奉仕部の怪談噺 (タン塩レモンティー)
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奉仕部の怪談噺
怪談話と言えば今はもうすっかり定着した夏の風物詩である。
元々は冷房がまだ存在しなかった江戸時代に、暑さで減っていく客をどうにか呼び込めないものかと始めた夏狂言の舞台がルーツと言われている。
ただ、夏になると人々が怪談話を求めるようになり、怖いと思いながらも、ついつい話に引き込まれていく。
そして、俺たちの教室の中でも怪談話が語られようとしていた。
「夏だし怪談話をしたいと思う。雰囲気を出したいから、窓際の人はカーテンを閉めるように」
国語担当の平塚先生は、授業中であるにも関わらずそう指示を出す。
そして最後に教室の電気が消され、少し明かりが漏れる中でポツリポツリと話が始まった。
「これは私が教師になったばかりの頃に聞いた話だ。夕方になると、そこを渡ろうとした人が躓いてしまう歩道橋があったんだ。その歩道橋は随分昔に作られた石作りの年季が入ったもので、そこで躓いて怪我をする人が多いということで調査が行われた」
そこまで語った所で先生は一言告げる。
「ここから先は聞きたい人だけ聞けばいい」
その脅かすような煽り文句にこういう話が苦手な女子は目を瞑り、必死で耳を抑える。一方で男子は、中には耳を塞いでしまいたいと思いながらも、耳を塞げる人はいなかった。っべー。
そしてまたポツリポツリと話が再開した。
「実はな、『昔その歩道橋で転倒し命を落とした人がいる』という噂が蔓延してた。そして、驚きの真相とは!?」
先生は一度口を閉ざすが、外から聞こえてくる他のクラスの声で雰囲気は台無し。それでも意を決したようにまた話し始めた。
「なんと……何もなかったんだ。そして、婚活パーティーでもなあ!」
ここに来ての急転直下。え、私物化?今まで真剣に怖がらせようとした口調だったのが、空気を変えてしまう。いろんな意味でな!
「これは後に分かったことだ。実はその歩道橋の階段、段差が明らかに違う箇所があって、暗くなり段の境が見えにくくなると同じ感覚で登ってしまい躓く人が続出したわけだ。おしまい」
怖い話と思った生徒たちも納得がいかないようで、不満げにカーテンを開けていた。婚活に触れてあげないのは優しさで出来ているんですかね? 違うな。
そしてやってくる放課後。やってきましたよ、亜麻色の生徒会長様が。当然島〇ひとみではない。
「夏と言えばホラーでしょ! 怪談話しましょうよ!」
「はあ?」
うだるような暑さの中、俺はそのまま部室に連れていかれる。俺の意思は無視ですかそうですか。
「……一色さん。奉仕部はあなたの遊び相手ではないのだけれど。それに私たちは受験勉強があるのよ?」
雪ノ下が言い放つ。由比ヶ浜とか受験絶望的でほぼ毎日雪ノ下の個人授業受けてるんですよ。
「えー、いいじゃんゆきのん! 怖い話って“夏”って感じでわくわくするじゃん!」
「い、いえ、でも……」
「それに、勉強もたまには息抜きした方が効率いいよ! それとも……、ゆきのんって怖いの苦手なの?」
「そ、そんなわけないじゃない。いいわ。怪談話をするとしましょう」
相変わらず由比ヶ浜に弱い上に挑発にも弱い。もう、八幡心配。
「こ、こわいはなし……」
そして、小町は青い顔をしている。ここでは一番年下だから、なんだかんだ言い出しづらそうだな。ここはお兄ちゃんが助け船を出してあげよう。
「小町、帰っていいぞ」
「ふえ?」
「あらシス谷君、何を勝手に決めているのかしら?」
妹の心配をするのは普通のことじゃないか。普通のことだよね?
「小町はホラー物が苦手なんだよ」
実際今でもテレビでホラー特集があると音速で番組を変えるレベルなのだ。
「そう、それなら仕方ないわね。まだ日も沈む前だし、早めに帰った方がいいわ」
「そ、そう言うことでしたら小町は退散させていただきます。じゃ、じゃあ皆さんまた後日~……」
既にビビりまくりなんだけど。お兄ちゃんちょっと、いやかなり心配です。
そのまま部室を出ていこうとした小町は扉に手をかけたところで振り返った。ひきつった笑みを浮かべながら。
「兄の怖い話ほんとやばいんで気を付けてくださいね?」
「え、なんでハードル上げたの?」
いや、確かに怖い話で小町を泣かせたことはあるが、それって小学校低学年の時だろ。一色が満面の笑みを浮かべている。
「先輩の怖い話楽しみですね~」
「その満面の笑みの期待に添える気がしないんだが……」
「まあまあ。じゃあハードル上げないためにヒッキーが最初に話すってのはどう?」
最初は最初でハードル高い気がするのが……まあ、いいか。さっさと自分の番終わらせた方が楽だわな。
そして、夕方くらいに部屋の電気を消してやろうということになった。小町が帰ってからしばらくは適当に雑談とかをしながら時間を潰した。
「さて……それじゃあ始めましょうか」
部長の開会宣言ともに部室の電気を消す。夕日の明かりがほんのり入ってくるだけで十分薄暗い。夜もホラー向きの時間帯だが、夕方という時間にする怪談話も雰囲気が出ていいかもしれない。
「じゃあ、先輩よろしくお願いします」
「まあ、自信ねえけど」
「あ、そういうのいいんで」
くそっ、謙虚になることで話のハードルを下げる作戦が一色には効かない。ホラーだわ。しかし、今更そんなことを言っても仕方ない。
「これは川崎とその妹と一緒にいた時の話だ」
「ヒッキー、それデート?」
ジト目で迫る由比ヶ浜。
「違う、まあ聞けよ。千葉県の赤いマスコットキャラは知ってるか? そう、チー〇くんだ」
そこで一旦切ってから、再び話し出す。低いトーンに変えて。
(ここから回想)
「チー〇くんのべろは『うらやす』、おめめは『いんざい』♪」
けーちゃんが楽しそうに話している。川崎の話では、今日学校で千葉県に似た『赤いアイツ』を習ったそうだ。
普段は怖いことで通っている川崎だが、家族の前では優しい表情を見せる。
「はーちゃん、さーちゃん、『ふっつみさき』ってどこ?」
けーちゃんが尋ねる。
「チー〇くんだと、みんなしらないっていうの」
……あー、それ聞いちゃったか、けーちゃん。
そんな様子を見た川崎が俺に近づく。赤いアイツ基準で俺が富津岬の位置を説明すると、それを聞いた川崎は頬を赤らめた。
穢れのない目で見つめられ、俺も川崎も互いの顔を見合わせる。
「けーちゃん、富津岬はこの下だよ」
俺はおなかの部分を指し示しながら話す。
「でもなんにもないよ。はーちゃん」
そこで俺は渾身の説明をしてやったのさ。
「けーちゃん、チー〇くんはね、きっと出べそが恥ずかしかったんじゃないかな」
けーちゃんと目線を合わせて語り掛けた。
「うん!はーちゃんがそういうんならそうだよ、きっと! 『ふっつみさき』はおへそ♪」
けーちゃんのご機嫌な様子を見届けて、川崎は感謝した。
(ここまで回想)
「ちなみに、当初は下腹部辺りに富津岬が突き出していたみたいだが、「あらぬ誤解」を避けるために無くなったとか……。それがホラーだ。俺の話は以上だ」
「ヒッキー、ホラーじゃないじゃん!」
「怪談というより、ほのぼのとしちゃいましたよ」
ニヤケ顔で話しかける一色。なんかムカつくわ。
「でも、これ、ある意味ホラーかもね」
「ゆきのん、どういう意味?」
由比ヶ浜に耳打ちをすると、頬を赤らめる。
「ヒッキーのアホ!スケベ!八幡!」
ねぇ、最後さらっと俺の名前言うのなんなの?
「雪ノ下、説明してやれよ」
「あら、か弱い乙女に言わせる気かしら」
微笑んで答える雪ノ下。怖い、あと怖い。まさしくホラー。
「そうだ由比ヶ浜、千葉市から鴨川への行き方を『赤いヤツ』で説明してくれ」
「ば、馬鹿にするなし! 首を出発して、鼻のさきっちょ行けばいいんでしょ」
「由比ヶ浜さん、そこは野田よ」
「結衣先輩……」
得意気に説明する由比ヶ浜と手でこめかみを抑えてため息をつく雪ノ下。もはや古典芸能だ。とあるアニメの騒動にかけたんなら天才だがな。
「鴨川へはな、首筋の下を通って腰を経由してから太ももに行くんだ」
「なんか言い方がエロいよ、ヒッキー!」
由比ヶ浜が俺をポカポカ叩く。なんだか気持ちいい。
「でも、まぁ、川崎先輩の妹さんはまっすぐ育ってほしいですよね」
一色のその一言は満場一致だった。
その後、由比ヶ浜、一色の順番で怪談話は進んだ。ちなみに雪ノ下はじっとして動かない。そして、リベンジとして俺に回ってきた。
「ふう……今から話すのは、これから体験する話だ」
声のトーンを一気に落とすと場の三人が息を飲む。いいね。掴みは上々。
「日本語がおかしいわね?」
雪ノ下の突っ込みを無視して、話し始める。
「今みたいな時間の事を逢魔が時という」
夕方と夜の境界線が曖昧になりボヤけ何でも存在しているかのような、或いは何でも存在してはいないような時間。
一色がか細い声を上げる。由比ヶ浜は小さく震えながら雪ノ下にしがみついていて、雪ノ下は雪ノ下で由比ヶ浜の服の端を掴んでいる。こんなときにゆるゆりを見せないでくれませんかね。
「知ってるか? 死者が蘇り生者が死ぬ。そんな時間に怪談話をしたらどうなると思う?」
そこで一色が思いっきりしがみついてきた。平静を装うので精いっぱいです。だって、柔らかくてあったかくていい匂いするんだよ。勘違いしちゃうからそういうのやめろって!
「良くないモノが呼び寄せられるんだよ」
「ひ、比企谷君、何を言ってるのかしら」
普段ならここで雪ノ下の小言の一つでも来るところだが、当の彼女もそんな余裕はないようだ。
「ところで雪ノ下、お前、今"誰"と喋っているんだ?」
「……比企谷君に決まってるじゃない」
「お前らがさっきから話し掛けていた"比企谷"って誰だ?」
俺は一段トーンを落として語り続ける。
「せ、先輩、そういうのは面白くないですよ!」
「そうだよヒッキー!」
ゆるゆりはお互い全力で抱きついてガチゆりになってるし、一色は俺にしがみついたまま顔をうずめてしまっている。小刻みに震えないで!
「本当に気付かないのか?気付きたくないのか?」
「やめてってば!」
「そうだ、由比ヶ浜。小町に電話かけてるから話してみなよ」
戸惑う由比ヶ浜が恐る恐るスマホを握る。
『もしもし結衣さんですか? え、兄ならわたしのそばにいますけど』
『……え?』
『どうしましたか?』
由比ヶ浜は茫然としている。雪ノ下に至っては正気を失った表情だ。
「もう一度言う。誰と話してるんだ?」
陽が沈み、暗くなった部屋。雪ノ下は動こうとするが腰を抜かして動けない様子だ。すると、電話の向こうから小町の声が響く。
『なーんちゃって、兄はここにはいませんよ』
小町がネタ晴らしをした。『兄の怖い話ほんとやばかったでしょ』と言い残して。
「もう、小町ちゃんもヒッキーもやり過ぎ」
「あー立てません!これは送って行ってくださいね。わたしの家まで」
あのな一色、今歩いてるのはなんだ。それこそホラーだ。
「あー、じゃあ次は誰が……」
「いえ、比企谷君の話が予想以上に長かったから今日はもう帰った方がいいわ。あまり遅い時間まで学校にいるべきではないもの。ただ、わたしは全然怖くなかったけれど。本当に全然怖くなかったのだけれどね」
雪ノ下、それ以上話さない方がいい。怖がっているのがバレバレだし、まだ立ち上がれないみたいだし。
「あー、じゃあ帰るか」
「そうですね……」
一色が答える。俺に顔をうずめながら何かが身体に響いてぞわぞわするんだけど。
鍵を返して四人で学校を出る頃には夕日もだいぶ沈みかけていた。
「最後に一つ言うことがある。偽物は、本物よりも本物らしい」
俺のカッコつけた独白で怪談は幕を下ろした。
いかがだったでしょうか。
個人的なホラーとしましては、某感染症流行以降の現状そのものです。
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