提督は2度死ぬ (あんたが大将)
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第一話

 

 

 

 吐いた煙が上へと浮かんでいき、それをベランダから眺めていた。

 

 主無鎮守府第一庁舎の執務室。

 

 海軍大将である一人の男──提督が箱から取り出した煙草を片手に書類へとペンを走らせていた。

 

 カリカリ、カリカリ。

 

 ペラリ。

 

 そんな擬音がしばらく響いていた中、突然提督は書類を横に置いて万年筆を止めた。

 

 その視線は執務室の入り口である唯一のドアへと吸い寄せられるように向けられていて、怜悧な横顔が電灯に照らされて顕になる。

 

「誰だ?何かあったか?」

 

 提督はそれが誰であるのかを分かってはいても口に出すことを決してしない。

 ドアをノックしないこと、事情がありそうなこと、別の客人であること。全てを頭に入れて運営している提督からすればそれは児戯にも等しい推理だった。

 

「ごめん、提督さん」

 

 扉が開き、真っ先に見えるのは緑色の髪。やはりそうかと気を抜いたのも束の間、提督は椅子から徐に立ち上がる。

 

「なんのつもりだ」

 

 扉を開けて入ってきた瑞鶴。その艦載機が駆動音を大きく発しながら浮かび上がり、搭載された九九式艦爆二二型が提督を射抜くように突きつけられている。

 

 ゆっくりと煙草の火を消し、そしてまた刺激しないように緩慢な動作で椅子の裏側へと回る。椅子の裏にある窓は近いと言っても構わないが、こんな密室で命を握られた状況ではその小さな距離こそが致命的だった。

 更に言うのであれば、鎮守府という軍事基地である以上窓はしっかりと複層ガラスを使用しているのだ。いくら鍛えていて体格のいい提督であっても、瞬時に割ることなど不可能。

 

 脱出経路は見つからなかった。

 

「提督さんは悪くないの。ずっと大本命からの仕事も引き受けてくれてたこと、私たちは感謝してる」

 

「……もしや、あの鎮守府がケリを付けたのか?」

 

 瑞鶴はこの鎮守府の艦娘ではなかった。他の鎮守府艦娘でもなければ大本営直属の艦娘であり、『裏』側の情報伝達を主な軍務としている。

 それを知っているのはこの鎮守府では大淀くらいのもので通常案内をしていたのも彼女だった。

 しかし瑞鶴の隣に大淀の姿はない。

 

 つまり、提督の想定よりもずっと早く用済みになってしまったのだった。

 

「私は、不要になったということか……そうか。そうか……」

 

「ごめんね、提督さん。提督さんが戦後に生きてると、他の提督やその艦娘と、小さくない軋轢ができるのは目に見えてるから……」

 

 提督が俯かせていた顔を上げると、弓に番えていた艦載機がブレた。それは瑞鶴の手の震えからくるもので、更に言えば瑞鶴自身が動揺したせいでもあった。

 瑞鶴が震えた声を出す。

 

「なんで……笑ってるの?嫌じゃないの?」

 

「いいんだよ。私は──いや、俺は元々国のためにやってきたんだから。そりゃこうなることくらい分かってた」

 

 若い男の姿をしていながら威厳さえ纏っていた提督の姿はそこにはない。あるのは、護国のために身を粉にして働いたただの若人の姿のみ。

 ()の仕事に心も身体もボロボロになりながら、遂には終戦まで職務を全うした誇り高き軍人。

 

「だから瑞鶴、お前が気に病む必要はないんだ。俺が言うのもアレだが、さっさと射ってくれ」

 

「でも、だって……あんなに頑張ったのに、あんなに自分を偽ってまで務めてきたのに、亡命の準備すらしてくれてなかったんだよ!?」

 

「それはあの鎮守府が優秀だったからだ。大本営のせいじゃない」

 

 肩をすくめ、首を振る提督。

 

「それに、薄々こうなるだろうってのは分かってたんだ。他の鎮守府の艦娘に怖がられて、威嚇されて。それで何も感じなかった訳じゃない」

 

「なら、なんで……」

 

「やらなきゃいけなかったからだ。誰かがやらなきゃ、また別の誰かに御鉢が回る。俺がその終着点を引き受けた。少しでも勝利に貢献できたなら、俺はそれでいいのさ」

 

 瑞鶴が何を叫ぼうとも、戯けた仕草で隠された仮面の下側は見ることは叶わない。恐らく彼が本音を話すことは決してないのだろう。そう、今までと同じように。

 提督は自分の最期を予期しても、死に怯える姿だけは絶対に外へと出さなかった。

 

「ぅ、ぐぅ……分かった。最期の説得からそのまま下手人になるなんて、嫌だったんだけどなぁ……」

 

「すまないな、瑞鶴」

 

「分かったよ……分かってる……」

 

 揺るがぬその姿勢に瑞鶴も上っ面だけの覚悟を決める。形だけではなくしっかりと弾薬が装填され、艦上爆撃機の準備が完了する。

 

「まあ、それでも思うよ」

 

 窓の向こう側、平和になった海を見て独白する提督。

 瑞鶴の指示を受けた爆撃機に搭載された爆弾の閃光が執務室内を満たして、悲痛な面持ちのまま扉を閉める。

 故に、提督の声を聞いた者は居ない。

 

「もしかしたら……」

 

 手を伸ばし、人差し指が窓に触れた。

 

 

 

 英雄になれたかもしれないな、ってさ。

 

 

 

 

 とある鎮守府の執務室が吹き飛び、艦娘たちの悲鳴が上がった。黒い噂が絶えず、その上噂が否定されることすらなくなっていた鎮守府での出来事だった。

 国を救った英雄までもがその事件に否定的な言葉を言わず、終戦ムードの中で更に拍車をかけるようなことが起こったことによって、世界は益々喜びに打ち震えることになった。

 

 しかし反対に、大本営や同鎮守府の反応はそこまで大きいものではなかった。かの事故は結局深海棲艦の悪あがきとして処理されたが、世間での悪評や朗報に肯定的な顔を見せる艦娘は居なかったとか。

 

 憂いを帯びた顔を見せる本部の艦娘や重役達、並びに同鎮守府内の艦娘は、何を言われても決して秘密を漏らさなかったらしい。

 何を問われても彼の完璧な職務を汚すことはなかったということなのだろう。

 

 

 そのことを彼女らが誇りに思うかどうかは別問題だったが。



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第二話

 

 

 けたたましい轟音が頭に響いて、小さな爆弾に格納されていた爆炎が身を焦がす。破片の弾丸や衝撃が白い軍服を劈いて真っ赤に染め上げ、一瞬の激痛と共に目が覚めた。

 

 ()()()()()

 

「何が……」

 

 ぼんやりした頭で考えてみても上手く思考が纏まらないのは当たり前だ。上半身を起こそうとして、全身が濡れていることに気づく。

 

「なんで……痛っ!?」

 

「よかった、起きた!ケガはない?大丈夫!?」

 

 体がいやに小さい。ゴツゴツとした手ではなく、どことなくもっちりとした質感の肌。起こした体をすぐに倒してしまいそうなほど体力や力もない。服装も変わっているし、空は見えているし、背中に感じるのは柔らかい土と生い茂っている雑草。

 

「えっと、頭をケガしたの?病院に電話……は、できないか」

 

 小さな手で頭を押さえていた提督がようやく声に気づく。側に座って忙しなく動いているのは誰なのかとそちらを見やってみれば、驚きに目を丸くした。

 

「君は……ぐぅぁっ……っ!?」

 

 今度はより強く頭が痛んだ。まるで思い出してはいけないことを思い出しているような、知り得ないことを知っているような……そんな感慨を抱く。

 一方、傍らの少女は思い悩む。とう対処することが正解なのか、どうやって他の人に助けを求めればいいのか、そして()()()()()()()()()()()()

 

「嫌われてもいいから助けたい、よね」

 

 少女は自分の胸に手を当て、言い聞かせるようにその言葉を繰り返した。深呼吸も混ぜながら行い、ようやく実行する勇気を生み出す。

 

 少年の視線に気付いて、少女は力なく微笑んだ。

 

 素早く艤装を展開し、機関部の熱で少年の体を温める。

 抵抗されることや詰られることを覚悟して艤装を使ったが、少年はなんの反応も示さない。それどころか艤装を抱え込むようにして体を温めている。

 一抹の安堵を覚えて少女は深く息を吐く。きっとこれが正解だったのだと思って、後ろから銃を構えて近づいてくる者達へと振り返る。

 

「勝手な行動をしてすみません」

 

 立ち上がり、頭を下げた。

 この後いくら叱責されようとも構わないし、それくらいのことをしたつもりだった。

 車で移送されている最中に川で溺れる少年を見つけ、走行中の車から転がり落ちて救いに行った。

 自分の判断は間違っているとは思わないが、規律上罰は受けて然るべきなのだと思って、そして。

 

「人質にでも取る気か、化け物め」

 

 自分の救命行為が利己的なものと思われていた事実にショックを受けた。目前の軍人が何を言っているのか少しの間理解できず呆然としたが、考えてみればそれも自然なことだった。

 ()()()()()()()()()が子供に近寄るなど、どう考えようと不審で、どのような理由があろうと制せられるべきことだと理解できていた。

 

「な、何してるんですか!?」

 

 それでも、その後ろに控えていた部下が少年から艤装を引き剥がそうとすることには反対せざるを得なかった。

 意識こそ既にあるものの、目の焦点はまだ微妙に合っていなかった。ましてやこの状況でどうして体を冷やそうとするのか、意味がわからない。

 

「早く艤装を仕舞って車に戻れ。解体されたいのか?」

 

「じゃあ救急車を呼んでください!」

 

「馬鹿を言うな。こんな季節に川で遊んでいた子供の自業自得だろう、自分の後始末は自分でつけさせろ。況してやお前が無関係の医療従事者を襲えばどう責任を取ればいいのか」

 

 信用がないことはもう仕方がないとしても、余りに無情な仕打ちだった。まだ年齢が二桁に達していないくらいの子供をずぶ濡れのまま放置させようと言うのか。

 最低限の処置こそ終わってはいるが、少年の体がまだ冷たいことは艤装から伝わっている。そして、艤装は今や半ば少年と離れてしまっている。

 

「せめてあと五分だけでも……」

 

 言っているうちに、完全に艤装が外されてしまった。少年は虚ろな目をして少女と軍人のやりとりを観察している。どうにか踏ん張って少年の命を救わなくては、そう少女は覚悟するが。

 

「うぐ、ぁ……」

 

 握られた拳が少女の腹へと突き刺さった。腕を戻してすぐ、また軍人は振りかぶって少女を殴りつける。顔に当たることがあれば、狙いが逸れて肩に当たることもあった。何度も鳩尾の辺りを殴られることもあった。

 

 

「喜べ、解体は免除してやる。その代わりヤツらの拠点に突撃してもらうがな」

 

 頭を勢いよく殴られて倒れた少女に軍人が言い放つ。吐き捨てるように、嘲るように、恐れるように、軍人は言葉を紡ぐ。

 

 

「提督命令だ」

 

 

 クイ、と親指で後ろを指し示す。

 

 

「早く乗れ」

 

 

 

 

 

 何が起きているのか、それは無力感に打ち震えながらも整理することはできた。

 どうやら俺は深海棲艦との戦いが終わっていない頃の子供に乗り移り、尚且つ世界の艦娘に対する思想が否定的なものに変わっているらしい。

 俺もまだどういうことか分かってはいないが、つまりは……いやどういうことだよ。

 

「俺の名前は⬛︎⬛︎で、()の名前は竜崎隆一、か」

 

 提督をしていた頃と比べて艦娘に対する態度が酷すぎることは、()の頭に根付いていた艦娘を化け物とする一般常識から大凡理解した。

 実態も俺が表面上で行っていた鎮守府運営にそっくりだ…………とはいえこの情報量はおかしい。どうしてこんな知識があるのかと思えば、()の父親はどうやら国軍の憲兵として勤めているらしい。もしかしたら鎮守府の憲兵業務をやっているかもしれないな。だがそうでなくとも海軍の動向や鎮守府の動きには注目するだろう。特定はできない。

 

 価値観は俺のままだ。ただ、人格面に於いては俺より()の方が強く残っているようだな。知識は豊富だし引き出すことも頭の回転も俺と同程度に熟すことが可能だ。それでも()の家族などは他人に思える。

 

 つまり「艦娘に対して待遇の悪い世界の子供に乗り移った」というよりは「艦娘に対して待遇のいい世界の提督の記憶や知識を受け取った」と言った方が正しいだろう。

 

 そして()の記憶を受け取って、更にさっきの出来事で僕の頭はちゃんと理解した。艦娘は世間で噂されているような兵器なんかじゃなく、僕の常識にインプットされてるような化け物なんかじゃなく、心ある勇敢な少女達だってことを。

 

 さて、この知識でどうするかは僕の勝手だけど、当面の間の目標は確定した。

 

 

 提督になる。

 

 

 僕は将来、提督になりたい。



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第三話

 

 

 

 さて、僕の目標は定まったわけだけど、自分についての情報も整理しなければいけないだろうということで一度ノートに書き留めておくことにした。

 ついでに、提督だった記憶についても書いておいた方がいいだろう。

 

 

 僕こと、竜崎隆一。

 現在九歳の小学三年生で、十月のこの寒い季節に川へと遊びに行く程度には腕白でやんちゃな小学生だった。

 ちなみに川遊びに行く有志を募ったのに誰も教室で参加する人が居なくて、若干不貞腐れながらも遊んでいたことを覚えている。

 

 父親の名前は竜崎隆人。

 何の因果か仕事は憲兵で、問い詰めたところ海軍の大本営に居る憲兵らしい。艦娘に対しては若干否定的ではあるものの、そこまで危ないものではないとの言を頂いた。

 現在三十二歳で、それなりに出世は順調のようだ。兵籍は悪いものでなく、裕福な暮らしをさせてもらっている。

 

 母親は…そこまで重要性が高くないので割愛する。

 

 

 

 提督だった記憶での名前は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。

 それなりの家庭でそれなりに育ったが愛国心が人一倍強く、提督を志したのは小学校に通っていた頃から。護国の想いは大きかったが、それ故に国の闇を一身に背負って死んだ。

 父親は深海棲艦が出現した時に陸軍の一員として二階級特進をしていて、大本営には妹が一人居た。母親は結核に罹患して病院生活をしていた。

 

 

 詳細はまた後で書くとして、この世界で目指す最終目標やその為にすべきことを策定しようと思う。

 

 提督になるために、まずは中学で士官学校か提督養成学校を目指さなければいけないが、正直なところこの世界に後者があるとは思えない。

 俺が見た提督には、教育されたようには見えなかった。今思い出しても艦娘への暴力がいやに素人染みていたし、軍務に服する者として落第点の身のこなしだ。

 それに僕に対しての仕打ちも、()の記憶からして明らかにおかしい。提督であるならば水難救助の心得はあって然るべきなのだ。子供の体が冷えている状態なんだったら真っ先に対処して当然だろう。

 

 まあ私情というか偏見というか先入観がないとは言わないが、それを加味しても提督育成学校は存在自体が怪しい。提督を強制したいなら妖精が見える国民を探して拉致すれば済む話なのだし、あそこまで怖がる艦娘に近付こうとする人は少数だろう。

 という訳で、僕は提督のみを育成する学校などではなく、海軍兵学校へと志願するべきだ。志望動機は父に憧れたとかそんなものでいいと思う。もしかしたら海軍兵学校がないかもしれないけど、流石に士官学校自体の存在がない可能性はない。きっと大丈夫。

 

 進路が大凡決まっているとなれば、小学三年生のこの体は非常に有利だろう。第二次性徴すら迎えていない体に現役軍人だった()の記憶があるのだから、僕が()を超えることは容易なはずだ。

 

 僕は()より根性がないことは認めるけど、それでも大事なことはわかってるつもりだ。何が正しいかを理解しようとしていて、そして正しく在ろうとする意思があるはずだ。

 

 まあ何より、あの艦娘の人に命を救われた。元々僕の頭に染み付いていた偏見はすっぱり取れてる。

 

 

 だから、そう。

 進路の選択と体作り。

 この二つを頑張るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の息子が変わってしまった。

 言葉にすれば簡単なのに、目の前で起きている変化は理解し難い程に受け入れることを脳が拒否してしまう。

 俺の息子は決して俺の息子でなくなったわけではない。だがそれでも、変わってしまったのだ。

 

 例えば、俺が特定の休日に帰宅した日のことだ。

 あろうことか俺の息子は突然泣き出し、しかもそれに動揺していたのだ。その中に見え隠れする僅かな納得の色が更に俺の不安に拍車をかけ、変化をまざまざと見せつけられた。

 

 俺は陸軍憲兵として日々軍務に励んでいる。憲兵である以上軍紀違反を摘発された者や罪をなすりつけられた者を取り押さえることはある。決して多い数ではないが、少ないというほどでもない。

 そうした職務の都合上、本性を露出させた人間と話す機会は両の指どころか生きてきた年数にさえ劣らない。自然と人の表層部分と本性をある程度は見抜けるようになっていった。

 

 俺から言わせてもらおう。親である俺から息子へと言わせてもらおう。色眼鏡を外して、自分の息子を見極めよう。

 

 あの子は異常だ。

 

 あの子は本音と建前が所々混じっている。自分のことを騙しているのかと思えばそれも違うようだし、まるで息子という人間に重なって別の人間が隠れているような気がする。

 妻に聞けば、この寒い時期に川遊びへと赴いてびしょ濡れになり、そのまま帰ってきた日を境に思慮深くなったように感じるとか。以前の見境ない腕白小僧は消え失せて、あたかも同僚の軍人かのように命の価値や人道の重要性を理解しているようにも感じる。

 

 分からない。たった一日の、それも川遊びなんかで人はこうも成長するのだろうか?

 妻が言っていることは少しだけ外れていて、徐々に変わってしまっていたのではないか?

 

 だが、そんな変化をもし見逃していたとしても、流石に変わりすぎじゃないか?男子三日会わざれば刮目して見よ、という慣用句があるが、それにしても変化が急激過ぎるだろう!?

 

 なんで久々に会った息子に生きててありがとうと言われなければいけないんだ!

 可愛かったから許したが!ごめんな!ちょっと疑っちゃってたとこあるし拭いきれないけど、とりあえず信じてもいいくらいは可愛いなおい!

 

 

 そんなことを同僚に話すと、「実は親バカだろお前」と言われた。お、俺が親バカ……?

 もしかして、俺が何か間違っているのか……?



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第四話

 

 

 

 とある内陸部のとある街、とある家の玄関扉が開かれた。

 そこから出てくるのは神妙な面持ちで何かを考え込んでいる小学三年生の男の子で、黒いランドセルを背負って白い息を吐いている。

 

「学校のグラウンドで走るべきか、住宅街を走るのか……」

 

 少年の頭の中を渦巻く二つの選択肢。体力作りをしようと意気揚々にノートへと書き込んだものの、小学生の体の鍛え方なんて記憶にすらなかった。

 高校生や大学生程度の体と同列に扱うのは流石におかしいと思うが、かと言って何が正解なのか分からない。筋肉を鍛えすぎると身長が止まるとも言うし、十分に気をつけなければいけない。

 

 だけど全く鍛えないというのは折角のアドバンテージをふいにしてしまうから勿体ない。でも勿体ないと思ったからというだけで鍛えて失敗でもしたら目も当てられないし……ううむ、どうしたことか。

 

 そう考え込んでいても、二年半以上もの時間を同じ道順で歩いてきたせいか登校路を順調に歩んでいく。今僕が通っている小学校は集団登校が基本だけど、近い場所に家がある場合は例外として単独の登校も許されている。

 まあいつもは一緒に登校する人も居るんだけど、今日くらいはいいと思う。

 

 正門を通り抜けて学舎の方を見やる少年。それに覚える感慨も特別な情動もなく、極めて自然な表情と一挙手一投足で昇降口に入っていく。

 こういう時、提督の記憶はどこに行ったのかと思うことがある。()が小学校に入る時や僕が鎮守府を訪れた時は、きっとこんな自然な動作で歩を進められない。

 だとするならば、まだ僕と()は一人になっていないかもしれない。精神のある特定の一部分のみの融和しか為されていないのかもしれない。

 

「どう思う?」

 

 口を動かして伝えてみる。もしそんな特定部位の融和で終わっているのなら、口に出さなければ相手に伝わることもない。

 

「まあ、そっか」

 

 けれど口に出しても伝わらないことや相手からの発信を受け取る手段がないこと。それらは恐らく覆しようのないもの。

 どうやら僕は()にはなれないみたいだ。記憶や知識こそ知っているものの、彼の感情を再現することはできないし、どこまでいっても同一人物ではないんだろう。

 

 

 いや待て。

 

 

 自分の記憶が流れ込んだ時の記憶を覚えているが、あの時は俺も確かに存在していた。俺の記憶が一時的にでも()の体を乗っ取っていたはずだった。

 

 そうなれば、そうすると、そうだったとしたら、なんだ?

 

 僕は結局どういう存在になるんだ?俺の行方はどこだ?答えはどこかにあるはずなのに、現状理解できるのは自分の考えが間違っているということだけ。

 

 俺は居た。でももう居ない。

 何が起こっている?どうして俺の存在はそんなにも不確定性を持ち合わせている?そもそもの話、()のことは本当に信じてもいいの?

 

 最悪の場合、僕が見たのは真実とはまるっきり違った白昼夢だったかもしれない。提督の記憶や知識から始まって、艦娘に助けられたこともこの世界のことすらも。

 僕だけが特別だと言うのなら、その特別を保証することは誰にもできないのではないか?僕しか知らない世界の記憶を肯定する材料は僕の記憶なんていう曖昧なものにしかないのではないか?

 

 イカれた妄想の一言で終わらせられるような不安定なものだったのではないかと思案する今の僕は、果たしてどちらにあるのだろう。

 

 

 深く深く沈んでいく妄想は、朝礼が始まったことで中断を余儀なくされた。

 

 

 

 仮想世界説とか世界五分前仮説とか、要するに世界がそこにあることを証明できないのと同じように、僕の頭が狂っているのか居ないのかを判断することも確定することもできない。即ち僕が手に入れる情報、思考、全てに確実性なんてないってことになる。

 

「コギトエルゴスムは?」

 

 それは科学がそこまで発達していなかった時代の話で、現代なら立証できない。仮想世界の他にも水槽の脳状態だとか、自分がプログラムされただけのロボットなのかもしれない可能性だって幾らでも出てくるんだからどんな可能性もあり得る。

 

「ふーん」

 

「……ナチュラルに心を読まないで欲しいんだけど」

 

「別にいいでしょ。減るもんじゃないし」

 

 顔を上げて、彼に向き直る。

 今僕の視界の大部分を占めている色素が薄くて校則違反気味な茶髪頭は僕の友達。突然人が変わったように落ち着いた僕と友達のままで居てくれた数少ない人でもある。

 今だって遠巻きに僕らを見ている元友達は多く、教師でさえも対応を悩んでいた。まあ後者は僕の方から絡むことがなくなったのでそこまで悩んでいたわけではないだろうけど。

 

「なに?人の顔をじろじろと」

 

「いや、仲良くしてね、ってさ」

 

「まさか。どうしてそんなことしなきゃいけないのさ」

 

 おっと、友情崩壊の危機かな?

 

「ボクの方から仲良くしてやってるワケじゃないでしょ?リューとボクのどっちかが上なんてない。友達だからね」

 

 言い忘れていたけど、僕の友達は僕のことをリューと呼ぶ。元友達もそう呼んでいたけど、今はもうやめてしまったからその認識で間違いはないはず。

 とはいえ、なんてことを言ってくれる友達なのか。今現在そうやってフォローされただけで天秤が少し傾いた気もするけど気にはするまい。

 

「ありがとう。よろしくね、圭」

 

 名前は笹垣圭。ひょろひょろとした背格好に中性的な顔立ちだけど、男友達だ。

 たまに女子の輪に違和感なく入り込んでるけど男だ。そこは間違えちゃいけないけど、中性的な所がコンプレックスだから性別の話はできるだけ触れない方がいい。

 

 

 圭は頼りになる。正直言って提督だった()の記憶より遥かに頼りになる。小学三年生と学力で比べる気はないけど、知恵って観点からすれば今の僕でも負ける可能性は十分にある。

 なんで知ってるのか分からないけど女子の事情も詳しい。本当になんで知ってるんだろう。

 

 ともかく、圭に聞いてみるとしようか。

 

「ねえ、圭は知ってる?体の鍛え方」

 

「え、なにそれ。ボクのこと知ってて言ってる?」

 

 こう見えて……いや、外見の通り圭は運動が苦手。 可動域はエグいくらい広いのに全くセンスがない。

 

「やるのは僕だよ。普通に走ってればいいのかなって思って聞いてみただけだから」

 

「えー。ボクとの時間が減っちゃうじゃん」

 

「じゃあ一緒に走る?」

 

「嫌だよ、面倒くさいし苦しいし。まあ相談には乗ってあげなくもないよ。体の鍛え方でしょ?」

 

「なんかある?」

 

「まず、ボク達小学生は神経が発達する大事な時期。小学校の入学する前の頃から小学校を卒業する時期…五歳から十二歳の頃までは神経が発達する時期になる。だから身体中を動かすようなものが望ましいかな。

リューの言うようにランニングは勿論だけど、ドッジボールとかの物を投げる動きなんてのも重要だね。とにかく色んな遊びやスポーツを体験することが一番よく鍛えられるんじゃないかな」

 

 なんでコイツこんなこと知ってんだよ。ってかこの情報も知ってた上で面倒くさいとか言ってたの?頭の具合は大丈夫?

 

「それで、気になるのは筋肉トレーニングのことだろうけど…負荷のかけすぎにさえ気をつければ全然問題はないね。小学二年生までだったら自重運動とかを推奨するけど、ボクたち小学三年生は腹筋運動をしても成長を阻害しないよ。ただ、ダンベルとかの負荷は中学生になってから、体の成長度合いと相談しながら丁度いいものを選択するのがいいね」

 

「ありがとう。でも、その……なんでそこまで知ってるの? 気持ち悪いよ?」

 

「なんでボクいきなり悪口言われたの? 心に傷を負ってるの? それって冗談なんだよね? ちょっと、リュー、ねえってば」

 

 うんうん、気持ち悪くないよ。気持ち悪いのはちょっとの部分だけだよ。圭には感謝しなくっちゃなぁ。

 

「なんでボクと目を合わせてくれないの!? ボクって相談に乗った側だったはずなんだけどなぁ!」

 

「ありがと、うん。ありがとう」

 

「その態度をやめろって言ってるんだけど!?」



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