ARIA The NAVIGATIONE 異世界に転生して麗しの水先案内人と過ごすスローライフ♡ (neo venetiatti )
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第1話 勘違い女神と偶然の奇跡

溺れていた。

間違いなく、おれは溺れていた。

どこにも掴めるところがなく、身体はいうことがきかない。

あらぬ方向へと回転してしまい、上下左右ともがきまくっていた。

 

だが、そんな状況の中であることに気がついた。

ひとつの方向から光が差し込んでいた。

おれは必死にその光を目指して泳いだ。

 

人が見たら泳いでいるようには見えなかったろうが・・・

 

それだけ、とにかく必死だった。

その甲斐あってか、少しずつ光の方に近づいているようだった。

すると、誰かが語りかけるような声が聞こえてきた。

とても優しそうな、慈悲深いその声に導かれるように、その光の方向に向かって進んでいった。

そしてついに水面から顔を出すことに成功した。

 

必死になって水面に飛び出した。

苦しい状況の中、その先にぼんやりとだが女性がひとり、なんだか豪華な造りの椅子に座り、脚を組んだ膝の上で頬杖をついて、こちらを見ているのがわかった。

いや、眺めていた。

 

「あらあら、大丈夫?」

「ゲホッゲホッ」

「少し落ち着いたかしら?」

「いや、この状況を見れば、わかると思いますけど・・・ゲホッゲホッ」

「そうなのね。じゃあ少し待ちましょうか?」

 

とぼけているのか?

それともおちょくっているのか?

 

まるでこの世に生きているように思えない、現実感の乏しい話し方。

というか、目の前の状況を見て、なんでそんなに落ち着いているんだ?

こっちは、さっきまで溺れる寸前だったというのに。

 

「もう落ち着いた?」

「落ち着いたところまではいきませんが、まあ、なんとか・・・」

「それはよかったわ」

 

その目の前の女性はふわりと浮かんだシースルーの衣を身にまとっていた。

そう。それはまるで天女の羽衣という表現がピッタリだった。

金色に輝く長い髪が、その美貌をいっそう引き立てている。

 

その美貌の持ち主は、優雅に脚を組み換えると、少しため息をもらした。

 

「それでね、早速なんだけど」

「あの~」

「ん?なんなのかしら?」

「話の腰を折って申し訳ないのですが」

「いいわよ。どうぞ」

「とりあえずこの状況を説明してほしいわけなんですけど」

「あら?そうだった?」

「そうなんです!今さっき、水の中から出てきたところなんです!しかも、溺れそうだったんですよ!」

「まあ、それは大変だったわね」

「大変すぎます!」

「生きていれば、そんなこともあるものよ♡」

「こんなこと、そうちょくちょくはありませんよ?」

「そうなの?」

「そうです!少なくともおれの人生では!」

 

すると、その美貌の主は何かを思い出したように、はたと何かに気づいた表情に変わった。

 

「ごめんなさい。わたし、訂正しなければならないことを思い出したの」

「訂正?」

「そうなの。言っていい?」

「べつにいいですけど」

「生きていればそんなこともあるって言ったのだけど、実はあなた、もう死んでるの」

 

実にあっさりしていた。

人がひとり死んでいることを告げるのに、こうもあっさりという人を、これまでの人生で見たことがない。

 

いったいなんなんだ?この人は!

 

だが、ふと思った。

このシチュエーションは、これまでに何度か見たことある気がする。

アニメだとかラノベだとかで、よく出てくるシーン。

もし、おれの直感がそれを告げているのなら、目の前にいる人は人ではないはず・・・

 

「死んでるって、どういうことなんですか?」

「言葉の通りよ。お前はもう死んでいる!」

 

自分で言っておきながら、顔を赤らめていた。

 

「エ、エヘン!」

 

咳でごまかそうとしていた。

でもなんだか、ちょっとかわいい。

 

「覚えてないの?」

「だって、いきなり死んでいるって言われても」

「それはそうねぇ。いきなりだったものねぇ」

「いきなりだったんですか?おれが死んだのって」

「そうねぇ。たまたま」

「た、たまたま?」

「悪い偶然が重なってしまったのね」

 

絶句してしまった。

突然死んだと聞かされ、その上悪い偶然が重なったと。

しかも、たまたまだと?

いったい、たまたま重なる悪い偶然てなんなんだ?

おれの人生て、そんなことで終わりを告げたというのか?

 

「ごめんなさい。謝罪します」

「えっ?どういうことですか?なんであなたが謝らなきゃならないんですか?」

「だって、手違いで・・・」

「て、手違い?」

 

聞き捨てならない言葉が出てきた。

 

「大体あなたは誰なんですか?さっきから死んだの手違いだの、人の人生を弄ぶようなことを言って!」

「弄ぶなんて、人聞きの悪いこと言うのはよくないわよ」

「言っているのはあなたの方でしょ?」

 

その女性は、少し斜め上の方に目線を向けた。

 

「そんなこと、私が言うなんてこと・・・ホンマや!」

 

開いた口がふさがらないとは、上手く表現した人がいたもんだ。

 

「一度言ってみたかったの♡」

 

その美しい顔がとてもはにかんでいた。

 

「ちなみに、満足されたんですか?」

「ウフフフ」

「笑ってるよ、この人」

 

だが、その女性はこれまた予想通りといえるような言葉を、何事もなかったように不意に口にした。

 

「私は女神アリシアーネといいます」

「女神って・・・」

「意外でした?」

「ちょっと予想してたようなところはありますけど」

「ええー?そうなのー?それはちょっとショック」

「あっ、いえ、その~、そんなことないような・・・」

 

なんでこっちが気を使わなければいけないんだ?

そう思いながらも、なぜかそう言いたくなってしまったわけなんだが・・・

 

「つまり、あなたはこれまでいた世界で最後の時を迎えた。そういうことになるわ」

「ということは、ここは天国?」

「だとよかったわね」

「じゃあ地獄なんですか?」

「というわけでもないの」

「はぁ?」

 

掴み所のない話だ!まったく!

 

「ねぇ」

「なんですか?」

「なんか顔が怖いのだけど」

「そりゃそうなりますよ!」

「でも、もうちょっと付き合ってね。これからが大事なところだから」

「わかりましたよ」

 

彼女、女神アリシアーネはこう言った。

「あなたはサン・マルコ広場の大鐘楼から、頭から真っ逆さまに転落したの」

 

ちょっと待ってくれ。

なんでそんなところからおれが?しかも頭から真っ逆さま?

 

「覚えてないの?」

「はい」

「ホントに?」

「ええ」

「おかしいわねぇ」

 

女神アリシアーネは、考える人のポーズそのままに頭をかしげていた。

 

「ほら、あなた、先輩のことが好きだったでしょ?」

「ほらと言われても・・・」

 

先輩という言葉を耳にした瞬間、突然記憶が甦ってきた。

そして、正に糸を手繰り寄せるように、次々と過去の記憶が甦ってくる。

まさに走馬灯のように。

 

「ね?」

 

納得したように女神アリシアーネは、その美しい顔に優しく慈悲深い微笑を浮かべた。

 

「でも今から考えても、やっぱり変よね?」

「はぁ?」

「だって、あなた、なんであんなところにいたの?」

「なんでって言われても・・・」

「ホントに覚えてないの?」

「なんとく思い出してきたようなんですけど」

「そういうところよね?」

「えっ?」

「だから、そういうところがあるから、こんなことになったんじゃない?」

「おれのせいだっていうんですか?」

「あなたのそういう優柔不断なところが、こういう事態を招いたんだわ」

「なんかこの人、だんだん印象が変わってきた」

「なに?」

 

アリシアーネは、どう見ても不服そうな顔になっていた。

さっきまではすまなさそうにしてたのに・・・

 

「私ね、これまでミスをしたことがなくて有名だったの」

「そうなんですか」

「なのに今回ついにやってしまったわ」

「それはご愁傷様で」

「どうしてくれるの?」

「そう言われてもおれには関係が・・・」

「ないの?」

「あるんですか?」

 

そう言うと今度は、シュンとしてしまった。

 

「仕方がないわ。起こったことは起こったこと」

「結構割りきりが早いんですね」

「そうかもね。だから」

「だから?」

「だからてっとり早く終わらせましょう」

 

アリシアーネはキリッと表情を変えた。

 

「あなた、ヴェネツィアが好きなの?どうなの?とりあえずそこんところをハッキリとさせておきましょう」

「あ、あのですね?さっきから聞いてると、アリシアーネさんが一方的に話してるだけで、結局ちゃんとした説明をしてもらってない気がしますよ?」

 

アリシアーネはわざとらしいくらい、大きなため息をついた。

 

なんか、こっちが悪いみたいに感じてしまう。

おかしい。

 

「しょうがない子ね」

「子?」

「ちゃんと聞いてるのよ」

「わかりましたよ」

 

納得いかない展開だが、いい加減早く終わらせたい気分になってきていた。

こんな人、いや、こんな女神に付き合っていてどうなるんだろうと。

 

「あなたはね、ヴェネツィアの大鐘楼から真っ逆さまに頭から落ちたの」

「それは聞きました」

「なぜだと思う?」

「だからそれをですね?」

「あなたが片思いをしていた先輩からもらったペンダントを落としたからなの」

 

ペンダント。

そう言えばそんなことがあったような・・・

 

「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を最上階の展望室の窓からからぼんやりと眺めていたまさにその時、あの大きな鐘楼が鳴り始めた!」

 

あっ!確かにそんな感じだったような・・・

 

「それに驚いたあなたは、手に持っていたペンダントを空中高く放り投げた!」

 

えっと、そうだったかなぁ・・・

 

「それが運悪く、落下防止の金網の隙間から外へと飛び出した!」

 

落下防止の・・・

 

「普通ね?落ちないようにと落下防止の金網ってあるのよ?そこでなんで落とすの?どういうことかしら?ねぇ?教えてくれる?」

 

思い出した。

いきなり鐘楼が鳴り出して、あまりの大きな音にビックリしたっけ。

 

「すみません」

「今さら謝ってもらっても仕方がないわ。問題はその後よ。あなた、その金網を突き破って外に出ようとしたでしょ?なんでそんな無茶なことしたの?」

 

そこは覚えてなかった。

突き破った?金網を?そんなバカな・・・

 

「ちょうど老朽化がひどくて、変えないといけないタイミングだったとしてもよ?」

 

あれ?

ちょっと待て。

 

「それって、おれの責任じゃないですよね?間違いなく、そこを管理しているところの責任ですよね?」

「あなたがそのタイミングでそこにいて、大事なペンダントを放り投げたりするからよ」

 

屁理屈もいいとこだ。

こいつ、ホントに女神なのか?

なんか怪しい。

 

「だけど、その時に聞こえたの」

「聞こえた?何がですか?」

「あなたの心の声」

「心の声ってなんなんですか?神通力か何かなんですか?」

「違うわ。あなたはこう言ったの。神様女神様ぁ~~!どうか助けてぇ~~!って」

「そんなこと言ったのか・・・」

「あなた、大体なぜヴェネツィアへ行ったか覚えてないんでしょ?」

「まあ、そうですねぇ」

「あなたが好きだった先輩が、ヴェネツィアのファンだったからでしょ?だから一度そこへ行ってみたいとなったわけじゃない?」

「そんな理由だったのか・・・」

「だから、勘違いしてしまったでしょ?」

「えっと、それはそういう・・・」

 

アリシアーネさん?

なんかさっきまでの威勢の良さはどうなったんですか?

 

「勘違いとおっしゃいますと?」

「だからぁ~先輩大好きぃー!という気持ちを〈ヴェネツィアのことが大好きぃー!〉と聞き間違えたの!」

「はぁ?」

 

いったいこの人は、いや、この女神は何を言っているんだ?

 

「だってしょうがないじゃない?命を投げうってでもそこまで思い詰めてるなんて、この女神アリシアーネとしては放っておけるわけないでしょ?」

 

アリシアーネは、少し頬を赤くしながら言ってのけた。

おれはといえば、ため息ををつくしかなかった。

 

「つまり、アリシアーネさんが勘違いしたことで、おれは命拾いしたということですか?」

「まあそうとも言うかしら?」

 

アリシアーネはにっこりと微笑んだ。

 

「でも死んだのよ?あなたも勘違いしないでね♡」

 

なんか一気に力が抜けてしまった。

 

「それでこれからどうなるんですか?」

「そこなの」

「で?」

「もう手続きしちゃったの」

「なにをですか?」

「転生手続き」

「転生手続き?」

「だってそこまでヴェネツィアに恋い焦がれていた人を、ヴェネツィアを見守り続けた女神として放っておけなかった」

「違いますよね?」

「そこはおいおいと」

「わかりました!それで?!」

「それでね、あなたにうってつけの場所があるの。是非そこを第二の人生を過ごす場所にすればいいんじゃないかと思って」

「どこなんですか?」

「ネオ・ヴェネツィア」

「ネオ?ヴェネツィア?なんですか、それ?」

「未来のヴェネツィアなの」

「未来って、将来そういう名前に変わるんですか?」

「違うわ」

「違うって?」

「アクアのヴェネツィア。そこがネオ・ヴェネツィア」

「アクア?」

「惑星アクアよ。火星を大改造してテラフォーミングした、人類の叡知がつまった水の惑星。それがアクア」

「火星って、まさかあの火星?」

「他に火星ってあったかしら?」

 

やっぱりこの女神は大丈夫なのか?

いきなり火星だと?

しかもヴェネツィアにネオなんてつけたりして・・・

マンガの読みすぎか?それともラノベか?

ファンタジーにも程がある。

 

「そこには私のかわいい後輩たちがいるから、一度訪ねてみるといいわ。なんだったら色々と相談してみるのもいかもね」

「はいはい。わかりました」

「ふーん」

「なんですか?」

「その感じだと信じてないわね?」

「まあ」

「じゃあ元に戻る?」

 

アリシアーネがそう言った途端、おれは大鐘楼から真っ逆さまに落ちている真っ最中になっていた。

 

「わかりました!」

「よかったわ。わかって頂けて」

 

目を開けると、また元の場所に戻っていた。

 

「偶然とはいえ、あなたはもう一度人生をやり直すチャンスを与えられることになった。それを生かさない手はないわ。でしょ?」

「確かにそうとも言えます。本当はあそこで死んでいたんなら、ありがたい話です」

「そうよね?じゃあこのおまじないを唱えて?」

「おまじない?」

 

女神ウンディーネの手には、長く金色に輝く船をこぐオールのよう長い棒が現れた。

そして目を閉じると、こういい始めた。

 

「ムラーノ、ブラーノ、フローリアン!」

「な、なんですって?」

「言わないの?」

 

優しい笑顔の向こうに抵抗できない圧を感じた。

 

「わかりました!言えばいいんですね?」

「そうよ。人は素直なのが一番よ」

「僕はまだ人なんですね」

「細かいことはいいから」

「は、はい!」

 

えーいっ!

どうにでもなれ!

こなったら、そのネオ・ヴェネツィアってのを見てみようじゃないか!

 

「ムラーノ、ブラーノ、フローリアンっ!」

「よく出来ました♡」

「ちょっと!なんでアリシアーネさんは言わないんですか?」

 

女神アリシアーネは、ちょっと頬をピンク色に染めた。

 

「だって、恥ずかしいじゃない?」

 

その言葉が最後だった。

目を覚ましたおれは、その街に再び降り立った。

いや、それは勘違いだった。

そこは来たことのあるヴェネツィアとはそっくりだったが、まったく違う街だった。



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第2話 妖精の後輩たちとの出会い

 

なんだかとても気持ちよかった。

 

ふわりと浮かんでいるようで、それでいてゆらゆら揺られているようだった。

赤ちゃんて、もしかしてお母さんのお腹の中ではこんな気持ちなんだろうかと、ふと頭の中をよぎっていた。

 

うっすらと目を開けてみた。

そこで今まで眠っていたことにようやく気がついた。

なんだったら、しばらくはこのままでもいいかなんて気持ちにもなっていた。

 

青い空とぽっかり浮かんだ白い雲。

心地いいそよ風がどこまでも流れていくようだった。

 

揺られていると感じたのは、舟の上にいるからだとわかった。

水が舟に当たる音だけが聞こえている。

 

でもなんでこんなことに?

そう思ったが、すぐに撤回した。

しばらくはそんなことを考えたくないくらいの心地よさだった。

 

だがそんな心地よさは、騒がしい声たちによっていきなり遮られてしまった。

どこからか女の子たちの賑やかな会話が聞こえてきた。

 

「あわわわわわぁー!」

「あのねぇ、あんたはいったいどんだけセリフの中に“わ“を入れたら気がすむの?」

「でっかい狼狽です」

 

確かに誰かが言った狼狽という言葉の通り、なんか相当焦っている様子が伺えた。

ひとりだけの様なのだが・・・

 

「どうしよう~~藍華ちゃ~~ん!」

「だからいつも言ってるでしょ?ウンディーネたるもの、最後の最後までちゃんと仕事をしてこそ一人前だって」

「灯里先輩?昨晩はちゃんと確認したんですか?」

「したはずなんだけど・・・」

「したはずってねぇ、あんたはいつもながら、どうしてそうなの?」

 

三人の会話みたいだ。

中のひとりは、なんだかとても困っているのだろうと理解できた。

だが、あとのふたりはなぜかそれに反して冷静な感じだった。

というより、いつものことだと言いたげな、呆れた様子に聞こえた。

 

気になってきた。

いったいどんな女の子たちなんだろう。

少し頭をもたげてチラッと覗いてみた。

 

彼女たちは、ここから少し離れた先にある建物のところにいた。

いや違った。

その建物は、まるで水の上に浮かんでいるようだった。

左右に長く続く海岸線から海に突き出たところに、その小さな建物はあった。

 

ん?海岸線?海?

そうだ。おれは海に浮かんだ舟の上で揺られていたわけだ。

それをわかった途端、急に不安になってきた。

さっきまで溺れていたような感覚が不意に甦ってきたからだ。

 

だが、一方で賑やかに会話している女の子たちのことも気になっていた。

いったいこの状況はなんなんだろうか。

何が自分に起こっているのかを知る必要もあった。

 

「でも藍華先輩?これちょっと見てください」

「何よ後輩ちゃん?なんかあった?」

「ほら、これです」

「ん?ぬな?」

 

建物の前には小さい船着き場があり、そこには一艘のゴンドラが留まっていた。

そのゴンドラの少し隣で、緑色した長い髪の少女がしゃがみこんでいた。

そしてそのそばでは、青い髪をショートにした女の子が両手を腰に据えて、不思議そうに覗き込んでいる。

問題のもうひとりは、デッキの上で口をだらしなく大きく開け、冷や汗をかきまくって、どうしたらいいのかと困った表情で、まさに焦りまくっていた。

 

「このロープの切れ具合だと、何か金属片のようなものがぶつかって切れたんじゃないでしょうか?」

「確かにそうね。後輩ちゃんの言う通りだわ。以前にもあったわよね」

「はい。灯里先輩のゴンドラが流されて、それに気がついたアリア社長がすぐに知らせてくれて、そしてアリシアさんが回収に向かいました」

「そして今回も・・・」

 

話していた二人が、デッキの上で放心状態のピンク色の髪の女の子に目を向けた。

 

「ええ~?何ぃ~?」

「何じゃないでしょ?またやらかしたのよ?しかも今度はアリシアさん専用のゴンドラよ?もしなくなってたらどうするつもりだったの?」

「う~~ん」

「尋常じゃない困り方ですよ、灯里先輩のあの表情」

「はぁ~~」

 

どうやら一番年上らしいショートカットの女の子が、その場で大きなため息ををついていた。

 

「今さらこんなことで時間を取っていてもしょうがないわ。流されてしまわないうちに、アリシアさんのゴンドラを回収しておきましょう」

「それが先決ですね」

「ごめんね、藍華ちゃん、アリスちゃん」

 

デッキの下の船着き場のところにいた、藍華、そしてアリスと呼ばれたふたりが、そこにあった黒色のゴンドラに乗り込もうとした。

 

「灯里ぃー!」

「何ぃ~?」

「あんたが漕ぐのっ!」

「はひっ!」

 

デッキのところにいた、とぼけた顔の、灯里と呼ばれた女の子は、急いでゴンドラのところまでかけ下りてきた。

 

彼女たちが乗り込んだゴンドラは、その言葉の通りゴンドラを回収するべく動き始めた。

 

回収。

で、こちらに向かってきている。

改めて自分が乗っている舟を見てみた。

それはまさしくゴンドラの形状をしていた。

ということは・・・

 

「灯里ぃ~!もっとしっかり漕ぐのよ~!」

「わかったぁー!」

 

おれはとっさに隠れようとしていた。

だがそんなこと、すぐに意味がないことにも気がついた。

じゃあどうするんだ?

賑やかな声たちがどんどん近づいてくる。

 

「ぶつからないように、ゆっくり近づけてよ」

「代わりましょうか、灯里先輩?」

「大丈夫。なんとかガンバる」

 

彼女たちの声がいよいよ間近に迫ってきた。

もうどうすることもできない。

腹をくくることにしたおれは、ゴンドラの上でひとり、青空を見上げながら笑顔の練習を開始した。

 

だが突然、「ドンッ」とぶつかった音とショックで思わず声を上げてしまった。

 

「アウッ」

「だから言ったでしょ?近づいたら気をつけてって・・・」

「藍華先輩?なんか変な声が・・・」

「藍華ちゃん?お腹の具合でも悪いの?」

 

そんな声が聞こえたかと思うと、少しの沈黙が流れた。

気まずい。

明らかに気まずい空気が流れていた。

どうする?

どうするんだ?

 

「藍華ちゃん?どうかした?」

「どうしたって、あんた、聞こえなかったの?」

「藍華ちゃんのお腹の音ならさっき・・・」

「そんな音、鳴るわけないでしょ!」

 

もうごまかすことはできなさそうだった。

ここは意を決して出るしかあるまい。

 

「そうじゃないなら・・・もしかして・・・藍華ちゃん・・・こんなところで・・・まさか・・・出ちゃったの?」

 

そのとぼけた女の子は、そう言ってクスクス笑い始めた。

 

「ちょっと!灯里!よりにもよってこんな時に何言ってるの!」

「そうですよ!人の声をオナラ呼ばわりするなんて失礼な!」

 

思わず反応してしまった。

第一声がオナラかと非難するセリフになろうとは思ってもみなかった。

まさに不可抗力。

だが、そんなことを言ってる場合じゃない。

今のセリフで、彼女たちを完全に引かせてしまったに違いない。

 

「藍華先輩?ゴンドラに誰かいますよ?」

「確かに誰かいる」

「えっ?いるの?だれ?」

 

もう観念するしかなかった。

ただこの場合、どうやって説明するかだ。

気がついたら、ゴンドラの上にいました。

そんなのが通用するとも思えない。

だって自分でもはっきりしない。

確か、どこかへ行くように説得されたまでは覚えている。

あれはなんだったっけ?

変に浮わついた女の人が目の前に現れて、手違いがどうのこうのと・・・

 

「誰かいるんですか?」

一番年上という印象の藍華という女の子が訪ねてきた。

「藍華先輩?ここはやはりネオ・ヴェネツィア警察に通報したほうがいいのでは?」

 

ネオ・・・ヴェネツィア・・・

そうだ。それだ。

あの時、あのふんわりとした衣装に身を包んだ女性に言われたんだっけ。

第二の人生をを送るのにちょうどいい場所。

そう、確かに言った。

ネオ・ヴェネツィア。

 

「警察に通報って言っても、変に騒ぎを大きくするだけだし。こんな時、アリシアさんだったらうまく納めるんでしょうけど・・・」

 

アリシア・・・

聞き覚えのある名前だ。

ん?待てよ?

アリシア・・・アリシア・・・アリシアーネ・・・

そうだ!

女神アリシアーネ!

その人が言ったんだった!

 

「怪しいものじゃないんです。おれ、そのアリシアーネさんに言われたんですよ。ネオ・ヴェネツィアへ行けって」

 

ゴンドラのへりから少し顔を出して話かけていた。

 

「うわっ!やっぱり誰かいたっ!」

「先輩!通報です!」

 

失敗した。

思い出した言葉に頼ろうとしたのが間違いだった。

そりゃそうだ。

いきなりおれは何を言い出したんだ?

 

「アリシアーネさん?誰それ?」

 

でもひとりだけ違うリアクションの人がいた。

というか、この場でこんなリアクションをしてくれるひとがいてくれる。

それって、女神様と言いたいくらいだ。

 

「灯里!こんな人と口聞いちゃダメよ!アリシアさんのゴンドラを盗もうとした極悪人よ!」

「そうです!目を合わせると、変なものがうつりますよ!」

 

はぁ?うつる?

このアリスと呼ばれた少女は、口調は丁寧なのに、言うことがキツイ。

いったいおれが何をうつすとういうんだ?

 

「おれは病気でもなんでもありません。だからみんさんに何かうつしたりもしませんから」

 

「この人、なんか変なこと言ってる!」

 

い、いや、言い出したのはそっちなんですけど・・・

 

「でも、さっき言ってたアリシアーネさんて誰のことなんですか?」

 

よくぞ聞いてくれました!

すっとぼけた女の子だと思ってたこと、撤回します!

 

「そんなこと聞いてどううするの?灯里?」

「だって、なんかアリシアさんと関係があるのかと思ったから」

「アリシアさんと?」

 

その藍華、アリス、そして灯里の三人は、じっとこちらを見つめてきた。

見つめられたおれはというと、どうしようかと迷ってしまった。

答え方のよっては、どうなるかわからんからだ。

 

「いえ、あのぉ、そのぉ、どう言ったらいいか・・・」

 

「通報ぉー!」

「了解です!藍華先輩!」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「じゃあ正直に言いなさいよ!」

「そうですよ!」

 

藍華は灯里からオールをもぎ取ると、こちらに向かってグイッと構えた。

 

「さぁ、どうするんですか?」

 

別に本当のことを話すことに、些かの問題もなかった。

ただ、どう話したところで納得してもらえそうになかった。

 

「で、ですからぁ、そのアリシアーネ・・・い、いや、そのアリシアさんという方に言われたんです!困ったら私の後輩たちに相談すればいいって!」

 

とにかく言ってみた。

言われたのは本当だ。

嘘偽りのない真実だ!

 

「お宅、アリシアさんとお知り合いなんですか?」

 

さっきまでオールを威勢よく構えていた藍華の態度が変わった。

 

彼女たちは、どうやら本当にアリシアーネ、い、いや、アリシアという人の後輩たちのようだった。

 

あの疑わしかった、自分のことを女神だといった女性のいうことは、うそではなかったようだ。

それじゃあ、この目の前にいる女の子たちは、いったい誰なんだ?

女神の後輩?

なんですか、それって?

 

彼女たちが、もちろん女神の後輩たちではなく、本当は妖精の後輩たちであること気づくのには、もう少し時間がかかりそうだった。



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第3話 水先案内人トリオ

 

藍華は、一旦下ろしたオールをもう一度構え直した。

 

「やっぱり怪しいわよ。あんた、いったい何者?」

 

「何者と言われても・・・」

 

おれが会った女神アリシアーネと、彼女たちがいうアリシアさんという人物とは、どうやら一致してないような気がした。

 

「アリシアさんの名前を出したらなんとかなるとか思ってるんでしょー?」

「熱烈なアリシア・ファンじゃないですか?」

「そうなの?あんた!そんなの、ファンていうの?」

「やはり、でっかい怪しいです」

 

怪しいのにでっかいとかあるの?

だいたいアリシア・ファンてなんなんだ?

 

「あの~そのアリシアさんていう方は、歌手か何かをされてるんでしょうか?」

 

「何を言ってるの?アリシアさんと言えば、水先案内業界を代表するウンディーネであり、水の三大妖精のひとりで、みんなの憧れの的で、きれいで優しくて、観光案内からオールさばきひとつまで、すべてを完璧にこなすミス・パーフェクト!それが、あの、麗しの、アリシア・フローレンスでしょー?!」

 

この藍華という女の子の、アリシアさんを説明する熱がすごい。

でも、どれだけすごい人物なのかは、少しだが理解できた。

それと、どうやら彼女たちの様子から察するに、ゴンドラで観光案内をしている憧れの人物であり、彼女たちもそれを生業にしているということのようだ。

 

「つまり、そのアリシアさんもあなた方もいわゆる観光案内の仕事をしているということですか?」

「決まってるでしょ?私たちのこの格好を見て、ウンディーネのほかになんに見えるって言うの?」

「そうですよねぇ~~」

 

やはりそうなんだ。

ゴンドラに乗り、同じような制服に身を包んで、そしてウンディーネという職業の名前らしき言葉。

 

考えたら、そりゃそうだ。

あんな現実感の乏しい女神と名乗るような人・・・いや女神がそのまんま存在しているなんておかしい。

だいたい女神だと言ってるのも、あくまでも自己申告だ。

だが、今の自分の状況を考えたら納得せざるを得ないのも事実なんだけど・・・

 

「これにはいろいろと事情がありまして・・・」

「事情?ゴンドラ泥棒にどんな事情があるって言うの?」

 

藍華の勢いは収まりそうにない。

どうやってこの状況から逃れるかだ。

まずはそれをどうするかなんだが・・・

 

「藍華ちゃん?なんか理由があるんじゃない?とてもお困りの様子だし・・・」

「あんたねぇ、こんなところでお人好しパワーを発揮してどうするの?」

 

やはりここで頼りになるのは、こちらの“のんびり少女“の方だ。

確か“灯里“という名前だっけ?

 

「あの~灯里さん?」

「はい?わたし?」

「灯里さん・・・でいいんですよね?」

「はい、そうですよ」

「ああ良かった。先ほど灯里さんがおっしゃった通り、実はちょっと困ったことになってまして」

「やっぱりそうだったんですね?」

 

その会話の横で、藍華が呆れたようにため息をついた。

 

「あのねぇ、灯里?あんたはなんでそんなにさぁ、簡単に親しくなろうとするの?ちょっとは疑うということも必要よ?」

「でもやっぱりお困りみたいだよ?」

「だよ?って・・・」

 

藍華は構えていたオールをとりあえず下ろしてくれた。

だがその目はまだまだ疑いが晴れた訳じゃないと警戒心がすごかった。

 

「じゃあ言ってみなさいよ!とりあえず聞いてあげるわよ!」

 

ここはひとまずもっともらしいことで切り抜けるしかあるまい。

 

「実は、ちょっと昨日の記憶がないと言いますか、気がついたらこんな状態だったと言いますか・・・」

「それって酔っぱらいってこと?」

「そ、そうなんです!酔っぱらいなんです!」

「つまり酔っぱらって、ゴンドラで寝てしまったってことなの?」

「そうなんです!」

 

酔っぱらいという言葉に飛びついてしまった。

言い訳としては成り立つかなと思ったわけだが、まさかこれが後々になって面倒なことになるなんて思わなかった。

 

「だからって、アリシアさんのゴンドラに無断で乗っていいなんてことにはならないですからね!」

「それはその通りです。はい」

 

思わずため息が口から漏れ出た。

なんとかなりそうな雰囲気になってきたような感じだ。

 

「もういいです!それなら早く何処へと行っちゃってください!」

「わかりました。ところで・・・」

「なに?まだなんかあるんですか?」

「あの~、何処へと言われても・・・」

 

ゴンドラの周りに目を向けた。

その様子を見た3人も周辺の海を見回した。

 

「泳げます?」

「えー?」

 

なんて無慈悲なこと・・・

 

「藍華ちゃん?いくらなんでもそれはどうかと思うけど・・・」

 

藍華はほんとにこれでもかというほどの大きなため息ををついた。

 

「はぁ~~。わかりました。本当なら警察につき出してもいいくらいなんですよ?」

「ごもっともです」

「しょうがないですね。じゃあ灯里?頼んだわよ」

「ええ?わたし?なに頼まれたの?」

「あんたが漕ぐの!」

「またぁ?」

「またぁって。そもそもあんたがしっかりとロープの具合を確認してなかったことが原因でしょ?それにアリシアさんのゴンドラなんだから、ARIAカンパニーの社員である灯里が責任持って扱うのが当然じゃないの?」

「言われてみればそうだねぇ。確かに」

 

灯里はこちらのゴンドラに乗り移ると、倒していたオールを持ち上げた。

 

「あの、お名前をお聞きしてもいいですか?」

「アキラ・アサノです」

「アキラさん」

 

灯里はオールをしっかりと構え直した。

 

「灯里ぃ?ちゃっちゃと済ませちゃいましょう!」

「うん、わかったぁ。じゃあアキラさん?少し揺れるので気をつけてくださいね」

 

座り直したおれを確認すると、灯里はグイッとひとかきした。

それは意外な印象だった。

背もたれに少し押しつけられるような感覚はあったが、思っていた以上にスムーズに動き出した。

その上、ゴンドラが海の上を滑るように進んでいく。

おれは思わず振り返ってその少女のにこやかな表情を見上げていた。

 

「何ですか?」

「あっ、いえ、なんでもありません・・・」

 

風が通り抜けていった。

彼女のピンク色の長い髪が揺れていた。

乱れたほつれ毛をそっと指でなぞる。

そんな仕草に、先程までとは違う印象を感じた。

まるで一瞬時が止まったようだった。

 

「はい、着きました」

 

彼女は、その優しい声でそう言った。

ほんの短い時間だった。

それは当たり前のことなんだが、なぜかこの時間が終わってしまうことが残念に思えた。

 

彼女たちとおれは、目とはなの先にあった建物に到着すると、そのちいさな船着き場から階段を上がっていった。

そこには、店内が見渡せるほどの大きな開口部と長くて広いカウンターがあり、そのカウンターの上にはかわいらしい花を植えた小さな植え木鉢が置かれていた。

そこから見上げたもうひとつ上の階には「Welcome to ARIA COMPANY」と書かれた大きな看板が掲げられていた。

 

「ARIAカンパニーというのか・・・」

 

 

 

「じゃあこの辺で」

 

藍華はあっさりとした口調で言った。

 

「さすがに酔いは覚めましたでしょ?」

 

おれは改めてここに来た理由を思い返していた。

この少女たちとこのまま別れるのも仕方がないかと思ってみたが、考えたら右も左もわからないところでどうすればいいのか。

わかっているのはただひとつ、ここがあの女神アリシアーネが言ったネオ・ヴェネツィアという名前の未来都市だということ。

そこで第二の人生を過ごせという。

また命を授かったとはいえ、結構ハードルの高いテーマが待っているような気がする。

こういうときはセオリーでいってみるのがいいかもしれない。

 

「実はちょっと困ってまして」

 

「やっぱりお困りだったんですね?」

「だから灯里?そうやってすぐ話を聞いちゃう!」

 

「本当なんです、藍華さん!」

「な、なによ!いきなり馴れ馴れしい!」

「実は・・・」

 

ここはある程度本当のことを言った方がいいかもしれない。

変に疑われたままよりかは、正直に話して事情をわかってもらう方がこの目の前の女の子たちは理解してくれるように思える。

もちろん、そこは確信には触れずになんだけど・・・

 

「つまりそれって、傷心旅行ということですか?」

「まあなんといいましょうか・・・」

「憧れていた先輩に思いを届けられず、思い出のペンダントを胸にネオ・ヴェネツィアにやって来た」

「そんな感じだったか・・・」

 

アリスと灯里は、おれの話に少し表情が変わってきた。

それはまさに乙女の顔そのものだった。

 

「それって、恋に迷える旅人が、このネオ・ヴェネツィアを見守ってきた女神様の愛に導かれてやって来たみたいだねぇ」

「恥ずかしいセリフ禁止!」

「はひっ!」

「あんたってほんとに相も変わらずねぇ」

 

この灯里さんの言うこと、当たらずも遠からずなんだけど。

 

「ということなんですけど」

「けど?」

「しばらくここでご厄介になろうかと思ってる次第でして」

「厄介になるぅ?あんた!変なこと企んでないでしょうね?このふたりは騙せても、この藍華・S・グランチェスタは騙されませんからね!」

「違いますぅー!」

「何が違うって言うの?」

「教えて欲しいんです」

「何を?」

「ですからギルド」

「ぎるど?」

「生活をするとなると、まずは仕事が必要ですし、当面寝泊まりする宿も探さないといけない。近くには大概酒場があって、そこで情報収集をやって、できれば気の合うパーティーなんかが見つかればいいなぁなんて考えてるんですけど・・・」

 

あれ?なんか雰囲気がおかしい。

変なこと言ったつもりないのに。

異世界といえば、まずはギルドで冒険者登録をして、それから・・・

 

「パーティーってなんのパーティーなんですか?」

「だって勇者パーティー・・・でしょ?」

 

ちょっと待て。考えろ。

この感じは間違いなく場違いな発言をしたときのリアクションだ。

でも間違ったことを言ったわけではない。

女神に会って、有無を言わさず異世界に飛ばされて、そしたら剣を携えた冒険者たちがいて・・・いない。いなかった!

そうだ!勘違いだ!ここは未来都市のヴェネツィア。しかもネオなんてつけちゃったりしてる!

ヨーロッパの街並みだったから、当たり前に異世界もののパターンでやっていけばなんて考えてた!

おれはなんて安易だったんだ?

 

すると、とても冷静にアリスが話始めた。

 

「こちらの方は」

「アキラさんだよ」

「そのアキラさんは、お仕事を探していると言いたいんじゃないですか?」

「お仕事かぁ」

 

「そのパーティーの意味は分かりかねますが」

とアリスは前置きして「エヘン!」と咳払いをした。

「ネオ・ヴェネツィアにやって来たのはいいけれど、いざとなると暮らしを考えなくてはならない。つまり、仕事と生活する場所が必要だと」

「なるほどぉ」

 

アリスの理解の速さと灯里の受け入れ態勢の速さで、救われようとしていた。

ありがたいなぁ、この子たちは・・・

 

「あんたたちの言うことは理解できないわけじゃけど、なんか言ってることがおかしいのよねぇ~」

 

藍華さん?そこはとりあえずそのままスルーしてくれませんか?

 

「でもさっきこの人が言ってた“ぎるど“ってなに?」

「つまり職業紹介所のことなんじゃないですか?」

「どうなんですか?」

 

アリスさん!助かりますぅ!

 

「そうなんです!その職業紹介所です!・・・ふぅ~」

 

「でも冒険してパーティーして、なんか楽しそうだねぇ~」

 

あ、あの、灯里さん?そこはもういいんですけど・・・

 

「ところでアキラさん?あなた、何か得意なことあるんですか?仕事を探すといっても何ができるのかで変わってきますよね?」

 

藍華さん?あなたの言うことはごもっともなことだ。そしてあなたは現実的な方です。

このトリオがなぜ成立しているのか、わかる気がする。

 

でもそこではたと気がついた。

そうだった。問題はそこだった。

おれは過去に遡って異世界に行ったってわけではなく、まだハッキリと分かっている訳ではないが、おそらく科学技術が発達した未来都市に来たはず。

あの女神アリシアーネが言っていた、火星を開拓したという話が本当なら、とんでもない時代に来たわけだ。

じゃあおれのチート・スキルってなんなんだ?

こんな未来都市で発揮できるチート・スキルなんて、考えただけで恐ろしいぞ!

というか、そもそもチート・スキルが必要なのかどうかわからないんだけど・・・

 

現実的に考えて、おれができることと言ったら・・・

 

「猫探し、くらいかと」

 

3人は同時にキョトンとおれの顔を見つめた。



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第4話 気さくなアリア社長

 

おれは灯里さんから手渡された地図を頼りに職業紹介所を目指した。

 

彼女が勤めるARIAカンパニーから少し歩き始めたとき、何気なく振り返った先で、灯里さんが猫の手を真似るような仕草をしながら「ニャ~」と小声で呟くのが聞こえた。

 

彼女が何故そのようなことになったかは、もちろんこのオレに原因があった。

 

「猫のことならちょっとくらいならわかるかも・・・」

「ええー?アキラさんて猫の言葉がわかるんですかぁー?」

 

その横でまやもや大きなため息をついた藍華が呆れたように言った。

 

「いったいなんなんですか?私がお聞きしたいのは、何か仕事に繋がりそうなことってありますかとお聞きしてるんですけど?」

 

そう言って今度はその横で嬉しそうに微笑んでいる灯里さんの方を向いた。

 

「それにねぇ灯里?あんたもなに?猫の言葉がわかるのぉ~?なんて言ったりして」

「だっててっきりわかるのかと思って・・・」

 

すると今度は冷静にその会話を聞いていたアリスが口を開いた。

 

「もしかしてアクア猫ならわかるってことなんじゃないですか?」

「アクア猫ならぁ?」

 

藍華とアリスは、じろりとおれの方に目を向けた。

 

「い、いや、というか、その先ほど言った先輩が猫を飼っていたもので、その猫とちょくちょく会っているうちに、なんかわかるような気持ちになったというか・・・」

 

ふたりは同時に「はぁ~」とため息をもらすと、冷めた目でこちらを見た。

 

「でもちょっとわかる気がする」

 

灯里さんはふたりとは正反対に真顔だった。

 

「あんたねぇ、またそんなこと言っちゃって・・・」

「ほんとだよ?アリア社長といるとわかってくるの」

「何がわかるって言うの?」

「例えば・・・」

「例えば?」

 

灯里さんは伸ばした人差し指の先を顎に当てて考えた。

 

「例えばねぇ・・・今朝のオムレツはちょうどいい固さだったとか」

「あ、あのねぇ・・・」

「こないだなんて、洗濯ものを取り込むのを手伝ってくれたんだよ」

「誰に手伝ってもらってるの?あんたってひとは・・・」

「そしたらその後すぐに雨になって、さすがアリア社長ー!てなって」

「それってあんたじゃなくて、アリア社長の方がしっかりしてるって話でしょ?」

 

灯里さんはばつが悪そうに頭をかいた。

 

「エヘヘヘ」

 

だがその後が悪かった。

ズングリムックリとした白くて丸い物体がのっそりと近づいてくると、会話のなかに入ってきた。

 

「ぷいにゅい?」

「なんですか?アリア社長?」

 

振り返った灯里さんはそれに答えていた。

 

社長?なんで?

ああ、わかった。あれだ。いわゆるマスコット的なやつだ。

 

灯里さんは少し膝を折るようにして、そのアリア社長とやらに笑いかけていた。

 

「お腹の具合でも悪いのですか?」

 

その様子にふたりが反応していた。

 

「アリア社長のもちもちポンポンは、いつものように変わらずにわがままポンポンですが?」

 

アリスの冷静な言葉にアリア社長はギクッと固まった。

 

「アリア社長のことだから、また食べ過ぎたんじゃないの?」

 

またもやギクッと反応した。

藍華の言葉は、どうやら正解のようだ。

 

「ぷぷいぷいぷい・・・」

「なんか言い訳してるわよ?灯里?」

「どうしたんですか?アリア社長?」

 

アリア社長は汗をかきながら、身振り手振りで何か説明しようとしていた。

 

「アリア社長?何が言いたいのですか?」

「そりゃあ後輩ちゃん?アリア社長の言いたいことと言ったら大体わかりそうなもんじゃないの?」

「やはりそこは、おやつが欲しいとかですか?」

「まあそんなところじゃない・・・」

 

そこで口を挟んでしまった。

 

「そうじゃないみたいですよ?今朝のオムレツは柔らかすぎて・・・」

 

三人が一斉にオレの方に顔を向けた。

 

「えっ?なに?」

「オムレツ?」

「そうだったんですかぁ~?アリア社長?」

 

藍華は思わず突っ込んでいた。

 

「あんたはまた、なんでそこなの?」

「そこって、どこ?」

「だからさぁ~、オムレツのことでなんか文句言ってるとか、わけのわからないことをこの人が言い出したりして・・・」

 

「柔らかすぎて物足りなかったらしいですよ?」

 

藍華はまさに開いた口がふさがらないといった感じで、口をポカンと開けていた。

灯里さんとアリスも黙ってこちらを見ている。

 

「だからちょっと食べ過ぎたとか・・・」

 

聞き間違いではないと思う。

確かにそんな風に聞こえたんだが・・・

 

「アキラさんて、アクア猫の言葉がわかるんですか?」

 

灯里さんが驚いた顔で聞き返してきた。

 

「というか、まあ、わかるというのかなんというか・・・」

 

またもやまずいことをやっちまったのか?

あのアリア社長とやらが確かにそう言っていた・・・に聞こえた・・・はず。

でも三人の驚きようはそうではないようだ。

つまり、聞こえてはいけないものが聞こえた。ということになる。

どういうことなんだ?

 

オレは思わずアリア社長の方に目を向けた。

コイツ、冷静な顔して片手を挙げやがった。

 

「やぁ!」

 

何が「やぁ!」だよ・・・

「やぁ!」だって?

 

アリア社長がオレに向かって少し微笑んで見せた。

 

「それでアリア社長は、オムレツの固さがなんだといってるんですか?」

 

灯里さんはこちらの動揺も気にせず無邪気にたずねてきた。

 

「ですから、柔らかすぎて物足りなかったので、つい食べ過ぎたって・・・」

 

「そうだったんですね。すみませんアリア社長!もっとアリア社長の好みを研究しないとですね!」

「あ、あのねぇ・・・」

 

またもや突っ込み役を担当している藍華が呆れていた。

そして冷静なアリスが続けた。

 

「あのー、先輩方?そもそもこのアキラさんがアクア猫であるアリア社長と会話が通じているということでよろしいのですか?」

 

藍華が振り返った。

 

「ホントなんてですか?」

 

だがその横の灯里さんはアリア社長の方を見ていた。

アリア社長は自信満々で大きくうなずいた。

 

「ほらぁ~」

「何がほらぁ~よ!それが本当ならホラーよ!オカルトよ!」

「でっかいダジャレですね」

 

藍華は「なっ!」と言って口を開けてフリーズしていた。

 

 

 

 

 

ARIAカンパニーから少し遠ざかってから、オレはもう一度振り返ってみた。

 

ドアのところから桟橋を渡ったところで、灯里さんはニッコリと笑っていた。

その足元にはアリア社長が手を振ってオレを見送ってくれていた。

それを見た灯里さんは胸の前で小さく猫の手の仕草をしてみせた。

 

このふたりは・・・い、いや、ひとりと一匹の中では、完全にアクア猫としゃべれるひととして確定していた。

でもそれって喜んでいいのかどうか・・・

 

「アキラさん?仕事をさがすのなら、ちゃんとしたほうがいいですよ?」

 

冷静に忠告してくれた藍華の、なにかおかしなものを見るような、その疑いの眼差しが心にズキンと響いていた。

それに比べてあのふたり・・・い、いや、あのひとりと一匹は。

 

これから先、どちらの反応を信じて行けばいいのか。

ちゃんと生活することを考えたら、藍華のことばがまっとうで正しい。

だが、灯里さんとアリア社長の笑顔には心が揺らいでしまう。

 

だって、聞こえたんだよなぁ・・・

 

 

 

 

職業紹介所の中は思っていたよりも広々としていた。

テーブルがいくつも置かれていて、どのテーブルにも幾人かの人たちが座っていた。

奥にはカウンターがあり、そこで相談にのるという格好のようだ。

 

とりあえずどのカウンターへ行ったらいいかをわかることが必要だ。

だれか声をかけて聞いてみるのが手っ取り早いかもしれない。

事情がわからないところでは素直に誰かの助けを借りるもんだろう。

 

そう考えていると、偶然とはいえ適任といえる人と遭遇することになった。

白地にオレンジ色の配色だったが、灯里さんたちと同じデザインの格好をしている女の子が立っていた。

あれは確かアリスも着ていたか。つまりは同じ会社ということだろうか?

つまりはウンディーネ。

観光案内をしているということだ。

 

だがなんだか様子がおかしい。

明らかにあたふたしている。

目の前には男性がひとり。

そのウンディーネの身振り手振りがだんだんと大きくなってきた。

 

「あの~その~つまりですね?う~ん、何て言ったらいいのか・・・」

 

なんとなくわかるのは、つまりはその男性はオレの先客のようだった。

彼女の格好を見て渡りに舟と思ったのだろう。

だが、たずねられた彼女は印象とは正反対のあたふたぶりが凄かった。

 

少し近づいてわかった。

彼女はたずねられていることを把握できていなかった。

なぜなのかわからないが、そのことは理解できた。

男性はさっきから同じことを繰り返している。

 

「トイレはどこですか?」

 

なのに彼女はキョロキョロして困っていた。

 

「あのー」

 

なんか歯がゆくなってきたオレは声をかけてしまった。

そんなことに付き合ってる場合じゃないのに。

 

「はい?」

 

彼女は突然に声をかけられて、驚いて目を大きく開いてこちらを見ていた。

 

「わからないなら、ここのひとに聞いたらいいんじゃないですか?」

「それもそうなんですが・・・」

 

そう言いながら辺りを見回している。

 

「お忙しそうですし・・・それに言葉がちょっとわかりずらいといいますか・・・」

「言葉?言葉ってどういうこと?」

「おそらくマンホームの、今ではあまり使われなくなった言葉ではないかと」

 

マンホーム?使われなくなった?

この人は何を言ってるんだ?

トイレの場所を聞いてるだけじゃないか?

男のひとの額から汗がにじんできていた。

お察しします。ホント。

 

「この人はただトイレの場所を聞いてるだけじゃないですか?」

 

ウンディーネの彼女はまたもや驚きの表情で目を大きく見開いた。

 

「おわかりになるんですか?」

「おわかりになるかって・・・」

 

そこでハッとした。

そうだった。

ここはネオ・ヴェネツィア。

まだよくわかっていない世界。

 

「よかったぁ~!」

 

彼女は顔を一気にほころばせていた。

 

「ところで、どこにあるんでしたっけ?」

 

急いで職員らしき人にたずねていた。

 

またもやうかつにも反応してしまっていた。

オレが置かれている状況をオレ自信がまだ把握できていないというのに。

反応次第ではどう思われるかわからない。

気を付けないといけないのに。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

彼女は恐縮して頭を下げていた。

 

「いや、まあ、なんというか、助かったのならよかったです」

「ホントです!私も仕事柄いろんな言葉を耳にしますけど、先ほどの方の言葉はさすがにわかんなかったです」

「そ、そうなんですか・・・」

「もしかしてマンホームからいらしたんですか?」

「う~ん、なのかなぁ・・・」

「やっぱり!そうだと思いました!」

 

今このネオ・ヴェネツィアで観光案内をしているひとがわからなくて困ってしまう言葉。

それをなんの迷いもなくわかってしまうオレ。

 

というか普通に聞こえてたんですけど?

 

その時だった。

少し離れたテーブルから呼び掛ける大きな声が聞こえてきた。

 

「あんずぅー!なにやってんのー?」

 

彼女が振り返った先には、ふたりのウンディーネ姿の女の子がいた。

同じユニフォームを着たメガネをかけた女の子がこちらに手を振っていた。

もうひとりはテーブルに頬杖をついて顎を乗せている。こちらのウンディーネのユニフォームは見たことがあるような・・・

 

「そうだ!」

 

ふたりに向かって手を振っていた彼女は、振り返って突然そう言った。

 

「いいこと思いついた!」

「どうしたの?」

「時間あります?」

「えっ?時間?」

 

仕事がまだ見つかっていない男に、時間なんてたっぷりあるに決まっている。

いや、ない。

ここへ何しに来たんだ?

おい!

 

「まあ、ないわけでもないけど」

 

彼女のかわいい笑顔を見ていると、つい反対の言葉が口から出ていた。

 

「ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」

 

なんですとぉー?

いきなりですかぁ?

どういうこと?

 

目の前のふにゃふにゃしたかわいい笑顔に、仕事探しは明日からでって心が命じていた。

 

「そうですねぇ、あなたさえよければ・・・」

「ホントですか?」

「ホントもなにも」

「見つかったよ~~!」

「見つかったんですか・・・はい?」

 

彼女はその離れたテーブルに座っていたふたりに向かって手を振っていた。

 

「あ、あの~」

「私たち、グループを結成するつもりでいたの。そしてゆくゆくは独立して会社を立ち上げて・・・」

「ちょ、ちょっと待って!何を言ってるの?」

「だからぁ、観光案内会社を立ち上げて手広くやろうって話」

「会社?手広く?」

「だけどひとつ問題があったの」

「はぁ」

「私たちあんまり勉強が得意じゃないの。だからやっぱり通訳を雇わないとって話になって」

「はぁ?」

「でもすごいですよねぇ?言葉がわかるってやっぱりすごい!」

 

オレは彼女に手を引っ張られて、もうふたりのいるテーブルまで走って行くことに。

 

「ちょっと待ってくれる?オレここへ仕事を探しに来たんだよ!」

 

そんなオレに彼女は立ち止まると振り返ってこう言った。

 

「何を言ってるんですか?ここはネオ・ヴェネツィアですよ!心配いりませんから!」

 

オレの手を引く彼女の希望に満ちた後ろ姿とは裏腹に、その時のオレには心配しかなかった。

 

なんなの!この子!

かわいいけど・・・



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第5話 こじらせたシングルたち

 

「いい人見つかったよ!」

 

オレを無理やり引っ張ってきた、あんずと呼ばれた女の子は嬉しそうにそう言った。

 

「あんず?いきなりナニ?」

 

テーブルに座っているメガネをかけた女の子が不思議そうにこちらを見た。

 

「だから言ってたじゃない?アトラちゃん?」

「私が何を言ってたの?」

「もう!こないだ言ってたでしょ?ことばの問題のこと!」

「ああ、あの件ね」

「そう!ソレ!」

「で?」

 

あんずはオレの方に手を向けてちょっと得意気になっていた。

 

「見つけたの。通訳のひと」

「え?なに?どういうこと?」

 

アトラは驚いてキョトンとしていた。

だがその横にいるもう一人のウンディーネ姿の男の子・・・じゃなくて女の子は、あんずのことばに驚きつつも、少し呆れた反応をしていた。

 

「あのさあ、あんず?いきなり男の人を引っ張ってきたりして、一体なんなの?」

「だから今言ったでしょ?あゆみちゃん?通訳よ!ツ・ウ・ヤ・ク!」

「通訳って・・・ホントに?」

 

あゆみという女の子はオレの全身を上から下まで疑いの眼差しで眺めた。

オレはといえば訳がわからないまま、その場で立ち尽くしていた。というか、立たされている気分。

 

「で、あなたは誰?」

 

あゆみの質問はごく当然のことだった。

 

「あ、あの、聞きたいのはこっちなんですけど?」

「えー?なにソレ?質問に質問で返すなんて反則なんじゃないですか?」

「だけどホントに訳がわからないわけで・・・」

「あっ、わかった。時給の交渉ってこと?いきなりそこ?ちょっとそれってどうなのかなぁ~」

 

いきなり引っ張ってこられてなんなんだ?

しかもなんか時給の話になってる!

 

「そうよ、あんず?いきなりギャラ交渉する人ってどうかと思うわ」

 

アトラさんまで言い始めてる。

この集まりって一体・・・

 

「ちょっと待って。二人とも落ち着いて!今さっきそこで会ったばかりの人なんだから。いきなり時給がどうのって失礼よ!」

「でも通訳のひとって」

「あんずがそう言ったっしょ?」

「だからぁ、それに適任の人がみつかったって話なの!」

 

ふたりは「なんだそれ」と無言ながら表情でツッこんでいた。

 

つまりこのあんずってウンディーネの女の子は、先程のトイレを探していた男性の言葉がすんなりわかったオレを見て、渡りに舟と言わんばかりに通訳に使えると思ったらしい。つまりは、その観光案内の仕事でってことのようだ。

 

「マンホームから来られたらしいの。私たちにはわからないマンホームの昔の言葉とか方言とかがわかるとなると・・・」

「なるほどね」

「なによ?あゆみ?なるほどって、どういうこと?」

 

アトラの疑問にあゆみは軽く咳払いをした。

 

「ここ最近マンホームからの観光客が増えてるっしょ?本家のヴェネツィアがちょっとあんな感じだし。その分だけネオ・ヴェネツィアに対する期待も大きいってことのようだし」

「マンホームからのお客様はこれから益々期待できる訳じゃない?そう思わない?アトラちゃん?」

「つまりあゆみやあんずは、マンホームからのお客様の獲得は今後大事だということなのね?」

「そうゆうこと!」

 

あんずはようやく伝わったとばかりにニンマリと笑った。

だが三人のなかで話がスムーズに伝わったとしても、はいそうですかと当然聞ける訳ではない。

 

「あのー、つまりこういううこと?」

 

三人は一斉にこちらを向いた。

 

「三人は観光の仕事を自分達で始めようとしている。だけどそのためには言葉の問題があると。そうなると通訳が必要だと」

「そういうこと。あんた飲み込みが早いね」

 

あゆみが感心したようにそう言った。

 

「そこは聞いていればわかると思うけど」

「じゃあ決まりでいいですか?」

 

あんずは嬉しそうに応えた。

 

「あんず?いきなりは無理があるんじゃない?第一、この人がどういう人なのかわからないわけだし」

 

アトラが冷静に反応した。

 

「そう言われればそうなんだけど。でも私たちにはそう時間がある訳じゃないいし・・・」

 

なんとなくだが、事情があるらしいというのはわかってきた。

仕事を探しにやって来たおれにとってもすぐに仕事にありつけるのは有難い話ではあるのだが、仕事になるかどうかもあやしい感じがする。

 

「あのー、聞いてみてもいい?」

 

三人の深刻な表情に、ちょっと気を使いつつも聞いてみた。

 

「おれは仕事を探しにここへ来たわけなんだけど、話の雰囲気からするとまだ始めてない訳だよね?その観光の仕事は?」

「そうだよ」

 

あゆみがあっさりと答えた。

 

「これからなんだよね?」

「だからそうだって」

「じゃあそもそも無理だよね?この話」

「まあ、そういうことになりますね」

 

またもやあゆみはあっさりと答えた。

 

「あゆみちゃん!そんなこと言ってたらいつまでたっても始められないじゃない!」

「そう言ったって仕方ないっしょ?事実は事実なんだし」

 

あんずはあゆみの言葉にほっぺをふくらませて怒った顔になった。

 

「それじゃあおれはこの辺で・・・」

 

そう言ってその場から離れようとした。

 

「えっ?帰るんですか?」

「いや、だって」

「なんで帰っちゃうんですか?」

「なんでって、この状況はそうなるんじゃないかと」

「ひどくないですか?」

「ひ、ひどい?」

 

あんずは批判的な顔で見つめ返してきた。

あゆみとアトラもなんだかこちらをおかしいことをしている人を見るような目で見返していた。

 

「わかりました。なんか事情がありそうなんで、もうちょっと聞きますよ。そこまで言うんなら。役に立つのかどうかわからないけど」

 

おれは諦めに似た気分でため息をついた。

そして空いていたイスに腰かけた。

それに合わせるように、三人が一斉にイスをひとつずつ横に移動して座り直した。

おれはまたもや大きなため息ををつくはめになった。

 

 

 

「つまり、そのウンディーネには3段階の位があって、あなたたちはまだ真ん中のシングルというやつなんですね?」

 

おれのその確認で聞いたことばに三人は一斉にため息ををついた。

 

「おたく、うちらにとって聞きたくない話をよくもまぁ言ってくれますね?」

「でもそう言ったのはそっちなわけで」

「確かにそうなんですけどね」

 

あゆみは頬杖をついておれをジロッと見返してきた。

 

「でも昇級試験は難しいし、なかなか先に進めない。おまけに試験管の先輩とはどうしてもウマが会わないと」

「そういうネガティブなところは忘れてください!」

 

アトラが急いで否定してきた。

 

「まあとにかくなんにせよ、ここらへんで次にどう進むべきかを考えたほうがいいのではと、三人で話し合った結果、独立だとなったわけだ」

 

あんずはギクッとなってまわりをキョロキョロ見回した。

 

「スミマセン。そこはデリケートなところなんで、もうちょっと声を落としてもらえませんか?」

「わかりましたよ」

 

三人は次なる一歩を踏み出す決断をしていたところだった。

何故それを職業紹介所で行っていたのかは定かではないが、結構微妙な話を微妙なところでやっていたのは事実だった。

彼女達三人はここネオ・ヴェネツィアで観光の仕事をウンディーネという職業で続けてきたわけだった。一人前のウンディーネ、つまりプリマになって仕事をバリバリやることを夢見ていた。だがそこにはどうしても越えられない高い壁があった。そうこうしてうるうちに、年齢と将来のことが頭をかすめるようになってきたわけだった。

 

もしシングルのままだったら・・・

 

「うちはどっちでもいいんだけどね」

 

あゆみはアトラとあんずとは少し考えが違うようだった。それゆえにふたりと少し温度差があった。

だが、なんか面白くなるんならという条件でふたりの話に乗ることにしたという。

 

「そこで三人はこれまでの経験を生かして、観光業に打ってでようとしたわけ?」

「そこはやっぱり観光でご飯を食べてきたわけなんだから、そうなると思うのよね」

「私もアトラちゃんのいうことに賛成なの。それにこれからネオ・ヴェネツィアはなんか色々始めるっていう情報も手に入れたしね♡」

「なんか色々って?」

 

そこにあゆみが口を挟んできた。

 

「それ、どこまでほんとかわからないからね」

「だってこの前、親しい常連のお客さんから聞いたって、あゆみちゃん言ってだでしょ?」

「聞いたよ?確かに聞いたけど、市場のカボチャ売ってるおばちゃんの話だからね」

「でも事情通だっていってなかった?アリスちゃんのネオ・ヴェネツィア国際映画祭のプレゼンターの件も、オレンジぷらねっとにいる私たちより先に知ってたでしょ?」

「確かにそうだったけど」

 

二人の会話が落ち着いたところで聞いてみた。

 

「それって、観光業に打ってでようとした理由が他にもあるということ?」

 

「エヘン!」とあんずは咳払いをして見せた。

 

「よくぞ聞いてくれました!つまり本題はそこなんです。私たち、何も無謀な賭けに出ようとは思ってません。ちゃんと根拠があってのことなんです!」

「はぁ」

 

なんかすごい自信ありげだなぁ・・・

 

「いいですか?なんとですよ!このネオ・ヴェネツィアがですよ?新しく生まれ変わるっていう話なんです!」

 

あんずは一段と目を輝かせて言い放った。

 

「ちょっとあんず?それってまだ決定した話じゃないんだからね」

 

あゆみがあんずに釘を刺すように口を挟んだ。

 

「でもこんな話、聞き逃すわけにいかないでしょ?しかも私たちには絶好のチャンスよ。これを逃す手はないわ!」

 

その反応を見てあゆみは大きくため息ををついた。

 

「やっぱり言うんじゃなかった。次期早々とはこういうことなんだろうなぁ・・・」

 

二人の様子を見比べていると、やはりそこは聞かないわけにはいかない。

 

「あのー、つまり、どういうこと?」

「よくぞ聞いてくれました!」

「二回目だ」

「何回でも言いますよ!」

「とりあえず一回で結構です」

「そんな遠慮しなくても」

「あの・・・」

「エヘン!」

 

あんずは仕切り直した。

 

「題して、ネオ・ヴェネツィア夢ランド計画ぅー!」

 

なんだ?夢ランド?それってテーマパークでも立ち上げるつもりなのか?しかもネオ・ヴェネツィアとも言ってる。

 

まだネオ・ヴェネツィアのことすらちゃんとわかっていないおれからすると、なんのことかすらピンとこない。いったいどうしたもんか・・・

 

「スゴいでしょ?」

「スゴいと聞かれても・・・」

「えぇー?わかんないんですかぁ?」

「だっておれは最近・・・というか、来たばっかりだから、ここへは」

「来たばっかり?」

「そうですけど?」

「そうなんですかぁ?」

 

あんずはホントに驚いておれの顔を見ていた。

 

「それじゃあダメじゃないですかぁー!」

「ダメ?何が?」

「観光案内ですよ!ネオ・ヴェネツィアのこと、詳しくない人が案内なんて出来ないじゃないですかぁー!」

 

おれは今怒られている。怒られているよね?確かに怒られているよね?なんで怒られなきゃいけないの?

 

「あ、あの、あんずさん?なんでおれが怒られなきゃいけないの?無理やり引っ張ってきたのはあなたであって・・・」

 

そこであゆみは大きなため息ををついた。

 

「だから言わんこっちゃない。こんな訳のわからない人をいきなり連れてきて通訳だとか言ったりして」

「訳のわからない・・・」

 

開いた口がふさがらなかった。ホントに。

 

だが無邪気に話す三人はわかってなかった。実はこんなところで話す内容ではなかったのだ。

あんずのいったネオ・ヴェネツィア夢ランド計画は、必ずしもオーバーな話ではなかった。

そもそも夢ランド計画って、なんのこっちゃわからない話なんだが、実のところ秘密裏に進行している話が、ここネオ・ヴェネツィアには本当にあった。

三人はそのことに触れる話だとは思ってなかった。

 

「なぜあの三人が知ってるの?」

 

少し離れたテーブルに座っていた女は、その場には全くといっていいほど似つかわしくない大きなつばの帽子に真っ黒のサングラス姿で経済新聞を広げていた。

その新聞で顔を隠していたが、隠せるわけもないほどの出で立ちで、あんずたちの方に聞き耳を立てていた。

 

「いったいどこから漏れたの?チョーチョー機密情報だというのに・・・」



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