将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 (シグル)
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産屋敷耀哉の初めての友人は歴代最年少の柱になる
前編


 

 

 初めてあおいが“それ”を目にしたのは、齢10の時だった。

 

 幼い頃から朝早く起きる習慣がついていたあおいはその日、いつもより一刻程早く目を覚ましていた。二度寝する気にもなれず、かといってまだ夜も明けていないのに日課の掃除を始める訳にもいかない。どうしようかと悩んでいたあおいだったが、ふと外の様子が気になった。僅かではあったが誰かの声が聞こえたのだ。聞き間違いかもしれないと思ったが、どこか切羽詰まった様子だったのが気にかかる。前々から両親に夜に外を出歩いてはいけないと言い含められていたが、どうしても気になって仕方がなかった。両親からの注意と己の好奇心を天秤にかけ、ちょっと様子を見てすぐに戻ってくれば問題ないと判断し、あおいは普段から身につけている藤の花の香り袋と羽織を手にして寝室を抜け出した。

 

 外に出てすぐ、異様な雰囲気が漂っているのをあおいは感じ取っていた。

彼の生家は代々神職を務めており、境内にある屋敷を住居としている。いつも鳥居周辺に植えられている藤の花の香りと神聖ながら心地よい空気で満ちている境内だったが、今日はどことなく張りつめている。

 警戒心を強めながら鳥居に向かっていたあおいは次の瞬間、全速力で走りだしていた。

 

「──!!」

 

 子どもの己にできることなどたかが知れている。けれど行かなければならないと自身の直感が告げていた。

 そうして辿り着いた先に見たのは、月明かりに照らされた異形の“ナニカ”と怪我をしているのだろう左腕を押さえる男の姿だった。

 そこからはとにかく必死の一言だ。

 異形の意識を男から逸らすために握りしめていた香り袋を投げ付けつつ、呆然とこちらを見ていた男の手を掴み只管走った。

 後ろから形容しがたい叫び声が聞こえたが、振り返ることはしない。

 

 

『いいかい、あおい。異形の者は日の光と藤の花をとかく嫌うんだ。もし出くわしたのなら藤の花が植わっている鳥居を目指しなさい。鳥居をくぐってしまえば、大抵のやつらは近づいて来れないからね』

 

 

 かつて祖母に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。その言葉を信じてあおいは襲われていた男と共に鳥居を目指した。

 しかしそう簡単に逃がしてくれるほど、ソレ──鬼は甘い存在ではない。

 鬼は藤の花を投げつけられたことに関して激怒するも、獲物が増えたことには歓喜した。鬼となってまだ日が浅く、狩りも下手で空腹だったのだ。そこに固そうではあるが食べごたえのある大きさの男と、柔らかくてうまそうな子どもがやって来た。

 絶対に逃がすか二人まとめて食ってやる!

 そう意気込んだ鬼が大きく腕を振りかぶったところで──。

 

ザンッ

 獲物を写した視界が、どんどん下に下がっていく。そのまま地面にどしゃっと叩きつけられて初めて、鬼は己の首を斬られたことに気づいた。

 鬼の狩りが下手な所以はそこにある。

 鬼は気配を読むのが壊滅的に下手くそだった。それこそ、気配を消した鬼狩りが刀を抜いて真後ろに迫っていることにも気づけない程度には、下手くそだった。

 一方、襲われていた男と逃げていたあおいだったが、聞きなれない音と共に静かになった背後が気になり後ろを振り向いていた。

 月明かりに反射し、キラリと光る日本刀。

 それを手に持つ、黒い衣服に羽織の男。

 そのすぐ近くにもうくっつくことのない首と分かたれた胴体が転がっているのだが、刀と男に気をとられていたあおいは気づかない。

 鬼殺隊と出会った、初めての夜だった。

 

 

*****

 

 

 どうも、あおいです。

 あの後一緒に逃げていた桜木どの(あとから聞いた)と彼の怪我に気づいた命の恩人を連れて神社に帰った俺は、鬼という存在とそれを滅する組織である鬼殺隊について教えてもらった。

 そこでかつてばあさまに教えてもらった"異形の者"と、彼らの言う"鬼"が同一であることも教えてもらった。

 起きだしていた両親も交えてその話を聞いて、俺は薄情にも"もう夜に出歩くのは止めよう"としか思わなかった。

 だってそうだろう。

 俺はただの子どもで、戦う術を持っていない。ならばなるべく夜は出歩かず、藤の花の香りを身につけて自衛することが一番安全だ。両親と二人の兄上と、可愛い双子の妹と共にこれからもこの神社で暮らすなら、それが最善だろう。

 その日の夜、あの夢を見るまで、俺は確かにそう思っていた。

 

 

 

 何処かの立派なお屋敷の庭で、童女が二人、わらべうたを歌っている。

 大人は三人。一人は洋装の男で瞳孔が縦長に伸びている。もう二人は和装の男女だ。一人は床に伏しており、怪我でもしているのか顔中を包帯で覆っている。もう一人は、白髪の美しい女だった。

 何事か話しているが内容は聞き取れない。そうして特に何が起こるわけでもなく時間が過ぎ、刹那。

 

ドンッ!!!

 

 目を開けていられない程の爆音と爆風が辺りを襲った。

 あの場にいた人達は無事なのかと意味のない思考を回そうとして気づく。

 あの白髪の美しい女性。どことなく見覚えがある、あの女性は、まさかっ…。

 

 

 

「あまねっ!!!」

 

 暗い部屋に、荒い息遣いが響く。

 全身が汗に濡れていて気持ち悪い。

 震える手で顔を覆い、ひとつ大きく息を吐いた。

 

「ゆめ…」

 

 酷い夢を見たと、もう一度深呼吸をして立ち上がる。着替えようと寝間着を脱いで替えのものに手を伸ばしたところで、ふと思った。

 

「あれって、鬼、だよな…?」

 

 縦長の瞳孔を持つ洋装の男。明らかに人ではなかった。

 そしてあの女性。大きな瞳に綺麗な白髪。白樺の精を思わせるあの美しい女性はどう考えても己の可愛い双子の妹であるあまねに間違いない。

 

「いや。いやいやいやいやいや。え?あまね死ぬの?鬼のせいで?…は?」

 

 気づけば朝になっていた。

 

 

 

 顔色を無くし、クマをこさえた自分を家族は非常に心配してくれた。その中にはもちろん、妹のあまねも含まれている。…うん、成長したらあんな感じだろうなと思える程度には、あまねの顔は整っている。

 …俺たち神籬家の人間は、神のご加護とやらが強いらしい。事実、兄上たちもあまねも断片的な予知夢を見ることができる。俺もそうだ。ただ、いつもは夢ではなく額を合わせてでしか見ることは叶わないけれど。

 

(死なせたくないなぁ…)

 

 何故今回、夢という形だったのかは分からない。けれど、昨夜見た夢は予知夢である可能性が高い。

 俺は家族が大好きだ。優しく笑う母と、厳しくも凛とした父。しっかり者の長兄と、明るく人の機微に敏い次兄。そして、思いやりと責任感に溢れた妹。

 …身内の、それも己の片割れの行く末を知っていながら無視できるほど、俺は人でなしではない。

 

「──父上、母上。お話ししたいことがあります」

 

 

*****

 

 

 鬼殺隊に入りたいと、両親に伝えた。

 詳しい理由は話していない。昔、俺に先見の力が現れてから母上と約束したからだ。

 

 

『いいですか、あおい。貴方が見たものは未来と呼べるものです。けれど無闇矢鱈に口外してはいけませんよ。未来は無数の選択の先にあるもの。貴方が告げる内容で、吉とも凶ともなり得ます。…その人の本来の流れを変えるのなら、それ相応の覚悟と責任を持ちなさい』

 

 

 当時はあまり理解出来なかったし、正直今もぼんやりとしか分からない。

 けれど、その覚悟と責任とやらを背負うことになっても、守りたいと思ってしまったのだ。

 だから…。

 

 

『お前は、お前が見た未来を、本来の流れを変えたいんだね?』

『はい』

『貴方が行動したとて、善き方向に転ずるかはわかりませんよ』

『承知しています。けれど俺は、この先の未来を知っていて見て見ぬふりはできない。回避できる可能性が僅かでもあるのなら、おれは全力で抗います』

『命を失うかもしれなくても?』

『はい』

『…鬼狩りになるということは、血を纏うということ。神に仕える我々にとってそれは穢れだ。…神籬の姓を、名乗れなくなるよ』

『…全て、承知の上です』

 

『…わかったよ』

 

『お前が思う、最善を選ぼう』

 

『──ありがとうございます』

 

 

 話をしてからは早かった。

 その日の内に家を出ることを兄妹たちに伝えた俺は、両親と話す以上の労力を使うこととなった。特にあまねの説得は大変だった。これまでほとんどの時間を共に過ごしていたため、仕方がないと言えば仕方がないが。

 静かに泣きながら引き留めてくるものだから俺もうっかり泣きそうになった。というか、ほとんど泣いていた。

 それでも最後にはちゃんと納得してもらえた、と思う。家を出る当日までいつも以上に側にいたり、小さな我儘を言うようになったが俺自身も寂しかったので文句はない。

 俺の引き取り先は、両親が探してきてくれた。どんな伝を使ったのかは分からないが、一宮家という代々鬼殺隊と関わりを持つ家が養子を探していたらしい。

 話を聞く限りとても良いお人柄のご夫婦だそうだから、きっと上手くやっていけるだろう。

 桜木どのとも話をした。

 怪我の経過も良好で、もう問題なく動かせるとのことだ。そしてご家族を交えて改めて鬼殺隊の方から話があったようで、藤の花の家紋を掲げることに決めたらしい。俺が鬼殺隊に入ることを話したら驚いていたが、何かあったら力になるから遠慮なく頼ってくれとも言ってくれた。ありがたい限りだ。

 そうして日々を過ごして、家を出る前夜。

 俺とあまねは揃って屋根の上にいた。昔から何かあると二人で屋根に登ってぼんやりと空を見上げたものだ。…これも今日で最後かもしれないと思うと、途端に寂しくなるのだからどうしようもない。

 俺は俺の目的のために鬼殺隊に入ると決めたのだから、もっとしっかりしなくては。

 

「兄さま」

 

 小さく囁かれたその声音は、何者にも遮られることなく俺の耳に届いた。けれど、後に続く言葉はない。

 

「あまね」

 

 何か言いたくて、でも何を言えばいいのかわからない妹に、俺から言えることはたったひとつだ。

 

「俺は明日、神籬の家を出る」

「…はい」

「今後は一宮を名乗るから表面上お前とは赤の他人だ」

 

 口を開いて何か言おうとするあまねを遮って続ける。

 

「けれど俺がお前の、お前が俺の片割れであることは、変えようのない事実だ。だからあまね。姓が変わったからといって繋がりが断たれる訳ではない。大丈夫。俺たちの繋がりは、そう簡単に切れたりはしないよ」

 

 その日は久しぶりに一緒に布団に入って寝た。何の気なしに額を合わせてみたけれど、特に何かを見るわけでもなくそのまま朝を迎え、そして。

 

「では父上、母上。兄上方もあまねも。お元気で」

 

 俺は翌日、神籬家を出た。

 雲一つない快晴だった。

 

 



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後編

 

 一宮の家に来て、一月程経った。

 正直に言おう。俺はいつか、鍛練で死ぬんじゃなかろうか。

 いや、いきなりはよくないな、うん。順を追って話そう。だから聞いて。

 一宮の両親はとても良い人達だった。初めはお互い微妙な距離感を保っていたが、今では大分近づけたと思う。俺も二人を“父上殿”“母上殿”と呼んで慕っている。

 ただその近づけたきっかけが鍛錬だったのは、果たしていいことなのかどうなのか…。

 俺は今まで刀を握ったことがなかった。当たり前だ。廃刀令が出されてもう20年は経っている。普通に暮らしていたら握る機会なんて皆無だろう。だからまず、木刀での素振りから俺の鍛錬は始まった。

 父上殿は、今では鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉様の補佐をしているが、元は鬼殺の剣士だったらしい。甲という階級まで上り詰めたが怪我の影響で引退するほかなかったのだとか。元々一宮家は産屋敷家を支えてきた一族だから特に不満はなかったそうだが、子どもが居ないのだけが心残りだったそうだ。母上殿もかなり気に病んでいたため、いっその事養子を取ろうという話になったという。そこでなんやかんやあり俺が選ばれたのだから、縁というものは不思議なものだ。

 …話を戻そう。

 鬼殺の剣士だった父上殿に直々に剣術を基礎中の基礎から教わっていた俺だったが、内容がもう厳しすぎた。素振りは一度につき千回は当たり前。それに並行して体力をつけるために山を駆けまわり、鬼に攻撃されることも想定して只管回避するだけの訓練もした。手の豆は潰れ、体中に青痣を作り、一日の終わりを気絶で迎えた。

 もう一度言おう。俺はいつか、鍛錬で死ぬんじゃなかろうか。

 だがその日々も、少しずつ変化を見せていった。

 何度も手の豆が潰れたおかげで皮が厚くなり、丈夫になっていった。

 毎日山を駆けていたおかげで体力も付き、足場が不安定でも身軽に行動できるようになった。

 目が良くなったのか慣れたのか、相手の攻撃を目で追え反応できるようになってきた。

 できることが増えると現金なもので、段々と鍛錬が楽しくなってくる。

 今日はどんな内容だろうかとある日朝餉を食べながら思っていると、父上殿がこう言ってきた。

 

「今日はお前に呼吸について教えようと思う」

 

 …?

 

「失礼ですが父上殿。俺は呼吸をしていますよ?でなければ生きていません」

「それは生きるための呼吸だろう。今日教えるのは鬼を滅するための呼吸だ」

「なるほど?」

 

 なるほど…?

 

「ふふふ。とりあえず今はご飯を食べてしまいなさい。冷めてしまいますよ」

「あっ、はい。母上殿」

 

 止まっていた箸を再び動かす。とにかく今日は呼吸なるものを教えてくれるらしいが、まずは食事だ。健全なる精神は健全な肉体に宿り、健全なる肉体は健全な食生活によってできる。昔父上と母上に言われた言葉だ。だからとりあえず食べなくては。

 

 

 

 目の前に身の丈程ある瓢箪が置かれる。

 

「これに息を吹きかけて破裂させなさい。それが当分の目標だ」

 

 …父上殿は、何を言っているのだろうか。

 

「そのためにも全集中の呼吸を取得しなければならないのだが…お前は無意識にできているからな。まずは意識してできるようになれ」

 

 全集中の呼吸、とは。

 

「全集中の呼吸とは、人間が鬼と対抗するために会得した呼吸法で、基礎体力が飛躍的に向上する効果がある。お前、山を駆けまわる時に無意識に使っているぞ」

「えぇ…」

「沢山息を吸って肺を大きくするんだ。そうして血液に酸素を取り込んで、身体中の血管一本一本を通って筋肉に辿り着く。指の先まで意識して、酸素が血液に乗って全身を巡っていることを認識しなさい」

 

 とにかくやってみろというので、目を閉じて実践してみる。

 山を駆けまわっている時にできていると言っていたから、その時の感覚を思い出そう。

 目を瞑って大きく息を吸い込む。肺を大きくし、取り込んだ酸素が血流にのって全身を巡っているのを意識する。それを繰り返し何度も…。

 

「っはぁ──!!!」

 

 げほごほと咳き込む。なんだこれきっつ!!耳から心臓出たかと思った!!

 

「うん。できてるな。それを四六時中継続できるようにしろ」

 

 なんつったこのじじい。

 

「24時間。起きている間はもちろん寝ている間も欠かさず呼吸し続けろ。そうすればこの瓢箪も割れる」

「あたまおかしくなったんですか」

 

 

ゴッ!!!

 

 

 目の前に星が散った。

 

 

 

 拝啓父上、母上、兄上方、あまね。

 元気にしていますか。俺は元気です。鬼殺隊に入る前にいつか鍛錬で死ぬんじゃなかろうかと思っていますがとりあえず元気です。頑張って瓢箪割れるようになりますね。敬具。

 

 

*****

 

 

 一宮の家に来て半年が経った今日。

 今ではもう全集中の呼吸・常中も問題なくできるようになり、例の瓢箪も割ることができた。今は自分に合った呼吸法を模索している最中だ。水の呼吸も雷の呼吸も風の呼吸も試してみたがどうもしっくりこない。もはや新しく派生させた方が早いんじゃないかと最近では思っている。

 さて、そんな俺は今、とても立派なお屋敷のとても立派な庭園が見える部屋で人を待っています。

 何でも鬼殺隊の当主であり父上殿の主である産屋敷耀哉様が俺に会ってみたいと仰られたんだとか。そのため今日の鍛錬はお休みだ。

 何でも耀哉様──お館様は4歳で当主となったらしい。…もののけなのかなと思ったのは一生の秘密だ。いやだって俺が4つの頃何してた?境内走り回って砂利に足を取られて派手に転んで大泣きした記憶しかないぞ??それなのにお館様は同じ年の頃に当主となって鬼殺隊をまとめていたとか…。いくら父上殿が補佐としてついていたといっても中々にやばい。

 そんな事前情報しか持っていなかった俺だから、4つ年下だと言われても何かとんでもない人物がやって来るんだろうと思っていた。

 実際は別の意味でとんでもない人だった訳なのだが。

 

「初めまして、あおい。私は産屋敷耀哉。君の父君にはとてもお世話になっているんだ。…君とも、長い付き合いになりそうだね」

 

 そう言って微笑んだお館様は確かに当主で、上に立つべきお方で、隊士にもなっていない俺が気軽に接するなんてできないような人なんだろう。身長と幼い顔立ちを除けば、成人していると言われても信じてしまえるくらい落ち着いていて、聡明で、当主としての役目を立派に果たしているお人だった。

 それでも、ふとした瞬間に寂しさをにじませる子どもでもあった。一瞬すぎて気のせいかと思ってしまう程度には、隠すことに長けていたようだが。まだ6歳の、大人に庇護されるべき年の子どもだと思うと、胸がぎゅっと締め付けられる気分だった。

 しかし、この感情は目の前の子どもにとっては酷い侮辱だろう。小さな身体に背負った、産屋敷家当主としての、鬼殺隊当主としての覚悟と責任。それを憐れむ権利も、資格も、俺は持っていない。ならば。俺にできるのは、可能な限りお支えするだけだ。…父上殿もきっと同じ気持ちなのだろう。帰宅する途中、無言で頭を撫でられたのが酷く印象に残っている。

 

 

 

 というわけで。

 

「耀哉様。今日は何を手伝いましょうか」

 

 にっこり笑いながら目の前の子どもらしからぬ子どもに笑いかける。返ってくるのは穏やかな笑みだが、最初に見た頃よりも呆れが混じっているように思う。最近ようやっと感情を出してくれるようになった。結構な進歩だと自分では思っている。呆れだけど。

 耀哉様と初めて会った夜。俺は父上殿に頼み込んで産屋敷邸を訪れる許可を捥ぎ取った。毎日の鍛錬を欠かさずに週に一度だけという条件付きだったが、それでも十分だった。もちろん、先方にも許可は貰っている。

 そうして週に一度、欠かさず産屋敷邸を訪れて問題ない範囲で仕事を手伝っていく生活が始まった。それだけでなく、俺が経験した話を面白おかしく話して聞かせてみたり、疲れているようだったらそのまま仕事を続けることが如何に効率が悪いかを説明して休息を取らせたりと色々やっている。そうして回数を重ねていった結果、徐々に穏やかな笑みだけでなく、呆れや若干の煩わしさも表に出してくれるようになった。まあ主に休息を取らせようとしたときなのだが。それ以外では穏やかな笑みのままだからどう思っているのかさっぱりわからない。なので俺がわかる感情の大体がそういった負の感情なのは悲しいところだ。

 もういい加減やめた方がいいのか、いや手法を変えてみるかと考え込んでいる俺に、この屋敷の主である耀哉様から声がかかる。

 

「あおいは、何故そんなに私に構うんだい?」

 

 何故。何故、か…。

 

「…俺はまだ、正式な鬼殺隊員ではありません。なので鬼を滅することで貴方を支えることができない。だったら直接仕事を手伝ってお支えしたいなと、そう思ったんです。…ああ、もちろん鍛錬もちゃんとしているのでご安心ください」

 

 この屋敷に来るようになって、わかったことがある。耀哉様を支えている人は沢山いる。隊士たち然り、使用人たち然り、父上殿のように引退して次世代を育てている育手や補佐役然り、藤の花の家紋の家の人たち然り。鎹烏も含めていいかもしれない。人じゃないけど。

 とにかく、耀哉様を、そして鬼殺隊を支えている存在は沢山いるのだ。それ自体はとても喜ばしいことだと思う。

 けれど同時に思うのだ。この中の何人が、産屋敷耀哉という一個人の顔を知っているのだろう、と。耀哉様は基本、人に会っている時はずっと“お館様”なのだ。決して穏やかな笑みを崩すことなく、立派な当主であろうと、“父”として“子どもたち”を守ろうと常に気を張っている。

 俺はそれを崩したいのだ。

 …いや。そうじゃないな。きっと俺は──。

 

「俺は…貴方と友人に、なりたいんです。鬼殺隊員でも、藤の花の家紋の家でもない俺なら、貴方は“お館様”でなくていい。素の“産屋敷耀哉”という一人の人であれるんじゃないか、と。…烏滸がましいことだと、自分でもそう思います。けれど、少なくとも俺が正式に鬼殺隊に入るまでは、友人として耀哉様をお支えしたい」

 

 耀哉様は何も仰らない。けれどいつもの微笑みもなく、唯々大きな瞳をまんまるにしてこちらを凝視していた。

 …何だろう。烏滸がましいとかそういう段階の話じゃなかった気がしてきた。そもそも友人…友人?友人ってなんだ?どうやってなるんだ?一方的に友人になりたいと言っても相手も同じ気持ちだとは限らない。えっ、どうしよう…。

 ぐるぐると頭に言葉が浮かんでは消えていく。おそらく自分は今大変愉快な顔をしているだろう。その証拠にほら。耀哉様も笑っている…え??

 

「ふ、ふふっ」

「か、耀哉様?」

 

 耀哉様が、笑っている…。それもいつもの微笑みではなく、声をあげて。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことか…。

 

「ふふ。はぁ…こんな風に笑ったのは初めてだ」

 

 今まで見た中で一番柔らかい笑みをこちらに向けて更に続ける。

 

「あおい」

「は、はい!」

「君はまだ正式な隊士じゃない」

「はい…」

「だから、私のことを敬う必要はないよ」

 

 今度はこっちが目を丸くする番だった。

 

「それから敬称も、敬語も外してくれて構わない」

「え、いやしかし…」

「頼むよ、あおい」

 

「君は私の…友人、なのだろう?」

 

 その時の笑顔はきっと、何のしがらみもない、ただの産屋敷耀哉の素の笑顔だった。

 

 

*****

 

 

 あの衝撃的な出来事から数ヶ月経った。

 初めはぎこちなかったやり取りもかなり改善され、どこに出しても恥ずかしくない友人関係が築けていると思う。といっても、お互い友人なんて初めてだから何が正しいのか分からないが。

 

「あおい?何を読んでいるんだい?」

 

 それでも、"お館様"でいる時よりも大分砕けた雰囲気の耀哉を見ていると、別に正解なんてないんじゃないかと思えてくる。俺たちには俺たちにあった友人の形があるのだから、無理に既存の型に当てはめなくてもいいだろう。

 

「ん?書庫に基本の呼吸について書かれた書物があったから借りてきた」

「へえ…。この際、勝手に持ち出してきたのはいいとして、何か気になることでもあったのかな?あおいはもう新しく呼吸法を作ったんだろう?」

 

 そう。結局俺は新しく呼吸を作ることになった。本当は父上殿が直々に教えてくれた雷の呼吸を使う予定だったんだが、どうにもしっくり来なかったのだ。しかもなんか弱い。型は習得できたが雷鳴のような猛々しさなんて欠片もなかった。

 他にも水と風を試してみたが雷同様習得できてもしっくり来なかったので、基本の呼吸を扱うのは潔く諦めた。無理なものは無理とすっぱり諦めた方が上手くいく時もあるとこの時実感した。

 しかし、これらの呼吸法の習得も決して無駄なことではなかった。

 俺が編み出した空の呼吸は、これら三つの呼吸を組み合わせて作った所謂"いいとこ取り"の呼吸だからだ。

 …正直、人によっては嫌悪感を示す可能性があるからそこだけがちょっと心配だったりする。

 まあ作っちゃったものは仕方がないんだが。

 というか。

 

「勝手に持ち出してって言うが、好きに読んでいいよと言ったのは耀哉だろう。ちゃんと元あった場所にも戻すぞ」

「そうだったっけ?」

「ああ、そうだった」

「ふふ。ごめんって。ほんの冗談だよ」

「仕方がないな…。美味しいお茶で手を打とう」

 

 それに合う茶菓子もあれば尚よし。ちょうど八つ時だしな。

 

「ふふっ。はいはい。…で?」

「ん?…ああ。大したことじゃないんだが、空の呼吸はどの呼吸の派生になるのかなって」

「あー…」

 

 通常、派生させるときの基盤となる呼吸は一つだ。けれど俺の場合は三つ。そういう点でこの呼吸は異質だろう。

 

「君の場合、三つの呼吸に適正があっても身体には合わなかったからね。…初めて日輪刀を抜くときまで楽しみにとっておいたらどうだい?次の最終選別には出るんだろう?」

「うん」

「…あおい。私が君自身のことを知ってまだほんの少しだけどね。君が凄く努力していることはずっと前から知っていたよ。…だから、君なら最終選別を抜けることができると信じてる」

 

 決して大丈夫だと言わないその言葉が、耀哉らしいなと思った。

 

 

 

 年が明けて暫く。俺は藤襲山にいた。年に数回行われる最終選別に参加するためである。

 今ここには三十人程いるが、七日後には一体何人にまで減っているのだろう。果たして、俺は生き残れるだろうか。

 鬼殺隊に入ると決めて一年。自分なりに努力はしてきた。将来鬼のせいで死ぬ可能性がある妹を守るため、必死になって鍛練した。丸一日走り込んでぶっ倒れようと、手の豆が潰れて血塗れになろうと、呼吸で肺が死にそうになろうと、とにかく頑張った。既存の呼吸法が身体に合わず、複数の育手の間を渡り歩き自分に合った呼吸も作った。

 大きく息を吸って、ゆっくり吐き出していく。

 信じろ。自分を、今までの鍛練を、送り出してくれた父上殿を。そして、己の手を包み、視線を合わせて「信じてる」と言ってくれたたった一人の友人を。

 身体の強張りがなくなり、掌に体温が戻る。

 うん。

 鬼と対峙するのはあの夜以来だが、俺は俺の目的のために、生き残ってみせる。

 案内人による最終戦別の説明が始まった。集中しろ。気負わずに、けれど決して油断はするな。全てを斬る必要はない。逃げることも選択肢に入れろ。

 七日間の、命を懸けた選別の火蓋が切って落とされた。

 

 

*****

 

 

 結論から言うと、無事生き残れた。

 日々欠かさず山を駆けまわっていたのが功を奏し、木の根やぬかるみに足を取られることなく刀を振るうことができた時は、感動して思わず声が出てしまったほどだ。

 途中で何人か助けることもできたが、最終日に出くわした奴が一番危なかった。何なんだ、あの手が六本くらい生えた鬼は。藤襲山にいる鬼はそこまで強くないと聞いていたが、あれは規格外だろう。聞けば、特定の一門の子どもたちに強く執着していたらしく、助けた狐面もその一門の出なのだとか。…耀哉に藤襲山には手が沢山生えた特殊性癖の鬼がいると伝えておかなくては。

 狐面の名は紅葉(こうよう)というらしい。俺より3つ年上の14の青年だった。山を下りてから少し話をしたが、彼は隊士にはならないという。

 

「あの鬼が目の前にいた時、怖くて震えちゃったんだ。兄姉弟子があいつに食われたって知って確かに怒りが湧いたはずなのに、それ以上に怖くて足が動かなかった。こんなんじゃ、隊士になんてなれやしない。この先どうするかはまだ決めてないけどね。…助けてくれて、本当にありがとう。君は僕の命の恩人だ」

 

 そう言って握ってくれた掌が温かくて、不覚にも泣きそうになった。…そうか、俺もあの時の隊士みたいに、誰かの命の恩人になれたのか。

 

「…隊士にならなくても、関わり方はいくらでも選べる。隠でも、藤の花の家紋の家でも、師匠を手伝って弟妹弟子を育てるのでもいい。選択肢はいくつも広がってるんだ。無駄なことは何一つない。だからっ…」

 

 言葉がうまく出てこない。目頭が熱くなって、視界がぼやける。ああ、情けない。この人はこんなにも俺に力をくれたのに。これから先何度だって思い出せる、最初の一人になってくれたのに。俺はこの人に伝えたいことの、ほんの一部も言葉にできない。

 ぎゅうっと握られたままの掌に力を籠める。

 

「──ありがとう」

 

 ぼやけた視界に、優しい笑顔が広がった。

 

「色々と、考えてみる。師匠ともちゃんと話し合うよ。だからそんなに泣くな。あんなに格好良く僕を助けてくれたのに、台無しだぞ」

「…うるさい」

「あははっ」

 

 人の泣き顔を見て笑うとか酷くないか。

 笑うのをやめろと下から睨み付けるも、紅葉の方が身長が高いため若干上目遣いになってしまった。悔しい。

 

「悪かったって。そんなに睨むな。綺麗な顔が勿体ないぞ」

「だからうるさい」

「はいはい。…なあ、手紙、書いてもいいか」

「!…ああ、もちろんだ」

「それと、“こうよう”じゃなくて“もみじ”って呼んでくれると嬉しい」

「もみじ…。わかった、俺のこともあおいと呼んでくれ」

「ああ。──あおい、改めて本当にありがとう。また会おう」

「ん。またな、」

 

 去っていく紅葉の背中を見つめる。彼から感じていた折れてしまいそうな脆さは大分減っていた。

 願わくば、この先も続く縁でありますように。

 

 

*****

 

 

 最終戦別から帰って数日後。家にひょっとこの面をつけた不審者がやってきた。…間違えた。刀鍛冶の里から刀工がやってきた。

 

「いやあ、この刀はね。鉄地河原鉄珍様という里の長が打ったものなんだ。貴重だよ、長が新人の刀を打つなんて。名前を見てピンときたらしくってねえ。『この子は絶対可愛い子ぉやからワシが打つ』って言って聞かなかったんだ。いやあ、ほんと、大変だったんだよ。あっははは。でも君…男だね」

 

 玄関先で意気揚々と話し出したと思ったらいきなり性別を確認された。こわいなこの人…。

 

「うーん…まあ、いっか。ちゃんと確認しなかったのはあの人だし。もう打っちゃってるし。それに君可愛いから大丈夫だよ。どっちかというと綺麗系だけど。うんうん」

 

 それは本当に大丈夫なのか。

 一人で話して一人で納得しているこの男にどう割り込もうかと思案していると、母上殿がやってきた。

 

「あおい、どうしたのです。上がってもらいなさいな」

「母上殿…」

 

 思ったより情けない声が出てしまった。

 その声を聞きぱちくりと瞬きをした母上殿は、俺の横に立ち未だ一人で話しているひょっとこに向かって手を伸ばした。

 

「えいっ」

「ふぐぁ」

「ええ…」

 

 おそらく何かのツボを押したのだろう。母上殿が身体の一点を押した直後、力が抜けたようにひょっとこが崩れ落ちた。

 

「さっ、早く上がってもらいましょう。父上も待っていらっしゃいますよ」

「…はい」

 

 母は強し。以上。

 

 

 

 母上殿と一緒に父上殿が待っている部屋にひょっとこを連れて行き、一息つく間もなく刀を手渡された。

 

「さあさ、刀を抜いてご覧よ。どんな色がでるのかなあ。楽しみだなあ」

 

 急かされるまま刀を鞘から抜いた。途端、刀身の色が変わっていく。…初めて見たけど本当に変わるんだな。

 

「ほう、これはこれは」

「綺麗ですねぇ」

 

 見事な夕焼け色だった。それも一色ではなく、三色。橙と青と薄い緑の混じった、昼と夜の境目の色。美しい刀身だ。俺の、俺だけの日輪刀。

 持ってきてくれた刀工に礼を言おうと視線を向けると、ひょっとこの面から滝の涙を流していた。

 

「…」

 

 ええ…。

 思わず引いていると急に動き出し、ガッと両腕を掴んできた。

 

「ちょっ、あぶなっ」

「綺麗だねえ!うんうん、思っていた何倍も綺麗だ!!鉄珍様にも見せてあげたい!あっそうだ!すぐに返すから、里に持って帰ってもいいかな?!こんな色初めてだからきっと驚くよ!」

「いや、だめですよ!というか、その前にあぶないから離して…」

「そんなこと言わずに!ほんとにちょっとだけだから!すぐに返すから!」

 

 ひょっとこと押し問答を繰り返していると母上殿が静かに動き出した。

 

「えいっ」

「ふぐぁ」

 

 本日二度目の崩落である。

 

 

*****

 

 

 最終選別から三年が経った。

 俺は今でも元気に鬼狩りに勤しんでいる。いや本当、休む間もない。

 各地で鬼を狩って、藤の花の家紋の家で申し訳程度の休息を取り、怪我がなければまた任務。ここ最近は家にも帰れていない。父上殿と母上殿は元気だろうか。あ、耀哉に手紙を出さなくては。

 隊士になって以降、産屋敷邸にはあまり行っていない。月に何度か手紙を出しているが、それだけだ。

 上司と部下の関係になったことももちろん理由ではあるが、もう一つ。万が一にも鬼側に、産屋敷邸の場所を悟られてはいけないからだ。隊士となり鬼との関わりが増えた以上、警戒するに越したことはない。

 少し寂しいが、仕方のないことだ。それに嬉しいこともあった。

 紅葉が隠になったのだ。これからは後方で隊士たちを支えるのだと、この間の任務で会った時に言っていた。

 あの時の鬼については、耀哉が早急に対処してくれたようでもう討伐も終わっている。念のため柱を向かわせたと手紙で言っていたが、そんな小さなことに柱を使っていいのだろうか。いや、ありがたいのはありがたいんだが。もしその柱に会えたら礼を言おう、絶対に。

 そういえば、耀哉には俺の千里眼(便宜上こう呼ぶことにした)については既に話してある。

 …別に友人だから話した訳ではない。特に理由はないが、強いて言うなら俺がそうしたかったからだ。耀哉なら悪用はしないだろうという確信もある。

 それと同時に母上との約束も伝え、何か見たからといって全ての内容を教えられるわけではないとも告げた。

 

「あおいが告げた方がいいと判断した時にだけ、話してくれればいいよ。…君が背負う覚悟と責任を、私も共に背負おう」

 

 …俺は本当にいい友人を持てたと思う。

 そうして任務の合間に方々に手紙を送る日々を過ごして今。14になった俺は再び、懐かしの産屋敷邸にいる。相変わらず立派なお屋敷の立派な庭園だ。

 若干の疲れもありぼけっと耀哉──お館様が来られるのを待っていると、部屋に誰かが近づいてくる気配を感じた。お館様だ。

 襖が開かれるのと同時に頭を垂れる。

 今目の前にいるのは俺の友人の耀哉ではなく、鬼殺隊当主であるお館様だ。礼を欠くことはできない。

 

「久しぶりだね、あおい。元気なようで安心したよ」

「はい。お館様におかれましてもお変わりないご様子。心よりお慶び申し上げます」

 

 視線を上げる。穏やかな笑みを浮かべたお館様が、静かにこちらを見据えていた。

 

「今日君を呼んだのはね」

 

 一旦そこで言葉を切ったお館様は、穏やかだった笑みを深くする。

 …嫌な予感がするな。その笑みは愉快犯的な行動をする時のものだろう、耀哉。今ここでするものじゃないぞ。

 

「君に柱になってもらいたいからなんだ」

 

 …頼むからそういうことは事前に知らせといてくれ。

 

 




・この度愉快犯なご友人に不意打ちされた人
そういうことは!事前に!言って!心の準備するから!(ダァン‼)とほんとはしたかった。
確かにこの間下弦の鬼を斬ったけど流石に14で柱はないだろって油断してた。残念。前例は作るものです。
将来鬼のせいで死ぬかもしれない妹を助けたくて鬼殺隊に入ることを決意したシスコンお兄ちゃん。
なお、傍にいた包帯塗れの人が妹の旦那で初のご友人であることには気づいてない様子。多分次回辺りで気づく。

・不意打ちかましたら一気に真顔になって面白かったご友人
最近会ってなかったからつい、ね。可愛い悪戯だろう?(にこにこ)
いつもお世話になってる一宮さんが最近できた子どもを褒めていたから気になってお屋敷に呼んだ。ら、初めてのお友達ができた。嬉しい。
手鬼については、確かに規格外だし無駄に隊士の卵を殺す訳にもいかないから柱を向かわせた。
お友達にお願いされて張り切っちゃったからって訳じゃないよ、一応ね。



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産屋敷耀哉の初めての友人は妹の旦那の正体を知る
前編


 

 どうも、あおいです。

 久しぶりに会った友人に「柱になって」と頼まれました。いきなりすぎて俺はびっくりしています。

いや、本当に。

 

「…お言葉ですがお館様。俺はまだ14の若輩者です。この歳で柱になった者は俺の記憶にある限りいません。柱とは鬼殺隊の最高位。俺では分不相応かと」

「何事も最初は初めてだよ、あおい。それに君は先日下弦の肆を倒した。入隊してから鬼の討伐数も50を超えているし、階級も甲になっているだろう?柱になる条件は十分すぎるほど満たしてる」

 

 …そうなのだ。休む間もなく任務を熟していたら階級が甲になっていた。

 いい加減休みたいなと思いつつ、鎹烏の(あかつき)の案内で次の任務地に向かっていたのが二週間前。その途中で応援要請が入ったため向かったら、瞳に“下弦”“肆”と刻まれた鬼が恐らく隊士のものであろう足を咥えて小躍りしていたので、死闘を繰り広げた末に首を狩ったのも、二週間前だ。

 脇腹を怪我していたのと鬼血術の影響で幻覚を見続けていたこともあり、隠に家まで運んでもらい数日前まで療養を続けていたのだ。一宮の家が近くにあったのは運が良かったと言えるだろうか。

 その時の怪我が治って今に至るわけなんだが、あの鬼は本当に不愉快だったと、時が経った今でも思う。

 

 

*****

 

 

──その鬼は、嗤っていた。

 

「ふひっ。ひゃははははっ。また鬼狩りがやってきたなぁ。懲りることなく次から次へと…可愛いねぇ可愛いよ。ひゃははっ」

 

 脳を揺さぶる、不快な声。咥えていた足を其処らに放り血に染まった口で歪な笑みを浮かべる姿を見たら、もう駄目だった。

 

「空の呼吸 壱の型 紫電一閃(しでんいっせん)

 

 立っていた場所から一瞬で鬼の眼前まで移動する。そのまま首目掛けて刀を振るうも間一髪で交わされた。

 

「危ないねぇ危ない。あと少しで首が切られるところだった。ふひゃひゃっ」

「…」

「おお怖い。綺麗な顔で睨むなよぉ。勿体ないねぇ勿体ない」

「…うるさい黙れ」

 

 いけない。冷静になれ。視野を狭めるな。感情の波を一定にしろ。

 呼吸を一つ。視線は鬼から外さない。下弦の肆だけあって一切の隙もないが、少なくともこちらを下に見ている限りどこかで必ず隙ができる。

 にたにたとした顔をこちらに向けてくる鬼は、そこで初めて俺と目を合わせてきた。

 

「さぁて、お前はどんな顔を魅せてくれるぅ?」

 

──血鬼術 幻影透視

 

 

 

 気づけば目の前に大きな社が広がっていた。刀を構えたまま、周囲に視線を向ける。足裏から伝わってくる砂利の感触も、どこからともなく聞こえてくる神楽も、記憶にあるものと何ら変わらない。

 

(…血鬼術か。視覚…いや、感覚全てに作用しているんだろうな。どちらにせよ厄介なことに変わりはないが)

 

 さて、どうしたものか。

 下手に動く訳にもいかず、周囲の気配を読むことに徹する。

 すぐに気配が一つ、背後に現れた。

 刀を握り直し、振り向き様に一閃与えようと動き出すその直前。

 

「兄さま」

 

 いるはずのない可愛い妹の声が、聞こえた。

 勢いよく振り返る。

 そこには、白髪の髪を一つにまとめ、控えめながらも上品な着物に身を包んでいる、成長した姿の妹がいた。

 

「兄さま。やっと会えた…もうどこにも行かないでください。他の人なんてどうでもいい。私の、私だけの傍に、ずっといてください…」

 

 涙目でこちらを見上げながら縋りついてくる姿に、手が震えた。

 

 

『いいか、あおい。どんな時でも冷静であれ。一時の感情に呑まれて大局を見誤るな』

 

 

 …わかっていますよ、父上殿。

 しなだれかかってくる華奢な身体に腕を回す。もう離さないというように、強く、強く抱きしめた。…そう簡単に、動けないように。どこまで効果があるかはわからないが、やらないよりはましだ。自分の心情的に。

 

「ごめんな。もう大丈夫だ、どこにも行かない。ずっと傍にいるよ」

 

 刀を握った右手を静かに伸ばし、切っ先をこちらに向ける。

 腕の中で"ソレ"が笑うのを感じながら心の中で呟いた。

 

(空の呼吸 陸の型 光風霽月(こうふうせいげつ))

 

 "ソレ"が大きく口を開けるのとほぼ同時に、刀が脇腹に深く突き刺さった。

 

 

 

「ぎゃっ」

「ぐ、ぅっ」

 

 一応斜めに刺したんだが、目測誤ったな…。めっちゃ痛い。だがおそらく、鬼の方が痛みは強いだろう。この技で斬られると中々再生しないうえ、焼けるような痛みを伴うらしいからな(前に対峙した鬼が言っていた。決して実験したとかそんなんじゃない)。

 予想は当たったようで、再生しない傷口に焦った鬼に隙が生じ始める。

 

「なぜだ…俺の血鬼術は完璧だったはずだぁ。なのに何で騙されない!可愛い可愛い妹なんだろぉ?そんな大事な妹に刀をぶっ刺すなんてなぁ…ありえないねぇありえねぇよ!」

「…お前、何もわかっていないな」

「あぁ?」

「確かに俺は妹が大事だ。死なせたくないし、傷つけるなんて言語道断。だがな…あいつは他の誰かを“どうでもいい”なんて言わないんだよ」

 

 俺みたいに、家族が無事ならそれだけでいいなんて、そんな思考にはならない。

 

「自分だけが満足できれば他はどうでもいいなんて、絶対に言わない!」

 

──空の呼吸 肆の型 迅雷風烈(じんらいふうれつ)

 

 一気に駆け出し、まずは一閃。相手が防御するのを見届ける前に横に飛ぶ。幸いここは周りに木が生えている。利用しない手はない。

 木の幹を蹴り上げ速度を上げる。横から、背後から、正面から休む間もなく斬撃を叩きこみ、余裕を奪っていく。

 

「くっそぉちょこまかと…っ鬱陶しいなぁ!!」

 

 鬼が腕を払う。反応を見る限り、接近戦は得意ではないのだろう。幻術で獲物を惑わしそのまま食っていたんだろうな。…まったく忌々しい。

 

──空の呼吸 壱の型 紫電一閃

 

「ぎゃああ!!!」

 

 脚に力を込めて全力で地面を蹴り、鬼目掛けて刀を振るった。最初の一撃より速度も力も上がっている攻撃に、防御する間もなく首が宙を舞った。

 

「はっ、はぁ、はぁ…ふぅ…」

 

 脇腹の痛みが今になって強まる。汗が吹き出し、呼吸が中々落ち着かない。

 目を閉じてどうにか呼吸を落ち着かせ、刀に付いた血を払う。鞘に収めたところでバサリと羽音がした。鎹烏の暁だ。

 

「アオイ、隠呼ンダ。モウスグ来ルヨ」

「ん…ありがとう、暁」

 

 閉じていた目を開ける。…なんだかぼやけるな。日が昇って来たからそれでか…?

 目を擦ったり、瞬きを繰り返すが元には戻らない。

 

「あおい!!」

 

 そうこうしている内に隠が来たようだ。それもこの声と気配からして紅葉だろう。

 紅葉がいるであろう方向に目を向けて、固まる。もう何年も会っていない長兄がいた。

 

「もみ、じ…?」

「ああそうだよ。ちょっと待ってろ、今止血する。だからお前も呼吸で…」

「本当に…?」

「は?」

「本当に、もみじか…?」

 

 いや、声は紅葉だし、そもそもここに兄上がいるわけない。大方先程の血鬼術だろう。参ったな。中途半端に掛かったまま解けていないのか…。先程久しぶりにあまねの姿を見たから引きずられているんだろうか。勘弁してくれ。

 片手で目元を覆い、溜め息をつく。その様子を止血をしながら見ていた紅葉が、おもむろに口を開いた。

 

「…最終選別でのお前の泣き顔は中々可愛かったな。色々と台無しだったけど」

「次にその話題持って来たら蹴り飛ばすぞ」

「だって一番わかりやすいだろう」

「…まあな」

 

 だからってもう何年も前だろうに。よく覚えてるな…。

 

「とにかく移動するぞ。目がおかしいんなら瞑ってろ」

「たすかる…」

 

 そこで、静かに肩にとまっていた暁が嬉しい情報を落としてくれた。

 

「アオイ、ココ一宮ノ近ク」

「ああ、じゃあそっちに運んでくれ…」

「案内スルネ」

 

 バサリと音が鳴り、肩の重みが消える。傷に障らないようにだろう、ゆっくりと紅葉が俺を背に負ぶってくれた。

 

 

 

「あの家か」

 

 風を切るようにとまではいかないが、それなりの速度で走ってくれたため一宮の屋敷にはすぐに着いた。結構近かったんだな。

 暁が更に飛んでいく音がする。おそらく庭に向かったのだろう。

 

「カア、起キテ。父上殿、母上殿起キテ。アオイ怪我シテルノ。ダカラ起キテ」

 

 中からバタバタと音がする。日が昇ったばかりなのに早起きだなと、見当違いなことを思った。

 

「あおい!」

 

 父上殿の焦った声を最後に、俺の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 それから一週間ほど、俺は熱と幻覚に苦しめられた。

 どうやら俺の身体ごと鬼を刺した時に、体内に少し血が入ったらしい。拒否反応を起こしているのだろうと父上殿が言っていた。

 幻覚の方はもうどうしようもないので、目に包帯を巻いて物理的に見えないようにした。14にもなって母上殿に食べさせてもらったり身体を拭いてもらったりと世話を掛けさせたことは非常に申し訳ない。もはや介護だ。ただ下の処理は断固として拒否した。怪我人にだって人権はある。

 

 

*****

 

 

 そういう経緯を経て下弦の肆を斬ったわけなんだが…駄目だな。思い出したらまた腹が立ってきた。

 落ち着け一宮あおい。お館様の御前だぞ。今は話に集中するんだ。

 

「あおい、私はね。また君に傍で支えてもらいたいと思っているんだ。柱になればそれだけ危険な任務に向かうことにもなるし、責任も増える。君はまだ若いから、他の隊士からやっかみを受けるかもしれない。それでも私は、君に柱になって私を、ひいては鬼殺隊を支えてほしい」

 

 お館様がこちらを見つめる。絶対に引かないって顔に書いてあるな。

 …まったく。どうにも俺は、この年下の友人兼主に弱くていけない。けれど、そうだな。これも何かの縁なのだろうし、ここまで言われて断れるほど俺の意志は固くない。

 それに、他ならぬ耀哉の言葉だ。

 一度目を閉じ、心を決める。再び開けて、頭を垂れた。

 

「…不祥ながらこの一宮あおい。今度ともお館様を初め、人命を守るため、粉骨砕身勤めて参りたい所存です。──柱拝命の誉、有り難く頂戴致します」

「ありがとう、あおい。今後とも他の子どもたちの支えになってくれると信じているよ」

 

 一つ頷きながらお館様はそう仰ると、おもむろに二度手を叩いた。

 隠が一名入ってくる。

 その手には鬼殺隊士ならば見慣れた一本の日輪刀。

 

「今日からこの刀を使いなさい。身長も伸びているし、今の刀は短いだろう。柱の証である“悪鬼滅殺”の字はもうすでに彫ってあるよ」

 

 おい。

 

「俺が柱を断ったらどうするつもりだったんです?」

「え?」

 

「君が私のお願いを断るわけないだろう?」

 

 輝かんばかりの笑顔をこちらに向けるな。

 お前ほんとそういうところだぞ。

 

 

 

 空柱 一宮あおい。

 それは、誰よりも守ることを刀に誓う者。

 

 



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後編

 

 柱となって、変わったことがいくつかある。

 まず、お館様から屋敷を賜った。俺が一人で暮らすにはかなり広い屋敷だ。管理が大変だし必要ないと言ったのだが、笑顔で却下された。解せぬ。とりあえず庭に藤の花を植えることと、暁が休めるように止まり木をいくつか要求しておいた。

 それから隠が一人、専属で付くことになった。仕事の補佐はもちろん、屋敷の管理もある程度はしてくれるらしい。…だからさっき却下されたのか。

 耀哉の采配で、俺には紅葉をつけてくれるらしい。気心知れている仲なので素直にありがたい。自宅でも気を使われると疲れるからな。

 それともう一つ。これが一番面倒というかなんというか。

 再三言っているが、俺は14だ。鬼殺隊の中でも若い部類に入る。いくら実力主義だといっても、年下の俺が上に立つことに不満を覚える隊士は、残念ながら一定数いる。といっても、そう多くはないし、特に困るわけでもないんだが。たまに合同任務で一人にされる程度で大した問題じゃない。

 俺以外の柱は当然だが、皆俺より年上で、何故か全員俺のことを弟か息子のように扱ってくる。…いや、いいんだ。確かに年齢差を考えればその扱いは妥当と言える。ただ単に気恥ずかしいだけで。あとその距離感を見ていた一部の隊士が面倒なことを考えていそうなだけで。

 まあ、その隊士たちに関しては放置でいいだろう。時間をかけて実力を示していけばいい。

 

 

 

 と、思っていたんだが。最近その隊士たちを見ていない。正確に言うと、俺の姿を目にした途端顔を青ざめさせ驚くほどの速さで逃げていくようになった。前につい出来心で後ろから声をかけたら、背後に天敵がいた猫のようにびょっと飛び上がって逃げて行った。正直ちょっと面白かった。

 その話をたまたま任務帰りに会った炎柱の煉獄槇寿郎殿に話したら、微妙な顔をされた。何故。

 

「いや、顔に似合わず良い性格をしているなと思ってな」

「純粋に面白かったんですよ。一尺とまでは言いませんが、それくらいは飛んでたので。それにあの反射速度があったら鬼を狩るときもいい動きが出来そうです」

 

 そう言ったら呆れたように笑った後、大きな手で頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。…後で結び直そう。

 炎柱殿──槇寿郎殿は、俺が柱を拝命した直後に開かれた柱合会議で、一番に声をかけてくれた方だ。その時の話の流れで、例の最終選別にいた規格外特殊性癖鬼を狩ってくれた方だと知った。何かお礼をしたいと言ったら、呵々と笑っていつか困ったことがあったら手を貸してくれと答えられたため、一旦保留となっている。

 

「しかし、年齢を理由に実力を認められないのは悔しくないのか?」

 

 ふむ…。

 

「悔しい、かは分かりませんが、あまりいい気分にならないのは確かです。でも正直、俺にとって周りからの評価はそう重要なものじゃないんですよ」

「というと?」

「もちろん、お館様や他の柱の皆さんに認められるのは嬉しいですし、光栄なことだと思っています。けれど俺は、それが無くてもきっと変わらず鬼を狩り続ける。俺の求めるものはもっと別のところにあるので」

 

 脳裏に浮かぶ、真っ直ぐな瞳。穏やかな笑顔。温かい掌。最初は一人だったのに、気づけばこんなに増えてしまった。

 

「要は、柱という地位は、俺にとって今までの行為の結果として付随してきたものであって、目的じゃないんですよ」

 

 俺の目的は、ずっと変わらない。付属するものが増えることはあっても、核となる部分はきっと、これからも同じだ。

 

 

*****

 

 

 柱になって早三年。

 柱としての重責にも慣れ、生活に余裕も出てきた。身長が一気に伸びて関節が痛むことが増えたが、医者が言うには気長に付き合うしかないらしい。他の柱が気を使って任務に同行してくれたり、時には変わってくれもするが、流石にそろそろ申し訳ない。

 どうしたものかととりあえず擦ったり暖めたりして気を紛らわしていた夜。

 今夜も明日も非番で、特に予定は入っていない。柱付きになったことで共に暮らしている紅葉も明日は私用で出掛けるそうだ。思うにあれは逢引だな。何を着ようか夕餉後から大騒ぎしていた。あれは明日の朝も騒ぐだろうなぁ。…後で冷やかしに行こう。

 膝を擦りながら一人笑っていると、羽音と共に流暢な言葉が耳をくすぐる。

 

「久しぶりですね。あおい」

 

 開け放っていた障子から入ってきた、首に紫色の飾り紐をつけた烏。耀哉の鎹烏だ。

 

「久しぶり。元気にしていたか?」

「ええ。お陰様で。──今日は、産屋敷からの伝言を預かってきました」

 

 手紙ではなく伝言。つまりどちらかというと私的な要件か。

 

「聞こう」

「はい。『三日以内に産屋敷邸に顔を出してほしい』とのことです」

「三日以内…。それは明日でも可能かな?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「では明日の昼過ぎ、そちらに伺うと伝えてくれ」

「承知しました」

 

 差し出した木の実を一粒食べて帰って行く姿を見守る。

 さて。何の話をされるのやら。

 とりあえず紅葉を冷やかしに行くかと立ち上がる。が、この後数刻にわたり服装から逢引の道順まで事細かに相談されるとは思ってもみなかった。

 おかげで少し寝不足だよ、まったく。

 

 

 

「お見合いをすることにしたんだ」

「それは…おめでとう?」

 

 耀哉と二人、向き合って座る。

 ちなみに二人でいるときは以前のように砕けた話し方をする。柱になってすぐ、耀哉と二人でそう決めた。流石に人目がある場ではちゃんとするが、それでは息も詰まってしまう。

 それはそれとして耀哉の見合い話だ。

 耀哉は今年で13になる。

 普通だったら早すぎるんだろうが、産屋敷家にとってはその限りではない。一族から鬼を出したからなのか、産屋敷家は代々短命の呪いをかけられている。そのためなるべく早く子を成すために、そして少しでも呪いを緩和させるために、幼いうちに神職の家系から嫁を娶るのだ。

 この話は6年前、最終選別に行くことを決めた際に耀哉から直接聞いた。

 初めはかなり動揺した。どうにか呪いを解けないものかと沢山の書物を漁りもした。けれど、そんな方法どこにも書かれていなかった。唯一考えられるとすれば、全ての始まりである鬼の祖、鬼舞辻無惨を屠ること。しかしそれはかなりの難題だ。そもそもどこにいるのかとんと検討もつかない。正直お手上げだ。

 …まあ、諦めてなんかいやしないがな。

 

「それでね、見合い相手のことなんだけど」

「ああ」

「神籬あまねさんというらしい」

「ほうほう…ん?」

「我ら産屋敷家が代々神職の家系から妻をもらっているのは前にも話しただろう?」

「ああ、そうだな…え?」

「私と歳の近い娘さんがいる家が神籬家だけでね」

「なるほど…?」

「つまり、君の双子の妹さんに見合い話を持ち込んだんだ」

「…」

「あおい?」

 

 耀哉が首を傾げてこちらを見ているのは分かるが少し待ってほしい。今はそれどころじゃないんだ。

 …お前かよ!!!あの包帯塗れの男!!あっ、確かにあの庭ここの立派な庭園だな?!はあー?何回ここの庭を見つめてたんだ気づきなさいよ俺…はっ、つまりあれは呪いが進行した結果の姿…というかちょっと待て。あまねだけじゃなくてお前も爆死するの?本当に?え、きっつ…。

 あまりの衝撃につい頭を抱えてしまう。

 その様子を見た耀哉が申し訳なさを滲ませた声で言う。

 

「すまない。君の大事な妹さんを巻き込むことになるかもしれない」

 

 その言葉に顔を上げる。

 

「耀哉」

「うん」

「謝るな」

 

 耀哉の大きな瞳が丸くなる。

 

「俺にとって、あまねは確かに大切だ。俺の大事な片割れで、守るべき存在だからな。…けどお前だって俺にとっては大事な友人で、守り支えると決めた相手だ」

 

 俺が、鬼殺隊に入ると決意したもう一つの理由。

 

「巻き込むことを謝るな耀哉。謝るくらいなら覚悟を決めろ。俺もそうする。…俺が、二人まとめて守ってやる。絶対に。そして、幸せだったと最期に言わせてみせる」

 

 絶対に、お前たちをあんな風に死なせたりしない。

 

「ありがとう、あおい。…うん、君の妹さんが頷いてくれたら、私も巻き込む覚悟を決めよう」

「ああ、是非ともそうしてくれ」

 

 淹れられてから放置されていたお茶に手を伸ばす。少し温くなってしまったが相変わらず美味いな。

 

「それで、見合いはいつなんだ?」

「五日後、先方の家で行う」

「結構近いな。共はどうする」

「できればあおい、君にお願いしたい」

「…わかった」

 

 生家に行くのは七年ぶりか。……。

 

「…顔を隠すのは、ありだろうか」

「構わないけど…一応、理由を聞いても?」

「…俺が神籬の家を出たのは、鬼を狩ることによってその身を血で染めるからだ。血は神に仕える者にとって穢れも同然。一宮あおいとして行くにしても、この身に流れているのは紛れもなく神籬の血だ。そのまま行くのは、さすがに気が引ける」

 

 理由を聞くや否や顎に手をやって考え出す耀哉につられ、俺もつい首を傾げる。

 

「顔全体を隠すと流石に目立つかな?あと視界が悪そうだ」

「じゃあせめて口元を隠そう」

「なら布、だと何かあったとき邪魔になるかな…面でも作らせるかい?」

 

 そういったやり取りの末、片側の耳元辺りに赤い飾り紐の付いた黒い口面が出来上がった。仕事が早いな。

 

 

*****

 

 

 俺は、一宮を名乗るようになってから俺自身に誓ったことがある。

 妹を絶対に死なせないこと。耀哉を隊士として、友人として支えること。そして、なるべく生家と連絡を取らないこと。肉親として接しないこと。

 俺にとって生家は何も気にすることなく気を抜いてしまえる場所だ。心から安心できる、唯一といっていい場所。そんな場所と連絡を取り続けると言うことは、逃げ道を作ることと同義だった。だから俺は、けじめをつけるという意味でも、全てが終わるまで連絡を取ることを自分自身に禁じた。

 

 

 

 七年ぶりに足を踏み入れた境内は、変わらず藤の花の匂いと神聖な空気に包まれていた。本殿にお参りを済ませ、待機していた職員について奥の屋敷に入っていく。懐かしい匂いと知らない匂いが混ざっていて、どこか落ち着かない。

 やがて辿り着いた一室には、三人分の気配がした。職員が声をかけて、襖を開ける。中には礼服に身を包んだ父母と、綺麗に着飾ったあまねがいた。

 …動揺してどうする。しっかりしろ一宮あおい。柱たるもの感情を押さえられなくてどうする。…ああ、でも。

 ──綺麗になったな、あまね。

 

 

 

 一通りの挨拶を済ませ、あとはお若いお二人でという定番のやり取りの後。

 どこで待機していようかと考えている俺に、声がかかった。

 

「あの、ちょっとよろしいですか?」

 

 母だった。

 

「っはい。何でしょう」

「お部屋を用意させていますから、二人が話している間、どうかそこで休んでいてくださいな」

「いえ、しかし…」

「ね?」

 

 にっこりとした笑みを向けられる。有無を言わせない笑みだ。こういう時は下手に抵抗しない方がいいと、幼い時分に叩き込まれている。

 

「…では、遠慮なく、そうさせていただきます」

「ふふふ。こちらです」

 

 くるりと背を向けて歩き出すその姿に、大人しく従う。

 

「一宮さん、でしたね」

「はい」

「ふふ。背が高いですねぇ。おいくつくらいです?」

「5尺7寸、くらいだったかと」

「まあ!私の息子たちもね、そのくらいなのよ。でも一宮さん、まだお若いからもっと伸びるでしょうね」

「そうですかね…」

「ええ。あ、そうだわ。ひとつお願いがあるんだけども」

「?はい」

「着物をね、何着か貰ってくれないかしら?」

「は…。着物を、ですか」

「そうなの。実は息子たちに仕立てたんだけど趣味に合わなかったみたいで…。でもせっかく仕立てたしもったいなくて…。駄目、かしら?」

「…」

 

 きっと、これは嘘だ。わざわざ仕立てたのなら趣味に合わないなんてことあるはずがない。ということはつまり、そういうわけで…。

 

「…もし、ご迷惑でなければ、是非」

「…ふふ。こちらから言い出したんだもの。迷惑なんてあるはずないわ」

 

 

 

「今お茶とお菓子を持ってきますからね。その間にどれかおひとつ着てみてくださいな」

 

 その言葉と共に残された数着の着物。そのどれもが一目でいい品だとわかる。そして確実に俺の趣味だ。

 

「敵わないなぁ…」

 

 言われた通り一つ手に取り、身に纏う。大きさもぴったりだ。

 

「…そういえば、少し前に産屋敷邸で測ったな」

 

 大体一月前だったか。今でも定期的に仕事を手伝いに行っている産屋敷邸でいきなり採寸されたのだ。可能性があるとしたらそこだろう。違ったら違ったで逆に怖い。

 

「一宮さん、よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

 

 スッと襖が開く。お盆にお茶と、茶菓子が一つ。昔よく食べていたものだ。

 

「失礼します。──よく、お似合いですよ」

「…素敵な着物を、ありがとうございます。大切に着させていただきます」

「ええ。…こちらこそ、ありがとう」

 

 決してお互い声に出すことはしなかったが、紛れもなく七年ぶりの母子のやり取りだった。

 

 

*****

 

 

 耀哉と二人で話をした後、あまねは正式に見合いを受けることを決めた。何を話したのかは聞いていない。わざわざ聞くことではないし、必要なら話してくれるだろう。

 縁談話がまとまったのが日の入り近いこともあり、俺と耀哉は神籬家に一泊することになった。

 部屋は耀哉と隣同士だ。ちなみに襖で繋がっている。一応護衛としてついてきているため寝ることはしないが、部屋が区切られているのはありがたい。

 耀哉に用意された部屋で翌日の予定を確認して、俺に与えられた部屋に行く。先程受け取った着物と、布団が一式部屋の隅にまとめられている他に、数冊の書物が文机に置かれていた。その上に乗せられている紙を手に取る。

 

───持ち出しは許可できないが、きっと今後のためになるから読みなさい

 

 父上の字だ。重ねられているのは神籬家で代々引き継がれてきた書物。昔父上の部屋で見たことがある。

 

 

『これはな、ご先祖様が私たち子孫に向けて残した、指南書なんだ。ご祭神から与えられたご加護を扱えるようになるためのね。今はまだ早いけど、お前が大きくなったら読ませてあげよう。ただし覚えておきなさい。この力は、私利私欲のために使ってはいけない。誰かを守るために使うんだ。いいね』

 

 

 家を出てからろくに連絡も足らなかった親不孝者にとも思うが、なんというか。

 

「…愛されてるなぁ」

 

 直接手渡してこないところが、父上らしい。

 

「感謝致します。父上、母上」

 

 せっかくの好意だ。無駄にするつもりは毛頭ない。持ち出しができないのであれば、今読んで全て記憶するだけのこと。

 灯りを灯して書物を捲る。

 長い夜の始まりだった。

 

 

 

 ふと、気配を感じた。廊下ではない。屋根の上からだ。書物から顔を上げ、刀に手をかけて気配を探る。

鬼ではなく人。敵意はない。人数は一人で音が軽いからおそらく女せ、い──まさか。

 

「…」

 

 まさかだった。

 月明かりに照らされ、淡く光る白髪。まぎれもなく今日の主役の一人である妹だ。…俺が出て行ってからも、一人こうして空を見上げた夜があったのだろうか。

 静かなその横顔に、七年前の夜が脳裏をよぎる。

 迷ったのは、一瞬だった。

 カタリ。足を乗せた瓦から音が鳴る。…静かな夜だと結構響くな。

 

「こんな時間に、どうされました」

 

 優しい声を心掛けたが、果たして上手くいっただろうか。

 

「…昔のことを、思い出していました」

「…」

「昔から何かあると双子の兄とこうして空を見ていたんです。そんな兄は、ある日突然家を出て鬼殺隊に入ると言ってきました。それまでいつも共にいた兄が、急に遠い存在のような、知らない人のように思えた。…けれど、家を出る前夜に兄はこう言ったんです。"たとえ表向き他人になっても、自分たちの繋がりは決して消えない"と。…本当だと、思いますか」

「──そうですね。その言葉に偽りはないでしょう。ただ、今は本人の誓いがあるので難しいですが」

「誓い、ですか」

「家を出る際に、いくつか己に誓ったのですよ。けじめとしてね」

 

 それまで頑なにこちらを見なかったあまねが今度はじっと見つめてきた。…話せってか。

 

「色々とありますが、そうですね。あー…表立って肉親と扱わないこと」

「それは…神籬家の人間を、ですか」

「ええ」

「そうですか……俄然結婚する気になりました」

「は?」

「耀哉様と結婚すれば私はもう神籬ではなく産屋敷の人間になりますから。兄も気にせず接してくれるでしょう?」

 

 それは…どうなんだ…?言いたいことは分かるが…。

 

「…そういうの、屁理屈って言うんですよ」

「聞こえません」

 

 満面の笑みなんだよなぁ…。

 

「まあ、間違ってはないですけど…人目がある場では難しいですよ」

「ええ、構いません…兄として会えるなら、何でも」

 

 安心したようなその顔は、昔と何も変わっていない。

 

「一つ、聞いてもいいだろうか」

「何でしょう」

「…貴女が見合いを受けたのは、その兄が理由ですか」

 

 笑みが深まる。

 

「いいえ」

 

 意思の籠った瞳が俺を貫く。

 

「"貴女が嫌なら私からこの話は断ります"…二人になったとき、耀哉様に言われました。──私はその言葉を聞いて、このお話を受けることを決めたんです。…もっとも、兄が慕う方なら大丈夫だと思ったことは確かですけど」

 

 楽しそうにくすくすと笑う様子に嘘はない。そうか…ならいいか。

 あまねが俺を理由にこの縁談を受けたのなら考えものだったが、違うならばそれでいい。

 

「何かあれば遠慮なく言ってください」

「兄になら、遠慮なく頼らせていただきます」

 

 ──本当、俺の周りの女性陣は強いな。

 

 

 

 この数ヵ月後。年若い一組の夫婦が誕生した。

 産屋敷耀哉と産屋敷あまね。──俺が守りたい、最も大切なもの。

 

 

*****

 

 

 

 

 

───これより記すは、札、結界、護符の各種作成方法。そして、呪い等に対する浄化の儀式法についてである。

 

 

 

 




・この度友人の義兄となることが決定した人
 作者の語彙と想像力と文章力が無いせいでほとんど任務に行ってる描写ないけど実はちゃんとお仕事してる人。
 不満を持っていた隊士たちに対しては本当に何も思ってない。逃げていくことに関しては他の柱が何かしたんだろうなって思ってる。多分正解。とりあえずお礼としてご飯に行って奢ろうとするけど失敗する未来が待ってます。
 可愛い妹の旦那が友人で心底驚いた。ちょっと胃が痛くなりかけたけど、耀哉が謝って来たからそんなもの吹っ飛んだ。謝るんじゃない。
 それはそれとして、父上から一晩だけ貸してもらった書物に希望を見出している。死ぬ気で覚えた。多分この人は記憶力がいい。
お見合い時の身長は172㎝くらい。まだ伸びる予定。


・友人が義兄になってちょっと楽しい人
 昔からなんとなく友人だけど兄っぽいなとも思っていたので、この度義理とはいえ兄になることにワクワクが止まらない。
 きっと柱合会議後にお泊りに誘うことが増える。
 友人の妹を巻き込むことに少しだけ罪悪感を覚えていたけど、謝るなと言われたので吹っ切れた人。この人将来奥さんと子ども巻き込んで自爆するんですよ…。
 もしかしたら呪いが何とかなるかもしれない。


・新しく柱になった子と話してたら数年前のことでお礼を言われた人
 息子のように扱っている人筆頭。自分の息子はまだ7歳(多分)だから歳は離れているけど、そんなものは誤差だと思ってる。
 綺麗な顔してるけど結構いい性格してるなと驚いたため変な顔になった。数人の隊士が何かやらかそうとしていたのでお灸を据えたかもしれない。


・久しぶりに息子に会えた!ひゃっほい!な人たち
 久しぶりに会って最初に思ったのは“大きくなってる!”でした。その後色々テンション上がってお節介焼いた。
 家を出ていてもちゃんと私たちの可愛い息子だよって言外に伝えてる。大丈夫、伝わってますよ。
 お兄ちゃんたちも会いたかったけど多分仕事だった。ただ作者が書けなかっただけです。てへっ。


・久しぶりに兄に会ったけど全然話せなかったしなんか余所余所しいから不安になった妹
 話せないならこっちから話せる状況に持っていけばいいじゃない。という思考で屋根に登った。小さい頃は結構登ってたけど流石に最近はしてない。17歳だもんね。
 昔“これからもちゃんと兄妹だよ(意訳)”って言ってくれたのに他人行儀だから確認したかった。人目があるところでは無理でも、兄が兄でいてくれるならそれでいい。でも仕事もあるだろうから、頼るのはお兄ちゃんの時だって決めた。
 結構アクティブにしちゃったけど大丈夫かなって心配してます。作者が。


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以下補足&あとがき

 あまね様の口調が分からない…!!
 というか、原作キャラがほとんど出てないってどういうことなんですかね。いいのかなこれ…。需要ある?大丈夫?
 まあないって言われても書きたいから書くんですがね!単純に私が読みたい!

 あおいが下弦の肆に刀を突き刺すとき、自分のことも一緒に斬ってるのは痛みで正気に戻ろうとしたからです。鬼血術がすごくリアルだったので。あと冷静になろうとしたのもあります。
 ただ書いてる途中で「一緒に斬ったら鬼の血(無惨の血)が入ってやばいのでは?鬼化はしなくとも多少の影響は出るんじゃない?」と思い、幻覚作用と熱がしばらく続いた、ってことにしました。
 二次創作なので!そこら辺はふわっと!ね!

 ちなみにあおいの口面は狐のお供がいる男士が着けてるものをイメージしてます。
 あれ凄くないですか?普段口元を隠してるだけでどことなくミステリアスな空気醸し出すし、外すときの手付きがえっちくてついじっと見ちゃいますよ…(妄想)そして普段見せない笑顔で笑ってくれるんですよいつも目元しか見えてないから新鮮でとにかく破壊力がやばい。あれがギャップ萌えってやつなんでしょうね(違う)。
 あと髪も長いです。耳の下で一つにまとめてます。完全なる私の趣味です。あと今後の展開で書きたいシーンができたので伸ばしてもらいました。

 更にちなみに、あおい自身は神籬の人たちと連絡を取り合ってはいませんが、一宮の両親は定期的にお手紙を出していました。特に柱になるまでは。あおい本人はそのことを知りませんし、一宮の両親はもちろん、神籬の両親も話すつもりは一切ありません。
 それにしてもおかしいな。最初は資料を置いた部屋にあおいを連れて行って「お暇つぶしにどうぞ」って言って静かに去っていくお助けキャラ的立ち位置だったのに、気づいたら着物をあげていたという…。お母様テンション上がっちゃいました?キャラが勝手に動くってこういうことなんだなぁ。

 そして予想以上にシスコンブラコン兄妹になってしまったんだけどこれ如何に。どうしてこうなった。



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産屋敷耀哉の初めての友人は同僚の最期に託される
前編


 

 産屋敷邸。

 鬼殺隊当主であるお館様が住まわれる場所。鬼に悟られないようにするため、人の出入りは必要最低限で賑わうことはほとんどない。

 しかし、普段は静かなこの屋敷も、今日に限っては笑い声に満ちていた。なんていったって、我らがお館様の婚礼の日なのだから。

 

「いやぁそれにしても!実にめでたい!改めてお祝い申し上げる、お館様、あまね様!」

「ありがとう、槇寿郎」

「ありがとうございます、煉獄様」

 

 主役であるお館様と細君に加えて炎柱、水柱、風柱、そして空柱である俺らのみが集められたこの宴は、完全に身内だけの小規模な祝いの席だ。お館様のことだから柱たちの息抜きも兼ねているのかもしれないが、おそらく細君と柱の顔合わせが主な目的だろう。

 無礼講ということで、柱は全員酒が入っていて大盛り上がりだ。とはいえ、正体をなくすほど飲んでいる者はいない。二日酔いになんてなったら任務に支障が出るからな。流石に自重はするさ。

 柱が順番に挨拶をし、いざ俺の番となったから空柱として口上を述べたんだが…。

 

「改めまして。ご結婚、おめでとうございます、お館様、細君。今後ともこの一宮あおい、お二方を始め、鬼殺隊の支えとなれるよう尽くして参る所存です」

「うん。ありがとう、あおい」

「ありがとうございます。空柱様」

「固いな一宮君。妹君なんだろう?ちゃんと義兄として挨拶しないと!」

「そうだぞあおい。今のうちに兄としての威厳をだな」

「俺たちの存在が気になるのなら耳を塞いでおこう!」

 

 どうにも外野がうるさくて仕方ない。酔ってるのか?酔ってるんだな?いつもそんなに連携してふざけないだろう。

 

「ふふふ。遠慮しなくていいんだよ、あおい。今日は無礼講なんだから」

「…」

 

 にやにやと酔っ払いたちが笑っているのがわかる。これは何か言わないと後がうるさいな。

 仕方がない、と小さく息を吐く。どうせこの宴会が終わった後に言おうと思っていたんだ。今言ったってそう変わりはしないだろう。普段より鈍った思考でそう結論を出し、改めて二人に向かい合う。

 

「…では、遠慮なく」

「うん」

「──妹を泣かせたら、いくらお前でも怒るからな、耀哉」

 

 音が一瞬、止んだ気がした。…ここにいる柱は全員、俺と耀哉の関係を知っている。けれど今まで友人として接している所を見せたことが無かった。だから驚いているのだろうと思う。多分。俺も酔いが回ってきているから自信はない。

 上座に座り、こちらの様子が全てわかっているお館様──耀哉はしかし、大した動揺もなく応えた。

 

「うん。わかってるよ、あおい。大切にする」

「ならいい。あまねも、泣かされたらいつでも言え。駆けつけるから」

「はい、兄さま。ありがとうございます」

「ん」

 

 そうだ、もうひとつ言いたいことがあったんだ。兄として、友人として。さっきのは柱としての言葉だったから。

 視線に、声に、想いをのせる。

 

「二人とも、結婚おめでとう」

 

──どうか末永く、幸せであってくれ。

 

 

 

 酔いを醒まそうと、縁側に出て庭を見つめる。静かに吹く風が心地いい。

 お館様は炎柱と風柱に、細君は水柱と話をしている。俺も先程まで水柱に捕まっていたが抜けてきた。ちなみに水柱は女性だ。同性同士でしか話せない話もあるだろうという意図もあるが、果たして酒の席で話ができるのかは分からない。

 そのまましばらく一人で涼んでいたらお館様がやってきた。

 

「お館様」

「酔いは醒めたかな?あおい」

「ええ、大分。ところで、炎柱と風柱は?」

「話の流れで腕相撲対決に発展してね。それを見ていた瑞乃が二人を瞬殺して再戦を申し込まれていたよ」

「何ですその愉快な展開」

 

 瑞乃とは水柱のことだ。気持ちのいい性格をしていて俺のことも弟のように可愛がって…かわい…うん。とにかくいい人なんだ。

 それはそうと炎柱も風柱も結構がたいがいいんだが…。火事場の馬鹿力ってやつか。見たかった…いや。見ていたら確実に巻き込まれるな。

 

「それで、何か憂い事かな?」

「…さすがお館様。鋭いですね」

「ふふ。大切な子どものことだからね。それに、大切な友のことでもある」

 

 優しく細められた瞳。いつもは何ともないが今回ばかりは居心地が悪く、つい視線を庭に逃がす。

 

「…お館様と細君の見合いの日、与えられた部屋に書物が置いてあったんです」

 

 そのまま独り言のように続ける。

 

「代々神籬家に伝わる書物で、指南書のようなものでした」

 

 お館様は何も言わない。

 

「そこに結界の張り方や、…呪いの、解呪方法が載っていました」

 

 言いたいことが上手く纏まらなくて段々と早口になっていく。

 

「貴方からしたら大きなお世話かもしれない。必要ないことかもしれない。でも俺はっ…大切な友人を亡くしたくない。だからお願いします。解呪を試す、許可を頂けませんか」

 

 …お館様の表情は変わらない。

 

「あおい」

 

 その表情のまま、お館様は口を開いた。強張った身体が、その声でほぐれていく。

 

「その解呪とやらは、君に大きな負担を与えないかい?」

「…始めは慣れないだろうから疲れはするでしょう。子どもの頃、千里眼が現れてすぐはそうでした。ですが、慣れてからはそう苦でもなくなっていましたから、コツを掴めば問題はありません」

「そう」

 

 ゆっくりと頷いて、そして。

 

「──いいよ、あおい。許可しよう」

「!お館様…」

「ただし条件がある。現段階ではまだ呪いは表面化していない。今試してみても効果があるかはわからないだろう。だから、呪いの影響が出始めたら。解呪を試すのは、その後だ。いいね?」

 

 それで十分だった。解呪をしてもいいという言質が取れれば、それで。

 

「承知いたしました。お館様、感謝致します」

「お礼を言うのはこちらの方だよ。…時が来たら、頼んだよ。あおい」

「はい」

 

 

 

「では先に産屋敷邸を隠すための結界を張らせてください」

「え?」

 

 ?何をそんな驚いた顔をしているんだ?何事も下準備は大事だろうに…。

 ああ、柱にはお館様直々に護符の入ったお守りを渡せば問題ない。心からお館様を慕っている連中だから、絶対に失くしたりしないだろう。

 斯くして翌日、無事結界は張られることとなり、柱にはそれぞれお館様からお守りが渡されることとなった。

 

 

*****

 

 

 耀哉とあまねが正式に夫婦となって以降、俺は隊服を着ている間は口面をつけて過ごすようになった。見合いのときに作ったあの口面だ。

 今はまだあまねが俺の妹であることは広まっていないが、今後もそうだとは限らない。ないとは思うが、またやっかみを買うのは面倒だ。俺自身の気持ちの切り替えにも丁度いいし、傍から見ても公私を分けているとわかりやすいだろう。余計な火種は生まないに限る。それに、一回限りとするには惜しいくらい出来が良かったんだ。もったいないだろう。

 初めは驚いていた隊士も隠も、今では慣れたもので特に反応は示さない。…一部を除いて、だが。

 

「いっちみーやくん!奇遇だね!君も任務かい?」

 

 口面をつけ始めて数ヶ月が経ったある日。街中で偶然水柱の白金殿に会った。

 

「白金殿。いえ、ちょうど終わって帰宅するところです。そちらはこれから任務ですか?」

「そうかそうか。お疲れさま。私はこれからなんだよ。ちょっと遠くてね、長期になりそうなんだ。…それにしても、相変わらず綺麗な口面だね。やっぱり私もつけようかな…でもそうすると特徴が被っちゃうよね?柱二人が口面…個性も被るし四人で歩いてたら怪しい集団になっちゃうし駄目か?」

 

 それは言外に俺が怪しいって言ってるのか…?

 

「…まあ、個性とか怪しいとかはともかく、面だと肌に直接当たりますから荒れやすくなるのでは?」

「あー、確かに」

「布って手もありますけど、戦闘中は風で煽られて視界を塞ぐ可能性もありますしね」

「う~ん。要検討ってところだね…って、そろそろ行かないと。予定に遅れるな」

「俺も引き留めてすみませんでした。…ご武運を」

「うん、ありがとう!次の柱合会議には間に合わないかもしれないけど、私のことは忘れないように!じゃあまたね!」

 

 そう言って走り去る背中を見つめる。彼女はいつも去り際に“またね”と言う。彼女なりの願掛けなんだそうだ。鬼殺隊士はいつも死と隣り合わせだから、少しでも生きる理由になるようにと。自分だけでなく、相手への願掛けも入っている。

 

「貴女のような人、中々忘れられませんよ、白金殿」

 

 

 

「炎柱、どうかされましたか」

 

 今日は半年に一度の柱合会議が産屋敷邸で行われていた。水柱と街中で会ってから五日が経っている。彼女は宣言通り間に合わなかったため、柱は三人だけの参加だ。一人減ると不思議なもので、いつもより場が静かで落ち着かない。加えて常日頃から賑やかな炎柱がどこか上の空で発言も少なく、更に場は静かなものとなった。やっと声を発したと思ったら声の張りが無くて、思わず風柱と無言で顔を見合わせるほどには驚いた。

 今回こうして声をかけたのも、心配だったというのももちろんあるが、その風柱から託されたというのもある。ちなみに当人はこの後どうしても外せない用事が入っていてもう既にこの場にはいない。

 

「あおい…ああ、いや」

「…槇寿郎殿。人に心の内を話すだけでもすっきりすることはあります。差支えなければ聞かせていただきたい」

 

 少々強引な気もするが、ここは引かずにいるのが吉と見た。予想通り、槇寿郎殿は小さく息を吐き出すと声を押さえて教えてくれる。

 

「実は瑠火…妻の体調が最近優れんのだ」

「それは…すみません、不躾に」

「いや、構わん。気にするな」

「…お医者様は、なんと」

「それが…原因がわからないと言われてな」

「そうですか…。あの、気休めにしかならないと思いますが、お守りを渡してもいいでしょうか」

「お守り?」

「はい。少々縁があって、最近作り始めたんです。今は手元にないのですが、屋敷に戻ったら暁に運ばせますので…」

 

 そう告げると、槇寿郎殿は迷うように視線を揺らし、ややあって頷いてくれた。

 

「…せっかくだからありがたく頂こう。気遣い感謝する、あおい」

「いえ…」

 

 押し付けがましかっただろうかと、少し反省する。けれど、どうしても何かしたかったのだ。槇寿郎殿にはこれまで本当に世話になったから。

 それに、今回渡すのはただのお守りではない。鎮静効果が見込める護符を入れたお守りだ。不安感を減らすことができると指南書に書いてあった。病に対してどこまで有効かは分からないが、持っていても邪魔にはならないだろう。

 そう判断して、屋敷に戻り暁に頼んで槇寿郎殿に届けてもらう。ついでに桜木殿への紹介状も書いておいた。あの人は確か西洋医学も学んでいたから、もしかしたら何か力になってくれるかもしれない。

 



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後編

 

 その日は、満月だった。

 雲一つない空に浮かぶ大きな月。いつになく大きく、そして、不気味なほどに赤かった。

 

 

 

「アオイ、任務。此処カラ南南西。南南西ニアル村デ、定期的ニ子ドモガ消エテル」

「暁」

 

 二件連続で当たっていた任務を終えて、近くの藤の花の家紋の家で休ませてもらっていた時。

 報告に向かっていた暁が新しい任務を携えて戻ってきた。

 その時俺は家の主人と奥方の好意に甘えて温泉に浸かっていた所で、露天風呂だったためか暁はそのまま俺の顔面に突撃してきた。

 

「ぅぐ」

「ア、ゴメン」

「いや…大丈夫だ。お前も、どこも痛めていないな?」

「ウン」

「ならいい」

 

 手拭いを巻いた腕に暁を移動させる。

 

「それで、南南西にある村で人が消えるって?」

「ソウ!(かのと)カラ(つちのえ)ノ隊士ガ向カッタケド何モ起キナカッタ。アオイガ適任!ダカラ紅葉ガ先ニ向カッテ情報収集シテル」

「…なるほど、承知した」

 

 まだ日が高いため、今から向かえば日暮れ前には着けるだろう。温泉に浸かったことで疲労もある程度回復している。

 …それにしても俺が適任、ね。(ひのと)から(きのえ)を飛ばしたってことは柱が適任だと判断したのか。それとも“俺自身”が適任なのか。

 

「お館様は、何を感じ取ったんだろうな」

 

 

 

 羽織の下の日輪刀を確認する。廃刀令が出されている以上、日中堂々と刀を腰に差すわけにはいかない。だからこうして羽織を身に纏っている場合は隠れるように背負ったり、竹刀袋の中に入れて持ち運ぶことがほとんどだ。

 

「では、ご武運を」

「ありがとうございます」

 

 出立の時、奥方が切り火を切ってくれた。これはお清めで、俺たち隊士に対する願いだ。鬼を狩れますよう。無事に帰還できますよう。そして、どんな時でも誇り高くあれますよう。

 鬼を狩り、人を守り、未来を守る。そのために俺は、俺たち鬼殺隊は、存在しているんだ。

 

 

 

 藤の花の家から南南西に進み、日暮れ前には目的の村に到着することができた。途中で暁を先に行かせ紅葉に村の入り口で待機するよう伝えてもらったが、果たしてどこまで情報が集まったか。

 

「紅葉、お疲れ」

「空柱様。お疲れ様です」

 

 うん、特に問題は無さそうだな。ちなみに紅葉は隠装束ではなく通常の着物姿だ。さすがにあの格好は目立つ。

 

「では、報告を聞こうか」

 

 

 

「神隠し?」

「はい。数年に一度、この季節になると子どもが姿を消すそうです。居なくなるのは主に9つまでの子ども。けれど季節がひとつ過ぎると何事もなく帰ってくるのだとか」

「居なくなっていた間の記憶は?」

「直接確認しましたが全員曖昧だそうです」

「そうか…」

「ただ、"音が聞こえた後、ふと気づくと数年経っていた"という話はいくつか上がっています」

「音…」

 

 おそらく血鬼術だろう。だが、だとしたら何故生きて帰ってこれる?

 

「…今村にいる対象の子どもの数は?」

「3人です」

「ならば今夜、見張るしかないな。子どもたちがどの方向から戻って来たかはわかるか」

「ええ。この先の森の方角だったそうです。水神さまの神域があるとかで、村人は基本立ち入ることはないんだとか」

「神域?…神隠し中に子どもを探しに行くことはなかったのか」

「それが、奥に進むことができないようで…任務に当たっていた隠と隊士からも、同様の報告が成されています。奥に進んでいた筈が気付けば森の入り口に戻っていた、と」

「…へぇ」

 

 それはまた、興味深いな。

 

「とりあえず分かった。報告ご苦労。そろそろ日も暮れるから、お前も待機していなさい」

「はい。…気を付けろよ」

「──ああ」

 

 

 

 日が暮れて、村と森を繋ぐ唯一の道を見張る。引き寄せられるのが子どものみというなら、獣道を通ることはないだろうと予測してのものだが…。

 

(来たな…)

 

 3人。ふらふらと覚束ない足取りでこちら──森の入り口に向かっている。

 紅葉からの情報通りだが、やはり音は聞こえない。

 

(ということはつまり、子どもにしか聞こえない音。随分な偏食だな)

 

 俺の前を素通りして森に入っていくその背中を、足音を立てないよう注意して追っていく。今のところ鬼の気配どころか野性動物の気配もしない。警戒を強め周囲の様子を探るも、奥に進むにつれ霧が濃くなっていく。…前が見にくいな。

 

──ぱちゃん

 

 これまで子どもたちが出す音しかしなかったこの空間に、水音が響いた。直後に増した霧の量と流れる空気に動揺したのはほんの一瞬だ。

 強い風が吹き、霧が晴れる。子どもたちの姿はない。

 思い出したかのように森の匂いが鼻腔を擽った。

 

「なるほど、神域ね。通りで様子が可笑しかったわけだ」

 

 鬼の気配がする。早いな。移動しているのか、錯乱させるのが目的か…。まあ、所詮は目で追える速度なんだが。

 

──空の呼吸 伍の型 風起雲湧(ふうきうんゆう)

 

 鬼に向かって複数の斬撃を放つ。声を上げる間もなく切り刻まれたソレは、すぐに灰となり消えていった。これなら辛かのとの隊士でも余裕で斬れるだろうな。

 刀についた血を払い、鞘に収める。

 

──ぱちゃん

 

 水音が、再び。空気が変わる。

 景色が揺らぎ、目前に泉が広がった。

 視線を巡らせると小さな祠が目に入る。例の"水神さま"の祠だろう。

 

「久しぶりの客人じゃの」

 

 鈴を転がしたような声が響いた。気配の薄い、人の形をした"何か"。鬼ではない。つまりはまあ、そういうことだろう。

「──刀を持ったままという不敬を、どうかお許し頂きたい」

「ふふ。構わぬよ。それがお主らの役割じゃろうて。美しき鬼狩りよ」

 

 目を細めてゆったりと笑うその足元には、子どもが3人寝かされている。下手なことを言うと不敬と捉えられかねないが、わざわざ姿を現したということは話をする意志があるということ。ならば、と俺は口を開いた。

 

「これまでの神隠し騒動は、あなたが?」

「うむ。長い間見守ってきたからの、それなりに情も湧く。可愛い子らを守るのもまた一興じゃ。…それにしても」

 

 そこで言葉を区切ると、まじまじとこちらを見つめてきた。

 

「今までの子らはこの森に入ることも叶わぬ故、早々に帰ってもらったのじゃが…鬼狩りにお主のような子が居るとは思わなんだ」

 

 つまり意図的に隊士たちを追い返していた、と。そちらの領域に足を踏み入れたのはこっちだから何も言わないが、少し複雑な気分だ。

 

「それで。この子らのこと、頼まれてくれるかの?」

「ええ、もちろん。連れて帰ります」

「…期待しているぞ、鬼狩りの子よ」

 

 ピリッとした空気が肌を刺す。

 

「我らは不浄の者に触れることができぬ。故に鬼を滅することは叶わぬのじゃ。だからお主たちに託すしかない。──もう一度言う。期待しているぞ、人の子よ」

 

 そこでふと、何かに気づいたように瞬きをした。張り詰めた空気が霧散する。

 

「お主、千里眼持ちか。面白いの」

 

 からからと口許を袖で隠しながら笑う。

 

「しかしどうやら己の先は見えぬようじゃの。…此度の礼に見てやろうか」

 

 面白いものを見つけたと言わんばかりの様子につい遠い目になる。

 

「なに、ただの気まぐれじゃ。深い意味はない。人の好意は素直に受け取っておくものさね」

 

 どれどれ、と我が道を行く神にもう黙って従っておく。ただの気まぐれで好意だと言うのなら、特に何かを要求されるわけではないだろう。

 

「…鬼狩りの子よ」

「はい」

 

 終わったようだと意識をそちらに移すと、思ったより深刻そうな顔をしていた。

 

「お主はなるべく早くこの村を出て、東に向かった方がよいの」

「…え?」

「…水の子の最期に、立ち会ってやりなさい」

「それはどういう…っ」

 

 詳しく聞こうとするも強い風が吹き阻まれる。気づけば子どもたちと共に森の入り口に戻されていた。

 後ろから紅葉が駆け寄ってくる気配がする。が、正直それどころではなかった。

 

「空柱様」

「…紅葉」

「はい」

「悪いが、後を頼む」

「えっ」

 

 返事を聞く前に走り出す。後を追って飛んできた暁に叫ぶように問うた。

 

「暁!!水柱の任務地は!」

「此処カラ東ニ約一里!」

 

 一里ならば全力疾走すればすぐだ…!

 

「周囲の乙きのと以上の隊士と隠を大至急集めろ!水柱が危ない!!」

「分カッタ!」

 

 "水の子"とはおそらく、水の呼吸を扱う隊士のことだろう。そして今、俺と関わりの深い者はただ一人。──水柱、白金瑞乃だけだ。

 

 

『もしかしなくても君が新しい柱かな?小さいなぁ、まだ子どもだ』

 

『お、一宮く、ん…これは驚いた。しばらく見ない間に随分大きくなったねえ。ふふ、抜かされてしまったよ』

 

『…君は、まだ子どもの癖に可愛げがない。もっと周りを頼っていいんだよ』

 

『一宮くん』

 

 

 これまで彼女と交わした会話が走馬灯のように流れてくる。やめてくれ、まだそうだと決まったわけではないだろう。

 空が明るくなってくる。夜明けが近い。

 走り続けてどれだけ経っただろう。おそらく四半刻程度だろう時間なのに、いつもより息が上がるのが早い。

 やがて開けた場所に出た。少し先に倒れている人影が見える。

 地面に広がる黒髪に、徐々に広がる赤い水溜まり。白と青の混ざる見覚えのある羽織は所々血で染まっていた。

 

「水柱!!!」

 

 間違いなく、彼女だった。

 

「水柱!!無事か!…っ、しっかりしろ!意識を飛ばすな!!」

「…ち、みや、く…?」

「!ああ、俺だ、一宮だ!大丈夫、今医者のところに…っ」

 

 引き止めるかのように袖を掴まれる。

 

「…鋭、い対の…お、うぎ…を、つかう…ごほっ」

「っ対の扇…それを使った鬼だったんだな…?!」

 

 小さく頷く彼女はもう虫の息だ。一刻も早く医者に見せなくてはいけないのに、本人の腕がそれを拒む。その意味を悟り、感情のままに叫び出したくなった。

 

「じょ…げんの…に…こおり、を…すっては…いけな…っごふ」

 

 白金殿の吐いた血が俺の隊服と羽織を染めていく。それはまるで、彼女の命そのもののようで。

 

「っ!白金どの…!!もういい…!十分情報は得た!だからもう話さないで…」

「い、ちみやく…」

「!」

「最期、に…あえて、よかっ…きみに…託す、から…ごほっ…」

 

 血を吐いて顔が青白い。体温も下がってきている。

 もう感覚も無いのだろう。視線が合わない。いつも、人と目を合わせて話す人なのに。

 声を発するのも辛いだろう彼女はそれでも、微笑んで言った。

 

「あとは…たのんだ…よ…」

 

 

「…しろがね、どの…?…白金どの…白金殿!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと遊びすぎちゃったなぁ。救い損ねたぜ…それにしても綺麗な呼吸だったなぁ。嫋やかで、でもその中に芯があって。…あーあ。本当、残念だ」

 

 

*****

 

 

 水柱の死は、速やかに隊全体に通達された。ある者は嘆き、ある者は怒った。強く心を痛め沈む者もあれば、固く鬼を狩ることを誓う者もいた。

 そして俺は…。

 

 

 

「…切り替えろよ、あおい」

「…わかってる」

 

 縁側に座り、庭に植えてある藤の花をぼうっと眺める俺に紅葉が静かに声をかける。その声には心配の色が濃く滲み出ていた。

 三日間ほぼ徹夜で任務に当たっていた俺には一日の非番を与えられていたのだが、正直特にやることが思いつかなかっためこうして庭を眺めていたのだ。が、どうやら思った以上に背中に哀愁でも背負っていたらしい。余計な心配をかけさせてしまったことに少々罪悪感を抱く。

 仲間、それも親しかった者が死ぬのは、別に初めてのことではない。こう言ってはなんだが、鬼殺隊ではよくあることだ。

 それでもやはり、慣れないものである。

 命が零れていく感覚も、冷たくなっていく身体も、呼び掛けても反応が返ってこない事実も。

 何度経験しても、辛いものは辛い。

 それでも俺たちは、前を向かなければならない。生き残った者の、残された者の定めだ。立ち止まってもいい。振り返ってもいい。それでもいつかは、前を向いて生きなければ。

 特に今回俺は、直接託されたのだから。

 

「上弦の、弐」

 

 仲間を殺した、仇かたきの鬼。

 容姿も名前も分からないが、使用している武器と扱う血鬼術は知ることができた。

 彼女が遺した情報だ。有効に使わなくては、きっと安心して向こうに逝けないだろう。…いや、彼女のことだから夢枕に立つかもしれない。さすがにそれは勘弁願いたい。

 ばちっと両頬を叩く。

 目を瞑って深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 

「…よし」

 

 目を開ける。

 もう十分落ち込んだ。ならばあとは、ひたすら前を向き駆け抜けるのみ。

 彼女を殺した鬼を、恨みはしない。復讐もしない。

 俺は俺のために生き、俺のために行動する。決して、死んでいった者を理由にはしない。狩るのだとしたら、それは俺自身の意志だ。

 だから、必ず。

 

「お前は俺自身の手で、狩ってみせるよ」

 

 

*****

 

 

 

 

 

 真新しい墓石の前に佇む白髪の青年。

 その手には少し小振りな口面がひとつ、握られていた。

 

「まさか、身内以外の女性へ直接渡す初めての贈り物がこれになるとは思いませんでしたよ。…あとのことは俺にまかせて、どうか、安らかに」

 

 静かに吹く風以外に、その声に応えるものはいなかった。

 残されたのは、墓石に掛けられた黒い口面のみ。

 

 




以下捕捉&あとがき

 当時柱が何人いたのかも、何柱だったのかもわかんない。だから妄想です。でも槇寿郎さんはいたと思うんだよなぁ、年齢的に。

 お館様は、多分生に執着はないんじゃないかなと思っています。
というより、鬼舞辻無惨を滅することに執着はあるし、そのために生きてるけど、必要なら自分の命を使うことに何の躊躇いもない。だから原作で自爆できた。
 そのことをあおいも感じ取っていて、だからこそ今回の解呪は余計なお世話かなって心配になった。もう既にお館様が呪いと共に生き、呪いと共に死んでいく覚悟を決めているのを知っているから余計に。
 解呪=生きることで、お館様はそのこと自体にそこまで意味を見出していない…んー?なんか書いててよくわかんなくなってきたな…。
 まあでも、なんだかんだ言っても最終的にはちゃんと納得してます。一柱からの、そして友からの言葉はちゃんと届くんです。心からの言葉なので。


 あおいは、鬼殺隊に入ってから、そして柱になってからは特に、“誰かの死”に直面する機会が増えました。最初こそ自分の千里眼で救えるのではとも考えましたが、あまりにも数が多い。
 知っているのに救えない。命の選択をする権利も資格も自分にはないのに、何故助ける人を選ぼうとしてる。と次第に疲弊していきました。千里眼のことを知っているのはお館様と紅葉だけ(二人の額と合わせて未来を見てた)なので、彼らに怒られて数年をかけて割り切ることを覚えました。加えて実母との約束(覚悟と責任を持ちなさいの話)も思い出し、人の生死に関することは基本見ないようになりました。
なので今回、水柱である白金瑞乃の死をあおいは見なかったし、見なかったからこそ助けることもできなかった。でも本当なら最期に立ち会うこともなかったんです。直前の任務に急遽派遣されたから。水神さまのちょっとした気まぐれがあったから。だからギリギリ間に合うことができた。村の任務に派遣されることなくそのままゆっくり温泉に浸かって空屋敷に帰宅していたら、あおいが現場に辿り着いて見つけるのは水柱の身体の一部か、大量の血と所持品の一部だけだったでしょう。
 という本編に入れることができなかった設定をここに置いていきます。
 文章構成力がほしい。


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産屋敷耀哉の初めての友人は変化の時を迎える
前編


 

 最近、あまねの体調が良くないと耀哉から連絡が来た。

 鬼殺隊当主の嫁という立場はやはり負担も多いだろう。況してやついこの間、比較的親交のあった水柱が逝ってしまった。精神的な負担が大きいだろうと普段よりも様子を見に行くよう努めていたが、あまり力になれていなかったか。

 自己嫌悪に陥りつつも報告のために産屋敷邸を訪れる。目的はあまねの様子を見ることだが、建前は必要だ。

 鬼の目を欺くための結界が正常に機能しているのを確認して敷居を跨ぐ。何度も来ているため使用人による案内はない。…にしても何だか騒がしい、いや浮ついてる?この屋敷には珍しく落ち着きがないな。

 少々疑問に思いつつ耀哉の執務室に向かう。この時間なら大抵そこにいるんだが…。

 

「…いないな」

 

 となると自室か?

 どうするかと執務室の前で佇んでいると廊下の向こうから耀哉の気配が近づいてきた。

 

「ああ、あおい。ここにいたんだね」

「耀哉」

 

 友人に目を向けて気づく。いつも通りの顔に見えるが、なんかそわそわしてるな?何だ?

 

「いきなりで悪いんだけど、ちょっとこっちに来てくれるかい?」

「別に構わないが…」

 

 珍しく手を引いて先を歩く耀哉に内心とても驚いた。いつもより子どもらしい行動に微笑ましい気持ちが湧いてくる。そうだよな、お前まだ15だもんな。

 よかったよかったと頷いていると目的の部屋に辿り着いたらしい。部屋にはあまねと、もう一人いるな。

 

「あまね、入っても大丈夫かい?」

「はい、耀哉様。大丈夫です」

 

 襖が開かれて中の様子が目に入ってくる。

 敷かれた布団に、先程まで横になっていたのだろう起き上がっている妹と、婆さまと呼んでも差し支えないであろう年代の女性。…どういう状況だ?というか。

 

「あまね、顔色が悪い。大丈夫か…?」

「兄さま」

 

 布団の横に座り、あまねの首や額に手を伸ばす。やっぱりまだ熱っぽいな…。

 

「妹想いの兄上ですねぇ」

 

 ほけほけと笑う婆さまにはっとする。一瞬意識から抜けていた。いくら安全な産屋敷邸だからと気を抜きすぎだろう。

 

「申し訳ない。とんだ失礼を…」

「いいえ。是非とも気を遣ってあげてくださいね。今はまだ不安定な時期ですから」

「不安定…?」

 

 そこでにこにこしながら見守っていた耀哉が口を開いた。

 

「彼女は産屋敷家が世話になってる産婆でね。私のことも取り上げてくれたんだよ」

「さんば」

「ふふふ。あの時の赤子が今度は父親になるなんてねぇ。私も年を取るわけです」

 

 なんか和やかに話してるがちょっと待ってくれ。

 呆然とあまねに視線を向けると、頬を薄っすらと赤く染めながら心底嬉しそうに話してくれた。

 

「子どもが、できたんです」

「こども…」

「ええ。伯父様になるんですよ、兄さま」

「おじ…」

 

 先程から言われた単語を繰り返すことしかできない。これで柱とは何たることか。頭を回せ。

 そうして黙り込むこと数瞬。相も変わらず耀哉も婆さまもにこにこしているし、あまねも珍しく満面の笑みだ。

 その様子を見て、やっと言葉が脳に染み渡る。そうか、子どもか…。

 

「お前、母親になるのか…」

「ええ」

「そうか…」

 

 子どもが出来たのか…。それは、何と尊いことなのだろう。男には決して成すことができない、生命の神秘。それも己の片割れが、と沸き上がってくる色々な感情を処理しきれずにいた。しかしそれでも、これらの感情に名前を付けるとしたら一択しかないわけで。

 

「…おめでとう、あまね。耀哉も」

 

 心から嬉しいと、そう感じる。その衝動のままに、二人に言葉を捧げた。

 

「ありがとう、あおい」

「ありがとうございます。無事生まれたら、可愛がってあげてくださいね」

「ああ、もちろんだ」

 

 部屋に幸せが満ちていく。新たな命を腹に宿した妹と、傍で支え続けようと誓った友人の姿は、まさに俺の幸せそのものだった。

 この腕に、お前たちの子どもを抱けることを心待ちにしているよ。

 

 

*****

 

 

 あまねの懐妊が判明して早数ヶ月。今では腹も大分大きくなっていて、いつ生まれてもおかしくないそうだ。が、なんというか、思ったより腹の膨らみが大きいような…。いや、俺は他の妊婦をほとんど見たことがないから分からないんだが。

 少し心配になったものの、産婆の婆さまがあまねも腹の子も健康体だと言っていたから大丈夫だろう。

 そう判断し任務に向かい、鬼を狩り終わった頃。耀哉の鎹烏が飛んできた。

 

「空柱、一宮あおい。至急産屋敷邸に戻ってください。──先程、無事にお産が終わりましたよ」

「!紅葉」

「はい、お疲れ様でした。空柱様」

「すまない、ありがとう」

 

 後のことは紅葉たち隠に頼み、急ぎ産屋敷邸に向かう。お産は母子共に命がけだ。無事に終わったというなら何もなかったのだろうが、やはり直接確認したい。

 甥だろうか。姪だろうか。どちらでも可愛がる自信はあるが、とりあえずやや子を見るのは初めてだから楽しみだな。首がすわったら抱かせてもらいたい。

 ──なんてことを考えていたが、まさかの五つ子だった事実に俺は衝撃を覚えた。男児一人に女児四人。

 …うん。とりあえず可愛いから何でもいいか。

 男児は黒髪で輝利哉、女児は白髪でひなき、にちか、かなた、くいなと名付けたらしい。申し訳ないが、今のところひなきたちを見分けられる自信がない。時間が経てばちゃんと分かるようになるだろうか…。まあとにかく。元気に育ってくれれば何も言うことはないな。

 それにしてもちっちゃい…。下手すると潰してしまうか…あっ、爪が生えてる…。こんなに小さいのに…って指を握らないでくれっちょっあ、あまね!耀哉!笑ってないで助けてくれ…!

 柱として他の連中には見せられない程情けない姿を晒したが、その醜態を遥かに越える幸せを体験したので良しとした。

 やや子は最強で無敵だな。

 

 

 

 あまねと子どもたちが落ち着いた頃、俺は産屋敷邸で一人の男と顔を合わせていた。

 

「お初にお目にかかる…私は悲鳴嶼行冥。この度お館様から岩柱の名を賜った。よろしく頼む…」

 

 本来、特別な事情がない限り新しい柱と事前に顔合わせすることはあまりない。今回は入隊してまだ一年目であることや、俺と同い年であることから色々と気を利かせたお館様が席を設けてくれたのだ。

 

「空柱の一宮あおいだ。こちらこそよろしく頼む。悲鳴嶼殿」

 

 話には聞いていたが、本当に大きいな。よく鍛えられている。それにしてもやはり…。

 

「失礼だが、悲鳴嶼殿。貴方は目が…」

「…ああ。私は目が見えていない。しかしその代わり他の感覚が鋭くなっている故、足手纏いにはならないつもりだ…」

「そうでしたか。いや申し訳ない。不躾なことを聞いてしまった」

 

 確認のため必要だったとはいえ、初対面の相手に聞くことではなかった。すぐに謝罪するも、静かに頭を上げてくれと言われてしまった。彼がこの件で感情を乱さないのは、慣れているからというのもあるだろうが、偏に彼の人格が大きく影響しているのだろうと思う。

 

「…悲鳴嶼殿、手を出してもらってもいいだろうか」

「?」

 

 困惑した空気を出しつつも、素直に差し出してくれる悲鳴嶼殿はきっと優しいお人なのだろうと改めて思う。

 その差し出された手を取り、しっかりと握手を交わす。目が見えぬのなら、こうして触れ合った方がわかることもあるかもしれないと思ったのだが、果たしてどうだろうか。

 

「貴方は確かに目が見えないのだろう。だがこの手は正真正銘、鬼を狩り、人を守る者の手だ。貴方の努力の証だ。だからそのように遠慮がちでいる必要など、どこにもない」

 

 もっと自信を持ってくれ。きっと貴方は、この先鬼殺隊の支柱となる。…ただの直感だがな。

 

「改めて、これからは同じ柱としてよろしく頼む。悲鳴嶼殿」

 

 そう言って笑ったら泣かれたんだが、もしかしなくても俺のせいだろうか…?

 その後、どうにかこうにか泣き止んでもらい説明を受けた。どうやらとても涙もろい性格のようで、度々涙を流すことがあるとのこと。…こういっては何だが、中々に面白い男だな。将来有望だと思う。

 そのまま互いに色々と話をし、最終的に"悲鳴嶼""一宮"と呼び合う仲になった。素直に嬉しい。

 …それにしても、やはり柱は個性的な人物がなるものなんだろうか。俺の個性って口面だけなのでは?いやそもそも口面は個性ではなく特徴だな?大丈夫だろうか。

 という訳のわからない不安を抱えて帰宅し、そのまま紅葉に相談したら爆笑しながらそのままでいいと言われた。

 人が真剣に相談してるのに笑うとか酷くないだろうか。

 

 

 

岩柱 悲鳴嶼行冥。

それは、誰よりも慈悲の涙を流す者。

 

 

*****

 

 

「祝言?」

 

 さて。めでたいことは続くもので、紅葉が近い内に祝言を挙げるつもりだと告げてきた。俺が19、紅葉が22になった年だ。

 

「ああ」

「そうか…おめでとう、紅葉。俺からも何か祝わせてくれないか」

「ありがとう、あおい」

 

 幸せそうに頬を緩めるその顔を、つい最近見た気がする…ああ、あまねと耀哉か。なるほど。いい相手に巡りあったなと、勝手に幸せのお裾分けを貰った気分になる。

 

「それにしても、そうか…じゃあこの屋敷も寂しくなるな」

「え?」

「え?」

 

 何故そこで不思議そうな顔をする…?

 

「え、祝言を挙げるんだろう?この屋敷を出て奥方と二人で暮らすんじゃないのか?」

「いや…お互い隠だし、屋敷を構えても結局留守にすることがほとんどだから、だったら今のまま空屋敷と宿舎で暮らして、三日くらいの頻度で彼方を尋ねようかと…」

「はぁ?」

 

 いや、お前…それは…どうなんだ…?

 そんな思いが顔に出ていたのだろう。紅葉が更に言葉を続ける。

 

「…俺たち隠は、お前たち隊士のように鬼を斬ることはできない。だから俺たちにとってお前らは希望なんだ。特に柱であるお前は、多くの隊士と、隠の希望だ。…その希望を、傍で支え続けて何が悪い」

 

 若干眉を顰める紅葉のその言葉は、真実本心なのだろう。…だったらいい、なんて言うつもりはさらさらないが。

 それでも嬉しいと思ってしまったのもまた、事実だった。

 

「…ふぅ…わかった」

 

 ひとつ息をつき、頷く。頭に浮かんだこの折衷案が此度の件を解決してくれることを祈ろう。

 折角祝言を挙げるのに、新居がないどころか旦那が家に帰ってこないなんて笑い話にもならない。

 

「あおい?」

「近いうちに奥方をこの屋敷に連れて来い」

「?…わかった」

 

 さて、腕の見せ所だな。

 

 

 

 紅葉から衝撃的な話を聞いた二日後の日中。

 座敷机を挟んで俺は紅葉と、その奥方となる美鶴殿と向かい合って座っていた。

 

「お初にお目にかかります、空柱様」

「ああ、初めまして。知ってるだろうが、空柱の一宮あおいだ」

「はい。紅葉こうようからよく話は伺っております」

「へぇ?どんな話なのか気になるな」

 

 そこでそれまで若干居心地悪そうにしていた紅葉が俺たちの会話に慌てて入ってきた。

 

「ちょっ、その話は別にいいだろ?」

「ふふっ、そんなに慌てもなくていいじゃない。聞いてて仲いいなって思ってたんだから」

「美鶴…!」

 

 普段見ない紅葉の様子に思わず吹き出して笑う。美鶴殿はそんな俺を見て少し驚いているが…。まあ、何か問題があるわけでもなさそうだから大丈夫だろう。

 目尻に溜まった涙を拭い、紅葉を見やる。

 

「しっかり尻に敷かれてるなぁ、紅葉」

「あおい…!っああ、もう!ほら、何か話があって呼んだんだろ、その話をしよう!今夜もお前任務あるんだし!」

 

 逃げたな。

 美鶴殿と目を合わせて互いに小さく頷いた。この人とはいい酒が呑めそうだな…。

 まあとにかく、任務があるのも確かだから話を進めないといけない。そう思い、小さく咳払いをして空気を変えた。

 目の前の二人も居住まいを正す。

 

「さて、今回呼んだのはな、お前たちの住居についてだ」

 

 二人は何も言わないが、美鶴殿は少し不安そうに見える。

 そんな彼女を安心させようと、意識して目元を緩めた。

 

「今度、屋敷の建て替えをしようと考えていてな。ついでに離れを造ろうと思うんだ。そこに二人して住めばいい。そして悪いが、美鶴殿には紅葉同様、空柱付きになってもらいたい。意味もなく隠を屋敷に置いてはおけないからな」

 

 そう告げると二人してそっくりな顔をするものだから、笑ってはいけないと分かっていても笑いたくなる。

 

「は?」

 

 目を丸くして口を開き、唖然としている二人を置いて話を進める。

 

「使っていない部屋が多すぎるんだ。もったいないだろう。だから少し規模を縮小して、空いた空間に離れを…」

「ちょっと待とうか」

 

 腕を伸ばし、掌をこちらに向けながら紅葉は言う。

 

「何だ。手は合わせないぞ」

「それは別に合わせんでいい。じゃなくてお前…発想がぶっ飛び過ぎでは…?」

 

 何言ってるんだこいつ。

 

「結婚してもここに住んで奥方の所まで通うと言うお前よりはまともな発想だと思うが?」

 

 紅葉が口を開いて声を発する直前、黙って話の行方を見守っていた美鶴殿がぼそっと呟いた。

 

「…どっちもどっちだと思います…」

「「…」」

 

 …何故だろう。ちょっと傷ついた気がする。

 僅かに感じた痛みを見ないふりして、俺は再び口を開く。

 

「…俺はな。隊士も隠も、どちらも鬼殺隊に必要な存在だと思ってる。隊士は前に立って鬼を狩り、隠はその後ろで情報収集から後始末まで全てを担う。それだけじゃない。隊士を運ぶのも、隊服や日輪刀の手配も、俺たち柱の世話も。全てお前たちの仕事だろう。…そんなお前たちを…俺をこれまで支えてくれたお前を想って行動して何が悪い?」

 

 紅葉が口を引き結ぶ。美鶴殿の目は潤み始めた。…できれば泣かないでくれると助かる。女性に泣かれるのは得意ではない。

 

「俺からの祝いの気持ちだ。もし気が引けるというなら、これからも俺のことを、鬼殺隊のことを支えてくれ」

 

 大きく深呼吸をした紅葉が、頭を下げる。隣の美鶴殿も、同様に頭を下げてきた。

 

「…お心遣い、感謝致します。空柱様。今後とも公私ともに支えさせて頂きます。…本当に、ありがとう」

 

 

 

 これで一安心だと思うだろう?俺も思った。

 屋敷の建て直しと離れの増築が終わり、紅葉と奥方がそこに移り住んだ初めての夜。

 何故俺は新婚夫婦と一緒に食卓を囲んでいるんだろうな。

 

「いやおかしいだろ」

「何が?」

「どうしましたか、一宮様」

 

 どうして二人して心底不思議そうな顔をする?どちらかと言うとそれは俺がするべき顔だぞ。

 

「何故俺はお前たちと共に食事をしている?」

 

 新婚夫婦が顔を見合わせる。そして何を今更とでも言いたげな様子で紅葉が口を開いた。

 

「だってお前、一人で食事するの好きじゃないだろう」

 

 言葉に詰まった。その通りだったからだ。

 神籬家では家族六人、一宮家でも人数こそ減ったが三人で食べていた。耀哉と共に食事をしたこともある。任務に出るようになってからは一人で食べる機会も増えたが、柱になってからは紅葉がいた。

 だからというわけではないが、一人で食事をするのは得意ではない。…有り体に言ってしまえば寂しい、のだろう。

 

「寂しい思いはさせたくないからな。…公私ともに支えるって言っただろう?」

 

 したり顔をする紅葉はあとでど突いておこうと思う。

 



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後編

 

「身体の調子はどうです、古風(こかぜ)殿」

「あおいか。最近ようやっと慣れてきたところだ」

「そうですか、それはよかった」

 

 俺は今日、風屋敷に来ている。

 先の任務で風柱である古風隼人が負傷したからだ。

 利き腕である右腕の切断。おそらく、もう隊士として任務に出ることはできないだろう。

 命が助かってよかったと、そう素直に言えればよかったんだが…この人はそんな気休め望んでいないからな。

 詳しくは聞いていないが、鬼殺隊に所属している隊士の多くは何かしらを鬼に奪われている。古風殿もそうだと、その鬼殺の姿勢を見ていれば分かる。

 

「今後はどうするおつもりで?」

 

 だから俺からは、そんなことを言うつもりはない。…代わりにこの先のことは尋ねるが。

 

「折角生き残ったんだ。育手でもして、後進をしごいていくさ」

「それはまた…あまり力を入れすぎるとお弟子さんに逃げられますよ」

「中途半端に鍛えてもすぐ死ぬだけだろ」

「まあ、その通りですけどね」

 

 それにしても、と改めて中身のない右袖に目を向ける。

 

「他の隊士と逃げ遅れた一般人を庇ったんでしょう?貴方らしい」

「一般人を守るのは当然として、下のもんを守るのも俺たち上のもんの役目だからな。お前だって、同じような状況になれば似たようなことするだろうよ」

「そうですかね」

 

 幸いにもというか、これまで合同で任務に当たっていて誰かを庇う場面に、それこそ身を呈してまで誰かを庇わなければならない場面に遭遇したことはない。

 けれどそうだな。

 少なくとも槇寿郎殿や、この間柱になった悲鳴嶼ならば。そんな状況に陥ったらまず間違いなく庇うだろうな。

 

「…馬鹿だな、お前は」

「わっ、と」

 

 わしゃわしゃと、残った左手で頭をかき混ぜられる。

 

「ちょ、古風どの…っ」

「お前はよく"自分のために刀を握ってる"って言うけどな」

 

 かき混ぜるのをやめて、乱れた髪を整えながら古風殿は話し続ける。

 

「それは結局、周りのためなんだよ。…優しいねぇ、お前は」

 

 しょうがない子どもを見るような目で見られた。

 

「…俺、もう19なんですけど」

「それでも俺からすりゃあまだまだ子どもだよ!」

 

 わはは!と豪快に笑われる。今まで散々世話になっているため、あまり強く出れないのが悔しい。

 

「そうだ。その逃げ遅れた一般人なんだがな。生き残った息子が鬼殺隊に入りたいって言ってきた」

「他の家族の仇を取りたい、と?」

「ああ。弟を殺されたから、だと。…母親は反対してるみたいだがな」

 

 けど、と続ける古風殿は、どこか確信めいた口調だ。

 

「あれは、母親の反対を押しきってでも来るだろうな。そういう目をしてた」

「貴方が言うなら、そうなんでしょうね。…その子どもの名前は?」

「──粂野匡近だ」

 

 にっ、口角を上げる古風殿は、もう既にその子どもを弟子にすることを決めているんだろう。…せめて逃げ出さないことを願っておこうか。あと、単純に気になるからまた今度様子を見にこよう。

 この訪問から数日後、古風殿は正式に柱を退き鬼殺隊を引退した。そして更にその数日後、育手として初めての弟子をとったと連絡が来た。

 突き抜けるような青が印象的な、夏の日のことだった。

 

 

*****

 

 

 茹だるような暑さが鳴りを潜め、少しずつ木の葉が色づいてくる季節となった。

 

──ザンッ

 

 今日は小さな港町での任務だった。中々厄介な血鬼術を扱う鬼で、先に何人かの隊士が派遣されたがそのどれもが全滅したため、俺に話が回ってきたのだ。

 鬼が隠れ潜んでいた廃倉庫から出る。中が血の臭いで充満していたため、潮風だろうと新鮮な空気が心地いい。

 

「空柱様、お疲れ様です。お怪我はございませんか」

「ああ、お疲れ。問題ない。…かなり臭いが籠っているから、覚悟した方がいい」

「分かりました。ご忠告ありがとうございます」

「ん。後は頼んだ」

 

 今回紅葉は同行していない。既に数人の隊士が派遣されていた任務だったため、情報等の引き継ぎは現場近くで待機している隠に聞けば問題なかったからだ。柱付きといっても常に行動を共にしているわけではない。

 

「さて…そろそろ帰るか」

 

 大して疲労を感じていないためそのまま直帰することに決めた。報告書も書かねばならないし、出来るだけ早く帰りたい。

 その思いから足を踏み出しいざ走らんと力を込めたところで、飛んできた烏から発せられた鋭い呼び掛けに引き留められた。

 

「カアーッ!!応援要請!応援要請!コノ先南西ニ約三里!鬼殺隊士六名ガ鬼ト対峙中!ソノウチ四名ガ戦闘不能!戦闘不能!!急ギ向カエェー!!」

 

 即座に身体の向きを南西に変えて地面を蹴る。

 

(六名中四名が戦闘不能か…間に合えばいいが…!)

 

 最悪の事態を想定しつつもひた走る。そしてそろそろ三里か、というところで一人の隊士が今にも倒れそうになりながら刀を振るっているのが見えた。

 

(いたっ!!)

 

──空の呼吸 陸の型 光風霽月

 

 刀身が月の光を反射し、淡く光る。走ったままの勢いで、隊士の身体を貫こうとしていた腕を切り落とした。

 

「ギャッ!っ貴様…!!」

 

 痛がる声が聞こえたがそんなものは無視だ。そのまま振り向き様にもう一閃与えて首を刎ねる。

 断末魔のような叫び声を上げる鬼を横目に、先程の隊士の状態を確認するが、助けが来たことで安心して気が抜けたのか気絶してしまっていた。

 他の生き残った隊士も致命傷となる傷はない。が、念のため応急手当だけしようと処置を開始する。そう時間もかからず終わったところでようやっと、こちらに向けられていた視線に意識を向けた。

 

「炎柱」

 

 来ていたのなら助力を、と続けようとしたがどうにも様子がおかしい。顔を伏せていて表情が分からないが、そのこと自体に違和感を抱く。

 そもそも普段ならこちらから声をかける前に隊士の手当てなり共にしてくれるはずだ。もしやどこか怪我でもしているのだろうか。

「…おまえ、日の呼吸を知っているか?」

 

 しかし、確認する間もなく炎柱は俺に問いかけてくる。…怪我をしているわけでは無さそうだ。

 隊士たちの処置も終わり、あとは隠が到着するのを待つだけだったので、そのまま炎柱と話を続けることにした。

 それにしても日の呼吸、ね…。

 

「…いえ、知りませんが」

 

 産屋敷の書物にもそんな記述はなかった気がするが…流石に全てを読んだわけではないので断言はできない。

 

「…いくらお館様のご友人でも存じ上げないか」

 

 …どことなく棘を感じるのは気のせいだろうか。

 

「…槇寿郎殿?」

 

 違和感を増して呼び掛けると、俯いていた顔をこちらに向けてくれる。…しかしその目は俺ではなく、もっと別の何かを見ているように暗く、濁ったものだった。

 

「日の呼吸とは、始まりの呼吸。全ての呼吸の元となったものだ。俺たちが使っていた呼吸は所詮ただの派生で、劣化版。…そういえば、お前は三つの呼吸に適正があったんだったな」

「…ええ。身体には合いませんでしたが」

「…だがそこから新たな呼吸を作り出した。…ふふっはは、ははは!」

「し、槇寿郎殿…?」

 

 何の前触れもなくいきなり笑い出した槇寿郎殿に困惑する。呼び掛けるも、俺の声など聞こえないと言わんばかりにその声は勢いを増した。

 

「お前は!お前の呼吸は!三つの呼吸を元にした呼吸だ!今現在最も始まりの呼吸に近い!現に先程放った型!刀身が日を浴びたように光り傷口の再生が遅れていた!」

 

 日が登り、辺りを明るく照らすも彼の叫びは止まらない。

 

「俺は!お前のように才能に溢れていない!多くを救うことなどできない!」

「そんなことは…!」

「事実!俺は妻でさえ救うことが出来なかった!あれの命を救ったのはお前だ!お前が紹介した医者によって命が助かった!…愛する唯一も救えぬ俺に、他の誰が救えようか…!」

「槇寿郎殿…」

 

 これは、この言葉は、この人がずっと抱えていた葛藤なのだろうか。俺の行いが、槇寿郎殿を苦しめていたのだろうか。

 聞いている方が苦しくなるような声音でその心中を語った槇寿郎殿は、そのまま背中を向けて立ち去ろうとする。

 

「っお待ち下さい!」

「黙れ!!」

 

 今まで向けられたことのない鋭い声に、情けなくも肩が跳ねた。

 

「俺とお前は違う。…もう金輪際、俺と関わるな」

「…槇寿郎殿…」

 

 未だ意識を戻さない隊士を置いてこの場を離れることはできない。

 俺は静かにその背中を見送るしかできなかった。

 

 

 

「あ、あおい!おかえり…うわぁ」

 

 出迎えてくれた紅葉が引いたような声を出す。いつもならここで何かしら言葉を返すのだが、あいにく今の俺はそんな気分ではなかった。

 

「あー…空柱様?その怒気…というかもはや殺気?を収めてもらいたいなぁ、なんて」

 

 紅葉の声が遠く感じる。その事実に俺自身の余裕のなさを自覚し、いつまでも感情を露にしてはいけないとゆっくり深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 

「…あおい?」

「俺は」

「うん?」

「俺は、可愛げがないんだそうだ」

「は?」

 

 紅葉の困惑した様子が伝わってくる。それが先程のやり取りと重なってまた気分が低下した気がした。冷静であれと頭の中で声が響く。もう一度息を吸い、長く吐き出した。

 

「以前、水柱に言われた」

「…おう」

「確かにそうだろうな。…あんなことを言われて落ち込めるほど、俺は可愛げのある性格をしていない」

 

 俺は天才じゃない。才能に溢れていない。もしそうなら、鍛練で身体中に青痣を作りもしなければ、気絶することもなかっただろう。千里眼を駆使し、より多くの命を救っていたに違いない。…白金殿を、死なせることもなかった。

 けれど俺は違うから。神や仏でもなければ天才でもない。全てを救うことは出来ない。俺のこの両の手で救えるものなどたかが知れている。

 それでも俺は。立ち止まることはしないし、努力を怠るつもりはない。

 …槇寿郎殿もそうだったはずだ。

 何代も炎柱の席を担い、炎の呼吸を継承し、出来る限りの命を救う。それら全てを誇りに思い、背筋を伸ばし、刀を振るっていたはずだ。

 …疲れてしまったんだろうか。年長者として鬼殺隊を支える立場が重荷となり、奥方の病に心を磨り減らし、救えぬ命に絶望したのだろうか。…正直、奥方の病に関しては専門分野が違うのだからしょうがないと思うのだが、そんなことは関係ないのだろう。

 ならば、と思う。

 ならば、その心の傷が癒えるまで。貴方がその絶望を受け入れられる、その時まで。

俺は俺なりに、鬼殺隊を引っ張っていこう。空柱の名に恥じぬよう、皆の支えとなれるよう。背筋を伸ばし、前を向こう。

 そう決意し、目の前の紅葉を見やる。

 

「すまない、大丈夫だ」

「…そっか。ならいい」

「ん。…紅葉」

「んー?」

「俺の背中、任せるからな」

 

 その言葉への答えは、満面の笑みと軽く叩かれた背中への衝撃で十分伝わってきた。

 

「おう、任せろ」

 

 このやり取りの一月後、槇寿郎殿が刀を置いたと風の噂で聞いた。

 俺が柱になって、五年目のことだ。

 




・この度伯父になった人(19歳)
 赤ちゃんちっちゃ…生きてる…あっ、意外と握る力つよ…ってなった人。生命の神秘を感じた。これからは伯父馬鹿になります。物を買い与えたりはしない(そこは自重している)けど、その代わりいっぱい遊びたい。でも柱だからそんな時間はない。特に今回古参組が軒並み引退して二人になっちゃったので超忙しくなる。まだそのことに気づいてないが、多分気づいたら心の中で恨み言を言いながら任務に向かうことになる。


・一気に子どもが五人できた人たち(父:15歳、母:19歳)
 子ども可愛い…絶対幸せにする…ってなった。それはそうと指を差し出したら握りこまれてわたわたしてるオリ主が面白くて笑ってた。
 絶対自分たちの代で終わらせると静かに心に誓った。


・岩柱になった人(19歳)
 多分まだお館様以外には人間不信気味。だから最初はちょっと壁があった。けどオリ主に手を握られたり、人を守る者の手だって言ってもらったりで心を開いた(ちょろいって言わないで…)。
 柱になったらいきなり二人に減っちゃったけど頑張る所存。最近蝶がつく名前の姉妹を助けた。


・この度結婚しました!な人たち(夫:22歳、妻:21歳くらい)
 紅葉もみじ(本名は紅葉こうよう)→おま、お前ほんと、そういうとこだぞ…!ってなった。オリ主の来歴は知ってるから普通に一人は苦手だろうと思ってた。この度屋敷を立て替えて離れを造ればいいとかいうぶっ飛んだ発想に驚いたと同時にこれが柱か…ってちょっと遠い目になったけど、改めて背中を任されて嬉しい。任せろ!
 美鶴→オリ主と今回初めてまともに会話した。任務中はあまり笑わない(というか口面つけてるから分からない)ので大口開けて笑ってる姿にびっくり。“隠も必要”という言葉にどこか救われた気持ちになった。この度空柱付きになる。


・片腕持ってかれたので育手に転身した人(30歳くらい)
 見舞いに来てくれたオリ主がへこんでるのに秒で気づいた人。だからわしゃわしゃ撫でてあげた。大丈夫、俺は生きてるしお前は優しい子だよ。
 育手になってすぐに弟子を取る。きっと強い子に育つよ。


・最近『炎柱ノ書』を読んだ人(38歳くらい)
 絶賛やさぐれ中。
 数年後、オリ主に蹴り飛ばされる未来がある。



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以下補足&あとがき

 作者はまだ20代のペーペーなので妊娠等についてはネットで調べました。軽くしか調べてないので間違っている部分もあるだろうし、言われて嫌なこと、されて嫌なことをもしかしたら書いているかもしれません。薄い目で見てくれると助かります。
 ところで“やや子”って“稚児”って書くんですね、知らなかったです。今作では読みやすいようにひらがな交じりに書きますが、一つ賢くなった気分です。

 あおいはあまね様の兄ですが、兄が二人いる弟でもあります。だから実は寂しがり屋だし、無意識に年上に甘えていました。意識して甘えるのは下手なんですけどね。
 今回、風柱と炎柱が引退を宣言したことで、柱として最古参となることを自覚します。これまで言葉では"柱として鬼殺隊の支えとなる"と言っていましたが、そこまで実感できていなかったので、これを機に"俺が鬼殺隊の支柱となる"と認識を改めます。芯が一本通った感じです。
 ちゃんとそういう細かい所も表現出来るよう頑張ります。


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鬼殺隊の最古参の柱は後進の育成を打診される
前編


 

 炎柱であった槇寿郎殿がその席を退き、現在柱は俺と悲鳴嶼の二人になってしまった。

 正直に言おう。

 めちゃくちゃ忙しかった。

 いや、よく考えればそうなんだよ。これまで四人ないしは三人で回していた仕事を二人でこなさなくてはならないんだから、そりゃあ忙しくもなる。単純計算で一人で二人分の仕事量だ。しかも悲鳴嶼はまだ柱になって日も浅い。仕事はもちろんだが、柱としての重責にもまだ慣れてはいなかった。だから悲鳴嶼が回せるギリギリを見極め、残りを隊歴も柱歴も上である俺に回すよう耀哉に打診した。大丈夫かと確認されたが、ここで踏ん張らなくていつ踏ん張るんだという気概でもって問題ないと答えた。耀哉にはこれまでの柱の警備地区の割り当てを再度検討してもらわなくてはならなかったが、この時の対応は正しかったと今でも思う。

 そうして、与えられる任務をこなしつつ、自身のこれまでの担当地区に新たに追加された警備地区を巡回する日々にも慣れてきた今日。

 元風柱の古風殿から手紙が届いた。弟子にした粂野匡近少年が最終選別に行くらしい。確か、彼が古風殿の元に来たのが去年の夏頃だったから、約半年か…。優秀だなぁ。

 …最終選別といえば、一つか二つ前の選別で参加者が全員生き残ったという珍事があったな。結局一部を残して半分近くが隠になると申告し、残りはもう一度修行をやり直すとのことだったが…はて、今回はどうなるかな。

 とりあえず最終選別の前に一度顔を見に行こう。そう思い立って古風殿への返事を書き進めつつ、粂野に初めて会った時のことを思い出していた。

 

 

 

 太陽が照りつける中、俺は古風殿の屋敷を目指し歩いていた。例の、弟を殺された少年を弟子にしたと連絡が入り既に十日以上経過しているが、果たしてどうしているだろうか。事前に言っていたようにしごいているんだろうなとは思う。が、逃げ出したとも聞いていないから多少の加減はしているに違いない。

 この後も任務が入っていることもあり、俺は隊服を身に纏っている。羽織も羽織ってはいるが、正直暑いから脱いでしまいたい。ちなみに口面は着けているが、何の素材でできているのか通気性がとても良く中が蒸れることはなかった。…本当、何の素材を使っているんだか。

 そうこうしているうちに屋敷が見えてきた。

 玄関先で声をかけるも聞こえていないのか誰かが来る気配はない。

 ならば庭にまわってみるかとそちらに足を向ける。見知らぬ気配もするし、おそらく少年がいるんだろう。今日の本命は彼だから丁度いい。

 ひょいと庭に顔を出す。

 そこには地面に大の字に寝転がり、ぶつぶつと何事かを呟く少年がいた。

「やあ。君が古風殿のお弟子さんかな」

 

 そう声を掛けながら顔を上から覗き込むと、気づいていなかったらしい少年は大きく肩を揺らして慌てて起き上がった。

 黒い短髪の、左頬に二つの傷がある少年だった。

 

「すまない、驚かせてしまったな」

「あ、いえ!こちらこそ気づかずにすみません。…えっと」

「俺は一宮あおい。古風殿とは元同僚の仲なんだ」

「そうなんですね。あっ、俺は粂野匡近と言います!」

 

 よろしくお願いします!と頭を下げる少年─粂野は、本当に普通の子どもだった。そして元気がいい。

 なんというか、頭を撫でたくなる子だ。

 そんな衝動を抑えつつ話を続ける。

 

「こちらこそよろしく。あの人の鍛練は厳しいだろう。辛くないか?」

 

 いや、さっき大の字で寝転がっていた様子を見るに疲れきっているのは分かるんだが、つい聞いてみたくなる。さて、何て答えるかな。

 

「辛くないって言ったら嘘になりますけど…全部俺の為だっていうのは分かってるつもりなので、大丈夫です!」

 

 …へぇ。

 

「なるほど…いい子を拾いましたね、古風殿」

 

 屋敷内から様子を伺っていた古風殿に声を掛ける。

 

「!師匠!」

 

 実は俺が最初に声を掛けた頃からいたんだが、流石に気づかないよな。元とはいえ、ついこの間まで現役の柱だったんだから。

 

「まあな。…気配を読み取るのがまだ下手だな、匡近」

「うぐっ」

 

 痛いところを突かれたように粂野が呻く。

 

「あはは。まあ頑張りなさい、粂野」

「うう…はい」

 

 そのまま三人で縁側に座り、色々な話をした。

 粂野は師匠のことだからか古風殿の話を聞きたがったので、俺の知っている限りの話をしてやった。酔った勢いで女装した話をしたところで本人から横槍が入ったが、「全て事実でしょう」と返したら顔をしわくちゃにしながら黙っていた。

 しかしながら、間に腕相撲大会で先代水柱に完敗した話を混ぜつつ、尊敬と親しみやすさを同時に抱けるよう話を進め、何故か最終的に俺の呼吸を見せる事態に発展したことは本当に謎でしかない。

 まあ事の発端は単純なものなんだが。

 

「…そういえば、一宮さんは何の呼吸を扱ってるんですか?」

 

 という粂野の一言から、

 

「空の呼吸だ。あおいが新しく作った呼吸でな。…そうだ。折角だから見せてやれよ」

 

 という、古風殿の提案を受けただけの話に過ぎない。

 一応いいのかと確認したら、見取り稽古にするから構わんと言われた。では遠慮なく。

 日輪刀を手に、さてどの型がいいかなと思案する。

 壱の型が一番分かりやすいとは思うが、あれは雷の呼吸を元にしたものだ。どうせなら風の呼吸を参考にしたものにしたい。

 そう暫し考え、粂野に見せる型を決める。

 ちらと二人に視線をやれば、いつでもいいというように頷かれた。それを確認して、助走をつけて宙に身体を浮かせる。

 

──空の呼吸 参の型 黒雲白雨(こくうんはくう)

 

 複数の斬撃を放ち、地上に戻る。癖で刀を払い鞘に収めていると粂野の呟きが聞こえてきた。

 

「風の呼吸の"木枯らし嵐"に似てる…?」

 

 その指摘につい笑みが溢れた。見取り稽古は成功かな。

 

「よく分かったな。それを参考にしたんだよ」

「へぇ!でも、風の呼吸に比べてもっと、こう…流れるような動きでした!」

「ありがとう」

 

 拙いながらも真っ直ぐな言葉に嬉しくなる。

 

「綺麗だろう、こいつの呼吸は」

 

 俺たちのやり取りを横で見ていた古風殿が粂野に問いかける。

 

「はい、凄く!やってみたくなる呼吸でした」

「嬉しいことを言ってくれるなぁ」

 

 やはり撫でたくなる子だと、今度は我慢せずに粂野の頭に手を伸ばした。思ったより柔らかい。

「こいつの呼吸を見た奴は大抵そう言うよ。…けど、空の呼吸は難易度が高い」

「そうなんですか?」

 

 照れながらも俺の自由にさせてくれていた粂野が問いかけてくる。

 

「らしいな」

「らしいなってお前な」

 

 呆れたと言わんばかりに古風殿が見てくるが、そんな目をされても困る。

 

「いやだって、自分で作ったものなので難易度なんて分かりませんよ」

 

 俺たちの間でいまいち内容の把握が出来ず困惑していた粂野に説明する。

 

「俺は雷、水、風の三つの呼吸に適正があったんだが、型が身体に合わなくてな。最終的にその三つを掛け合わせて作ったのが空の呼吸なんだよ」

「適正が三つ…?」

「そ。だから、空の呼吸を扱うには三つの呼吸に適正がなきゃならない。…常人にゃあ厳しいわな」

「それは…凄いですね…!憧れます!」

 

 瞳をキラキラさせて全身で感想を伝えてくる。これまで呼吸について説明すれば、大体が口元をひくつかせて話を濁してきたのだ。だからこの反応に少々面食らう。

 

「ふっ、はは」

「師匠?」

「いやぁー。お前は素直だねぇ」

「う、わ…ちょ、師匠やめてくださいって」

 

 目の前でじゃれている師弟をぼんやりと見つめる。

 なんとなく、今日の任務は早く終われそうな気がした。

 

 

 

 なんて懐かしいことを思い出しながら、俺は再び古風殿の屋敷を訪ねていた。

 報告書などの仕事が粗方片付き、時間ができたため最終選別に向かう粂野に会いに来たのだ。

 

「──粂野」

「あ、一宮さん!」

 

 …どうしよう。粂野に耳と尻尾が生えて見える。疲れてるのかな。

 

「次の最終選別に出るんだって?」

「はい、その予定です」

「そうかそうか。ならこれをやろう。俺からの餞別だよ」

 

 隊服の胸元に入れていたものを取り出し粂野の手に乗せる。

 緑の布で作った小振りなお守りだ。

 

「これは?」

「ちょっといいことがある、かもしれないお守りだ」

「かもしれない…」

「なに、お守りとは存外そんなものだろう?」

 

 神職の家系の生まれとしてこんなことを言うのはどうかと思わないでもないが、結局はものの捉え方次第だ。

 

「気持ちというのは大事だよ。もう幾ばくもない命で鬼の情報を伝えきった隊士を、俺は知っている。あれは…鬼殺隊士としての意地だった。──だからな、粂野。何かひとつ、"これ"というものを。あと少し頑張ろうと思えるものを作っておきなさい。そうしたらきっと、死の淵だろうが帰ってこれる」

 

 それが出来るまで、とりあえず持っていなさい。

 そんな想いを込めて粂野の頭に手を乗せ二度ほど弾ませる。

 

「…ありがとうございます。大切にします!」

「ああ。…粂野」

「はい!」

 

 真っ直ぐ見つめてくる瞳に、こちらも逸らすことなく見つめ返す。

 

「自分を、そしてお師匠を信じて、頑張ってきなさい」

「…はい!」

 

 この半月後、無事最終選別を突破できたと本人から嬉しそうな手紙が届くこととなる。

 

 



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後編

 

 季節が一つ巡り、鬼殺隊の守り花である藤の花が見頃を迎える時期となった今日。俺はお館様に手紙で呼び出され、産屋敷邸の一室にいた。

 私的な用事の際、耀哉は烏に言伝を頼む。手紙ということは、求められているのは空柱としての立場だ。

 ならば礼を欠くことは許されないし、俺自身、許すことができない。

 故に俺は、お館様が襖を開くと同時に頭を垂れる。

 

「やあ、あおい。今日もまたいい天気だね」

「はい。本日は日も暖かいので、後程庭を散策されるとよろしいかと。藤の花が綺麗に咲いていましたよ」

「そうかい?では後であまねと子どもたちを誘って見に行こうかな」

 

 穏やかに微笑まれるお館様に、本題を切り出す。

 

「それで?わざわざ手紙で呼び出すとは、何かありましたか?」

「…一人、あおいに頼みたい子がいてね」

「?隊士ですか?」

「うん。育手を経由しないで最終選別を通過した子なんだ。…呼吸を教えてあげてほしい」

 

 育手を経由しない…。皆無というわけではないが、珍しいな。それにしても呼吸か。

 

「…俺が教えられるのは全集中の呼吸と、三つの呼吸だけですけど。それも結構大雑把になりますよ」

「知ってるよ。それで構わない。きっとその子なりに工夫するからね」

 

 お館様がそうまでして俺に頼むということは、何かしらの事情があるのだろう。でなければ、基本の呼吸を実践で扱うことが出来ない俺に指導を頼むことはしないはずだ。況してや、柱が足りていない現状で、業務が滞る可能性があることを進んで行うはずがない。

 ならば、俺が取るべき行動は決まっている。

 

「承知致しました」

 

 俺の返答に、お館様からどこか安心したような空気を感じる。

 

「ありがとう」

「それで、その隊士は今どこに?」

 

 その問いに、お館様は僅かに首を傾げて答えた。

 

「君の後ろにいるよ」

 

 言い終わる前に背後で気配が動く。

 首に冷たい感触がするのと、相手の首に刀の刃を添えたのはほぼ同時だった。

 

「!」

「…随分と、やんちゃな隊士だな?」

「…」

 

 相手は何も言わない。

 ぱんぱん、とお館様が手を叩く音を合図に刀を鞘に収めた。

 

「さすがあおいだね。…うん、これなら問題ないかな。その子が君に任せたい隊士だよ」

 

 ついため息が溢れた。完全に訳ありじゃないか。

 

「天元も、それで構わないかな」

 

 天元、と呼ばれた隊士が俺の横に人一人分空間を空けて腰を下ろした。

 

「…はい。構いません」

 

 年の頃は15,6といったところか。座っているだけだが一切隙がない。ついでに気配も薄い。

 なんて静かに観察していると、お館様から爆弾を投下された。

 

「あ、言い忘れてたんだけどね。天元には奥方が三人いるんだ」

 

 …何だろう、頭痛がするな。

 無言で眉間の皺を伸ばす様子を楽しげに見つめながらお館様が続ける。

 

「彼女たちについては迷っているんだ。藤の花の家に預けることもできるけど…」

 

 そこで初めて、隣に座る気配が揺らいだ。

 …仕方がない。

 

「いえ、全員空屋敷で預かりますよ」

「いいのかい?」

「ええ。この間建て直したとはいえ、まだ使っていない部屋はあるので」

 

 大部屋と一人部屋とがあるが、きっと大部屋がいいんだろうな。玄関から一番近い大部屋なら、中で二つに分けられるからそこにしようか。暁を飛ばして紅葉に準備を頼まなければ。

 

「そうか。ならそこはあおいに任せるよ。…よろしくね」

「はい。お任せください」

 

 

 

 お館様が退室され、部屋に沈黙が落ちる。

 改めて正面から顔を見ると、随分と不思議な化粧を施しているな。ついでに額当てが派手だ。もはや装飾品と言ってもいいかもしれない。

 それにしても、美丈夫の無表情は迫力があるな…。

 とにもかくにも、いつまでも無言でいるわけにはいかない。

 思考を切り替え、居住まいを正した。

 

「さて。改めて、空柱の一宮あおいだ。今日から君の指導役になる。一応表向きは継子という扱いになるから、師匠でも一宮さんでもあおいさんでも、好きなように呼ぶといい」

「…宇髄天元だ」

「天元だな。よろしく頼む」

 

 継子という扱いで、加えて奥方がいるならと下の名前で呼ぶことにした。

 

「それで、君たちが奥方たちかな?」

「「「!」」」

 

 襖の向こう側に声を掛ける。丁度三人分の気配が揺らいだ。…いや本当、注意しないと気づけないんだが。忍者か何かか?

 

「これから共に過ごすんだから、挨拶くらいさせてくれ」

 

 眉を下げながら天元に頼むと、一拍置いて許可をくれた。

 

「…入ってこい」

 

 後ろの襖が開く。俺が顔を向ける前に、三人とも天元の横に静かに座った。

 系統の違う美人さんだな。

 

「聞いていたと思うが、一宮あおいという。今後君たちの旦那に呼吸を教える者だ。よろしく頼む」

 

 少し意識して目元を緩めたら色んな感情が入り交じった瞳を向けられたんだが…え、そんなに変な顔だったか…?

 軽い動揺を覚えている俺を置いて、三人の奥方たちが名前を教えてくれる。

 

「…こちらこそ、よろしくお願い致します。雛鶴と、いいます」

「…まきをです」

「…す、須磨です」

「雛鶴殿、まきを殿、須磨殿だな。よろしく」

 

 よし。全員の名前も確認したし、そろそろ屋敷に向かうか。

 四人を引き連れて部屋を出る。縁側に差し掛かったところで一度足を止めた。

「暁。紅葉に入り口手前の使ってない大部屋の片付けと、布団を四組干しておいてくれって伝言を頼む」

「分カッタ!」

 

 庭で待機していた暁が飛び立つのを見送り、俺たちは予定通り空屋敷に向かうのだった。

 

 

*****

 

 

 道中、今後必要となるであろう店の場所を教えながら歩みを進めていく。甘味処をいくつか教えてやると奥方たちの顔が華やいでいて微笑ましい気持ちになった。

 途中何人かに声を掛けられるも、そこまで遅くならずに屋敷に着くことができた。「ただいま」と言いながら玄関を開ける。庭の方で気配がしたが、初めての家なら玄関から入ったほうがいいだろう。

 四人が後ろにいるのを確認して奥に進んでいくと、すぐに紅葉が顔を出した。

 

「おかえりーあおい。いきなり部屋の片付けやら布団四組干せだの言ってきたかと思えば…随分大人数になって帰ってきたな」

「まあな。色々とありがとう、助かったよ。…美鶴殿はいるか?」

「おー。居間でサヤエンドウの筋取りしてる」

「ああ。…逃げてきたのか?」

「ちっがうわ!お前の出迎えだよ!」

「ははっ。分かってるよ。悪かったって」

「たくっ…早く来いよ」

 

 ちらっと天元たちを気にしながらそのまま踵を返す紅葉に小さく頷く。

 

「とりあえずこっちだ。屋敷内の案内は後で改めてするから」

 

 後ろを振り向きながらそう告げると、些か困惑気味の瞳と視線が合う。

 

「…今のは?」

「俺付きの隠のひとりだよ。紅葉こうようという」

「もみじって呼んでたが」

「それは愛称だな。本名は"こうよう"だ」

「…ふーん」

 

 一見興味が無さそうに振る舞っているが、その視線は紅葉が消えていった方向に向いている。何を考えているのかは流石に分からない。

 天元の後ろで須磨殿が物珍しそうに視線をあちらこちらにやっているのがとても微笑ましく感じる。…あ、まきを殿にはたかれた。

 背後が途端賑やかになり、小さく笑う。

 この賑やかさが暫くの日常になることを単純に嬉しく思った。

 

 

 

 居間に向かうと、丁度美鶴殿が人数分のお茶を淹れてくれているところだった。

 礼を伝えて適当な位置に座る。そして事の次第を紅葉と美鶴殿に説明していった。

 

「お館様から呼吸を教えてやってくれと頼まれたんだ」

「へぇ…。空か?」

「いや。全集中とあとは基本のを軽くな。といっても三つしか教えてやれないが」

「いや十分だろ」

 

 美鶴殿も大きく頷いている。まあ通常だとそれぞれに育手がいるからな。一ヶ所でできるのは中々貴重だろう。

 そこで、静かに話を聞いていた天元が口を開いた。

 

「その三つの呼吸って?確か、お館様にもそう言ってたよな?」

 

 …その話をしてた時、お前どこにいたんだ?部屋の外?まさか天井裏だったりする?

 ちょっとした謎が頭に浮かんだが、とりあえず彼の疑問に答えなくては。

 

「鬼殺隊士が扱う呼吸は基本的に五つから選ばれる。水、雷、風、炎、岩。他にも派生の呼吸もあるが、まあ今は置いておこうか」

 

 俺の説明を真剣に聞く四人。その様子だけでも、非常に真面目に取り組もうとしていることが伺えた。

 

「俺が扱えるのはその内の水、雷、風の三つ。と言っても、実践では使い物にならないがな。まあ、型を教えるだけなら問題ない」

「…ならあんたは何の呼吸を使ってるんだ?」

 

 実践では使えないと言ったからだろう。俺の呼吸について聞いてきた。

 

「空の呼吸を扱っている。気になるなら明日にでも見せようか」

 

 この後は予定が詰まっているからな。

 そう伝えると素直に頷いてきた。

 

「扱いは継子ということになるんですか?」

 

 美鶴殿の質問に頷くことで答える。ついでに「弟子のようなものだ」と小さく首を傾げていた奥方たちに教えてやった。

 

「ならまずは自己紹介だな!」

 

 人好きする笑みで紅葉が告げる。

 

「俺は空柱付きの隠で紅葉こうようという。彼女は俺の妻の美鶴だ。彼女も空柱付きだよ」

「美鶴と申します。よろしくお願いしますね」

 

 にっこりと笑う二人に毒気を抜かれたのか何なのか、今度は間を置かずに天元たちも名乗っていった。

 

「宇髄天元だ。こいつらは俺の嫁で」

「雛鶴と申します」

「まきをです」

「須磨です!」

「…えっ、三人?」

 

 分かる。最初は驚くよな。心の中で大きく頷いておく。

 

「まあ、そういうわけだから。四人には手前の部屋を使ってもらおうかと思ってるんだが、構わないか?」

 

 といっても、断られても残りの部屋は準備を整えていないから今夜は使えないが。

 

「もちろん」

「ああ、問題ない」

 

 女性陣も異論はないのか頷いている。

 

「よし。じゃ、屋敷の案内に行きますかね」

 

 

 

「ここは俺の私室。で、突き当たりを曲がって直ぐのところが廁だ。風呂はその奥。渡り廊下の向こう側にもあるけど、そっちは専ら紅葉たちが使ってる。離れに住んでるからな」

 

 軽くだが案内と説明をしていく。そんなに複雑な構造ではないから、すぐに覚えられるだろう。

 

「で、お前たちにはこの部屋を使ってもらう。急な話だったから大した準備も出来てないんだが…ああ、いや。あの二人が色々と置いてくれているな。他に必要なものもあるだろうから、また後日にでも買ってきてくれ」

「…いや、十分だ。ありがとう…」

 

 今日屋敷を出る段階では置かれていなかった布団や、簡素な造りながらも上質な文机と鏡台。おそらく昔買ってそのままになっていたものを引っ張ってきたのだろう。六年程前、柱に就任した際に買ったような気がしないでもない。

 そんな室内の様子が意外だったのか、どこか呆けた様子で礼を伝えてくる天元。奥方たちも口々に礼を言ってくる。

 俺はそれに笑いながら中に入るよう促した。

 

「その礼は紅葉たちに言ってやってくれ。俺は指示を出しただけだからな」

 

 そこで軽い足音が近づいてくる。美鶴殿だな。

 

「あ、雛鶴さん、まきをさん、須磨さん。ちょっといいですか」

 

 予想通り美鶴殿がひょこりと顔を覗かせた。

 

「…?なんでしょう」

「いきなりで悪いんですけど、お三方はお料理って出来ますか?」

「ええ…一通りは出来ますけど…」

 

 奥方を代表して雛鶴殿が答える。落ち着いた雰囲気から三人のまとめ役なのだろうかと、そのやり取りを眺めながら考える。

 

「よかった!この人数分の夕餉を作るのは慣れていないのもあってちょっと大変で…すみませんが、手伝ってもらってもいいですか…?」

 

 眉尻を下げてお伺いを立てる美鶴殿にきょとんとしていた雛鶴殿たちだったが、ちらと天元に視線を向けたあと、優しく微笑んで頷いていた。

 

「…はい。構いませんよ」

 

 よかった!と両の手を合わせて美鶴殿は三人を連れていく。

 

「俺も報告書を仕上げなきゃならないから部屋に戻る。夕餉まで好きに過ごしててくれ。何かあったら遠慮なく部屋に来なさい。紅葉を呼んでもいい」

「ああ」

 

 それだけ伝えて返事を聞くと部屋を出る。

 それから半刻程経ち、報告書を全て仕上げたところで紅葉が夕餉だと呼びにきた。

 

「今日はいきなり悪かったな」

「いいよ、別に。お館様の頼みだったんだろう?」

「ああ」

「それにしても…警戒されてるなぁ、お前」

「…だよなぁ」

 

 からからと楽しげに笑う紅葉にこちらも苦笑するしかない。

 元々警戒心が強いのか、人間不信になっているのかは分からない。少なくとも奥方たちは屋敷に来てからは徐々に表情の強ばりが無くなっているが。

 天元も、紅葉や美鶴殿には特に警戒している様子はない。

 どうしたものか…。

 

「きっと、俺や美鶴は大した脅威じゃないんだろう。隠だからな。その点お前は、今や鬼殺隊最古参だ。しかも柱。実力がある相手を警戒するなっていうのは、難しいのかもしれないな」

「…なるほど」

 

 その話を聞いてふと思った。

 

「なんか、子猫を守って毛を逆立てる親猫みたいだな」

「ぶっは!」

 

紅葉が横で盛大に吹き出した。

 

「お前っ、あのでかい男を猫に例えるとか…っはは!駄目だ、は、はらいたい…っ」

 

 腹を抱えて笑う紅葉を置いて広間に向かう。

 

「あれ、一宮様?紅葉はどうしました?」

「廊下で蹲って笑ってるよ」

 

 頭上に疑問符を浮かべる美鶴殿だが、放置することに決めたらしい。

 須磨殿とまきを殿の姿が見えないのは、おそらく旦那である天元を呼びに行ってるのだろう。

 

「今日は随分豪華だな」

 

 白米に汁物、煮物に天ぷら数種、和え物の小鉢に刺身まである。

 

「今日は歓迎会ですから!といってもそんなに凝ったものは作れなかったんですが…」

 

 雛鶴さんたち、凄く手際がよくて助かっちゃいました。

 そう言う美鶴殿に、お茶を淹れていた雛鶴殿が嬉しそうに破顔した。

 …うん、大丈夫そうだな。この様子だとまきを殿と須磨殿の強ばりもいい具合に解けただろう。

 

(となると、あとは天元か…)

 

 残りの四人が部屋に入ってきて一気に賑やかになる。

 まあ何とかなるだろうと、先程から腹の虫を刺激する料理に箸を伸ばした。

 

 

 

 その日の夜、俺は久しぶりに屋根の上で月を見上げていた。綺麗な三日月に、酒を持ってこなかったのを少し悔やむ。

 そうしてぼんやりと眺めていると、音もなく天元が屋根に上ってきた。

 ちらと見上げて、無言で隣を指し示す。

 天元も無言でそこに座った。昼間程空いていない距離に小さく笑う。

 

「…初対面だからな、警戒するなとは言わない」

「!」

 

 口角を上げたまま静かに告げる。

 隣で息を飲む音がした。

 

「俺はお館様からは何も聞いてないけどな。訳ありなんだなってくらいは分かるよ。だからまあ、俺からは慣れてくれとしか言えない。…けど、食事に変なものを混ぜたりはしないし、寝込みを襲うこともしないから」

 

 安心しろと、信用しろと言うのは簡単だ。けど、信用するかしないかを決めるのは俺じゃなくて相手だ。俺は、俺にできる限りの誠実な対応を見せることしか出来ない。

 

「…別に、そこまでは警戒してない」

「へぇ?」

 

 意外なことを聞いた。

 

「あの方が、あんたを指名したんだ。自分の友人で、右腕で、…懐刀だから、信じても大丈夫だと」

「…」

 

 思わぬ言葉に目を見張る。

 耀哉の言葉を素直に信じているこの男にも、この警戒心の高い男の信用を得ている耀哉にも驚いた。さすが我が友人。人心掌握術が桁違いだ。

 というか…。

 思わず顔を天元がいる反対側に逸らす。

 

「…おい?」

 

 悪いがちょっと待ってくれないか。

 顔が若干暑い。…いや、顔だけじゃなく全身暑くなってきた。

 僅かに慌てたような、困惑した様子が天元から伝わってくる。

 

「…もしかして、照れたのか?」

 

 そこは何も言わずにそっとしておくのがいい男というものだぞ。

 仕方なくまた正面に顔を戻す。

 

「いや、なんだ…改めてそこまで言ってもらえると、ちょっと照れ臭いな、と思ってな…」

「…」

 

 唖然とこちらを凝視する天元。

 顔の熱を冷まそうと手で扇ぐ俺。

 ここに第三者がいれば何をやっているんだと呆れた視線を送ってくるか、指を指して盛大に笑うかするのだろう。

 

「…ふ、ははっ」

 

 静かな夜に天元の笑い声が響く。…今日初めてまともに表情が崩れるところを見た。

 その事実に思い至ってしまえば、強く苦情を入れることも出来なくなるというもので。

 

「…あー、もう。笑うな」

「いや、無理だろっ…ふふ」

「…そんなに笑うようなことか?これ」

 

 仕方がないから笑ってる天元の顔を観察する。

 奇妙な化粧を施しているが、やはりかなりの美丈夫だ。女が放っておかないな、きっと。奥方たちも気が気じゃないだろう。

 

「はーっ。笑った!…あんた、地味な奴だと思ってたが中々派手に面白いな!」

 

 地味だ派手だは分からないが、どうやらお眼鏡には叶ったらしい。

 まあ、常に警戒されるよりは大分いい。

 一頻り笑った天元は、立ち上がって一度大きく伸びをする。そして俺に向かって手を差し出してきた。

 

「改めて、これからよろしく頼む。あおいさん」

「…ああ。よろしく、天元」

 

 俺に初めての継子ができた瞬間だった。

 

 

 

「…それにしても正直、あれをやんちゃで済ませるのはどうかと思ったぜ」

「?だって別に敵意は感じなかったし。結局寸止めだっただろう?」

 

 この時の天元の若干引きつった顔は、数年経った後も思い出して笑うことになる。

 

 

*****

 

 

 

 

 

 天元を継子として迎えて、一年が過ぎようとしていたある日。その知らせは、慌てた暁と共にやってきた。

 

「アオイ!オ館様ガ倒レタ!呪イ!」

 

 





・初めて継子ができた人(20歳)
 槇寿郎殿が引退したから鬼殺隊最古参になった。柱歴6年目。これからも気を抜かないで頑張っていく所存。ちなみに成長に応じて代替わりしたことはあるけど、一度も刀を折ったことがない。里長が打ったことも理由ではあるけど、ちゃんと手入れしてるからです。
 最近お気に入りの隊士ができた。依怙贔屓するつもりはないけど、気に掛けはする。渡したお守りは中に護符が入ってはいるけど、本当にただのお守り。良いことがある。かもしれない。
 初めて継子ができた。そして居候も増えた。一気に賑やかになってちょっと楽しい。翌日から鍛錬の日々が始まる。とりあえず、裏の山でも走っておいで。


・風の呼吸を学ぶことになった人(15歳)
 将来の風柱の兄弟子。
 オリ主が柱だとは知らない。師匠と仲がいい普通の隊士だと思ってる。しばらくして柱だと知ってびっくり。
 お守り貰った。肌身離さず大事にする。


・空柱の継子になった人(16歳)
 里抜けしてすぐに鬼の存在を知り、贖罪のために鬼殺隊入りした。忍だったことは今のところお館様しか知らない。そのうちオリ主にも話す。
 お館様に仕えるのは構わないが、信頼できない奴に教えは乞えない。というのをちょっとだけオブラートに包んで言ったらとんでもない人を紹介された。お館様の友人で右腕で懐刀って…見ただけで強いのわかるし…逆に気が抜けなかった。
 でもちょっとした言葉で顔を赤くしてて面白かったし、本当にただの善人だった。確かに、この人なら俺は信頼できるかもしれない。里抜けしてすぐなので、忍の時の癖とか感覚がまだ抜けてない。



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以下補足&あとがき

 匡近の口調がわからん!!!
 いやほんと、全然わかんない。なんかもうとりあえず明るい素直なわんこをイメージしてます。あとお兄ちゃんなので世話焼きだとも思ってます。きっとしばらくして不死川さん拾って世話焼くんですよ。ね。

 そして最大の問題はこっちですね。
 誰なんだい、君は。
 いやでも里抜けしてすぐの頃って多分疑り深いというか、警戒心強いと思うんですよ。それまでどんな任務をしていたのか分からないですけど、人の汚い部分とか、悪意とか、容赦なく見てきたと思うんですよね。きっと自分の中で人を信じるラインっていうのがあって、お館様とあおいは越えることができました。紅葉と美鶴は本人が言っていたように強い脅威でもないからそこまで警戒してなかった。最悪取り押さえることは出来るし。でもあおいさんは、自分よりも強いというのが分かっていたから、そのラインを越えるまで気を抜くことはしませんでした。
 …そのラインって何なんですかね、私が知りたいです。

 ちなみにお館様と天元が会ったのはこの話では16の時です。なのでお嫁さんをもらってすぐに里抜けしたことになります。
 多分原作では17くらいかなとは思うんですが、作者の都合により一年早まってもらいました。


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鬼殺隊の最古参の柱は継子の巣立ちを経験する
前編


 

 天元を空屋敷に迎え入れて二日目の早朝。

 俺は天元と屋敷の裏にある山を登っていた。

 昨日は宇髄夫婦を日用品その他諸々の買い出しに行かせたため鍛練はしていない。そのため、今日が鍛練初日となる。

 早朝と言っても、日が登り初めて半刻は過ぎており、奥方たちは美鶴殿と朝餉の支度をしている。紅葉は道場の掃除だ。後から俺も参加する。

「鬼殺隊は基本、刀を使用して鬼を狩る。…刀を使ったことは?」

「多少はある」

「そうか。なら素振りは後でいいかな」

 

 山を登りながらいくつか確認のため質問していく。ちなみに天元の様子も観察中だ。

 初対面時や屋根に上っていた時の様子から見て、身のこなしの軽さは既に判明している。こうして頂上を目指している間にも息が切れていないことから、ある程度の体力もあると見た。

 

(あとは反射と、判断力と回避能力か…?)

 

 呼吸を教えてやれと言われたが、それだけで終わらせるつもりはない。仮にも継子として迎えたわけなのだから、必要な鍛練はしていく予定だ。

 そのためにも今の段階でどこまで動けるのかを把握しておかなくてはならない。

 よって。

 

「…よし、頂上に着いたな」

「低そうに見えたけど、結構あるのな」

「そうなんだよ。だから鍛練にはちょうど良くてな」

 

 そう言う俺を何とも言えない顔で見てくるのは、きっと事前に何も伝えずに連れてきたからだろうな。

 

「さて、じゃあとりあえず。まずはここから屋敷まで下りてきなさい」

「?…それだけでいいのか?」

「ああ。普通に地面を歩いてもよし。木を使ってもよし。ただ、朝餉に間に合うよう下りてこいよ。お前がいなくても先に食べてるから」

 

 大体あと半刻くらいか。

 そう告げると自信満々に了承された。それを見届けて俺は一足先に下山する。

 慣れているのに加えて呼吸も使ったからかなり早く屋敷に戻れた。そのままの足で道場の方へ向かう。

 

「お疲れ紅葉」

「あおい。お疲れ。…あれ、宇髄は?」

「山に置いてきた」

「容赦ないな」

 

 掃き掃除は終わっているようなので雑巾を手に取る。そのまま水拭きしていく俺に、笑い混じりに紅葉が反応した。

 

「身軽だし、山にも慣れていたから大丈夫だろ。…まあ、多少の怪我はするかもしれないが、そういうものだ」

 

 あの山にはいくつもの罠が仕掛けられている。丸太が降ってきたり槍が飛んできたり落とし穴があったりと飽きない仕様になっているから比較的楽しめるだろう。結構前に仕掛けたものもあるから、全てを把握しているわけではないが。

 そうして一通り道場の掃除をして汚れを落とし、出来立ての朝餉を食べ始めた頃。

 ドタドタと大股で近づいてくる足音に笑みが溢れる。あれはかなり怒ってるな。

 スパンッと襖が開き天元が姿を現す。大きな怪我は無いようだが、所々服がほつれているし土も付いている。おそらく服の下には細かい擦り傷や痣が出来ているだろう。

 奥方たちが目を丸くしている中、天元は額に青筋を浮かべながら大きな声で吠えた。

 

「なんっなんだ、あの山はぁ!地味に嫌なところから攻撃が飛んでくる!っていうか殺す気か!!」

「おかえり天元。早かったな」

「呑気に飯食ってんじゃねーよ!」

「先に食べてるぞって言っただろう」

「あっはははは!早く汗流してこいよ。折角の朝餉が冷めるぞ」

「~~っ!!くそっ!」

 

 またドタドタと足音を立てながら風呂場に向かっていく可愛い継子に笑いが収まらない。紅葉も箸を置いて腹を抱えている。俺はお前がそんなに笑い上戸だったなんて知らなかったよ。

 

「あの、一宮様…天元様は一体何を…?」

「ん?ただの山下りさ」

「罠だらけですけどね」

「罠?!」

 

 須磨殿の声が響く。

 

「罠といっても命を奪うようなものじゃない。丸太や槍が飛んできたり落とし穴があったりするが、回避は可能だよ」

 

 油断せず集中すれば、という注釈は付くが。

 内心で付け足しつつ罠の内容を説明すれば、そこまで危険じゃないと思ったのだろう。目に見えてほっとしていた。須磨殿は表情に出やすいな。

 

「それにしても…鬼殺隊の方は常にそのような修行をしてるんですか?」

「…そうだな。育手による、としか言えないな」

「育手…」

「呼吸を教える、隊士たちの育成を担う者のことだ。基本的に鬼殺隊を引退した元隊士がなるな」

 

 かつて、俺自身が父上殿に課せられた内容を思い出す。

 

「ただ只管山を走らされることもある。打ち込みや回避を中心として身体中青痣だらけになったりな。紅葉のところは罠が張り巡らされた山を駆け下りて最終的に岩を斬らされたらしい」

「え、岩を?!」

 

 ドン引きしたような視線を受けた紅葉は真顔で大きく頷いた。

 

「最初は正直無理だろって思ったなぁ。でも斬れなきゃ最終選別には行かせないって言われちゃあ、やるしかないさ」

「修行内容は本当に育手によって異なる。けど、その根本にある思いは全て同じだ」

 

 襖の向こうから気配がする。…そういえば、初日に比べて大分気配が読みやすくなった。

 嬉しい事実に口元が緩みすぎないよう気をつけ、言葉を紡ぐ。

 

「生き残ってほしい。死なずに生きて、帰ってこい。…だから自ずと修行内容も厳しくなる」

 

 油断すればそれが命取りになる。甘い修行は死を招く。誰も好き好んで己の弟子を、若い命を散らしたくはない。だから、だからこそ。

 

「食らいついてこいよ、天元。そう簡単に死ねない身体にしてやるよ」

 

 どうか、これから課す数多の修行を耐えきって。鬼殺だけに生きるのではなく、この世界の綺麗なところを見つけていってほしい。

 その願いを笑みに込めて、天元に向ける。

 

「…上等だ」

 

 好戦的な瞳と視線があった。

 

 

 

 朝餉を終えて、傷の手当てを終えた天元を道場に連れていく。

 ドンッと天元の目の前に、身の丈半分程の瓢箪を置いた。

 

「これに息を吹き掛けて破裂させる。それが当分の目標だ」

「…は?」

 

 何言ってんだ?という目で見るな。無視するからそこまで気にはしないが。

 

「そのためにもまずは、全集中の呼吸を取得しなければならない」

「全集中の呼吸…お館様に言っていたあれか」

「そう。全集中の呼吸とは、人間が鬼と対抗するために会得した呼吸法で、基礎体力が飛躍的に向上する効果がある」

「へぇ」

「沢山息を吸って肺を大きくするんだ。そうして血液に酸素を取り込んで、身体中の血管一本一本を通って筋肉に辿り着く。指の先まで意識して、酸素が血液に乗って全身を巡っていることを認識しなさい」

 

 どこか既視感があると思ったらあれだ。俺が全集中の呼吸を父上殿に教えてもらった際のやり取りに似てるんだ。

 思い出せたことにすっきりとしつつ、かつて父上殿に言われたことを記憶の隅から引きずり出す。

 こうして親から子へ、子から弟子へと呼吸法が受け継がれていくと思うと人の、というか、鬼殺への執念を感じるな。

 

「まあ、とにかくやってみろ」

 

 そう促すと素直に目を閉じて大きく息を吸った。

 

「っはぁ──っ!!!」

 

 そうして数瞬後にはげほごほと咳き込む。

 この流れも懐かしいな。俺もやった。

 

「うん。できてるな。それを四六時中継続できるようにしろ」

 

 げっほごっほと咳き込む天元から返事はない。

 

「24時間。起きている間はもちろん寝ている間も欠かさず呼吸し続けなさい。そうすればいずれこの瓢箪も割れる」

「…正気かよ…っ」

「当たり前だ」

 

 精々頑張れといつもより低い位置にある頭を撫でる。

 

「さっきはあんなにやる気だったじゃないか。…まさか、出来ないのか?」

「…はっ!これくらい、すぐに出来るようになってやらぁ!」

 

 うん、いい感じに挑発できたな。

 負けず嫌いかはともかく、努力は怠らない性格だろう。きっと二月もしないでものにするだろうと予測し、今後の予定を伝えていく。

 

「一先ず全集中の呼吸・常中を出来るようになれ。それと同時進行で山も走ってくること。とにかく肺を鍛えて大きくすることを身体に叩き込むんだ」

「わかった」

「よし。場所は別に道場でなくてもいい。庭でも自室でも、とにかく落ち着いて鍛練できる場所でやれ。いいな?」

「ああ」

 

 そこまで言うと外から暁が飛んできた。

 

「カア。アオイ任務!西ニアル町デ女ノ人ガ消エテル。隊士ヲ数名派遣済ミ。合流シテ任務ニ当タレ」

「承知した。伝達ご苦労様」

「問題ナシ!」

 

 腕にとまって胸を張る仕草をする暁を撫でる。

 

「…というわけだから、俺はこれから任務に向かう。そう遅くならないだろうが、何かあったら烏を飛ばせ。それと紅葉を置いていくから、呼吸のことで聞きたいことがあれば遠慮なく聞くといい。あいつも最終選別は突破してる」

「ああ…わかった」

 

 そこで少し視線を彷徨かせた天元だったが、すぐにまっすぐ俺を見上げてきた。

 

「…無事に帰ってこいよ、あおいさん」

 

 まっすぐ見上げてはいるが、いつもより声に覇気がない。加えてどこか不安そうな様子を見せる天元に、出来るだけ優しく微笑んでやる。

 

「ああ…行ってくる」

 

 

 

 任務に行って三日後、俺は空屋敷に帰って来た。

 今回は鬼自体は特に大したことなかったんだが、町の住民が面倒極まりなかった。いや、正確にはその町の一番の権力者だな。鬼と結託して若い娘を嫁入りという名目で鬼に捧げていたらしい。斬った後に罵詈雑言を向けられたがどうにかこうにか収めて帰って来たのだ。

 着替えて風呂に入って美鶴殿が淹れてくれたお茶を飲みほっと息をついたところで、"おかえり"を告げたままどこかに消えていた天元が戻ってきた。

 

「あおいさん見てくれ!これ!」

「…ねずみ…?」

 

ヂュウ!

 

 天元の手にはねずみが乗せられていた。…いや、ねずみ…?…ムキムキ過ぎじゃないか?

 

「あー…それは?」

「ムキムキねずみだ!」

「むきむきねずみ」

「あおいさんが任務に行った日に庭で見つけてよ、試しに鍛えてみたんだが中々忍耐強くてな!」

 

 忍獣にする!と少年のように笑う天元に、庭にねずみがいたのかとか、お前呼吸の習得はどうしたとか、そもそも忍獣ってなんだとかいろいろ思ったが、なんかもう全部どうでも良くなってきた。

 いいじゃないかねずみくらい。たとえあり得ないほどムキムキになっていようが、二足歩行していようが、可愛い継子がこんなにも喜んでいるんだ。それを受け入れずして何が師範か。

 もはや悟りの境地だが知ったことか。

 満面の笑みを浮かべる天元の頭に手を伸ばし、二度ほど弾ませる。

 

「そうか忍獣か。いいんじゃないか、派手で」

「そうだよな?!」

 

 さっすがあおいさん!分かってるぜ!とこれまた嬉しそうにしてくれる。

 …うん、もういいや。

 

「とりあえず、厨には入らないよう躾ておけよ」

「ああ、もちろん。抜かりはないぜ!」

「それはそうとお前、呼吸はどうした?」

「あっ」

 

 しまった!という顔をする天元につい笑顔が深まる。それを見て更にわたわたする天元。

 

「い、いや、ちゃんとやったぞ!数刻なら続けて出来るようになった!」

「そうか、偉いな。とりあえず山五週くらいしてこい」

 

 くいっと親指で山を指し示しつつ指示を出した。それに諦めたように素直に応じた天元を呼び止めて更に続ける。

 

「たった三日で数刻でも出来るようになるなんて凄いよ。その調子で励め」

「!」

 

 ぱっと顔が華やぐ。そのまま機嫌良さげに出ていった天元を見て、任務の疲れが吹き飛ぶのを感じた。

 

 

 

 天元を継子として迎えて二月が過ぎようとしていた。全集中の呼吸・常中も問題なく出来るようになり、今では型の習得に躍起になっている。

 最初は使い手が多い水の呼吸を紅葉も交えて教えていたんだが、根本的に合わなかったらしい。加えて天元曰く"なんか地味"なんだそうで、別の、もっと派手な呼吸法がいいと要望を出された。派手な呼吸ってなんだ。

 とりあえず本人の特性を活かせるよう雷の呼吸を教えていくことにした。身軽だし足も早いし、その上身体も鍛えている。それに型を出す度に雷鳴のような音が出るんだから多分派手だろう。

 そう思って一通り型を見せてやった。残念ながら俺がやってもちょっと強い静電気くらいにしかならないが、それでも十分気に入ったらしい。が、ここで問題が発生した。天元も型が身体に合わなかったらしい。一通り出来るようにはなったが、どうにも違和感が抜けない。本人もそれは感じているらしく、珍しくしかめっ面だ。

 

「これはあれだな。自分で新しく作るしかない」

「あおいさんみたいに?」

「そう。雷の呼吸に適正があることは確かなんだ。だったらそこから自分に合った形に変化させればいい」

 

 無理に基本の呼吸を使わなくてもいい。呼吸を使うようになって何百年も経っているが、全員が全員、その呼吸のみを使ってきたわけじゃない。でなければ"派生"なんてもの、出来ないだろう。

 

「出来ないのなら、出来るように工夫すればいい。元になったものとかけ離れていようと何の問題もない。むしろ、自分だけの呼吸法なんだ。…格好いいだろう?」

 

 そういう経緯を経て、今天元は新しく型を作るのに必死だ。奥方たちとああでもないこうでもないと楽しげに話し合っているのは、見ていて楽しい。息抜きなのか、着々と忍獣であるムキムキねずみを増やしているのはちょっと気になるが。

 …天元が来て一月経った頃、二人で屋根に上り話しをする機会があった。初日のようにどこか硬い雰囲気を醸しながら切り出された話は、彼の過去についてだった。俺は何も言わずに最後まで話を聞いた。なんとなく、天元は自分自身の気持ちと折り合いをつけようとしているのが分かったから。

 長い話だった。長くて、そして重い話だった。俺に話すのは、決して簡単なことではなかっただろう。事実、天元はあの夜、ずっと緊張していた。

 全ての話が終わった後、ようやっと俺は口を開いた。

 

「天元」

 

 何を言えばいいのだろう。この可愛い継子に、どこか寂しそうな男に。…どこか怯えている、ひとりの少年に。

 考えても分からない。何が正しいのかも分からない。だからもう、俺が思ったままの言葉を伝えることにした。

 

「過去を振り返るなとは言わない。けど、囚われすぎるな。お前が生きているのは今だ。過去じゃない。お前が奪ってきた命に責任を感じているなら、それを全て抱えて生きなさい。…だけどな、別に一人で背負わなくていい。自分だけで背負って、地獄に逝くなんて言わなくていい。きっとな、奥方たちはそんなお前を支えたいと思ってるよ。その重すぎる荷物を、少しでも共に背負いたいと、そう思ってるよ」

 

 天元は何も言わなかった。だから俺も、そのまま話続けた。

 

「俺はな。今話を聞いただけだから、本当の意味でお前のことを分かってやれたわけじゃない。その苦しみは、実際に経験しなければ分からないものだ。だから、俺じゃお前の荷物を背負ってやることはできない。…でも、後ろから支えることはできる。お前が荷物が重くて動けないと言うなら、手を引いてやることだってできる」

 

 どうか伝わって欲しかった。この想いを、奥方たちのひたむきな想いを。見ているだけで伝わってくる、あの純粋な想いを。どうか。

 

「いいか天元。一人で抱え込むな。周りを頼れ。お前に手を差し伸べる奴は必ずいる。これまでいなかったんなら、その分これから大勢現れる。だから、独りにはなるな」

 

 そう言ったときの、笑っているのにどこか泣きそうな天元の顔が、今でも忘れられずに残っている。

 

 



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後編

 

 天元を継子として迎えて、一年が過ぎようとしていた。既に"音の呼吸"という新しい呼吸を作り出した天元は、めきめきとその実力を発揮していた。鬼の討伐数も増えていき、師匠としての贔屓目なしに、このまま行けば柱も遠くないだろうと思う。

 そんな天元と二人、与えられた任務に向かっていた時。もう少しで目的地に到着するという位置で、暁が慌てた様子でその知らせを持ってきた。

 

「アオイ!オ館様ガ倒レタ!呪イ!」

「!」

 

 遂に来た。

 まず思ったのはそれだった。次いで、ここから産屋敷邸までの距離を計算する。…いや、一度屋敷に戻らなくては。準備してきたものを取りに行かなくてはならないし、この近辺に藤の花の家はない。どのみち身を清める必要がある。

 

「っおい!あおいさん!急いで産屋敷邸に…」

「──駄目だ。このまま任務に向かう」

「は?!あんた何言って」

「天元」

「っ」

 

 天元の言葉を遮り、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「呪いの発現は分かっていたことだ。…むしろよくここまで持ったと思うよ、俺は」

「…どういうことだ」

「もっと早いと予測していたんだ。それこそ13か14には呪いの影響が出るだろうと。…それが17まで持った」

「っだから何だってんだ!呪いが発現したのは事実なんだろ?!だったら早く向かわないと…」

 

 その言葉に静かに頭を横に振る。そうしたいのは山々だがな。

 こういう時、柱としての立場が少しだけ煩わしい。守りたい相手が友人で、お館様だとなおさら。

 

「耀哉は…お館様は、それを望まない。自身のせいで狩れるはずだった鬼を取り逃がし、犠牲者が増えることを、決して良しとしない」

「あおいさん…」

「だから今俺たちがすべきは、このまま任務に赴き、出来るだけ早く鬼を狩ること。そして俺は、予定通り行動することだ」

「予定、通り?」

 

 頭に疑問符を浮かべる天元に小さく笑う。

 

「呪いの話を聞いて何年経ってると思う?…対策の一つや二つ、見つけてるよ」

「!」

「ま、本格的な対処は呪いの影響が出てからと言われたんだがな」

 

 苦笑いと共にそう告げると、少し肩を落とした天元が謝ってきた。

 

「…すまねぇ」

 

 親に叱られた子どものようで、見ていて胸が痛む。俺と然程高さが変わらない頭に手を乗せる。

 

「別にいいよ。心配したんだろう?その気持ちは大事にしなさい」

「…ああ」

 

 小さく頷いたのを確認して、よし、と空気を変える。

 

「そうと決まったらさっさと終わらせて、準備を整えて産屋敷邸に向かおうかね」

「…ああ!」

 

 

 

 天元も奮闘してくれ、鬼は速攻で狩り終わった。そして息つく間もなく空屋敷に戻る。

 身を清め、必要な荷物を手に持ち産屋敷邸を目指した。

 天元には今日の警備地区を任せてきた。いつ帰れるか分からないし、いくら継子と言っても基本的に一般隊士は産屋敷邸への出入りを許可されていないからだ。

 暁の案内に従いひた走る。

 冷静であれと思うけれど、どうしても息が上がり冷たい汗が背中を伝って仕方がない。

 そうして辿り着いた産屋敷邸は、不気味なほど静まり返っていた。ここ数年で聞き慣れた子どもたちの声すら聞こえない。

 ああ、嫌な空気だ。

 使用人が俺が来たことを細君に伝えてくると足早に去っていく。

 こうして待たされることは滅多にない。それだけで、異常事態なのだと嫌でも実感させられた。

 

「兄さま」

「あまね」

 

 現れた細君─―あまねは気丈に振る舞ってはいるもののどこか窶れた雰囲気だ。見ていて辛い。

 

「耀哉の容態は」

「…昼過ぎに意識を失われて、まだ目を覚ましていらっしゃいません。初めは熱も出ていましたが、今は落ち着いています。それと…」

 

 そこで一度口を閉ざすが、意を決したように再度口を開いた。

 

「左の米神付近に、呪いの影響と思しき痣が出現しています」

「…そうか」

 

 耀哉が寝ている部屋にあまねと共に言葉少なに向かう。そして開けられた襖の向こうに寝かされている耀哉を見て息が詰まった。

 拳を強く握り、すぐに準備に移る。

 この日のために用意していた護符を耀哉の周囲に散らしていく。

 あの日、耀哉とあまねの婚姻の日。最初に許可をもらった日から一つ一つ丁寧に準備してきた。護符に力を込め、浄化のやり方を繰り返しこの身に叩き込んだ。

 あまねにも時間を作ってあの時神籬の家で読んだ内容を教えたが、片割れはどうやら結界の方に適正があったらしい。今ではこの産屋敷邸を覆う結界の大元は妹だ。一方で俺はどちらかというと護符や浄化が向いているらしかった。通常は多少の向き不向きはあっても大体一人で補えるという。双子の弊害がこんなところに現れるとは思わなかったな…。

 だから今回、主体となるのは俺だ。あまねに周囲を結界で覆ってもらい、俺が解呪─浄化する。

 正直、緊張どころの話じゃない。今回の結果によって、今後の耀哉の、ひいては鬼殺隊の未来が変わるかもしれないのだから。

 

──頼んだよ。あおい。

 

 耀哉の、お館様の言葉が脳裏に浮かぶ。

 ゆっくりと深呼吸をした。手の震えが収まる。指先に体温が戻り、鼓動が正常に戻っていく。

 あまねに視線を向けて、頷きをひとつ。

 護符を一枚手に取り、人差し指と親指を通して己の中を巡る力─霊力を流す。己の熱を分け与えるように。皆みなの願いを込めるように。

 藤の花の匂いが、鼻腔をくすぐった気がした。

 

 

*****

 

 

 ぴくりと指先が震え、呼吸の仕方が変わった。瞼が震え、ゆっくりとその瞳に周囲の景色を写し込んでいく。その顔のどこにも、呪いによって現れた痣は見られない。

 

「…耀哉?」

 

 ぼんやりと宙を見つめる様子に不安を覚える。どこか違和感があるだろうか。

 俺の呼び掛けに答える前に、左側にかかる重みに気づいたのだろう、目を向ける。そこにはあまねが、耀哉の左手を握りながら横になっていた。その身体には俺の羽織がかかっている。

 目を覚ますまで起きていると甲斐甲斐しく耀哉の世話を焼いていたが、全てが終わり安心して気が抜けたのか、気絶するように寝てしまったのだ。無理もないと思う。覚悟はしていただろうが、耀哉が倒れて心細かっただろうから。

 

「あおい…ありがとう」

 

 そんなあまねを見て愛しそうに目を細め、次いでこちらに目を向けて礼を言う。

 これまでと変わらない様子に、つい泣きそうになる。

 

「君たちのおかげで体調に問題はなさそうだ」

 

 ありがとう。

 もう一度小さく、しかしはっきりとした口調で告げる。

 

「っああ、ああ。…本当に、よかった…」

 

 下手くそな笑顔を向けている自覚はある。そんな俺に嬉しそうな笑みを向けて、耀哉は身体を起こした。

 その動作であまねが身動ぎし、ゆっくりと瞼を持ち上げた。そして瞬時に現状を把握したのだろう。ばっと勢いよく起き上がり、俺と耀哉に交互に顔を向けている。ただでさえ大きい瞳が更にまんまるだ。

 

「あまね」

 

 耀哉が声をかける。俺からはその顔を見ることが出来ないが、その声にはふんだんに優しさと愛しさが含まれていた。

 

「ありがとう」

「…耀哉さま…よかった…っ」

 

 瞳を潤ませ握っていた耀哉の左手を両の手で包む。吐息のような笑いを溢してその頭を撫でる耀哉を見て、静かに部屋から出た。そのまま縁側に向かい庭を眺める。

 …今回、完全に呪いを弾くことが出来たのかは正直分からない。産屋敷家が呪いを受けて、約千年。長い年月をかけて受け継がれてしまった呪いはかなり根深い。おそらく、一時的に抑えることは出来ても、完全な解呪は難しいだろう。

 

「定期的にやっていくしかない、かな」

 

 とりあえず今は、何事もなく成功したことを喜ぼう。

 

 

*****

 

 

 その後、定期的に浄化を行っていくと決めて屋敷に帰り、また鬼を狩る生活へと戻っていった。

 そしてまた時が経ち、天元たちを迎えて二度目の藤の花の季節となった。

 

「おはようございます、あおい」

 

 全員で朝餉を食べ終え、なんとなくそのままのんびりとお茶を飲んでいた時、開いていた襖から耀哉の鎹烏が入ってきた。

 

「おはよう、今日もいい天気だな」

「ええ、本当に。飛んでいてとても気持ちがいい」

 

 いきなり始まった会話に、その場にいた全員の視線が集中する。

 それを気にすることなく、烏は再び口を開いた。

 

「今日は産屋敷から、書状を預かってきました」

「これか」

 

 脚に括り付けられていた書状を取り、読み込んでいく。その内容に思わず声が溢れた。

 

「へぇ…なるほど。委細承知した。二日後、産屋敷邸に伺うとお館様にお伝え願いたい」

「ええ。承知しました」

 

 では、と静かに飛び立っていく姿を見送り、未だこちらに視線を向けてくる全員に苦笑を見せた。

 

「そんなに注目されると話しにくいな」

「そんなことあるわけないだろ。何年柱やってんだ」

「八年だな」

「うわ…」

 

 何でそこで引いたような声を出すんだ、天元。

 

「酷いな、傷つくぞ」

「そんなこと言って笑顔じゃないですか一宮様。信用ないですよ」

 

 うんうんと宇髄夫婦が揃って頷く。

 

「まったく…」

「それで、お館様からの書状にはなんて書いてあったんだ?」

 

 天元からの質問に笑みを深めた。

 

「"空柱継子、宇髄天元。貴方を柱に任命したい。ついては師、空柱一宮あおいと共に明後日(みょうごにち)、産屋敷邸に参られたし"」

 

 ぽかん、と間抜け面を晒す天元。折角の伊達男が台無しだな。

 

「は、柱ですって!!天元様ぁー!!」

「こら須磨!いきなり飛び付いたら危ないだろう!でもおめでとうございます天元様!」

「痛あ!まきをさんがぶったあ!!」

「ちょっと二人とも落ち着いてよ!天元様、おめでとうございます」

 

 わっと一気に騒がしくなる。

 

「柱…俺が…」

「おめでとう、宇髄」

「おめでとうございます、今日はご馳走ですね!ふぐは季節じゃないので、別のものになりますけど」

 

 未だに呆けている天元の前に立ち、その頬を両手で挟む。貴重な美丈夫のおちょぼ口に笑いが止まらない。

 

「あはは!お前折角の伊達男が…っ」

「ひょっ、あおいひゃん!!」

 

 若干キレ気味の天元に頬から早々に手を離す。

 

「たくっ…」

「──胸を張れ、天元」

 

 悪態をつく天元の顔を見やすいようしゃがみ込んだ。

 

「お前は俺の、自慢の継子だ。…俺の誇りだよ」

 

 天元の瞳が僅かに水気を帯びた気がしたが、すぐに姿勢を正し頭を下げてきたので確信は持てなかった。

 

「あおいさん」

「うん」

「今まで、本当に世話になった。…これからは同じ柱として、よろしく頼む」

「──ああ」

 

 本当に、おめでとう。

 

 

 

 この二日後。三年ぶりに新しい柱が誕生した。

 

 音柱 宇髄天元。

 それは、誰よりも派手に戦場を駆ける者。

 

 





・継子が柱になってにこにこの人(20歳→22歳)
 本当におめでとう、天元。初めての継子だったから初めは父上殿から言われたことをそのまま教えていたけど、段々と自分の経験と天元の向き不向きを考えて指導していくようになった。
 ムキムキねずみに関しては全ての思考を放棄した模様。数年後、元継子が祭りの神を自称し始めてどうしようかなってなる。まあでも、自分にとっては可愛い元継子だし、優秀だし、別にいいんじゃないってやっぱり思考を放棄する。
 ご友人の解呪?浄化?には一応成功した。でも完全にとはいかないのでこれから定期的に行っていく。三カ月に一度か、半年に一度か…。まあ期間についてはそこまで重要じゃないのであんまり気にしなくてもオッケーです。
 柱が増える=仕事がちょっと減るという公式に気づき、ほんの少しだけテンションが上がる。


・この度柱になることが決定した元忍(16歳→18歳)
 オリ主に懐いてからは若干少年に戻ってる。今まで抑圧されてたものが信頼できる人たちに出会ったことでうんたらかんたら。…すみません適当です。
 てんげんは にんじゅうを てにいれた !
 ムキムキねずみ、“ムキッ”って鳴くのか“ヂュウッ”って鳴くのか分からなくて後者を選びました。なんかムキッだった気もするけど、個人的な趣味です。
 継子になって一月が経った夜、自分の過去をオリ主に話した。かなり緊張したし、どんな反応をされるのか想像できなくて怖かった。オリ主からの言葉にちょっと肩の荷が下りた、かもしれない。
 現在柱が二人しかいなくて超激務なのを知っているので、少しでも戦力になれるよう頑張っていく所存。その結果がきっとド派手な祭りの神。



----------
以下補足&あとがき

 今回ふと、紅葉の一人称って"僕"じゃなかった?と気づきまして。1話から順に確認したら4話で"俺"に変わってました。一生の不覚…!
 なので追加設定で柱付きになったときか、二十歳になったときに一人称を変えたってことにしました。
産みの親なのに適当でごめんよ、紅葉!

 えっ、須磨さんって12歳…え?
 原作で19だから、宇髄さんとは4歳差。宇髄さんが嫁をもらったのが15くらいだから…え、やば…忍、いやお父さんやば…
 あーこれ、紅葉たちに自己紹介するとき「えっ幼妻…?」ってつっこみさせた方がよかったかな…
っていうことを今回書きながら思ってました。ちゃんと調べればよかったですね。反省反省。

 そして本当に誰だよ君たち…
 原作キャラ書くのって本当難しいですよね。そのキャラの生い立ちとか思考とか、時にはどこにも書かれていないことを読み取って、想像していかなきゃならない。そんなことは私にはまだ荷が重い。と思いつつも!書けるところまで書き切りたいのが本音!がんばれ私!負けるな私!せめて原作主人公を出すんだ!
 いやーそれにしても…ほんと、文才欲しいー…


 ここまで読んでくださりありがとうございました!また次話でお会いしましょう!



(おまけ)

 天元が部屋に戻った後、ばさりと暁がやって来た。肩にとまり、ぐりぐりと頬に小さな頭を押し付けてくる。

「…難しいなぁ。人に想いを伝えるのは」

 思わず声が溢れる。暁は何も言わない。

「もっと上手いこと言えれば良かったんだが…」
「…キット」

 優しい声が響く。

「キット伝ワッテル。アオイノ想イ。ダカラ、明日カラマタイツモ通リニイレバ、問題ナイ」

 吐息のような笑み吐き出し、暁の暖かい身体を撫でる。

「そうだな。きっと、伝わってる。…ありがとう暁」
「オ礼嬉シイケド、木ノ実クレタラモット嬉シイ」
「ははっ。じゃあ明日やろう。今日はもう遅いからな」
「ヤッタ!」

 立ち上がって部屋に戻る。暁も庭に作った止まり木に既に戻っていた。
 後に残るは、静かに輝く丸い月のみ。




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鬼殺隊の最古参の柱はご友人から人探しを依頼される
前編


 

 天元が柱となったことで、宇髄夫婦は空屋敷を出ていくことになった。耀哉から正式に屋敷を賜ったこともあるし、そもそも柱がいつまでも他の柱の屋敷に居候しているわけにもいかない。

 

「うわーん!美鶴さぁーん!!さびしいですー!」

「よしよし、またいつでも遊びに来ていいからね」

「こら須磨!いつまでもびーびー泣いてんじゃない!!」

「…本当、最後まですみません。こんなに騒がしくて」

「いやいや、逆にむしろ"らしい"というか」

 

 今日は天元たちの引っ越しの日だ。先程から涙が止まらず美鶴殿に抱きついている須磨殿は、そろそろ身体中の水分が無くなるんじゃないだろうか。

 

「おーおー、予想通り泣いてんなぁ」

「天元」

 

 引っ越し作業の手伝いで来ていた隠に粗方指示を出し終えた天元がやって来た。そろそろ出発か。

 

「ほらお前ら、そろそろ行くぞ」

「うぅ~」

 

 未だ泣いている須磨殿の首根っこを掴んでいる姿はやはり親猫のようで、つい笑ってしまう。

 

「じゃあ世話になったな、あおいさん」

「ああ。次に会うとしたら任務か柱合会議だな」

「だな。ま、たまには顔見せにくるよ。嫁たちも寂しがるし」

「是非そうしてくれ」

 

 じゃあなと背中を向ける天元と、大きく手を振る須磨殿。片手を振るまきを殿に一礼する雛鶴殿。別れの挨拶でこんなにも個性が出るのは面白いな。…それにしても。

 

「須磨殿じゃないが、やっぱり寂しいものだな」

「ですねぇ」

「まあこの二年間、かなり賑やかだったからな」

 

 なんとなくその背中が見えなくなるまで見送っていると、ふと先日耀哉から聞いた話を思い出した。

 

「そういえば、あともう二人ほど柱候補がいるとこの間産屋敷邸に行った際に言われたよ。二月もすれば柱となる条件を満たすだろうとも」

「へぇ!凄いな。ということは計五名の柱になるのか…」

「ああ。ちなみに花柱と水柱らしい。名前は確か…胡蝶カナエと鱗滝錆兎、だったか」

「錆兎が?」

 

 俺が柱候補の隊士たちの名前を告げたらその内の一人に紅葉が反応した。

 

「錆兎って確か紅葉の弟弟子の名前よね?」

「ああ」

 

 若干眉間に皺が寄っているがどうした。名字から察してはいたがお前の弟弟子なんだろう?鱗滝一門は総じて仲が良いと聞いていたんだが、その錆兎とやらとは不仲なのか。

 俺の疑問を察したのだろう。首を横に振りながら仲は良いよ、と言ってきた。

 

「仲は良い。手紙のやり取りもする。けどあいつ、手紙に真菰と義勇のことばかり書いて自分のことは"特に問題ない"しか書かないんだよ…」

 

 あ、真菰と義勇も妹弟弟子なんだけど。二人とも可愛くて優秀でなぁ。いい子たちなんだよ。

 先程までしかめっ面だったのに瞬きのうちに目尻を下げた紅葉は流れるように妹弟弟子たちについて話し出す。

「錆兎は面倒見が良くてな。義勇がやって来た時は鍛練も食事も風呂もずっと一緒だったんだよ。義勇が魘されてるときは同じ布団で寝たっていう話も聞いたな。最近では年々口下手になっていく義勇の世話をよく焼いているんだ。真菰も気遣いが凄くてな。義勇が落ち込んでたらいち早く気づいて励ましたり、錆兎が無茶しないよう目を光らせてるんだよ」

 

 水を得た魚のように話す紅葉は止まらない。最早右から左で半分ほどしか聞いていないが、何はともあれ相変わらず仲が良くて安心したよ。

 最後に、いい子たちだから出来れば気に掛けてやってくれ、と頼んできた紅葉にこちらも了承を返した。紅葉の弟弟子ということもあるが、後輩を守るのも仕事の内だ。錆兎に関しては同じ柱だから過度な干渉はしないが、多少気に掛けるくらいは許されるだろう。

 

 

 

 そんなやり取りの丁度二月後、柱となる条件を満たした両名は無事、花柱と水柱の名を賜ることとなった。

 

 

 

 花柱 胡蝶カナエ。

 それは、誰よりも鬼を哀れみ救おうとする者。

 

 水柱 鱗滝錆兎。

 それは、誰よりも男らしく、鬼を殲滅せんとする者。

 

 

*****

 

 

 怪我をした。右肩から背中にかけてざっくりだ。ここまで大きいのは久しぶりだが、これは縫わないと駄目かな…。

 柱になる前はそれなりの頻度で怪我はしていたが、ここ最近は擦り傷などの小さいものばかりだったから少し億劫になる。

 隠に簡易的な処置をしてもらいながら、先程まで当たっていた任務内容を思い出す。

 

 

 

 今日の任務は、鏡に潜む血鬼術を扱うようだと先に派遣された隊士からの情報で明らかになっているものだった。鬼殺隊士が向かっても姿を見せることなく背後から斬りつけられるとのことで、柱である俺が派遣されたのだが…。少々面倒なことになっていた。

 屋敷に入る直前、数人の子どもが屋敷の様子を伺っていたため話を聞いたのだが、どうやら友人の一人が度胸試しと称し屋敷に入って以降、数刻経っても出てこないのだという。

 鬼に連れ込まれたのではなく自主的に入ったのならまだ生存の可能性はある。とにかく子どもたちを保護すべく、暁に周囲に待機している隠を呼びに行かせて自分は屋敷に足を踏み入れた。

 鏡屋敷と呼び名のついたその建物は、元々鏡の収集癖を持つ御仁が住んでいたようで、その名の通り壁一面に大量の鏡が飾られていた。

 

(こうも鏡だらけだと視覚は使い物にならないな)

 

 早々に判断し、一旦目を瞑る。視覚からの情報を遮断したことで、それ以外の感覚が研ぎ澄まされた。…上から僅かに気配を感じる。鬼ではない、ということはおそらく話にあった子どもだろう。生きていることに安心しつつ、警戒しながら上階に向かう。

 そうして辿り着いた部屋を音を立てないよう静かに開け、中を確認する。…この部屋も鏡だらけだな。

 一見誰もいないように見えるが、戸棚の方から気配がする。中に隠れているのだろう。

 そう判断し扉を開けると、そこには泣きつかれたのか目元を赤く腫らしながら眠る子どもがいた。素早く怪我の有無を確認し、起こさないよう着ていた羽織に包む。

 そのまま子どもを抱えて部屋を出ようとしたところで、背後に鬼の気配を感じた。

 

ドガンッ

 

 大きな音を立てて扉が破壊される。横に飛び退いたため怪我はないが、今の音で子どもが起きた。

 

「ひっ」

 

 …口面をつけるようになってから、こうして怯えられることが増えた。仕方のないことだがちょっと傷つく。

 なるべく怖がらせないよう意識して目元を緩め、ゆっくりとした口調で声をかける。

 

「大丈夫。俺は君を助けに来たんだ。君の友人たちに頼まれてね」

「…ほんと…?」

「ああ。ここには悪い鬼がいる。急いで出ないといけないんだが、もう少しだけ、我慢できるか?」

「…うん」

 

 僅かに怯えを残してはいるが、確かに頷いたのを確認して周囲の気配を探る。追撃がないことからも分かってはいたが、どうやら移動したらしい。随分警戒心が強いな。

 とにかく、今は子どもを外に出すことが最優先だ。幸いここは二階で、この部屋には大きめの窓がある。…飛び降りるか。

 わざわざ行儀よく玄関から出入りする必要はない。

 そうと決まれば善は急げ。さっさと行動に移すとしようか。

 

「今から外に出る。絶対に守るから、目を固く閉じて俺にしがみついてて」

 

 一つ頷きぎゅっと俺の隊服を掴む子どもに小さく笑う。

 鬼の気配がまた強くなった。

 立ち上がって駆け出す。悠長に窓を開く余裕はない。子どもの頭を守るように手を回し、そのまま窓硝子に体当たりして宙に身を投げ出した。

 瞬間、背中に衝撃と一拍おいて熱を感じる。

 思わず子どもを抱いている腕に力が入り、慌てて元のように抱え直す。地面に着地し後ろを振り替えることなく少し離れた場所まで移動した。

 

「空柱様!」

「この子どもを頼む」

「はい!」

 

 待機していた隠が数名駆け寄ってきたので、その内の一人に子どもを託した。あ、紅葉もいる。

 

「一宮様、鬼は…」

「まだ狩れていない。…姿が確認出来ないというのは厄介だな。鏡の中を移動してるのか視線の外から攻撃してくる」

「応援を呼びますか」

 

 それも一つの手だが、下手に増員すると混乱を招きかねない。この任務は一人で対処した方がいい類いのものだ。特にあの鏡が厄介だから何とかしないと…あ。

 

「夜明けまで、あとどれくらいだ」

「四半刻程です」

「そうか…」

 

 それだけあれば十分だ。

 

「応援は必要ない。このままいく」

「しかし空柱様。背中が…」

 

 おっと気づかれたか。さすが紅葉。

 

「しー…」

「…はぁ」

 

 人差し指を立てて口元に持っていくと盛大にため息を吐かれた。これは了承の意だと判断する。

 仕込みもあるためさっさと行こう…と、その前に確認するのを忘れていた。

 

「この屋敷、多少破壊しても構わないな?」

「ええ。鬼の出現がなければとうの昔に取り壊されていた建物ですから」

「なるほど」

 

 ならば好都合。

 

 

 

 正面から堂々と中に入る。同時に目に飛び込んでくる鏡の数々に思わず口角が上がった。

 ここの鬼は鏡の中に入り移動することで、姿を見せることなくこちらに攻撃を加えていた。厄介な血鬼術だが、それ故に己が優位であると油断しているのだろう。ならばむしろ、逆に鏡を利用してやればいい。

 一階の東側の窓は全て窓掛けが閉じられていた。それは先程子どもを保護した部屋も同様だ。しかし、その他の方角に誂えられた窓はそうじゃない。

 それは何故か。もし、鏡の中にも日の光が入ると仮定すれば。利用しない手はない。

 東向きの部屋の窓掛けを引きちぎり、扉を破壊して回る。少しでも日の光が屋敷内に入るように。壁に掛けられた鏡に反射して、鬼に届くように。そのまま消滅するならばよし。耐えきれず出てくるならそこを斬れば問題ない。

 俺がやろうとしている事が分かったのだろう。先程から絶えず攻撃を加えられているが、ついでだからその攻撃も利用させてもらおうか。

 死角から与えられる攻撃を躱し、背後の壁に当てていく。

 結果、俺が破壊した分に加え鬼の攻撃によって屋敷内部は大分開放的な造りになった。…そろそろ夜が明ける。さて、どうなるか。

 空が白み、太陽が顔を出す。屋敷を照らし、室内に光が射し込んだ。其処彼処そこかしこに置かれた鏡が少しずつ光を反射し輝き出す。

 そして。

 

「ぎゃあぁ!!!」

 

 屋敷中に鬼の絶叫が響いた。どこかで鏡が割れる音がする。そのまま暫く様子を見るが、鬼の気配は完全に消えていた。

 

「どうやら上手くいったみたいだな」

 

 念のため一通り屋敷内を歩き、鬼が消滅したことを確認する。ついでに鏡も割っておこう。売ればそれなりに金になるだろうが、何があるか分からないものをそう簡単に市井しせいに放つわけにもいかないからな。

 屋敷内にある鏡を全て破壊し外に出る。隠たちが待機している所まで歩き、後始末を頼もうとした──ことまで思い出したところで背中の処置が終了したと後ろから声がかかった。

 

「ありがとう」

「いえ。しかしこの傷ですと縫った方がいいでしょうね。蝶屋敷に運びましょう」

「蝶屋敷…確か花柱が治療所として解放しているという…」

「ええ、貴方は怪我らしい怪我をしないので運び込んだことはありませんでしたが、もう既に結構な数の隊士が利用していますよ」

「そうなのか」

 

 というわけで、紅葉に背負われて蝶屋敷に運び込まれた。といっても屋敷の近くで下ろしてもらったんだが。歩けないわけでも付き添いが必要なわけでもないし、紅葉もそこまで暇ではないからな。

 

「じゃあ俺は報告に戻りますけど、ちゃんと治療してもらってくださいよ」

「わかってるよ」

 

 念入りに釘を刺してくる紅葉は俺が治療を受けずにばっくれるとでも思っているのだろうか。確かに億劫にはなったが流石にここまで運ばれたら治療くらい受ける。

 それに、俺はまだ花柱と顔を合わせていないんだ。いい機会だから挨拶もしていこう。いるかは分からないが。

 柱に就任しても次の柱合会議まで正式に顔を合わす機会がないのも考えものだなと考えながら、蝶屋敷の門をくぐる。

 

「さて…」

 

 どうするかなと思案する前に前方から声がかかった。

 

「怪我人ですか?こちらにどうぞ」

 

 十を少し越した頃だろうか。少し眉間に皺がよった、蝶の髪飾りをつけた可愛らしい少女がいた。しかし隊服を来ているからこの子も隊士なのだろう。髪飾りからしてこの屋敷の関係者かもしれない。ならば素直に従っておいたほうがいい。

 そう結論付けて目の前の少女に返事をした。

 

「ああ、すまない。ありがとう」

 

 先を歩く少女の歩みは遅い。先程目視で怪我の程度を確認し歩くのに支障はないと悟っているだろうに、優しい子だ。

 その気遣いに甘え、普段あまり歩かない速度で少女を追っていく。

 辿り着いたのは恐らく処置室だ。棚には多くの薬品が、机上には名前も知らぬ器具がいくつも置かれていた。

 名を名乗り、治療のために上を脱いでいく。手伝ってくれようとした手はやんわりと断らせてもらった。そこまで手間を掛けたくはない。

 背中に回って傷の具合を診る様は手慣れていて、彼女は隊士であり看護師…いや、この場合は医者か。立派な医者なのだろうと理解する。

 さて、軽く処置をしてはいるが、やはり縫わないと駄目だろうな。

 

「…結構深いですね。縫うことになりますが、いいですか?」

「うん。お願いするよ」

 

 チクチクと手際よく縫っていく様子に声をかけても問題ないと判断し、話を振った。

 

「ところで君は…」

「胡蝶しのぶです。隊士ですが、ここで姉の手伝いをしています」

「ということは、花柱の妹か」

「ええ」

 

 ぱちん、と糸を切る音がする。もう終わったらしい。本当に手慣れているな。

 それにしても妹か。なら本人が在宅か把握しているだろうと思い尋ねようとしたその時、扉の外から声が聞こえた。

 

「しのぶ、今いいかしら?」

「姉さん」

 

 ちらとこちらに確認するように視線を向けるのに、頷くことで返事とする。

 開けて構わないと伝えるとゆっくりと扉が開かれた。

 

「あら、ごめんなさい。まだ終わってなかったかしら?」

「いいや、ちょうど終わったところだ。気にしなくていい」

 

 背中を向けたまま服を着る。その間に二人は話を進めていくが、どうやら備品の在庫についてらしい。

話が終わったのを見計らって立ち上がり、改めて二人に向き合う。

 視界に蝶が舞った気がした。

 姉妹揃いの髪飾りに、蝶の羽を象った羽織が僅かに開いた窓からの風によってふわりと舞っている。

 

「貴女が、花柱の胡蝶カナエさんかな」

「ええ、そうですよ」

「そうか。俺は空柱の一宮あおいだ。挨拶が遅くなって申し訳ない。これから同じ柱として、よろしく頼む」

「えっ」

 

 小さな驚きの声が聞こえる。どうやら気づいていなかったらしい。

 

「あらあら。改めまして、この度花柱の名を賜りました、胡蝶カナエです。こっちは妹のしのぶ。姉妹共々、よろしくお願いしますね」

「…あ、よろしくお願いします」

「ふふ、それにしても、宇髄さんに聞いてた通りの人ですね」

「もう天元とは会っていたのか。何を言われたのか気になるな」

 

 笑顔でそう言ってくる胡蝶(姉)に対し、俺は苦笑で返す。さて、あの元継子は何と言ったのやら。変なことではないだろうが、単純に気になる。

 

「口面を付けた白髪の美丈夫だって。ただ、隊服を着ているときは基本的に外すことはないから、初見では取っ付きにくいだろうとも言っていたわ」

「伊達男に美丈夫って言われてもな…」

「ふふふ」

 

 何となく微妙な気分になる。と、そこに戸惑いの色を多分に含んだ声が発せられた。胡蝶(妹)である。

 

「ね、ねえ姉さん」

「なあに?しのぶ」

「この人、柱って…」

「ええ。名前、聞かなかったの?」

「聞いたわよ!でも、だって、想像と違ったから!今一ピンと来なかったのよ…」

 

 なるほど想像。

 

「…ちなみに、どんな想像だったのか聞いても?」

 

 その問いかけに答えにくそうに口をもごつかせたが、やがて観念して教えてくれた。

 

「…鬼殺隊最古参だって聞いていたから、もっとがっしりしてて、歴戦の猛者みたいな見た目かと…」

「んふっ」

 

 その言葉に思わず吹き出す。

 

「れ、歴戦の、もさ…ははっ」

「そ、そんなに笑わなくたって…!」

「ああ、いや。すまない。こういったことを聞くのは、初めてだったものだから、面白くてつい…ふふふ」

 

 まずいな、笑いが収まらない。小さく笑い続ける俺と、顔を真っ赤にしわたわたする胡蝶(妹)。そしてそれをにこにこと見つめる胡蝶(姉)。

 

「うふふ。けれど、本当。てっきり悲鳴嶼さんみたくがっしりとした体格の方かと思ってたから、ちょっと驚いちゃったわ」

 

 悲鳴嶼か…。どう鍛えたらああなるんだろうな。俺はここ何年も変わらないんだが、あいつは会うたびに筋肉量が増えている気がする。

 今の柱は俺と悲鳴嶼、天元、そしてまだ見ぬ鱗滝と目の前の胡蝶。後者二人はひとまず置いておくとして、天元はまだまだ成長の余地がある。つまり今後筋肉達磨になる可能性を秘めているということ。それに加えて俺が悲鳴嶼の如く筋骨隆々だとしたら…。うん。

 想像して口から乾いた笑いが漏れる。

 

「はは。悲鳴嶼みたいなのが二人もいたらむさ苦しくて仕方ないだろう。だからこれくらいで釣り合いを取ってるんだよ」

 

 勿論冗談である。無意味な想像などただの空しい虚構に過ぎない。

 

「…なるほど」

 

 真面目な顔で俺の冗談を思案するその姿にまた笑い出しそうになるのを耐える。

 

「…さて、俺はそろそろ行くかな。治療ありがとう。助かった」

 

 他の患者の診察があるからと、妹のしのぶ嬢と別れ姉の胡蝶と共に玄関まで歩く。見送りはいいと言ったのだが、笑顔で黙殺された。

 ちなみに"胡蝶"と呼ぼうとしたら姉と区別がつかないと指摘されてしまったので、色々と代替え案を出した結果"しのぶ嬢"に落ち着いたのだ。滅多にしない呼び方だから少々落ち着かないが、まあ直に慣れるだろう。

 

「ふふ。お会いできて良かったわ。次の柱合会議までお預けかと思っていたから」

「俺も、挨拶が出来て良かったよ。…そうだ。今度何か差し入れでも持ってこようか」

「あら、いいんですか?」

「ああ」

 

 そこで一度言葉を切り、一拍置いてまた発する。

 

「…こういった鬼殺隊士専門の治療所は今までなかった。何度か議題には上がっていたんだが、そう簡単なものでもなくてな…。だから大抵の隊士は怪我をしたら藤の花の家で医者が来るのを待つしかなかった。けれどこれからは、この蝶屋敷という絶対の治療所がある。駆け込めば治療をしてもらえる。その安心感はきっと、隊士や隠の心の余裕にも繋がり、怪我をする頻度も減るかもしれない。だから、君たちが行ったことは本当に意義のあることなんだ。…空柱として、礼を言う。本当にありがとう」

 

 玄関まで来た。見送りはここまでだな。

 その意味を込めて胡蝶に顔を向ける。

 

「何かあったら遠慮なく言ってくれ。出来る限り力になろう」

「…ええ。何かあったら、遠慮なく頼らせて頂きます」

 



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後編

 

 その後、任務でも私生活でも鱗滝は勿論、胡蝶にも会う機会には恵まれなかった。そのため、鱗滝と顔を合わすのは今日の柱合会議が初めてということになる。

 夜中から降っている雨が止まず、おまけにかなり冷え込むことから、いつもの庭に面した広間ではなく、少し奥にある広間で会議は行われることとなった。

 公私関係なく、俺一人が産屋敷邸に呼び出された際は案内人が付くことはない。もう何年もこの屋敷には出入りしているし、正直今更なのだ。もちろん、他の柱などと共に複数人で呼ばれた際は使用人が案内人を勤めてくれる。柱内で明確に差別することはあまり好ましいことではないからな。余計な火種は生まないに限る。

 まあそんな事情もあるから、今日も使用人が目的の広間まで案内するのだろうと思っていた。産屋敷邸に着き、俺の姿を認めた顔見知りの使用人が"少々こちらのお部屋でお待ち下さい"と声をかけてくるまでは。

 

(これは何かあったか?)

 

 立ったままなのも如何なものかと取り敢えず適当に座り人が来るのを待つ。

 そう時間が経たない内に一つの気配が近づいてきた。

 

「お待たせ致しました、空柱様。ご案内致します」

 

 まさかとは思ったが細君だった。これは本格的に何かあるなと確信したが、周囲に人の気配がある以上下手に話題を振るわけにもいかない。

 そのまま特に変わり映えしない挨拶を交わし部屋を出る。ゆったりとした足取りで横を歩く細君と他愛ない話をして目的の広間を目指した。

 

「…わざわざ細君が案内するだなんて、何かありましたか」

 

 周囲に誰もいないことを確認して細君に問いかけた。柱の中には耳が良い者もいるため、念のため声は最小限に抑えておく。

 そんな俺に対し、細君も出来るだけ声を抑えて返事をした。

 

「耀哉様が、柱合会議の後に頼みたいことがある、と」

「…どの部屋です?」

「梅の間です」

「承知しました」

 

 最低限のやり取りで会話を終わらせる。その後も特に意味のない話をぽつりぽつりとしていき広間に着いた。中の気配からして俺以外は全員揃っているな。

 

「こちらになります」

「わざわざ案内ありがとうございました」

「いいえ。では、失礼致します」

 

 一度目を合わせてお互いすぐに視線を外した。

 襖に手を掛けながら"頼み事"について考えてみる。いつもみたいに烏を経由しなかったのは、周囲に話が漏れるのを警戒した、というのが濃厚かな。

 まあ聞けば分かるか。

 

「お、やっと来たなあおいさん。遅かったじゃねーか」

「久しいな一宮。お前が最後とは珍しい」

「お久しぶりです、一宮さん」

 

 襖を開けた途端掛けられる声に目元を緩める。

 一人一人に返事をし、最後に見慣れない顔に目を向ける。

 宍色の髪に口元から頬にかけて大きな傷がある男。頭には紅葉のものと似た造りの狐面をつけている。もしかしなくとも鱗滝錆兎だろう。

 

「お初にお目にかかる。貴方が空柱、一宮あおいさんですね。俺は鱗滝錆兎。お館様から水柱の名を賜りました」

「君が鱗滝か。話は聞いている。知っての通り、俺は空柱の一宮あおいだ。よろしくな」

「はい。こちらこそよろしくお願いします。…あの」

「ん?」

「話、というのは…」

「ああ、お前の兄弟子の紅葉こうようから聞いたんだ。俺付きの隠でね」

「そうでしたか」

 

 なるほど、と鱗滝が一つ頷いたところでお館様の気配が近づいてきた。

 全員姿勢を正し頭を垂れる。

 

「やあ、皆。今日は生憎の天気だけど、半年に一度の柱合会議を新しい顔ぶれを交えて迎えられたこと、嬉しく思うよ」

「…お館様におかれましても、ますますご健勝とのこと。心よりお慶び申し上げます」

「ありがとう、行冥」

 

 その後の流れはいつもと同じものだった。強いていうなら、冒頭で改めて花柱と水柱の就任の挨拶があった程度。それぞれの担当地区の話に、十二鬼月の話。新たな柱もいるため改めて上弦の弐についての情報も共有された。と言っても、全員柱を拝命した日に直々にお館様から聞いている筈だが。

 その後も特に目立った話題もなく、会議はお開きとなった。そのままお館様も退室し解散の流れとなったが、俺はこのまま梅の間に向かわなくてはならない。

 

「あおいさんはもう帰るのか?」

「いや?この後可愛い甥と姪たちに会いに行くよ」

「甥と姪、ですか?」

「ああ」

「この屋敷にいるのか?」

「ん?天元にも言ってなかったか?」

 

 え?と首を傾げるその様子に言ってなかったことを悟る。まあわざわざ言うことでもなかったしな。

 

「…一宮はあまね様の双子の兄だ」

 

 悲鳴嶼からもたらされた情報に固まる男が二人。胡蝶はあら、と片手を頬に当てるだけだった。

 その一瞬後、天元の叫びと鱗滝の狼狽した声が響く。

 

「はあ?!」

「あまね様とは確か、お館様の奥方…。ということは、一宮さん。貴方お館様の義理の…」

「兄に当たるな」

 

 鱗滝の言葉の先を引き継いだらまた固まってしまった。…どうするかな。

 

「聞いてねぇよ!!」

「言ってないからな」

「何で!」

「正直忘れていた。すまない」

「なっ…」

 

 天元は大口を開けてそのまま固まる。俺は最近お前の間抜け面ばかり見ている気がするが、大丈夫か?

 

「甥と姪たち、ということは、お館様のご子息とご息女ということかしら?」

「ああ、そうだよ。もうじき三つになる」

「まあ、可愛い!」

 

 両手を合わせてはしゃぐ様は年相応だ。見ていて微笑ましい。

 

「一宮。顔を見るなら急がねば、寝てしまっているかもしれない」

「そうね。そろそろお昼寝の時間だもの。…ここは任せて、早く行ってあげてください、一宮さん」

「…そうだな、すまない。後は頼むよ」

 

 二人からの申し出をありがたく受け取るが、その善意が少し心に痛い。

 耀哉との話が終わったらちゃんと顔を見に行こう。そう決意し、そのままごく自然に広間から抜け出す。そして念のため大回りで梅の間に向かった。

 今回、気になるのはお館様が細君を経由して伝言を伝えてきたということ。外部に話が漏れるのを警戒したという仮説はほぼ確定だろう。そして会議後も何もなかったということは、他の柱にも内密だということ。つまり、これから俺がお館様と二人で会うことは悟られてはならない。

ならば警戒に警戒を重ねて大回りで向かっても大袈裟ではないだろう。使用人とも顔を合わさないよう、人の気配がする廊下は避けて目的地を目指す。

 そうして暫し練り歩き、尾行も何もないことを確認して梅の間の襖を僅かに開ける。身体を滑り込ませ、素早く、しかし音を立てないよう閉じた。

 中には既にお館様がお茶を飲みながら俺を待っていた。…呑気だな。

 

「お待たせして申し訳ありません」

「構わないよ、あおい」

 

 そう言ってお館様─耀哉は俺にお茶を差し出した。

 

「さっきあまねが淹れてくれたんだ」

 

 耀哉の正面に座り、遠慮なくお茶を頂く。仄かな甘さが口に広がった。

 

「今日はいきなりすまなかったね。どうしても内密に頼みたいことがあったんだ」

「別にいいよ。今日は特に予定も無かったしな」

 

 その言葉に小さく笑った耀哉は、静かに本題を切り出してきた。

 

「あおいに、人探しを頼みたいんだ。…"珠世"という女性の鬼を探してほしい」

 

 "鬼を探す"という頼みに眉を顰ひそめる。鬼を狩る鬼殺隊で、その言葉は随分と異色だ。ましてや"人"と表現するとは。

 

「…どういう存在なんだ?」

 

 詳細を知らなければ話は出来ない。気になることはあるけれど、一先ず続きを促した。

 

「彼女は鬼でありながら鬼舞辻を抹殺せんとする、とても希有な存在でね。産屋敷家当主に代々引き継がれてきた名前なんだ」

「鬼舞辻を…」

「当時の産屋敷家当主の手記に、本当に極僅かだけど彼女のことが書かれていた」

 

 そこで一度言葉を切り、手元のお茶に視線を向ける。

 

「彼女は、鬼を人に戻す薬を作ろうとしているんだよ」

「?!」

 

 鬼を、人に戻す…?

 それは、もし仮に完成して、人を食う前に投与することができれば。完成しなくとも鬼を弱体化することに成功すれば、上弦だけでなく鬼舞辻だって…。

 

「完成すれば、鬼舞辻を倒す一つの手段になる」

 

 耀哉の声に思考が現実に戻る。

 

「分かっているのは"珠世"という名前と、医者をしていること。そして、定期的に住居を変えていること。おそらくこれは鬼舞辻の追跡をかわすためだろうね。そのお陰で私たちも見つけられていないのだけど」

 

 きっと警戒されてるね、私たちは鬼を狩る側だから。

 いつもの微笑みを苦笑に変えて小さく呟く耀哉に、気持ちを落ち着けるようゆっくり呼吸する。

 

「…その"珠世"という女性を見つけ出し協力を取り付けろ、ということでいいか」

「うん。頼めるかな」

「…探しはする。けど、すぐには見つからないかもしれないぞ」

「それは百も承知だよ。何百年も隠れ続けてるんだ。すぐに見つかるとは思ってない」

 

 そうか。ならば、俺も出来る限りを尽くそう。

 

「わかった。引き受けよう」

「ありがとう、あおい」

 

 お館様の顔に変わる。居住まいを正し、頭を垂れた。

 

「では空柱、一宮あおい。君に、"珠世"捜索を依頼する。くれぐれも周囲の者に悟られないよう、気をつけて」

「承知致しました」

 





・ご友人に新しいお願い事をされた人(22)
 継子が手元を離れて一息ついたらまた別のお仕事を任された。別にいいんだけどね。柱も増えたし。それにしても、これは確かに他の柱はもちろん、鬼を憎んでいることが殆どの鬼殺隊関係者には聞かせられないなと、話を聞いて思った。他言無用とのことで、紅葉たちにも内緒。


・弟弟子が柱になった!ってわくわくしてる人(23)
 俺の!可愛くて優秀な!弟弟子が!
 お酒の席で弟妹弟子たちの話を振ったら永遠話し続ける。君はどんどんキャラが変わっていくな。
 今回オリ主がお館様から密命を受けたことは知らされない。けどきっと察してる(内容までは分からない)。何年一緒にいると思ってるんだ。けど、俺に何も言わないってことは他言無用なんだろ?なら、こっちから詮索することはしないさ。でも、無理だけはするなよ。


・将来上弦の弐と関わりを持つことが決定してる姉妹(姉:16、妹:13)
 この人が最古参かつ歴代最年少の柱…。
 オリ主のことは他の隊士や隠たちが話していたので名前と武勇伝的なことは知ってる。でも見た目の情報が少なすぎた。そのためオリ主を同姓同名の別人だと思ってたら本人でびっくり。全然ごつくない!(オリ主は作者の趣味で細マッチョという設定です。あまね様と双子でムキムキは嫌だった…)
 近いうちに命の恩人になるかもしれない。


・兄弟子から聞いてた人!って実は緊張してた人(16)
 鱗滝一門はきっと仲が良いと思ってるので、頻繁に育手に顔を見せてるし手紙のやり取りもしてる。そのためオリ主のこともちゃんと知ってる。兄弟子の命を救ったことやその他の話を色々聞いて、既に好感度はカンストしてます。
 今回色々あって話せなかったけど、またちゃんと時間を作って落ち着いて話がしたい。きっとその時は二人ほど増えている。


・聞いてねえよ!!な元継子(18)
 二年間一緒に暮らしてたのに知らなくてちょっとむっとなった。後日ご機嫌取りという名目でご飯奢ってもらう。
 きっと今後同じような状況に陥る柱たちをにやにやしながら見ることになる。


・友人にまたお願い事した人(18)
 この人は多分人使い荒い。いや、ちゃんとお休みくれるしお給料やばいし良い人なんだけど、人の限界を見極めるのが上手いから“これくらいなら大丈夫”って思ってそう。勝手なイメージです。
 今回、天元が継子じゃなくなり柱も増えたことから、オリ主にお願いとして人探しを依頼した。すぐに見つかるとは微塵も思ってない。だってこの数百年間接触できてないもの。でもきっとオリ主なら見つけてくれると信じてる。只の勘だよ。



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以下補足&あとがき

 今回ふと気になって時間の表記方法について改めて調べたんですが、明治から"分"や"秒"を使用していたんですね。迂闊でした…。直すのも面倒なので、この世界線ではそんなもの存在しないってことにします。

 しのぶさんっていつ蟲の呼吸使えるようになったんですかね。というか藤の花の毒はいつ開発したの?最終選別のときにはできてるのか?それともカナエさん殺されて怒りのままに開発した?そもそもこの歳で医療行為できるんだろうか…などなど疑問が尽きない作者です。ただの履修不足なのも否定できないのがつらい…。
 取り敢えず、この世界線では患者がいっぱい来るから医療行為はお手の物(法律なんざ知らん)。毒はまだ開発出来ておらず、最終選別はカナエさんと協力して切り抜けたってことにします。その内さらっと毒作ってますね、きっと。

 お館様は別に他の柱を信頼していないわけではありません。けど、鬼を協力者にしたい、なんて言っても反対されるかもしれない。ならば最も信を置くあおいにだけ話して見つけてもらい、他に話すのは事が進んでからでいい。と判断しました。基本的にあおいはお館様のお願いを断りませんからね。鬼に対する憎悪もそんなにないですし。それなりに嫌いですけど。



 ここまで読んでくださりありがとうございます!
 また次回お会いしましょう!


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鬼殺隊の最古参の柱は仇に会い、探し人の手掛かりを得る
前編


 

 "珠世"という人を探してほしい。

 その依頼を達成すべく、俺は今浅草にいた。近くで任務があったのだが、予想していたよりも早く終わったため"他に鬼がいないか見てくる"と言って抜け出してきたのだ。

 とはいえ、闇雲に探しても意味はない。ある程度の当たりはつけておかなくては無駄に時間を使うだけだ。何せ相手は長い間鬼舞辻からも鬼殺隊からも逃げおおせているんだから。

 身を隠すなら、逆に人口の多い地区の方が人目に付きにくい。候補としては日本橋、神田、京橋、浅草、麹町辺りだろう。…だが、この広さとこの人口から一人を見つけ出すというのは、正直骨が折れる。当たり前だが、情報戦に長けている天元はもちろん、隠に協力を仰ぐことも出来ない。となると、俺が切れる手札などあと一つだけだ。

 

「暁、周囲の動物から話を聞けるか」

「ヤッテミル!」

 

 任せろと言わんばかりの勢いで飛び立っていく暁を見送り、俺も何か手掛かりはないかと歩みを進めていく。のんびりと歩き、冷やかしで店を覗きながら人々の会話に耳を澄ます。

 

──ゃぁ…

 

 ん?今何か…。

 ちょうど路地裏の前を通った時に、奥から僅かに聞こえたか細い声。人というよりむしろ動物の鳴き声に近かったそれは、少し弱っている印象を受けた。

 

「…」

 

 見なかった、というか聞かなかったことにするのは簡単だ。しかし一度足を止めてしまった以上、それは些か寝覚めが悪い。

 予定を変更して路地裏に足を向ける。注意深く観察しながら進んでいくと、そこには前足に傷を負った金目の三毛猫がいた。

 

「…ちょっと、失礼するよ」

 

 じっとこちらを見つめて動かないその猫を抱き抱える。そのまま怪我の程度を確認するために、街灯が灯っている表通りに戻っていった。

 

「…」

 

 猫を保護した路地の更に奥。そこからこちらの様子を伺っていた人物には、姿が消えていた事に加えて猫と戻ってきた暁に気を取られていた事が重なり、終ぞ気づくことはなかった。

 

 

 

 結局あの後目ぼしい情報を得ることはなく、俺は暁と猫を伴い屋敷に帰宅した。

 猫の怪我は大したことは無いそうで、二、三日安静にしていれば歩行に問題はないだろうと胡蝶が教えてくれた。その際初めて知ったが、しのぶ嬢は毛が生えた生き物全般が苦手らしい。良かれと思って見せに行ったが、声にならない悲鳴を上げて目にも止まらぬ早さで逃げていってしまった。今度詫びに何か差し入れしようと心に決めた瞬間である。

 

「こんなに可愛いのにな」

 

 そんなしのぶ嬢を見て小さくため息を吐くというどこか人間臭い仕草をした猫は今、俺の膝で我が物顔で寛いでいた。

 耳の付け根を掻くように撫でてやれば、気持ちいいのかゴロゴロと喉を鳴らす様が何とも可愛らしい。

 

「しかしお前、鳴かないなぁ」

 

 最初に聞いた鳴き声は空耳だったのかと思うほど、この猫は俺に会ってから一声も鳴かない。

 健康だというから別に構わないが、以前見かけた猫はにゃーにゃー鳴いていたからちょっと拍子抜けしたのだ。人にも個人差があるように、猫にも個猫差があるのだろうか。

 

「早く歩けるようになったら、主人のところに帰してやらないとな」

 

 この猫は毛並みも肉付きも良かったから野良ではないだろう。一応近くの店の店主に飼い猫を探している人がいるようならと伝言を頼んだが、なるべく早い方がいい。といっても、俺はその飼い主もこいつの帰るべき家も知らないから、この猫に頼ることしか出来ないんだが。

 自由に出る出歩いているんなら、保護した場所に連れて行けばなんとかなるだろう。

 

(※現実で保護した際は、然るべき所に連絡して飼い主さんの元に帰してあげてください)

 

 

 

 そんな何とも適当な判断を下した数日後、無事に歩行出来るまで回復した猫を連れて、俺は再び浅草の地を訪れていた。

 

「お前、ちゃんとひとりで帰れるか?」

 

 猫を見つけた路地裏に下ろしてやり、しゃがみ込んで問いかける。端から見ればでかい男が縮こまって何かしている怪しい構図だが、まあ仕方がない。この数日で俺もかなり絆された。

 俺の問いかけに答えるためか、この数日間の礼を伝えるためか、はたまた何の意味もないのか、だらんと垂らしていた手に猫がすり寄ってきた。

 

「…そうか。じゃあ元気でな」

 

 じっと俺の目を見つめて数瞬後。とたたたた、と効果音が付きそうな軽い足取りで猫は俺の前から姿を消した。

 暫く猫が立ち去った方向を見つめた後、立ち上がって伸びをする。

 

「さて、何か食べて帰るかな」

 

 そうして表通りの喧騒に紛れて食事処を探そうとした時、背後から名を呼ばれた。

 

「一宮さん…?」

 

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはついこの間柱となった鱗滝と、その連れであろう隊士が二人いた。

 

「鱗滝」

「お疲れ様です!一宮さん。お出かけですか?」

「ああ、ちょっとな」

 

 挨拶を交わしていると、鱗滝の後ろで様子を伺っていた内の一人である女性隊士が鱗滝の隊服の袖をちょんと引いた。

 

「ねえ錆兎、この人が空柱の一宮さん?」

「ああ」

「そうなんだ!初めまして、真菰です。階級は丁ひのとで、錆兎の妹弟子に当たります。それでこっちが…」

「…冨岡義勇」

「義勇も俺の弟弟子なんです。すみません、口下手で…」

「いや、構わない。改めまして、空柱の一宮だ。よろしく」

 

 互いの自己紹介が終わると真菰がそわそわしだした。何だ?

 

「あの、一宮さんこの後何か予定でもありますか?」

「ん?何か食べて帰ろうとは思ってたが…」

「なら、私たちもご一緒してもいいですか?美味しい天丼屋さんがあるんです」

「おい真菰!」

「だってお礼したいでしょ?今しなきゃ次いつ出来るか分からないよ」

「それは、そうだが…」

「俺は別に構わないよ」

 

 お礼が何なのかは分からないが、これから昼を食べようと思っていたのは事実だし、一般隊士と交流を持つのも大事だ。だから構わないと伝えると、真菰は目を輝かせ喜び、鱗滝と冨岡も一見分かりづらいが嬉しそうな雰囲気を醸し出した。

 

「こっちです!」

 

 真菰が先陣を切って案内してくれたのは、創業三十年近く経つ人気の天丼屋だった。

 四人で店内に入り、席に付く。人気店なだけあって中はそれなりに賑わっていた。

 

「海老天丼二つと、天丼一つ、天丼定食を一つお願いします」

「かしこまりましたー!」

 

 全員分の希望を聞き、注文する。店員の声を聞きながら正面に座る真菰とその隣の冨岡、そして俺の隣に座る鱗滝に順に視線を向ける。

 

「それで、"礼"というのは?」

「あっ!」

 

 そう!と言いたげに両手をぱちんと合わせる真菰は、錆兎と目を合わせるとほぼ同時に頭を下げてきた。思わぬ行動に思わず面食らう。

 

「「九年前、兄弟子の紅葉こうようを助けてくださりありがとうございました」」

「…えっと」

「ほら!義勇も!」

「お前も礼がしたいと前に言っていただろう」

「…すまない」

「何が?!」

 

 えっ、俺は今何を謝られたんだ…?

 

「義勇は今、"兄弟子を助けてくれてありがとうございました。礼を言うのが遅れてすみません"と言ったんですよ」

 

 …いや言ってた?すみませんしか聞こえなかったぞ?

 紅葉からも聞いていたが、かなりの口下手だな。

 

「あー…その"助けた"、というのはもしや最終選別の時のことか?」

「ええ」

「前に紅葉さんから聞いたんです!手が沢山生えていた鬼に殺されそうになっていたところを、一宮さんに颯爽と助けられたって」

「その話を聞いて、鱗滝さん─俺たちの師匠含め、一門全員貴方にお礼が言いたかったんです」

 

 俺たち一門は、家族のようなものだから。

 そう頬を緩めながらも改めて礼を伝えてくる様は、兄を想っている弟妹そのもので。

 

「─―本当に、仲がいいな」

 

 胸に暖かいものが広がっていくのを感じて目尻が下がる。

 

「君たち一門からの礼、確かに受け取った。…今度、君たちのお師匠や他の兄弟弟子たちにも挨拶させてくれ」

 

 貴殿方あなたがたの家族である紅葉にはいつも世話になっています、と。

 にっと笑って見せると、それぞれ瞳をぱちくりとさせつつも大きな声で了承してくれた。

 その後は和やかな空気のまま届いた料理に舌鼓を打ち、解散となった。三人はこの後任務があるらしい。

 

「…水の呼吸、か…」

 

『一宮君』

 

 脳裏に響く、今は亡き女性の声。

 当時は自覚していなかったが、俺はあの人を姉のように思っていたんだろう。彼女が弟扱いしてくる度に、気恥ずかしいような嬉しいような、複雑な感情が沸き上がっていたのだから。

 

(もう五年か…)

 

 俺は未だ、託されたことを成せていない。

 上弦の弐。対の扇と氷の血鬼術を扱う、彼女を殺した鬼。

 暁たち鎹烏に特徴が一致する鬼がいたらすぐに知らせるよう頼んでいるが、そう簡単に事が進まないのが世の常だ。腹立たしい限りだが、見つからないなら見つかるまで気長にやっていくしかない。

 気持ちを切り替えて浅草を出る。今のところ任務は入っていないので、今夜は担当地区の警備だけだ。どの順路で行こうかと思考を巡らしながら、俺は真っ直ぐ帰路についた。

 

 

 

 その日の夜、懐かしい夢を見た。

 

『やあ、君が歴代最年少で柱になった一宮あおい君かな?まだ子どもだねぇ』

 

 私のことは是非"瑞乃お姉さん"と呼んでくれ!

 …これは、初めて会った時に言われた言葉。

 

『…一宮君。君、最近無理をしていないか。顔色が悪い』

 

 君はまだ子どもなんだから、もっと周りを頼りなさい。可愛げがないなぁ、まったく。

 …これは、千里眼を使いまくっていろんな人に叱られた時。

 

『一宮君一宮君!見てくれ!にゃんこだにゃんこ!可愛いなぁ!』

 

 ほら、にゃーん!

 …これは、初めての合同任務の帰りの出来事。

 

『君は、君の目的とやらが達成されるまで絶対に死なないから逆に安心できる』

 

 たとえ死の淵にいようが還ってくるだろうからね。

 …これは、いつだか酒の席で言われたこと。

 

『ねぇ、一宮君。ちゃんと──』

 

「…」

 

 外から鳥の囀りが聞こえる。朝だ。

 随分と懐かしいものを見た。記憶の奥に大事に仕舞っていたものがポロポロと転がり出てくるのは、昨日久しぶりに思い出したからか。

 

「…俺はずっと、俺のためだけに生きてるよ。白金殿」

 

──ちゃんと、自分のために生きるんだよ。

 

 あの時の彼女は果たして笑っていたのかどうなのか。寝起きの頭ではすぐに思い出すことが出来なかった。

 

 

*****

 

 

 錆兎が柱を降りることになった。初めての顔合わせから数ヶ月後のことだ。柱を拝命したのは柱合会議の前だから、在任期間は約半年といったところか。

 

「…随分短い柱だったなぁ」

「うぐっ」

「刀を折られてそのまま襲い掛かられたんだって?災難だったな」

 

 蝶屋敷に入院している錆兎の見舞いに来たんだが、怪我の方は順調に治っているらしい。とはいえ、隊士として刀を振るうのには少々不安が残るようだが。

 

「…申し訳ない」

「?何故謝る」

 

 むしろ、そこまでの怪我を負いながら折れた刀で鬼を木に縫い止め日光で燃やしたのは流石としか言いようがないが。

 そう伝えるも項垂れたまま首を横に振り、普段から考えられないほど弱々しい声で打ち明けてくる。

 

「柱としての責務を十分に果たす前に、柱を降りることになった…俺は…自分が情けなくて仕方がない」

 

 そう身を小さくし、俯く姿はいつかの紅葉を思い起こさせる。今にも芯が折れてしまいそうな程の脆さ。今までの努力も、時間も、全てが無駄になったと思ってしまっているその姿を見てしまえば、ついお節介を焼いてしまいたくなるというもので。

 

「…昔、隊士となることを諦めた奴がいた。"鬼を前に動けなくなった。こんな状態じゃ鬼殺隊士としてやっていけない"。そう言っていたよ」

「!」

 

 すぐに気づいただろう。兄弟子である紅葉のことだと。あいつは隠になった理由を隠そうとはしない。新人の隠にはもちろん、目の前の弟弟子にも話したことがあると、以前何かの時に言っていた。

 

「だが、そいつは今も隠として十分すぎるほど鬼殺隊に貢献している」

 

 昔紅葉に言ったことを思い出す。

 

「別に、鬼殺隊に必要なのは隊士だけじゃない。隠、育手、藤の花の家紋の家。他にも挙げれば色々あるだろうが、こういった後方支援も無くてはならない重要な存在だ。…柱としての責務を果たせなかったと言うならな、別の方法でその責務を果たせばいい。お前の前には、沢山の道が広がってる。選べるんだよ、鱗滝。自分で自分の視野を、未来を狭めるな」

 

 言いたいことだけ言って、包帯が巻かれた頭に手を伸ばす。傷に障らないようゆっくりと、力を込めないで撫でてやった。

 

「まあ、最後に決めるのはお前だ。時間はまだある。ゆっくり考えるといい」

「…はい」

 

 あまり長居しても悪いだろうと扉に向かって脚を動かした。

 

「一宮さん」

 

 静かな部屋に鱗滝の声が響く。

 

「ん?」

「…ありがとうございます」

 

 礼を伝えてくる姿もいつかの紅葉を彷彿とさせ、つい小さく笑ってしまった。

 

「どういたしまして」

 

 数日後、お師匠である鱗滝殿の手伝いをして後進を育てることにしたと、鱗滝から手紙が届いた。

 そしてその直後、耀哉から冨岡義勇を新たな水柱にするという旨の連絡が来た。どうやら鱗滝が怪我をする前に下弦の鬼を斬っていたらしい。水柱の席が空いたことから、条件を満たしている冨岡が選ばれたのだろう。

 

にゃーん

 

 耀哉からの手紙を私室で読んでいたら外から猫の鳴き声がした。襖を開け、縁側に出る。ガサガサと茂みが音を立て、そこから金目の三毛猫がひょっこりと顔を出した。

 

「お前…遊びに来たのか?おいで」

 

 声をかけるとこちらの言葉が分かっているのかととと、と駆け寄りそのまま縁側に飛び乗ってきた。

 

「もう怪我は大丈夫か?」

 

 膝をつき撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らし手に頭を押し付けてくる。

 

「そうか、よかった。…お前は可愛いなぁ」

 

 耳を倒して尻尾を立てる様子を見て、ふと思う。この猫は、結構な距離を出歩いている。今は日が出ているが、見つけた日は夜だった。ということは、意外と情報を持っていたりするのではないだろうか。

 今は屋敷に誰もいない。外に声が漏れる心配もない。

 

「なあ、お前は"珠世"という女性を知ってるか?ずっと探してるんだが見つからなくてな」

 

 喉を鳴らすのを止めた金目が俺を見上げる。

 

「頼みたいことがあるんだ。だから、もし見かけたら教えてくれないか」

 

 猫は気まぐれだから頼りにしていいのか分からないが、言うだけはタダだ。それに何だか癒される。

 

「ふふ、よろしく頼むよ」

 

 もう一度頭を撫でてから立ち上がる。今日はこの後任務が何件か入っているから、そろそろ着替えて移動しなければ。

 支度が終わって再び縁側に出ると、もう既に猫はその場にはいなかった。

 



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後編

 

 古風殿から、粂野が蝶屋敷に運び込まれたという連絡を任務先の藤の花の家で受け取った。下弦の鬼が出たらしい。幸い、派遣された隊士たちは全員(ひのえ)以上だったらしく、なんとか犠牲も最小限に抑えられたとか。しかし怪我の状態から今後隊士を続けることは不可能だろうと綴られていた。

 

「…そうか」

 

 今の任務地は比較的離れた場所にあり、かつまだ数件任務が残っている。見舞いに行くのは少し先になりそうだなと考え、耀哉から届いた手紙にも目を通した。

 俺への労い、あまねと子どもたちの近況報告と続き、最後に新しく(きのえ)の隊士を柱へと昇格させる旨が書かれていた。おそらく粂野と共に任務に行き、下弦の首を斬った隊士だろう。次の柱合会議、つまりは明日だが、そこで話をするつもりらしい。俺は今回参加出来ないから、後日天元に話を聞いてみようか。

 そうぼんやりと考えて二日後の早朝。天元から手紙が届いた。烏の様子を見ると相当急いで飛ばしたらしい。着いた瞬間もう無理というように畳にへばりついていた。休憩する間もなく夜通し飛んでいたのだろう。取り敢えず水と木の実をいくつか用意し休ませてから、天元からの手紙を開く。

 …珍しく感情的、というか書きながらキレてるなこれ。

 読んでいくに、新しい柱候補が耀哉に噛みついて、それで腹に据えかねているらしい。

 

 "隊士のことは使い捨ての駒としか考えていない。武術も何も出来ない癖に、安全な場所から指示だけ出していいご身分だな"。

 

 とまあ、要約するとこんなことを言ったようで。…これは…うん。間違いなく俺もキレる自信がある。とはいえ俺は最古参の柱だから、率先してキレるような事があっては他の柱や隊士に示しがつかない。…普段ならな。けど耀哉、ひいては産屋敷家に関することはまた別だ。

 …昔、耀哉が刀を握ったことがある。自分も隊士たちのように人の命を守り、鬼を狩りたいからと。結局、素振りが十回を越える前に脈が狂い、断念せざるを得なかったが。

 あの時改めて誓ったんだ。俺が耀哉の刀になると。耀哉の分も、俺が二人分の鬼を狩ると。あいつがどれだけ悔しい思いを、苦しい思いをしているか知っているから。

 そんなわけだからまあ、示しがつかないと言えどイラッと来たことに代わりはないので。

 

「…ああ、お前か。柱合会議でやらかしたのは」

 

 言葉に多少の棘が混ざるのも仕方のない事なのである。

 

 

 

 長期の任務が終わり、ようやっと粂野の見舞いに行くことが出来た。身体も大分回復しているようで、もう既に機能回復訓練を開始しているらしい。

 

「今後、どうするか決めたのか」

 

 見舞いの品を渡し、思ったよりも穏やかな顔をしている粂野を見つめる。

 

「…はい。師匠の手伝いをしようかとも思ったんですけど、実弥が柱になるって言うから。なら俺はその支えになりたい。もう一緒に鬼を斬ることは出来ないけど、それでも傍にいたいんです。大事な親友で、兄弟みたいな奴だから」

 

 そう告げる粂野は、どこまでも真っ直ぐ前を向いていた。

 

「そうか…。いいと思うよ。きっとその親友も心強いだろう」

「へへ。ありがとうございます」

 

 照れたように頬を掻く様子を微笑ましく思いながら雑談を続けていると、病室の扉ががらりと音を立てて開いた。

 

「匡近ァ。調子はどうだァ?」

 

 室内に声をかけながら入ってきたのは、胸元が肌蹴た傷だらけの男だった。

 

「…ああ?誰だあんた」

「実弥!この人は空柱の一宮あおいさんだよ。前に話しただろ」

「空柱…」

 

 実弥。粂野の弟弟子。そして、天元の手紙にあった男。

 

「…ああ、お前か。柱合会議でやらかしたのは」

 

 少しだけ言葉に棘を含める。さて、どう反応するかな。

 

「…半月程前に風柱を拝命した不死川実弥だ。よろしく頼む」

 

 そう言って軽く頭を下げる姿に面食らう。一度くらい凄んでくると思ったんだが。

 ちら、と粂野に視線を向ける。俺と不死川のやり取りをあわあわしながら見ている様子に、再び不死川に顔を戻した。そして一つ、大きく息を吐き出す。

「はぁー…」

 

 粂野と不死川が肩を揺らした。が、今は放置だ。

 不死川が柱合会議に呼ばれたのは粂野が大怪我をしてすぐ。聞けば、意識が戻ったのは運び込まれて三日後だという。ということはだ。不死川は、親友兼兄弟の意識が戻っているかいないかも微妙なところで召集されたのだろう。つまりは死の瀬戸際。そこでいきなり一人だけ柱に昇格させたいと言われれば噛みつきたくもなる、か。

 しかしここ数年、柱の入れ替わりが激しいのも事実。耀哉―─お館様からしたら条件を満たすのであればすぐにでもその席を埋めたいはず。そして、より多くの鬼を狩ることを望むだろう。

 どちらの想いも分かってしまう以上、俺からは何も言えないな。

 それにしても…。

 

(相変わらず人心掌握術が半端ないな…)

 

 先の不死川の言葉からは、お館様に対する敬意を感じ取ることができた。

 どうやったのかは知らないが、自身に敵対心を持っていた男をここまで飼い慣らすとは流石の一言である。正直ちょっと怖い。

 

「一宮さん…?」

 

 盛大なため息を吐いてから一言も発しない俺を不審に思ったのだろう。粂野が恐る恐る話しかけてくる。

 

「ああいや、すまない。…失礼した、不死川。俺は空柱の一宮あおい。これから同じ柱としてよろしくな」

 

 今度は不死川が面食らったような顔をして黙り込んでしまった。きっと俺も何かしらの苦言を言うと思ってたんだろうなぁ。

 

「あんたは…」

「ん?」

 

 黙り込みながらも何か言葉を探しているようだったので静かに待っていれば、若干目を逸らしながら話しかけてきた。

 

「お館様と付き合いが長いんだろォ?…どんな人だァ」

 

 …どんな人、か。

 

「…そうだな。おそらく、鬼殺隊の誰よりも鬼を滅することへの執念が強い。きっと、そのためなら使える手段は何でも使うだろうな」

 

 それこそ、自分自身の命さえ惜しくはないだろう。

 

「けど、それ以上に愛情深い人だよ。自分より年上の隊士でさえ"大切な子ども"だと言って慈しんでる」

 

 後は、お前が感じたままの人だ。そう言葉を締め括ると、また質問が飛んで来た。

 

「あんたの事も子どもって言うのか?」

 

 その質問への答えは"否"だ。耀哉は俺個人を子とは呼ばない。他の柱と一緒くたに呼ばれることはあっても、俺個人のことは昔から変わらず"友人"と呼ぶ。たまにふざけて"義兄上(あにうえ)殿"と呼ばれることもあるが。

 けれど、その事をそのまま伝えても芸がない。だから敢えてはぐらかすことにした。

 

「さあ、どうだったか。今後もお前が柱として居続ければ分かるかもしれないな」

「…はっ、上等だァ。そう簡単に死にやしねえから安心しろォ」

 

 その返しに軽く笑う。この調子なら大丈夫だな。

 

「ま、励みなさい。若いの。…俺はそろそろ帰る。また見舞いに来るよ、粂野」

「あ、はい!ありがとうございました」

「若いのって…あんたもそんなに年変わんねェだろォ」

 

 扉に向かって歩いていたが、不死川からの言葉に顔だけ振り返る。

 

「ん?俺はもう23だぞ」

「「え」」

 

 二人とも固まってしまった。

 鬼殺隊に入ってもう十二年経つから、最近は新人隊士を見ると眩しくて仕方ない。俺も昔はあんなだっただろうかと考えながら、じゃあなと言って部屋を出る。

 そして廊下で会った胡蝶姉妹に声をかけた。

 

「俺ってそんなに童顔か?」

 

 胡蝶はにこにこ笑い、しのぶ嬢は少し視線をずらしたが答えてくれた。

 

「口面をつけているから正直年齢不詳ではあるかしら」

「雰囲気は大人だけど、話してみると意外と気さくだから判断が難しいです」

「目元だけ見たら10代後半でも十分通じると思いますよ」

 

 そうか…そうかぁ。

 

 

*****

 

 

 今日与えられていた任務を全て終え、そろそろ近くの藤の花の家に向かうかと考えていた。しかしその予定は、どこかに行っていた暁が落とした情報によって変更されることとなる。

 

「此処カラ東ニ約四里。対ノ扇ヲ持ツ鬼ガイルッテ、近クノ猫タチガ噂シテタ」

「!」

 

 対の扇を持つ鬼。かつての水柱、白金殿が言っていた上弦の弐の特徴。

 それを理解するや否や、俺は東に向かって駆け出していた。

 今日の任務は三件。いずれも大した疲労にはなっていない。四里ならばそこまで時間をかけずとも辿り着ける。

 そう判断しそのままの速度で走り続けてすぐ。一羽の烏が飛んで来て甲高い声で叫んだ。

 

「カアァッ!花柱、胡蝶カナエ!現在上弦ノ弐ト交戦中!応援ニ向カエェ!!」

 

 東!東!と続けて叫ぶ声にこちらも叫び返す。

 

「このまま付近の(きのと)以上の隊士と隠を呼べ!それと暁は蝶屋敷に知らせろ!」

「了解!」

「分カッタ!」

 

 暁たちと別れ先程よりも速度を上げてひた走る。数年前よりも初動は早いが、正直間に合うか分からない。

 木や民家の屋根を利用して時間を短縮する。そうして辿り着いた先に見えたのは、今にも花柱に止めを刺そうとする鬼の姿。

 

──空の呼吸 参の型 黒雲白雨

 

 白金殿は氷を吸ってはいけないと言っていた。おそらく空気中に粒子となってばら蒔かれているのだろう。そう予測し、念のため周囲の空気を霧散させるよう空中から複数の斬撃を放つ。そのまま花柱を庇うよう鬼との間に降り立ち、勢いのまま伸ばされていた腕を斬り飛ばした。どちゃっと音を立てて壁の近くに落ちる。

 

「いきなり斬りつけてくるなんて酷いじゃないか」

 

 俺たちから距離を取り、腕を生やしながら苦情を入れてくる"上弦"と"弐"の文字が刻まれた瞳を持つ鬼。その虹色の瞳が暗闇に妖しく光っていた。

 

「い、ちみやさ…」

「喋らなくていい。呼吸で止血は出来るか」

 

 小さく頷くのを確認し、花柱を抱き上げる。どうやら上弦の弐は待っていてくれるようなので、そのまま近くの壁に寄りかからせた。そして羽織を脱ぎ、身体を覆うように被せる。

 

「こちらの事は気にしなくていい。今は止血と体力の温存に専念しなさい」

 

 また小さく頷いて目を瞑る花柱に背を向け、改めて鬼に向き直った。

 余裕の顔で待っている様子が腹立たしいな。

 

「あ、終わった?もう酷いじゃないか!いきなり斬りつけた挙げ句無視するなんて!それに…その子を救うのも邪魔して」

「…救う?」

「そう!その子はもうすぐ死ぬから、早く救ってあげないと可哀想だろ?」

 

 俺と一つになれば苦しみから解放されて、俺の中で永遠に生きられるんだぜ。

 当たり前のことを言うような顔で、狂ったことを宣う。

 

「…五年前、水の呼吸を扱う柱を殺したのはお前か?」

「ん?えーと…水の呼吸を扱う柱…ああ!あの子かな!嫋やかで、でもその中に芯があって凄く綺麗だった…」

「そうか、もういい」

 

──空の呼吸 壱の型 紫電一閃

 

「うわっ」

 

 一瞬で相手の懐に入り刀を振る。上弦が仰け反って避けたところで大きく飛び退き、空中からもう一度参の型で斬撃を浴びせた。

 

「ちょっ、まだ話してる途中だぜ?聞いてきたのはそっちなんだから、最後まで聞いてよぉ」

 

 まあ俺、男には興味ないんだけど!

 そう言って笑う鬼に、こちらもお前の趣味趣向には毛ほどの興味もないよと心の内で返す。…ああでも、お前の能力と他の上弦や鬼舞辻の情報に関しては別だ。だからなるべく多くの情報を落とせこの気狂い野郎。

 

「あっはは!腕もーらった!」

 

 俺の腕に上弦の持つ扇が迫る。なるほど、それはちゃんと武器として使うのか。

 

──空の呼吸 弐の型 行雲流水(こううんりゅうすい)

 

 腕の位置をずらして刀で攻撃を受け流す。

 

「あーあ、駄目だったかぁ。…それにしても君、反応いいね!」

 

 楽しいなぁ!

 そう言いながら連続で攻撃してくる上弦に対し、こちらも全て受けきって流す。

 

「これも受けるのかぁ!凄いね君!」

 

 一度距離を取り、互いに互いの様子を伺う。

 

「前言撤回。君、面白いね!名前教えてよ」

「断る」

「えー!なんでさぁ」

 

 …悔しいが、きっと今の俺ではこの鬼の首を斬ることは出来ない。少なくとも、一人では無理だ。

 悔しい。けれどそれ以上に、俺は俺自身が情けない。背後に人を庇いながら確実に上弦の首を斬れるほどの技量を、俺は持ち合わせていないのだ。これで柱最古参とは片腹痛いな。

 

──きみに…託す、から…

 

 …すまない。白金殿。それでも俺の後ろには胡蝶がいる。瀕死だが生きてるんだ。だから、今は守らなくては。死なせるのではなく、生かすために。

 

「何だい?考え事かな?…随分と余裕だねぇ」

「そんなわけないだろう?お前の攻撃を受け流すだけで精一杯さ」

「普通の人間は受け流す前に俺の血鬼術を吸って肺が壊死して死ぬんだぜ?…ねえねえ、やっぱり名前教えてよ」

「お前たちに名乗るような名などないよ」

「つれないなぁ」

 

 空が白み、夜が明ける気配がする。

 

「んー?あれ、もう夜明け?残念だな、また救い損ねたぜ…」

「…」

「ま、いっか。ねえねえ君!そんなに強いんだから柱だろう?…なら、他の鬼に殺されてくれるなよ?」

 

 急に声が低くなり、纏う空気も変わる。しかしそれも直後には霧散した。

 

「これは置き土産だ。頑張ってね!」

 

 ばいばーい!と言いつつ扇を振るう。その瞬間、ぶわっと湧き出る冷気を纏った煙幕に咄嗟に目を瞑った。

 

──空の呼吸 参の型 黒雲白雨

 

 大きく飛んで空気を散らすために斬撃を飛ばす。身体を地面に戻したときには、上弦の弐は姿を消していた。

 

「ふぅ…」

 

 一度息をつき、血鬼術に晒された身体や目に問題がないか軽く確認する。目元と腕に違和感があるが特に重症ではないと判断し、踵を返して民家の壁に寄りかかったまま気絶している胡蝶に駆け寄った。

「脈が少し弱い…が、生きてはいるか…」

 

 白金殿のように血塗れではあるが、彼女よりはまだ軽傷だ。止血も出来ている。よかった…。

 しかし安心すると共に肺の音に違和感を覚える。おそらく氷を吸ってしまったのだろう。日光浴で良くなるといいんだが…。

 手早く応急処置を施していく。その途中、暁がやって来て肩に止まった。

 

「モウスグ皆来ルヨ。…遅クナッチャッテゴメンネ」

「いいや、ありがとう。十分だ暁」

 

にゃーん

 

 暁に顔を寄せ礼を言った俺の耳に、からんという音と聞き覚えのある鳴き声がした。

 

「お前…。っその紙、鬼の気配が…」

 

 怪我をしていたところを保護し、それ以降たまに屋敷に遊びに来ていた金目の三毛猫。その首に、見慣れぬ紙が鬼の気配と共にくくりつけられていた。

 太陽が顔を出し、俺たちを照らす。ジュッという音がして紙が燃えた。

 

にゃーん

 

「…コノ薬ヲ飲マセロッテ言ッテル」

「は…くすり…?」

 

 暁が訳した言葉に少し混乱する。薬というのは、この足元に転がっている試験管か…?

 

にゃお

 

「血鬼術ノ効果ヲ消ス薬」

「…」

 

 その言葉に、半信半疑ながらも試験管を手に取り、軽く揺する。

 

うにゃん

 

「"珠世"ガ作ッタ薬。早ク飲マセナイトモット酷クナル」

「…何故、これを持ってきた?」

 

 ついこの間出した探し人の名前に、眉間に皺が寄るのを自覚した。

 

にゃあ

 

「前ニ助ケテモラッタオ礼。マダ出来テナカッタカラ」

 

 暁が言い終わると同時に、早くしろと言わんばかりに身体に頭を押し付けてくる。

 試験管の蓋を開けて傾け、少量を掌に出し舐め取った。少し待つと目元の違和感が緩和されていく。

 

「…ふぅ。分かった。…後で話を聞かせてくれよ」

 

うに

 

「イイヨダッテ」

「…ありがとう」

 

 頭を一撫でし、胡蝶の口元に試験管を当てる。ゆっくりと傾け飲み込んだのを確認し、注意深く観察する。…肺の音が良くなったな。

 一先ず問題は無さそうだと力を抜くと、遠くから胡蝶を呼ぶ声がする。しのぶ嬢だ。

 

「姉さん!!」

 

 必死に走ってきたのだろう。顔は青く息も上がっている。一旦落ち着かせようと声をかけた。

 

「しのぶ嬢、一度深呼吸を」

「そんなこと…!」

「いいから」

 

 少し強い口調で伝えると、口を噤み大人しく深呼吸をした。しのぶ嬢の手を取り、胡蝶の首元に持っていく。

 

「大丈夫。君の姉さんは生きてるよ」

「…はい」

「けれど治療が必要だ。切り傷に加えて上弦の血鬼術を吸ってしまったらしい。今は落ち着いているが、肺の音が変だった」

「…はいっ…」

 

 深呼吸で落ち着いた呼吸が、今度は涙によって乱されていく。だがもう大丈夫だろう。泣いてはいるが、先程に比べれば顔色も良くなっているし、目の焦点も合っている。

 

「花柱様!空柱様!」

 

 ちょうど駆け付けた隠たちに二人を託す。

 

「俺は軽傷だ。先に花柱を」

「は、はい!」

 

 取り敢えずこれで彼女は蝶屋敷に運ばれる。そうすれば適切な処置が成されるだろう。

 

「ふぅ…」

 

 流石に少し疲れたな。座り込みたいのを意地で耐え、大人しく座っていた猫を抱いて立ち上がる。

 

「アオイ、アレ」

 

 応援に駆け付けた隠と隊士が事後処理に当たっている中、暁が何かを見つけたらしく小さく囁いた。

 

「ん?あれは…」

 

 上弦の弐の腕。挨拶代わりに斬り飛ばしたものが、たまたま日陰になるところに転がって残っていたらしい。

 

「燃やす…いや、何かに利用出来るか…?」

 

 "珠世"は鬼を人に戻す薬を作ろうとしているらしい。おそらく検体はあればあるだけいいはず。これを手土産に少しでもこちらの心証を良くしておけば、今後協力関係を結びやすくなるか…。いやそもそもの話、果たして鬼の腕で喜ぶのか…?

 まあ何かに使えるかもしれないと、取り敢えず羽織でぐるぐる巻きにして持って帰ることにする。

 

「空柱様。貴方も蝶屋敷に行きましょう」

 

 副音声でさっさとしろと言ってくる紅葉の言葉を無視して、羽織にくるんだ腕を差し出した。

 

「紅葉。この羽織、決して中を覗かずにこのまま俺の私室に持って帰ってくれ。日の光が入らないよう絶対に襖は閉めろ」

 

 唯一見える目は鋭く俺を睨み、眉間には深い皺が刻まれている。こっわ。

 

「…分かった」

 

 渋々、本当に渋々といった様子で羽織を受け取る。…これは後で説教かな。念のため覚悟しておこう。

 

「すまない、ありがとう」

 

 最後にもう一睨みして走っていく背中を見つめ、これは早々に蝶屋敷に向かった方がいいなと判断した。だってあんなに怒ってる姿を見るのは俺が千里眼で無茶した時以来だ。正直滅茶苦茶怖い。

 

「…お前と話が出来るのは少し先になりそうだ。暁と屋敷で待っていてくれないか」

 

にゃーお

 

「別ニ構ワナイッテ」

「…ありがとう」

 

 猫と暁の姿を見送り、念のため隠に背負ってもらい蝶屋敷を目指す。

 夜が短くなる夏の気配が、少しずつ濃くなり始めた日の出来事だった。

 





・怒涛の勢いで物事が進んでいって流石に疲れた人(23歳)
 保護した猫がまさか本当に情報持ってくるとは思わなかった。持ってきたのは情報というより薬だったけど。この後ちゃんと蝶屋敷で治療されて帰って紅葉に説教()される。聞き取り調査はその後かな…。後日しのぶ嬢から上弦の特徴について問いただされる未来があるかもしれない。
 天丼定食食べた。ちゃんと奢った。


・めっちゃ凹んでたけど持ち直した人(17歳)
 柱になれたのに…なんて様だ…てな感じで自己嫌悪ループ入ってたけど、オリ主の話聞いてちょっと楽になったかもしれない。いつまでもくよくよしてるなんて男じゃないな!
 数年後に現れる鬼連れの少年に稽古をつけることになる。
 海老天丼食べた。奢るつもりが気づけば奢られてた…。


・天丼屋さん行きましょう!な妹弟子(16歳か17歳)
 あの人が一宮さん…かっこいいし綺麗な人だね!なお、この日のオリ主は巡回のみの日だったので昼間は普通の着流し姿です。只の綺麗なお兄さんです(※あまね様の双子の兄)。
 天丼食べた。兄弟弟子と割り勘で奢るつもりがさらっと奢られててびっくり。かっこいい…。これが大人…。


・口下手すぎて会話できなかった末っ子弟子(17歳)
 会話できなかったけどお礼も言えた(言えてない)しなんか満足。天丼も美味しいが、やっぱり鮭大根が一番だな。ムフフ。
 この数か月後に柱に昇給するが大丈夫だろうか。この話でもやっぱり「俺は柱じゃない」的なこと言うんだろうか。
 海老天丼食べた。流石(支払いの)手が早いな。
 ──それは、誰よりも冷静に判断し、鬼を絶つ者。


・憧れのお兄さんが思いの外年上で思わず固まっちゃった人その1(18歳)
 いつも優しいオリ主がちょっと棘のある物言いで少しヒヤッとした。あ、この人怒ると怖い人だ。
 えっ23なの?!てっきり20くらいかと…って最後は固まった。


・柱合会議でやらかしてちょっと反省した人(17歳)
 いっぱいいっぱいでプッツンした結果の言動。という設定。オリ主を見て「こいつが最古参?ひょろ…」って最初は思った。けど、匡近やお師匠から話は聞いてたし、お館様とも付き合いが長いというから大人しくしてた。今後どんどん懐く。予定。
 オリ主の年齢聞いて思わず固まっちゃった人その2。え、詐欺だろォ…。
 ──それは、誰よりも鬼を滅する執念を持つ者。


・無事生き延びたお姉さん(17歳)
 オリ主の登場があと数秒遅かったら殺されてた。多分バタフライエフェクト的な何かの影響。まあ間に合ったから問題なし。薬のおかげで血鬼術は消えたけど、壊死した肺胞は治らなかったため柱は引退。蝶屋敷の女主人は継続。多分しのぶ嬢は原作程怒ってない、から藤の花は食べない。きっと。


・にゃーん
 オリ主珠世のこと探してるのか。もう来ない方がいいかな。って悩んでるところにオリ主vs上弦の弐を目撃。更にその奥に倒れているカナエさんを発見。大急ぎで家に戻って薬咥えて戻った。これは助けてもらったお礼。きっと珠世も許してくれる。
 オリ主の優しい手も、柔らかい声も、暖かい瞳も大好き。でも一番は珠世。オリ主が彼女に害を与えるようなら情報なんか話さないけど、「頼みたいことがあるんだ」って言った時の声に嘘は感じなかった。だから、きっと大丈夫。


・挨拶代わりに腕切り落とされた女好き
 あ、可愛い子はっけーん。苦しいね、俺が救ってあげよう!と思ってたら上から人が降ってきた。邪魔されたけど俺は心が広いから待っててあげるよ。後でどうせ救うしね。
 最初は本当に興味なかったけど、どんな攻撃しても流すからなんか楽しくなっちゃった。結果、時間が無くなり帰ることに。名前聞けなかったし、何の柱なのかも分かんなかったな。ま、次に会った時に聞けばいいか!…だから、他の鬼に殺されてくれるなよ?


・割とキレてる隠の人(26歳)
 さっさと蝶屋敷で治療受けて来い。おこ。ちなみにめっちゃ心配してる。任務三件片づけてからの上弦の弐で疲れてないわけない。オリ主は特に疲れてないって最初言ってたけど、柱に渡される任務の時点でお察し。あと重症じゃないって判断するのは医者であってお前じゃないからな?
 この後ちゃんと言われた通り中を見ることなくオリ主の私室に置いて襖もきっちり閉めたし、何なら羽織の上から更に箱で覆っておいた。有能。



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以下補足&あとがき

 捏造を重ねて煮詰めて凝縮して出来たのがきっとこれ。怒られないかな…。

 原作の茶々丸さんって何歳なんだろうね。あとたぶん、というか絶対こんな勝手なことしないだろうなぁと思いつつ、この茶々丸さんは原作茶々丸さんより若いので!多分1歳なったかなってないかの遊びたい盛りなので!きっとお散歩好きだし、怪我してるとこを保護してもらった+優しくしてもらった=優しい!気に入った!好き!ってなると信じてる。うん。
 ところで茶々丸っていつも愈史郎の鬼血術の紙つけてるのかな。つけてるんだろうな。この頃はまだ昼間の散歩のときには外してる設定でお願いします。保護された時はなんか…破れたかしたんじゃないですかね(適当)。

 前話で書き忘れたんですけど、錆兎と真菰は生きてます。あおいが最終選別に行った後に耀哉に手紙で「手が6本生えた規格外特殊性癖鬼がいる」って報告して、その情報を基に当時の炎柱(槇寿郎殿)が斬ってくれました。なので紅葉以降の弟妹弟子は最終選別で死にはしません。これぞ無自覚救済(意味違うかもしれない)。ただ、その後は任務でお亡くなりになったり怪我で引退したりで現役隊士は今のところ錆兎、真菰、義勇のみ。まあ今回で錆兎引退なんですけどね!まあ生きてるだけ御の字ってことで!

 匡近も生きてます。以前最終選別に行く直前にあおいから貰ったお守りはずっと肌身離さず持っていました(5話参照)。「ちょっと良いことがある、かもしれないお守り」。信じてるわけではないけど、考え方次第ってあおいが言っていたので「良いことあったらいいな」という軽い気持ちで持っていました。今回の任務では上級隊士数人と一緒になったり、鬼と対峙中に鬼の上に屋根やら柱が落ちてきて隙になったりと色々あり、怪我と引退だけで済みました。良いことあったかもしれないね。
 不死川さんの口調も性格もわっかんねぇ…。取り敢えず語尾にちっちゃい母音付けといたけど合ってるんだろうか…。今回書いてて苦労したシーンぶっちぎりのNo.1です。おめでとうございます。

 そして童磨!お前も口調と性格難しいんだよ!サイコパァスなのは分かるんだけどね??それを書けるかって言われたらまた別問題なんだよね。取り敢えずこれが私の限界でした。書いてないけどあおいはかなり殺意マシマシです。書けてないけど!
あおいが比較的軽傷なのは、童磨が最初から本気じゃなかったからです。途中で楽しくなってちょっと力出してきたけど、どちらかというと遊んでた感覚。
あと、腕を持って帰られたことは知らないし今後も気づかない。ところで鬼の千切れた四肢ってその後どうなるんですかね。鬼が死んだり日に当たるなりしたら灰になるんでしょうけど、それまで残ってるんだろうか。千切れた手足が転がってるの怖いね。


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鬼殺隊の最古参の柱は新たな縁を結び始める
前編


 

 諸々の事後処理を隠と隊士たちに任せて向かった蝶屋敷。胡蝶が運び込まれて大分経ったが、依然処置は続いているようだ。そのため、しのぶ嬢、神崎、栗花落、そしてすみなほきよの三人娘といった胡蝶と特に関わりの深かった者たちは、軒並み彼女の病室で治療に当たっているらしい。というのを、俺の治療を担当してくれた医者から聞いた。…まあ治療と言っても、軽い凍傷といくつかの切り傷だけだったため何か特別なことをしたわけではないが。

 一部縫われたものの、既に血は止まっていることもあり薬と包帯で十分だろうという診断を下された。医者と看護師に礼を伝え、いくつか薬を受け取り処置室を出る。

 蝶屋敷に向かう際にはまだ低かった太陽も、随分と上まで昇っていた。

 

「あっ、一宮さん!」

「本当だ!」

「もう治療は終わったんですか?」

 

 とある一室を通り過ぎたとき、中からがちゃりと戸が開かれた。そこにいたのは蝶屋敷の三人娘で、俺に気づいたなほが名を呼んだのを皮切りに順に声を掛けてくれる。

 …そうか。胡蝶の病室はここか。

 嬉しそうに駆け寄ってきた子どもたちの目線に合わせるよう片膝を着く。立ったままだと首が痛いだろうというのもあるし、何より俺が顔を見辛い。

 

「ああ、ついさっき終わったんだ。…胡蝶はどうだ?」

 

 俺の問い掛けに彼女たちは互いに顔を見合わせるが、その表情は明るい。

 

「さっき一度目を覚まされたんです」

「またすぐに眠っちゃいましたけど、もう大丈夫だろうってしのぶ様が」

「一宮さん。カナエ様を助けてくれてありがとうございました!」

 

 ありがとうございました!

 そうぺこりと揃って礼を言う様はどこか微笑ましい。

 

「…ひとつ、頼まれてくれないか」

 

 疑問符を浮かべて首を傾げる三人に続けて言う。

 

「しのぶ嬢を、支えてやってほしいんだ」

「しのぶ様を?」

「そう。きっと今回の件で張り詰めてしまうから。たまに気分転換にでも誘ってあげてもらえないか」

「…私たちに、できるかな?」

 

 自信なさげに呟く様子につい笑いが溢れた。それぞれの髪飾りに目を向ける。

 

「いつも通りでいいんだ。大丈夫だよ、家族なんだから」

 

 三人がこの蝶屋敷に来たときに家族の証として渡したのだと、いつだったか胡蝶が言っていた。

 その時の会話を脳裏に浮かべながらそう告げれば、ぱあっと彼女たちの顔が輝く。…うん、こっちの方が断然いいな。年相応で可愛らしい。

 

「わかりました!」

「お料理とか、お散歩とかしのぶ様がお休みの時に誘ってみます!」

「アオイさんとカナヲさんも!」

 

 きゃいきゃいと話をする三人を眺める。この子たちがいれば、きっとこの屋敷も陰鬱な空気にはならないだろう。これで胡蝶が回復していけば文句なしだ。

 また改めて見舞いに来ると約束し、彼女たちに別れを告げる。そのまま空屋敷に帰ろうと歩みを進めていると、玄関付近で背後から静かに名を呼ばれた。

 

「一宮さん」

「…しのぶ嬢」

 

 彼女の顔は俯いていて見ることは叶わない。けれどその雰囲気は重く、俺の知っている姿とはかけ離れたものだった。…姉を殺されかけたのだ。無理もないと思う。

 

「姉さんを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

 そう言って深く下げられた頭に手を伸ばして、数回弾ませる。…先程も思ったが、正直、その礼を素直に受け取るのは心苦しいものがある。俺は、鬼と胡蝶の間に割り込んだだけだから。薬を与えて血鬼術を消し去ってくれたのはあの猫で、その命を繋ぎ止めて回復に向かわせているのはこの蝶屋敷の住民──胡蝶の家族たちだ。俺は本当に必要最低限のことしかしていない。代わりに鬼を狩ることすら出来なかった。

 しかし、これを言ってもどうにもならないし、むしろ困らせてしまうだろう。だから俺は、何も言わない。ただ無言でしのぶ嬢の頭に手を伸ばし、数回弾ませて頭を上げさせた。

 

「一宮さん」

 

 されるがままだったしのぶ嬢からもう一度名前を呼ばれる。

 

「姉さんを襲った鬼の特徴を、教えて下さい」

 

 予想していた言葉だった。

 胡蝶の治療に当たっていたしのぶ嬢がここにいるということは、彼女が出来ることは粗方終えたのだろう。そして、傍を離れても問題ないと判断した。

 しのぶ嬢の場合、少し心に余裕が出来れば、安心と共に沸き上がってくるのは果てしない怒りだろうと、そう思っていた。そしてその怒りは、周りが完全に取り除いてやるのは難しい代物だ。実姉である胡蝶ですら微妙なところだろう。だから俺は、すみなほきよに"いつも通り支えてやってほしい"と頼んだんだ。少しでもその怒りと憎しみが和らぐように。彼女にとっての日常(しあわせ)に、目が行くように。

 けれど同時に、俺は上弦の弐についての情報を秘匿することは出来ない。鬼殺隊士として、そして柱として、下の者に注意喚起の意味も込めて周知させねばならないからだ。

 故に俺は、彼女への情報提供を惜しむつもりは一切ない。が、それは今でなくともいいだろう。

 

「数日以内に、緊急の柱合会議が開かれる。おそらくお前も、胡蝶についての報告のために呼ばれるだろう」

「はい」

「上弦の弐についてはそこで話す。お前もついでに聞いていけばいい。だから今は、何も考えずに胡蝶の傍に居てやりなさい」

「…はい」

 

 ようやっと見えたその顔は、安堵と怒りと、少しの恐怖が入り交じった複雑なもので。ついもう一度、そのまろい頭に手が伸びそうになった。

 

「それじゃあまた今度な。次は見舞いの品も持ってくる」

「…ええ。ありがとうございます」

 

 またな、としのぶ嬢と別れ帰路につく。そしてあと少しで屋敷に着くというところで、諸々の事後処理を終えた紅葉と偶然一緒になった。

 

「…」

「…」

 

 無言が空間を支配する。遥か上空から響くトビの鳴き声と互いの足音しか聞こえないこの状況は、えも言われぬ居心地の悪さを感じさせた。

 

「…怪我の具合は」

 

 暫く無言が続いていたため、いきなりの問いかけについ(ども)ってしまう。

 

「あ、ああ。軽い凍傷と切り傷だけだ。一部縫いはしたが、自宅療養でも問題ないと言われた」

「そうか…」

 

 ほう、と心底安心したように息を吐き出す紅葉を見て、自然と口から言葉が溢れた。

 

「ありがとう、心配してくれて」

 

 隣から僅かに怪訝さを含んだ視線が向けられる。

 

「そこは普通"ごめん"じゃないのか」

「そんなこと言ったら余計怒るだろう、お前」

「…ははっ。まあな」

 

 僅かに顔を向けて答えれば、一度ぱちくりと目を瞬かせてからからと笑う。その笑顔にはもう、先程までの張り詰めた様子はない。余程心配をかけてしまったらしいと、少し申し訳なくなる。しかし同時に嬉しいとも感じてしまうからもうどうしようもない。

 口面の下で苦笑していると、そうだ、と思い出したように紅葉が言う。

 

「預かった羽織な、指示通りにしておいたぞ。ついでに上から箱も被せたからまず間違いなく日には当たらない」

 

 念には念をってな。

 特に詳細を聞いてくるわけでもなく、頼んだこと以上のことをしてくれるこの男にはいつも頭が下がる思いだ。

 

「…本当に、俺の隠は優秀で助かる」

 

 屋敷に着き、戸を開く紅葉の背中を眺めながら無意識に溢れ落ちた。

 

「当たり前だろう?」

 

 その言葉を拾った紅葉が得意気な顔で振り返る。

 

「何たって俺は、お前に背中を任された身だからな」

 

 言うだけ言って中に入っていく紅葉を追いかけながら大きく息を吐き出す。

 

「…格好いいなぁお前は」

 

 意図的に小さくした声は、今度は誰にも拾われることなく静かに空気に溶けていった。

 

 

*****

 

 

「すまないね、あおい、しのぶ。二人とも疲れているだろうに」

 

 そう俺たちの前方で申し訳なさそうに眉を下げるのは、我らが鬼殺隊当主のお館様だ。そして左右に二人ずつ、現柱である岩柱、音柱、水柱、風柱の四人がそれぞれ座している。

 ここは産屋敷邸の一室。予想通り、上弦の弐と会敵した翌日の今日、緊急の柱合会議が執り行われた。俺が重症であれば何日か先だったのだろうが、幸いにも軽傷だったからな。なるべく早いほうがいいと判断してのことだろう。しのぶ嬢には少し酷かとも思ったが、彼女にとっても有益であるはずだから目を瞑ってもらいたい。とは言え、緊張やら何やらでやはり気を張っているのだろう。普段と比べて表情が硬い。

 

「いいえ。こういった情報共有はなるべく早い方がいい。気になさらないで下さい」

 

 代表して俺が答えると、お館様は微笑みを湛えて一つ頷いた。

 

「ありがとう。…では、まずはカナエの容態を聞こうか。しのぶ」

 

 話を向けられたしのぶ嬢は、一度瞳を閉じて深呼吸をする。そして再び開いた時には、医者としての顔つきに変わっていた。

 

「はい。まず切り傷ですが、四肢に細かいものが多数と、右脇腹から左胸にかけて大きく斬られていました。この胴体の傷が一番深く、放置すれば致命傷となっていたでしょう。発熱も見られましたが、これらの傷によるものなので時間が経てば平熱に戻ると思われます。また、両手の指先と左前腕辺りには凍傷が出来ていましたが、何れも軽傷で収まっています。ただ…肺胞の一部が壊死しているため、今後も隊士でいることは不可能だと思われます」

 

 例の薬で血鬼術は消し去ったが、それまでに侵食された部分は流石に治らなかったか…。

 しのぶ嬢の言葉に空気が重くなっていく室内に、お館様の落ち着いた声が染み渡る。

 

「そう。命に別状はないんだね?」

「はい」

「ならば、一先ずは安心だね。ありがとう、しのぶ。後日改めてお見舞いに行かせてもらうよ」

「えっ、あ…は、はい!ありがとう、ございます」

 

 予想外の言葉だったのかわたわたと礼を述べているしのぶ嬢にほんわかとした空気が流れた。

 しかし、それもほんの僅かな間だけだったが。

 

「さて…。では次にあおい。詳細を頼むよ。上弦の弐はどんな鬼だった?」

 

 その一言で、緩んだ糸が再び張り直されたように空気が正された。この場にいる全ての視線が俺に集まる。特に隣からの視線が痛い。

 様々な想いが乗せられた視線を受けつつ、俺は脇に伏せていた紙を手に取った。

 

「まずはこれを。隠に書いてもらった人相描きです。後で花柱が目を覚ましたら一度確認してもらいますが」

 

 お館様に一枚。左右の柱たちには二人で一枚を見てもらい、最後の一枚を瞬きもせずに俺を凝視しているしのぶ嬢に渡す。

 紙は逃げないからちゃんと瞬きしなさい。

 俺から紙に視線の向き先が変わったことを確認し、追加の情報を落としていく。

 

「血を被ったような髪模様に虹色の瞳。鋭い対の扇を持っており、それでも攻撃が可能なようです。俺の腕を扇で取ろうとしていましたし。おそらく花柱の切り傷もこの扇によるものかと」

 

 昨日の戦闘の様子を頭に思い描きながら話を進めていく。

 

「扱うのは氷の血鬼術です。元水柱、白金瑞乃の証言と花柱の症状からの推測になりますが、おそらく氷の粒子を空気中に散布しそれを吸わせることで、肺を傷つけ呼吸を阻害するものと思われます。他にも冷気を纏った煙幕を出したりしていましたが、申し訳ない。他の術を出させることが出来なかった」

「いいや。むしろ十分すぎるほどの情報だよ。ここまで上弦の情報を得られたことは鬼殺隊の歴史においてないからね。本当にありがとう」

「勿体ないお言葉です」

「他に、何か気になったことはあるかな?」

 

 その問い掛けに、一度閉じた口を再び開く。

 

「"男には興味ない"と言っていた割に俺には興味を持ったようで。何度か名前を教えてくれとせがまれました。まあ教える義理もなかったので答えませんでしたが。無いとは思いますが、奇襲してくる可能性もあるので暫くの間合同任務は避けた方がいいかもしれませんね」

 

 しんと静まる部屋に突き刺さる視線。俺が一体何をした…いや何もしていないからか…?

 

「…」

「…お館様?」

「あおい」

「はい」

「暫く、警戒は怠らないようにね」

「承知致しました」

 

 了承とともに頭を下げる。そして視線をお館様に戻せば、その顔はいつもの微笑みではなく苦笑に変わっていた。

 

「君のそういう顔を見るのは、瑞乃が逝ってしまったとき以来だ」

 

 …流石にばれるか。伊達に十年以上友人をやっていない。

 

「…切り替えますよ」

「そこは心配してないよ」

 

 ふ、と吐息のような笑いを洩らす。そしてすぐに表情を戻し、真っ直ぐ見つめられた。

 

「あおい。改めて礼を言う。また間に合ってくれて、カナエを守ってくれて。そして何よりも、生きて帰ってきてくれて。本当にありがとう」

 

──間に合ってくれたよ、あおいは。ちゃんと、瑞乃の最期を見届けてくれた。

 

 かつて耀哉に言われた言葉を思い出す。…ああ、そうだな。ちゃんと間に合って、命を繋ぐことができた。失わずに、家族の元に帰すことができた。

 

「──はい」

 

 こちらこそ、その事実に気づかせてくれてありがとう、耀哉。

 

 

 

 柱合会議が終わり、耀哉は上弦の弐についての情報を隊士たちに回すからと出て行った。広間には柱としのぶ嬢、つまり今日呼ばれた者が全員そのまま残っている。

 

「あの、一宮さん」

「ん?」

「瑞乃さん、という方は…」

 

 隣に座るしのぶ嬢からの控えめな質問に、周囲の柱の気配がぴくりと揺らいだ。その素直な反応に僅かに口角を上げて、質問に答えてやる。

 

「白金瑞乃。二つ前の水柱だ。五年前に上弦の弐と会敵し、俺が看取った」

「!」

 

 息を飲む音が響く。立ち上がり、庭に面した障子を開ければ、柔らかな陽光と共に熱を孕んだ風が室内に入ってきた。そのまま空を見上げて言葉を紡ぐ。

 

「"対の扇"と"氷を吸ってはいけない"という情報は、彼女が遺したものでね。俺が直接託されたんだ」

 

 だから叶うならば、俺がこの手で首を狩りたかった。まあもう過ぎたことだが。

 

「…それにしても、厄介なのに目をつけられたな」

 

 名前を聞かれたと言ってたときには派手に驚いたぜ。

 天元が両手を後ろにつきこちらを見上げて感心したように言う。

 

「まあ、長く柱をやっていればこういうこともあるだろうよ」

「生きて情報を持って帰ったのはいいがなァ。あんたのことも向こうで共有されてんじゃないかァ?」

「否定は出来ないな。一応使う型も限定したんだが、流石に手を抜くことは出来なかったし。けどまあ、鬼殺隊についての情報は一切漏らしてないから、そこは安心してくれ」

「お前に限ってそのようなこと、あるわけがないだろう」

 

 ジャリジャリと数珠を鳴らす悲鳴嶼は相変わらずの泣き上戸だ。

 

「(周りからの信頼が)厚いな」

「あァ?暑いなら羽織を脱ぎゃあいいだろォ」

「?何を言っている?」

「あ゛ァ?」

 

 冨岡も相変わらず口下手だな…。そして今のやり取りだけで不死川との相性が悪いことは分かったよ。

 そのまま不死川が突っかかり、富岡が斜め上の受け答えをするという混沌とした会話が繰り広げられ、最終的に俺と悲鳴嶼によって打ち止めとなった。天元としのぶ嬢は呆れながらも我関せずを貫いており、その態度に互いに妙な親近感を抱いたらしい。目を離した隙に何やら話し込んでいた。毒だの嫁だの聞こえたが、まあ、天元だし大丈夫だろう。

 



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後編

 

 そんな、ぐだぐだで終了した柱合会議から三日後。天元としのぶ嬢は揃って空屋敷に来ていた。ちなみに俺は非番、紅葉と美鶴殿は偵察で今日から数日留守の予定だ。

 

「で、いきなりどうした」

 

 客間に通し、人数分のお茶と練りきりを差し出しながら二人に問う。

 

「色々と考えた結果、ここで話すのが一番手っ取り早いって結論になった」

「うん?」

 

 聞けばあの会議の後、会話の流れで戦術についての話になったそうで。首を斬る筋力がないと溢した彼女に、天元は"毒"という道を示したという。

 元忍という身であるから宇髄夫妻は毒によく精通しており、本来ならば奥方たちに蝶屋敷までその毒(人間用)を届けてもらう予定だったらしい。しかし、直前に須磨殿が誤って庭に全てぶちまけたことによりその予定は頓挫。新しく調合するために数日置き、俺に話があった天元の提案でこの空屋敷で会って渡すことにしたらしい。

 昨日の夜烏によって届けられた手紙には、今日二人で訪ねる旨しか書かれていなかったから何事かと思えば。

 

「話は分かったが、何故この屋敷で会う…」

「すみません…」

「俺はあおいさんに話があったし、ついでにこいつに裏山を走らせればいい鍛練になると思ったんだよ」

 

 しゅんと肩を落とすしのぶ嬢を親指で指し示す天元に軽く息を吐く。

 

「まあ今日は非番だから別に構わないがな。…しのぶ嬢、裏山には至るところに罠が仕掛けられている。油断すれば大怪我にも繋がるが、それでもやるか?」

「──やらせてください。柱になるために、上弦の鬼を斬るために。私に力を貸してください」

 

 真っ直ぐ、逸らすことなく目を合わせられる。…なるほど。これは一種の覚悟を決めた者の目だ。

 

「…ひとつ、条件を付けようか。決して自身を鑑みずに鬼を狩ることなどしないと。家族と共にこれからも生きるという覚悟を、決めてほしい」

「共に、生きる…」

「そう。その覚悟を決められるなら、俺も手隙の時に力を貸そう」

 

 何かを考えるように宙を見つめるしのぶ嬢を二人で見守る。そして大して時間もかけずに再び俺に視線を向けた彼女は、大きく頷くことでその条件を受け入れた。

 

「よし。じゃあ取り敢えず裏山に案内してくるから、天元はここで待っててくれ」

「おー」

 

 以前天元に走らせたものと同様の道に案内する。しのぶ嬢は現役隊士だからきっと大丈夫だ。地面も木も自由に使って下山してくるよう伝えて、俺は一足先に山を下りた。

 その道中、ここ数日の出来事を思い返す。

 上弦の弐に負わされた傷を手当てし屋敷に戻った俺は、伝えた通り待っていてくれた猫―─茶々丸に、暁に訳してもらいながらではあるが話を聞くことに成功した。

 何でも茶々丸は、子猫の時に弱っているところを珠世殿に保護してもらったらしい。それからずっと、彼女の使い猫として共に暮らしているのだとか。

 俺が"珠世"を探していると知っていながら薬を提供してくれたのは、お礼の意味もあるが、何よりそうした方が彼女のためになると直感的に思ったからだと教えてくれた。直後に"信じられると判断した"とも伝えられたが、余程彼女のことが大事なのだろうな。

 茶々丸が薬を持ってきたのは完全に独断だったらしく、それならばと手紙を託すことにした。直接会いに行くのもいいが、いきなり押し掛けるのは礼儀に反するし、余計な警戒もされたくない。あくまでも俺たちは協力してほしいと頼む側だ。おまけに今回、間接的にではあるが命を救われた者もいる。礼を尽くすのは当然と言えよう。

 そう考えて手紙を認め茶々丸に預け、今日で五日になる。流石に考えが甘かったかと思わなくもないが、どうだろうなぁ…。

 そう悩みながら天元の待つ客間に向かえば、聞こえてくる笑い声と猫の鳴き声。…猫の鳴き声?

 

「…茶々丸?」

 

にゃーん

 

「お。おかえり。あおいさん猫飼ってたのか?」

 

 胡座をかいている天元の膝で警戒することなく丸くなっているのは金目の三毛猫。茶々丸だ。

 

「あー、いや…。前に怪我してるところを保護して、それ以来遊びに来るようになったんだよ」

「へぇ」

 

 頭を撫でられて尻尾で返事をしている様子を見るに、完全に寛いでるな、これは。

 なんというか、先程まで悩んでいたこともあって妙な脱力感を覚える。一つ息を吐き出し、まあいいかと天元の向かいに腰掛けた。

 

「それで、頼み事って?」

 

 淹れ直したお茶を啜りながら話を向けると、真面目な顔をした天元が居住まいを正し口を開いた。

 

「実は──」

 

 

 

 しのぶ嬢が裏山に行き、既に四半刻が過ぎていた。天元との話も終え、今は二人で昼餉を作っている最中だ。

 

「それにしても、あおいさん料理出来たんだなー」

「それはこっちの台詞だな。15で奥方たちが嫁いできたって聞いてたから、てっきり料理は任せっきりなのかと思ってたよ」

「基本は任せてるけどな。里抜けした直後は全員で手分けして作ったこともあるから派手に出来るんだなこれが。それに今回俺は言われた通り具材切ってるだけだし。あおいさんは?」

「ああ、なるほど。俺は子どもの頃、あまねと一緒に母に仕込まれてな。今日みたいに紅葉たちがいない日もあるし、結構作る頻度は高いよ」

 

 天元が切った具材を順に鍋に入れて、調味料とともに煮込んでいく。よし、蓋をしてこのまま暫く放置だな。

 

「あまね様とってことは、生家の方か。神社なんだっけ?」

「ああ」

 

 天元には継子時代に機会があって、俺が入隊するきっかけの話をしたことがあった。その流れで神籬の家や一宮の家のこと、耀哉とのことも話していたからあまねが妹であることも話した気になってたんだよなぁ。

 

「そういえば、あおいさんの千里眼ってのは未来が見えるんだよな?」

「うん?そうだよ」

 

 いきなりどうした?と隣を見上げる。天元もこちらを見ていたようで互いの視線が交わった。

 

「未来が見えるなら過去も見えるのか?」

 

 思いがけない質問につい固まってしまう。過去…過去かぁ。

 

「…その発想はなかったなぁ」

「そうなのか?」

「ああ。そもそもこの千里眼も今は滅多に使わないから」

 

 使用条件が"額同士を合わせる"だから、使用頻度はどうしても下がる。

 

「未来視の制御に比べれば、過去は"もうすでに起こったこと"だ。変えようがないからおそらく見ること自体は簡単だろう」

「ほお」

「が、そう単純な話でもないだろうな」

 

 誰にだって、人に知られたくないことの一つや二つあるだろう。俺にだってある。もちろん、隣にいる天元だってそうだろう。制御が出来ていない内は見るものを指定出来ないから、見られたくないものを見てしまう危険性が高い。

 

「だからまあ、練習するなら人を選ばないとな」

「…地味に面倒な能力だな」

「あっはは、そうだな」

 

 そのまま話を進めつつ出来上がった料理を皿に盛っていく。すると、廊下の向こうから気配がした。

 

「お、戻ってきたな」

「だな」

「~~~っ!!」

「あ?なんだ?」

「…あ」

 

 そういえば、客間には茶々丸がいたな。

 天元と二人、皿を手を持ち客間に戻る。そこには障子にへばりつくしのぶ嬢と、座布団の上で目を丸くしてその様子を眺めている茶々丸がいた。

 

「…」

「…」

「…」

 

 持っていた皿を盆に乗せ、着ていた羽織を脱ぐ。

 

「茶々丸。すまないが暫くここに潜っていてくれないか。寝てていいから」

 

んにゃ

 

 もぞもぞと潜っていった茶々丸を見送り、改めて背後を振り返る。

 

「お前、猫駄目なのか?」

 

 盆に皿を配置した天元がにやにやと笑いながらしのぶ嬢を見ており、それに対ししのぶ嬢は顔を顰めて無言を貫いていた。

 

「すまない、しのぶ嬢。張り紙でも貼っておくんだった」

「はりがみ…っ」

「…いえ、大丈夫です」

 

 何故そこでツボにはまる?

 視界に入らなければまだ平気なのか、そろそろと室内に入ってくるしのぶ嬢に苦笑を洩らす。

 

「昼餉を作ったんだ。よかったら食べていかないか」

「凄い…これ、一宮さんが作ったんですか?」

「あとはそこの筋肉達磨がな」

 

 嘘でしょという顔を隠しもしないしのぶ嬢はかなり素直な性格だと思う。

 今日の昼は筑前煮、豆腐とネギの味噌汁、そして白米だ。筑前煮はまだ量が残っているからそのまま夕餉に回す予定でもある。

 

「一応量は少なめに盛っておいたが、細かい調整は自分でやってくれ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 あまり見られていると落ち着かないだろうと自分の食事に集中することにする。天元の笑いも収まったようだし。

 普段よりのんびり食べ進めて、時折「美味しい…」「祭りの神とその師匠が作ったんだから当たり前だろ」「意味が分かりません」等という突っ込みどころ満載の会話をしながら完食し、後片付けを終えて再び腰を落ち着けた。

 

「さて。それで、山はどうだった?見たところあまり怪我は負っていないようだが」

「死角から攻撃が飛んできたので驚いたし、いくつか掠りもしましたが概ね問題なかったです」

「なるほどな。然程時間もかかっていなかったし、現役隊士には簡単過ぎたか」

「けど、木を使っての移動はあまりしたことがなかったのでいい経験になりました。戦術の幅が広がります」

「そうか。何か為になったのならよかったよ」

「あとは毒についてなんですが…」

 

 そこでちら、と二人して視線を横に移すと、天元が懐から厚みのある包装を取り出ししのぶ嬢に手渡した。

 

「中にいくつか入れておいた。量はそう多くないから、誤って口に入っても腹下すくらいで死にはしない、が。くれぐれも気を付けろよ」

「ありがとうございます」

 

 中身をばら蒔かないよう注意深く開けると、中には少量の粉末を包んだ薄い紙が五つと説明書きが一枚詰められていた。

 

「これ、鬼に効くのか?」

 

 ふと疑問に思いそう聞くと、二人は揃って首を傾げた。

 

「使ったことがないから知らねーな」

「実験してみないと分かりませんね」

「ふぅん…」

 

 鬼の弱点は日光と藤の花のみ。これは産屋敷邸の書物にも書いてあったから間違いない。上弦を狩れるようにとのことだったが、まずはそこら辺の低級に効かなければ意味はないだろう。

 何とはなしに庭に植わっている藤の花を見やる。…そういえば。

 

「昔、何かの書物で読んだんだが。藤にも毒があるらしい」

「え」

「そうなのか?」

 

 俺につられて二人とも庭に顔を向ける。

 

「ああ。花と豆、そして(さや)の部分に毒が含まれてるんだと」

「…じゃあ、鬼の弱点の藤の花から毒を作れば」

「鬼を殺せるかもな」

 

 じっと庭を見つめるしのぶ嬢の頭を軽く撫でる。

 

「良ければ一房持って帰るか?」

「いいんですか?」

「ああ。帰るときに好きなものを切っていくといい」

「ありがとうございます」

 

 嬉しそうにしているその顔に、先日の陰りは見られない。気分転換になってるならそれはそれでいいんだが…一貫して鬼の滅殺方法の模索なんだよな、今日集まってる理由。

 まあでも、鬼気迫る感じでやるより余程いいか。

 その後はどの植物の毒がいいとか、毒を使うなら注入方法も考えようとか色々と話を進めて、半刻後に藤の花を一房持たせて帰すことになった。いやほんと物騒だな今日。

 二人を玄関まで見送り、しんとした客間に戻る。くしゃっと畳に置かれている羽織を捲れば、そこには気持ち良さげに寝ている茶々丸がいた。

 

「随分待たせてしまったな」

 

 声を潜めて人差し指の腹で額を撫でる。無理に起こすのも忍びないので、起きるまで刀の手入れでもするかと客間を後にした。

 

 

*****

 

 

にゃーん

 

 手入れが一通り終わったところで廊下から鳴き声が聞こえた。

 

「起きたか、茶々丸」

 

にゃーお

 

「ふふ。おいで」

 

 障子を閉めて行儀よくお座りをしている茶々丸の前に座る。

 

「さて。待たせて悪かったな、茶々丸」

 

うにゃん

 

 気にしなくていいと言うように小さな身体を擦り付けてくる。可愛いなぁ。

 

「ありがとう。…またここに来てくれたということは、珠世殿からの返事を期待してもいいのかな?」

 

 そう問い掛けると、俺に背負っている鞄を見せてきた。開けろということか?確認すると同意が返ってきた。では遠慮なく。

 鞄の中には珠世殿からのものと思われる手紙と、刃の付いた何かの器具が複数入っていた。

 先に手紙にさっと目を通す。柔らかく癖のない、丁寧な字だ。

 

『拝啓 一宮あおい様

 

 ご丁寧な対応感謝申し上げます。

 そして半年前、茶々丸を保護してくださりありがとうございました。この子は私の大切な家族なのです。その家族を助けてくださったこと、心よりお礼申し上げます。

 今回のそちらからの申し出には、大変驚いているというのが正直なところです。

けれど、私の作成した薬が少しでも人の役に立てたのなら、それ以上の喜びはありません。それは今後、貴殿方と協力関係を結ぶことが出来たとしても変わらぬ本心と言えましょう。

 しかしながら、こちらを信用できないのは貴方も同じなはず。ならば貴方の言う通り、まずはこうして文通で互いについて知っていくことが良いかと存じます。

 そしていきなりで申し訳ないのですが、私から一つ頼みたいことがあるのです。

 鬼の血を採取してはもらえませんか。研究を進めるためにはより多くの検体を必要とします。もし可能なのであれば、十二鬼月、それも上弦の鬼が望ましいです。数字が小さければ小さいほど、鬼舞辻から与えられた血の量も多くなります。少しでも鬼舞辻に近い細胞が欲しいのです。

 この手紙と共に注射器を茶々丸に持たせます。剣先を刺し込むだけで血の採取が可能となりますので、そう難しいことではありません。

 ただ一つ。鬼舞辻は自分の配下の鬼を常に監視しています。視界も、思考も、全て読まれてしまう。ですから鬼の血を採取する際はなるべく気取られないよう注意してください。

 どうか、よろしくお願い致します。

 

 かしこ 珠世』

 

 書かれていた内容に口角を上げる。

 

「ありがとう、茶々丸。お前のおかげで協力を取り付けられそうだ」

 

んにゃお

 

 満足げに一鳴きする茶々丸の耳の付け根を掻くように撫でてやる。

 

「これで鬼の血を採るのか…面白いな」

 

 上弦の鬼の血か…。ちょうど御誂え向きなものがあるな。果たしてあれから採取が出来るかどうかはやってみないと分からないが。

 押し入れの奥に収納している木箱を取り出す。蓋を開け中身を包んでいた布を退けると、現れるのはあの日斬り飛ばした上弦の弐の腕。

 その腕に、送られてきた注射器を一本刺し込む。

 

「お、採れてる」

 

 胴体から斬り離されてるのに採血出来るとかどうなってるんだろうな。鬼の身体は不思議なことだらけだ。

 

「直接会えるようになったら渡しに行こうな」

 

 採取した血と簡単に返事を認めた手紙を背中の鞄に入れ、茶々丸の顔を揉む。

 互いの信用度合いもそうだが、俺が上弦の弐に目をつけられた以上下手に接触してはあちらにも迷惑をかけてしまう。だから最低でも数ヶ月は空けたいところだ。…まあ、この情報を伝えると余計警戒させてしまいそうだから言わないでおくが。

 茶々丸を外に出して走っていくのを、縁側の柱に身を預けながら見送る。

 

「さて…いつ会えるようになるかな」

 

 まだ見ぬ協力者に想いを馳せる。

 新たに結ばれたこの(えにし)が吉と出るか、凶と出るか。正に神のみぞ知る…いや。

 

「たとえ凶だろうが、吉にしてみせるさ」

 

 そのためにも、互いに信用を得なければな。

 

 

*****

 

 

『拝啓 珠世様

 

 私は鬼殺隊で空柱の名を賜っている、一宮あおいという者です。いきなりこのような形で手紙を差し上げてしまい、本当に申し訳ない限りだと思っています。実は、茶々丸とは以前浅草で怪我をしているところを保護したことがきっかけで知り合いました。およそ半年前の出来事です。

 さて、今回このように手紙を認めたのには訳があります。

 本日未明、上弦の弐と会敵した同胞が茶々丸の与えてくれた薬によって一命を取り留めました。血鬼術の効果を消す薬だと伺っています。その薬のおかげで、私は仲間を失わずに済んだ。貴女の作った薬が、一人の命を救ったんです。茶々丸は貴女に無断で持ち出してしまったと言っていましたが、それでも貴女に救われた事実に違いありません。本当に感謝しています。

 珠世殿。我が鬼殺隊当主、産屋敷耀哉様は貴女と協力関係を結ぶことを望んでいます。

 鬼を人に戻す薬。その薬が完成すれば、千年続くこの負の連鎖を断ち切ることができる。或いは、少しでも鬼を弱体化することが出来れば、全ての始まりである鬼舞辻無惨を屠る可能性が上がる。そのためにも、我々と手を結びませんか。彼の者の首を望む貴女にとっても、悪い話ではないと思います。

 けれど、この言葉のみで信用しろと言うのも土台無理な話だと理解しています。なので、まずはこうして手紙でやり取りしてみませんか。

 もし検体が必要なのであれば、出来る限りの対応を致しましょう。"会ってもいい"とそう貴女が判断するまで、こちらから接触することは一切しないと誓います。

 どうか、ご一考頂きたく。

 色好いお返事をお待ちしております。

 

 敬具 一宮あおい』

 

 茶々丸が大慌てで出て行った日の夕方。帰って来たこの子の首に括り付けられた手紙を開いた時は、背筋が凍る思いだった。

 半年前に茶々丸が怪我をしたのは知っている。その時に羽織を羽織った青年に保護されたのも、愈史郎と二人見ていたから知ってはいた。その時は心配はしたけれど、数日後に怪我を治して帰って来たからあまり気にしてなったのに。それがまさか鬼殺隊の、それも柱とされる人物だったなんて。

 …どうしよう。鬼殺隊に見つかってしまった。彼らは鬼を斬る側だ。鬼を憎み、恨み、多大な怒りを抱いている者が多くを占める。私はここ数百年人を食べてもいないし殺してもいないが、それでも鬼舞辻によって鬼にされた直後はそうじゃない。多くの人を殺してしまった。その罪は、決して消えることはないのだ。

 だから私は、鬼舞辻だけでなく鬼殺隊も避けてきた。見つからないよう頻繁に住まいを変え、愈史郎と出会ってからは彼の血鬼術で文字通り隠れて暮らしてきた。

 そんな相手に、今回初めて見つかってしまった。そのきっかけが使い猫の茶々丸だとは思わなかったけれど。

 どうしよう。その言葉がぐるぐると頭を巡る。愈史郎に話したら一度キッと茶々丸を睨んですぐに引っ越しの準備に向かってしまった。そんな彼を見て私も準備を進めようと手を動かす。

 けれど同時に、これを好機と捉える自分もいた。

 もし、この手紙に書かれていることが真実なのだとしたら。こちらにも恩を感じているのなら、少なくともこの人は、私たちに刀を向けることはないのではないだろうか。どういう経緯で鬼殺隊当主に話が行ったのかは分からないけれど、もし、本当に当主自ら手を結ぶことを望んでいるのなら。

 もう一度送られた手紙に目を通す。

 繊細でいながらどこか芯のある、優しい字。

 

「…この縁を、無駄にする理由はない、か…」

 

 手紙を受け取って四日目の夜、私は筆と紙を手に取った。

 





・人生初のナンパ?をした人(23)
 手紙なら人柄も伝わりやすいかなと考えて文通を提案した。無事成功。
 実はずっと怒っていた。鬼に対してはもちろん、自分自身に対して。だって間に合ったとはいえ首を捕ることは出来なかったから。次に会ったら絶対に狩る。
 美人同士の物騒な会話に遠い目をしたくなった。


・友人が上弦に興味持たれて複雑な人(19)
 え、上弦の弐に興味持たれたの…?そう…。
 本当は一人で任務に行かせるのやめようかなと思ってた。でも柱には限りがあるし、下の階級の隊士をつけても逆に危ないから「警戒してね」だけに留めた。


・久しぶりの師匠の家で猫と戯れてた人(19)
 あおいさん料理作れるのか…って割と本気で驚いた人。継子時代は美鶴さんか自分の奥方たちのどちらかが必ず家にいたから、オリ主の料理が披露される機会がなかった。筑前煮美味い。
 以下、師匠について知っていることリスト
 ・11で鬼殺隊に入り、14で柱になった
 ・お館様とはお友達
 ・あまね様の双子の兄でお館様の義理の兄
 ・生家が神社で兄が二人いる
 ・千里眼使える
 ・料理できる←NEW!


・輝かしい笑顔で毒について話す美少女(14)
 オリ主には本当に感謝しかない。この恩はいつか必ず返します。
 この後蝶屋敷に帰ったら目を覚ましたカナエさんがいて皆で号泣する。落ち着くまでみんなで団子になった。
 今後は姉のリハビリと毒の研究と実験に明け暮れることになる。藤の花から毒を抽出し、鬼を殺せるようになるのもそう遠い未来ではない。


・使い猫が爆弾持って帰ってきた人(鬼)
 本当にびっくりしたし今日が命日かと思った。
鬼殺隊は自分を討伐対象として見ていると思っていたので、鬼殺隊側からの提案に頬を抓る毎日です。今でも信じられないけど手元にある手紙が現実だと訴えてくる。茶々丸も懐いていることと手紙の様子から判断して、数ヶ月したら会うことになるかもしれない。
 取り敢えず愈史郎の説得頑張ります。



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以下補足&あとがき

 きっと伊黒さんがいたらネチネチ言ってるなと思いながら書いてました。不死川さんはどうだろうか。あんな見た目と初登場の仕方(原作)だけど仲間想いな人だから、ちゃんと生きて戻って情報持って帰ったら優しい対応してくれるんじゃないかな。という幻覚を見ました。
 ちなみにカナエさんが氷を吸っちゃったのは"ついうっかり"です。至近距離で斬られて咄嗟に回復の呼吸を使おうとした際に肺に氷が入ってしまいました。"吸ってはいけない"という事前情報はちゃんと頭に入っていたし、実際斬られる前は気を付けてはいたけど、"怪我をしたら回復の呼吸"という習慣には勝てなかった。という設定です。

 それはそれとして何で天元としのぶ嬢はお互いに親近感を抱いてるんでしょうね。毒の相談とかしだしてどうしようかと思いましたよ…。
 あと筑前煮って当時東京で食べられてたのかなと思いつつ、もう書いちゃったし細かいところは別にいいかと諦めました。気にしないでください。

 空屋敷に植わっている藤の花は、藤襲山のものと同じ品種です。なので一年中咲いてます。柱になるときにお館様に貰いました。外から見えない位置に植えられているので、近所の人たちには常に藤のお香を焚いていると評判になってます。
 後日同じ品種のものを蝶屋敷に届けるようお館様にお願いします。鬼を滅するためならと、お館様もにっこり笑顔で即了承。ちなみに激レア。一年間狂い咲くとかとても稀少種なので他の隊士の元にはいかない。そっちに回すなら藤襲山に植えると思う。あおいが貰えたのはお友達だから。お屋敷はお館様から、藤の花は産屋敷耀哉個人からの贈り物です。

 それから本当に今更なんですけど、カナエさんが亡くなったのって冬だったんですね…そしてその年の夏に時透くんが保護された…。うん、見事に順番逆になりました。まああれです。魔法の言葉「ご都合主義」の発動ですね。よってこの話では、

花柱 胡蝶カナエ 上弦の弐と会敵(夏)
  ↓
時透兄弟保護

ということにします。皆さん優しいからきっと許してくれるって信じてます。

 本当は天元の"お願い事"についてだとか、時透兄弟についてだとかまで話を進めるつもりだったんですよ。何でほんの数日の話なのに一万字越えてるの。
 しかも初の他者視点がまさかの珠世さん。紅葉かあまね様かお館様か。天元あたりも面白そうだなと思っていたのにどうしてこうなった。いや理由は分かってるんです。あおいからの手紙をどこに捩じ込もうか迷った結果なんです。折角書いたしそれだけ載せるのもいいけどなんだかなーと思い、気づけば珠世さん視点を書いていたという。驚きだぜ。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました!また次回お会いしましょう!


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鬼殺隊の最古参の柱は過去の己の行動を心底後悔する
前編


 

 老いも若きも舞い上がる女の園、吉原遊郭。天元曰く、日の本一色と欲に塗れた場所。

 絢爛豪華な通りでは多くの遊女が男を誘い、男も一時の夢を求めてその誘いにのる。

 そんな愛憎渦巻く遊郭に、俺は今一人で立っていた。

 口面を外し、それなりに上等な着物を身に纏いゆっくりと歩みを進めるその様は、どこで今夜の夢を買うか考えているように見えるだろう。むしろ見えていなければ困る。あまり悪目立ちは出来ないのだから。

そもそも何故俺が、あまり縁のなかった遊郭に来ているのか。事はあの日、天元がしのぶ嬢と共に屋敷に訪れた日にまで遡る。

 

 

 

「──遊郭に鬼?」

「ああ」

 

 天元からの頼み事は、共に客として遊郭に潜入してほしいというものだった。

 何でも、鬼が潜伏するのに都合がいい場所はどこかと考えて遊郭を思い付いたらしい。

 あそこは正真正銘夜の街だ。遊女であれば昼見世もあるだろうが、ある程度格が上がれば出る必要もなくなる。客ならばより一層簡単だろう。人を食ったとて、遊女であれば足抜けだと偽装することも難しくないし、たとえ客だったとしても誤魔化すことは十分可能だ。

 なるほど。そう考えると確かに遊郭は優秀な"餌場"だな。

 

「店は絞ってあるのか?」

「ああ。とりあえず五ヶ所までは」

「そうか。うん、分かった。協力しよう。だが五ヶ所に絞り込んだとは言え二人で探すには…」

 

 そこまで言ってつい口をつぐむ。

 遊郭という閉ざされた場所で定期的に人を食っていると考えると、相手は十二鬼月である可能性が非常に高い。となると、出来れば(きのと)以上であることが望ましい。しかし当てはまる隊士の数はそう多くない。ならば柱はどうか、という話だが、残りの柱を思い浮かべてみてほしい。

 

悲鳴嶼。身体が大きい上に常に泣いている。

冨岡。口下手が過ぎて情報収集には不向き。

不死川。顔も身体も傷だらけな上に目が怖い。

 

 …うん。無理だな。

 俺の思考を読んだのか、天元は真顔で「他の奴らにゃ無理だ」と吐き捨てた。特に異論を示すことなく互いに一つ頷き話を進める。

 

「情報が多く入るとなると、花魁かそれに近しい者か?」

「ああ。だが最初からそこを狙うのは悪手過ぎる」

「そうだな。そもそも会わせてももらえないだろう。…となると、長期戦を覚悟で将来有望そうな遊女に定期的に通うか」

「俺的には地味な作戦だが、それが一番無難だろうよ」

「…うん。承知した」

 

 頭の中である程度の条件を見繕い、基準を固める。とりあえず、見目と器量が共に優れており、かつ周りから慕われているであろう遊女を選ぼう。普段は女性をこのような視点で見ることがないため、正直言ってかなり心苦しい。が、これも仕事だと割りきることにする。

 

「あおいさんなら問題ないと思うが、出来るだけ地味に潜入してくれよ」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」

 

 

 

 といったやり取りをした約一月後が今日だ。本当ならもう少し早く取り掛かりたかったんだが、一応上弦の弐を警戒した結果であるので仕方がない。

 この一ヶ月、警戒していたのが馬鹿らしくなるほど何もなかった。いつも通り任務に行き、いつも通り首を狩って、いつも通り屋敷に帰る。あの鬼が再び接触してくることはもちろん、不自然な動きをする鬼もいなかった。

 

──他の鬼に殺されてくれるなよ?

 

 …上弦の弐から掛けられたあの言葉。すぐに俺をどうこうするつもりはないと考えていたが、この一月の状況を鑑みるに当たっていたと見ていいだろう。

 まあその代わり、次に顔を合わせた時はどちらかが死ぬんだが。とは言え俺は死ぬつもりなど毛頭ないので、首を捕られるのは彼方の一択だ。当然だろう。

 なんて。そこまで思考を巡らせて一度息をつく。そろそろ気持ちを切り替えよう。これ以上は無意味でしかない。肩の力を抜きつつ適度に警戒すればいいだけの話だ。

 そうぶらぶらといくつかの張見世を冷やかしつつ、たまに差し出される煙管を笑顔で躱すこと数回。

 ようやっと目当ての妓廊の一つに辿り着いた。

 一先ず張見世を覗こうと群がっている男たちの合間を縫い格子に近づく。ゆっくりと中に視線を走らせ、そして俺は一人の少女を見つけた。

 煙管を下に傾け、物憂げに伏せられた瞳。そこから伸びるふさふさの睫毛に、透き通るような肌。彼女を視界に入れて、直感する。彼女は将来、この吉原遊郭を代表する女性になると。

 

「──こんばんは、お嬢さん。お名前を伺っても?」

 

 それが後の花魁、鯉夏との出会いだった。

 

 

 

 店に入り、俺を一目見た楼主はにっこりと人好きのする笑みを見せ、俺を座敷に通した。…おそらく、俺の身なりからそれなりに金を持っていると判断したのだろう。念のため良い着物を着てきて良かった。まあ実際、柱になってからというもの十分過ぎる程の給金を受け取っているので、あながち間違ってはいないのだが。

 …いや、そんなことはどうでもいいのだ。

 座敷に通され運ばれた食事をちまちまと摘まんでいると、襖の向こうから声が掛かった。

 鈴を転がしたような、澄んだ声だ。

 

「お待たせして申し訳ありません、藤宮様」

 

 "藤宮あかね"。

 潜入する際、偽名を使った方がいいという天元からの助言を受けて考えた名前だ。

 

「いや、気にしなくて構わないよ。ここの食事が美味くて時間を忘れていたからな」

「それはようございました」

 

 ゆっくりと室内に入り俺の隣に腰を下ろすと、そのまま徳利を持って酌をしてくれる。

 

「ときと屋へは初めてですか?」

「うん。遊郭自体も大分久しぶりだ」

「そうなのですね。今夜はどうぞ、楽しんでいらしてね」

「もちろん」

 

 こちらの身元に繋がるような情報は出来るだけ落とさないよう注意して話を進める。とはいえ、ほとんど素のままの会話なんだが。

 偽名を考えた際、いっそのこと"藤宮あかね"という人物を新しく作ってはどうかという話になったが、別人を演じるなんてそんな器用な事俺には出来なかった。よって、ここにいる"藤宮あかね"は、ほとんどが"一宮あおい"のままという状態になっている。…他の柱には無理だと判断したが、俺も然して変わらない気がしてきた。ごめんな天元。

 脳内の元継子に謝罪しつつ食事を頂き、酒も呑み、それなりに言葉を交わして分かったことがいくつかある。

 まず、これが一番大事なのだが、彼女は以前俺が定めた"基準"を文句なしに満たしているということ。見目が良いのはもちろん、話の流れで琴や三味線といった芸事も得意であることや、他の遊女との仲も良好だということが伝ってきた。偶然とはいえ、彼女を見つけることが出来て本当によかったと思う。

 次に、彼女が客を取り始めたのがごく最近だということ。遠い記憶にある遊女たちに比べて、酌の仕方も表情の作り方も、"遊女"というよりは所々まだ普通の少女のようだ。歳もしのぶ嬢と然程変わらないくらいだろうから間違いない。

 そして最後に、時間が過ぎる毎に彼女の緊張が増しているということ。座敷に入ってきた時よりも明らかに表情がぎこちない。

 

「…そんなに緊張しなくても、取って食ったりなどしないよ」

 

 上手く隠せていると思っていたのだろう、ひどく驚いた顔を見せてくれた。それに一つ笑いを溢し、窓際に寄って空を見上げ更に続ける。

 

「こちらにおいで。今日は月がないから星がよく見える」

 

 少しして、おずおずと近づいてくる気配がした。怖がりな猫を手懐けている気分になり知らず口角が上がる。

 隣に来た彼女に指でほらと指し示せば、小さく息を飲み一言だけ言葉を紡いだ。

 

「綺麗…」

「朔の日なんだ。月に一度、お月さまが姿を隠してしまう日」

 

 そう言えば何故か視線を感じるからつい目をやってしまう。予想通り、じっとこちらを見つめる大きな瞳と目が合った。

 

「…どうした?」

「あ、いえ…その…」

「うん?」

「あなたが、お月さまのように思えて…」

 

 予想外の言葉に目を瞬かせる。

 

「…俺が?」

「はい…」

 

 ほんのりと頬を赤く染め、気恥ずかしそうにうろ、と視線を彷徨かせる彼女を眺めているうちに、じわじわと笑いが込み上げてきた。…あ、駄目だ。堪えられない。

 

「…ふっふふ、あはは」

「わ、笑わないでください…!」

「いやっ、すまない…!思いがけないことを言うものだから、つい…っ」

 

 必死に耐えようとして喉元で声を抑える。肩を震わせつつ滲んできた涙を拭い、息を整えるために深く呼吸をする。

 

「ふぅ…面白いことを言うなぁ、鯉夏は」

 

 思い出し笑いをしないよう話題を移そうかと考えて彼女に目を向けると、またもやじっと俺を見ていた。今度は大きな瞳を更に大きくするというおまけ付きだ。

 

「名前…」

 

 小さく呟かれた内容に、そういえば座敷に上がってからは一度も呼んでいなかったと思い至る。

 

「すまない。いきなりは不躾だったかな」

「っいいえ!全然そんなことは…むしろ、嬉しいです」

 

 先程よりも濃く色付いた頬がやけに目についた。

 

「あの。私もお名前を、あかね様とお呼びしても、よろしいですか」

「もちろん、構わないよ」

 

 嬉しそうに音にはせずに名前を呟く鯉夏に、小首を傾げて問い掛ける。

 

「…もう怖くないかい?」

「え…?」

「いやなに、俺はそれなりに背丈があるし、この毛色だろう?初対面だと怖がられることもあるから」

 

 まあその多くは口面をつけてるからなんだが。それでも十人に一人くらいは外国(とつくに)の出身かと勘違いして敬遠してくることもあるし、単純に背が高くて怖いと思われることもある。

 そう思っての発言だったのだが、鯉夏的には不満だったらしい。

 

「怖くなんてないです!」

 

 柳眉をぎゅっと中心に寄せて否定すると、両手を俺の左手に伸ばしそっと握る。

 

「あかね様はお優しい方です。私のような遊女にもそうやって気を遣ってくださる。確かに緊張してはいましたが、怖かったのではなく、あなたが…」

 

 とても綺麗な方だから…。

 小さな小さなその声は、ともすれば外のお囃子に掻き消されてしまいそうで。

 普段はあまり気にも留めないその言葉が、何故かいつものように耳をすり抜けて行ってくれなかった。

 

「…ありがとう。けど、俺にしてみれば貴女の方が余程綺麗だよ」

 

 鯉夏の手に握られていないもう片方の手を重ね、もう一度ありがとうと礼を言う。

 

「そろそろ大門が閉まる頃かな」

「…もう帰ってしまわれるの?」

「惜しんでくれるのか?嬉しいなぁ」

 

 今夜の目的は既に達した。遊郭内部の構造や人の出入りも粗方把握出来たし、ときと屋の遊女とも顔馴染みになれた。ならばそこまで長居しなくてもいいだろう。それに今日は日輪刀を持ってきていない。万が一鬼と遭遇してしまえば、抵抗する手立てがない俺では食われて終わってしまう。それだけはごめん被りたい。

 …という内心はおくびにも出さず、鯉夏には明日も仕事があるのだと伝える。嘘ではない。明日も任務はあるし、なんならこの後藤の花の家に預けている刀を受け取って巡回に向かわねばならない。柱は忙しいのだ。

 しかしそうだな…。

 目を伏せて残念そうにしている鯉夏に、このまま帰るのも忍びないと、一つ約束することにした。

 

「ふふ、ならこうしようか。月に一度、朔の日には貴女の元を訪ねるとしよう」

「月に一度…約束ですよ?」

「ああ。約束だ、鯉夏」

 

 ならばと、鯉夏は俺の小指を自身のものと絡ませ歌を奏でる。

 

──ゆびきりげんまん うそついたら はりせんぼん のーます

 

 ゆびきった。

 行灯が消え、いつの間にかお囃子の声もしなくなった静かな空間に、その声は波紋のように広がっていった。

 

 

*****

 

 

 遊郭での初回捜査から一週間程経った任務でのことである。しのぶ嬢から試作品の毒を試してみて欲しいと頼まれた俺は、刀で四肢を切り落とし身動きが取れなくなった鬼に毒を塗った刀身を突き刺していた。

 

「さて、今回は効くかな」

 

 これまで何度か試してきていたが、いずれも効果がなかったり刺した部分にしか効かなかったりと、実用するには不安が残るものだった。しかし今回の毒はしのぶ嬢本人が自信作だと言っていたのだ。効果は期待出来るだろう。

 

「お」

 

 うごうごと奇声を発しながら蠢いていた鬼が一瞬にしてどろっと溶けた。正直に言おう。気持ち悪い。

だが暫く待っても身体が再生する兆しは見えないし、もしかしなくてもこれは、成功したのではないだろうか。

 

「これでやっとしのぶ嬢も前に進めるな」

 

 いい報告が出来るとほくほくとした気持ちで帰路に着いていた途中、そういえばこの近くに最近あまねが通っている双子の家があったなと思い出した。何となく、様子を見てみようという気になり頭上を飛んでいた暁に呼び掛ける。

 

「暁」

「ナアニ?」

「この辺りに保護対象の"時透兄弟"の家があるんだが、場所は分かるか」

「ンー…コノママ左ニ真ッ直グ!」

「ありがとう」

 

 言われた通り左に真っ直ぐ進み暫く。もはや慣れた気配と僅かに香る血の臭いに眉を顰めた。

 

「暁。蝶屋敷にこれから怪我人を運ぶと伝えてきてくれ」

 

 藤の花の家に運ぶよりも蝶屋敷の方が近いと判断し、暁に指示を出す。

 

「分カッタ!」

 

 暁が飛び去るのと俺が再び駆け出すのはほぼ同時だった。

 血の匂いが濃くなると同時に僅かに漏れ聞こえる声。まだ生きている。まだ、間に合う。

 そうして辿り着いた先で目にしたのは、血塗れになって倒れている子どもと、斧を振り回して果敢にも鬼に向かっている子どもだった。

 

──空の呼吸 壱の型 紫電一閃

 

 一気に距離を詰め鬼の首を刎ねる。視界の端に鬼が灰となって消えるのを映しながら、左手で斧の握りを掴む。荒く息を吐き目を見開いて激昂している少年に、果たして俺の声は届くだろうか。

 

「──落ち着きなさい。もう鬼はいない。君の兄弟も生きている」

 

 どの言葉に反応したのかは分からない。けれど少しずつ呼吸が落ち着き、斧を掴む力が緩んだ。その隙に手から斧を抜き取りその辺に放る。

 

ガシャンッ

 

 大きな音に紛れてどさっという音と共に少年が倒れこんだ。

 

「…むいちろう…?無一郎…!」

 

 血の気が抜けて青白い顔をした少年が、倒れた己の片割れの名を呼ぶ。何とか近づこうと残された右手で這うのを慌てて止めた。

 

「気絶しているだけだ。怪我はしていない。それよりも君の腕を止血しないと」

 

 生憎と包帯の類いは持っていない。手近にあった布を裂き、急いで応急処置を施していく。

 

「あんたは…」

「俺は鬼殺隊士の一宮あおいだ。…こんなことになったからな。君たちのことは一先ず鬼殺隊の治療所に連れていく。悪いが拒否権はないぞ」

 

 何か言葉を返そうとしたのだろう。しかし開いた口からは呻き声しか漏れず、そのまま意識を失ってしまった。

 手早く処置をし二人を抱える。多少走りにくいが、一人を置いていくよりは余程ましだろう。

 少し弱めの脈と呼吸を片側から感じ、俺は傷に障らない程度に走る速度を上げるのだった。

 



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後編

 

 蝶屋敷に駆け込み、待機していた胡蝶姉妹に二人を預ける。そして耀哉宛に文を認め、暁に届けてもらうよう頼んだ。

 

「すまないな、何度も飛んでもらって」

「大丈夫、コレガ仕事。ソレニ飛ブノ楽シイ」

「そうか」

 

 その主張に小さく笑う。ばさりと音を立てて飛び立つ暁を見送り、一息吐いた。そのまま縁側でぼんやりと月を見続けて暫く。近づいてきた気配に後ろを振り返った。

 

「──お疲れ、胡蝶」

「お疲れ様です、一宮さん」

 

 しのぶ嬢が屋敷を訪れたあの日。夕方彼女から届いた手紙には、胡蝶が目を覚ましたと記してあった。時間を見つけて見舞いに行き、寝台で身を起こす胡蝶を見た瞬間安堵したのを覚えている。

 その後身体の状態が安定し機能回復訓練に進んだものの、やはり呼吸を扱うことは出来なかったようで。家族全員で話し合った結果、蝶屋敷の看護師として鬼殺隊と関わっていくことを決めたのだという。

 その過程でしのぶ嬢に鬼殺隊を止めるよう説得し軽い喧嘩が勃発するという事件が発生したのも、今となってはいい思い出だ。

 俺は妹がいる身だから胡蝶の気持ちも理解出来るし、その妹を守りたいがために鬼殺隊入りを決意したから、しのぶ嬢の姉の助けになりたいという気持ちも分かるのだ。正直板挟みだった。

 しかしどうにかこうにか二人の納得する結果に持ってこれたのは我ながらよくやったと思っている。積極的に思い出したくはないが。

 何はともあれ、胡蝶は看護師として相変わらず蝶屋敷の主人でいるし、しのぶ嬢の毒の研究も順調に進んでいると今日の任務で分かったのだから上々だろう。毒については双子の治療が一段落ついたら知らせてやろう。

 

「身体の方はどうだ?」

「もうすっかり良くなりましたよ。仕事だってちゃんと出来てます」

「なら良かった」

 

 おっとりと笑う胡蝶は以前と変わらない。いや、前よりも吹っ切れた顔をしている気がする。そしてそれはしのぶ嬢にも言えることだ。

 お互い腹を割って話したことですっきりしたのだろう。いくら家族で仲が良くても、声に出さねば分からないことだってある。胡蝶が生きていてくれたからこそ実現出来たことだと、改めて安堵の息を吐いた。

 

「それで、双子の容態は?」

「腕を斬られた子は出血が酷かったんですが、早めに止血出来たからか今は安定しています。けれど暫くは熱が出るだろうし、感染症も怖いから絶対安静ですね。もう一人の子は一宮さんも言っていた通り気絶しているだけで、目立った傷はありません。今は二人とも寝ていますよ」

「そうか、良かった…。ありがとう、胡蝶」

「いいえ、それが私たちの仕事だもの」

「だとしてもだ。礼くらい受け取ってくれ」

 

 改めてありがとう、と軽く頭を下げる。

 

「…そのお礼、確と受け取りました」

 

 その言葉の直後、胡蝶がふふ、と笑った。口元に手を当てたままにこやかに言う。

 

「一宮さんって、意外と頑固ですよね」

「…助けられたと感じたら、礼を言うものだろう」

「ふふ。ええ、そうですね」

 

 にこにこと見つめてくる胡蝶に何となく居心地が悪くなった俺は、この場から逃げ出すことを決めた。戦略的撤退である。

 

「あー…そういえば、しのぶ嬢は今どこに?」

「処置が終わった後も記録を付けていたから、まだ処置室にいると思いますよ」

 

 手伝おうとしたらここはいいから俺を探して状況を説明するよう追い出されたらしい。

 困ったように呟く胡蝶だが、どことなく楽しそうだ。俺はお前たち姉妹の仲が相変わらず良さそうで嬉しいよ。

 

「じゃあちょっと処置室に顔を出してくるかな」

「私もご一緒しても?」

「ああ。むしろ来てくれないと困る」

 

 疑問符を飛ばしながら追い掛けてくる胡蝶を連れて、しのぶ嬢がいるという処置室に向かう。入院患者が多くいると言えど、夜明け前だからかなり静かだ。

 

「しのぶ嬢、一宮だ。入っても?」

「構いませんよ」

 

 入室の許可を貰い中に入る。椅子に座っていた彼女は少し疲れた様子だが、やりきったというような晴れ晴れとした表情をしていた。

 

「胡蝶にも言ったんだが、改めて。二人を助けてくれてありがとう」

「これが私たち蝶屋敷の人間の役目です。お構い無く」

 

 言葉は違うものの内容は胡蝶と同じもので、ああやっぱり似てるなと、これまでも何度か感じたことをまた思う。微笑ましくなるも、ここに来た目的を果たそうと姿勢を正してしのぶ嬢に向き直った。

 

「双子についてはまた後日、目を醒ましてから色々と決めようかと思ってる」

「そうですね、それがいいかと」

「それでだ。双子のことは一旦置いておいて、今日は元々ここに寄ろうと思っていたんだよ」

 

 疑問符を浮かべ続ける胡蝶と、何かを察したのか緊張した顔をするしのぶ嬢。二人の顔を順繰りに見て、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「おめでとう、しのぶ嬢。今回の毒はちゃんと効いたよ」

 

 息を飲む音が室内に響く。目を見開き固まるしのぶ嬢に対し、胡蝶はもう泣きそうだ。目に涙を貯めて勢いよくしのぶ嬢に抱きついた。

 

「おめでとう、しのぶ…!良かったわね…!」

「姉さん…」

 

 姉の様子にようやっと事態が飲み込めたのだろう。くしゃっと顔を歪ませて胡蝶の肩に顔を埋めた。

 

「姉さん…やったわ、私…っ」

「ええ、ええ!やったわね…!凄いわ、しのぶ…!」

 

 そうして互いに抱き合っていた胡蝶姉妹は、暫くして落ち着いたのか身体を離し、俺に向かって礼を言ってきた。

 

「ありがとうございます、一宮さん。貴方から藤の毒について聞いていなかったらもっと時間が掛かっていたわ」

「私からもお礼を言わせてください。妹に手を貸してくれてありがとうございました」

「…ああ、どういたしまして」

 

 二人が顔を上げたところで、しのぶ嬢の僅かに赤くなった目を見つめて改めて問う。

 

「しのぶ嬢。俺が出した条件を覚えているな」

 

──決して自身を鑑みずに鬼を狩ることなどしないと。家族と共にこれからも生きるという覚悟を、決めてほしい。

 

「もちろんです」

 

 強い眼差しを返してくる彼女を見て、もう大丈夫だと確信する。

 一月前、しのぶ嬢の目にはある種の覚悟が決まっていた。何としてでも鬼を、上弦の弐を狩るという決意。そのためならば己の身を犠牲にしても構わないと言い出しそうな気配もあった。

 けれど今は違う。姉が生きてる。他の家族もいる。鬼を狩る手段も出来た。それらの事実は彼女の心に更なる余裕を生み、後ろではなく前を向かせる鍵となった。どれか一つでも欠けていては駄目だっただろう。それだけしのぶ嬢は思い詰めていたから。

 彼女の頭に手を乗せ弾ませる。

 

「天元にも報告してあげなさい。気にしてるだろうから」

「はい!」

 

 事情は知らないながらも悪いことではないと判断したのだろう。俺たちのやり取りを静かに見守っていた胡蝶に、しのぶ嬢が顔を向けた。

 

「姉さん」

「なあに、しのぶ」

「私、姉さんの研究手伝うわ」

 

 今度は胡蝶が目を見開く番だった。俺は研究とやらを把握していないので黙っておく。

 

「姉さんから話を聞いてずっと考えていたの。…正直、鬼が可哀想っていう姉さんの考えは私には分からない。任務に行って鬼に大切な人を奪われた人たちを見る度に、どうしようもない怒りが沸いてくるから。…けど、それと同時に、この悲しみの連鎖を絶ち切りたいとも思うのよ」

 

 ぎゅっと、しのぶ嬢が自身の手を強く握る。

 

「だから決めたの。鬼を殺す毒が出来たら、今度は姉さんの研究を手伝おうって。…鬼を人に戻す、薬の研究」

 

 鬼を人に戻す薬。その言葉に少なからず驚く。まさか鬼殺隊でそのような研究をしようとする者がいるとは…。ああでも。胡蝶ならやりそうだな。鬼とも仲良くできるはずだと言っていた胡蝶なら。

 そして、もしその研究を進めるのだとしたら。まだ直接会えていない段階で考えるのは早計だが、珠世殿と連携すればより早く薬の完成が実現するのではないだろうか。

 どうなるか分からないが、一度耀哉に報告しよう。どうせ時透兄弟について直接報告することになるんだ。その時にこの件についても伝えておこう。

 手を取り合い微笑み合う姉妹を見つめる。さて、どうやってその研究に俺も参加しようかな。今後について思考を回しつつ彼女たちに声を掛ける機会を伺うのだった。

 

 

*****

 

 

 しのぶ嬢の毒が出来て一月以上が経った。季節は夏から秋へと変わり、息が白くなるのもそう遠い日ではない。

 今日俺は、産屋敷邸に来ている。定期的に行っている耀哉の解呪のためだ。

 二年前に呪いが発動してから定期的に続けているこの儀式のおかげか、今のところ耀哉に呪いの影響は見受けられない。倒れたのもあの日の一度きりだ。完全に解呪することが出来ていないのは悔しい限りだが、それでも手段が残されているのだから良しとするべきなのだろう。実際、耀哉本人がそう言っていた。

 とは言え、そんなことで納得出来るわけもないので、何かいい手はないかと絶賛模索中である。

 

「今日もありがとう、あおい」

「どういたしまして。まあ俺がやりたくてやっている事なんだけどな」

 

 儀式も終わり違和感がないかの確認も終われば、後はのんびりお茶を飲みつつ報告をして終了だ。そのまま泊まっていくこともあるが、今日は生憎任務が入っているためそうもいかない。

 

「時透兄弟はどうしてる?」

「相変わらずだよ。有一郎が片腕の生活に慣れるまで、無一郎は傍を離れないだろうなぁ」

 

 怪我をしていなかった子ども──無一郎は、保護した翌日に目を醒ましていた。

 片割れの有一郎の腕が無いことを悲しんではいたが、それ以上に二人して生きていることを喜んでくれ、俺にも何度も礼を伝えてきた。11の子どもなのにしっかりとした子だと今でも思う。

 その後暫く有一郎に縋り付いて静かに涙を溢していたが、双子故に何かを感じ取ったのか、気絶してから一度も目を醒まさなかった有一郎の意識が僅かに戻った。しかし彼の記憶は鬼に襲われた時点で止まっており、加えて熱で意識が朦朧としていたため起きて早々大変だった。

 まあ大変だった甲斐あって、兄弟間の凝しこりも無くなり今ではすっかり仲良し兄弟だ。良いことである。

 そんな二人も無事退院し、今は空屋敷で療養生活を送っている。

  彼らの血筋の件で鬼殺隊の目が届く所で生活してもらおうと説得している最中だった事や、実際に鬼が襲ってきた事も加味しての決定だ。ちゃんと二人の了承も得ているから何の問題もない。うちも少し前まで宇髄夫婦がいたから勝手は分かるしな。それに、どうやら彼らは二人を助けた俺を信用、というか慕ってくれているようで、見舞いに行く度嬉しそうに受け入れてくれていた。

 そういう事情もあり、二人を空屋敷に引き取る事を決めたのだ。

 

「鬼殺隊との関わり方は有一郎の回復次第、だね」

「ああ」

 

 そうして時透兄弟の近況から始まり、珠世殿との文通の内容、胡蝶姉妹の毒と薬の研究成果といった具合に話が進んだ時、思い出したかのように耀哉から話題を提供された。

 

「しのぶをね、新しい柱に任命しようと思うんだ」

「…そうか」

 

 胡蝶と合同で狩っていた鬼と、この度完成した毒で狩った鬼の総数がつい先日50を越したそうだ。階級も(きのえ)に上がっていたようだし、うん。いいと思う。俺としても柱が増えるのは有難い。別に今の人数でも仕事は回せるが、多いに越したことはないからな。

 

「それで、何柱にするんだ?」

 

 しのぶ嬢は花の呼吸を扱っておらず、花から派生したものを使っている。まだ名前が付けていないと言っていたがどうするのか。

 

「それなんだけどね、蟲柱にしようかと思って」

「…蟲柱…」

 

 それは…どうなんだろう。

 確かに名字に"蝶"が入っているし、花に関係するものでもあるが…蟲…。

 

「あー…ちなみに、理由は?」

「あの子は毒を扱っているし、何より名前に"蝶"が入っている。それに、"蟲"とは元来、多くの小動物が集まっている様子を表す漢字だ。彼女の戦い方に通ずるものがあると感じてね。…一人一人の力は小さくても、それら全てが合わさることで一つの大きなものを作り上げる。彼女の戦い方は、天元とあおいから知識を得て、彼女自身の並々ならない努力と執念の結晶だから。ね?ぴったりだろう?」

 

 そう言われると、確かにぴったりなような気がしてくる。…まあ、気に入らなければ本人がどうにかするだろうと、俺は丸投げすることに決めた。こういうのは本人が決めるのが一番だし。

 一人でうんうんと頷いている俺に、耀哉は更に言葉を続ける。

 

「それと、次の柱合会議なんだけど。槇寿郎の息子の杏寿郎を参加させようかと思うんだ」

「…何かあったのか」

 

 槇寿郎殿本人なら兎も角、その息子を召集するだなんて滅多にないことだ。だから心配して問い掛けたのだが。

 

「彼の警備担当だった地区で人が消えていると報告を受けていてね。何人か隊士を向かわせたんだけど、誰も帰ってきていない。ただ、烏からの報告によるとどうやら槇寿郎と何かあった鬼のようでね。十二鬼月の可能性もあるから一度話を聞こうかと思って手紙を出したんだけど…」

「断られたのか…」

 

 耀哉は無言で苦笑していたが、その態度がもう答えを示している。

 

「槇寿郎は欠席するけど、変わりに息子である杏寿郎が出席すると返事が来てね。槇寿郎の近況も知りたいし、了承したんだ」

「なるほどな…」

 

 何をしているんだ、槇寿郎殿…。仮にもお館様からの召集だぞ…。

 かつて炎柱として周囲を引っ張っていた姿からは想像もつかない様子に頭を抱えたくなった。やはり待ってないで強引にでも話をするべきだったと、数年前の己の行動を心底悔やむ。

 ふぅー、と大きく息を吐き気持ちを切り替える。任務地への移動時間も考えるとそろそろ出なくてはならないのだ。

 

「…うん。委細承知した。他の柱には伝えるか?」

「…いや。詳細を伝えると先走っちゃう子もいるから、しのぶの柱就任と元炎柱を召集したという旨だけにしておこう」

 

 ああ、そうだな。嬉々として狩りに出掛けそうな奴が二名程いるな。そのうち一名は元継子だから頭が痛い。

 

「分かった。じゃあ俺はそろそろ任務に行くよ」

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

「ああ。行ってきます」

 

 部屋を出て長い廊下を進み玄関を目指す。途中すれ違う顔馴染みの使用人たちと挨拶を交わし、そろそろ目的地に着くかという頃。曲がり角の向こうからぱたぱたという可愛らしい足音が五つ、聞こえてきた。

 誰であるか瞬時に把握し、顔が綻ぶ。間違ってもぶつからないように足を止めて待つこと数瞬。

 

「「「「「おじうえ!」」」」」

 

 可愛い甥っ子と姪っ子たちが曲がり角から姿を現した。

 

「おひさしぶりです」

「お元気でしたか?」

「今日はおとまりしないんです?」

「またいろんなお話きかせてください!」

「わたしたちお料理できるようになったんですよ」

 

 矢継ぎ早に話し掛けてくる子どもたちについ笑ってしまった。可愛がってきた自覚は多いにあるが、ここまで懐いてくれると顔が締まらなくなって困るなと内心ひとりごちつつ、片膝をついてそれぞれの頭を軽く撫でていく。

 

「久しぶりだなぁ。俺は変わらず元気だよ。お前たちも元気そうで安心した。それと、悪いなにちか。今日はこの後任務があってね、泊まれないんだ。変わりにと言っては何だが、次の会議の日は泊まっていくと約束しよう。輝利哉も、話はその時してあげようね。料理はそうだな。その日の夕餉で何か作ってくれたら嬉しいなぁ」

 

 そう言えば、些か残念そうにしながらも全員が了承を返してくれた。

 

「おじうえ、何がたべたいですか?」

「がんばって練習します」

「そうだなぁ…あ、白和えが食べたい」

「しろあえ…?」

 

 白和えならば切って茹でて和えるだけだからまだ作れるだろう。火も包丁も扱うから監視は必要だろうが、なんだったら衣を作らせれば問題ない。白和えで大事なのは衣だからな。

 それに、と子どもたちの後ろにちらと視線を送る。そこにはこちらの様子を伺っているあまねがいた。

 確認の意味も込めて首を傾げると、問題ないというように小さく頷かれる。よし。保護者の許しも得た。

 白和えとは…?と互いに顔を見合わせている子どもたちにまた笑ってしまった。

 

「ふふ、母上に作り方を教えて貰いなさい。楽しみにしているよ」

「はい!」

「がんばります」

「期待しててくださいね」

 

 いってらっしゃい!と声を揃えて送り出してくれる子どもたちに返事をし、出て来たあまねにも声を掛ける。

 

「それじゃあ行ってくる」

「はい。お気を付けて、兄さま」

 

 背後で子どもたちが白和えについてあまねに聞いている声を耳にしながら、俺は今日の任務地へと駆けて行った。

 

 

*****

 

 

 本日は晴天、柱合会議日和だ。

 しのぶ嬢も無事柱となり、その他は特に変わりなく会議が行われる産屋敷邸の庭に集まっていた。

 …いや、無事と言うには少々語弊がある。

 しのぶ嬢は柱への昇格自体は大変喜んでいた。しかし、"蟲柱"という名に関しては難色を示したのだ。まあ予想通りとも言える。なので予め聞いていた名付けの理由を彼女に説明したら、渋々ではあるものの受け入れてくれた。きっと最後にだめ押しと言わんばかりに胡蝶が以前使っていた羽織をしのぶ嬢に渡したから受け入れたのだと俺は思っている。

 「蟲といえば蝶だと皆に認識させればいいのよ!」といつもの調子で言い放った胡蝶は精神的に強いんだと思う。

 それはさておき、柱合会議だ。

 いつもならば室内で行われるそれは、今日に限って庭での開始だ。何故なら。

 

「何故柱でもない隊士がここへ?炎柱、煉獄槇寿郎殿はどうされたのですか?」

 

 一般隊士を屋敷内に上げることは基本許可できないのだから。

 

「彼は槇寿郎の息子の杏寿郎だよ。階級は(きのえ)だ。それと実弥、あまりいじめちゃいけないよ」

 

 今日は槇寿郎の近況を聞くために呼んだんだから。

 そう窘めるお館様に、率先して威嚇していた風柱が大人しくなる。圧が消えたことに加えお館様に促されたことにより、煉獄は家での槇寿郎殿の様子を教えてくれた。そして聞いた話に、俺は思わず天を仰ぎそうになった。

 何故昼間から酒を…いや、そこはまだいい。問題は任務にまで酒を持ち込んでいたことだ。しかも話を聞くに煉獄は槇寿郎殿に鍛練をつけてもらっていないな?本当に…やはり待たずにぶつかった方が良かったのか…。

 などとぐるぐる考えていたらいつの間にか風柱が煉獄に殴りかかっていた。ええー…。

 どうやら実力を試そうという意図のようだが、そもそも隊士同士の私闘は隊律違反だということは覚えているのだろうか。

 後でそれとなく言っておこうと思いつつ二人のやり取りを目で追っていく。攻撃を加える風柱に対し、煉獄が反撃する様子は一切ない。

 …さすが、(きのえ)まで登り詰めただけはあるな。あの風柱の攻撃を全て受けきるとは。

それにしても、煉獄はあれだな。実力を試そうと殴りかかった男に対し感謝を述べている辺り、かなりズレている人物と見た。音柱は攻撃を捌ききったことや髪色が派手であることからそれなりに興味を示しているようだ。

 一通りやって満足した、というより煉獄の勢いに興が削がれたとでもいうのか、風柱は殴りかかるのは止めたようだ。

 そしてその一瞬の隙を見逃さず、お館様が二人に声を掛ける。

 

「実弥」

「…申し訳ありません、お館様」

 

 勝手をした風柱に対して微笑み一つで不問にしたお館様は、次に煉獄に顔を向けた。

 

「杏寿郎。柱になるための条件、君ならよく知っているね」

 

 そのまま真っ直ぐ、逸らすことなく続ける。

 

「実は帝都付近で十二鬼月である可能性が高い鬼の情報が入った。君にはその討伐任務に当たってもらいたい」

 

 十二鬼月ならば俺たち柱の誰かが行くべきなんだろう。しかし元は槇寿郎殿の担当警備地区だ。他の柱を派遣するにも、こちらにもこちらの仕事がある。それに…。

 

「自身が柱足りえるというならば言葉だけでなく実績で。そうすれば自ずと皆認めてくれる。君の実力を示しておいで、杏寿郎」

「はい!」

 

 あと少しで柱になる条件を満たし、かつその意欲が強いのなら、さっさと柱にしてしまった方が戦力の増強ができていい。

 お館様と煉獄の話が一段落着いたとき、よろよろと風柱がこちらに戻ってきた。いつになく消耗してるな。まあ、中々接触しない類いの人間だったから無理もないか。

 

「そういえば、杏寿郎はあおいに用があるんだったね」

 

 少し笑みを深くしたお館様と目が合う。

 

「はい!そちら、空柱の一宮あおい殿とお見受けする!」

 

 かつての槇寿郎殿とそっくりの眼差しが俺を見据える。

 

「…如何にも、俺が空柱の一宮あおいだが」

「母から手紙を預かっております!」

「手紙を?」

 

 そう言って手渡された手紙の差出人には、確かに槇寿郎殿の奥方である瑠火殿の名が記されていた。

 

「母は貴方に、礼を伝えておいて欲しいと言っていました」

 

 手紙に向けていた視線を再び煉獄に戻す。

 

「俺は詳しく把握していませんが、以前貴方から頂いたお守りのお陰で心が大分安らいのだとよく申していました。俺からも礼を言わせて頂きたい」

 

 そう深々と頭を下げる姿が、記憶にある彼の父親と重なる。

 

「──君からの礼、確かに受け取った。瑠火殿には後で改めて返事を送ろう。…励みなさい、煉獄」

「はい…!」

 

 去っていく煉獄を見送る傍ら、岩柱がお館様に問い掛ける。

 

「お館様にはあの青年が十二鬼月を倒す未来が見えるのですか?勘…ですかな」

「勘というより、確信に近いものを感じるんだ。…ねえ、あおい?」

「…そうですね。さすが親子と言うべきか。そっくりです、かつての槇寿郎殿と」

 

 本当に、そっくりだ。

 けれどそっくりなだけではないだろうな。きっと彼には槇寿郎殿にはない心の強さがある。

 彼ならばきっと、そう遠くない内に柱として俺たちに並ぶ存在となる。そう確信めいた予感が、俺の胸中に沸き上がった。

 

「それじゃあ、休憩を挟んで会議を始めようか」

 

 そう宣言したお館様の声を合図に、全員で室内に移動する。

 会議が始まる前に目を通しておこうと手紙を開き、そして書かれていた内容に小さく笑った。

 

「何て書いてあったんだ?」

 

 天元からの質問に口角を上げたまま返す。

 

「ん?…ちょっとした依頼、かな」

 

 今後のことを想像し、楽しみに思うと同時に少しだけ憂鬱になる。俺が関与していい方向に変わるといいんだが。

 

「取り敢えず、近い内に煉獄家へ行かないと」

「今日じゃなくていいのか?」

「ああ。今日は先約があるからな」

 

 可愛い甥っ子と姪っ子たちが腕によりをかけて一品作って待ってるんだ。それに沢山話をしてあげる予定もあるし。

 俺は伯父だからな。お願いはなるべく叶えるし、親戚の立場を利用して思う存分可愛がるつもりだ。

 槇寿郎殿のことは気になるし、俺にも放置した責任があるからちゃんと対処はする。けれどそれは今日でなくてもいい。むしろ。

 

「不意をつくなら、三日後辺りが有効だろう?」

 





潜入捜査向いてないのでは…?と思い始めてる人(23)
 実は15の時に一度だけ騙し討ちのような形で遊びに行ったことがある。連れ出したのは古風殿(先代風柱)。
お酒は呑むけど酔いはしない。所謂ザル。普段は人に付き合って呑むことが多い。
 かつて一緒に仕事をしていた炎柱の現状を知って頭が痛い。酒に溺れるとか…まじか…って感じで割とショック受けてたから実弥の暴挙も止められなかった、というか気づいてなかった。いつもはちゃんと話聞いてるよ。柱合会議をすっぽかしたら何かしらあると身構える可能性を考え、彼が油断しだした三日後辺りに煉獄家に突撃することを決意。
 この度空屋敷に居候が増えました。


お師匠にお願い事をした人(19)
 絶対遊郭に鬼いる!って調べ初めてとりあえず5つまでは絞った。もう少し絞り込みたかったからオリ主を頼ることに。他の柱?無理だろ。
 もしかしたら弟弟子ができるかもしれない。


張見世で声を掛けてきた人がとても綺麗でどぎまぎしてた人(15)
 最近客を取り始めた美人さん。顔良し器量良し性格良し芸事良しというオリ主が設定した基準を余裕でクリアしたハイスペック遊女。
 客を取り始めたとはいえまだ慣れていないから色々と気遣ってくれたオリ主への好感度はそれなりに高い。
 数年後にはときと屋自慢の花魁になる。


おじうえ大好き!な子どもたち(4)
 皆すくすく元気に育っております。
 いつも優しく抱きしめてくれたり頭ぽんぽんしてくれる伯父さまのことが大好きで屋敷に来るときは大抵そわそわしてる。お仕事のときはちゃんと切り替えてます。4歳なのに偉い。
 この度白和えなるものを作る約束をした。ざく切りとかならまだしも細切りはまだ危ないのでやらせてもらえない。でも「白和えは衣が命なのですよ」と言われたので皆してそっちに全力を出す。
 会議後はお話聞いたり一緒に遊んだり楽しんでご飯も一緒に食べる。真っ先に白和えに手を付けて満面の笑みで「美味しい」って言ってくれるのでご満悦。


柱合会議すっぽかした人(42)
 会議すっぽかしたから何かしらあるかもしれないな、と一応身構えてたら何もなくて拍子抜けしてる。大丈夫、三日したら来るから安心してね。


昔子どもを遊郭に連れて行って怒られた人(34)
 男なら一度は行っとくべきだろ?!と反論して更に怒られた。そうかもしれないけどまだ早い。ちなみに怒ったのは鴉経由で話を聞いた当時の炎柱と水柱。要は保護者組。



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以下補足&あとがき

 月の周期を調べたら29日くらいなので厳密には月に一度じゃないのかもしれないけど、まあこれフィクションなので。
 原作の数年前ということで、この段階ではまだ5つにしか絞れてないってことにしています。遊郭編に突入する前にはどうにかして3つに絞り込む予定。

 しのぶ嬢の毒完成しましたね。よかったよかった。ちょっと雑だった気がしなくもないけど、書いてないだけで(おい)それなりの数の試作品を作り同じ数だけ失敗しています。なのでできた時の感動もひとしお。また毒が出来たことにより、ちゃんと自分にも鬼を殺す手段が出来た、という安心と自信を得ました。つまりは心の余裕。これからはお姉さんと共に薬の開発に勤しみます。(対童磨戦での)死亡フラグ回避完了、かな?

 そういえば今更なんですけど、あおいは状況によって人の呼び方を変えています。仕事中(任務や会議など)は音柱や風柱といったように役職名で、プライベートでは名前で呼んでいます。自分が今“空柱”なのか只の“一宮あおい”なのかで変わるという。作者が間違ってなければそういう仕様になっています。最後の天元とのやり取りは休憩中だったから名前呼びです。








『いきなりこのような手紙をお出しして申し訳ありません。けれどどうしても、貴方様のお力をお借りしたいのです。
私が何か申しましても煮えきらぬ返事か機嫌を損ねるばかり。最近では日が出ているうちから酒に溺れるようになってしまいました。
どうか、柱の中でも付き合いの長い一宮様から、一度主人に喝を入れて貰えないでしょうか。何卒、よろしくお願い致します。』
(一部抜粋)


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鬼殺隊の最古参の柱は十年という節目を迎える
前編


 

 柱合会議が終わった後、俺は空屋敷には帰らず産屋敷邸に留まっていた。今いるのは幼い頃、つまり鬼殺隊入隊前に耀哉の好意で与えられた自室である。

 今だから思う。普通、友人と言えど自宅に部屋を与えるか?と。いやまあ、"俺たちは俺たちなりの友人関係を築けばいい"と考えていたし、それは今でも変わらない。だから特に文句があるわけではないんだ。なんならそれなりの頻度でありがたく使わせてもらってるし。ただ、ふといいんだろうかと思っただけで。

 なんてことを隊服から着流しに着替えながらつらつらと考える。

 …ま、いいか。今更だし。

 自己完結して会議前に煉獄から渡された瑠火殿の手紙を手に取った。

 

「…喝、か」

 

 硯に墨を出し、返事を(したた)めていく。

 煉獄家には三日後に伺うこと、都合が悪ければ烏に言付けて欲しいことを書き暁に託した。

 飛び立っていく暁を見送りながら、俺に何が出来るか考える。しかし、特にこれと言って浮かぶことはない。

 俺は確かに現柱の中では一番槇寿郎殿との付き合いが長い。けれどそれだけだ。古風殿のように肩を並べ切磋琢磨した仲じゃないし、耀哉のように尊敬され慕われていたわけでもない。俺は彼にとって後輩で、末子で、それこそ子どもだったから。

 けれど。それを知っているであろう奥方が、一番槇寿郎殿を理解しているであろう人が、俺を指名した。ならば、俺は俺の心のままに行動しよう。きっと、俺にしか言えないこともある。

 縁側に出て冬の冷えた空気を吸う。吐き出す息が白くなり消えていくのをぼんやりと見つめ、懐に入っている土産の存在を確かめつつ小さな気配が集まっている方向に足を進めた。

 

「…ふふっ」

 

 向かった先にいたのは、これから俺と遊ぶつもりだったのだろう百人一首を手にしたままうつらうつらと船をこぐ五人の子どもたち。先程会ったあまね曰く、昨晩は今日俺が泊まることもあってか中々寝付かなかったというから、その反動で今眠気がやって来たのだろう。

 このまま寝かせてやってもいいが、寝るなら寝るで横にならないと身体を痛めてしまう。首の据わっていない頃を知っているからか、首を振り子のように揺らしているのを見るのは正直ちょっと怖い。

 

「ほらお前たち、眠いなら俺と一緒に昼寝しよう」

 

 四半刻くらいならば今夜も眠れなくなる、なんてことにはならないと判断し声を掛ける。ついでにふくふくとした頬の感触を楽しむように触れば、はっとして一人ずつ覚醒していった。

 

「おじうえ…?」

「すまないな、少し待たせてしまった」

「いいえ…だいじょうぶです」

 

 目を擦る子どもたちに、傷がつくからお止めと言ってから眉を下げつつ更に続ける。

 

「実は俺もな、今朝起きるのが早かったからか少し眠いんだ。だから暫く…そうだな、四半刻程昼寝に付き合ってくれないか?」

 

 小さく欠伸をして見せれば、五対の瞳がぱちくりと瞬いた。

 

「おじうえ、眠いんですか?」

「うん。少し寝れば元気になってお前たちとも遊べるんだが…どうだろう?」

 

 その問い掛けに対し顔を見合せていた子どもたちだが、すぐに輝利哉が代表して同意を示していた。

 

「ぼくたちもちょっとだけ眠いんです。だからおじうえ、一緒におひるねしてください」

「もちろんだとも」

 

 緩く笑みを浮かべ、少し待つように告げて一度自室に戻る。今自分が着ている羽織とはまた別に、もう一着手に持ち部屋を出た。軽い昼寝だし、火鉢もあるから布団は出さなくても大丈夫だろう。

 すれ違った顔見知りの使用人にこれから子どもたちと昼寝をする旨を伝え、四半刻後に起こしてくれるよう念のため頼んでおく。一人でも起きることは可能だが、何せ子どもはぬくいからな…。こう寒いと離しがたくて仕方ない。

 というわけで。可愛い甥っ子姪っ子たちと共に短時間の昼寝をし、百人一首で坊主めくりをして遊び、土産として持ってきた万華鏡を一人ずつ手に持ちはしゃいでいるのを微笑ましく見守っているところで、あまねが「そろそろ夕餉を作るから」と五人を呼びに来た。

 

「はい、母上」

「おじうえ、楽しみにしててください!」

「おいしい白和えつくってきます」

「たくさん練習したんですよ」

「母上と一緒におじうえをうならせる白和えをつくってみせます!」

「はは、楽しみにしてる」

 

 どうやら気合い十分なようで、拳を作って宣言する子どもたちを笑顔で見送る。

 さて、寝物語には何を話して聞かそうかな。

 ばさりと羽音を立てて暁が室内に入ってくる。くくりつけられた瑠火殿からの了承の返事に口角を上げつつ、今後の算段をつけるのだった。

 

 

 

 夕餉を食べ終え輝利哉と共に風呂に入り、寝物語として子どもたちが生まれる前の話を聞かせた後。俺は自室には戻らず縁側に腰掛け物思いに耽っていた。

 …あの子たちは天才なのかもしれない。だって出てきた白和えが本当に美味かった。見た目はもちろん味も最高。これを天才と言わずしてどうする。

 嘘偽りない賛辞を送った俺に対する子どもたちの得意気な笑顔を思い浮かべながら、ふぅ、と深く息を吐き出す。昼間と同じように白息が空気に溶け込むのを眺めてから、一度瞼を閉じた。

 今夜もどこかで鬼と人が対峙しているのだと、しあわせを感じると共に思うのだ。

 

(こういう寒い夜くらい、活動するのを控えりゃいいのに)

 

 なんて詮無いことが脳裏に浮かぶ。…いや、寒い夜だけじゃない。どんな夜でもそうだ。いい加減、終わりにしてくれたっていいだろう。

 千年だ。鬼が現れてから、もう千年も経つ。

 どれだけ多くの血が流れた。どれだけ多くの命がこぼれ、多くの人が怒りを覚えた。…どれだけ多くの人が、その理から外れた。

 それを考える度に、今自分たちには何が出来るのかと思案する。

 きっと、今のままでは駄目だ。何代かぶりに柱の席が埋まりつつあるとはいえ、これまでと同じようにただ狩るだけでは何も変わらない。何か変化がなければ。

 それこそかつて、始まりの剣士が鬼殺隊に"呼吸"を教えたように。

 

──日の呼吸とは、始まりの呼吸。全ての呼吸の元となったものだ。

 

 五年前に槇寿郎殿に言われた言葉が脳裏を過る。

 おそらく、この"日の呼吸"と"始まりの剣士"は繋がっている。きっと、その剣士が扱っていた呼吸なのだろう。

 型、つまり剣技自体は鬼殺隊の設立後すぐに出来たものだと残された資料に記述があった。

 当時の鬼の討伐数も記録されているが、今注目すべきはその数百年後。今から約四百年前の戦国時代の記録だ。ある時を境に討伐記録が跳ね上がっている。

 始まりの剣士がいつの時代の人物かは分からないが、もし戦国時代の話だと仮定するなら大体の辻褄は合う。

 つまり、元々あった基本の型に呼吸法を取り入れようとそれぞれに合わせて派生させたのが、現在まで伝わっている基本の呼吸。そしてその呼吸により、基礎体力が向上し鬼と渡り合うことが可能となり、討伐数も上がった。

 …という仮説を、槇寿郎殿に啖呵を切られた数年前に立てたんだが、未だに推測の域を出ていない。何故なら産屋敷や一宮には特にめぼしい資料が残っていないからだ。

 始まりの剣士が鬼殺隊と合流したであろう時期の資料だけがごっそりと、まるで何かを隠蔽しようとしたかのように消えている。

 正直なところ、何故失われたのかという部分については割とどうでもいい。知る術もないし。…いや、おそらく歴代当主の手記には書かれているだろうな。しかし、俺がそれを読む日は来ない。あの書は"当主"に受け継がれるべきもので、いくら友人兼親族になったとはいえ一隊員である俺が読むべきものではない。そこの線引きは大事だ。

 それに、俺が知りたいのはあくまでどう鬼殺隊に有利に事を進めるか、という点であって、何故資料が失われたのかということじゃない。

 失われたものを嘆き、過去に縋る暇があるなら今後の事を考えた方がよほど建設的だ。

 

(…重火器も楽でいいとは思うが、どうにもなぁ)

 

 過去に何度か出された戦力増強案の一つに重火器を使用してはどうか、というのがあったが、今のところ実行には至っていない。刀鍛冶の里に頼んで試しにいくつか作ってもらったものの結局誰も使いたがらなかった。的は狙い辛いし発砲音やらで人目にも付きやすい。もし万が一憲兵なんぞ呼ばれたら面倒でしかない。

 

「…寝るか」

 

 もういい時間だ。そろそろ休まないと明日起きた時に子どもたちが心配してしまう。

 自室に戻り布団に横になる。目を閉じつつ思うのは、やはり今後のことだ。

 小さな変化は起きている。柱が増えつつあること、鬼に効く毒が出来たこと、そして。

 

(珠世殿と接触出来たこと)

 

 これらの小さな変化が積み重なり、鬼──鬼舞辻を滅する一手になれば。

 

「…あんなことを起こさずに済む…」

 

 脳裏に浮かぶのは幼い頃に見た予知夢。

 俺が鬼殺隊に入った理由で、回避したい未来。

 そして、今俺が絶対に死ねない理由。

 

 

*****

 

 

 産屋敷邸に泊まって三日が経った。

 俺は今、予定通り煉獄家の門前にいる。

 

「…」

 

 柱になって、というか槇寿郎殿と知り合ってから随分経つが、屋敷を訪ねるのは初めてだ。加えて今回は目的が目的だからちょっと緊張している。

 だがいつまでもこうして立っているわけにもいかない。

 改めて覚悟を決め、引き戸を開ける。

 

「ごめんください」

 

 ぱたぱたという子どもの足音が響き、ひょこりと顔を覗かせたのは小さな煉獄だった。

 年の頃は10くらいか。輝利哉たちよりも大きいからきっとそのくらいだ。…それにしても、本当に似てるな。

 

「こんにちは」

「こんにちは。えっと…?」

「俺は鬼殺隊の一宮あおいという者だ。瑠火殿…お母上はご在宅かな?」

 

 そう問い掛けるとほぼ同時に、廊下の向こうに気配を感じた。槇寿郎殿でもなければ、煉獄でもない。そもそも煉獄は先日下弦の鬼を討伐し今は蝶屋敷で療養中だ。

 となると残るは…。

 

「千寿郎」

「母上」

「お客様のお茶の用意をしてくれますか」

「はい!」

 

 ぺこりと俺に向かってお辞儀をした千寿郎と呼ばれた子どもは、そのまま踵を返して去っていった。

 

「一宮様、ですね?」

「はい」

「私は槇寿郎の妻、瑠火と申します。この度は急な申し出にも関わらずありがとうございました」

 

 どうぞ、と促され家に上がり、そのまま客間に通される。

 するとすぐにお茶を持った小さい煉獄がやって来た。

 

「どうぞ」

「ありがとう。君は槇寿郎殿の息子さんかな?」

「はい!次男の煉獄千寿郎と申します。よろしくお願いします、一宮さん」

「こちらこそよろしく」

 

 下がり眉が可愛らしい印象を与えるなと思うと同時に、性格は槇寿郎殿とも煉獄とも似ていないようだと判断する。

 お茶を出し役目を終えたと言わんばかりの千寿郎は、一礼して客間出て行った。…隣の部屋に入った気配がするからこのまま聞き耳を立てるつもりかな。

 子どもらしくて実に結構。気にする事なく正面に座した瑠火殿に持参した手土産を差し出した。

 

「よろしければ皆さんで召し上がってください」

「これは…"かのや"の大福とかりんとう、ですね。わざわざありがとうございます」

 

 若干申し訳なさそうに眉が下がったのを見て、すかさず次の言葉を口にする。

 

「以前槇寿郎殿が"よく土産に買っていくんだ"と言っているのを聞いたことがありまして。買ってみたんです」

 

 あまりにも美味しそうだったからつい自分用にも買ってしまいました。

 そう言って笑いながら傍らに置いていた風呂敷を見えるように翳す。

 隙を突かれたような顔をした瑠火殿はしかし、すぐに口元を緩めると幾分か柔らかな雰囲気で口を開いた。

 

「では、ありがたく頂戴致します」

 

 受け取った手土産を脇に置いているのを横目に、先程淹れてもらったお茶に口をつける。

 

「!美味い…」

 

 思わず溢れた呟きを拾ったのだろう、前方から小さく笑う声がした。

 

「ふふ、千寿郎も喜びます」

「すみません、つい…。いやでも、本当に美味いです。毎日でも飲みたいくらいだ」

 

 嘘偽りない本音を告げる俺に対し、瑠火殿は顔を綻ばせつつも姿勢を正した。それを受け、俺も湯飲みを卓上に戻す。

 

「ずっと、一宮様にお会いしたいと思っていたのです」

 

 そう静かに告げる彼女は、俺から視線を外すことなく続ける。

 

「主人から貴方の事はよく聞いておりましたし、私の体調が芳しくなかった際にお守りやお医者様への紹介状も書いてくださったでしょう。ですから是非お礼をと。…今日(こんにち)まで機会がなく、このような形になってしまいましたが…」

 

 おそらく、俺が一般隊士であったならもっと早くに行動していたのだろう。

 しかし俺は柱だから。通常任務に加え柱としての仕事も多く請け負っている身だ。おまけに当時は柱の入れ替わりが激しくばたばたしていたから、余計行動に移せなかったのだろう。

 …もしかしたら、俺と槇寿郎殿の仲を気にしていたのかもしれない。

 

「改めてお礼申し上げます。六年前、私どものために心を砕いてくださり、本当にありがとうございました。お陰様で今もこうして家族と共に過ごす事が出来ております」

「…頭を上げてください、瑠火殿」

 

 深く頭を下げる彼女に声を掛ける。

 

「俺は、礼がしたかったんです。槇寿郎殿には助けてもらってばかりだったので」

 

 最終選別の時にいた規格外特殊性癖鬼を、俺たちの代わりに狩ってくれた。14で柱となった俺へのやっかみを、大事になる前に片付けてくれた。何度も頼れと言って、体調が優れない時には任務を変わってくれた事もある。

 槇寿郎殿だけではないけれど、気に掛けてくれていた事は事実だ。だから俺に出来る範囲で礼がしたかったし、力にもなりたかった。

 けれど…。

 

──…もう金輪際、俺と関わるな。

 

 俺は怖かったんだ。良くしてもらっていた人に拒絶されるのが。俺自身が傷付きたくなかった。だから、槇寿郎殿から言われた言葉を理由に距離を取った。

 

「…そういえば、先日鎹烏から聞きました。杏寿郎殿が十二鬼月を討伐したと。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「おそらく彼の怪我が治り次第、柱昇格の打診が来るでしょう」

 

 眉尻を下げて少し寂しそうにする瑠火殿の胸中を、俺は正確に察する事は出来ない。それでも、この願いはきっと同じだ。

 

「出来れば槇寿郎殿には、先達として言葉を掛けてやって欲しい。そう思っています」

 

 あの時、俺が槇寿郎殿から声を掛けてもらったように。…いや、父子(おやこ)なのだ。もっと他に沢山の言葉を掛けて、激励して。

 そしてまた、以前のように快活に笑って、しあわせに。

 そんな、己の願望に過ぎない想いを言葉にのせて言う。

 

「俺には俺の出来ることを。上手くいくかは分かりませんが、奥方から直接頼まれましたからね。死力は尽くしますよ」

 

 冗談めいた口調で告げれば、瑠火殿の纏う雰囲気が幾分か軽くなった。

 

「では。そろそろ槇寿郎殿に喝を入れにいくとしましょうか」

「──ええ、お願いします」

 

 

 

 固く閉ざされた襖の向こう。間違いようがない。槇寿郎殿の気配だ。五年前まで感じていた、けれどもその時より随分と脆くなった、懐かしい気配。

 

「お久しぶりです、槇寿郎殿。一宮です。…開けますよ」

 

 襖を開けたことで香ってくる酒の匂い。視線を部屋の中央に向け、酒器片手に胡座をかく男を視界に入れる。

 

「…あ゛ぁ?…何をしに来た」

 

 こちらを振り返るその顔には無精髭が生えていて、かつて炎柱として隊士たちを引っ張っていた頃の面影はどこにもない。

 そんな槇寿郎殿からの問いに答えるべく、俺は口を開いた。

 

「先日の柱合会議で貴方の息子殿とお会いしましてね。これもいい機会だと、貴方の様子を見に来たのですよ」

「だったらもう用は済んだろう。さっさと帰れ」

 

 どうでも良さげに酒を煽るその姿につい眉間に皺が寄る。既に空の酒器がいくつも転がっているのだ。心配もするだろう。

 というか、襖を開けた瞬間に香る程酒を呑んでいるのも色々とまずい。

 

「槇寿郎殿。あまり呑みすぎては身体にも悪い。程々にした方が…」

「黙れ!」

 

ガシャンッ

 

 首を僅かに傾け投げられた酒器を避ける。背後から濃い酒の匂いが漂ってきた。

 

「一々口出しをするな!そもそも、俺はお前に金輪際関わるなと言ったはず。いいからさっさと帰れ!そして二度とこの家の敷居を跨ぐな!」

 

 …ああどうしよう。なんだか凄く腹が立ってきた。

 周りの心配を気にも止めず、酒に溺れ、いつまでも縛られている槇寿郎殿に。そしてそれ以上に、拒絶を恐れて保身に走った自分自身に。

 冷静でいようと思っていたのに。もういっそのこと素直に思っていることをぶちまけてしまおうかと考え直す。

 …それはそれでいいかもしれないな。この様子だ。正論なんてものを言ったところで槇寿郎殿は聞き入れないだろうし、俺も言いたくない。それにここまで来たら逆効果になりかねない。

 だったら趣向を変えて煽りつつも言いたいことを言った方が何か変化をもたらすかもしれない。

 そう冷静なのかいまいち分からない決断を下し、俺は口火を切った。

 

「──無様だな、槇寿郎殿」

「…なんだと?」

 

 思ったよりも冷たく低い声が出たが、その直後にドスの効いた声が発せられたのを聞いてまあいいかと思い直した。

 

「昼間から酒を浴び、奥方の声に耳を傾けないどころかご子息の鍛練の様子もろくに見ない。挙げ句の果てには酒を呑みながら鬼を狩りに出たとか。…元炎柱がこのような様とは、片腹痛いにも程がある」

「…貴様っ、黙って聞いていれば偉そうに…!」

 

 嘲るような笑みを浮かべて吐き捨てれば、顔を真っ赤にし眉を逆立てた槇寿郎殿が立ち上がって俺に手を伸ばしてきた。それをすっと避けて回し蹴りをひとつ。

 

ドゴォッ

 

 襖を突き破って庭に飛んで行った槇寿郎殿に、後で弁償しようと頭の隅で考える。

 僅かに上がった土煙が晴れれば、腹を押さえて咳き込む元炎柱の姿が目に入った。

 

「ぐっ、げほっ…!」

「…以前の貴方ならばこの程度の攻撃、軽く躱して反撃すらしていましたよ」

「うる、さい…黙れ…!」

 

 鋭くこちらを睨み付けるその目付きに、仕舞っていたかつての記憶が刺激される。

 

「…槇寿郎殿。貴方は何のために鬼殺隊に入られた」

「あ゛?」

「柱になるためか。お館様を支えるためか。人を守るためか」

「お前に関係ないだろう!」

 

 立ち上がり吠えるように声を上げる槇寿郎殿に、顔を顰めながら同意した。

 

「そうだな。だが、頼まれた以上、俺は貴方に喝を入れねばならない」

「はあ?…何をふざけたことを」

「ふざけているのは貴方だろう!!」

「っ」

 

 息を飲む音が小さく、だが確かに耳に届いた。

 

「以前貴方は俺に、炎の呼吸を代々継承し、炎柱の地位を拝命していることを誇りに思うと、そう言っていた。それが今ではどうだ!才能がないだの劣化版に過ぎないだのと…貴殿方(あなたがた)煉獄家が守り繋いできたものはそんなにも情けないものだったのか!違うだろう!その呼吸でどれだけの命を救ってきた!その呼吸でどれだけのものを繋いできた!今の貴方は!そんなことも分からないほど耄碌したのか!!」

 

 槇寿郎殿は何も言わない。目を見開き、ただただ呆然と俺を見つめるだけだ。

 

「貴方の呼吸は!多くの人の命を救っている!弁当屋の娘も、仕立て屋のご夫婦も、その他大勢、貴方の刀と呼吸で命を救われた!…失われたものではなく残ったものを!今貴方の手の中にある幸福(しあわせ)を見ろ!」

「あおい…」

「そもそも!奥方の体調が良くなったのになんだこの体たらくは!命を長らえる事が出来たのなら、その事に感謝しこれまでよりも奥方を大切にすべきじゃないのか!何が"俺は妻を救うことも出来なかった"だ!当たり前だろう?!貴方は剣士であって医者ではない!そこらの人が病を治す事が出来るんなら医者なんぞいらんわ!」

 

 どうやら俺はこの五年の間に槇寿郎殿への文句を募らせていたらしい。特に最後に言った内容は当時からずっと思っていた事だ。

 やっと言えたと何故か俺がすっきりしてしまったがもう一言だけ言っておこう。

 

「…知っているでしょうが、先日貴方の息子が下弦の鬼を討伐したと連絡がありました。怪我が治ればすぐにでも柱就任の話があるでしょう。…喪うかもしれないと恐れて心を磨り減らすのではなく、必ず生きて帰って来いと激励し、おかえりと、よく帰ったと迎えることが待つ者に出来ることなんじゃないんですか」

 

 その言葉が持つ力を、槇寿郎殿も知っている筈だ。帰る場所と待っていてくれる人がいるというのは、時に生きる理由になる。絶望的な状況だろうが死にかけだろうが、諦めない理由になってくれる。

 

「…」

「…出過ぎた事を言いました。失礼します」

 

 呆然としたままの槇寿郎殿に軽く一礼してその場を去る。廊下の角を曲がってすぐの部屋に、瑠火殿と千寿郎がいた。いるのは気付いていたが、この様子を見るに話も聞こえていたのだろう。まあ当たり前か。それなりの声量だったもんな。

 

「お騒がせしました。それと申し訳ない、瑠火殿。襖を壊してしまった。後日改めて弁償に伺います」

「いいえ、構いません。むしろありがとうございました、一宮様」

「…子どもの癇癪のようになってしまいましたね。もっと上手いこと言えたらよかったのですが」

 

 改めて冷静になって考えてみたら本当にただの癇癪のように思えてきて何だかいたたまれない。

 そんな心情が滲み出たのか随分と情けない顔をしている気がする。

 

「…一宮様。あの言葉は全て、貴方の本心なのでしょう?」

 

 目尻を緩めながらそう問うてくる瑠火殿に、少し間を置いて頷いた。

 

「…はい」

「ならば、それだけで十分です。貴方のお気持ち、煉獄家の妻として、嬉しく思います」

 

 本当に、ありがとうございました。

 三つ指をつく瑠火殿に倣うように隣の千寿郎も頭を下げる。

 

「──こちらこそ、ありがとうございます」

 

 槇寿郎殿と話をするきっかけを与えてくれて。

 …後半はほとんど俺しか話してなかったんだが、まあそういうこともあるよ。うん。

 



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後編

 

 そろそろ上弦の腕を引き取ってもらえないかな、と思い始めたのは斬り飛ばしたあの日から一年近く経った頃だった。

 既に煉獄は柱になり、その責務を果たそうと仕事に励んでいる。そして近々また新たに柱に昇格しそうな隊士がいるらしい。生憎まだ会ったことはないのだが、左右の目の色が違うとか蛇を常に連れているとかという噂は聞いたことがある。

 また個性的な柱が増えるな…と遠い目をしていた俺の肩を紅葉が静かに叩いたのが、およそ一週間程前の出来事だ。

 まだ珠世殿には腕について話していない。あれから定期的に手紙のやり取りもしているし鬼の血も送っているが、珍しい血鬼術を持つ鬼の血もあると嬉しいといつかの手紙に書いてあったので、今はそちらを主に採取している。

 

(最初は好感度を上げようかとか考えてたんだけどなぁ…)

 

 下手に検体が手元にあることを伝えると、何だかさっさと会おうと催促しているように感じてしまって言い出せなかった。

 上弦の弐の腕は今、俺の私室の押し入れに収納してある。木箱に入れて更に上から風呂敷で包んだそれは、胴体から切り離されて一年近く経っているのに灰になることも腐ることもせず、あの日のままそれはそれは綺麗な形を保っていた。

 さすが鬼。意味が分からん。

 はぁ、とため息を一つ落としたところで外から聞き慣れた鳴き声が耳に入ってきた。

 

「茶々丸」

 

 縁側に出て、静かに待っていた茶々丸の頭を撫でてから抱き上げる。

 

「今日も手紙を運んでくれてありがとう」

 

にゃーお

 

 頬を指で軽く揉みながら私室への道を戻る。

 珠世殿と手紙のやり取りをするようになって、茶々丸は俺が日中屋敷にいる間は室内で自由に過ごし、日が暮れたら鞄の中に入っている血鬼術の紙を付けて帰っていくようになった。

 初めの頃はそのまま俺の部屋で過ごしたり紅葉や美鶴殿と遊んでいた茶々丸だが、時透兄弟を保護してからは二人にじゃれつく事が多い。まあ、茶々丸のその日の気分によって変わるんだが。

 部屋に戻り背負っている鞄から中身を全て出す。日が当たらないように紙を仕舞ってから障子を僅かに開けてやった。しかし出ていく気配がない様子から、どうやら今日は部屋に留まるつもりのようだ。

 文机の前に座る俺の膝に乗り上げ寛ぎだした小さな生き物をそのままに、珠世殿からの手紙を開く。

 いつものように時候の挨拶と採取の礼が綴られ、同居人や茶々丸の話といった近況報告へと続き、最後。

 

『近々お時間を頂いてもよろしいでしょうか。直接挨拶とお礼をしたいと思っています。私どもは基本的にいつでも空いているので、一宮さんの都合に合わせます』

 

 見間違いかと思わず三度程読み返してしまったが文面は変わらない。

 茶々丸へと目をやるもすぴすぴと鼻を鳴らしながら気持ち良さげに寝ているだけだ。取り敢えず背中を撫でて落ち着こうと手を伸ばす。

 いつがいいだろうか。残念ながらこの先暫く任務が入りっぱなしで非番の日がない。となると任務の前後で時間を作るか、仕事が片付くまで保留にするか。…今回は悩むまでもなく前者だな。折角の機会を棒に振るわけにはいかない。

 

(…そういえば明後日の任務は比較的近場だったな)

 

 加えて今のところ任務は一件のみの予定だ。何もなければ一刻もしないで終えることが出来るだろう。

 そう判断し、筆を取る。俺が書く内容も珠世殿とそう変わりはない。時候の挨拶から始まり、こちらも軽い近況報告をしてから二日後に予定が空いている旨を書き連ねる。

 締めの言葉を綴ろうとして一度筆を止めた。少し考え、二文程付け加える。

 

『お互いの顔が分からないまま会うんです。念のため合言葉を決めておきましょう』

 

 一応、俺としては珠世殿は鬼だから気配で分かる。しかしあちらもそうとは限らない。だから念のため、本人確認が出来るものを用意しておいた方がいいだろう。

 内容は珠世殿に決めてもらおうかな。どうやら道案内は茶々丸がしてくれるようだから、二度手間にはならないはずだ。

 書き終えたものを折り畳んで茶々丸の鞄に入れる。その動きに目を覚ましたのか小さく欠伸をする様子を見届けて、声量を落として声を掛けた。

 

「ようやっとお前の主人に会ってもらえることになったよ」

 

 ぱた、と尻尾で返事をされた。膝から降りて前足を伸ばし身体を解す茶々丸は、どうやらこのまま帰るらしい。

 一鳴きした後軽い足取りで帰っていくのを見送り、俺は再び手紙に目をやる。

 

「小さな変化がまた一つ、だな」

 

 

 

──ザンッ

 

 珠世殿から手紙が届いた二日後の夜。俺は予定通り任務に赴き、特に苦戦することなく鬼を狩り終えていた。

 

「…ふぅ。終わったぞ、茶々丸」

 

にゃーん

 

 危ないから終わるまで身を隠すように伝えていた茶々丸に声を掛ければ、近くの木の上から返事が聞こえた。

 降りてくるのを横目に見ながら、近くの茂みに隠していた風呂敷を取り出す。任務があるため持参するか迷ったが、いい手土産になるだろうと判断して持ってきた上弦の腕だ。

 

「では、案内をよろしく頼むよ」

 

うにゃん

 

 意気揚々と走り出した茶々丸を追って辿り着いたのは、珠世殿を探し始めた頃に候補地の一つとして挙げていた日本橋だった。

 夜も遅い時分だからか日中とは違い人も殆ど出歩いていない。そんな静かな街中を進み、角をいくつか曲がった所で茶々丸が立ち止まった。

 目の前にはなんの変哲もない土壁の塀。

 

「ここか?」

 

うにゃ

 

 短く返事をした茶々丸はそのまま塀に向かって進んでいき姿を消した。

 

「…へぇ」

 

 なるほど。茶々丸が使用している血鬼術の紙と同じものか。珠世殿の術なのか、手紙で言っていた同居人の術なのかは分からないが、身を隠すのにはもってこいの術だな。

 俺たちはそれなりに手紙のやり取りをしてきたが、初めの二通以降どちらも踏み込んだ話題を出すことはしなかった。だから俺は彼女に同居人がいることや趣味が花の手入れであることを知っていても、彼女の血鬼術がどんなものかは知らない。

 一方で珠世殿も、俺が鬼殺隊の柱でかなりの量の任務をこなしているのは知っていても、俺の扱う呼吸や産屋敷家との関係については一切知り得ていない。

 それでも、互いに"鬼舞辻を屠りたい"という思いを抱いていることを俺たちは知っている。

 口面の下で口角を上げ、改めて塀を見やった。そして一切の躊躇なく突き進む。

 特に何かを感じることなくすり抜けた先には、それなりの大きさの洋館が建っていた。

 

(これだけの大きさのものを隠すとは…凄いな)

 

 俺が敷地に入ってきたのが分かったのだろう。洋館内の気配が動いた。

 勝手に歩き回るのも悪いと思い、辺りを見回すに留める。

 …花壇に花が植えられていないのは、定期的に住む場所を変えるからか。

 そんな事をぼんやりと考えていたが、玄関が開いた事で意識をそちらに移した。

 現れたのは、一組の男女。そこらの人とは気配が違う。けれど、俺が普段対峙する鬼ともまた、違う気配がした。

 

「──"茶会"へのお誘い、感謝致します。珠世殿」

「…貴方が、一宮あおいさん」

 

 着物に身を包んだ、上品な(ひと)。緊張しているのがこちらにも伝わってくる程、纏う空気は張り詰めていた。

 まあ無理もないかと苦笑を溢し、会話をするには若干開いている距離を詰めてもいいか聞こうとすれば、それよりも早く憎々しげな声が響いた。

 

「貴様か…!珠世様と文通などという不敬なことを仕出かしているのは!!」

 

 珠世殿の隣にいた、同居人と思われる男から向けられる殺気混じりの視線を笑顔で躱す。

 

「そういう君は、同居人の愈史郎で間違いないかな」

「許可なく俺の名を呼ぶな!」

「はは、すまない」

 

 珠世様と二人で過ごす時間を邪魔するとかふざけてるのか。

 そう言って子犬みたいに騒ぐ愈史郎に、珠世殿はため息を吐きつつも若干肩の力は抜けたらしい。どうぞ、と俺を館に招き入れて応接間に通した。

 

「改めまして、私は珠世と申します。こちらは愈史郎です」

「ふんっ」

「ご丁寧にありがとうございます。俺は一宮あおい。鬼殺隊で空柱の名を賜っています」

 

 直接会うのは初めてという事で自己紹介をする。その流れで珠世殿と愈史郎の身体や血鬼術の事、茶々丸の事、俺自身の事を軽く話した。初めはまだ固かった珠世殿の顔も、途中からは薄く笑みを浮かべるまでに緊張を解いてくれている。愈史郎は未だに眉間に皺を刻んでいるが。

 

「…貴方は、鬼が憎くないのですか」

 

 珠世殿からそんな言葉が出てきたのは、出された紅茶を飲み終わった頃だった。

 八の字に下げられた眉根に、一拍置いて口を開く。

 

「俺は、多くの隊士のように身内を鬼に害されたことはありません。だから彼らよりも鬼に対する感情は軽いでしょう」

「なら、何故貴方は鬼殺隊に入ったのです?」

「──守り支えたいと思ったから、ですね」

「守り支える…」

 

 不思議そうに復唱する珠世殿に目元を緩ませて続ける。

 

「鬼という存在を知って、自分の家族もその脅威に晒される可能性もあるのだと分かった時、それを防ぎたいと思ったんです。幸い俺は三男坊でしたから、家の事は兄上たちがどうにかしてくれますしね。あとはそうだな。入隊前に縁あってお館様と顔を合わせた時に、"産屋敷耀哉"という一個人も支えたいと思った、というのも理由の一つです」

「そうでしたか…」

「──では、それが何故珠世様と手を結ぶなんて事に繋がる?」

 

 それまで黙って珠世殿を見つめていた愈史郎が口を挟んできた。

 

「高尚な事を言って騙そうとしてるんじゃないだろうな。お優しくて美しく高貴な珠世様に自分を信用させて利用した挙げ句、これ幸いと害を成そうとしているんじゃないのか」

「こら、愈史郎!」

 

 きゅっと眉を寄せた珠世殿が咎めるように彼の名前を呼ぶ。

 

「申し訳ありません一宮さん。愈史郎も、いい加減になさい」

「はい、珠世様!」

「俺は気にしていないのでお構い無く。…愈史郎の言うとおり、貴女方を利用しようとしてるのもまた事実ですし」

 

 そこで言葉を区切り、自身の背中に手を回す。背負っていたものを掴み珠世殿たちの前に翳せば、途端身を固くしてしまった。まあ無理もない。何せ、俺が今掴んでいるのは日輪刀なのだから。

 

「これを」

 

 右手に鞘を持ち、持ち手を珠世殿たちに向ける。抜くように促せば、恐る恐るといった風に柄に手を伸ばした。

 現れた刀身には"悪鬼滅殺"の文字。

 

「俺たち鬼殺隊は、悪鬼を屠ることを目的としています。まあ、中には鬼に対する憎悪が強すぎて全て一緒くたに考えてしまう者もいますが」

「お前はそうでないと?」

「俺が嫌悪するのは人を食う鬼だよ」

 

 そこで何故か珠世殿の顔が僅かに陰った気がした。

 

「…いい加減、終わりにしたいんです。人喰いの鬼が現れてもう千年だ。多くの同胞が命を懸けて戦ってきた。それでもまだ鬼舞辻の首に手が届かないと言うのなら、これまでとは違う方法を試みなければならない」

 

 刀身を鞘に納め、横の椅子に立て掛ける。

 

「珠世殿。俺は詳しい事まで聞いていないが、貴女の事は代々鬼殺隊当主に引き継がれていたらしいんです。…過去に隊士と接触したことは?」

「…数百年前に一度だけ。花札の耳飾りをつけたとても強い方で、あの鬼舞辻を絶命寸前まで追い詰めていました」

 

 その直後に少し、話をしました。

 当時の事を思い出していたのか、ここではないどこかを見つめていた珠世殿が、ふと俺に視線を戻した。

 

「私はその時、その方に誓ったんです。"必ず鬼舞辻を倒す"と」

 

 強い決意を秘めた瞳で見つめられる。きっと、その隊士も彼女のこの瞳を見て見逃すことを決めたのだろうと思う。

 

「…貴女が何に対して後ろめたさを感じているのか俺には分かりませんが、貴女の決意が本物だということは分かります。これは俺の推測ですが、貴女が会ったというその隊士も同様に、その覚悟を汲み取ったのでしょう。…なら、俺が貴女に言えることは一つだけだ」

 

 居住まいを正し、愈史郎を見やってから珠世殿に視線を戻す。

 

「珠世殿。改めてお願い申し上げる。我ら鬼殺隊に協力してくれませんか。鬼舞辻を屠るため、そして千年続くこの負の連鎖を断ち切るために」

 

 

*****

 

 

「本当にありがとう、あおい。まさかこんなに早く事が進むとは思ってなかった」

「自分でも驚いてるよ。もっと掛かるだろうと思ってたからな」

 

 産屋敷邸の縁側から紫陽花を見ながら話すのは珠世殿の事だ。

 直接会って協力を取り付けたのが昨日。今日は元々耀哉を訪ねる予定ではあったが、それはそれとして良い土産話が出来たと内心大満足だ。

 昨夜の事を粗方話し終えて一息ついた頃、耀哉が俺を呼んだ理由を教えてくれた。

 

「今年で柱に就任して十年経つだろう。何かお祝いがしたくてね」

 

 これをあげようと思ったんだ。

 そう言って差し出したのは一枚の羽織。

 

「…いい色だな」

 

 深い夜から朝に変わる空の色。俺たち鬼殺隊の、希望の色だ。

 

「ありがとう、耀哉。大事にする」

 

 嬉しくなってにっと満面の笑みを耀哉に向ければ、耀哉はどこか懐かしむように俺を見た。

 

「あおいは本当に変わらないね」

 

 ん?と首を傾げれば吐息のような笑いを溢された。

 

「鬼殺隊士になる前やなった後。柱になってから。そして私の義兄になってからでさえ。君はずっと変わらず、只の友としてあってくれる。それが凄く嬉しくて、私の心の支えになっているんだ。だからね、あおい。ありがとう。今後もどうか、私の友でいてくれるかい」

「…愚問だな。俺はお前に会った時から、友人になって支えてやると心のどこかで決めてたんだよ。じゃなきゃ週に一度の頻度で通ってない。──俺は昔も今も、そしてこれからも。お前の友であり続けるよ。友として、支え続ける」

 

 そうこの刀に誓ってるんだ。

 脇に置いていた刀に手を添える。今使用しているのは四本目のものだが、新しいものに交換する度に同じような誓いを立ててきた。

 心強いなと言って笑った耀哉はふと気になったのだろう。これまで使っていた刀の行方を聞いてきた。

 

「最初に支給されたものはまだ屋敷にあるよ。それ以外は新しい刀と交換形式になってるからその都度回収されてる」

 

 15を越した辺りから一気に身長が伸びたこともありものによっては数ヶ月で変えてもらっていたのだが、俺の刀はわざわざ里長が打っているらしいから少し申し訳ない。折れたわけでもないのだから余計だ。

 最初の一振りも回収しようかと言われたが、なんとなく手離し難くて十年も屋敷に置いたままになっている。定期的に手入れをしているとはいえ、刀だから振るってやりたいという気持ちもあるがどうしたものか。

 

「なら、磨り上げてもらったらどうだろう」

 

 そんな俺のぼやきを拾った耀哉からの提案に思わず瞠目する。

 

「…なるほど、その手があったか」

 

 となると脇差か短刀か…。今使っている刀に合わせるなら脇差なんだろうが、移動中どこに帯刀するか迷うな。背中でもいいが既に一振り背負っているし、何より長さが違うから些か不便だ。

 そう考えると短刀の方がいいかな。腰辺りで横向きに差せば移動中にも戦闘中にも支障は出ない。

 

「…相手の不意を突くなら左手で持った方が効果的だろうか」

「そうだね。ほとんどの鬼は人だったときの名残がある。つまり、その多くは右利きだ。そしてそれは隊士たちにも当てはまる。…試してみる価値は十分にあると思うよ」

 

 なら、次に里の人間が来たら依頼するとしよう。それまでは有一郎と一緒に左手に慣れる訓練でもするかな。

 





かつての同僚に喝を入れに行った人(23歳)
 今回甥っ子と姪っ子たちとのやり取りで幸せを感じつつ、少しだけ感傷的になってしまった。そういう夜もあるよね。
 なんとなく瑠火殿が申し訳なさそうしていたから、大丈夫、気にしないでください、むしろありがとうございます、という気持ちを言外に示していたつもり。その反面、槇寿郎殿の事は本当は蹴り飛ばすつもりはなかったけど反射で蹴ってしまった。「奥方があんなに気苦労を抱えてるのに何してるんだ」っていうね。鍛錬とか任務とかで割と使ってる弊害とも言う。空屋敷に帰る道すがら、やってしまったと頭を抱える姿が目撃されます。大福とかりんとうは同居人全員で美味しく頂きました。
 珠世殿と愈史郎の事は本編にあるように鬼と書いて“ひと”と呼んでいる。主人公たちみたいに“人”とは呼べない。でも信用はしてる。珠世殿たちに関して鬼殺隊側で知っているのはオリ主と産屋敷家のみ。胡蝶姉妹との共同実験についてはまた後日機会を作って話すつもり。
 ご友人から羽織を貰った後に妹と子どもたちに会ったら手作りの組紐を貰った。どこに付けるかしばらく悩む。


子どもだと思っていた相手に蹴り飛ばされた人(42歳)
 五年間連絡を絶っていた相手がいきなりやって来て驚いたけどそれ以上にキレ散らかされた事に驚いた。そして思ったより蹴りが重い。昔はもっと軽かったのに…。
 この後しばらく呆然とし、片づけに来た奥方にこれまでの態度を謝る。少しずつ前を向けるといいね。
 長男が帰ってくる頃にはそっぽを向きながらではあるけどちゃんと言葉をかけるまでに前進する、はず。


家の大黒柱が蹴り飛ばされた人たち(奥さん:39歳くらい、次男坊:10歳くらい)
 旦那さんからよく話を聞いていたので正直はじめましてな感じがしなかった。強いて言うなら聞いてた印象より大人っぽいなくらい。五年経ってますからね。この度ようやくお礼を言うことができて一安心。家の問題に巻き込んでしまったので本当に申し訳ないと気にしていたけど、言外にオリ主が気にしなくていいと言っているのが伝わって来たので、最終的には心穏やかにお礼を言うことができた。
 次男坊的には、背が高くて穏やかそうな綺麗な人→大きな音の後に声を荒げていたからちょっと怖い人→でも母上と話す様子は穏やかでやっぱり優しい人?という何ともジェットコースター味のある人物像になった。


この度鬼殺隊と協力関係を結ぶことにした鬼ひとたち
 手紙だと穏やかそうな人なのに滅茶苦茶鬼狩ってるからどんな人なんだろうって思ってた。だって結構な頻度で血が送られてくるから…。
 会った結論:穏やかな人だけど柱足り得る強さを持ってる人(物理的にも精神的にも)
 最後のお願いに頷いたら手土産ですって言って上弦の腕を渡されてちょっと宇宙背負った。あ、だから最初の手紙を送った後に血が送られてきたのね…、なるほど。



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以下補足&あとがき

今回は前回以上に難産だったんですけど何故なんだろう…。これが世に言うスランプ(違う)。

 今回槇寿郎殿を蹴っ飛ばしたあおいですが、正直こんなに手が早くて大丈夫かなって不安になりました。が。でも足癖悪いところもあっていいと思う。きっと格好いい。という思考放棄の結果そのまま行くことにしました。
 奥さんが生きてたらここまで腐らないだろうなと思いつつ、愛する妻が苦しんでるのに何もできない自分への怒りや無力感、炎の呼吸や自分対する失望やらが一気に来たら心折れちゃうんじゃないかな、と。槇寿郎さん繊細な人っぽいし。あと、大切な家族に酷いことを言ってしまった、こんな自分が情けない、といった自己嫌悪も加わりどんどん元通り接することが出来なくなったんじゃないかな、と。少なくともこの話ではそういう設定にします。だから何かきっかけがあれば少しずつ昔の槇寿郎さんに戻ると思われる。
 煉獄さん良かったね、ちゃんと褒めてもらえる日も近いよ!
 ちなみに瑠火さんは今回西洋医学で治りましたけど(4、5話参照)、別に東洋医学が劣ってるとかそういう意図は一切ないです。ただ今回の治療では漢方等の薬とか治療法が瑠火さんの体質に合わなかっただけです。私自身錠剤が全然効かなくて漢方薬で治した経験があるので、そういうこともあるよねって軽く流して頂けると嬉しいです。

 今後の流れを軽く書き起こしてみたんですが、原作まで辿り着くのにあと3~4話必要という結論になりました。なにゆえこんな長く…と思わなくもないのですが、もう暫くお付き合い頂ければ嬉しいです。

 ここまで読んでいただきありがとうございました!

※ 追記
改めてプロットを見返したら"原作まで3~4話"ではなく、"炭治郎と直接接触するまであと3~4話"が正解でした!失礼しました!


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鬼殺隊の最古参の柱は己のねがいに蓋をする
前編


 

 時透兄弟を空屋敷に引き取ると決めた時、俺は二人に、鬼殺隊に入るかどうかは一旦置いておいてとにかく療養に専念するよう伝えていた。産屋敷家から勧誘されたことも当分の間は保留にするように、と。さすがに片腕を失った子どもとその片割れに、すぐに今後の事を決めろとは言えないし、言うつもりもなかったからだ。

 とはいえ、無一郎は鬼殺隊に入ることには前向きだったようで、有一郎の状態が落ち着いた頃から隊士について聞いてくる事が増えていたし、紅葉や美鶴殿からも隠について話をねだられたとの報告もあった。体調が良い日には有一郎も一緒になって聞いているというから、これはもうほとんど決定かなと思っている。

 隊士になるにせよ隠になるにせよ、鬼殺隊は万年人手不足だから正直ありがたい。

 しかしそれと同時に、まだ若いのにとも思うのだ。こんな未来ある子どもが鬼殺隊士への道を歩むかもしれないことに、遣る瀬無い気持ちが湧いてくる。

 …かつての幼い俺に接していた周りの大人たちもこんな気持ちだったのかと思うと、何とも複雑な気持ちになるのは俺も年を取ったということなんだろうか。

 そんなとりとめもない事を考えていたある日。

 朝餉を全員で食べ終え、のんびりとお茶を飲んでいた時のことだ。午前の内に昨夜の任務の報告書を仕上げなくてはと考えていた俺に、妙に緊張した様子の無一郎が話しかけてきた。

 ちなみに有一郎はその横で片手を握りながら己の半身を応援している。

 

「どうした?」

 

 無一郎に顔を向ければ一度大きく深呼吸しているところだった。目を瞑り、息を吸って、吐いて。いつもより些か表情が固いが、先程よりも緊張は解れたようで俺を真っ直ぐに見上げてきた。

 

「──僕に呼吸と剣技の稽古をつけて下さい」

 

 二度ほど瞬きを繰り返し、今度は身体ごと無一郎に向き直った。

 布擦れの音がしん、と静まり返る室内に響く。

 

「それはつまり、隊士になりたいということで相違ないな?」

「はい」

「では一つ聞こうか。何故隊士になりたいと願う」

 

 俺の問いに、無一郎は目を逸らさずに答えた。

 

「…最初は、あまね様に僕たちが凄い剣士の子孫なんだって聞かされた時に、鬼に苦しめられてる人たちを助けたいと思った。…けど、今はそれだけじゃないくて。僕は、有一郎の腕を奪った鬼が赦せない」

 

 きゅっと眉間に皺を寄せて無一郎は更に続けた。

 

「みんな、普通に暮らしたいだけなのに。鬼がそれを奪ってく…僕は、それが赦せない。僕が隊士になることで一人でも多くの人たちが助けられるなら、この決断にはきっと意味があると思うんだ」

 

 そこで初めて無一郎は俺から視線を外した。その先にいるのは、この子どもにとって唯一の肉親だ。

 

「…それに、有一郎が言ってくれたから」

 

──無一郎の無は"無限"の"無"。無限の力を出せる、選ばれた人間なんだ。

 

「だからあおいさん。僕に呼吸を教えてください。鬼を倒せるだけの力を、与えてください」

 

 畳に手を付き深く下げられた頭を見つめる。

 

「分かった」

 

 ばっと勢いよく上げられた上体に思わず口元が笑みを作った。

 

「自分なりの動機があるなら俺は反対なんかしないよ」

「あおいさん…ありがとう」

「ああ」

 

 瞳を煌めかせて礼を言う無一郎に場の空気が一瞬緩んだ。

 

「無一郎。改めて言うが、鬼狩りというのは常に死と隣り合わせだ。油断をすればこちらが食われるし、何より己の手で救えるのは本当に極一部のみ。寧ろ守れない事の方が多いだろう。それは分かっているな?」

「うん」

 

 事も無げに頷いてみせるその様に本当に分かっているのかと若干の不安を抱くが、その瞳に浮かぶ覚悟は確かなもので。

 ならば俺がしてやれるのは、この子が早々に逝ってしまわないよう只管鍛えてやるのみだ。

 

「俺の修行は厳しいぞ?」

 

 にや、と煽るように伝えれば、無一郎も負けじと笑みを返してくる。

 

「望むところだよ」

 

 その返答に更に口角を上げた俺は、つい、と今度は有一郎に視線を向けた。

 

「お前はどうする?」

 

 己の片割れに向かって拳を作り応援していた有一郎は、ぱちりとひとつ瞬きをすると静かに口を開いた。

 

「…俺は、隠になります。隠になって、無一郎を支える。片腕しかない俺に出来ることなんてたかが知れてるけど。それでも──」

 

 残された右手に視線を落とし、一度ぎゅっと強く握る。無一郎と同じようで少し違う顔をまっすぐとこちらに向け、自身の想いをのせて再度言葉を紡いだ。

 

「無一郎を、独りにはさせない」

 

 強い意思の籠った眼差しが俺を貫く。

 

「…そうか」

 

 ここ最近ずっと悩んでいる様子だったから心配していたんだが、もうその必要もないだろう。

 隠に関しては俺よりも紅葉と美鶴殿に任せた方がいいと、後方で俺たちの会話を聞いている二人に視線をやれば心得たと言わんばかりに頷かれた。心強いことこの上ない。

 しかしいきなり有一郎を隠の仕事に同行させるわけにもいかないと思考を巡らせる。

 片腕しかない分、咄嗟の時に重心が取れないのは痛手だろう。ある程度動けるように身体を作っておく必要があるな。

 ふむ、と一つ頷き今後の方針を決める。

 多少任務の調整が必要になるが、最近は柱も増えてきているし少しくらい仕事を回しても問題はないだろう。耀哉にも二人の事を報告しなければならないし、近い内に産屋敷邸に赴かなければ。

 まあでも、まずはそうだな。

 

「有一郎も無一郎と共に呼吸を身に付けようか」

 

 軽く言い放った俺に困惑した様子で有一郎が応える。

 

「え、いや俺、隊士にはならないけど…」

「隊士が使うのとはまた違う呼吸だよ。あれは鬼を斬るために使うが、俺が言ってるのは基礎体力を上げるためのものだ。肺を鍛えて大きくして血流を上げるだけだから、鍛えれば誰でも出来るようになる」

 

 隠も隊士と変わらず体力勝負なところがあるから出来ていて損はない。流石に全集中・常中は習得しなくても良いが、ある程度持続できればやれることは多いはずだ。

 

「片腕がないなら他のもので補え、有一郎。欠けたものは戻らないが、だからと言って周りより劣っていると考える必要はない。お前はお前の出来ることを。きっと呼吸はその助けになる」

 

 そう告げれば困惑した表情を真剣なものに変えて了承を示した。無一郎は有一郎と共に鍛練が出来ると嬉しげである。

 

「とはいえ、まずは二人とも体力を付けるところから始めないとな」

「…確かに、前は薪とか背負って歩いてたけど最近何もやってない」

「俺もずっと寝てた…」

「そう落ち込むな。二人にとって必要な時間だったんだから」

 

 お互いに顔を見合せて眉を下げるその様子に苦笑を溢す。

 

「取り敢えず、今日から軽く始めてみよう」

 

 流石にいきなり山は駄目だろうから、手始めに敷地内を走らせればいいかな。

 

「屋敷に沿って庭を、そうだな、五週してきなさい。休憩はするなよ」

「「はい!」」

「やる気に満ちてて大変結構。体力配分には気を付けてな」

「わかった」

「いってきます」

 

 さて。二人が走ってる間に報告書と耀哉への手紙を書いてしまわないと。

 紅葉たちに一言声を掛け私室に戻る。

 報告書の紙面に筆を走らせながら考えるのは時透兄弟の事だ。

 本来、柱が隊士でもない子どもに稽古をつけることは滅多にない。鬼を狩ることが仕事の鬼殺隊士にそんな時間はないし、そもそも隊士の卵を鍛えるのは育手の仕事だ。

けれど、これらはあくまで一般論。あの子たちに当てはまるかと聞かれたら、俺は間違いなく首を横に振る。

 耀哉は、二人が隊士になることを期待していた筈だ。でなければわざわざ直接勧誘なんてしないし、何度も足を運ばせたりもしないだろう。

 始まりの剣士の子孫。剣の腕が血筋に影響されるのかは分からないが、それでも鬼舞辻を追い詰める一手になる可能性はある。

 そう考えれば耀哉の事だ。なんの事情も知らない育手に無一郎を預けるようなことはしないだろう。となると預け先は補佐役の父上殿か、面識のある胡蝶姉妹か、現在進行形で預かっている俺か。

 

「…まあ、俺かな」

 

 自惚れでもなんでもなく、時透兄弟は俺たちに懐いてくれている。安全な場所だと認識し、心を許してくれている。ならわざわざ新しい環境に移すなんて事はしないだろう。

 という予想を立てつつも、二人に稽古をつけることの許可を貰うために今度は手紙を認めていく。

 それと同時に大まかな鍛練内容を考えるが、二人はまだ12の子どもだ。筋力もつけなければならないが、身体が十分出来上がっていない段階で鍛えすぎても効率が悪い。

 ならやはり、優先すべきは体力か。あとは平行して回避訓練と、無一郎には素振りもやらせよう。それからある程度体力がついたら山を走らせて肺を強くして、最後に瓢箪割りだな。それが済んだら無一郎に型を教えなくては。

 庭から響く子どもたちの悲痛な声に苦笑を溢しながら、暁に書き終わったものを託すために俺は襖を開いた。

 

 

*****

 

 

 珠世殿たちと協力を取り付けて数ヶ月が経過した今日この頃。俺たちの関係は文通のみで交流していた頃より大分良好になっていた。特に珠世殿は俺に対するほんの僅かな警戒心がすっかり無くなり、俺と直接会う際にも緊張することが無くなった程だ。

 …正直、信用してくれているのは嬉しいんだがここまで警戒されないのもどうかと思う。

 だって鬼殺隊の柱だぞ?日にもよるが訪問日と任務が重なれば日輪刀だって所持しているのだ。多少の警戒心は持っていていいと思う。いやまあ、いつまでも警戒し続けるのも疲労が溜まるし研究の事を考えれば非効率なのも分かるんだが…。

 といった内容の事を定期訪問の際に伝えれば、珍しくころころと笑いながらはぐらかされてしまった。いつもは上品に笑う珠世殿のその貴重な笑顔に、横にいた愈史郎から感謝と憎悪が入り交じった複雑な視線を貰ったのでまあいいかと思考を放棄したのはつい先日の事だ。

 俺は今でも変わった血鬼術を扱う鬼の血を採取しては茶々丸に頼んで届けてもらっているし、あちらはあちらで素人の俺にも分かりやすいように研究の進捗具合を教えてくれている。

 愈史郎も、最近では俺が訪ねると悪態を付きながらも珠世殿のついでとして紅茶と洋菓子を出してくれるようになった。もしかしなくても大分気を許されていると思う。

 こうした現状と研究の進捗具合を鑑みても、そらそろ次の段階──共同研究に進んでみてもいいんじゃなかろうかと歩き慣れた道を進みながら考える。

 胡蝶姉妹にも珠世殿と同じように鬼の血を採取する度に渡してはいるが、やはり鬼舞辻の血が薄いせいだろう。上弦の弐の腕を所持している珠世殿たちに比べれば研究の進みは遅い気がする。代わりにしのぶ嬢の毒の品質は向上の一途を辿っているが。

 今から思えば、しのぶ嬢が胡蝶の研究を手伝うと言ったあの日に上弦の腕について話しておけばよかったんだ。そうすれば腕の一部を渡す事ができて二人の研究も今以上に捗っただろうに。

 しかし、あの時のしのぶ嬢は下手をすると即座に腕を日の元に晒して灰にしていたかもしれない程の怒りを抱えていた。

 胡蝶の研究に協力すると言ってはいたが、やはり鬼への怒りや憎しみはそう簡単に消えるものではなかったらしい。笑顔で任務先の鬼をいたぶっていたと当時たまたま見掛けた天元が教えてくれた。

上弦の腕は言わずもがな大変貴重だ。万が一にも灰にされたら困る。だから黙っていたんだが…。

 最近の彼女の様子を見て、もうその心配はいらないと判断した。

 相も変わらず怒ってはいるが、あの頃に比べて感情を抑えることが出来ている。特に柱になってからはそれが顕著だ。姉である胡蝶を見本に常に笑顔でいることが増えたが、前に「感情の制御が出来ないのは未熟者の証です」と話していたから彼女なりに模索した結果なのだろう。

話すならば、今だと思う。

 珠世殿の方も胡蝶姉妹同様少し行き詰まっているようだし、新しい視点が入るのはお互いに良い刺激になる筈だ。

 …といっても、この構想は俺と耀哉との間でしか話していないから、それぞれへの説明から始めなくてはならないのだが。

 先に珠世殿と胡蝶を会わせてからしのぶ嬢を紹介した方がいいかな。胡蝶ならいい具合に二人の緩衝材になってくれるだろうし。

 うんうん、と内心頷きつついくつもの店が並ぶ通りを歩く。

 ここは俺の担当警備地区の一つだ。今は昼間だが、夜だけでは分からない事もあるからたまに日が出ている時にも巡回は必要だと、俺が柱になった際に古風殿が教えてくれた。

 だからこうして、不審に思われない程度にぶらぶらと練り歩き、 適当に目についた店を覗きつつ周囲の噂話に耳を傾けているのだ。

 とはいえ、先程立ち寄った茶屋でも藤の花の家の主人からの話でも特に気になる内容のものはなかった。暁にも動物たちから話を聞いてくるよう頼んだが、そう大きな問題はないと見ていいだろう。

 そう大まかな判断を下したところで、一つの鼈甲の簪が目に留まった。落ち着いた色合いでいて細かく透かし彫りがなされたそれを手に取りじっと眺める。

 自然と思い浮かんだのは一人の女性。そういえば、そろそろ花魁になれるのだと丁度一月前に言っていた。何か贈ろうかと聞けば「そのお気持ちだけで十分です」と袖で口元を隠しながらふんわり笑っていたのを思い出す。大きな瞳をゆるりと緩め、澄んだ声がこちらの鼓膜を揺らすのだ。

 ふ、と笑いが漏れたところで我に帰る。

 

(…いや、贈るわけでもないのに手に取ってどうする)

 

 贈るにしても菓子がそこらだろう、痕跡は残せないのだから。

 溜め息を吐きつつ簪を元あった場所に戻そうと手を動かす。

 

「…」

 

 動かした、のだが。

 なんとなく。本当になんとなくだ。このまま手元に置いておきたいと、そう思ってしまった。

 ならばもう仕方がない。 買ってしまおう。折を見てあまねにでもやれば簪もきっと浮かばれる。

 そんなどこか投げやりな思考で簪を購入し店を出た。別の店で鯉夏に渡す菓子を買い、情報収集も済んでいるだろう暁と合流するため表通りに背を向け脇道に逸れた。

 歩みを進めつつ簪の包みを入れた懐付近を指でなぞる。店で手に取った際、無意識の内に頭に浮かんだ己の欲に自嘲めいた笑みが溢れ落ちた。

 

「まいったなぁ…」

 

──いつか俺が贈った簪を挿しているところを見たい、だなんて。

 

 そんな(ねがい)、彼女を利用している立場のくせして烏滸がましいにも程があるというのに。

 



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後編

 

 暁と合流し、特に異常はないと互いに確認して帰路に着いていた時。

 前方から目に鮮やかな髪色の少年と白蛇を連れた少年がこちらに向かって歩いているのを視認した。

 

「一宮殿!」

 

 俺が気づくのとほぼ同時にあちら ──煉獄も俺に気づいたようで、大きな声で名を呼ばれる。相変わらずよく通る声だ。

 

「煉獄。前回の柱合会議以来だな」

「はい!…お会いしたかったので丁度よかった」

 

 その言葉にん?と首を傾げる。

 

「俺に何か用だったのか?」

 

 その問い掛けに頷くことで是とした煉獄は、一度目を伏せてから再び俺を見据えた。しかしその瞳は存外静かなもので。

 一宮殿、と弧を描いた口が音を発する。

 

「ありがとうございました」

 

 いつも見えるつむじが、今はもっと下にあった。

 煉獄の連れから僅かに動揺した気配が感じられる。

 

「母と千寿郎──弟に聞きました。俺が蝶屋敷で世話になっている間に父と話をしてくれたと。わざわざ時間を作って頂き、感謝申し上げます。本当はもっと早くに礼を伝えたかったのだが、中々機会がなく…申し訳ない」

 

 頭を下げたまま静かに告げる煉獄からは、深い感謝の念と共に、申し訳なさやら後悔やらが入り交じった複雑な感情が滲み出ていた。

 

「──頭を上げなさい、煉獄」

 

 俺がこの子と直接話した回数はそう多くない…というか、瑠火殿からの手紙を渡してくれたあの一回のみだ。

 それでも、分かることはある。

 実父の醜態とも言える所業を隠すことなく伝える実直さも、父に代わり柱としての責務を果たすのだという強い責任感も。まっすぐと、己の想いを人に伝えられる強さを持っているところも。

 たとえあの一回のみの遭逢だったとしても、それらは十分過ぎるほど伝わってきた。

 そしてそんな男だからこそ、身内でもない俺を自身の家の問題に巻き込んだ事を悔いているだろうことも、容易に想像できた。

 しかしそれは違う。違うんだよ、煉獄。

 俺は──。

 

「俺は感謝してるんだ。槇寿郎殿と真正面からぶつかれる、最初で最後の機会を与えてくれた事に」

 

 だからこちらこそ、本当にありがとう。

 そう煉獄に向かって軽く頭を下げた後に様子を伺えば、ぽかんとした顔が二つ並んでいた。

 …ふむ。そうしていれば存外幼いものだな。片方は包帯で顔の下半分を覆っているから目元のみでの判断になるが。

「瑠火殿からその後の話は聞いている。酒量も減り、少しずつ以前の槇寿郎殿に戻ってきたと」

「あ、はい。俺が柱に就任した際にも"励め"と言葉を掛けてくれました」

「そうか。よかったな」

「…はい!」

 

 僅かに頬を上気させ、本当に嬉しそうに笑う煉獄に、僅かに空気を変えるように先程から気になっていた事を告げる。

 

「そうだ煉獄。俺たちは同じ柱なんだからそんなに畏まらなくていい」

「む。しかし…」

「年齢も隊歴も違えど柱は皆同格だ。そこに上下の差などないよ」

「…では、お言葉に甘えるとしよう!」

 

 よし。こういった事は早めに言わないと定着してしまうからな。今のうちに訂正できてよかった。

 一種の満足感を覚えると共に、もう一つ気になっている事を聞くことにする。

 

「ところで、彼は?」

 

 煉獄の連れである、左右の瞳の色が違う少年。天元が派手だなんだと騒ぎそうだなと思いつつ、これが例の"柱に昇格間近な隊士"かと考える。白蛇も連れているし間違いないだろう。

 

「む、そうだった!彼は伊黒小芭内といって俺の友人だ!階級は甲だから柱になるのも近いだろう」

「そうか。俺は空柱の一宮あおいだ。よろしく」

 

 伊黒は特に反応を示す事なく無言を貫いている。

 警戒されてるなと内心苦笑が溢れたところで、それまで大人しく伊黒の首に巻き付いていた白蛇がにゅっと身をこちらに乗り出してきた。

 

「おっと。…やあ、はじめまして」

 

 触っても?と巻き付かれている本人に確認すれば色違いの瞳を大きくしながらもぎこちなく頷いてくれたので、これ幸いと白蛇にも声を掛けた。

 

「綺麗な色をしているな。触ってもいいかい?」

 

 手を差し出しながら問い掛ければ、了承するようにちろりと舌で舐めてくる。

 

「ありがとう」

 

 そのまま人差し指で頭を撫でてやればもっとと言うようにその小さな頭を押し付けてきた。

 そこで、それまで静かに成り行きを見守っていた煉獄が驚いたように声を発した。

 

「初対面の相手にここまで懐くのは珍しいな!」

「そうなのか?随分と懐っこいが」

「ほとんどの場合無視をするか威嚇しているぞ」

 

 それはまた、似た者同士というかなんというか。

 妙な納得を覚える俺を横目に、煉獄は伊黒にも同意を求めていた。

 

「…そうだな」

 

 煉獄の大きな声に比べればかなり小さいその同意の声は、俺にとって耳慣れないもので。その発生源に目を向ければ、華やかな色合いの双眼としっかり目があった。

 

「…伊黒小芭内という。そいつは相棒の鏑丸だ」

 

 名を名乗るその様子に先程まで感じていた警戒心はどこにもない。何が伊黒の琴線に触れたのかは分からないが、警戒されているよりはずっといい。

 

「一宮あおいだ。よろしく、伊黒、鏑丸」

「…ふん」

 

 僅かに眉間に皺を寄せてそっぽを向かれてしまったが、これはあれだな。照れ隠しだな。

 若いなぁと微笑ましく思いながら二人と別れ、今度こそ帰路につく。

 この日から暫く経った頃、新たに柱に任命する予定だと耀哉から連絡が入るのだが、それはまた別の話だ。

 

 

*****

 

 

 私が遊郭に売られて来たのは、別段珍しい理由からではない。

 両親の借金返済のために纏まったお金が必要で、長女であった私が選ばれたのだ。正直、この吉原ではよくある話の一つでしかない。

 あれよあれよという間にときと屋の親父さまと女将さんに買われて、禿になって、遊女になった。

 初めての相手は所謂上客というもので、私よりも数十は年上の人だった。

 多分、優しくしてくれたのだと思う。痛かったけれど、最初はそういうものだって姐さんたちも言っていたし、その後も特に問題なくお客様の相手をすることが出来ているから。

 それでも"気持ちいい"なんて思ったことは一度もないし、その行為を好きになることもなかった。

 ただの仕事で、お金を稼ぐために必要なことだからやっているだけ。

 そうして毎日違う人と朝を迎える日々を過ごして暫く。

 ああ今夜も見世が始まったと、少しだけ憂鬱になっていたあの日。あの方はやって来た。

 藤宮あかね様。

 行灯の光を受けて淡く煌めく白い髪をひとつに結った、端正な顔立ちの綺麗な方。

 "お名前は?"なんて丁寧な問い掛けも相まって受け答えがぎこちなくなってしまったのは、後にも先にもこの時だけだ。

 …閨を共にするのかと想像して変に緊張してしまったのも、この時だけ。

 結局大門が閉まる時間に帰ってしまわれたけど、帰り際に一つ約束をしてくださった。

 

──月に一度、朔の日には貴女の元を訪ねるとしよう。

 

 その言葉の通り、あかね様は月に一度の頻度で会いに来てくれた。

 “俺が来ない間に変わったことはあったか?”と毎回聞いてくるから、三回目の逢瀬からちょっとした変化を気にするようになった。

 それはお天気雨が降ったとか、遊女の間で流行っている書物の話だとか、春告鳥が鳴く練習をしていたとか、本当にそんな些細なもの。

 多分、というか絶対に他のお客様は興味を示さないような話題なのに、一つ一つに丁寧に相槌を打って反応を返してくださる。そんなあかね様に、ぼんやりとやっぱりいい人だなと思い始めたのは、それこそかなり早い段階だったように思う。

 その認識が強まったのは、彼の訪ねてきた回数が片手を越えた頃だ。

 いつもと同じように朔の日にやって来た彼は、腰を下ろすと土産だと言って持っていた風呂敷を私に差し出してきた。

 広げた先にあったのは、色鮮やかなひし形のお餅。

 桃の節句だからとわざわざ買ってきてくれたそれに、思わず泣きそうになってしまった。

 だって、私は遊女だから。

 ここに来るお客様の殆どは、私たちと夜を共に過ごすことを望んでいる。贈り物を貰ったとて、それはあくまでご機嫌伺いだったり私たちに気に入られるため、或いは他の方への牽制が目的で、所謂下心込みの贈り物に過ぎない。

 もちろん、それが仕方のないことだと分かっているし、この遊郭では極々普通の当たり前の事だということも理解している。

 けれど、だからこそ。

 何の下心もない、純粋に私の事を考えて持ってきてくれた贈り物の、なんと嬉しいことか。

 なんとか泣くのを我慢してお礼を伝えれば、あかね様は嬉しそうに顔を綻ばせていて。その顔を見て、胸の奥にほんのりとした熱が灯ったような気がした。

 それ以降、あかね様がいらっしゃる予定の日が近づいてくる度に、どことなくそわそわと落ち着かない気持ちになる。けれどもそれは不快なものではなくて、どちらかと言うと自然に笑顔になってしまうような、そんな状態。

 いつもより気持ちも身体も軽く感じる。

 お話しするのが楽しい。

 もっと笑ってほしい。

 …欲を言うなら、その笑顔をもっと私に向けてほしい。

 そんな、遊女としてお客様に抱くには少し不適切な感情を持て余しつつ、今月もまた会いに来てくださったあかね様の顔を盗み見る。

 いつもと変わらない、穏やかな笑み。年相応に落ち着いたそれが、少年のように綻ぶ瞬間を私は知っている。

 私を映した瞬間にその瞳が嬉しそうに綻ぶところも、笑った顔が少し幼いところも、なんだかとても可愛らしくて。

 今日だって、私が花魁になったからと私が好きなお菓子を持ってきてくれた。受け取った時に見せてくれた無防備な笑顔を思い出すだけで、胸の辺りがそわそわとして落ち着かない気持ちになる。

 …本当は、もっと貴方の事が知りたいのだと言ったら、この方は何て言うのだろう。

 お仕事については初めの頃に聞いたらぼんやりとはぐらかされてしまったから、別に聞くつもりはない。そういうのではなくて、好きな色とか料理とか、そういうあかね様の趣味嗜好が知りたいのだ。お菓子をくださる時は"私が好きそうなもの"を選んでくるから、あかね様の好みではないだろう。

 …一度気になると、そればかりが脳内を満たすから困ったものだ。聞いてみても大丈夫だろうか。ありきたりな質問なら答えてくれるかもしれない。

 そう僅かな期待を込めてあかね様に声を掛ける。

 

「あかね様」

「ん?どうした、鯉夏」

 

 柔らかな色合いの瞳がまっすぐとこちらを向く。その視線に小さく暴れだす鼓動に知らない振りをして再度口を開いた。

 

「今日はあかね様のお話が聞きたいです」

「俺の?」

「はい。好きな色だとか、料理だとか」

 

 そう言えば、ぱちくりと目を瞬かせてからふっと小さく笑った。

 …今の笑い方は卑怯だわ。

 

「そんな事が聞きたいのか」

 

 私にとっては"そんな事"ではないのです、と内心呟きながら肯定する。

 

「そうだなぁ。…朝焼けの色かな」

「朝焼けの?」

「ああ。一日の始まりの色で…希望の色だから」

 

 何となく、いつもと雰囲気が違うような気がしたのだが、すぐに次の話に移ってしまったので確かめることは出来ない。

 

「料理だったら白和えが好きだよ」

「白和えですか。確かに美味しいですよね」

「うん。前に甥と姪たちが作ってくれてからは特に」

 

 甥と姪。これは新情報だ。

 

「ご兄弟がいらっしゃるの?」

「ん?ああ、妹がいる」

「そうなんですね…。ふふ、ではあかね様は"お兄様"なんですね」

 

 新たな一面を知れたことが嬉しくて顔が緩む。それを抑えることなく表に出せば、楽しそうだなぁ、という呟きが聞こえた。

 

「ええ、とっても楽しいです」

「そうか。お前が楽しいなら俺も嬉しいよ」

 

 その後も、実は妹さんの旦那様とは長年の友人なのだとか、屋敷に遊びにくる猫が可愛いだとか、そんな些細な話を沢山してくれた。

 そしていつも通り、大門が閉まる頃に帰ってしまわれるのを名残惜しくも見送る。

 "また来月"というその約束を信じて、私は久しぶりに一人で静かな夜を明かすのだ。

 

 

 

 私をそういう目で見てこない稀有な方。

 毎回、もしかして今夜は一緒に床についてくれるのではと勝手に小さく期待してしまう。

 けれどいつも通り大門が閉まる頃に帰ってしまえば、必要以上に触れてこないのは私を女として見ていないからなのかと、これまた勝手に不安になってしまって。

 でも、たまに手や頬に滑らせてくる指先からは、確かに"愛情"が伝わってくるのだ。それは決して欲を孕んだものではないけれど、心地の良い、気持ちのいい触れ合いで。

 

──貴方に触れられるのは全然嫌ではないの、なんて。

 

 こんなこと、その気もない人には絶対に言えやしない。

 





・無意識の内に変な欲を抱いてしまった人(24)
 この度弟子が二人増えました。正式に隊士になったら継子にする予定。兄の方は一足早く紅葉に託す。
 簪を買ったときの欲(ねがい)は取り敢えず無かったことにした。今はとにかく、調査に集中しなければ。
 柱候補の隊士に警戒されてるのを見てかつての継子を思い出した。縁起のいい白蛇が見れてちょっと嬉しい。


・この度弟子入りした双子(12)
──俺は隊士にはなれないけど、お前一人にだけ鬼殺を背負わせたくないんだ。
 今後、弟に付き合って鍛練積んでたら瓢箪を割る未来もあるかもしれない。もしそうなったら、無事隠になった際に周りから「普通隠は全集中の呼吸なんてできない」と聞いて「は?」ってなる。
──僕はきっと、兄さんがいればどんな事にも立ち向かえるよ。
 保護されてからずっと考えていた事をようやく言い出せた。忙しい中稽古をつけてもらうのに申し訳なさはあるけど、すぐにそんな事考えられなくなる。いい笑顔でとっても厳しい…。でも自分で決めた事だから頑張るよ。


・派手好きな元継子(20)
 手こずってるなら手を貸すのも吝かではないが、見た感じ大丈夫そうだったので暫く様子を見て帰った。笑顔で鬼をいたぶってるところがかつて自分に厳しい稽古をつけてくれた師匠を思い出させたとかそんなことない。ないったらない。
 弟弟子が出来たと聞いてそのうち突撃する。


・やっとお礼が言えて大満足な炎柱(17)
 退院許可をもぎ取って帰宅したらいつにも増して母と弟がにこにこしていた。柱昇格が決まったからかな?と思っていたら父から言葉を掛けられてとても驚く。
え、父上が…?任務に行く前は酒を煽っていた父上が…?!
 後から事情を聞いて滅茶苦茶感謝するしすぐにでもお礼を!ってなった。でもオリ主はとにかく忙しいし、自宅に突撃するのは申し訳ない。ならば取り敢えず鬼を狩って負担を減らすとしようと任務に励んでいた。
──それは、誰よりも熱く、誇り高き精神を持つ者。


・瞳の色が派手な柱候補(18)
 幼馴染で友人が柱になったのは嬉しいしすぐに追い付くつもりではあるが、それはそれとして最近よく話に空柱の名前が出て来て気になってた。実際会ってみたら背は高いものの細身だし、ちゃんと礼も言った上で頭も下げるからいろんな意味でびっくり。最古参の柱が軽くとはいえ頭さげた…。
 鏑丸が懐いたなら警戒心は解いても大丈夫かなという判断の元、改めて名乗った。暫くの後蛇柱に就任する。
──それは、誰よりも鋭き眼光を持ち、鬼を穿つ者。


・朔の日にはそわそわしちゃって周りの遊女に揶揄われる人(16)
 オリ主の事が知りたくてちょっと勇気出して聞いてみたらちゃんと答えてくれたのでご満悦。
 貴方の笑顔を私だけに向けてくれたらどんなに幸せだろう、と思ったかもしれないし思ってないかもしれない。



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以下補足&あとがき

 原作での無一郎は記憶を失くしていたけど、この話では有一郎が生きているので記憶喪失フラグは折れてます。記憶が残ってるから鬼を狩る理由もはっきりしてるし、有一郎と和解(?)したからより頑張ろうと思える。
 あおいの鍛練は父上殿からのものが基準になってるので初心者には特にきついです。天元も最初は気絶してた程なので。書いてないけど。ただ今回は病み上がりもいるから気絶しないギリギリをついてくつもり。片腕で倒れたら流石に危ないという配慮です。慣れたらもっと厳しくする予定。だって死んでほしくないもの。
 実際隠の皆さんって全集中の呼吸できるんですかね?剣の才能が無かったから隠になったのなら全集中は出来ていない?でも中には最終選別を突破して隠になった人もいる(はず)だからそんなに珍しくもない、のか?よくわからん。まあ、あれです。これ二次創作なんで。ふわっと読んでください(適当)。

 大まかな時系列を作ったはいいもののそこまで細かく決めていた訳ではないので、軽率に煉獄さんは柱になって数ヶ月後にやっとあおいに会えて礼を言えたという設定になった。この人なら何としてでも時間作って会いに来そうだけど作者の都合でこんなことに…。ごめん、煉獄さん。
 そして伊黒さんの口調が分からない…。ネチネチしてるのは分かってるんだけどそのネチネチが分かんない…。お前誰だよただのツンデレ照れ隠しの口下手さんじゃないか。ほんとごめんね。

 そしてそして、フラグと言っていいのか分かりませんがフラグが立ちましたよ皆さん。元々この話は、鯉夏さんとの話が読みたい+あまね様の身内兼お館様の友人の話が読みたいという願望の掛け合わせから生まれたものです。とはいえ、長編小説を書くのは初めてなので、この流れでちゃんと想定している着地点に行くのか戦々恐々としています。
 ちなみに、鯉夏さんはあおいが泊まっていかない理由の一つに"自分を休ませるため"という理由が含まれていることを察しています。明言されていないからそうなのかな?くらいな気持ちですが。そして事実当たっているという。料金は丸っと一夜分払ってるので鯉夏さん的に、というかときと屋的に損は出ていないという設定。あと、あおいの場合直接遊郭に出向いているので花魁道中はやってません。目立っちゃうからね。
 遊郭事情がいまいち分かっていないけどこれ二次なんで!ふわっと読んでください(二回目)!

 ところで。
 今回の話を書くにあたって前話を読み返してみたんですが、私あとがきの最後に"原作まであと3話くらい"って書いてたんですよ。あれ?と思ってプロット見てみたら、"炭治郎と直接接触するまであと3話くらい"が正解でした。
 なんという凡ミス。
 ちなみに直接接触するのは柱合会議の予定です。それまでに名前が出たりニアミスとかはあるかもしれないけど。


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鬼殺隊の最古参の柱は"小さな変化"に遭遇する
前編


 

 耀哉から緊急の呼び出しを受けたのは、年が明けて暫く経った頃、つまり弟弟子が出来たと知った天元が奥方たちを連れて突撃してから二月程経った頃だった。

 …あれは夜にやって来た派手な烏が"明日空屋敷に帰る"というなんとも急な報告をして飛び去って行った事から事態は始まっていたと俺は確信を持って言える。早朝とも言えない、日の出まであと半刻はあるだろう時間に「可愛い継子が帰ってきたぞ!」という爆音を響かせながら帰って来た天元は正しく任務帰りで感情が高ぶっていたのだろう。普段祭りの神だなんだと言っている天元だが、お館様へは当然のこと、俺や悲鳴嶼といった目上の人間への礼儀は弁えている。一見感情的に見える行動も、その実理性的に物事を捉えた上での行動であることがほとんどな男だ。

 …だからまあ、任務で鬼を斬った後で血が騒いでいたとか、初めての弟弟子にわくわくが止まらないとか、そういった事情があったのだろうと察することは出来た。出来たのだが、こちとら鍛練やら任務やらの疲れを取るための貴重な睡眠の真っ只中だ。いくら早起きが習慣付いている俺でも緊急事態でない限り太陽が顔を出す頃までは寝ていたい。加えて件の兄弟は成長期。質の良い睡眠は必須である。

 よって、ばかわいい元継子の後ろでおろおろしながら「天元様、まだお休みになっているかも…」「もう少し声量を落とした方が…」「近所迷惑ですよぅ」と口々に言っている奥方たちを横目に形のいい頭に一発入れて黙らせても仕方のない事だし許される事なのだ。寧ろそれで終わらせた俺に感謝すべきだろう。

 話が逸れた。

 ふう、とあの日の騒ぎを脳内の隅っこに移動させて気持ちを切り替える。

 俺は今、産屋敷邸の一室、梅の間に向かうために足を進めていた。

 屋敷の中でも奥まった場所に位置するため、所謂密談をするにはうってつけのその部屋はしかし、使用頻度は決して高くはない。最後に使ったのも珠世殿捜索を依頼された時だからもう三年は前だ。

 そんな部屋に緊急で呼び出すなんて今度は一体どんな"内緒話"なのかと思考を回しながら、目当ての部屋に既に待ち人がいる事を確認して躊躇なく襖を開ける。

 予め人払いされていたのだろう。ここに来るまで誰ともすれ違わなかった。それでも念のため、後ろ手に音を立てぬよう襖を素早く閉めて外の気配を探る。特に異常が無いことを確認して、部屋の中央に座す待ち人──耀哉に向かって一つ頷いた。

 ちらりと俺を見上げた耀哉はそのまま無言で座るよう促してくる。いつにないその行為に、やはり余程の事があったんだなと改めて思う。とはいえそんな事、常ならば"数日以内に"の文言が"すぐに来い(意訳)"だった時点で分かっていた事なんだが。

 

「これを。今朝急ぎで届いたんだ」

 

 その言葉と共に手渡されたのは一通の手紙。差出人の名前を見れば"鱗滝左近次"と書かれていた。

 確認を込めて耀哉を見れば読むよう目線で促されたので遠慮なく内容に目を通す。

 時勢の挨拶から入り突然の手紙を詫びた後に書かれていた本題に、知らず知らずの内に声が漏れた。

 

「…これは」

 

 にわかには信じがたい内容に眉間に皺を寄せ、正面に顔を向ける。

 

「耀哉。俺は彼と面識がない。…この手紙は信じられるのか?」

「…少なくとも、嘘や冗談の類いは言わない御仁だよ。特に鬼に関することならね」

「…そうか」

 

──鬼になった直後に人も食わず、鬼殺隊士から肉親を守ろうとした。

 

「もしこの話が本当なら。前にあおいが言っていた"小さな変化"になりうるかもしれない」

 

 静かに言葉を紡ぐその口元には、俺の知るどの笑みも浮かべられてはいなくて。その代わりに、真っ直ぐに俺を射抜く視線には隠しきれない感情が強く込められていた。

 

「だからね、あおい。私の代わりに確かめてきてほしいんだ」

 

 竈門禰豆子が、私たち鬼殺隊の利になるか否か。

 その言葉に、俺は頭を下げる事で是と示した。

 

 

 

 さて、鱗滝左近次は元水柱で現在は育手をしている御仁だ。鱗滝錆兎及び冨岡義勇は彼の弟子にあたる。ということはつまり、紅葉の師匠でもあるという訳で。

 

「今日、お館様の元に鱗滝左近次殿から手紙が届いた」

 

 産屋敷邸から戻ってすぐ、仕事の話をするという名目で紅葉を自室に呼んだ。実際いくつか確認したいことがあったので嘘ではない。

 粗方確認事項を片付けたところでさっさと本題を切り出した。

 

「鱗滝さんから?」

「ああ。鬼となった妹を連れた兄を弟子にしたらしい」

「…は?」

 

 ぽかんと口を開けてこちらを見つめる紅葉により詳しく話していく。

 というかやはり知らなかったか。まあそうだろうな。これは、弟子である紅葉よりもまずお館様に報告するべき内容なのだから。そして鱗滝殿の元へ向かわせた張本人である冨岡は勿論、鱗滝もわざわざ紅葉に知らせたりはしないだろう。何せ、紅葉は空柱付きの隠だ。たとえ弟弟子からだろうと"鬼を保護した"と聞かされたらまず間違いなく俺に報告、というか相談してくる。どんな事情があるにせよ、絶対に。そんな確信を抱かせる程には俺たちの付き合いは長い。

 そんな俺の隠は、混乱も程々にすぐにいつもの調子に戻ると極めて冷静に問い掛けてきた。

 

「斬るのか?」

 

 兄弟子にしては冷たいと思われるかもしれないが、紅葉は直接会っていないし、そもそも鬼殺隊の関係者なら正しい反応と言える。

 

「確かめてきてくれ、と言われたからまだどうするかは決めてない。場合によってはその場で斬るが…まあ、報告が正しいならその必要はないな」

「そうか」

 

 鱗滝殿の言葉に嘘はないのだろうが、俺としてはやはり直接見てみないと最終的な判断はできない。何せ身体を弄っている珠世殿と愈史郎でさえ、少量の血液が必要だと言うのだから。ならば何の処置も施していない今、竈門禰豆子が凶暴化して人を襲わないと断言することは不可能だ。

 加えて、今回は耀哉の名代として出向くのだ。となれば尚のこと慎重にならなければ。

 

「出発は明朝。俺はその日の内に帰宅するが、お前はどうする?」

 

 ここ数年帰ってないだろう。

 そう問えば紅葉の視線は考えるように下を向いた。

 

「そう、だな。新しい弟弟子もいることだし、全員に顔を合わせてから帰るよ」

 

 ありがとな、とにっと紅葉が笑ったところで近づいてくる気配が二つ。

 

「あおいさん、紅葉さん」

「ご飯出来たって!」

 

 元気のいい双子の呼び声に返事をして腰を上げる。

 取り敢えず、三人には任務が入ったと伝えればいいかな。

 

 

*****

 

 

 明朝、狭霧山に向けて出発した俺たちだったが、それなりに距離もあったため目的地に着いたのは正午を回った頃だった。

 

「お初にお目にかかる、鱗滝殿。俺は一宮あおい。お館様より空柱の名を賜っています」

 

 出迎えてくれたのは天狗の面をつけた初老の男だった。元柱に相応しくその出で立ちには隙がない。…狐面じゃないんだなと思ったのは秘密だ。しかし紅葉は気づいたようで、楽しげに細められた瞳に全力で気づかない振りをする。

 通された先には竈門炭治郎はおろか、手伝いをしていると言っていた鱗滝もいない。おそらく例の山で鍛練でも積んでいるのだろう。

 

「もう既に察しておられるだろうが、今日は貴方からの報告にあった"鬼"について、お館様に代わり様子を見に来た次第です」

 

 鱗滝殿の背後にある閉ざされた襖。その奥から僅かに気配がする。普段接しているものとはかなり違うが、人ではないのは確かだ。

 

「そちらの襖の向こう側にいますね。会わせて頂きたい」

 

 静寂が場を包む。そして数拍の後、俺から視線を外すことなくじっと見つめていた鱗滝殿が声を発した。

 

「…一つよいか」

「何でしょう」

「儂はあの子の保護者──竈門炭治郎からあの子を預かっている身だ。任されている以上、何も知らぬお主に首を斬らせるなどもっての他」

「人を食らうかもしれなくても?」

「そうなる前に、儂が首を斬り落とす」

「…ほう?」

「炭治郎がこの場にいない今、直接任された儂が斬るのが道理。…どうか、ご理解頂きたい」

 

 この御仁はきっと、俺が彼からの報告を完全に信用していないと気づいている。だからこその牽制だろう。部屋に入った瞬間、俺が"鬼"の首を斬らないよう釘を刺した。

 そういえば、道中で紅葉が言っていたな。鱗滝さんは鼻がいいから相手の感情が匂いで分かるんだ、と。

 …ならば伝わるのも無理はないか。

 

「いいでしょう」

 

 今回俺はお館様の名代で来ているから必然的に拒否される事はない。が、今後の為にも遺恨を残す事は避けたいところでもある。そこを提示された条件を飲むだけで会えるというのなら何の問題もない。

 

「そも、今回俺は見に来ただけだ。目の前で人に害を成すならまだしも、何もしていないのに斬るようなことはしませんよ。ご安心を」

「…最古参の柱にしては随分と甘いな」

 

 俺の言葉に嘘はないと分かったのだろう。若干の呆れが含まれていた。

 まあ確かに、自分でも甘いなとは思う。鬼殺隊士ならば、柱ならば、鬼は例外なく斬るべきだ。そこに躊躇いを抱いてはいけない。

 けれど俺は、"人を食わない鬼"が存在することを知っている。志を同じくする者たちがいることを、知っているんだ。

 

「…俺はね、鱗滝殿。鬼を滅するためには我々にも変化が必要だと思うのですよ」

 

 かつて、始まりの剣士が鬼殺隊に教えた呼吸のように大きなものでなくていい。ともすれば見落としてしまうような、小さなもので構わない。数が揃えば、それらはきっと大きな影響力を持つ筈だから。

 

「今、鬼殺隊にはいくつかの"小さな変化"が起きています。新しい風が吹いているんです。風向きが変われば戦況も変わる。この長い戦いにも終止符を打てるかもしれない」

 

 これは俺の願望に過ぎませんが、竈門禰豆子もその"小さな変化"になればいいと思っていますよ。

 静かな室内に溢されたのは、嘘偽りない俺の本音だった。

 

 

 

 通された部屋にいたのは、布団に寝かされている一人の少女。

 

「この家に来てすぐ眠りについた。それ以来一度も目を覚ましていない」

「一度も…」

 

 鬼って寝るのか…という紅葉の呟きを背後で聞きながら布団の傍らに片膝をつく。

 竹筒を咥えている以外、その辺にいる子どもとそう変わりはない。

 警戒は解かないまま首に手を当てて脈を確かめる。正直、こういった形で鬼の身体に触れたことがないから何が正しいのかも分からない。事前に珠世殿に聞いておけばよかったな…。

 只の眠っている子どもに見えるが、僅かに捲った布団から覗く鋭く尖った爪に確かに彼女が鬼なのだと思わされる。きっと瞳を開けばその瞳孔は縦長に変化しているのだろう。

 彼女の手元から視線を顔に戻す。

 …鬼舞辻は配下の鬼の視界や思考を監視していると珠世殿が言っていた。意識がない今なら、悟られる事なく何かしらの情報を得られるかもしれない。

 

「…少し見てみるか」

 

 竈門禰豆子の額に己のそれを近づける。様子を伺っていた鱗滝殿から動揺が伝わってくるが、きっと紅葉が上手いこと説明してくれるだろうと構わず額同士を合わせた。目を閉じて集中し、数拍置いて顔を上げる。

 

「空柱様」

 

 どうだった、と紅葉が言外に問い掛けてくるので首を横に振って否と答える。

 過去も未来も、何も見えなかった。彼女の意識がないからか、はたまた鬼だからかは分からない。意識が戻れば検証することも可能だが、どのみち今は無理だな。

 溜め息を一つ溢すが、こればかりはどうしようもない。彼女が目を覚ますのを待つとしよう。

 その代わりにと言っては何だが、血を少量頂いて帰ろうかね。

 

「鱗滝殿」

「…何だ」

「詳しく検査をしたいので、彼女の血液を少量頂いても構いませんか」

 

 鬼化直後に人を食わなかったのも、睡眠を必要としているのも、俺の知っている鬼とはまるで違う。検査に回せば分かることもあるかもしれないと念のため注射器を持ってきたのだ。

 構わないと頷いたのを確認してから紅葉に場所を譲る。

 今回使うのは珠世殿から預かっている注射器ではなく、隠が応急処置のために蝶屋敷から支給されているものだ。

 紅葉が淡々と血を採取しているのを見つめながらふと思った。

 …そういえば紅葉にも珠世殿の事を話していなかったな、と。

 口面に覆われた口元に手を持っていき考える。

 これを機に話してもいいかもしれない。丁度胡蝶を紹介しようと思っていたところだ。ついでに紅葉も連れていくか。

 今後の予定を決めたところで処置が終わったらしい。ちらりと見れば小さな傷は既に塞がっている。

 

「終わりましたよ」

「ああ、ありがとう」

 

 紅葉から諸々の荷物を受け取り立ち上がる。今夜中に珠世殿に検査を依頼して、胡蝶と紅葉の事を話さなくては。

 愈史郎から盛大に睨まれるのを想像して内心苦笑を浮かべつつ鱗滝殿に向き直る。

 

「鱗滝殿、俺は現状竈門禰豆子を斬る方向では考えていません。が、彼女が目を覚ましたら連絡を頂きたい。改めて会いに来ます」

「承知した」

「ありがとうございます。では俺はこれで。…ああ、紅葉」

「うん?」

 

 既に隠装束の頭巾を脱いでいた紅葉と目が合う。

 

「明日は非番だから時間は気にしなくていいぞ」

「りょーかい」

 

 じゃあなと振られる手に返してから鱗滝殿に改めて暇を告げる。

 外に出れば日は大分傾いており、このまま真っ直ぐ帰ればいい時間に珠世殿の屋敷に辿り着けるだろうと俺は足に力を込めて地を蹴った。

 

 

 

「こんばんは」

「一宮さん」

 

 急な来訪だったにも関わらず、珠世殿はいつもと変わらない上品な笑みを携えて俺を出迎えてくれた。…その背後に、こちらを鋭く睨み付ける愈史郎を引き連れて。

 

「何をしに来た。折角の珠世様との時間を邪魔するつもりか?」

「はは、用が済んだらすぐに帰るさ」

 

 予想が当たった事に笑いつつ手に持っていた荷物を珠世殿に差し出す。

 

「今日はこれの分析を頼みたくて」

「分析、ですか?」

 

 手元の注射器に入れられた血液を見て珠世殿は首を傾げた。いつもと手順が違うから不思議に思ったのだろう。愈史郎は真剣な表情で彼女を見つめている。おそらく"首を傾げる珠世様はこの世の何よりもお美しい"とでも思っているのだろう。いつもの事だ。

 そんな二人の様子を眺めながら更に言葉を重ねる。

 

「鬼になって尚、人を食らう事のなかった少女の血です。今日採らせてもらいました」

 

 小さく息を飲む音が、静かな屋敷に響いた。

 

「先日報告を受けて会いに行ったんです。もっとも、少し前に眠りについて以来一度も目を覚ましていないそうですが」

 

 俺の言葉を受けて珠世殿は自身の手元に視線を移す。じっと注射器を見つめる彼女の頭では今、数多の仮説が脳内を巡っているのだろう。

 

「…基本的に、鬼舞辻の呪いは絶対です。自然に解けることはあり得ません。そして鬼に変貌した瞬間から酷い飢餓状態に陥り、本能のままに人を食らう」

 

 考えを纏めるように話し出した珠世殿はそこで一度言葉を切り、俺を見上げた。

 

「ですが、その方は耐えてみせた。…直接診ていないのであくまでこれは仮説ですが、眠る事に何か意味があるのかもしれません。通常鬼に睡眠は不要ですから」

「なるほど、意味か…」

 

 竈門禰豆子の様子を脳裏に思い描いて考える。あいにく俺に医療の知識は皆無なので"ただ眠っていたな"という結論にしか至らないのだが。

 

「ふんっ。鬼狩りなのだからすぐに首を刎ねてしまえばよかったものを」

「愈史郎!」

 

 それまで黙って珠世殿を観察していた愈史郎がおもむろに口を開いた。なんだ、ちゃんとこちらの話も聞いていたのか。

 

「確かに、鬼殺隊士ならそうすべきだったな。…だが俺はそうしなかった」

「…」

 

 無言のまま先を促すそれぞれの目を見て口を開く。

 

「前に言っただろう。負の連鎖を断ちきるためにはこれまでとは違う方法を試みなければならない、と」

 

 初めて直接会った時、何故珠世殿と手を結びたいのかと問われた際に言った言葉だ。俺の考えはその時から何も変わっていない。

 

「もし彼女が今後も人を食うことなくあれるなら、他とは決定的に違う"鬼"になるだろう。そうすれば、鬼を人に戻す薬の手掛かりになるかもしれない」

 

 俺の目的を達することが出来るなら、俺はその"鬼"でさえ利用してみせる。

 

「…分析が終わったらすぐに茶々丸を遣いに出します」

「よろしく頼みます」

 

 僅かに期待の籠った瞳をこちらに向ける珠世殿に大きく頷いた。

 さて、本日の主目的が終わった所でもう一つの用事も済ませてしまおうか。

 

「近々人を紹介したいんだが、都合のいい日はありますか?」

「はあ?!」

 

 ぱちくりと瞬きをする珠世殿と、つり目を更に吊り上げて声を荒げる愈史郎に、俺はにっこりとした笑みを浮かべるのだった。

 



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後編

 

 竈門禰豆子が目を覚ますことなく季節は進み、秋。

 今日は朔の日である。俺にとってそれは、月に一度ときと屋に行く日で一種の休養日を意味していた。

 そして今夜も、いつもと変わらず軽く食事をして鯉夏と話をする予定だったのに。

 

「──あかね様。はい、あーん」

 

 ふふ、と楽しそうに笑いながら箸で摘まんだ食事を俺に差し出す鯉夏に頭を抱えたくなる。

 …どうしてこうなった。

 

 

 

 右腕を骨折した。いや、正確には罅が入っただけなのだが、胡蝶としのぶ嬢曰くそれは骨折と相違ないらしい。

 

「いいですか、一宮さん。完治するまでしっかり休んでくださいね。もちろん任務なんてもっての他ですから」

 

 姉とそっくりの笑顔を浮かべながらそう告げてくるしのぶ嬢は、俺が反論しようと口を開くとそれを咎めるように更に続けた。

 

「期間はおよそ一ヶ月。お館様には既に報告済みです」

 

 休まなければ、分かっていますね?

 笑顔で圧をかけてくるだけでなくいつの間にか拳を突き出す仕草をするしのぶ嬢に、俺は大人しく従うことを決めた。こういう時は下手に逆らわない方がいい。最悪縛られてどこかに繋がれそうだ。

 そんな訳で、俺は強制的に一月もの休養期間を与えられる事になった、のだが。

 

「飽きたな…」

 

 休養を言い渡されて十日が経った。書類仕事は早々に片付いてしまったし(そもそも溜め込んでいないから一日で終わった)、部屋の掃除をしようにも雑巾を手に取った瞬間美鶴殿に笑顔で取り上げられてしまう。子どもたちの鍛練では無一郎の素振りを見て癖を指摘するか、有一郎からの要望に答えて手本として瓢箪を割ってみせるくらいしかしていない。継子に気を使わせてしまうとは俺も師匠失格だな…。ちなみに紅葉は俺が任務に出ないならと、他の隠と共に情報収集に勤しんだり事後処理にあたっていたりする。普段俺の補佐ばかりしているから別の隊士と接するのが酷く新鮮らしい。数日前の夕餉で本人が言っていた。

 そんな、俺以外は比較的通常運転な毎日を過ごしていれば俺も流石に飽きてくるというものだ。

 

(出掛けるか…)

 

 このまま屋敷にいるよりも外に出た方が何かしら変化はあるだろう。気分転換にもなるし。

 美鶴殿に出掛けてくる旨を伝えて屋敷から出る。行く先々で近所の顔見知りたちから声を掛けられつつ、俺は先日行われた"顔合わせ"を思い出していた。

 珠世殿らと胡蝶、紅葉との顔合わせは恙無く行われた。というか、以前から鬼と仲良くなりたいと思っていた胡蝶が珠世殿と愈史郎に敵愾心を持つ筈がない。そして同性であることに加え警戒心を抱かせない笑顔に珠世殿が絆されるのも早かった。紅葉に対しても、俺の紹介なら大丈夫だろうと早々に警戒を解いていた。…いやだから信用しすぎでは?

 そしてもう一人の協力者は案の定憤怒の表情を浮かべ俺たちを睨んでいた。想定内だからなんの問題もない。一応は納得しているし。

 研究については、互いに成果について擦り合わせを行い今後の方向性を決めていくらしい。しのぶ嬢については胡蝶に一任しているが、きっと近い内にしれっと紹介を終えているんだろうな…。

 乾いた笑いが表に出ないよう噛み殺し、茶屋に入りいつかのように周囲の会話に耳を澄ませる。

 …うん、特に問題は無さそうだ。空屋敷の近くだからって気を抜く事は出来ない。寧ろ居を構えている以上、"万が一"があってはならない上よく屋敷を留守にするから油断は禁物だ。

 みたらし団子とお茶を堪能し店主と一言二言言葉を交わして再び外を練り歩く。途中幾つか菓子を見繕い美鶴殿と時透兄弟への土産にする。今日は朔の日ということもあり、鯉夏への土産も購入した。

 代金を支払う際、己の右腕が視界に入る。これまで怪我らしい怪我を見せてこなかったため、ここに居座る包帯は目につくだろう。驚かせてしまうなと少し申し訳なく思った。

 

(いっそのこと巻かないで行くか…?)

 

 ふと浮かんだ案は脳内にいる胡蝶姉妹に笑顔で却下された。しゅっしゅっと風を切る音まで聞こえてきそうだ、と早々に無かったことにする。

 取り敢えず、そろそろ帰ろう。今から屋敷に戻って支度をして遊郭へ向かえばいい時間帯になってる筈だ。

 

 

 

 いつものように部屋に通され、食事が運ばれ、それに手をつけようとしたところでいつもより早く鯉夏が入ってきた。

 そして俺の手元、正確には袖から覗く包帯を目にして眉根を下げる。部屋に通される前に楼主に会ったが、酷く驚いていたからもしかしたら鯉夏にも話が行ったのかもしれない。悲しげに揺れる瞳を視界に収め、つい苦笑が溢れ落ちた。

 

「あかね様、そのお怪我は…」

「驚かせてしまってすまない。少し仕事でへまをしてね、罅が入ってしまったんだ」

 

 すぐに治るし大したことないと伝えるも、下がった眉はそのままで元に戻る事はなかった。

 やはり治るまで来ない方がよかったかと思うものの、それでは彼女と交わした"約束"を破ってしまう。

 俺は、叶えられない約束はしない。己の意思で言葉にしたなら最後まで責任を持って貫き通すべきだ。何より鯉夏に対しては出来る限り誠実でいたい。ただでさえ偽りが多いのだからせめて交わした約束くらい守りたいのだ。

 それにしても。

 未だ心配そうな顔を崩さない鯉夏に、不謹慎ながら嬉しく思う。

 

「ありがとう。心配してくれて」

 

 けれど、うん。

 俺はやはり、お前が心から楽しそうに笑っている姿が見たい。

 左手を伸ばし、隣に座る鯉夏の頬に手を添えて視線が合うように位置を調整する。自身の目元を緩めて言葉を紡ぐために口を開いた。

 

「お前の表情(かお)ならどんなものでも見ていたいが…出来れば笑っていてくれないか」

 

 これは俺の勝手な願いだから、無理にとは言わないが。

 

「…鯉夏?」

 

 ぽかんとしていた顔がじわじわと紅く染まっていくのを近くで見つめる。僅かに潤んだ瞳を一度うろ、と泳がせた鯉夏はしかしすぐにきゅっと口を閉じて、そして──。

 

「…はい、あかね様」

 

 ふわりと、花が綻んだ。

 未だ鯉夏の頬に添えていた指先がぴくりと動きそうになったのを全力で抑える。一瞬呼吸が止まったような錯覚を覚えたが、果たして彼女に怪しまれなかっただろうか。

 そんな俺の焦燥など露ほども気づいていないらしい彼女は、小さな両の手で頬に添えたまま固まっていた俺の手を取る。

 

「あかね様」

 

 目尻をほんのりと染めたまま俺を見上げた鯉夏は、どこかいたずらっ子の顔をして言った。

 

「今宵は私にお任せください」

「…うん?」

 

 ふふ、と楽しそうに笑い膳に添えられている箸を手に取る。そしてそのまま小鉢に盛られた和え物を摘まみ…。

 

「はい、あーん」

 

 思わぬ行動に今度こそ固まってしまう。

 

「あー…鯉夏?」

「どうしました?」

「いや…流石にこれはちょっと…」

「…嫌、ですか?」

 

 再び悲しそうに下げられた眉根に覚悟を決める。25にもなって"あーん"はそれなりに羞恥心が沸き上がるのだが、致し方ない。腹を括れ、一宮あおい。

 若干顔が熱を持ち初めたものの、要望通り"あー"と口を開ける。それに鯉夏はぱっと輝く笑顔を浮かべながら嬉々として俺の口に料理を運んだ。

 

「美味しいですか?あかね様」

「…ああ。美味しいよ、とても」

 

 心底楽しそうに、そして嬉しそうにしている鯉夏の様子に、先程まで確かにあった羞恥心が霧散していくのを感じる。

 

(────)

 

 別の皿に箸を伸ばしている鯉夏を眺めながら浮かびかかった言葉は、今暫く内に留めておこう。

 せめて、この遊郭を狩り場とする鬼の尻尾を掴むまでは。

 

 

*****

 

『おまけ』

 

 

 ここ最近の日課となった炭治郎との鍛練を終え、鱗滝さんが待つ家まで戻る。今日は二人だけだが、任務の合間を縫ってやって来た真菰が合流することも少なくない。代わりに炭治郎たちを拾ってきた義勇は柱ということもあり滅多に顔を出すことはないのだが。本音を言えば、拾ってきた本人が最後まで責任を持てと苦情を入れたいところだが、任務があるのだから仕方がない。

 今日の反省点を炭治郎に伝えながら足を進めていれば、遠くに見えてくる小さいながらも暖かい我が家。帰る度に安心感を覚えるのはきっと俺だけじゃない。義勇も真菰も、他の兄姉弟子たちも。師匠である鱗滝さんを父のように、そして彼が暮らすこの家を帰るべき場所だと認識している。多くが大切な者を奪われ、家を失い、ここで共に励んできたのだ。互いに家族だと思うことは必然とも言えるだろう。

 そこまで考えて、脳裏に兄弟子である紅葉さんが浮かんだ。俺がまだ鬼殺隊士になるべく鍛練を積んでいる時から度々顔を見せに帰ってきていたが、紅葉さんからも鱗滝さんに対する深い敬慕の念を感じ取る事が出来た。俺たちに対しても実の兄のように面倒を見てくれていたのを思い出す。

 だが、と隣を歩く弟弟子に視線をやる。

 炭治郎の事は現役隊員では義勇と真菰にしか知らせていない。紅葉さんには、知らせるべきか迷って結局烏を飛ばす事が出来なかった。

 あの人は俺たちの兄弟子で家族ではあるけれど、空柱付きの隠でもある。その立場を誇りに思い、全身全霊でもって一宮さんを支えている姿を俺は何回も見てきた。そんな紅葉さんが、禰豆子と炭治郎の事を知ったらどうするのかなんて容易に想像できる。真っ先に一宮さん──空柱に報告するだろう。そしてその後の展開を、俺は読むことが出来ない。

 直接聞いたわけではないが、一宮さんが鬼殺隊に入った理由に身近な誰かの死は無いという。しかし、これまで任務をこなしてきて鬼の残忍さや狡猾さを嫌という程理解している筈だ。つまりどんな鬼だろうと殺す事に抵抗はない。いや、鬼殺隊士ならばそれが当たり前なのだが。

 

( …一宮さんは、禰豆子を斬るだろうか)

 

 人を食わない鬼。初め聞いた時はとても信じられなかったが、義勇と鱗滝さんは実際にその場を目撃している。義勇は禰豆子が炭治郎を守ったところを。鱗滝さんは血を流す人間を見て尚飢餓に耐える姿を。その話を聞いてしまえば、信じない選択肢など存在しなかった。

 

「…あれ、知らない匂いがする。お客さんかな」

 

 考え込んでしまっている内に家に着いたらしい。くん、と鼻を鳴らす炭治郎を横目に気配を探る。禰豆子のものであろう小さな気配ともうひとつ。

 

「鱗滝さん、只今戻りました」

 

 戸を開けばふわりと香る出汁の匂い。そして視界に入る、土鍋の様子を確認する紅葉さんの姿。…は?

 

「お。おかえり、錆兎」

「えと…只今、戻りました…」

 

 にっと人好きのする笑顔を見せた紅葉さんはそのまま俺の後ろを見やる。

 

「それで君が新しく弟子になった竈門炭治郎かな?」

「はい、竈門炭治郎です!えっと…」

「俺は紅葉。君と錆兎の兄弟子にあたる」

「紅葉さんですね。よろしくお願いします!」

「ああ、よろしく」

 

 にこやかに挨拶を交わす二人に止まっていた思考を回す。

 紅葉さんがここにいる理由として挙げられるのは二つ。まず単純に顔を見せに来ただけ。定期的に帰って来ている紅葉さんならあり得ない話ではない。そしてもう一つは、空柱付きの隠として来た説。正直前者であってほしいが可能性はこちらの方が高いだろう。だって紅葉さんが着ているのは隠装束だ。ついでに奥に頭巾だって見える。もはや確定じゃないか。

 

「錆兎」

 

 …そういえば、この間鱗滝さんが烏にお館様への手紙を託していたな。

 そこから導き出される仮説に頭を抱える。まさかお館様から一宮さんに話が行ったのか。確かに一番付き合いは長いだろうし義兄弟だとも聞いていたが、極秘事項になるであろう禰豆子の事まで話す仲とは。そしてその話を一宮さんが紅葉さんにするとは。まさに不覚…!

 

「錆兎ー?」

 

 いや落ち着け鱗滝錆兎。男ならば与えられた情報を余すことなく頭に落とし込め。

 紅葉さんの様子からして、禰豆子を討伐しに来たとは思えないしそもそも"鬼"の首を斬るなら隊士である一宮さんは必須。加えて炭治郎が特に反応を示さないという事は禰豆子に変化がないという事。つまり、禰豆子の存在が容認されたと考えていい、のか?

 

「ほいっ」

 

 ぱちん!と目の前で柏手が打たれる。はっ、と意識を戻せばそこには呆れた様子の紅葉さんと心配そうに俺を見つめる炭治郎がいた。

 

「大丈夫か」

「…ええ、すみません。大丈夫です」

 

 いけない。いくら安全な場所とはいえ気を抜きすぎた。

 ふう、と一つ息を吐き出す。その間に炭治郎は紅葉さんにから外にいる鱗滝さんを呼びに行くよう伝えられていた。

 戸が閉まり、炭治郎の気配が遠くなっていく。

 

「さて。先にお前の懸念事項を片付けておこうか」

 

 取り敢えず座りなさいと促されて適当な場所に腰を下ろす。

 

「どこまで把握してる?」

「…鱗滝さんがお館様に手紙を出した事しか知りません。が、その内容がおそらく禰豆子の事で、お館様から一宮さんに、そして一宮さんから紅葉さんに話が行ったのだろうと推測はしてます」

 

 先程考えて至った結論を話せば、我が兄弟子は感嘆の声を漏らし俺に事の経緯を教えてくれた。

 …そうか、一宮さんは一先ず斬らない選択をしたか。今はそれが分かっただけでも十分だろう。

 あの人は影響力が強い。本人が自覚していようがいまいが、彼の発言や行動が他の隊士の指針となっている事は事実だし、内外においても顔が広い。加えて今回はお館様の名代で来たという。一宮さんの──空柱の判断は、それ即ちお館様の判断だ。他の柱がどうであれ"上"を味方につけられたならこちらにも勝機はある。

 

「あとの決定はあの子が目を覚ましてからだな」

 

 知らず知らずの内に安堵の息を吐いていたらしい。付け加えるように紅葉さんは言った。それに頷きつつも、ふと気になることがあったので思いきって聞いてみる事にする。

 

「…紅葉さんは、どう思われましたか」

 

 外から鱗滝さんと炭治郎の声が聞こえてきた。そう時間もかからずに帰ってくるのだろう。

 

「──炭治郎は、いい子だな。まっすぐで、言葉を偽らない」

 

 そう言葉を紡ぐ紅葉さんの表情がとても優しくて、暖かくて。

 

「信じるよ。お前たちの事はもちろん、あの子たちの事も」

 

 訳もなく泣きそうになってしまったなんて、本当に、男らしくない。

 





・まさかこの年で"あーん"されるとは思ってなかった人(25)
 緊急で呼び出されたからそれなりに覚悟を決めて行ったけど想定外の内容にびっくりした。常に自分は耀哉(お館様)の目であり耳であり手足だと認識しているけど、明確に"代わり"を頼まれる事は滅多にないので慎重にもなる。
 以前天元に"過去は見れないのか"と聞かれてからなんやかんや練習し、見れるようになった。禰豆子に関しては今後要検証。
 腕の罅は崩れた家屋から隠(紅葉じゃない)と子どもを守った事が原因。五体満足で生きているだけ御の字だと思っているのでこの程度の怪我は全て掠り傷。
 鯉夏に買ったお土産はキャラメル。禿の子たちと分けてお食べって食事後に渡した。
 尚、左手での訓練が功を奏して現在では両利きと言っても過言ではない。
 ちなみに公と私で意識を切り替える事は得意。


・弟弟子から知らせが来なくてちょっとだけ拗ねた人(28)
 確かに俺はあおいの隠だしそんな話聞いたら確実に報告というか相談するけどそれはそれとして知らされないのは寂しい。ってなった。
 隠なので一通りの応急処置や採血は出来る。鬼と聞いて複雑だったけどオリ主の話を聞いて納得したし、鱗滝さんからの話と炭治郎との会話で完全に身内に入れた。
 何年か前にオリ主がお館様から頼まれ事をされていたのは知ってる。まさかの内容だったけど、炭治郎と禰豆子もいるしな…と早々受け入れた。
 この人も公と私の切り替えは上手。


・常に“男らしく”を座右の銘にしてる人(19)
 色々考えた結果兄弟子には報告しなかったのに結局話が行ってて頭を抱えた。まさかお館様→オリ主→紅葉となるとは…。お館様とオリ主の間にある信頼感とかを正確に測れなかったのが敗因。第三者がいる時の対応しか見てないからね、仕方ない!
 兄のように思っている人に正面切って“信じる”と言われて嬉しかったし、その時の表情にとても安心しちゃって涙腺が刺激された。墓まで持っていく秘密が出来た瞬間である。


・この度鬼を連れた子どもを弟子にした人
 オリ主の事は紅葉や錆兎から話を聞いていたから知ってるけど、実際会ってみると印象も変わる。紅葉から聞いていたよりも容赦がなくて、でも錆兎に聞いていたよりも柔軟だった。
 口面をつけているとはいえ寝ている禰豆子に顔を近づけた時には驚いた。事情を知らなきゃそりゃ驚く。


・嬉々として"あーん"をした人(17)
 オリ主の怪我を親父さまから聞いて急いで部屋に向かった。罅が入っただけですぐに良くなるって言われたけど痛くない筈がない。お願いだから"大した事ない"だなんて言わないで。
 頬に手を添えて視線を合わせられたのも、言われた言葉も恥ずかしかったけど、でもそれ以上に嬉しかった。"あーん"は悪戯とか意識してくれないかなとか色々考えていたけど、何はともあれ楽しかった。今度は怪我とか関係なく出来たらいいなとお花を飛ばしながら布団に入った。
 尚、オリ主が左手でも食べられる事には気づいていない。



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以下補足&あとがき

 あおいは耀哉に全幅の信頼を寄せているから彼の言葉は基本疑いません。だから今回「嘘ではないだろう」って言われた時点で会って速攻斬る選択肢は消えてる。けれど同時に「確かめてきて」って言われたから話を聞いた上で斬る選択肢は残していた。だから鱗滝さんの牽制にはちゃんと意味があります。

 あおいをお館様の全肯定botにはしたくないんですが、かといって全て疑わせるわけにはいかないから加減が難しい。ちなみにこれ、あおいと紅葉にも当てはまる話ですね。紅葉は紅葉で「俺はあおい(空柱)の隠」っていう思いがあるから基本疑わないし支持もする。でも間違いは諌めるっていうそういう関係性が書きたい!頑張れ私の表現力!

 炭治郎なら身内の血なら何がなんでも嗅ぎ取りそうだなって思いながら書いてました。が、今回はあれです。多分換気かなんかしたんです。だから炭治郎は気づいてません。
 いやね、大事な妹が採血だろうが自分の見ぬ間に傷つけられたって知ったら絶対キレるだろうなって。あおいももちろんそれは理解してるんだけど(だってあおいもシスコン)、それは一宮あおい個人の感情であって柱としての思考ではない。だから最低限の気遣いとして普通の注射器を使ってなるべく傷を小さくした。珠世殿の注射器は短刀を模してるから傷が大きそうだなと(作者が)思ったので。
 あと初めて会う紅葉の第一印象が悪くならないようにという気遣い(?)も含まれてる。
 それはそれとして、もしあおいが冨岡さん→鱗滝さんの手紙を読んだら、「…冨岡は、手紙だと普通に話せるんだな」という感想が出て来て紅葉を笑わせます。

 珠世殿たちに人を紹介するにあたって、当たり前ですが愈史郎は盛大に反発します。が、

「今多少の我慢をして鬼殺隊と関わりさっさと終わらせ二人の時間を手に入れるか、嫌だ嫌だと駄々をこね長期的に鬼殺隊と手を組んで時間をかけて終わらせるか。どっちがいいか選びなさい」
「うぐ…っ」

という会話によって渋々、本当に渋々納得しました。でも嫌なものは嫌なので愛想よくなんてしてやらないし、暫くはあおいが来てもお茶請けは出さない。でもきっと時間が経てばまた出してくれるようになる。
 ちなみに。珠世さんは紅茶しか飲まないからこのお菓子は愈史郎からあおいに対する無言の好感度の現れです。ツンデレってやつです。このシリーズではそういう設定なので「へぇー」で流してください。

 ここまで読んでくれてありがとうございました!


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鬼殺隊の最古参の柱は元継子と久方ぶりの任務に出る
前編



 今回はいつも以上にオリジナル色強めなのでご注意ください。


 

 年が変わって初めての柱合会議が行われる今日、新しく柱に就任する者の紹介があると連絡を受けた。

 恋柱、甘露寺蜜璃。

 元々は煉獄の継子だったという話は事前に耀哉から聞かされてはいるが、直接顔を合わせるのは初めてだ。聞けば煉獄と並んでも引けを取らない髪色をしているとか。また個性的な柱が増えたな…と、ここまでくるともはや笑えてくるから不思議だ。

 産屋敷邸に着き使用人の案内の元会議が行われる部屋に向かえば、聞こえてくるのは既に到着している柱たちの会話。

 

「怪我をしたなら蝶屋敷に来てくださいと言っているでしょう」

「…悪かったって言ってるだろォ」

「もう…次はちゃんと診せに来てくださいね」

「…」

「来 て く だ さ い ね ?」

「…あァ」

 

「今日はまた随分と機嫌がいいな、旦那」

「宇髄…実はたみこが子を産んでな…」

「それはめでたい事だ!何か祝い物でも贈ろうか」

「む…それならささ身を頼む。好物なんだ」

「いいねぇ。ド派手に祝ってやろうじゃねえか」

「ほどほどで頼む…」

 

 珍しく平和な空気が漂う彼らの会話に口面に隠された口元が緩む。いや、しのぶ嬢からは圧を感じるのだが、それは不死川の自業自得なので気にすることではない。

 声や気配から察するに、伊黒と甘露寺は部屋にはいないようだ。六人分の気配がするからおそらく冨岡はいるのだろう。

 案内してくれた使用人に礼を告げ、襖に手をかけて力を入れる。

「あ。お久しぶりです、一宮さん」

「久しぶりだな、しのぶ嬢。元気そうで何より」

「そういう一宮さんもお元気そうで安心しました。滅多に蝶屋敷に来られないので不死川さんみたいに怪我をしても放っているのかと心配してたんです」

「ははは」

 

 襖を開けて真っ先に目が合ったしのぶ嬢が声を掛けてきたんだが…完璧な笑顔で流れるように毒を吐くからもう笑うしかない。まあ実際、今回俺は怪我をしていないから彼女の毒を一身に浴びているのは不死川一人だけなんだが。

 そんな不死川は俺と軽く挨拶を交わした後は気まずげに顔を逸らしていた。それを苦笑混じりに見やり、残りの面々とも挨拶を交わしていく。そして適当な場所に腰を下ろせば、思い出したと言わんばかりの様子で天元が話を振ってきた。

「そういや、ついに許可出したんだって?無一郎が嬉しそうに手紙で言ってたぞ」

「ああ。もうそろそろいいかと思ってな」

「無一郎くん、どうかしたんですか?」

 

 天元以外で無一郎を知っているしのぶ嬢から質問が飛んできたのでそちらに顔を向ける。

 

「次の最終選別に無一郎を向かわせるって話だ」

「あら、遂にですか」

「うん」

「その無一郎というのは一宮さんが面倒を見ているという双子の少年の事だろうか!」

 

 会話が聞こえていたのだろう煉獄も話に入ってきた。というか、同じ部屋にいるのだから聞こえて当然なんだが。その証拠に残りの柱もこちらに注意を向けているのが分かる。

 

「そうだよ。弟の方だ」

「歳はいくつだ」

「今年で14になる」

「…そうか」

 

 ジャリジャリと数珠を鳴らしながら涙を流す悲鳴嶼は、おそらく無一郎が若い身空で刀を握る事実に胸を痛めているのだろう。

 ままならんな、とは思うが、本人が強く望んでいる以上俺が出来るのは悪戯に命が散らないよう鍛え上げる事だけだ。あの子の想いを、周りが踏みにじる訳にはいかない。

 

「若くはあるが、それを補ってあまりある強さを持っている子だ。足りないのは経験くらいだよ」

「ま、それは今後ド派手に積んできゃいいだけだろ?」

「ああ。…そういえば、お前も昔は経験不足で色々とやらかしてたな」

「ちょっ」

「へぇ?ちなみに、どんなことです?」

「おい!胡蝶!」

「そうだな、あれは確か継子にしてすぐの事だったか…」

「あおいさん…!」

「ははっ、宇髄も師範には敵わないか!」

「つーか、相手が悪すぎんだろォ」

「南無阿弥陀仏…」

「宇髄…子どもだな」

「あ゛ぁん!?」

「あっははは」

 

 柱合会議前にこんな風に騒ぐなんて早々ないが、たまにはいいだろう。普段命のやり取りをする分息抜きは必須だ。張り詰めたままでは視野も狭まる。

 いつになく賑やかな時間を過ごしていれば、二人分の気配が部屋に近づいてきた。一人は伊黒で間違いないから、おそらくもう一人は新しく柱となった甘露寺だろう。

 伊黒が開始時間間際に来るなんて珍しいなという思いと、はてさて新たな仲間はどんな奴かなという思いを抱きつつ、開かれた襖の先に視線を向ければ。

 

「…」

「あ、あの…」

 

 頭部を鏑丸に噛みつかれた伊黒と、そんな伊黒をあたふたとしながら見ている甘露寺(推定)が視界に飛び込んできた。

 思わぬ光景に誰もが口をつぐむ中、声を発した勇気ある者が一人。

 

「…腹が減っているのか?」

「「んふっ」」

 

 冨岡の純粋な疑問がツボに嵌まったのか天元としのぶ嬢が笑いを堪えるように勢いよく顔を背けたのが視界の端に移った。かくいう俺も吹き出さないよう腹に力を込める。よくよく見れば残りの三人もふるふると身体に力が入っているから俺と同じ状態と見た。先程までの会話のせいで全員の笑いの沸点が低くなっている気がする。きっかけを与えたのは俺だが、これは流石に想定外だ。

 いつもと違う様相でいつもと同じように伊黒がネチネチ言っている間にどうにか笑いの波をやり過ごす。気を抜けばまた笑いそうになるが、初対面の相手がいるんだ。初めて会うのに震えながらの挨拶は悪印象だろう。頑張れ一宮あおい。耐えて見せろ。

 ふう、と自身を落ち着かせるために息を吐き出す。もう大丈夫だと判断し、煉獄の近くに座り言葉を交わしている女性に身体を向けた。…それにしても、どこか見覚えのある髪色をしているな。

 

「紹介しよう!彼女が俺の元継子の甘露寺だ!」

「甘露寺蜜璃と言います!恋柱の名を拝命しました。こ、これからよろしくお願いします!」

 

 緊張している様子の甘露寺が俺たちに向かって下げた頭を戻すのを待って、それぞれが軽く自己紹介をする。頬を赤く染めながら一人一人の言葉に返事をする様は、この場にいる柱全員の就任時と比べるまでもなく初々しい。いやほんとに。

 素直な子だなと微笑ましく思いながらしのぶ嬢と話す様子を見守っていれば、唐突に怨念とも言えるようなものが込められた視線が甘露寺の向こう側から飛んできた。ちらりと発生元を見やればそこにいたのは先程まで鏑丸に噛み付かれていた伊黒で。

 

(あー、これは…なるほど?)

 

 どことなく愈史郎を彷彿とさせるその視線に色々と察した。

大丈夫、俺は別に彼女に邪な想いを抱いた訳ではないよと伝えるように伊黒に向かって一つ頷く。若干向ける視線が生ぬるくなってしまった気もするが、きっと気のせいだ。

 いい出会いがあってよかったな、とこれまた微笑ましい気持ちになったところでお館様がご息女たちを連れていらっしゃった。

 入室されると同時に全員で姿勢を正す。

 

「やあ、皆。半年ぶりの柱合会議を新たな柱を加えて迎えられた事、嬉しく思うよ」

「我ら柱一同も、こうして新たな仲間と共に再びお館様と相見えることが叶い、恐悦至極に存じます」

「ありがとう、あおい」

 

 お館様への挨拶は基本的に早い者順だ。全員で空気を読みつつも決して譲らんという強い意思のもと行われた水面下での戦いを今回制したのは俺だった。何人かから不満を抱く気配を感じたが、ここ数年は譲ってたんだ。文句を言われる筋合いはない。

 

「ところで、今日はまた随分と楽しそうな様子だったね」

「ええ。いつになく盛り上がってしまいました。お騒がせして申し訳ない」

「いいや、構わない。そうやって親睦を深めるのも相手を知るという意味でとても大事な事だからね」

「お心遣い痛み入ります」

 

 今日の会議は新たな柱である恋柱の紹介から始まり、彼女が加わった事により変更された警備地区に関する確認、現状判明している鬼に関する情報共有、それぞれの継子に関する報告(大体逃げられているので主に俺からの報告になった)、隠や藤の花の家からもたらされた鬼の可能性がある案件についての話へと移っていった。

 

「とある山里に向かわせた子どもたちが帰ってこないんだ。(かのと)から(ひのと)までの合同任務だったんだけど、20人全員が消息を断った。よって、本件には柱を派遣しようかと思っている。…あおい、天元。頼めるかな」

 

 お館様の言葉に俺と音柱がほぼ同時に頭を下げた。

 

「承知致しました」

「御意」

「ありがとう。詳細はあおい付きの隠に伝達するから彼から聞いてね」

「はい」

「うん。それじゃあ今日の会議はこれでお終い。お疲れ様。また半年後、全員が揃って会議を開ける事を願っているよ」

 

 お館様がご息女たちを連れて出ていかれるのを全員で見送る。

 さて。紅葉への引き継ぎはおそらく既に行われているだろう。なら情報共有はここでやった方が効率がいいな。

 

「音柱。これから紅葉に任務内容を聞こうと思うんだが、時間は平気か?」

「ああ…」

 

 素直に頷く割には微妙な顔をされた事に疑問を覚える。なんだ?

 首を傾げ、先程の会話を思い起こし考えてみる。が、特に思い当たる節はない。

 

「あおいさん?」

 

 いつまでも移動しようとしない俺を不思議に思った天元に名を呼ばれる。そこでふと、そういえばさっき俺は天元の事を"音柱"と呼んだなと気が付いた。なるほど、もしやこれか?

 天元は、俺が仕事中のみ相手を役職名で呼ぶ事を知っている。俺なりの公私の切り替え方法で、柱に就任した直後からやっていることだ。

 今は会議が終わった直後。つまり仕事中ではない。天元がそこに引っ掛かったのかは分からないが、もしそうだと仮定するとこちらを怪訝な顔で見つめる天元が妙に可愛く思えてくる。

 立ち上がり、未だ座っている天元の頭に手を伸ばす。

 

「いや、何でもない。行こうか、天元」

 

 二度ほど弾ませ、他の柱にも声を掛けてから部屋を出る。

 

「~っ」

「耳が赤いですよ、宇髄さん」

「うるせぇよ…」

 

 出ていった後でそんな会話が交わされていた事には、外にいた隠に紅葉の居場所を尋ねていた俺は気付く事はなかった。

 

 

*****

 

 

 件の里に一歩足を踏み入れた瞬間から、どこからともなく視線が飛んできた。こういった場では余所者は非常に目立つ。よくあることだと受け流しながら隣を歩く男を見やった。

 

「こうしてお前と任務に出るのも久しぶりだな」

「そうだな。俺が屋敷を出てからだから…四年ぶり、か?」

「もうそんなに経つのか…俺も年を取るわけだ」

「あおいさんはいつまで経っても顔変わんねぇから安心しろ」

 

 むしろちゃんと年取ってんのか?とでも言いたげな顔をする音柱は俺を何だと思ってるんだろうな。

 今回の任務はお館様から聞かされていた通り、すでに派遣されていた辛から丁の隊士20名が消息を断っている。全員食ったのかただ殺しただけなのかは分からないが、それなりの強さの鬼なのは確かだ。油断することは出来ない。

 

「にしても、本当に曇ってんな」

「ああ」

 

 事前情報によれば、この地域は元々日照時間が少なく、特に冬はほとんど毎日分厚い雪雲が空を覆っているらしい。

 鬼は日の光に当たれば焼け死ぬ。だから基本夜にしか行動しない。しかし、それはつまり日が出てさえいなければ日中だろうと行動は可能だという事を意味している。

 弱点が一つ減るというのは存外厄介なものだ。ただでさえこちら側に不利な条件で戦っているのに、更に"夜間のみ"という時間制限が無くなったのだから。

 …まあ、俺たちがやる事に変わりはない。そう思考を切り替え上空に投げていた視線を前方に戻した。そのまま話ができそうな人物はいないかと、人が疎らな道を二人で進んでいく。どの住民も遠巻きに見てくるだけだから期待は出来ないが。

 それにしても。

 

「情報にあった蔦は見当たらない、か」

 

 紅葉から聞かされた情報は二つ。日照時間が極端に少ない事。そして、相手が"蔦"を使う事。後者は隊士たちに付いていた鎹烏が持ち帰ったもので、気付かぬうちに複数の隊士に蔦が巻き付いていたらしいからそういう血鬼術なのだろう。…モノを操作する系統のものはさして珍しくもないから、今回は注射器を使う事はないか。

 

「てっきり予め生やしてるものだと思ったんだが…」

「随分と地味な事をやりやがる」

 

 嫌そうに眉をしかめて鼻を鳴らす音柱に同意を返す。隊士が20人も消息を絶っているんだ。決して弱くはない鬼だろうに、何故里中に蔦を張り巡らせておかない?何か制限でもあるのか?

 ああでもないこうでもないと二人で意見を交わしていれば「あの!」と声を掛けられた。

 声の主へと顔を向ければ、そこには10代も半ばに差し掛かろうかという年頃の娘さんがいた。

 

「お、お二人はその…鬼狩り様、ですよね」

 

 頬を染め、大きな瞳を僅かに伏せながら問い掛ける姿はなるほど、見ている者にどこか庇護欲を抱かせる。

 

「そうだが…何故俺たちが鬼狩りだと?」

「少し前にいらっしゃった鬼狩り様方と同じ格好でしたので…」

 

 上下黒の洋装。俺も音柱も細かい所は違うが基本的な部分は一般隊士とそう変わらない。しかも俺たちの前に派遣された隊士は20名だ。この里ではさぞ人目を引いただろうな。

 

「それで、俺たちに何の用だ?」

「っ、ぁ…えっと」

 

 俺よりも上背のある音柱が声を掛けたが、びくりと大きく肩を震わせてしまった。そこらの一般人よりかなり体格がいいからな、仕方がない。

 

「見た目は怖いだろうが俺たちは鬼狩りだ。一般人には手を出さないから安心していい」

「は、はい」

 

 一度頷いた娘さんは覚悟を決めたのか真っ直ぐに俺の目を見つめる。

 

「あの人を見つけてください…私の、私だけの大切な人を…!」

「おっと」

 

 先程まで怯えていた様子など微塵も感じさせない動きで俺に縋り付いてきた娘さんを咄嗟に支える。音柱が僅かに身構えたが、自由な左手で軽く制して動きを止めさせた。

 

「その大切な人、というのは?」

「居なくなってしまったんです、もうずっと前に…綺麗な瞳の、私だけの大切な人…」

 

 強く握り込まれた隊服がぎちりと音を立てる。未だに目は逸らされない。

 その様子に対して少し目を細め、俺は落ち着かせるために声を発した。

 

「なるほど、承知した。…大丈夫だ。俺たちが必ず終わらせるから、貴女は一度住まいに帰るといい」

「…はい」

 

 ぽん、と俺の隊服を握り込んでいる手を軽く叩けば名残惜しそうにしながらも大人しく離してくれた。そのまま「よろしくお願いします…」と頭を下げた娘さんは、二度ほど振り返りながらも静かに去って行った。

 その様子を二人で眺め、姿が見えなくなったのを確認してからどちらからともなく足を踏み出した。ついでに先程掴まれて皺になっている部分に手を這わす。指先に触れる湿った感触と僅かに香る独特な臭い。血液だ。

 

「…あおいさん」

「分かってるよ」

 

 名を呼ばれただけだが、付き合いが長いからよく分かる。今のは若干の非難と心配が混ざったものだ。

 それに手の汚れを拭き取りながら苦笑を添えて返せば、盛大な溜め息を吐かれてしまった。自業自得とはいえ心に刺さる。

 

「それで、どうする。このまま行くか?」

「そうだな…」

 

 何度か道を曲がり、少しずつ人里から離れていく。向かう先にあるのは木が覆い茂った山の入り口。

 

「聞く限り、鬼が本格的に動くのは夜だ。加えてそこまで賢くない」

「ああ」

「なら、お前の言うとおりこのまま行くのが最善かな」

「よし!じゃあド派手に行くか!」

「ああ。()も付けられたしな、反撃開始といこう」

 

 任務前は首だけ狩れればいいと思っていたが、前言撤回。是非とも首と血の両方いただきたいものだ。

 

──擬態が出来る能力というのも、なかなかに珍しい。

 



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後編

 

 木々の間を二人で駆け抜ける。といっても、音柱は地面ではなく枝を使っての移動だ。

 当たり前だが、上と下とでは見えるものが違うし、それによって得られる情報も異なる。一人でないなら視点は複数あった方が何かと都合がいい。それに俺は()を付けられている身だ。不測の事態を防ぐためにも、最低限離れていた方がいいだろう。

 

「それにしても、擬態してんなら"蔦を扱う"って情報はガセか?」

「いや、恐らくそっちもあってる。俺に付いてた血がそれだろうよ」

「てことは鬼は二体か。地味にめんどくせぇな」

 

 先程俺たちに話しかけてきたあの娘、アレは間違いなく鬼だった。

 話しかけられた時に僅かに感じた違和感と不快感は、人によってはただの勘だと素通りしてしまう類いのものだ。おまけに見た目も気配も一見普通の少女となれば、下の階級の隊士たちが気付かなかったとしてもまあ、仕方がないと言えるだろう。

 

「っと。あおいさん、約一町先にそれらしいのがあるぜ」

「!分かった」

 

 鬼の気配がする方角に駆け抜けて暫く。

 比較的開けたその空間には崩れかけた小屋があり、周囲には濃い血の臭いが充満していた。加えて地面には刀の破片や隊服の一部なども落ちており、その激闘ぶりを伝えてくる。

 隣に降り立った音柱と一度頷き合い、さて行くかと刀に手をかけた辺りで異変を察知した。

 辿り着いた先。崩れかけた小屋の中から聞こえるのは二人分の言い争う声。

 

「どうして一人にしか印を付けてこないのよ!あっちもいい男だったんでしょ?!」

「だって好みドンピシャだったのよ?!綺麗な瞳の儚げな若い男!隣の筋肉なんかに意識を向けるわけがないわ!」

「やっぱりいい男だったんじゃない!私が好きなのは筋肉なのよ!ふっとい腕に見事な胸筋!顔が良ければ更に良し!…あ、想像したらよだれが」

「やだ私も」

 

「…」

「…」

 

 二人揃って肺の中にある全ての息を吐き出し空を見上げる。視界に入るのは元気に成長した木々とその間からちらりと覗く曇天のみ。

 何故だろう。酷く頭が痛い。

 

「…喧しいな」

「…先発隊はこんなのに殺られたってのか?質下がってんだろ…」

「罠の可能性もあると信じたい、が…もうさっさと斬ってさっさと帰ろう」

「だな…」

 

 音柱と共に再度息を吐いて緩んだ気を張り直す。些か緊張感に欠ける現場ではあるが、一応最低でも隊士20名を殺している相手だ。油断していい理由にはならない。…たとえ、自分たちの好みの男を声高に叫んでいたとしても。

 もはや据わった目をしている音柱が刀を手に取りこちらを見やる。それに合わせて俺も同様に刀に手をかけ小さく頷いた。

 共闘するのは数年ぶりだが問題はない。互いに手の内も、動きも分かっている。こちとら伊達に師弟をやっていないのだ。

──音の呼吸 壱の型 轟

──空の呼吸 肆の型 迅雷風烈

 

 ドォンッ!という轟音と爆風に紛れて一足飛びに進む。目指すは音柱が放った技によってその姿が露になった二体の鬼。

 まずは一体。寸分違わずその首に刃をあてがい一気に引き抜く。驚愕の色を乗せた大きな瞳が落ちていく様を見届けることはしない。

 空中で態勢を整え横に薙いだ刀を間髪入れずに翻し、残るもう一体の首に叩き込んだ。

 

「…え?」

「うそ…」

 

 ごろりと転がる首から呆然とした声が聞こえる。…まあ、鬼からすれば突然の轟音と共に住みかが吹き飛び更に自分たちの首も斬られたのだから驚くのも無理はない。

 とはいえ俺はさっさと帰りたいので構うことなく血を採取させてもらおう。

 懐から注射器を取り出しさくっと刺していると、早々に烏に隠を呼ばせていた音柱が様子を見にやって来た。

 

「あおいさん」

「お疲れ、音柱。特に問題なく終わったぞ」

「おう、お疲れ」

 

 既にほとんど灰となった元鬼に視線を向けた音柱は、血の溜まった見慣れない注射器を見て小首を傾げ問い掛けてくる。

 

「あおいさん、血集めてんの?」

「ん、ああ。…珍しい血鬼術を扱うのと、あとは十二鬼月のをな。使い所は結構多いよ」

「あー…胡蝶の毒とかか」

「それもある」

「…ふぅん」

 

 この短いやり取りの間で、集めた血に他の使い道があることに気付いただろう音柱は、それでも深く聞いてくる事はしなかった。

 しかしそれは決して興味がないからではないだろう。

 

「俺も集めようか」

 

 でなければわざわざこんな申し出、この男がする訳がないのだから。

 

「いいのか?」

「ああ。こういうのは人手があった方が手っ取り早いし、何より」

 

 そこで一度言葉を切った音柱は、俺に視線を戻すとにっと笑って更に続けた。

 

「あおいさんがやってんなら、それは最終的に鬼殺隊のためになる」

 

 だろ?と自信満々な様子の元継子に思わず笑いが溢れた。

 

「──ああ、もちろんだ」

 

 俺は本当に、周りに恵まれてる。

 

 

*****

 

 

 俺には、命の恩人と全力で支えようと誓った男がいる。まあどちらも同一人物なのだが。

 俺より四つ下で柱なんていう地位にいるそいつが存外寂しがり屋だということは、意外にもあまり知られていない話だ。俺からしたら結構分かりやすいんだけどな…と妻の美鶴に話したら「皆任務中の様子しか知らないもの」と小さく笑いながら返された。なるほど。確かに"柱"としての姿しか見てないなら分からないだろうな。

 任務中のあいつは、なんていうか、真っ平らだ。感情の波が一定で、揺らがない。よく「笑ったところを見たことがない」とか「初見だと何を考えているのか分からなくて怖い」とか言われるのはこれが原因なんだろう。どちらも口面を着けるようになる前から隊士と隠の間で囁かれている事だ。とはいえ、後者に関しては怖じ気付かずに話続ければ怖いなんて印象は無くなるんだが。

 あいつ──あおいとの最初の出会いは今でも鮮明に思い出すことが出来る。あの、鱗滝さんに異様なほど執着していた鬼。あいつの挑発にのって怒りを抱くと同時に、それを上回る恐怖によって危うく俺まで殺されそうになった時、あおいが助けてくれた。俺よりもずっと小さくて幼いのに、その背中はずっと大きくて、ああもう大丈夫だとそう思ってしまうほどに安心してしまったんだ。

 最終選別は突破したものの剣士としてやっていくのは無理だろうと判断して、結局俺は隠になった。それでも変わらず交流が続いて三年後、とうとうあいつは柱になった。当時の歴代最年少だ。11で隊士になるのも十分早いと思ったが、14で柱になるのはもっと早い。実際はそれよりも前から条件を満たしていたらしいが、流石に幼すぎるという理由で保留となっていたらしい。詳細までは知らないが、先輩の隠が言っていたから事実なんだろう。

 そんな、全隊員の話題の中心となっていたあおいの専属隠に任命されたのは、俺にとって幸運だった。なにせ一番近くで支える事が出来るんだ。嬉しい以外に感想はない。

 とはいえ、柱付きというのは決して楽な仕事ではなかった。任務量は格段に増えたしそれに比例して報告書の数も増えた。屋敷の管理や隊服の調達(成長期ですぐに着れなくなっていた)といった雑務も一手に引き受けたため慣れるまではてんやわんやだったのを覚えている。

 あおいもあおいで周囲からのやっかみが酷かったが、それに関しては本人の鷹揚さと他の柱の介入によって比較的早く収束していたように思う。

 …鷹揚さ、というか大雑把と言った方が的確かもしれないな。なにせ俺と美鶴に離れを丸々貸し出すとか言うんだから。しかもその離れを建てるために屋敷そのものを改修するとか言い出す始末。あの時は本当に驚いた。いや助けられた立場でどうこう言うつもりはないんだ。ただ"これが柱か…"と改めて実感しただけで。

 美鶴もひどく驚いた様子だった。まあ彼女の場合は空柱(・・)が大口を開けて笑った事に対しての驚きだったみたいだが。

 鬼殺隊員の多くが、空柱であるあいつを求める。そしてそれは俺も例外ではない。だって、鬼殺隊最高位である柱は俺たちにとって間違いなく光だ。特にあおいは柱になって長い。そして五体満足で上弦の鬼を退けた事もある。当の本人は「遊ばれただけだ」と苦虫を百匹は噛み潰したような顔をして言っていたが。

 あの日、任務を終えたあおいの簡易報告の代わりに飛んできたのは"花柱が上弦の弐と会敵。空柱が応援に向かった"という緊急の知らせ。すぐに近くの乙以上の隊士と隠が集められ現場に急行したが、あいつの無事を確認するまで生きた心地がしなかったのを覚えている。

 そして到着した先で見たのは血塗れで意識を失っている花柱と、目視では特に大きな外傷は確認出来なくとも決して無傷ではないあおい。他にも花柱の妹と思われる隊士や見覚えのある猫もいたが今は置いておく。

 淡々と花柱を隠に預けた後、蝶屋敷に行くでもなく何かをしていたあおいに俺は少なからず怒りを覚えた。死闘の後でも決して柱としての姿勢を崩さない空柱に。自分も怪我をしているのにさっさと治療に行かないあおいに。

 分かってる。柱である以上、下の者に示しが付かないような言動は厳禁だ。特にあおいは過去の経験からその考えが強い傾向にある。だから、たとえ座り込みたい程の疲労を覚えていても他の隊員の目がある以上あいつは実行しないし事実しなかった。怪我だって、ある程度の判断は自分で出来るものだ。重症だった花柱の状態も加味して一先ず自身の優先順位を下げたんだろう。柱として冷静で、かつ正しい判断だ。

 …それでも俺は、あおいに自分自身を蔑ろにしてほしくなかった。致命傷ではない事を、すぐに治療に向かわなくていい理由にしてほしくなかったんだ。

 分かってる。これらは全てただの八つ当たり。隠の仕事中に俺個人の感情など必要ない。必要なのは、冷静に、淡々と仕事を熟すこと。そして空柱(あおい)の要望に応えること。

 だから俺は、言外に"さっさと蝶屋敷に向かえ"と伝えながらもあいつからの頼みを引き受けた。羽織でぐるぐるに巻かれた"それ"に本能的な恐怖を感じながら、しかし決して失くしてしまわないよう慎重に持ち帰り、ついでに箱で覆っておいた。

 鬼の腕を保管するなんて相変わらず考えがぶっ飛んでるなと思う。けれど、指示したのは他でもないあおいだ。お館様に最も近い場所で鬼殺を掲げ、今後の戦況を見据える男が無意味な事をする筈がない。

ならば俺は、その決断を信じて共に歩むだけだ。だって──。

 

 

 

「紅葉。頼みがあるんだが」

 

 あおいからそんな風に話を切り出されたのは、とある任務後の事だった。全ての後処理を終え、簡易報告も済んだことだしそろそろ藤の花の家に向かおうかと歩みを進めた時。

 この段階になると、任務が詰まっていなければあおいは"空柱"からただの"一宮あおい"に戻る。なんの実にもならない雑談に花を咲かせるこの場には、最近では珍しく俺たち二人しかいない。美鶴と双子は別の任務に当たっているためだ。

 

「俺が14で柱になったと、それとなく噂を流しておいてくれないか」

「…無一郎のためか」

 

 あおいは何も言わずに苦笑を漏らしたが、その態度で十分だった。

 無一郎が最終選別を突破して早一ヶ月。あの子の討伐数は既に20を越えている。新人隊士にしては上出来過ぎる成績だ。それこそ、あと一月もすれば柱への昇格条件を満たしてしまうのではないかと思える程に。

 あおいとの鍛練を間近で見ていたからこそ断言できる。無一郎の剣の才能は本物だ。もちろん、あおいの指導の賜物でもあるし、何より無一郎本人の努力の結果だと分かっている。

 あおいの鍛練は、言ってしまえば基本の繰り返しだ。素振り、走り込み、回避訓練、打ち込み。それらをひたすら反復して己の身体に染み込ませる。言葉にすると非常に単純なものだが、実際にやってみるとこれがまたきつい。無一郎はもちろん、あの筋肉達磨の宇髄ですら最初の頃は気絶していた。何せ量が半端じゃないからな。けれどこれらを熟せるようになれば確実に生存率は上がる。だって怪我をしにくくなるんだから。当たり前だが、任務時の状況や鬼の血鬼術との相性なんかも関係してくるから絶対に怪我をしない訳じゃない。それでもあの地獄の鍛練を生き抜けば大抵の攻撃は躱せるようになるし大抵の鬼は斬ることが出来る。事実、あおいが大怪我を負ったのなんて片手で足りる回数だし、一番弟子の宇髄も似たようなものだ。それにしても隊士になって15年以上経つっていうのに、流石柱というべきか。こいつも大概人間やめてると思う。

 …まあそれは横に置いておくとして。

 そんな、滅多に怪我をしないと有名かつ現役柱な師弟に鍛練をつけられていた無一郎がそうそう怪我なんて負うわけもなく。日々着々と鬼を斬っては次の任務に行き更に鬼を斬る生活を送っていた。

つまりだ。元々あった剣技の才にあおいとの鍛練が上乗せされた結果、あの子はとんでもない早さで出世街道を邁進しているのだ。

 もしこのままの調子で鬼を狩り続けたら本当にあと一月程で討伐数が50に達してしまう。階級もどんどん上がっているから(きのえ)なんてすぐそこだ。そうすればあおいに続いて14での柱就任になる。

 

「あの子の活躍は嬉しいものだし俺も鼻が高い。実力も十分過ぎる程ある。…だからこそ、余計な火の粉は出来るだけ払ってやりたい」

 

 その言葉で脳裏にかつての記憶が蘇る。

 あおいが柱になった当初。14での柱就任など前例がなく、それなりの隊士が不満を抱きやっかんでいた。あおいは特に気にしてもいなかったしむしろ笑い話にしているが、あの頃は本当に酷かった。本人がいようがいまいが囁かれる悪口に、任務における妨害行為。最悪命を落としていたかもしれないその行為に先にぶちギレたのは当時の柱たちだった。あおい付きの隠なのだから色々と知っているだろうと、妨害行為をした隊士について三人に問い詰められたのは俺の中ではいい思い出となっている。いや、当時はまだあおい以外の柱に慣れておらず、しかも怒りのせいかそれはそれは恐ろしい形相にびびり散らかしたのだがそんな事は今はどうでもいいのだ。

 現役の鬼殺隊士にあおいが最古参だということは最早当たり前のように知られているのだが、14で柱になった事実を知る者は少ない。なにせ当時所属していた隊士は軒並み死亡か引退しているので。相変わらず死亡率が高い職場である。

 一方で隠の中には当時を知っている者もいるにはいるが、"歴代最年少"よりも"鬼殺隊最古参"の方が話題に上りやすい。

 故に、もし仮に無一郎が柱になったとしたら、そのやっかみは全てあの子と有一郎に向かうだろう。かつての俺たちと同じように。

 

「…そうだな。今度は俺たちが守らないと」

「…ああ」

 

 淡く微笑んだあおいもきっと、俺と同じように当時を思い出しているんだろう。その瞳に懐かしさと共に寂しさがほのかに浮かんでるのを見つけて、不自然にならない程度に明るめの声を意識する。

 

「隠の中に噂好きの奴がいる。そいつに話せばいい感じに広がるだろ。美鶴にも声を掛けておくよ」

「ん、頼んだ」

「まかせとけ。…相手は鬼殺隊二強の一人である空柱だ。敵に回そうだなんてまず思わないだろうよ」

「ははっ。そうだな」

 

 そう笑い合う俺たちの頭上高く、爛々と輝く月の光を受けながら藤の花の家の敷居を跨ぐ。

 近いうちに美鶴を交えて作戦会議をしなければならないが、取り敢えず今は、仕事の疲れを癒すための食事と休息が最優先だ。

 なにせこの空柱様、今夜だけで任務を四件片付けているのだ。十分な休息を取らなければすぐに心身共に壊れてしまう。

 そんな柔じゃない事くらいこの長い付き合いで分かってはいる。が。

 

「──俺はお前の隠で…背中、任されてるからな」

 

 ぼそりと呟いた言葉は、俺たちを出迎えてくれた家主の声に紛れ、誰に拾われるでもなく夜の帳に溶けていった。

 

 

 

 このやり取りを交わした一月後。

 俺たちの予想通り、無一郎の階級は甲に上がり討伐数も50に達した。

 鬼殺隊史上最速、二人目の齢14の柱の誕生だ。

 





・そうだ桜餅、と会議後に気付いた最古参(26)
 今度は来るのはどんな柱なんだろうなって楽しみにしてた。後輩たちが揃いも揃って個性的なのばっかりだからその弊害とも言う。結果"髪色は派手だが普通の可愛らしい女の子"という印象に落ち着く。そのうち手合わせしたり話したりで体質の事やら入隊理由を聞いてまた笑う。やっぱり個性的だった。
 思わぬ鬼の実態につい天を仰いだ人その①。お館様は知ってて俺たちを派遣したのか…?いやまさかな…。と疑う。産屋敷邸で報告ついでにそれとなく聞いてみるけど笑顔ではぐらかされる未来がある。
 この度一から育てた弟子の成長を感じて感慨深い。


・あんた本当そういうところだぞ。と顔を覆った元継子(22)
 会議が終わったのに名前で読んでくれないオリ主にちょっと拗ねてたら秒でバレた挙げ句頭をぽんぽんされた。他の柱がいる中での暴挙に恥ずかしくなるが嬉しいのもまた事実なので悔しい。
 思わぬ鬼の実態につい天を仰いだ人その②。え、こんなのに殺られたのか…鬼殺隊大丈夫…?って脱力気味。自分で斬りに行くのもいいけどそこまで強くないし今回は任せることにした。オリ主が斬り損ねるなんて微塵も思ってないので、技を放った後すぐに烏を呼んで隠を連れてくるよう伝えてる。
 この度血の採取要員に立候補した。


・少女鬼たち
 瞳が綺麗な若い儚げな男が好みな鬼(里で話しかけてきた娘さん。蔦を扱う)と、とにかく筋骨隆々な男が好みな鬼(小屋で待機中。擬態させる事が可能)の娘さんたち。
 それぞれ血鬼術を扱うのでそれなりの強さを持つ。よって一般隊士程度なら余裕で殺せるが、それは偏に"好みの男がいない"から。
「「好みの男がいたら?そりゃあ大興奮するに決まってるじゃない」」


・年下の命の恩人を全力で支えると決めてる人(30)
 この人はこの人で結構な古参。
 オリ主と同期で気心知れてる仲だから、周囲との認識にちょっとした誤差がある。
 友人というより相棒的立ち位置。オリ主の事は尊敬すべき柱で真実鬼殺隊の光だと思ってるけど、だからと言って自身を蔑ろにしてほしいわけでは決してないし、常に"空柱"でいてほしいわけでもない。だから任務外では"一宮あおい"個人として接すると決めてる。



ーーーーーーーーー
以下補足&あとがき

 柱合会議は元々3月と9月に行われていましたが、緊急で開かれたらそこから半年後に行う、という設定にしています。つまり現在の柱合会議は1月と7月(上弦の弐と闘ったのが7月という設定なので)。
 伊黒さんと甘露寺さんですが、甘露寺さんは先に到着しててお手洗いに行ったら帰り道が分からなくなって迷ってしまう。その際案内を受けていた伊黒さんがやって来て運命の出会いを果たした。という設定です。そしてそんな空気を察した使用人はにっこり笑顔でその場を後にしています。

 最初はもっと違う話を考えていたのに気付けば鬼は二体いるし好みの男を大声で叫び合っていたという…。夜中のテンションって怖いですね。
 あおいが「賢くない」と言ったのは、「綺麗な瞳の大切な人」の話をしている時に鬼の気配が強くなった事、頑丈に出来ている隊服を皺が出来るまできつく握り締めていた事、分かりやすい箇所に"印"を付けていた事など、色々と総評しての発言です。裏話として、あまりにもドストライクだったために興奮して小さなミスを連発した、というのがあります。つまり恋する乙女()。まあ食べる気満々なんですけど。
 ちなみに話しかけてきた娘さんですが、日中は苦手意識からかどうしても力が弱まるので印だけつけて夜になったら発動させる、という裏設定があります。待機してた娘さんは二人同時の擬態は苦手なので、日中はもう一方に任せることにしてます。という話を本編に入れたかった…。
 あ、あおいと天元を派遣した理由に鬼の好みが影響しているのかは、お館様のみがご存知です。多分ただの勘です。きっと。

 さて、初の紅葉視点です。何でか書くにつれてシリアスに向かおうとするのを全力で阻止してたらこういう形になりました。
 紅葉は最初から、"一宮あおい"という個人を知っています。人の事で泣いてくれる優しい子で、一人でご飯を食べるのが得意でない寂しがり屋。そういう認識だったから、柱になった後に周りが色々言ってても「結構分かりやすいんだがな…?」ってなってました。
 まあ、あおいが公私をきっちり分けるタイプだからこそ始まった誤解でもありますね。
 それと、ここで言う「背中を任された」というのは、4話の最後であおいが紅葉に言った「背中は任せた」を受けての言葉です。本来は互いの命を預ける的な意味で使うと思いますが、あおい的には「後ろには絶対に鬼を行かせはしないから、その間に民間人の保護は頼む」という意味で使ってます。
 こういうのもちゃんと本編で書けたら…いいんだけどな…。



 思いっきりオリジナルだけど大丈夫かな…まあこれに関しては本当に今更なんですけど。とにかくそんな事を思いつつ、書いちゃったもんはしょうがないよね!という謎のポジティブ思考で投稿してます。

 ではでは!ここまで読んでくださってありがとうございました!



~以下おまけ~



 至るところで桜の花が咲き乱れる季節になった頃。遂に無一郎を最終選別へと送り出す日がやって来た。

「手拭いは持ったか?」
「うん」
「昼は?」
「ちゃんと持ってる、美鶴さんのおにぎり」
「刀は?」
「あるよ。…ねえちょっと。落ち着いてよ兄さん」
「いやだって…」
「ふふ。落ち着かないんだろう。いつもいる片割れと七日も離れるんだから」

 なあ?と有一郎の頭に手を置いてくしゃりと混ぜる。
 言い当てられた有一郎は眉間に皺を作りながら「うぐぅ」と呻いていた。

「…そうなの?」

 きらきらと目を輝かせる無一郎はどこか嬉しげで。その顔を真正面から向けられた有一郎はまたもや小さく唸りながらぎゅっと眉間に力を入れていた。

「…落ち着かない、し…心配も、してる」

 右手を強く握り込みそう呟く自身の弟子に、今度は紅葉が無言で頭を撫でた。
 有一郎は既に紅葉や美鶴殿に同行して隠の技術を学んでいる。情報収集はもちろん、避難誘導も何回かしている筈だ。そしてその度に鬼というものがどういう存在なのか、まざまざと感じ取っているのだろう。それこそ、剣士の道を歩もうとしている無一郎よりも。

「兄さん」

 静かに響く、優しい声音。
 強く握り過ぎて白くなっていた右手をそっと包んだ無一郎は、安心させる、それでいて強い決意が秘められた笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「ちゃんと帰ってくるよ」
「…ああ」
「大丈夫。僕だってあおいさんに鍛えられて強くなったんだから。それに、お守りも貰ったしね」

 ほら、と掲げるお守りは、今朝俺が渡したものだ。

「だから、安心して僕が帰ってくるの待っててよ」

 ね、兄さん。

「…ふろふき大根作って待ってるから、さっさと帰ってこいよ」
「!うん!」

 ぱあっと無邪気な笑顔を浮かべる無一郎に、有一郎も肩の力が抜けたようだ。幾分か柔らかくなった表情に、様子を伺っていた俺を含む三人が気付かれないよう安堵の息を吐いた。

「さて!そろそろ行かないと遅れるな」
「そうね。頑張ってきてね、無一郎くん」
「うん。ありがとう、美鶴さん。紅葉さんも」

 それぞれと挨拶を交わし終えるのを見届けて、俺も一声掛けるために名を呼んだ。

「無一郎」

 俺の声に反応してこちらを向く頭に手を置いてぽん、と一度跳ねさせる。

「行ってきなさい」
「…はい!」

 行ってきます!
 大きく手を振り駆けていく小さな背中を見送る。…いや、初めて会った頃に比べれば大分大きくなった。
あの時、ただ怒りに任せて斧を握っていた少年はもうどこにもいない。
稽古を付け初めて約二年。無一郎の成長は凄まじかった。もう気絶する事もないし、怪我の頻度も減った。だから大丈夫などと言うつもりは毛頭ないが、それでも。

「…可愛い弟子を信じて待つのも、師匠の役目の一つだしな」

──それは、一から育て上げた弟子の門出の日。


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鬼殺隊の最古参の柱は己の”ねがい”に手を伸ばす
前編


 

「あおいは、結婚とかは考えていないのかい?」

 

 竈門禰豆子についての報告を上げに産屋敷邸を訪れ、そのまま泊まり込んだ日の夜。唐突に切り出されたのはそんな話題だった。

 純粋に珍しいな、と思った。耀哉からこういった話題が振られるのは初めてだったから。

 質問に質問で返すのもどうかと思いつつ素直にそう聞けば、俺の反応を伺っていた耀哉は僅かに揶揄いの混じった笑みを浮かべながら答えてくれた。

 

「君のところの隠が"気にかけている相手がいるようだ"と言っていたから気になってね」

 

 思わぬ言葉に目を見張る。どっちが言ったんだそんな事。

 

「前にあまねと"女子会"と称して色々話し込んでいたのが聞こえたんだ」

 

 結構盛り上がっていてね、と続ける耀哉は終始楽しそうだ。

 というか、そうか。美鶴殿か…。

 

「それで、実際のところはどうなのかな?」

 

 美鶴がそう感じる何かはあったんだろう?

 そんな副音声が聞こえる問いに、美鶴殿がその結論に至った理由を改めて考えてみる。

 気にかけている相手、ねぇ…。俺の周りにいる女性と言えば美鶴殿以外だと胡蝶姉妹と珠世殿と、あとは鯉夏くらいか?珠世殿の事は話していないし胡蝶姉妹はただの同僚だから必然的に鯉夏の事になるんだろうが…。はて。

 共に暮らしているし別に疚しい事もないため、四人には遊郭に定期的に通っている事を話していた。特に隠である紅葉と美鶴殿には情報共有の必要もある。しかしだからといって"気にかけている相手"に繋がるかと聞かれると…あ。

 

「…馴染みの花魁に渡すものを相談した事はある」

「じゃあそれかな」

「いやなんで」

「だってあおいが個人的に、それも女性に贈り物をするなんて珍しいどころの話じゃないだろう?」

「俺だって差し入れくらいするぞ?それに白金殿に口面を渡した事もある」

「それは"贈り物"というより"手向け"だよ、あおい」

 

 正論過ぎてぐうの音も出ない。

 反論できずにいる俺は明らかに眉間に皺が寄っているだろうに、そんな事関係ないと言わんばかりに耀哉は笑っている。

 

「…楽しいか?この話題」

「うん、凄く」

 

 そんなうきうきした顔しないでくれ。

 

「…言っておくが、期待されても何も話せないぞ」

 

 俺のその一言にぱちくりと一つ瞬きをした耀哉は、静かな笑みを湛えて相槌を打った。

 

「そう」

「ああ。…結婚も、今のところ考えた事はないしその予定もない。一宮の両親も何も言ってこないしな」

 

 いずれは考えなければならないのだろうが、今は柱として役目を果たす事を考えていたい。

 刀を握る右腕は、鬼殺隊のため。自由な左腕は、鬼に怯えるひとのため、そして俺の大切なものを守るためのものだ。そこに他のもの(結婚相手)を足せるだけの覚悟を、残念ながら俺は持ち合わせていない。

 それに、俺には目的がある。妹と友人、そして可愛い姪っ子たちを死なせない事。

 誰にも言ったことのない、俺が鬼殺隊に入ろうと決意した最初の理由。

 明確な時期も、あの場にいた鬼の正体も分からない今、守るものを増やすのは悪手と言う他ない。

 …脳裏にふんわりとした笑顔が浮かんだが、それを打ち消すように言葉を続ける。

 

「急いだところで相手が降って湧くわけでもない。仮にそういう話が出たとしても俺自身が前向きに考えていない以上相手に失礼だ。…何せ、相手の将来を縛るんだから」

 

 嘘偽りのない本心だった。

 なのに耀哉は寂しげに眉を下げてから、ゆっくりと上空を見上げる。視線の先には淡く光を放つ三日月が浮かんでいた。

 

「──人は、矛盾を抱えて生きている」

 

 囁く声は、静かな水面に広がる波紋のようによく響く。

 

「今の言葉は確かにあおいの本心なんだろうね。けれど私には、一欠片の想いがそれを否定しているようにも見えるんだ。…認めようとしないのは、君の剣士としての意志が強すぎるからかな」

 

 月からこちらに視線を戻した耀哉としっかりと目が合った。

 

「私もね、矛盾した想いを抱えているんだ。──君にこれまで通り皆を支えて鬼殺に励んで欲しいという思いと…添い遂げる誰かを見つけて幸せに生きて欲しいという願い」

 

 矛盾しているだろう?と言う友の笑顔はどこまでも優しさを含んでいる。

 

「あおい。確かに君は柱だ。その立場に相応しい働きをもう何年もしてくれている。けれどね、常に空柱として生きなくていいんだよ。"一宮あおい"という個人を、君の中で生まれたその想いを、殺す必要はどこにもない」

 

「どうか、君の心の赴くままに」

 

「"自分のために生きている"と言うのなら、尚の事」

 

 

 

 ふと目を開ける。

 日が昇る前特有の静けさの中、俺は横になったまま片手で目元を覆った。

 

「──ゆめ…」

 

 一年と少し前の記憶をなぞるような夢は、寸分違わずあの夜の会話を再現していた。

 こういうのは多少の脚色が為されるものじゃないのかとため息と共に身を起こす。いつもより早い時間ではあるが、目はすっかり覚めてしまっていた。

 

「…矛盾、ね」

 

 耀哉の言っていた言葉が脳内を巡り、僅かな笑みと共に表に出る。苦笑と言っても差し支えないそれは、端から見ればなんとも情けない顔に見えることだろう。

 あの時の耀哉の言葉が実感を伴って胸に刺さる。

 鬼殺隊空柱も、ただの一宮あおいも、どちらも自分自身だ。なのにこの相反する想いはなんなんだろうな。

 

(耀哉もこんな気持ちだったんだろうか)

 

 一年前ではなく、もっと前。耀哉があまねと見合いをする事になったと伝えてきた時。巻き込むかもしれないと、申し訳なさそうに謝ってきた事があった。

 産屋敷家の嫡男として血を絶やしてはならないという使命と、自身の宿命に俺の妹を付き合わせてしまう罪悪感。その二つの感情に板挟みになっている姿を、俺は見ていたくなかった。だからあの時"謝るくらいなら巻き込む覚悟を決めろ"と言ったんだ。

 

「──…」

 

 ああ、そうだ。俺は確かにそう言った。

 木の葉がその身を染め始めた頃。他の誰でもない唯一の友に、そう告げたんだ。

 普段よりものんびりと着替えを終えて部屋を出る。僅かに冷気を孕んだ風が頬を撫で去っていくなか、頭に浮かぶのは華やかな着物を身に纏った一人の女性。

 鯉夏と縁を結んで、もう何年になるだろう。

 長い間鬼に関する事で大半が占められていた心の内に、俺は気づけば彼女の居場所を作っていた。出掛ける度に好みに合いそうな菓子を探したり、渡せもしないくせに簪を買っていたり、欠けていく月を見て訪ねるまでの日にちを無意識に数えたり。

 少しずつ少しずつ、俺の中で彼女の存在は大きくなっていった。

 それはまるで、一粒の種が根を張り芽吹いていくようで。

 

「まいったなぁ」

 

 ちちち、と朝の訪れを告げる鳥の声を聞きながらひとりごちる。

 いい加減腹を括りなよ、と楽しげに笑う友の声が聞こえた気がした。

 

 

*****

 

 

 遊郭の鬼は存外知恵が回るらしい。

 あの日、天元から話を持ち掛けられた時。そういえば過去に何度か隊士が派遣されていたなと産屋敷家の記録を確認しに行った事がある。流石に一日では終わらなかったので数回に別けたが。

 ざっと二百年ほど遡って遊郭に関する記録を探した結果、分かった事は2つ。

 まず、資料には吉原だけでなく根津、島原、新町などの名前も確認できたこと。

 そして被害が出るのは一度につき一ヶ所のみで、加えて数十年間の空きがあること。

 これらの事から推察するに、鬼は定期的に"餌場"を変えているんだろう。そして年数と順番的に次は吉原だ。だからこそ天元もそこに的を絞り店を選んでいる。

 

「──お疲れ様です、一宮様」

「ああ、お疲れ。あとは頼んだ」

「はい」

 

 鬼を狩り終わり、隠に後の事を任せて帰路につく。その道中、考えるのは遊郭に潜む鬼の事だ。

 調査を始めた頃に比べてここ数ヶ月、少しずつではあるが足抜けする遊女が増えてきた。全部が全部鬼の仕業とは言えない。しかし疑わしいものもある。とはいえ決定打に欠けるのもまた事実。何より、吉原のどこにも人が食われた痕跡がないのも気になる。

 ああいう閉ざされた場ではすぐに噂が広がるから、何かしら起これば分かると思っていたんだが…。紅葉と共に昼間にぶらついても、暁に情報収集を頼んでも、鬼の姿は愚か血の臭いもしない。

 

(わざわざ場所を変えているのか…?)

 

 そう仮定したら、痕跡が一切残っていない事への説明もつく。

 とはいえ、だ。もし仮にここで食っていないとして。

 

(場所はどこだ)

 

 悲鳴はもちろん争った跡さえない。どうやって()まで運んだのか…。

 そこまで考えて思考を止める。

 推測の域を出てないんだ、これ以上は時間の無駄だろう。天元に話すとしてももう少し穴を詰めておきたい。

 

「…どうするかな」

 

 ときと屋の馴染みになった時点で他の見世に通う選択肢はない。他所の遊女について聞くのもあまり得策とは言えないだろう。

 …いっそのこと直接聞いてみるか。

 聞き方に気を付ければ相手に害が及ぶ事もない。となれば誰にどう話を切り出すか。

 遠くに浮かぶ月を眺めつつ歩みを進める。有明月と呼ばれるそれは、遊郭を訪れる日が近い事を無言で告げていた。

 

 

*****

 

 

 人が何人消えようと、ここ吉原の賑わいに変化はない。

 相も変わらず艶美な雰囲気を醸し出す見世を横目に、通い慣れたときと屋の敷居を跨ぐ。俺を視認するや否やにこやかな笑顔を浮かべ歩み寄ってくる楼主に、こちらも同じく笑顔を返した。いつものやり取りだ。

 俺と二、三言葉を交わした楼主が近くにいた下男に部屋まで案内するよう指示を出すのも、それを受けた下男が案内を開始するのもそう。

 唯一違ったのはその後の事。

 

──ねえ聞いた?また足抜けした子がいるんですって

──どこかの店じゃあまた自殺者が出たみたい

──やっぱりあの噂、本当だったのかしら

──こわいわぁ

 

 どこかの部屋から聞こえてくる少女たちの会話。

 そちらの方に顔を向ければあまり客には聞かせたくない話題だからだろう、案内人の下男が誤魔化すように話し掛けてくる。それに緩く笑みを作り、袂に手を入れ目的のものを幾つか取り出す。下男の手を取り掌に握らせればチャリ、と金属音が鳴った。

 

「え、いやあの、藤宮様…」

「俺はなにも聞いていないから、あまり彼女たちを叱らないでやってくれ」

 

 俺の顔と手元の間を忙しなく行き来していた視線が固定され、ややあってから首肯される。

 その様子を見届けてから、その代わりと言ってはなんだが、と小さく続けた。

 

「自殺者がどこで出たのか教えてもらっても?」

 

 努めて優しく、それでいて隠しきれない好奇心を乗せて囁く。滅多にない"非日常"に野次馬根性が疼いていると思われるように。

 

「ああ…京極屋です」

 

 僅かな躊躇いの後、告げられたその名に笑みを深める。

 それは、かつて天元が告げた"鬼がいる可能性のある五つの店"のひとつだった。

 

 

 

 トクトクと注がれる人肌に温められた酒は、飲めば腹の底にじんわりとした熱を灯らせる。滑らかな味わいのそれに舌鼓を打ちながら、隣に座る鯉夏の話に耳を傾けた。

 彼女の元に通い始めてすぐに始めた「何か変わった事はあったか?」という質問。回数を重ねる毎に気にしてくれるようになったのか、話のネタが尽きることはなかった。

 少し前から風に金木犀の香りが満ちてきた事、どこから入り込んだのか壁の中から猫が出てきた事、禿の子たちをついつい甘やかしてしまって女将に叱られた事。

 なんでもない日常でも特別なもののように話す鯉夏は見ていて微笑ましい。…いや、壁から猫はなかなか無いか。

 

「あかね様は、何か変わった事はおありでしたか?」

「んー、そうだなぁ…養い子たちが独り立ちしたくらいかな」

「養い子、ですか?」

 

 大きな瞳を更に丸くして鯉夏は驚きの声を上げた。

 

「ああ。少々事情があって引き取ったんだが、つい先日屋敷を出て行ってね」

「まあ…それは寂しくなりますね」

 

 その一言にふ、と口角を上げる。

 

「俺は嬉しかったよ。互いに支え合ってようやっと一歩踏み出せるような子たちだったのに、気づけばそれぞれの足でしっかり走り回れるようになってたんだ」

 

 二人だけの狭い世界に俺たち三人が入り、耀哉とあまねが入り、天元とその奥方たちが入った。

鬼によって傷つけられた心身を癒し、自分たちで身の振り方を考えて決断し、今じゃ立派な柱と柱付きの隠だ。誇らしいに決まってる。…とはいえ。

 

「独り立ちしたと言っても近場に住んでるし、顔も見に行ける、んだが…ここ数年賑やかだったからなぁ。お前の言うとおり、寂しいものは寂しい」

 

 ははっ、と笑う俺の脳裏には数年前に空屋敷を出た天元たちが浮かんでいた。あの時も暫くの間、屋敷が静かに感じられたものだ。

 子を持つ親の気分を味わっていると、そうでしょうとも、と小さく笑いながら鯉夏が寄り添ってくれた。左側から感じる人肌が気持ちいい。

 そう感じた自分にまたふ、と笑みを溢し、さも今思い出したと言うように次の話題を切り出した。

 

「そうだ、知り合いからの頼まれ事があったんだ。鯉夏、何か遊郭に伝わる逸話を知らないか」

「逸話、ですか?」

「うん。言い伝えやら逸話やらを調べている人でね。俺が遊郭に馴染みの花魁がいると知って是非とも聞いてみてくれと頼まれてな。もし何か知っていたら教えてもらいたいんだ」

 

 もちろん嘘である。そんな知り合いはいない。けれどこういう閉鎖的な場所に伝わる話は、案外馬鹿に出来ないものが多い。他にもその地に伝わるわらべうたも調べる価値がある。

 

(…誠実でありたいのに、上手くいかないな)

 

 そう内心苦く思いながら考え込んでいる鯉夏の横顔を見つめる。

 

「…私がここに来た時に噂話として聞いた話なので少し曖昧なのですけど」

 

 そう時間を掛けずに再度口を開いた鯉夏から語られたのは、遊郭に伝わるある花魁の話だった。

 

「数十年に一度、とても美しい花魁が現れるのだとか」

「ほう」

「誰もが目を惹かれる美しさを持つ一方で…少々、気分屋なのだそうです。気に入らない事があると小首を傾げて、下から鋭い視線を送ってくると」

「それはまた…噂話として残るくらいだから、相当恐ろしい顔だったんだろうな」

 

 それこそ、鬼のように。

 

「あかね様?」

 

 不思議そうに問い掛けてくる鯉夏に笑って誤魔化し、代わりに礼を伝える。

 

「ありがとう、鯉夏。助かった」

「大した内容ではありませんでしたが、大丈夫ですか?」

「ああ、もちろん。少しの情報から自分で調べていくのが好きな人だから問題ないよ。ありがとう」

 

 すまなかったな、いきなり変な事を聞いてしまって。

 そう言う俺に鯉夏はゆるりと首を横に振った。

 

「いいえ。あかね様のお役に立てたならよかった。……。」

 

 そこでふと、鯉夏が瞳を伏せた。

 

「鯉夏?」

「あ、いえ…その」

「うん」

 

 つい、と小さく袖が引っ張られる感覚に瞬きをひとつ。

 

「…あかね様も、気になりますか?その花魁の事」

「…気にならない、といえば嘘になる」

 

 その言葉に、僅かに鯉夏の顔が陰った。緩みそうになる口元を必死で耐える。

 

「けどなぁ、今一等美しいひとが隣に居てくれるから、そこまでの興味はないよ」

 

 ぱっと上がったその顔に手を添え、目元を親指ですり、となぞった。途端に耳や首もとまで染め上げる鯉夏に、今度は耐えることなく口角を上げた。

 

「…ふふ、真っ赤だ」

 

 可愛いなぁ。

 二人だけのその部屋に、その言葉はじんわりと染み渡っていった。

 

 

*****

 

 

 月が爛々と照らしているのはもはや見慣れた産屋敷邸。

 俺は丁寧に手入れが施されている庭に立って、眼前に広がる光景を何とはなしに眺めていた。

 鞠をついてわらべうたを歌うひなきとにちか。それを室内から心底愛しそうに見つめている耀哉とあまね。

 

──ああ、これはあの時の予知夢だ。

 

 そう気づいたのは、どこか見覚えのある洋装の男を視界に捉えたからだ。以前と唯一違うのは、耀哉が包帯まみれでも床に臥せっている訳でもない健康体であるところだろうか。

 初めて"鬼"という存在を認識した日に見た予知夢。ただの直感だったそれが確信に変わったのはいつだったか。少なくともここ数年の話ではない。産屋敷耀哉という個人を知り、産屋敷一族唯一の汚点を知った今、耀哉が取るだろう行動は想像に難くない。

 そう。だからこそ、この後起こる事も容易に分かってしまって──。

 

ドォンッ!!

 

 金縛りにあったかのようにその場から動くことも出来ず、俺はただ目の前が炎に包まれるのを呆然と見ているだけだった。

 

 

 

「──っ…!!」

 

 かっと目を見開き一気に身体を起こす。枕元に置いてある刀に手を伸ばし掴んだところで現状を把握した。

 ここは空屋敷の俺の私室。外はまだ暗い。冷雨が打ち付ける音に俺の荒く乱れた呼吸が混じるのが酷く不快で、どうにか抑えようと深い呼吸を繰り返した。

 

「…はぁ」

 

 どくどくと煩く主張を繰り返していた心音が収まり、呼吸も平常時のそれに落ち着いたところで刀から手を離す。血流が末端まで巡った事により痺れていた指先に感覚が戻ってきた。

 

「くっそ…」

 

 口汚く吐き捨てた後、汗が引いた事により冷えてきた身体に眉をしかめる。このままでいたとしても風邪を引く事などまずないが、不快感はどうしたって消えやしない。乱れた髪をかきあげて着替えるために立ち上がる。

 今夜はもう眠れる気がしなかった。

 



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中編

 

 結局あれから一睡もせずに夜は明けた。未だに雨が続いているから太陽を拝む事が出来ない分、気分の切り替えに苦労する。加えてなんとなく身体も重いし何に対するでもない嫌悪感もする。

 まあつまり何が言いたいかというと。今日の俺は絶不調だ。この一言に尽きる。

 ここ何年もない状態につい溜め息を吐きつつこういう日もあるだろうと開き直った。俺だってただの人間なのだから、絶不調の日くらいある。

 とはいえ、今日も今日とて仕事はあるのだ。報告書を書かなくてはならないし、珠世殿の屋敷に研究の進捗を聞きに行かなくてはならない。無一郎と有一郎の屋敷には美鶴殿が向かうと言っていたから俺は今日は行かなくてもいいか。朔の日故に見回り以外の任務が入っていないのは不幸中の幸いと言えるだろう。この状態で任務に行けば鬼に八つ当たりするか負わなくていい傷を負うかの二択だ。自分で判断しておいてなんだが非常に情けない限りである。

 脳内を自己嫌悪やら愚痴やらが駆け巡っていく中居間に入れば、先に来ていた紅葉と美鶴殿に顔を合わせた途端目を見開かれた。

 

「随分とまあ…酷い顔だな」

「考えた割りに表現が直接的すぎて傷ついた」

「なら少しはそれらしい顔を作れ」

「一宮様、白湯をどうぞ」

「ああ、すまない。ありがとう美鶴殿」

 

 差し出された湯呑みを手に紅葉の向かいに腰を下ろす。ずっ、と中身を啜り胃の辺りから熱が広がっていく感覚に一息ついた。

 

「…」

 

 紅葉からの視線が刺さって仕方がない。いつもは美鶴殿の手伝いをしているのに今日に限ってここに留まっているのは偏に俺を気にしての事だろう。公私共に俺を支えてくれている二人に要らぬ気を遣わせている事実にまた溜め息を吐きたくなるがぐっと堪えて口を開く。

 

「夢見が悪かっただけだ。体調が悪いとかじゃない」

「けど調子がいい訳でもないんだろ」

「…まあ、今日は絶不調だろうな、とは思う」

 

 歯切れ悪くそう伝えればそうか、と一つ頷かれた。

 

「今日は書類作業と…遊郭に行く日か」

「あとは珠世殿のところにも顔を出そうかと。胡蝶姉妹も行くみたいでな。様子を見てくるよ」

「分かった。ついでに睡眠薬でも出してもらえばいいんじゃないか?」

「いらん」

 

 心底嫌そうな顔をしていたんだろう。拒否の言葉を出した俺の顔を見た紅葉が勢いよく吹き出した。それに対して抗議の声を上げようとして──。

 

「朝ごはんできましたよ~」

 

 土間から聞こえる美鶴殿の呼び掛けに、文句の言葉は不発に終わった。

 

「とりあえず今日は座ってろ。運んでくるから」

 

 まるで小さな子どもを見るような目を向けてきた紅葉は、そのまま立ち上がると襖の向こうに消えていった。

 その姿を釈然としない気持ちのまま見送り再度湯呑みに手を伸ばし口に含む。

 

「……っ」

 

 …舌、やけどした。

 

 

 

 いつもより時間を掛けて報告書を仕上げ暁に持たせる。

 飛び立つ背を見送り、畳に散らばる書き損じた紙に手を伸ばした。誤字脱字に墨の染み。…ポンコツすぎないか、今日の俺。とりあえず急ぎのものは終わらせたから残りは明日やろう。これ以上紙を無駄にしたくない。

 そうと決まればさっさと着替えて出掛けるとしよう。

 箪笥から隊服を取り出し身に付けていく。今日は任務ではないが柱として行くから流石に私服で、という訳にはいかない。

 …というより、本音を言うと今日こそ隊服を着るべきだろう。

 鬼殺隊士である証の隊服を身に纏い、耀哉(お館様)から贈られた羽織を羽織り、公私を分ける口面をつける。そして最後に悪鬼滅殺の文字が彫られた日輪刀を腰に差せば、心身共に空柱 一宮あおいの完成だ。気を引き締めるにはこれ以上ない格好だろう。

 朝から変わらぬ量の雨粒を溢す空を見上げ、番傘を手に目的地を目指す。

 いつもより人気のない通りを進みながらぼんやりと考えるのは件の協力者たちの事。そして、一部にしか明かしていない兄妹の事だ。

 耀哉の名代として竈門兄妹──正確には竈門禰豆子だが──の様子を見に行って既に一年半。先日顔を出しに行った紅葉曰く、炭治郎は現在全集中の呼吸を身に付けるべくがむしゃらに鍛練を繰り返しているそうだ。まずは自力で、とのことだが、紅葉の見解としてはそろそろ兄姉弟子が手を出すだろうという状態らしい。ちなみにこの兄姉弟子とは鱗滝と真菰の二人を指す。冨岡は人に教えるのは不向きだろうし、まあ妥当な人選だろう。一方で、妹の禰豆子は相変わらず眠ったままだという。

 

(珠世殿の仮説が当たってるとして、眠り続ける事によって何が得られるか、なんだが…)

 

 人なら疲労回復だなんだと言えるが、彼女はあくまで"鬼"だ。同じ尺度で考えていいものか疑問が残る。

 

(まあ、ここで考えても仕方がないな。俺も専門じゃないから分からない事の方が多い。珠世殿に任せよう)

 

 あと少し歩けば目的地が見えてくる。生憎の天気でいつも迎えに来てくれる茶々丸はいない。屋敷に着いたら撫でさせてもらえるだろうかと、あのふわふわの毛並みを思い浮かべてふと気づく。今日はしのぶ嬢がいるからきっとどこかで寝ている筈だ。となると顔を出してくれるかは茶々丸の気分次第か。

 ならば仕方がないと早々に諦め思考を飛ばす。

 思い出すのは一年近く前の、しのぶ嬢と珠世殿が顔を合わせた時の事だ。予想していたがまあ荒れた。何がって、愈史郎が。

 「一度ならず二度までも…!!」と額に青筋を浮かべ目を吊り上げた様は今でも思い出せる。そしてそんな愈史郎を一声で収めた珠世殿は見事としか言いようがなかった。

 しのぶ嬢はしのぶ嬢でにこにこと笑ってはいたものの、初対面でいきなり敵意を向けられた事による困惑と苛立ちのせいで笑顔が若干引きつっていた。まあそれも胡蝶によって収められていたのだが。

 そんなこんなで本格的に始まった共同研究。初めはギスギスとした雰囲気で珠世殿が怯えるという珍事もあったが、次第に落ち着き今ではいい関係を築けていると思う。

 …まあ極たまに毒と刺がふんだんにあしらわれた会話をしているが、喧嘩するほど仲がいいとも言うし大丈夫だろう。うん。

 周囲に人の目が無いのを確認して土塀をすり抜ける。現れたのは立派な洋館。相も変わらず見事な術だ。

 さて、果たして今日はどうだろう。手土産として持ってきた紅茶と茶菓子(ごきげんうかがい)が役に立てばいいんだが。

 ちなみにこれは余談だが。今日はその"極たまにの日"だったらしく、屋敷にはにこにこと不自然なくらいの笑顔を浮かべるしのぶ嬢と毛を逆立てた猫のような愈史郎がいた。

 あの、しのぶ嬢。頼むから来たばかりの俺に意見を求めないでくれないか。話の流れが分からないから。

 それから胡蝶も。そこで「あらあら」と笑ってないで助けてくれ。今日の俺では火に油を注ぐんだ。頼むよ。

 

 

*****

 

 

「あかね様。随分とお疲れのようですが…」

 

 日中の用事をいつも以上に疲労を感じながら終わらせ、鯉夏に渡すための菓子を見繕い屋敷に帰宅した俺は今、藤宮あかねとしてときと屋に来ていた。

 鬼がいる事は分かっているため警戒してはいるものの、彼女の前ではどうしても"空柱"の仮面は剥がれやすくなっているらしい。

 形の整った眉を下げ、"心配です"と顔に書いた鯉夏が俺を覗き込んでくるのを苦笑と共に受け入れる。

「…そんなに疲れているように見えるか?」

「ええ。いつもより血色が悪いですし、それに」

 

 するりとこちらを気遣うように頬を撫でる手が心地よい。

 

「笑顔が…まるで月に雲がかかってしまったような雰囲気です」

「…ふ、ふふ。鯉夏は本当に面白いなぁ」

 

 男に向かって"月"だなんて、そう何度も使う表現ではないだろうに。初めて会った時から変わらず俺をそう評する鯉夏が面白くてそう言えば、揶揄われたと思ったのだろう。もう、と僅かに頬を膨らませるその様子にまた笑いが漏れる。

 

「そうむくれるな。確かにちょっとした疲れはあるが、体調が悪いわけじゃない」

 

 実際、朝に比べれば大分調子も良くなってきた。顔色はまだ悪いようだがそれも次第に回復するだろう。だからあまり気にしなくてもいいんだが…鯉夏は、それでも心配してくれるんだろうな。

 さてどうするか、と考えていれば横から小さく呼び掛けられた。

 

「…あかね様。」

 

 目尻をほんのりと染めた鯉夏は何かを決意したような表情で俺の正面に回った。首を傾げる俺を他所に僅かに腰を上げ、両手をこちらに伸ばし、そして──。

 

「っ」

 

 頬に当たる布の感触に、鼻腔を擽る甘い香り。頭上から感じる僅かな息遣いと伝わってくる温もりから、頭を抱きしめられているのだと理解する。

 

「こ、いなつ」

「──疲れているときは、人肌を感じるといいと、以前耳にしたことがあります」

 

 そう言う鯉夏の声は若干震えていて、緊張しているのが分かる。

 己の頭を抱き込む腕に込められた力は極小さなもので、少しでも嫌がる様子を見せればすぐにでも離れてしまいそうな程だ。

 鯉夏の背に腕を回し、そのままぎゅう、と痛くない程度に力を込める。どこか縋るようなものになってしまったが、今はこの優しい温もりを手放したくなかった。

 

「…少し、夢見が悪かっただけなんだ」

「…はい」

 

 ぽつり、と言葉を落とす。それに対する相槌も小さなもので、ここだけ世界から切り取られたような錯覚を覚えた。

 

「どうしても、助けたい人たちがいる」

 

 脳裏に浮かぶのは己の半身に唯一の友。そして可愛い二人の姪。

 

「現実ではもちろん夢の中でだって助けたい。けど、今のままだと取り零してしまうみたいでな…方法が、分からないんだ」

 

 あの爆発があの鬼の仕業でないことくらいもう分かってる。だって、あの鬼はきっとそんな事をしなくても容易く人を殺せてしまうから。

 そもそも産屋敷邸の周辺には複数の結界が張ってある。最初は屋敷を隠すものだけだったが、今はもう一つ。鬼を中に入れないためのもの。正確には、人を食った事のある(・・・・・・・・・)鬼を入れないための結界。それらの結界は今でもあまねが張っていて、余程の事がない限り破られる事はない。それなのに鬼が敷地内にいたということは、余程の事だったか、あるいは──故意に結界を解いたかだ。

 …耀哉の事だ。どうせ、千載一遇の好機とでも考えるんだろう。鬼を滅する事に全てを捧げている一族だ。その為なら自身の命くらい簡単に使ってしまえる。…あまねと子どもたちは、自分達の意志で共に逝く事を望むんだろうな。

 愛する家族を巻き込んでまで果たしたい悲願。

 そんな相手は俺の知る限りただひとりだ。千年もの長い時間、産屋敷家が求めた存在──鬼舞辻無惨。

 どうせ眠れないからと、夜が明けるまで考えて辿り着いた結果がこれだ。そりゃ顔色も悪くなるか、とぼんやり投げやりな事を思う。そしていい加減鯉夏を離してやらなければと腕の力を緩めようとして、頭部に添えられていた彼女の手が動いたのを感じ動きを止めた。

 ゆっくりと上下に動かされる彼女の手は、止まることなく俺の頭を撫で続ける。色も何も含まれてない、優しさだけで構成された幼い行為。

 

「──あかね様」

 

 耳元で囁かれる、優しい声。

 

「…その方たちは幸せね。こんなに想ってくれる人がいるんですもの」

 

 甘やかで、どこか安心するその音は、ゆっくりと全身に染み渡るようで。頭を撫でるその手つきがなんだか泣きたくなるくらい優しかった。身の内に蔓延る澱みが、その動きと共に少しずつ消えて行くようなそんな感覚。

 大きく息を吸う。

 鼻腔を擽る香りは花のように甘いのにどこか澄んでいる気がするのは、俺の彼女への印象が影響しているのだろうか。

 朝露のような人だと思った。周りにいる者たちよりも圧倒的に纏う空気が澄んでいて、一等美しい(ひと)だと。

 それこそまるで、日の光を一身に浴びる朝露のように。或いは、新月の夜に瞬く幾千の星々のように。そんな印象を、あの日彼女は俺に抱かせた。

 

「──すきだ」

 

 彼女の体温に気が緩みすぎていたのか。気づけばそんな囁きが自身の内から溢れ落ちていた。常ならば何かしらの物音にかき消されているだろうその音は、密着していた彼女の耳にしっかり届いていたらしい。

 

「え…?」

 

 どこか呆然としたような声にはっと我に返る。慌てて身体を起こし正面を向けば、そこにはぽかんと小さく口を開けた鯉夏がいて。

 ざぁっと血の気が引いた。

 

「い、や…これは、その」

 

 しまった。いくらなんでも緩みすぎだ。ポンコツにも程がある。

 口元を手で覆い忙しなく視線を彷徨かせるその行為は、端から見れば先の言葉が本音であると言外に告げるものだ。

 脳の冷静な部分が一時の睦言にしろと主張してくる。潜入調査中に色恋など言語道断だと、柱としての自覚を持てと、訴えてくる。

 確かにそう、その通りだ。

 …けれど俺は、彼女に対して生まれたこの想いを、殺したくはない。

 手を下ろし、正面を見据える。眉尻を下げ瞳を揺らしながら俺を見る鯉夏が、どうしようもなく愛しいと感じて。その感情のまま目を細めれば途端に彼女の耳や首もとまでが色付いた。

 

「あかね様」

 

 名を呼ぼうとして、それよりも早く鯉夏が声を発した。

 

「うん」

 

 はく、と一度空気を食べて、僅かに唇を震わせながら再度言葉を紡いだ。

 

「貴方は、冗談だと思われたかもしれないけれど」

 

 先程よりも目尻が紅く染まっているのは、果たして俺の気のせいだろうか。

 

「初めてお会いした日。本当に、お月さまが空から下りてきてくださったのかと思ったんです」

「…うん」

 

 心地よい声音に一度視界を閉じる。思い返すのは、彼女と初めて過ごしたほんの数刻の出来事。そして、以前耀哉と交わした会話の一端。

 

 

──どうか、君の心の赴くままに。

 

 

「…鯉夏。少しだけ、話を聞いてくれないか」

 

 恋に落ちるとはよく言ったものだ。自覚してしまえばあっという間に後戻り出来ないところまで転がってしまうのだから。

 本当は、何も告げずにいるつもりだった。鬼殺隊員はいつでも死と隣り合わせで、とりわけ柱は任務の危険度が段違いだから。加えて俺は既に守るものを決めている。これ以上は増やせないと判断していたのに、それ以上に鯉夏に傍にいてほしいと願ってしまうなんて。

 やっぱり俺もこの手の調査は向いてなかったなと、真面目な顔で俺の言葉を待つ彼女を前に内心苦く笑う。

 

「俺がここに通っていたのは、ある目的があっての事だ」

 

 周囲に人はもちろん、鬼の気配もないことを確認して口を開く。

 

「目的…」

「ああ。…詳しくは言えないが」

 

 俺の言葉に、鯉夏は何かを察したような様子を見せた。…本当に、賢い子だ。今の短いやり取りで、少なくとも自分が利用されていたのだと理解しただろう。

「偽名を使い、客として世間話の体で貴女から情報をもらっていた」

 

 唇を固く閉ざしつつも、真っ直ぐ俺を見つめる瞳に揺らぎはない。

 

「そうして何年も同じように過ごして…気付けばふとした瞬間に貴女の事が頭に浮かぶようになった」

 

 長い睫毛に縁取られたそこが、ぱちりと瞬いた。

 

「くるくると変わる表情に、色々な想いを乗せる瞳。この菓子が好きそうだとか、この着物や髪飾りが似合いそうだとか。外を出歩いて目についたものを見てはそういう些細な事ばかり考えていた」

 

 降り積もった雪のように、いつかは消えてなくなるだろうと思ったのに。

 …境界が、あやふやになる。今話しているのは"あおい"と"あかね"、どちらなのだろう。

 

「俺は…本当の事を何も言えないのに、貴女に俺の隣にいてほしいと、そんな欲を抱いてしまった」

 

 ここで堂々と「嫁に来い」と言えたらどれだけよかっただろう。鬼はおろか、刀や血腥さとは縁遠い生活を送っている相手に、それを言えるだけの自信と図太さがあれば。そうすればこんなにも情けない姿を見せなくて済んだろうに。

 自然と眉間に皺が寄る。

 いつの間にか外の喧騒は鳴りを潜め、夜の静けさが辺りを包んでいた。

 

「…貴女は遊女だ。(おれ)が身請けしたいと望めばきっと叶う。けれど俺は、貴女にそれを強要したくはない」

 

 何も話せないと言いながらなお彼女を望むなんて、笑い話にもならない。都合のいい話だと一蹴されても文句は言えないだろう。…彼女の性格を考えれば、そんなこと声に出さないのは明白ではあるが。

 静かに話を聞いてくれていた鯉夏は何も言わない。言葉を探すように口を開いては閉じを繰り返す様をじっと見つめる。…名を呼ばないのは、偽名だと伝えたからか、或いは。

 そこまで考えて、一度視界を閉じる。話を切り出してから名を呼んでいないのは俺も同じだった。

 

「…いきなりこんな話をしてすまなかった。混乱しただろう。今日はもう休みなさい」

 

 そろそろ帰る時間だと立ち上がろうとすれば、「ぁ…」とか細い声音に引き留められた。その声に再び視線をやれば、片手で口元を押さえる鯉夏の姿がある。うろ、と泳ぐ瞳に嫌悪の感情はない。

 

「また、来月…来てくださいますか」

 

 小さな小さなその問いは、俺の来訪を願うもので。胸の内に宿った期待が僅かに大きくなるのを感じた。

 

「ああ、もちろん」

 

 その言葉を安堵したように受け止めた鯉夏の頬に手を伸ばしたいのを全力で耐え、今度こそ帰宅するために立ち上がる。

 

「それじゃあ、おやすみ。いい夢を」

「…はい、おやすみなさい」

 

 お気をつけてお帰りくださいませ。

 その言葉を背中越しに聞きながら、俺は灯りの少ない廊下に身を滑らせたのだった。

 



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後編

 

「屋敷を出た時とはまた随分顔付きが変わったなぁ」

 

 帰宅した俺を出迎えたのは、この時間なら離れにいる筈の紅葉だった。

 からから笑いながら縁側で酒を飲んでいる紅葉に溜め息をひとつ溢し、着替えてくると伝えて私室に向かった。

 着替えを済ませて縁側に戻る。紅葉の横に先程まで無かった盃が追加で用意されているのを見て、俺は無言で隣に腰を下ろした。

 

「たまには星見酒もいいだろ?」

「曇ってるんだが?」

 

 俺がときと屋にいる間に雨は止んでいたが、それでもまだ空はそれなりの雲で覆われている。それを視界にきちんと収めているにも関わらず"星見酒"とは…こいつもしかして酔ってるのか?

 

「言っとくけど俺が飲み始めたのはお前が帰ってくる少し前からだぞ」

 

 素面だった。

 

「…美鶴殿はどうした」

「先に休んでるよ」

 

 なんかもう面倒になったので突っ込みを放棄して問えばもっともな答えが返ってきた。もう夜も遅い。明日の事を考えればそれが正しい行動だろう。

 

「それで?もう大丈夫なのか」

 

 俺の様子なんて気づいてないと言わんばかりに紅葉が口を開く。それに対し肯定を返せば「そうか」という至極簡潔な反応をされた。

 ちびちびと酒を口に運ぶ紅葉を見やる。口角が上がってはいるが、先程の声音には心配の色がたぶんに含まれていた。朝絶不調だと言ったから気にしてくれていたのだろう。俺が帰って来るのを待って、酒まで用意して。そこまでしてくれる相手に言葉を濁すのは悪い。そう判断してぼそぼそと歯切れ悪く本日最大のやらかしを告白する。

 

「…馴染みの花魁に、色々と話してきた。あー、と…俺が目的を持って遊郭に通ってる事とか、雑談の体で情報をもらっていた事とか…俺の隣にいてほしいっていうのも、全部」

 

 この時の紅葉の顔といったら、目も口も大きく開けて一言で言えば随分と間の抜けたものだった。それこそ、こんな状況でなかったら盛大に笑ってやったのにと残念に思う程。

 

「そ、れはまた…思い切ったな」

「俺もそう思う」

 

 いや本当に。何だって言ってしまったんだか。

 この短時間で繰り返し頭に浮かぶ後悔はしかし、同時にどこか晴れ晴れとした心地を抱かせるのだからどうしようもない。

 伝えるつもりはなかった。それは確かだ。けれど心のどこかで()の手を取ってもらいたいとも願っていた。だからこその今日のあのやり取りだ。流石にいくらポンコツだからってその気もないのにあんな発言は出てこない。

 手元の酒を一気に呷る。カッとした熱が喉を焼いた。

 

「けど、彼女を想う気持ちはずっと前から俺の内にあったよ」

 

 自覚があったかはともかく、少なくとも数年前にはもう。

 

「…そうだろうな」

 

 先程までとは打って変わって静かに酒を口に含む紅葉は何故か嬉しそうだった。

 

「紅葉?」

 

 こちらの訝しげな態度にこれまた静かに笑いながら続ける。

 

「安心してるんだ、俺は。お前が私情で動いた事が本当に嬉しい」

 

 思ってもみない言葉に何度か瞬きを繰り返した。諫言されたり否定される事はないと思っていたがこの反応は予想外だ。

 というか。

 

「…気づいてたのか」

「そりゃあもちろん。遊郭に持っていく土産を楽しそうに選んでたり、あとは報告してる時少し雰囲気が柔らかかったし」

「嘘だろ」

「な訳あるか。…まあ、土産に関しては子どもたちに渡すやつも似た感じだったから微妙なところではあったけど」

 

 てっきり美鶴殿から聞いていたのかと思っていたが、この様子だと自力でその結論に達したんだろう。

 すらすらと出てくる指摘に頭を抱える。ついでに顔も暑くなってきた。

 大半が無自覚でやっていた事だからもうどうにもならないが、下手をすると天元にもバレてる可能性が…って、そういえばあいつ情報交換の度にちょっとにやついてたがまさかこれか?

 気付きたくない事実に辿り着きそうで、今度は逆に血の気が失せてきた俺を尻目に紅葉は続きを促してくる。

 

「それで結果は?」

 

 今になって何故こんな夜更けに大の男が揃ってこんな話をしてるんだろうと思えてきたが、それは一先ず無かったことにする。

 

「…来月、聞く」

「そうか」

 

 確かに考える時間は必要だな、と納得している紅葉を横目に徳利に手を伸ばし盃を傾ける。

 思い出すのはかつて耀哉にされたひとつの質問。

 鬼殺隊に入って、色々な形の"家族"を見てきた。子を成し、先祖から受け継いできたものを継承していく一族もあれば、共に隊員として職務を全うしている夫婦もいる。中には奥方が三人もいるという誰かが聞いたら発狂しそうな夫婦もいる。言わずもがな俺の元継子なんだが。

 そんな家族たちを見てきて、羨ましいと思った事は無かった。幼い頃から刀を振るっていたから誰かとの婚姻を意識したこともなかったし、あまねと耀哉が夫婦になったときも、輝利哉たちが生まれた時も、めでたいと思いはしても「いつか俺も」なんて考えは浮かんでこなかった。紅葉と美鶴殿が結婚した時もそれは変わらない。

 そういう話が無かったと言えば嘘になる。藤の花の家紋の家の主人に娘はどうかと言われた事もあったし、女性隊員から声が掛かった事も少なからずあった。けれどいずれも心動かされる事はなく、必要性も感じないまま断り続け今に至っている。

 だから、まさか自分が鯉夏に対してこんな感情を抱くようになるとは思わなかったんだ。

 可愛い。傍にいたい。隣にいてほしい。色々な表情(かお)が見たい。──堂々と守れる立場が欲しい。

 冷たい夜風が前髪をさらう。

 酒によって火照った身体が冷やされていく中、考える。

 あの時と今とでは状況が変わった。

 時透兄弟は屋敷を出たし、右も左も分からないような"子ども"ではない。

 柱も俺を含めて十人になった。過去最高で九人だった事を考えると十分な戦力と言えよう。

 珠世殿と胡蝶姉妹の共同研究も少しずつではあるが進んでいると報告を受けている。俺たちだけでなく天元も協力してくれるようになってからはますます血の集まりがいいらしい。

 そしてもうひとつ。十の時に見た夢と結末は変わらなかったが、変わっている部分も確かにあった。耀哉に呪いの兆候が見られてから始めた浄化の儀式。いちいち数えていないからその回数は分からないが、それでもその回数分の意味はあった。

 

(未来は、無数の選択の先にあるもの、か…)

 

 鬼が存在している以上、変わらず問題は山積みではあるけれど、それらを片付けるための柱で、隊士で、隠だ。俺はひとりではない。頼れる仲間が、支えてくれる存在がいる。ならば、もうひとつ守るものを増やしても大丈夫だろうか。たとえ彼女が頷いてくれなくても、鬼の脅威から優先的に守るくらいは、許されるだろうか。

 隣の紅葉が盃を呷る。徳利の量的にそれが最後の一杯だ。

 

「紅葉」

「ん?」

「ありがとな」

 

 心配してくれて。支えてくれて。…ひとりにしないでくれて。

 そんな想いを込めて礼を告げれば、僅かに照れの色を濃くした紅葉がにっと笑ってこう告げた。

 

「当たり前だろう?だって俺は、お前の隠だからな」

 

 一拍置いて吹き出したのはどちらが先だったか。俺か紅葉か、断言は出来ない。どちらにせよ言えるのは、今夜はゆっくり眠れるだろうという確信に近いものだけだった。

 

 

*****

 

 

 よく眠れるだろうという勘は当たっていたらしく、その日の晩は特に夢を見るでもなく朝を向かえる事となった。

 前日の不調はなんだったんだというくらいには調子も戻っていたため、残していた事務仕事を終わらせて夜には任務に赴いた。

 担当警備地区の見回りに通常任務。報告書の作成と珠世殿たちの研究について。その他諸々の仕事を日々片付けていればあっという間に日にちが過ぎていった。

 そして今日。いつだったか衝動的に購入した鼈甲の簪を手に取る。結局あまねに渡すことなく時間だけが過ぎてしまったそれを、じっと見つめてから袂に入れた。

 小さく息を吐いてふと、自分の手が冷えきっている事に気がつきなんとも情けない気持ちになる。逃げ出したいと思う程の緊張などいつ以来だろうか。上弦の弐と対峙した時でさえこんな気持ちにはならなかったというのに。

 今日は新月。鯉夏に想いを告げた夜から、およそ一月が経っていた。

 これまでと同じようにそこそこ仕立てのいい着物に冬用の羽織を身に纏い外に出る。いつもと同じ道順をいつもと変わらない速度で歩きながら空を見上げた。夜の帳が降りて暫く経つが、まだ星の姿はない。月もないからただ暗闇が広がるばかりだ。

 キンと冷えた空気を肺の隅々に行き渡らせるように吸い込み、静かに息を吐き出す。白く染まり溶けていく様を見つつ、そういえば鯉夏は冬の寒さが苦手だと何かの折りに言っていたなと過去に交わした会話を思い出した。

 月が一つか二つ一気に進んだかのような、そんな季節外れの寒さだった。急な事で炭の数が足りず、火鉢の前に居てもなかなか暖まらない。そんな中、ふるりと身体を震わせ指先同士を擦り合わせて暖を取るその姿があまりにも寒そうで、無いよりはましだろうと俺の羽織を肩に掛けてやったのを覚えている。恐縮しきりだったが、俺は幸いにも彼女ほど寒さを感じていなかったのでいい感じに言いくるめてそのまま使わせた。暫くすれば火鉢からも暖を取れるようになったが、あまりにも俺の羽織を嬉しげに、大事そうに扱うものだから、結局帰るまで彼女に貸すことにしたのだ。

 ふ、と当時のやり取りを思い浮かべて口元を緩める。さらに歩みを進めれば、袂に入れているものががさりと存在を主張した。

 定番になっている土産物と、それに加えて今日はもうひとつ。受け取ってもらえるかは鯉夏次第だが、願掛けというか…希望を込めてつい持ってきてしまった。

受け取ってもらえなかったら今度こそあまね行きだな、と後ろ向きな事を考えていれば、見えてくるのは"ときと屋"の文字。

 相も変わらず煌びやか場所だ。そして、鬼の気配も血の臭いもしやしない。…今日鯉夏が否の言葉を紡げば、俺はここでの伝を一つ失う事になる。そういう意味でも軽率だったと、一月前の自分のポンコツぶりに溜め息を吐きたくなった。

 とはいえいつまでも門前に留まっている訳にもいかないだろう。意を決して門戸を潜る。室内の明るさに一瞬目を眇めるもすぐに慣れ、そのまま視線を走らせた。

 

「藤宮さま!お待ちしておりました」

 

 大きな声と共に楼主が近寄ってくる。いつもにこやかではあるが今日は一段と笑みが深い。

 

「こんばんは、楼主殿。随分と機嫌が良いようだが…何かあったのかな?」

「ええ、ええ。それはもう…あ、申し訳ない。こんな所で引き留めてしまって。ささっ、どうぞこちらへ。鯉夏が待っておりますよ」

 

 そう言う楼主は本当にご機嫌らしい。いつもは下男に案内させるのに今日は自らが先導していく程なのだから相当だ。

 首を傾げつつも後を追っていく。そうして辿り着いた先の部屋には、既に人一人分の気配があった。間違いようもないその気配にぴくりと指先が震える。

 

「鯉夏、私だ。入るよ」

「──はい、親父さま」

 

 何の躊躇いもなく開かれた襖のその奥。華やかな着物に身を包み、柔らかな表情でその顔を彩る、美しい(ひと)

 

──ああ、好きだなぁ。

 

 彼女の姿を映すだけで止めどなく溢れてくるこの想いを、俺はきっと、一生忘れやしないだろう。

 

 

 

「今日はこれを」

 

 案内してくれた楼主は既にここにはいない。鯉夏と一言二言言葉を交わしたあと早々に去っていった。なんとなく雰囲気が「後はお若いお二人で」とでも言いたげなものだったのが少し気まずい。

 その気持ちを抱えたまま鯉夏の正面に座り、用意した土産を渡す。両手で受け取り包みを開いた彼女の顔が、ぱあっと輝いた。

 

「まあ、可愛い!手鞠飴ですか?」

「ああ。甘いものばかりもどうかと思ったんだが、他に思い付かなくてな」

「ふふ、貴方からの贈り物ならなんでも嬉しいですのに」

 

 両手で包み込むように持ちながら頬を綻ばせる姿に可愛いなという言葉が出てきそうになる。危ない。

 それにしてもこれはあれだな。お膳立てされてる感じがひしひしと伝わってくる。楼主がここ(・・)に案内したのも結論から言えばそういう事だろう。つまり色々とバレている、と。鯉夏の性格的に自分から言う事はないだろうから、きっと楼主か女将が気づいたんだろうな。

  …いっそのこと酔ってしまいたいなと大して酔いもしないのに思ってしまった。まあここに酒は用意されていないんだが。

 一瞬の静寂が場を支配する。それを敏感に感じ取ったのか、手の中の包みを脇に下ろした鯉夏がこちらを向いた。

 

「…お食事の前に、お時間頂いてもよろしいでしょうか」

「…ああ」

 

 心臓の音が煩く響く。よく見れば鯉夏もいつもより緊張している様子だ。その証拠に小さくだが確実に深呼吸を繰り返している。

 きゅっと腿に揃えられた指先が丸まった。

 

「私は、遊女です。これまで色々な方のお相手をしてきましたし、多くの遊女を見てきました」

 

 静かに紡がれるその声に耳を傾ける。彼女の大きな瞳は、何かを思い出すように僅かに伏せられていた。

 

「お客様に本気で恋をした子、利用されて傷ついた子、愛し合っていたのに結ばれなかった子。そんな彼女たちを見て、私は絶対にここに来られる方に恋なんてしないと決めていたんです。けれど…気づいたら私は、一人のお客様のことをずっと待つようになっていました」

 

 伏せられていた瞳が再度俺を映す。

 

「月に一度来られる、綺麗な方。まだ不慣れだった私を叱ることなく、優しく接して緊張を解してくれた。ここに遊びに来る生き物の事だとか、月が綺麗だったとか、そういう何の実にもならない話もちゃんと聞いてくれて。"私"のことを、見てくれた。そんな小さな優しさが私の中に降り積もって、どんどんと溜まっていったんです」

 

 一度口を閉じて深呼吸をひとつ。細い肩に入っていた力が少しだけ抜けたのが見て取れた。

 

「…ずっと、不思議でした。数年間貴方と接して、貴方の人となりを知って、花街で遊ぶような方には思えなかったから。でもあの日、やっとその理由が分かりました」

 

 部屋の灯りを受けてきらきらと煌めくそれが、ゆるりと綻んだ。

 

「ねえ、あかね様。貴方がお話をされていた間。そしてこの一月の間。お仕事だったのだと、ずっと利用されていたのだと知らされても、貴方へのこの想いが揺らぐことはなかったんです」

 

 胸元の、着物の合わせ部分に手を添えて鯉夏は言う。

 …このまま何も考えずに彼女を引き寄せて、抱き締めてしまいたいという欲が疼いた。その欲を理性で押し留め、小さく問う。

 

「…貴女に伝えた名前が、偽名だと言っても?」

「こういう場ですから、そういうこともありましょう」

「職業も明かせないのに?」

「そういう方はここでは珍しくありません」

「…大きな声では言えない仕事の可能性もあるんだぞ」

「そう警告をしてくださる時点で、貴方が優しい方だというのは分かっています」

「鯉夏」

「それに」

 

 こちらの問いに間髪入れずに答えていく鯉夏はどこか楽しげで、思わず咎めるような声が口から溢れ落ちる。けれどそんな事はお構い無しに鯉夏は俺との間にあった僅かな距離を詰めると、今度は膝の上に投げ出していた俺の右手をそっと両手で包み込み口を開いた。柔らかな音が耳奥を擽る。

 

「貴方がくださった優しさ(あいじょう)は、全部本物でした」

 

 ふふ、とどこか得意気に笑う鯉夏に肩の力が抜けていく。大きく息を吐いて、目の前の華奢な肩に頭を預けた。

 

「っ…あかね様…?」

 

 急な出来事に狼狽える声が耳元で聞こえ、口角が上がる。

 

「鯉夏」

「…はい」

「…好きだ」

 

 息を飲みそのまま呼吸を止めた鯉夏を、顔を上げて真っ直ぐ見つめる。

 大きな瞳を更に見開き、震えそうになる口を耐えようとするその様子さえも可愛らしいと思ってしまうのだから、俺はもう末期なんだろう。

 

「きっと、俺よりも貴女に誠実であれる男も、俺よりも貴女に平穏を与えられる男もいるだろう」

 

 鬼殺隊に所属している以上、俺たちはどう頑張っても一般人のような生活を送る事は出来ない。

 

「俺が貴女に誓えるのはほんの少しだけだけど」

 

 泣かせないことも、永い時間を共に刻むことも決して誓えやしない。

 それでもこれだけは、声に出して言える。

 

「この命ある限り、誰よりも貴女を愛すると誓う。誰よりも貴女を守り、貴女と共にあると誓おう」

 

 だから。

 

「俺と、夫婦(めおと)になってくれませんか」

 

 俺に、貴女を守る権利を与えてほしい。

 そんな願いを込めて想いを告げれば、正面にある大きな瞳が水気を帯び、煌めきが増した。

 

「──はい」

 

 涙を目尻に溜めて柳眉が垂れる。けれどその表情は決して悲しみから来るものではないだろう。だって形のいい唇が綺麗な弧を描いているのだから。

 鯉夏の背中に腕を回し抱き寄せる。僅かな抵抗もなく、その華奢な身体は俺の腕の中に収まった。

 

 

 

 降り積もった雪が溶け、代わりに芽吹いたこの色鮮やかな想いの数々が今後も枯れることのないように。

 どうか、これからも俺の隣で照らして(わらって)いてくれ。

 





・近年稀に見るポンコツ具合を発揮して"ねがいの蓋"を開けた人(26)
 久しぶりに予知夢を見て精神的にぐらついた結果ポロっと告白しちゃった。まじポンコツ。
 夢に登場した鬼に関しては今までもずっと考えてて、なんとなく正体は察してた。だから小さな抵抗だとしても何かしたくて結界張ったりしてたけど、今回の夢で妹と友人が自主的に外した可能性が出てさらにダメージが入る。
 一人暮らしだったら回復までにもっと時間掛かってたから本当に自分の隠たちに感謝しかない。次の日には二人の好きなものを買って帰ります。
 この度年下のお嫁さん(予定)が出来ました。正式に籍を入れるまで手は出さないと決めてるけど、今後理性を総動員する出来事があるかもしれない。


・"お月さま"に頑張って手を伸ばした人(18)
──偽名だったことも利用されてたことも、確かに傷つきはしたけれど、与えられた言葉も優しさも全部本物だと感じたから。だからどうか、私をお側に置いてください。
 この人なんで花街に定期的に通ってるんだろう?って途中から不思議に思ってた。一晩分買ってるのに抱かないからそりゃ違和感は覚えるよね。ただ指摘したら会えなくなりそうだったから知らない振りしてた。
 正式に籍を入れるまで手は出さないと言われて驚いたけど大切にされてるって感じてとても嬉しい。
 この後鼈甲の簪を貰ってまた泣きそうになる。


・公私ともに支えるを地でいく夫婦
 顔を合わせて本気で驚いた。顔色悪いしクマ出来てるしだるそうだし、これは絶対何かあったと瞬時にアイコンタクト。結果付き合いが長い相棒の紅葉が話を聞くことに。朝よりも夜の方が口が軽くなるかなと話を振ったらまさかの恋バナで吃驚した。即夫婦で情報共有。結果がわかり次第盛大にお祝いする予定。
 ちなみに美鶴は細君とはお茶友だちです。最初はカチカチに固まってたけどもう慣れた。報告は自分でするからと口止めされてるけど本当はすぐにでも話に行きたい。


・夢で発破をかけたご友人(22)
 初めての友人の恋バナにわくわくが止まらない。結果夢に出た。
 やっぱり鬼殺隊の長だから、最高戦力の一人であるオリ主には変わらず任務に就いて欲しいと思ってる。それでも唯一無二の友人で、大事な義兄だから幸せを掴んで欲しいとも思ってる。難しいね。
 後日結婚の許しを得にオリ主が訪ねてくるけど、1年半前に話題に出した時点で許可は出してるも同然。にこにこしながらご祝儀を出して気が早いと断られる未来があります。


・この度独り立ちした兄弟(14)
 柱になって暫くは空屋敷で暮らしてたけど、「あおいさんも14で柱になってすぐにここに引っ越したんなら僕たちも」ってなった。恩人で憧れの人だから真似したい。
 作者の解像度が低いせいで大した絡みもなく屋敷を出ることになってしまった。ごめんね。



ーーーーーーーーーー
以下補足&あとがき


 経験ないなりに頑張って書いた恋愛話()です。物足りないって言われても言い張ります。誰がなんと言おうとこれは恋バナ。

 あおいは元々三男だったから小さい頃から結婚は意識してなかったし、家を出てからは、どうやったらあまねを救えるか&任務の事で頭がいっぱいだったのでその手の話題はずっと遠ざけてました。必要ならそれこそ見合いの席を設けられるだろうと思ってたのもあります。
 それでも任務で助けた娘さんや藤の花の家から声を掛けられることもありました。その場合はその場でお断りした後暫く寄り付かなくなるので自然と話は流れます。
 女子隊員はなんだろ…ミーハーな人が多いかな。あおいはどちらかというと単独任務の方が多いので接点は少ないけど、任務中に助けられたり気を遣われたりできゅんとなることがあります。何だろ。学校の若いイケメン先生に生徒がきゃーきゃー言う感じです。伝わりますかね…?

 過去に堕姫と妓夫太郎が柱を20人弱倒してるって事は、そのうち何人かは派遣されてたんじゃないかなと思います。なのでこの話では匂わせる程度の情報は残ってるという設定にしました。
 ちなみに産屋敷家の書庫は許可を取れば誰でも閲覧可能です。持ち出しは駄目。1話であおいが呼吸に関する資料を耀哉の自室で読んでますがそれはあれです。まだ隊士じゃなくてただのお友達だったからです。そういうことにしておいてください。隊士になってからはちゃんと許可取って書庫内で読んでます。
 産屋敷家当主にのみ受け継がれている資料ももちろんありますが、それはまた別で保管されています。痣とか珠世さんについて書かれているものですね。それらは耀哉が「読むかい?」って差し出してもあおいは読みません。線引き大事。

 最初は"惚れた男の弱った姿はきゅんとくる"っていう情報から、甘やかされて恋心を自覚→紅葉と恋バナ()して背中ぶっ叩かれる→告白と返事っていう流れだったんですよ。
 なのに何回書き直しても全然素直に告白してくれない。どうしようかなぁって悩みに悩んで、いっそのことついポロっと言ってしまったって事にしようかという結論に至りまして。じゃああおいが口を滑らすのってどんな時?ってこれまた壁にぶつかり…。
 本当は二回も予知夢を見せるつもりも無かったんです。予定としては任務で「人殺し!」って罵倒されて疲れきったことにするつもりで書いてたんですけど、よくよく考えてみたら15年任務についてたらそんな罵倒はもちろん、もっと悲惨な現場とかも何回も目にして耐性ついてるだろうなってボツにしました。
 この日のあおいは、本人は気を張って普通を装ってますけどやっぱりどこかぼんやりしてるし、会話のテンポも比較的ゆっくりです。ただ隊服と口面をつけると意識が切り替わるので気づかれにくくなります。耀哉と紅葉と天元は気づくかな、付き合い長いので。

 そういえば、竈門兄妹についてあおいから他の柱に話すつもりはありません。これには胡蝶姉妹も含みます。
 主な理由としては、①お館様が沈黙を保ってるから、②今後の戦況を変えるかもしれない存在をみすみす斬るつもりはないから、の二つです。
 ①に関しては、多分公表する機会を伺ってるんだろうなとあおいは勝手に判断してます(正解)。人を襲わないという実績と利用価値を示さないと納得しない柱は多いだろうから、とりあえず目を覚ましたら色々試さないとなぁって考えてる最中です。書いてないけど。
 ②に関してはまだ仮定の段階だけど可能性があるから死なせるわけにはいかないって感じですね。露見すれば確実に斬れって言われちゃうので。寝てる姿しか見てないからまだ竈門禰豆子=鬼って認識です。ちゃんと起きてやり取りを交わせばその認識も変わる、はず。

 鯉夏の「お月さまみたい」は彼女にとっては精一杯の口説き文句です。やっぱり彼女は遊女だから。自分から直接的な言葉を告げることは出来ないんじゃないかなぁと思いこういう形にしました。一夜限りの言葉なら仕事だから言えるけど、あかね(あおい)に対する言葉は全部本心だから、遊女の言葉だと思われたくない。という裏話があります。
 鯉夏さんの身請け先についての情報が一切なかったからこそ出来た話。捏造し放題なのでは?!と暴走した結果の産物ですね。

 私は言わせたい台詞とか書きたい地の文を最初に書き出してから肉付けしていくタイプなんですけど、最後のあおいの「きっと俺より…」から「俺と夫婦になってくれませんか」っていう台詞は絶対に言わせたいって思っていたので、今回書けてよかったです。そこに辿り着くまでが長かったですけどね。



 ではでは。長かったのにここまで読んでくださり本当にありがとうございます!
 また次話でお会いしましょう!


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番外編
小話詰め1


 

*隊服について ~夏の柱合会議にて~*

 

 

 会議が開始されるまで各々好きに過ごしている中、あおいは半年前に柱に就任した甘露寺と座敷の後ろ辺りで話をしていた。一時期より人数が増えたとはいえ、やはり柱の業務量は一般隊士の比ではない。何か困ったことはないかという確認を込めての雑談だった。

 

「では今のところ特に問題は無さそうだな」

「はい!お屋敷の管理も隠の方がやってくれますし、任務の方もなんとかなってます。…あ、でも合同任務で緊張からか、他の方への指示出しが上手くいかなくて…」

「指示出しか。正直慣れてくれとしか言えないんだが…そうだな、何か習慣付けるといいかもしれないな」

「習慣、ですか?」

「ああ。例えばそうだな。任務に向かう時、或いは現場に着いてからでもいいが、深呼吸するとか軽く頬を叩くとか。持ち物に触れるでもいい。とにかくその場でできる簡単な行動をして心を落ち着けるんだ。回数を重ねれば次第にその動きだけでも緊張が取れるようになる」

「そうなんですね…!ありがとうございます、一宮さん!」

 

 頬を染めながらにこやかに礼を言う甘露寺は変わらず素直で微笑ましい。ただし隣に据わった目をしている伊黒がいなければ、という注釈が付くが。

 とはいえそんな視線、数多の死闘を潜り抜けたあおいには痛くも痒くもなかった。故に特に気にすることなく再度口を開く。

 

「ところで、初めて会った時から気になっていたんだが、甘露寺は随分と…ハイカラな隊服を着ているな」

 

((言葉を濁した…!流石あおい/一宮さん))

 

 たまたま会話が耳に入った他の柱は心の中で同じ感想を抱き、伊黒の視線は凶悪度を増した。致し方ない事とはいえ、甘露寺との会話の機会を奪われた挙げ句その姿を視界に入れたのだ。相手がかの空柱といえど、伊黒にとっては到底許せるものではなかった。

 故に伊黒は抗議しようと口を開く決意をする。けれども怒りかはたまたあおいがその話題を口にした事への衝撃か、とにかくすぐに言葉が出てこなかった。そうこうしているうちに会話は先に進んでいってしまう。

 

「最初に渡されたのがこの隊服だったんです。女の子は皆この形なのかと思って着てたんですけど…」

 

 甘露寺は顔を真っ赤に染めながらちら、と視線を胡蝶へと投げた。

 あおいはすぐに席を外したため知らない話だが、前回の柱合会議の後、甘露寺は胡蝶と己の隊服について話をしていた。その時の衝撃といったらない。この隊服を渡してくれた隠があまりにも堂々としすぎていてそういうものだと思い込んでいたのに、実際は違うというのだから。とはいえ甘露寺は胡蝶のように隊服を燃やすなんて大胆な事は出来なかった。あの時彼女に渡されたものは未だ甘露寺の自室の引き出し奥で出番を待っている。

 

「…なるほど。ちなみに、その隠の名は知っているのかな?」

「えっと、確か…前田さん、だったと思います」

「そうか、ありがとう」

 

 にっこりと優しげな笑みを見せるあおいに甘露寺は安堵の息を吐いた。

 まだ数回しか話したことのない、柱の中でも特にお館様に近いと言われている人物。鬼殺隊最古参で自身より隊歴も、年齢も上の男に知らず知らずのうちに肩に力が入ってしまっていた。けれどそれも今日で最後だろう。だってこんなに心を砕いてくださっているんだもの。

 心に余裕が出来てきた甘露寺は目線の上にある柔和な笑顔にきゅんと胸を高鳴らせた。

 一方で、あおいたちの会話が耳に入っていた柱の一人である宇髄は、どことなく不穏な気配を察知してつい後方に視線をやってしまっていた。

 口に面をつけているため目元しか視認する事は叶わないが、目に入ったあおいの笑顔に見覚えのある宇髄はぎしりと身体を軋ませる。

 忘れもしない。呼吸の習得を少しサボり見つけたネズミを忍獣にした時や共に行った任務で油断してヘマした時、夜も明けきらぬ時間帯に屋敷に突撃した時など、とにかく師匠を怒らせた際に見た笑顔と全く同じものだった。

 目をかっぴらきあおいを凝視したまま固まった宇髄に、それまで話をしていた煉獄が不思議そうに呼び掛ける。だがしかし、返事がない。いつもならば派手だド派手だ祭りの神だとそれこそド派手に騒いでる男が、今は冷や汗をダラダラと流しながら一点を見つめている様に煉獄は首を傾げ、その方向に顔を向けた。

 …特に変わった様子はない。強いて言うなら先達であるあおいがにこにこと甘露寺から話を聞いているくらいなものだ。だが煉獄自身もかつて同じように話を聞いてもらった過去があるためその姿に違和感を抱く事はなかった。伊黒の目が若干鋭いがそれは誤差のようなものだろう。いつもと変わらない。

 何がそんなに気になるのかと煉獄は再度首を捻る。だが誰も煉獄の疑問には答えてくれなかった。そもそもあおいの表情の意味を正確に理解出来る者などこの場には一人しか居らず、その一人も先程から固まってしまっているので致し方ないと言えば致し方ないのだが。

 そんな周りの様子に気づく事なく甘露寺は話を続けていた。

 

「それで、私どうしようかなって思ってたんですけど、この間伊黒さんがこの靴下をくれたんです!寒いだろうからって!私、もうキュンキュンしちゃって、寒さとか色々吹き飛んじゃいました!」

 

 その話を聞いたあおいは数度瞬くと、無言で甘露寺の横に目をやった。その視線とぶつかる前にさっと顔を背けた伊黒だったが、その黒髪から覗く耳は真っ赤に染まっていた。その変化を見逃すあおいではない。

 ほっこりと微笑ましい気持ちになりながら再度自身の正面に意識を戻した。きゃーっと言いたげな雰囲気で両頬に手を添え、当時の伊黒とのやり取りでときめきを思い出し必死に耐えている甘露寺を見れば、あおいに言える事などたかが知れていた。

 

「…そうか。よかったな、甘露寺。大事にするんだぞ」

「はい!」

 

 何だか盛大な惚気を食らった気分だ。

 あおいはそんな事を考えていたし、事実これは特大の惚気だった。それも無自覚であるから余計質が悪い。

 これは下手につつくと飛び火するなと判断し、当たり障りない言葉で軽く流す事をあおいは決意した。だって変に首を突っ込んで馬に蹴られたくはない。

 そんな内心は尾首にも出さず、あおいは変わらずにこにこと、たまに生温い視線を交えながら甘露寺の話を聞いていた。

 ──聞いてはいたが、その思考の何割かを前田という隠に割いていたのは、まあ、完全なる余談である。

 

 

「別にな、お前の趣味をどうこう言うつもりはないんだ。相手が着てもいいと判断したなら部外者が口を出す事もない。だがお前も知っての通り隊服は鬼の攻撃から身を守る役割も担ってる。機能性に加えて防御力も高くなくては意味がない。つまりだ。最低限、急所は守れるように作ってくれなくてはこちらの死亡率も跳ね上がるんだよ。分かるな?前田」

「はい…」

「恋柱は現段階で隊服の変更は希望しないようだから、一先ずこのままで構わない。…が。今後はきちんと節度を守って事に当たるように。──いいな?」

「っはいぃ!!」

 

 

***

 

 書いてて思った。

 もしやこれ、セクハラなのでは?と。

 いや違うんですよそんなつもり微塵もなくてただ純粋にあの隊服だと防御もなにもないなと思っただけなんです(私が)。

 だって身体の中心って急所じゃないですか。鬼殺隊の隊服は鬼の攻撃に耐えられるよう頑丈に出来てるのに、その急所を晒すようなものは最早隊服としての役割を果たしていないのでは?と。まあ恋柱は筋肉もりもり()ですから大丈夫なんですけどね。

 

 ちなみに、これまではあおいの耳に入る前に対処(燃や)されていたため今回初めて前田の事を知った、という裏設定があります。胡蝶姉妹も真菰もいい笑顔で容赦なく灰にするからですね。

 

 それから、あおいが女性隊員を"女"として見る事はありません。女性だから相応の気遣いはしてるつもりだけど、鬼殺隊員なのでどうしても思考は鬼殺関連に引っ張られます。なので恋柱の胸元がばーんと開いていても"急所晒してるな…"とか"お腹冷えそう"としか思いません。風柱に対しても内心そう思ってます。

 あと前に、大正時代では胸部は性的な要素ではなくどちらかといえば足を出している事の方が大胆(意訳)といった内容のサイトがあって個人的に凄く納得出来たので、尚更胸元ばーんに対してこのシリーズで言及するつもりはありません。悪しからず。

 

 本当はにっこり笑顔のあおいを見て、

 

(何があった)

(隊服!甘露寺の!)

 

って無言のやり取りをする紅葉と天元だったり、

 

「…ちなみに、どうするおつもりで?」

「別に何もしないさ。ちょっと話をするだけで」

「貴方のその笑顔と話って言葉に俺は不安しか感じないんですが」

「失礼だなお前」

 

っていう前田を呼んでこい発言をしたあおいに対する紅葉の反応だったり書きたかったんですけど、うまく入れられなかったのでカットしました。無念…っ。

 

 

*****

 

 

 

 

*相談事*(恋柱の隊服の話の後)

 

 

 その日、あおいは情報収集のために一人街へと繰り出していた。いつものように目についた茶屋の店先で団子を食べつつ周囲の声に耳を傾けていた時、男二人組の会話があおいの意識を浚っていった。ちなみにその時食べていたのはとろりとしたタレを纏うみたらし団子。甘くはあるもののくどくなく、さっぱりとした口当たりのタレともっちりと食べごたえのある団子が大変美味である。洋菓子もいいけど、やはり和菓子の方が馴染み深いなとあおいは頭の片隅で考えていた。

 

「そういやぁ隣街の知り合いが話してたんだがな。最近顔見知りの一家が全員姿を消したらしい」

「なんだ夜逃げか?」

「いやいや!夜逃げなんてもんじゃねぇよ。なんでも部屋ん中は血の海で、おまけにでっかい爪痕もあったって話だ。森の近くだったから熊じゃねぇかって言ってた」

「はぁ~…物騒だねぇ」

 

 隣街。森の近く。大きな爪痕。

 二本目の焼き団子に手を伸ばしながら、あおいは必要な情報を頭に入れていく。後でお館様に報告を上げなくてはな、と思考を回していると見知った気配が近づいてきた。

 醤油の風味を味わいながら顔を上げると、隊服を着た伊黒が視界に映る。それと同時に伊黒もあおいに気づいたようだ。小さく目を見開いた伊黒の視線に応えるように手を上げれば、僅かな瞬巡の後に進路を茶屋に変更した。

 

「お疲れ、伊黒。任務帰りか?」

「…ああ」

 

 先ほどとは打って変わって眉間に皺を刻んだ伊黒を横目に、あおいは「そうか」と返事をした後形ばかりに団子を勧めた。すぐに断られたが。まあ大抵いつも断られるから特にあおいは気にもしない。そのまま残った焼き団子を食べつつ、伊黒の肩口辺りからにゅっと身を乗り出す鏑丸と戯れながら静かに過ごす。なにやら思い悩んでいる様子だったので、話したくなれば話してくれるだろうと判断しての事だ。ここで無理矢理聞いてしまっては折角縮まった距離がかつてないほど開いてしまうかもしれない。話してくれない可能性もあるが、その時はその時だとあおいは鷹揚に構えていた。

 

「…」

 

 その様子を視界の端に収めながら伊黒は思案していた。己が抱えている問題をこの男に打ち明けるべきか否か。伊黒の頭にはそれしかなかった。

 本音を言えば打ち明けたくない。あおいに、というより相手が誰であろうとなんとなく嫌だった。

 けれどもこのままでは任務に支障をきたしてしまう。命のやり取りをしている中、心ここにあらずな状態では己の行く末など火を見るより明らかだろう。

 ぐっと眉間に皺を寄せ、伊黒はついに腹を括った。

 

「…聞きたいことがある」

 

 伊黒がようやっと話を切り出したのはあおいが団子を全て食べ終え茶を啜り一息ついた頃だった。

 目だけで続きを促すあおいに伊黒は再度口を開く。

 

「──女性と出掛ける時、どこに行くべきだろうか」

 

 思いがけない内容にあおいはぱちくりと目を瞬かせた。けれどもすぐに顔を取り繕う。こういう場合に対応を間違えると馬に蹴られると相場が決まっているのだ。あおいの脳裏には先日の柱合会議での一件が浮かんでいた。

 

「女性と出掛ける…逢い引きか?」

「な…っ?!ち、違うぞ!男女で出掛けるからといって安易に逢い引きと決めつけるなど柱として以前に人としてっ」

「ああ、悪い悪い。どういう目的かによって出掛ける場所も変わるかと思ったんだ」

「も、目的と言われても…純粋に、そう、純粋に情報交換をするだけだ。逢い引きなどそのような不埒な目的などでは断じてない」

「わかったわかった。候補は決めてるのか?」

 

 くわっ!と左右で色彩の異なる瞳を強調させながら威嚇する伊黒の耳は赤い。加えて早口で否定していく様にあおいは"若いなぁ"と年寄りくさい感想を抱いた。

 生ぬるい視線になりながら、未だに言葉を重ねて否定している伊黒を宥めるよう声を掛けて話を進めていく。誰が相手だとかそんな分かりきった質問、するつもりはない。おそらく合っているだろう桜餅の色合いの同僚を思い浮かべながら問えば、これまたぐぐっと眉間に深い皺を寄せてから伊黒は自身が考えた第一候補を口にする。

 

「…甘味処なら、ゆっくり話せるかと思ったんだが」

「ああ、いいんじゃないか。のんびりとした空気が流れているから時間を気にせず話せるだろうし。もし食べるのが好きなら食事処を巡るのもいいかもしれないが」

「食事処…」

「美味いところをいくつか見繕って選んでもらうのも手だよ」

 

 ちなみに俺のおすすめは隣の通りにある鯖の味噌煮定食だ。

 あおいから渡される情報を伊黒は真剣な顔で聞いていた。

 

「雑貨屋を覗くのも楽しいかもしれないなぁ。気に入ったものがあれば買えばいいし、見てるだけでも女性は好きなんだそうだ」

「なるほど…」

「揃いのものを誂えてもいいが、いきなりだと驚かれるか…三、四回出掛けた辺りなら違和感もないだろう」

「分かった」

「あとはもう相手の反応を見るしかないな。喜んでくれたならまた似たような所に行けばいい。ただまあ…甘露寺ならどこに連れていっても喜んでくれるだろうが」

「?!」

「はは!頑張れよ、伊黒」

 

 まさか甘露寺の名前が出るとは思わなかった伊黒は驚愕に顔を染める。その形相を笑いながら、あおいは団子代を置いて席を立った。戻ってお館様に今日得た情報を報告しなければならないのだ。そろそろ帰らなければ遅くなってしまう。

 そういう訳で、じゃあなと鏑丸にも声を掛けたあおいは空屋敷への帰路についた。

 

──どうか、双方にとっていい縁となりますよう

 

 そんな願いにも満たない漠然とした想いが、あおいの内に宿る。

 突き抜けるような青が眩しい、夏のある日の出来事だった。

 

 

***

 

 幻覚成分強め。

 この話は結構前から考えていたもので、伊黒さんがこういう相談をしてるところが見たい、という願望から生まれた妄想です。楽しかったので満足。

 

 

*****

 

 

 

 

*大掃除*(時透兄弟継子時の話)

 

 

「わ!見て!」

「おい無一郎、荒らすな」

 

師走に入り、世間が年の瀬に向かってどこかそわつきだした頃。空屋敷では毎年恒例の大掃除が行われていた。それなりに広い敷地を有しているため一日では終わらず数日に分けて行うのも恒例の事で、その日は母屋の物置と書庫、そして子どもたちが過ごしている部屋が掃除の対象だった。

ちなみに本屋敷の主人であるあおいの私室は大掃除が始まった序盤の方で終了している。そもそもそこまで物もなければ汚れてもいなかったためそれほど時間を掛けずに終わったのだ。ついでに言えば普段紅葉や美鶴が生活している離れも数日前に総出で終えている。

そんなこんなで朝から最後の大掃除を始めていたのだが、自分たちの部屋の掃除が粗方終了した無一郎と有一郎は客間に顔を出していた。誰かしらいるかなと考えての行動である。けれど、彼らの予想に反してそこは無人だった。代わりに置かれていたのは物置や書庫に仕舞われていたであろうものたち。食器類に着物、中にはどこで売ってるのか分からない木彫りの熊もある。

色々と興味はそそられるが、中でも無一郎の目を引いたものがあった。それを手に取り無一郎は己の片割れを呼ぶ。そんな無一郎に対して小言を言う有一郎だったが、その身はしっかりと無一郎の手元を覗き込んでいた。

 

「写真…?」

「兄さんだって気になってるじゃんか」

「うぐっ」

 

そう。無一郎の手には一枚の写真が収められていた。その一枚の他にも数枚、畳に置かれている。

 

「これ、あおいさんだよね」

「だな。いつのだろ…」

 

自室の掃除が終了したから休憩だと言い訳をして写真を覗き込む二人。

その視線の先には今とは違い中央で前髪を分けたあおいが写っていた。よく見れば後ろ髪も短めだし表情もどこか固い。

少なくとも数年は前だろうと同じ判断を下した双子に後ろから声がかかった。

 

「──お、懐かしいな」

 

聞こえたのはこの屋敷最年長の男の声だった。

 

「紅葉さん」

「二人とも部屋の掃除は終わったのか?」

「はい」

「終わったから休憩してたんだ」

「なるほど。お疲れ」

 

わしゃわしゃと頭を撫でてくれる紅葉を見て二人は思った。

そうだ、この人はあおいさんと一番付き合いが長いんだ、と。ならばこの写真についても何か知っているかもしれない。二人は顔を見合わせ、代表して無一郎が質問を投げ掛けた。

 

「ねぇ、紅葉さん。これ、何歳の時のあおいさんか分かる?」

「ん?柱になった時に記念に撮ったやつだから14だな」

「14…」

 

14歳となると軽く十年は前だ。だって確かあおいは今25なのだから。そこまで考えて双子はその事実に戦慄した。

 

「…え、顔変わってなくない?」

 

そう。雰囲気や髪型は違うが「去年の写真だ」と言われても納得出来てしまう程今と顔の変化がない。

 

「ははっ。宇髄もよく言ってるだろ、"全然変わらない"って」

 

鬼殺隊七不思議のひとつだよ。

そうからから笑っている紅葉に二人は再度手元に視線を戻す。

思い出すのはかつてあおいの継子としてこの屋敷で暮らしていた音柱の宇髄天元。無一郎からしたら兄弟子にあたる彼は、祭りの神を自称していたのもあり、まあ賑やかな人だった。宇髄だけでなくその奥方たちもだが。

 

「よくよく見れば違うんだけどな。ここの顎のところとか、今の方がしゅっとしてるだろ」

「言われてみれば…?」

「まあでも。よくよく見なきゃ分からない変化ってのも中々にやばいけどな」

 

真顔で呟く紅葉に対し、無一郎も有一郎も真顔で頷く。果たしてあおいは老けるのか。新たな疑問が生まれた瞬間だった。

 

「…そうだ。美鶴が休憩しようっていうから呼びに来たんだよ」

 

今日のおやつは"かのや"の大福だってさ。

その言葉に二人は目を煌めかせた。あそこの大福はとても美味しいのだ。触るとふわふわしてるのにいざ口に含むともっちりしていて、甘い餡とよく合う。

 

「すぐ行きます!」

「手、洗ってくるね!」

「おー、転ぶなよ」

 

仲良く走っていく二人を紅葉が見送る。そしてその背中が見えなくなったところで無一郎が手にしていた写真に視線を移した。

 

「…また今度改めて撮るのもいいかもな」

 

似たような構図のものを一枚と、空屋敷の面々で一枚。宇髄夫妻も呼べば喜んで来るだろう。師匠と継子組で撮るのも楽しいかもしれない。その時は有一郎も写らせよう。「継子じゃない」とか言って遠慮しそうだが、あの子だって間違いなくあおいの弟子なのだから。

そんな事を考えながら紅葉は居間に向かおうとして…行き先を書庫に変更した。

未だにこの屋敷の主人は書庫の整理をしているらしい。双子に声を掛ける前に休憩だと伝えたのだが、果たして聞こえていたのかどうか。

まったく仕方のない奴だと呆れはするものの、自然と紅葉の口角は上がる。

なんて言って連れ出そうか。もしもの時は双子にも手伝ってもらおう。

背後からばたばたと聞こえる二人分の足音を聞きながら、紅葉は更に笑みを深めるのだった。

 

 

***

 

鬼殺隊七不思議とは。ぶっちゃけ私が知りたいです(笑)。何も考えてないけど一個は決まったので今後ちまちま増えていくかもしれません。

 

 

*****

 

 

 

 

*大晦日*

 

 

 大掃除も終了し、正月飾りも飾り終わった。美鶴殿と作ったおせちは我ながら中々の出来映えだと思う。伊達巻き、蒲鉾、栗きんとん、昆布巻き等々。出来合いのものもあるがちゃんと作ったものだってあるんだ。上々だろう。

 年越しそばも食べてあとはもう静かに年が明けるのを待つだけという、そんな時間。

 はあー、と白く染まる吐息を眺めながら大きな木の幹に身を預ける。眼下に広がるのは白木の鳥居。生家ではない、空屋敷からそれなりに近い位置にある神社の鳥居だ。敷地の外にある木の枝に座り、僅かに漏れ聞こえる神楽を聞く。

 

(これを聞かないと年の瀬という感じがしないのも、考えものだよなぁ)

 

 物心ついてから家を出るまで毎年のように聞いてきた神へと捧げる音の調べ。それを耳に入れながら、目を閉じかつての情景を思い出す。

 神楽と舞の練習をする職員たちの様子。共に見学していたあまねの真剣な顔。忙しいなか、それでも時間を作って食べた家族揃っての食事。賑わう境内。厳かな雰囲気で迎える元日の朝。

 全て、遠い過去の記憶だ。もう見ることもないかもしれない、遠い遠い過去の記憶。

 それでも、と思う。

 それでも俺は、俺の選択を一度だって後悔したことはないんだ。

 屋敷に帰れば紅葉がいて、美鶴殿がいて。任務に出れば多くの同僚たちがいて。そして、耀哉もあまねも子どもたちも、今も元気に過ごしている。

 

──どうか、これから先も健やかに

 

 いつどうなるか分からない身の上ではあるが、祈るだけはしてもいいだろう。

 このささやかな願いが叶うかどうかはこれからの俺たちの働き次第だけど、それでも。

 未だ聞こえてくる神楽に乗せて、この想いが天まで届けばいいと思う。

 星が瞬く大晦日の夜に、俺は確かにそう願った。

 

 

***

 

 "おせち"と呼ばれるようになったのは第二次世界大戦後との事ですが、分かりやすさ重視でこのお話では"おせち"という表記にしました。

 

 あおいが境内に入らないのは"血を纏っているから"です。神社は神聖な場で、血=穢れなので。あおいは神職の血筋なのでそういう意識が他の鬼殺隊員に比べて大分強いです。ただその対象は自分だけなので、他の誰がお参りしてようが特に気にしません。

 きっといつの日か、全てが終わったその時には。皆と一緒に鳥居をくぐる事が叶うといいですね。

 

 



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鬼殺隊の最古参の柱は新人隊士の実力を知る
前編


 

「ここを出たら、色々と話をしよう」

 

 鯉夏からの返事を受け取り、互いの想いを再度伝えあった後。俺たちを包む空気の流れはゆったりとしたものになっていた。

 いつものように食事が運ばれ、鯉夏が酌をしてくれる。彼女の話に時折相槌を打つこの時間が俺は存外好きだった。

 いつもより少しだけ近い距離にいる鯉夏の熱を感じつつ、彼女の話が終わったのを見計らってこちらも話を切り出す。

 

「話、ですか?」

「うん。俺自身の事、俺の仕事の事。…今後お前も関わる世界の事」

 

 そう告げれば鯉夏は笑顔ながらも真剣度の増した表情で一つ頷いた。

 

「はい」

「…もし。俺の話を聞いてやはり無理だと、そう少しでも思ったら言ってくれ」

「…言ったら、どうなるのです」

「なるべく関わらなくていいよう可能な限り配慮する。…すまない。そう簡単に手放せそうにないんだ」

 

 その言葉に、鯉夏はぱちくりと大きな瞳を瞬かせてからふふ、と心底嬉しそうに笑った。

 

「──はい」

 

 花が綻んだような印象を受ける笑顔に、そういえば前にもこの笑顔を見たなと既視感を覚える。

 確か昨年の事だ。利き腕を怪我した俺を心配した鯉夏と話をした時も、同じような表情を見せてくれた。

 

(この笑顔が、俺は好きなんだなぁ…)

 

 そう自覚すると同時に当時のその後の展開も記憶から出てきかけたので急いで記憶の引き出しを閉じる。あれはあれでいい思い出ではあるが多少の気恥ずかしさは残っているのだ。

 そんな当時の羞恥心と一人静かに戦っていると、直前とは打って変わってどこかそわついた気配が鯉夏から伝わってきた。

 

「鯉夏?」

「その…お名前を、伺ってもいいでしょうか…?」

 

 おずおずと控えめにこちらを伺い見る鯉夏の瞳は、不安と期待の両方に揺れていた。

 それを受けて、俺は一度思考を回す。

 俺の名前を知った彼女に、今後危害が及ぶ可能性はあるのか否か。既に俺と関わりがある以上、その可能性は通常よりも高いと言えるだろう。けれど、あちら側(鬼舞辻)が俺個人を認識しているかと聞かれると断言出来ないのが現状だ。

 かつて対峙した鬼を思い浮かべる。変わった髪模様をした気狂い野郎。俺に興味を持ったような言動をした、上弦の弐。俺の情報を持って帰ったとはいえ、名前までは把握していなかった筈だ。それに柱といえどそこまで警戒はされていないだろう。あの時だって腹立たしい事に遊ばれただけだった。これで上弦の首を狩りでもしたらまた変わるんだろうが…。

 隣でこちらを見上げてくる鯉夏に意識を戻す。大きく潤んだ瞳は少しずつ不安の色が濃くなっていた。

 

「──あおい、だ」

 

 ぱっと、鯉夏からその色が消える。

 

「あおい様…」

 

 口に馴染ませるように繰り返し小さく名を呼ばれてなんだか落ち着かない気持ちになった。

 

「名字についてはまた今度、な」

 

 俺個人を認識していたとしても、精々容姿と"一宮""空柱"という呼び名くらいだろう。俺を名前で呼ぶ隊員はそう多くないから、下の名前なら教えても問題はないと判断し本名を口にした。…それでも万が一という事もあるので、鯉夏には一つ約束をしてもらう事にする。とはいえ、任務を匂わせるような言い方をするつもりはない。中途半端に説明して余計な恐怖感を与えたくはないからな。

 

「その名を口にするのは、できればここを出てからにしてほしいんだ。いきなり知らない名前が出たら周りが驚いてしまうだろう?」

「ふふ、そうですね。わかりました。二人だけの秘密、です」

 

 ずっと楽しそうにしている鯉夏にこちらの頬も緩んでいく。

 そうだな。確かにこの遊郭で俺の本名は知られていないから、この事は二人だけの秘密になる。

 可愛いな、と自然と脳内に浮かんだ感想をそのままに口を開く。

 

「…ありがとう」

 

 俺からの礼に対しゆるりと綻んだ目元で俺を見ていた鯉夏は、そっと両手で俺の右手を掬い上げると、静かに言葉を紡ぎ出した。

 

「あのね、あおい(・・・)様。私は今凄く嬉しくて、幸せなんです。あの日貴方が私を想ってくれているのだと分かって、夢なんじゃないかってずっと思っていたけれど…けれど貴方は私に、貴方の本当のお名前を教えてくださった。簪も贈ってくれて、夢ではないのだと示してくださった。…本当に、嬉しいのです」

 

 だからこちらこそ、ありがとうございます。

 そう言ってふわりと微笑んだ鯉夏はどこまでも幸せそうで。俺もつられていつもより顔が緩んでしまう。

 ぽつりぽつりと言葉を交わし、互いの手を握り体温を分け合いながら穏やかな時間を過ごしていけば、次第に外の喧騒が収まってきたのを感じる。そろそろ大門が閉まる頃だ。

 その事実がどうしようもなく切なく感じて、もう暫く共に居たいと思ってしまう。が、ここでだらだらとしてしまっては余計離れ難くなってしまうだろう事は想像に難くない。

 きっとそれは鯉夏も同様で。一度握っている手にきゅっと力を込めてから離れていくのを静かに見つめる。

 

「また、来月来る」

「ええ。お待ちしております」

 

 先程よりも些か寂しそうな表情で頷く鯉夏の背に手を伸ばす。緩く抱き寄せれば抵抗なく身を預けてくる様が酷くいじらしい。

 …そこで小さな、本当に小さな出来心が顔を覗かせた。暫し逡巡し、結局その出来心に従い自分よりも下に位置する鯉夏の頭頂部を見つめる。

 

「…あかね様?」

 

 僅かに身を起こした鯉夏が大きな瞳で見上げてくる。自然と上目遣いになる彼女にふっ、と吐息で笑い、露になっているつるりとした額に唇を落とした。一拍も置かずに小さく音を立てて離れれば、ぽかんとした鯉夏と視線が絡む。

 そんな顔も可愛いな、と思う俺は今更だが大分彼女に惚れ込んでいるらしい。任務に支障が出ないよう自重しなくてはと頭の片隅で考えつつ未だ固まっている鯉夏に笑いが漏れた。

 

「──おやすみ。良い夢を」

 

 ぼんっと音が聞こえてきそうな勢いで顔を染め、声にならない叫びを上げる愛しい(ひと)に笑いが止まらなくなって部屋を出るのが遅くなったのは、まあ仕方のない事だと主張したい。

 

 

 

 ──とまあ、いい感じに別れられたと思うだろう?俺もそう思ってたんだ、少し前までは。

 現在地、ときと屋奥のとある一室。隣には布団。俺は寝間着姿。

 

(どうしてこうなった…?)

 

 いや、待ってくれ。本当に帰るつもりだったし泊まる気なんてこれっぽっちもなかったんだ。

 帰ろうとしたところを楼主を見かけ丁度いいと鯉夏の身請けを正式に申し出て、身請け金や今後の客取りについて話を終えたら待ってましたと言わんばかりに怒濤の勢いで今夜泊まる事が決定していたとか誰がそんな事予想できる?

 用意されたほの暗い寝室で俺は一人、誰へともわからぬ言い訳をしながら頭を抱えていた。

 敷かれている布団は一組。俺の身長が高いから通常のものより大きめではあるが、それでもそこに二人が寝る事を考えるとどうにも心許ない。

 

(──今からでもきっと遅くはない。帰ろう)

 

 そんな決意を固めた刹那、部屋の外から「失礼します」という柔らかい声が聞こえてきた。

 …いや、気配に気づかないって動揺しすぎだろう。

 自分自身の余裕の無さを自覚して少し冷静になれた気がした。…あくまで"気がした"だけだが。溜め息を吐きつついつまでも外で待たせる訳にはいかないと返事を返す。

 す、と静かに開かれた襖の向こうには、見慣れた華やかな着物ではない真白な寝間着を身に纏った鯉夏がいた。

 

「…次に会えるのは一月後だとばかり思っていたので驚きました」

「正直、俺も想定外だった」

 

 俺の正面に座す鯉夏の顔が行灯に照らされてよく見える。その頬は仄かに染まっているものの、いつかのように過度な緊張は感じていないようだった。

 

「ふふ。でも嬉しいです」

 

 その声音に喜色を浮かべて鯉夏は頬を緩ませる。

 

「まだ貴方と一緒にいられます」

 

 ぐぅ、という変な声が喉から漏れた。これでは「帰る」なんて口がさけても言えないじゃないか。不幸中の幸いは今日が完全な非番だった事か。

 小さくはしゃいだ様子の鯉夏に視線をやる。この部屋に入ってからずっと、彼女はそういった心配(・・・・・・・)をしていないように見える。俺を男として意識していないわけじゃない。それはわかる。けれどこの、いつものやり取りの延長のような空気はなんなのだろうか。

 なんとなく釈然としないものを感じるが、それを直接問うのも違う気がする。

 ああでもないこうでもないと一人で考えていると正面で鯉夏が口許を隠して笑っているのが目に入った。

 

「鯉夏?」

「…あ、すみません」

「…お前が楽しそうなのは俺としても喜ばしいんだが、複雑だなぁ」

 

 あんまりにも無防備だから、つい本音が少し出てしまう。そんな俺に対しまたふふ、と笑った鯉夏は事も無げにこう告げてくる。

「だって、約束してくださったでしょう?"手は出さない"って」

 

 …そうだな、言ったな。簪を渡した時に「籍を入れるまで手は出さない」と確かに言ったさ。けどだからって信用しすぎでは?いや嬉しいけども。

 数刻前にした約束がこうも己の首を締めてくるとは思わず遠くを見つめてしまう。

 そんな俺を尻目に鯉夏はそれに、と言葉を続けた。

 

「それに私は、貴方になら何をされても構わないのです。貴方から頂けるのであれば…たとえそれが痛みであっても、私はいとおしく想えますから」

 

 予想外の内容に目元に手をやり深く息を吐いた。

 目の前の鯉夏は、笑ってはいたもののその瞳は真剣さを帯びていて。先の言葉が紛れもない彼女の本心なのだと言外に告げていた。

「…あまり、煽らないでくれないか」

 

 これでも結構、耐えてる方なんだ。

 目元を覆ったまま力なく呟く俺に、鯉夏がまた嬉しそうに笑った。

 

 

*****

 

 

 ときと屋で一夜を過ごしてから数ヶ月が経った。

 今日までに紅葉と美鶴殿が赤飯を炊いたり、身請けの件の報告に産屋敷邸を訪ねれば気の早すぎるご祝儀を包まれそうになったり、遊郭での調査について天元と話を詰めたりとまあ色々あったが、今は一先ず置いておこう。

 今日も今日とて鬼の首を斬り、多少のかすり傷を作ったものの無事任務を完了した俺の元に鎹烏が一通の手紙を届けにきた。暁ではない、見馴れない烏だ。

 

「鱗滝左近次カラ空柱ニ手紙!」

「ありがとう」

 

 紅葉のお師匠にあたる鱗滝殿を訪ねてから、もう二年近く経つ。定期的に顔を出している紅葉と違って、俺はあれ以降一度も様子を見に行っていない。

 俺の目的はあくまで竈門禰豆子だ。目が覚めていない以上俺が行っても大した意味はない。ならば連絡が来るまで大人しく待っていようと判断しての事だった。

 …そういえば、耀哉に向けて竈門炭治郎に最終選別に進む許可を出したと報告があったな、と手紙の内容におおよその当たりをつけながら話に聞くだけの少年に思考を逸らす。

 決して甘いものではない最終選別。毎回多くの参加者が命を散らすそれを、果たして竈門炭治郎は乗り越えられるだろうか。

 …いや。きっと乗り越えるだろうな。為すべき事を定めている者は、それだけ生への執着も大きい。特に"妹"のためだと言うなら尚のこと。

 身に覚えのありすぎる動機に口面の下で口角を上げる。烏から手紙を受け取りその場で読もうと広げれば、後処理が終了した紅葉が灯りを灯してくれた。多少夜目も利くが読みづらくはあるから助かった。短く礼を告げ綴られた文字に目を走らせていく。

 そして書かれていた予想通りの内容に、念のため周りに聞こえぬよう声を抑えて紅葉に呼び掛けた。

 

「──紅葉」

「なんだ?」

「竈門禰豆子が目を覚ましたそうだ」

「!…向かうか?」

「ああ」

 

 二人して頷き合い、一先ずここから一番近い藤の花の家を目指す。仮眠を挟んで向かえばいい感じの時間に彼方に着くだろう。

 

 

 

 数刻ほど軽く仮眠を取り、好意で出してもらった朝食を食べ現在。

 

「…」

「…」

 

 俺は狭霧山にある鱗滝殿の家で竈門禰豆子と無言で見つめ合っていた。

 正面に座り合う俺たちを少し離れた場所からこれまた無言で見守っているのは鱗滝門下の三人だ。ここに冨岡や真菰、そしてまだ見ぬ竈門炭治郎も加わると中々の大所帯になる。

 それを見る機会は俺にはあるだろうか、とふと思いつつも、件の少女から意識を逸らす事はしない。

 二年前と同じように竹筒を噛む姿も、鋭く尖った爪も変わらない。当時は見ることが叶わなかった瞳も、想像通り他の鬼と同様瞳孔が縦長になっていた。…しかし、その瞳に宿るものはそこらにいる鬼とは似ても似つかない、理性的なもので。

 

「──なるほど」

 

 ふ、と静かな笑いが溢れた。

 

「初めまして、お嬢さん。俺は一宮あおい。鬼殺隊という組織で空柱という地位を与えられた者だ」

 

 禰豆子は小首を傾げるだけで特に反応はしなかった。

 聞いていた年齢よりも小さく見えるその身体に近づきそのまろい頭に手を伸ばす。眠そうに、そして不思議そうに俺を見つめる禰豆子に笑い、そのまま二度ほど弾ませる。

 きっとこの子なら大丈夫だと、なんの証拠もないのにそう確信した。

 とはいえ、これは俺の直感でしかないからこの子を鬼殺隊公認で生かすための根拠としては弱すぎる。

 まずは柱を説得するところから始めなければならないが、正直それこそがこの件の最難関なんだよなぁ。

 さてどうするか、と癖の強い柱連中を思い浮かべながら思案する。

 …そうだ。

 

「…禰豆子。今から俺がする事は君にとって少々酷な事かもしれない。けれどどうか耐えてほしい。君が、これからも君の兄と共にいきたいと思うなら」

 

 真っ直ぐと己のものとは異なる瞳を見つめて言う。相変わらずぼんやりと眠そうに瞬きをする様子に構わず、俺は自身の左腕の袖を捲った。三人が見守っているなか腰に手を伸ばす。横向きに差してある、以前磨り上げてもらった俺の最初の一振り。それを肌が晒された前腕にあてがい一気に引いた。

 

「!」

 

 刃が滑った箇所から一拍置いて鮮血が溢れ出す。周りの、特に鱗滝と紅葉の動揺を確かに感じつつ、それでも俺はどこか穏やかな気分だった。たとえ眼前に目を見開き息を荒くする少女がいようとも。

 

「禰豆子」

 

 静かに、けれどしっかり届くように声を発する。

 

「大丈夫。君はまだ()だ。穢れを知らない清らかな、ただの人だよ」

 

 だから大丈夫。

 その声かけに意味があったのかは分からない。けれど少しずつ狭まった瞳孔が元に戻り、荒い呼吸が収まるのを見ればもうなんでも良かった。

 

「よく耐えたな」

 

 全集中から回復の呼吸に切り替えながら微笑みかける。まあ、口面をつけているから顔の上半分しか見えていないだろうが。

 

「っあおい!おま、腕!」

 

 動揺しているからか語彙力がどこかに消えた紅葉が慌てて近寄ってきた。その手には真新しい白い布が握られている。隠には応急処置道具が一式渡されているからおそらくそれだろうな、と推測を立てつつ促されるまま左腕を差し出した。

 

「悪いな。景気よくいきすぎた」

「本当にな!」

 

 あー!もう!とでも言いそうな雰囲気で手際よく処置をしてくる紅葉を横目に禰豆子の様子を確認する。先ほどよりも少し眠そうだった。

 

「一宮さん、なんでまた…」

 

 俺の奇行に呆然としつつもしっかりと禰豆子を回収してる鱗滝は流石だと思う。

 

「なんでってそりゃあ、禰豆子を鬼殺隊公認で生かすためだが」

「は…」

()の前で耐えてみせたんだ。これで大半の柱は説得できるだろう?」

 

 "鬼"であるなら、目の前に血を垂れ流す餌があれば躊躇いなく食い付く。たとえそれが稀血であろうが無かろうが餌であることに変わりはない。…だからまあ俺の血でなくてもよかったんだが、手元に丁度いいのが無かったから仕方がない。

 

「竈門炭治郎が最終選別を突破し無事に隊士になれたとしても、この子を連れ歩くなら遅かれ早かれ柱合裁判に掛けられるだろう。どこまで受け入れてくれるかは正直俺にもわからない。が、どちらにしろ判断材料は多い方がいい」

「…納得するか?特に風柱」

「…まあ、しないだろうな」

 

 不死川に限った話ではないが、鬼殺隊員は総じて鬼への憎しみが根深い。 お館様の一言があれば大人しく従うかと問われても俺は正直首を傾げる。

 紅葉からの指摘に本音を隠す事なく答えると二人とも黙り込んでしまった。

 

「──それでも、説得してみせると決めたのだろう?」

 

 静かに俺たちのやり取りを見守ってくれていた鱗滝殿がおもむろに声を発する。

 

「もちろん。傷一つ付ける気はありませんよ」

 

 面で隠れてはいるものの、俺は確かに鱗滝殿と目が合った気がした。

 そのまま逸らす事なく見つめ続ける。空柱の名に懸けてこの少女を守るのだと、その決意が伝わるように。

 

「ならばいい」

 

 告げられたその言葉に込められた安堵に気づき、俺の口元は勝手に笑みを作っていた。

 存外、この御仁も身内には甘いらしい。

 






~おまけ~

「──そう。身請けすることにしたんだね」
「はい」

 ときと屋で眠れたんだか眠れなかったんだかよくわからない一夜を過ごし、空屋敷で紅葉たちに事の顛末を説明した後。俺はお館様に鯉夏の身請けについて報告をしに産屋敷邸を訪れていた。

「ちょっと待っていてくれるかい?ご祝儀を包んでくるから」
「待て待て待て早い早い早い」

 お館様に報告しに来たのに早くもその体裁が崩れそうになる。頼むから今貰っている給金以上の額をさらっと包もうとしないでくれ。

「ふふ」

 昨夜から色々ありすぎて疲れてきている頭を片手で押さえていれば、やけに楽しそうに笑うお館様の声が聞こえてきた。

「…どうしました」
「いやね。いつ認めるかなってあまねと話していたんだ」

 必要なら発破をかけないとねって。
にこにこと楽しそうに笑う様はかつて俺の結婚について話した時とよく似ている。

「楽しそうですね…」
「言っただろう。あおいのこの手の話はとても楽しいって」

 それに、と続けるお館様は笑っている。いつも見せる、相手を安心させる穏やかな笑みとは違うそれ。
 年相応の、いや、もっと幼げで優しさと嬉しさがふんだんに含まれた友の笑みだ。

「唯一の友のめでたい話だ。嬉しいに決まってるよ」

 その言葉に、俺も自然と笑みが溢れる。

「ふふ、楽しみだ。君の最愛の人に会えるのが」
「──俺も、楽しみだよ。彼女をお前に紹介するのが待ち遠しい」

(よく晴れた、冬のある日の友との会話)


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後編

 

 竈門炭治郎が最終選別を突破したらしい。狭霧山からの手紙を読み終えた紅葉が興奮気味に教えてくれた。日輪刀と任務が与えられるのは選別が終了してから十五日程経ってからだから、暫くはゆっくりできるだろう。その間十分に英気を養い元気に鬼を狩りに向かってほしいものだ。

 なんて事を思いつつ、話終えてすっきりとした顔の紅葉に予てより考えていた事を打診する事にした。柱合裁判が開かれるまでの間、竈門に付いて任務にあたってほしい。一言で言えばそんな内容のものだ。

 新人隊士が最初に与えられる任務の多くは単独のものが多い。いくら烏がいるとはいえ、実績を証言するなら証人は複数いた方が信憑性があがる。という理由で紅葉に打診したのだが、予想通り二つ返事で快諾してくれた。

 そんな訳で、俺と美鶴殿は紅葉からの報告という名の弟弟子自慢が(したた)められた手紙を呆れつつも楽しみながら仕事に励む日々を送る予定──だったのだが。そうは問屋が卸さなかった訳で。

 そもそも予定とは大概、崩れるものなのである。

 

 

 

 10尺はあるだろう体躯の鬼。力が強いうえに腕も長く、遠くにいれば凪ぎ払われてしまう。だったらいっそ懐に入ってしまおうと、攻撃が止んだ一瞬の隙をついて一気に距離を詰めた。

 

「な゛?!」

 

──空の呼吸 漆の型 雷霆万鈞(らいていばんきん)

 

 濁音混じりの声を聞き流し、勢いを殺さぬまま下から刀を振り上げる。

 

「ぐぅっ!きさま゛ぁ゛っ!!」

 

 腰元から肩にかけて血を吹き出しながら体勢を崩した鬼。その首を斬るべく、俺は刀を握り直して重力に従い振り下ろした。

 ヒュンっという風を斬る音が聞こえた直後。

 

──ザンッ

 

 地面に転がった怒りと恐怖に歪められた顔が月明かりに照らされる。それを視界に入れながら、今回は血の採取は必要ないかと判断を下した。こういった特徴を持つ鬼は大して珍しくはない。

 頭部と胴体の全てが灰になったのを見届けて踵を返す。今日の任務はこれで終わりだった。

 待機していた隠に事後処理を頼み屋敷に帰ろうとしたところで僅かに聞こえた羽音に足を止める。

 やって来たのは一時的に紅葉と組んでいる烏だった。炭治郎が鬼を討伐したという連絡を先日受け取ったばかりだが、まさかもう二件目を終わらせたのか…いや、何か不測の事態でも起きたと考えるべきか。

 烏の脚にくくりつけられている手紙を受け取りすぐに開く。今夜は月が明るいから灯りが無くとも簡単に読むことができた。

 急いで書いたのだろう、少々がたついた文字を目で追っていく。

 

『炭治郎が愈四郎と接触した』

 

 …うん、確かにこれは不測の事態だ。手紙を届けた烏が飛び去って行く音を聞きながら考える。

 今日の炭治郎の任務地は浅草。そして珠世殿たちの今の住居も浅草だ。遭遇する可能性も零ではない。

 とはいえ、彼女たちだって一応鬼なのだ。隊士がどこにいるのかくらい簡単に察知できる。つまりこれはわざわざ接触する必要があったという事。

 だが理由は何だ?

 考えられるのは禰豆子だが、それなら紅葉も把握しているはず。何も書かれていないという事は紅葉もわかっていない可能性が高い。

 …いっそ向かうか。

 今夜はもう任務は入っていない。珠世殿の屋敷の場所も把握しているし、合流できるならそこで状況を聞いた方が手っ取り早い。

 そう結論付けた俺は一つ頷いてから浅草に向けて駆け出した。

 現在地からそう離れていないとはいえ、四半刻はかかる距離である。後ろから暁も追ってきている事を感じながら暫く走っていれば、前方から"にゃお"と猫の鳴き声がした。

 聞き覚えがあるなとそちらに視線をやれば、そこには俺に向かって爆走してくる茶々丸がいた。

 

「!」

「っ、茶々丸?」

 

 見つけた!と言わんばかりの勢いで飛び付かれて慌てて受け止める。そのまま間髪入れずに顔に肉球を押し付けてきた茶々丸に、これは呼ばれているんだろうなと瞬時に察した。とはいえそこまで急を要するものでもないのだろう。もし珠世殿や愈史郎に何かあったのなら、羽織を噛んで引っ張ったり活きのいい魚のようにびたびたと暴れまわったりと忙しない動きをするのだから、このにゃんこは。

 

「あー、わかったわかった。今から珠世殿の元に向かうから」

 

 ずっとぎゅむぎゅむ肉球を押し付けてくる茶々丸に声を掛ける。爪は出ていないし、そもそも口面をつけているから痛くはないが中々の圧だ。

 そんな茶々丸に承知した旨を伝えれば、ならばよしさっさと向かえ、と言うように身を捩って俺の腕から抜け出しこちらを見上げてきた。…うん、まあお前を抱えながらだと走りにくいからな。

 

「じゃあ俺は先に行くから。またな、茶々丸」

 

うに

 

 茶々丸から短い返事をもらい、俺は再び脚に力を込めた。

 

 

 

 目映い光に多くの人。

 浅草には久しぶりに来たが、夜も深いというのに相変わらず賑やかだ。…まあそれも大通りに限った話だが。

 鼻先を掠めた臭いに従って大通りから脇に逸れる。

 灯りが届かず暗闇が支配するその場には、濃い血の臭いが蔓延していた。

 

「──暁」

 

 バサリ、と肩に重みが増す。

 

「隠を呼べ。遺体の処理を頼みたい」

「ワカッタ」

 

 飛び立つ羽音を背後で聞きながら三人分(・・・)の遺体を確認する。男が二人に、女ものの着物が一人分。身体が残っていないのは血鬼術か、或いは別の要因か。

 周囲に鬼の気配は既にない。だがきっと、竈門が斬った訳ではないのだろう。遺体がここに残っているという事は、そういう事だ。

 複数の気配が近づいてくる。軍警でも一般人でもない。とても身近な、仲間のもの。

 

「空柱様」

 

 数人いるうちの一人から名を呼ばれる。俺も振り返りその声に応えた。

 

「いきなり悪かったな」

「いえ、問題ありません!」

 声を掛けてきた隠──後藤は、紅葉がかつて指導役に回ったこともある隠だ。その縁もあり任務外でも顔を合わせることが多かった。

 

「この辺りに鬼の気配はないが、念のため周囲を見てくる。四半刻経っても連絡がなければそのまま帰宅してくれ」

「承知致しました」

 

 遺体の処理を頼みその場を後にする。後藤に言った言葉に嘘はない。現場付近には(・・・・・・)確かに鬼の気配はないのだから。

 周囲を警戒しつつ本来の目的地へと急ぐ。

 近づくにつれ鬼の気配が濃くなってきた。珠世殿でも愈史郎でもない。人を食い続けている鬼のものだ。

 そして見えてきた屋敷の様子に思わず眉間に皺が寄った。

 いつもなら静かに気配を絶っているその屋敷は、今や土煙が上がりそれなりに悲惨な状態になっている。

 一先ず中に入るか、と塀に飛び乗ったところで愈史郎の声が聞こえた。

 

「──おい、鬼狩り!お前はまず矢印の男をやれ!」

 

 鬼狩り。

 俺の姿は視認していない筈。それに愈史郎は俺をちゃんと"一宮"と呼んでくれている。

 となればその呼称が示すのはたった一人だ。

 

「竈門が鬼と戦っているのか」

 

 ふむ、と塀から桜の木に居場所を移して考える。

 これは竈門の実力を見るいい機会なのでは?紅葉や鱗滝から話は聞いているが、やはり自分の目でも見ておきたい。

 よし、と一つ頷きより身を隠せそうな場所を探す。…あ、紅葉と烏発見。合流するか。

 

「──お疲れ、紅葉」

 

 と、と音を立てて紅葉が身を寄せている枝に降り立つ。

 直前で気配に気づいたのかばっと勢いよくこちらを振り返った紅葉に静かに声を掛けた。

 

「あおい…。来たのか」

「ああ。少し気になったし、茶々丸にも呼ばれたからな」

「そうか」

 

 そこで視線を前方に戻す。

 ちょうど竈門が男鬼に斬りかかるところだった。

 

「うわ…」

 

 鬼が竈門に手を向けた一拍後、何かに引っ張られるようにして竈門があらぬ方向に飛んでいった。空中で急旋回し木の幹や地面、塀に叩きつけられる。

 それを見た紅葉が思わずといった様子で声を漏らした。

 

「任意の方向に対象を飛ばす血鬼術か」

 

 厄介だな、と冷静に呟く俺に待機していたおそらく竈門付きの烏が物言いたげに視線を寄越す。

 助けに入らないのかと言外に問われている気がして、その小さな額を指先で擽った。

 

「危なくなったらちゃんと助ける。けどそれは今じゃない」

 

 あの子は強くならなくてはいけないんだ。この程度の鬼、自分の力で倒せなくてはすぐに死んでしまう。

 そんな会話を交わしている間も、竈門は空中で相手の術に翻弄されていた。

 

「あおいだったらどう対処する?」

「んー。まあ王道だが、まずは技を放って威力を相殺する。その後斬撃を飛ばして腕を斬り落とし、首を斬るかな」

「なるほど」

「術はおそらく掌から放たれてる。首を落としても腕が胴体と繋がっている限り警戒は怠れない」

 

 その事に竈門が気づけばいいが、今はそんな事を考えている余裕は無さそうだ。

 一度竈門から目を離し、もう一体の鬼へと視線を向ける。愈史郎と禰豆子で攻撃を仕掛けていたが、先ほど禰豆子は脚をやられていた。鬼とはいえ、人を食っていない以上回復には時間が掛かるだろう。

 再度竈門に目を向ければどうやら技を放って相殺する事に成功したらしい。この短時間で目覚ましい成長だ。

 そしてそろそろ片をつけるつもりなのだろう。鬼に向かって一直線に走っているが…あれは陸の型と参の型を組み合わせているのか。考えたな。

 

「炭治郎、成長したなぁ…」

 

 …隣で涙ぐみながら戦闘を見守っている紅葉は無視するとして。

 鬼に向かって跳躍し、弐の型を改良して横向きに水車を放つ竈門を見つめる。

 

「──斬ったか」

 

 鬼の首が宙を舞う。胴体が倒れ、頭部が竈門の前に転がった。

 そして斬った本人はといえば、何やら激昂した様子の鬼に向かって刀を構えているが…。

 

「…詰めが甘いなぁ」

「新人なんだ、無茶言わないでやってくれ」

 

 鬼が放った最期の術。死に物狂いで放たれたそれは、見ている限りこれまでで一番の威力を持っている。

 竈門の様子を見る限りそろそろ限界が近い。流石にこれ以上は酷か。

 

「行ってくる」

 

 一言だけ告げて下に下り、倒れている鬼との距離を詰める。

 

「まだまだ足りぬ…もっと…もっと…」

 

 鬼は俺に気づく事なく、まるで呪いのように恨み言を呟いている。頭に血が上っているのか、はたまた五感が機能していないのか。まあ、もうどうでもいいか。

 掌を腕ごと斬り刻んでから、転がっている頭部に刀を突き刺し機能を止める。鬼だろうが指令を出しているのは大抵脳だ。今回の血鬼術はそこを潰せば解けるだろう。ついでに血の採取もしておこうか。

 持っていた注射器を胴体の適当な場所に刺し、上空で血鬼術から解放された竈門の落下地点に移動する。

 受け身も取れていない竈門がこのまま地面に叩きつけられたら無駄な怪我が増えるだけだ。

 なるべく衝撃を抑えて降ってきた竈門を受け止める。その際手から離れた刀を代わりに拾い、腰に差している鞘に納めてやった。

 

「ヒュ…ぁ、ぇ…だれ、ですか…?」

 

 いきなり現れた見知らぬ男(口面付き)に驚きが隠せないようで、大きく目を見開いた竈門が呆然と尋ねてくる。呼吸音が浅く不自然だが、これは折れてるな。腕と脚は無事か。うん、軽傷だ。上等上等。

 

「直接会うのは初めてだな。俺は一宮あおい。兄姉弟子から聞いていないか?」

「い、ちみやさん…禰豆子の…?」

「ああ」

 

 竈門を抱えたまま途中で注射器を回収し、更に歩みを進める。それに「えっ、あの」と慌てた声が聞こえたが、構う事なくもう一体の鬼の元へと向かった。

 さっきから凄まじい打撃音がするんだが、一体どんな戦闘を繰り広げてるんだ。

 そんな疑問を抱きつつ、珠世殿がいる以上最悪の事態にはなっていないだろうと余裕を持って現場へと向かう。

 

「…随分と激しい蹴鞠だな」

「ね、禰豆子…」

 

 辿り着いた先で目にしたのは、禰豆子と女鬼の蹴鞠の勝負。ただし、下手に混ざれば先程の禰豆子のように一瞬で脚が吹き飛ぶ威力の、だが。

 おっかなびっくり妹の名を呼ぶ竈門は大分呼吸が落ち着いてきている。とりあえず下ろすか。

 一声掛けてから竈門を隣に座らせると、久々の地面との再会に安堵の息を吐いていた。

 それにしても、やはり鬼同士の戦いは決定打に欠ける。日輪刀と日の光しか弱点がないから仕方がない事ではあるが。

 …あと少しで日が昇る。蹴鞠の決着も着いたしそろそろ斬るか、と日輪刀に手を掛けたところで珠世殿が前に出た。

 

「貴女は、鬼舞辻の正体をご存知なのですか」

 

 毅然とした態度で問われた内容に、そして後に続く言葉に女鬼は動揺し声を荒げる。

 己の仕える主を侮辱されれば当然の反応ではあるが…恐怖心も垣間見えるな。鬼舞辻は恐怖政治でも築いてるんだろうか。とすれば愚策もいいところだが。

 俺が鬼舞辻に関して思考を回している間にも会話は続いていく。

 そしてついに、その時が来た。

 

「っ!!!」

 

 女鬼が鬼舞辻の名を呼んだその瞬間、空気が凍った。

 

「──その名を口にしましたね?」

 

 呪いが、発動する。

 顔を青褪めさせ、必死に許しを請う様は非常に哀れで痛々しい。だが…己の情報を漏らした下位の鬼を生かしておくほど、鬼舞辻の器は大きくないようだ。

 眼前で繰り広げられるその仕打ちに、自然と顔に力が入る。相変わらず惨い事をする。

 けれど俺たちは決して目を逸らしてはいけない。鬼を狩る者として、その末路を見届ける義務があるのだから。

 女鬼の体内から生えてきた腕が、その宿主の身体を蹂躙する。

 

「死んでしまったんですか…?」

「まだ生きてる。…あんな状態になってもまだ、死ぬことは叶わない」

 

 俺たちは風上にいたから珠世殿の術の影響はないし、その術ももう消えた頃だろう。そう判断し竈門とともに近くに寄れば、青筋を浮かべた愈史郎が駆け寄ってきた。

 

「来るのが遅い!!」

「悪かったよ、こっちもいろいろあったんだ。あと竈門兄妹がいたから暫く静観させてもらっていた」

「!珠世様!やはりこのような不誠実な男は信用なりません!出禁にしましょう!」

「止めなさい、愈史郎。一宮さん、お呼び立てしてすみません。できればこの後話がしたいのですが、お時間大丈夫ですか?」

「近くに待機している隠に指示を出してくるので一旦離れますが、その後でもよければ」

「もちろんです」

「ではまた後程」

 

 手早くやり取りを終えて待機していた紅葉と烏たちを呼ぶ。竈門は…珠世殿たちに任せよう。

 やって来た紅葉と烏たちに事後処理や報告についての指示を出す。もうこの屋敷に住めないとはいえ、夜が明けてしまっては珠世殿たちは移動できない。事後処理は早くとも明日以降になるだろう。

 

「竈門」

 

 すべての指示を出し終えた頃には日が昇り始めていた。

 日に当たれない三人は屋敷に入ったのだろう。既に姿はない。

 

「…はい」

 

 こちらを向かずに静かに返事をする竈門にひとつ息を吐いた。

 

「救いがないと思うか」

 

 俺の言葉にぴくりとその小さな肩が揺れる。

 

「鬼となった者たちは既に人の理から外れている。…人として死んでいるにも関わらず未だに還る事が赦されない。鬼とはそんな存在だ」

 

 地面に転がる鞠と着物に目を向ける。この鞠は血鬼術で出していたものだから、もう暫くすれば消えるのだろう。

 

「だから竈門、鬼を斬る事を躊躇うな。救いがないと、哀れだと思うのなら尚更。これ以上穢れを纏わぬようにさっさと終わらせてやるのも、一種の救いになるのだから」

 

 強くなれ。心を折るな。すべてを己の力に変えろ。

 お前は今後、鬼殺隊に吹く新しい風の中心となるのだから。

 

 

 

 珠世殿たちと合流し、竈門が禰豆子とともに歩む事を再度決意した。

 

「じゃあな。俺たちは痕跡を消してから行く。お前らはさっさと行け」

「はい。それでは、珠世さんも愈史郎さんもお元気で。一宮さんも、ありがとうございました」

「ああ」

 

 元気よく走って行った禰豆子を追いかけようとする竈門を愈史郎が呼び止める。

 

「…お前の妹は、美人だよ」

 

 顔を背けながら発されたその言葉に俺は思わず目を見張ってしまった。

 だってあの、「珠世様以外は全てその辺の石ころと同等。珠世様が至高」と思っている愈史郎がだ。わざわざ呼び止めて美人だと形容したんだぞ。これが驚かずにどうしろと。

 俺がいない間に色々とやり取りがあったんだな。友人ができたようで何よりだと、誰目線かよくわからない感想を抱く。

 竈門が年相応の笑みを見せ去って行き一息ついたところで、俺はやっと今回の詳細を知ることとなった。

 

「そうか、鬼舞辻が…」

 

 路地裏にあった三人分の遺体を思い出す。食われた形跡がないと思ってはいたが、鬼舞辻本人が殺している可能性があったとはな。

 …竈門は鬼舞辻の顔を見ただろうか。記憶が残っているうちに人相描きを作りたいんだが…。まあ、最悪俺が見れば(・・・)いいか。

 

「次の引っ越し先ですが、麹町辺りにしようかと思っています。詳しい場所はまた数日後に…」

「珠世殿」

 

 続いていた言葉を遮り彼女の名を呼ぶ。その事に愈史郎がまた凄い顔で俺を見てきた。

 

「一宮!お前珠世様のお言葉を遮るとはどういうつもりだ!」

「愈史郎」

「はい!珠世様!」

「いや、先に礼を欠いたのはこちらです。申し訳ない」

「いえ、気にしていませんので…それで、どうしました?」

 

 小首を傾げて問いかけてくる珠世殿とまっすぐ目を合わせ、口を開いた。

 

「住居を産屋敷家の別邸に移す気はありませんか」

 

 濃い紫色の瞳が大きく見開かれる。

 

「そこならば周りの目も気にせずにもっと落ち着いて研究する事ができる。俺たちも守りやすいし、どうでしょう」

 

 愈史郎は何も言わない。珠世殿の判断に従うという事だろう。まあこの男は何があっても珠世殿に逆らう事はないだろうが。もしそんな事が起きたら天変地異の前触れだから是非とも止めてもらいたい。

 閑話休題(それは一旦脇に置いておいて)

 少しずれた思考を元に戻す。珠世殿は変わらず瞳を大きくしたまま声を発した。

 

「よろしいのですか…?」

「ええ。実は少し前にお館様より提案されていたんです。なので、珠世殿と愈史郎が嫌でなければ是非」

 

 俺の返答を受けて一度顔を伏せた珠世殿だったが、すぐにまっすぐとした強い眼差しで俺を見据えてきた。

 その視線に、俺も自然と笑みが浮かぶ。

 

「その提案、ありがたく受け取らせていただきます」

「承知しました。では夜に迎えに来るのでそれまでに荷物を纏めておいてください」

「はい。ありがとうございます」

「では。愈史郎も、また後でな」

「ふんっ。さっさと帰れ」

 

 相変わらずの物言いに笑いながら二人に背を向ける。

 一度屋敷に帰宅して湯を浴びてから産屋敷邸に向かおう。鬼舞辻と、竈門と、珠世殿の件をそれぞれ報告して、別邸の準備も手配しなくては。 あとはそこに張る結界の準備も。今回はどんな作用にするべきか決めておかないとな。

 今日も今日とてやることが多い。愈史郎の言うとおりさっさと帰ろうと、朝日が照らす浅草の町を一人進んでいく。

 昨夜の喧騒とは正反対の、静かで爽やかな朝だった。

 

 

*****

 

 

 竈門と正式に顔を合わせてから幾分か日にちが経った頃。任務先で隠から柱合裁判が開かれると伝令を受けた。

 

「そうか。伝令ご苦労」

「はい。では失礼致します」

 

 竈門が任務に出始めてから約一月。遂に存在が他の柱にバレたか。紅葉からは暫くの休養の後に那田蜘蛛山の任についたと報告が上がっていたが、そこで誰かと鉢合わせたかな。

 柱合裁判が開かれるのは明日──もう日付が変わっているから今日か。どちらにしろ、今から移動すれば裁判前には間に合うが、可能なら始まる前にあまねと話がしたい。少し急ぐか。

 事後処理をしてくれている隠に後を頼みその場から走り去る。紫電一閃の足運びでいつもより走る速度を上げていれば、上空で暁が旋回しているのが見えた。

 

「暁」

 

 一度足を止めて呼び掛ける。腕を差し出せばバサリという羽音とともに暁がやって来た。

 

「アオイ、オ館様カラ伝言」

「ほう。耀哉は何だって?」

「"出来レバ助ケニナッテアゲテホシイ"ダッテ」

「…ふ、承知した」

 

 今日の裁判の行方を想像し思わず苦笑が漏れる。多くの柱が反対するだろうが、耀哉の意志は変わらない。むしろその反対意見をうまく利用して丸め込むくらいは普通にするだろう。俺も一枚噛んでるから人の事は言えないが。

 それにしても。

 

「最初からそのつもりではあったが、耀哉直々に頼まれると八百長感が強いな…」

「ソレハ言ワナイオ約束ー」

 

 暁の呑気な声が人のいない畦道によく響いた。

 





・不意打ちでお泊まりする事になって動揺した男(27)
 祝言を上げるまで手は出さないと宣言したし本当にそのつもりではあるけど、だからと言って全面的に信頼されるとそれはそれで複雑。隣で鯉夏が安眠してる間、どこまでなら許されるだろうって疲れた頭で考えてた。既に顔にキスしてるんだからちゅうくらいしてもいいんじゃないですかね(適当)。それはそれとして、会う度にご祝儀渡そうとしてくる友人をどうにかしたい。


・ずっとにこにこしてた可愛いひと(19)
 勇気を出して本名を聞いたら教えてもらえてとても嬉しい。ちゃんと約束は守るけど、言われた理由が全てではないんだろうと察してる。
 女として見られていない疑惑もあったから、動揺してくれて満足。過去に何度か己の言動でオリ主が動揺しているとは露程も思っていない。


・赤飯炊いて祝った隠夫婦
 いつも帰ってくる時間に帰ってこない…これはもしや…?え、どうしようお赤飯でも炊く?!ってなテンションから朝一でお赤飯を炊いた。美味しかった。
 オリ主の恋が成就して嬉し泣きした夫と、にっこにこ笑顔で恋バナしましょう!と誘う妻が爆誕する。空屋敷は大変愉快な職場です。


・報告を受けて即ご祝儀を包んだご友人(23)
 身請けを決めた?そう、それはめでたいね。ちょっと待ってね…はい、これご祝儀(お給料と同額)。を会う度にやるお館様。受け取ってくれるまでやめるつもりはない。
 詳細は前編のおまけをご覧ください。


・血鬼術が急に消えたと思ったら知らない人に抱き止められた新人隊員(15)
 人生で初めて繁華街に行ったら人酔いしそうになるし、家族の仇を見つけるし、鬼にされた人を助けようとしたら鬼に助けられるし、襲撃されるし…と正直目が回りそう。とどめは確実にオリ主が刺した。
 この後の任務でキャラの濃い同期と顔を合わせることになる。
 尚、初任務の時から兄弟子である隠が側についている事には気づいていない。



ーーーーーーーーーー
以下補足&あとがき

 あおいは鯉夏といると知能指数が低下してますね。可愛いしか言ってない。まあ言わせてるの私なんですけど。
 それにしても、ここ書いてて凄く楽しかったです。思わぬ方向に話が進んだので自分でもびっくりしてますが。
 自分が優位だと思ってたら一気に劣勢に追いやられるという大変レアな空柱様ですが、お察しの通りこの人余裕がありません。必死に耐えて余裕があるように見せかけていますが、鯉夏に関しては不意を突かれるとがらがら音を立てて崩れ落ちちゃうという残念仕様です。逆に鯉夏は常にドキドキして顔も赤くなっちゃいますが、あおいが動揺し始めるとそれを楽しむ余裕が出てきます。だって経験値が違うもの、仕方がないね。
 今後あおいはときと屋に毎月泊まることになります。一回も二回ももう変わらないので。巡回任務が重なってたら先に終わらせてからときと屋に行きます。帰ると紅葉と美鶴はによによしながら出迎えてくれる予定です。
 それはそうと、キスはありなんだろうかと作者自身わからなくなってきてるんですが、どうなんですかね?手を出すってどこからアウトなんだ…本番しなければOK?誰か教えてくれ…。

 禰豆子への試験をここでやるべきか結構迷ったんですが、原作で宇髄さんが言ってたように庇うなら証拠は必要だよな、と思いこういう展開にしました。それでもやっぱり納得しない柱はいるだろうから、その時は原作通りの流れになるかもしれませんね。

 そして皆さん。大変お待たせいたしました、待ちに待った主人公の登場ですよ!思ったより喋ってないしちょっと影薄いけど主人公!いる!書けた!
 …ごほん。失礼、ここまであまりにも長すぎてちょっとテンションおかしくなりました。
 いやでも本当に長かったですね…。何話か前で「主人公登場まであと3、4話」とか言ってて嘘じゃん?って一人でなってたんですよ。
 ちなみに当初の予定では、あおいはここは見てるだけで助けには入らなかったし、初顔合わせは柱合裁判だったんですがなんでかこういう流れになりました。それに伴い浅草編が長くなり途中で話を切り上げたという…。本当に謎。
 あ、矢琶羽と朱紗丸が炭治郎たちを襲撃した時、あおいは路地裏で隠の到着を待っていました。鬼舞辻とはニアミスだったわけです。惜しかったですね。
 そうそう。紅葉が炭治郎と愈史郎が接触した理由を知らなかったのは、禰豆子と一緒にうどん屋さんで炭治郎の事を待っていたからです。うどんの代金もちゃんと払ってますし、ちゃっかり一杯頂いてます。

 ここにきてやっと空の呼吸の型が一通り出てきたので、ここらで改めて紹介しようと思います。詳細は一番下に載せますので、興味がある方は見てみてください。ざっくりいうと全部で七つ型があり、一応全て空に関する四字熟語が元になってます。



 さて、次回は遂に柱合裁判が始まりますが、ここで遂に話のストックが切れました!更新はいつくらいかと聞かれたら一ヶ月後くらいかなとお答えしますが、もう少し延びるかもしれません。話の大まかな流れは決まってるんですが、最近キャラが勝手に行動するので修正が入る可能性が高くて…。遅筆で申し訳ありませんが、頑張って書きますのでお待ち頂ければ幸いです。

 ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました!
 また次話でお会いしましょう!


*****


・壱の型 紫電一閃(しでんいっせん)
 事態の急激な変化の形容。研ぎ澄まされた剣をひと振りするとき、一瞬ひらめく鋭い光の意から。「紫電」は研ぎ澄まされた剣をひと振りするときにひらめく鋭い光。「一閃」は一瞬のひらめき。さっとひらめくこと。
 →雷の呼吸 壱の型を参考にした居合い技


・弐の型 行雲流水(こううんりゅうすい)
 雲や水のように決まった形がなく、自然に変化すること。物事にとらわれず、平静な心で自然のままに生きること。
 →相手の攻撃に合わせて防御する


・参の型 黒雲白雨(こくうんはくう)
 黒い雲に覆われ、激しい雨が降ること。激しいにわか雨。
 →空中にいる際によく使う。上から複数の斬撃を繰り出す


・肆の型 迅雷風烈(じんらいふうれつ)
 激しい雷と猛烈な風。事態が急激に変わるさま。行動が素早いさま。「迅雷」は天地をとどろかす激しい雷鳴。「風烈」は激しく吹く風で、「烈風」に同じ。
 →高速かつ連続技。縦横無尽に走り敵を混乱させる


・伍の型 風起雲湧(ふうきうんゆう)
 様々な物事が絶えずに起こり続ける様子。または、激しい勢いがある様子。
 次から次へと風が起こり、雲がわき続ける様子をいう。「風のごとく起こり雲のごとく湧く」とも読む。
 →複数の斬撃を飛ばす中遠距離攻撃


・陸の型 光風霽月(こうふうせいげつ)
 心がさっぱりと澄み切ってわだかまりがなく、さわやかなことの形容。日の光の中を吹き渡るさわやかな風と、雨上がりの澄み切った空の月の意から。また、世の中がよく治まっていることの形容に用いられることもある。「霽」は晴れる意。
 →月の光(太陽の光)を反射し刀身が光る。そのためか傷口には痛みが走りなかなか再生しない。ちなみに月が見えないと効果がない。


・漆の型 雷霆万鈞(らいていばんきん)
 他の比ではないほどの激しい勢いや力のたとえ。「雷霆」は雷が轟くこと。「鈞」は重さの単位のことで、「万鈞」は非常に重いこと。
 →相手の懐に入って下から斬り上げる。


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