年の方のコナンとかはまだマシな方。

サジタリウスの内容? 大体トラベラー(TRPG)でおk。じつにせちがらいw
ドラゴンズ・アイはとくに元ネタはありません。他の元ネタは以下の通り。

エンタープライズ ・・・ 「スタートレック」の主役艦USSエンタープライズ。もしくは米軍の伝統的艦名。
サンタマリア ・・・ コロンブスの船。ただし実際には途中で沈んで乗り捨てられた模様w
タートル ・・・ 寺沢武一の「コブラ」。宇宙最速なので逆に「亀」と命名。
ロシナンテ ・・・ 「スプリガン」から。更に元ネタはドン・キホーテの愛馬(愛ロバ)で、「のろま野郎」のニュアンスがある。超快速船にこう言う名前をつける辺り、タートル号と通じる物が。
レッドドワーフ ・・・ 連続SFドラマ「宇宙船レッドドワーフ号」。頭おかしい。なおこのレッドドワーフは赤色矮星の意。
アルカディア ・・・ 宇宙海賊キャプテンハーロックの船。更に元ネタはギリシャの理想郷伝説。
ブリュンヒルト ・・・ 「銀河英雄伝説」の皇帝ラインハルトの船。
タイタニック ・・・ 多分世界で一番有名な沈没船。
エスポワール ・・・ 「カイジ」シリーズに出てくるギャンブル船。借金背負った貧乏人が必死にギャンブルする様子を見て金持ちが楽しむ悪趣味な船。

なお船名に関しては自動翻訳機能がかかっており、現地語の単語が英語や日本語やフランス語に聞こえるようになっております。ご了承下さい(ぉ


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09-13 男一匹釣り大将

「お、見えたぜ! あれが《雌馬の島》だな!」

 

 エコール魔道学院を出航して二ヶ月。「竜の眼」号は雪のちらつく中、第二島《雌馬の島》に到着していた。

 もっともこれは風呼びの術師であるソルが優秀だからであって、並の風呼び(ウィンドコーラ―)ならこの二倍、自然の風に任せていたら三倍かあるいはもっとかかった可能性もある。

 領主の息子でなければソルも船に乗って高給を稼げただろう。腕のいい風呼び(ウィンドコーラ―)は、しばしば船長よりも多くの報酬を手にする。

 閑話休題(それはさておき)

 

「何か感じるか?」

「んー・・・」

 

 結跏趺坐を組み、集中するクロウ。

 重ねた手の上に指輪の片割れ。

 

「前の"影"の時と違って方向がおぼろげで確信が持てない。東の方だとは思うんだけどね・・・」

「最悪《雄牛の島》まで行かなきゃならないか」

 

 クロウが無言で頷く。

 第四島《雄牛の島》は《雌馬の島》の東1000kmほどにあり、ここからだとソルの風呼びの術があってもさらに二月はかかる。

 現在は《雌馬の島》の北西の端の辺りだ。

 

「取りあえずは《雌馬の島》の北を回ってみよう。前みたいに感じる方向が変わったら、河をさかのぼるなり上陸して馬を買うなりして移動しよう」

「馬か。お前乗れるか?」

 

 領主の息子らしく、ソルは乗馬の心得はあるのだろう。

 クロウも「ヒョウエ」としては一応心得はあるが今の自分に出来るかどうかはやや心許ない。

 とは言えエブリンガーでやっているように念動で浮かせて飛ばせるには、媒介となる何かがないとかなり効率が悪くなる。三人ともなればなおさらだ。

 内陸を探索するなら馬は必須になるはずだった。

 

「歩かせるくらいは何とかなるかな? スケイルズは・・・」

 

 視線を向けると、例によってスケイルズは自分の世界にひたっていた。

 釣り糸と浮きに視線を集中させ、ピクリとも動かない。

 

「・・・こいつもなあ。この集中力を魔術の時にも発揮できればなあ」

「ほんとにね」

 

 二人して溜息をついた瞬間、浮きが沈んだ。

 

「うおおおおおお!?」

「な、なんだ!?」

 

 不動の姿勢から一転、全身に力を込めて踏ん張るスケイルズ。

 よほどの大物がかかったのだろう、

 

「クロウ! ソル! 助けてくれぇっ! 引きずり込まれる!」

「ああもう!」

「念動の術で引っ張り上げますよ!」

「それはダメだ!」

「え、なんで?」

 

 きっぱりした拒絶に思わず真顔でクロウが聞き返す。後ろからスケイルズの体を支えているソルも思わず真顔。

 授業や日常生活では見せない、こちらも恐ろしく真剣な顔でスケイルズが言い返す。

 

「言ったろう! 釣りは人と魚の勝負なんだ! そんな邪道で釣り上げて魚に失礼だと思わないかっ!」

「知るかぁぁぁぁぁっ!」

 

 思わず絶叫するクロウ。

 滅多に声を荒げない彼を叫ばせただけでも、ある意味スケイルズは偉業を成し遂げたと言えるだろう。

 だが直後、はっと何かに気付いたスケイルズの顔がこわばる。

 

「あああっ!」

「どうした?」

 

 律儀に一応聞いてやるソル。

 彼も割と付き合いが良いが、それはそれとして声に冷ややかな物が混じってるのは否定できない。

 

「糸が切れそうだ! マジで死ぬほどでかいぞこれ!? そうだクロウ、お前の念動で糸が切れないようにしてくれ!」

「糸に念動を使うのはいいんですか!?」

「いいんだよ!」

 

 思わずぶん殴ってやろうかと思ったが、それでも何とか糸に念動の術を絡ませて切れないように、しかしそれ以外の力は働かないようにする。

 

(む、難しい・・・!)

 

 動き続ける糸を切れないようにするだけなら嵐の中で船の中の物を固定したときの要領でやればいいが、釣りの邪魔も手助けもしないようにとなるとこれが難しい。

 集中の余り額にうっすらと汗が浮かんでくる。

 

「ぬぬぬ・・・!」

「ぬおおおおおおおお!」

「うおおおおお!」

 

 一方、二人がかりで必死に竿を支えるスケイルズとソル。

 三人がかりの格闘劇は、結局一時間以上続いた。

 

 

 

「はーっ、はーっ、はーっ」

「ぜえぜえ」

「お疲れさま・・・」

 

 一時間がかりで魚を疲れさせ、何とか釣り上げた三人。

 竿を持っていたスケイルズとそれを支えていたソルは疲労困憊して甲板に転がっていた。

 念動で糸を支えていたクロウはそれほどでもなく、今はクロウが風呼びの術を使って船を動かしている。

 

「しかし、それにしても・・・」

「ああ、やってやったぜ・・・」

 

 甲板に横たわり、力尽きて弱々しくパクパクとエラを開閉する魚。

 その体長は3m近くもあった。

 はじめて海面に姿を見せたとき、スケイルズとソルはもとより、前世の記憶でそうした魚を知っていたクロウですら瞠目したものだ。

 

「ふ、ふふふ・・・どうだ、釣り上げてやったぞ! 俺の勝ちだ! ははははは!」

「ふふふ・・・」

「ははは・・・」

「はははははははははははは!」

 

 満面の笑みを浮かべるスケイルズにつられてソルとクロウも笑い出す。

 どこまでも青い空と青い海のあわいに、少年たちの笑い声は長いこと響いていた。

 

 

 

「ンマァーイッ!」

 

 一口食べるなりスケイルズが叫んだ。

 そのままクロウのとっておきのタレを使った魚肉ステーキを、親の仇のように切り刻んで猛烈に胃袋に収めていく。

 ソルの方もそこまでではないが、やはりかなりの勢いでステーキにむしゃぶりついていた。

 

「いやあ、うめえなあ! お前の料理の腕は最高だぜ、クロウ! そう言えばこれを釣り上げたときの話はしたっけか?」

「その場で見てたしこの半日の間に五回は聞いたけど、したければどうぞ」

「うん、お前はやっぱりいい奴だ! あれは今日の昼、いつも通り釣り糸を垂れていたとき・・・」

 

 上機嫌でスケイルズが話し始め、クロウとソルが眼を見交わして苦笑した。

 

 

 

 数日後、三人は港町についた。

 わざわざ不純物を取り除いた水で作った例の魚の半身いり氷柱を念動で浮かべ、スケイルズとクロウは港をうろついていた。ソルは船で留守番である。

 流石に珍しいのか、住人がわらわらと集まってくる。

 

「おお、すげえな! これ一本釣りしたのか兄ちゃん!」

「おう! 三人がかりでな、二時間はかかったぜ!」

「なんつー綺麗な氷だ・・・こんな透き通ったやつは見た事もねえ・・・」

「そいつはクロウっつってな、エコール魔道学院始まって以来の天才なんだよ!」

 

 それら全ての人々と、スケイルズは十年来の友であるかのように親しく言葉を交わしていた。

 陽気で人なつこく、細かい事を気にせず、適度に知識があり、適度に馬鹿。

 人に好かれる要素を備えている上に、意図しているわけではないのだろうが相手の懐にするりと滑り込むのがうまい。

 

(僕やソルじゃこうはいきませんねえ)

 

 友人の意外な特技に感心しつつ、クロウは話しかけてくる女性陣に適当に愛想を振りまいていた。

 

 

 

 夕方、船。

 

「どうだった?」

「魚は氷こみで金貨二枚で売れたよ。軍資金の足しにはなるね」

「それっぽい噂は色々聞けたけど、漁師の怪談以上のもんじゃねえなあ」

「そうか・・・」

「まあこの島にあるとも限りませんからね。進みながら気長に探しましょう」

 

 例の魚の残り(まだ随分残っている)のムニエルをつつきながら、スケイルズとソルが頷いた。



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09-14 黒瑪瑙の都

 旅は更に数ヶ月続いた。港港で話を聞きつつ、こわれた指輪からその片割れへの流れを辿って《雌馬の島》から《雄牛の島》へ。季節は冬から春へ移り変わる。

 風を呼び、海図を眺め、釣りをして料理する。

 《雄牛の島》の北側を半ばほどまで来たところ、ようやく魔力の流れが東ではなく南に曲がってきた。

 

「また河をさかのぼるか」

「残念だけど、今回は遡行できるような大きな河がない。船を預けて陸路だな」

「けどよ、俺馬は乗れないぜ?」

「俺が教えてやるよ。さもなきゃ荷物みたいに馬の背にくくりつけてやる」

「えぇ・・・」

 

 心底情け無さそうな顔のスケイルズに、クロウとソルが大笑いした。

 

 

 

 《雄牛の島》の北側を四分の三ほど行ったところで、概ね流れを感じる方角が南側からになる。

 

「断言は出来ないんだな」

「近づいてるような気はするんだけど、相変わらず曖昧なんだよね・・・」

 

 "失せもの探し"の術を使ってもはっきりとしない方角にクロウが頭をひねる。

 この術は探す対象の手掛かりがあれば、そして手掛かりが強ければ強いほど効果を発揮する。

 たとえば人間を捜すなら髪の毛など対象の一部が最も強い手掛かりであり、着ていた服や愛用の道具がそれに次ぐ。対象の名前や絵姿、同じ血が流れている対象の肉親などもいい手掛かりになる。

 いわゆる共感魔術という奴だがそれはさておき、つまり元は一つだった指輪の片割れがあるのだから、一発で場所がわかってもおかしくないはずなのだ。

 

(結界か、はたまたダンジョンの中かモンスターの腹の中か・・・また面倒なことになりそうですね)

 

 心の中で溜息をつき、地図を眺める。

 

「ここの港町で船を預けて馬を買いましょう。

 スケイルズは覚悟して下さいね。普通に歩かせていても一ヶ月くらいはお尻が地獄ですから」

「マジか」

「ああ、確かに乗馬を始めてそのくらいまでは尻がな・・・普段使わない部分が鞍とこすれるから、尻の皮が分厚くなるまでは結構痛いぞ。毎日ずっと乗るとなれば尚更だろうな」

「勘弁してくれよぉ・・・」

 

 がっくりとうなだれるスケイルズ。

 クロウとソルがまた大笑いした。

 

 

 

「金貨十枚も払ってよかったのか? 船番の親父、目を丸くしてたぞ」

「実際長くなる可能性もありますからね。早めに戻ればある程度返して貰える約束ですし。それに相場より多目に払っておけば、より信用も出来るというものです」

「そういうものか」

「ついでに幻影もかけておけば良かったんじゃないの?」

「向こうも仕事ですから今回はまあ大丈夫でしょう。そうでなければ実力行使するまでです」

「違いない」

 

 春の陽気の中、笑いながら南への街道を行く三人。

 スケイルズの馬術は見るからに素人だが、ソルとクロウはそれなりに慣れた風情だ。

 それでも今は笑っているスケイルズが昼過ぎになると尻の痛みを訴え始め、夕方には哀れな声でクロウの癒しの呪文を乞うことになるのだが。

 閑話休題(それはさておき)

 

「気になるのはこの『黒瑪瑙の女王の城』だな」

 

 港町で手に入れた地図を開きながらクロウ。

 港町の南数百キロ、《雄牛の島》の中心近くに存在するという王国。

 その領土は差し渡し数百キロ、面積にして《雄牛の島》の三分の一に及ぶ。イメージ的には九州がほぼ丸ごと入るくらいだ。

 ソルの実家含めて都市国家クラスが大半のこの世界ではかなりの大国と言える。

 

「変な事言ってたよな、千年間同じ人が女王をやってるって。そんなこと有り得るのか?」

「極めて強力な魔術師なら絶対ありえないとは言えないけど・・・それより気になるのは黒瑪瑙(ブラックオニキス)って名前の方かな」

 

 ソルとスケイルズが顔を見合わせた。

 

「黒瑪瑙がどうかしたのか?」

「スケイルズの聞いてきた話にあったでしょう。女王の城には家より大きな黒瑪瑙のご神体があるって」

「ああ。それが?」

水晶(クリスタル)の城で出会った古代の妖魔を覚えているよね? 妖魔と言うのは創世の八神が世界を作ったときに、大地のかけらと霊界の闇から生まれた存在だと言われている。

 だから、依り代として石とか宝石みたいな、鉱物を選ぶ事が多いらしいんだ」

「!」

「つまり、おまえは」

 

 クロウが頷いた。

 

「ああ。黒瑪瑙の城には、セレのところと同じような妖魔がいる可能性がある」

 

 

 

 この時代、長距離の街道はほぼ整備されていない。

 旅の商人が通るのか、一応道のような物はあるが、あるかないかわからないようなものだ。

 道なき荒野を馬で進み、三人(と三頭)は旅を続ける。

 

 時折村に立ち寄ってクロウが魔術による幻影を併用した語りで歓待されたりもするが、大概は野宿。

 雪をかぶった黒曜石のような山脈を何とか越えて平野に降りると、そこは黒瑪瑙の女王の王国だった。

 

「・・・なんだこれは」

「すごいね・・・」

 

 そこに広がっていたのは一面の黄金の平野だった。

 刈り入れ時の春小麦は重い穂をつけて頭を垂れ、風に揺れている。

 農業についてもかなり原始的なこの世界では、そうそう見られる光景ではない。

 そもそもこれだけの農地を開拓すること自体、膨大なマンパワーが必要とされる。

 漁村育ちのスケイルズはもちろん、領主の息子であるソルですら見た事のない風景であった。

 

「うお・・・」

「よっぽど凄い国なんだなここは」

 

 その後も彼らは驚くようなものを目にし続けた。

 整備された街道、巨大な城壁と広大な城市、常設の市場、祭りでもない限りお目にかかれないような沢山の人間。

 店に並ぶ物もクロウ達が見たこともないようなものばかりで、ナイフや革袋、手鏡や陶磁器と言った日用品についても明らかに出来が違う。

 時代の進んだ「ヒョウエ」の記憶の中のそれらにむしろ近い。

 

「うお、あの釣り竿すげえ・・・針がぴかぴかしてんぞ!?」

「このマント止め・・・素晴らしい彫金だ。俺の故郷なら家宝になるレベルだな」

「はいはい二人とも、どうせ買えないんだからほどほどにしとく。預かった資金は僕達のお金じゃないんだから」

「買ってよお母さん!」

「誰がお母さんだ。ほれ、行くぞ」

「ああっ、せめてもうちょっと・・・!」

 

 嘆くスケイルズを念動術で強引に引きずり、クロウ達はその場を後にした。

 ソルもかなり後ろ髪を引かれてはいたが、こちらは自分の意志でその場を離れることが出来たようである。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 都を見下ろす丘の上、クロウ達は三者三様に絶句していた。

 人の良さそうな荷馬車の御者がそれを見て笑っている。

 

「兄ちゃんたち、来るのは始めてかい。良く見とくんだね、あれがオニキス城。黒瑪瑙の女王様の都さ!」

 

 黒曜石のように黒光りする城壁と巨大な城。

 そして城壁と城の間を埋めるのは打って変わって色鮮やかな屋根を持つ無数の家々。

 あるいは五十万都市メットーにも比肩するかと思われる巨大都市。

 それが女王と同じ名を持つ首都にして居城、黒瑪瑙(オニキス)だった。

 



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09-15 宮殿へ

「さて、どうしたものかな」

「女王様にそうそう会えるとは思ってなかったけど、やっぱり難しそうだね」

「指輪の繋がりはどうだ?」

「この都に近づいてから方向がわからなくなった。かなり近くにあるのは確かだと思う」

 

 「黒曜石の都」の安宿。

 半日ほど歩き回って(主にスケイルズが)情報を集めてからの作戦会議だ。

 

「ソルって領主の息子様だろ? それでどうにかならないかね」

 

 のんきなスケイルズの言葉にソルがためいきをつく。

 

「隣の村の領主とかならまだしもな。俺の家は遠く離れた《使命の島》の小さな町の領主で、大きさはこの黒瑪瑙の王国の百分の一にもならない。

 住民の数は下手すれば千分の一程度、目を引く特産品があるわけでもない。

 興味を引けば会って貰えるかもしれないが、まあ門前払いで終わりだろうな」

 

 第八島《使命の島》はこの群島の東南の隅にある島で、この《雄牛の島》からは直線距離で南に二千kmは離れている。

 遠洋航海が未発達なこのビトウィーンでは他の島をぐるっと経由していかなければならないため、並の船なら最低でも半年はかかる遠い場所だ。

 

「うちの村の領主様は、相談に行けば大体会ってくれたけどなあ」

 

 と、スケイルズ。

 クロウとソルが揃って苦笑した。

 

「何せ数が多いからな」

「相談事がある住人にいちいち会ってたら、女王様の身がもたないだろうね」

「そりゃそうか。この町、俺の村の何百倍・・・いや、何千倍の人がいるんだ?」

「それより俺はこの宿の綺麗さに驚いたよ。うまやは手入れが行き届いているし、部屋はとんでもなくこざっぱりしているし、風呂があるし、食堂も清潔この上ない。

 《使命の島》からエコールまでにあちこちの港町で宿屋に泊まったが、こんな綺麗な宿屋は覚えがないぞ。これで大して高級な宿じゃないって言うんだからな」

 

 この世界で宿屋と言えば掃除は適当で寝床にはシラミがいて、食堂ではすえた何かの臭いがするようなものが普通だ。

 

(僕の時代でそんなことがなかったのは、文明の進歩だったんだろうなあ)

 

 心の中で呟くクロウ=ヒョウエ。同時にそれはこの国が、時代に見合わぬ先進性とシステマチックな統治機構を持っている事を間接的に示している。

 ますます簡単には会えないと言うことだ。

 

「どうするかねえ」

 

 

話が最初に戻るが、実際国家元首に簡単に会う方法など思いつくはずがない。

 取りあえず諦めて三人は寝床に入った。

 翌朝。三人が目を覚まして身だしなみを整え、さて朝食というあたりで部屋の扉が控えめに叩かれる。

 

「失礼します。宿の主ですが、城から使者の方が・・・」

 

 三人が思わず顔を見合わせた。

 

 

 

「『名高きエコール魔道学院の俊英クロウ殿を王宮に招きたく』・・・?」

「クロウだけってのが気になるな。確かにこいつは度を超した天才だが、それでも世界の果てまで名が鳴り響くものか?」

「自分で言うのも何ですがさすがにどうでしょうねえ」

「いいなあ。うまい飯とか出るんだろうなあ。俺も女王様に誘われてみてぇ!」

「賭けてもいいですけど、そんないいもんじゃないと思いますよ」

 

 城からの使者の用件は、クロウへの呼び出しであった。

 出来る範囲で身だしなみを整え、普段は荷物の中にしまってある学院の術師の杖も取り出しておく。本来は卒業の証だが、今回の旅に出るにあたり、特別にクロウには授与された。

 

「こんなもんでしょうかね」

「指輪はどうするんだ?」

「うーん・・・結局のところ僕が持っているのが一番安全な気も」

「あ、そっか。相手も指輪を持ってて、その片割れに気付いたって線もあるのか」

「判断が遅い」

「あいてっ!」

 

 ソルがスケイルズにデコピンする。

 

「まあたまたま見かけて僕の魔法の力に驚いた可能性もありますが、用心はしておくべきでしょうね」

「そういうことだ」

 

 

 

 城へついた途端、クロウ達の努力は全て水泡に帰した。

 クロウは即座に風呂場に連行され、隅から隅まで綺麗に磨かれ、香水を吹き付けられた後純白の絹のローブを着せられ、宝石の付いたいくつかの腕輪や指輪、額飾りを貸し与えられた。

 残っているのは学院の術師の杖と、こわれた指輪を包んだ懐の白絹くらいのものだ。

 

「それでは女王様が謁見なさいます。どうぞこちらへ」

「アッハイ」

 

 丁寧だが愛想のない廷臣に従って廊下を歩いていく。

 周囲を観察しているのを悟られないよう、頭を動かさずに視線だけを周囲に飛ばす。

 

(・・・ディテクの王宮にも引けをとらないな。もうちょっと素朴な作りなのが普通だと思うんだが・・・)

 

 この世界における豪華というのは、恐らく古代ギリシャやエジプト、あるいは春秋戦国時代の中国や紀元前のインドなど、そうした古代のそれに近いはずではないかと、前世の知識を持つ少年は思う。

 だがこの宮殿に一番近いのは、恐らく中世から近代の中東。アケメネス朝ペルシャやオスマントルコと言った、これらの地域が世界の最先端だった時代の雰囲気。

 

 改めてこの世界に似つかわしくない、先進的で豪華な装飾。

 それらをいぶかしみつつ、クロウは謁見の間へ歩いて行った。

 

 

 

 謁見の間はやはりディテク王宮のそれにも劣らぬ豪華で広大な物だった。

 奥の玉座にかなり小柄な人影。

 だが詳しく見る前に、案内役の廷臣に促されて腰をかがめ、頭を下げる。

 

「エコール魔道学院本年度首席、"数字の海を飛ぶ鴉"殿、ご入場」

「「「ご入場」」」

 

 儀礼官の呼ばわる無感情な声に、十人ほどの廷臣が更に復唱する。

 

(首席ね)

 

 多分成績を比べたらうぬぼれを抜きにしてもそうなると思うが、入学してからこの方、授業に出た日数より旅してる日数の方が長いので、ちょっと後ろめたいものがある。

 

(それはさておいても僕の素性はかなりのところまで知られてるみたいですね)

 

 そんなことを考えていると、玉座から声がかかった。

 

「近うよれ」

「ははっ」

「女王様、訪問者をお近く寄らせたもう」

「「「寄らせたもう」」」

 

 廷臣たちの輪唱が響くと共に、案内役の廷臣に従って体をかがめたまま玉座に近づく。

 おそらく玉座から数メートルの距離で案内役が両膝をつき、クロウもそれに従って両膝をつく。

 それを確認すると案内役は下がっていった。

 

「立つことを許す。(おもて)を上げよ」

「女王様、訪問者に玉顔を仰ぎ見る恩寵を下す」

「「「恩寵を下す」」」

「・・・はっ」

 

 立ち上がり、顔を上げたクロウの視界に飛び込んでくる女王の姿。

 壇上の玉座にちょこんと座っていたのは、体の線が透ける薄物を着て、身の丈を越える黄金の杖を持った十歳ほどの少女だった。



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09-16 女王陛下はクロウを見ない

 あらためてちょこんと玉座に座る女王を観察する。

 年の頃は十歳くらい、服装は体が透けて見えるような光沢のある白い薄物の衣で、体中に宝石をはめた黄金の装身具。見事な刺繍の飾り帯で腰を締めている。さながらギリシャかエジプトの女神のようだ。

 小ぶりの頭から腰まで流れ落ちる黒髪には赤青緑、黄色にオレンジ・・・色とりどりの飾り紐が編み込まれていた。

 奇妙なのは瞳で、青くなったり赤くなったり、色が一定しない様に見える。

 

(「虹彩」とは言いますけど、ほんとに七色の目は初めて見ますね)

 

 ただしそれは右目だけの話で、左目は逆に全く色が無かった。

 瞳らしい物があるのはこの距離ならかろうじてわかるが、水晶のように透き通って広間を照らす魔法の光を反射している。

 

「そなたがクロウか。エコール魔道学院でも随一の俊英であるそうだな」

 

 どこか教わったセリフを棒読みしているような、そんな女王の言葉にクロウは深々と頭を下げて肯定の意を返す。

 

「それなりの自負はございますが、実際にそうであるかはわかりません」

「謙虚なことであるな」

「お言葉痛み入ります。ところで質問をお許し頂けますでしょうか」

「よい、許す」

「ありがたき幸せ。こう申しては何ですが、魔導学院とこの国はほとんど世界の反対側。一体いかにしてわたくしのことが陛下のお耳に入ったのでございましょう?」

 

 ちらり、と女王の無感情な視線が玉座の右側に向く。

 そこに立っていた黒いローブの、術師姿の男がうやうやしく頭を下げた。

 視線を向けたクロウがあることに気付く。

 

(・・・あれは)

 

 術師が持っていたのは今クロウが手に持っているのと同じもの。

 エコール魔道学院の卒業者に与えられる杖。

 それを持つのは少しシワの目立つ、五十ほどのこざっぱりした男性だ。黒い髪に白いものがまざっており、この世界ではすでに初老の域に入っている。

 

「はじめましてだね、クロウ君。我が同門の弟弟子よ。

 私は黒瑪瑙の王国の宮廷魔術師、"薔薇の聖者を運ぶもの"、プラマー。二十数年ほど前に魔導学院を卒業し、この杖を与えられた。

 学園に残った友人とは今でも手紙のやりとりが続いていてね。遠話の術で会話を交わすこともある。その中で君のことを教えて貰ったんだよ。

 土の精霊学のガールヴ先生の助手をしているヴィルという男だが、知っているかね?」

「いえ、まだガールヴ先生の授業は受けておりませんので」

「ああ、そう言えば彼の授業は二年目か三年目でないと始まらなかったな、失敬失敬」

 

 笑いながら左手で額をぴしゃりと叩く。

 人形のような女王と能面のような廷臣たちの中で、その人間くさい仕草は逆に違和感を感じさせた。

 

「ともあれそういうわけだ。納得はいったかね、クロウ君」

「得心いたしました。ありがとうございます、プラマー師」

「プラマーでいいよ。年は離れているが兄弟弟子だし、それを言うなら君も杖を授けられた身だろう」

「わたくしのは特例ですので」

「それだけ優秀であることには違いないさ」

 

 はっはっは、と気さくに笑うプラマー。

 その様は沈黙と無表情の宮廷の中で、やはり浮き上がって見える。

 

「クロウよ」

「はっ」

 

 女王の声に、クロウとプラマーがかしこまった。

 

「そなたに問う。なにゆえ我が王国に足を踏み入れたか?」

 

 来たな、と思う。

 玉座の右脇からのプラマーの視線を痛いほど感じつつ、女王の目を正面から見返す。

 

「学院から下されし使命にございます」

「使命とはいかなるものか?」

「わたくしの同級生、学院の生徒に"外套の帆を張る船"マルタンというものがおります。これが今強い呪いに苦しんでおりまして。生きながら肉体が腐ってゆく恐るべき呪いです。その様はまるで・・・」

 

 ヒョウエとして飲んだくれの師匠に鍛えられた語り部の技術、魔法の師匠でもある性悪の老婆に教え込まれた初歩のペテンの話術の双方を駆使し、嘘八百のデタラメをつらつらと並べ立てていくクロウ。

 

「ふむ」

 

 クロウが微に入り細に入り説明する恐ろしい呪いの症状。大人でも怯え叫ぶような語り口のつもりだが、この女王は眉をぴくりと動かしはしたものの動じた様子はない。

 本当の十歳の童女ならば、いかに取り澄ましていても怯えを隠せないだろうが、彼女はむしろ無表情の度合いを増すかのようだった。

 視線は女王に向けつつ、視界の端に映るプラマーの姿を意識する。

 静かに話を聞いているように見えるその姿からは、怪しい雰囲気は感じられない。

 

「・・・かくの如くむごい呪いを解くために我が学院の教師の方々も様々な手を尽くしました。その結果、彼には生き別れた双子の兄弟がおり、その双子と恐らくは生まれつきでしょうが魂の霊的な絆で繋がっていることがわかったのです。

 生徒マルタンの呪いもその双子と離ればなれになったゆえと教師は判断し、生き別れの兄弟を捜し連れ帰るように我らに命じたのでございます」

「さようか」

 

 やはり無表情無感動に頷く女王。

 クロウ渾身の口八丁であったが、のれんに腕押しのように手応えがない。

 

(となるとやはり・・・)

 

 そう思ったところで脇から声がかかる。

 想定したとおり、宮廷魔術師プラマーのもの。

 

「陛下、お客人に二、三質問をお許し願えますでしょうか」

「よかろう」

 

 女王が頷く。一礼してプラマーがクロウに向き直った。

 

「呪いと言ったが、双子の魂の繋がりというのは誰が言い出したのだね? 寡聞にして私はその様な話を聞いたことがないのだが」

「私もありませんが、召霊術のスィーリ先生の見立てで、副学長も賛同しておられましたので間違いはないかと」

「ふむ。では何故君たちが送り出されたのだね? このような世界の果てにまで届く大がかりな探索、教師の方々か、少なくとももっと熟達した術師が当てられるのではないかと思うが」

「学院では現在霊の世界との壁が崩れたことにより、教師方が総出でその対応に当たっておられます。また、これほど大規模にではありませんが、直前に私たちも別の探索を成功させていたので評価して頂いたのでしょう」

「霊の世界との壁が崩れたとは聞き捨てならんな。何があったのだね?」

「私が召霊をしくじったのです。その時に漏れ出でた邪悪な霊を封じるための探索でした」

「ふむ・・・」

 

 プラマーが考え込むのを見て、クロウは内心ほくそえんだ。

 

(手紙と言ったって、往復するのに一年はかかる。

 遠話の術も、それこそ学院で教鞭を取る"大魔術師(ウィザード)"クラスならともかく、並の術師が数千キロも離れた場所と簡単に行えるものじゃない。

 頻度はかなり低いはずだし、今からすぐ行うのも難しいだろう。

 つまり、僕の嘘を今見破ることはできない)

 

 恐らくその通りだったのだろう・・・ただし最後のそれを除いては。しばらく逡巡した後、プラマーが女王に向き直った。

 

「陛下、ご下問を」

「うむ」

 

 どういうことだとヒョウエが首をかしげた時、女王の口から聞いたこともない言葉がほとばしった。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■(答えよ。汝が言葉は真実か、偽りか)

「!?」

 

 聞いたこともないはずなのに、意味だけははっきりとわかる。

 それでも真実ですと答えようとした瞬間、舌が凍りついたように動かなくなった。

 

(これは・・・?)

 

 笑い声が響いた。勝ち誇ったようなプラマーの哄笑。

 

「陛下の前では偽りを申し述べることは叶わぬ! 陛下、御身を偽ったものに対する罰を!」

「うむ」

「!」

 

 やはり無感情に頷いた女王の右目が虹色の光を放つ。

 視界が歪み、虹色に輝く目が目の前に迫るような感覚を覚えて、次の瞬間クロウの周囲が漆黒の無に包まれた。



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09-17 地の獄

 

 

 気がつくと周囲は真の闇だった。

 ただし《雌馬の島》で体感したような、水晶の中の精神世界ではない。

 自分の肉体はある。

 

 咄嗟に懐に手をやる。

 固く小さい何かが入った絹の包みの手触り。

 こわれた指輪は無事らしい。

 

(ふう)

 

 安堵の息をつき、今度は周囲を探ってみる。

 手触りからすると、どうも岩肌、岩壁。

 

(洞窟かな・・・む?)

 

 周囲の気配を探る内に違和感に気付いた。

 

「"明かり(ライト)"」

 

 極々簡単な初歩の呪文。それが発動しない。

 

(・・・)

 

 体内に魔力を巡らせてみる。

 魔力はきちんと練れるし、体内循環も問題ない。

 

(となると・・・"魔素(マナ)"か)

 

 恐らくは魔素の欠乏空間。魔術で作ったかあるいは天然のものかはわからないが、そうした場所に放り込まれたのだろう。

 術師を封じるには最適の牢獄だ。

 

(すうーっ、はぁーっ・・・)

 

 深呼吸。ここではないどこかから来ている"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の魔力を確かめる。

 

(これがあれば何とかなる)

 

 魔力を目に集中する。

 闇に慣れた目に魔力を注ぎ込み、一時的に感覚を鋭敏にする。

 完全な闇を見通すことは出来ないが、ごく僅かにでも光があればそれを拡大できる猫の瞳。

 

 言ってみれば裏技のようなものだ。

 生物の体内にごく僅かに存在する魔素を用い、体内だけで完結するゆえに周囲の魔素欠乏に左右されない。

 ただし極々微量ゆえに、その分は魔力を湯水のように注ぎ込むことで補わなくてはならない。

 穴の空いた鍋に水を注ぎ続けるようなもの。普通の術師なら一瞬術を発動させるのがせいぜいだ。

 

 しかし、クロウは違う。

 普通の術を使う分にはほぼ無制限の魔力源である"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。

 この程度であればいくらでも魔力を注ぎ込み、術を維持できる。

 ・・・が、周囲を覆う闇はいかに目をこらしても見通せなかった。

 

(魔法的に闇を見通してるわけではないからなあ)

 

 あくまで目の感覚を鋭敏にして極々僅かな光を拡大しているだけだ。

 本当に全く光がないのであれば意味がない。

 そして、どうやらここは本当の真の闇だったらしい。

 感覚を強化しても全く周囲の様子がわからない。

 

(しょうがないなあ)

 

 何か使えるものが無いかと体をまさぐり始める。

 持ってきたものは着替える時にほとんど全部預かられてしまったので、今身につけているのは術師の杖と絹のローブ、そしていくらかの装飾品だけだ。

 首飾り、腕飾り、指輪、額冠。

 

(鉄製のものと硬い宝石があれば火打ち石の要領で火を起こせるんだが)

 

 色々カチカチ打ち合わせてはみたが、やはり装身具だけあってほとんどが金か銀か、何か柔らかい金属で出来ていた。

 幸い腕飾りの鎖が鉄製(多分)ではあったものの、宝石はやわらかい物であるのか、それとも丸いせいか火花が起きない。

 

(最悪歯で火を起こさなくちゃならないか・・・?)

 

 歯は鉄よりよほど固いため、火打ち石代わりに使えないこともない。

 しかしそれは嫌だなあとしばらく考えて、試していないものがあるのに気付いた。

 

 ローブのすそを破り、糸をばらして平たい石?の上に置く。

 その上に鉄の鎖を置いて端を固定。右手に持ったもので激しくこする。

 激しく火花が散り、やがて糸に引火して火口になる。

 それを元にローブを引き裂いた布で作ったこより――いわゆる紐ほくちと呼ばれるものの代用品――に着火。

 明かりを入手して何とか息をつく。

 

「やれやれ、何が役に立つかわからないものですね」

 

 苦笑しながらクロウは鉄の鎖をこすって火花を出した火打ち石・・・黄金竜の目から削りだした指輪の片割れを懐にしまい込んだ。

 

 

 

 作った紐ほくち――イメージ的にはロウソクの芯だけに火をつけているようなもの――と杖を手にクロウは歩き始める。

 細い紐の先端に僅かに灯った光。マッチやロウソクの光よりも更に頼りない、線香よりはまし程度の代物だが、視覚を限界まで強化した今のクロウなら行動に支障はない。

 

(・・・)

 

 周辺を見渡してみると、やはり洞窟だった。

 天井は数メートル、差し渡しは10から20mほど、尖った先端のあたりにいたらしい。

 隅の方に1mほどの開口部があり、鉄格子がはまっていた。

 

(まあ当然鍵はかかってますよね)

 

 鉄格子はそれほどがっしりしたものではないが、魔法の使えない人間が破壊できるようなものでもない。

 膝をついて隙間から手を伸ばし、鍵穴を確かめる。

 

(これならどうにかなるかな・・・? 最近練習サボってたからなあ)

 

 ベルトを引き抜き、留め具を解体して針金のようなものを作る。

 それを鍵穴に突っ込み、かちゃかちゃやりはじめた。

 

 今のディテク王家は元々オリジナル冒険者族が起こした家だ。

 1200年前、当時の王がこともあろうに眠りについていた"真の龍"に手を出して族滅の憂き目にあった。

 そのたった一人の生き残りである王女を守り、当時の「白のサムライ」や影の一族と共に真の龍を倒した冒険者こそ、現在の王家の祖なのである。

 

 そう言った理由で、王族の子弟には様々な冒険者技能の習得が義務づけられている。

 もっとも千年以上も経てばしきたりも形骸化しており、大体は形だけのものだ。

 それを大まじめに学び、習得したのがヒョウエであった。

 盗賊系、野外系、交渉系、医学系、製作、芸能・・・むろん剣や弓、格闘、乗馬と言った基本的な戦闘技能もだ。

 

 どれもこれもかじった程度ではあるが、素人ではない。

 武道で言えば初段を取れるかどうかというレベルには達している。

 ゲームで言うなら魔法技能30レベル、その他全ての技能が1レベルと言ったあんばいだ。

 

(何でも勉強しておくものですね・・・でもたまにはおさらいしておこう)

 

 モリィが仲間になって以来、しばらく使ってなかった鍵開け技能である。

 せめてこれからはもうちょっと復習しておこうと、悪戦苦闘しながらクロウは決意した。

 

 

 

 2、30分ほどもかちゃかちゃやった後、ようやく錠前が鈍い音を立てて外れた。

 

「ふはー・・・」

 

 しばらくぐったりしたいのをこらえ、素早く外の様子を窺ってから牢獄を出る。

 元通りに鍵を閉め直す時間が勿体ないので鉄格子の扉を閉めて、手近の石で動かないように固定しておく。

 

(さて)

 

 左右を見渡す。

 恐らくは天然の洞窟に手を加えたのだろう岩のトンネル。

 ひょっとしたらと期待したが、やはりここも魔素欠乏地域のようだ。

 明かりの魔法を諦めて耳に魔力を集中。感覚を強化してしばらく耳を澄ませたが何も聞こえない。

 

(・・・)

 

 指を唾液で濡らし、空気の流れを確かめる。

 僅かに風の吹いてくる方を目指し、クロウは洞窟を歩き始めた。

 

 

 

 

「誰じゃ? そなたプラマーではないな?」

「・・・え?」

 

 数十分ほど歩いて見つけた、同様の牢獄。

 見たものと聞いたものが信じられず、驚愕の余りほくちを落としそうになる。

 牢の暗闇に溶け込む漆黒の髪。

 暗闇の中でも光を放つ虹色の瞳。

 岩肌にもたれるように座っている小さな体。

 

 鉄格子の中、無感情にクロウを見返してくるのは、間違いなく先ほどこの地の底へ彼を飛ばした黒瑪瑙の女王だった。



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09-18 くらやみの女王

 

 暗闇の中、思わずまじまじと目を凝らすが、鉄格子の中にいたのはやはり間違いなく黒瑪瑙の女王を名乗っていたあの少女だった。

 

「陛下・・・何ゆえこのようなところに?」

「お主、先ほどの術師か。クロウとか申したか?」

 

 ん? と首をかしげる女王。

 無感情なのは変わらないが、先ほどよりは年相応に見える。

 

「はい、エコールの術師見習いクロウにございます。重ねてお尋ね致しますが、陛下は何ゆえこのようなところに?」

「わらわは常よりここにおる。時折プラマーがここから連れだして宮殿であれこれやる以外はな」

 

 不愉快なものを感じた。下腹のあたりで、何かもぞりとうごめいたものを押さえ込んで言葉を重ねる。

 

「ご不満をお感じにならないのですか」

「ずっとこのようなものだ。特に不自由は感じておらぬ」

「ずっとこの地の底におられるのにですか」

「そうだ。わらわは黒瑪瑙の女王だからそうすることが必要なのだとプラマーが言っておった。・・・お主はいったい何を怒っておるのだ?」

「おわかりになりますか」

 

 無感情のように見えて、他人の感情を察する能力はあるらしい。

 そのままクロウは先ほどの針金もどきを取り出して、鍵穴をかちゃかちゃやり始める。

 

「何をしておるのだ、そなた?」

「扉を開けて外にお連れします」

「何のために」

「私がそうしたいからです」

 

 首をかしげはしたものの、童女はそれ以上を問わなかった。

 クロウの言葉に抑えきれない怒気が籠もっていたせいかもしれない。

 

 先ほどの試行でコツがつかめていたせいか、今度は十分弱で鍵は開いた。

 腰をかがめて狭い開口部をくぐると、幼い「女王」の前で膝をつき、頭を垂れる。

 

「どうぞ御身を外に連れ出すことをお許し下さい、陛下」

「何のためにじゃ」

 

 芯から理解出来ないと言うように、またしても童女が首をかしげる。

 ただクロウが本気なのは理解しているらしかった。

 その証拠に戸惑ってはおらず、ただ純粋に疑問に思っているように見える。

 

「そうでなくてはいけないからです」

「何故じゃ?」

「陛下、あなたは生きておられない。自分の意志というものを持っておられない。

 それが生まれつきや不幸な偶然によるものならまだしも、他者の思惑――恐らくはプラマーの――によってそうされていると言うことが私には何より我慢ならないのです」

 

 顔を上げて童女と視線をぶつける。

 虹色に輝く右の瞳と、色のない左の瞳。

 ロウソクよりも頼りない明かりの中で、それでもその目はしっかりとクロウの視線を捉えているようだった。

 

「・・・」

「・・・」

 

 沈黙が続く。

 理を説き、言葉を尽くすことはできる。

 だがこの少女にはこれが一番届くはずだ。

 そう信じてじっと少女の目を見続ける。

 

「・・・」

「・・・」

 

 どれだけ経ったろうか。

 ふと、わずかに少女の目が揺れ、視線を足元に落とす。

 

「そなたはそれを望むのか」

「はい」

 

 また沈黙があった。

 何かを言おうとしては口をつぐむ。そうした事が何度も繰り返される。

 クロウは辛抱強く待った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よい。許す」

 

 長い長い沈黙の後、ついに少女の唇から言葉が漏れた。

 

「はっ」

 

 笑みを浮かべ、クロウが再び頭を垂れた。

 

 

 

「手をお放しになりませんように」

「うむ」

 

 右手にほくち、左手で女王の手を掴みながら闇の中を進む。

 

「方向はこちらで間違っていませんか」

「プラマーが連れに来た時はそうだった」

「ありがとうございます・・・あのようなところにいて、疑問は持たれなかったのですか?」

「女王は尊いものであり、俗人の目に触れさせてはならない。それにここの方が安全だ。そうプラマーは言っていたな」

「そうですか」

 

 ふむ、と女王が首をかしげる。

 

「先ほどもそうだったが、そなたはなにゆえ怒る? 何がそんなに腹立たしいのだ?」

「そうですね、一言で言うなら・・・義憤でしょうか」

「さようか」

 

 わかってはいなさそうな口ぶりで女王が頷いた。

 

「人は誰かが苦しむとき、それを助けたいと思うものです。

 不正義が行われているとき、それに憤るものです。

 そして誰かが涙を流していれば、それを止めたいと思うのです」

「わらわは泣いていたか?」

 

 相変わらず無感情に見えるが、それでも初めて会ったときより表情がゆるんでいる気もする。

 クロウは頷いた。

 

「わたくしの傲慢かもしれませんが、そう見えました」

「そうか」

 

 女王が少し考え込んだ。

 

「そなたクロウと申したな」

「はい」

「わらわがそなたにこうしてついてきた理由がわかった。

 そなた、懐かしいにおいがする」

「懐かしい・・・ですか。それはどのようなものでしょう」

「わらわにもわからぬ。ただそう感じたのだ」

「・・・」

 

 そこで言葉が途切れた。

 二人はそのまましばらく洞窟を歩き続ける。

 洞窟は昇るでも降りるでもなく、緩やかに左にカーブしながら続いている。

 

「そう言えば」

「なんだ?」

「御身の名前をうかがっておりませんでした」

「ない」

「・・・は?」

 

 思わず足を止めて振り返る。

 

「今、なんと?」

「ないと言った」

「ばかな!」

 

 思わずクロウが叫ぶ。

 この世界において名前とは存在そのものである。

 真の名前であれば、名前を持たないと言うことは存在していないこととイコールだ。

 

 通常使う名前であっても、それがないと言うことは存在の欠損を招く。

 隠しているならまだしも、「ない」と言うことはあり得ない。

 

(・・・!)

 

 そこまで考えたところで閃くものがあった。

 

(古代妖魔か!)

 

 「名前を奪う」などと言うことはそれこそ神か、学院の言霊のマスターでもなければ不可能だろうが、原初の存在である古代の妖魔ならばあるいは可能かもしれない。

 

(ソルがいればなあ)

 

 ソルはほぼ全ての分野にわたって優秀だが、言霊の術、そして名前を探るのが特にうまい。

 協力して貰えば何かわかったかもしれない。

 ただ、少し引っかかるものがあった。

 

(おそらく古代妖魔がこの件の裏にいるのは確定だ。

 しかし、それならセレや他の人たちみたいに魂を喰らって体を動かせば済むはず。

 多分城の人たちはそうだろう。プラマーは少し違う気もするが・・・。

 けど、それとも彼女は違う。わざわざ名前を奪って魔素欠乏空間に幽閉している。

 よほど強力な力を持っているから? 名前を奪われ、能力が低下した状態でさえ、僕を地下に直接送り込めるだけの力があった。それを利用するため?

 いやそもそも・・・彼女は何者だ?)

 

「・・・」

「なんじゃ?」

 

 まじまじと少女を見るクロウ。

 少女がきょとんと、恐らく初めて年相応の表情を浮かべて困惑した。



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09-19 人間はピンチになると天才になる

「半欠けの指輪だ! もっと良く探せ! 絶対にあるはずだ!」

 

 ヒステリックな宮廷術師の声がクロウ達の泊まっていた宿屋に響く。

 至るところひっくり返された部屋の中にはプラマーと無表情の兵士達、拘束されたスケイルズとソル。

 後ろ手に縛られた二人はシャツとパンツ一枚の格好だ。

 プラマーの怒声にも動じることなく、兵士達は淡々と返事を返す。

 

「探せるところは探しました、プラマー様。こやつらの荷物、服、馬の荷袋から家具の隙間まで全てです」

「まさか、あやつが持っていたのか? 狙われているのがわかっていてわざわざ王宮まで持ってきた? ありえん!」

「・・・」

 

 スケイルズとソルが無言で視線を交わす。

 どうやらと言うべきかやはりと言うべきか、彼らの目的もやはりあのこわれた指輪であるらしい。

 このプラマーとやらも宮廷術師を任じているだけあってそれなり以上の腕の持ち主なのだろうが、クロウ同様片割れの方向やある程度の距離はわかっても、正確な位置を突き止めることはできないのだろう。

 

(そもそもそれが出来るなら、学院の先生たちがやってるよな)

(そりゃそうだ。しかし何でできないんだろうな?)

(竜ってのは魔法が効きにくいって言うし、そのせいじゃね?)

(馬鹿言え、体のカケラにしか過ぎないんだぞ、そんなことがあるものかと言いたいところだが、流石に黄金の虹竜となればないとは言い切れないか・・・?)

(だろう? だろう?)

 

 そのようなひそひそ話をしていたところでプラマーが二人に向き直った。

 

「指輪はどうした! あの小僧が持っているのか!

 お前達が持っていたり隠したりしているならさっさと白状しろ! 今のうちだぞ!」

「・・・」

「あぁん? なんだ、その反抗的な目は!?」

 

 右手に持った学院の杖で、ソルの顎を上向かせるプラマー。

 睨みつけるプラマーを、無言でソルがにらみ返す。

 

「この・・・」

「あーっ!?」

 

 プラマーが杖を振り上げたところで、いきなりスケイルズが大声を出した。

 

「何だ小僧!」

「い、いえなんでも・・・」

「言え! 言わんと・・・」

 

 今度はスケイルズに向かって杖を振り上げたプラマーが、それを下ろしてニヤリと笑った。

 

「そうだな、術師が杖で殴るというのも優雅ではない」

「で、ですよねー・・・」

 

 ほっとするスケイルズ。それを見てプラマーがいやらしい笑みを浮かべる。

 

「血の管が詰まって指先から体が腐っていく呪いをかけてやろう。

 術師なら術で痛めつけるべきだな」

「ぎゃあああああああああああああああああ!?」

 

 悲鳴を上げながらゴロゴロ転がるスケイルズ。

 

「押さえつけろ。さて小僧、話すなら今のうちだぞ・・・」

「はい、話します! こわれた指輪は宮殿に行ったクロウが持ってる白絹張りの箱の中に入ってて、荷物の中の二本の銅のカギに魔法がかかってて、クロウが持ち上げた箱に俺とソルがそのカギを使ってでないと決して開かないようになってるんです!

 お願いだから助けてぇぇぇぇ!」

 

 みっともなく泣きわめくスケイルズに顔をしかめ、プラマーが兵士達の方を向く。

 

「おい」

「はい、さっき確かに・・・ありました」

 

 紐にぶら下がった二本の鍵を兵士が差し出す。

 プラマーがそれに触れて頷いた。

 

「確かに魔力がかかっているな・・・こいつとの繋がりも感じる。よし、宮殿までそいつらを引っ立てろ。抵抗したら死なない程度に痛めつけていいぞ」

「はっ」

「しません! しませんから魔法使わないでぇぇぇ!」

「それはお前達次第だな。いくぞ!」

 

 懇願するスケイルズを嘲り笑い、プラマーが上機嫌で身を翻す。

 背中をこづかれて、スケイルズとソルも歩き出した。

 囚人用の頑丈な鉄格子付きの馬車に放り込まれて、そのまま宮殿へと出発する。

 走り出してしばらく、周囲の注意がそれたところで二人が額を寄せ合った。

 

「あの鍵は実際何なんだ?」

「子供の頃大風で倒れた納屋とトイレの錠前の鍵さ。

 いらなくなったんで俺が貰って、お守り代わりにずっと持ってたんだ。

 俺が学院に出発するとき、それを知ってた地元の魔法使いが幸運の魔法をかけてくれたんだよ」

「なるほど、魔法がかかってるのもお前と繋がりがあるのも当然だな。やるじゃないか」

「人間はピンチになると天才になるのさ」

 

 声を出さず、二人は笑いあった。

 

 

 

「・・・っむ」

 

 闇の中。

 か細いほくちの熾火だけが照らす洞窟の途中でクロウが立ち止まった。

 

「どうした」

 

 手を繋ぐ少女が相変わらずの平板な声で問うと、戸惑ったような顔でクロウが振り向く。

 

「どうもぐるぐる回っているようです。見て下さい」

 

 ほくちを持った手で指し示したのは小さな開口部にはまった鉄格子。

 開かないよう、いくつかの岩で抑えられている。

 

「さっき僕が入っていた牢屋です。これまでに分かれ道とかありましたか?」

 

 少女が首を振る。

 クロウが溜息をついた。

 

「参りましたね。今までここから出る時はどうしていたんですか?」

「プラマーと歩いているといつの間にか宮殿の中にいた」

「ふむ・・・仕掛けとか天井に入り口があるわけではないか・・・? 幻影でも仕掛けられている? だがここは魔素欠乏空間だし・・・」

 

 考え込んだクロウの手を少女が引いた。

 

「クロウ、クロウ」

「なんでしょう?」

「プラマーが来たぞ」

「!? わかるのですか!?」

「うむ」

 

 一瞬逡巡して、クロウは少女を抱き上げた。

 

「失礼します!」

「うむ?」

 

 きょとんとする少女にかまわず、全身に魔力を流す。

 有り余る魔力で筋力を強化して、クロウは全速力で走り出した。

 

 

 

「・・・近いな。陛下、これよりはお静かに」

「うむ」

 

 少女の入っていた岩屋の少し手前あたりで、前方の通路がうっすらと明るんでいるのが見えた。

 それと共に強化した聴覚に複数の足音と息づかいが聞こえてくる。

 恐らく五人から十人ほど。恐らくは少女を迎えに来たのだろう。それともクロウを尋問するのか。

 通路で迎え撃つか、やりすごして出口から脱出するか、それとも少女のいた岩屋の中で待ち受けるかと考えたところである事に気付く。

 

(しまった! 岩屋に鍵をかけ直していない!)

 

 間に合わせの道具とクロウの腕では、鍵をかけ直すのにもそれなりの時間がかかる。あの時はもたもたしていては捕まる恐れがあったし、今かけ直す暇は更にない。

 

(くそ、しょうがない!)

 

 腹をくくって――やけになったともいう――少女を下ろし、ここで待っているようにとジェスチャーで示すと、そのままクロウはほくちを少女と一緒に後に残し、莫大な魔力で強化した筋力で洞窟の壁を蹴って飛び上がった。



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09-20 一つの指輪

 黒瑪瑙の女王に仕える――ということになっている――宮廷術師プラマーは上機嫌であった。

 長年探していた指輪の片割れが向こうからやって来て、少し手間取りはしたものの入手に必要な鍵と情報を手に入れ、後は実際にそれを手にするだけ。

 鼻歌の一つも歌いたい気分で地下の洞窟に通じる隠し通路を開き、兵士数人と捕虜二人を連れて地下通路を進む。

 先頭の兵士の一人がたいまつ、最後尾の兵士がランプ(ランタンではなく手でこすると魔神が出てくるほう。本来は油を入れ、注ぎ口に火を灯す照明器具)で暗い洞窟の中を照らしている。

 女王を閉じ込めている岩屋の鉄格子が見えてきて、更に笑みが大きくなる。

 

(指輪を手に入れ、~~様に献上すれば私も更に・・・)

 

 そうやってほくそ笑んでいると、一陣の風が吹いた。

 

「ん?」

「ぎゃあっ!?」

 

 ランプを持っていた兵士の悲鳴が響き、後ろからの明かりがふっと消えた。

 前を歩いていたプラマーが振り向いた瞬間、何かが脇を通り過ぎる。

 ほとんど同時に松明を持っていた兵士の悲鳴。

 更に振り向くと何者かが倒れた兵士から松明を奪い取り、女王の牢屋の中に放り込んだところだった。

 

 ランプと松明、光源を失って洞窟の中が一瞬にして真っ暗になる。

 女王のいる筈の岩屋から僅かに明かりが漏れているものの、常人には真の闇とほとんど変わらない。

 悲鳴が何度か響いた後、洞窟は静かになった。

 

「・・・」

「・・・」

 

 両手を縛られ、腰縄を着けられたスケイルズとソルは息を潜めて壁に身を寄せていた。

 前後を固めていた兵士達も恐らくは倒されたようだが、こちらに対する攻撃はない。

 きい、と音がして洞窟にはまった鉄格子が開くのが見えた。

 何者かが中に入り、松明を手にして出てくる。

 その顔に二人は見覚えがあった。

 

「クロウ!」

「クロウ! ひゃっほう、信じてたぜ!」

 

 オレンジ色の炎に照らされた顔がニカッと笑った。

 

 

 

「これが女王様なのか?」

「確かにただ者じゃないようには見えるが・・・」

「わらわは女王じゃ。少なくともプラマーはそう言うておった」

 

 しばし後。二人の拘束を解き、女王を連れてくる。

 縛られていた手首をさすりながら、物珍しそうに少女を眺める二人。女王は相変わらず無感情に答えを返す。

 火の消えたランプに松明から火を移していたクロウが顔を上げた。

 

「少なくとも宮廷で謁見したのはその子だし、僕を岩屋に直で送り込んだのもその子だよ。強い力の持ち主なのは間違いない」

「そんな子が何でお前と一緒に?」

「それがね・・・」

 

 クロウが経緯を語り終えたときには、スケイルズもソルも眉間にシワを寄せていた。

 

「なんだそりゃ!? プラマーの野郎許せねえ!」

「・・・」

 

 怒りを吐き出すのはスケイルズ。ソルも無言ながら怒りの表情を隠さない。

 

「そなたらも怒るのだな。自分の事でもなかろうが?」

「関係ねーよ! 子供をこんなところに閉じ込めていいわけねえだろうが!

 くそ、むかつく! 一発殴らなきゃ落ち着かねぇ・・・!」

 

 クロウとソルが苦笑する。

 しかしスケイルズが倒れたプラマーの方に歩き出した瞬間、黒い波動が走った。

 

「ぐっ!」

「ぐわっ!?」

「ぎゃっ!」

 

 クロウたちが壁に叩き付けられた。ソルとスケイルズは倒れて動かなくなり、クロウは壁にはりつけにされる。

 黒い波動を発しているのは上半身を起こしたプラマー。

 青あざの出来た右目を憎々しげに細め、開いた右手から波動を発している。

 

「おのれ、小僧ども・・・舐めやがって! 鼻と耳を切り取って豚の餌にしてやるぞ!」

 

 気さくで洗練された宮廷術師の面影は最早微塵もなく、チンピラじみた脅し文句を口にするプラマー。

 だがその様な豹変よりも、よほどクロウを驚かせたものがあった。

 

「馬鹿な、魔素欠乏空間で魔法を・・・いや、その力、妖魔の力か! お前妖魔と契約したな!」

「正かぁい・・・」

 

 ぬらぬらと、ぬめるような笑顔を浮かべるプラマー。

 ゆらりと立ち上がって一歩一歩、クロウの方に近づいてくる。

 

「学院を卒業したとは言え、平凡な私は大した職には就けなかった。生まれ故郷のこの村の呪い師として生きるのがせいぜいだった!

 だがそんな時見つけたあの巨大な黒瑪瑙(ブラックオニキス)

 あのお方が私に力を与えてくれた! 見ろ、この黒瑪瑙の都を! 《雄牛の島》の片田舎のへんぴな村がここまでになったのだ! 全ては私とあのお方の力だ!」

 

 取り付かれたように喋りながら、懐に左手を入れる。

 取り出したのは、青やオレンジの色味がかかった、半透明の輝石で出来た半欠けの指輪。

 

「!」

「顔色を変えたな? 持ってるんだろう、どこだぁ・・・っ!?」

 

 クロウに触れようとした手に、静電気のようなバチッという音とスパークが走る。

 

「ちっ、悪あがきを」

 

 身動き取れないクロウのせめてもの反抗。体に触れるものに対しての、体内の魔素を使った魔力での攻撃。

 だが離れてしまえば魔素のない空中では魔力は雲散霧消してしまう。

 

「兵士ども・・・は使えんか、役たたずめ」

 

 ぐるり、と。120度近く首を回してプラマーが少女を見た。

 無表情に立ち尽くしているように見える少女だが、その目が僅かに揺れている。

 

「しょうがありませんね。陛下、そいつの懐から指輪のカケラを取って下さい。

 箱か何かに入っているでしょうから、直接触れてはいけませんよ・・・」

 

 目の揺らぎが更に大きくなる。

 プラマーの表情がいぶかしげなものになった。

 

「おい、どうした?」

「わ、わらわは・・・」

「私の命令に従え、名無しの女王! お前は私のものだ!」

「う・・・う・・・」

 

 語気を強めるプラマー。少女はついに頭を抱えてうずくまってしまう。

 

「チッ! 役たたずめ!」

 

 プラマーの罵り声を聞きながら、ソルは考えていた。

 随分前から意識は戻っており、隙をうかがっていたのである。

 

(名前を奪うか。神々でもなければできないことだと思っていたが古代妖魔ならば・・・うん?)

 

 ソルは人、物に関わりなく名前を探り出す事がうまい。名前というか、名前に関係する本質を感じるセンスを備えていると言うべきだろうか。

 そのセンスが今、少女の中にある欠落とプラマーの左手にある指輪の片割れに重なる存在を感じとった。

 直感的に体が動く。素早く起き上がってプラマーに体当たりする。

 頭に血を昇らせて注意がおろそかになり、不意を突かれたプラマーは為すすべなくソルに組み伏せられた。

 左手の指輪をもぎ取り、それをクロウに投げつける。

 顔を何とか動かして、それを口でくわえるクロウ。

 

「クロウ! その指輪が鍵だ! その指輪の中に彼女の『名前』がある・・・ぐわっ!?」

 

 至近距離で放たれた黒い波動がソルを吹き飛ばす。

 ボロ雑巾のようになったソルが血を吐いて、壁にぶつかり地面に落ちた。

 

「このっ・・・!」

「させるかぁぁぁぁ!」

 

 全力の黒き波動をクロウに叩き付けようとするプラマー。

 だが、ソルのおかげで一瞬緩んだ拘束を逃さず、魔力を振り絞って体を動かしたクロウの方が一手早い。

 口にくわえたプラマーの持っていた片割れ、そして懐から取り出した水晶の城で見つけた片割れ。

 その二つを合わせるとごく自然にひび割れは融合し、一つの指輪になった。

 

「思い出しなさい! あなたの名前を!」

 

 少女が顔を上げる。

 虹色の右目と、色のないガラスの左目。

 

「御身が名は『アルテナリナリエン』! 今、御身にお返し申す!」

 

 突き出した手。七色の輝石の指輪が自然に宙を飛び、色のないガラスの目に吸い込まれる。

 

『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!』

 

 プラマーの無言の絶叫。

 あるいはそれは、彼を堕落させ、魂を喰らって操り人形とした古代妖魔の断末魔だったかもしれない。

 その時クロウは固い何かがひび割れ、砕ける音を聞いた気がした。

 

 ガラスの目に色が戻る。右と同じ虹色の瞳。

 まばゆい虹色の光。その中でプラマーが恐怖の表情を浮かべ、兵士達の体が塵となる。

 そして全てが光に包まれた。



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09-21 帰還

 その日、黒瑪瑙の都の民たちは見た。

 女王の城からまばゆい虹色の光の柱が立ちのぼり、黒い城が崩壊したのを。

 瓦礫の山と化した城からは、不思議な事に遺体は一つしか発見されなかった。

 そのたった一つの例外である宮廷術師プラマーの遺骸は驚くほど綺麗に残っていたが、その顔は恐怖に歪んでいたという。

 

 神々の怒りだというものもいた。

 天を舞う黄金の竜を見たというものもいた。

 エコール魔道学院の杖を持った大魔術師が宮廷術師と魔術勝負の末に城を崩壊させたのだと言うものもいた。

 

 だが時と共にそうした噂も忘れられていった。

 城下町の有力者が合議で国を動かす事を決め、やがて新たな王が推戴された。

 前ほどの巨大なものではないが城の跡地に新たな宮殿が造られ、幾ばくかの混乱や衰退はあったものの黒瑪瑙の王国は存続していくことになる。

 

 

 

「うあああああああああ!?」

「うおおおおおおおおお!」

「うわあ・・・!」

 

 蒼空を駆ける黄金の翼。

 頭から尾の先まで全長10m、翼の差し渡しもそれくらい。

 黄金の鱗を持つ龍。たてがみにはいくつもの、色とりどりの飾り紐。

 その背中にクロウ達三人が乗っていた。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■(大丈夫か、クロウ)

 

 竜が振り向き、背中のクロウに話しかける。

 その瞳は虹の色をしていた。

 

「喋った?!」

 

 仰天するのはスケイルズ。思わず後ずさって、竜の背から落ちかけたところをクロウの念動に救われるていたらくだ。

 

「いや・・・龍だしそれは喋るだろう。だが何語を話しているんだ? 音は全然聞いたこともないのに意味は理解出来る・・・」

 

 多少なりとも冷静なのはソル。

 だが彼も表情から溢れる畏怖と驚愕の念は隠し切れていない。

 

「大丈夫ですよ、アルテナ」

■■■■(アルテナ?)

「愛称という奴ですよ。人間は親しい仲では名前を縮めて呼ぶんです。不愉快なら"アルテナリアリエン"とお呼びしますが」

 

 ちょっと間が空いた。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■(いやそれでいい。これからはアルテナと呼べ)

「わかりました」

 

 笑顔で頷くと、クロウは後ろを向いた。

 目を丸くしている二人に少し笑みを浮かべる。

 

「な、なあクロウ。ひょっとしてこの龍、あの女の子なのか?」

「ええ。多分あの黒瑪瑙の城にいた妖魔とプラマーに名前を奪われて、とらわれの身になっていたんです。その辺の詳しい事は覚えていますか?」

 

 ちらりと視線をやると、黄金の龍はかすかに首を横に振った。

 

「ですか。で、プラマーが名前を奪う媒介に使ったのがあの指輪の片割れで、指輪が元の形を取り戻してアルテナのものになったことで彼女の名前もまた再び彼女のものになったと、そういうわけです」

「彼女――まあ女性だからそう言うが――の使う言葉はなんなんだ? まさか」

「ええ。『真の言葉』でしょうね」

 

 「真の言葉」。真言、マントラ、トゥルースピーク、ディヴァインタング。色々な言葉で呼ばれるが、神がこの世を創造したときの原初の言葉であると言われる。

 言葉自体に力があり、言葉を発するだけで様々な現象を引き起こすことが出来る。

 今人間たちが使っている言葉は、言ってみればその劣化版だ。

 

「彼女が名前を奪われて操られていたときにこの言葉で『真か嘘か?』と語りかけられたんですけど、虚偽を口にすることが出来なかったんですよ。

 これも言葉自体の力のせいじゃないかと」

「うーむ」

「はえええ・・・」

 

 感心するやら驚くやらで唖然とする二人。

 話が一段落したと思ったのか、黄金の龍――アルテナが再び振り向いて話しかけてくる。

 

『それでどうする。クロウが行きたいところに連れて行ってやるぞ』

「そうですね。取りあえず帰らないと」

『家に帰るのだな。わかった』

「ん? うわああああ!?」

「うおっ!?」

「ひえええええええ!」

 

 ぐん、と世界が揺れた。

 水平に飛んでいた龍が、垂直に急降下し始める。

 

「うわあああああああああ! 嫌だ死にたくないいいいいいいいいい!」

 

 絶叫するスケイルズにもお構いなしにぐんぐんと地面が近づいてくる。

 地面に激突する、と思った瞬間視界が暗転し、クロウは意識を失った。

 

 

 

「知ってる天井だ・・・」

「ヒョウエくん!」

「ヒョウエ!」

「ヒョウエ様!」

「何言ってんだよこの馬鹿!」

 

 気がつくと見知った我が家の天井が見えた。

 周囲の少女たちがわっと駆け寄り、涙目で笑うモリィに頭をはたかれる。

 どうやら魔法陣の中心に寝かされていたようだった。

 安堵で胸をなで下ろす女執事に視線を向けた後、ふぇっふぇっふぇ、と笑う老婆に目が止まる。

 

「メルボージャ師匠。これはどういう事です?」

「ふむ。小娘ども、ちょいとどきな」

 

 しっし、とリーザ達を追い払い、ヒョウエの額に手を当てる。

 

「なるほど、一度分裂した影響で記憶の混乱があるようじゃな」

「それと耳鳴りというか、ガンガンさっきから・・・後胸も重くて」

「おまえ、足元に幽霊が二人立ってんぞ。そいつらが話しかけてるせいじゃないか?」

「え、ひょっとしてソルとスケイルズ!? どうして?」

「耳鳴りはそれじゃな。胸が重いのは単にこれのせいじゃ」

 

 老婆がヒョウエの胸元に手を突っ込むと、金色の塊が引きずり出された。

 

「え?」

「何だこれ?」

「ありゃ」

 

 すーすーと寝息を立てているのは金色の小さなドラゴン――大きさこそ違うが、その特徴は紛れもなくアルテナのものだった。

 

「そしてほいっと」

 

 ぱちん、とメルボージャが指を鳴らすと、横になったヒョウエの足元にスケイルズとソルの姿が現れる。

 

「おお! 体がある!」

「こいつら霊体じゃな。さっきからお前に話しかけておったが、お前の霊感が鈍いからはっきり聞こえなかったんじゃよ」

 

 理屈はわからないが、とにかく霊体を実体化させたか何かしたのだろう。

 

「相変わらずデタラメな人ですねえ」

「いやもう本当に・・・驚きすぎて何に驚けばいいのかわからないが、一体どういう事なんだ、クロウ?」

「というかこの幽霊ども誰だよヒョウエ?」

 

 いきなり現れた二人の少年に、混乱に拍車がかかる。

 起き上がったヒョウエが肩をすくめて首を振った。

 

「おまえら黙らんかい。小僧もその辺を忘れているようじゃし、一から話してやるとするかの。

 取りあえずそこの小僧二人、お前らはこの世界の人間ではない。

 お主らにはその馬鹿弟子(ヒョウエ)が"お前らの友達(クロウ)"に見えておるんじゃろ?」

「え? ああ、うん」

「・・・どういうことですか? 私たちとあなた方で、彼の見え方が異なっていると?」

「ほう」

 

 「こやつ少しはできそうじゃな」と言う目でソルを見る老婆。

 

「おぬしら二人とこやつのいた世界はこの物質界と《百神》が住まう天上界との間にある中間の世界。言ってみれば幻夢界とでも呼ぶべき、想念と現実が入り交じった世界じゃよ。

 ただならぬ事が起きておるようなので、こやつの魂を体から抜け出させて、調査に行って貰ったわけじゃ。こやつの魔力なら、魂だけでもあちらの世界で自己を確立できるからの。

 言ってみればこやつはこちらと向こうで『ヒョウエ』『クロウ』という二重存在としてあったわけじゃ。

 こちらの世界で高度な魔術の素養を持たないものには『ヒョウエ』に見えるが、属する世界の違うお主らには『クロウ』の部分が見えておるんじゃな」

 

 少し考え込んでソルが口を開いた。ちなみにスケイルズはぽかんとしている。

 

導師殿(マスター)、しかしそうなると・・・っと、お名前を窺っておりませんでしたね。失礼致しました。おいクロウ、お前の師匠というなら紹介してくれよ」

「ああ、これは失敬」

 

 ヒョウエが互いを紹介したところで改めてソルが口を開く。

 

「それでマスター・メルボージャ。クロウをわざわざ世界を渡って幻夢界によこすほどの危機とはなんでしょう?」

 

 老婆の目が僅かに鋭くなる。

 

「物質界と幻夢界の間に亀裂ができておるようなのじゃ。このままでは世界の壁が裂け、天井が崩れて幻夢界の一切合切が物質界になだれ落ちてくるじゃろうな」



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第三章「世界を引き裂く蜘蛛」
09-22 東山三十六方


 

「さぁ貴方も死んで、私の幸福の一部となって下さい」

 

     ――クモオーグ、『シン・仮面ライダー』――

 

 

 

 

「うまい! こりゃうまいっ!」

「スケイルズ、もう少し静かに喰え! ・・・申し訳ありません、サナさん」

「いえいえ、わたくしどもの料理を喜んで頂けるのはうれしいですよ」

 

 ガツガツムシャムシャモリモリと、テーブルの上に山盛りになった料理をもの凄い勢いで腹に詰め込んでいくスケイルズ。

 謝るソルに、くすくす笑うサナ。一緒に作ったリーザやイサミ、カスミも同様だ。

 古代レベルの世界から来たスケイルズにとっては、現代日本のレシピや様々な品種改良された食材で作られたこの世界の料理はそれこそ天上の美味であろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 あれから二日が経ち、ソルとスケイルズ、そして眠り続ける金龍(アルテナ)は未だに物質界のヒョウエ邸に滞在していた。

 ヒョウエの師匠のメルボージャ曰く、

 

小僧(ヒョウエ)はともかくそちらの二人まで連れて来たのはこのチビ龍じゃな。こいつの目がさめないことにはどうしようもない」

 

 と言うことで、二人はメルボージャの作ったかりそめの肉体と共にしばらく滞在することになったのである。

 ちなみにヒョウエが寝ていたのは三日間。

 向こうとこちらでは時間の流れがまるで違うようだ。

 

「・・・しかし、こいつ一体何なんですか師匠?」

 

 食卓の上、クッションを敷いた手提げ籠の中で眠り続ける金色の塊を見ながらヒョウエが師に問う。

 

「これまでの話を聞いて全く見当が付いてないなら、古代神話を一から履修させ直すぞ」

 

 器用に片眉だけを上げてうろんな目を向けてくる老婆に、こちらはまじめな顔でヒョウエが頷いた。

 

「原初の八つの島の元になった黄金の虹竜の生まれ変わり・・・もしくは娘というところですか」

「そう言う事じゃ。つまりこいつはな、今やこの世に少なくなった真の龍なんじゃよ」

「うお・・・」

「真の龍・・・!」

 

 食卓にざわめきが走り、眠る小竜に視線が集中する。

 当然だろう。真の龍など、ほとんど神話の中にしか出てこないようなしろもの。

 もっとも新しい目撃例でも1200年前のディテク王国建国にさかのぼる。

 エルフでも当時を知るものは既にない。いるとすれば不老不死を授かった〈百神〉の使徒だけだろう。

 その一方でソルとスケイルズはきょとんとしていた。

 

「なあソル、龍に本物も偽物もあるのか?」

「いや・・・そんなことは聞いたことがない」

「だよな。俺だって故郷の村で沖を飛んでるのを二回ばかり見たことがあるぜ」

「だろうな。俺の地元での師匠、父に仕えていた術師が龍と交渉した事があってな。その時のことを話してくれた」

「マジかすげえ!」

「・・・」

 

 盛上がる二人にヒョウエは無言。

 ちらりと師匠のほうを見ると、メルボージャが頷く。

 無言のまま、ヒョウエは食事に戻った。

 

 

 

 それから更に数日、ヒョウエは友人二人にメットーを観光案内していた。

 三人娘と、珍しいことにリーザも一緒である。

 

「うわ、すげえ・・・」

「黒瑪瑙の都も凄かったが、ここは更にだな・・・」

 

 人の数そのものと、とにかく広い王都に驚愕したり。

 

「・・・」

「・・・」

 

 王城"青銅の刃(ブロンズ・エッジ)"城の巨大さに絶句したり。

 

「うまい! こりゃうまいっ!」

「だからもう少し静かに喰えと・・・!」

 

 評判のレストラン「プラ・クリプ」で二人に御馳走したり。

 

「ソル・・・俺は今生まれて初めて喜んで人を殺す!」

「ステイッ! スケイルズ、ステイッ!」

 

 リーザ達といちゃつく(スケイルズ主観)ヒョウエを見たスケイルズが、血の涙を流して咆哮したり。

 

「クロウ・・・ヒョウエくんのお姉さんですかっ! わたくし弟さんの友人でスケイルズと申します! よろしければお付き合いを」

「落ち着けスケイルズ! どう見ても身分違いだぞ!」

「残念、姉と妹だけどいとこなの・・・つまり結婚できるって事よ」

「できるってことなの!」

「なん・・・だと・・・」

 

 カレン・カーラ姉妹と出くわしたスケイルズが己の立場を思い知らされたり。

 そんなことをやっている間に、小竜を目覚めさせようとする人々の胸を打つ熱い人間ドラマも、秘薬を作るための聖水を採取しに伝説の泉を目指す冒険とかも特になく、アルテナがあっさりと目覚めた。

 

 

 

「ンキュ?」

「きゃーっ、かわいい!」

 

 手提げ籠の中でキョロキョロするチビ龍に、周囲の少女たちから黄色い声がする。

 籠から這い出そうとして、へりからこてんと落ち、コロコロと転がる。また黄色い声。

 テーブルの上をトテトテと歩いてくるのをヒョウエが抱き上げてやると、目を閉じてヒョウエの胸に頭をこすりつける。

 ただ、そこから先が普通の小動物とは違った。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■(どうなっているのだ、クロウ?)

「喋った?!」

「いや喋ってないよ! でも意味がわかる・・・まるで心の声みたい・・・」

 

 「真の言葉」に驚愕する面々を横目で見ながら、ヒョウエがアルテナにこれまでの事情を説明してやる。

 

■■■■■■■■■■■■■■■(ではここがお前の家か)

「そうなんだけど、まさか世界を跳び越えるとはね」

「お前は幻夢界で『クロウ』という存在を確立させはしたが、クロウとしてのバックボーン・・・それまで生きてきた年月とか、故郷とか、そう言うものまでは用意できなかっただろうからの。

 このチビ龍はおまえが家と認識するここに連れて来たんじゃよ。気を失ったのはまだ未熟で力を使いすぎたのと、そこの余分な荷物二人のせいじゃな」

 

 荷物扱いされたソルとスケイルズが苦笑する。

 

「つーとあれか、俺達こいつに掴まってれば元の世界に戻れるのか? えらくちっちゃくなってるけど」

「どうだ?」

『多分出来る、と思う。でもおなか減った』

「サナ姉、お願いします」

「かしこまりました、ヒョウエ様」

 

 そう言う事になった。

 

 

 

 翌日、大広間。

 ヒョウエが再び魔法陣の中央に横たわり、メルボージャをはじめとした面々がそれを見守っている。

 

「それではみなさん、行って来ます」

「頼むぞ。亀裂はまだ塞がっておらん。まだやらねばならぬ事があるはずじゃ」

「それじゃ、みんなありがとう。楽しかったぜ!」

「良い思い出になりました。皆さんに感謝を」

 

 スケイルズとソルが挨拶すると、リーザ達も口々に別れの言葉を述べた。

 目を閉じ精神集中したヒョウエが幽体離脱するのと同時に、メルボージャが指を鳴らす。

 呪文で形作られたかりそめの肉体がほどけ、スケイルズとソルの姿が消えた。

 ヒョウエとスケイルズ、ソル、そしてメルボージャとアルテナ、モリィの目には幽体となった三人が映っている。

 

『ではいくぞ』

 

 アルテナの真なる言葉と共に物質界でのアルテナの姿が消え、それと同時に幽界に10mほどの巨大な金の龍が現れる。

 三人が竜の背にまたがるとメルボージャが頷き、同時に周囲の風景が流れて消え去った。




クモーーーーーンンンンンン・・・(ぉ


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09-23 懐かしの学院

すいません、遅れました。


 三人が気がつくと空を飛んでいた。

 高度は500から1000メートルほどだろうか、雲と同じ位の高さ。

 黄金の翼が風を切って羽ばたいている。

 行く手には雪をかぶった黒い山脈。

 

「んー・・・記憶に間違いがなければここは黒瑪瑙の都の北か? 物質界に来る直前に飛んでいたあたりだな」

『そうだ。お前達がそちらに戻ろうと考えていたからそうしたが、それでよいか?』

「いえ、それで構いませんよ。船を回収して学院に帰りましょう」

「あー、悪い。出来ればお守りの鍵束を拾っていきたいんだけど・・・ダメ?」

 

 済まなそうにスケイルズが手を上げる。

 

「そう言えば預かった路銀とかもそっちですか。しょうがない、いっぺん戻りましょう」

『わかった』

 

 溜息をつくヒョウエに、アルテナが頷く。

 夜を待って一行は黒瑪瑙の城の跡地に戻った。

 "失せもの探し"と念動を駆使すれば捜索と発掘もさほど難しい事ではなく、荷物のほとんどを取り戻した一行は再び北に向かった。

 

 その後船を預けた港町に戻り、多少の払い戻しを受けて出航。

 夜になったところでクロウが念動で船を持ち上げ、アルテナはそのままエコールへ向かって一直線に飛び立った。

 

「いやもう何度目か忘れたけど、やっぱお前おかしいわ」

 

 しみじみと言うスケイルズにソルが無言で頷く。

 クロウが苦笑するでもなく肩をすくめた。

 

 その後、クロウが仮眠をとる間はアルテナも人間の姿になり、船を海上に下ろしてソルの風呼びの術で航行。

 クロウが目を覚まして食事をとると、また念動で船を持ち上げて龍の姿に戻ったアルテナが飛行。

 それを繰り返し、たったの数日で一行はエコール魔道学院に帰還した。

 

 

 

 "龍の目(ドラゴンズ・アイ)"号を波止場にもやい、ほとんど一年近くを共にしたこの船に別れを告げると、一行は学院への坂道を歩き始めた。

 人間の姿のアルテナがきょろきょろと物珍しそうに周囲を見回している。

 黒瑪瑙の城ではずっと地下牢にいたし、メットー見物の時には寝ていたので、こうした場所を見るのは初めてなのだろう。

 女王の時と変わらぬ服装と美貌が良くも悪くも目立っていた。

 ただし、漆黒だった髪が今は黄金を削りだしたようなまばゆい金髪になっている。

 

「なあクロウ、今更だけどこの子の髪黒かったよな? それとも俺の見間違いか?」

「多分だけど名前を奪われていた影響かと。彼女今は両目とも虹色の瞳ですけど、僕が最初に会ったときは左目はガラスみたいに透明だったんですよ。

 あの城の地下にいたのは黒瑪瑙の妖魔ですし、髪も妖魔の影響下にあったしるしだったんじゃないでしょうか」

「なるほどなあ」

 

 そんなことを話しつつ、一行は魔導学院に到着した。

 

 

 

「馬鹿な真似はやめろクリス!」

「いいえ、止めないわ! これは長年のワタシの研究の集大成なのよっ! たとえあなたにだってケチはつけさせないわっ!」

 

 廊下に響いた声に、四人の足が止まった。

 教師たちの執務室が左右に並ぶ廊下、そのドアの一つが僅かに開いている。

 

「この声・・・スィーリ先生とクリス先生?」

「なんだ?」

 

 首をかしげるアルテナに「しいっ」と唇に指を当てて見せてから中を覗く。

 口論しているのはやせ型のやや生気に乏しい男と、紫の髪とアイシャドウに頬紅と口紅という特徴的な風貌の長身男性。

 

「いくらなんでも無謀だと、自分でも思わないのか!」

 

 普段のぼそぼそとしたしゃべり方をかなぐり捨て、スィーリが叫ぶ。

 奇矯でこそあるものの、落ち着いた愛嬌のあるしゃべり方をしていたクリスもそれは同じだ。

 

「十分にリスクは考慮したわっ! 霊界との壁が薄くなっている今が千載一遇のチャンスなのよ!」

「教師たちが総出で穴を塞いでいる意味がわからないお前でもあるまい!

 世界の間の壁が崩壊してみろ、死者が蘇るぞ!」

「ワタシの実験はほんの小さな穴を開けるだけよっ! 通常の召霊よりも影響は少ないくらいのモノだわっ! この実験の意義は・・・」

「待てクリス」

「何よっ!? あ・・・」

 

 そこで二人は覗きに気付いたらしい。

 ばつの悪そうな顔でクリスが黙り込む。

 スィーリはいつも通りの無表情だが、それでもどこかいたたまれなさを感じさせる。

 

「クロウ達か。良く帰ってきたな。探索(クエスト)は成功したのか? そちらの少女は?」

「探索は成功と言っていいかと思います。この少女は何と言うか話せば長いんですが、例の指輪に関わる重要人物でして」

「ふむ」

「へえ・・・」

 

 スィーリとクリスに見下ろされ、不審げに、どこかふてぶてしく見返すアルテナ。

 見知らぬ人間に詰め寄られた普通の少女がそうするように、落ち着きがなくなったり怯えたりはしない。

 

「やだ、ちょっとスィーリ、この子まさか」

「恐らくはその『まさか』だな・・・なるほど、これは確かに話せば長くなる。

 クロウ、副学長への報告は?」

「戻ったら直で来るようにと」

「わかった・・・私も行こう。お前も来るな、クリス?」

「当然よ。見逃せないわ」

 

 頷くとスィーリが額に一瞬指を当てる。

 

「では行こうか」

「はい」

 

 スィーリに促されてクロウ達が歩き出した。長い廊下の奥に学長室があり、その手前に副学長の執務室はある。

 クロウ達が歩いて行くと、廊下の前後で扉が開き、二十人を超す教師たちがクロウ達と同じ方向に歩き始める。

 

(え、どゆこと?)

(さっきスィーリ先生が額に指を当てたのが多分心話の術だな。手すきの先生たちに声をかけたんだろう)

(あ、なーる)

 

 長いとは言っても100mもない廊下、間もなく一行は突き当たりにたどり着いた。

 彼らの背後には教師たち。

 

「ふう」

 

 呼吸を整えて、ノックしようと近づくと、扉が内側にガチャリと開いた。

 顔を出したのは白面玲瓏の麗人。

 

「長旅ご苦労でした、クロウ、スケイルズ、ソル。首尾良く探索をしとげたようですね」

「ありがとうございます、副学長」

 

 慈母のような笑みで三人をねぎらう副学長。

 が、にこやかな表情もそこまでで、一転して胡乱げな顔で後ろの教師陣を睨む。

 

「それはそれとして後ろのあなたたちは何ですか、いい大人たちが金魚の糞みたいにゾロゾロと」

「そうは申しましてでもですね、副学長。こんなものを見てしまったら話を聞きたくなるのはしょうがないじゃないですか」

 

 視線が集まるのはアルテナ。じろじろ見られるのが嫌なのか、ちょっと不機嫌な顔で少女がにらみ返す。

 副学長もちらりと視線を落としてから溜息をついた。

 

「まあそれはわかりますけどね。マリーチ、会議室を開けてきて下さい。そこで話を聞きましょう」

「わかりました」

 

 小柄で俊敏そうな教師が頷くと、ふっとその姿が消えた。

 

「瞬間移動だ!」

「ええ、彼はその手の術のスペシャリストですからね。さて、行きましょうか?」

 

 目を丸くするスケイルズ達とは対照的に、教師たちは全く動じていない。

 今度は副学長に従って、一団がぞろぞろと歩き始めた。

 



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09-24 報告と連絡と相談と

 会議室。

 クロウ達と副学長以下50名ほどの教師が着席している。

 あれから更に増えた教師の数を見て、副学長が溜息をついた。

 

「それではクロウ、話して下さい。細大漏らさず」

「はい」

 

 クロウが今回の探索のことを話し始める。

 前回と同じく、航海中にあった些細なことまでもだ。

 船に名前をつけたこと。巨大な魚の一本釣り。初めての乗馬。黒瑪瑙の王国の噂。黒い山脈と黄金の沃野。進んだ文化と細工物。黒瑪瑙の都のきらびやかさと豊かさ。宿屋にやってきた女王の使いと宮廷。黒瑪瑙の女王と宮廷術師プラマーと無表情な廷臣たち。黒瑪瑙の女王の力と地下の岩窟の牢獄。指輪の片割れと女王の名前、女王の正体。

 

「そう言えばプラマーはこの学院出身と言っていましたが、心当たりはありますか?」

「・・・千年以上前ですがそうした卒業生はいました。恐らくはそれでしょうね」

「ですか・・・それで彼女の変じた黄金の竜に乗って戻ってきたわけですが・・・その前にお話しすることが一つ」

 

 真剣な顔のクロウに、わずかにソルが眉を寄せた。スケイルズは「何かあったっけ?」という顔。

 

「お話しなさい」

 

 同じく真剣な顔で副学長が頷いた。

 

「はい。アルテナは真なる竜であり、世界を渡る力を持っています。彼女が城を脱出して、僕達を連れて行ってくれたのが・・・」

 

 ここが天上界と物質界の間にある幻夢界であること、世界の壁が崩壊しようとしていること、それを防ぐべく自分が送られた事などを語る。

 副学長以下の教師たちは黙ってそれを聞いていた。

 

「そして、僕達は再びアルテナの背に乗って元の世界に戻り、そこからアルテナの翼と船で戻ってきました。以上です」

 

 クロウがそう言って話を結んだ途端、堰を切ったように議論が始まった。

 

「彼の話が真実とするならば、つまり今ここにいる我々は過去の幻影と言うことか?」

「記憶が実体化したものかもしれないな」

「むしろ世界線が混線していると考えた方がよくないだろうか。天上界や幻夢界という概念は初耳だが、夢であれば時間や空間の概念がない世界ということも有り得る」

「時間、あるいは空間を遠く隔てた二つの世界が幻夢界とやらを媒介に繋がってしまったと言うことか」

「有り得た可能性の世界という考えもあるぞ。何かの理由によって世界線が枝分かれし、別の枝と触れあってしまったとしたら」

「多重次元論か。だが彼らの話によれば、『下』の世界も文化が異なりこそすれ我々同様の人間が住み、神を崇めていたという。全く異なる世界だとしたら同じような存在が同じような文化を築くだろうか?」

「認識がいじられている可能性もあるからな。実は八本足のクモのような知的生命体なのが、別次元から降り立った彼らには人間同様に見えている、あるいは脳が調整してそのように見せているのもないとは言えん」

 

 さすがに人類最高レベルの術師兼学士たちの集団だけあって、高度で濃密な議論が矢継ぎ早に展開される。

 クロウは何とかついて行っているものの、スケイルズはもちろんソルでさえ会話の内容が理解できない。

 そのクロウも周囲から質問攻めで、十分に理解出来ているとは言いがたい状況だ。

 

「つまり逆に我々が自分を人間と認識しているだけの、八本足の知的生命体である可能性もあるな?」

「中々面白い観点だな。まあ我々ですら認識を欺く幻術の一つや二つは使えるわけだし、神などの高次存在がそのようにしようとすればたやすい事ではあろうな」

「幻術か・・・いや幻術じゃない・・・また幻術なのか!?」

「ははははは!」

「そのへんにしておきなさい」

 

 やがて議論がズレ始めたところで、一人加わっていなかった副学長がパンパン、と手を打って場を収めた。

 場が素直に静まりかえったところで、改めてクロウ達に視線を向ける。

 

「実のところ、何者かの手によって世界の壁に穴が空けられているのではないかという疑いは私たちも持っていました。

 霊界との間に空いた巨大な穴。最初はあなたの強大な魔力がこじ開けたものと思っていましたが、それでも学院の教師たちが協力すれば閉じられるもののはずでした。

 しかし私たちの全力を振り絞っても穴が完全に塞がることはありませんでした。

 あなたたちが最初の探索をしている間、そして今回の探索の間も可能な限りの教師を投入して穴を塞ごうとしましたが、むしろ穴は少しずつ広がっているのです。

 今では教師としての仕事をしていない間はほとんど全員がその術式にかかりきりです。

 このままでは学院を一時全面休校にすることも考えなくてはならないでしょう。それでもこの事態を解決できるかどうか」

「・・・!」

 

 余りの事態にクロウ達が揃って絶句した。

 

「・・・今にして思えば、黄金虹竜の指輪などという極めて重要な探索に、先生方ではなく僕達みたいな生徒を送り出したのもそのせいですか」

「理由の一つではあります。あなたたちに運命を感じたのも嘘ではありませんよ」

 

 その時、頭をひねりながらも大人しく話を聞いていたアルテナの顔に理解の光が射した。

 

「ああ! そういうことか!」

「どうしたんです、アルテナ?」

「うむ。世界と世界の間を渡るとき、わらわは本能的に強い抵抗があるのを予期していたのじゃ。それがお前の世界に行くときも、戻ってくるときも、それほどの抵抗は感じなんだ。まさしくその大穴のせいであろうよ」

「むう」

 

 ざわざわとどよめく教師陣。また議論が始まろうとするのを再び手を打って副学長が鎮める。

 今度はクロウが何かに気付いた顔になる。

 

「と言うことは副学長先生。ひょっとして僕の召喚は状況には余り関係なかったということですか?」

「断言は出来ませんね。ただ多少なりとも悪化させた可能性は高いですし、禁じられている召喚を行ったのは変わりませんよ」

「はい、わかっています」

 

 クロウとソルが神妙に頭を下げた。

 しかし頭を上げた後のクロウの眉間には、眉を寄せたしわがよっている。

 

「それはそれとして副学長先生。何となくこの先の展開が予想できるんですが」

 

 にっこりと笑う副学長。

 

「あら、それは素晴らしいですね。先生察しのいい子は好きですよ」

「『下』で師匠に無茶ぶりをされるときの空気と全く同じなので」

 

 反応までうちの師匠にそっくりだ、とこれは声に出さずに心の中で呟く。

 それを察したかどうか、白面の美女は笑顔のままで次の言葉を口にした。

 

「クロウ以下三名に新たな探索を命じます。三人は黄金の虹竜の娘アルテナを連れ、世界に亀裂を入れんとする何者かを捜し、これを阻止しなさい」

 




また幻術なのか!?


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09-25 素直になれない二人

 クロウとアルテナ、スケイルズとソルが廊下を歩いていく。

 四人とも旅支度だ。

 

「で、結局引き受けちゃう訳か。あーあ、お人好しだねクロウもソルも」

「そう言うお前だってついてきてるじゃないか。別に頼んではいないぞ?」

「馬鹿言うなよ! お前達だけじゃ頼りないからな! 俺がついててやらねーと!」

 

 後ろで交わされる会話を聞きながら、クロウは苦笑する。

 横を歩いていたアルテナが不思議そうな顔で少年を見上げた。

 

「なあクロウ。何故スケイルズもソルも心にもないことを言っておるのだ?

 どう見てもスケイルズは自ら望んでついてきておるし、ソルもスケイルズがついてくることを望んでおるではないか」

「ぬ」

「ぐっ」

 

 絶句してしまったソルとスケイルズを見て思わず吹き出す。

 

「おい!」

「笑うなよ!」

「はは、ごめんごめん」

 

 顔を赤くした二人の抗議を軽く受け流すと、斜め下のアルテナに視線を落とす。

 

「人間はね、歳を取るとどうしても素直になれなくなるんだ。本当の事を言わないで上げるのも優しさなんだよ」

「そういうものか。ひねくれものは面倒だな」

 

 神妙な顔でまじめに頷くアルテナ。

 後ろでソルとスケイルズが再び抗議の声を上げるが、二人とも無視した。

 

 

 

 校舎の中庭に出た。

 周囲に人気はなく、空には静かで雄大な満天の星空が広がっている。

 

「しかし帰ってきたと思ったらまた旅の空か。少しくらいゆっくりしたかったぜ」

「まあ事が事だからな・・・それに今回はアルテナが背中に乗せてくれる。これまでよりは随分と楽になるはずだ」

「だといいけどねえ」

「それじゃアルテナ、お願いします」

「うむ」

 

 アルテナの姿がぶれ、次の瞬間巨大な黄金の龍が出現する。

 乗れ、というように首を下げると、クロウ達三人がその体をよじ登り、首の後ろに念動で体を固定する。

 

「大丈夫です。行って下さい」

 

 クロウの言葉に龍が頷き、翼を広げて舞い上がった。

 数度羽ばたいて見る見るうちに高度を上げ、夜空の彼方に黄金の龍が飛び去る。

 

「・・・」

 

 校舎の開いた窓から副学長だけがそれを見送っていた。

 

 

 

 黄金の流星が夜空を駆ける。

 恐らく時速は200から300kmほどだろう。この世界では最速の移動手段の一つに違いない。

 流れていく景色にスケイルズが歓声を上げる。声こそあげないものの、ソルも感嘆の面持ちだ。

 黒瑪瑙の城から帰ってくるまでに数日間体験しはしたものの、やはり普通の人間からすれば驚嘆すべき体験ではあるのだろう。

 

(まあ僕は慣れてますけどねー)

 

 それでもこうして空を駆けるのは久々で、やはり心は躍る。

 しばらく風を楽しんだところで、後ろから声がかかった。

 

「クロウ、そういやあどこに向かってるんだっけ?」

「呆れましたね。話を聞いてなかったんですか? 《使命》の島ですよ。どうやらそこに亀裂があるらしいと副学長が」

「こいつに言っても無駄だ、クロウ。一年も付き合ってるんだからわかるだろう。

 まあかいつまんで言えば向こうは幻影を交えた結界を張っているらしくて、歩いても飛んでも瞬間移動でもそれらしき場所に近づくことが出来ない。人数を揃えればわからないが、亀裂を広がらないようにするので手一杯。

 なので世界を渡る力を持つ黄金龍(アルテナ)とクロウにお声がかかったと言うわけだ」

「なるほどー」

 

 

 

          《熊》

 

        《針》

            《雌馬》   《雄牛》

    《祭壇》

          《エーテル》

 

          《足跡》    《使命》

 

 

 

 以前にも述べたように、この世界の島はこのような配置になっている。

 もっとも南東にある《使命》の島は魔導学院のある《祭壇》の島から直線距離で数千キロ、船で行くのであれば島を経由してその1.5倍ほどになる。

 船で行くなら最低半年はかかる距離だが、それでもアルテナの翼であれば三日で到達できるだろう。

 

「それではよろしくお願いしますね、アルテナ」

『任せておけ』

 

 頷いた金竜の背中を、クロウは優しく撫でてやった。

 

 

 

 《祭壇》の島から《エーテル》の島の間の海を横断するのに一晩。

 半日休んで《エーテル》の島を横断するのに半日。

 一晩休んで《使命》の島まで渡るのに一日。

 特に何も起こらず、予定通り一行は《使命》の島に到着した。

 

 手近の港町で一泊し、英気を養ったところでいよいよ本命の場所に向かう。

 飛び立った黄金の龍はあっという間に雲を越えた。

 果てしなく広がる蒼穹、眼下には白い雲海。

 

「それで、結界の張ってある場所ってどのへんなんだ?」

「この島の中央、『予言者の峰』と呼ばれる巨大な山の麓にあるらしい。一見した限りではごく普通の変哲もない山の中だってさ」

「ふーん。巨大ってどれくらい?」

「地理のボルドゥ先生によれば、ざっと12000mだってさ」

「ファッ!?」

「ほう、そんなに高いのか。話だけは聞いていたが」

 

 興味を引かれたようにクロウが振り返る。

 

「そう言えばソルはこの島の出身だっけ。何か知っていることはある?」

「おとぎ話のレベルだがな。頂上には神々の円卓があり、そこまで登り切るとどんな願いでも叶えてくれるとか、中腹にある洞窟には予言者たちが住んでいて、この世の始まりから終わりまでの全てを記録し続けているとか、地下にある大空洞には人ほどもある大きなクモが無数に住み着いているとか」

「よく知ってるなあ。ソルは確か東の端っこの方の出身だろ? 島の中央にある山のことがそんなに伝わってるのか?」

 

 スケイルズの言葉にソルが苦笑する。

 

「そりゃまあこの島のどこからでも見えるからな。おとぎ話の種くらいにはなるだろうよ」

「は? でも山だろ? 島の真ん中にあるのに東の端っこからでも見えるって・・・・」

「見えるんだよ。ほら、雲が切れるぞ・・・」

「!」

「!?」

 

 十数秒後、アルテナが雲海の切れ間に飛び込んだ。

 視界が晴れ、「それ」が視界に飛び込んできたとき、クロウとスケイルズは揃って絶句した。

 

「うお・・・」

「なんだ、ありゃ・・・!?」

「まあ、驚くよな」

 

 再びソルが苦笑した。

 高度500mから見える地平線と両脇に浮かぶ水平線。

 その視界の中央に地平線を貫いてそそり立つのは純白の三角錐。

 

 明らかに地平線の向こうに存在する、それでもなお視界に飛び込んでくる巨大な存在。

 "神々の峰"ルレク・セレースだった。

 




>素直になれない二人
ただし両方とも男。


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09-26 神々の峰

 ちなみに12000mの山が本当にあった場合、450km先からでも見えます。
 作中の状況なら標高8000m地点から上が見えるくらい。



「あれから一時間くらい飛んでるのにまだつかねーぞ・・・」

「言ったろう、島の真ん中だとな」

 

 呆れたような声を出すスケイルズに、更に苦笑するソル。

 時速200kmを超える速度で飛んでいるというのに、神々の峰はまだ地平線の向こう側にあって全貌を現さない。

 

 それでも更に三十分ほど飛ぶとようやくその全体が見えてきた。

 周囲には小さな山が連なり、ちょっとした山塊をなしている。

 もっとも中央のそれが規格外に巨大だからそう見えるのであって、植生からすれば恐らくは周囲の山々も2000m級、山塊の範囲も直径100kmを超えるのではないかとクロウは思う。

 アルテナが首を動かしてクロウ達の方を見た。

 

『後30分ほどだ・・・確かに周囲に"世界の壁"を感じるぞ』

「どのくらいの範囲ですか?」

『あの大きな山をすっぽり覆うくらいだな。すそ野の小さな山もいくらかは入っている』

「ふむ。取りあえずその壁の周辺くらいまで飛んで下さい」

『わかった』

 

 アルテナが頷いたのを確認すると、後ろを振り向く。

 

「ソル、この辺に人は住んでいるんですか?」

「すまない、良くは知らん。だが少なくとも大きな町や国はないはずだ」

「ですか・・・」

 

 沈思黙考に入るクロウ。

 とは言えさほど考える暇もなく、アルテナは結界の周囲に到着した。

 

「ここですか」

『うむ』

 

 目測で20kmほどか、白い峰の手前でアルテナは旋回している。

 視覚を強化して周囲をざっと見回してみたが、動くものは動物以外にない。

 

「越えられますか?」

『造作もない――が、しっかり掴まっていろ。衝撃が来るだろう』

「わかりました」

 

 後ろの二人と頷きを交わし、自分たちを固定している念動を更に強める。

 

『行くぞ』

 

 翼を広げてまっすぐに白き峰を目指して飛ぶ。

 肉体的なものとも精神的なものともつかない衝撃が襲いかかり、クロウの視界が暗転した。

 

 

 夜のような漆黒の闇の中、黄金の龍の背中でクロウは目を覚ました。

 

「っく・・・アルテナ、僕はどれだけ気絶していました?」

『一瞬だけだ。それより見ろ』

「?!」

 

 世界が反転していた。

 朝の青空は星も雲も見えない薄暗い闇の空に。

 緑豊かな山々はインクをぶちまけたようなぬっぺりした黒いでこぼこに。

 そして気高く天にそびえ立っていた純白の三角錐は中央から真っ二つに裂けて、底の見えない巨大な亀裂を大地に穿っていた。

 

「・・・」

 

 一瞬絶句して、それでも気を取り直して後ろの二人を無理矢理叩き起こす。

 

「"覚醒(アウェイクン)"! おい、起きろ二人とも!」

「ぐぇ・・・何だよ一体・・・うぉ!?」

「うっく・・・これは・・・!」

 

 魔力が高くないせいか、覚醒の呪文を受けてもスケイルズは朦朧としていたが、それを吹き飛ばすほどに目の前の光景は衝撃が強かったらしい。

 

「い、一体何だよ・・・何だよこりゃ・・・」

「文字通りの『世界の裂け目』ってわけだな。なるほど、これなら世界が引き裂かれるわけだ」

「のんきなこと言ってる場合かよ!?」

 

 ソルに食ってかかるスケイルズ。

 実際のところはソルも軽口を叩かなければやっていられないほどには一杯一杯なのだが、動転しているスケイルズにはそれがわからない。

 

「落ち着け、二人とも。二人ともだ。ヤバい状況なのは認識した上で冷静に行こう。冷静に、冷静にだ」

「・・・」

「・・・わかった」

 

 二人が顔を見合わせる。

 動じていないクロウの態度も相まって、二人は何とか落ち着いたようだった。

 

「・・・」

「・・・」

「何?」

 

 二人がじっとクロウを見る。視線の中にいぶかしさとわずかな疑いの色。

 

「いや、お前何でそんな冷静なの?」

「まさか状況理解していないんじゃないだろうな? 比喩も誇張も抜きで世界の危機なんだぞこれ?」

「まあ・・・世界の危機なら何度も救ってますので」

「・・・」

「・・・」

 

 二人は顔を見合わせた後、再び胡乱な視線をこのおかしな友人に向ける。

 クロウは今度は肩をすくめただけで、何も答えなかった。

 

 

 

 虹色の目を持つ黄金の龍は山を引き裂く巨大な亀裂に降下していく。

 その幅は恐らく数キロ、あるいは10キロ近くにもなるだろう。

 荘厳であるはずの巨峰は色と形を失い、コールタールの塊のように見える。

 その黒い塊に挟まれた闇もまた、実体を持つかのようにぬたりとして見通せない。

 

「スケイルズ、明かりを頼む」

「おう」

 

 魔法の光が周囲を照らしはするが、それですらどこまで光が届いているのかわからない。亀裂の断面も光を反射せず、どれだけ遠くにあるのかすら曖昧になる。

 

 下へ、下へ、下へ。

 下へ、下へ、下へ。

 

 かなりの速度で降下しているはずだが、どこまで降りたか、どれくらいの速度で降下しているかわからない。

 唯一それを認識させるのは、頭上遠く彼方に遠ざかった亀裂のシルエットだけだ。

 

 どれだけ降りたろうか。頭上の亀裂が点になり、肉眼で識別できなくなってかなりの時間が流れてようやく一行は亀裂の底にたどり着いた。

 極々僅かに光を反射する、真っ黒な地面にアルテナが着地する。

 三人がその背中から滑り降り、クロウは膝をついて地面に手をやった。

 その指にすくい上げたのは黒い砂のようなもの。少なくとも手触りは乾いた砂に近い。

 

「なんだろうな、これ?」

「あの世の砂かもしれんぞ」

「お、脅かすなよ!」

「これだけ地下に降りてきたんだ、ないとは言えまい? ・・・で、どっちに行くんだ?」

「そうだな・・・アルテナ、何か感じるか?」

 

 人間の姿になった金色の少女に視線をやる。

 龍の化身たる少女は周囲を見渡した後、一方を指さした。

 

「確かか?」

 

 ソルの問いに少女が首を振る。

 

「何となくそっちと思っただけじゃ」

「うーん、でも手掛かりもないしなあ。そもそもどっちが北でどっちが南だ? いや、東西だったか?」

「東西だとは思うが、あの亀裂は物理的なものじゃないんじゃないかとも思うしな。

 冗談抜きでここが冥界の底かなにかである可能性は考えておいた方がいいかもしれないな」

「ですね。アルテナ、どうです? まだ飛べますか?」

「飛べなくはないが結界を越えるときに少々疲れた――お前の世界に行ったときよりもよほど疲れたかもしれんぞ」

 

 クロウがもう一度頷く。

 

「では取りあえず歩いてあちらに向かいましょう。いいですね?」

 

 全員が頷いた。



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09-27 黒い砂

 真っ暗な闇の中、ぼんやりとした明かりの中で黒い砂地を延々と歩き続ける。

 周囲は闇に包まれ、足元は黒い砂地が続き、岩や小石、起伏すらない。

 全く変化のない場所をひたすら歩き続けている内に、本当に前に進んでいるのかすら疑わしくなってくる。

 

 数時間ほど歩いたろうか、既に時間の感覚はなくなっていた。

 歩いても歩いても変化のない、時間の経過もわからない。

 そうした精神的なプレッシャーは疲労を倍加させる。

 アルテナは平気なようだが、ソルもスケイルズも既に疲労の色が濃い。

 

(そろそろ休憩するか)

 

 そう提案しようとしたとき、うっすらと明かりのようなものが見えた。

 術師が良く使う魔法の光に似ているがもっとおぼろげで怪しげな、人魂の光のような青白い光に見える。

 

「スケイルズ。ソル」

 

 小声で呼びかけると、二人も気付いたようだ。

 ゆるみかけていた顔が一瞬で引き締まる。

 

「世界を引き裂こうとしてる犯人かな?」

「わかりません。でも気を抜かないように」

「わかってる」

「アルテナは何か感じますか?」

 

 尋ねてみたが、金髪の少女は首を振った。

 

「少なくとも世界を滅ぼせるほどの魔力のようなものは感じぬな・・・ただ、どこか普通の人間とは違う気がする」

「・・・」

 

 沈黙が落ちた。

 三人が視線を交わし、頷き合う。

 

「行きましょう」

「ああ」

 

 アルテナも頷き、言葉少なに四人は歩き出した。

 

 

 

 そこから更に一時間ほどを歩いた。

 疲労は蓄積しているはずだが、クロウもスケイルズもソルもそれを感じさせない。

 明確な目標が出来たことが疲労を忘れさせている。

 

 歩くにつれて明かりが明白に大きくなっていった。

 それと同時にゆらゆら揺れる炎と、青白い妖しの気配も強くなっていく。

 宙に浮く青白い炎と、その下に座り込んだ男のシルエットが見える頃には、カツーンカツーンという音が聞こえてきていた。

 

「いよう、初めましてだな」

 

 四人が近づくと、1.5mほどある丸石の上に座り込んで何か作業していた男がにたりと笑って振り向いた。

 そのまま丸石を滑り降りてその前に立つ。

 

「俺たちはアノソクレス。ようこそ、お客人」

 

 幽鬼のような男である。

 黒いぼろぼろのマントのようなものを体に巻き付け、上半身は裸。骨と皮のような体に振り乱したぼさぼさの髪。

 骸骨のような顔の中で、目だけが爛々と光っている。

 

「『俺たち』? え? うん? あいつ、本当に目が光ってないか?」

「・・・本当だ!」

 

 男の目に青い光がゆらゆらと揺れている。

 頭上に燃える青白い炎を反射しているのかと思ったが、角度的にはあり得ない。

 スケイルズの灯した魔法の光を反射して、男の瞳の中で青い炎が揺れているのだ。

 良く見れば男の目そのものが普通ではない。

 白目のように見えたものは乳白色の石のような何かであり、その中に青い炎が揺れている。

 

「なんだあれは・・・」

 

 ソルの戦慄を含んだ声。

 対照的にアルテナは敵意に眉を寄せ、怒りの眼差しで男を睨んでいる。

 

(まるで月長石(ムーンストーン)みたいな・・・月長石?)

 

 はっと気付いて、横のアルテナを見下ろす。

 

「アルテナ、あいつまさか」

「ああ・・・奴からプラマーと同じ臭いがする」

「!」

 

 スケイルズとソルが身をこわばらせた。

 特にスケイルズは水晶の城の少女セレのことを思い出したのか、表情が険しくなっている。

 

「アノソクレス・・・そうか、古語で月長石のことだったか」

「そのおっさんにとりついて操ってるのか、くそったれの妖魔め」

 

 くくく、と月長石(アノソクレス)が笑った。

 

「どうかなあ。実を言うと俺たち自身、どこからが『俺』でどこからが『妖魔』なのか、もうよくわからないんだよ」

「妖魔と契約した人間のなれの果てということですか。吸収ではなく融合している辺り、随分と力のある人だったんでしょうね」

「まあ大体そんな感じだね。で? おたくらやっぱり俺たちを止めにきたのかい?」

「当たり前だ!」

 

 スケイルズが叫ぶ。

 

「世界に穴を開けるなんて、そんな真似許してたまるかよ! みんなそこに住んでるんだぞ!」

「俺の故郷でそんな真似をさせるわけにはいかないな」

 

 ソルも静かだが強い語気でアノソクレスを睨む。

 クロウは静かな視線を向け、一瞬ちらりと丸岩の上に移す。

 丸岩の上にはのみが一本突き立っており、横に金槌が転がっている。

 

(さっきまでのカツーンカツーンという音はこれか)

 

 黒い砂しか存在しないこの世界で、恐らくはあの丸岩が何か象徴的な存在――例えば日本神話で地上と冥界を遮る千引きの岩(ちびきのいわ)のような――なのだろう。

 あの石が割られたらおしまいなのかどうかはわからないが、少なくともろくな事にはなるまい。

 その内心を隠し、静かな声でクロウも語りかける。

 

「お前の目的は何だ? 世界と世界の間に穴を開けて、それで何を得るつもりだ?」

「そうだな、ついでに教えてやろう・・・『流れ』さ」

「流れ?」

「くくっ。地上は生の世界、霊界は死の世界だ。普段この両者は壁によって分かたれているが、穴を開ければ水が対流するように魔力の流れが出来る。

 水の流れが水車を回すように、魔力の流れがあれば術師や妖魔はそこから力を得ることが出来る。

 もちろん相応の準備は必要になるけどな。

 普通の召霊やら何やらでは穴を開けるための労力の方が大きすぎて意味がないが、ある程度大規模に、恒常的に穴を開けられるようになればほとんど無限大の魔力を手に入れられるという寸法さ。

 実際少しずつ広げた『穴』から力を得て、俺はこれだけ巨大な裂け目を作り、世界の壁に匹敵する結界を張るほどの魔力を手に入れることが出来た! どうだ、中々凄い計画だろう?」

「ええ、凄いですね。ばかばかしさとはた迷惑なのが凄すぎて溜息が漏れますよ」

 

 ヒョウエがすっと目を細めた。

 

「くくっ。そうかい」

 

 アノソクレスも眼を細める。

 

「・・・」

「・・・」

 

 静かな時が流れる。

 緊張が次第に高まってゆく。

 振り向かないままクロウが後ろの三人に語りかけた。

 

「アルテナがやられたら僕達は戻れなくなる。アルテナは下がっていてくれ。スケイルズとソルは彼女を頼む」

「うむ、わかった」

「まかせとけ!」

「任された」

 

 三人が口々に頷くのを背中に感じ、正面の怪人に集中する。

 更に高まっていく緊張。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅ・・・」

「・・・・・・・・・・・」

 

 呼吸を整え、精神と肉体を研ぎ澄ましていく。

 アノソクレスのほうはわからないが、魔力が徐々に高まっていくのはわかった。

 

「・・・」

「・・・」

 

 極限まで高まる緊張。

 ソルやアルテナも一言も発せない。

 

「・・・」

 

 ごくり、とスケイルズが唾を飲んだ。

 それが合図だったかのように、張り詰めたものが破裂する。

 

「!」

「くくっ!」

 

 爆発が起きたかと思った。

 それほどの勢いで膨れあがった月長石の男の魔力。

 あるいは全力のヒョウエのそれに匹敵するかもしれないそれ。

 

「なっ!?」

 

 だがその場の全員の目を奪ったのはそれではない。

 魔力の高まりと共にアノソクレスの両脇から生えた腕ほどの大きさ、左右二本ずつの何か。

 黒い剛毛に包まれた虫の足のようなそれと両手を大きく広げ、黒い怪人は謳う。

 

「さあ、試してみようじゃないか! 地上と霊界、二つの世界の支配者たる俺の力を!」

 

 異形の、人間蜘蛛の如き姿になった男は口を耳元まで裂きながら高らかに笑った。



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09-28 黒い蜘蛛

「みんな下がれ!」

「しゃっ!」

 

 初撃は同時。

 クロウの魔力が空中を走り、対照的にアノソクレスの魔力が地上を走った。

 

「!?」

「ぶふぉぁっ!」

 

 クロウが放ったのは念動の力そのものを凝縮した弾丸。

 普段の金属球と異なり力を集中させにくいものの回避しづらく、また迎撃も困難。

 九発全てをまともに食らい、黒蜘蛛の怪人は吹き飛んだ。

 

 だがただ吹き飛んだわけではない。

 地上を走った魔力は一点にて四方八方へ放射状に広がり、地面をひび割れさせる。

 放射状に広がった縦線にひび割れのような横線――蜘蛛の巣のような光る陣が半径十メートルほどにわたって出現した。

 

「なんだ!?」

「ぬう、動けん」

 

 スケイルズの驚きの声と、アルテナの不満そうな声。

 蜘蛛の巣状の魔力に囚われて四人の足は貼り付いたように動かない。

 にやにやと笑いながら立ち上がってくるアノソクレス。魔力を込めた腕でブロックしたらしく、少なくとも見た目に外傷はない。

 

「"解呪(ディスペル)"!」

 

 素早く足元に解呪の術を叩き付けるが、解除できたのはクロウ周辺の2mほど。

 アルテナ達の方も解除しようとするが、今度はクロウに向けて魔力を放ってくる。

 

「ちっ!」

 

 術式を構成する暇もなく、生の魔力をそのまま叩き付ける。

 ヒョウエの青い魔力とアノソクレスの黒い魔力が空中でぶつかり、魔力が弾けて四散した。

 爆発がクロウを包む。

 

「クロウっ!」

「くくっ! ・・・いや、まだか。さすがだぁ」

 

 ちっ、と舌打ちする黒の怪人。

 ふうぅ、と息を吐いて爆炎の中からクロウが現れる。ところどころ服も破れて頬から血が垂れてはいるが、大きな怪我は見あたらない。

 

「クロウ!」

 

 今度は安堵の声。振り返らず、片手を上げてそれに返す。

 それと同時に二撃目が来た。

 

「かはっ!」

「かあっ!」

 

 放たれる蜘蛛の黒い魔力。

 迎撃するクロウの青い魔力。

 

「・・・こうかっ!」

「!」

 

 魔力の帯がねじれた。クロウが術式とも言えないような変化を魔力に与えた結果、力が拮抗する。一方的に押されて吹き飛ばされた前回と違い、両者の中間点で二つの魔力が停止した。

 

「かっ!」

「はっ!」

「うおっ!?」

 

 クロウとアノソクレス、二人の気合がぶつかり合い、魔力が破裂する。

 中間点での爆発。魔力の残滓の衝撃波が二人のみならず、黒い丸岩やアルテナ達をも包み込む。

 

「くくっ! これは!」

「くっ! 三人とも大丈夫か!」

「気にするな! 前に集中しろ!」

 

 ソルの声と共に、魔力を帯びた矢が怪人に飛んだ。

 狩猟に使っていた弓だろう。

 難無く払われたが、それでも牽制の役には立つ。

 そして今の攻防でわかったこともあった。

 

(この世界では魔力の働き方が物質界と違う)

 

 思えばずっと違和感はあったのだ。

 地上と同じ術式は使えるが、魔力の働き方が大雑把というか、ファジーなのだ。

 適当な術式でも強いイメージを作って魔力を流し込めば魔法は発動してしまう。

 

 そのあたりのギャップが魔力のコントロールに齟齬をきたす要因になっていたのだが、こちらの世界で一年以上を過ごしたこと、水晶の妖魔や自分の影、黒瑪瑙の妖魔やプラマーたちとの戦いを経て、ここで開眼したようだった。

 

(チューニング完了、ってところか)

 

 スペック自体が変わったわけではないが、環境に今一つうまく適応できていなかった。

 その適応が完了した。この世界で魔力を扱う感覚を会得した。

 それゆえの拮抗。

 

「くくっ。これくらい歯ごたえがないとなあ」

 

 うそぶく月長石の男(アノソクレス)

 

「!」

 

 その言葉が嘘ではないことを証明するかのように、黒い魔力が更に吹き上がる。

 純粋な魔力量で言えば、あるいはゲマイの首都全ての人々の魔力を集めたサヌバヌールにも勝ろうか。

 

「くくっ! なんと!」

 

 だがそのサヌバヌールと一騎打ちして勝利したのがクロウであるヒョウエだ。

 クロウの吹き上げる魔力もまた、黒い蜘蛛の怪人に劣るものではない。

 ヒョウエの体の中にある"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の生み出す莫大な魔力が、見えない経絡を通じて幻夢界のクロウに流れ込む。

 

「・・・」

「・・・」

 

 僅かな時間、二人の動きが止まった。

 

「かっ!」

「しゃあっ!」

 

 二つの膨大な魔力が解き放たれた。

 クロウとアノソクレス、二人の魔力が、地の底で荒れ狂う。

 ぶつかり合う魔力が現実を犯し、物理法則をねじ曲げる。

 高度に魔法的であるこの空間に溢れる大量の魔力が、双方の意図しないランダムな魔法効果を引き起こす。

 

 雷鳴が鳴り、稲妻が走る。

 炎の爆発が起きたかと思えば、凍えるような吹雪が吹き荒れる。

 どこともしれぬ情景が不意に浮かんで消え、幻影の妖精たちが周囲を飛び回る。

 海の底と繋がったのか、大量の海水が降ってきた時はソル達も死を覚悟した。

 

「ぬっ!」

「わぷっ!?」

 

 一際大きい爆発が起こり、黒い砂を巻き上げる。

 

「ぺっぺ!」

「クロウ達は・・・どこだ?!」

 

 砂まみれになって、それでも弓を手放さないソルが周囲を見渡す。

 

「あそこだ」

「!?」

 

 この期に及んで微塵も動揺していないアルテナ。その彼女が指さしたのは空中だった。

 

「おおおお!」

「あああああああ!」

 

 魔力をぶつけ合うだけでは埒があかないと見たか、二人は拳に魔力を集中させて殴り合っていた。

 強い魔力がただそれだけで現実を変容させるこの世界。

 敵を倒すのであれば、下手な術式よりも密度の高い魔力を的確に叩き込む方が効率がよい。

 それを今、二人は実践していた。

 

「ら、ららららららら!」

「くくかかかかか!」

 

 クロウはヒョウエとして鍛えた格闘術で、アノソクレスは素人のようだが左右二対の余計な腕がそれを補う。

 込められる魔力も互角なら、手数も互角。

 攻撃の魔力と防御の魔力がぶつかり合うたびに弾ける閃光。

 そのたびに爆風のような衝撃波がスケイルズたちを襲う。

 

「うお・・・」

 

 その、当人たち同士にとってはほんのカケラほどの余波が、自分の全力を投じた術に匹敵、あるいは凌駕するほどの魔力を発していることにソルが戦慄する。

 後ろで魔法の明かりを掲げ続けるスケイルズも、また一言もない。

 何を考えているのか、アルテナだけがいつもの無表情な顔でそれを見上げている。

 

 

「しゃあっ!」

 

 アノソクレスが六本の腕で連続パンチを繰り出す。

 一本目を首を振ってかわし、二本目を体を斜めにしてかわす。それと同時にカウンターの右拳。クロウとアノソクレス、二人の拳が交差して唸りを上げる。

 

「ぐっ!」

 

 腕の一本を使ってガードするアノソクレスだが、連続攻撃の流れが止まった。

 その隙を縫って繰り出されるクロウの左拳を、また別の腕でガード。

 残る二本の腕で攻撃を繰り出すが、そちらはクロウの肘で一本がそらされ、もう一本は脇腹をかすめるに留まった。

 そしてまた最初から攻防が始まる。

 

 巻き起こる颶風、引き裂かれる空間。

 天地を揺るがす戦いは終わらない。



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09-29 そして彼は現れた

「はっ! とぉ!」

「くくっ! かかかかかか!」

 

 みなぎる魔力は天地破壊級。

 等しき魔力が籠もる六本の腕と二本の腕。本来なら手も無く殴り倒されるだろうところを、技量で何とか互角に持ち込んでいる。

 だがそれでも限界はある。

 

「ぐっ!」

「クロウ!」

 

 悲鳴が上がる。

 脇腹にいいのを一発貰った。

 素人丸出しのテレフォンパンチだが、元の腕力が一回り違う。魔力で防御しても十分強烈なダメージ。

 その後の追撃は何とか防御に徹して防ぐ。それ以上は入れさせない。

 

「大丈夫だ、心配するな!」

「クロウ・・・」

 

 弓を構えたままのソルが悔しそうに呟く。

 自分の無力さがこれほど苦しかったことはない。

 

「がっ!」

「ぐおっ!」

 

 今度は互いに一発ずつが入る。

 互いに動きが止まり、どちらからともなく間合いをとった。

 

「・・・」

「・・・く。くくっ」

 

 蜘蛛男が顔を伏せて笑った。

 

「く、かははははははははははは!」

 

 顔を上げてまた笑う。呵々大笑とはこのことか。

 

「見切ったぞ。俺の拳に込められた魔力の方が、お前のそれより多い! 相撃ちなら俺の勝ちだ!」

「・・・」

 

 無言で構えるクロウ。

 再び高笑いする黒い怪人。

 

「かぁっ!」

「!」

 

 アノソクレスが飛び込む。

 クロウはファイティングポーズを取ってそれを迎え撃った。

 

 

 

 嵐が吹く。雷が走る。拳が炸裂する。

 比喩ではなく、怪人の拳が振るわれるたびに世界が揺れる。

 先ほどよりも倍加した蜘蛛腕の拳速。

 六本腕の扱いに慣れてきたのか、目に見えてスピードが上がってきている。

 そして攻撃の切れも。

 

「クロウ!」

「・・・」

 

 スケイルズの悲鳴が上がるが、クロウには最早返事をする余裕もない。

 繰り出される拳を全力で防御している。

 

 技量にはまだ差がある。

 手数が三倍でも何とか防御できる程度。

 だがそれも完璧ではない。

 時折アノソクレスの拳が命中する。

 鉄板に鉄の玉を落としたような、あるいは巨大な石を鉄のハンマーで叩いたような音。

 それでもひるまず、崩れず、ひたすらに食い下がる。

 

「・・・!」

「・・・」

 

 見ていられないとばかりにスケイルズが目をそらす。

 ソルも悔しそうにそれを見上げるばかり。

 弓で援護しようにも、激しく動き回られては神技どころか達人にも届かないソルの腕前では間違っても当たらない。

 クロウに誤射でもすれば目も当てられないだろう。

 

「・・・」

 

 冷静なのはアルテナのみ。

 腕組みをして、静かに上空を見上げている。

 

 

 

「くく! くくくく!」

 

 連続攻撃は続く。時間の感覚が曖昧な地の底だが、それでもあれから数十分は経っただろうかと思える。

 酸の雨が降り、オレンジほどの雹が地表を叩き付け、まばゆい閃光や致死性の毒ガスがまき散らされる。

 そのたびにアルテナやソルがそれを防御するが、最早三人は自分の身を守るので精一杯だ。

 

「くくく! くかかかかか!」

 

 かさにかかって攻め立てるアノソクレス。その攻撃はいよいよ鋭く早い。

 

「くくく・・・がっ!?」

 

 高笑いしていたアノソクレスのほお桁に、クロウの拳が埋まっていた。

 だが同時にアノソクレスの蜘蛛の腕の拳もクロウの脇腹に突き刺さっている。

 

「相撃ち狙いか! だが・・・ぐわっ!?」

 

 間髪置かずに叩き込まれたクロウのコンビネーションブロウ。

 だがアノソクレスの反撃もクロウの体にまた撃ち込まれている。

 

「がっ! ぐっ! ぐわっ!?」

 

 乱打。

 互いに防御を考えない殴り合い。

 だが先ほどまでと違う事がある。

 クロウの拳が炸裂する時に変わらず魔力の爆発が起きるのに対し、怪人の拳はクロウの体を捉えても先ほどまでに比べればほんの僅かな爆発しか起こさない。

 

 やがて攻撃が一方的になる。

 クロウの止まらない連打。アノソクレスは最早防御することも出来ない。

 朦朧としてそれでもフラフラと浮かぶ脳天に、一回転したクロウの浴びせ蹴りのかかと落とし。

 叩き落とされ、黒い砂に突き刺さるアノソクレス。

 大風が吹き荒れ、大地鳴動して溶岩が吹き出す、そんな原初のカオスの如き戦いは唐突に終わりを告げた。

 

「・・・」

「・・・」

 

 荒れ狂っていた魔力の嵐がぱったりと止まる。

 凪の空間に先ほどと同じ、クロウと立ち上がったアノソクレスが対峙している。

 クロウはほとんど変わらぬ姿だが、アノソクレスは別人のようになっていた。

 骨と皮だけだった外観がますます細ってほとんど骸骨か死体のようになり、唯一らんらんと光っていた目からも、今は生気が消えている。

 

「あ・・・あ」

 

 何故、と言いたげに黒い怪人がクロウを見る。最早言葉を発する力も残っていないようだ。

 

「あなたは確かに莫大な力を得ていた。うまく使えば僕も危なかったでしょうね。

 でも霊界と地上界の間の穴は完全に開いた訳じゃない。長い時間をかけて溜めたけど急速には補充できないあなたの力と、途切れない僕の力。

 そして学院で世界の穴を必死に埋めてくれている先生たち。長期戦になったらあなたに勝目はなかったんだ」

「く・・・くく・・・なるほどなあ・・・」

 

 静かに言葉を紡ぐクロウ。アノソクレスは、力を振り絞っているとはっきりわかる声で途切れ途切れに笑う。

 腰の小袋から取り出したのは、小さな白い丸石。

 それを愛おしそうに眺めてからぽい、と後ろに高く投げ捨てる。

 

「これから始まった旅だが・・・もういらねえ。俺の旅はここで終わりだ」

「・・・」

 

 間違いなく歴史に名を残すレベルの術師であった彼が、いかにして妖魔と出会い契約したかはわからない。

 その彼が漏らす感慨に、敵であった四人も静かに聞き入る。

 だがそれも、彼が次の言葉を漏らすまでだった。

 

「だからさあ、一緒に行こうぜ! 下の世界までな!」

「!」

 

 ハッとしてアノソクレスの後ろを見る。

 黒い丸石に突き立ったままの"のみ"の柄頭に、先ほど彼が投げあげた白い丸石がこつんと当たる。

 その瞬間丸石に縦にヒビが走り、次の瞬間ばっくりと二つに割れた。

 

「貴様!」

「くくく! くくくくく!」

 

 高笑いするアノソクレスをクロウが殴り倒す。

 最後に狂ったような笑みを見せ、怪人は全身にひびを入らせたかと思うと、きらきらした破片となって粉々に砕け散った。

 

「!」

 

 びしり、と大地が割れた。わき起こる地鳴り。

 丸石の割れ目に反って砂地に線が入り、砂が下に吸い込まれていく。

 

「ひえええええ!? ・・・え?」

 

 スケイルズの悲鳴が上がり、途切れた。

 いつの間にか四人は宙に浮いている。

 

「アルテナ、龍になって二人を乗せてくれ!」

「わかった」

「お前はどうするつもりだ!?」

「このひび割れを戻してみる」

「!?」

 

 会話を交わす間にも地面の裂け目は大きく広がり、砂は飲み込まれて深淵だけが広がっている。

 いつの間にか二人は黄金の龍の背中にまたがっていたが、それを気にするいとまはない。

 

「戻すって・・・どうすんだよお前・・・え?」

 

 答えはなかった。

 クロウの姿がいつの間にか消えている。

 だがしかし、その代わりに響くものがあった。

 

「なんだ・・・これ?」

 

 暗い地の底に本来あるはずのない音。

 響くはずのないそれ。

 世界を揺るがす地鳴りの中でもそれははっきりと聞こえた。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。



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09-30 世界の亀裂を塞ぐもの

 果て無き地の底、漆黒の闇の中に「それ」はいた。

 暗闇の中でもはっきりわかる、透き通るような空の青。

 自ら光を放つような、炎の如き赤。

 地上界の人間が見ていればこう叫んだであろう。「青き鎧」と。

 

 高らかに奏でられるファンファーレ。

 ヒーローは今ここに降臨した。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「おい、クロウ。それでわらわたちはどうすればいいのだ」

 

 呆然と見上げるスケイルズとソル。

 龍に変じて二人を乗せているアルテナの言葉に二人が我を取り戻す。

 

「クロウ・・・なのか?」

 

 青い鎧が頷いた。

 「クロウ」の体格は「ヒョウエ」とほとんど差はない。せいぜい160センチに届くかどうか。

 対して2m近い巨躯の青い鎧。スケイルズの中で二人が繋がらない。

 青い鎧の声がクロウのそれでなければ、もっと混乱していただろう。

 

「アルテナ、二人を連れて脱出してくれ。フルスピードだ」

「わかった」

 

 無造作に頷いて羽ばたき始める金竜に、背中の二人が慌てる。

 

「脱出するって、おい!」

「お前はどうするんだ!」

「言ったでしょう、この地割れを元に戻します。すぐに追いつくのでお早く。

 むしろあなたたちがここにいると、この裂け目を閉じられなくて邪魔なんですよ」

 

 上を見上げる青い鎧。

 いつの間にか遥か上空に、うっすらと白い線が見えていた。

 それは地上から差し込む光。つまり、それだけ世界のひび割れが広がっていると言うことだ。

 

「くっ・・・」

「いいな? 行くぞ」

 

 会話に無頓着なアルテナが、今度こそ羽ばたいて急上昇する。翼で飛行しているはずなのに、その勢いは急降下中のそれにも劣らない。

 

「クロウーッ! お前もちゃんと脱出しろよーっ!」

 

 上から響く友人の声に、青い鎧は親指を一本立てて応えた。

 

 

 

(さてと・・・ああああああああ!?)

 

 頭を切り換えて地割れを閉じようとした瞬間、ある事に気付く。

 

(あの状況で親指一本立てて別れを告げるって、それ滅茶苦茶フラグじゃないですか!

 どう考えても「アイルビーバック」なそれの!)

 

 脳裏によぎるのは親指を一本立てて溶鉱炉に沈んでいく筋肉モリモリマッチョマンの変態と、溶鉱炉から突き出す親指を立てた拳の図。

 

(ええい、縁起でもない!)

 

 そもそもそんなことを考えていられる場合でもないと、今度こそ頭を切り換える。

 

(ぬん!)

 

 両腕を横に伸ばし、手を広げる。

 膨大な魔力があふれ出す。

 

 

 

 

「おい、これ!」

「この魔力は・・・」

 

 そのころ、ヒョウエの屋敷の大広間では肉眼ですらわかるほどの強大な魔力が渦巻いていた。

 その中心は魔法陣の中央に横たわり目を閉じるヒョウエ。

 顔をこわばらせるモリィ達に、結跏趺坐をし続けるメルボージャが頷いた。

 

「使いおったな、小僧」

「じゃあやっぱり・・・」

「いったい何が起きているのでしょうか?」

「さあの。ヤバい状況ってことだけは間違いあるまいて」

「・・・」

 

 誰からともなく、全員が上を見上げる。

 

(無事に戻って来いよ、小僧)

 

 口には出さず、老婆が呟いた。

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 広げた両手から、左右に強大な魔力が放たれる。

 この魔法的な空間で可視化されたそれは稲妻の束のようで、それが左右二本、一直線に伸びていく。

 数瞬の間を置いて左右の手に伝わる手応え。

 

(よし)

 

 拳を握る。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 天地に響く轟音の中、それを圧して青い鎧の咆哮が轟く。

 東西に走る裂け目の北側の壁に右手の念動、南側の壁に左手の念動。

 それを中央から引っ張って裂け目を閉じようとする。

 

 裂け目の幅は恐らく既に数十キロを超える。

 東西の長さに至ってはいかほどか。

 それだけの大地、巨大な地形をおのれの力で閉じんとする。

 世界を引き裂く天変地異、大陸を揺るがす地殻変動を人の力で防ぎ止めんとする大無謀。

 

 だがやらねばならない。

 それをやらねば世界が崩れ落ちる。

 落ちる世界も、落ちてこられた世界もただではすまない。

 世界の構造自体が崩れ去り、一切合切が無に帰すことすらないとは言えない。

 

 不可能と、そう言いきるのはたやすい。

 なるほどそうだろう、伝説のアトラスやヘラクレスではあるまいし、人一人の力で天地を支えられるものではない。

 

 だが、ここに異を唱えるものがいる。

 やらねばならぬなら、やらなければならぬと吠えるものがいる。

 ほとんどのものはそれを為せずに消えていくだろう。

 あるいは次のものにそれを託して散っていくものも。

 

 だがまれにはいるのだ。

 それを成し遂げてしまうものが。

 不可能事を不可能でなくしてしまうもの、あり得ないことを実現させてしまうもの。

 そうしたもの達を指して、人はヒーローと呼ぶのだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 念動の魔力と、肉体の膂力と。

 その双方で全力を振り絞る。

 広がり続けていた亀裂が、止まった。

 

 

 

 漆黒の闇の中を、黄金の流星が一直線に駆け上がる。

 その背中にしがみついているのは二人の人間。

 

「くそっ・・・大丈夫なのかよ、クロウのやつ!」

「これまでに奴のデタラメなところは何度も見てきたが、流石に今回は・・・」

■■■■■■■■■■■(黙っていろ。集中しているんだ)

「・・・」

「ごめん」

 

 僅かに苦しそうなアルテナの声に二人が黙り込む。

 普段無感情なこの娘が見せる、滅多にない発露だ。

 

■■■■■■■■■■■■■(だがあやつの言葉は嘘ではない) ■■■■■■■■■■■■■■(僅かずつだが亀裂が狭まってきている) ■■■(急がねば)

「マジっ!?」

『(怒)』

 

 思わず大声を上げてしまったスケイルズは、尻尾で頭をはたかれた。

 

 

 

 暗闇の中をどれだけ駆け上がったろうか。

 行く手の白い裂け目の中に空が見えたかと思うと、アルテナ達は地表に飛び出していた。

 黒い蜘蛛の怪人アノソクレスの張っていた結界は解け、真っ二つに引き裂かれた神々の峰が無惨ながらも白く美しい姿を取り戻している。

 世界を惑わせていた結界も今はなく、島中から真っ二つになったルレク・セレースを見上げて驚愕と畏怖の声が漏れているだろう。

 だが、突入時に数キロ以上はあったその裂け目も今は1kmあるかないか。

 しかも目に見えて更に狭まりつつある。

 

「何と言うデタラメな・・・」

 

 呆然と呟くソルを振り返り、スケイルズが叫んだ。

 

「いやそうじゃねえだろ! 裂け目が閉じたらあいつどうやって出てくるんだ!?」

「あっ・・・」

 

 顔を青くするソル。

 だがソルもスケイルズも、もちろんアルテナにも何か出来ることはない。見る見るうちに裂け目は狭まり、ついには閉じた。

 どういう事なのか、真っ二つに裂けていた白い神峰も傷痕一つ無く元に戻っている。

 

「・・・クロウ」

 

 スケイルズがそう呟いた時、頭の上から誰かが落ちてきた。

 

「うぉわ・・・クロウ!?」

「騒がないで下さいよ、疲れてるんですから・・・」

 

 ぐったりとするクロウはアノソクレスとの戦いで負った傷はあるものの、それ以外に目だった負傷はない。

 

「うわ! うわははははは! クロウ! クロウ! クロウ!」

 

 スケイルズがクロウに抱きつきかいぐり回す。

 クロウの迷惑そうな顔など気にも止めていない。

 

「だからやめてって・・・」

「こらスケイルズ、暴れるな!」

「うははは! うははははははははは!」

『うるさいぞ貴様ら! 振り落としてやろうか!』

 

 怒りに震えるアルテナの声が青空と霊峰に響き渡った。




今回書き終わってから気付いたこと。
「伝説の勇者ダ・ガーンだこれ!?」



>筋肉モリモリマッチョマンの変態
むろんカリフォルニア州知事もやったあの人。
そしてエクスペンダブルズ4配給決定!やったぜ。
回復してるみたいだしジェット・リーも顔だけ出してくれないかなあ。


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第四章「ドラゴンは飛んでいく」
09-31 帰還みたび


「我が才を見よ! 万雷の喝采を聞け!」

 

     ――ネロ・クラウディウス、Fateシリーズ――

 

 

 

 

 黄金の龍が西へ飛ぶ。

 その背中には寝息を立てるクロウとそれを見守るスケイルズとソル。

 スケイルズの顔には真新しい青あざ。

 あの後興奮してクロウを振り回すスケイルズを、ソルがぶん殴って落ち着かせた跡だ。

 そのまま一行は朝出発した港町に戻り、再び同じ宿に部屋を取った。

 

「町中ルレク・セレースの話題でもちきりだな」

「それはそうだろうな。晴れていればここからだって見えるんだ。

 ましてや神の山として崇められている霊峰だ、騒がないわけがない」

 

 実際ここに来るまでも街中は軽いパニック状態で、凶兆だとか世界の終わりが始まったとか、恐れ嘆く町人は少なからずいた。

 元に戻って二時間ほど経っていたからまだしもだろうが、裂けたままであったら本当に暴動か何かが起きたかもしれない。

 

 日本人なら富士山が真っ二つになったようなものだ。

 しかも迷信深く信心深い中世か古代のメンタルの人々がそれを見たらどう思うか。

 日食や彗星に恐れおののき、心底恐怖を感じる人々なのである。

 現代日本人の意識がまだ残っているクロウや龍であるアルテナはともかく、この世界の人間であるスケイルズやソルには恐れる人々の気持ちがよく理解出来た。

 

 

 

 クロウが再び目を覚ましたのは、やはりアルテナの背の上だった。

 間に合わせの鞍のようなものがつけられており、そこに革ひもで厳重に固定されている。

 鞍の前にはスケイルズとソル。

 ぼんやりと目を開けていると、こちらを振り向いたスケイルズと目が合った。

 

「クロウ! おい、クロウが目を覚ましたぞ!」

「なに!? クロウ、大丈夫か!?」

「まあなんとか」

 

 笑みを浮かべて手を(固定されているので動かせる範囲で)振ると、二人ともほっとしたような顔。

 アルテナが振り向いて短く鳴いたので、そちらにも手を振ってやる。

 ちらりと太陽に視線。

 

「学院に向かってるようですがここはどのへんです? 僕はどのくらい眠っていました?」

「《エーテルの島》から《祭壇の島》に向かっている途中だよ。《使命の島》の港町で宿取ってたんだけどお前が起きなくて、預かっていた魔道具で学院と連絡取ったらとにかく戻ってこいって言われたんでこうして戻ってる最中。《使命の島》で二日の、海越えて《エーテルの島》横断してだから、あれから五日目ってことになるか」

 

 

 

          《熊》

 

        《針》

            《雌馬》   《雄牛》

    《祭壇》

          《エーテル》

 

          《足跡》    《使命》

 

 

 

 再度掲載するがこの世界(ビトウィーン)の地図はこのような感じだ。

 船なら《祭壇》→《エーテル》→《足跡》→《使命》と経由して向かうが、アルテナの速度と航続距離なら最短ルートを取れる。

 

「と言うことはあとせいぜい半日ですね」

「ああ。それまではやることもないし、ゆっくり休んでろ」

「・・・一体あれは何だったんだ? とにかく世界が引き裂かれるのは防げたみたいだが」

「まあ、だと思います。あの青い鎧は僕の具現化術式で、見ての通り強力な念動力などを使うことが出来ます」

「具現化術式!」

 

 スケイルズとソルが声を揃えて驚く。

 

「(そう言えばこの世界でも具現化術式は極めて珍しいんだっけ)まあ今は出せませんけどね」

「どうしてだ? 使いすぎたのか?」

「術式自体は僕の中にありますから、滅多なことで壊れはしませんし、何だったら理屈の上では複数出す事も可能です。ハリボテにしかなりませんけど。

 ともかく流石にあのレベルの裂け目を閉じるとなると、しばらく固定しないといけなくて、今でも鎧だけはあそこに残してあるんですよ」

 

 具現化術式は術式に魔力と魔素(マナ)がまとわりついて物質化したものだ。

 ひどい言い方をすれば、油汚れがこびりついて落とせなくなった金網。もう少し綺麗に言うなら樹氷。

 本来一度具現化すればそのままずっと物質化しつづけるものだし、実際杖に姿を変えて常に携帯しているのだが、物質化した魔力と魔素を「はたき落として」術式に戻し、使用のたびに新たに具現化させることも可能だ。

 術式自体はヒョウエの中にあって、一度具現化の域に達したならば何度でも同じ事は出来る。今地底で裂け目をつなぎ止めているのもそうして「新造」した具現化術式だ。

 

 いわゆる魔道具の製作者も大半はこれで、具現化に成功した術式を繰り返し具現化させることで魔道具を生み出しているのだ。

 もちろん彼らにヒョウエほどの魔力はないので、一つ作るのに数日から数ヶ月かかったりするのだが。

 閑話休題(それはさておき)

 

「魔力を使いすぎると倒れて眠ってしまうわけですが、今回は鎧に魔力を流し続けなければいけなかったので、普段よりも長く眠ってしまっていたようですね」

「なーるほどなあ」

 

 こうしている今も物質界のヒョウエの肉体からは「青い鎧」に膨大な魔力が流れ込み続けている。

 青い鎧発動時の全励起状態ほどではないが、"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の出力の半分ほどはそちらに取られていた。

 

「いつまで支え続ける必要があるんだ?」

 

 真剣な顔で尋ねてくるのはソル。

 彼にとっては故郷の島が真っ二つになるかどうかの瀬戸際なので気になるのだろう。

 

「うーん、そのへんはなんとも。その辺も含めて先生方と話したいところかな」

「そうか・・・」

 

 そこで会話が途切れる。

 水天一碧、大海原と大空と二つの蒼の間を飛び続ける黄金の翼。

 その雄大さを楽しみつつ、クロウは再びまぶたを閉じた。

 

 

 

「ん・・・」

 

 再び目を覚ました時には、既にエコール島だった。

 太陽はかなり傾き、もう少ししたら夕やけの赤が空を彩るだろう。

 町の住人たちが流石に驚いて空を指すのを見ながら、黄金の龍はエコール魔道学院の中庭に向けてゆっくりと高度を落としていった。



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09-32 狼は生きろ、豚は死ね

 当然ながらアルテナの存在は、魔導学院の生徒たちにも驚きをもたらした。

 降りてくる黄金の龍に、中庭やまだ授業が続いている教室が騒然となる。

 黄金の龍が少女に変じたのを見てまた驚愕の声。

 そうした騒ぎや群がってくる生徒たちを押し分けつつ、クロウ達は教師の区画に向かった。

 

 前回よりも更に数を増やした、八十人近い教師たちが会議室に集まる。

 中には授業を抜けてきたものがそれも複数いて、副学長にこっぴどく叱られていたがまあ些細な話だ。

 

「・・・と、言うことで取りあえず世界の裂け目は閉じることが出来ました。

 今後については教師のみなさま方と話しあった上でのことになるかと思います。以上です」

 

 (知的好奇心に)ぎらぎら光る教師たちの、(情報に)飢えた獣のような目に果てしなく嫌な予感を覚えつつ話を終えると、果たしてその瞬間に予感は現実のものとなった。

 

「素晴らしい! 下界ではそこまでの力を持つ具現化術式が生み出されているのか! 量産は! 開発はどうなってる!」

「ねえその青い鎧、今ちょっと具現化できない? ちょっとだけでいいから!」

「地の底の冥界だと! 黒い砂とやらのサンプルはとってきたかね!」

「その黒い岩についてもっと詳しく! スケッチはできるかしら!?」

「土の塊である山がそんなに綺麗に真っ二つになるわけがない。断面について観察しなかったかな?」

「地面の底に降りていく時に世界を越えたような感触はあったかな? 単に物理的な地面の底なのか、それとも霊界と繋がっているのかはかなり重要な要素だ!」

「肉体の変形か、興味深いわね! 妖魔と一体化したことによる変化なのか、それとも術か、その辺わかるかしら!」

「"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"と言うのか、素晴らしい! ちょっと観察させて貰えないだろうか! できればほんの少しでいいからサンプルを・・・!」

「ひえええええええ!」

 

 未知という特上肉に群がる飢えた知的好奇心の獣たち。

 今やクロウは狼の群れに襲われる丸々太ったブタのごとくである。

 クロウほどではないがアルテナにも多くの教師たちが群がり、常日頃何にも動じないアルテナが、この時ばかりは冷や汗を浮かべてのけぞっている。

 一部の教師はスケイルズとソルに目をつけて、個人的に(=自室に拉致して)話を聞こうとまでしていた。

 

「静かに! 静かにしなさい! あなたたち黙りなさいと言っているでしょうがコラァ!」

 

 副学長の制止でさえ効果を発揮せず、会議室は興奮のるつぼに叩き込まれたままだ。

 

「ぎゃっ!?」

「ぶべばっ!」

「みなさん、理知的に。理知的にね。私たちは理性をもって真実を追究する学究の徒なのですから。わかっていますよね?」

「「「「「アッハイ」」」」」

 

 結局切れた副学長が馬鹿二人を見せしめに吹き飛ばすまで騒ぎは収まらなかった。

 怒気を放射する静かな笑みに、好奇心の獣と化していた教師たちも思わず我に返る。

 

「取りあえず彼らには休んで貰います。質問の時間は改めて取りますのでそれまで個人的な接触などは控えるように」

「「「「「はーい・・・」」」」」

 

 姉弟子にぴしゃりと断言されてうなだれる教師たち。

 普通なら笑みが浮かぶシーンだが、今まで彼ら(彼女らもいる)に群がられていた方としてはそんな余裕がないのが正直なところだ。

 

「取りあえずあなたたちは部屋に引き取りなさい。食事は教職員用の食堂で――そうですね、クロウとスケイルズはいいでしょうが、ソルは同室の人間もいますし、予備の宿舎で休みなさい。

 アルテナは私の部屋で・・・」

「クロウと一緒がいい」

 

 アルテナが副学長の言葉を遮った。

 思わずまじまじと少女の顔を見る白髪の美女。

 

「クロウと一緒がいい」

 

 アルテナが無表情に繰り返した。

 困ったような顔になる副学長。小さい子供に話しかけるような口調になって(まあ外見は小さな子供だが)アルテナを翻意させようとする。

 

「あのですね、アルテナ。クロウもスケイルズも男の子な訳ですから・・・」

「クロウと一緒がいい」

「あなたは良くても二人が・・・」

「クロウと一緒がいい」

「会いたければすぐに会えますから・・・」

「クロウと一緒がいい」

「寝る時以外は一緒にいてかまいませんから」

「クロウと一緒がいい」

「・・・」

「クロウと一緒がいい」

「・・・・・・・・・・・・・・・わかりました」

 

 周囲から苦笑が漏れる。

 副学長、この一癖もふた癖もある大魔術師たちをまとめ上げ彼らの尊敬を集める美貌の女魔術師は、溜息とともに幼女の要求に屈した。

 

 

 

「サナの料理に比べると味が落ちるな」

「サナ姉の料理は特別ですからね。比べるのは気の毒ですよ」

 

 苦笑するクロウ。もっとも、彼女がそこまで料理の腕を鍛え上げたのはクロウというかヒョウエ本人が100%原因なので、リーザがいたら冷たい目で睨まれていたかもしれない。

 そんな事を言いながらもアルテナはパクパクと料理を腹に詰め込んでいる。

 まあ世界を渡り、数千キロの距離を数日で飛び渡ってきたのだ、人並みの量では到底足りるまい。

 

 教師用の食堂である。

 周囲の教師たちからチラチラと視線が向けられるが、流石にあれだけ太い釘を刺されたせいか、ちょっかいをかけてくるものはいない。

 それに安堵したようにソルが溜息をつく。

 

「まあ確かにサナさんの料理はうまかったな。と言うか下の料理はどれもこれもとびきりだ。あの屋台ですら、こちらの世界ならあちこちから高い給金で引き合いが来るぞ・・・」

「色々料理法とか食材の供給とか蓄積が違いますからね。そのへんはやっぱり人の数がものを言いますよ」

 

 アルアル言うひいきの屋台の親父を思い出しつつクロウ。

 「下」ではまだ数日しか過ぎてないが、体感的にはこちらで一年以上を過ごしている。

 思いもよらず里帰りした時の味は実に懐かしかった。

 

「確かにとんでもねえ数の人がいたなあ・・・もっとも問題なのは、お前の周囲にやたら可愛い子があつまってることだけどな!」

「まだ言うんですかそれ」

 

 アルテナのほっぺたにくっついたソースをふき取ってやりつつ、クロウが眉をしかめる。

 

「ああ言うさ、言うともさ! 大体なんだ! あれだけの美女美少女に囲まれて誰も口説いてないとか、お前本当に男か! チンチンついてるのか!?」

「うるさい」

「ぐぉっ!?」

 

 ひたすらに料理を詰め込んでいたアルテナが、小うるさそうにスケイルズの足を蹴った。

 流石に龍の化身と言うべきか、外見は十歳くらいの少女でもアルテナにはその辺の成人男性が束でかかっても叶わないレベルの筋力がある。

 

(足の骨にヒビくらいは入ったかもなあ)

 

 悲鳴も上げられず悶絶するスケイルズ。

 後で救護室に連れて行ってやろうとは考えつつ、取りあえずクロウは悶え苦しむルームメイトを放置して食事に戻った。




危うく死ぬところだった豚は主にクロウくん(ぉ


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09-33 ギンヌンガガップ

 それからの数日は何事も無くすぎた。

 

「お前ら一体どこで何してたんだよ!?」

「どうしたのよ、その金髪の女の子は!」

「大体クロウとソルがいつの間に仲良くなってるんだ?」

 

 級友達による質問攻めとか。

 

「クロウが幼女を連れているぞー!」

「幼女誘拐犯だ!」

「幼女と一緒に受ける授業は楽しいか?」

「夜も一緒に寝ているのかこのペドフィリアめ!」

「一年近くいなくなったと思ったらどこからさらってきた! 吐けこの野郎!」

 

 どこにでもくっついてくるアルテナとそれに対する好奇の視線と追随するトラブルとか。

 

「なにっ? 黒い砂のサンプル取ってないの!? 信じられん、君らはそれでも術師の卵かね!」

「ふーむ、これが青い鎧かあ。こりゃ凄いな・・・魔力許容量もそうだが、この密度の高い、簡素で効率的な術式構築は・・・いいなこれ、色々応用がききそうだ」

「『下』の世界について詳しく!」

「アルテナちゃん、黒瑪瑙の城や、それより前で何か覚えていることはある? 覚えている限りでいいわ!」

「これが黒い岩のスケッチね。古書にあるいはそれではないかという記述を見たことがあるわ。そののみと鎚も持って帰ってくれればよかったのだけれど・・・」

「山が裂けたことによって地崩れなどはなかったかね? 遠見の術も使ったが、直に見た君たちの意見も聞きたい」

「手術室の用意はできている! "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"の観察とサンプルを・・・大丈夫、痛みはないから! 寝ているうちに終わるから!」

 

 教師連による聞き取り調査と言う名の徹底的な情報の吸い出しとか。

 

「もうだめ。脳みその中身全部先生たちに吸われた・・・」

「俺もそんな気がする・・・吸血鬼ってのは聞いたことがあるが、吸脳鬼ってのもこの世にはいるんだな・・・」

 

 メインではない、言わば付け合わせのスケイルズとソルですら机に突っ伏してグロッキー気味なのだから、メインディッシュであるクロウとアルテナのダメージは推して知るべしである。

 

 なお最後の教師に対しては断固拒否した上で副学長にチクった。

 その後しばらくその教師の姿が見えなくなったが、関係はない。たぶん。

 

 ともかくそうしたあれこれを除けば、授業に出たり、中庭でひなたぼっこをしたり、食堂でワイワイ騒いだりと、久々にクロウ達は学生らしい日々を満喫していた。

 

 

 

「うーん」

「どうしたのだクロウ」

 

 数日後、食堂。

 教師たちによる聞き取りはまだ続いている(何しろ希望者が多いし、クロウ達の時間をそればかりに使うわけにもいかない)が、それ以外のあれこれは多少落ち着いて、のんびり出来る暇もある。

 そのはずだが、クロウは微妙に浮かない顔だった。

 

「なんというか、しっくりこないんですよね」

「何がだよ? 割れ目の跡に調査隊を向かわせるって話だけど、何か気になる事でもあるのか?」

「それもあるんですが、特に根拠はありません。ないんですけどどこか不安感があるというか」

 

 本来クロウ=ヒョウエの使命は幻夢界と物質界の間の壁を破壊する穴を塞ぐこと。

 そして穴を開けようとする者達を排除すること。

 

 その両方を達成し、今は世界の裂け目が完全に塞がったかどうか確認するための待ち時間。

 これで何の問題もないと確定すれば、クロウは青い鎧を解除して元の世界に戻る。

 後はそれを待つだけ、のはずである。

 であるというのにクロウは不穏な感覚をぬぐい去ることが出来なかった。

 

「本当に根拠はないんですが、これで全部終わったのか信じ切れないんですよ。まだ何かあるんじゃないかって」

「まあ・・・いくらお前とは言えあれだけの敵を次々戦って、文字通りの世界の割れ目をたった一人で塞いだんだからな。

 心がささくれ立つというか、昂ぶりが落ち着かなくてもしょうがないんじゃないか?」

「かもしれないですね」

 

 ソルの言葉に頷いて溜息をつく。

 その場はそれで終わったが、心にわだかまるものは消え去ってくれなかった。

 

 

 

 数日後。

 十人ほどの教師による調査隊に、クロウ達四人が同行することとなった。

 

「クロウとアルテナはわかるけど、俺達もか?」

「魔術的再現を行うことも考えてるんだろう。確かにクロウとアルテナがメインだが、俺達の存在も補助的な要素としては意味がある」

「魔術的再現か。えーと、何か聞いたような・・・」

「三日前に受けたばかりの講義だろうが!」

 

 そんな会話も交わしつつ、一行は瞬間転移によって一瞬で"神々の峰"に到達した。

 ルレク・セレースふもとの「小さな」山々の一つ、ある程度の広さを持つ高原に実体化する。

 

「便利っすねー。この一年で世界中回ったけど、出来れば最初から使って欲しかったですよ」

 

 スケイルズが成層圏、文字通り天まで届く白き霊峰を見上げてしみじみと頷く。

 

「まあしょうがない。最初の時はすぐに穴は塞がると思っていたし、二回目の時も世界の裂け目と君たちの探索に直接の関係があるとは誰も思っていなかったからな」

 

 気さくに笑うのは黒目黒髪の小柄な男性教師、マリーチ。

 瞬間移動の術に関しては学院随一のエキスパートだ。

 実際のところは彼の言う通りだし、加えて一回目はクロウの影を追う探索だったために、クロウ本人以外に対象を探せる人間がいなかったことも大きいだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「それでは・・・まずはベースキャンプを設営しよう。ファラマー、バーテラ、頼む」

 

 調査隊の隊長を任じられたスィーリが教師たちに指示を飛ばす。

 霊界と物質界の間の壁の問題であるから召霊術主任の彼が呼ばれたのだろうが、同じく召霊術のエキスパートであるはずの副主任のクリスの姿はない。

 学院に帰ってきた時の言い争いを目撃してしまったクロウ達の何とも言えない視線に、スィーリが怪訝な顔になる。

 

「どうした・・・?」

「いえ、つまり『ここをキャンプ地にする!』ということですね!」

「最初から決めていたことだ・・・いちいち宣言する事もなかろう」

「うーむ、まさかのマジレス」

 

 世界が違うのだから通じるわけもないが。

 

「ともかく、一時間ほどは準備時間だ・・・お前達は好きにしていていい。

 アウラ、ファルタルは観測の準備を。アートは私と一緒に・・・!?」

 

 その瞬間、世界が割れた。

 大地に再び亀裂が走り、白い巨峰が真っ二つに裂ける。

 

「うわああああ!?」

「クロウ! スケイルズ! ソル! アルテナ!」

 

 裂け目に落ちていく四人。

 叫びながら手を伸ばして術を発動させるスィーリが目を見開いた。

 

「発動しない!? ・・・いや、これは落ちているのでは・・・!」

 

 クロウが念動の術を発動し、龍に変じたアルテナが三人を背に乗せて羽ばたく。

 だがそれでも四人は裂け目を落ち続け、崖っぷちの教師たちは見る見る遠ざかる。

 

(落ちているんじゃない・・・そう見えるだけで、これは一種の転移・・・)

 

 クロウが真相に思い至った時、裂け目――恐らく実際には大地ではなく空間の――が、バタンと閉じる。

 何故か脳裏にクリス副主任の顔が浮かんだ。




ギンヌンガガップは北欧神話の、世界の最初に存在した虚ろな裂け目。


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09-34 ゼラチナス・カスケイド

 天地が一回転するような感覚。

 ジェットコースターで宙返りと言うか、鉄棒で逆上がりした時のようなというべきか。とにかく三半規管の異常をこらえながらも、三人はアルテナにしがみついて「落下」の衝撃に耐えた。

 アルテナも僅かにふらついているところを見ると、彼女もそうした現象の影響を受けているのだろう。

 それでも何とか体勢を立て直し、翼を羽ばたかせて着地する。

 

「ぐええええええっぷ!」

 

 スケイルズが飛び降りて朝食の中身をぶちまける。

 ソルもその寸前といった状態で、クロウも結構なむかつきを覚えている。

 人間に戻ったアルテナも不快そうな顔をして胸の辺りを抑えていた。

 

「・・・で、ここどこだよ?」

 

 しばらくして、落ち着いたのかスケイルズが立ち上がってあたりを見回した。

 周囲は龍モードのアルテナが動き回れるほどの、かなり広い岩の洞窟である――様に見える。

 ただしクロウの魔法の明かりに照らされた壁も天井も床も半透明であり、強く押すと指がずぶりとめり込んだ。

 見た目に反して岩や水晶のように固くはない。むしろ固いゼラチンのような感じと言うべきか。

 不思議な事に同じく半透明な地面を踏みしめる足裏からは、しっかりした感触が伝わってくるのだが。

 スケイルズがキョロキョロと周囲を見渡した後、最後に上を見上げた。

 

「俺達、地面の裂け目から落ちてきたよな? どこから落ちてきたんだ? それとも裂け目はもう閉じちまったのか?」

「閉じたのは正解だが、落下したんじゃなくて多分転移だと思う。地面の裂け目じゃなくて空間の裂け目だったんだ」

「あ・・・するとこの吐き気は、ひょっとして転移酔いという奴か?」

「多分」

 

 ソルの疑問に頷いて肯定の意を返す。

 瞬間転移では前後左右や上下、気圧の変化、あるいは単純に転移そのものによって感覚や三半規管の混乱が起こることがあり、これを俗に転移酔いという。

 

「でもマリーチ先生の転移じゃそんなことなかったぜ?」

「あの人は転移の術のエキスパートですからね。運び方が丁寧なんでしょう。

 僕達は箱に入れられたヒヨコみたいなものです。丁寧に運ばれるのと乱暴に運ばれるのでは、それは違いも出るでしょう」

「どうせなら丁寧に運ばれるヒヨコになりたかったぜ・・・」

 

 口元をぬぐうスケイルズに苦笑。

 

「どうでしょうね。僕達をここへ呼びつけた何者かが、丁重におもてなしするために呼んだとは思えませんし」

「害するために呼んだ可能性の方が遥かに高いだろうな――まさか、お前が言っていた『まだ何かある』というのはこれか? 一連の事件に更なる黒幕がいたと?」

 

 首を振る。

 

「わかりません。可能性はあると思いますが、予断は持たない方がいいと思います」

「そうか」

 

 頷いて考え込むソルに代わり、またスケイルズ。

 

「で、これからどうするんだよ? 遭難した時には変に船を漕がずに体力を温存するってのが基本だけど・・・この場合はどうなんのかな」

 

 漁師の村出身らしい心得を口にするスケイルズ。

 少し考えてクロウが口を開く。

 

「今回も基本的には間違ってないと思います。先生方が、特に瞬間転移のエキスパートであるマリーチ先生と、探査魔法の権威であるファルタル先生がいるわけですし、救助に来てくれる可能性は高いでしょう。

 ここが霊界だとしても、それはそれで召霊術のエキスパートであるスィーリ先生がいます。

 だからここを下手に動かずに救助を待つのが上策・・・のはずなんですが」

 

 言葉を区切って洞窟の奥の闇に視線を飛ばす。

 冒険者としての懐かしい感覚。

 闇の奥に潜むモンスターの気配。

 

「だよなあ! こう言う事する奴が、送り込むだけで済ませるわけがないよなあ!」

「くそっ、弓を持って来れば良かった!」

 

 頭を抱えるスケイルズに、舌打ちしてナイフを抜くソル。

 

「スケイルズ、銛は使えます?」

「え? ああ、多少は」

「オーケイ!」

 

 クロウが地面に両手をついて術式を発動する。

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)" ・・・!?」

「なんだ、どうした?」

 

 術式に従い、クロウが望んだ物質に変性されるはずの地面が変化しない。

 その間に、闇の中の気配は黒い熊とも犬ともつかないような獣の姿をとって闇の中から這い出してきていた。

 その数は見えるだけで三十体を越している。

 

「くっ」

『のけい』

 

 首を突き出したのは、再び龍に変じたアルテナ。

 大きく開かれた口から、次の瞬間めくるめく虹色の光が飛び出した。

 

「!?」

 

 悲鳴を上げる間もなく、獣たちが七色の光芒に飲み込まれる。

 黄金の龍が吐き出す虹色のドラゴンブレス。

 一瞬のことだったが、光の吐息が途切れた時、黒い獣たちの姿も気配も完全に消滅していた。

 

「すっげ・・・」

「これが・・・龍の吐息か・・・」

 

 呆然とするのはソルとスケイルズ。

 一方クロウは何かに気付いた様にアルテナを見上げていた。

 

『ん、なんだ?』

「すいません、ちょっとそのまま」

 

 一声かけるとクロウはふわりと浮き上がって、アルテナの背中に手を当てた。

 そこには先の探索以来つけたままの(人間態の時にどこに行っていたかは知らない)鞍と馬具。

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"」

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「"硬化(ハードニング)"」

 

 呪文を連続して発動すると鞍が形を失い、弓と矢筒、数十本の矢になる。

 続けて手の中の杖に同じように発動すると、学院から支給された術師の杖は頑丈そうな三つ叉の銛に変わった。

 

「はい、ソルは弓を、スケイルズはこれを使ってください」

「ちょ、おまっ・・・! それ学院の・・・術師の証の・・・!」

 

 銛を渡されてパニックに陥るスケイルズ。ソルも手渡された弓に気付かないかのように呆然としている。

 

「しょうがないでしょう、後で戻しますよ。ここを生きて出られたらの話ですけど」

「・・・そうだな」

 

 苦悩の表情でソルが矢筒を肩にかける。

 納得は行かないながらも、スケイルズも銛を握り直した。

 それを興味深げに見ていたアルテナが人間の姿に戻る。

 

「なるほど、便利な物だな」

「アルテナはどれくらい今のブレスを吹けますか?」

「二回か三回かな。それ以上吹いたら疲れて寝てしまうだろう」

「多用は出来ませんか。なるべくあなたのブレスは温存で」

「よかろう」

 

 溜息をつくヒョウエの手の中には、頭のない五寸釘のような、尖った鉄の棒が数本。

 ソルの弓を変性するついでに、普段使っている金属球の代わりとして作ったもの。

 しかし鍛え方次第で硬度も剛性も青天井の呪鍛鋼(スペルスティール)と違い、ただの鋼鉄だ。余り蛮用は出来ない。

 

「ともかくスケイルズと僕が先頭、アルテナと弓のソルは後ろで、注意しながら進んで行きましょう」

「わかった」



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09-35 RUNNER

 歩き始めてすぐ、クロウが思い出したように三人の方を振り向いた。

 

「そうそう、今僕はいつもの半分以下の力しか使えませんからそのつもりで」

「えっ」

「そうか、例の青い鎧だな」

「ええ。大丈夫だとは思うんですが解除してまた島が裂け始めたら責任取れませんし」

「あー」

 

 もう一度溜息。

 現在《使命》の島の裂け目は全魔力の半分以上をつぎ込んだクロウの念動によって閉じられた状態だ。これを解除した時どうなるのか、まだわからない。それに口には出さないが《使命》の島はソルの故郷でもある。そういう意味でも青い鎧は解除できなかった。

 

「これ以上何も出てきませんよーに・・・」

 

 もちろんスケイルズの願いは叶わなかった。

 先ほどの黒い獣のような怪物、トカゲのような何か、プルプル震える巨大なゼリーのような何かと、次々にモンスターと遭遇する。

 魔力を込めた矢や念動の釘を打ち込み(もちろん矢や釘は可能な限り回収する)、場合によってはヒョウエが最近覚えた"火弾(ファイアーブリット)"の呪文で焼き払う。

 

「"火球(ファイアーボール)"か"炎の嵐(ファイアーストーム)"の呪文がありゃいいのに。アレなら一気にばーっと焼き払えるだろ? 何で覚えなかったんだよ」

 

 "火弾(ファイアーブリット)"は名前の通り炎の小さな弾丸を撃ち込む術。一般的には"火球(ファイアーボール)"を覚えるための踏み台という認識が強い。

 対して"火球(ファイアーボール)"と"炎の嵐(ファイアーストーム)"は広範囲攻撃術だ。

 クロウとしても出来れば覚えておきたかったのだが・・・。

 

「どうもね、何かを撃ち出す系統の術は苦手なんですよね。覚えられればそれは覚えたいんですが・・・弓や投げナイフもあんまり才能はないって言われたんだよなあ」

「その釘を撃ち出すのはうまく行ってるし、そうでなくても念動の術はかなり使いこなしてるように見えるが」

「あれは腕の延長なんですよ。矢を撃ってるんじゃなくて銛で突いてる感じに近いんです、僕の感覚としては」

「ふーむ」

 

 実際下の世界でモリィに雷光銃を借りて試射させて貰った事があるのだが、「微妙」の一言で切り捨てられている。

 「誰かに当たるような状況で撃つなよ?」ともだ。

 まあ的には当たるが中心に当たらない程度の腕なので、彼女の評価は概ね正しい。

 

「お主らそのへんにしておけ。おかわりじゃぞ」

「!」

 

 アルテナの声が雑談を終了させた。

 

「くそ、またかよ!」

 

 前衛を務めるスケイルズが悪態をついて銛を構え直す。その視線の先には、洞窟の分かれ道から出てくる、手足の生えた魚のような怪物の群れがいた。

 

 

 

 戦いは長く続いた。

 途切れずに襲いかかってくる魚の怪物、加えて後方からの怪物の足音に気がついてクロウは突破転進を選択する。

 

「前の敵を突破して左側の分かれ道に逃げ込みます! アルテナ、ブレスを!」

「わかった」

 

 一瞬だけ黄金の龍に変じたアルテナが虹色の吐息を叩き付けると、魚の怪物達は悲鳴も上げずに塵へ還り洞窟の壁も大きくえぐられる。

 

「今です!」

 

 右の分岐路の奥に光る魚怪物どもの目を視界の奥に捉えながら、クロウ達は左への分岐路に走り込んだ。

 

「はあ、はあ、はあ・・・!」

 

 走る、走る、走る。

 後ろからの足音やうなり声、殺意や悪意と言ったものを感じながら必死に走る。

 常人離れした身体能力を持つアルテナや魔力で肉体を強化できるクロウはともかく、ソルとスケイルズは既に限界が近い。

 

「・・・しめた!」

 

 

 急に視界が開けた。

 魔法の明かりに照らされたのは差し渡し50から60メートル、ちょっとした運動場くらいはあろうかという広い空間。彼らが入って来た物を含めて二つの開口部がある。

 

「あそこの端に!」

「おい、逃げ場がねえぞ!」

「挟み撃ちよりはまだしもです!」

「ちっ!」

 

 ソルが舌打ちしつつも、一行は壁を背にして陣形を整える。

 それとほぼ同時に怪物達がなだれ込んできた。

 

「!」

 

 アルテナが黄金の龍に変じる。頭から尾の先まで10m、尻尾を抜いても5mほどの巨体であるが、この広い空間であれば暴れるのに不都合はない。

 

「アルテナ! 無理はしないで!」

■■■■■■■■(馬鹿を言うな) ■■■■■■■■■■■■(無理をせずに切り抜けられる場面か)

 

 真なる竜の咆哮が洞窟に響いた。

 

 

 

 人と龍と怪物の悲鳴と怒号が響く。

 怪物の半分ほどはアルテナが抑えてくれているが、残りはクロウ達三人で相手にせねばならない。

 

「くそっ! 魚は釣られて大人しく晩飯になっとけ!」

「飢え死にしそうになってもこいつは喰いたくないな!」

 

 体中傷だらけのスケイルズが銛で魚怪物を突き伏せる。

 その隣では矢を撃ち尽くしたソルが魔力を込めたナイフで奮戦していた。

 念動で矢を回収しようにも、クロウでさえその余裕がない。

 思いっきり振り回せばいい普段の金属球と違い、今使っている釘は方向を定めて、しかもある程度正確に狙いをつけなければ有効打を与えられない。

 次から次へとお代わりが来るこの状況では、仲間のフォローに精一杯だった。

 

 それから更にしばらく経ち彼らから見て左奥、入って来た開口部からまた新たに怪物の群れが現れる。今度は2mはあろうかという巨大なクワガタの群れ。

 それらがおおばさみをガチガチと鳴らして次々飛び上がる。

 

■■■(おのれ!)

「ブレスはダメです! ここでアルテナに倒れられたらもたない!」

■■■(ぬう・・・)

 

 口を開いたアルテナを制止するが、それでどうにかなるものでもない。

 あれらに空中から襲いかかってこられたらクロウが対応するしかなく、そうすればスケイルズ達への圧力が倍加する。

 どうすべきかと一瞬考えたクロウを、ソルの叫びが叩いた。

 

「クロウ! あの鎧を解除して全力を出せ! 裂け目のことは気にするな!」

「ソル!?」

「おいでも解除しちまったらお前の故郷が・・・!」

「すぐに裂けるものでもない! もう大丈夫な可能性だってある!」

「ですが・・・」

「やれ! クロウ! やってくれ! 頼む!」

 

 血を吐くようなソルの叫び。彼とて言いたくてこんな事を言っているわけがない。

 

(だが・・・それでも・・・!)

 

 それでも、一つの島が滅ぶかどうかと言う決断は重い。

 どうにかならないかと思案を巡らせて、その瞬間。

 

「!?」

 

 彼らから見て右側、もう一つの開口部のほうから極太の魔力光がほとばしった。

 それは洞窟を横断し、半数近い怪物どもを一挙に焼き尽くす。

 

「これは・・・!」

 

 そしてクロウは、否、ヒョウエはそれに見覚えがあった。

 

「騎兵隊だぁ!」

 

 耳慣れた声と共になだれ込んでくるのは三人の冒険者。

 

「チェェェェェェェイッ!」

 

 右手の刀を「∞」の形に振るい、怪物どもを次々と斬り伏せる白い鎧の騎士・・・いや、サムライ。

 

「はっ!」

 

 虹の七色に光る七つの分身となって怪物どもを牽制し切り裂くメイドの童女。

 そして右手の雷光銃を乱射し、そのことごとくが正確に怪物どもの急所を貫くガンマン。

 

「毎日戦隊エブリンガー、参上だっ!」

 

 鬱憤を晴らすようなモリィの快哉が洞窟に響き渡った。




「RUNNER」。
ただし高橋名人のほうの(ぉ


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09-36 毎日戦隊見参

「ヒャッハァァァァァ! 入れ食いだぜ!」

 

 流星雨の如く空を駆ける無数の雷光。

 目も止まらぬ乱射によって次々打ち倒されていくクワガタの生き残り。

 雷光銃、伝説のアーティファクトは閃光の女射手の絶技をもってその威力を存分に発揮する。

 

「チェアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 袈裟切り。逆袈裟。袈裟切り。逆袈裟。袈裟切り逆袈裟袈裟切り逆袈裟袈裟切り逆袈裟袈裟切り逆袈裟・・・

 一太刀ごとに怪物が切り倒されていく。咆哮と共に「∞」の字に振るわれる連続斬撃。その一つ一つが相手の攻撃に対する正確無比なるカウンター。

 

(あれは・・・柳生新陰流逆風の太刀!?)

 

 記憶から前世で見た武術関係の動画が引っ張り出される。

 江戸柳生の開祖柳生但馬守宗矩の兄、五郎右衛門宗章が鎧武者十八人を討ち果たしたという乱戦の剣。

 但馬守自身も大阪夏の陣において、この逆風の太刀を用いて鎧武者七人を斬り伏せたと言う。

 

 伝説の剣豪にも並ぶ天賦の才、超人の力を与える白の甲冑、代を重ね継がれ磨き抜かれた業。

 その三者が合一し、立ちはだかるもの全てを斬り伏せる修羅の颶風(ぐふう)となる。

 

「・・・」

 

 そして白武者の後に続くは七色の光放つ七つの影。

 主の影となり付き従う影の一族、その当代一の手練れ。

 虚と見えて実、実と見えて虚。

 怪物どもを牽制し、目くらまし、切り裂き、主をフォローする。

 影とは思えない派手さも、童の年齢も侍女の姿も全ては敵を欺くために。

 血の繋がった姉を守り、助けるために。

 彼女は忍び。刃の下に心と書いて忍びだ。

 

 

 

 三人娘によって次々に駆逐されていく怪物ども。

 

「ぬりゃああああ!」

 

 もっとも、助けられたほうもそれに見入っている暇はない。

 目の前には別の怪物達がいて、それから目を離したら最後がぶりとやられておしまいだ。

 驚きはしたものの何とか攻撃を受け流し、気付くと怪物達は全滅していた。

 

「助かったぁ・・・」

 

 スケイルズがへたり込む。ソルは息を荒くしながらも何とか立っていた。

 もっとも先ほどまでずっと前衛を務めていたのがスケイルズであるから、一概に彼が貧弱というわけでもない。

 体についた生傷も、ダントツで彼が一番多かった(同様に前衛に立っていたクロウに最低限の戦闘技能があったのも理由だが)。

 

「大丈夫ですか、スケイルズ!」

「もーダメ、死ぬ」

「死ぬ死ぬっつって本当に死んだやつぁいねえよ。まあ良くやったよお前ら、褒めてやる」

 

 ぐったりくずおれるスケイルズの傷を治療し、疲労回復の術もかけるクロウ。

 モリィが苦笑しながらも少年二人の奮戦を褒めた。

 

 

 

「さてと」

 

 一通り治療その他が終わって落ち着いたところでクロウ=ヒョウエが口を開いた。

 車座になり、カスミの入れてくれた香草茶をすすりながらである。ちなみにお茶請けは携帯食でもあるメナディのドライフルーツ入りビスケットだ。

 

「色々聞きたいことはありますが、どうやってここに来れたんです? そもそも高度な修行を積んだ霊術師か僕くらいの馬鹿魔力の持ち主じゃないと幻夢界ではまともに活動できないはず。

 となるとここは幻夢界ではないと言うことになりますね」

 

 クロウの疑問に答えたのはカスミだった。

 

「おっしゃるとおりです、ヒョウエ様。メルボージャ師の説明はほとんどわかりませんでしたが、ここは物質界と幻夢界の間に作られた場所で、ここであれば私たちも赴けるということでした。

 もちろん高度な魔術が必要になるそうですが」

「ふむ・・・ひょっとしてここに黒幕が?」

「可能性は高いって言ってたぜ」

 

 考え込むクロウに代わってソルが口を開く。

 

「ひょっとしたらそれとも関係ある話だが、俺も気になったことがある。

 クロウがここへ来て最初に発動しようとしたのは物質変性の術だよな? この弓やスケイルズの銛を作ったのと同じ」

「ええ」

 

 ちなみにソルの弓矢もスケイルズの銛も、それなりに作りはしっかりしている。

 ヒョウエが修めた数多くの技術の中には木工や鍛冶、矢師のそれなども含まれているからだ。

 それがなければ尖った棒であれば何とかなる銛はともかく、精度が要求される弓や矢は使い物にならなかったろう。

 

「アルテナの鞍にかけた時は普通に発動したのに、何故だ? この洞窟の岩・・・岩?が魔法的な何かだからか」

「ああ、それは多分・・・」

「正解と言えなくもないが少し違うの」

 

 クロウの言葉をアルテナが遮った。

 

「ここの岩と見える物は全て物質ではない。"霊的物質(エクトプラズム)"・・・物質界に吹き出した霊的な半霊半物質、その凝固したものじゃ」

「・・・!」

「えーと・・・?」

 

 目を見開くソル。三人娘とスケイルズはよくわからないようで混乱している。

 

「つまりですね、物質変性はあくまで物質から別の物質に構造を組み替える術なんですよ。この洞窟の素材は全て霊的物質(エクトプラズム)なので、本質的には物質ではありません。固形化しただけの霊体です。だから物質に作用する術は効かないんですね。

 この場合必要なのは霊的物質を一時的にでも実体化させるたぐいの術だったわけですが、その方面は僕もうといので・・・」

「なるほど」

 

 魔術とは俗に魔法百統と言われるほど極めて広範囲にわたり、かつ深い学問である。

 いかに天才とは言え、それらを全て修得するにはヒョウエ=クロウレベルの才能をもってしても膨大な時間が必要となる。

 残念ながら彼には才能があっても学習の時間が足りていない。

 それでも念動と物質変性をほぼ極め、その他の系統もかなりのレベルで習得している時点でとんでもないのであるが、まあそれはさておき。

 

「つまりそちらの娘が言うたとおり、ここは物質界と霊界の中間のような場所だということじゃ。そうでなければこんな広範囲に、霊的物質が安定して存在するはずもない」

「なるほどなあ・・・あいてっ」

 

 したり顔で頷くのはスケイルズ。もちろんよくわかってはいない。

 その頭をクロウが軽くこづく。

 

「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなせ、ですよスケイルズ。知ったかぶりは学問の大敵です。

 それはさておきこれからのことですが・・・お師匠からは何か?」

 

 クロウの問いに三人娘が困ったように顔を見合わせた。

 

(あ、嫌な予感)

 

「汝の為したいように為すがよい、だとよ」

「邪神かあのクソババァ! ・・・コホン、いや失礼。まあ無茶ぶりはいつものことですけど、何かヒントでもないんですか」

 

 一縷の望みを託してすがるような目でモリィ達を見るが、三人とも痛ましそうな顔で首を横に振った。

 

「地獄に堕ちろ因業ババァ」

 

 ぼそっと呟いた言葉に、スケイルズとソルがおののいたようにのけぞった。




今更だけど「騎兵隊」ってミーム、西部劇が常識な状態じゃないとミームたり得ませんよね(ぉ


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09-37 生きてるって素晴らしい

「ああ、そう言えば」

 

 そう言ってモリィが取り出したのはヒョウエの「隠しポケット」付きの肩掛けかばん。

 中から出てきたのは、ヒョウエ愛用の呪鍛鋼(スペルスティール)の杖だ。

 

「おお!」

 

 喜色を浮かべ、懐かしそうな表情でクロウがそれを手にする。

 

「いやあ、やっぱりこれがあると気分が違いますねえ。金属球も?」

「ああ、ホルダーごと中にあるぜ」

「ですか」

 

 いそいそと中からホルダー付きのベルトを取り出すクロウだが、モリィの言葉でその手が止まった。

 

「それでだな、今思い出したんだけど・・・婆さん『迷う様なら杖で決めろ』ってさ」

「杖で? 倒した方向に進めとでも言う気か?」

「いや何かの術式が付与されてるんじゃないか?」

「・・・あっ」

 

 そんな会話を交わす友人たちをよそに、クロウが何かに気付いた様な顔になる。

 

「どうした?」

「いや、遠回しですけどヒントはくれてたみたいですね。まあ因業ババァと邪神ババァは取り消しませんけど」

 

 ちょっと悪い顔で少年が笑った。

 

 

 

「どうです?」

「おおおおおおお、すげー!」

「見るからに"大魔法使い(ウィザード)"という感じだな」

 

 クロウがいつもの魔術師ルックに着替えると友人たちから歓声が上がった。いや、もうクロウではなくヒョウエと言うべきか。

 金糸銀糸で複雑な魔術的紋様を刺繍した青い絹のローブに、同様のつば広帽子。

 帽子や帯に取り付けられた金の環や宝石。

 手にはびっしりとルーンが刻まれた呪鍛鋼(スペルスティール)の杖。

 飾り気のない鋼色の輝きを放っているのが、逆に実用品としての凄みを感じさせる。

 

「でしょう、でしょう」

「それで? 着替えたのはいいけどどうするつもりだ」

 

 得意げなヒョウエに水をさすモリィの声。相棒をちょっと恨めしげに睨んだ後、呪鍛鋼の杖を両手で持ち上げる。

 

「こうします」

 

 杖でとん、と地面を突いた瞬間、地震が起きた。

 

「うおっ!?」

「きゃあっ!」

「うわ!?」

「うわあああああああああああああ!?」

 

 ゲマイの都クリエ・オウンドでも見せた最大出力での念響探知(サイコキネティックロケーション)

 震度3を越える揺れがその場の全員を襲い、口々に悲鳴が上がる。

 三人娘は滅多に地震の起こらないメットー出身。スケイルズとソルも同様だ。

 しばらく目を閉じて集中していたヒョウエが目を開ける。

 

「見つけましたよ」

「そうかい」

「あいたっ! 何するんですか!」

 

 モリィの拳骨がヒョウエの頭に落とされる。

 少年は当然抗議するが少女は意にも介さない。

 

「やり過ぎだ、馬鹿! せめてやる前に一言断れ!」

「いやでも・・・」

「でもじゃねえ!」

 

 モリィの剣幕に押されるヒョウエを他の四人が呆れたような、生暖かいような目で見ていた。

 

 

 

 ひとしきり文句を吐いてようやくモリィが落ち着いた。

 

「で、どうすんだよ。悪党のいる所まで直通か?」

「ですね」

「・・・お前のことだから、道を全部暗記したとかそういうんじゃねえよな?」

「わかってるじゃないですか。まあ構造は大体把握しましたけど」

 

 半目で睨むモリィに、にこやかに微笑むヒョウエ。

 

「・・・あっ」

「ああ・・・」

「「?」」

 

 リアスとカスミが何かを察した顔になる。対照的にスケイルズとソルはハテナマーク。

 

「どういう事だクロウ?」

「すぐわかりますよ」

「まあなんだ・・・運が悪かったと思って諦めろ」

 

 ソルの肩を気の毒そうにモリィが叩く。

 

「???」

「それじゃ行きますよ」

 

 スケイルズとソルが首をかしげると同時に、洞窟の床がひび割れ、一瞬にして崩落する。

 

「うわああああああああああああああ!?」

「ぬおおおおおおお!」

「やっぱりかよ!」

 

 少年二人の絶叫と少女のツッコミと共に、一行は闇の中へと落ちていった。

 

 

 

「ひえええええええええええ!」

「・・・・・・・・・!」

 

 スケイルズの悲鳴が響く中、落下は続く。

 ソルは悲鳴こそ上げなくなったが、それでも顔は引きつりっぱなしだ。

 砕けた霊的物質の岩のかけらがぶつかったり穴の壁面に激突したりすることもなく、通常の落下と違って重力加速度が付いていない事にも気付いていないが、まあそれが普通の反応だろう。

 

 一方で予測していた面々はそれなりに平静さを保っている。

 自分たちを守る念動壁の表面を突き、くるりと空中で一回転してリアスに近づくカスミなどはいい例だ。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「『仔細無し。胸座って進むなり』ですわ。サムライたるもの、常住坐臥心を乱してはなりませんもの」

「はい、お嬢様」

 

 僅かに微笑んで礼をするカスミ。

 言葉通りリアスは完全に戦闘モードに入っており、怯えや驚愕と言ったものは全く見られない。

 慣れもあるだろうが、彼女の言葉通りサムライの資質であると言えた。

 同様に戦闘モードのモリィが、回りをキョロキョロ見回しているアルテナに気付く。

 

「おめーも動じてねえな」

「わらわは龍ぞ? 落ちるくらいはどうということもない。人の姿で落ちるというのは初めてではあるがな」

「なるほどそりゃそうか」

「あいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 

 少女たちの会話をかき消すスケイルズの悲鳴。

 その余韻を後に引き、一行は更に落ちていく。

 

 

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああ・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 いつの間にか落下は止まっていた。

 ふわりとした感覚と、体を支えられるような感覚。

 足が地面につき、ふらふらとよろめく。

 呆れた顔のソルがそれを支えてやった。

 

「おい大丈夫か? 結局落ちている間中ずっと悲鳴を上げやがって」

「いや驚くだろう! って、ここどこだよ!?」

 

 くい、と無言であごをしゃくる。

 それに釣られてスケイルズが正面を見たのと、広い空間にその声が響くのが同時。

 

「舞台裏へようこそ役者と観客の皆様! ですがまだ劇は終わっておりません!

 今しばらく、今しばらく舞台にお留まり下さい! 観客の方は座席にお戻りを!」

 

 気取った様子で一礼するのは燕尾服を身につけた小太りの中年男性。

 手にはシルクハット、頭頂部は随分と薄くなり、顎には綺麗に刈り整えたヒゲを生やしている。

 ただし、人には有り得ざる特徴が一つ。

 額の中央から生えた、ねじくれた一本の角。

 いじけた枝のようなそれは見苦しいサイの角の如く。

 

「・・・悪魔?」

「いかにもでございます。我が名は悪魔ヴェヴィス! 本来の名前は長い上に皆様では発音できませんでしょうから、どうぞ気安くヴェヴィスとお呼びください」

 

 そして悪魔ヴェヴィスは再び気取った一礼をした。



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09-38 波動の結界

 固形化したエクトプラズムが形作る洞窟の中の広い空間。

 壁一面の鏡、その前に並ぶ無数の化粧台と椅子。

 衣装ダンスに荷物箱、くつろぐためのソファやテーブル。

 もう一方の片隅には劇で使う背景の書き割りや大道具、俳優を舞台に登場させるためのせり上がりの機械仕掛け。

 彼の言う通り舞台裏や楽屋をカリカチュアしたようなこの広間の中央、にこやかに笑う悪魔ヴェヴィスはさながら劇団一座の団長か。

 周囲に油断無く目を配りつつ、ヒョウエが口を開く。その回りには、既に四つの金属球が回転を始めている。

 

「ヴェヴィス氏、舞台裏とおっしゃいましたね。僕達のことは役者、ないし観客と。どういう意味です?」

「おお! なんとそれを尋ねられますか!」

 

 大げさに、芝居がかった驚きの仕草をしてみせるヴェヴィス。

 

「いやはやこれは失言、失言。とは言え一度口にした言の葉は元に戻せぬもの、やむを得ますまい。

 さて、舞台と申しましたがこれは言葉通りの事でございます。

 皆様が今までおられました幻夢界はある目的のために作られた大劇場(アリーナ)

 そこにて演じられるは古く、また新しい戯曲。

 これまでのところは実に見事な舞台でございましたが、いまだ幕は下りておりません。

 それゆえに今まで役を演じておられた方々におかれましては、すぐに幻夢界にお戻りになりますよう、同じく物質界におられた皆様には物質界に戻って最後までお静かに観劇いただけるよう、お願い申し上げるしだいでございます、はい」

 

 へらへらと笑うヴェヴィスを油断無く睨みながらも、モリィが軽い口調で話しかける。

 

「よう、それ最後まで見てたらどうなるんだよ?」

「それは見てのお楽しみ、木戸銭は見てのお戻りと言うことで」

「ちっ、話にならねえな」

 

 吐き捨てるモリィに対してもヴェヴィスのへらへら笑いは変わらない。

 

「なにぶんにも舞台でございますから、先に落ちをばらしてしまっては商売になりませぬゆえ、ご容赦頂きたく思います、はい」

「それは、何のために舞台とやらを作ったか白状する気が無いと解釈してよろしいかしら?」

 

 こちらは取り繕う様子もなく、剣と盾を構えながらリアス。

 ヴェヴィスは笑みを消さぬまま、無言で肩をすくめる。

 それが戦闘開始の合図になった。

 

 

 

「しゃっ!」

 

 戦いは雷光銃の乱射から始まった。

 乱射とは言ってもヴェヴィスの急所をそれぞれ狙う正確無比の連射。

 

「なぬ?!」

 

 だがそれらは全て、ヴェヴィスの直前で空中に波紋を残して消えてしまった。

 雷光が消えた点を中心に空間が歪むように波紋が起き、ヴェヴィスの姿を歪ませる。

 

「はははは、踊り子さんへのおさわりはご遠慮願います! というやつですな!

 わたくし脚本家演出家であって役者ではございませんぞ!」

「ならば!」

「はっ!」

 

 続けて突貫するのはリアスとカスミの主従。

 だがカスミの投げた棒手裏剣は同じく空中に波紋を描いてぽとりと落ち、リアスの踏み込みは見えないクッションに受け止められたかのように途中で止まり、柔らかく跳ね返された。

 同時に放たれたヒョウエの金属球四つもまた同様。

 

「そんな!」

「カスミの手裏剣はまだしも、『白の甲冑』を着たリアスも、僕の金属球もですか・・・!」

 

 表情を厳しくするヒョウエに、ぱちりとウィンクするヴェヴィス。

 

「防御だけではありませんぞ。そら!」

「!?」

 

 ヴェヴィスがポーズを取ってぱちん、と指を弾く。

 その瞬間、全員が一斉に吹きとばされた。

 

「"念動(サイコキネシス)"!」

 

 金属球に回していた経絡を念動の術に回し、何とか全員の体勢を立て直させる。

 その間にも全身に圧力が感じられる。爆風のような、激しいが一瞬のものではない。重く、分厚く、まるで津波に巻き込まれたようなそれだ。

 それが継続的に、寄せては引く波のように全身を圧迫している。

 

「ほう! 見事なものですな! まあわたくしめもまだ全力は出しておりませんが!」

 

 拍手をしてみせるヴェヴィス。その芝居がかった態度が崩れることはない。

 その様なヴェヴィスに取り合うことなく、ヒョウエの頭脳はフル回転している。

 僅かな間を置いて、それは正解を導き出した。

 

「そうか・・・"狭間の世界(ビトウィーン)"と物質界の間にある、"狭間の狭間"とでも言うべきこの空間は恐らく全てが霊的物質(エクトプラズム)で出来ている。

 つまりこの空気中にも、感じられないが霊的物質(エクトプラズム)は充満している。

 あなたが操っているのはこの空間に充満する、実体化していない霊的物質(エクトプラズム)・・・いや、原質(エーテル)だ」

「!」

 

 一瞬、ヴェヴィスが心底驚いた表情になった。

 しかし次の瞬間には芝居がかった態度がそれに取って代わり、気取った動きで大仰に一礼する。

 

「いやはやお見事! これだけでそれに気付くとは、さすが! さすがですなあ!

 まったく、オリジナル冒険者というのは大したものです!

 まあもっとも? それがわかったところで・・・」

「対策は打てますよ」

 

 エーテルの波動に圧されながらも、余裕をにじませるヒョウエ。

 ヴェヴィスは不快そうに眉を寄せる。

 

「ふむ。私の波動術に圧されて、吹き飛ばされずにこらえるのが精一杯という状況でよくも吠えたものですね。ではその大言壮語、本当かどうか試してみるとしましょうか」

 

 ぱちん。

 再び指を弾くとともに、ヒョウエたちに向かう圧力が倍加する。

 

「むっ!」

 

 顔を歪めるヒョウエを見てほくそ笑むヴェヴィスの、その表情が次の瞬間一変した。

 

「せいっ!」

 

 ヒョウエが杖を振るった瞬間、見えない「なにか」が切り裂かれるのをモリィは見た。

 空間に充満し、波打っていたそれらはヒョウエの振るった杖の軌跡に沿ってぱっくりと二つに割れ、勢いを失う。

 同時に彼女らの体にかかっていた圧も消滅していた。

 

「な、なんだと!? 確か霊体に対抗する術には乏しいと・・・!」

「弱点をいつまでも放っておくのは三流ですよ。丁度最近、この杖に刻んだ対霊術式を強化したところでしてね。運が悪かったですね、ヴェヴィス氏?」

 

 光る杖を握りながらヒョウエ。

 正確に言えば光っているのは杖ではなく、そこに刻まれたルーン文字。

 

(・・・そうか、スプリガンを倒したときの!)

 

 まだ二人でエブリンガーをやっていた時、ゴブリンの死体に取り付いていた半実体半霊体の怪物"遺跡妖精(スプリガン)"をヒョウエが今のように杖で倒したことを、モリィは思い出していた。

 

「それだけじゃありませんよ。今はこんな真似も出来ます」

 

 ヒョウエが杖を握り直すとルーンの光が杖自体に広がり、更に杖の一端から伸びて剣のように固定化される。

 六尺(6フィート)(180cm)の柄に、それに倍する刃渡りの光の巨大剣。

 

「きえええええええええええいっ!」

 

 滅多に聞けない気合いと共に、ヒョウエがそれを横殴りに振るった。



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09-39 攻防

 ヒョウエの、巨大光剣による横薙ぎの斬撃。

 白の甲冑を身につけたリアスとまでは言わないものの予想外の速度での踏み込みがヴェヴィスの目を見張らせる。

 

「ぬっ!」

 

 後ろにかわせず、咄嗟にヴェヴィスが宙に飛ぶ。

 その足元を、空気中のエーテルとエクトプラズムの壁を切り裂いて光の刃が通過する。

 霊質破壊の術式がエーテルを焼く、表現しがたい臭い。

 

 天井に張り付いた瞬間、今度は地面に向けて全力でダイブ。

 直後、切り返しの光剣が天井のエクトプラズムをえぐった。

 

 着地したところに襲いかかったのが雷光銃の三連射。

 空間に広がる波紋と共にまたしても無効化されるが、今度はヴェヴィスの肉体にごく近いところまで届いている。

 整えられた顎髭の先が僅かに焦げた。

 

 三度目の斬撃。

 流石に慣れたか、今度はやや余裕を持ってかわしつつ波動を放つ。

 四回目の斬撃を放とうとしていたヒョウエが光の剣でそれを迎撃し、エーテルの波動は霧散して空気中に散った。

 

 その隙に後退して間合いをとるヴェヴィス。

 雷光銃の三連射がまたしてもそれを襲うが、今度は余裕を持って防御する。

 ヒョウエも追わず、状況は一時停止した。

 

「ちっ」

 

 モリィの舌打ち。

 ヒョウエが魔力の節約だろうか、光の剣を縮めて杖を構え直した。

 規格外サイズの斬馬刀が今は薙刀くらいのバランスになっている。

 今の攻防に絡めなかったリアスとカスミに視線。

 

「ヒョウエ様?」

「少なくともあいつに有効なのはわかりましたが、あれだとリアスとカスミが動けませんからね。

 術式はこのくらいのサイズにして、あいつの波動の妨害に徹した方がよさそうです」

「次は私どもにも出番を頂けると言うことですわね」

 

 笑みを浮かべるリアスとカスミに、こちらも微笑んで頷く。

 

「期待してますよ」

「応えてご覧に入れましょう」

 

 僅かに頬を染め、それでも頼もしげに頷くリアス。

 カスミもまた頷いたのを確認したところで後ろから声がかかった。

 

「クロウ、"筋力強化(ストレンクス)"をかけられるが要るか?」

「助かります。カスミにかけてやってください」

 

 頷いてソルが詠唱を始める。

 

「あ、あの、俺は・・・」

「スケイルズは後方警戒を。それと魔法の明かりを絶やさないでください」

「わ、わかった」

 

 遠回しに戦力外通告されて、落ち込みつつも頷くスケイルズ。

 本来彼らは学院に入学して一年程度の初級者である。

 空気や水を綺麗にする術とか、着火とか光とか弱い霊を呼び出すとか、その程度の術を習得するのがせいぜいなのだ。

 "筋力強化(ストレンクス)"のような戦闘に使える術を既に覚えているソルが優秀すぎるとも言える。

 

「・・・くそっ!」

 

 だがそれでもこの場でただ一人、何の役にも立たないというのは悔しい。

 手に握る銛、クロウの杖が形を変えたそれを、スケイルズは強く握りしめた。

 

 

 

「せやっ!」

「かあっ!」

 

 戦闘はクロウの踏み込みと、ヴェヴィスの放つ波動から再開した。

 光の刃の大薙刀を振りかぶったヒョウエが迫り来る波動にそれを振り下ろす。

 エーテルを伝わる波が真っ二つに裂け、津波のように押し寄せていた波動が乱れて霧散した。

 

(やはり)

 

 "オーラ感知(センス・オーラ)"による視覚でエーテルの動きを確認し、ヒョウエが僅かに頷く。

 ヴェヴィスの波動は球形のバリア・・・風船のようなものだ。

 全身を包む波動は敵を薙ぎ払う鎚であり、受ける攻撃を止める盾。

 攻防一体の能力だが逆に言えばバリアを破壊された場合、攻撃手段と防御手段を同時に失うと言うことでもある。

 

 光の刃で切り裂かれ、エーテルの波動が破れた風船のように力を失う。

 間髪入れず斬り込んでいくリアス・カスミと、右側に回り込んだモリィによる雷光銃連射。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちしたヴェヴィスが新たな波動を生み出し、目の前のリアスとカスミに向けて叩き付ける。その顔に先ほどまでの余裕はない。

 雷光銃の連射が波動の盾に阻まれて波紋を残して消失。

 波動はそのままリアスとカスミを吹き飛ばし・・・とはならなかった。リアスとカスミに続いて踏み込んだヒョウエの突きが、再び風船に穴を開け、破裂させる。

 すかさず踏み込むリアスとカスミ。

 

「ひっ!」

 

 最後にギリギリで放った波動がリアスの刀を弾いた。僅かに遅れてカスミの忍者刀を弾き、二人の体に届く寸前にまたしてもヒョウエの薙刀に波動が切り裂かれる。

 それを見ることもなく、波動を放った瞬間にヴェヴィスは後ろ上方に跳んでいた。

 

「こしゃくな!」

「悪あがきですね」

 

 それを追ってリアスとカスミも跳ぶ。

 元よりカスミは忍び、跳んだり跳ねたりは得意中の得意で、しかも今はソルの"筋力強化(ストレンクス)"がかかっている。

 リアスも伝説の魔導甲冑"白の甲冑"を装着している身だ。5m程度の跳躍は何でもない。

 そしてヒョウエもだ。術式ではないが、黒瑪瑙の城で見せたように体に魔力を巡らせることによって身体能力を大幅に強化することが出来る。

 

「ちっ、跳ね回りやがって」

 

 舌打ちするのはモリィ。

 今や戦いは空中戦に移行していた。

 跳びながら有利な位置をとり波動を放って攻撃しようとするヴェヴィス。

 矢面に立つヒョウエがエーテルの波動を切り裂いた瞬間、すぐに斬り込めるように待機するリアスと、ヴェヴィスを牽制して軌道を限定しようとするカスミ。

 モリィもまた波動のバリアがなくなった瞬間に雷光を叩き込むべく、機会を窺っている。

 

 放たれる波動。光の軌跡を描く光剣。閃く鋼の刃。空を裂く雷光。

 めまぐるしく跳んでは跳ねて、体を入れ替え交差して攻防が繰り返される。

 激しい動きにダンスのステップを完璧に踏み続けることは出来ず、ヴェヴィスの体にもヒョウエやカスミの体にも、いくつものかすり傷が出来ていく。

 例外は重装甲に身を包んだリアスだけだ。

 

「この・・・っ!?」

 

 じれてきたのか、大技を放とうとしたヴェヴィスが愕然とする。

 後ろに跳ぼうとした自身の体が何かにぶつかり、動きが止まった。

 背中に感じたのは小さく固く丸い何かの感触。

 

(・・・!)

 

 脳裏によぎったのは目の前に迫る術師が先ほども旋回させていた金属球。

 身をよじると同時に、無理を押して波動を連打するがもう遅い。

 波動を突き破り、光の刃がみぞおちに吸い込まれる。

 ほとんど同時にリアスの刀が右腕を切り飛ばし、右目にカスミの棒手裏剣が、左脇腹にモリィの雷光が三連射、撃ち込まれたその瞬間、

ヒョウエの背筋に悪寒が走った。



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09-40 黒瑪瑙、炎の水晶、月長石、劇場

「ぐ・・・GAAAAAAAAAAAAAA!」

「!」

 

 魔力を念動に回し、自分とリアスカスミを守ると同時に後方に退避させる。

 次の瞬間、今までとは比較にならないエーテルの波動が爆発的に襲いかかって来た。

 

「かぁっ!」

 

 再び杖の対霊術式に魔力をスイッチ。

 現在出しうる全力の光の刃。

 それでも波動を一撃で切り裂くには至らない。

 

「カスミ! 私に掴まって! モリィさんも!」

「は、はい!」

「わぁった!」

 

 白の甲冑の力で踏ん張り、モリィとカスミはそれに掴まって吹き飛ばされるのを免れる。

 

「ぐっ!?」

「うお!」

 

 それとほぼ同時に光の剣がエーテルの波動を焼き切る。

 だがその余波ですら先ほどの波動に匹敵する威力。

 集中していたソル達が吹き飛ばされてゴロゴロと転がった。

 

「スケイルズ! ソル!」

「だ、大丈夫!」

「こっちも・・・だ!」

 

 ほっとして再び前に視線を戻す。そこにいたのは身長4mほどの毛むくじゃらの巨体。牛の角、豚の鼻、コウモリの翼、ゴリラの様な大雑把な人型、足には山羊のひづめ。

 

「テンプレートな悪魔ですねえ。それとも悪魔ってみんなこんな姿なので?」

「ダマレ! 大人シク逃ゲレバ良カッタモノヲ!

 ダガマアイイ。既ニ目的ハ達シテイル。今頃貴様ノ具現術式ハ我ラノ仲間ノ手ニ落チテイル。

 貴様ガココデ死ンデモ支障ハナイ! ココカラハ全力ダ!」

「なんだと!?」

「青い鎧を・・・!?」

 

 三人娘とスケイルズたちがざわめく。

 だがその中でヒョウエだけは冷静だった。

 

「なるほど、地面の中に置いてきた奴とリンクが切れてますね。

 だけど忘れてません?」

「何ガダ? 命乞イノヤリ方カ?」

 

 余裕を見せてこちらを見下すヴェヴィスに大仰に肩をすくめて見せる。

 

「いえ、僕が今まで全力を出せなかったのは青い鎧に魔力を注ぎ込み続けていたからですし。

 それがなくなったと言うことは今100%の力を発揮できるというか、何なら青い鎧を呼び出すことも出来るんですが」

「アッ・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 沈黙が降りる。

 フランス語ではこう言うのを「天使が通り過ぎた」というが、だとしたらよほどインパクトのある天使だったのだろう。

 

「エート、ソノ、ヤッパ今ノ無シデ・・・」

「通るかンなもんっ!」

 

 モリィの渾身のツッコミと共に、悪魔ヴェヴィスはヒョウエ全力の対霊術式で叩き伏せられた。

 

 

 

「あがががが」

 

 人間の姿に戻ったヴェヴィスがガクガクと震えている。

 その体を上から下まで何重にも締め付けているのは光の輪。

 杖の対霊術式が形を変えた、間に合わせの拘束術式だ。

 

「さて」

 

 ヒョウエが一歩歩み寄ると、転がったヴェヴィスがびくりと震えた。

 

「色々気になる事を言っていましたね。ここが作られた大劇場(アリーナ)であるとか、青い鎧を持っていったとか。

 古く新しい戯曲というのも少し気になりますね」

「・・・」

 

 悪魔は無言。

 とん、とヒョウエが杖を突くと再びその体がびくりと震えた。

 

「話す気はないと考えても?」

「・・・あがっ! あががががが!?」

 

 無言を貫こうとしたヴェヴィスが突然悲鳴を上げ、びくんびくんと体がはねた。

 よくよく観察すれば、彼をいましめる光の輪から微細な雷のようなものがほとばしっているのがわかっただろう。

 モリィがニヤニヤしながらヒョウエの顔を覗き込む。

 

「おー、活きが良いな。釣りたてのマナス魚みてぇに良く跳ねてら。

 何やったんだ?」

「・・・」

 

 同じく笑顔でとん、とヒョウエが杖を突くと雷が収まり、ヴェヴィスがぐったりとする。

 

「拘束術式からちょっと霊体破壊のエネルギーを流し込んで上げたんですよ。

 ごく弱いものですけど、尋問には最適です」

「今の威力はどれくらいなのですか、ヒョウエ様?」

「最弱です」

 

 ヴェヴィスに聞かせる意図もあったのだろう、ヒョウエがそれを口にすると、果たしてぐったりしていたヴェヴィスの体がびくりと震えた。

 

「さて、どうしますヴェヴィス氏? どのみち先生方に助けに来て貰えるまではここでカンヅメなので、時間は一杯ありますが」

「カンヅメ?」

「あれだろ、冒険者族が作ってる魔法の携帯食品」

「ああいえ、この場合は閉じ込められて出られないと言うことです」

 

 この使い方の場合、本来は「旅館」に「詰めこむ」ので「館詰め」、転じて「カンヅメ」であるらしい。

 閑話休題(それはさておき)

 

「・・・」

 

 脂汗を流しながらも無言を貫くヴェヴィスに、ヒョウエが笑顔で頷く。

 

「中々強情ですね。では続き行きましょうか。3、2、1・・・」

「待って! 待って下さい! 喋りますから!」

「けっこう」

 

 あの時のクロウは怖かった、にこやかな笑顔があれほど恐ろしく感じたのは初めてだ、とソルは後に語ったという。

 

 

 

「まず世界に穴を開けようとしていたのがあなたたちの計画だったのかどうかお尋ねしたいのですが」

「え、ええ。そこから計画通りですとも。

 まずですね、幻夢界のあなた方がいた世界はですね、物質界の過去なんですよ。まだ神代の、世界が小さかった時代のものですね」

「やはり」

 

 何となく察してはいた。

 創世の八神の名を冠した島々。古代神話に語られる、原初の龍が変じた最初の大地。

 学院の教師たちの名前。101人という数。

 学院で教えていた、系統魔法ではない魔術。

 姿を現さない学長の存在。

 真の龍という単語が存在しないスケイルズとソルの反応。

 

(101人というのは一人多いですけど、そう言う事も有り得ますか)

 

 そこでぽん、とスケイルズが手の平を打った。

 

「あ・・・ひょっとしてあれか、魔術的再現ってやつか?」

「は、はいそうです。幻夢界は過去も現在も未来も、あるいは現実も不安定な世界なので、それなりの力を持っていれば過去の世界を、そしてそこで起きたことを丸ごと再現するのも不可能ではありません。

 炎の水晶(ファイヤークリスタル)の妖魔、黒瑪瑙(ブラックオニキス)の妖魔、月長石(ムーンストーン)の妖魔も多少手は加えましたが、過去の世界に実在していました。

 あなたがたが経験した出来事も、基本的には同じ流れで事件が起こっていました」

「ふーむ。他はともかくそれで、月長石の妖魔を使って世界に穴を開けようとしていたわけですか。何故です?」

「あー・・・そこはちょっと違うんです。月長石の妖魔は過去の世界でも実際に世界を割ろうとしていましたが、学院の教師スィーリたちによって阻止されました。

 実際に世界に穴が開いたのはその後のことです。今のこれも過去の再現なんですよ」

「あ・・・神代の『大崩落(グレートフォール)』ですか!?」

「あ、はい、人間たちはそう呼んでるようですね」

 

 三人娘が顔色を変えた。対称的にスケイルズとソルは首をかしげている。

 

「大崩落ってあれか、世界が壊れかけたやつか!」

「ええ。悪魔によって世界に穴が開き、創世の神々はそれを修復するため、そして悪魔を近づけないために世界の外に旅立ちました。

 その後を継いだのが八神の長兄"祭壇"の弟子である"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"たち。100人の弟子たちのうち99人は神となって天に昇り、弟子たちの長兄である一人は地上界に残って人間たちを見守っていると」

「マジか!? んじゃ世界壊れるの!?」

「いや、クロウ達が未来の人間だというなら、世界は続いていくんだろう。だが百人の弟子というのはまさか・・・」

「それでですね、『大崩落』も実は悪魔によるものではなくてですね――が、がががががが!?」

「!? ヴェヴィス!」

 

 突然痙攣し始めたヴェヴィスが苦悶の悲鳴を上げる。

 

「お、お許し下さい! 裏切ってなどおりません! 重要な事は何も・・・ががががが!」

 

 バンッ、と音がしてヴェヴィスが破裂する。

 血しぶきも肉片もまき散らされることはなく、僅かな霊的物質の煙だけを残して、あっけなく悪魔は消失した。

 

「!」

 

 険しい表情でヒョウエが振り向く。

 

「馬鹿ねえ。それだけ喋れば十分よ。この役立たず」

「え・・・」

「クリス・・・先生?」

 

 スケイルズとソルが呆然と声を上げる。

 

「ええそうよ。クロウ、スケイルズ、ソル。こんなところで会うなんて奇遇ねえ?」

 

 紫の紅をつけた唇でにっこりと笑ったのは、エコール魔道学院の召霊術副主任、クリスだった。

 




タイトルは章ごとのボス?の名前ですが、国産最初のコンピューターRPG「ブラックオニキス」のシリーズから。
ブラックオニキス、ファイヤークリスタル、ムーンストーン、アリーナです。
まあムーンストーン以降は出ませんでしたけどね!(ぉ

この世界缶詰は存在しますが、コストが洒落にならない高さ、かつ高位の魔法使いの職人芸がないと作れないので手作りで極々少量作られているだけです。


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09-41 Mr.Chris

 紫色のアイシャドウ、紫の口紅、紫の服と靴。加えてオネエ言葉。

 いきなり現れた男(?)に戸惑いつつも、三人娘は既に戦闘態勢に入っている。

 

「どなたか、よろしければこの方を紹介して下さいませんこと?」

「ミスター・クリス。魔導学院の教師の一人です。何やら危険な実験をしそうな感じはしたんですが・・・あなた、本当にクリス先生ですか?」

 

 ヒョウエが睨むと、オネエ言葉で喋るこの奇人はいきなりケタケタと笑い出した。

 

「まっ、失礼ねっ! 私は本物のクリス・モンテヴィオラよ!

 まあもっとも? あなたたちが知っている時点のクリスそのままでないのは事実だけど」

「・・・?」

 

 沈黙が落ちる。目の前の人物が何を言っているのかわからない。

 "筋力強化(ストレンクス)"の呪文をすぐに再発動できるよう身構えつつ、ソルがちらりと友人に視線を向けた。

 

「クロウ、どういう事かわかるか?」

「・・・クリス先生がやっぱり一連の事件の黒幕だったってことでしょう。ただし、僕達の知っている魔導学院のクリス先生ではない。恐らくは数千年、あるいはそれ以上を生きて現代まで存在し続けた、『今のクリス先生』が犯人なんです」

「アラ、興味深い考察ね。どうしてそう言う結論に至ったのかしら?」

 

 面白そうにクスクス笑うクリスを見やって、ヒョウエが再度口を開く。

 

「『時点の』と言うからには僕達の知っているクリス先生とあなたの差は時間でしょう。

 ヴェヴィスの言った通り幻魔界に作られた舞台(アリーナ)、神代のオオヤシマ世界が過去の再現なら、過去のクリス先生に対応する現在の『クリス』は僕達にとっての現在である物質界にいると考えるのは自然な流れかと」

「うんうん、いいわいいわぁ。続けて続けて」

 

 何が嬉しいのか、本当に楽しそうに続きを促すクリスはそこだけ見ればいい先生のようで、彼に教えを受けていたかもしれないクロウ達に複雑なものを呼び起こす。

 そうしたものを振り払って、ヒョウエが言葉を続けた。

 

「もちろんただの人間は数千年も生きられません。ですが魔導で長命を得る事はできますし、《加護》や神の《使徒》になることによって不老不死になることもあります。

 あるいは有限生命である人の肉体を脱ぎ捨てて不滅生命体(イモータル)・・・いわゆる神になる場合ですね。学院の教師方が創世の八神の去った後そうしたように」

「!?」

「どういう事だよクロウ!? 先生たちが神って!」

「簡単に言えば、さっきソルが言ったようにこの後世界がいっぺん壊れかけて、創世の八神がそれを修理するためにこの世界を去りました。その後この世界を見守る立場になったのが〈百神〉――神になった学院の先生たちなんですよ」

 

 教師の数が百一人だとか、魔術師の長兄は白ひげの老爺だったはずだとか色々引っかかるところはあるが、取りあえずそれはおいておいて話を続ける。

 

「続けますよ。『大崩落』では世界の底に穴が開いて、世界の外と繋がってしまいました。

 これを幻夢界で再現するとどうなるか?」

「そうか、世界の外の代わりに、『下』にある私たちの世界と穴が繋がる!」

「カスミ正解。師匠が危惧していた世界の亀裂、幻夢界が物質界になだれ込んでくるという現象になります。

 そして恐らく――本来の時間軸で世界が崩壊しかけた原因はクリス先生です」

「えっ」

「何?!」

 

 絶句するスケイルズとソル。理解が追いつかないのか、明らかに混乱の表情。

 一方でクリスは楽しそうにうんうんと頷いている。

 

「アノソクレス・・・例のクモ怪人や僕の召霊などで大きく開いた世界の割れ目が塞がりきらないうちに、クリス先生は召霊の実験を行った。

 それが致命傷になったんでしょう。世界は崩壊しかけ、創世の八神が何とかそれを食い止めた。そして僕達の知る世界が改めて形成され、学院の先生方が神となって世界の管理を引き継いだ。

 これは多分に僕の想像が入っていますが・・・ここに『クリス先生』がいるというのは今のクリス先生が昔の姿に変身している可能性もありますが、あなたは『過去のクリスそのままではない』と言った。

 そのままではないと言うことはつまりクリス先生そのものではないにしろ、全く違う存在ではない。過去のクリス先生が実際に『ここ』にいたから、同一存在として『クリス先生』の皮をかぶることが出来たんじゃないですか?

 つまりクリス先生は実験の結果世界の外に落ちた。だから神になれずに地上に取り残された――もっとも、懲罰としてそうなったのかもしれませんけどね」

 

 視線をクリスに向ける。

 くすくすと笑いつつ、「彼」はぱちぱちと手を叩いた。

 

「ブラーヴォ! ブラヴィッシモ! やっぱりあなた素敵よ! ああもう、あなたが当時の学院にいたら、手取り足取り何から何まで教えて上げたのに!」

「それはどうも。・・・僕も、あなたの授業を受けてみたかったですよ」

 

 肩をすくめるでも、皮肉げに口を歪めるでもなく発せられたヒョウエ・・・いや、「クロウ」の言葉。

 クリスは一瞬虚を突かれたように目を丸くして、少し寂しげに微笑んだ。

 

「うまくいかないものよねえ、世の中って」

「恐らく現在までの情報で察せられることはこのあたりが限界でしょう。それとも何か見落としがありますか?」

「そうね・・・」

 

 クリスは少し考え込んでから首を横に振った。

 

「まあ教師としては百点満点を上げるべきでしょうね。あなたが予言者か読心術師か、さもなくば神託を受けられるのでない限り。これ以上を求めるならまず設問をいじらないとね」

 

 ヒョウエが頷く。

 

「論理は極めて有効な手段ですが、自ずから限界がありますからね。

 それで、もう二つ質問よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「まず過去のクリス先生は何のために世界の外に通じるような召霊の実験を行ったのかと言うこと。

 そして今のクリス先生は何を目的にこのような再現をしたのかと言うことです」

 

 頷いてからクリスは口を開いた。いつの間にか教師の顔になっている。

 

「まず最初の質問からだけど、それは単純に召霊術の進歩のためよ。

 霊界も物質界もこの世界の一部、一つの家の中のいくつかの小部屋の一つ。

 召霊というのは別の部屋にいる人に声をかけてこっちに来て貰う魔術なわけね。

 でも私は思ったのよ。家の外にいる誰かにこっちに来てもらう事はできないか、そもそも家の外には誰が、あるいは何がいるのか? ってね」

 

 そこで溜息を一つ。

 

「今にして思えばお師匠様に直接聞いておけば良かったのよ。スィーリの忠告も聞いておけば良かった。でもだめね。私は自分の好奇心に勝てなかったし、実験を禁止されるのが怖くて相談も出来なかったのね」

「確認しますが、あなたの――学院の先生方のお師匠というのは」

「ええ、"祭壇"よ。創世の八神の長兄にして知恵と魔術の神、創世のプランナー」

 

 さすがに周囲がざわめいた。

 スケイルズは目を丸くして、ソルは汗を流しながら納得したように頷いている。

 ヒョウエが手を振って、ギャラリー達を静かにさせた。

 

「そしてその実験の結果、世界は崩壊しかけたわけですね」

「ええ。付け加えて言うなら私自身もね。本当にタイミングが悪かったわ。

 お師匠様に相談した上で時期を見て行っていれば安全に行えたかもしれないのに。

 まあでもそのおかげで貴重なデータも取れたのだけど。

 ああん、ステキ! 本当に素晴らしかったワ! あんなデータが取れるなら、何度死にかけてもいいわネッ!」

「・・・」

 

 恍惚の表情で肩を抱いてくねくねするクリス。

 やはりこの人も学者馬鹿だなとヒョウエが半目になった。




Mr.Chris(ミスタークリス)はこち亀の秋本治先生のスパイアクション漫画。
007みたいなプレイボーイスパイが脳みそを20歳の女性の体に移植されて、大暴れする話。
お気に入りはキャリコM100を二丁乱射する殺し屋ナポレオン。スラップスティックコメディみたいな初期が一番好きだったw


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09-42 世界平らかなりし頃

 

 

「それで、その貴重なデータというのは?」

「それは流石に教えて上げられないわね。私の弟子になるなら別だけど」

「遠慮しておきますよ。そんなことをしたら今のお師匠に殺されかねない」

「あらまあ、愛情の深いお師匠様ね」

 

 肩をすくめるヒョウエにくすくすと笑うクリス。

 

「それに大体の想像は付きますよ――世界の外にいるものというなら。今までそこにいたような連中のことでしょう」

 

 消失したヴェヴィスの跡を指したヒョウエの言葉に、クリスは無言で微笑む。

 

「それで二つめの質問だけど・・・それはあなたのお師匠様に尋ねなさい」

「理由をおうかがいしても?」

「そのほうが面白いからよ」

 

 またしてもくすくす笑い。

 お手上げというように肩をすくめて天を仰ぐヒョウエを見て、クリスの笑いが一層大きくなった。

 

「まあいいわ。他に質問はあるかしら、みなさん?」

 

 笑みを収めたクリスが周囲を見渡すと、ソルが手を上げた。

 

「はい、ソルくん。何かしら?」

「ここにいる俺達は本当に俺達なんですか? つまり過去の俺をコピーしただけの影法師なのかと言うことですが」

「それは難しい問題ね。イエスとも言えるしノーであるとも言えるわ。

 確かに過去に存在したソルはクロウという少年とは出会わなかった。

 でもここにいるあなたも本物のソルだし、この魔術的再現によってあなたがクロウと出会った事は事実になったのよ――これでわかるかしら?」

「わかった、と思います。ありがとうございました」

「あなたも優秀ねえ。本当、教えられなかったのが残念だわぁ」

 

 うーん、とくねくねした後、ぱん、と手を打つ。

 

「さて、座学の講義はこのへんにしておきましょうか。ここからは実地って事で。

 正直この実験も八割方成功しているから、ここで終わらせちゃってもいいんだけど・・・得られる利益は最大化しないと、ネ?」

 

 そしてクリスは先ほどまでとはまるで違う、耳元まで口が裂けたような邪悪な笑みを浮かべた。

 

■■■■■■■■■■■■■■(現れよ大地の影、過去の夢、狭間の世界)・・・」

 

 笑みを浮かべるクリスの口から漏れた音に、ヒョウエとアルテナを除くその場の全員が目を見張る。

 

真の言葉(トゥルースピーク)!?」

「クリス先生はそれこそ正真正銘の"真なる魔術師(トゥルーウィザード)"だ! 真なる言葉くらい習得しててもおかしくないだろうさ!」

 

 地中にあった青い鎧への魔力送信をカットして得た魔力の余裕で九個、全力の金属球をクリスに叩き付ける。

 モリィは雷光銃を、リアスは全力の踏み込みを、カスミは閃光の術を、ソルは筋力強化の術を。

 だがそれらがクリスの体に届く直前、洞窟が崩壊した。

 

「!?」

 

 物理的に崩落したのかと一瞬思ったが違った。

 周囲の霊的物質で構成された洞窟の壁面や天井に一面のヒビが走り、パラパラと崩れ去る。

 洞窟が崩れて生き埋めになるのではない。

 さながら舞台背景の書き割りが切り刻まれて舞台に落ちるような。

 

 崩落してくるはずだった洞窟の岩は薄板一枚のように薄く、それも空中でかき消える。

 書き割りの壁が崩れたその向こうは、一面荒涼とした岩の大地。

 草木も動物も、それどころか土もない、岩と砂礫だけの風景。

 地平線の彼方には暗黒の闇と瞬かない無数の星。

 そして。

 

「なんだ・・・ありゃ!?」

 

 モリィの声が響く。

 ほとんど全員が反射的に上を見上げていた。

 

「なんですの・・・天井・・・?」

 

 彼らの目に映るのは、赤茶けた天井。緩やかに凹凸を描くそれは彼らの頭上ほとんど全てを占め、不可思議な圧迫感を与えている。

 

「いや、天井じゃないぞ! 見ろ、周囲に何もない! 柱も、壁もだ! あれは宙に浮いている!」

 

 ソルの声。

 目の前のクリスは動かず、笑みを浮かべるだけ。

 そのクリスから注意は逸らさず素早く周囲を見渡すが、見えるのは地平線と黒い空、星々だけ。

 もう一度空を見上げるが、岩の天井は小揺るぎもせずにそこにある。

 

「それだけじゃねーぜ。あの天井、どのくらい上にあると思う?」

 

 モリィの言葉に戸惑う一同。リアスが困惑しながら口を開く。

 

「それは・・・数百メートルくらいでしょうか?」

「いいや」

 

 首を振る。

 

「多分だが・・・・数千キロだ」

 

 一瞬沈黙が落ちた。

 困惑、驚愕、余りに突飛なことを言われた時の思考の停止。

 アルテナ以外の全員が目をしばたたかせて頭上とモリィの間で視線をせわしなく動かす。

 ヒョウエがくすくすと、悪意を含んで笑うクリスに目をやった。

 

「まさか、あれは・・・」

「そ。世界の裏側・・・もっと言えば世界の底ね。

 六千年前、ワタシはあそこから落ちてきたの」

「!??」

 

 混乱が広がる。

 

「どういう事です・・・? 世界というのは丸いのでは?」

「えっ!? そうなんですの!?」

「おい」

「お嬢様ぁ・・・」

 

 モリィのジト目とカスミの心底情け無さそうな表情に、リアスが思わず後ずさる。

 対称的にスケイルズとソルの二人は、この状況をすんなり受け入れているようだった。

 

「マァ確かに世界は丸いわネ。『今』の物質界では。でもこの時はそうじゃなかった。ワタシは世界の底に穴を開けて、そこからここに落ちてきたわけ。これはその時の再現みたいなものね」

「つまり・・・この"大崩落(グレートフォール)"を機に、世界は作り直されたわけですか」

 

 ヒョウエの言葉にクリスが満足そうに頷く。

 

「そのとおり。それまで世界は平たい板みたいな形だったのよ。ただこの件で"祭壇"、私たちのお師匠様がそれでは問題があると考えたんでしょうね。

 そちらのあなたたちが知るような丸い世界になったわけ」

「"世界平らかなりしころ"というわけですか」

 

 この世界では通じないだろう言い回しを口にして、感慨深げに首を振る。

 実際このような状況でなければ素直に目を輝かせていただろう事実である。

 目の前の人物が敵であることが残念でならなかった。

 

「それで、お優しいクリス先生はこの場に私たちを連れて来てどうなさるおつもりで?」

「別に? ただワタシの見た景色をアナタたちにも見せてあげたかったダケ。

 ここで死にゆくあなたたちへの、せめてもの手向けと思いなさイ」

 

 そしてクリスは再び、口を大きく裂いて邪悪な笑みを浮かべた。



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09-43 ビッグ・タイム

■■■■■■■■(闇よ、つどえ)

 

 真なる言葉の詠唱と共に、紫色の魔術師の周囲に100を超す闇の群れがわだかまった。

 それは見る間に実体と質感を備え、二足歩行の狼のような怪物になった。

 肌は黒いゴムのようで目は赤、鋼のような角と牙と爪を備えている。

 

「しゃっ!」

 

 リアスが踏み込み、刀を振るう。

 その後ろには主をフォローするカスミ。

 

「っ、強い・・・!」

 

 怪物達は明らかにリアスより弱い。

 カスミのフォローがあるとは言え、数匹を相手にしてもリアスは小揺るぎもしない。

 だが同時に一太刀で斬り伏せられるほど弱くもない。

 洞窟の中で遭遇した怪物達とは明らかに格が違う。

 恐らく黒等級でも上位、金等級に迫る実力を持つ今のリアスにとってさえ、たやすくはない相手。

 

「VOOOOOOOOOOOOOOO!」

 

 再び黄金の龍に変じたアルテナがリアス達に並んで黒怪の群れに向かっていく。

 だが黒怪の動きは素早く、爪は鋭く、前足を叩き付けても一撃は耐える。幼いとは言え龍であるアルテナでさえ鎧袖一触とは行かない。

 

「悪魔かっ!」

 

 ソルが冷や汗を浮かべる。

 クリスが背筋の凍るような笑み。

 

「一つの呪文でこれだけの召喚を・・・!」

 

 こちらも顔を歪めるヒョウエは近づいてくる黒怪たちを金属球8つで迎撃しつつ、手の中の金属球の起動準備をしている。

 

「シャオラッ!」

 

 黒い悪魔たちの隙間をすり抜け、モリィの雷光がクリスに襲いかかった。

 紫の魔術師は棒立ちで何かする余裕があるように見えない。

 

「なぬっ!?」

 

 しかし雷光は彼の体に届くことなく、むなしく四散して消えた。

 ちちちち、と指を振って笑みを浮かべるクリス。

 

「馬鹿ねえ。雷光銃なんて魔力を集束して撃ち出すだけのおもちゃ、その辺のモンスターならともかく魔道を極めた"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"のワタシに通用するわけないデショ?」

「ちっ!」

 

 舌打ちするモリィ。彼女の目には、雷光が何かに当たって弾かれたのではなく、空中で「ほどけて」四散したのが見えていた。

 ヒョウエにはもう少し細かいところまでわかる。

 

 雷光銃は蓄えた魔力を励起・集束させて撃ち出す武器だ。

 その時魔力が拡散して威力が低下するのを防ぐために、撃ちだした魔力に簡単な術式でくるんで拡散しないようにしている。

 たきぎの束を紐でくくるようなものだ。これによって魔力は一発の弾丸のような雷光になり、十分な破壊力を発揮する事ができる。

 

 ところがクリスはその術式に干渉して解除し、雷光をただの魔力の塊に変えてしまった。

 こうなると魔力はただのあやふやなモヤのようになり、ただ空中を進むだけで破壊力を失ってしまう。

 

 術式自体は極めて単純なもので、"解呪(ディスペル)"の術を使えるものならさほど苦労もなく解除できるだろう。

 恐るべきは発射されてから0.1秒もない時間の中で、呪文を唱えることもなく、それも複数の雷光の術式を解除してしまったと言うことだ。

 

(さすがは神の直弟子、"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"・・・!)

 

 後に神になった人々と同等の力、同等の技術を持つ、まさしく神の如き術者。

 後代の人間や妖精たちが複雑過ぎて扱えなかった真なる魔術をやすやすと操る神代の魔術師である。

 彼らをスパコンとすれば、ヒョウエやシャンドラといった当代きっての術師でさえ、機能を限定した業務用のシステムか個人用のパーソナルコンピューターでしかあるまい。

 それだけのスペックと汎用性の差が彼我の間には横たわっている。

 

「だがやりようはある! "暗黒の星よ(Rahu)"!」

■■■■■■■■■■■■■■(円環の呪いよ、泣き叫ぶ塔よ)■■■■■■■■■■■■■■(珍異なる市にて痛み止めの代価を)・・・あらっ!?」

 

 金属球の一つがリアス達と黒怪の頭上を飛び越え、クリスの斜め上2mほどで静止する。

 ヒョウエの起動と魔力に応えたそれは直径3mほどの暗黒の球体となり、周囲の魔力を無差別に吸収し始める。

 

「ギギギ!?」

 

 黒怪から驚愕の声が上がる。

 霊体から実体化するためのコスト、かりそめの体の維持に使用されていた魔力を吸われて数体の黒怪が消滅する。

 

「やるわね! ■■■■■(憎しみの雲よ) ■■■■■■■■■(間違った枝道を辿り魔女の天幕へと至れ)

「!?」

 

 黒い球体がふっと消失した。

 素早く金属球を手元にもどしたヒョウエが見たのは、金属球の表面をすっぽりと覆う鳥もちのような粘りついた魔力と術式の混合物。

 

「これは・・・!? それに"暗黒の星(Rahu)"の中で術式を発動するなんて!」

「アラ、ヒョウエちゃんもワタシのこと舐めてナァイ?

 真の言葉(トゥルースピーク)は神々が世界を作りたもうた言葉よ。

 もちろん使うのは人間であるワタシだし、魔力抜きでは大幅に力を減じるけど、真の言葉にはそれそのものに力が宿る。

 あなただって言霊の術の初歩くらいは授業でやったでしょう?」

「・・・それか!」

 

 真の言葉はそれ自体が魔術とはまた違う、力を引き出すためのデバイスだ。

 極端な話、強い念を込めて「光あれ」と真の言葉で銘じれば光が生まれる。

 それを世界創世のレベルでやったのが創世の八神なのだ。

 

 だから真なる魔術師と呼ばれるほどの存在が真の言葉を操れば、それだけで生半可な魔術など及びもつかない現象を引き起こすことが出来るということだろう。

 

(・・・やはりこの人と僕では、魔術師としての引き出しに圧倒的な差がある)

 

 背筋を冷や汗が伝った。

 無限の魔力を生み出す"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"という馬鹿げた加護(チート)があるおかげでなんとか対抗できてはいるが、それがなければ仲間達含めてあっさりと一網打尽にされていただろう。

 

(やはりやるしかないか)

 

 手に持った杖に精神を集中させる。

 「青い鎧」の起動。

 具現化術式が変じた杖は微細なパーツに変わり、ヒョウエの全身を覆ってその身を超人へと変える。

 セーフティを解除し、ヒョウエは強大な力を解き放つ最後のスイッチを思念の指で押し込んだ。

 

「!?」

 

 何も起こらない。

 愕然として動揺する心を何とか鎮めて、それをやったであろう男を見る。

 紫の唇がクスクスと嘲り笑った。

 

「脇が甘いわよ。起動術式なんて大事な物を何の守りもつけずに使ってるなんてね」

「今の世の中には、そこにつけ込めるほどの術師がいませんので」

 

 恐らくは術式を起動させようとした瞬間、それにロックをかけたのだろう。

 たとえるなら敵が拳銃を発砲する寸前にセーフティをかけ直すが如き所業。

 強大な魔力も複雑な術式も使わない、神域の技量のみが為せる技だ。

 

 それでも軽口で返すヒョウエ。たとえ背中が冷や汗でぐっしょりと濡れていたとしてもだ。

 それを察したのか、紫の口元が再び嘲笑の形に歪んだ。



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09-44 男の子には意地がある

「どういうことでしょう、カスミ? 青い鎧は無敵ではありませんの?」

「技の出かかりを潰した、ということでは。どれだけの力を持つ一撃でも、放つ直前を打たれては力を出せません!」

 

 リアスの疑問に、地面を転がって黒怪の足を切り裂きながらカスミ。

 狼のような喉から豚のような悲鳴を上げて黒い悪魔が倒れる。

 

「なるほど」

 

 言いつつ、黒怪を袈裟切りに切り倒す。

 リアスはまだ余裕がある。カスミはそろそろ余裕が無くなりつつある。

 話しかけてしまったことを反省し、リアスは水平に振るった剣でもう一匹の黒怪の首をはねた。

 

 

 

 攻防は一進一退が続いている。

 リアスとカスミ、アルテナは前線で獅子奮迅の活躍。

 ヒョウエの金属球がそれと並んで黒怪達を押しとどめる壁となっている。

 モリィもクリスを狙うのを諦め、黒怪を撃ち減らしていた。

 

 時折ヒョウエが金属球の術式を起動して黒怪達を大きく減らしたり、クリスを直接狙ったりするが、前者の場合はすぐに前以上の黒怪達が召喚され、後者は例外なく防御されるか打ち消される。

 にやりと嫌な笑みを浮かべるクリスに舌打ち。

 

(・・・けど、おかしい。こちらへの攻め手が厳しくない。

 クリス先生ならもっと上位の悪魔種を呼ぶなり、数を増やしてこちらを消耗させるなり、術で直接攻撃するなり色々できるはず。

 それをしないのはこちらの出方を見ているか、時間稼ぎか、それが出来ない事情があるのか)

 

 金属球を操って黒怪の頭を砕きつつ、ヒョウエはクリスの姿を睨みつけた。

 

 

 

「カスミさん! "生命力強化(ライフ・リーンフォースメント)"をかける! 受け入れてくれ!」

「わかりました!」

「?!」

 

 いつの間にか前に出てきていたソルが、前衛のカスミに呼びかけた。

 ヒョウエが驚いて振り返る。

 

「大丈夫ですか? "筋力強化(ストレンクス)"の維持があるでしょうに」

「これくらいなら何とかなる」

 

 術は起動する時ほどではないが、維持するのにも相応の術式処理能力を要求する。

 常駐のアプリケーションのようなものだ。

 一般的なレベルの「腕利き」でも、同時に維持できる術は三つ程度だと言われている。

 それで言うならば、ソルは既に凡庸な術師の域は超えているということになる。魔道学院入学一年ほどの見習いがだ。

 

「あなたホント才能ありますね?」

「お前に言われると皮肉にしか聞こえないぞ」

 

 ソルが親友の言葉に苦笑を漏らした。

 肩をすくめると、今度はもう一人の親友の方にちらりと視線をやる。

 

「・・・!」

 

 そのまま何も言わず、ヒョウエは前に向き直った。

 呪鍛鋼(スペルスティール)の杖を高く掲げると、空中を飛び回っていた九つの金属球がその頭上に集う。

 

「!?」

 

 クリスが目を見開いた。

 彼でさえほとんど見たことがないレベルの、莫大な魔力が少年の体からあふれ出す。

 

「"日輪よ(Surya)"」

「"月輪よ(Soma)"」

「"火の星よ(Angaraka)"」

「"水の星よ(Budha)"」

「"雷の星よ(Brihaspati)"」

「"金の星よ(Shukra)"」

「"地の星よ(Shanaishchara)"」

「"暗黒の星よ(Rahu)"」

「"流れる星よ(Ketu)"」

 

 円を描いて頭上を回転する九つの金属球がそれぞれ直視できないほど強い光、やわらかな光、炎、水、雷、白い宝石のような鉱物質、岩の塊、反魔力の暗黒、原子分解(ディスインテグレイト)の魔力光で構成された直径10m近い巨大な球体となる。

 

「チッ! ■■■■■■■■■(凄涼の岸辺、雪の女) ■■■■■■■■■(七人の黒い僧侶の名において)・・・」

 

 クリスの口から紡ぎ出される真の言葉。

 

「行け、九曜の珠よ!」

■■■■■■■■■(閃け夜の鉤爪)!」

 

 振り下ろされるヒョウエの杖。

 力を秘めた九つの巨大な球体が、黒怪とその後ろのクリスを目指して飛ぶ。

 そしてクリスの真なる言葉の詠唱が完成するのも同時。

 

「!」

「これは!」

「うおっ!」

 

 まばゆい光と世界を砕くような破砕音が、この狭間の世界に響いた。

 

 

 

「・・・っふう」

 

 クリスは安堵の息をついた。

 "真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"である彼をも遥かに凌駕する魔力、それを込めた九つの術式。

 召喚した黒怪達は残らず消し飛ばされ、咄嗟に放ったカウンターの術式と防御術式も大半が打ち破られ、荒涼とした大地には巨大なクレーターが出来ている。

 だがそれでも彼を守る防御結界は健在で、彼の身には傷一つついてはいない。

 

「全く大したものよね。あの時代の人間なら魔法能力自体は遥かに衰えているはず・・・っ!?」

 

 その瞬間、驚愕が彼を襲った。

 意識の隙間から襲ってきた一撃。飛来物が正確に、山なりの軌道を描いて彼を目がけて飛んでくる。

 新たに術を発動して身を守るには真なる魔術師たる彼でさえ間に合わないタイミング。

 

 「それ」が彼の防御術式に命中し、軽い音を立てて弾かれた。

 一瞬視界に入ったそれは魔力を込めた銛のようで、どこか魔道学院の術師の杖に似ていた。

 

 それだけ。

 ただそれだけの、何の意味もない攻撃。

 相応の魔力は籠もっていたようだが、彼本人は愚か防御術式にすら毛ほどの傷も付いていない。

 だが、それだけで十分だった。

 

「・・・しまった!?」

 

 

 

 スケイルズはずっと銛を握りしめていた。

 掴んだ手の指が白くなるくらい強く。

 自分が役に立てない悔しさ、友を手助けできない無念。

 

 クロウは超人だ。

 クロウの仲間らしい三人もそれぞれ百戦錬磨の戦士なのだろう。

 ソルはクロウには及ばないとしても天才だ。

 だからこの戦いでも意味のある位置を占めている。

 

 自分は違う。

 術は初歩のものしか修めてないし、そもそも魔力自体が弱い。

 村の呪い師としてならともかく、こんな凄まじい戦いに参加できるような術師では間違ってもない。

 銛を握る指にさらに力が入る。

 

「・・・?」

 

 手の平から魔力が出て行く感覚。

 戸惑いながらも更に手から魔力を放出すると、それらはすうっと銛の中に吸い込まれていく。

 この銛は学院の卒業証であり一人前の術師の証である杖を変性したもの。

 元の杖は魔力に極めて親和性の高い材質で出来ており、術師の術を補助してくれる。

 

(これしかない)

 

 そんなことを理解したわけではないが、一転してスケイルズは猛然と手の中の銛に魔力を注ぎ込み始めた。

 貧弱な彼の魔力生成能力でも、時間をかければそれなりの量が蓄積される。

 足りない分を補うのは浜育ちの体力と根性。

 効率は悪くとも、魔力を練るための体力には事欠かない。

 周囲のことなど目もくれず、彼はひたすらに魔力を蓄積し続ける。

 ほんの僅かでも友を助けるために。

 

 魔力が溢れ、銛に最大限まで魔力が溜まったのがわかる。

 体が自然に投擲の姿勢をとっていた。

 村一番の銛打ち名人に手ほどきを受けた、銛投げの技。

 スケイルズが大きくのけぞり全身のバネを解放するのと、ヒョウエがタイミングを合わせて九つの魔球体を投擲するのがほぼ同時。

 炸裂する光と闇と魔力と轟音を貫き、回転を与えられた銛はジャイロ効果で軌道を安定させつつ、50m先の標的に見事に命中する。

 

 その攻撃は、だがしかし何のダメージも与えなかった。

 凡庸な術師見習いがたとえ全力を込めようが、真なる魔術師の防御術式を貫くなど夢のまた夢。

 一瞬注意を逸らさせただけ。

 だがそれで十分だった。

 

「!」

「!?」

「来た! 来た来た来た来たぁ!」

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。



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09-45 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

 地の果てまでも続く、荒涼たる大地と暗黒の星空。

 月面の如き不毛の世界に「それ」は降臨した。

 

 空を凝縮したかのような蒼穹の青。

 燃える夕やけの色を一点に集めた紅蓮の赤。

 太陽も月もなく、ただ瞬かない星々だけがあるこの世界を鮮やかな色彩が照らし出す。

 

「青い鎧・・・」

「青い鎧!」

「クロウ!」

 

 自らの名を呼ばわる友たちに頷くと、青い鎧は紫色の魔術師を静かに見下ろす。

 

「・・・」

「・・・」

 

 笑みを浮かべながらもクリスが冷や汗を流す。

 その喉がゴクリと鳴った。

 

「!」

 

 青い鎧の姿がかすんで消えた。

 一筋の青い閃光。

 次の瞬間、光の爆発が起こった。

 

「うおっ!?」

「くっ!」

 

 ほとんどの人間の目がくらむ。下手をすれば失明していたかも知れないほどの光量。

 《目の加護》を持つモリィと《光の加護》を持つカスミの目がかろうじて捉えたのは吹き飛ばされるクリス。

 一瞬だったがその体には傷はついていないように見えた。

 

(そうか、ひょっとしてあれか?! ハゲ伯爵のパワードスーツについてた、殴られると光る奴!)

 

 慣性中和。物理的なエネルギーを光に変換して放出・相殺する防御術式。

 大地震を起こそうとしたウィナー伯爵の駆動装甲に装備されていた防御システムの原型。

 莫大な光量は相殺した物理エネルギーの膨大さの証。

 同時に術式が防ぎ止める許容量の巨大さでもある。

 真なる魔法文明時代のアーティファクトを遥かに超える防御力は、目もくらむような使い手の技量の高さを示すものだ。

 

「くっ!」

 

 宙を舞い、バウンドしてゴロゴロと転がる紫色の真なる魔術師。

 

■■■■■(緑の月よ)・・・がっ!」

 

 またしても光の爆発。

 転がりながらも詠唱をしようとしたところで再び距離を詰めた青い鎧が真上から拳を振り下ろしたのだ。

 

 更に光の爆発の連続。

 地面に背を付けているクリスは吹き飛ばされることもなく、マウントポジションを取った青い鎧の連打を耐え忍ぶ。

 だが。

 

(・・・これでも抜けないかっ!)

 

 古代兵器"巨人機(ギガント)"を打ち砕き、身長数キロの巨魔を吹き飛ばす青い鎧の拳が完全に防がれている。

 殴打した瞬間に起こる光の爆発、それでも抑えきれない衝撃を更に相殺しているのか、クリスの背中と地面の接点でも光の爆発が起きている。

 

 それでもなお、クリスの顔と体にははっきりわかる傷はついていない。

 ヒョウエですら一目では理解出来ないレベルの防御術式と、生成される莫大な魔力が、かろうじてではあるが青い鎧の拳撃を防ぎ止めているのだ。

 一方的に攻めている形だが、神代の大魔術師の底知れない実力にヒョウエは戦慄せざるを得ない。

 

(この・・・なんて威力! このままじゃ魔力がすっからかんにされちゃう!)

 

 もっとも、青い鎧が思うほどにはクリスの側にも余裕がない。

 技量や知識はともかく、単純な出力と魔力量であれば規格外の《加護》を持つヒョウエの方が上回っているのだ。

 

(ビート)っ!」

「うおっ!?」

「きゃあっ!」

「っ!」

 

 連続する光の爆発の中、大地が揺れた。

 光が収まった先をこわごわ見ると、そこには地面から拳を引き抜いて立ち上がる青い鎧の姿。

 足元にはクレーター。

 紫色の魔術師の姿はない。

 

「そうか、瞬間転移!」

「野郎、どこへ――!?」

 

 モリィが周囲に視線を走らせるのと、青い鎧が宙を見上げるのが同時。

 そちらに視線を向けたモリィが宙に浮かぶクリスを視認すると同時に、青い鎧が地を蹴って飛んだ。

 青い閃光が紫の魔術師に再び迫る。

 またしても光の爆発が起きるかと思われた瞬間、空間に波紋が生じた。

 

「!?」

 

 空中に起きた波、空間の揺らぎが青い閃光を弾き返す。

 うっすらとした影が生まれ、あっという間に実体を備える。

 

「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

 

 現れたのは身長10mを超える、ゴムのような黒い表皮を持った二足歩行する狼のような怪物――先ほどの黒怪の上位の悪魔だろう。体躯のみならず放射される魔力の波動も、先ほどの同族達とは比較にならない。

 頭は二つあり、獣のようだった黒怪と違ってその目には知性の光がある。

 

「utukiran-nos!」

 

 熊が咳をしたような聞き取りにくいそれながら、明らかに意味を持った言葉を口にする。

 

■■■■■■■■■(irootonos! そいつを)――」

「byagya!?」

 

 クリスが真の言葉で何かを命じようとした瞬間、またしても青い閃光が走った。

 双頭の巨怪のみぞおちに青い鎧の拳が突き刺さる。

 

「やったっ! ・・・なっ!?」

 

 狼に似た二つの頭が悲鳴を上げた瞬間、その体がばしゃっ、と液体化した。

 コールタールにも似た黒い粘性の高い液体は青い鎧を包み込み、球体となって固まる。

 地面に落ちたそれは二、三回弾んで止まった。

 

「どう、中々居心地が・・・」

「だらっしゃあっ!」

 

 宙に浮かぶクリスがニヤッと笑った瞬間、モリィの雷光銃が火を吹いた。

 

「あらま」

 

 同士討ちも恐れず、ノータイムで仲間に攻撃するモリィに、さすがの奇人が目を丸くする。

 更に黒い球体に駆け寄る白いサムライとメイド忍者、黄金の龍を見てその表情がまじめな物に戻る。

 

「まあそうそう貫けるとは思えないけど・・・アナタたちも放って置くわけにはいかないわね。ちょっと心が痛むけど、ごめんなさい? ■■■■(ラン・チチ・チチ・タン)

 

 再びの真の言葉による詠唱。

 地響きが鳴り、大地が震えた。

 

「!」

「ドラゴン!?」

 

 黒い球体とモリィ達を遮るような位置に降ってきたのは先ほどの巨大黒怪より更に巨大な、体高15mはあろうかという角の生えたティラノサウルス。表皮は翡翠色のごつごつした鉱物のようで、翼こそ生えてはいないが、ドラゴンの亜種にしか見えない。

 対するこちらはアルテナが後ろ足で立ち上がっても5mほど。

 まともに相手が出来る体格差ではない。

 

「行きなさい、ネフリティス!」

 

 クリスの声に従い、緑色の龍が動き出す。

 

「ちっ!」

 

 モリィが即座に目標を切り替えて雷光を放つ。

 目、口の中、指の付け根、急所になりそうなところを的確に連射する。

 

「!?」

 

 だが雷光は翡翠の暴君龍の表面に波紋を残して打ち消される。

 つい先ほど思い起こした過去の記憶。

 

「そうかこいつ、遺跡妖精(スプリガン)と同じ半分幽霊か!」

 

 ゴブリン退治のついでに遭遇した、狂える精霊。

 本来実体を持たない霊体が物質界に現れるに際して霊的物質(エクトプラズム)を介して実体化したそれ。

 

「!? 手応えがありませんわ!」

『リアス達は下がれ。鋼の剣ではこやつは切れぬ』

 

 黄金の龍が翡翠の龍に飛びかかった。真の龍であるアルテナは物質的な存在であると同時に極めて霊的な存在でもあるため、半霊質の悪魔龍を傷つけることが出来る。

 モリィの雷光銃も魔力を収束して撃ちはなっているため、完全にではないがダメージを与えることは出来る。

 しかしリアスの刀は術師によって魔力を付与されているとは言え、対霊術式は込められていない。

 カスミの忍者刀も同様だ。

 

「くっ・・・」

「しょうがありません、お嬢様。ここは下がりましょう」

 

 悔しさに顔を歪めてリアスが後退する。

 平静を装ってはいるが、内心はカスミも同じだ。

 

 唇を噛みながら前を見た。

 アルテナと翡翠のティラノサウルス、上位悪魔ネフリティスとの戦いは既に始まっている。

 モリィの援護はあるものの、やはり体格の差は圧倒的。

 

 視線を上にやる。

 紫の魔術師はいやらしい笑みを浮かべ、彼女らを見下ろしていた。

 その口が動き、何らかの詠唱をしているのがわかる。

 

「・・・・・・」

 

 リアスの目がすっと細まった。




ゴジラ-1.0面白かったですね!
東京の山の手ど真ん中を核兵器並みの爆発で吹っ飛ばしておいて(むしろ広島型の3倍の被害範囲)
死者三万人で済むって一体どういう事だ、答えてくれゼロ!

なおネフリティスはギリシャ語で「翡翠」の意味。


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09-46 サムライの剣技

「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

 

 翡翠の暴君龍ネフリティスが吼える。

 振り回される尻尾を避けて黄金の龍が飛ぶ。

 喉元に食らいつこうとしたアルテナを、だが恐竜の悪魔は右前足で叩き落とした。

 

『おのれっ!』

「GY?!」

 

 背中をしたたかに打たれながらも、アルテナがその前足にしがみつき、鋭い牙で噛みつく。

 不愉快そうに顔を歪め、ティラノサウルスは噛みつくアルテナを地面に叩き付けようと右前足を振り上げた。

 

「このっ!」

 

 モリィが目を狙って雷光銃を連射する。

 痛みに顔を歪め、左の前足で顔面をかばうネフリティス。

 ただし、その反応は目にほこりが入った程度のものだ。

 

『ぎゃんッ!』

 

 アルテナが地面に叩き付けられる。

 悲鳴を上げ、たまらず離れたアルテナに追撃の踏みつけ。

 そこに再度援護の雷光。ネフリティスの足が降ってくるより一瞬早く、金の龍は転がって難を逃れた。

 

■■■■■■(鏡の世界の午前零時、真夜中の出帆よ)・・・」

 

 笑みを浮かべてそれを見下ろしながら、紫の魔術師は矢継ぎ早に術を発動し続けている。

 真の言葉の詠唱、素早く複雑な魔法印。普段なら省略するような動作や詠唱だが、詠唱にしろ印にしろ省略すれば僅かながらに術の効力は落ちる。

 それをすれば、今はかろうじて封じられている青い鎧、あの世界を越えた召喚術と《加護》が生んだ怪物が復活してしまう。

 

 黒い球体、最初は双頭の狼巨人の姿をしていたそれは本来不定形の特殊な悪魔だ。

 「アルケー」と呼ばれるそれは悪魔と言うよりある種のエネルギーといった方が近い。

 一定量を召喚して生物のように操ることも出来るが、術者の用意した鋳型から溢れたり、あるいは鋳型が壊れたりしてしまった場合は周囲を焼き尽くして消滅する。

 ましてや中に膨大なエネルギーを発生させる何かが入っていた場合は、制御を保つのに全力を投じなければならない。

 

(・・・本当、我ながらとんでもないバケモノを生み出してしまったものね)

 

 「中」にいるそれが強大な魔力に物を言わせて、球体を突き破ろうとしているのが否応なしにわかる。

 黒い球体の補強と修復、中で青い鎧に消滅させられたアルケーの再召喚、青い鎧への直接の攻撃と拘束。真なる魔術師であるクリスをもってして、全く余裕はない。

 

 恐らく三十秒も放置すれば、黒い球体は中から破裂して再びあの忌まわしい青が姿を現すだろう。

 この時点で、翡翠の暴君龍と戦っている金の龍と雷光銃使いはさすがに視界に入れていたものの、それ以外の後ろに下がった人間はクリスの意識の外にあった。

 

 

 

「・・・」

「・・・お嬢様?」

 

 リアスが剣を鞘に収め、盾を背負って目を閉じた。

 カスミの言葉にも反応せず、呼吸を整える。

 直感的に邪魔しない方がいいと感じて一歩下がった。

 

 ちらりと後ろに視線。

 ソルは自分への二つの呪文の維持に集中しており、クリスの注意を逸らした値千金の一撃で魔力と体力を使い果たしたスケイルズはぐったりと地べたに座り込んでいる。

 必要になったらいつでも飛び込めるよう、手持ちのあれこれを素早く確認して、カスミは油断なく周囲に気を配った。

 

 

 

 呼吸を整える。

 気が満ちる。

 

 ヒョウエが霊体となり上の世界に旅だった後、リアスはヒョウエのことをカスミに任せて家に戻っていた。

 探していた剣の師匠・・・サーベージが見つかったからだ。

 嫌がる老人に無理を言って説き伏せ、高い酒で釣って剣技を教授させる。

 ここのところ実力不足を感じていたこともあってその打ち込みようは鬼気迫るもので、この飲んだくれの達人もしばらくすると真剣に稽古をつけてくれるようになった。

 

『まあなんだ、お前は間違いなく才能はある。俺が見て来た中では一等だな。

 ただ、まだ殻を破れてねえ。それができりゃお前は最強だろうよ』

『どうすれば殻を破れるのでしょう』

 

 リアスの質問に老剣士は溜息をついてこういったものだ。

 

『それがわかりゃ苦労はしねえよ――まあ一つ言えることがあるなら、集中。ただ集中だ』

 

 脳裏に甦る師の声。

 集中。集中。集中。

 集中すればするほど周囲の音が大きく聞こえる気がする。

 翡翠の竜とアルテナの咆哮。黄金の翼の羽ばたき。モリィの怒声。龍の足が大地を踏み砕く音。ソルとスケイルズの呼吸音。紫の魔術師が詠唱する真の言葉。

 

(集中。集中。集中――)

 

 だがそれがいつの間にか、一つずつ意識から消えていく。

 やがては師の教えも集中しようとする考えさえ意識から消えて、自分という存在すら消失する。

 

 気がつくと剣を抜いて振り下ろしていた。

 大上段から振り下ろした剣。その軌跡に沿って見えない何かが走った。

 

「・・・・・・GA? GAAAAAAAAAAAA?!?!?」

「!?」

 

 ネフリティスの困惑と怒りの混じった雄叫び。

 その他のほとんど全てのものが、驚愕で一瞬動きを止める。

 ネフリティス、黒い球体、クリス。

 一直線に並んだそれを、見えない刃が同時に切り裂く。

 

「馬鹿な・・・飛ぶ斬撃ですって!? あの片目野郎じゃあるまいし! しかも・・・しかもこんなひよっこサムライが!?」

 

 ネフリティスは右前足を肩から落とされた。

 空中のクリスまで届いたそれは彼の多重防御結界さえ半ばまで断ち切り、この神代の魔術師を戦慄させた。

 そして。

 

 黒い球体の正中線にぴしり、と一直線に亀裂が走る。

 次の瞬間、それは跡形もなく破裂した。

 

「ぐっ!」

 

 力づくで術を破られた反動がクリスに襲いかかる。

 

「こうなればせめて一人二人は――ぐぶ!」

 

 新たな詠唱を発しようとしたその瞬間、防御結界を突き破って呪鍛鋼(スペルスティール)の籠手が彼の喉をわしづかみにする。

 手の平から溢れるのは黒い力場。九曜星の金属球の一つ、"暗黒の星(Rahu)"の魔力吸収能力。真の言葉も魔術も封じられては、さすがにクリスと言えど最早打つ手は無い。

 

「・・・」

「・・・」

 

 刹那、二人の視線が絡み合う。

 クリスがニイと笑みを浮かべた。

 

(こ・れ・に・て・しゅ・う・ま・く)

 

 声の出せないクリスが、口の動きだけで言葉を形作る。

 兜の下でヒョウエが眉を寄せた。

 

(ま・た・ね)

 

 パチリとウィンクをした瞬間、彼の体は崩れてぼやけた紫色の鱗粉になった。

 きらきら輝くそれは空中に溶けて消えていく。

 

「・・・」

 

 一瞬それを見やった後、地面に降りて青い鎧を解除する。

 既にネフリティスはアルテナに喉笛を食いちぎられ、塵になるところだった。



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09-47 さよならだけが人生さ

 降りてきたヒョウエの周囲に人が集まる。

 アルテナは満身創痍ながら得意そうに鼻息荒く、モリィが苦笑しながら頭を撫でて労をねぎらってやっている。

 リアスは先ほどの飛ぶ斬撃がかなりの消耗を強いたらしくふらついているが、ヒョウエと目が合うと実にいい笑顔で笑った。

 ヒョウエがサムズアップサインを送ると、はにかみながらもその笑顔が大きくなる。

 それを見てカスミが嬉しそうに笑っていた。

 疲労困憊したスケイルズにはソルが肩を貸してこちらに歩いてくる。

 いい笑顔で親指を立てる二人に、ヒョウエも再び親指を立てて笑顔で応えた。

 

「凄かったですね、リアス。まさか飛ぶ斬撃をものにするとは」

「マジでな。あのジジイはともかく、まさかお前がやれるとは思わなかったよ」

 

 伝説や吟遊詩人の叙事詩にはそれなりによく出てくる技だが、実際に目にしたものは極めて少ない。

 ヒョウエですらサーベージ老のそれが初めてで、英雄譚好きのモリィもかなりはしゃいでいる。

 頬を染めてはにかみながらリアスが頷いた。

 

「思う所ありまして。ヒョウエ様が上の世界で探索をしてらっしゃる間、サーベージ師匠に稽古をつけて頂いたのですわ。

 わたくしも成功すると思ったのは今が初めて・・・いえ、違いますわね。成功するか、しないか、それも脳裏から消えておりました」

「無念無想という奴ですね」

 

 頷き返す。

 術と剣という違いはあるが、ヒョウエも若くして一流の域に達した求道者である。

 リアスの至った境地が多少なりとも理解出来た。

 

「すげえな、お前本当にすげえわ」

 

 笑顔でリアスの肩をバシバシ叩くモリィ。リアスも笑顔でされるがまま。

 普段角突き合っている雰囲気はそこにはなかった。

 

 

 

 にこやかな雰囲気が漂う中、それに気付いたのはやはり《目の加護》持ちのモリィだった。

 

「・・・あれ。なあヒョウエ、地面の、回りがなんか崩れ始めてねぇか・・・?」

「「「「!?」」」」

 

 一転して冷や汗を浮かべるモリィの言葉に、ヒョウエを除く全員が顔を青ざめさせる。

 

「おいヒョウエ、どうすんだよ!?」

「まあ大丈夫じゃないですか?」

「何を根拠に!?」

 

 パニックを起こしたスケイルズに苦笑しつつも、まあまあと両手を上げて仲間をなだめる。

 

「『上』には霊界の権威であるスィーリ先生と探知魔術の権威であるファルタル先生、転移の権威であるマリーチ先生がいるんですよ?

 何時間も経ってるのに彼らが僕達を捜し出せない理由があるならただ一つ、クリス先生が対探知の結界か何かを張ってたからでしょう。それがなくなった今、助けが来るのは時間の問題ですよ。

 その前にこの狭間の狭間の大地が崩壊したとしても、一日二日なら空気と水は僕の魔術で・・・」

「お前達、大丈夫か!」

 

 ヒョウエが言い終わるか終わらないかのうちに、マリーチとスィーリが瞬間移動で現れた。

 

 

 

 一分も経たず、一行の姿は"神の峰"のふもとにあった。スィーリが施した術により、モリィ達三人も同行している。

 あれこれを話すと全員が信じがたいという顔をしていたが、それでも信じては貰えた。

 簡易な調査で地中の青い鎧が消失しはしたものの、しばらくは世界の裂け目がこれ以上広がらないという事を確認すると、一行はマリーチの瞬間転移で学院に戻った。

 

「お前達・・・疲れているところを悪いが、講堂だ。学長から重大な発表がある」

 

 周囲を見ると確かに人が移動しているのがわかった。

 ソルが小声でヒョウエにささやく。

 

「これは・・・あれか。お前達の言っていた・・・」

「だろうね」

「・・・」

 

 ヒョウエが頷くとソルはそのまま押し黙った。

 

 

 

 講堂。

 不思議な事にここはどれだけ人が入っても入りきらないと言うことがない。

 学院の生徒全員が詰めかけているのにまだ余裕があった。

 

 広い演壇の上には調査隊の面々を除く教師全員。

 その中央にある人影を見て、生徒たちがざわめいていた。

 

 長く白い髪と白い髭、知性と優しさを感じさせる顔立ち。簡素な白いローブに飾り気のない杖。生徒たちを見下ろす目は紫水晶(アメジスト)のような透き通った紫。

 そしてその身にまとう雰囲気。威圧的でも巨大でもないが、はっきり人とは違うとわかるそれ。

 たとえ赤ん坊でも彼が神であるとわかっただろう。

 創世の八神の一人、"祭壇"。

 エコール魔道学院学長がそこにいた。

 

 ヒョウエたちが生徒たちの最後尾に並びスィーリたちが壇上に上がると、"祭壇"は前に歩み出た。

 ざわついていた講堂が自然と静まりかえる。

 

「諸君らの大半には初めて見る顔だろうと思う。

 私は"祭壇(アルター)"、創世の八神の一人にしてこの学院の学長だ。

 細かい経緯は省くが、今世界が壊れかけている。

 それを修復し、世界をもっと安全な場所に作り直すため我々八人はこの世界を離れることにした。

 今後、この世界は私に代わり学院の先生たちが"昇神(アセンション)"し、神として見守っていくことになるだろう。

 残念だがこの学院は閉鎖し――」

「お待ち下さい、お師匠様」

 

 "祭壇"の声と生徒たちのざわめきを制して声を上げたのは副学長だった。

 

「セレスソレパル?」

 

 彼にとっても予想外だったのか、戸惑ったように弟子の名前を呼ぶ"祭壇"。

 副学長は胸に手を当て、頭を下げる。

 

「わたくしは地上に残ります。どうぞお許しを」

「「「!?」」」

 

 その瞬間、表情を変えたのは学長よりもむしろ副学長の後ろに並ぶ教師たちだった。

 

「姉弟子!?」

「どうして!」

「どうか考え直して下さい!」

 

 悲鳴のような声を上げる弟弟子、妹弟子たちを困ったような笑みで振り返る副学長。

 

「一緒に天に昇りましょう!」

「お姉様が地上に残るなら私も残ります!」

 

 あれこれを口走る年下の兄弟姉妹に、ゆっくりと首を振ってみせる。

 

「魔道学院はまだまだこの世界に必要です。真なる魔術師も、一人くらいは地上に残っていた方がいいでしょう」

「ですが!」

「それにあなたたちも、いいかげん姉離れしていいころですよ」

「・・・」

 

 にっこりと言われて、叫んでいた教師たちは何も言えなくなる。中には人目をはばからず泣き出してしまうものも男女問わずいた。

 "祭壇"が口を開く。

 

「考えは変わらないのだな」

「わたくしなりによくよく考えて決めたことです」

「・・・よいだろう、娘よ。お前の選択に祝福を」

 

 "祭壇"が一番弟子の肩に両手を置く。

 教師たちのすすり泣きだけが講堂に響いていた。



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09-48 飛翔

 "祭壇"の先導で一同は講堂を出た。運動場を兼ねる広い前庭に神と、百人の真なる魔術師と、千人を超す生徒たちが集まる。

 誰かが空を指さした。

 

「おい、あれ!」

「え・・・!?」

 

 最初空の彼方に現れた点としか思えなかったそれはすぐに数を増やし、大きさを増す。

 

「・・・!」

「龍・・・!」

 

 金。銀。赤銅。青銅。鋼色。

 赤。青。緑。橙。紫。茶。黒。白。灰色。

 それらを混ぜたような色も含めて、この世のあらゆる色を持ったような龍たち――無数の真の龍が輪を描いて学院の周囲を舞っていた。

 

「さ、お互いの新たな旅立ちです。せめて笑顔で別れましょう。それに、永の別れというわけでもないのですから」

 

 副学長が兄弟姉妹たちを一瞥すると、泣いていたものたちも涙をぬぐった。

 永の別れではなくとも、今までのように話すことはできなくなる。

 せめて最後は、お互いに笑顔のままで覚えていたい、いてほしい。

 副学長がにっこりと、最高のほほえみを浮かべた。

 "祭壇"もまた、ほほえんで頷く。

 

「それでは行くぞ、我が息子、我が娘たちよ。さらば、愛するこの世界とこの世界を愛する者達よ」

 

 祭壇の体から白い光の柱が立ち上った。

 続いて副学長を除く教師たちの体からも、それぞれ異なる色の光の柱が立ち上る。

 

「さようなら、我が師、我が兄弟たちよ。あなたたちは天に、私は地に。この魂尽きるまで私はこの世界を見守りましょう」

 

 セレスソレパルの言葉に応じるかのように、神と弟子たちの光の柱が更に輝きを増した。

 光の柱が天を貫き、その遥か彼方へと向かっていく。

 輪を描いて飛んでいた龍達が、その柱の周囲を巡るように、螺旋状に上昇し始めた。

 "祭壇"を中心にそびえ立つ一と九十九の光の柱。

 その周囲を駆け上がる万色の龍達。

 

 龍が天の彼方に見えなくなった頃、光の柱がふっと消えた。

 光の根元には、もう誰の姿もない。

 

「・・・」

 

 ヒョウエも、副学長も、モリィたちも、スケイルズやソルをはじめとする生徒たちも。

 それでもずっと空の彼方を見上げていた。

 

 

 

 どれだけ空を見上げていたろうか。

 ぱんぱん、と副学長が手を打った。

 

「さあ、お別れはこれでおしまい! 今日からエコール魔道学院の運営は大きく変わります!

 私一人では回せませんから、上級生の皆さんには授業を手伝って貰いますよ! 下級生は上級生の皆さんが、上級生は取りあえず私が授業を行います!

 この学院の卒業生に声をかけて回って教師に来て貰いますから、それまでは授業のカリキュラムも自習が多くなるでしょう!

 学生による自治組織も作ります! 先生方がいなくなった以上、あなたたちが自らを律しなくてはなりません! ですが先生たちの目がないからと言ってだれないように! 自らを律せない人間は術師としては三流もいいところですからね!

 それから・・・!」

 

 次々と生徒たちにこれからの学院の運営プランを話し、何人かの生徒には直接具体的な指示を出す。

 指示を受けた生徒たちは慌てたように校舎の中に駆け込んでいった。

 それを見ながらスケイルズがヒョウエに視線を向ける。

 

「やっぱり副学長先生は大したもんだぜ、なあクロウ・・・えっ?」

「!?」

 

 スケイルズとソルが焦った表情を浮かべる。

 

「おいクロウ! それに他の三人も! お前達、体が薄れてきてるぞ!」

「ああ」

 

 ヒョウエが頷いてから首を振る。

 

「多分舞台(アリーナ)を生み出していた術者が消えて、僕達の世界の間の距離が元通りになるんでしょう。

 僕達の時代とスケイルズ達の時代とを結びつけていたこの舞台が終わり、二つの世界が少しずつ離れていくんです。

 僕らから見たらあなたたちとこの世界の方が薄れているように見えますよ」

「・・・!」

 

 理解してしまったのか、ソルの表情が切なそうな物になる。

 一方で理解はしたが、理解したくないという顔のスケイルズ。

 

「おま・・・おまえ、どうしてそんな平気そうな顔してるんだよ!

 俺達親友だろ! それがもう会えなくなるんだぞ! 辛くないのかよ!」

「辛いですよ。親友ですから」

 

 あくまで静かに、ヒョウエが友人の目を正面から見返す。

 辛そうに顔を歪め、それでもスケイルズは親友の目を正面から見返した。

 

「・・・」

「ああそうだ」

 

 ヒョウエが取り出したのは、学院から授かった術師の証の杖。

 あの後元に戻したそれを、いよいよ消えそうなスケイルズの手に押しつける。

 杖はこの世界に属するもの。舞台がはねた以上、元の世界に持ってはいけない。

 

「預かってて下さい。そのうち取りに行きますから」

 

 ソルとも視線を合わせ、頷き合う。

 

「・・・取りに来いよ! 絶対だぞ! 絶対・・・」

 

 最後まで言い終えられずに、スケイルズとソルの姿が消えた。

 周囲の校舎や木々、空や海も。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 気がつくと、ヒョウエは手を伸ばしたまま自分の屋敷の大広間に横たわっていた。

 モリィ達も一緒だ。涙を浮かべたリーザが抱きついてきて、彼女の体を抱き返すと、頭を撫でてやる。

 サナと目が合うと、この男勝りの女執事は笑顔で一礼した。

 

「やれやれ、どうなることかと思ったがどうにかなったようじゃの。

 ようやったぞ馬鹿弟子」

 

 かけられた声に振り向くと滅多に見ない優しい笑顔のメルボージャがいた。

 思わず肩をすくめる。

 

「師匠にそんな顔されると気持ち悪いですね。何か悪い事の前兆ですか・・・あいたっ!」

 

 メルボージャが無言で指を鳴らすと、ヒョウエの額に極小の魔力弾が命中する。

 額をさするヒョウエに溜息をつく老婆。

 

「口の減らん馬鹿弟子め。まあ、万事順調とはいかんかったようではあるがな」

「?」

 

 首をかしげる弟子に、老婆はその傍らを指さす。

 

「・・・え」

「どうした。わらわの顔に何かついているか、ヒョウエよ」

「何であなたがここに!?」

 

 流れるような金色の髪に虹色の瞳。

 真なる龍の化身、アルテナがヒョウエの傍らにちょこんと座っていた。

 



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エピローグ「6000年後の君へ」

「ああ、待っている、友よ。いつまでも」

 

     ――『不死王』 ファールヴァルトのアドリアン――

 

 

 

 

「え・・・何でこいつがここにいるんだ?」

 

 ヒョウエの屋敷の大広間。

 起き上がったヒョウエの横にちょこんと座る金色の髪の少女にその場の視線が集中した。

 

「なんじゃ。わらわがここにいたら何か悪いのか?」

「いや悪いというか・・・」

 

 首をかしげる少女に、その場を代表してヒョウエ。

 

「真の龍達はほとんどが創世の八神と百神に従ってこの世界を去ったんでしょう?

 てっきりあなたも一緒に行ったのかと思ったんですけど」

「そんな気もするが、おまえ(ヒョウエ)と一緒にいたいと思ったらここにいた。サナの料理も食べたかったしな」

「それはどうも」

 

 周囲が一斉に苦笑を漏らす。名指しされたサナは余計にだ。

 ちらりと師匠の顔を見ると、この歳ふりた術師は溜息と共に答えた。

 

「こやつは二つの世界に属するもの・・・というか世界を渡る能力を元から持っておるのが真の龍じゃからな。

 幻夢界に作られた舞台(アリーナ)が二つに分かれる時に、こっちに乗っかってきたんじゃろう」

「本来のアルテナは世界を支えてるわけですよね? 大丈夫でしょうか?」

「もう一人の私が世界を支えてるんだから別に構うまい」

「あ、そういうことなんですか?」

「たぶんな」

 

 無造作に頷く少女に、ヒョウエがやや呆れ顔になる。

 

「大丈夫ですかねえ・・・」

「大丈夫だ。それに・・・もう一人の私も、お前の傍にいる私を見ることで心慰められるのではないか。世界の外は寂しいところだからな」

「・・・」

 

 溜息をついてヒョウエがアルテナの頭を撫でる。

 黄金の龍の化身たる少女は気持ちよさそうに目をつぶってそれに身を任せた。

 

 

 

 しばらくの間苦笑と沈黙が漂っていた広間だったが、ふとリーザが顔を上げた。

 

「・・・ん。サナ姉さん、お客さん」

「わかりました」

 

 サナが一礼して出て行くと、しばらくして一人の男を連れて戻ってきた。

 

「え、師匠?」

「サーベージのじいさん!?」

「よう、オマエらとは久しぶりだな。達者だったか」

 

 呵々と笑うのは杖を突いた小汚い片目の老爺。

 ヒョウエの語りの師匠、サーベージだった。リーザやカスミ、アルテナと言った嗅覚の鋭い面々が顔をしかめる。

 

「飲んでますね、師匠?」

「そりゃな。おめえがここで高いびきかいてる間にその嬢ちゃんに稽古つけてやってたのよ。その報酬ってとこだ」

 

 がははと笑うサーベージに、納得したようにヒョウエが頷く。

 

「なるほどそれで」

 

 思い出すのは、エクトプラズムの洞窟で見た逆風の太刀と、直接には見ていないが黒い球体を切り裂いた飛ぶ斬撃。

 

「酒蔵の酒を三分の一ほど飲み干されてしまいましたわ。それだけの価値はありましたけど」

 

 肩をすくめるリアス。

 さもありなんとヒョウエが苦笑する。

 

「それで今度は僕の屋敷の酒蔵を飲み干すつもりですか?」

「時間がありゃあそうしたいところだが、今回はまた別口でな。ほれ、さっさと移動しろよ白髪ババァ」

「こっちにはこっちで都合があるんじゃ。大人しく黙って座っておれ、飲んだくれのもうろくジジイめ」

「「!?」」

 

 気安くメルボージャに話しかけるサーベージと、それに答える老婆の気安さに、三人娘が目を白黒させる。

 

「え、どういうことですの?」

「あー、言ってませんでしたか。このお二人、ご夫婦ですよ」

「ご夫婦?!」

「た、確かに言われてみりゃぴったりの・・・」

 

 「クソジジイとクソババァだ」という言葉を飲み込むモリィ。

 

「「・・・」」

 

 直後、二人に揃って睨まれて身をすくめる。

 

「まあええわい、これで大方のところは済んだ。後は向こうでもやれる」

 

 ヒョウエを寝かせていた魔法陣をいくらかいじると、メルボージャが荷物をまとめて立ち上がる。老爺が肩をすくめた。

 

「おめえ、近頃とみに動きが鈍くなってねえか? そろそろお迎えが来る時分じゃねえかね」

「やかましいわい」

「あいたっ! このクソババァ!」

 

 妻の杖ですねを痛打され、老語り部が悶絶する。

 それに構わずメルボージャはサナの方に向き直った。

 

「それでは申し訳ありませぬが、しばらくそちらの若様をお借りしますぞ。

 重要な用事がありますのでな」

「はい。お早いお帰りを」

 

 それだけを口にしてサナが一礼する。

 ヒョウエに抱きついたままだったリーザが名残惜しそうに離れると、ヒョウエが立ち上がってリーザを立たせる。その頬にキス。

 

「なるべく早く戻りますから」

「うん・・・待ってる」

 

 絡ませていた指が離れ、リーザが一歩後ろに下がる。

 周囲から突き刺さる、嫉妬と呆れとその他の何とも言いがたい視線。

 

「おめえらさあ・・・何でそれで男女の仲になってねえんだ?」

 

 誰も口にしないことを無遠慮に口にしたのはやはりサーベージだった。

 

「だから黙っておれクソジジイ!」

「ぐおっ!?」

 

 今度は眉間を痛打され、ゴロゴロと転がるサーベージ。

 リーザが真っ赤になってうつむき、サナを含む半目の視線が集中してヒョウエが一歩後ずさる。

 

「?」

 

 よくわかってないアルテナが首をかしげた。

 

 

 

 毎日戦隊は毎日が毎日日和。

 雨の日も風の日も、それはそれで毎日日和。

 かたつむり枝に這い、神空にしろしめす。

 全て世はこともなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだですか?」

「もうすぐそこじゃ」

 

 洞窟の中を歩く一行。

 メルボージャとサーベージを先頭に、ヒョウエ、三人娘、アルテナ。

 老婆の言葉通り、数分もすると洞窟は開け、大きな空間が広がっていた。

 その中央に立つ、巨大な水晶の結晶が一つ。

 

「・・・えっ?」

「なっ?!」

 

 その中にある「もの」を視認した瞬間、ヒョウエたちが絶句する。

 

「ほっほっほ。驚くのはそれだけではないぞ」

 

 笑いながらメルボージャの姿がゆらりと揺らぎ、霧のように薄くなって空気中に溶けて消えた。

 

「!?」

分体(アスペクト)!? いや、化身(アヴァター)! まさか!」

 

 分体(アスペクト)は魔術で生み出す、極めて精巧な分身。

 化身(アヴァター)は同様だが神の力で生み出されたそれ、神の地上における写し身のことをいう。

 思わず水晶に駆け寄るヒョウエに、三人娘とアルテナ、ニヤニヤ笑いのサーベージが続く。

 

「・・・やはり。では」

 

 水晶の前に立つ。

 

『この姿では久しぶりですね、ヒョウエ。いえ、クロウ』

「・・・・・・・・!」

 

 心の声が語りかけてくる。

 人がすっぽり入って余りある、4m近い水晶の柱の中にいるのは白い髪、白い肌、白いローブの目を閉じた美女。

 真なる魔術師にしてエコール魔道学院副学長、セレスソレパルだった。

 

「やはり、副学長の方ですの!?」

「というかまさか、真なる魔術師と言うことは・・・」

『ええ。百人の真なる魔術師のうち、地上に残った長兄。それが私です。何故か伝承の中で白髭の老人男性と言うことになってしまいましたけど』

 

 念話から伝わる苦笑の気配。

 ヒョウエたちはただ驚くしかない。

 それでも深呼吸して心を落ち着けると、表情を改める。

 

「それで・・・ここに連れて来たのは何か重要な話が?」

『ええ。でもその前に、一番大事なことを済ませてしまいましょう。あなた、例のあれを』

「おう」

 

 頷いたサーベージが広間の奥に歩いて行く。

 壁のくぼみにはベッドやタンスなど人が生活する環境が適当に整えられ、宝箱(チェスト)もいくつかあった。

 そのうちの一つから細長い包みを取り出し、ヒョウエに手渡す。

 

「これは・・・まさか」

『伝言です。「確かに返したぞ」と』

「・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 包みの中身を強く握りしめ、ヒョウエが俯いた。

 古ぼけた木の杖――エコール魔道学院を卒業したものに与えられる術師の杖に、ぽとりと水滴が落ちる。

 水晶の美女から、無言の優しい気配が放たれていた。



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十の巻「ヒーローズ・リボーン」
プロローグ「時には昔の話をしようか」


「昨日? そんな昔のことは忘れてしまったな。明日? そんな先のことはわからない」

 

     ――映画「カサブランカ」――

 

 

 

 どことも知れぬ洞窟の中、ヒョウエが杖を握りしめて涙をこぼしている。

 六千年の時を経て戻ってきた杖。

 友との約束の証。

 その場にいる誰もが――ひねくれ者のサーベージでさえ――優しげな目でそれを見ていた。

 やがてヒョウエが乱暴に目元を袖でぬぐうと、水晶の中の白い女性――『白き月とフクロウの魔女』セレスソレパルに向き直った。

 

「ありがとうございます、師匠――それとも副学長とお呼びすべきでしょうか」

『好きに呼びなさい。どちらも私です』

 

 笑いを含んだ心話に、ヒョウエも笑みを浮かべる。

 サーベージがその肩を肘で突っついた。

 

「おいおいボウズ、だまされてんじゃねえぞ? ツラはいいが、中身はお前の知ってる性悪の因業ババァなんだからな?

 今も腹ん中じゃお前をどうやっていいようにこき使ってやろうか考えてやがるに違いないぜ。そうやっていいように使われたのが俺なんだから間違いない・・・ぐべっ!?」

 

 見えない衝撃に側頭部を強打され、サーベージが錐もみして回転した。

 

「おー。さすが師匠。無駄に無駄のない術式ですね」

『これでも"真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)"ですからね』

「ところで、サーベージ師匠をいいように使ったというのはどのように?」

『・・・』

 

 沈黙が降りた。

 白い魔女が生身であれば、恐らく無言で目をそらしていただろう。

 

『さて、ここへあなたを呼んだ二番目の用件ですが』

「はい師匠(ごまかしたな)」

 

 そう思いつつも、ツッコミはしない。

 ここで踏み込んだら理不尽な逆襲が来るのはわかっている。

 

『他ならぬクリスのことです』

「・・・」

 

 自然と居住まいを正す。

 モリィたちとアルミナもだ。

 

「どこにいるかわかっているんですか?」

『いいえ。"大崩落(グレートフォール)"以来、私の力をもってしてもあれの居所はつかめません』

「ファルタル先生に頼んだりは出来ないんですか?」

 

 昇神(アセンション)したかつての魔道学院探知術主任、今は"占術神(ファルタル)"と呼ばれる人物の名前を上げると、苦笑の気配が伝わって来た。

 

『今では彼らも天界の住人ですからね。そう軽々しくは交信できません。それでも何度か頼んではみたのですが、答えは常に否定的でした』

「神の力をもってしても、ですか。この地上にはいないんでしょうか?」

『可能性としては有り得ます。流石に世界の外となると私たちの手にも余りますからね。正直、あなたから話を聞くまではあれは世界の外に消えてしまったのかも知れないと思っていました。

 もちろん、何らかの方法で姿を変えて、あるいは強固な結界の中に籠もってこの地上にいる可能性もあります。あれも状況が違えば神になり得た術師ですから』

「・・・」

 

 二人が同時に溜息をついた。

 

『ともかくあれ以降のクリスに接触したのはあなた方が初めてです。

 まずはそれを教えて下さい』

「移動中のあれこれとかもですか?」

『あれこれもです』

 

 いつぞやのようなやりとりに、互いにくすりと笑う。

 ヒョウエは唇で、セレスは心話で。

 

「それでは可能な限り正確にお話ししましょうか、と言ってもそんなに長くはないですけどね。まずクリス先生が出て来たのは・・・」

 

 

 

 問答などを一言一句正確に再現するよう望まれたため、思っていたよりは長くなった。

 とは言っても二十分ほどにしかなるまい。

 ともかくやりとりを語り終えるとセレスが溜息をついた。

 

『あの子は・・・まったく変わりませんね』

「当時のクリス先生に引っ張られていたところはあるでしょうね。後、僕の記憶する限りでは師匠の弟弟子妹弟子は大体あんな感じだったと思いますが」

 

 肩をすくめると、ちょっと目をそらす気配がした。

 溜息をついて、疑問に思っていた事を口にする。

 

「そう言えばクリス先生の専門は何だったんです? 召霊術の、この世界の外からの召喚を実験していたのは知っていますが」

『学院で教えて貰っていたのは召喚した霊の実体化、制御、変化、そのあたりですね。個人的な研究まではわかりませんが、異界からの召喚に興味を持っていたようです』

「実体化と制御はわかりますが変化というのは?」

『霊とかりそめの肉体に様々な術式を組み込むことです。そうですね、たとえば人間の霊魂に肉体を与える時に翼を生やすとか角を生やすとか。

 もう一歩進めて人間の霊魂に龍の肉体を与えるとか、肉体自体を魔道具のようにして術式を仕込むとか』

「なるほど」

 

 人間の霊魂はやはり人間の姿をしているため、かりそめの肉体を与えても人間のそれでなければ機能不全を起こす。

 そうした部分を補い、更にはあり得ない能力をも付加すると言うことなのだろう。

 

「実現できれば確かに便利ですね」

 

 何もないところから霊魂を召喚して実体を与えて使役する。それに様々な術式を組み込めるなら万能の使い魔がその場に応じて作り上げられる。

 召喚と実体化までは使える人間がいなくはないが、そこに更なる力を与えるとなると現代の術師の及ぶところでは到底ない。

 

 今にして思えば青い鎧を封じ込めた黒い悪魔などもそれだったのだろう。

 悪魔という霊体、もしくはエネルギー体に様々な術式を組み込んで青い鎧を封じる牢獄としたのだ。

 それを話すと水晶柱から頷く気配があった。

 

『でしょうね。元から"霊魂の神(スィーリ)"に匹敵する優秀な召霊術師でしたが、ますます腕を上げているようです。しかも過去の自分という、言わば操り人形を介しているような状態でそれらをやってのけたのですから』

「問題はその力をもって何をしようとしているかですね」

『それはわかりません。ただ・・・』

「ただ?」

『あなた方冒険者族がこの世界に現れたのは、恐らく彼が原因です』

「えっ?」

 

 その言葉にヒョウエや三人娘はおろか、サーベージまでが目を丸くした。




取りあえず今回の話で最終回です。


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第一章「六千年の妄執」
10-01 異世界転生チートというお約束


「もうどうにも止まらない」

 

     ――山本リンダ――

 

 

 

 

「どどど、どういう事だよセレス?! 俺がこっちに引き込まれたのもそのせいだってのか?」

 

 思わず、と言った感じで口を開いたのはサーベージだった。

 普段泰然自若・・・と言うよりふてぶてしい態度を崩さない、メットーの城壁よりも分厚い面の皮を持つ男が完全に我を失って動転している。

 水晶柱の中の白い魔女からも苦笑の気配。

 

『落ち着いて、あなた――ええ、そうよ。直接的な証拠のある話ではないけれども、この六千年に起きたことを考えるとおそらくそうだろうと思うの。今聞いた話がそれを更に補強してくれたわ』

「・・・」

 

 どうにか自分を落ち着かせ、サーベージが無言で続きを促す。

 

『推測と仮説を積み上げた話になるけれども・・・クリスは恐らく"大崩落(グレートフォール)"で世界が再構成された後のどこかの時点でこの物質界に戻ってきて、世界の外の特定の場所と繋がり(リンク)を確立した。

 確認しますがヒョウエ、転生・転移してくる冒険者族は特定の世界の特定の国からしか呼ばれないのですよね?』

 

 頷く。

 

「少なくとも一時期調べた限りではそうですね。地球の日本・・・民族としての日本人ではない人もいたようですが、少なくとも日本にいた人間以外が呼ばれた例は見つかりませんでした」

 

 水晶の中からも頷く気配。

 

『最初の召喚が行われた時から四千年近く経っていますが、それ以来途切れることなく百年から数十年ほどのスパンで冒険者族はこの世界にやってきています。恐らくは異世界の一点にアンカーを打ち込み、そこから自動的に召喚しているんでしょう。

 全てを把握しているわけではありませんが、特にここ千年ほどは間違いなく頻度が高くなっています。

 彼らが得る《加護(チート)》についても強力なものが増える傾向があるような気がします――これはそれこそ私の感覚的なものになってしまいますが』

「でしょうね」

 

 ヒョウエとカスミが頷いた。

 《加護》はもちろんそれ自体の強弱はある。たとえばヒョウエのそれは超弩級の反則チートであり、モリィ、リアス、カスミのそれも同種のそれの中でほぼ最上位に位置するレベルのものだ。

 

 その一方で冒険者が成長するように《加護》は成長させることができる。

 端的な例がライタイムの星の騎士だ。

 この世界で一番多く、一番凡庸な《健康の加護》。

 病気にかかりにくい、腹を下しづらいという程度のそれを鍛えに鍛え、極めてタフで強靱な肉体、あらゆる毒や病気を跳ね返す生命力、無尽蔵のスタミナ、ほとんど歳を取らない事実上の不老、そうしたものを手に入れたのが彼だ。

 

 つまり強力な《加護》を授かったところで磨かなければ大したレベルにはならないし、強力な《加護》のように見えても本人の努力の成果と言うことも普通にある。

 外側からではそれがどちらか判断するのは非常に難しい。

 セレスが言っているのはそういうことだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

「そもそも《加護》ってなんなんです?」

『私も詳しい事は知りません。何せ天に昇った兄弟弟子たちのやったことですので。

 ただ、神代のオオヤシマの時代に比べて創造神達のいない新たな世界では環境が厳しくなったので、それに対抗して生き抜くための力を人間に与えるためと言うことのようです。

 加えて竜族の大半がこの世界から姿を消しましたから、それを補う意味もあります』

「「???」」

 

 白い魔女の言葉に、後ろで聞いていたモリィ達が首をかしげる。

 ヒョウエも余り理解していないようだと見てとると、セレスは言葉を重ねた。

 

『ああ、学院の授業ではそこまでやっていませんでしたね。

 つまりですね、この世界は風船のようなものだと考えて下さい。それを膨らませて世界を維持し続けるには、龍の持つ強い生命の力と人間の持つ強い精神の力が必要だったのです。

 《加護》は生命の力を補うもの。数を減らし、亜竜となって衰えた龍達の生命の力を補う手段だったのですよ』

「なるほど・・・だとすると冒険者族が強い《加護》を持つのはそれを補うためなんですか?」

 

 伝わる拒否の気配。

 

『いいえ。この世界の人間の《加護》は私の兄弟弟子たち〈百神〉が与えるものですが、あなたたちの《加護》はいずれの神が与えたものでもありません――あなたたちの《加護》を与えたのは恐らくクリスです』

「!?」

 

 再び驚愕が走った。

 何かに気付いたのか、ヒョウエがハッと目を見張る。

 

「そうか、世界の外からの召霊、具現化、そして変化!

 僕達の《加護》はクリス先生によって付け足された術式であると!」

『その通りです』

 

 頷いて叫んだ後、ヒョウエがふと考え込んだ。

 

「・・・冒険者族の召喚、そして強力な《加護》がクリス先生の仕業として、その目的はなんなんでしょう?

 召喚されたオリジナル冒険者族に洗脳の術式でも仕込んであるならともかくですが」

 

 セレスの方を見ると、否定の意志が戻ってきた。

 

『実のところ、術師メルボージャとして活動していた目的の一つがオリジナル冒険者族にそうした術式が仕込まれているかどうか確認するためでした。

 そうしたオリジナル冒険者族を、そしてあなたやイサミを十年以上にわたって観察して得た結論は――そうしたものは存在しないと言うことです』

「ですよね。そんなものがあったら、あの戦いの時に僕を操れば済むことですし」

 

 世界の外の荒野での戦いを思い返しつつヒョウエ。

 師の頷く気配。

 

『ひょっとしたらこの状態は彼にとっても想定外なのかも知れません。

 もしくは意図したとおりに事態が進んでいないのか。

 だとしてもあれならこの状況を更に効果的に利用しようとするでしょう』

「でも、具体的にはそれが何かわからないんですね」

『その通りです』

 

 師弟が揃って溜息をつく。

 サーベージが髭づらの頬をボリボリとかいた。

 

「まあ近いうちになんかやりそうな気はするな。本当にただの勘だが――なんだ?」

 

 自分の顔をじっと見る語りの弟子に眉を寄せる。

 

「いやまあその・・・これまでの話を聞いてサーベージ師匠の正体というか本当の名前というかに心当たりが・・・」

「おい馬鹿やめろ。そんなもんほじくり出しても誰も得しねえぞ」

『いいじゃないあなた。聞いてみましょうよ』

 

 僅かに動揺して早口になるサーベージを、妻がやんわりと止める。

 ただし、思念の端々に隠す気もない笑いの気配を込めて。

 

「おめえなあ・・・!」

『ほら、ヒョウエ。言ってご覧なさい』

「はあ・・・まず先生は"祭壇"の一番弟子ですよね。伝説では白髭の老爺ですが」

『ええそうよ。全く失礼な話ね』

 

 肩をすくめるような気配。

 何だかんだ今でも色濃く残る男尊女卑のたまものかなあと思いつつ言葉を続ける。

 

「四千年前、原初の魔獣たちが〈昼も夜もない谷〉から溢れた時に活躍した、"祭壇"の一番弟子の娘、白き髪の乙女って多分セレス先生ですよね。

 となるとそれと恋仲に落ちたって言う『始まりのサムライ』って・・・」

「え」

「あ」

「ファーッ!?」

 

 あんぐりと口を開け、あるいは絶叫する三人娘。

 その場の視線を一身に受けたサーベージ、この世界の人間なら誰もが知る英雄にして白い髪の乙女との悲恋の主人公、最初のオリジナル冒険者族「始まりのサムライ」は滅茶苦茶渋い顔で頭をかいた。



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10-02 始まりのサムライ乱行録

「待て、待て待て待て! 始まりのサムライつったら四千年前だぞ! いくらオリジナル冒険者族でも生きてるわけねえだろ!」

「星の騎士みたいなパターンならあり得なくもないと思いますけどね・・・ともかく一つ忘れてませんか? セレス先生は神になれた人ですよ? そして神なら人を不老不死にするすべを知っているでしょう」

「あ・・・」

 

 ヒョウエの言葉にモリィが目を見張る。

 使徒。〈百神〉が力を分け与えた、地上での神の代理人。

 彼らは神の力の一部を行使することを許され、また使徒の座にある限り不老不死だと言われる。

 神の座に昇らなかったとは言え、真なる魔術師の中でも最も優秀だったセレスがそれに近いことが出来ても不思議ではない。

 

「で、ではやはり本当に・・・」

 

 がっくりと、リアスが膝をついて崩れ落ちた。

 

「そんな、まさか"最初のサムライ"がこんなろくでなしの飲んだくれの行き当たりばったりの絶対親戚にはいて欲しくないタイプだったなんて・・・」

「お嬢様、お気を確かに!」

 

 orzするリアスを必死に揺さぶるカスミ。

 

「お前そんなこと思ってたのかよ・・・」

 

 一方渋い顔を更に渋くするサーベージ。自覚はあるだろうが、かわいがっていた弟子にそう思われていたのは多少なりともショックだったらしい。

 笑みを含んだ思念で妻が追い打ちをかける。

 

『全部本当の事じゃないですか。普段の行いがそう言う時に跳ね返って来るといつも言っているでしょう』

「まあ言われたくなければ身を慎むべきだと、僕も思いますよ師匠・・・痛い痛い」

 

 大人げなく青筋を立てたサーベージがヒョウエのほっぺたをつねり上げる。

 妻には勝てないので弟子に当たるあたりが実にみみっちい。

 

「なめた口利いてくれんじゃねえかこのクソ弟子が。調子こいてると・・・」

「『芋酒は 芋掘僧に くれもせで つるをたたさぬ 人はなんしょよ』」

 

 ビシィッ、と人間が石になる幻聴が洞窟に響いた。

 ヒョウエが口ずさんだ言葉を聞いて、サーベージが硬直した音である。

 先ほどから一転、恐怖の表情すら浮かべて一歩、二歩と後ずさる。

 

「お、おめえそれをどこで・・・」

「『いも酒を のめばいもせの 中よくて ぬかごをうむと 云うはまことか』」

「ぐおああああああああ!?」

 

 頭を抱えてサーベージが洞窟の床面を転がり回る。

 明らかに精神的致命打撃(クリティカルヒット)だ。

 セレスが興味深げにそれを覗き込んでいる(ような雰囲気を出している)。

 

『どういう事です、ヒョウエ?』

「旦那さんが酒乱なのはご存じで?」

『ええ、嫌と言うほど』

「ある時酔っ払って、知り合いのお坊さんの・・・そうですね、修道院に行ったんですよ。

 で、禁欲を旨とする修道士たちに『おまえら芋掘って暮らしてるんだから芋酒を飲め』と強要しまして。皆さんが弱り果てたところにその知り合いのお坊さんが出て来て今言った和歌、ショートポエム二つをその場で詠んだら旦那さんは大笑いして帰って行ったと」

『うわ最低』

「ぐげっ」

 

 嫁の言葉に、転がっていたろくでなしジジイがビクンビクンと痙攣する。

 

「どうしようもねえじじいだな・・・」

「他人に飲め飲めと強要する方はまあいらっしゃいますけど、修道士に・・・?」

「やっぱり飲んだくれにろくな方はいらっしゃいませんね」

「クズだ」

「ぐががががー?!」

 

 三人娘+アルテナの追い打ちに、悲鳴を上げて転がり回るサーベージ。

 この厚顔無恥を絵に描いたような男でも、若かりし頃の恥をほじくり出されるのは流石に辛かったらしい。

 無駄に隙のない動きでがばりと立ち上がり、涙目でヒョウエに詰め寄る。

 

「畜生バラしやがって! だいたい何でそんなことお前が知ってるんだよ?!」

「いや、そう言われましても当の和尚さまが手紙に残してまして・・・」

「和尚ーっ! 何してくれてんですかーっ!」

 

 天井を仰いで絶叫するサーベージ。

 彼の真の名前は柳生十兵衛光巌。

 江戸時代最強とも言われる伝説の剣豪である。

 

 

 

「ちくしょう、他のオリジナル冒険者に知られないよう四千年間必死で隠してたのに・・・」

 

 リアスの代わりにorzするサーベージ。背中がすすけている。

 

「そこまでショックを受けるとは思いませんでしたよ。

 いやまあ、隠したいことや知られたくないことはそりゃあるでしょうけど、師匠って結構武名も馳せてるじゃないですか? 当時の剣豪でいえば真っ先に名前の上がる・・・」

 

 再びがばりと(隙のない動きで)立ち上がるサーベージ。

 

「お前に何がわかる!?」

「え、いや、そのですね」

 

 慰めようと思ったらもの凄い顔で睨まれて、何も言えなくなるヒョウエ。

 

「若い頃のちょっとした過ちで上様の御勘気をこうむって出仕停止!

 幕閣の出世コースをひた走ってた親父の足も盛大に引っ張って!

 十年間柳生のクソド田舎に押し込められて!

 必死で書き上げた兵法書は親父にゴミ呼ばわりされて!

 沢庵和尚が口添えしてくれなかったら廃嫡も有り得たみじめな境遇で!

 許されて再出仕した後はまじめにお役目務めてたのに、親父が死んだら領地分割されて大名から落とされて!

 ふてくされて柳生に帰りはしたけどそろそろ出てかないとまずいなーってなってたところでこっちに呼ばれて行方不明になって!

 息子もいなかったから家督継がせて貰えなくて断絶して!

 なんか弟が継いだらしくて家自体が取りつぶされなかったのはいいけど滅茶苦茶苦労かけたらしくて申し訳なくて! 

 こんなクソ野郎の人生のどこに誇るべき点があるんだ! ええっ、どこにあるんだよ!?」

「いやその・・・すいません」

 

 最後の方は嗚咽も交じる師の独白に、何も言えずに謝るしかできないヒョウエである。

 

(確かに僕の知ってることは割と創作でのイメージも入ってるからなあ・・・)

 

 まあ生前の行跡の悪さが悪いと言えば悪い。

 その反面死後数十年で既に講談や小説のネタになっているのだから、作家には扱いやすい題材だったのだろう。

 

 とはいえ実際当時の江戸柳生最強の男であり、剣術の理論面においてもいくつかの著書を残し、幕府でのお役も無難にこなしているあたりは決して無能ではない。

 無能ではないが・・・周囲の評価と当人の自己評価は得てして乖離するものである。

 

「ううう・・・」

 

 再び崩れ落ちて嗚咽する老人を、呆れと同情半々くらいの目で周囲が見ていた。

 

 

 

『ほら、気を取り直してちょうだい。あなたがそう言う人だって言うのはわかっているから、今更幻滅したりはしないわよ』

「お、おう。そうか、すまないな・・・今さりげなく俺を貶めなかったか?」

『気のせいじゃない?』

 

 数十分後。妻の励まし?もあって何とかサーベージは立ち直った。

 

「くそ、何でばれたんだよ・・・」

「まあ四千年前ってことはあっちの世界だと僕の時代から四百年くらい前で、新陰流関係者で酒乱の剣豪で隻眼となると・・・」 

「ちくしょう、人のことを好き放題勝手に後の世に残しやがって! 和尚様恨みますぜ・・・よりによってあの話を残さなくてもいいじゃないですか・・・」

 

 頭を抱える師匠に、同情を交えながらも呆れた顔のヒョウエ。

 

「悪いの全面的に師匠じゃないですか」

「そりゃそうだけどよぉ・・・」

「それに直接には知りませんけど、あの和尚様がそんなことをいちいち気にかけると思います?」

「・・・思わん」

 

 沢庵宗彭。江戸時代初期の高僧で十兵衛の父柳生但馬守宗矩の友人。

 紫衣事件で仏教界と幕府が揉めた時に「そもそも幕府の法律が間違ってるんだよ。それとも物を知らないだけか、ええっ?(意訳)」と真っ向正面から言い放って幕閣を激怒させた江戸時代切っての反逆者(トリーズナー)である。

 大名家の嫡子とは言え、たかが友人の息子の問題児の小僧一人に遠慮するわけがない。

 

 なお前述の「芋酒は 芋掘僧に くれもせで つるをたたさぬ 人はなんしよよ」と「いも酒を のめばいもせの 中よくて ぬかごをうむと 云はまことか」の二首の和歌はつまる所「精力剤である山芋から作った芋酒飲んだらエッチなことしたくなるよね!」ということで、それぞれ「勃たせちゃ駄目な僧侶に芋酒やってどうすんだ」「芋酒飲んで女の中に入れたら気持ちよくなって子供が生まれるってホントかよ」のような意味で、十兵衛ではなく僧侶である沢庵和尚が詠んだところが実にロックである。

 閑話休題(それはさておき)




 一話まるまるじいさんの身の上話になってしまった・・・w
 なお今回の十兵衛関連の話は全部史実です。いやマジで。


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10-08 期せぬ再会

 

「それでですね。十兵衛師匠の恥ずかしい過去はともかく」

「その名前はやめろ! 俺はサーベージだ! 過去は捨てたんだ!」

「過去は・・・バラバラにしてやっても・・・石の下から・・・ミミズのように這い出てくる・・・」

「どこの誰のセリフか知らんがやめろ! 今まさに這い出てきたばかりだよ!」

『・・・』

 

 漫才を演じる亭主と弟子の姿に水晶の美女が思念で溜息をつく。

 三人娘もそれぞれに呆れ顔だ。

 そうでないのは何をやってるか理解出来ないアルテナぐらいだろう。

 

『はいはい、二人ともそこまで。まじめな話に戻りますよ』

「小僧が悪いんじゃねえか。人の過去をほじくり出しやがって・・・」

「有名税という奴ですね」

 

 しれっとのたまうヒョウエにサーベージが剣呑な眼を向けるが、妻に釘を刺されたせいか実力行使には出ない。

 

「それでセレス先生? 具体的にクリス先生がこれから何をやってくるとか、こちらから何か行動を起こすとかあるんですか?」

 

 首を振るような否定の気配。

 

『残念ながら。ここ数千年滅多に姿を見なかった悪魔が連続して、しかも両方あなたにからんで出現したのは間違いなく何らかの前兆かと思うのですが・・・』

「クリス先生の仕業なのは間違いないと思うんですが、何をしたいのかがよくわかりませんよね。

 僕の具現化術式を持っていって何がしたいんでしょうか?」

『そうですね・・・』

 

 セレスが少し考え込む。

 ヒョウエが青い鎧の術式を具現化させた時、様々なアドバイスをしてそれを今の形にしたのが老婆メルボージャの姿を取っていた彼女である。

 青い鎧について、下手をするとヒョウエ以上に理解している唯一の人物だ。

 

『まず単純に超強力な魔道甲冑としての機能がありますね。加えて保持できる魔力量も出力限界も馬鹿馬鹿しいほどに高いので、一種の魔力蓄積装置(キャパシタ)として運用できなくもないでしょう』

「何か大がかりな魔法装置の一部として運用する・・・? 例えば巨人機(ギガント)みたいな」

 

 ヒョウエとモリィが出会ったころに出くわした、古代の巨大戦闘機械だ。

 柳生十兵衛ことサーベージが召喚された頃に起きた、〈昼も夜もない谷〉の封印が破れて神代の大魔獣たちが暴れ出した事件などでも活躍したと言われている。

 

『まさか。あなた青い鎧であれらを一蹴したじゃないですか。というかあれは当時でも数合わせにしかなりませんでしたからねえ。もちろん数が重要な場合も多々ありましたが』

「歩のない将棋は負け将棋、だな」

 

 サーベージが遠い目で呟く。

 逆に言えば将棋の歩兵、チェスのポーン程度の存在だったと言うことである。

 

「どれだけ強かったんですか原初の魔獣・・・」

「俺がババァの援護を貰って入念な策を用意しないと勝負にもならない程度だよ」

「・・・」

 

 海を断ち割ったと言われる始まりのサムライにそこまで言わせる原初の魔獣。

 当時を知らないヒョウエたちが揃って絶句した。

 

「しかし巨人機でも比較にならないとすると・・・モンソン島にあった大地を操る魔法装置?」

『あれでも青い鎧をキャパシタとして使うにはいささかスケールが小さいでしょうね。

 そもそもあのレベルなら、専門外とは言え真なる魔術師であるクリスに用意できないものでもないでしょう』

「あれでも小さいのか・・・」

「では一体あの方はどれだけとんでもない代物を用意するおつもりで・・・?」

 

 冷や汗をかきながらリアス。

 再び首を振る気配。

 

『見当もつきません。今回の幻夢界の底に穴を開けるたくらみといい、いったい何を考えているのか・・・』

「悪魔の大規模な召喚でも行うつもりでしょうか」

『それをするにはお師匠様たちと真の龍たちの張った結界を破る必要があります。

 いかにクリスとは言えできるかどうか・・・』

「言いたくはありませんが悪魔と結託してこの世界を征服しようとしているとか・・・?」

『残念ながら否定はできません・・・うん?』

「先生?」

 

 セレスの思念が止まった。

 何かに集中しているようだが、困惑した気配だけが伝わってくる。

 

「・・・」

「・・・・」

 

 声をかけようにもそうした雰囲気ではなく、周囲の人間はただ黙ってそれを見守るばかり。

 

『!』

 

 それが突然に乱れた。

 

『・・・』

「おい、セレス。どうした?」

 

 

 僅かな間を置いて、セレスの思念が返ってきた。

 

『・・・霊魂の神(スィーリ)から交信がありました。

 幻夢界が恐ろしく乱れているようです。まるで嵐が吹いているようだと。

 交信も途中で切れてしまいました』

「・・・」

 

(悪天候で携帯の電波状況が悪いみたいな感じだな)

 

 一瞬のんきなことを考えて自分で否定する。

 

「この状況で幻夢界の乱れ? 偶然ではないでしょうね」

「だろぉな。あの紫野郎が噛んでることに全財産賭けてもいいぜ」

 

 ヒョウエたちが頷きあう。

 その瞬間、世界が揺れた。魔力に鋭いセレスとヒョウエとアルテナ、鋭い感覚を持つサーベージとモリィが顔色を変える。そうした能力に乏しいリアスとカスミの主従でさえ本能的に異変を感じとっている。

 

『ヒョウエ! あなた!』

「どうした!? なんだこいつは」

「凄い魔力です師匠! それと・・・来ました!」

「!」

 

 広い洞窟の中、水晶の周囲を取り囲むように出現する青い炎の球体。

 大きさは10mにも達しようかというそれが二十か三十。

 その中に一つだけ3mほどの小さな空間の揺らぎ。

 

 青い炎が実体化する。

 火球の大きさに見合う巨大な、青黒い巨大な角と翼、爪と牙を持つ悪魔が数十体。

 そして。

 

「・・・え?」

「アラ、ヒョウエちゃんじゃナイ、奇遇ネッ! どうしたノ、こんなところデ?」

 

 浮遊する円盤の上に乗った、一トンほどはありそうな肉の塊。

 ゲマイ創世八家クレモント家の当主にして魔道君主の一人、千年を生きる「ゲマイの死なない王様」、ダー・シ・シャディー・クレモントはカバのような笑い声を上げた。



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10-09 ゲマイの死なないおうさま

 悪魔の群れとともに現れたダー・シに、セレスが目を見張った。

 

『あなた・・・まさかクリスですか!?』

「えっ!?」

「はあっ!?」

 

 サーベージを除くその場の全員が硬直した。

 ダー・シがカバのような笑い声を上げる。

 

「さすが姉弟子ネッ! 一発で見抜かれるトハ恐れいりましたワッ! まあ気付かれなかったラ、それはそれで悲しくて泣いちゃうところだったケドッ!」

 

 ボハハハハ、と更に馬鹿笑いするダー・シ。

 ヒョウエがそれを呆然と見ている。

 

「た、確かにしゃべり方やイントネーションには面影が・・・でも本当にクリス先生なんですか?」

 

 ダー・シが笑顔のまま、ばちこん、と象も卒倒しそうなウインクを放った。

 

「エエ、そうヨ。ワタシは紛れもないクリス・モンテヴィオラ。まあそのなれの果てっていうのが正確カシラネ?」

『随分ぶくぶくと太ったものですね。まあ昔からあなたは甘い物が大好きでしたけど』

「まァ色々ありましテ! そう言う姉弟子ハお変わりないようで安心しましたワッ! もっとも、その美貌を維持するために色々とご苦労されてるようですケドッ!」

『・・・』

 

 ボハボハと笑うダー・シ。

 水晶の中の白い美女が押し黙る。

 

『・・・それで今日は何の用です。まさか旧交を温めに来たわけでもないでしょう』

「イヤですワ、半分くらいはそれですノニ。アア、そう言えば結婚されたんでしたわネッ!

 遅ればせながらおめでとうございマス!」

『どうも。それでもう半分はなんなのです?』

 

 緊迫感を孕んだ会話。

 それでもセレスは悠然と、ダー・シであるクリスは陽気に笑いを上げながら。

 

「もう半分はですネ・・・この六千年ほど進めていた計画がこのたびようやく成就しそうなのデ、姉サマには是非ともお付き合い頂きたいと思いましテ!」

『それは・・・まさか、あれはわたしの居場所を探るために!?』

 

 思念から伝わる驚愕の気配。

 カバのような笑い声が更に大きくなる。

 

「ご明察! 目に見えない染みでも、試薬につければ浮き上がって見える! こんな大きな龍脈の上にあるのに、いやん、隠蔽の仕方がもの凄ぉーくウマい! ホント芸術的ですワッ!

 だからあれくらい大ごとにしないと見つかりませんでしたノッ!」

 

 敬愛する姉弟子を驚かせたのがよほど嬉しかったのか、腹を抱えて狂ったように笑うダー・シ。いや、クリス。

 目を白黒させながら、モリィがヒョウエに顔を寄せた。

 

「お、おい、どういうこったよ? 何の話だかわかるか?」

「おそらくは先だっての幻夢界での舞台(アリーナ)のことでしょうね。

 セレス先生はこの場所を可能な限り巧妙に隠していたけど、幻夢界から漏れる様々なものが物質界に薄くだけど流れて、それで特異な反応を示した場所を探してここを突き止めたんでしょう」

 

 ばしんばしん、とクリスが手を打ち合わせた。

 恐らくは拍手のつもりなのだろう。

 

「ヒョウエくんもご明察ッ! その通りヨ、あの舞台(アリーナ)を作った理由は色々あるケド、一番大きなのは姉サマの場所を探すコト。

 幻夢界から漏れ出た霊的物質(エクトプラズム)原質(エーテル)は、イコールで『異世界の物理法則』でもアルワッ! 魔法とはそれ自体が異世界の物理法則を利用しているカラ、どれだけ巧妙に隠していても漏れ出した異世界法則の中では浮き上がってしまうものなのヨッ!」

「・・・!」

 

 ヒョウエが絶句する。

 さすがの彼が――いや、チート持ちの大魔術師(ウィザード)であるヒョウエだからこそ、真なる魔術師(トゥルー・ウィザード)であるクリスのやった事の高度さとスケールの大きさがわかってしまう。

 同じ真なる魔術師であるセレスにとってさえ、それがかなりの離れ業であるのは彼女も無言になっていることからわかる。

 言葉を失って立ちつくす二人の横で、百貫デブならぬ一トンデブに一歩進み出たのは隻眼の老語り部。

 

「さっきからボハボハうるせえんだよ。

 それだけでも鬱陶しいのに人の嫁を勝手に連れて行く?

 ゲマイの死なない王様をゲマイの死んだ王様にしてやろうか、あん?」

「・・・」

 

 全身から放射される殺気。

 柳生新陰流を極め、四千年の鍛錬を経た伝説の剣士から発せられるそれに、さしものクリスが口を閉じる。

 しばし落ちる沈黙。

 周囲の巨大な悪魔たちも、クリスの命令がないせいか一同を見下ろすだけで微動だにしない。

 

 それでも。

 ややあってクリスが顔に浮かべたのはにまぁとした笑みだった。

 

「ほう」

 

 怒気をにじませてサーベージが呟く。

 じり、と。

 すり足で一歩を踏み出す。

 それでもクリスの笑みは消えない。

 

「やぁねえ、マジにならないでヨ。それにアナタは確かに姉様の旦那さんダケド、それでも姉弟弟子の間に割って入るノハ感心しないワネ?」

「知ったことか」

 

 更にすり足で一歩、そして腰を落とす。

 まだ10m近く離れているが、構えているのは伝説の達人。

 恐らく手に持っているのが刀なら踏み込んで抜き打ちで首を落とせる一足一刀の間合い。

 

 手に持っているのは刀でこそないが、ムラマサの妖刀をことごとく受け流した業物の杖。

 恐らくは柳生杖と呼ばれる鉄芯入りの打撃武器のたぐい。使う者が使えば人の頭などスイカよりもろく砕け散る。

 そうでなくとも海を断ち割る斬撃を放てば、いかに真なる魔術師と言えどもただでは済まない。

 

(・・・けど)

 

 驚愕から立ち直ったヒョウエが心の中で独りごちる。

 

(なんだろう、嫌な予感が・・・!)

 

 既にクリスはサーベージの間合いの中にいる。

 周囲を固める巨魔でさえ、サーベージなみの達人でもなければ割って入れない距離。

 少しずつ、少しずつ濃度を増す張り詰めた空気。

 対照的にサーベージからは殺気が消えている。

 無念無想。

 リアスが精神統一を必要とした自分を消すという境地に、ごく自然に入り込んでいる。

 

 動かないサーベージ。

 動かないクリス。

 空気の密度だけが上昇していく。

 

 緊張感で誰もが動けない。

 動いたら取り返しの付かない何かが起こりそうな、そんな空気。

 

 その中で何かが弾けた。

 武の達人にしか感じ取れないそれは、光の粒子のように二人の間を通り抜ける。

 

「イエェェェェェェェェェッ!」

 

 空気を震わせるサーベージの気合。

 気がついた時には瞬間移動したようにその体がクリスの眼前にあり、両手に握った杖がその頭を砕くところだった。

 

「!?」

 

 だが、それでもクリスの笑みは大きくなる。

 それはつまり、なまじっかな剣士でも影すら追えない、サーベージの踏み込みと一撃を認識していると言うこと。

 それでも動き出した杖は止まらない。

 龍の角でさえ砕く一撃がクリスの頭に振り下ろされ。

 

「!?」

 

 硬質の音と共に弾き返された。

 

「・・・」

「嘘」

『・・・・!』

 

 どこか青い鎧に似た甲冑の色は艶一つない漆黒。

 翻るマントは不吉を思わせる暗い紫。

 

 兜の両脇から映えた禍々しい角。爪の如く尖った両手の指。体中に生えた(スパイク)

 サーベージの一撃を脳天にまともに食らいながら、その騎士甲冑の人物は悠然と宙に浮いていた。

 

 葬送曲が奏でられた。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 死神は、葬送曲と共に現れるのだ。



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10-10 黒い鎧

「嘘・・・」

「なんだと・・・」

 

 葬送曲と共に現れたのは黒と紫の甲冑の騎士。

 青い鎧のネガ。

 体格や体のバランスもほぼ同じで、恐らくは奪われた青い鎧を改造したもの。

 感じる威圧感、魔力量は本家と比べても遜色ない。

 直径2m近くありそうな肉達磨を中に押し込めているにしては小さいが、そこは魔法ということなのだろう。

 

「・・・」

 

 それが始まりのサムライ、恐らく世界最強の剣士の一撃を苦もなく弾き返した。

 

『ヒョウエ!』

「はいっ!」

 

 セレスの声と共にヒョウエの姿が消えた。

 誰もがその後に来る事を知っている。

 

 そして奏でられるのはファンファーレ。

 それはヒーローが降臨したあかし。

 

「・・・」

「ヒョウエ!」

「青い鎧か・・・!」

 

 瑠璃の如き透き通る群青。

 びろうどの如き鮮やかな紅。

 いつもならば絶対的な安堵と共に迎えられるそれが、今はどこか頼りない。

 

「・・・」

「・・・」

 

 対峙する青い鎧と黒い鎧。

 先ほどのサーベージの時のように、緊張の糸が張り詰めていく。

 いや、先ほどの時のようにではない。

 

 青い鎧。

 黒い鎧。

 セレス。

 サーベージ。

 モリィ。リアス。カスミ。

 そして青黒い巨大悪魔(ジャイアントデーモン)たち。

 

 今は全員がこの空気に染まっている。

 どんどん濃厚になる緊迫感。

 火に掛けた鍋の中のスープが煮詰まっていくように。

 

 火花が散った。

 凄まじい金属音。

 その寸前、青い鎧と黒い鎧の姿が消えている。

 

 全員が同時に動いた。

 

『あなた!』

「おう!」

 

 セレスが何かを念じるとサーベージの目前に一振りの日本刀が現れる。

 老剣士がそれを掴んですっぱ抜いた瞬間、見えない斬撃が走った。

 洞窟の壁と天井に斜めに走る線。

 僅かに遅れて巨魔三匹の体に同様の線が走る。次の瞬間、その三匹の上半身と下半身が生き別れした。

 

「オラァッ!」

 

 その背中で、三人娘の戦いが始まっている。

 初手を打ったのはやはりモリィ。

 雷光銃の連射を巨魔の目に正確に叩き込み、10メートルの巨人を怯ませる。

 その鋭い視覚は雷光が命中しながらも僅かにその着弾点の周囲が波打って歪んでいたのを見逃さなかった。

 

「こいつらあの悪魔と同じだ! 半分霊体って奴だぞ!」

「で、ございましょうね!」

 

 リアスの一刀。

 2メートル程度ではあるが、斬撃が飛んだ。

 

『GYEEEEEEEEEE!?』

 

 巨魔のすねに線が走り、緑色の体液をまき散らしてずれ落ちる。

 悪魔が悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。

 

「幻舞陣!」

 

 カスミが七色七体の光の分身に分かれる。

 それらが猿のように巨魔の体を飛び登りはじめた。

 巨魔はハエを払うように体中のカスミを払い落とそうとするが、手の平はむなしく体を叩くのみ。

 

『GYEEEAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 巨魔の手の平にはたき落とされて全ての分身が消えたと思った瞬間、巨魔は両手で目を押さえる。

 

「・・・やはり手応えが心許ないですね」

 

 その一瞬前、何もない空間から出現したカスミの忍者刀が巨魔の双眸を一直線に切り裂いていた。

 

『小賢しい悪魔どもめが! 死ぬがよい!』

 

 魔力の濃密な空間なせいか、小竜ではない、黄金の龍に変じたアルテナが巨魔達に襲いかかる。

 巨魔との体格差は人間と大型犬くらい。

 人間と犬とは違い、スピードにさほど差はないが、低い姿勢から繰り出される攻撃に巨魔達は対処しあぐねて、次々に傷を増やしている。

 

『ふん』

 

 噛みついた傷口からしたたった緑色の体液を、アルテナがまずそうに吐き出した。

 

 

 

 そして、それら全ての戦いを圧して、鉄塊を鉄塊に叩き付けるような重低音が響き続けている。

 しかしそれらを奏でる奏者たちの姿は見えない。

 見えないほどの速度で動き続けている。

 その姿を視界の端にでも捉えられるのは、強力な《目の加護》を持つモリィと真なる魔術師であるセレス、そして達人中の達人であるサーベージくらいのものだ。

 

 そしてその中でも、モリィにだけはわかる。

 セレスの入った水晶柱から強大な魔力が放出されていること、それらがこの空間全体、特に巨魔達とクリスの変じた黒い鎧に向かって投射されていること。

 そして黒い鎧に投射される魔力はその体の周辺で黒い鎧の発する魔力と打ち消しあっていること。

 

(つまり、真なる魔術師である姐さんでも、あの黒い鎧に魔術で対抗は出来ねえってわけかい)

 

 モリィの背に冷や汗が流れた。

 

 

 

 鳴り響き続ける重低音がふと途切れた。

 悪魔は早くもその数を半分ほどに減らしている。

 大半はサーベージが斬り捨てたものだ。

 それぞれ目の前の相手と戦いながらも、モリィ達の目が空中の一点に集中した。

 

「・・・」

「・・・」

 

 中空に静止して、10mほどの距離を置いて対峙する青い鎧と黒い鎧。

 いずれにも目立った損傷はない。

 不審そうに、だが油断なく相手から目を離さない青い鎧。

 黒い鎧の肩が僅かに震える。

 

「くっ・・・」

「?」

「くくくくく。くはははははは! アーッハハハハハハハ!」

 

 ダー・シではなく元のクリスに近い、甲高い笑い声が黒い鎧から漏れる。

 

「なるほど、わかった! わかったわ! これならあたしの勝ちねっ!」

「言ってくれるではないか。試してみるか?」

 

 青い鎧になったときの癖になっているのか、低い作り声でヒョウエ。

 それでも甲高い笑い声はやまない。

 青い鎧が身構えた。

 黒い鎧が笑い声を消して両手を広げる。

 それはあたかも群衆を導く聖者のようで。

 

『ヒョウエッ! 避けなさいっ!』

 

 その瞬間起こったことはモリィの《目の加護》をしてもはっきりとは捉えられなかった。

 ただわかったのは、真なる魔術師であるセレスたちや青い鎧と比べてすら遥かに巨大な存在、人間とはスケールの違う何かがその場に出現したこと。

 そして黒い鎧が突き込んだ手刀が青い鎧の胸を貫通し、水晶の心臓をえぐり出す光景だった。



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第二章「ハートレス、ノーバディ」
10-11 竜の心臓


「どうしてうつむいて歩くの?」

「自分には心が無いから、小さな虫をうっかり踏み潰してしまうかもしれない。

 温かい心を持つ人が自然にできることが、自分にはできないんだ」

 

     ――オズの魔法使い、ブリキの木こり――

 

 

 

 

 モリィが気がつくと、アキリーズ&パーシューズ魔法道具店の作業室だった。

 メルボージャとイサミ、アンドロメダ、必死そうな顔のマデレイラが台座に横たわったヒョウエの周りで忙しそうに立ち働いている。

 

「おう、起きたか」

 

 声に振り向くと、疲れた顔のサーベージとリアスが部屋の隅の長椅子に座っていた。

 

「みなさま、お茶が・・・モリィ様、目がさめたのですね。良かった・・・」

 

 扉が開いて現れたのは、香草茶と茶菓を持ってきたカスミ。

 モリィの顔を見て安堵の息をつく。

 横たわるヒョウエをちらりと見て、視線をサーベージ達の方に動かした。

 

「なあ、何がいったいどうなったんだ? 悪いけど説明してくんねえか?」

「そうだな、茶菓子代わりに話してやるか」

 

 サーベージが取りだした水袋から、蒸留酒をがぶりと飲んだ。

 

 

 

 作業を続けるメルボージャを残し、イサミ達もそれぞれ適当に腰掛けて一息つくとサーベージは語り出した。

 

「俺も確かに見てとったわけじゃねえ。ババァから聞いた話が大半だ」

 

 メルボージャをちらりと見ながら老剣士。

 

「あの時紫野郎が呼び出したのが、悪魔の王――最低でも上位貴族に相当するような高位の悪魔だった。その力を借りて小僧を行動不能にし、心臓をえぐり取った」

「あー・・・水晶の心臓ってやつをか?」

「"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。あいつの《加護》であり、無限の魔力を生み出すエンジンだ」

 

 補足説明をしてイサミが茶をすする。

 

「それって・・・なんで生きてんだよ、あいつ?」

 

 ヒョウエに視線を飛ばしながらモリィ。彼女の《目の加護》は、ヒョウエが呼吸もしていれば心臓があるかのように脈もあることを見て取っている。

 アンドロメダが頷いた。

 その前髪は一筋ほつれていて、彼女も不眠不休で動いている事を窺わせる。

 

 

「お師匠様の処置のおかげですね。こちらに運び込まれてからは、『生命の祭壇』・・・怪我人を癒すため、生命を引き延ばす魔道具を使って呼吸と鼓動を維持しています。

 今やっているのは祭壇から離れても行動できるように、擬似的な心臓と術式を埋め込む作業ですね」

「取りあえず命は無事ってことか」

 

 アンドロメダが頷くのを見て、モリィが深く安堵の息をついた。

 代わってリアスが口を開く。

 

「そこまではわたくしも聞きましたが、あの場からどうやって脱出して来れましたの? どう考えてもまともに逃げられる状況ではありませんでしょう?」

「そこもババァから聞いた話だが、悪魔の王だかなんだかは一瞬で消えて、あの黒い鎧の野郎も力を消耗したのか動きが鈍ったらしいんだ。

 そんであの金龍のチビの力も借りて、あの洞窟から瞬間転移で脱出したんだと。

 同時に化身(アヴァター)も出してあれこれ情報を植え付けたが、今本体とのリンクは切れてるらしい」

 

 と、再度メルボージャの方を指す。

 

「恐らくはクリスの手に落ちたんじゃろうな。直前までの記憶はあるが、それ以降の記憶や思念の同期がない。あそこから移動させられたか、封印されたかのどちらかじゃろう。

 もちろん殺害された可能性もあるが、それは低いとわしは見ておる。本体には使い道が色々あるでの」

 

 と、背中を向けながら老術師。

 

「そうかい・・・そう言えばアルテナはどうしたんだ?」

「そこで寝てるよ」

 

 イサミが指したのは部屋の隅のバスケット。

 最初に物質界に来た時同様、小さな金色の竜が布を敷き詰めたその中で丸くなって眠っていた。

 

「こいつも力を使い果たしたみたいでな。取りあえず寝かせておくしかないとさ」

「そっか」

 

 しばし沈黙が落ちる。

 響くのは茶をすする音と菓子を口にする音、そして老術師、真なる魔術師セレスソレパルの分身が作業をする音だけ。

 ややあってカスミが口を開いた。

 

「そう言えばサーベージ様、セレス様。あの洞窟はどこにあったのですか?

 行く時も瞬間転移でしたからわかりませんでしたが・・・」

「ありゃあこの都の地下深くだ。メットーが出来るより遥か前の話だが、何回か地下通路下って行ったことがある」

「マジか」

「・・・・・・・・・・・・師匠」

「ヒョウエ!?」

 

 驚愕の声があちこちで上がった。

 台座の上で微動だにしなかった少年の口から漏れた言葉。

 

「これ、しゃべるでない。まだ施術は完了しておらんぞ」

「これだけですから・・・サーベージ師匠、ひょっとしてその地下通路の入り口・・・今アイズナー離宮のある場所にありませんでしたか」

「!」

「そうか、レスタラがアイズナー離宮の破壊を目的にしてた節があるのは!」

「気付いたか。あの離宮はな、蓋よ。地下へと通じる通路、地下の施設を封印するための蓋じゃ。鉄仮面の奴めどこで聞きつけたか、それを狙ってきたんじゃろ。

 あの洞窟は世界最大の竜脈の上に築かれた一種の要塞じゃ。わしの本体を保存するために色々手は加えておるがの。やつめ、わしの本体と共にあの施設を利用するつもりに違いないわ」

「・・・ちょっと待って下さい。以前の地震発生装置の時に聞きましたが、その竜脈は今は枯れてしまっていると。まさか、メルボージャ師匠がそれを作ったせいですか?」

「まあの」

「・・・」

 

 少し考えてからヒョウエが再び口を開く。

 

「あそこには何があるんですか?」

「・・・」

「師匠がただエネルギーを利用するためだけにそうした施設を作って竜脈を枯らすとは思いません。何かそうせざるを得ない訳があったのでは」

 

 しばしメルボージャの沈黙。

 

「あそこには・・・あそこにはお前もよく知る施設があった」

「? それは・・・」

「エコール魔道学院じゃよ」

「!」

 

 ヒョウエの目が大きく見開かれる。

 普段だったら大声で叫んでいたかもしれない。

 

「これ、動くなと言うておろうが。

 そもそも魔道学院があの場所に作られたのもそれが理由での。

 わしを含めて数人にしか知らされておらなんだが、我らのお師匠様である"祭壇"はそれを封じる・・・少なくとも不穏のやからに利用されないために魔道学院を作り、それを守るための砦としたのじゃ」

「・・・いったい何があるんです」

「世界のへそじゃ」

「オオヤシマの時代から存在する世界のへそ・・・まさか?」

 

 ヒョウエの表情が変わる。

 施術する手を止めず、メルボージャが大きく頷いた。

 

「神代の大地となった黄金鱗の虹の竜。その心臓がメットーの地下にはあるのじゃ」



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10-12 地球のへそ

 

「・・・黄金鱗の虹の竜かあ」

 

 視線がバスケットの中で寝ているチビ龍に集中する。

 

「実際、心臓をどうにかすると何が起きるんだ?」

「そうじゃな、最悪この大陸が吹っ飛ぶかの」

 

 全員が吹き出した。

 

「超大ごとじゃねえか!?」

「地殻が崩壊してマントルが・・・師匠、それこの星ごとぐっちゃぐちゃになりません?」

 

 前世知識を引っ張り出したイサミが、引きつった顔で師に問うと、老婆は作業を続けながら頷いた。

 

「ありうるじゃろうな。そのへんは山神(ボルドゥ)が研究しておったが、奴の残した資料を借りて一時期地中を探ってみた事がある。

 わしらのいるこの地上はゆで卵のカラのようなもので、下には極めて熱された硬い溶岩のような層がある。カラが一部でも剥がれたら海の水が流れ落ちて大爆発を起こし、更に広範囲のカラが剥がれるじゃろう。

 連鎖反応で更にカラが大量に剥がれ、もし無事に残ったカラがあったとしても海は干上がり、空気は海水が蒸発した高温の水蒸気で満たされる。

 それこそ竜でもなくば生き延びられまいよ」

「・・・」

「・・・」

 

 今度は全員が絶句する。

 ヒョウエやイサミなどは恐竜が絶滅した時の隕石の衝突、それより遥かに昔のカンブリア紀の生命大量絶滅などを連想していたかもしれない。

 

「・・・それが、クリス先生の目的だと?」

 

 弟子の言葉に首を振る。

 

「さすがにそれはなかろう。やったところであやつに何の得があるんだという話じゃ。

 悪魔どもにしたところで、この世界を手に入れたいのであって破壊したいのではない」

「・・・では、心臓を介して地脈から魔力を吸い上げる?」

 

 今度発言したのはアンドロメダだった。

 話についていこうと必死に頭を回転させていたマデレイラが首をかしげる。

 

「でもアンドロメダお姉様。そこまでの魔力を吸い上げる必要のある儀式なり魔道具なりってなんなんでしょう?

 悪魔を大規模に召喚するとか?」

「そのあたりじゃろうな。

 あの一瞬出て来た悪魔王かなんだかをこちらの世界に呼び込むつもりやもしれぬ」

「どっちにしろ大ごとですね・・・」

 

 溜息をついてがっくりと肩を落とすマデレイラを、アンドロメダが撫でてやる。

 普段は狂喜乱舞する姉のスキンシップにも、今の少女は僅かに身じろぎするだけだった。

 

「ほれ、そろそろ休憩はおしまいじゃ。もう少しなんじゃから手伝え」

「うーっす」

 

 のそりと立ち上がったイサミが伸びをした瞬間、屋内に通じる扉が勢いよく開かれた。

 

「うおっ?」

 

 入って来たのは"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のエージェント、ディグ。

 以前の地震発生装置事件でエブリンガーと共闘した男だ。

 

「失礼します、皆様。たった今知らせが入りまして・・・アイズナー離宮が襲撃されました」

「!」

 

 全員が一斉に立ち上がった。

 

「襲撃したのは誰だ?」

「ひょっとして悪魔でしょうか?」

 

 雷光銃や刀など、武装を確認しながらモリィとリアス。

 カスミは素早くアルテナの入ったバスケットをかかえ上げている。

 

「確認は出来ていませんが、その様な存在だという情報もあります。

 幸いなことに王族の方々は滞在しておられませんでしたが、宮殿付きの者達が多く残っていると・・・」

「・・・くそっ」

 

 モリィがヒョウエに目を移して舌打ちする。

 ディグが僅かに目を伏せた。

 

「離宮もそうですが、問題は」

 

 と、アンドロメダが言おうとしたところで建物が揺れた。

 

「!?」

 

 僅かに間を置いてディグの部下が駆け込んでくる。

 

「悪魔か!」

「は、はい!」

 

 モリィの問いに、僅かに動揺しながらも答えるエージェント。

 優秀な人材であるはずだが、こうしたとんでもない経験にはモリィ達ほど慣れていないのだろう。

 間を置かず、作業室――ガレージのように、外に直通する作りになっている――の表通りに通じる扉が強い衝撃を受けて軋んだ。

 

「やべぇ、こっちにも来たぞ!」

「や、やっぱり目的はヒョウエなの・・・!?」

「マデレイラ、ドルフィンを起動しておきなさい!」

「は、はいお姉様!」

 

 マデレイラが作業室の隅のドルフィンに取り付くのを見てからヒョウエに視線を移す。

 応急処置をするにもまだ時間がかかりそうだと見てとり、夫の方を見上げてぎょっとする。

 

「くっくっく・・・くははははは!」

 

 笑っていた。

 このような時にもかかわらず歓喜の笑みを浮かべて。

 

「あ、あなた?」

 

 まさか狂ったのかと恐る恐る夫に触れようとすると、振り向いたイサミがばっ、と大きく両手を広げた。

 

「こんなこともあろうかと・・・こんなこともあろうかと! ははははは、このセリフを口に出来るとはなあ!」

 

 笑うイサミの右手に握られているのは、妙に無機質な金属製の小箱。

 中央に突き出した丸く赤い突起を親指が押し込んだ。

 

「ポチットナ」

「!」

 

 家が再び揺れた。

 アンドロメダやマデレイラ、ヒョウエと言った魔力を感知できる面々が目を見張る。

 

「起動せよ! 万能移動型要塞店舗、『ハーキュリーズ』!」

 

 

 

 魔法道具店が面する表通り。

 周囲にたかっていた、緑色のトンボとトカゲを掛け合わせたような、3mほどの人型悪魔達が驚いて空中に飛びすさった。

 店の周囲を強力な魔法の力場が覆い、店の入り口で応戦していた"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"のエージェントたちも強制的に店の中に押し込まれる。

 揺れる店舗が地面から数メートルほどせり上がり、続けて通りの方にせり出す。

 

 一歩。

 巨大な金属の足が通りの敷石を踏み割る。

 

「な・・・」

「なんだありゃ!?!??」

『GIGIGIGIGI?!』

 

 逃げ散って様子を見ていた市民たち、店の周りにたかっていたトンボの悪魔達の心が一つになる。

 かなり大きめの三階建て店舗、それに金属の足と腕の生えた奇妙奇天烈な構造体。

 万能移動型要塞店舗『ハーキュリーズ』の勇姿・・・?がそこにあった。



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10-13 ゆけゆけぼくらのハーキュリーズ

 

 魔法金属製の拳が唸り、空中を舞う緑色の悪魔に直撃する。

 トカゲとトンボを掛け合わせたようなそれは3mほどの巨体を誇るが、家――特に変形するでもない、三階建ての家そのままに手足の生えた奇天烈な構造体――イサミの言を借りるなら万能移動型要塞店舗『ハーキュリーズ』――の拳は更に大きい。

 

「うおらぁっ!」

 

 叩き付けられた拳はそのまま街路に振り下ろされ、緑色の染みがびしゃっと広がった。

 更に後ろから襲いかかって来たトンボ悪魔(ドラゴンフライ)を裏拳ではじき飛ばし、低空から迫ってきたもう一匹にサッカーボールキック。

 5mを超す巨大なつま先が胴体にめり込み、蹴り飛ばされたドラゴンフライは街路を数回バウンドすると、濃い緑色の体液を吐いて動かなくなった。

 

「動くっ! 『ハーキュリーズ』の腕が俺の腕のようにっ! 俺は今『ハーキュリーズ』になったのだっ!」

 

 作業室。歓喜の表情でイサミが吼える。

 その首と両手、頭部にはいつの間にか金属製のバンドや籠手、ベルトや足環が装着されており、見るものが見れば魔道具とわかる。

 足元には複雑な魔法陣が浮かび上がり、体の固定に一役買っているようだ。

 『ハーキュリーズ』の動きはイサミのそれと正確に連動しており、彼が拳を振るうのに合わせて、ハーキュリーズの拳がドラゴンフライを叩きつぶしている。

 ガレージの扉には外の映像が三百六十度リアルタイムで映し出され、周囲の状況を把握できるようになっている。

 

「目だ! 耳だっ! 鼻っ!」

 

 ノリノリで叫びつつ、うっかり地上に降りてしまった緑悪魔を踏みつぶす。

 悪魔は見事に街路の染みになったが、揺れる作業室の中で必死にあちこちにしがみついてるモリィ達としては突っ込みたくもなる。

 

「目も耳も鼻も関係ないだろそれ!」

「ロマンなんですよ、大目に見て上げて下さい」

「・・・」

 

 滅多に見られない真顔のヒョウエ。

 その顔に一瞬見入った後、モリィは盛大に溜息をついた。

 

「肘打ち! 裏拳! 正拳! とりゃあっ!」

 

 作業室に、イサミの歓声が絶え間なく響いている。

 

 

 

 戦闘は続いている。

 手足の生えた家に群がる緑色の空飛ぶ悪魔ども。

 いい意味でも悪い意味でも脳に衝撃を与えるその光景は、こわごわと街路を覗き込む一般市民をして慌てて目をそらさせるだけの威力があった。

 まあ多分悪魔が恐ろしくて目をそらしたのだろう、多分。

 

 とはいえ三十匹はいたドラゴンフライたちも既に十匹余りにまで打ち倒され、転がる死体や街路の染みは嫌な匂いの煙を上げて蒸発しつつある。

 

『GYAGYAGA!』

 

 ついに耐えきれないと判断したか、一匹のドラゴンフライが声を上げて高度を上げると、他のドラゴンフライ達もそれに従って撤退を始めた。

 飛び去る方向に見えるのは煙。

 

「あれは!?」

「アイズナー離宮のほうです!」

「あなた、離宮に援軍に・・・」

 

 ディグの言葉でアンドロメダが夫に提案するも、イサミの耳には入っていない。

 

「逃すかあ!」

 

 イサミが特撮ヒーローの変身ポーズのような何かを取ると、家の二階と三階の間、三階の床下、二階の天井裏から壁を突き破って球体の様な物が二つ飛び出す。

 見ようによっては入り口を口に、二階の窓を鼻にして、目に見えなくもない。

 グッ、とイサミが拳を握りこみ、筋肉を盛上がらせる。

 手を突き出し叫ぶ。

 

「魔法力ビィィィィィィィムッ!」

 

 球体から放たれた指向性の魔力砲――恐らく威力はモリィの雷光銃のチャージ攻撃にも匹敵する――が二条、宙を切り裂いて飛ぶ。

 大空を薙ぎ払う二筋の雷光が王都の空を汚す緑色の汚物を残らず焼き尽くし、消滅させた。

 

 

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「ヴィクトリィィィッ!」

 

 勝利のガッツポーズを決めるイサミ。

 ふてぶてしさを固めて焼き上げたようなサーベージとメルボージャの夫婦を含めて、他の面々は絶句している。

 

「・・・(グッ)」

「(グッ)}

 

 その唯一の例外、祭壇に横たわったままのヒョウエが真剣な顔でサムズアップすると、イサミもまた大まじめな顔でサムズアップを返した。

 

「・・・」

 

 そしてイサミの顔が緩み、再び歓喜の咆哮を上げ。

 

「ぐおあぁぁぁっっ!?」

 

 ・・・ようとした瞬間、金属製の大きな花瓶が彼の後頭部を直撃した。

 悲鳴を上げて悶絶するイサミ。

 彼の動きをトレースして、手足の生えた家が頭?を抑える。

 

「何するんだメディ! あぶないだろ!?」

 

 慌てて「ハーキュリーズ」の動きをロック、歩く家が直立不動で停止したのを確認するとイサミは涙目で妻に食ってかかった。

 極地の吹雪より冷たいアンドロメダの目がそれを見返す。

 

「ねえあなた? 聞きたいことがあるんだけど。この家を改造する費用と資材、どこから捻出したのかしら?」

「 」

 

 イサミの動きと表情がぴたりと止まった。

 

「あ・な・た?」

「いやその、こつこつ貯めたお小遣いから・・・」

「あなたのポケットマネーでこんな規模の改造と魔石の調達が出来ると思えないけど?」

 

 何とか誤魔化そうとする見苦しいイサミであったが、自分と同じかそれ以上の魔道具のプロフェッショナルである妻を誤魔化せるわけもない。

 周囲からの冷たい視線もあってあっさりと屈する。

 

「そのですね、あちこちの依頼や仕事で余った資材を廃棄したことにしてこっそり溜め込んだり、ちまちま《加護》で錬成したり・・・」

「『俺の《加護》は連続使用が辛いから一日10kgくらいにしてくれ』って言っておいて、自分の趣味で浪費していたのね。

 それで? この家を改造するのにどれだけの資材を《加護》で合成したのかしら?」

「えーと・・・・・・10トンくらい?」

「この宿六っ!」

 

 ガチ殺気の籠もった金属製の花瓶が――今度は魔力による筋力強化まで使った本当に手加減無しの全力で――馬鹿(イサミ)の脳天に叩き付けられた。

 

 

 

 酷使に耐えかねて、ついに力尽きてひしゃげた花瓶ががらん、と床に転がる。

 駆り立てたのは浪漫と欲望、横たわるのは瓶と(イサミ)

 愚かな夢追い人の最期であった。まあ別に死んではいないが。

 

「いいからお前らさっさと手伝わんかい! 悪魔は撃退したし、マデレイラ、おまえもじゃ。ジジイ、その馬鹿を叩き起こして手伝わせろ!」

「へいへい」

「は、はい! メルボージャ様!」

「ふー・・・はー・・・わかりました」

 

 怒気をはらんだ老術師の声。

 気のない老語り部と、緊張しつづけの少女と、激情を何とか押さえ込んだ苦労人の人妻と、三人がそれぞれに返事をした。



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10-14 辞表は受理されませんでした

「ああ、ヒョウエ!」

「わぷっ!?」

 

 涙目のカレンがヒョウエに抱きつく。

 気丈な姉が涙を見せるところを、少年は初めて見た。

 腕に力を入れる姉をいつものようにふりほどくでもなく、背中を撫でてやる。

 もう一方の手は、泣きじゃくりながらしがみついてくるカーラの頭を撫でてやっていた。

 

 メットー王城「ブロンズ・エッジ」。

 その奥まった後宮にヒョウエたちはいた。

 魔法道具店にいた面々に加えてサナとリーザも控えている。

 

 ヒョウエが重傷を負ったと聞いて、カレンは"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"エージェントの一部隊をフル装備で送り込んでいた。

 加えて悪魔の集団に襲われるに至って、関係者を王宮で保護したほうがよさそうだと、父王の許可を得て手術を終えたヒョウエたちを呼び寄せたのである。

 

 なお念のためにと『ハーキュリーズ』で移動したら(イサミが特に強くそう主張した)、大通りの民衆を大騒ぎさせた上、王宮前に緊急配備された魔導砲の一斉射撃を喰らいそうになったのは余談である。

 今ハーキュリーズは王城の前庭で(いわゆるヤンキー座りで)しゃがみ込み、衛兵やメットーッ子の物珍しげな視線を一身に浴びていた。

 

「さて」

 

 カーラが泣きやんで部屋に戻った後、カレンが一同を見渡した。

 その顔にはもう涙の跡はない。

 

「まずはメルボージャ師、アンドロメダ様、イサミ様、マデレイラさん。弟の命を救ってくれたことに御礼申し上げますわ」

 

 深々と頭を下げる。

 

「まああんなのでも弟子なのでな」

「弟弟子ですから」

「右に同じですな」

「い、いえ殿下。私にとっても大切なゆ、友人なので・・・」

 

 メルボージャがにやりと、アンドロメダが微笑んで、イサミが肩をすくめて、マデレイラが緊張したおももちで頭を下げる。

 くすりと笑うと傍らのヒョウエに視線を向ける。

 

「それでヒョウエ、体の方は大丈夫なの?」

「ふつうに生活する分には問題ないと思いますよ。軽くですが魔力も練れますし」

「そう、良かったわ。・・・本当、心臓をえぐられたと聞いた時にはどうなったかと」

「ご心配をおかけしました」

「そう思うなら無茶をするんじゃないの」

 

 顔に似合わずやんちゃな弟の額を指でつつき、表情を真剣な物に戻す。

 

「それで? 事情はほとんど聴いておりませんが、いったい何が起こっているんですの?」

「それがじゃの・・・」

 

 メルボージャが話し始めると、だんだんカレンの鉄面皮がこわばり始めた。

 途中から入って来た『狩人』もその様に見えたが、なにぶん文字通り仮面をかぶっている彼のこと、どこまで動揺しているかはわからない。

 ヒョウエが青い鎧であること以外、ほぼ全てを話し終えると、主従は二人揃って深く溜息をついた。

 

あなた(メルボージャ)やヒョウエが関わっていなければ、何を馬鹿なと一笑に伏していたでしょうね・・・」

「一体いつの間にこの世は神話の時代に逆戻りしたのでしょうな。

 こんな事なら昨日のうちに辞表を出しておくのだった」

 

 軽口を叩く"狩人"をカレンが睨むと、彼は素知らぬ顔で視線を逸らした。

 代わって口を開いたのはメルボージャだ。

 

「それで、今度はこちらからお伺いしたいのじゃがな。

 現在、離宮の状況はどうなっておる? そこ以外に悪魔は出現してはおらぬか?」

「残念ながら離宮はほぼ制圧されました。それなりに被害は出ましたが、働く者達のほとんどが避難できたのがせめてもの救いですわね。悪魔もそこ以外では確認されておりません」

「軍のほうは?」

「ジョエリー叔父様が動いてはいるようですが、先だってのレスタラ相手で随分と戦力を消耗いたしましたから・・・」

「考えてみれば、けっこう立て続けに大事件が来てやがるよなあ。レスタラとかウィナー伯爵とか、エルフの森のあれとか。ひょっとして全部あの紫野郎の仕業ってことはねえのか、姫様」

 

 いつの間にか結構仲良くなっているモリィが視線を向ける。

 少し考え込んでからカレンは首を振った。

 

「かもしれませんが、今考えてわかる事でもありませんね。"狩人"、どうかしら?」

「私もカレン様と同意見ですな。先だってのレースは有り得るかと思いますが、それ以外については何とも」

 

 そのタイミングでノックがあった。

 部屋の中の視線がドアに集中する。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 入って来たのはエージェントとおぼしき若い男だった。

 集中した視線と中の面々に僅かに気圧されたようだったが、それをほとんど表に出さずに一礼する。

 

「何か?」

「はっ、それが・・・」

「構わないわ。言いなさい」

「はっ。"納骨堂(ヴォルト)"が破られました。囚人たちはほとんど脱走して行方不明です」

「!」

「なっ!?」

 

 顔色を変えたのはカレンとヒョウエだった。"狩人"も盛大に渋い顔をしている。

 

「・・・冗談にしては少々刺激的すぎるな。どうやって破られた?」

「極めて強力な魔法によって結界に穴を開けられたようです。そこから物理的に壁と天井を破壊されて、その後閃光と轟音、昏倒の毒気でほとんどの看守が意識を失い、発覚した時には囚人たちの姿はありませんでした」

「何てこと・・・!」

「"狩人"。確かウィナーもブチ込まれていたんですよね?」

「はい。あれの比ではない厄介な奴らも・・・」

 

 そこまで言って狩人は周囲の視線に気付いた。

 

「ああ、"納骨堂(ヴォルト)"というのはな、メットー王国で犯罪を犯しはしたものの普通の牢獄に入れられない、もしくは様々な理由で殺せない連中を放り込むための特別な牢獄だ。

 物理的にも魔法的にも下手な要塞よりよほど頑丈な守りが施してある」

「牢に入れたり殺したり出来ないというのはつまり、身分が高い罪人のための?」

 

 おずおずと質問したリアスに"狩人"が首を振る。

 

「まあ普通はそう思うでしょうが・・・そう言うのとは違います。あそこに放り込まれる犯罪者というのはですな、強すぎて物理的に殺せない連中なんですよ。生身で鉄格子を引きちぎるとか、首をはねても死なないとか」

「うへえ」

 

 うんざりした顔のモリィにメルボージャが頷く。

 

「まあ《加護》なんてものがあるからの。強力な《加護》持ち相手にはそれくらいしないとどうしようもない。封印の手かせなんてものも最近はあるがな」

「あれは辛かったですね・・・!」

「災難じゃったの。まああれが牢獄全体にかけられているような場所だと思えばよい」

「その通りですが何故ご存じなので?」

「そりゃあ『お若いの』、わしも作成に手を貸したからに決まっておろう」

「・・・」

 

 ほっほっほ、と笑う老婆に海千山千のスパイが絶句した。

 頭を振って気を取り直すと、報告を持ってきたエージェントに視線を向ける。

 

「それで、脱走したメンツの名簿は?」

「今作成中ですが・・・意識のある看守によれば残ってるのは取るに足りない連中ばかりで、厄介なのはほぼ全て・・・」

 

 "狩人"が深く溜息をついた。

 

「やれやれ、やっぱり辞表を書いておくべきだったな」

 

 今度はカレンも口を挟まなかった。

 




どうでもいい話ですがブロンズ・エッジの前の王城がシルバー・エッジで最初のそれがゴールデン・エッジです。
多分今のが壊れたら次はモダン・エッジ(ぉ

※アメリカンコミックで、スーパーマン登場のころがゴールデン・エイジ、規制などで一度衰退した後スパイダーマンなどが登場して再興したのがシルバー・エイジと呼称されています。
ブロンズ・エイジはマイナーですが70年代ごろを指すそうです。


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10-15 それはドラマもへったくれもなく

「あれっ?」

「おっ!?」

「なんだ、知り合いか?」

「ええ、知り合いと言いますか何と言いますか・・・」

 

 特殊監獄"納骨堂(ヴォルト)"が破られたのを受けて、生き残りの看守と残っていた囚人を聴取することになった。

 ヒョウエたちも特別に同席させて貰ったのだが・・・意外な顔がそこにいた。

 

「やっぱてめえか! 何だよ、やっぱり女だったんじゃねえか!」

「しつこいですね。僕は男ですよ!」

「どこがだ!」

 

 手かせを着けて床に座らされているのは、立てば2メートルを超えるだろう筋骨隆々の大男。

 カスミがぽんと手を打つ。

 

「ああ、アキレスとか言う荒くれ集団を率いていた方ですか。ヒョウエ様とサナさんが退治した」

「おや、よく知ってますね。『インヴィジブル・マローダー』の時に持ち出した強化具現化術式も、元は彼が見つけて来たもののようで」

 

 今はヒョウエの住んでいる屋敷に住み着き、我が物顔に暴れ回っていたが、ヒョウエの術と機知にやぶれた。

 かなり強力な《剛力の加護》を持っていたため、"納骨堂(ヴォルト)"に送られていたらしい。

 当時12歳だったヒョウエを女の子だと思い込んでかなり執着していたが・・・。

 閑話休題(それはさておき)

 

「控えろ! この方は大公家のご長男、ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネ殿下にあらせられるぞ!」

「マジか!? マジで男なのか!?」

 

 愕然とする大男。

 その反応にヒョウエが呆れる。

 

「驚くところそこですか? 普通王族だったほうに驚きませんか?」

「いや、だって・・・なあ?」

 

 周りを見渡す大男。

 否定的な反応は誰からも出ない。

 最後に叱咤したエージェントを見上げると、彼は一瞬ヒョウエを見た後視線を逸らした。

 ヒョウエは周囲を睨みつけるが、皆肩をすくめるか苦笑するか意味ありげに微笑むだけ。

 

「くそっ、なんて世界だ!」

「別に理不尽ではないから諦めなさい。強いて言うならあなたの御母様が美人すぎたのが悪いわね」

 

 ちょっと楽しそうな顔の姉にとどめを刺されて、少年はがっくりとうなだれた。

 

 

 

「最初から最後まで話して貰おう。何があったんだ?」

「いつも通りのクソッタレな一日だったよ。クソッタレな部屋のせいで何もする気力が起きなくて、ごろ寝してたんだ。

 うとうとしてたのがぐらっと来て目が覚めた。

 なんだろうと思ったが起き上がる気力もなくて――知ってるか、あそこに入ると風邪で熱出して動けないような感じになる――そのまま転がってたら、牢獄の覗き窓が開いた。

 『こいつはどうします?』って声がして、しばらく間を置いて『この程度ならいらぬ』って声がして覗き窓が閉じた」

「それで?」

 

 先を促した"狩人"に大男が首を振る。

 

「いや、それでしまいさ。その後しばらくして外が騒ぎになって、あれこれ聞かれた後ここに連れてこられた、それだけだ」

「ふむ。そうか」

 

 "狩人"が視線を飛ばすとカレンが頷いた。嘘はついていないと言うことらしい。

 考え込む"狩人"に代わって口を開いたのはヒョウエだった。

 大男の顔を覗き込んで怪訝な表情。

 

「しかし・・・随分と険が取れましたね? 前に会ったときはもっと、何と言うかどうしようもない顔をしてましたけど」

 

 これ以上ないほどストレートな言葉をぶつけられて、大男が苦笑する。

 

「ひでえやつだな。いやまあ、そのとおりだけどよ」

 

 確かにその様子には乱暴者の犯罪者ではなく「いかつい顔だが気の良い大男」のような雰囲気が窺えた。

 大男が床に座り込んだまま天井を仰ぎ見る。

 

「まあなんつうか、つええ《加護》を貰って調子に乗ってたわけだよ。

 おまけにあの昔の・・・」

「アーティファクト?」

「そうそう、それそれ。それも見つけてよ、もうこりゃ俺に勝てるやつぁいねえ、天下無敵だってな。

 それがおめぇに苦もなくひねられて、アーティファクトもあっさりガラクタになって、おまけにあそこに放り込まれたら、周りは一目でわかるほどのバケモノ揃いでよ、ブルっちまったわけよ」

「井戸の中のカエルが海の広さを知ったわけですね」

 

 日本のことわざを引き合いに出したヒョウエに、大男が破顔する。

 

「うまいことを言うな、おめえ! そんな感じだな、まさに!

 だからまあ、そういう風に見えるならそれが理由だろうってな」

 

 ヒョウエが微笑んで頷いた。

 

 

 

 結局他の看守や囚人も含めて、大して意味のある話は聞けなかった。

 カレンの部屋に戻って会議が再開される。

 

「単刀直入に聞くが、カレン殿下、"狩人"殿。今のディテク軍の戦力で離宮の悪魔どもを追い払えるかの?」

 

 メルボージャの視線が二人の間を動く。

 カレンが難しい顔で沈黙し、"狩人"はゆっくりと首を横に振った。

 

「難しいだろうな。さっきも言った通り王国の精鋭である魔道部隊はかなりの割合が先だってのレスタラ戦役で消耗している。冒険者たちも同様だ。

 ヒョウエ殿下が昇進して数の上では黒等級も補填されたが、現状の殿下ではな・・・」

「多分現状でも緑等級くらいの戦力にはなると思いますが、今までに比べたらまあ誤差程度の物ですね」

「そうね。それに今は青い鎧も来てはくれないし」

「ソ、ソウナンデスカ?」

 

 思わずうわずる声、引きつる表情。

 もっとも表情に関しては三人娘やイサミ、アンドロメダも似たようなものだ。

 カレンが獲物をいたぶる蛇のような笑みを浮かべる。

 

「そうなのよねえ。まさか青い鎧の正体が弟だったなんて、夢にも思わなかったわ。ああ、こんな秘密を話してくれなかったなんて、私愛されていないのかしら」

「ハテ、ナニカ、カンチガイ、サレテルノ、デハ」

「それじゃ自分でばらしてるようなもんだ馬鹿。・・・姫さん、どうやって気付いたんだ?」

 

 もはや棒読みを通り越して、宇宙人か昭和の人工音声のようになるヒョウエ。

 あきらめ顔のモリィがその肩を叩き、カレンが笑顔のまま指を鳴らした。

 

「入って来なさい、二人とも」

「は、はい、失礼します・・・あはは・・・」

「・・・」

「サフィア!? QBさんも!」

 

 思わず声を上げたのはサナだった。

 メットーに知らぬものとてないこのクライムファイターが冷や汗を垂らしつつ、盛大にごまかし笑いを浮かべている。

 

「お二方には"狩人"との縁もあって、ここのところ色々仕事をお願いしておりましたの。

 それでお茶をしていたときに何やら悩み顔でしたので色々お聞きしたら、まあびっくり、ヒョウエが青い鎧だって言うじゃありませんの。わたくし驚いてしまいましたわ」

「サフィアーッ?!」

「サフィアさんーっ!」

 

 サナとヒョウエの絶叫。

 

「ごめん! ボクの"探偵(ショルメス)"がふと気付いてしまったんだよ、論理的に考えるとヒョウエくんが青い鎧だとすれば色々つじつまが合うって事に! それで・・・」

「だからってカレン様に告げ口することはないでしょう、サフィア!」

「だからごめんって! でもこの人尋問人としてはとんでもないんだよ! "読心(リードマインド)"が使えるのかって思うくらい!」

「まーなんだ二人とも。気持ちはわかるけど相手が悪いや。この姫さんそっち方面はガチですげえから」

「・・・」

「・・・」

 

 身近で接してきて、実際にその眼力を知っている二人が黙り込む。

 にんまり顔のカレン、仏頂面のヒョウエ。

 そしてサナは親友が青い鎧に熱愛宣言をしていたことを思い出し、盛大に頭を抱えた。



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10-16 嵐の前の静けさ

 そこからはやきもきする時間が流れた。

 いかに常備軍、いかに精鋭中の精鋭と言えども即座に軍を召集できるものではない。

 小数の即応部隊(王宮に配備されていた魔導砲部隊などだ)を除けば、まとまった数を用意するのにはそれなりの時間がかかる。

 

 国王(マイア)大将軍(ジョエリー)宰相(フィル)王太子(アレックス)も、ジリジリしつつ待つことしか出来ない。

 もっとも兵の配備に避難計画の立案に市民の慰撫と、やる事自体は山ほどあったので退屈だけはしなかったが。

 

「青い鎧が今回出てこれないと聞いたときの皆さんの表情は見物だったわよ。

 アレックスなんか顎をかくーんと落としちゃってね」

「僕の正体は話してないでしょうね?」

「もちろん。でもまあ、タイミングが良すぎるし薄々察してても不思議には思わないわね」

「ですよねー」

 

 カレンの執務室。来客用の卓で茶をすすっていたヒョウエが溜息をついた。

 何だかんだで彼の家族や知己には鋭い人間が多い。

 馬鹿げた《加護》を持つヒョウエと馬鹿げた力を持つ謎のヒーローを結びつける人間がこれまでいなかったのは、体格が違いすぎるとか声が違うとか色々あるが、この世界であればいずれも魔法でどうにか出来る範疇である。

 優秀な情報分析者であるサフィアがおらずとも、いずれはたどり着く人間が出て来たことだろう。

 ヒョウエと同じく香草茶をすすりながら、砕けた口調でモリィが尋ねる。

 

「で、あたしらはどうすればいいのさ、姫様?」

「ヒョウエの護衛兼見張りというところかしらね。このお馬鹿に首輪をつけて大人しくさせててちょうだい。

 この有様でアイズナー離宮奪還部隊に志願したと聞いたときには頭を抱えたわよ」

 

 溜息をつくカレンに反論。

 

「黒等級の戦力ではないにしろ、現状でも緑等級レベルの戦力は発揮できると言ったでしょう」

「まあそれはそうなんですけれども、やはり本調子ではありませんし・・・」

「普段のヒョウエ様にわたくしどももヒョウエ様ご自身も慣れておりますし、正直激戦地に飛び込むにはかなり不安のあるコンディションと申し上げざるを得ません」

「まあそれはそうですが、緑箱を遊ばせておく余裕が現在のディテクにあるとも思えませんけど?」

 

 反論するリアスとカスミに更に反論すると、カレンがぴしゃりと言葉をかぶせてくる。

 

「逆に言えば緑箱程度って事よ。魔道甲冑数体分くらいの・・・まあそれはそれで大したものだけど、それ位の戦力とあなたの命を引き替えには出来ないわ。

 あなたには単なる戦力以上の価値があるんですからね」

 

 加えて家族に死んで欲しくない、とこれは口にはしない。

 もっともその辺はヒョウエもわかっている。

 

「それはそうですけどね。だから大人しく王宮に引きこもっているじゃないですか」

「私も忙しいから、カーラの相手をしてくれるのがありがたいわ。あなたがいるとあの子安心するもの」

「僕は妹の安心毛布ですか?」

「光栄でしょう? 名誉に思いなさい」

「はいはい」

 

 いたずらっぽく微笑む姉に、ヒョウエが全面降伏とばかりに両手を上げて立ち上がった。

 

「さてと、それじゃそろそろお暇しましょうか」

「あら、もう行っちゃうの? ゆっくりしていけばいいのに」

「仕事をしている人がいるのにくつろげませんよ」

 

 実のところ、先ほどからずっとカレンは仕事を続けていた。

 こうしている間にもインクの尽きない魔法の羽根ペンが紙を滑る音が響き続けている。

 

「それじゃまあ、夕食までは図書館にいますので、何かあったら呼んで下さい」

「あなたもマメねえ。役に立つかどうかもわからないのに」

「閉じこもってて何もしないよりはマシでしょう。できる事はやっておかないと気が済まないんですよ」

「まあ否定はしないけど」

 

 肩をすくめる姉にクスリと微笑んだ。

 なお三人娘、サナとリーザも一緒なので、調べ物で入館する閲覧者が美少女揃いの光景にぎょっとするとか何とか言われているのはどうでもいいことだ。

 ヒョウエの世話をするサナとリーザ以外はただいるだけだが、それだと流石に退屈なのでそれぞれ適当な本を手にしていた。

 

「リハビリもちゃんとしなさいよ。心臓えぐられたんですからね」

「はいはい、わかってます」

 

 なお今イサミ・アンドロメダ夫妻とマデレイラは『ハーキュリーズ』と『ドルフィン』でアイズナー離宮奪還作戦に参加するべく待機中。

 ハーキュリーズを動かすために使用した魔力結晶の量を見てアンドロメダが再び鬼のような形相になったらしいが、詳しい事は不明だ。

 ただマデレイラがひどく怯えていたのと、ボロ雑巾のようになったイサミが作業室に転がっていたのは事実である。

 

 サフィアとQBは"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の手伝いで東奔西走。

 メルボージャとサーベージはまたしても姿を消した。ヒョウエの心臓をどうにかする当てがあるようだが、期待するなとも言っていた。

 ので、ヒョウエも他の面々も彼らの事は頭から追い出している。

 

「世界のへそか・・・あいつらがそれをどう利用するのか気になるわね」

「悪魔王の召喚とかではないと?」

「根拠はないのだけれどもね。何となく違うような気がするのよ」

「ふーむ」

 

 本人も根拠はないとはっきり言ってはいるが、人間観察に関しては海千山千のスパイマスターが認めるほどの才能を持つカレンだ。

 退出するヒョウエの心に、その一言が僅かに引っかかった。

 

 

 

 その後は何も起きず、夕食。

 久々に会ういとこたちや、回復した第二王子コネルとの会話をヒョウエも楽しんだ。

 国王や王子達との会食でモリィなどはかなり緊張していたようだが、ヒョウエとリーザ、サナのフォローで何とか乗り切った。

 

 その後はしばらく家族の時間。嫁に出た第一王女を除いて王族が全員揃っているのは珍しい。

 カーラが指定席とばかりにヒョウエの膝によじ登り、周囲の笑みを誘う。

 バスケットの中で寝ているアルテナをみんなで物珍しそうに覗き込んだり、リーザや三人娘に対してヒョウエに関する質問が集中、モリィのみならずカスミもかなり緊張していたなどの微笑ましい一幕もあった。

 

「おめえら、結構大物だったんだな・・・」

「まあ、こう言うのは場数ですから」

「昔から王族の方々の傍近くにお仕えしてきましたから」

 

 対して、それなりに余裕のあるリアスとリーザ。

 このあたりは腐っても元伯爵令嬢、現伯爵である。リーザも王族の面々とは昔から顔なじみなのでプレッシャーは感じていない。

 モリィが二人を見る目にちょっぴり尊敬の念が増していた。



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10-17 融資条件の変更が提案されました(ピコーン!

「それでカレン姉上にも聞きましたが、軍備の方はどうなってるんです」

 

 ヒョウエの問いに父と伯父、長兄が顔を見合わせた。

 僅かに間を置いてジョエリーが口を開く。

 

「・・・見通しが立たないというのが正直なところだな。

 お前の兄弟子の作ったゴーレム・・・ゲテモノ・・・いやまあ何と言うか変態じみたアレと、ビシク嬢のアーティファクトがあってもかなり心許ない。

 お前は実際にあの緑の悪魔を見ていたな。我が軍で使っている魔道甲冑と比べてどうだ?」

 

 少し沈黙が降りた。

 いつの間にか、部屋の全員が耳を傾けている。

 

「単純な戦力比較で言えば三対一。僕の見ていない何らかの特殊能力があれば五対一まではありうるでしょう。正直レスタラ戦役で残った戦力だけでは五分に持ち込むのも辛いのでは」

「お前の兄弟子の作ったアレは?」

「アレはかなりのものですが恐らくは燃費がめちゃくちゃ悪いですからね・・・魔力結晶が無限にあるなら百か二百は相手取れるでしょうが。

 マデレイラのドルフィンも本来戦闘用ではありませんので、魔道甲冑・・・せいぜい10人分というところですか」

「そうか・・・」

 

 ジョエリーとマイアの兄弟二人が揃って溜息をつく。

 代わって口を開くのはアレックス。

 

「そう言えばお前の体はどうなんだ? 見た限りでは特に異常もないようだが」

「実際異常はないよ。ただ戦闘になったらどれだけ魔力を練ることができるか、激しい運動にどれだけ耐えられるかはわからない。何せ師匠の作品とは言え人造のものだしね」

「無理はするな。絶対にだぞ」

「わかってますよ」

 

 これ以上となく真剣な兄の表情に肩をすくめて答える。

 父や伯父伯母、他何人かのいとこたちも真剣な表情で頷いていた。

 

(実際師匠の作品だからかなりのところまで大丈夫だとは思うんですけどね)

 

 むしろ心配なのは"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"というデタラメチートがあったときの感覚が抜けていないであろう事だ。

 もちろん頭ではわかっているのだが、感覚でわかっているかというとこれはもう疑問符をつけざるを得ない。

 リハビリを繰り返して魔力を練る練習もしているが、どこまで出来るかという限界もあるし、その限界を実戦で試すのも怖い物はある。

 

(それを含めても緑等級レベルの戦力にはなると思うんですが・・・まあしょうがありませんか)

 

 そんなことを考える息子の顔を「こいつ本当にわかってんのか」という顔で見ていた(ジョエリー)が、ふとにんまりした表情になった。

 

(あ、嫌な予感)

 

 果たしてその予感は的中する。

 

「そう言えばヒョウエ。お前の借金だがな」

「はい? ・・・・・・・・あ!」

「え? あっ!」

 

 ヒョウエが愕然とした表情になり、一瞬遅れてリーザとモリィ、後ろで控えていたサナも同様の表情になる。

 

「???」

 

 何が起きてるのかわかっていないカーラが、兄と叔父の顔を見比べていた。

 にんまりとした顔のまま、ジョエリーが言葉を続ける。

 

「お前の借金は胸の"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"を担保にして借り出したものだ、そうだな? そしていまや水晶の心臓もないし、冒険者としての戦闘力も大幅に下がったお前には返済能力があるかどうかも疑わしい。そうだな?」

 

 ヒョウエの顔が盛大に引きつる。

 周囲の面々にも理解の色が広がりつつあった。

 その大半がにやにやしているのはヒョウエの人徳という物であろう。

 

「み、緑等級の冒険者としてならまだそれなりに・・・」

 

 言い訳を並べる息子を無視し、外行き用の爽やかな笑顔をモリィ達に向けるジョエリー。

 

「さて、そちらのお三方。私は冒険者の世界には詳しくないが、緑等級冒険者の実力でこいつの借金を返せると思うかね。あるいはダーシャ伯爵家の財産をなげうって肩代わりをできると?」

「あー・・・まあ、無理じゃないっすかね」

 

 苦笑するモリィ。

 

「叶うならばそうしたいところではありますが・・・」

「伯爵家の財布を逆さまにしても無理でございましょうね」

 

 リアスとカスミも大体同じ反応だ。

 三人の反応に満面の笑みを浮かべるジョエリー。同様の表情になる王族が十人ほど。

 

「これは困ったなあ、兄者。ヒョウエが借りた金を返す当てがなくなってしまったぞ?」

「全く困ったものだな、弟よ。いくら王族と言えども、国庫を私するわけにはいかん」

「・・・」

 

 そっくりの悪い笑みを浮かべる兄弟、更に引きつるヒョウエの顔。

 ここにフィル宰相がいれば、深く溜息をついていたことだろう。

 

「これはあれだな、兄者」

「そうだな、弟よ。婚姻をもって借金を相殺するのが妥当なところだろうなあ」

「ファッ!?」

「ええっ!?」

「やっぱりそうくるかー!」

 

 驚いているのはモリィとカスミだけだ。

 この場にいる人間の大半はニヤニヤ笑いを浮かべているし、リーザ、サナ、リアスは頭を抱えている。

 ヒョウエは言うまでもない。

 よくわかっていない顔のカーラが姉に視線を向けた。

 

「カレンお姉様、こんいんってなに?」

「つまり、お父様の娘の中から誰かヒョウエのお嫁さんにしようって事よ」

「! わたし! じゃあわたしがお兄様のお嫁さんになる!」

 

 はいはいはい!とアピールする幼女の姿に、約一名を除いて微笑ましげな表情になる一同。

 その約一名の表情を楽しみながら、カレンが愛しい妹に顔を近づける。

 

「ねえカーラ。そのことなのだけれど、姉様もヒョウエのお嫁さんになっていいかしら?」

「・・・」

 

 兄の首にしがみつきつつ、用心深そうな目で姉を見る幼女。

 基本的には優しいが、人を引っかけることも大好きな姉だ。

 特にこう言う猫なで声を出すときには。

 

「・・・お兄様をとったりしない?」

「しないわ」

「独り占めしたりもしない?」

「しません」

「私のいないところでこっそり二人きりになったりとか」

「しないわ・・・まあたまには許して欲しいけど」

「・・・」

 

 疑わしげな顔の妹。

 天使のような笑顔を浮かべる姉。

 もっとも、モリィや(ここにはいないが)"狩人"が見れば、詐欺師のそれでしかないが。

 

「・・・・・・・わかった」

 

 長い沈黙の後、カーラが不承不承首を縦に振る。

 

「ああ、ありがとうカーラ! 愛してるわ!」

 

 満面の笑顔でカーラ(とヒョウエ)に抱きつき妹の頬に口づけする。

 その後顔を上げて、妹からは見えない角度で浮かべるのは邪悪な笑み。

 

「・・・」

 

 引きつった笑みで返した後、視線を二人の不良中年に向ける。

 

「まさか本気じゃないでしょうね、伯父上?」

「さあ、どうだろうなあ? 少なくともカーラは本気のようだが」

 

 周囲から送られるニヤニヤ笑い、微笑ましげな視線、何とも言いがたい表情。

 だがそのどれ一つとしてヒョウエを助けてくれるものはない。

 

(誰か助けて)

 

 天を仰ぎ、生まれて初めてヒョウエは心から神に祈った。




このタイミングで割と無駄な話だけど、気付いたからには書かずにはいられなかったんや・・・!


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10-18 流言飛語

 奇妙な噂が流れ始めた。

 世界の終わりが来るというのである。

 

 特に奇妙なのはそれが世界中で同時に流れたことだ。

 ディテク。ライタイム。アグナム。ゲマイ。ダルク。その他多くの中小の国々。

 王宮で、貴族のサロンで、商人の寄り合いで、酒場の片隅で、おかみさんたちの集まる井戸で、庶民の夕食の席で、ひそひそと、人目をはばかるように伝えられ、広められていく。

 

「星占いが・・・」

「占術神神殿の司祭様の言うことには・・・」

「ディテクで悪魔が現れたって聞いたか?」

「これは取引先の旦那が言ってたんだが、貴族や金持ちが逃げ出してるらしい」

「豊穣の女神の星が木星の宮に入ったんだ。これは凶兆だよ」

「神官たちが神託が聞けないって」

「先だっての大地震はその前兆だったんじゃないか?」

「ズールーフの森で奇妙なことが起こったって、エルフと取引のある商人が言ってたんだ」

 

 人の口に戸は立てられない。

 折悪しくディテクの王都で悪魔による離宮占拠事件が起きた。

 襲撃が昼日中であったこともあり、噂はそれこそ燎原の火のように広まった。

 その後王国は精鋭をもって周囲を固めるも、攻め入ろうとはせず膠着状態が続いている。

 それも更に悪い噂の元になるには十分で。

 

 旅人や吟遊詩人、各国や神殿の持つ高速情報ネットワークを通して、この世界としては驚異的な、そして不自然ですらある速度で情報が拡散する。

 それはあたかも、何者かが世界の最後に備えよと言っているかのようだった。

 

 

 

「ヒョウエ! 大怪我をしたと聞いたが大丈夫か!」

「ヒョウエ!」

「セーナ! ミトリカ!」

 

 そうしたある日、ヒョウエたちが滞在する王宮の一角にやってきたのはズールーフの森のエルフ、セーナとピクシーのミトリカだった。後ろにはセーナの幼友達である「護り手」のティカーリもいる。

 三人とも普段のそれとは違う、それなりに格式の感じられる出で立ち。

 顔に飛びついてきたミトリカを軽く撫でながら、セーナたちに笑顔を向ける。

 

「会えて嬉しいですよ。今日は? ズールーフの森からの使者ですか?」

「ああ。ディテク王国への使者として来た。まあ私はお飾りで、実際の話は着いてきたものがする。ミトリカの同行が許されたのもつまる所、私はお前と仲良くしておけということだろう。

 それで具合はどうなのだ? 前に比べて帯びている魔力が随分少なくなってる気がするが・・・」

「随分どころじゃ無いよ! まるで普通の人間みたい!」

「わかるものですねえ、さすがエルフとピクシー」

 

 肩をすくめて、取りあえず座るように勧める。

 ジュリス宮殿から来てくれた馴染みの侍女に頼んで香草茶を淹れてもらうと、ヒョウエは溜息をついて一部始終を語り出した。

 

「・・・使者からおよそのことは聞いたが、本当なのだな。

 "残りしもの"に"最初の戦士(パハーラ・ヨッダ)"、神になり損ねた百一人目の魔術師、黄金鱗の虹竜の心臓、ゲマイの不死の術師に悪魔・・・頭がどうにかなりそうだ」

「皆さんそうおっしゃいます」

 

 モリィ達も含め、事の重大さとスケールの大きさに改めてめまいがする。

 居間に一同の溜息がこだました。

 

「それで使者というのは何の? ひょっとして援軍に来て頂けるんですか?」

「うむ。ことがことだけにお爺様も即決されたらしい。

 我らエルフは世界を維持する使命を授かった種族。

 世界の理を侵す悪魔が相手では是非もない」

「ありがたい! ズールーフの森のエルフ戦士が援軍に来てくれるなら百人力、いや千人力ですよ!」

「オレさまもいるぞっ!」

 

 テーブルの上でミトリカが胸を張る。

 

「もちろんミトリカも当てにしてますよ」

「えへへー!」

 

 褒められて相好を崩すピクシーの少女。

 ヒョウエも眼を細める。彼にしてみれば、彼女はかわいい妹のような物だ。

 

「そう言えば魔力制御はどの程度出来るようになったんです?」

「けっこうできるようになったぞ! アディーシャにもほめられたしな!」

 

 ぽっ、とミトリカの指先に魔力の光が灯る。

 

「ほう」

 

 思わず感心の声が出た。

 指先の小さな範囲にかなりの魔力を集中させて、かつ他の部位の魔力に乱れがない。

 本人が言うとおり相当の修練を積んだものと思われた。

 

「いや凄い凄い。実際大したものですよ。後は戦う時とかにもこれを維持するのが次の目標ですね」

「やっぱ難しいのか?」

「ええ、人にもよりますけど、どうしても戦慣れというかそういうのが・・・」

 

 ばたん、と居間の扉が開く。

 飛び込んできたのはもう一人の妹であるカーラ。

 

「お兄様、クリプトが・・・あれ? すごい、ピクシー!? 初めて見た!」

「カーラ、お客様の前ですよ」

 

 目を丸くする妹を笑顔でたしなめてやる。

 セーナも同様に笑った。

 

「気にするな、王女よ。私も今はヒョウエの友人としてここにいるのだからな」

「セーナは気にしなすぎだよ・・・」

 

 お付きのティカーリが溜息をついた。

 

 

 

 その後、改めて自己紹介をしてみんなでお茶。

 精神年齢が近いせいか、カーラとミトリカはすぐに仲良くなった。

 今はヒョウエの膝の上にカーラ、その膝の上に子犬のクリプト。その更に上にミトリカがふんぞり返るという、親ガメ子ガメどころか孫ガメひ孫ガメのようなことになっている。

 

「尊い・・・」

「・・・ティカーリ?」

「な、何でもないよ? 何でもないからね?」

 

 物心ついたときから一緒の親友に胡乱げな眼を向けるセーナ。

 見てはいけないものを見てしまったような気がしている。

 おほん、と気を取り直して尊いタワーの土台・・・もといヒョウエに視線を向けた。

 

「しかし他の人族の国は何をしているのだ? 悪魔に対して動いたりはしないのか」

「まず大前提として悪魔に対して戦える人が少ないんですよ。人間は弱いんです。《加護》があるときの僕はおいておくとしても、モリィ達が人間の上澄みも上澄みの部類ですからね。

 彼女たちに匹敵するとなると、大国であるディテクを探しても十数人というところでしょう」

「むう」

 

 ヒョウエの言葉にセーナはかなり驚いたようだった。

 冒険者の等級で言うと現在の三人娘が純粋な戦闘力のみで言えば黒等級の中位から上位。

 エルフの基準で言えば「かなりの腕利き」くらいの認識である彼女らだが、人間の中ではヒョウエの言う通り人類トップクラスの精鋭と言っていい。

 

 レスタラ戦役前までの黒等級がディテク全土で11人。

 「星の騎士」たちという例外を除けば、ライタイムもほぼ同数。

 大陸最大級の人口を誇る両国でこれである。

 

 アグナムは例外的に同じく10人ほどの黒等級が存在すると言われているが、ダルクはカイヤンを含めて数人、ゲマイも同程度。

 他の中小国家は推して知るべしだ。

 小国同士であれば一人いるだけで軍事バランスが変わる、とさえ言われるのが黒等級なのである。

 逆に言えば最低でも緑等級下位、腕利きである黒等級相当も数人存在するズールーフのエルフ戦士達の援軍がどれほどありがたいかと言うことだ。

 

「ゲマイは現在魔道君主の一人が暗殺され、政治的な大混乱が起きているようです。

 アグナム、ライタイム、ダルク、その他の国にも悪魔が出没して社会不安が増大しているとか。こうなるとどこの国も下手に動けないでしょうね」

「クリスとやらの仕業か」

「でしょうね」

 

 悔しそうに拳を握るセーナに、ヒョウエが憂鬱な表情で頷いた。



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10-19 友遠方より来たるあり

「シロウさん!?」

「やあ、久しぶりだなヒョウエくん。いやヒョウエ王子」

 

 来客があるというので図書館から出てくると、見覚えのある顔が待っていた。

 苦行僧じみた簡素な衣に額の黄金の環、後ろには同様の装束の数人が控えている。

 先の大陸横断レースで共闘したアグナムの行者、シロウであった。

 

「ヒョウエで結構ですよ。しかしまたよく動けましたね。お国のお偉いさんたちから何かなかったんですか」

「知っての通り私の一族の使命は悪魔と戦うことなのでね。加えてホツマの家――ああ、例のレースの時に大使としてこちらに来ていた御仁だ――の方々とは親しくさせて頂いているが、宮廷に仕えているわけでもない。

 差配を受けない立場ゆえ、こちらに来させて貰った」

「なるほど。それにしてもありがたいですね、エルフの皆さんに加えてシロウさんが助っ人とは。

 後ろにいるのも金剛眼の一族の方々ですよね? みなさんかなりの実力者のようですし、これで勝ち目が見えてきましたよ」

「そう言ってくれると嬉しいね。右から月光大師、奔鉾女仙、蘭光、金剛、公佗児。いずれも達者の術師だ、期待してくれていい」

「よろしく」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 それぞれと挨拶をした後、ヒョウエが声を潜める。

 

「お国の方は大丈夫ですか? どこもかなり混乱していると聞きましたが」

「実害はほぼ出ていないからな。正面切って攻め込んできているのはこの国だけだ。

 ・・・やはり他の国からの援軍は芳しくないか」

「ライタイムは少数の精鋭を送ってくれるようですが、"星の騎士"らの切り札は温存。

 彼らの立場からすればやむを得ないところでしょうね」

「まつりごとというのは難しいものだな」

「まったくです」

 

 一緒に溜息をついて、ふと思い出す。

 モリィも同様に思い出したらしく、口を挟んできた。

 

「そう言えばムーナの姐さんたちはどうした? あの後、シロウの兄さんを追いかけてアグナムまでいっちまったんだけどよ」

 

 その名前を出すと、シロウと後ろの人々が一斉に苦笑を浮かべた。

 

「ああ、彼女たちもこちらに来てるよ。というか、彼女らのポッドで連れて来て貰ったんだ。余り動き回るのも何だろうから、宿屋で大人しくして貰っている」

「でしたか・・・何かあったんですの?」

 

 リアスが怪訝そうな顔で問うと、シロウたちの苦笑がいっそう濃くなった。

 

「まあ何と言うか気の良い連中なんだが、やはり色々と文化が違うからね。

 ああそうそう、スイネンさんはうちの村の後家さんと結婚して所帯を持ったよ」

「まあ」

 

 ムーナのお付きの片方である。細身のチョビ髭を生やしたおっさん臭い男だ。

 何故か目をキラキラさせるカスミ。

 

「それはそれは。ちなみにムーナさまとシロウさまはどうなんでしょう?」

「お付き合いには至っていない・・・とだけ言っておこうか」

 

 肩をすくめるシロウに対し、今度はヒョウエが苦笑を浮かべた。

 

 

 

 しばらく談笑してシロウたちが退出しようとしたとき、居間の扉がノックされた。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 入って来たのは宮殿の衛士。僅かに汗を浮かべている。

 

「何か?」

「はい、只今首都防衛隊からの報告がありまして」

 

 首都の周辺を守備する部隊である。同時に首都の周辺に存在するダンジョンの警備も担当している。嫌な予感がした。

 

「まさか"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"で何かありましたか?」

「はい、最深部のものと思われる強力なモンスターが大挙して地上にあふれ出しております。

 既に被害が出ており、ダンジョンマスターであるヒョウエ殿下にお出まし願えないかと依頼が」

 

 言葉を最後まで聞く前にヒョウエが立ち上がっていた。

 

「モリィ、リアス、カスミ、行きますよ! シロウさんすいません、ここで失礼します」

「いや、そう言う事なら私たちも行こう。君も病み上がりのようだし、万が一があるとまずい」

「ありがとうございます」

 

 礼を述べた後、サナとリーザの方を振り返って頷く。

 

「気を付けてね、ヒョウエくん!」

「無事のお帰りをお待ちしております」

 

 リーザが拳を握り、サナが深々と頭を下げた。

 

 

 

 騎馬の一団がメットーの街路を駆ける。

 馬にまたがったヒョウエとリアス、モリィとカスミはそれぞれはヒョウエとリアスの後ろ。

 ヒョウエの護衛であるディグ達"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"の一隊が同じく騎馬でそれに続き、シロウ達六人は驚いた事に生身で併走している。

 

 王都を東西に貫くブルース大通りを駆け抜け、西門を通過。

 そのまま"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"への石畳の道を一直線に駆ける。

 途中で何人か、逃げ出して来た冒険者やギルド職員、商人らしい人々と遭遇する。いずれの顔も恐怖の色に染まり、負傷しているものも少なくない。

 王宮を出て十分、あと2,3分でダンジョンの入り口に出ようかと言うところで悲鳴と剣戟の音、怪物の咆哮が聞こえてきた。

 

「行きますよ、皆さん!」

「殿下は突出しないで下さい! あくまでもダンジョン・コアの操作を優先に!」

「わかってます!」

 

((((ホントにわかってんのかな!))))

 

 モリィ、リアス、カスミ、ディグ、加えてシロウ達の思念が一致する。

 ともあれそのまま一同は"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"前の広場に突入していった。

 

 

 

 ぐん、と速度を上げてシロウ達が馬を追い抜き、前に出た。

 

「露払いは我らにお任せを!」

「お願いします! 僕達はギルド支部に突入しますよ!」

「了解です!」

 

 モリィが雷光銃を抜き、リアスが手綱を放して刀と盾を構えた。王宮の軍馬が優秀なのもあるだろうが、初めて乗る馬ながら両足と体重移動だけで馬を制御する馬術はかなりのものだ。

 

「お嬢様、私は下から」

「お願いしますね」

 

 リアスが頷くと、カスミは全力疾走中の馬から無造作に飛び降りる。

 そのまま危なげなく着地して、シロウ達同様馬と併走を始めた。その手にはいつの間にか忍者刀と棒手裏剣。

 

「行きますよ!」

 

 ヒョウエたちがダンジョン前広場に突入したとき、そこは既に戦場だった。

 軍人、冒険者、民間人問わず死体が散らばり、人で賑わっていた屋台の列は大半が粉々の木片と化している。

 5mから10mクラスの大型モンスターが十数体、人間大のものがその倍ほど。

 駐屯していた首都防衛隊が何とか新たな怪物の出現を止めようと入り口付近で陣を敷いており、冒険者たちがあふれ出た怪物達と戦っている。

 

「シャアーッ!」

 

 体長10mはあろうかという、角と巨大な牙を持つ蛇。とぐろの中には締め付けられて悲鳴も上げられない金属鎧の冒険者。

 彼の体中の骨が粉々になる直前、空を駆けたシロウの蹴りが大蛇の頭を直撃し、大蛇がたまらずとぐろを解いて跳躍する。倒れた戦士に仲間らしき冒険者が慌てて駆け寄った。

 他の金剛眼の一族も同様に格闘や術であっという間に中型モンスターたちを駆逐していく。

 

「頼もしいですね」

「あっちは任せておいて良さそうだな」

 

 黒等級のパーティにも劣らない戦闘力に安堵の笑みをこぼすと、ヒョウエは半壊したギルドハウスに馬首を向けた。




シロウの仲間の名前は、いずれもレインボーマン原作者である川内康範氏が手がけたテレビ作品かその登場人物のもじりです。
(月光仮面、ぽんぽこ、七色仮面主人公、ダイヤモンドアイ、コンドールマン(公佗児=コンドル))

それから報告の方にも書きましたが、三が日はお休みを頂いて四日から再開させて頂きたく思います。
それでは良いお年を。


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10-20 ダンジョン騒動始末

あけましておめでとうございます。

この物語も佳境、もう少しお付き合いのほどを。


 結論から言えば、ダンジョン・コアの操作は滞りなく完了した。

 必死の努力でダンジョンの入り口をせき止めていた首都防衛隊、そしてあふれ出た怪物達に対処していた冒険者たちとシロウ達金剛眼の一族のおかげである。

 

「ダンジョンの中なら深部からでも操作できただろ、あれ?」

「逆にダンジョンの中だから出来るんですよ。外にいたら繋がらないんです」

「そんなもんか」

 

 半壊したギルドハウスに侵入し、モリィが手早く金庫を開錠・・・するまでもなく金庫の外からダンジョン・コアに接続し、ダンジョンの内部に障壁を下ろし、取り残されていた冒険者たちを転移で脱出させる。

 

「後はモンスターどもを大人しくさせりゃ終わりか」

「・・・いえ。このダンジョン・コアであれらにアクセス出来ません」

「どういう事ですの?」

「あのモンスターは、このダンジョンが生み出したものではないってことです」

 

 崩壊した壁の裂け目から外を眺める。

 ダンジョンの閉鎖とシロウ達の参戦により形勢は明らかに有利になっていたが、ダンジョンから脱出してきた冒険者たちのフォローもせねばならず、楽観できる状況ではない。

 

「手を出すなよ?」

「お願いですから外に出ないで下さいまし」

「あれだけ注意されたのですからおわかりになっていますよね?」

「殿下。飛び出された場合、全力でお止めせねばなりません。ご自愛を」

「わかってますって」

 

 異口同音に静止されてヒョウエがくさる。

 

(何もしてないのに)

 

 と、本人は思っているが、まあ大体自業自得であろう。

 

「モリィたちはまだしもディグさんはそこまでまじめにやらなくてもいいでしょうに」

 

 溜息と共にせめてものイヤミを口にすると、ディグが恐ろしくまじめな顔をしていた。

 

「・・・どうしたんです?」

「世の中には死ぬより辛いことも沢山あるのです」

 

 それだけを答えて口を閉ざしたディグと部下たちの額に汗が浮かんでいるのを見て、ヒョウエはそれ以上考えないことにした。

 

 

 

「しかし僕が出ないにしても、このままでは被害が大きくなります。

 僕は大人しくしていますからディグさんたちが援護に行って頂けませんか?」

「・・・」

 

 数瞬考えた後、ディグが首を縦に振った。

 

「ありがとうございます。それでは・・・"筋力強化(ストレンクス)" "敏捷強化(アギリティ)" "生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)" "(アーマー)" "加速(スピード)"・・・これくらいでいいでしょうか」

「おお・・・!」

 

 立て続けに発動されるヒョウエの呪文。しかも無音発動だ。"心臓"があったときのように瞬時に同時発動しているわけではないが、それでもこの速度と数は尋常ではない。

 ディグと部下たちが自分の体を見下ろして驚愕の声を上げる。

 

「なんと・・・これだけの人数に、こんな短時間で」

「言ったでしょう、緑等級クラスの力はあると。さ、早く」

「はっ!」

 

 ヒョウエに敬礼をすると、ディグ達エージェントが飛び出していく。

 獅子の顔を持つ巨大なカニに集団で襲いかかり、あっという間に傷だらけにしていくのを見て後ろを振り向く。

 

「さすがですね。モリィもお願いできますか」

「こっちに来るとまずいだろ・・・まあこの分ならだいじょうぶか。わぁったよ」

 

 顔をしかめはしたものの、割れ目から身を乗り出して雷光銃を構える。次の瞬間、正確無比な雷光が次々とモンスターに降り注ぎはじめた。

 通常出力の連射は大型モンスター相手に痛打を与えるには至っていないが、目や急所を狙った一撃は牽制として非常に有効で、動きが止まったところに周囲からの攻撃が集中している。

 

「・・・」

「お嬢様、わたくしどもはヒョウエ様の護衛ですので」

「わ、わかってますわそんなことは!」

 

 何か羨ましそうな顔をしていたリアスが、慌ててカスミの言を否定する。

 ディグ達の参戦とモリィの援護射撃で完全に趨勢は人間側に傾き、十分ほどしてダンジョン前広場は静かになった。

 

「逃げたのが何匹かいるな! 追うか、大兄?」

「落ち着け、こわっぱ。それだからお前は階位が上がらんのじゃ」

「ちぇーっ」

 

 シロウの仲間である坊主頭の大男が、僧衣の老婆にたしなめられてふてくされている。

 軍人、冒険者、ディグ達。周囲から笑いが起き、シロウやたしなめた老婆が苦笑していた。

 

 

 

 ヒョウエやシロウ達の術で応急処置を施した後、軍人や冒険者、ギルド職員の感謝の声に見送られてダンジョンを後にした。

 途中の道で軍の部隊とすれ違う。

 指揮官は事態が沈静化したことを聞いて心底ほっとしたようだった。

 強化具現化術式などが配備されている魔導化部隊ではない、通常の歩兵部隊だったのでまあ当然の反応だろう。

 

 そのままヒョウエたちは王宮へ帰還。

 馬を返し、シロウやディグ達と共にあてがわれた部屋へ向かった。

 

「・・・?」

 

 自室へ戻る途中、すれ違う廷臣、侍女たちの視線に違和感を感じて首をひねる。

 

「なんでしょう? 怖がられてる?」

「召使いを手荒に扱う主人がああした視線で見られることもありますが、それともまた別のような・・・」

 

 リアスも首をひねっている。

 一方でモリィは何かに気付いた顔だった。

 

「あー・・・わかっちまったかもしんねえ」

「奇遇でございますね、わたくしもですモリィ様」

 

 二人して溜息をつく。

 

 

 

「ひょーうーえー・・・? おとなしくしていなさいと言わなかったかしらぁ・・・?」

「ぎゃああああああ、出たぁぁぁぁ?!」

 

 部屋で待ち構えていたのはこの世の外より来たりし悪魔王、ではなく。

 ディテク王国第二王女カレン・スー・ボッツ・ドネであった。

 もっとも、恐ろしさで言えば悪魔王と大差ない。

 

 愛しの(カーラ)には到底見せられない憤怒の形相を浮かべたその有様は、まさしく地獄からやってきた鬼神そのもの。

 ヒョウエの顔が盛大に引きつり、三人娘たちも思わず一歩退かせる恐怖の具現。

 そしてディグたちの顔には達観、むしろ仏の如き悟りの表情が浮かんでいた。

 合掌。



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10-21 最初の迷宮

 戦い終わって日が暮れて、山の寺院の鐘が鳴る。

 鴉の弔歌が荒野に響き、罪ある愚者が(かばね)をさらす。

 

「まったくもう心配させて・・・! 心臓が口から飛び出すかと思ったわよ」

「だからダンジョンマスターである僕が現場に行く必要があったって言ってるじゃないですか」

「わかってるわよ。だからその程度で済ませて上げたんじゃない」

 

 部屋で香草茶を喫する一同。

 むっつり顔の姉に抗議する弟の頬は赤く染まっている。

 腹立ちの収まらない姉に思いっきりつねられた跡だ。

 心配してくれたのはわかるが、それはそれとして納得がいかない。

 

「理不尽じゃないですかねえ・・・」

「諦めなさい、女なんてそんなものよ」

「・・・」

 

 理不尽の権化に断言されたヒョウエがちらりと見るのは三人娘。

 モリィが目をそらし、リアスがこわばった笑みを浮かべ、カスミは無表情。

 苦笑を浮かべるシロウ達や直立不動で決して目を合わせようとしないディグたちに視線を向けたあと、ヒョウエは大きな溜息をついた。

 

「まあ言いつけを守らないやんちゃな弟へのお仕置きはまた考えるとして」

「まだ残ってるんですか・・・?」

 

 不服そうな弟の抗議は無視。

 

「問題はこのタイミングでダンジョンの暴走事件が起こったことよ。

 まだ開いてから一年も経ってないけど、これまでは非常に安全な部類のダンジョンだったはずよね」

「少なくとも僕の知る限りでは。まあ開くなり攻略しちゃったんで、非制御状態でどうだったかはわからないけど」

 

 ダンジョンは神の夢であると言われる。

 神の力の意図しない現出が起こす現象だ。

 なので、夢の種類や神の性格によっては内部のモンスターが外部に大挙侵攻してくる暴走現象が起こる場合がある。

 

 通常ダンジョンを攻略してダンジョンコアを制御下に置いた場合、こうしたリスクは非常に低く抑えられる。

 "郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"は現出した二日後にヒョウエによって攻略されてしまったので、非制御状態がどうであったかはほぼわからないが、少なくとも二日の間にモンスターが地上に出てくることはなかったし、攻略後もそんなそぶりは全くなかった。

 王都から近いこともあり、初心者から上級者まで入れる良ダンジョンとしてこの10ヶ月、高い収益を上げ続けていたのである。

 

 なおその高い収益の三割を分配金として受け取れるヒョウエであるが、それでも借金を完済するには百年以上かかる。

 閑話休題(それはさておき)

 

「姫さん。このタイミングでってことは、これが紫野郎の仕組んだ可能性があるって事か?

 ひょっとしてメットーやディテクの各地でも何か事件が増えているとかあるのか?」

「後方かく乱ですか。ありえますわね。カスミはどう思います?」

「十分有り得るかと」

 

 三人娘の理解の早さに笑みを浮かべるカレン。

 

(リアスが話について行けているのは事が戦争関連だからだろうなあ)

 

 アームジョーもといああ無情な感想を抱きつつ、考え込んでいたヒョウエが隣の姉に視線を向ける。

 

「十分有り得る事ですが・・・でも姉上はそうは考えてない?」

 

 カレンが笑みを消して頷いた。こちらも考え込むような表情になっている。

 

「十分有り得る事だし、モリィの言う通りそうした事件も起きているのだけれど・・・何か違う気がするのよね。ダンジョンマスターとしてはどうなの?」

「何せ神代の真なる魔術師だから、ダンジョンを人為的に暴走させるくらいの芸はあっておかしくはないでしょ。

 ただあれはダンジョンの暴走ではなくて、ダンジョンとは別の原因があると思うんだよね」

「ダンジョン・コアで制御が出来なかったという話ね」

 

 頷く。

 

「まあクリス先生ならあの程度のモンスターを召喚して実体化させるのはちょちょいのちょいだろうけど・・・何か違和感があるんだよなあ」

「その違和感は恐らく正しい。化生ではあるが、あれらは異界の何かを召喚してかりそめの肉体に押し込めたたぐいのものではない」

 

 発言したのはこれまで無言だったシロウ。金剛眼の一族の面々も揃って頷いている。視線が若き行者に集中した。

 

「間違いないのですか、シロウ様?」

「はい、姫様。我々金剛眼の一族はこの世の外から来た存在や霊体を相手取るのに長けた術師の集まりです。ゆえに実体があるかないかは見れば概ねわかります。

 その上で断言しますが、あれらは霊的な存在ではなく、確固たる肉体を持った生物です。

 むろん何らかの魔法的な手段で生み出されたり、別のダンジョンから生まれた存在であることを否定するものではありませんが」

「倒した後に魔力結晶が生成されてたよな。やっぱりダンジョンのモンスターだとは思うんだけどよ」

 

 ヒョウエたちが治療を施して回っていた間に見た光景を思い出しつつモリィ。

 

「でもヒョウエ様のダンジョンのモンスターではない・・・奇妙ですわね」

「まあ色々と考えられることはありますが、現状では推測にしかなりませんね。またダンジョンを解放するわけにもいきませんし」

 

 部屋の中、一斉に溜息が漏れた。

 

 

 

「簡単なことじゃ。そいつは別のダンジョンで生まれたモンスターなんじゃろう。

 それも恐らくは世界でもっとも深く危険なダンジョンのな」

「あー、やっぱりですか・・・」

 

 数日後、夫と共に王宮に戻ってきたメルボージャが正解を教えてくれた。

 

「つまり、世界のへそにそのでかいダンジョンがあると。"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"がそこに繋がっちゃったんですね」

 

 初心者向けかと思えば、最深部では黒等級なみの実力が必要とされるあの奇妙なダンジョンを思い起こす。

 ダンジョンで生成されるモンスターの力は概ねダンジョンそのものの力に比例するが、ダンジョン・コアを守るガーディアンは別として、それ以外のモンスター個々の実力にそう差異はないのが普通である。

 いずれじっくり腰を据えて調べてみようと思っていたのだが、思わぬところから答えはもたらされた。

 

「偶然近くに生まれたのか、あるいは封印されたダンジョンの霊気が枝分かれして新しいダンジョンを作ったのかはわからぬが、恐らく底の方で繋がっておるのじゃろう」

「・・・ちょっと待って下さい。封印されたと言うことは、ひょっとしてそのもっとも深き迷宮はエコール魔道学院が存在していたころからあるんですか?」

 

 メルボージャが無言で頷く。

 

「でもじゃあ、誰が生み出したんですか? ダンジョンというのは神の夢ですよね?

 〈百神〉が存在しない頃から存在していたというのは・・・創造の八神ですか?」

 

 老婆が今度は首を振った。

 

「わしらはそのダンジョンを黄金の迷宮・・・もしくは竜の迷宮と呼んでおった。当時はダンジョンという概念もなかったがな」

「黄金・・・竜の迷宮・・・まさか」

「そうじゃ。あれはな、世界を形作った原初の竜、黄金鱗の虹竜の夢が生み出したダンジョンなのじゃよ」



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10-22 黄金竜の夢

 アルテナが目覚めた。

 ぶるっと体を震わせた後、そこにうずくまっていたのは髪に色とりどりの飾り紐を編み込んだ金髪の幼女。

 

「ごはん」

 

 その第一声を聞くなり、ヒョウエはサナを厨房に走らせた。

 焼き菓子やすぐ作れるサンドイッチで取りあえずをしのぎ、暖めたシチューの寸胴鍋がそれに続き、それらが胃袋に消えた頃にメインディッシュの肉料理がやってくる。

 

「これだけの料理が一体この体のどこに消えてくんでしょうねえ・・・」

「人ごとみたいに言ってるけど、お前も割と大概だからな?」

 

 モリィの言葉にリーザやリアスがうんうんと頷く。

 結局アルテナは、子牛一頭ほどの肉を喰らい尽くしたところで満足した。

 

 

 

 金色の幼女が満足げに食後の茶をすすっている。

 

「ここの料理は中々うまかったの。サナのに勝るとも劣らぬ」

「ありがとうございます」

 

 給仕していたサナが微笑んだ。

 王宮の料理人というのはつまり、その国で最高の料理人だ。

 サナにとっても最上の称賛だろう。

 

「ま、サナ姉の料理は世界一ですからね」

「なんでヒョウエくんが得意げなのかな? ヒョウエくんのわがままに応えるためにサナ姉さん頑張ったんだよね?」

「い、いやまあそれはそうなんだけど・・・」

 

 冷たい視線(目を閉じているが)をリーザに向けられてあたふたするヒョウエ。

 サナがくすりと笑った。

 

「ま、まあそれはともかく」

「あ、誤魔化しやがった」

「ごまかしたー」

「ええいうるさい。アルテナは体調は大丈夫ですか?」

「仔細ない。少し体が重いくらいじゃ」

 

 (いや、あれだけ食えばそりゃそうだろ)とその場の全員が思ったが口にはしない。

 と、アルテナが長椅子をよじ登り、ヒョウエの膝の上に這い乗る。

 

「ふむ」

「あの、アルテナさん? 何をしてらっしゃるので」

「見ての通りお主の膝に座っておる。何か不満か?」

「いやその・・・」

 

 カーラのように行儀良くちょこんと座るのではなく、あぐらをかいてふんぞり返るアルテナ。

 

(カーラ様に見られたら戦争が起きるな・・・)

 

 と、その場の誰もが思ったのは言うまでもない。

 

 

 

 しばらくしてそろそろ図書館に戻ろうか、となったときにメルボージャとサーベージがやってきた。

 アルテナが覚醒したのを聞きつけて飛んできたらしい。

 

「おお、間に合ったか!」

 

 歓喜の表情になるメルボージャに、ヒョウエの眼が細められた。

 

「間に合ったか、というのはやはり彼女の力がクリス先生の攻略に必要になると言うことですか?」

「うむ」

 

 メルボージャが大きく頷く。

 

「まず絶対に必要なのは、クリスめが黄金竜の心臓を操ろうとしていた場合、その対策としてこの娘と、そなたらが与えた黄金鱗の虹竜の左目を削りだして作った指輪・・・今はアルテナと一体化しておるその指輪が必要になろう」

「そもそも竜脈を制御するために使っていたんですよね、あれ」

「うむ。お師匠様たちが新しく世界を作り直したときに大地は新たに生み出されたが、その底ではやはりオオヤシマとなった始祖の竜の血脈が依然として流れ続けておる。

 わしはそれを利用してあそこに拠点を作ったのじゃ」

「なるほど・・・それで他にもなにかありそうな感じですが」

 

 もう一度メルボージャが頷く。

 

「拠点への侵入のことじゃ。分体であるわしも転移の術は使えるが、やはりオリジナルには及ばん。一方で奴は正真正銘の真なる魔術師。この身で奴の張った結界を破って転移を行うことは恐らく不可能。

 しかも六千年の研鑽と悪魔の力を借りていることを考えれば、どのような奥の手を持っているかは想像もつかぬ」

「六千年間研鑽し続けたことに関しては全く疑ってないんですね?」

 

 笑みを浮かべて問うと、メルボージャもまた笑みを浮かべる。

 

「それは当然。お師匠様の弟子じゃからな」

 

 一瞬懐かしそうに眼を細めた後、表情を元に戻す。

 

「ともかく、奴のところ、わしの本体のいた場所に到達するには離宮の封印を破り、地下通路を通り抜けて行くしかないと思うておった。

 じゃが、お前の迷宮と黄金の迷宮が繋がっているというならば話は別じゃ。

 黄金の迷宮には奴といえども戦力を配置することはできん。

 少なくとも離宮を襲ったような、中級から下級の悪魔では戦力を消耗するばかりじゃし、あの迷宮を突破できるような上級の悪魔が集団でおるならば、こんな回りくどいことはせずにとっととこの国を滅ぼしておるじゃろうよ」

 

 ごくり、とモリィが喉を鳴らした。

 

「どれだけ強いんだよ黄金の迷宮の敵」

「安心しろよ、小娘。原初の魔獣よりゃ弱ぇ」

「それのどこをどう聞いたら安心できるんだよ!?」

 

 肩をすくめるサーベージに、モリィが突っ込む。

 まあ神話の時代の大魔獣よりは弱いと言われても確かに全然安心は出来ない。

 しかも原初の魔獣と渡り合った張本人、史上最強の剣士がそれを言うのだ。

 モリィならずとも突っ込みたくはなる。

 

「続けるぞ。ともかくわしらは"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"と黄金の迷宮を通って水晶の間に到達する。そもそもあそこは黄金の迷宮の一角を切り取って作った空間じゃからな。境界には封印が施してあるが、わしならそこを開ける。

 そこから先はわしの持って来たあれとお前次第じゃ」

 

 先日二人が戻ってきたときに説明を受けていたヒョウエが頷く。

 

「成功率はどれくらいあるでしょうね」

「まあゼロでは無い」

「足りない分は勇気で補えってわけですか、燃える展開ですね」

 

 肩をすくめる弟子に師匠が苦笑する。

 

「そう言うな。わしとしてはこの体で出来ることは全部やったつもりじゃ。

 正真正銘これ以上はお前に賭けるしかないんじゃよ」

「まあそれもわかりますけどね」

 

 ヒョウエも苦笑。

 

「しかし、"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"であれば僕のダンジョンマスター権限で最深部まで転移できますが。そんな真性の怪物のうようよするところを通って行けっていうのは、もしやアルテナに?」

 

 老婆が頷いた。

 

「アルテナは黄金の虹竜の娘で、かつその精髄である指輪を受け継ぐ身。ダンジョンマスター同様に黄金の迷宮を操れる可能性がある」

 

 周囲の視線が一斉に金髪の幼女に集中する。

 

「?」

 

 よくわかっていないアルテナがかわいらしく小首をかしげた。

 

「ダンジョンを操れるというのは断言はしないんですね」

「試してみもせずに断言もできるわきゃなかろうが。まあこれも結局のところはアルテナ次第と言うことになろうかの。正直これがもう少し成熟していれば良かったのだが」

「よくわからんが、やらねばならんのならやってみるしかあるまい。まあ安心せよ。わらわであれば何とかなろうほどにな」

 

 ふんっと胸を張り、断言するアルテナ。

 笑みを浮かべ、ヒョウエがその頭を撫でてやった。



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第三章「最も深き迷宮」
10-23 集う力


「深い闇の中にいるときにこそ、光を見つけることに集中しなければならない」

 

     ――アリストテレス――

 

 

 

 

 閑散とした市内。

 市民の姿は全く見えず、兵士と魔道兵器や攻城兵器だけが街路にひしめいている。

 兵士に比べれば数は少ないが緑以上の上級冒険者たちもだ。

 そうした冒険者たちの待機場所で溜息をつく男がいる。

 

「やれやれ、レスタラの時も世界がひっくり返るかと思ってたら、今度は悪魔か。冒険者としては腕が鳴るぜと言いたいところなんだけどよ」

 

 愚痴をこぼすのは大剣を背負った快活そうな角刈りの大男。

 レスタラ事変の時に三人娘やサフィアと共闘した黒等級冒険者だ。

 

「ヒッサーの奴もくたばっちまいやがったし、"六虎亭の大魔術師(ウィザード)"も"翼の騎士"もいねえと来てる。

 ・・・あんたらは実際に戦ったんだろう? 奴らの強さはどんなもんだ?」

 

 大男が眼を向けるのは屈強の荒くれが揃うこの場でも一際目を引く大男と眼鏡の麗人、ゴーグルをかけた小柄な少女。

 便宜上同じ場所で待機しているイサミとアンドロメダ、マデレイラだ。

 水を向けられ、少女は怯えたように麗人の後ろに隠れてしまった。

 

「ああすまねえ。別にどうこうするつもりはないから安心してくれよ、お嬢ちゃん」

 

 苦笑する大男にアンドロメダも苦笑で返す。

 

「申し訳ありません。この子は箱入りなので・・・」

「らしいな。ゲマイの魔道君主家のお嬢様だったか」

 

 こわごわと顔を出したマデレイラに、にっこりと(本人主観)笑いかける大男。

 

「ひっ!」

 

 怯えた顔になって、少女が再びアンドロメダの影に引っ込む。

 大男がちょっと傷ついた顔になり、仲間の小人族(バグシー)がにやにやしながら肩を叩いた。

 

「ガラにもねえことするからだよ。テメェのツラがまずいのはわかってるだろう?」

「汝自身を知れ、でござるな」

「うるせえよ! 黙ってろ!」

 

 仲間に噛みつく大男を見て、イサミとアンドロメダが苦笑した。

 

「話を元に戻すぞ。俺達は戦ったと言っても魔導巨人(ハーキュリーズ)でだからはっきりしたことは言えんが、生身で戦うとなるときついだろうな。

 緑(パーティ)なら同時には二匹か三匹相手にするのが限度だろう。あんたらでも十匹越えたらかなりきついんじゃないかね」

「ふーむ」

 

 大男が顎に手をやって考え込む。いつの間にか周囲の人間も聞き耳を立てていた。

 イサミもアンドロメダも、緑等級の証である翡翠の板を首に下げている。金等級冒険者である師匠についてあちこち引きずり回された結果だが、それが彼らの言に説得力を与えている。

 別のところから声が飛んだ。緑等級の中でも腕利きと目される(パーティ)の人間だ。

 

「何か特殊能力のたぐいはないのか? 飛行速度は?」

「飛行速度はそこまで速くない。鷲獅子(グリフォン)くらいだな。特殊能力については俺の見た範囲では使ってこなかったし、離宮を襲ったときもそれらしきものは特になかったらしい。

 (ヒョウエ)が色々調べてたが、今まで目撃例がないらしくてマジでわからんのだとさ」

「悪魔だからなあ」

「正直おとぎ話の中の代物だとばかり思ってたぜ」

 

 この世界でモンスターと言えば、ダンジョンで生まれたそれと、地上の生物と交わって生まれたその子孫が主、後はせいぜい真なる龍の子孫である亜竜くらいで、文字通り世界の外からやって来た悪魔などは真の龍と同レベルで伝説の中の代物だ。

 むしろ歴史上に何度か出現している真の龍の方が確認された例は多いかも知れない。

 

「手の内がわからないってのはやりにくいな」

「腕のいい霊術師がいればいいんだがな。もしくは召喚師か、強力な解呪の術が使えるやつか」

「そんなのがゴロゴロしてたら苦労はしねえよ」

「"白の翼"の箱仲間(パーティメンバー)じゃあるまいにな」

 

 霊術師というのはつまりクリスやスィーリのような召霊の術の使い手である。

 霊魂の専門家でもあるので、人によっては幽体離脱などの術が使えるものもいる。

 五十年前にレスタラを撃退した"白の翼(ヴァイスフリューゲル)"の仲間だった霊術師アラタズなどが有名だが、素質を持つものが治療術師と同じくらい稀少な上、使いどころが余りない術なので人気がない。当然なり手も少なかった。

 

 一方で召喚師は呼び出した霊魂にかりそめの肉体を与える更に高度な術の使い手だ。

 それ自体が極めて高度な上、下手をすると転移の術以上に使い手が少ない。

 事実、現在有名どころの冒険者で召喚師と言える人間をこの場の誰も知らなかった。

 

「まあいいや。ぶった切れば死ぬんだろ? それでどうにかなるならそうするしかねえやな」

「まあそうだな。だが魔導甲冑でも一対一じゃ勝てないだろう相手だ。一対一で相手取れるのはそれこそあんたか、もう一人二人くらいだろうさ」

 

 サーベージは別枠として、ディテクでは最高の剣士の一人であろう男が溜息をつく。

 

「六虎亭の大魔術師・・・あれ王子様だったんだっけ? あいつがいりゃあ、頼もしいんだけどよ」

「あいつはあいつでやる事があるらしいからなあ」

 

 イサミ達も離宮からの地下通路を迂回して敵の本丸に向かうバイパス作戦のことは知らされているが、口にするわけにはいかない。

 溜息をついてごまかすしかなかった。

 奥の方でざわめきが起こる。

 

「失礼」

 

 そちらを向くと、人の群れをかき分けて現れたのは身長190を越える長身の女性だった。

 ベリーショートのくすんだ金髪、筋肉質のスマートな体を真なる魔法文明時代のものらしい材質不詳の、光沢のあるつなぎに包んでいる。

 

「わ、モニカ!?」

「久しぶりだな、マデレイラ・・・というほどには時は経っていないか」

 

 マデレイラに笑いかける女性はモニカ・シルヴェストル。ライタイムの黒等級冒険者で、先だっての大陸横断レースでヒョウエたちと競い合い、共闘した仲だ。

 後ろには仲間らしい冒険者たちが並んでいる。全員が女性で、いずれも黒に黄金の雷の紋章を体のどこかにつけていた。

 

「そうか、ライタイムからの援軍ってあんたたちのことか。こいつは心強いな」

「貴公は?」

「ああ、俺はイサミ・ハーキュリーズ。表にあるデカブツの作者で、ヒョウエの兄弟子だ。

 そっちは嫁さんで同じく兄弟弟子のアンドロメダ。マデレイラの姉貴分でもある」

「それはそれは。初めまして、モニカ・シルヴェストルです。お見知りおきを」

 

 マデレイラの姉貴分というところで察したのか、モニカが貴人に対する礼をする。

 同じく丁寧に礼を返してアンドロメダが微笑んだ。

 

「お気遣いなく。今は一介の魔道具職人ですので」

「ではそのように。ああ、こちらはキャロル、シャロン、カーラ、カマラ。私の仲間だ」

「よろしく」

 

 周囲からの安堵と期待の視線を受けつつ、モニカが仲間を紹介した。

 

「これはこれは、美人揃いで結構なことですな。もうやる気が出ちゃいますよ」

「おや」

 

 後ろからかかったどこか軽薄な声。

 振り向いたモニカの顔に笑みがこぼれる。

 こちらも大陸横断レースで競い共闘した冒険者、"音速の騎士"ゴード・ソニック。

 誇張でも何でもなく音の壁を越えて走れる緑等級の冒険者だ。

 

「まあ俺は伝令役を仰せつかってるんで、同じ場所で共闘するかどうかはわかんないけどね。ともかくがんばろうぜ、姐さん」

「ああ」

 

 かつてのライバルにして戦友が、再び固い握手を交わした。




「最も深き迷宮」はロードス島戦記・伝説で語られるデーモンの王、魔神王のいた迷宮。

そしてものすごくどうでもいい話。
黒等級パーティのメンツはなろう作品「おっちゃん冒険者の千夜一夜」コミカライズ版のSランクパーティ『黄金の牙』のメンツをイメージしてます。作画が同じ人だけに、懐かしのコミック版ダンジョンマスターのイアイドーっぽいのがいたりして楽しいw

黒箱リーダーが言ってる「ヒッサー」もコミック版ダンジョンマスターのキャラから。
多分前回死んだ別の黒等級パーティのひと。

モニカの仲間はモニカのイメージモデルになった女性ヒーロー、ミズマーベル(キャプテンマーベル)の歴代継承者です。


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10-24 集う力?

「お前の突入、私たちも協力させて貰うぞ。なに、特に問題はない」

「問題ないぞ!」

「ありまくりだよ!?」

 

 胸を張るのはセーナとミトリカ、悲鳴を上げるのはお付きのティカーリ。

 セーナは礼服からいつもの戦装束に着替え、ヒョウエと共に戦う気まんまんである。

 

「だがティカーリ、そうでなくてもアイズナー離宮の攻略には参加するんだぞ?

 母様だって出張ってこられるんだからな」

 

 若かりし頃はセーナが霞んで見えるほどの猛女だったという母親である。

 ズールーフの森を騒がせた一連の事件で、サーワに化けた異界の魔を圧倒的武力で叩き伏せたのは記憶に新しい。

 

「うう、セーナといいサティ様といい、何でみんなそんなに血の気が多いのよう・・・」

 

 頭を抱えるティカーリの肩を、同情のまなざしでぽんぽんとリーザが叩いてやる。

 

「同病相憐れむという奴じゃな」

 

 遠慮など微塵も無いアルテナの一言にサナが苦笑し、ヒョウエが視線を逸らす。

 

「この忙しいときに何を騒いでおるのじゃお主らは」

 

 そこにどやどやと入ってきたのはメルボージャとサーベージ、カレンと"狩人"、サフィア。

 話を聞いてメルボージャの顔がほころぶ。

 

「おう、手伝ってくれるのか? それはありがたいなエルフの姫よ」

「我らエルフは元より世界の安定を使命とする種族。あなた方と志を同じくするものだ。"残りし者(ジョ・ラガ)"に"最初の戦士(パハーラ・ヨッダ)"よ。あなた方に恥じぬ戦いをお見せすると誓おう」

「無理はせんようにな・・・と言いたいところじゃが、今はそんな事を言っておれる状況でもない。頼むぞ、セーナ、ミトリカ、ティカーリ」

 

 真剣な表情のメルボージャに、セーナが同じく真剣な表情で頷く。

 

「無論だ。全力を尽くすことを祖なる大樹に誓おう」

「誓うぞ!」

「うう、私まで頭数に入れられちゃってるよう・・・」

 

 意気軒昂な二人に比べて、明らかに泣きの入っているティカーリ。

 サーベージがちょっと困ったような顔で口を挟む。

 

「何なら残ってもいいんだぞ? こう言っちゃ何だが、その程度の腕で着いてくるのはきちぃだろう」

「出来るわけないじゃないですか! こんな熟れすぎた爆裂樹(ボムツリー)の実みたいな連中、放っておいたら何しでかすかわかりませんよ!」

「・・・」

 

 逃げたいけど義務感と友情と義理に縛られて逃げる事もできないまじめな娘。

 半泣きのティカーリの頭を、この傍若無人な老人が今だけは優しく撫でてやった。

 

「・・・」

 

 一方で顔を僅かに引きつらせているのは爆弾呼ばわりされたセーナだ。

 ミトリカはよくわからないようできょとんとしている。

 

「・・・」

 

 頭を撫でられていたティカーリが恨めしげな顔で親友を見つめると、それでも自覚はあったのか、セーナが視線を逸らした。

 

「いずこも同じだねー」

 

 ティカーリの肩を抱いてやっていたリーザの言葉に、ヒョウエも視線を逸らす。

 

「はいはい、三文喜劇(コント)はそのくらいにしておいて。ここからはまじめな話よ」

 

 カレンがぱんぱんと手を打つと、緩んでいた空気が多少なりともまじめなものに戻った。

 が、それに異を唱えるものが一人。

 

「お言葉ですが、カレン様」

「あら、サナ。何かしら?」

「その女が何故ここにいるのでしょう?」

「うっ」

 

 冷たい視線を向けられたのはカレンに随行してきたサフィア。

 親友の視線に思わず身を縮こまらせる。

 

「カレン様相手とは言え、ヒョウエ様の重大な秘密を暴露しておいて、私の前によくのうのうと顔を出せたものですね、サフィア?」

「だ、だからカレン様が相手じゃどうしようもないって言ってるじゃないかぁ!」

「知りませんね」

 

 懇願するサフィアに、この忠義一徹の女執事はとりつく島もない。

 

「大体ボクはヒョウエくんが青い鎧だなんて一言も言ってないよ!

 『気になる事でもあるのかしら?』

 『何か隠していることがあるわね』

 『ひょっとしてヒョウエのこと?』

 『あなたもヒョウエが・・・でも青い鎧の熱烈ファン(ワナビー)だったわよねあなた』

 『・・・まさか、あれが青い鎧とでも言うの?!』

 『なるほど、本当なのね・・・』

 って、ボクが一言も言ってないのにそれだけで特定されちゃったんだよ!」

「うわぉ」

「まあ姉上ならそれくらいできても不思議とは思いませんが」

 

 周囲が唖然とする中、深く嘆息するのはヒョウエだ。

 ヒョウエの知っている中でもひょっとしたら一番回転の速い頭脳と、表情から内心を読み取る読心魔法並みの技術があれば、それは大概の事は暴き立ててしまえるだろう。

 

(天は何故地上にこのような悪魔を遣わしたのか)

 

 同様の目にさんざん遭ってきた慨嘆をため息に込めると、手袋に包まれた繊手がその頬をつねり上げる。

 

「ヒョウエ? 今何を考えたのかしら?」

「痛い痛い痛い」

 

 暴君(あね)にされるがままの玩具(ヒョウエ)

 見かねた"狩人"がおほんと咳をすると、暴君はつまらなそうに手を離した。

 

「まあそう言うわけだサナ嬢。腹立ちが収まらないのはわかるが本当に相手が悪い。

 今回は許してやれ」

「そうですよ、これはしょうがないです。姉上にかかったらサナ姉でも秘密は守れませんよ」

「まあ私が言うのもなんだけど、彼女には罪はないから、ね?」

「・・・」

 

 苦笑する"狩人"、ヒョウエとカレンから萎縮する親友に視線を移す。

 

「ううっ」

「・・・」

 

 しばらく冷たい視線でにらんだ後、サナが溜息をついた。

 

「いいでしょう。ですが今回だけですからね?」

「ああ、助かった。ありがとうサナ・・・」

 

 がっくりと肩を落とし、安堵の息をつく男装の女剣士。

 周囲から一斉に苦笑が漏れた。

 

「それじゃ本題に入りましょうか。やれやれ、とんだ寄り道をしたものだわ」

「大体姉上が原因じゃないですかね」

「あなたが秘密を持ったのが悪いのよ。叔父様に言えなくても私には伝えておきなさい。私はあなたの姉なんですからね」

「・・・」

 

 愛されているのか何なのか、この四歳年長の従姉をしげしげと見た後、ヒョウエは今日で何度目かの深い溜息をついた。



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10-25 最終確認

「さてと」

 

 メルボージャが居間のテーブルに何枚かの図を敷き、作戦会議が始まった。

 

「大雑把じゃがまずここがアイズナー離宮。地下通路はなだらかに降下していって、水平距離ではメットーの西北10kmほどのところに『水晶の間』――わしの本体がいた場所がある。

 その周辺に広がるのが『黄金の迷宮』、つまり黄金鱗の虹竜の作り出した迷宮じゃ。

 水平距離で言えば"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"から一キロも離れてはおるまい。

 地上でメットー軍が離宮を攻めるのと同時にわしらもこちらから入り込み、"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"のダンジョンマスターであるヒョウエと『黄金の迷宮』のダンジョンマスターであるアルテナの力でショートカットを行い、水晶の間に到達する。

 ここまではよいな?」

 

 周囲が頷くのを確認して、メルボージャは別の地図を数枚広げた。いずれもかなり大きく、複雑な構造が何百の単位で描かれている。

 

「こいつぁ・・・ダンジョンの地図か?」

「ああ。『黄金の迷宮』のだ」

 

 渋い顔をするのはサーベージ。酸っぱくなったワインを飲んでしまったような表情。

 

「お師匠さま、何か?」

「この迷宮、俺がマッピングしたんだよ。魔法使えば済むものを、隅から隅まで歩き回らせやがって・・・」

「ここは桁外れの魔力濃度と言ったじゃろうが。本体の力をもってしても限界がある」

「死ぬかと思ったぞ! それも何度も!」

「治してやったからええじゃろ。話を続けるぞ」

 

 亭主の文句をさらりと流し、地図を指さす。

 

「と言うわけでジジイの尊い犠牲の上に調べられた黄金の迷宮の構造図じゃ。頭に叩き込め」

「これ全部かよ」

 

 げんなりした顔のモリィ。

 

「アルテナがいたら必要ないのではありませんの?」

「そうじゃそうじゃ。わらわがいれば問題ない」

「だといいんですけどね。まあ常に予想外のことは起こりますので」

 

 自分が頼りないと言われたように聞こえるのか、むすっとした顔のアルテナをなだめつつ視線は地図に釘付けになるヒョウエ。

 カスミとティカーリ、愚痴りつつモリィも真剣な眼差しを地図に走らせている。

 サフィアも額に指を当てていることからして、"学者(スカラー)"の仮面(ペルソナ)をかぶって内容を頭に入れているのだろう。

 

「小僧、自分のダンジョンの構造は頭に入っておるな?」

「ええまあ。モンスターがいなければ、目をつぶっててもガーディアンの間までたどり着けますよ。ただ、構造が多少変化してる節があるのと、最近は潜る暇がなかったのでそのへんはダンジョンコアを使って調べた方がいいとは思いますが」

「よし。まあ一番深いのはガーディアンの間じゃろうが、そこから通じているとも限らんからの。それは忘れるなよ」

「はい」

 

 しばらく地図に目を走らせた後、傍らの姉の方を見る。

 

「裏口突入はここにいる面々として、兄さんたちとマデレイラ、シロウさんたちにモニカさんたちも地上攻略組ですよね」

「そうね」

「指揮はまた姉上ですか?」

 

 カレンが首を振る。

 

「今回はさすがにジョエリー叔父様よ。冒険者組とうちの手の人間は任されてるけど」

「QBさんも?」

「ああ、現場での冒険者の指揮をしてもらうことになってる。まあ伝える命令が前進と撤退くらいだから連絡役と言った方が正しいかもしれんがな」

「QBさん、前回は活躍したらしいですね」

「ああ、ボクは割と最初の方で外したんで余りは見てないけど・・・」

 

 いつもの調子で話しかけようとしたサフィアが僅かに戸惑い、顔を背けた。

 つい先日青い鎧とヒョウエが同一人物であることに気付いてしまったその耳が少し赤い。

 

「・・・」

 

 何と言ったらわからないヒョウエ。それなりに親しい、姉の友人ポジだった人間の態度がいきなり変わればそれは戸惑うだろう。

 気付かないふりでモリィが言葉をかぶせる。

 

「まああたしらが軍隊みてぇに足並み揃えて行進ー、とかできるわけもねぇしな」

「そう言う事だ」

 

 元金等級冒険者"ジェット"であるスパイマスターは、僅かに笑みを浮かべて首肯した。

 

「まあニホンなら違うんでしょうけどね」

「ほう。あちらでは冒険者にも軍隊訓練をしてるので?」

「ええ。ニホンでは五つか六つくらいから全ての子供が軍事教練を受けるそうよ」

「マジか!?」

「恐ろしいところじゃのう・・・」

「ニホンって凄い軍事国家だったんだな」

 

 驚愕の事実にざわめく室内。ヒョウエが眉を寄せる。

 

「何かとんでもない勘違いしてませんか? サーベージ師匠の時代ですらそんなことしてませんよ」

「あら? でもニホンでは子供は例外なく一箇所に集めて教育して、その中に初歩の軍事教練もあると聞いたけど。子供には軍用の背嚢を支給するし、13になったら男は士官、女は海兵の服を着て学校に通うって」

「あ・・・いやまあ、嘘ではないんですけど多分かなりニュアンスが違うというか・・・」

 

 多分運動会の行進、ランドセルと詰め襟学生服とセーラー服のことであろう。

 行進は当時の軍隊の基礎だし、ランドセルは歩兵の背嚢だし、詰め襟は士官服でセーラー服は海兵(セーラー)の服。

 確かに軍事に慣れさせるための明治時代の制度が元なので間違ってはいない。間違ってはいないが色々違う。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「話しておくことはこれで全部かしら」

「だと思います」

 

 話が一通り終わり、カレンが手元のメモに目を落とす。

 

「確認しましょうか。突入部隊はメルボージャ師にサーベージ師、ヒョウエ、モリィ、リアス卿、カスミ、レディ・セーナ、ミトリカ、ティカーリ、サフィア、アルテナ。

 サナとリーザは地上で待機して、瞬間転移によるいざというときの緊急脱出とヒョウエたちとの連絡役」

 

 周囲が頷くのを確認すると、カレンが心配そうな表情を浮かべた。その胸にはモリィ達がつけているのと同じ、リーザの心話の目印になる銀のペンダント。

 

「・・・ねえ、本当にヒョウエが行かないといけないのかしら?

 もう水晶の心臓はないのよ?」

「今回は僕が行く必要があるんですよ。説明したでしょう?」

「今回も、でしょ」

 

 カレンが唇を尖らせる。

 

「いつもそういうんだから」

「・・・」

 

 困ったような、嬉しいような笑顔のヒョウエ。

 しばらく二人が見つめ合い、ヒョウエがそっとカレンの頬に手を伸ばした。

 

「今まで帰ってきたでしょう。今度も帰ってきますよ」

「絶対よ」

「はい」

「後でカーラにもちゃんと話をしてきなさい」

「はい、姉上」

 

 それで会合はお開きになった。




ダンジョン突入部隊
ヒョウエ、モリィ、リアス、カスミ、セーナ、ミトリカ、ティカーリ、サフィア、アルテナ、サーベージ、メルボージャ

アイズナー離宮攻略部隊
イサミ、アンドロメダ、マデレイラ、シロウ、モニカ、ゴード、QB

司令部待機組
カレン、"狩人"、サナ、リーザ


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10-26 突入開始

「それでは我々はここまでです。ご武運を」

「今までありがとうございました。あなたたちもお気を付けて」

「はっ!」

 

 ヒョウエの礼に、ディグ達が一糸乱れぬ敬礼を見せた。

 王都郊外のダンジョン"郊外の保養地(サバーブ・リゾート)"の入り口。

 護衛の任を終え、ヒョウエたちを見送るディグ達。

 それぞれに笑顔を見せて感謝を示すヒョウエと仲間たち。

 僅かな時間の後、ヒョウエたち十一人の姿がふっと消えた。

 

 

 

 同時刻、アイズナー離宮でも戦端が開かれていた。

 

「魔導砲部隊、術式貫通弾発射!」

「術式貫通弾発射!」

「てーっ!」

 

 空中に、宮殿の屋根に、そして庭園に、無数にたむろするトンボの羽根を持つリザードマンのような悪魔、イサミ命名"ドラゴンフライ"の群れ。

 四方を囲んだ魔導部隊の砲口から、離宮に対して魔力光が叩き付けられる。

 地球でもこの世界でも、戦争のやり方は数千年前から基本的に変わっていない。

 

 まず飛び道具を叩き付け、制圧射撃。

 その後主力が前進して殴り合い。

 石つぶてが投げ槍になり、弓になり、銃になり大砲やミサイル、空爆に。

 石斧や棒きれが剣や槍になり、騎兵になり、ライフル銃になり、戦車に。

 使う武装や戦術が変化したとしても、その手順は変わらない。

 その基本セオリーに従って、前線指揮官は砲撃を叩き込み続ける。

 

 日頃の訓練の成果を発揮し、高い射撃精度を発揮し続ける砲兵部隊。

 それに満足そうに頷きながら、指揮官は望遠鏡を覗き込んだ。

 アイズナー離宮の防御結界を抜けるとっておきの術式貫通弾は強力だが数が少ない。

 

「悪魔どもが出てくる様子はないか。貫通弾が尽きる前に結界の発生器を破壊できれば・・・」

「報告! 南東部分の結界が消失しました! 発生器の破壊に成功した模様!」

「よしっ!」

 

 喜びを露わにして拳を握る指揮官。

 こう言う時、大仰に喜んでみせるのも手練手管の一つだ。

 

「南東は通常魔導砲に切り替え、突入部隊を準備せよ! 残りの方面は事前の通達通り予備弾のみを残して砲撃を停止、発生器の破壊に失敗した場合はそのまま待機!」

 

 指揮官の命令に従い、新たな動きが起こる。

 慌ただしく伝令が走り、イサミやシロウ、モニカたち冒険者部隊、エルフの援軍も突入準備を整える。

 戦いはこれからだ。

 

 

 

 ダンジョンマスターであるヒョウエとリンクしたコアの力によって、彼らは300m四方はある大規模な空間に転移していた。

 ガーディアンである地竜(リンドブルム)が寝床にしていたドーム状の空間だ。

 奥には隠し扉があり、ダンジョン・コアの安置所に繋がっていた。

 

 ガーディアンはダンジョンが攻略されると再出現しない。

 だが今、この空間には先客がいた。

 

大地虫(ワーム)!」

 

 100mを越える巨大なとぐろ。体幅も太いところで10m近くある。

 ワーム。もしくはウィルム。「ミミズ(ワーム)」と音が同じせいで地虫とは言われているが、亜竜の一種に分類される怪物だ。

 蛇のような体にドラゴンのように見えなくもない頭部。足や翼はないが、明らかにただの蛇ではない。

 

「ガーディアンですの!?」

地竜(リンドブルム)を倒した後に毒竜(ヒドラ)と遭遇したんじゃったの?

 普通ならガーディアン級のモンスターが複数回出現することはありえん。

 黄金の迷宮の影響が当時からあったと見るべきじゃろうな」

 

 メルボージャの視線の先にはドームの隅に開いた巨大な穴。

 

「見た感じ直径50mはあんな」

「地上で見た連中も普通に通れそうでございますね」

 

 モリィとカスミが頷く。

 

「しかし地上に出て来た連中、あいつ素通りさせたのか?」

「ダンジョンのモンスターは共食いしないからな」

「違うダンジョンのモンスターでもそうなのかな?」

「その辺議論の余地はありそうじゃが、黄金の迷宮の影響を受けたモンスター、もしくはこの迷宮そのものが黄金の迷宮の影響で生まれたと考えれば、同族と認識するのもないことではあるまい」

「取りあえずはあれ片付けるか。あの手の奴は再生能力が強いからな。サクッと片付けよう」

 

 サーベージが親指で腰の刀の鯉口を切る。

 

「サクッと・・・?」

 

 頭を持ち上げ、50mほどの高さから威嚇してくるワームにサフィアとティカーリが冷や汗を浮かべ、あきらめ顔のモリィがぽんぽんと二人の肩を叩く。

 

「よいではないか。その言や良し。それでこそ"最初の戦士(パハーラ・ヨッダ)"だ」

「ですわね」

 

 逆に獰猛な笑みを浮かべるのはセーナとリアス。ミトリカやアルテナもやる気満々の表情だ。

 ヒョウエが笑いながら手を上げた。

 

「戦うまでもありませんよ、師匠。こんなふうに」

「!?」

 

 ヒョウエが手を振り下ろすと、一瞬にして巨大な壁がせり上がった。

 それが100mはある大地虫(ワーム)の周囲を完全に囲み、周囲と遮断する。

 

『・・・! ・・・!』

 

 咆哮らしき声と内側から体当たりする震動。

 だがせり上がった岩壁は微動こそすれ崩れる気配はない。

 

「さっさと行きましょう。僕たちには浪費していい時間も戦力の余裕もありませんからね」

「ちぇっ、つまんねえな」

 

 サーベージが舌打ちして腰の刀から手を離す。

 リアスとセーナも同様の表情で、カスミとティカーリが溜息をついていた。

 

 

 

「・・・お兄様たちは今頃ダンジョンの中かしら?」

「みたいです、カーラ様」

 

 王宮の一室。

 カーラの私室の長椅子にリーザ、カーラの姿があった。後ろにはカーラおつきの侍女たちとサナの姿。

 不安がるだろうカーラを少しでも安心させるため、そしていざというときはカーラを護衛して逃げ延びさせるためのカレンの采配だった。

 二人は幼少の頃からヒョウエのお付きだったため互いに見知っているし、カーラの方もそれなりに二人になついている。

 

 本来二人はヒョウエとの連絡係、脱出担当としてカレンなり総司令官のジョエリーの傍にいるべきところだが、心話用の銀のペンダントと通信用の魔道具があるから大丈夫という理屈で押し通している。

 公私混同だが今回に限っては誰も止めなかった。

 

「ねえねえ、リーザってヒョウエお兄様といつでも心でお話が出来るって本当?」

「ええ、本当ですよ。こう、私の《加護》で」

「いいな、いいな。私なんて四年もお話どころかお声も聞けなかったのに」

 

 ぷうっと頬を膨らませる幼女(カーラ)

 顔こそ見えないものの、雰囲気でそれを察したリーザが微笑んだ。

 サナや侍女たちも概ねその様な表情になっている。

 

「じゃあ今度ヒョウエくんにお願いして、魔法のペンダントを作ってもらいましょう。

 直接話すのとは少し違いますけど、私を介して伝言が出来ますよ。

 いえ、カーラ様ならそのうち直接話が出来るようになるかも」

「ほんと!?」

 

 一転して喜色満面になるカーラ。

 リーザの《心の耳の加護》は対象との親密度によって通信速度と精度が上下する。

 サナとヒョウエ以外にも自身の母親とであれば同レベルでタイムラグ無しの会話が出来たし、多少ラグはあるもののジョエリーともペンダント無しで話すことができる。多分ヒョウエの母親ともできただろう。

 以前から顔見知りでそれなりに親しいカーラとカレンなら、ペンダントの補助があればかなりのところまで行くはずだ。

 

 先ほどまでの不安はどこへやら、有頂天になって笑顔の幼女。

 カーラの横に座っていた彼女付きの女官が視線でリーザに感謝の意を伝え、雰囲気でそれを察したリーザが微笑んで返した。




なお今回ワームに大地虫という訳を当てたのは「14へいけ!」で有名なドラゴン・ファンタジーシリーズネタ。
多分原語ではドラゴン系の存在だと思うんですけど、翻訳で大地虫にされてしまい、日本語版のイラストもそっち系になってしまった悲運のモンスターw


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10-27 ディテク=コーミィ

 45度ほどの傾斜の地下洞窟、もしくは地下通路。

 そこをヒョウエたちが歩いていく。

 常人ならただ降りるのも苦労するような険路だが最低でも緑等級に相当するような面々のこと、王都の街路を歩いているように足取りは危なげない。

 

 ちなみに地下通路の入り口はダンジョンマスター権限で厳重に塞いである。

 その内またダンジョンの魔力干渉で道が開くかも知れないが、取りあえずは安心だ。

 地竜の巣から十分ほども降りたところで、ふとヒョウエが立ち止まった。

 

「空気が変わりましたね」

「みたいじゃの」

「ここからは黄金の迷宮と言うことか」

 

 頷くのはメルボージャとセーナ。ミトリカやアルテナも「ああ」と納得した顔になっている。

 

「そうなのかい、セーナ?」

 

 サフィアが横のエルフの王女に首をかしげてみせた。

 この二人、気があったのか先ほどからあれこれ話をしながら歩いている。

 ティカーリが「こいつは果たして話の通じる常識人かそれともセーナの同類か」という目で注視していたがそれはさておき。

 

「うまくは言えないが、大気に満ちる精霊の色というか香りというか・・・そんなものが違う。

 ヒョウエは上の迷宮のダンジョンマスターであるし、"残りし者(ジョ・ラガ)"は真正の真なる魔術師の分け身だ。彼らもそのへんを感じとったのだろう」

「へぇ。さすがエルフ、大したもんだね」

「オレも気付いてたぞっ!」

「うんうん、ピクシーもすごいすごい」

「わらわもじゃ!」

「はいはい、さすが伝説の竜」

 

 サフィアに褒められて、えっへんと胸を張るミトリカとアルテナ。

 ほほえましさに頬をゆるめつつ、ティカーリが苦笑を浮かべる。

 

「その辺はセーナやミトリカが凄いだけだからね? 私みたいな普通のエルフは全然わからないから。多分ピクシーも普通のひとはわからないんじゃないかな」

 

 セーナは神の直接の加護である"精霊神(アウレリエン)の《加護》"、ミトリカはピクシーの突然変異体であるドータボルカス、アルテナは言わずもがな黄金の迷宮を生み出した黄金鱗の虹竜の転生体だ。

 いずれもそれぞれの種族の平均を大きくはみ出た連中ばかりで、(エルフとしては)鍛えた凡人でしかないティカーリがもの申したくなるのもしょうがないところだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

「ではここからわらわの力で一番深いところに跳べばいいのかの?」

「いや、念のためにもう少し奥まで入ることとしよう。まだここは厳密な意味では迷宮内部ではなかろうからな」

「わかった」

 

 メルボージャの言葉にアルテナが頷き、それが合図であったかのように面々は歩みを再開した。

 

 

 

「魔導甲冑部隊、突撃!」

「突撃!」

 

 黄色と赤に黒のラインという派手な魔導甲冑の部隊が百人ほど、次々に大地を蹴る。50mを越える堀を飛び越え、一足飛びに対岸の離宮を目指す。

 「ディテク=コーミィ」。先だってのレスタラ戦役でも活躍した、国名を冠した最精鋭部隊だ。離宮を守った前回とは逆に、今度は攻略する側。

 数少ない、限定的とは言え飛行能力を持つ魔導甲冑を支給されており、魔導兵器の質においても兵士の練度においても間違いなく最優の部隊。最先鋒を命じられるのも当然の精鋭達であった。

 

「怯むな!」

「命を惜しむな、名を惜しめ!」

 

 全身から火を吐きながら宙を飛ぶ黄赤の甲冑達。

 その後方では術師部隊が陸上部隊の渡河のため、橋を造っている。

 ディテク=コーミィの仕事は橋を造るための援護だ。

 

 壁術師が堀の底から壁を出現させて橋の土台にする。氷を操る術師たちがその周囲を凍結させて補強する。

 十世代ほど前のオリジナル冒険者が生涯をかけて整備した魔術工兵部隊。

 

「おお・・・!」

 

 見守るディテク軍陣営から感嘆の声が漏れた。

 魔導甲冑部隊が堀を跳びこえる僅かな時間で、その真価を発揮するのは今とばかりに、驚くべき速度で橋が形成されていく。

 だが、望遠鏡を覗き込む指揮官は浮かない顔をしていた。

 

「おかしいな。何故奴らは迎撃してこんのだ?」

「奴らには飛び道具がありません。羽根こそありますが陸戦のほうが得意なのか、あるいは引き込んで殲滅しようとしているのでは」

 

 参謀の一人が述べた意見に首を振る将軍。

 

「だとしても渡河橋が出来ればこちらの主力が雪崩を打って押し寄せるのは理解出来ているはずだ。あいつらはともかく、あいつらを指揮するものには人間かそれ以上の知性がある」

「裏切者の真なる魔術師とやらですか・・・地下にあるという場所で何か作業をしていてこちらに手を出せないというのはありえそうですが」

「そこまで行くと希望的観測でしかないな。今は見守るしかないか」

 

 言葉を切って再び望遠鏡を覗き込む。

 そして先陣を切ったディテク=コーミィの最初の一体が対岸に足をつけようとした瞬間。

 

「!?」

 

 雷光銃のフルチャージ攻撃にも匹敵する光芒が走り、先頭の魔導甲冑数体が蒸発した。

 蒸発し損ねた魔導甲冑の一部が堀に落ち、ジュッという音を立てて水蒸気を上げる。

 二発、三発。

 続けて放たれた光芒が次々と後続の魔導兵達を蒸発させ、そのたびに魔力の光芒が包囲軍の頭の上を通り抜けていく。

 

「な・・・」

 

 望遠鏡の視界には、何が起きているかがはっきりと映っていた。

 対岸にいたドラゴンフライの一匹が、獲物を丸呑みする蛇のように関節を外して顎を大きく開く。

 次の瞬間、その口の中からあのまばゆい光芒が撃ち出されて再び数体の魔導甲冑が蒸発した。

 光芒を吐き出した個体は動かなくなり、見る間に黒く色を変えて塵のように崩れ去り、消滅する。

 

 メルボージャかヒョウエが見ていれば、召喚されたかりそめの肉体が存在し続けるための力を全てエネルギーに変えて光芒として放ったのだとわかったろう。

 だが魔導の専門家でなくともわかる事がある。歴戦の軍人なら尚更だ。

 呆然としていた将軍が顔色を変えた。

 

「非常通信! 工兵部隊作業中止! 自分たちを守るための防壁を作らせろ!」

「はっ!」

 

 即座に魔道具と心術師による通信が飛ぶ。

 やきもきする数瞬の間が過ぎ、その間にも王国の最精鋭部隊は次々と光芒の中に消えていった。

 

「・・・!」

 

 ぎり、と歯を食いしばる将軍。

 ディテク=コーミィが壊滅して、光芒の狙いが上空から水平になる。

 狙いは対岸の部隊と・・・橋をかけている工兵部隊。

 今度は数本の光芒が一度に放たれ、20mほどのところまで橋を造っていた工兵部隊と、対岸の魔導砲兵を直撃した。

 

「・・・おお!」

 

 光芒が収まり、歓声が上がった。

 壁術師の作った防壁に守られていた砲兵部隊は何とか無傷。

 水上の工兵部隊も、即座に作り上げた氷と岩の防壁で何とか難を逃れていた。

 ディテク=コーミィが文字通り命と引き替えに稼いだ時間が彼らを救ったのだ。

 

 だが即席に作っただけあって強度は足りない。

 人的被害こそなかったものの壁はほとんどが光芒によってえぐられ、場所によっては中の術師たちの顔が見えている。

 

「工兵の撤退急がせろ!」

「無理です! 間に合いません!」

 

 司令部で上がる悲鳴。

 もう一度呪文を詠唱する術師たちより、代わる代わるに光芒を吐き出す悪魔達の方が次弾は早い。

 対岸に並んだ悪魔達の喉奥に光が集まり、誰もが諦めたとき。

 

「"緑の盾"!」

 

 半透明の、かすかに光る緑色の壁が光芒を防ぎ止めた。

 光芒と防壁はしばらくの間拮抗し、やがてほとんど同時に消失する。

 壁の消えた後に立つのは褐色の肌に長い耳の戦士達・・・ズールーフの森のエルフの戦士達だ。

 呪文を詠唱するもの、矢を放つもの、槍を構えて接近戦に備えるものと様々だが、その全てが水上に立っている。

 その先頭に立つのは黄金の三叉戟と黄金の巨大な戦輪を持つ烈女。

 司令部に軽装の兵士が駆け込んでくる。

 

「伝令! サティ王太子妃殿下より、『抜け駆けご無礼、渡河を援護する』と!」

「助かった!」

 

 司令官が――今度は演技ではなく――天を仰いで安堵の息をつく。

 即座に表情を引き締め、矢継ぎ早に指令を飛ばす。

 

「架橋を継続! どの部隊でもいい、堀を越えられるものは全力で渡河し、それを援護せよ!」

「了解!」

 

 一糸乱れぬ復唱の声が司令部に響いた。




ディテク=コーミィ部隊がえらく派手な甲冑を装備してますが、これはディテクティブコミックス(社名ではなく雑誌のほう)のバットマン初出号がこのカラーリングだからです。


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10-28 黄金の風と黄金の日輪

 エルフの戦士達が水上を駆ける。

 系統魔法で"水上歩行(ウォーターウォーキング)"と呼ばれるそれは、自然と共にあるエルフの精霊魔法の力だ。

 だが悪魔達も黙って見ているわけではない。

 緑の防壁に光芒が遮られたのを見た瞬間、塵に変わった同族に変わって新たな"ドラゴンフライ"が数体前に出て、口を大きく開く。

 

 自らを構成する魔力をエネルギーに変えて撃ち出そうとしたその瞬間、黄金の光が飛来した。

 直径1mはあろうかという金色の大戦輪(グレートチャクラム)

 それが十匹近いドラゴンフライをなます切りにして、庭木とブロンズ像を巻き込んで離宮の壁にめり込んでようやく止まる。

 光芒を吐こうとしていたトカゲ悪魔達は、一瞬遅れて魔力を暴走させて大爆発を起こした。

 

 それを放ったのは人間で言えば恐らく金等級にも手の届くつわもの。

 次期族長ナタラの妃、サティ・ラジャリー・ソナハヴァリ・シーダ。

 ズールーフ最強の戦士――『黄金の烈風』と呼ばれた猛女だ。

 

「ナパティ!」

 

 離宮の敷地に駆け込み、黄金の三叉戟を縦横無尽に振るいながら、戦闘の喧騒を圧して猛女の声が響く。

 対岸にて顔を歪めるバカ息子が一人。

 

「ええい、わかっておるわ! やればいいんだろううが!」

 

 事前に満面の笑み(目が笑っていない)で『バッくれたら殺すからな(意訳)』とさんざん念押しされていた追放王子が半泣きで目を見開く。

 

火神(ボルギア)よ、その力を貸し与えよ!」

 

 大きく見開いた目に閃光が走る。

 次の瞬間、両目から猛烈な火炎の筋が二条ほとばしった。

 白くまばゆく輝くそれはまさしく火神の加護。概念の域に達した三昧(ざんまい)の真火。

 それは堀の水に命中すると水蒸気爆発を起こし、爆風と巨大な水蒸気の雲を作り上げた。

 ただし、離宮東南の角の突入口から外れた、やや西側に寄った場所だ。

 

「ハッシャ!」

「おうよ!」

 

 相方をちょっと同情のまなざしで見ていたドワーフの細工師が大きく息を吸い込み、その胸がハトのように膨らむ。

 その口から吹き出したのは風速80mの猛烈な突風。

 ただし、これでも相当加減している。

 何故なら目的は敵を吹き飛ばすことではなく――

 

「目くらましか!」

「こいつはありがたいな、大兄!」

 

 エルフ達同様、水上を走って渡っていたシロウ達が笑みをこぼす。

 水蒸気の雲は突入する彼らやモニカたちの姿をかき消し、場所をつかめなくする。

 白兵戦に入ったドラゴンフライどもにこちらに光芒を放つ余裕があったとしても、これではめくら撃ちにならざるを得ない。

 エルフ達の突入と合わせて完璧な援護であった。

 

 

 

「チェェェェインジ、ハーキュリーズスリィィィッ! 水上走行モォォォオドッ!」 

 

 一方で異常にテンションが上がっているのがイサミだ。

 コックピットという名の作業室でポーズを取ると万能移動型要塞店舗ハーキュリーズの足が折りたたまれて、キャタピラのような形状に変形する。

 水上歩行(ウォーターウォーキング)の魔力を付与されているのか、ハーキュリーズはそのまま水上を走行し始めた。

 腕の生えた家が水上を走るその姿に夫の後ろでサポートを務めるアンドロメダと、並行して飛ぶ魔導ポッド「ドルフィン」のマデレイラ、そして軍の兵士と冒険者たちが揃って名状しがたい表情になった。

 

「本当に全くもう、いくらつぎ込んだ・・・あなた! 接近する影が十数体!」

「おう、こっちでも見えてる!」

 

 周囲のモニター画面に目を走らせたアンドロメダとイサミのやりとり。

 ハーキュリーズに搭載された多数のセンサーは、ただの水蒸気の塊程度などものともしない。

 

「魔法力ビィィィムッ!」

 

 霧の壁を利用して架橋部隊と、あわよくば後方の砲兵に打撃を与えようとしていたドラゴンフライ達が数十体、ハーキュリーズの両目から放たれた光芒に薙ぎ払われて四散消滅する。

 離宮上空を旋回していた悪魔達も十数匹が巻き込まれて塵となった。

 

「あなた、司令部から通信よ。そのまま架橋部隊の前に陣取って盾になってくれって!」

「了解! 悪魔ども、思い知らせてやるぜ、ハーキュリーズの恐ろしさをなぁ~~~っ!」

 

 またしても異様にテンションを上げる夫に溜息をついた後、今度はマデレイラに通信を繋ぐ。

 モニタの中では、たった今ハーキュリーズの魔力砲から運良く逸れたドラゴンフライを一匹、人型モードとなったドルフィンが光の剣で斬り捨てたところだった。

 

「マディ、聞こえる?」

「聞こえてます、お姉様! 私はお姉様たちの援護ですね」

「私たちはここから動けないから、討ち漏らした相手はお願いね」

「任せて下さい!」

 

 敬愛する姉からの頼みにこちらもテンションを上げる眼鏡の少女。

 だがそれもつかの間、ふと不安げな影がその顔によぎる。

 

「メディ姉様・・・ヒョウエたちは大丈夫でしょうか・・・?」

「・・・」

 

 心臓をえぐり出されたヒョウエの治療を手伝っていた関係で、マデレイラも青い鎧の正体を知っている。

 尊敬の対象で恩人でもある青い鎧。

 恋慕の対象であるヒョウエ。

 その二人が同一人物であったことを、彼女はまだ自分の中で消化し切れていなかった。

 

「安心しなさい、マデレイラ。ヒョウエはサクッと片付けて戻ってくると言っていたでしょう? あれもちゃらんぽらんで無軌道なところのある子だけど、嘘をついたことはないわ」

「・・・はい」

 

 少し、マデレイラの表情が緩む。

 くすりと笑ってアンドロメダが続けた。

 

「それに私はあなたの事を応援していますからね。戻ってきたら全力でぶつかってやりなさい。いいわね?」

「・・・はいっ!」

 

 勢いよく頷いて破顔するマデレイラ。

 コクピットの魔導AIボボが両目を点滅させたが、音声は何も発しなかった。

 

 

 

「九曜顕現・日輪化身!」

 

 宙に舞ったシロウの体が一瞬光り輝き、大陸横断レースの終盤で見せた白と赤の装束になる。

 そのまま宙に留まったシロウの、額の黄金の日輪に光が集まる。

 同様に光が集まるのは、十字に組んだ光の双剣。

 

「天魔伏滅・・・大日輪無量光!」

「うおっ!?」

「なんと!」

 

 太陽のようなまばゆい光がほとばしり、閃光が視界を塗りつぶす。

 光が収まったとき、視界内のドラゴンフライは全て消滅していた。

 

「お見事! 人間にもまだまだこのようなつわものがいるのですね!」

 

 破顔するサティに目で微笑みつつ一礼。

 

「あやつらのような異界の魔と対すべく、磨いてきた業ですから。とは言え・・・」

「ですね」

 

 表情を戻し、右手の三叉戟を握り直す。左手を伸ばすと離宮の壁に半ばまでめり込んだ黄金の大戦輪が手元に戻ってきた。

 それと同時に現れたのは無数のドラゴンフライの群れ。

 離宮の中から、建物の影から、どこに隠れていたのだと思うほどの大量の悪魔が現れる。

 

「あの術は後何度?」

「二度か三度が限界ですね」

「ではいざというときのために温存しておきましょう。まずは時間をかけてでもこやつらを確実にここで殲滅することです」

 

 サティとシロウが頷き合う。

 烈女の左手首で、ゆっくりと黄金の大戦輪が回り始めた。



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10-29 転移

 境界を越えて十分ほど降りると斜め下に伸びた穴が終わり、100mほどの広い空間に出る。

 

「ここが・・・」

「うむ。"黄金の迷宮"じゃな」

「ああ、思い出すぜ。この空気だよこの空気」

 

 苦い過去を思い出しているのだろう、サーベージが顔をしかめる。

 一方でメルボージャ、セーナやミトリカと言った高い魔力を持つもの以外は一様に顔をこわばらせていた。額に汗を浮かべているものもいる。

 

「おいおいなんだこりゃ・・・魔力が濃密な霧みたいになってんぞ」

 

 その中でも一際大きな汗を浮かべているのがモリィ。

 メルボージャが振り向いて頷いた。

 

「やはりお主の《目の加護》は強力じゃの。

 しかり、前にも言うたがこの迷宮の大気中の魔力はとんでもなく濃い。

 それ故に生息するモンスターも圧倒的に強いのじゃ」

「にしては地上に出て来たモンスターは・・・あ、地上や"保養地"の魔力濃度でも生きていける程度のモンスターだから地上に出て来たって事か」

「そういうことじゃ」

 

 リアスが剣を構えながら周囲を油断なく見回す。

 

「モンスターの気配を感じないのもそういうことですの?」

「だろうね。ボクの記憶が正しければ、ここは黄金の迷宮でも最上層部だ。元から比較的弱いモンスターしかいなかったんだろうさ」

「比較的、ね」

 

 黒等級相当のシロウ達や、特務機関の精鋭であるディグ達を含めた緑等級冒険者数十人と駐留軍の奮戦、それにヒョウエの支援呪文とモリィの雷光銃があってようやく撃退できたモンスターの群れを思い起こしてヒョウエやカスミが苦笑する。

 

「まあ黒等級一箱で撃退できるなら、この迷宮では雑魚の部類だろぉな」

「雑魚でない連中を数匹ならともかく数十匹相手にするのはいささかつらそうですわね」

「ったりめえだ。オレだって一人じゃ死にそうになる相手だぞ? おめえなんざまだまだよ」

「道半ばですわね」

 

 師匠のにべもない言葉に、それでもリアスが微笑んで頷く。

 求道者のたぐいによくいる、修行や努力を全く苦にしないタイプなのが彼女だ。

 

「まあモンスターがおらぬなら丁度よい。アルテナ、頼むぞ」

「うむ! わらわの力、見せてくりょうぞ!」

 

 えっへんと胸を張るアルテナ。

 ヒョウエが真剣な顔で頷いた。

 

「・・・」

 

 周囲も真剣な表情で見つめる中、目を閉じて集中する。

 

「すうー・・・はぁー・・・」

 

 深呼吸と共にアルテナの魔力が高まる。

 魔力を感じられる面々が特に注視する中、最後の数瞬一気に高まる魔力。

 

「!」

「!?」

 

 メルボージャ、セーナ、ヒョウエ、ミトリカの顔色が変わる。

 次の瞬間、一同の姿は洞窟の中から消えていた。

 

 

 

「おいババァ、どういう事だ!?

 他の連中が消えちまったぞ!」

「黙っとれ、今考えとんのじゃ」

 

 どことも知れぬ洞窟の中。

 常人ならば吐くほどの魔力濃度がかろうじてここが黄金の迷宮と教えてくれる。

 その中に二人たたずんでいるのはサーベージとメルボージャ。

 普段は城壁より厚い面の皮を誇るサーベージの顔に、今は僅かな焦りの色があった。

 

「・・・やはりクリスめの仕掛けじゃろうな。最後の瞬間に何らかの干渉を受けた。恐らくはそれだと思うが、今となってはわからん」

「バラバラに飛ばされたってことか。他の連中の場所はわかんねえのか?」

「ここは魔力濃度が濃くて、本体ですら限界があると言うたじゃろうが」

「・・・」

「・・・」

 

 瞑目して念じるメルボージャ、無言で周囲を警戒するサーベージ。その手は無意識のうちに腰の刀の鯉口を切っている。

 しばしの間を置いてメルボージャが目を開いた。

 

「それでも一組は見つけた。これは・・・片方はセーナじゃな。もう片方は恐らく人間の誰かじゃろうが、よくはわからん。少なくともミトリカではないし、ヒョウエやアルテナでもない」

「ちっ、その二人が一番重要だろうに」

「文句はクリスに言え。取りあえずセーナ達と合流じゃな」

「おう」

 

 頷きつつ、無造作に抜刀する。

 その視線の先の通路からは、重い足音と強烈な敵意。

 恐れる風でもなく、二人は無造作にそちらへ歩き出す。

 どのような怪物であろうと、この二人が揃っている限り毛ほどの傷もつけられぬだろうと思える姿だった。

 

 

 

 対してこちらは別の洞穴。

 白い甲冑を身につけた凛々しいサムライが、いつにもなくおろおろしていた。

 

「なんてこと、カスミと離れてしまうなんて・・・! ああ、カスミ、大丈夫かしら・・・一人で心細くて泣いてはいないかしら」

「カスミは一人でも大丈夫だろ。むしろほっといたら危なっかしいのはリアスじゃねーか?」

「なんですって!」

 

 にしし、と笑うのはミトリカ。

 大人げなくそれに噛みつくのはリアス。

 しばらく二人はにらみ合っていたが、どちらからともなく視線を外して戦闘態勢に入った。

 

「お、鋭いじゃねーか、人間のくせに」

「あなたも鋭いですわよ、ピクシーのおちびさんにしては」

 

 ふふっ、と互いに笑みを浮かべる。

 その視線の先には、類人猿のような前傾姿勢をとった、二足歩行のトカゲ人間の群れ。身長は、直立すれば3mには届くだろう。

 腕が長く、いざとなれば熊のように四足走行もするのだろうと思われるが、ここにいる二人にそれ以上を察する知識はない。

 

「支援術とかは使えるんですの?」

「んにゃ、ブッ飛ばすだけ。眠りの術とか幻術は使えなくもねーけどな」

「まあ余り効きそうにないですし、それでいいでしょう。では互いの邪魔をしないようにと言うことで」

「オッケー!」

 

 次の瞬間、白きサムライと蓮っ葉な妖精は、共に閃光となって敵の群れに突っ込んでいった。

 

 

 

 闇の中、明かりもつけずにモリィとティカーリが歩いている。

 双方夜目が利くうえに腕利きの狩人であり、気配も足音もほとんど感じさせない。

 恐らく並の人間では、目の前を通ったとしても察知できないだろう。

 

「!」

 

 先頭を歩くモリィがぴたりと止まり、ゼスチャーで後ろのティカーリにも止まるよう合図する。

 止まったティカーリに今度は足元を指し示すが、何のことかわからず彼女は首を振った。

 モリィが少し意外そうな顔をして、耳元で囁く。

 

「足跡だよ。人間の靴跡だ。モンスターじゃねえ」

「・・・」

 

 言われたティカーリがかがんでその辺を凝視するが、やはり何も見てとることは出来なかった。

 

「ダメか。エルフならわかるかと思ったんだけどよ」

「モリィさんの《目の加護》は凄すぎるんですよ。感覚強化は私余り得意じゃありませんし・・・セーナやミトリカちゃんくらいじゃないと」

「そういうもんか」

 

 セーナは魔法は基本得意ではないが、弓矢に魔力を込めるのと感覚器を含めて肉体を強化するのは例外的に得手としている。エルフの基準でも上位の魔力の持ち主であり、その魔力量に任せた強化はかなりのものだ。

 突然変異体であるドータボルカスであり、元から魔術の得意なミトリカは言うまでもない。

 

「んじゃま、この足跡を追っていこうぜ。サイズからしてカスミかジジイ以外の誰かだが、岩肌じゃそれ以上はちょっとわかんねーな」

「そうですね」

「ああそれと」

「?」

 

 首をかしげたティカーリに、ニヤッと笑ってみせる。

 

「モリィでいいよ。少なくとも今だけは相棒(バディ)だ。タメ口で行こうぜ」

「・・・そうだね、わかったよモリィ」

 

 闇の中で笑みを交わし、二人は再び歩き始めた。




修行や努力を全く苦にしないと聞いて最初に思い浮かぶのがカミタマン。
後年歌ってたのが田中真弓本人と気付いて目を丸くした。
85年の作品ですが、当時から歌うまかったんだなあ・・・

後ばらける面々は実はサイコロで決めたのですが、サーベージとメルボージャは綺麗に同じ目を出して二人道行きと相成りました。
リアス-カスミやセーナ-ティカーリ-ミトリカもばらけたのに何と言う絆の強さかw(腐れ縁とも言う)


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10-30 一番駄目な奴

 転移の衝撃から立ち直ると同時に、サフィアが素早く"探偵(ショルメス)"のペルソナをかぶり、油断なく周囲を警戒する。

 ヒョウエも念響探知(サイコキネティックロケーション)を試そうかと思ったが、やめておいた。

 あれは潜水艦のアクティブソナーと同じで、周囲の状況を判断出来はするが、鋭い相手ならほぼ100%気付かれてしまう欠点がある。

 同様の理由で魔法の明かりもつけない。

 

「ふむ。近くにはモンスターはおらんようじゃな」

「みたいだね」

 

 アルテナの言葉にサフィアが頷く。

 今この場にいるのはヒョウエとこの二人だけだった。

 ヒョウエが呪文を唱え、魔法の明かりが周囲を照らす。

 

「何が起きたんだろう? 何か魔法の干渉を受けた感じだったけど・・・」

「そんなところじゃな。迷宮の構造を知覚して、最下層に転移しようとした瞬間に何か、がつんと来たのじゃ」

「恐らくはクリス先生が仕掛けたトラップですね。警備兵を置いておくことは出来なくても、見張りと転移封じの罠だけはきっちり設置してたわけだ」

 

 おほほほほ、と高笑いをするクリスのイメージと、キャハハハハと甲高い笑い声を上げるダー・シのイメージが同時にヒョウエの脳裏によぎる。

 

(ええい、うるさい)

 

 首を振って高笑いの二重奏を脳裏から追い払うと、サフィアとアルテナがこちらを見ていた。

 

「何です?」

「ああ、これからのことだけど・・・っ!」

 

 いきなりサフィアが両手で口元をふさいで顔を背ける。

 その頬が真っ赤だ。

 

「あー・・・」

「・・・」

 

 こちらも僅かに頬を染めて頬をかくヒョウエ。

 しばしいたたまれない沈黙が続く。

 

「やれやれ」

 

 溜息をついたのはアルテナ。

 

「サフィアはヒョウエが好きで、ヒョウエもサフィアを憎からず思っておる。それでいいではないか。何故いちいち恥ずかしがる? 無駄な事をする暇があったら交尾してくれと頼めばよいではないか」

「アルテナーッ!?」

 

 顔を真っ赤にしたサフィアの絶叫が響く。

 

「ええいうるさい。怒鳴るでないわ。時と場合を考えよ!」

「キミが言うかなそれを!? 後女の子がそう言うこと言うの禁止!」

 

 けろりとした顔で文句をつけるアルテナに、更にサフィアが突っ込む。

 その顔はもはや熟れすぎたトマトよりも赤い。

 

「どうどうどう。サフィアさん、お気持ちはわかりますが抑えて抑えて。どこからモンスターが聞きつけるかわからないんですから」

「む、むむむ」

 

 苦笑するヒョウエにたしなめられ、サフィアは何とか自制を取り戻したようだった。

 それを確認してアルテナの方を振り向く。

 

「あのですね、確かに無駄ですが人間というのはその無駄が必要な生き物なんです。一見無駄に見えるのは、本当に重要なことに備えるためのリソースの予備なんですよ。

 そういう意味では完璧で無駄のない生き物である龍とは正反対というか」

「ふーむ」

 

 ちょっと考え込んでヒョウエの顔を見上げるアルテナ。

 

「じゃがこの件に関してはお主が一番悪いのではないか?」

「何で僕が?」

 

 思わず眉を寄せる。

 

「リーザにしろモリィにしろその他のメスどもにしろ、一人に決めるなり全員とつがうなり、さっさと決めればサフィアが気をもむこともなかろう。

 だいたい、お主は誰が一番なのじゃ。そこをはっきりせんから問題が起きるのではないか?」

「むう」

 

 淡々と、そして無遠慮にグイグイ追求してくる金髪の幼女にヒョウエが口ごもる。

 

「うーん・・・前にも聞かれたような気がしますが、リーザなりモリィなりと一緒にいるのは楽しいですけど、それより本を読んでいるのが楽しいというか」

「なるほど、お主が一番駄目な奴じゃと言うことはよーくわかった」

「ぐっ」

 

 全く手心のない言葉の一撃がヒョウエを痛打する。

 さんざん父親やサナに説教されて自覚があるだけに言い返せない。

 がっくりとヒョウエが肩を落とし、サフィアが苦笑しつつ後頭部を撫でてやっていた。

 閑話休題(いたくなければおぼえませぬ)

 

 

 

「で、どっちからどこへ行くのじゃ。何ならわらわが最下層へ転移させてやってもよいが」

「「それはなしで」」

「む」

 

 ヒョウエとサフィア、二人の声がハモった。

 取りあえず色恋沙汰のあれこれは脇に置いて冷静さを取り戻している。

 「これが終わったら話があるからね」と真顔で言われてヒョウエがちょっと顔を引きつらせていたが些細な問題だ。

 それはそれとして口を揃えて否定されたアルテナは面白く無さそうな顔をしていた。

 

「なんでじゃ? 力はありあまっておるぞ。今度は大丈夫じゃ!」

「いやまあ力は余ってるでしょうけど大丈夫かどうかは・・・力はまだしも技術でアルテナがクリス先生に勝てるとは思えないしなあ・・・」

「そうだね。さすがにこの状況で更にばらけるのは御免蒙りたい。君たちはこの作戦のキーパーソンだから尚更ね」

 

 冷静さを取り戻したサフィアの頭はいつもの回転を取り戻している。

 そしてその脳裏で改めて決心することが一つ。

 

(二人を何としてでも目的地まで連れて行かなくてはならない。場合によってはボクの命と引き替えにしてでも)

 

「サフィアさん?」

「ん、なんだい?」

 

 少年を見下ろすサフィアの笑顔。一瞬間が開く。

 

「いえ別に。ともかくここは中層、3-59の玄室かと思いますけどどうでしょう」

「うん、ボクもそう思う」

 

 僅かな時間で迷宮のマップを全て暗記した二人が、その記憶を確認し合い、頷きをかわす。

 "学者(スカラー)""探偵(ショルメス)"という知力特化の仮面(ペルソナ)を持つサフィアはまだしも、ヒョウエがそれをやるのは"賢き魔術師(ウィザード)"の面目躍如。

 

「ここから最短距離で水晶の間に通じる封印の扉に向かうって事でいいかな?」

「あらかじめそう決めてますしね。一応"失せもの探し(センス・ロケーション)"を使ってはみますが。アルテナもそれでいいね?」

「無論じゃ」

 

 少女が頷いたのを確認して術を発動する。

 待つことしばし。

 

「・・・どうじゃった?」

 

 アルテナの問いに首を振るヒョウエ。

 

「やっぱりダメですね。霧の中で音を聞くような感じです。

 そっちの方にいるような気はするんですけど、場所や方向がまるでわからないと言うか」

「アルテナのダンジョンマスター権限でそのへんはわからないのかい?」

「うーむ、どうかのう? 何か出来そうな気がせぬが」

 

 しばらく精神集中するが、やはり首を振る幼女。

 

「やはりだめじゃ。どうもぼんやりしてよくわからん」

「アルテナの場合、厳密に僕と同じダンジョンマスター権限があるとは限りませんからね。

 後、ダンジョンから生まれたモンスターは感知しやすいんですけど、中にいる人間とかは感知するのにちょっと熟練が必要だったりします」

「へええ」

「なるほどのー」

 

 ヒョウエのうんちくにちょっと感心する青銀髪の麗人と金髪の幼女。

 ややあって、三人がまじめな顔に戻る。

 

「それでは行きますか。僕が後衛、サフィアさんが前衛、アルテナが真ん中。サフィアさんには消耗少なめの強化(バフ)呪文もかけておきましょう」

「お願いするよ」

 

 頷きあい、手早く術をかけてからヒョウエたちは最下層に向かって歩き出した。



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10-31 知識チート俺TUEE

「そう言えば、アルテナくんは世界と世界の間を移動できるんじゃなかったっけ?

 その力でどうにか突破できないのかい?」

 

 広い洞窟を降りている途中、ふとサフィアがそんなことを言い出した。

 

「ふんっ」

 

 これだからもののわかっておらぬ人間は、とでも言いたげにアルテナが鼻を鳴らし、ヒョウエが苦笑しながら頭を撫でてやった。

 

「探知魔法が効かない理由と同じですよ。魔力の霧が濃すぎるんです。やろうと思えば勿論やれますけど、目を閉じてジャンプするようなことになってしまいますね」

「なるほどなあ」

 

 溜息と共にサフィアが口を閉じ、それからしばらく沈黙が続いた。

 

 

 

 ヒョウエのともす明かりの中、気持ち程度の忍び足で三人が歩く。

 "探偵"の仮面をかぶるサフィアはもちろん忍び足の玄人だし、ヒョウエも心得はある。アルテナも意外に様になっていた。

 

「!」

 

 サフィアの体に緊張が走る。僅かに遅れてヒョウエとアルテナもそれに続いた。

 

「ええとこの先は・・・」

「二又になってます。4-27に通じる通路がいいかと思いますが!」

「よしそれで!」

 

 短く言葉を交わしてサフィアとヒョウエが走り出す。

 間に挟まれたアルテナも無言でそれに続いた。

 

 僅かに間を置いて重い震動がこのパーティを追いかけて来た。

 それはあっという間に距離を詰め、闇の奥から聞こえる重い足音からぼんやりとした影になり、更にヒョウエの明かりの中に明白な姿を現す。

 

暴君竜(ティラノサウルス・レックス)!」

 

 咆哮が轟く。

 明かりの中に見えた人間の十倍ほどの巨躯は、確かにヒョウエの前世で史上最強の肉食恐竜と呼ばれたそれに酷似していた。

 

 

 

「ティラノサウルス!? なんだいそれ!」

「ニホンというか向こうの世界にいた巨大なトカゲですよ! 六千万年くらい前に絶滅しましたけどね!」

「なんじゃ、軟弱じゃのう。竜の風上にもおけんわ!」

「直径10キロの岩が天から降ってきたらそうも言ってられないんじゃないかな!」

 

 会話を打ち消すように咆哮が轟いた。

 "加速(スピード)"の術をかけ、全力で逃走しながらの会話である。意外に余裕がある。

 もっとも、その余裕も3秒後には消失した。

 

(あ、やばい)

 

 ティラノサウルス型亜竜――もっとも、サイズは本物のティラノサウルスの1.5倍くらいはあるが――の牙がガチガチと打ち合わされ、火花が散る。

 ヒョウエの背筋に戦慄が走るのと、暴君竜が大きく息を吸い込むのが同時。

 

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"!」

 

 咄嗟に杖を地面に突いて術を発動するのと、竜の口から着火された高濃度の可燃性ガスが吐き出されるのが同時。

 ヒョウエたちを焼き尽くすかに見えた火炎は、一瞬早く屹立した岩壁に遮られた。

 次の瞬間、地面が震動した。洞窟を天井まで塞いだ岩壁に、亜竜の巨体が激突したのだろう。

 

「ふう、助かった」

 

 三人が足を止めて大きく息をつく。

 緑等級から黒等級の超人的冒険者と、未熟とは言え真龍の化身であるアルテナだが、それでも走り詰めは流石に疲れる。何とか息を整えようとして、再び岩壁に衝撃が走った。

 

「・・・」

 

 ヒョウエのこめかみに冷や汗が浮かび、身を翻して走り始める。

 

「逃げますよ!」

「え、あ、わかった!」

「うむ!」

 

 あっけにとられながらも、サフィアとアルテナがその後に続く。

 次の瞬間、三度目の衝撃が響いたかと思うと岩壁を突き破って暴君竜が姿を現した。

 

「・・・!」

 

 ものも言わずに速度を上げるヒョウエたち。

 追いかけっこが再開された。

 

 

 

 怒りの咆哮が轟く。

 緑等級以上の身体能力を誇る上で"加速(スピード)"の術がかかっている三人だが、それでも歩幅がまるで違う。

 走りながら術を構築して追いつかれては岩壁、追いつかれては岩壁の繰り返し。

 走りながらサフィアが叫ぶ。その息が流石に荒い。

 

「ああもう、モンスターと戦ってる暇なんかないのに! ヒョウエくん、金剛石(ダイヤモンド)の壁とか立てられないかい!?」

「ダイヤモンドは燃えますから、下手すると一瞬も足止めできずに追いつかれますよ!

 後"物質変形(シェイプ・マテリアル)"に"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"を重ねないといけないので、その間に壁にヒビくらい入ります!」

「役に立たんやつじゃのう。オリジナル冒険者なら《加護》が無くなっても『ちしきちーと』とやらでどうにかならんのか」

「心に刺さる提言ありがとうございます。ダイヤモンドはわかりやすいんだけど、ロンズデーライトの分子構造とか覚えておけばよかったなあ・・・!」

 

 どこで覚えたのか、変な言葉を振り回してくるアルテナに苦笑。

 ロンズデーライト。ダイヤモンドと同じ炭素同位体だが分子結合の形状が違う。

 「硬度10#」などとも言われるが硬度は約6割増。ダイヤと違って衝撃にも強く、高熱で生成されるので火炎にも多少は強い(はず)。

 「六方晶ダイヤモンド」という単語は覚えているので実験を繰り返せば再現できたかも知れないが、目の前の白亜紀の生き残りが悠長に待ってくれるとも思えない。

 

「大体ロンズデーライトでも、"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"を重ねなきゃいけないのは・・・あ!」

 

 何かに気付いた顔になったヒョウエが、走りながら術の構成を編み始める。サフィアも構成からして先ほどまでと同じ"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"だとは思ったが、微妙にどこか違う気がした。

 そして追いつかれかけたところに再び壁が立つ。

 衝撃。また衝撃。そして更に衝撃。

 

「・・・?」

 

 走りながら後ろを振り向く。

 今までなら三回ほどで崩壊していた壁は、まだヒビも入っていなかった。

 

「少しペースを落としていいですよ。あれはそう簡単には壊せません」

 

 全力疾走を小走り程度に落とし、それでも距離を稼ぎながら会話を交わす。

 

「今度の壁は何をやったんだい? 先ほどまでに比べてかなり奥行きが広い・・・でもそれだけじゃないよね。壁が生成されるときに、中がスポンジケーキみたいに穴だらけだったように見えるけど」

「おや」

 

 ヒョウエが目を丸くする。

 

「あの一瞬でよくそこまで見て取れましたね。さすが犯罪と戦うもの(クライムファイター)

「お褒めにあずかり恐悦至極。観察力は探偵の基本だからね。それで、何が違うんだい? 中が隙間だらけなら、軽石みたいに砕かれそうなものだけど」

 

 ヒョウエがニヤッと笑ってちょっと得意げに語り出す。

 

「そこがオリジナル冒険者族の知識チートってやつでして。

 あれは単なる空洞じゃないんですよ。六角形を無数に組み合わせた小さな壁を中に並べて強度を高めているんです。もっと正確に言えば六角形の層と薄板の層を何十層も重ねてるみたいな」

「六角形・・・蜂の巣みたいな?」

「まさに。僕の世界ではあれを"蜂の巣(ハニカム)"構造と呼んでいまして。正確に六角形を作ることが出来れば強度を飛躍的に上げることが出来ます。

 加えて中空がありますから、その分壁自体の厚みを増すことが出来ます。二重に強度が上がってるわけですね」

「なるほどねー」

「ほほう。よくわからんが凄いのじゃな。ほめてつかわす」

 

 サフィアは素直に感心し、アルテナが無駄にえらそうに頷く。

 

「ハイハイありがとうございますアルテナ様」

 

 くすくすと笑ってそれを流すヒョウエ。

 後ろの地響きは、いつの間にか聞こえなくなっていた。



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10-32 「しかづの」と打ち込んでも変換されないけど「かづの」と打ち込むと「鹿角」と出てくる

 その後もヒョウエたちの一行(パーティ)は様々な危険に遭遇した。

 差し渡し10キロにもなるだろう広大な空間にたむろう飛竜(ワイヴァーン)の群れ。

 その数数千匹、加えて地上で見る同族の三倍、15mくらいはある。

 透明化で避けてすれ違おうとしたが、臭いで気付かれそうになったので悪臭物質をまき散らして逃走した。ワイヴァーン達からすればいきなりスカンクに屁を引っかけられたようなもので、とんだ災難だったろう。

 

 

 

 通路を塞ぐ黒い魔力の渦。

 触れればまともな物質は無事では済まない。術式でさえもだ。

 しかも後ろからはやはり10mはあろうかという毒のブレスを吐く巨大コモドドラゴンの群れ。

 "物質分解(ディスインテグレイト)"で人一人が潜れるくらいの縦穴を掘り、素早く入り口を塞いで遠回りしながら迂回路を掘って通り抜けた。

 

 

 

 底なしの谷に黄金の鱗を持つ東洋龍、天龍(ティエン・ルン)の群れが無数に舞っていたときは立ちくらみを起こして思わず顔を覆った。

 アルテナに竜になってもらい、天龍の嫌う鉄錆の粉を周囲にばらまいて何とか突破した。

 錆の粉を周囲にばらまくのはサフィアのアイデアだ。

 ヒョウエも聞いたことがなかったが、"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"で作った鉄錆の粉を念動で周囲に浮かせると、確かに天龍は嫌がって近づいてこなかった。

 

「マネージャーが現役の時にそれで危地を脱したらしくてね。それ以降"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"では『ドラゴンと会ったときのために鉄錆の粉をお守り代わりに持っていけ』って言われるらしいよ」

「へえええええ」

『わらわは別に平気なんじゃがのう?』

 

 龍に変じたアルテナが真の言葉で首をかしげる。

 

「ニホンでもあのタイプの龍は鉄の矢を嫌うという伝承がありますからね。何か種類によって好き嫌いがあるのかも。しかし、サフィアさんは本当に博識ですね」

「いやあ、キミには負けるさ」

「まあ僕は生まれた時から王宮の書庫に入り浸っていたようなものですし」

「らしいね。書庫から出てこなくて困ってる、ってサナから愚痴を聞かされたことがあるよ」

「おっとと」

 

 くすくす笑うサフィア。

 ヤブヘビになってしまったヒョウエが思わず首をすくめた。

 

『やはりヒョウエはダメ人間じゃの』

「はいそこ黙って飛ぶ」

 

 

 

 その後も竜人(ドラコニュート)獣龍(タラスク)、ドラゴンタートルと言ったモンスターの襲撃、亜竜の骨がうずたかく積み上がった洞窟(魔力濃度が濃すぎてサフィアが血を吐いた)、知恵を持つ龍との謎かけ勝負などを乗り越えて一行は迷宮深くへ進む。

 龍の糞で天井まで塞がれた玄室に出くわしたときには、引き返そうとするアルテナを二人がかりで説得するのにいい加減無駄な時間を使った。

 

「しかし、あの龍の糞、出来れば持って帰りたかったですねえ」

「あーそうだね」

 

 ヒョウエの物質分解と浮遊の術で龍の糞の山を乗り越えた二人が残念そうに言葉を交わす。アルテナがもの凄く嫌そうな顔になった。

 

「何じゃお前ら、そんな趣味があったのか? 人間は不可解な事をするが・・・糞を顔に塗りたくるならわらわには近づくなよ」

「しないよ!?」

「しませんよ! ・・・龍の糞って色々貴重な薬や魔道具の原料になるんですよ。まあ化粧品にもなりますが。血が薄まって力衰えたとは言え龍ですからね。成分も含有魔力も、そこら辺に転がってるようなものじゃありません。

 あれ全部回収できれば、僕の借金も大半返せますよ」

「ふむ。ではわらわのおしっこを飲ませれば病気が治ったりするのかの?」

 

 ヒョウエとサフィアが同時に吹き出した。

 

「アルテナーっ!」

「だから女の子がそう言うこと言っちゃダメだって!」 

「じゃがそういうことであろう?」

「まあ違いませんけどね!?」

 

 実際には直だとむしろ成分が濃すぎて人間が飲んだら即死するだろう。

 西遊記では、龍馬のおしっこで王様の病気を治す薬を作ったりしているが・・・

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「ヒョウエくんっ!」

 

 いきなりサフィアがヒョウエを突き飛ばした。

 危ない、と言おうとしたのであろうか。その口が何かを伝えようと動いて、次の瞬間背中が大きく切り裂かれ左腕が切り飛ばされた。

 

「サフィアさん!」

「サフィア!」

 

 咄嗟に念動でサフィアの体を引き寄せ、同時に後ろに跳ぶ。

 アルテナも同時に跳んでいた。

 

「!」

 

 咄嗟に張った念動障壁の表面に再び斬撃。

 経絡一つ分とは言えヒョウエの念動障壁を苦もなく切り裂いたそれはギリギリでサフィアの首筋をかすめ、青銀の髪を宙に数本舞わせた。

 

「"オーラ感知(センス・オーラ)"! "魔力解析(アナライズ・マジック)"!」

 

 着地と同時に術を発動。同じタイミングで、ヒョウエとサフィアを守るようにアルテナが一歩前に出る。

 術によって拡張された視界の中で、人型の何かが身じろぎするのがわかった。

 

「・・・」

 

 一瞬迷った後、人型は透明化を解いた。

 そこに現れたのは、一見すると高級そうな毛皮の上着を纏った貴族らしき男性。

 ただし頭部からは鹿のような枝分かれした鋭い角が二本生えており、よく見ると毛皮もところどころで肉体と一体化している。

 特徴はないものの禍々しい気配を放つ剣を二本、両手に握っていた。

 

「やれやれ、完璧な奇襲のつもりだったんだがな。人間とは言え大したものだよ、そちらのお嬢さんは」

 

 男が口を開いた。ワイルドだが親しみやすく、気品を感じさせる風貌。

 しかしその目は人のものではない。

 

「悪魔ですね・・・かなり上位の。イナ・イーナ・ボーインやヴェヴィスと互角・・・いや、少し上か」

「イナ・イーナ・・・ああ、アナクトミクのことか? レースの時におまえたちにやられた」

 

 サフィアの応急処置をしつつヒョウエが頷くと、悪魔は肩をすくめた。

 

「まあ大体あってる。ただヴェヴィスの奴は裏方や黒幕としちゃあ優れてたが、直接戦闘はからっきしだったからな。楽屋に踏み込まれた時点で負けてたさ」

「そんな気はしてました」

 

 心臓ありとは言えヒョウエが全力を出した途端に瞬殺されたエセ紳士を思い起こして、再びヒョウエが頷く。同時に応急処置が終わった。だがあくまで応急処置だ。本格的に治癒術をかけないと衰弱死する恐れがある。

 意識を失ったサフィアの体からは力が抜け、本当に人間の体かと思うほどにぐにゃりとしている。呼吸も弱く、心なしか体温も低い。

 

「早くケリを付けて治療を始めないと・・・と思ってるな? させねぇよ! 貴様らの首、このル・ユフルが取る!」

「!」

 

 双剣を竜巻のように振り回し、鹿の悪魔ル・ユフルが襲いかかる。

 

「させん!」

「ぬっ?!」

 

 迎撃に飛び出すアルテナ。

 石と金属を強くぶつけたような音がした。




鹿角(かづの)市は秋田県にある市。
今回の話とは全く関係ありませんが。

「アナクトミク」はイナ・イーナ・ボーインのモデルであるイッパツマンのコン・コルドー会長を演じた肝付兼太氏の名前をローマ字表記にしてひっくり返してアナグラムしたものです。


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10-33 自称緑等級術師の力

 武器と生身の腕がぶつかったとは思えないような衝撃音が響いた後、悪魔ル・ユフルが飛び退った。

 ヒョウエたちの前に立ちはだかるように立つアルテナ。

 その右腕は皮一枚切り裂かれ、僅かに血がにじんでいた。

 

「さすが幼体とは言え始祖の黄金龍の娘だ。人間の姿でもかてぇかてぇ」

「・・・」

 

 軽口を叩く鹿角の男に対し、金髪の幼女は無言。

 腕の傷痕をぺろりとなめる。

 

「どうだい、龍の姿に戻っちゃあ? それなら俺に勝てるかもしれねえぜ」

「・・・」

 

 挑発にも無言。

 後ろから僅かに心配そうな声がかかる。

 

「アルテナ?」

「案ずるな。踊らされはせぬ。こやつ、今のわらわの龍の姿では勝てぬ。根拠はないがな」

 

 双剣の悪魔からは目を離さない。

 後ろでヒョウエが頷く気配がした。

 念動の術でサフィアの左腕が引き寄せられ、アルテナの視界の外に消える。

 目の前の悪魔からは目を離さない。

 にやり、と男が笑った。

 

「鋭いな。面倒くさいことこの上ないぜ・・・っと!」

 

 火花が散った。

 今度はアルテナの方から踏み込んでいる。

 両手の指先から生えたカギ爪を、悪魔の双剣が払う。

 同時にヒョウエの呪文が走った。

 

「"筋力強化(ストレンクス)"! "敏捷強化(アギリティ)"!」

「うおっ!?」

 

 力強さと素早さを増したアルテナの爪に、ル・ユフルが僅かに狼狽する。

 

「"加速(スピード)"! "武器強化(エンチャント・ウェポン)"!」

「・・・!」

 

 矢継ぎ早に投げかけられる支援呪文。

 水晶の心臓の七つの魔力経絡を失っても、通常の発動と高速発動を併用して一息で2つの呪文を投げかける。達人にしか成し得ないはずの業を当然のように操るヒョウエに、鹿角の悪魔が顔をこわばらせた。

 

「"生命力賦活(ライフ・リーンフォースメント)"! "(アーマー)"!」

「・・・ぐぐっ!」

 

 敵の攻撃と身のこなしは鋭くなり、逆に自分の攻撃は当たっても弾かれる。

 それが更に(アルテナ)の攻撃を大胆なものとし、圧力を増やす。

 たまらずル・ユフルは再度バックステップして距離をとった。

 

「ちっ・・・心臓さえなけりゃ並の術師なんて言ってたが、こいつ全然やるじゃねえかクリスさんよぉ・・・!」

 

 そのこめかみには冷や汗と、アルテナの爪がかすった傷痕。

 身にまとう毛皮や衣裳にも、いくらかの裂け目がある。

 対するアルテナは無傷。最初に負った浅手も、既にヒョウエの呪文によって治療されている。

 ふっ、と金髪の幼女が優越感に溢れた笑みをこぼす。

 

「当然じゃ。ヒョウエはわらわを救い出した勇者ぞ。貴様やあの紫の女男なぞに計れるものか!」

「お褒めにあずかり恐悦至極。後全然やる、は文法的に間違ってると思いますよ」

 

 苦笑するヒョウエ。その間にもサフィアの治療の手は休めない。敵への挑発もだ。

 ル・ユフルが舌打ちした。その顔から当初の余裕は消え去っている。

 

「ならこれを喰らって無事かどうか、確かめてやるよ!」

 

 その言葉と共に額の鹿角に電光が走った。

 バチバチと音を立てるそれは、見る間にまばゆい雷光の塊になる。

 

「このっ!」

「甘ぇっ!」

 

 アルテナが襲いかかるが、雷光のチャージ以外防御に徹したル・ユフルを崩しきれない。

 一方ヒョウエが取りだしたのは"暗黒の星(Rahu)"の金属球。魔力を吸収・中和する暗黒の球を生み出して、敵の魔法攻撃を打ち消す術式の刻まれた球だ。

 鹿角の悪魔がニヤリと笑う。その角にわだかまる雷光は、もはや正視も出来ぬほどに輝きを強めている。

 

「その球ッコロについては教えて貰ったがなあ、注ぐ魔力に応じた出力しか出せねえっていうじゃねえか。

 心臓をえぐり出される前ならともかく、今のてめぇは魔力量自体は大した事はねえ。それで俺の全力の雷撃は防げるか!?」

「この・・・倒れよ!」

「できねえ相談だ!」

 

 アルテナの激しいラッシュ。それでもル・ユフルは致命傷だけは避けて雷撃を放つチャンスを窺う。

 その顔には絶対の自信。

 黄金の龍であるアルテナには効かずとも、もう一人のキーパースンであるヒョウエを屠るだけの威力。自らの切り札に対する自負と自信。

 真剣な顔で魔力を練り、金属球に注ぐヒョウエ。こうなれば、もはや単純な力勝負だ。

 限界を超えて魔力を練れば、今胸の中にある人工心臓がどうなるかはわからない。

 

 脳が精神の源であるように心臓は生命の源。つまり魔力の源だ。

 いかにメルボージャ謹製の魔道具とは言え、全力の魔術行使に耐えられる保証はない。

 アルテナの捨て身の全力攻撃もむなしく、雷光の輝きがついに頂点に達する。

 ヒョウエは体の魔力を全て金属球に注ぎ込もうとして。

 

「・・・あ」

 

 何かに気付いたかのように、口がぽかんと開いた。

 その直後、鹿角の悪魔の咆哮が轟く。

 

雷撞枝角(ライトニング・ホーン)!」

 

 まばゆい雷光が、広い洞穴を真昼のように照らし出した。

 

 

 

 雷光が収まり、洞窟に元の暗さが戻ってくる。

 任務の達成を確信したル・ユフルはニヤリと笑い。

 次にその表情が驚愕に大きく崩れた。

 

「馬鹿・・・な・・・」

 

 中空に浮くのは直径3mほどの暗黒の球体。

 ヒョウエの金属球が生み出した、魔力を吸収する対呪文・対魔力攻撃兵器。

 そしてその後ろに、杖に灯る魔法の輝きに照らされて無傷のヒョウエと、意識を取り戻したサフィアの驚く顔があった。

 

「なんて・・こった・・・」

 

 ヒョウエのニヤリと笑う顔を見ながら、鹿角の悪魔は仰向けに倒れる。

 その胸から引き抜かれたのは、背中まで突き通されたアルテナの右腕。

 地面に倒れるか倒れないかのタイミングでその体はゆらめき、大気に溶けて消えた。

 

「おお、さすがじゃな。よくあれを防御してのけたわ」

 

 自身はまともに食らいながら、ほぼ無傷のアルテナ。

 振り向いて笑みを浮かべるが後ろの二人はそれどころではなかった。

 

「アルテナ! 服! 服!」

「ダメだよ! 女の子なんだからもうちょっと恥じらいを持たないと!」

 

 先に述べたとおりアルテナにはほとんど外傷はない。

 ただしアルテナ本人は、だ。

 

「・・・おお」

 

 言われて初めて気がついたのか、金髪の幼女はすっぽんぽんの自分を見下ろして軽い驚きの声を上げた。




ろっかくの術!
え、桃太郎伝説なんて知らないって?


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10-34 合流

「とりあえずこれ羽織って!」

「まあお主らが着ろと言うなら着るがのう」

 

 サフィアが自分のマントをかぶせて取りあえず裸身を隠す。

 真なる龍は自然の化身そのものであるがゆえに、自分の司る自然の力を介した攻撃はほぼ無効化出来る。原初の龍である黄金の虹竜ともなれば尚更だ。

 ただしその力は着ている衣服にまで及ぶわけではない。

 

 今着ていたのはヒョウエの実家の侍女頭のカニア(世話のために出張してきている)が娘のお古を仕立て直したものだったが、悪魔の雷撃を浴びて完全に消滅分解し、今のアルテナは髪の飾り紐を除けば生まれたままの姿だった。

 まあ龍であるアルテナがこの姿で生まれたのかどうかは議論の余地があるだろうがそれはさておき。

 

「あー、これでいいか。ちょっとこれ、頭からかぶって下さい」

「何じゃこれは。わらわは小麦ではないぞ」

「今調整しますから!」

 

 ヒョウエが「隠しポケット」のかばんから取りだしたのは大きめの麻のずだ袋。

 戦利品やら何やらを詰め込むために用意しておいたものだ。

 それに穴を三つ開けて、逆さにかぶらせて頭と両腕を出させる。

 

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「ほう」

「おおー」

 

 続けてヒョウエが術を発動すると、ずだ袋が膝丈までの貫頭衣(ワンピース)になった。

 日本人には弥生時代の農民が着ているような、というとイメージしやすいかもしれない。

 裸足だが取りあえず真っ当な服には見えるし、目の荒いちくちくする布もそれなりに肌触りのよい、きめ細かいものになっている。

 

「ふむ」

 

 アルテナが自分の新しい格好を見下ろした後、嬉しそうに飛び跳ねた。

 

「よいな、これは! 前のよりよい! 動きやすいし、ごてごてした飾りも付いておらぬからのう! ほめてとらすぞヒョウエ!」

「お褒めにあずかり恐悦至極にぞんじます、女王陛下」

 

 苦笑しながらヒョウエ。

 内心ではカニアが聞いたらがっくりくるだろうなあと思っている。

 

(孫娘みたいにかわいがって着飾らせてたからなあ)

 

 カスミにファッションショーをやらせたリアスやねんどろいどになった自分を着せ替えさせたがった女性陣もそうだが、女性というのはそう言うのが好きなのだろうかとちょっと遠い目になるヒョウエであった。

 

 

 

 「黄金の迷宮」、水晶の間に通じる封印の少し手前の大広間。

 ばらけたらここで待ち合わせと申し合わせてあった場所に、ヒョウエたち以外の突入メンバーが揃っている。

 

「お、来たぞ! おせぇんだよ!」

「やっとか、待たせおって!」

 

 最初に気付いたのは《目の加護》を持つモリィと、それに次ぐ視力を誇るエルフのセーナであった。

 悪態を突いてはいるが、顔に浮かぶほっとした表情は打ち消せない。

 リアスやカスミ、ティカーリやメルボージャがそっと微笑んだ。

 

 

 

「遅ぇよ! ・・・サフィア姐さん、大丈夫か?」

 

 ヒョウエたち三人が近づいてくると、モリィ達が駆け寄った。

 笑顔で悪態をついた後、ヒョウエの背中に背負われたサフィアに心配そうな顔になる。

 

「まあなんとかね。不覚をとったよ・・・ヒョウエくん、もう大丈夫だ。降ろしてくれ」

「本当に大丈夫でしょうね?」

「疑り深いなあ。治癒してくれたのはキミだろう? キミの術力を信じたまえよ」

「まあそうですが」

 

 小柄なヒョウエの背中から降りしなに、サフィアの白い指がつつっとその頬をなぞる。

 ヒョウエが微妙な表情で肩をすくめた。

 

「・・・」

 

 一方で、待っていた面々の間にはぴりっとした空気が走った。

 

「おい・・・」

「サフィアさんってば・・・」

「明らかに空気というか距離感が違いますね・・・」

「やはり・・・サフィアよ、お前もか」

「?」

 

 緊張感を走らせたのがモリィ、リアス、カスミ、セーナ。

 ミトリカはよくわかっていない顔。ティカーリが深い溜息をつき、メルボージャは微笑ましそうなものを見る目になっていた。

 

「そう言えば師匠。サフィアさんの腕を接合したんですが、診て貰えますか?」

「ほう」

「動きに違和感はないし大丈夫だと思うけどね。よろしくお願いします」

「うむ、ちょいと動かずに・・・これはうまくやったのう。これなら傷痕も残らんわ。腕を上げたの」

 

 サフィアの腕をポンポン叩いて笑顔を浮かべるメルボージャ。

 

「だってさ、ヒョウエくん。やったじゃないか」

「ええ」

「切り口が鋭かったのもあるが、水晶の心臓なしでこれは中々のものじゃ。お前、むしろ水晶の心臓がない方がいい術師になれるんじゃないかの」

「ええ・・・」

 

 喜びの顔から一転、けけけと笑う師にからかわれてヒョウエがくさる。

 とは言えスペックに任せてごり押ししていた自覚はあるので余り反論できない。

 

「しかし僕達が最後ですか。お待たせしてしまいましたかね」

「まあ結構な」

「正直心配しましたわ」

「みんなは余り苦労もせずにここまでこれたんですか?」

「大した苦労はしなかったぜ」

「サーベージ師匠の大した苦労じゃないは信用できませんねえ・・・」

 

 ちらりと他の面々に目をやると、カスミとセーナが苦笑を浮かべる。

 

「わたくしどもはお二方とご一緒させて頂きましたから、苦労らしい苦労は」

「まあ"最初の戦士(パハーラ・ヨッダ)"の基準はともかく、私とカスミだけでも何とか切り抜けられたか?という程度の敵に2,3回ほど出くわしただけだったな」

「ふむ。モリィ達は?」

「あたしらもそんな感じだな。リアスの足跡を見つけたんで、追いかけて合流できた。ティカーリはあたしと、ミトリカがリアスと一緒だったからそれほど苦労はしなかったぜ」

「なるほど」

 

 どうやら次から次へと苦難に遭っていたのは自分たちだけらしいと知り、ヒョウエとサフィアが溜息をついた。

 

「やっぱりあいつの仕業だったんでしょうかね」

「じゃないかなあ」

「ヒョウエ様? サフィアさん?」

「ああ、実はだね・・・」

 

 サフィアが手早く事情を説明すると、一同の口から溜息が漏れた。

 

「その鹿角の悪魔、ル・ユフルか。そいつがあたしらを分散させたのか?」

「分散させたのはクリス先生の術で、鹿角さんは分断したところで僕なりアルテナなりを狙って襲ってきたんじゃないですかねえ」

「まあよい。アルテナが胸を貫いたあと、そいつは体が崩れたりはしなかったのじゃな?」

「うむ、多分死んではおらぬな。霊体が崩れた感触はなかった」

 

 メルボージャの質問に頷くアルテナ。

 

「まあ深手じゃし、復帰するかどうかは五分五分かの。しかしまがりなりにも上位悪魔に魔力比べで勝ったと言うことは・・・ふむ?」

「何か?」

 

 探るような師匠の目つきに、僅かに笑みを含ませて答えるヒョウエ。

 しばしその目を見たあと、老婆がふっと笑う。

 

「何でもないわい。では行くぞ。水晶の間に続く封印の扉はすぐそこじゃ」

 

 頷いて一行は歩き始めた。

 




水晶の心臓があるヒョウエくん → 全力力押し一辺倒の大人ギルガメッシュ
水晶の心臓がないヒョウエくん → 魔力量は劣るけどその分効率的に宝具を使いこなす子ギルくん

大体そんな感じ。


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第四章「世界はヒーローを待っている」
10-35 メットー・ウォーズ


「全ての戦いを勇者のために!」

 

     ――「ダイの大冒険」――

 

 

 

 途中で30mを越す火竜に出くわしたがこれを瞬殺し、一行は封印の扉のある広間にたどり着いた。

 広間の一面を塞ぐ、高さ100mを越す巨大な一枚岩。

 術師の素養があるヒョウエやサフィアには、そこにびっしりと刻まれた術式が感じられた。

 

「おお・・・」

「さすが真なる魔術師、見事なものですね」

「まあここに住んでる連中を考えるとこれくらいは必要になるでな・・・開けるぞ。備えよ」

 

 緊張が走る。

 黄金の迷宮の中でヒョウエとアルテナは襲われたのだ。

 この封印の扉の先には、恐らく揃えられる限りの戦力が揃えられているだろう。

 

 ヒョウエの金属球が周囲を周回し始める。

 モリィが雷光銃のセイフティを解除し、その他の面々も得物を構える。

 

「~~~~~~」

 

 真の言葉ではないようだが、ヒョウエも知らない言語でメルボージャが呪文を唱える。

 岩に走る術式に魔力が流れ、回路を走る。

 

「開くぞ」

 

 その言葉と共に、巨岩にすうっと、丸く小さな穴が開いた。

 小さいと言っても岩に比べればで、3mほどはある。

 円筒形に続く通路の奥にかすかな光が見えた。

 

「行くぜ」

 

 サーベージが先頭に立って進み始める。

 続くのはリアスとサフィア、カスミ。更にヒョウエやメルボージャ達術師組が続いて、最後尾にモリィ達飛び道具組。

 最後尾のティカーリが入り口をくぐると、岩の表面に開いた穴がスッと消えた。

 

 

 

 予想に反して、一同が出てきた場所には何の戦力も配置されていなかった。

 ただぼんやりと洞窟の岩肌が光っているだけ。

 一行の後ろで岩扉に開いた穴が縮んで消える。

 

「ここは・・・水晶の間に続く途中にあった玄室?」

「うむ。水晶の間はここから200mくらい先じゃ。そして・・・待ち構えていたものがいないわけではなかったのう」

「!」

 

 玄室に通じる通路に影がひとつ、ふたつ。

 それらはあっという間に数を増やして実体化する。

 

「おまえ・・・!」

「なんじゃ、随分早い再登場じゃのう」

「その節はありがとうよ。クリス様が治してくださってなあ。すっかり元通りだぜ」

 

 野性味溢れる笑みを浮かべて胸板を叩くのは、ついさっき戦った鹿角の悪魔、ル・ユフル。

 本人の言の通り、アルテナに貫かれた胸には傷一つない。

 その後ろには地上にも群れをなす"ドラゴンフライ"の群れ。

 そしてヒョウエたちがそれ以上に驚いたのが、もう片方の入り口を固める人影たちだった。

 

「やあ、久しぶりだな、放蕩王子とその仲間ども。まさかお前が青い鎧の正体だとは、見事に一杯食ったよ!」

「ウィナー!?」

 

 かつて戦った犯罪者。その身に纏うのはかつてと同じ、真紅の駆動甲冑。

 性能ではリアスの「白の鎧」をも大きく上回るそれは、ヒョウエが知る限り最高の魔導甲冑。

 最強の冒険者である星の騎士すら翻弄してみせたそれは、単体で万軍に匹敵する。

 その後ろに並ぶ黒装束の軍団と具現化強化術式を装備した集団は、ウィナーの子飼いと、彼と同じく"納骨堂(ヴォルト)"から脱走した強力な《加護》持ちの犯罪者たちだろう。

 

「ウィナー! 何故悪魔に手を貸すんです! 彼らは人類の敵ですよ!」

「あの男は私にディテクの支配権を与えると言ってくれた! 傘下に入るには十分だろう!」

「・・・そうですか」

 

 自分でも意外なくらいに冷たい言葉が出た。

 すうっ、と心が冷える。

 

(こいつとはもうわかり合えない)

 

 黙り込んだヒョウエと入れ替わるように、ル・ユフルが歯ぐきをむき出しにして笑った。耳元まで裂けた口と牙が、ワイルドを通り越して、獣のような印象を与える。

 

「はははは! たくましいな人類! まあだからこそ俺達のつけいる隙があるわけだが!」

「それがお前さん達の望む結果に結びつくかどうかはまだわからんぞい」

 

 メルボージャの反論に、鹿角の悪魔は哄笑で答えた。

 

 

 

 時間を少し巻き戻して地上。

 ここでもまた、異変が起きていた。

 架橋に成功し、上級冒険者たちと魔導甲冑部隊が雪崩を打って離宮に侵入する。

 "ハーキュリーズ"や"ドルフィン"、空が飛べるシロウやモニカたちが空中の敵に対抗し、サティが率いるエルフの戦士や黒等級冒険者たちが先頭になって地上の悪魔どもを駆逐していく。

 QBやゴード、ナパティやハッシャの姿もあった。

 だが突然、状況が変わる。

 

「なんだ、空が!?」

 

 空が裂けた――そうとしか表現できない。

 そしてその裂け目の中から出て来たのは。

 

「空中要塞!?」

「馬鹿な、"翼の騎士"が落としたんだぞ!」

「一体いくつあるんだよ!」

 

 "復古軍(レスタウラツィオン)"の象徴、空中要塞。

 下部のハッチが開いて、黒い魔導甲冑の部隊が降下してくる。

 空中に結ぶのはその首魁、髑髏王(トーテンコプフ)の像。

 

「ごきげんよう、愚民ども。今度はさほど間を置かずに君らと再会できて喜ばしい。

 我らの理想社会を作るため、この良きタイミングを利用させて貰おう」

 

 

 

「してやられたっ!」

 

 作戦卓に拳を叩き付けるのは大将軍であるヒョウエの父、ジョエリー・シーシャス・ジュリス・ドネ。

 

「まさかこのタイミングで・・・!」

「悪魔どもと手を組むとは、そこまで落ちたかレスタラ!」

 

 歯ぎしりをする叔父と参謀たちを見て、同席していたカレンが口を開いた。

 

「・・・そもそも、レスタラと髑髏王そのものが真なる魔術師クリス・モンテヴィオラの仕込みだったのかもしれませんね。

 ヒョウエたちの報告によれば、オリジナル冒険者族をこの世界に呼び込んでいたのが彼です。彼がそれらを呼び込んだ理由は判りませんが、であれば自分の戦力として使おうとしても不思議ではありません」

「髑髏王はそれに成功した例と言うことか」

「レスタラの異常な結束力と構成員の忠誠心は"片隅の垂れ幕(コーナー・ヴェール)"内部でも前から問題になっておりました。髑髏王はオリジナル冒険者族と言われていますが、その《加護》が洗脳やカリスマ系のものであれば納得は行きます。

 あれだけの魔導兵器に関しても、裏に真なる魔術師がいるのであれば調達は随分と容易になるでしょう」

「ぬう」

 

 重ねた"狩人"の言葉に、ジョエリーがうなり声を上げた。

 

「ならば・・・」

「殿下! 水晶を!」

「何? ・・・何だと・・・!」

 

 水晶玉の送ってくる戦場の映像。

 それを見たジョエリーとカレン、"狩人"が揃って絶句した。




章タイトルは特に元ネタはありませんが、「HOLDING OUT FOR A HERO」を多少意識しています。昔のドラマ「スクールウォーズ」の主題歌「ヒーロー」の元歌で、「ヒーローを待ち続ける」のような意味。
いい歌ですよー。


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10-36 光は見えず

 離宮上空、レスタラの空中要塞。

 続々と魔導甲冑が降下してくるそれとは別のハッチが開き、火球が飛び出した。

 ひとつ、ふたつ、・・・その数合計十個。

 

「・・・おい」

「まさか」

 

 先の第二次レスタラ戦役を経験した者達の口から戦慄の呻きが漏れる。

 十個の火球は絡み合うような軌道を描いて地上に降り、それぞれの間に光のワイヤーフレームを形成する。

 人の形をしたそのワイヤーフレームにそって炎が走り、燃える巨人の姿を現出させた。

 

「嘘だろ・・・」

「なんてこった」

「・・・"炎の魔神(ザイフリート)"!」

 

 身長20m。魔神の目が開き、溶岩のような光を放つ。

 牙持つ口から、炎の吐息が漏れた。

 

 

 

 魔神が閃光の吐息を放つ。

 地面を薙ぎ払うそれは大地を溶岩に変え、冒険者やエルフや魔導甲冑を問わず、そこにいたもの全てを灼き尽くした。

 

「なんと!」

「これは・・・厄介な!」

 

 空中で肩を並べて戦っていたシロウとモニカが目を見張る。

 地上ではサティが舌打ちしていた。

 

『どけどけどけぇ! こいつは俺達が抑える! みんなは悪魔と魔導甲冑をやってくれ!』

「む」

 

 足裏の無限軌道を高速回転させてそこに滑り込んできたのは"ハーキュリーズ"。

 三階建ての家に手足をつけたその巨体は、ザイフリートには及ばずとも頭一つ低いほどの体躯を誇る。現在この場で唯一対抗できるとしたら、確かにこれしかあるまい。

 

「かたじけない! 我らはあのデカブツを・・・と言いたいところだが」

「いささか以上にやっかいだな・・・!」

 

 空を見上げるライタイムの英雄とアグナムの退魔術師。

 頭上に浮かぶレスタラの空中要塞からは、魔導砲の弾幕がひっきりなしに降り注いでいる。

 それらをかいくぐるのは、いかに彼らと言えどもたやすい事とは思われなかった。

 

 

 

「メディ! 耐熱、対魔力術式起動! 特に拳に集中」

「もうやってるわ! マデレイラ、あなたは離れてなさいっ!」

『いいえ、援護しますお姉様! いくらそれでも単体では無理があります!』

「~~~~っ! 無理はしないように!」

『はいっ!』

 

 勇ましく答えを返してくる従妹に顔をしかめた後、耐熱対魔力術式の起動を完了する。

 

「・・・」

 

 ふと気になって、胴体に対魔力術式をもう一重展開した直後、それが来た。

 

「ぐおっ!」

 

 魔神の閃光。両腕でブロックしているとは言え、それをまともに浴びたハーキュリーズからのフィードバックだろう、イサミが苦悶の声を上げる。

 閃光の余波が地面をえぐり、歩道の敷石が融解蒸発する。

 

「・・・」

 

 閃光が収まったとき、そこにはほぼ無傷の"ハーキュリーズ"が立っていた。

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

 人類側の戦士達――特に先の第二レスタラ戦役を経験したディテクの軍人と冒険者から歓声が上がる。

 離宮の魔法障壁を紙のように貫き、宮殿一つを吹き飛ばした魔の閃光をまともに受けて、なお立っている。

 アンドロメダが追加の対魔力術式を展開していなければ、ハーキュリーズと言えども損傷は免れなかっただろう。偶然ではあるが、それは生き残りの戦士達を鼓舞するのに十分な結果であった。

 

「メディサンクス、助かった!」

「お礼は後! このまま行くわよあなた!」

「応!」

 

 家の巨人(ハーキュリーズ)が拳を握り、炎の魔神(ザイフリート)に殴りかかった。

 

 

 

 戦いは続く。

 ハーキュリーズがザイフリートを抑えているとはいえ、空中要塞から降り注ぐ砲撃と次々に現れる魔導甲冑、同様に倒されても倒されても現れるトンボ悪魔(ドラゴンフライ)

 サティやシロウ、モニカや黒箱リーダーなどが気を吐くものの、圧倒的な数と火力が味方側の戦力を見る見る間に撃ち減らす。

 ハーキュリーズも抑えているだけで既に身体の各部は溶解を始め、動きもはっきり鈍くなってきていた。

 

「・・・まずいな、これは」

「ですな」

 

 司令部で呟いたのはジョエリー。それに頷いたのは"狩人"。

 

「あのキワモノとマデレイラ嬢のアーティファクトが頑張ってくれていますが、抑えるのが精一杯だ。このままでは敗退は不可避でしょう」

「・・・撤退しろと?」

 

 ジョエリーの目が鋭くなる。立場としてはジョエリーの配下のカレンの更にその配下に過ぎない"狩人"だが、50年以上現場に立ち続けた歴戦の勇士にはこの場の誰もが敬意を払っている。

 ざわめく参謀たちをよそに"狩人"が首を振った。 

 

「撤退したところでディテクは悪魔に蹂躙されて終わりでしょう。ここは予備をつぎ込んででも戦線を維持するしかありますまい」

「結局はヒョウエたちに賭けるしかないのね」

「おっしゃるとおりです」

 

 溜息をついたカレンの言葉に頷く。続けてジョエリーも溜息をついた。

 

「せめてライタイムが"星の騎士"を貸してくれていればな」

「同様の状況で、我が国が黒等級冒険者を全員貸し出せたか、と考えるとかなり難しいでしょうな」

「そうだなあ」

 

 更にもう一度溜息をついた後、ジョエリーが両頬を叩いて気合いを入れた。

 

「空中騎兵出撃! 攻城弩弓(バリスタ)部隊も移動開始させろ! とにかく兵力に余裕があるところは、近衛でも何でも引っぺがして連れてこい!」

「!? 突っ込ませたところで犬死にです!」

「犬死にして貰うのだ! 時間を稼ぐためにな!」

「・・・!」

 

 思わず口を挟んだ参謀が、鬼気迫るジョエリーの表情に押されて何も言えなくなる。

 

「どうした! 命令は下したぞ!」

「は、ははっ!」

 

 顔をこわばらせた数人の士官が連絡魔道具を繋いで命令を伝達する。

 "狩人"がことさらな無表情で天を仰いだ。

 

「・・・元よりベッドの上で死ぬ気はありませんでしたが、我々はろくな死に方はできないでしょうな」

「あの世でならいくらでも切り刻まれてやるわよ。今はディテクを、いえ、世界を守ることが最優先事項だわ」

 

 ジョエリーと"狩人"がカレンの言葉に頷く。

 しばし、司令部に沈黙が降りた。



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10-37 ファンファーレは鳴らず

 僅かな時間を置いて、空中騎兵部隊と攻城弩弓部隊、加えて通常の板金鎧を装備した重装歩兵部隊が攻撃を開始する。

 しかしエルフや緑等級冒険者、魔導甲冑部隊でさえ苦戦する悪魔達を相手に通常の軍が太刀打ち出来るわけがない。

 

「うわああああ!」

「ぎゃああ!」

「ひいい!」

 

 ――ありていに言って、それは虐殺だった。

 緑の悪魔が空中から襲いかかり、プレートアーマーや鉄の大盾をやすやすと引き裂く。

 のど首に食らいつき、頭を食いちぎる。

 攻城弩弓も当たり所が悪ければ弾かれ、操作する兵は次々に血袋になった。

 

 空中騎兵は流石に善戦したが、それでも地力が違う。

 一騎、また一騎と落とされて、人と馬とが等しく街路の石畳で潰れる。

 トンボ悪魔の中には戦いを忘れ、人や馬の血肉を喰らうものもあった。

 

「あ・・・あああ・・・」

 

 重装歩兵の一人が尻餅をついて後ずさりする。

 股間からは生暖かい液体。

 気付けば周囲に生きた仲間はいなかった。

 

 大柄でたくましい肉体の持ち主だがまだ若い。この春に十六になったばかりだ。

 農家の三男坊が軍に入り、《加護》を見出されて選抜部隊に抜擢。

 そのまま出世して良い暮らしをするんだ、実家にも仕送りをするんだと思っていた。

 

 だが、未来は今目の前で真っ赤に染まっていた。

 仲間は誰一人として生きてはいない。

 頼みの重装甲は容易く引き裂かれ、湯気の立つはらわたを食われている。

 自分もそうなるのだと思った。

 多少《加護》が強い程度で、あの緑色の悪魔に勝てはしない。

 剣を握って立ち向かったところで、火を見るよりも明らかだ。

 

「・・・けど」

 

 それでも右手は、取り落とした剣を拾い上げた。

 膝をついて立ち上がり、左手が重いタワー・シールドをしっかりと握り直す。

 

「お前達をほっとくわけにゃいかねえんだ。

 とうちゃんやかあちゃんや、ねえちゃんやエミリーのところに行かせるわけにはいかねえんだ!」

 

 涙と鼻水で顔はぐじゃぐじゃだ。

 だがそれでも彼は立った。

 盾を構え、剣を握りしめて立った。

 

「GYGYGY?」

 

 なんだこいつは、といった風情で何匹かのドラゴンフライが顔を上げた。

 

「GYAGYAGYAGYAGYA!」

 

 そして笑った。

 種族が違ってもなおわかる、嘲りの笑み。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 笑われていることなど気にも止めず、少年が突貫する。

 腰だめに剣を構えて(弾かれるに決まっているのに)、盾をしっかりと立てて(紙みたいに切り裂かれるのに)、意味のわからない言葉をおめきながら突進する。

 

「GYYYYYYYYYYYYYY!」

 

 立ち上がった緑の悪魔が、気付いたら目の前にいた。

 振り下ろされる鉤爪。

 ああ死ぬんだと思った。

 それでも相手の目だけを見て、その腹に剣を突き刺すことだけを考えて。次の瞬間。

 

「・・・・あ?」

 

 少年は呆然と立ち止まっていた。

 真っ二つにされた緑の悪魔が黒い塵となって消えていく。

 

「済まなかったな、少年・・・いや、戦友。遅れてしまった」

「あ・・・あ」

 

 ファンファーレは鳴らない。

 だが若き戦士はその姿を知っていた。

 水色の甲冑。星を染めた赤いサーコート。翼をあしらった兜。

 光をはじく白銀の剣、左手に構える輝く騎士盾。

 たとえディテクの人間であろうとも・・・否、この世界に生きる人間でこの男の名前を知らないものはない。

 

「星の・・・騎士! グラン・ロジスト!」

「知っていてくれたとは光栄だ、名も知らぬ勇敢な友よ」

 

 世界最高の冒険者が振り返り、ニカッと笑みをこぼした。

 

 

 

 "星の騎士"の出現。

 それを皮切りに、離宮を囲むように次々と人影が現れ始めた。

 空を舞う全身燃えさかる人影。魔術の産物である人造人間、"生ける炎(リヴィングフレイム)"コート・ハモンド。

 青い肌、黒い髪、尖った耳。生ける炎と並び、泳ぐように空中を飛ぶのは魚人妖精(オアンネス)とのハーフ、"潜るもの(サブマリン)"ロマン・クルカン。

 星の騎士を加えたこの三人こそ、現存する最古の冒険者パーティ。

 津波を防ぎ、真なる毒龍を打ち倒し、アイアン・スカルをはじめとするあらゆる悪からライタイムを、そして世界を守り抜いた英雄たち。

 

「"不朽なる者たち(イン・ヴェイダーズ)"!」

 

 それだけではない。

 少年の知らない、ありとあらゆる強者たち。

 極東風の甲冑を纏った戦士の一団。

 浅黒い肌にローブを纏った術師たち。

 見事な馬を乗りこなした草原の騎兵たち。

 ありとあらゆる無節操な武装に身を包んだ冒険者たち。

 弓と剣で武装した白い肌のエルフの戦士達。

 真なる銀の鎧で身を覆い、巨大な斧を担ぐドワーフの猛者ども。

 数は少ないが魚人(オアンネス)やピクシー、バグシーやヴァナラなど、他の妖精族の姿も見える。

 

 ヒョウエから状況を伝えられた"星の騎士"が音頭をとり、神殿や懇意の貴族のネットワークと世界各地の転移術師の協力を得てかき集めた戦力。

 百数十年に及ぶ星の騎士の名声とコネクション、先だってのレースで培われた関係があればこその離れ業。

 少年にモリィ並みの目があれば、草原の騎兵たちの中に白い神馬にまたがったダルクの英雄、カイヤンの姿も見えただろう。

 そして。

 

「かーっかっかっか! ザマァねえなウドの大木! ご自慢のゲテモノもそのていたらくか! 魔導技師(アーティフィサー)の称号なんて返上して、でくのぼうとでも名乗ったらどうだ! 姫も物好きだからてめぇに餌を与えて飼うくらいはしてくれるだろうよ!」

「バーリー!?」

 

 突如堀から盛上がった水の柱。その上に立っていたのは寸詰まりで腕が異常に長い霊猿(ヴァナラ)、バーリーだった。

 一瞬あっけにとられたイサミが、不敵な笑顔で言い返す。

 

「うるせえな、ここから反撃して大逆転するんだよ! そう言うのがお約束だろうが!」

「かはっ、威勢だけはいっちょまえだな! まあいい、姫の手前もあらぁ、助けてやるからありがたく思えよ!」

「頼んでねえよ!」

 

 言いつつも、イサミの口元は楽しそうに歪んでいて。

 

「オン・バロダヤ!」

 

 バーリーの唱える真言と共に、水の柱は20mほどの巨大な人型・・・いや、水の巨猿となった。

 堀を出、ハーキュリーズに並んで立つ。炎の魔神の前に、家の巨人と水の巨猿が並び立った。

 味方から歓声が上がる。敵から驚愕のうめき声が。

 そして、それらの声を圧して一つの声が響いた。

 

 掲げられるは神より賜りし金剛不壊の盾「ヴィヴラント」。

 そを掲げるは唯一の担い手にして英雄の中の英雄、人の力を極めしもの、星の騎士。

 輝く盾のもとに、彼は高らかに謳い上げる。

 

「今ここに我らは集った! 世界のため、人々のため、いざや我らは剣を取る!

 ここにある皆の中には兵士もいる! 傭兵もいる! 戦う人間ですらないものもいる!

 だがそれでも、自分の大事なもの、他人の大事なものを守るために集まってくれた!

 それに敬意を表し、あえて言おう!」

 

 それは伝説の再現。この大陸に住まうものならば誰もが知る英雄譚のひとこま。

 無数の冒険者たちを率いて真なる毒龍とそれに従う部族を打ち倒したときの雄叫び。

 だから、誰もが声を揃えた。

 誰もが叫んだ。

 

「"冒険者たちよ、突撃せよ(アドベンチャラーズ・アッセンブル!)"!」




「イン・ヴェイダーズ」はマーベルでもっとも古いヒーローチーム「インベーダーズ」のもじり。
キャプテン・アメリカとヒューマントーチ(ファンタスティックフォーの人間松明ではなくその原型になった人造人間)、最近中南米の人になってしまったアトランティス王の半魚人サブマリナーの三人チームです。

まあ、メインで戦ってた相手は旧日本軍ですけどね!(ぉ


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10-38 英雄絢爛

「駆けろ、"天翔る銀の船(シルシープ)"!」

「ヒヒーン!」

 

 草原の英雄が神馬と駆ける。

 その両脇にはカイヤンには及ばぬものの、神馬を駆る氏族の英雄が一人ずつ。

 三頭の神馬がくつわを並べて駆ける、ダルク史上初めての光景。

 神話を駆る三人の英雄たちを先頭に、草原の精鋭・・・彼らもまた英雄と呼ばれうる戦士達が悪魔の群れに突っ込んだ。

 街路を突き進んで悪魔を蹂躙し、空中の悪魔を弓や投げ槍で駆逐していく。

 

 極東風の甲冑を纏ったサムライは刀から雷を放ってトンボどもを焼き払い、エルフが緑の壁で味方を守ると共に矢で悪魔を叩き落としていく。

 ドワーフの戦士達が斧と鎚で魔導甲冑部隊を文字通り叩きつぶし、ターバンを巻いた術師たちが空に虹色の網を投げかける。

 ディテクとライタイムの黒等級冒険者たちが並んで戦い、その他の妖精族や冒険者たちも悪魔やレスタラの魔導甲冑とぶつかり合う。

 ゴードは味方への支援と伝令に駆け回り、モニカやシロウ、孔雀鷲に乗ったサティたちは空中要塞に突入する。

 星の騎士と仲間達が全ての中心で全軍を鼓舞していた。

 

 突然空中に裂け目が生まれ、巨大な瘴気の塊が現れる。

 瘴気が巨人の形を取ったようなそれを見て、ズールーフのエルフの里の援軍の一人、術の長シャンドラが目を見張った。

 

「あれは! インフェ・ビブリオ!」

「なんですって!?」

 

 隣で支援魔法を放っていた美魔女術師アディーシャが振り返る。

 

「姿は変わっておるが間違いない! 改めて向こうから召喚しおったか! アディーシャ、ここは任せるぞ!」

 

 言うなりシャンドラは宙に飛び上がり、孔雀鷲を一羽強奪してそこに向かっていった。

 既に星の騎士たちが応戦しているが、生ける火炎の放つ炎も、"潜るもの"の水術もろくに効果を上げていない。

 

「星の騎士と言ったか、わしに任せよ! こやつは半霊体じゃ! わしのような霊魂の術の使い手でなくばまともには戦えん!」

「わか・・・」

 

 わかった、と叫ぼうとして星の騎士は目を見張った。こちらに突っ込んでくる燃えるような赤い体色の飛竜。それにまたがった髑髏面の男に彼は見覚えがあった。

 

「あるいはわしのような、だな」

「お前は・・・アイアン・スカル!」

 

 星の騎士の仇敵、真なる毒竜を崇める部族の族長。真なる毒竜を擁してかつてのライタイムに攻め込んだ大陸史上屈指の大怪人、そして肉体を乗り換える魂の《加護》の持ち主にして優れた霊術師。

 星の騎士が剣と盾を構える。

 

「何をしに来た?」

「あいにくだが貴様などと戦っておる暇はない。さっさと全体の指揮に戻れ」

「・・・協力してくれるというのか?」

 

 あっけにとられたような星の騎士の言葉。心地よさそうに鉄の髑髏が笑う。

 

「わしは確かに貴様の敵だ。怪人(ヴィラン)だ。だがこの世界(サイモック)怪人(ヴィラン)だ! この世の外より来たりし悪魔などに膝を屈すると思うか!」

「・・・」

 

 しばし沈黙が空き、星の騎士が頭を垂れた。

 

「ありがとう、アイアンスカル・・・感謝する」

「そう思うならその体をよこせ」

 

 ぐっぐっぐ、と笑う髑髏面。星の騎士も苦笑するしかない。

 

「その件についてはまた話しあおうじゃないか」

「ふ・・・よかろう。では力を合わせるぞ、エルフの霊術師よ!」

「おう!」

 

 赤い飛竜と虹色の孔雀を駆り、怪人とエルフの霊術師が黒い瘴気に向かっていった。

 そして空中で目を引くのが黒い瘴気の魔なら、地上で目を引くのは、やはり炎の魔神(ザイフリート)とそれに立ち向かう二体の巨人。

 先ほどまでの防戦一辺倒だったそれとは違い、今や水の巨猿を仲間に加えたハーキュリーズは互角にザイフリートと戦っていた。

 巨猿が口から水を吐き出し、辺りは魔神の体から立ち上る水蒸気の雲に覆われる。魔神の体を構成するエネルギー体を消耗させ、相手の力を削る作戦。失われた水は即座に堀から補充する。

 ハーキュリーズにも水の幕を纏わせることで、相手の熱からのダメージもほぼ防いでいた。

 

「おあたたたたたたた! ほあったあ!」

 

 打撃強化術式をまとったハーキュリーズの拳の連打が炎の魔神(ザイフリート)に炸裂し、燃える巨体が揺らぐ。

 

「はははは、俺が与えてやった援護のおかげで調子いいじゃねえか! そら、その調子でやっちまえ! 俺が与えてやった援護でなぁ!」

「ぶっとばすぞこの猿野郎! こいつを片付けたら次はお前だ! 忘れるな!」

「やってみろよ、できるもんならなぁ!」

 

 互いを罵倒しつつも、連携は完璧。巨人と巨猿はこれ以上ないほど息を合わせて戦っている。

 

「・・・まったくもう」

 

 アンドロメダが小さく苦笑した。

 

 

 

 そして地底。

 鹿角の悪魔とウィナー伯爵の手勢に包囲されていたヒョウエたちのところにも「それ」は現れた。

 地底の大広間に突如現れた、数十の人影。

 その中で一際巨大な影が一歩踏み出した。

 ダークブルーの魔導甲冑を身にまとった、身長2mを優に超える巨人。

 ヒョウエと三人娘が目を見張る。

 

「・・・サヌバヌール!?」

 

 アンドロメダの実家、魔導君主第二位リムジー家の有力者にして、ゲマイ最強の術師サヌバヌール・リムジー。

 ゴリラにも似たいかつい顔に、にやりと笑みを浮かべる。

 

「久しいな、青い鎧。いや、ヒョウエ王子だったか。我を倒した時の意気はどうした?

 この程度の連中に怯むとは、それに敗れた我が情けないにもほどがあるではないか」

「怯んではいませんよ、失礼な。まあちょっと手間がかかりそうでしたけどね」

 

 あえて軽く、ヒョウエが肩をすくめてみせる。

 サヌバヌールの哄笑。

 

「かはははは! 言いよるわ! 力の源の"チイト"も失っておいてな!」

 

 むっとした顔の三人娘とセーナとミトリカ。

 だが彼女らが何かを言う前にサヌバヌールが言葉を続ける。

 

「こやつらは我が片付けておいてやろう。前座を務めるのも業腹だが、今回は華を譲ってやる。一度は我を倒したその功績に免じてな」

「!」

 

 一瞬驚きを見せはしたが、ヒョウエは無言で一礼するときびすを返した。

 モリィやサーベージ達もそれに続く。

 サヌバヌールの脇に控えていた老婆、ミロヴァがメルボージャに一礼を送ってよこす。

 頷いて答えると彼女もヒョウエに続いて走り出した。

 向かう先は水晶の間への道をふさぐ鹿角の悪魔ル・ユフルとトンボ悪魔(ドラゴンフライ)たち。

 

「舐めてくれんじゃねえの。俺がそう簡単に抜けると――」

「フンッッッ!」

 

 サヌバヌールの合わせた拳から放たれた念動の竜巻。

 

「ぐおお!?」

「GYGYGY!?」

 

 鋼鉄の剣でも歯が立たない緑悪魔の肉体を、魔導甲冑とサヌバヌールの術力を合わせた一撃が藁人形のように容易く引き裂く。

 それは洞窟の壁を砕き、トンボ悪魔の群れを半ばまで屠り、上位悪魔であるル・ユフルの肉体にすら傷をつけていた。

 

「行くぞ!」

「く・・・させねえよ!」

 

 サヌバヌールの攻撃で開いた穴に駆け込むヒョウエたち。

 それでもさすがに上位悪魔、ル・ユフルが剣を閃かせて襲いかかる。

 

「・・・む?」

 

 ふたつ、火花が散った。

 ル・ユフルの双剣を、サヌバヌールの配下らしき黒覆面の剣士がその双剣で受け止めた結果。

 

「ほぉ」

 

 対応しようと剣を抜いていたサーベージが僅かに笑みを浮かべた。

 サーベージから見てもそれなりに見事な踏み込みと剣技。

 視線を向けないまま、黒覆面が言葉を発する。

 

「ほら、早く行きなよ。こんな雑魚に構ってる暇ないでしょ」

「どうも! 感謝しますよ知らないおじさん!」

「傷つくなあ。もっと若いかも知れないじゃない?」

 

 駆け去っていくヒョウエたちにちらりと視線をやって、ぼやく黒覆面の男。

 だが剣を合わせている相手はそれどころではなかった。

 

「雑魚だと・・・人間のくせしやがって!」

 

 激昂と共に双剣に力がこもる。

 

「おっととと」

 

 金属音。

 流石に支えきれず、剣を外して黒覆面が一歩下がった。

 その覆面が僅かに切れている。

 

「てめぇの力量は見切った。同じ双剣使いとして共感を覚えないでもないが、邪魔をするならぶった切るぜ」

 

 一歩踏み出した鹿角の悪魔の圧力にも、黒覆面の調子は変わらない。むしろへらへらとした笑いすらその口元に浮かんでいる。

 

「まあ、そうだねえ。確かに双剣同士だとちょっと勝てそうにないかな」

「それがわかっているなら・・・」

「二本なら、ね」

「!?」

 

 黒覆面の脇腹から金属音。

 両脇から一本ずつ展開した銀の腕と、その先に生えたハチドリの羽音を鳴らす剣。

 ぺらり、と切られた覆面が垂れて落ちる。

 

「・・・貴様!?」

 

 サヌバヌールと相対していたウィナーから驚愕と怒りの声が漏れる。

 

「そっちの元伯爵様への借りは返したけど、ヒョウエくんにもメレンゲの借りがあるからねえ。わざわざソル(違い目)のコネを使ってまでこちらに潜り込んだんだ、ちょっとは役に立たなくちゃ」

 

 かつて「ショーグン」と呼ばれた男、ウィナーに依頼されてヒョウエを狙った暗殺剣士、四本腕のバリントンはにへらと笑った。



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10-39 クリスの真意

 黄金の迷宮に続く空洞からの数百メートル。

 それを全力で駆け抜けたヒョウエたちの目の前に広がっていたのは、生物とも物体ともつかぬ異形の触手のようなものにびっしりと覆われた水晶の間だった。

 その中央にそびえる"祭壇の長子"にして"残りし者"セレスソレパルの肉体を封じた水晶柱にもそれはまとわりつき、中のセレスの姿を半ば覆い隠してしまっていた。

 

「・・・ほんっと、使えないわネ、ル・ユフルもウィナーも! まあそのヘンはヒョウエくんと星の騎士が大したものダッタってことなんだろうケド!」

 

 浮遊する台座に乗ったダー・シ――かつての真なる魔術師、クリス・モンテヴィオラがふいごのような溜息をついて首を振った。

 部屋を覆い尽くした異形の触手にルーン文字が浮かぶ。水晶柱とその傍らに浮かぶクリスを中心として文字が点滅し、あたかも大広間中のエネルギーがこの両者に送られているかのような錯覚を与えていた。

 いや、恐らくは実際そうなのだろう。

 魔力を感知できる面々、どころかそちらの心得のないリアスでさえ、二人に強大な魔力が集まっているのがわかる。

 

「・・・」

 

 水晶の柱の中で沈黙する白い魔女。

 元よりその肉体は微動だにしないが、その思念の波は今全く感じられない。

 

「クリスだったか。うちの嫁をどうした」

「イヤですわァ、旦那さん。敬愛する姉サマにワタクシが手を出すわけないじゃアリマセンの。ご協力頂いた後はもちろんアナタの元にお返ししますワッ!」

「・・・」

 

 ケタケタと笑うクリスをサーベージがにらむ。その視線にまだ殺気は込められていない。まだ。

 代わって口を開いたのはヒョウエ。

 

「クリス先生。よろしいでしょうか?」

「アラやだ、まだ先生って呼んでくれるノ? 嬉しいワァ」

 

 揉み手をしてもじもじと身をくねらせる肉の塊。

 全身のぜい肉がぶるぶると震えて不気味なことこの上ないが、ヒョウエは動じない。

 

「質問したいことがありますので、相手に敬意を払うのは当然のことかと」

「うんうん、ホントあなたイイ子ネッ! ドンと来なさい、何でも答えちゃうワッ!」

 

 満面の笑みで笑うクリス。この時だけはヒョウエも笑みを浮かべて頷いた。

 

「それではお言葉に甘えまして――先生の目的はなんなんですか?」

 

 沈黙と緊張が降りた。

 今となってはさほど意味のないように思える、しかし何か深刻な結果をもたらすであろう質問。

 理由は判らないが、全員がそれを感じ取っている。

 

「悪魔王の召喚、世界の破壊、悪魔と手を組んでの世界の支配――どれもありそうではあるんですがぴんと来ないんですよ。どれもこれもおよそクリス先生らしくない」

「・・・続ケテ」

 

 笑みのままクリスが促す。ヒョウエも真剣な表情。

 

「もちろんこの世界の外に落ちて何があったかはわかりませんから、昔のクリス先生とはまるで違ったりするのかも知れませんけど。悪魔と契約して心が歪んだり、拷問を受けて傷ついたり、あるいは洗脳されたりしてるのかもしれません。

 ただ――」

「たダ?」

「芯のところは変わってないように思えるんです。

 今の騒動も、本質的にはクリス・モンテヴィオラという人物が元から持っていた危うさが原因であって、悪魔によって変質したそれではない――であれば、あなたの目的は何なのか。

 それが全く読めないんですよ。なのでそれをご教授頂きたく」

「・・・」

 

 バシ、バシ、バシと、象が足を踏みならすような音が水晶の間に響いた。

 ぽっちゃりした豚足のような肉の塊。

 クリスの両手が打ち合わされる音。

 

「オ見事。そこまで読まれるとハ、シャッポを脱いじゃうワ」

 

 今の彼にも似合わぬ、静かな称賛。

 ヒョウエが軽く一礼した。

 

「あなたタチはワタシが世界の破滅でも企んでると思ってるンだろうナアと思ってたワ。

 姉様ですら、その疑いを捨て切れてなかったシ。

 ソウね、その慧眼に免じて教えてアゲましょう」

 

 そこでクリスは一度言葉を切った。

 深く息を吸い、心の内の何かを吐き出すかのようにゆっくりと吐く。

 その目は宙をさまよい、遠くを見ている。

 

「ワタシはね、神になりたいノヨ。

 イエ、少し違うワネ。

 神にナルのは単ナル手段。

 ワタシは――エコール魔道学院に帰りたいノ」

「あ――」

 

 その瞬間、すとんと腑に落ちた気がした。

 クリス・モンテヴィオラという人間とダー・シ・シャディー・クレモントと名を変えた彼の行動との間にあるギャップ。

 それが全て一本の線で繋がったように思えたのだ。

 

「ワタシが地上に戻ったとき、もう学院は存在しなかった。兄弟たちも地上にいなかった。

 スィーリと議論がシタイ。

 ボルドゥと馬鹿な話をして笑いタイ。

 ボルギアとクーリエの関係をからかって二人を赤面させタイ。 

 ウィージャやアウレリエンとお茶がしタイ。

 無茶な実験に失敗して姉様とお師匠様に叱らレタイ。

 あの頃に戻りたいノヨ」

「だから神になって天上に」

「エエ。姉様も一緒にネ」

 

 その言葉に、サーベージが再び眼を細めた。

 

「オイてめえ。さっきセレスは俺のところに戻すと言ってなかったか?

 それとも俺の耳が遠くなっちまったか?」

 

 剣呑な表情になるサーベージ。

 ボハボハ、とクリスが調子を取り戻して笑った。

 

「やーネエ、話は最後まで聞いてヨッ!

 今だって姉様の本体はこの"ヨルニムの水晶棺"から出てこれないわけでショ?

 ダカラこの水晶棺を媒介にして、天上と地上の水晶棺と、両方に存在するようにスレばイイノヨッ! ソウすればそちらの化身(アヴァター)も姉様本体とのリンクを回復シテ、再び姉様そのものになるんだカラッ!」

「・・・なるほどのう、そう来たか」

「???」

 

 納得するメルボージャ、眉を寄せて考え込むサーベージ。

 

「おいババァ、どういう事だ? こいつ俺をだまくらかそうとしてる訳じゃないのか?」

「少なくとも筋は通っておるの。つまり天上にいるわしも、水晶の中にいるわしも、両方わしの本体になるということじゃ」

「・・・」

 

 やはり理解が追いつかないのか、必死で頭を回転させるサーベージ。

 ヒョウエが助け船を出す。

 

「言い換えればどっちにでもいて、どっちにもいないと言うことですよ。

 仏は欲界にも色界にも無色界にもいて、かつどこにもいない。どこの国にでもいるし、どこの国にもいない。如来法身の偏在と言ったはずですが、記憶にありませんか」

「え・・・あー・・・沢庵和尚からそう言えば聞いたような気がするなあ・・・つまりあれか、うちの嫁さんを無理くり仏様にしようってことか?」

「まあ大体そんな所です」

 

 四千年以上前の記憶を何とか引っ張り出すサーベージ。ヒョウエが頷いてみせる。

 

「どうカシラ。旦那さんとセレス姉様との関係で言えバ、現在と変わらないと思うのダケレド」

「・・・セレスの体なり心なりに悪影響はないのか」

「神にナルと言っても精神に変質はないワ。地上との交信がしにくくナルこと、力を振るいにくくナルことはあるケド、今言った手段を併用すれば、ソコはクリアできるはずヨ。

 ムシロ今のママの方が姉様のお体が危ういワ。ワタシみたいに禁呪を使って肉体を作り替えてルならともかく、いくら姉様でも肉体は人間ヨ。永遠に保持する事なんてできないワ。

 姉様が地上を守るために力を維持しようとするなら、現状これがベストなのヨ」

 

 ちらりと振り向くと、メルボージャが黙って頷いた。

 少なくともこの件では誠意を持って解答しているらしいと理解し、老剣士が黙りこむ。

 彼の立場からでは反対する理由が思いつかない。

 

「・・・セレスの意志はどうなるんだよ」

「姉様は多分首を縦にお振りにはならないでしょうネ。

 でもこのままだと、姉様は確実に千年以内に消滅スル。肉体だけじゃなくてそれを補うために魂に負荷がかかりすぎてるノ。

 ダカラこの件では姉様の意志を問うつもりはないワ。旦那さんはどう思われますノ」

「俺は・・・」

「僕は認めません」

「!?」

 

 サーベージの言葉にかぶせられるヒョウエの断言。

 視線が一斉に集中した。



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10-40 認めない理由、認められない理由

「・・・認めないというのはどういうことカシラ? 姉様の意志が優先されると言うコト?」

「いいえ」

 

 ヒョウエが首を振る。

 

「ではナゼ?」

「失敗するからですよ。もしくは世界が破滅するからです」

「・・・!?!?」

 

 クリスが目を白黒させる。

 メルボージャを含めて、その場の全員が理解しがたいという顔をしていた。

 

「口から出任せ・・・という顔でもないワネ。どういう事カシラ?」

「そのことですが・・・メルボージャ師匠。あなたはオリジナルであるセレス先生の知識を全て持っていますか?」

 

 無言でメルボージャが首を横に振る。

 

化身(アヴァター)は極めて本人に近い分身じゃが、それでも全く同じとはゆかぬ。

 術力や精神力、知力や知識も完全ではあり得ない。同じなのは人格だけじゃ」

「ですよね」

 

 じれたのか、モリィがヒョウエを突っついた。

 

「・・・どういうことだよ、おい?」

「セレス先生と僕が知っていて、クリス先生とメルボージャ師匠が知らないことがある、ということですよ。

 クリス先生もメルボージャ師匠も、幻夢界に直接立ち入ったことはありませんよね?」

「エエまあソウね。あの時昔の姿でアナタたちの前に現れたのもワタシ本人じゃないシ」

「本体ならまだしもこの身ではな」

 

 クリスとメルボージャが揃ってうなずいた。

 メルボージャが頷いた後少し首をかしげる。

 

「・・・む? 幻夢界・・・何か引っかかるものがあるの」

「あ、何となく覚えてはいるんですね」

「あるいは、分身(わし)にはあえてその知識を与えなかった可能性もあるか?」

「ありえるかもしれません。恐らくは極めて危険な知識です」

「ソレで? 結局、どういうコトなのカシラ?」

 

 耐えかねたのかクリスが口を挟んだ。

 その口調に籠もっているのは自分の計画を否定されたいらだちと、隠せない知的好奇心とが半々ほど。

 

(・・・)

 

 この期に及んでも学究を捨てきれないクリス。同類的親しみを感じて僅かに頬をゆるめ、次の瞬間に引き締める。今からヒョウエは、彼に残酷なことを言わなくてはならない。

 

「地上界からではわからないけど、気付いてしまえば簡単な話です。まず地上界からは、肉体を持ったまま幻夢界には赴けません」

「ソレはモチロン」

「だからあの時お主に様子を見て貰いに行ったんじゃからのう。この身(アヴァター)は人間に比べると本質的にもろいからの。魂だけ分離しようとすれば肉体まで崩壊する恐れがある」

 

 二人の真なる魔術師の反応に頷いて続きを口にする。

 

「ふたつめ。神々は肉の体を持ちません。ゆえに直接地上界に赴けません」

「そうじゃの。そうでなければ天上界でこの世界全体に力を及ぼすことはできぬ」

「僕もそう習いましたし、そう思ってました。でもちょっと違ったんです」

「どういうことヨ?」

 

 二人のみならず、その場にいる全員をぐるりと見渡す。

 

「神には神の、天上界に適した肉体があるんです。もちろん地上の、肉の体とは違いますけど霊体ではなく独自の肉体をまとっています。九十九の真なる魔術師たちが天に昇るとき、僕はそれを見たんですよ。

 そしてその肉体を纏ったままでは神々と言えども幻夢界を越えられません。

 幻夢界は地上界と天上界の緩衝地帯であると同時に、二つが混ざらないように遮る障壁でもあるんです。

 シチューを煮ていると、シチューの上に油の膜が出来ることがあるでしょう?

 油の膜が天上界、濁ったシチューが物質の体を持つ地上界です」

「あー、なるほど」

 

 何人かがうんうんと頷く。

 

「まあ、料理をしない人にはわかりづらいたとえかも知れませんが・・・師匠?」

 

 頷いているのはサーベージ、カスミ、ティカーリ、サフィア。

 モリィとリアスとセーナ、ミトリカとアルテナは無言のまま。

 そして弟子に問われたメルボージャが無言で目をそらす。

 

「あー無理無理。このババァ料理は鬼門だからな。俺の方がよほどうめえよ」

「このクソジジイ! 何をバラしとんのじゃ!」

 

 メルボージャが夫に詰め寄るが、そこにクリスのボハボハした笑い声が響く。

 

「なぁンだ、まだ直ってませんでしたのね、その料理下手! あの根気強い後の食神(バーテラ)が絶望的な顔でサジを投げてたのを思い出しますワッ! 何もかも完璧だった姉サマのたった一つのかわいらしい欠点じゃアリマセンノ?」

「貴様ぁ・・・」

「アァん、ステキ。その視線うずいチャウ!」

 

 殺気の籠もったメルボージャの視線を受けて、頬を赤らめてくねくねと身をよじるぜい肉の塊(クリス)

 バチン、と象も殺せそうなウィンク。

 

「・・・マ、実を言うとワタシも姉様よりは料理ウマいんだけどネ?」

「本気でブッ殺されたいらしいのう、この肉達磨が!?」

 

 完全にブチ切れたらしいメルボージャ。キャハハハハと笑うクリス。

 ぱんぱん、とヒョウエが手を打った。

 

「ハイハイその辺で。話を元に戻しますよ」

「ハーイ」

「ちっ・・・・」

 

 楽しそうに笑うクリスとヒョウエをにらむメルボージャ。もはやどちらが敵か味方かわからない。

 

「ソレでヒョウエくん? 話がどう繋がるかわからないんダケド」

「ですから」

 

 少しじれたようにヒョウエが言った。

 その視界の端で、メルボージャがハッとした顔になる。

 

「師匠はおわかりになったようですね。

 単純な話、肉の体のままだろうが神になろうが霊体になろうが、地上界からでは天上界に行けないんですよ。地上界から幻夢界に、天上界から幻夢界には赴けますが、そのまま通り抜けることは出来ないんです」

「!? で、デモ兄弟たちハ・・・」

「推測になりますが・・・かつての真なる魔術師たちが天に昇れた理由は簡単ですよ。

 そのタイミングで世界が作り替えられたからです」

 

 あっ、と誰かが叫んだ。

 

「そう、彼らが神になったその瞬間、まさしく創造の八神の手によって世界は作り替えられたんです。

 地上界が再構成され、新たに天上界が作られ、地上界との間に幻夢界が置かれました。

 〈百神〉――かつての真なる魔術師たちは幻夢界を通り抜けていない。

 その時にはまだ幻夢界がなかったんです。

 今幻夢界を無理矢理通り抜けて天上界に行こうとすれば、幻夢界という袋が破れて中身が地上界と天上界にぶちまけられる。その影響がどれほどのものかはわかりませんが、少なくとも神のような巨大な霊体が通り抜けた穴がそうやすやすと塞げるとは思えません。

 その影響はこの前の"舞台(アリーナ)"事件の比じゃない。

 下手をすれば異世界の法則にさらされた地上がグチャグチャの混沌になって、悪魔の草刈り場になるかも知れません。むしろそれを期待してクリス先生に協力しているのかも」

「・・・。・・・・・。・・・・・・」

 

 こひゅー、こひゅーとクリスは過呼吸状態に陥っていた。

 あるいはよほどのショックであったのかも知れない。

 

「・・・クリス先生?」

 

 見かねたヒョウエが声をかけると、クリスは彼をきっ、と睨んだ。

 

「今までのことは全て推論に過ぎないワ。実験をする必要はあるだろうケド、ワタシの目的は変わらない。いえ、変えられない」

「クリス先生ならわかるでしょう! 確かに仮説と推論を重ねた話ですが、蓋然性は高い! 強行したらどうなるか――!」

「黙レ小僧!」

「っ!」

 

 凶暴な顔でクリスが吼えた。口が耳まで裂けている。

 

「六千年! 六千年待ったノヨッ! それを、ソレをこんなコトで諦められるワケないでショッ! ワタシは姉様と天に昇る! 誰にも邪魔させはしないワッ!」

 

 黒い光が爆発する。

 爆発した後にクリスの姿はなく、騎士甲冑を身にまとった一人の人物が立っていた。

 

 無明の闇のような漆黒の鎧。

 不吉な未来を暗示する暗い紫のマント。

 兜の両脇から映えた禍々しい角。爪の如く尖った両手の指。体中に生えた(スパイク)

 

 葬送曲が奏でられた。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 死神は、葬送曲と共に現れるのだ。



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10-41 希望の鼓動

 黒き鎧。

 地底の大空洞に現れたそれは、それ自体漆黒のオーラを纏うかのように錯覚させる。

 空洞をびっしりと覆う触手のようなものが放つルーンの光。

 そのほのかな光に照らし上げられてなお、その周囲には闇がわだかまっているように見えた。

 

「降伏を勧めるワヨ。この鎧には既にヒョウエくんから貰った"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"が組み込まれてル。

 ワタシの魔力を合わせれば、かつての青い鎧を凌ぐ力が出せるってことヨ・・・うん?」

 

 ちらり、と全員が視線を交わす。

 

「では頼むぞ、ヒョウエ」

「ったく、師匠を働かせやがってとんでもねえ弟子どもだ」

「この後で僕が一番働くんだからいいじゃないですか」

 

 その様な軽口を交わしつつ、メルボージャとサーベージが前に出てくる。

 いつの間に抜刀したのか、クリスも気付かぬうちにサーベージの右手には冷え冷えと輝く日本刀が握られていた。

 

「・・・チョット? 姉様? 旦那サン?」

 

 いぶかしげに問いかける黒い鎧の視界の端で、ヒョウエたちが後ろに下がっていく。

 ふぇっふぇっふぇ、とメルボージャが笑った。

 

「確かに小僧の鎧も"チイト"も桁外れに強力じゃ。真なる魔術師のお前が使えば素晴らしい威力を発揮するじゃろうな」

「・・・?」

「じゃが自分でも思わなかったのか? それだけ素晴らしいものなら、水晶の心臓はともかく青い鎧をなぜそのまま流用した? 

 真なる魔術師たるお前なら、それを越えるものを自分で作れたとは思わないのかの?」

「・・・!」

 

 黒い鎧が絶句した。

 青い鎧、水晶の心臓、龍脈の魔力、真なる魔術師の力。

 それだけのものを揃えて、伝説の剣士や真なる魔術師の長女すら凌駕する力を得たはずのクリスが、姉弟子の問いに答えられない。

 

「答えは一つ。ヒョウエの小僧めの術式構築力が、真なる魔術師である我らをも越えているからじゃ。その様な不格好な改造しか出来ぬお前と違い、あれをほぼ独力で組み上げた奴は――それを応用することも出来る」

「!」

 

 ハッと視線を移す。

 メルボージャ達の後ろ10mほどに下がったヒョウエたち。

 ヒョウエの目の前に具現化しているのはまさしくオリジナルの「青い鎧」。

 それがまるで折りたたまれるかのように手足の先からへこみ、組み替えられて縮んでいく。

 

「しまっ・・・」

「させねえよ!」

 

 火花が散る。目にも止まらぬ速度でヒョウエたちに迫ろうとした黒い鎧を、サーベージの刀が切り払った。

 

「!?」

 

 二重の驚愕。

 自分の速度についてきた、自分の攻撃を弾いて後退させた。

 

「いくら姉様の支援があるとは言え、今のワタシに・・・!」

「舐めるなよ、シャバ僧」

 

 満面の笑みのサーベージ。

 

「達人というのはそういうもんだ!」

 

 再び火花。黒い鎧の閃光の拳を閃光の鋼が打ち落とす。

 

「このジジイ!」

「それを言うならおめえは俺以上のジジイだろ!」

 

 目に止まらぬ連続攻撃を目に止まらぬ刀さばきが全て叩き落としていく。

 舞い散る無数の火花はもはや火花ではなく、花火の大玉であるかのように巨大な火の玉となっていた。

 

「くっ・・・たかが剣士風情ガ!」

「そう思うなら実行してみろよ、魔術師さん」

 

 再び満面の笑みのサーベージ。だがそこに隠しようもなく匂い立つのは獣の如き剣気。

 

「てめぇの拳なぞ、俺の柳生新陰流が全て叩き落としてくれらぁ!」

 

 

 

 拳撃と剣戟の火花が地下の空洞に太陽を作っているその影で、ヒョウエの作業は続く。

 中空に浮いた青い騎士甲冑が「折りたたまれ」、ついには握り拳ほどの大きさの、透き通った青い塊になる。

 

「モリィ! リアス! カスミ! セーナ! ミトリカ! アルテナ! お願いします!」

 

 ヒョウエが両手を掲げるとともに、青い鎧だった塊は彼の頭上に輝く。

 モリィが雷光銃を構え、リアス、カスミ、セーナ、ミトリカ、アルテナがリーザを介して会話するための銀の護符を持ち上げた。

 

起動(ガー・デ・キー)!」

 

 ヒョウエがコマンドワードを叫ぶと銀の護符が一斉に発光し、その光が雷光銃に吸い込まれていく。

 良く見ればモリィの護符も光っており、またいつのまにかサフィアとティカーリがモリィの脇に並び、雷光銃にそっと手を添えていた。

 雷光銃がチャージを開始する。だが銃口に浮かぶ雷球の輝きは、常のそれの比ではない。

 

「へへっ、すげえや・・・こんなん撃ったら、どうなるかわからねえぜ!」

 

 冷や汗を浮かべながらモリィが笑う。

 ヒョウエとメルボージャの秘策、それこそが"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"再生計画。

 天然の魔力の大規模生成器官であり術式演算装置である"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。

 単に強力な強化具現化術式と言うに留まらず、魔力強化装置であり、魔力のキャパシタである青い鎧であれば、それを再現することは不可能ではない。

 製作者ならではの理解で構造を組み替え、水晶の心臓の代用となるような具現化術式に再構成する。青い鎧という具現化術式にはそれだけのキャパシティがあった。

 

 ただしそれだけでは足りない。

 魔力を生み出す「生きた」器官となるためには魔力による衝撃を与える必要がある。

 膨大な魔力を注ぎ込み、具現化術式に「火を入れる」のだ。

 それゆえに雷光銃と銀の護符に簡単な改造を施し、護符を介して雷光銃に彼女らの魔力を注ぎ込む。

 凝縮された魔力ビームが生み出す新たな水晶の心臓をヒョウエの胸に埋め込んで、メルボージャ達が埋め込んだ魔造心臓と接続すれば青い鎧復活というわけだ。

 

 だが。

 

「くふ。くふふふふっ!」

「何がおかしい」

 

 拳撃を中断して後退した黒い鎧の含み笑い。

 いぶかしげな顔のサーベージに、更に笑いがこみ上げる。

 その後ろでは厳しい顔のメルボージャとヒョウエ。

 

「残念でしたワネッ、姉様! 多少組み替えたとは言え、その規模の具現化術式に火を入れるには少ォォォ~~~し、魔力が足りませんワッ!

 それとも姉様が魔力を融通しマス? 姉様の支援抜きでは、流石に旦那様が持ちこたえられないでしょうケドッ!」

「くっ・・・」

 

 

 

 地上。

 司令部のカレンの胸元で銀の護符が光っている。

 姉は弟を想い、それを服の上からそっと握りしめた。

 

 同時刻。

 宮殿のカーラ王女の部屋でもリーザと、サナが同様に護符を握りしめている。

 驚いたカーラがリーザに駆け寄った。

 

「どうしたのリーザ? サナも!?」

「ヒョウエくんに・・・力を送っているんです・・・」

「! わたし! わたしもお兄様の力になる! どうすればいいの、リーザ!」

「これを」

 

 胸元から銀の護符を取り出す。

 それはもはやまばゆいばかりに輝いている。

 

「これを握って、ヒョウエくんのことを想って下さい。大切なお兄様のことを」

「うん、わかった!」

 

 リーザと手を重ね、輝く銀の護符を強く握りしめる。

 

(ヒョウエ・・・)

(ヒョウエくん・・・)

(ヒョウエ様・・・)

(お兄様・・・!)

 

 

 

 火花散る剣戟の応酬は再開されていた。

 高笑いしながら黒い鎧が縦横に拳を振るう。

 

「ホーッホッホッホ! 健気、健気ネエ! でも残ぁ~ん念、足りナイ! ほんのちょっとだけ足りナイ! ソウヨ、そのままもがいてナサイ! ワタシとお姉様が神になるその時を・・・」

「ここに私がいるってのよぉ!」

「なぁっ!?」

 

 その瞬間、黒い鎧が心底驚愕した。

 水晶の間の天井をすり抜けて現れたのは白を基調にした魔導ポッド、マデレイラの「ドルフィン」。その周囲には物理法則を書き換える疑似空間術式が既に展開されている。

 これを展開している間のドルフィンは物理法則をある程度無視できる。

 「物質は同時に同じ場所に存在できない」という世界の根本をなすような法則ですらだ。

 アンドロメダとイサミを介して伝わった魔力が足りないと言う情報、そして「水晶の間」の場所。それを伝えられたマデレイラは、ドルフィンを駆って地下10kmのこの場所に一目散に突っ込んで来たのだ。

 

「よし、やれい! 小娘はポッドの魔力を全てその青い塊に!」

「おう!」

「わかりました!」

 

 限界までチャージされた雷光銃の魔力ビームと、ドルフィンの魔力砲が小さな青い結晶に放たれる。結晶はその全ての魔力を吸い込み、次の瞬間大きく波打った。

 

 どくん。

 どくん、どくん。

 どくん、どくん、どくんどくん・・・!

 

「そ、そんナ・・・!?」

 

 まばゆい光がほとばしった。

 青みのかった、強い、だが優しい光。

 その光の収まった中空に舞う、今まで存在しなかった人影。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ光ささぬ地の底であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。



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10-42 一つの力、一つの心

 透き通る湖水のような青。

 紅蓮の炎のごとき赤。

 

「青い鎧・・・」

「青い鎧!」

「青い鎧ッッッ!」

 

 地底の空洞に歓声がこだまする。

 屈強な青の騎士甲冑。背中に広がる赤いケープ。

 全身から吹き上がる瑞々しい魔力がそれを自然にはためかせている。

 ヒーローは今、ここに降臨した。

 

 

 

 青い鎧――ヒョウエが両の拳を固く握る。

 

「モリィ・・・リアス・・・カスミ。リーザ、サナ。セーナ。ミトリカ。サフィアさん。マデレイラ。アルテナ。カレン姉上やカーラの心も感じる。

 みんなが僕と一緒にいてくれる。ならば――負ける道理などない!」

「・・・!」

「へっ、ったりめえだろ」

 

 大粒の汗を流し、全身の魔力を絞り尽くしながらそれでも笑みを浮かべるモリィ。

 その手には銃身の破裂した雷光銃。

 ヒョウエを想う女性たちとティカーリの力を集めて解き放ったそれは、限界を超えながらもそのつとめを果たしたのだ。

 

「・・・」

 

 そして無言で宙に浮く黒い鎧。

 面頬でその表情は見えないが、恐らく悪鬼羅刹の如きそれを浮かべているのだろう。

 良く見れば、握った拳が怒りで震えている。

 だが今はその身にまとう圧倒的な暗黒の魔力でさえ、青い鎧の放つ清冽な輝きに押し戻されているかのようだった。

 

「へっへ、それじゃ真打ちも出て来たことだし、前座は下がるとするか」

「そうですね。なにぶんお年ですし、あいつの相手は骨身に染みたでしょう」

 

 笑みを含んだ声でヒョウエが謝意を表すると、拳の甲でがつん、と胸当てを叩かれた。

 

「あいつ如き、何百合打ち合おうが屁でもねえよ。ただ刀身がな・・・三池典太がありゃあ良かったんだが」

 

 そう言うサーベージの佩刀には、確かにいくつかの刃こぼれが見て取れた。

 三池典太光世。平安時代末期の名工初代光世の打った刀をそう呼ぶ。

 重く、分厚く、古風にして豪壮、魔を払う力を持つと言われる。

 サーベージこと柳生十兵衛三厳の愛刀として知られるが、残念な事にこちらの世界には持ち込まれていなかった。

 

「わしが作ってやったカタナじゃ! 文句を言うならその辺の木ぎれでも使っておれ!」

 

 下のメルボージャから怒声が飛び、師弟揃って肩をすくめる。

 

「じゃあな。俺は一抜けだ。高みの見物と行かせて貰うぜ」

「ご安心を。師匠の出番はもう幕が下りた後の挨拶だけですよ」

「へっ」

 

 今度は笑顔で、青い鎧の胸当てをコツンと叩くと、サーベージは地面に降りていく。

 

「・・・」

「・・・」

 

 輝く青とわだかまる黒が、ここで初めて相対した。

 互いに互いを見据えて微動だにせず、一言も発さない。

 

「・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 地上で見上げる面々もしわぶき一つあげない。夫の刀を修復するメルボージャすら、視線は上空の二人を見上げ、発する魔力も最小限にしている。

 まるで声を上げることで何か取り返しのつかない事が起こってしまうかのような。

 

 唐突に閃光と轟音が走った。

 まばゆい閃光はぶつかり合った魔力からほとばしる稲妻。

 天地を揺るがす雷鳴は、弾けたそれが空間を引き裂いた轟音。

 どちらから動いたとも知れないそれらは大空洞の中空に停止し、ただ見えない速度の拳を互いに打ち合う。

 

「ぬう・・・!」

 

 達人の中の達人であるサーベージですら、目だけでは追い切れない。

 相対すればこそ、まだ空気の流れや音、気配で追うこともできようがこの距離では。

 

 二人の拳の応酬をしかと見て取れたのは、この中では《目の加護》を持つモリィだけ。

 その彼女でさえ時折影しか見えない一撃がある。

 

「・・・」

 

 手に汗を握る。

 二人の戦いはもはや超人の域すら超えて神の域にすら届くかと思われるほどだ。

 

 雷鳴が轟き、稲光が空洞をまばゆく照らす。

 どちらの勢いも僅かにも衰えない。

 稲光がますます強くなる。

 震動が洞窟全体を揺らし始め、天井からパラパラと石くれが落ちてき始めた。

 

「・・・チッ」

 

 舌打ちして、黒い鎧(クリス)が間合いをとった。

 青い鎧(ヒョウエ)もそれを追わない。

 

「・・・はあっ・・・」

 

 誰かが大きく息をついた。

 余りの緊迫感に、思わず呼吸を忘れていたらしい。

 黒い鎧が眼下のセレスとその肉体が封じられた水晶を見下ろす。

 

「ここで戦えば姉様の体にも被害が及ぶわ。河岸を変えましょう」

「いいでしょう」

「■■■■■■■■■■■」

 

 青い鎧が頷いたのを確認すると、黒い鎧は両手を広げて真なる言葉で詠唱を始めた。

 

「■■■■■■■■・・・■■■!」「おおっ!」

「これは・・・!」

 

 メルボージャをはじめとしたギャラリー達がざわめく。

 周囲の光景にひびが入り、薄片となって剥がれ落ちる。

 ヒョウエと三人娘、アルテナにとってはかつて見た光景。

 

 幻夢界の狭間に作られた、悪魔ヴェヴィスの楽屋の洞窟。

 六千年前のクリス・モンテヴィオラの姿を借りて現れた現在のクリスが発動した術。

 空間にヒビを入れて穴を作り、別の空間を上書きしてその場の全員を強制的に移動させる。

 召霊術を応用して転移術を組み合わせた、霊魂の神(スィーリ)と並ぶ召霊術のスペシャリストの面目躍如。

 

「ここは・・・」

 

 青い鎧が周囲を見渡す。

 

「そっ。ワタシたちの決着をつけるのにふさわしい舞台じゃないかしら?」

 

 笑みを含んだ黒い鎧(クリス)の声。

 青い鎧(ヒョウエ)が無言で頷く。

 対照的にセーナは愕然とした顔。

 

「なんだ、ここは!?」

「そうさの、世界の外・・・平たく言えば月の上じゃよ」

「月!?」

 

 言ったきり、セーナが絶句する。ティカーリやサフィアも同様だ。

 一方で三人娘とアルテナは落ち着いている。

 

「あの時と同じってわけか」

「完全に同じではないがの。世界の外という意味ではそう考えてさしつかえない」

 

 石と砂だけが広がる、荒涼とした不毛の大地。

 暗闇の空、またたかない無数の星。

 そして頭上に輝く月よりも巨大な青い星。

 

「じゃああれが・・・」

「ああ。わしらの住んでいた世界・・・惑星サイモックじゃよ」

 

 頭上に見える青い星の茶色と緑に彩られた部分――マルガム大陸、ディテクの辺りを見ながらメルボージャが頷いた。 

 黒い鎧から漏れる含み笑い。

 

「ンフフフフ、いいわね、その顔。どう? 楽しんでくれたかしら?」

「まあ確かに一見の価値はあるな」

 

 モリィが肩をすくめる。

 セーナ達は未だに驚愕から回復し切れていない。

 

「そ、どういたしまして。さて、それじゃあ第二ラウンド・・・行きましょうか?」

「いいでしょう」

 

 青と黒、二つの騎士甲冑が互いに向き合い、拳を構える。

 ごくり、と誰かが唾を飲みこむ音。

 稲光が走り、雷鳴が轟いた。



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10-43 レベルを上げて物理で殴る

 空が割れる。

 大地が鳴る。

 

 稲妻が縦横無尽に空を走り、腹の底に響く轟音がひっきりなしに轟く。

 もはや音ではない。人間の体の底まで揺さぶるそれは大気の衝撃波。

 

 空間が歪むのではないかと思われるほどの魔力の爆発。

 渦巻く大気が暴風を生む。

 ここが地上の空であったなら、どれほど分厚い暗雲も綿のように引き裂かれ、分裂四散していただろう。

 

 そしてそれらの現象全てを引き起こしているのが、かたやオリジナル冒険者族、片や真なる魔術師とは言え、たかが人間二人。

 地上からはもはや魔力の輝点としてしか認識できぬそれらは、空の端から端までを縦横に飛び回り、ぶつかり合い、また離れる。

 

 爆発。雷光。衝撃波。震動。

 金属や石など、何か固いものを無理矢理に引き裂くような音がひっきりなしに響く。

 それはあたかも世界の悲鳴。

 腹の中で暴れる規格外の怪物どもに耐えきれない天と地のうめき。

 

 黒い鎧の両手を組んだハンマーパンチが青い鎧の後頭部に炸裂した。

 地表スレスレまで叩き落とされた青い鎧が、V字を描いて急上昇する。追撃を与えようと急降下してきた黒い鎧と、飛行の軌跡が交わる。

 交錯点で魔力の爆発。

 今度炸裂したのは青い鎧の右拳。

 下から伸び上がる、全身の勢いを集中したアッパーが綺麗に決まった。

 

 錐もみをして落下する黒い鎧を追撃。

 黒い鎧もすぐさま体勢を立て直して拳を振り上げる。

 足を止めての打ち合い。

 互いに回避も細工もない、真っ向勝負の殴り合い。

 一撃一撃に大地を砕く力がこもり、天を引き裂く魔力が放たれる。

 地上からその戦いの全てを見て取れるのはただ一人、モリィのみ。

 

「・・・」

 

 無言で天を見上げる。

 ヒョウエの相棒を自称するこの少女の心は、自分でもおかしいと思う位落ち着いていた。

 ダンジョンの奥で初めて会った日からまだ一年弱。

 それでもこの奇矯な少年は、モリィにとって自分の全てを預けるに足る相棒になっていた。

 少なくともモリィはそうだ。

 ヒョウエの方もそうであると信じたい。

 

(しくじんなよ、タコスケ)

 

 自分の唇が笑みを作っていることに、少女は気付いていなかった。

 

 

 

「・・・」

 

 いつの間にか固く握っていた右手にリアスは気付く。

 甲冑が重い。ほとんど全ての蓄積魔力を雷光銃に注いだからだ。

 ちらりと傍らを見る。

 常に冷静沈着な(時々怖い)妹のような従者がこれ以上ないほど真剣な表情で天を見上げている。

 

(・・・勝利を。どうか勝利を)

 

 視線を頭上に戻し、リアスは心から祈った。

 

 

 

「・・・」

 

 カスミはひたすらに上を見続けている。

 初めて会ったときは、正直自分と大して変わらない子供が魔導技師など何の冗談だと思った。

 その後のあれこれでリアスが惚れ込んでしまい、どうすればうまく行くかなどと算段していたが・・・いつの間にか自分の方が好きになってしまっていた。

 主にして姉の想い人であるのに。

 

(今は考えるまい)

 

 どのみち、この戦いに負ければ全ては終わる。

 だから只今は願うだけ。

 

(どうか、どうか無事のご帰還を)

 

 

 

「・・・」

 

 セーナも、ミトリカも、サフィアも。

 地上で待っているリーザとサナも、カーラもカレンも。

 無論メルボージャとサーベージ、ティカーリも願っている。祈っている。

 ただひたすらに彼の勝利を。

 

 

 

 打ち合っていた両者がどちらからともなく離れる。

 

「・・・」

「・・・」

 

 沈黙。

 それを破ったのは、黒い鎧の方。

 

「くふふふ。凄いじゃない、驚いたわ。まさかワタシとここまで打ち合えるなんてねえ?

 流石に『これ』のオリジナルと言った所かしら」

「・・・」

 

 青い鎧は黙して答えない。

 ただ油断なく黒い鎧の動向を注視している。

 

「でもそろそろ息苦しくなって来たんジャナイ? ここは月面でもあるけど同時に水晶の間でもある。黄金竜の迷宮、その中でも特に"魔素(マナ)"の濃い水晶の間と同じ魔素濃度。

 高い魔力は扱いなれてるでしょうけど、これだけの魔素はどうかしら?

 真なる魔術師であるワタシたちでさえ、そう簡単には適応できなかった魔素量よ。

 そろそろ体が辛くなってきたんじゃなくて?」

「・・・」

 

 無言。

 肩をすくめて黒い鎧は言葉を続ける。

 

「それにそのまがい物の水晶の心臓。ここまでよくやっているけど、調子はどう?

 余り激しい運動をしてると、お年寄りみたいにぱったり倒れちゃうカモよ?」

「問題はない」

「あら、初めて返事してくれたわね」

 

 驚いたように両手を広げる黒い鎧。

 そんな相手にも頓着せず、青い鎧は淡々と言葉を続ける。

 

「さっきも言ったはずですよ。この心臓にはみんなの心がこもっている。

 それが僕の心と結びついたなら負けるはずがないんです」

「まっ、純愛! おニイさん妬けちゃうわ!」

 

 けらけらと笑う黒い鎧を前に、青い鎧は拳を構える。

 

「おしゃべりの時間はこれくらいにしておきましょう」

 

 黒い兜の下で笑う気配。

 

「そうね」

 

 黒い鎧もまた構える。

 静かな対峙。

 

「!」

「っ!」

 

 僅かな沈黙を経て、再び天地を引き裂く音が轟いた。

 

 

 

 雷光が爆発する。

 空間が引き裂かれ、時間の流れが加速する。

 互いに膨大な魔力を持ち、数多の術を会得していても――ましてやクリス・モンテヴィオラは正真正銘の真なる魔術師であるのに――それを使おうとはしない。

 互いに魔力が高すぎて、魔力同士の干渉で術を弾かれるからだ。

 

 ゆえに、相手を倒そうとすれば魔力を込めた物理攻撃に頼るしかない。

 それも強化した自分の拳こそがもっとも効率がいい。そもそもこれほどの魔力に耐えうる武器など、鍛冶神(ファラマー)ですら鍛えられまい。

 互いに魔術を極めたがゆえの先祖返り。もっとも高度な技術を極めた者同士が、もっとも原始的な手段で相手を打ち倒さんとする奇妙な光景。

 そのぶつかり合いが世界を揺るがす様は、さながら天地創造前の混沌か。

 

「む?」

 

 青い鎧が僅かに困惑の声を漏らした。

 

(黒い鎧のパワーが・・・上がっている?)

 

 含み笑い。

 激しい打ち合いの中でも、それは何故かはっきりと聞こえた。

 

「ワタシもね、ただあなたの鎧を借りてるだけじゃないの。ワタシなりに工夫はしているのよ。真なる魔術師の技の冴え、とくとご覧なさいナ」

 

 ウインクをする気配。

 兜で顔は全く見えないにもかかわらず、それがわかる。

 そしてその瞬間黒い鎧の拳が、青い鎧の顔面に初めてクリーンヒットした。



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10-44 屈服の証

「ヒョウエっ!」

「え・・・リアスさん?」

「ヒョウエ様は大丈夫なんですか?!」

 

 地上から悲鳴が上がる。

 確かに見てとったのはモリィだけだが、彼女の様子を見れば何かが起こったのはわかる。

 今まで流れるように空を切り裂いていた青い輝点が、ふらふらと左右に揺れれば尚更だ。

 

「・・・取りあえず一発貰っただけで何とか立て直したような感じだがどうだ?」

「そんな感じだな。けど、さっきまで互角だったのが明らかに押されてる。やべえぞ」

 

 サーベージの問いに、頭上の輝点から視線を外さないまま答えるモリィ。

 その目には黒い鎧(クリス)の猛攻を必死で耐える青い鎧(ヒョウエ)の姿がはっきりと映っていた。

 

 

 

「ホラッ! ホラッ! ホラホラホラホラホラホラホラァ! さっさとどうにかなっちゃいなさいヨッ!」

「くっ・・・!」

 

 呪鍛鋼の籠手に包まれた黒い拳の連打。

 もはやそのスピードも力も、青い鎧のそれをはっきりと上回っている。

 かろうじてブロックはしているが、もはや攻撃を繰り出す余裕はない。

 防御専念していてすら、一つ間違えば直撃を貰いかねない猛攻。

 

「あっ・・・」

「モリィさん!?」

 

 《目の加護》を持つ少女が思わず漏らしたうめきにサムライの少女が反応するが、モリィがそれに答える前に青い鎧が地面に叩き付けられる。

 土ぼこりが上がり、月面にもう一つクレーターが増えた。

 

「・・・」

 

 クレーターの中心、大の字に横たわる青い鎧。

 ゆっくりと、暗紫色のマントをなびかせて降りてくる黒い鎧。

 それは、誰の目にも明らかな勝者と敗者の姿だった。

 

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 何かを言いたいが、何も言葉が出てこないモリィ達。

 ミトリカやサーベージでさえ一言もない。

 

 黒い鎧がクレーターに降り立った。

 地に横たわる青い鎧にゆっくりと歩み寄る。

 

「・・・」

 

 青い鎧が僅かに身じろぎする。

 その傍らに立って、黒い鎧がそれを見下ろした。

 

「くふふ。勝負あり、ネ。降参しなさい、ヒョウエくん。

 ソウすれば悪いようにはしないワ。天へ昇れば水晶の心臓も不要だし、アナタに返してアゲル。

 ね、悪い条件じゃないデショ? 大丈夫、嘘はつかないわ」

 

 腰に手を当て、余裕の声音で語りかける。

 実際その通りなのだろう。できればヒョウエを殺したくないのも、不要になった水晶の心臓を彼に返していいと思っているのもクリスの本音。

 

「・・・」

 

 青い鎧が身を起こした。

 膝立ちになって黒い鎧を見上げる。

 

「ごめんね、痛かったでしょう? でももう何もしなくていいの。ワタシたちは天に昇る。後は好きにしなさい」

 

 黒い鎧が手をさしのべる。その声ににじむのは優越感と勝利の確信。そして自分が失敗することはないと確信する狂気。

 ひざまずいた青い鎧がその手を握った。

 それは誤解しようもない屈服の形。

 

「・・・・・・・・・・っ!」

「くっ・・・・・・!」

 

 モリィ達があるいは歯を食いしばり、あるいは目をそらす。

 クリスが兜の下で笑みを浮かべ、その手を握りしめた瞬間、その音が鳴った。

 

「!」

 

 モリィ達が一斉に顔を上げる。

 鳴り響いたのはファンファーレ。

 彼女たちが何度も聞いた、ヒーローの先触れを告げるそれ。

 

 彼女たちの目には何か変わったようには見えない。

 黒い鎧の前にひざまずいた青い鎧。

 

 だがモリィの目には黒い鎧が小刻みに震えているのが見えた。

 セーナとカスミ、サフィアの耳にはファンファーレに紛れて異音が聞こえていた。

 

 みしり。

 べきべきべきっ。

 

 黒い鎧の右手が甲冑ごとひしゃげる。

 呪鍛鋼の籠手が握りつぶされ、手の骨が砕ける。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 

 黒い鎧(クリス)が膝をつき、声にならない絶叫を上げる。

 それを見下ろすのは完全に立ち上がった青い鎧(ヒョウエ)

 先ほどまでの構図の、それは逆転。

 

「え・・・」

「なんだと・・・」

「ど、どういう事だ!?」

 

 呆然と言葉を漏らすモリィ達の目の前で、青い鎧(ヒョウエ)黒い鎧(クリス)の右手を離した。

 固めた拳が黒い鎧(クリス)の顔面に炸裂し、面頬がひしゃげる。

 黒い鎧(クリス)はそのまま吹き飛ばされ、数キロ水平に飛行してからクレーターの斜面に激突して巨大な土ぼこりを上げた。

 

 

 

「よっしゃっ! 小僧め、やりおった!」

 

 メルボージャが拳を握った。

 戸惑った顔のサーベージが、一同を代表して妻に尋ねる。

 

「お、おいババァ。こりゃあ一体どういう事だ?」

「ふふふ、それはな・・・」

 

 老婆が笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「ど、どーゆーコトよ一体・・・!」

 

 黒い鎧が土ぼこりの中から飛び上がる。

 その目の前には既に青い鎧。

 

「あり得ないわ! 仮にあなたの新しい心臓が元のそれと同じだけの出力を叩き出せたとしても、ワタシは真なる魔術師よ!? オリジナル冒険者族とは言え、今の人間とは基礎能力が違うわ!

 おまけに世界最大の竜脈に流れる魔力をそのまま使えるのよ!? 

 どう考えたってアナタの二倍以上の魔力があるはずだわ!」

 

 握りつぶされた右手は既に修復されている。だがクリスの口調には、右手を握りつぶされていたときと同じくらいの恐怖と疑問の響きがあった。

 

「確かにそうですね。ただし、僕単体ならの話です」

「単体? まさか、アナタもワタシ同様にどこかに魔力ソースを用意してたっていうノ? だとしてもこの金龍の竜脈に匹敵するほどの魔力なんて・・・」

「僕の周囲の魔力と魔素を精密に観察してみればわかると思いますよ」

「・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・!?」

 

 いぶかしげに"魔力解析(アナライズ・マジック)"を発動したクリスが絶句する。

 その目に見えたのは、周囲の魔力と魔素を吸収し続ける青い鎧の姿。

 

 

 

「つまり、小僧めは周囲の魔力と魔素を吸収しておのれの魔力とする術を身につけおったのよ。そうでなくば水晶の心臓なしでル・ユフルの雷撃を凌げるわけがない」

「そうか、周囲の魔力を吸収することで出力差をおぎなったんですね!」

 

 サフィアがぱちん、と指を鳴らす。

 

「そういうことじゃ。とはいえ現代世界の大気に含まれる魔力はそれほど大したものでもない。しかし神代でも稀に見るレベルの魔力と魔素の濃度を今なお保っておる黄金竜の迷宮の、それも最深部なら・・・」

「使える魔力は無限ってことじゃの」

「いかにも」

 

 アルテナの言葉に、メルボージャが満面の笑みで答えた。



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10-45 魔王降臨

「馬鹿な・・・馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な! アリエナイッ!

 周囲の魔力を吸収する・・・大周天の法ですって!? 真なる魔術師(ワタシたち)の中でも、お姉様と精霊神(アウレリエン)だけが習得できた秘術ヨ?! それがいくらオリジナル冒険者とは言え、現代の魔術師ガッ!」

「コツを掴むまでちょっと苦労しましたけど、色々修羅場をくぐらせて貰いましたからね。悪魔とか、妖魔とか、真なる魔術師とか。それに黄金の迷宮の魔力濃度と魔素濃度ですか。これがなければ多分習得は出来ませんでしたね」

「~~~~っ!」

 

 クリスが歯がみする。

 それもそうだろう。言わば最大の敵を自分自身で育ててしまったのだ。

 しかも自分が習得できなかった高度の術をだ。

 だがそこでふと違和感に気付く。

 

「・・・嘘じゃない。嘘じゃないと思うけどそれだけじゃないわね? 大周天の法を修めたとしても、その出力は周囲の魔力と魔素に比例する。

 たとえ黄金の迷宮とは言え、せいぜい互角がいいところ。いくらなんでも竜脈を抑えたワタシを圧倒する程の出力は出せないはずよ」

「ご明察」

 

 兜の下でニヤリと笑う。

 

「とは言えこちらは単純な話です――あなたがその鎧を使いこなしてないからですよ」

「!?」

 

 本日何度目かの絶句。

 とはいえこれは無理からぬことである。

 魔力量においてはまだしも、『技術で』負けていると言われたのだ。

 神代の真なる魔術師であるクリスが、現代の魔術師であるヒョウエに!

 

「馬鹿ナッ! 確かにこの具現化術式は見事な代物よ!? 念動による身体能力の強化に周囲への念動、術式演算能力強化に魔力自体の増幅機能まである!

 でも真なる魔術師であるワタシがそれを解析できないなんて、あり得ない!」

「ああ、そういう意味ではなく、もっと単純なことです」

「・・・?」

「同じ道具なら使い慣れてる方が強いでしょう? それだけのことです」

「あ・・・!」

 

 極々単純な理屈。

 技術と知識では圧倒的に優れるクリスが見落としていたこと。

 その優れた技量ゆえに、機能を把握していれば術式は使いこなせるというおごり。

 ヒョウエの指摘はそこを的確に突いていた。

 

「同じ術式でも使い慣れていればより効率よく、より高い出力を叩き出せます。

 それが元々僕専用に組み上げられたものなら尚更でしょう」

「・・・」

 

 もはや言葉もないクリス。

 握った拳がブルブルと震えている。

 

「さて、あなたは礼儀にのっとって降伏勧告をしてくれましたし、僕も一応礼儀を守りましょう。クリス先生、降伏するおつもりはありますか?」

「・・・」

 

 黒い鎧の拳の震えが強くなり、全身に波及する。

 そして激情が爆発した。

 

「フザけるナァッ! 六千年、六千年待ったのよ! それを・・・それを今更・・・・がっ・・・」

 

 黒い鎧の言葉が途切れる。

 その胸に突き刺さるのは青い鎧の手刀。

 

「では返して貰いましょう」

 

 抜き出した手が握るのは握り拳ほどの透き通った水晶。

 "隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"、ヒョウエが――クリスの仕掛けた召喚術式の影響で――生まれ持った強力無比な《加護》にして天然の具現化術式。

 今、それがヒョウエの手に戻ってきた。

 

「ぐ・・・がが・・・」

 

 ふらふらと、胸を押さえて黒い鎧が後退する。

 ヒョウエと違って自前の心臓は別にあるものの、体に埋め込まれていたそれを引きちぎられた苦痛と魔力の低下は隠し切れない。

 これで黒い鎧の魔力はおおよそ半減。完全に青い鎧の敵ではない。

 それを見やる青い鎧の視線からも、声からも感情はうかがえない。

 

「・・・もう一度聞きますよ。降伏するおつもりは?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「そうですか」

 

 左手に水晶の心臓を持ったまま、右手を拳の形に構える。

 だがそれを突き出そうとした瞬間、クリスの口が一つの真の言葉を放つ。

 

■■■■■■■(来たれ、闇の世界)

「!?」

 

 巨大な気配がその場に現れる。

 以前、ヒョウエが心臓をえぐられた時のような。

 咄嗟に飛び退いた青い鎧の目の前で、黒い鎧が爆発的に膨れあがった。

 

「――――――――!」

「先生!」

 

 クリスの無音の悲鳴。

 それは肉体の変形と共にぶっつりと途絶える。

 びりびりと、震動が伝わる。

 大地だけではない。空間そのものが揺れている。

 

「な・・・なんだこいつぁ」

「クリスめ・・・呑まれよった」

 

 メルボージャが発した絶望的な声音に、全員の視線が集中する。

 

「どういう事だよ婆さん!?」

「自分が喚んだ最上位悪魔に、体も魂も乗っ取られたと言う事じゃ!」

「それではあの方は・・・」

「心も魂も食い尽くされて残ってはおるまい・・・召喚の術は心身共に万全の準備を整えて行えと、口を酸っぱくして言って聞かせたじゃろうが・・・馬鹿が」

 

 悲しみと怒りと無力感のない混じったメルボージャの声。

 サーベージがそっとその肩を抱いてやった。

 

 

 

 黒い鎧だったものは恐ろしい勢いで増殖・巨大化を続ける。

 100mを遥かに超え、1kmを越えた。それでも勢いは衰えず巨大化し続ける黒い塊。

 青い鎧が、手元の水晶の心臓に視線を落とした。

 そしてしばしの後。

 

「モリィさん・・・どれだけあるんですの?」

「・・・ざっと3kmってとこだな。いや、もうちょいか」

 

 空を見上げる。

 その偉容に、今は首の痛さすら感じない。

 全高3kmを越える巨大なヒトガタ。

 金属の板を組み合わせて作られた巨大な人間のかたち。

 頭の両脇には角。真っ黒い顔には赤い二つの目だけがらんらんと輝いている。

 

「魔王って奴でしょうか・・・」

「さあの。わしも世界の外に関してはそこまで詳しくはない」

「か、勝てるの、あれに・・・?」

 

 ティカーリの声は震えている。

 その肩をセーナが抱いてやった。

 言葉を引き取るのはサーベージ。

 

「さあな。だが小僧はやる気のようだぜ」

「!?」

 

 突然、まばゆい光が闇を照らした。

 山よりも巨大な存在を焼く光の収束は青い鎧の必殺技の一つ、"太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"。

 この場に存在する魔素と魔力をつぎ込んで放たれたそれは、通常時の数倍から数十倍の威力を誇る。

 だが。

 

「■■■■■■■■」

 

 巨大な闇の影が右手を上げる。

 

「っ!」

「?!」

 

 無色の衝撃波がほとばしった。

 不可視のそれは余波だけで地上のモリィ達を討ち倒し、大地にしがみつかせる。

 それを正面からまともに食らった青い鎧は少し飛ばされた後、体勢を立て直す。

 しかし集中が途切れたのか光の収束は途絶えた。

 

 英雄(ヒーロー)魔王(ギガンティス)

 どちらもまだ、小手調べですらない。




大周天は気功の奥義の一つ。
宇宙の気を吸収し、また吐き出す技法だと言われます。


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10-46 ファイナルクライシス

「よし、大丈夫っぽいな・・・うわっ!?」

 

 モリィ達が立ち上がろうとしたところで今度は暴風が吹き荒れた。

 

「おいババァ!?」

「わかっとるわ! 全員わしのそばから離れるなよ!」

 

 叫んだのはサーベージとメルボージャ。

 戦人の勘でやばそうな徴候を察知した夫と、青い鎧の能力を知るがゆえに何が起きたか気付いた妻。

 "太陽神の眼(マドゥロク'ス・ゲイズ)"と並ぶ青い鎧のもう一つの必殺技"冬神の吐息(テトラ・ブレス)"。

 大気中の空気を圧縮冷却して相手に叩き付ける、絶対零度の吹雪。

 その、前段階(・・・)

 

「周囲の空気を集めるだけでこれですか!?」

「今の奴が今までの奴と同じとは・・・」

 

 思うな、と言おうとしたところで冬神の吐息(テトラ・ブレス)が炸裂した。

 3kmを優に越す巨体が、ほとんど全部白い霜に覆われる。

 キラキラ光るダイヤモンドダストが風速100mを越えるであろう暴風に巻かれて渦を作っている。

 たとえようもなく美しく、恐ろしい光景。

 

「お前ら絶対にわしから離れるなよ! 結界の外に出たら、人間なんぞ一瞬で氷結した上で粉々じゃ!」

 

 恐らく気温は零下百度を下回る。

 余波ですらこれなのだ、いかにあの巨体でも無事では済むまい――そう思っていたところで、巨大な氷の塊が降ってきた。

 

「なんだ!?」

「あいつから剥がれた氷だよ! 霜みてぇなもんだ!」

 

 確かに良く見れば、巨体が身じろぎしてその体から白い粉のようなものがパラパラと落ちてくる。

 それも山より大きな巨体だからそう見えるのであって、実際には一トンを超えるような巨大な氷塊があられのように落ちてきていた。

 

「・・・」

 

 誰かが何かを言おうとして、魔王が今度は口から魔力光を吐いた。

 差し渡し一キロはありそうな極太の、そして超高密度の魔力の束。

 メルボージャでさえも戦慄を禁じ得ない。

 地平線をかすめ、星空の彼方へと消えていく光芒。

 恐らくかすった部分の大地は、数十キロにわたって溶解しているだろう。

 

「・・・ヒョウエ!」

「ああ、無事だったかヒョウエ!」

 

 光芒が途切れた次の瞬間、周囲数十キロに舞うダイヤモンドダストを透かし、モリィの目が青い鎧を捉えた。

 左手を正面に突き出し、サヌバヌールとの戦いの時同様"暗黒の星(Rahu)"を起動させて魔力吸収力場を展開している。

 安堵の息が漏れたところで魔王が身じろぎした。両手を持ち上げ、広げる。これまでの邪魔な羽虫を叩き落とすような風情ではなく、青い鎧を本格的に敵と認めた態度。

 

「来るか・・・!」

 

 ウォーミングアップは終わった。戦いが始まる。

 

 

 

 半歩、魔王が前に出た。

 3000m級の巨体の半歩。

 それだけでも烈震と言うほどの震動がモリィ達に伝わる。

 サフィアが額の冷や汗をぬぐった。

 

「これは・・・今更だがとんでもないね」

「なあに、姐さん。あいつも同じくらいとんでもねえさ」

 

 同じく冷や汗を浮かべながらもニヤリと笑ってみせるモリィ。

 

「確かに」

 

 サフィアもまた笑みを浮かべた。

 

 戦いは、二人が言ったとおりのものになった。

 星空が歪み、大地が裂ける。

 先の青い鎧と黒い鎧の戦いが前座に思えるほどの天変地異。

 魔王が空間を歪めれば、それを青い鎧が純粋な膂力で打ち砕く。

 青い鎧の渾身の突撃を、魔王が開いた両手で受け止める。青い鎧の拳はサイズからすれば紙一重――1mほどの距離を残して届かない。

 魔王の右肩が爆発し、青い鎧が暗黒の球体に飲み込まれる。

 

 それら天変地異に巻き込まれても、それでも互いに目だった傷はない。

 地上の人間たちは、そうした神々の戦いを傍観するしかなかった。

 

「おい、ババァ! これ大丈夫なのか?! 巻き込まれたら一巻の終わりだぞ!」

「安心せぇ。さっき、本体が目覚めたからの」

 

 その言葉と共に、老術師の姿が水晶の中に封じ込められていた白い魔女のそれに変わる。

 

「ババァ・・・いやセレス!?」

「この空間は月面であると共に水晶の間でもある。竜脈の制御も取り戻しましたし、あれに介入は出来なくてもこの場の面々を守ることくらいはできるでしょう。

 ――ヒョウエ! そう言う事です、やっておしまいなさい!」

 

 その声に応えて中空の青い鎧が左手の親指を立てる。

 直後、重力が反転した。

 

「にゃっ!?」

 

 ミトリカが上方に吸い上げられ、白い魔女の張った結界にピタリと張り付く。

 他の面々も浮き上がり、同様に結界の天井に吸い付けられた。

 地上に足をつけているのは白き魔女セレスのみ。

 

「なんっ・・・ですかこれは・・・!」

「上を見なさい。あの黒い球体が答えです」

「・・・!」

 

 戦慄が走る。

 中空に魔王が作り出したのは漆黒の球体。

 見た目はヒョウエの"暗黒の星"に似ているが大きさと、何より性質が違う。

 魔力を吸収する"暗黒の星"に比べて、それは周囲の全てを吸い込む暗黒の轟洞。

 いや、それは黒ですらない。向こう側の星の光を遮り、星空すら歪める「何か」がそこにあることがわかるだけ。

 

「ブラック・・・ホール!」

「メルボージャ様・・・いえ、セレス様。何ですかそれは?」

「ニホンの言葉です。命尽きた太陽が変じることがある、無限の重力のうろ。人も星も光も、何もかもを飲み込んでしまう無窮の穴・・・!」

 

 既に青い鎧の姿は見えない。

 

「そんなものに呑まれたら・・・!」

 

 顔に絶望を浮かべるセーナ。その言葉が終わらぬうちに、光の円環が無の轟洞をくるりと一周した。

 

「え? ・・・うわっ!」

 

 無明の虚が消滅する。

 天井にはりつけにされていたモリィ達が下に落ち、セレスの生んだ見えないクッションがそれを受け止めた。

 

「あいつぁ・・・」

 

 モリィの目に映ったのは、刃渡り1kmはあろうかという光の剣を手にした青い鎧。

 光の剣の柄になっているのは、ヒョウエ愛用の呪鍛鋼(スペルスティール)の杖。

 

「え、どうして!? あれヒョウエさんの鎧になってるんだよね?」

「あれはヒョウエが生み出したものじゃ。魔力さえあればいくらでも作れる」

「そう言う事ですね」

 

 アルテナの解説にセレスが頷く。

 

「もっとも、アレをどうやって切り裂いたのかはさっぱりわからんが」

「魔力は根本的に他の魔力と反発しあいます。そしてこの世の全ての現象と物質は魔力が元になっています。十分以上に収束した高密度の魔力であれば、理論上はいかなる現象も物質も消滅させられるのです。

 ――この目でそれを見ることができるとは、思ってもいませんでしたが」

 

 畏れすら感じる口調でセレスが上を見上げた。



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10-47 金色の宇宙

■■■■■(おのれ)

 

 魔王からいらだちの気配が漏れた。

 それまで機械的に――あるいは人類に理解出来ない思考パターンで――攻撃を繰り返していた魔王の、初の反応。

 それを引き出せたことに、兜の下で笑みを浮かべる。

 

「魔力の対消滅反応とでも言いましょうか。そちらの世界では違うのかも知れませんが、こちらの世界ではそうなんですよ。対霊術式を施していなくても、ある程度強力な魔力なら霊体を傷つけることが出来るのも同じ理屈でしてね」

 

 それに対する返答は、暗黒轟洞の無言の連打。光を飲み込み、空間すら歪めるこの世でもっとも「重い」攻撃。世界を歪め破壊する太陽のなれの果て。

 

「・・・!」

 

 もはや青い鎧も軽口を叩く余裕はない。

 事象を切り裂く光の剣を縦横に振るい、擬似的に再現されたブラックホールを切り裂いていく。

 切り裂かれた無色の超重力が破片となってばらまかれ、月面のクレーターを無数に増やす。

 

「ぐっ・・・くっ・・・」

 

 声が漏れる。歯を食いしばる。

 それでも飛来するブラックホールを後ろに抜かせはしない。

 この場であれば月面がえぐれる程度だが、放置してしまえば周囲の物質を吸収して本物のブラックホールになってしまう危険がある。

 そうなれば惑星サイモック、今のヒョウエの生きる世界も危うい。

 

「■■■■■■■■」

 

 人間には理解出来ない感情の波動が魔王から漏れる。

 あるいは笑ったのかも知れない。

 

「!」

 

 一際巨大な暗黒轟洞。

 斬撃が間に合わず、青い鎧がまともにそれに飲み込まれた。

 

「ヒョウエッ!」

「ヒョウエ様!」

 

 声が上がる。

 モリィでなくともわかる異変。巨大な無に飲み込まれる魔力の輝点。

 

 魔王が手を突き出す。

 無のうろが更に密度を増す。

 印を組むセレスが顔をこわばらせた。

 

「いけません、このままでは魔王本人にすら制御できなくなる恐れが・・・!」

「それは・・・世界そのものが吹っ飛ぶのではないのか? 何を考えているのだあれは!?」

「根本的に物質界(ここ)は奴の世界ではありません。場合によっては世界が消えるリスクよりヒョウエを倒すことを優先する可能性は・・・!」

「!」

 

 疑問を唱えたセーナを始め一同が絶句する。 

 更に魔力を注ぎ轟洞の密度を上げる魔王。

 

「・・・・・・・・!」

 

 誰かの奥歯がぎりっと鳴った次の瞬間。全てを飲み込む無の球体に光が走った。

 

「!」

 

 風船が割れるように消滅する暗黒轟洞。

 その中から現れたのは、光の剣を握った青い鎧。

 

「ヒョウッ・・・」

 

 歓喜の声を上げようとしてモリィが絶句する。

 視覚を強化したメルボージャと光の術で望遠鏡を作っていたカスミ、桁外れの身体能力を持つサーベージもまた。

 

「馬鹿な、青い鎧が・・・」

「砕けています・・・!」

「!?」

 

 戦いが始まって何度目の絶句であろうか。

 今度のそれは恐怖の色が濃かった。

 

 ひび割れた胸当て。

 ひしゃげた籠手とすね当て。

 ちぎれた草摺り。

 そして面頬は左半分が割れ落ちて、ヒョウエの顔が半ばむき出しになっている。

 

■■■(しぶとい)

 

 魔王から放たれる気配。今度はその場の誰もがそれを理解出来た。

 いらだち。叩けば死ぬはずの羽虫がここまで自身の攻撃に耐えている不快感。

 

「■■■・・・!」

 

 そして更なる不快感が発せられる。

 笑ったのだ。ヒョウエが。半分欠けた面頬の奥から。

 そして青い鎧の全身を魔力と術式が走る。

 術式の再具現化。鎧の欠けた部位が一瞬にして元に戻る。

 

■■■(しぶとい)■■■(しぶとい)■■■(しぶとい)■■■(しぶとい)・・・!

 ■■■■■■■■(我が勝利は揺るがぬ)■■■■■■■■■(しかるに何故負けを認めぬ)!」

「そりゃあなた、僕が勝つからに決まっているじゃないですか」

 

 にやり、と兜の下で更なる笑みが漏れた。

 それを鋭く察したか、魔王から不快感を通り越した怒りの気配。

 

「怒りましたね? ですが現実です。現実(リアル)世界法則(リアリティ)に打ちのめされ、この世界から消えてもらいましょう」

■■(!?)

 

 魔王から放たれたのは驚愕の気配。

 突如青い鎧の周囲に渦巻いたのは強大な、強大すぎる魔力。

 身の丈3000mを越す魔王と互角、いやそれを凌駕するほどの。

 

「"双心共鳴(ツインハート・ドライブ)"・・・やっと馴染みましたよ」

 

 青い鎧の胸の中で唸りを上げるのは元から彼のうちにあった"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。そして青い鎧を素体として作り上げた、もう一つの"隠された水晶の心臓(クリプトス・クリスタル・ハート)"。

 先ほど魔王が出現するまでの間にヒョウエがしていたのは、クリスから奪い返した水晶の心臓を自らに埋め込む行為。今までの戦いは肉体への融合と再接続、そして二つの水晶の心臓を共鳴させるためのウォーミングアップ。

 

「ひやひやものではありましたが、凌げる程度の攻撃でよかった」

「■■■■■■・・・・!」

 

 魔王から更に発せられる気配。

 言葉はわからないが、何であるかは明白にわかる。

 怒りだ。人間などと言う小生物に舐められた怒り。

 神と成った〈百神〉であればまだしも、肉の体を持つ低級な生命体に!

 

「■■■■■■■■■■!」

 

 魔王の魔力もまた爆発的に膨れあがる。

 これまで抑えていた本気の力。

 それでもヒョウエの笑みは揺らがない。

 

「"我、世界(コスモス)を守るものなり"」

 

 その言葉(コマンドワード)と共に、手に握っていた鋼鉄色の杖が分解した。

 青い鎧に変化するときのように渦を巻いて青い鎧の更に上から覆い被さる。

 一瞬にして再着装は完了した。おおよその形は変わらぬながら全身黄金色に輝くそれは、あたかもこの世全ての光を集めたかのよう。

 

「これが世界の力を集めた鎧(コズミックアーマー)。あなたを討つための最後の武器」

「■■■■■■―――!」

 

 もはや意味を為さぬ怒りの波動。

 それに呼応するかのように、黄金の甲冑の右拳に光が集まっていく。

 

「直線に収束させてすら暗黒轟洞を切り裂き消滅させた高密度魔力。

 さて、それを一点に集中させたらどうなると思います?」

 

 応えはない。ひたすらに怒りの波動が放たれる。

 恐らくセレスの精神防御がなければ、サーベージやアルテナですら絶息する精神の暴風。

 それをそよ風と受け流し、右拳の光はもはや正視できないほどに高まっていく。

 対して魔王の前に生み出されるは槍。暗黒と混沌の魔力から生み出した、恐らくは摂理すらねじ曲げ、存在自体を消去する魔王の切り札。

 一瞬だけ互いの視線が交錯した。

 

「■■■■■■―――!」

「受けろ――!」

 

 滅びの槍が放たれる。

 黄金の拳が光って唸る。

 

至高の(プライム・)百万の光(ワンミリオン)!」

 

 

 

 モリィ達が身構えたような、大爆発や世界の崩壊は起こらなかった。

 ただ一筋の黄金の流星が黒い滅びの槍を正面から打ち砕き、山ほどもある魔王の体を貫いた。

 魔王の体は貫かれたその一点に吸い込まれ、消滅する。同時に中空に輝く黄金の星も姿を消した。

 

「モリィ! ばーさん! ヒョウエのヤツどうなったんだよ!?」

「・・・」

 

 騒ぐミトリカ。

 それに取り合わず、ふうと息をついて緊張を解くセレス。サーベージもだ。

 

「おいモリィ!」

 

 必死のミトリカに、ニヤリと笑みを返してやるモリィ。

 

「心配するこたぁねえさ。ほら」

「!」

 

 セレスが結界を解除する。

 その彼らの目の前で、鎧を解除したヒョウエがゆっくりと地表に降り立った。




コズミックアーマーは巨大なスーパーマン型のロボット(傍目には巨大化したスーパーマンにしか見えない)。中にスーパーマンが入ってて宇宙を救った。
スーパーマン・プライムワンミリオンは黄金のスーパーマン。大体ハイパーモードで明鏡止水(ぉ


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10-48 終わりなき凱歌

 レスタラの空中要塞が爆発した。

 "星の騎士"の鋭敏な感覚は、その寸前にいくつかの影が飛び出した事を察知している。

 

「やってくれたか!」

 

 サティ、シロウ、モニカ・・・突入メンバー全員の健在を確認してその口元が緩む。

 

「今少しだ! 戦友たちよ、最後の力を振り絞ってくれ!」

 

 戦場に響く号令に、あちこちから歓声と雄叫びが上がる。

 そしてもう一つの戦いにも決着がつきつつあった。

 

「チャージ完了したわあなた!」

「了解! 全次元封鎖耐衝撃保護球(D・E・A・T・H・BALL)発射!」

 

 "ハーキュリーズ"胴体の「目」から、それぞれ光の輪を何重にも重ねたようなエネルギーの球体が発射される。

 それは炎の魔神(ザイフリート)に命中すると、周囲を覆う球体のフィールドとなって動きを封じた。

 

対巨大怪物爆裂(high-explosive anti-TITAN)パイル装填!」

「装填!」

 

 ハーキュリーズの右腕から、剣呑な巨大杭が姿を現す。

 

『・・・・! ・・・!』

 

 ザイフリートがもがくが、水の巨猿に継続して浴びせられた堀の水にそのエネルギーを大きく削られており、拘束を振り切るほどの出力を出せない。

 そこに突き込まれるハーキュリーズ右手の杭。

 

「H.E.A.T.ショック!」

 

 轟音が轟いた。

 魔力爆発によって撃ち出された杭は拘束フィールドを抵抗なく貫き、中のザイフリートと共に大爆発を起こす。

 

「よし、成功だ!」

 

 イサミが快哉を上げ、隣の妻とハイタッチする。

 アンドロメダの顔にはほっとしたような笑顔。

 炎の魔神が起こしたはずの大爆発は拘束フィールドの中に留まり、周囲に一切影響を与えていなかった。

 

 ヒョウエの協力を得てイサミが術式を設計し、妻と共に実装した全次元封鎖耐衝撃保護球(D・E・A・T・H・BALL)

 つまり、周囲をフィールドで覆って内部の爆発から周囲を守るための装備だ。

 内部で止めきれない場合は上部に力を逃がして、爆風やエネルギーが最低限周囲に及ばないように設計されている。

 

「うまくいったわね、あなた」

「こんなに早く使うことになるとは思わなかったがな。それもあれ相手に」

 

 こちらも安堵の溜息をつくイサミ。

 前回のザイフリートを見て開発した装備だが、間に合って良かったと心底思う。

 夫婦で和んでいると外から声がかかった。

 

『けけけけ、やるじゃねえか。まあ俺のおかげだがな』

「ああ、お前のおかげだ。ありがとうな、バーリー」

 

 ニヤニヤするバーリーの顔が、一瞬あっけにとられたそれになる。

 アンドロメダが吹き出した。

 

『て、てめえ何言ってやがんだ!? 悪いものでも食ったかよ!!』

「さてな」

 

 混乱するバーリーにニヤリと笑いつつ、周囲を見渡す。

 空中要塞と炎の魔神は破壊し、黒い瘴気の巨人(インフェ・ビブリオ)は動きを封じられている。

 それでも緑の悪魔と魔導甲冑はまだ残っていた。

 

「こっちは残敵掃討にかかるぞ、メディ!」

「はい! バーリー、あなたは治癒術で重傷者の支援に回ってください!」

『お、おう』

 

 歓声に送られながら離宮の奥の主戦場に踏み込んでいく家の巨人(ハーキュリーズ)。何とか気を取り直したバーリーが水の巨猿を解除し、負傷者の集められた一帯に走っていった。

 

 

 

「決めるぞご老体!」

「おうよ!」

「「融合(ユナイト)!」」

 

 真紅の飛竜(ワイヴァーン)に乗った鋼鉄の髑髏と、虹色の孔雀鷲(モチール)に乗ったエルフの老術師。

 二人の霊術師が精神を融合させて放った術式が、動きを封じられた瘴気の巨人に命中する。

 

「■■■■■■■――!」

 

 怒りの思念をまき散らし、黒い瘴気が渦を巻き始める。

 それはあっという間に加速し、渦に巻き込まれた瘴気が穴に吸い込まれる水のように消えていく。最後の瘴気が吸い込まれた後、数瞬ほど黒い穴が空中に留まっていたが、ぱちんと音を立てて消失した。

 

「よし」

「お見事」

「ご老体もな」

 

 絞り出した魔力の大きさに息を荒くしつつ、二人の術師は頷きあった。

 

 

 

「緑の障壁!」

「シーク・ハイ!」

 

 空中から落下する空中戦艦の残骸。多くは堀や離宮に落ちるが、市街地に落下するものもある。敵戦力が半減し戦力に余裕が出てきたのを幸い、障壁の術を得意とする術師たちが大きな破片から町を守っていた。

 

突撃(エアヴァファル)!」

「駆けろ、"天翔る銀の船(シルシープ)"!」

「ヒヒィン!」

 

 一方でドワーフの突撃隊やアグナムのサムライ達、ダルクの騎兵たちが残敵を掃討している。

 空中に飛び上がった悪魔達も投げ鎚や投げ槍に落とされ、叩きつぶされ、切り刻まれ、馬蹄に踏みつぶされていった。

 

 

 

「ディテク万歳! 王家万歳!」

「星の騎士万歳! "不朽なるもの"万歳!」

 

 十数分後、ついに地上の敵が掃討された。

 空中で剣を掲げる星の騎士に孔雀鷲が近づいてくる。背中には老齢のエルフが乗っていた。

 

「やったの」

「お疲れさまでした、シャンドラどの。・・・アイアン・スカルは?」

「いつの間にか姿を消したわ。『ここは我の居場所ではない』とさ」

 

 星の騎士の溜息。

 

「そうですか・・・改めて礼を言いたかったのですが」

「かっかっか! お前さんに礼を言われても困るだろうよ! そう言う間柄じゃろう、お主ら?」

 

 星の騎士の言葉を笑い飛ばすシャンドラ。

 世界最高の英雄と呼ばれた男も、これには苦笑するしかなかった。

 

 

 

 同じ頃、地下でも決着がついていた。

 サヌバヌールによってウィナーの真紅の衣は砕かれ、いくらかの犠牲者を出しながらも彼の部下たちはトンボ悪魔を全滅させた。

 鹿角の悪魔ル・ユフルもバリントンによって討ち取られ、"納骨堂(ヴォルト)"の囚人たちは降伏する。

 ウィナーに忠実だった部下たちも、捕縛され、あるいは討ち倒されていった。

 

「ぐふっ!」

 

 倒れたウィナーをサヌバヌールが踏みつける。

 

「さて、ウィナーとか言ったか。貴様小物ではあるが魔導技術においては見るべきものがある。囚人共々我に従うなら命は助けてやろう。我がために働くがよい」

「・・・」

 

 みしり、と足に力がこもる。

 

「答えを聞こうか?」

「・・・わかった。貴様の軍門に下ろう」

 

 サヌバヌールが足をどけた。ゴリラの様な顔に満面の笑み。その後ろから近づく足音。

 

「うーん、まあ当人同士で話が付いたならいいけどさあ。そいつ絶対また何かやらかすよ、サヌバヌール卿?」

 

 バリントンであった。胴鎧は傷だらけ、自前の右腕は籠手を切られてだらんと垂れ下がり、鎧の義手は左側が半ばから断ち落とされていた。

 笑みを浮かべたままサヌバヌールが振り返る。

 

「それはそれでよい。そやつがより強きものであれば、我を倒して高みを目指せばよい。それが世の理というもの」

 

 バリントンが無言で肩をすくめる。

 

「しかし、ミロヴァの支援があったとは言えあの悪魔を一人で討ち果たすとはお前にも見るべきところがある。どうだ、我に仕える気はないか。

 自前のそれはともかく、その魔導鎧の腕はそう簡単には修理できぬぞ?」

「うっ」

 

 痛いところを突かれたか、バリントンが顔をしかめた。

 実際金を積めば医神(クーグリ)の神殿で腕の接合は出来るだろうが、バリントンの「リヴァスの鎧」ほどの高度な古代魔道具を扱える人間となると、滅多なことでは見つからない。

 バリントンが溜息をついてがっくりと頭を落とした。

 

「やれやれ、ヒョウエくんにメレンゲの借りを返しに来たのに、また新しい借りができちゃうとはねえ」

「それも人生というものじゃ、若人よ」

 

 ふぇっふぇっふぇ、と老術師ミロヴァが笑った。

 

 

 

 

 最後のトンボ悪魔(ドラゴンフライ)が倒された。

 報告が入った司令部が歓声に包まれる。

 総司令官のジョエリーとカレン、"狩人"や参謀たちがほっと息をついた。

 

「髑髏王はどうした? 報告は入っていないか」

「アグナムのシロウ殿によると、本物らしき何かを発見し、とどめを刺したとのことです。詳しくは言葉を濁されていましたが・・・」

「恐らく聞いて楽しい話でもないでしょうが・・・一応こちらで聞いておきますわ、叔父様」

「頼む」

「はい。・・・!」

 

 頷いたところでカレンが胸に手を当てる。

 ジョエリーも僅かに目を見張った。

 

「叔父様、今・・・」

「ああ、俺の所にも来た。やりおったな、ヒョウエ・・・!」

 

 破顔する叔父に、開いた扇から覗くいたずらっぽい目。

 

「あら、黒幕を倒したのは復活した青い鎧だったそうですが?」

「そうだったな。だとしてもあいつの功績が大きいことには違いない」

 

 にやにやと笑みを交わす叔父と姪。

 

「・・・」

 

 それらを微妙に醒めた目で見下ろすのは"狩人"。内心何を考えているのかは察して余りある。

 ジョエリーが声を張り上げた。

 

「全軍に通達! 黒幕の魔術師を青い鎧と我が息子ヒョウエが討ち倒した! 戦いは我々の勝利だ!」

「はっ!」

 

 最高の報告が通信網を駆け巡る。

 数分後、首都の一角は歓声と凱歌に満たされた。




ハーキュリーズは巨大ロボですが、今回の必殺技の元ネタは80年代のヒーロー漫画「ウイングマン」です。
本当はデルタエンド(三体に分身してフィールドの中に封じ込め、相手を爆発させる必殺技)をやりたかったのですが、さすがに巨大ロボが分裂するのは無理臭いかなあと思って断念しました。
パーツ分割すりゃええじゃんと思うかも知れませんが、三体で「ショック!」ってやるのがかっこええんやw
・・・今考えるとこれHxHのゲンスルー達の「起爆!」に通じるものがあるな?指の形とか三つ同時にとか、デルタエンド裏返しにした様な感じ。

ちなみに「デスボール」は「Dimension Enclosure Anything Tenable Halmless Ball」の略。
10分で考えた。


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10-49 大戦争のあとしまつ、もしくはある愚かな末路

 それからの一週間は目が回るような忙しさだった。

 世界転覆を企んだ真なる魔術師は討たれた。メットーを席巻した悪魔とレスタラの連合軍は集結した英雄たちによってことごとく打ち倒された。

 しかし、話はそれで終わらない。

 生きている限り物語は続く。

 つまりどういう事かというと。

 

「後片付けが終わらないーっ!」

 

 これである。

 戦勝の盛大な宴が催され、王から一兵士、国籍も民族も関係なく勝利を喜び合った。

 各国から集った英雄たちは転移術師たちによって帰還の途につき、兵士は武器を置いてレンガを運んだ。

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"」

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「"硬化(ハードニング)"」

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"」

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「"硬化(ハードニング)"」

 

「"物質変性(マテリアル・コンヴァージョン)"」

「"物質変形(シェイプ・マテリアル)"」

「"硬化(ハードニング)"・・・」

 

 一方でヒョウエの担当は壊れた家屋の修繕だ。

 先の地上での戦闘で術師たちが最大限空中要塞の破片を防いでくれたとは言え、全てには手が回らない。

 魔導砲やトンボ悪魔の魔力光、空中要塞から降ってきた砲撃の流れ弾などもかなり広範囲に被害を与えている。そのままでは住めない家も多かった。

 

「おおー・・・」

「すっげ・・・」

「キャー! ヒョウエさまーっ!」

「ハイハイ危ないからこれ以上近づかないでねー近づくなっつってんだろお前らタイホするぞ!」

 

 瓦礫の山が形を変え、元通りの石造りの建物に再生していく様を見て、歓声と黄色い声が上がる。警邏たちはそれを抑えるのに一苦労だ。作業の合間にヒョウエが手を振ってやると、物見高い野次馬たちから更に歓声が上がっていた。

 

 先のレースで顔を売り、黒等級への昇進が発表された上に実は王子であることが広まり、とどめに今回の戦いで「青い鎧と共に戦って黒幕を討ち倒した」功績によって一躍ディテクの英雄(アイドル)に成り上がったヒョウエである。

 そこに奇跡としか思えない町の修復を見せつけられては、熱狂を通り越して崇拝するものすら出て来てもおかしくはない。

 

「まるで青い鎧だなあ・・・」

「(ギクッ)」

 

 などというつぶやきに冷や汗を流す一幕もあったが些細なことである。

 

 

 

 それでもヒョウエの物質変性によって中の家具ごと修理された町がおおよそ元通りになるのに約一週間。

 とはいえさしわたし数km四方が被害に遭ったことを考えれば驚異的な速度だろう。

 

 本人が同時に操れる術がふたつ。水晶の心臓の追加経絡によるそれが七つ。新たに追加した人造水晶の心臓による経絡が更に七つ。

 以前の二倍近い発動チャンネルと魔力、術式制御能力。

 それが破壊された家具すら一つ一つ修復する細かさと、広い範囲を一気に補修する出力を叩き出していた。

 閑話休題(それはさておき)

 

 歓声に手を振りながら、(久々に)杖にまたがって飛んで帰る。モリィ達は町の警備などの仕事を受けていて別行動なので、珍しく一人だ。

 屋敷でそれを出迎えたのはサナやリーザではなく、ヒョウエとも顔見知りのカレンづきの女官であった。周囲には護衛らしき兵士の姿も見える。

 

「お帰りなさいませ、ヒョウエ様」

「キャリスタ? あれ、今日でしたっけ」

「はい、皆様既に揃っておられます」

 

 夕食の約束である。主にカーラが「お兄様と食事したい」「お兄様の家に行きたい」とせがんだのが理由だが、折角だからと言うことで身内や友人を集めての食事会を開催することにしたのだ。

 

「そう言えばそうだったなあ。うっかりしてました」

「お忙しゅうございましたからね」

 

 侍女が微笑む。

 宮殿から出ない彼女の耳にさえ、ここ一週間のヒョウエの活躍は届いていたようだった。

 

「取りあえず着替えてきますよ。みんなは居間――談話室ですね?」

「はい。お疲れさまでございました」

 

 侍女が深々と頭を下げ、護衛の兵士達が一斉に武器を立てて礼を取る。

 それに手を振りつつ、ヒョウエは屋敷の中に入っていった。

 

 

 

「"洗浄(クリーン)"」

 

 着替えると言いつつ呪文で体の汚れを取り、服に魔力を通して綺麗にするだけなので見た目は変わらない。

 ローブの魔力は下着や靴も綺麗にしてくれるので、その気になればずっと着た切り雀も可能だ。余りやるとリーザとサナに怒られるが。

 

(綺麗になってるし匂うわけでもないんだからいいじゃないですか、ねえ)

 

 悪い意味で男らしい事を考えながら姿見で外見のチェックをしていると、控えめなノックの音がした。

 

「どうぞー」

 

 予想通り、入って来たのはリーザだった。

 

「ヒョウエくん、お帰りなさい」

「ただいま、リーザ。何とか大体のところは終わりましたよ」

「お疲れさま。今ちょっといいかな?」

「構いませんけど何です?」

 

 振り向いたヒョウエの目に、何の表情も浮かべてない幼馴染みの顔が飛び込んできた。

 

(あ、やばい)

 

 長い付き合いから直感的に理解する。

 これはかなり本格的に怒られるときの顔だ。

 

(えーと。でも何かやらかしましたっけ。最近のあれこれで心配かけたこと・・・?)

 

 考え込むヒョウエに、短い、だが鋼鉄の意志が込められた言葉がかけられる。

 

「ヒョウエくん、正座」

「はい?」

 

 思わず聞き返すが、聞き間違いではなかったようだった。

 

「正座」

「アッハイ」

 

 一も二もなく、杖を置いて絨毯の上に正座する。

 この状態のリーザに逆らうほど彼は愚かではない。

 一歩踏み出したリーザが、ヒョウエを見下ろすように顔を下に向ける。

 

「で、ヒョウエくん? これからどうするつもりなの?」

「どうするって・・・まあスラムの土地は正式に下賜されましたし、それほど稼ぐ必要もなくなりましたけど、修行も兼ねて冒険者は続けるつもりですが・・・」

「・・・」

「ヒエッ」

 

 リーザからの無言の圧力が倍加する。どうやら選択肢を間違ったようだった。

 

「そうじゃなくってね・・・」

「ああ、ジュリス宮殿に戻るかってことですか? しばらくは・・・」

「違うってば!」

 

 珍しく乱暴に言葉を遮ると、リーザはヒョウエの前にしゃがみ込んで膝をついた。

 

「!?」

 

 少女の唇と少年の唇が重なる。不意打ちだった。

 

「・・・」

 

 驚きの余り硬直したヒョウエからゆっくり身体を離す。

 

「私、ヒョウエくんが好き。それはわかってるよね?」

「・・・」

 

 ヒョウエは無言。答えられない。

 

「サナ姉さんも、カレン様もカーラ様もモリィさんもリアスさんもカスミちゃんもセーナさんもミトリカちゃんもサフィアさんもマデレイラさんもアルテナちゃんもヒョウエくんが好きなの。

 好きなのに何も言われず、曖昧なままにされるのって結構辛いんだよ?」

「・・・ごめん」

 

 俯くヒョウエの両肩にリーザが手を置く。

 

「謝るなら行動で示して。ヒョウエくんが誰を選んでも――何だったら全員選んでも曖昧なままよりはいいから」

「・・・いいんですか?」

「いいの!」

 

 少し呆れたようなヒョウエの反問に、リーザがきっぱりと断言する。少し頬が赤い。

 

「では」

 

 ヒョウエが立ち上がり、リーザの手をとってこちらも立たせる。

 そして改めて膝をつき、手をとったままリーザの顔を見上げる。

 

「ヒョウエ・カレル・ジュリス・ドネがリーザ・カロジニアに懇願します。

 どうか、我が求婚をお受けください」

「・・・・・・・・・」

 

 沈黙が続く。

 

「・・・」

 

 更に沈黙が続いた後、ヒョウエが困ったように口を開いた。

 

「あの、イエスなりノーなり言ってくれないと僕も困るんですが・・・」

「ご、ごめん! イエス、イエスだから!」

 

 慌てたようにリーザが首を縦に振る。

 苦笑しつつヒョウエは立ち上がり、この幼馴染みに口づけした。

 

 

 

「・・・で。こんな状況で聞くのもなんだけど」

「はい」

「そうだったら嬉しいんだけど、これって私一人を選んでくれたって事じゃないよね」

「仰せの通りです」

 

 苦笑しつつ腕の中の幼馴染みに答える。

 少し頬を膨らませてリーザはぷいっと顔を背けた。

 

「いいよ、私から言ったことなんだから。でもちゃんとやる事はやってよね」

「わかってますよ。今日のうちに・・・」

「今丁度みんな集まってるし、談話室で全員の分のプロポーズを済ませちゃおう」

「えっ」

 

 ヒョウエが硬直する。

 

「それはつまり、みんなの目の前で・・・」

「そうすれば誤解の余地もないでしょ? 思い立ったが吉日よ!」

「ちょ、ま・・・」

 

 笑顔のリーザ。右手首を掴んだ手を、ヒョウエは振り払えない。

 部屋を出て階段を下り、談話室の扉を開く。

 まぶしい笑顔のリーザと、アンデッドのような顔のヒョウエ。

 

「みんな! ヒョウエくんから大事な話があるって!」

 

 なんだなんだと振り向く一同。

 その日、ヒョウエは「羞恥責め」という言葉の意味を頭ではなく魂で理解した。




部屋の中には三人娘とサナ、カレンカーラとその侍女、イサミとアンドロメダとマデレイラ、セーナとミトリカとティカーリ、サフィアとQB、ナパティとハッシャ、アルテナとクリプトがいました。
メルボージャとサーベージが早々に姿を消していたのはせめてもの幸い(ぉ

それにしても考えてみれば今日バレンタインデーじゃねーか!
何こんなこっぱずかしい話投下してるんだよ俺!


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10-50 マリッジ・ブルー

 救国の英雄ヒョウエ王子と、現王第二王女カレン、第四王女カーラの華燭の典。加えてエルフの王女セーナ、黒箱(トップパーティ)「毎日戦隊エブリンガー」の仲間達、第二レスタラ戦役の英雄にしてメットーのヒーロー「翼の騎士」サフィア・ヴァーサイルと言ったそうそうたる面々との婚姻発表。

 そのニュースは瞬く間に大陸中を駆け巡った。

 

 

 

「んふふふふふ・・・」

 

 銀の護符に指を這わせ、執務室で含み笑いをするのはカレン。

 机の前で"狩人"が溜息をついている。

 

「カレン様。お願いですから仕事をしてください。カレン様しか決済できない案件が溜まってるんです」

「ああ、ごめんなさい。でもついついね・・・そう言えばあなたは身を固めないのかしら? いい人とかいないの?」

「私は王国にこの身を捧げておりますので」

 

 ことさら無表情で振られた話題を斬り捨てる"狩人"。

 この手の話だけは"白の翼"とつるんでいたときも、"狩人"になってからも苦手だ。

 鉄面皮の上からそれを察したか、またしても含み笑い。

 

「んふふふ、そうかあ、照れてるわけね。あなたの意外な弱点をみつけちゃったかもしれないわぁ」

 

 それに対する返事は更に大きな溜息だった。

 彼が信頼していた有能な上司は当分帰ってきそうにない。

 

 

 

 婚姻の発表と共にヒョウエと王女二人の、セーナや三人娘、サフィアたちの似姿が飛ぶように売れ、ヒョウエのこれまでの表向きの活躍を集めたかわら版も多数出版された。

 

 前に街道で助けられた隊商の長ジブダッド、ヒョウエとモリィに花輪を渡したファール村の村人、巨大怪人ムラマサの現れたルダイン村、タム・リス社のトラル支社長ベアード、トラルの料理屋の冒険者族の女将、黒等級冒険者リーダー、スラムの炊き出しに協力している「白司教」ことナルド男爵ピアース、どのように調べ上げたのか、イサミとアンドロメダ、「悪魔のバイオリン」弾きのハーディや、サフィアとサナの友人ニカなどのインタビュー?もあった。

 

「スラムの人たちの話も随分調べてますねえ・・・ナヴィさんはまだしもナパティさんもハッシャさんもまーぺらぺらと」

 

 セーナの兄がプロポーズの時の事をあれこれしゃべくっているかわら版を手にして頭痛を覚えたヒョウエである。それを握りつぶして怒り心頭なのはセーナ。

 

「あの馬鹿兄貴め・・・! ティカーリ! あれのお目付はお前の担当だろう!」

「いやそうだけどさあ! 私セーナのお目付も兼ねてるんだからね? セーナが問題起こさなかったら私だってナパティ様のほうに注力できるんだよ!」

「なんだとぉ!?」

「本当のことじゃねーか」

 

 言い争うのはセーナとティカーリ。

 きししし、と笑うのはミトリカだ。

 

「大体あんな汚いところに行きたくないよ!」

「・・・それはまあわかるが・・・」

 

 兄とその相方の住処の惨状を思い起こして声が小さくなるセーナ。

 

「あれは・・・ひどかったなあ・・・」

「ひどうございましたね・・・」

「でしょ? でしょ!?」

 

 口々に頷くモリィたちに、我が意を得たりと頷くティカーリ。

 セーナへのプロポーズとその許諾を受けて、改めて二人のお目付役に任命されてしまったティカーリである。「まぁそのうち馬鹿兄貴とくっつくだろう」とはセーナの言であるが、少なくとも短期的には苦労しか見えない立場であった。

 まあ長期的にも苦労の絶えない立場になるのだろうが・・・合掌。

 

 マデレイラは婚姻に関するあれこれでメットーのゲマイ大使館に詰めっぱなし。

 ゲマイでクリス――魔導君主ダー・シが起こした争乱の余波がまだ収まっていないうえ、マデレイラの家も魔導君主家の一族、ディテクで言えば少なくとも侯爵に相当する名家だ。国元との調整は欠かせない。

 

 なおダー・シの支配していたクレモント家はそれまでの伝統もあって、ファーレン家とリムジー家の後見の元に存続を許された。

 ただし、あらゆる意味で彼のワンマン体制だったためその勢力は大きく減じるだろう、あるいはお飾りのようになるのではないかというのがゲマイでのもっぱらの評判だ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 マデレイラ同様に調整であちこちかけずり回っているのはリアスとカスミ。

 リアスはまがりなりにも伯爵家当主であり、家人としてはそろそろ落ち着いてくれるかと思ったところにこの仰天のニュースだ。

 

「無論それ自体はめでたいんだけどさあ・・・あいつこのままウチのこと放っておく気かねえ・・・」

「まあワシもそろそろ年だしのう。後のことはお前(ローレンス)息子(その父)に任せて楽隠居するかのう」

「ジジイ!? こいつ逃げる気だ!」

「実際隠居する年じゃろうが! いつまで老人を働かせる気だ! 当主代行にしてやるから死ぬ気で働け! 当主になりたかったんじゃろうが!」

「俺が憧れたのは白の甲冑を着ることであって当主の仕事をする事じゃねえよ!?」

 

 伯爵家ではリアスの従兄ローレンスと祖父シンゲンのそんな会話が交わされていたとか。

 まあこの機にお家乗っ取りとかそう言う話が出てこないだけ有情であろう。

 なおカスミの方も影の一族の将来の当主が内定していたため一悶着あったようだが、いずれカスミの子に後を継がせると言う事で大体は決着したようである。

 

 サフィアもやはりここにはいない。

 本人は婚儀の日まで普通に自警団活動を続けるつもりだったが、QBが首根っこをひっつかんでどこぞの貴族のお屋敷に行儀見習いとして放り込んだらしい。

 ヒョウエが実家の武術道場に挨拶に行ったときは先方が大変に恐縮していた。

 

 そして、全く変わりないのがアルテナとミトリカだ。

 共に常人から浮きがちな二人ではあるが、そのせいか不思議とウマが合うようだ。ヒョウエという共通の話題があるせいかもしれない。

 

「でさー、前にケッコンしたとき一緒の布団で寝たり一緒に風呂入ったりしてさー」

「わらわも奴とは一緒のベッドで寝ておったぞ。風呂は今度一緒に入らせよう」

「あ、じゃあオレもオレも!」

「ふむ、まあミトリカなら許してやろう」

 

 彼女たちなりのノロケであるのだが、この会話に羞恥心を感じないあたり精神年齢の近さが原因かも知れない。

 

「あ、ずるい! 私も!」

 

 そして羞恥心を感じないのがもう一人。

 プロポーズを受けてから、将来の勉強と称してカーラはここに入り浸っている。

 もちろん末娘にダダ甘い親馬鹿(国王)の許可のもとにだ。

 ミトリカたちと三人で盛上がってる主君に、お付きの侍女が苦笑しつつも暖かい視線を向けていた。

 なおヒョウエの膝はアルテナとの共有と言う事で話が付いたらしい。

 

 サナは一見変わりないように見えるが、数日おきにジュリス宮殿に赴くようになった。

 侍女頭のカニアから「妻の心得」なるものをあれこれ吹き込まれているようであるが、ヒョウエが聞いても顔を真っ赤にして教えてくれない。

 

(まあ・・・悪い事じゃないでしょう、多分)

 

 一抹の不安を覚えるが、あえて見ない振りをするヒョウエである。

 そう言う事をしているからこんな結果になったのであるが。

 

 モリィも余り変わらないが、時々一人で出かけるようになった。

 先の戦いの褒賞もあり、念願かなって生家の屋敷を買い戻したからだ。

 修理費と維持費の見積もりを見て目を剥いていたのを思い出す。

 

「なんなら僕が出しますよ? スラムの土地は下賜を受けましたから税もかからなくなりましたし」

「いやあ・・・これはあたしが稼ぐよ。そうしたいんだ」

「そうですか。しばらくは冒険者稼業継続ですね」

「だな」

 

 そう言って二人は照れたように笑っていた。

 

 そしてリーザである。

 彼女も表向きにはほとんど変わらない。ヒョウエの乳母である母と一緒にドレスを手縫いしていたりするくらいだ。

 ただ、たまに体をそっと寄せてくるようになった。

 そんな時にはヒョウエもそっと肩を抱いてやる。

 それだけでも気持ちは通じ合っていた。

 

「・・・でも、これでいいなら別に今までのままでも・・・」

「ヒ・ョ・ウ・エ・く・ん・?」

「イエナンデモアリマセンりーざサマ」

 

 幸せだからいいのだろう、たぶん。




マリッジ・ブルー・・・青い鎧だけにな!(ぉ

しかしモリィ、リアス、カスミ、リーザ、サナ、カレン、カーラ、マデレイラ、セーナ、ミトリカ、サフィア、アルテナ・・・いつの間にこんなに増えたんだろう(他人事のような感想)


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エピローグ「ヒーローは異世界の空に舞う」

「鳥だ!」

「飛行機だ!」

「いいや、スーパーマンだ!」

 

     ――TVドラマ「スーパーマン」――

 

 

 

 ヒョウエと12人の花嫁の婚儀は王家肝いりで華々しく行われた。

 ディテク国内からでも王族やフィル宰相をはじめとする主立った貴族は残らず参列し、国外からも各国の大使や近隣の王族を始め、ライタイムの星の騎士と黒等級冒険者モニカ・シルヴェストル、アグナムのシロウ、ダルクのカイヤン、ゲマイからはファーレン、リムジー両魔導君主家の当主とマデレイラの実家であるビシク家の当主一家。サヌバヌールの名代として来たミロヴァの姿もあった。

 

 それに加えて目を引いたのはズールーフの森のエルフたち。族長トゥラーナ、跡継ぎであるナタラとその妻サティ。書庫の長サーワ。術師の長シャンドラと術師アディーシャ。ナパティとティカーリも今日はこちらだ。

 リーザの母やリアスの祖父シンゲンと従兄ローレンス、カスミの母アサギ、ウォー・シスターズ商会の会頭ハリエット、お菓子の好きな貴族バーバンク子爵夫妻、アケドクフ公爵やタム・リス社の会長、ヒゲの支社長ベアード、イサミとアンドロメダにアンドロメダの母シャダルなどの姿もある。霊猿ヴァーリーも今日ばかりは似合わぬ礼服に身を包んでアンドロメダたちと同じ長椅子に着いていた。

 

 スラムの娼婦ナヴィや楽士ハーディとその妹たち、ドワーフの細工師ハッシャ、サフィアの家族やマネージャーであるQB、サフィアのかつての冒険者仲間と言った平民の面々も、式場の一角に席を与えられている。

 サナの母親代わりと言う事で、侍女頭のカニアもここにいた。幼い頃から面倒を見てきた二人の結婚に、先ほどから涙を隠し切れていない。

 典礼官の声が式場に響く。

 

「それでは皆様ご注目ください。新郎新婦の方々のご入場です!」

 

 視線が一斉に正面大扉に集中する。

 ファンファーレ、青い鎧の勇ましいそれとは違う、幸せを鳴らす音色。

 それと共に扉が開き、今日一番幸せな人々が拍手に出迎えられて入って来た。

 

 式次第について詳しくは書かない。ただ多くの人々が語り伝えたことと、王宮から屋敷までのパレードがメットーのほとんど全ての群衆に見送られたこと、「色々な意味でディテクで一番賑やかな結婚式だった」というフィル宰相の言葉を書き記すに止める。

 

 

 

「さて、それじゃ行ってくるわね」

「おつとめご苦労様です」

 

 言いつつ目を閉じて唇を突き出してくるカレンにキス。

 見上げてくるカーラを抱き上げて、その唇にもキス。

 

「行ってらっしゃいお姉様!」

 

 手を振って姉を見送るカーラ。その胸元には心で会話するための銀の護符。

 馬車の窓から手を振り返して王宮に「出勤」するカレンを見送ると、カーラと手を繋いで一度屋敷の中に戻る。

 

「それじゃ僕も行ってくるから」

「うん、気を付けてねヒョウエくん」

 

 カーラをリーザに預けて彼女ともキス。

 彼女の連れていたミトリカとアルテナとも口づけをかわす。

 

(イヤではないけど面倒くさいなあ)

 

 ちらっと頭の片隅で考えた途端、リーザの冷たい声。

 

「ヒョウエくん?」

「何も言ってませんよ何も!?」

「貴様は顔に出過ぎるのじゃ。余人は知らず、リーザやカレンの前でそんなことを考えれば察知されるに決まっておろうが」

「あははは、ヒョウエばかだー」

「?」

 

 例によって身も蓋も無い正論を叩き付けてくるアルテナに、けらけら笑って宙返りするミトリカ。首をかしげるカーラだけが癒しだ。

 

「はあ」

 

 そんな内心がまたしても溜息に出ていたのだろう、リーザが今度はくすくすと笑う。

 

「はいはい、三人とも。今日は九九のお勉強ですよ。これができるかどうかで計算ができるかどうかが決まりますからね。終わったらサナ姉さんのスフレケーキが待ってますから」

「はーい」

「別に数勘定などできぬでも死にはせんじゃろうが」

「だよなー」

「計算と読み書きが出来ない人はだまされるってお姉様が言ってたよ」

「そういうものかのう・・・」

 

 素直についていくカーラと、ぶーたれながらついていくアルテナとミトリカ。

 リーザもそうだが、カーラも意外にこの二人からは重きを置かれている。料理とお菓子で胃袋を掴んでしまったサナはもっと重きを置かれている。

 くすりと笑って身を翻すと、サナとサフィアが話し込んでいた。

 気付いたサナが頭を下げる。

 

「御出立ですか。お気をつけて」

「うん、行ってくる」

 

 上げた顔の顎に手をやると、少し身をこわばらせる気配。

 12人の妻の中でも、未だにサナだけは人前での接吻を恥ずかしがる。

 それがかわいくて、ことさらに人前で口づけしているのは否定しない。

 

「・・・」

 

 唇を合わせて顔を真っ赤にしたサナをおいてサフィアに向き直ると、こちらは向こうから近づいて来た。

 抱きすくめられて唇を奪われる。さっとしたそよ風のようなキス。

 

「それじゃお先に」

「今度は繁華街でのスリでしたっけ」

「大規模なスリ集団がいるらしくてね。他のクライムファイターとも協力しての大捕物さ」

「正義の味方に寧日無しですね」

「暇な方がいいんだけどね。じゃ」

 

 身を翻してさっそうと歩み去るサフィア。

 サナもスフレケーキの用意があるのか、もう一礼して去っていく。

 さて、とあたりを見渡すと待っていたモリィと目が合った。

 リアスとカスミも一緒だ。

 モリィの雷光銃もリアスの白の甲冑も新品同様にぴかぴかになっている。姿を消す前にメルボージャが修復してくれていた。

 

「お待ちどうさま」

「おう。それじゃそろそろ行くか。毎日戦隊エブリンガー、久々の出撃だ」

「その辺の冒険者ギルドの依頼を直接受けていていいのでしょうか・・・仮にも現役の王族で、今や金等級冒険者なのに」

「現役の伯爵閣下が言うと説得力があるねえ。戻ってこいとか言われねぇの?」

「うっ」

 

 ちょっと怯んだリアスに従者からの追い打ち。

 

「この前ローレンス様が死んだ魚のような目をしてらっしゃいましたが、多分あれはもう諦められてます」

「か、カスミ!」

 

 当人も諦めた目のカスミ。慌てるリアス。

 モリィと二人で笑って、ふとその横顔を見る。

 

「・・・んだよ?」

「いえ、生家は買い戻したわけでしょう? 『モリィ』じゃなくて『コバヤシ・モリエ』に戻る気はないんですか?」

「あ・・・」

 

 そいつを忘れてた、という風に口をぽかんと開け、次いで頭をわしゃわしゃとかきむしる。

 リアスとカスミの主従漫才を聞きながら、しばしの沈黙。

 やがて頭から手を離してモリィが溜息をついた。

 

「いや・・・いいわ。おめぇたちの中じゃあたしはモリィだ。それでいいよ。

 『モリエ』は家族に会いに行くときのために取っておく」

「ですか」

 

 微笑みと共に頷いて、その瞬間居間の扉が開いた。

 

「ヒョウエくん! メットー東の街道10キロくらいで山崩れが起きたみたい! 隊商の人たちが生き埋めになってるって!」

「「「「!」」」」

 

 リーザの言葉に四人の顔が一瞬で引き締まった。

 不敵な笑みのヒョウエが一同の顔を見渡す。

 

「エブリンガーの再出発はちょっとお預けですね――どうやら僕の出番です」

 

 

 

 メットーの東の街道、12kmほどの場所。

 この頃の雨で地盤がゆるくなっていたか、山に挟まれた隘路で大規模な地崩れが起きていた。

 

「親父ぃ!」

「荷物の中にシャベルがあるだろう! 持ってこい!」

 

 幸いにも巻き込まれずに済んだ人々が土砂をかき分けて犠牲者を助け出そうとするが、恐らく数万トンを超える量の土砂だ。人力ではどうしようもない。

 

「ちくしょう・・・え?」

「あ?」

 

 あるものは目をぱちくりとさせ、あるものはぽかんとした顔になり、またあるものは歓喜の表情を浮かべ。

 だがその全員が揃って空を見上げる。

 

 ファンファーレが鳴った。

 少なくとも彼らは確かにそれを聞いた。

 

 奏でるものなどいなくとも。

 そこがたとえ荒野のただ中であっても。

 ヒーローは、ファンファーレと共に現れるのだ。

 

 

 

 

 

毎日戦隊エブリンガー 完

 




はい、毎日戦隊エブリンガー一巻の終わりにございます。
これまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

なろう系のオリジナルは初めてなので、取りあえず好きなものをブチ込んで書いてみようと思いました。
当人は書いてて非常に、ひっじょぉぉぉぉぉに楽しかったのですが、見事なくらい結果には繋がりませんでしたw
まあどこぞの光子帆船Sターライトやサ▲八じゃないけど、好きなものだけ書いてても読者は面白がってくれないという当たり前の事ですな。

この後は取りあえず別路線で、世界設定だけ流用して別作品を書いてみようと思います。
エブリンガーの百五十年から三百年くらい前の話になるかな?
よろしければそちらもご覧下さるともっけの幸い。ではでは。


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