ぼっちな貴女に恋をして (ぬこノ尻尾)
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初手必殺のプロポーズ~sideA~

アニメを見てぼっち・ざ・ろっく!にハマり、原作もCDもBD1.2巻も買ったので初投稿です。

ストックがある6話までは15分おきに更新して、それ以降はのんびり更新になります。


 

 

 己が幸せであるか否かというのは、人がよく自身に問いかけるもの……。私自身も、己の幸せについて考えたことが何度もあります。

 私は恵まれた人間であると、心から実感できています。極めて裕福な家に生まれ、過去に金銭に関して困った経験などなく、願って叶わなかったことも一度もありません。

 客観的に見て容姿にも恵まれており、容姿を賞賛される機会も多くありました。いろんな才能にも恵まれていて、なにをやっても人並み以上にこなすことができましたし、天才や神童と呼ばれたことも何度もあって、いろいろな分野で結果を残すことも出来たと思います。

 

 交友関係にだって凄く恵まれました。仲のいい友達もたくさん居て、尊敬できる人も身近に存在してました。お父様もお母様も、仕事で忙しい中でも小まめに時間を作って私と過ごしてくれましたし、確かな愛情と共に育ててもらったという実感があります。

 そう、私は、とても恵まれています。人が羨むようなものをたくさん持っていて、たくさんの愛情に包まれて、なに不自由のない日々を過ごしていると言っていいと思います。

 人生に不満があるかと問われれば、私は「無い」と即答ができるほどに……。

 

 だけど、私の人生には何かが足りないと、ずっとそう感じていました。心の奥にパズルのピースがひとつ足りないような、そんな感覚……現状に不満があるのではなく、なにかが足りていない。だけど、それが私自身でも分からないという、なんともスッキリしない感覚です。

 私自身がよく分かっていないものを人に相談できるわけもなく、なんとも言えない感覚を抱きながら日々を生きてきました。

 

 ですが、あの日私は――『運命』に巡り合いました。

 

 

****

 

 

 その日は特に普段と変わって特別な日ではありませんでした。いつものように学校に通い、仲のいい友達と共に勉学に励み、楽しく雑談をしながら帰路につきました。

 駅で電車通学の友達と別れ、そのまま家に帰るか、それとも本屋にでも寄って帰るかと思案していたタイミングで、ふとその人の姿が目に留まりました。

 

 前から歩いてくる同年代ぐらいの桃色の長髪の女性。制服の上に髪の色に似たジャージを着た特徴的な姿で、顔を俯かせながら歩いており、長い前髪と姿勢で少し顔は隠れ気味ですが微かに覗く顔立ちは整っているように感じられました。

 名前も知らない、学校も間違いなく違う女性。その姿を見た瞬間……私は落雷に打たれたような衝撃を受けて思わず足を止めてしまいました。

 

 それはまさに雷の一撃。フランス語で『Le(un)coup de foudre(ル(アン)クゥドゥフードル)』とも言われる衝撃……つまるところ、『一目惚れ』です。

 私はいままでの人生において、こんなにも美しく愛らしい人を見たことはありません。こんなにもひとりの人間に心奪われたことはありませんでした……ずっとなにかが足りなかった心に、最後のピースがはまる音が聞こえた気がしました。

 同性であるという事は気になりません。好きになった相手がたまたま同性だったというだけの話であり、特に問題というようなことでもないでしょう。

 いや、考えるのはあとにします。私はいま己の気持ちを自覚しました。ならば次は行動に移すだけ……。

 

 私は歩いてくる女性の前に立ち、声をかけます。

 

「あの、突然すみません」

「ッ!?!?」

 

 声をかけると女性はビクッと体を動かしたあとで、キョロキョロと周囲を見始め「え? 私に声をかけてるの?」と言いたげな表情を浮かべていましたが、私の方はそれどころではありませんでした。

 間近で見るとその愛らしさにさらに凄まじく、心臓が早鐘のように脈打つのを感じてとても冷静ではいられません。ですが、ここで目的を見失ってはいけませんので、心を奮い立たせて言葉を続けます。

 

「私は時花有紗(ときはなありさ)と申します。是非、貴女のお名前を教えていただけませんでしょうか?」

「……あっ、後藤ひとり……です」

「後藤ひとりさん……素敵なお名前ですね。ひとりさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「あっ、は、はい」

 

 後藤ひとりさん……名前の響きもなんて素晴らしいのでしょうか。愛らしい姿の方には、それに相応しい愛らしい名前があるもの……彼女の名前を知り、呼べた奇跡に感謝したい気持ちでいっぱいです。

 しかし、話はこれで終わりではありません。まだ、ここからなによりも大事な話をしなければならないのです。

 

「ひとりさん……突然のことではあるのですが……」

「あっ、はい」

「結婚してください!!」

「ふぁっ!?」

 

 高らかに告げた言葉に、ひとりさんは大きく目を見開いて驚愕し、少しすると大量の汗を流しながら視線を忙しく動かし始めました。

 

「……あっ、ああ、あの……いい、いきなり……なにを!?」

「貴女に一目惚れしました。結婚を前提としたお付き合いをお願いします」

「へぅっ!?」

 

 私の言葉に対しひとりさんはかなり戸惑っている様子であり、なにかを返答しようとしている感じはあるのですが、言葉にならないといった雰囲気でした。

 そこでふと私はあることに思い至りました。ああ、私は急ぎ過ぎてしまったのかもしれません……お父様からもよく「有紗のその行動力は長所でもあり欠点でもあるね」とよく言われていたのですが……今回も気持ちがはやり過ぎてしまいました。

 

「申し訳ありません、ひとりさん。私は少々急ぎ過ぎてしまっていたかもしれません」

「あっ、えっと……そ、そうですか……」

「大変失礼いたしました。『指輪』も用意せずに結婚を申し込むなど、無作法でした。恐れ入りますが、左手の薬指のサイズを測らせていただいてもよろしいでしょうか? 早急に婚約指輪を用意いたしますので」

「あぇぇぇ!?」

 

 結婚を前提としたお付き合いを申し込むのであれば、それはすなわち婚約です。であるならば、それには相応しい作法というものもあります。

 つい気持ちが急ぎ過ぎて、エンゲージリングすら用意することもなく結婚を申し込んでしまったのは、完全な落ち度でしょう。ひとりさんが戸惑うのも当然ですね。

 

「……あっ、あの……その、ですね。しょっ、初対面で、いっ、いきなり結婚とかは、はは、早すぎるといいますか……こ、ここ、困るといいますか……」

「ふむ。なるほど……」

「もも、もう少し段階を踏んで……」

 

 そういえば以前読んだ本に、まずはお友達からという言葉がありました。たしかにひとりさんの仰る通り、段階を踏むべきなのかもしれません。

 私自身としてはひとりさんが頷いてくれたのなら即座に指輪を作って、式場を手配させる気でいましたが、ひとりさんの意思を無視するわけにも行きません。

 恋愛の速度は人それぞれですし、私の速度に無理やり合わせさせてしまうのも問題ですね。

 

「……たしかに、ひとりさんの仰る通りかもしれません。こういったことは、しっかりと段階を踏むべきでしたね。謝罪いたします」

「あっ、い、いえ、分かってもらえたなら……」

「ではまずはお友達からということで! 是非、ひとりさんの連絡先を教えていただけませんでしょうか!!」

「はひっ!? かっ、顔近っ……わわ、分かりました!?」

 

 今後ひとりさんと親睦を深めていくために連絡先の交換をお願いしたところ、ひとりさんはワタワタと慌てた様子で連絡先を教えてくれ、更にはそれだけでなくご自宅の住所まで教えてくださいました。

 これはつまり……いつでも遊びに来ていいということでしょうか!? ホッとしました。ついグイグイ行き過ぎてしまったかと思いましたが……脈有りの様ですね!

 

「あっ、ああ、あの、私……電車の時間があるので」

「そうですか、それはお引止めしてしまって申し訳ありません。また、ご連絡させていただきますね」

「あっ、はい。そそ、それでは!」

 

 ひとりさんにもご都合というものがありますので、あまり長く引き留めるわけにも行きません。少し慌てた様子で駅に向かっていくひとりさんに手を振って見送ったあとで、私はスマートフォンを取り出して電話を掛けます。

 

「……じいや、明日の予定を空けておいてもらえますか? あと送迎の手配と、手土産の用意を……ええ、友人の家に参りますので、ええ、よろしくお願いします。手間をかけて申し訳ありません」

 

 今日はゆっくりと話すことができませんでしたが、明日は休日ですし、さっそく頂いた住所に遊びに行かせてもらうことにしましょう。

 初めての訪問になりますので、しっかりと手土産も持って……ふふ、とても楽しみですね。

 

 

****

 

 

 恋をすると世界が変わって見えるものです。衝撃的な出会いから一夜明けた翌日、私はさっそくひとりさんのお宅に伺いました。

 呼び鈴を鳴らして少し待つと、ひとりさんと同じ色合いの髪の大人の女性……おそらくひとりさんのお母様らしき方が応対してくださいました。

 私にとっては将来のお義母様というわけですね。

 

「初めまして、私は時花有紗と申します。ひとりさんはご在宅でしょうか?」

「あら? まぁまぁ、ひとりちゃんのお友達かしら?」

「はい。お友達から始めて将来はひとりさんの妻になる予定です。よろしくお願いします、お義母様」

「……うん? よく分からないけど、ひとりちゃんのお友達が来るなんて初めてよ。どうぞ、上がってちょうだい」

「お邪魔いたします。ああ、こちらつまらないものですが、皆さんでお召し上がりください。生ものではありませんが、あまり日持ちするものでもありませんので、ご注意ください」

「あら、ご丁寧にどうも、ずいぶんしっかりした子ね……少し待ってね。ひとりちゃ~ん! お友達が来てるわよ~」

 

 優しそうなお義母様に促され、家に上がらせていただきます。脱いだ靴を綺麗に整えて邪魔にならない位置に置いたタイミングで、ひとりさんが玄関にいらっしゃいました。

 寝起きなのか、少し眠そうに眼を擦っている姿がとても愛らしく、胸が高鳴るのを感じました。

 

「……もう、お母さん。私の友達が来たなんて、嘘つくにしてももう少しマシな……マシな……」

「こんにちは、ひとりさん。朝早くから申し訳ありません。またお会いできて嬉しいです」

「ひっ、ひぇぇぇ……」

 

 私の顔を見たひとりさんは、信じられないと言いたげな表情を浮かべていました。よかったです。どうやら、昨日一度会っただけですが、しっかりと私の顔を覚えてくださっていたみたいです。

 やはり、これは……脈ありと見ていいでしょうね!

 

 

 




時花有紗:恵まれた境遇に有り余るお金、数多の才能に抜群の容姿と神様の依怙贔屓を受けまくり、天から何物も与えられまくったが、ブレーキだけは与えられなかった常時行動ゲージMAX状態のお嬢様。初手プロポーズからの自宅訪問、家族への挨拶を出会ってから24時間以内に決めた猛将メンタル……正面突破しかしない剛の者。



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初手必殺のプロポーズ~sideB~

sideA=有紗主体の一人称

sideB=ぼっち主体の三人称


 

 

 秀華高校に通う高校一年生後藤ひとりは高校からの帰り道を、トボトボと俯きながら歩いていた。地元の中学では友達のひとりも出来ず、本人にしてみればトラウマとなるやらかしもあって、自宅から片道2時間かかる高校に進学し、高校デビューを夢見ていた彼女ではあるが、儚くもスタートダッシュに盛大に失敗し、高校入学から2週間が経っても、友達はおろか同級生との会話すらほぼ皆無の状態だった。

 

 彼女は中学時代からギターを始めて、毎日コツコツと練習を積み重ね、いつかバンドをやりたいと願ってはいるものの、極端な人見知り……俗に言うコミュ症であり、筋金入りの陰キャでもある彼女は、人との会話はおろか目を合わせることすらできないというありさまであり、当然ながら高校でも友達0人状態を継続中だった。

 いまの彼女の支えは「guitarhero」というハンドルネームで投稿している動画の評価のみであり、いまも早く家に帰ってパソコンで動画コメントを確認しようと考えていた。

 

(……高校に入って2週間。もう周りは仲良しグループを作ってる。自分からそこに入っていくのは……無理。このままだと中学の二の舞に……で、でも、どうすれば……なんで皆、当たり前のように友達とか作れるの? うぅ……考えるのはやめよう。とりあえず、明日から2連休だし、ギター弾いて動画アップして……荒んだ心を癒そう)

 

 辛い現実はとりあえず忘れてネットに逃避しようと、そんな風に考えつつ歩いていたひとりだが、現実とは彼女が想像しているよりも遥かに唐突にとてつもない出来事を発生させた。

 

「あの、突然すみません」

「ッ!?!?」

 

 突然聞こえてきた綺麗な声に、ひとりは飛び跳ねるほどに驚愕する。まさか、道を歩いていていきなり声を掛けられるとは思っておらず、下げていた視線を声のする方に向けて……再び驚愕した。

 

(ど、どえらい美少女が話しかけてきた!? え、えぇ、私? い、いや、人違いでは……)

 

 ひとりの目に映ったのは、煌めくような銀のセミロングストレートヘアーに金色の瞳の絶世の美少女と呼べるような存在であり、上品で高級感のある制服、あまりにも整った容姿とプロポーション……見るからにお嬢様感が凄い相手だった。

 間違っても陰キャの己に話しかけてくるような相手ではないと、ひとりは慌てて周囲を見渡すが、どう見ても目の前の女性が話しかけているのは己で間違いなかった。

 

「私は時花有紗と申します。是非、貴女のお名前を教えていただけませんでしょうか?」

「……あっ、後藤ひとり……です」

「後藤ひとりさん……素敵なお名前ですね。ひとりさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「あっ、は、はい」

 

 ひとりの理解が追い付かないうちに自己紹介し合うこととなり、ひとりの名前をしった女性…‥有紗は、同性であるひとりも思わず見とれてしまうような笑顔を浮かべる。

 元々の整い過ぎた顔立ちもあり、眩しさすら感じる笑顔を浮かべながら有紗は言葉を紡ぐ。

 

「ひとりさん……突然のことではあるのですが……」

「あっ、はい」

「結婚してください!!」

「ふぁっ!?」

 

 予想だにしない言葉に思わず叫んでしまったひとりを誰が責めることができるだろうか。見ず知らずの美少女が街中でいきなり初対面の自分にプロポーズをしてくるなど、想像しろという方が無理な話である。

 

(結婚? はえ? な、なに、この人いきなりなにを……完全に人違いでは? それとも私が忘れてるだけで、幼い頃に結婚の約束をしていたとか……いや、昔から友達いたことないから違うか……え? え? なにこれ、ドッキリ?)

 

 明らかな異常事態と言っていい状況ではあるが、悲しいかなコミュ症の彼女にとって即座に対応することは難しい。

 いや、仮にコミュ症でなかったとしても、このようなことを突然言われて即座に切り返すのも困難ではあるが……。

 

「……あっ、ああ、あの……いい、いきなり……なにを!?」

「貴女に一目惚れしました。結婚を前提としたお付き合いをお願いします」

「へぅっ!?」

 

 とりあえず言葉を返そうとしたものの、戸惑うひとりに対して有紗は一切動揺したりする様子もなくグイグイと話を進めてくる。

 

(ど、どうなってるの!? どういう状況? あと顔がよすぎて直視できない……が、顔面戦闘力の暴力が眩しすぎる)

 

 なにかを言わなければこのまま押し切られてしまう気がするが、なにかを言おうにも思考が追い付かずに言葉にならない。

 体中から汗が噴き出し、頭もパンクしそうなほどではあるがなにもできず、ただアワアワとしているだけのひとりだったが、有紗の方がなにかに気付いた様子で表情を申し訳なさそうなものに変えた。

 

「申し訳ありません、ひとりさん。私は少々急ぎ過ぎてしまっていたかもしれません」

「あっ、えっと……そ、そうですか……」

 

 ひとりの感想としては、少々急ぐどころか音も置き去りにして暴走しているように思えたのだが、それでも気付いて踏みとどまってくれたのは幸いだった。

 たぶんなにか変な誤解があったのだろうと、そう考えつつ胸を撫で下ろしかけたが……。

 

「大変失礼いたしました。『指輪』も用意せずに結婚を申し込むなど、無作法でした。恐れ入りますが、左手の薬指のサイズを測らせていただいてもよろしいでしょうか? 早急に婚約指輪を用意いたしますので」

「あぇぇぇ!?」

 

 ……なにも、まったく分かってはいなかった。人と人はこれほどまでに認識が食い違うものなのだろうか? まるで、地上と宇宙で会話でもしているのではないかというような衝撃だった。

 

(ど、どうしよう。陽キャってこんなにグイグイ来るものなの? 所詮陽キャと陰キャで意思疎通するのは不可能……いや、この人に関しては、陽キャとかそういう問題ではない気がするけど……えっと、とにかく、なにかを言わなくちゃ! このままだと、さ、攫われて拉致監禁コースなのでは!?)

 

 被害妄想極まれりではあるが、混乱したひとりはこのままでは拉致監禁されてしまうという謎の結論に辿り着き、己の身の安全のために必死に言葉を紡いだ。

 

「……あっ、あの……その、ですね。しょっ、初対面で、いっ、いきなり結婚とかは、はは、早すぎるといいますか……こ、ここ、困るといいますか……」

「ふむ。なるほど……」

「もも、もう少し段階を踏んで……」

 

 しどろもどろではあったが、なんとか気持ちを伝えるひとりの言葉に対し、有紗は納得した様子で頷いていた。そうして、少し考えるような表情を浮かべたあとで頭を下げた。

 

「……たしかに、ひとりさんの仰る通りかもしれません。こういったことは、しっかりと段階を踏むべきでしたね。謝罪いたします」

「あっ、い、いえ、分かってもらえたなら……」

 

 ひとりの言い分を認め、謝罪の言葉を口にする有紗にひとりはホッと胸を撫で下ろした。なんだ、話せばちゃんと分かってくれるじゃないかと、そう安心した直後、有紗はひとりの手を握りグイっと顔を近づけてきた。

 

「ではまずはお友達からということで! 是非、ひとりさんの連絡先を教えていただけませんでしょうか!!」

「はひっ!? かっ、顔近っ……わわ、分かりました!?」

 

 吸い込まれそうな金色の美しい瞳に、あまりにも整った顔が急接近してきては同性であっても冷静ではいられない。

 

(はぇぇぇ!? な、なんなのこの人ぉぉぉ……止めて、その異常な戦闘力の顔面を近づけないで、なんか上品でいい香りするし……ひえぇぇぇ、誰か、助けてぇぇぇ)

 

 ここに来てひとりの混乱は最高潮に達しており、なんとかこの場から逃れるために必死に相手の求める情報を提示する。

 完全にテンパっていたひとりは、電話番号などだけでなく自宅の住所まで伝えてしまっていたのだが、幸か不幸かそれに気付くことは無かった。

 

 その後は電車の時間を理由に逃げるように有紗の元を去って、長い時間をかけて家に帰ってから疲れ切った表情で畳の上に倒れた。

 

(……つ、疲れたぁ。いきなりあんな美少女にプロポーズされるとか普通あり得ないよ……え、えへへ、もしかして、私のバンドマンとしてのオーラが惹きつけたとか……あ、あんな、凄いお嬢様っぽい美少女を虜にしちゃうなんて、ギターってやっぱりすご……あれ? でも、私、ギター持ってなかったよね?)

 

 ひとりになったことで心の余裕が生まれたせいか、自己肯定感を満たす妄想を展開するひとりだが、すぐに有紗と出会った際にはギターもなにも持っていなかったことを思い出した。

 

(あれ? ではなぜ? ギターを弾いていない私にプロポーズする要因とかないのでは? はっ!? ま、まさか、あれが噂に聞く……美人局というやつでは!? ホイホイついて行ったら、怖い人が出てきて……ひぃぃぃ)

 

 自己肯定感が低いせいもあってか、有紗が自分にあんなことを言ってきたのはきっとなにか裏があるという思考に思い至った。

 いま、ひとりの脳内では謎の事務所で恫喝されている己の姿が思い浮かんでおり、体を小刻みに振るわせていた。

 

「……ひとりちゃん? なんで床で震えてるの?」

「お母さん……都会は怖いところだね」

「え? なに、急に?」

 

 ひとりは今日都会の恐ろしさを知った。生き馬の目を抜く人ばかりの恐ろしい都会において、己のような陰キャが油断していればあっという間に餌として食い尽くされてしまうと……。

 2時間かかる高校に進学したのは失敗だった。今後はあの通りを通って帰るのはやめておこうか……と、しばしの間そんなことを考えていた。

 

 

****

 

 

 休日、それは学生にとっても社会人にとっても等しく与えられた癒しの時間。後藤ひとりもまた、基本は週に2日だけ訪れる至福の時をまどろみの中で過ごしていた。

 今日ばかりは全てが許される。昼前まで布団に籠っていたとしても、一日中押し入れの中でギターを弾いていたとしても、全てが許されるという素晴らしき日である。

 

「ひとりちゃ~ん! お友達が来てるわよ~」

 

 しかし、そんな彼女のまどろみは母親の声によって打ち破られることとなった。

 

(……友達? トモダチ? お母さん……なんてファンタスティックで意味不明な言葉を……)

 

 声に導かれるように布団から出て移動しつつ、ひとりは不思議そうに首を傾げた。それもそのはずである。ひとりに友達はいない。友達0人記録は未だに更新中であり、友達が訪ねてくるなどあり得ない……なぜなら、居ないのだから、存在しないものがどうやって訪ねてくるというのだろうか?

 それこそ脳内のイマジナリーフレンドが実体化でもしなければあり得ない事態であり、それが母親の冗談であると認識するのは必然であった。

 

「……もう、お母さん。私の友達が来たなんて、嘘つくにしてももう少しマシな……マシな……」

 

 ただ、呼ばれたからにはいちおう顔を出す。そんな律儀な思考で目を擦りながら玄関に移動したひとりが目にしたのは……。

 

「こんにちは、ひとりさん。朝早くから申し訳ありません。またお会いできて嬉しいです」

「ひっ、ひぇぇぇ……」

 

 満面の笑みを浮かべた有紗であった。昨日の出来事は当然のことながらひとりも覚えている。なんなら美人局ではと疑って怯えてすらいた。

 そんな相手が、翌日即座に家にやってきたとなっては、冷静でいられるわけもなかった。

 

(こ、この人……二手目でいきなり本丸(実家)に奇襲してきた!?)

 

 かつて、かの桶狭間の戦いにおいて、織田信長に奇襲された今川義元の心境とは、いまのひとりの心と同じものだったのかもしれない。

 かくして、行動力の化身ともいえる有紗の襲来によって、ひとりの至福の休日は脆くも崩れ去ることとなった。

 

 

 




後藤ひとり:ぼっちちゃん。高校入学2週間でとんでもないのに一目惚れされた。この時点では好感度は無いに等しく、むしろ有紗を恐れている段階。早くイチャイチャしてほしい。


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二手決殺の自宅訪問~sideA~

 

 

 ひとりさんの家に遊びに来させていただき、ひとりさんのご家族にも一通り挨拶をさせていただきました。お義母様にお義父様、そして将来義妹になる予定のふたりさんと飼い犬のジミヘンさん、皆さまとても温かく歓迎してくださいました。

 なんでもひとりさんが友人を家に招くのは初めてということで、私としてはとても光栄なお話ではありますが、ひとりさんはなにやら遠い目をしていたのが印象的でした。

 もしかすると己のテリトリーにあまり他者を入れたがらない孤高の方なのかもしれません。ならば、今後は私と一緒にいる時間の方がひとりでいる時間よりよいものであると思ってもらえるように頑張りましょう!

 

 簡単な挨拶が終わった後は、2階にあるひとりさんの部屋に案内していただきました。和風の部屋で、ここで普段ひとりさんが生活していると考えると、とても尊い空間のように感じられました。

 

「綺麗なお部屋ですね」

「あっ、い、いや……物があまりないだけです。どっ、どうぞ、お好きなところに座ってください」

「恐れ入ります」

 

 ひとりさんに軽く頭を下げてから部屋に置いてあったテーブルの前に座らせていただきました。和室ということなので正座です。華道や茶道の授業を思い出しますね。私の家は洋風なのですが、畳のお部屋もよいものです。

 私が座ったのを確認して、ひとりさんは机を挟んで対面に座り、落ち着きなく視線を動かしながら顔を俯かせ……少しして、意を決したように口を開きました。

 

「……あっ、あの……わわ、私、あんまりお金とかは持ってなくて……ごっ、ご期待には沿えないかと……」

「お金ですか?」

「はひっ!? もも、もちろん、逃げようだなんてわけでは無く……」

 

 最初はひとりさんの言葉の意図が分からず首を傾げましたが、少し考えてみればその言葉の意図を察することは出来ました。

 先日私はひとりさんに結婚を申し込みました。その件に関しては、急ぎ過ぎていたということでまずはお友達から始めることとなりましたが、おそらくお優しいひとりさんはその時の言葉から将来について考えてくださったのでしょう。

 

 将来結婚し、仮にふたりで生活することになれば金銭面なども考慮する必要はあります。学生の身であるひとりさんにとって、誰かを養うほどの金銭を稼ぐのは大変だとそう考えているのでしょう。

 こればかりは将来ひとりさんがどのような職に就くかによって、得られる金銭は変わってきますので一概にどうというのは難しいですが……ひとりさんの不安だけは、いま取り払っておくことにしましょう。

 

「なるほど、大丈夫です。どうかご安心を……私はこう見えても、個人資産はそれなりに所持しておりますので、将来ひとりさんに不自由な生活をさせるようなことはありませんと約束いたします」

「あっ、えと……あっ、はい」

 

 私もまだ学生の身ではありますが、お父様より幼少の頃から資産運用を学ぶ一環として、投資などは勉強させていただいておりますし、得た利益はお父様の厚意で私の個人資産として自由に運用できています。結果としてこれまでに得た資産はひとりさんを養うには十分すぎるだけ存在します。

 ただ愛しい方を不安にさせてしまったのは落ち度でもありますし、もう少し投資に力を入れてさらに安心できるようにするのもいいかもしれません。

 もちろん、それでひとりさんと過ごす時間が減ってしまっては本末転倒なので、ある程度考える必要はありますが……。

 

「あっ、あの!? 私、のの、飲み物を用意してきます」

「お気を使わせてしまって申し訳ありません」

「いっ、いえ、しょしょ、少々お待ちを……」

「はい。ありがとうございます」

 

 飲み物を用意してくださるというひとりさんの心遣いに感謝しつつ、ひとりさんが退室した室内を見渡します。室内自体は簡素な感じで、あまり物は置いていない様子でしたが……ふと、ひとつ気になるものがありました。

 なにやらコードのようなものが押し入れの中に伸びていました。押し入れの中に何かあるのでしょうか? ですがまぁ、勝手に見るのも失礼ですしあとで聞いてみることにしましょう。

 

「……あっ、あの……時花さん?」

「え? ああ、お帰りなさい、ひとりさん。私のことはどうか、有紗と名前でお呼びください。口調も話しやすいもので大丈夫ですよ? 私は誰に対してもこの話し方なので」

「あっ、じゃ、じゃあ……有紗ちゃん……と、とか?」

「素敵ですね。是非」

 

 ジュースの入ったコップを持って戻ってきたひとりさんと軽く言葉を交わしたあと、再び向かい合って座ります。

 ひとりさんは相変わらず俯いて視線を動かしていて、ひとりさん側から話は無い様子だったので、先に感じた疑問を尋ねてみることにしました。

 

「ひとりさん、質問してもよろしいでしょうか?」

「あっ、はい」

「あちらの押し入れにコードのようなものが伸びていますが……なにかあるのでしょうか?」

「あっ、えと、その……ギ、ギターが……あります」

 

 押し入れに関して尋ねてみると、ひとりさんは立ち上がり押し入れを開けて中からギターを取り出しました。

 

「ギターですか……これが? なるほど、実物を見たのは初めてです」

「あっ、そうなんですか?」

「ええ、バイオリンであれば見たことはありますが……ひとりさんは、ギターを演奏されるのですね?」

「あっ、はは、はい。すす、すみません! 陰キャがイキって……」

「陰キャ? イキって? えと、よく分かりませんが、趣味があるのはとても素敵なことだと思いますよ」

 

 私も幼少期からピアノはずっと続けているので、音楽に関しては多少分かりますが……クラシックばかりだったので、ギターはあまり詳しいとは言えません。

 

「無知で申し訳ありませんが、そのコードは?」

「あっ、これはシールドって言って……ギターとアンプを繋ぐケーブルで……」

「アンプ?」

「あっ、こっ、こっちにあるやつで……これに繋いで音を出して、あと、おお、音を変えるエフェクターとか、パソコンに録音するインターフェイスとか……」

 

 聞き覚えのない単語を尋ねてみると、ひとりさんは押し入れの中に移動しながら、中に置いてある機材について説明をしてくれました。

 私も立ち上がってひとりさんに続くように押し入れの中に入ってみると、中は小さな部屋のようになっており、いろいろなものが置いてありました。

 

「いろいろなものがあるのですね」

「はい……はえ? わひゃぁ!? いい、いつの間に、なな、中に……」

「普段はここで演奏をされているのですか?」

「あっ、ははは、はい……あの、せせ、狭いですし、汚いですし……その」

「そんなことはありませんよ。なんだか秘密基地みたいで、素敵ですね」

 

 ひとりさんはいつもここでギターを演奏されていると……またひとりさんのことをひとつ知れて、嬉しい限りです。

 ですが、せっかくですのでギターの演奏も聞いてみたいですね。いきなりで迷惑かもしれませんが、せっかくなのでお願いしてみましょう。

 

「ひとりさん、もしご迷惑でなければ、演奏を聞かせていただけませんか?」

「あっ、そ、そそ、それはいいですけど……近いので……離れ……」

「はい?」

「なななな、なんでもないです!? たた、直ちに準備を!?」

 

 後半の言葉が小さく聞き取れなかったので聞き返すと、ひとりさんは何故か慌てた様子で準備をしてギターを構えました。

 その姿はとても様になっており、先ほどまでの可愛らしい姿からは一変してカッコいいという印象を受けました。

 

「……あっ、えっと……なにを弾きましょうか?」

「お任せします。ひとりさんの好きな曲で大丈夫ですよ」

「あっ、わ、分かりました」

 

 私の言葉に頷いたあと、ひとりさんは目を閉じて一度深呼吸をしたあとでギターを演奏し始めました。やや緊張しているようにも見えましたが、手先は淀みなく動いており、素人目ながら相当練習を積んできたと思わせる見事な演奏でした。

 なにより、ギターを演奏している時のひとりさんの表情は先ほどまでよりも生き生きとしており、すごく魅力的で、自然と私も笑顔になるのを感じました。

 間近で演奏するひとりさんの横顔を眺めるという至福の時間も、残念ながら永遠に続くわけでは無く演奏が終わると、ひとりさんは不安げな表情でこちらを見てきました。

 

「素晴らしい演奏でした。ひとりさんは、ギターの演奏が上手なんですね」

「あっ、えと……えへへ……そそ、そうですかね?」

「はい。演奏している時の姿も凛々しくて、とてもカッコよかったです」

「ふへへ……そそ、そんな……大したことでは……ほ、他も、演奏しましょうか?」

「ええ、ひとりさんさえよろしければ是非お聞かせください」

 

 素直に感じた賞賛の言葉を口にすると、ひとりさんはとても分かりやすく喜んでくれて、その愛らしさに再び私も笑顔になるのを感じました。

 ああ、やはりひとりさんと一緒に過ごす時間は幸せだと、彼女に出会えた幸福に感謝しつつ、しばしひとりさんの演奏に耳を傾けました。

 

 

****

 

 

 幸せな時間というものはあっという間に過ぎていくものです。ひとりさんの演奏を聞いたあとギターやロックについてもいろいろを教えてもらいました。

 好きな趣味の話だからか、いままでよりもひとりさんが饒舌で、また新しい一面を見れて嬉しかったです。

 

「それでは、ひとりさん。今日は長々と、ありがとうございました」

「あっ、いえ、大したお構いも出来なくて……えと……と、ととと、とととと、友達を家に招くなんて、初めてだったので……」

「私は、ひとりさんのおかげで、今日という一日をとても楽しく過ごすことができました。名残惜しいですが、今日はこれで失礼させていただきます。またロイン等で連絡いたしますね」

「あっ、はい」

 

 そろそろ夕方に差し掛かる時間となり、これ以上お邪魔するのもご迷惑なので帰ることにしました。玄関まで見送りに来てくださったひとりさんと言葉を交わしていると、名残惜しいという気持ちが強くなりますが……ここは我慢です。

 

「それでは、ひとりさん、また明日」

「あっ、はい……また……明日?」

「失礼します」

「あっ、ちょっ、まっ……」

 

 明日も休日ですし、また朝から遊びに来させていただくことにしましょう。ロインも交換しましたので、今度はひとりさんが起床しているかを確認することも可能です。

 休日なので、明日もご家族はご在宅でしょうし、またなにかしら手土産を……今度は、日持ちする焼き菓子がよいですね。じいやに手配しておいてもらえるように連絡しておきましょう。

 

 それにしても、好きな相手ができるとこれほどまでに日々が楽しくなるのですね。明日が待ち遠しいです。

 

 




時花有紗:猛将。もう当たり前のようにひとりの両親を義父、義母と呼んでいる鬼つよメンタル。躊躇とか、そういうのは……ないです。


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二手決殺の自宅訪問~sideB~

 

 

 人は、未知なるものに怯える存在である。後藤ひとりにとって、いままさに目の前に存在する女性は未確認生物にして未知の侵略者と呼んでいい存在だった。

 そして、悲しいかな人とは奇襲に弱い生き物だ。予想外の出来事に遭遇した混乱から立ち直るころには、全てが手遅れとなっていることも多い。

 

「お義母様だけでなくお義父様ともお会いできて、光栄です」

「ついに、娘が……ひとりが、我が家に友達を招く日が来るとは、感動だよ。これからもひとりと仲良くしてやってくれ」

「はい! それはもちろん!」

「ねぇねぇ、有紗ちゃんは、本当におねーちゃんのお友達なの?」

「ええ、そうですよ。そして、将来の妻でもあります。なので、ふたりさんも私のことは義理の姉と思ってくれていいですからね」

「すごいね~おねーちゃんにお友達なんて、本当にいたんだ。絶対いないと思ってたのに~」

 

 一日前に初めて会い、翌日には家に襲来した女性が、いつの間にやら家族に「ひとりの友達」として認識されており、いまさらひとりが「昨日会った変な人です」とは言い出せないほど外堀が埋まっていることも、手遅れのひとつだろう。

 

(……すっごく仲良くなってる!? こ、これが陽の気を持つ者の力……ど、どど、どうしよう!? というか、この人サラッと家族に向かって将来の妻とか言ってるんだけど!!)

 

 この流れになってしまうと、コミュ症で口下手なひとりの話術で挽回は不可能であり、当然の流れとして挨拶が終わった後はひとりの部屋にとなるのは避けられない。

 結局ひとりは、なんの反論も出来ずに死んだ魚の目で有紗を自室に案内することとなった。

 

(い、いったい、なにが目的なんだろう? 昨日金を巻き上げられなかったから、家にまで取り立てに? そもそも、どうやって私の家を……ま、まま、まさか、後を付けて……)

 

 実際はひとりが自ら住所を教えたのだが、その時はテンパっていたこともありすっかり忘れてしまっていた。前日に美人局では? と考えていたこともあり、ひとりの思考はいま大ジャンプをしていた。すなわち、有紗が己の住所を調べて取り立てに来たのだと……。

 

「綺麗なお部屋ですね」

「あっ、い、いや……物があまりないだけです。どっ、どうぞ、お好きなところに座ってください」

「恐れ入ります」

 

 いよいよ本丸……最後の砦ともいえる自室に有紗が到達し、ふたりきりという状態となったことでひとりの緊張は最高潮と言っていい状態だった。

 有紗と向かい合って座った時の心境たるや、獰猛な肉食獣の前に生身で差し出されたようなものであった。

 

(な、なな、なんとか……手持ちのお金だけで勘弁してもらえるように……全力で土下座とかして……)

 

 チラリと貯金箱の位置を確認したり、いま財布にいくら入っていたかと思案したり、落ち着きなく視線を動かしたあとでひとりは意を決して告げる。

 

「……あっ、あの……わわ、私、あんまりお金とかは持ってなくて……ごっ、ご期待には沿えないかと……」

「お金ですか?」

「はひっ!? もも、もちろん、逃げようだなんてわけでは無く……」

 

 しかし、ひとりの言葉に対して有紗は心底不思議そうに首を傾げた。それもそうだろう、彼女にしては好きな相手……将来結婚する予定の相手の自宅に遊びに来ただけであり、なぜそこでお金云々の話が出てくるのか……まさか、ひとりが己を美人局の類と勘違いしているとは察せるはずもない。

 

 ただ、有紗もまた並の思考回路はしていない。彼女もまた超次元ともいえる思考によって、ひとりがお金の話しを切り出した意図を……完全に間違いではあるが察し、納得した様子で頷いた。

 

「なるほど、大丈夫です。どうかご安心を……私はこう見えても、個人資産はそれなりに所持しておりますので、将来ひとりさんに不自由な生活をさせるようなことはありませんと約束いたします」

「あっ、えと……あっ、はい」

 

 これはこれで奇妙な切り返しではあるのだが、幸いにもその言葉はひとりに己の勘違いに気付かせる要因となった。

 

(……あれ? なんか、話が噛み合わない。お金目的じゃないとすると……私みたいなミジンコ以下の存在の元を訪ねてくる理由なんてないのでは?)

 

 後藤ひとりは、ギター関連以外ではかなり自己評価が低い、故に有紗の目的がひとり自身という考えを早々に捨てていた。

 しかし、他の道が塞がれてしまえば、一度捨てた可能性を考え始めることもある。

 

(えっと、考え方を変えてみよう。仮に時花さんの言葉に一切の嘘が無かったとしたら……この人は、私に一目ぼれして……家まで押しかけてきて……ッ!?!?)

 

 大きく横道に逸れていた思考が戻り、ひとりは顔に血が集まっていくのを感じた。チラリと有紗の方を見てみると、視線に気付いた有紗はニコリと見惚れるような笑みを浮かべる。

 

(……捕食者の目をしている!? ここ、このままではよい子には見せられない展開とかになるんじゃ……あわわわ)

 

 しかし、そもそもの人付き合いが少ないこともあり、彼女の思考は飛躍しがちである。まぁ、思考の飛躍に関しては目の前に座る有紗も負けてはいないのだが……。

 

「あっ、あの!? 私、のの、飲み物を用意してきます」

「そうですか? お気を使わせてしまって申し訳ありません」

「いっ、いえ、しょしょ、少々お待ちを……」

「はい。ありがとうございます」

 

 とにかく少し考えを纏める時間が欲しかったひとりは、飲み物を用意すると言って立ち上がり、一階に降りていく。

 

(どうしよう、どうすれば……あんな陽の気に溢れるお嬢様を相手に、私のゴミみたいなコミュ力で太刀打ちできるわけない。丸め込まれて、押し切られて……天井のシミを数えることになる可能性も……い、いや、流石にいきなりそんな強引に……会った翌日に実家に襲来するような行動力MAXの相手に、そんな常識が通用するのだろうか?)

 

 悶々とした思考の中で、それでも手だけは動かして飲み物を用意していると、ふとその場にひとりの妹であるふたりが近付いてきた。

 

「おねーちゃん」

「え? ふたり?」

「おねーちゃんって、本当にお友達がいたんだね。絶対見栄張って嘘ついてると思ったのに~」

「い、言ったでしょ。お姉ちゃんは家で話さないだけで、友達はちゃんと居るんだって」

「うん! 有紗ちゃんすっごく綺麗なお嬢様みたいな人だね。あんな人とお友達になれるなんて、おねーちゃん凄いんだね!」

「こらふたり、お姉ちゃんの邪魔しちゃ駄目よ」

「は~い」

 

 母に呼ばれてニコニコと笑顔で手を振って去っていくふたりを見送りつつ、ひとりは衝撃を受けたような表情を浮かべていた。

 最近己を馬鹿にしている……舐めている様子だったふたりが、見直すような目を向けてきたこともそうだが、それ以上に……。

 

(……友達……そ、そうだよね。その、目的はどうあれ、最初は友達からって言って……友達になったわけだし、時花さんは私の友達なんだよね……は、初めての友達……)

 

 そう、幼き頃から友達0人を貫き続けてきたエリートぼっちであるひとりにとって、ことの経緯はどうあれ有紗は初めての友達といえる存在だった。

 ふたりの言葉でそのことに気付いたひとりは、思わず口元に笑みを浮かべた。

 

(え、えへへ、そっか……友達かぁ。私だって、やれば出来るんだよ。友達だって作れるんだ! この調子なら、バンドを組める日も近いかもしれない!)

 

 あまりにも友達が居ない期間が長すぎたせいか、初めての友達と考えるとそれだけで先ほどまで有紗に感じていた恐怖が嘘のように消えていった。

 ひとりが単純な思考であるというのもあるが、有紗がここまで丁寧な態度を崩していないのも要因だろう。

 

 少し晴れやかな気分で部屋に戻ると、有紗がジッと押し入れの方を見ており、その様子に首を傾げつつひとりは声をかけた。

 

「……あっ、あの……時花さん?」

「え? ああ、お帰りなさい、ひとりさん。私のことはどうか、有紗と名前でお呼びください。年齢も同じですし、口調も話しやすいもので大丈夫ですよ? ああ、私は誰に対してもこの話し方なので」

 

 ひとりが声をかけると、有紗は穏やかな笑みを浮かべる。元々の顔立ちが絶世の美少女ということもあり、その笑顔は同性であるひとりをも照れさせるほど魅力的で、ひとりはやや慌てながら用意した飲み物を置きつつ言葉を返す。

 

「あっ、じゃ、じゃあ……有紗ちゃん……と、とか?」

「素敵ですね。是非」

 

 同級生ということでちゃん付け……失礼ではないかと不安げに提案したひとりだが、有紗は嬉しそうにそれを受け入れ、ひとりはホッと胸を撫で下ろした。

 なにせ彼女にとって友達とは未知の存在であり、恐怖がある程度解けたとはいえ、どう接していいか分からないというのは同じだった。

 

(な、なにか話したほうがいいんだよね? で、でも、友達ってどんな会話を? ロックの話……いや、有紗ちゃん、ロックとか絶対分かんないと思うんだけど……共通で話せそうな話題が……)

 

 コミュ症であるひとりにとって、自分から話を振るというのは極めて難易度が高い。ただ幸いにも、有紗が行動的な女性であり、すぐに話題を振ってきてくれた。

 

「ひとりさん、質問してもよろしいでしょうか?」

「あっ、はい」

「あちらの押し入れにコードのようなものが伸びていますが……なにかあるのでしょうか?」

「あっ、えと、その……ギ、ギターが……あります」

 

 その話題は救いに近いものではあった。ギターやロックに関してなら、ひとりもある程度は話が出来る。立ち上がって押し入れの前に移動し、扉を開けてスタンドに立ててあるギターを手に持ち見せると、有紗は興味深そうな表情を浮かべて近づいてきた。

 有紗はギターについてはまったく知らない様子で、アレコレと説明することで自然と会話することができた。

 

(す、凄いよ。私……いま、友達と会話してる! 私だって、やればできるじゃん!)

 

 友達とお喋りをするという。彼女にとってはハードルの高い行為を行えていることに気を良くし、押し入れの中に置いている機材などの説明も始めたひとりだったが、ある程度生まれていた余裕は次の有紗の行動で消し飛ぶことになった。

 

「いろいろなものがあるのですね」

「はい……はえ? わひゃぁ!? いい、いつの間に、なな、中に……」

 

 いつの間にか有紗が押し入れの中に入ってきていた。狭い押し入れの中にふたりも入っているという状況であれば、当然その距離は近い。ひとりにしてみれば、振り返った瞬間目と鼻の先に有紗の顔があったような感覚だった。

 

(えぇぇぇ!? あ、有紗ちゃん躊躇とかしない人なの!? 距離が、距離が近い……そそ、それになんか上品でいい香りが、あと相変わらず反則じみた顔面戦闘力!?)

 

 それこそ吐息がかかりそうな距離まで一切躊躇なく近づいてきた有紗に対し、ひとりはただただ慌てふためくばかりだったが、有紗の方はさして気にした様子もなく話を続ける。

 

「普段はここで演奏をされているのですか?」

「あっ、ははは、はい……あの、せせ、狭いですし、汚いですし……その」

「そんなことはありませんよ。なんだか秘密基地みたいで、素敵ですね」

 

 極めて整った顔立ちで浮かべる無邪気な笑みの破壊力は凄まじいもので、楽し気な笑顔の有紗を見てひとりは思わず言葉を失った。

 そしてひとりが再起動するより先に有紗の方が口を開く。

 

「ひとりさん、もしご迷惑でなければ、演奏を聞かせていただけませんか?」

「あっ、そ、そそ、それはいいですけど……近いので……離れ……」

「はい?」

「なななな、なんでもないです!? たた、直ちに準備を!?」

 

 一度切っ掛けを逃してしまうとコミュ症であるひとりには、押し入れから出るように交渉するような話術は無い。いや、本来であれば話術など必要ではなく一言でいいのだが、ひとりにとってはその一言すらもそびえたつ巨大なハードルとなる。

 そしてそれを飛び越えられるようならばコミュ症などやっていない。結果、ひとりは慌ててギターの準備をして、肩が触れ合うような距離で演奏を始めることになった。

 

 特にリクエストなどはない様子だったので、ひとりは覚えているメジャーな曲を演奏することにした。出だしこそ緊張からややもたついたが、一度演奏を始めてしまえば演奏に慣れた手は淀みなく動き旋律を奏でる。

 場所がいつも演奏している押し入れの中というのも幸いして、比較的いつも通りの演奏を行うことができた。

 そして一曲演奏し終えて、チラリと有紗の方に視線を動かすと、有紗は感動したような表情で口を開いた。

 

「素晴らしい演奏でした。ひとりさんは、ギターの演奏が上手なんですね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ひとりの体にはえもいわれぬ、痺れるような快感が駆け抜けた。ひとりはコミュ症で自他ともに認める陰キャではあるが、だからこそ承認欲求や自己顕示欲というのは人一倍持ち合わせている。故に家族以外から初めて直接告げられる惜しみない賞賛の言葉は、どうしようもなく嬉しかった。

 

「あっ、えと……えへへ……そそ、そうですかね?」

「はい。演奏している時の姿も凛々しくて、とてもカッコよかったです」

 

 ただ、なんとも言えない快感の要因はもうひとつある。それは賞賛を口にしたのが有紗であったということだ。

 ひとりはまだ有紗のことはよく知らないが、それでもここまで接したことで理解していることがある。それは有紗が明らかにハイソサエティ……上流社会に存在する相手ということ。

 まず間違いなく、有紗はひとりとは住む世界が違うレベルの凄まじく裕福な家庭の令嬢だ。今日の訪問の際に持って来ていた、見たこともないような高級そうな菓子包みを見るだけでもランクの違いを察することができた。

 

 その上、同性であるひとりでも見惚れるほどの圧倒的な美貌、明るく社交的な性格……なにもかもひとりより上の生まれながらの勝ち組と言っていいような存在。それが有紗だ。

 だが、いまそんな有紗がひとりに対し心から尊敬しているという目を向けてきている。他の全てが負けていようとも、ギターに関してだけは明確にひとりが上なのである。

 それはなんとも言えない優越感と共に痺れるような快感をもたらし、ひとりの口元はだらしなく緩んでいた。

 

「ふへへ……そそ、そんな……大したことでは……ほ、他も、演奏しましょうか?」

「ええ、ひとりさんさえよろしければ是非お聞かせください」

 

 その影響もあって先ほどまでより積極的に……自ら提案してさらに演奏を行う。有紗はその演奏を心から楽しそうに聞いてくれており、一曲終わるたびに惜しみない賞賛の言葉を口にした。

 嫌味のない賞賛は耳に心地よく……当初と比べてかなり打ち解けて、ギターやロックの話をすることができた。ひとりの拙い話を、有紗は本当に楽しそうに聞いてくれて……なんだかんだで、ひとりもいつしか時間を忘れて有紗との会話を楽しんでいた。

 

 

****

 

 

 最初こそ突然の襲来に驚いたものの、すっかり有紗と打ち解けたひとりは、夕方になり帰る有紗を玄関で見送っていた。

 

「それでは、ひとりさん。今日は長々と、ありがとうございました」

「あっ、いえ、大したお構いも出来なくて……えと……と、ととと、とととと、友達を家に招くなんて、始めてだったので……」

「私は、ひとりさんのおかげで、今日という一日をとても楽しく過ごすことができました。名残惜しいですが、今日はこれで失礼させていただきます。またロイン等で連絡いたしますね」

「あっ、はい」

 

 本当にひとりにしてみれば快挙といえるほど、今日という日を上手く過ごすことができた。ロインも登録し合い、ひとりのスマホの連絡先には初めて家族以外の名前が記されることになった。

 

(初めは戸惑ったけど……楽しかったな。で、でも、ちょっと、人と話し過ぎて疲れた……今日は早めに寝よう)

 

 有紗と過ごす時間は楽しくはあったが、そもそも人と接し慣れていないひとりにとっては誰かと会話するというだけでも、それなりに疲労する。

 今日もかなり気疲れしたので、今日は早めに休んで明日の日曜日もゆっくりと過ごそうと、そんな風に考えていたひとりの耳に、予想だにしない言葉が飛び込んできた。

 

「それでは、ひとりさん、また明日」

「あっ、はい……また……明日?」

 

 そう、この有紗……あたり前のように翌日も遊びに来るつもりだった。ひとりとしては、次の会話までには数日ぐらい空けて欲しいと思うところであり、なんとか阻止したい提案ではあった。

 

「失礼します」

「あっ、ちょっ、まっ……」

 

 だが、繰り返しになるが、有紗の言葉に即座にやんわり断る応酬ができるなら、そもそもコミュ症などやっていないのである。

 当然帰結として、ひとりが言葉を纏めるより先に有紗は帰ってしまい。玄関には青ざめた顔で手を伸ばしかけた姿で硬直しているひとりが残った。

 

(……終わった……私の休日)

 

 これでもはや明日にある二度目の襲来を防ぐ術は無くなった。ひとりは軽く天を仰ぎ、のんびり過ごす休日が消え去ったことを理解して諦めの籠った遠い目で天井を見つめた。

 

 

****

 

 

 宣言通り翌日も有紗はやってきて、ひとりと過ごした。なんだかんだで性格の相性はいいのか、気まずい空気などになることは無く、一日目と同じようにそれなりに楽しく過ごすことはできた。

 ただ、家族以外との会話時間の過去記録を余裕で塗り替えるほどの会話量は、ひとりにとってはなかなかの精神的な疲労として圧し掛かり、翌日の朝の気だるさがいつも以上だったのは言うまでもない。

 

 ひとりの通う高校は自宅から片道2時間を越える通学時間だ。よって当然ではあるが、朝早く家を出なければ間に合わない。

 ひとりの通う秀華高校は8時30分までに教室に入っておく必要がある。電車の時間などもあるので、ひとりはいつも朝6時には家を出る。

 気だるさを感じつつも朝食を食べ、制服の上にジャージといういつもの服装に着替えて家族に「いってきます」と告げたあとで玄関に向かい、靴を履いてドアを開けた。

 

「おはようございます、ひとりさん!」

「ひえっ……」

 

 満面の笑顔で告げる有紗を見て、ひとりが早朝の住宅街で絶叫しなかったのはよく踏みとどまったというべきだろう。

 

(な、なな、なんで有紗ちゃんが、ここにいるのぉぉぉ!?)

 

 当たり前ではあるが、有紗はこの辺りに住んでいるわけでは無い。最初に出会った場所を考えれば、住んでいるとすればひとりの高校の近くだろう。それがなぜ、片道2時間かかる県外にあるひとりの実家の扉の前に朝6時という時間に居るのか……もはや軽くホラーと言っていい状況だった。

 

 

 




後藤ひとり:ぼっちちゃん。チョロい、可愛い。初めての友達と認識した瞬間対応がかなり甘くなった。何気に行動的な有紗と、受け身なひとりの性格的な相性は悪くない。


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三手滅殺の同伴通学~sideA~

ちなみに時間軸に関しては、基本アニメ版基準で、ところどころ原作の方が都合がいい場合はそちらも利用します。


 

 

 日曜日の夕方に家に戻ると、今日はお父様の予定が合うとのことで一緒に夕食を食べることになりました。お母様はモデルの仕事で海外ですので、残念ながら家族集合とはなりませんが、お父様と一緒に食事できるのはいくつになっても嬉しいです。

 お父様の指示でしょうか? 私の好物ばかりが並ぶ食卓で、美味しい料理を楽しみつつお父様に最近のことを交えながら話します。

 お父様は忙しい方ですが、それでも私やお母様……家族のことはとても大切にしてくださっており、こうして時間ができた際には、楽しそうに私の話を聞いてくださいます。

 

「そういえば、お父様。私、好きな相手が出来ました」

「……おや? そうなのかい? 誰かを好きになるというのはとても素晴らしいことだね。どんな相手なんだい?」

「後藤ひとりさんという方で、学校は違いますが同じ年の女性です。一目見て雷に打たれたように恋に落ちました!」

「女性? まぁ、昨今は多様性の時代だから、そういうのもありかな。しかし、雷の一撃とは我が娘ながら中々洒落たことを言うものだ。ただ、少し心配なのは……いきなりプロポーズとかしなかったかい?」

「しました。一目見て、名前を聞いたその瞬間に」

 

 さすがお父様というべきか、私の行動は察している様子です。私が頷いたのを見たお父様は、苦笑を浮かべます。

 

「ああ、やっぱりね。それでは相手の子も戸惑っただろう? 有紗の思い立ったらすぐ行動というのは、長所でもあるが短所でもある。時にはしっかりと熟考してから行動しなければならないよ」

「ええ、かなり戸惑わせてしまったようで、いまは反省しております。とりあえず、最初はお友達からということで話は纏まりまして、この休日はひとりさんのご自宅に遊びに行かせていただきました」

「ははは、さすがの行動力だね。有紗なら相手の家に迷惑をかけたりはしていないと思うが……箕輪、念のために有紗が訪れたという家に、娘が世話になったと礼の品を贈っておいてくれ。あまり高価な物でも委縮されるだろうから、価格は控え目で消費できるものを頼む」

「畏まりました、旦那様」

 

 じいやに軽く指示を出したあとで、お父様は私に優し気に微笑みながら尋ねてきます。

 

「それで、そのひとりちゃんだったかな? その子はどんな子なんだい?」

「少し内気な方ではありますが、相手を気遣う優しい心の方です。それと、ロックが好きでギターを演奏されるようで、あまりギターに詳しくない私でも分かるぐらい、上手な演奏をされていました」

「ギターか、懐かしいな。私も昔少しだけ齧ったことがあるよ」

「え? そうなのですか?」

「ああ、難しくて途中で止めてしまったけどね。その頃に知り合った相手で、いまはメジャーバンドとして活躍しているロッカーもいる。有紗がもし興味があるなら、紹介してあげるよ」

「ありがとうございます。たしかに、ひとりさんとロックの話をするために、ロックの勉強も必要かもしれませんね」

 

 お父様は極めて広く多様な人脈を持つ方なので、世界的なアーティストとも多くの交流がありますし、お父様の持ち会社がスポンサー契約を結んでいるアーティストも複数います。

 私自身はいままでさほどロックに興味はありませんでしたが、ひとりさんと共通の話題になり得るのならしっかり学びたいと思います。

 

「そういえば、話は変わるけど高校はどうだい?」

「とても楽しいですよ。大半の方は中学時代からの知り合いですし……」

 

 お父様が学校について尋ねてきたので、話を変えます。私の通う聖真女学院は中高一貫なので、中学時代の友達がほとんどです。もちろん少数ですが、高等部から編入してくる方などもいますが、大半は中学時代からの友達ということもあって、馴染むのはとても早かったです。

 

 私はそのままお父様の時間の許す限りいろいろな話をして、お父様と過ごす時間を楽しみました。

 

 食事と会話を終えて出かけるお父様を見送った後は、じいやに事前に手配してもらっていた内容の確認をします。

 

「じいや、お願いしていた手配は?」

「問題なく。送迎の準備も出来ております」

「ありがとうございます。いつも、手間をかけてすみません」

「お気になさらず、お嬢様の願いを叶えるのが私の役目ですから」

 

 今日は自宅で寝るのではなく、ホテルに泊まる予定なので部屋に戻って支度を整えたあとでじいやの手配してくれた送迎で、宿泊する予定のホテルに向かいました。ふふ、明日が楽しみです。

 

 

****

 

 

 事前にロインでひとりさんに教えてもらった家を出発する時間に合わせてひとりさんの家に着き、呼び鈴を鳴らそうとしたのですが、タイミングよくひとりさんが出てきてくださったので笑顔で挨拶をします。

 

「おはようございます、ひとりさん!」

「ひえっ……」

 

 私が声をかけるとひとりさんは驚いたような表情を浮かべて硬直しました。コレはある意味タイミングが良すぎましたね。

 ひとりさんが驚かれるのも無理はないので、まずは事情を説明しましょう。

 

「朝早くから申し訳ありません。今日はひとりさんが普段どんな風に通学しているかを知りたくて、一緒に通学させていただこうと参りました」

 

 そう、私が今回ひとりさんの家に来たのは、一緒に通学をするためです。もちろんひとりさんとは通っている学校が違うので、途中までではありますがひとりさんと一緒に通学しつつ、普段ひとりさんがどんな風に通学しているかも知ることができるという一石二鳥です。

 

「……あっ、え? えぇ? あ、有紗ちゃんって……家は、この辺じゃない……ですよね?」

「はい。なので、前日は近場のホテルに宿泊しました」

「あっ、そ、そそ、そうなんですか……」

「あまり長々と話しても遅れてしまいますので、さっそく参りましょう」

「あっ……はい」

 

 少し遠い目をしていたひとりさんでしたが、私が声をかけるとどこか諦めたような表情を浮かべて頷きました。

 ひとりさんと共に道を歩き、駅に向かって電車に乗ります。比較的空いている車内で、ひとりさんと並んで座りながら会話を楽しみます。

 このまま1時間以上電車に乗ったままなので、その間ずっとひとりさんの隣に座っていられると思うと、心が弾みます。

 

「もっと混雑しているかと思いましたが、意外と空いているんですね」

「あっ、この時間はまだ……〇〇駅ぐらいから、混みます。あっ、なので、最初に座っておけるので楽ではあります」

「なるほど、ひとりさんの自宅からだと、かなり距離がありますからね……そういえば、ひとりさんはなぜ秀華高校を選んだんですか?」

「あっ、えと……高校は誰も過去の自分を知らないところにしたくて……」

 

 なるほど、高校に進むことで環境を一新したというわけですね。新しいことに挑戦したら、新しい人間関係を構築したりと、大変ではありますが新たな環境というのもいいものです。

 毎日長時間ギターの練習をしていることといい、ひとりさんは向上心の強い方なのかもしれません。

 

「なるほど、ちなみに普段学校ではなにをされているんですか?」

「ふっ、ふふ、普段学校ではなにを!?」

「え、ええ……あっ、休み時間などのお話です」

「やっ、やや、休み時間……あっ、え、ええと……」

「やはりお友達とロックの話などをされているんでしょうか?」

「おお、お、おと、お友達……」

「あの、ひとりさん? 大丈夫ですか?」

 

 突然青ざめて大量の汗をかき、視線がものすごい勢いで左右に動いているひとりさんを心配して声を掛けますが……どうしたのでしょうか?

 体調が悪いというよりは、なにか焦っているような……はて? 焦るような質問をした覚えはないのですが……。

 

「……あっ……その……休み時間は、く、クリエイティブな活動とかを……」

「クリエイティブな活動? ああ! オリジナル曲を作ったり、作詞したりということですか? さすがの熱意ですね」

「………………ごめんなさい。嘘です。休み時間は、基本的に寝たふりをして過ごしてます」

 

 気まずそうな様子で視線を逸らして、小さな声で消え入るように告げるひとりさん……これは、もしかしなくても質問を間違えてしまったかもしれません。

 ひとりさんはどこか重い空気を纏いながら、俯き気味で話し始めました。

 

「……あっ、その、私、中学時代というか……ずっとひとりも友達がいなくて……それどころか、中学時代にやらかして、誰も自分を知らない高校に行きたくて選んだだけで……高校行ってもなにも変わらず……バンドをやりたいと思ってもなにもできず……ネットでひとり演奏してるだけのクソ陰キャです。すみません」

「そうだったんですか……ひとりさん、ひとつよろしいですか?」

「あっ、は、はい」

「……その、浅学で申し訳ありません。たまに聞くことはあるのですが、詳しく意味を理解しておらず……陰キャとは、どういう意味なのでしょうか?」

「……はえ?」

 

 まったく聞き覚えが無いというわけでは無く、何度か聞いた覚えはあります。その時の雰囲気などからいい意味の言葉ではないというのは理解しているのですが、あまり詳しく知らないため質問しました。

 するとひとりさんはキョトンとした表情を浮かべたあとで、浅学な私に説明してくれました。

 

「……あっ、えっと……陰気なキャラクターの略で、コミュニケーション能力もなく社会性も乏しい、周りの人間を不快にさせるだけの陰湿な私みたいな存在のことです」

「教えていただきありがとうございます。ですが、いまの話を聞く限り特にひとりさんに当てはまる要素がないのですが?」

「え? で、でも……」

「私はひとりさんと会話していて不快に感じたことなどありませんし、むしろ楽しいです。陰気や陰湿と感じたこともありません。あまり自身を卑下し過ぎるのはよくないと思いますよ」

「……有紗ちゃん」

 

 ひとりさんはおそらく自己評価の厳しい方なのでしょう。それはひとりさんの強い向上心の要因でもあるので、悪いとまでは言いませんが、己を悪く言うのは感心できません。

 

「それにもうひとつ訂正を……ずっと友達がいないと仰られていましたが、いまはほら、ここに居ますよ? 友達一号です。ふふ、私がひとりさんの初めての友達というのも、なんだか嬉しいですね」

「……あっ……は……はい」

「これまでがどうであれ、些細なきっかけで大きく好転するというのはままあるものです。ひとりさんは高校に入ってたった2週間で、中学時代3年かけても出来なかった友達を作れたわけですし、むしろ凄いことではないでしょうか? この調子でいけば、更に2週間後にはもうひとり……いえ、ふたり以上の友達が増えていてもおかしくないですよ。バンドに関しても……いまはまだ、見つかってないだけですよ」

「……あっ、ありがとう……ございます」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、少しはにかむように小さく笑みを浮かべてくれて、それを見て私の心も温かくなるように感じました。

 

「少し話は変わりますが、ひとりさんの高校は校則が厳しいところでしょうか? スマートフォンの使用などは?」

「あっ、えっと、授業中に電源を切ってれば、休み時間とかは自由です」

「なるほど、私の学校と同じですね。でしたら、どうでしょう? 休み時間などに時間があるようでしたら、私とロインでやり取りをしませんか? もちろん他に予定がある場合はそちらを優先していただいて大丈夫ですし、休み時間のズレもあるでしょうからリアルタイムとはいきませんが……その分、時間をかけて文面を考える楽しみがありますからね」

「……あっ、はい。あの、面白い話とかは、出来ないかもしれませんけど……有紗ちゃんさえ、よければ……お願いします」

「はい、こちらこそ。ふふ、休み時間の楽しみが増えて、嬉しいです」

 

 高校が違うので休み時間にひとりさんと過ごせないのは本当に残念だと思っていたので、ロインでやり取りできるのは嬉しいですね。

 もっとひとりさんのことはたくさん知りたいですし、どんなことを話そうかと、いまから楽しみで仕方がありません。

 

「……あっ、あの……有紗ちゃん」

「はい?」

「……ありがとうございます」

「ふふ、変ですね、むしろ私のお願いを聞いていただいたのだと思いますが……」

 

 お礼の言葉を口にするひとりさんの表情は、先ほどまでより少しではありますが、確実に明るいものであったように感じられました。

 

 

****

 

 

 ひとりさんと知り合ってから、あっという間に2週間が経過しました。本当に楽しい時間が流れるのは早いもので、この2週間はいままでの人生で一番早く過ぎた気がします。

 今日は2週間ぶりにひとりさんと一緒に登校しようと、前日にロインを送って再びひとりさんの家にやってきました。

 私の気持ちとしては出来れば毎日ひとりさんと通学したいのですが……さすがに距離が距離なので、前日にホテルに泊まる必要があるので毎日とはいきません。多くとも月に2~3度が限界でしょうね。

 なので、今日の私は久々のひとりさんとの通学ということで少し浮かれている自覚があります。

 

 ひとりさんとは、2週間でより仲良くなれたような確信があります。最初は私の方から話を振るばかりでしたが、最近はひとりさんの方から話を振ってくれることも多くて嬉しいです。

 そんなことを考えつつ、ロインで到着したことを連絡すると、ひとりさんが出てきたのですが……なにやら、いつもと様子が違いました。

 

「……ひとりさん、その恰好は?」

「え、えへへ……ど、どうですか? バンド女子感が、凄いと思いませんか?」

「う、う~ん。私はバンド女子というのをあまり知らないので、判断に迷うところですが、こういうものなのでしょうか? とりあえず、ギターを持っているのでひとりさんがギターを演奏する方というのは、一目で分かるかと思います」

 

 現れたひとりさんは、いつものジャージの上にリストバンドを大量に付け、缶バッチのたくさん付いた鞄を持ってギターケースを担いでいました。

 バンド女子というのは分かりかねますが、誇らしげな様子のひとりさんはとても可愛らしいです。

 

 とりあえず、電車の時間があるので頭に浮かんだいくつかの疑問は後回しにして、一緒に駅に向かいます。そして電車に乗って、空いている席に座ってから気になっていたことを尋ねることにしました。

 

「……ところで、ひとりさん。なぜ急にそのような恰好を?」

「あっ、えっと、やっぱりバンドをやりたいので、もうちょっと勇気を出してみようと思いまして……ギターを持って学校に行こうかと……」

「なるほど、確かにギターを持っていれば、同じようにロックに関心のある方の興味を惹くかもしれませんね」

「あっ、そ、そうですよね……そそ、それで、声を掛けられて、もしかしたら軽音部とかに誘われちゃうかもしれないですし……」

 

 ひとりさんがバンドをやりたいと思っているという話は本人から聞いて知っていますし、中学時代に夢見つつもバンドメンバーを集めることができなかったという話も聞いていますし、痛ましく思っていました。

 事態が好転すればという思いは私にもあるのですが、その上でひとつ……。

 

「……えっと、自分から軽音部に入部するというのは?」

「……そっ、それが、自主的に出来るなら……私は、中学校の頃に既にバンドを組めてるはずなんですよ……」

「そ、そうですか……」

 

 私自身が思い立ったら即行動するタイプなので、基本的に待ちの作戦に違和感を覚えているだけなのかもしれません。

 ですが、果たしてひとりさんの言うように、見た目とギターだけで声を掛けられるものでしょうか? こればっかりは実際に試してみないと分かりませんね。

 

「ですが、いいと思います。ひとつの切っ掛けで大きく変わることもありますし、いままでと違う方法を取るというのは決して間違いではないはずです。いい結果につながるといいですね」

「あっ、はい……えへへ、これで、私もバンドデビューが……」

「仮に上手くいかなかったとしても、その時は次の方法を考えればいいですから、無駄にはなりませんよ。上手くいけばそれでよし、駄目だったなら私も協力しますので、新しい方法を一緒に考えてみましょう」

「あっ、ありがとうございます」

 

 現状を変えようと前向きに頑張ろうとしているのはとても素敵ですし、私も心から応援したい気持ちでいっぱいです。

 ただそれで、果たしてバンドが組めるかと言われればどうにも難しい気がしてならないので、駄目だった時のためにひとりさんを慰める言葉を考えておきましょう。

 

 

****

 

 

 学校が終わり、お友達たちと一緒に道を歩いているとスマートフォンから音が聞こえて立ち止まりました。

 

「失礼します」

 

 友達に断りを入れてからスマートフォンを確認すると、ひとりさんからロインが届いており、そこには……『バンドに一時的に入って、今日ライブをすることになった』という内容の文がありました。

 ……上手く、いくんですね……やはり、時として受け身の姿勢も悪くはないのでしょうか? しかし、それはともかくとして、どういう状況なのでしょうか? 軽音部に所属したのであれば、そう記載があるはずですが、そういった様子では無いですし……いきなりライブというのも、不思議です。

 

「……有紗様?」

「ああ、いえ、申し訳ありません」

 

 難しい顔をしていた私を心配して友達が声をかけてくださったので、微笑みながら軽く頭を下げます。とりあえず、好意的に考えるべきですね。

 ひとりさんはずっとバンドをやりたがっていましたし、その願いが叶って夢への第一歩を進み始めたのなら、私がするのは祝福と応援です。

 

 

 

 




時花有紗:行動ゲージがぶっ壊れていることを除けば、基本的に心優しい性格。

有紗パパ:百合に理解のある父親。時花グループという超デカいグループのトップで呆れるぐらいの金持ちで、娘の有紗を溺愛している……たいして出番はないので覚えてなくても問題はない。

箕輪:じいやと呼ばれている初老の執事。たいして出番はないので(ry


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三手滅殺の同伴通学~sideB~

これにてストックは終わりなので、更新はのんびりになります。


 

 

 後藤ひとりにとって時花有紗は、初めてできた友達であり、同時に……理解の及ばない存在だった。

 とりあえず朝家を出てすぐに有紗の顔があった時には、思わず意識が飛びそうになるほど驚愕したものだ。そしてさらに説明を聞き、ひとりと一緒に登校したいがために近場にホテルを取って来たという話を聞いた時には、軽く眩暈がした。

 

(……まだ付き合いが短いけど、分かってきた。有紗ちゃんって、思い付いたら即座に動く行動力の化身なんだ。その上突拍子もないことでも、実行できちゃうだけの財力もある)

 

 まだ有紗と知り合って3日程度ではあるが、それでも有紗の行動力が凄まじいのは実感していた。精々朝に2時間程度一緒に通学するためだけに前日からホテルに宿泊してやってくるなど、普通は思い付いたとしても実行しない。だが、有紗は実行する。

 出会ってから3日で、プロポーズ、自宅訪問、朝の出待ちとジェットコースターのように急展開を引き起こすさまは、圧巻の一言だった。

 

「あまり長々と話しても遅れてしまいますので、さっそく参りましょう」

「あっ……はい」

 

 ひとりにとって有紗は一種の嵐である。人が嵐に抗えないのは道理……結果として、ニコニコと笑顔で告げる有紗に、ひとりは顔を崩壊させながら頷く他なかった。

 そのままふたりで駅に向かい。電車に乗って並んで座る。チラリと横を見てみると、楽し気な表情を浮かべている有紗が居る。

 

(……なんか、不思議と電車が似合わない。見た目がリムジンとかで送迎されてそうなお金持ちオーラがあるせいかな? 見た目だけなら凄く大人しそうなお嬢様って感じなんだけど……行動力が凄すぎるんだよね)

 

 そんなことを考えつつ他愛のない会話をしていたひとりだったが、有紗がなんの気なしに告げた言葉に硬直することとなった。

 

「なるほど、ちなみに普段学校ではなにをされているんですか?」

「ふ、ふふ、普段学校ではなにを!?」

 

 いわばそれは油断していたところに繰り出される強烈なボディーブローのような重さのある一撃だった。普段学校でなにをしているか? それは、陰キャぼっちに対して精神を殺しかねないような破壊力のある質問である。

 さすがにひとりの反応は予想外だったのか、有紗は少し戸惑ったような様子で言葉を続けた。

 

「え、ええ……あっ、休み時間などのお話です」

「や、休み時間……あっ、え、ええと……」

 

 それは有紗にしてみれば、内容を明確にするために告げた補足ではあったが、ひとりにとって追撃のストレートパンチに等しい。

 なぜなら、なにも無いのだ。学校に友達はおろか挨拶を交わす相手すらいない状態のひとりが、休み時間になにをしているかといえば……なにもしていない。虚無の時間である。なんなら「早く学校が終わってくれ」と祈りながら、寝たふりをしている時間である。

 

「やはりお友達とロックの話などをされているんでしょうか?」

「おお、お、おと、お友達……」

「あの、ひとりさん? 大丈夫ですか?」

 

 そして、留めとばかりにコークスクリューパンチのような痛烈な言葉が投げかけられ、ひとりの精神はもはやノックアウト寸前である。

 当たり前のように、ひとりにも友達が居るという前提で話す言葉。悪意がないからこそ、その言葉は強烈にひとりの精神に突き刺さった。

 しかしさりとて、人とは見栄を張る生き物である。ここで素直に、友達はおろか話す相手も居なくて寝たふりをしていますと返答するのは、ちっぽけなプライドが邪魔をした。

 結果としてひとりは、大量の汗をかき、明らかに嘘をついていると顔に書いてあるような表情で小さく呟いた。

 

「……あっ……その……休み時間は、く、クリエイティブな活動とかを……」

「クリエイティブな活動? ああ! オリジナル曲を作ったり、作詞したりということですか? さすがの熱意ですね」

 

 だが、その明らかに嘘と思わしき言葉であっても、素直に信じて賞賛する有紗の笑顔を見ると、今度は強烈な罪悪感を覚えた。

 見栄を張って嘘をついた己があまりにも哀れで醜く思えた。結果、ひとりは湧き上がる罪悪感に耐え切れず、死んだ魚のような目で本当のことを口にした。

 

「………………ごめんなさい。嘘です。休み時間は、基本的に寝たふりをして過ごしてます」

 

 一度口にしてしまえばスラスラと言い出せなかったことが口を突いて出てきて、ひとりはそのまま懺悔するかのように言葉を続ける。

 

「……あっ、その、私、中学時代というか……ずっとひとりも友達がいなくて……それどころか、中学時代にやらかして、誰も自分を知らない高校に行きたくて選んだだけで……高校行ってもなにも変わらず……バンドをやりたいと思ってもなにもできず……ネットでひとり演奏してるだけのクソ陰キャです。すみません」

「そうだったんですか……ひとりさん、ひとつよろしいですか?」

「あっ、は、はい」

 

 ひとりの話を聞き終えた有紗は、なにやら難しい表情でひとりの方を見つめてきており、その視線に思わず背筋が伸びた。

 

(あ、有紗ちゃん怒ってるかな? そ、そうだよね。聞かれなかったからって、陰キャでコミュ症でダメダメなことも、全部隠してたわけだし……怒って当然だよね)

 

 ひとりは有紗の表情を怒りと捉えた。好意を向けていた相手の情けない正体を知り、失望と怒りを抱いているのだろうと、そう思った。

 

「……その、浅学で申し訳ありません。たまに聞くことはあるのですが、詳しく意味を理解しておらず……陰キャとは、どういう意味なのでしょうか?」

「……はえ?」

 

 だが実際はまったくそんなことは無く、真剣な表情で予想外の質問を口にする有紗を見て、ひとりはポカーンと呆けたような表情を浮かべた。

 そのあとで陰キャという言葉の意味を説明すると、有紗は納得した様子で頷いたあとで、心底不思議そうに首を傾げ、陰キャという言葉の説明はひとりには当てはまらないと、当たり前のように告げた。

 そして、戸惑うひとりに対し、優しい微笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「私はひとりさんと会話していて不快に感じたことなどありませんし、むしろ楽しいです。陰気や陰湿と感じたこともありません。あまり自身を卑下し過ぎるのはよくないと思いますよ」

「……有紗ちゃん」

 

 まだ有紗とは知り合ったばかりではあるが、その言葉に微笑みに他意は一切感じず、心からそう思っていることが伝わって来た。

 

(有紗ちゃん……や、優しい!)

 

 有紗はたしかに異常な行動力で、ある意味でひとりは振り回されていると言っていい状態ではある。しかし、性格的な部分でいえば、心優しい性格である。

 優しくフォローしてくれる言葉に、ひとりは感極まったような表情を浮かべる。彼女はそもそもの対人経験が少ないので、こういった優しい対応に弱い……もといチョロい。

 

「それにもうひとつ訂正を……ずっと友達がいないと仰られていましたが、いまはほら、ここに居ますよ? 友達一号です。ふふ、私がひとりさんの初めての友達というのも、なんだか嬉しいですね」

「……あっ……は……はい」

「これまでがどうであれ、些細なきっかけで大きく好転するというのはままあるものです。ひとりさんは高校に入ってたった2週間で、中学時代3年かけても出来なかった友達を作れたわけですし、むしろ凄いことではないでしょうか? この調子でいけば、更に2週間後にはもうひとり……いえ、ふたり以上の友達が増えていてもおかしくないですよ。バンドに関しても……いまはまだ、見つかってないだけですよ」

「……あっ、ありがとう……ございます」

 

 このように優しく気遣うような言葉を掛けられてしまえば、それでもう振り回されていることなど遥か忘却の彼方。ひとりの心の中では、有紗は最高の親友と言えるようなレベルまで地位を爆上げしていた。

 その後、休み時間にロインでやり取りもしようと約束をしたあと、有紗に告げた礼の言葉はもちろんひとりの本心ではある。

 

(……私、有紗ちゃんと友達になれて、よかった)

 

 早朝に顔を見て悲鳴を上げかけてから1時間も経たないうちに掌は綺麗に返り、ひとりは有紗と出会えたことを感謝していた。

 有紗の言う通りここから自分のリア充生活がスタートしていくのだと、そんな気持ちにすらなっていた。有紗との交友関係……友達となった切っ掛けが一般的なものとはとても呼べないものであるため、別にひとりのコミュ力が友達0状態から上昇していたりなどということは無いのだが……。

 

 しかし、事実とは奇妙なもので、図らずも有紗が口にした2週間後にひとりに大きな転機が訪れることとなった。

 

 

****

 

 

 下北沢にあるライブハウス「STARRY」、そこにある練習用のスタジオにて、後藤ひとりは完熟マンゴーと書かれた段ボールの中で、不安に身を小さくしていた。

 そもそもの経緯として、高校に入学してから一ヶ月ほどとなり、有紗という初めての友達こそ得たものの、ひとりの夢だったバンド活動は行えていなかった。

 ただ、有紗という友達ができたことでマイナスに傾きかけていた思考も持ち直し、バンド活動を行うために行動を起こしてみようと前向きに考えられるようになった。

 

 その第一歩としてギターを持ち、バンド女子らしい恰好をして高校に登校するという策を実行したのだが、己から周囲に声をかけたり、軽音部に所属したりする勇気はなく、残念ながら成果は得られなかった。

 しかし、奇妙なところに縁は転がっているもので、学校からの帰り道にてギターボーカルに逃げられて代わりとなるギタリストを探していた伊地知虹夏に声を掛けられ、成り行きから彼女が率いるバンド「結束バンド」の初ライブに参加することになった。

 

 そこまでは問題なかったし、ひとりとしてもずっとやりたかったバンド活動にライブが行えると乗り気ではあった。だがその乗り気は、自身はギター演奏が上手いという前提によって支えられていた感情だった。

 たしかに中学時代から毎日6時間練習を続けたひとりの腕前は既にセミプロレベルではあった。しかし、それはあくまで単独で演奏する場合なら……である。

 ひとりは他者と一緒に演奏した経験がなく、他のメンバーと呼吸を合わせることが重要なバンドにおいては、経験不足から本来の実力をまったく発揮することができなかった。

 

 結果、彼女の前向きな思考を支えていた自信は砕け散り、残るのは観客の前で演奏することに対する恐怖のみだった。

 一度は演奏することを諦めかけたが、己を気遣ってくれる虹夏、同じ結束バンドの山田リョウの言葉を受け参加を再度決意。それでも観客の前で演奏することは恐ろしいためリョウが用意したダンボールを重ねて、その中に入って演奏することとなった。

 情けない己に対して、笑顔で「次頑張ろう」と、この先を示してくれる虹夏の笑顔に支えられ、いよいよ本番に向かおうとするタイミングでひとりのスマートフォンが通知音を鳴らした。

 

(あっ、スマホは置いていかないと、ライブ中に鳴ったら大変……いまの通知は……有紗ちゃんから?)

 

 スマートフォンを確認すると、そこにはライブに出ることが決まってすぐ、心折れる前に有紗に送ったロインへの返信が届いていた。

 

『経緯はわかりませんが、よかったですね。初めてのことで不安や恐怖も沢山あると思いますが、夢に向かう第一歩ですね。どうか後悔だけは残さないように、楽しんでください。応援しています』

「……」

 

 有紗らしい丁重な、そして心から喜び応援してくれていることが伝わってくるメッセージを、ひとりは静かに見つめる。

 

 後藤ひとりにとって、時花有紗の存在は……現時点では、心の支えにはなり得ない。当然だ。彼女と有紗の交流はまだ2週間程度であり、いかに性格的な相性がよく、2週間でそれなりに親しくなれたとしても、それが劇的な変化を及ぼすには、あまりにも時間が短すぎる。

 だが、それでも、なんの影響もないわけでは無い。

 

「……ぼっちちゃん、どうしたの? やっぱり怖い?」

「……あっ、ああああ、あの! リョウさん、だ、だだ、ダンボール、ありがとうございました!」

 

 この瞬間、時花有紗という友達の心からの応援のメッセージは、恐怖に震える後藤ひとりの背を、微かに……しかし確かに押してくれた。

 被っていた段ボールを脱ぎ捨てて立ち上がるひとり。その表情はいまだ恐怖に青ざめてはいたが、目には先ほどよりも強い光が宿っていた。

 

「ぼっち、大丈夫?」

「あっ、は、はい! こ、怖いのは変わってないです。たぶんお客さんの顔とかも見えませんし、足だって震えます。けっ、けど、私、ずっとバンドやりたくて、それでもできなくて……やっと踏み出せるかもしれない一歩で、後悔したくないんです!」

 

 ひとりのその宣言を聞いて、虹夏とリョウは顔を見合わせて頷き合い、ひとりに向けて笑顔を浮かべる。

 

「うん! 一緒に頑張ろう!」

「頑張ろ」

「はっ、はい!」

 

 奮起したひとりは、段ボールを被ることなくライブステージに立った。視線を上げることは出来ず、足も震えてはいたが……それでも、確かに夢に向けて一歩を踏み出した。

 

 

****

 

 

 ライブを終えSTARRYからの駅に向かう帰り道、ひとりは有紗にロインを送る。そして新しく虹夏とリョウの名前が増えたロイン画面を見て、ひとりが少し微笑んだタイミングでスマートフォンが着信を知らせた。

 

「あっ、も、もしもし」

『急に申し訳ありません。電話しても大丈夫でしたか?』

「あっ、大丈夫です」

 

 電話をかけてきたのは有紗であり、聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。

 

『初ライブ、どうでしたか?』

「あっ、えっと……私、全然人に合わせて演奏できなくて、全然いつもの実力が出せなくて、観客は怖くて顔も上げられなくて、足も震えて駄目駄目で……でも……でも……楽しかった……です」

 

 ひとりにとっては、初めての誰かと共に行う演奏であり、いまも頭には鮮明にその時の思い出が蘇る。たしかに上手くは出来なかったし、反省点はそれこそ山のようにある。

 それでもずっと夢に見ていたバンドとしての演奏は、彼女が思い描いたよりずっとキラキラと輝いていた。

 

『第一歩……踏み出せましたね』

「……はい!」

『けど、残念ですね。私も、ひとりさんのライブを聞きたかったです。次の機会には、呼んでくださいね』

「あっ、はい。必ず……えっと、有紗ちゃん」

『はい?』

「……あっ、ありがとうございました。えと、私、頑張りますね」

『う、うん? よく分かりませんが……ええ、応援しています』

 

 当たり前ではあるが、有紗には己の送ったメッセージがひとりの背を押したことなど分かるはずもなく、唐突なお礼の言葉に不思議そうな様子だった。

 だが、その後に続けられた応援の言葉は温かく心に染みるようで、明日からまた頑張れるような気がして、ひとりは口元に小さく笑みを浮かべる。

 そのまま、駅に着くまでの少しの間、ひとりはライブの余韻を感じながら有紗との会話を楽しんだ。

 

 

 

 




後藤ひとり:チョロい、可愛い。2週間で有紗への好感度はかなり上がっており、それなりに仲良し、なおまだまだ恋愛感情的なのは欠片もない。

完熟マンゴー仮面:そんなものはない。


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四手突発の病気看病~sideA~

 

 

 5月の大型連休も終わり、少しずつ気温も温かくなってきたころ、お風呂から上がった私は髪の手入れをしつつひとりさんとロインのやり取りをしていました。

 結束バンドというバンドに所属し、共に音楽活動をする仲間を得たことでひとりさんは生き生きとしているように思えます。好きな人が幸せそうな様子を見るのは、私としても嬉しい限りです。

 

 しかし、バンド活動というのはそれなりに金銭が必要な様子で、ひとりさんは明日からSTARRYにてアルバイトをするという話でした。

 正直バンド活動にかかる金銭程度、私が用立てても構わないのですが……なにもかもを与えることが最善とも言えません。

 バンドメンバーたちと切磋琢磨し共に頑張るというのは得難いものでしょうし、ひとりさんにとってもいい思い出になるはずなので、私が余計なことをするわけにも行きません。

 ひとりさんのバンドマンとしての活動を応援しつつ、未来の妻として精神面などを支えることが重要でしょう。

 

 そんなことを考えつつ、ロインでアルバイト関連の話題になった際に、ひとりさんから不思議な返信がありました。

 

『準備は万端です。氷もたくさん買ってきました』

 

 なるほど、やはりアルバイトといえば氷――氷でなにを? 私が知らないだけで、ライブハウスのアルバイトは氷を用意する必要があるのでしょうか? ドリンクなどに使う……いや、だとしても、それを初勤務前のアルバイトに購入させる理由はないでしょう。

 考えても答えが出ず、私はロインでひとりさんに「氷はなにに使うのですか?」と質問のメッセージを送りました。

 

『お風呂に入れます』

 

 …………なぜ? あ、あれ? おかしいですね……分からないことの答えを求めて質問したはずが、なぜより分からなくなっているのでしょうか?

 氷をお風呂に入れるとどうなるか……氷が溶けるか、氷風呂が出来上がるかのどちらかでしょう。少なくともアルバイトに関係するとは思えないのですが……。

 

『有紗ちゃん、私、頑張ります! 上手くいくよう、応援してください』

 

 アルバイトを頑張るという話ですよね!? そうですよね……まさか、氷風呂に浸かったりするわけでもないでしょう。

 氷とアルバイトはあくまで別件と考えるべきですね……いや、別件だとしても、氷風呂でなにを?

 

 結局いくら考えてもひとりさんの意図は分からず、私は曖昧に「頑張ってください」とだけメッセージを送りました。

 

 

****

 

 

 その知らせが届いたのは、翌日の学校でのことでした。私はお義母様ともロインの交換をしており、時折やり取りをさせていただいているのですが、本日お義母様からひとりさんが高熱を出して寝込んでいるという連絡を受けました。

 ひとりさんからは、昨日アルバイトが上手くいったという連絡を貰ったあとはやり取りが無かったのですが、まさか寝込んでいたとは……。

 ひとりさんが心配であまり授業にも集中できないまま学校が終わり、私はすぐにじいやに連絡して今日の予定を全てキャンセルし、道中でお見舞いの品などを購入してひとりさんの家に向かいました。

 

「……あら、有紗ちゃん! 来てくれたの?」

「はい。ひとりさんは……大丈夫ですか?」

「ええ、ただの風邪で、いまは眠ってるわ」

「そうですか、大事ないようならよかったです……あっ、お義母様。こちら、病気の療養に良さそうなものを購入してきたのですが……」

「あらあら、わざわざありがとうね、有紗ちゃん」

 

 ひとりさんの家に着き、出迎えてくださったお義母様と挨拶をしたあとで家の中に入ります。買ってきた缶詰や飲み物などをお義母様に渡したあとで、口を開きます。

 

「あの、お義母様……私がひとりさんの看病をしてもよろしいでしょうか?」

「え? それだと有紗ちゃんに風邪がうつっちゃうかもしれないわ」

「構いません。このままでは、心配で他のことが手につきませんので……」

「でも……」

「もしうつったら、その時はひとりさんに看病してもらうことにします」

「……ふふ、それはいいわね。分かったわ。それじゃあ、お願いしてもいいかしら」

「はい!」

 

 強引に話を進めてしまいましたが、熱意が伝わったのかお義母様は苦笑しながら了承してくれました。その後は、お義母様から薬やタオルを預かってひとりさんの部屋に向かいます。

 部屋に着いて中に入ると、ひとりさんは眠っていますが表情はあまりいいとは言えず……辛そうに見えました。

 

 確認してみるとおでこに貼ってある冷却シートが少し渇いており、交換した方がいいように思えました。貼ってある冷却シートを剥がし、タオルでおでこや顔、首回りなどの汗を拭いたあとで新しい冷却シートをおでこに貼りました。

 するとそのタイミングでひとりさんの目が薄っすらと開かれ、弱々しい声が聞こえてきました。

 

「……お……母さん?」

「申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」

「あっ……あれ? ……有紗ちゃん?」

「はい。ひとりさんが風邪をひいたと聞いて……体調はあまりよくなさそうですが、目が覚めたのでしたら、いまのうちに風邪薬と解熱剤を飲んでしまいましょう」

 

 お義母様から、ひとりさんが起きたら飲ませてあげて欲しいと預かっていた薬を取り出し、水を用意します。

 

「ひとりさん、体を起こしますね。辛いとは思いますが、少し我慢してください」

「……あっ、はい」

「まずは水を飲んでください。起きたばかりで喉が渇いているでしょう?」

 

 背中の下に手を差し込んでひとりさんの体を起こし、まずは水を手渡します。落とす可能性もあるので手を添えて……ひとりさんが水を飲んだのを確認したあとで、薬を袋から出して手渡します。

 本当はなにか食べてから飲んだ方がいいのですが、いまのひとりさんの体調を見る限り食事は難しいでしょう。食事は解熱剤が効いて、少し楽になってからの方がいいでしょう。

 

「……すぐに解熱剤が効いて楽になりますよ。少し待ってくださいね」

 

 ひとりさんが薬を飲んだのを確認したあとは、買ってきておいた小さいペットボトルのスポーツドリンクを取り出し、蓋を開けてストローを刺してから手渡します。

 水だけでは汗と共に流れ出たナトリウムやカリウムを補えないので、スポーツドリンクです。もちろん風邪の際に飲むと免疫に悪影響があると言われるスクラロースは入っていないものを選んで買ってきました。

 

「水分補給をしておきましょう。本当は汗もたくさんかいているので着替えたほうがいいのでしょうが、それは解熱剤が効いてからですね」

「……あっ、はい……ありがとう、ございます」

 

 ひとりさんがしっかり水分補給したのを確認したあとは、再び体を横にして布団を掛けなおします。依然体調は悪そうですが、水分補給をしたことで少しだけ落ち着いているようにも見えます。

 

「室内の温度などは大丈夫ですか?」

「……あっ、はい……あの……有紗ちゃんは……えと……お見舞いに来てくれたんですか?」

「はい。お義母様からひとりさんが風邪で寝込んでいると聞いて……」

「……ごめんなさい」

「気にしないでください。私が勝手に来ただけなので……」

「あっ、ちがっ、そうじゃなくて……私が風邪をひいたのは……自業自得で……私が馬鹿なことしたせいで……有紗ちゃんに迷惑をかけてしまいました」

 

 熱で辛そうながらも申し訳なさそうな表情を浮かべ、ひとりさんはそのままポツポツと懺悔するかのように語り始めました。アルバイトに行くのが怖くてワザと風邪をひこうとしたこと。氷風呂に浸かったり半裸で扇風機の前に居たりということをしたせいで、いまになって風邪をひいてしまったと……。

 

「……馬鹿で最低なことを考えたから……罰が当たったんです」

「なるほど……氷風呂はそのような用途だったのですね。ふふ、ようやく疑問が解けました」

 

 なぜ氷風呂なのだろうと疑問でしたが、まさか風邪をひくためだとは思いませんでした。引っ掛かりのような疑問が解決して、思わず笑みを浮かべるとひとりさんは驚いた様子で目を見開きました。

 

「っ……怒ったり、呆れたり……しないん……ですか?」

「どうしてですか?」

「あっ、だ、だって、私は……」

「それでも、ちゃんと行ったんでしょう?」

「……え?」

 

 どうもひとりさんは私に責められると思っていた様子で、だからこそ懺悔しているかのような表情を浮かべていたのでしょう。

 ですが、私はひとりさんの話を聞いて憤る気持ちもありませんし、呆れという感情も湧いてきません。

 

「仮病なりなんなり、他に方法はいくらでもあったでしょうに……それでも、ひとりさんはアルバイトに行ったんですよね? ワザと風邪をひこうとするほど怖かったはずなのに、勇気を出して……立派なことだと思いますよ」

「……有紗……ちゃん」

「それに、私がなにかを言うまでもなくひとりさん自身が、自分の間違いを理解して自業自得だったと反省しているのに、私が責めては過剰になってしまいます。ただ、それでも、あえて苦言を呈させていただけるのなら……あまり、心配させないでくださいね」

「…………………‥はぃ」

 

 ひとりさんの頬に片手を軽く当てながら微笑むと、ひとりさんは微かに震える声で返事をしてくれました。それなら、この話はここで終わりです。

 ひとりさんの頬に触れてみたところ、解熱剤が効いてきたのか少し前よりは熱が下がっているように感じられました。

 ひとりさん自身も、最初より表情が楽そうで話も問題なくできている様子です。

 

「……解熱剤が効いてきたみたいですね。どうですか、少しは楽になりましたか?」

「あっ、はい。だいぶ、楽になってきました」

「でしたら、いまのうちに汗をかいた服を着替えておいた方がいいかもしれませんね。そちらにお義母様が用意してくださった着替えがあります。私が居ては着替えにくいでしょうから、私は一時退室しておきますね……ああ、ひとりさん、食欲はありますか?」

「あっ、す、少しなら……」

「でしたら、お義母様にお伝えしておかゆかなにかを用意してきますね。着替え終わった服はひとまとめにしておいてください。あとで、お義母様にお渡ししておきますので」

 

 ひとりさんにそう告げて、タオルなどを手渡してから部屋を出ます。同性とはいえ、私が居ては着替えるのは気恥ずかしいでしょう。食欲がある内に栄養を摂取した方がいいので、この時間を利用して食事を用意することにしましょう。

 おかゆと缶詰の果物を……卵がゆがいいですね。ネギと少量のしょうがを入れて……念のためお義母様に、ひとりさんにアレルギーが無いかを確認しておきましょう。

 

 

****

 

 

 台所をお借りしておかゆを作って部屋に戻ると、ひとりさんは着替え終わって布団に横になっていました。顔色は薬のおかげもあってよさそうです。

 

「お待たせしました、ひとりさん。食事を持ってきましたよ」

「あっ、ありがとうございます」

「食べられるだけで大丈夫なので、無理だけはしないようにしてくださいね」

 

 気を使って全部食べたりしないように、食べられるだけで構わないと告げてから上半身を起こしたひとりさんの手におかゆの入った器とレンゲを渡します。

 

「熱いので、気を付けてくださいね」

「あっ、はい……美味しい」

「口に合ったようなら、よかったです」

「あえ? こ、これ、有紗ちゃんが作ってくれたんですか?」

「はい。お義母様のご指導を受けながらですが……」

 

 いちおう最低限の嗜みとして、料理教室などで一通りの料理は学んではいますが、おかゆはあまり作った経験が無かったので少し不安はありました。

 ですが、お義母様のアドバイスを受けたおかげで手前味噌ながら、悪くない出来のものを用意できたと思っています。ひとりさんの口にも合ったようなので、安心しました。

 

「……なっ、なんだかまろやかで、優しい味ですね」

「少量ですが味噌を入れてあるので、そのおかげかもしれませんね」

 

 ネギにショウガに卵と栄養面にも気を使っています。半分ぐらいでも食べてくださればいいのですが……と、そう思っていると、ひとりさんはそれほど早いペースでは無いですが、ゆっくり食べ続け器に入っていたおかゆを全て食べてくれました。

 無理に食べているという様子もなかったので、かなりいい傾向だと思います。これならば、早期に快復が期待できますね。

 

「果物もありますが、いかがですか?」

「あっ、じゃ、じゃあ、少しだけ……」

 

 ひとりさんが持っていた器を預かって、代わりに桃の缶詰の中身を、一口サイズに切ったものが入った器を手渡します。

 風邪の際には水分が不足しがちになるので、水分量が多くビタミンCが多く胃腸に優しい桃は食べるのに適した果物と言えます。

 

「あっ、そういえば……なんで、風邪の時は桃缶って言われてるんですかね?」

「水分とビタミンCが豊富で風邪の時に食べるのに適しているからだと思います。あと、聞きかじった程度の知識ですが、桃は生よりも缶詰の方がビタミンCが多くなるらしいですよ」

「あっ、なるほど……」

 

 そのままある程度桃を食べたあとで、再び布団に横になったひとりさんは、お腹が膨れたことで眠気が出てきたのか、少しウトウトと眠たげな様子でした。

 

「しっかり栄養補給も出来ましたし、あとはゆっくり寝て休みましょう」

「あっ、はい……その……おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい、ひとりさん」

 

 私に告げたあとで目を閉じたひとりさんは、すぐに寝入った様子で少しすると小さな寝息が聞こえてきました。早く良くなるといいのですが……。

 ひとりさんも眠ったようですし、車を呼んで帰宅する時間も考えるとそろそろ帰った方がよさそうです。明日が休日であればまだ居られたのですが……とりあえずは、大事がなさそうと分かっただけでもよしとしましょう。

 

「……おや?」

 

 しかし、私が立ち上がろうとした瞬間手に微かな感触があり、首を傾げながら自分の手を見ると……布団から出たひとりさんの手が、弱々しく私の手を握っていました。

 ひとりさんは眠っているので無意識の行動でしょうが……これは、少し困りましたね。

 

 どうしようかと考えながら穏やかに眠るひとりさんの顔を見て、私はフッと笑みを溢しました。そして、スマートフォンを取り出して、じいやにロインで事情の説明をします。電話では、ひとりさんを起こしてしまう恐れがありますしね。

 

 そして連絡を終えたあとは、スマートフォンをしまい、そっとひとりさんの手を握り返しました。

 

 

 

 




時花有紗:さすがに氷風呂に入って風邪をひこうとするとまでは予想できなかった。暴走さえしなければ、普通に優しくていい子である。


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四手突発の病気看病~sideB~

 

 

 結束バンドに所属して初めてのライブを終えて数日、ひとりはバンドメンバーである虹夏とリョウに呼ばれ、様々な話をした。

 学校での話や音楽の話など親睦を深めるために様々な話をしたあとで、バンドのノルマについての話になった。ライブハウスにはチケットノルマがあり、集客が見込めない内はライブごとに数万円という金額を自腹で支払う必要がある。

 そのノルマ代を稼ぐためにバイトをしようという話になったのだが、それはひとりにとっては一大事だった。

 

 コミュ症のひとりにとっては人と関わるバイトは想像するだけで気を失いそうになるほどの恐怖の対象であり、母親が溜めてくれている結婚資金用の貯金を差し出してでも働きたくないと告げるほどだった。

 もちろんその貯金を差し出すことは虹夏によって却下されたのだが、働きたくないひとりは必死に思考を巡らせ……そして頭に思い浮かんだのは、有紗の姿だった。

 

「……あっ、あの、『私を狙っているお金持ちの知り合い』が居るので、わ、私が身を差し出せばきっといっぱいお金くれると思うので、そ、それで……」

「もっと駄目だよ! なんてこと言い出すの!?」

「ぼっち……ロックだ」

「駄目なロックだよ! ぼっちちゃん、自分のことは大事にしないと駄目だからね!!」

 

 ひとりがあまりにも説明下手なこともあって、当たり前ではあるが提案は猛然と却下された上に、虹夏からの軽い説教も受けることになった。

 その後なんやかんやあり、最終的にSTARRYにてバイトするという形で話が纏まり……もとい虹夏の提案をコミュ症であるひとりが断り切れなかっただけでもある。

 

(……有紗ちゃんに土下座して、靴とか舐めたら、お金貰えないかな……)

 

 帰り道にそんなことを考えつつ、それでも実際に実行しなかったのはなけなしの良心の賜物かもしれない。なお、実行しないまでも相談すればお金の融資を受けられただろう。ただその場合は、有紗に対して金銭的な弱みを持つことに繋がり、最終的に結婚までのルートが開かれる可能性が高かったが……。

 

 

****

 

 

 結果を語るならば、ひとりは有紗に縋ることは無く……風邪をひいてバイトを休むという狙いの元、氷風呂に長時間浸かったり、半裸で扇風機の前でギターの演奏をしたりと、バイトをするよりよほど辛そうな手段を選択。

 その上で結局狙った通りに風邪をひくことは出来ず、「一緒に頑張ろう」とメッセージを送ってきてくれた虹夏に対して罪悪感と共に己の行いを恥じてバイトに向かった。

 そしてバイト初日はなんとか周りのフォローもあって乗り切ることができ。そのことで思考が前向きになったひとりは、翌日からのバイトも頑張ろうと心に誓ったのだが……なんとも因果なもので、初バイトの日の夜に間違った努力の成果が実ることとなり、彼女は高熱を出して寝込んでしまった。

 

 高熱と咳に苦しんでいたひとりの下に有紗が見舞いに来てくれ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたこともあってある程度症状が落ち着いたひとりは眠りについた。

 そしてぐっすりと眠って目を覚ましたひとりは、枕元にあった目覚まし時計の時刻を確認する。現在の時刻は2時、深夜と言っていい時間帯だ。

 

(まだ、ダルさはあるけど、かなり辛さは和らいで……あれ? 右手が、温かい? なんだろう?)

 

 ある程度体調が回復していることを実感しつつ、ふとひとりは右手に感じる温かな感触に導かれるように視線を動かす。

 室内は暗いが目がある程度慣れていたおかげと、カーテンの隙間から差し込む月明かりでそれなりによく見えた。

 ひとりの目に映ったのは、彼女の右手に手を重ね、近くの壁にもたれかかる様にして眠っている有紗の姿であり、その姿を見て不意に目の奥がジーンとするような感覚を覚えた。

 

(……有紗ちゃん……ずっと、居てくれたんだ)

 

 有紗が居たことに言いようのない安心と嬉しさを感じたひとりだったが、すぐにハッとした表情を浮かべ気だるさを感じる体で起き上がった。

 そしてキョロキョロと周囲を見渡してなにかを見つけたひとりは、少しふらつきながらも立ち上がる。歩く先にはハンガーにかけられた彼女が普段よく着ている桃色のジャージの上着。それを手に取ってかるく匂いを嗅ぐ。

 

(だ、大丈夫だよね? ちゃんと洗濯してるし、変な臭いとかしないよね……)

 

 軽く確認したあとでその上着を持って有紗に近付き、眠っている有紗を起こさないように慎重に上着を体にかけた。

 そのまま月明かりに照らされる有紗の寝顔を、ひとりは静かに見つめる。

 

(寝てても、上品な雰囲気で、有紗ちゃんらしいなぁ……)

 

 ひとりにとって、有紗は初めてできた友達であり、性格的な相性もいい存在であり、まだ知り合ってからそう長くはないが大切な友達だと言える存在で……同時に『恐怖の対象』でもあった。

 恐怖とは言っても、それは有紗に対してという意味ではない。たしかに出会いこそ奇妙な感じで、有紗の行動力にはたびたび振り回されているが、有紗自身は優しい性格であり、恐怖を抱くような相手ではない。

 

 ひとりが恐れていたのは、有紗自身ではなくその関係性だった。

 

 ひとり本人にとっては信じがたいことではあるが、有紗はひとりに一目惚れをしたことが切っ掛けでひとりと友達になった存在である。

 つまり第一印象でひとりを好きになったわけで、ひとりの内面はあまり知らない状態だった。

 

 だからこそ……情けない己を知られるのが恐ろしかった。ひとりは本質的に己に自信がない。だからこそ、己が本来有紗に好かれるような内面をしていないと、確信していた。

 故に恐ろしかった。第一印象で己を好きになり初めての友達になってくれた有紗が、己の駄目駄目な中身を知れば失望してしまうのではないかと……こちらに笑いかけてくれる優しい顔が、冷めたものに変わってしまうのではないかと……。

 

 一歩間違えば、見惚れてしまうような綺麗な微笑みも、優しく安心できる声も、温かな視線も、全てが夢のように消え去ってしまうのではと、そう思っていた。

 だからこそ、ずっと怖かった。一緒に登校した際に友達が居ないと明かす際にも、今回バイトをサボるためにワザと風邪をひこうとしていたことを懺悔する時も、恐ろしくて仕方なかった。

 

 だが、有紗はひとりに呆れることも失望することも無く、優しく微笑んでくれた。温かな目を向け、優しい声で気遣うような言葉を投げかけてくれた。

 有紗はひとりの内面を知っても失望したり離れたりすることは無く、変わらず友達として接してくれた。安堵と嬉しさで、泣きそうになったのをハッキリと覚えている。

 

「……有紗ちゃん……いつも……本当に、ありがとうございます」

 

 眠る有紗に小さな声で告げたあと、ひとりは再び横になって布団を被る。そして、そのまま目を閉じようとしたが、ふと思い出して右手を伸ばし……有紗の手に重ねてから目を閉じた。

 不思議なものであり、初めて会った頃は少し話すのさえビクビクとして落ち着かなかったひとりが、いまは有紗が傍に居てくれることに安心感を覚えている。

 日が経つごとに、有紗の存在が己の中で大きくなっているような、そんな感覚を覚えつつも嫌な気はせず……ひとりは、右手に温もりを感じながらまどろみの中に沈んでいった。

 

 

****

 

 

 ひとりが目覚めたのはすっかり夜が明けたあとだった。窓から差し込む光に眩しさを感じ、軽く目を擦りながら視線を動かす。

 動かした視線の先には綺麗にたたまれた桃色のジャージがあり、その上にメモが置いてあり、綺麗な字で有紗からのメッセージが書かれていた。

 

『上着をありがとうございました。学校がありますので一度帰宅させていただきます。また、学校が終わった後で参りますね。お大事に』

 

 その丁寧な文章を見てひとりは小さく笑みを溢した。己の体調を確認してみると、かなり楽にはなっているがまだ少々熱っぽさも感じる。だが、この様子なら明日には快復しそうな感じではあった。

 有紗が用意してくれていたのであろうテーブルの上のスポーツドリンクを飲んで喉を潤したあと、ひとりは空腹を感じた。

 幸い歩いて移動できる程には体調も良くなっていたので、マスクを付け母親が居るであろう一階に移動することにした。

 その際にいつもの癖で、たたんであったジャージを着たひとりだったが、直後に少し顔を赤くした。

 

(……有紗ちゃんの匂いがする。な、なんだろう、変に恥ずかしいな……)

 

 有紗と一緒に居る時に漂ってくる柑橘系の香水らしき香りがジャージに微かに移っており、着慣れているはずのジャージがいきなり別の服に変わったかのような、変な気分だった。

 妙な気恥しさを感じつつ、一階に降りて台所に向かうと、そこには母である美智代の姿があった。

 

「あら? ひとりちゃん、体調はどう?」

「う、うん。まだちょっと熱があるけど、だいぶ良くなったよ。それで、お腹が空いて……」

「そうなの、分かったわ。じゃあ、なにか作って部屋に持っていくわね」

「うん。お願い」

 

 マスクを付けている状態で一目見て分かるほど、ひとりの顔色はよくなっており、美智代も安心したように微笑みを浮かべる。

 そして、部屋に戻ろうとするひとりに対し、ふと思い出したように声をかけた。

 

「あ、そうそう。有紗ちゃんにちゃんとお礼を言っておくのよ。朝までずっといてくれたんだからね」

「うん」

「本当に優しくていい子よね。あんな子がひとりちゃんの友達になってくれてよかったわ」

「うん。私も、そう思う」

 

 母親の言葉に同意しつつ、どこか嬉しそうに頷いたあとでひとりは二階の部屋に戻っていった。その後ろ姿を見送りつつ、美智代もまた嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

(前まで有紗ちゃんに対して遠慮してるような、少しおっかなびっくりなところがあったけど……ひとりちゃんの中で少し心境の変化があったみたいね。コレは本当にいずれ有紗ちゃんが娘になる日も……ふふ、なんてね)

 

 

****

 

 

 夕方になり、熱もすっかり下がってかなり元気になってきたひとりの元に、学校を終えた有紗がやってきた。

 

「こんにちは、ひとりさん。お加減はいかがですか?」

「あっ、もう熱も下がって、だいぶよくなりました」

「それはなによりです。ですが、ぶり返す恐れもありますので、まだせめて今日一日は安静にしておいてくださいね」

「あっ、はい」

 

 布団に入って上半身だけ起こしているひとりのすぐ近くに座りながら有紗が微笑み、ひとりも少し笑みを浮かべて頷く。

 今回の件で、ひとりにとって有紗は本来の自分を見せても失望したりしない相手と認識したからなのか、以前よりもリラックスして有紗と会話ができているような気がした。

 

「寝たままでも退屈だろうと、いくつか映画のBDを持って来たので、一緒に見ませんか? ひとりさんの好みが分からなかったので、いろいろなジャンルのものを持ってきましたが……」

「あっ、青春コンプレックスを刺激しない類の映画ならどれでも大丈夫です」

「青春コンプレックス?」

「恋愛映画とか青春映画とか学園物とか、私とは縁の無いものを題材にした作品には、その、拒否反応が……」

「なるほど、では、アクション映画とかがいいかもしれませんね」

 

 青春コンプレックスに関しての話をしても、有紗は呆れる様子もなく楽し気に映画を選び、人気のアクション映画を選んで視聴する準備をする。

 隣……近くに座りテレビの画面に視線を向ける有紗を見て、ひとりは少し躊躇うような表情を浮かべつつも、おずおずと口を開いた。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん」

「はい?」

「こっ、今回はありがとうございました。迷惑もかけちゃって……かっ、風邪がうつったりしたら、ごめんなさい」

「気にしないでください。私が好きでやったことですから……あと、そうですね。もし風邪がうつっていたら、その時は、ひとりさんに看病してもらいましょうかね?」

「あっ、はい。します、必ず……その、うつってなくても、いつか有紗ちゃんが風邪をひいたなら、その時は絶対……」

 

 ハッキリとそう告げたひとりの言葉は有紗にとって少し予想外だった様子で、一瞬キョトンとした表情を浮かべたあと、心底楽し気に笑い始めた。

 

「……ふふ、駄目ですね。そんなことを言われてしまうと、風邪をひきたくなってしまうじゃないですか」

「あっ……氷風呂はやめておいた方が、いいと思います」

「ふふふ、やっぱり氷風呂は辛かったですか?」

「正直かなり……」

 

 風邪をひく前よりも距離が近くなったように感じているのは、おそらくひとりだけではないだろう。友達としてより親しくなれたふたりは、そのまま楽しく共に映画鑑賞を行った。

 

 

 

 




後藤ひとり:ぼっちちゃん。有紗への好感度が急上昇。少し百合の波動が現れ始めたか? 原作では完治まで3日かかったが、有紗の看病のおかげで2日で快復した模様。


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五手相談の作詞風景~sideA~

 

 

 初夏に入り温かくなり、学校の制服も夏服に切り替わった頃、私は休日を利用してひとりさんの家に遊びに来ていました。

 すっかり通い慣れたもので、ひとりさんの家付近の道にもそれなりに詳しくなったような気がします。

 

「いらっしゃい、有紗ちゃん」

「こんにちは、お義母様」

 

 呼び鈴を鳴らすとお義母様が出迎えてくれて、すぐに家に上げてくださいます。今日は休日なのでお義父様もいらっしゃるようだったので、お義父様にも挨拶をと思い、最初はリビングに向かいました。

 

「こんにちは、お義父様」

「ああ、有紗ちゃん。よくきたね」

「有紗おねーちゃん! こんにちは~」

「はい。こんにちは、ふたりさん。今日も元気いっぱいですね。ジミヘンさんもこんにちは」

「ワン!」

 

 同じくリビングに居たふたりさんとジミヘンさんにも挨拶をします。ふたりさんは最近私のことを「有紗おねーちゃん」と呼んでくれるようになりました。未来の義姉として、義妹といい関係を築けていることを実感します。

 そんなことを考えつつ、私は手に持っていた袋をお義母様に差し出します。

 

「知人から頂いたものなのですが、数が多かったのでお裾分けにと思いまして、よろしければ皆さんで召し上がってください」

「あら、ありがとう。まぁ! 美味しそうなメロンね」

「メロン! やった~! 有紗おねーちゃん、ありがとう!」

「喜んでいただけたなら、なによりです……ひとりさんは、お部屋ですか?」

 

 静岡の知人から頂いたクラウンメロンですが、ずいぶん数を頂いたので持ってきたのですが、喜んでいただけたようでよかったです。

 嬉しそうにはしゃぐふたりさんの様子を見て微笑ましい気持ちになりながら、ひとりさんのことを尋ねると、なにやらお義母様は難しそうな表情を浮かべました。

 

「ひとりちゃんは、いま部屋に居るけど……バンドのことで苦戦してるみたいね」

「そうなのですか? バンドというとボーカルの方も加入して順調と伺っていましたが……」

「おねーちゃん、作詞してるんだって~」

「作詞……なるほど、曲作りですね。創作というのは、どの分野でも難しいものですからね」

 

 ひとりさんが所属する結束バンドは、ひとりさんから聞いた話では最近喜多さんというギターボーカルの方が加入……再加入して、バンドとしてこれから本格的に動き出すという段階と聞いていました。なるほど、確かにオリジナル曲も必要でしょう。そして、ひとりさんが作詞を担当することになったと……。

 そんな風に話していると、不意に二階から妙な声が聞こえてきました。

 

「ウェ~イ!」

『……うん?』

 

 ひとりさんの声ではありましたが、普段のひとりさんとは結び付かないなんとも妙な声が聞こえてきて、皆揃って首を傾げました。

 その声が気になって全員で二階に向かい、ひとりさんの部屋を覗き込むと……。

 

「ここは有名なイソスタ映えスポット!」

 

 なにやらウサギのぬいぐるみと自撮り棒と手に持ったひとりさんが、クネクネと踊るような動きをして明るい声を出していました。

 明るい様子のひとりさんも、これはこれで非常に愛らしいですね。眼福とはまさにこのことですが……お義母様とお義父様は、なにやら顔を青ざめさせていました。

 

「あと10分後に花火が打ちあがるから、皆で写真を撮……へ?」

 

 するとそのタイミングでひとりさんが私たちに気付き、バツの悪そうな表情を浮かべましたが、それより早くお義母様とお義父様が動きました。

 

「……お母さんの知り合いに、いい霊媒師さんが居てね」

「ごごご、誤解!?」

 

 どうもおふたりはひとりさんが悪霊にでも取りつかれたと考えている様子で、お義父様はどこからとりだしたのか数珠を持って手を合わせており、お義母様も心配そうに手を合わせています。

 対してひとりさんは慌てており、しっかりと説明も出来ていない様子だったので、おふたりには私が声をかけることにしました。

 

「大丈夫ですよ、お義母様、お義父様。先ほどのひとりさんの行動は、おそらく作詞をする過程で参考とする誰かに成りきることでインスピレーションを高めていたのでしょう。悪霊に取りつかれたりしたわけでは無い筈ですよ」

「……逆に有紗ちゃんは、なんでひとりのあの動きだけで、そこまで分かるのか……」

「愛の力です」

「愛の力ならしょうがないなぁ……」

 

 私の言葉を聞いたお義父様は、なにやら遠い目をしておられましたが、そのお顔は流石親子というだけあってひとりさんが時折浮かべる表情によく似ていました。

 

 

****

 

 

 あのあと、ひとりさんは私以外を部屋から追い出し、扉の外に「覗き見禁止」と張り紙をしました。机の上を見ると、ひとりさんが書いていたであろうノートがあり、そこにはなにやらサインらしきものがありました。

 

「……ひとりさん、これはサインですか?」

「え? あっ、えええと、そそれは、ちょっと作詞の息抜きに……」

「なるほど、バンド活動をしていくならサインは必要でしょうしね。ただ、ひとつ伺いたいのですが……この『Bocchi』……ぼっちというのは?」

「あっ、えっと、バンド仲間が付けてくれたあだ名です。ひとりぼっちから、ぼっち……うへへ」

「なるほど……」

 

 ……えっと、ひとりぼっちからとってぼっち? ……蔑称なのでは?

 

「……あの、ひとりさん? バンドメンバーとは仲良くやれてますか? その、イジメられてたりとか、そう言うことがあればすぐに言ってくださいね?」

「はえ? えっ、だ、大丈夫ですよ? 皆、すごく優しくていい人です」

「ひとりさんとしては、そのあだ名は問題ないんですか?」

「あっ、あだ名って付けてもらったの初めてで、嬉しいですね」

 

 ……まぁ、本人が気にしていないのであれば……問題は無いですかね。とりあえず、ひとりさんの表情を見る限り、イジメられていたりということは無さそうですし……。

 それだけ気安い愛称を付けられるほどいい関係と、そう思うことにしましょう。

 

「……そういえば、話は変わりますが、作詞をされているんですよね? お義母様が言うには、かなり苦戦しているとか……」

「うっ、あっ、はい……い、いや、これからキターンとした歌詞を書き上げるつもりなんです!」

「キターン? よ、よく分かりませんが、気合は伝わってきます。それじゃあ、邪魔をしても悪いので私は本を読んでいますので、協力できることがあれば声をかけてください」

「あっ、はい。あっ、あの、有紗ちゃん」

「はい?」

「あっ、後で、書けた歌詞を見てもらっていいですか? 意見が欲しいので……」

「ええ、私でよろしければ」

 

 ひとりさんの言葉に笑顔で頷いたあとで、私はバックから本を取り出して読み始めました。コレはひとりさんの家に遊びに来る際に、たまにある形です。

 ひとりさんがギターの練習をしていて、私は本を読みながら時折演奏を聴かせてもらったりするといった感じです。今回は作詞中ではありますが、状況的には似た感じですね。

 

 そのまましばらく本を読んでいると、ひとりさんが両手で頭を抱えたり腕を組んだりしながらノートに歌詞を書き込んでいるのが目に付きました。

 たしかにお義母様のいう通り苦戦している様子です。力になりたいところではありますが、難しいですね。根を詰め過ぎないように、適度なタイミングで休憩を提案することにしましょう。

 そんな風に考えたタイミングで部屋の扉がノックされ、お義母様の声が聞こえてきました。

 

「ひとりちゃん、入るわよ」

「お母さん?」

「これ、お茶とおやつに有紗ちゃんが持って来てくれたメロンよ」

「ありがとうございます。お義母様」

 

 私とひとりさんの前にお茶と切ったメロンを置いてくれたお義母様にお礼を言って頭を下げつつ、ひとりさんに声を掛けます。

 

「ひとりさん、根を詰め過ぎてもいけませんし、少し休憩にしませんか?」

「あっ、はい」

 

 作詞作業を一旦止めてノートを閉じるひとりさんをみて、お義母様は軽く微笑んだあとで部屋から出ていかれました。

 そしてひとりさんは俯き気味の表情でメロンを一口食べ、直後に目を輝かせて顔を上げました……可愛いです。

 

「……あっ、甘っ、美味し……こんなに美味しいメロン、初めて食べました」

「静岡の知人に頂いたクラウンメロンですが、気に入っていただけたならよかったです」

「……たっ、高いメロンなんですか?」

「いちおう最高の『富士』という等級のものです。概ね一玉30000円ほどではないでしょうか?」

「さ、ささ、さんまっ……」

「まぁ、味がよければ値段などはあまり気にするものでもありませんよ」

「……」

 

 なにやら少し前にお義父様がしていたような遠い目をするひとりさんを見て苦笑しつつ、せっかくなので作詞の状況についても尋ねてみることにします。

 

「そういえば、ひとりさん。作詞は順調ですか?」

「あっ、うぅ……あんまり、順調ではないです」

「ちなみに、どんなイメージで作っているんですか?」

「あっ、おしゃれで明るく元気が出る感じの……」

「グラムロックに近い感じですかね? 私の記憶が確かなら、ひとりさんはあまり好まないジャンルだったと思うのですが……」

 

 私もロックについてある程度は勉強したので、ひとりさんの好むジャンルや好まないジャンルは分かっているつもりです。

 グラムロック系のポップで派手な曲は、あまりひとりさんが好むものではないはずだったと思います。

 

「あっ、そ、そうなんですけど……グラムよりはポップ寄りで、い、いちおう応援ソングを書こうとしてて……」

「……応援ソング? 嫌いではなかったですっけ?」

「うぐっ……そ、それは……はい」

 

 妙な感じです。どうも、ひとりさんらしくない感じといいますか……なにか余計なことを考えているような気がしますね。

 

「……ひとりさん、もしよろしければいま書けている分だけでもいいので、拝見してもいいでしょうか?」

「え? あっ、はい」

 

 ひとりさんに許可をとって歌詞ノートを見てみます。明るく前向きな歌詞が書かれていますが、どれも取って付けたような印象を受けるというか……。

 

「あっ、ああ、あの……どど、どうでしょうか?」

「言葉選びは綺麗ですし、言い回しなどはなるほどと感心するものもありますが……いえ、回りくどい言い方はやめましょう。ひとりさん、この歌詞は好きですか? どうにも私には、ひとりさんらしさがなく、無理をして書いているような印象を受けます」

「そっ、それは……で、でも、バンドとしてメジャーになるには、やっぱりそういう明るい曲の方が……」

「……ふむ」

 

 なるほど、ある程度分かってきました。ひとりさんが、作詞に苦戦していた理由も含めて……。私は読んでいたノートを閉じて、ひとりさんの方を向いて静かに尋ねます。

 

「ひとりさん、それは……バンドの皆さんと話し合った結果、そういうジャンルで行こうという結論になったのですか?」

「え? あっ、い、いえ、そうじゃなくて、私がそうした方がいいと……バンドとして成功するには、暗い歌詞より、明るく大衆に受ける曲じゃないと……」

「なるほど、バンドの仲間のことを思って、明るい応援ソングを書こうと思ったわけですね。周りを気遣う優しさは素晴らしいことだと思います。ですが、相手を思ったが故の善意の行動が、結果としてすれ違いを生むというのは、残念ですがままあることです」

「すっ、すれ違い……ですか?」

「ええ、果たしてバンドの皆さんは、ひとりさんが考えたような音楽をやりたいと思っているのでしょうか? バンドとして、ある意味方向性を決めると言っていい内容。それを、ひとりさん個人の判断で決めるべきではないのではないでしょうか?」

 

 この件に関しての解決方法は、おそらくバンドのメンバーとしっかり話し合うことでしょう。なにもかもひとりさんが背負っている状態……というよりは、あれこれ考えすぎて背負わなくていい荷物まで背負ってしまっている状態なので、まずはそこを解消するところからです。

 

「なので、相談してみてはいかがでしょうか? 全員にというのが難しければ、最初は話しやすい方に相談してみるといいと思います」

「……皆に……相談」

「ひょっとしたら、言い出さないだけで皆さん暗い歌詞の曲やハードロックをやりたいと思っているかもしれませんよ? アレコレ変に抱え込んでしまうより、一度話してみるのをお勧めします。そうすると、意外とアッサリと解決したりするものですよ」

「……有紗ちゃん……わっ、分かりました。だっ、誰かに相談してみます」

 

 どうやら私の言葉はちゃんとひとりさんに届いた様子で、ひとりさんはしっかりと頷いてくれました。するとタイミングを見計らったかのようにひとりさんのスマートフォンが音を鳴らしました。

 

「……え? あっ、こ、ここ、これって……」

「どうしました?」

「あっ、えと、明日予定の確認で、空いてたら明日バンドメンバー全員で下北沢に集合って……」

「それは丁度いい機会ですね……あの、なぜ青い顔を?」

「こっ、ここ、これはきっと……調子いいこと言っておきながら、未だに歌詞を書けてない私を、つ、吊るし上げる会では?」

「……違うと思いますよ」

 

 違いますよね? ひとりさん、やっぱりバンド内でイジメられているとかそう言うことは無いですよね?

 

 

 




時花有紗:……いじめられてないよね? 若干ぼっちちゃんの環境が心配。外堀は順調に埋めており、ぼっちちゃんの家族とはかなり仲良くなっている。

後藤ひとり:ぼっちちゃん。なんだかんだで有紗とは前より仲良くなっており、歌詞を見て欲しいと持ち掛けるぐらい心を許している。

クラウンメロン・等級『富士』:糖度14以上でヤバいぐらい美味しいメロン。ただしクラウンメロン1000個に1個ぐらいの割合でしか富士の等級は与えられないので貴重。桐箱に入ってるお高いメロン。ヤバいぐらい美味しいが、30000円かと言われると分からない。ひとつ下の等級である『山』が7000~10000円で買えるのだが、素人には違いはよく分からなかった。


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五手相談の作詞風景~sideB~

 

 

 結束バンドメンバーとしてのオリジナル曲の作成。作詞を任され苦戦していたひとりだったが、有紗の勧めに従いバンドメンバーのリョウに相談し、アドバイスを受けたことで吹っ切れることができた。

 明るくメジャーな曲をと無理して書いていた時とは違い、自由に作詞すると吹っ切れてからは筆の進みはかなり早くなり、ひとりは作詞に集中することができた。

 

 そして、満足のいく歌詞がようやく完成したというそのタイミングで、ひとりは現在……かつてないほどの恐怖に震えていた。

 

「……」

 

 床に正座しガタガタと震えるひとりの前には、有紗が立っている。有紗の口元にはいつものように穏やかな笑みが浮かんでいるが、目は欠片も笑っておらず、背後に鬼神でも居るのではないかというほど凄まじい怒気を放っていた。

 普段怒らない人ほど怒った時は怖いというが、それは有紗にも当てはまった。いつもは優しく微笑んでおり、おおよそ怒るところなど想像もできないほど穏やかな有紗の怒り……その重圧たるや、なにを言われたわけでもないのにひとりが無意識で正座するほどであり、体の震えが止まらない。

 

(な、なな、なにこの状況、有紗ちゃん、おお、怒ってるよね!? なな、なんでぇ……)

 

 そもそも、ひとりはまだ有紗がなぜ怒っているか分かっていない。いつも通り遊びに来た有紗だったのだが、ひとりを見た瞬間、なぜか凄まじい怒りの気を放ち始めた。

 そして現在仁王立ちする有紗の前にひとりが正座しており、恐怖のあまり怒りの理由も聞けないという状態になっていた。

 

「……ひとりさん」

「はひっ!? ななな、ななん、なんでしょうか……」

「その目のクマは……なんですか?」

「くっ、クマ? あえ、あ、えと……ひぃっ!? ごご、ごめんなさい!」

 

 静かに問いかけてきた有紗に返答しようとしたが、その凄まじいプレッシャーにひとりがまともに返答できるはずもなく、とりあえず即座に土下座の姿勢で謝罪した。

 すると有紗はスッとしゃがみ、ひとりの肩を掴んで顔を上げさせ、ひとりの目を見て微笑む。

 

「……謝罪しろと言っているのではないんです。私は、そのクマの理由と経緯を尋ねているんですよ?」

「ぴぃっ!? あっ、あの、ここ、これはその、作詞に集中し過ぎて……ここのところ眠ってなくて……」

 

 顔を上げたひとりの目に映ったのは完全に目が据わっている有紗だった。普段ひとりは、人とほとんど目を合わせることができない。仮に目を合わせてもすぐに逸らしてしまう。

 だが、いまは怖さのあまり目を逸らすことすら出来ず、慌てた様子で事情を説明する。

 

「なるほど、創作には時に勢いも重要ですね。熱が入って時間を忘れてしまう気持ちも分かります」

「……あっ、えっと……」

「でも、だからと言って、己の体を蔑ろにした無茶をしていい理由にはなりません」

「あひっ!? は、ははは、はい!」

「……ひとりさん?」

「ひゃい!?」

「もう二度とこんなことは無い……そうですよね?」

「はっ、はい! に、二度と無茶はしません!!」

 

 決して声を荒げているわけでもないのに、有紗の声は有無を言わせぬ迫力があり、ひとりは壊れた人形のように首を勢いよく何度も縦に振りながら返事をする。

 その言葉を聞き、ようやく有紗から放たれていた重圧が消えた。

 

「……約束ですよ? ひとりさんが頑張り屋なのは知っていますが、無茶は駄目ですからね」

「あっ、はい。そっ、その、心配かけてごめんなさい」

 

 どうやら有紗の怒りは収まったようで、いつものように優しい微笑みを浮かべてくれており、ひとりはホッと安堵しつつ、有紗に頭を下げて謝罪する。

 そもそも有紗が怒っていたのは、ひとりのことを心配してという部分が大きいので、申し訳ないという気持ちはかなり大きかった。

 

「分かってくださればいいんです……ただし」

「……え?」

「今回の件に関しては、罰を与えます。いいですね?」

「ひぃ……はひっ……」

 

 どうやらまだ危機は脱していなかったようで、有紗は美しい笑みを浮かべながら宣告した。残念ながら、先ほどまでに焼き付けられた恐怖の感情もあり、ひとりには頷く以外の選択肢は無かった。

 この日以降、ひとりは強く心に誓った。有紗だけは怒らせないようにしようと……。

 

(罰か……で、できれば、痛くないやつがいいなぁ……)

 

 そんなことを考えつつ、どこか諦めの表情を浮かべていたひとりに対し、有紗は宣言通りに罰を与えた。だが、その内容は、ひとりが予想していたようなものではなかった。

 

「……あっ、え、えっと……有紗ちゃん? こっ、この状況は……いったい……」

 

 宣言のあとで有紗の指示通りに動いた結果……現在ひとりは、有紗の腿の上に頭を乗せて寝転がっていた。所謂膝枕の体勢であり、状況が呑み込めないひとりが問いかけると、有紗は微笑みを浮かべながら告げた。

 

「先ほど言った通り罰を与えます。ひとりさんには、罰としていまから仮眠をとっていただきます。私がこうしてしっかり監視しているので、誤魔化しは効きませんよ」

「……はえ? そっ、それが罰……ですか?」

「はい。仮眠です……寝心地は悪くないですか?」

「あっ、い、いえ、はい。だだ、大丈夫です」

「それなら、よかったです」

 

 有紗がひとりに与えた罰の内容は、有紗の膝枕で仮眠すること……罰とは到底言えないような内容だった。というよりは、罰ではなく眠っていないひとりを強制的に眠らせるために罰という言い回しをしただけのようだった。

 まぁ、膝枕をする必要はないので、その辺りには有紗の欲望が多少は反映されているかもしれないが……ともあれ、ひとりにとっては予想外ではあったが、内容を聞いてみればなるほど有紗らしいとも感じた。

 

(……結局有紗ちゃんは、最初っからずっと私のことを心配してたんだよね……やっぱり、優しいな)

 

 心からひとりを気遣い心配している有紗の優しさに心が温かくなるのを感じた。そして、こうして横になってしまえば、やはり目の下にくっきりクマが出来るほど寝不足だったこともあり、すぐに抗いがたい眠気が湧き上がってきた。

 有紗はひとりの頭に手を乗せ、優しく撫でる。その心地良い感覚に、ひとりの意識はあっという間にまどろみの中に沈んでいった。

 

 

****

 

 

 意図せず有紗を怒らせてしまうという事態こそあったものの、無事にオリジナル曲も完成し、結束バンドの活動は順調だった。

 あっという間に7月となり、STARRYでの初ライブに向けて店長である伊地知星歌の出したオーディションも無事合格し、4人そろっての初ライブが決定した。

 しかし、そこで立ちはだかるのがチケットノルマであり、今回のノルマはひとり5枚……つまり、ひとりも5人の相手にチケットを売らなければならない。

 ひとりは、心に絶望を宿しながら一本ずつ指を折って考える。

 

(父! 母! 妹! 犬! ……有紗ちゃん!! や、やった、大丈夫。全部売れる!!)

 

 家族と有紗を合わせて丁度5人であることに歓喜の涙を流す……なお、妹や犬がライブハウスに入れるかどうかを考えるほど思考的な余裕は無かった。

 

「……ぼっちちゃん、大丈夫?」

「はっ、はい! 大丈夫です。私には有紗ちゃんが居るので……」

「有紗ちゃんって……たしか、ぼっちちゃんが時々話してる友達だよね?」

「あっ、はい。私の初めての友達です……といっても、虹夏ちゃんたちと2週間ぐらいしか差はないですけど……」

 

 ひとりの口からでた有紗という名前に虹夏が反応する。そして近くに居たリョウと喜多もその話に興味があるのか、近づいてきた。

 ひとりに有紗という友達が居るのは、彼女たちも知ってはいたが、バンドとしての活動に忙しかったのもあり、詳しい話を聞く機会は無かった。

 

「ふむふむ、学校とかでもよく一緒に居るの?」

「あれ? でも、後藤さんが学校で誰かと一緒に居るところは見たことない気が……」

「あっ、いや、有紗ちゃんは別の学校なので……」

 

 虹夏とリョウは有紗がひとりと同じ学校の友達と認識していたが、同じ学校に通う喜多の発言により有紗が別の学校であることを知った。

 しかし、そうなると同時に疑問が湧き上がってきた。彼女たちの目から見てひとりは筋金入りのコミュ症であり、学外の友達をそう簡単に作れるような人物とは思えなかったからだ。

 

「へぇ、少し意外だね。ねね、ぼっちちゃん。その有紗ちゃんって子と、どうやって知り合ったの?」

「あっ、えっと……学校からの帰り道に会って、初対面でプロポーズされました」

『……うん?』

「えっ、えっと、それで、断ったんですけど。翌日いきなり住所知らないはずの家に来て正式に友達になって……あっ、あとは、週明けに家のドア開けたら家の前で待ってたりとかして、一緒に登校したりして、仲良くなりました」

『……』

 

 まず大前提として、ひとりは嘘は言っていない。全て実際に起こったことではあるが……ともかくひとりの説明が下手だったせいで、妙な伝わり方をしてしまった。

 結果として、虹夏、リョウ、喜多の3人はなんとも言えない表情を浮かべ、少しして虹夏が告げる。

 

「あっ、ぼっちちゃん、ごめん! ちょ~と、待っててね」

「あっ、はい?」

 

 先ほどまで話していた場所にひとりだけを残し、3人は少し離れた場所で話を聞いていたであろう姉の星歌と音響担当……PAの元に移動する。

 そして、ひとりに聞こえないように小声で星歌に話しかけた。

 

「……お姉ちゃん、いまの話……ぼっちちゃんの友達の話、聞いたよね?」

「友達? いや、『質の悪いストーカーに付きまとわれてる』としか、聞こえなかったんだが……」

「だよね! そう聞こえたよね!?」

「告白、自宅訪問、出待ち……そうとしか聞こえなかった」

 

 そう、あまりにもひとりの説明が下手過ぎたせいで、妙な誤解を生んでいた。たしかに、初対面でプロポーズはあったが、性急過ぎたと反省し友達からスタートすることになった。

 たしかに自宅に訪問はしたが、住所に関してはひとりが忘れているだけでテンパった彼女自身が伝えたものである。

 ただもちろん、そんな事情を彼女たちが知るわけもない。

 

「それで、思い出したんだけど……リョウも覚えてる? 前にバイトするって話になった時……」

「うん。ぼっち、『自分を狙ってる金持ちの知り合いに身を差し出せばお金貰えるかも』って言ってた。その有紗って子の可能性が高い」

「えぇ!? そ、そういうことを迫っているってことですか?」

 

 そして誤解は加速していく。この場においてひとりを除いた全員の認識として、有紗はひとりを狙う厄介なストーカーであり、コミュ症のひとりがいい様に言いくるめられているという考えに達した。

 星歌は真剣な表情でしばし考えたあとで、ひとりの方を向いて口を開く。

 

「……ぼっちちゃん。その有紗って子、ここに呼べるか?」

「あっ、え? 有紗ちゃんを、ですか? かっ、確認してみます」

「ああ、よろしく」

 

 星歌たちの会話はひとりには聞こえていないので、突然有紗を呼べるかという言葉に首を傾げつつ、ひとりはロインで有紗に連絡を行う。

 その様子をチラリと見たあとで虹夏は不安げな表情で姉を見る。

 

「……お姉ちゃん、大丈夫かな?」

「大丈夫だ。私も前にバンドやってたからな、厄介ファンやストーカーなんてのはよく聞く話だったし、遭遇したこともある。この手の奴は、早めに釘を打っておく方がいい。長引けば長引くほど拗れて、最悪暴走する可能性もあるからな。一度ここに呼んでキッチリ話を付けとくべきだ。まぁ、伊達に年長者じゃないからな、任せとけ」

「自宅も知られちゃってるみたいですしね。少しきつめに警告した方が良さそうですねぇ」

 

 虹夏を安心させるように微笑みながら任せろと告げる星歌の言葉に、PAも同意する。頼れる大人の言葉に虹夏がホッとした表情を浮かべたタイミングで、ひとりが近づいてきた。

 

「あっ、あの、有紗ちゃんに連絡したら……今日は予定が空いてるので、40分ぐらいで来られるって言ってますけど……」

「そうか、じゃあ、呼んでもらえるか?」

「あっ、はい……けど、なんで有紗ちゃんを?」

「ああ、いや、ぼっちちゃんの友達ってのに私たちも一度会っておきたいと思ってな……」

「わっ、わかりました」

 

 いきなりの急展開に首を傾げつつも、ひとりもいつかバンドメンバーに有紗を紹介したいと思っていたので、ちょうどいいタイミングとも言えた。

 なので深く気にすることは無く、有紗にロインを送った。他の面々が浮かべている神妙な表情には気づかないままで……。

 

 

 




時花有紗:なんか知らないところで、どえらい誤解を受けている。怒ると滅茶苦茶怖いらしい。

後藤ひとり:説明が下手で、更に自分で住所を教えたことを忘れているので変な誤解を招くことになった。本人的には友達をバンドメンバーに紹介する程度の気持ち。


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六手塵殺の七者面談~sideA~

sideAはsideA側の時間で進んでいるので、若干の時間軸の前後あり。


 

 

 制服も夏服に切り替わり、すっかり温かくなりました。ひとりさんは結束バンドのオリジナル曲も完成し、初ライブを目指して練習などを頑張っているみたいで、普段の様子を見てみても充実している様に見えて、生き生きとしているひとりさんを見ると、私も凄く幸せな気持ちになれます。

 オリジナル曲もひとりさんが弾いて聞かせてくれましたし、ライブで見れる日が楽しみです。

 

 そんなことを考えつつ時計を確認すると、そろそろ伝えられた時間になるので玄関に向かうことにします。今日は、お母様が日本に帰ってきており、忙しい中で時間を作って会いに来てくださるとのことで、お母様を迎えに向かいます。

 お母様は世界中を飛び回っており、お父様以上に忙しいと言っていい方ですし、今日も家に寄れる時間は短いようですが、忙しい中でも時間を調整して私と会う時間を作ってくださるのは嬉しいものです。

 

 どうやらタイミングは完璧だったようで、私が玄関に辿り着くと丁度ドアが開いてお母様が姿を現しました。

 

「有紗ちゃん、ただいま~!」

「お帰りなさい、お母様」

 

 お母様は私を確認すると嬉しそうな笑顔を浮かべて駆け寄り、私の体を抱きしめてくれました。お母様と会うのは久しぶりなので、少し恥ずかしくも嬉しいです。

 

「また、一段と綺麗になったわね。やっぱり、恋をしてるからかしら?」

「そうですね。ひとりさんと出会ってから、毎日がいままで以上に楽しいです」

「うんうん。やっぱり、恋をすると女は綺麗になるわよね。う~ん、ゆっくり話を聞きたいところなんだけど……」

「やはり、あまり時間はありませんか?」

 

 お母様とはロインなどでもやり取りはしており、ひとりさんのことも伝えていますが、やはり自分の口でいろいろ話したいという気持ちはあります。

 しかし、お母様の表情を見る限り、やはりあまり時間が無いようです……このまま、ある程度玄関で話をして終わりという感じですね。

 

「女優業の方で、映画の撮影がもうすぐ始まるからね。すぐにアメリカに飛ばなきゃならないのよ」

「そうですか、それは残念です。私もお母様とはゆっくりお話ししたかったですが……」

「ああ、でも、撮影が終わったら纏まった休みが取れるから、その時に一緒に旅行にでも行きましょ」

「はい。楽しみにしています」

 

 お母様は世界的な人気モデルであると同時に、女優としてもかなり評価されており、多くの映画などに出演しています。映画館でもお母様の出演している映画を見るのは、私にとっても楽しみのひとつですね。

 このタイミングで撮影に入るということは、夏はほぼアメリカに滞在する形になりそうです。そうなるとお母様との旅行は秋頃ですかね? 待ち遠しいです。

 

「あっ、そうそう。有紗ちゃんにプレゼント……遅くなっちゃったけど、高校の入学祝よ」

「これは、腕時計ですか?」

「そうよ。有紗ちゃんも高校生になったんだし、いままでよりワンランク上のものを身に着けてもいいと思ってね。スイスに行って買い付けてきたのよ」

「お母様……ありがとうございます」

 

 お母様が渡してくれた箱を開けてみると、美しいデザインの腕時計が入っていました。この特徴的なデザインは、お母様も愛用しているスイスの超高級時計メーカーのものですね。お母様の性格を考えると、おそらく最新作ではないかと思います。

 わざわざ私のためにスイスに直接足を運んで購入してきてくれたお母様の気持ちがとても嬉しいです。しかし、なんというか、やはり親子というべきでしょうか……同じようなことを考えていたみたいです。

 

「……お母様、実は私もお母様にプレゼントがあるんです」

「え? 私に?」

「はい。こちらも、かなり遅くなりましたが母の日のプレゼントです。やはり直接渡したほうがいいと思いまして、お母様が戻ってくるのを待っていました」

「この箱、サングラスかしら?」

「はい。以前お母様がそのうちサングラスを新調しようかと仰られていたので、私の方でお母様に似合いそうなものを選ばせていただきました」

「まっ! 嬉しい! ありがとう、有紗ちゃん!」

 

 プレゼントを渡すとお母様は満面の笑顔を浮かべ、ギュッと私を抱きしめてくれました。そして、すぐに箱からサングラスを取り出して、装着します。

 

「どう? 似合う?」

「はい。とても、カッコいいです」

「ありがと、大事に使うわね……っと、もうこんな時間。ごめんね、そろそろ飛行機の時間があるから、行くわね」

「はい。お気をつけて」

「ええ、有紗ちゃんも季節の変わり目だから体調には気を付けてね。それじゃ、また連絡するわ」

 

 元気よく手を振って去っていくお母様を、私も手を振って見送ります。娘の私から見てもお母様はいつまでも若々しくて、エネルギッシュで……私も、見習わなければなりませんね。

 とりあえず部屋に戻って、お母様から頂いた腕時計を付けてみましょう。できれば合う服も考えたいところですし、場合によっては腕時計に合わせて新しい服を購入するのもいいかもしれません。

 

 

****

 

 

 休日でひとりさんも今日はバイトもバンドの練習も無いとのことだったので、ひとりさんの家を訪れて一緒に過ごしていました。

 その際に気になったのが、部屋の片隅に山積みになっている写真でした。

 

「……ひとりさん、これは?」

「あっ、それは、結束バンドの皆と撮影したアー写……アーティスト写真です」

「へぇ、この方たちがひとりさんのバンド仲間なんですね……詳しく聞いてみたいですが、その前にひとつ……なぜ同じ写真がこんなに大量に?」

「あっ、最初は壁一面に貼ってたんですけど、お母さんが目がチカチカするし怖いから剥がせって……」

「なるほど……」

 

 よほどこの写真が気に入っているのでしょう。たしかに皆さんで手を繋いでジャンプしている姿は仲の良さも伝わってきて、ひとりさんの表情も俯き気味ではありますが少し明るく感じられます。

 バンドメンバーに関しても、ある程度の話は聞いているので、誰が誰かというのは想像できますが……機会があるなら一度会ってみたいものです。

 

「……むぅ」

「あっ、有紗ちゃん? ど、どうしました?」

「あ、いえ、申し訳ありません。少し羨ましいなぁと……私もひとりさんと一緒に写真を撮りたいですよ」

 

 そう、ひとりさんがバンドメンバーと仲良くやっているのも、バンド生活が充実しているのも喜ばしいことではあります。でも、それはそれとして羨ましいです。

 私はひとりさんと一緒に写真を撮ったことがありません。理由としては単純に、ひとりさんの性格上外に遊びに行くということがなく、普段は遊びに来ても部屋で一緒に過ごす感じなので、そういう機会が無かったというのが要因と言えます。

 ひとりさんを困らせる気は無いですが……うぅ、やっぱり羨ましいです。

 

「……あっ、あの……それなら、どこか近場に出かけて……い、一緒に撮りますか?」

「……え?」

 

 その言葉は正直予想外で、恥ずかしながら一瞬思考が停止してしまいました。写真を撮ろうかと言ってくれたこともそうですが、なによりもひとりさんが「近場に出かけよう」と発言したのに驚愕しました。

 そう言ったお誘いをしてくださるのは、知り合ってから初めてのことで、心に歓喜の思いが吹き荒れるのを感じました。

 

「よ、よろしいのですか?」

「あっ、は、はい……有紗ちゃんが撮りたいなら」

「ありがとうございます! で、では、早急にカメラマンの手配を……」

「あっ、い、いや、カメラマンとかは、無しで……普通にスマホで、じ、自分たちで撮りましょう」

「そ、そうですか……分かりました。では、ふたりで参りましょう」

 

 せっかくのひとりさんとの写真なのでプロのカメラマンを手配しようかと思いましたが、ひとりさんの性格を考えるとそういうのは好みませんね。つい、舞い上がってしまいました。

 しかし、それはそれとして、写真の撮影もそうですが、ひとりさんとふたりで出かけるというのも登校以外では初めてなので、とても嬉しいです。本当に、私の願いを叶えてくれたひとりさんに感謝ですね。

 

 

****

 

 

 ひとりさんと一緒に、住宅街の道を歩きます。普段通学の際に向かう駅とは逆方向なので、少し新鮮な思いです。

 しかし、こうしてふたりで出かけているのは、実質デートと言っていいのでは? ……さすがに性急ですかね?

 

「こちらの道にはあまり来たことがないので新鮮ですね。ひとりさんは、よくこちらの方に行かれるんですか?」

「あっ、えっと、中学校がこっちの方向だったので中学時代はそこそこ……いまはあんまり来ないですね。コンビニとかも近いのは駅方向なので……」

「なるほど、ちなみにどこかひとりさんのオススメの場所はありますか?」

「あっ、この道をしばらく行くと丘……というか、少し高台になった場所に小さな公園があります。そっ、それなりに景色はいいかと……見えるのは住宅街ばかりですけど」

「それは素敵ですね。行くのが楽しみです」

「あっ、あんまり期待しない方が……ほ、本当に小さい公園です。何年か前に、少し離れたところに大き目の公園ができてからは、休日でもほぼ人の居ない公園です」

 

 なんとなく、その公園を目的地に選んだひとりさんの心境は分かる気がします。というか、休日にすすんで公園に行こうとしている時点で、ひとりさん的にはかなり勇気を出してくれているのではないかと思います。

 本当にひとりさんの、深い慈悲の心が身に染みるようで、ますます好きになりました。

 

 そのまま他愛のない雑談をしながら歩いていると、ほどなくして目的の公園に辿り着きました。ひとりさんが言っていたように、少し高い位置にある公園で住宅街を見下ろせるような位置にあり、なかなか景色のいい場所でした。

 ただ、遊具は無く、ベンチが二つほどあるのみの本当に小さな公園で、ひとりさんが言っていたように他に人は見当たりませんでした。

 

「いい景色ですね。今日は特に天気もいいので、町並みが綺麗に見えます」

「あっ、えっと、どこで撮りますか?」

「そうですね……あそこのベンチはいかがでしょう? ちょうど、後ろに町並みも映りますし、座って撮った方が撮りやすいでしょう」

 

 場所にあたりを付けて、ひとりさんと並んでベンチに座ります。ひとりさんは持って来た自撮り棒を取り出して、私に手渡してくれました。

 

「ありがとうございます。お借りしますね」

「まっ、まさか……それを使う日が来るとは、思わなかったです」

「自撮りをするために購入されたのでは?」

「あっ、いや、えっと……スマートフォンを買ってもらった時に、今後友達と撮ったりするのに必要じゃないかと……結果新品のまま押し入れの肥やしでした。は、ははは……集合写真以外の写真なんてこの前初めて撮ったばかりの、下北沢のツチノコです」

「……う、うん?」

 

 なぜ下北沢? なぜツチノコ? よくはわかりませんが、時々ひとりさんは独特の言い回しをするので、今回のもその一環でしょう。

 

「でも、こうして実際に想定通りに使う機会が来たのですし、ひとりさんは先見の明がありますね」

「……いっ、言われてみれば……確かに、最初に想定した使い方ですね。はは……分からないものですね」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんはクスッと小さく微笑みを浮かべました。どことなく楽しそうな印象で、なんとなくではありますが、最初に会った頃よりずいぶんとひとりさんと打ち解けられているのを実感できて、なんだか幸せな気分でした。

 自然と笑顔になるのを感じつつ、自撮り棒にスマートフォンをセットして画面を見ながら撮影の準備をします。

 

「それじゃあ、ひとりさん。撮りますね」

「あっ、はい」

「では、3,2,1、はい!」

 

 せっかくなので何枚か少し角度を変えつつ撮影し、自撮り棒をたたんでから撮った写真を確認します。ひとりさんと並んでベンチに座り、写っている写真は見るだけで幸せになれると断言できる程素晴らしい物でした。少しだけ、はにかむ様に微笑んでいるひとりさんの姿も大変素敵です。

 

「綺麗に撮れましたね」

「あっ、有紗ちゃん、写真写り凄いですね……こ、こうして並ぶと、私のしょぼさとの差が凄まじいです」

「そうですか? むしろ、私としては愛らしいひとりさんの姿にばかり目が行きますが……」

「いっ、いや、それは、有紗ちゃんだけかと……まっ、まぁ、有紗ちゃんらしいですね」

「う、うん? とりあえず、ひとりさんにもデータを送っておきますね」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 

 素晴らしい写真が撮れたので、家に戻ったらさっそく印刷して額に入れて飾りましょう。スマートフォンの待ち受けにもするつもりですが、写真立てなどに入れて机の上に飾るのもいいですね。いつでも、今日の素晴らしい出来事を思い返せるのは最高です。

 

 とりあえず目的である写真の撮影は終わりましたが、そのまますぐに帰るというのもなんだったので、しばしひとりさんとベンチに座ったままで雑談を楽しみます。

 話は主にひとりさんのバンド活動に関して、やはりかなり充実しているみたいで、話す姿は楽しそうです。

 

「バンド活動が楽しそうで、私も嬉しいです。ライブも近いですかね?」

「あっ、そうですね。夏休みとか、その辺りが丁度よさそうな気がします」

「そうですね……話は変わるのですが、夏休みといえば……その前に期末テストがありますが、そちらは大丈夫で……ひとりさん?」

「……あっ、あはっ、あはは……だだ、大丈夫……じゃないです」

 

 大抵の学校がそうであるように、期末テストで赤点を取ってしまえば夏休みに補習なりがあることでしょう。そうなると、バンド活動も大変ではないかと思って声をかけたのですが……これは、思った以上に駄目そうな感じがします。

 なんというか、ひとりさんの顔がとんでもないことになっているというか、顔だけで中間テストが散々な結果だったことが伝わってきました。

 

「……ちなみに、中間テストの最高点は?」

「……ろっ、6点です」

「……最低点は?」

「…………0点です」

「……5教科合計は?」

「………………17点です」

 

 10点満点とかではないですよね? なさそうですね、この表情だと……。ひとりさんの性格を考えると、テストは真面目に受けているはずなので、その点数ということは全力で挑んだ結果と推測されます。だからこそ、ひとりさんも絶望的な表情を浮かべているのでしょう。

 

「……もしよければ、私が教えましょうか?」

「あっ、え? い、いいんですか!?」

「ええ、流石にいきなり平均点以上というのは難しいとは思いますが、赤点の回避ぐらいであればお手伝いできるかと」

 

 5教科合わせて20点未満という現状では、流石に集中して教えたとしても平均点越えは難しいでしょう。ですが、赤点の回避だけなら中間テストの問題と試験範囲を確認して、必要な要点だけを集中して指導すれば可能でしょう。

 補習となればバンド活動にも影響が出るでしょうし、出来るだけ力になりたいものです。

 

「あっ、有紗ちゃん……え、えっと、ちなみに有紗ちゃん……中間テストの最高点は?」

「100点です」

「さ、最低点は?」

「97点です」

「ご、ごご、五教科合計は?」

「494点です」

「ひ、ひぃぃぃ……」

 

 高校最初の中間テストは中学時代の復習の意味合いも強いので、それほど難しいものではありません。ケアレスミスが無ければ、最高498点までは行けていたと思います。1問完全に覚え違えをしていたので、そこに関しては、ケアレスミス無しでも落としていたでしょうが……。

 まぁ、テストというのは点数を取るのが目的ではないので、そこまで点数を気にする必要はありません。重要なのは知識の確認であり、見直すことで覚え違いなどを見つけられ、次に生かせるのがなによりの利点ですね。

 

「ともかく、安心してください。赤点の回避だけなら、それほど詰め込んで勉強をしなくても、要点だけ押さえておけば大丈夫ですから」

「あっ、はは、はい! ごご、ご指導よろしくお願いします、先生!」

 

 大げさな様子で敬礼をするひとりさん……なぜ敬礼なのかはよく分かりませんが、やる気は十分に伝わってきました。とりあえず、今度ひとりさんの元を訪れるまでに、ひとりさんの学校のテスト範囲などを聞いて練習問題を作ってきましょう。

 

 

****

 

 

 ひとりさんに勉強を教え始めて数週間が経過し、練習問題でもそれなりに点数が取れるようになってきたので、赤点の心配はなさそうです。

 ひとりさんは真面目に勉強されているようですが、要点もそれ以外もなにもかも片っ端から理解して覚えようとするあまり逆に上手く勉強ができていない印象でした。趣旨本質を理解しないまま詰め込み過ぎた結果、自身でも混乱してしまっているのが低い得点の原因でしょう。

 なので、必要な部分を細かく絞って集中的に教えると、理解力はちゃんとあるので覚えたところはしっかり解けるようになっていきました。

 今回の期末は赤点ギリギリ回避ぐらいの30~40点になるでしょうが、秋の中間や期末であれば、同じように指導すれば60点前後は取れそうな気もします。

 

 ちなみに、ひとりさんのバンド活動は、オリジナル曲も数曲完成して極めて順調の様子ですが、ライブハウスでライブを行うためにオーディションを突破する必要があるみたいで、そちらに向けて頑張っているみたいです。

 ライブハウス側も商売である以上、誰でも出演させるわけにはいかないという気持ちもわかりますが、願わくばひとりさんにとっていい結果になって欲しいものです。

 

 そんな折、ひとりさんからロインにてライブハウス「STARRY」……ひとりさんと結束バンドが拠点としているライブハウスに来られるかどうかという内容のロインが届きました。

 なんでも、バンドメンバーやライブハウスの方に私を紹介してもらえるとか……元々、結束バンドの皆さんとはお会いしたいと思っていました。最速で初ライブ後と思っていましたが、思っていたより早く機会が回ってきたのは喜ばしい限りです。

 

 ひとりさんが一緒に活動するバンドメンバー……お会いするのが楽しみですね。

 

 

 




時花有紗:基本的にコイツはブレーキ壊れている以外は完璧超人レベルでなんでもできるので、勉強も普通に得意。ひとりとのツーショットはウッキウキで引き延ばして額に入れて飾っている。

後藤ひとり:ぼっちちゃん。有紗への好感度は順調に高まっており、写真などに関しても「有紗ちゃんが撮りたいなら……」と、普段からは考えられないほど積極的に動くようになっている。

有紗ママ:モデルで女優。世界中を飛び回って活動している。有紗の行動力は間違いなく母親譲り。例によってたいして出番はないので覚えなくてOK。


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六手塵殺の七者面談~sideB~

 

 

 伊地知星歌が店長を務める下北沢のライブハウスSTARRY……そこでは、有紗とひとりを除いた結束バンドの面々、星歌とPAが向かい合うようにして座っており、有紗は明るい笑顔を浮かべながら口を開いた。

 

「初めまして、時花有紗と申します。今回は、ご招待いただきありがとうございます」

『……』

 

 そんな有紗の姿を見て、星歌たちはなんとも言えない表情を浮かべ……少しして星歌が、手をTの形にした。

 

「……すまん、少しタイムで」

「はい?」

 

 首を傾げる有紗とひとりをテーブルに残し、残る5人は離れた場所で小声で言葉を交わす。共通しているのは誰の顔にも多かれ少なかれ動揺の色が現れていることだった。

 

「……おい、予想外なんだが……もっとこう、地雷系とか見るからにメンヘラとか、そういうヤバ目なのが来ると思ってたら……キラッキラのお嬢様が来たんだけど!?」

「あ、あれ、聖真女学院の制服ですよ……超が付くお嬢様学校じゃないですか……」

 

 そもそも彼女たちの認識としては、ひとりを言いくるめて付き纏うストーカーを牽制するために呼び出したという側面が強く。当然なにか拗らせたような相手が来るとばかり思っていたのだが、来たのは暗さや陰湿さとは無縁の輝かんばかりのお嬢様であった。

 予想外の事態に動揺する星歌に、喜多も同じく驚いた様子で呟く。

 

「……金持ちオーラが凄い。たぶん、ウチと比べても5つはランクが違う」

「いや、リョウの感想はなんかズレてる気が……って、PAさん、大丈夫? 顔真っ青ですよ?」

 

 どこかズレたことを呟くリョウに虹夏がツッコミを入れるが、そこでふとPAが青ざめた表情で震えているのが目に付いた。他の面々も虹夏の言葉でPAの様子に気付き、視線を向ける。

 

「し、信じられません……そんな、馬鹿な……」

「な、なんだ? お前、もしかしてアイツのことを知ってるのか?」

 

 ガタガタと震えながら戦慄した様子で呟くPAを見て、ただ事ではないと感じながら星歌が問いかける。もしかして、自分たちはとんでもない相手と対峙しているのではないだろうかと、そんな予感を抱きながら……。

 その言葉に対し、PAは少し間を開けてから……呟くように告げた。

 

「……し、信じられません。あ、あの子……メイクしてる形跡が全然ないんですけど……う、嘘ですよね? さすがに、ナチュラルメイクぐらいしてますよね? あの美貌と肌艶でノーメイクとか言われたら、私、平静を保てる自信がないんですが……駄目なんですか? 所詮凡人が毎日美容に何時間かけたところで、ナチュラルボーン美少女には敵わないってことなんですかっ……」

「いや、お前はひとりだけなにと戦ってるんだ……」

 

 まったく関係のないところで勝手に戦って敗北感を感じているだけだったPAに、星歌は心配して損したと言わんばかりの目を向けたあとで、軽くため息を吐く。

 

「……はぁ、とりあえず、予想外ではあったが、私たちがやることは変わらない。アイツから話を聞いて、ヤバそうならしっかり釘を刺す……それだけだ」

 

 PAが変な動揺をしていたおかげで逆に冷静になった星歌は、話を纏めて再びテーブルに戻って有紗に声をかけた。

 

「ああ、悪かった。私は伊地知星歌。ここの店長をしている。今日は急に呼び出して、すまないな」

「いえ、お気になさらず。ひとりさんからお話は聞いていましたし、是非結束バンドの方々ともお会いしたいと思っていました。今回お呼びいただいた目的としては、顔合わせのようなものと考えてよろしいでしょうか?」

「ああ、まぁ、それもあるけど……ちょっと確認したいことがあってな。まぁ、とりあえず他の奴らの自己紹介が終わってからだ」

 

 星歌がそう言った後、結束バンドのメンバーやPAも軽く自己紹介を行う。それがひと段落したあとで、有紗は不思議そうな表情を浮かべつつ、星歌に尋ねた。

 

「……それで、えっと……星歌さんと呼ばせていただいても?」

「ああ、かまわない」

「では、星歌さんが確認したいことというのは?」

「……ぼっちちゃんからいろいろ話を聞いてな。ちょっと気になったんだが……お前がぼっちちゃんのことを、いろいろ調べ回ったり、コソコソと付け回したりしてるんじゃないかって、そう思って確認のために呼んだんだよ」

 

 表情を鋭くして本題を切り出す星歌……彼女はまずはこの発言で有紗の出方を見極めようと考えた。つまり、有紗の行動が悪意無き無自覚なものか、ストーカー行為と分かった上で行っている悪意ある行為なのかを見極めるつもりだった。

 ……なお、星歌の発言に一番驚愕していたのは他ならぬひとりであり、頭に大量のハテナマークを浮かべていた。

 有紗は星歌の言葉を聞いて冷静に、彼女がひとりを心配し、己のなにかを疑った上で発言していることを察し……強い光の宿った目で言葉を返す。

 

「なるほど、お話の趣旨は分かりました。その上で発言させていただきます……見くびらないで頂きたい」

「う、うん?」

「確かに私はひとりさんの日々の行動をメモしたり、家でノートに纏めたりしていますが……ひとりさんの周囲に聞き込みしたり、ましてや興信所等を利用したりなどという姑息な真似は一切していません。全て、ひとりさんに直接聞いた上でメモしています!」

「……お、おぅ……えと、ぼっちちゃん? そうなの?」

「あっ、えっと……その日なにしてたとかは、よくロインで聞かれます」

 

 まず、有紗はひとりのことを調べ回る云々に関して、否定はしなかった……ただ、内容的には星歌が危惧していたようなものではなく、ひとりに直接聞くという正面突破をして得た情報ではあった。

 そして、有紗は迫真の表情のままでさらに言葉を続ける。

 

「そして、ひとりさんをコソコソ付け回すような真似も否定させていただきます。私のひとりさんに対する愛に、一片たりと疚しさなどありません! 私がひとりさんを付け回すのであれば、本人に宣言した上で正面から付き纏います!!」

「…………あ、はい」

 

 それは、まさに裂帛の気合と呼べるような迫力であり、清々しいほどの潔さだった。一回り以上年上である星歌も思わず気圧されて頷いてしまうほどには、有紗の放つ気配は凄まじかった。

 なお、ひとりはもう慣れたのか「いつも通りの有紗ちゃんだ」と言いたげな様子で遠い目をしていた。

 二の句が継げられなくなってしまった星歌を見て、喜多がやや緊張した様子で有紗に問いかける。

 

「……えっと、時花さんの気持ちはよく分かったんだけど……もし、ですよ? もし、そのアプローチで後藤さんが迷惑していたりしたら……」

「それは由々しき事態だと思います。ひとりさん、その場合は遠慮せずにお伝えくださいね。アプローチの方法を変えますので」

「あっ、はい……アプローチを止めるとは言わないのが、すごく有紗ちゃんらしいです」

 

 喜多の言葉にも一切動揺することなく即座に切り返す有紗……その堂々とした様子に動揺している者は多いが、ひとりはさして気にしていない。いつものことである。

 なにせ有紗は、初対面のひとりの家族に対して、ひとりの未来の妻ですと堂々と宣言するほどに強メンタルである。あの程度の発言で動揺するとは思えない。

 

(けど、それはそれとして……皆、なんか変というか……これ、一体どういう状況?)

 

 ひとりの認識としては、友達をバンドメンバーに紹介する程度だったため、ハッキリ言って現在の状況についていけていない。しかし、ひとりの思考が纏まるのを待つことは無く話は進み、次は虹夏が真剣な表情で問いかける。

 

「……じゃあさ、聞いていいかな? もし、そのアプローチの結果、ぼっちちゃんに嫌われたりしたら、どうするの?」

「そうですね。その時は仕方がありません。明日以降の私を好きになってもらえるように鋭意努力します」

「……あ、そ、そうなんだ……」

 

 欠片も揺らぐことなく言葉を返す有紗に、虹夏もそれ以上はなにも言えずに沈黙する。するとそのタイミングで、黙り込んでいた星歌が回復し……再び手をTの形にした。

 

「……すまん、もう一度タイムだ」

 

 そう告げて先ほどと同じようにひとりと有紗をテーブルに残し、5人は離れた場所に移動して言葉を交わす。

 

「……強いんだけど……見た目に合わず、猛将みたいなメンタルしてるんだけど……」

「言ってること、全部正面突破でしたねぇ……」

「呂布だ……呂布が居る」

 

 圧倒的なほどに強メンタルの有紗に対し、星歌はもうどうすればいいか分からなくなっていた。ともかくメンタルが強い上に、行動がどれも正面突破のみという猪突猛進さ、下手にコソコソやる相手よりよっぽど性質が悪い。

 星歌の言葉を聞いたPAとリョウも神妙な顔で頷き、虹夏も不安げな表情を浮かべるが、その中で喜多だけは、なにかを考えるような表情を浮かべ、少しして呟いた。

 

「……あの、思ったんですけど……これ、そもそもなんか根本的な部分に誤解が無いですか?」

「うん? どういうこと、喜多ちゃん?」

「いえ、そもそも、時花さんがストーカー云々ってのは、私たちがそう思っただけで、後藤さんから困ってるとか迷惑してるとか言われたわけじゃないですよね? その上で、さっきの時花さんの話や態度を見る限り……後藤さんのことを好きなのは間違いないでしょうけど、ストーカーじみた行為をしているって感じじゃなかったと思うんですよ」

 

 喜多の言葉を聞き、他の面々も考えるような表情を浮かべる。たしかに、話のインパクトや気迫は凄かったが、話した内容を考えてみるに……問題があるといえる行為は確認できなかった。

 

「……確かに、ぼっちのことが好きな行動的な子、ぐらいのイメージ」

「あの感じだと、自宅調べたりってのも、なんか私たちが思ってるのとは違った経緯がありそうだよね」

 

 喜多の言葉にリョウと虹夏も同意し、ここに来てようやく有紗のことを誤解していたかもしれないという考えに至った。

 5人が示し合わせたように視線をテーブルの方に向けると、そこではひとりと有紗が雑談をしている様子だった。

 

「……あそこのステージで演奏するとして、練習などはどちらで?」

「あっ、向こうに練習用のスタジオがあって……そっちで練習することが多いです。他のバンドが使うこともあるので、いつでも使えるわけじゃないですけど……」

「なるほど、あちらにあるのは?」

「あっ、アレは……」

 

 ライブハウスが珍しいのかキョロキョロと興味深そうにしている有紗に、ひとりがアレコレと教えており、コミュ症のひとりにしては珍しく、あまり緊張した様子もなくリラックスした雰囲気で話していた。

 

「……仲、よさそうですよね?」

「……これ、マジで私たちが先走っただけのパターンか?」

 

 ようやくと言うべきか、彼女たちは自分の認識が間違っていたかもしれないという結論に至った。そうなってしまえば、先ほどまでの疑いから曇っていた思考も晴れ、思考が先ほどまでとは違う方向に巡り出す。

 5人は顔を見合わせて頷き合ったあとで、再び有紗たちの居るテーブルに戻った。

 

「なんども、すまないな……それで、ちょっと聞きたいんだけど、ぼっちちゃんに初対面で告白したってのは?」

「それは事実です。街を歩くひとりさんに一目惚れしまして、プロポーズしました。あまりにも性急すぎて、ひとりさんを驚かせてしまったのは反省しています。結局、友達から友好を深めるという形で落ち着きました」

 

 星歌の言葉にスラスラと答える有紗の言葉を聞いて、5人の頭からひとつ目の懸念が消滅した。なるほど、確かに初対面で告白したというのは事実ではあったが、流れ的に衝動的にしてしまっただけのようで、本人も急ぎ過ぎたと反省している様子だった。

 それに納得したように頷いたあとで、虹夏がある意味メインとも言える疑問を口にした。

 

「……ちなみに、ぼっちちゃんの家の住所はどうやって知ったの?」

「ひとりさんの家の住所ですか? 最初に知り合った際に、連絡先と一緒にひとりさん自身から教えてもらいましたが……」

「えっ、そ、そうでしたっけ?」

「あら? ひとりさんは覚えていないのですか……確かにあの時、電車の時間が近いと慌てていた様子でしたが……」

 

 この発言により、ふたつ目の……そして最大の懸念が消え去った。なんのことは無い、本人が忘れていただけで住所を教えたのはひとりだったというだけの話である。

 つまり、有紗がストーカー行為によってひとりの家を突き止めたりとか、そういったことは無かった。星歌たち5人は、肩から力が抜けていくのを感じつつ最後の懸念を尋ねた。

 

「ぼっちの家の前で出待ちしてたってのは?」

「出待ち? 出待ち……ああっ、最初に一緒に通学した際のお話ですね。ひとりさんと一緒に電車通学してみたくて訪ねたのですが、ひとりさんが家から出るタイミングと完璧に合って、驚かせてしまった形ですね」

「あっ、あの時は、心臓が飛び出るかと思いました。ドア開けたらいきなり有紗ちゃんが居たので……」

「ふふ、驚かせて申し訳ありませんでした。ちなみに、いまも時々一緒に通学しています。流石に距離が距離なので、月に1~2度程度ですが……」

 

 そして三つ目の懸念、出待ちに関してもたまたまタイミングが合っただけということで、無事解決した。いや、出会って数日で片道2時間かかる県外に、一緒に通学するために早朝からきているのは十分おかしいのだが、とりあえず行動力が凄いという言葉で片付けられる範囲だ。

 

「……そうか……すまなかった!」

『ごめんなさい!』

「……え?」

 

 誤解は解け、星歌の謝罪を皮切りに次々と有紗に謝罪の言葉が飛び、よく分からない有紗とひとりは揃って首を傾げていた。

 その後、一通りの謝罪が終わった後で、星歌の口から今回の誤解について詳しい説明が行われ、話を聞き終えた有紗は納得した様子で頷いた。

 

「……なるほど、そういうことだったのですね」

「ああ、本当に申し訳なかった」

「いえ、気にしないでください。ひとりさんを思ってのこととあれば、責める気にはなれません。私の誤解を与えるような行動も問題でしたし……どうにも、昔から思い立つとすぐに行動してしまうところがありまして……私の方こそ誤解を与えてしまったことを謝罪します。できれば、わだかまりなどを残すことなく、今後皆さんと仲良くできれば嬉しいです」

「すっごく、いい子だよ! なんか、申し訳なさでいたたまれなくなってきた……むしろなにかお詫びさせてほしいぐらいだよ」

 

 疑っていた5人を責めたりすることは無く、今後仲良くできればと口にする有紗を見て、良心に大きなダメージを負った虹夏が申し訳なさそうに告げる。

 もちろん有紗が詫びなど望むことは無かった。そして誤解が解けてしまえば、受け入れるのも早く、特に結束バンドのメンバーたちと有紗はすぐに打ち解けることができ、連絡先の交換などを行うまでに至った。

 

「……奇妙な誤解はありましたが、結果として結束バンドの方々と会えたのは喜ばしいですね。ああ、聞くのが遅れてしまいましたが、ひとりさん……オーディションの結果は?」

「あっ、ご、合格でした」

「そうなんですか、おめでとうございます。それでは、いよいよライブも近く楽しみですね……そういえば、チケットノルマというのがあると伺いましたが、そちらは大丈夫ですか?」

「あっ、はい。ノルマは5枚ですけど、お母さんとお父さんと、ふたりとジミヘンと有紗ちゃんでちょうどです」

 

 有紗の問いかけに、ひとりは小さく笑みを浮かべて答えるが、それを聞いた有紗は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「……えっと、ひとりさん。ふたりさんは未就学児ですが、ライブハウスによっては幼児も小児とみなしチケットが必要とするかもしれないので、それは置いておくとして……ジミヘンさんは、犬ですが?」

「……………‥そう……ですね」

 

 ノルマを達成した気でいたひとりだったが、有紗の一言によって残酷な現実へと引き戻されたのだった。

 

 

 

 




時花有紗:猛将。メンタルも鬼つよで、基本小細工無しの正面突破してくるストロングスタイル。誤解もなにもかも正面から突き破った。

後藤ひとり:……なぜ有紗がストーカー扱いされていたのか、これが分からない。とりあえず数ヶ月の間に慣れたので、有紗の発言も「有紗らしい」でスルー出来る余裕を見せた。

結束バンドメンバー他:なんだかんだで誤解は解けて有紗と打ち解けた。



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七手唐突の路上ライブ~sideA~

 

 

 ひとりさんの所属する結束バンドのライブが決定したのは大変喜ばしいことですが、ひとりさんにはチケットノルマという壁が立ちはだかるようでした。

 そんなひとりさんの力になろうと、例によって休日にひとりさんの家にやってきました。もう、通い慣れたものでお義母様もひとりさんを呼ぶことなく家に上げてくださいます。

 リビングに居たお義父様とふたりさんとジミヘンさんに軽く挨拶をしたあとで、2階のひとりさんの部屋に向かい扉の前に立つと、哀愁漂うギターの音色が聞こえてきました。

 

「失礼します……ひとりさん、なにをなさってるんですか?」

「……あっ、いまの絶望の気持ちをギターで表現してました」

「なるほど……ところで、ひとりさん。ギターの音が少しズレてましたよ」

「あっ、え? どこですか?」

「本当に少しだけですが、G……ソの音だったので、3弦ではないかと」

 

 少し感じた違和感を伝えると、ひとりさんは押し入れに移動してチューナーを取り出し、ギターに取り付け、ギターの先についているペグを回して音を調整していました。

 その間に私はテーブルの前に座って、先ほどまでひとりさんが見ていたものを眺めます。2枚のチケット……どうやら、ふたりさんもチケット販売の対象外だったみたいですね。

 

 するとそのタイミングでチューニングを終わらせたひとりさんもテーブルの前に戻ってきました。

 

「なんとなく、先ほどの絶望の気持ちというので察しましたが、ひとりさん……チケットを売るあては?」

「あっ……無いです」

「う~ん。私の友達に声をかけるという手もあります。私が声をかければおそらく来てくれるとは思いますが……どうせなら、ちゃんとひとりさんや結束バンドに興味を持った方に来てもらいたいところですよね」

「そっ、それはまぁ、確かに……」

「どうでしょう? とりあえず、ギリギリまでは売れる相手を探してみるというのは……それでどうしても見つからなかった場合は、私が友達を誘って行きますので、ひとりさんがノルマを達成できないということは無いです」

「あっ、有紗ちゃんっ……」

 

 私が提案すると、ひとりさんは感極まったように目に涙を浮かべました。どうも、よほど絶望していた様子です。たしかに、普段のひとりさんのことを考えると、いまからライブまでに2人の相手を見つけるというのは極めて困難かもしれません。

 ただ、ひとりさんの性格上まったく何もせずにいるとも考えづらいです。

 

「……ひとりさんは、なにかしら売るための方法などを考えていたのではないですか?」

「あっ、えっと……いちおう、地元で配ろうと思って、バンドの宣伝フライヤーは作ってみました」

 

 フライヤー……この場合は空から撒く広告物という意味ではなく、ポストカードサイズの小さなビラのことを指しているのでしょう。

 ひとりさんが取り出したフライヤーには、ライブの日時や場所が記載され、その上には絵が描かれていました。

 

「なるほど、もう作ってあるのですね。この絵は……」

「あっ、分かりやすくバンドメンバーを描いてみたんですが、ロックバンドとしてはちょっと大人しいですかね?」

「……いえ、分かりやすくていいと思いますよ」

 

 危ないところでした。いま一瞬「ふたりさんに描いてもらったんですか?」と言いかけてしまいましたが、どうやら絵を描いたのはひとりさんだったみたいです。

 可愛らしくていいとは思うのですが……せめて髪の色はカラーにしたほうが……いえ、ひとりさんが頑張って作ったものを否定するのもよくないです。

 明らかに悪いとかならともかく、味があってコレはこれでいいですし、問題はありませんね。

 

「それじゃあ、それを……」

「でっ、でも、よく考えたら……コミュ症なので、ビラ配るとか……無理でした」

 

 ああ、なるほど、だから先ほど絶望の気持ちをギターで表現していたんですね。目に見えて落ち込む様子でひとりさんを見て、私はひとりさんの肩に軽く手を置きながら微笑みます。

 

「大丈夫ですよ、ひとりさん。私が協力します。一緒に行きましょう。基本的には私がビラを配りますから、ひとりさんは渡せそうな相手が居た時だけ、渡してくれれば大丈夫ですよ」

「あっ、有紗ちゃん……ありがとうございます。凄く、心強いです」

 

 完全に私が配ってしまうのも手なのですが、ひとりさんはコミュ症を直したいと考えているようなので、全部私が行ってしまうのも問題です。

 

「それでは、準備をして早速行きましょうか」

「はっ、はい!」

 

 先ほどまでより明るい表情になったひとりさんと共に、宣伝を行うために家を出て駅の方向に向けて出発しました。できれば、上手く売れてくれればいいのですが……。

 

 

****

 

 

 結束バンド自体はまだ無名ですし、集客力は残念ながら現状では低いと言っていいです。そして、ライブハウスに訪れてライブを聞くというのも、馴染みのない方にはハードルの高いものであるのは言うまでもありません。

 となると、当たり前ではありますが、結束バンドのライブを見に行きたいという相手を見つけるのは容易ではありませんでした。

 

「……ビラはそれなりに配りましたが、やはりその場でチケット購入とはならないですね」

「あっ、そ、そうですね。けど、有紗ちゃんが配ると、かなり高確率で受け取ってもらえれましたよね……これが顔面戦闘力の暴力……」

「確かに、受け取ってくれた方は多かったので、当日に足を運んでくれる方が居るかもしれませんし、無駄ではありませんね。ただ、ひとりさんのチケットノルマという観点では、進展していないのですが……」

「うぅ……」

 

 コンビニの裏手にある神社の鳥居付近で一休みしつつひとりさんと言葉を交わします。実際、ビラはそれなりに受け取ってもらえており、持って来た枚数の7割ぐらいは配り終えていました。

 ただその場で1500円のチケットを即購入するかとはならないものです。ただ今日は近場で祭りがあるみたいで、人は多いのでチャンスは十分にあります。

 そんなことを考えていると、ひとりさんのスマートフォンから音が聞こえ、スマートフォンを確認したひとりさんが青ざめました。

 

「……ひとりさん?」

「あっ、他の皆は全部売れたみたいです……わ、私とは違って……」

「大丈夫ですよ。売れるスピードを競うわけでは無いのですから、ライブ当日までに売れれば差はありませんよ」

「うぅ、ほっ、本当に有紗ちゃんが居てくれてよかったです。ひとりだったら、完全に絶望してました」

 

 私としてはひとりさんとこうしてふたりで出かけられている現状は歓迎すべき状況ですし……なんなら、この感じであと何回か一緒にビラ配りなどをしたいという気持ちもあります。しかし、ひとりさんの心境としては早くノルマを達成したいでしょうし、ままならないものです。

 

「とりあえず、少し休憩したら再開して……おや?」

「え? あっ、えっ!? い、行き倒れ……こ、声かけな……い、いやそれよりも救急車!?」

 

 突然私たちの目の前にひとりの女性が倒れ込み、ひとりさんが慌てた様子でスマートフォンを取り出すのを横目に、私は倒れた女性に駆け寄って確認します。

 チアノーゼや脱水の症状は見られず、呼吸も異常は無し、強いアルコールの臭い……泥酔……急性アルコール中毒の可能性も……。

 

「大丈夫ですか? 意識はありますか?」

「み……ず……水……お水ください」

「水ですね、分かりました」

「それと、酔い止め……あとしじみのお味噌汁……おかゆも食べたい。介抱場所は天日干ししたばっかのふかふかなベッドの上で……」

 

 とりあえず、注文の多さは置いておくとして……意識はしっかりしているみたいなので、急性アルコール中毒の心配はなさそうです。

 

「……ひとりさん、救急車は?」

「あっ、えと、間違って時報に……」

「でしたら、呼ばなくても大丈夫だと思います。おそらく、二日酔いです。急性アルコール中毒の様子もないので……そこのコンビニで必要な物を買ってきましょう」

「あっ、はい!」

 

 幸いすぐ近くにコンビニがあったので、水や酔い止め、栄養ドリンク……あと本人が希望した味噌汁やおかゆも購入して元の場所に戻りました。

 助けた女性は廣井きくりさんと名乗っており、完全に二日酔い状態にもかかわらず味噌汁を飲みおかゆを食べたあとは、どこから取り出したのか大量のお酒を取り出して、また飲み始めてしまいました。

 ひとりさんは初対面かつ酔っ払いということもあって、怯えてる様子だったので安心させるように声をかけます。

 

「ひとりさん、大丈夫ですよ。悪い人というわけではなさそうです。酔っ払いではありますが……」

「あっ、そ、そうなんですか……」

「そうだよ~安心してよぉ、ひとりちゃん」

「ええ、それに、もし仮に、ひとりさんに危害を加えようとしたりすることがあれば……私が対処しますので……」

「あれ? 有紗ちゃん? それ止めるって意味だよね? 始末するとかそういう感じのアレじゃないよね? なんかいま背中がゾクッとしたんだけど……あ、あれぇ? 飲み過ぎかなぁ?」

 

 きくりさんは見たところ悪い人という感じではなかったので、問題は無いと思いますが……まぁ、いざとなれば手はいくらでもあるので、ひとりさんの身の安全はしっかり守るつもりです。

 そんなことを考えていると、きくりさんはひとりさんが持つギターに興味を持った様子でした。話を聞くときくりさんもバンドをしており、ベーシストとのことでした。

 

「お酒とベースは、私の命より大事なものだから、毎日肌身離さず持ってるの」

「あっ……えっ……ベースはどちらに?」

「…………居酒屋に置きっぱなしだ。よしっ、取りに行――ひぎぃっ!?」

「あっ、申し訳ありません。つい、反射的に……」

 

 急にきくりさんがひとりさんに向けて手を伸ばしたので、反射的に掴んで捻り上げてしまいました。悪意あっての行動というわけでは無かった様子なので、すぐに離したのですが……。

 きくりさんは、軽く頬に汗をかきながら私の方を向き、ひきつった笑みを浮かべて口を開きました。

 

「……えっと、有紗ちゃん……凄くスムーズな動きだったけど……なにか、格闘技とかやってるのかな?」

「合気道を嗜む程度に」

「……嗜むとかいうレベルの速度じゃなかった……たぶん相当やってるよこの子……怖ぁ……」

 

 

****

 

 

 3人で居酒屋にベースを取りに行き、駅前の開けたロータリーできくりさんと会話をします。その際に、ひとりさんがチケットを売るのに苦戦しているという話を聞いたきくりさんは、昔の自分と重ねた様子でひとりさんに同情してくれていました。

 そして……おもむろに来ていた上着を脱ぎだしました。

 

「よし! 命の恩人の為に一肌脱いであげよう」

「えっ、あっ、わたっ、そういう趣味は……」

「……ひとりさんに手を出すつもりなら、相応の覚悟をしてくださいね」

「なんか、ふたりして凄い誤解してない? ……あと、有紗ちゃんに関しては、超怖いんだけど!? 完全に殺意を宿した目になってるんだけど!?」

 

 どうやら、誤解だったみたいです。てっきりひとりさんに迫る気かと……そうなった場合は裏手の川に投げ捨てていましたが……。

 

「未来の妻たる私の前でひとりさんにふしだらな行為を目論んでいるのかと……申し訳ありません」

「え? あっ、そ、そうなんだ。ふたりって、仲よさそうだと思ったらそういう関係だったんだ! いや~最近の子は進んでるねぇ」

「ちっ、違います!? それも誤解です!!」

 

 きくりさんの言葉を聞いたひとりさんが、今日一番と言える大きな声で慌てて否定します。顔は真っ赤に染まっており、大変愛らしく眼福でした。

 しかし、確かに誤解されたままでは、ひとりさんが可哀そうなので、私の方からもきくりさんに訂正を入れておきます。

 

「きくりさん、私とひとりさんは恋人関係等ではなく、友人です……私の中では、将来は婚姻することは確定なのですが、少なくとも現時点では誤解です」

「……私ね、ひとりちゃんって結構ヤバい子だなぁって思ってたんだけど……有紗ちゃんも結構なレベルだねぇ」

 

 私の言葉を聞いたきくりさんは、若干遠い目をしたあとで、気を取り直すように笑顔を浮かべました。

 

「……とと、話を戻すよ。これから、私たちで、いまからここで、路上ライブするんだよ!」

「「……え?」」

「ビラもあるし路上ライブで客呼んで、チケット買ってもらうのが一番いいよ。幸い今日はこの辺で花火大会みたいで、人も多いしね~」

 

 なるほど、チケットの売り上げに一肌脱ぐというのは、演奏で協力してくれるということだったみたいです。しかし、路上ライブ用の機材などが無い状態ですが、それに関してはきくりさんがバンドメンバーに持って来てもらうという形で解決しました。

 そしてその際に、きくりさんが私の方を向いて声をかけてきました。

 

「それで、有紗ちゃんはなに演奏するの?」

「私ですか? ピアノでしたら多少は……」

「じゃ、キーボードだ!」

「そう、なりますか? キーボードの演奏はしたことないのですが……」

「似たようなもんだから、大丈夫、大丈夫!」

「は、はぁ……」

 

 どうやら私まで路上ライブの演者として参加することになったみたいでした。う、う~ん、まぁ、ひとりさんの助けになるのであれば……。

 

 

 

 




時花有紗:しょっちゅう訪れているので後藤家にはもう顔パス状態。もはや呼び鈴鳴らさず上がっても普通に迎えられるレベル。巻き込まれる形で路上ライブに参加。

後藤ひとり:有紗が居るおかげで原作と比べて精神面にかなり余裕があり、きくりに対してもスタスラと嘘を付いたりはしなかった。



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七手唐突の路上ライブ~sideB~

 

 

 突発的に行われることになった野外での即興ライブ。きくりの呼んだバンドメンバーにキーボードの簡単な使い方を教わっている有紗から少し離れた場所で、ひとりは準備をしながらきくりと話をしていた。

 見ず知らずの観客の前で演奏することに、未だ強い恐怖のひとりに対しきくりは「目をつぶって弾く」というアドバイスを行った。

 元々手元の見えにくい押し入れなどで演奏することが多かったひとりは、目をつぶっていても問題なく演奏することはできる。

 

「でも、いちおう言っとくけど、今君の目の前に居る人たちは、君の闘う相手じゃないからね……敵を見誤るなよ」

「……え?」

「有紗ちゃ~ん、準備はOK?」

「ええ、問題ないと思います」

 

 きくりが告げた敵という言葉に戸惑うひとりだが、有紗の準備も整ったことで思考が追い付く間もなく即興ライブはスタートした。

 ひとりはきくりのアドバイス通り目を閉じて演奏を始めた。そしてすぐに驚愕することになった。

 

(この人、即興なのに全く迷いがない。凄く自信に満ちた演奏……私の演奏を確実に支えてくれてる)

 

 少し聞けばすぐ分かるほどきくりはベーシストとして高い技量を持っており、その演奏は素直に感心できる程に見事だった。

 しかし、ひとりが驚いたのはそれだけではない。

 

(有紗ちゃんも、すごく上手い。たしかにピアノの弾き方、音を変えたりはしてないけど……当たり前のようにコード弾きしてる)

 

 当然ではあるがキーボードを有さない結束バンドのオリジナル曲であるこの曲には、キーボード用の楽譜は存在しない。

 故に有紗は、ひとりが持っていたギター用のコード譜を見て、キーボードでコードを演奏するコード弾きを行っていた。

 ただ、ギターコードを弾くということは、リードギターであるひとりの音と被って互いの音を殺す結果にも繋がりかねない。

 だからこそ、有紗はその辺りも考えた上で演奏を行っていた。

 

(……完全に同じ音じゃなくて、音量は抑えめにしてコードに合わせて上下に1オクターブだけズラすことで、私の音を強調するようにサポートしてくれてる。その上、片手でコード弾きしつつもう片方の手では演奏の隙間を綺麗に繋いでくれて、ドラムが居ない状態のメロディラインにメリハリをつけてくれてる)

 

 クラシックピアノとキーボードは同じ鍵盤楽器ではあるものの、弾き心地はかなり違う。キーボードにはピアノのようなペダルは無く、鍵盤のタッチ感もかなり違う。

 キーボードを使いこなせればドラムなど複数の音を切り替え演奏することもできるが、キーボード経験の無い有紗にそれは不可能である。

 幸いきくりのバンドメンバーが持って来たキーボードは主流の61鍵ではなく、本格的なクラシック演奏も可能な76鍵式キーボードだったため、比較的ピアノに近い演奏感はあるが、それでも完璧に使いこなすのは難しい。

 

 故に有紗は徹頭徹尾ひとりのサポートを重視した演奏を行っていた。ひとりの演奏をサポートしつつ、ドラムやギターボーカルが居ない状態での即興ライブで演奏の隙間を埋める。キーボードを使いこなせていない状況で強く前面に出ることはなく、それでも己の技量で可能な範囲で即興ライブを下から確実に支えるような印象の演奏。

 初めてのキーボード演奏でそれを可能としているのは、有紗の極めて鋭い聴覚と天才的な音楽センス……そしてなにより、ひとりのギター演奏を呼吸や癖まで知り尽くしているという点。

 普通のバンドに加わってキーボードを演奏するには絶対的に経験が足りないが、ことひとりのサポートという一点においては非常に素晴らしい演奏を披露していた。

 

(少しでも音がズレれば不協和音になるような繊細な演奏……前々から思ってたけど、有紗ちゃんは抜群に耳がいい。それこそ、絶対音感を持ってるんじゃないかって思うぐらい音を間違えない。演奏はあくまでキーボードというよりはピアノ的だけど、自分にできることを完璧にこなしてる感じがする……それに比べて、私は、なにやってるんだろう? お客さんを怖がって、目すら開けられなくて……)

 

 するとそこで、己の不甲斐なさを感じながら演奏を続けていたひとりの耳に、観客のひとりが告げた「頑張れ~」という応援の言葉が届いた。

 その声に片目を開けたひとりの目に映ったのは、心配そうにこちらを見ている観客の姿……そこでようやくひとりは、観客に対し己が勝手に壁を作っていたことを理解した。

 

 自分の方を見て応援してくれている観客に導かれ、片目を開く。後ろから響くキーボードの音色……これまでも何度も、己の背中を押して支えてくれた大切な友達の演奏に背中を押され、残る片方の目も開く。

 両目を開き真っ直ぐに観客を見ながらギターを弾く。明らかにひとりの演奏の質が変わっており、隣で演奏していたきくりも目を見開いた。

 

(欠点を克服したことによって安定感が増したのもそうだけど、ひとりちゃんの演奏のギアが明らかに上がった。凄いな……まだ実力の全部を発揮できてるわけじゃないっぽいけど、この子……演奏技術だけなら、たぶんプロレベルだ。私も気合入れて演奏しないと置いて行かれちゃうかもしれない)

 

 十全にとはいかずとも、ひとりは先ほどまでより遥かに本来の実力に近い演奏が出来ており、その力強いギターの音色は観客たちを強く惹き付けるだけの魅力を持っていた。

 

(そして、有紗ちゃんも凄いなぁ。ギアの上がったひとりちゃんの演奏に遅れることなくついて行ってる。ピアノはあんまり詳しくないけど、たぶんこの子もクラシックピアノの腕前はプロレベルなんじゃないかな?)

 

 プロレベルの技術を持つひとりのギターの音を強調しつつサポートするというのは、決して簡単なことではない。演奏のタイミングがズレてしまえば、音が散らかったり不協和音になってしまい、メロディラインが崩れかねない。

 

(ひとりちゃんの演奏のリズムや呼吸を深く理解した上で、献身的に支えてるからこそのハーモニー、そしてひとりちゃんの方も有紗ちゃんが完璧にサポートしてくれるって信じてるからこそのびのび演奏できてる……いいコンビじゃん。この子たちは絶対上がってくる! 私の勘は当たるんだ! ……ふふ、さっきまでよりやる気出てきた。若い子たちに負けてられないからね……私もギアを上げようかな)

 

 深く笑みを浮かべたきくりも演奏のギアを上げ、それに気付いたひとりも口元に小さく笑みを浮かべてさらに力強く演奏を続け、有紗もその音に合わせて完璧にサポートする。

 即興バンドとは思えないその演奏に、聞いていた観客たちは惜しみない拍手を送った。

 

 

****

 

 

 即興ライブは大盛況であり、ひとりのノルマであるチケットも無事に2枚とも購入希望者が現れた。それだけではなく、ビラを持って帰ってくれる人も多く、最終的にほとんどのビラが無くなっていた。

 警察に注意されたことで即興ライブは終わりとなり、機材などをきくりのメンバーに返却して片づけを終えるころには、日も落ちて夜になっていた。

 

「……ねぇ、チケットってまだある? あるなら、私も買いたいな」

「あっ、え、えっと……」

「ああ、私が予備を持ってます」

「え?」

「元々ひとりさんのチケット販売を手伝うつもりでしたし……仮に、ノルマ以上に購入希望者が出た時の為にと、以前顔合わせをした際に星歌さんに言って用意してもらってました。売れなかった分は当日券に回してくれるそうです」

 

 きくりがチケットの購入を希望して、準備のいい有紗が予備のチケットを持っていたことで、そのチケットを販売することになった。

 チケットを受け取り期待していると告げるきくりに、しっかりと頷くひとりを見て、有紗は嬉しそうに微笑んでいた。

 そして話がひと段落したタイミングで、有紗がひとりに声をかける。

 

「ひとりさん、もしよければ一緒に食事に行きませんか? ここから二駅ほどの場所に、知っている店があるんです」

「え? あっ、えっと、私は大丈夫ですけど……お母さんに連絡しないと」

「大丈夫です。私の方でロインを入れておきました」

 

 どこかで外食をしないかという有紗の提案。特に断る理由もなく頷いたひとりだったが、すぐに家で母親が夕食を用意しているかもしれないと考えたが……すでに根回し済みだった。

 

(というか、私が返事するより先にロインしてるのでは? いや、まぁ、有紗ちゃんのことだから私が断ったら、無理強いとかはしないだろうし、断った場合のパターンも考えてるとは思うけど……)

 

 たぶん断った場合は、母親にロインが向かい追加でひとりの分の夕食も用意されることになっていたのだろうと、そんな風に考えたタイミングで話を聞いていたきくりが、会話に参加してくる。

 

「え? ふたり共ご飯行くの? いいなぁ~私もいっていい?」

「あっ、え……あ、有紗ちゃんがいいなら」

「構いませんよ。きくりさんも、一緒に行きましょう」

「やった~! 即興ライブの打ち上げだね! ねね、お酒は置いてる店かな?」

「あると思いますよ」

 

 きくりも参加を希望したことで即興ライブの打ち上げのような形になった。そして、有紗が予約を取っているという店に移動することになったのだが……。

 

「あっ、ごめんその前にコンビニかどっかに寄っていいかな? おにころ無くなっちゃった」

「これから行く店にもお酒はありますよ?」

「いや……最低1パックは懐にないと、精神的に落ち着かないというか……」

「……ひとりさん、私たちは成人してもお酒は控えめにしましょうね」

「あっ、はい。そうですね」

「……ふたりの目が冷たい」

 

 

****

 

 

 途中でコンビニによりつつ、有紗の案内で店に到着したのだが……辿り着いた店を見て、ひとりときくりは呆然とした表情を浮かべていた。

 和のテイストに整えられた上品で荘厳な外観の店は、見るからに高級店というオーラを放っていた。

 

「あっ、え? あの、有紗ちゃん……」

 

 明らかに場違い。少なくともジャージ姿で来店するような店ではないと感じながら、慌てた様子でひとりが有紗に声をかけようとするが、それより先に有紗は躊躇することなく店の門をくぐり、ひとりときくりも慌てて後を追う。

 

「……ひとりちゃん、ヤバいよ。門に石畳の道だよ……料亭ってやつかな?」

「どっ、どうなんでしょう? な、なんか、場違い感が凄いというか……ジャージで来るところじゃないですよね?」

「それ言ったら、私だってスカジャンに下駄だよ……」

 

 門をくぐって石畳の道が見えると、店員らしき人物が近づいて来て軽く一礼する。

 

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?」

「個室をお願いしていた時花です」

「伺っております。こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 そのまま店員に案内されて綺麗な庭が見える個室に通されると、ひとりときくりは落ち着きなく視線を動かす。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん」

「はい?」

「あっ、こ、ここ、なんの店……ですか?」

「寿司屋ですが……寿司はお嫌いでしたか?」

「いっ、いえ、そんなことは……」

 

 有紗の返答を聞いたひとりは、隣に座るきくりに小声で話しかける。

 

「あっ、お姉さん……寿司屋って言ってます」

「ねぇ、ひとりちゃん……ここの寿司、回ると思う?」

「ぜっ、絶対回らないです」

「……だよね。えっと……もしかして、有紗ちゃんって、かなりお金持ち?」

「……あっ、滅茶苦茶お金持ちだと思います」

 

 あまりの高級店オーラに完全に気圧されてしまい、きくりに至ってはすっかり酔いがさめたような表情を浮かべていた。

 すると次にふたりはテーブルの上に置かれているお品書きを見つけ、恐る恐るそれを確認する。

 

「……どうしよう、ひとりちゃん。メニューに値段が書いてない」

「あっ、終わりましたね。これ、値段を気にするような人が来るレベルの店じゃないんですよきっと……」

「おふたりとも、顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」

 

 落ち着いた様子の有紗の声を聴き、メニューから視線を上げたひとりは、震える声で有紗に告げる。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん……わ、私あんまりお金持ってなくて……」

「ああ、大丈夫ですよ。安心してください。お誘いしたのは私ですから、おふたりにお金を出させる気はありません。どうぞ、好きなものを注文してください」

「……えっと、私もいいの?」

「もちろんです。今日はきくりさんにもいろいろと助けていただきましたので……特に注文の希望がないようなら、おまかせで用意してもらいますが?」

「「おまかせで大丈夫です」」

 

 ふたりとも完全に高級店オーラにやられており、背筋が伸びきっている状態だった。その中で唯一慣れているのかリラックスしている有紗は、呼び鈴を鳴らして店員を呼ぶ。

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「おまかせでお願いします。あちらの方にはお酒も」

「ご予算の上限などは?」

「ありません」

「「ッ!?」」

「畏まりました。少々お待ちください」

 

 綺麗に一礼して下がる店員を見送りつつ、有紗は用意されていたお茶を一口飲んで口を開く。

 

「きくりさん、お酒もおまかせでよかったですか?」

「え? う、うん……全然大丈夫。というか、思考が追い付いてない……」

「あっ、ああ、有紗ちゃん? だ、だだ、大丈夫なんですか? ここ、凄く高い店なんじゃ……」

「ああ、ここは割とカジュアル目な寿司屋なので、値段はそれほどでもないですよ。カウンター式ではひとりさんが恐縮するかと思って、個室のある店を優先して選んだので……」

「あっ、そ、そうなんですね。よ、よかった」

 

 有紗の返答を聞いてひとりがホッと胸をなでおろす。きくりもしばらく悩んでいたが、最終的に開き直ることにしたのか、緩い笑顔を浮かべて用意された熱燗を飲みはじめた。

 

「くぅ~美味しい! いいお酒ってのは、悪酔いしないらしいんだよねぇ~ひとりちゃんも飲む?」

「あっ、いえ、未成年なので……というか、すでに悪酔いしてるような……」

「ひとりさん、寿司が来ましたよ。どうぞ、好きなものを食べて、気に入ったものがあれば再注文します」

「あっ、はい。す、すご――んんっ!? お、美味しぃ……う、ウニって、こんなに美味しいんですね。もっと苦いイメージでしたが……」

 

 恐る恐るではあったが、食べた寿司の味に感激したような表情を浮かべるひとりを見て、有紗は心底幸せそうに微笑んでいた。

 彼女にとっては、ひとりが美味しそうに食事をしている姿はとても尊く素晴らしいものであり、それを見ているだけでお腹も胸もいっぱいになりそうな思いだった。

 

 そのまま3人で楽しく食事を続けたのだが……帰る際にはひとりときくりは顔面蒼白になっており「カジュアル? カジュアルっていったい……」とうわ言のように呟いていた。

 

 

 




時花有紗:路上ライブのことよりも、ひとりが美味しそうに寿司を食べている姿を見て喜んでた。なんか会計の時には黒いカードを取り出してたとか……。

後藤ひとり:最初のライブの際は背中を少し押す程度だった有紗の存在が、いまはかなり大きくなっており精神的な安心感があった影響もあって、原作とは違って両目をしっかり開けて演奏できていた。

廣井きくり:実はコンビニに寄った際にこっそりお金を降ろしており、「いいライブを見せてくれたお礼だよ」とか言ってひとりと有紗の食事代を出してクールに去るカッコいい大人ムーブをかますつもりだったが……無理だった。


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八手突然のタピオカドリンク~sideA~

 

 

 ひとりさんのチケットノルマも無事に達成し、結束バンドの活動は順風満帆、本番を待つばかりといったところでしょう。

 ちょうど今は夏休みの時期で余裕もありますし、私は頻繁にひとりさんの家に足を運んでいました。

 

「あっ、有紗ちゃん!」

「はい?」

「わっ、わわ、私と一緒に……かか、かい、買い物に行ってくれませんか?」

 

 突然告げられたその言葉に、恥ずかしながら一瞬頭の中が真っ白になってしまいました。これは、デートの誘いなのでは? 以前一緒に写真を撮りに出かけた際は、あくまで私の要望が切っ掛けとなりましたが、今回は違います。

 ひとりさんの方から、買い物に誘ってくださるということは、いよいよ私とひとりさんの仲も進展……。

 

「あっ、えっと、明日結束バンドの皆が家に来るので、その準備をしたくて……」

「……なるほど、もちろん喜んでご一緒します」

 

 ……ガッカリなんてしていません。そもそも、ひとりさんが買い物に誘ってくださるという時点で大きな進展なわけですし、そういう意味で言えば確実に私とひとりさんの距離は縮まっているはずです。

 恋愛とは戒驕戒躁(かいきょうかいそう)……驕らず焦らず騒がず、静かに堅実に進めるべきなのです。今回ふたりで出かけることで、ふたりで外出したという経験を作り、今後私側からデートに誘いやすくなるという布石とも取れます。

 そう考えれば、実に素晴らしい話です。

 

「すぐに出発しますか?」

「あっ、はい。いろいろ買いたいので……」

「しかし、結束バンドの皆さんが来るというのは聞いていますが、なにを準備するのですか?」

 

 結束バンドの方たちがひとりさんの家に来て、ライブで着るTシャツのデザインを考えるという話は私も聞いています。

 ただ、準備とは……最初は菓子類や飲み物などを用意するのかと思いましたが、どうもひとりさんの意気込み具合を見る限り違うような気もします。

 

「あっ、えっと……横断幕とか、クラッカーとか……いろいろですね」

「………………なるほど」

 

 ああ、そうですね。やはり、人を招くなら横断幕……なぜ横断幕? 仮に横断幕を手に入れたとして、それを結束バンドの皆さんを迎える点でどうするのか。そもそも、明日までに横断幕を手に入れるのが困難な気もしますが、なにかその辺りも考えているのでしょうか?

 

「あっ、有紗ちゃん。横断幕って、どこに売ってるか分かりますか?」

「……いえ、店で売ってるようなものでもないですし、横断幕が必要なのであれば紙や布を繋げて作る方がいいかと思います」

「あっ、そ、そうですね」

「他の物に関しては……ショッピングモールに行けば大体揃いそうですね」

 

 幸いひとりさんの家からそこまで遠くない場所に大型のショッピングモールがあるので、そこに行けば大抵のものは揃うでしょう。

 距離的にもある程度はあるとはいえ、徒歩でもそれほど時間はかかりません。話をしながら行けばすぐにつくでしょう。

 

「それでは、ショッピングモールに向かいましょうか」

「あっ、はい」

 

 

****

 

 

 ショッピングモールに辿り着くと、夏休みということもあってそれなりに人は多かったですが、流石に地元ということもあってひとりさんもそこまで人の多さに気圧されてはいません。

 最初は細かい物から買うか、大きなものを見て当たりを付けておくかを相談していると、ふとひとりさんの視線が遠くを見た状態で固まり、少ししてなにかをイメージしているのか、青ざめていきます。

 

「はうっ!」

「よっと……なぜ、急に青春コンプレックスを?」

 

 ビクンと背筋を伸ばして倒れかけるひとりさんを支えつつ尋ねます。現在のひとりさんの反応は、青春コンプレックスを刺激されたことによる軽いショック症状ですが、まだショッピングモールに本格的に入る前なので、この段階でなにに青春コンプレックスを刺激されたのでしょうか?

 そう思っていると、ひとりさんは震える手で先ほど見ていた方向を指差します。

 

「あっ、アレを……あの店を……」

「……たまに見かける移動式のタピオカミルクティーの販売ですね」

 

 ひとりさんが指差した先には、いわゆるキッチンカー式で販売しているタイプのタピオカミルクティーの専門店がありました。夏休みのショッピングモールですし、ああいった移動販売車が来ていても不思議ではありません。

 

「あっ、あれが……陽キャ御用達の流行最先端ドリンク、イソスタアカウントも持たない陰キャには購入する資格すらないお洒落ドリンク……私とは対極にあるドリンクです」

 

 タピオカミルクティーのブームは過ぎて久しいと思うのですが……まぁ、その辺りを突っ込むのは野暮というものでしょうね。

 つまるところ、ひとりさんはタピオカミルクティーを見て青春コンプレックスを刺激されたと、そういうわけですね。

 

「……せっかくですし、飲みましょうか? ちょうど、ここまである程度歩いてきましたし、買い物前に休憩もいいでしょう」

「はぇっ!? あっ、わわ、私たちが、ですか……でで、でも、イソスタアカウントも持たないものは、門前払いされるんじゃ?」

「そんな情報は初めて聞きましたが……まぁ、仮にそうだとしても大丈夫ですよ。イソスタアカウントなら私が持ってますし……」

「あっ、有紗ちゃんって、イソスタやってるんですね。そ、そりゃそうですよね」

「付き合いという面が強いので、滅多に更新しませんが……」

 

 友人やお母様がやっているから登録しているという程度で、あまりイソスタを更新したりはしていません。仮に今更新すると、ほぼ毎回ひとりさんのことばかり書きそうな気もします。

 そんな話をしつつタピオカミルクティーの店の前に辿り着き、メニューを手で示しながらひとりさんに尋ねます。

 

「ひとりさん、どれにしますか?」

「あっ、えっと、私まったく飲んだことが無くて……」

「でしたら、奇はてらわずオーソドックスにタピオカミルクティーでいいのでは?」

「あっ、そ、そうですね。じゃあ、タピオカミルクティーで」

「タピオカミルクティーとタピオカ抹茶ミルクティーをひとつずつお願いします」

 

 注文してそれぞれのカップを受け取ります。そのまま店の前で飲むわけにも行かないので、少し離れた場所にあった休憩用のベンチに並んで座って飲むことにしました。

 ひとりさんはタピオカミルクティーが初めてということで、少しおっかなびっくりといった様子で一口飲むと、パァッと表情を明るくしました……愛らしさが凄まじいです。写真を撮って額縁に入れて部屋に飾りたいレベルです。

 

「あっ、甘くて美味しいです。タピオカの食感も面白くて……」

「それはなによりです。私も久しぶりに飲みましたが、美味しいですね」

「あっ、有紗ちゃんのは抹茶でしたっけ?」

 

 それはひとりさんにとって、なんの気なしに口から自然と出た質問だったのでしょう。特に問題のある発言でもありません。

 問題があったのは私の精神状態の方でした。ただでさえ、大好きなひとりさんと買い物に来ており、こうして一緒にタピオカミルクティーを飲んでいるという幸せなシチュエーションで、舞い上がっており、少し思考が鈍くなっていました。

 

「はい。よろしければ一口飲んでみますか?」

「はえっ!? あっ、えと、えと……」

「その代わり、ひとりさんのものも一口飲ませていただけますか?」

「………‥その……あっ……は、はぃ」

 

 私が冷静であればこの時点で、ひとりさんが消え入りそうな声で了承したことに気付くと同時に、己の発言がもたらす結果にも考えが及んでいたのでしょう。

 ただ、私の頭の中はひとりさんと美味しい気持ちを共有したいという思いで満ちており、副次的に起こりうるものに関して考えが及んでいませんでした。

 

「通常のミルクティーも美味しいですね。ありがとうございました」

「……あっ、いいい、いえ、ここ、こちらも、ありがとうございました」

 

 結果、私たちは手に持つカップを交換して、それぞれ一口ずつ飲みました。オーソドックスなミルクティーの味もいいものだと、そんな風に考えながら再度カップを交換しようとしたタイミングで、ようやく私は違和感に気付くことができました。

 ひとりさんが真っ赤な顔をして、視線を逸らしながらこちらにカップを差し出しているという状況に……。

 

 そうして、違和感に気付いてしまえば、答えを導き出すのは早かったです。すなわち……これは……間接キスなのではと……。

 そう意識した瞬間、私の顔も熱くなっていくような感じがしました。意図したことであればともかく、今回に関して言えばまったく意図していなかったこともあって、それに後から気付くというのは変に気恥ずかしいものです。

 

「あ、えっと、ひ、ひとりさん……意図していたわけでは無く、その、浅慮に行動してしまった結果といいますか……その、申し訳ありません」

「いいい、いえ、わわ、私はまったく気にしてないで! だだ、大丈夫です!! まっ、回し飲みぐらい、女子高生ならよくやることですよね!」

「そ、そうかもしれませんね」

「あっ、な、なので、有紗ちゃんもお気になさらず……」

 

 優しいひとりさんはそう言って私をフォローしつつ、カップを受け取ってくれました。ただ、やはり変に意識してしまったからでしょうか、互いに気恥ずかしさでまともに顔が見えず沈黙してしまいました。

 ……思考を切り替えましょう。意図しなかったこととはいえ、ひとりさんと間接キスをしたことに関しては、悪いことなどではなく、むしろ幸せなことです。私は得しかしていません。

 であれば、問題ないですね。ただ、私が原因でひとりさんが恥ずかしい思いをしているのは問題なので、ここは上手く場の空気を換える必要があります。

 

 先ほどの件に触れるのは絶対にダメ。ここは、まったく気にせず別の話題に移行するぐらいの切り替えが有効な場面です。

 

「そういえば、ひとりさん。クラッカーなどを買うと言っていましたが、最終的にどういった様相を想定しているんですか?」

「……え? あっ、えっと……こう、部屋を綺麗に整えて飾り付けとかもして、歓迎してるってのが一目で分かるような、そんな感じにできればいいなぁと……」

「なるほど、であれば、ある程度飾りつけの方向も決めておいた方がいいかもしれませんね。コンセプトがあるとないとでは、完成度も変わってきますし……」

「そっ、そうですね。えっと……ひと時の癒しの空間……とか?」

「癒しですか……それなら、派手な飾りは控えて落ち着いた飾り付けがいいかもしれませんね。ひとりさんの部屋は和室ですし、テイスト的には和風がいいでしょうか……」

 

 どうやら上手く話題を変えることには成功したみたいで、そのまましばし話をしているとひとりさんもいつもの調子に戻ってきました。

 これなら、この先の買い物に引きずったりすることは無いでしょうし、一安心といったところですね。

 

「……そういえば、話は少し戻ってしまうのですが、ひとりさんはSNSなどはやられているのですか?」

「あっ、い、いえ、私は全然……やっているのは、動画サイトぐらいです」

 

 少し前にSNSの話題が出たのでそちらの話を振ってみました。ひとりさんがなにかSNSをやっているなら、ぜひ見たいと思ったのですが……残念です。

 動画サイトに関しては、私もひとりさんが編集作業をしているのを何度も見ているので知っていますが、かなり熱心に活動されているみたいです。

 ギターの技術向上という意味合いでは、多くの人に見てもらえる動画サイトというのも極めて有効な練習場所なのでしょうし、ひとりさんの向上心にはいつも感心させられます。

 

「ああ、ギターヒーローという名前で活動しているローチューブのことですよね? 私も家でよく見ています」

「はうぁっ!? み、みみ、見てる? あっ、有紗ちゃん? み、見ているって……それはローチューブをですか? そ、それとも、私の動画を……」

「ひとりさんの動画ですが……チャンネル登録もしましたし、動画も遡って全部見ました」

「そっ、そそ、そうですか……あっ、ちなみにえと……と、投稿者コメントとかは……」

「全て目を通していますが?」

「あばばばばばば」

「ひ、ひとりさん!?」

 

 な、なんでしょう? どうやら、私はまたなにか失敗をしてしまったようで、ひとりさんが戦慄したような表情で震え出してしまいました。

 投稿者コメントが問題なのでしょうか? 特に違和感を覚えるようなものはありませんでしたが……。

 

 

 

 




時花有紗:突発的な間接キスに珍しくて照れていたが、メンタルが鬼のように強いので即座に切り替えた。ギターヒーローの動画は全部視聴済み。

後藤ひとり:ぼっちちゃん、間接キスで照れまくっていたが、それどころではなくなった。中二病ノートを見られたような状況である。


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八手突然のタピオカドリンク~sideB~

 

 

 後藤ひとりはいま、混乱と羞恥の真っ只中にあった。原因は単純で、有紗が口にした言葉によるものである。そもそもではあるが、ひとりには油断があった。

 己が動画サイトに投稿していることを有紗が知っているのは把握していた。なんなら、有紗の目の前で動画の編集作業をしたり、撮った動画を視聴させたりしたこともあった。

 だが、それでも心のどこかに、動画サイトは見られていないという甘えに近い感情があった。

 

 お嬢様然とした有紗とローチューブがイメージ的にあまり結びつかなかったというのもあるし、今日にいたるまでその手の話題を有紗が口にしなかったことも大きい。

 だが、その実有紗はひとりのローチューブチャンネルを把握しており、しっかりと見ていたと知った時のひとりの心境は……そう、いわば、思春期にしたためたノートを他人に見られたが如き凄まじいものだった。

 

 ひとりは「guitarhero」……ギターヒーローというハンドルネームでロウチューブに投稿しており、チャンネル登録者数も8万人近く、再生数100万越えの動画もチラホラ有する人気投稿者である。

 そのことは別にいい。なんなら、ひとりにとっては数少ない誇れるものなので、少し自慢したい気持ちすらある。有紗が動画を見ていたのも別にいい。ひとりの動画はギターでカバー曲を演奏するという、基本それだけのものであり、問題は無い。

 だが、投稿者コメントまで目を通されているのは……非常にまずかった。

 

 なにせ、ひとりは日頃発散できない自己顕示欲や承認欲求を抱えており、それは投稿者コメントへの虚言という形で表面化している。

 ありていに言えば、彼女は投稿者コメントで己でも自覚するぐらいイキっているのだ。

 

 「ロインの友達は1000人越え」「バスケ部のエースの彼氏持ち」「学校中の人気者のリア充」など、あることないこと……もとい、無いことばかり書き記している。

 だがそれは、演奏動画だけで真偽など確かめようがないという前提によって行われているものであり、現実のひとりを知るものが見れば一目で嘘だと分かる。

 まぁ、実際は動画様子から、指摘しないだけでリスナーの大半も虚言であると気付いているのだが……。

 

(ど、どどど、どうしよう!? 有紗ちゃんが、あのクソイキりコメントを見てる? うわぁぁぁぁ、なんて、なんて言い訳すれば……)

 

 現在のひとりの羞恥は、先ほどの間接キスの比ではない。いまにも頭から湯気が出そうなほど思い悩むひとりに対して、有紗は心配そうな表情で話しかけてきた。

 

「あの、ひとりさん? 大丈夫ですか?」

「だ、だだだ、大丈びますです」

「……えっと、投稿者コメントがどうかしたのでしょうか? 特に違和感を覚える部分は思い至らないのですが?」

「…………え?」

 

 有紗の言葉にひとりの思考は一瞬停止した。あの投稿者コメントに違和感を覚えないというのは、どういう意味だろうか? さすがにひとりに対して肯定気味の有紗と言えども、あのコメントを現実のものであるとは思わないはずだ。

 

「……あっ、えっと、有紗ちゃんは、投稿者コメントを見て……どっ、どど、どう思いました?」

「え? アレは、現実のひとりさんを特定されないために、ああいうキャラクターを演じているのでは?」

「……」

 

 目から鱗が落ちる思いだった。なるほど、確かに身バレ防止のために、あえて現実からかけ離れたことを書いていると言えば、筋が通ってしまう。

 現実のひとりとは到底結びつかない内容でも、そういう設定で投稿しているだけといえば問題が無くなってしまうのだ。

 

(……あれ? これ、大丈夫なんじゃ、そうですって頷けば、有紗ちゃんは信じてくれるし、私のイキりがバレたりすることもない。頷けば……頷けば……)

 

 これがもし、他の誰かであればひとりはすぐに頷いていたかもしれない。「その通りです」と胸を撫で下ろしながら……。

 だが、かつてならともかくいまのひとりにとって有紗はかなり大きな存在である。コミュ症である彼女が、目的ありきとはいえ自分から買い物に誘うほど心を許している存在でもある。

 

「……あっ、えっと……すみません。そういう、意図は無くて……ただイキってただけ、です。そっ、その、理想の自分みたいな感じで……」

 

 結局ひとりは、有紗に対し嘘をつくという選択肢を選ぶことは出来ず、正直に白状した。内心かなり怖くはあったが、有紗に嘘をつく罪悪感を抱えるよりはマシだと、判断した。

 

「なるほど、理想の……理想……ひ、ひとりさん? す、少し確認したいのですが……」

「あっ、はい。なんでしょう?」

 

 有紗はひとりの言葉に納得した様子で頷いていたのだが、途中で珍しく表情を青ざめさせひとりの方を向いた。その珍しい反応に首を傾げつつ聞き返すと、有紗は真剣な表情で告げる。

 

「……バ、バスケ部に想い人が居るのですか?」

「はえ? いっ、いないです。というか、誰がどの部活に入ってるかすら、ロクに知らないです」

「……ほっ」

 

 ひとりの返答を聞き、有紗は明らかにホッとした表情を浮かべていた。

 

(なんだろうこの反応? 特に私の嘘を咎めたりしてる感じじゃない……バスケ部? 想い人? ……あっ!)

 

 想像とは違った有紗の反応を不思議に思いつつ思考を巡らせていると、ひとりは答えに辿り着くことができた。有紗が気にしていたのはひとりが投稿者コメントに書いた「バスケ部のエースの彼氏持ち」というものだ。

 そして先ほどひとりが理想の自分を演じているといったことで、バスケ部のエースと付き合うことが理想ではないのかと考えた上で、恋敵の出現ではという具合に動揺していただけだった。

 

「……こほん。話を戻しますが、別に問題ないのではないでしょうか? 虚栄心などというものは、誰でも大なり小なり持っていますし、誰に迷惑をかけているわけでもありませんからね」

「あっ、有紗ちゃんにもそういうのがあるんですか?」

「もちろんありますよ。ひとりさんに好かれる私で居たいとか、いま以上によく思われたいとか、そう考えることも一種の虚栄心ですしね」

 

 そう言って優しく微笑む有紗の表情にひとりに対する侮蔑などの感情は一切見えない。相変わらずの優しさを見せる有紗の反応に、ひとりも安堵した。

 

(よかった……ああでも、私のイキりとかは全然気にしないのに、ああいう部分だけ物凄く気にするのは、なんというか……有紗ちゃんらしいなぁ)

 

 結局のところ、有紗の好意はいつだって真っ直ぐひとりに向かっており、少し呆れる反面……どこか、それを嬉しく思っている自分に気付き、ひとりは小さく苦笑した。

 

「あっ、虚栄心というなら、私はいっぱいありますね」

「ある意味では、それはなりたい自分が多いという長所でもあるのでは?」

「そっ、そうですね。なりたい自分は……いっぱいあります。でも、現実って、簡単じゃないですね」

 

 それはここまでの会話がひと段落して安堵したからか、それとも隣に有紗という弱音を吐ける相手が居るせいか……ひとりは、ぼんやりと手に持ったタピオカミルクティーに視線を向けながら言葉を続ける。

 

「あっ、えっと、なんていえばいいのか……根拠もなく、上手くいくような気がしたりして……その、高校生になれば当たり前みたいにこうやってタピオカ飲んで、友達と自撮りとかして、陽キャの仲間入りできたり~とか、妄想したことは何度もありましたけど……思い通りにはいかないことが多いですね」

「……ひとりさんは、思い通りにいかない現実は、嫌いですか?」

「……たっ、確かに、上手くいかないことは多いです。妄想の私より現実の私は駄目駄目で……けど、なにも得れてないわけじゃなくて、進めてないわけでもなくて……えと、なんかうまく言えませんけど、嫌いじゃないです」

「そうですか……」

「あっ、あはは、な、なんか、急に変な話をしちゃって、すみません」

 

 夢は何度も見た。けれども、相応に現実にも打ちのめされた。思い返せば昔はもっといろいろと夢を見ていた気もする。アレもしたい、コレもしたいと……だけどいつしか、現実を知って夢の範囲は縮小した。

 ひとりには今も追いかけている夢や目標は存在する。バンド関連の夢や目標は、今後も大切に持ち続けて進み続けようと誓っている。

 しかし、大きな夢を目指す過程で小さな夢を諦めた自覚もあった……そのはずだった。

 

「……ひとりさん、ちょっと失礼します」

「え? あっ、有紗ちゃん!?」

「はい。撮りますね~」

 

 不意に身を寄せてスマホのカメラを構えた有紗に戸惑いつつ、カメラの方を向くひとり。シャッター音が聞こえて、有紗が手元にスマホを戻して、写真を確認する。

 そこにはタピオカミルクティーを持って、有紗とひとりが並んで写真に写っている。

 

「陽キャの仲間入りというのはわかりませんが、タピオカミルクティーを持って友達と自撮り……ひとりさんが思い描いていた通りになりましたね」

「……有紗ちゃん」

「少なくともまだ高校生活は始まったばかりですよ。先のことがどうなるか、まだまだ誰にも分かりませんが……他にもひとりさんがやりたいと思っていたことがあれば、ぜひ教えてくださいね。ひとりでは無理でも、一緒なら叶えられることも多いでしょうからね」

「……はい」

 

 分からないものだと、ひとりはそう思った。大きな夢を見る傍らに切り捨てた小さな夢……それを当たり前のように拾い上げて叶えてしまう有紗を見て、眩しいと感じつつも嫌な気持ちはしなかった。

 本当に不思議なものだ。有紗が傍に居てくれるだけで、いろいろなことが叶う気がするし、いろいろなことを頑張れるような気がする。口では説明しにくい温もりを、ひとりは確かに感じていた。

 

「……さて、そろそろ買い物に行きましょうか?」

「あっ、そうですね。最初は雑貨屋……ですかね?」

「そうですね。飾りつけの方向性をある程度決めてから大きなものは買いたいですね。ひとりさんは、なにかこれを買いたいというのはありますか?」

「……あっ、えっと、なんかパーティグッズみたいなのがあれば、華やかかなぁって、ミラーボールとか……」

「ミラーボール……テーブルの上に置くタイプのものですかね? 遊具などを置いている店があれば、あるいは……」

 

 ベンチから立ち上がり、アレコレと相談しながらショッピングモールの中に移動する。有紗と話すひとりの表情は、いつも通り俯き気味ではあったが……表情はどこか楽しそうで、口元には小さく笑みが浮かんでいた。

 そのままいくつかの店舗を見て回り、ある程度飾りつけの方向が決まったタイミングで、ふと有紗がなにかに気付いて足を止めた。

 

「……有紗ちゃん?」

「ひとりさん、これなんかいいのでは?」

「え? あっ、コルクボードですか?」

「はい。飾りつけとは関係ないのですが……ほら、ひとりさんがいま結束バンドの皆さんと撮った写真を壁にそのまま貼っているので、こういったものがあれば、写真を飾りやすいかと思いまして」

「たっ、確かに……こういうのがあると、いいかもしれません」

 

 有紗が示したシンプルなコルクボード、値段も手頃であり色合いもひとりの部屋の壁に合っているような気がした。

 

(ここに、結束バンドのアー写とか……有紗ちゃんと撮った写真を貼る……いいな。うん、買おう)

 

 確かに有紗の言う通り、ひとりは現在結束バンドの写真をそのまま壁に貼っている。最初のようにびっしりとではなく1枚だけではあるが……。

 結果ひとりはコルクボードの購入を決め、買い物を終えて帰宅して、有紗と飾りつけの準備をする傍らでこれまで撮った写真を貼りつけ……嬉しそうに笑みを溢していた。

 

 

 




時花有紗:イキりコメントとかはまったく気にしていなかったが、バスケ部エースと恋仲という部分は気にしていた。

後藤ひとり:ぶっちゃけ相当有紗に対する好感度は上がっている気がする。間接キスを意識していたり、百合の波動が強まってきた。


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九手歓迎の後藤家集合~sideA~

 

 

 夏休みのとある日、いつものようにひとりさんの家に遊びに来た私ですが、今日はひとりさんの家に結束バンドの方々が来る日です。

 目的としてはライブで着用するTシャツのデザインを考えるというものであり、バンドの活動なので部外者と言っていい私は参加するべきではないとも思ったのですが、ひとりさんに「一緒に居てくれた方が心強い……ずっと一緒に居て欲しい」と言われてしまっては、断る理由もありません。

 ……まぁ、後半の台詞に関しては私の妄想ですが、前半は本当に言われたのでセーフです。

 

 念のために虹夏さんにも確認を取りましたが、私が参加しても問題ないとのことだったので、現在ひとりさんの家の玄関にて虹夏さんと喜多さんの来訪を待っているところです。

 リョウさんは残念ながら今日は来られないようです。

 

「そっ、そろそろですかね?」

「少し前に駅についたというロインが来ましたし、寄り道せずに真っ直ぐ来たとしたら、時間的にはあと数分ぐらいだと思いますよ」

 

 いつものジャージの上にタスキをかけ、パーティ帽子と星形のサングラスと付け髭といった格好のひとりさんは、いつもとは違ったおちゃめな雰囲気で、これはこれでとても可愛らしいと思います。

 事前にお手伝いした飾りつけも完璧に完了していますし、私もひとりさんと似たような恰好をしています。このサングラスはピカピカと光って、なかなか面白いですね。

 そんなことを考えていると、家のチャイムが鳴り虹夏さんの声が聞こえてきました。

 

「ぼっちちゃーん、来たよ~」

「あっ、いま開けます!」

 

 そうして扉が開かれ、虹夏さんと喜多さんの姿が見えたタイミングで、ひとりさんと一緒に手に持っていたクラッカーを鳴らしました。

 

「いっ、いえぇぇぇい! ウェウェルカム~!」

「「……」」

 

 予想外だったのかポカンとした表情で固まる虹夏さんと喜多さん。少しの間沈黙が流れたあと、ふたりはどこか気遣うような苦笑を浮かべて口を開きました。

 

「……ぼっちちゃん、楽しそうだね」

「なんだか嬉しいですね。後藤さんも今日を楽しみにしてくれてて」

 

 そんなふたりの言葉にスベッたことを自覚して軽く肩を落としつつ、ひとりさんはふたりを家に招き入れました。

 そして、ひとりさんの部屋に移動する途中でサングラスを外した私に、虹夏さんが小声で話しかけてきます。

 

「……有紗ちゃん、こういうのは止めなきゃ駄目だよ?」

「はしゃいでるひとりさんも可愛いですよね」

「駄目だこの子、ぼっちちゃんに甘すぎる!?」

 

 そんなやりとりをしながらひとりさんの部屋に辿り着くと、綺麗に飾り付けをした部屋にふたりも驚いた様子でした。

 

「……凄い飾りつけだね」

「ええ、本当に……外の横断幕も凄かったですけど……」

 

 手伝ったかいもあり、部屋はかなり綺麗に飾り付けられており、このままちょっとしたパーティも出来そうな感じです。まぁ、いささか過剰装飾のような気がしないでもないですが、ひとりさんが楽しそうだったので私としては問題なしです。

 

「あっ、飲み物とってきます」

「ひとりさん、私も手伝います」

 

 4人分の飲み物とコップを持ってくるのは大変だろうと考え、私もひとりさんと一緒に一階に降りて準備をします。

 コップを用意してお盆に乗せていると、冷蔵庫を開けていたひとりさんが話しかけてきました。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん。飲み物って、麦茶でいいですかね?」

「いいと思いますが、中段にオレンジジュースもあるので、ふたつ持って行って選んでもらうのがいいかもしれませんね」

「なるほど……」

 

 飲み物を用意して部屋に戻ると、そこには虹夏さんと喜多さんと遊ぶふたりさんとジミヘンさんの姿がありました。

 いまはお義母様とお義父様が買い物に出ているので、退屈で遊びに来たのでしょう。

 ひとりさんはあっと言う間に、虹夏さんたちと仲良くなっているふたりさんにショックを受けている感じでした。普段の発言から考えるに、妹にコミュ力で負けたとかそんな風に思っていそうな気がします。

 

「ふっ、ふたり。お姉ちゃんこれから、大事なお話するからジミヘンと遊んでてね」

「え~つまんない~」

「私は別にふたりちゃんが居ても大丈夫よ?」

「うん。私も」

 

 友人と妹が一緒に居るという状況が気恥ずかしいのか、なんとかふたりさんを部屋から遠ざけようとするひとりさんを見て、私は苦笑を浮かべつつふたりさんの前にしゃがんで話しかけます。

 

「ごめんなさい、ふたりさん。ひとりさんもああ言ってますので、少しの間ジミヘンさんと遊んでいてもらえますか?」

「ん~有紗おねーちゃんが言うなら、そうする!」

「ありがとうございます。ふたりさんはいい子ですね。そういえば、冷凍庫にふたりさんが好きなアイスを買ってあるので、食べてもいいですよ」

「本当!?」

「ええ、でもひとつだけですよ。たくさん食べるとお腹を壊してしまいますからね」

「は~い!」

 

 ふたりさんはとても聞き分けのいい子で、私の言葉を素直に聞いて頷いてくれました。

 

「ああ、それと、お義父様とお義母様が戻られましたら、教えてくれますか?」

「うん! わかった!」

「ありがとうございます……ジミヘンさんも、ふたりさんのことをよろしくお願いしますね」

「ワン!」

 

 お義父様とお義母様は、虹夏さんや喜多さんを歓迎するための食材の買い出しに行っているので、戻ってきたら会いたがるでしょうから、ふたりさんに教えてもらえるようにお願いをしておきました。

 おそらく戻ってきたらリビングに移動して、皆で話すことになるでしょうしそれまでにある程度Tシャツの話は詰めておきたいところですね。

 そう考えながら手を振って部屋から出ていくふたりさんを見送っていると、後ろから声が聞こえました。

 

「……えっと、確認するんだけど……ぼっちちゃんの妹、だよね?」

「あっ、はい……ふたりは……私より、有紗ちゃんの言うことをよく聞きます……む、むしろ、私は舐められてます……」

 

 そんな会話が聞こえたので、私は苦笑を浮かべつつ部屋に入り、扉を閉めながら口を開きました。

 

「そんなことは無いですよ。ふたりさんはひとりさんのことが大好きですよ。いろいろ、反抗するのも、大好きなお姉さんに構ってほしいからですよ」

「あっ、そ、そうですかね……あ、有紗ちゃんが言うなら、そうなのかな……うへへ」

 

 実際ふたりさんは私と話すときも、ひとりさんの話題が多いですし、なんだかんだでひとりさんのことが大好きなんだと思います。

 私の言葉で持ち直したひとりさんと虹夏さん、喜多さんとテーブルを囲んで座り、Tシャツについて話し合います。

 

「……いまさらですが、私まで案を出してもいいのですか?」

「うん。有紗ちゃんセンスよさそうだし、むしろお願いしたいぐらいだよ」

「どこまで力になれるかはわかりませんが、頑張りますね」

 

 虹夏さんに一言確認したあとで、紙と色鉛筆を受け取りデザインを考えます。物販も見据えてということだったので、ある程度万人受けするようなデザインがいいかもしれませんね。

 そうこうしているうちに最初にデザインを完成させたのは、喜多さんでした。友情努力勝利をコンセプトにしたというTシャツは、体育祭や文化祭で見るようなデザインでした。

 これは駄目ですね。いえ、デザインがという意味ではなく、ひとりさんの精神状態の方が……。

 

「こういうの着たら皆の心がひとつになる気がしません?」

「……クラス一致団結……」

「ぼっちちゃん、体育祭に相当なトラウマが!?」

 

 そして、予想通り青春コンプレックスを刺激されたひとりさんが悲惨な顔になっており、体育祭というイベントを心底恐れているという雰囲気が伝わってきました。

 

「えっと……私、なんかしちゃいました?」

「喜多ちゃんは、罪な女だね」

 

 悲惨な状態になっているひとりさんを見て、喜多さんがなんとも言えない気まずそうな表情で虹夏さんに話しかけているのを横目に、私はひとりさんの肩に軽く手を置いて声をかけます。

 

「……ひとりさん、大丈夫ですよ。体育祭を盛り下げた罪なんて無いですし、火炙りにもなりませんよ」

「有紗ちゃんにはいったいなにが見えてるのかな!? というか、ぼっちちゃんっていま、そんな想像してるの?」

 

 私のひとりさんへの愛をもってすれば、ひとりさんがなにを考えているかなど手に取るようにわかります。最初こそ青春コンプレックスとはなにかというのを理解するのに手間取りましたが、いまは先んじて発動を予想することすらできるようになりました。ひとえに愛の力ですね。

 まぁ、完全にというわけでは無く現状では7割程度の精度ではありますが……。

 

 そのまま少しひとりさんに話しかけてある程度メンタルを回復させます。まぁ、この感じだと回復までにもう少しかかるでしょう。

 あとは時間が経てば元に戻ると確信した私は、元の場所に戻って虹夏さんに声を掛けます。

 

「……虹夏さん、私もひとつデザインを考えてみたのですが、いかがでしょう?」

「おっ、どれどれ……」

「うわっ! 可愛い!! 時花さんって、凄く絵が上手いのね!」

 

 私の考えたデザインを見て、喜多さんは目を輝かせます。私が考えたのは別に特別なデザインとかではなく、以前にひとりさんが作った宣伝フライヤーを参考に、結束バンドのメンバーをデフォルメしてプリントしたTシャツです。

 

「滅茶苦茶いいデザイン……だけど、う~ん。ロックバンドが着るには、可愛すぎるかなぁ」

「なるほど、言われてみれば確かにそうですね」

 

 私の考えたデザインは好評ではありましたが、確かにロックバンドというには少しポップな雰囲気が強すぎたかもしれません。

 デザインの良し悪しだけではなく、バンドとしての雰囲気に合う合わないというのもあるので、なかなかどうして難しいものです。

 

「けど、喜多ちゃんの言う通り、本当に可愛いし没にするのももったいない。う~ん……有紗ちゃん、このデザイン、もらってもいいかな?」

「え? ええ、もちろん。ですが、どうするんですか?」

 

 しかし、どうも虹夏さんは私のデザインを気に入ってくれたみたいで、なんとか利用しようと考えている様子でした。

 

「いやさ、物販で売るにはいいTシャツだと思うんだよ。ほら、メンバーの絵もあって、分かりやすいし」

「そうですね。というか、私も買いたいです! このリョウ先輩とか、凄く可愛いですし!」

 

 なるほど、確かにライブで着るTシャツと物販で販売するTシャツのデザインが同じでなければならないルールはありません。

 ファンアイテムとして考えるなら、メンバーの姿が映っているのは定番ですがいいというわけですね。

 

「デザイン料とかのキックバックは、売れ行きによって相談ってことで……」

「ああ、それは結構です。そのデザインは差し上げますので、どうぞ自由に使ってください」

「いいの?」

「はい」

「そっか、それじゃ遠慮なく、ありがたく頂戴するね」

 

 そうして話がひと段落したタイミングで、ふたりさんがお義父様とお義母様が戻ってきたと呼びに来てくれましたので、まだ体育祭ショックから回復していないひとりさんを連れて、一度リビングに移動することとなりました。

 

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんへの愛はかなり高まっており、もうすでに青春コンプレックス発動時のぼっちちゃんの妄想も、かなりの精度で読み取れるレベルに達している。

後藤ひとり:有紗に関しては完全に自分と一緒に迎える側として認識しているあたり、自覚無いだけで好感度はかなり高い。

横断幕:字は有紗が書いた。


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九手歓迎の後藤家集合~sideB~

 

 

 ひとりの両親である美智代と直樹が買い物から戻り、簡単な挨拶のあとで虹夏と喜多は一階のリビングへ案内された。

 遊びに来てくれたふたりを歓迎という名目で、次々と飲み物や食べ物が用意されていく中で、ソファーに座りながら虹夏は喜多に声をかける。

 

「……ねぇ、喜多ちゃん、確認していいかな? ぼっちちゃんの家だよね?」

「……そうです。間違いなく」

 

 虹夏の言葉の意味は喜多もすぐに察することができて、ふたりそろって台所の方に視線を向ける。するとそこでは、美智代と直樹と共にエプロンを付けて調理をしている有紗の姿があった。

 

「お義母様、盛り付けは問題ないでしょうか?」

「ええ、流石有紗ちゃんは料理上手ね」

「いえ、お義母様とお義父様のご指導の賜物です」

「有紗おねーちゃん、ふたりも手伝う!」

「ありがとうございます。それでは、こちらをテーブルに運んでもらえますか? 転ぶと危ないので、足元には注意してくださいね」

「はーい」

 

 和気藹々とした雰囲気で調理をする有紗を見たあとで、ふたりは自分たちと同じようにソファーに座っているひとりの方に視線を向けた。

 

「あの、ぼっちちゃん? なんか、有紗ちゃんが当たり前のように調理してるんだけど……よくあるの?」

「え? あっ、はい。よくやってますね。それこそ、有紗ちゃん用のエプロンが台所に常備されてるぐらいは……」

「……もうふたりは結婚してたっけ?」

「しっ、してないです!?」

 

 有紗はひとりの家にはよく遊びに来ており、ふたりはもちろん美智代や直樹とも非常に仲がよく、今回の様に家事などを手伝うことも度々あった。

 本人的には花嫁修業の一環のつもりらしい。最初はひとりも、現在の虹夏や喜多と同様に戸惑っていたが……もうある程度慣れてしまって、さほど疑問を感じなくなっていた。

 

(……ぼっちちゃん。本人が気付いてるかどうかはさておいて、順調に外堀埋められてる感じだよ?)

 

 そんなひとりの様子を見て、虹夏はなんとも言えない表情で苦笑を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 美智代や直樹、後藤家の歓迎を受け喜多が持って来ていた映画などを見たり、ゲームで遊んだりしていたりすると時刻は夕方になっており、Tシャツのデザインが決まっていないということでやや焦りつつひとりの部屋に戻ってきた面々。

 改めてTシャツのデザインを考えようという場面ではあるが、虹夏と喜多はなんとも言えない表情を浮かべて有紗に膝枕をされているひとりの方を向いた。

 

「……えっと、時花さん? 後藤さんは、大丈夫?」

「映画に青春コンプレックスを刺激されただけなので、あと10分ほどで元に戻ると思いますよ」

「……まぁ、ぼっちちゃんは、有紗ちゃんに任せようか……なんか慣れてる感じだし、私たちはTシャツのデザインを……おっと、リョウからデザイン案が届いたみたいだね」

 

 喜多が持って来た青春胸キュン映画によって青春コンプレックスを刺激されてダメージを受けたひとりは、有紗が慣れた様子で介抱しており、対応はそちらに任せることにして虹夏と喜多はリョウから送られてきた画像を確認する。

 尤もそれはデザイン案などではなく、夕食にカレーと寿司、どちらがいいかという極めて個人的な質問だった。

 

 呆れたような空気になりかけたタイミングで有紗に膝枕されていたひとりが復活し、スケッチブックを手に立ち上がった。

 

「あっ、あの……私のデザインも、見てくださればと……」

「おっ、できたの? 見せて見せて」

 

 どこか少し自信ありげな様子でひとりがスケッチブックを開くと、そこには中学生男子が好むような謎フォントが描かれ、山のようなファスナーや鎖が付いた……中二感あふれるTシャツの絵が描かれていた。

 

(だ、だせぇ……)

 

 思わず虹夏が心の中でそう思ってしまうほど、なんとも言えない絶妙なダサさのあるTシャツだった。いちおう確認すると、ファスナーはピック入れ、鎖はギターストラップとしても使えると実用性も考慮はしているみたいだが、言いようのないダサさが薄れるわけでは無い。

 しかし、かといってせっかく積極的に提案してくれた案を一蹴すればひとりを傷つけてしまうかもしれない。対応に悩んだ虹夏は、チラリと有紗の方を向いた。

 「なんとか、ぼっちちゃんを傷つけずに上手く却下してほしい」という虹夏の視線に気づいた有紗は、その意図を読み取って軽く頷いてからひとりに声をかける。

 

「ひとりさん、とても素敵なデザインだとは思うのですが、そのTシャツの感じだとパンクロックやメタル系に近いイメージなので、結束バンドのジャンルとは少し違ってくるのではないでしょうか?」

「あっ……そう言われれば、そうですね。たしかにこれだと、パンクやメタルっぽい感じですね」

「ええ、なので、結束バンドのライブで着るならもう少しシンプルでシャープなデザインの方がいいのではないでしょうか?」

「たっ、確かに……バンドの雰囲気と合わせるのって、大事ですしね。考え直してみます」

 

 有紗の言葉にひとりは納得した様子で頷いてスケッチブックの新しいページを開き、改めてデザインを考え始めた。ひとりの自尊心を傷つけることなく、上手くコントロールして納得させたうえで案を下げさせた有紗の手腕を、虹夏は感心した様子で見ていた。

 

(上手いなぁ。今後ぼっちちゃんが、変なこと言い出した時は有紗ちゃんになんとかしてもらおう)

 

 そんなことを考えていた虹夏だったが、ふとあることを思い出してひとりの方を向いて口を開く、

 

「そういえばぼっちちゃんって、私服もさっきのTシャツみたいな感じなの?」

「あっ、服はお母さんが買って来てくれるから違います……好みじゃないので、一度も着たことないですけど」

「え~見てみたい!」

「私もジャージ以外の後藤さん、見たことないです!」

「……そういえば、私も無いですね」

 

 ひとりの私服を見てみたいと告げる虹夏に、喜多も同調し、有紗もジャージ以外の服を着ているのを見たことは無く興味がある様子だった。

 そして、ひとりの性格上三人の圧から逃れられるはずもなく、そのままなし崩しに私服に着替えることとなった。

 

「「可愛い~!!」」

 

 さすがにその場で着替えるのは恥ずかしく、場所を変えて着替えてきたひとりは、普段のジャージとは違う清楚っぽい服装に身を包んでおり、いつもとは違った雰囲気があった。

 

「そうだよ! ぼっちちゃんは可愛いんだよ!」

「普段の奇行で忘れるところでしたね!」

「有紗ちゃんもそう思うでしょ……あれ? 有紗ちゃん?」

 

 興奮気味に話す虹夏と喜多だが、そこでふと一番反応しそうな人物が一言もしゃべっていないことに気付き視線を動かす。

 ひとりの可愛らしい私服とあれば真っ先に食い付いていそうな有紗だが、なぜか少し離れた場所でスマートフォンを手に持ち電話をしている様子だった。

 意外に冷静に見えるその様子に虹夏と喜多は少し不思議そうな表情で顔を見合わせたが、直後に聞こえてきた言葉に唖然とすることになる。

 

「……ええ、なので、至急式場とドレスの手配とカメラマンを5人以上……あと、ミュージアムを建てるのですべて含めた費用の見積もりを!!」

「うぉぉっ、ちょっと有紗ちゃん!? 落ち着いて!」

「静かだと思ったら、とんでもない暴走を……時花さん、ストップ!」

 

 意外に冷静どころか、一番ぶっ飛んだ暴走をしていた有紗を慌てて止める。なにが恐ろしいかといえば、有紗であれば冗談でもなんでもなく、その発言を実現できてしまうのではないかという恐怖があった。

 虹夏と喜多の説得を受け、有紗はすぐに冷静さを取り戻したのかどこか申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「……も、申し訳ありません。あまりの愛らしさに、少し我を失いました」

「……少し、なんだ。ま、まぁ、落ち着いてくれてよかったよ」

「あっ、あの……もう脱いでも……」

 

 有紗が落ち着いたことにホッと胸を撫で下ろした虹夏に、顔を俯かせながらひとりが声をかける。彼女としてはいまの格好は恥ずかしくてたまらないので、一刻も早く脱ぎたいところだったのだが……。

 

「待って待って! ん~そうだ! 前髪も上げなよ、絶対そっちの方がいいって!」

「……へ?」

「伸ばしてるの?」

「あっ、美容室行けないから伸びてるだけで……」

「じゃあ、私がセットしてあげるよ!」

「あっ、いや、大丈夫ですっ!」

 

 ニコニコと笑顔を浮かべてどこからともなくヘアブラシを取り出した虹夏が迫り、ひとりが引き攣ったような表情を浮かべた。

 そして、虹夏が伸ばした手がひとりの髪に触れようとしたタイミングで、それを制するように有紗が割って入って来た。

 

「待ってください、虹夏さん」

「はえ? 有紗ちゃん」

「ひとりさんはもういっぱいいっぱいですし、これ以上精神に負荷をかけると気を失ってしまいますよ」

「あっ、有紗ちゃんっ……」

 

 先ほどは私服姿のひとりを始めて見た衝撃で暴走気味だったが、一度落ち着けば基本的に有紗は優しくひとりの気持ちを最優先にする人物だ。

 だからこそ、ひとりが嫌がっているが拒否できない状況と見るや、即座に割って入って来てひとりを庇った。その行動にホッとしたような表情を浮かべたひとりは、素早い動きで有紗の背の後ろに隠れた。

 

「虹夏さんたちの気持ちも分かりますが、無理強いはすべきではないかと思います。なので、ここはご容赦を……ひとりさん、着替えてきて大丈夫ですよ」

「あっ、有紗ちゃん、ありがとうございます」

 

 有紗にお礼を言ってそそくさと着替えるために部屋から出ていくひとりを見送りつつ、虹夏と喜多は仕方ないという表情を浮かべつつも、少し残念そうだった。

 

「う~ん、ちょっと残念」

「ですね。けど、時花さんの言う通り、無理強いはよくないですしね」

「ええ、それに……このままでは、デザインが決まりませんよ?」

「あっ、そ、そうだった!?」

 

 有紗の言葉で脱線していたことに気付いた虹夏は、慌てた様子でタブレットを手に取り、喜多と有紗も改めて座ってひとりの帰りを待ちつつ、Tシャツの案を考え出した。

 すると、そこでふとタブレットをいじっていた虹夏があることを思い出した様子で、顔を上げた。

 

「……そういえば有紗ちゃん、ぼっちちゃんから聞いたんだけど――」

「……え? ええ、事実ですが?」

「そっか、じゃあさ! 提案なんだけど――」

 

 有紗の返答に明るい表情を浮かべた虹夏がある提案を口にし、喜多もいい案だと明るい表情を浮かべたが……有紗は、苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

「ありがたい提案ですが、申し訳ありません。私は――」

「……そっか、残念だけどしかたないね。あっ、もし気が変わったら、いつでも言ってね」

「ええ、分かりました」

 

 有紗の返答に少し残念そうな表情を浮かべつつも、虹夏はすぐに気を取り直すように明るい笑顔を浮かべた。そしてそのタイミングでひとりも部屋に戻ってきた。

 扉の前で先ほどの話を聞いていたのか、少し迷うような表情で有紗を見たが、なにかを言うことは無く座った。戻って来たひとりに「おかえり」と告げてから、虹夏は改めて有紗に声をかける。

 

「あっ、そうだ! ならこういうのはどうかな? 有紗ちゃんさえよければなんだけど――」

 

 虹夏が新しく告げた提案を聞き、有紗は少し驚いたような表情を浮かべていたが……少しして、苦笑と共に頷いた。

 

 

****

 

 

 数日が経ち、結局これというTシャツのデザイン案が出なかったため、最終的に虹夏が考えた黒字に白い結束バンドのマークが入ったデザインに決まった。

 STARRYに集まり、結束バンドのメンバーが衣装合わせ……完成したTシャツを試着する場に、有紗の姿もあった。

 

「……あれ? 有紗のTシャツは色違い?」

 

 首を傾げるリョウの言葉通り、有紗も結束バンドのTシャツを着ていたが、白地に黒いバンドマークという、メンバーたちが着ているものと白黒反転したデザインになっていた。

 

「ああ、あの時リョウは居なかったから説明するけど、有紗ちゃんにはサポートスタッフになってもらったんだよ。毎回ってわけじゃないけど、私たちが今後活動していく中で、4人じゃ人手が足りない場面もあるから、そういうところで助けてもらえたらな~って感じでね。有紗ちゃんは、頼りになるしね」

「ええ、そういうことですので、お手伝いできることがあれば気楽に申し付けください」

「なるほど……じゃあ、有紗。お金貸して」

「こら、そういうサポートじゃない!」

 

 有紗がサポートスタッフになること自体はリョウも特に反対する気は無い様子で、納得した様子で頷いたあと金銭面でのサポートを求めた。

 もちろん即座に虹夏がツッコミを入れたのだが、対する有紗は優しい笑顔で告げた。

 

「構いませんよ。それでは、すぐに……借用書を用意させますね」

「……え? 借用書?」

「はい。返済期間は半年ほどでいかがでしょうか? もちろん、無利子無担保で構いませんし、期限までは催促も一切しません。まぁ、期限を過ぎた場合は……回収に動かさせていただきますが」

「……あっ、その……やっぱりいい」

 

 笑顔で告げる有紗の言葉を聞いて、薄ら寒いものを感じたリョウは若干青ざめた表情で前言を撤回した。

 

「リョウ、有紗ちゃんって間違いなくお金持ちだけど……だからこそ、お金の貸し借りとかには厳しい気がするよ」

「うん。なんか、虹夏たちとは違ってガチの借金を背負いそうな気配だった」

「……私たちからなら借金じゃないみたいな言い方はやめろ」

 

 

 

 




時花有紗:ごく普通に後藤家の台所に立つ辺り、外堀はもうほぼ完璧である。最初はぼっちちゃんの私服に理性が飛んでいたが、冷静さを取り戻したあとはちゃんとぼっちちゃんを守っていた。虹夏からなにかを提案されるが断り、有事のサポートという形で結束バンドには協力。

後藤ひとり:扉の前で虹夏と有紗のやり取りは聞いていたが、有紗の意思を尊重してなにも言及することは無かった。


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十手成長のライプ~sideA~

 

 

 結束バンドのSTARRYでのライブもいよいよ明日に迫りましたが、生憎と空模様がよくありません。自室のベランダに出て外を見てみれば、雲は分厚く風もそれなりに吹いています。

 

『……台風、来ますかね?』

「こればかりは分かりませんが、急に方向を変えたのでよくない進路ですね。少なくとも、空模様を見ると……明日はいい天気にはなりそうにないですね」

『そっ、そうですか……』

 

 スマートフォンで通話している相手はひとりさんで、やはり台風が近づいていることに不安を感じている様子でした。本当に巡り合わせが悪いといいますか、よりにもよってライブの当日に関東に台風が来るとは……。

 

「ただ、雨や風があると言ってもどの程度かは分かりませんよ。公共交通機関に影響があるレベルだと厳しいかもしれませんが、多少の雨風程度であれば大きな影響はない筈です」

『あっ、そうですね。電車とか止まらなければな……』

「ひとりさんは大丈夫ですか? 止まらないまでも、遅延したりするとSTARRYに向かう際に影響が出ませんか?」

『あっ、もし電車が止まったら、お父さんが車で送ってくれることになってます。あっ、あと、念のために早めに出るつもりですし……』

「なるほど、それなら安心ですね」

 

 ひとりさんは県外に住んでいるので、交通機関の乱れが大きな影響となると思いましたが、その辺りは事前にしっかり対策を考えていたようです。

 お義父様がいらっしゃるのなら大丈夫でしょう。もし難しければ、私が迎えを手配しようかと思いましたが、必要なさそうですね。

 

「……でしたら、あとはひとりさんが早めに寝るだけですね」

『あっ、でも……』

「不安な気持ちは分かりますが、それで体調を崩してしまっては本末転倒です。しっかり休んで、明日に備えましょう。ね?」

『……はい。そっ、その、有紗ちゃん。話を聞いてくれて、ありがとうございました』

「ひとりさんの力になれたのなら嬉しいですよ。それでは、明日のライブを楽しみにしていますね。頑張ってください」

『あっ、はい。頑張ります……おやすみなさい、有紗ちゃん』

「おやすみなさい」

 

 通話を終えてから私は暗い空に視線を向けます。願わくばどうか、どんな形であれ明日のライブがひとりさんにとっていい結果で終わってほしいものです。

 

 

****

 

 

 残念ながら台風はそれなりの勢力を保ったままで関東に上陸し、天候は荒れていました。予報では20時を過ぎればある程度落ち着いてくるとのことですが、ライブの時間は18時……客足への影響は、免れないでしょう。

 状況によって結束バンドのサポートスタッフとして行動することになった私ですが、今回は特に役割もなく、あくまで観客としての参加ですが、星歌さんの厚意もあり開店前からSTARRYにお邪魔させていただいています。

 

 やはり状況は芳しくない様子で、喜多さんの友達も来られず、お義父様とお義母様も本来はふたりさんをお願いする予定だった義祖母様が来れないとのことで、ライブを見に来るのは難しいようでした。

 電車にも影響が出ていて道路も混むでしょうし、なかなか難しい部分がありますね。この天候である以上、当日券の販売は絶望的……よくはない感じですが、それでも明るく前向きな虹夏さんを中心に、結束バンドの皆さんは比較的前向きな様子でした。これなら、心配はいらないかもしれませんね。

 

 そしてライブハウスの開店時間になると、真っ先にやってきたのは以前私とひとりさんと共に路上ライブを行ったきくりさんでした。

 

「ぼっちちゃ~ん、有紗ちゃ~ん、きたよぉぉ」

「あっ、お姉さん」

「こんにちは、きくりさん」

 

 流石というべきか、すでにかなり出来上がっている様子のきくりさんに挨拶をすると、星歌さんが驚いたような表情を浮かべていました。

 そういえば、きくりさんはSTARRYを知っているライブハウスだと言っていたので、面識があるのかもしれません。

 

「え? お前、ぼっちちゃんたち目当てで来たの?」

「そうだよぉ」

「えっ、お知り合いなんですか?」

「私の大学の時の後輩」

 

 ひとりさんの質問に、星歌さんはどこか嫌そうに答えます。そんな星歌さんに絡んでいくきくりさんを見ていると、なんとなくふたりの関係が見えてくる気がしました。

 その様子を見て思わず苦笑しつつ、私はきくりさんにタオルを手渡しながら声を掛けます。

 

「きくりさん、かなり濡れてますよ。はい、タオルをどうぞ」

「ありがとぉ、有紗ちゃんは優しいね~先輩とは大違いだよ~」

 

 緩い笑顔でタオルを受け取るきくりさんからは、やはりかなりお酒の匂いがしましたので、既に相当飲んでいるのでしょう。まぁ、まだ付き合いは浅いですが、この方は酔っている状態がデフォルトのような気もしています。

 そんなことを考えていると、続いて路上ライブでチケットを買ってくれた大学生のお姉さんたちが来てくれました。

 おふたりはひとりさんと少し話したあとで、私に気付いたのか笑顔を浮かべて話しかけてきてくれます。

 

「有紗ちゃんも、こんにちは」

「こんにちは、来てくださってありがとうございます」

「……あれ? 有紗ちゃんは、お揃いのTシャツ着てないの?」

「ああ、私は結束バンドのメンバーというわけでは無く、ひとりさんの友人ですので、今回は観客としての参加です」

「あっ、そうなんだね」

 

 お姉さんたちと軽く話をしたあと、ひとりさんたちは控室に向かい、私はなんとなくきくりさんと一緒に居ました。

 すると、少しずつライブハウスに人が増えてきました。他のバンド目当てで早めに来ている方も居るので、全てが結束バンド目的というわけでは無いですが……数にして20人少々でしょうか? 中には以前配った宣伝フライヤーを手に持っている方も居たので、それを見て足を運んでくれたのかもしれません。

 

「おっ、出てきたね~」

「いよいよ……おや?」

 

 結束バンドの皆さんが出てきて準備をしているのですが、どうにも表情というか様子がよくないです。緊張が見て取れるというか、肩に力が入り過ぎているような気がします。

 一番冷静に見えるのはひとりさんで、他のメンバーとは比べてある程度落ち着いている様に見えました。

 

「……悪い緊張の仕方ですね」

「へぇ、有紗ちゃん、そういうの分かるんだ?」

「ピアニストの友人がいるのですが、その人が言っていました。最高の演奏をするには緊張は不可欠だけど、加減を間違えれば緊張は演奏を壊すと。緊張の中で普段通りに演奏できて三流、緊張を利用して普段以上の演奏ができて二流……演奏日にコンディションのピークと共に適切にコントロールした緊張を持ってこれて初めて一流らしいです」

「いいこと言うねぇ~たしかに、緊張ってのは扱いが難しいよねぇ」

「そうですね」

 

 実際その友人は、いつもコンサートなどの10日ほど前ぐらいから精神面の調整を始めて、体と心のピークをコンサート当日にピッタリ調整していましたが、逆に言えばそれだけ時間をかけて調整しなければ緊張を完璧にコントロールはできないと言えるのかもしれません。

 

 現在の結束バンドの緊張は……演奏を壊してしまう方の緊張です。いい演奏をしなければと、そんなプレッシャーに近い感情から必要以上の力が入っているみたいですね。

 そして、音楽というのは演者の心に大きく影響を受けます。実際既にステージ上の皆さんの緊張や力みが、観客に伝わり始めていますし、演奏が始まるともっと影響が出てくるでしょう。

 

「……まっ、初ライブで大失敗なんてよくある話だけど……そうなると思う?」

「いえ、大丈夫でしょう」

「へぇ、言い切るんだね~」

「はい。生憎と私は虹夏さん、リョウさん、喜多さんについてはまだそれほど詳しくは知りません。でも、ひとりさんのことはよく知っているつもりです」

 

 虹夏さんたちとの付き合いはまだ浅く、彼女たちの人となりを完全に理解できているとは言い難いですが、ひとりさんに関してはよく知っているつもりです。

 だからこそ、よくない緊張ではあると感じつつも、心のどこかで大丈夫という確信がありました。

 

「……ひとりさんは、本当に踏み出すべき時には勇気を持って踏み出せる強い人ですからね」

「……なるほどねぇ~」

「酒類の持ち込みは禁止です」

「あっ、ちょっ、私のおにころ……」

 

 私の言葉を聞いたきくりさんは、どこか楽し気に頷いたあとで懐からパック酒を取り出していたので、それを素早く奪い取って近くに居た星歌さんに渡しました。

 そんなやりとりをしていると、準備が整ったようで演奏が開始されましたが……やはり緊張と力みが悪い影響を及ぼしていました。

 

 全体的に歯車が噛み合っていないようなチグハグさがあり、息が合っていないという表現がしっくりくる状態でした。

 そんな中ステージ上のひとりさんとふと目が合いました。私は小さく微笑みを浮かべ、心の中で「信じています。頑張ってください」と、そう思いました。

 もちろん口にも出していない声が理解できるはずもなく、仮に声に出していたとしても演奏の最中にこの距離では聞こえないでしょう。

 

――うん、私、頑張るよ。有紗ちゃん。

 

 ですが、なんでしょうか? 不思議と、私の想いはひとりさんに届いたような気がしました。そして、ひとりさんの決意のような言葉が聞こえた気も……。

 そんな私の予感に応えるかのように、ひとりさんの目に強い光が宿りギターが力強い音を奏でます。崩れかけていたバンド全体の音を支えて引っ張っていくかのように……。

 

 息が合わずバラバラになっていた音楽が、ひとりさんの力強いリードギターに導かれて纏まってくる。一曲目の終盤に差し掛かるころには、結束バンドの演奏はチグハグなものから次を期待させるようなものへと変わっていました。

 

 そして一曲目が終わった瞬間、ひとりさんは即興のギターソロでメロディーを奏でました。意識してやったのか、無意識に行ったのかはわかりませんが……それは他の3人に一呼吸入れるだけの時間を作り出すことに成功しました。

 先ほどまであった力みが消え、悪い緊張が良い緊張へ変わっていく感覚がありました。きっともう大丈夫……。

 

 普段はいろいろと自分を卑下したりするような発言をしていることもありますが、やっぱりひとりさんはここぞという時にちゃんと足を踏み出せる方です。

 なんというか……惚れ直したといいますか、改めてひとりさんが素敵な方だと再確認できて、本当に嬉しく幸せな気持ちでした。

 

 

 

 




時花有紗:ついにアイコンタクトで意思疎通を始めた。例によってひとりにゾッコンであり、今回も凛々しいひとりをみて惚れ直していた。きくりからおにころを奪う手腕が星歌に高く評価されていたとかいないとか……。

後藤ひとり:有紗という存在のおかげで原作より精神面で成長しており、一曲目の終了より早く行動を開始して、一曲目からかなりバンドの音楽を立て直していた。


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十手成長のライプ~sideB~

 

 

 嫌な予感が当たりライブ日と台風が重なることとなってしまい客足が少ないSTARRYの中、そろそろ控室に移動しようというタイミングでひとりは有紗と会話をしていた。

 

「天候は残念でしたね」

「あっ、はい……ある程度覚悟はしていましたが、やっぱり少し残念です。でっ、でも、こんな天気の中でも来てくれる人たちはいますから」

「そうですね。見ましたか? 何人か、ひとりさんが作った宣伝フライヤーを持っている方が居ました。効果、出てるみたいですね」

「だっ、だとしたら……配ってくれた有紗ちゃんのおかげ、ですね」

 

 実際天候を考えると少ないながらもそれなりの客は来ている。宣伝フライヤーがどこまで効果があったのかは不明ではあるが、間違いなく数人を呼ぶ切っ掛けにはなっていると言える。

 その話を聞いても、ひとりは己の手柄だとは感じられなかった。なにせ、コミュ症のひとりだけではフライヤーを作ろうとも配ることは出来ず、人の手に渡ることなんて無かったはずだ。

 

「どうでしょう? そもそも、ひとりさんが宣伝フライヤーを作らなければ私が配ることもなかったわけですし……いえ、これでは水掛け論ですね。ここはひとつ、ふたりで頑張ったおかげということにしませんか?」

「あっ、そうですね……一緒に頑張ったから、ですね」

「はい」

「えへへ……」

 

 有紗と顔を見合わせひとりの表情には小さく笑みが浮かぶ。不思議なものだった。ライブが間近に迫り、緊張はしているが……初ライブの時のような恐怖で全身が震えるという感覚はなく、緊張の中にあってもどこか冷静でいられているような……自然体で集中できている感覚があった。

 

「あっ、私、そろそろ控室に行きますね」

「はい。私はここで、結束バンドの演奏を楽しみにしています」

「そっ、それでは……」

「ひとりさん」

「あっ、なんでしょう?」

「頑張ってください。応援しています」

「……はい!」

 

 有紗が微笑みながら告げた言葉にひとりはしっかりと頷いた。なんだか、有紗の応援しているという言葉には不思議な力があるような……本当に優しく背中を押してくれているような感覚があり、ひとりはその優しい声で告げられる応援の言葉が好きだった。

 なんとなく今日のライブは上手くいくような、そんな予感を胸にひとりは控室に向かっていった。

 

 

****

 

 

 なにごともなくライブ開催、結束バンドは万全のコンディションでライブへ……とは、残念ながら行かなかった。

 偶然ではあるが他のバンド目当てで来ていた客の「知らないし、興味ない」という言葉を聞いてしまったことで、結束バンドのメンバーたちの中に妙な力みが生まれてしまった。

 音楽の演奏というのは演者の精神状況に大きく影響を受ける。期待されていない場に立つというのはプレッシャーであり、経験の浅い彼女たちの肩には重く圧し掛かることとなった。

 

(なんだか、よくない感じ……皆、力が入り過ぎているような)

 

 意外なことに、その状況で一番落ち着いていたのはひとりだった。もちろん彼女も緊張やプレッシャーを感じてはいるが、それでもある程度自然体で準備を行えていた。

 そして同時に、他のメンバーからいつもとは違う妙な緊張を感じ、嫌な予感を覚えていた。

 

 果たしてその予感は、演奏が始まってすぐに現実のものとなった。

 

(虹夏ちゃんのドラムが少し遅れてる。喜多さんもいつもより声が出てないし、リハで出来てたところをミスしてる。リョウさんもミスこそ無いけど、ドラムの虹夏ちゃんと音が合ってない……低音がブレてる)

 

 明らかに歯車が噛み合っていない感じであり、4人の息が合っていない。それぞれがバラバラに演奏しているかのようなズレ。それはすぐに観客にも伝わる。

 ある観客はつまらなそうな表情で手元のスマホに視線を落とし、ある観客はため息を吐いてステージから視線を外し、ある観客は不安そうな表情を浮かべる。

 上手く行っていない感覚は、演奏している結束バンドのメンバーにも伝わり、更に力んでしまうという悪循環を生もうとしていた。

 

(このままじゃ……でも、どうすれば……)

 

 どうにかしなければとそんな焦燥感を覚えつつ、ふいに観客席に視線を向けたひとりの目に映ったのは、真っ直ぐにひとりを見ている有紗の姿だった。

 彼女は不安そうな表情を浮かべることもなく、ただ真っ直ぐにひとりを見ており、目が合ったことに気付くと、小さく笑みを浮かべた。

 

――信じています。頑張ってください。

 

 不思議と、有紗の声が……優しく背中を押してくれる声が聞こえた気がした。

 

 かつて、ひとりがSTARRYにて初ライブを行った際、有紗の送ったメッセージがほんの僅かに彼女の背を押してくれたことがあった。だが、その時はまだ本当に少しだけだった……しかし、いまは違う。

 そう、あの時とは違う……いまの後藤ひとりにとって、時花有紗という存在は……心の支えになりうるだけの大きな存在に変わっていた。

 

(うん、私、頑張るよ。有紗ちゃん)

 

 思えばひとりが最初から緊張の中にあっても自然体でいられたのは、有紗が居るという安心感が彼女の心にあったからかもしれない。

 有紗の存在がひとりに一歩踏み出す勇気を与えてくれる。

 

 ひとりの目に強い光が宿り、彼女の演奏のギアが明らかに上がる。それは力強い旋律となって、ライブハウスに響く。決して突っ走るような演奏ではなく、バラバラになっているメンバーの音楽を導くような力強い演奏。

 彼女の、ひとりの担当するリードギターはバンドにおけるメロディラインの中核だ。彼女の音が乱れてしまえば、それがバンド全体にも影響を及ぼす極めて重要なパート。

 だが逆に、バンドの全体の音楽が崩れた時にそれを支え導けるだけの力と存在感もある。

 

 熱の籠ったひとりの演奏に俯きかけていたメンバーたちが顔を上げた。スマホに視線を落としていた観客が視線を上げ、席を外そうとしていた観客が足を止め、不安そうだった観客の表情が少し明るくなる。

 まだ完全に持ち直したわけでは無いが、ひとりのリードギターが導く演奏には、これから先を期待させるような熱が宿っていた。

 

 そして、一曲目が終わるとひとりは咄嗟に本来の予定にはないギターソロを入れた。それはメンバーたちに一呼吸入れさせ、気持ちを切り替えるための時間を作るため……。

 ひとりの思いはメンバーたちにもしっかりと伝わっており、虹夏とリョウが顔を見合わせ頷き合い、喜多が一度目を閉じて深呼吸する。

 

(……さっきまでのよくない感じが消えてる。うん。これならきっと、大丈夫……)

 

 メンバーたちの精神状態が持ち直したのを感じ取ってひとりはギターソロを締めくくる。そして、固さの取れた喜多がMCで2曲目を告げ、再び演奏がスタートした。

 ズレていた歯車がカチリと噛み合う音が聞こえ、バラバラの演奏ではなく結束バンドの音楽として観客に向けて響く。

 

 それは人を惹きつけるだけの魅力を持った演奏だった。ある観客がスマホを鞄にしまい、ある観客は軽く足でリズムを取り始め、ある観客は楽しそうな笑顔を浮かべ、一様に結束バンドのライブを楽しんでいた。

 

 

****

 

 

 結束バンドのライブは大成功と言っていい形で終わった。基本的にライブハウスは対バン形式……複数のバンドがライブを行うため、楽屋や控室は次の出番のバンドなどが利用する。

 本格的な撤収作業などは全てのライブが終わった後で行うため、出番を終えた結束バンドの面々は簡単な片付けだけをして、他のバンドの演奏を見るために客席に移動していた。

 ひとりも客席に移動して、有紗の元へ向かった。

 

「ひとりさん、お疲れ様です」

「あっ、はい」

 

 微笑みを浮かべて迎えてくれた有紗と並ぶように立って、ステージに目を向けると次の出番のバンドが準備を行っているところであり、あと数分で演奏が始まりそうな感じだった。

 

「……素晴らしいステージでした」

「あっ、ありがとうございます」

「特に崩れかけていた演奏を導いて立て直したのは、凄かったです。今回の成功は、ひとりさんのおかげですね」

「あっ、う、うへへ……そそ、そんな、大したことはしてないですよ」

「そんなことはないです。今回で言えば、きっとひとりさん以外には立て直すことはできなかったでしょう。誇っていいと思いますよ」

「うっ、そ、そこまでストレートに褒められると、少しいたたまれないというか……わっ、私だけじゃなく、皆が頑張ったおかけですよ」

 

 有紗の惜しみない賞賛の言葉に嬉しそうな表情を浮かべつつも、あまり褒められ過ぎるとそれはそれで気恥しくなってしまう。

 照れて頭をかきながら苦笑するひとりを見て、有紗も優し気な微笑みを浮かべた。

 

「……ひとりさん」

「……はい?」

「楽しかったですか?」

「……はい! その、まだまだ駄目なところもいっぱいあったと思います。私も、多少はマシになりましたけど、普段通りの演奏は出来てませんし……けど、えっと……一番初めにしたライブより、もっとずっと……楽しかったです。お客さんたちも喜んでくれて、またやりたいなって……そう思えました」

「それなら、よかったです。ライブが成功したこともそうですが、私はなによりひとりさんが心から楽しんでライブを行えたのが、一番嬉しいです」

「……有紗ちゃん」

 

 優し気に微笑みながら告げられた有紗の言葉に、ひとりが少し顔を赤くしたタイミングで次のバンドの準備が整い、ライブがスタートした。

 音楽が鳴り響くライブは椅子の客席、ステージの明かりに照らされる有紗の横顔を見ながら、ひとりは小さな声で呟いた。

 

「……ありがとうございます。有紗ちゃん」

「うん? なにか、言いましたか?」

「あっ、えっと……なんでもな……くは、無いです。えっと……その、私が頑張れたのは、有紗ちゃんの応援のおかげで……だからその……あっ、ありがとうございました」

 

 面と向かって口にするのは気恥ずかしかったが、それでもちゃんとお礼を伝えたいとそう思った。だからこそ、ひとりはところどころ詰まりながらもハッキリと、有紗へのお礼の言葉を口にした。

 その言葉を聞いて有紗は一瞬キョトンとしたあとで、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「ふふふ、そうですか……では、どういたしまして、ですね」

「……はい!」

 

 有紗と顔を見合わせて笑い合ったあと、心地よい疲労感と言いようのない達成感を胸に、ひとりはステージ上で行われるライブを見続けた。

 

 

 

 




後藤ひとり:ぼっちちゃん。初ライブの時より段違いに有紗と親しくなっていることで、有紗が心の支えになっており、かなりいい精神状態でライブに望めたため、原作より早いタイミングで動いてバンドの音楽を引っ張ることができた。有紗への好感度がどんどん上がっている感じである。


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十一手享楽の打ち上げ

sideAorBが無いタイトルは、基本有紗主体の一人称のみ。


 

 

 その日の全てのライブが終わり、ライブハウスが閉店するころには雨や風もすっかり落ち着いており、どうやら台風は通過し終えた様子でした。

 私たちはライブ成功の打ち上げということで星歌さんに連れられて、居酒屋にやってきました。

 

「今日はよく頑張った。私の奢りだから飲め」

「お姉ちゃんありがと~」

「……あの、星歌さん。私までご馳走になってよろしいのですか?」

「ああ、気にしなくていい。それに、有紗ちゃんには前に変な疑いもかけちゃったから、そのお詫びも兼ねてな」

「そういうことでしたら、ありがたくご厚意に甘えさせていただきますね」

 

 虹夏さんの提案を受けて、有事の際にサポートスタッフとして活動する約束をしたとはいえ、私は正式に結束バンドのメンバーというわけでは無く、今回も特になにもしていません。なので、私までご馳走になっていいのかと思いましたが、星歌さんは気にするなと微笑んでくださいました。

 せっかくのご厚意とあれば、受け取らないのも逆に失礼ですし、今回はありがたくご馳走になることにしましょう。

 

 そして何故か当たり前のように居るきくりさんの自己紹介も終わり、料理を注文する流れになりました。メニューを見て注文する品を決めていると、手早く注文を決めたひとりさんが喜多さんにメニューを手渡し、喜多さんもメニューを見てすぐに注文を決めた様子でした。皆さん、早いですね。私は結構迷ってるのですが……。

 

「じゃあ、私アボカドとクリームチーズのピンチョス。あと、スパニッシュオムレツのオランデーズソース添えください」

「スパニッシュオムレツ……スペイン料理もあるのですね。では、カルソッツなどもあるのでしょうか?」

「あるわよ。カルソッツも美味しいよね! 私、アヒージョとかも好きなんだけど……でも、注文するのはちょっと……」

「ああ、ニンニクが多く使われてるので、注文するのは少し躊躇いますね」

「そうっ! 美味しいんだけど、ニンニクが……」

 

 喜多さんは明るく話し上手な方なのもあって、ついついスペイン料理の話で盛り上がってしまいました。私たちの話を聞いてた星歌さんが、なにやら少し困惑したような表情を浮かべて口を開きます。

 

「……年の差か? 最近の女子高生の会話についていくのは難しいな」

「いや、お姉ちゃん。このふたりは私たちの中でも飛びぬけて陽の属性だから……」

「陽? ま、まぁいいや……ぼっちちゃんはなに頼む?」

 

 星歌さんがひとりさんに話を振ると、私の隣に座っていたひとりさんがスッと表情を変えるのが見えました。なにかわかりませんが、並々ならぬ決意を感じます。

 

「まっ、マチュピチュ遺跡のミシシッピ川グランドキャニオンサンディエゴ盛り合わせで……」

「ふんふん、マチュピチュ……どこだ?」

「フライドポテトだそうです」

「逆になんで有紗ちゃんは、いまのぼっちちゃんの発言で分かるんだ!?」

「愛の力です」

「そ、そうか……ま、まぁ、いいや。有紗ちゃんはどうする?」

 

 困惑しつつ何かいろいろと呑み込んだような表情で星歌さんが頷き、私に注文を促してきました。実はまだ完全には絞り切れていなかったのですが、あまり待たせてしまうのも申し訳ないです。

 

「……かなり迷いましたが……焼き鳥をお願いします」

「え? あっ、有紗ちゃん? 焼き鳥でいいんですか? もっ、もっとこう、お洒落な、エッフェル塔なんとかとか、サンシャインなんとかじゃなくて?」

「はい! 焼き鳥はテレビなどでは見たことがあるのですが、実物を食べるのは初めてでとても楽しみです。他にも一度も食べたことがない料理が多くて、かなり迷いましたが……」

「はうぁっ!?」

「ひ、ひとりさん?」

 

 私の注文を聞いて戸惑った様子で声をかけてきたひとりさんに返答すると、ひとりさんはビクッと背筋を伸ばしたあと、なにやら衝撃を受けたような表情を浮かべていました……なぜ?

 困惑する私の前で、ひとりさんは額に手を当てて絞り出すように呟きます。

 

「……あっ、浅はかだった。こ、これが真のハイソサエティ……私はなんて浅はかな……」

「あの、ひとりさん? その、元気出してください」

 

 う、う~ん、私もひとりさんのコンプレックス反応が全て分かるわけでは無いので困りました。それなりの付き合いと愛の力である程度は察することができるのですが、今回はあまり詳しく分からず、曖昧に慰めるしかできませんでした。

 やはり未来の妻として、もっとひとりさんへの理解を深めなければなりませんね。

 

 幸いひとりさんの調子は料理が運ばれてくるころには回復し、打ち上げはワイワイと楽しく進行していきました。

 

「ねぇ、もしかして時花さんってイソスタやってる?」

「ええ、殆ど更新はしていませんがアカウントは所持してますよ」

「じゃあ、友達になりましょ!」

「はい、喜んで」

「やった! あっ、一緒に写真撮ってアップしてもいいかな?」

「かまいませんよ」

 

 先ほどスペイン料理の話で盛り上がったこともあってか、嬉しそうに話しかけてくる喜多さんと一緒に写真を撮ります。

 

「喜多ちゃん楽しそうだね~。私たちの中で喜多ちゃんパワーに付いていけるのって有紗ちゃんぐらいだし」

「虹夏も頑張れば行ける。私とぼっちは絶対無理」

「いや、私も、あのレベルの会話は難しいかなぁ……」

 

 そんな風に楽しく会話をしつつひとりさんの方に視線を向けると、ひとりさんも口数こそ少ないものの楽しんでいる様子でした。

 しかし、途中でカウンターに座っていたサラリーマンらしき方々に視線を向けたかと思うと表情を青ざめさせ、ガタガタと震えはじめました。

 あっ、今回は大丈夫です。だいたいひとりさんがなにを考えているかを察することはできました。

 

「ひぃやぁぁぁぁあ!?」

「ぼっちちゃんまたいつもの発作……ノールックで肩掴んで抱き寄せたやつが居るんだけど?」

「あはは、流石有紗ちゃん~」

 

 とりあえず倒れて頭を打ってもいけないので、ひとりさんが叫んだタイミングでひとりさんの肩に手を回して私にもたれ掛からせるように引き寄せます。

 そしてもう片方の手でひとりさんの頭を撫でつつ、慰めます。

 

「ひとりさん、大丈夫ですよ。ひとりさんはいま、将来高校在学中にデビューできずに就職し、向いてない営業職に回され、精神を病んで退職して引きこもってしまった未来を想像してショックを受けたのだと思いますが……」

「……だから、なんでそこまでわかってるんだ? 有紗ちゃんって人の心読めるの?」

「たぶんぼっちちゃん限定でね~」

 

 星歌さんと虹夏さんが呆れたような表情を浮かべていますが、とりあえずいまはひとりさんの精神状態の回復が優先です。ひとりさんにそんなことを不安に感じる必要はないと理解させないと……。

 

「大丈夫ですよ、ひとりさん。決してそんな未来は訪れません」

「あっ、有紗ちゃん……」

「凄く単純なお話です。高校在学中にデビューできなければ、その時は私と結婚すればいいんです」

「……おい、なんか変な方向に話が進み始めたぞ」

「先輩、言っとくけど、マトモそうに見えて有紗ちゃんも結構ヤバい子だからね~」

 

 バンドとしてのデビューは運次第な面があります。いえ、それこそ私がお父様の伝手などを利用すればすぐにメジャーデビューも可能でしょうが、後のことを考えればそれはいい結果にはならないでしょう。

 実力を認められてデビューしなければ、どこかしらに歪は生じてしまうでしょうし、それが結束バンドの内部の亀裂などに繋がったりすれば目も当てられません。

 しかし、だからと言って愛しいひとりさんに辛い思いをさせるつもりもありません。

 

「私と結婚すれば、私がひとりさんに何不自由ない生活をさせてあげます。辛い労働なんてしなくていいんですよ」

「あっ、有紗ちゃんと……結婚……辛い思いしなくて……いい……」

「ぼっちちゃ~ん、落ち着いて、冷静になろうね。いま、妄想の未来を回避するために、とんでもない未来を確定させようとしてるよ」

「虹夏さん、大丈夫です。ここでのひとりさんの返答が何であれ、私にとっては確定した未来なので」

「……そっかぁ」

 

 私の言葉を聞いた虹夏さんは、どこか諦めたかのような遠い目を浮かべて苦笑しました。

 

 そのまま少しすると、ひとりさんの精神状態も回復してきました。しかし、一難去ってまた一難というべきか、今度は思わぬ方の精神状態に異常が発生することになりました。

 きっかけはリョウさんが喜多さんに対して告げた一言でした。リョウさんが「郁代」という喜多さんの下の名前を口にして、その名前にコンプレックスのある喜多さんはショックで弱ってしまいました。

 

 そして、先ほど未来を考えてショックを受けていたひとりさんにきくりさんや、星歌さん、PAさんたち大人の方々が、夢を叶えていく過程を楽しむようアドバイスをしていました。

 その話の仮定で星歌さんがやっていたバンドに関する話に移行したタイミングで、ひとりさんがキョロキョロと視線を動かして、誰かを探しているような仕草を見せましたので、声を掛けます。

 

「ひとりさん、虹夏さんなら先ほど店の外に出ていかれましたよ」

「あっ、ありがとうございます」

 

 おそらく少し前に席を外した虹夏さんを探しているのだろうと声をかけると、どうやら正解だったみたいでひとりさんはお礼を言ったあとで立ち上がり、店の外に向かっていきました。

 

「いえ~い、有紗ちゃんも飲んでる~?」

「未成年なのでお酒ではないですけどね。きくりさんも、お酒ばかりではなく水も飲んでください。また二日酔いになりますよ」

「え~だいたいいつも酔ってるから、大丈夫だよぉ」

「間に水を挟んだ方が、お酒も美味しく飲めますよ。はい、どうぞ」

「ん~じゃ、いただきま~す」

 

 例によってずっと飲んでおり、脱水症状なども心配されるきくりさんに水を飲ませます。

 

「ったく、有紗ちゃん、そいつは雑に扱っといでいいぞ。酔いつぶれたら、その辺に転がして帰るつもりだしな」

「え~先輩酷~い。有紗ちゃ~ん、先輩がイジメる。慰めて~」

 

 そう言ってしがみついてくるきくりさんの頭を軽く撫でつつ、酒を取り上げて水を飲ませます。まぁ、殆ど常に酔っていることを考えると酒豪であることは間違いないのでしょうが、それでも注意するべきでしょう。実際に最初に会った時は、倒れてたわけですし……。

 

「きくりさんを見てると心配になります。ひとりさんが、将来お酒に呑まれてしまわないように、注意しないといけませんね」

「……有紗ちゃんはひとりちゃんが私みたいになるかもって思うんだ?」

「どうでしょう? そこまで分かりませんが、ひとりさんときくりさんは本質的に似ている部分が多いですから、不安はありますね」

「……へぇ」

 

 私の言葉を聞いたきくりさんは、どこか感心した様子で不敵な笑みを浮かべました。その表情は泥酔しているとは思えないほど鋭く、なかなか食えない方だなぁという印象を覚えます。

 

「まぁ、ひとりさんに関しては私が居る限り酒に溺れさせたりしませんよ」

「あはは、そっか~いいなぁ、ひとりちゃん。ちょっと、羨ましいよ……私にも有紗ちゃんが居れば、酒に頼らなくてもよかったのかなぁ……」

「さぁ? それは分かりませんが……私のような存在が居なかったからこそ、得られた大切なものもいっぱいあるのでは?」

「まっ、確かにね」

「ただし、それはそれとして健康のためにも、お酒はもう少し控えた方がいいと思いますけどね」

「う、う~ん、返す言葉もないなぁ」

 

 私の言葉を聞いたきくりさんは、どこか楽しそうな笑顔を浮かべました。するとそのタイミングで、少し前に注文しておいたドリンクがふたつ届きます。

 

「あれ? それは?」

「ジュースですよ。私ときくりさんの分です。気のいい大人のお姉さんは、高校生のワガママに付き合って、一緒にジュースを飲みながら雑談をしてくれるのではないかと思いましてね」

「……あはは、そうきたか~まいったなぁ。そう言われちゃうと断れないよね。あ~あ、雑談が終わるまでお酒はお預けか~まっ、たまにはそういうのも……いいかな」

 

 このジュースを飲み終わるまでは、酒を控えて世間話に付き合ってほしいという私の意図を察したきくりさんは、心底楽し気に苦笑したあとで、ジュースの入ったジョッキを手に持って軽く掲げました。

 

「じゃ、かんぱ~い」

「はい」

 

 そして、軽くジョッキを打ち鳴らしたあと、しばらくの間、私との雑談に付き合ってくれました。

 

「……すげぇな、有紗ちゃん。一時的とはいえ、アイツに酒を止めさせてるよ」

「コントロールの仕方が上手ですよねぇ」

 

 

 




時花有紗:落ち着いててマトモそうに見えるが、相変わらずぶっ飛んでるところもある。ぼっちちゃんの思考は大体わかるのだが、分からない部分もある。初めて食べるものが多くて、実はちょっとはしゃいでいた。

後藤ひとり:ぼっちちゃん、有紗が居るおかげであまり気絶したり燃え尽きたりはしていない。こういう席の時は自然と有紗の隣に座る模様。

喜多郁代:インドア派が多い結束バンドメンバーや関係者の中で、同じ陽キャよりの有紗とはかなり話が合うので仲が良い。

廣井きくり:もしかするとぼっちちゃんを除いて2番目に多く有紗と絡んでいるかもしれないキャラ。


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十二手絢爛の花火大会~sideA~

 

 

 夏休みというのは学生にとって大きなイベントと言えます。一ヶ月を越える長期休み、部活動などに勤しむ方も居れば、友達と遊んで過ごす方も居て、家族と海外などに旅行に行く方もいるなど楽しみ方は様々です。

 そして夏は恋においても重要な季節。海、山、お祭りなどとレジャーにイベントと多くの選択肢があり、それを有効に利用することは恋愛においても極めて重要ではないかと考えます。

 

 もちろん私も恋する者として、この夏休みというイベントに意中の方との仲をより深めたいという思いがあります。とはいえ愛するひとりさんの都合を無視してしまうのはあり得ぬ愚行。なので、8月中旬のライブまでは、レジャーやイベントに誘ったりすることは控えていました。

 しかし、先日無事にライブも終わりひとりさんに確認したところ、現時点でアルバイト以外はこれといった予定は入っていないということでした。

 

 今後結束バンドの皆さんとの予定が入る可能性もあるので、ひとりさんとふたりきりで仲を深めるためには迅速な行動が必要ですが、それに関しては自信があるので大丈夫だと思います。

 ですが、問題がないわけでもありません。それは、ひとりさんを誘うのであれば配慮が必要な部分も多いという点です。

 

 まず人が多すぎる場所はNG。ある程度なら大丈夫な様子ですが、お祭りなどのように人で溢れかえるような場に行くのは難しいでしょう。あとは、青春コンプレックスを刺激するような場所は慎重に選ぶ必要があることですね。

 この青春コンプレックスにも度合いがあり、ものによってひとりさんが受けるショックのレベルが違います。これまでの私の経験上……たぶん海は迂闊に連れて行くと、一発気絶です。あと一年くらいたって、もう少し青春コンプレックスが解消されて来れば話は別でしょうが、海は候補から外します。

 

 私個人の希望としてはひとりさんと一緒にお祭りや花火を楽しみたいところですが、流石に人が多すぎて難し……ふむ。要は、他に人が居なくて祭り気分と共に花火が楽しめればいいわけです。

 それならば……手はありますね。いくつか根回しは必要な部分がありますが、この方法なら……。

 

 

****

 

 

 いつも通りひとりさんの家に遊びに来た私は、ひとりさんが演奏するギターを聞きながらタイミングを計っていました。ひとりさんが明日の予定も空いていて、今日はある程度遅くなったとしても問題ないことは確認済みなので、後は切り出すだけ……演奏が一区切りしたタイミングで……よしっ、いまです。

 

「ひとりさん」

「あっ、はい?」

「私と一緒に、花火大会を見に行きませんか? ちょっと距離はありますが、ちょうど今日やっている花火大会があるんですよ」

「……はっ、花火大会? むっ、むむ、無理です絶対! だっ、だって、花火大会とか人が多すぎて、私には……い、いや、行きたくないわけでは無いですが……あんな人の多い場所に行くのは無理です!?」

 

 ひとりさんの反応は予想通りです。ひとりさんも別に花火が嫌いだとかそういうわけではありません。ネックなのは人の多さ、逆に言えばそこさえ解消できるなら問題ないというわけです。

 私は口元に小さく笑みを浮かべつつ、慌てるひとりさんに声を掛けます。

 

「大丈夫です、ひとりさん。その辺りも、しっかりと考えてあります」

「……へ?」

「しっかりと下調べをして来まして、綺麗に花火が見えて、なおかつ他に人が居ない場所を確保することにも成功しています。なので、私の提案としては花火大会の中心部から離れた、人が比較的少ない出店などで食べ物などを買って移動し、その場所で買った食べ物を楽しみつつ花火を見るという案です」

「……あっ、ほ、他に人が居ない? 穴場スポットみたいな感じですかね……そ、それなら、確かに私でも……」

「どうでしょう? もちろん無理にとは言いませんが……」

「あっ、えっと……いっ、行きます」

 

 ひとりさんの言葉に体の奥から喜びが湧き上がってくるのを感じます。無事了承してもらえてよかったです。

 

「ありがとうございます。それでは、夕方近くになったら出発しましょう」

「あっ、はい」

 

 ひとりさんと一緒に花火を見られると思うだけで、自然と笑顔になってしまいます。あぁ、夕方になるのが待ち遠しいです。

 

 

****

 

 

 夕方が近づき、そろそろというタイミングでひとりさんと一緒に出掛ける準備をします。といっても、別に浴衣などを着るわけでは無く互いに私服とジャージですが……。

 

「あっ、有紗ちゃん。電車で行くんですか?」

「いえ、電車は混みますし、花火大会の会場が目的地ではなく少し外れた場所に行くので車を手配しています」

「あっ、なるほど……手配? まっ、まま、まさか、リ、リムジンとか?」

「いえ、2人なので普通の送迎用車ですが……リムジンの方がよかったですか?」

「いっ、いえ、むしろ、安心しました」

 

 ひとりさんがホッと胸を撫で下ろしたタイミングで、私のスマホに迎えが到着したとの知らせが届き、ひとりさんと共に家の外に出ます。

 すると手配していた車を見たひとりさんが、唖然とした表情を浮かべました。

 

「……あっ、有紗ちゃん? ふ、普通の車って……」

「はい。普通のロールスロイスです」

「……普通じゃない……絶対普通じゃない」

「うん? とりあえず、乗りましょう」

 

 運転手がドアを開いてくれたので、混乱している様子のひとりさんの手を引いて車内に入り席に座ります。目的地は事前に伝えてあるので、後はなにも言わなくても目的地まで送り届けてくれます。

 

「……ひっ、ひひ、広っ!?」

「なにか飲みますか? いちおう、冷蔵庫にいくつか入ってますが……」

「あっ、そ、そこ、冷蔵庫なんですね。す、凄い……あっ、有紗ちゃんは、いつもこの車に乗ってるんですか?」

「基本的にこの車が多いですね。私はそこまで拘りはありませんので……私のお父様は車が好きなので、毎回違う車に乗っていますね」

 

 冷蔵庫からグラスとミネラルウォーターを取り出しながら、ひとりさんの質問に答えます。お父様はかなり車好きで、巨大なガレージにたくさんの高級車を所持していますが、私はいまいち車の良さは分からないので、乗り心地がよければなんでもいいといった感じです。

 

「ひとりさん、楽にしてください。目的地までは1時間ほどですから……水をどうぞ」

「あっ、ありがとうございます。こ、これが、ハイソサエティの生活……あっ、そ、そういえば、穴場スポットってどんなところなんですか?」

「ああ、それは……」

 

 質問に答えようとしてふとせっかくなので驚かせたいという気持ちが湧き上がってきました。もったいぶる気も無いのですが、我ながら花火を見る場所としては最高の場所が用意できたと思っているので、少しもったいぶりたいという欲求が……。

 

「……う~ん。せっかくなので、着いてからのお楽しみということにさせてください」

「あっ、はい。わかりました」

「そういえば、ひとりさん。結束バンドは来月もライブを行う予定なんですか?」

「どっ、どうなんでしょう? 虹夏ちゃんはそのつもりみたいですけど、上手く枠が空いていれば……ですかね?」

「なるほど、新曲も考えているんですか?」

「あっ、はい。来月ってわけじゃないですけど、秋頃にもう一曲ぐらい作って、冬にミニアルバムとか作れたらいいなぁって話はあります」

 

 目的地までの時間はひとりさんとの雑談を楽しむことにして、主に結束バンドの話題で盛り上がりました。新曲も楽しみですね。私もサポートとして出来ることは協力したいものです。

 

 

****

 

 

 事前に伝えておいた目的地に到着して車から降ります。運転手にお礼を言って車を見送ったあとで、すぐ近くの巨大な建物を見上げているひとりさんの方を向くと、ひとりさんもこちらに視線を向けて口を開きます。

 

「あっ、えっと、有紗ちゃん。ここから、出店のある場所まではどれぐらいなんですか?」

「徒歩で5分から10分程度でポツポツと出店が見えると思います」

「なっ、なるほどだからこの場所に降りたんですね」

 

 いま私たちが居るのは大きなホテルのすぐ前であり、ひとりさんはなぜこの場所に降りたのかという疑問を抱いていたようでしたが、ここから花火大会の会場付近の出店まで歩くためにここに降りたと納得した様子です。

 しかし、ここに降りたのはなにも出店が比較的近い場所だからというだけの理由ではなく、このホテル自体が目的地のひとつでもあるからです。

 

「う~ん。もうここまで来てはもったいぶる必要もありませんね。ひとりさん、花火を見る場所に関してなんですが……」

「あっ、はい」

「実は、このホテルの最上階のスイートルームを押さえています」

「ッ!?!?」

 

 ふふふ、ひとりさんも驚いているようです。サプライズは成功でしょうか……いや、それにしても本当に運が良かったです。場合によってはジュニアスイートやエグゼクティブでもいいと思って探していたのですが、丁度キャンセルが出ていたみたいでスイートを押さえることができました。

 

「だっ、だだ、駄目です! 有紗ちゃんのことは好きですが、あくまで友達としてであってこういうのはまだ――」

「まぁ、花火を見る場所として確保しただけなので宿泊したりするわけではないのですが――」

「「――え?」」

 

 ほぼ同時にひとりさんと私が喋り、互いに互いの言葉に硬直するという事態になりました。こ、これは、よくない流れです。

 ひとりさんは誤解をしていた様子でしたが、私の発言でその誤解に気付きました。そうなると次にひとりさんに襲い掛かってくるのは言いようのない羞恥。

 

「~~~!?!?!?」

 

 みるみる顔を真っ赤にさせていくひとりさんを見て、私は己の失態を悟りました。いま、私は即座にフォローの言葉を発する必要がありました。しかし、私の方も予想外の言葉に硬直してしまって完全に初動が遅れてしまいました。

 もう、いまから慌ててフォローしても逆効果、ですがこのままでは……くっ、間に合ってください!

 

 混乱する思考を振り切って必死に伸ばした私の手は、走って逃げだそうとしていたひとりさんの手をギリギリ掴むことに成功し、なんとかひとりさんをその場に留めることができました。

 

「待ってください、ひとりさん! お互いに土地勘のない場所です。ここで逸れては、合流が難しくなります」

「……あひ、あはは、ひひ……」

 

 とりあえずここで逸れるわけにはいかないので、強くひとりさんの手を握ると、ひとりさんは真っ赤な顔で涙目になりながら視線を左右に忙しく動かしつつ自嘲するような笑みを浮かべました。

 

「こっ、ここ、殺してください……ここ、こんな自意識過剰のイキり陰キャは、殺して……はは、花火と一緒に打ち上げて、そそ、空の藻屑に変えてください……」

「いや、空に藻は――じゃなくて! 申し訳ありません! いまのは完全に私の落ち度です! ひとりさんが誤解してしまうのも当然のことです」

 

 とりあえずここでひとりさんが恥ずかしさのあまり逃げ出してしまい、捜索しようにも土地勘のない場所かつ花火大会の日で合流出来ないという最悪の事態は免れました。

 あとは、しっかりフォローを入れなくては……サプライズのつもりが完全に裏目に出てしまいました。いえ、普段の私の言動を考えると、ひとりさんの誤解も当然ではあるのですが……。

 

「本当に申し訳ありません。驚かせようと思って隠していたのが失敗でした。最初にちゃんと説明するべきでしたね」

「……あっ、い、いえ、へへ、変な誤解をしたのは私の方なので……」

「いえ、それも普段の私の言動のせいですし……とりあえず、改めて説明してもいいでしょうか?」

「あっ、はい」

 

 どうやらひとりさんもある程度落ち着いてくれたみたいで、改めて今回の件について説明します。

 

「今回花火を見る場所は、このホテルのスイートルームです。そこはパノラマビューになっている部屋があって、窓の方向も花火が打ち上がる方向にピッタリ合ってるので、綺麗に見えるんですよ。宿泊は目的ではないですし、むしろ予め迎えの車には花火が終わった後で来てもらうように伝えてあります」

「なっ、なるほど……」

「この方法なら、他の人が居ることは無くひとりさんも気兼ねなく花火を楽しめるかと思いまして……誤解させてしまって申し訳ないです」

「あっ、い、いえ、むしろ、私こそごめんなさい。そっ、その、有紗ちゃんが私のためにいろいろ考えてくれて、嬉しいですし……えと、ありがとうございます」

 

 無事に誤解も解け、ひとりさんも小さく笑みを浮かべてくれました。その様子を見て私もホッと胸を撫で下ろしつつ、ひとりさんに声を掛けます。

 

「……では、出店で食べ物などを買いに行きましょう」

「あっ、はい……え、えっと……あの……その……」

「どうしました?」

「いっ、いや、その……手を……」

 

 言い難そうに告げるひとりさんの言葉を聞き、ずっとひとりさんの手を握ったままだったことに気が付きました。

 現在は私が右手でひとりさんの左手を握っている状況……咄嗟のことではありましたが、う、う~ん……出来れば、このまま手を繋いで行きたいという気持ちもあります。

 いちおう、提案するだけしてみましょうか? ひとりさんが嫌がるようならすぐに離して……。

 

「……えっと、はぐれてもいけませんし、このまま手を繋いでいきませんか?」

「え? あっ……はい。分かりました」

 

 少しでもひとりさんが嫌がったり、勢いで押し切られてしまうような感じであれば訂正しようと思っていましたが……ひとりさんは意外とあっさり私の提案に頷いてくれました。

 私が変に意識し過ぎていただけで、手を繋ぐなどそれほど大したことでもないということでしょうか? 分かりませんが……とりあえず、私は幸せなのでよしです。

 自然と口元に笑みが浮かぶのを実感しつつ、右手に感じる心地よい温もりと共に歩き出しました。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんとふたりで花火を見たいがためにいろいろ準備をした。相変わらず思いついてから行動までが凄まじく早い。ただあくまでぼっちちゃん最優先なので、いろいろな面で配慮もしている感じである。

後藤ひとり:特大の羞恥プレイを味わった。ぼっちちゃんの照れ顔は万病に効く。有紗が思っている以上に有紗への好感度は高く、手を繋いだまま行くことに関しても「有紗ちゃんが言うなら」という感じであっさり受け入れた。ところどころに、結構意識している感じが出てきている気がする。というか原作と違って、普通に充実した夏休みを送っている。

スイートを絶妙なタイミングでキャンセルした客:百合の波動を感じた、後悔はしていない。


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十二手絢爛の花火大会~sideB~

 

 

 有紗と手を繋いで道を歩くひとり。最初こそ恥ずかしさもあったが、少しするとむしろ安心感の方が強くなった気さえした。

 そして有紗の方も最初は心の中で一喜一憂していたのだが、ある程度進むと状況は大きく変わった。それはひとりが、手を繋ぐどころか有紗の腕にしがみつく様にしつつ、体に隠れるような姿勢を取り始めたからだった。

 

「……ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。ま、まだ、なんとか……これぐらいなら」

 

 その原因は出店が見え始める場所まで来たことで人が増え、ひとりのコミュ症が発動したためである。なにせひとりは、もうそれなりに通い慣れたはずの下北沢でさえ、駅からSTARRYの道以外では委縮するレベルである。

 なんなら、駅からSTARRYでも人が多い日にはそれなりにビクビクしており、喜多などが近くに居ると背後に隠れている始末である。

 そんなひとりにとって、中心地からは離れているとはいえ祭りの人混みはかなりの精神的負荷であった。有紗が居るのでなんとかなっているが、居なければ逃げ出して帰宅していた可能性が高い。

 

「とりあえず、アレコレ買っていきましょう。なにか食べたいものなどがあれば、教えてください」

「はっ、はい」

「……ひとりさんも、コミュ症を直す一環として一品ぐらい購入してみますか?」

「……がっ、頑張って……みます」

「大丈夫ですよ。私が付いていますからね」

「有紗ちゃんっ……」

 

 ひとりにとって有紗は非常に頼れる存在であり、ビクビクしているとはいえ有紗と一緒に居る時のひとりの精神状態は、他の状況に比べて遥かに安定している。

 実際隠れながらとはいえ、祭りという場に来れており、出店での買い物も頑張ってみると発言できるぐらいには、有紗の存在は心の支えになっていた。

 

 実際その後の出店での買い物でも、ひとりは有紗が隣に居たこともあって勇気を出して、2箇所程の出店で買い物を行うことができた。

 ある程度出店グルメを購入したふたりは、ホテルに向けて移動する。

 

「すっ、少し買い過ぎましたかね?」

「確かに、ふたりで食べるには多いかもしれませんね。ですが、残ったら持ち帰ってもいいわけですし、大丈夫ですよ」

「あっ、そうですね」

「ちなみにホテルには、持ち込みに関しても確認してあるので大丈夫です」

 

 そのまま有紗についていく形でホテルに入り、ひとりは豪華な内装に落ち着きなく視線を動かすが、有紗は慣れた様子でフロントでチェックインの手続きを行ってカードキーを受け取る。

 

「それでは行きましょうか、専用エレベーターは向こうです」

「あっ、せ、専用エレベーターとかあるんですね……さすが、スイートルーム」

「ホテルによってある所とない所や、スイート専用ではなく高層階専用エレベーターなどの場合もあるのでまちまちですがね」

「なっ、なるほど……」

 

 当然ではあるが、ひとりにとってスイートルームに足を運ぶのは初めてのことである。それこそ名前ぐらいは知っているが、どんな部屋なのか想像もつかない場所である。

 おっかなびっくりといった感じで有紗と一緒に移動し、部屋に入るとひとりは大きく目を見開いた。

 

「……ひっ、広っ……ワンルームマンションとかより広いんじゃ……こ、ここ、これがスイート……選ばれしハイソサエティのみに許される聖域」

「ひとりさん、パノラマビューになっている部屋はこちらです」

「あっ、な、何部屋もあるんですね……うわっ、夜景が凄いです。あっ、ああ、有紗ちゃん? こ、この部屋って、いったいいくらぐらいなんですか?」

「今回は1泊でとりましたが、70万円ですね」

「な、ななじゅっ!? あばばばば……」

 

 有紗があっさりと告げた金額に、ひとりは心底驚愕する。

 

(70万!? 一泊するだけで!? 車だって買えるような金額じゃ……あわわわ)

 

 まさしく別次元と言っていい金額にひとりが唖然としていると、有紗はそんなひとりの内心を知ってか知らずか苦笑を浮かべながら口を開く。

 

「ホテルの宿泊費というのは時期によって大きく変動します。今回も花火大会の日なので70万円ですが、通常時は40万前後といったところですよ。まぁ、今回は運よくキャンセルが出ていたのでスイートをとれましたが、通常この日のスイートルームは人気があり過ぎてとるのは難しいです。特に今回は急だったので……」

「えっ、えぇぇぇ……競争になるほど、宿泊希望者が? よっ、世の中、お金持ってる人は持ってるんですね。あっ、あと、急って……有紗ちゃん、この花火大会の鑑賞っていつ計画したんですか?」

「一昨日に思いつきました」

「あっ、相変わらずの行動力……有紗ちゃんらしいです」

 

 一昨日に思いついて、即70万円の部屋を抑えるという有紗の行動力に、ひとりはもう苦笑しか出てこなかった。

 そのままテーブルの上に買ってきた出店グルメを置きつつ、少し不安げな表情で有紗に尋ねた。

 

「でっ、でも、有紗ちゃん70万円なんて金額出して、だ、大丈夫なんですか?」

「問題ありませんよ。今回のホテル費用は私が好きなことに使う用の口座から出したので」

「すっ、好きなことに使う用の口座?」

「はい。私は口座を4つ持っていまして、まず投資用の口座と投資用のサブ口座。それと貯金用の口座と、趣味嗜好などで自由に使う用の口座ですね。投資などで収入を得た際には、投資用口座に5、貯金用口座に3、好きに使える口座に2という割合で振り分けています。なので元々自由に使える金額には制限を付けていますので、使い込んでしまうという事態はありません」

「なっ、なるほど……けど、70万も使ったら、かなり口座のお金が減っちゃったんじゃ……」

「……え? あっ、ああ、そうですね。一度の出費としては、なかなかに大きな金額でしたね」

「………………」

 

 ひとりの言葉に有紗は一瞬キョトンとした表情を浮かべたあとで同意したが、その反応からひとりはすぐに今回の出費が有紗にとって全く大したものでないことを悟った。

 

(あ、有紗ちゃんのこの反応……70万使っても大して減ってない感じ……たぶん1割も減ってない。え? 自由に使える口座って、収入の2割を割り振ってるって言ってたよね? あ、有紗ちゃん……い、いったいどれだけお金を持ってるんだろう?)

 

 あくまで収入を割り振って入金しているため、全体的な割合とはまた違うだろうが、少なくとも70万が大した出費にならない口座より間違いなく大金が入っているであろう口座をふたつも所持している有紗の総資産は、いったいいくらほどなのかとひとりは次元の違う話に遠い目を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 初めてのスイートルームや底の見えない有紗の財力に驚愕しつつも準備は整い、パノラマビューの部屋のテーブルの上には出店グルメが並び、有紗とひとりは花火が始まるまでの時間にそれらを楽しむことにした。

 

「なっ、なんだかこういうのって久しぶりに食べました」

「確かに、たこ焼きや焼きそばといったものならともかく、牛串やりんご飴といったものになると祭り以外ではあまり目にしませんね」

「あっ、有紗ちゃんは、お祭りとかよく行くんですか?」

「友達に誘われていくことはありますが、機会自体は少ないですね。機会の多さでいえば、日本ではなくフランスの音楽の日のお祭りに参加することが多いです」

「ふっ、フランス? あっ、えっと、音楽の日というのは?」

 

 有紗が口にした音楽の日という言葉に首を傾げつつ尋ねるひとりに、有紗は軽く微笑みながら説明の言葉を口にする。

 

「パリを中心に毎年6月21日に行われるのが音楽の日です。この日はプロアマチュア関係なく、街中のあちこちの路上で音楽を演奏していますね。私の友達がパリでピアニストとして活動しているので、その関係で行くことが多いですね」

「へっ、へぇ、そんなお祭りがあるんですね」

「この日は、演奏が全て無料でコンサートホールで行われるプロの演奏も無料で聞き放題ですよ」

「なっ、なるほど……ちょっと行ってみたい気もします」

「機会があれば、いつか一緒に行きましょう。きっと楽しいですよ。フランス語に関しては私が通訳できますし」

「そっ、そうですね。いつか、そんな機会があれば……かっ、海外は、いまの私にはハードルが高すぎますけど……」

「ふふふ」

 

 苦笑するひとりに釣られるように有紗も笑顔を浮かべ、しばしふたりは楽しく会話をしつつ食事を楽しんでいた。

 そして、30分ほど経過したあたりで有紗がチラリと腕時計を見て立ち上がった。

 

「そろそろ花火の時間なので、見やすい様に部屋の明かりを少し暗くしますね」

「あっ、はい。もうお腹も結構いっぱいですし、テーブルもどかして、椅子を並べた方が見やすいですかね」

「そうですね。先にそちらをセットしますか……」

 

 ひとりの提案に頷き、ふたりで出店グルメの乗ったテーブルを少し動かし、椅子を隣同士に並べて花火を見やすくする。

 それを確認してから有紗が部屋の照明を操作し、部屋が薄暗くなったタイミングで、夜空に大輪の花が咲いた。

 

「始まりましたね」

「凄い……あんなに、花火が大きく……けっ、けど、意外と音はうるさくないですね?」

「その辺りはスイートルームなので、窓などもしっかりしていますからね」

「なっ、なるほど……なんだか、すごく贅沢してる気分……あっ、いや、実際贅沢してましたね」

「ふふ、そうですね」

 

 軽く微笑み合った後、ふたりは空に打ちあがる花火に視線を向けた。高層ホテルのパノラマビューという特等席から見る花火の美しさは格別で、ひとりは目を輝かせて感動したような表情を浮かべていた。しかし、途中でふとなんの気なしに隣を向いた。

 花火の光に照らされる有紗の横顔は、相変わらず同性のひとりから見ても見惚れてしまうほどに美しかった。

 

(……やっぱり、有紗ちゃんと一緒だと……楽しいな)

 

 ふと、そんなことを考えたのは、少し前に交わした会話が原因だったかもしれない。ひとりの性格上から考えて、本来なら海外など恐怖の対象でしかない。国内ですら恐ろしい場所は山ほどあるのだ。海外など魔境としか思えない……筈だった。

 だが、意外にも自分自身ですら驚くほどにひとりの思考は乗り気だった。本当にいつか、有紗と一緒にその祭りに参加出来たらいいなと、思うほどに……。

 もういまは当初とは違い、有紗と一緒に居ることにストレスや緊張は無く、むしろ他愛のない話も含めて……楽しいという思いが非常に強かった。

 

(……なんだかんだで、私も……ちょっとずつ、変われてるの……かな?)

 

 そんなことを思い浮かべながら視線を花火に戻そうとしたひとりだったが、直後に聞こえてきた有紗の声に動きを止めた。

 

「うん?」

「……え? あっ……」

 

 不思議そうな有紗の声に視線を動かすと、いつの間にかひとりは隣に座る有紗の手を握っていた。完全に無意識の行動だった。それはあるいは、風邪をひいて看病してもらった時に感じた安心感を無意識に求めた結果なのか、ひとり自身にもよく分からないが、己が突拍子もない行動をとってしまったことだけは理解でき、顔に血が集まってくる。

 

「あっ、ご、ごめんなさ――はえ?」

 

 慌てて謝罪と共に手を離そうとしたひとりだったが、それよりも先に有紗がひとりの手を握り返してきた。そして戸惑うひとりに対し、穏やかに微笑みながら告げる。

 

「はぐれてもいけませんし、このまま手を繋いでおきませんか?」

 

 そう言っていたずらっぽく笑う有紗を見て、ひとりも思わず笑みを溢し……改めて有紗の手を握った。

 

「……そう……ですね。はぐれちゃうと、いけないですね」

 

 そう告げたあとで示し合わせる様に有紗とひとりは花火に視線を戻す。それ以上の会話は無く、花火の音だけが響いているが、気まずさはなくむしろどこか心地よかった。

 

(……はぐれないようにと手を繋いで、立ち止まったままで夜空に咲く花を見る。暗く寒い世界の中でも掌にだけは温もりを……なんか急に、恥ずかしいフレーズが思い浮かんでしまった。けど、うん……嫌いでは……ないかな)

 

 本当に不思議なもので、なんとなくという感覚的なものではあるが……ひとりの目に映る花火は、ほんの少し前よりも色鮮やかで美しく見えた気がした。

 

 

 




時花有紗:ひとりとふたりきりで花火を見るためなら、この程度の出費は本当に安いものだと感じている。ひとりと手を繋いで、本当に幸せな気分で花火を見ることができた。

後藤ひとり:有紗と一緒の時間を以前よりも楽しく感じつつあり、コミュ症の彼女としては珍しく、有紗とふたりで話すときは他愛のない話でも盛り上がる。順調に有紗への想いが育っているような感じである。


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十三手可憐の個人撮影~sideA~

 

 

 8月下旬のよく晴れた日に、私は昼過ぎからSTARRYに足を運んでいました。結束バンドの皆さんや星歌さんやPAさんとも、以前の打ち上げなどを通じて交流が深まり、営業時間外でも好きに足を運んでいいと許可もいただいています。

 ドアを開けて店内に入ると、カウンターに星歌さんとPAさんの姿が見えました。

 

「こんにちは、星歌さん、PAさん」

「ああ、有紗ちゃんか、いらっしゃい……って、ずいぶん大荷物だな」

「こんにちは、お洒落な袋がいっぱいですね」

 

 星歌さんとPAさんに軽く挨拶をすると、おふたりは私が手に持っている袋について尋ねてきました。おふたりの言う通り現在の私の両手には複数の袋があります。流石に人数が人数なのである程度多くなってしまうのは仕方ないところはありますが……。

 

「これはお土産です」

「お土産?」

「ええ、先日友人に会いにフランスに行ってきましたので、STARRYの皆様にもお土産をと思いまして……少し迷ったのですが、消費できるものがいいかと思って無難にお菓子を買ってきました」

 

 首を傾げる星歌さんに説明しつつ、カウンターの上に複数の袋を置いて行きます。

 

「たぶん、スタッフさんの数は合っていると思うのですが、足りなければ連絡をください」

「え? ぜ、全員分買ってきてくれたのか?」

「はい。日頃お世話になっていますので……こちらは、星歌さんとPAさんの分です」

「あらら、私にまで、ありがとうございます」

 

 STARRYのスタッフさんの分をカウンターに置き、星歌さんとPAさんの分を手渡し、私の手元に残るのは虹夏さん、リョウさん、喜多さんの分のお土産です。

 ひとりさんに関しては、先日帰国してすぐに家にお土産を持っていったので、すでに渡しています。

 

「わざわざありがとうな、有紗ちゃん」

「いえいえ」

「フランスに行かれてたんですか?」

「ええ、パリでピアニストをしている友人が居まして、会いに行ってきました」

 

 今年は音楽の日には予定が空かずに行けなかったので、代わりに今回友人のコンサートの日程に合わせて訪問してきました。以前ひとりさんときくりさんと行った即興ライブの話を聞いて、羨ましがっていましたね。おかげで、来年の音楽の日には一緒に演奏する約束をすることになりましたが……。

 

 そのまま軽く星歌さんとPAさんと雑談をしたあとで、結束バンドの皆さんがいる練習スタジオの方に移動します。

 練習スタジオに入ると、丁度演奏中だった様子みたいなので邪魔はせずに部屋の隅の椅子に座って演奏を聴きます。

 一通り演奏が終わると、虹夏さんが明るい笑顔を浮かべて軽く手を振ってくださいました。

 

「有紗ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、皆さん。お邪魔します」

 

 軽く挨拶をしたあと、虹夏さんたちにもフランスのお土産を手渡していきました。すると、リョウさんがなにやら感動した様子で、目を潤ませていました。

 

「……ありがとう、有紗。これで、久しぶりに草以外を食べられる」

「……草?」

「あ~気にしなくていいよ。いつものことだから」

 

 気になる発言をしていたリョウさんですが、虹夏さんがどこか呆れた様子でいつものことだと口にしていました。ひとりさんや喜多さんも気にしていないようなので、本当によくあることなのでしょう。

 

「すっごくお洒落な箱……時花さん! これって、有名なお店のお菓子とかなの?」

「いちおう王室御用達と言われていますパティスリーの名店で買ってきましたが?」

「王室御用達! 素敵! さっそくイソスタに……」

 

 喜多さんはキラキラと目を輝かせた後で、箱と袋を並べてスマートフォンで何枚も写真を撮ってイソスタに掲載する写真を吟味し始めました。凄い熱意ですが、喜んでいただけたようなのでよかったです。

 

「ひとりさん、お疲れ様です」

「あっ、はい。有紗ちゃんも……外、暑くなかったですか?」

「かなり気温は高かったですね。とはいえ、途中まで車だったので……」

 

 お土産を渡し終えたあとは、ひとりさんと軽く雑談を交わします。練習を終えたばかりのひとりさんは少し汗をかいていて、タオルで顔を拭っており、あまり見る機会のないその仕草は可愛らしくもカッコいいとそう感じました。

 

「……さて、有紗ちゃんも来たし、練習は一旦止めて、ロインで話していた写真撮影しよっか」

「たしか、個人写真を撮影するんでしたっけ?」

「そうそう、物販用だね。ブロマイドとか缶バッチとか使い道は多いしね」

「元手も安いから利益率もいい。1枚500円、メンバー4人セットで1800円ぐらいで売ろう。サイン入りは価格を上げて……」

「リョウ先輩のブロマイド、私も買いたいです!」

 

 今回は事前に結束バンドメンバー個人の写真撮影を行うと虹夏さんから話が来ていました。まぁ、物販のラインナップが増えるということはバンドの利益に直結しますから、力を入れるのも必然ですね。

 

「あっ、あの、今回もどこかに出て撮影するんですか?」

「う~ん。それもいいんだけど、ブロマイドだとやっぱり楽器も一緒に写った方が見栄えがいいし、STARRYでいいんじゃないかな?」

「缶バッチにすることを考えると、楽器ありとなしで両方撮影した方がいいかもしれないですね」

 

 たしかに喜多さんの言う通り、缶バッチも作るのであればそれ用の写真と分けた方がいいかもしれません。なんにせよ個人写真の撮影というのは、非常に楽しみです。

 理由はわざわざ語るまでもなくひとりさんの写真を撮れますし、お願いすればデータもいただけると思いますので楽しみです。

 

「そういえば、皆さんは以前のアーティスト写真は外で撮影されたんでしたね?」

「そうだよ。まぁ、近所でだけどね……あっ、そういえば、それで思い出したんだけど、前の撮影ではちょっとしたハプニングがあったんだよ。有紗ちゃんも私たちのアー写は見たと思うけど、アレを最初に撮った時にぼっちちゃんのパンツが写っちゃったんだよね」

「ふふ、なるほど、それはハプニングですね」

 

 その時のことを思い出してか楽し気に笑いながら話す虹夏さんに、私も笑みを溢します。そういったハプニングも、後で思い返してみると楽しいものだったりするので、なんだかんだでいい思い出になっているのかもしれませんね。

 まぁ、それはともかくとして……。

 

「ところで虹夏さん?」

「うん?」

「……10万円でいかがでしょうか?」

「え? なにが……待って、怖い怖い!? 目がマジなんだけど!?」

 

 いえ、一時のハプニングを写した写真というのは極めて貴重なものですし、譲っていただきたいという思いがあります。あくまで、純粋な興味によるものです、やましい気持ちはありません。

 

「……もう一声」

「リョウもなに値段交渉してるの!?」

「では、15万円で」

「よし、売った」

「こらっ! だいたい、あの写真のデータはとっくに消してるから残ってないよ!」

「そうなんですか……残念です」

「くっ、あの時データを貰っておけばっ……」

 

 どうやら既にハプニング写真は削除してしまったみたいです。それならば仕方ないですし、諦めましょう。まぁ、よくよく考えてみれば、そんな写真を残しているわけもないですね。

 そんな私の反応を見てか、それとも悔しがるリョウさんを見てか、虹夏さんが呆れた様子でため息を吐きます。

 

「もっ、ふたりともそんなこと言ってたらぼっちちゃんに失礼でしょ。ね? ぼっちちゃん」

「……ごくっ……じゅっ……じゅうご……まんえん……」

「ぼっちちゃん! 落ち着いて、変なこと考えちゃ駄目だよ! お金で尊厳を売らないでね!?」

 

 慌てる虹夏さんを見て苦笑しつつ、私は虹夏さんに声を掛けます。

 

「冗談はさておき、構図などを話し合いましょうか」

「……本当に冗談だったのかなぁ? ま、まぁ、いいや」

 

 いえ、もちろん単なる冗談でしたよ。その写真を見てみたいという思いこそあれ、ひとりさんの許可もなく得る気はありませんでした……いや、まぁ、ひとりさんが許可してくれた場合は、ありがたく頂戴したかもしれませんが……。

 

 

****

 

 

 練習スタジオ内で試しに何枚か、それぞれ個人の撮影を行いました。私も虹夏さんと一緒に撮影を手伝いました。

 一通り撮影し終えると虹夏さんはデータを確認して、頷きます。

 

「……うん。やっぱり、思った通りだ」

「なにがですか?」

 

 頷く虹夏さんに尋ねると、虹夏さんはチラリと少し離れた場所にいるひとりさん、リョウさん、喜多さんを見て、3人には聞こえないような声で話し始めました。

 

「いや、私が撮影した写真と比べて、有紗ちゃんが撮ると……ぼっちちゃんの表情がちょっと明るいんだよね。ぼっちちゃんの部屋の写真を見て、そうかもとは思ってたんだけど、それだけ有紗ちゃんを信頼しているんだろうね」

「それは、嬉しいですね」

「うん。だから、ぼっちちゃんの写真は有紗ちゃんが撮った方がいいものになると思って、今日来てもらったんだよ……というわけで、リョウと喜多ちゃんは私に任せて、ぼっちちゃんの撮影をよろしく!」

「分かりました。任せてください」

 

 確かに見比べてみると、虹夏さんが撮影したものよりも、私が撮影したものの方が若干ではありますがひとりさんが顔を上げているような印象でした。

 ひとりさんが多少なりとも私に対して心を許してくれていると実感できるその結果は、なんというか本当に嬉しくて胸の奥が熱くなる思いでした。

 

 そんなわけで、割り振りを決めて私はひとりさんの写真を撮影することになり、ひとりさんと構図などを相談することになりました。

 

「ギターを構えているポーズで問題ないですが、服装はどうしますかね?」

「あっ、ジャージよりは、結束バンドのTシャツの方がいいですかね?」

「確かにそれもいいですが、ジャージもひとりさんらしくていいですし……いっそ、ジャージの前を開けて結束バンドのTシャツが見える形がいいかもしれませんね」

「なっ、なるほど……」

 

 そもそもひとりさんは素材が素晴らしいので、どう撮影しても可憐極まりない写真が撮れるのは間違いないのですが、今回は物販で利用するという前提があるので、ある程度バンドマンらしさも欲しいところです。

 ギターを持ち結束バンドのTシャツを着ているだけでも、バンドらしさはありますが、個人的にひとりさんのトレードマークといえるピンクのジャージも入れたかったので提案してみました。

 

「どっ、どうでしょう?」

「とても素晴らしいですよ。ひとりさんは、本当に可愛らしくもカッコいいので、どんな姿もよく似合いますね」

「あっ、えへへ……い、いや、そう思うのは有紗ちゃんだけだと……というか、有紗ちゃんの方が何着ても似合うイメージです」

「そうでしょうか?」

 

 確かに容姿を褒められる機会は多いですし、お母様譲りの容姿は客観的に見ても整っている部類だとは思います。しかし、目の前ではにかむ様に笑いながら照れるひとりさんの可愛らしさを見ると、私など到底及ばないと感じるのですが……。

 

「……あっ、有紗ちゃんも撮影してみます?」

「私の写真を、ですか? う、う~ん、本来の趣旨からは外れますが、ひとりさんが撮りたいのであればかまいませんよ」

「あっ、じゃ、じゃあ、せっかくだからギターも持ってみてください」

「……こんな感じでしょうか?」

 

 なにやら乗り気な様子のひとりさんに促され、ひとりさんのギターを借りる形でギターを持って立ちます。ひとりさんがスマートフォンのカメラを向けてきたので、ギターを構えて軽く微笑みを浮かべました。

 

「…………」

「ひとりさん?」

「あっ、ああ、えと、無事撮れました! やっ、やっぱり、有紗ちゃんの写真写りは凄いですね。プロのモデルみたいです」

「私のお母様がモデルで、立ち方や目線などはお母様に教わったことがあるので、そのおかげかもしれませんね」

 

 なぜか少し顔を赤くしたひとりさんにギターを返しつつ、改めてひとりさんの写真について話すことにします。ふたりでアレコレと話し合った結果、最終的に結束バンドのTシャツの上にジャージを羽織ったものに決定しました。

 ちなみに、採用しなかった写真も私のスマートフォンに入っていますので、大切に保存することにします。もちろんひとりさんの許可も頂きましたので万事問題なしです。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんの写真は沢山欲しいタイプ。ただ、ちゃんと本人に許可は取って所有する。

後藤ひとり:有紗の写真のあまりの綺麗さに一瞬硬直して、本人もよく分からないが変に照れていた。なお、その際の写真は有紗の許可を得てそのままスマートフォンに保存している模様。

伊地知虹夏:結束バンドの良心。ぼっちちゃんを丸投げしておける有紗の存在により、多少苦労度は下がっている気がするが、有紗は有紗で時々暴走するのでプラマイはゼロな気もする。

山田リョウ:世界のYAMADA。有紗はたびたび差し入れ等で食べ物を持って来てくれるので好き。

喜多郁代:アニメ版だけだと分からないが、努力型の陽キャで有名店や映える商品が好き。四巻のキラキラが足りずに駄々こねる喜多ちゃんは大変可愛い。

友人のピアニスト:パリで活動している天才ピアニストで、有紗の友人。超人レベルであらゆる才能を持つ有紗が、ピアノにおいては絶対に敵わないと感じるほどの腕前……例によってたいして出番はないので、覚える必要は無し。


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十三手可憐の個人撮影~sideB~

 

 

 STARRYにてアルバイトを行っている結束バンドのメンバーは、開店前の清掃作業や準備を全て終えて、開店までの休憩時間にのんびりと話をしていた。

 その様子を見ていた星歌が、ふと思いついたように4人に声をかけた。

 

「そういえば、皆。夏休みはバイトや練習がない日はなにしてるんだ?」

「私は練習ない日はほぼバイト入れてたから、お姉ちゃんのお世話ぐらいかな? あんまり出かけたりはしてないけど、なんだかんだで結構充実してるね」

 

 星歌の言葉に最初に反応したのは虹夏であり、夏休みの日々を思い出すように口を開いた。虹夏の場合はSTARRYでバイトをしている時間も楽しく、PAや他の従業員とも仲良く会話しているため、遊びに行ったりする機会は少なくとも充実していた。

 

「私は、友達と遊ぶことが多いですね。渋谷いったりお祭りに参加したり、結構あちこち行ってますね。この前も雑誌で紹介されていた池袋のカフェに行ってきました」

「喜多ちゃんは、女子高生らしい夏休みで羨ましいね~」

「そんなことないですよ。よかったら、今度伊地知先輩も一緒に行きましょうよ」

 

 メンバーの中で一番アウトドア派な喜多は、夏休みは一番精力的に過ごしており、あちこちに出かけたりイベントに参加したりと、一番忙しくも充実した日々を過ごしていた。

 

「私は、家で映画見たり、古着屋巡りしたりとかしてた」

「リョウはいつも通りだね~」

「うん。いつもの休日と同じ……ぼっちは?」

 

 マイペースなリョウは特に夏休みだからといってなにか特別な行動もなく、普通の休日と同じようにひとりで過ごしていた。いつも通りながら本人的にはかなり充実しているので問題はない。

 そして、リョウが最後に残っていたひとりに話を振ると、ひとりは少し考えるような表情を浮かべたあとで口を開く。

 

「あっ、えっと、バイトと練習以外だと……ほぼいつも有紗ちゃんと遊んでました」

「本当に仲いいよね~有紗ちゃんとどこかに出かけたりしたの?」

 

 ひとりが告げた言葉を聞き、相変わらずの仲の良さを微笑ましく感じつつ、虹夏が笑顔で尋ねる。

 

「あっ、はい。花火を見に行ったりしました」

「え? 花火大会に行ったんだ、いいなぁ~夏って感じだよね」

「でも、後藤さんよく平気だったわね。花火大会ってかなり人も多いと思うけど……」

「あっ、えっと、花火は見に行きましたが、花火大会の会場の中心には行っていないというか……とっ、特殊な方法で見たというか……」

 

 その場に居る者たちの共通認識として、ひとりは人の多い場所が苦手であり、通い慣れた下北沢でさえ時折ビクビクしている姿を見るほどだった。そんなひとりが花火大会に参加できるとはとても思えないというのは、当然の帰結といえる発想だろう。

 

 不思議そうに尋ねてくる喜多に対し、ひとりは有紗と一緒に行った花火鑑賞の話をポツポツと語り始めた。実際は有紗が押さえたスイートルームで花火を見たこと、花火を見終えたあとは宿泊することなく帰ったことなどを詳しく説明すると、当然ではあるが他の面々の表情は唖然としたものに変わった。

 

「……へ、へぇ、そっか~花火を見るためだけで70万円の部屋を押さえて、宿泊とかもせずにそのまま帰った……馬鹿の発想だよ!? なんで、有紗ちゃんって普段はあんなに落ち着いてて頭もいいのに、ぼっちちゃん関連になると正面からパワーでぶち破るみたいな、脳筋一直線になるのかな?」

「70万……ハイエンドベースも買える。やっぱり、有紗はランクが違う」

「普通、思いついても実行しないですけど……時花さんだと、実現できちゃうのが凄いですよね」

 

 皆の反応を見て、ひとりは己の反応が正常であったことに胸を撫で下ろした。あまりにも有紗が普通のような顔をしていたので、若干不安になっていた。

 そんなひとりたちの話を聞いてたPAが、軽く苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「それはそれとして、70万円のスイートルームというのは興味がありますねぇ」

「あ、私もです! 後藤さん、写真とかないの?」

「あっ、何枚か撮影したものが……」

 

 花火を見るためだけに70万円のスイートルームを確保する有紗の行動には呆れつつも、それでも最高級のスイートルームは気になる様子で、ひとりが撮影していた写真を全員で見て盛り上がった。

 そのまましばしの間、ひとりと有紗の話で盛り上がったあとで虹夏が笑顔で口を開いた。

 

「けど、皆なんだかんだで充実した夏休みを過ごしてていいね。けど、せっかくだし、一回ぐらい皆で遊びに行きたいよね」

「あっ、いいですね! 時花さんも誘って、5人でどこかに行きましょうよ」

「う~ん、次の練習日は個人撮影の予定だし、8月31日がいいかな? 練習日の予定だったけど、練習はいつでもできるしね。夏休みの思い出に皆でどっかに行こう! というわけで、ぼっちちゃん、有紗ちゃんの予定の確認をお願いね」

「あっ、はい!」

 

 虹夏の提案に頷き、ロインで有紗の予定を確認するための文面を打ちながら、ひとりは小さく笑みを浮かべた。

 

(皆と一緒に遊びに行く……楽しみだな)

 

 夏休み中有紗と遊ぶ機会は多かったが、他の結束バンドメンバーとは練習日やバイトでしか会っていなかったので、全員揃って遊びに行けるというのは喜ばしいことだった。

 

 

****

 

 

 夏休みも終盤に差し掛かった日、かねてからの予定通りブロマイドや缶バッチ用の個人写真を撮影することになり、スタジオ内でアレコレと写真撮影を行っていた。

 ひとりは有紗とペアという形になり、構図などを相談しながら撮影していた。

 

「どっ、どうでしょう?」

「とても素晴らしいですよ。ひとりさんは、本当に可愛らしくもカッコいいので、どんな姿もよく似合いますね」

「あっ、えへへ……い、いや、そう思うのは有紗ちゃんだけだと……というか、有紗ちゃんの方が何着ても似合うイメージです」

「そうでしょうか?」

 

 仲がよく話しやすい相手であり、基本的に優しく褒めてくれる有紗とも撮影は順調に進んでいった。人見知りであるひとりも、有紗に対してはかなり気を許しており、写真もそれなりにリラックスして写ることができた。

 虹夏のにらんだ通り、有紗が撮影者であればひとりは他の人が撮影するよりもずっと写真の写りが良かった。

 

 何枚か撮影して、撮った写真を見ながら話し合っている時に、ふとひとりは思い付きで有紗に提案した。

 

「……あっ、有紗ちゃんも撮影してみます?」

「私の写真を、ですか? う、う~ん、本来の趣旨からは外れますが、ひとりさんが撮りたいのであればかまいませんよ」

 

 提案自体は本当に単なる思い付きだった。有紗と一緒に写真を撮ったことはあっても、有紗がひとりで写っている写真を見たことは無かったので、興味本位という感情が強い。

 

「あっ、じゃ、じゃあ、せっかくだからギターも持ってみてください」

「……こんな感じでしょうか?」

 

 有紗が特に嫌がることなく応じてくれたこともあって、少しテンションが上がったひとりはギターを貸し渡し、有紗は先ほどのひとりと同じような姿勢を取る。

 

(……姿勢綺麗だなぁ。凛としててカッコいいというか、立ってるだけでもなんかオーラがあるんだよね)

 

 顔立ちが極めて整っているのもそうだが、姿勢もよくプロポーションも整っており、立っている姿にどこか気品を感じる。

 思わず見惚れるような感覚を覚えつつ、ひとりがスマートフォンを構えて撮影しようとしたタイミングで、有紗がそれに合わせるように軽く微笑んだ。

 

「…………」

 

 反射的にシャッターを押して写真を撮影したが、ひとりは言葉を失っていた。それは、有紗が浮かべた微笑みがあまりにも美しく、輝いているようにさえ見えたからだった。

 

 有紗の交友範囲が広がり、ひとりだけでなく結束バンドのメンバーたちとも親しくなったことで気付いたことがある。

 有紗は基本的に誰にでも優しく穏やかで、よく優し気な微笑みを浮かべていたが……その微笑みにも違いがあることに気が付いた。

 

 そう、違うのだ。結束バンドのメンバーや星歌たちに向ける微笑みと、ひとりに対して向ける微笑みは……心の底から愛おしい相手に向けるような、愛情の籠った微笑み。見ているだけで心が温かくなるその笑みは、他の誰でもなくひとりにだけ向けられている。

 自分にだけ向けてくれるその微笑みは、有紗にとってひとりが特別な存在であるということを実感できるものであり……なんとも言えないくすぐったいような温もりを感じていた。

 

「ひとりさん?」

「あっ、ああ、えと、無事撮れました! やっ、やっぱり、有紗ちゃんの写真写りは凄いですね。プロのモデルみたいです」

 

 有紗の微笑みに見惚れていたひとりだが、有紗の声で我に返って言葉を返す。正直に言ってしまえば、ひとりはまだ恋愛に関してはよく分からないというのが本音だった。

 有紗のことは好きだ。それは間違いない。夏休みだって、それこそしょっちゅう一緒に居たが、それを疲れるとか感じたことは一度もなかった。

 いつの間にか傍に居ることが当たり前になっているとでも言うべきか、今回の様に複数人で集まった時は、ひとりは自然と有紗の傍に居ることが多い。それは、無意識で有紗の近くが安心できると感じているからかもしれない。

 

 それが恋愛感情であるか否かといわれれば、分からなかった。

 

 ただ、なんだろう? なんとなくではあるが……有紗のこの微笑みが写った写真は、あまり他の人には見せたくないような、そんな思いがあった。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい?」

「こっ、ここ、この写真、そのまま持ってても……い、いいですか?」

「ええ、もちろん構いませんよ」

「あっ、ありがとうございます」

 

 ほとんど無意識にその言葉は口を突いて出ていた。普段のひとりから考えれば、意外な申し出ではあったが、有紗は特に気にすることなく快く了承してくれた。

 

(……なんか少し変というか、ふわふわした気持ちだけど……なんだろう? うう~ん、分かんない。けど、やっぱり、有紗ちゃんのこの笑顔は……見てると温かくなるなぁ)

 

 纏まらない思考を振り切るように軽く頭を振った後で、ひとりは改めて有紗と個人写真について話を進めていった。

 

 

 

 




時花有紗:基本的にひとりに対しての愛情は一切隠しておらず、普段の態度にも表れている。むしろ本人はその想いを誇らしく思っている感じのつよつよメンタル。

後藤ひとり:すでに割と、有紗に対してクソデカ感情を持ち始めているというか、いろいろな部分を意識するようになってきている感じである。


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十四手愉楽の江の島観光~sideA~

 

 

 夏休みの最終日となる8月31日。今日は虹夏さんの提案で結束バンドの皆さんと一緒に江の島に遊びに行く予定になっています。

 江の島がひとりさんの家から比較的近いこともあり、現地集合という形になりました。

 

「おはようございます、ひとりさん」

「あっ、おはようございます。有紗ちゃん」

 

 私は基本的に車での移動ということもあり、一度通い慣れたひとりさんの家に向かって、そこからひとりさんと一緒に電車で江の島に向かうことに決めてこうして訪ねてきました。

 私がひとりさんと一緒に行きたいという理由が9割ですが、ひとりさんも「有紗ちゃんが一緒なら安心」と言ってくれました。

 

 ふたりで電車に乗り、並んで席に座って、これから向かう江の島についての話をします。

 

「時期的に泳ぐのは難しいみたいですが、観光名所なども多いので楽しみですね」

「あっ、はい。むしろ、海水浴はまだ私にはハードルが高いので、少し安心したかもしれません」

「なるほど……海以外だと、江の島神社などが有名ですね」

「あっ、た、確かに聞いたことがあるかもしれません」

 

 まぁ、私としては是非ひとりさんと一緒に龍恋の鐘に行きたいのですが……さすがに難しいですね。江の島に伝わる天女と五頭龍の恋物語に由来し、恋人同士で鐘を鳴らして近くのフェンスに2人の名前を書いた南京錠を付けると、永遠の愛が叶うと言われているスポットです。

 今回は残念ながら諦めますが、いずれひとりさんとの関係が進展したなら一緒に行きたいものです。

 

「あと有名なのはやはり、新江ノ島水族館ですかね。私も詳しく知るわけではありませんが、有名な水族館らしいですね」

「すっ、水族館ですか……こっ、子供の頃に一度行ったことがあるような? よく覚えてないので江の島かどうかは分かりませんが……」

「ひとりさんの家の位置でしたら、可能性は高そうですね。行ってみると懐かしさがあるかもしれませんね」

 

 やはり夏休みを経て以前よりさらに親しくなれたおかげか、ひとりさんとの会話もいままで以上に弾んでいるような気がします。

 なによりひとりさん自身が、外出に対してある程度前向きな思考になってくれているのが大きいですね。この分だと、冬休みなどは旅行を計画してみるのもいいかもしれません。

 そんな風に考えつつ、私はひとりさんとの会話を楽しみながら江の島に向かいました。

 

 

****

 

 

 江の島に着いて時計を確認すると、待ち合わせの時間まではまだ1時間少々ありました。

 

「少し早く着きすぎてしまいましたね」

「あっ、そうですね。遅れないように早めに出ましたけど、思ってたより早く着きましたね」

「虹夏さんたちが到着するまでまだ時間があるでしょうし、このままここで立っているのもなんなので、少し近場を見て回りますか?」

「あっ、はい」

 

 あまり遠くに行ったりは難しいですが、近場なら問題ありません。浜辺までは徒歩5分程度みたいなので、海を見に行くのがいいかもしれませんね。

 ひとりさんとふたりで海を眺めるというシチュエーションは大変素敵ですし、是非実行したいものです。

 

「ひとりさん、5分ほど歩けば海が見えるみたいなので、海を見に行きませんか?」

「あっ、はい。海を見るのは、久しぶりです」

 

 ひとりさんも快く了承してくださったので、ふたりで歩き出しました。道中には案内の看板もありますし、いざとなればスマートフォンの地図アプリを使えばいいので、迷う心配もありません。

 ほどなくして海岸沿いに辿り着く、ひとりさんと並んで海を眺めます。

 

「いっ、いざ来ると、やっぱり海って綺麗でいいですね」

「ええ、風も心地よいですし、今日は天気もいいので本当に綺麗ですね」

 

 視界いっぱいに広がる海は日の光を反射してキラキラと輝いており、その雄大な美しさにひとりさんと一緒に見惚れます。素晴らしい景色ですし、やはり好きな相手と一緒に見る景色はより美しく感じるから不思議なものです。

 そんな風に海を眺めて楽しんでいると、不意に声が聞こえてきました。

 

「うぇ~い、そこのおふたりさん! 暇ならうちの海の家で食べてきなよ!」

「お安くするよぉ!」

「ひぇっ!?」

 

 海の家の客引きらしき方々が話しかけてきて、ひとりさんは怯えた様子で素早く私の背後に隠れました。しがみつく様に密着してくるひとりさんの温もりは大変素晴らしく、客引きの方々には感謝したい気持ちもありますが……ひとりさんが怯えているので、お帰りいただくことにしましょう。

 

「お誘いは嬉しいですが、人と待ち合わせをしておりますので申し訳ありません」

「そうなの? 残念だねぇ。じゃ、もし暇があったら遊びに来てよ」

「ええ、その際は是非。お仕事お疲れ様です」

「あはは、ありがとね。それじゃ、江の島楽しんでってね~」

 

 客引きの方々としても、乗り気でない相手に長々と話す意味も無いのでしょう、私の言葉を聞いてすぐに手を振りながら去っていきました。

 それを見送ってから、背後で怯えているひとりさんを安心させるように声を掛けます。

 

「ひとりさん、もう大丈夫ですよ」

「……あっ、はは、はい。あっ、有紗ちゃんは、やっぱり凄いです。リ、リアルパリピにも平然と対応して……」

「まぁ、向こうも別に悪意があって声をかけてきたわけではありませんし、そこまで怯える必要はありませんよ」

「うっ、わ、分かってはいるんですが……どど、どうしても、あのレベルになると……」

 

 人見知りというのはすぐに治るものでもありませんし、致し方ない部分もあります。ひとりさん自身も自覚していろいろ変わろうと頑張っている面もあるので、気長に克服していけばいいとは思います。

 今回のような場合に関しては、私が一緒に居て対応できれば問題ないわけですしね。

 

「いきなり慣れるのは難しいかもしれませんが、怖がる必要はありませんよ。ひとりさんには、私が付いていますから」

「あっ、有紗ちゃん……うぅ、有紗ちゃんが傍に居てくれると、本当に安心します」

「そう思っていただけるなら、私としても嬉しいですね」

 

 ひとりさんが私と一緒に居ると安心できると思ってくれているのは、私にとって本当に嬉しいことですし、こうして直接そう言ってもらえると心の中から湧き上がる喜びは非常に大きいものです。

 思わず笑顔になるのを実感しつつ、ある程度顔色が戻ったひとりさんに声をかけます。

 

「ひとりさん、あちらに店が並んでいる通りがあるみたいなので、少し見てみましょうか?」

「あっ、はい。そういえば、ちょっと小腹が空いた気も……」

「お昼時までは時間がありますし、軽くなにかを食べてみるのもいいかもしれませんね。食べ歩きできるようなものがあるといいのですが……」

 

 まだ時間には余裕があったのでひとりさんと一緒に店などが並ぶ通りに移動して、軽く眺めます。やはり駅近くということもあってお土産ものが中心ではありましたが、食べ物の販売もいろいろとありました。

 ソフトクリームなどもありましたが、中でも目を引いたのが……。

 

「……しっ、しらすパン?」

「江の島のしらすは有名ですが、パンもあるんですね」

「あっ、合うんですかね?」

「食べてみますか? サイズは小さ目ですし、3個入りみたいなので、ひとつ買って分けて食べましょう」

 

 ひとりさんと一緒に見つけたのはしらすパンという手のひらサイズの小さめのパンでした。ひとりで3個食べるには少々多いですが、ふたりで分けて食べるには丁度いいですね。

 しらすパンを購入し、人通りの少ない場所に移動してからひとりさんと一緒に食べます。

 

「あっ、美味しい……中にチーズが入ってるんですね」

「美味しいですね。外のパンも揚げているのか食感がよくて、食べていて楽しいですね」

「でっ、ですね。あっ、で、でも、しらす感は無いですね」

「ふふふ、そうですね。チーズの味が強いですね」

 

 しらすとパンというと不思議な組み合わせではありますが、意外と違和感などは無く普通に美味しい味でした。ただ、確かにひとりさんの言う通りチーズの主張が強く、しらす感というのはあまりなかったです。

 さてしらすパンは3個入りです。私とひとりさんが1個ずつ食べたのであれば、当然ながら1個残るわけです。

 

「残るひとつは、半分にしましょうか」

「あっ、はい」

 

 ひとりさんの了承を得てから、手で残りのしらすパンを半分にちぎり……ふとそこで邪念が頭をよぎりました。いえ、ひとりさんが嫌がった場合は強行しませんが、せっかくのふたりっきりでいいシチュエーションなわけですし……。

 

「ひとりさん、どうぞ……」

「……え? あの、有紗ちゃん? な、なな、なにを……」

「いえ、少しやってみたくて……駄目でしょうか?」

「あっ、い、いや、別に駄目じゃ……いっ、いただきます」

 

 半分にしたしらすパンの片方を袋に戻し、もう片方を持って片手を添えてひとりさんに差し出す。簡単に言ってしまえば、恋愛ものの映画などでよく見る相手に食べさせる行為……いわゆる「あ~ん」というものです。

 ひとりさんは私の意図を察して戸惑った様子でしたが、強く拒否することもなく少し顔を赤くした後で口を開いて、私が手に持つしらすパンを食べてくれました。

 

「……なんというか、思ったより気恥ずかしいですね」

「わっ、私はかなり恥ずかしかったです……うっ、こ、こうなったら……」

 

 顔を赤くして少し不満げな表情を浮かべたひとりさんは、私の膝の上にあった袋を取り、中から残る半分のしらすパンを手に持って、先ほどの私と同じように差し出してきました。

 

「あっ、有紗ちゃんも……どど、どうぞ」

 

 おそらくですが、ひとりさん的には先ほどの私が行ったことへの意趣返しというか、そういう意図なのは分かるのですが……私にとっては、むしろ喜ばしいというかご褒美でしかないです。

 

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 ひとりさんが差し出してくれたしらすパンに顔を近づけていただきます。思いがけず素晴らしい幸福が舞い込んできて、幸せいっぱいで笑顔を浮かべているとひとりさんが驚いたような表情を浮かべていました。

 

「なっ、なんで、有紗ちゃんは平気そうなんですか……」

「いえ、単純にとても嬉しかったので」

「うっ、うぐっ……そ、そんな笑顔をされると、文句も言えないです。うぅ、顔熱い」

 

 恥ずかしそうな表情を浮かべつつも、それでもひとりさんは心の底から嫌がっている様子はなく、少し経つとしょうがないと言いたげに苦笑を浮かべてくれました。

 なんとなく互いの心の距離が近くなったような、そんな感覚を覚えます。

 

「……そろそろ集合時間が近いですね。駅に向かいましょうか」

「あっ、はい。そうですね。もうちょっと、有紗ちゃんとのんびりしたい気持ちもありますけど」

「ふふ、私も同じです。また機会があれば、一緒に来ましょうね」

「……はい」

 

 私とひとりさんは顔を見合わせて、微笑み合ってから並んで一緒に駅に向かって歩き出しました。

 

 

 




時花有紗:最近ひとりとよりいっそう仲良くなれてる気がして、幸せいっぱい。だいたい結束バンドのメンバーと行動する時は、ひとりと2人セットで行動することが多い。

後藤ひとり:有紗への好感度が極めて高く「あ~ん」も普通に受け入れる。なんだかんだで有紗とのデートを楽しんでいる感じがある。

蝉の墓:ねぇよ。そんなの……ぼっちちゃんが有紗のおかげで原作とは違い充実した夏休みを過ごしているので存在しない。


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十四手愉楽の江の島観光~sideB~

 

 

 結束バンドのメンバーと有紗の5人で行くことになった江の島観光。無事に駅で合流した5人は、軽く海を見てからテレビや雑誌でもよく紹介されているたこせんべいを全員で食べたあとは、喜多の希望で江の島の頂上部へ向かうことになった。

 元々アウトドア派であり、今回のお出かけでテンションが上がっている喜多の陽キャオーラに押される形で階段を上って頂上を目指すことになった。

 

 江の島の頂上部に向かう階段は250段を越え、普通に登れば10~15分ほどかかる長い階段である。アウトドア派の喜多や、運動神経も優れている有紗の2人以外は、全員インドア派であり長い階段はまさに地獄といえるものであり、登り始めて早々に体力は限界を迎えていた。

 

「も、もぅ、無理、登れない」

「……喜多ちゃんからどんどん離されていく……」

 

 リョウと虹夏の足取りは重く、先を行く喜多との差はかなり開いていた。そして、そのふたり以上に体力がないひとりはとうの昔に限界を迎えていたが、幸い彼女には味方が居る。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、あひっ……なな、なんとか……」

「いっそ私がおんぶしましょうか?」

「いっ、いや、流石にそれは……こうして、肩を貸してもらえてるだけでも、ありがたいです」

 

 有紗が肩を貸して補助することで、ひとりはなんとか他の面々に引き離されずに階段を上ることができていた。そして、ひとりに肩を貸している有紗に関しては特に疲れた様子もなく余裕そうな表情である。

 

「……いいなぁ、ぼっちちゃん。献身的なサポートが居て……」

「なんで、なんで、有紗はぼっちを支えながら上がってるのに、汗ひとつかいてないの? バグってない?」

「たぶん……私たちとは、基礎体力が違うんだよ……はひぃ」

 

 必死に足を進めて階段を上っていた虹夏とリョウではあるが、ある程度登ったところで限界を迎えたのか、大きな鳥居の麓に座り込んだ。

 

「もぅ、無理ぃ……」

「景色とか知らん……どうでもいい……」

「ふたりともしっかりしてください。まだ始まったばかりですよ?」

 

 座り込むふたりに声をかける喜多は余裕そうであり、基礎体力の違いが如実に表れていた。そして少し遅れてひとりに肩を貸しながら到着した有紗が、苦笑を浮かべながら喜多に声をかける。

 

「急ぐ必要があるわけでもありませんし、少し休憩をしましょう。ひとりさんもだいぶ疲れているみたいですしね」

 

 穏やかに告げる有紗の提案を聞き、ひとまずこの場で休憩という流れになりかけたタイミングで、息を整えていたひとりがなにかに気付いた様子で声を上げた。

 

「あっ、あれ! えっ、エスカレーターで行けるみたいですよ!」

「ああ、江の島エスカーですね」

 

 ひとりが発見した江の島エスカーは虹夏とリョウにとっても救いと呼べるものであり、項垂れていた顔を上げて目を輝かせる。

 

「え~階段で登りましょうよ~」

「まぁまぁ、喜多さん。階段を上るのがメインではなく、目的は頂上部での観光です。せっかく頂上部についても3人が疲労困憊では楽しめないでしょうし、ここはエスカーを利用しましょう」

「うっ、確かに……」

 

 唯一エスカーを使用することに不満げだった喜多も有紗が説得し、5人はエスカーを利用するために移動した。しかし、そこで思わぬ問題が立ちはだかった。

 江の島エスカーは有料エスカレーターであり乗るにはチケットが必要となる。だが、リョウはここに来るまでに塩ソフトとたこせんべいで持ち金を使い切っており、エスカーのチケットを買うお金が無かった。

 

 かといって、ひとりに次いで体力のないリョウにとって頂上部までの階段を上るのはあまりにも絶望的であり、絶対にエスカレーターを利用したかった。

 そのためリョウは受付の女性に無茶な交渉を始める。

 

「い、いまお金が無くて……ベース! 私、いいやつ結構持ってるんですけど、1本差し上げますから!」

「いや……」

「2本ですか! 3本がお望みですか!?」

「あの……チケットを……」

 

 物々交換のような取引を持ち掛けるリョウだが、当然そんなものに応じられるわけもなく受付の女性は困惑した表情を浮かべる。

 すると、そんなリョウに対し思わぬところから救いの手は差し伸べられた。

 

「リョウさん、皆さんの分のチケットは私が買いますので、大丈夫ですよ。今日誘っていただいたお礼ということで……」

「あ、有紗……有紗は本当に、気が利くいい女。さすが、ぼっちの未来の嫁! 私は、有紗とぼっちの関係を心から応援している」

「そう言ってもらえると光栄です。ああ、それと……」

 

 地獄で仏を見たかのような表情を浮かべて有紗を賞賛するリョウに対し、有紗は穏やかに微笑んだあとで財布から札を取り出してリョウの手に握らせた。

 

「お金が無ければ楽しめないとまでは言いませんが、あった方がいろいろと融通が利くのは事実です。そのお金は返さなくて結構ですので、せっかくこうして江の島に来たのですから、リョウさんも一緒に江の島観光を楽しみましょう」

「……有紗、好き。ぼっちとのことで協力できることがあればいつでも言ってほしい。私は、全力で有紗の力になる」

「ありがとうございます。とても心強いです」

 

 目に涙を浮かべて感謝するリョウに対し、有紗は軽く苦笑しつつ答える。その光景を少し離れた場所で見ていた虹夏は、どこか呆れた様子でひとりに声をかけた。

 

「……清々しいほどにアッサリ買収されてる奴がいるけど、どうする? 一発殴っとく?」

「あっ、いや、その、大丈夫だと思います」

「あれ? ぼっちちゃん、余裕だね。これは意外と脈ありだったりするのかな?」

「あっ、いえ、そうじゃなくて……」

 

 ニヤニヤと楽し気に笑う虹夏に対し、ひとりは少し考えるような表情を浮かべつつ口を開く。

 

「えっ、えっと、リョウさんを味方に付けたとしても……その、有紗ちゃんがなにかしてくるなら、小細工とか搦手とか、そういうのはたぶん使わないと思うので……」

「……そうだね。正面からパワーで来るもんね」

「あっ、はい。なので、そういう部分に関してはある意味安心といいますか……」

 

 そう、有紗は基本的に回りくどいアプローチなどせず、正面からひとりに好意を示してくる。なので、外堀が埋められていても、誰かを味方につけていたとしても、有紗の攻めが予想外の方向から来ることは無いので、ある意味では安心だった。

 まぁ、来る方向が分かっていたとしても、対処できるかどうかは別ではあるが……。

 

 ともかく、無事にエスカーのチケットを手に入れた一行は、エスカレーターによって江の島の頂上部に到達する。

 そこはさすがの見晴らしであり、テンションが落ち込んでいたインドア派の3人も綺麗な景色にテンションを上げていた。

 どこか浮かれた様子で写真を取り始めるひとり、虹夏、リョウを、喜多はなんとも言えない微妙な表情で見ていた。

 

「きゅ、急にハイテンションになり始めた……」

「あれは、むしろ疲労でハイになっているだけなのでは?」

 

 エスカレーターでの移動とはいえ、距離はそれなりだったためインドア派3人はそれなりに疲労しており、元気な喜多と有紗に比べれば大きな差がある感じだった。

 続いて江の島シーキャンドルという展望台に全員で移動する。展望台からの絶景にテンションを上げる喜多だが、例によってインドア派3人はあまりテンションが高くなく、景色よりもエアコンの涼しさなどに感動していた。

 

「……じゃあ、喜多ちゃんが満足したら降りよっか」

「でっ、ですね」

「涼しいのは最高だった」

「…‥え? あの……景色……」

 

 明らかな温度差になんとも言えない表情を浮かべたあとで、喜多は近くに居た有紗の肩にしがみつく様にしながら小さく声を出す。

 

「インドア人たちが……インドア人たちが……」

「あ、あはは……今日は天気がいいですから展望台からの景色も綺麗ですね。一緒に写真でも撮りますか?」

「……うん。時花さんが居てくれてよかった」

 

 唯一喜多の高めのテンションやアウトドア派のノリにも付いていける有紗の存在は、喜多にとっては救いであり、江の島の絶景をバックにふたりで写真を撮ったことである程度精神は回復した。

 結局あまり長く展望台に留まることもなく移動した面々は、休憩も兼ねてアイスクリームを買い並んで座って食べていた。

 すると高い鳴き声のようなものが聞こえてきて、ひとりが不思議そうに周囲を見渡す。

 

「……この音、なんですか?」

「あ~トンビじゃない? 江の島にはたくさんいるんだよ。人の食べ物とか狙ってくるから気を付け――」

「ッ!?」

 

 虹夏が忠告しようとするも遅く、空から凄まじい速度で舞い降りたトンビがひとりが手に持っていたアイスクリームを奪い取っていった。

 

「あぁ、言った傍から……」

「後藤さん、私のアイス食べる?」

「あっ、え……はっ!? ひぃぃぃぃ!」

 

 アイスクリームを奪われて呆然としていたひとりだったが、悲劇はそれで終わらなかった。空には何匹ものトンビが集まってきて、一斉にひとりに襲い掛かってきたのだ。

 

「ぼっちちゃんが獲物にされてる!?」

 

 ひとりを弱そうと判断したのか襲い掛かって来たトンビたちに、ひとりは怯えて身を小さくして、虹夏たちもあまりの状況にどうしていいか分からず硬直する。

 だが、しかし、そんな状況でひとりを放置するわけない人物がいた。そう、有紗である。

 

「ひとりさんっ!」

 

 即座に動いた有紗は、ひとりの手を引き、その体を庇うように抱きしめつつトンビたちを鋭い目で睨みつけた。

 

「私の前でひとりさんに危害を加えるなど、覚悟は……できているのでしょうね?」

 

 それはとてつもない怒気であり、直接向けられたわけでもないのに虹夏たち3人が怯えて背筋を伸ばすほどに凄まじかった。

 そして野生の動物というのは危機に敏感である。有紗の凄まじい怒りを感じ取ったトンビたちは、蜘蛛の子を散らすような勢いで逃げ去っていった。

 そのまま少しの間飛び去っていったトンビたちを睨んでいた有紗だったが、すぐにハッとした表情を浮かべて抱きしめているひとりに声をかける。

 

「ひとりさん! 大丈夫ですか! 怪我はありませんか?」

「……あっ……はははは、はっ、はい!? だだだ、大丈夫です!」

 

 有紗に声を掛けられて、ひとりは最初熱に浮かされたように赤い顔で有紗を見ていたが、すぐに大慌てで有紗から離れて言葉を返した。

 だが、大丈夫と言いつつもひとりの心臓はいま早鐘のように脈打っており、有紗の顔をまともに見れない状態だった。

 

 トンビに襲われて本当に怖かった。すぐに有紗が助けてくれて嬉しかったし、安心した。有紗の胸に抱きしめられて、見上げた普段とは違う凛々しく鋭さを感じる有紗の顔は凄く頼りがいがあって……カッコよく感じた。

 いつの間にかトンビに襲われた恐怖は消えており、まるで王子様に守られる姫のような心境で有紗の顔を見上げていた。

 

(な、なな、なにこれ……か、体中熱くてドキドキして、全然有紗ちゃんの顔が見れない)

 

 ある意味では吊り橋効果とでもいえる現象ではあるが、ひとりはいま有紗のことをあまりにも強く意識しており、非常に落ち着かない心境だった。

 そんなひとりを心配そうな表情で見つめながら、有紗は声をかける。

 

「申し訳ありません、もっと早く助けられればよかったですね」

「あ、あぅ……いっ、いや、その、有紗ちゃんのおかげで助かりました。あ、あの、その、助けてくれて、ありがとうございます」

「ひとりさんに怪我がなかったのなら、本当によかったです」

「あっ……はぃ」

 

 恥ずかしそうにしつつも、それでも有紗の微笑みはやはり安心できるのか、ひとりは顔を赤くしつつもほっと息を吐いた。

 胸の鼓動が収まるまではしばらく時間がかかったが、それでも心の内には喜びの感情が大きく表れていた。

 

「……え? なに、この青春感……私たち完全に蚊帳の外じゃない?」

「時花さん、凄かったですね。思わず背筋が冷たくなりましたよ」

「マジで怖かった。有紗だけは、絶対に怒らせないようにしよう」

 

 

 

 




~おまけ・独断と偏見による主要人物属性表~

【後藤ひとり】
属性:陰 趣向:インドア 傾向:羨望型
属性趣向共に陰で陰の中の陰と呼べるタイプではあるが、陽キャに対して憎しみを抱いていたり、陰キャでいることに満足しているタイプではなく、陽キャに成りたいという願望を抱いているタイプ。
有紗のおかげで原作よりはかなり精神的に成長している感じがある。

【山田リョウ】
属性:陰 趣向:インドア 傾向:孤高型
属性趣向共に陰ではあるが、ひとりのように陽キャに成りたいという願望は無く、自分らしく行動した結果として陰のポジションに居る存在。ひとりでいることが好きな孤高タイプではあるが、唯一虹夏だけは例外であり、原作などでも虹夏に対しては妙な執着を見せたり大き目の感情を抱いている感じである。

【伊地知虹夏】
属性:陽 趣向:インドア 傾向:特攻型
どちらかといえば陽の属性ではあるが、趣向が陰よりであり陰とも陽とも仲が良い。良い意味でも悪い意味でも普通。陽の属性でありながら、むしろ陰との方が話が合ったりするので、陰キャに好かれやすいタイプであり、陰キャ特攻を持っていると言っていい。彼女の笑顔に勘違いしたものは多そうで、ある意味喜多以上に罪な女。

【喜多郁代】
属性:陽 趣向:アウトドア 傾向:努力型
属性趣向共に間違いなく陽の中の陽といっていいものではあるが、彼女の場合は陽キャでいるためにしっかりと努力をしているタイプ。流行やトレンドにアンテナを張り、周りの空気をしっかりと呼んで合わせるタイプ。原作ではひとりに「陽キャには陽キャなりの苦労がある」と語っていたりもする。他の結束バンドメンバーがインドア派であり、原作ではたびたび疎外感を覚えていたが、有紗が居るのである程度マシ。

【時花有紗】
属性:陽 趣向:万能 傾向:自然体型
こちらも間違いなく陽キャではあるが、喜多のような努力型とは違って自然体。人当たりもよく本人自体のスペックが異様に高いこともあり、周りに合わせなくても周りが合わせてくるタイプの選ばれし陽キャ。流行最先端を掴んでいれば「流行に鋭く素敵」、流行外れの物を持っていても「流されないのが素敵」と意図せずともカーストトップに位置している生まれながらの勝ち組。アウトドアもインドアもどちらもいける万能型であり、陰とも陽とも話が合うので好かれやすい。


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十五手閑雅のホテルスパ~sideA~

 

 

 江の島ではひとりさんがトンビに襲われるという非常事態は起きましたが、幸いひとりさんに怪我などは無くその後も江の島観光を楽しむことができました。

 あちこちを回って、最後に八臂弁財天(はっぴべんざいてん)妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)が祀られている奉安殿でお参りをしたあとで、帰ることになりました。

 

「ここから下北沢まで1時間ぐらい?」

「ですね。後藤さんは藤沢で乗り換えですけど……時花さんは?」

「ああ、私はひとりさんの家に迎えを呼ぶつもりなので、ひとりさんと同じく藤沢で乗り換えます」

 

 呼ぼうと思えば江の島に呼ぶことも出来ましたが、運転手の方もひとりさんの家の方が道が分かりやすいでしょうし、ひとりさんと一緒に帰りたいという思いもあります。

 すると歩き疲れたのか、リョウさんと虹夏さんがウトウトと眠たそうな表情を浮かべていました。

 

「疲れた……下北着いたら起こして」

「しょうがないですねぇ」

 

 元気な喜多さんは少し呆れた様子で苦笑しつつ、少しだけ残念そうに言葉を続けます。

 

「あ~あ、本当は鎌倉も観光したかったし、皆で晩御飯したかったんだけどなぁ」

「それは次の機会、ですね」

「そうね。また皆で遊びに行って思い出いっぱい作りたいですね。いろいろ企画するので、時花さんも協力してね」

「ええ、私でよければ」

 

 実際このメンバーで言えば、そういった皆で遊びに行く企画を出すのは虹夏さんか喜多さんの可能性が高いです。少なくともひとりさんやリョウさんが提案する可能性は低いでしょう。

 私としても今回の様に皆さんと出かけるのは楽しいですし、秋には大型連休もあり、また冬休みもあるので機会は多そうです。

 と、そこでふと隣に座るひとりさんの様子を見て、声を掛けます。

 

「ひとりさんも、疲れているなら寝ても大丈夫ですよ」

「あっ、でも、数駅ですし……このまま起きてます」

 

 ひとりさんも疲労から眠そうな様子ではありましたが、藤沢まではそれほど時間もかからないということでそのまま起きておく様子でした。

 ひとりさんは、軽く目を擦った後で窓から見える夕日を見つめながら、軽く微笑んで口を開きました。

 

「……あっ、あの、今日は皆と遊べて楽しかったです」

「ええ、私も同じ気持ちです」

「うんうん。またこうして、皆で遊びましょうね!」

 

 ひとりさんの言葉に私と喜多さんも笑顔を浮かべ、そのまま藤沢に着くまでの間3人で今日の思い出などを楽しく話しました。

 

 

****

 

 

 一夜明けて新学期の開始となる9月1日……とはいえ、私の高校もそうですが大抵の高校は始業式で、午前中のみで終わりというのが多いでしょう。

 記念すべき新学期の始まりということで、私はひとりさんと一緒に登校しようと前日はホテルに宿泊して、ひとりさんが家を出る時間に合わせて訪ねてきました。

 

「おはようございます……おや?」

「ああ、有紗ちゃん。おはよう」

「……ひとりさん、どうかされたんですか?」

 

 家に入りお義母様に挨拶をすると、ひとりさんが青ざめた表情で椅子に座っているのが見えました。あまり体調が良さそうではない感じですが……。

 

「……あっ、あ、有紗ちゃん……」

「顔色が良くないですが……」

「ぜっ、全身筋肉痛で……」

「筋肉痛?」

 

 なぜ全身筋肉痛にと首を傾げて思いついたのは、昨日の江の島観光でした。とはいえ、筋肉痛になるほどあちこち見て回ったわけでは無いのですが……いや、普段運動慣れしていないなら、あり得なくはない……でしょうか?

 

「有紗ちゃん、昨日そんなにあちこち動いたの?」

「いえ、そこまでは……普通に観光しただけですし、早めに帰りましたので……」

「ほら、ひとりちゃん、しっかりしなさい。有紗ちゃんは全然平気そうじゃない」

「あっ、有紗ちゃんと私じゃ……基礎体力が違い過ぎて……」

 

 筋肉痛で動くのが辛いという気持ちは理解できますが、かといって筋肉痛が学校を休む理由になるかと言われると、それも難しいところがあります。

 

「……ひとりさん、私が肩を貸しますので頑張りましょう。今日はたぶん、始業式だけのはずですよね?」

「うっ、あっ、はい……頑張ります」

「ごめんなさいね、有紗ちゃん。ひとりちゃんをよろしくね」

「はい。お任せください」

 

 さすがにひとりさんの学校まで送るわけにはいきませんが、2時間の通学の間にある程度筋肉痛は楽になるでしょう。

 とりあえずいまは私が肩を貸す形で、ひとりさんと一緒に学校に向けて出発します。

 

 駅まで辿り着いて電車に乗ってしまえば、しばらくは座ったままなので、ひとりさんと隣同士に座りつつ声を掛けます。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、な、なんとか……体が軋む感じですけど……」

「なるほど……」

 

 ひとりさんがこうして辛そうにしているのですからなにか力にはなりたいですが、いますぐにどうこうというのは難しいですね。

 ですが、学校が終わった後であれば……。

 

「ひとりさん、今日は確かバイトも練習も無い日ですよね?」

「あっ、はい。そうですけど?」

「それでしたら、学校が終わったあとに、私と一緒にスパに行きませんか?」

「……す、スパ?」

「はい。マッサージなども豊富な店を知っているので、筋肉痛の解消にもいいです。昨日の疲れを取ることができるかと思いますが……いかがですか?」

 

 そうスパならば筋肉痛解消のマッサージもありますし、岩盤浴などもあるのでリラックス効果は高いです。昼の時間帯であればかなり空いていますし、ひとりさんが畏縮する心配もありません。

 さらに食事をするところもいくつもあるので、昼食も食べられます。

 

「……うっ、きょ、興味はありますけど……そっ、そういうお洒落なところには行ったことが無くて」

「大丈夫です。私がよく行く店なので……それほど人も多くないですし、もちろん料金についても私が出すので問題ありませんよ」

「……有紗ちゃんがよく行く店だからこそ、逆にとんでもなさそうな気が……」

「うん?」

「あっ、いえ、えっと……まっ、まぁ、その、有紗ちゃんと一緒なら……」

 

 スパに行ったことがなく少し躊躇っている様子のひとりさんでしたが、最終的に一緒に行くことに納得してくれて頷いてくれました。

 ひとりさんと一緒にスパ……これは思わぬところで、素晴らしい予定が入りました。いまから本当に楽しみです。

 

 

****

 

 

 スパの予約も済ませて始業式とHRを終えてロインで連絡を取り、ひとりさんの学校も始業式とHRが終わったことを確認してから、待ち合わせ場所を決めて合流します。

 電車ではなく車で移動するので、希望の場所はひとりさんに決めてもらってそこに迎えに行きました。

 

「……なっ、何度乗っても凄い車……」

「ひとりさん、筋肉痛は大丈夫ですか?」

「あっ、あちこち痛いですけど、なんとか……とっ、ところでどんな場所に行くんですか?」

「リラクゼーションを主としたホテルスパですね。マッサージなどはもちろん、リラクゼーションルームで飲食したり、ジャグジーや岩盤浴も楽しめますよ」

 

 今回は筋肉痛のひとりさんのリラックスが主な目的なので、そういった部分に力を入れているスパを選びました。このスパの特徴として、リラクゼーションルームが共用でなく個別に用意されているので、人見知りのひとりさんでも安心して利用できるという点ですね。

 さすがにプールなどは共用なのですが、プールに行く予定はないですし岩盤浴やジャグシーは、専用のルームがあるので安心です。

 心行くまで、ひとりさんとふたりっきりの時間を楽しめるという実に素晴らしい空間です。

 

「簡単に説明すると、最初に到着してマッサージを受けたあとは、用意されたいくつもの施設で自由に楽しめるという感じですね。基本的にマッサージなども含めて私とふたりで受けられるように予約しましたが、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。むしろ、有紗ちゃんが傍に居てくれた方が安心します」

「それならよかったです。せっかくの機会ですから、疲れを癒すとともに楽しみましょう」

 

 そんな風に話しながらしばらく移動すると目的のホテルに到着して、運転手の方がドアを開けてくださいました。お礼を言ってから移動して、高層階用の専用エレベーターにて移動します。

 

「……あっ、エレベーターも凄い高級感……な、なんか、ハイソサエティ専用感が凄いです」

「そんな大げさなものではないですが、いちおう会員制のスパですね。ただ、上級会員証があれば申し込めば同行者を連れていくことも可能です」

「もっ、もう会員制って時点で凄い感じが……あっ、有紗ちゃんはよく来るんですか?」

「リラックスしたい時などに来ますね。ここは特に専用設備が多くて、個人や少人数でゆっくりと過ごすのに適しています」

「へっ、へぇ……あわわわ、入り口から、すす、すごいです……あっ、有紗ちゃん……て、手を繋いでてもいいですか? なっ、なんだか怖くて……」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 なんと思わぬところで幸せな出来事が発生し、ひとりさんと手を繋いで向かうことになりました。初めてくる場所に気圧されているのでしょうが、それでも私としては非常に嬉しいです。

 上機嫌になるのを実感しつつ、受付で会員証を提示して案内を受けます。事前に予約してあるので、オプションなども確認されることはありません。

 

「こっ、ここは……部屋?」

「着替えをする部屋ですね。そこに用意してある専用の服に着替えてからマッサージに向かう形ですね。岩盤浴などでは汗もかきますからね」

「なっ、なるほど…‥こっ、ここ、着替えるだけのロッカールームなんですか?」

「はい。最大4人まで用の部屋ですね」

「……4人? こっ、この広さで4人? あわわわ、ハイソサエティってスペースを無駄遣いしすぎなのでは……」

「ふふ、確かに、スペースの無駄遣いかもしれませんね。ともかく着替えましょうか、カーテンで仕切りも出来ますので」

「あっ、はい」

 

 戸惑うひとりさんに簡単に説明をして、用意されている専用の服に着替えます。この服はマッサージだけでなく、岩盤浴でも利用できるものですし、生地もよい素材なので肌に優しいです。

 着替え終えてロッカーのダイヤル式ロックの設定を行って、同様に着替えを終えたひとりさんと一緒に移動します。

 不安げに私の手を握るひとりさんは、服装がいつもと違うこともあって、普段とはまた違った魅力があって大変素敵でした。

 

「……ひとりさん、怖がらなくても大丈夫ですよ。私が一緒ですから、ね?」

「あっ……はい。有紗ちゃんが一緒なら……安心です」

 

 不安げなひとりさんを安心させるように微笑むと、ひとりさんもはにかむ様に笑みを返してくれて、その愛らしさに思わず見惚れてしまいました。

 

 

 




時花有紗:ひとりと一緒で嬉しいし、手を繋いでくれてさらに嬉しい。今日も幸せいっぱいである。

後藤ひとり:もう相当の好感度であり、割と普通にイチャイチャしてるぼっちちゃん。有紗と一緒に初めてのスパ体験中。


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十五手閑雅のホテルスパ~sideB~

 

 

 有紗に連れられてやってきた高級ホテルスパ。専用の服に着替えて移動すると、マッサージルームへと通された。

 そこは高層階の大きな窓がある部屋であり、絶景と言えるような景色が広がっていた。

 

「……へっ、部屋が凄いです。どっ、どこも広い。けっ、景色も凄すぎて怖いレベルです」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。私も一緒ですし……ちなみに、今回は筋肉痛マッサージですね」

「あっ、えっと、筋肉痛マッサージ……普通のマッサージとは違うんですか?」

「筋肉痛の際に強い力でマッサージを行うのは修復中の筋繊維を傷つけるので逆効果と言われています。筋肉痛マッサージは揉み解したりというのではなく、血液やリンパの流れを促して疲労回復を早めることを目的とした優しいマッサージです」

「なっ、なるほど……」

 

 有紗の説明を受け終えたタイミングで施術を行うスタッフが入ってきてマッサージが開始される。有紗と並ぶようにマッサージベッドに寝転び、スタッフによる丁寧なマッサージが行われる。

 有紗の説明通り、疲労回復を目的とした優しく撫でるようなマッサージであり、痛みなどを感じることもなく、スタッフの腕もいいため最初は緊張していたひとりもすぐにリラックスして心地よさそうな表情を浮かべていた。

 

(はぅ……これ、気持ちいいなぁ。なんかいい匂いもするし……有紗ちゃんも傍に居てくれるから、あんまり怖くないし……はぁ、落ち着く)

 

 それでもひとりであればガチガチに緊張していた可能性もあるが、やはり有紗が傍に居てくれるというのはひとりにとって大きな安心をもたらしており、人見知りのひとりもある程度心の余裕があった。

 チラリと視線を横に向ければ有紗が居て、目が合うと微笑んでくれる。そんな細かな仕草を嬉しく感じるほど、ひとりにとって有紗は大きな存在になっていた。

 

 

****

 

 

 マッサージを終えたあとは、有紗とひとりはリラクゼーションルームという、いわゆる専用の個室に移動していた。

 そこは休憩室のような場所であり、テレビや雑誌など時間を潰すことができるものなども多く置いてあり、のんびりと過ごせるようになっていた。

 

「ひとりさん、この後は岩盤浴の予定ですが、その前にいい時間なのでお昼を食べませんか?」

「あっ、はい。たっ、確かに、お腹がすきました」

「食後2時間ほどは空けた方がいいので、食べ終えたあとは部屋の中で休憩をしてから岩盤浴に行きましょう。テレビや雑誌などいろいろありますからね」

「あっ、はい」

 

 休憩室といっても、かなり広くシンプルながら高級感を感じる椅子に座るひとりに、有紗は部屋に備え付けられていたタブレット端末を手に持ちながら近づいてきた。

 

「このタブレットで、食事などを注文できますよ」

「あっ、そうなんですね。へぇ……かなり種類があるんですね」

「このホテルの厨房で作るので、出来立てを食べられますよ」

「どっ、どれもお洒落過ぎて目がくらくらするというか……あっ、ドライカレーとかもあるんですね。これにしようかな……」

「いいですね。ここのホテルのドライカレーは有名らしいですよ。私も食べたことがないので、同じものを注文しましょうかね」

「あっ、じゃあ、これにします」

 

 どうやら有紗も同じものを頼むというのが決め手になったみたいで、ひとりはドライカレーを注文することに決めた。

 タブレットを操作してふたり分のドライカレーとドリンクを注文すると、それほど時間がかからず料理が運ばれてきた。

 

「……すっ、凄くお洒落……やっ、やっぱり、ハイソサエティって凄いです」

「ドライカレーは果たしてハイソサエティなのでしょうか?」

「おっ、お洒落で高級そうならハイソサエティです」

「ふふふ、なるほど」

 

 他愛のない会話をしつつ隣り合うように席に座ってドライカレーを食べるふたり、向かい合う形で座っていないのは一種の癖のようなものかもしれない。

 ひとりの家でおやつなどを食べる際に、並んで食べることが多いので自然とこういう時には隣同士に並ぶことが多い。

 

「……あっ、美味しい」

「体にいいスパイスも使われているので、疲労回復にもいいですね」

 

 ふたりっきりのシチュエーションであり、こうして一緒に食事をしている。前回江の島にて「あ~ん」をした実績もあるという条件も整ってはいる。有紗がアプローチに動いてもおかしくない状況ではあったが、有紗が動くことは無く、穏やかに雑談をしながらひとりと共に食事を楽しんでいた。

 というのも、そもそも有紗は基本的にひとりが最優先であり、アプローチはその次の優先順位だ。今回は前日の江の島観光で疲労しているひとりのリラックスという目的で来ているので、変にアプローチをしたりはせずにひとりがリラックスして過ごせるようにしている。

 まぁ、それでもそもそも、有紗にとってこうしてひとりとふたりきりで食事できている時点で、どうしようもないほど幸せではあるのだが……。

 

 

****

 

 

 食事を終えたあとは2時間ほど休憩室でテレビや雑誌を見て食後の休憩を挟んでから、岩盤浴を行うために専用の部屋に移動する。こちらも高級スパらしく広々とした上品な空間であり、若干気圧されたひとりは有紗の手を握りつつ尋ねる。

 

「あっ、岩盤浴って初めてなんですけど、いっ、陰キャでもできますかね?」

「大丈夫です。難しいものではありませんよ」

 

 ひとりを安心させるように微笑んだあとで、有紗はひとりを連れて大きなタオルが敷かれた岩盤プレートの前に移動して、簡単に説明を始める。

 

「まず最初にうつ伏せで5分から10分程度寝転びます。こうすることで、内臓を温めてデトックス効果が高まると言われていますね」

「あっ、はい。こっ、こんな感じですか」

「ふふ、ええ、ですがちょっと肩に力が入り過ぎですね。ちょっと失礼します」

「ひゃっ!? あっ、有紗ちゃん?」

 

 どこか緊張した様子で寝転ぶひとりを見て苦笑したあとで、有紗はひとりの肩に手を当て軽く揉み解すように手を動かす。

 

「力を抜いてリラックスしてください」

「うっ、あっ、は、はい」

 

 優しい有紗の声を聴き少し安心したのかひとりの肩から力が抜け、それを確認した有紗はひとりと同じようにうつ伏せで寝転んだ。

 

「あっ、お、思ったほど……熱くはないんですね」

「岩盤浴はサウナなどと比べて45度程度で、温度は低めですからね。じっくり体を芯から温めるためですね」

「なっ、なるほど……なっ、なんだかいい匂いもしますね」

「アロマの香りですね。岩盤浴の室内はリラックスできるようにアロマを焚くところも多いんですよ」

「かっ、香りまでお洒落……うっ、ほ、本当に私とは縁遠い世界過ぎます」

 

 部屋も装飾も香りも、どれもお洒落で上品な印象であり、普段は主に押し入れの中で活動することが多いひとりにとっては、まさに未知の環境とも言える空間だった。

 

「そんなことないですよ。たまたま縁が無かっただけで、いまは実際こうしてその世界にいるわけですしね」

「いっ、いや、有紗ちゃんが居なければ絶対こんなとここれないです。最初の入り口で回れ右して帰ってますよ」

「私が居れば大丈夫ですか?」

「あっ、有紗ちゃんが居れば……まぁ、その、あっ、安心できますし……こっ、こうして実際大丈夫ですから……」

「でしたら、次の機会も一緒に来ましょうね」

「うっ……はい」

 

 楽し気に微笑む有紗を見て、ひとりは少し顔を赤くして言葉を返す。その頬の赤みは少なくとも、岩盤浴によるものとは別の要因があるように見えた。

 

「うつ伏せで温めたあとは、後向けに寝転んで15分ほどゆっくり汗をかきます」

「ふぅ……なっ、なんか、じんわり温かくて気持ちいです」

「ええ、本当にいつまでもこうしていたいぐらい心地よいのですが……岩盤浴は汗も多くかくので、15分ほど仰向けで寝転んだあとは、隣の部屋で休憩しつつ水分を補給します。15分ほど休んだらまた岩盤浴に来てという繰り返しですね」

 

 有紗の説明に頷きつつ、ひとりは仰向けに寝転んで岩盤浴の温かさに気持ちよさそうな表情を浮かべる。出てくる汗も不快なものではなくサラッとしており、全身がリラックスしているような心地良さがあった。

 

(……これ、結構好きかも。なにより専用ルームばっかりで、他の人が居なくて有紗ちゃんとふたりだけなのが安心できる。い、いや、セレブ御用達みたいな場所だからこそだろうけど……コミュ症の私としては、ありがたい)

 

 人見知りのひとりにとっては、スタッフであっても多く居ると委縮してしまう。有紗はその辺りもよく分かっているので、おそらく事前にあまりスタッフが付かないように話を通してくれたのだろう。岩盤浴などの入り方についても有紗が説明してくれており、ひとりとしては緊張することなくリラックスできていた。

 有紗の気遣いを嬉しく思い、口元に小さく笑みを浮かべながらぼんやりと思考を巡らせる。

 

(こうやって、有紗ちゃんとふたりでのんびり過ごせるのは……好きだなぁ。有紗ちゃん優しいし、一緒に居て安心できるし……)

 

 そんなことを考えていたからだろうか、寝転がってたひとりの手は無意識に動いて、隣で同じように仰向けに寝転んでいた有紗の手に触れる。

 それに気付いた有紗は一瞬キョトンとした表情を浮かべたあとで、穏やかに微笑みながら口を開いた。

 

「……また、手を繋ぎますか?」

「はぇ? あっ、え!? す、すす、すみません! あ、あれ、なんか変な癖になってたというか、有紗ちゃんと手を繋いでると安心できるから無意識にというか……ああもうっ、えと、つつ、つまりこれはその……」

 

 完全に無意識で有紗の手を取ろうとしていたことに気付き、ひとりは赤い顔で慌てたように告げるが、それを見た有紗はどこか楽しそうに微笑みながら、ひとりに見えるようにスッと手を差し出した。

 

「なにも、問題ないのではないでしょうか? 私はひとりさんと手を繋げるのは幸せなので、嬉しいですよ」

「……うっ、あ、有紗ちゃんはすぐそうやって恥ずかしいことを平気で……うぅぅ……」

 

 隠すことなく真っ直ぐに好意を向けてくる有紗に対し、ひとりはより一層顔を赤くしつつ……それでもどこか、有紗らしいと感じながら……有紗が差し出した手を少し強めに握ってから、恥ずかしそうに顔を逸らした。

 

「……がっ、岩盤浴って……暑いですね」

「ふふ、はい。たしかに今日の岩盤浴は、いつもより暑いかもしれません。ですが、私はこの暑さも嫌いではないですよ」

「……あっ、私も……嫌いでは……ないです」

 

 岩盤浴によるもの以上の温もりを繋いだ手に感じながら、有紗とひとりはどこか気恥しくも心地よい温もりの中で、しばしふたりきりの時間を楽しんだ。

 

 

 

 




時花有紗:ひとりとのんびりふたりっきりの時間を楽しんでいる。思い付きでの行動ではあったが、今後もたまにこうして一緒に来たいなぁと思っている。

後藤ひとり:順調に有紗との距離感がバグっており、普通にイチャイチャしてきてる感じがするぼっちちゃん。


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十六手躊躇の申し込み~sideA~

 

 

 2学期も始まり秋が近くなってきましたが、まだまだ気温は高く夏の気候がしばらく続きそうな日。私は現在STARRYに向かっていました。

 STARRYに向かっている理由としては、放課後に喜多さんからロインを貰ったからでした。

 

『後藤さんが文化祭ライブに結束バンドで出たいみたいだけど、勇気が出なくて迷ってるみたいで、出来れば話を聞いてあげてくれないかな?』

 

 といった内容でした。喜多さんは今日は予定があるらしくSTARRYにはいかないそうですが、ひとりさんの様子を心配してくださっている感じでした。

 もうそれなりに通い慣れた道を歩いてSTARRYに到着し、開店前の店内に入ると皆さんが集まって話をしているみたいでした。

 

「こんにちは、皆さん」

「あっ、有紗ちゃん!」

 

 私が挨拶をすると、ひとりさんがこちらを見て少し表情を明るくしました。しかし、瞳の奥には不安と迷いが見えます……確かに、喜多さんの言う通り悩んでいるような雰囲気がありますね。

 

「あれ? 有紗ちゃん、どうしたの?」

「えっと、喜多さんからロインを貰いまして、ひとりさんが悩んでいるみたいなので相談に乗ってあげて欲しいと……」

「きっ、喜多さんが?」

 

 虹夏さんの質問に答えると、どうやらひとりさんも喜多さんが私にロインを送った要因には心当たりがある様子でした。

 

「ちょうどいまその話をしてたところ」

「たしか、文化祭のライブに出るという話でしたっけ?」

 

 リョウさんから話を聞くに、どうも訪れたタイミングが丁度よかったみたいで皆さんが集まって話していたのは文化祭のライブについてだったようです。

 虹夏さんやリョウさんは乗り気で、喜多さんもロインの様子を見る限り参加したいと考えているみたいですが、ひとりさんは最後の決心がつかないという感じみたいです。

 

「なるほど……ひとりさんの気持ちはよく分かります。普段のライブハウスとは違って、学校のステージとなるとやはり緊張しますね。失敗してしまったら、これからの高校生活で肩身の狭い思いをするのではないかとか、いろいろ考えてしまうでしょう」

「……あっ、はい。正直、そうなったら卒業まで耐えられる気がしないですし……こっ、これまでのライブだって、緊張してガチガチだったのに、文化祭ステージなんて……」

「……でも、出たいという気持ちもある。ですよね?」

「……はい」

 

 チラリとひとりさんの手元を見てみれば、そこには文化祭ステージの申込用紙が握られており、口ではいろいろ言いつつも出ることを諦め切れてはいないという印象でした。

 ただ、現時点では出たいという気持ちより失敗したらという恐怖の方が勝ってしまっており、それが原因であと一歩を踏み出せないという感じですね。

 

「あくまで私の考えではありますが……後悔もそうですが、心の中にある願いから目を背けるのが一番辛い結果になるのではないかと思います」

「ねっ、願いから……目を背ける……」

「己を納得させるための言い訳ならいくらでも浮かぶと思います。今年にこだわる必要はない、来年にもっと実力を付けてからの参加でもいいなど、出ない理由なんていくらでも見つけられるでしょう。ですが、きっと出たかったという思いは、ずっと心の中で燻り続けてしまうのではないでしょうか?」

「そっ、それは……確かに……そうかもしれませんが、でも……」

 

 ひとりさんは中学時代にバンド活動をしたくても出来なく、人一倍動かなかったことに対する後悔などには覚えがあるのでしょう。私の告げた言葉にも、思い当たるものがあるのか悩むような表情を浮かべていました。

 ですが、やはりなかなか踏ん切りは付かない様子。ひとりさんは、自己肯定が低めとでも言うべきか、少し己に自信がないという部分があります。

 でも、逆に誰かのためなら勇気を出して頑張れるという強い心も持ち合わせている方です。

 

「……なので、いまから私はとてもズルいことを言います」

「え? ずっ、ズルいこと、ですか?」

「はい。とってもズルいことです……ひとりさん、私はひとりさんと結束バンドの皆さんが文化祭のステージで演奏するのを見てみたいです。なので、ひとりさんが怖がっているのも分かった上で、私の欲望を優先してお願いしてしまいます……ひとりさん、私のワガママを……叶えてくれませんか?」

 

 微笑みながら告げた私の言葉を聞いて、ひとりさんは大きく目を見開いたあとで……小さく笑みを浮かべて苦笑しました。

 

「……ほっ、本当に、凄くズルいです。あっ、有紗ちゃんにはいつもいっぱい助けてもらってますし、お世話になってますし……そんな風にお願いされたら、断れないです」

「はい。私はこう見えてとてもズルい女なので、嫌がるひとりさんに無理やりワガママを聞いてもらおうとしています。私の為に、頑張ってくれませんか?」

「……はい。有紗ちゃんの願いなら、叶えてあげたいですし……がっ、頑張ってみます」

 

 そう言って答えるひとりさんの目には、先ほどまでの怯えではなく小さくとも力強い光が宿っており、これならばたぶん大丈夫だと、そう感じられる雰囲気がありました。

 

「う~ん、このぼっちちゃんに対する特攻具合だよ」

「さすが、未来の妻」

 

 

****

 

 

 せっかくSTARRYに来たので、そのまま帰るというのももったいなかったので、当日券を購入してライブと……ひとりさんのアルバイト風景を見学していくことにしました。

 いえ、もちろんライブハウスなので音楽を楽しむという目的はあります。ひとりさんのアルバイト風景を見たいという気持ちは98%ぐらいです。

 

「……働いているひとりさんは、カッコいいですね」

「あっ、え、えへへ……そそ、そうですかね? やっ、やっぱり、ある程度バイトしてきたから、様になってますかね?」

「はい。スタッフとしての風格がありますね」

「うっ、うへへへ……」

 

 ドリンクスタッフとして働いているひとりさんは、普段とはまた違った雰囲気でとても素敵でした。幸い今日は平日ということもあってそこまで極端にライブハウスが混雑しているわけでは無いので、こうしてひとりさんと雑談する余裕もあって素晴らしいです。

 

「……実際に、マジで普段よりテキパキ動いてるんだよなぁ」

「有紗ちゃん効果だね。ぼっちちゃん、有紗ちゃんが居る時は精神面がかなり安定してるしね」

 

 いっそ私もひとりさんと一緒にアルバイトをしたいという気持ちすらありますが……さすがに、習い事などもあるので、アルバイトまで始めてしまうと時間が厳しくなってしまいます。

 その結果、ひとりさんとふたりで過ごす時間が減ってしまっては本末転倒なので、一緒にアルバイトというのは諦めましょう……忙しい日にヘルプとしてとかなら、可能性は……いや、ですが、忙しくてはひとりさんと過ごす時間も減りますし、ままならないものですね。

 

「オレンジジュースください」

「あっ、は、はい……どっ、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 ひとりさん自身から聞いた話では、接客が苦手ということではありましたが、確かに笑顔こそ若干ぎこちなさはありますが、しっかりと接客できている様に感じられました。

 

「ひとりさんが自分で言うよりずっと、ちゃんと接客できてると思いますよ」

「えへへ……」

 

 可愛らしいひとりさんの笑顔を見て、一緒にライブを楽しむ……さらに閉店を待てば、バイトが終わったひとりさんと一緒に駅まで歩くこともできるというのは、本当に私に得ばかりです。

 時間に余裕がある日には、今日のようにSTARRYでライブとひとりさんを鑑賞するのもいいかもしれませんね。

 

「……有紗ちゃんマジでちょくちょく来てくれねぇかな」

「居ると、ぼっちちゃんの安定感が違うよねぇ~」

 

 

****

 

 

 STARRYの閉店時間となり、後片付けを少し手伝ったあとでひとりさんと並んで駅に向かって歩きます。

 

「まだ日中は暑いですけど、夜は少し涼しくなってきましたね」

「あっ、そうですね。なんだかんだで秋が近くなってきてるのかもしれませんね」

 

 他愛のない会話をしつつ穏やかに歩いていると、ひとりさんがチラチラとこちらの様子をうかがうような仕草をしていました。

 なにか言いたいけど言い出せないような、そんな空気を感じたのでひとりさんの方を向いて微笑みます。

 

「どうしました?」

「あっ、えっと……はい。有紗ちゃん、今日はその、ありがとうございました」

 

 そのお礼の言葉がなにに対してなのかは、考えるまでもなく分かります。ですが、まぁ、ここは少しとぼけてみることにします。

 

「はて? なんのことですか? 今日は、私のワガママをひとりさんに聞いてもらっただけですよ」

「……きょっ、今日の有紗ちゃんは、やっぱりちょっとズルくて……凄く優しいです」

「全部分かった上で、私の願いを聞いてくれるひとりさんも、十分優しいですよ」

 

 私の言葉がひとりさんの文化祭ステージ参加を後押しするためにワザとひとりさんが断りにくい言い方をしたというのは、ひとりさんも気付いているのでしょう。

 その上で私の思惑に乗っかってくれるのは、間違いなくひとりさんの優しさでしょう。

 

「あっ、あの……有紗ちゃん」

「はい?」

「ひとつ、お願いしても、いいですか?」

「はい。なんでしょうか?」

 

 歩きながら少しだけ遠慮気味に尋ねてくるひとりさんに、微笑みながら聞き返します。そもそも私の中にひとりさんのお願いを聞かないという選択肢は無いのです。

 

「……あっ、えっと……頑張れって、言ってくれませんか? 有紗ちゃんに応援してもらえると、その、勇気ができるので……」

「……ひとりさん、文化祭のステージ楽しみにしています。頑張ってください」

「……はい!」

 

 私の言葉にひとりさんは表情を明るくして頷いてくれました。どうやら迷いは振り切れた様子ですし、文化祭のステージが楽しみですね。

 ひとりさんを駅で見送った後、私は喜多さんにことの経緯をロインで伝えておきました。

 

 そして翌日、ひとりさんから無事に文化祭のステージの申し込みを出すことができたと報告が届きました。申し込んだのは文化祭2日目のステージということなので、10月2日に行われるみたいです。

 いまから本当に楽しみですね。今回もひとりさんにとって、いい結果となってくれればなによりです。

 

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんにとっての精神的支えとなっており、今回も見事ぼっちちゃんの背中を押した。

後藤ひとり:ぼっちちゃん。原作とは違い、有紗という精神的な支えがあるので、申込書用紙を捨てずにSTARRYに持って来ていたし、最終的には自分で申し込みを行った。

喜多郁代:今回のMVP。


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十六手躊躇の申し込み~sideB~

 

 

 2学期が始まりひとりが通う秀華高校では、10月1日と10月2日の2日間にかけて行われる文化祭である秀華祭に向けてHRでクラスの出し物を話し合っていた。

 とはいえ持ち前のコミュ症で学校内でも喜多以外に友達と呼べる相手のいないひとりは、積極的にHRに参加することは無く……もとい、一致団結という彼女にとってのトラウマワードが出た時点で意識を飛ばし、しばし妄想をしている間に、出し物は決まってしまっていた。

 ひとりのクラスである2組の出し物はメイド執事喫茶に決定し、女子は全員メイド服を着ることに決まった。

 

(わ、私がメイド……む、無理、戦力外過ぎ……あっ、有紗ちゃんは絶賛してくれそうな気も……褒めてはくれる。有紗ちゃん優しいし、絶対褒めてくれる……それは間違いない)

 

 メイド服着用という言葉に再び意識を飛ばしかけたひとりだったが、己がメイド服を着た場合、明らかに喜んでくれそうな相手が思い浮かんでそちらに意識が向いた。

 

(ま、まぁ、その、有紗ちゃんに見せるだけなら別に……着ても……その、喜んでくれたら嬉しいし……で、でも、メイド姿で接客は……うぅぅ)

 

 そんなことを考えていると、文化祭2日目に行われるステージでの出し物について、個人で参加を希望する人は用紙に記入して生徒会前の箱に入れるようにという話が出た。

 そもそもひとりがギターを始めたのは、人気者になってチヤホヤされたいという動機が発端であり、文化祭でのライブはある意味憧れの舞台のひとつだった。それこそ妄想の中で1000回以上ライブを行うほど……だから、だろうか? HRが終わって気が付いた時には、彼女は生徒会室前の専用BOXの前に申し込み用紙を持って立っていた。

 

(え? あれ? なんで私生徒会室の前に……何この紙? バンド出演希望……結束バンド!? う、うわぁぁぁぁ!? 私、いったいなにを!!)

 

 気づかぬ内に申し込みかけていたことに慌てたひとりは、用紙を持って即座にその場から逃げ出した。

 

 生徒会室からある程度離れた廊下で、ひとりは自分が書いたであろう申し込み用紙をジッと見つめながら思考していた。

 

(……個人ステージ……出たいって気持ちはあるけど……まだSTARRYですらロクにライブをしてないし、勇気が……)

 

 文化祭のステージに結束バンドのメンバーと一緒に立ちたいという思いは間違いなくあるが、それでも己が普段通っている学校の文化祭においてライブをやる勇気は沸いてこず、悶々とした表情で用紙を見つめ続けていた。

 

「あれ? 後藤さん? なにしてるの?」

「あっ、き、喜多さん! なな、なんでここに……」

「たまたま通りがかっただけだけど……その用紙ってもしかして、個人ステージの申し込み?」

「あわわわ!? ここ、これはその、えっと……」

「いいじゃない! 私も出たいと思ってたのよ!」

「うぐっ……」

 

 たまたま通りがかった喜多は、ひとりが手に持っていた用紙を見て明るい笑顔を浮かべて告げる。その勢いに押されて顔を青ざめさせつつも、ひとりは慌てた様子で告げる。

 

「あっ、いや、えっとこれはその、一時の気の迷いといいますか……」

「後藤さんは、個人ステージに出たくないの?」

「……あっ、いや、えっと……出たくないわけでは無いですが……でもでも、私みたいな陰キャが文化祭の、すす、ステージなんて無理で……そもそも、虹夏ちゃんとリョウさんは他校ですし……」

「きっとふたりもOKしてくれるわよ! それに、時花さんも喜んで見に来てくれるわよ!」

「……あっ、有紗ちゃんが……喜んで……うっ、うぅぅ……」

 

 有紗という言葉を聞いて、ひとりは先ほどまでより迷いの強い表情を浮かべる。先ほどまではどちらかといえば否定的な……「出たいけど無理」というような思考に寄っていたのだが、有紗の存在はひとりにとってかなり大きく、有紗の名前が出たことで出たいという気持ちが強くなりつつあった。

 

「……あっ、えと、す、すみません。猶予を……どうか、考える時間をください」

「そっか、まぁ、無理強いするものでもないしね。あっと、ごめんね。私友達と約束があるから、そろそろ行くわね」

「あっ、はい。すす、すみません。時間をとらせて」

「……後藤さん、私は賛成だからね!」

 

 そう言って笑顔を浮かべたあとで、喜多は軽く手を振りながらひとりと別れて校門に向かった。そしてその途中でスマートフォンを取り出した。

 

(後藤さん、だいぶ迷ってるみたいだった。たぶんこの状況を解決できるのは、時花さんぐらいかな? 明らかに時花さんの名前を聞いて、迷ってるみたいだったし……)

 

 出たいけど勇気が出ないという状況のひとりの背中を押すことができるのは、有紗を置いて他には居ないだろうと判断した喜多は、有紗に簡単な事情を説明したロインを送り、ひとりの相談に乗ってあげて欲しいとお願いした。

 できれば上手く行って、文化祭のステージに結束バンドのメンバーで立てることを願いつつ……。

 

 

****

 

 

 バイトの為にSTARRYにやって来たひとりだったが、表情は浮かないままで申し込み用紙を手に持って見つめていた。

 すると同様に学校が終わって来た虹夏とリョウが現れ、ひとりの様子を見て首を傾げた。

 

「あれ? ぼっちちゃん、どうしたの? なんか浮かない顔だけど……」

「あっ、虹夏ちゃん、リョウさん……いっ、いえ、これはその……」

「なにその紙……文化祭ライブの申し込み?」

「あぅ、そっ、その……実は……」

 

 リョウの言葉にひとりはポツポツと事情を話し始めた。文化祭の2日目に個人ステージの申し込みが可能であり、そこに結束バンドで出たいという思いがあるが迷っていると……。

 

「なるほど、いいじゃん! 出ようよ。私もリョウとは文化祭ライブ出たことないし、出たいな~」

「えっ、そうなんですか?」

「バンド組んだの最近だし、うちの学校厳しいからそういうの無いんだよ。中学の頃はお互い別のバンドしてたしね」

「私もオリジナル曲をハコ以外でライブしたいし賛成……ちなみに私は中学の時に文化祭ライブに出て、マイナーな曲弾いて会場お通夜にしてやった」

「なんで誇らしげなんだよ……」

 

 文化祭ライブに乗り気な様子の虹夏とリョウを見て、ひとりは再び悩むような表情を浮かべる。するとそこに星歌やPAも近づいてきて話に入って来た。

 

「まぁ、迷ってるぐらいなら出た方がいいと思うぞ。一生に一度の青春の舞台だしな」

「ですね~きっとなるようになりますよ~」

「……お姉ちゃん文化祭ライブなんてしたことないじゃん」

「そもそも高校自体ロクに行ってないしな」

「私は中退でーす」

「……ふたりともよくそれで、堂々とした顔で話に入ってこれたよね……」

 

 話に入って来たわりにはまったく戦力にならなかった大人ふたりに、虹夏がなんとも言えない呆れた表情を浮かべる。

 そのタイミングで、リョウがひとりに穏やかな口調で話しかけた。

 

「ぼっちの迷ってる気持ちもわかる。下手したら……というか、絶対ハコより多い人数の前で演奏するわけだし不安になって当然……正直、お通夜状態になった文化祭ライブは今でもたまに夢に見る。地獄だった」

「トラウマになってるじゃん……リョウはぼっちちゃんを慰めたいのか追い詰めたいのか……けど、まぁ、無理して出る必要も無いよ。それこそ機会なら来年だってあるわけだしね。ぼっちちゃんが後悔しない選択が一番だと思うよ」

「虹夏ちゃん……そっ、そうですね。後悔……でも……」

 

 今年は見送って来年出場する方法もあると、ひとりの不安を和らげるように笑顔で告げる虹夏を見て、ひとりは少し表情を明るくしつつもまだ悩んでいる様子だった。

 根底としてひとりには結束バンドのメンバーと文化祭ライブに出たいという思いはあり、それはひとり自身も自覚している。

 つまり、現状のひとりに必要なのはあと一歩を踏み出すための勇気であり……彼女にはそういった時に決まって背を押してくれる心強い存在が居た。

 

「こんにちは、皆さん」

「あっ、有紗ちゃん!」

 

 STARRYを訪れた有紗を見て、ひとりはパァッと明るい表情を浮かべた。いま、まさに会いたいと思っていた相手……いつもひとりの背を押してくれる大好きな友達。

 喜多から話を聞いたという有紗は、優しい微笑みでひとりの相談に乗り、そして……。

 

「いまから私はとてもズルいことを言います」

「え? ずっ、ズルいこと、ですか?」

「はい。とってもズルいことです……ひとりさん、私はひとりさんと結束バンドの皆さんが文化祭のステージで演奏するのを見てみたいです。なので、ひとりさんが怖がっているのも分かった上で、私の欲望を優先してお願いしてしまいます……ひとりさん、私のワガママを……叶えてくれませんか?」

 

 いたずらっぽく笑いながら告げられたその言葉を聞いて、ひとりは目を見開いた。彼女とて馬鹿ではない。有紗のこの言い回しが、文化祭ライブに出るためのあと一歩の勇気が出ないひとりの背中を押すためだというのも分かっている。

 だが、たとえそうだとしても、彼女にしてみれば滅多にない有紗のワガママ……いつも優しく自分を支えてくれる大好きな友達の願いを叶えないなどという選択肢を選べるわけがなかった。

 

(……本当に有紗ちゃんは……ズルいなぁ……ズルくて優しいよ)

 

 思わず目の奥にジーンとした痺れを感じながらひとりは小さく苦笑をして、有紗の目を見つめ返しながら口を開く。

 

「……ほっ、本当に、凄くズルいです。あっ、有紗ちゃんにはいつもいっぱい助けてもらってますし、お世話になってますし……そんな風にお願いされたら、断れないです」

「はい。私はこう見えてとてもズルい女なので、嫌がるひとりさんに無理やりワガママを聞いてもらおうとしています。私の為に、頑張ってくれませんか?」

「……はい。有紗ちゃんの願いなら、叶えてあげたいですし……がっ、頑張ってみます」

 

 不思議なものだった。先ほどまではアレだけ尻込みしていて、どうしても踏み出すことができなかった一歩……だがそれが、有紗のために頑張ると思えば、どうしようもなく簡単に踏み出せるような気がした。

 

 

****

 

 

 一夜明けた翌日、登校してすぐにひとりは生徒会室前の専用BOXに向かった。そして昨日は出せなかった申し込み用紙を見つめる。

 

(……不安が全部なくなったわけじゃない。いまだって怖いし、失敗したらって不安もある……けど、うん。文化祭ライブで頑張る姿を……有紗ちゃんに、見てもらいたいなぁ)

 

 そして有紗を思い浮かべて小さく微笑み、申し込み用紙をBOXに入れたあとで踵を返して廊下を歩きだした。

 そのまま自分の教室に向かっていると、途中でたまたま登校してきた喜多と遭遇した。

 

「後藤さん、おはよ~」

「あっ、お、おはようございます」

 

 軽く挨拶を交わして、そのまま教室の方に向かって歩きつつ……ひとりは、喜多に報告する。

 

「あっ、その……さっき、申し込み用紙を出してきました」

「そっか……決心付いたんだね」

「はっ、はい。その……ありがとうございました。喜多さんが、有紗ちゃんを呼んでくれたんですよね?」

「後藤さんには一番効果的だと思ったからね。それに、私も出たかったしね」

 

 実際喜多が有紗を呼んでくれなければ、ひとりは決心できなかったかもしれない。あるいは、結局申し込み用紙を出すことはできなかっただろう。

 背を押してくれたのは有紗だが、その切っ掛けを作ってくれたのは喜多であり、その気遣いに心から感謝していた。

 

「……素敵な思い出作りましょうね!」

「……はっ、はい! が、頑張ります!」

 

 喜多の言葉にしっかり頷いて、互いに小さく微笑み合ったあとでひとりと喜多はそれぞれの教室に向かっていった。

 

 

 

 




時花有紗:ひとりにとって圧倒的な精神安定をもたらしてくれる存在であり、居ないところでもかなり影響は大きい。有紗が居るとぼっちちゃんの奇行が減り、仮に奇行を起こしてもすぐに有紗が対応するので、傍に居るだけでぼっちちゃんの精神安定感が高くなるバフ持ちといえるかもしれない。

後藤ひとり:有紗の影響で原作より精神が安定しており、生徒会室前で地面に頭突きもしていないし、用紙も捨てなかったし、喜多にも文化祭ステージに出たいという思いがあることを伝えることもできたという感じで、なんだかんだでかなり影響を受けている。メイド服姿も、有紗だけに見られるなら別にいいかなぁと考えているあたり、もう結構フラグが建ってる気もする。



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十七手招待の新宿ライブ~sideA~

 

 

 9月の半ば、文化祭ライブへの参加を決めたひとりさんは結束バンドのメンバーの皆さんと練習に励んでおり、今日も練習日です。

 私もSTARRYにお邪魔させていただいて、練習を見学する予定で足を運びました。練習スタジオに入ると皆さんは既に集まってはいましたが、各々楽器のチューニングや調整をしておりまだ通しで練習するまでは時間がありそうでした。

 

「こんにちは」

「あっ、有紗ちゃん……こんにちは」

「いらっしゃい、有紗ちゃん。もうちょっとしたら新曲の練習する予定だよ」

 

 残念ながら現状では私がサポートスタッフとして手伝う必要があるような状況は無く、物販のポップ作り等を手伝う程度ですが、こうして訪れると快く迎えてくださるので皆さんとはいい関係が築けていると感じます。

 するとリョウさんがチラリと私が手に持っていた紙袋を見て目を輝かせました。

 

「有紗、それ、差し入れ? 食べ物?」

「……こら、リョウ」

 

 なぜかリョウさんはそれなりの頻度でお腹を空かせており、差し入れを持ってくるととても喜びます。今回もそれを期待していたようですが、残念ながら期待している品ではありません。

 呆れたような虹夏さんのツッコミに、思わず苦笑しつつ私は紙袋をリョウさんに差し出します。

 

「残念ながら、この袋の中身は食べ物ではありませんよ。まぁ、リョウさんに渡すものではありますが……」

「うん?」

「数日早いですが、誕生日おめでとうございます」

「……おっ、おぉぉ……ま、まさかのサプライズ。ありがとう、有紗」

 

 そう、この紙袋の中身はリョウさんへの誕生日プレゼントです。リョウさんの誕生日は9月18日。少し早くはありますが、会えたタイミングで渡しておこうと思って持ってきました。

 こういう記念事は大事ですしね。ちなみに虹夏さんは5月29日、喜多さんは4月21日ですが、残念ながら私が結束バンドの皆さんと知り合ったのは夏なので、既に過ぎていましたのでおふたりには来年ですね。

 なお、最重要であるひとりさんの誕生日は2月21日です。極めて重要な日なので、時間的猶予があるのはありがたいですね。万全の備えをして臨みたいと考えています。

 

「よかったじゃん、リョウ。あっ、私は当日会うしその時に渡すから」

 

 余談ではありますが、ひとりさんもリョウさんへのプレゼントは用意しています。少し前に相談を受けてアドバイスをしたので、誕生日前日にバイトであった際に渡す予定だそうですが、ここで私が言ってしまうのは野暮なので黙っています。

 

「……中身、気になりますね」

「……たっ、確かに……サイズはあまり大きくないですが、だからこそ逆に凄そうな気が……有紗ちゃんですし……」

 

 中身が気になるというのは人の性とでも言うべきか、喜多さんとひとりさんも興味深そうに視線を向けており、その視線の先でリョウさんは渡した袋の中からプレゼントの入った箱を取り出しました。

 

「……小さめの箱? あんまり重くはない。なんだろ?」

「う、うん? 高級感あるカード……リョウの名前が書いてる。なにこれ、凄そう」

「いえ、そんなに大したものでは……それは、この付近にあるホテルビュッフェのフリーパスカードですね。ホテルの場所は地図とQRコードを同封しています」

 

 私がリョウさんの誕生日プレゼントに用意したのは下北沢から近いホテルのビュッフェのフリーパスです。有効期間は3ヶ月で、その間は朝昼夜のビュッフェを好きなタイミングで楽しめます。それこそ仮に朝昼晩三食毎日食べたとしても問題はありません。

 そのことを説明すると、リョウさんは目を丸くしてカードと私を交互に何度も見ました。

 

「……え? じゃあ、これが有れば3ヶ月間ホテルビュッフェ食べ放題?」

「はい。ちなみに、虹夏さんやご両親などと一緒に行きたい場合もあるかもしれないと思いまして、同行者を2名まで連れていけるパスになっています。リョウさんはよくお腹を空かせているようですし、こういったものがいいかと思いまして……」

「……有紗、愛してる」

 

 私の説明を聞いたリョウさんは感極まったような表情を浮かべてくれました。喜んでいただけたようで、よかったです。

 

「……3人まで使えて、3ヶ月ホテルビュッフェ食べ放題のフリーパス? あ、あれ、絶対10万とか余裕で越えてるよね?」

「……さ、流石、時花さん……凄すぎますね」

「なっ、なんというか、安定の有紗ちゃんです」

 

 リョウさんに誕生日プレゼントを渡すという用件も終わり視線を動かすと、ひとりさんたちがこちらを驚き半分、呆れ半分といった表情で見ていたので、軽く微笑んでから重要なことを伝えておきます。

 

「ああ、もちろんひとりさんの誕生日には、万全の準備をして臨みますので、楽しみにしておいてくださいね」

「……ぼっちちゃん、ヤバいよ。たぶん、ぼっちちゃんの時は本気出してくるよ」

「あっ、あわわわわ……あっ、有紗ちゃん……その、きっ、気持ちは嬉しいですけど……ほ、ほどほどでお願いします。本当に、心から……」

 

 

****

 

 

 結束バンドの皆さんの練習をしばし見学し、練習が終わった後は片づけを手伝いました。今日はSTARRYは休みなので時間は十分にあるのですが、根を詰め過ぎても意味がないです。

 STARRYの店内に移動して、テーブルをお借りして当日のセトリ、曲目などのセットリストを考えようとしたタイミングで、突然きくりさんがやってきました。

 

「やっほ~遊びにきたよぉ」

「そうか、帰れ……いや、消えろ」

 

 例によって酔っぱらっているきくりさんを星歌さんが一蹴すると、きくりさんは虹夏さんに近付いてしがみつきながら口を開きました。

 

「ちょっとぉ、君のお姉ちゃんツン激しすぎない? 妹ちゃんは私がここに来ると楽しいよねぇ」

「帰ってください。私たちも暇じゃないんです」

「先輩に負けず劣らずの目をするようになったねぇ……」

 

 聞いた話だときくりさんは日頃からちょくちょく虹夏さんと星歌さんの家にも寄ってシャワーを借りたりしているらしく、さすがの虹夏さんも感情の籠っていない冷たい目で一蹴していました。

 するときくりさんは、気まずそうにキョロキョロと視線を動かしたあとで、私の方に駆け寄ってきてしがみついてきました。

 

「有紗ちゃぁぁぁん、皆が冷たいよ」

「そうですね。やはり常にお酒を飲んでいるとだらしない印象を与えてしまいますし、飲酒量を控えることから始めてみませんか?」

「……有紗ちゃんはさ、凄く優しくて私を邪険にはしないけど、隙あらば私のおにころを没収しようとするのがなぁ……」

 

 しがみついてきたきくりさんの頭を軽く撫でつつ、手に持っていた酒瓶を取り上げて机の端に置きます。だらしない大人の見本のような方なので困ったものではあります。まぁ、それだけの方ではないというのは分かりますが、流石にもう少し控えるべきでしょう。

 

「それで、いったいなにしに来たんだ? 今日はうちは休みだぞ」

「ぼっちちゃんたちが居るかな~って……有紗ちゃんも居たのは丁度良かったなぁ。えっと、たしかここに……」

 

 星歌さんの言葉に応えたあと、ジャケットの内ポッケからチケットらしきものを取り出し私とひとりさんに差し出してきました。

 

「これね、今日の私のライブチケット……前にふたりにはお世話になったからね。いつか招待しようと思ってたんだよ~」

「えっ、あっ、ありがとうございます」

「ありがとうございます、きくりさん」

 

 お礼を言ってチケットを受け取りますが……今日のライブ? 音合わせやリハーサルはいいんでしょうか? きくりさんのことなのでサボっている可能性も……。

 

「せっかくだし、君たちにもあげるよ。はい、どーぞ」

「ありがとうございます」

「あっ、お金」

「ですよね、チケット代を……」

 

 きくりさんは私たち5人全員を招待してくれるみたいで、虹夏さんたちにもチケットを差し出して言いました。リョウさんは素直に受け取ったのですが、虹夏さんと喜多さんは申し訳なさそうな表情で財布を取り出しチケット代を支払おうとしましたが、きくりさんは笑顔で首を横に振ります。

 

「いいよ、いいよ。あげるあげる」

「いや、でも……」

「無理しないでください」

「……え? 君ら、私のこと女子高生に押し売りするような貧乏バンドマンだとか思ってんの?」

「……違うんですか?」

「くそー! ぼっちちゃんは違うよね? そんなこと思ってないよね?」

 

 虹夏さんと喜多さんに哀れむような視線を向けられ、きくりさんは叫んだあとでひとりさんの方を向いてフォローを求めました。

 ひとりさんは急に話を振られてビクッと体を動かしたあと、考えるような表情を浮かべて口を開きます。

 

「……あっ、えっと……前に有紗ちゃんに、ご飯奢ってもらってました」

「お前……女子高生にまでたかったのか……人として終わってるぞ」

「誤解ですよ、先輩! ぼっちちゃんもあの場に居たから分かると思うけど、アレは無理!! だって、いまだから言うけどさ、私あの時コンビニでお金降ろしてたんだよ。女子高生の外食なんてファミレスか、いっても回転寿司くらいだと思ってたから、今日のお礼だよとかいって奢ろうと思ってたんだよ! ……でもあれは、無理なやつだから……」

 

 きくりさんが言っているのは以前の寿司屋での一件のことです。なるほど、どうやらきくりさんはあの時に私たちにお礼としてご馳走してくれる気でいましたが、予算の都合でそれが出来ず今回のライブの招待に切り替えたということなのでしょうね。

 

「まっ、まぁ、確かに……アレは無理です」

「だよね! 無理だよね!!」

「……そんなに凄かったのか?」

「だって3人で食べて二桁万円ですよ!?」

「……そうか、すまん。さっきの言葉は取り消す」

 

 ……実はあの時の寿司屋での会計の大部分は、きくりさんが飲んだ日本酒の代金なのですが……まぁ、それをわざわざ口にする必要もありませんね。

 

「……話それちゃったけど、私はこう見えてインディーズでは結構人気なバンドで、チケットノルマなんて余裕だし、物販でもかなり稼いでるから、気にしなくて大丈夫だよ」

「……ならなんで風呂無しアパートに住んで安酒飲んでるんだよ」

「……いっつも泥酔状態でライブするから、壁とか機材ぶっ壊して全部その弁償に消えるから……かな?」

「自業自得じゃねぇか……」

 

 気まずそうに目線を逸らすきくりさんに、星歌さんが呆れた表情で突っ込みます。ああ、だから、よく虹夏さんたちの家でシャワーを借りてるんですね。

 そんなふたりのやり取りを見ていると、ふとリョウさんがなにかを思い出した様子で財布からお金を取り出してひとりさんに差し出しました。

 

「忘れてた。ぼっち、借りてたお金」

「え? あっ、はい」

「……え? ぼっちちゃん、リョウにお金貸してたの?」

「あっ、えっと、はい……6月ぐらいに」

「返すの遅っ!? い、いや、でも、ちゃんと返すだけリョウにしてみればマシかな?」

 

 どうやらひとりさんはリョウさんにお金を貸していたようで、その返済だったみたいです。なぜこのタイミングという疑問はありますが、リョウさんが唐突なのはいつものことではありますね。

 ひとりさんは若干怪訝そうな顔で、何度かお金とリョウさんを交互に見てから口を開きました。

 

「……あっ、でも、なんで急に?」

「借りたお金は返す。当たり前のこと」

「いっ、いままで返してくれてなかったのに?」

「……うん。まぁ、その……江の島に行った日の夜に、怖い夢を見たから……うん。早めに返そうと思ってた。本当に!」

「あっ、はい」

 

 よくは分かりませんが、リョウさんはチラチラと青ざめた顔で私の方を見ていたのが印象的でした。

 

 

 




時花有紗:結束バンドとは良好な関係。ひとりの誕生日に関してはもうすでにいろいろ考えており、万全の準備で臨むつもりである。

後藤ひとり:有紗が来ると明らかに嬉しそう。有紗が来ると真っ先に反応する。誕生日に関しては、本当にほどほどでお願いしたいと心から思っている。

山田リョウ:当分飢えることは無さそう。江の島に行った日の夜に「お金を返していないことがバレて、有紗が怒る夢」を見たため、ぼっちちゃんにお金を返そうと思っていた。それでも2週間ほどかかるのはYAMADAクオリティである。

廣井きくり:この作中では、マジでぼっちちゃんにお金を借りたりはしていないので、クズ度は控えめな気がしないでもないが、やはりだめな大人。下北沢の大天使にまで絶対零度の目を向けられてる。有紗に縋りつけば優しく対応してくれるが、隙を見ておにころを取り上げられるので、リスクがあると言えばある。


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十七手招待の新宿ライブ~sideB~

 

 

 きくりの招待を受けて、きくりのバンドがホームとしている新宿FOLTを目指して移動する。当然ではあるが新宿が拠点であるきくりのバンドのホームであるライブハウスもその名の通り新宿にある。

 となれば、電車で移動すれば必然的に新宿駅を経由することになる。一日当たりの乗降客数は70万人を超え、各私鉄の乗降人数も合わせると1日当たりの利用者数で世界一とも言われる新宿駅を……。

 そうなると当然ながら通い慣れた下北沢でさえ、人の多い日にはビクビクしているひとりがどうなるかなど考えるまでも無かった。

 

「……あれ? ぼっちちゃん消えてない? どこ行ったの?」

「ああ、ぼっちちゃんならそこ……有紗ちゃんの背後に居ますよ」

 

 きくりが唐突に姿が見えなくなったひとりを探していると、虹夏がひとりの場所を教える。そう、ひとりは新宿駅について早々に有紗の背後に張り付いて、正面からは見えないほどピッタリと隠れてしまっていた。

 ひとりにとっていまこの状況で一番安心できる場所は有紗の傍なので、有紗の元に隠れるのは当然の帰結である。

 

「……あっ、有紗ちゃん、は、離れないでくださいね。そそ、傍に居てくださいね」

「大丈夫ですよ、ひとりさん。私が付いていますからね」

 

 なお、あくまで新宿駅で降りて改札を経由してライブハウスに向かうだけである。もちろんそれだけでもひとりにとっては決死の大冒険であるのは間違いないのだが、幸い有紗が居るおかげで逃げ帰ったりするような状態にはならなかった。

 仮にふたりきりであれば、有紗に手を繋いでもらっていただろうが、現在は他の結束バンドのメンバーやきくりも居るためその選択肢は選べない。

 ……まぁ、背中に張り付くのと手を繋ぐことのどちらが恥ずかしいかは、判断が難しいところではあるが……。

 

 

****

 

 

 きくりの案内で新宿の街を歩き、彼女が拠点とするFOLTに到着した。STARRY以外のライブハウスに来た経験がない喜多とひとりは、やや緊張した様子ではあったが、それでも同じライブハウスということで緊張はそこまででは無かった。

 

(ちょっと怖いけど、意外と大丈夫かも……ライブハウスはどこも一緒だ)

 

 そんな風に考えていたひとりだったが、ライブハウスに居た……きくりと同様にFOLTを拠点とするであろうバンドのメンバーと目が合うと……閃光のようなスピードで有紗の背後に隠れた。

 

「あっ、ああ、有紗ちゃん……たた、助けて……」

「大丈夫です。別に怒ってたりするわけではありませんよ。普段見慣れない私たちが来たので、気になって視線を向けてきただけですよ」

「そうそう、ああいう人たちも話せばいい人だから、怖くないよ」

 

 特に雰囲気に怯えた様子もない有紗が穏やかに微笑み、虹夏も怖がるひとりにフォローを入れる。

 

「銀ちゃん、おはよ~」

「あぁ?」

 

 それはたまたまの偶然ではあった。きくりがFOLTの店長である吉田銀次郎に声をかけた際に、銀次郎が振り返った視線の先に虹夏たちが居たというだけだ。

 しかし、薄暗い店内で強面の男性に睨みつけるような角度で視線を向けられたことにより、虹夏はビクッと怯えて目に涙を浮かべた。

 

「おっ、お姉ちゃんに会いたい……」

「ついに伊地知先輩まで!?」

 

 ただ、有紗はそんな銀次郎の視線にも特に怯んだ様子もなく、微笑みを浮かべながら軽く頭を下げる。

 

「初めまして、開店前に申し訳ありません。時花有紗と申します。今回はきくりさんの招待でお邪魔させていただきました」

 

 丁寧に挨拶をする有紗を見て怪訝そうな表情を浮かべていた銀次郎は一転して笑顔を浮かべる。

 

「あら~! ゲストの子たちなのね。私、ここの店長の吉田銀次郎37歳でーす。好きなジャンルはパンクロックよ~」

 

 強面といえる見た目からは想像もできないほど高い声で告げられた自己紹介に、有紗以外が見た目とのギャップに混乱した表情を浮かべると、きくりが期待通りの反応だったと言わんばかりに笑みを浮かべながら説明する。

 

「見た目とのギャップが凄いでしょ? 見た目は怖そうだけど、安心して~銀ちゃんは心が乙女なただのおっさんだからね……ていうか、有紗ちゃんは全然銀ちゃんに驚いてないね」

「優しそうな方に見えますよ。改めて、よろしくお願いします」

「あらっ、まぁ、びっくり……天使みたいに可愛い子ね。キラッキラに輝いてるみたいだわ」

 

 有紗が改めて挨拶すると、銀次郎は有紗のあまりにも整った容姿に驚いたような表情を浮かべる。彼は化粧や美容にも明るく、自身もかなり気を使っていることもあり、ノーメイクでとてつもない美貌の有紗に驚いている様子だった。

 

「ありがとうございます。店長さんもとても素敵ですよ。特に髪の艶などが素晴らしいです。かなり気を使って手入れされているのではないでしょうか?」

「あら? わかる? 髪のキューティクルは、ちょっとした自慢なのよね~」

「はい。かなり細かに手入れしなければ、その艶色は出せないかと……とてもお綺麗ですよ」

「あらやだ、この子凄くいい子じゃない! ドリンクサービスしちゃうから、今日は楽しんでいってね~」

「ありがとうございます」

「……いや、有紗ちゃんはビビんないだろうなぁとは思ってたけど、コミュ力凄いなぁ……銀ちゃん、ニッコニコじゃん」

 

 有紗が持ち前のコミュ力で銀次郎と楽しげに話していると、きくりのバンドであるSICK HACKのメンバーである岩下志麻と清水イライザがやってきた。

 

「おい、廣井。遅刻するなっていつも言ってるよな」

「もうリハ、終わっちゃったヨ!」

「ごめ~ん。まぁ、どうにかなるっしょ~」

 

 至極当然の文句を言うふたりにきくりは緩く謝罪する。その態度に呆れたような表情を浮かべたあと、志麻はふと有紗の方に視線を向けた。

 

「ああ、有紗ちゃん、来てたんだ。廣井がいつも迷惑かけて悪いね」

「こんにちは、志麻さん。以前はありがとうございました」

「あれぇ? 志麻と有紗ちゃんって知り合いなのぉ?」

「……いや、お前が私に機材やキーボードを運ばせたんだろうが」

「あっ、そうだったそうだった!」

 

 志麻は以前有紗がひとりときくりと三人で路上ライブを行った際に、必要な機材やキーボードを運んできた人物であり、その際に有紗に簡単にキーボードの使い方を指導したため交流があった。

 その後、志麻とイライザは結束バンドの面々に挨拶をしてからきくりと共にライブの準備のために控室に移動していった。

 

 人気バンドであるSICK HACKは集客力も凄まじく、数百という規模の人たちがライブハウスに集まってくる中、有紗と結束バンドのメンバーはドリンクを手に話をしていた。

 

「リョウ先輩、SICK HACKってどんなバンドなんですか?」

「ジャンルはサイケデリック・ロック。1960年代に流行したジャンルで……」

「先輩ってこんな流暢に喋れたんですね!?」

 

 元々SICK HACKのファンであり、ジャンルとしてもサイケが好きなリョウは喜多の質問に目を輝かせて熱く語り始めた。

 

「いまはややマイナーなジャンルですが、根強い人気がありますね。メジャーで言うと、プラネット・ポイズンなどがサイケデリックで活躍していますね」

「……そこで、すぐにプラポイが出てくるとは……有紗、もしかしてかなり語れる?」

「ロックに関しては一通り勉強しましたので、浅くはありますがサイケデリックも勉強しました」

「今度、ゆっくり話そう。アルバムとかの話したい」

「そうですね。機会があれば是非」

 

 そんな話をしているうちに準備が整ったようでSICK HACKのライブが間もなく開始されるという状態になった。

 

「楽しみですね」

「あっ、はい。お姉さんが上手いのは、前に路上ライブした時から分かってましたけど、実際の演奏を聴くのは初めてなので、楽しみです」

「人がかなり多いですが、大丈夫ですか?」

「……そっ、傍に居てくださいね? 勝手に居なくなっちゃ、嫌ですよ」

「ええ、大丈夫です。ちゃんと傍に居ますよ」

 

 有紗とひとりがそんなやりとりをしていると、準備が整ったようでSICK HACKのライブがスタートした。

 

 サイケデリックは独特かつ特殊で演奏には比較的変拍子が多いジャンルだ。だからこそ、演者の技量が他のジャンル以上に音楽の質に影響する。

 SICK HACKのライブはまさに圧巻の一言だった。それぞれがインディーズでもトップレベルの技術を持つ演者たちであり、それを廣井きくりというバンドの中心人物がまとめ上げる。

 観客たちもステージに釘付けとなり、音楽を通して数百人という人々が一体となっているかのような感覚に、ひとりは目を輝かせてステージを見ていた。

 

(お姉さん、キラキラしてる……やっぱり、バンドって、最高にカッコいいなぁ)

 

 普段はだらしない大人に見えるきくりがキラキラと輝いているようで、ステージに居る間は演者はヒーローであると実感できるかのようなその姿を、憧れの籠った目で見続けていた。

 

 

****

 

 

 演奏が終わった後は有紗と結束バンドのメンバーはSICK HACKの控室に招待され、そこで会話をしていた。

 虹夏、リョウ、喜多の3人が志麻と話しており、英語が堪能で海外旅行の経験も豊富な有紗もイライザと英語でイギリスについての話で盛り上がっていた。

 その光景を座ってぼんやりと見ていたひとりの隣に、タオルで汗を拭きながらきくりが座る。

 

「ふぅ~いい汗かいたぁ。ぼっちちゃん、私のライブどうだった~?」

「あっ、よかったです。凄く……お姉さんキラキラしてて、カッコよかったです。私とは違って凄いなぁって……」

「ふふ、そっかぁ、ありがとうねぇ~」

 

 ひとりの言葉に楽し気に笑った後、きくりは少し沈黙してから優しく微笑みながらひとりに話しかける。

 

「……前にさ、有紗ちゃんが私とぼっちちゃんは似てるところがあるって言ってたんだよ」

「え? あっ、有紗ちゃんが、ですか?」

「うん。流石だな~って思ったよ……実はさ、私って高校までは教室の隅でジッとしてるような根暗……いわゆる陰キャだったんだよね」

「……え?」

 

 きくりの言葉に驚きつつも、ひとりはどこか納得できるような気もしていた。漠然とした感覚ではあるが、きくりに対してはシンパシーのようなものを感じる気がしたからだ。

 

「似たもの同士は惹かれ合うのかもね~なんて、あはは……まぁ、話は戻るけど、そんな感じで高校は根暗に過ごしてたんだけど、ある時自分の将来を想像してみて、普通の人生過ぎてつまんねーって絶望しちゃってさ。真逆の生き方してやろうと思って、ロックを始めたんだよ」

「そっ、そうなんですね」

「うん。楽器屋でベース買うのも、ライブハウス行くのも、最初は凄い怖かったし……酒を飲み始めたのも、初ライブの緊張を誤魔化すためだったしねぇ。まぁ、今ではすっかり生活の一部になっちゃってるわけだけどね~」

 

 そう言って楽し気に笑った後、きくりは優しい声でひとりに話しかける。

 

「ぼっちちゃん……どんな奴だってさ、勇気さえあればキラキラできるよ。ぼっちちゃん自身は気付いてないかもしれないけどさ、路上ライブの時も箱でのライブの時も、私の目から見たぼっちちゃんは、ちゃんとキラキラしてたよ」

「……お姉さん」

「それにさ、私はぼっちちゃんのこと羨ましいなぁって思ってるしね」

「うっ、羨ましい? お姉さんが、私に対して……ですか?」

 

 突然羨ましいと言われて、ひとりはその理由が分からず首を傾げる、少なくともバンドマンとしてきくりは己より成功しており、過去はどうあれいまはあんなに凄いライブができる人物である。

 そんなきくりが己を羨む理由がすぐには思い至らなかった。そんなひとりを見て、小さく苦笑したあと、きくりは天井に視線を向けながら口を開く。

 

「……どんな奴だって、勇気さえあればキラキラできる。私にはその勇気を得るのに酒の力が必要だった。でも、ぼっちちゃんはそんな必要はなさそうだからね」

「あっ……それって……」

「大事にしなきゃ駄目だよ。勇気が欲しい時に、当たり前のように傍に居て、背中を押してくれる相手なんて欲しいと思っても見つかるようなものじゃないからね」

「……はい。そうですね。本当に、有紗ちゃんに会えてよかったです」

 

 きくりが羨ましいと言っているのが有紗に関してだと分かり、ひとりはどこか噛みしめるように頷く。彼女にとって有紗と巡り合えたことは間違いなく奇跡であり、運命の巡り合わせに心から感謝している。それほどまでに、ひとりにとって有紗という存在は大きい。

 しかし、だからこそ不安に感じる部分もある。

 

「……あっ、でも、その……考えてみると私って、有紗ちゃんにいろいろ貰ってばかりで、全然なにも返せてないなって……」

「そう? 私は、そんなことないと思うなぁ」

「え? でっ、でも……」

「だって、有紗ちゃん、ぼっちちゃんと一緒に居る時は凄く楽しそうだしね。なにも返せてないなんて絶対ないよ。というか、なんなら有紗ちゃんの方もぼっちちゃんと同じように貰ってばかりだ~って考えてるかもしれないぐらいだよ」

「……そっ、そう……ですかね?」

 

 いつも有紗に助けてもらってばかりで、なにも返せていないと告げるひとりに対し、きくりは優しい声でハッキリとそんなことは無いと返す。

 

「私はさ、ぼっちちゃんと有紗ちゃんって凄くいいコンビだって思うよ。なんていうのかな~互いに思い合えてるっていうのかな? 当たり前に相手のことを大切だって、相手になにかしてあげたいって思える関係っていいなぁ~って、そう思う……だから、不安にならなくても大丈夫。ぼっちちゃんは、ちゃんと有紗ちゃんにいろいろなものを返せてるよ」

「……あっ、そ、そうですかね? そう、だったら……嬉しい……です」

 

 きくりの言葉を聞いて、ひとりは微かに頬を染めながらはにかむような笑顔を浮かべた。有紗が自分と一緒に居ることで楽しいと感じてくれているのなら、それが心から嬉しいとそう思いながら……。

 

「……結婚式には呼んでね?」

「なっ、なな、なんでそう言う話になるんですか!? だ、だだ、だから、私と有紗ちゃんは、まだそういう関係じゃなくて……」

「ぼっちちゃん今日一声デカいじゃん。楽しそうでなによりだねぇ~」

「……うっ、うぅ」

「あはは、ごめんごめん。反応が面白くてついね。青春だねぇ……やけ酒したくなってきたよ」

 

 顔を赤くして睨んでくるひとりを見て、楽しげに笑ったあとで謝罪するきくり。それにしばし無言で威嚇するような表情を浮かべていたひとりだったが、少ししてため息とともに表情を戻す。

 そして、少し沈黙したあとで……ポツリと呟くように告げる。

 

「……あっ、あの、お姉さん。今度文化祭でライブをするので……よかったら、見にきてください。今日のお姉さんには及ばないかもしれませんけど、私もキラキラ出来るように……頑張ります」

「そっか……うん。楽しみにしておくよ~」

 

 

 

 




時花有紗:メンタル鬼つよでコミュ力も激烈に高いので、FLOTでも安定していた。キーボードの基本的な使い方は志麻に教わった。

後藤ひとり:習性として、有紗が近くに居ると有紗の背後に隠れる。ふたりきりなら手を繋いでいた可能性が高い。もうだいぶ有紗のこと好きだろこの子……。

廣井きくり:原作とは違いぼっちちゃんは既に文化祭ステージに出ることを決めているので、違う流れでお姉さん力を見せつけた。

壁:ゆ、許されたぁ……。


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十八手悩殺の文化祭1日目~sideA~

 

 

 10月1日。ひとりさんの通う秀華高校の文化祭1日目の日。私は虹夏さんとリョウさんと共にひとりさんの学校を訪れていました。

 結束バンドのライブは明日の10月2日、秀華祭2日目なのですが、文化祭自体は2日に渡って行われるため、今日は遊びに来た感じです。

 そして、ひとりさんのクラスの出し物は1日目がメイド喫茶。2日目が執事喫茶らしく、1日目である今日は……なんとひとりさんがメイド服を着て接客を行うという話なので、見に来ないなどという選択肢はありません。本当にいまから楽しみで仕方がないです。

 

「いや~凄い盛り上がりだね。私やリョウの高校とは全然違うね~」

「こういった行事は特に高校ごとの差が大きい印象ですね」

「ウチはいろいろ厳しすぎてつまらない感じだけど、有紗の学校は?」

「私の学校は入場制限が厳しいですね。在学生の家族か聖真女学院の中等部を受験予定の小学生とその保護者のみしか入場ができません。女子校なので、必然的に保護者以外では女性のみの参加になりますし、入場の際に身分確認などもあります」

「へぇ~やっぱりお嬢様学校だとその辺も厳しいんだね」

 

 虹夏さんとリョウさんの学校も文化祭は校則が厳しく、あまり自由に出店などはできないらしいです。私の学校は、出し物の制限はほぼありませんが、入場制限が厳しいです……無ければひとりさんを招待できたのですが、残念です。

 そんな風に話しながら移動していると、ふと妙な感じがして私は足を止めました。

 

「……有紗ちゃん、どうしたの? ぼっちちゃんの教室はこっちだよ?」

「ああ、えっと……申し訳ありません、先に行っておいていただけますか? 勘違いかもしれませんが、少し気になることがあるので……後ほど合流します」

「え? あっ、ちょっ、有紗ちゃん!?」

 

 断りを入れてから、私はひとりさんの教室がある方向とは全く別の方向に向かって歩き出しました。特に根拠などがあるわけでもないので上手く言葉で説明はできませんが……なんとなく、こちらにひとりさんが居るような……そんな気がしました。

 普通に考えれば、ひとりさんが居るのは自身のクラスに決まっているのですが……ここは直感と、愛の力を信じることにして足を進めていきます。

 

 出店がほとんどなく、文化祭で使用されていない教室が並ぶ人のほとんどいない通路をさらに進み、学校の中庭、あるいは裏庭に繋がるであろう道に辿り着きました。

 周囲に人影はまったく見えず、文化祭の喧騒すら遠くに聞こえる静かな場所ではありますが、やはりなんとなくひとりさんが居る気がします……この通路の先のドア……外でしょうか?

 

 足を進め横開きのドアに近付くと、見覚えのある桃色の髪が見えてきました。後ろ姿であっても私が見間違うことなどあり得ません。アレは間違いなくひとりさんです。しかし、なぜこのような人気のない場所に?

 疑問に感じつつ、扉を開けてひとりさんに声をかけます。

 

「……ひとりさん」

「ひゃぅっ!? あっ、ああ、有紗ちゃん!?」

「なぜこのような場所……に……」

「……有紗ちゃん?」

 

 なぜこのような場所に居るのですかと、そう問いかけようとしましたが、その言葉の途中で私の思考は塗りつぶされ言葉を失いました。

 私の声に振り返ったひとりさんは、エプロンドレスを付けたメイド服を着ており、その姿は私の思考を一瞬で吹き飛ばすほどの破壊力を備えていました。

 

「……か……か……」

「か?」

「可愛すぎます!」

「はぇっ!?」

「な、なな、なんですかこの愛らしさは……こ、こんなに可憐な生物が地球上に存在していていいのですか? 可愛らしさの限界値を越えてしまっているのではないでしょうか」

「え? あっ、有紗ちゃん? きゅっ、急になにを……」

「私は正直、メイド服というものを見くびっていたのかもしれません。多少の差異こそあれど、仕事着ですし割と見慣れたものであるという認識がありましたが、着る人によってここまで劇的な変化があるとは思いませんでした」

「……こっ、これ、たぶん、心の声的なやつですよね? あっ、あの、有紗ちゃん? 全部口から出てるんですけど……」

「もしかしたらひとりさんが普段着ているジャージは、一種の枷と言えるのかもしれません。もちろん普段のジャージ姿も愛らしく素晴らしいのですが、他の服装をした時の破壊力たるや筆舌に尽くしがたいと言えます」

「……あの、有紗ちゃん? 聞いてます? 聞いてない感じですね、これ……どっ、どうしよう……」

「いまのひとりさんは、美の化身と称しても過言ではないでしょう」

「い、いや、過言です! 過言過ぎます……美の概念が、助走つけて殴ってくるぐらい過言です」

「叶うのなら今すぐにでもひとりさんを力いっぱい抱きしめて、キスをして、そのまま教会に直行したいところではありますが、以前ひとりさんの私服を見た際にも冷静さを失って暴走してしまい迷惑をかけてしまいました。同じ過ちを繰り返すわけにはいきませんので、ここはグッと堪えなければ……」

「……えっ、えっと……いまのこの状態がすでに暴走のような気が……」

「い、いや、しかし……これだけ愛らしいひとりさんを前にして、暴走しない方が失礼という可能性も……」

「なっ、無いです。手遅れな気がしますが、暴走しないように、頑張ってください」

「はぁ、それにしても、本当になんて愛らしい……フリルが多目のデザインが、ひとりさんの甘く魅力的な容姿にマッチしていて、その美しさを何倍にも高めてくれているようです」

「あっ、あの、有紗ちゃん……その、恥ずかしいので、もうそのへんで……」

「とりあえず、なんとかお願いして写真を撮って……」

「有紗ちゃん!!」

「ッ!?」

 

 頭が真っ白になっていた私でしたが、ひとりさんが大きな声で私の名前を呼んだことで我に返りました。失態でした。つい頭が真っ白になって思考が停止してしまっていました。いや、むしろ思考が巡り過ぎて止まらなかったというか……ともかく、ひとりさんは目の前で沈黙されてさぞ不思議だったでしょう。

 

「申し訳ありません、ひとりさん。長く放心していたのかもしれませんが、つい思考が真っ白になって……」

「あっ、いや、放心というか……その、えっと……思考が口に声に出てましたけど……」

「………‥……え?」

 

 戸惑いがちに告げられたひとりさんの言葉を聞いて、私は再び停止しました。そしてサァッと体から血の気が引いていくような感覚を覚えました。

 

「……あ、あの、ひとりさん? 口に出ていたとは、その、どの辺りから……でしょうか?」

「……あっ、えっと……最初から全部……です」

 

 引いていた血の気が今度は一気に顔に集まってくるような感覚を覚えます。全部口に出ていた? 先ほどまでの思考が? とんでもない大失態です。

 顔から火が出そうとはまさにこのことですが、自身の恥より謝罪が先です。

 

「も、申し訳ありません! ま、まさか、全て口に出ていたとは……失態です」

「あっ、い、いえ、大丈夫です。そっ、その、有紗ちゃんでもそういう失敗をすることがあるんだなぁって、ちょっと新鮮でした」

「お恥ずかしい限りです……ただ、全て嘘偽らざる本心なので、問題が無いと言えばないですね」

「きっ、切り替え早っ……そして、相変わらず羨ましいぐらいにメンタルが強すぎです」

 

 失態を犯したのは恥ずかしいですが、口にしたことは全て本心であり、むしろ私の気持ちをストレートに知ってもらえたという意味ではプラスでもあります。

 実際にひとりさんの愛らしさは凄まじいですし、いまこうしているだけでも眩しすぎて目を細めてしまいそうなほど輝いて見えます。

 とはいえ、いつまでもひとりさんの美しさに魅了されているわけにも行きませんね。

 

「……私のせいで脱線してしまいましたが……ひとりさん、どうしてこのような場所に?」

「あっ、じ、実は、メイド服を着て接客って考えると恥ずかしくなって……無意識に嘘ついて逃げてきてしまいました」

「そうだったんですか……」

「あっ、で、でも、その……なんか、有紗ちゃんの顔見て、さっきの反応を見たら……ちょっと落ち着いてきました」

 

 そう言って苦笑するひとりさんからは、確かに暗い雰囲気は感じず、どこか楽しそうにも見えました。

 

「……あっ、そういえば、有紗ちゃんはなんでここに?」

「虹夏さんとリョウさんと一緒に来たのですが、なんとなくひとりさんがいるような気がしたので途中で別れてこちらに……」

「なっ、なるほど? けっ、けど……こうして、有紗ちゃんに会えて安心しました。あっ、そそ、そうだ。迷惑かけちゃうし、教室に戻らないと……」

「それなら、一緒に向かいましょうか。虹夏さんたちも行ってるはずですしね」

「……はい! あっ、で、でも、その……その前に……」

 

 ひとりさんはそこで言葉を止めて、少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら私の方を向いて口を開きました。

 

「あっ、あの、ちょっとだけ……手を繋いでも、いいですか? あっ、有紗ちゃんと手を繋ぐと、安心できるので……」

「はい。もちろんですよ。私もここまで歩いて来て少し疲れたので、戻る前に少し座って休憩をしましょうか」

 

 ひとりさんの要望を断る理由などなく、私は微笑みを浮かべてひとりさんの手を取り、扉の前の段差に並んで座りました。

 どこか安堵したように微笑むひとりさんを見て、胸の中に温かな気持ちが湧き上がってくるのを感じていると、スマートフォンがロインの通知を鳴らしたので確認すると、虹夏さんからでした。

 

『ぼっちちゃんが、教室から消えたみたいなんだけど……有紗ちゃん、知らない?』

 

 という内容だったので「ひとりさんならいま私と一緒に居ますよ」と返信した上で、場所も教えるとメッセージが返ってきました。

 

『やっぱり! 有紗ちゃんが急にどこか行ったから、もしかして~って思ったんだよね』

『申し訳ありません。根拠は無かったのですが……なんとなく、ひとりさんが居るような気がしたので』

『有紗ちゃんってぼっちちゃん関連だと、本当にエスパーじみてるよね。愛の力って凄いなぁ……まぁ、とにかく今から喜多ちゃんとリョウとそっち向かうから、そこで待っててね』

 

 とのことだったので、どうやらすぐに動く必要はなさそうです。虹夏さんたちが到着するまでの間は、ここでひとりさんとゆっくり過ごすことにしましょう。

 

「ひとりさん、虹夏さんたちがこちらに来るみたいなので、皆さんが来るまでこのまま待っていましょう」

「あっ、はい」

 

 そのまま虹夏さんたちが到着するまでの間、静かな場所でふたりっきり……手を繋ぎ合って心穏やかな時間を過ごしました。

 

 

 




時花有紗:愛の力によりぼっちちゃんを超速発見。ほぼ迷いなく勘のみで辿り着くというエスパーじみたぼっちちゃん捜索能力を保有。メイド服を着たぼっちちゃんの可愛らしさに暴走して、珍しく慌てたり恥ずかしがったりしていたが、例によって鬼つよメンタルなので速攻持ち直した。

後藤ひとり:メイド服を着て恥ずかしかったのだが、有紗の絶賛や暴走っぷりを見ているとなんかどうでもよくなって気持ちが楽に……有紗の精神安定効果が凄まじい。そのあとで有紗に甘えるような行動をとっているあたり、ラブ度が高まってきた気がする。

美の概念:いや、殴らんよ。百合は美しい……それが真理だ。


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十八手悩殺の文化祭1日目~sideB~

 

 

 秀華祭の1日目、ひとりが己のクラスから逃げ出すというトラブルは、愛の力という名の超能力じみたひとり捜索能力を持つ有紗によって早々に解決した。

 虹夏、リョウ、喜多の3人も合流し5人でひとりのクラスに向かう傍らに他のクラスの出し物や模擬店などを楽しみつつひとりのクラスに到着すると、ひとりのクラスメイトの女子たちが出迎えて、メイドとしてクラスの仕事に戻り、有紗たちは案内された席に座っていた。

 

「後藤さんのクラス気合入ってますね~」

「皆可愛いね……そして、有紗ちゃんのこの貫禄だよ。設定としてじゃなくて、マジモンのお嬢様感が半端じゃないよ」

「というか、有紗なら家とかでお嬢様って呼ばれてそう」

「……確かに、呼ばれていますね」

 

 実際のところ有紗の家には使用人も多く居る。メイド喫茶に来るまでもなく、家にメイドは居る環境である。それも影響してか普通に座っているだけなのに、妙な気品があり元々の美貌もあってそれなりに注目を集めていた。

 尤も当の有紗が注目しているのはひとりだけであり、現在も教室の外で看板を持っているひとりを心配そうに見ていた。

 

「……ひとりさん、先ほどから立ったままたびたび気を失ってるみたいですが、大丈夫でしょうか?」

「おかしいな? 私たちにはぼっちちゃんの後ろ姿しか見えないんだけど……」

「でも、確かに有紗の言う通り立ったまま気絶してる……あっ、ヤバい」

 

 リョウの言葉の途中で看板を持って立つひとりの前に世紀末的風貌のふたり組が現れた。そして、そのふたり組のうちの片方が、ひとりにある言葉を投げかけたことで彼らの運命は決した。

 

「お譲ちゃーん、看板持ちしてるぐらいなら俺らと遊ばな――ッ!?」

 

 そんなナンパの常套句とも言える言葉を投げかけながらひとりに対して、ガンを飛ばした直後、背筋に氷の塊が張り付いたかのような寒気を感じた。

 

「……ひとりさんをナンパするというのでしたら、まず私に話を通していただきましょうか……」

「「ひっ……」」

 

 生物としての根源的恐怖を掻き立てるような濃厚な怒りと、押し潰されそうな重圧を放ちながらスッとひとりの隣に有紗が現れた。

 口元には穏やかな笑みを浮かべているが、目は欠片も笑っておらず周囲の空気が2度は下がったと錯覚するような冷たさがあった。

 

 男たちはいま直感的に理解した。己たちが分水嶺に立っていると……いまこの目の前に立つ女性はその気になれば己たちに容易くこの世の地獄を見せられるだけの力を有している。ここで選択を誤れば、物理的にも社会的にも叩き潰されると、頭で理解する前に本能が理解した。

 男たちの判断は早かった。流れるような……いっそ美しさすら感じるほどに流麗な動きで地面に両手を突き、深々と頭を下げた。

 

「「……も、申し訳ありませんでした」」

「分かってくださればいいのです。私の方こそ、怖がらせて申し訳ありませんでした。マナーを守って、文化祭を楽しんでくださいね」

「「お、押忍!」」

 

 男たちが謝罪したことで有紗は怒りを消して優しく微笑んだ。そこにはもう重圧も怒りも無かった。男たちは再び深々と有紗に一礼したあとで去っていった。

 

「……ひとりさん、大丈夫ですか?」

「んはっ!? あっ、有紗ちゃん? あれ? えっと、いまなにが?」

「ああいえ、なんでもないですよ。それより私たちの注文を取っていただいてもよろしいでしょうか?」

「あっ、はい」

 

 気を失っていたひとりはいまなにがあったかは知らず不思議そうな表情を浮かべており、有紗も特になにかを言うことは無くひとりと共に虹夏たちの居る席に戻った。

 すると、その席ではリョウがなにやら青ざめた表情を浮かべており、有紗が戻ってくるとビクッと肩を浮かせた。

 

「あっ、そそ、その、いま私はぼっちからお金は借りてない! ほ、本当に!」

「う、うん?」

「気にしないでいいよ。なんか、トラウマなんだってさ」

 

 明らかに怯えている様子のリョウを見て首を傾げる有紗に、虹夏が苦笑しながら気にしなくていいと告げる。流石の有紗も、まさかリョウが有紗に怒られる夢を見た結果、怒った有紗に軽いトラウマを持っているとは思い至らない。

 首を傾げつつも有紗が席に座るとひとりが注文を取りにきた。

 

「あっ、えっと、ご、ご注文は……」

「えっとね……う~ん、てか、それにしてもぼっちちゃんメイド服似合ってるね~」

「後藤さんはこういう甘い系の服似合いますね~」

「ね~」

 

 ひとりのメイド服姿を絶賛する虹夏と喜多、そしていつもの調子を取り戻して足元から頭まで値踏みするように視線を動かすリョウ。

 

「…‥ふむふむ」

「どっ、どうしました?」

「ビジュアル方面で売り出すのもありか。ぼっちはダイヤの原石――」

「リョウさん?」

「――あっ、嘘です。ごめんなさい」

 

 しかし、有紗にひと睨みされると即座に発言を撤回した。よほど、怒った有紗は恐ろしいらしい。

 

 その後改めて注文となり、名前が違うだけでオムライスのみの載ったメニューからオムライスを選ぶ。冷凍食品を使っているからか、さほど時間がかかることもなくすぐにひとりが4人分のオムライスを順に運んできた。

 

「あっ……ふわ☆ぴゅあとろける魔法のオムライスです」

「すいませ~ん、この美味しくなる呪文ってやつ、ひとつくださ~い」

「えっ、いや、それは……」

「……美味しくなる呪文? そのようなものがあるのですか?」

「有紗ちゃんは知らないかもだけど、メイド喫茶の定番ってやつだね~」

「そうなんですか? 興味深いですね。よろしくお願いします、ひとりさん」

「……あっ、はい」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みで頼んでくる虹夏……ひとりとしてはその呪文は恥ずかしくてやりたくはないのだが、頼みの綱の有紗もメイド喫茶自体をよく知らないため、どういうものかを理解できていない。

 虹夏の説明でそういうものがあるのだと認識して、ひとりに笑顔で頼んできた……そうなってしまうともう、ひとりに逃げ場はなく、諦めた表情で手でハートを作り呪文を行う。

 

「あっ……ふわふわ……ぴゅあぴゅあ、みらくるきゅん……オムライス美味しくなれ……へっ」

 

 どんよりとした雰囲気の呪文が終わり、食べ始めるが虹夏とリョウと喜多は微妙そうな表情を浮かべた。

 

「……パサついてる」

「あっ、冷凍食品なので……」

 

 どうやら3人にはひとりの呪文は効果を及ぼさなかった……そう虹夏とリョウと喜多には……もうひとりは、まったく違った。

 

「素晴らしいです! 一般的な冷凍食品が、創意工夫によってここまで味のレベルを上げることができるのですね! まさに魔法です!」

「……ひとりだけ滅茶苦茶魔法効いてる子が居る!?」

「物凄く嬉しそうに食べてますね。ま、まぁ、特殊な例は置いておいて、後藤さん! もっと愛情込めて唱えないと駄目よ! こんな感じ――ひっ!? あっ、待って、時花さん。大丈夫だから! 伊地知先輩とリョウ先輩のお皿にだけするから……時花さんの皿には少しも飛ばない様に注意して魔法をかけるから……感情が抜け落ちた目で見ないで……」

 

 美味しくなる呪文を実践して見せようとしていた喜多だったが、直後に有紗が「この極上の料理になにをする気だ?」と言いたげな、熱が消え去ったかのような表情を浮かべているのに気づいて慌ててフォローした。

 喜多の言葉に安心したのか、有紗は再び表情を綻ばせてオムライスを上品に食べ始めた。どうやらひとりの呪文は、有紗に対してのみ桁外れの効力を発揮する特効魔法だったようである。

 

 

****

 

 

 メイド喫茶での食事が終わると、丁度ひとりのクラスの女子で喜多と知り合いの子が喜多にメイド喫茶を手伝ってくれないかとお願いし、喜多がそれを快く了承。

 さらに喜多の提案で有紗、虹夏、リョウもせっかくの機会だということでメイド服を着てみることになった。そして、現在……メイド喫茶内は異様な静寂に包まれていた。

 

「……あの?」

「だ、駄目だこれ……」

「駄目ですね」

「……似合いませんか?」

 

 メイド服に身を包んだ有紗を見て、虹夏と喜多が引き攣った表情を浮かべており、有紗が不安そうに首を傾げるが……ふたりが引き攣った表情を浮かべている理由は逆だった。

 そもそもの顔が凄まじくよく、姿勢やプロポーションも整っている上に、銀髪金目という神秘さを感じる絶世の美少女である有紗がメイド服を着ると、その破壊力たるや周囲の視線を釘付けにするほどであった。

 

「いや逆……似合い過ぎてて怖い。どれだけ神様に依怙贔屓されたら、こんなことになるのか……眩しくて直視できない!」

「な、なんか、貴族の令嬢が社会勉強してるみたいな高貴な雰囲気が……まったくそんな気は無い私でも、いまの時花さんを見てるとドキドキしちゃうぐらい眩しい!」

「有紗をビジュアル面で売り出したら、凄いことになりそう……怖いからできないけど」

 

 ともかく見た目がよすぎる有紗に、普段からよく見ているはずの虹夏と喜多とリョウでさえも圧倒されており、ひとりのクラスメイトの女子などもあまりのビジュアルに戦慄していた。

 

「……あの3人のビジュアルも凄いはずなのに、全部消し飛ぶほど眩しすぎる。オ、オーラが、オーラが凄い……あの、ちょっとだけ手伝ってもらったりしてもいいですか?」

「ええ、かまいま――」

「だっ、駄目です!」

「――ひとりさん?」

 

 ひとりのクラスメイトが有紗にメイド喫茶を手伝ってくれないかと尋ね、有紗が了承しかけたタイミングで赤い顔で慌てた様子のひとりが割って入った。

 

「こっ、ここ、この状態の有紗ちゃんが接客とかしたら、お客さん全部有紗ちゃんに集まっちゃいますし! 有紗ちゃん目当てのお客さんとかいっぱい来ると思うので、だだ、だから、有紗ちゃんの負担が大きくなりますし……だっ、駄目です!」

 

 コミュ症のひとりにしては珍しく、やや大きめな声かつハッキリと駄目だと言い切っており、その普段とは違う反応を見た虹夏はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「……ぼっちちゃん、嫉妬?」

「なぁっ!? しし、嫉妬とかそんなんじゃないです!!」

「可愛い有紗ちゃんを、あんまり他の人に見られたくないんでしょ~?」

「そそ、そうじゃなくて、あっ、ああ、あくまで有紗ちゃんの負担がですね……とっ、とにかく、駄目なものは駄目なんです!」

「……ふふふ、そういうことらしいので、申し訳ありませんがお手伝いはお断りさせていただきます」

 

 顔を真っ赤にして反論するひとりを見て、嬉しそうに微笑んだあとで有紗は丁重に手伝いを断った。すると虹夏も軽く頷き、ひとりのクラスメイトに声をかける。

 

「というわけだから、ごめんね~」

「いえ、私そういうのには理解がある方なので……むしろグッドです」

「あはは、有紗ちゃんには及ばないかもしれないけど、私たちでよかったら手伝うよ。接客はバイトでやってるから得意だしね」

「ありがとうございます! 助かります!」

 

 結果として有紗は手伝うことは無く、虹夏、リョウ、喜多の3人が模擬店を手伝うことになった。メイド服から私服に戻った有紗は顔から湯気を出しているひとりの元に近付き、穏やかに微笑みながら告げる。

 

「ひとりさん、心配してくれてありがとうございます」

「あっ、うぅ……」

「実のところ、私もあまり乗り気ではなかったのですが、断り辛い雰囲気だったので、ひとりさんがああ言ってくださって助かりました」

「あっ、そ、そうなんですね……それなら、よかったです」

 

 特大の羞恥の中にあるであろうひとりに穏やかにフォローを入れてから、有紗は模擬店を手伝っている虹夏たちの様子をみる。

 その横顔を見ながら、ひとりはなんとも言えない大きな混乱の中にあった。

 

(うっ、うぅ、な、なんで、私あんなことを……い、いや、別に嫉妬とかじゃなくて……そ、そう、本当に有紗ちゃんを心配して……ちょっと……ちょっとだけ、なんかモヤモヤした気持ちになったけど……それはたまたま。う、うん。たまたまなんだ……)

 

 ひとり自身先ほどの行動は衝動的なものであり、なぜそんなことをしてしまったのかハッキリと説明することは難しかった。

 顔が沸騰するのではないかと思うような恥ずかしさと共に、ひとりはぐるぐると巡る思考にしばし頭を抱えていた。

 

 

 




時花有紗:大体何着ても似合うほどに顔面戦闘力が異常。ひとりが気絶しながら接客しているさいには心配そうにしつつも、クラスの模擬店にあまり余計な口出しはすべきではないと静観していた……ただし、ひとりをナンパしようとするのは許さない。

後藤ひとり:なんかモヤモヤしちゃったぼっちちゃん。周りはニヤニヤである。たぶん原因となったのは喜多の「その気のない私でもドキドキしちゃう」という発言である可能性が高い。魔法の呪文は有紗に対してのみ超特効。

山田リョウ:実際直接怒られたことは無いが、有紗の怒りがトラウマである。

ひとりのクラスメイトのモブ子:百合に理解のあるモブ、ひとりの様子を見てサムズアップしていたとかなんとか……。



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十九手伝説の文化祭2日目~sideA~

 

 

 秀華祭2日目、今日はいよいよ結束バンドのステージライブがあります。私は観客としての参加なので、ひとりさんを見に来ていたお義母様やお義父様、ふたりさんに軽く挨拶をしたあとは同じく見学に来ていた星歌さんときくりさんと共に、ステージのすぐ前で結束バンドの番を待ってました。

 

「見て見て有紗ちゃ~ん。今日は奮発してカップ酒なんだよぉ」

「きくりさん、未成年も多い場所なんですから、お酒は控えめに……あと、その空カップを置いて帰っちゃダメですからね」

「ぼっちちゃんたちのためにも、コイツは縛り上げて外に捨てるべきか?」

「ま、まぁ、飲食物の持ち込みが禁止というわけでもないので……」

 

 例によって酔っぱらっているきくりさんは、カップ酒を持ち込みステージの端に空瓶を置いている状態でした。困ったものではありますが、きくりさんらしいと言えばらしいですね。

 そんなことを考えていると幕が上がり、結束バンドの皆さんが登場しました。ひとりさんも緊張している様子でしたが、私の方を見て軽く微笑みを浮かべてくれたので、悪い緊張ではなさそうです。

 余談ですがその際に騒いでいたきくりさんは、現在星歌さんにコブラツイストを極められていました……隣に居ると若干恥ずかしいのですが、ひとりさんに集中することにしましょう。

 

 そして喜多さんのMCの後に結束バンドの演奏がスタートした瞬間……私は心から驚愕して己の耳を疑いました。

 

「これはっ……」

「……有紗ちゃん?」

「……1弦と2弦の音がブレてます」

 

 不思議そうに問いかけてきたきくりさんに答えると、きくりさんは表情を鋭く変え、同様に星歌さんもきくりさんを極めていた手を解いて真剣な表情を浮かべました。

 そして、ふたりとも少しの間結束バンドの演奏を聴いたあとで口を開きます。

 

「……確かに、チューニングが安定してないね」

「ええ、しかもズレているのではなく、一音ごとにブレている感じで……弦がしっかり固定されてないような……」

「だとするとペグの方のトラブルか……不味いな。ぼっちちゃん、予備ギターは持ってないだろ」

 

 ペグはチューニングなどで頻繁に使用する関係上、ギターパーツの中でも比較的故障しやすいパーツではあります。普段であればなんてことはありません。新しいペグを買って取り付ければいいだけ……ですが、ライブ中となればすぐに直せるものではありません。

 ともかくひとりさんに早く気付いてもらわなければと思い、ひとりさんが私の方に視線を向けた際にペグを回すような仕草をしてみると、ひとりさんはハッとした表情を浮かべて演奏の合間にペグに触れて青ざめました。

 

「……伝わったみたいですが、やはりペグが故障しているようですね」

「さすがにどの程度かまではわからないけど……ぼっちちゃんの表情を見る限り、1弦と2弦はほぼ使い物にならないって思った方が良さそうだね」

「……問題はギターソロか」

 

 ひとりさんもペグの故障には気づいた様子ですが、すぐにどうにかできるものではありません。そして、きくりさんと星歌さんが言う通り、問題は2曲目の終盤にあるギターソロ……。

 

「通常の演奏であれば、ひとりさんの技術ならパワーコード主体の演奏に切り替えることも可能でしょうが……」

「ソロは無理だね」

 

 パワーコードは高音弦を使わない奏法で5弦ルートでも4弦ルートでも、1弦と2弦を使わずに演奏できますが……すべての曲に対応できるわけではありません。

 結束バンドが2曲目……ギターソロの場面には対応できない可能性が高いです。

 

 ……ですが、なんでしょう? ひとりさんならそれでもなんとかしてくれると、そんな風に感じる私が居ました。そしてその予感は的中し、1曲目が終わった後のMCの際、虹夏さんが話している間にひとりさんが喜多さんになにかを話しかけ、喜多さんが力強く頷いているのが見えました。

 

 そうして始まった二曲目。ひとりさんはパワーコード主体の演奏に切り替えており、極力1弦と2弦を使用せずに演奏していましたが、いよいよそれだけでは対応できないギターソロが迫る場面となりました。

 しかし、ひとりさんの目に戸惑いはなくチラリと喜多さんを見て頷き合いました。そして本来ならギターソロが始まる場面で、喜多さんがアドリブ演奏で少しの間曲を引き延ばし、その時間を利用してひとりさんはしゃがんで、きくりさんがステージ端に置いていた空の瓶を手に取り、それを利用してギターソロを始めました。

 

「……あれはっ、スライド奏法ですか?」

「ああ、ボトルネック奏法とも呼ばれる演奏だな。けど、この土壇場で咄嗟にやるとは……すげーな、ぼっちちゃん」

「アレならチューニングズレてても関係ないもんね。あれ? これ、私のお手柄?」

 

 酒瓶をスライドバーに見立てて、スライド奏法を行うことで見事機材トラブルに対応して見せたひとりさん。さすがというべきですね。

 それに、ひとりさんが瓶を拾って準備するまでの間、演奏を途切れさせないようにアドリブで繋いだ喜多さんも見事でした。

 3曲目はパワーコードで対応できる曲調なので、これならばもう心配はいらないでしょう。

 

 会場も盛り上がり、2曲目と3曲目の間のMC時間では、ひとりさんにもいくつもの声援が飛んでおり、私まで誇らしくなる気持ちでした。

 すると、喜多さんがボーカル用のマイクを手に取り、笑顔でひとりさんに近付くのが見えました。

 

「ほらっ、ひとりちゃんも一言ぐらいなにか言わなきゃ!」

 

 ……あっ、嫌な予感がします。マイクを差し出されたひとりさんは青ざめた顔に代わり、視線をキョロキョロと動かし始めました。そして……おそらく、酒瓶ときくりさんを見たあとで、なにか閃いたような表情を……嫌な予感がします。とてつもなく嫌な予感が……ひとりさんの位置から考えると……。

 

「すみません! 通してください!!」

「あっ、ちょっ、有紗ちゃん?」

 

 少々強引に人をかき分けて、ひとりさんの正面に移動するのとほぼ同時にギターを置いたひとりさんが、おもむろにステージからダイブして、周囲の人が避けるのが見えました。

 正面から落下してくるひとりさんに対し、私は両手を広げて抱きしめるような形で受け止めます。私は運動神経にはそれなりに自信がある方ですが、流石にステージ上から落下してくるひとりさんを受け止めきるほどの力はありません。

 

 互いに怪我をしないように、受け身の要領で膝をクッションにしつつ、後方に衝撃を殺しながら倒れ込み。私とひとりさんは抱き合った状態で床に倒れるような形となりました。

 多少背中は打ちましたが上手く衝撃を逃がせたので、痛みはほぼ無くパッと見たところひとりさんにも怪我はない様子でした。

 

「……ひとりさん、文化祭ステージでダイブは、無理ですよ」

「あっ、有紗ちゃん!? ごっ、ごめんなさい! だ、だだ、大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか!?」

「大丈夫です。ひとりさんの方こそ、怪我はありませんか?」

「だっ、大丈夫です」

「……それならよかったです」

 

 慌てるひとりさんを胸に抱えるような姿勢のままで、私は軽く微笑みます。本当に突拍子もない行動をとるのは困ったものですが、そういうところもひとりさんらしさといえば、らしさですね。

 そんな風に考えて思わず笑みを溢しながら、ひとりさんに声を掛けます。

 

「ひとりさん、演奏カッコよかったですよ」

「あっ、ありがとうございます……そう言ってもらえて、嬉しいです」

「難所は乗り切りましたしもう大丈夫……と言いたいところですが……問題は、今現在とんでもない注目を集めているところでしょうかね?」

「………………え?」

 

 必然といえば必然ですが、この状況で注目を集めないわけもありません。いま体育館内の視線は全て私とひとりさんに集中していると言っていいでしょう。

 ひとりさんは慌てた様子で顔を上げて周囲を見渡し、己に集中するあまりの視線の多さに青ざめていきます。

 

「……あひゅっ」

「あっ、ちょっ、ひとりさん? あの、この状況で気絶されると私も少々困ってしまうのですが……ひとりさん!?」

 

 あまりの視線の多さに耐え切れなくなったひとりさんが気絶しましたが、そうなると体勢的にひとりさんが私に覆いかぶさる形になり……私も身動きが取れなくなってしまいます。

 困りましたし、文化祭ステージを完全に中断してしまっているのも問題です。

 

「うひゃひゃ、もうっ、ふたりともサイコー! ラブダイブ、最高だったよ!! お熱いねぇ、青春だね~」

「……笑ってないで助けてください。ひとりさんを保健室に運ばなければなりませんし、このままでは、文化祭ステージにも影響が出てしまいますよ」

 

 お腹を抱えて大笑いしながらやって来たきくりさんに呆れつつ、ステージから降りてきた結束バンドの皆さんにも手を貸してもらうことで起き上がり、ひとりさんを保健室に運ぶことになりました。

 注目は集めてしまいましたが……まぁ、本当にひとりさんに怪我がなくてよかったです。

 

 

****

 

 

 喜多さんに場所を教えてもらって保健室にひとりさんを運びベッドに寝かせることができました。

 

「それじゃ、私は先輩たちと片づけをしてくるから、ひとりちゃんのことをよろしくね」

「はい。ありがとうございます……ああ、喜多さん」

「うん?」

「アドリブ演奏、素敵でしたよ。かなり上達されていましたね」

「ありがとう。実は昨日の練習で、ひとりちゃんにも同じことを言ってもらえたんだ……まだ、バッキングだけだけどね」

 

 そう言って嬉しそうでありながら、少し寂し気な微笑みを浮かべたあとで喜多さんはポツリと小さく零すように呟きました。

 

「……私は、ひとりちゃんみたいに人を惹きつけられるような演奏はできない。けど、皆と合わせるのは得意みたいだからね」

 

 バッキングギターはいわゆる伴奏、確かにバンド内においてリードギターほどの存在感は無いかもしれません。同じギターだからこそ、ひとりさんとの技術差を感じているのか、少しだけ表情が曇って見えました。

 

「そうでしょうか? 演奏の中心となって導くばかりが惹きつけるというわけでは無いでしょう。少なくとも、私個人の感想としては、今日の喜多さんの演奏は十分に人を惹きつける魅力があったと思いますよ」

「……時花さん」

「皆と合わせるのが得意というのは、間違いなく喜多さんの長所で強い武器でもあります。きっと貴女は、貴女自身が思っているよりずっと、キラキラとしたカッコいいギタリストですよ」

「……うん!」

 

 私の言葉を聞いた喜多さんは、少し沈黙したあとに彼女らしい飛び切りの笑顔で頷いてくれました。周囲を明るくさせるようなこの笑顔も、喜多さんの魅力のひとつでしょうね。

 

「……とと、それじゃ私は片付けにいくわ」

「ええ、引き留めてすみません」

「ううん。ありがとう……有紗ちゃん!」

 

 そう言ってもう一度明るい笑顔を浮かべたあとで、喜多さんは保健室から去っていきました。なんとなくではありますが、以前より喜多さんと少し仲良くなれたような、そんな気がしました。

 

 

 

 




時花有紗:ひとりの行動を読み切ったおかげで、なんとかひとりが床に激突という事態は避けた。会場中の注目を集めることにはなったが、本人はさして気にしていない。

後藤ひとり:原作とは違い床にぶつかって気絶したのではなく、あまりに注目を集めまくったせいで耐え切れずに気絶した。

喜多郁代:いつの間にかぼっちちゃんを名前呼びしており、今回の一件以降は有紗も名前で呼ぶようになった。

ラブダイブ:状況的に周囲から見ると、ひとりが有紗の胸に飛び込んだようにしか見えなかったのと、愛と青春のオーラが漂っていたため、後に秀華祭の伝統となる。もちろん危険なので規制なども入り、最終的には演奏を終えた演者が、ステージを降りて大衆の前で愛する人を抱きしめ、愛を確かめ合うという伝統として受け継がれた……ひとりは後に青ざめた顔で吐いていた。


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十九手伝説の文化祭2日目~sideB~

 

 

 文化祭1日目が終わり、明日のライブに備えて結束バンドのメンバーたちは練習を行っていた。一通り明日のライブで行う演奏を通して最終リハを行って問題ないことを確認した。

 その際の演奏で、ひとりはあることに気付いて喜多の方を向いた。

 

「なぁに、後藤さん?」

「あっ、いえ……喜多さん……いっ、いつの間にかすごく上手くなってて驚きました」

「そう? まぁ、まだバッキングだけなんだけど……後藤さんにそう言ってもらえると嬉しいわ」

 

 喜多は最近目に見えて演奏技術が上がっていた。本人の熱意もあり、ひとりからだけでなくリョウにも空いた時間にギターを教わっており、その練習の成果は徐々にではあるが確実に表れていた。

 

「……あっ、明日のライブ、少しでも盛り上がるといいですね」

「絶対大丈夫よ。皆後藤さんの演奏にビックリしちゃうかもね」

「えっ、い、いや、それは……」

「すると思うわよ。だって、後藤さんの演奏は人を惹きつける魅力があって、本当に凄くカッコいいんだからね」

「そっ、そうですかね?」

 

 明るい表情で賞賛する喜多の言葉に、ひとりはやや戸惑うような表情を浮かべる。調子に乗るときはとことん乗ってしまうが、基本的には己に自信のないひとりには、喜多にそこまで賞賛してもらえる理由が分からなかった。

 そんなひとりを見て、クスっと微笑んだあとで喜多は口を開く。

 

「……だってそもそも、私は後藤さんの演奏に惹き付けられて、声をかけたわけだしね。アレが無ければ……後藤さんが引き留めてくれなければ、結束バンドに戻れることは無かったと思う。私にとって後藤さんは……ううん。ひとりちゃんは、最高にカッコいいヒーローだよ。だからもっと自信を持って」

「あっ、あ、ありがとう……ございます」

「私も演奏でもひとりちゃんを助けられるようなギタリストになって見せるから……これからも一緒に頑張ろうね!」

「……はい!」

 

 いままで名字で呼んでいたひとりを名前で呼び、一緒に頑張ろうと告げる喜多にひとりもしっかりと頷いて返事をした。

 

 

****

 

 

 文化祭ライブの当日となり、ひとりも緊張しつつもある程度落ち着いていた。自分への注目は他の3人に比べて少ないだろうとは思っているが、それでも家族や有紗も来てくれるので頑張りたいという思いも強い。

 実際に準備をしてステージの幕が上がると、最前列に有紗の姿があり、家族やひとりのファンの大学生なども足を運んでくれていた。

 ただ、最前列でステージ用にカップ酒の空瓶を並べつつ酔っぱらっているきくりに関しては「呼ぶんじゃなかった」と軽く後悔していたのだが……。

 

 そして喜多がMCを行いさっそく一曲目がスタートした瞬間、有紗が目を見開くのが見えた。

 

(……有紗ちゃん? どうしたんだろ……演奏が始まってすぐ驚いた顔、有紗ちゃんは凄く耳がいい……もしかしてっ)

 

 有紗の様子に疑問を抱いたひとりは、その原因が音にあるのではないかと考えてすぐに、なにか問題があると考えつつ音に集中してみるとその原因は早い段階で見つけることができた。

 

(高音弦の音がおかしい。チューニングがズレてる?)

 

 昨日のリハでは問題なかったはずのチューニングがズレていることに気付いたひとりは、それが有紗が驚愕していた理由だとすぐに分かった。

 再び有紗に視線を向けると、目が合った有紗は指をひねるような動きを見せる。

 

(……あの動き……ペグ?)

 

 有紗の動きがペグを示していると気付き、演奏の合間にペグに触れてみると……。

 

(1弦……それに2弦も!? ペグが……故障してる。どうすれば……弦を張り替えても、ペグが壊れてたら意味が無いし、替えのギターも無い……いまは、まだ高音弦を使わない演奏で対応できるけど、2曲目のギターソロは……)

 

 可能な限り高音弦を使わない演奏を続けながら、対策を考えて視線を動かす。心配そうにしつつも、それでも己を信じてくれていると分かる有紗の目を見て勇気を貰い、必死に思考を巡らせ……きくりがステージ端に置いている空瓶を見て閃いた。

 

(そうだ! ボトルネック奏法なら、チューニングが狂ってても高音を演奏できる……そのためには……)

 

 そして一曲目が終わり、二曲目の前のMC。元々の台本通り、喜多から虹夏にMCが移ったタイミングでひとりは喜多に近付いて、小声で話しかける。

 

「きっ、喜多ちゃん……力を貸してください」

「どうしたの? ひとりちゃん?」

「……ペグが故障してて、高音のチューニングが異様に合わないんです。だから、ギターソロには奏法を変えて対応しようと思うんですけど、準備に少し必要で……演奏が途切れちゃうので」

「分かった。ひとりちゃんの準備が終わるまでの演奏を繋げばいいのね? 任せて!」

 

 何の因果か、昨日ふたりで話した「いつか演奏でひとりを助ける」という場面が早速やってきて、なによりひとりが自らを頼ってくれたのが嬉しく、喜多は力強く頷いた。

 そして、ふたりの会話はリョウにも聞こえており、リョウはMCが終わり二曲目が始まる直前に虹夏に簡潔に声をかけた。

 

「ソロ前、数秒アドリブ」

「……了解」

 

 短い言葉であっても付き合いの長い虹夏には伝わっており、両者ともに頷き合って二曲目をスタートさせる。

 演奏が進みギターソロが近づいたタイミングでひとりがチラリと視線を向ければ、喜多は任せろと言いたげに頷き、アドリブ演奏を始め、リョウと虹夏もそれに合わせる。

 バンドメンバーの心がひとつになっているような心地良い感覚の中で、ひとりは素早くしゃがんで空瓶を手にとり、それを用いて喜多から引き継ぐ形でボトルネック奏法にてギターソロに見事対応して見せた。

 

 演奏の良さもあるが、ボトルネック奏法のパフォーマンスは観客にも新鮮かつ好印象に映り、2曲目が終わった後には大きな歓声が起こった。

 その中にはひとりを賞賛するような言葉も多く、ひとりの実力をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っていた喜多の表情も明るくなる。

 そして、自身の演奏でひとりを助けれたこと、なによりひとりが自分に助けを求めてくれたことが嬉しく、テンションの上がった喜多はボーカル用のマイクを手に取りひとりに向けた。

 

「ほらっ、ひとりちゃんも一言ぐらいなにか言わなきゃ!」

「え? あっ……うっ……」

 

 だがそれはコミュ症のひとりにとっては、あまりにもハードルの高い振りだった。この場面で咄嗟に気の利いた返しが出来るようなら、そもそもコミュ症などになってはいない。

 

(えっ、あっ、コミュ症は事前に台本作ってないと喋れないのに、予想外の振りされたら……)

 

 ひとりの思考は一瞬で混乱の渦に呑まれる。さらにせっかく会場が盛り上がっている状態であり、ここで雰囲気を壊してしまうわけにはいかないという強迫観念にも似た思いの中で、混乱するひとりが導ぎ出したのは「なにか面白いことをしなければ」という大事故待ったなしの結論だった。

 

(なにか、面白いこと……面白いこと……はっ!?)

 

 必死にキョロキョロと視線を動かしていたひとりの目に留まったのは、先ほどボトルネック奏法に用いた酒の瓶、そして最前列に居るきくりの姿だった。

 頭に思い浮かぶのは新宿FOLTで見たきくりのライブ、その際に行われた観客席へのダイブ。大盛り上がりだったその光景を思い出し、混乱状態のままギターを置いてステージ端に向かっていた。

 

 たしかにロックのライブ、とりわけハードロック系のライブに置いてモッシュやダイブといったパフォーマンスは定番ではある。だがしかし、それは演者と客との共通認識によって成り立つものでもある。

 FOLTにおいてのきくりのダイブが盛り上がり成立していたのは、ホームであるハコで常連客も多く、きくりがそういったパフォーマンスを行うことも知れているという前提があったからである。

 プロのバンドであっても、初めての舞台でダイブを試みる際にはハンドサインやジェスチャーで、そういったことをしたいというのを観客に伝え、意思の疎通ができたと感じてから実行する。

 

 では今回の場面はどうか? ここは学園祭のステージであり、ライブハウスではない。観客は必然的に本格的なロックライブやハードロックには縁のない学生たちばかりである。

 そんな中でステージ上から演者が飛び降りてきたら……そう、ぶつからないように避けるに決まっている。

 

(……あっ、これ……終わった)

 

 混乱や極度の緊張による思考の加速によって引き延ばされたかのような時間の中で、ひとりの目には自分の落下地点の人たちが離れていくのがスローモーションのように見えた。

 当然そうなると待ち構えるのは床……となるはずだったが、ひとりだけその場に残っている人物がいた。

 

(え!? あ、有紗ちゃん!? な、なんでそこに……駄目、避けないと――)

 

 先ほどまで別の場所、きくりたちの傍にいたはずの有紗がいつの間にか落下地点に居て、ひとりを受け止めようと両手を広げていた。

 そのことに焦るひとりではあるが、空中で何ができるわけでもなくそのまま有紗にぶつかるような形となり、ふたり一緒に床に倒れることとなった。

 

(……ど、どうなったの? 痛くは……ない。柔らかくて、いい匂いが……)

 

 有紗が上手く衝撃を逃がして受け止めたことで、殆ど痛みを感じることは無かった。そしてひとりは倒れた有紗の胸に抱かれるような形で受け止められており、ひとり自身も両手を広げてダイブしていて、ぶつかった際に無意識で有紗にしがみついたことによって、抱き合うような形で倒れていた。

 

「……ひとりさん、文化祭ステージでダイブは、無理ですよ」

 

 少し呆れたような、それでいて「しょうがないなぁ」というような優しさの籠った声が聞こえて顔を上げると、有紗が苦笑しているのが見え、そこでようやくひとりの思考は状況に追いついてきた。

 

「あっ、有紗ちゃん!? ごっ、ごめんなさい! だ、だだ、大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか!?」

「大丈夫です。ひとりさんの方こそ、怪我はありませんか?」

「だっ、大丈夫です」

「……それならよかったです」

 

 真っ先に有紗の怪我を心配したひとりだったが、どうやら有紗に怪我はないようでほっと息を吐いた。そんなひとりに対し、有紗は優しく微笑みながら言葉を続ける。

 

「ひとりさん、演奏カッコよかったですよ」

「あっ、ありがとうございます……そう言ってもらえて、嬉しいです」

 

 その言葉はとても嬉しい賞賛であり、思わず笑みを浮かべたひとりだったが……次の有紗の言葉で凍りつくことになった。

 

「難所は乗り切りましたしもう大丈夫……と言いたいところですが……問題は、今現在とんでもない注目を集めているところでしょうかね?」

「………………え?」

 

 有紗の言葉に現在の状況を思い出し、ひとりが軽く周囲を見ると……体育館中の視線が集中していた。顔を赤らめている人が居たり、ニヤニヤと笑みを浮かべている人が居たり、拍手をしている人が居たり、大笑いしている人も居たりと多種多様ではあるが、概ね微笑まし気な表情といえた。

 

 その理由は傍目に見た状況にあった。実際はひとりの突拍子もない行動を有紗がフォローした形なのだが、周囲から見た印象はまったく違う。

 まるでテンションが上がったひとりが、観客席に居た愛しい相手にステージから飛んで情熱的に抱き着いたかのように見えたのだ。

 

 ひとりも整った容姿であり、有紗は絶世と呼べる美少女、そんなふたりが抱き合い倒れ込む姿は、まるで映画のワンシーンのように美しく見え、その後に微笑み合っていた姿には青春と愛情を感じた。

 そんな温かな視線を大量に向けられて、陰キャかつコミュ症のひとりが無事でいられるかといえば……そんなわけがない。

 

(……あっ……終わった……私の高校生活……)

 

 のちに愛情の表現として秀華高校に代々受け継がれていくこととなる伝統……ラブダイブというパフォーマンスを図らずも築き上げ、ある意味伝説となったひとりは……あまりの羞恥に脳がオーバーフローを起こして、あっという間に意識を手放した。

 

 ひとりが気絶したことで結束バンドの3曲目は中止となったのだが……その時の会場は、過去類を見ないほどの熱気と盛り上がりに包まれていたという。

 そして、それをのちに知ったひとりは、羞恥に悶えて地面を転がりまわった。

 

 

 

 




時花有紗:この子は鬼つよメンタルなので、今回の件は特に気にしていない。いずれ結婚すれば披露宴とかもあるし、なんの問題も無い。

後藤ひとり:文化祭でひとつの伝説を作った少女。傍目に見ると本当に、ひとりが有紗の胸にダイブしたとしか見えない状態だった。原作のようにロックなやべー奴ではなく、美しい愛情と情熱を見せたロッカーと認識されており、むしろ好印象を抱かれている。

観客たち:めっちゃ盛り上がった。中には百合百合しい光景に涙を流している者も居た。結束バンドの次のライブのメンバーは体育館内の異様な熱気に若干ビビっていたとかいないとか……。


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二十手格差の文化祭終了

 

 

 保健室のベッド脇の椅子に座り、ひとりさんが目覚めるのを待っていると、しばらくして気を失っていたひとりさんが目を覚ましました。

 

「……んっ、あれ? 有紗ちゃん?」

「はい。おはようございます。体調などに問題はありませんか?」

「あっ、はい……大丈夫です。これからの学園生活を思うと胃が痛いですが……」

「うん?」

「あっ、いや、なんでもないです。えっと、すみません。あのあと、どうなりました?」

 

 ひとりさんは意識はしっかりしているようで、自分が気絶する前のこともちゃんと覚えているみたいでした。

 

「ひとりさんが気を失ったあとは、3曲目は中止にした形ですね。ひとりさんが気を失っていたのは1時間ほどで、いまはおそらく最後の教員バンドの方々が演奏しているぐらいの時間です。虹夏さんたちは、ステージ終了の15時30分を待って、片づけをしてからこちらに来るそうです」

「……あっ、そうなんですね。せっかくのライブを台無しにしちゃいましたかね?」

「いえ、それが……過去最高という規模で盛り上がったみたいで、次のバンドが畏縮するほど凄い熱気だったようで、むしろ大成功といっていいかもしれませんよ」

「え? そっ、そうなんですか?」

「ええ、結束バンドに興味を持った方も多そうですし、ライブハウスに足を運んでくれる方も居るかもしれませんね」

 

 ひとりさんを慰めようとして言ってるわけでは無く、実際に物凄い盛り上がりだったみたいです。結束バンドの演奏がよかったこともそうですが、最後のひとりさんのダイブもライブを盛り上げる一種のパフォーマンスとして好意的に受け取られたみたいでした。

 

「ああ、そういえば喜多さんから、ひとりさんが後夜祭に出るかどうかを確認してほしいと言われました」

「あっ、えっと、後夜祭……ですか?」

「ええ、ひとりさんが参加するようなら喜多さんも参加するらしいです。ひとりさんが参加しないのであれば、喜多さんも参加せず、ひとりさんの体調が問題ないのであれば私と結束バンドのメンバーで打ち上げに行かないかと……どうしますか?」

「こっ、後夜祭って、アレですよね? キャンプファイヤーして、フォークダンス踊ってっていう超陽キャ空間……わっ、私には絶対無理です」

 

 昨今はいろいろ厳しいですし、キャンプファイヤーまであるかどうかは分かりませんが、フォークダンスは可能性がありますね。

 まぁ、基本的には文化祭の打ち上げという側面の強い行事ですが、ひとりさんが好むようなものでないのは確かです。

 

「では、結束バンドの皆さんと打ち上げという方向で……しかし、フォークダンスですか、私の学校の文化祭には後夜祭は無いので踊った経験は無いのですが、ひとりさんは……」

「……しょっ、小学校の頃に運動会で強制的に……こんなやつ居たっけみたいな顔されましたけど……」

「なるほど、ひとりさんと踊ってみたいものですが、そもそも私は他校なので後夜祭には出れませんね」

「あっ、そうですね。けど、その、私もちょっと……有紗ちゃんと踊ってみたいって思いは……ありますね」

「では、機会があれば踊りましょうか」

「あっ、はい」

 

 惜しむらくは、そもそもフォークダンスを踊る機会自体がそうそうないことでしょうか……社交ダンスとかではだめでしょうか? 一通りは踊れるのですが……まぁ、私だけ踊れても意味はありませんね。

 そんなことを考えつつ、静かな保健室の中でのんびりと言葉を交わします。

 

「そういえば、ひとりさん。改めて、文化祭のライブ、素敵でしたよ」

「あっ、ありがとうございます。あっ、で、でも、機材トラブル起こしちゃいましたけど……」

「トラブルというのは起こりうるものですよ。問題はそれにどう対応するか……今日のひとりさんのライブで、一番素晴らしかったのはそこだと思っています」

「え? えっ、えっと……ボトルネック奏法、ですか? あっ、アレはたまたまいろんな奏法を練習してたからで……」

「いえ、そうではありません」

 

 たしかに咄嗟にスライド奏法で対応したひとりさんの技術は見事でしたし、星歌さんも賞賛していました。ですが、私が今回のライブで一番素晴らしいと思ったのはそこではありません。

 

「一番素晴らしかったのは、あの場面で喜多さんに……バンドのメンバーに協力を求めたところです」

「……え?」

「ひとりでは困難な時に助けを求めるというのは、簡単なようで難しいものですよ。相手への信頼はもちろんですし、自分の状況を認める度量も必要です。あの2曲目のアドリブからギターソロへの流れは、結束バンドの皆さんが信頼し合い協力し合ったからこそのもので……本当に素晴らしかったですよ」

「……有紗ちゃん」

「ひとりさん、今日は素敵なライブを見せてくれて、ありがとうございました」

「……はぃ……有紗ちゃんがそう言ってくれて……その……うっ、嬉しいです」

 

 誰かを頼るというのは簡単に見えて非常に難しいものです。特に頼るべき時に頼るというのは、なかなかどうして最善と分かっていてもプライドなどが邪魔をしてしまうことも多いでしょう。

 そう言った、仲間を頼れるところもひとりさんの強さであり、魅力なのだと……私はそう思っています。

 

「そういえば、ひとりさん。話は変わりますが、打ち上げはどんなところがいいですか?」

「え? あっ、打ち上げの場所……ですか?」

「ええ、時間的に夕食を兼ねてということになると思いますが、食べたいものなどはありますか? 今回は星歌さんたちは居ないので、居酒屋というわけにはいきませんが……」

 

 星歌さんはドラムなどの機材を持って帰ってくださるそうですし、きくりさんに関しては、私たちの邪魔をしないようにと星歌さんが縛り上げてでも連れ帰ると言っていました。

 虹夏さんたちは片づけがあるので、店に関しては私が探しておくことになっています。いくつか候補は考えているのですが、ひとりさんの意見も聞いておきたいところです。

 

「あっ、えっと、私は……あんまり騒がしくないところとか……そういうところが」

「なるほど、和、洋、中であれば?」

「まっ、迷いますけど……居酒屋を和とするなら、今回は洋とかの方がいいですかね?」

「分かりました。それでは、その方向で手配します」

「……手配? あっ、えっと、有紗ちゃんが打ち上げの店の手配をするんですか? そっ、それ、有紗ちゃんにだけは任せちゃいけないような気が……」

「はい。この辺りですと、いいフレンチの店が……騒がしさに関しては、とりあえず貸し切りに……」

「あっ、や、やっぱり私、焼肉とかが食べたいなぁって、あっ、全然貸し切りとかじゃなくて大丈夫です!!」

「焼肉ですか?」

「あっ、は、はい! やっぱり、打ち上げと言ったら焼肉とかが定番じゃないですかね」

 

 なるほど、確かに焼肉で打ち上げという話はドラマなどで見た覚えもあります。それがひとりさんの要望とあれば、叶えないわけにはいかないでしょう。

 

「しかし、困りましたね。焼肉屋となると……銀座でしたらいくつか店を知っていますが、この付近の店は知りませんね」

「あっ、そ、そうですよね! そういえば、前に『そういう話を聞いたこと』がありましたね。なっ、なので、別にチェーン店とかで大丈夫ですよ!!」

「ふむ、分かりました。少し検索して探してみますね」

「あっ、はい」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんはホッと胸を撫でおろしていて、その様子に首を傾げつつ私は焼肉屋を探すためにスマートフォンで検索しました。

 こうしてすぐに近場の店を調べられるのは便利ですね。

 

 

****

 

 

 虹夏さんたちにもロインで打ち上げは焼肉で構わないかと尋ねて了承を貰ったので、検索して見つけたそれなりによさそうな店を予約しました。

 行ったことのない店だったので、当日予約は難しいかとも思いましたが、問題なく予約できたのでよかったです。

 気になるのは保健室にきた虹夏さんたちと話していたひとりさんが、私の予約が終わったという言葉を聞いて「しまった」という感じの表情を浮かべたところですが、あれはなんだったのでしょう?

 

「いや~お店の予約までしてもらってごめんね。思ったより片付けに時間かかって」

「いえ、大丈夫ですよ。徒歩で行ける近場にいい店がありましたので」

「先に言っておく、お金がないから誰か貸して」

「……リョウ先輩、私もさすがに焼肉をふたり分払うほどの余裕は……」

「あっ、それは大丈夫だよ。お姉ちゃんが打ち上げに使えって、お金くれたから安心してくれていいよ」

 

 片づけを終えた皆さんと一緒に予約した焼肉屋に向かって移動します。皆さんライブ後ということもあってテンションは高く楽しげな雰囲気です。

 しかし、ひとりさんだけはなにやら不安そうな表情を浮かべていました。

 

「……ひとりさん?」

「あっ、あの、有紗ちゃん? 確認なんですけど……チェーン店の焼肉屋、ですよね?」

「ああ、いえ、申し訳ありません。私は焼肉のチェーン店にあまり明るくなくて、チェーン店かどうかまでは……ネットで調べてよさそうな雰囲気の店を選びました」

「……そっ、そうなんですか……あっ、あの、価格とか……見ました?」

「ええ、メニュー写真も確認しました。手頃な価格でしたよ」

「……」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、どんどん青ざめていきなにやら小さな声で「保健室で目を離しちゃ駄目だった」とか「安いじゃなくて手頃って言った……終わった」と呟いています。

 

「ぼっちちゃん、どうしたの?」

「……あっ、虹夏ちゃん……その、覚悟しておいた方がいいと思います」

「え? 覚悟って、なんの?」

「あっ、有紗ちゃんが選んだ店に関して……です」

「……えっと……普通の店を選んだって言ってたんだけど……」

 

 虹夏さんと少し会話をしたあとで、ひとりさんは私の方を向いてなにか考えるような表情を浮かべたあとで、口を開きます。

 

「……あっ、有紗ちゃん、ちょっと質問なんですけど……仮に、ひとり分の食事代が1万円かかる店があったとして、安いと思いますか、高いと思いますか?」

「提供する料理にもよりますが、よくある価格帯ではないでしょうか? 高いか安いかで言うのであれば、安いですね」

『ッ!?』

「……あっ、有紗ちゃん。これから行く焼肉屋の肉の種類って、わ、分かりますか?」

「初めて行く店なので、ブランド名までは分かりかねますが黒毛和牛ですね」

『ッ!?!?』

 

 ひとりさんの質問に答えていると、虹夏さん、喜多さん、リョウさんの表情が驚愕に変わります。それを確認したあとで、ひとりさんは虹夏さんに話しかけました。

 

「……わっ、分かりました?」

「うん。ヤバいことだけは……ご、ごめん完全に私が迂闊だった。どど、どうしよう?」

「当たり前みたいにブランドとか言ってましたよ? 店長さんから貰ったお金じゃ、とても足りないんじゃ……」

「……私に任せて」

「リョウ?」

 

 詳しい会話までは聞こえませんでしたが、なにかを相談するように話したあと、リョウさんがキリッとした表情で私に近付いてきました。

 そしてどこか誇らしげな表情で口を開きます。

 

「有紗、聞いて欲しい」

「はい?」

「私はお金を持ってない!」

「ああ、大丈夫ですよ。いいライブを見せていただいたお礼ということで、今日の打ち上げの代金は私に任せて、好きなだけ召し上がってください」

「有紗、愛してる」

 

 リョウさんは私の言葉に満足そうに頷いたあとで、虹夏さんたちにサムズアップをしました。

 

「いや、グッじゃないよ! ま、待って、有紗ちゃん? ブランド牛の店なんだよね?」

「はい。ですが、高級店というわけでもありませんし、10万は越えない程度の金額だと思いますよ」

「いや、10万円って……そんなお金を有紗ちゃんに支払わせるのは申し訳が……」

「大した金額でもないので、気にしないでください」

「………………え?」

 

 たしかにブランド牛ではありましたが、メニュー写真などの肉の質から推察して5人で食べても6~8万円程度ではないかと思います。

 銀座などよく知る場所であれば、もっと良い肉を扱う店も知っていたのですが……まぁ、短時間で探したのである程度は致し方ない部分もありますね。

 また機会があれば、銀座にある私がたまに行く店にも皆さんを招待したいところですね。

 

「……あっ、虹夏ちゃん。有紗ちゃんにとっての1万円って、私たちにとっての100円ぐらいの感覚です」

「……うん。いま、私は格差社会ってものの残酷さを思い知ったよ。これが、ハイソサエティかぁ……」

 

 

 

 




時花有紗:そもそも最初から打ち上げの代金は自分が出す前提で店を選んでいた。最初に『割り勘で』と伝えておけば、無難な店を選択していた可能性が高い。

後藤ひとり:有紗がぼっちちゃんの思考を読み取れるように、ぼっちちゃんもある程度有紗の考えは予想できる。有紗の言葉に高級レストランを貸しきりにする未来が見えたので、慌てて焼肉に軌道修正を図る。銀座以外の焼肉屋はあまり知らないという話を以前有紗から聞いていたが故の機転ではあったが、その後すぐに虹夏たちが保健室に来たため、気付いた時には店は予約済みだった。おかげで一時的に文化祭の黒歴史を忘れていたが……家に帰ってから思い出して転げまわった。

伊地知虹夏:財力による格差と認識の違いを思い知った。星歌に渡されていたお金は、帰宅後に返却した。


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二十一手~招請の楽器購入~sideA~

 

 

 文化祭のライブも無事に終わり、今日はひとりさんが新しいギターを買うということでその買い物に同行することになりました。

 ひとりさんからロインで「一緒に来てほしい」と言われたので、実質デートの誘いですね……まぁ、私だけではなく結束バンドの皆さんも一緒なので、少々苦しいかもしれませんが……デートということにしておきましょう。その方が私が嬉しいので……。

 

 さてそのギターの購入ですが、STARRYでのバイトを早めに切り上げて向かうとのことだったので、ロインで聞いた時間に合わせてSTARRYにやってきますと、丁度いい時間だったみたいで皆さんがSTARRYから出てきました。

 

「こんにちは、皆さん」

「あっ、有紗ちゃん……こんにちは」

「有紗ちゃん、丁度いいタイミングだね」

「ええ……ところで、ひとりさんはどうしたのですか? 少し落ち込んでいるような?」

「あ~よく分からないんだけど、お姉ちゃんの欲しいものを聞いて欲しいって言われて、無いって答えてからこんな感じだね」

 

 ひとりさんの様子が気になったので尋ねてみると、虹夏さんも詳しくは分からない様子で不思議そうな表情で返答してくださいました。

 しかし、ひとりさんのことであれば誰よりも知っていると……そろそろ自負してもいいのではないかという思いも多少ある私にとって、それだけの情報で十分でした。

 

「ひとりさん、不意に大きなお金を得ると、人は財布の紐が緩くなってしまうものです。お金は稼ぐよりも、使う方が難しいと言います。衝動的な買い物はあとで後悔することになるので、高い買い物をする際には可能であれば私に相談してくださいね」

「あっ、はい」

「……あと、何かを献上したとしても、星歌さんは普通にプレゼントと認識すると思いますよ?」

「……はい」

 

 なにかを献上したところでアルバイトを辞める云々の話にはならないでしょうし、ひとりさんが切り出せるかといえば……まぁ、無理でしょう。

 そして、アルバイトはなんだかんだでひとりさんのコミュ症を治すのにも有益で、事実としてメイド喫茶の際など少しずつでも効果は出ているので辞めるのは勿体ないと思いますね。

 

「……ねぇ、不思議だよね。普通なら、有紗ちゃんが唐突によく分からないことを言い始めたと思うはずなんだけど、ぼっちちゃん相手だとたぶんなんか真実を読み取った上で話してるとしか思えないんだよね」

「実際そうだと思う。というか、ぼっち……臨時収入あったのか……ふむ」

「ぼっちちゃんにたかったら、有紗ちゃんが怒るよ?」

「……やめとく」

 

 

****

 

 

 音楽の街と呼ばれる御茶ノ水に到着し、立ち並ぶ店を見ながら歩いていると、喜多さんが興味深そうな表情でひとりさんに話しかけます。

 

「ねぇ、ひとりちゃん。なんでこんなに楽器屋さんがあるんだろうね?」

「そ! れ! は!」

 

 すると、喜多さんの質問を聞いたリョウさんがもの凄いスピードで近付いたかと思うと、どこか興奮気味に早口で語り始めました。

 

「明治時代に日本で最も古い歴史を誇るプロオーケストラが結成されてから都内で音楽活動が盛んになってそのころ……」

 

 あまりの早口で語られる大量の情報に、ひとりさんと喜多さんがポカンとした表情を浮かべるのも無理はないでしょう。普段は落ち着いているというかマイペースなリョウさんが、ここまで語るというのは珍しく、音楽が好きというのが伝わってきます。

 ただ、喜多さんに説明するにはあまりにも情報量が多すぎるのが問題ですね。

 

「……つまり、要約するとかつての音楽ブームの際に有名な楽器店があったことで、楽器なら御茶ノ水という認識が生まれて、そういった形で発展してきたということですよ」

「ああ、なるほど……ありがとう、有紗ちゃん」

 

 小声で要約した内容を伝えると、喜多さんは助かったと言いたげな表情でお礼を返してきました。

 するとそのタイミングで虹夏さんが立ち寄る店を決めた様子で、その店に入ろうと提案してきました。ただここで、人見知りなひとりさんは明らかに尻込みしている様子だったので、近づいて安心させるように声を掛けます。

 

「ひとりさん、大丈夫ですよ。私も居ますから、ね?」

「あっ、有紗ちゃん……は、はい。傍に居てくださいね」

「はい」

 

 声をかけるとひとりさんは少し安心したような表情を浮かべて、私の近くに来ました。そして楽器店に入り、ストラップやペグといったアクセサリー系の多い1階から2階へ移動し、多くのギターやベースが並ぶエリアを見ます。

 この店はかなり品揃えがよく、これというのを選ぶのは大変そうですが、なんだかんだでリョウさん、喜多さんだけでなく、ひとりさんも楽しそうにギターを見ている感じでした。

 

 ただその中で唯一、虹夏さんは少し離れた場所で会話に入れず寂しげな雰囲気だったので、近づいて声をかけることにしました。

 

「……ドラムは置いてなくて残念でしたね」

「有紗ちゃん……やっぱドラムは場所とるからね。専門店とかじゃないと中々ねぇ~」

「なるほど、普段ドラム用品はどちらで買われているのですか?」

「秋葉に専門店があって、そこで買うことが多いかな。凄いんだよ、ずら~ってドラムが並んでてね」

「それは壮観でしょうね。一度見て見たいものです」

「じゃ、じゃあ、今度一緒に行こうよ!」

「いいですね。機会があれば、是非」

 

 ドラムの話題を振ると、虹夏さんは表情を明るくして楽し気に話してくれました。そのまま少し話して、虹夏さんの孤独感が解消されて調子が戻って来たと感じたタイミングで、喜多さんが口を開きました。

 

「上にも行っていいですか?」

 

 その喜多さんの提案で、3階に移動すると、そこはハイエンド……高価格帯のギターやベースが並ぶ階でした。

 

「ね、値段がバグってるわ!?」

「あっ、ハ、ハイエンドは、低くても30万以上、高ければ数百万も余裕で……」

「皆、絶対楽器を傷つけたり倒さないように気を付けて! もし、壊しでもしたら……有紗ちゃんに土下座して助けてもらってね!!」

「……そうそう壊れるものではないと思いますが……」

 

 喜多さん、ひとりさん、虹夏さんが焦る中、リョウさんはハイエンドのギターやベースも所持している関係か、それほど動揺した様子もなくハイエンドベースを眺めていました。

 するとそのタイミングで、ふと喜多さんが思い出したように私に声をかけてきました。

 

「そういえば、有紗ちゃんってピアノを弾くんだよね? やっぱり、凄いピアノとか持ってるの?」

「私の使っているピアノは10歳の誕生日にお父様がプレゼントしてくださったもので、スタンウェイ&サンズのD274ですね」

「D274!? あっ、し、失礼しました」

 

 私の言葉が聞こえたのか、近くに居た店員が驚愕の表情を浮かべていました。それを見て、喜多さんはなにかを察したような表情を浮かべます。

 

「……もの凄いピアノってことだけは、よく分かったわ」

 

 スタンウェイ&サンズのD274は世界中のトップピアニストが愛用する最高峰モデルで、価格ですと2500万を越えます。

 

「まぁ、私のピアノの話はいいとして……ひとりさん、なにかいいものはありましたか?」

「いっ、いや、流石にハイエンドとかは……2階に戻りましょう。わっ、私は10万円前後のギターを買うつもりなので……」

「なるほど、では2階に戻りましょうか」

 

 その後ハイエンドコーナーをまだ見ていたいというリョウさんは3階に残り、私たちは2階に移動して改めてギターを眺めはじめました。

 すると、ひとりさんが飾ってあるギターのひとつをジッと見つめていました。すると、そこに店員が近づいて来て声を掛けます。

 

「YAMAHAさん、いいですよね~」

「あひぃっ……わわわ……」

「手頃な価格ですけど、いいギターですよ。よかったら試奏なされますか?」

「あっ、ああ、えと……」

 

 ひとりさんは人見知りなので、突然店員に話しかけられて混乱しており、言葉を返せていない様子だったので私が近づいて代わりに話すことにしました。

 

「申し訳ありません。ひとりさんは、少々人見知りでして……ひとりさん、楽器は演奏感も大事なので、せっかくですし少し試奏させてもらいませんか?」

「あっ、は、はい」

「ということですので、こちらのギターを試奏させてください」

「はい。かしこまりました」

 

 店員の方にギターを取ってもらいひとりさんに手渡しますが……駄目ですねこれ、緊張で混乱しきっており、まともな演奏ができるとは思えないほど肩に力が入っています。

 なので私は試奏用の椅子に座るひとりさんの前でしゃがみ、両肩に手を置きながら微笑みます。

 

「ひとりさん」

「ひゃっ!? あっ、有紗ちゃん!? 顔近っ……えっ、えと、どど、どうしました?」

「試奏の曲をリクエストしてもいいですか?」

「りっ、リクエスト? はっ、はい。どうぞ」

「曲は――」

 

 とりあえず、最初はなにを弾くか……本来は適当にいくつかの演奏をするもので、曲を弾いたりというのはあまりないですが、現状のひとりさんにはまずなにをするかを明確に意識させる必要があります。そうすることで、混乱した思考に目標を思い浮かべさせて安定させて……あとは精神状態です。

 

「……普段のライブなどでは難しいですが、今回はせっかくの機会なので私のために演奏をしてくれませんか?」

「あっ、有紗ちゃんのために?」

「はい。他に余計なことは考えず、ただ目の前に居る私だけを見て、私のためだけに演奏してください。駄目でしょうか?」

「あっ、い、いえ、有紗ちゃんがそうして欲しいなら……がっ、頑張ります」

「ありがとうございます。楽しみです」

 

 どうやらひとりさんの意識も試奏ではなく、私のために一曲演奏するという形に切り替わったみたいで、混乱していた表情が真剣なものに変わり、肩からも力が抜けていました。

 ひとりさんは誰かのために頑張れる素敵な方なので、きっといい演奏をしてくれるでしょう。

 

 そんな私の予感は現実のものとなり、少し音を確かめるように鳴らしたあと、ひとりさんは本格的に演奏を始めましたが、それは実に見事な演奏でした。

 なんなら、普段ひとりさんの家で聞く際よりも音が乗っているような、いい状態の緊張で理想的な演奏であり、演奏しているひとりさんはキラキラと輝いているみたいに見えました。

 やっぱり素敵な方だなぁと、こんなに近くで本気の演奏を聴ける喜びを感じていると、ほどなくして演奏は終わり少し汗をかいたひとりさんが口を開きます。

 

「どっ、どうでしたか?」

「とても素晴らしかったです。演奏しているひとりさんは、いつ見てもカッコいいですね」

「え、えへへ……あっ、有紗ちゃんが喜んでくれたならよかったです」

「凄いです! お客さん!」

「ぴぃっ!?」

 

 演奏が終わって私が感想を伝えたあとで、店員の方が興奮した様子でひとりさんに声を掛けます。

 

「滅茶苦茶上手いじゃないですか、プロみたいでしたよ」

「え? あ、へへ、そそ、そんな大したものじゃ……ギター買います」

 

 店員に絶賛されたひとりさんは、明らかに嬉しそうな表情で謙遜したあと手に持っていたギターを買うと宣言しました。

 今回はフィーリングもよく、ひとりさんも気持ちよく弾けていたので大丈夫でしょうが……なんとなく、服屋とかに行くと店員に言われるままにいくらでも買ってしまいそうな不安がありますね。

 そういった買い物をする際は私が同行することにしましょう。ひとりさんの試着なども見れて、デートも出来るので一石二鳥どころか三鳥は得られます。

 まぁ、問題は……ひとりさんがあまり私服を買おうとせず、ほぼジャージで対応するあたりでしょう。あと、ひとりさんの私服姿は可愛すぎて私が暴走してしまう危険もあります。難しいものですね。

 

「……ぼっち……前からソロの時は上手いと思ってたけど、本気はあそこまでのレベルなんだ」

「ひとりちゃんの演奏……圧倒的でしたね。私感動しちゃいました。けど、アレをライブで演奏したとしたら、私たち……付いていけましたかね?」

「いまの私たちじゃ無理だね。だからこそ、私たちも頑張ってぼっちちゃんが本来の実力で演奏できるようになった時に、負けないようにしないとね」

 

 今日のひとりさんの演奏は普段動画サイトに投稿するための演奏を撮影する際よりも乗っており、圧倒的な演奏技術を感じられるものだったためか、いつの間にか2階に来ていたリョウさんも含め、結束バンドの皆さんも心から驚愕している様子でした。

 ただ、後ろ向きな感情は無く、自分たちも頑張ろうという前を向いた意思を感じました……本当に、互いに影響し合えるいいバンドですね。

 

 

****

 

 

 無事に新しいギターを購入できたひとりさん。普段使いのギターと合わせて2本となり、文化祭の時のようなライブ中のトラブルにも対応できるようになりました。

 合わせて壊れたペグも新しい物を買ったので、交換すれば故障していた方のギターもすぐに使えるようになるでしょう。

 そして、リョウさんの「ぼっちが早く新しいギターを弾きたいだろうから解散」という提案で解散となりました。

 その際に私はひとりさんと途中まで一緒に帰っていたのですが、ギターケースを大切そうに抱えたひとりさんが、なにやら少し悩むような表情で私を見ていました。

 

「……ひとりさん、どうしました?」

「あっ、え、えっと……その、あっ、有紗ちゃんの都合さえ大丈夫なら……あの、その、ここ、これからうちにギターを聞きに……来ませんか?」

「……え?」

「あっ、あの、もも、もちろん距離が距離ですし、そ、そろそろ夕方なので、むむ、無理にとは……ただその、えと、せっかくなので、新しいギターでの演奏を、もっとちゃんと有紗ちゃんに聞いてもらいたくて……その……」

 

 これは、思わぬ幸福な提案です。まさかひとりさんがこんな提案をしてくださるとは……私とひとりさんの絆が深まったからでしょうか? とにかく、こんな嬉しい提案を断る理由などありません。

 幸いにも私の学校は明日は休みなので、時間に余裕はあります。というより、ひとりさんも私の学校が休みであると知っているから誘ってくださったんでしょうね。

 

「ええ、喜んで伺います。新しいギターでの演奏、楽しみです」

「あっ……はい!」

 

 私が了承するをひとりさんはパァッと明るい表情を浮かべてくれました。その可愛らしい姿に微笑みながら、改めて一緒に並んで駅へ向かって歩き出しました。

 

 

 

 




時花有紗:気遣いのできる子。感情の機微に鋭いので、孤独を感じていた虹夏に声をかけたり、割とバンドメンバーのメンタルケアに貢献していたりする。特にひとりに対する効果は絶大であり、居るだけで安定感がまったく違う。

後藤ひとり:有紗のためという意識で演奏したからか、渾身の演奏を披露。そして、もっと有紗と一緒に居たいという無意識の想いから、有紗を家に招待。原作同時期と比べて精神面の成長が著しく、有紗関連のみではあるが能動的に動く場合もある。

伊地知虹夏:ゲーミング虹夏ちゃんなんていなかった。

結束バンドメンバー:ひとりの演奏を見てもっと頑張ろうと決意、強化フラグON。

14歳(仮):いや、待って、ここで強化フラグでちゃうと状況が変わりそうで……その、困る。


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二十一手~招請の楽器購入~sideB~

 

 

 文化祭のライブにてギターのペグ故障が発覚したあと、ひとりは父親である直樹に謝罪をした。そもそもひとりが使っているギターは直樹の物を借りている。まぁ、とはいえ持ち主が直樹というだけで、基本的にはひとりしか使っておらずギターもひとりの部屋に置いているので、実質的には貰い受けている状態ではあるが……。

 ともかくギターを壊したことを謝罪するひとりに対し、気にしないように伝えたあとで、今回のようなトラブルに備えて複数のギターを所持することを提案した。

 

 お金がないというひとりに対し、ひとりの動画広告収入を与えた。動画サイトのアカウントが家族共有であったため、いつか必要になった時のために広告を付けておいたと言い。その収入はひとりの努力によって得たものなので気にせず使うといいといってくれた。

 結果ひとりは30万円という臨時収入を得て、それを部屋に戻ったあとで並べて見つめていた。

 

(30万……ある。まさか、こんな棚ぼた展開が起こるなんて……10万前後のギターを買ったとして、残りをノルマに当てれば……ノルマに……)

 

 お金を見つめながらしばらく考えたあと、ひとりは封筒を取り出しそこに10万円を入れて、表に『有紗ちゃんの誕生日プレゼント用』と書いてから、押し入れの奥にしまった。

 

(うん。10万円前後のギターを買ったとして、10万は残る。それをノルマ代に当てれば、1年ほどはバイトしなくてもライブできる!)

 

 ひとりの甘い未来展望としては、高校在学中にメジャーデビューして高校中退する気なので、その展望通りなら1年後にはデビューしている。デビューすれば、ノルマ代に追われることも無い……つまり、10万円あればバイトを辞められる。

 そういう結論に達したひとりは、バイトを辞める決心をする……最も、コミュ症のひとりにそれを星歌に切り出す度胸など無く、結局辞めることはできなかったのだが……。

 

 

****

 

 

 有紗と結束バンドのメンバーと一緒に御茶ノ水の楽器店に行き、無事新しいギターを購入できたひとりは、有紗を家に誘った。

 ひとりは明日も学校だが、有紗の学校は創立記念日で休みであるというのを事前に聞いていたので、可能ならばと思って誘った。

 

「あっ、じゃ、じゃあ、準備しますね」

「はい」

 

 新しいギターでの演奏を楽しみに待つ有紗を見て、心が温かくなるのを感じながら、簡単な準備をして演奏を始めた。

 楽器屋で試奏した時もそうだったが、有紗に向けて演奏をしようと思うといつもより調子がいい気がした。スムーズに手は動き、音が乗っているのが自覚できる。

 

(有紗ちゃん、喜んでくれてる……やっぱり、ギターの演奏は楽しいな)

 

 楽しさを感じながら演奏をして、ギターを弾き終われば、有紗が惜しみない賞賛の言葉を伝えてくれる。幸せな時間を感じながら、ひとりは新しいギターの音を確かめるように、いろいろな弾き方をする。

 そして、演奏がひと段落すると、今度は故障していたギターを有紗と一緒に修理することになった。

 

 とはいってもペグの交換だけなので、弦を外しボックスレンチでナットを取り、裏面のネジを外して取り外し、買ってきた新品のペグに付け替える。

 全てのペグを付け替えたあとは、改めて弦を張りなおしてチューニング……本来なら、ヘッドにチューナーを取り付けて行うのだが、有紗が耳で簡単にチューニングしてしまったのであっという間だった。

 

「これで、修理は完了ですね」

「あっ、はい。チューナー無しで精密に調整できるのは羨ましいです。そっ、それに、やっぱり有紗ちゃんはギターを持っている姿も様になりますね」

「そうですか? そう言ってもらえると嬉しいですね」

「あっ、そっ、そうだ! 有紗ちゃんも、ちょっと弾いてみませんか……こうして、ギターがふたつあるので」

「……しかし、私はギターに関してはまったく経験が無いのですが?」

「だっ、大丈夫です。2つのコードで弾ける曲とか、省略コードで弾ける曲もあるので!」

 

 ひとりにしては極めて珍しいことではあるが、積極的に提案をしていた。その理由は単純だ。ひとりはそもそもギターの演奏が好きだ。

 ギターを始めたのは有名になってチヤホヤされたいという動機ではあったが、それだけで毎日6時間に及ぶ練習を続けられるわけがない。ひとりはなんだかんだで、ギターを演奏するのが楽しい。

 そして、その楽しい時間を有紗と共有したいという気持ちがあった。

 

 思い出すのはきくりと有紗と共に行った路上ライブ。有紗と一緒に行ったあの演奏は……楽しかった。もちろん最初は恐怖や困惑もあったが、途中からは本当に楽しかった。

 もっとできる。まだまだ行けると、そんな風にどんどん自分の演奏が研ぎ澄まされていくような感覚と、言いようのない安心感があった。

 なので、機会があればまた有紗と共に演奏をしたいという思いはずっとあったのだ。

 

「……それでは、せっかくですから弾いてみましょうか。教えてくださいね」

「あっ、はい! 有紗ちゃんなら、きっとすぐに簡単な演奏は出来るようになりますよ」

 

 そして有紗が快く了承してくれたことで、ひとりは表情を明るくして有紗に簡単なコードと曲を教えていく。

 やはりというべきか、有紗は非常に器用であり、省略コードだけではなく一部の簡単なメジャーコードもすぐに覚えて初心者用の練習曲なら、ある程度弾くことができた。

 

 そしてある程度慣れたところで、ひとりとセッションすることになった。もちろん有紗は簡単なコードしか弾けないので、ひとりがサポートする形になるのだが、ふたりの息が合っているおかげか意外とそれなりの演奏をすることができた。

 有紗をサポートしつつ導くという、普段ではなかなか無いシチュエーションにひとりは嬉しそうな笑みを溢す。

 

(……やっぱり、こうして有紗ちゃんと一緒に居るのは楽しいな。ギターでの演奏もいいけど、いつかまたキーボードを弾く有紗ちゃんと、セッション出来たら嬉しいな)

 

 そんな風に考えながら、ひとりは有紗と共に時間の許す限り演奏を楽しんだ。

 

 

****

 

 

 新しいギターを買った翌日、昨日の幸せな表情はどこへ消えたのか、ひとりは重い足取りで学校の教室に向かっていた。

 その理由は文化祭での出来事であり、見事ステージにて黒歴史を作ってしまったからだった。あの場にはクラスメイトもそれなりに居たので、気が重たかった。

 

(ま、まぁ、私に話しかけてくる人とかいないし、いっつも空気みたいなものだし……大丈夫だよね)

 

 そんな風に考えつつ教室に入り、いつも通り無言で最後列にある自分の席に座ったひとりだったが、そこで予想外の事態が発生した。

 

「あっ、後藤さん。おはよ~」

「へ? あっ、えと、はは、はい。おお、おはようございます」

 

 ひとりのひとつ前の席のクラスメイトの女子が、ひとりに明るい笑顔で挨拶をしてきたのだった。それはまさに青天の霹靂といっていい事態だった。なにせ、高校に入学してから半年余り一度起こり得なかった事態なのだから……。

 混乱するひとりに対し、クラスメイトは笑顔のままで言葉を続ける。

 

「文化祭のステージ見たよ。凄くよかった!」

「……あっ、ありがとうございます」

「演奏も、その後のラブダイブも!」

「………………え? ………………ラブ………‥ダイブ?」

 

 なにを言われたのか一瞬わからなかった。ラブダイブとはいったい何の話だろうと……それもそのはず、ひとりの認識としては、文化祭ステージでライブハウスのようなダイブを行った恥ずかしい黒歴史であり、「頭がおかしい」とか「イキってダイブした馬鹿」とかの評価ならともかく、ラブダイブなどという名称には心当たりがまったく無かったのだ。

 

 ひとりが混乱していると、そのクラスメイトの傍にいたもうひとりの女子が、首を傾げながら問いかける。

 

「ラブダイブって何?」

「ああ、後藤さんが文化祭ステージでライブしたんだけどね。演奏が終わった後で、観客席のすっごく綺麗な女の人に向かって、ステージからダイブして抱き合ってたんだよ! もうすっごく綺麗でね。ステージの光とかに照らされて、映画のワンシーンみたいにキラキラしてて、素敵だったんだ~」

「へぇ、そんなことが……後藤さんって結構大胆なんだね」

 

 その説明を聞いて、ひとりはようやく己と周囲であの時のダイブに対する認識が違うということに気が付いた。ひとりにとっては陰キャが混乱してやった突拍子もない馬鹿行動なのだが、周囲にはひとりが有紗に抱き着いていたように見えていたと……。

 

(あばばばば……だだ、だからラブダイブって……たた、確かに有紗ちゃんの美貌なら、なにやっても絵にはなるけど……)

 

 ひとりはいまにも吐きそうな気分だった。己が想像していた以上に、とんでもない解釈をされている黒歴史……もういますぐにでも気を失いたかった。

 

「学校では見たことなかったけど、あの物凄い美人は、後藤さんの恋人?」

「ちっ、ちち、違います! 有紗ちゃんは、とと、友達であって、恋人とかそういうのじゃなくて……その、あの……」

「……なるほど、そっか、そういうことだったんだね」

 

 ひとりが慌てながら有紗は恋人ではないと伝えると、クラスメイトは少し考えたのちに納得したように頷いた。

 

(わ、分かってくれた?)

 

 無事に誤解が解けたんだとそう思ったひとりだったが、クラスメイトはどこか興奮した様子でグッと拳を握りながら口を開く。

 

「つまり、後藤さんの片思いってことだね!」

「ふぁっ!?」

 

 まったく、なにひとつわかってなどいなかった。むしろ、より誤解は酷くなっていた。

 

「確かに、高嶺の花感が凄い人だったもんね。でも、可能性はあると思うよ。だってあの人、後藤さんに凄く優しそうな顔で微笑んでたもん!」

「あっ、いや、その、そうじゃなくて……」

「気持ちわかるなぁ、私も……」

 

 クラスメイトはどこかしみじみと呟きつつ、もうひとりのクラスメイトをチラリと見たあとで、ひとりに近付き勢い良く告げる。

 

「私、応援してるよ!」

「……あっ……はい」

 

 悲しいかな陰キャでコミュ症のひとりは、勢いに弱い。これだけの勢いで詰め寄られてしまえば、それに反論できるような度胸もコミュ力も存在しない。

 結果として、ひとりはクラスメイトの言葉に死んだ魚のような目で首を縦に振るしかなかった。

 

 

「……なんか、ふたりで盛り上がってるね。そんなに凄かったんだ」

「うん。そのダイブもそうだけど、演奏も凄く良かったよ……後藤さんは普段、ライブとかやってるの?」

「え? あっ、えっと、下北沢のSTARRYってライブハウスで……」

「へぇ、凄いなぁ。私ライブハウスとか行ったことないんだよね。どんなところなの? いろいろ教えてほしいな」

「私も興味ある。やっぱり、不良っぽい人が多いの?」

「あっ、えっと……STARRYは……」

 

 予想外の事態ではあったが、興味を持ったクラスメイトふたりに対し、ひとりはやや戸惑いながらアレコレ話をしていく。

 

(あ、あれ? どうして……こうなったんだろう?)

 

 高校に入学してから初めてとも言っていいクラスメイトとのまともな会話に戸惑いつつ、ひとりは学校生活の変化を感じ取っていた。

 

 

 




時花有紗:ひとりとふたりで幸せな時間を過ごして大満足。基本的に器用なので大抵のことは教わればすぐに出来る。

後藤ひとり:文化祭で黒歴史を作ったと思ったら、なぜか友達(百合フレンズ)ができた……なにを言っているのか、なにが起こっているのか、サッパリ分からなかった(百合は引かれ合う)。

モブA子:ぼっちちゃんのクラスメイトでひとつ前の席。体育館のステージを見に行っていた。実は幼馴染であるB子が好きだが、いまの関係が壊れるのが怖くて言い出せないという状態で、ひとりに対してシンパシーを感じた。そこそこ思い込みの激しい子で、百合。この後、ひとりとは友達になり挨拶したり、時々一緒にお昼を食べたりするようになったとか……。

モブB子:A子の幼馴染で親友。実は昔からA子のことが恋愛的な意味で好きだが、A子はノーマルだと思っているため引かれるのを恐れて胸に秘めている。実際は両思いだけど互いに片思いと思い込んでいるパターン。A子から詳しくひとりの話を聞いて、ひとりにシンパシーを感じて友達になった。この子も百合。


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二十二手対応のネットとテスト~sideA~

 

 

 ひとりさんと巡り合って恋に落ちてから、私は日々ひとりさんのことを知ろうとしてきました。その成果は十分に現れ、いまとなっては私はひとりさんの多くを知ることができました。

 いずれは世界で一番ひとりさんのことを知っていると胸を張れるようになりたいと思っています。

 

 しかし、そんな私でも未だにひとりさんの行動の意図が読み取れないことはあります。それは今回の件もそうで、ロインで届いたメッセージを見て現在首を傾げていました。

 

『10万円分のエフェクターを買おうと思うんですけど、どうでしょうか?』

 

 ひとりさんがロインを送って来た理由は、おそらく以前に私が高額な買い物をする際は教えるようにと言ったからだと思いますが……気になる書き方ですね。

 これが10万円のエフェクターというのなら分かります。ハイエンドエフェクターならものによっては10万円を超えるものもあるでしょうし、マルチエフェクターなどなら数十万という価格でも珍しくは無いです。

 しかし、ここで注目すべきは10万円『分』という表記です。この書き方であれば、エフェクターを10万円で買えるだけ購入するとも読み取れます。

 

 普通であればエフェクターを大量に買っても意味は無いです。好意的に解釈するなら、ギターソロでよく使われるオーバードライブやブースターを始めとする歪み系のエフェクターだけではなく、モジュレーション系やピッチシフト系など、複数の用途のエフェクターを買いそろえるという意味にも思えます。

 とはいえ、ひとりさんもずっとギターを弾いてきたので、最低限必要なエフェクターは所持していますし、ここからさらにエフェクターをいくつも買う必要は感じません。

 

 こういった場合に楽観視して曖昧に返答すると危険というのは、以前の氷風呂の件で学びました。

 

『理由なども含めて質問したいので、私も買い物に同行していいでしょうか?』

『あ、はい。有紗ちゃんが一緒に来てくれるなら、私も安心です。前に買い物した御茶ノ水の楽器屋に行こうと思っています』

 

 とりあえずしっかりと事情を把握する必要があるので、同行を申し出ました。なんとなく直感ですが、この買い物はあまりよくないもののような気がします。衝動的な買い物というか……まぁ、その辺りはしっかりと事情を確認して対処することにしましょう。

 

 

****

 

 

 とりあえず御茶ノ水が目的地ということなので、駅で待ち合わせをしてひとりさんと合流しました。

 

「ひとりさん、とりあえず買い物に行く前に事情を知りたいのでどこか店に……ああ、あそこに入りましょう」

「え? ひっ、ひぃぃ……あっ、ああ、あの店は……」

「……コーヒーはお嫌いですか? コーヒー以外もありますよ」

 

 まずは話をと思って駅前のコーヒーチェーン店に入ろうと提案すると、ひとりさんは青春コンプレックスを刺激されたような表情で震え出しました。

 

「よっ、陽キャの魔窟……スタパ。あっ、有紗ちゃん! わた、私、呪文とか唱えられないです……」

「呪文……えっと、ああ、呪文のように長い注文ということですかね? たしかに、物によってはかなり長い商品名もありますが、シンプルなものもありますよ。コーヒーとかココアとか、それに分からなければメニューを指差しても大丈夫です」

「あっ、そ、そうなんですね」

「ええ、それに私も居ますから、その辺りは安心してください」

「あっ、はい。私も、ついにスタパに……」

 

 スタパに対してどんな印象を持っているのかまでは分かりませんが、以前のタピオカの際の時の様に緊張している空気はありました。

 とはいえ、ある程度前向きというか私も一緒という言葉に安心してくれたみたいなので一緒にスタパに向かいました。

 

「注文カウンターに向かう前にメニューを決めてしまいましょう。スマートフォンで確認できるので……ひとりさんはどれがいいですか?」

「え? あっ、え、えと、私はよく分からないので……有紗ちゃんと一緒のとかで……」

「私はゆずシトラス&ティーを頼もうかと思っていますが、柑橘系は大丈夫ですか?」

「あっ、は、はい。大丈夫です」

「サイズはどうしますか?」

「あっ、えと、スタパのサイズ表記って……よく分からなくて……」

 

 たしかにいまとなってはそれなりに浸透してきていますが、来店したことがない場合は少々戸惑う部分かもしれませんね。

 

「主にサイズは4種です。小さい順から説明するとShort(ショート)はホットとアイスで若干違いますが約240mlほどです。続いてTall(トール)は約350ml、一般的な缶ジュースぐらいのサイズで一番定番ですね。その上がGrande(グランデ)で、こちらは約470mlとペットボトル飲料のサイズですね。一番大きいのがVenti(ベンティ)で約590mlこの辺りは少々量が多いですね」

「なっ、なるほど……じゃ、じゃあ、トールで」

「はい。あと、余談ですけどアメリカにはさらに上のTrenta(トレンタ)というサイズがあって、そちらは約916mlですね」

「さっ、さすが、アメリカ……」

 

 簡単に説明しつつ、注文が決まったことでカウンターに向かって注文をします。ひとりさんがガチガチに緊張しているようでしたが、私がまとめて注文してしまえば問題はありません。

 注文を終えて商品を受け取り、窓近くの席にふたり並んで座り、いよいよ本題というべきかひとりさんの目的について尋ねることにしました。

 

「……それで、ひとりさん。なぜ、10万円分のエフェクターを購入するのですか?」

「あっ、えと、それは……My new gearが……私の中の内なる怪物が……」

「う、うん? えっと、とりあえず最初から話していただけますか?」

 

 詳しく話を聞いてみると、虹夏さんと遊んでいた際に話の流れからひとりさんの動画サイト用の名義である、ギターヒーローのトゥイッターアカウントを作成することになったそうです。

 その際に新しい楽器や機材を買った際に「My new gear」の文字と共に写真と投稿するというのを見つけ、更には同様のことをしているリョウさんのアカウントを見つけ、羨ましくなりひとりさんもMy new gearをしたくなったとのことです。

 そして、元々持っていたギターや機材の写真を全て上げても、望むほどのいいねや反応が貰えず……承認欲求が刺激されて、もっといいねが欲しいと思ったひとりさんはMy new gearを行うために、新しいエフェクターを購入しようと考えたと、そういう話らしいです。

 

「……なるほど、ことの経緯は大体わかりました」

 

 さて、どうしましょうか? ひとりさんのいまの状況は、明らかに衝動的にお金を使おうとしている悪いパターンです。ほぼ確実に後々後悔するでしょうし、阻止するべきです。

 しかし、無理に抑え込んだとしても承認欲求は消えないでしょうし……納得した上で思い留まってもらうには……。

 

「ひとりさん、ギターヒーローのアカウントを作ったということは、概ねそのアカウントを見るのは動画サイトなどでギターヒーローを知っている方が大半になると思います」

「あっ、はい」

「仮にひとりさんに動画サイトで好きな演奏者が居たとして、その演奏者がトゥイッターでひたすら自分の楽器や機材の写真ばかりをアップしていたら……どう思いますか?」

「…………そっ、そんなのいいから、動画上げてくれって、思います」

「そうですね。ある程度であれば皆さんも好意的に受け取って、賞賛してくれたり羨ましがったりしてくれるでしょうが、度が過ぎるとむしろ不快に思われる可能性もありますね」

「あわわわ……」

 

 私の説明で少し冷静になってくれたのか、ひとりさんは青ざめた表情で震え出しました。おそらく、そういったコメントが付いた際のことを想像しているのでしょう。

 

「その上で確認なのですが……そもそも、ひとりさんが欲しいのはいいねやコメント……つまるところ、承認欲求を満たしてくれる反応であって、エフェクターではないですよね?」

「あっ、はい。すみません、醜い化け物を押さえられない俗物で……」

「承認欲求は誰しも持ち得るものですから、卑下することはありませんよ。それで、提案なのですが……いいねや反応が欲しいのであれば、私にひとつ案があります」

「あっ、案、ですか?」

「はい。なので、大量にエフェクターを買う必要はないのですが……まぁ、せっかく御茶ノ水に来たわけですし、いま使っているものよりランクが上のエフェクターをひとつだけ買うのなら、いいかもしれませんね」

「よっ、よく分かりませんけど……あっ、有紗ちゃんがそういうなら……」

 

 とりあえず、ひとりさんから私に対する信頼度は高いみたいで、大量のエフェクターを買うというのは思い留まってくれました。

 

 

****

 

 

 ひとつだけエフェクターを購入したあとで、一緒にひとりさんの家に移動して、私の案をお話することにしました。

 

「ひとりさん、いま練習中の流行曲がありましたよね?」

「あっ、はい。次の動画にしようかと……まだ、動画に出来るほど上手く弾けませんけど……」

「その曲のなかで、気に入っている場所を1フレーズだけ、新しいギターで演奏してみてください」

「え? あっ、はい。1フレーズだけ?」

 

 不思議そうに首を傾げつつもギターを用意して言う通りに演奏してくれました。それを私はスマートフォンのカメラで、ひとりさんの手元だけを撮影します。

 そして撮影した動画を、スマートフォンの機能で簡単に編集をしてひとりさんに送り、ひとりさんのスマートフォンを借りてトゥイッターに投稿します。

 

『新しいギターで練習中。ここのフレーズがお気に入り』

 

 と簡潔にコメントを書いてその動画をトゥイッターに貼りました。

 

「はい。こんな感じですね」

「あっ、え? こ、これだけ? 数秒の動画で、ほぼ撮ったままなのに?」

「ええ、これで大丈夫だと思います。あとは、動画サイトの方にトゥイッターを始めたことを投稿者コメントで書けば大丈夫だと思いますよ」

 

 怪訝そうな表情を浮かべていたひとりさんでしたが、動画の投稿者コメントを修正して少しすると、トゥイッターに反応が現れだしました。

 

「あっ、す、凄い……いいねがどんどん、増えて……そっ、それに、動画の再生回数も……」

 

 ギターヒーローのファンの方が気付いてくれたのでしょう。元々ひとりさんの動画は、チャンネル登録している人も多く、繰り返し視聴している方も多いでしょう。導線さえできてしまえば、トゥイッターアカウントを見に来てくれる人は多いです。

 

『やっぱり、ギターヒーローさん上手いですね!』

『新しいギター、カッコいい』

『この曲私も好きです。次はこの曲ですか? 楽しみです』

 

 そんな感じの好意的なコメントや反応も多く、ひとりさんは明らかに嬉しそうな顔になっていきます。その可愛らしい反応に和みつつ、私はひとりさんに声を掛けます。

 

「ギターヒーローのファンの方々は、つまるところひとりさんの演奏のファンでもあるので、こうして短い動画を上げれば写真より多くの反応をしてくれますよ」

「こっ、こんな簡単に……ギターや機材をあげても60程度だったいいねが、も、もうこんなに……ふへへ」

「ただ、こればかりしていても問題なので、動画サイトの投稿も行いつつ、こうした練習の1シーンを挟むと効果的ですよ。新しく買ったエフェクターも、次の動画に使うつもりといったコメントと共に、軽く音を鳴らす動画を添えると効果的ですね」

「なっ、なるほど……」

 

 感心した様子でメモを取るひとりさんを見て、思わず苦笑しつつ、私は軽くひとりさんの肩に手を置いて微笑みます。

 

「ただ、トゥイッターもいいですが、目の前のファンのことも気にしてくださいね。というわけで、新しく買ったエフェクターでの初めての演奏を、聞かせてもらってもいいでしょうか?」

「あっ、はい! 任せてください!」

 

 私の言葉に明るく嬉しそうな笑顔を浮かべたひとりさんは、急いで新しいエフェクターを用意して、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

 

 

 

 




時花有紗:My new gearキャンセラー。ぼっちちゃんからの信頼が極めて高いため、承認欲求が暴走気味のぼっちちゃんをも止められる。本人としてはスタパデートもできたのでご満悦である。

後藤ひとり:原作では承認欲求に突き動かされMy new gearをして、更には反応もイマイチで打ちのめされたが、有紗への信頼度があまりにも高く「高い買い物をする時は相談」という言葉をちゃんと覚えていたので、散財を回避した。

承認欲求モンスター:有紗ちゃんいっぱい褒めてくれるし、満たしてくれるから好き。


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二十二手対応のネットとテスト~sideB~

 

 

 楽しく思い出にも残った文化祭。多くの学生にとって非常に楽しいイベントが終わった後の物寂しさを感じるまでもなく、学生たちに襲い掛かってくるものがある。

 残念ながら楽しいことばかりとはいかないのが学生生活であり、多くの学生たちを苦しめるであろうその名は中間テスト……概ね10月の中旬辺りに行われる学生たちへの試練である。

 

「もうすぐ中間テストだけど、ひとりちゃんって勉強はできるのかしら?」

「あっ、できません!」

「……力強い返事ね」

 

 学校の帰りにたまたま会って一緒に帰っていたひとりと喜多。テストについて問いかける喜多に、ひとりは自信を持ってできないと返した。

 

「正直、私もあんまり得意じゃないから不安なのよね。テストで補習なんかになったら、バンド活動にも影響が出そうだし……ひとりちゃんは、大丈夫?」

「あっ、た、たぶん……有紗ちゃんが教えてくれるので」

「……有紗ちゃんって、やっぱり頭いいの?」

「あっ、はい。物凄くいいですし、教え方も上手いです。私1学期の中間テストは、全教科合計で17点だったんですが……期末テストは有紗ちゃんが数日教えてくれただけで、全部赤点を回避しました」

「……17点を、全教科赤点回避に?」

 

 ひとりが告げた言葉を聞いて、喜多は驚いたような表情を浮かべた。先ほどまでの会話を考えるに、ひとりは自分で自信を持って断言するほど勉強ができないのは間違いがない。

 実際1学期の中間では5教科合計17点という結果……それを教科数が増える期末テストで、全教科赤点回避という結果まで持っていったということは、5教科のみで考えても計100点以上上昇しており、有紗の指導の上手さを感じ取れた。

 

「……あの、ひとりちゃん……私も、有紗ちゃんに教えてもらっちゃ、駄目かな?」

「え?」

「私もあんまり勉強得意じゃなくて、1学期の期末はバンド活動とかで点数結構下がってて、これ以上下がるとお父さんやお母さんに怒られそうで……お願い!」

「あっ、えと、有紗ちゃんに聞いてみますね」

 

 喜多の願いを聞いて、ひとりがロインで確認を取ると有紗は喜多の勉強を見ることも快く了承してくれた。そして、ひとりと喜多と両方に指導するのなら、STARRYで場所を借りるのがいいだろうという話になったので、ふたりはそのままSTARRYに向かうことにした。

 

 

*****

 

 

 STARRYでは赤点常連のリョウが虹夏に勉強を教わっており、ひとりたちが場所を使うことに関しても星歌は快く了承してくれた。

 そのまましばらく試験範囲などを確認していると、有紗が到着する。

 

「こんにちは、皆さん」

「あっ、有紗ちゃん、こんにちは」

「急なお願いしてごめんね、有紗ちゃん」

「いえ、気にしないでください。ひとりさんと喜多さんは同じ学校ですし、試験範囲も一緒なのでそれほど手間でもありませんしね」

 

 そう言って優し気な微笑みを浮かべた有紗は、鞄の中からファイルを取り出し、そこからA4サイズの紙を何枚かひとりと喜多の前に置く。

 

「……これは?」

「ひとりさんからテスト範囲を聞いて、要点などを簡単にまとめたものです。来る途中にコンビニでコピーしてきました。1学期の中間と期末でおふたりの高校の出題傾向はある程度分かりましたので、それを覚えるだけでも50点は越えられると思います」

「え? あっ、え? で、でも、有紗ちゃんは私の解答用紙を見ただけで、もっ、問題とかは見てないんじゃ?」

「出題範囲と解答の正否と問題数を見れば、おおよその出題は推測できます」

「……いや、普通はできないから」

 

 当たり前のように告げる有紗に、思わずといった感じで虹夏がツッコミを入れた。とはいえ、実際に有紗はできているので、なんとも強く言いにくいものではあったが……。

 

「教科書のページ数でみると、範囲が広い様に思えるかもしれませんが、その中でなにが重要で、それの理解をどう問いかけてくるかというのは、意外とパターンは少ないものです。必要な部分に絞って学習すれば、点数を上げるのはそれほど難しいことではありません」

「な、なるほど……」

「いちおう、もしお持ちでしたら、喜多さんの過去の答案も拝見しても?」

「あ、うん。ちょっと待ってね……はい」

 

 喜多から答案用紙を受け取った有紗は、しばしそれを見つめたあとで納得した様子で頷いた。

 

「なるほど……喜多さんは、テストの後半で時間が足りなくなることが多いのではないでしょうか?」

「えっ? う、うん。確かにそういうことが多いけど……答案用紙を見てわかるの?」

「ええ、前半に比べて後半にケアレスミスが目立ちます。時間配分のコツなども合わせて教えた方が良さそうですね」

 

 ひとりの言葉通り、有紗の指導能力は極めて高く、ひとりや喜多の能力に合わせた的確な指導を行ってくれた。その指導はかなり分かりやすく、ふたりともかなり勉強が進んだ実感があった。

 その調子でしばらく勉強を続けていると、ふと喜多が思いついたように口を開いた。

 

「……有紗ちゃん。その、私からお願いしておいてあれだけど、私たちに教えてて有紗ちゃんの方は勉強は大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。特にテスト前に特別な勉強をしたりはしませんので」

「え? そっ、そうなんですか?」

 

 特にテスト勉強はしないという有紗に対し、ひとりが驚いたような表情を浮かべる。ひとりは有紗の得点を知っており、極めて高得点であることを知っていた。

 それだけの優秀な成績を取っているのだから、テスト勉強もしっかり行っていると思っていたが、どうも違うらしい。

 

「それぞれによって考え方は違うでしょうが……私にとってテストは、それまで行ってきた勉強がいかに身についているかを確認する場なので、テスト前に特別な勉強をすることはありません」

「……頭のいい人の発言だわ」

「さっ、流石有紗ちゃん……あっ、えと、ここはどうすれば?」

「その形式で問題が出た場合は、解き方は2通りだけ覚えておけば大丈夫です。最初は……」

 

 丁寧に指導してくれる有紗のおかげで、ひとりも喜多も確かな手ごたえと共に中間テストに臨むことができた。

 

 

****

 

 

 中間テストが終わり、テストの返却も行われたあとに後藤家に遊びに来た有紗だったが、想像外の歓迎によって迎えられた。

 家に入るなりクラッカーを持った後藤一家に迎えられ、そのままご馳走の用意されたリビングに通された。

 

「有紗ちゃん、いらっしゃい! 待っていたのよ」

「お義母様? これは、いったい……」

「有紗ちゃんのおかげで、ひとりが素晴らしい結果を残したからね」

「お義父様? 素晴らしい結果……ですか?」

 

 明るい笑顔で歓迎する美智代に、さすがの有紗も意図が分からず戸惑ったような表情を浮かべる。直樹の言葉にも不思議そうな表情を浮かべ隣に座っているひとりに問いかける。

 

「ひとりさん、素晴らしい結果というのは?」

「あっ、えへへ、その、有紗ちゃんが勉強を教えてくれたおかげで、今回の中間テストの点が凄く良かったので、お父さんもお母さんも喜んじゃって」

「ああ、なるほど、そういうことだったんですね」

「あっ、有紗ちゃんが勉強を教えてくれたおかげです。わっ、私、あんなに高得点をとったのは生まれて初めてでした」

 

 嬉しそうに話すひとりの言葉を聞いて、有紗はようやく合点がいったと頷く。有紗の予想では、今回は平均点よりやや上ぐらいの点数になると思っていたが、ひとり自身も頑張ったのだろう。有紗の予想以上の点を取り、それを家族総出で祝っているというわけだ。

 

「それはよかったです。ですが、私の力は微々たるものですよ。ちゃんとひとりさんが積み重ねてきた基礎があったからこそ、結果につながったんです」

「うへへ……」

「ところで、最高点は何点だったのですか?」

「あっ、なっ、なんと……72点でした」

「……頑張りましたね。素晴らしいです」

 

 高得点というにはやや低い印象ではあるが、なにせ1学期の中間テストは5教科合計で17点という記録を叩き出したひとりにしてみれば、70点越えというのは快挙といっていい得点だった。

 実際、美智代や直樹がはしゃぐほど過去類に見ない高得点であり、72点の解答用紙を額縁に入れているほどだった。

 

「ともかく、今日はお祝いだから、有紗ちゃんも遠慮せずに食べてね」

「ありがとうございます、お義母様」

 

 そんなこんなでひとりの高得点を祝うささやかなパーティは始まり、後藤家の皆と共に有紗は食事を楽しむ。ひとりにとっても珍しく、音楽以外での賞賛であり嬉しそうに食事を楽しんだ。

 そして、一通りはしゃいだ後で、ひとりの部屋に移動してふたりで過ごす。

 

「お義父様もお義母様もとても楽しそうでしたね。改めて、本当によく頑張りましたね」

「えへへ、あっ、有紗ちゃんに褒めてもらえると、その、嬉しいです。あっ、あの、有紗ちゃん……その、有紗ちゃんにはいつもいっぱい助けてもらってますし、なっ、なにか、お礼がしたいです」

「お礼ですか?」

「はっ、はい! なにか、ありませんか? 私にできることなら、なんでもします!」

 

 今回のテストの件もそうではあるが、それ以外でもいつも有紗に助けてもらっているひとりは、有紗になにかお礼をしたいと口にした。

 

「……なんでも……」

 

 なんでもするというひとりの言葉に、有紗は考えるような表情を浮かべた。なにせ、いまは言ってみれば、有紗の要望を自由に通すことができる状態である。

 それこそ、本当に大抵のことならひとりは躊躇なく首を縦に振ってくれるだろう。それほど、ひとりの中の感謝の念は大きい。

 

 しかしかといって、有紗がその言質を元に己の欲望を押し通すようなタイプかと言われれば、そうではない。むしろ、彼女にとって感謝につけ込むような形で要望を通すのは本意ではない。

 だが、拒否をすればそれはそれでひとりの有紗にお礼がしたいという思いを突き放すことにも繋がるため、有紗はしばし考えた。

 

「……ではひとりさん、もしよければですが……冬休みに私と旅行に行ってくれませんか?」

「はえ? りょっ、旅行……ですか?」

「ええ、ひとりさんと遠出をしてみたいんです。ひとりさんとしては、あまり見知らぬ場所に行くのは好ましいことではないと思うので、無理にとは言いませんが……」

「あっ、えっと……だっ、大丈夫です。有紗ちゃんが行きたいなら、行きましょう! 一緒に!」

「ありがとうございます。楽しみです……また、詳細は冬休みが近づいたらお伝えしますね」

「わっ、分かりました」

 

 悩んだ結果、有紗が提案したのは一緒に旅行に行くというもの……日頃からバイトやバンド活動で忙しくしているひとりのリラックスや気分転換にもなり、有紗としてもひとりとふたりきりで泊りがけで出かけるのは最高のひと時になると確信でき、いまから思い浮かべるだけでつい笑顔になるほど楽しみだった。

 

 

 

 




時花有紗:なんでもすると言われて、かなり悩んだ。基本的にいい子なので、お礼をたてに要望を押し通すのは気が進まなかったので、旅費などを自分が出すことで自分の方からもぼっちちゃんになにかができる旅行を提示した。

後藤ひとり:全教科60点以上、最高点72点という本人にしてみれば、過去最高の得点を獲得し家族総出でお祝いとなった。有紗への感謝の気持ちが高まっており、本当に有紗の望みなら何でも叶えるぐらいの気持ちで、お礼がしたいと伝えた結果、ふたりきりで『イチャラブ』旅行に行くことになった。

喜多郁代:こちらも有紗のおかげでかなり得点を上げており、両親に褒められてご褒美のお小遣いも貰えたため、有紗に心底感謝している。

STARRYの大人たち:原作では無様を晒していたが、今回はひとりと喜多を有紗が担当し、虹夏がキャパオーバーしていないのでそもそも助けを求めることが無かったため、評価を落とすことも無かった。


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二十三手成長のトレーニング~sideA~

 

 

 10月の終盤に差し掛かった頃、STARRYでは結束バンドの皆さんが近くSTARRYで行うライブに向けてスタジオ練習を行っており、私もそれを見学していました。

 ひとりさんもスタジオ練習では、以前よりもかなり本来の実力に近い演奏ができるようになりましたし、喜多さんの成長はもちろん、虹夏さんやリョウさんも最近腕を上げているような印象です。

 

 以前楽器屋に行った際にひとりさんの演奏に感化されて、それが向上心に繋がっている感じではありますね。とはいえ、客観的に見ると課題も多くはありますが……一朝一夕で大成長するわけでもないので、その辺りはじっくりと時間をかけて、ですね。

 

「……あの、有紗ちゃん。ちょっといいかな?」

「はい? どうしましたか、喜多さん?」

 

 物販用のポップを作っていた私になにやら真剣な表情を浮かべた喜多さんが話しかけてきたので、首を傾げつつ聞き返します。

 すると喜多さんは少し考えるように視線を動かしたあとで、意を決した表情で口を開きました。

 

「……私に足りないものってなんだと思う?」

「喜多さんに? それは、バンドマンとしてという意味ですか?」

「ええ、ひとりちゃんもそうだけど、先輩たちも最近前以上に熱が籠ってて……私が足を引っ張ってるかなぁって……有紗ちゃんなら客観的な意見を言ってくれるって思って……」

 

 どうやらかなり悩んでいる様子でした。確かに、虹夏さんやリョウさんは音楽経験もそれなりに長く、自分が成長していくための導線や方法も理解しているでしょうから、それと比べると喜多さんはどうすればいいのかという悩みを持つのは必然かもしれません。

 そんな風に思っていると、喜多さんの様子を見て心配そうな表情を浮かべたひとりさんが口を開きます。

 

「あっ、で、でも、喜多さんもどんどん上手くなってますよ」

「そうですね。ひとりさんやリョウさんに教わっている成果は間違いなく出ていると思いますが……その上で、いま以上に成長するために何が必要かと問われれば……私の返答は、ボーカルですね」

「……ボーカル?」

 

 喜多さんは努力家ですし、ひとりさんやリョウさんにギターを教わっていることの成果は着実に表れています。ただ、ボーカル方面では指導する相手が居ないせいか、課題は多いと言っていいでしょう。

 まぁ、喜多さんはギターも初心者だったので、最初はギターの方に注力するのは無理のないことですが、今後はボーカルとしてのトレーニングも必要になるでしょう。

 

「言葉で説明するよりも、体感した方が早いでしょうか……ひとりさん、少し協力していただけますか?」

「あっ、はい。なにをすればいいですか?」

「動画を撮影してください。喜多さん、いまから一曲……そうですね。先ほど練習していた星座になれたらを歌っていただけますか? 1番だけで大丈夫です」

「え? う、うん。わかった」

 

 私の言葉に頷いた喜多さんはマイクの前に移動して、ひとりさんも動画を撮影する準備をしてくれました。虹夏さんとリョウさんも気になったのか、練習の手を止めてこちらに移動してきました。

 曲のオケ……オーケストラ部分は録音しているものを流し、喜多さんに1番を歌ってもらいました。

 

「……えっと、これでいいの?」

「はい。では、次は私が歌いますので、それを聞いておいてください。ひとりさん、こちらも撮影をお願いします」

「え? あっ、はい」

 

 若干戸惑った表情を浮かべる喜多さんと交代して、今度は私が同じように1番を歌いました。歌い終えると、皆さんはなにやらポカンとした表情を浮かべていました。

 

「あっ、有紗ちゃん……歌、上手っ……」

「この完璧超人は、いったい何ができないのか教えてほしいぐらいなんだけど……」

「声量も音域も半端じゃない。これ、確実にボイトレ積んでる」

 

 ひとりさん、虹夏さん、リョウさんが呟く中、喜多さんは心底驚愕したような表情で私を見ていました。私は軽く苦笑してから、ひとりさんに撮影してもらっていた動画を再生しながら喜多さんに声をかけます。

 

「上手い下手は置いておいて、今回注目してほしいのは声の聞こえ方です」

「……聞こえ方?」

「はい。実際に聞き比べてみるとどうですか?」

「……有紗ちゃんの歌に比べると、私の歌は聞き取り辛い……声が、出てないのかな? 有紗ちゃんの声は凄くよく通っている感じがして……全然違う」

「これに関しては、ある程度仕方ない部分があるんです。当たり前ですが、喜多さんは本格的なボイストレーニングなどを行ったことがなく、カラオケ的な歌い方になっています。その辺りが聞こえ方に影響しているんですよ」

 

 私はある程度幼いころからボイストレーニングなども行っているので、歌い方というか声の出し方で差が出てくるのは必然とも言えます。

 そして、これは喜多さんのボーカルを成長させるために極めて有効な手段でもあります。

 

「なので、簡単なボイストレーニングを教えますので、それを実行してみませんか? 声の出し方が変わるだけで、喜多さんのボーカルは大きく成長できると思いますよ」

「……是非、お願い! 私、頑張るから……いろいろ教えて、有紗ちゃん」

「はい。私でよければ喜んで……ただ、その前に、それ以上に喜多さんの大きな欠点を治す必要がありますね」

「え? きっ、喜多さんの、欠点?」

 

 驚いたようなひとりさんの言葉に私は軽く頷いてから、喜多さんの正面に立ち、喜多さんの目を真っ直ぐに見つめながら一番大事なことを伝えます。

 

「喜多さんの最大の欠点は、精神的な部分です。喜多さんは結束バンドのメンバーの中で、一番音楽歴が浅いこともあって、自分が皆に劣っていると感じていませんか?」

「うっ、そ、それは……実際、私が足を引っ張って……」

「そこが一番大きな間違いです」

「……え?」

「いいですか、喜多さん。貴女は、リードギターのひとりさんの劣化でもなく、ましてやドラムの虹夏さんやベースのリョウさんの劣化でもない。喜多郁代という、他に代えの効かない結束バンドのギターボーカルです。その意思をちゃんと持てるかどうかが、一番大事なんですよ」

「……有紗ちゃん」

 

 どうしても喜多さんは経験の浅さから、周囲に対して劣等感といいますか己を卑下しがちな部分がありました。ある意味では向上心にも繋がりますが、最近は少々悪い方向に思い悩んでいるようにも感じられました。

 なまじ、ギターの腕が上達したことでいままで以上にひとりさんとの実力差を感じていたのでしょうね。

 

「最近喜多さんはギターの腕が上がったことで、ひとりさんとの実力差を感じていたのかもしれませんが……ひとりさんの様になる必要はありません。ひとりさんにはひとりさんの、喜多さんには喜多さんの魅力がしっかりとあるものです……ですよね? 皆さん」

「そうだよ! 喜多ちゃんのいいところはいっぱいあるよ」

「はっ、はい! 結束バンドのボーカルは、喜多ちゃんじゃないと、駄目なんです」

「うん。深く考えず、私を見習え」

「……皆」

 

 音楽は精神面の影響を大きく受けます。特にボーカルへの影響は顕著でしょう。喜多さんの気持ちの持ちよう次第で、その歌声はいくらでも成長すると思います。

 

「私も可能な限り協力しますので、頑張りましょうね」

「……うん! 私頑張る! ありがとう、有紗ちゃん!」

 

 どうやら皆さんの言葉のおかげもあって、喜多さんの気持ちがいい方向に向いたみたいで、彼女らしい飛び切り明るい笑顔を浮かべてくれました。

 きっと、喜多さんはここから大きく成長してくれるでしょうし、これからが本当に楽しみですね。私もサポートスタッフとして、初めてサポートらしいことをできた気がします。

 

 

****

 

 

 喜多さんに自宅などでも行えるボイストレーニングを教え、過度な練習はしないように釘を刺しました。喉は特に過度に練習すればいいというものではなく、むしろ過度な努力は周囲に迷惑をかける結果につながるだけでメリットは無いと伝え、練習量は守るようにしっかり伝えました。

 喜多さんは努力家ですが、ひとりさんと同じくやり過ぎてしまうところがあるのでその辺りには気を付けなければいけません。

 

「喜多さん、やる気に満ち溢れてましたね」

「あっ、はい。目標というか、どうすればいいかが分かって嬉しそうでした……」

 

 STARRYからの帰り道に、ひとりさんと一緒に駅に向かって歩きながら会話をします。今日はバイトではなくスタジオ練習のみだったので、まだそれほど遅い時間ではないですし、このまま帰るのは少し勿体なく感じますね。

 できれば、一緒に夕食など……。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい?」

「えっ、えっと、その……いっ、一緒にその……ご飯を食べて帰りませんか?」

「……え?」

「あっ、い、いや、もちろん有紗ちゃんの都合とかあると思うので……でっ、できれば、ですけど……」

 

 率直に言って驚きました。まさかひとりさんの方からそういった提案をしてきてくれたこともそうですが、同じことを考えていたのにも……なんだか、心が通じ合っているようで嬉しくなりますね。

 

「ああ、いえ、都合は大丈夫ですよ。ただ、丁度私も同じことを提案しようと思っていたので、先に言われて少し驚きました」

「あっ、有紗ちゃんも?」

「はい。今日はまだ早めの時間ですし、もう少しひとりさんと話していたいなぁと思っていたところです」

「あっ、わ、私もです」

「ふふ、一緒ですね」

「……えへへ、はい」

 

 なんとなく顔を見合わせて笑い合います。なんと表現すればいいか、言いようのない嬉しさがある気がしました。

 それはそれとして、互いに相手を食事に誘うつもりだったのであれば、行かない理由はありません。

 

「ひとりさん、なにが食べたいですか?」

「あっ、そ、それなんですけど……ファミレスとかにしましょう。いっ、いつも有紗ちゃんにお金を出してもらってますし、臨時収入があった時ぐらいは私が……まっ、まぁ、有紗ちゃんが普段行くような店は無理ですけど……」

「その気持ちがなにより嬉しいです。そういうことでしたら、せっかくなので厚意に甘えさせていただきますね」

「あっ、はい! 好きなものを注文してくれて大丈夫ですからね」

「ふふ、それは楽しみですね」

 

 楽し気なひとりさんの顔を見て、私も笑顔になるのを実感しつつ一緒にファミリーレストランを目指して歩き出しました。

 

 

 




時花有紗:基本なんでもできる超人であり、感情の機微にも鋭いため成長という面でも非常に頼りになる存在。喜多のボーカル面を指導することになった。

後藤ひとり:この距離感で、未だに「あくまで友達」とか言ってるらしい。今回はスタ練であまり有紗と話せなかったので、もっと一緒に居たいとか考えて食事に誘った。

喜多郁代:原作よりかなり早い段階でボーカル面の強化フラグON。しかも、ボイストレーニングなどを指導できる有紗が居るおかげで、環境も◎。

ヨヨコパイセン:……あの、私の見せ場……。

14歳(仮):やめてくれ、タイミング的にもうちょっとで私の登場なんだ……これ以上強化しないでくれ……。


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二十三手成長のトレーニング~sideB~

 

 

 珍しくひとりの方が提案してやって来たファミレス。夕食の時間には少々早いこともあってか、店内はある程度空いており、待つことなどは無かった。

 席に座ってそれぞれ注文し、ドリンクバーで飲み物を取ってきて、料理が来るまでの間雑談をする。

 

「もうすぐSTARRYでの2度目のライブですね」

「あっ、はい。きっ、緊張はしますけど、前よりは少し気は楽です」

「2度目ですし、文化祭でもステージに立ちましたしね。そういえば、今回はチケットノルマは大丈夫ですか?」

「あっ、はい。今回はお父さんとお母さんは来れないですけど、がっ、学校の友達が2人来てくれるそうなので、大丈夫です」

 

 妙な因果ではあったが、ひとりは文化祭でのライブ以降クラスメイトに友達と呼べる相手が2人できた。その2人がライブハウスでのライブにも興味を持ってくれて、今回のライブには観客として来てくれることになり、両親が来れない状況でも2人のファン、2人の友達、そして有紗のおかげで無事にチケットノルマを達成することができた。

 

「なるほど、それなら安心ですね。11月にもライブをするんでしたっけ?」

「あっ、はい。今回は、少し間が短めですけど、9月にはライブしてなかったので……」

「バンドとしての活動が安定しているのはいいことですね。ただ……」

「あっ、えっと……なにか気になることがありますか?」

 

 少し考えるような表情を浮かべた有紗を見て、ひとりが心配そうに声をかける。その言葉を聞いた有紗は、軽く苦笑を浮かべつつ口を開く。

 

「気になるというほどでもないのですが、そろそろホーム以外のライブハウスでの演奏も経験してもいいかもと思いまして……」

「え? ほっ、他のライブハウス……ですか?」

「ええ、もちろん不安はあるとは思いますが、今後を考えると客層が違う場所での演奏の経験も積んでおきたいですね。まぁ、焦って行う必要はありませんが、メジャーデビューを狙うなら知名度は高めておいた方がいいでしょうしね」

「……あっ、た、確かに……有紗ちゃんって、マネージャーをしても敏腕そうですね」

「ふふ、そうですか? サポートスタッフとして動くことが少なく手持無沙汰気味なので、マネージャー業も兼務してもいいかもしれませんね」

 

 そんな風に話して笑い合ったタイミングで、注文した料理が運ばれてきた。それを上品に食べながら、有紗は少し思考を巡らせていた。

 

(結束バンドの今後の課題はやはり宣伝等の発信力の不足でしょうか? STARRYのみでの活動ではどうしても常連相手ばかりになってしまいますし、知名度という点を考えれば情報発信の場は多い方がいいでしょうね。とはいえ、まだ結成1年未満……急ぎ足過ぎるのも問題ですが……)

 

 結束バンドの実力自体はそれなりのものであるし、人を惹きつけるだけの魅力もあるが、メジャーデビューとなると課題も多く残っているというのが有紗の印象ではあった。

 ただ、いまの段階であまり急ぎ過ぎる必要も無いとは感じていた。

 

「……あっ、えっと……有紗ちゃん」

「はい? なんでしょうか?」

「有紗ちゃんって、ピアノを弾くんですよね? 長くやってるんですか?」

「そうですね。いちおう3歳の時からなので、年数で言えばそれなりですね。3歳の頃をちゃんと弾けていたかと言われると首を傾げてしまいますが……」

「へぇ、あっ、有紗ちゃんが上手なのはキーボードの演奏を聴いて知ってるんですが、ピアノだとどんな演奏をするのかなぁって……」

 

 それは本当に単純な好奇心からの質問だった。有紗がピアノを弾くことはかなり前から知っていたが、その演奏を聞く機会は一度も無かった。

 キーボードの演奏であれば、路上ライブの際に聞いたが、あくまでキーボードであり演奏もコード弾きだった。なので、ひとりとしては一度有紗のピアノ演奏を聞いてみたいという思いがあった。

 

「私の演奏に興味がありますか?」

「あっ、はい。その、一度ぐらい聞いてみたいなぁとは……その、思います」

「なるほど、それは別に構わないのですが……ピアノが無いと」

「あっ、そうですよね。STARRYには無いですしね」

 

 ライブハウスであるSTARRYにピアノは置いておらず、いざピアノを聞きたいという話になったとしても、ピアノを探すのもなかなか大変である。

 それに気付き申し訳なさそうな表情を浮かべるひとりを見て、有紗は優しく微笑みながら口を開く。

 

「……ひとりさん、明日はスタジオ練習もバイトもありませんでしたよね?」

「え? あっ、はい。明日は土曜日ですけど、STARRYは休みで喜多ちゃんやリョウさんも予定があるみたいなので、練習は無しです」

「では、多少遅くなっても大丈夫ですか?」

「あっ、はい」

「それならよろしければ、食事のあとで……私の家に来ませんか?」

「え? あっ、有紗ちゃんの家に?」

 

 突然告げられた提案に、ひとりは驚愕したような表情を浮かべる。それもそうだろう。なにせ有紗との付き合いはもうそれなりに長いが、基本的に有紗がひとりの家に来ることはあっても、ひとりが有紗の家を訪ねることは一度も無かった。

 というかそもそも、ひとりは有紗の家がどこにあるかもよく知らなかった。

 

「私の家は松濤にあるので、ここから車で20分程度の距離ですし、当たり前ですがピアノもあるので」

「……あっ、えっと……だ、大丈夫なんですか? そそ、その、私みたいな庶民が尋ねても……」

「少し大きいだけの普通の家ですよ。食事のお礼ということで、ピアノを演奏しますので、ひとりさんさえよければ是非」

「あっ、は、はい。有紗ちゃんがいいのなら、お邪魔します」

 

 思わぬところで自宅に誘われ、ひとりはやや緊張しながら頷いた。

 

(あ、有紗ちゃんの家って……どう考えても凄い家だよね? うん、少なくとも私の家のような感じなわけがない。は、反射的に返事しちゃったけど、だ、大丈夫かな? 庭にドーベルマンが居て襲い掛かってきたりとか、トラップとかあったりするんじゃ……)

 

 有紗の家がどんな場所かは知らないが、豪邸であることは間違いないと確信していた。ここまでの有紗の金銭事情を見る限り、少なくとも普通の家が出てくることはあり得ない。

 ただ、それでも、やはり興味はある。有紗の家に行ってみたいという気持ちには抗えず、不安を感じつつもひとりは有紗の家にお邪魔することを了承した。

 

 

****

 

 

 ファミレスから出て、有紗が呼んだ迎えの車に一緒に乗る。都合三回目の乗車となったロールスロイスだが、やはり未だに慣れないひとりは、若干落ち尽きない表情を浮かべていた。

 

「そうです、ひとりさん。もしよろしければですが、本日は泊っていきませんか?」

「はえっ!? え? 泊る? 有紗ちゃんの家に……ですか?」

「ええ、もちろんお義父様やお義母様の許可が出るならですが……客間はいくつもありますし、着替えも用意できますので、どうでしょう?」

「あっ、えっと、でも私が泊まったりすると迷惑なんじゃ……」

 

 思わぬ提案であり、ひとりは困惑したような表情を浮かべる。ただやはり、相手が有紗であるからか泊ること自体にはあまり抵抗がない様子ではあった。

 基本的にひとりの有紗に対する信頼度は極めて高い上……若干ではあるが、そういった友人宅への宿泊という行為に憧れもあった。

 

「そんなことは無いですよ。むしろ私としては、ひとりさんと長く一緒に居られるのは嬉しいです」

「あっ、うっ、えっと……有紗ちゃんがいいなら……はい」

「決まりですね。今日は夜は星がよく見えるみたいなので、一緒に見ましょうね」

「あっ、はい」

 

 ひとりが宿泊することを了承すると、有紗は目に見えて嬉しそうな笑顔を浮かべる。ひとりの感覚としては夜に一緒に星を見るというのは、なんと言うかやたらお洒落な感じだなぁと思わなくもないが、有紗が喜んでいるなら水を差す気にもならなかった。

 

(なんか、変な流れになっちゃったけど……有紗ちゃん凄く嬉しそうだし、それなら、いいかな?)

 

 そんな風に思いつつ、両親に今日は有紗の家に泊まることをロインで連絡した。すると、すぐに返信が届き外泊するのは構わないという返答だった。

 そもそもの認識として、美智代や直樹から見ても有紗は極めて信頼できる相手であり、日頃からの付き合いも多いため安心である。

 むしろ、長らく友達が居なかったひとりが、友人の家に宿泊する日が来ようとはと喜んでいる様子だった。

 

「あっ、お父さんもお母さんも問題ないそうです」

「それなら、よかったです。ああ、ひとりさん。寝衣ですが、希望はありますか? 用意させておきますので」

「あっ、えと……ジャージみたいなのがあれば……」

「ズボンタイプのものですね。分かりました。そう伝えておきます」

 

 伝えておくという言葉を聞いて、ふとひとりはある疑問を抱いた。そう、誰に伝えるのかという問題だ。先ほどまでの有紗の口ぶりからして、家に有紗の家族は居ないはずだ。

 ひとりも有紗とはそれなりに長い付き合いなので、有紗の母親が海外で活動していてあまり家に居ないことも、父親が仕事が忙しくあまり家に居ないことも知っているし、兄弟や姉妹が居ないというのも知っている。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん。有紗ちゃんの家って、もしかしてメイドさんというか……そういう人が居るんですか?」

「ええ、使用人の方々がいらっしゃいますね。それほど多くというわけではありませんが……」

「なっ、なな、なるほど……そういう家って、日本に実在するんですね……」

 

 当たり前のように答える有紗の言葉に、ひとりは改めてこれから自分が向かう場所がとんでもないセレブ空間だということを再確認した。

 正直、有紗が一緒でなければとっくに逃げ出していたかもしれない。

 

(ほ、本物のメイドとか居るって、やや、やっぱり有紗ちゃんの家って相当凄いよね? ま、まぁ、ここはもっと前向きに考えよう。私だって将来大ブレイクして、豪邸に住むかもしれないわけだし、実際の豪邸がどんな感じなのか知れると思えば将来のためになるよね! うん、大丈夫……)

 

 まさしく未知の世界に踏み込むかのような心境ではあったが、それでも強引に自身を納得させるぐらいには、なんだかんだでひとりも有紗の家に行くという行為自体には乗り気な様子だった。

 なんというか、有紗のことをまたひとつ知れると思うと、不思議と胸が温かくなるような……少しくすぐったいような、そんな気もした。

 

 

 




時花有紗:ダメもとで提案したが、ひとりが宿泊を了承してくれたことで内心滅茶苦茶浮かれており、少しいつもよりテンションが高い。ひとりと一緒になにをしようかと、いろいろ考えている。

後藤ひとり:初めて友達の家に泊まることになったぼっちちゃん……むしろ好感度的に考えて、有紗が押せば行けそうな気もする。いちおうメインの目的としては、有紗のピアノ演奏を聞くことである。


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二十四手奏楽の有紗宅訪問~sideA~

 

 

 乗り慣れた車で家に向かいながら、私はウキウキとする気持ちが抑えきれていませんでした。ひとりさんが家に来るというだけでも幸福な出来事なのですが、その上宿泊までしていってくださる。

 少なくとも明日の朝まではひとりさんと一緒だと思うと、いくらでも嬉しさが湧き上がってきます。

 じいやには事前にロインで連絡をしていますし、ある頼み事もしています。私の部屋に置いてあるとある物を別室に運び出しておいてほしいと……。

 私の部屋に入室できる使用人には制限があるので、じいやに頼むのが一番確実です。いえ、別に見られて困るものというわけでは無いのですが……せっかくひとりさんの誕生日に備えて準備しているものなので、いまはまだ隠しておきたいところです。

 

 そんなことを考えつつ、ひとりさんと雑談をしていると家に到着したので、一緒に車から降ります。

 

「……あっ、あの、ああ、有紗ちゃん?」

「はい?」

「こっ、ここ、都内……ですよね?」

「ええ、渋谷区ですね」

「……とっ、都内で、こんなに広い庭……そそ、それに、家が複数、ありますよ?」

 

 たしかに、初めてであれば驚くのも無理はありません。世界有数といっていい規模の時花グループのトップであるお父様の家は、豪邸と語るに相応しい規模であり、自分の家ながらこれほどのサイズの邸宅はそうそう見たことがありません。まぁ、あくまでお父様が凄いのですが……。

 

「向こうにある建物はゲストハウスです。お父様もお母様も顔が広いので、訪問者や招待客などが宿泊するための建物ですね」

「ひっ、ひぇ……そそ、そんなものまで……」

「向こうの建物は、お父様のコレクションが置いてあるガレージで、中には車が沢山ありますね。私にはよく分からない趣味ではあるのですが、博物館レベルで高級車や名車が揃っていて、分かる人が見れば感涙ものらしいです」

「あばば、セレブの趣味……恐ろしい」

「そしていま目の前にあるのが本宅です。まぁ、とりあえず入りましょう」

 

 ひとりさんをゲストハウスに宿泊させるつもりはありません。本宅の方に部屋を用意するように伝えているので、ゲストハウスを使うことはありませんし、お父様のガレージを見に行くことも……まぁ、無いでしょう。ひとりさんが車好きというのであれば、お父様に頼んで見せていただきましたが……。

 

 私とひとりさんが本宅の扉に近付くと、車の運転手さんがドアを開けてくださったので、軽く頭を下げてお礼を伝えます。

 家に入るとじいやが綺麗な礼で出迎えてくれました。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「じいや、急なお願いをして申し訳ありません。こちらが、後藤ひとりさんです。ひとりさん、こちらは使用人たちを取り纏める執事長……うちは皇族や華族ではないのでそういった呼び方はしませんが、家令のような立場の方で、私はじいやと呼んでいます」

「箕輪誠二と申します。どうぞ、お見知りおきを」

「あっ、はは、はい!」

「じいやは、昔からいろいろ私を助けてくれたり、様々なことを教えてくださったりして、私にとってはもうひとりの父親のような方です」

「勿体ないお言葉です。お嬢様、客室等の準備は全て滞りなく」

 

 ちなみに、普段は大袈裟なので出迎え等は無しにしてもらっているのですが、今回出迎えてくれたのは、私がお願いした品の移動が滞りなく完了しているという合図も兼ねているのでしょう。

 

「それでは、事前に話した通りひとりさんは人見知りなので、案内は私が行いますので不要です」

「畏まりました。御用がありましたらいつでもお呼びください」

「ありがとうございます」

 

 じいやにお礼を言って家の廊下を歩きます。ひとりさんはやや怯えた様子で、私の背中に隠れるようにしながら移動していました。

 

「ひとりさん、最初は私の部屋に向かって大丈夫ですか?」

「あっ、は、はい」

「あともっと気楽にしていただいて大丈夫ですよ」

「いっ、いや、だって、廊下も広くて……使用人っぽい人たちも……と、とんでもない所に来た感じが……」

 

 時間帯的に夜間勤務の使用人さんたちとすれ違うこともあり、軽く挨拶を交わしつつ私の部屋に向かいます。人見知りのひとりさんだと、ある程度緊張してしまうのは仕方ないですね。

 私の部屋に辿り着けば少しは落ち着いてくれるかと思いますが……。

 

 そんな風に考えているうちに私の部屋の前に着いたので、鍵を開けて室内にひとりさんを通します。

 

「どうぞ」

「あっ、お、おじゃましま……広っ!? え? こ、ここ、ここが有紗ちゃんの部屋? いったい私の部屋の何倍……」

 

 部屋に入ったひとりさんはキョロキョロと視線を動かして興味深そうに見ていたので、先に私は鞄などをしまいました。

 

「ほっ、本当にセレブ空間――はぇ? な、なな、ななな……」

「ひとりさん?」

「なっ、なんですかこれ!?」

 

 部屋を見ていたひとりさんが驚愕した様子で指差した先を見ると、額縁に入れたメイド服のひとりさんの写真がありました。

 

「文化祭の際に撮影させていただいたひとりさんの写真ですが?」

「いっ、いやいや、なんでこんなとんでもない飾り方を!? なんか凄い額縁に入ってますし!?」

「ああ、中身の写真はたびたび変えています。ひとつ前はブロマイド撮影の際のものを入れていましたし……あっ、一緒に撮った写真などはこちらの写真立てやアルバムに……」

「あっ、いや、そそ、そうじゃなくて……ここ、こんなの場違いにもほどがあるというか、戦力外感が凄まじいというか……額縁と中身の差が目も当てられないレベルなんですが……」

「……ふむ。確かに、ひとりさんの愛らしさと釣り合わせるなら、もう少しレベルの高い額縁を用意するべきかもしれません」

 

 私が持っている中で最もよい額縁を使いましたが、確かに輝かんばかりのひとりさんの姿に比べるとどうしても安っぽさを感じてしまいます。やはり、専用に特注するべきかもしれませんね。

 

「……違う……そうじゃない……」

「うん?」

「あっ……いや、なんでもないです。有紗ちゃんらしいといえばらしいので……」

 

 ひとりさんはなにやら遠い目をして諦めたような表情を浮かべていました。とりあえず、次にひとりさんが来るまでにはランクの高い額縁を用意することにしましょう。

 それはそれとして、本来の目的を先に達成してしまうことにしまいましょう。

 

「えっと、ひとりさん。ピアノは隣の部屋にあるのでこちらにどうぞ」

「……へっ、部屋の中に映画館みたいな扉が……」

「この先の部屋はピアノの練習をするために防音になっていますので……」

「そっ、そうですか……ひぇっ、とと、とんでもなく高そうなピアノが……しかも、部屋もSTARRYのスタジオより広いんじゃ……ハイソサエティ感が凄すぎて、めまいがしそうです」

「そちらに椅子があるので、使ってください」

「あっ、はい」

 

 ひとりさんに椅子を勧めたあとで、ピアノの音を軽く確かめます。昨日も引いたので特に問題はなさそうですし、音のズレもありませんね。

 問題ないことを確認したあとで、ヘアゴムを使って演奏の邪魔にならないように髪を後ろでまとめてからひとりさんに声を掛けます。

 

「……ひとりさん、曲のリクエストはありますか?」

「あっ、いえ、お任せします」

「わかりました」

 

 ひとりさんに軽く微笑んだあとで、ピアノの前に座り軽く調子を確かめるように指を動かしつつ演奏を始めます。

 私のピアノの腕前は……どうでしょう? 長く続けていることもあってそれなりではあると思いますが、世界のトップレベルには遠く及ばないことは確かです。

 

 例えば私の友人のピアニスト……彼女の演奏は別格です。昔一緒のコンクールに出た際に彼女の演奏を聞いた時に確信しました。少なくともピアノという分野においては、私は生涯彼女に敵うことは無いだろうと……。

 その思いはいまもほぼ変わっていません。仮に彼女が絶不調で、私が絶好調だったとしても、彼女の演奏は私より遥かに上でしょう。私はピアノという分野において彼女に敵うことは『ほぼ無い』と確信を持って言えます。それほどまでに彼女は素晴らしいピアニストです。

 

 ただ、かつての認識と少しだけ変化したこともあります。そう、唯一……ひとりさんのために演奏することに限れば、私は彼女の演奏に勝てるかもしれません。

 私は音楽とは、演奏とは、なにより演者の心の在り方に大きな影響を受けると思っています。技術が拙くとも大きな思いの籠った音は人の心に響きますし、逆にいかに技術が優れていてもからっぽの音が心を揺さぶることはないと思います。

 

 だからこそ、確信を持って言えます。今日の私の演奏は間違いなく、これまでで最高の演奏であると……。

 

 いつも以上に軽い指の感覚に楽しさを覚えつつ、軽く数曲演奏したあとで一区切りしてひとりさんの方を見ると、ひとりさんはキラキラと目を輝かせてこちらを見ていました。うっすらと目に涙が浮かんでいるようにも見えます。

 

「……どうでしたか?」

「……すっ……凄かったです! あの、えっと、なんか凄すぎて、すぐには言葉が出てこないっていうか……私、クラシックは全然詳しくないんですけど、感動しました。演奏してる有紗ちゃんも、キラキラしてて、凄くカッコよくて……えっと、上手く言葉が出ないですけど、本当に凄かったです!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、嬉しいです」

 

 どうやら私の演奏はひとりさんの胸を打つことができたみたいで、やや興奮した様子で語るひとりさんを見て思わず笑みがこぼれます。

 私としても会心の演奏と言っていい出来でした。やはり、愛する人のために演奏すると全く違うものですね。

 

「……一緒に演奏したいなぁ……」

「一緒に演奏? ええ、しましょうか?」

「あぇ!? こっ、声に出てましたか? す、すみません。一緒に演奏はしたいですけど、アンプとかもないので……」

「ありますよ」

「へ?」

 

 キョトンとするひとりさんの前で、私は席を立って部屋の一角にある機材の収納スペースからギターアンプやケーブルを取り出します。

 

「……こんなこともあろうかと、エレキギターが演奏できる一式は取り揃えていますよ。ギター本体はありませんが、それはひとりさんが持っていますしね」

「え? えぇ……さ、流石有紗ちゃん」

 

 ……本当は、ひとりさんの誕生日サプライズの一環として用意しておいたもので、ひとりさんが使うことを想定して用意していたのでギター本体は無いのですが……。

 まぁ、バレて困ることではありませんし『アレ』はじいやが別の部屋に移してくれているので問題はありません。

 

「ひとりさんがギターヒーローの名義で投稿した動画に、いくつかピアノとギター向きの曲もありましたよね?」

「あっ、そうですね。えっと……この前動画にしたあの曲がいいかもしれません」

 

 私の言葉にひとりさんは嬉しそうな笑顔を浮かべたあと、少し慌てた様子で演奏の用意をしていました。

 

「あっ、えっと……路上ライブの時以来ですね」

「そうですね。ギター同士での簡単なセッションはしましたが、本格的なものはあの時以来ですね。今回は扱い慣れて無いキーボードではなく、慣れたピアノなのでもう少しセッション出来る気がします」

「むっ、むしろ、私が置いて行かれないか心配です」

「大丈夫ですよ。なんとなくですが……息が合う気がするんです」

「あっ、わっ、私もです」

「ふふ、一緒ですね」

「えへへ、はい!」

 

 ひとりさんと軽く微笑みあったあと、示し合わせたように一緒に演奏を始めました。感じた予感は間違いではなかったようで、特に意識して合わせようとしなくてもひとりさんの演奏とピッタリ合うような感覚がありました。

 路上ライブの際はサポートが精一杯でしたが、いまは一緒に演奏しているという感じで……なんというか、本当に楽しそうです。

 

 ひとりさんも、楽し気に微笑みながらギターを弾いており、私とのセッションを楽しんでくれているのが伝わってきました。

 言葉ではなく奏でる音楽で繋がり合うような心地良さと共に、しばし私とひとりさんは時間を忘れてセッションを楽しみました。

 

 

 

 




時花有紗:ピアノの腕はプロ級ではあるのだが、友人のピアニストが世界トップレベルであるため、自己評価はあまり高くない。ただし、ひとりに向けての演奏であれば絶対の自信を持つあたりは、さすがの強メンタル。

後藤ひとり:有紗の愛の籠った演奏に感動したし、演奏する有紗を乙女の顔で見つめていたりもした。前々から有紗とまたセッションしたいと思っていたので、思わぬ機会に大喜び。

箕輪誠二:通称じいや、有紗父からの信頼も厚く、非常に優秀な人材。たぶんなにか頼むと一晩で片付けてくれたりする感じの人。例によってたいして出番はないので覚える必要はない。



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二十四手奏楽の有紗宅訪問~sideB~

 

 

 有紗の家に来て、衝撃を受けるほど素晴らしいピアノ演奏を聞き、その後時間を忘れて有紗とのセッションを楽しんだひとり……楽しく幸せで、笑顔を浮かべていたのも少し前の話、彼女はいま青ざめた顔に変わっていた。

 

「……あっ、ああ、あの、有紗ちゃん……こっ、ここは?」

「ひとりさんに使っていただこうかと思っている客室ですよ」

 

 そう、今日はひとりは有紗の家に宿泊する予定であり、現在有紗から客室の案内を受けていた。だが、その部屋はひとりが想像していた以上に広く、煌びやかであり、まるでホテルのスイートルームのような空間だった。

 

(む、むむ、無理……陰キャに、こんな広くてキラキラした部屋は無理だよ!? もっと、こう暗くて狭い感じじゃないと……広すぎて落ち着かないし、家具とかどれもこれも高そうで怖いし、ここ、こんなところにひとりで泊まるとか絶対無理!)

 

 あまりに豪華すぎる空間ということもあって、ひとりは完全に畏縮してしまっていた。そんなひとりの様子を見て、有紗は概ねひとりの思考を察した様子で、軽く苦笑を浮かべながら口を開く。

 有紗としてもなんとなくひとりの反応は予想しており、一応客室を用意させこそしたが、たぶん使うことは無いだろうと思っていた。

 

「……ひとりさん、もしひとりで不安なようなら、私の部屋に泊まりますか?」

「あっ、有紗ちゃんの部屋がいいです! こ、こんな空間にひとりにしないでください……」

「ふふ、分かりました。それでは、私の部屋にしましょうか……少し手狭にはなってしまいますが」

「……あっ、いや、全然手狭じゃないです。有紗ちゃんの部屋、滅茶苦茶広いので……」

 

 そもそも有紗の家自体、ひとりにとってはあまりにも巨大すぎて恐ろしく、有紗が傍に居ないと不安で仕方ないレベルである。

 ともかく普段のひとりの生活とか別世界といっていい空間ばかりなので、有紗の部屋が一番心休まる場所であるのは間違いない。

 

 有紗の部屋に戻ったひとりは、有紗に促されて室内にある大きなソファーに座っていた。視線の先には、65どころか、70インチは優に越えていそうな大型のテレビが見えた。

 

「ひとりさん、紅茶でいいですか?」

「あっ、はい……すっ、凄いですね。部屋にこんな大きなテレビまで……BDとかもいっぱい……」

「映画などもありますが、ライブのBDなどもありますよ。ロックについて勉強する際に使ったので」

「え? そっ、そうなんですか……あっ、本当だフェスとかのBDもいっぱい……」

「どれか見ますか?」

「あっ、えっと、それじゃあ……どれがいいですかね? このフェスも見たかったですし、こっちは好きなバンドが……」

 

 やはり好きな分野になると食い付きが違う様子で、ひとりは有紗がテーブルの上においた様々なライブBDを見て悩まし気な表情を浮かべていた。

 その様子を微笑まし気に見つつ、有紗は紅茶を用意してひとりの前に置いた。

 

「どうぞ」

「あっ、ありがとうございます……こういうのって、使用人さんとかがやるのかと思ってました」

「食堂などではその形ですが、私室では自分で淹れますね。私やお父様の部屋に入れる使用人は限られていますし、身の回りのことはできるだけ自分で行うようにしていますね」

「なっ、なるほど……あっ、美味しい」

「お口に合ったようなら、よかったです」

 

 ひとりの言葉に微笑んだあと、有紗はひとりの隣に腰を下ろす。

 

(なんだろう、少しフワフワするっていうか、有紗ちゃんの部屋で有紗ちゃんとふたりって思うと……変な気持ち。安心してるのか緊張してるのか、よく分からない感じ……けど……)

 

 隣で上品に紅茶を飲む有紗に視線を向けぼんやりと横顔を見ていたひとりだったが、その視線に気づいた有紗が振り向いて首を傾げる。

 

「どうしました?」

「あっ、いや、なんでもないです!? えっと、ここ、これが見たいです!」

「分かりました」

 

 変に有紗を意識してしまっているかのような、なんとも言えない気恥ずかしさを感じつつも、嫌な気持ちはしない。しかし、どうも自分の心がよく分からないような感覚がくすぐったい気分だった。

 ひとりが選んだBDをセットして、隣に戻った有紗と一緒にロックフェスのBDを見始めた。

 

 なんとなく落ち着かない気持ちだったせいだろうか、無意識に安心を求めるようにひとりの手は有紗の手に触れており、それに気付いた有紗は優しく微笑んだあとでひとりと手を繋いで視線をテレビに戻す。

 掌に感じる温かな温もり、安心する気持ちと落ち着かない思考、本当に奇妙な感覚ではあったが……ひとりは、小さく微笑みを浮かべた。

 

(なんか、変に落ち着かないけど……嫌な感じじゃない。有紗ちゃんとこうしてると、なんか温かくて好きだなぁ……)

 

 

****

 

 

 ライブBDを見終わった後、それなりにいい時間だったので入浴を済ませて、有紗とひとりは広いベランダに出て火照った体を冷ましつつ星を眺めていた。

 

「そろそろ夜は少し肌寒くなってきましたね」

「あっ、そうですね。冬が近づいてきた感じですね」

「そういえば、寝間着のサイズは問題ありませんか?」

「あっ、はい。上品過ぎてちょっと落ち着かないですけど……服に負けてる感が強いです」

 

 ひとりは、上品で綺麗な寝間着を着ており、普段とは違った雰囲気のその姿に有紗が数秒硬直するというハプニングはあったものの、それでも私服、メイド服を経て学んだおかげもあって今回は暴走することは無かった。割とギリギリではあったが……。

 

「いえ、むしろひとりさんの容姿であれば、どんな服を着ても可愛いと思いますよ。実際、いまの姿もとても愛らしく見惚れてしまいます」

「……そっ、それは、有紗ちゃんだけのような……でっ、でも、ありがとうございます」

 

 有紗がお世辞を言ったりしているわけでは無く、心からそう思って口にしていることは付き合いの長いひとりも分かっており、小さく苦笑を浮かべる。

 そのあとで不意に空を見上げてみると、天気がよくある程度は星が見えた。

 

「あっ、星はそこそこ見えますね」

「今日は天気がいいですが……都会だと、このぐらいが限界ですね。冬休みに旅行に行く際は星空が綺麗に見える場所もいいかもしれませんね」

「あっ、そうですね。有紗ちゃんは、どこか考えてたりするんですか?」

「あくまで現時点ですが、冬ですし温泉などがいいかなぁと考えています。電車で行けるのでアクセスもいいですしね」

「あっ、温泉……そういえば、本格的な温泉地とかは、行ったことないかもしれません」

 

 有紗とひとりは冬休みに一緒に旅行に行くことを約束しており、有紗は現時点では温泉旅行を考えている様子だった。

 

(有紗ちゃんと一緒に温泉……温泉街とか、そこまで人が多いイメージもないし……いや、多いときは多いんだろうけど、それでも旅館とかで有紗ちゃんとのんびりできるのは……楽しそうだなぁ)

 

 あちこち観光に回ったりという計画ではなく、温泉地でリラックスという方向の計画のようで、インドア派のひとりとしても賛成だった。

 映えスポットなどを回ったりというわけでもないのであれば、ゆっくりできるし、有紗が一緒なら人が多い観光地でもある程度は安心だと思っている。

 

「あっ、この辺りからだと熱海とかですかね?」

「少し時間はかかりますが、草津温泉も行ける範囲ですね」

「なっ、なるほど……」

 

 そのまま有紗とひとりは、しばらく冬の旅行について楽しく会話を続けた。

 

 

****

 

 

 ベランダで会話を楽しんだあと、夜も更けてきたこともあって室内に戻る。その後もバンドやライブについてなどの他愛のない話をふたりで楽しみ、いい時間になったのでそろそろ寝ようという話になった。

 

「ベッドのサイズが大きくてよかったです。ああ、ひとりさん、この枕を使ってください」

「あっ、ありがとうございます」

 

 有紗から枕を受け取り、クイーンサイズはあろうかという大きなベッドを見て、ひとりはふと考える。

 

(……あれ? なんか、えっと……同じベッドで寝るような感じになってない? あ、あれ? いつの間にそんな話に!? わ、私はソファーとかで寝るとばかり……)

 

 ひとりはそもそも広い客室では落ち着かないということもあって、有紗の部屋に泊まることに決めた。言ってみれば、己のワガママでそうしてもらったという自覚があり、彼女はソファーなどで寝るつもりだった。

 有紗の部屋のソファーはかなり大きく、余裕で寝ることもできるだろうと……だが、当然ではあるが、有紗がひとりをソファーで寝させるようなことをするかと言えば、それはあり得ない話だった。

 

「ひとりさん、どうぞ」

「え? あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい?」

「あっ、いや、なんでもないです」

 

 ベッドに入ることを促す有紗になにかを言おうとしたが、結局口にすることは出来ずひとりはベッドに入った。驚くほど柔らかく雲の上に寝ているかのような感覚の質のいいベッドに感動しつつ、思考を巡らせる。

 

(……そもそも、友達の家に泊まるってこういうことなのかな? ベッドで寝てる人の家に泊まるなら、予備の布団とかなければ一緒のベッドで寝ることになるわけだし、有紗ちゃんの部屋のベッドは凄く大きいし、ふたりでも余裕に寝れるから……う、うん。普通、普通……)

 

 心の中で己に言い聞かせるように思考を巡らせるひとりだったが、直後に枕元の照明以外が消されて、部屋が暗くなったことでビクッと体を動かす。

 少しすると、布団が動く感覚がして有紗が同じ布団の中に入ってきたことが分かった。幸いベッドの大きさもあって接触などは無かったが、ひとりの心臓はうるさいほどに脈打っていた。

 

「ひとりさん、寝心地は悪くないですか?」

「あっ、ひゃぃ! 結構な、お点前です!」

「ふふ、なぜ急に茶道なんですか?」

「あっ、いや、えっと……な、なんか変に緊張しちゃって……」

 

 楽し気に笑う有紗の声に導かれるように体を反転させて向きを変えたひとりの目に、微笑む有紗の顔が映った。

 いかに大きなベッドとはいえ、同じ布団の中に入っている以上、接触がなくとも距離はかなり近かった。

 

(顔近っ!? あわわ……な、なんでこんなにドキドキしてるの? あっ、アレだ。有紗ちゃんが相変わらず綺麗すぎて、顔面戦闘力が高すぎるせいだ……う、うん。きっとそう!)

 

 混乱した頭で思考を巡らせて、更に混乱するという悪循環を生みつつも、なんとか落ち着こうとしていたひとりに有紗が声をかける。

 

「明かりを消しますね?」

「あっ、はい!」

 

 その言葉によって枕元の照明も消され、暗くなった部屋の中でひとりはさらに緊張を高めていた。

 

(な、なんか、暗くなったせいかな? 有紗ちゃんの息遣いが聞こえる気がするし、なんかいい匂いも……うぅぅ、落ち着かない。こ、これ、寝れるかな?)

 

 ともかく思考が落ち着かず、このままでは眠れないと思っていたひとりだったが、直後に右手に温かな感触を覚えた。

 まだ夜の闇に目が慣れていないが、有紗が手を握ってきたのだと理解できた。そして、それが緊張するひとりを安心させるためのものだと察することができて……ひとりの肩から少し力が抜けた。

 

「ひとりさん……おやすみなさい」

「あっ、はい……おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 優しい声と手に伝わる安心できる温もり……慌てふためいていた心があっという間に落ち着いていくのを感じ、同時に眠気を覚えた。

 手を繋いでいるということで、有紗が傍に居てくれると実感できるからだろうか? 少なくとも、先ほどまでの緊張はどこかへ消え、ひとりの意識は温かなまどろみに沈んでいった。

 

 

 

 




時花有紗:ひとりと一緒なので、基本的にずっと幸せいっぱい。ひとりとの旅行では温泉旅行を計画中。

後藤ひとり:有紗の部屋に泊まるとは言ったが、まさか同じ布団で寝るとは思わなかったのでかなりアタフタしていたが、やっぱり有紗と一緒だと安心できるのか、なんだかんだでぐっすり眠った。明らかに意識している場面が増えてきた印象。

Q.入浴シーンは?
A.温泉旅行の醍醐味なのでそこまでお預け


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二十五手混乱の目覚め

 

 

 さて、お父様はよく仰られていました「想定外の事態にこそ、いつも以上に冷静であるべき」と……想定外の事態は起こりうると考えた上で、起こったことに対して冷静に対処することが最も重要だと……。

 私もその言葉を胸に、日々冷静であろうと努めています。想定外の事態が起こった際にも、落ち着いて己のできる範囲で最善手を打てるようにと、メンタルコントロールには注意しています。

 しかし、そう思う通りに行かないのも人間です。私はいま思わぬ事態に動揺して、困惑してしまっていました。

 

 これまでの人生の中で、これ程までに迷い悩んだことは初めてかもしれないというほど、私は現在思考の渦に囚われていました。

 

 事の発端は朝の目覚めでした。私は寝覚めはいい方で、いつも朝はスッと起きることができます。今日もいつも通り目覚めた私の目に飛び込んできたのは……そう、ひとりさんの寝顔でした。

 地上に舞い降りた天使かと思いましたし、私は初めて人は真に美しいものを見ると何も考えられなくなってしまうのだと知りました。

 あどけないひとりさんの寝顔に、私の思考は一瞬で真っ白になりただただその奇跡のような愛らしさに見惚れてしまいました。5分ほどで我を取り戻した己を褒めてあげたいぐらいです。

 

 普段の愛らしい表情も好きですし、ギターを演奏する際のカッコいい表情も愛おしいですが、安心しきった表情の無垢な寝顔は、それらとはまた違った魅力があり凄まじい破壊力でした。

 叶うのなら今すぐに写真を撮って、スマートフォンの待ち受けに設定したいですが……本人の承諾も得ずに寝顔を撮影するわけにはいきませんので、我慢します。

 

 ともかくひとりさんの寝顔は大変愛らしく素晴らしいわけなのですが……私が動揺している要因は寝顔ではありませんでした。

 問題は現在の私の状況……私の体にはひとりさんの手が回され、ひとりさんは私にしがみつく様にして眠っています。

 つまるところ、私の体を抱き枕の様にして眠っているわけです。

 

 ああいえ、抱き枕にされていることは別にいいのです。むしろ幸せですし。何かを抱きしめて眠るというのは、寝姿勢を安定させる効果もありますし、睡眠の質を高めるセロトニンも分泌されて睡眠の質が上がるとも言われています。

 ひとりさんの快眠の一助となれるのはむしろ喜ばしいことなのですが……問題はこれからどうするか……その一点に尽きます。

 

 まず状況を考えて、このままひとりさんが目覚めた場合は、ひとりさんの性格上相当の羞恥を味わうことになるはずです。

 となると、この場において私の行うべき最善手は、ひとりさんが眠っている間に手を解き、ひとりさんが目覚めたら何事も無かったかのように挨拶をする。そう、それが最善です。

 

 ……最善だと……頭で、理解は……しているのです。

 

 ですが、人の欲望とはかくも御しがたいもので……ひとりさんに抱きしめられているというこのシチュエーションが幸せ過ぎて「あと少し」「もう少しだけ」という気持ちがひっきりなしに沸いて来て、行動を起こすことができないのです。

 正直、手を解きたくないです。もうしばらくこうして幸せな温もりを感じていたいです。ですが、ひとりさんのことを思うなら、ここは……うぅぅ……。

 

 最善と欲望の狭間で揺れ、頭が混乱して結論を出せずにいる状況……得てしてそういう時は、状況は好転しないどころか、悪化するものです。

 

「……んんっ……有紗……ちゃん?」

「あっ……」

 

 私が悩んでいる間に、ひとりさんが軽く身じろぎをしたあとで薄っすら目を開け……私とバッチリ目が合いました。

 結局最善手は打てませんでした。反省すべきですが、いまは現状に目を向けましょう。

 

「あっ、あれ? なんで有紗ちゃんがこんなに近くに……えっと………………え?」

 

 少し眠たそうな目で私を見て呟いたあと、ひとりさんは私の体に回している己の手を見て、もう一度私の顔を見て、なにかに気付いた様子で目を見開きました。

 ……とりあえず、初手は最善手は打てませんでしたが、ここから先は最善手を打てるように努めましょう。そう考えた私は、どんどん顔を赤くしていくひとりさんの背中にそっと手を回しました。

 

「あっ、わわ、わわわ、私、ああ、あの、その……ごめんなさ――ひゃぅっ!?」

 

 そして、慌てて手を離して飛び退く様に私から離れようとしていたひとりさんの体を抱きしめました。

 

「あっ、あああ、有紗ちゃん!? ななな、なにを……」

「いえ、勢いよく離れると、ベッドから落ちてしまうので……とりあえず、少し落ち着いてください」

「……あっ……す、すす、すみません」

 

 とりあえずひとりさんが羞恥のままに飛び退いてベッドから転落するという状況は防いだので、ひとりさんに落ち着く様に告げてから手を離します。

 

「それと、ひとりさんは誤解しているかもしれませんが……どちらが先にしがみついたかは、よく分からないんですよ」

「……え? えっと、それはどういう?」

「いえ、実は私が先に起きた際に、私とひとりさんは互いに互いを抱き枕にするような姿勢で眠っていたので……もしかすると、先に私がひとりさんにしがみついてしまった結果かもしれません」

 

 嘘ではありますが、時に嘘は人を救います。自分が寝ている間に抱き着いたかもしれないというよりは、どちらが先に抱き着いたかは分からないとなった方が、ひとりさんの精神的にもいいでしょう。真実を知るのは私だけなので、バレる心配もありません。

 

「なので、この件はお互い様と……そういうことにしませんか?」

「あっ、あぅ……はっ、はい」

 

 もちろんこれでひとりさんの羞恥が解消されたわけではありません。現に今も耳まで真っ赤になっていますし……なのでこうして話しに一区切りを作ることで、この話はひとまずここで終わりという雰囲気にして、これ以上その話題に触れないようにします。

 こういう状況でアレコレと言葉を重ねても逆効果になる場合が多いですしね。

 

「さて、顔を洗って朝食にしましょうか」

「……あっ、はい」

 

 努めて明るい声でそう告げると、ひとりさんも少しだけ安堵したような表情で頷いてくれました。

 

 

****

 

 

 顔を洗って服を着替えたあとは朝食です。本来は食堂で食べるのですが、おそらくひとりさんが畏縮してしまうので、私の部屋に運んでもらうことにしてスマートフォンで使用人に連絡します。

 

「あっ、そうやって指示を出すんですね。てっきりハンドベルみたいなのを鳴らすのかと……」

「もしかしたらそういった家もあるかもしれませんが、私の場合はほぼスマートフォンですね。使用人の方々には作業着と共に業務用のスマートフォンが支給されているので、アプリを使って指示等の連絡はしますね」

「あっ、現代的ですね」

 

 たしかに映画などではハンドベルを鳴らしてメイドを呼ぶようなシーンも多いので、ひとりさんの想像は一般的と言えます。ただ、私個人の話であればハンドベルを用いて使用人を呼んだことはありませんね。

 

「ハンドベルは誰でもいいから近くの使用人を呼ぶというのには適しているかもしれませんが、距離があると聞こえない可能性もありますね。あと、私やお父様の部屋に入れる使用人は限られているのも要因かもしれません。まぁ、私はハンドベルで使用人を呼んだことはないので、完全に想像ですが……」

「なっ、なるほど、でも、こうして聞くとたしかにスマホで呼んだ方が効率は良さそうですね。内容も文面で伝えられますし、コミュ症的にも安心です」

 

 そんな話をしていると、使用人の方が朝食を運んできてくれました。室内の大き目のテーブルの上にふたり分の朝食を綺麗に並べてくださいます。

 

「ありがとうございます。手間をかけて申し訳ありません」

「いえ、お嬢様の頼みとあればお安い御用ですよ。それでは、また食べ終わってお下げする際にはお呼びください」

 

 そう言って綺麗な礼で頭を下げて出ていく使用人を見送ったあとで、ひとりさんと一緒に朝食を食べることにします。

 

「あっ、す、凄い品数……しかも滅茶苦茶お洒落……こっ、これがセレブの朝食」

「ふふ、普通の朝食ですよ。では、食べましょうか」

「あっ、はい……いただきます」

 

 行儀よく手を合わせていただきますと宣言したあとで、ひとりさんはクロワッサンを一口食べて目を輝かせました。

 どうやらお口には合ったようで、美味しそうな表情がとても可愛らしいです。朝からこうしてひとりさんの愛らしい姿を見られるのは、本当に幸福だとしみじみ思いますね。

 

「……そういえば、ひとりさん。今日はどうしますか?」

「あっ、えっと、STARRYのバイトもスタ練も休みなので、特に予定は無いです」

 

 ひとりさんの今日の予定は空いているということは、このまま一緒に居ても問題ないということです。大変素晴らしいですが、私の欲望ばかりを押し当すわけにも行きません。

 頭の中である程度これからの予定を組み立ててから、ひとりさんに提案します。

 

「では、ひとりさん。こういうのは、いかがでしょう? この後は昼近くまでのんびり過ごしましょう。雑談をしたりテレビを見たり、また演奏するのもいいかもしれません」

「あっ、はい。昼からは、どうしますか?」

「ひとりさんの家に向かう形で出発して、途中で昼食を食べたり興味がある場所があれば買いものに寄ったりしましょう。そして、ひとりさんの家に着いたら、ひとりさんの都合が大丈夫であれば引き続き一緒に遊ぶということで……」

「いっ、いいですね。楽しそうです」

 

 私の提案にひとりさんも乗り気な様子で、小さくはにかむ様に微笑んでくださいました。ひとりさんの家に着いたあとは、概ねいつも通りひとりさんの演奏や作詞風景を眺めたり、他愛のない雑談をしたりしつつ一緒に過ごす感じですね。

 私はひとりさんと同じ空間に居るだけで凄く幸せですし、最近はひとりさんも演奏や作詞への意見を求めてくれたり、ひとりさんの方から話を振ってくれることも多くなったので、最初のころよりずっと楽しいです。

 

 今日もまたひとりさんと一緒に過ごせると思うと、胸が弾み自然と笑顔になりますね。ひとりさんも同じような気持ちでいてくれたら、とても嬉しいです。

 

 

 

 




時花有紗:今回は珍しく、かなり焦って困惑していた。基本的に判断が早い有紗としては珍しい。冷静な彼女が己を律するのが難しいほど、ぼっちちゃんのハグは幸福だったのだと思われる。

後藤ひとり:寝ている時に無意識で有紗に抱き着いて抱き枕に……それはすなわち、体は無意識に有紗という温もりを求めている証拠では? なお、もう既に有紗がパーソナルスペースに居ることは、まったく精神的負荷にはなっていない模様で、長く一緒に居られることに喜んでおり、当初からは想像もできないほど好感度は上がっている。


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二十六手課題の記者襲来~sideA~

 

 

 11月に入りそろそろ冬が近づいてきたのか肌寒くなってきた印象です。今日は結束バンドのライブ日でもあります。

 10月下旬にもライブを行い、そちらもなかなかの盛況具合でした。喜多さんのボイストレーニングの成果も少しずつ出ている様子で、今後の成長が期待できますね。

 

 ただやはり、課題は残ります。特に新規の客層の取り込みが今後の課題でしょうね。現状結束バンドのライブを見に来る客は、1度目のライブでファンとなってくださった方、日頃からSTARRYによくライブを見に来る常連、文化祭ライブで結束バンドに興味を持ってくれた人……その辺りでしょう。

 一見すると順調にファン数を増やしているようにも見えますが、いま以上のファンを獲得するには外へ露出を増やしていく必要があるでしょうね。そろそろそういったことも提案してみてもいいかもしれません。

 まぁ、ライブ前に言うことではないのでライブが終わったあとに反省会と共に今後の課題ということで話してみることにしましょう。

 

「じゃ~ん! 寒くなってきたのでバンドパーカー作ったよ!」

「おーいいじゃん」

「皆に合わせてちょっとずつ違うよ。有紗ちゃんのは例によって白色だね」

「この格好だと髪は纏めた方が合いそうですね」

 

 ライブ前のミーティングにて、虹夏さんが新しく作ったバンドパーカーを配り、皆で試着します。私も用意していただいた白色のパーカーを着て、ヘアゴムを使って髪をポニーテールに纏めます。

 

「……あっ、有紗ちゃんのビジュアルの強さですよ」

「……なんとか、ぼっちとペア扱いみたいな感じで物販商品に写り込ませられないか……」

「まぁ、でも、有紗ちゃんって結束バンドのファンの人たちにとっては実質5人目のメンバーみたいな扱いなので、物販になんかあっても違和感は無いですけどね」

 

 そんな風に新しいパーカーに関してワイワイと話していると、まだ開店前のはずのSTARRYのドアが開かれました。

 てっきりきくりさんがやって来たのかと思いましたが、現れたのは見覚えのない方でした。

 

「こんにちは~! ばんらぼってバンド批評サイトで記事を書いているものですが、結束バンドさんに取材をお願いしたく~あっ、あたしはぽいずんやみ14歳で~す」

 

 記者の方でしょうか? パッと見た印象では20代中盤ほどに見えますが、年齢に関してはあまり突っ込むべきではないでしょう。名前はペンネームですかね。

 突然現れたやみさんにPAさんがにこやかな笑顔で近付いてアポの確認をしています。日頃きくりさんの襲来などで慣れているのか落ち着いた対応です。

 

 やみさんは下北沢で活動中の若手バンドの特集記事を書くために取材に来たらしいですが……少し妙ではありますね。

 正直結束バンドの知名度は低いと言っていい現状で、取材の申し込み……他に意図がありそうな気がしますが、それほど悪そうな人ではないですし、虹夏さんたちも乗り気なのでそこまで大きな問題にはならないでしょう。

 そう思いつつ、取材を受ける皆さんを眺めます。

 

「今後の結束バンドの目標は?」

「メジャーデビュー!」

「エンドース契約してただで楽器貰う」

「皆でずっと楽しく続けることかしら」

「あっ、世界平和……」

 

 虹夏さん、リョウさん、喜多さん、ひとりさんの返答……見ごとにバラバラです。ひとりさんに関しては、初対面かつ勢いの強い相手ということで、心を閉ざしているだけですが……。

 そう思っているとやみさんは、やや引き攣った笑顔で私の方を向いて口を開きます。

 

「皆さん、夢がいっぱいで素晴らしいですネ」

「そうですね。個人の夢は様々ですが、結束バンドというバンド自体の目的としてはメジャーデビューということでいいと思います」

「なるほど! では、その目標に向けてこれまでどんな活動を?」

「え? ああ、そうですね。結束バンドはまだ結成1年に満たない若いバンドですので、ここまではバンドそのものの安定化を重視してきました。そういう意味合いでは、メジャーデビューに向けた活動はむしろこれからといったところです」

「ふむふむ」

 

 ……まずそもそも、私は正式に結束バンドのメンバーというわけではないのですが、なぜ私に尋ねてきたのでしょうか? 先ほどのバラバラの返答を聞いたからでしょうか? それにしては少し違和感も……。

 

「今後の活動に当たっての課題などはありますか?」

「やはり経験不足の解消と発信力の向上でしょうかね。これまで結束バンドはほぼこのSTARRYのみでしかバンドを行っていませんし、客層も固定化されつつあります。今後は新たな客層を呼び込むと共に、経験のために他のライブハウスでの活動や、MVなどを用いた動画サイトでの宣伝等に力を入れていくべきと考えています」

「なるほど! よく考えてますね。確かに、昨今は動画サイトなどの影響は大きいですしね。しっかりと先を見据えて活動していらっしゃるのはとても立派です。あっ、次の質問ですが……」

「いえ、あの……私は結束バンドの正式なメンバーというわけでは無いのですが?」

「………………うん?」

 

 続けざまに質問がきたことで、私はある考えに至りました。それはすなわち、やみさんが私を結束バンドのメンバーと勘違いして質問をしているのではと……そして、その予感はどうやら正解だったみたいで、私の言葉に明らかに驚いた表情を浮かべていました。

 こうなってくると、ますます不思議ですね。どうもやみさんは結束バンドのメンバーを詳しく知らない状態で取材をしにきた様子……やはりこれは、他に理由がありそうですね。

 

「……え? だって、ひとりだけ色の違うパーカーで、このえげつないほどに整ったビジュアルで……え? 貴女がリーダーなんじゃ?」

「リーダーはそちらの虹夏さんです。私はサポートなどでお手伝いしているだけで、正式なメンバーというわけではりません。そちらの黒いパーカーの4人が正式なメンバーです」

「あっ、そうなんですか……なんだ……この圧倒的なビジュアルなら変にネタ記事にしなくても……次期メジャーデビュー候補って感じで……特集組めると思ったから予定変えたのに……」

 

 やみさんは私の返答に肩を落とし、こちらには聞こえない小声でブツブツとなにかを呟いたあとで、気を取り直すように笑顔を浮かべて結束バンドの皆さんに取材を再開しました。

 

「し、失礼しました。改めて、今日のライブに臨む心境などは?」

「ファンを少しずつ増やせるように頑張る!」

「物販の売り上げ2割増し」

「お客さんに笑顔で楽しんでもらえるのがいいわね」

「あっ、秘めたる芸術性の表現……」

 

 そして再びのバラバラの返答に、頬を少し引き攣らせた後で、私の方を軽く示しながら呟きます。

 

「……あの、あの人がマネージャーってことで、取材しちゃ駄目……ですよね。あ~方向性は違えど、皆さんやる気に溢れて素晴らしいですネ……あっ、そういえば! そちらのギターの方って、少し前に動画サイトでラブダイブって有名になってた人ですよね!」

「えっ!?」

「なんで、あの時ダイブしたんですかぁ? やっぱり、溢れる愛が抑えきれなかった感じですかね?」

「あっ……えっ……あぅ……」

 

 なるほど、そういうことでしたか。文化祭でのひとりさんのダイブが、ラブダイブとして動画サイトで反響を呼んでいるというのは、以前喜多さんに教えてもらいました。

 私やひとりさんの顔は分からないように配慮されていたみたいですが、その辺りは調べようと思えばどうとでもなるので……それで、結束バンドの話を聞いて取材に来たのでしょうね。

 ……まぁ、それはそれとしては、いまはひとりさんの救出ですね。

 

「……ああ、申し訳ありません。ひとりさんは、かなり人見知りな性格でして、その話でしたら私も当事者なので、私が聞きますよ」

「あっ、有紗ちゃん!」

 

 私が割って入ると、ひとりさんは素早い動きで私の背後に隠れました。

 

「え? 当事者? ああ、言われてみれば動画の相手の女性と髪の色が同じ……あっ、それじゃあ、お話聞いてもいいですか?」

「ええ、とはいってもそれほど大袈裟な話はありませんよ。動画にはダイブ部分しかなかったので分からなくとも無理はないのですが……あの時、ライブで機材トラブルが発生しまして、それを上手く機転で乗り越えて会場が盛り上がったことでテンションが上がった彼女が衝動的にライブハウスの感覚でダイブをしてしまい。たまたま観客席にいた私が受け止めたというものでした」

「……あ~なるほど、確かに文化祭の参加者にダイブは分かりませんよね」

「ええ、ただ偶然ではありましたが状況的に彼女が私に飛びついたように見えたことと、盛り上がっていた空気の中での出来事だったので、面白おかしく拡散された形ですね。私とギターのひとりさんは友人同士ではありますが、恋人等ではありませんよ」

「そうですか、まぁ、真実って大体そんなものですよね。けど、動画サイトで人気が出るのも分かりますよ、あたしも見ましたけど、映画のワンシーンみたいでしたからね」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 そう言ったやりとりをしていると、ふと虹夏さんが少し険しい表情を浮かべているのが見えました。どうやらやみさんを警戒しているようです。

 たしかにいまの様子やここまでのやりとりを見ると、やみさんの目的が文化祭でのダイブの件というのは分かりやすいですし、それで警戒をしているのでしょう。

 

「……大丈夫ですよ、虹夏さん」

「え? 有紗ちゃん?」

「確かに、この方も記事を書く上で話題性のある話ということで、文化祭の件を目的に取材を来たのでしょうが……それほど悪い方には見えません。少なくとも、意味なく相手を貶めるような記事を書く人ではないと思いますよ……ですよね?」

「え? ああ、当たり前じゃないですか! こんな見た目ですけど、あたしは音楽には真摯なつもりです!」

「ということなので、大丈夫ですよ」

「……う~ん、有紗ちゃんがそういうなら」

 

 もちろんパッと見た印象で悪い人ではないというのも要因ではあるが……いまの私の発言は遠回しの釘差しみたいなものです。私がこう言って、やみさんがあの返答をした以上、貶めるような記事は書かないでしょう。

 

「それより、皆さん。そろそろライブの準備をする必要があるのでは?」

「あっ、そうだね! すみません、続きはライブ後でいいですか?」

「大丈夫ですよ~。ライブ頑張ってくださいね~」

 

 開店時間が迫っていたこともあり、取材の続きは後ほどということになり、結束バンドの皆さんは控室の方に向かっていきました。

 やみさんはというと、私に軽く一礼したあとで受付の方に向かってしっかり当日券を購入した上で、ライブを見ていく様子でした。

 

 そのまましばらくするとライブが始まり、一番手だった結束バンドがさっそくステージに上がって演奏を開始しました。

 少し気になってやみさんの様子を伺ってみると、やみさんはライブが始まると少し感心したような表情で微笑みを浮かべていましたが……途中でなにかに気付いた様子で、驚愕した表情に変わりました。

 

 これは、少し気になる反応ですね……どうやらまだひと騒動ぐらいはありそうな気がします。

 

 

 

 




時花有紗:なんか結束バンドのリーダーと間違えられた。そりゃ(ひとりだけ色違いのパーカー)そう(圧倒的なビジュアル)なるよ。相変わらずメンタルが鬼つよなので、取材にも特に動揺することなく返答。

後藤ひとり:未知の人種の登場に終始心を閉ざしていた。有紗の背後に隠れている時だけはホッと胸を撫で下ろしていたとか……。

14歳(仮):……あの、この人(有紗)……酷評ポイント全部先回りして潰してくるんですけど……この流れで、私「本気(ガチ)じゃない」とか、言えます? 無理ですよね!?


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二十六手課題の記者襲来~sideB~

 

 

 ライブ開始前にフリーライターぽいずんやみこと……佐藤愛子の取材というハプニングがあったものの、結束バンドのライブ自体はトラブルなどもなく滞りなく終了した。

 人見知りのひとりも、ある程度ライブを重ねたことでファンなどともある程度会話できるようになっており、一応の成長は見せていた。

 

 ただ、ハプニングはライブ中ではなくライブ後に発生した。

 

「貴女、ギターヒーローさんですよね!」

「ッ!?」

 

 そう、ライブ後の取材のためにライブを見ていた愛子……彼女はひとりの動画サイト上の名義であるギターヒーローのファンであり、それも演奏の癖を記憶しているほどのガチ目のファンだった。

 有紗と同じくひとりがギターヒーローであると知る虹夏がなんとか誤魔化そうとするも、愛子がギターヒーローをこれでもかと称賛したせいで、ひとり本人が嬉しそうな反応をしてしまうという墓穴を掘り正体は発覚した。

 

「へぇ、ぼっちはこんなことしてたんだ。再生数凄い……これは収入も相当……ごくっ」

「この大量の虚言には驚いたけど、アレだけ上手いんだしなにかあるだろうなぁとは思ってたし、驚きは少ないわね」

 

 とはいえ、知らなかったリョウや喜多の反応はアッサリしたものであり、どちらもひとりの高い実力は知っていたので、さほど驚いてはいない様子だった。

 

「なにその反応!? もっと驚いてよ! ギターヒーローさんは凄いのよ。この前だってトゥイッターに友人のピアノって2000万円以上する凄いグランドピアノの写真を載っけてたし、交友関係も超一流よ! 凄いパトロンも付いてるはずよ!」

「……うん」

「そうなんですね」

「だから反応が薄いっ!?」

 

 愛子の言葉に相変わらずリョウと喜多の反応は薄かった。なにせ、その件の凄いパトロンは、現在リョウたちに動画アカウントバレして死んだ魚のような目をしているひとりを慰めており、ふたりもよく知る人物だったからだ。

 2000万以上のピアノと言われても、「まぁ、有紗なら持ってても不思議じゃない」という結論に達するので驚きは少ない。

 結局それ以上ふたりと話していても、埒が明かないと思った愛子は話を切り上げてひとりに近付いて声をかける。

 

「ところで、ギターヒーローさん。さっきのライブはいつもよりかなり調子が悪くなかったですか?」

「あっ、わっ、私人見知りで……バンドだとうまく合わせられなくて、動画は家でひとりで弾いてるので……」

「……なるほど、天才にだって欠点はありますよね! むしろ逆にプラス要素ですよ!」

 

 愛子は本当に心底ギターヒーローのファンらしく、ひとりに対して甘い対応であり、続けて結束バンドのファンたちにもギターヒーローについてを熱く語っていた。

 そしてひとしきり熱く語ったあとで、少し沈黙……先ほどまでの浮かれた表情とは違って真剣な表情を浮かべたあと、改めて笑顔になってからひとりに声をかけた。

 

「……ところで、ギターヒーローさん。バンド抜けてソロで活動するとか、他のバンドに移る気とかありますか? なんなら、私が編集長に掛け合って業界の人を紹介してもらえるように言いますよ?」

「え? ちょっと、それ、どういう……」

 

 突然ひとりに独立したり移籍したりする気はあるかと尋ねる愛子に、虹夏が不安そうに声を上げる。すると愛子は鋭さを感じる目を虹夏に向けて言葉を続ける。

 

「……このまま結束バンドに所属していてギターヒーローさんの才能が腐っちゃわないか、心配なんですよ。メジャーデビューが目標って言ってましたけど、それってどの程度に本気(ガチ)なんですか? デビューさえすれば満足ですか、それともプロとしての実力を身につけた上でのデビューですか?」

「えっ……」

「そもそも、本当にちゃんとギターヒーローさんとの実力差が分かってます? ギターヒーローさんの演奏が安定しないのは、言ってみれば経験不足、場数を踏めば自然と解消されていきます。正直言って私には、ギターヒーローさんが場数を踏んでも、他の3人が足を引っ張って本来の演奏ができなくなるようにしか思えません」

「……そ、それは……」

 

 愛子の告げる言葉に、虹夏は咄嗟に言い返すことができなかった。愛子が指摘した内容は、大なり小なり虹夏たちも感じていたものだったから……。

 ひとりの演奏は回を重ねるごとに存在感を増している。特に楽器屋で見た演奏は圧巻だった……果たしてひとりがライブであの演奏を行った際に、己たちでは付いていけないのではないかという思いは燻り続けていた。

 

「別に貴女たちに才能がないって言ってるわけじゃないですよ。結束バンドはインディーズとしてレベルは高めでしょう。けど、あくまでインディーズとしては……貴女たちレベルであれば、あちこちのライブハウスに掃いて捨てるほど居ます」

「……あっ、ああ……あのっ!」

「……え?」

 

 キツめの言葉を続けようとしていた愛子だが、そこに青ざめてガタガタを震えながらひとりが割って入った。相当勇気を振り絞っている様子で、顔は青ざめており片手で有紗の手を握ってはいたが、ひとりは愛子の目を真っ直ぐに見て口を開く。

 

「……わっ、私は、他に移ったりソロをする気は無いです。にっ、虹夏ちゃんたちは、凄いんです。きっ、きっと、私が本当に心の底から全力を出せるのは、結束バンドでだけだと思うから……だっ、だから……」

「ぼっちちゃん……」

「そう……ですか……」

 

 震えながらもハッキリと他に移る気は無いと告げたひとりを見て、愛子はメモ代わりに使っていたスマホをしまいながら、周りに見えない程度に小さく苦笑した。

 

 

****

 

 

 あの後、閉店時間を理由に星歌とPAによって取材は強制的に打ち切られ、愛子はしぶしぶといった感じでSTARRYから出て歩いていた。

 すると、後方から足音が聞こえ振り返るとそこには有紗が立っていた。

 

「……えっと、貴女は確か……」

「自己紹介はまだでしたね。時花有紗と申します。やみさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「いいですよ。それで、なにか御用ですか?」

 

 わざわざ追いかけて文句でも言いに来たのだろうかと愛子が首を傾げながら聞き返すと、有紗は上品な仕草で軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

「……えっと……私、結構キツイこと言ったはずですけど? なんでお礼?」

「あえて言ってくださったように感じましたので」

「……」

「ひとりさんと他の3人の実力差については、遅かれ早かれどこかで結束バンドがぶつかる問題でした。今回第三者から指摘されたことは、いい成長の切っ掛けになると思います」

「……変に足掻いた結果、潰れるかもしれませんよ?」

「いいえ、そうはなりません。絶対に……」

「……そうですか」

 

 真っ直ぐに告げる有紗の言葉を聞き、愛子は少し沈黙したあとでフッと笑みを溢した。

 

「……正直言って、よかったですよ。粗削りでしたけど、光るものがいっぱいあって、久しぶりにいいバンドに巡り合ったって気分でした。まぁ、だからこそ漠然とした目標しか持ってないのは勿体ないと思いました……私のことを見返してやろうって、まだまだこれから伸びてくれるって、そう思っていい?」

「ええ、きっと……」

「なら、伝えといてください。今回の取材はまだ記事にしません。またしばらく経ったら改めて見に来るって、そこで私の今日の評価が間違ってると思ったら頭を下げて謝罪してあげますよ」

「分かりました。伝えておきます」

「それでは~」

 

 そう言ったあとでヒラヒラと手を振って愛子は去っていき、それを見送ってから有紗はSTARRYに戻っていった。

 

 

****

 

 

 STARRYからの帰り道、ひとりと一緒に道を歩いていた有紗は、考え込んでいるような様子のひとりに声をかける。

 

「……ひとりさん」

「え? あっ、はい」

「……悔しいですか? あのライターさんを、見返してやりたいですか?」

「……はい」

「そう思えるのなら、きっと大丈夫ですよ」

 

 ひとりの返答を聞いて、有紗は優しく微笑みつつひとりの手を取る。驚いた様子で顔を上げるひとりの目を見つめながら、有紗は優しい声で言葉を続ける。

 

「その気持ちがあれば結束バンドは大きく成長出来ます……あとは、どうやって見返すか、ですね?」

「有紗ちゃん……はっ、はい! そうですね。私ももっと、本来の実力を発揮するだけじゃなくて、成長できるように頑張ります」

「ふふ、ええ、頑張りましょう」

「はい!」

 

 有紗の言葉に力強く頷くひとりの目には確かな意思が宿っており、彼女が精神的にも大きく成長していることを感じさせた。

 そのまま、なんとなく互いに手を離す気にはならなかったので、有紗とひとりは手を繋いだままで再び道を歩き始める。

 

「……あっ、有紗ちゃん。もっ、もし有紗ちゃんさえ大丈夫なら、相談に乗ってくれませんか? その、どうやって見返せばいいかとか……」

「構いませんよ。ですが、電車の時間は大丈夫ですか?」

「え? あっ……そっか、終電が……」

 

 基本的にライブハウスというのは夕方から夜の時間帯に営業するものなので、ライブが終わってからの帰宅というのはどうしても遅い時間になる。

 そして、ひとりの家までは電車で2時間……今日は星歌が気を使って片付けなどを買って出てくれたことで比較的早めではあるが、どこかに寄って話をするような時間は無かった。

 その事に少し落ち込むひとりを見て、有紗は微笑んだあとでスマホを取り出して操作する。

 

「ひとりさんの家まで、車で送ります。そうすれば、移動時間の間はたっぷり相談に乗れますからね」

「え? あっ、そ、そそ、それは嬉しいですけど、有紗ちゃんに迷惑が……」

「残念ながら、もう連絡してしまいました」

「あっ、うっ……行動が早すぎます」

「私がすぐに行動するのは、ひとりさんもよくご存じでは?」

「……知ってます。有紗ちゃんがすぐ動くのも、時々ちょっとズルいのも……物凄く優しいのも……いっぱい知ってます。だからその……あっ、ありがとうございます」

「……ふふ、はい。どういたしまして」

 

 ひとりは有紗の手を握る力を少しだけ強くして、嬉しそうに微笑んだ。先のことに対していろいろ考えるべきことはあるが、それでも有紗が一緒に居てくれれば、どんな困難も打ち破れるとそんな確信があったから……。

 

 

 

 




時花有紗:相変わらず極めて鋭いので、14歳(仮)の思惑にもすぐ気付いて口を挟んだりすることは無かった。

後藤ひとり:ともかく原作と比べて精神面の成長が早いため、あまり親しくない相手にも、ある程度自分の意思を言葉で伝えたりできるようにもなっている(有紗が傍に居てくれる場合に限る)。

14歳(仮):結束バンドが原作より早い段階で成長し始めていることもあって、評価は良かった。ただ、やはりひとりとの本来の実力差は感じたので、成長を願う意味でも厳しめの発言……なお、今回は記事にしないとか言ってしまったおかげで、この後慌てて新しいネタを探して駆け回ることになった。


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二十七手共演のゲスト依頼~sideA~

 

 

 やみさんの一件の後、結束バンドの皆さんはその評価を覆すことを目標に未確認ライオットという、10代アーティスト限定のロックフェスへの参加を決めました。

 これは非常にいい傾向です。いままでの結束バンドの目標であったメジャーデビューは、ある意味では抽象的であり漠然とした目標でした。

 ロックフェスという明確に時期の定まった目標ができたことは、努力の方向性も定まりやすくさらなる成長も見込めます。

 

 未確認ライオットはデモ審査、ウェブ投票、ライブ審査の三つの工程を経てグランプリを決めるフェスで、その最初のデモ審査までに路上ライブなども含めて努力しつつ、フェス用の新曲を作り上げようという形で纏まりました。

 

「あっ、それで今度、動画サイトにアップする映像を撮影って話になりました」

「いいですね。動画サイトの宣伝効果は非常に高いですし、MVまでとはいかずともオリジナル曲を演奏している動画を公開するのは、結束バンドの宣伝に大きく繋がりますね」

「あっ、はい、み、皆やる気に溢れていて……私も、頑張ります」

「ふふ、ええ、やる気があるのは素晴らしいです。私もできるだけ協力をしますので、頑張りましょう」

「はい!」

 

 生憎と未確認ライオットの話をしていた際には、私は習い事がありSTARRYには行けていなかったのですが、ひとりさんから話を聞く限り、前向きな方向に進んでいるようで安心しました。

 しかし、注意すべきことがあるのも事実です。

 

「……ひとまず、注意すべきなのはリョウさんの様子ですね」

「え? あっ、リョウさんの? どっ、どうしてですか?」

「今回の件でプレッシャーにより大きく精神状態に影響を受けるとすれば、まずリョウさんでしょうからね」

「……そっ、そうなんですか?」

 

 ハッキリ言ってしまえば、私の印象として結束バンド内で最も精神的な脆さがあるのはリョウさんです。プレッシャー等による影響が現れるなら、まずリョウさんでしょうね。

 

「リョウさんは一見すると飄々としていてマイペース。精神的に強そうに見えますが……実際は脆さもあるタイプだと思います。なんと表現すればいいのか……リョウさんは些細な悩みはいくらでも周囲に話したり頼ったりするのですが、本当に深刻に悩んだ時はひとりで抱え込んでしまうタイプですね」

「なっ、なるほど……」

「とはいえ、現時点では影響が出ると決まったわけでもありませんしね。今後の様子に注意する形ですかね。ちなみに、結束バンド内で一番安心なのはひとりさんです」

「あっ、え? わっ、私ですか?」

 

 私が告げた言葉に、ひとりさんは明らかに戸惑ったような表情を浮かべました。まさか自分がそう言われるとは思っていなかった様子です。ですが、これは適当に言ったわけでは無く、明確な根拠があります。

 

「理由は単純です。ひとりさんには私が居ますからね」

「……ふっ、ふふ、あはは……凄く納得しました。そうですね。私には有紗ちゃんが居るので、安心ですね」

 

 暗い雰囲気ではいけないと思って軽く冗談を入れたつもりでしたが、効果は高かったようで、ひとりさんは楽し気な笑顔を浮かべてくれました。

 結束バンドの皆さんがやる気に溢れているのは素晴らしいことですが、それが空回りしてしまわないように私は第三者的な立場から注意しておくことにしましょう。

 

 

****

 

 

 練習やライブなどをこなしつつ、あっという間に12月に入りました。目標が定まって、それに向かって努力していることで結束バンドの方々は忙しくも充実している様子です。

 私も喜多さんのボイストレーニングなどで協力する機会も多いのですが、喜多さんもかなりボーカルとして伸びてきており、このペースで成長すればデモ審査の締め切りの4月までにはかなりの歌唱力になっていそうです。

 そして今日は、珍しく練習もアルバイトも休みの日であり、私が誘う形でひとりさんと買い物にやってきました……デートですね!

 

「あっ、有紗ちゃん。今日はどこに行くんですか?」

「ショッピングモールがいいかと……普通の買い物もそうですが、星歌さんの誕生日も近いので……」

「あっ、そ、そうでした。24日ですね。わっ、私も買わないと……その、有紗ちゃん……協力してください」

「もちろんです。虹夏さんに事前に星歌さんの好きなものに関して聞いてきたので、任せてください」

 

 今日の目的のひとつは星歌さんの誕生日プレゼント選びもあります。なんとなく、ひとりさんは忘れてしまいそうな気もしたので……。

 ちなみに星歌さんは可愛らしいものが好きということで、ファンシーショップで小物や、あるいはぬいぐるみなどを買うのもいいかもしれません。

 そんな風に考えつつ、ひとりさんと一緒にショッピングモールに行き、事前に目を付けておいたファンシーショップに向かいます。

 

「……あっ、ああ、有紗ちゃん? こ、ここに入るんですか?」

「ええ、星歌さんは可愛いものが好きという話なので……」

「こっ、ここ、こんなキラキラMAXのスーパー女子力空間に私が? 場違いすぎて処刑されませんか?」

「大丈夫ですよ。さっ、行きましょう」

「……あっ、あの、手を繋いでもいいですか」

「ええ、もちろん」

 

 ひとりさんは不安になるとこうして手を繋ぎたがります。私と手を繋いでいると安心するらしく、私としても非常に喜ばしいことではあります。

 他の結束バンドのメンバーの方が居ると気恥ずかしくて控えるようなのですが、それ以外の目線はあまり気にならない様子です。まぁ、私としてはひとりさんと手を繋いで行動できるのは、幸せ以外のなにものでもないので問題ありませんし、ひとりさんも精神的に安心できるのであれば互いに利点ばかりです。

 

「なっ、なんか、凄くファンシーですね。まっ、まぁ、ファンシーショップなので当然と言えば当然ですが……個人的には好みじゃないデザインなので、あまりどれがいいとか分からないです」

「ひとりさんはもう少しダーク系というか、ワイルドなデザインが好きですよね」

「あっ、はい。ろっ、ロッカーなので」

「ふふ、なるほど……どれがいいですかね。普段使いするなら筆記用具などもいいですが、自宅で使うならある程度大きな雑貨でも大丈夫そうですね」

 

 ぐるりとファンシーショップの中を見て回りましたが、これといったものは見つかりませんでした。この店は小物が中心ということもあって、誕生日プレゼントに適したものは少ない気がします。

 というわけで、一度ファンシーショップから出て、次はぬいぐるみを扱っている店に移動しました。

 

「……この辺りは可愛らしくてよさそうですね」

「あっ、あの、有紗ちゃん? 本当に店長さんにこういうの贈っていいんですかね? イメージと違い過ぎる気も……」

「いちおう虹夏さんに、星歌さんが持っているぬいぐるみなどの写真……というか部屋の写真を送ってもらいました」

「……すっ、凄い女子力の部屋……虹夏ちゃんじゃなくて、店長さんの部屋なんですね」

 

 星歌さんの部屋は、確かに非常に可愛らしい雰囲気です。まぁ、ひとりさんの言うイメージと合わないというのも理解はできますが、趣味は人それぞれなのでおかしいことは無いです。

 

「……あっ、この辺りとか、どうですかね?」

「可愛らしいですし、サイズも中型でよさそうですね。そういえば、巨大なテディベアもありますよね。この店には置いてないようですが……」

「あっ、ありますね。2mぐらいの凄く大きいの……そっ、それも喜びそうですね」

「でしたら、せっかくですしひとりさんと私で、クマのぬいぐるみで合わせませんか? 私は大きなテディベアを買うので、ひとりさんはこの店で抱えられるサイズのものを買うというのは?」

「いっ、いいですね。それなら、この辺りとか……」

 

 たまたま思いついた巨大テディベア、抱き枕の様に使ったりもたれ掛かったりもできるイメージなので、家に置く分にはよさそうではあります。

 念のためあとで虹夏さんにサイズが問題ないかの確認は取っておく必要がありますが、いいプレゼントが思いつけた気がします。

 

 

****

 

 

 星歌さんへのプレゼントも決まり、ひとりさんは店でぬいぐるみを購入しました。包装も綺麗にしてもらいこれでメインの目的は終了ですが、このまま帰るのは勿体ないのでひとりさんとショッピングモールを見て回っていました。

 するとなにやら独特の雰囲気の店を見つけて、視線を向けると……占いの店でした。

 

「……本格的といいますか、店舗式の占いなんですね」

「うっ、占い……女子高生には定番ですよね。私はやったことないですが……」

「実は私もほとんど経験はないので、せっかくですし入ってみましょうか」

「あっ、そっ、そうですね。ちょっと、興味はあります……暗くて狭そうだし、雰囲気的には好きですし……」

 

 たまたま見つけて、ひとりさんも比較的乗り気だったということもあって占い店に入りました。神秘的な雰囲気の店内に入ると、受付のカウンターがあり、そこで申し込みをして各部屋で占いを受けるような形式のようでした。

 

「いらっしゃいませ、本日はどのような占いをご希望ですか?」

「ふたりで一緒に受けたいので、相性占いでお願いします」

「かしこまりました」

 

 個別の占いとなると、別々の部屋に通される可能性があり、それはひとりさんも不安でしょうからふたり一緒に受けられる相性占いに決めました。

 いえ、あくまでひとりさんを思ってのことです。決して私が、ひとりさんとの恋愛運を占ってほしいとか、そういうわけではありません。

 係の人の案内を受けて部屋に通されると、そこに占い師らしき方が居て、その方に促されて正面の席にひとりさんと並んで座ります。

 

「今回は相性占いということですが、なんの相性を占いましょうか?」

「恋愛で!」

「ふぁっ!?」

「……え? あ、えっと……おふたりの恋愛の相性……ですか?」

「はい!」

「あっ、あの、有紗ちゃん? あっ、駄目な雰囲気だ……これ止まってくれないやつ」

 

 もちろん占いがすべてとは言いません。一口に占いと言っても様々な種類があり、同じ内容でも占いの方式が変われば結果も変わります。

 ただまぁ、せっかくの機会なので今後の参考にという意味でも占ってもらいたいと思いました。ひとりさんは若干戸惑ったような表情を浮かべていましたが、途中で諦めたような顔に変わりました。

 

「わ、分かりました。それでは、恋愛の相性ということで……」

 

 占い師の方はそう言って頷いたあとで、私とひとりさんが受付で書いた氏名や誕生日などが記載された紙を見つつ、何枚かのカードを並べて占いを始めました。

 カードを使う占いというと、タロットやオラクルが有名ですが……そのどちらでもなさそうな感じですね。となると、実際は星座などに用いて結果を出し、カードはあくまで雰囲気作りの小道具という可能性もあります。

 そんなことを考えつつ、結果を待っていると……しばらくして、占い師の方が手を止めて口を開きました。

 

「素晴らしい相性ですね。まずこちらの銀髪の方は、強い光といいますか、存在自体が太陽のように明るく周囲を導き支える性質を持つ方です。対してこちらの桃髪の方は暗闇の中で瞬く光、一見すると弱そうに見えますが正しく導くことで暗闇を照らすほど強く輝ける資質があります。性質的には逆のようですが相性が極めてよく……」

 

 そう言いながら長々と説明をしてくださいましたが、要約すると私とひとりさんの相性は友人としても恋人としても最高であり、互いの性格や性質が上手く噛み合っているとのことでした。

 大変素晴らしい結果で大満足といいますか、ひとりさんと相性が最高と言われて嬉しくないはずがありません。

 

 気持ちよく料金を支払って店を出ると、ひとりさんは少し考えるような表情を浮かべていました。

 

「……ひとりさん? もしかして、他に占ってほしい内容がありましたか?」

「あっ、いえ、そうじゃなくて……占いって、結構なる程って思うことが多いなぁって……れっ、恋愛とかはよく分からなかったですけど、有紗ちゃんと性格の相性がいいってのは……なっ、なんとなく、私もそう思うなぁって」

「そう言ってもらえると嬉しいですね。私もひとりさんと過ごす時間は、いつも本当に楽しいので……やはり私たちの相性はいいのかもしれませんね」

「あっ、は、はい」

 

 嬉しい言葉を受けて繋いだ手に少し力を込めると、ひとりさんも同じように握り返してくれて、なんとも幸せな気持ちを感じつつ、改めてひとりさんとのデートを楽しみました。

 

 

 




時花有紗:ひとりとの相性が抜群でウッキウキ。結束バンドに対しても持ち前の鋭さでサポート体制に入っているので、かなり安心である。

後藤ひとり:有紗と手を繋ぐ癖が付いており、不安になるとよく手を繋ぎたがる……それはもう恋では? 占い師に言われた相性のいいという言葉には、いろいろ思い当たるふしがあるみたいで納得している様子。

未確認ライオット:重要なイベントだ。結束バンドにとって非常に大きな躍進の時だ……まぁ、この作品は有紗とぼっちちゃんの百合百合に全振りしているので、原作と大して変わらない部分は容赦なくカットしていく。


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二十七手共演のゲスト依頼~sideB~

 

 

 それは12月に入ってすぐのことだった。新宿FOLTを拠点として活動し、結束バンドとも関わりの深いSICK HACKのきくりより、結束バンドにゲスト出演の話が来た。

 前座で出る予定だったバンドが出れなくなったという理由での誘いではあったが、他のライブハウスで演奏して経験を積む機会ということもあって結束バンドの面々は二つ返事で了承した。

 

 ただ、ゲスト出演は結束バンドだけではなくSICK HACKと同じくFOLTと拠点とするメタルバンドSIDEROSも出演することになっていた。

 

「SIDEROSと結束バンドがゲスト出演?」

「元々前座で出る予定だったバンドが出れなくなってね~」

「……なるほど、分かりました。姐さんの依頼なら喜んで」

「ありがと~それじゃ、当日よろしくね、大槻ちゃん」

「はい」

 

 ゲスト出演依頼をきくりを姐さんと慕うSIDEROSのリーダー大槻ヨヨコは快く了承し、その返事にきくりも笑顔で手を振って去っていった。

 それを見送ったタイミングでドラムの長谷川あくびが少し意外そうな表情で口を開いた。

 

「意外と乗り気っすね~。ヨヨコ先輩のことだから、そんな無名バンドなんか出してもメリット無い~とか言いそうっすのに……いや、私は前にローチューブで動画見て、結束バンドは結構好きっすけど」

「はーちゃん、結束バンドの曲気に入ってましたもんね~けど、私もヨヨコ先輩の反応はちょっと意外でしたねぇ」

 

 あくびの発言に同じくメンバーでギター担当の本城楓子も同意するように頷く。彼女たちの知るヨヨコはかなり苛烈な性格であり、攻撃的な発言が多いので今回文句もなく納得したのが少し意外だった。

 そんなふたりの反応に、ヨヨコは軽く腕を組みながら告げる。

 

「無駄口叩いてる暇があるなら、練習した方がいいわよ。ホームで他所のゲストバンドに負けるなんて醜態を晒さないようにね」

「おぉ、そこまでっすか? 滅茶苦茶高評価じゃないっすか……ヨヨコ先輩結束バンドのこと知ってるすか?」

「前に姐さんがFOLTに連れてきてたでしょ……正直戦慄したわ。姐さんが最近、後藤ひとり、時花有紗、結束バンドってのをよく話題に出してたけど……姐さんが高く評価するのも頷ける」

 

 そこまで語った後、ヨヨコは以前にきくりが結束バンドの面々を連れてきた時のことを思い返すように言葉を続ける。

 

「……後藤ひとり、時花有紗……どっちかは分からないけど、あの先頭に立ってた銀髪……桁外れの美貌に、立ち振る舞いから感じる凄まじいオーラ……なんであのレベルの存在が、これまで無名だったのか分からないぐらいだわ」

「……え? いや、あの……」

「分かっているわ。バンドなんだからビジュアルじゃなく音楽で勝負すべきって言うんでしょ? でもそれは三流の理論よ。ビジュアルだってバンドにおいては重要な要素。どれだけ素晴らしい演奏ができたとしてもまず注目を集められなきゃ話にもならないわ。そういう意味では、あのビジュアルはとてつもない武器よ……あのビジュアルに相応しいレベルの演奏をされたら、勝てないかもしれない。それほどに強敵……」

「いや、その人結束バンドのメンバーじゃねぇっすけど?」

「………………え?」

 

 深刻な表情で語っていたヨヨコは、あくびの一言で硬直した。そして楓子がスマホを取り出して、結束バンドの動画をヨヨコに見せる。

 

「メンバーはこの4人ですよぉ?」

「……」

「うわ、ヨヨコ先輩ださ……あんな決め顔で、全然関係ない人ライバル視してたとかマジっすか?」

「……え? じゃあ、アレ誰!?」

 

 警戒していた相手は結束バンドのメンバーではなかったことを知り、慌てた表情に変わるヨヨコに対し、あくびがのんびりとした様子で動画の投稿者コメントを見ながら呟く。

 

「う~ん。メンバー紹介に名前がない時花有紗って人じゃないんすか?」

「……時花有紗……あの子は凄いね~」

「おっ、幽々ちゃんも高評価っすか?」

「うん~凄かった~。神様の祝福をありったけ受けてるみたいに輝いてて~幽々のお友達もビックリしてたよ~」

「お嬢様って雰囲気の人だったねぇ。髪の色ははーちゃんと似てたかな?」

「いや、でもキューティクルとかえぐかったっすよ。使ってるシャンプーとか聞いてみたいっすね」

 

 有紗の話題にここまで黙っていたベースの内田幽々も反応し、会話が盛り上がりを見せるが……ひとりヨヨコだけはなんとも恥ずかしそうな表情でプルプルと震えていた。

 

 

****

 

 

 ヨヨコが勘違いで自爆していた頃、ひとりの家では、ひとりと有紗がゲスト出演についての話をしていた。

 

「はっ、初めて他のライブハウスでの演奏……FOLTって客数もかなり多かったですよね。だっ、大丈夫ですかね?」

「基本的にはSICK HACKのワンマンライブなので、以前に訪れた時クラスの客は確実に入るでしょう。さらにクリスマスイブということを考えると、もっと客足は伸びそうですね」

「あわわわ……」

「大丈夫ですよ。客の多くはSICK HACKを目的に来ていますから、ゲスト出演のバンドに対してはある程度寛容に評価してくれるはずです。気に入ってくれれば新しいファンの獲得になりますし、仮に失敗しても最終的にはきくりさんたちが上手く盛り上げてくれます。もちろん、成功するのが一番ですけどね」

 

 ホームではないハコでのライブに緊張気味のひとりに、有紗は穏やかに微笑みつつ告げる。ちなみに今日は、冬休み前にある期末テストに向けての勉強であり、現在は休憩中だった。

 指導が上手い有紗のおかげで、少なくとも赤点はほぼ確実に回避できそうな手ごたえを得ており、補習の心配はなさそうでひとりもホッとしていた。

 

「……あっ、そういえば、話は変わりますけど、有紗ちゃんと約束していた旅行……いつ行きますか?」

「そうですね。24日のライブまでは練習に集中する形で、なおかつ年末年始は避けて、26~28日で行こうと思うのですが、いかがですか?」

「あっ、だ、大丈夫です。箱根でしたよね?」

「ええ、新宿から特急一本で行けますし、観光場所も多いのと……伝手があって宿を確保しやすかったというのもありますね」

 

 以前に約束した冬休みの旅行は、箱根の温泉街に行こうという話で纏まっており、宿などは有紗が押さえるということだったので任せていた。

 ただやはり、ひとりには気にかかることもある。それは、宿がいったいどの程度のレベルなのかという点だ。有紗が押さえる以上、高級宿であることは覚悟しているが、果たして己の想像の範囲内に収まるレベルなのかと……。

 

(伝手があって宿を確保しやすかったってことは……伝手が無いと予約できないような宿ってこと? へ、部屋に温泉湧いてたりするのかな?)

 

 それなりに近場とはいえ、箱根となるとひとりにとっては過去そうそう経験がないような遠出ではある。ただ、有紗と一緒と思えば、それほど抵抗感などは無く純粋に楽しみにする余裕もあった。

 有紗のことなので、人混みが苦手なひとり配慮した観光プランを考えてくれているだろうし、その辺りも含めて心配していない。

 

「……どっ、どんな宿かは、まだ内緒なんですか?」

「ええ、ビックリさせたいので」

「……わっ、私の心臓が無事な程度のビックリで、お願いします」

 

 旅行の話で盛り上がっていると、ふとひとりがあることに気付いて尋ねる。

 

「そっ、そういえば、有紗ちゃんはクリスマスとかどうするんですか? ライブのあとにSTARRYで打ち上げと店長さんの誕生日会兼クリスマスパーティをするらしいですけど?」

「私も参加するつもりですよ。今年はお父様とお母様の仕事の都合で、クリスマスのパーティは23日に行う予定なので、24日は予定が空いてましたので……」

「なっ、なるほど、有紗ちゃんのうちのパーティは凄そうですね」

「そこまでは……ああでも、お父様やお母様の知人が来るのでかなり華々しくはなりますね。今年はたまたまお父様とお母様の予定が合ったので」

 

 有紗の両親は基本的に仕事で忙しくしており、両方揃って休みが重なることは少ない。しかし今回はたまたまふたりとも12月23日に予定が空いており、有紗の家ではパーティが開かれることになった。

 有紗は謙遜していたが、著名人なども非常に多く集まるパーティになるのは間違いなかった。

 

「……実はお父様とお母様は、ひとりさんに会いたがってまして連れてきてほしいと言っていましたが……」

「むっ、むむ、無理です! そそ、そんなパーティなんて……」

「ええ、そうだろうと思って断っておきました」

「ほっ……」

 

 まだ有紗と両親2人でパーティをする場であれば、ギリギリなんとかなったかもしれない。それでも、人見知りのひとりにはあまりにもハードルの高い場である。なので、あの大きな家で行われるパーティに出席などというのは、即無理だと言えるレベルだった。

 

(……クリスマスか……1月の有紗ちゃんの誕生日用のお金以外にも、余裕はあるし……せっかくだから、有紗ちゃんにクリスマスプレゼントとか買ってみようかな)

 

 ふとした思い付きではあったが、悪くない案だった。広告収入で直樹から貰った30万円のうち、ギターとエフェクターを購入し、有紗の誕生日用のお金を除いても、まだそれなりの金額が残っていた。

 結局バイトを止められずに続けていて、ノルマ代がバイト代から出ているのも大きい。ともかく、クリスマスプレゼントを用意するだけのお金はある。

 せっかくなのでこっそり用意してサプライズで渡すのもいいかもしれないと、ひとりはそんな風に考えていた。

 

(……まぁ、有紗ちゃん鋭いからバレそうだけど、喜んでくれる気がするし……なにか考えてみよう)

 

 考えをまとめたひとりは、有紗と会話しながらぼんやりとクリスマスプレゼントについて考えていた。

 

「そろそろ、勉強を再開しましょうか」

「あっ、はい。やっ、やっぱり期末は範囲が多くて大変です」

「そうですね。ですが、テストの時間や答案用紙の関係ですべてを問えるわけではありませんし、重視すべきところを絞って学べばそれほどでもありませんよ。例えば数学ですと、今回大きく問題数を使ってきそうなのはこの公式を使うもので……」

 

 2学期の期末テスト、24日のFOLTでのライブ……いろいろと大変と思える部分はあるが、それでもひとりの心はある程度安定していた。

 やはり有紗が居てくれるという安心感が非常に強いのか、初めてのホーム以外のハコでのライブにもいい緊張で臨めそうな気がしていた。

 

 

 




時花有紗:ひとりとの温泉旅行がいまからとても楽しみ、その前の両親とのクリスマスパーティも楽しみなので、年末に向けて楽しみなイベントが多い。

後藤ひとり:2泊3日の温泉旅行ですか、やりますね。やはり有紗が居ることで精神的にかなり安定しており、FOLTでの初ライブへもそこまで緊張したりプレッシャーを感じていたりはしない。

ヨヨコパイセン:大恥晒した。14歳(仮)と同じように有紗が結束バンドのリーダーだと思い込んでいたため、「さすが姐さんが目を付けるだけあって強敵」という認識であり、ゲスト出演に出てきたことで決着をつけるいいチャンスとまで思っていた。結果有紗が居なかったので肩透かしを食らいつつ、動画を見て見ると……想像よりよかったので、原作と比べて結束バンドへの初期印象は高め。


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二十八手偵察のヨヨコ来訪~sideA~

 

 

 12月のライブの日、私もいつも通り観客として結束バンドのライブを見に来ました。未確認ライオットという明確な目標ができたことで、最近の結束バンドの伸びは非常によく、既に一月前とは演奏の完成度が大きく違ってきていると言ってもいいでしょう。

 まだ新曲は完成していませんが、FOLTでのゲスト出演に向けての準備は着々と整っていますね。

 

「あっ、有紗ちゃん。こんな感じでいいですか?」

「ええ、ありがとうございます。やはりブロマイドにはサインが入っていた方がいいですしね」

「そっ、それにしても有紗ちゃんの作るポップは綺麗ですね。目を引くというか、売り上げが増えてリョウさんが嬉しそうでした」

「一助になれているのなら嬉しいですが、売り上げ増加に関しては結束バンド自体の人気が上がってきたこともあると思いますよ」

 

 ライブ前のひとりさんと会話をしつつ、物販コーナーに商品とポップを用意していきます。物販コーナーのレイアウトやラインナップは私が担当することが多いです。虹夏さんも動画サイト用の動画編集や練習も忙しいので、こういった作業は出来るだけ手伝うようにしています。

 最近では帳簿計算も私がしているのですが……いちおう部外者という扱いの私に、金銭の計算まで任せていいものかと首を傾げますが、それだけ忙しくて手が回らないのでしょうね。

 

「あっ、あれ? 有紗ちゃん、この結束バンドは?」

「ああ、それはリョウさんが新色リストバンドとして売りたいと言ってきたので、却下したものですね。新色を出すなら、他のメンバーカラーも合わせて出すべきですし……あと、そもそも色も変わっていませんので……」

「……たっ、確かに、前のと同じ色のような? あっ、でも、新色って言われてみれば少しだけ違う気も……う、う~ん」

 

 リョウさんは物販にかなり意欲的であり、よく新商品を提案してきます。まぁ、あまりにも利益重視の品が多いので却下することが多いですが……。

 

「そういえば、リョウさんから私とひとりさんのツーショットでブロマイドを出さないかという提案もありましたね」

「……そっ、それ、ただ私が公開処刑されるだけでは? 有紗ちゃんのブロマイドとかすごく売れそうなので、リョウさんが食い付くのも分かりますけど……わっ、私としては反対です。個人的には、ちょっとほしいですけど……」

「ふふ、じゃあ、今度ひとりさんだけのために撮影しましょうかね」

「え? あっ、えと、あぅ……はい」

 

 そんな風に楽しく雑談をしていると、ライブ開始の時間が近づきひとりさんは控室に移動していきました。私も物販の設置は完了したので、後はSTARRYのスタッフさんに任せて観客としてライブを見るために移動しようとしましたが、そのタイミングで声を掛けられました。

 

「あ、有紗ちゃんだ!」

「こんにちは、今日も来てくださったんですね」

「私たちは結束バンドのファンだからね~」

 

 現れたのはひとりさんときくりさんと行った路上ライブでチケットを買ってくれて、その後も毎回ライブに足を運んでくれている大学生のお姉さん方でした。

 私もすっかり顔なじみであり、会った際にはこうして挨拶をしたり一緒にライブを見たりします。ただ、今回はもうひとりいらっしゃるようでした。

 

「そうそう、この子さっき入り口近くで知り合った結束バンドのファンの子で、つっきーちゃんだよ!」

「えっ、あっ……その……」

「……SIDEROSの大槻ヨヨコさんでは?」

「ッ!? あっ、えと、なな、なんで分かったの……」

「いえ、前にFOLTに行った際やネットの紹介で見まして……私は、一度見た方の顔は忘れませんので」

 

 お姉さん方が連れてきたのは髪型を変えて眼鏡をかけてはいましたが、SIDEROSのギターボーカルである大槻ヨヨコさんでした。

 なぜここにという思いはありますが、共にゲスト出演することになった相手を見に来たと考えれば納得できますね。

 

「か、勘違いしないでよ。私は結束バンドのファンなんかじゃなくて……」

「今度一緒にゲスト出演する相手の力量を確かめに来た感じでしょうか?」

「そう! それっ! 姐さんと私のライブに一緒に出る以上、台無しにしない程度の実力はなくちゃ困るから、直々に確かめに来たのよ……いや、正直動画サイトの演奏は、思ったよりよかったけど……まだまだ、私たちの足元にも及ばないわ」

 

 なんとなくではありますが、ヨヨコさんは誤解を受けやすいタイプのような気がしました。ひとりさんとは違う意味で人と接するのが苦手で、つい強い言葉を投げかけてしまうタイプでしょうか?

 こういった方の言葉は、むしろ好意的に受け取るぐらいがちょうどいいです。いまの発言も、結束バンドの実力自体は評価してくれている様子ですしね。

 

「なるほど……ああ、お姉さん方。この方は私の知り合いでして、少しふたりで話をさせていただいてもよろしいですか? あと、物販コーナーに新商品なども用意しているのでよろしければ見ていってください」

「うん。分かったよ。じゃあ、つっきーちゃんまたあとでね~」

「あっ、うん」

 

 笑顔で手を振ってお姉さん方が物販コーナーに向かったのを見送ってから、改めてヨヨコさんに向き直ります。

 

「……改めて自己紹介を、時花有紗と申します」

「大槻ヨヨコよ」

「ヨヨコさんとお呼びしても?」

「構わないわ。貴女のことも姐さんからよく聞いてるわ」

「姐さんというのは……きくりさんのことですかね? 今回のゲスト出演の件も含めて、きくりさんにはお世話になっています」

 

 鋭い目と刺々しい雰囲気は、一見すると威圧的に映りますが、若干目が不安げに揺れている辺り緊張しているような印象を受けます。

 

「さて、話は戻りますが……確かにまだ結束バンドはSIDEROSには及びません。だからこそ、きくりさんも今回のゲスト出演を提案してくれたんでしょうね」

「……うん? どういうこと?」

「結束バンドはまだ結成一年未満の若いバンドで、経験不足が大きいです。なので比較的結成期間が近く、明確に結束バンドより先を行っているSIDEROSと一緒のステージに立つことで、学べることは非常に多いでしょうし、大きな成長につながる可能性が高いです」

「……ま、まぁ、そうね。私たちの方が経験は豊富だし、得られることも多いでしょうね」

「ええ、それにSIDEROSの側から見ても、後ろから追いかけてくる相手を意識することでいま以上に成長できる。きくりさんは、双方にとって利益があると考えたのではないでしょうか?」

「な、なるほど……結束バンドだけじゃなくて私たちのことも考えて……さすが、姐さん」

 

 どうやらヨヨコさんはきくりさんを慕っている様子で、明らかに嬉しそうな表情を浮かべていました。なんとなくですが、本質的にはひとりさんやきくりさんに似たタイプという感じがします。意外とひとりさんとも気が合って仲良くなれそうな気がしますね。

 

「そういうわけで、私が直接参加するわけではありませんが、結束バンドのサポートをする身をして言わせてください。24日はよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。私たちが最高の演奏を見せてあげるから、しっかり学んで糧としなさい」

「ありがとうございます。楽しみにさせていただきますね。ああ、引き留めて申し訳ありません。今日はライブを楽しんでいってくださいね」

「そうするわ……まぁ、私たちには及ばないまでも結束バンドもいいバンドだから……それなりに期待してるわ」

 

 そう言って満足気に微笑んだあとで、ヨヨコさんはお姉さん方と合流して移動していきました。それを見送ってから、私も改めていい場所でライブを見るために移動しました。

 

 

****

 

 

 今回のライブも無事終わりました。皆さん練習の成果が出ているらしく、かなりいい演奏を見せてくれました。ヨヨコさんもどこか満足気な様子で「まぁ、最低限ゲストをやるレベルには達してるみたいね」と呟いており、結束バンドのデモCDも購入してくださるぐらいには高評価だった様子です。

 ステージを終えてフロアに出てきた結束バンドのメンバーの元に向かおうと思ったタイミングで、聞き覚えのある声が聞こえてきます。

 

「みんらぁ~今日のライブもよかったよぉ。あ~あの、アレだよ4番目の曲とかエモの塊!」

「……3曲しかやってないです。まぁ、それはそれとして、ゲストで呼んでくれてありがとうございます。丁度たくさんライブしたかったので、助かります!」

「いーのいーの気にしないで~」

 

 いつも通りに泥酔しているきくりさんに呆れつつも、ゲストとして呼んでくれたことにお礼を言う虹夏さんにきくりさんはフラフラと体を動かしながら答えます。

 ちょっと危なっかしかったので、軽く背中に手を当てて支えると、きくりさんはこちらに気付いて笑顔を浮かべます。

 

「あ~有紗ちゃんだ~今日も可愛いねぇ」

「ありがとうございます。きくりさんは、今日も飲み過ぎですよ」

「あははは……って、あれ? そこに居るのは大槻ちゃん?」

「ど、どうも……」

 

 私にしなだれかかってきていたきくりさんでしたが、直後にヨヨコさんに気付いたのか不思議そうに首を傾げました。

 

「なんで大槻ちゃんがここに?」

「結束バンドを見に来たんです……それより、姐さん。そういうことだったんですね!」

「え? なにが?」

「才能はあれど未熟な結束バンドをSIDEROSと一緒にゲスト出演させることで、結束バンドは経験と目指すべき目標を、SIDEROSには後ろから追ってくる相手に気付かせることで奮起を促す。双方の成長にも繋がると考えてのゲスト依頼だったんですね!!」

「……………………ソウダヨ」

「やっぱり! さすが姐さんです!」

 

 興奮気味にかたるヨヨコさんの言葉に、きくりさんは先ほどまでの酔いはどこに消えたといいような顔でキョトンとした表情を浮かべたあとで頷きました。そして、私の方とチラリとみて「これ、どういうこと?」みたいな視線を投げかけてきたので、曖昧に微笑み返しておきました。

 

「やっぱり、姐さんは私たちのことをしっかり考えててくれたんですね」

「モ、モチロンダヨ……あの、有紗ちゃん、これどういう状況?」

「……あとはよろしくお願いします。ああ、ひとりさん、今日もいい演奏でしたよ」

「あっ、ありがとうございます」

「あっ、ちょっと、有紗ちゃん!? こっちわけわかんないことになってるんだけど……いちゃついてないで、こっちに説明を、お~い……」

 

 

 




時花有紗:大体の相手にはパーフェクトコミュニケーション叩き出す子なので、ヨヨコの相手も問題なく行う。虹夏から結束バンドの物販関連を任されており、その理由はリョウが強引に押し切れない相手なので、変な品をこっそり並べられる心配がないから……。

後藤ひとり:隙あらばいちゃいちゃする。ライブ前でも、少しでも時間が空いてると有紗の近くに寄ってくる。可愛い。

大槻ヨヨコ:ぼっちちゃんとは違うタイプの攻撃型コミュ症。だが、有紗は誤解することなく本心を聞いてくれるし、適度に持ち上げてくれるので相性がいい。きくりが己たちを思ってセッティングしてくれたことに感激した。

廣井きくり:きくり姉さん、そこまで考えてない。


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二十八手偵察のヨヨコ来訪~sideB~

 

 

 結束バンドの12月のライブはメンバーの成長のかいもあって、なかなか本人たちも満足できる形となった。ハプニングとしてはSIDEROSの大槻ヨヨコが現れるということがあったが、結束バンドの演奏はヨヨコにとって及第点と言えるものだったらしく「いま以上に成長できるように、24日はせいぜい私たちの演奏から学びなさい」と、宣戦布告なのか応援なのかいまいち分からない言葉を残して去っていった。

 

 そしてライブの後と言えば打ち上げが基本ではある。ただ、最近はライブを増やしバンド活動に力を入れていることもあって、メンバーたちにはあまりお金はない。それこそ、有紗にひと声頼めばいくらでも用意してくれるが、それも気が引けたので今回はどこかの店に行くのではなくSTARRYで打ち上げを行うこととなった。

 コンビニ等で食べ物を購入して来れば安上りであり、ライブハウスにも簡単な調理ができる設備はある上、ライブハウスの上には虹夏と星歌の家もあるので料理しようと思えば可能だ。

 

 問題は場所を使う許可が下りるかどうかだったが、星歌も今日のライブ……結束バンドの成長を内心では喜んでいるようで、閉店後の店内での打ち上げの許可と、多少の打ち上げ代の融資もしてくれた。

 

「……ピザ届いたよ~」

「待ってた」

「こういう雰囲気での打ち上げもいいですよね」

「ひとりさんは、なにを飲みますか?」

「あっ、こっ、コーラで」

 

 虹夏、リョウ、喜多、有紗、ひとりといういつものメンバーでテーブルを囲み、離れたカウンターで星歌やPAが微笑まし気な表情を浮かべ……床できくりが飲んだくれる。ある意味では、非常にSTARRYらしい光景だった。

 

「それじゃあ、皆、今回は大盛況だったしお客さんの評価もよかった。でも、まだあくまでホームだからこそってのもあるからね、次のFOLTでのライブも気合入れて行こうね!」

「……前に有紗がリーダーと間違えられたから、リーダーっぽいこと言おうとしててウケる」

「……リョウ……あとで殴るからね。こほん、ともかく、今日はお疲れ様! 乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

 

 虹夏の掛け声に合わせて打ち上げが開始される。思い思いに料理を食べつつ、会話を楽しむ。会話の内容はやはり今日のライブの内容が多い。

 

「有紗ちゃん、私のボーカルどうだったかな?」

「かなりよくなっていましたよ。以前より格段に声が通るようになっていましたし、少しずつですが確実に声の出し方が身についてきています。この調子で頑張りましょう」

「うん! ありがとう!」

 

 ボイストレーニングの成果が出ていることは喜多自身も実感していたが、直接教わっている相手でもある有紗からそう評価されるのは嬉しかったみたいで、明るい笑顔を浮かべていた。

 

「ひとりちゃんの演奏も、回を重ねるごとに存在感が増しているっていうか、隣で聞いてて凄いなって感心するわ」

「う、うへへ……そっ、そうですかね。たっ、確かに、前よりは少し慣れてきたかもしれません。まっ、まだ、STARRYだけですけど……」

「ホームとはいえ、リラックスして演奏できているのはいいことですよ。確実に前進している証拠です」

「えへへ」

 

 喜多と有紗に賞賛された、ひとりは照れつつも嬉しそうに頭をかく。ひとりも確実に成長しており、以前よりずっと本来の実力に近い演奏をできるようになっていた。

 

(……まぁ、ホームなのと……有紗ちゃんがいてくれるからってのも大きいんだけど……それを言うのは流石に恥ずかしいから、心の中でお礼だけ……いつもありがとう、有紗ちゃん)

 

 有紗の存在が精神的な支えとなっていることはひとり自身自覚しているが、それを口にするのは流石に気恥ずかしさが勝るようだった。

 

「そういえばひとりちゃん、帰りは大丈夫?」

「あっ、はい。今日は有紗ちゃんが車で送ってくれるらしいので、大丈夫です」

「ええ、もし、あまりにも遅くなるようならまた私の家に泊まってもいいわけですしね」

「有紗ちゃんの家か~私も一度行ってみたいなぁ」

「いつでも歓迎しますよ」

 

 3人がそんな風に話をしていると、有紗の家という言葉に反応した虹夏とリョウも会話に参加してくる。

 

「有紗ちゃんの家って、ぼっちちゃんの話聞くだけでも凄そうだよね」

「ピアノ以外にも凄い楽器とかあるの?」

「ベースは無いので、リョウさんの期待には沿えないと思いますが……」

「あっ、でもライブのBDはいっぱいありましたよ。ズラーって」

「……ほう。やっぱり有紗は結構語れるタイプっぽい」

 

 明らかにハイソサエティの空間であろうことは、ひとりからある程度話を聞いて知っており、そういう空間に興味を持つのは人の常といえる。

 

「映画とか見れるシアタールームとかもありそうだね」

「ありますよ。映画もそれなりの数が揃っていますね」

「おぉ、あるんだ……やっぱり凄いね~」

 

 当たり前の様にシアタールームがあるという有紗の言葉に、虹夏が感心した様子で頷くと、そのタイミングで喜多がなにかを思いついたように口を開いた。

 

「そういえば、映画と言えばクリスティーナ・フラワー主演の新作映画が来年公開ですね」

「あ~かなり期待されてるよね。リョウも見たがってなかったっけ?」

「うん。メジャーな映画はあまり好きじゃないけど、クリスティーナ・フラワーはサメ映画への造詣も深い女優だから好き」

 

 喜多が話題に挙げたのは、世界的な有名女優の名前であり虹夏やリョウも興味深そうに話す。ひとりもピザを食べながら話を聞きつつ、思考を巡らせる。

 

(……映画……映画館の雰囲気はちょっと好きだけど、人気映画は混むし、ひとりで映画に行くような度胸も……あ、有紗ちゃんが一緒に行ってくれたら大丈夫かも……)

 

 ひとりがそんな風に考えていると、喜多がスマホを取り出してなにかを確認しだす。

 

「まだ、詳しい情報は出てないんですよね。クリスティーナ・フラワーのイソスタにならなにか書いてるかもしれないですけど、全部英語なんで読めな………………え?」

「喜多ちゃん?」

 

 スマホでイソスタを開き、話題の女優のページを見た喜多が目を見開いて硬直する。するとそのタイミングで、少し離れた場所、星歌たちが居る場所で酒を飲んでいたきくりが緩い笑顔で告げた。

 

「あ~そういえば、クリスティーナ・フラワーって有紗ちゃんにちょっと似てるよね。髪の色とか雰囲気とかさぁ~」

「……え? ええ、それはまぁ、血が繋がってますし似ていて当然かと」

「そっか~それならとうぜ――んん?」

 

 キョトンとした表情で返された有紗の言葉に、きくりは思わず酔いが醒めたというような表情で硬直した。そして入れ替わるように硬直から復帰した喜多が、慌てた様子でスマホの画面を虹夏たちに見せた。

 

「……あ、あの、クリスティーナ・フラワーのイソスタに、有紗ちゃんとのツーショットが!?」

「えぇぇぇ!? あっ、ほ、本当だ……」

「……完全にプライベートっぽい写真」

「あっ、『My Angel』ってコメントも付いてます」

 

 喜多が見せてきたイソスタの写真を見て、虹夏とリョウとひとりも驚愕し、きくりや星歌、PAも合わせて全員の視線が有紗に集中する。

 どういうことか説明してほしいというその視線に有紗は苦笑を浮かべたあとで、口を開く。

 

「ええ、秋に一緒に旅行した時の写真ですね」

「な、なんで、クリスティーナ・フラワーと一緒に旅行!?」

「えっと、なんでと言われると……親子なのでとしか、返答しようがないですが……」

『親子!?』

「クリスティーナ・フラワーというのは芸名のようなものでして、本名は時花クリス……私のお母様です」

 

 それはまさに驚愕の新事実だった。もちろん喜多たちも、有紗がハイソサエティであり両親も相当凄い相手であろうというのは想像していた。しかし、まさか世界的なモデル兼女優が母親とは思わなかった。

 ただ、イソスタに写真を上げている様に別に隠しているようなことではなく、クリスティーナ・フラワーのイソスタを見たりフォローしているファンには、娘の存在は周知の事実ではあった。

 

「……やっぱ、有紗ちゃんってとんでもないね」

「ですね」

 

 虹夏が唖然としながら呟き、喜多もそれに同意する。確かに衝撃的な事実ではあったが、元々有紗がとんでもない存在というのは知っていたので、少し経てばなるほどと納得することができた。

 親子と言われてみれば、きくりの言う通り確かに髪の色や顔の雰囲気が似ており、血のつながりを感じた。

 

「秋の旅行……そうか、ぼっちがやけに寂しそうにしていた時か」

「なっ、なに言ってるんですかリョウさん!? そんなときなかったです!!」

 

 ボソリと呟いたリョウの言葉に、顔を赤くしたひとりが慌てて反論する。ちなみに適当に言っただけであり、別にひとりが特別寂しそうにしていたということは無かった。

 しかし、ひとりが過剰に反応してしまったせいで変にリアリティが出てしまった。そのひとりの反応を見て、虹夏もニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべ、芝居がかった様子で口を開く。

 

「あ~そっかぁ、あの時か~。ぼっちちゃんが、飼い主を待つチワワみたいな顔になってた時だね」

「にっ、虹夏ちゃんまでなにを言うんですか!? そ、そそ、そんな時なかったです!!」

「本当に? 絶対? 少しも寂しくなかったと、神に誓える?」

「うぐっ……そっ、そそ、それは……うぅぅぅ」

 

 虹夏の言葉にも慌てて反論したひとりではあったが、追撃の様に放たれたリョウの言葉に思わず言葉に詰まってしまった。

 有紗が9月頃に母親と旅行に行っていたのは、ひとりも知っていた。ロインなどではやり取りをしていたが、学校も合わさって、それなりに長い期間有紗の顔を見れていない時期があり……寂しくなかったかと言われれば、否定しきれない自分が居た。

 

「私は、ひとりさんと長く顔を合わせられなくて寂しかったですね。ひとりさんも同じ気持ちでいてくれたのでしたら、とても嬉しいです」

「あっ、有紗ちゃん……あっ、えと、わっ、私も少し寂しかったという気持ちは、その、ありました」

 

 反論できずに唸っていたひとりをフォローしつつ、自分も寂しかったとつげる有紗の言葉に、ひとりはホッとしたような表情を浮かべ、少し照れ臭そうに寂しい気持ちはあったと自白した。

 そして、互いに微笑み合いどこか温かい雰囲気を醸し出しつつ、ふたりで話しながら料理を食べ始めた。

 

「……またいちゃいちゃしてる。なんだろうこの、全部持っていかれた感というか、負けた感じは……」

「伊地知先輩たちが振ったんじゃないですか……私はもうちょっと、クリスティーナ・フラワーの話が聞きたかったのに……ふたりの世界に入っちゃいましたよ」

 

 

 




時花有紗:母親は世界的なスーパーモデル兼女優。容姿に関しては母親と父親のいいところ取りといった感じで、目の色なんかは父親譲りである。

後藤ひとり:隙あらばいちゃいちゃするぼっちちゃん。有紗のことになると、普段より大きな声を出したり、やはりかなり意識している感じがする。

世界のYAMADA:後に1週間虹夏に会えなかったのが寂しくて、ビビりで車の運転を怖がっているにもかかわらず同じ教習所に追いかけてきたり、虹夏の大学に毎日遊びに行くとか言い出すやつ……特大のブーメランがぶっ刺さる予定。

時花クリス:有紗の母親。モデル兼女優で世界的にも有名人。イギリス人とのハーフであり、有紗はクォーター。やっぱりほら、出番はほぼ無いので覚える必要はない。

ヨヨコパイセン:タイトルに名前があるのに、地の文数行出ただけ……。


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二十九手共奏のゲストライブ~sideA~

 

 

 12月24日新宿FOLTでのワンマンライブへのゲスト出演の当日となった日。結束バンドの皆さんは早い時間にライブハウスにやってきました。リハーサルなどがある関係ですね。

 

「……いまさらですが、私もリハーサルから来ていてよかったんでしょうか?」

「いいというか、絶対居て。ぼっちちゃんの精神安定のためにも……有紗ちゃんはもう、5人目のメンバーとして認識してるから、今後もそのつもりでお願い」

「分かりました。ひとりさん、もう少しで音のチェックですから、ギターを持って準備しましょう」

「あっ、はは、はい」

「少なくとも、いまの時点では観客が居るわけでもありませんから、リラックスしてください。私も付いてますから、ね?」

「……はい」

 

 本来は正式なバンドメンバーではない私ですが、ひとりさんと虹夏さんの強い要望によりリハーサルから参加しています。

 これから結束バンドがステージで音の確認とリハーサルを行うので、ひとりさんを微笑みつつ送り出します。ひとりさんもそうですが、喜多さんも初めての別のライブハウスでの演奏ということもあって緊張している様子ですね。

 リョウさんや虹夏さんは中学時代に別のバンドに所属していた経験もあるので、その辺りはある程度安定しているように見えます。

 

 そんなことを考えながらステージを見ていると、ヨヨコさんがこちらに近付いて来ました。

 

「こんにちは、ヨヨコさん。今日はよろしくお願いします」

「ええ……あげるわ、間違えて2本買っちゃったから」

 

 そういってヨヨコさんは手に持っていた缶ジュースを差し出してくれたので、軽く微笑みながら受け取ります。

 

「ありがとうございます。ヨヨコさんは優しいですね」

「……うちのアルバムもあげるわ。精々勉強しなさい」

「ありがとうございます。SIDEROSのCDは是非購入したいと考えていたので嬉しいです」

「…………サ、サインもしてあげるわ」

 

 ひとりでリハを眺める形になっている私を気遣って声をかけてきてくれたのでしょう。言動で誤解を受けやすい部分はありそうですが、ヨヨコさんは優しい方だと思います。

 

「緊張してるみたいね」

「初めてのライブハウスですからね。やはり緊張はゼロにはならないでしょう。本番までにはもう少しリラックスできると思います」

「そう……まぁ、別に結束バンドが失敗しても私たちが場は盛り上げるから」

「気負わず頑張れと言ってくださるんですね。ありがとうございます、皆さんにも伝えておきます」

「……そう」

 

 なんだかんだで初めて他のライブハウスで演奏することになる結束バンドを心配してくれているみたいです。SIDEROSはリハーサルをすでに終えているのに、こうして近くまで見に来てくれているのがその証拠でしょう。

 

「ただ、ヨヨコさん? あまり寝ていないように見えますが、体調は大丈夫ですか?」

「別に、これぐらいいつものことよ、問題ないわ」

「そうですか、もし可能なら少し仮眠をとるだけでも違いますので、無理はしないようにしてくださいね」

「ええ……ありがと」

 

 ヨヨコさんとそんな話をしていると、結束バンドのリハーサルが始まりました。やはり緊張でやや演奏が走っている印象はありますが、それでも悪くはありません。

 喜多さんも最近ボーカルのレベルが上がっていることで自分の歌に自信を持ててますし、ひとりさんも場数を踏んである程度精神的に安定感が現れ始めています。

 

「……少し走ってはいるけど、前よりさらによくなってるわね。これなら、本番で姐さんのライブが台無しになることはなさそうね。それじゃ、私はメンバーのところに戻るわ」

「はい。お話できて楽しかったです」

「……あっ、わ、私も楽しかったわ……じゃあ、またあとで」

 

 結束バンドのリハーサルは、ヨヨコさんから見て及第点といえるレベルだった様子で、どこか満足気な様子でSIDEROSのメンバーの元に移動していきました。

 

 

****

 

 

 リハーサルが終わり、楽屋に移動しましたが……私も普通に楽屋に居ます。まぁ、虹夏さん曰く実質5人目のメンバーとして扱ってくださるらしいので、おかしくは無いのかもしれません。

 見たところやはり喜多さんとひとりさんがやや緊張気味で、それにつられて虹夏さんも若干緊張している様子ですね。リョウさんも平気そうにしていますが、リハーサルでは演奏がやや走っていたので緊張はしているのでしょう。

 

「……皆さん、少しいいですか?」

「あっ、有紗ちゃん?」

「まずはっきりしておきましょう。今回の出演バンドの中で結束バンドは一番格下です。ホーム云々を抜きにしてもそれは事実でしょう。だからこそ、いい演奏をしなければと自惚れる必要はありません。この経験を糧にしてやる、格上に食らいついて学んでやる。そんな気持ちでいいんです。ひとまず今日のところはいい演奏はSIDEROSとSICK HACKに任せて、私たちは思い切った演奏をしていきましょう」

 

 そう告げると皆さんはキョトンとした後で、少し苦笑を浮かべました。僅かにですが、全員の肩の力が抜けたのを感じつつ、私はチラリと虹夏さんに視線を向けます。すると、虹夏さんは私の意図を察したのか頷いて口を開きました。

 

「有紗ちゃんの言う通り、ライブ全体としては確実に成功するって言えるような状況で気楽に演奏できる機会なんてそうそうないからね。私たちは私たちらしく、思いっきり演奏して、ひとりでも多くの人に結束バンドの名前を覚えてもらおう!」

「……はい」

「がっ、頑張ります」

「任せろ」

 

 いい雰囲気ですね。この感じながら、本番でも期待できそうです。

 

「今日はクリスマスだし、カップルとかもいっぱい来るからね。私たちがサンタさんってことで、素敵なライブをプレゼントしよう!」

「……やる気を削ぐような発言はやめて。私たちの音楽がカップルを盛り上げるBGMになるかと思うと、気が滅入るから」

「いや、結束バンドの曲でそんな雰囲気にはならないと思う」

 

 虹夏さんの言葉に露骨に嫌そうな顔をしたリョウさんとひとりさん。これも一種の青春コンプレックスでしょうか?

 

「あっ、そうですね。心が病みますよね」

「……ぼっち、先に言っとくけどお前はカップル側」

「なっ、なんでですか!? だから、有紗ちゃんとはそういう関係じゃなくて……」

「別に一言も有紗とは言ってない」

「~~~!?!?」

「こらっ、リョウもあんまりぼっちちゃんを揶揄わない。本番前に溶けちゃったりしたらどうするの……」

 

 どうやらある程度緊張はほぐれたみたいで、皆さんもいつもの調子を取り戻している感じでした。そんなやりとりを眺めつつ、私は同じ楽屋にいたSIDEROSの皆さんに声をかけました。

 

「ヨヨコさんにはご挨拶をさせていただきましたが、他のメンバーの方にはまだでしたね。時花有紗と申します。今日はよろしくお願いします」

「そういえばちゃんと挨拶してなかったですね。自分、長谷川あくびです」

「私は本城楓子です」

「内田幽々です」

 

 私が声をかけたのを切っ掛けにSIDEROSのメンバーの方と、結束バンドの皆さんの挨拶が行われ、デモCDの交換なども行いました。

 あくびさんなどは動画サイトでMVを見て曲を好きだと言ってくださり、皆さんいい人だというのが伝わってきます。

 

「なんか、皆いい人だね。メンバーの入れ替わりが激しいって聞いたから、もっと殺伐としてるのかと……」

「あ~それは……」

「……結束バンド」

 

 虹夏さんの言葉にあくびさんが答えようとしたタイミングで、楽屋の端で腕を組んで佇んでいたヨヨコさんが会話に入ってきました。

 たぶんですが、ひとり除け者になっているみたいなのが嫌だったのでしょう。

 

「気合を入れたみたいだけど、生憎と貴女たちのライブの出来なんて今日の正否には関係ないわ。貴女たちがどれだけ下手で駄目な演奏をしようと、私たちSIDEROSさえ居れば会場は盛り上がるのよ。姐さんたちのライブのために場を温めるのは私たちだけで十分よ」

「突然会話に入ってこき下ろしてきた!?」

 

 鋭く睨むような目で告げるヨヨコさんの言葉に、虹夏さんがショックを受けたような顔をしていましたが……たぶんヨヨコさんはそういう意味で言ったのではないでしょう。なので、虹夏さんの誤解を解くために口を開きます。

 

「虹夏さん、違いますよ。ヨヨコさんは、仮に結束バンドが失敗したとしても自分たちがフォローするから、ライブの正否を気にせず肩の力を抜いて演奏するように言ってくれてるんですよ」

「……え? そうなの!?」

「ええたぶん正解ですね。ヨヨコ先輩、コミュニケーションが凄く下手なので……うちの入れ替わりが激しかったのも、それが原因っす」

「な、なるほど……」

 

 たしかにヨヨコさんは少々口下手なきらいがありますが、それでも責任感が強く優しい方だと思います。あと、本質的にやはりひとりさんに似ていますね。ひとりさんの言葉を借りるならコミュ症と言えるのかもしれません。ひとりさんとはまたタイプが違う感じではありますが……。

 

「ヨヨコさんは、先ほどのリハーサルも結束バンドの演奏を評価してくれていましたよ。ですよね?」

「……ええ、動画サイトのMV、前回見たライブ、そして今回のリハ……確実に成長していたわ。短期間でこれだけ伸びるってことは、それだけ貴女たちが努力してきたって証拠でもある。変に気負わず演奏すれば、その努力に見合っただけの結果は返ってくるわ」

 

 そう告げるヨヨコさんの言葉に、結束バンドの皆さんもヨヨコさんへの認識を改めたのか少し嬉しそうにお礼を言っていました。

 お礼を言われるとヨヨコさんは照れた様子でそっぽを向いてしまいましたが……。

 

「ところでヨヨコさん。やはりかなり眠そうに見えますし、15分程度であっても仮眠した方がいいのではないですか?」

「……睨んでたんじゃなくて目がキマッてただけなんだね!? なんか、どんどん印象が変わってくるよ!!」

 

 数日ロクに寝ていない様子のヨヨコさんはやはりかなり辛そうな印象だったので、仮眠を進めてみますが……集中力を保つためにこのまま起きていそうな気がしますね。

 

「……このままで問題ないわ、余計な気を回さなくていいのよ」

「そうですか、確かに集中力を維持するのは大事ですよね。ヨヨコさんは責任感が強いんですね。けど、無理だけはなさらないでくださいね」

「わ、分かってるわ……その、ありがとう」

「いえ、こちらこそいろいろ気遣ってくださって、ありがとうございます」

 

 やはり集中力を維持するために起きたままでいる様子でした。この感じであれば大丈夫でしょうが、無理だけはしないでほしいものです。

 

「……すげーっすね。まったくヨヨコ先輩のコミュ下手発言を誤解してないです」

「有紗ちゃんは、コミュ症相手の会話が得意だから、経験値が違うんだよ……ね? ぼっちちゃん」

「えっ、あっ、はい」

 

 

 




時花有紗:コミュ力おばけかつ、察しが滅茶苦茶いいのでコミュ症特効持ち。

後藤ひとり:とりあえず有紗が居ると精神面はある程度安定するので、段ボールに隠れようとしたりはせずにリハでも安定して演奏できていた。少しでも時間が空くと、有紗のところに寄っていくのもいつも通り。

ヨヨコパイセン:そもそも原作程ひとりや結束バンドを敵視していないのでマウントを取りにきたりしなかった。さらに有紗フィルターも添えると、不思議、ぶっきらぼうながら後輩を気遣う優しい先輩バンドマンみたいになってしまっている。


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二十九手共奏のゲストライブ~sideB~

 

 

 新宿FOLTにて行われたSICK HACKのワンマンライブへのゲスト出演。結束バンドの演奏はそれなりの評価を得ることができた。

 もちろん初めてのライブハウスで客層も違うため大盛り上がりとはいかなかったが、いい雰囲気でSIDEROSやSICK HACKに繋ぐことができた。

 

 そして今日はクリスマスイブということもあって、ライブ後はSIDEROSの面々も交えてSTARRYに移動して、打ち上げ兼パーティを開くことになった。

 メリークリスマスという掛け声でパーティがスタートすると、マイクを持った虹夏と喜多が並ぶ。

 

「今日はSTARRYクリスマスパーティ兼打ち上げ兼うちのお姉ちゃんの誕生日会に集まっていただき、ありがとうございます。司会進行は伊地知と喜多が務めさせていただきます!」

「本当は有紗ちゃんにも協力して貰おうかと思ったんですけど……ついさっき、半泣きのひとりちゃんに連れていかれましたので、私たちふたりです」

「……まぁ、あのテーブルは有紗ちゃん以外に間を取り持つのは無理だから、仕方ないよね」

 

 喜多の言葉に虹夏がチラリと視線を動かすと、そこのテーブルにはひとり、リョウ、ヨヨコと……見事に陰キャといえる面々が集結していた。リョウだけであればともかくヨヨコも居るとなっては、ひとりが空気に耐えられるわけもなく、準備を手伝っていた有紗に助けを求めた結果、そのテーブルには有紗も加わることになった。

 

 有紗がテーブルに参加したタイミングでは、なかなかに空気は死んでおり、話題が無かったヨヨコが少し前に買ってきたトゥイッチを取り出して、3人でゲームをしないかと提案してリョウに一蹴されたタイミングだった。

 そんな状況で席に加わった有紗は、持って来たポテトの乗った皿をリョウの前に置きながら口を開く。

 

「ヨヨコさん、今日のライブはお疲れさまでした。SIDEROSの演奏は見事でしたね。ひとりさんも、そう思いませんか?」

「あっ、は、はい。凄かったです。ねっ、熱が籠っているというか、会場もかなり盛り上がってましたし……」

「当然ね……と言いたいところだけど、今回は会心の演奏だったわ。結束バンドが思った以上にいい演奏をしたからね。私たちも負けられないって熱が入ったわ……追いかけてくる相手が居るってのも、悪くはないわね」

 

 基本的にマイペースで興味のある話題にしか加わってこないリョウには食べ物を与えつつ、ヨヨコとひとりが話しやすいライブの話題を振る。

 

「ひとりさんの演奏はどうでしたか?」

「……そうね。貴女、人と合わせて演奏するのが苦手でしょ? 技術はあるのにところどころぎこちなさが目立ってたわ」

「あっ、うっ、は、はい」

 

 どこか不機嫌そうな雰囲気で告げるヨヨコにひとりは思わず畏縮してしまうが、そこに有紗が微笑みを浮かべながら口を開く。

 

「すぐに気付くということは、もしかしてヨヨコさんも、そういった経験があるんですか?」

「……ええ、私も昔は周りと合わせるのに苦戦したわ。ひとりで練習ばっかしてたせいでね」

「あっ、そ、そうなんですか……私と一緒……」

「まぁ、結局私は周りに合わせるんじゃなくて、周りを私に合わせさせるようにしたけどね」

 

 有紗のフォローで、ヨヨコにも似たような経験があることを知って、ひとりはシンパシーのような感情を抱きヨヨコへの警戒が若干薄れる。

 ヨヨコも有紗のフォローで変にひとりにビクビクされなかったことで、場の空気が比較的話しやすいものになったため、そのまま言葉を続ける。

 

「……悪くはなかった。ぎこちなさはあったけど、存在感というか人を惹きつける魅力みたいなものがあったわ」

「なるほど、それは大事ですね。技術が優れていても人を惹きつけられない演奏もあれば、拙くとも人を魅了する演奏もある。そこが、音楽の面白いところですね」

「そうね。そういう意味では……今後手強くなりそうね。姐さんが期待するのもわかる」

「たしかに、ぼっちの演奏には魅力がある」

「う、うへへ、そそ、そうですかね……えへへ」

 

 思わぬ賞賛の言葉に、ひとりは明らかに嬉しそうな顔に変わって頭をかく。

 

「た、だ、し、いまはまだ全然よ。その欠点を克服しない内は、私たちSIDEROSに並べるとは思わないことね」

「あっ、は、はは、はい。いっ、イキってすみません」

「ひとりさん、ヨヨコさんは期待してくれてるんですよ。結束バンドがいま以上に成長すれば、自分たちのライバルになり得ると思ってくださってるんです。期待にこたえられるように、頑張りましょう」

「あっ、はい……頑張ります」

「……まっ、少しだけ期待しとくわ」

 

 有紗が間を取り持つことでほぼ死んでいたテーブルの空気は回復してきており、ある程度空気が出来上がったところで、有紗はクリスマスや食べ物の話題を的確に振り、いつの間にかテーブルはクリスマスパーティらしい空気に変わっていった。

 

「……いや、マジですげーっすね。ヨヨコ先輩があんまり慣れて無い相手とあそこまで会話が弾んでいるとか、ビックリですよ」

「何気に時々リョウにも参加しやすい話題を振ったりしてて、本当に的確なんだよねぇ」

 

 テーブルの雰囲気が明らかに良くなっているのは傍目にも分かり、あくびと虹夏が心底感心した様子で話していた。

 そして、同じタイミングでカウンター付近には大人組が集まり話をしていた。

 

「すみません。私までお邪魔して」

「ああ、気にしなくていい」

「そうだよ~自分の家だと思ってくつろげばいいからねぇ」

「お前は帰れ」

「……先輩が冷たい」

 

 SICK HACKのメンバーではイライザは同人誌の締め切りがあるため帰ったが、志麻は交流がある有紗の誘いを受けてきくりと共に打ち上げに参加していた。

 きくりのことで謝罪する志麻に、星歌はどこかシンパシーを感じていた。主に、同じ相手に迷惑をかけられている者同士……。

 

「うちの廣井がいつも本当にすみません」

「いや、お前も大変だな。本当にふざけたやつだからな、この馬鹿は」

「……分かってくれますか?」

「ああ、私もさんざん迷惑をかけられてるからな……ほら、飲もう。この腐れ酔いどれの愚痴でも話そう」

「無限に話せる自信があります」

「……あの、ちょっと、ここなんか空気悪いよ……あのこっちにも空気浄化のプロ回してもらえないかなぁ……誰も聞いてねぇし……」

 

 明らかにきくりに関する愚痴を言い合う展開になっており、当人であるきくりとしては若干の居づらさを感じているが、他は他で盛り上がっているため混ざりにくく、なんとも言えない表情を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 パーティは楽しく進み、時間的にそろそろ終了が近づいてきたころに虹夏がマイクを持って笑顔を浮かべる。

 

「え~では、そろそろ店長への誕生日プレゼントお渡しタイムに移ります!」

「別にそこまでしてくれなくても……いや、ていうか、ひとつだけ明らかにサイズ感おかしいのがあるんだけど!?」

 

 それぞれが用意しておいた星歌への誕生日プレゼントを持って来たのだが、明らかに有紗の背後に人より大きな包みがあった。

 一瞬なんの冗談かと目を疑った星歌ではあったが、まぁ、有紗であればそんなサイズのものを用意してもおかしくは無いかと、最終的には納得した。

 

「確かに凄く目立つね。じゃあ、その目立つ有紗ちゃんのプレゼントから!」

「私のプレゼントは、ひとりさんとセットになっていましてテディベア……クマのぬいぐるみで統一しました。私のが大型のもので、ひとりさんのが中型のものですね」

「あっ、えっと、デザインも似たような感じにしてあるので……あっ、一緒に置いてても違和感は無いかと」

「すっごいサイズだよね。テレビとかで見たことがあるやつだよね……ちなみに、事前にうちの家の間取りとかは伝えてあるから、玄関とかを通らない心配も無しだって~」

 

 有紗とひとりからプレゼントを渡され、星歌はじーんと感動したような表情を浮かべていた。以前ひとりに虹夏越しになにか欲しいものはと聞かれた時から、内心楽しみにしていたので喜びもひとしおだ。

 似たデザインということで、ひとりのプレゼントの中型テディベアを見れば、有紗の方のデザインもある程度想像ができる。非常に可愛らしいデザインで、大きなテディベアにもたれ掛かりながら中型のテディベアを抱きしめるという光景を想像するだけで頬が緩む思いだった。

 

「……ふたりとも、ありがとうな」

「あ~先輩目が潤んでる。可愛い――あっ、ちょっ、志麻!?」

「……邪魔すんじゃない馬鹿」

 

 茶々を入れようとしたきくりは志麻に制され、その後も比較的平和にプレゼントお渡しタイムは進んでいった。尤も、有紗とひとり以外でまともなプレゼントを用意していたのは喜多ぐらいであり、リョウはなにも用意しておらず外で作って来た雪だるまをプレゼントし、きくりは期間切れのポイントシールを渡して破り捨てられていた。

 

 そして一通りプレゼントを渡し終えたことでクリスマスパーティはお開きとなった。店の入り口に移動して星歌と一緒に皆を見送る虹夏に、ヨヨコが決意に満ちた表情で告げる。

 打ち上げの席で聞いた結束バンドの未確認ライオットへの出場を聞いて、自分たちSIDEROSも未確認ライオットへの出場を決めたと……。

 

「……同世代のバンドと競う機会なんて少ないしね。今日のゲストライブで確信したわ、貴女たち結束バンドと競えば私たちもいま以上に成長できるってね。だからまぁ、せいぜい貴女たちも頑張りなさい」

「大槻さん……うん、私たちだって負けないよ!」

「ふっ……」

 

 ある意味ライバル宣言とも取れる言葉に、虹夏もどこか嬉しそうな表情で頷く。それを見て満足気に微笑んで去っていこうとしたヨヨコだったが、直後に他のSIDEROSメンバーに相談せずに勝手に決めたということであくびや楓子に叱られており、最後に締まらない状態になっていた。

 

 

****

 

 

 STARRYで皆と分かれ、有紗とひとりは並んで駅までの道を歩いていた。他愛のない会話をしつつ、傘を差して雪の降る中を歩く。

 

「ホワイトクリスマスですね」

「あっ、そうですね。結構積もりそうな感じですね……」

「電車は大丈夫でしょうか?」

「さっ、流石にすぐに止まるほどでは、無い気がします」

 

 そんな会話をしつつも、実はひとりは内心落ち着かないというか少し慌てていた。

 

(……有紗ちゃんへのクリスマスプレゼント、ど、どのタイミングで渡せば……STARRYじゃ皆が居たから渡しにくかったし、い、いまかな? このタイミングなら……よ、よし、いくぞ!)

 

 事前に用意しておいた有紗へのクリスマスプレゼントが鞄の中に入っていることを確認して、ひとりは意を決したように有紗の方を向く。

 

「あっ、あの――」

「そうだ、提案なんですが……」

「――あぇ!?」

「っと、申し訳ありません。どうしましたか?」

「あっ、い、いえ、なな、なんでもないです!? あっ、有紗ちゃんの方こそどうしたんですか?」

 

 ほぼ同時に有紗も話し出したことで、出鼻をくじかれてしまった。そんなひとりの様子に不思議そうに首を傾げたあと、有紗は微笑みを浮かべて口を開く。

 

「よろしければ、今日も車で送っていきますよ。その、ひとりさんともう少し話していたいのですが……どうでしょうか?」

「あっ、私も、その、もう少し一緒に居たかったですし……あっ、有紗ちゃんさえよければ」

「では、決まりですね」

 

 有紗の提案はひとりにとっても渡りに船であり、タイミングを見て上手くクリスマスプレゼントを渡そうと決意を新たにした。

 

 

 

 




時花有紗:空気浄化のプロ。陰キャテーブルに置いておくだけで、上手く仲を取り持ってくれるのはさすがのコミュ力。どのみち、遅かれ早かれひとりの居る場所に行っていた。

後藤ひとり:陰キャテーブルの空気に耐えられず、半泣きで有紗を召喚した。有紗さえ近くに居ればひとりの精神は安定しているので、その後は比較的会話も盛り上がって打ち上げを楽しめた。有紗と一緒にプレゼントを買っていたので、原作の様に歌プレをすることは無かった。

大槻ヨヨコ:有紗が居ると普通にいい先輩に見える不思議。結束バンドの実力が原作同時期より高いこともあって、変な敵視の仕方ではなく、追ってくるライバルとして爽やかな対抗心を抱いている。最後にポンコツするのはいつも通り。

岩下志麻:原作ではドラムバーサーカーモードに突入して不参加だったが、有紗に誘われたことでSTARRYのパーティに参加、きくりに迷惑をかけられている者同士星歌とかなり仲良くなった。


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三十手共感のクリスマスイブ

 

 

 クリスマスイブ……そう呼ばれるようになったきっかけや本来の意味は置いておくとして、やはり恋をするものとしては重要な日といっていいでしょう。

 FOLTでのライブが無ければ間違いなくひとりさんをデートに誘っていたと思います。ただ、STARRYでのパーティが終わったあとに、ひとりさんと一緒に車で帰ることができたのは幸いです。

 

「ひとりさん、せっかくなので途中に軽く寄り道をしませんか?」

「よっ、寄り道ですか?」

「ええ、せっかくのクリスマスイブなのでツリーぐらいは見ておきたいと思うのですが」

「あっ、イルミネーションとかですかね? たっ、たしかにクリスマスらしさはある気がしますね」

 

 そう、せっかくひとりさんとふたりなのですから綺麗に飾り付けられたツリーを一緒に見たいです。

 

「いちおう、これから向かう途中でよさそうな場所は調べてあります。近場に駐車できる場所があるかも確認済みです」

「あっ、相変わらずの行動の早さ……けっ、けど、まぁ、有紗ちゃんが見たいなら……行きますか?」

「はい!」

 

 どうあってもクリスマスイブのツリーとイルミネーションとなると、人は多いでしょうしひとりさんが嫌がるかもしれないと思ったのですが、思いのほかあっさりと了承してくれました。

 私としては願っても無いことなので、まったく問題はありません。運転手にあらかじめ調べておいた場所を伝えて、そちらに寄っていただくことにしました。

 

 ツリーのある場所から少し離れた場所に駐車して、運転手に再度連絡するまでは寒いでしょうし近くの店で休憩してくれて大丈夫と伝え、いくらかのお金を渡した上で車から降りて傘を差してひとりさんと一緒に歩きます。

 少し歩くとイルミネーションと共に、それなりに多くの人が見えてきて、ひとりさんが若干気圧されているのが見えました。

 

「……うっ……」

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「なっ、なんとか……あっ、で、でも、手を繋いでもいいですか?」

「はい」

 

 人が多くて少し不安になっている様子のひとりさんと手を繋いで道を歩きます。イルミネーションによって装飾された並木道が続いており、この先の広場には大きなツリーがあるみたいです。

 

「あっ、右も左もカップルやリア充だらけ……こっ、これがクリスマスの空気……」

「もしかして、青春コンプレックスが刺激されましたか?」

「あっ、え? あっ……あれ? いっ、いや、確かに青春コンプレックスを刺激されてもおかしくないシチュエーションですが、あんまりダメージはない気も……」

 

 思い返してみれば、夏ごろには青春コンプレックスを刺激されれば気を失ったりしていたひとりさんですが、最近はそういったことも少なくなっている気がします。

 ひとりさんも着実に精神的に成長しているのか、以前よりも心が強くなっているというのもあるでしょうが、それ以上に大きなのは……。

 

「……ひとりさんも青春しているから、ではないでしょうか?」

「あっ、わ、私も、ですか?」

「ええ、明確に大きな目的と夢を持って、それに向かって毎日仲間と一緒に努力する。それもまた、青春といっていいと思いますよ」

「……たっ、確かに……あっ、それに、なんか、前は自分には遠いものと思ってましたけど……あっ、有紗ちゃんと一緒に体験してるから、わっ、私も少しは成長しているのかもしれません」

「少しどころか、たくさん成長していると思いますよ。春ごろのひとりさんが、いまのひとりさんを見たら驚くぐらいです」

「えへへ、そうですかね? それなら、うっ、嬉しいですね」

 

 そんな話をしながら歩いていると、大きなもみの木が置いてある広場に辿り着きました。もみの木にはクリスマスらしい煌びやかなイルミネーションが付いており、多くの人がツリーを見上げていました。

 私とひとりさんも広場に入り、手を繋いだままで大きな木を見上げます。

 

「……けど……わっ、私が成長出来てるなら、きっと有紗ちゃんのおかげですね」

「そう思いますか?」

「あっ、はい。有紗ちゃんは私が頑張ったからって言ってくれると思いますけど、本当に有紗ちゃんにはいつもいっぱい助けてもらってます。だっ、だから、有紗ちゃんのおかげです」

「そうですか……ひとりさんの力になれているのなら、私も嬉しいです」

 

 そんなやりとりをしたあとで、ひとりさんがなにやら落ち着きなく視線を動かし始めました。どうしたのでしょうかと思っていると、少し経った後でなにやら意を決したような表情に変わりました。

 そして、鞄から綺麗に包装された包みを取り出しながら、赤い顔で口を開きました。

 

「……あっ、えと、有紗ちゃんにはいつもお世話になってて……だから、えと、くっ、クリスマスプレゼントを用意したんですけど……」

「……え?」

「あっ、えっと、遅くなっちゃったのは申し訳ないと思うんですけど……」

「ああ、いえ、そうではなくて……同じことを考えていたのだと……」

「同じこと?」

 

 ひとりさんの言葉に苦笑しつつ、私も持っていた鞄からひとりさんと同じようなサイズの包みを取り出しました。そう、実は私もひとりさんにクリスマスプレゼントを用意していました。

 元々は駅で渡すつもりでしたが、車で送ることになったのでひとりさんの家についてから渡せばいいと考えていました。

 

「……実は私も、ひとりさんにクリスマスプレゼントを用意してました」

「あっ、た、確かに同じこと考えてたみたいですね」

「ふふ、ええ、なのでこちらは私から……メリークリスマス、ひとりさん」

「あっ、めっ、メリークリスマス」

 

 ひとりさんと互いのクリスマスプレゼントを交換します。しかし、ひとりさんからクリスマスプレゼントを貰えるとは、本当に嬉しいです。中身は何でしょうか? あまり重くは無いですが……。

 

「ひとりさん、開けて見てもいいですか?」

「あっ、はい。あっ、あんまり凄いのとかじゃないですけど……わっ、私も開けていいですか?」

「はい。身につけられるものがいいかと思って……おや?」

「……あっ、あれ? これって……」

 

 ひとりさんから貰ったクリスマスプレゼントを開けて再び驚きました。そして、ひとりさんも同様に私のプレゼントを開けて驚いた様子です。

 互いに驚いた顔を見合わせ、少ししてほぼ同時に笑い合いました。

 

「ふふふ、どうやら私たちは本当に相性がいいみたいですね」

「あはは、かっ、考えてること……一緒でしたね」

 

 私とひとりさんの手には、マフラーがありました。もちろんデザインや色は違いますが、同じようにクリスマスプレゼントを用意していて、同じ様にマフラーを選んでいました。

 ひとりさんの言う通り考えていることがまったく同じだったので、なんだか可笑しくなって笑ってしまいました。

 

 そしてどちらからでもなく、互いに受け取ったマフラーを首に巻いて微笑みます。

 

「ありがとうございます、ひとりさん」

「こっ、こちらこそ……ありがとうございます」

 

 そして互いにお礼を言い合った後、手を繋いで一緒にクリスマスツリーを眺めます。特に言葉はなくとも心が通じ合っているかのような、温かく心地よい感触。

 雪が降っていて気温は低い筈ですが、貰ったマフラーから感じる温もりのおかげか、繋いだ手のおかげか……とても温かいような気がしました。

 

 

****

 

 

 しばらくクリスマスツリーを眺めたあとで運転手に連絡を入れて戻り、再び車に乗って移動します。今年のクリスマスは本当に素晴らしかったです。

 前日にはお父様とお母様とパーティもできましたし、クリスマスイブにはひとりさんと一緒に過ごせてプレゼント交換までできました。本当に大満足です。

 

 さらに、これで終わりではありません。まだまだ、ひとりさんとの幸せな時間は続くのです。

 

「あっ、明日は26日からの旅行の用意をするつもりなんですが、なにか持っていった方がいいものってありますか?」

「基本的には着替えだけでも大丈夫ですよ。向こうで使いたいものがあれば持っていくのもいいですね。あとロープウェイには乗ろうかと考えているので、必然的に標高の高い所に行きますからジャケットなどの温かい服があったほうがいいかもしれません」

「なっ、なるほど……」

 

 そう、ひとりさんと2泊3日の箱根旅行も間近に迫っています。非常に楽しみでした。あまり人が多すぎる場所は避ける予定ですが、箱根に行くなら芦ノ湖周りには足を運びたいですね。

 江の島のことを考えるとトレッキングなどは無理ですが、高い所からの絶景は押さえたいのでロープウェイを考えています。

 もちろんメインの温泉も最高の場所を用意しました。今回はお父様のコネも少し使わせていただいたので、予約が難しい宿も抑えることができましたので準備は万端です。

 

「少々子供っぽいかもしれませんが、ひとりさんとの旅行が楽しみで最近はそればかり考えてましたね」

「あっ、わっ、私も楽しみです。遠出とかは少し不安ですけど、有紗ちゃんが一緒なら楽しみって気持ちの方が強いです」

「年末最後のライブも終わりましたから、ゆっくり疲れを取りましょうね」

「あっ、はい」

 

 私の言葉を聞いて嬉しそうに頷いたあとで、ひとりさんはふとなにかを考えるような表情を浮かべてながら呟きました。

 

「……けっ、けど、思い返してみれば今年は凄い1年でした。こんなにいろいろなことがあった1年は、いままでで初めてです。しょっ、正直、陰キャでコミュ症の私は高校でも友達とかバンド仲間とか作ることなんてできなくて、中学の頃と同じようになるんじゃっていう思いも少しあったんですけど……全然違いました」

「私は、中学時代にたまたま巡り合わせがよくなかっただけで、ひとりさんは友達作りの名人だと思いますよ?」

「え? あっ、で、でも、私はコミュ症で、陽キャでもなくて友達の数も全然……」

「数が全てというわけでもないでしょう。広く浅くたくさんの友達を作るのが得意な人もいれば、少数ですが深く親しい友達を作るのが得意な人もいるというだけですよ。少なくとも結束バンドの皆さんのような互いを思い合える友達は、欲しいと思っていてもそうそう作れるものでは無いと思います。そういった相手と巡り合えて親しくなれているひとりさんは、友達作りの名人ですよ」

 

 100人の友達よりも1人の親友という言葉もあります。多くの友人が居るのもそれはもちろん素晴らしいことですが、少数ですが心から信頼できる友人を作れるのもまたそれに負けないぐらい素晴らしいことだと思います。

 私の言葉を聞いたひとりさんは、少しキョトンとしたあとで……楽し気に微笑みました。

 

「……あっ、こんな私ですけど、ひとつ他の人に誇れることが思いつきました」

「なんですか?」

「私の一番の友達が有紗ちゃんだってことは……私の自慢です」

 

 そう言って笑うひとりさんの表情は、いつも以上にキラキラと輝いている様に見えて、思わず見惚れてしまいました。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんとの温泉旅行が楽しみ。かなり凄い宿を確保している様子。今回はひとりとクリスマスイブにもデートが出来て幸せいっぱいである。

後藤ひとり:ぼっちちゃん……クリスマスイブに手を繋いでイルミネーションとツリーを見に行って、クリスマスプレゼントを交換して、互いにプレゼントしたマフラーを身に着けて旅行の話をするって……もう完全に行動が恋人のそれなんですが……。

運転手:……尊い。旦那様、奥様、お嬢様の恋は順調そうです。


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三十一手逢瀬の温泉旅行①~sideA~

 

 

 12月26日、今日は待ちに待ったひとりさんとの温泉旅行の日です。箱根までの経路に関しては少々悩みました。ひとりさんの家の位置から考えると藤沢などを経由していくのが一番近いのですが、乗り換えが多くなるのでなかなかに大変です。

 なのでひとりさんと相談した結果、一度新宿まで出て特急列車に乗って向かうことになりました。ひとりさんはかなり遠回りになってしまうのですが、毎日の通学と大して変わらないので問題ないということだったので、新宿駅で昼前に合流して特急列車で向かうことに決まりました。

 

「……えっと、ひとりさん……大丈夫ですか?」

「だっ、大丈夫です。ちょっと、新宿駅の人の多さを忘れてただけで……有紗ちゃんと合流出来たら、ホッとしました」

 

 移動時間は問題なかった様子ですが、新宿駅の人の多さには気圧された感じでした。これなら新宿駅ではなく途中の駅から私も電車に乗って合流した方がよかったかもしれませんね。いまさら言っても仕方ないことですが……。

 

「とりあえず、列車の時間までは時間がありますし、車内で食べる予定の弁当を買いに行きましょうか」

「あっ、そうですね。駅弁……ちょっと楽しみです」

「旅の楽しみのひとつですしね。新宿駅の駅弁屋は大きいですし、種類も豊富だと思いますよ」

 

 ひとりさんの精神的疲れも回復してきたみたいなので、一緒に駅弁屋に移動して駅弁を選びます。本当に沢山の種類があって、見た目にも華やかです。

 あんまりこういった弁当を食べる機会は少ないので、実は私もかなり楽しみだったりします。

 

「ひとりさんは、決めましたか?」

「なっ、悩みますね。唐揚げが入ってるチキン弁当も美味しそうですが、とりめしも捨てがたくて……有紗ちゃんは決めましたか?」

「私はシンプルに幕の内弁当にしようかと思ってます。あ、ひとりさん、チキン弁当の唐揚げだけも売ってるみたいですよ」

「あっ、本当ですね。じゃあ、とりめしと唐揚げにします」

 

 ひとりさんは鶏肉が好きで、唐揚げなどが好みです。あとはハンバーグなども好きなようなので、肉系が好みなのかもしれません。ただ、これが嫌いという食べ物も特になさそうではあります。

 強いていうなら、イソスタ映えしそうなお洒落なものは避ける傾向にあるぐらいですかね。

 

 ともかく無事に駅弁も購入できたので、喫茶店などで軽く時間を潰してから移動して箱根に向かう特急列車に乗ります。

 やはりこのタイミングは穴場なのか、比較的乗客は少なめの印象を受けますね。年末年始が間近なので、このタイミングで旅行というのは少ないのかもしれません。

 いや、まぁ、それでもそれなりの人数が乗車しているようなので、たまたまこの列車が空き気味だっただけかもしれませんが……。

 

 席に座ってほどなくすると列車が発車して、ひとりさんと共に駅弁を食べる準備をしつつ雑談をします。

 

「1時間半ほどで着くみたいですね」

「あっ、意外と早いんですね」

「ですね。ああ、それと予定の確認ですが、今日は観光などは控えめで箱根に着いたら宿に向かってチェックインする形で、そのあとで近場の温泉街などを見て回るぐらいで考えています。そして、明日に芦ノ湖の方に向かって観光をしようかと」

「なっ、なるほど……移動が多いと疲れちゃいますし、そのぐらいの方が私としてもいいです」

「今回はのんびり疲れを癒すのが目的ですし、あまりあちこちは回らずふたりでゆっくり楽しみましょうね」

「あっ、はい! 私も、有紗ちゃんとゆっくり過ごせるほうがいいですし、文句なしです」

 

 そもそもひとりさんはあまり人の多い有名観光地などは好まないでしょうし、今回の旅行はのんびりふたりきり……そう、ふたりきりの時間を楽しむプランで考えています。

 宿に着いたら部屋でのんびり過ごすのがいいですね。近場の温泉街か、宿内の売店で菓子などを買って綺麗な景色を眺めながらひとりさんとゆっくり過ごしたいです。

 う~ん、本当にいろいろと考えるだけで本当に楽しみです。少なくともここからほぼ丸3日ひとりさんとふたりきりと思うと、幸せで胸がいっぱいですね。

 

 そんな風に話をしつつ、さっそくお昼時ということで買ってきた駅弁を食べることにしました。ひとりさんは言っていた通り、とりめしと唐揚げ、私は銀鱈幕ノ内弁当にしました。

 テーブルに買ってきた駅弁とペットボトルのお茶を置きます。少し手狭になりますが、こういうのも旅行の楽しみかもしれませんね。

 

「あっ、有紗ちゃん。よかったら、唐揚げ何個か食べてください。4個はちょっと、多いので……」

「ありがとうございます。それでは、少しいただきますね」

 

 たしかにとりめしの弁当に4個入りの唐揚げは重いかもしれませんね。唐揚げもなかなかボリュームがあるサイズですし……。

 ひとりさんが買った唐揚げを少し分けてもらいつつ、駅弁を食べていると……ふと、あることを思いつきました。

 

「ひとりさん」

「あっ、はい? どうしました?」

「どうぞ」

「はぇ?」

 

 私は銀鱈の身を箸で取り、手を添えながらひとりさんに差し出しました。そう、江の島でもやった「あ~ん」というものですね。あの時は手でしたが、今回は箸という違いはありますね。

 ひとりさんは一瞬意味が分からず硬直しましたが、直後に私の意図を理解したのか顔を赤くしました。

 

「あっ、ああ、有紗ちゃん!? いきなりなにを……あっ、唐揚げのお返しとかそういう……」

「いえ、単純に私がやりたかっただけです」

「……凄いよ。一切誤魔化したり理由をこじつけたりしないで正面突破……さっ、流石有紗ちゃん……あっ、えっと……」

 

 ひとりさんは赤い顔で箸と私の顔を数度見たあとで、どこか諦めた様子で口を開けてくれました。

 

「どうですか、美味しいですか?」

「あっ、味なんてわかんないです……あっ、有紗ちゃんは本当に唐突にビックリするような行動を……はぁ、まぁ、そういうところも有紗ちゃんらしいです」

「ふふ、申し訳ありません。どうも、ひとりさんとふたりで旅行と思うと、ついついはしゃいでしまっているみたいです」

「あっ、有紗ちゃんが喜んでくれているなら、私も嬉しいですけど……」

 

 ひとりさんはそう呟いたあとで、少し迷う様な表情を浮かべて周囲をキョロキョロと見てから、自分の鳥めしと一口分箸で取って、手を添えながら差し出してきました。

 

「……あっ、あの……お返し……です」

「ありがとうございます。いただきますね」

「うぅ……やっぱ有紗ちゃんは、全然平気そう」

「単純に恥ずかしさより、嬉しさの方が強いだけですよ」

「……そっ、そう言われると、文句も言えなくなっちゃいます」

 

 そう言って苦笑するひとりさんの表情はとても優しく、なんというか私とこうしたやりとりをする時間を楽しんでくれているのが伝わってきて、こちらも幸せな気持ちになりました。

 微笑み返すと、ひとりさんは少し気恥ずかしそうに視線を窓の外に向けながら呟きます。

 

「……ふっ、富士山とか見えますかね」

「小田原が近づいてきたら見えると思いますよ。今日は天気もいいですし……まぁ、心配しなくても富士山はあとでたっぷり見れますよ」

「え? どっ、どういうことですか?」

「私たちが宿泊する宿は、富士山が見えるのが売りのひとつなので、天候にもよりますが部屋から富士山を見ることができますよ。今日の天気であれば大丈夫です」

「あっ、そうなんですね。富士山が見える宿……そっ、そういえば、まだ結局どんな宿か詳しく聞いてないんですけど……いっ、いや、宿よりどんな部屋なのかが気になります」

 

 宿から富士山も見えますし、それどころから温泉からも富士山が見える造りになっており絶景を堪能できる宿です。

 

「ふむ、出来ればサプライズ感は大切にしたいんですが……」

「なっ、なら、せめてひとつ教えてください。前に行ったホテルのスイートルームと……どっ、どっちが凄いですか?」

「今回の方ですね。お恥ずかしながら私のコネや伝手だけでは確保が難しくて、お父様に力を貸してもらいました」

「……あっ、有紗ちゃんでも簡単に取れないような場所なんですか!?」

 

 心底驚愕した様子のひとりさんですが、若干返答に困る部分はあります。

 

「う、う~ん。なかなか、返答が難しいですね。単に私が箱根の宿の方面に効く伝手を持ってなかっただけでもありますし……例えば軽井沢の辺りですと、いくつか出資している会社があるので今回の部屋に近いランクのものでも押さえられる可能性は高いです」

「なっ、なるほど……有紗ちゃんのお父さんは、箱根の方に顔が利くって感じですか?」

「お父様に関して言えば、むしろ顔が利かない場所があるのか疑問に思うレベルですね。私とは人脈も資産も格が違い過ぎるので……」

「そっ、そそ、そんなに凄いんですか……」

 

 実際、お父様にとっては私の総資産の額も大した金額ではないでしょう。お父様が動かせる金額は、私とは文字通り桁が違いますし、資金力も人脈も私など足元にも及びません。

 

「お父様は時花グループのトップ……通常であるとグループ会社といってもなかなか馴染みがないかもしれませんが、いくつもの巨大な企業が集まるグループの頂点……日本でトップは難しいでしょうが5指には確実に入るであろう資産と権力を持つ存在……ですかね?」

「あわわわ……」

「私にとっては普通の優しいお父様ですけどね」

 

 実際のところ、お父様は日本でも頂点に近い所に君臨する存在ではあります。元々お爺様やそれ以前の代から受け継がれてきた大きな土台はありましたが、それでもお父様がトップに立ってからの躍進は凄まじいです。

 経営や投資に関してはまるで未来でも見えるのではないかというほど天才的な采配ですし、私も心から尊敬しています。

 ただ、やはり私にとっては、優しく……趣味の車の良さを私やお母様が分かってくれないとへこんだり、私とお母様がふたりで旅行に行ったことを羨ましがったりする普通のお父様です。

 

「……まぁ、あまり気にしなくても大丈夫ですよ。いずれひとりさんの義父になるわけですし、顔を合わせる機会も多くなるでしょう」

「あっ、有紗ちゃん……あのっ、確認なんですが……その、そそ、そういう、将来結婚がどうとか……えっと……恋愛関連の話とか、お父さんとかにしてたりは……?」

「え? ひとりさんと知り合った2日後には報告しましたが……」

「…………安定の有紗ちゃんだった……終わった」

 

 

 




時花有紗:さすがの猛将。こざかしい言い回しや搦手など使わないで正面突破。初期から変わらぬ行動力……尤も、初期と違ってぼっちちゃん側の好感度が上がりまくってるので、大抵の行動は受け入れてもらえる。

後藤ひとり:有紗が父親に対して包み隠さず恋愛事情も報告しているのを知って頭を抱えた。有紗パパに会ったらとてつもないお叱りを受けるのでは? とかそんな風に考えているが、有紗パパは百合に理解のあるパパなので問題はない。

温泉旅行:終始有紗とぼっちちゃんが百合百合いちゃいちゃしているお話である。


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三十一手逢瀬の温泉旅行①~sideB~

 

 

 後藤ひとりは、現在混乱していた。有紗と一緒に行くことになった2泊3日の温泉旅行。出発して特急の中で駅弁を食べて、穏やかに雑談しながら景色を眺めてと楽しい移動で1時間半という時間もあっという間だった。

 ここまではなにひとつ問題はない。しかし、宿の最寄り駅に着き駅の外に出た直後、目に飛び込んできたのは……駅前のロータリーに停車している黒塗りの高級車と、キッチリとスーツを着込んだ運転手らしき人物だった。

 

(……あ、あれだ!? 絶対アレって、私たちの迎えだ。有紗ちゃんが電車内で、宿から送迎が来るって言ってたし……けど、え? あ、あんな凄そうな車? 温泉宿に行くんだよね……高級ホテルに行くわけじゃないよね?)

 

 明らかに異質な存在感を放つ高級車を見て、これから自分がどんな場所に運ばれるのかを想像すると恐ろしく、つい無意識に有紗の手を取ってしまう程度には混乱していた。

 どうも割とひとりは不安になると有紗と手を繋ぐ癖が出来ているみたいである。もちろんそれを有紗が拒否するわけもなく、むしろ嬉しそうに微笑んで手を繋いだ状態で高級車の近くに移動する。

 

「時花です」

「ようこそお越しくださいました。本日の送迎を担当させていただきます――です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「お荷物はこちらへどうぞ」

 

 運転手は綺麗な礼をしたあとで車の後部を開き、有紗とひとりの荷物を積み込んだのを確認してからドアを開ける。

 ひとりと有紗が乗り込むとドアを閉じて運転席に移動して、エンジンをかける前に一声確認する。

 

「真っ直ぐに向かってもよろしいでしょうか?」

「はい。お願いします」

「かしこまりました」

 

 道中に買い物等に寄る必要が無いこと確認して車は発車する。車内でひとりは、ビクビクと周囲を見渡していた。高級さという意味では、何度も乗ったことがある有紗の送迎車の方が上ではある。

 しかし、この車も並の車ではない。少なくともタクシーなどよりは広々していて座席にも高級感がある。

 

「……あっ、あの、ああ、有紗ちゃん? ほっ、本当に宿ってどんな……」

「政界の重鎮なども利用される宿ですね。私たちが今回宿泊する部屋は、通常の方法では予約できない部屋ですね」

「あばばば……」

 

 ひとりも有紗が宿を用意する以上、高級宿であることは覚悟していた。それこそ、前回花火を鑑賞したホテルのスイートルーム程度の部屋が出てくることは想定していた。

 だが、その予想すら遥かに上回る場所に辿り着きそうであった。

 

(有紗ちゃんはともかく、私は場違いすぎるのでは……ど、どんな場所だろ? 金ぴかに輝くお城みたいな場所とか……)

 

 戦々恐々としていたひとりではあったが、直後に少し強めに手を握られる感触がして有紗の方を向いた。すると有紗は、優しく微笑みながら口を開く。

 

「大丈夫ですよ、ひとりさん。私が傍に居ますからね」

「……あっ……はい」

 

 不思議なもので、そのたった一言で肩から力が抜けていく感覚がした。ひとりにとって有紗の存在は非常に大きく、彼女が傍に居てくれるというのは大きな安心をもたらしていた。

 

 

 ****

 

 

 車でしばらく移動すると目的の宿に辿り着き、運転手によってドアが開かれる。宿の前には5人ほどの従業員らしき人たちが並んでおり、有紗とひとりが姿を現すと一斉に頭を下げる。

 明らかなVIP待遇に再び気圧されるひとりではあったが、有紗の手を握ることでなんとか持ちこたえた。

 

「お荷物をお持ちいたします」

「あっ、ひゃい!」

 

 言われるがままに荷物を渡しつつ、ひとりは目の前の宿を見る。明らかに高級感が凄い温泉宿であり、外観を見るだけでも凄い宿というのは伝わって来た。

 しかし、この宿の部屋があのスイートルームを越えるのかと言われると、少々疑問に感じる部分もあった。

 

 だが、そんな疑問はすぐに解消されることになる。従業員の案内によって宿の中を移動し……なぜか途中で庭らしき場所に出て、石畳を進んでいくと視線の先には大き目の建物が見えた。

 

「ひとりさん、あそこが私たちの泊まる部屋ですよ」

「あっ、え? いっ、いや、部屋というか……家では?」

「別邸ですね。あの建物……正確には、その手前の門から先が庭も含めて全て私たちの貸し切りという感じですね」

「……」

 

 ひとりは理解した。なるほど絶句というのはこういう時に使う言葉なのかと……。有紗の言葉通りふたりが進む先には木造りの門があり、警備員らしき人も立っていた。そこを通過すると綺麗な建物があった。

 普通の家といっても過言では無いサイズだが、あくまで宿としての部屋であり、中は空間を広めに使った部屋がいくつもあり、大きな窓などから絶景を眺めることもできた。

 

 そして、門とは逆の庭の先にゆるい傾斜があり、その先にも小さな建物があった。

 

「あっ、有紗ちゃん、あの建物は?」

「温泉ですよ。脱衣所も内湯も露天風呂も含めて、全てこの部屋の利用者のみが使える施設ですね。あそこの露天風呂からは、富士山を見ることができて非常に評価が高いらしいですよ」

「はっ、はは……なな、なるほど……専用の温泉……もっ、もう凄すぎて、頭がショートしそうです」

 

 答えつつもひとりは少し前の有紗との会話を思い出していた。政界の重鎮なども利用することがある宿ということで、有名人が利用することを前提として一般客と遭遇しないような構造になっているのだろう。

 この別邸までも専用の通路で移動し、途中には門があって警備員もいる。有名人がお忍びなどで利用するのに適した場所という印象だった。

 

「ひとりさん、それなりに長旅でしたし、温泉街に行く前に少しお茶でも飲みながら、ゆっくりしましょうか?」

「あっ、そっ、そうですね。ゆっくりしたいです……本当に……」

「説明では、こちらの部屋からの景色が絶景らしいですよ」

「へっ、へぇ……あっ、す、凄い……本当に絶景」

 

 有紗に手を引かれて移動した部屋は、畳作りの高級感ある和室であり、山の中腹付近にあるこの宿の利点を生かした見下ろしの景色になっており、雄大な箱根の山々を一望することができた。

 部屋にはお茶菓子なども何種類も置いてあり、有紗はそれを軽く手に取りながらひとりに声をかける。

 

「お菓子もありますし、お茶を淹れて景色を見ながら食べましょうか? どれがいいですか?」

「あっ、えっと……温泉饅頭、食べたいです」

「では、温泉饅頭で」

 

 温泉饅頭をいくつか取って窓の近くのテーブルの上に置いたあとで、有紗は手慣れた様子で備え付けの道具を使って緑茶を淹れて、同じようにテーブルに置いた。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん」

「はい?」

「こっ、こっちに座る感じじゃ……駄目ですかね? あっ、あの、いまはちょっとその、高級感に気圧されてて……あんまり離れたくないなぁって……」

「ふふ、分かりました。それじゃあ、こちらの席に並んで座りましょう」

「あっ、はい」

 

 窓付近にはテーブルと向かい合う2席ずつ向かい合う形の座椅子があり、普通にふたりで利用するなら向かい合う形が定番だ。

 しかし、桁外れの高級宿に気圧され気味のひとりとしては、有紗と手を繋いでいたいので衝動的にそんな発言をした。

 

(……いやいや、よくよく考えたら私はいったいなにを!? 離れたくないとか、へ、変なこと言っちゃった……有紗ちゃんは気にしてないみたいだからよかったけど……うぅ、恥ずかしい)

 

 後になって己の発言の恥ずかしさに気付くというのはよくあることで、少し前の発言を気恥ずかしく感じて少し顔を赤くしつつ、ひとりは有紗と並んで座る。

 

「ひとりさん、宿の部屋はどうですか?」

「すっ、凄すぎます」

「サプライズは成功ですかね?」

「せっ、成功し過ぎて心臓が飛び出しそうでした。ほっ、本当に有紗ちゃんはもう……けっ、けど、落ち着いてくると広々としていい部屋ですね。景色も綺麗で……富士山も見えますし」

「気に入ってもらえたならよかったです。今日は天気がよくて、本当に富士山が綺麗に見えますね。この部屋からだと真正面では無いですが、それでも雄大ですね」

 

 ふたり並んで窓の外の景色を眺めつつ言葉を交わす。有紗と手を繋いでいることもあって、ひとりも徐々に精神的に落ち浮いてきた様子だった。

 

「……あっ、けど、やっぱり、この高級感にジャージ姿はあまりにも不釣り合いな気がしますね」

「私はひとりさんらしくて、そのジャージ姿も好きですが?」

「あっ、有紗ちゃんは、すぐにそうやって恥ずかしいことを平気で……あっ、その……ありがとうございます」

「ふふ、ちなみに他の服も持ってきたりしたんですか?」

 

 ひとりはいつも通りの桃色のジャージ姿である。不釣り合いといえば不釣り合いだが、基本的に一年中その恰好であることもあって、有紗としても見慣れているためにあまり違和感はなかった。

 

「……あっ、一応一着だけ念のために……持ってきました」

「そうなんですか? どこかで着るつもりで?」

「うっ、う~ん。あ、あくまで、必要になった時のための予備です」

 

 そう答えるひとりだったが、なぜか頬は赤くなっており有紗は不思議そうに首を傾げていた。

 

(……い、言えない。旅行の準備をしている時にたまたま見つけて……有紗ちゃんが喜んでくれるかなぁとか考えて、気付いた時には鞄の中に入れてたとか……恥ずかしくて絶対に言えない)

 

 そう、ひとりがジャージ以外の私服を持って来た理由は単純で、以前に虹夏たちが訪れた際に私服を着たときや、メイド服を着た時の有紗の嬉しそうな様子……用意をしている際にそれを思い出して、衝動的に私服を鞄の中に入れてしまっただけだった。

 そしてその私服は例によって母親が選んだもので、白い上着に黒いロングスカートと清楚で甘めの服でありひとりの好みではない服だ。

 

(……ただ、ま、まぁ……有紗ちゃんが見たいなら……少しだけ、一瞬だけなら……着ても……いいかな?)

 

 ある意味では自爆でもあったが、そんなことを考えて先ほどよりも顔を赤くしたひとりは、顔を左右に振ったあとで誤魔化すように温泉饅頭を食べ始めた。

 

 

 




時花有紗:ひとりとの旅行にはしゃいでいる様子で、いつもより少しテンションが高めな感じで幸せそう。

後藤ひとり:……お前、ぼっちちゃん……デレデレじゃないか。今回はほぼ最初から最後までずっと有紗と手を繋いでいちゃいちゃしていた。


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三十二手逢瀬の温泉旅行②~sideA~

 

 

 宿で一休みしたあとは、荷物を置いて温泉街に向かいます。この宿から温泉街は少々距離がありますので徒歩では遠いですが、送迎があるので問題ありません。

 浴衣で歩けるような温泉街のある温泉地もよかったのですが、距離などを考えるとやはり箱根や熱海がいいですね。もう少し長く日程を取れるなら、城崎温泉や草津温泉などもいいですが、そういったのはまたの機会ですね。

 

「あっ、温泉街って基本的になにをするんでしょう? お土産を買うとか?」

「お土産は最終日で大丈夫だと思いますよ。基本的には食べ歩きですかね。温泉饅頭などもそうですが、箱根ですとスイーツや揚げ物も有名らしいですよ。ある程度は調べましたが、揚げたてのかまぼこを食べられる人気店などもあるみたいです」

「なっ、なるほど、ちょうど少し小腹も空いてますし、夕食まではまだ時間があるので食べ歩きもいいですね」

「面白いものだと、干物を店の前で七輪で焼いて試食できる店もあるみたいですよ」

「へぇ~」

 

 趣を感じる建物の並ぶ温泉街をひとりさんと一緒に歩きながら話をします。流石に観光地だけあって人はそれなりに居るので、はぐれない様に手を繋いでいます。そう、あくまではぐれないようにです。

 まぁ、こうしているとなんだか恋人同士で観光しているみたいで幸せという気持ちは否定しません。

 

「あっ、確かに甘い匂いとかしますね」

「饅頭なども出来立てのものが多いですしね。ひとりさん、あそこが先ほど話した干物の店ですよ」

「あっ、本当ですね。いい匂いが……」

「寄ってみましょうか」

 

 ひとりさんと共に干物屋の前にある七輪の置かれた試食コーナーに移動します。事前の情報通りにそこでは干物を焼いて試食できるようで、アジやかますの干物がありました。

 少しではありますが七輪の順番待ちをして、さっそく試食をしてみます。梅昆布茶も飲むことができるみたいです。

 

「あっ、猫も……並んでいるんですかね?」

「ふふ、行儀のいい猫ですね。っと、さっそく焼きましょう」

「あっ、はい。かなり身が厚いですね。いい匂い……」

「気に入れば買って帰って、宿で焼いて食べるのもいいかもしれませんね。あの宿も七輪の貸し出しはしていたはずなので……」

 

 話しつつ軽く焦げ目がつく程度に干物を焼いて食べてみますと、香ばしく口の中に味が広がって非常に美味しいです。

 

「あっ、おっ、美味しいですね」

「ええ、味がしっかりしていて素晴らしいですね」

 

 干物の味はかなりのもので、買って帰りたいと思えるような品ではあったのですが……いますぐ買うのは難しいです。干物を持ったまま温泉街を歩くわけにも行きませんし、帰りにもう一度寄って宿で食べる用の干物を買って帰ろうとひとりさんと話してから次の場所に移動します。

 

「……やっ、やっぱり、スイーツ系が多いんですね」

「そうですね。ソフトクリームなどもおおいですね」

「あっ、あの店……はちみつ入りソフトクリーム?」

「……写真を見る限り、本物の蜂の巣を乗せているみたいですね」

「きっ、喜多ちゃんが好きそうですね。イソスタ映えとかしそう」

「ああ、確かに写真映えしそうな見た目ですね」

 

 ひとりさんの言う通り、カップに入ったソフトクリームに蜂の巣が乗っている光景は綺麗で、カップのデザインなども可愛らしいので喜多さんはかなり好きそうなデザインです。

 

「食べてみますか?」

「あっ、いや、流石にこの時期にソフトクリームは……あっ、あと、ソフトクリームには江の島で若干のトラウマが……」

「またトンビが現れても、ひとりさんのことは私が守りますよ」

「あっ、あぅ……そそ、そっ、そうですか……えと、たっ、頼りになります」

 

 たしかにいまは冬場ですし、今日もそれなりに気温は低いのでソフトクリームはあまり食べようという気分にはなりにくいというのはあります。

 ひとりさんのトラウマというのは間違いなく、江の島での一件でしょう。あの時は突然のことでやや初動が遅れてしまいましたが、今後同じようなことがあればきっともっと早くひとりさんを守って見せます。

 そんな風に決意していると、私の手を握るひとりさんの力が少しだけ強くなったような気がしました。

 

「……あっ、アレが、有紗ちゃんの言ってたかまぼこのお店じゃないですか?」

「恐らくそうですね。かなり行列ができてますね」

「にっ、人気店って話ですもんね。なっ、並びます?」

「せっかくですし、並びましょうか。店内に入るわけでもないので列が消化されるスピードも早そうですし……しかし、続け様に魚ですね」

「あはは、たっ、確かに干物に続いて魚ですね」

 

 狙っていたわけでは無いですが、魚続きの偶然にひとりさんと顔を見合わせて笑い合います。こういった他愛のないことでも楽しい気分になれるというのは、なんというか本当に幸せなものです。

 そんな風に楽しく話をしていると、順番が近くなって店先のメニューが見えるようになりました。

 

「種類が豊富ですね」

「たっ、確かに、種類が……ベーコンポテト?」

「刻んで練り込んでいるということでは?」

「あっ、なるほど……棒ってついてるのが細長くて、籠てまりが丸い形のやつですかね?」

「そのようですね。ひとりさんはどれにしますか?」

「うっ、う~ん……季節限定のカニ棒が美味しそうですね」

「確かに美味しそうですね。私はたまねぎ棒にします」

 

 相談していると順番が回ってきたので、それぞれ注文をしました。注文をするとカウンターの中の揚げたてのかまぼこにさっと串を刺して、専用の包み紙に入れて渡してくれました。

 それを受け取って、列から離れたところでひとりさんと一緒に食べます。

 

「あっ、思った以上にカニの風味があって美味しいです」

「こちらもたまねぎの甘みと食感がとてもマッチしていておいしいです……というわけで、ひとりさん、一口味見してみませんか?」

「うぇっ!? あっ、えと……じゃっ、じゃあ、有紗ちゃんも一口どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 もちろんこのためにひとりさんとは別の商品を選びました。ひとりさんは一瞬変な声を出しましたが、おそらく私がこう言い出すことは予想していたのだと思います。少し顔を赤くしながらもすぐに応じてくれて、互いの串を交換して一口ずつ食べました。

 こうして好きな相手と美味しい気持ちを共感し合えるというのは、本当に心から幸せなことですね。

 

 

****

 

 

 いくつもの店を回り、ある程度時間が経過したところでメインとなる通りから外れて、自動販売機で飲み物を買ってひとりさんと休憩しながら話します。

 

「だっ、だいぶ回りましたね」

「確かにあちこち見て回りましたね。それに食べ歩きもかなり……」

「でっ、ですね。これ以上食べると、夕食が食べられなくなりますね」

「そろそろ、戻りましょうか?」

 

 あちこち食べ歩きをして回ったので、ひとりさんと相談の上で宿に戻ることにしました。宿で食べる様にいくつか菓子などを購入しつつ、迎えの手配をして送迎車で宿に戻りました。

 宿の部屋に戻り、座椅子に腰かけながらひとりさんとこれからについてを話します。

 

「夕食前に温泉に入りますか?」

「あっ、そうですね。結構歩いて疲れましたし、さっぱりしたいです」

 

 夕食まである程度時間もあるので、先に温泉を楽しむのがいいでしょう。夕方なので夕日に照らされる富士山も見えて景色もいいでしょう。

 また夜に入りたくなったら再度入ることも可能なので、気楽に楽しむことができます。

 

「ああ、でも、その前にせっかくですし写真を撮りませんか?」

「あっ、写真、ですか?」

「ええ、結束バンドの皆さんに送りませんか?」

「いっ、いいですね。たぶん皆もこの宿は見たいと思いますし……にっ、庭が入る写真がいいですかね?」

 

 場所を相談して、縁側付きの庭のある部屋に移動して、そちらでひとりさんと並んで写真を撮ります。ひとりさんが以前に使った自撮り棒を持っていてくれたおかげで、スムーズに写真が撮れました。

 そして撮影した写真と共に箱根旅行中であることを、グループロインに送るとすぐに反応がありました。

 

『いいなぁ、温泉旅行。私も行きたいな~』

『え? そこが部屋? 庭が……さ、流石凄い所に……物凄く映えそう!』

『お土産は食べ物でよろしく』

 

 虹夏さん、喜多さん、リョウさんそれぞれのらしい反応を見て、ひとりさんと一緒にスマートフォンを見ながら苦笑しました。

 

「やはりこういう反応にも個性が出ますね」

「あっ、リョウさんは相変わらずというか、ある意味一番安定してますね」

 

 たしかに、こういう場面でも真っ先にお土産の催促になるあたりさすがリョウさんといった感じではあります。ただ……最近少し思い詰めているような様子もあるので、少し心配ですね。

 予想に過ぎませんが、新曲の製作が上手く行ってないのかもしれません。特に次に作る曲は未確認ライオットの審査に応募する曲なので、プレッシャーも大きいでしょう。

 そんなことを考えていると、リョウさんがロインにあるコメントを書き込みました。

 

『……ぼっちが女の顔してる』

『しっ、してないです!!』

『そっか~ぼっちちゃんも、ついに大人の階段を昇っちゃうんだね』

『虹夏ちゃんもなんてこと言うんですか!?』

『ごめんごめん。いや~有紗ちゃん絡みだと、ぼっちちゃん期待通りの可愛い反応してくれるから、なんか楽しくてね。まぁ、せっかくの機会だからふたりでゆっくり楽しんできてよ』

『ありがとうございます。虹夏さんたちもよいお年を』

 

 ロインでの会話を終えて、ひとりさんの方を向くと、ひとりさんは赤い顔でスマートフォンを睨みつけていましたが、もちろん相手に見えるわけもないので無意味ではあります。

 

「ひとりさん、それでは温泉に行きましょうか?」

「あっ、まま、待ってください。もっ、もう少しだけ……ちょっと、いま変な感じになってるので、落ち着く時間をください」

「うん? 分かりました。では、落ち着いたら声をかけてください」

 

 私はさほど気にしませんが、リョウさんや虹夏さんの言葉を意識している様子なので、その話題に触れることはなくひとりさんが落ち着くのを待つことにします。

 

 

 




時花有紗:からかいには動じないし、進展を焦ることも無い。有紗にとって将来ひとりと結婚するのは確定事項なので、じっくり待ちの姿勢。

後藤ひとり:距離感は完全にバグっており、有紗と手を繋ぐことに羞恥心はほぼ無い様子で、今回もずっと手を繋いでいた。有紗関連だと、虹夏の言う通り分かりやすく可愛い反応をする。

温泉旅行:やはり、入浴には1話使いたいのでここで区切る。


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三十二手逢瀬の温泉旅行②~sideB~

 

 

 ロインでの揶揄いによって妙に意識してしまって顔に血が上っていたひとりが落ち着いたあとは、改めて温泉に入ることにした。

 別邸より少し離れた場所にある温泉に向けて、備え付けの草履を履いて移動する。

 

「緩やかですが、少し段差があるので注意してくださいね」

「あっ、はい。少し高い位置にあるのは……景色のためですかね?」

「そうですね。やはり温泉からの景色を考えての調整だと思いますよ」

 

 別邸の温泉へは緩やかな石造りの階段を上って向かう。中に入ると木造りの上品な脱衣所があり、そこで服を脱いで温泉に入る形になる。

 服を脱ぎつつ、ふとひとりはなんの気なく有紗に視線を向けて……目を奪われた。

 

 透き通るように白く、それでいて病的ではなく健康的な美しさと艶のある肌。その肌に映える輝くような銀髪に、見事という他ないプロポーション。その美しさは凄まじく、同性であるひとりでも見惚れてしまうほどだった。

 胸の大きさはひとりの方が上ではあるが、有紗も十分に大きくひとりより高い身長も相まって抜群のプロポーションという言葉がしっくりくる。

 

(ほ、本当に神様に依怙贔屓されてるってぐらい……やっぱり、有紗ちゃんは綺麗だなぁ。なんか、見てると変にドキドキしちゃう)

 

 服を脱ぎかけたままボーっと有紗を見ていたひとりの視線に気付き、有紗が振り向いて首を傾げる。

 

「ひとりさん?」

「あっ、い、いえ、なんでもないです!?」

 

 その言葉で我に返り、ひとりは慌てたように服を脱いでタオルを体に巻いた。妙な胸の高鳴りが何なのかはよく分からないままだった。

 有紗は不思議そうな表情を浮かべつつの特にそれ以上なにかを言うことはなく、ひとりと同じようにタオルを体に巻いて、髪の毛を纏めてから声をかける。

 

「ひとりさんも、入浴用のヘアゴム使いますか? 備え付けのものがありますよ」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 

 温泉宿が用意してくれている入浴用のヘアゴムを受け取り、ひとりも軽く髪を纏める。その様子を見ていた有紗は、ひとりが髪を纏め終わると目を輝かせる。

 

「ひとりさんは、その形で纏めるんですね」

「え? あっ、はい。私は大体、左右に丸めるような感じです」

「いつもとは違った雰囲気で、とても可愛らしいですね!」

「はえ? あっ、ああ、ありがとうございます。あっ、有紗ちゃんも、綺麗ですよ」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 セミロングヘアの有紗とロングヘアのひとりでは髪のまとめ方も違ってくる。有紗はポニーテールのような形で纏めるが、ひとりの髪の長さでは同じように纏めては髪が湯につかってしまうので、両サイドに団子のような形で纏めて入浴する。

 もちろんひとりのことが大好きな有紗が、普段とは違うその髪型に反応しないわけもなく、興奮気味に絶賛していた。

 その勢いに気圧されつつも有紗に褒められたこと自体は嬉しいのか、ひとりは微かに頬を赤く染めていた。

 

 準備を終えていよいよ露天風呂のある場所に移動したひとりの目に飛び込んできたのは、夕日に照らされ茜色に染まる富士山だった。

 

「……すっ、すごい」

 

 露天風呂の真正面という絶妙の位置に見える富士山と箱根の山々は、まさに絶景と呼ぶに相応しい景色でありひとりは感動したように目を輝かせた。

 

「絶景ですね。私も話に聞いていただけで実際に来たのは初めてですが、人気があるのも納得できる景色です」

「そっ、そうですね。すごく綺麗で、贅沢な景色ですね」

「ええ、ただ、このまま眺めていては風邪をひいてしまいますので、温泉に入りましょうか?」

「あっ、そっ、そうですね」

「ですがその前に、あちらの内湯がある部屋で体を洗いましょう」

 

 季節は12月末であり、気温は中々に低い露天風呂のおかげである程度の温かさはあるが、それでも裸で長居していては風邪をひいてしまうだろう。

 有紗の提案で内風呂やシャワーのある部屋に移動する。そしてひとりが体を洗う準備をしようとしたタイミングで、有紗が明るい様子で声をかけてきた。

 

「ひとりさん、背中を流しますよ」

「ふぇ? あっ、え? えっ、えっと……あっ、有紗ちゃんが、私の背中を……ですか?」

「はい。本の知識ではありますが、こういったシチュエーションで互いの背中を流し合うというのは定番ではないでしょうか?」

「たっ、確かに、言われてみれば……そうですね」

「ええ、というわけでこちらの椅子にどうぞ」

「あっ、はっ、はは、はい!」

 

 有紗の言葉はひとりにも納得のできるものではあったが、しかし、ひとりは妙な緊張と共に椅子に座った。本人にもよく分かっていないが、やけに心臓が五月蠅く脈打っているような気がした。

 

(え? あれ? な、なんで私こんなにドキドキしてるんだろ? だ、だって、有紗ちゃんと私は同性だよ? なにもおかしいことはないはず。そ、そうだよ。友達とお風呂に入って背中を流し合うとか、ごくごく普通のことのはず……普通のはず……)

 

 巻いていたタオルを外して体の前で抱える様に持つ。後ろでは有紗が桶などを持って来て用意をしている音が聞こえ、ひとりは言いようのない気恥ずかしさに顔を赤くしていた。

 

(う、うぅ、な、なんでこんなに恥ずかしいの? ぜ、絶対、リョウさんや虹夏ちゃんが変なロインしてきたせいだ!?)

 

 少し前のロインで、妙に有紗のことを意識してしまっているからか、とにかく恥ずかしいという気持ちが強かった。

 

「それじゃあ、洗いますね」

「……」

 

 有紗が声をかけてくるが、ひとりは混乱の只中にありその声を聞き逃してしまった。それ自体は問題ない。有紗も別に返答を求めたわけでは無く、これから行うという宣言のようなものであり、気にせずひとりの背中を洗おうとお湯とボディソープを沁み込ませたスポンジをひとりの背中に当てた。

 

「ひゃんっ!?」

「……ひゃん?」

「……あっ、ああ、ここ、こっ、これはその……つっ、つつ、ついビックリして……あぅぅぅ、はっ、恥ずかしい」

 

 考え事をしていたせいで完全に不意打ちで濡れたスポンジを背中に当てられたため、つい反射的に変な声が出てしまった。ひとりは一瞬で顔を茹蛸の様に赤く染める。

 

「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」

「いっ、いえ、有紗ちゃんのせいじゃないです……もっ、もう大丈夫ですから」

「そうですか? では、再開しますね」

「あっ、はい」

 

 気恥ずかしさは感じつつも、それでもやはり有紗の声を聴くと安心できるのかひとりは少しだけ落ち着いた様子で頷き、有紗は再びスポンジを動かす。

 優しく、それでいて要所要所で絶妙な力加減で背中を擦られるのは心地よく、ひとりの肩からも自然と力が抜けていった。

 

「痒くはありませんか?」

「あっ、はい。気持ちいいです」

「それならよかったです……では、流しますね」

「はい。なっ、流したら、交代ですね」

 

 背中を洗い終わり、シャワーでボディソープを流す。そして有紗と場所を交代して今度はひとりが、有紗の背中を流す形になった。

 後ろから見ても芸術的ほどに白く美しい肌に、思わず見とれつつもスポンジを動かして背中を擦る。

 

「あっ、えと……痒くは無いですか?」

「はい。とても気持ちいいです。ひとりさんの力加減は絶妙ですね」

「え、えへへ……それなら、よっ、よかったです」

 

 気恥ずかしさはもちろんあるが、有紗と一緒であれば最終的に安心感という気持ちの方が強くなるのは、それだけひとりが有紗のことを信頼しているからかもしれない。

 いつの間にか顔に浮かんでいた自然な笑顔と共に、ひとりは有紗の背中を綺麗に洗おうと手を動かした。

 

 

****

 

 

 背中を流し終えたあとで髪も洗ってから、ふたりは改めて露天風呂にやってきて並んで湯に浸かる。箱根の温泉は十七湯と呼ばれるほど多彩ではあるが、今回ふたりが入っている温泉はその中でも癖が少なく老若男女が楽しめると言われる単純泉である。

 

「……ふぅ、気持ちいですね」

「あっ、はい。温泉なんていつ以来か……気持ちいいです」

 

 並んで温泉に浸かり、正面に見える夕富士を眺める。絶景をふたりだけで貸し切っているかのようなその光景は、なんとも贅沢な気持ちにさせた。

 

「そういえば、この温泉は美肌効果もあるみたいですよ」

「あっ、そっ、そうなんですね。じゃあ、この温泉にいっぱい浸かってたら、有紗ちゃんみたいな綺麗な肌になりますかね?」

「どうでしょう? ひとりさんの肌は、いまの時点で十分すぎるぐらい綺麗ですよ」

 

 有紗の言葉通り、ひとりもかなり肌は綺麗だった。というのもひとりは年中ジャージ姿であり、素肌がほぼ直射日光に触れることがないため、肌が白く綺麗だった。

 ただいまこの場に居る比較対象が絶世の美女といえる有紗であるため、あまり実感は湧かないようだった。

 

「美肌といえば、鎖骨周りのマッサージが効果的と聞きますね」

「さっ、鎖骨ですか?」

「はい。えっと、この辺りですね。この辺りを指で軽くマッサージするといいんですよ」

「ひゃっ!? あっ、有紗ちゃん、くっ、くすぐったいですよ」

「ふふ、申し訳ありません」

 

 ひとりの鎖骨辺りに触れて軽くマッサージをしてみせる有紗に、ひとりはくすぐったそうに苦笑し、それを見た有紗も微笑む。

 有紗に触れられることに対して、ひとりは不快感などは一切無い。普段から頻繁に手を繋いでいるし、そもそもいまも肩が触れ合うほどの距離で並んで温泉に浸かっている。

 

「……あっ、有紗ちゃん」

「はい?」

「えっ、えっと……特に理由はないんですけど……その、手を繋いでもいいですか?」

「はい。もちろん」

「あっ、ありがとうございます」

 

 自分で言った通りそう言い出した理由は特になかった。強いて挙げるなら、ただ単に有紗と手を繋ぎたかったとそれだけの理由ではある。

 

(うん。最初はいろいろ戸惑ったけど……やっぱり、有紗ちゃんと一緒だと落ち着くなぁ。なんか、温泉も温かくて、疲れも取れて……幸せだなぁ)

 

 温泉の湯の中で手を繋ぎ、肩を寄せ合うようにして景色を眺める。多くの言葉を交わさずとも共に居るだけで安心して、幸せな気持ちでいられるというのはそれだけふたりの相性がいい証拠でもあった。

 

 

 




時花有紗:プロポーションも抜群で肌も滅茶苦茶綺麗。全体的に反則級の美貌。本人はお団子ヘアのぼっちちゃんを見れてニコニコである。ちなみに、髪の長さはセミロングとセミショートの間ぐらいであり、喜多ちゃんと同じぐらいの長さ。

後藤ひとり:好感度激高なぼっちちゃん。有紗に肌に触れられることに対する忌避感とかはまったく無い模様。普通に温泉に入っても、ぼっちちゃんの方から近くに寄ってくる感じである。お団子ヘア可愛い。

富士山:百合は尊い。こちらこそ美しい景色をありがとう。


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三十三手逢瀬の温泉旅行③

 

 

 温泉でサッパリとしたあとは、少し雑談などをしつつ過ごして夕食の時間となりました。ここの宿の食事はかなり美味しいと評判なので楽しみではありますが、それ以上に熱く語りたいことがあります。

 それは、ひとりさんの浴衣姿の愛らしさです! 特に湯上りの上気した肌で浴衣を身に纏っている姿など、美術館に展示されていてもおかしくないほどの美しさでした。

 落ち着いた色合いの浴衣に、ひとりさんの桃色の髪が映えて、非常に素晴らしい光景です。

 

「……やはり、いまのひとりさんは美と慈愛と輝きの化身といっても過言ではないのでは?」

「かっ、過言です! そして、文化祭の時より増えてます……とっ、というか、私より有紗ちゃんの浴衣姿の似合い方の方が凄いんですが……」

「そうですか? ですが、ひとりさんにそう言っていただけるのは嬉しいですね。ひとりさんの浴衣姿も本当に愛らしくて、素敵ですよ……あ、もう一枚写真撮ってもいいですか?」

「さっ、さっきあんなに撮ったのに!?」

 

 たしかに先ほども湯上りの姿を頼み込んでスマートフォンで撮影させていただきました。しかし、ある程度時間を空けて落ち着いた今の姿もまた違った魅力があるんです。

 

「もぅ、有紗ちゃんは本当に……いっ、1枚だけですからね」

「はい。ありがとうございます!」

 

 ひとりさんは少し呆れたような、それでいて優し気に苦笑を浮かべてから写真を撮ることを許可してくれました。ひとりさんの慈悲に感謝しつつ、写真撮影させてもらったあとで食事の用意ができたとのことで運び込んでもらいました。

 コース料理の様に配膳してもらうこともできる様でしたが、それはひとりさんが落ち着かないでしょうし、最初に全て配膳してもらう形にしました。

 そして、私とひとりさんの正面にある大きな木のテーブルの上には、所狭しと豪華な料理が置いてあります。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん……多くないですか?」

「多いですね。いちおうちゃんと2人前で頼んだのですが……ただ、品数はかなり多いですが、ひとつひとつの盛りは少なめなので、全体の量としては……いえ、やはり多いですね」

「……たっ、食べ切れますかね?」

「まぁ、無理して食べ切る必要は無いです。食べられるだけ食べましょう」

 

 私もひとりさんもそれほどたくさん食べるわけでは無いので、この料理の量は多すぎる気がします。極めて空腹ならともかく、昼に食べ歩きもしていますので厳しいですね。

 

「とりあえず、食べましょう。ここの宿の料理は美味しいと評判らしいですよ」

「たっ、確かにどれも凄く美味しそうですね。というか、半分ぐらいは料理の名称も分からないです……これとかも」

「それはおそらく、口替りに近いものではないでしょうか?」

「口替り?」

「会席料理……この場合は宴会料理の方の会席ですね。海、山、里の物を少量ずつ盛り合わせた料理で、主に酒の肴として出されることが多い料理です。とはいえ、酒の肴としてしか出さないというわけでもないので、お洒落な料理の一環として口替りに似た料理を出しているのでしょう」

「……なっ、なるほど?」

 

 ざっと見た感じでは、あまりジャンルにこだわらず様々な和食の料理形式を取り入れている様子です。賑やかで華やかに感じるので、やはり総合すると会席料理が近いでしょうね。

 

「和食の名称はややこしいですからね。懐石料理、会席料理、本膳料理、精進料理の4つが代表的ですが、それぞれにかなり種類がありますからね。あまり名称などは気にせず、美味しそうなものを食べるぐらいの感覚でいいですよ。私とひとりさんのふたりだけなので、マナーを気にする必要もありませんし、楽しく食べましょう」

「あっ、はい。そうですね。確かに、アレコレ悩んで食べると勿体ないですね」

 

 私の言葉を聞いて少し表情を明るくしたひとりさんは、視線を動かして興味の向いた料理を食べ始め、少ししてパァッと表情を明るくしました。

 ひとりさんは美味しいものを食べた時は、かなり表情に反応が出るので、見ていて本当に可愛いです。

 

「もっ、もの凄く美味しいです! スッて口の中で溶けるみたいで……」

「確かに噂に違わず素晴らしい味ですね。幸い料理はたくさんありますので、心行くまで食べましょう」

「はい!」

 

 美味しそうに食べるひとりさんを見ているだけで幸せではありますが、その美味しいという思いをひとりさんと共感できるのはもっと幸せです。

 

「ひとりさん、この料理はかなり洗練された味わいですよ。よろしければ、どうぞ」

「あぇ? あっ、えっと……いっ、いただきます」

 

 ちなみに、向かい合う形ではなく隣に座って食事しているので、こうして些細なタイミングでひとりさんに「あ~ん」をすることができます。大変素晴らしいシチュエーションですし、せっかくの機会ですしひとりさんとふたりっきりの食事を堪能させてもらうことにしましょう。

 

 

****

 

 

 やはりというべきか、私たちふたりでは多すぎましたが、思ってた以上に食べることはできました。料理が素晴らしかったことと、時折ひとりさんと互いに「あ~ん」をしつつ食べていたおかげでしょうね。

 

「あぅ……ちょっ、ちょっと、食べ過ぎました。おっ、美味しくてついつい……お腹いっぱいです」

「ボリュームもあって大満足の食事でしたね。ただ、私も少し食べ過ぎましたし、向こうの縁側がある部屋で庭を眺めながら休憩しましょうか」

「あっ、はい。そうですね。ちょっと、ゆっくりしたいです」

 

 ひとりさんと共に庭の見える部屋に移動します。冬場ということもあって窓は閉めたままですが、それでも夜に見ることも想定して作られている庭園は、室内の明かりに照らされて美しく見えました。

 窓の近くの座椅子に並んで座りながら、ぼんやりと庭園を眺めつつ、用意してきた緑茶を飲んで食休みをします。

 

「ひとりさん、部屋の明かりを消してもいいですか?」

「え? あっ、明かりをですか? いいですけど、どうしてですか?」

「いえ、今日は天気もいいので明かりを消せば星や月がよく見えそうなので……」

「あっ、そっ、そういえば、前に有紗ちゃんの家に泊った時に次は星が綺麗な場所で見ようって話をしましたね」

 

 ひとりさんの言う通り、以前ひとりさんが私の家に泊った際にベランダで一緒に星を見ましたが、やはり都会では見える星空にも限界がありました。

 ひとりさんに断りを入れてから部屋の明かりを消すと、夜空に煌めく星と綺麗な月が見えました。今日は月がとても明るいですね。

 

「やっ、やっぱり、都会とは全然違いますね」

「街の明かりが少ない分夜空が綺麗に見えますね」

 

 ひとりさんと並んで座椅子に座り、大きな窓から夜空を見ます。煌めく星々と明るい月……ひとりさんと一緒に見ていると思うと、感慨もひとしおです。

 

「……あっ、月が綺麗ですね」

「………………え?」

「へ?」

 

 ひとりさんがポツリと呟いた言葉に、思わず勢いよく振り返ってしまいました。すると見えたのは、月明かりに照らされてポカンとしているひとりさんの顔……ど、どうやら深い意味はなく、普通に言っただけのようです。

 文豪、夏目漱石が英語教師をしていた際に英語の「I Love You」という単語を、生徒たちに訳させた際に「日本人はそんな直球に愛を伝えることはしない。月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」と教えた逸話が由来となり、月が綺麗ですねという言葉が愛の告白という意味を持つようになった話はそれなりに有名ではありますが、当然知らない人だって多いです。

 

 まぁ、そもそも夏目漱石が由来というのは一種の都市伝説のようなもので、正式な記録があったり著作に記されたりするわけではないので、信憑性は不明と言われていますが……。

 ちなみに返事としてよく使われる「死んでもいいわ」というのは、二葉亭四迷がロシア文学を翻訳した際に「ваша」……「あなたに委ねます」という女性の台詞を「死んでもいいわ」と訳したものが由来と言われています。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? 私なにか、変なことを言いました?」

「ああ、いえ……う、う~ん」

 

 一瞬説明するべきかを迷いました。説明すればひとりさんは大きな羞恥を味わうことになるでしょうし、黙っているというのもひとつの手ではあります。

 ですが、昨今インターネットで調べれば大抵の答えは得ることができます。私がひとりさんの「月が綺麗ですね」という言葉に反応したのは、ひとりさんも分かっているでしょうし、後でスマートフォンで調べればすぐに答えに辿り着くでしょう。

 

「……えっと、ひとりさんがそういう意味で言ったのではないのは分かっているのですが……月が綺麗ですねという言い回しは、『あなたを愛している』という意味合いで使われることもあるんですよ」

「はぇっ!? あっ、え、え、え、ち、ちが、わわ、私は……」

「分かってます。そういう意味で使われることもあるというだけで、知っている人は知っているという程度のものです。私はたまたま知っていたので、少し驚いてしまったというわけです」

 

 そのまま私は簡単に由来と言われる話も含めて、ひとりさんに説明しました。ひとりさんは、私が誤解してないことが分かって落ち着いた様子で、話を聞き終えたあとは感心した様子で頷いていました。

 

「……あっ、な、なるほど……そっ、そんな、隠語みたいなのがあるんですね」

「ええ、由来は不確かな部分はありますが、ロマンチックな言い回しなので好んで使う人もいるみたいですよ。まぁ、相手に通じるとは限りませんがね」

「たっ、確かに、私も知らなかったですし……あっ、相手が知らなかったら、空気が死にそうですね」

「ふふ、確かにそれは言った方は恥ずかしいでしょうね」

 

 そんな風に話をしつつ、再び月を見上げて……ふとあることを思い付いた私は、ひとりさんの方を向いて微笑みながら口を開きました。

 

「ひとりさん」

「あっ、はい?」

「……月が綺麗ですね」

「ふぇ…‥あっ、え? あっ、あぅ……」

「さて、そろそろ寝る準備をしましょうか」

「……あっ、有紗ちゃんは意地悪です!」

「ふふふ」

 

 私がどちらの意味で言ったのかは、ひとりさんも分かっているのでしょうね。月明かりに照らされる顔が赤みを帯びているのが見えて、なんだか幸せな気分になりました。

 

 

 

 




時花有紗:珍しく遠回しの愛の告白……遠回し? 遠回しなのかこれ?

後藤ひとり:終始いちゃいちゃしてるぼっちちゃん。しばらく顔の赤みは引かなかったとか……。


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三十四手逢瀬の温泉旅行④~sideA~

 

 

 夕食を食べて、ひとりさんとふたりで月を眺めながら雑談をしたあとは、少々早い時間ではありましたが就寝することにしました。

 今日は移動も多く、明日も観光をする予定なので疲れを取るためにも、早めに寝ておく方がいいですね。

 

「ですが、その前に……ひとりさん、この布団にうつ伏せに寝転んでください」

「はぇ? え? あっ、はい」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、戸惑いつつも言う通りに布団にうつ伏せに寝転びました。それを確認してから、私はひとりさんの背中に手を伸ばします。

 

「あっ、ああ、あの、有紗ちゃん? いっ、いったいなにを……」

「マッサージをしようと思いまして」

「あっ、まっ、マッサージ?」

「はい。まぁ、正しくはストレッチに近く、ある程度大きく体を動かす形ですが……筋肉痛の防止ですね」

「あっ……なるほど」

 

 以前江の島に行った際に、ひとりさんは翌日全身筋肉痛になっていました。今回もそれなりに歩いて移動したので、明日のことを考えるとストレッチやマッサージは行っておいた方がいいと思います。

 まず、マッサージで血行を良くしてからストレッチを行って、翌日の筋肉痛を防止するとともに睡眠の質の向上も期待できます。

 

「というわけで、軽くですが血行を良くするマッサージを行いますね」

「わっ、わかりました」

「では、失礼して……」

 

 了承も得れたのでマッサージを行います。強いマッサージではなくリンパや血行の流れを良くする。疲労回復のマッサージを似た要領で行っていきます。

 

「……んっ……あっ、有紗ちゃん……」

「痛みがありますか?」

「あっ、い、いえ、大丈夫です。むしろ、その……きっ、気持ちいいです」

「それならよかったです。ゆっくり、力を抜いて……私に任せて下さい」

「はっ、はい……ふっ、んぁ……」

 

 じっくり時間をかけて丁寧にマッサージを行うと、ひとりさんは心地よさそうな表情を浮かべてくれており、上手くマッサージできているようでよかったです。

 そのまましばらくマッサージを続けて、タイミングを見計らって大きな動きのストレッチも行う様にします。

 

「ひとりさん、仰向けになって手を少し広げて、足はこちらに……はい。最後に顔をこちら向けてください」

「こっ、こうですか?」

「ええ、その姿勢のまま30秒ほど……その後、左右を入れ替えてもう一度ですね」

 

 筋肉痛防止のストレッチは強くではなくじっくりじわじわと筋肉を伸ばすイメージで行うのが効果的です。筋肉内部の血液循環を促進させ、柔軟性を高めることで筋肉を脱力させて筋肉痛を防止します。

 せっかくの温泉旅行ですし、明日は芦ノ湖の方に出かける予定なのでひとりさんが筋肉痛で楽しめないなどということが無いように、しっかり時間をかけて行います。

 

 マッサージを合わせて計30分ほど、行い筋肉痛防止のマッサージとストレッチは完了しました。

 

「お疲れさまです、ひとりさん。水をどうぞ」

「あっ、ありがとうございます。ちょっと、体がポカポカしますね」

「血行がよくなっている証拠ですね。少し座ってゆっくりしてから、就寝しましょう」

「あっ、はい」

 

 血行がよくなったことで少し体が火照っている状態。そのままでは寝にくいでしょうし、少し雑談をすることにしました。

 話題に上がるのはやはり、明日の芦ノ湖の観光に関してです。

 

「あっ、明日は、どういうところにいくんですか?」

「芦ノ湖の周りの予定です。トレッキングやハイキングも有名なのですが、疲れを癒す目的の旅行で疲れるのもと思って、除外しました」

「あっ、それはありがたいです。とっ、途中でダウンする自信があります」

 

 ひとりさんは江の島の階段でもかなり辛そうでしたし、ハイキングやトレッキングは難しいでしょうし、そういうのは除外しました。

 

「芦ノ湖の観光では遊覧船による観光が定番なので、チケットを取ってあります。ひとりさんは、船酔いなどは大丈夫ですか?」

「あっ、大丈夫です。あんまり乗り物酔いとかはしないです……人には酔いますが……」

「でしたら、問題ありませんね。その後はロープウェイなどに乗りつつ、観光地を巡る予定ですが、それほど細かく決めているわけではありませんので、途中で興味がある場所があればそこに寄るのもいいですね」

「なっ、なるほど……あっ、有紗ちゃんはどこか行きたい場所はありますか?」

「そうですね。九頭龍神社には立ち寄りたいですね。もしかしたらテレビなどで見たことがあるかもしれませんが、芦ノ湖の湖上に小さな鳥居があり、湖の中に龍神が祀られているのですが、その神社ですね」

 

 興味深そうな表情を浮かべるひとりさんに簡単に説明を行います。九頭龍神社に祀られる龍神は、水と良縁の神と言われ、縁結びのスポットとしても有名なので是非ひとりさんと一緒に行きたいと思っています。

 遊覧船の港から歩いていける距離に九頭龍神社新宮があるので、遊覧船での観光と相性がよくアクセスしやすいというのもいいですね。

 

 そのままひとりさんとしばし雑談をして、頃合いを見てそれぞれの布団に入って明かりを消して就寝します。本当に今日は一日中ひとりさんと一緒で幸せでした。明日も朝から晩まで一緒と思うと、思わず口元に笑みが浮かんでしまいます。

 

「それでは、ひとりさん。おやすみなさい」

「あっ、はい。おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 

****

 

 

 心地よい朝です。清々しい朝です……ところで、なぜ目覚めた私の目の前に天使が居るのでしょうか? 日頃の行いに対して、神様がご褒美をくれた結果なのでしょうか?

 ついそんなことを思ってしまうくらいには、目覚めてすぐに目に飛び込んできたひとりさんの寝顔は強烈でした。

 一瞬、以前宿泊した際のことを思い出しましたが、今回は特に抱き枕にされているような感じではありませんでした。

 

 しかし、はて? 私の家に泊った際とは違って同じ布団で寝ていたわけでは無く、別々の布団で眠っていたはずですが、なぜひとりさんが私の布団の中に? 寝相で移動してきたのか、途中で目を覚まして寝ぼけてこちらの布団に入り込んだのか……考えたところで答えは出ません。

 

 ……ただ、まぁ、今回は大丈夫です。前回の時には私は突然の事態に動揺してしまい、思考を纏めて適切な対処ができないまま行き当たりばったりのような状態になってしまいました。

 しかし、あの時とは違います。人は失敗から学び次へ生かすものです。私も前回の失敗から学び、この状況に対する方法はしっかり頭にあり、思考も冷静です。

 

 そして、前回の件から学んだ私の対処方法を実行に移し、眠っているひとりさんの背中に手を回して抱きしめ、片方の手でひとりさんの頭を撫でます。

 そう、私が導き出した最善とは……目覚めたあとの精神的なフォローは私が完璧に行ってみせるというものです。 

 なので、ひとりさんの精神面は大丈夫です。そして、それさえ除けば私にとってこの状況は一切の不利益が存在しません、というわけで、ひとりさんが目覚めるまでは、ひとりさんの温もりを堪能します。

 

「んっ…‥んん……」

 

 私が抱きしめると、ひとりさんは少しだけ体を動かしてまるで甘える様に私の胸に顔を寄せてきました。あまりの可愛らしさで、思考が吹き飛びそうになりました。

 浴衣越しに感じるひとりさんの温もりと柔らかさ、抱きしめたことでよりはっきりと感じられるそれは表現が難しいほどの幸福を私にもたらしてくれます。

 

 さらに頭を撫でると、サラサラと手触りのいい髪の感触、胸元に感じるひとりさんの吐息……天国ですね。完全にこれは天国です。しばらくこのまま時間が止まって欲しいぐらいです。

 しかし、残念なことですが幸せな時間というのはあっという間に過ぎてしまうものです。ひとりさんの寝顔と温もりと堪能していると、少してひとりさんの瞼が動き、ゆっくりと目が開かれました。

 

「んんっ……柔らかくて……温かい……」

「おはようございます、ひとりさん」

「……あっ、有紗ちゃん……おはようございま――え?」

「いい朝ですね」

「は? え? な?」

 

 目覚めたひとりさんは、少し寝ぼけたような目で私を見たあとで大きく目を見開き、自分が寝ていたはずの布団と私を交互に見たあとで、顔を青ざめさせました。

 

「……あっ、もっ、もも、もしかして、私また……」

「いえ、分かりません」

「……へ?」

「私が起きた時点でひとりさんが、私の布団の中に居たのは事実ですが、寝相でそうなったのか……深夜などに一時的に目を覚まして、布団を間違えたのかまでは分かりません。ただ、以前の様に抱き付いていたりとか、そういうことは無かったですね」

「……あっ、そっ、そうなんですか……え? じゃ、じゃあ、なんで私はいま、有紗ちゃんに抱きしめられてるんですか?」

 

 まず戸惑うひとりさんに対して、努めて冷静に情報を伝達します。こうすることで与えられた情報を頭で整理するための時間が生まれ、副次効果として冷静さを取り戻すことができます。実際ひとりさんは、最初よりは落ち着いた様子で尋ねてきましたので、私はそれに返答するためにひとりさんの目を真っ直ぐに見て口を開きました。

 

「その理由は単純です。私としては、ひとりさんが布団の中に居ることに不利益は一切無く、ひとりさんが起きるまでの間に時間もありました。そしてひとりさんを抱きしめて頭を撫でたかったので、そうしていました」

「……そっ、そんな、真摯で真っ直ぐな目で欲望を語られると……私はいったいどう反応すればいいのか、分からなくなるんですが……あっ、あの、先に布団から出るという選択肢は?」

「無かったですね。そのような、勿体ないことはできません。目の前に天国があるのに、そこに手を伸ばさぬという行為は私にはできませんね」

「……あっ、そっ、そうですか……なっ、なんか押し切られてる気が……」

「まぁ、それはそれとして、起きたら支度をして朝食ですね。昨日の感じだと、朝食にも期待ができるので楽しみですね」

「えぇぇぇ、こっ、この状態から即座に朝食の話に移行……有紗ちゃんのメンタルが強すぎて、アタフタしてる私がおかしいような感覚に……」

 

 ひとりさんの精神状態に対するフォローとして、あえて大袈裟なほどに私の欲望という点をアピールします。そうすることで、原因は私でひとりさんは流されている側の立場という形になり、心境的に余裕が生まれます。

 少なくともこれで、羞恥心や自己嫌悪といったことにはならないでしょう。まぁ、ひとりさんを抱きしめて頭を撫でたいという欲望は事実なので、嘘も言っていません。

 

「……しかし……う~ん」

「……あっ、あの、有紗ちゃん?」

「あと5分だけこのままでお願いします」

「なっ、なかなか起きられない人みたいなこと言い出した!? あっ、あの、有紗ちゃん、寝てる時ならともかく起きててこの状況は流石に恥ずかしくて……あの……あ~駄目ですねこれ、たまにある話聞いてくれない状態の有紗ちゃん……あっ、ちょっ、そそ、そんなに強く抱きしめちゃ駄目です!? もも、もう少し優しく……」

 

 いえ、まぁ……その……せっかくの状態なので、手を離すのが勿体ないですし、もう少しだけ、あとちょっとだけ、この温もりを堪能させてもらうことにしましょう。

 

 

 




時花有紗:前回ひとりが宿泊に来た際の反省を生かして、ひとりの精神的な動揺に関しては己がなんとかするので、それ以外では問題は無いため、ひとりが目覚めるまでは幸せなシチュエーションを堪能するという答えに辿り着いた。流石は才女、百合的に完璧な対応である。

後藤ひとり:朝起きてたら抱きしめられてたし、なんか猛将メンタルに押し切られてしばらく抱きしめられてた。恥ずかしがってはいる。恥ずかしがってはいるが……駄目とか拒否の言葉は一言も言ってない辺り、好感度の高さがうかがえる。

温泉旅行:まだ2泊3日の1日目が終わっただけである。


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三十四手逢瀬の温泉旅行④~sideB~

 

 

 高級温泉宿らしく、品数も多く豪華な和の朝食が並ぶ机の前で、ひとりは赤みの残る顔でため息を吐いた。

 

「……えっと、ひとりさん? 原因である私が言うのもなんですが、大丈夫ですか?」

「だっ、大丈夫です。おっ、思ったより延長が多かったので、ちょっと疲れただけです」

「申し訳ありません。つい、自制が効かずに……」

「あっ、でも、こうしてたまに有紗ちゃんが失敗してるところをみるのも、新鮮でちょっと嬉しいです。完璧そうに見えても、やっぱり有紗ちゃんも同じ人間だなぁ~って」

 

 あと5分といってひとりを抱きしめていた有紗だったが、5分後にさらに5分が追加されるというのを繰り返した結果。30分ほどひとりを抱きしめていた。

 不快感などは無かったが、やはり恥ずかしさによる気疲れはした……ただまぁ、いま口に出した通り、ひとりはたまにある有紗の暴走もそんなに嫌いではなかった。

 

 普段は落ち着いていて、なんでもできる完璧超人のような有紗も自制が効かなかったりと失敗するところはあるのだと思うと少し安心できる上、基本的に有紗が暴走するのはひとり関連の時だけなので、それだけ己が有紗にとって特別な存在だと実感できるのは……嬉しかった。

 

「あっ、そっ、そういえば、今日は芦ノ湖で遊覧船に乗るんでしたっけ?」

「ええ、名称は海賊船ですが、遊覧船のようなものですよ」

「かっ、海賊船?」

「ええ、箱根の芦ノ湖には遊覧船と海賊船とふたつの船があります。遊覧船は本当に芦ノ湖周りの景色を楽しむ目的のシンプルなもので、海賊船はその名の通り、海賊の船をコンセプトにした遊覧船です。芦ノ湖の観光としてはかなり有名で、内装なども含めて拘り抜いた船とのことです」

「へっ、へぇ……それはちょっと、面白そうですね。海賊とか、そういうデザイン、結構好きですし」

 

 ひとりは服なども含めて思春期の中学生が好むようなカッコよさが好きであり、海賊船というのも好みに合致していた。

 少なくとも普通の遊覧船よりは確実に興味を惹かれていた。もちろん有紗は、そういったひとりの趣向を理解した上で海賊船を選んだのだが……。

 

「ちなみに往復券で予約していますが、湖の端の港から反対の港まで行って、一度降りて観光をする予定です。理由は単純で、港のすぐ近くにロープウェイ乗り場があるのでそちらを観光する予定だからですね」

「なっ、なるほど……」

「ザックリと私が立てている予定を説明すると……海賊船に乗って桃源台港に向かって、そこのレストランで芦ノ湖を見ながら昼食、ロープウェイを使って早雲山に向かって観光、戻って再び海賊船に乗って……時間があれば、元箱根港から九頭龍神社新宮へという形ですかね」

 

 有紗は下調べもしてしっかり観光のコースも考えているが、それなりに時間には余裕を持って予定を組んでおり、ある程度柔軟に対応できる余裕はある。

 その話を感心した様子で聞いていたひとりだが、ふとなにかを思いついた様子で口を開く。

 

「あっ、でも、早雲山は必要なら早めに切り上げましょう。あっ、有紗ちゃんが行きたがってる九頭龍神社へは、絶対に行けるようにしましょう!」

「……ありがとうございます。では、九頭龍神社新宮に行く前提で時間は考えますね」

「あっ、はい!」

 

 ひとりにしてみれば、観光に関しては有紗に任せっきりであり、これといった意見は無かった。有紗と一緒に行けるならどこでも楽しいだろうという思いもあり、有紗のことも信頼しているため安心している。

 ただ、有紗が行きたいと言っていた九頭龍神社にだけは絶対行きたい。有紗の希望を叶えてあげたいという思いが強いので、念押しするように神社へは絶対に行こうと口にしていた。

 

「とっ、ところで有紗ちゃん。その、新宮ってなんですか?」

「新宮というのは簡単に言えば本宮から神霊を分けて別の場所に新しく建てた神社のことですね。今宮や若宮という場合もあります」

「あっ、えっと……つまり、本来の九頭龍神社じゃなくて、支店みたいなものってことですか?」

「その捉え方で合っていますよ。九頭龍神社の本宮は遊覧船の港からですと少々アクセスが悪く、参拝する場合は月次祭と呼ばれる月に1回の行事以外だと、有料のモーターボートを利用する必要があるんです。対して新宮の方は箱根神社にあるので、元箱根港からバスで4分、徒歩でも15分ほどで行けるのでそちらの方がいいかと」

「なっ、なるほど……有紗ちゃんは物知りですね」

「たくさん調べましたので」

 

 そう言って有紗は軽く苦笑する。そう、縁結びのスポットに関しては入念に調べているので、九頭龍神社にやけに詳しいのはそのおかげでもあった。

 有紗としてはひとりと縁結びのパワースポットに行けるのは非常に喜ばしく、なんとか九頭龍神社に行く時間を作ろうと提案したひとりの気遣いも心から嬉しかった。

 有紗はニコニコと嬉しそうな笑顔のままで、ひとりと共に今日の予定を話しながら朝食を楽しんだ。

 

 

 

****

 

 

 朝食を食べ終えたがまだ時間的には早く、出発予定の時間までは1時間ちょっとあったため、ふたりは昨日は使わなかった別邸の一室に移動していた。

 

「ここがレクリエーションルームですね」

「あっ、す、すごい。卓球にエアホッケーにビリアードに、いろいろありますね。流石超高級宿、設備が充実してます」

「出発の時間までまだ少々あるので、なにかで軽く遊んで時間を潰しましょうか」

「あっ、はい」

 

 出発予定の時間までレクリエーションルームで遊ぶことにしたふたりは、なにで遊ぶかを相談していた。その際に有紗が卓球台を興味深そうに見ているのに気づいたひとりが口を開く。

 

「あっ、有紗ちゃんは卓球はやったことあるんですか?」

「いえ、それが、まったく経験がないんです。なので、少し興味がありますね」

「あっ、私も少し……小学生の時とかに家族で1回やったくらいです。でっ、でも、せっかくですし、やってみますか?」

「いいですね。では、やってみましょう」

 

 卓球をやることに決まり、それぞれラケットを手に持つ。その際にひとりは有紗に気付かれないように小さく笑みを浮かべたあとで、ある提案をした。

 

「あっ、有紗ちゃん。私と有紗ちゃんは、そんなに実力に差はないと思うんです」

「そうですね。未経験と少しだけの経験なので、同じぐらいかもしれませんね」

「なっ、なので、せっかくですし……勝負、しませんか?」

「勝負ですか?」

「あっ、はい。10点先取で、負けた方が勝った方の言うことをひとつ聞くという感じで……あっ、でっ、でも、相手が嫌がるようなことは無しで」

 

 ひとりからの珍しい提案に有紗は少し驚いたような表情を浮かべたが、特に断る理由もなく了承しようとしたのだが……そこで、ふとあることに気付いて口を開いた。

 

「構わないのですが、そう言い出すということはひとりさんは私になにかしてほしいことがあるのでしょうか?」

「え? あっ、いえ、特には……単に、友達とそういう賭けをして勝負するのに憧れてただけです」

「ああ、なるほど、確かに創作などでも定番の賭け事ですね」

 

 事実として言葉通りひとりは特に勝ったとしても有紗にこれをさせようというような案は無かった。というか、そもそもの話、そんな権利など使わなくともひとりが頼めば有紗は大抵のことであれば応じてくれる。そしてそれは逆もしかりであり、ひとりも有紗が頼み込んでくれば大抵のことに応じるだろう。

 なので、この賭けは実質大して意味はないものだった。

 

 ともあれ有紗が了承したことでふたりは卓球での勝負を開始する。そして、この勝負を提案したひとりには、当然ではあるが勝算があった。

 

(ふ、ふふ、騙してごめん、有紗ちゃん。家族でやったのが1回だけっていうのは本当だけど、私はそれ以外にも中学校の授業で2回卓球を経験している。このアドバンテージは、そうそう覆せるものじゃない)

 

 それでも計3回程度の経験であり、元々の運動神経も合いまって下手ではあるのだが、根が優しいためか若干の罪悪感を覚えつつひとりは、有利な勝負に挑む。

 最初のサーブは有紗から……。

 

「えっと、たしかワンバウンドさせてから相手のコートに入れるんでしたね?」

「あっ、はい。そうです」

「では、行きます」

 

 ルールを確認して球を打つ有紗だが、有紗の打ったピンポン玉は大きく跳ねてひとり側のコートに入ることなく床に落ちた。

 

「むっ、力加減が難しいですね」

「さっ、最初は仕方ないですよ」

 

 さすがの有紗もまったくの未経験では狙った通りに打つことはできない様子で、2度目のサーブはギリギリひとりのコートに入ったが、チャンスボールでありひとりでも簡単に打ち返せた。そして、その球をさらに有紗が打ち返したのだが、大きくコートをオーバーした。

 サーブ権がひとりに移り、ひとりはゆっくりとサーブを放つ。そのサーブも多少なりとも卓球ができる人にとってはチャンスボール以外のなにものでもないようなサーブだったが、有紗が打ち返した玉はネットに当たり、これでひとりが3点先取となった。

 

(す、凄い。私が有紗ちゃん相手にリードしてる……ま、まぁ、ズルしてるからだけど……さすがの有紗ちゃんでも、初めての卓球じゃどうしようもないみたいだね。ふへへ、でも、このまま圧勝すると可哀そうだし、5点ぐらい取ったら少し手加減しようかな……)

 

 有紗に勝っているという状況は、ひとりにとって極めて珍しい事態であり、内心でかなりはしゃいでいた。経験上の有利ありきとはいえ、こと運動においてひとりが有紗を上回る機会など普通ならまずありえない。

 だが、しかし……人の夢と書いて儚いと読む様に、ひとりが思い描いた圧勝劇が現実となることはなく、有紗が小さな声で呟いた。

 

「……なるほど、だいたい分かりました」

 

 浮かれていたひとりはその呟きを聞き逃し、意気揚々と2本目のサーブを放つ……そして、ひとりのコートに閃光のようなリターンが突き刺さった。

 

「………………え?」

「少しコツが分かってきました。手首のスナップが重要なんですね!」

 

 嬉しそうな笑顔で告げる有紗を、ひとりは呆然とした表情で眺める。

 

(え? いまの返球、滅茶苦茶速かったんだけど……ぐ、偶然だよね? たまたま、上手く返せただけだよね?)

 

 少し血の気が引いていくのを感じつつ、ひとりはラケットを握りなおす。再びサーブ権が移って有紗のサーブ。有紗が放ったサーブは、やはり遅く大きくバウンドするチャンスボールだった。

 

(よっ、よし! 大丈夫……ここで取り返す!)

 

 そのサーブに安心したひとりは、点差を3点に戻すべく力強いスイングで球を打ち返し――直後にまたも閃光のような早いリターンが、ひとり側のコート端に突き刺さった。

 

「…………はぇ?」

 

 ギギギっと壊れたブリキ人形のような動きで首を動かし、ひとりは球が通過していった方向を見る。早く鋭い球だった。少なくとも、万全の状態で待ち構えていてもひとりが返球できないであろうレベルの……。

 

「ふむふむ、球の回転を調整することで方向や角度を変えられる。奥が深い競技ですね」

「……」

 

 そもそも、である。根本的な話としてひとりの卓球の実力は低い。相手が同じぐらいの経験値を持っていれば、簡単に負けるレベルである。

 あくまで3点先取は、有紗が完全に人生初の卓球であったからこその成果である。

 

 しかし、残念なことに有紗は飛び抜けた天才であり、持ち前の運動神経や器用さも相まって、大抵のことは少しコツを掴むだけで人並み以上にこなせてしまう。

 もちろんその道の一流となるには多くの練習が必要ではあるだろうが、人並み以上レベルにはすぐに到達してしまう程度には才能に溢れる存在である。

 

 その結果がどうなるか……それは火を見るより明らかだった。

 

「……いっ、いい、イキって……すみません」

 

 結局、ひとりは最初の3点以降、1点も取ることは出来ず3-10でボロ負けすることとなった。

 

 

 

 

 




時花有紗:ちょっとやれば何でもできるレベルの超人。ひょんなことで、ひとりに対する「1回の命令権」を獲得。まぁ、でも、別に使わなくても大体いうことは聞いてくれそう。

後藤ひとり:イキった結果わからせられた。例によって根はいい子なので、3回の経験を1回と偽っただけで結構罪悪感を覚えていた。まぁ、基礎スペック差により意味は無かったが……そもそも、最初から有紗はひとりの打った球には全て反応しており、力加減が分かってなかっただけである。


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三十五手逢瀬の温泉旅行⑤~sideA~

 

 

 突発的に行うことになった卓球勝負は、なんとか途中でコツを掴んだおかげで私が勝利しました。ですが、3点先取であれば負けていたと思うと、勝負前に練習時間を確保するべきだったかもしれません。まぁ、あくまで遊びなのでそこまで勝敗に拘るようなものでも無いですが……。

 

「あれ? そういえば、これで私はひとりさんにひとつ要望を聞いてもらう権利を得たわけですよね?」

「あっ、はい。イキって返り討ちに合った腐れ陰キャにできることなら、なっ、なんなりと……」

「なるほど……」

 

 思わぬことではありますが、これはこれでいい権利かもしれません。私のやりたいことができる上、賭け事で勝利して得た権利という前提があるので、普段であれば通りにくい要望も通る可能性が高いです。

 

「あっ、あの、ところで、有紗ちゃんは、私に何をさせるつもりですか?」

「……そうですね。もう何をしてもらうかは決めました。今晩権利を使いますね。内容に関しては、その時のお楽しみです」

「あっ、え? こっ、今晩……」

 

 私が微笑みながらいまはまだ内緒だと告げると、ひとりさんは驚いた表情を浮かべたあとで、なぜか慌てた様子で口を開きました。

 

「あっ、えっ、えっちなのは駄目です!」

「……へ?」

「え?」

 

 そして、空気が凍りつきました。率直に言って、そういう発想はまったく無かったです。そもそも根本的に権利を振りかざして無理やり関係を進展させる気などありませんし、思いついていたとしても実行することはあり得ないでしょう。

 ただ、少しこの状況は不味いかもしれません。時として言葉にしなくても伝わることというものは存在します。おそらくではありますが、ひとりさんはいまの私の反応を見て、私にそういったことに権利を使うという発想が皆無だったことを理解したのだと思います。

 

 そうなると、結果として何が残るかといえば……ひとりさんが誤解して先走ってしまったという結果であり、それがひとりさんにいかほどの羞恥をもたらすかといえば、茹蛸のように赤くなった顔ですぐに察することができました。

 

「あっ、ああ、そっ、その、ちがっ、えと……」

「お、落ち着いてください、ひとりさん。私の言い方が悪かったです。確かに、そのような考えに至ったとしても不思議じゃないです。あとで行使するとだけ言えばよかったですね」

「あぅあぅ……」

 

 赤い顔で目を回しているひとりさんに対し、私は必死にフォローの言葉を投げかけます。しかし、そう簡単に落ち着くことはなく、出発時間ギリギリまでかかってしまいました。

 

 

****

 

 

 なんとか回復したひとりさんと共に送迎の車と電車を利用して、芦ノ湖までやってきました。

 

「すっ、凄い……おっきな湖ですね」

「ええ、天気も良くて、本当に綺麗ですね」

 

 大きな芦ノ湖の水面は日に照らされキラキラと輝いており、まだ紅葉が少し残る周りの山々と合わさって、以前一緒に江の島の海を見た時とはまた違った絶景です。

 このまましばらく眺めていたいのですが、船の時間もあるので移動します。ひとりさんと一緒に箱根海賊船の窓口に向かいます。

 

「あっ、あれ? 有紗ちゃん……チケットは買ってるんじゃ?」

「ええ、ロープウェイと合わさったものを購入していますが、特別船室券を買うことで普通とは違う特別船室に入ることができるんですよ。特急などで言うグリーン席のようなものですかね?」

「あっ、そっ、そんなのがあるんですね」

「片道600円なので比較的リーズナブルです。いろいろな特典があるんですよ」

「へぇ……」

 

 混み合う時期などは特別船室券が早々に売り切れる場合もあるようですが、今回は問題なく購入することができました。

 特別船室券があると乗船も専用の入り口から行えるので、一般のチケットよりもスムーズに乗船出来ます。ひとりさんと一緒に港に停泊している船の乗船口に向かいます。

 

「あっ、すっ、凄い。カッコいいですね」

「かなり本格的ですよね。内装にもこだわってるみたいですし、特別船室からは特別船室専用のデッキに出られるので、一般船室に比べて空いているのが特徴ですね」

「そっ、それは、私としては本当にありがたいです」

 

 特別船室に入ると、広々とした木造りの船室に豪華なソファーが並んでおり、ひとりさんと一緒に景色がいい最前列のシートに座ります。

 芦ノ湖の景色が前方の窓から見えて、非常に素晴らしいです。そして船が出航したあとは、デッキに出てみようという話になり、船内の売店でドリンクを購入してデッキに出ました。

 

「……風が気持ちいいですね」

「あっ、はい。景色も凄いですね。富士山がかなり大きく見えます」

「ここはかなり富士山に近いですからね」

「そっ、それに、海賊船ってやっぱりなんかカッコいいですね。ここでギターとか弾いたら、カッコいいかも?」

「確かに面白いかもしれませんね。未確認ライオットに関して、MVを撮影する予定ですし曲次第ですが、船上なども一種のシチュエーションとしては有りかもしれませんね」

 

 未確認ライオットにはMV審査があるので、必然的にMVを撮影することになります。ただ、現状ではそちらにはまだ一切手つかずと言える状態です。なにせ、未確認ライオット用の新曲が未完成の状態なので、MV撮影に勧める段階にはない感じですね。

 ただ、案を出しておくのは有効です。船上というシチュエーションは目を引きますし、必要であれば私が船の一隻でも貸し切れば簡単に撮影もできますので問題ありません。

 

「ちなみに、ひとりさんはどんなシチュエーションのMVがいいと思いますか? まだ、曲は出来てないので想像ですが……」

「あっ、えっと……薄暗い荒野と稲光をバックに演奏して、曇った空からドラゴンみたいなのが現れて……こっ、こう、私たちの服装と合わさって曇天からの審判のような雰囲気で……」

「……なるほど、少しダークファンタジーの雰囲気ですね」

 

 たぶん、高確率で虹夏さん辺りに却下されるでしょうね。そもそも新曲にドラゴンが関係してくることはほぼ無いでしょう。

 ひとりさんが好きそうな雰囲気といえばたしかにその通りですが……やはり、メタルとかパンクっぽい雰囲気になりがちですね。

 

「あっ、有紗ちゃんはなにかありますか?」

「そうですね。斬新なシチュエーションもいいですが、定番もいいと思いますよ。学校やビルなどの屋上での演奏とか……」

「あっ、たっ、確かにそういうMVは多いですね。フェンス越しに演者が映ったりとか……おっ、大き目のトンネルとかもありますね」

 

 やはり好きなロックの話題になると、喰いつきが違うようで、ひとりさんはかなり楽し気にMVに関して話していました。

 それを見て、私があることに安心して笑みを溢すと、ひとりさんは不思議そうな表情を浮かべました。

 

「……有紗ちゃん?」

「ああいえ、ひとりさんがいい精神状態で未確認ライオットを見据えられているみたいで安心しました。気負いなどは殆どなく、前向きな気持ちでいられるのはいいですね」

「あっ……だっ、だって、それは……えと……私には、有紗ちゃんが居ますから!」

「っ!? ふ、ふふ……ええ、そうでしたね」

 

 真っ直ぐ自信の籠った目で告げるひとりさんはとても力強く、思わず見惚れてしまうほど素敵でした。普段の可愛らしいところもいいですが、時折見せるこうしたカッコよさもひとりさんの魅力ですね。

 

 

****

 

 

 海賊船に乗って桃源台港に辿り着いたあとは、桃源台駅舎内にあるレストランで予定通り昼食を食べることにしました。

 芦ノ湖が見える景色のいいレストランでひとりさんと一緒に窓近くの席に座ってメニューを眺めます。

 

「なにがいいですかね……おや? これは……」

「あっ、有紗ちゃんなにを見て……え? ふわとろオムライス……やっ、やりませんからね!?」

「おや? それは残念です……もし仮に、私がどうしてもと頼み込んだ場合は?」

「……そっ、その時は……考えます」

 

 文化祭でのメニューを思い出すふわとろオムライスというメニューを見たあとでひとりさんを見ると、あの時の魔法の呪文を思い出したのか、ひとりさんは赤い顔で先に「やらない」と宣言しました。

 それでも、絶対にダメとは言わない辺り、ひとりさんは優しいです。

 

「……私は、ビーフシチューにしようかと思いますが、ひとりさんはどうします?」

「あっ、えっと……ハンバーグランチにします」

 

 互いに食べるものを決めて注文し、料理が届くまでの間はこれからの予定についてを雑談します。

 

「あっ、えっと、ロープウェイに乗るんでしたっけ?」

「ええ、早雲山に向かって大涌谷の方に行ってみようかと思ってます。有名な観光地ですからね。他にもこの付近だと仙石原にすすき草原がありますね。映画などで見たことが無いですか? 一面のすすきの中に一本の道がある景色です」

「あっ、確かに、そういうの見たことがありますね。あっ、あれってこの辺りなんですね」

「かながわの景勝50選にも選ばれる有名な場所ですが……若干見ごろのシーズンを過ぎているので今回は除外しました。ひとりさんが興味があるようなら、行くことも可能ですが?」

「あっ、いえ、ああいうのはテレビとかで十分かなぁって……」

 

 秋が一番綺麗に見えるシーズンなので、いまは少し時期が外れています。それと、あえて口には出しませんでしたが、すすき草原の観光はほぼ歩きになるのでひとりさんの体力的にも厳しいのではという判断です。

 そんな話をしていると、料理が届きました。互いに注文した料理を食べ始めて、少ししたタイミングで、私はビーフシチューを一口分掬って、手を添えてひとりさんの方に差し出します。

 

「ひとりさん、一口いかがですか?」

「はぇ? あっ、あぅ……また平然とそういうことを……いっ、いただきます」

 

 旅行に来て何度か行っていることもあって、ひとりさんはすんなりと受け入れてくださいました。そして、少し経つとお返しと言わんばかりに、ハンバーグを一口分食べさせてくれます。

 こういったことが自然に行えるほど私とひとりさんの仲は深まっていると言えるでしょう。本当に嬉しい限りです。

 

 

 




時花有紗:ひとりに対し、なにを要求するかは既に決めている模様。ただ、やはり基本的にいい子なので、その権利をタテに関係を進めたりなどは考えてすらいなかった。

後藤ひとり:あ~んにも慣れてきたぼっちちゃん……えっちな想像したんですね?


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三十五手逢瀬の温泉旅行⑤~sideB~

 

 

 食事を終えた有紗とひとりは、予定通り箱根ロープウェイを利用して早雲山を目指す。

 

「あっ、私、ロープウェイに乗るのは初めてです」

「実は私もです。楽しみですね」

「あっ、はい」

 

 ロープウェイのゴンドラに乗り込み、並んで席に座ると、ふとひとりがあることを思いついたように有紗に尋ねる。

 

「あっ、そっ、そういえばロープウェイってゴンドラとは違うんですか?」

「厳密に言えばゴンドラというのはロープにぶら下がっている箱のことなので、これもゴンドラで間違いないですよ。おそらくひとりさんが気になっているのはロープウェイとゴンドラリフトの違いですかね? そこまで大きな違いはありませんが、主にロープウェイは電車で言うところのレールのような役割を果たすロープと、ゴンドラを引っ張るロープ、ふたつの役割のロープを使用するのが特徴ですね」

「あっ、えっと……ゴンドラリフトは違うってことですか?」

「ゴンドラリフトは1本の太いロープにゴンドラを固定して動かすという違いはありますね。特徴を挙げるなら、比較的ロープウェイは大人数を纏めて運ぶのに適しており、ゴンドラリフトは少数を小まめに運ぶのに適している感じですね」

「なっ、なるほど……」

 

 博識な有紗の説明にひとりが感心したように頷くと、ロープウェイはちょうど景色のいい場所に辿り着き、箱根の美しい自然が一望できた。

 ロープウェイ内の自動放送で富士山や周辺に関する説明が流れる。

 

「おっ、思ったより揺れませんね。景色も凄いです」

「この辺りは緑が多いですが、大涌谷に近付くと岩肌などが多くなって景色がまた変わってくるみたいですよ」

「へぇ……あっ、先の方に少し煙が見えますね。あの辺りですか?」

「恐らく噴煙ですね。となると、もう少しで大涌谷ですね」

 

 緑の美しい景色を過ぎると、黄色く染まり噴煙があちこちから吹き出す谷が見えてくる。先ほどまでとはまた違った雰囲気の絶景であり、圧巻の光景にひとりも感動したように目を輝かせていた。

 

「すっ、凄いですね。なんていうか、圧倒されるっていうか……自然の驚異みたいなのを感じます」

「確かに凄い光景ですね。ちなみに観光に行く予定の場所も大涌谷ですよ」

「え? あっ、じゃあ、あそこに行くんですか?」

「さすがに噴煙の近くなどは危険なので近寄れないでしょうが、観光地として整備されているので……大涌谷駅で観光したあと、ロープウェイの早雲山駅に展望テラスのあるカフェがあるみたいなので、そこに向って、休憩して戻る感じですね。雲をモチーフにした飲み物や食べ物があるみたいですよ」

「くっ、雲? なっ、なぜに雲?」

「早雲山だからでしょうね」

「あっ、なるほど」

 

 桃源台駅から景色を眺め雑談をしつつ30分ほどロープウェイに乗っていると、目的地となる大涌谷駅に到着したので、ロープウェイから降りて駅の外に向かう。

 あちこちから噴煙が立ち上る大涌谷の景色が広がると共に、硫黄の独特の匂いも漂ってきた。

 

「あっ、けっ、結構匂いますね」

「硫黄の匂いですね。あちらなどに見える黄色く見える部分は、硫黄が冷えて結晶化したものらしいですよ」

「ふむふむ、やっ、やっぱり、硫黄って言うぐらいだから黄色いんですね」

 

 駅を出てすぐの場所で景色を眺めたあとは、いよいよ本格的に観光に向かうこととなった。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「あっ、はい」

「道は整備されていますが、傾斜はあるので足元には注意してくださいね」

「わっ、わかりま――あっ……」

「ひとりさん!?」

 

 道が傾斜しているので気を付ける様にと有紗が告げた直後、あまりにも綺麗なフラグ回収というべきか、ひとりは傾斜によってバランスを崩して、転びそうになった。

 しかし、有紗が素早く反応してひとりを抱き寄せたことで転倒という事態は免れた。

 

「……だ、大丈夫ですか?」

「あひっ!? はっ、はは、はい。だだ、大丈夫です!? ごっ、ごめんなさい」

「いえ、ひとりさんに怪我がなかったのならよかったです」

 

 有紗の胸に抱きかかえられるような視線になったひとりは、一瞬で顔を真っ赤に染めた。江の島の時もそうだったが、どうもひとりは有紗が時折見せるキリッとした顔に弱いらしい。

 普段は穏やかに微笑んでいることが多い有紗が見せる真剣でカッコいい表情は、その容姿の相まって意識せずとも胸が高鳴るほどの破壊力がある。

 

(あわわわ、なにこれ、まま、また変な感じに……あ、有紗ちゃんの顔がまともに見れないというか……うぅぅ、変にドキドキする)

 

 普段から頼りがいのある相手ではあるが、江の島でトンビに襲われた時やいまは、いつも以上に頼れる雰囲気を放っており……ともかく、ひとりはその雰囲気に弱い様子だった。

 有紗はひとりの姿勢を戻しつつ解放したあとで、スッとひとりに手を差し出す。

 

「転んでしまうと危ないので、手を繋いでいきましょうか」

「あっ、はは、はい。そっ、そうですね。そうしましょう!」

「では、お手をどうぞお姫様……」

「~~!?」

「なんて、ふふ、芝居がかり過ぎですかね?」

「はひっ……ぁぅ……よっ、よろしくお願いします」

 

 いまにも湯気でも出そうなほど顔を赤くしつつ、ひとりは有紗が差し出した手に己の手を重ねる。いままでも手は何度も繋いでいるはずだったが、今日はやけに繋いだ手が熱く感じた。

 それは先ほどの有紗の冗談が原因かもしれない。女優の娘だからか、それとも単純に有紗のスペックが高いからか、その演技はなかなか堂に入ったものであり、本当に王子様の様に凛々しく見えたとは……もちろん口に出せるわけもなく、ひとりはしばし赤い顔で有紗に手を引かれるままに俯き気味に歩いていた。

 

(うぅぅ、もう、有紗ちゃんは! 本当に有紗ちゃんは!! 自分の顔の凄まじさを自覚してほしいよ。有紗ちゃんにキメ顔であんなこと言われたら、誰だって嬉し――恥ずかしくなっちゃうに決まってるんだから!? ううぅ、顔熱い……)

 

 ひとりの顔の赤みがひくまで、しばらくの時間を要したのは言うまでもないことである。

 

 

****

 

 

 周辺をある程度散策してひとりの精神状態が落ち着いてきたタイミングで、ふたりは大涌谷でも有名な店、大きなくろたまごのオブジェクトが目を引くくろたまご館に辿り着いた。

 

「大涌谷といえば黒たまごが有名な名物で、ここで購入できます」

「あっ、黒たまごですか? こっ、このオブジェで想像できるんですが、たぶんその名の通りに黒いたまご……ですよね?」

「ええ、温泉で作ったゆで卵ですね。大涌谷の延命地蔵尊にあやかり、1個食べると7年寿命が延びるとも言われています」

「とっ、ということは10個食べたら70年……」

「複数個効果が重複するのかはわかりませんが……そういった迷信的なものを除いても、通常のたまごより黄身の旨味成分が高くて美味しいらしいですよ」

 

 有紗に軽く説明を受けつつ、黒たまご購入専用窓口に並ぶ。ひとりは黒たまごの写真などを興味深そうに見つつ、隣に居る有紗に尋ねる。

 

「……なっ、なんで黒色になるんですか?」

「温泉地の鉄分が硫化水素に反応することで、硫化鉄になるからですよ」

「なっ、なるほど?」

「簡単に言うと温泉で茹でることで化学反応を起こすからです」

 

 科学的な説明はあまり分からなかった様子で首を傾げる。その様子を見て有紗が微笑まし気な表情を浮かべたタイミングで順番がきて、ふたりで一袋黒たまごを購入して移動する。

 ベンチが置いてある場所に移動して、腰かけながらいま買ってきたまだ温かい黒たまごをふたりで食べることにした。

 

「あっ、5個入りなんですね」

「基本的に5個入りしかないみたいですよ。塩が付いていますが、塩をかけなくても美味しいらしいですよ」

「あっ、中は白いんですね」

「殻をむくと、普通のゆで卵に見えますね」

 

 仲良く並んで座って卵を食べつつ、ひとりはぼんやりと思考する。思えばこうして観光地らしい場所を楽しめているのは、彼女にとってかなり大きな変化であった。

 前に江の島に行った時も、絶景にはしゃぐ喜多とは対照的に展望台からの景色にもあまり心は動かなかった。来るまでの疲労と景色が見合っていないとすら感じたほどだ。

 だが、いまはどうだろうか? 海賊船で雄大な自然を楽しみ、ロープウェイから見える景色にはしゃぎ、観光地で名産を食べて笑みを浮かべている。

 

(……かっ、考えてみれば、こんな風に女子高生らしいことが当たり前にできる様になってることも、春ごろから考えると快挙だよね。観光地なんて行こうものなら、青春コンプレックス刺激されまくりで、むしろ気持ちが沈みそうだったのに……)

 

 もちろん現在も時折青春コンプレックスを刺激されたり、人混みを恐れたりというのは変わらずにある。だが、自覚するほどに改善されているのもまた事実だった。

 

(自分が変われてることを自覚できるって、なんかいいな。もちろん、まだコミュ症が治ったわけじゃないし、駄目なところもいっぱいあるけど……私も前に進めてるんだ)

 

 そんなことを考えつつ、ひとりはチラリと横に視線を向ける。上品に黒たまごを食べている有紗の姿を見て、不思議と胸が温かくなるような感覚があった。

 最初は向かい合って話すことすら緊張した有紗が、いつの間にか隣に居てくれるのが当たり前で、傍に居てくれることが心から安心できる存在になっているというのも、変化を実感する事柄である。

 

「……うん? どうしました、ひとりさん?」

「あっ、いえ、5個入りなので最後の1個はどうします?」

「ひとりさんが食べたいのでしたら、食べてもらって大丈夫ですよ」

「……はっ、半分こしましょう。私も3つはちょっと多いですし……有紗ちゃんと一緒がいいですから」

「ふふ、では、半分こにしましょう」

「はい」

 

 昔はよく分からなかった陽キャの同じものを共感したいとか、そんな気持ちもいまは理解できるようになった。一緒に、ふたりで、いろいろなことを楽しみたいと思える相手に巡り合えたのは本当に、奇跡の様に幸せなことだと思った。

 

(うん。私は変われてる。それに、これからも有紗ちゃんが一緒に居てくれれば、もっともっと、変わっていけると思う。まっ、まぁ、恥ずかしくて本人には言えないし、やっぱり恋愛云々はまだよく分からないけど……大好きだよ、有紗ちゃん)

 

 心の中でそんなことを考えて笑顔を浮かべたあとで、ひとりは半分に分けた黒たまごを口に運んだ。

 

 

 




時花有紗:流石女優の娘、演技力が違う。ぼっちちゃんをカッコよくエスコートしたりもしてて、本人は終始楽しそうだった。

後藤ひとり:着実に有紗に対する想いが育って来てる様子のぼっちちゃん。江の島の一件以来、キリッとしてる有紗を見ると妙にドキドキしちゃう……恋では? 有紗と一緒に居られるのを本当に幸せに感じている……愛では?

傾斜のある道:ミッションコンプリート。さあ、私踏み越えて仲を深めるといい。


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三十六手逢瀬の温泉旅行⑥~sideA~

 

 

 ひとりさんとの芦ノ湖周りの観光。大涌谷で黒たまごを食べたあとは、資料館のような場所であるジオミュージアムなどもぐるっと見学して、予定通り早雲山駅までロープウェイで移動して駅舎内のカフェで休憩しました。

 雲を模したフワフワのお菓子や、綿菓子の乗ったドリンクなど個性的なものが多くかなり楽しく休憩をすることができました。

 

 その後はまだ少し早めの時間でしたが、九頭龍神社新宮に行くためにロープウェイで芦ノ湖に戻り、海賊船で元箱根港まで移動しました。

 ひとりさんは笑顔も多く楽しそうにしてくれていて、私だけでなくひとりさんも楽しんでくれているのが伝わってくるのは本当に幸せでした。

 

「……ひっ、ひぃぃぃ……こっ、ここ、ですか?」

 

 しかし、現在ひとりさんの表情は青ざめております。その理由は単純でいま眼前にあるのは、九頭龍神社新宮のある箱根神社に向かうための石段……おおよそ90段の階段でした。

 江の島の階段と比べれば少なくはありますが、ここには江の島エスカーのようなものはありません。いちおう車いす用のエレベーターは存在しますが、私たちは利用できません。

 

「いちおう階段のない脇参道もあるみたいですよ。距離は少し長くなりますが、こちらにしましょうか?」

「うっ、うぅ、でっ、でも、ここが正式な道なんですよね?」

「え? ええ、こちらが正参道ですね」

「あっ、のっ、登りましょう!」

「……90段ありますよ?」

「ふぐっ……だっ、大丈夫です! 有紗ちゃんが行きたがってる場所なんですから、ちゃんとした道で行きましょう!」

 

 ……脇参道が裏道だったり、正式な道ではないというわけでは無いのですが……私のために頑張ろうとしてくれているひとりさんの気持ちが嬉しすぎて、指摘する気にはなりませんでした。

 しっかり決意を固めているようなので、アレコレというのも失礼ですね。

 

「分かりました。頑張りましょう」

「はっ、はい!」

 

 私の言葉に力強く頷いたひとりさんは、まるでこれから決戦に赴くかのような表情で石段を見つめます。そびえたつ90段の石の道は、彼女にはいったいどんな風に映っているのでしょうか?

 ……その様子を見て苦笑しつつ、私は手を伸ばして真剣な表情を浮かべているひとりさんの頬を指で押します。

 

「ふぇ? あっ、有紗ちゃん? いきなりなにを?」

「気負い過ぎですよ。そんなに肩に力が入っていては、余計に疲れてしまいます。変に階段を上ると意識し過ぎるのではなく、雑談や景色を楽しみながら私と一緒に上りましょう」

 

 そう、ひとりさんが頑張ろうとしている気持ちは伝わってきますが、それではかえって疲れてしまうでしょう。頑張って登るのだと意識すればするほど、足も重くなるものです。

 逆にまったく関係のないことを考えながら登っていれば、気付いた時には上に着いているものです。

 

 私は軽く微笑みを浮かべながら、ひとりさんの手を握って階段をゆっくり登り始めます。それにひとりさんが続いて登り始めたのを確認してから、口を開きます。

 

「……そろそろ、お土産について相談してもいいかもしれませんね」

「あっ、なにを買って帰るかとかですね?」

「ええ、それに誰に買って帰るかもですね。結束バンドの皆さん以外にも、星歌さんやPAさん、きくりさんたちも居ますしね」

「そっ、そうなると、かなりの量ですね。小さいものの方がいいんですかね?」

「あまりに量が多ければ家に配送すればいいだけなので、大丈夫ですよ」

 

 お土産は明日購入する予定です。宿の売店もありますし、箱根湯本の駅周りにも土産物は多いので選ぶのには困らないでしょう。

 芦ノ湖周りのものは参拝が終わった後の、帰り道に買う方法もあります。

 

「リョウさんは食べ物と言っていましたね」

「あっ、そうですね。リョウさんのことだから、たくさん入ってるものの方が喜びそうです」

「ふふふ、確かにリョウさんは、質より量かもしれませんね。喜多さんは逆に、少なくとも見た目が華やかな物の方が喜びそうですね」

「でっ、ですね。喜多ちゃんは、絶対映えるものの方が喜ぶと思います。さっ、さっきのカフェのドリンクとか好きそうですね。お土産にはできませんけど……」

「確かに見た目にも華やかでしたね」

 

 早雲山駅のカフェで飲んだフルーツスムージーの上に雲をイメージした綿菓子が乗っていたニューベルというドリンクは、見た目が面白くカップのデザインもお洒落だったので、喜多さんが好きそうでした。

 

「というよりは、あのカフェ自体、喜多さんが好きそうなデザインでしたね」

「あっ、確かにかなりお洒落で、山の上だから景色もよくてイソスタ映えしそうでしたね」

「ええ……虹夏さんにはどんなお土産にしましょうか?」

「あっ、え~と……店長さんと被らないものがいいですよね」

 

 お土産物選びは旅行の醍醐味でもあります。だからこそ、その相談の会話はかなり弾み、ひとりさんもあれこれ考えながら楽しそうに話しています。

 ひとりさんは意識していないので気付いていないでしょうが、既に石段は半分以上登っており、このまま行けば本当にすぐに着きそうです。

 石段もひとつひとつの段差は低めで、それほど苦も無く登ることができています。

 

「あっ、自分用に買うのとかも?」

「いいと思いますよ。お土産物の菓子などは美味しいですしね」

「そっ、そうですね。ちょっと値段は高いですけど、美味しいものが多いですね」

「ただ、比較的賞味期限の短いものが多いので、その辺りは確認しないといけませんね」

 

 ひとりさんの意識は私との会話に集中しているみたいで、あまり疲れている様子はありません。そもそも、江の島に行った時に比べればひとりさん自身の基礎体力も上がっているのかもしれませんね。

 なんだかんだでライブなどで演奏するのにも体力は必要ですし、練習などを繰り返すうちに体力がついてくるのも必然でしょう。

 そのまましばらくひとりさんと雑談をしていると、いつの間にか石段の最後が間近となっていました。

 

「ひとりさん、もう登り終わりますよ」

「え? もっ、もうですか? いっ、意外と疲れなかったような……」

「練習などで基礎体力がついてきたのかもしれませんね」

「え、えへへ、そうですか? 私、いつの間にかこんな階段を登れるほどに……じっ、自分の成長が恐ろしいです」

 

 確かに……江の島の時から比べると大きな進歩であることは間違いないです。ただ筋肉痛の危険は依然残るので、今晩もマッサージはしっかりしましょう。

 

「あそこが御社殿ですね」

「あっ、アレが九頭龍神社ですか?」

「いえ、あちらは箱根神社のもので、九頭龍神社新宮は向こうですね。ですが、せっかくですし、箱根神社にも参拝しましょう」

「あっ、はい」

 

 石畳を歩いて箱根神社の御社殿に向かう途中で、ひとりさんがなにかに気付いた様子で口を開きます。

 

「あっ、有紗ちゃん見てください。龍の口から水が出てますよ」

「アレは龍神水ですね。霊水と言われている箱根の湧き水で、運気が上がるとも言われています。お礼所で持ち帰り用のペットボトルを100円で授与しているので、それに汲んで持ち帰ることもできるみたいですよ」

「へっ、へぇ……ちょっと、カッコいいですね」

「おみくじやお守りなどを求める際に、一緒にペットボトルも求めてみましょう」

 

 龍の口からでる霊水という響きは、ひとりさんの好みに合致しているのか目を輝かせていたので、後で求めるのもいいでしょう。せっかくなので縁結びのお守りなどは求めたいと思っていたので、丁度いいですね。

 

 箱根神社と九頭龍神社新宮を順に回って参拝したあとは、お礼所にてお守りとおみくじを受けました。おみくじは3種あり、普通のおみくじ、開運みくじ、九頭龍みくじでしたが、今回はメインの目的が九頭龍神社ということもあって、九頭龍みくじをひとりさんと一緒に求めました。

 

「あっ、えっと、有紗ちゃん……いまさらですけど、九頭龍神社って、なんの神様なんですか?」

「水などいろいろありますが、特に縁結びの神様として有名ですね」

「あっ、だっ、だから来たがってたんですね」

「はい。といっても願いをしに来たわけでは無く、ひとりさんと巡り合わせてくれたことを感謝しに来たのですが……」

「あっ、あぅ……だっ、だから、有紗ちゃんはすぐにそうやって恥ずかしいことを平気で……」

 

 手を繋いだまま、照れたように呟くひとりさんに苦笑しつつ、受け取った九頭龍みくじを開いてみます。

 紙には大吉と書いてあり、気になる項目では「待ち人:既にいる」「恋愛:積極的にせよ」とかなりいいことが書いてありました。

 

「ひとりさんは、どうでしたか?」

「…………」

「ひとりさん?」

「あっ、え? なっ、なんですか!?」

 

 おみくじを見て硬直しているようだったひとりさんに声をかけると、直後にどこか少し慌てた様子でこちらを振り向きました。気のせいか、少し顔が赤くなっているような気がします。

 

「いえ、おみくじの結果はどうでしたか?」

「あっ、大吉でした」

「そうなんですか? 実は、私も大吉でした。一緒ですね」

「あっ、本当だ……いっ、いいこと書いてありましたか?」

「ええ、さすが大吉だけあって全体的にいいことばかり書いてありましたね。特に待ち人や恋愛の項目はよかったです」

「あっ、そっ、そうなんですね。私もいいことがいっぱい書いてました」

 

 どうやらひとりさんも大吉だったみたいで、お互いにいい結果で嬉しい限りです。そのまま、合わせて求めたペットボトルに龍神水を入れるために、移動していると、ひとりさんが歩きながら小さな声で呟きました。

 

「……いっ、『今の人が最上、迷うな』って……だっ、だから、私と有紗ちゃんはまだそういう関係じゃ……」

「ひとりさん? どうかしましたか?」

「いっ、いい、いえ、なんでもないです!」

 

 声が小さく内容までは聞き取れませんでしたが、なにか気になることがあるのかと思って尋ねると、ひとりさんは少し慌てた様子で首を横に振りました。

 気にはなりますが、本人がなんでもないと言っている以上突っ込んで聞くのも野暮でしょう。そう思っていると、ひとりさんがふと思いついたような表情を浮かべました。

 

「……あっ、そういえば、有紗ちゃんのおみくじの恋愛の項目はなんて書いてあったんですか?」

「『積極的にせよ』でしたね」

「……えぇぇ……すっ、既に相当積極的な気が……」

「神様にも背中を押していただいたので、今後はもっと積極的になってみましょうかね」

「いやいや!? いっ、いま以上とか、私が持たないです……ちょっとだけ……気持ち、積極的になるぐらいでお願いします」

「ふふ、では、そうしますね」

 

 そんな風に笑いながら、繋いだ手に少しだけ力を込めて握りました。するとひとりさんも、少し握る力を強めてくれて、なんというか応えてくれたみたいで嬉しかったです。

 さすが神様のアドバイスというべきか、さっそくよいことがありましたね。

 

 

 

 




時花有紗:念願の縁結びのパワースポットにひとりと来れてご満悦。特に神様にお願いすることなどは無く、あくまで関係は己の力で進展させるつもりの猛将スタイル。参拝で伝えたのはひとりと出会えたことへの感謝。

後藤ひとり:「待ち人:既にいる」「恋愛:今の人が最上、迷うな」と書いてあったせいで変に有紗を意識してアタフタしていた。

龍神様:神は言っている。百合百合しなさいと……。


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三十六手逢瀬の温泉旅行⑥~sideB~

 

 

 芦ノ湖の観光にて、有紗が行きたがっていた九頭龍神社新宮への参拝も終わり、有紗とひとりは手を繋いだまま帰りは石段のある正参道ではなく脇参道を歩いて戻っていた。

 

「そろそろ夕方ですね。空が茜色になってきましたね」

「あっ、ですね。帰りの時間も考えると、そろそろ戻った方が良さそうですね」

「最後に平和の鳥居を見に行きませんか、来る時にも少し見えた水の中に立つ鳥居です」

「あっ、はい。夕日に照らされて綺麗そうですね」

 

 宿に戻る前に、平和の鳥居を見に行こうという話になり、ふたりは夕日に染まる参道を仲良く手を繋いで歩きながら平和の鳥居を目指す。

 昭和27年に上皇陛下の立太子礼と日本の独立、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建立された水中鳥居であり、パワースポットやイソスタ映えスポットとしても有名な場所だ。

 

「見えてきましたね」

「あっ、夕日が上手い具合に見えてて、いい感じですね」

「せっかくですし、写真でも撮りましょうか」

「あっ、はい。記念にいいですね」

 

 有紗の提案にひとりも比較的に乗り気な返答を返す。ひとりは基本的にあまり写真に写りたがらないというか、陰キャらしく恥ずかしがったり、カメラを避けることも多い。

 アー写撮影などでも、覚悟を決めてから撮影に臨んでいたので、彼女にとって写真を撮るというのはそれなりに勇気が必要な行為ではある。

 ただ、有紗と一緒にというのであれば話は変わり、今回も彼女にしては珍しく楽し気に有紗の提案に同意していた。

 

 平和の鳥居に辿り着くと、夕日が湖に反射して美しい光景を作り出しており撮影には絶好といえるタイミングだった。

 有紗とひとりは丁度バックに鳥居と湖が入るような角度で写真を撮る。

 

「おっ、おぉ……陽キャ感のある構図なのに、私のジャージ姿の映えなさですよ」

「そうですか? ひとりさんらしくていいと思いますが……しかし、ひとりさんが可愛らしい服を着た場合は、あまりにも愛らしすぎて他が目に入らないという問題もあるので、なかなか難しいものですね」

「あっ、いや、それは有紗ちゃんだけです」

 

 相変わらずの有紗に苦笑を浮かべつつ、ひとりはスマートフォンの画面に映る有紗との写真を見る。

 

(凄いなぁ。もう、余裕で中学時代に撮った写真の総数を越えてるよ。有紗ちゃんは相変わらず反則じみた美貌だけど……写真の私、なんか楽しそう。いや、まぁ、実際に楽しいんだけど……)

 

 やはり有紗と一緒というのが大きいのか、写真に写るひとりは自分でも分かるぐらいに楽しそうだった。俯き気味の顔も上がっており、ややぎこちないながら口元には笑みも浮かんでいた。

 

「さて、それでは宿に戻りましょうか」

「あっ、はい」

「今日は戻ったら先に夕食を食べてから入浴の方が良さそうですね」

「あっ、そうですね。今日はどんな料理なのか、楽しみです」

 

 仲良く手を繋いだまま、楽し気に話しつつふたりは宿への帰路についた。

 

 

****

 

 

 宿に戻って豪華な食事を食べ終えたあとは、少し食休みを挟んで温泉に入る。服を脱いで体にタオルを巻いたタイミングで、ふと有紗が思いついたように口を開いた。

 

「内風呂の方にも入ってみますか?」

「あっ、そういえば、使ってないですね。どんな感じなんでしょう?」

「木造りの綺麗なお風呂で、こちらにも窓が付いているので景色はいいですよ」

「……あっ、本当ですね。こっちもかなり広いですし、露天風呂から見える景色とはまた違う感じですね」

 

 内風呂は美しい木造りの風呂になっており、入浴したままで景色を見られるような造りになっていた。位置の関係か、露天風呂とはまた違った景色ではあるが、それはそれでかなり新鮮な光景だった。

 

「気持ちいいですね」

「あっ、はい。けど、この内風呂もいいですけど、あの露天風呂を使わないのももったいなく感じますね」

「そうですね。ある程度浸かったら、露天風呂の方にも浸かりましょうか」

「あっ、ですね。どっちも入ればいい話ですね」

 

 内風呂は綺麗ではあるが、温泉らしさという点ではやはり露天風呂の方が上である。前日に引き続き天気のいい日であり、1日目の夕方入浴とは違って現在は夜である。温泉に浸かりながら星空を見ることもできるというのは魅力的であり、ふたりはある程度内風呂に浸かったあとで露天風呂に移動した。

 

「あっ、きょ、今日は昨日より星がいっぱい見える気がしますね」

「確かに素晴らしい星空ですね。部屋から見るよりも、視界が開けている分星が多く感じるのかもしれませんね。ひとりさんと一緒にこんな美しい景色が見れて、私は幸せですよ」

「うぐっ、まっ、また有紗ちゃんはそうやって当たり前みたいに恥ずかしいことを……」

 

 相変わらずストレートに好意を伝えてくる有紗の言葉に、ひとりは顔を赤くしつつ……温泉の中で軽く有紗の手を握った。特にコレといった理由があったわけでは無く、ただなんとなくそうしたかっただけだ。

 胸のむず痒さと心地よさを同時に感じながら、ひとりは有紗と共に満天の星空を眺める。

 

「ああ、そういえば……温泉からでたらまたマッサージをしましょう。今日は昨日以上に歩いたので、特に足などはしっかりと」

「あっ、はい。そっ、そうですよね。せっかくの最終日に筋肉痛とか、笑えないですもんね」

「ですね。そしてその後は、例の権利を行使させていただきますね」

「うっ、なっ、なにをするつもりなんですか……」

「ふふ、それはその時になってのお楽しみですよ。もう必要なものは買ってきて、準備は完了しているので」

「……じゅっ、準備?」

 

 有紗が告げた準備という言葉に、ひとりは少し怪訝そうな表情を浮かべた。

 

(本当になにをするつもりなんだろう? 有紗ちゃんのことだから変なことじゃないと思うんだけど、なにか買う必要がある? そういえば、帰りに駅の売店に寄った時になにか買ってたような……けど、大きい物じゃなかった。大きい物なら気付いてたし……う~ん、なんだろう?)

 

 しかし、考えたところで答えが出るわけでもなく、ひとりは諦めたような表情を浮かべ、視線を星空に戻した。

 

 

****

 

 

 温泉から上がったあとは、前日と同じように有紗がひとりの筋肉痛を防止するためにマッサージを丁寧に行う。宣言した通り足を中心にマッサージを行った。

 すっかり体が解れて心地よさそうなひとりに対し、ついに有紗が卓球勝負の権利を行使する時が来た。

 

「さて、ひとりさん……卓球勝負での権利の行使の時間です」

「あっ、はっ、はい。そっ、それでいったいなにを……」

「これです」

 

 いったい何をさせられるのかと身構えるひとりの前で、有紗が鞄から取り出したのは耳かきだった。そして浴衣姿で座ったあとで自分の腿を軽く叩きながら微笑みを浮かべる。

 その仕草と手に持つ耳かきを見てなにを求めているかを察したひとりは、キョトンとした表情で呟いた。

 

「あえ? みっ、耳かき……ですか?」

「はい。一度やってみたかったんです。定番のシチュエーションのひとつですしね」

「たっ、確かに膝枕耳かきとか、定番といえば定番の気も……」

「というわけで、こちらへどうぞ」

「うっ、あっ、はい」

 

 明るい笑顔を浮かべる有紗に頷きつつ、ひとりも小さく笑みを浮かべた。

 

(相手に言うこと聞かせられる権利を使ってするのが、相手の耳掃除って……やっぱり、有紗ちゃんは優しいな。まぁ、そういう有紗ちゃん相手だからこそ、ああいう勝負を持ち掛けられたんだけど……)

 

 有紗に促されるままに膝枕の形で有紗の腿の上に頭を置いて寝転ぶ。以前作詞作業で徹夜をしていた際に怒られて以来の膝枕ではあったが、あの時も感じた通り不思議な安心感があった。

 頭に伝わってくる体温と、風呂上がりのボディソープの香り、目を閉じればすぐにでも寝てしまいそうな心地良さだ。

 

「それでは始めますね」

「あっ、はい」

「痛かったら言ってくださいね。人の耳かきをするのは初めてなので……」

「あっ、ふっ、普通する機会ってないですしね」

 

 そして、耳掃除が始まる。有紗はひとりの長い髪を優しくどかして、初めてとは思えないほど絶妙の力加減で耳掃除を始めた。

 それに心地よさそうに目を細めつつ、ひとりは思考する。

 

(気持ちいい……これだと、罰ゲームというよりは私が得してるような。耳周りを触られるのはちょっとだけ恥ずかしいけど、有紗ちゃん相手なら忌避感とかは無いし……なんと言うか、極楽だなぁ)

 

 耳掃除中に話すと有紗が困るだろうと黙っており、静かで心地よい時間が流れる。微笑みつつ黙々と耳掃除を続ける有紗に、その心地良さにウトウトとするひとり、言葉はなくとも温かな空気が形成されている。

 ひとりが心地よさそうにしているのは有紗にも伝わっており、それが嬉しいのか優しい笑顔を浮かべながら耳掃除を続ける。

 そして、片耳の掃除が終わったタイミングで有紗はひとりの耳元に顔を寄せフッと息を吹きかけた。

 

「ひゃんっ!? あっ、ああ、有紗ちゃん!? なっ、なにするんですか!」

「ああ、いえ、仕上げはフッと息を吹きかけるものだと……恋愛映画で見たので」

「うぅっ、びっ、ビックリしました」

「それは驚かせて、申し訳ありません。次は一声かけてからしますね」

「え? あっ、いや、そういう問題じゃ……ううん。まっ、まぁ、いいか……」

「さぁ、次は逆側ですよ」

「あっ、はい」

 

 突然息を吹きかけられて飛び跳ねたひとりだったが、楽しそうに微笑む有紗の顔を見て毒気を抜かれたのかそれ以上なにかを言うことはなく、向きを変えて再び有紗の膝枕に寝転がった。

 

(もぅ、有紗ちゃんは本当に……ビックリしたし、顔熱い……けど、うん。まぁ、嫌とかじゃなかったし……一声かけてくれるなら別に……)

 

 そもそもの話として、ひとりから有紗に対する好感度は極めて高い。先ほどの耳への息の吹きかけも驚きこそしたが、不快感などはまったく無かった。「相変わらず思いついたらすぐ行動するんだから」と少し呆れこそしたが、それも有紗らしいと感じた。

 

 そして、再び始まった耳掃除と膝枕の心地よさを感じて、ひとりは幸せそうに眼を閉じた。

 

 

 

 




時花有紗:相手に言うことを聞かせられる権利でするのが、耳掃除。ひとりを膝枕するのは好きなようで、幸せな時間を過ごした。

後藤ひとり:終始いちゃいちゃしてるぼっちちゃん。傍目に見れば「これで付き合ってないとかなに言ってるの?」状態である。なんなら周囲には普通に恋人同士として認識されていそうな気さえする。


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三十七手逢瀬の温泉旅行⑦

 

 

 卓球勝負で得た権利を行使しての耳かきは、至福の時間と言ってよかったです。ひとりさんが膝の上で寝転がっているというのも素晴らしいですが、私の耳かきで気持ちよさそうにしてくれているのを見るのは幸せでした。

 だた残念ながら幸せな時間というのはあっという間に過ぎてしまうものです。実際、この旅行も早くも2日目が終わろうとしていますし、あまりの時間の早さに驚くばかりです。

 

「ああ、そういえばひとりさん。朝の一件を覚えていますか?」

「あっ、朝の……あっ、えっと……私が有紗ちゃんの布団に潜り込んだ話ですか?」

「はい。ひとりさんにとっても誤算だったと言える状態でしょう……ですが、その件に関しては対策を打っておきました」

「たっ、対策? ……あっ、なんか、凄く嫌な予感がします。私も有紗ちゃんのことは結構分かるつもりなので、なにを考えているのかもだいたい……いっ、嫌な予感がします」

 

 朝は私にとっては幸せな時間でしたが、ひとりさんにとってはかなり恥ずかしい思いをしてしまったことでしょう。ですが、人は失敗から学ぶ生き物であり、再発に備えることもできます。

 というわけで、完璧な対策を考えておいたのですが、ひとりさんはなにか困惑したような表情を浮かべていました。

 

「……あっ、有紗ちゃん……その『最初から同じ布団で寝ていれば潜り込んだりすることも無い』とか、そっ、そういう対策じゃないですよね?」

「さすが、ひとりさんは私のことがよく分かっているのですね。正解です」

「……あぁ、やっぱり……」

 

 なんと対策といっただけでひとりさんは私の考えを察してくれたみたいでした。以心伝心の関係というのは、なんだか嬉しいですね。

 そう、ひとりさんが言った通り、私の考えた対策とは最初から同じ布団で寝るというものです。こうすれば、ひとりさんが間違えて私の布団に潜り込むこともありませんし、私も幸せなので言うことなしです。

 

「いっ、いや、さすがに恥ずかしいですし……そっ、そもそも、布団の大きさが……」

「安心してください。朝のうちに宿の方に伝えて、大型の布団に変更してもらっていますので、私たちがふたり入っても大丈夫なサイズです」

「あっ、相変わらず行動力が凄すぎる……終わった」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは唖然とした後で天を仰ぎました。そして、どこか諦めた様子で私と共に寝室に移動して……再び驚愕した表情を浮かべました。

 

「……あっ、ああ、有紗ちゃん!?」

「……違いますよ。これは、私が手配したりとかそういうわけではありませんよ」

「じゃっ、じゃあ、なんで枕元にハートの形になったタオルとかが置いてあるんですか!?」

 

 ひとりさんの言う通り、寝室には大きな布団と隣り合う二つの枕、そして枕元に丸めてハートの形に置いたタオルがあり、そのハートの中央には小さな箱がありました。

 

「……おそらくですが、一部のホテルなどでベッドメイキングの際にカップル向けの飾りを施したり、花で模様を作ったりすることがあるので、それに近い物でしょうね。あの箱は、宿から私たちへのプレゼントでは?」

「あっ、あの、有紗ちゃん。宿の人たちに、私たちがどういう関係って伝えたんですか?」

「普通に友達と伝えましたね。将来結婚する予定とも言いましたが」

「絶対それが原因ですよ!? はぁ、もう、本当に有紗ちゃんは……けっ、けど、変なのは枕元と箱だけで、それ以外は普通ですね」

 

 ひとりさんの言う通り、演出といってもちょっとワンポイントだけ気を利かせた程度のものでした。そして気になる箱の中身は、お洒落なアロマキャンドルが入っていました。

 それを手に取り、軽く香りを嗅いでみると……。

 

「……これは、イランイランですね。ああ、なるほど、だからハート形に……」

「あっ、あの、有紗ちゃん? イランイランって?」

「ねっとりと甘い香りに催淫効果があると言われているアロマですね」

「さっ、催淫!?」

「ええ、とはいっても別に強い効果などではなく、個人差も大きいです。精々、少し気分を高める程度ですね。ただ、カップルなどがムーディな夜を演出するのに使うことも多いことから夜の香りの代表格と呼ばれることもありますね」

「よっ、夜の香りの代表格……」

 

 なるほど、将来結婚する予定のふたりが高級な温泉宿に……婚約者等と勘違いしてもおかしくはない条件が整っていますね。そして、今朝になって一緒の布団にしてほしいと頼んだことで、気を利かせて用意してくれたのでしょう。

 よく見ると部屋の隅にキャンドルウォーマーランプもあるので、火を使わず焚けるように準備もしてくれているみたいですね。

 

「あっ、有紗ちゃん!? つっ、使っちゃ駄目ですからね!」

「ええ、大丈夫ですよ。まぁ、せっかく頂いたものなので記念に持って帰りましょう」

「あっ、はい」

「それでは、布団に入って寝ましょうか」

「えぇぇぇ、こっ、この流れから平然と!? そっ、その強いメンタルが羨ましいです」

 

 アロマキャンドルは元の箱に入れて置き、ひとりさんと一緒に布団に入ります。ひとりさんは、やや緊張気味でしたが諦めた様子で布団に入ってきました。

 やはり、ひとりさんが私の家に泊った際にも思いましたが、こうして同じ布団に入ると、直接触れていなくとも温もりが伝わってくるようでいいですね。

 

「それじゃあ、明かりを消しますね」

「あっ、はい」

 

 明かりを消して暗くなった部屋で布団に入っています。静かではありますが、隣にひとりさんが居て息の音が聞こえてきて、少し不思議な気分です。

 昨日よりも距離が近いからでしょうか、ひとりさんの存在を近くに感じて……。

 

「……おや?」

「へ? あっ、えっ、えっと、ちっ、違うんです!? つっ、つい無意識に……」

 

 目を閉じていると手に感触があって、ひとりさんが私の手を握ってきたのに気づきました。そのことに首を傾げると、ひとりさんは少し慌てた様子で弁明します。しかし、例によって私的にはまったく問題ないため、ひとりさんの手を握り返しました。

 

「いいじゃないですか。私も、ひとりさんと手を繋いでいると安心できますし、このまま繋いでいましょう」

「あっ、有紗ちゃんも? そっ、それなら……はい」

「それでは改めて、おやすみなさい、ひとりさん」

「あっ、はい。おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 私の言葉に安心してくれたようで、ひとりさんは穏やかな声でおやすみと返してくれました。こうして、寝る前におやすみと言い合って寝れるのは、本当に幸せなことですね。

 

 

****

 

 

 朝目覚めてすぐに感じたのは温もり、次に感謝でした。さすが、縁結びのパワースポットに行ったおかげか、幸せな出来事がありました。

 正直に言えば一緒の布団で寝ることになった時点で、多少は期待していましたが……朝起きると、ひとりさんが私を抱きしめて眠っていました。

 

 以前に私の家に泊った際もそうでしたが、ひとりさんは同じ布団で誰かが寝ていると抱きしめる癖があるのかもしれません。

 ともかく至福の温もりと感触です。私のほうが背が高い影響でしょうか、ひとりさんは私の肩に額を擦り付けるような姿勢で眠っており、その寝顔はとてつもない愛らしさです。

 

 まぁ、とりあえず、大変素晴らしい状態なので例によってひとりさんの背に手を回して抱きしめます。コレは本当に癖になってしまいそうな心地よさです。

 今後もひとりさんと一緒に寝る機会があれば、ぜひ同じ布団で眠って朝のこの幸せな時間を味わいたいですね。

 

「……んっ……有紗ちゃん……」

 

 声が聞こえてひとりさんが目覚めたのかと思いましたが、どうやら寝言だったようです。私の夢を見ているのでしょうか? 夢の中でもひとりさんと会えているのであれば、それはそれでとでも幸せですね。

 そんな風に思いつつ、ひとりさんを抱きしめて頭を撫でます。前日とは違い、今回はひとりさんの方も私を抱きしめている影響で、密着度が高い気もします。

 

「……んん?」

「ああ、おはようございます、ひとりさん」

「あっ、有紗ちゃん? おはよ――ッ!?」

 

 今度こそ目を覚ましたひとりさんは、少し寝ぼけたような目を開けて……すぐに状況に気付いたのか硬直し、みるみる顔を赤くしていったので、先ほどより強く抱きしめました。

 

「あっ、ああ、有紗ちゃん!? まっ、まま、また……」

「はい。例によって大変素晴らしいシチュエーションだったので、堪能していました。縁結びの神社に行ったおかげですかね」

「そっ、そんなに自信満々に……わっ、私は物凄く恥ずかしいんですが……とっ、というか、今回は私も?」

「そうですね。まぁ、些細な問題です。私は幸せですし」

 

 さすがに3度目となると、ひとりさんもある程度は慣れているのか恥ずかしそうにしつつも、比較的過去2回よりは落ち着いているように見えました。

 まぁ、それはそれとして、私としてはまだ足りないのでもう少し抱きしめていたいです。何とか話を引き延ばせないものでしょうか……。

 

「ところでひとりさん」

「え? あっ、はい……というか、恥ずかしいので早く離して欲しいんですが……」

「ええ、その件でひとつ相談があります」

「そっ、相談ですか?」

「はい。私はまだしばらくこのままでいたいので、話を引き延ばしたいのです。なので、しばし雑談をしましょう」

「えぇぇぇ……そっ、それ、私に直接言うんですか!? しょっ、正面突破過ぎる……」

 

 もちろんひとりさんの意思を無視するというのも問題です。なので、しっかりとひとりさんに許可を取ってからこの幸せを堪能したいです。

 こういうことは誠意が大事です。ひとりさんの目を真っ直ぐに見つめながら、しっかりとお願いします。

 

「お願いします。ひとりさん」

「うっ、そっ、そんな、キラキラした目で……うぅぅ……ちょっ、ちょっとだけ……本当に少しだけですからね」

「ありがとうございます。それでは、あと1時間ほど雑談をお願いします」

「ちょっとじゃない!?」

 

 いえ、私としては本当にいつまでもこうしていたいぐらいです。ひとりさんは驚愕したあとで、呆れたような表情を浮かべましたが……なんだかんだでその後、1時間近くに渡り私との雑談に付き合ってくれました。

 

 

 




時花有紗:おみくじのアドバイス通り積極的に……と思ったが、布団に関して言っていたのは朝だったので、平常運転だった猛将。やはり正面突破する潔さ。

後藤ひとり:普通に好感度が高すぎて、大抵のことは「しょうがない」みたいな顔して受け入れてくれる。寝ている時に人に抱き着く癖があるのではなく、正しくは「有紗と一緒に眠っていると安心感から無意識に有紗に抱き着く」ため、結果として一緒に眠ると朝に抱き着いている。


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三十八手逢瀬の温泉旅行⑧

 

 

 朝から幸せな温もりを堪能したおかげか、朝食の席でも自然と笑顔が浮かぶのを実感できました。惜しむらくは、今日が旅行の最終日であり帰らなくてはならないということでしょう。

 ひとりさんとふたりで過ごす時間が終わってしまうのは非常に悲しいですが、仕方のないことです。また今度旅行に行くという手もありますし、いずれ結婚すれば同棲して一緒に居られるのですからね。

 

「あっ、そういえば有紗ちゃん、今日はいつごろ帰る予定なんですか?」

「昼過ぎにチェックアウトして、駅前でお土産を買ったり買い物をして帰る予定です」

「あっ、じゃあ、まだ結構時間がありますね」

「ええ、まだ数時間はこの宿に居る形ですが、ひとりさんはなにかしたいことはありますか?」

 

 いちおうひとりさんの帰宅時間を考慮して、夕方ごろに新宿に着く特急の切符を買っています。ひとりさんの家の地理を考えると、帰りだけでも藤沢経由の方が帰りやすいかと思いましたが、ひとりさんの希望もあって行きと同じ経路での帰宅です。

 そして、ひとりさんの言う通りまだしばらく宿で過ごすわけですが、レクリエーションルームに行くという雰囲気では無いですし、むしろ3日目である程度疲労も溜まっているでしょうし、のんびりしたそうに見えます。

 

「あっ、ゆっくり過ごしたいですね」

「では、景色のいい部屋でお茶と和菓子でも楽しみながら、のんびりと過ごしましょうか」

「あっ、いっ、いいですね」

 

 ひとりさんも賛成してくれたので、チェックアウトの時間まではのんびり過ごすことに決定しました。朝食を食べ終えて着替えたあと、初日に休憩に使った部屋に移動して窓近くの座椅子に並んで座ります。

 向かい合って座らなかったのは、特に意識したわけでは無いですがなんとなくですね。

 

「……あっ、お茶が美味しいですね」

「寒い朝に、温かいお茶はいいですね。まぁ、この部屋は暖房が効いていて温かいですが……」

「でっ、ですね。かっ、帰ったら年末ですね」

「そうですね。年末、正月、イベントも多いですし、結束バンドとしても年が明ければ本格的に未確認ライオットに向けて準備に取り掛かる形でしょうね」

 

 今日が28日なので、ひとりさんの言う通りもうすっかり年末です。年が明ければ正月に、バレンタインに、ひとりさんの誕生日とイベントは目白押しなので、楽しみですね。

 初詣は……ひとりさんが好むものでは無いですね。人がたくさんいますし……。

 

「あっ、有紗ちゃん……手を繋いでもいいですか? いっ、いや、特に理由は無くて、なんとなくなんですけど……」

「ええ、喜んで」

 

 たぶんですが、私が今日が旅行の最終日だと物寂しさを感じているのと同じで、ひとりさんもなんとなく寂しさを感じているのでしょう。

 手を繋いでふたりで窓の外の景色を見ます。ゆっくりと時間が流れるようなこの感覚は好きですね。

 

「しかし、惜しむらくは朝の至福のひと時が明日からは無くなってしまうのが、残念ですね」

「いっ、いやいや、私は2日とも朝あんなことになっててビックリでした。あっ、有紗ちゃんは全然離してくれないですし、恥ずかしいですし……」

「ですがひとりさん、ハグをすることでβエンドルフィンやオキシトシンなどのリラックスしたり、幸福を感じたりするホルモンが分泌されるというのは科学的に証明されています。ファミリーセラピーの世界的権威であるバージニア・サティア氏曰く『人生を生き抜くには1日4回のハグが必要。心のメンテナンスには8回、成長には12回必要』と語るほど、ハグというのは重要なのです」

「あっ、えと、そうなんですか?」

 

 まぁ、これはあくまでアメリカなどの挨拶的なハグの話であり、朝行ったような長時間のハグではないのですが、それでも幸せをたっぷり感じることができたのは間違いないです。

 

「でっ、でも、私としては顔から火が出るほど恥ずかしいので、こっ、高頻度でやられると困ります」

「幸せのあまり自制が効かないのは、本当に申し訳ない限りです……けど、うん? 高頻度でやられると困る? たまにならしてもいいのですか?」

「うっ……あっ、えと……たっ、たまになら……他に人が居たりしないなら、少しぐらいは……」

「ひとりさんっ……」

「えぇぇぇ、そんな感極まったような顔をするほどですか……もぅ、本当に有紗ちゃんは……」

 

 まさかのたまにならハグしてもいいという許可が下りました。感激して目を潤ませると、ひとりさんはどこか楽し気に苦笑を浮かべていました。

 なんとなくではありますが、またひとりさんとの距離が近くなったような、そんな気がしました。

 

 

****

 

 

 宿をチェックアウトして箱根湯本の駅まで送迎してもらい。予定通り周辺の店でお土産を購入することに決めました。

 リョウさんは量の多い物、虹夏さんは星歌さんと被らないように変化を付けてと、それぞれに合わせた品を選んで購入します。

 

「あっ、喜多ちゃんには、なにがいいですかね?」

「近くに雑誌にも乗っているオーブンケーキの店があって、ナッツヴェセルという菓子があるので、それがいいかもしれませんね」

「おっ、おぉ……なんか、名前からしてお洒落……」

「チーズケーキなどもいいのですが、要冷蔵の品はやや不向きですしね」

「あっ、有紗ちゃんが居てくれてよかったです。私だけだったら、絶対お饅頭とかになってました」

「お饅頭も美味しくていいですけどね」

 

 相談しながら皆さんのお土産を購入していきます。最終的にそれなりの量になり、持って帰れないというわけでもありませんでしたが、荷物を抱えて帰るのも大変なので郵送することにしました。

 元々郵送も視野に入れて下調べはしておいたので、特に問題はなくそれぞれの住所に郵送する手配は完了しました。

 帰ればすぐに年末なので、結束バンドの皆さんにお土産を渡すのは年明けになる可能性が高いですし、それほど急ぐ必要もありません。

 

 荷物の郵送手続きが終わった後は、カフェに入って軽食を食べつつ休憩して時間を潰し、切符を購入している特急の時間になったら、移動して電車に乗ります。

 いよいよ帰宅と思うと少し寂しさもありますが、楽しかったと心から満足できる旅行だったので、気持ちはとても晴れやかです。

 

 電車に乗り、隣同士の席に座りつつ、ひとりさんと穏やかに会話をします。

 

「ひとりさんは、まだ家まで長いですね」

「あっ、そうですね。でも、新宿まではこの列車に乗ったままですし、その後は、割と慣れた列車なので大丈夫です。にっ、荷物も少ないですしね」

「確かに、新宿まではまだしばらくかかりますしね」

「あっ、けど、やっぱり帰るってなると、そこそこ疲労感が出てきますね。さっ、さっきまでは、そんなことなかったですけど……」

「なんだかんだで3日間あちこち回りましたからね」

 

 実際、ひとりさんにとって過去を考えてもかなりの移動量だったでしょう。以前江の島を1日観光したら全身筋肉痛になっていたので、2泊3日となると疲労度も大きいでしょう。

 ただ、それほど疲れ切ったという様子が無いのは、それだけひとりさんが楽しんでくれた証拠ともいえるので、なんだか心が温かくなる思いです。

 

「でっ、でも、これで旅行も終わりと思うと、少し寂しいですね」

「ええ、私も同じ気持ちです。ですが、そう思えるということは、それだけ旅行が楽しかったということでもありますね」

「あっ、はい。そうですね。すっ、凄く、楽しかったです」

「また行きましょうね」

「はい!」

 

 またこうして一緒に旅行に行こうという私の言葉に、ひとりさんは笑顔で頷いてくれました。そしてそのあとで、ふと思いついたように口を開きます。

 

「……あっ、有紗ちゃん。また、手を繋いでてもいいですか?」

「はい。もちろん」

「えへへ、なっ、なんか、有紗ちゃんと手を繋いでると安心できるので……」

「そう思ってもらえると、私も嬉しいです」

 

 握った手に温もりを感じつつ、視線を動かせば、私たちを見送るような富士山が見えました。本当に楽しい2泊3日の旅行でした。終わったばかりなのに、また行きたいと思えるほど……。

 そんな風に幸せな気持ちを感じつつ、ひとりさんとしばらく雑談をしていると……途中でひとりさんが、ウトウトと眠そうにしているのに気付きました。

 

「……ひとりさん、寝ても大丈夫ですよ。新宿に着く前に起こしますから」

「あっ、うっ……はい。そっ、それじゃあ、すみません。少し、寝ますね」

「はい。おやすみなさい、ひとりさん」

「……おやすみなさい……有紗ちゃん」

 

 やはり疲れは蓄積していたのでしょう。ひとりさんは目を閉じて少しすると眠った様子で寝息が聞こえてきました。

 そのままでは少しバランスが悪いので、軽くこちらに引き寄せて、私の肩にもたれ掛からせます。

 

「……ん……有紗ちゃん……」

 

 小さな声が聞こえました。どうやら、私の夢を見ているみたいです。朝の時も思いましたが、それは本当に幸せなことですね。

 そんな風に考えていると、更に寝言が聞こえてきました。

 

「……あっ……そん……激しいの……だめ……れす」

 

 ……夢の中の私はいったいなにを? 分かりませんが、少し羨ましくもありますね。

 

 そんな風に考えてフッと笑みを溢したあとで、私はひとりさんと繋いでいた手を一度軽く解いてから、指を絡めるようにして繋ぎなおしました。いわゆる恋人繋ぎという形ですね。

 もたれ掛かったままで安心したように眠るひとりさんの寝顔を見て微笑みつつ、手に伝わってくる温もりをじっくりと堪能します。

 

 穏やかで幸せな気持ちです。本当に人を好きになるというのは素敵なもので、こんな些細な移動の時間にさえ、これだけの幸せを味わえるのですから……凄いものです。

 恋をする前とした後では世界の見え方が変わるという話も聞きますが、確かにそれも大げさではないでしょう。

 

「……ひとりさん、大好きですよ。これからも一緒に居てくださいね」

 

 眠るひとりさんに小さくそう声をかけてから、私は握る手に少しだけ力を込めて外の景色に視線を向けます。

 

 ……気のせいかもしれませんが、ひとりさんの手の力も少しだけ強くなったような……そんな気がしました。

 

 

 




時花有紗:2泊3日幸せいっぱいだった。少し寂しくはあるが、まだまだこれからもイベントはたくさんなので、楽しみ。直近は初詣かな?

後藤ひとり:……はてさて、最後の有紗の言葉の際に起きていたのかどうなのかは不明だが、有紗との絆はいままで以上に深まったのは確実である。


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三十九手多忙の初詣~sideA~

 

 

 楽しく幸せだったひとりさんとの箱根旅行から帰り、年末年始を迎えます。日々楽しいことばかりで過ごせればとは誰しもが思うでしょうが、生憎とそうはいかないものです。

 ビッシリと埋まった年末年始のスケジュールを見ると、なんとも言えない気分になります。

 

 年末年始はパーティや新年会への招待も多く、親しい方に挨拶をする必要もあるので特に3が日は非常に忙しいです。

 人脈というのはとても大切なので疎かにするわけにも行きませんし、こうした機会でないとなかなかお会いできない相手というのも居るので致し方ない部分もあります。

 3が日を過ぎて4日になったら落ち着くので、ひとりさんの家に新年のあいさつと共に遊びに行くことにしましょう。

 

 そんな風に考えていると、ロインに喜多さんからのメッセージが届きました。内容としては、4日に私とひとりさんと喜多さんの同級生3人で初詣に行かないかというお誘いでした。

 私としては問題はありませんが3が日を避けたとはいえ、明らかに人が大量に居るであろう場所に行くことをひとりさんが了承するかどうかは、不明です。

 そう思って尋ねると、どうやら先にひとりさんには確認済みだったようで、かなり渋っていたみたいですが「有紗ちゃんが参加するなら……」ということで初詣を了承してくれたようでした。

 

 であるならば私が断る理由もありませんので、喜多さんに了承のメッセージを返し、そのあとで喜多さんが作成したグループロインにてひとりさんも加えて時間などの相談を行いました。

 初詣、楽しみですね。ひとりさんとは一緒に神社に参拝したばかりではありますが、初詣はまた雰囲気が違いますし楽しそうです。

 

 まぁ、その楽しい未来の前に向き合わないといけない現在があるわけですが……えっと、年賀状は既に出し終えているので問題は無いとして、新年にお会いできない相手や海外に住んでいる知人への手紙も書かなければなりませんね。

 電子化が進む昨今ですが、手書きの手紙を好む人もまだそれなりに居ますので、書く枚数もなかなか……額縁に入れたひとりさんの浴衣姿の写真を見て心を癒しつつ頑張りましょう。

 

 

****

 

 

 年が明けて最初に行うのは、もちろん家族への挨拶です。生憎とお母様はスケジュールの都合で2日に帰宅する予定ですので、その時に挨拶をするとして、今日はお父様がいらっしゃるのでお父様に挨拶です。

 もちろんお父様も新年会やパーティの招待、開催で忙しいので短い時間ではありますが……。

 

「お父様、あけましておめでとうございます」

「おめでとう、有紗」

「今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ……そうそう、お年玉を用意しているよ。有紗なら心配ないとは思うけど、お金の使い方には気を付けてね」

「はい。ありがとうございます」

 

 お父様の言葉を受けて、じいやがジュラルミンケースを運んできてくれました。去年より大きい気がします……お父様は、私……というか、家族に贈るプレゼントに関して少々加減を知らない部分があります。まぁ、それだけお父様が家族を愛しているという証明でもありますが……。

 

 お父様にお礼を言って、軽く雑談をしたあとは互いにスケジュールも詰まっているのでそれぞれの予定に向かうことになりました。

 頂いたお年玉は、じいやに銀行に振り込みを行ってもらうようお願いをして、私も招待されているパーティに向かうために家を後にしました。

 

 

****

 

 

 忙しかった3が日も終わり1月4日。私はひとりさんの家を訪れていました。喜多さんと3人で行く初詣は午後からなので、午前中に新年の挨拶に伺いました。

 

「あら、有紗ちゃん、いらっしゃい」

「あけましておめでとうございます、お義母様。今年もよろしくお願いします」

「ふふ、ええ、こちらこそ」

 

 出迎えてくれたお義母様に挨拶をしたあと、リビングに居たお義父様にも挨拶をします。すると、そのタイミングでふたりさんがやってきて、明るい笑顔で挨拶をしてくれました。

 

「有紗おねーちゃん。新年、あけましておめでとーございます」

「はい。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします……ああ、ふたりさん。これは、私からのお年玉です」

「わっ、ありがとう、有紗おねーちゃん!」

「ふふ、どういたしまして、ですが無駄遣いをしてはいけませんよ。お義母様と相談しながら、使ってくださいね」

「はーい」

 

 元気よく返事をするふたりさんの頭を撫でたあとで、私は3人に軽く断りを入れてからひとりさんの部屋に向かいました。

 

「ひとりさん、あけましておめでとうございます」

「あっ、有紗ちゃん。あけましておめでとうございます……あれ?」

「どうしました?」

 

 ひとりさんの部屋に着いて、ひとりさんと挨拶を交わしたのですが、直後にひとりさんが少し怪訝そうな表情を浮かべました。

 私が首を傾げながら聞き返すと、ひとりさんは少し迷うような……それでいて心配そうな顔で口を開きます。

 

「……あっ、あの、違ったらすみません。あっ、有紗ちゃん……なっ、なんか疲れてないですか? あっ、いや、根拠とかがあるわけじゃないんですけど、なっ、なんとなく、そんな気がして……」

「……」

 

 率直に言ってかなり驚きました。確かに年末年始と忙しかったこともあって、私は現在それなりに疲労していると言っていいと思います。体調管理は万全でしたので肉体面は問題ありませんが、精神的な疲れまではやはり完璧に消し切ることはできません。

 ただ、それを気付かれたのは初めてです。様々な習い事のおかげか、そういった疲労を表に出さない、悟らせないというのは得意だと思っていましたが……ひとりさんには通用しなかったみたいです。

 

「ひとりさんには、隠し事はできませんね……ええ、実は少し疲れています。いえ、体調管理はしっかりしていたので、精神的な疲れではあるんですが……」

「あっ、やっ、やっぱり……有紗ちゃんが疲れているのは、初めて見たので、ちょっと自信なかったですけど……」

「年始の新年会やパーティの招待が非常に多くて……多い日だと、1日で4つのパーティに参加したりしていたので、やはりなんだかんだで疲れましたね。パーティ中もほぼ挨拶ばかりでしたし……必要なことではあるので文句を言うわけにも行きませんがね」

「ひぇ……やっ、やっぱり、セレブはセレブで大変なんですね」

 

 苦笑する私に対し、ひとりさんは少し青ざめた表情を浮かべます。たぶん、自分が同じような経験をしたらどうなるかを想像しているのだと思います。

 

「まぁ、一番忙しい所は過ぎましたので、もう安心です」

「そっ、それならよかったです……けど……う、ううん……」

「ひとりさん?」

 

 苦笑する私を見て、ひとりさんはホッとしたような表情を浮かべたあとで……なにやら真剣に悩み始めました。

 私の呼びかけにも反応することはなく考え込んでいたひとりさんでしたが、少しすると顔を上げて真剣な目で私を見てきました。

 

「……あっ、有紗ちゃん!」

「はい?」

「しっ、失礼します!!」

「……はえ?」

 

 そして直後にひとりさんはグッと私の後頭部に手を回して、そのまま自分の胸に私の頭を抱え込むように抱きしめました……え? なにごとですか!?

 突然の行動に思わず変な声を出してしまいました。正直思考が追い付いていません……な、なぜ突然ひとりさんに抱きしめられているのでしょうか? 3が日に頑張った私への神様からのご褒美? それとももしかして、私はいま眠っていて夢を見ているのでしょうか?

 

「ひ、ひとりさん? 突然なにを……」

「あっ、ああ、あの、えっと……ハグすると、エンドルフィンとかなんかが出て、リラックスできるって、前に有紗ちゃんが……だっ、だだ、だから! あっ、有紗ちゃんが疲れてるなら、力になりたいですし、そのえっと……」

「ひとりさん……」

 

 私を抱きしめたままで慌てた様子で告げるひとりさんの言葉に、ジーンと胸が温かくなるのを感じました。私が精神的に疲れているのを見て、なんとかリラックスさせようと行動を起こしてくれたみたいです。

 なんという慈愛の心……やはりひとりさんは、慈愛の天使ではないでしょうか?

 

「……私のためを思って行動してくれる、ひとりさんの気持ちが本当に嬉しいです」

「あっ、はい。えっ、えと、どうですか? こっ、効果ありますか?」

「はい。とても心休まる思いです」

「そっ、それなら、よかったです」

 

 私もひとりさんの背に手を回して、ギュッと抱き着きます。ひとりさんの体から伝わってくる温もりが、私の体に沁み込んでくるかのようで、心が幸福な気持ちで満たされていくのを感じました。

 そして同時に、精神的に疲労していたはずの心が癒され、活力が際限なく湧き上がってくるのを感じます。ほどなくすると、私の精神は疲労しているどころかベストコンディションといっていいほどに回復していました。

 

「ひとりさん、ありがとうございます! おかげで、凄く元気になれました!」

「うぉっ、眩しっ!? きっ、キラキラして……え? こっ、ここ、こんなに? ここまで、目に見えて効果があるほどなんですか……いっ、いや、まぁ、有紗ちゃんが元気になったのはよかったですけど……」

 

 自分でも驚くほどに元気になっているのを感じています。いまからもう一度年末年始の過密スケジュールが来ても余裕で捌けそうなほどです。いえ、まぁ、来てほしくはないですが……。

 

「はい。ひとりさんのおかげですっかり元気になりました……まぁ、それはそれとして、もう少しこの幸せなハグは継続でお願いします」

「えぇぇぇぇ……いっ、いや、私は結構恥ずかしいんですが……」

「精神を癒すのとは関係なく、純粋に私が幸せなので継続で……」

「そっ、そこは嘘でも回復のためとか言ってほしかったです。はぁ、本当に有紗ちゃんは……」

 

 少し呆れたように言いながらも私の要望を拒否することはなく、ひとりさんはそのままハグを続行してくれました。本当に幸せで、出来ればずっとこうしていたいぐらいです。

 

「ひとりちゃん、有紗ちゃん、飲み物を持って――あっ」

「「あっ……」」

「あらあら……お邪魔だったわね」

「ちっ、ちがっ!」

「今夜はお赤飯ね!」

「お母さん!? 違うから、誤解だから!!」

 

 なんとも絶妙なタイミングで現れたお義母様にハグを見られ、ひとりさんは顔を真っ赤にして弁明を始めます。流石にそのまま黙っているのも問題なので、私もひとりさんの弁明を手伝うことにして、お義母様に話しかけました。

 まぁ、楽し気なお義母様の様子を見る限り、ある程度誤解だと分かった上でからかっているのでしょうが……。

 

 

 

 




時花有紗:年末年始が過密スケジュールで珍しく疲れていたが、ひとりのハグで気力、精神力、体力すべてが全回復した。ハグを中断されたのは、ちょっとだけ残念。

後藤ひとり:他の家族はまったく気づかなかった有紗の疲労を一目見ただけで気付く……どう見ても愛の力。有紗が精神的に疲労していると知るや否や、恥ずかしがりつつもハグを決行する……誰が見ても有紗大好き。


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三十九手多忙の初詣~sideB~

 

 

 有紗、ひとり、喜多の3人が初詣に向かう予定の神社の最寄り駅。待ち合わせの場所で待つ喜多の元に、有紗がやってくる。

 

「喜多さん、あけましておめでとうございます」

「有紗ちゃん、あけましておめでと~……あれ? ひとりちゃんは、一緒じゃなかったの?」

「いえ、居ますよ……こちらに」

 

 ひとりの姿が見えずに不思議そうに首を傾げていた喜多だが、有紗に尋ねると有紗は自分の後方を示す。それに従って、有紗の後ろに回り込んでみると、そこには有紗の背中にピッタリ張り付いて隠れているひとりの姿があった。

 

「正面から見えないほど隠れきってる!?」

「あっ、喜多ちゃん……あっ、あけましておめでとうございます」

 

 神社の最寄り駅、1月の4日ともなれば当然ながら初詣に行こうとする人たちは多い。駅は年一番といっていい混雑であり、当然人も多い。

 そんな人混みにひとりが耐えられるわけもなく、早々に有紗の背後に影のように張り付いて隠れてしまっていた。

 

「あっ、有紗ちゃん、ちゃんと傍に居てくださいね」

「はい。大丈夫ですよ」

「う、う~ん、ひとりちゃんは相変わらず……いや、まぁ、有紗ちゃんさえいればいちおう初詣の場に出てこれるだけ成長しているのかな?」

 

 ある意味で相変わらずといえるひとりの様子に苦笑しつつ、喜多とひとりを背中に張り付けた有紗は神社に向かって歩き出す。

 

「そういえば、私とひとりさんはつい最近神社に行ったばかりなので、年末年始を挟んですぐに参拝ですね」

「あっ、そうなんだ。旅行で行ったの?」

「ええ、箱根神社に……写真もありますよ」

「うわっ、いいなぁ。夕日の湖と鳥居、凄く映えてるわ……羨ましい。今日は私たちも映える写真撮りましょう! ね? ひとりちゃん?」

「え? あっ、私はこの位置で……」

「それだと正面からじゃ映らないじゃない!?」

 

 箱根旅行で撮影した写真を有紗に見せてもらった喜多は、羨ましそうな表情を浮かべる。クリスマスライブに期末テストと12月は中々に忙しくて、イソスタもあまり更新できていなかった喜多にとっては、映える写真はまさに今求めているものだった。

 

「あっ、そうだ。有紗ちゃん」

「はい?」

「ほんっとうに……ありがとう!」

「う、うん? なにがでしょうか?」

 

 なにかを思い出した様子の喜多は、突如有紗の手を両手で握って噛みしめるように感謝の言葉を伝えてきた。しかし、その感謝の理由がよく分からない有紗は首を傾げ、ひとりも有紗の背後で不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「いや、有紗ちゃんが勉強を教えてくれたおかげで、期末テストも凄くよくて……勉強をしっかり頑張ったからって、お年玉いつもより多く貰えたのよ。本当に有紗ちゃんのおかげよ」

「いえいえ、成績がよかったのは、それだけ喜多さんがしっかり下地を積み上げていたからですよ」

 

 喜多は以前ギターもといベースを購入するためにかなり先までお小遣いを前借しており、現在は月々のお小遣いは無い状態だった。

 そのためSTARRYでのバイトのシフトを多めに入れたりで、普段遊んだりするお金は捻出していたのだが、1学期は成績も下降気味で両親にあまりいい顔はされていなかった。

 それも必然で、両親の目から見ればバンドやバイトに集中するあまり勉強を疎かにしている様に感じられても無理はなかった。

 

 しかし、2学期の中間テストでは有紗の指導によりかなり高得点を取って両親に褒められ、期末もかなりいい点が取れたため2学期は成績もよかった。安心した両親から、ご褒美という形で多めのお小遣いとお年玉が貰えたのは、なにかと入用な高校生の身としては非常に嬉しいものだった。

 

「あっ、そっ、そういえば、有紗ちゃんもお年玉とかもらったんですか?」

「ええ、お父様とお母様から……あとは、厳密にはお年玉とは言えないかもしれませんが、新年の挨拶をした知り合いの方々からもいろいろ贈り物は頂きましたね」

「……ちょっと、興味本位で聞きたいんだけど、有紗ちゃんのお年玉っていくらぐらいなのかしら?」

「あっ、私も興味あります」

 

 喜多もひとりも、有紗の家が桁外れの金持ちであることは理解しており、そこで渡されるお年玉の金額は非常に興味があるものだった。

 

「いくらというのは説明が難しい部分がありますね。基本的に110万円以上ですと、贈与税がかかりますので、そちらも計算すると金額はかなり変わりますし、株式も含まれていたりするので金額が変動しやすいです」

「……ねぇ、ひとりちゃん。気のせいかな? いまの有紗ちゃんの口ぶりだと、110万円は余裕で越えてるみたいに聞こえるんだけど……」

「わっ、私もそう聞こえました……セレブ怖い」

 

 当たり前のように贈与税がかかる前提で話す有紗の言葉を聞き、明らかに自分たちとは貰ったお年玉の桁が違うということを実感して喜多とひとりは戦慄したような表情を浮かべる。

 少なくとも自分たちとか、見えている世界が違うということだけは理解できる内容ではあった。

 

「あ、神社が見えてきましたね」

「……そ、そうね。気を取り直して、初詣に行きましょう! お参りしたあとは、ぜんざい食べたり甘酒飲んだりしましょう!」

「あっ、そっ、そうですね。雲の上の世界の話は置いておいて、楽しみましょう」

 

 妙な空気を払しょくするように喜多が笑顔で告げ、ひとりも同調して無理やり気分を明るくする。先ほどの話を聞いて、脳裏に浮かんだ「有紗ちゃんと結婚したらどんな生活になるんだろう?」という考えを振り切るように……。

 

 

****

 

 

 境内ともなると人はさらに多く、参拝するだけでもかなりの時間を要した。しかし、なんとか無事に参拝を終えた3人。ここからは出店などを楽しむ時間であり、一緒に出店などが並ぶエリアに繰り出した。

 

「……う、ううん。迷うわ……ひとりちゃん、有紗ちゃん……どれが映えると思う?」

「あっ、どっちも同じでは? あっ、有紗ちゃんは分かりますか?」

「私もさほど違いがあるようには見えませんが……喜多さんには拘りがあるんでしょうね」

 

 ひとりと有紗の前では、喜多が店頭のりんご飴のどれが一番イソスタ映えするかに悩んでいた。喜多はイソスタに上げる写真にはかなり拘りがあり、カフェのケーキなどの写真も何十枚と撮影して一番いいものを選んでイソスタにアップしている。

 

「……どっ、どうします? これ、かなり時間がかかりそうですよ?」

「……私に任せてください」

 

 出店の前でにらめっこを続ける喜多を見て、ひとりが小声で有紗に告げると、有紗は軽く頷いてから喜多に笑顔で声をかける。

 

「ちなみに喜多さんはどれがいいと思いますか?」

「う~ん、やっぱり、色合いだとこれ……けど、大きさだとこっちの方が……」

「なるほど……私はこの色合いがよいものがいいと思いますね。やはり、鮮やかなものが写真映えもよいでしょうし……」

「なるほど! うん。そうね、言われてみればこれがいいかも……じゃ、これにするわ!」

 

 もちろん有紗にはりんご飴の違いはあまり分かっていない。なので喜多自身に候補となるものを聞いて、そのひとつを後押しする形で指示することで、自然と早期の決定を促した。

 そのやりとりを見て感心した表情を浮かべているひとりに対し、有紗は軽く苦笑しつつ小声で話しかける。

 

「……こういうものは、だいたい本人はほんの僅かな差で悩んでいるものなので、どれかを後押しすればそれが決定打になる可能性が高いんですよ」

「なっ、なるほど……」

「ひとりさんは、なにか食べますか?」

「あっ、えっと……たこ焼き、食べたいです」

 

 喜多がりんご飴を買っている間に軽く話をして、ひとりの要望を聞いて次はたこ焼きの屋台へと移動してたこ焼きを購入する。

 そのまま道の真ん中で食べるわけにはいかないので、出店の並ぶエリアから少し外れた場所に移動して3人で買ったものを食べる。

 

「う~ん。おしることか甘酒って意外と見つからないわね」

「そういったものはやはり、境内の人が多いエリアにあるのではないでしょうか? たぶん出店というよりはテントのような形式で販売していると思いますよ」

「うっ、あっ、あの境内に戻るのは……ちょっと……」

 

 出店自体はいろいろ見て回っているが、目当ての正月らしい出店を見つけられておらず不満げな喜多に、有紗が苦笑しつつ答え、ひとりは若干顔を青ざめさせる。

 

「まぁ、必ずしも境内にしかないというわけでは無いでしょうし、もう少し探してみましょう。あ、ひとりさん。私もたこ焼きを一口頂いてもいいでしょうか?」

「あっ、はい。どうぞ……」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 有紗の言葉を聞いたひとりは、たこ焼きのひとつを楊枝に刺して容器を添えつつ有紗の方に出し、それを有紗が食べる。いわゆる「あ~ん」と呼ばれる行為であり、ふたりにとっては割と慣れたもの……というか、旅行中にさんざんやったので、ひとりも感覚がマヒしており普通に行っていた。

 ただこの場には喜多も居て、あまりにも自然と行われるそのやりとりにポカンとした表情を浮かべていた。

 

「ひとりさんも、ベビーカステラをひとついかがですか?」

「あっ、いっ、いただきます」

「……え? なにこれ……なんか、カップル同士のデートに付いて来ちゃったみたいな疎外感……」

 

 お返しとばかりに差し出したベビーカステラを、ごくごく普通に口を開けて食べさせてもらうひとりを見て、喜多はなんとも言えない表情を浮かべて居たたまれなさを感じていた。

 表現するのであればそう……ふたりの間に流れる空気が、甘酸っぱいような感じであり、蚊帳の外感が凄かったのである。

 

「……あ、もしかしてふたりとも箱根旅行ですでに、恋仲に……」

「ぶっ!? なっ、なんでですか!?」

「いやだってなんか空気が……」

「私とひとりさんの関係は特に変わっていませんよ?」

「そっ、そうです。私と有紗ちゃんは友達です! まっ、前とまったく一緒です!」

 

 有紗はごく当たり前のように、ひとりは若干頬を赤くしながらそう返すと……喜多は小骨が喉の奥に引っかかったような表情を浮かべていた。

 

(……もう完全に空気がカップルのそれなんだけどって叫びたい!! け、けど、お互いにまだ正式に付き合ったりしてるわけでもないなら、変なことを言うわけにも……うぅぅ、もどかしい!)

 

 喜多郁代……彼女は空気の読める女である。どう見てもカップルの様にしか見えなくとも、本人たちが否定するのであれば口を噤むことができるのだった。

 

 

 




時花有紗:ひとりの愛情ハグで全回復したためいつも通り、税理士を雇って確定申告などもきっちりこなしている。たぶん納税額もえげつない。

後藤ひとり:だいたい有紗の背後に隠れていた。原作では喜多のクラスメイトと遭遇していたが、有紗が居ることで参拝などがスムーズだったりしたため遭遇することはなく遭遇→カラオケに移行というコンボは回避。旅行で距離感が更にバグっており、あ~んくらいは普通に行うようになった。

喜多郁代:お前らその距離間で付き合ってないとか、なに言ってんの? とか言いたかったが、胸の中に留めて見守ることにした。喜多ちゃんは空気の読める子なのである。


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四十手救援のスランプ~sideA~

 

 

 冬休みも残り数日という時期になり、私は現在STARRYにてノートパソコンを操作していました。今日は結束バンドの練習日というわけでは無いのですが、いくつか纏めておきたいことがあったのでお邪魔している形です。

 

「あっ、有紗ちゃんは、なにをしているんですか?」

「結束バンドの物販も含めた収入と支出などを纏めています。今回は不要ですが、諸経費を差し引いた年間の収入が一定額を越えると、バンド活動であっても確定申告を行う必要があるので、収支は纏めておいた方が便利です。確定申告を抜きにしても収支をデータとして残しておくのは重要ですしね」

「なっ、なるほど……むっ、難しそうです」

「そんなことはありませんよ。もちろんもっと収支が多岐に渡るようになると税理士を雇う必要もあるでしょうが、現時点ではあまり複雑ではないです」

 

 アルバイトの仕事として店内の清掃をしていたひとりさんが尋ねてきたので、微笑みながら言葉を返します。実際現状物販の管理は私が行っているので、ある程度バンド全体の収支も把握しやすいですし、纏める情報自体はそう多くありません。

 経費などを複雑に計算し始めると難しくなってきますが、そもそも現時点では結束バンドの収入は確定申告が必要な額に到達していないので問題はありません。

 ただ、確実にファンが増えてきて今後未確認ライオット等でさらに増加することを見越せば、来年は確定申告を行うべき収入に届く可能性は十分あり得るので備えておいて損はありません。

 

「……有紗ちゃん」

「どうしました、虹夏さん?」

「私ね、有紗ちゃんのこと本当に5人目のメンバーだって思ってる。心から!」

「え? あ、はぁ……ありがとうございます」

「だからその……か、確定申告とか必要になったら、いろいろ教えてほしいかなぁって……い、いや、ほら、基本的にバンドのお金を預かってるのは私だしね」

「なるほど、ええ、その際には可能な限り協力しますよ」

 

 虹夏さんもまだ高校生の身ですし、確定申告と聞くと身構えてしまうのも無理はないでしょう。比較的慣れている私が、いろいろサポート出来たらと思います。

 そう考えていると、ひとりさんがふと思いついたように口を開きました。

 

「……いっ、いっそ、有紗ちゃんにお金の管理してもらったほうがいいのでは?」

「……ぶっちゃけ私もそう思うけど、あんまり有紗ちゃんに頼り過ぎると、有紗ちゃん居ないとなにもできなくなりそうだから……ある程度は自分でやれるようにしときたいね」

 

 まぁ、現状でも既に物販の管理を行っているので、チケット関連以外の金銭管理は私が行っているのですが……そこに関しては、虹夏さんもリーダーとしての矜持があるのでしょうし、ある程度は自分自身で行いたいという気持ちも理解できます。

 そんなことを考えていると、私たちの様子を見ていた星歌さんが軽く周囲を見渡しながら口を開きました。

 

「……というか、山田は? アイツも今日バイトのはずだろ?」

「あれ? そういえば、リョウはまだ来てないね。まぁ、リョウは、たびたび遅刻するけどね。確認してみるよ」

 

 アルバイトのシフトに入っているはずのリョウさんが来ていないようで、虹夏さんがロインで連絡を取りました。すると少しして返信が来たようですが……虹夏さんの表情を見る限り、あまりいい返事ではなさそうです。

 

「……あ~えっと……お姉ちゃん。リョウ、熱と動悸と息切れと空腹で体調不良だから休むって……」

「最後の関係ないだろ!? というか、体調不良で休むにしてももっと早くに連絡しろよ……たくっ、今日はそこそこ忙しくなりそうだってのに……」

「まぁ、夕方から来るスタッフさんたちも居るし、なんとか大丈夫だよ」

 

 リョウさんはたまにこうして当日になってバイトを休むことがあるみたいで、虹夏さんも星歌さんも呆れたような表情を浮かべつつも、リョウさんを抜きにした仕事の役割分担を相談し始めました。

 しかし、なにやら困ったような表情を浮かべたPAさんが、星歌さんの元に近付いて来ました。

 

「店長~いま連絡があって、夕方から来る予定だった2人、熱が出て病院で診てもらったらインフルエンザだったから、来られないって……」

「はぁ!? おいおい、3人抜けるのはまずいぞ……明日以降はともかく、今日はもう開店まであんまり時間がない」

「今日は喜多ちゃんも用事があってこられないみたいだし、リョウは仮病だろうけど、たぶんしばらくロイン送っても見ないだろうし……」

「いまからヘルプの手配、間に合いますかねぇ~?」

 

 悪いことは重なるものというべきか、どうやらリョウさんを含めて一気に3人が休む形となってしまったみたいで、星歌さんも焦ったような表情になっています。

 

「受付は私がやるとしても、他のスタッフの数が……せめてあとひとり、優秀そうな……」

「そうだね。最悪教えればある程度できそうな子が……」

「愛想がよくて接客もできれば助かるんですけど……」

「「「あっ……」」」

 

 星歌さん、虹夏さん、PAさんは、それぞれ呟いたあとでなにかに気付いたような表情で、ほぼ同時に私の方を見ました。

 えっと、これはつまり、そういうことですよね?

 

「……えっと、私は今日は特に予定もありませんし、よろしければお手伝いしましょうか?」

「すまん! 助かる!」

「有紗ちゃん、本当にありがとう! とりあえず、簡単な仕事だけ覚えてくれればいいから」

 

 ひょんなことから、STARRYを手伝うことになりましたが、丁度収支の計算をしていただけで、特に予定もなくひとりさんの仕事ぶりを眺めてから帰ろうと思っていたので、都合は付きます。

 大変な時に少し不謹慎ではありますが、ひとりさんと一緒に仕事をできるのは少し嬉しいですし、せっかくの機会ですから楽しみつつも邪魔にならないように頑張りましょう。

 

「……あっ、ふっ、不謹慎ですけど、有紗ちゃんと一緒に働けるのは、ちょっと嬉しいかもしれません」

「ふふ、丁度私も同じことを考えていました」

「えへへ、一緒ですね。あっ、分からないことがあったら聞いてくださいね」

「ええ、一時的ですけどひとりさんは、アルバイトの先輩ですね」

「わっ、私が先輩、ふへへへ……」

「……こらそこっ、開店まであんま時間無いんだから、いちゃつかない」

 

 ひとりさんと顔を見合わせて笑い合っていると、虹夏さんの呆れたようなツッコミが聞こえてきました。

 

 

****

 

 

 STARRYでの仕事を手伝うことは決まりましたが、開店まではあまり時間がないので虹夏さんからひとまず一通りの仕事内容を教わりました。

 元々STARRYにはよく顔を出していましたし、ひとりさんや皆さんの仕事も見ていたのである程度は分かっていますので、それほど苦戦することもなくこなすことはできました。

 まぁ、臨時のヘルプともいえる私には難しい仕事は回さないように配慮してくれているのでしょうね。

 

 一通りの仕事の指導が終わった後、ホールに戻ると星歌さんが不安そうな表情で私たちを見ました。

 

「……虹夏、顔色悪いぞ? だ、駄目そうなのか? ま、まぁ、急だったし時間もほぼ無いから流石に有紗ちゃんでも厳しいか……」

「……ううん。逆だよ、お姉ちゃん……有紗ちゃん、一度流れを教えるだけで全部覚える。しかも、もの凄く器用だから1~2回やっただけで、熟練かと思うような仕事ぶり、愛想もよくて、いうまでもなく見た目は最高に可愛い……相変わらず完璧超人過ぎる」

「……つまり?」

「臨時ヘルプどころか即戦力、たぶんどこの仕事でも余裕でこなせる。あまりの有能さに30分経たずに追い越されたぼっちちゃんがそっちで死んだ魚みたいな目になってるくらいには有能」

 

 虹夏さんの言葉を聞いて星歌さんは明るい表情に変わりましたが、それ以上にゴミ箱に入り込んでしまったひとりさんが心配で、そちらに近付いて声を掛けます。

 

「……ひとりさん、その、大丈夫ですか?」

「わっ、分かってましたよ……有紗ちゃんが凄いってことぐらい……でっ、でも、もしかしたらちょっとぐらい苦戦して、私が経験の差で先輩として教えたり~とか、あるかなぁと思ってましたけど……現実は非情でした。喜多ちゃんにもすぐに追い越されましたし、わっ、私程度のクソ雑魚陰キャは、一瞬で抜き去られる運命なんです」

 

 どうやら過去に自分が苦戦した仕事などを簡単にこなしてしまったことで自尊心にダメージを受けている様子でした。思ってみれば、ひとりさんはSTARRY内のアルバイトの中で喜多さんを除けば一番新参といっていい立場なので、臨時とは言え後輩のような立場ができたことで指導できるかもと喜んでいた部分があるのでしょう。

 それを理解した私は、軽く苦笑しつつひとりさんに声をかけます。

 

「ひとりさん、確かに私は一通りの仕事の流れは覚えたのですが、物が置いてある場所などは覚えきれていないんですよ。ドリンクコーナーなどで、どこにどの飲み物があるかを教えていただいてもいいですか?」

「……あっ、はい。まっ、任せてください! これでも私、はっ、半年以上バイトしてますから」

「頼りになります。よろしくお願いしますね」

「えへへへ、えっ、えっと、まずはこっちの棚が……」

 

 時として嘘をつくことが最善という場合もあります。実際は全ての配置は記憶しているのですが、ひとりさんを思えばここはなにかしらのことを指導してもらう方がいいでしょう。

 ひとりさんにとっても指導するという経験は、今後新しいアルバイトが入ってきた際に役立つでしょうし、プラスしかありませんね。

 

「……なるほど、こちらの棚にあるのは?」

「あっ、それは予備で、こっちのが無くなった時に……」

 

 どこかウキウキと楽しそうに指導してくれるひとりさんを見て、なんだか和みつつ私はしばしひとりさんの指導に耳を傾けました。

 

「……仕事はすぐ覚えて愛想もよくて、居るとぼっちちゃんのメンタルケアもしてくれる? 有紗ちゃん、うちで正式にバイトしてくれないかなぁ……」

「う~ん。習い事とかいろいろやってて忙しいだろうし、そもそもバイトしてお金稼ぐ必要ないから難しいでしょ。まぁ、今回みたいにどうしようもない時に手伝ってくれるとありがたいよね」

 

 こうして、ひと悶着ありつつもその後はSTARRYでの臨時ヘルプは問題なくこなせ、星歌さんたちから何度もお礼を言われましたし、給金も多めに頂きました。

 正直給金は必要なかったのですが、それでは雇用主としての星歌さんの立場もないでしょうから、素直に受け取りました。私としては、ひとりさんと一緒に仕事ができて楽しかったです。

 

 しかし、それにしても……リョウさんの急な休み。直感的な印象ですが……もしかすると、危惧していたことが起きてしまったかもしれません。

 だとすれば……大きな影響が出る前に、早めに動いた方がよさそうですね。

 

 

 




時花有紗:記憶力もよく、器用で容量もいいので、大抵のことは本当にすぐに人並み以上にできる超人。リョウの不調に気付いている様子で、早期解決に乗り出す見込み。

後藤ひとり:……先輩云々ではなく、有紗に頼られたいという思いが強かった。しかし、有紗が優秀過ぎてその機会が無かったために凹んで久々のゴミ箱IN。そのあとで有紗に頼られたことで、ニッコニコで指導していた。

伊地知虹夏:このふたり(有紗とひとり)……最近ナチュラルにいちゃつくようになってきたな……。

同時インフルの2人:……百合カップルで、同時感染した可能性がっ!



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四十手救援のスランプ~sideB~

 

 

 結束バンドの作曲を担当しているリョウは、現在行き詰っていた。何度も作曲を繰り返しては没にしており、来たる未確認ライオットに向けての新曲作成に苦戦していた。

 デモ審査の締め切りを考えれば、いい加減完成させなければ間に合わなくなると思いつつも、この曲が未確認ライオットに結束バンドが出場できるか否かを決める重要な曲だと思えば思うほど「本当にこれでいいのか?」という思いが消えず、作り上げた曲を何度も没にしていた。

 

 行き詰っている……己がスランプに陥っているという自覚はリョウ自身にもあった。当然どうすればスランプを抜け出せるのかということも考えた。

 そして、旅に出て刺激を得ることで道を開こうと、テントや寝袋を用意したまではよかったが……生粋のインドア派であるリョウは、結局旅に出るのは面倒になり、さりとてせっかくテントなどを用意したのだからと、庭で組み立てることにした。

 

「なにをしているんですか?」

「テントを組み立ててる」

「……ひとりでテント張りは大変ではないですか? よろしければ手伝いますよ」

「んっ、助かる………………え?」

 

 テントを組み立てている際にあまりにも自然に声をかけられて返事をしてしまったが、ここはリョウの家の庭であり両親以外の声……ましてやリョウもよく知る相手の声が聞こえてくるはずがなかった。

 驚きつつ振り返るリョウの前で、テントの骨組みを手に取りつつ有紗が微笑みを浮かべる。

 

「こちらを抑えておけばいいですか?」

「あ、うん。固定するから、少しそのままで……」

「分かりました」

 

 とりあえず流されるように有紗の補助を受けつつテントの組み立てを再開し、作業を行いながらリョウは心底不思議そうな表情で問いかけた。

 

「……なんで有紗がここに?」

「ああ、住所は虹夏さんに聞きました。訪ねるとリョウさんのお母様が出てくださいまして、庭に居ると教えてもらったのでこちらに」

「なにか私に用事?」

「そうですね。用事といえば用事です。私は結束バンドのサポートスタッフですからね……一番サポートが必要そうな方のところに訪ねてきたわけです」

「……っ」

 

 そう言って微笑む有紗の顔は、まるで全てを見通しているかのようで、思わずリョウは少し気圧された。そのまま、両者の間には沈黙が流れ、しばし黙々とテントを組み立てる。

 そして、組み立てがひと段落したタイミングで、頭を整理したのかリョウは改めて口を開いた。

 

「……有紗は全部お見通し?」

「全部かどうかは分かりませんが、リョウさんが悩んでいるであろう内容は、なんとなく理解しているつもりですよ」

「そっか……組み立て、手伝ってくれてありがとう。外は冷えるし、部屋で話そう」

「分かりました。お邪魔しますね」

 

 有紗の返答を聞き、リョウはどこか諦めたような表情で有紗を家に迎え入れた。先ほどのやり取りでハッキリと伝わって来た。有紗がリョウのスランプに気付いており、その用件で訪ねてきたと……。

 リョウも有紗とは半年以上の付き合いであり、その聡明さと……他者の感情の機微や物事の本質を鋭く見抜く力を持っていることは知っており、誤魔化しは無意味だと理解したからだった。

 

 リョウの部屋に通された有紗は、チラリとテーブルの上や床に散らばったバツ印の付いた楽譜に視線を動かしたあとで、リョウが用意した座布団に座る。

 そしてリョウが対面に座るのを見たあとで、真剣な表情で口を開いた。

 

「……怖いんですね。結束バンドの皆さんが本気で頑張って目標にしている未確認ライオット……自分の作った曲がその明暗を分けることが……」

「……本当に、有紗は鋭すぎ。そう、皆フェスにかけてるから……結果が駄目だったら、皆がバンドやめるんじゃないかって……そう思うと、どんな曲を作ってもクオリティが足りないような気がして、上手く行かない」

 

 有紗は全て見抜いているという前提があるからこそだろうか、リョウは比較的素直に自らが抱える不安を吐露した。

 リョウは過去に一度所属していたバンドが意見がすれ違い最終的に解散するという経験を経ており、それがネガティブな想像を掻き立てる要因にもなっていた。

 そんなリョウの不安を聞き終えたあとで、有紗は優しく微笑みながら軽く頷く。

 

「リョウさんの不安は分かりますし、解決策となるアドバイスをすることもできますが……その前に一言、自惚れないでください」

「……え?」

「確かに、未確認ライオットは結束バンドの皆さんにとって大切なフェスではあるのでしょう。ですが、仮に失敗したとしてもそれで壊れてしまうほど、結束バンドは弱いバンドではありませんよ。仮に駄目でも、その失敗を次に生かして前を向けるバンドです。だから、大丈夫です。リョウさんが恐れているような事態にはなりません」

「………………そっか……大丈夫なんだ」

 

 これが見ず知らずの誰かが言った言葉であれば、簡単に受け入れることはできなかっただろう。だが、リョウにとっても有紗は5人目のメンバーといっていい存在であり、信頼している相手だった。

 その相手が確信をもって大丈夫だというのであれば、きっと大丈夫なのだろうと少しだけ、リョウの表情が和らいだ。

 そのタイミングで、有紗は真っ直ぐにリョウを見つめながら言葉を続ける。

 

「その上で、いまのリョウさんのスランプを解決するためのアドバイスです。いまのリョウさんに必要なのは、時間でも気分転換でもないです。必要なのは、結束バンドの初めてオリジナル曲を作った際……ひとりさんが、貴女に見せた勇気です」

「……」

 

 有紗の言葉を聞いてリョウの頭に思い浮かんだのは、作詞に苦戦する中でリョウにアドバイスが欲しいと頼ってきたひとりの姿だった。

 同じ立場になってこそ分かるものがある。あの時にひとりが振り絞った勇気も……。

 

「……詳細の説明が必要ですか?」

「ううん。大丈夫……ありがとう、有紗」

「その様子ですと、大丈夫そうですね。頼るべき相手も分かったみたいですし……ちなみに、その頼るべき相手も自分の言葉が重荷になったのではと、少し気にしている様子でしたよ」

 

 そう言って苦笑したあとで有紗は話すべきことは話し終えたと言いたげに立ち上がり、リョウの部屋を後にしようとする。

 

「……また今度、仮の曲を持ってぼっちや郁代にも聞いてもらうつもりだから、その時は有紗の意見も聞きたい」

「ええ、もちろん。可能な限り協力しますよ。それでは、また」

「うん」

 

 一礼して部屋から出ていく有紗を見送ったあとで、リョウはしばらくぼんやりと天井を見上げたあとで小さく微笑んだ。

 

「……本当に、頼りになり過ぎるサポートだ」

 

 そう呟いたあとで、いくつかの楽譜とノートパソコンを持って、ロインで虹夏に連絡した……「いまから訪ねてもいいか?」と……。

 

 

****

 

 

 元々リョウは虹夏の家には頻繁に遊びに行っており、連絡してから到着するまでも早かった。インターホンを押すと、事前に連絡していたおかげもあり虹夏が出迎えてくれた。

 

「おっ、来たね」

「うん。邪魔する」

「よし、じゃあ……こいっ!」

「……うん?」

 

 軽く言葉を交わしたあとで、虹夏は両手を広げたが、その動きの意図が分からないリョウは心底不思議そうに首を傾げる。

 

「有紗ちゃんから、ロイン貰ってたからね。リョウが訪ねて来たら、なにも聞かずに受け止めてあげて欲しいって……というわけで、いつでもこ~い」

「……いや、それ、物理的にじゃなくて、相談に乗ってやれって意味だと思う」

「………………」

 

 その言葉に両手を広げたままで硬直し、なんとも言えない気まずそうな表情を浮かべる虹夏……その姿を見て、リョウは吹き出すように笑みを溢した。

 

「ぷっ、なんか変なことしてる」

「うわ、そ、そうだったんだ……ああ、もぉ、恥ずかしいなぁ……」

「まぁ、でもせっかくだし物理的にも受け止めてもらおう」

「いや、なにがせっかくなんだよ」

「苦しゅうない」

「……はぁ、まったく」

 

 勘違いで顔を赤くする虹夏を見て笑いつつ、リョウはせっかくだからと荷物を置いて虹夏の胸に身を寄せた。恥ずかしさと呆れが混ざったような表情を浮かべつつも、虹夏はリョウを軽く抱きしめる。

 

「……う~ん。胸が小さいから柔らかさはイマイチ」

「え? なに? 相談じゃなくて、喧嘩しに来たの? ぶん殴るよ?」

「ごめん冗談……虹夏、ちょっと、作曲で苦戦してるから……相談に乗って欲しい」

「……うん。もちろん。いくらでも力になるよ」

 

 明るく眩しい笑顔で力になると告げる虹夏を見て、リョウは心の底から安堵したような表情で微笑んだ。

 

 

****

 

 

 冬休みが明け始業式となる日、有紗とひとりは一緒に通学を行っていた。月に一度程度ある恒例行事ともいえる通学、電車で隣同士の席に座りながら雑談をしていた。

 

「あっ、今日は新曲の打ち合わせですね」

「ですね。新曲が完成したわけでは無いみたいですが、一度メンバーの皆さんの意見を聞いてみたいらしいですね」

「あっ、はい。虹夏ちゃんがリョウさんに勧めたみたいです」

 

 今日は始業式が終わった後でSTARRYに集合して、未確認ライオットに向けての新曲の打ち合わせを行う予定になっていた。

 リョウは虹夏と話し合ったことで、スランプから脱することができたのだが、せっかくだからいい曲にしたいとひとりや有紗、喜多の意見も聞きたいと話した結果、虹夏によって今回の打ち合わせが企画された。

 

 そのまま少し話をしていたのだが、ふと途中でひとりが言葉を止めて沈黙してから、どこか確信を持った口調で告げた。

 

「……あっ、有紗ちゃんのおかげ、ですよね?」

「どうしてですか?」

「なっ、なんとなく……有紗ちゃんは、前にリョウさんの精神を心配してたので……あっ、えっと、有紗ちゃんのことはよく知ってるから、動いてくれたんだって……分かります。あっ、有紗ちゃんは凄く頼りになりますから」

「ふふふ、そんな風に評価してもらえると嬉しいですね。確かに、一言二言アドバイスはしましたが、リョウさんが立ち直れたのはリョウさん自身の力と、結束バンドの皆さんといままで築いてきた絆のおかげですよ」

 

 深い信頼の籠った目を向けてくるひとりに、有紗は微笑み返す。ひとりも微笑み返し、どこか穏やかな空気の中でどちらからというわけでもなく自然と手を繋ぎ、楽し気に雑談を続けた。

 

 

 




時花有紗:リョウのスランプをいち早く察して行動、さりげなく虹リョウをアシストする様は百合の鑑。

後藤ひとり:隙あらばいちゃつく。

世界のYAMADA:有紗のアドバイスを受けて虹夏を頼ったことで無事スランプを脱した。虹夏の勘違いにはすぐに気付いたが、とりあえずハグはしてもらった。

喜多郁代:待ってほしい。有ぼ、虹リョウが成立したとしたら、私の立場が無さすぎる。有ぼの方には隙がないから、虹喜リョウのトライアングル百合の方向で進めて欲しい。


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四十一手祝福の誕生日・有紗編~sideA~

 

 

 リョウさんもスランプから脱し、皆の意見も聞きつつ新曲は間もなく完成しそうな状態です。そんな中STARRYに訪れていた私に、虹夏さんが声をかけてきました。

 

「ねぇねぇ、有紗ちゃん。もうすぐ誕生日だよね?」

「え? ええ、その通りですが?」

「じゃあさ、誕生日付近でどこか空いてる日とかないかな? 有紗ちゃんにはいつもお世話になってるし、ちょっと前にもリョウの件で助けてもらったし、皆でお祝いしたいんだよね」

 

 たしかに私の誕生日は1月22日なので、あと少しで誕生日です。お父様とお母様に誕生日の感謝として渡すプレゼントの購入も終わっており準備は出来ています。

 しかし、どうやら虹夏さんもパーティを開いてくれるつもりのようで、驚きつつもなんともありがたい話です。するとそのタイミングで、喜多さんが少し首を傾げながら虹夏さんに声を掛けました。

 

「そういうのって、サプライズとかにした方がよくないですか?」

「……いや、コソコソ準備してても有紗ちゃんにはバレそうな気がする」

「あっ、その気持ち、分かります」

「確かに企みは全部バレそう」

 

 ひとりさんとリョウさんも話に加わってきたところで、私は念のためにスケジュールを確認してから最初の虹夏さんの質問の答えを口にします。

 

「……そうですね、当日であれば空いています。今年はお父様とお母様の仕事の都合で家でのパーティは21日に、学校の友達などが企画してくださるパーティは23日の予定ですので、当日の22日であれば大丈夫です」

「お、おぉ……」

「いっそどちらかに参加してくださっても大丈夫ですよ?」

 

 本当にありがたいことですが、誕生日を祝ってくださる方が多く、1度のパーティですべてを集めるのは難しいので、複数日に分かれています。

 ちなみに誕生日当日が空いているのは……実はワザと空けていました。お父様とお母様の都合は本当ですが、友達からパーティの日程を聞かれた際に翌日を希望して当日が空く様にしました。

 いえ、浅ましい話ではありますが……もしかしたら、ひとりさんが祝福の言葉とかくれたりしないかなぁという欲があって……当日はひとりさんに会いに行こうかと思っていましたので、丁度いいと言えば丁度いいです。

 

「……豪華な料理があると思うと、迷うところではある」

「でっ、でも、絶対半端なパーティじゃないですよ。たっ、たぶん本格的なやつです」

「芸能人とか居そう。興味はあるけど、参加する勇気は……」

 

 リョウさん、ひとりさん、喜多さんが小声で話す中、虹夏さんは気を取り直すように軽く頭を振ってから明るい笑顔を浮かべました。

 

「……うん。じゃあ、当日にSTARRYでやろう! 22日は店休みだし……いいよね、お姉ちゃん?」

「うん? ああ、いいぞ」

「じゃあ、決まりだね!」

 

 星歌さんの許可も出たことで、当日にSTARRYにて皆さんが私の誕生日をお祝いしてくれることになりました。本当になんともありがたい話ですし、誕生日にひとりさんと過ごせるのはやはり嬉しいですね。

 

 

****

 

 

 そして迎えた誕生日当日、STARRYにやって来た私を迎えてくれたのはクラッカーの音と、たくさんの料理やケーキでした。

 

『有紗ちゃん、誕生日おめでとう!』

「皆さん、本当にありがとうございます」

 

 今回はSTARRY関係者のみということで、結束バンドの皆さんと星歌さんにPAさん……あとどこからか話を聞きつけて、呼んでも無いのに来たらしいきくりさんです。

 虹夏さんに促されて中央の席に座ると、隣にひとりさんが座ってくれてコップを手渡してくれました。

 

「あっ、有紗ちゃん、飲み物をどうぞ」

「ありがとうございます。こうして、ひとりさんや皆さんに誕生日を祝ってもらえるのは、本当に嬉しいです」

「えへへ、あっ、有紗ちゃんが喜んでくれたなら、私も嬉しいです」

 

 虹夏さん辺りが気を使ってくれたのかもしれませんが、ひとりさんが隣の席というのが大変素晴らしいです。幸せな気持ちの時に、近くに好きな人が居てくれるというのは幸せな気持ちを何倍にも大きくしてくれます。

 温かな気持ちで思わず笑顔を浮かべていると、虹夏さんが少し苦笑しながら声をかけてきました。

 

「有紗ちゃんの家のパーティに比べるとしょぼくて申し訳ないけど……」

「そんなことはありませんよ。豪華である方が上というわけでもありません。皆さんが私のためにこうして準備してくださったことが、なによりも嬉しいです」

「あはは、そんな風に喜んでくれたならこっちも嬉しいよ。あっ、飲み食いする前に誕生日プレゼントを渡しちゃうね」

「いいペンですね、新しいものが欲しいと思っていたので、嬉しいです。ありがとうございます」

 

 虹夏さんが笑顔で渡してくれたのは、高級感のあるペンでした。かなりしっかりした造りになっているので、それなりに高価だったと思います。未確認ライオットに向けてライブ活動などを増やして、金銭的には厳しいであろう中、こうして用意してくれた気持ちがとても嬉しいです。

 すると、続いてリョウさんが立ち上がって包装された包みを差し出してくれました。

 

「んっ、これ、オススメのバンドのアルバムを何枚か……」

「ありがとうございます。聞くのが楽しみです」

「……おい山田、お前私の時とずいぶん違わないか?」

「……たまたまお金に余裕があったので」

 

 星歌さんの誕生日の際は、気持ちが大事となにも用意しておらず、外で雪だるまを作ってプレゼントしていましたが、私に対してはちゃんとプレゼントを用意してくれたみたいでした。

 その指摘に対して、リョウさんはどこか哀愁の漂う微笑みを浮かべ……それを見た虹夏さんがハッとした表情を浮かべます。

 

「ちっ、違う、この顔……本当はまったくお金は無いけど、さすがに有紗ちゃんには世話になりまくってる自覚があったし、自分の誕生日にプレゼント貰ってるから用意しないって選択肢を選べなくて、明日から草を食べる覚悟でプレゼントを用意した顔だ!」

「……リョウ先輩が草を食べるのって、久々ですよね」

「……あっ、たぶん、12月で有紗ちゃんからの誕生日プレゼントの効果が切れたから……」

 

 虹夏さんの言葉に、リョウさんは少し青ざめた顔でサムズアップをしていたので、どうも本当に相当無理をして誕生日プレゼントを用意してくださったみたいです。

 株主特典などで送られてきた食事券などが使いきれないほどあるので、今度持って来て差し上げることにしましょう。

 

「じゃあ、次は喜多ちゃんかな?」

「あ、はい。私は~はい、フォトフレームです!」

「クリスタルフォトフレームですか、お洒落なデザインですね」

「うん。ここに今日の写真とかを入れて飾ってもらえたらなぁ~って」

「なるほど、それはいいアイディアですね。ありがとうございます、大切に使わせていただきますね」

 

 喜多さんが贈ってくれたのは、透明感があるお洒落なクリスタルフォトフレームです。喜多さんの言葉を借りるなら、映えるデザインといったところでしょうか。

 

「あっ、じゃあ次は……」

「おっと、駄目だよ! ぼっちちゃんはメインなんだから、濃厚なハグと一緒に一番最後にね。というわけで、次はお姉ちゃん!」

「え? あっ、ちょっ、そそ、そんな話初耳なんですが……あっ、あと、濃厚なハグってなんですか!?」

 

 濃厚なハグ……それはいったいどの程度に濃厚なのでしょうか? ひとりさんは把握していないようですが、濃厚とまではいかなくとも、雰囲気に流されて普通のハグぐらいならしてくれる可能性もあるのでは?

 い、いえ、駄目です。欲望に負けては……優先すべきはひとりさんです。

 

「ひとりさん、虹夏さんの言葉は気にしなくても大丈夫ですよ。私は気にしませんから、雰囲気に流されて無理をしたりしないでくださいね」

「あっ、はい……いや、別に嫌とかじゃ……」

「はい? 申し訳ありません。いま後半の声が小さくて……」

「なっ、なんでもないです!」

 

 ハグは惜しいですが、ひとりさんに嫌な思いをさせてまで求めるものではありませんので、事前に雰囲気に流されなくて大丈夫と伝えておきました。

 ひとりさんの返答の後半は声が小さすぎて聞こえなかったのですが、ひとまず頷いてはくれたので大丈夫だと思います。

 

 その後、星歌さんとPAさんからもプレゼントを頂き、順番的にはきくりさんの番になったのですが……きくりさんはそもそも、虹夏さんに呼ばれたわけでは無く、どこからでもなく話を聞きつけてやってきただけなので、プレゼントは用意していない可能性が高いです。

 そう思っていたのですが……きくりさんは、酔った表情のまま緩い笑顔でなにかを取り出しました。

 

「えへへ、私はねぇ~じゃ~ん。ワインだよ~」

「お前……未成年の誕生日プレゼントに酒持ってくるなよ。あと、山田と一緒でお前も私の時とずいぶん違うじゃないか……」

「いや~ここに来る前にさ志麻がねぇ。『有紗ちゃんには日頃迷惑かけてるんだからこれでちゃんとしたものを買っていけ』ってお金渡してきたからぁ、それで買ってきたんだよ~」

「じゃあ、それ実質岩下からのプレゼントじゃねぇか!?」

 

 星歌さんの鋭いツッコミの通り、確かに志麻さんが渡してきたお金で買ったのであれば……実質志麻さんからのプレゼントといえるのかもしれません。

 まぁ、選んで買ったのはきくりさんですし、志麻さんときくりさん2人からのプレゼントと思うのが正解ですね。

 そう考えて苦笑した私は、きくりさんからワインを受け取りつつ口を開きます。

 

「ありがとうございます。それでは、私が成人した際には、きくりさんと志麻さんにこのワインを飲むのに付き合っていただくことにしますね」

「いいね~それっ! いや~いまから楽しみだねぇ」

 

 楽し気に笑うきくりさんに釣られて私も笑みを溢しました。これでひとりさん以外の方からプレゼントは一通り頂いたので、次はいよいよひとりさんの番です。

 

「さて、次はいよいよぼっちちゃんだね。ぼっちちゃんは、かなり前から有紗ちゃんの誕生日プレゼントをいろいろ探してたんだよ~私も相談されたしね!」

「にっ、虹夏ちゃん! なっ、なんでそれ、言っちゃうんですか!?」

 

 なんと、ひとりさんは私の誕生日のために以前からプレゼントを探してくれていたみたいです。とても嬉しいですね。

 いったいどんなプレゼントを贈ってもらえるのか、ワクワクとした気持ちが収まってくれません。

 

 

 




時花有紗:1月22日が誕生日。実はぼっちちゃんの誕生日2.21の逆である。なおこのふたつの誕生日は相性もいいらしい。

後藤ひとり:有紗のためにかなり前から10万という予算を用意してプレゼントを考えていた。だいぶ真面目に考えていたようで、虹夏や喜多にも相談していたため周知の事実である。

世界のYAMADA:流石に前回の件もあるし、誕生日プレゼントに気持ちとか、そんな真似はできなかった。あと、ちゃんと贈っとけば来年確実にいいものを貰えるという期待もある。




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閑話・誕生日プレゼントの相談

 

 

 時が遡ること12月の上旬の結束バンドの練習日。その日は有紗はおらず、結束バンドの4人でスタジオ練習を行っていた。

 有紗は高頻度で来るとはいえ、習い事などもあるので毎回居るわけでは無く、今日はたまたま居ない日だった。

 

 特に問題なく練習を行い、ある程度したところで休憩をすることになり各々スタジオ内で休憩をしていた。その際にペットボトルの水を飲もうとしたリョウだったが、その途中で大きく目を見開いて硬直した。

 

「うん? リョウ、どうしたの?」

「……あ、あれ……」

「うん? ――は?」

「先輩たち、なにを見て――え?」

 

 珍しく心の底から驚愕している様子のリョウを見て、虹夏が不思議そうに声をかけると、リョウは震える手である方向を指差し、それに従って視線を動かした虹夏も硬直した。

 そして同じ方向を見た喜多も、同様に目を見開いて硬直することになった。

 

 3人が見つめる視線の先では、ひとりが椅子に座って休憩しており、その手には一冊の雑誌……ファッション誌が握られていた。しかも女子高生が見るのにふさわしいような、流行を捉えた流行りのファッション誌である。

 少なくとも彼女たちの知るひとりは、流行りのファッション誌などを見るような存在ではない。年中ジャージ姿であり、お洒落などとは無縁の人物である。

 まだロック雑誌などであれば理解もできたが、明らかに異常事態と言える光景に3人とも言葉を失っていた。

 そんな3人の視線に気づいたひとりは、雑誌から顔を上げて不思議そうに首を傾げる。

 

「……え? あっ、皆さん、どっ、どうかしましたか?」

「い、いやいや、それはむしろこっちの台詞というか……」

「ぼっち!」

 

 不思議そうなひとりの問いかけに虹夏が言い淀むと、直後にリョウが慌てた様子でひとりに駆け寄った。

 

「体調が悪いなら無理したら駄目。うちの親、医者だから……れ、連絡してすぐに診てもらおう!」

「はえ? なっ、なんですか急に……わっ、私は別に体調が悪かったりはしませんよ?」

「嘘だ! ぼっちが、そんなお洒落雑誌を読むなんて、高熱でもない限りあり得ない!」

「……いや、リョウ先輩? それはそれで失礼では?」

 

 言葉は失礼であるが、リョウは本気でひとりを心配している様子で青ざめた顔で焦りが伝わって来た。その言葉を聞いてひとりはリョウと自分の手に持つ雑誌を交互に見たあとで、なにかを察したような表情を浮かべて口を開いた。

 

「……あっ、いや、違います。こっ、これは、有紗ちゃんの誕生日プレゼントの参考に見てただけです」

「え? 有紗ちゃんの?」

「あっ、はい。1月22日に有紗ちゃんの誕生日があるので、プレゼントを用意しようと思って……クラスの友達が参考になりそうな雑誌を教えてくれたので、学校帰りに買ってきました」

 

 虹夏の問いかけに有紗の誕生日が来月であり、そのプレゼントの参考のためにファッション誌を読んでいただけで、自分用ではないと告げた。

 すると、リョウはほっとしたような表情を浮かべ、虹夏と喜多も頷く。

 

「そうだったんだね。それなら納得だよ……けど、クラスの友達っていうと、前に一回ライブに来てた子たちだよね?」

「AちゃんとBちゃんね」

「あっ、はい」

「Aちゃん? Bちゃん?」

 

 喜多が口にした奇妙な名前に虹夏が首を傾げると、その反応は予想通りといった具合に喜多が説明を始める。

 

「あだ名です。本部英子(もとべえいこ)ちゃんと牧浦美子(まきうらみこ)ちゃんっていう、仲のいい幼馴染同士のふたりで、それぞれAちゃんとBちゃんってあだ名で呼ばれてますね。本人たちも気に入ってるみたいで、よくABコンビって名乗ってたりしますよ」

「あっ、はい。私もAちゃん、Bちゃんって呼んでます。ぶっ、文化祭の後からよく話すようになって、有紗ちゃんの誕生日プレゼントを考えてる話をしたら、この雑誌を勧めてくれました」

 

 英子と美子はひとりが文化祭以降仲良くなった貴重なクラスメイトの友達であり、結束バンドの演奏によってロックにも興味を持ってくれたみたいで、よく昼食などを一緒に食べながらロックの話をする間柄である。

 ひとりにとっては、憧れていたともいえる学校でロックの話ができる友達でもあり、たびたびライブにも来てくれていた。

 

「なるほど、面白いあだ名だね。それで……よさそうなのはあった?」

「うっ、う~ん。いっ、いや、普段あまりに目にしないものばかりで、どれがいいのか……そっ、相談に乗ってもらえると助かります」

 

 虹夏の問いかけにひとりは難しそうな表情を浮かべつつ助けを求める。お洒落な服やアクセサリーなどが雑誌には載っているのだが、ひとりにとっては本当に馴染みのない物ばかりでどれを選ぶべきか悩んでいた。

 ひとりの言葉を聞いて、3人はひとりと一緒に雑誌を覗き込みながら有紗の誕生日プレゼントについて話し合う。

 

「やっぱり、アクセサリーがいいと思うわ! 大きさも手頃なものが多いし、身に着けてもらえると嬉しいでしょ?」

「じゃあ、指輪だ。ぼっち、指輪がオススメ」

「なっ、なんで指輪なんですか!? ほっ、他のにしてください」

 

 アクセサリーと聞いて即指輪を勧めてくるリョウの言葉をひとりは赤い顔で却下する。するとそのタイミングで、虹夏がなにかに気付いたように手を叩いた。

 

「あ、そうだ。先に予算を聞いておかないと、選ぶにしても買えるものと買えないものがあるよね。ぼっちちゃん、予算はどれぐらいなの?」

「あっ、10万円ぐらいで考えています」

「……ああ、そうなんだ。それなら選べる範囲は広そうだね」

「ブランド品とかもいけそうですよね」

 

 ひとりから予算を聞いて、虹夏と喜多は笑顔で言葉を返し、リョウは気にした様子もなく雑誌のページを捲っていた。

 しかし、表面上はそんな風ににこやかで平常を保っていたが、虹夏は先ほどの発言にそれなりに動揺していた。

 

(え? 10万円って凄くない? 恋人の誕生日プレゼントだとしても躊躇しそうな金額なんだけど……ぼっちちゃん、もしかしてだいぶ本気(ガチ)なプレゼントを渡そうとしてる? だとしたら、むしろリョウが冗談で言った指輪が正解なんじゃ……い、いや、でも、相手は有紗ちゃんと考えると、10万円ぐらいの品じゃないとそもそも釣り合わないのかな? う、うん。そうだよね。喜多ちゃんもリョウも驚いてないし、私が思考を飛躍させ過ぎただけかな……)

 

 10万円という高校生の立場からするととてつもない大金に内心動揺したものの、喜多やリョウが平然としているので、虹夏は自分の反応がおかしいのだと結論付けた。

 もっとも、内心で動揺しているのは虹夏だけではなかったのだが……。

 

(……10万円? しかも、ひとりちゃんの口振り的に予算の限界が10万円ってわけじゃなくて、10万円前後の品を贈ろうとしている感じだよね? さ、さすがに、そんなに本気の本気のプレゼントのアドバイスは荷が重いというか……あっ、でも、相手は有紗ちゃんだって考えると、むしろ安物を贈る方が失礼かも。そう考えると、ひとりちゃんの言う10万は適正価格? 伊地知先輩やリョウ先輩も全然動揺してないし……わ、私も有紗ちゃんのプレゼントは最低でも1万円は超える品にしたほうがいいかしら? お、お年玉の額次第……)

 

 喜多もひとりがあまりに普通の顔で10万円というものだから、驚く機会を逃してしまって平静を装っていたが、内心ではかなり動揺していた。

 ただそれでも、有紗がハイソサエティということもあって、有紗に贈るのあればその金額も適正かもしれないと思い動揺を表に出すことは無かった。

 そして2人と同じく、リョウも雑誌のページを捲りながら思考を巡らせていた。

 

(まさか、ぼっちがそんなにお金を持っているとは……なんとか、上手くご飯でも奢ってもらえないものか……お金を借りると返さないといけないから、奢りがいい。有紗の誕生日プレゼントの買い物に付き合って、そのお礼って体なら……あっ、でも、もしそのせいでぼっちが有紗へ贈るプレゼントのランクが下がったら……ひぃ……こ、今回は止めておこう。まだ、有紗から貰ったビュッフェ食べ放題のカードがあるし、ご飯を奢ってもらわなくても大丈夫……うん)

 

 他ふたりとは違い、大金を持っているであろうひとりになんとかたかれないかと考えていたみたいだが、有紗に対する恐怖心からその考えは捨てるに至った。

 

「……というか、からかいとかは抜きにして、ぼっち指輪は駄目なの?」

「だっ、駄目というわけじゃないですけど……あっ、有紗ちゃんに渡すと、迷わず左手の薬指とかに付けそうな気が……」

「納得」

 

 高級感のあるアクセサリーとしては指輪も確かに選択肢に入りはするが、ひとりが懸念しているのは、ひとりが指輪を贈りでもすれば、有紗の脳内ではその指輪=婚約指輪という結論に至らないかということだった。

 そして、結構な確率でそうなりそうな予感を感じていたので、指輪のプレゼントは避けることにした。

 

「あ~それはあるね。というか、絶対つけるね」

「まぁ、そもそも有紗ちゃんの指のサイズも分かりませんしね。ネックレスとかブレスレットみたいなのがいい気がしますね」

 

 ひとりの言葉を聞いて、虹夏と喜多も苦笑しながら頷く。そのまま4人は雑誌を覗き込みながらアレコレと話し合い。最終的に虹夏や喜多が進めたそれなりのブランドのアクセサリーを贈ることに決めて、なんのアクセサリーにするかは店に行って決めることにした。

 

「……けど、ぼっちちゃん、ひとりで大丈夫?」

「だっ、大丈夫です……こっ、怖いですけど……有紗ちゃんの誕生日プレゼントのためなので、がっ、頑張ります」

「おぉ~アレだよね。なんだかんだで、ぼっちちゃんって有紗ちゃんのこと大好きだよね?」

「そっ、そそ、それは、大切な友達ですし……好きですよ……あっ、あくまで、友達としてですけど!」

「ほほぅ……リョウ、どう思う?」

「完全に恋する乙女の顔してる」

「してないです!!」

 

 この日の練習スタジオには、珍しくひとりの大声が響いたという。

 

 

 




後藤ひとり:有紗への好感度が高すぎて、10万円を使うことに特に躊躇はない。リョウ曰く恋する乙女の顔をしていたとか……その後なんとか勇気を振り絞って、ブランド店でアクセサリーを購入してきた。

本部英子(モブA子):ひとりの百合フレンズで、ひとりのひとつ前の席で最初にひとりに声をかけてきた子。低身長で巨乳な元気っ娘。Bちゃんとは幼馴染であり、昔からBちゃんのことが恋愛的な意味で好き。クールで大人っぽいBちゃんに憧れもある。ひとりとはかなり仲良くなっており、学校でもBちゃん含めて3人でいることが多い。ひとりにプレゼント探しにお勧めの雑誌を紹介した。ちなみにその雑誌をお勧めできたのは、Bちゃんにクリスマスプレゼンを買おうと参考にしていたから。

牧浦美子(モブB子):同じくひとりの百合フレンズで、高身長スレンダーなクールっ娘。「牧(も)浦(ぶ)」。Aちゃんとは幼馴染で、昔からAちゃんのことが恋愛的な意味で好き。明るく天真爛漫なAちゃんに憧れている。Aちゃんと同じくひとりとは仲良くなり3人で居ることが多い。今回ひとりの相談に乗るついでに、ちゃっかりAちゃんとクリスマスに遊ぶ約束を取り付けたとか……。


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四十一手祝福の誕生日・有紗編~sideB~

 

 

 有紗の誕生日にアクセサリーを贈ると決めたひとりは、12月にネットで調べたブランド店に買い物に来ていた。

 

「ひぇ……」

 

 店の外観から既に高級感とお洒落感が伝わってきて、かなり気圧され気味でなかなか店内に入ることができない。

 

(オ、オーラが……というか、ジャージで来るとこじゃないよね? でっ、出直そうかなぁ……いっ、いや、駄目だ。有紗ちゃんの誕生日プレゼントを買うんだ!)

 

 有紗のことを考え、くじけそうになる心を奮い立たせたひとりは、まるで戦場に赴くかのような表情で店内に入る。

 明らかに初めて来る様子でキョロキョロと不安げに周囲を見ているひとりの様子はすぐに店員の目に留まり、当然ながら店員がひとりに近付いて声をかけてくる。

 

「いらっしゃいませ、なにをお探しでしょうか?」

「ぴぃ!? あっ、ああ、あの、えっと……ほっ、本日はいい買い物をありがとうございました」

「まだ来店したばかりですが!?」

「あぅ、ええ、えっ、えっと……」

 

 店員とはいえ見知らぬ相手に話しかけられるというのは、生粋の陰キャであるひとりにはなかなかキツイものがあり、かなり及び腰になっていた。

 ただそれでも、有紗に誕生日プレゼンを渡して喜んでもらいたいというその願いの元、ひとりは必死に勇気を振り絞った。

 

「あっ、あの……とっ、友達へのプレゼントを買いに来たんですが……」

「なるほど、お相手は男性でしょうか? 女性でしょうか?」

「あっ、じょっ、女性です」

「ご予算はどれぐらいを想定されていますか?」

「あっ、10万円ぐらいで……」

「かしこまりました。それでしたら、こちらのコーナーなどは10万円前後のアクセサリーが主体のラインナップですよ」

「あっ、ありがとうございます」

 

 店員も不慣れな相手の接客も数々こなしてきており、緊張しまくったひとりの言葉からも正確に希望を聞いて、適したコーナーを案内する。

 簡単にショーケースに並んだ商品を説明してくれるが、普段ブランドものなど買うことがないひとりにはサッパリだった。

 

(わ、分からない。アクセサリーだけでも、こんなに種類が……う、う~ん。せっかくプレゼントするんだし、使ってほしいなぁ……だったら、あんまり大きくなくて邪魔にならないものの方が……うわっ、宝石とかついてキラキラしてる)

 

 キラキラと輝く高級アクセサリー類を若干挙動不審に見ていたひとりだったが、その視線があるひとつの商品で止まった。

 

「……あっ、こっ、これ……」

 

 見つけたその商品は、ひとりの興味を強く惹き付けるものであり、最終的にそれをプレゼントに決めて購入することにした。

 

 

****

 

 

 そして迎えた1月22日、有紗の誕生日当日。STARRYにて開かれた有紗の誕生日パーティ。最初に行われたプレゼントタイムの大トリを務めることになったひとりは、緊張しながら有紗と向かい合っていた。

 有紗の方は相変わらず穏やかに微笑んではいるが……内心は相当ソワソワしているのか、彼女にしては珍しく視線が揺れていた。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん……たっ、誕生日おめでとうございます! あっ、こっ、これ、誕生日プレゼントです」

「ありがとうございます。本当に嬉しいです。開けてみてもいいですか?」

「はっ、はい!」

 

 ひとりがガチガチに緊張しながら差し出してきた高級感のある細長い箱。おそらくネックレスが入っているであろうその箱を、有紗は嬉しそうに受け取る。

 そして、ひとりに許可を取ってから開けてみると……中には予想通りネックレスが入っていた。

 

「素敵なデザインですね。これは、ピンクサファイアと……ムーンストーンでしょうか?」

「あっ、はい。店員さんはそんなこと言ってました……あっ、でっ、でも、私は宝石のこととかはよく分からなくて、なっ、なんとなく有紗ちゃんに似合いそうだなぁって……」

 

 箱の中にはピンクサファイアとムーンストーン……ふたつの小さな宝石が寄り添うようなデザインで作られたネックレスが入っていた。

 色合い的にどこかひとりと有紗を思わせるものであり、一目見て気に入ったためにひとりはそれを購入した。

 余談ではあるが、ピンクサファイアは愛を象徴する宝石であり、ムーンストーンは恋を象徴する宝石、そのネックレスは完全に恋人向けのプレゼントではあるのだが、ひとりがそれを知る由はない。

 さらに言えば、女性に対しネックレスをプレゼントする行為には「貴女とずっと一緒に居たい」という意味もあるのだが、もちろんひとりがそんなことを知っているわけもない。

 

 ひとりからプレゼントを受け取った有紗は感動した様子で目を潤ませ、箱からネックレスを取り出して身に着けてからひとりが見惚れてしまうような幸せそうな笑顔を浮かべる。

 

「……どうですか? 似合いますか?」

「あっ、はっ、はい! すごく、似合ってます」

「ありがとうございます、ひとりさん。本当に、大切にしますね」

「あっ、はい。よっ、喜んでもらえたなら、私も嬉しいです」

 

 有紗が心から喜んでくれているのは、表情を見ればこれでもかというほど伝わってきており、ひとりも胸が温かくなる思いだった。

 

(有紗ちゃん……凄く喜んでくれてる。えへへ、嬉しいな。ブランド店とか行くのは怖かったけど、勇気出してよかったぁ……)

 

 望んでいた有紗の喜びの表情を見れて、ひとりも本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。するとそのタイミングで、それを見ていた虹夏やリョウからの声が飛ぶ。

 

「ぼっちちゃん、ハグは~?」

「いけ、ぼっち。キスだ、キスするんだ」

「なんでですか!? しませんよ! とっ、というか、リョウさんに至ってはなに言ってるんですか!!」

 

 飛んでくる茶々に、ひとりは真っ赤な顔で反論する。その様子を微笑まし気に見つつ、有紗はひとりに声をかけた。

 

「……ですが、ひとりさん。本当にありがとうございます。心から嬉しいです」

「あっ、え、えへへ……有紗ちゃんに喜んでもらえたならよかったです。お洒落な店に行って正解でしたね」

「品ももちろん嬉しいのですが、それ以上にひとりさんが私のためにいろいろ考えて、行動してくれたことが何より嬉しいです。買いに行く際には勇気も必要だったでしょうに、私のために頑張ってくれて……ありがとうございます」

「そっ、そんな、ほめ過ぎですよ……有紗ちゃんにはいつもいっぱいお世話になってますし……あっ、あと、なにより、私が有紗ちゃんの喜んだ顔が見たかったので……なっ、なんて、えへへ」

「ひとりさん……」

 

 そう言って笑い合うふたりの間には温かく、どこか甘い雰囲気が流れており、先ほどまで囃し立てていた虹夏やリョウもなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「……ふたりの世界に突入しちゃったんだけど……長くなるかな?」

「料理食べたい。もう、食べていい?」

 

 

****

 

 

 STARRYでの賑やかなパーティが終わり、有紗とひとりはふたりで並んで駅に向かって歩いていた。有紗は電車ではないので、ひとりを駅まで送る形だ。

 いや、送るというのは建前でもう少しひとりと一緒に居たいという思いで一緒に駅まで歩いていた。ふたりのては自然と繋がれており雑談をする表情も楽しげだった。

 

「この宝石の色合いはいいですね。まるで、私とひとりさんみたいというのは……ちょっと言い過ぎですかね?」

「あっ、でも、私もちょっとそう思いました。ピンクの方が私で、白いのが有紗ちゃん……仲良く並んでていいなぁって……ただ、なっ、なんか、これを買う時に店員さんから微笑まし気な顔で見られましたけど……」

「……まぁ、ムーンストーンとピンクサファイアですしね」

「え? なっ、なにか、意味が?」

 

 博識の有紗は当然宝石に関しても詳しく、ネックレスの宝石の意味もよく分かっている。もちろん、ひとりが意識したわけでは無く知らずに買ったであろうことも含めて……。

 

「う~ん……ふふ、内緒です」

「えぇぇ、きっ、気になるじゃないですか……」

「ふふ、後でスマートフォンで調べてみると、意味が分かるかもしれませんよ」

「なっ、なんか、楽しそう……もっ、もしかして変な意味なんじゃ……」

「私にとっては嬉しい意味ですけどね」

「やっぱりそういう恋愛的なやつじゃないですか……うぅ、まっ、まさかそんな意味が……はっ、恥ずかしい」

 

 詳細な意味は不明のままだが、それでも有紗の反応からなんらかの恋愛的な意味があることを察したひとりは顔を赤くする。

 しかし、その恥ずかしさも有紗の本当に嬉しそうな顔を見ていると和らいでしまう。なんというか、珍しく傍目に見ても分かるほどウキウキと嬉しそうな有紗を見ていると、ひとりまで幸せな気持ちになるようだった。

 

「……ああ、ひとりさんの誕生日も期待しておいてくださいね」

「あっ、そっ、そういえばもう来月……」

「半年以上前から準備を進めてきたので、バッチリです」

「えぇぇぇ、そっ、そそ、そんなに前から?」

「出来れば私としては、ひとりさんの誕生日に私の家でふたりで過ごしたいのですが……どうでしょう?」

「はえ? そっ、そんな真剣な表情で……あっ、いや、別に駄目というわけじゃないですけど、いっ、いったい何が待ち受けているのかという恐怖が……」

 

 どうも相当ひとりの誕生日に力を入れている様子の有紗に、ひとりは若干不安げな表情を浮かべる。ただそれでも、有紗がひとりが嫌がるような事はしないという確信があるためか、ある程度は安心していた。

 少なくとも豪華絢爛なパーティを開催したりということは無いだろう。その証拠に、ふたりで過ごしたいと言っているので、前に家に遊びに行った時の様にいろいろ配慮してくれる可能性が高い。ひとり自身、有紗とふたりで過ごす時間は好きなので、不安はあれども期待もまたあるといった感じだった。

 

 そんな風に話しながら歩いていると駅に到着した。

 

「それでは、ひとりさん。改めて、今日は本当にありがとうございました」

「あっ、いえ、有紗ちゃんが喜んでくれたなら……あっ、えっと……」

「……ひとりさん?」

 

 ひとりを見送ろうとしていた有紗だったが、途中で言葉を止めたひとりに首を傾げる、ひとりはそのまま少し悩むような表情を浮かべて、周囲をキョロキョロと見たあとで意を決した表情を浮かべ……唐突に有紗を強く抱きしめた。

 

「え? えぇ!? ひ、ひとりさん?」

「たっ、誕生日おめでとうございました!! のっ、濃厚かどうかは知りませんど、これで……しっ、失礼します!!」

 

 捲し立てるように告げたあとで、逃げるように去っていくひとりの後ろ姿を有紗はポカンとした表情で見送っていたが……少しして、ひとりが虹夏が言った「濃厚なハグ」に関して、有紗が内心ではしてもらいたいと思っていたことを察しており、それを実行してくれたのだと気が付き、少し頬を赤くしながらもひとりの去っていった方向を見つめて微笑んだ。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんのプレゼントは本当に泣きそうになるほど嬉しく、貰ったあとはずっとウキウキとしていた。最後のぼっちちゃんのハグには驚いたし照れたし、ドキドキした。珍しくアプローチでぼっちちゃんが有紗に勝ったと言っていい。

後藤ひとり:今回は本当に頑張ったぼっちちゃん。プレゼントしたし、ハグもちゃんとした……もちろんあとで滅茶苦茶恥ずかしそうにしていたし、家に帰って宝石の意味を調べてのたうち回った。

百合に理解のある店員:……そのネックレスを選ぶということは、つまり「そういうこと」ですね? 大丈夫です。私、そういうのに理解はありますし、むしろ微笑ましいです。


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四十二手広報のMV撮影~sideA~

 

 

 季節は2月に入り、ついに結束バンドのオリジナル曲4曲目にして、未確認ライオットに挑む曲でもある「グルーミーグッドバイ」が完成しました。

 今回の曲はいままでの結束バンドの曲に比べると明るめで爽やかですが、それでも結束バンドらしさは失われていないかなり完成度の高い曲です。これならより多くの人を惹き付けることも期待できるでしょう。

 

「じゃあ、曲も完成したことだしMVを取りたいと思います!」

「やっとですね~。やっぱりMVあるとないとじゃだいぶ変わるんですか?」

「……有紗、解説よろしく」

「え? ああ、はい」

 

 虹夏さんの宣言を受けて喜多さんが質問し、なぜかリョウさんが私に話を振ってきたので、そのまま引き継ぐ形で話をします。

 

「昨今の音楽活動において動画サイトやサブスクリプションは切っても切れない関係です。ライブの映像はファンなら好みますが、まずその前段階。結束バンドを知らない人が結束バンドに興味を持ってくれるための導線としてMVは非常に重要でしょう」

「確かに、ライブ映像とMVがあるなら知らないバンドにだったらMVの方をまずは見るわよね」

「ええ、結束バンドの課題としては知名度の低さがあります。SIDEROSを始めとするワンマンライブをこなせるバンドに比べると、まだまだ無名といっていい段階。これはネット投票の際の票数に直結するので、知名度を上げるのは重要です」

「……あのぅ、有紗ちゃん……その辺で……私が言うことなくなっちゃうから……」

 

 やはり結束バンドの課題は知名度……そこを解決しない限り、未確認ライオットの本戦出場は困難でしょう。デモ審査に関しては、現状の結束バンドの実力であればほぼ確実に通過するでしょうし、力を入れるべきは宣伝活動ですね。

 

「あっ、有紗ちゃん。やっ、やっぱりサブスクとかも大事なんですかね?」

「かなり重要ですね。いまはCDはファングッズとして購入して、曲自体はサブスクでという人も多いです。曲やバンドのレベルが高くとも聞いてもらえなければ意味がありませんからね。できるだけ申請した方がいいです。あと、副次的なものではありますが音楽の再生数に応じて印税も入ります。まぁ、サブスクの収益率は低いのですが、MV撮影などでお金が必要なことを考えると、収入の幅はあったほうがいいでしょう」

 

 ひとりさんの質問にも答えていると、虹夏さんがチラチラと不安げな様子でこちらを見ているので、そろそろバトンタッチしようと思っていたのですが、タイミング悪くリョウさんが軽く手を上げて質問をしてきます。

 

「有紗、デモCDとかも配った方がいい?」

「そうですね。新曲はもちろんですが、結束バンドそのものに興味を持ってもらうことが重要なので、オリジナル曲のサビ部分のみを纏めたCDを配布したりするのも効果的です。ただ、その場合STARRYで配るよりは、計画している路上ライブで配る方が効果的です。どうしてもライブハウスというのは客層が固定化されやすい傾向にありますしね」

「なるほど、サンキューリーダー」

「……いえ、リーダーは虹夏さんですよ?」

「どうせ……どうせ、私はリーダー感ないよ……有紗ちゃんの方がリーダーっぽいよ……」

「に、虹夏さん? あの、大丈夫ですか?」

 

 リョウさんが余計な一言を言ったせいか、虹夏さんが哀愁漂う表情で落ち込んでいたので、少し慌ててフォローします。

 幸い少しすると、虹夏さんは復活してグッと拳を握りながら明るい表情で口を開きます。

 

「……と、とにかくそういうわけだから、知名度アップを頑張っていこう! あ、そういえば前にアップした動画とかはどうなったかな?」

「昨日確認しましたが、概ね5000再生でしたね」

「5000か~う~ん微妙だよね?」

「いえ、ほぼ無名といっていいインディーズバンドで5000を越えているようなら、曲を気に入ってリピート再生してくれている人もそれなりに居ると思うので、MVはさらに伸びることが期待できると思います」

 

 虹夏さんの言葉に答えつつ考えます。確かに2ヶ月で5000再生と聞くと少なく感じるかもしれませんが、知名度的には10分の1以下でもおかしくないので、想像より興味を持ってもらえていると判断していいでしょう。

 以前の動画投稿の際より結束バンド自体のレベルも上がっていますし、いっそオリジナル曲は全てMVを作ってみるのもいいかもしれませんね。

 

「ところで、虹夏。MV撮影に使うお金とかあるの?」

「出来ればMVにお金かけたいんだけどねぇ、ノルマ代とか貯められてないから自分たちで撮る形かなぁ? 毎回ライブに来てくれる結束バンドのファンのおふたりが美大の映像学科生みたいで、そういうのに強いらしいから手伝ってもらう予定」

 

 虹夏さんが言っているファンというのは、よく来てくれるお姉さんたちですね。以前一緒にお茶をする機会があって、その際に見せていただきましたがかなりの撮影技術をお持ちですし、心強い味方ですね。

 

「しかし、それでもある程度予算はあったほうがいいでしょう。できれば1曲だけでなく複数曲のMVが欲しいところですし……私がいくらか出しますよ。私はノルマ代も払ってはいませんし」

「うっ、そりゃありがたいけど……あっ、でも、無理はしないでね。本当に少しでいいから」

 

 お金をかけることが最善というわけではありませんが、それでも予算があると無いでは選べる選択肢も変わってきます。

 しかし、逆にお金をかけて本格的にし過ぎてしまうと、学生バンドらしい魅力が無くなってしまうので、あまり過度にお金を使い過ぎるのも問題ですね……機材は別として、小物や撮影費用として200~300万ほど用意しておけば十分でしょう。

 

「……あっ、有紗ちゃん……なんとなく考えてることが分かるんですが……その半分でも十分すぎます」

「そうですか? ひとりさんがそういうのでしたら……」

 

 では、キリがいいので100万ほど用意して虹夏さんに渡すことにしましょう。お姉さん方にも撮影に協力して貰うわけですし、報酬は別で用意しておいた方がいいですね。

 

 

****

 

 

 MV撮影に関して話し合うことになり、結束バンドファンのお姉さんふたりも来てくださいました。

 

「じゃあ、皆知ってると思うけど、結束バンドファンのおふたりです!」

「ども~1号です」

「2号です~」

「そんなわけで、今回は1号さんと2号さんに手伝ってもらうからね」

 

 ファン1号、ファン2号ということでしょうか? お姉さん方はその呼び方でいいのでしょうか……見た感じ不満は無さそうなので、問題はなさそうです。

 撮影用の機材などは星歌さんがライブハウスで使っているものを貸してくれるようなので、企画会議を始めることにしました。

 ホワイトボードの前に1号さんが立ち、私たちに向けて口を開きます。

 

「なにかイメージはありますか?」

「リョウ、結構バンドのMVとかチェックしてるでしょ? なにか定番のやつとかないの?」

「特に関係のない女が出てきて、泣くか踊るか走ってる」

「あ~見るわ」

 

 リョウさんが定番のMVについて語った後、なにやら真剣な表情をしてチラリと私の方を見たあとで口を開きました。

 

「……それでひとつ案がある。有紗を出そう。この最強ビジュアルを使わない手はない」

「いや、まぁ、MVなら確かに有紗ちゃんが出ても問題はないと思うけど……有紗ちゃん的にはどう?」

「構いませんよ。素人ではありますが、ある程度お母様に教わっているので演技もできます」

「たっ、たぶん、有紗ちゃんの素人は、私たちにとっての玄人だと思います」

 

 たしかにMVであれば正式なメンバーではない私が出演しても問題はないでしょうし、いろいろお母様に演技やカメラ映りなども教わったことがあるので、演技に関しても大丈夫だと思います。

 そのやりとりを聞いた1号さんが軽く頷き、ホワイトボードに「有紗参加」と記載しました……その記載は必要なんでしょうか?

 

「有紗ちゃんが使えるとなると、映像の幅が広がりますね」

「あ、は~い。私、有紗ちゃんとひとりちゃんにセットで出て欲しい!」

「こら2号、『有後党』の欲望を出してこない」

「あっ、え? オリゴ糖? なっ、なんですかそれ?」

「「あ、え~と……」」

 

 2号さんにツッコミを入れた1号さんの言葉を聞いてひとりさんが不思議そうに首を傾げます。私も同じように意味が分からなかったので首を傾げると、おふたりはなにか若干気まずそうな表情を浮かべます。

 そしてしばし葛藤するような表情を浮かべたあとで、遠慮気味に説明してくれました。

 

「……オリゴ糖ではなく、有紗ちゃんの有にひとりちゃんの苗字の後で、有後党って言いまして、なんていうか結束バンドファンの中での、推し活動の用語みたいな……感じです」

「ひとりさんはともかくとして、私もですか?」

 

 1号さんの言う推しというのはいわゆる好きなメンバーを指す言葉だったような覚えがありますが、正式なメンバーであるひとりさんはともかくなぜ私も含まれているのか不思議ではあります。

 すると今度は2号さんが、視線を左右に動かし若干焦ったような表情で説明を引き継ぎました。

 

「有紗ちゃんは結束バンドファンの間では結構有名だから、私もひとりちゃんだけじゃなくて有紗ちゃんのファンでもあるし……そ、それでね。えっと、有後党ってのは、つまり……有紗ちゃんとひとりちゃんふたりのファンっていうか、ふたりが仲良くしているのを見るのが好きな人たちのこと……かな? ほ、ほら! ふたり一緒に写ってるブロマイドとかあるし!」

「ああ、そういえば、ふたりで撮影したブロマイドがありましたね。なるほど、それで私もファンの方たちに知られたんですね」

「……割り込むみたいで悪いが、いちおう言っとくと、有紗ちゃんは結束バンドと仲のいい超美少女って感じで、結束バンドファン以外にも有名だぞ。というか、たびたび『あの子は誰? どこのバンド?』みたいな質問されるからな」

「星歌さん……確かに、比較的私の容姿は整っているかもしれませんが、超美少女というのは大袈裟すぎると思うのですが……」

「いや、大袈裟じゃないから、己の顔面戦闘力を自覚してくれ」

 

 離れた場所で話を聞いていた星歌さんがどこか呆れたように呟く言葉に、私は再び首を傾げることとなりました。

 

 

 




時花有紗:美少女揃いの結束バンドメンバーと並んでも、なお明らかに存在感の違う美少女。仮にAPPで表現するならすれば19~20という怪物。ちなみに普段化粧をしていないのは母親に「有紗ちゃんが化粧をすると傾国の美女になるから」という理由で控えるように言われているから……本人は自身の容姿はある程度整っているとは思いつつも、母親などの評価は大袈裟だと感じている。なお有紗にとっての究極の美少女はひとりである。

後藤ひとり:結束バンドファンには基本的に有紗とセットで覚えられていることが多く、2号を含む有後党というふたりのカップリングを推す人たちもいるとか……理由は単純で、STARRY内で見かける時には大体ぼっちちゃんが有紗の隣に居るし、いちゃいちゃしてるから……。


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四十二手広報のMV撮影~sideB~

 

 

 若干話が脱線しつつもMV作成についての案出しは続いていく。虹夏が皆で踊るMVを提案したり、リョウが動物を利用する方法を提案したり、ひとりが動画投稿の際のテクニックを話したり……有り体に言えばまとまりのない話し合いが続いており、ホワイトボードに書き出している1号の表情も微妙なものに変わりつつあった。

 いっそ内容は全て自分たちが決めてしまったほうがいいのではと思い始めていたが、幸いここにはそれぞれ好き勝手に話す結束バンドを纏められる人物がいた。

 

「皆さん落ち着いてください。かなり話が散らかっています。アイディアを出すのもいいですが、まず最初に大きな部分を決めましょう。すなわち、皆さんが楽器演奏するシーンをメインにするか、演者として演奏しつつも出演者として演技重視の形にするかという大きな部分から決めましょう」

「なるほど……イメージ的には前者はカッコよさ重視で、後者はストーリー性重視かな?」

「有紗が出るなら、私たちは演奏メインの方がよくない?」

「あっ、有紗ちゃんを観客……視聴者の目線にするってことですね。そっ、そういうMVもありますよね」

「リョウ先輩の言う通り、有紗ちゃんが出るなら私たちは演奏メインで、パフォーマンス面は有紗ちゃんに任せた方がいい気がしますね」

 

 有紗が指揮を執ると、先ほどまでバラバラだった話がある程度方向性を持って進み始め、1号と2号も少しほっとした表情を浮かべる。

 そして、2号が優し気な笑顔を浮かべながら口を開く。

 

「じゃあ、有紗ちゃんがストーリー、皆が演奏って考えると、どういう風に両者が関わるかも重要だね」

「ひとりさんが言ったように私を視聴者の目線とするなら、私が結束バンドのライブなどを見てファンになるような流れでもいい気がしますね」

「あっ、それいいね。例えば、私たちが路上ライブしてるところに有紗ちゃんが通りがかって~とか……」

 

 有紗の言葉を聞いて、虹夏も明るい表情で賛成しつつ案を出していく。そのまま話はどんどん進んでいき、具体的な内容が決まっていく。

 ある程度全体の流れが決まった後は、細かな部分についての話に移行し、そのタイミングで喜多が手を上げた。

 

「はい! 今回サビとか明るめで爽やかですし、恋愛要素とか欲しいです!」

「喜多ちゃん、恋愛好きだよねぇ」

「じゃあ、ぼっちと有紗でいいじゃん」

「はぁ!? ちょっ、ななな、なにを、だだ、だから私と有紗ちゃんはそういう関係じゃ……」

 

 恋愛が大好きな喜多が恋愛要素を盛り込むことを提案し、リョウが当たり前のような表情でひとりと有紗の関わりを加えればいいと言い出す。すると当然ながらひとりは顔を赤くして反論するが、リョウは気にした様子もなく淡々と告げる。

 

「いや、別に現実の関係がどうあれ、MVの設定の話だから」

「あっ、いっ、いや、そそそ、それは……でっ、でも、ですね。有紗ちゃんが嫌がる可能性も……」

「「「絶対ない」」」

「先に言われてしまいましたが……絶対ないです」

「……でっ、ですよね」

 

 有紗がひとりとの恋愛要素を嫌がるかと問われれば、嫌がるなどあり得ないということは、言い出したひとりも即座に理解した。

 そしてそこを断言されてしまうと、ひとりに反論の手札が残っていなかった。

 

「ひとりさん、安心してください。とは言っても、MV内に入れられる恋愛要素などたかが知れてますよ。精々何か贈り物をしたり、練習するひとりさんに私が声をかけたり程度でしょう。ああ、ですが、もちろんひとりさんが嫌でしたら無理をさせる気はありませんよ」

「……そっ、その言い方は……とってもズルいです……」

「いいね! 恋愛要素、別にガッツリしたものじゃなくて匂わせる雰囲気でいいし、きっと素敵だよ!」

「落ち着け、2号……」

 

 自称有後党の2号が興奮気味に賛成し、それを1号が窘める。そしてそういった空気になってしまうと、ひとりが断れるわけもなく……元々、有紗と一緒のシーンが増えること自体は嫌というわけでもないので、最終的に恋愛っぽい雰囲気を入れることを了承することになった。

 

 その後の話し合いである程度話は纏まり、いよいよ撮影に移行しようということになったタイミングで虹夏がどこか遠い目で告げた。

 

「あっ、皆……予算は結構あるので、小物とか必要なら言ってね?」

「虹夏。パトロンはいくら出してくれたの?」

「……100万ポンとくれた」

「虹夏、私欲しい機材があって……MVにも必要だと……」

「有紗ちゃんに許可取ったらいいよ」

「……やめとく」

 

 

****

 

 

 学校帰りに街中をひとりの少女が歩く。銀色の髪をなびかせ、どこか楽し気に……帰り道に寄り道でもしようと考えているのか、その表情には笑顔が浮かんでいた。

 通りを歩く少女はその途中でふと足を止め視線を動かす。視線の先には街角でひとりギターを演奏する桃色の髪の少女の姿があった。

 観客などは無く音響設備もなく、ただひとりでギターを鳴らして行われる拙い演奏。しかし、それは酷く少女の心を惹き付け、少女は足を止めてその演奏に聞き入る。

 しばし、ひとりの演者とひとりの観客にて奏でられる小さな演奏会が続き、途中で銀の少女に気付いた桃の少女は、はにかむようなぎこちない笑顔を浮かべた。

 その笑顔を見た瞬間、銀の少女の心が大きく動いたような気がした。

 

 それから、銀の少女は桃の少女の元へ通い続ける。そして幾日かの時が流れ、ふたりきりだった演奏会に変化が表れ始める。

 桃の少女の演奏の腕が上達していくと共に演者が増え、桃の少女の他に赤い髪の少女、黄色い髪の少女、青い髪の少女が加わり、ソロだった桃の少女は4人組のバンドへと変わっていく。その過程でひとりだけだった観客も増え始め、演奏する舞台も路地裏からライブハウスへ、ライブハウスからステージへと変化していく。

 

 夢を掴み羽ばたいていく桃の少女の姿をずっと見つめ続けていた銀の少女は、その成功を喜びつつもどこか表情に寂しさを感じさせていた。

 脳裏によぎるのは街角での演者と観客ひとりずつの小さな演奏会。いまはもう無くなってしまった、幸せな時間……ステージ上で煌めくバンドを見つめながら、どこか遠くへ行ってしまったように感じられる桃の少女を見つめたあと、銀の少女は一筋の涙を零し、まるで別れを告げるかのように煌びやかなステージに背を向けた。

 

 静かな街角で少女はひとりぼんやりと空を眺める。複雑な気持ちと寂しさを抱くような表情で……しかし、不意に誰かが横に来たことで、少女は視線を横に動かして目を見開いた。

 そこにはギターを持った桃の少女が居て、あの頃と変わらないはにかむような少しぎこちない笑顔を浮かべ、なにも語ることなくギターの演奏を始めた。

 バンドとして成功して立つ場所が変わっても、少女の想いは変わらぬまま、初めての……そして一番大切な観客に向けて、心を込めて演奏をする。私の演奏は貴女のためにあるのだと言いたげに……幸せそうに笑う銀の少女とふたりで肩を並べて、桃の少女の小さな演奏会はいつまでも続いていった。

 

 

****

 

 

 完成したMVを見て、結束バンドのメンバーたちは目を輝かせる。

 

「すっごくいいじゃないですか! なんかこう、ひとりちゃんのジャージ姿も、成功しても最初と心は変わってないって感じがエモくて、凄くよかったですね!!」

「有紗ちゃんの演技も凄いね。滅茶苦茶本格的っていうか……表情の表現がプロ並みだよ。流石女優の娘……」

「これ、相当再生数稼げるのでは? 広告収入とかももしかしたら……」

 

 喜多が目を輝かせ、虹夏もMVの出来に満足気であり、リョウに至っては収入を期待して目をお金のマークに代えていた。

 

「なかなか楽しかったですね、ひとりさん」

「あっ、はっ、はい。確かに楽しかったですけど……かっ、完成したのを見ると、なんか恥ずかしいですね。いっ、いや、思ったよりは恋愛恋愛してなくて安心しましたけど……」

 

 ほとんどのシーンが有紗と一緒だったこともあって、ひとりにしてはかなり表情豊かなシーンが撮影できていたが、改めて見る分には気恥ずかしさもあった。

 ただ、有紗と並んでギターを演奏しているところなどは、ひとり個人としてもかなり好きなシーンなので、全体的にMVに関しては気に入っていた。

 そして、MVを作った1号と2号もどこか満足気に話していた。

 

「ステージのシーン、上手く合成できたね」

「合成が必要な部分は少なかったけど、いい仕事できたって感じがするね」

「うんうん。それにMVの完成度も大満足だよ。有後党の同志たちにも早く見せてあげたいよ」

「……厄介ファンにはならないようにね」

 

 ふたりとしてもMVの完成度には満足しており、特に有紗とひとりのカップリングを推している2号は、大満足と言いたげな表情だった。

 

 

****

 

 

 新宿FOLT内の控室、ライブを終えたSIDEROSのメンバー。これから反省会と打ち上げというタイミングで、スマホを見ていたあくびが感動したような表情で口を開く。

 

「見てください、結束バンドの皆さんが新曲のMV上げてますよ。滅茶苦茶いい曲ですし、MVもすげぇっすよ」

 

 あくびの言葉に他のメンバーたちもスマホを覗き込み、結束バンドのMVを見て感嘆したような表情を浮かべる。

 ヨヨコも驚愕した様子で目を見開いて食い入るようにMVを見つめ、見終わった後で体を震わせる。

 

「時花有紗を使うのは反則じゃないかしら!?」

「いや、まぁ、有紗ちゃん実質結束バンドメンバーみたいなもんですしね」

「でも演技凄いですし、相変わらず羨ましいぐらいの美貌ですよね」

「本当、キラキラしてるぅ」

 

 全員の評価として一貫しているのは結束バンドのMVは凄かったというものであり、曲や演奏以外でも、有紗の演技が凄まじく非常に華のあるMVに仕上がっていた。

 

「……けど、MVの出来もそうだけど、演奏にボーカル……クリスマスからまだ一月ちょっとしか経ってないのに、ここまでレベルを上げてるのね」

「いや、本当成長速度すげぇっすよね。なんか、ボーカルの存在感もグンと上がってますね」

「……ふっ、素直に賞賛しておきましょう。私たちと競おうってんだから、このぐらいはやってもらわないと張り合いがないわ。私たちも負けてはいられないわね!」

「……いや、自分たちってか、ヨヨコ先輩が勝手に張り合って行っただけで、向こうが張り合ってきたわけじゃないっすけどね」

 

 結束バンドの想像以上の成長ぶりを評価しつつ、後のライバルと見定めた相手が成長していることに、ヨヨコは思わず笑みを浮かべて闘争心を滾らせていた。

 なお、あくびのツッコミに関しては聞こえなかった振りをした。

 

 

 




時花有紗:容姿も演技力も凄まじい。MVではひとりとのシーンがかなり多く、有紗的のも大満足のMVになった。

後藤ひとり:原作では映えないという理由で演奏以外のシーンはほぼカットされたが、カットどころかほぼメインの扱い。有紗が傍に居ると表情が自然と柔らかくなるため、持ち前の容姿もあってかなりいい感じに撮影できた。ジャージ姿やぎこちない笑みも、シチュエーションにマッチしており、むしろよかった。

大槻ヨヨコ:結束バンドの成長を賞賛しつつ、手強く成長していくライバルを見てどこか嬉しそう。

2号さん:……有後成分たっぷりのMVに満足して、満面の笑顔を浮かべていた。


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四十三手打開のアドバイス

 

 

 結束バンドは無事に新曲のMVが完成し、それを動画サイトに公開しました。反響はかなりよく、1週間ほどで15万再生を越えるほどになりました。

 ライブの再生数が5000ほどだったのを考えると、快挙といっていい躍進でしょう。もちろんMVがライブ映像より再生されやすいことや、ひとりさんのアドバイスによりタグを多めにして検索に出やすくしたりの工夫もありますが、なによりも結束バンド自体のレベルが上がっているのが大きいと思います。

 

 この調子で他のオリジナル曲のMVも作成したいところですが、時間的な問題もあります。最優先は未確認ライオットのデモ審査……そして新曲の練習に、知名度を広げるためのライブなどやるべきことは多いので、ひとまず他のMV作成は後回しとなりました。

 そして今日はスタジオ練習の日であり、新曲を練習する皆さんの様子を見ていましたが……このレベルであれば、デモ審査で躓くことはあり得ないでしょう。ネット投票に関しても、知名度が低いいまの段階でも、通過の可能性はかなり高いと言えるほどです。

 もちろんグランプリや、上位に食い込むことを考えると課題が多いのは事実ですが……確かな成長を感じられるのは、本当に素晴らしいと思います。

 

「……郁代、ボーカルかなりよくなった」

「やっぱそう思うよね。最近喜多ちゃんのボーカルがどんどん存在感を増してるっていうか、いい感じだよね」

「あっ、たっ、確かに声量もかなり上がってるような……」

 

 通しで演奏をしたあと、リョウさんが告げた賞賛に虹夏さんやひとりさんも同意します。その言葉を聞いた喜多さんは嬉しそうな笑顔を浮かべました。

 

「ありがとうございます! 最近、自分でも有紗ちゃんにしてもらってるボイストレーニングの成果が出てきたって感じてて、歌うのが凄く楽しいんですよね。本当に、有紗ちゃんのおかげ!」

「そんなことは無いですよ。喜多さんがしっかり頑張ったからです。特に、私が言った練習量をしっかり守っているのが素晴らしいです。どうしても、成果が出てくるともっと練習したいと思ってしまうものですが……それは喉を酷使する結果になりますからね」

「あはは、有紗ちゃんにさんざん口を酸っぱくして過度な練習はしないようにって言われたからね」

 

 喜多さんはボイストレーニングを積むことで声の出し方が変わってきており、それがよく通る歌声に繋がっています。元々歌のレベルは高かったので、声の出し方を覚え声量が上がったことで、喜多さんのボーカルはここに来て急成長を見せており、本人としても成長が実感できて楽しいのでしょう。

 

「あ、でも、私もそうだけど、ひとりちゃんも最近凄いわよね? 今回のサビの部分とかすごくカッコよかったわ」

「ええ、ひとりさんもかなり本来の実力に近い演奏ができるようになりましたし、その本来の実力自体も日々レベルアップしていますね」

「え、えへへ、そそ、そんな大したことは無いですよ……」

 

 ひとりさんも明確に未確認ライオットという目標を持って打ち込んでいるおかげか、以前よりもかなり周囲と息の合った演奏ができるようになっていました。

 ひとりさんは元々プロ級の腕前なので、その実力が発揮できるようになれば、結束バンドのリードギターの存在感はさらに増してくるでしょうね。

 

 そんな風に話をしていると、虹夏さんがなにやら真剣な表情で私を見て口を開きました。

 

「……あ、有紗ちゃん! 私にはその、なんか……ないかな?」

「……えっと、なにかといいますと?」

「い、いや、その……演奏の課題とか、そういうやつ……ほ、ほら、最近喜多ちゃん凄くレベルアップしてるし、ぼっちちゃんもどんどんよくなってる。リョウもスランプ抜けて絶好調だし……ほ、ほら、なんかさ、私だけ……しょぼくない?」

「いつも通りじゃん」

「ふんっ!」

「……暴力反対」

 

 喜多さんやひとりさんの成長を見て、自身の成長を心配してアドバイスを求めてきた様子ですが……困りましたね。喜多さんに関してはボーカルトレーニングは私も経験があったのでアドバイス出来ましたが、ドラムに関してはほぼ基礎的な知識しかありません。

 茶化したリョウさんに拳骨をしてから縋るような目を向けてくる虹夏さんに対し、私は少し考えます。

 

「……う~ん。私はドラムに詳しいわけでは無いのですが、強いて挙げるなら、虹夏さんの演奏は堅実に纏まり過ぎているかもしれません」

「ふむふむ、具体的には?」

「虹夏さんは演奏の際に、他の皆さんの指針になることを意識しているのではないでしょうか? 例えば、メトロノームのような役割をとか……」

「う、うん……だ、駄目かな?」

「いえ、むしろこれまでであればそれが最善だったと思います。ドラムの虹夏さんがしっかり土台を作らないと、メロディラインが崩れていた可能性も高いです」

 

 ドラムの音というのはバンド内でも存在感がありますし、メロディの指針になり得る存在です。実際これまでは経験の浅い喜多さんや、他人と合わせることに慣れていないひとりさんが居てもしっかりメロディが成立していたのは、虹夏さんが土台としてしっかり支えていたからです。

 

「ただ、以前と違い喜多さんの技術も上がり、ひとりさんも苦手な部分をかなり克服してきたので、いまなら虹夏さんがもっと強い演奏をしても、崩れることはないのではないでしょうか? いままで、『ここでもっと強く叩きたい』とか、そういった場面があったと思います。今後はそういうところを我慢せずに行ってしまっても大丈夫だと思います」

「……なるほど、強い演奏か……」

「といってもバランスが大事なので、その辺りは練習しながらどの程度強く演奏するかなどは探っていく方がいいでしょう……申し訳ありません。私にはこのぐらいしか思いつくことが……」

「ううん。すっごく参考になったよ! ありがとう、有紗ちゃん!」

 

 ドラムに詳しくないこともあって曖昧なアドバイスになってしまいましたが、虹夏さんには思い当たる部分があったのかもしれません。どこか吹っ切れたような笑顔で告げたあとで、楽譜を見ながらブツブツとなにかを呟いていました。

 おそらくどこで強く前に出るかなどを考えているのでしょうね。

 

「……あっ、とっ、ところで、有紗ちゃんはさっきからなにを描いてるんですか?」

「ああ、路上ライブなどで配る予定のサビを集めたデモCDですが、仮でもジャケットなどがあった方がいいと思って、簡単ですがジャケットの案を……」

 

 ひとりさんが私が持っていたタブレット端末を見て不思議そうに尋ねてきたので、説明と共に皆さんに見えるようにダブレットの画面を向けます。

 

「うわっ、可愛い!! クレヨンっぽい色合いがまた素敵ね!」

「木造りのテーブルの上に4色の結束バンドがあって、窓から日が差し込んでる……え? 滅茶苦茶いいじゃん!」

 

 デモCDのジャケットにと私が描いていた絵は、メンバー4人をイメージした桃、赤、黄、青の四色の結束バンドが重なるように置かれたテーブルに、窓から差し込んだ日の光が当たっている絵です。

 喜多さんの言う通りクレヨンっぽい柔らかい色合いを意識して塗ってみましたが、好評なようですのでこのまま採用でよさそうですね。

 裏面に動画サイトのURL、あるいは未確定ライオット出場予定などという文字を書けば、ネット投票にも役立ちますし、用途は多いです。

 

「配布用のCDジャケットなのでシンプルにしましたが、好評なのでこれを採用でいいですかね?」

「あっ……えっと……」

「ひとりさん?」

 

 私の言葉にひとりさんがなにやら悩むような表情を浮かべていました。もしかしてデザインが気に入らなかったのでしょうか? そう思ってひとりさんを見ますが、そういった感じではなさそうです。ただ、なにかを言い淀んでいるような……。

 

「たぶん、ひとりちゃんが考えてるのは私たちと一緒……ですかね?」

「間違いない」

「だね! 有紗ちゃんのデザインは凄くいいけど、一ヶ所だけ直して欲しい所があるんだよ」

「直して欲しいところですか?」

「うん。というわけで、代表してぼっちちゃんから、どうぞ~」

 

 喜多さん、リョウさん、虹夏さんの3人にはひとりさんが言いたいことが分かっているみたいでした。というより、3人もひとりさんと同じ場所の修正を望んでいる様子です。

 いったいどこを? と、そんな風に考えているとひとりさんが意を決したように、私に向けて口を開きました。

 

「……あっ、あの……しっ、白色の……有紗ちゃんカラーの結束バンドも足してください。あっ、有紗ちゃんも、私たちの仲間なので……」

「ひとりさん……」

 

 ひとりさんの言葉に少し驚きつつ、他の3人の方を見て見ると、どうやらひとりさんと同意見の様子でどこか楽し気に頷いていました。

 

「そうそう、今回のMVでもう有紗ちゃんもサポートスタッフとして、メンバーのところに記入したわけだしね。そんなわけで、白いバンドの追加だけ、よろしくね」

「……皆さん。はい。ありがとうございます。では、その形で修正しますね」

 

 当たり前のように私のことを仲間だと言ってくださる皆さんに胸が温かくなるのを感じつつ、私はその修正を喜んで了承しました。

 

 

****

 

 

 STARRYから家に帰ってくると、じいやが出迎えてくれました。

 

「お帰りなさいませ。お嬢様、ご注文の品は全て届いております」

「ありがとうございます。器具などは?」

「全てご用意しております」

「助かります」

 

 じいやにお礼を言った後、私は自室で着替えを済ませてキッチンに向けて移動します。結束バンドのMV撮影、未確認ライオット……なるほどそれらも大変に重要な事柄です。ですが、この2月には他にも大切なイベントが控えています。

 ひとりさんの誕生日はもはや言うまでもありませんし、そちらに関してはもっとずっと前から準備を行ってきたので万全です。

 

 しかし、2月にあるのはひとりさんの誕生日だけではありません……そう、バレンタインです!

 

 本来の意味である司祭ウァレンティヌスを祭る日だとか、チョコレート会社の戦略だとか、そういうのはこの際どうでもいいのです。

 重要なのは日本において、愛しい人にチョコレートを贈る日ということが広く認識されているということです。

 

 この日はクリスマスと並ぶほど、恋する身にとっては重要な行事です。もちろん私も、愛しいひとりさんに本命チョコを贈るつもりですが、それ以外にもお世話になっている方や友人に渡す分などで相当の数を用意する必要があります。

 なかなか大変ですが、ひとりさんの顔を思い浮かべつつ頑張るとしましょう。

 

 

 




時花有紗:結束バンドのメンバーには非常に頼りにされており、信頼もされている。近く控えるバレンタインに向けて準備中。もちろんぼっちちゃんに本命を渡す予定。

後藤ひとり:さぁ来たぞ、次のイチャラブイベントだ。チョコレートの用意は十分か?

バレンタ院:やはり、イチャラブイベントか……いつ始める? 私も同行する。


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四十四手甘味のバレンタイン~sideA~

 

 

 2月14日バレンタインの日。今年のバレンタインデーは休日ということもあって、前日にはしっかりと準備を行うことができました。

 今日も結束バンドの皆さんはSTARRYで練習を行っているのは確認済みですし、予め全員の予定も聞いておきました。ひとりさんに本命チョコを渡すのはもちろんですが、それ以外の皆さんにも最近の練習の疲れを癒してもらえるようにちょっとしたプレゼントを用意してきました。

 

 私がSTARRYに到着したタイミングでは、皆さんのスタジオ練習はひと段落していたみたいで休憩している様子でした。

 

「皆さん、こんにちは」

「あっ、有紗ちゃん。こんにちは」

 

 私に気付いたひとりさんが挨拶を返してくれ、それに続いて皆さんも挨拶をしてくれました。さっそく最初に一番重要な目的を果たすため、挨拶が終わった後はすぐにひとりさんの元に向かってバックからチョコレートの入った箱を取り出して差し出します。

 

「ひとりさん、ハッピーバレンタイン」

「……あっ、これはアレですね。えと、友チョコって――」

「本命です」

「……えと、友チョ――」

「本命です」

「……と――」

「本命です」

「あっ、はい。本命ですね。あっ、ありがとうございます」

「流石有紗ちゃん、誤解の余地を一切残さぬ圧倒的な正面突破……強い」

 

 もちろん私がひとりさんに贈るチョコレートは本命以外にはありえません。ひとりさんにもそのことはしっかりと認識しておいてもらいたかったので、押し切りました。

 ひとりさんは少し顔を赤くして照れたような表情を浮かべつつも、頷いてチョコレートを受け取ってくれました。

 

「味には期待してください。今回のために超一流のパティシエを雇って……」

「お、おぉ……」

「今日までみっちり『基礎から指導』してもらいましたので、完成度には自信があります!」

「あはは、私、有紗ちゃんのそういうお金はあくまで手段のひとつ的な……ちゃんと自分の力でやろうとするとこ好きだなぁ」

 

 私の言葉を聞いた虹夏さんが少し楽し気に苦笑します。ひとりさんに贈るチョコレートを作るために、かなり練習しましたので、形も含め思い描いた通りのものを作ることができました。

 本命感あふれるストロベリーチョコを使ったハート型のチョコレートも入っています。

 

「有紗、私たちには?」

「ああ、その事なんですが、皆さんにも同じようなチョコレートを用意してもよかったのですが、せっかくですので別の形で用意しました」

 

 リョウさんが期待するような……お腹をすかせたような表情で尋ねてきたので、苦笑を浮かべながら言葉を返します。

 そう、実はチョコレートという形で用意してきたのはひとりさんの物だけです。ひとりさんに特別感を出したかったのもありますが、どうせなら日頃お世話になっている感謝も兼ねて用意してきたものがあります。

 

「別の形? それって、私たちの予定を聞いてきたことと関係してたり?」

「はい。皆さんも最近は練習に力を入れて疲れているでしょうし、美味しいものを食べて気分転換できたらと思いまして……ホテルのレストランを貸し切りまして、そちらに食事やスイーツをたくさん用意しています」

『え?』

 

 そう、リョウさんなどはチョコレートよりも食事の方がいいでしょうし、たくさん美味しいものを食べてもらえれば、気分転換にもなるでしょう。

 

「もちろん、バレンタインなのでチョコレートもあります。チョコレートフォンデュなどもできるように準備してもらっています」

「……食べ放題?」

「はい」

「有紗、愛してる」

 

 リョウさんはキラキラと目を輝かせて明らかに嬉しそうな感じですし、喜多さんも気のせいか目に「映え」という文字が見える気がします。

 

「なんか、少し申し訳なさもあるけど……練習したばっかでお腹も空いてるし、楽しみだね。あ、そういえばお姉ちゃんとかは?」

「星歌さんやPAさんに関しては、ライブハウスの仕事で今日は都合が合わないようなので、ホテルのスイーツビュッフェのチケットをお渡ししました」

「お、おぉ、豪華だねぇ」

「というより、バレンタインに渡す予定の人たちの分を手作りすると個数が凄まじいことになるので、基本的にそういった品を贈ることが多いですね」

 

 人との繋がりというのは大切ですので、日頃お世話になっている方にこういったイベントごとで贈り物をしたりするのは極めて重要です。

 しかし、かといって全員にチョコレートを手作りするほどの時間的余裕はないので、相手によってはバイキングやビュッフェのチケット、あるいは市販のチョコレートなども利用しています。まぁ、今年に関して言えば、ひとりさんへの本命チョコレートに全力を注ぎたかったという気持ちもありますが……。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん? わっ、私はチョコレートを貰いましたけど、その、ホテルのレストランに行ってもいいんですか?」

「もちろんです。むしろ、そのチョコレートとホテルのレストランを貸しきりにした程度では、私のひとりさんへの愛を表現しきることなどとてもできませんし、他にも何か用意した方がいいかと思うほどです」

「いっ、いや、十分すぎるので、だっ、大丈夫です」

 

 実際一瞬ではありますが、ハートの形のピンクダイヤモンドとかを仕入れて贈ろうかとも考えましたが、さすがにあまり高価すぎる物を贈ってもひとりさんが畏縮すると思ったので断念しました。

 チョコレートにしても、量が多すぎては逆効果なので、質を高めることで愛情を表現したつもりです。

 

 

****

 

 

 練習機材の片づけを行ったあと、皆さんと一緒にSTARRYを出て準備しているホテルを目指します。とはいえ、徒歩で行くと距離があるので車での移動となるため、送迎車を待たせている場所に移動します。

 そして、送迎車が見えてくると、皆さんが明らかに焦ったような表情を浮かべ始めました。

 

「……伊地知先輩、リ、リムジンが見えるんですけど……」

「うん。私が見てる幻覚じゃなかったんだね。明らかにいるよね、リムジン……しかも私たちが向かってる方向で待ち構えてるよね」

「ぼっち……アレだと思う?」

「あっ、確実にアレですね。あっ、有紗ちゃんが車で移動って言った時点で、ある程度覚悟してましたけど……5人乗るとなると、そうなってきますよね」

 

 ひとりさんの言う通り、さすがに普段の車に5人乗ると手狭になってしまうので、今回はリムジンを用意しました。

 

 リムジンに乗り込んで移動すること30分ほどで目的のホテルに到着し、貸し切りにしているレストランに向かいます。

 そこには様々な料理やスイーツが用意されており、華やかな見た目に皆さんも目を輝かせてくれました。招待したかいがあるというものです。

 

「おぉぉぉ……あ、有紗。これ、好きに食べていいの?」

「はい。希望があればスイーツなどは持ち帰りもできますよ」

「す、凄すぎて言葉が……有紗ちゃん! 写真撮ってもいいかしら?」

「ええ、お好きなように」

 

 大量の料理に目を輝かせるリョウさんに、イソスタに上げる写真を撮りたがる喜多さんとそれぞれらしい反応に思わず苦笑してしまう。

 

「いや~セレブ感やばいよね。やっぱり、ぼっちちゃんの恋人は凄いなぁ~」

「あっ、はい。有紗ちゃんは凄――虹夏ちゃん!? だっ、だだ、だから、私と有紗ちゃんは友達ですって……」

「あ~ごめん。そうだったね~」

「物凄く棒読み!?」

 

 到着してしまえば、後は特にルールなどがあるわけでもなく自由に楽しんでもらって大丈夫です。それを伝えると皆さんそれぞれ食べたいものの前に移動して、いろいろな料理を皿に取っていきます。

 私もひとりさんと一緒に、最初は料理のコーナーに移動します。丁度お昼時ですし、最初に食事をしてその後にデザートでスイーツを楽しむ形がいいでしょうね。

 

「あっ、なっ、なんだか食材も高級そうですね」

「元々がかなり高級なレストランですからね」

「うっ、う~ん。これだけいろいろあると、どれを食べるか迷いますね。アレもコレも食べたいですけど、そっ、そんなに大量に食べるのは無理ですし……けっ、けど、1口分しかとらないのはなんか気が引けて……」

「でしたら、私とそれぞれ別のものを取りませんか? それなら、気になるものがあれば互いに味見をしてみればいいですしね」

「あっ、なっ、なるほど……じゃあ、私はこれとこれを……」

 

 別に1口分ずつとっても問題は無いのですが、気にしてしまうというひとりさんの気持ちもわかるので提案しました。

 ひとりさんと料理を取って、皆さんが居る窓近くの景色のいい席に隣同士で座ります。リョウさんは虹夏さんと話しながら食事を堪能しており満足そうな表情を浮かべていますし、喜多さんは料理を何度も角度を変えて撮影しています。

 

「あっ、美味しいです」

「口に合ったようならよかったです」

「あっ、有紗ちゃんもよかったら、一口どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 ひとりさんが差し出してくれた料理を口を開けて味わいます。味はもちろん素晴らしいですが、ひとりさんに食べさせてもらったことで味のランクがさらに上がっている様にも感じますね。

 もちろん食べさせてもらってばかりではありません。私も自分の皿の料理からひとりさんの好みそうなものを取って、手を添えながら差し出します。

 

「ひとりさんも、一口どうぞ」

「あっ、ありがとうございます。んっ、これも、すごく美味しいです」

「ついつい食べ過ぎてしまいそうですが、食後にスイーツもあるので、加減しながらでないといけませんね」

「あっ、そっ、そうですね。食べ過ぎちゃうとチョコレートフォンデュとか楽しめないですね」

「ええ、ですが、ひとりさんと一緒だとついつい食事が楽しくてもっと食べたくなるので、困ってしまいますね」

「あっ、わっ、私も、有紗ちゃんと一緒だといつもよりご飯が美味しいかもしれません。えへへ、いっ、一緒ですね」

 

 そんな風に微笑み合って話しながらひとりさんと食事をしていると、なにやら虹夏さんたちがなんとも言えない表情でこちらを見ていました。

 

「ふたりとも信じられる? この2人、この空気感で自分たちはあくまで友達とかぬかしてるんだよ?」

「伊地知先輩の気持ち、よく分かります、初詣でも終始こんな空気でした」

「……料理が急に甘くなった」

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんのためにしっかり特訓して腕を上げて、渾身のチョコレートを作り上げた。受け手の誤解を許さない猛将スタイルは健在である。

後藤ひとり:距離感はちゃんとバグってるので、あ~ん程度は普通。周りから見ればガッツリいちゃついてるように見えるのだが、本人はあくまで友達と供述。

結束バンドメンバー:こいつら、空気感が完全にカップルのそれ……。


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四十四手甘味のバレンタイン~sideB~

 

 

 新曲のMVが完成し結束バンドの活動は順調といっていい状況。MVの再生数の伸びも非常によく、知名度も上がってきていると感じられる状態に気持ちが上向きになるのを感じつつ、ひとりは学校に登校していた。

 陰キャかつコミュ症のひとりは基本的に学校は好きではなく、虚無の時間が多く孤独感の強い時間帯だった……というのもかつての話である。

 

 登校して教室に入り、自分の席まで近づくとすぐにひとりに声をかけてくるふたりがいた。

 

「あ、ひとりちゃん、おはよ~」

「おはよう」

「あっ、おっ、おはようございます、Aちゃん、Bちゃん」

 

 数少ない……もとい、喜多を除けば学校でふたりしか存在しない友達である英子と美子の幼馴染コンビ。文化祭の一件を切っ掛けに友達となり、性格の相性もよかったのか仲良くなることができた。

 ひとりの影響で英子も美子もロックやライブに興味を持ってくれたので、いまとなってはひとりが夢見ていたロックの話ができる学友となっている。

 

「新曲のMV見たよ! 凄かったね! 演奏もそうだけど、MVもすっごくエモかった! 私何度もリピート再生しちゃったよ」

「プロのMVみたいだったね。あと、あの有紗さんだっけ? あの人の演技も凄かった」

「あっ、えへへ、ありがとうございます。わっ、私たちとしてもかなり手応えのあるMVが撮れました」

 

 惜しみない賞賛の言葉に、ひとりは照れた様子で頭をかきつつ言葉を返す。

 

「なんか、フェスを目指してるんだっけ?」

「あっ、はい。未確認ライオットって10代アーティスト限定のフェスです」

「凄いよね! なんか、青春って感じでいいなぁ~!」

 

 落ち着いた様子で話す美子と、コロコロと表情を変えながら明るく話す英子、対照的でありながらどこかしっくりくるコンビのふたりと共に、ひとりはしばし未確認ライオットの話で盛り上がった。

 

 

****

 

 

 学校が終わった放課後、今日はバイトも練習も無い日で真っ直ぐに家に帰ろうと思っていたひとりだったが、英子に買い物に付き合ってほしいと言われて、ふたりで駅近くのデパートを目指して歩いていた。

 美子は別の用事があるのかすでに帰った後であり、比較的珍しいと言っていい状況にひとりは少し首を傾げながら英子に尋ねる。

 

「あっ、Aちゃん。なっ、なにを買いに行くんですか?」

「バレンタインのチョコレートだよ!」

「あっ、ああ、そっ、そういえば、もうすぐバレンタインでしたね」

「うんうん。ちなみに、Bちゃんは料理上手だから手作り派だね。私は料理はまったくダメダメだから、毎年店で買ってるね~。ひとりちゃんは、料理とかできる?」

「あっ、いっ、いえ、まったくできません」

 

 英子の言葉に返事をしつつ、ひとりは先ほどまで感じていた疑問に心の中で納得していた。

 

(ああ、だから珍しくBちゃんが一緒じゃないんだ。バレンタインなんて、陰キャの私には縁遠いもの過ぎて完全に忘れてた。ま、まぁ、実際バレンタインなんて青春溢れる陽キャ……陽キャじゃないとしても、リア充たちにだけ許されたイベントだし関係は無いか。リア充爆発……)

 

 心の中でリア充に対して悪態を突こうとしたひとりだったが、直後に頭に思い浮かんだのは満面の笑顔を浮かべる有紗の顔だった。

 バレンタインはたしかにいままでのひとりにとっては縁遠いものではあった。しかし、現在はどうだろうか? ひとりとて馬鹿ではない。他はともかく有紗がひとりにチョコレートを用意しないなどという事態が起こるとは思えなかった。

 

(……あれ、でも、有紗ちゃんはたぶん……ていうか、絶対チョコレートくれると思う。な、なら、私も用意した方がいいのかな? と、友チョコってあるわけだし……せっかくこれからチョコレート売ってる場所にいくんだから……う、うん。丁度いいし、買おうかなぁ。有紗ちゃんが、喜んでくれたら……嬉しいし)

 

 有紗のことを思い浮かべ心の中が温かくなるような、少しくすぐったい感覚を覚えつつひとりは小さく笑みを浮かべた。

 

「ひとりちゃん?」

「あっ、えっと……Aちゃん、私ってリア充……ですかね?」

「うん? 普通にリア充なんじゃない? 夢に向かってバンド活動頑張ってるのも凄いし、有紗さんとかバンドのメンバーとか仲のいい人もいっぱいだし、ひとりちゃんいつも楽しそうだしね! むしろ羨ましいぐらいだよ!」

「あっ、そっ、そうですか……そっ、そうですね。確かに、私は……恵まれてますね」

 

 明るい笑顔で告げる英子の言葉にひとりは、納得した様子で頷いた。確かに自分は幸せものだと実感できることは多い。

 

「そういえば、話は戻るけどひとりちゃんは料理はできないとして、有紗さんは?」

「あっ、有紗ちゃんは、料理も上手です。というか、本当に苦手なことがあるのかってレベルでなんでもできます」

「へぇ、凄いんだね。けど、ひとりちゃんって有紗さんの話をする時は、いつもより凄く楽しそうだよね」

「そっ、そうですかね?」

「うんうん! 仲の良さが伝わってくる感じだよ!」

「あっ、えっ、えへへ……」

 

 有紗と恋仲の様に揶揄われるのはともかく、仲が良いと言われるのは嬉しいらしく、ひとりは少し照れたように微笑みを浮かべていた。実際、有紗の話題を話している際のひとりの表情は普段よりも柔らかく、有紗に対する深い信頼と好意が伝わってくるようだった。

 

「あっ、でっ、でも、AちゃんとBちゃんも凄く仲良しですよね」

「ま、まぁ、ほら、幼馴染だし親友だしね。やっぱり、ひとりちゃんから見ても仲良さそうに見える?」

「あっ、はい。凄くいいコンビだなぁって……」

「そそ、そっかな~えへへ、そんな、お似合いのベストコンビなんてのは褒め過ぎだけど……」

「あっ、いや、そこまでは言ってな……」

「けど、そう言ってもらえると嬉しいよ! ひとりちゃん、お互い大事なバレンタインだし、頑張ろうね!」

「はえ? あっ、はっ、はい」

 

 英子の言葉の意味が「お互い同性に恋をする者同士頑張ろう」という意味合いだとは分からないまま、ひとりは勢いに押されるように頷いた。

 そしてそのまま、上機嫌になった英子と一緒にデパートで有紗に渡すためのチョコレートを購入した。

 

 

****

 

 

 有紗と結束バンドのメンバーと共に訪れたレストランで食事をしつつ、ひとりは少々困っていた。というのも、せっかく用意したチョコレートを渡すタイミングを逃してしまったのだ。

 有紗から受け取った際にひとりも渡せればよかったのだが、あまりに本命を強調する有紗の言葉に照れてしまってすぐに出すことができなかった。

 

(う、う~ん。チョコレート、いつ渡そう? い、いまここで出すのは、恥ずかしい……い、いや、友チョコなんだし、渡しても大丈夫なんだけど、虹夏ちゃんたちが絶対反応してくるから……出来れば有紗ちゃんとふたりの時に渡したいな)

 

 そんなことを考えつつ、タイミングを伺うようにチラチラと有紗を見ていると、不意に有紗が振り向いたことでバッチリ目が合ってしまった。

 

「ひとりさん? どうかしましたか?」

「あっ、いっ、いえ、別に大したことじゃなくて、有紗ちゃんとふたりっきりになりたいなぁって……」

 

 それはほとんど無意識での発言だった。あくまで、他の人が居ない場面でチョコレートを渡したいという意味合いでの言葉だった。

 しかし、それを聞いたリョウと虹夏は目をキラリと輝かせる。無論、ふたりもひとりがそういう恋愛的な意味で言ったのではないのは百も承知で、単純に面白そうだったので口を開いて茶々を入れることにした。

 

「……ぼっちがとんでもないこと言い出した」

「ぼっちちゃん……情熱的だね。やっぱり、バレンタインだからかな」

「は? え? あっ、ち、ちがっ!? そそ、そういう意味じゃなくて……」

 

 ふたりの発言で、ひとりもようやく己の失言に気付き顔を真っ赤にしながら反論しようとするが、もちろん咄嗟に上手い返しができるわけもなくワタワタとしていた。

 しかし、得てしてそういう時にいつも援護してくれる頼れる相手はすぐそばに居た。

 

「それは奇遇ですね。丁度私もひとりさんとふたりきりになりたいと思っていたところなんですよ。もっと言えば、ふたりきりでデートをしたいところですね!」

「あ、有紗ちゃんは相変わらず堂々としてるねぇ……」

「もちろんです。私のひとりさんへの愛に恥ずべきところは一切ありません。そしてなんなら、最近は新曲の練習に力を入れていたので我慢していたぐらいですよ」

「おぉ、流石有紗情熱的」

「ふふ、お褒めに預かり光栄です」

 

 いっそ清々しいほどにひとりとふたりきりになりたいと宣言しつつ、虹夏とリョウの興味を己の方に向けさせる。おかげでひとりは一息つくことができて、ホッと胸を撫で下ろした。

 しかし、すぐにふたりの矛先がひとりに再び向くのは時間の問題……のはずだったが、次の有紗の一言で大きく流れが変わった。

 

「……ところで、リョウさんも今日は鞄の中を少し気にしているように見えるのですが?」

「待った有紗……私が悪かった。もうこれ以上ぼっちを揶揄わないから、その話は……」

「うん? リョウ先輩、鞄になにか……」

「ああ、向こうにおいしそうな食べ物が! 虹夏、郁代、いくぞ!」

「え? あっ、ちょっ、リョウ!?」

「そんなに急に手を引いたら……ああ、でも、強引な先輩も素敵……」

 

 有紗が告げた言葉に明らかに顔色を悪くしたリョウは、虹夏と喜多の手を強引に引っ張って、離れた場所にある料理に向かって去っていった。

 その様子をポカンとした表情で見送っていたひとりは、微笑む有紗に問いかける。

 

「……あっ、有紗ちゃん。リョウさんは、なんであんな反応を?」

「あくまで推測ですが、鞄と虹夏さんを気にしているみたいだったので、虹夏さんにチョコレートを用意しているのではないでしょうか? おそらく、スランプの際に相談に乗ってもらったお礼として用意したのはいいものの、いざ渡す段階になって気恥ずかしくなって鞄に入れたまま……という感じでしょうね」

「なっ、なるほど……わっ、私と一緒……」

「一緒、ですか?」

「あっ、えっと……」

 

 首を傾げる有紗を見たあとで、ひとりは慌てて周囲を見渡す。3人はかなり離れた場所に居て声が聞こえることは無いだろうし、レストラン内の内装の一部が仕切りの様になっているためこちらも見えない上に、周りに店員たちも居ない。

 絶好の機会だと判断したひとりは、鞄の中からチョコレートの入った箱を取り出して、緊張した様子で有紗に差し出した。

 

「あっ、えっ、えと、有紗ちゃんにはいっつもいっぱいお世話になってるので……こっ、これ、どうぞ!」

「ひとりさん……ありがとうございます。とても嬉しいです」

「あっ、はい。わっ、渡せてよかったです」

「なるほど、これを渡すためにふたりになりたいと……ふふ、けど、本当に嬉しいです。これでまた、ホワイトデーもふたりで贈り合えますね」

「あっ、そっ、そういえば……たっ、確かに、それは……嬉しい……です」

 

 どちらかが一方的に渡すのではなく、贈り合えるのが嬉しい……その機会がまた来月にもあると思うと、不思議とひとりの胸の中は温かな気持ちに包まれるようだった。

 

 

 




時花有紗:ひとりとふたりきりになりたいのもデートしたいのも本音だが、なによりもひとりが最優先なので、今回の様にひとりが困っていると助けてくれる。そしてその度にひとりの好感度も際限なく上がっていく。

後藤ひとり:完全に行動が恋する乙女……よくこれで友チョコだと言えたものである(心の中で思っていただけで、渡す際には友チョコとは言っていない)。学校にはロックの話ができる百合フレンドが居て、私生活では超お金持ちの美少女に愛されていて、バンド活動も充実していて……完全にリア充であり、最近割と自覚してきた。

世界のYAMADA:有紗の読み通り、スランプの際に相談に乗ってくれたお礼のつもりに虹夏にチョコレートを買ってきていた。適当なところで何気なく渡すつもりだったが、いざとなると恥ずかしくてなかなか渡せない状況でタイミングを見ていた。

モブA子:小さいけど大きい方。Bちゃんとは毎年贈り合っている。料理は苦手……こっちは明確に恋心を自覚しているタイプ。有紗とひとりの恋を応援することで同時に自分たちの恋も意識し、AちゃんとBちゃんの恋愛模様を近くで見ることで、ひとりの恋愛感にもいい影響が出る可能性が高い。これが百合の相乗効果。


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四十五手祝福の誕生日・ひとり編~sideA~

 

 

 時は満ちました。今日は2月21日……そう、ひとりさんの誕生日です。この日のために半年以上前から準備をしてきました。

 プレゼントももちろん準備は完璧です。正直計画した当初はプレゼントの用意が半年では間に合わないかと危惧しましたが、お母様が強いコネを持っていてくれたおかげで間に合いました。半年はかかりましたが、それでも本来なら1年以上かかることもザラという話なのでかなり早かったです。

 もうひとつのプレゼントの方も、しっかりと自信を持てる仕上がりになりましたし、万全といっていいでしょう。

 

 運命もこの日を祝福しているのか、今年の2月21日は土曜日……最高の日程です。ひとりさんには事前にお話をしていますし、お義母様やお義父様の許可もいただいているので、ひとりさんは今日はウチに宿泊する予定ですので、夜遅くまで祝っても大丈夫です。

 

 念のために漏れが無いか再度全てを確認してから、身だしなみを整えてひとりさんを迎えに行きます。

 

「ひとりさん! 誕生日、おめでとうございます!」

「あっ、ありがとうございます……花束?」

「はい。薔薇の花束です。薔薇は人に贈る際に本数で意味が変わるのですが、今回は最愛を意味する11本の花束を用意しました」

「あっ、そっ、そうですか……しょっ、しょっぱなからテンションが……わっ、私今日大変なことになるのでは?」

 

 本音を言えば「何度生まれ変わってもあなたを愛する」という最上位の意味を持つ999本の花束を用意しても、私のひとりさんへの愛は表現しきれないのですが……まぁ、さすがにそんな本数を渡されても困るでしょうし、片手で持てる11本の花束にしておきました。

 ひとりさんがその花束を一度自室に置いてきたあとで、私と一緒に車に乗って予定通り私の家に向かうこととなりました。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? きっ、聞くのが怖いんですが……いったいどれほどの用意を?」

「ああ、その辺りは安心してください。ひとりさんが派手なパーティなどを好まないのは重々承知しているので、基本的には私とふたりで過ごすような予定になっています」

「あっ、そっ、それなら少しは安心です」

「いちおう予定としては、着いたあとに早速ですがプレゼントを渡そうと思います」

「いっ、いきなりですね……そっ、その……結構前から準備してたんですか?」

「はい。6月には準備を始めました。特に誕生日プレゼントの手配にかなり時間がかかったので……お母様のコネなども使わせてもらって、なんとか半年ほどで用意することができました。本当に間に合ってよかったです」

 

 早くプレゼントの詳細を語りたいという気持ちもありますが、ここはグッと我慢しなければなりません。やはりサプライズというのは重要ですしね。

 ただ、後回しにするほど我慢できる自信もないので、家に着いたら早々に渡す予定ですが……。

 

「……あっ、有紗ちゃんが用意するのに半年かかる? しかも、クリスティーナ・フラワーのコネを使う必要がある品? あわわわ……」

「まぁ、それは着いてからのお楽しみということで……飲み物も用意していますので、家に着くまでは雑談でもしましょう」

「あっ、はい……楽しみというか……怖いというか……」

 

 とりあえず、ひとりさんの家から私の家まではまだしばし時間がかかりますので、ゆっくりと雑談をしながら行くとしましょう。

 

 

****

 

 

 家に到着したあとは、さっそくひとりさんに私の部屋に来てもらいました。

 

「ひとりさん、こちらです」

「あっ、えっと、そっちってピアノのある部屋ですよね?」

「はい。そちらに用意しています」

 

 ここまできてもったいぶるつもりもなく、プレゼントを用意している部屋にひとりさんを案内します。プレゼントは部屋の中央に分かりやすく置いてあるので、ひとりさんもすぐに気付きました。

 

「……え? あっ、布被ってるけど、あの形……ぎっ、ギター?」

「はい。いろいろ考えましたが、あって困るものではないでしょうし、ひとりさんにもここぞという時に使う用のギターがあってもいいと考えました」

 

 あと、いまでこそひとりさんは2本のギターを持っていますが、プレゼントを考え始めた際にはお義父様から借りているギターのみという話だったので、初めてのひとりさん自身のギターになるのではという思惑もありました。

 まぁ、それに関しては文化祭の一件で新しいギターを購入してしまいましたが、ギタリストのひとりさんにとって何本あっても困るものではないですし、差別化もできます。

 

「こっ、ここぞという時に使う? まっ、まさか、ハイエンド……」

「ハイエンドといえばハイエンドですね。ひとりさんがお義父様から借りていたのは、Gibson(ギブソン)のレスポールカスタムでしたが、今回用意したのはGibson、Fender(フェンダー)と並ぶ3大エレキギターメーカーとも言われるPaul Reed Smith(ポールリードスミス)のギターです」

「あわわわわ……ぜっ、絶対高いやつ……あっ、そっ、そういえば、半年かかったって……」

「はい。今回はプライベートストックを利用して製作したので、どうしても時間がかかってしまいましたね。本当に間に合ってよかったです」

「ぷっ、ぷぷぷ、プライベートストック!? そっ、そそ、それって、特注のカスタムオーダーメイドなんじゃ……」

 

 PRSのプライベートストックは有名で、ギタリストなら憧れる最高級のオーダーメイドギターです。ただ、その最高級品質と人気により1年以上の待ちもよくあるのですが、今回はお母様のコネで優先してもらえたので無事に誕生日に間に合いました。

 ひとりさんもプライベートストックに関しては知っているようで、明らかに驚愕したような表情を浮かべていました。そんなひとりさんの前で、ギターにかかっていた白い布を外します。

 

「はい。なのでこちらは、私がひとりさんに合わせて考えてオーダーメイドで製作したギターで、ひとりさんの演奏の癖や好みをほぼ完全に把握したうえで製作できたと思います」

 

 なので、発注を行ったのが6月でした。ひとりさんの演奏の癖や好みを完全に把握できたのがその頃だった関係ですね。

 

「……凄い……かっ、カッコいい……」

「いちおうデザインとしては、ひとりさんの好む黒色をベースに、ひとりさんの色のピンクと、私の色のシルバーを合わせた模様にしています」

 

 他にも細かな拘りはあり、いろいろと説明をしていると、ひとりさんは目をキラキラと輝かせてギターを見ていました。

 

「すっ、凄く、嬉しいです……けっ、けど、これ、特注って……凄く高かったのでは?」

「ああ、いえ、とはいっても250万程度ですよ」

「にひゃっ!? あばばばば……ぜっ、全然程度なんてレベルでは……うっ、うぅ、ほっ、本当に貰っていいんですか?」

「もちろんです。というより、細部にわたってひとりさん専用になるように調整して作っているので、むしろ受け取ってもらえないと困ってしまいますね」

「あぅ……あっ、ありがとうございます」

 

 ひとりさんは喜びと戸惑いが混ざったような表情で恐る恐るギターを手に取り、構えてみました。

 

「よく似合っていて、とても素敵ですよ」

「あっ、えへへ……ありがとうございます」

 

 戸惑っていてもやはりギタリストというべきか、実際に手に持ってみると喜びが勝るようで、ひとりさんは目を輝かせてギターの具合を確かめています。

 そして、新しいギターを手に入れたのなら演奏してみたいと考えるのが必然でしょう。

 

「ひとりさん、さっそく演奏してみてはどうでしょうか?」

「あっ、そっ、そういえば……有紗ちゃんの家にアンプとかがあったのは、このためだったんですね」

「ええ、その通りです。あの時はまだギター本体は届いてなかったのですが、アンプ等は事前に用意していたので……」

 

 ひとりさんが以前私の家に泊った際には、まだギターは届いていませんでした。じいやに隠してもらったのはもうひとつのプレゼントですね。そちらに関しては、ひとりさんが新しいギターの演奏感を確かめてからにしましょう。

 

 少しして準備を終えたひとりさんがギターの演奏を始めました。それは、初めて扱うとは思えないほど素晴らしい音色でした。PRSのギターは最高峰のテクニカルギターとしても有名なので、ひとりさんの演奏技術をいかんなく発揮できるギターとも言えます。

 

「……すっ、凄いです。すっごく手に馴染むというか、演奏しやすくて……たっ、楽しいです」

「ふふ、喜んでもらえたなら嬉しいですが……実は、もうひとつプレゼントを用意しているんですよ」

「え? まっ、まだほかにも?」

「はい。とはいっても、こちらは品物というわけでは無いのですが……これです」

 

 ひとりさんの言葉に答えつつ、私は離れた場所に置いていたもうひとつの品……布をかけていたものを移動させつつ、布を取りました。

 

「ッ!? あっ、そっ、それ……キーボード?」

「はい。以前ひとりさんときくりさんで3人で路上ライブをした際、私はキーボードに不慣れで最低限のサポートしかできませんでした。なので、同じような機会があった時にひとりさんを完璧にサポートできるようにと、アレ以降キーボードもこっそり練習していたんですよ」

 

 実際当初は特にプレゼント云々は関係なく、同じ状況になった際にひとりさんの演奏をしっかりサポートできるようにと練習をしていたのですが、後々になってこれをもうひとつのプレゼントにできたらと思うようになりました。

 

「え? あっ、じゃっ、じゃあ、もうひとつのプレゼントって……」

「はい。もうひとつのプレゼントは演奏ですね。ひとりさんの手には新しいギターがあって、幸い時間もたっぷりあります。なので、私とのセッションは……いかがでしょう?」

「あっ……はい! うっ、嬉しいです! 本当に、凄く、凄く嬉しいです! まっ、また、有紗ちゃんのキーボードと一緒に演奏したいってずっと思ってたんで……」

「ふふ、そんなに喜んでもらえると準備したかいがあります。では、さっそくやりましょうか、結束バンドのオリジナル曲や最近の流行曲も含め一通り演奏できますので、ひとりさんの好きな曲をセッションしましょう」

「はい!」

 

 ひとりさんは本当に喜んでくれたみたいで、私の言葉を聞いて眩しいほどの笑顔で頷いてくれました。

 

 

 




時花有紗:ついに待ちに待ったぼっちちゃんの誕生日ということで、しょっぱなから非常にハイテンション。ひとりのために特注ギターを用意して、キーボードも練習していた。

後藤ひとり:前からたびたび、また有紗のキーボードとセッションしたいと考えていたこともあって、もの凄く嬉しそう。やっぱりなんだかんだでギターの演奏が大好きである。そして、ハイエンドどころか特注オーダーメイドのギターを入手。


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四十五手祝福の誕生日・ひとり編~sideB~

 

 

 有紗の家に招かれての誕生日。プレゼントである特注ギターには度肝を抜かれたひとりだったが、いまはそれ以上に大きな喜びが心の中に満ちていた。

 

(有紗ちゃんとセッション……ピアノとじゃなくて、キーボードと……な、なに演奏しようかな? アレもいいし、あの曲も……)

 

 ひとりはそもそもギターの演奏をするのが好きだ。そうでなければ、毎日6時間の練習を何年も続けることなど出来はしないだろう。

 ひとりにとってギターを演奏している時間は楽しい時間であるというのは間違いない。そんなひとりだが、ずっと望んでいた演奏があった。

 

 せいぜい半年ほど前のはずだが、もうずいぶん前の様に感じられる路上ライブ。最初は突然の始まりに困惑したし、観客に対する恐怖もあった。だが、途中でそれを克服してからは本当に楽しい時間だったと胸を張って言える思い出となっている。

 ひとりにとって本当に心許せる相手である有紗と一緒に行う演奏は、ひとりにとって純粋に演奏を楽しめる時間とでも言うべきものであり、あれからずっとまた再び有紗とセッションをしたいと感じていた。

 

 以前に有紗の家に泊った際にも有紗の演奏するピアノとセッションをしたが、その時もついつい時間を忘れてしまうほどに楽しかった。しかし、あの時は夜であまり時間もなく、楽しい時間はあっという間に終わってしまった。

 

(ま、まだ午前だし、時間はいっぱいある……いっぱい、有紗ちゃんと一緒に演奏できる。ああ、どうしよ、嬉しくて顔が緩む)

 

 本当に楽しみで仕方がないという表情で待っていたひとりに、有紗が準備ができたと声をかけてきたので、ふたりはさっそくセッションをスタートさせた。

 最初はお試しという意味も込めて、以前きくりも含めた3人で路上ライブを行った際と同じ曲を演奏する。

 

(……凄い! 有紗ちゃん、あの時とは全然演奏が違う。あの時は、ピアノ的な弾き方だったけど、いまは完全にキーボードの演奏をものにしてる。元々ピアノの演奏技術は物凄いレベルだったし、キーボードを使いこなせるようになったら音の幅が凄く広がってる)

 

 以前の路上ライブではあくまでひとりのサポートに徹して、コード弾きを行っていた有紗だったが、今回は半年の練習期間を経たことでキーボードの演奏をものにしており、ひとりをサポートするだけではなくひとりと一緒に音楽を作る演奏が行えていた。

 音を変化させて、ドラムやベースが不在のメロディラインを彩りつつ、ひとりのギターの音がより美しく聞こえるようなサポートも欠かさない。

 

(……楽しい。自分でもわかる。いま、凄く音がノッてる。手も指も軽くて、思い描いた通りに動いてくれる……もっと行ける。もっと、凄い演奏ができるって分かる……ペース上げても、いいかな?)

 

 己の演奏が絶好調であることを自覚しつつ、チラリと有紗に視線を向けると目が合った有紗は軽く微笑む。それだけで、全てが伝わったような感覚があった。ひとりがもっと演奏ペースを上げたいと思ったのを有紗がアイコンタクトだけで瞬時に理解でしてくれた。

 それを確信してひとりが演奏のペースを上げると、完璧なタイミングで有紗も演奏のペースを上げてピタッと音が合うのが分かった。

 

(凄い! 凄い!! なんだろうこれ、凄く楽しい。息が合うってこういうことなのかな? 目を合わせるだけで、なにをしたいか全部伝わるし応えてくれる……ああ……本当に、楽しいな……)

 

 全身が痺れるような……最高の演奏ができているという感覚に思わず頬を緩めながら、ひとりは有紗と共に演奏を続けていった。

 

 

****

 

 

 しばらく演奏を続けたあと、一区切りしたタイミングでひとりは楽しそうに口を開いた。

 

「あっ、えっと、次は、なにを演奏しましょうか?」

「ふふ、ひとりさん。楽しそうなのは私も嬉しいですが、少し休憩しましょう……汗だくですよ?」

「はえ? あっ、ほっ、本当ですね。こんなに汗出てた……熱中し過ぎましたね」

「それだけ楽しんでもらえているのは嬉しいですね。丁度お昼時ですし、休憩も兼ねて昼食にしましょう」

「あっ、はい」

 

 有紗とのセッションがあまりにも楽しく、本当に時間を忘れてぶっ続けで演奏していたこともあって、ひとりはかなりの汗をかいていた。

 有紗から手渡されたタオルで顔の汗などを拭きつつ、一度ギターを置いて、隣の部屋に移動して、昼食を待つ間に水分補給などをしつつ、有紗と言葉を交わす。

 

「あっ、有紗ちゃん、凄く上手かったです!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、練習したかいがありましたね。ひとりさんもいつも以上にいい演奏でしたね」

「えへへ、なっ、なんか、自分でも絶好調な感じでした。もっともっと凄い演奏ができるぞって感覚で……う~ん、惜しいです。でっ、出来れば、動画撮影とかもしたかったですね」

「そういうと思って、実は撮影用の道具もいくつか用意してますよ」

「あえ? そっ、そうなんですか……さっ、さすが、有紗ちゃん」

 

 ひとりは現在己が絶好調であり、最高の演奏ができている自信があった。だからこそ、その最高の演奏を動画に残したいと思っていたのだが……そんな考えもお見通しで、有紗は撮影機材も用意していたみたいだった。

 しかも、この場合の撮影機材とはギターヒーローのアカウントであげたりするためのもので、データを持ち帰る用意もバッチリとのことだった。

 

「昼食を食べたあとは、撮影しながら演奏しましょうか?」

「あっ、はい! いっぱい演奏したい曲があって……」

「ふふ、時間はたくさんありますから、ひとりさんが満足するまで付き合いますよ」

「有紗ちゃん……はっ、はい。嬉しいです!」

 

 心の底から幸せそうに笑うひとりを見て、有紗も嬉しそうな笑顔を浮かべた。そうしていると、使用人たちによって料理が運ばれてきた。

 

「あっ、ケーキ……」

「夜にとも考えていたのですが、ちょうど盛り上がっている時ですし昼に持って来てもらうことにしました。料理も含めて、それなりに上手くはできたと思うのですが……口に合うと嬉しいです」

「え? こっ、これ全部、有紗ちゃんが作ったんですか?」

「はい。流石に夜はシェフに作ってもらいますが、昼食とケーキは私が作りました」

「……」

 

 ふたりの前に並ぶ料理は非常に豪華なものであり、詳しくないひとりでも有紗がかなり手間暇をかけて作ってくれたことが伝わって来た。

 それは本当に嬉しく、ひとりは感極まったような表情を浮かべたあとで少し沈黙する。

 

「あっ、有紗ちゃん……」

「はい?」

「あっ、あの、ちょっとだけ、ごめんなさい」

「え? あっ……ひとりさん?」

 

 有紗に一言断りと入れたあと、ひとりは有紗に抱き着いた。どうしようもなく嬉しい気持ちを表現する方法が他に思い浮かばなかったのだ。

 有紗は一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに微笑みを浮かべてひとりの背中に手を回して抱きしめ返す。

 

「すっ、すみません。なっ、なんか、嬉しくて幸せで……」

「ひとりさんが喜んでくれて、私も本当に嬉しいですね」

「有紗ちゃん……本当に、ありがとうございます」

 

 目に少し涙を浮かべつつギュッと一度強く有紗に抱き着いたあとで、ひとりは体を離して微笑みを浮かべた。

 

「……さて、それでは冷めないうちに食べましょうか」

「あっ、はい。いっ、いただきます」

 

 有紗の言葉に頷き、ひとりはニコニコと柔らかな笑顔を浮かべつつ料理に手を伸ばした。その日の昼食は、いままで食べた中でも一番と思えるほどに美味しい気がした。

 

 

****

 

 

 昼食を食べたあとで少し食休みを挟んでから、ふたりは再びセッションを行った。相変わらずひとりの演奏は絶好調であり、本人が心の底から楽しく演奏できていることもあって己でも分かるほどにいい演奏ができていた。

 そして今回は動画を撮影して演奏を行ったので、何曲かのセッションが終わった後でふたりで録音した動画を確認する。

 

「あっ、やっ、やっぱりいい感じですね。音が凄くノッてて……」

「そうですね。なんというか、音からも楽しんでいるのが伝わってきて、聞いているだけでも楽しくなりますね」

「えへへ、はっ、はい。私も、そう思ってました」

 

 肩を寄せ合って動画を見つつ言葉を交わすひとりと有紗。録画した動画をノートパソコンで確認しているという関係上、肩が触れ合うほどに身を寄せて確認しており、かなり近い距離ではあったが、ふたりとも楽しさが勝っているのかあまり気にしてはいない様子だった。

 

 しかし、ふと唐突にひとりは隣を向いて有紗を見て、その美しい横顔に思わず顔を赤くした。

 

(有紗ちゃん、やっぱ綺麗だなぁ。それにいい匂い……有紗ちゃんの近くって、なんか不思議と安心する)

 

 そんなことを考えていると、有紗もひとりの方を見て少し沈黙したあとで、どこか楽し気な微笑みを浮かべて、自然な動作でひとりの体を抱きしめた。

 

「にゃっ!? あっ、ああ、有紗ちゃん!? いっ、いい、いきなりなにを!?」

「説明するのは難しいですね。強いていうのであれば、楽しい気分でテンションが上がっていてひとりさんを抱きしめたくなったから……つまり、なんとなくです!」

「えぇぇぇ……そっ、そんな、全力でなんとなくって宣言するって……もっ、もぅ、有紗ちゃんは本当にいきなり心臓に悪いことするんで困ります」

「嫌でしたか?」

「……そっ、その質問はズルいです。本当に、ズルいです」

 

 特に理由などなく、なんとなく抱きしめたかったからというある意味有紗らしいド直球な言葉に、ひとりは呆れたような表情を浮かべる。

 しかし、かといって離れたりしようとするわけでもなく……おずおずと有紗の背に手を回して抱きしめ返しつつ、有紗の肩に顔を当てて目を閉じた。

 互いに演奏をしていて体温が上がっているからか、少し熱いような気もしたが、不快感などは無くむしろ心の奥まで温まる思いだった。

 

「……あっ、有紗ちゃんって、いい匂いがしますよね。こっ、香水ですか?」

「少しだけ香水は付けていますね。何種類か持っていますが、柑橘系の物が好きです」

「あっ、たっ、確かに、有紗ちゃんって言うと柑橘系の香りのイメージかもしれないです。なっ、なんとなく、安心できる感じで……」

「ひとりさんが気に入ってくれているなら、私も嬉しいですよ。安心できるなら、もう少しこのまま休憩していましょうか……私も少し演奏を続けて疲れてしまったので……」

「あっ、うっ……はぃ」

 

 しばらく抱き合ったままでいようと提案する有紗に対し、ひとりは顔をさらに赤くしたものの、心地よい香りと言いようのない安心感には抗えずに頷いた。

 

 

 




時花有紗:ひとりが非常に楽しそうなので、嬉しいし楽しい。ひとりとのハグは至高の時間なので、たぶんまた止めようとすると「あと5分」が発動すると思われる。

後藤ひとり:もう友達と言い張るのは難しい距離感なのでは? 大丈夫? このまま、「あ~ん」と同じくハグに関しても距離感バグって抵抗無くなってこない?

撮影した動画:後にギターヒーローのアカウントにて「大好きな友達とセッション」というタイトルで投稿され、珍しくほとんどタグ付けしていなかったにも拘らず爆速で再生数が伸びたという。普段以上の120%ぼっちちゃんの演奏に、百合感あふれる楽し気な空気とあっては、伸びない理由もない。


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四十六手至幸の一時

 

 

 昼食を食べたあともひとりさんとセッションを行い、ある程度演奏して休憩を入れ、再びセッションを行って休憩という繰り返しでした。

 本当にずっと演奏しているという感じでしたが、ひとりさんは終始楽しそうであり、その姿を見ているだけで私も幸せな気持ちになれました。

 

「ひとりさん、そろそろ夕食にしましょうか?」

「あっ、そっ、そうですね。さっ、さすがにずっと演奏してたので、疲れちゃいましたね。でっ、でも、それ以上に楽しかったです」

「またやりましょうね」

「はい!」

 

 さすがにひとりさんにも疲労が見えたので、時間的に夕食が近いということもあってセッションはここまでということにしました。これからの機会はいくらでもありますので、焦る必要はありませんしね。ひとりさんがこれだけ喜んでくれるなら、私としても嬉しいですし、またこうして一緒に演奏したいものです。

 

「ただ、夕食前に……入浴して汗を流しましょうか、タオルで拭いているとはいえ互いに汗もかなりかきましたしね。サッパリしてから夕食を食べましょう」

「あっ、そうですね。たっ、確かに、私も汗をかきすぎてシャツがすっかり張り付いてます」

「着替えも用意してあるので、その辺りは安心してください」

 

 ひとりさんは途中からジャージの上着を脱いでおり、上は結束バンドのTシャツ姿となっています。黒い色なのでそこまで目立ちはしませんが、やはりかなり汗はかいているみたいでした。

 同じく私も休憩を入れつつとはいえ、何時間も演奏していたので汗はある程度かいていますし、夕食の前に風呂というのは最善の選択ですね。

 

 そんな風に考えつつ、片づけをしてからひとりさんと一緒に浴場に移動します。

 

「……まっ、前に来たときも思いましたけど、有紗ちゃんの家のお風呂って、滅茶苦茶大きいですよね。まっ、前に行った温泉にも引けを取らないぐらい」

「確かに広いですね……まぁ、ただ、実際の話をすると、この一番大きな浴槽は今回の様に来客があった際でもないと使いませんよ。大きすぎて無駄が多いですし、普段はもう少し小さい第二浴室を使っていますね」

「あっ、だっ、第二浴室とかもあるんですか?」

「はい。流石に少人数で使うにはこの浴槽は大きすぎますしね。ある程度、客相手に見せる見栄的な部分もあるんですよ」

「いっ、言われてみれば、普通に入る分には大きすぎてお湯を張るのも大変そうですね」

 

 広々とした浴槽は開放感があっていいものではありますが、普段使いするには不便な部分も多いです。使用人が使う浴室は別にありますし、本当にこの第一浴室は来客用という意味合いが強いですね。

 

「まぁ、時々開放感のある大きな風呂を利用したい時などは、こちらを使う場合もありますね。そういう意味では気分で使い分けているかもしれません」

「あっ、なっ、なるほど……さすがセレブ」

「さて、せっかく一緒に入るのですし、背中を流しますよ」

「あっ、はい。ありがとうございます。じゃっ、じゃあ、前みたいに交代で、ですね」

 

 私が促すとひとりさんは頷いて風呂椅子に座りました。その後ろで背中を流す用意をしていると、ふとひとりさんが思いだしたように口を開きます。

 

「……なっ、なんかこうしてると、箱根旅行を思い出しますね」

「そうですね。あの時も温泉でこうして、背中を流しましたね」

「あっ、はい。そっ、その時も私が先に流してもらってましたね」

「ふふ、そうですね」

 

 年末に一緒に行った温泉旅行を思い出して微笑み合いながら、ひとりさんの背中を流します。なんというか、こうしてふたりで一緒に居るというだけで、幸せだと実感できるのは本当に素敵なことだと、そう感じました。

 なんと表現するべきか、ひとりさんと一緒だと他愛のない話も本当に楽しくなるような、そんな気がしました。

 

「あっ、なっ、なんか、その……有紗ちゃんと一緒だと、本当にどうでもいいような会話も楽しくて……なっ、なんかこういうのって、幸せな気がしますね」

「……実はいま、ちょうど私も同じようなことを考えていました」

「あっ、そっ、そうなんですか……えへへ、一緒ですね」

「はい。そういうちょっとした部分で共通点があったりするのも、なんだか嬉しいですね」

「……はい!」

 

 嬉しそうに返事をしてくれるひとりさんの声を聴き、まだ湯船に浸かっていないのに心も体も温かくなったような気がしました。

 

 

****

 

 

 入浴を済ませたあとは、ひとりさんと共に食事です。昼食は私が作ったこともあってある程度簡素になりましたが、せっかくの誕生日ということで夜は豪華な食事を用意しています。

 

「……あっ、有紗ちゃん。いっ、いや、食堂が広いのはいまさらいいとして、なっ、なんかテーブルのセッティングが凄そうなんですが……」

「はい。夕食は豪華にと思って用意しています。とはいえ、コース料理などですとマナーも気にしてしまって楽しめないかと思って、その辺りはシンプルにしてありますので、マナーなどは気にしなくて大丈夫です」

「あっ、そっ、それは助かります」

「ひとりさんは肉がお好きでしたよね? なので、松坂牛のシャトーブリアンがメインですね」

「しゃっ、シャトーブリアン!? シャトーブリアンって……あの、伝説の……」

「伝説かどうかは分かりませんが、シャトーブリアンです」

 

 そんな風に話していると、料理の皿が運ばれてきました。まだ肉は乗っておらず、合わせて簡易調理台も運ばれてきます。

 

「あっ、こっ、これ、目の前で焼いてくれるとかそういう……こっ、個人宅で? さっ、さすが過ぎます」

「好きなだけ食べてもらって大丈夫ですよ」

「あわわわ……」

 

 アタフタとしているひとりさんの前でシェフが調理を開始して、鉄板の上でシャトーブリアンを焼いて一口サイズに切ったあとで皿の上に乗せてくれました。

 チラリとひとりさんの方を見て見ると、若干高級な料理に気圧されているような雰囲気がありました。このままではせっかくの料理の味も楽しめないでしょう……。

 

「ひとりさん、あ~ん」

「はえ? あっ、あむっ……あっ、美味しい」

「口に合ったようならよかったです。変に固くなる必要はありませんよ。私と一緒に、美味しい料理を楽しみましょう」

「あっ、有紗ちゃんと一緒……あっ、はい」

 

 私の言葉を聞いて、ひとりさんの肩からスッと力が抜けていくのを感じました。ある程度リラックスしてくれたみたいなので、これなら十分に料理を楽しめるでしょう。

 そう考えていると、ひとりさんは自分の皿に乗っていた肉を一切れ取って、私の方に差し出してくれました。

 

「あっ、有紗ちゃんも、どうぞ」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 ひとりさんが差し出してくれた肉を食べて、その味を堪能してから苦笑と共に口を開きます。

 

「……まぁ、お互い同じ肉なんですけどね」

「あっ、そっ、そうでしたね。つい、うっかり……なっ、なんとなく、有紗ちゃんに食べさせてもらったら返すのが癖みたいになってて」

「なるほど……つまり、私がもっとひとりさんに食べさせれば、同じようにひとりさんに食べさせてもらえると……」

「……あっ、えっと、有紗ちゃん?」

「お互い同じ肉ですし、交互に食べさせ合ってもいいわけですよね!」

「えぇぇぇ、いっ、いつの間にそんな話に……あっ、有紗ちゃん……あっ、駄目だこれ、話聞いてくれない時の顔してる……まっ、まぁ、いいか……」

 

 素敵な話を聞いたので、このまま夕食は交互に食べさせ合う形でいきたいと、そう思いました。ひとりさんも、私の意図は正確に察してくれたみたいで、どこか諦めたような表情で口を開けてくれていました。

 

 

****

 

 

 夕食を食べ終えたあとは私の部屋に戻って、他愛のない雑談をしながら過ごしました。途中でロインで結束バンドの皆さんからもひとりさんにお祝いのメッセージが届き、ひとりさんはとても嬉しそうにしていました。

 そして、例によってひとりさんが客室に泊るのは嫌とのことだったので、就寝の際は私の部屋のベッドで一緒になることになりました。

 以前に泊りに来た際と同じようにベッドに入って電気を消します。

 

「……あっ、有紗ちゃん。今日は本当にいっぱい、ありがとうございました。こっ、こんなに楽しい誕生日は、初めてでした」

「ひとりさんに喜んでもらえたのであれば、私も本当に嬉しいです」

「あっ、あの、なにかお礼にできることとか、無いですか?」

「それでしたらもうすでに、先にあった私の誕生日に素敵なものを頂いていますが……とはいえ、それも承知の上で、ですね?」

「あっ、はい。有紗ちゃんに、なにかしてあげたいって気持ちが強くて……」

 

 ひとりさんの考えていることはなんとなくわかります。自分の方が貰い過ぎてしまっているようでなにかお返しがしたいが、私の誕生日はもう過ぎているため、具体的なことが思い浮かばずに漠然となにかをお返ししたいという感じになっているのでしょうね。

 断るのは簡単ですが、ひとりさんとしてはなにかをしたいでしょうし……。

 

「なるほど……では、こんな感じで」

「うひゃん!? あっ、有紗ちゃん!? いっ、いい、いきなりなにを……」

 

 とりあえず何かということだったので、ベッドの中で身を寄せてひとりさんを抱きしめました。普段のジャージと比べれば薄着といっていい寝間着、ひとりさんの体温をより感じるようでなんとも幸せな気持ちです。

 

「いえ、私はこうしていると幸せなので」

「そっ、それにしたって、いきなり過ぎて……もぅ、有紗ちゃんは本当に……こっ、こんなのでいいんですか?」

「はい」

「うっ、う~ん……はっ、恥ずかしいですけど……有紗ちゃんが、そういうなら……」

 

 少しだけ戸惑うような声が聞こえ、ひとりさんの手が私の背中に回り体が抱きしめられる感触がしました。しかし、このひとりさんとのハグはなんというか、癖になりそうな心地よさですね。本当にずっとこうしていたいと思うほど、温かくて幸せです。

 

「……あっ、有紗ちゃん。改めて、今日はありがとうございました」

「どういたしまして……また来年も、こうしてふたりで過ごしたいですね」

「あっ……はい」

 

 心の底から温まるような温もりと柔らかな感触に包まれながら、表現が難しいほどの幸せと共に私の意識はゆっくりまどろみに沈んでいきました。

 

 

 

 




時花有紗:いつも通り好意全開ではあるが、最近はぼっちちゃんが割と受け入れてくれることが多いので本当に幸せいっぱい。順調に愛は育っている様子である。

後藤ひとり:もう、ハグはほぼほぼ受け入れるようになってきたぼっちちゃん。ベッドの中で抱き合って眠るとか大変にえっちなのでは?


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四十七手影響の新動画~sideA~

 

 

 もちろん期待していなかったと言えば嘘になります。眠るときに抱き着いていたのだから、起きた際もこの腕の中に最愛の人が居ることを期待するのは必然でしょう。

 かくして目覚めた私の腕の中には、愛しいひとりさんの姿がありました。むしろ寝る前より密着しているような気さえします。いえ、というか、確実に密着していますね。

 正しく表現するなら私の体を抱き枕にしたひとりさんが、体を摺り寄せるように密着しているとでも言うべきでしょうか、起きていた時は照れていて少し控え目だったのが、眠って無意識化のため遠慮なく密着しているのでしょう。実に素晴らしい状態です。

 

 いままでも数度こうしてひとりさんと共に朝を迎えることはありました。ひとりさんが私に抱き着いている時もあれば、起きた上で私がひとりさんを抱きしめたこともありました。

 その中でも今回の密着度は一番高いと言ってもいいでしょう。ひとりさんは顔を私の胸に埋めるような……摺り寄せるような形で眠っており、どこか甘えている風にも見えました。

 安心しきったような寝顔はあどけなくも美しく、本当に写真を撮って待ち受けにしたいぐらいです。まぁ、そのような盗撮じみたことは行いませんが……。

 

 ともかく例によって私に不利益は一切ありません。むしろ益しかありません。可愛く愛らしいひとりさんの寝顔と温もりを堪能できる朝……最高ですね。とりあえず、ひとりさんを抱きしめなおして頭を撫でておきましょう。

 そのまま例によって朝の至福の一時を満喫していると、しばらく経ってひとりさんが身じろぎしてゆっくりと目を開きました。

 

「……んんっ……有紗……ちゃん?」

「はい。おはようございます、ひとりさん」

「おはようご――ッ!?」

「なんというか、ある意味でひとりさんのその反応は毎回な感じですね」

「なっ、ななな、なんっ……あっ、いや、またこの状態ですか!?」

「もちろんです。このシチュエーションで、私がひとりさんを抱きしめないなどあり得ない話です」

「えぇ……なっ、なんて真っ直ぐで迷いのない目……」

 

 例によって顔を赤くして慌てているひとりさんにハッキリと告げます。なにを迷う必要があるでしょうか、なにを躊躇う必要があるでしょうか、最愛の存在を前に手を伸ばさぬなどという方が愚かな行為なのです。

 そんなことを考えつつ、私はひとりさんを抱きしめる力を少し強くして、ひとりさんの目を真っ直ぐに見つめながら続けます。

 

「……というわけで、ひとりさん……あと30分お願いします」

「ごっ、5分じゃないんですね!?」

「どのみち5分では満足できずに延長しようとするのは過去の経験から分かり切っているので、最初からまとめてお願いしておきます」

「いっ、潔すぎます……はぁ、もうっ、なんというか、恥ずかしい状態なのに、素直に恥ずかしがるタイミングを逃した気分です。ほっ、ほんとうにもぅ、こういう時の有紗ちゃんは……」

 

 そう言って呆れつつも駄目とは言わず、ひとりさんは体の力を抜いて身を任せてくれました。そのおかげで私はまたしばし至福の時間を堪能することができました。

 

 

****

 

 

 大きなイベントだったひとりさんの誕生日も終わりました。また来年の誕生日に向けていろいろ考えておくことにしましょう。

 それはそれとして、結束バンドの活動も未確認ライオットに向けていっそう熱が入っています。今日もSTARRYでのライブの日なので、早めに来て音合わせなどを行っています。

 私はそれを見学しつつ、物販などの準備や整理を行っていました。

 

「……それにしても、結束バンドのMVの伸びは素晴らしいですね。そろそろ他のオリジナル曲のMVを作成してもいいかもしれませんね」

「そうだね……いや、でも、伸びといえばぼっちちゃんの動画だよ! 爆速で再生数伸びてるじゃん!!」

「あっ、えへへ……かっ、過去最速です」

 

 私とひとりさんが行ったセッションの動画はかなりのスピードで伸びているようでしたが、それも頷けます。あの動画のひとりさんは、明らかに絶好調で普段以上の力を発揮できていたので、過去最高の伸びを見せるのも納得です。

 

「PRSのプライベートストックとか……羨ましい」

「リョウ先輩、PRSのプライベートストックって?」

「説明しよう! プライベートストックはいわゆる特注オーダーメイドで、特にPRSのそれは最高級の素材と技術を用いて作られる。そもそもPRS自体最高峰のテクニカルギターと呼ばれるぐらいに技術力があって、その職人たちが最高レベルのカスタマイズを施して作るワンオフギターは家宝レベルのクオリティ。ミュージシャンにとっては憧れの世界でたったひとつの自分だけの楽器を手に入れられる。もちろん最高のクオリティだからこそ値段も最高峰だけど、それ以上にフルオーダーで作る以上自分の演奏の癖や好みを完璧に把握していないと難しくて……」

「あ、えっと……は、はぁ……なるほど?」

「喜多ちゃん、そのロックオタクに迂闊に質問したら、早口で捲し立てられるよ……って、もう遅いか」

 

 喜多さんの質問にリョウさんが嬉々として説明を始め、質問した側の喜多さんはあまり理解できていないのか困惑したような表情を浮かべていました。

 リョウさんは好きなものはとことん語りたいタイプなので、ある意味では予想された結果とも言えますね。そんなことを考えていると、ひとりさんがふと私の手元を見ながら口を開きました。

 

「あっ、有紗ちゃんは、なにをしてるんですか? すっ、少し悩んでるみたいでしたけど……」

「え? 有紗ちゃん悩んでたの? 全然分からなかったんだけど……ぼっちちゃん、愛の力かなぁ?」

「なぁ!? ちっ、違います! たっ、確かに、有紗ちゃんはそういうのは顔に出ないですけど、ふっ、雰囲気で分かりますし、全然普通です!」

「……い、いや……普通?」

 

 相変わらずひとりさんの鋭い洞察力には驚かされます。実際私は悩んでいました……いえ、あまり大した問題ではないのですが、少し考え事をしていました。

 それを表情には出していなかったのですが、ひとりさんにかかればお見通しだったようです。

 

「ひとりさんの言う通り、物販のことで少し悩んでいました」

「うん? なにか問題があったの?」

 

 私の言葉を聞き、喜多さんとリョウさんもこちらに来て、私の手元にある商品リストを見ながら首を傾げました。

 

「いえ、問題というか喜多さんに協力して貰って公式トゥイッターで物販についての要望を募ってもらったのですが……」

「えっと、なになに……『有紗ちゃんカラーのリストバンドも欲しいです』?」

 

 虹夏さんが読み上げたコメント……書いた人のアカウント名が「2号」だったので、高確率で2号さんではないかと思うのですが、ともかくそういった要望があったわけです。

 

「え? 別に追加すればいいんじゃないの? もう前回のMVで有紗ちゃんのことはサポートメンバーって紹介したから、ファンの間でも結束バンドの関係者って認知されてるわけだし、問題はなさそうだけど?」

「あ、いえ、そうなのですが……リストバンドに関して、私のカラーというと白色になるのですが……それは完全に普通の結束バンドだなぁと……」

『あぁ、なるほど……』

 

 別に私のカラーの結束バンドを追加すること自体は困難ではありません。それこそ、ホームセンターなりに行けば簡単に見つかるでしょう。

 ただ、私が銀髪である関係上どうしても色というと白になってしまうので、本当によく見る結束バンドをそのまま売ってるような形になってしまうので、どうしたものかと悩んでいました。

 

「……まぁ、演奏メンバーではない私のものがそんなに売れるとも思えませんし、とりあえず要望に沿ってリストバンドは追加しておきましょう」

「う~ん、私は売れそうな気がするけど……」

「物販の売り上げが増えるのは大歓迎。むしろ、ブロマイドとかも有紗のやつを出そう。絶対売れる」

 

 おそらく一番物販を購入してくれているであろう2号さんからの要望でもあるので、とりあえずリストバンドの色は追加しておきましょう。

 そう結論付けたタイミングで、喜多さんが何か思いついたような表情を浮かべて口を開きました。

 

「そういえば、興味本位で聞くんだけど……一番売れてる物販って?」

「追加した時期などで差はあるのですが、数で言えば……ひとりさんのブロマイドですね」

「あぇ? わっ、わわ、私ですか?」

「ええ、それほど大きな差があるわけでは無いですが、複数枚同時に購入する方も多いようで、その影響もあって一番数が売れていますね。やはりリードギターであるひとりさんは花形ですし、愛らしい容姿も相まってブロマイドを欲しがる方も多いのでしょう」

「うへへ、いっ、いや、そんなことは……うん? あっ、あれ? わっ、私のブロマイド……ということは……」

「ぼっちちゃんのブロマイドが一番売れてる? それって……」

「ひとりちゃんのブロマイドって確か……」

「原因は他にある気がする」

 

 やはりひとりさんの美しさと愛らしさは万人に受け入れられるものであり、極めて人気が高いのでしょう。もちろん結束バンド自体がまだ知名度はさほど高くないので、そもそも物販自体全体の販売数はそこまでではありませんが、ひとりさんのブロマイドがトップなのは揺ぎ無い事実です。

 なぜか皆さんが微妙そうな表情を浮かべていたので、それを聞こうとすると、そのタイミングで申し訳なさそうな表情を浮かべた星歌さんが近付いて来ました。

 

「……有紗ちゃん、悪い。電気代の計算なんだけど、これでよかったっけ?」

「えっと、星歌さんの場合はライブハウスと自宅が同じ建物なので、面積当たりの割合で計算して……ええ、この計算方法で間違いないですよ」

「……お姉ちゃん、なにしてるの?」

「確定申告の準備だよ。税理士に出す前に、ある程度纏めとかなくちゃいけないんだ」

「……女子高生に教わってるの?」

「……うるさい。お前もやるようになったら分かるけど、マジで大変だから覚悟しとけよ」

 

 ちょうど確定申告の時期だということもあって、星歌さんはなかなか大変そうです。なのである程度慣れている私が度々相談に乗っています。

 星歌さんの様子を見て、虹夏さんは軽くため息を吐いて皆さんと一緒に練習に戻ってしまったので、先ほどの微妙な表情の理由を尋ねる機会を逃してしまいましたが……まぁ、深刻な感じではなかったので大丈夫でしょう。

 

 

 




時花有紗:例によって朝の至福の時間を堪能した。過去の反省を生かして、最初から30分の延長を申請する様はまさに猛将メンタル。

後藤ひとり:ぼっちちゃん。有紗相手の場合だけかなり洞察力が高く、些細な感情の変化も見逃さない……いや、君有紗のことめっちゃ好きでは? なお、グッズの売り上げがトップらしい。

売り上げトップのブロマイド:ひとりと有紗のツーショットのブロマイドであり、唯一物販の中で有紗の姿が確認できる一品。有後党がいっぱい買ってる。


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四十七手影響の新動画~sideB~

 

 

 有紗の家での誕生日の祝いを終え、家に帰ったひとりがリビングに入ると父である直樹の姿があった。そして、直樹がふとひとりが担いでいるギターケースに目を向けて首を傾げた。

 彼の認識としてはひとりはバンドの練習ではなく、誕生日の祝いとして有紗の家に向かったのでギターを持っていることに若干の違和感を覚えたためだ。

 

「おかえり、ひとり……って、ギターを持って行ってたのかい?」

「あっ、いや、これは有紗ちゃんに誕生日プレゼントで貰ったギター」

「おお、ギターがプレゼントだったのか、どんなギターだ? お父さんにも見せてくれよ」

「えへへ、凄いギターだよ……これ!」

 

 直樹に尋ねられ、ひとりはどこか嬉しそうな笑顔を浮かべつつギターケースを開けて有紗にプレゼントされたギターを見せる。

 

「おお、カッコいいじゃないか! それに、見るからに質がいいな……かなりのグレードの品じゃないのか?」

「それが、なんと……PRSのプライベートストックで作ったギターなんだって」

「PRSのプライベートストック!? 凄いな、ギタリストの憧れじゃないか……文字通りひとり専用のギターってわけか……いや、それにしても、そんなものをポンとくれる有紗ちゃんも凄いな」

「うん。えへへ、有紗ちゃんは本当に凄くて、今回はなんとキーボードも練習してくれてて、一緒にセッションをしたんだけど凄く上手くて……」

 

 直樹が有紗の話を振ると、ひとりは明らかに嬉しそうな様子で有紗の家であったことを話し始める。コレは極めて珍しいと言える事態ではある。

 当然ではあるがコミュ症であるひとりも、家族相手には普通に話すことができるのでスムーズに会話ができているのはいつも通りだが、ひとりがこうして楽しかった出来事などを自分から話すのは珍しい。

 そもそも、学校の話なども含め美智代や直樹が尋ねれば答えるが、基本的に自分からアレコレと話すことは無い。

 そんなひとりが楽し気に昨日あったことを報告してくれている様は、父親として直樹の心に込み上げてくるものがあった。

 

「うぅ、あのひとりがこんなにも普通の女子高生みたいに……本当に有紗ちゃんには感謝してもしきれない。有紗ちゃん相手なら、安心してひとりをお嫁にあげられるよ」

「なんでそう言う話になるの!? 私と有紗ちゃんは、そそ、そういう関係じゃなくて……もう! お父さんの馬鹿! わっ、私はもう部屋に戻るから!!」

「……恋バナをして娘が照れて怒る。夢見ていたやり取りができるとは……感動だ」

 

 顔を赤くして去っていくひとりを見送りつつ、直樹はどこか満足気に頷いていた。

 

 

****

 

 

 ひとりは家に帰った後ですぐ有紗と行ったセッションの動画を編集してサイトに投稿した。いつもはタグを大量に付けるひとりだが、今回は必要最低限に留めタイトルを「大好きな友達とのセッション」として投稿した。

 本人にしてみれば楽しかった思い出が強く残っているうちに投稿してしまいたかったというだけで、特に再生数などを意識したわけでは無かった。

 だが、普段の動画以上に圧倒的な演奏、トゥイッターでも未だ紹介されていない新しいギター、初登場となる謎のプロレベルのキーボード、それだけの要素があって動画が伸びないわけもなく過去最大のスピードで再生数は上がっていった。

 

 そして当然ながら、その動画は現実のひとりを知る者たちも目にすることとなる。

 

「……えっ、すごっ……いやいや、ぼっちちゃんから聞いて上手いってのは知ってたけど、有紗ちゃんこんなに凄いの!?」

「フィンガリングえぐい、明らかにプロ級」

「というか、ぼっちちゃんも滅茶苦茶凄いんだけど……」

 

 リョウの家に遊びに来ていた虹夏は元々ギターヒーローのファンでありチャンネル登録もしている。すなわち新着の動画がアップされれば通知が来るため、すぐに動画を確認することができ、一緒に居たリョウともどもその演奏に圧倒された。

 

「う~ん、どっちも本当に凄い。凄いけど……あ~もうっ、こんな楽しそうなことするなら呼んでよ~!」

「ぼっちのギターの音かなりノッてる。こんなに楽しそうに演奏されると、確かに羨ましい」

「だよね! 聞いてたらドラム叩きたくなってきたよ~」

「ふっ、ガキめ」

「……お前が唐突に手に取ったそのベースはなんだ」

「……ちょっと音を確かめるだけ……」

 

 演奏の凄さにも圧倒されたが、それ以上に聞いているだけで楽しそうに演奏しているのが伝わってきて、自分たちもひとりのような楽しい演奏がしたいという気持ちが湧き上がってくる。

 幸いここはリョウの家であり、リョウはその欲求を発散するすべがあるが……ドラムはないため、虹夏は悶々としていた。

 

「……んっ、ほら、虹夏」

「え? なんでギター?」

「すぐにできる簡単なコード教えてあげる。ドラムはないから、それで我慢して」

「リョウ……うん。ありがとう!」

「あっ、ドラムスティックみたいにしろって意味じゃないから。そのギター40万するから、破壊衝動は抑えて」

「なんで、普段の私に破壊衝動があるみたいな言い方した? おい、こっち向け……」

 

 実際のところは、虹夏の笑顔が眩しくて少し気恥ずかしくなって誤魔化すように言っただけだったが、文句を言う虹夏がそれに気付くことは無かった。

 ともあれ、リョウが簡単に指導したこともあって、ギターとベースで少しの間簡単な曲をセッションすることとなったふたりの表情は終始柔らかな笑顔だった。

 

 

****

 

 

 ひとりと有紗の動画に影響を受けたのは虹夏たちだけでは無かった。自室で椅子に座って手元を確認している星歌の元に、タオルで髪を拭きながらきくりが緩い顔で現れた。

 

「あ~先輩、シャワーあざっした~」

「ああ、気にするな。1回の使用につき100円で計算して年度末に請求するから」

「ちょっ、勘弁してくださいよ……ってあれ? ギター?」

「ああ、まぁ、ちょっと懐かしくなって久しぶりに出してみた」

 

 しょっちゅうシャワーを借りに押しかけてくるきくりに対し、呆れたような言葉を返しつつ星歌は手元のギターのペグを触って音を調整する。

 

「へぇ……あ~わかったぁ。ぼっちちゃんと有紗ちゃんの動画見て、久々に弾きたくなったんでしょ~」

「……そうだな。お前が余計なもん見せてくれた影響はあるかもな」

「え~でも、気持ちわかるなぁ。あの若々しいパワーのある演奏聞くと、昔を思い出しちゃいますよね」

「まっ、年は取ったな。お互い」

「ですね~」

 

 ひとりと有紗のセッションの動画は、押しかけて来たきくりが楽し気に見せてきたので星歌も見ており、その楽しそうな演奏を聞いて久しぶりにギターを触りたくなった。

 パックのおにころを取り出して飲みながら緩く笑うきくりを適当に相手をしつつ、星歌は調整を続ける。ブランクはかなりあったが、体は覚えているもので特に詰まることもなく調整は終わってギターはいつでも弾ける状態になった。

 それを察したきくりは楽し気な笑みを浮かべながら星歌に声をかける。

 

「演奏するんですか? 私もぉ、久々に先輩のギター聞きたいですね~」

「はぁ、何年ブランクがあると思ってんだ。ソロで上手く弾ける自信は無いな……というわけだから、シャワー代替わりに付き合え、ベーシスト」

「おっ、あはは……アイアイサー!」

 

 不敵な笑みを浮かべて告げる星歌を見て、きくりは心底楽しそうな様子で大袈裟な敬礼を返してから、ベースを手に持って星歌と共にライブハウスのスタジオへと移動していった。

 

 

****

 

 

 時を同じくして自室で執筆の息抜きに動画サイトを見ていたぽいずんやみこと佐藤愛子は、新着の演奏動画を何度もリピート再生していた。

 

「……すっ、すっごっ……ギターヒーローさんもだけど、このキーボードも凄い! え? だれ? た、たぶんだけどスタンウェイのピアノ持ってる友人ってのがこの人かな? だとしても、キーボードの演奏も凄い。完全にプロ級……だけど思い当たる人が居ない!? ギターヒーローさんの知り合いってことは、下北? いやでも、このレベルのキーボードを一度聞いて忘れるわけがないし……」

 

 愛子は現時点では結束バンドとさほど交流があるわけでは無い。故に有紗についてもよく知らないため、動画を見ただけでキーボードが有紗であるとは思い至らなかった。

 

「それにギターヒーローさんのギターも新しくなってる。見るからに質がいいし、ハイエンド? き、気になる。直接会って聞いてみたい……あぁ、でもでも、悔しかったら見返してみろ的なこと言っといて、こんなに早く会いに行くのも……ぐぬぬ」

 

 いま抱えている多くの疑問はひとりに会いに行けば解決するだろうが、わざわざ挑発するようなことを言って発破をかけたバンドに会いに行くには、出来ればもう少し時間が欲しかった。

 

「……い、いや、まぁ、結束バンドのMVはマジでよかったけど……2ヶ月ちょっとであそこまで伸びるって、若い子たちの成長は早いなぁって感動したし、なんなら、もう見返されてるって言ってもいい。そ、そろそろ一度ライブとか見に行こうかなぁ……それで、あのMVの演奏が会心の演奏とかじゃなければ……」

 

 結局知りたいという欲求には勝てず、愛子は真剣に再び結束バンドのライブを見に行くことを検討し始めた。

 

 

****

 

 

 そして、ひとりと有紗のセッションとなれば、もちろん自称有後党であるファン2号も反応しないわけがない。

 

「……見て見て! 凄いよね! 尊いよね!!」

「見たよ、何度も……いや、でも、有紗ちゃんも凄いレベルアップしてるよね」

「そうそう! 路上ライブで聞いた時から、また聞きたいな~って思ってたんだよ! それがこんな最高な形で……やはり、世界は……輝いてる!」

「おちつけ、2号」

 

 興奮気味に語る2号に1号も苦笑を浮かべる。そもそもふたりは、最初にひとりと有紗、そしてきくりの路上ライブを聞いて結束バンドのファンとなった存在であり、ひとりと有紗がセッションしている様は、あの時の路上ライブを記憶を呼び起こし、どこか懐かしくも嬉しい気持ちになっていた。

 2号があまりにテンションが高いため冷静になってはいるが、1号も久々に有紗の演奏を聞けて嬉しく思っていた。

 

「あ~惜しむらくは、有後党の同志たちと、この喜びを分かち合えないことだよ。あ~語りたいなぁ」

「ひとりちゃんは、動画アカウントのこと大っぴらにしてないんだから、私たちが勝手に話すのは駄目だって」

「分かってるよ。個人情報は大事だからね……あ~でも、この喜びを分かち合いたいって気持ちも大きいんだよねぇ」

「……まぁ、その辺りは私で我慢しときなさい」

「そうする~というわけでも、もう一回リピートだ!」

 

 テンション高く再びひとりと有紗の演奏を眩い笑顔で見始める2号を見て苦笑しつつ、1号も隣にならんで一緒に動画を見始めた。

 

 

 




後藤ひとり:もう並みのカップルよりいちゃついてるし、外堀も完全に埋まり切っている。

14歳(仮):ぶっちゃけ、もうすでにMVみて結束バンドは見直してるし、かなりの高評価。ライブに来たらいい記事を書いてくれそう。

百合要素:今回は通常の有後に加え、虹リョウ、星きく、1号2号の欲張りセット。

喜多郁代:……あの? 誰か大事な人をお忘れとは思いませんか?


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四十八手活動の路上ライブ~sideA~

 

 

 3月に入り、未確認ライオットのデモ審査に投稿するデモテープも完成して今回はSTARRYにて今後についての打ち合わせを行っています。

 

「さぁ、皆、いよいよ審査用のデモテープも完成して、未確認ライオットに臨む準備は整ったね。今日は、投函したあとの路上ライブとかも含めて話し合っていこう。というわけで……有紗ちゃんよろしく!」

「え? 私ですか?」

「……ついに、進行を乗っ取られる前に指名して任すって方法でリーダーとしての威厳を守り始めた……ふっ、滑稽」

「……」

 

 唐突にこちらに進行を託したあと、虹夏さんは揶揄うような発言をしたリョウさんの元に向かい、流れるような動きでバックドロップを叩き込みました。

 その様子をなんとも言えない表情で見つつ、まぁ、任されたのですから進行しようと口を開きます。

 

「では、まず未確認ライオットに関してですが、現在の結束バンドの実力やデモテープの完成度を含めると、贔屓目を抜きにしてもデモ審査の通過はほぼ確実だと思います」

「あっ、そっ、そうなんですね。有紗ちゃんが、そう言ってくれるなら、あっ、安心です」

「もちろんなにごとも絶対というのはあり得ませんが、デモ審査に関してはいまさら私たちがなにかをできるというわけでもありませんので、意識し過ぎる必要はありません。なので今後はその後に行われるネット投票についての対策を本格化していく形ですね」

「はい、質問。具体的には、どういうことをすればいいのかしら?」

 

 喜多さんが手を上げて質問をしてくれました。喜多さんは場の空気を読むのがとても上手いので、私が話しやすいように質問という形で進行を手伝ってくれている様子でした。

 

「ネット投票の形式としては、未確認ライオット特設サイトで、デモ審査通過者の音源と映像を公開し、期間内に投票を受け付ける形ですね。ここで必要になってくるのは、やはり知名度です。デモ通過者の数はそれなりになりますし、よほど熱心な方でもない限り全てのバンドの音源を聞いて投票などということはしませんからね」

「知名度か……有紗ちゃんはよく、結束バンドの課題は知名度って言ってたよね?」

「ええ、虹夏さんの言う通り現状の結束バンドの最大の課題はやはり知名度です。どうしても知名度は、活動期間が長いバンドの方が有利ですからね。MVなどの再生も好調で以前と比べればかなり知名度も上がっていますが、新たなファン層の獲得も重要です……というわけで、近く行う路上ライブも知名度のアップが目的ですね」

 

 本戦まで進めば、曲を聞いて判断してくれる人が多くなって実力で勝負できるようになってきますが、ネット投票の段階では実力よりやはり知名度です。

 本戦出場を確実にするなら、できれば中間発表の時点でTOP10には入っておきたいところですが、そのためにはいま以上に多くのファンを獲得する必要があります。

 上位層と勝負するには、最低限夏までにワンマンライブが可能なぐらいの知名度と集客力は得ておきたいところです。

 

「路上ライブに関しては、既に道路使用許可申請の手続きも完了していますので問題なく行えます。物販の販売やデモCDの配布に関しても申請して許可を得ています」

「おぉ、準備完璧。伊地知先輩がやってくれたんですか?」

「ふっ…………ありがとう、有紗ちゃん! 本当に、いつも頼りになります!」

「あっ、なっ、なんとなくそんな気はしてましたけど、有紗ちゃんがやってくれたんですね」

「いえ、虹夏さんから相談を受けてある程度お手伝いはしましたが、基本的に計画などは虹夏さんが立てていますよ」

 

 道路使用許可申請の手続きなどは私が行いましたが、立案や場所の選定などは虹夏さんですし、私は少しアドバイスした程度です。

 

「合わせて、残りのオリジナル曲のMV作成や、従来のライブハウスでのライブなども並行して行います。年度の切り替わりでもあり、少々忙しくなりますが頑張りましょう」

「了解。サンキュー、リーダー」

「いえ、ですからリーダーは……えっと、虹夏さん。こんな感じでいいですか?」

「うん。バッチリだよ、ありがとう!」

 

 ある程度今後の方針については話し終えたので、虹夏さんに進行を戻します。虹夏さんは皆から見える位置で立ち上がり、グッと拳を握りながら口を開きます。

 

「それじゃあ、そういうわけで、未確認ライオットのグランプリ目指して、皆で頑張っていこう!!」

「あっ、はっ、はい!」

「頑張りましょう!」

「最後に出てきてリーダー面してるのウケる」

「私も可能な限り協力します」

 

 皆で意識を確認し合った後、続けてより細かい詳細を話し合っていく流れとなりました……余談ですが、リョウさんはもう一度バックドロップをされていました。

 

 

****

 

 

 デモ審査用のテープの投函を終え、公式トゥイッターなどで路上ライブの告知をして迎えた路上ライブの当日。事前に道路使用許可をとった場所で準備を行います。

 

「有紗ちゃん、それがサンプルCD?」

「ええ、結束バンドのオリジナル曲のサビ部分を纏めたもので、宣伝用に無料配布します。ジャケットの裏には、動画サイトと公式トゥイッターのURLとQRコードを乗せているので、興味を持った方がファンになってくれることも期待できますね」

「物販も少し持って来てるから、販売は有紗ちゃんに任せる形になるね」

「……有紗、コレもよろしく」

 

 喜多さんの質問に答えていると、虹夏さんがキャリーバックの中から持って来た物販の商品を渡してくれました。ライブハウスと比べると品揃えは少ないですが、デモCDなども含めていくつかの商品を用意しています。こちらの販売は路上ライブを行わない私が担当することになります。

 それはそれとして、リョウさんが「投げ銭してね」と書かれた箱を手渡してきました……まぁ、路上ライブをするとなると投げ銭を期待するのも必然かもしれませんね。

 リョウさんから投げ銭用の箱を受け取り、物販スペースと立て看板の横に置いて準備をしていると、聞き覚えのある声が聞こえてきました。

 

「うえぇぇぇ~い……みんなぁ、やってるかなぁぁぁぁ、応援に来たよぉぉぉ」

「今日のライブ終わった!? 廣井さんが、なんでここに!? Gみたいにどこにでも湧きますね!」

「妹ちゃん、君どんどん辛辣になってない? ……いや~、皆が路上ライブするって先輩から聞いて応援に来たんだよぉ~あ~有紗ちゃんもやっほ~」

「こんにちは、きくりさん。応援に来てくださってありがとうございます」

 

 路上ライブを見に来てくれたらしいきくりさんに笑顔で挨拶をすると、きくりさんはどこか感極まったような表情を浮かべました。

 

「有紗ちゃんだけは、私のこと邪険にしないから嬉しいなぁ……うん……いま、いっそ美しさすら感じる動きで没収したおにころの瓶を返してくれたら……もっと嬉しいかなぁ」

「路上ライブが終わればお返ししますよ。他の観客の迷惑になってしまうので、路上ライブが終わるまではお酒は我慢してください……ね?」

「……はい」

 

 きくりさんが応援に来てくれたのは嬉しいですが、酒瓶を持って真正面に陣取られては他の客が寄り付きにくくなるので、心苦しいですがライブが終わるまでは酒瓶は預かる形としました。

 虹夏さんが弾けるような笑顔でサムズアップしていたのがとても印象的でした。きっと、普段からいろいろ苦労しているのでしょうね。

 

 そして、ある程度準備が整っていよいよ路上ライブというタイミングで、喜多さんに若干の緊張が見て取れました。喜多さんは路上ライブの経験がないので緊張しているのでしょう。

 喜多さんの緊張を解すために声をかけようとすると、そのタイミングで私より早くひとりさんが喜多さんに声を掛けました。

 

「……あっ、きっ、喜多ちゃん……大丈夫です」

「ひとりちゃん?」

「わっ、私も前に有紗ちゃんとお姉さんと路上ライブをやったので、喜多さんの緊張する気持ちもわかります。でっ、でも、こんな私でもなんとかちゃんとできたので……喜多ちゃんなら、絶対に大丈夫ですよ! そっ、それにひとりじゃなくて、私たちも居ますから! 安心してください!」

 

 ひとりさんも喜多さんの緊張には気づいていた様子でした。こうして、周囲を気遣って緊張を解そうとしてあげられる……かつてのひとりさんでは無理だったはずです。ひとりさんも精神的に以前よりずっと大きく成長しているということでしょうね。

 

「……ひとりちゃん、ありがとう」

「ぼっちちゃんいいこと言うねぇ……うん。本当に……有紗ちゃんの背中に隠れてさえなければ、カッコよかったんだけどなぁ……本当に、正面からだと全然分からないぐらい綺麗に隠れるから、途中で居なくなったのかと少し探したよ」

「あっ……有紗ちゃんが居なければ、キャリーバックの中とかに隠れてました」

「有紗ちゃんが居てくれてよかったよ、本当に!」

 

 ひとりさんは路上ライブの場所に到着した時点で私の背中に隠れていました。まぁ、駅に近い人通りの多い道ですし、ひとりさんがこの状態になるのも理解できます。

 ですが、さすがにこの状態のまま路上ライブを行うわけにもいきません。

 

「ひとりさん、そろそろ準備をしたほうがいいのでは?」

「あぅ……」

「不安な気持ちも理解できますが、今回は私も物販で近くに居ますし、安心してください」

「あっ、有紗ちゃんが近くに……」

「はい。普段のライブハウスより近いので、ある意味特等席ですね。素敵な演奏を期待してます……頑張ってください」

「あっ、はっ、はい! えへへ、なっ、なんだか、有紗ちゃんに応援してもらえると、頑張るぞ~って気持ちが湧いてくるから不思議です。こっ、怖いですけど、頑張ります!」

「はい。頑張ってるひとりさんは、とてもカッコいいですよ」

「あっ、えへへ、そそ、そんなことないですよ。ふへへ……」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、少し照れたようなそれでいて嬉しそうな表情を浮かべ、私の背中から出てギターの準備を始めました。

 

「……信じられる? あのふたり、あの空気感で友達だとか言い張ってるんだよ」

「ま、まぁ……ある意味ではいつも通りなので……」

「あのふたりが度々いちゃつくのは平常運転だと思ってる」

 

 

 

 




時花有紗:物販担当として、アレコレサポート……虹夏にもかなり頼られており、路上ライブの計画などはふたりで話し合って決めた。隙あらばひとりといちゃつく。

後藤ひとり:取り合えず人が多いと有紗の背後に隠れるのが定番。有紗が居ると有紗の背後に隠れるのを優先するので、この作品のぼっちちゃんはあまりゴミ箱とかに隠れたりはしていない。例によってちょっと目を離すと、すぐに有紗といちゃつく。

世界のYAMADA:原作もそうだけど、虹夏をアレコレ揶揄うのは、構ってほしいからだと思われる。

廣井きくり:有紗ちゃんは優しい。邪険にしないし、いつも笑顔で対応してくれる……でも、すぐに酒を没収される。


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四十八手活動の路上ライブ~sideB~

 

 

 準備を終えて結束バンドの路上ライブがスタートする。下北沢は音楽の街と呼ばれており、基本的に音楽に関しては寛容で、路上ライブに足を止めてくれる人も多い。

 あとは足を止めた人たちの興味を惹けるだけの実力が備わっているか否かではあるが……その辺りは問題ない。むしろ、最近ではメンバー全員がレベルを上げたと言っていい結束バンドの音楽は多くの人を惹き付ける魅力に満ちていた。

 

「……いいバンドだねぇ」

「聞いたことないバンドだったけど、上がってきそうな感じだよな」

 

 そんな風に結束バンドを評価する声があちこちから聞こえ、きくりや有紗といった結束バンドをよく知る者たちも微笑まし気な表情を浮かべていた。

 そして演奏がひと段落すると、サンプルCDを持ち帰ったり物販を購入してくれたりする者もそれなりに居て、成功といっていい結果だった。

 

「いや~皆、よかったよ~」

「ありがとうございます……有紗ちゃん、物販手伝う?」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ。はい、ありがとうございました」

 

 きくりの言葉に笑顔を浮かべつつ、虹夏は物販を行っている有紗に声をかける。物販の前にはそれなりの人が並んでいたが、有紗は問題なく笑顔で捌いでおり、確かに助けは必要なさそうだった。

 物販関連は有紗に任せて結束バンドの面々は楽器の片づけなどを行っていると、妙な雰囲気の客が物販コーナーに近付いてきた。

 帽子を深くかぶりサングラスをかけて、どこかコソコソとした様子でサンプルCDを貰おうとしていた様子の人物を見て、有紗が首を傾げて口を開いた。

 

「……やみさんでは? なぜそんな格好を?」

「ッ!? しっ、しー!」

 

 一度見た相手の顔は忘れない有紗がすぐにその人物が愛子であると気付いたが、愛子はやや慌てた様子で結束バンドのメンバーたちの方を見る。幸い結束バンドのメンバーたちはきくりと話しており、愛子には気付いていない様子だった。

 

「……た、たまたま取材で近くに来てて、前にあんなことを言った手前、次に会うならちゃんとライブハウスのライブでって思ってるから……内緒にしといて」

「は、はぁ……分かりました」

 

 己を見返してみろというような挑発をした愛子にも変なプライドがあるのか、この場で結束バンドのメンバーたちには会いたくない様子だった。その理由は単純で、愛子は既に結束バンドを認めており、高く評価しているので、次に会う時はちゃんと謝罪をした上で改めて取材をする時だと考えている。

 今回は本当に通りがかっただけなので、あまり取材をする時間がないこともあって、サンプルCDだけ貰って帰るつもりだった。

 有紗からCDを受け取った愛子は、去り際に小さく微笑みを浮かべて口を開く。

 

「……いいライブだった。来週も時間があれば見に来るわ」

「ええ、お待ちしています」

 

 微笑みながら愛子を見送った有紗は、特に愛子のことを話すことはなく他の観客への対応を行い。持って来ていた物販の商品をある程度売り終え、人が居なくなったのを確認して片づけを始めた。

 するとその様子に気付いた結束バンドのメンバーたちも有紗の元に近付いてくる。

 

「有紗ちゃんもお疲れ~結構売れてたね」

「ええ、購入したり投げ銭をしてくれる方も多かったですね」

「……やはり、有紗の近くに置いたのは正解だった。このビジュアル、放っておいても人は寄ってくる……ふふ、結構ありそう」

 

 実際有紗の容姿はかなり人目を引くので、投げ銭の箱を有紗の近くに置くのは非常に効果的だった。近くということもあって、投げ銭を入れると有紗が笑顔でお礼を言ってくれていたので、それを目的で投げ銭を入れていた人もそれなりに居た。

 

 ともかくこれで無事に路上ライブは終了して即撤収……とはならなかった。

 

「……えっと、ひとりちゃんは有紗ちゃんの背中に張り付いてなにを?」

「あっ、きっ、緊張から解放されて全身ガクガクなので……」

「ぼっちちゃんは、いま精神安定に重要なアリサニウムを補充中なんだってさ~」

「……私の体からそんな成分が分泌されているのは、完全に初耳なのですが……」

 

 かなり精神的に成長しているとはいえ、それでも極度の人見知りであるひとりにとって路上ライブは極めて緊張するものであり、終わった後はすぐには歩けないほどに足も震えていた。

 そして彼女にとってこの場で一番安心できる場所は有紗の傍なので、自然と有紗の近くに寄ってきて疲弊した精神の回復を図っており、それを虹夏はアリサニウムの補充と称していた。

 

 

****

 

 

 路上ライブも無事に終わり、今後は毎週行ってファン獲得を目指す方針で纏まった。そして3月の中旬が近づいたころ、有紗はひとりと共にショッピングモールに買い物に来ていた。

 目的としては、互いに贈り合ったバレンタインデーのお返し、ホワイトデーが近いこともあってどうせだからと一緒に買いに来た形である。

 尤も、有紗は手作りをする予定なので、買いに来たのは材料だが……。

 

「あっ、やっ、やっぱり、それっぽい客が多いですね」

「まぁ、この時期ですとやはりホワイトデー用の購入が多いでしょうね」

「あっ、そっ、そういえば、マシュマロとかは贈っちゃ駄目なんですよね」

「そうですね。ホワイトデーのお返しにはいろいろ意味があるのですが、マシュマロには『あなたが嫌い』という意味があると広く知られていますね。ただこれは元々は『あなたから貰った愛を優しさで包んで返す』というコンセプトでチョコレート入りのマシュマロを送るという誠実な意味だったらしいですよ」

「え? そっ、そうなんですか? いまと真逆ですね」

「ええ、ですがマシュマロの儚い口どけが『優しくお断りする』というイメージを定着させ、いつしか真逆の意味になってしまったみたいです」

「へぇ……あっ、いい意味のお菓子もあるんですよね?」

 

 博識な有紗の説明に感心した様子で頷きつつ、ひとりは逆に贈るといいものに関して質問をする。これからホワイトデーのお返しを選ぶ身としては、やはりできるだけいい意味のものを贈りたいという考えがあるようだった。

 

「そうですね。いくつか例を挙げるなら、キャンディーは『あなたが好き』、マカロンは『あなたは特別な人』、バームクーヘンは『幸せが続くように』、マドレーヌは『あなたともっと仲良くなりたい』、キャラメルは『あなたといると安心する』……この辺りがいい意味のお菓子ですね。あとはアップルパイもいちおう洒落の効いたお返しになりますね」

「アップルパイですか? そっ、それにも意味が?」

「ああ、いえ、特別な意味は無いのですがホワイトデーが3月14日で、円周率の概数も3.14でπ繋がりということで、外国ではこの日にパイ類を贈る習慣が有ったりするので、それにちなんだものですね」

「なっ、なるほど……」

「ちなみに、和菓子やラスクといった特別な意味を持たないものもあるので、そういうお返しを選ぶのもひとつの手ですね」

 

 有紗の説明に頷きつつ、ひとりは自分が買うホワイトデーのお返しについて考える。

 

(私が有紗ちゃんに渡すお返しなら、キャラメル……かなぁ? え? あれ? でも今の話を聞いたうえでキャラメルを渡すのは、それはそれで恥ずかしいような……)

 

 そんなことを考えて少し気恥ずかしそうな表情を浮かべるひとりに対し、有紗が穏やかに微笑みながら口を開いた。

 

「ひとりさん、ひとつ質問してもいいですか?」

「あっ、はい。なんですか?」

「マカロンは好きですか? 意味も重要ですが、相手が苦手なお菓子を贈っては本末転倒ですしね」

「あっ、はい。普通に好きですけど……」

「それならよかったです」

「……あっ、あの、マカロンを贈るつもりって聞こえるんですが?」

「その通りですよ? キャンディーもいいのですが、手作りするならやはりマカロンが適していますので、私にとってひとりさんはこれ以上ないほどに特別な相手ですからね」

「うっ、あっ、有紗ちゃんはそうやってすぐに恥ずかしいことを平気で……うぅ」

 

 ほとんど真正面から好きだと言われているようなもの……ある意味では平常運転の有紗ではあるが、それでも気恥ずかしさは感じてしまう。

 ひとりは少し呆れたような表情を浮かべつつ、それでも嬉しくないわけでは無いのか……頬を少し赤くしていた。

 

「……あっ、そっ、それにしても、人が多いですね」

「休日のショッピングモールですしね。最近は気温も温かくなってきているので、外に出やすくなってきているのも大きいですね」

「なっ、なるほど……もうすぐ春ですもんね」

 

 そんな風に有紗を会話をしつつ、ひとりはふと考えた。

 

(……もうすぐ、有紗ちゃんと出会って1年経つんだ。本当に1年前と比べると、いろいろなものが変わってる。有紗ちゃんって生まれて初めての友達が出来て、夢のまた夢だって思ってたバンド活動もできてるし、学校に友達もできて……改めて思い返すと、いろいろ変わってる)

 

 果たして1年前の3月に自分がなにをしていたかと考えても、ひとりでギターの練習をしていた記憶しかない。それが、たった1年で大きく変化した。

 一緒に夢を追える仲間もできて、学校でロックの話ができる友達もできて……こうして、いつも傍に居てくれる親友にも巡り合えた。それがどうしようもなく、幸せなことだと実感できていた。

 

「……あっ、有紗ちゃん」

「はい?」

「そっ、その、手を繋いでもいいですか? えっ、えと、別に理由とかはないんですが……なんとなく」

「ふふ、はい。実はちょうど私も手を繋ぎたいと思っていたところだったんですよ」

「あっ、じゃっ、じゃあ、一緒ですね」

「ですね」

 

 そっと伸ばした手を当たり前のように握ってくれる存在が近くに居てくれるのは、本当に幸せなことだと実感して思わず笑みを浮かべつつひとりは有紗と手を繋ぐ。

 

(……やっぱり、私も……ホワイトデーのお返しは、マカロンにしようかなぁ。い、いや、だって、有紗ちゃんが特別大好きな友達ってのは間違いないわけだし、意味合いとしては間違ってないよ! 友達として、特別な相手に贈るのだって問題ないはず……うん!)

 

 心の中で自分に言い聞かせるようなことを考えたあとで、ひとりは照れつつも少しだけ繋いだ手に力を込めた。

 

 

 




時花有紗:例によって最強ビジュアルなこともあって、物販も投げ銭も大盛況だった。投げ銭は原作の10倍近く入っていたとかなんとか……ホワイトデーにはマカロンを手作りする予定。

後藤ひとり:友達→大好きな友達→特別に大好きな友達……そろそろ自分に言い聞かせるのも限界なぐらい好感度が上がっている気がする。精神的に疲労した際はアリサニウムを補充する。

アリサニウム:ぼっちちゃんの精神安定に絶大な効果がある成分で、有紗の近くに居ると補充できるらしい。近くに寄る<手を繋ぐ<ハグと一度に摂取できる量が大きくなるが、過剰に摂取するとぼっちちゃんは赤面してしまう。


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四十九手春情の花見~sideA~

 

 

 3月も後半となり、季節は春の陽気に変わり始めてきました。新生活や進学に就職と生活の変化も多い時期ではありますが、高校1年生にとっては進級のみで大きなイベントはありません。ひとりさんは、進級に伴い宿題の出ない春休みがあることに喜んでいたり、進級でのクラス替えを不安に感じている様子でした。

 

「あっ、有紗ちゃんの学校は進級ってどうなんですか?」

「それなんですが、私の高校は進級によるクラス替えは無いんですよ」

「え? そっ、そうなんですか?」

「正しくは、一部のクラスには無いという感じですね。中高大の一貫のクラスでは文理の選択も中学の頃に終わってます」

「あっ、そっ、そういえば、有紗ちゃんの学校は大学まで一貫なんですね」

「ええ、まぁ、他の大学を受験するのも構わないので大学への進学率は90%ほどとも言われていますけどね」

 

 今日はSTARRYに向かう途中で運がいいことに偶然ひとりさんとタイミングが合い一緒に向かうことになりました。本当に幸先がいいというか、いいことが起こりそうな予感ですね。

 そんな風に感じつつ、ひとりさんと雑談をしながらSTARRYに辿り着き、店内に入ると……。

 

「ぴぃっ!?」

 

 ひとりさんが小さく悲鳴を上げて私にしがみつきました。予想とは違いましたが、ひとりさんに抱き着かれるというシチュエーションはいいことで間違いないですね。

 ただ、その原因となった相手に関しては、心配です。

 

「きっ、きき、喜多ちゃん?」

「どうしたんですか、喜多さん?」

 

 そう、ひとりさんが驚いたのは俗にいう体育座りの形で座って、虚空を見つめている喜多さんが原因でした。なんというか、虚無という言葉がよく似合う様な哀愁漂う表情です。

 サッパリ状況が分からなかったので、声をかけてみると虚無の表情を浮かべた喜多さんは淡々とした声で呟くように言葉を返してきました。

 

「……キラキラが足りません。キラキラを投入してください」

「「うん?」」

 

 言葉を聞いてもやはり意味が分からず、ひとりさんと共に首を傾げると、少し慌てた様子で虹夏さんが私たちの元に駆け寄ってきました。

 

「大変だよ、ふたりとも! 喜多ちゃんが『キラキラ欠乏症』になっちゃったんだ!?」

「きっ、キラキラ欠乏症?」

「欠乏ということは……必要な成分が足りてない……ということですか?」

「そう。ほら、喜多ちゃん最近すっごく頑張ってたでしょ? ギターにボーカルの練習、公式トゥイッターの更新にバイトに期末テスト……結果として忙しくて、最近自分のイソスタを更新できてなかったみたいで……」

 

 説明してくれる虹夏さんの話を聞くと、どうやらSTARRYに来た時点では普通の様子だったらしいですが、自身のイソスタに「最近更新無いですね」的なメッセージがあり、それを見て慌てて更新しようとしたものの更新に適した写真などが画像フォルダに無いことで、最近の自身のキラキラ欠乏に気付いてショックを受けてあの状態になってしまったみたいです。

 

「……なるほど? 分かったような、分からないような」

「あっ、なっ、なんと言うか、喜多ちゃんらしいと言えば喜多ちゃんらしいような……SNS依存の怖さを感じますね。あっ、ちなみに、何日更新してなかったんですか?」

「7日だって」

「いっ、一週間でこの状態になるんですか!?」

 

 ひとりさんの驚きも共感できますが、たった7日であっても喜多さんにとっては大事件なのでしょう。事実、基本は毎日なにかしらの更新をしていたみたいですし……。

 

「まぁ、でも確かに最近は路上ライブも本格的に始めて根詰めてた感じだし、喜多ちゃんを元気付けるのと私たちの息抜きも兼ねて近々どっか行こうか~って話をしてたところなんだよ」

「幸い投げ銭で得た資金がある」

「こら、それはバンドのお金でしょ!」

 

 たしかに練習ばかりではなく息抜きをするのも重要です。特にいまは春休みですし、遠出する計画なども立てやすいですしね。

 

「いいですね。いまの時期ですと、花見とかがいいかもしれませんね」

「……花見……キラキラ……」

「あっ、きっ、喜多ちゃんが反応してます。こっ、好感触みたいですよ」

 

 私の言葉に喜多さんがピクリと反応しました。微かに先ほどより目に光が宿っているように見えます。

 

「お花見、いいね~楽しそう。ほら、喜多ちゃん、桜が綺麗で映えるよ~」

「…………いいですね! 花見!!」

「あ、復活した」

「舞い散る桜の花びら、可愛いお弁当……映えますね!」

 

 どうやら花見という提案は喜多さんの興味を惹く内容だったみたいで、早々に復活して目をキラキラと輝かせ始めました。

 とりあえず喜多さんの元気が出たのはよかったです。そのまま具体的な花見の計画について話し合う流れになりました。

 

「花見って言うとどこだろ? やっぱ、上野公園かな?」

「やっぱり上野ですよね! でも、場所取れますかね? 相当早起きしないといいとこは無理ですよね」

「……あっ、ひっ、人多そうですね」

「早起きは嫌……」

 

 虹夏さんの言葉に元気になった喜多さんが悩むような表情を浮かべ、ひとりさんとリョウさんは顔を青ざめさせます。

 たしかに東京の花見というと上野は定番中の定番ですが、極めて混み合いますし場所取りも難しく、また長時間の利用は禁止されていたはずです。

 

「それでしたら、お父様が所有している山のひとつに花見ができる場所がありますので、そちらで行いませんか? 私有地なので出店などが無いという欠点はありますが、場所取りの必要もありませんし知り合いだけで楽しめます」

「……場所の問題、一瞬で解決したね」

「ですね。というか、日常会話で所有してる山って単語が出てきたのなんて初めてです」

 

 私が提案した場所はお父様が花見などに使うために整備している山の桜で、ここからはある程度距離があるので車で移動する必要はありますが、問題なく日帰りできる距離ですし人見知りのひとりさんでも安心して楽しめるので、いいと思います。

 お父様に日程の確認を行う必要はありますが、毎日花見をしているわけもないので、問題なく使用できると思います。

 

「あっ、知らない人が居ないのは、本当にありがたいです」

「さすが、ぼっちのパトロンは半端ない」

 

 普通の花見の場所ではひとりさんは畏縮する可能性が高いのですし、私としてもひとりさんと一緒にのんびり桜を楽しみたいという気持ちがあります。

 とりあえず、皆さんも多少驚きつつも乗り気な様子でそのまま話はスムーズに進んでいきました。

 

「あ、そうだ。お姉ちゃんも行く?」

「いや、私はいいからお前らで楽しんでこい。どこから聞きつけるか分からない腐れ酔っ払いはこっちで見といてやるから」

「……お姉ちゃん、ありがとう。本当にあの人来ると台無しだから、頑張って抑えてね」

 

 腐れ酔っ払いという単語で誰のことを指しているか分かってしまうのは、なんとも悲しい話ではありますね。

 

 

****

 

 

 花見の日程は無事に決まり、お父様の許可も頂いたので問題なく開催できることになりました。そして、その前日結束バンドの皆さんと私で集合して、翌日の花見で食べるお弁当を作ることになりました。

 虹夏さんと星歌さんの家にお邪魔して、台所を借りて調理する形になります。

 

「さて、皆でお弁当を作るわけだけど……皆料理経験は?」

「あっ、えっ、えっと……目玉焼きとかぐらいなら……多少は……」

「簡単な物であれば、なんとか……」

 

 ひとりさんは目玉焼きなどの簡単な料理は作れますが……焼く以外の調理方法は苦手と本人から聞きました。喜多さんは不安げな表情を見る限り、あまり得意ではなさそうです。

 

「逆に聞くけど、私ができると思うの?」

「私は難しい料理でなければ大丈夫だと思います」

「ふむふむ……ぼっちちゃんと喜多ちゃんはあまり得意じゃない。リョウは最初から戦力とは考えてない。となるとやっぱり、メインは私と有紗ちゃんだね」

 

 リョウさんは自信を持って告げるほど料理はできない様子です。虹夏さんは普段から家事を行っていることもあって、腕前はこの中では一番上でしょう。私もある程度は出来ますが、やはり手際の良さなどは普段から行っている虹夏さんに敵うとは思いません。

 

「まぁ、ウチの台所もそんなに広くないし、料理は私と有紗ちゃんでやって、3人には盛り付けとか必要に応じで材料の買い出しとかしてもらおうかな。それで、作るおかずなんだけど……これを入れたいってのはあるかな?」

「そうですね。唐揚げとミニハンバーグは絶対に入れたいところですね」

 

 虹夏さんの質問に真っ先に私が答えると、少し意外そうな表情を浮かべた喜多さんが口を開きました。

 

「有紗ちゃんって、唐揚げとハンバーグが好きなの?」

「……あっ、いえ……たっ、たぶん……わっ、私の好きな食べ物だからかと……」

「愛されてるねぇ、ぼっちちゃん」

 

 ひとりさんの言う通り、私が唐揚げとミニハンバーグを入れたいといったのは、もちろんひとりさんの好物だからです。あとはオムライスやエビフライもひとりさんの好物ではありますが、お弁当に入れるには適さないので除外ですね。

 その後も皆さんの希望を聞いてメニューを決めて、必要な材料などを話し合って考えてメモをしました。

 

「じゃあ、材料があるものは作り始めて、追加の買い出しは……完全戦力外のリョウ、よろしく」

「嫌だ。メンドイ」

「リョウさん、お金はこちらを使ってください。おつりは結構です」

「任せて、すぐに買ってくる。料理ができない私でも協力できることがあるのは嬉しい」

「……コイツ」

 

 追加の材料の買い出しはリョウさんが担当することになり、お金を渡すと輝かしい笑顔でサムズアップを返してくれました。

 

「喜多ちゃんとぼっちちゃんには、おにぎりを担当してもらって、それ以外のメニューは私と有紗ちゃんで分担して作っていこう」

「分かりました。ある程度時間のかかるものから作った方がいいですね」

「そうだね~じゃあ、最初は……」

 

 こうして花見に向けてのお弁当作りはワイワイとした楽し気な雰囲気で進行していきました。しかし、ふと考えてみれば、おにぎりをひとりさんが作るということは、ひとりさんの手料理を食べられる貴重な機会とも言えるので、非常に楽しみです。

 

 

 




時花有紗:料理はかなり上手いし、花嫁修業はバッチリ。ぼっちちゃんの好物もしっかり把握している。今回珍しくぼっちちゃんの手料理(おにぎり)を食べられる可能性に気付いて嬉しそう。

後藤ひとり:唐揚げとハンバーグ好きは公式設定。ただ作者様自身が設定に書いたことを忘れてたらしい。原作で喜多ちゃんが泊まりに来た際の会話から、目玉焼きぐらいは作れるっぽい。

喜多郁代:原作に比べてボイストレーニングしたりもしているので、忙しくキラキラが足りなかったことで割と早めにキラキラ欠乏症を発症した。料理は一通りできるが特別得意というわけでもないイメージ。

伊地知虹夏:伊地知家の食卓を預かるだけあって料理は上手い。リョウとかがよく食べに来てそうな気がする。

山田リョウ:原作にそういう描写があるわけでは無いが、料理ができるとは思えない。たぶん食べ専だと思う。



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四十九手春情の花見~sideB~

 

 

 以前移動の際に利用したのと同じリムジンにて有紗の父が所有する山に辿り着いた結束バンドメンバーは、車から降りてすぐに見えた景色に圧倒されていた。

 

「うわっ、すごっ、桜がドーンって感じだね」

「ここに来るまで門をいくつか越えましたよね? かなり厳重ですし、偉い人とかが使うんでしょうね」

「物凄く贅沢」

 

 ずらりと並ぶ大きな桜の木。景観も考えて植えられているのか、その光景はかなり美しかった。圧倒されたような表情を浮かべてる虹夏と同じく、喜多とリョウもあまりのセレブっぷりに驚愕していた。

 ただその中でひとりだけはある程度慣れているのか、少し落ち着いた様子で有紗に話しかける。

 

「あっ、たっ、建物もいくつかありますね」

「ええ、お父様の知り合いは多いので大人数でも対応できるように、設備はそれなりに整っています。カラオケなどの設備もありますし、大抵のことは出来るかと思いますよ」

 

 近くには日本家屋のような建物が複数あり、寝泊りもできるだけの設備が用意されている。説明を聞いてひとりが頷くのを確認したあと、有紗はリムジンの運転手の元に移動して声をかける。

 

「それでは、予定通り迎えは夕方の4時ごろでお願いします」

「畏まりました」

「時間までは自由にしていただいて大丈夫です。街に行ってもいいですし、向こうの第3家屋の鍵を渡しておきますので、休憩する場合はそちらを使ってください。テレビや仮眠室もあるので、自由に使ってもらって構いません。あと、よろしければこれも」

「これは?」

「私たちの物と同じ内容の弁当です。よければお昼にでも召し上がってください」

「お嬢様っ……ありがとうございます」

 

 感極まったような表情でお礼を言う運転手に微笑んで一礼した後、有紗はひとりたちの元に戻って一緒に桜の並ぶエリアへ移動していった。

 

 

****

 

 

 桜のよく見える場所にレジャーシートを敷いて、花見の準備は完了した。

 

「いや、本当に絶景を貸し切りって感じでいいね~。これは、喜多ちゃんも元気出るんじゃない?」

「あっ、もう、さっきからそこで桜バックに自撮りしまくってます」

「……水を得た魚のような動き」

「ま、まぁ、元気が出たようでいいことですね」

 

 そもそもの発端はキラキラ不足で落ち込んでいた喜多を元気付けることと息抜きである。喜多は絶景にすっかりテンションを上げた様子で、イソスタにアップするための自撮り写真を何度も角度やポーズを変えて撮影しており、輝くような充実した笑顔を浮かべていた。

 それを呆れつつも微笑まし気に見ながら、虹夏は持って来た弁当を並べつつ喜多に声をかける。

 

「ほら、喜多ちゃん! お弁当食べるよ~写真撮らなくていいの?」

「ああ、待ってください! 撮ります!」

 

 可愛らしいレジャーシートに並べられた美味しそうな弁当。もちろん喜多が撮影したがらないわけがなく、「早く食べよう」と催促するリョウを尻目に、ここでもかなりの枚数の写真を撮影していた。

 そして、喜多が満足してから改めて花見はスタートした。

 

「ひとりさん、どうぞ」

「へ? あっ、あむっ……おっ、美味しい」

「口に合ったようでよかったです。この唐揚げは私が作りましたので、最初に食べてもらいたかったんです」

「そっ、そうなんですね。すっ、すごく美味しいです。あっ、そっ、そうだ……えと、こっ、このおにぎりは私が作った……作った? えっ、えっと、握ったやつなので、よかったらどうぞ」

 

 食事がスタートするなり早々に唐揚げを箸で取り、手を添えてひとりに差し出す有紗。突然の行動ではあったが、比較的慣れているせいかひとりは反射的に口を開けて唐揚げを食べて目を輝かせた。有紗は、たびたびひとりの家で美智代に料理を教わっており、ひとりの好みの味もほぼ完璧に把握している。

 そんな有紗が作った唐揚げはひとりの好みの味で非常に美味しかった。そして今回は、ひとりも料理に参加していることもあって、自分の握ったおにぎりを取って有紗に勧めた。

 

「ありがとうございます。ひとりさんの手料理が食べられるなんて、嬉しいです」

「……え? あっ、あの、有紗ちゃん? おにぎりですよ? なんで口を開けて……あっ、えっと……どうぞ」

 

 おにぎりを勧められた有紗は、当然の権利と言いたげに小さく口を開き、それを見たひとりは一瞬動揺したものの、どこか諦めた様子でおにぎりを有紗の口に運んだ。

 

「あっ、えっ、えっと……どうですか?」

「とても美味しいです。ひとりさんが作ってくれたと思うと、より美味しく感じますね」

「あっ、えへへ……そっ、そんなに喜ばれると恥ずかしいですけど、有紗ちゃんが喜んでくれてよかったです」

 

 そう言って微笑み合うふたり……目の前で繰り広げられるなんとも甘い空気のやり取りを見て、虹夏と喜多はまるでチベットスナギツネのような表情で見ていた。

 

「……秒でいちゃつき始めたよ、このふたり」

「いま、即座にふたりの意識から私たち3人の存在は消えましたね。い、いえ、まぁ、有紗ちゃんとひとりちゃんのコレはいまに始まった話じゃないですし、こっちはこっちで楽しみましょう……あっ、リョウ先輩! これ、私が作ったおにぎりです」

 

 傍目に見れば恋人同士のやり取りの様にしか見えない有紗とひとりの空気だが、この感じはいままでも何度も経験しているため喜多の切り替えは早く、我関せずと言いたげに黙々と食べているリョウに自分の作ったおにぎりを差し出した。

 

「あっ、けっ、けど、本当に凄い景色ですね。桜をこうしてゆっくり見るのは凄く久しぶりですけど、綺麗ですね」

「春の中でも短い期間だけと思うと、とても貴重で贅沢に感じられますね。そんな景色をひとりさんと一緒に見れて、幸せです」

「あっ、あぅ……そっ、その、私も有紗ちゃんと一緒に花見に来れて嬉しいです。ほっ、本来は人が多くて苦手で、行くこととかなかったですけど……なっ、なんか、いいですね」

「はい。時間はまだまだありますし、ゆっくり楽しみましょう」

「あっ、はい」

 

 相変わらずふたりの世界とでも言うべきか、甘い空気を作り出している有紗とひとりを見て、虹夏はどこか諦めたような表情を浮かべて、喜多と同じく気にしないことにして料理を食べ始めた。

 

「……って、こらっ、リョウ。卵焼きばっか食べるんじゃない!」

「私の目の前に卵焼きがあるのが悪い」

 

 黙々と食べつつ、明らかに卵焼きを多く食べている……それこそひとりで食べ尽くしそうなリョウにツッコミを入れる。

 余談ではあるが、卵焼きを作ったのは虹夏であり、味付けはリョウの好むものだった。

 

 

****

 

 

 弁当を食べ終え、しばらく雑談をしたタイミングで楽し気な喜多が笑顔で提案した。

 

「バドミントン持って来たんで、皆でやりましょう!」

「お~いいね。バドミントンとか久しぶりだよ。せっかくだし、対戦形式でやろうか。別に罰ゲームとかあるわけじゃなくて、軽く3ポイント先取ぐらいで、組み合わせはくじで決めよう」

 

 喜多の提案に虹夏も賛成し、ノリノリでくじを作り始める。ひとりとリョウは若干不満そうな表情を浮かべていたが、とりあえず文句を言うこともなく話は進行する。

 紙に5人の名前を書いて混ぜて、そこから虹夏が無造作に2枚を選ぶ……。

 

「最初の対戦は、まず……リョウ!」

「……ぼっち来い、ぼっち来い……他は厳しい。ぼっち相手なら、勝てる可能性はある」

「えぇぇ……」

 

 ハッキリ言ってリョウはあまり運動が得意ではない。5人の中で考えるなら、ひとりと最下位争いをするぐらいではある。有紗と喜多、運動神経抜群のふたりには当然敵わないし、虹夏相手も勝ち目が薄い。ひとり相手なら、運動神経に差はほぼない。むしろ高身長である分、バドミントンではリョウの方が有利といえる。

 祈るように手を合わせるリョウの前で、もう1枚の紙が開かれ……。

 

「対戦相手は……有紗ちゃん!」

「無理無理無理! たぶん、一番勝ち目のない相手」

「それは有紗ちゃんの経験次第じゃないですか? 有紗ちゃん、バドミントンの経験は?」

「多少ある程度ですね。授業で数度やったくらいで、あまり経験はないです」

 

 おそらくというか、間違いなく5人の中で1番運動神経がいいであろう有紗が対戦相手に決まり、リョウは青ざめた顔で首を横に振っていた。どうあがいてもボロボロに負ける未来しか見えなかったからだ。

 そんなリョウに苦笑しつつ喜多が有紗にバドミントンの経験の有無を尋ねると、ほぼ経験なしという返答が返ってきた。

 

 それならば多少勝機があると見たのか、リョウはホッとした表情を浮かべ……ひとりだけは、心の底から哀れむような表情を浮かべていた。そう、ひとりは有紗の運動神経とセンスの凄まじさを知っている。卓球経験ゼロの状態でスタートでもなおあの凄さだったのだ。ある程度経験がある競技ならどうなるかは、想像に難しくない。

 

「まぁ、ハンデとしてサーブとレシーブはリョウが自由に選んでいいってことで……有紗ちゃん、いいかな?」

「ええ、大丈夫ですよ。よろしくお願いします」

「……なら、私はサーブを選ぶ。ここにネットはない。本来ならネットに当たる角度でも許されるはず」

「……まぁ、よほど酷いの以外はね」

「なら、一撃で決めてしまえばいい。下北沢の弾丸と呼ばれた私のサーブで仕留める」

「……有紗ちゃん、本気でぶちのめしていいからね」

「は、はぁ……」

 

 もちろん自称であり、そんな風に呼ばれたことは一度もない。ともあれ、リョウも乗り気になったことで、有紗とそれぞれラケットを持って一定の距離を取る。

 そしてリョウは先手必勝と言わんばかりに上からのサーブを放つ。本来のバドミントンのルールであれば、サーブは下から打たなければならないのだが、あくまでこれは遊びなのでスマッシュのフォームで打ったとしても問題はない。

 

 この一撃で決めるとばかりに全力でサーブを放った直後、有紗がサーブをスマッシュで打ち返し、シャトルはリョウの体の横を凄まじいスピードで通過して地面に落ちた。

 

「…………」

「……ごめん有紗ちゃん、やっぱりちょっと手加減してあげて」

「あ、はい。分かりました」

 

 なんとも言えない悲痛な表情を浮かべて無言で訴えるリョウを見て、虹夏は流石に実力差があり過ぎると感じて有紗に手加減をお願いした。

 有紗がそれを了承し、再びリョウが放ったサーブはゆるく山なりにレシーブされる。

 

「よし、これなら余裕……ふっ!」

「……」

「ふっ!」

「……」

「……はぁ……ふっ!」

「……」

「……はぁ……はぁ……ふっ……」

「…‥」

「……あひっ……はひっ……」

 

 リョウが力強く打ち返すと、ゆるく山なりにシャトルが返ってくる。当然絶好球なのでスマッシュを放つ。すると、ゆるく山なりにシャトルが返ってくる。

 それを幾度となく繰り返して、疲労して肩で大きく息をするリョウの横にシャトルが落ちた。

 

「……はぁ……はぁ……クソゲーじゃないか……ずっと死ねない拷問を受けてる気分」

「さすがに相手が悪すぎたね、これ」

「有紗ちゃん、ほぼ動いてませんでしたね」

「あっ、なっ、何度も言いますけど、有紗ちゃんの多少は……私たちにとっての熟練と思ったほうがいいです」

 

 組み合わせが悪すぎてリョウの惨敗に終わったが、その後のバドミントンはそれなりに盛り上がった。有紗が圧倒的なのは変わらずだったが、それでも運動神経のいい喜多であれば勝負にはなるのでレベルの高いふたりの戦いで盛り上がったり、リョウとひとりのある意味で実力が拮抗した勝負で盛り上がったり、ペアを組んでダブルスを行ったりと様々な方法で時間を忘れて仲良く遊んでいた。

 

 

 

 




時花有紗:運動S。可愛くて優しいため使用人にも人気があり、有紗の専属運転手もかなりの倍率を勝ち抜いた者たちである(3人でローテーション。全員女性)。本当に一瞬でも隙があればひとりといちゃつく。

後藤ひとり:運動E。例によって隙あらば有紗といちゃつくぼっちちゃん。なんだかんだで自分の作った料理を褒めてもらえて嬉しかった模様。

喜多郁代:運動A。女子高生らしい遊びに綺麗な桜と、キラキラを補充したおかげですっかり元気になった。

伊地知虹夏:運動C。運動神経は悪くもないが特別良くもないといったレベル。チベスナ顔していた。

山田リョウ:運動D。有紗にボコボコにされた自称下北沢の弾丸。それでもスランプを経て結束バンドメンバーとの友情度が上がっている影響か、バドミントンにも普通に付き合う。虹夏の作った卵焼きをいっぱい食べてた。



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五十手変化の新学年~sideA~

 

 

 4月に入り、明日からいよいよ新学年という日ですが、特別用意するものも無いので私はいつものようにひとりさんの家に遊びに来ていました。

 ギターを練習するひとりさんの隣に座り本を読む。この時間は至福といっていいですね。

 

 ひとりさんの家に遊びに来だした頃には、それなりに距離がありましたし、なんならひとりさんは押し入れの中で演奏していました。

 思えばその時はまだひとりさんに警戒されていたのかもしれません。ですが、いつしか押し入れから出て練習するようになり、いまはこうしてすぐ隣で練習をしてくれています。

 ふっと横を振り向けば練習している凛々しいひとりさんの横顔を見れるのは素晴らしいです。唯一の欠点としては、気を抜くとひとりさんの方ばかりを見てしまうことですね。

 

「……あっ、ここのところはもう少し強めに弾いた方がいいですかね?」

「そうですね。そこまでずっとリズムが一定なので、変調になるそこは強調する意味でも強めに鳴らしたほうが、分かりやすいかもしれませんね」

 

 そして変化といえば、こうして時折ひとりさんが私に意見を求めてくるのも増えたということでしょう。試行錯誤をする際に頼れる相手と見てくれているのか、悩んだら相談してくれるのが嬉しいです。

 まぁ、これに関しては私が溢れる愛の力で、ひとりさんが少しでも悩めばそれとなく声をかけていた成果かもしれませんが、とりあえず頼ってもらえるのは嬉しいですね。

 そのまま再びひとりさんの演奏を聞いて、ある程度キリがいいタイミングで声をかけます。

 

「ひとりさん、そろそろ少し休憩しませんか?」

「あっ、はい。そうですね」

「飲み物を持ってきますが、お茶とジュース、どちらがいいですか?」

「あっ、おっ、お茶で」

 

 ひとりさんの家ではありますが、勝手知ったるというべきか冷蔵庫や台所は自由に使っていいとお義母様やお義父様に許可を頂いていますので問題ありません。

 1階に降りて飲み物の用意をして、今日訪れる際に手土産として持って来たケーキを合わせて用意してひとりさんの部屋に戻ります。

 

「明日から新学年ですね」

「あっ、そっ、そうですね。くっ、クラス替えがやっぱり不安です」

「確かに、1年で馴染んだクラスから変わるのは不安も多いでしょうね。ただ、1年の時にあまり会っていない相手と知り合う機会ということは、新しい友達ができる可能性もありますよ」

「あっ、たっ、確かに……」

 

 どうしても新しい環境には不安を覚えるのは仕方ない部分はありますが、不安に感じようとも新学年は始まりますし、出来るだけポジティブなことを考えた方がいいでしょう。

 そんな風に考えつつ会話をしていると、ふともうすぐひとりさんと出会って1年になることを思い出しました。

 

「……もうすぐ、ひとりさんと出会って1年経ちますね」

「あっ、はい。なっ、なんていうか、もう1年経つんだって感じです。こっ、この1年はいろいろたくさんあったはずなのに、あっという間に過ぎた気がします」

「私もそんな印象ですね。それだけお互いにこの1年が充実して楽しかったということでしょうね。実際私は、ひとりさんと出会えてこの1年は本当に楽しかったですしね」

「うっ、まっ、またそうやって有紗ちゃんは恥ずかしいことを平然と……」

 

 本当に恋をするとはよいものです。こんなに早く1年が過ぎたと感じたのは初めてですし、それでいて思い返せば幸せな思い出がたくさんあります。

 喜多さんの言葉を借りるなら、毎日がキラキラと輝いているかのようです。そんな思いを込めて伝えた言葉に、ひとりさんは恥ずかしそうに顔を染めてそっぽを向いたあと……呟くように告げました。

 

「……そっ、その……私も有紗ちゃんと一緒で、この1年凄く楽しかったです。あっ、えっと……これからも、よろしくお願いします」

「はい。こちらこそ」

 

 本当にたったこれだけのやり取りで心の奥から温かな気持ちが湧き上がってくるのですから……幸せです。

 そんな思いを実感しながら、そっとひとりさんの手を握りました。ひとりさんは一瞬ビクッと体を動かしましたが、特になにかを言及したりすることはなく私の手を握り返してくれました。

 

「ああ、そうだ。ひとりさん、せっかくですし明日は一緒に登校しましょうか」

「あっ、はい。有紗ちゃんがいいのなら……」

 

 

****

 

 

 一度家に戻って支度をして月に1度ほど泊っている、ひとりさんの家にある程度近いホテルに宿泊した翌日。新学年の開始となる日に、私は前日の約束通りひとりさんの家にやってきました。

 そして、支度をしたひとりさんが出迎えてくれたわけなんですが……。

 

「……えっと、ひとりさん? その恰好はいったい?」

「いっ、いえ、別にいまさら学校で人気者になりたいとか思ってるわけじゃないですし、もっ、もっと友達が欲しいとか、目立ちたいとか思ってるわけでもなくて……あっ、新しい関係を構築するなら最初が肝心だと思いまして……」

 

 出迎えてくれたひとりさんの格好はいつものジャージの上に山ほどリストバンドを巻き、缶バッチを大量に付けたバッグを持ち、サングラスとヘッドバンドを付けた格好でした。

 1年ほど前にも見ましたね。バンド女子のスタイルだとか……あの時は、私自身知識不足で分かりませんでしたが、いまはこの格好が悪目立ちするというのはよく分かります。

 

「……なるほど、ひとりさんの考えはある程度分かります。バンドをやっていることやロック好きなことをアピールしたいというわけですよね? ですが、残念ながら逆効果だと思います」

「え? そっ、そうなんですか……」

「ええ、確かに奇……斬新な恰好で目を引くとは思いますが、明らかに周囲と違う恰好の相手だと逆に声をかけ辛いと思いませんか?」

「うっ、そっ、それはたしかに……」

「ギターを持っていくだけでいいと思います。それでひとりさんがギターをやることは伝わりますし、興味がある方が声をかけてくれるかもしれません」

 

 とりあえず、この格好で学校に行けばひとりさんが恥をかいてしまうのは確定でしょう。むしろ去年知識不足で止められなかったことを悔やんでいます。

 ……いや、まぁ、あの時はあの時で結果的には虹夏さんと知り合うという最高の結果に繋がったのですが、虹夏さんと会った時は既にリストバンドなどは外していたみたいなので、恰好は関係ないですね。

 

「とりあえず、ギター以外はいつも通りの恰好で行きましょう」

「わっ、分かりました」

 

 ひとりさんのリストバンドや缶バッチなどを一通り外して、全身を軽くチェックします。

 

「……はい。これで大丈夫ですね。あとは仕上げに……」

「ひゃぅっ!? あっ、ああ、有紗ちゃん!? なっ、なにを……」

 

 一通りチェックし終わった後、私は手を伸ばしてひとりさんの体を抱きしめました。いえ、特に理由はありませんただ単に私が抱きしめたかっただけです。ひとりさんの柔らかな感触と温もりを堪能することで、幸せな気持ちになれるという絶大な効果はありますが、この場面で必要かと言われれば別に必要ではありません。あくまで個人的な欲望の話です。

 

「……こっ、このハグにはなにか意味が!?」

「いえ、なにもありません。ただ単に、私が抱きしめたかっただけで、先ほどまでの話とは一切関係ありません」

「えぇぇぇ、そっ、そんなに自信満々に言われると、わっ、私はどう返したら……」

「さて、準備は整いましたし時間もありますので学校に向かいましょうか」

「……あっ、はい。そっ、そんなスピードで切り替えられると……まっ、まぁ、有紗ちゃんだしいいかって気持ちになるので不思議です」

 

 突然のハグに関して、照れて慌てたりはするのですが……拒否はしないでいてくれるんですよね。1年前であれば確実に拒否されていたでしょうから、それを思えば私とひとりさんの絆は順調に深まっていると思っていいでしょう。

 そして、改めて私とひとりさんは通学のため駅に向かって出発しました。

 

「そういえば、今日は基本的に始業式だけですよね?」

「あっ、そうですね。くっ、クラスでの自己紹介に備えて台本も考えてきたので、ばっ、万全です」

「……台本?」

 

 なんでしょう、嫌な予感がしますね。とても、嫌な予感がします。私は、誰よりもひとりさんを愛しているという自信がありますし、この手のひとりさんが失敗しそうな空気を読み違う筈もありません。

 となると、この嫌な予感の原因がなにかも察することができます。

 

「……ひとりさん、その台本。ちょっと見せていただいていいですか?」

「あっ、はい。どうぞ……」

「失礼します」

 

 まず、大前提としてひとりさんが台本を用意しているのはいいでしょう。ひとりさんは極度の人見知りなので、事前に話す内容を決めておかないと難しいというのは分かります。

 ただ受け取ったメモに書かれていた内容を見ると……本当に、この段階で気付けて良かったと、心から安堵しました。

 

「ひとりさん、まず前提として台本に周囲の反応を前提としたものを加えるのは危険です。周囲の反応が違った場合に、戸惑って失敗してしまう可能性があります」

「あっ、はい」

「そして、私もひとりさんの性格はよく把握しているつもりです。そしてその上で苦言を呈するのですが……どうしても、見知らぬ相手が複数いる状況で、ひとりさんがこのテンションで発言できるとは思えないです」

「うっ、そっ、それはたしかに……」

 

 ひとりさんの台本はかなり明るめの内容でした。仮に喜多さん辺りが発言したなら、上手く笑いに変えつつ明るい印象を周囲に与えられるかもしれません。

 ですが、残念ながらひとりさんがこの通りに発言できるというのは……ありえないでしょう。おそらくローテンションでの発言になるので、周囲が湧くというのは難しいですし、その反応を見てひとりさんが畏縮して泥沼にはまっていくのが容易に想像できます。

 

「ひとりさん、ここはシンプルな内容でいきましょう。あとネガティブ目な学校志望動機も省いて、バンド活動のことに触れましょう。電車の中で私が仮の台本を書きますので、それで練習してみましょう」

「あっ、はい……あっ、有紗ちゃんが居てくれて、よかったです」

 

 幸いまだ時間はありますので、電車内で小声で自己紹介の練習も可能でしょう。周囲の迷惑を考えると混み合ってきたら止めなければなりませんが、最低限緊張しつつもある程度話せるレベルまで頑張りましょう。ひとりさんに恥をかかせるわけにはいきません。

 

 

 




時花有紗:黒歴史キャンセラー。ぼっちちゃんの黒歴史を先んじて潰すさまはまさに良妻。

後藤ひとり:有紗のおかげで奇抜な恰好で投稿することもなく、大事故予定だった自己紹介の台本にも修正が加えられた。というか『制服ではなく常にジャージ』『ギターを持ってくる』『前髪のせいで表情が分かりにくい』『他人に興味が無いのか人と話すことがほぼ無い』『それなのにカースト上位の喜多とは親し気な様子』『下北沢でバンドをしている』『よく見ると整った顔立ち』……原作のぼっちちゃんが声を掛けられない理由は、カースト範囲外の一匹狼的不良と思われている可能性もありそうな……。


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五十手変化の新学年~sideB~

 

 

 高校2年に進学して初めての登校である始業式の日。ひとりは割り当てられた自分のクラスに向かい、やや緊張した面持ちを浮かべていた。

 クラス替えはひとり曰く陰キャのトラウマ学校イベント第3位に君臨するものではあるが、幸いなことに彼女にとって一番安心できる相手である有紗と一緒に登校したおかげで、緊張こそすれど精神的にはそれなりに落ち着いていた。

 

 数度深呼吸したあとで教室に入り、落ち着きなく周囲を見て自分の席を確認して移動しようとしたタイミングで声をかけられた。

 

「あ、ひとりちゃん! また一緒のクラスだね~」

「あっ、Aちゃん、Bちゃん」

「また1年よろしく」

「あっ、こちらこそ」

 

 振り返るとそこに居たのは、ひとりにとって数少ない友達である英子と美子の姿があり、ふたりを見てひとりは明らかにホッとした様子で息を吐いた。

 

(よっ、よかった。AちゃんとBちゃんと一緒のクラスなのは、本当に嬉しい。最低でも1年ずっとぼっちなのは回避できた)

 

 そのまま少しふたりと話してから割り当てられた席に移動すると、そこにも見知った顔があった。

 

「あっ、きっ、喜多ちゃん」

「ひとりちゃん、おはよ~! 同じクラスになれてよかったわ。クラスメイトとしてもよろしくね」

「あっ、はっ、はい」

 

 同じバンドメンバーでもある喜多も同じクラスであり、ひとりは再びホッとした表情を浮かべていたが、直後に人気者である喜多の周りには多くの人が集まり始め、その溢れる陽キャオーラに押されて若干青ざめた顔で席に座った。

 

(こっ、これが陽の結界……迂闊に近づいたら、死んでしまう。とりあえず、関わらないように……有紗ちゃんのこと考えておこう)

 

 ひとりが心の中で有紗の顔を思い浮かべることで精神を落ち着かせていると、喜多の元にひとりの女生徒が近づく。

 

「喜多~今年も同じクラスじゃん。腐れ縁だね~」

「あ、さっつー。これで5年連続ね~」

「喜多の顔見飽きたわ。うちのストーカーすんなし~」

「も~真似してるのそっちでしょ! あはは」

 

 現れたのは喜多の友人である佐々木次子であり、喜多とは仲が良い様子で楽し気に言葉を交わす。前の席が喜多で後ろの席が次子という形で挟まれたひとりがやや戸惑った表情を浮かべていると、喜多がそれに気付いて次子を紹介する。

 

「ひとりちゃん、紹介するわね。この子は、佐々木次子……さっつーよ。私とは中学から一緒なの」

「ども~」

「で、さっつー。こっちは私と同じバンドの……」

「あ~知ってるよ。後藤さんでしょ? 文化祭のギターカッコよかったよ」

「あっ、ありがとうございます」

「それに、例の動画も見たし、喜多から散々話も聞いたからね~」

「あっ、そっ、その動画ってやっぱりダイブの……」

 

 動画を見たという言葉にひとりは微妙そうな表情を浮かべた。本人が望んだ形とは違うが、実は現在のひとりは学校でそこそこ有名である。理由は単純であり、文化祭のダイブがかなりの話題を呼んで「ラブダイブの人」という形で定着してしまっているからである。

 学校内で動画というと、例のラブダイブを指すことが多いのでなんとも複雑だった。ただ、喜多から散々話を聞いたという部分は気になったようで問いかけると、次子はニヤリと笑みを浮かべて口を開く。

 

「うんうん。あのラブダイブの相手で、超美人で金持ちの恋人が居るって感じにね~」

「あっ、有紗ちゃんは恋人じゃなくて! とっ、友達です!!」

「おっ、おぉ……そうなの? 喜多?」

「……そうね。いちおう、まだ友達……なのかな?」

 

 例によって喜多はチベットスナギツネのような顔で、ひとりを見つつも……若干曖昧にだがひとりの発言を肯定した。

 その言葉に次子が頷いたタイミングで、会話に加わってくる存在が居た。

 

「そうだよ、次子ちゃん!」

「おっ、ABコンビじゃん。一緒のクラスなんだね~」

「うん、中学以来だね。まぁそれはそれとして……」

 

 会話に加わって来た英子とその後ろに居る美子は次子と同じ中学の出身だったようで、軽く挨拶を交わす。だが、突然の英子と美子の登場にひとりはやや慌てた表情を浮かべていた。

 

(AちゃんとBちゃん!? あえ? なな、なんでここで会話に入って……なっ、なんか嫌な予感が……)

 

 大前提として、英子も美子もひとりが有紗に片思いをしていると勘違いしている。ついでに英子の方はそれなりに思い込みが強く、テンションが上がるとあまり人の話を聞かないところがある。

 

「ひとりちゃんは、有紗さんと恋人じゃなくて現在は片思い中なんだよ!」

「あえぇぇ!?」

「ああ、そうなんだ。喜多から聞いた話だと、めっちゃ仲良い~ってことだったから、てっきりね~。そっかそっか、そういう感じなんだね」

「あっ、いや、ちがっ――」

「そうだよ!」

「――Aちゃん!?」

 

 当事者であるひとりを置いてけぼりにして話は進んでいく。そして、英子の声がそこそこ大きいこともあって、次子だけじゃなく周りにもそれなりに聞こえていた。

 

「話を聞いたりMVを見る限り、有紗さんの方にも気はあるっていうか、十分好感触だとは思うんだけど……やっぱり高嶺の花って感じが凄くて、ひとりちゃんもなかなか踏み出せない感じなんだろうし、有紗さんの方もおしとやかであまりそういうアプローチするタイプじゃない感じに見えるし、なかなか難しいんだろうね」

「なるほどね~てか、喜多はなんでそんなキツネみたいな顔してんの?」

「……いや、周囲の認識はそうなのか~って……うん。私のことは気にせず、話を進めて」

 

 熱く語る英子の言葉を聞き、喜多はなんとも言えない表情を浮かべていた。彼女は実際に有紗を知っているので、どちらかというと愛情表現MAXで押しまくってるのは有紗の方だと理解していたので、微妙そうな表情を浮かべていた。

 

「私も気持ちは分か――ああ、いや、恋愛映画とかで見たんだけど、今の関係が変わっちゃうのが怖くてなかなか言い出せないものなんだよ」

「確かにそれはよくわ――いや、よく聞く話だし、私もじっくり行くべきだと思う」

「へ~ほ~……なんか、面白そうな感じだね」

 

 英子と美子の発言を聞き、中学時代からふたりを知っていることもあって次子は納得した様子で頷いた。すなわち「ああ、なるほどこのふたりみたいな感じか」という認識である。

 実際、英子と美子が互いに特別に思い合っているのは割と分かりやすく、実質恋人のように認識されているが、本人たちにとってはあくまで幼馴染……どことなく有紗とひとりの関係に似ている感じだった。

 故に、次子もなんとなくひとりと有紗の関係を察して、それはどこか楽し気に苦笑を浮かべていた。

 

「結束バンドのMVとかオススメだよ。ひとりちゃんと有紗さんが出てて、すっごい綺麗でエモいんだよ!」

「MVって動画サイトとかにあるの?」

「うん? なになに? 喜多ちゃんのバンドの話?」

 

 そしてそんな楽しそうな雰囲気に釣られたのか、周囲にはクラスメイト達が集まり始めてきて……ひとりは死んだ魚のような目で虚空を仰いでいた。

 

(……終わった。私の学校生活……人気者にはなりたいといったけど、こんな形で注目を集めたかったわけじゃ……助けて、有紗ちゃん……)

 

 元々ラブダイブの人ということで認識されていたひとりだったが、今回の切っ掛けによりさらに知名度を上げる形となったのは言うまでもないことである。

 また、有紗が添削したおかげで自己紹介で事故を起こすことも無かったどころか……この朝のやり取りのおかげで、ひとりの自己紹介はかなりの盛り上がりを見せており、ひとりは終始青ざめていた。

 しかし、同時に結束バンドの宣伝にも繋がったため……なんとも微妙な心境だった。

 

 

****

 

 

 始業式とHRも無事終わり、今日は授業もないため帰宅していく学生たち。今日はバイトやスタジオ練習も無いため、ひとりは真っ直ぐに家に帰ることにして、早々に教室から出ていった。あるいはまだ、朝の羞恥を引きずっているのかもしれない。

 それを見送ったあとで、喜多はなんとなく教室に残って次子と会話をしていた。

 

「いや~しかし、喜多もバンド頑張ってるみたいでいいじゃん。いろいろ手を出すけど、これっていう熱中したものが無かった喜多が頑張ってて、うちは嬉しいよ」

「もう、アンタは私の親かっての」

「喜多、立派になって……お母さん、応援してるわよ」

「応援してるっていうなら、ライブとか見に来てくれればいいのに~」

 

 喜多と次子は長い付き合いということもあって気楽な様子で笑い合う。気心知れているからこその気安さだろう。

 

「いやいや、1500円は高校生にはキツイって~うちロックには興味ないしね」

「いま毎週路上ライブやってるから、それなら無料で見られるわよ」

「へ~路上ライブとかもやんだね。バンドマンみたいじゃん」

「バンドマンですから、あはは」

 

 小さく胸を張る喜多を見て、次子も苦笑を浮かべる。どことなく喜多を見る目は優し気で、喜多が本気で打ちこめるものを見つけたことが嬉しいという様な雰囲気だった。

 そのまま少し笑い合ったあとで、次子は頬杖を突きながらゆるく口を開く。

 

「ま~気が向いたら見に行くかな。喜多が寂しがってもいけないしね~」

「勝手なこと言って~本当に来るんでしょうね?」

「ん~まぁ、努力義務ってことでひとつ」

 

 そんな風に穏やかに雑談を続け、ある程度経ったタイミングで次子は椅子から立ち上がった。

 

「そいじゃ、うちはそろそろ帰るわ~喜多はどうするん?」

「あ~私はもうちょっとクラスの子と話してから帰るわ」

「了解。んじゃ、またね~……ん~」

「うん? どうしたの、さっつー?」

 

 軽く手を振って去ろうとしていた次子だったが、途中で足を止めて考えるような表情を浮かべた。それが気になって問いかけると、次子は喜多の方を振り返ってニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて呟く。

 

「……まぁ、特別ななにかが無いって悩んでたどっかの誰かが、本気で打ちこめるものを見つけられたのは、なんかいいよね」

「は? え? さ、さっつー、なんでそれを……」

「腐れ縁舐めんなし、分かりやすすぎるんだよ、ば~か」

 

 喜多には誰にも話していない小さな悩みがあった。それなりに勉強も運動もできて友達も多い。しかし、特別なにかが優れているわけでもなく、なにかに真剣に打ち込めているわけでもない。毎日は楽しいが、どこか味気ないような……だからこそ、普通ではない道を歩いているように見えたリョウの路上ライブに惹かれたという部分もあった。

 

 だが、それを次子に話した覚えは無いし、次子が気付いているような雰囲気を見せることも無かった。だがそうやら次子は、喜多の小さな悩みにとっくの昔に気付いていた様子で、喜多がバンドに本気で打ちこんでいるのを嬉しく感じていた。

 「ば~か」と言いつつも、優しく温かい笑顔を浮かべる次子を見て、喜多は思わず顔を赤くした。

 

「おっ、赤くなった。ふふ、可愛い~じゃん」

「う、うっさい!」

「あはは、じゃ、また今度ライブ見に行くわ。おつかれ~」

 

 不意を突かれて顔を赤くした喜多を見て楽しげに笑った後、ヒラヒラと手を振って次子は去っていった。それをなんとも言えない表情で見送った喜多の顔の色が戻るには、少し長めの時間を要することになった。

 

 

 




後藤ひとり:有紗のおかげで事故を起こすことは無かったが、変な形でクラスの注目を集めてしまった。本人が望んだ形ではないものの、ラブダイブの洗堀者としてある意味有名。なおピッピー先輩になることは無かったので、原作と違って軽音部に風評被害は無かった。

喜多郁代:長い雌伏の期間を越えて、ついに百合イベントが発生。これで出番がないなんてこともなくなったはず。

ABコンビ:今回も同じクラスの百合フレンズ。喜多や次子とは同じ中学であり、中学時代から知る人たちにとっては、実質カップルの扱い。

佐々木次子:新たなる百合フレンズ。実際めっちゃいい子だと思う。


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五十一手挑戦のブッキングライブ~sideA~

 

 

 結束バンドが行う路上ライブも3月初めから何度もこなしてきたこともあって、かなりスムーズになってきました。

 客の入りも毎回それなりに多く、新規の客やファンも着実に獲得できているでしょう。ただやはり、下北沢を中心に活動しているので、そろそろ新宿や池袋といった別の地域にあるライブハウスでも演奏したいものです。

 

「皆路上ライブにも慣れてきたね~。ぼっちちゃんも人前でもかなり本来の実力に近い演奏ができるようになったし……」

「終わったあとに、有紗ちゃんの背中に隠れるのは相変わらずですけどね」

「今日も結構投げ銭ある……やはり、有紗効果は大きい」

「路上ライブからライブハウスに足を運んでくれる方も増えてきて、STARRYでのライブの観客数も着実に増えていますので、いい成果ですね」

 

 とはいえ焦り過ぎてもいい状況にはなりません。特に他のライブハウスでの演奏には失敗のリスクも付き纏うので、勢いだけでは難しい部分もあります。

 ただ着実に成果は出てきているので、そこまで焦る必要も無さそうではありますね。

 

「最近は虹夏さんのドラムの存在感も増してきましたね」

「え? そ、そうかな? たしかに、意識して強めに叩くことも多くなったけど……結構目立ってた?」

「ええ、観客の中には虹夏さんに注目している様子の人もそれなりに居ましたし、位置が最後部であったとしても強い演奏はやはり人を惹き付けるんですよ」

「あはは、そっか~いや、ちょっと褒めすぎな気もするけど、ありがとうね」

「滅茶苦茶嬉しそう」

 

 実際虹夏さんは意識して演奏を変えたことで、以前よりずっと存在感のあるドラマーになってきています。そして虹夏さんが成長することで、影響を受けた他の皆さんもさらに成長しておりバンドとして非常にいい状況といえるでしょう。

 そんな風に話しながら歩いていると、虹夏さんのスマートフォンにメールが届きました。どうやら結束バンドの公式の問い合わせ先に届いたメールのようです。

 

「……えっと、なになに結束バンド様、初めまして音源聞かせていただきました……」

「え? ライブの誘いですか! 路上ライブとMVの効果ですかね!」

 

 どうやら池袋のライブハウスのブッキングマネージャーからのライブ出演依頼でした。ブッキングライブは方向性の近いバンド同士を組み合わせて相乗効果を狙うライブであり、場所も池袋とあれば結束バンドの音楽ジャンルが好きな新たなファン層を獲得できるチャンスではありますが……。

 

「また廣井さんじゃないの?」

「違う! 全然知らない箱!!」

「結束バンドの名前がどんどん広まってるってことですよね!」

 

 虹夏さんと喜多さんは嬉しそうにしている様子ですが、先ほど見たメールの文面……気になりますね。

 

「あっ、えと、有紗ちゃん? なっ、なにか気になるんですか?」

「少し気になる部分はありますが、確証があるわけでもないので喜んでいる空気に水を差すのも……少し調べてみることにします」

 

 私の様子に気付いたひとりさんに問いかけられたので、少し曖昧に返答しました。実際私の考えが杞憂であるという可能性も十分にありますが、どうにも気になる文面でした。

 ライブハウスとブッキングマネージャーに関して、少し調べてみた方がよさそうです。

 

 

****

 

 

 そんなことがあった翌日に、STARRYでのスタジオ練習の際に虹夏さんの様子がどうにも変でした。なんというか拗ねているというか、気に入らないことがあったような……。

 

「虹夏さん、表情がすぐれないようですが、昨日なにかあったんですか?」

「あ、有紗ちゃん……い、いや、別になんでもない。お姉ちゃんが意地悪でひねくれ者なだけだよ」

「星歌さんが? ……少し詳しく話を聞いてもいいですか?」

 

 話を聞いてみると、昨日ライブ出演依頼のことを虹夏さんは星歌さんに話したらしいです。喜んで応援してくれると思っていたみたいですが、星歌さんは微妙な表情で客足が伸びないから止めておいた方がいいと口にして、結果虹夏さんと喧嘩するような形になったらしいです。

 

「……店長さんは、ライブに反対ってことなんですかね?」

「あっ、えと、なっ、何か理由があるのでは?」

「お姉ちゃんが意地悪なだけだよ。お姉ちゃんのことなんて気にせずに、最高のライブにしよう!」

 

 喜多さんとひとりさんも少し不安げな表情を浮かべており、それを見た虹夏さんは無理やりに明るい笑顔を作って前向きな発言をしました。

 それに対して、怪訝そうな表情を浮かべていたリョウさんが私に小声で話しかけてきます。

 

「……有紗、正直、今回の話ちょっと変だと思う」

「ええ、私もそう思っていましたし、なんとなく星歌さんの反応で理由も分かってきました」

 

 どうやらリョウさんも今回の出演依頼に疑問を持っていたようです。確かに、昨日もはしゃぐ虹夏さんに「ちゃんと確認した方がいいんじゃない?」と苦言を呈していました。

 とりあえず、虹夏さんが現在のままでは演奏にもいい影響はないでしょうし、まず星歌さんとの件を早期に解決する必要があるでしょう。

 

「……皆さん、ちょっと聞いてもらえますか? 提案があるのですが……」

 

 そうして私は4人にある提案をして、虹夏さんが頷いてくれたのを確認してから軽く打ち合わせをして練習スタジオの外に出ました。

 

 

****

 

 

 練習スタジオからライブハウスのカウンターに移動すると、いつも通りパソコンで作業をしている星歌さんの姿があったので、その背に向けて声を掛けます。

 

「……評判の悪いライブハウスなんですか?」

「……有紗ちゃん? 他の連中は?」

「まだ練習中ですね。そこで少し、昨日の虹夏さんとのやり取りを聞いて疑問に思いましたので……」

「……有紗ちゃんは、あのライブハウスのこと知ってんのか?」

 

 振り返って他の人たちがいないことを確認した星歌さんは、私に今回の件の池袋のライブハウスに付いて知っているのかと聞いてきたので、私は首を横に振りました。

 

「いいえ、ですがメールを見た時点で疑問は抱いていました。音源を聞きました、音楽性に感じるものが……なんの音源を聞いたとも、具体的になにがよかったとも記載がなく、バンド名を変えれば他のバンド相手にでも送れそうな文面でしたからね」

「……そっか、流石だな」

 

 そう言って少し微笑んだあと、星歌さんは私に背を向けパソコンに視線を戻しながら呟くように話し始めました。

 

「普通ブッキングライブってのはバンド同士の相性を考えて組むもんだ。当たり前だがポップスとメタルじゃ客層は大きく変わる。ただ、ブッキングマネージャーの中にはスケジュール埋め優先で、バンドの相性なんて考えずに適当にブッキングしまくる奴もいる」

「……それが、このライブハウスのブッキングマネージャーというわけですね」

「ああ、場所も下北沢じゃなくて池袋、客層は確実に普段とは違う。ジャンル違いでアウェーなんてこともあり得るわけだ。ジャンル違いの観客にウケるには、相当レベルの高い演奏をしなくちゃならない」

 

 やはりというべきか、依頼を出してきたライブハウスはあまり評判がよくなく、虹夏さんを心配したことで星歌さんは反対するようなことを言ったのでしょう。

 口にこそ出しませんが、星歌さんは普段から虹夏さんや結束バンドの皆さんを気にかけてくださっているので、納得できる理由です。

 

「それで、どうしますか? 私の口から出演を断るように提案しましょうか?」

「……いや、大丈夫だ。もっと前の虹夏たちだったらともかく、いまのアイツらなら大丈夫だろう。昨日はつい衝動的に反対しちまったが、いまのアイツらならジャンル違いの客も惹き付ける演奏だって余裕で出来るさ。本当に、上手くなったよ」

「そうですか……星歌さんは虹夏さんのことを信じているんですね」

「虹夏には言うなよ。アイツもいつの間にか、いいドラマーになったよ。バンドを引っ張っていけるような……もう、十分一人前のバンドマンだ」

 

 優しい声で呟く星歌さんからは、本当に虹夏さんのことを大切に思っているという気持ちが伝わってくるようでした。

 そんな星歌さんに対して、私は少し申し訳ない気持ちを抱きつつ声を掛けます。

 

「……申し訳ありませんが、虹夏さんに伝えないのは無理です。だって……ずっと聞いてましたからね」

「………………は?」

 

 私の言葉を聞いて唖然とした表情で振り返る星歌さんに、私は通話中になっているスマートフォンを見せました。

 そう、私と星歌さんの会話は最初っから最後までスタジオに居る結束バンドのメンバーに筒抜けだったというわけです。それに気付いた星歌さんは、顔を赤くしてワナワナと震える指を私の方に向けました。

 

「あ、有紗ちゃん……図ったな!?」

「ふふ、申し訳ありません。ですが、たぶん虹夏さんの前では素直に話してくれないと思いましたので……」

 

 そう私が伝えると共にスタジオに繋がるドアが開き、少し目元を赤くした虹夏さんが姿を現しました。星歌さんは先ほどまでの会話を聞かれていたと知って、なんともバツの悪そうに視線を逸らします。

 

「……お姉ちゃんの馬鹿。そうならそうと、言ってくれればよかったのに」

「あ~……悪かったよ。どうも喜んでたから言い出しにくくてな」

「ううん。私の方こそ、変に不貞腐れちゃって……ごめんなさい」

 

 虹夏さんは星歌さんに近付いて甘えるように抱き着きながら謝罪し、その言葉を聞いた星歌さんは軽く苦笑を浮かべて、虹夏さんの頭を撫でました。

 

「……アウェーのライブは大変だぞ、半端な演奏じゃ興味は引けないぞ?」

「うん。でも、頑張ってみるよ。皆と一緒なら、きっと大丈夫」

「そうか……なら見に行ってやるから、別ジャンルの客層も根こそぎファンにするぐらいの演奏をして見せろよ」

「……うん!」

 

 明るい笑顔で笑う虹夏さんと、微笑まし気な表情を浮かべる星歌さん。姉妹の時間を邪魔するのも野暮なので、私はそっとその場を離れて練習スタジオに移動しました。

 

「あっ、有紗ちゃん。お帰りなさい。うっ、上手く行きましたね」

「ええ、これできっと虹夏さんも大丈夫……あとは最高のライブをするだけですね」

「あっ、はい。頑張ります!」

「ふふ、はい。応援していますよ」

 

 

 




時花有紗:最初からメールは怪しく感じており、なんとなく予想もしていた。今回は虹夏の代わりに星歌から本心を聞きだすことに成功。

後藤ひとり:有紗に関してだけは滅茶苦茶鋭いので、有紗がメールを訝し気に思っていることにもすぐに気付いた。

伊地知虹夏:有紗が居たおかげで、星歌との仲違いが長引くこともなく解決し、最初からジャンル違いのアウェーと分かった上で挑戦を決めた。姉に関しては、ムキになったり拗ねたりしつつも、結局最終的にはシスコンを発動させて甘える虹夏ちゃんからしか摂取出来ない栄養もある。

山田リョウ:なんだかんだで原作でも訝し気にしており、出演依頼に疑問を抱いている感じだった。虹夏の様子にもすぐに気付いており、有紗に意見を求める有能っぷりを発揮。


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五十一手挑戦のブッキングライブ~sideB~

 

 

 迎えた池袋のライブハウスでのブッキングライブ。結束バンドのメンバーと有紗は目的のライブハウスにやってきていた。

 予想通りというべきか、適当に出演依頼をしたであろうブッキングマネージャーは結束バンドの名前自体もしっかりと覚えてはいないようだった。

 ただ、星歌からの事前情報もありそういった評判の悪いブッキングマネージャーであることは分かっていたので、特に動揺することは無かった。

 

 ライブハウスの中には同じく出演するであろう、他のバンドたちの姿もあった。

 

「あ~おはようございます! 地下アイドルの天使のキューティクルです。私はミカエルです。今日はよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 笑顔で話しかけてきた天使のキューティクルのメンバーに、話しかけられた有紗は笑顔で挨拶を返す。こういった場で、一番目立つ有紗が声を掛けられるのはいつも通りであり、他の結束バンドのメンバーも慣れた様子である。

 そのまま他のメンバーも挨拶をという流れのはずだったのだが、天使のキューティクルのメンバーのひとりが突然目を輝かせて声を上げた。

 

「あぁぁぁ! か、顔が良い! 眩しいぐらいに可愛い、推せる!! あ、ぜ、是非名前を! あとサインとチェキと握手を!!」

「……ミカエルさん、ラファエルちゃんの発作が……」

「……頑張って抑えておいてね。うちのメンバーがすみません」

「ああ、いえ、お気になさらず……」

 

 圧倒的とすら言えるほどに美少女である有紗を見て、メンバーのひとりのラファエルが非常に興奮した様子で騒いでおり、もうひとりのメンバーのウリエルが必死に抑えていた。

 その様子に苦笑しつつも、有紗を含めた結束バンドのメンバーは他のバンドにも挨拶をしていく。デスメタルバンドの屍人のカーニバル、弾き語りの初老男性など、例によってジャンルがバラバラのメンバーではあった。

 

 いつものように有紗がリーダーと勘違いされることもあったが、結束バンドのメンバーは慣れたもので、こういった場では有紗をマネージャー兼サポートと紹介することにしており、結果スムーズに話は進んだ。

 そしてリハーサルを終えたあとは、控室で準備をしつつ他のバンドのライブを見学する。

 

「なっ、なんか、本当に独特ですけど……じっ、事前に知ってたぶんだけ緊張は少ないですね」

「そうですね。やはり事前にこういったジャンル違いの客が多いことも分かった上で練習をしてこれたのは大きいですね」

 

 そう、結束バンドの面々はジャンル違いの客をどう引き込み、自分たちの演奏に注目してもらうかということに関して、事前にしっかり打ち合わせと練習をしてきた。

 演奏開始前に、それぞれのメンバーの紹介と軽いソロ演奏を入れることでバンド自体に興味を持ってもらい、聞く姿勢になってもらう。

 そういった準備をしてきたので、メンバーたちの精神状態はいい感じだった。ひとりと並んでライブを見ていた有紗は、穏やかに微笑みながらひとりに声をかける。

 

「……ですが、ひとりさんは少し緊張しているみたいですね」

「うっ、まっ、まぁ、それはその……初めてのライブハウスですし、普段とは全然違う客層なので緊張はしてます」

「なるほど、ではライブが成功するおまじないを……」

「へ? おまじない?」

「はい。ちょっと失礼しますね」

「わっ、わわっ!?」

 

 少し悪戯っぽく微笑んだあとで、有紗はそっと手を伸ばしてひとりの前髪を上げる。前髪をどかされるというのは、ひとりにとってはとてつもなく緊張する行為であり、相手が有紗以外だと即気絶してもおかしくないが……有紗が相手であれば問題ないようで、慌てつつも抵抗らしい抵抗はしていなかった。

 そんなひとりに対し、有紗は顔を近づけ、ひとりの額に自分額をくっつけるようにした。

 

「は? なっ、ななな、あっ、ああ、有紗ちゃん!? なっ、なななにを……」

「ひとりさん。大丈夫です……ひとりさんも、皆さんも以前と比べずっとずっとレベルを上げています。近くで聞いていた私が言うのですから、間違いないです。なので、大丈夫……貴女たちの演奏は、ここに居る人たちを魅了できるだけの力が十分にありますよ」

「……有紗ちゃん」

「だから、頑張って……最高の演奏を聞かせてください」

「……はい! 頑張ります!」

 

 額が触れ合うほどに近くで目を見つめ合いながら告げられた応援の言葉は、ひとりの心に大きな勇気を宿らせてくれた。先ほどまでの緊張は消え、目に強い光を宿したひとりはしっかりと有紗の言葉に返事をする。

 それを確認して微笑んだあとで、有紗は額を離した。

 

「……こっ、こんなおまじないもあるんですね」

「いえ、今考えました」

「あっ、なるほど今考え……えぇぇぇ!?」

「でもほら、結果的に緊張は解けたようですし、私もひとりさんと密着できて嬉しかったので、双方利点しかないですね」

「ふぐっ……も、もぅ、有紗ちゃんは本当に……でっ、でも、ありがとうございます。勇気いっぱい貰えました」

 

 そう言って笑顔を浮かべるひとりに対し、有紗も笑顔を返し互いに笑い合う。そして、そんな光景を見ていたある人物は膝から頽れた。

 

「……百合ップル……尊い。もぅ、マジ無理ぃ、尊死すりゅぅ……カップル推し余裕。しゅきしゅきしゅきしゅきめろりー……」

「ミカエルさん! ラファエルちゃんが!」

「ちょっ、ラファエルちゃん起きて! もうすぐ私たちの出番だから!!」

 

 どこか安らかな表情でサムズアップをしながら床に倒れるラファエルを、ミカエルとウリエルが大慌てて抱え起こしていた。

 

 

****

 

 

 時を同じくして、ライブハウスのホールでライブを見ていた喜多だったが、不意に肩を叩かれた。

 

「やほ~来たよ~」

「は? さっつー!? な、なんでここに?」

「前にライブ見に来いとか言ってからさ~。いや~ライブ代って高いわ」

「いや、なんでよりによってこんな特殊なブッキングライブを……」

 

 現れたのは喜多のよく知る次子であり、いつも通りの緩い表情でライブを見に来たと告げていた。確かにライブを見に来いとは言った。そして、今日池袋でブッキングライブをすることもロインでの会話の中で話していた。

 しかし、ホームであるSTARRYのライブではなく、明らかにジャンル違いのブッキングライブであると事前に分かってるものを見に来た次子に対し、喜多はどこか呆れたような表情を浮かべていた。

 

「いや、別に問題ないっしょ。うちそもそもヒップホップ以外には興味ねぇし、今回も喜多のライブ見に来ただけだから、他がどうとかは気にしないよ」

「相変わらずというか、なんと言うか……」

「まぁ、そんなわけでうちのチケット代分……カフェランチ分ぐらいの演奏よろしく~」

「それは期待してるんだかしてないんだか、なんとも分かりにくいわね」

 

 のほほんとしている次子を見て、喜多は苦笑を浮かべる。

 

「まっ、後悔させないだけの歌を聞かせてあげるわよ。さっつーが、ロックファンになるぐらいね」

「あ、それは無理。私ヒップホップ一筋だから、ロックファンにはならんよ……ま~そんなわけだから、ロックファンじゃなくて、結束バンドファンにさせてみなってね」

「あはは……結束バンドはヒップホップじゃないわよ?」

「知ってるし、うちのキャパ的にヒップホップ以外にファン活するなら、ひとつが限界ってだけ……だからまぁ、期待してる」

「うん。楽しみにしてて」

 

 イタズラっぽく笑いながら激励する次子に、喜多も明るい笑顔を浮かべて頷いた。

 

 

****

 

 

 天使のキューティクルのライブを並んで見ている虹夏とリョウ。自分たちの番が近づいているからか、やや表情を硬くしていた虹夏の頬を唐突にリョウが突いた。

 

「……いきなりなにすんのさ?」

「なんか不細工な顔してた。ウケる」

「ぶん殴っていい?」

「駄目。私の顔に傷が付いたら、日本の損失だと思う」

「ホント、その自信はどこから来るんだろうね」

 

 いつも通りのリョウを見て虹夏は苦笑を浮かべつつ、ステージに視線を向けたまま呟く。虹夏もリョウがなぜちょっかいをかけてきたのか分かっている。悪ふざけなどではなく、自分を気遣ってくれていることも含めて……。

 

「やっぱ表情硬くなってたか……分かってる。大丈夫だって、しっかり練習してきたし客層がバラバラなのも想定して考えてきた」

「……でも、もし、上手く行かなかったら、よく考えずに返事した自分の責任……とか、馬鹿なこと考えてんの?」

「うっ……」

「虹夏って変なところで真面目過ぎて馬鹿だよね。ありもしない未来なんて心配する必要ない。できるよ、私たちなら……ここに居る客を全員ファンにするライブがね」

 

 そう告げて不敵な笑みを浮かべるリョウの表情は自信に満ちており、本当に大丈夫と思わせるだけの力強さもあった。

 その顔を見て、虹夏はフッと自分の中から緊張が抜けていくのを感じ……小さく笑みを浮かべた。

 

「……そっか、大丈夫なんだね」

「うん。絶対に大丈夫」

「ありがと、元気出た。リョウもたまには頼りになるね」

「いつもの間違いでしょ?」

「あ~なんか、年明けぐらいにスランプになってた奴が居たなぁ~」

「それを言うならつい最近姉と喧嘩してふてくされてた奴が居たなぁ~」

「「ぷっ……あはは」」

 

 顔を見合わせて笑い合う。どことなく温かな空気が流れているように感じて、互いに不思議な温もりを感じながら笑い合い、少し経ってから虹夏はニッと笑みを浮かべて口を開く。

 

「よしっ、じゃあ、そろそろ控室にいって準備しようか……そんで、見せつけてやろう。結束バンドのライブを」

「だね。未確認ライオットの前哨戦には丁度いいよ」

「おっ、言うね~」

 

 そんな風に話しながら虹夏とリョウが控室に移動すると、そこにはひとりと喜多と有紗が居た。直接ライブに出ない有紗はともかく、ひとりも喜多もいい表情をしておりその顔を見るだけで、今日のライブの大成功を確信できるようだった。

 

 そしてその確信は違うことなく現実となり、今日このライブハウスを訪れた観客たちや共演したバンドたちの心に、結束バンドというロックバンドの名が強く刻みつけられることとなった。

 

 

 

 




時花有紗:例によってリーダーと間違われるが、もう慣れた。ひとりにおまじないとしておでこコツンを実行。これで、同じおまじないをすると見せかけてデコチューに行く準備は整ったとみていい。

後藤ひとり:相変わらず有紗に対する好感度は激高で、だいたい近くに居る。今度の距離感バグりはおでこコツンになりそう。

ラファエル:5巻で登場する日向恵恋奈。リョウがドン引きするぐらいには個性的。百合にも理解があるようで、有紗とひとりのカップル推しを始めたらしい。有後党の党首がアルカイックスマイルで手招きをしている気がする。

池袋のライブ:原作よりさらに大成功だったが、まぁ、百合とはあんまり関係がないですし、原作と大きな違いもないのでサラッと流します。


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五十二手鷹揚のショッピングモール~sideA~

 

 

 池袋でのブッキングライブは大成功といっていい結果に終わりました。会場はかなり盛り上がりましたし、いままでとは違う層の客をファンとして取り込めたのはかなり大きいです。

 天使のキューティクルを始めとする他ジャンルの演者とも知り合えましたし、得るものはかなり大きかった印象です。

 ライブハウスに見に来ていた星歌さんの目から見ても、今回の結束バンドの演奏は素晴らしかったようで、珍しく素直に褒められた虹夏さんが照れながらも嬉しそうにしていたのが印象的でした。

 

 ただ、演奏の途中で星歌さんの近くにやみさんの姿も見えたのですが、こちらに声をかけてくることはありませんでした。ただ、後ほど私の元にロインで「今度STARRYに取材に行く」と連絡がありました。取材ということは結束バンドの皆さんと会う形になるので……それを行おうとするということは、やみさんの中で結束バンドは十分にプロを目指せるバンドと認識を改めてくれたのではないかと思いますので、取材に来てくれる日が楽しみです。

 

 さて、そんな大成功の池袋のブッキングライブから数日後、私とひとりさんは一緒にショッピングモールにやってきていました。

 目的は4月21日……もうすぐ誕生日である喜多さんへのプレゼントを買いに来ました。私は既に用意しているので、ひとりさんのプレゼント選びの付き添い……つまりデートです!

 

「それで、ひとりさん。プレゼントの候補は考えていたりしますか?」

「あっ、はい。こっ、今回はちゃんと考えてきました。喜多ちゃんといえば、映え……とっ、とと、というわけで、さっ、最新のトレンド品をプレゼントするつもりです」

「……最新のトレンド品、ですか?」

 

 たしかに喜多さんは映えを意識しており、映える品を喜んでくれるというのは納得できる理由ですが……なにを贈るつもりなのでしょうか? その、こういう言い方は失礼だとは思うのですが、残念ながらあまりひとりさんが流行に鋭いという印象はないので、若干不安ではあります。

 まぁ、その辺りは私が一緒なので、ひとりさんのやる気を削がないようにそれとなく誘導するのがいいかもしれません。

 ああ、いえ、決めつけるのは良くないですね。きっとひとりさんも、しっかり下調べして最新のトレンド品を……。

 

「まっ、まだ、どれにするかまでは決めてませんが……ちっ、地球グミとか……」

「……ありましたね、地球グミ」

 

 その名称が出た時懐かしいと思ってしまいました。確か流行したのは私が中学生の時だったので、2年ほど前の印象ですね。

 古すぎるというわけではありませんが、最近はあまり見かけなくなったものではありますね。

 

「あっ、あとは、ちょっとレベルが高すぎるかもしれませんが……まっ、マリトッツォ……とか?」

「なるほど……」

 

 い、いえ、決して悪いわけでは無いのですが、マリトッツォもまた微妙にブームを過ぎているような気がしますね。流行というのは移り変わりが激しいものですし、仕方がないと言えば仕方がないのですが……。

 

「えっと、ひとりさん。最近であれば半熟カヌレなども、流行ですよね」

「あっ、え? 半熟カヌ……えと?」

「……ひとりさん、提案なのですが、食べ物は止めておいた方がいいのではないでしょうか? 特にマリトッツォなどは日持ちもしませんし、ひとりさんの家から持っていく形になると常温で2時間ほど運ぶようになってしまいます」

 

 実際誕生日プレゼントとしては適さないですね。学校に持っていくのも難しい品ですし、渡しやすさや運びを考えるなら小物系がいいと思います。

 

「あっ、いっ、言われてみれば、確かに……でっ、でも、それ以外で映えるって……たっ、タピオカ畑とか?」

「一度食品から離れて考えてみましょう。大丈夫です。時間はありますし、私が相談に乗ります」

 

 タピオカもとい……キャッサバ畑も現実的ではないです。とりあえず移動しつつ無難な案を出していくことにします。

 

「お洒落な贈り物をというのでは、コスメ系も選択肢としてありだとは思います」

「こっ、ここ、コスメ!?」

「はい。肌に使うものなどは相性もあるので難しいですが、リップなどであれば小型で持ち運びやすいですし、華やかさや高級感もあるのでいいかもしれませんよ」

「あっ、リップ……リップクリームですか?」

「ああいえ、この場合のリップというのはルージュやグロス、クリームを総称した意味で、唇に使用するコスメの全般のことですね」

 

 喜多さんの雰囲気を考えると、あまり濃いルージュなどよりも、つやを出すリップグロス系のコスメが喜ばれそうな気がしますね。

 

「……あっ、有紗ちゃんって、化粧品にも詳しいんですか?」

「人並み程度の知識はありますよ。メイクなどはお母様から教わっていますしね」

「でっ、でも、有紗ちゃんが化粧しているところは見たことがないような?」

「ああ、それは、お母様に止められているんですよ」

「え? とっ、止められている?」

「ええ、なんでも『有紗ちゃんがお化粧をすると、傾国の美女になっちゃって目立ちすぎるから、普段は控えておきなさい』と……まぁ、お母様は少々大袈裟なところがあるので、仰々しく言っているだけだとは思いますが」

「……有紗ちゃんが、化粧……みっ、見てみたいような、恐ろしいような……」

 

 特にいままで化粧が必要な場面というのもありませんでしたので、自宅でお母様に教わってメイクの練習をするぐらいでしたが……こうして、恋する相手に巡り合ったわけですし、ひとりさん相手に使うのなら正しい使用方法ではないでしょうか?

 

「ひとりさんが見たいなら、いつでも見せますよ」

「あっ、うっ、えっ、えと……」

「私としては、ひとりさんの化粧した姿も見てみたいですが……ただでさえ、愛らしさの化身であるひとりさんが化粧をしてしまえば、その美しさは人の限界を越えてしまうかもしれませんし、迂闊に行うのも危険かもしれませんね。主に私の理性的な意味で……」

「おっ、大袈裟過ぎです」

 

 私の言葉を聞いて、ひとりさんは少し恥ずかしそうに頬を赤くしながら言葉を返してきましたが、個人的にあまり大袈裟とは思えませんでした。

 もしひとりさんが化粧をして、可愛らしさと美しさと同時に発揮したとしたら……私は冷静でいられる自信がありません。衝動的にウエディングドレスの準備まで終わらせてしまう可能性すらあります。

 

「ま、まぁ、とりあえずコスメに限定する必要はありませんので、雑貨なども含めていろいろ見てみましょう」

「あっ、はい」

 

 話を喜多さんの誕生日に戻して微笑みつつ、ひとりさんの手を取ります。逸れてはいけないという思いもありますが、それ以上になんとなくこうして不意に手を取っても受け入れてくれるのではないかという、期待もありました。

 その期待通り、ひとりさんは特に気にした様子もなく頷いて私の手を握り返してくれました。互いの心の距離が順調に縮まっているようで、嬉しい限りです。

 

 

****

 

 

 いくつかの店を回って、無事に喜多さんへの誕生日プレゼントを決めることができたのは良かったのですが、ひとりさんはかなり疲れてしまったみたいで、ふたりでショッピングモールのベンチに座って休憩することになりました。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。あっ、あまりにあちこちお洒落オーラが凄くて、キラキラに当てられて疲労が……」

「ふふ、お疲れ様です。ですが、無事に喜多さんへのプレゼントも買えましたし、目的は達成ですね」

「あっ、有紗ちゃんのおかげです。例によって、私ひとりじゃ店に入るのも難しかったですし……」

「ひとりさんの力になれたなら、嬉しいですよ。時間はありますし、しばらくのんびり休憩しましょう」

「あっ、はい」

 

 ベンチに並んで座って手を繋ぎ、のんびりとショッピングモールを歩く人たちを見る。休日でそれなりに人の多いショッピングモールの中にあっても、いまこの空間だけは少し時間がゆっくりと流れているかのような、そんな雰囲気がなんとも心地いいです。

 

「なっ、なんというか、のんびりですね」

「そうですね。ですが、私はこういう雰囲気は好きですよ」

「あっ、わっ、私もです。というか、有紗ちゃんとこうやって、のんびりしてるのが、なんか好きです」

 

 ひとりさんの言葉には心から共感出来ました。特別なにかをしているというわけでもないのですが、不思議と心地よい空気と表現するべきでしょうか、幸せとはこういうことなのだなぁと実感できるような温かな空気が好きです。

 

「なんだかんだで、最近は路上ライブやブッキングライブで忙しかったですし、ひとりさんも目に見えないところに疲れがたまっているかもしれませんよ」

「あっ、そっ、そうですかね? たっ、確かに、未だに路上ライブは緊張しますけど……」

「というわけで、ひとりさん。疲れを癒す意味でも、もっと私にもたれ掛かったりしてくれても大丈夫ですよ?」

「……そっ、それ、有紗ちゃんがそうして欲しいだけのような……」

「その理由が10割ですね」

「全部!?」

 

 半分ほどは冗談ではありましたが、実際にそうなったら幸せだなぁという思いもあります。まぁ、場所が場所だけに、流石に難しい要求ですね。

 そう思っていたのですが、ひとりさんは少し逡巡するような表情を見せたあとで、小さくため息を吐いてから私に少しもたれ掛かってきました。

 

「……ひとりさん」

「あっ、有紗ちゃんがそうして欲しいなら……あっ、えっと、仕方ないので……」

「とても嬉しいです。人目の多い場所なので難しいと思っていましたが……」

「……………………人目が、多い?」

「あ、はい。休日のショッピングモールですからね」

「……あっ」

 

 どうやらリラックスしていたこともあって、ショッピングモールのベンチであるということを忘れていたみたいです。ひとりさんは私の言葉にハッとした表情になって、みるみる顔を赤くしていったので……ひとりさんの肩に手を回して抱き寄せることで、逃亡を阻止しました。

 

「あっ、わっ、私すっかり忘れて――有紗ちゃん!? なんで、肩をガッチリ掴んでるんですか!?」

「ひとりさん、あまり大きな声を出すと注目を集めてしまいますよ」

「~~~!?!?」

「あっ、ちょっ、ひとりさん?」

 

 肩を掴んだのはあくまでひとりさんが慌てて逃げ出さないようにという理由でしたが、赤い顔で大きな声を出したひとりさんは結果的に周囲の注目を集めてしまい……気を失ってしまいました。

 

 困りましたね。これでは移動するのも難しいです……まぁ、こうなってしまったものは仕方ないので、気にせずしばらくはひとりさんの肩を抱いて温もりを堪能しておくことにしましょう。

 

 

 




時花有紗:例によって鬼つよメンタルなので、注目を集めてもさほど気にしておらず穏やかに微笑みながらひとりの肩を抱いていた。

後藤ひとり:とにかく「有紗の望み」というのに弱く、有紗ちゃんがそうして欲しいなら……と、普段では恥ずかしくて実行できないようなことも実行しがち。ただ、今回は周りが見えていなかったこともあって、気付いた直後にキャパ越えをして気を失った。結果として公衆の面前でいちゃつくことに……さすが伝説のラブダイバーだ、面構えが違う。

ショッピングモールの客たち:てえてぇ……


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五十二手鷹揚のショッピングモール~sideB~

 

 

 気絶から目覚め、顔を赤くしつつそれでも手は繋いだままのひとりと有紗は休日のショッピングモールを歩きながら話をする。

 少し前にベンチで休憩中に起こった出来事に対し、ひとりは黒歴史がひとつ増えたと言いたげな表情を浮かべているが、有紗はいつも通り穏やかな微笑みを浮かべていた。

 

「……なっ、なんで有紗ちゃんは平気そうなんですか……ほっ、本当にそのメンタルの強さが羨ましいです」

「ひとりさん、誰しも失敗や恥をかくということはしてしまうものです。ですが、残念ながら時間を巻き戻す術はありません。後ろを向くより前を向いた方が有意義です。もちろん忘れてしまえばいいというわけではありません。今回のことから学び、次に生かすのが重要です」

「なっ、なるほど? あっ、えっと……ちなみに、有紗ちゃん的には今回の出来事を次回にどう生かすんですか?」

「ひとりさんに甘えてもらうという素敵なシチュエーションを堪能するには、やはりふたりきりが望ましいですね。あと、もたれ掛かった状態で肩を抱くより、肩を抱いて抱き寄せる形にしたほうが姿勢的を維持しやすい気がします」

「あっ、めっ、メンタル強っ……ふっ、ふふ……なっ、なんか、有紗ちゃんがあんまりにもいつも通りで、変ですけどちょっと安心しました」

 

 ある意味で非常に安定しているというか、相変わらずひとりへの好意をまったく隠さない有紗を見て、ひとりは思わず笑みを浮かべた。

 前々から分かっていることではあるが、有紗の愛情表現はストレートであり、こうして話しているだけでも自分が有紗に好かれているというのを実感することができて……正直に言えば、嬉しかった。

 

「ひとりさん、時間もまだありますしデートの次の目的地ですが、このモールには映画館があるので、映画でも見ませんか?」

「あっ、はい……あっ、あれ? いつの間にデートに? まぁ、有紗ちゃんだし……映画は久しぶりです」

「そうなんですね。そういえば、ひとりさんの家の近くには映画館はあるんですか?」

「うっ、う~ん。どうでしょう? あっ、あるかもしれないですけど、私は知りませんね。知ってるのは、横浜の近くとかの映画館ですね」

「なるほど、横浜だと近場に無いと中々行きにくいというのはありますね」

「でっ、ですね……まっ、まぁ、横浜まで電車で20分なので遠くはないですけど……ひっ、人が多いのでひとりでは行きたくないです。えっ、映画館自体の雰囲気は好きですが……」

 

 上映中は暗くなる映画館は、雰囲気的にはひとりが好むものではあるが、そこに至るまでが大変なのであまりひとり映画に行こうと考えることはない。

 もっとも、有紗と一緒であれば行きたいという気持ちもあるので、有紗の提案に関しては断る理由もなく頷いた。

 そのままふたりは映画館に移動して、上映中の作品リストを眺める。

 

「ひとりさんは、どれが見たいですか?」

「あっ、え~と……」

 

 有紗に尋ねられたひとりは、作品のリストを見ながら考える。有紗の性格上、ここでひとりが見たいといったものを選ぶはずなので、実質的にこの質問はひとりがなにを見るかを決めていいというパスに等しい。

 

(お涙ちょうだいの感動系は、あんまり好きじゃない。恋愛系は青春コンプレックスが刺激されるし、単純に有紗ちゃんと一緒に見るのは……恥ずかしい。アニメは、う~ん、知らない作品だからよく分からない。となると、アクション映画とかがいいかな?)

 

 少し悩んだひとりだったが、最終的に最近話題の人気アクション映画を見ることに決め、有紗もそれを了承したのでふたりでチケットを購入する。

 上映時間まではまだ時間があったので、近場で時間を潰せる場所ということで映画館の近くにあったゲームコーナーに移動した。

 

「……なっ、なんか、こういうモールの映画館の近くにゲームコーナーがあるのは、定番な気がしますね」

「いまの私たちのように上映時間待ちに立ち寄ることが期待できますからね。その性質上、クレーンゲームなどが中心ですが……」

「でっ、ですね。あっ、近くにコインロッカーがあるので景品をとってもそっちに置けるって感じですね。クレーンゲームとかもあんまりやったことは……あっ」

「うん? どうしました、ひとりさん?」

 

 ひとりが不意に足を止めたことで、有紗もそちらを向くと、視線の先にはプリクラの機械があった。

 

「プリクラですか?」

「えっ、ええ、まさか、こんなところで巡り合うとは……あっ、あれは、ゲームセンターで陰キャが恐れる機械第2位の……プリクラ」

「……どこのランキングですか?」

「あっ、信頼と実績の日本陰キャ協会調べです」

「なるほど……せっかくですし、一緒に撮りますか?」

「……あっ、えっと……そっ、そうですね。ちょっと、有紗ちゃんと一緒に撮りたいって思ってたので……さっ、賛成です」

 

 ひとりにとっては完全に初めての挑戦となるプリクラではあったが、有紗と一緒に撮影してみたいという思いがあったのか、有紗の提案にどこか乗り気で返事をしていた。

 中に操作パネルがあるタイプだったため中に入ってお金を入れ、人数や撮影枚数を選んだあとで、フレームを選択する。

 

「映画館に隣接しているだけあって、映画とのコラボのようなフレームもありますね」

「あっ、種類が凄いですね。えっ、どっ、どれを選べば……」

「ひとりさんは、なにか希望がありますか? ないなら私が選びますが?」

「あっ、有紗ちゃんに任せます」

「分かりました。では、私が選びますね」

 

 プリクラを初体験のひとりは、どうしていいか分からないという感覚が強く、有紗に任せることにした。そして、選択権を得た有紗はほぼ躊躇なくハートの多く描かれたフレームを選択し、その際にさっと素早い動きで「カップルコース」というモードを選択していたが、幸か不幸かキョロキョロと視線を動かしていたひとりはその操作を見落とした。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? なんかその、妙にハートの多い感じのフレームじゃないですか?」

「さて、撮影が始まりますよ」

「あっ、スルーした……えっ、えっと、こっちを見ればいいんですよね?」

「はい。画面にポーズの指示などが映るのでそれで、そのポーズで撮影する形です」

「あっ、なるほど、指示が出るんですね。それなら、分かりやすいです」

「はい。7枚撮影なのでポーズも7つですね。もちろん、指示とは違うポーズをしても大丈夫です。あくまで指示は、アドバイスのようなものですよ」

 

 有紗がひとりに簡単に説明をすると、タイミングよく撮影が始まり画面に最初のポーズ指示が表示された。最初は「顎掴み」という指示であり、画面にはサンプル写真が現れる。

 

「あえ? なっ、なんですかこのポーズ、あっ、顎?」

「こうして、画面通りに人差し指と親指で相手の顎を挟んで顔を寄せるんですよ」

「え? えぇ、はっ、恥ずかしくないですか!?」

「ひとりさん、急がないと時間がありませんよ」

「あわわ、こっ、ここ、こうですか?」

 

 戸惑いつつも撮影までの猶予時間がそれほど長くなかったこともあり、ひとりは有紗の指示に従う形で顎掴みを実行して撮影を行う。そして、混乱を回復させる間もなく画面には次の指示が表示された……「後ろからハグ」と……。

 

「後ろからハグですね。では、失礼して……」

「あっ、有紗ちゃん!? なんか、これおかしくないですか? こっ、こういうものなんですか?」

「カメラの方を向いてくださいね」

「あっ、はっ、はい」

 

 嬉しそうに後ろからひとりを抱きしめる有紗とは対照的に、ひとりは顔を赤くして慌てていた。しかし、撮影時間は待ってくれず進行していく。

 次に表示されたのは「肩を抱く」というものだった。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? なんか、やたら密着するような指示が多くないですか?」

「カップルコースなので、当然だと思います」

「カップルコース!? なっ、なな、なんで!? いっ、いつの間に……」

「おっと、撮影が始まりますよ。肩を失礼しますね」

「うひゃぁ!?」

 

 有紗に抱き寄せられ、ひとりは顔を真っ赤にしながらもそれでもいちおうカメラの方は向いて撮影を行う。まるでジェットコースターのように目まぐるしく指示が出され、困惑しながらも流されるように指定のポーズを決めて行く。

 最初に有紗が言った「あくまで指示はアドバイスで、指示とは違うポーズでもいい」という言葉はすっかり忘却の彼方であり、指示通りに「腕組み」「正面からハグ」「互いの頬に手を当てて見つめ合う」「頭くっ付け」と、全ての指示を恥ずかしがりながらも実行した。

 

「お疲れ様です。これで撮影は完了ですね」

「……もぅっ! 有紗ちゃんは、もうっ! もっ、もの凄く恥ずかしかったじゃないですか!?」

「ふふ、申し訳ありません。カップルコースという選択肢を見つけたので、気付いた時には押してました」

「こっ、行動力……」

「まぁ、気を取り直して落書きやスタンプを入れましょう」

「あっ、そういえば落書きもできるんですね」

 

 撮影した写真が画面に表示され、落書きやスタンプが可能になる。まず、表示された写真を見て、ひとりは思わず再び赤面した。

 

(はわわ、なっ、なんか、凄いポーズばっかり……うぅぅ、はっ、恥ずかしい。しっ、しかも、なんか……ちょっと嬉しそうだし私……うぅぅ)

 

 実際画面に表示された写真に写るひとりは、恥ずかしそうに顔を赤くしてはいたが、口元に笑みが浮かんでいるものも多く……なんというか、楽しんでいるのが実感できた。

 事実恥ずかしくはあったが、嫌だったかと言われればそうでもないし、なんだかんだでワタワタしながらも楽しかったという思いもあった。

 

 顔が熱くなるのを実感しつつ、いくつかの書き込みやスタンプを付けてプリクラを完成させる。

 

「これで少しすると印刷されますが、ここのQRを読み取るとスマートフォンにも写真を送れますよ」

「あっ、そっ、そうなんですね。じゃあせっかくだし……」

「はい。私もホーム画面にしておきますね」

「まっ、ホーム画面は勘弁してください……恥ずかしすぎます」

 

 本当にラブラブカップルのような写真であるため、ホームの壁紙にされるのは恥ずかしすぎた。ひとりの訴えを聞き、有紗は了承した様子で頷いた。

 そして、その写真がホームの壁紙ではなく、有紗のスマートフォンのロック画面に使用されているとひとりが気付くのは、もうしばらく経ってからのことだった。

 

 

 




時花有紗:カップルコースという文字を見つけた瞬間には、もうすでに選択しており考える前に体は動いていた。さすがの猛将。ひとりと撮った写真はスマホのロック画面に登録した。あと、印刷して額縁に入れて飾った。

後藤ひとり:休日に一緒にショッピングモールに来て、買い物して映画見て、カップルコースでプリクラ撮影……もうすでに付き合ってると言っていいのでは?


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五十三手慰安の遊園地~sideA~

 

 

 STARRYでのスタジオ練習の日。今日は4月20日であり、喜多さんの誕生日の前日です。私は喜多さんとは学校も違うので、このタイミングを逃すと次に会えるのは誕生日を過ぎてからなので、1日早いですがプレゼントを持って来ました。

 私が付いたタイミングでは丁度練習中だったみたいで、皆さん演奏をされていたので邪魔にならないようにスタジオに入り、演奏を聞きつつ物販の整理をして待ち、休憩に入ったタイミングで喜多さんに声を掛けました。

 

「喜多さん、1日早いですが、誕生日おめでとうございます。こちらは、誕生日プレゼントです」

「ありがとう、有紗ちゃん! とっても嬉しいわ!」

 

 私がプレゼントの入った紙袋を渡すと、喜多さんは弾けるような明るい笑顔を浮かべてお礼を言ってくれました。するとそのタイミングで、プレゼントが気になったのか他の方たちも喜多さんの元に集まってきました。

 

「正直、有紗のプレゼントは気になる」

「ぼっちちゃん相手に全力なのは分かってたけど、リョウの時も凄かったもんね。ぼっちちゃんは、知ってる?」

「あっ、私は前に教えてもらいましたので……きっ、聞くだけで凄かったです」

 

 リョウさん、虹夏さん、ひとりさんの言葉を聞き、喜多さんはチラリとこちらを見たあとで紙袋を開けて小さな箱を取り出しました。

 

「……軽い。リョウ先輩の時の箱と似てる気がする」

「中身はカードだね。喜多ちゃんの名前が入ってるってことは、リョウの時と同じパターンかな?」

「ええ、そちらは評判のいいエステの年間パスです。エステの場所や、パスの説明は紙袋の中に入ってます」

 

 私が喜多さんのプレゼントに用意したのは、エステの年間パスでした。喜多さんはかなり美容などにも気を使っている様子ですし、自撮りをすることも多いみたいなのでそういったプレゼントがいいだろうと考えた結果です。

 

「ね、年間? え? 有紗ちゃん、これ、1年使えるの?」

「はい。ただ、月に使用できる回数制限はありますので、毎日使ったりということはできません。あと、中の冊子に記載がありますが、基本メニューは全てそのパスで無料で受けられますが、特別メニューの一部は追加料金が必要になるので注意してください」

「あっ、ちなみに喜多ちゃん。そっ、そのエステ……ネットで調べたら出てくるんですけど、滅茶苦茶高いところです」

「ええぇぇ……す、凄すぎる」

 

 私も数回利用したことがあるエステで、かなり質も高い場所なのでオススメができます。喜多さんも気に入ってくれるといいのですが……。

 

「……虹夏の誕生日はなんになるんだろう?」

「なんか、ちょっと怖いような、楽しみなような……」

 

 

****

 

 

 未確認ライオットのデモ審査の結果発表となる日、私を含めた結束バンドのメンバーと星歌さんやPAさんを含めたSTARRYメンバーで、よみ瓜ランドという遊園地に遊びに来ていました。

 

「ついた~よみ瓜ランド!」

「下北からすぐでしたね!」

「今日はライブの打ち上げあーんど」

「STARRYスタッフ一同の慰安旅行です!」

 

 元気よく虹夏さんと喜多さんが宣言するのを、ひとりさんの手を握りながら眺めていました。天気は快晴でおふたりも楽しそうですが、ひとりさんは久々に青春コンプレックスを刺激されているようです。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「うぅ……カップル、子連れ、学生集団……こっ、ここは私の心を抉るものが多すぎます」

「……いや、ぼっちもカップルの枠じゃん」

 

 そして、ひとりさん以上にテンションが低いのが、星歌さん、PAさん、きくりさんの3人でした。というか、きくりさんに至っては前回のライブの関係者でも、STARRYスタッフでもないのですが……。

 ともかく3人は来て早々ベンチに座り、なんとも暗い表情を浮かべていました。

 

「ほ、ほら、周り見て! 癒されるでしょ?」

「この歳になってこういうところに来ると、なんか辛くなってくるんだよ。自分の道が間違ってたとは思わないけど……幸せそうにしている同世代の子連れとかみると、胸が締め付けられるんだ」

「毎日家に帰ってもひとり、お帰りと言ってくれる人もいない、料理しても誰も食べてくれない。添加物満載のコンビニ弁当を貪る日々、壊れていく身体、壊れていく心……」

「借金まみれで築52年の風呂無し事故物件アパート住まいも、全部バンドのせいだ~」

「負のオーラが凄すぎるんだけど!? あと、廣井さんのそれはお酒のせい……そもそも廣井さんに至っては、今日呼んでないんですけど!?」

 

 どこか絶望したような表情を浮かべる星歌さんと、目に涙を浮かべて虚空を見ているPAさん、そして酔っぱらって泣き上戸に移行気味のきくりさんと、なかなかの地獄絵図です。

 虹夏さんがなんとか元気付けようとしているようでしたが、あまり効果はなさそうな感じでした。

 

「……有紗ちゃん! ちょっと、このやさぐれ三銃士をどうにかして!?」

 

 必死に助けを求めてくる虹夏さんを無視することもできなかったので、私は遊園地のパンフレットを手に星歌さんたちに近付きます。

 とりあえずいまは思考がマイナスに傾いてしまっているので、少し強引にでも別の方向に思考を向けることができれば……。

 

「星歌さん、このランドはキャラクター関連の設定も充実してるみたいですよ」

「いや、有紗ちゃん、今はそんな気分じゃ……可愛いな、この猫……」

「PAさん、ゲームとコラボしているアトラクションがあるみたいなのですが、この作品はご存知ですか?」

「え? ああ、懐かしいですね。前にプレイし……え? あ、あの、わっ、私ゲームがどうとか、話したこと……ありましたっけ?」

 

 星歌さんにキャラクターの載ったパンフレットを渡しつつ、PAさんには小声で話しかけます。すると、PAさんは明らかに動揺した様子でこちらを見ました。

 

「ああ、いえ、PAさんから直接聞いたことはないんですが、SIDEROSのあくびさんが……えっと、PAさんが以前に付けていたアクセサリーがゲームのコラボの品だと教えてくれたので、ゲームがお好きなのかと思いました」

「あ、そ、そうなんですね。ま、まぁ、本当に少し齧る程度ですけど……」

「なるほど、もし面白いものがあれば教えてくださいね」

 

 いま、嘘をつきました。本当はあくびさんがオススメのゲーム実況といって教えてくれた「音戯アルト」という方の動画を見た際に、声が細かな癖や音程も含めてPAさんと一緒だったというのが理由ですが……どうも先ほどの反応を見る限り、あまり知られたくない様子だったので、私の胸の内だけに秘めておくことにしましょう。

 

 まぁ、とりあえず強引ではありますが星歌さんもPAさんも思考の切り替えはできたでしょう。きくりさんに関しては、酔っているだけでほぼ平常運転なので問題はありません。

 

「皆さんもいろいろと思うところはあると思いますが、他人の幸福を羨ましいと思えるのは素敵なことだと思いますよ。それは言い換えてみれば、現状に満足せずに前を見ている証拠でもありますからね。機会などというものはいつ訪れるか分かりません。明日には環境が劇的に変わるということだってあるのですから、あまり深刻に考えすぎずにいきましょう」

「「「あ、はい」」」

「とはいっても、私たちと一緒にアトラクションを周るのも気が引けるかもしれませんね。丁度よみ瓜ランドに隣接したビアガーデンの食事券があるので、よろしかったら大人3人で行ってきてはどうでしょうか?」

「おぉ! ビアガーデン! いいねぇ~……あれ? 有紗ちゃんは、なんでそんなもの持ってるの?」

「ビアガーデンを運営している会社の株をある程度持っていまして、株主特典として贈られてきたものです。私は未成年なので使うことなく置いていたのですが、今回の話を聞いてきくりさんたちに差し上げようかと思って持って来ました。株主以外も使えるチケットなので、皆さんで楽しんできてください」

 

 そう言いつつ差し出した食事券を、3人はなんとも言えない表情で受け取りました。

 

「……お、おぅ……ありがとう……女子高生に諭されて食事と飲み代渡されてる状況……どう受け止めていいか分からねぇ」

「なんですかね、この圧倒的な敗北感。私たちの方が、大人……ですよね?」

「なんか、自分たちの駄目さをこれでもかってぐらい思い知らされましたね……やけ酒行きましょう」

 

 おかしいですね。なぜか、先ほどよりも哀愁漂う表情で立ち上がって3人は歩いて行きました。これは、失敗してしまったでしょうか……背中があまりにも寂しい雰囲気です。

 

「申し訳ありません、虹夏さん。上手くいかなかったかもしれません」

「ううん。むしろ、有紗ちゃんが優しすぎて勝手にダメージ負ってるだけだから大丈夫。大人って面倒だよね……まぁ、あっちは放っておいて、私たちはアトラクションを周ろうよ」

 

 虹夏さんのその宣言で、私たちはアトラクションを周ることになったのですが……その前に不安そうにしているひとりさんの元に近付いて、再び手を握りながら微笑みます。

 

「あっ、有紗ちゃん?」

「ひとりさん、大丈夫ですよ。いろいろ不安に感じる部分もあるとは思いますが、私も一緒ですからね」

「あっ、有紗ちゃんも一緒……たっ、確かにそれなら……」

 

 少し強めに手を握りつつ微笑みかけると、ひとりさんは俯いていた顔を上げて、はにかむ様に微笑んでくれました。私と一緒に居ることで、ひとりさんが少しでも精神的に楽になってくれているのなら、とても嬉しいです。

 

「せっかくの機会ですから、遊園地を楽しみましょうね」

「あっ、はい。そっ、その、実は……有紗ちゃんと遊園地に行けたらいいなぁって思ったこともありまして、緊張もありますけど、嬉しいって気持ちも大きいです」

「そうなんですね。実は私も、以前一緒にショッピングモールに行った際に横浜の話になった時に、観覧車を思い出しまして、ひとりさんと一緒に乗りたいなぁと思っていました」

「あっ、いっ、一緒ですね……えへへ、この遊園地にも観覧車がありましたし、後で一緒に乗りましょう」

「はい。楽しみですね」

 

 話をしているうちにひとりさんの気持ちも前向きになったのか、楽し気な笑顔を見せてくれ、私も釣られて笑顔になり笑い合いました。

 

「……そっかぁ、私たち、今日はこのバカップルと一緒に周るんだよね」

「……伊地知先輩、リョウ先輩、もうこのふたりは別行動にしませんか? 私、正直胸焼けに耐えられる自信がないです」

「……賛成……あと、このチュロス砂糖付け過ぎじゃない?」

 

 

 

 




時花有紗:大人組より大人な女子高生。光属性のせいか闇属性に効果が抜群過ぎた模様。なお、当然の権利のようにぼっちちゃんといちゃつく。

後藤ひとり:傍目に見てても有紗好きすぎだろと思うぐらいには、有紗への高い好感度が分かりやすい。前はメンバーの前で手を繋ぐのは恥ずかしがってたのに、最近は普通に繋ぐようになってるっぽい。

音戯アルト:PAさんの仮の姿? 本名? 漫画の描写を見る限りVtuber的なやつだと思われる。あとこの時のコマで部屋着が上下スウェットなのも判明したPAさんは可愛い。


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五十三手慰安の遊園地~sideB~

 

 

 大人組がビアガーデンに向かった後、結束バンドのメンバーと有紗は遊園地内のアトラクションを周っていた。テンションの高い喜多と虹夏が先導し、仲良さげな有紗とひとりが続く。リョウは若干面倒臭そうな表情を浮かべてはいたものの、遊びたいという思いはあるのか大人しく付いて移動していた。

 

「よ~し、まずは定番のお化け屋敷に行きましょう!」

「遊園地って感じするね~」

 

 最初のアトラクションはお化け屋敷に決め、5人で中に入る。人数制限などは無いみたいで、5人で入ることができた。

 リョウを中心に虹夏と喜多がくっつき、有紗とひとりは手を繋いで歩く。そして進行方向の井戸から、さっそくお化けが登場した。

 

「お皿……一枚足りない。私のおさ――ひっ!?」

「……」

「有紗ちゃん、待って、なんかものすごく怖いオーラ出てる」

「あ、申し訳ありません。アトラクションとは分かっていても、ひとりさんが怯えていたので反射的に……」

 

 そういうアトラクションだとは頭で理解してはいたのだが、愛しいひとりが怯えている様子を見て、有紗はつい反射的に怒りのオーラを放ってしまったらしく、バツの悪そうな顔で頭を下げた。

 その有紗の様子に、虹夏は苦笑を浮かべる。

 

「あはは、相変わらずぼっちちゃんは愛されてるねぇ……って、リョウ? なにしてんの? お化け苦手だったっけ?」

「……い、いや、お化けより怖いものが……不意打ちだったから、心臓潰れるかと思った」

 

 有紗の怒りにトラウマがあるリョウは、自分に向けられたものではないと分かっていても、反射的に頭を抱えて蹲っていた。

 なんとも微妙な空気ではあったが、そのまま改めてお化け屋敷内を進んでいく。

 

「ひとりさん、大丈夫です。私も一緒ですからね」

「あっ、有紗ちゃん……そっ、傍に居てくださいね」

「……虹夏、キツネみたいな顔してる」

「そりゃそういう顔にもなるよ。二組に分かれるべきだったか……」

 

 有紗の腕にしがみつくひとりに対し、有紗は安心させるように優しい声で話しかけ、それを聞いたひとりは少し安堵してか甘えた声を出す。なんというか、聞いているだけで信頼感の強さが伝わってくるというか……カップルのような雰囲気に、虹夏がなんとも言えない表情になるのも必然かもしれない。

 

 

****

 

 

 お化け屋敷を周り終えたあとは、続いて虹夏がアトラクションの希望を口にした。

 

「あ、次ジェットコースター乗りたい!」

「いいですね~!」

「いいね」

 

 虹夏の言葉に喜多とリョウも賛同するが、ひとりは顔を青ざめさせていた。

 

(いっ、嫌だ! 怖い! でっ、でも、この空気を壊してまで反論する勇気が……日本陰キャ協会調べで、絶叫アトラクションを拒む奴は、こいつノリわりーなと思われる人ランキング第14位! でっ、でも、怖いよぉ)

 

 ひとりは絶叫マシンの類は苦手であり、乗りたくないという気持ちが強いが、3人がノリノリの状態とあってはそこに割って入る勇気などあるはずもなく、青い表情で俯いていた。

 尤も、そんなひとりの様子を有紗が見逃すわけもないのだが……。

 

「申し訳ありません、皆さん。実は私、絶叫マシンが苦手でして……」

「え? そうなの? 有紗ちゃんにも苦手なものがあるんだね」

「ええ、なので、私は下で待たせてもらいますね。ただ、ひとりで待つのも寂しいので……ワガママを言って申し訳ないですが、ひとりさんも一緒に居てくれませんか?」

「え? あっ、はい!」

「ありがとうございます」

 

 有紗がそう告げたことで、ジェットコースターには喜多、虹夏、リョウの3人で向かうことになり、有紗とひとりは3人が戻ってくるまで待つことになった。

 3人を見送ったあとで、有紗は優し気に微笑みながらひとりに声をかける。

 

「並ぶ時間などもあるでしょうし、戻ってくるまでに少々時間がかかるでしょうから、なにかドリンクでも飲みましょうか?」

「あっ、はい……あっ、あの、有紗ちゃん」

「はい?」

「……あっ、ありがとうございました」

「なんのことでしょう? むしろ、私のワガママを聞いてもらった形なので、むしろこちらがありがとうというべきですよ」

 

 ひとりとて馬鹿ではない。有紗の性格はよく知っているし、先ほどの発言が嘘であるというのもすぐに分かった。間違いなく有紗は絶叫マシンが苦手というわけでは無い。ひとりがジェットコースターを嫌がっているが言い出せないのを察して、自分が苦手という形でひとりも乗らなくていいようにしてくれたのだ。

 その優しさに申し訳なさを感じつつも……どうしようもなく嬉しさも湧き上がってきており、ひとりは有紗と手を繋いで歩きながら頬を染め、どこか幸せそうに笑みを浮かべていた。

 

 出店でドリンクを購入して、ジェットコースターのアトラクション付近のベンチに並んで座りながら、3人の帰りを待つ。

 

「遊園地のドリンクは華やかですね」

「あっ、ですね。なんかお洒落な感じです」

「ひとりさん、よろしければこちらも一口飲んでみますか?」

「あっ、はい。じゃっ、じゃあ、一口ずつ交換しましょう」

 

 互いのドリンクを交換して一口ずつ飲んでから、なんとなくふたりで顔を見合わせて笑い合う。些細なことでも一緒だと楽しく、自然と笑顔になるのを互いに実感していた。

 

「あっ、有紗ちゃんって柑橘系が好きなんですか?」

「香りが好きですね。なので、こうしたドリンクなどでも、柑橘系を選びがちですね」

「あっ、確かに、柑橘系って有紗ちゃんのイメージです。よく、香水も柑橘系ですし……わっ、私も好きです」

「ひとりさんと同じものが好きなのは、嬉しいですね」

「えへへ……」

 

 ひとりが柑橘系の香りが好きなのは、有紗がよく好んでそういった香りの香水をつけているという要因が大きい。つまり、ひとりにとっては安心できる香りということでもあるのだろう。

 少しだけ照れ臭そうに笑うひとりを、有紗は微笑まし気な表情で見つめていた。するとそのタイミングで、どこか呆れたような声が聞こえてきた。

 

「お~い、そこのバカップル……戻ったよ~」

「かっ、カップルとかそういうのじゃないですから!? って、あっ、あれ? リョウさん?」

「……リョウさんは、どうかしたんですか?」

 

 虹夏の声にひとりが慌てて反論して振り返り、有紗も同時に振り向いてふたりで首を傾げた。視線の先にはジェットコースターから戻って来た3人が居たのだが、その内でリョウは虹夏に肩を借りており、どこか満身創痍に見えた。

 

「……腰が抜けたんだってさ。リョウって、こう見えて結構ビビりなんだよ」

「ふっ……ほら、私にもひとつぐらい欠点が無いと完璧すぎるから」

「よく今の情けない姿でそんなこと言えるよね……もう一回乗るか?」

「あ、止めて、死ぬ」

 

 

****

 

 

 ジェットコースターの後も遊園地内のアトラクションを周っていく、次に訪れたのはアシカショーだった。

 

「ここでアシカショーもやってるんですよ」

「へぇ、珍しいね。わ~凄い、あんなこともできるんだね」

 

 芸をするアシカを見て、虹夏と喜多が楽しそうに声を上げひとりも感心したような表情を浮かべた。

 

「あっ、バランス感覚凄いですね」

「ボールを乗せたりと頭がよくて可愛らしいですね」

「……あっ、わっ、私もボール乗せるぐらい、でっ、できます」

「ふふ、ひとりさんはボールなんて乗せなくても、いつでも可愛いですよ」

 

 褒められるアシカに若干の対抗意識を燃やしていたひとりだったが、すぐに有紗が微笑みながら頭を撫でたことで気恥ずかしさが勝ったのか、顔を赤くしていた。

 もちろん、喜多や虹夏が「また始まったぞコイツら」という具合にチベットスナギツネのような顔をしていたのは言うまでもない。

 

 アシカショーを堪能したあとで次のアトラクションに向けて移動していると、射的や輪投げのあるエリア通りがかった。

 

「あ、見てください。射的や輪投げがありますよ!」

「お~縁日みたいだね。せっかくだしちょっとやってく?」

「ふっ、ガキどもめ……私はダーツを」

 

 せっかくなので立ち寄って遊んでいくことになり、ワイワイと射的や輪投げ、ダーツで遊ぶ。流れで射的をやることになったひとりは若干戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「あっ、あれ? これ、どうすれば?」

「ああ、この射的は景品の手前にある目標についた印に光を当てると景品が獲得できるんですよ」

「あっ、なっ、なるほど……こんな感じで……ぜっ、全然当たらない」

「もう少し、こうして腕を真っ直ぐに……」

「あひゃっ!? あっ、有紗ちゃん、ちょっ、ちょっと待ってください……かか、顔が近くて……」

 

 射的に苦戦していたひとりを有紗が補助する形になったが、構え方を指導する関係上どうしても密着することになる。

 ある程度の密着は慣れているひとりでも、こうしてすぐ近くに有紗の極めて整った顔があると慌ててしまう。まぁ、例によって有紗は気にした様子もなく、むしろ役得とばかりにひとりの腰に手を添えて笑顔でサポートしていたのだが……。

 

「……なっ、なんか、景品は取れましたけど、変に疲れた気分です」

「私としてはもうちょっと密着していたい気もあるので、もう一度やりませんか?」

「やっ、やりません! あっ、いっ、いや、まぁ……有紗ちゃんがどうしてもというなら……ぜっ、絶対にダメとは言いませんけど……」

 

 

****

 

 

 ある程度遊んでお昼時となったことで、5人はパンフレットを見ながら昼食の相談をしていた。

 

「あ、ここにしよう。とんこつラーメン」

「駄目です! せっかく来たんですから、もっとお洒落なカフェにしましょうよ!」

「へ~バーベキューのお店とかもあるんだ。まぁ、どこで食べるかは喜多ちゃんが決めていいよ~」

 

 こういった場面で一番こだわりを見せるのは喜多であり、リョウのラーメンという意見を即効却下してパンフレットと睨めっこしていた。

 その様子を見て苦笑しつつ虹夏が喜多に選択権を与えたのだが……。

 

「……映えを考えるならここが……ああ、でも、このカフェはスイーツが可愛いし……あっ、こっちは近くに有名なクレープ店が……」

「……これ決まりそうにないパターンだ。やっぱ有紗ちゃんが決めて」

「無難にレストランにしましょう。喜多さん、クレープ店はあとで寄りましょう」

 

 ああでもないこうでもないと悩みだした喜多を見て、決定まで非常に長い時間がかかると見越した虹夏は選択権を有紗に振った。

 決断力も高い有紗によって昼食はレストランに決まって、全員で移動を開始した。

 

「あっ、有紗ちゃんはなにを食べますか?」

「メニューを見てからでないとなんとも言えませんが、パスタがあればそれを選ぶかもしれませんね」

「わっ、私はハンバーグとかあれば……あっ、べっ、別の頼んで味見とかしましょうね」

「はい。楽しみですね」

「えへへ、わっ、私もです」

「……僅かな隙でもあると、すぐにいちゃつくなこのふたり……」

 

 手を繋いでにこやかに話す有紗とひとりを見て、虹夏がなんとも言えない表情で呟いた。

 

 

 

 




時花有紗:相変わらず気遣いもできる良妻。傍目にはひとりといちゃつきまくってるように見えるが、割とこのふたりにとってこの距離感はいつも通りだったりする。虹夏ちゃんは何度もチベスナ顔していた。

後藤ひとり:隙あらばいちゃつくのは相変わらず。有紗が居るおかげか、原作のように「来世はアシカになりたい」とか祈ることは無かった。ただ、ちょっと対抗心は燃やしていた。



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五十四手進出のデモ審査結果発表

 

 

 よみ瓜ランドのレストランで食事をしたあとは、再び様々なアトラクションを皆さんと回りました。定番のコーヒーカップやメリーゴーランドなどもあれば、インスタント食品とコラボしたアトラクションといった少し変わったものもあり、時間を忘れて楽しむことができました。

 そうして、気付けば空は茜色に染まってきており、そろそろ夕方といっていい時間になっていました。

 

「そろそろ暗くなってくるね~」

「あっ、じゃあ、そろそろ観覧車に乗りませんか? 夕日が綺麗ですよ」

 

 虹夏さんの言葉に喜多さんが笑顔で提案し、私たちも特に異論は無かったので観覧車の場所へ移動しました。しかし、ここで問題がひとつ……観覧車はひとつのゴンドラの制限人数が4人までとなっており、私たち5人が全員同じゴンドラに乗ることはできません。

 人数を分ける必要があったのですが、ほぼ即決で虹夏さん、喜多さん、リョウさんの3人と、私とひとりさんという形で別れてゴンドラに乗ることになりました。

 

「……私としては嬉しいので異論はありませんが、かなりの即決でしたね」

「……有紗ちゃん、私たちはもう結構胸焼け気味なんだよ。冗談じゃなく、本当にこの割り振りで別行動するべきだったとすら思ってるからね」

「……本当に、隙あらばって感じでしたよねぇ」

 

 虹夏さんと喜多さんの言葉に、リョウさんも同意するように頷いていましたが、いまいちピンとこない私とひとりさんは顔を見合わせて首を傾げました。

 まぁ、なんであれひとりさんとふたりで観覧車に乗れるというのはとても素敵ですし、深くは考えないことにしましょう。

 

 そして、決めた通りのメンバーでゴンドラに乗り込み、私はひとりさんの隣に座りました。

 

「……え? あっ、あれ? こっ、このタイプのゴンドラで2人で乗るなら、向かい合わせの形になるのでは?」

「特に決まりがあるわけではありませんよ。あと、私がひとりさんの横に座りたかったので!」

「なっ、なるほど? あっ、でっ、でも、私も有紗ちゃんと観覧車に乗れて嬉しいです」

 

 そう言ってはにかむ様に笑うひとりさんに私も笑みを返し、ふたりでゴンドラから見える美しい景色を堪能します。

 

「夕日に照らされた園内は綺麗ですね」

「あっ、遠くにスカイツリーも見えますね。けっ、けど、少し物寂しさもありますね。なっ、なんというか楽しかった時間が終わっちゃう感じで……」

「その気持ちはとてもよく分かります。でも、そう思えるのはきっと幸せなことですよね。名残惜しいと思うほど、今日という一日が楽しかった証拠ですし」

「あっ、そっ、そうですね……確かに凄く楽しかったです」

 

 本当にあっという間に過ぎたという感覚でしたし、また来たいという思いもあります。機会があればまたひとりさんと遊園地に行きたいものですね。千葉の有名なテーマパークなどにも行ってみたいですし、たくさんやりたいと思えることがあるのは本当に幸せです。

 

「まっ、また、有紗ちゃんとこうして遊園地に来たいです」

「私も丁度そう思っていたところです。千葉の有名なテーマパークなどにも行ってみたいですね」

「あっ、あの、伝説の陽キャの聖地に……あっ、でっ、でも、有紗ちゃんと一緒なら……楽しそう」

「是非、一緒に行きましょう」

「あっ、はい」

 

 ひとりさんと手と繋いで夕日に照らされる光景を眺め、時々顔を見合わせて微笑み合うというのは、本当に素晴らしく幸福な時間です。

 惜しむらくは観覧車が一回りするまでという時間の制限があることでしょう。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、気付いた時にはもうゴンドラは一周して元の場所に戻ろうとしていました。少し名残惜しさを感じつつもひとりさんと一緒に居り、先に降りていた虹夏さんたちと合流します。

 

「これで一通りアトラクションは回ったね~」

「ですね……あ? そういえば、伊地知先輩、連絡来ました? もう1日が終わっちゃいますけど……」

「いや、まだ……」

「あ、そうですか……」

 

 そういえば今日は未確認ライオットのデモ審査の結果発表がある日です。まだ連絡が届いていないという事実に、皆さんの表情が曇ります。

 デモの出来に自信はあるのでしょうが、それでも不安がぬぐい切れないというのは致し方ないことですね。

 

「……おそらくですが、メール形式での結果発表なので落選の場合でも連絡は来るはずなので、メールが届かないから落選というわけではありませんよ。デモ審査の対象もそれなりでしょうし、単純に遅れているだけでしょう」

「そっ、そうです。きっ、きっと大丈夫ですよ!」

 

 私と同じく皆さんを励まそうとひとりさんが声を上げたタイミングで、虹夏さんのスマートフォンから音が聞こえてきました。

 

「あっ、メール来た!?」

 

 どうやら噂をすればというべきか、選考結果のメールが届いたみたいでした。私も含めて全員が虹夏さんのスマートフォンを覗き込むような位置に移動して、結果を確認します。

 

「……厳正なる審査の結果。デモ審査を……通過となりました!」

 

 そう、それは紛うことなきデモ審査通過の連絡であり、これでネット投票に進むことができます。本当によかったです。9割方大丈夫だろうとは思っていましたが、それでももしかしたらという思いは私にもありましたし、こうして結果が分かった際の安堵はとても大きいです。

 そう思っていると、隣に居たひとりさんが感極まった様子で私に抱き着いて来ました。

 

「あっ、有紗ちゃん! 私たち……」

「ええ、本当におめでとうございます」

「……」

「ひとりさん?」

 

 嬉しそうなひとりさんに祝福の言葉を告げると、ひとりさんは少し考えるような表情を浮かべて沈黙し、私の目を真っ直ぐに見つめながら口を開きました。

 

「……おめでとうじゃ、ないです。楽器を持ってステージに立たなくても、有紗ちゃんも仲間で、だから……」

「……そうですね。申し訳ありません。少し他人行儀でした……やりましたね。これで、第一関門は突破です」

「はい!」

 

 ひとりさんの言う通り、おめでとうというのは他人行儀でした。私も結束バンドの一員として、当事者なのですから、一緒に喜ぶ権利もありますね。

 ひとりさんも私が考えを改めたことはすぐに察したのか、嬉しそうな笑顔を浮かべて強く抱き着いてきたので、抱き返しつつ私も笑顔を浮かべます。

 

 もちろんまだデモ審査を通過しただけなので本番はこれからですか、今日はひとまず第一関門を突破した喜びを満喫することにしましょう。

 

 

****

 

 

 一夜明けて翌日。私たちはSTARRYに集合して次のネット審査に関しての話し合いを行っていました。この手の話し合いで進行を私が行うのはもう定番なので、ホワイトボードに書き込みながら話をします。

 

「念のために確認しますが、ネット審査はデモ通過100組を対象として行われ、公式のHPにて音源と映像を公開し、期間内の投票によって上位30組が本戦であるライブステージに進むことができるという形式ですね」

「出来るだけいろんな人にお願いして、投票してもらって……目指せ1位通過だね!」

 

 私の言葉を聞いて、虹夏さんが明るい笑顔で告げます。現在は昨日のデモ審査通過の喜びのままで非常に前向きになっているのはいいことですが、思い通りの結果にならなかった際の落差も大きいのでここで釘を刺しておくことにします。

 

「……いえ、厳しい言い方ですが、最初にハッキリ言っておきますと……結束バンドがネット投票を1位通過するのは、ほぼ不可能です」

「……あっ、え? そっ、そうなんですか?」

「ええ、発表された100組の知名度を一通り確認したのですが、SIDEROSを含めた上位5組は頭ひとつ抜けています。もうすでに日頃からワンマンライブをこなしているレベルなので、実際に演奏して優劣を決めるライブステージはともかく、人気勝負のネット審査ではこの5組を越えるのは現実的ではありません。他は似たり寄ったりという感じなので、結束バンドのネット審査の最高順位は6位と思っておいてください」

「たしかに、知名度は着実に上がってるけど活動歴が長いバンドには知名度では及ばないか……」

 

 私の説明を聞き、リョウさんも納得した様子で頷いてくれました。もちろん、決して結束バンドが他のバンドに劣っているかと言われればそうではありません。仮にもう1年後なら、ネット審査でもトップ通過を狙えるだけの知名度は獲得していた可能性は十分あります。

 しかし、残念ながら現時点ではまだ上位層には届きません。

 

「ここで重要なのが中間発表です。ネット投票は5月中旬開始で、期間は2週間……1週間経過時点で、中間順位が発表されます……ここで10位以内に入れば、ネット審査通過はほぼ確実と思っていいでしょう」

「有紗ちゃん、10位ってのは、なにか根拠があるの?」

「中間結果は一般にも公表されます。その際にトップ10に入っているバンドに関しては、音源を聞いてくれる方も多く、更なる票数の増加が見込めますね。全100組の音源を全て聞くのは、よっぽど熱心なロックファンぐらいでしょうし、大多数を占めるリスナーは全てを聞くことはしません。ではどこで区切るのかというと、トップ10で区切る可能性が高いですね」

 

 どれほどいい曲を作っていたとしても、そもそも聞いてもらえなければ勝負の土俵には立てません。1曲の時間を平均で4分前後と考えても、上位10組を聞くのは1時間以内に聞くことができますが、これを20組や30組になると1時間以上の時間がかかり、精神的に手を出し辛くなってきます。

 逆にトップ10入りをしていながら知らないバンドがあれば、興味を持って聞いてくれる方は多いでしょう。私の予想では上位10組は中間からさらに票数を伸ばし、11位~30位はそれほど大きな差がつかない接戦になると予想しています。

 

「……とはいえ、やることが変わるわけではありません。知り合いなどに声をかけ、出来るだけ投票を呼び掛けるという方針で大丈夫です。いちおうサンプルとして無料配布できるデモCDも用意したので、宣伝などに利用してください……全員で、ネット審査通過を目指して頑張りましょう」

「お~! ……このリーダー感よ。虹夏、どう思う?」

「ふっ……もうね、その辺は諦めた。よし、頑張ろ~!」

 

 こうして、デモ審査を突破した結束バンドは新たにネット審査に向けてスタートしました。とはいえ、ネット審査の開始まではまだ時間があるので、しばらくは準備期間でしょうが……。

 

 

 

 




時花有紗:例によってぼちっちゃんといちゃつくのはもちろん、結束バンドのマネージャーみたいな立ち位置。最近は作戦会議などで取り仕切るのにも慣れた模様。

後藤ひとり:やはり要所要所で原作より精神面で安定しているところが出ており、今回も不安がる皆に声をかけれるぐらいにはなっていた。

未確認ライオット:たぶん元ネタは閃光ライオット+未確認フェスティバルだと思うので、ネット投票5月中旬、ライブ審査7月中旬、ファイナルステージ8月末ぐらいでイメージ。原作ではネット審査はギリギリ通過ではあったが、いまは有紗の見立てでトップ10を狙える位置にはいるっぽい。


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五十五手美装のゴールデンウィーク~sideA~

祝・100話到達


 

 

 未確定ライオットのネット審査に向けての活動はとても重要です。特にネット審査は実力よりも人気や知名度が大きく影響するので、宣伝などは非常に重要でしょうし活動には力を入れるべきです。

 しかし、かといって根ばかりつめていても駄目です。適度に体と心を休める必要があります。

 

 そして、ここで重要なのは間もなくゴールデンウィークであるということです。大型連休、ひとりさんと過ごさない理由などありませんし、もちろんひとりさんの家にはお邪魔するのですが、それだけというのも勿体ない気がします。

 せっかくのゴールデンウィークなので、ひとりさんとどこかに出かけたいという思いはあるのですが……問題もいくつかあります。

 

 まず、ゴールデンウィークは人が多く観光地などはかなりの混雑が予想されます。ひとりさんはそういった人の多い場所が苦手ですし、気疲れする場所に連れていくつもりもありません。

 そして、もうひとつ年末の時と違って予め計画していたわけでもないので、いまから旅行などに行くのは難しいでしょうし、そもそもひとりさんもバンドの練習やアルバイトがあるので遊ぶことができる日は限られます。

 

「……というわけで、なんとかこの大型連休を活かして、ひとりさんとデートがしたいのですが、いかがでしょうか?」

「あっ、そっ、それを、真っ先に私に直接聞きに来る辺りが、最高に有紗ちゃんらしいです。あっ、えっと……私は、有紗ちゃんが出かけたいなら、大丈夫ですが……あっ、あんまり人が多い場所でなければ……」

「なるほど、ちなみにひとりさんはどこか行きたい場所などはありますか?」

 

 とりあえず悩み続けるよりも行動するのが私なので、ひとりさんに直接尋ねにきました。ひとりさんは、私の願いを快く受け入れてくれて、アルバイトなどが無い日であれば出かけるの自体は構わないそうです。

 ひとりさんの優しさに感謝しつつ、ひとりさんにも希望などが無いかを尋ねてみると、ひとりさんは少し考えたあとでなにかを思いついたような表情を浮かべました。

 

「……あっ、そっ、そういえば、パジャマを買いたいと思ってました」

「パジャマですか?」

「あっ、はい。いま着てるのが古くなったので、新しいのを買おうかと……」

「ふむ……それでは、範囲を広げて服を中心にショッピングに行くというのはいかがでしょうか? 大型のモールなどを避ければ、そこまで人が多いというわけでもないでしょうし……」

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 提案したあとで思い至りましたが、これは大変に素晴らしい展開ではないでしょうか? なにせ、服を買いに行くということは……買う買わないは別にしても試着というのは付いて回るものです。つまり、普段とは違う恰好をしたひとりさんを見ることができるという、非常に幸せな要素です。

 

 

****

 

 

 日程などを相談して、ひとりさんと共に服を中心としたウィンドウショッピングにやってきました。やはりゴールデンウィークというだけあってそれなりに人はいますが、渋谷や原宿といった混み合う場所は避けたのでかなりマシといえます。

 ひとりさんと手を繋いで歩きつつ、最初はパジャマなどを置いている店に向かうことにしました。メインの目的はひとりさんの新しいパジャマを買うことなわけですしね。

 

「この店は寝間着の専門店なので、いろいろなものがあると思いますよ」

「おっ、おしゃれなお店ですね。ぜっ、絶対ひとりじゃ来れないやつです。あっ、あと、なんか、高そうな感じも……」

「ものによっては高いものもありますが、幅広い客層に対応しているので、安いものも多いですよ」

「なっ、なるほど……」

 

 ひとりさんと一緒に店内に入るとシンプルなパジャマから、変わり種のものまで非常に多くのパジャマがあり見た目にも華やかな感じでした。

 

「う~ん。せっかく来たんですから、私も新しいパジャマを買うのもいいかもしれませんね」

「あっ、いいと思います。一緒に選びましょう」

 

 どこか嬉しそうな様子のひとりさんと微笑み合って、順番にパジャマを見ていきました。すると何かピンとくるものがあったのか、ひとりさんが手を伸ばして1着のパジャマを手に取りました。

 それは、なんというか怪獣をイメージしたようなフード付きのパジャマで、いわゆる変わり種のものでした。

 

「あっ、こんなのもあるんですね。私の心の中の承認欲求モンスターのイメージにそっくり……」

「これを着こなすのは難しそうではありますが……興味があるなら試着してみてはいかがですか?」

「うっ、う~ん……まっ、まぁ、試着だけなら……」

 

 なかなか着こなすのが難しいデザインではありましたが、可愛らしくもあるという印象でした。例えばフード部分だけを外せば普通に可愛らしいパジャマですし……。

 ひとりさんも興味があったのか、試着してみることに決めたみたいでふたりで試着室に移動しました。そして試着室に入ったひとりさんを待っていると、少ししてパジャマを着たひとりさんが出てきました。

 フードもしっかりと被っており、少し気恥ずかし気な印象でしたが緑を基調とした色合いは、ひとりさんに似合っている感じでとても可愛らしいです。

 

「……がっ、がおー……なんちゃって」

「ふぐぅっ!」

「あっ、有紗ちゃん!?」

 

 なな、なんという可愛らしさですか……思わず膝から頽れそうになりました。はにかむ様に微笑みながら怪獣の真似をするひとりさんの愛らしさときたら、いますぐにでも全力で抱きしめたいほどです。

 

「わひゃっ!? あっ、有紗ちゃん!? なっ、なな、なんでいきなり抱きしめ……」

「……我慢しようと考える前に行動に移していました。仕方ありませんね。これほど愛らしいひとりさんを前にして、冷静さを保っている方が失礼というものです」

「堂々としてる……あっ、あまりにも堂々としてて、逆に正しい行動みたいに思えてくるので不思議です……あっ、えっ、えっと、そんなに似合ってますか?」

「人類の限界を越えてるほど可愛いです」

「いっ、言い過ぎです!?」

 

 よく見ると後ろ部分に尻尾のような飾りもあって、なかなかに凝った造りになっていますね。着脱可能になっている感じなので、寝る際に邪魔にならないようにという感じでしょうね。

 なんにせよ変わり種ともいえるパジャマをここまで可愛らしく着こなせるのは、流石ひとりさんというべきでしょうね。最高に可愛いです。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? ところで、私はいつまで抱きしめられているんでしょうか……」

「私はこのままずっと抱きしめていたいのですが、流石にそういうわけにも行きませんね」

「あっ、けっ、けど、そんなに気に入ってくれたんなら……このパジャマを買いますね。きっ、着心地もいいですし」

「色合い的にもひとりさんの髪の色がアクセントになっていて、バランスがいいですね。普段ひとりさんが着ているジャージに近い形状のパジャマなので、着やすさもあるかと思います」

 

 実際可愛らしさ云々を抜きにしても、部屋着としても十分使えるデザインですし悪くはないと思います。値段は安めですが、生地などはしっかりしており品質は高いように思えました。

 結局ひとりさんはそのパジャマを買うことに決めたみたいで、その後は私のパジャマ選びに付き合ってくださいました。

 私が現在着用している寝間着は、ワンピース風……いわゆるネグリジェタイプのものなので、普段とは違ったパジャマタイプのものは少し新鮮でした。これから温かくなってくることも考えて七分袖タイプのものを選んで試着してみました。

 

「……どうですか?」

「…………」

「ひとりさん?」

「あっ、すっ、すす、すみません! みっ、見惚れてました……有紗ちゃんはなに着ても信じられないほどに可愛いですけど、そっ、そのパジャマも凄くよく似合ってます」

「ふふ、ありがとうございます。ひとりさんにそう言ってもらえると嬉しいです」

「あぅ、あぅ……えっ、笑顔が眩しい……」

 

 せっかくひとりさんが褒めてくれたので、このパジャマを買うことにしましょう。そしてまた今度ひとりさんがウチに泊りに来てくれたりした際に、互いに今日購入したパジャマを着ることが出来たら素敵です。

 そんなことを考えつつ、元の服に着替えなおしてから、ひとりさんと手と繋いでレジに向かいました。

 

 

****

 

 

 パジャマを買い終えたことで、一番メインとなる目的は達成しました。これからは特に目的は無く目に付いた店に入っていくような形となりますね。

 ただ、ひとりさんは家からこちらまで出てきて、すぐにパジャマを買いに行った状態で疲れているかもしれないので、どこかで休憩するのもいいかもしれません。

 そんなことを考えていると、一件のカフェが目に留まりました。

 

「ひとりさん、ここのカフェでパンケーキフェアをやってるみたいなので、休憩を兼ねて寄っていきませんか?」

「あっ、はい。そういえば、少し喉も渇きましたし……そっ、それにしても、カフェもお洒落……よっ、陽キャオーラが凄い店ですね」

「確かに喜多さんが好きそうな、お洒落な雰囲気ですね」

「あっ、分かります。たっ、確かに喜多ちゃんが好きそうなイメージです。リンゴのパンケーキとかも映えそうですし」

 

 店の看板にはりんごを使ったオリジナルパンケーキの写真が貼られていて、ひとりさんの言う通りかなりお洒落で可愛らしいデザインになっています。

 通常のパンケーキだけでなくスフレパンケーキなどもあるみたいですし、美味しそうです。

 

「あっ、有紗ちゃん。パンケーキとスフレって……何が違うんですか?」

「主に材料が違いますね。パンケーキは小麦粉に卵、牛乳、砂糖、ベーキングパウダーなどを用いてフライパンで両面を焼くもので、パンケーキのパンというのも平鍋を指す言葉ですからね。対してスフレはフランス語で『膨らんだ』という意味があり、メレンゲに材料を混ぜてオーブンなどで膨らませたものを指します」

「なっ、なるほど」

「ちなみにスフレパンケーキというのは、スフレの材料を使ってパンケーキのようにフライパンで焼いたものですね」

「へぇ……さすが、有紗ちゃん。教えてくれて、ありがとうございます」

 

 そう言って嬉しそうに微笑むひとりさんに、私も笑顔を返してから一緒に店内に入りました。

 

 

 

 




時花有紗:相変わらずの猛将。行動力の鬼……例によって可愛いぼっちちゃんが弱点であり、今回も相当冷静さを欠いていた。最近ではひとりと出かける時はいつも手を繋いでいるので……もうカップルでは?

後藤ひとり:有紗が行きたいのであれば、ゴールデンウィークの外出も二つ返事で了承する激高好感度。ぼっちちゃんの怪獣パジャマが気になる場合は「ぼっち・ざ・ろっく パジャマ」で検索すると限定ポップアップストアの書下ろしイラストで見れます。ゴールデンウィークにデートして、ショッピングで服を買って、途中でお洒落なカフェでパンケーキを食べる……ぼっち、お前もう陰キャやめろ。


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五十五手美装のゴールデンウィーク~sideB~

 

 

 カフェにて休憩と軽食を済ませたあとで、有紗とひとりは再びウィンドウショッピングを再開する。基本的に目的があるわけでは無く、また対象を服に限定していたりするわけでもないので、道中の店を眺めながら楽し気に言葉を交わす。

 

「……あっ、CDショップ」

「最近は数が減ってきましたね。時代の流れといえば、それまでですが、音楽を聞くのもサブスクや動画サイトが中心になりつつありますしね」

「でっ、ですね。実際私も、CDで聞くよりサブスクとかで聞きますね。あっ、そういえば、動画といえば新宿FOLTがオーチューブにアカウント作って動画配信してましたね」

「ええ、かなり順調なようですね」

 

 ふたりが話題に上げたのは、最近登録者数が伸びているオーチューブチャンネルのひとつで、彼女たちにとっても知り合いであるFOLTの関係者たちに関してだった。

 そもそも最初はヨヨコが自身のオーチューブチャンネルとしてオープンしたものだったのだが、現在では主にSIDEROSメンバー……さらにきくりや銀次郎も参加しており、ほぼ新宿FOLTの公式チャンネルと認識されていた。

 

「あっ、喜多ちゃんも大槻さんの歌ってみた動画が参考になるって言ってました。いっ、いろいろなジャンルを歌ってるみたいで、同じボーカルとして歌い方の勉強になるとか……」

「ヨヨコさんはカラオケが趣味のようですし、流行りの曲などもかなり練習しているのでしょうね。実際歌唱力や技術は現状の喜多さんより格上ですし、喜多さんにとっては学べる部分が多いのでしょうね……上手く行ったようでよかったです?」

「うっ、うん? どういうことですか?」

「ああいえ、実は以前……というかほんの2週間前ぐらいに、ヨヨコさんから相談を受けたんですよ」

 

 ひとりの問いかけに対して、有紗は当時を思い出すように話し始めた。

 

 

****

 

 

 4月中旬のことだった。自宅で髪の手入れをしていた有紗だったが、テーブルの上のスマートフォンが着信を知らせたために手を止めてスマートフォンを確認した。

 すると画面には「大槻ヨヨコ」と表示されており、なんとも珍しい相手からの着信に首を傾げつつ電話に出た。

 

「はい。もしもし?」

『そ、その……急に悪いわね。あ、えっと、大槻よ』

「こんばんは、ヨヨコさん。手は空いていましたので、大丈夫ですよ……それで、本日はどうされたんですか?」

『まぁ、大した用件じゃないわ……ああ、新しいMV見たわよ。なかなかね』

「ありがとうございます」

 

 ヨヨコが口にしたのは、最近追加で撮影した結束バンドのオリジナル曲のMVであり、グルーミーグッドバイに続いて撮影したギターと孤独と蒼い惑星のMVのことである。

 前回の物とは雰囲気を変えてカッコよく魅せることを意識したMVは、結束バンド全体の演奏レベルの上昇もあってかなり順調な伸びを見せていた。

 実際ヨヨコもそのMVを見て「まぁ、私のライバルを名乗るならこのぐらいはしてもらわないとね」と、なんとも彼女らしい素直ではない賞賛を口にしていた。

 ただ、今回の電話の用件がそれかと言われれば……そういうわけでは無かった。ヨヨコは少し悩むように沈黙したあとで、告げる。

 

『……その……なにかその……アイディアとか、ないかしら?』

「アイディア? なんのアイディアでしょうか?」

『……いや、バンドとして活動していくうえで動画サイトの宣伝効果は侮れないわ。当然私もそこを疎かにするつもりは無いし、最近は少々時間もあったから手を出してみたのよ。け、けど、再生数が伸びな……いえ、私も沢山アイディアはあるけど、客観的な意見も聞いてみたいと思って貴女に連絡したのよ』

「……ふむ」

 

 極めて回りくどく分かり辛い言い方ではあったが、有紗はほぼ正確にヨヨコの言いたいこと……言い辛いことを察して思考を巡らせる。

 

(つまりは、動画サイトにチャンネルを作ったけど思うように再生数が伸びないので助言が欲しいという感じでしょうか? おそらくプライドが邪魔をして他のSIDEROSメンバーには聞きづらいのでしょうね)

 

 回りくどいヨヨコの要望を察した有紗は軽く苦笑を浮かべつつ、要望通りのアドバイスを行う。

 

「そうですね。あくまで私の考えではありますが、ここは奇をてらうより堅実なものがいいかと思います。まったくの無名でのスタートなら別ですが、SIDEROSの大槻ヨヨコとしてチャンネルを開いたのであれば、必然的に見に来てくれる方はSIDEROSやヨヨコさんのファンが多くなるでしょう。そういった方たちは、普段とは違った皆さんの様子を見たいはずです」

『ぐ、具体的には?』

「そうですね。歌ってみたなどはいかがでしょうか? ヨヨコさんはカラオケが趣味と伺いましたし、普段のSIDEROSの曲とは違ったジャンルの曲を歌ってみるという感じですね。準備もほぼ必要ありませんし、普段とは違った雰囲気のヨヨコさんの歌を聞ければファンは喜ぶと思いますよ」

『な、なるほど……確かにそれなら私でも……』

「ただ、もちろん著作権があるので事前に音楽著作権管理事業者に使用申請を行う必要があります。一部の動画サイトであれば包括利用許諾契約を結んでいる場合もありますので、サイトによっては音楽著作権管理事業者ではなくサイト運営者に、インタラクティブ配信の許諾手続きを行う必要がある場合もあります……その辺りは、よろしければ簡単にまとめてロインで送りましょうか?」

『お願いするわ……その……あ、ありが……ありがとう』

「いえ、助けになれたのなら私も嬉しいですよ」

 

 そう言ったやりとりがあり、有紗が歌ってみた動画を投稿するにあたっての注意などをまとめたロインを送り、それを参考にヨヨコは歌ってみた動画を投稿するようになった。

 元々ヨヨコの実力は非常に高く、歌ってみた動画は順調に再生数を稼ぐこととなり……後日ヨヨコから有紗宛ての菓子折りが大量に届き、有紗は苦笑しつつ結束バンドのメンバーやSTARRYのスタッフにお裾分けをしていた。

 

 

****

 

 

 有紗の説明を聞き終えたひとりは、納得しような表情で頷いた。

 

「あっ、この前有紗ちゃんがひとりじゃ食べ切れないからって持って来た菓子は、大槻さんからだったんですね」

「ええ、無難なアドバイスしかできませんでしたが、上手く行ったようでよかったです」

「あっ、有紗ちゃんは頼りになりますからね。わっ、私もいつも助けてもらってますし……」

「ふふ、もっといっぱい頼ってくれてもいいんですよ?」

「あっ、あんまり、やり過ぎると、有紗ちゃんが居ないと駄目になりそうな……」

「私としては、将来に渡ってひとりさんとずっと一緒に居るつもりなので、駄目になっても大丈夫ですよ」

「もっ、もぅ、またそうやって恥ずかしいことを平然と……」

 

 相変わらずのストレートな愛情表現にひとりはどこか呆れたように呟いてはいたが……口元には小さく笑みが浮かんでおり、どうも喜色を隠せてはいなかった。

 ふたりは楽しく話しながらショッピングを続け、続いては服を取り扱う店にやって来た。

 

「ひとりさんの好みですと、パンツスタイルの服の方がよさそうですね」

「あっ、そうですね……あれ? いつの間にか、私の服を買う流れに?」

「ああ、いえ、購入する必要はないのですが……ひとりさんが試着する姿は見たいですね」

「すっ、凄くストレートに欲望を……まっ、まぁ、試着するぐらいなら……」

 

 気恥ずかしさはあったが、有紗が喜んでいるというのはひとりにとって大きな要因であり、有紗が望むのであれば試着するぐらいならという気持ちがあった。

 ひとりの了承の言葉を受けたことで、有紗は嬉しそうな表情を浮かべてひとりに似合いそうな服を選んでいく。もちろんひとりの好みを考え、可愛いよりはカッコいい雰囲気の服を選ぶ。

 

「皮のジャケットもいいですが、これからの時期ですと暑いので薄手の上着で……こんな組み合わせはいかがですか?」

「あっ、かっ、カッコいいですね。バンドマンっぽいというか……ちょっと着てみたいです。試着してみますね」

「はい」

 

 有紗が選んだ服を持って試着室に入り、少しして薄手のジーンズに白色のシャツ、黒色の上着を着たひとりが出てくると有紗は目を輝かせた。

 

「とても素敵ですよ、ひとりさん。可愛らしい服も似合いますが、そういったカッコいい服も似合いますね」

「えへへ、そうですか? でっ、でも、この服は結構好きなデザインです。あっ、有紗ちゃんも、こういう感じの服は似合いそうですね」

「そうでしょうか? でしたら、せっかくですし似た服を試着してみましょうか」

 

 有紗に褒められたことで照れつつも嬉しそうな表情を浮かべたひとりだったが、直後に有紗も同じ格好をと提案をしてみた。

 その言葉に有紗が頷き、似た組み合わせの服を持って来て試着をしてみると、その姿を見たひとりはどこか感動したような表情を浮かべた。

 

「あっ、有紗ちゃんはそういうカッコいい服も似合いますね」

「ありがとうございます。似た組み合わせを選んだこともあって、ひとりさんの服装とよく似ている感じですね」

「あっ、そっ、そうですね。お揃いですね……えへへ」

 

 図らずもペアルックのような形になったことを微笑みながら口にするひとりを見て、有紗も楽しそうに笑顔を浮かべた。

 結局ふたりともその服が気に入ったため購入することに決めた。あるいは、ペアルックという言葉が互いに決め手になったのかもしれない。

 

「こっ、この格好で楽器を演奏すると合いそうですね」

「確かにロックバンドらしい恰好と言えばそうかもしれませんね。ひとりさんさえよければ、今度一緒にこの服を着てセッションしてみますか?」

「あっ、しっ、したいです! 有紗ちゃんとのセッションは凄く好きですし、たっ、楽しみです!」

「そんな風に喜んでもらえると私も嬉しいです。まぁ、一先ず今日に関しては、買い物の続きを楽しみましょう」

「あっ、はい。そうですね……次はどこに行きましょうか?」

「それでしたら、小物などの店が多い向こうの通りに……」

 

 買い物袋を持って、空いた手を繋いで歩くふたりの姿は非常に仲睦まじく、幸せそうな笑顔からはどこか温かな空気を感じることができた。

 思い付きから始まったウィンドウショッピングではあったが、有紗もひとりも今日という日を心の底から楽しんでいた。

 

 

 




時花有紗:ひとりと一緒でウッキウキ。基本的にチート級に容姿がいいので、何着ても似合う。ヨヨコに動画のアドバイスなどをしていたらしい。

後藤ひとり:原作と比べてJK力が凄まじく高い気もする。有紗とセッションと聞くと、明らかにテンションが上がっているところが大変可愛い。

大槻ヨヨコ:原作では悲惨なことになっていたが、こちらでは有紗を頼ったことで路線を変更し歌ってみた中心でいい感じに再生数を伸ばした模様。滅茶苦茶感謝してて、大量に菓子折りを送って来た。


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五十六手追憶のコンクール~sideA~

 

 

 以前に買い物に行った際にひとりさんと約束したセッション。せっかくの機会ということで、今日はひとりさんは宿泊していく予定なので、明日までひとりさんと一緒という幸せ確定の素晴らしい状態です。

 お揃いで買った服を着て、一緒にセッションを行います。最近ひとりさんが動画サイト用に練習していた曲で、私も弾けるように練習していたので動画の撮影もしつつの演奏です。

 ひとりさんの音は非常にノッており、セッションを心から楽しんでくれているのが伝わってきて私も笑顔になります。

 

「いい感じですね」

「あっ、はい! 有紗ちゃんとのセッションは、本当に楽しいです。なんだか、いつもよりうまく演奏できる気がしますよ……えへへ」

 

 そう言って眩しいほどの笑顔を向けてくれるひとりさん……眼福とはまさにこのことですね。チラリと時計を確認してみるともうかなりの時間が経過していました。

 

「私もとても楽しいですが、時間を忘れてしまうのが欠点ですね」

「あっ、もうこんな時間なんですね。本当にあっという間です」

 

 セッションは非常に楽しく互いに熱が入ってしまうこともあって、ついつい時間を忘れてしまいます。あとこの演奏用の部屋には防音の関係で窓が無いので、外が暗くなったりといった変化に気付きにくいのも要因ですね。

 とりあえず、セッションは一旦終わりにすることにしてひとりさんと一緒に片づけをしたあと、汗を流すために入浴してから夕食を食べました。

 

 その後は、パジャマに着替えてのんびり過ごすことにします。実は、ひとりさんが購入したパジャマと同じデザインで色違いのものを、ひとりさんの勧めで購入しているのでパジャマもお揃いだったりします。

 ひとりさんが緑色の怪獣で、私が黒色の怪獣ですね。

 

「あっ、なっ、なんかアレですね。ふたりですけど、パジャマパーティって感じの雰囲気ですね」

「ふふふ、そうかもしれませんね。実際こうして互いにパジャマで、菓子などを摘まみつつのんびり過ごしているわけですし、パジャマパーティといっていいかもしれませんね。せっかくお揃いのパジャマですし、写真でも撮りましょうか」

「あっ、はい。虹夏ちゃんたちにロインしましょう」

 

 ひとりさんと一緒に怪獣のパジャマのフードを被った状態で写真を撮影して、結束バンドのロインに「パジャマパーティ中です」という文字と共に写真を貼ると、すぐに反応がありました。

 

『きゃー! 可愛い! いいなぁ、ふたりとも楽しそう!』

『ペアルックじゃん……ペアルックじゃん!?』

『……マシュマロ、私も食べたい』

 

 順に喜多さん、虹夏さん、リョウさんの反応です。リョウさんだけ少し反応がズレているのもご愛敬でしょう。虹夏さんの言う通りペアルックです。なんならセッションしていた時もペアルックでした。

 私としてはまったく問題ないのですが、あまりペアルックという部分を推すとひとりさんが恥ずかしがってしまうので、反応は控えめにしておきます。

 その後はしばらくロインでやり取りしつつ、ひとりさんとものんびり雑談を楽しみました。

 

 

****

 

 

 夜も更けて寝る段階になり、例によってひとりさんは私と同じベッドで眠る形になります。いちおう念のために客室を使うかどうかの確認はしましたが、この状態を期待していなかったと言えば嘘になります。

 ひとりさんと同じ布団に入り眠る幸福は本当に代えがたいものですし、極めて幸せなひと時なので定期的に行いたいぐらいです。

 

「……そういえば、ひとりさん。ひとつ提案というか、要望があるのですが……」

「え? あっ、はい。なんですか?」

「その前に確認ですが、おそらくですが私の方が先に目を覚ます形になりますよね?」

「あっ、えっと、確かにいままでの感じだと有紗ちゃんの方が起きるのは早そうです」

 

 ひとりさんが朝に弱いというわけでもないのですが、これまでの経験上先に目覚めるのは私になると思います。事前にそれを確認して頷いたあとで、私は言葉を続けます。

 

「確定というわけではありませんが、おそらくそうなるでしょうね……そして、私が先に目覚めた場合は例によってひとりさんを抱きしめると思います」

「えぇぇぇ……つっ、ついに、先に宣言し始めた……だっ、抱きしめないという選択肢すらなさそうな感じが……」

「無いですね」

「欠片も躊躇せずに断言!?」

 

 これはある意味仕方がないことではあります。朝目が覚めて目の前にひとりさんの寝顔がある状況で、その体を抱きしめないなどありえないでしょう。

 少なくとも心の奥から湧き上がる気持ちを抑えることはできませんし……事実過去一度も抑えられた覚えはありませんので、ほぼ確定事項と思っていいでしょう。

 

「……ひとりさん、聞いてください。幸せを探す人は多いですが、得てして幸せを見つけること自体は難しいことではないのです」

「え? あっ、はい……はい?」

「しかし、幸せを手にできない人は残念なことですが多いのです。手の届く場所に幸せがあり、手を伸ばせば届くはずなのに……その手を伸ばすという行為に気付かない。あるいは、気付いても躊躇ってしまうというのです。ほんの少しの行動ですぐ近くにある幸せを手にできるはずなのに、その行動を起こせない……そして、その幸せが手の届かない場所まで行って初めて、あの時に行動していればと後悔してしまうのです」

 

 あるいはすぐ近くに見えてしまっているからこそ、いますぐでなくてもいいかという思いが働いてしまうのかもしれません。幸せを手にするには、いつだって大なり小なり勇気が必要になるものなのです。

 

「私はそんな後悔をしたくはありません。目の前の幸せから目を背けるような真似はしません」

「……なっ、なんでしょう? よっ、要約すると、朝に私を抱きしめるって宣言してるだけなのに、あんまりに迫真の顔と真剣な言葉で、凄く正しいことを言ってるみたいに聞こえてきて、なんか納得しちゃいそうです」

「そんなわけで、朝にひとりさんを抱きしめることは確定なのですが……話を戻して、要望の件ですが……」

「あっ、そっ、そういえば、そういう話でしたね。すっかり忘れてました……そっ、そして、なんかいつの間にか、抱きしめることに関して私が了承したみたいな感じで話が進んでる!?」

 

 若干困惑した表情を浮かべてはいるものの、特に私を止めたり拒否しないのがひとりさんの優しさでしょうね。心温かくなるような感覚を覚えつつ、私は本題を切り出します。

 

「どうせ朝抱きしめるのなら、いま抱きしめても変わらないと思うので、いまから抱きしめてもいいですか?」

「……えぇぇぇ、りっ、理論が力押しすぎる……うっ、ううん。たっ、確かに結果は変わらないのかもしれませんけど……あぅぅ……はっ、恥ずかしいですし……」

「嫌というわけでは無いんですね?」

「え? あっ、はい。まぁ、それは……あっ、嫌な予感……」

「では、失礼して」

「ひゃわっ!? やっぱり、いまのが了承にカウントされた!?」

 

 ひとりさんが嫌がった場合は諦めましたが、嫌でないのなら問題はありません。というわけでひとりさんの背に手を回して抱きしめます。

 新しいパジャマの柔らかな手触りも心地よいですね。これからの季節に向けて、やや薄めの生地のものを選んでいるので、ひとりさんの体温をしっかり感じられるのも素晴らしいです。

 

「……はぁ、もうっ、本当に有紗ちゃんは……」

「寝苦しかったりはしませんか?」

「あっ、そっ、それは大丈夫です。むしろ、えと、温かいですし……安心できますし……ぐっすり眠れそうではあります」

「それなら、よかったです。お互いに得しかありませんね」

「うっ、う~ん……恥ずかしさをどう分類するかによって変わるような……」

 

 少し困ったような表情を浮かべつつも、ひとりさんはそれでも恥ずかしさを悪い意味には分類しなかったのか、そっと私の背中に手を回して抱き着いて来ました。

 鼻腔をくすぐる心地よい香りに柔らかな感触と温もり、そして胸いっぱいの幸せ……本当にぐっすり眠れそうです。

 そう思った私は軽く微笑みながら、ひとりさんに一声かけてから電気を消しました。

 

「……それでは、ひとりさん。おやすみなさい」

「あっ、はい。おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 

****

 

 

 ゴールデンウィークはひとりさんと素晴らしい時間を過ごすことができて、大満足の結果でした。ただ、若干行き当たりばったり感は否めなかったので、次の長い休み……夏休みには、しっかりと計画を立てて実行したいものです。

 ただ、未確認ライオットの本番も夏であることを考えると、結果次第でいろいろと展開は変わってくるので、難しい部分もありますね。

 

 ともあれゴールデンウィークも終わり、いよいよ未確認ライオットのネット審査開始時期も近づいて来て、結束バンドの皆さんと私は票集めの宣伝活動の準備に取り掛かっていました。

 宣伝用フライヤーなど作成や、周囲への呼びかけもそうですね。

 

 実際のところ、仮に私がお母様にお願いしてお母様がイソスタで一言発信すれば、結束バンドをネット投票1位にすることも可能だとは思います。ですが、それはメリットよりデメリットの方が大きいでしょう。

 実力に見合わない過度の期待は重圧となってバンドの崩壊に繋がる可能性すらありますし、最低限結束バンドがメジャーデビューするぐらいまでは、お父様やお母様のコネ関連は使わないと決めていますし、ふたりにもお願いしています。

 まぁ、それはそれとして友達などには呼びかけをしっかりと行うつもりです。

 

「……そういえば、未確認ライオットとは全然関係ないんだけどさ……」

「はい? どうしました?」

 

 そんなことを考えつつ皆さんと一緒にフライヤーの作成を行っていると、虹夏さんがふとなにかを思いついたような表情で口を開きました。

 

「有紗ちゃんってさ、ピアノ凄く上手いんだよね? ぼっちちゃんの話とか、動画のキーボードの腕前を見る限り相当だよね?」

「まぁ、長くやってますからね」

「それで疑問に思ったんだけど、それだけ上手いならコンクールとかには出ないの? ほら、なんかピアノってそういうのがあるイメージだからさ……」

「ああ、過去に1度だけ出たことはありますが、それ以後は出ていないですね。理由はいくつかありますが、要因として大きいのは私の友人のピアニストに関わる一件ですね」

 

 そんな私の言葉を聞いて、他の皆さんも興味を持ったのか作業の手を止めて視線をこちらに向けてきました。私としては若干話すことに抵抗のあるエピソードではあるのですが、ここまで言って話さないのも悪いですし……少し、懐かしい話をすることにしましょう。

 

 

 

 




時花有紗:相変わらずぼっちちゃんといちゃいちゃしている。そして、超スペックの有紗が明確にピアノでは敵わないと認めたスーパーピアニストとの昔話に移行。

後藤ひとり:安定の好感度激高ぼっちちゃん。基本的に有紗の要望を拒否することは無い。あと、恥ずかしがっては居るものの有紗に抱き着いて眠ると安心できるのか、いつもよりぐっすり眠れるようである。


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五十六手追憶のコンクール~sideB~

 

 

 興味深そうな視線が集中する中で、有紗はどこか懐かしむような表情で語り始めた。

 

「私の友人……名前は琴河玲(ことがわれい)というのですが、彼女は私が通っていたピアノ教室に通っていた相手……私にとっては幼馴染といえる存在ですね」

「……あ~あの、有紗ちゃん。ごめん、話の腰を折るようだけど……」

「はい? どうしました、喜多さん?」

「琴河玲って……天才ピアニストの?」

「ええ、現在はフランスのパリで活動しているピアニストです」

「やっぱり……相変わらず凄い交友関係……」

 

 ここに居るものは大なり小なり音楽という分野に関わるものばかりであり、ジャンル外であってもある程度の情報は持っているものである。

 ましてやテレビなどでもたまに紹介されている天才ピアニストとなれば、全員名前ぐらいは聞いたことがある様子だった。とはいえ、語っている相手が有紗なので……「まぁ、有紗の交友関係なら不思議ではないか」という結論に達したのか、驚きはすぐに収まった。

 

「話を戻しますが、その玲さんは同じ講師の下でピアノを学び切磋琢磨する友人でした。年齢が同じで実力も当時は比較的近かったこともあって、私と玲さんは仲がよかったですね。彼女は天才的な才能を持つだけでなく、努力家でした。玲さんは母子家庭なのですが、生活を切り詰めながら無理をして自分をレベルの高いピアノ教室に通わせてくれた母親に報いるために、世界一のピアニストになってみせるとよく語っていました」

「……そういえば、なんかの雑誌のインタビュー記事で母子家庭とかってのをチラッと見た気がする。リョウの方が詳しいかな?」

「うん。子供の頃に父親が死んで、幼少期はお金に困ってたってエピソードが多い」

「ええ、絶対にピアニストになると言って、文字通り誰よりも多く練習をしていたのが印象に残っています。それで、小学校の頃に私と彼女は一緒に同じコンクールに出場しました。国内で小学生が出れるものとしてはかなりの規模のコンクールで、そこで1位になれば国際コンクールへの道も開かれるような。玲さんにとっては夢の第一歩となるコンクールでした」

 

 そこで有紗は、一度言葉を止めどこか懐かしむような表情で微笑みながら話を続けた。

 

「……彼女の演奏は圧巻でした。圧倒的な練習量に裏打ちされ、絶対にプロになってやるという強い想いの宿った演奏は、明らかに私も含めた出場者の中でも頭ひとつ抜けていました。私は彼女のその演奏を聞いた時、少なくとも今後ピアノという分野においては、彼女には敵わないとそう確信したほどでした。玲さんも確かな手応えがあり1位の確信があったのでしょう。演奏が終わった後は誇らしげな表情でした」

 

 そこまで話したところで、有紗の表情が少し曇りひとりが心配そうな表情を浮かべる。それに気付いてひとりを安心させるように微笑んだあとで、有紗は本題となる話をする。

 

「ですが、そのコンクールにおいて審査員が1位としたのは……私でした。理由はとても単純です。そのコンクールのスポンサーとなっている企業がお父様のグループの傘下で、コンクールの運営としては私は絶対に機嫌を損ねることができない相手だったという、そんなお話です」

「……あっ、でも、そっ、それって……」

「はい。玲さんの努力と想いを、図らずも私の存在が踏みにじる形になりました。あの時の玲さんのすべてを悟ったかのような、絶望と怒りが入り混じった表情は、今も鮮明に覚えています」

『……』

 

 結束バンドのメンバーたちも、少し離れた場所で聞き耳を立てていた星歌やPAも思わず言葉を失ってしまった。実際そういった忖度のような話は存在するのだろう。本人が望むかどうかは別として、有紗はそれを受ける側で、玲はそれによって切り捨てられる側だった。

 友人の想いを踏みにじることになってしまった有紗の心境は想像して余りあるもので……。

 

「……まぁ、それはそれとして結果には納得いかなかったので、その場で異議を申し立てましたが」

「異議申し立てちゃった!? そうだよね! 有紗ちゃん、それでハイそうですかって引き下がる子じゃないもんね!?」

 

 しかして、しんみりとしていた空気は有紗の言葉で吹き飛んだ。確かに言われてみれば納得のいく話ではある。彼女たちの知る有紗は行動力の化身であり、その場で黙っているなどということは想像できなかった。

 

「ええ、彼女の演奏が如何にして私のものより優れていたかと細かく説明し、審査員たちと長らく議論した結果……最終的に玲さんを1位、私を2位に変更することに成功しましたね」

「しかも、勝っちゃったよ!?」

「……さすが猛将、強い」

「なっ、なんというか……有紗ちゃんらしい感じですね。あっ、えっと、その友達は?」

 

 実際当時の審査員たちにとっては、有紗は忖度が必要な相手であり、その相手が猛然と反論してきたのならそれを突っ撥ねるのは難しかったのだろう。

 結果として、有紗は順位を見直させることに成功し、友人の心に大きな傷を残すことは無かった。

 

「途中からお腹を抱えて笑ってましたね。私らしいとか、お嬢様の皮を被った猛獣だとか、そんなことを言っていましたね。そして、初めから私の名前が書かれていた賞状に関しても、新しいものを用意するという提案を拒否して、私の名前の横に自分の名前を書き足して持って帰ってました」

「けど、結果的に丸く収まったのならよかったわね」

 

 苦笑しつつ告げる喜多の言葉に、有紗はなんとも言えない苦い表情を浮かべる。

 

「いえ、まぁ、最終的にはいい纏まりとなったのですが……責任問題などかなり大きな騒ぎになってしまいまして、お父様にも手間をかける結果になってしまいました。お父様は私の行動は正しいと笑っていましたが、それでもあちこちに迷惑をかけてしまったので、それ以後コンクールには出場していませんね。元々、コンクール自体に興味は無かったので……」

「なるほど……その琴河さんとは、いまも仲良くしてるの?」

 

 最初に友人と前置きしていたので大丈夫だとは思うが、念のため確認するように尋ねた喜多に対し、有紗は苦笑しつつ言葉を返す。

 

「ええ、ついこの前も国際電話で散々騒がれました……ひとりさんとのセッションの動画を見たみたいで、『ズルい』だの『ボクもやりたい』だの散々駄々をこねて、結果的に今年の音楽の日にはキーボード持参で行くことになりました。あと、ひとりさんにも会いたいと……まぁ、長々と話に付き合わされました」

「へぇ、雑誌とかで見るとむしろクールな人って印象だったけど……」

「外の顔だけですよ。実際はかなり元気な人です」

 

 そう言って語る有紗の表情は優しく、なんだかんだで玲との関係が良好であることを物語っていた。

 

「そっ、そんな話があったんですね……でっ、でも、有紗ちゃんのことをまたひとつ知れて嬉しいです」

「そう言ってもらえると嬉しいですね。いつかひとりさんにも紹介しますよ。まぁ、私としては少々暴走してしまった事件でもあるので、話題に上げるのは気恥ずかしかったのですが……」

「あっ、大丈夫です。話を聞いた限り、私のよく知る有紗ちゃんでした」

「……喜ぶべきか、嘆くべきか、少し迷いますね。ですが、ひとりさんが私のことをよく知ってくれているのは嬉しいです」

「……あっ、えへへ、有紗ちゃんのことなら、いっぱい知りたいですし、よかったらまた昔の話とかもしてくださいね」

「はい。ああ、ですが、私だけでは不公平ですし、ひとりさんの話も聞きたいですね」

「あっ、いや、私の過去にエピソードは全然……」

 

 声をかけてきたひとりと嬉しそうに話す有紗を見て、虹夏はなんとも言えない表情を浮かべて呟いた。

 

「……えぇ、嘘でしょ? この流れから即いちゃつきに移行する? このバカップルは本当に……」

 

 

****

 

 

 STARRYから駅に向かう道で、有紗とひとりは手を繋ぎながら歩いていた。街灯に照らされる夜の道は、騒がしくも少し寂し気な独特の雰囲気だった。

 そんな中で、ひとりは少し迷う様な表情を浮かべつつも有紗に声をかける。

 

「……あっ、有紗ちゃんは、ピアニストになりたいとは思わなかったんですか?」

「正直に言ってしまえば、思ったことは無いですね。ピアノの演奏は好きでしたが、誰よりも上手くなりたいとか、プロになりたいとか、そんな風に考えたことは無かったです。嫌味な言い方になってしまうのですが、昔から大抵のことはすぐに人並み以上にこなせました。だからかもしれませんが、特定のなにかに強く熱意を持って取り組むということは無かったんです」

「……あっ、確かになんでもできちゃうと、なにに力を入れていいか迷うかも……」

「ええ、だからこそ、ピアニストになりたいという夢や願いの籠った彼女の演奏には感動しましたよ。私もいつか、これぐらいに熱意を持てることが見つかればいいなと……」

 

 有紗が音楽において最も重要なのは心であると認識しているのは、過去に聞いた玲の演奏が根幹にある。技術的に大きな差はなくとも確実に己より上であると確信できる演奏。思いとはあそこまで演奏の質を高めることができるのだと、心から感心して感動したからこそ、なんだかんだで有紗も音楽は好きなのだろう。

 

「……まぁ、もっとも、願いは叶っていまはそういったものを見つけることができましたけどね」

「え? そっ、そうなんですか? それはよかったですけど……なにを見つけたんですか?」

「ふふふ」

「……あえ? なっ、なんで、私を見て微笑んで? え? あっ……」

 

 詳細は語らないまま、どこか楽しそうにひとりを見つめる有紗の視線……それに若干戸惑っていたひとりだったが、すぐに思い至ったのか顔を赤くした。

 そう、有紗が語った熱意を持てるものとは……つまりは、ひとりのことであると暗に示しているようなものであり、なんとも言えない気恥ずかしさがあった。

 そんなひとりの反応を見て、有紗は楽しそうに、そして愛おし気に微笑んだあとで口を開く。

 

「……突然ですがひとりさん、抱きしめてもいいですか?」

「ほっ、本当に突然ですよ! なっ、なんでですか!?」

「いえ、なんというか、こう、ひとりさんを愛おしいという気持ちが溢れてきたので……ですかね?」

「あぅぅ……いっ、いまは、人が多いから駄目です」

「……人が少なければいいんですか?」

「うぐぅっ……あっ、いや、えっと……まっ、まぁ……人目が少なければ……はい」

 

 茹蛸のように真っ赤な顔で小さく頷くひとりを見て、有紗は心の底から幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 




時花有紗:やはり猛将。忖度も正面から踏みつぶした。あまりにも天才がゆえに情熱や夢が無かったが、現在はひとりと巡り合ったことで毎日非常に楽しくて幸せである。

後藤ひとり:人目が少なければハグOKなぐらいに好感度高まってるぼっちちゃん。なんだかんだで有紗にストレートに愛情表現されると、最近は嬉しそうにしてる気がする。

琴河玲:有紗の幼馴染で天才ピアニスト。現在はパリを拠点に活動中のボクっ娘。有紗に対して恋愛感情などは無く、ひとりとの仲を応援しているが、『有紗の一番の親友』という部分には極めて強い拘りを持っている。外面はクールだが、割と子供っぽいところもあり、親友である有紗にはよく駄々をこねてる。有紗と自分の名前が書かれた賞状は宝物としていまも額縁に入れて大事に保管している。例によってほぼ出番はないので気にしなくてOK。


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五十七手開始のネット投票~sideA~

 

 

 5月も中旬に入りいよいよネット投票もスタートしました。私自身も自分で投票するのはもちろん友人などにも投票を呼び掛けて協力して貰っており、結束バンドのメンバーの皆さんと一丸になって突破を目指しています。

 今日もSTARRYのお客さんや下北沢の方を対象にビラ配りなどをして、宣伝活動を行う予定です。

 

 結束バンドのMVもかなり順調に再生数を伸ばしており、知名度も確実に伸びてきています。楽観視はできませんが通過自体の可能性は高いと思っています。

 ただやはり上位に入っていればこの後のライブステージでも有利になるので、出来るだけ高順位を狙いたいものではあります。そのためには地道な宣伝活動ですね。

 

「このバンドJKの間で流行ってるんだけど、まじバイブスてんあげよ~。聴いてくれたらチョベリグー」

 

 高校から下北沢に行くため駅に向かって歩いていると、微妙にワザとらしいギャル言葉のようなものが聞こえてきて、反射的にそちらを振り返りました。女子高生というには妙に大人びた声といいますか、どこかで聞き覚えがある声だったような――お、おおお、お義母様!?

 

 振り返った先に見えたのは、制服に身を包み女子高生らしき人と話しているお義母様の姿でした。なんでしょうこれは、脳が理解を拒否しています。さすがの私も、未来の義母が女子高生のコスプレをしている姿を見て、どう反応すればいいかは分かりませんでした。

 しばし呆然としていた私でしたが、そのまま無言で踵を返してその場から立ち去ることにしました。

 

 見間違えです。アレは、間違いなく見間違えです。お義母様がひとりさんのものらしき制服を着ている理由も不明ですし、そもそもひとりさんの家からは相当離れているここに居るのも不自然です。

 バンドの宣伝のために女子高生に擬態して布教しつつ、ひとりさんにバレないようにあえて家から離れた場所で行っているとか、そんな想定は明らかに間違っています。間違っていてください……な、なんにせよ、今見たものは決してひとりさんには言えませんね。

 もし仮に私が当事者の立場で、お母様が女子高生の格好をして街をうろついているなどと他人から聞かされたら、その事実を受け止めきれる気がしません。

 

 ……忘れましょう。時には、見て見ぬふりというのも必要なのです。

 

 

****

 

 

 妙な気疲れを感じつつ下北沢に到着すると、ちょうど駅を出たところでひとりさんと喜多さんにばったり遭遇しました。

 

「あっ、有紗ちゃん。こんにちは……」

「こんにちは、ひとりさん、喜多さん」

「こんにちは~タイミングよかったね」

 

 ここでひとりさんと会えたのは幸運です。疲れていた心が癒されていくようです。軽く挨拶を交わしたあとで、ひとりさんは心配そうな表情で私に声をかけてきました。

 ひとりさんは感情の機微に鋭い方なので、私の精神状態を察してのことでしょうね。

 

「あっ、有紗ちゃん、大丈夫ですか? なっ、なんか少し疲れているような……」

「少々精神的に疲れることがありましたが、ひとりさんの顔を見たら元気になりました。それはそれとして手を繋いでもいいですか?」

「え? そういうのって、むしろ疲れてるから手を繋いでとか要求する場面じゃ……」

「あっ、いや、有紗ちゃんはそういう回りくどいことしません。いつも大体、正面からストレートに来ます」

 

 戸惑う喜多さんに対してひとりさんはどこか慣れた様子で苦笑をしたあとで、なにも言わずに私の手を取ってくれました。

 ひとりさんと手を繋いで歩くことで心が癒されていくのを実感していると、ふと喜多さんがなにかに気付いたような表情を浮かべました。

 

「……ふたりとも、あそこに居るのって先輩たちじゃない?」

「え? あっ、本当ですね」

「STARRYに向かう前にドリンクかなにかを買っているのでしょうね。コレはまた偶然ですね」

 

 喜多さんが指差した方向にあるコンビニの店内に、虹夏さんとリョウさんの姿が見えました。STARRYに向かう途中で全員が会うというのはとても珍しい事態です。

 喜多さんとひとりさん、虹夏さんとリョウさん、そして私と3つの高校に分散しているので、当然と言えば当然なのですが……。

 

「伊地知先輩~リョウ先輩~」

「あ、喜多ちゃん! それに、ぼっちちゃんに有紗ちゃんも、偶然だね!」

「はい。奇遇ですよね。これからSTARRYですよね? 皆で一緒に行きましょう」

「いいね。なんか、タイミングバッチリでいいことありそうな気がするね」

 

 コンビニから出てきたふたりに声をかけ、5人そろってSTARRYに向かいます。未確認ライオットの話などをしつつSTARRYに到着し店内に入ると……そこにはまた、何とも奇妙な光景が広がっていました。

 なぜか高校の制服を着ている星歌さんとPAさん、そしてきくりさんの姿がありました。なんというか、今日はよくコスプレをした知り合いに会う日ですね。

 

「こんにちは~あれ? 店長たち、なにかの罰ゲームですか?」

「おねーちゃん! なにやってんの!?」

 

 店に入って来た私たちを見た星歌さんたちは、なんとも言えない……なにかを悟ったかのような悲し気な表情を浮かべていました。

 

「や~やっぱ10代のフレッシュさには敵わないね。化粧もしてないのにこの透明感……」

「え? 何ですか!?」

 

 きくりさんに声をかけられて戸惑う虹夏さんを尻目に、状況が分からない私は近くに居たPAさんに声を掛けました。

 

「PAさん、これはいったい……」

「……その圧倒的な美貌で私の尊厳を叩き潰して楽しいですか?」

「え? あの? 私、PAさんになにかしましたか?」

「なにもされて無いです。けど、有紗さんを目の前にしているだけで、私の心はいま凌辱されている気分です……現在進行形で、これでもかというほど格の違いを思い知らされています。私だって……有紗さんみたいなレベルが違う美少女に……生まれたかったっ……」

「……えっと……その、よく分かりませんが元気を出してください」

 

 なぜか分かりませんが、声をかけるとPAさんは絶望した表情で涙を流し始めてしまいました。なにか琴線に触れてしまったのかもしれません。

 きくりさんに絡まれる虹夏さん、喜多さんの頭をぐりぐりしている星歌さん、私の前で涙を流すPAさん……なんとも混沌とした状態です。いや、本当になぜこんなことになったのでしょう?

 

 

****

 

 

 少し妙なことはあったものの、改めて今日のビラ配りの打ち合わせです。予定では下北沢の駅前、普段路上ライブなどを行っているエリアで配る予定でしたが、ここで虹夏さんから提案がありました。

 

「下北沢で配るのもいいと思うんだけど、せっかく5人居るんだしある程度散っていろんな場所で配った方がよくないかな?」

「確かに、幅広いファン層を獲得するという意味では有効ですね。下北沢以外では新宿、御茶ノ水辺りもロックファンは多そうですし、票の獲得に繋がる可能性はありますね」

 

 虹夏さんの提案はなるほどたしかに効率的です。下北沢は普段路上ライブを行っていることもあって、結束バンドの名前を聞いたことがあるという人の手にビラが渡る可能性が高く効率的ではありますが、他の場所で配るというのも新規のファンを獲得するという意味ではかなり有効です。

 もちろん下北沢以外では、インディーズで活動歴の浅い結束バンドは知名度が低いという問題もあるので、興味を持ってもらえるかどうかは賭けになる部分もあります。

 

「ありだと思う。リターンは大きいし、リスク自体はそこまで多くない」

「下北沢駅前は最寄りですし、別のタイミングでのビラ配りはできますから、時間のある今日は足を延ばしてというのはいいですね」

 

 リョウさんと喜多さんも虹夏さんの提案に賛成な様子です。投票で上位を狙うのであれば、広いファン層の獲得は急務でもありますし、確かに時間のある時に大きく動くべきですね。

 

「……で、有紗ちゃんが言ったみたいに、下北以外で配るなら新宿か御茶ノ水がいいと思うんだよ。せっかく5人いるわけだし、2チームに分かれてビラを配ろう」

「チーム分けはどうするんですか? 2人チームと3人チームになりますよね?」

「ビラを配るって関係上、そういうのに強そうな……コミュ力高い喜多ちゃんと有紗ちゃんは別のチームになって欲しいね。で、ぼっちちゃんは有紗ちゃんとセットじゃないとまず無理だろうし……」

 

 どうやら話し合うまでもなく虹夏さんの中では既にチーム分けは終わっている様子でした。この口ぶりだと私とひとりさんは同じチームになりそうなので、喜ばしいことです。

 少し溜めるように沈黙する虹夏さんに、リョウさんが尋ねます。

 

「……つまり、チーム分けは?」

「バカップルとそれ以外で!」

「「異議なし」」

「だっ、だから、カップルじゃないです!? あっ、有紗ちゃんもなにか言ってください」

「ひとりさんと、ふたりペアなのは嬉しいですね。配り終わった後、どっかに寄って帰りましょう」

「そういうことじゃなくて!?」

 

 ひとりさんと2人ペアで行動できるというのに、私に異論があるわけもありません。むしろ虹夏さんの采配には感謝するばかりです。

 御茶ノ水を私たちが担当することになったら。乗り継ぎ合わせて15分ほどで押上に行けますし、一緒にスカイツリーに行くというのもいいかもしれません。

 

「特に希望が無ければ私たち3人が新宿、ぼっちちゃんと有紗ちゃんが御茶ノ水でいいかな? ……あっ、ぼっちちゃん。いちゃつくのはちゃんとビラ配り終えた後にしてね」

「だっ、だから、いちゃついたりとか、そういうのは無いですから……」

 

 虹夏さんの言葉に顔を赤くして反論するひとりさんですが、虹夏さんはその反応を楽しんでいるようでニヤニヤとした笑みを浮かべていました。

 なんとも微笑ましいやり取りに私も笑顔を浮かべつつ、ひとりさんに声を掛けます。

 

「ひとりさん、ビラを配り終えたあとでスカイツリーの展望台で夜景を見ましょうね」

「え? あっ、はい……有紗ちゃんが行きたいなら、私は構いませんけど……」

 

 ひとりさんの了承も無事取れたので、楽しみですね。スカイツリーの展望台は夜の8時まで入場できたはずなので、十分間に合うはずです。

 

「……さすが、有紗は全く動じてない」

「それどころか、デートする気満々だよ。いや、煽ったの私だけどね……」

 

 

 

 




時花有紗:さすがの有紗ちゃんでも、未来の義母(推定39歳前後)の制服姿は受け止めきれなかった模様で、見て見ぬふりをした。

後藤ひとり:カップルでは無いし、イチャイチャもしていない……だけど、スカイツリーの展望台に行くという話に関しては二つ返事で了承……いやもうそれ、完全にデートなのよ。

後藤美智代:原作でもマジで制服を着て渋谷とかに言っていた剛の者。3巻で制服なんて21年ぶり~と発言していて、公式設定で誕生日が4月3日なので、おそらくこの時点では39歳と予想される。極めて若く見えるが、作中の発言でさすがに顔に皴などはある模様。


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五十七手開始のネット投票~sideB~

 

 

 未確認ライオットのネット投票が始まり、秀華高校のひとりと喜多が所属するクラスでも、その話題が上がることは多かった。

 人気者である喜多の元には休み時間にも多くのクラスメイトが集まって声をかけてくる。

 

「喜多ちゃーん。ネット投票入れといたよ~」

「私も入れた!」

「わ~みんな大好き~!」

 

 声をかけてきたクラスメイトに笑顔で応える喜多を、ひとりはひとつ後ろの席からぼーっと眺めていた。進学してから休み時間の度に見られる光景であり、もうある程度慣れたとはいえ陰キャかつコミュ症のひとりにとってあまり親しくない人が近くに多く居るというのはなかなか精神的なストレスがあった。

 

「動画サイトに上がってたMVも観たけど、どの曲もよかったよ~」

「ありがとう!」

「後藤さんも本当にギター弾けるんだね。カッコいいね」

「あっ……どっ、どうも」

 

 時折喜多の友人からこうして話を振られても、ひとりは視線を俯かせて小さな声で返答するだけであり、あまり会話が弾むことはない。

 

(……うぅ、喜多ちゃんの友達って優しいから、私に興味ないのにこうやって気を使って会話を投げてくれるけど、コミュ症が気の利いた返事なんてできるわけもなく、いつも気まずい感じで会話は終わるし……うぅ、助けて、有紗ちゃん……)

 

 実際のところ会話が弾まない原因はどちらかと言えばひとりの方である。陰キャかつコミュ症であるひとりは、基本的にあまり親しくない相手には心を閉ざしており、対応もおっかなびっくりである。今回の様に話を振られても、目に見えてビクビクした様子で、相手にも伝わるほどに緊張しながら返事をするので、話しかけてきた相手もそれ以上会話を続けられずに会話が途切れて気まずくなってしまうことが多かった。

 

 なんとも上手く行かないものだと感じつつ、ひとりはスマートフォンを取り出して保存している画像を見る。少し前のゴールデンウィークに有紗とカフェに行った時の写真である。有紗はひとりにとって心安らぐ相手なので、こうして写真などで有紗の笑顔を見るだけでも、少しは精神を回復させる効果があった。

 あとスマートフォンを弄っていれば、話しかけられにくいという思惑もある……とはいえ、もちろん例外は存在する。

 

「あれ? ひとりちゃん、なに見てるの?」

「あっ、Aちゃん……あっ、えっ、えっと、前に有紗ちゃんとカフェに行った時の写真です」

「へぇ、カフェに行ったんだ。ねぇねぇ、私も見ていい?」

「どれどれ、私も……」

「あっ、はい」

 

 クラスメイトの中でもひとりと親しく、かつ積極的に声をかけてきてくれる英子と美子に関しては、ひとりもある程度落ち着いて会話ができる。

 むしろこのふたりがクラスメイトでなければ、喜多の後方の席という重圧に耐えきれず、休み時間は別の場所に逃げていたかもしれない。

 

「いいな~凄くお洒落だし、美味しそう!」

「リンゴのパンケーキかな? これって、どこの店?」

「あっ、えっと……〇〇通りの……」

 

 美子の質問にひとりが当日のことを思い出しながら店名を告げると、先ほど話しかけてくれた喜多の友人であるクラスメイトが反応した。

 

「あ、その店私も気になってたんだよね~。私も写真見ていいかな?」

「あっ、はい。どっ、どど、どうぞ」

「ありがと~わっ、本当に美味しそう! パンケーキとスフレパンケーキかな?」

 

 写真を覗き込みながら話すクラスメイトの言葉を聞き、英子が首を傾げながら口を開いた。

 

「そういえば、パンケーキとスフレパンケーキってどうちがうのかな? いや、見た目とか味が違うのは分かるんだけど、具体的になにが違うとか知らないなぁって……」

「あっ、えっ、えっと、材料が違うらしいです。パンケーキは……」

 

 有紗との会話が印象に残っていたこともあり、ひとりは若干たどたどしくではあったが有紗から聞いたパンケーキとスフレの違いを説明した。

 それを聞いた英子は目を輝かせて感動したような表情を浮かべる。

 

「そうなんだ! ひとりちゃん凄い!」

「あっ、いっ、いえ、私も有紗ちゃんに聞いただけなので……」

「へぇ、その写真の有紗さん? って博識なんだね~」

 

 クラスメイトが告げたその言葉は何気ない一言ではあった。しかし、それはひとりに対するコミュニケーションにおいては、大正解の内容だった。

 ひとりはたしかにコミュ症ではあるが、ある程度親しくなった相手……喜多や英子や美子といった心を開いた相手となら、普通に会話することができる。特に最初のコミュニケーションで心を閉ざした状態のひとりとどう会話するかが極めて重要である。

 

 心を閉ざした状態のひとりは、ビクビクとしており相手にも伝わるぐらいに緊張しているので、通常では会話はほぼ成立しない上、ファーストコンタクトで上手く会話できなかったという記憶が残れば、2度目以降はさらに心を閉ざすため、それを突破するのは非常に難しい。

 だが、しかし、何事にも例外というものはある。ひとりにとってそれは、有紗の話題であった。

 

「あっ、そっ、そうなんです。有紗ちゃんは、本当に何でも知ってて、いつもいろんなことを教えてくれます」

「へぇ、Aちゃんとかから少しは聞いたけど、別の高校の友達なんだっけ? よく遊ぶの?」

「あっ、はい。この前のゴールデンウィークも……」

 

 有紗の話題に関しては、他の話題に比べればという前提こそ付くものの、ひとりは明らかに饒舌になり、心なしか楽しそうに話すことが多く、他の話題にある際のような怯えや極度の緊張がないため、話す側としても会話を広げやすくなる。

 そして一度ある程度まともに会話ができたという成功体験を得れば、次回以降は少し心を開いてくれるので親しくなりやすい。ひとりと上手くコミュニケーションを成立させるコツは、有紗の話題を多目に振ることであった。英子や美子などは無意識にそれを実践していた。

 

「ゴールデンウィークといえば、ひとりちゃん有紗ちゃんの家に泊りに行った時の写真も見せてあげたら、アレすっごく可愛かったし」

「え? あっ、はい……これです」

「きゃー! 可愛い!」

「怪獣のパジャマ? こんなのあるんだ~」

「仲の良さが伝わってきて微笑ましいね!」

 

 そこに元々コミュ力の高い喜多がさり気ないアシストを入れれば、簡単にひとりが話題の中心になり、自然と会話の輪に入ることができた。

 

(……あっ、あれ? 私なんか、結構クラスメイトと打ち解けられてるような……喜多ちゃんの手助けや、Aちゃん、Bちゃんが私の言葉を補足してくれるおかげってのもあるけど……過去一クラスに馴染めてるような……まさか、心を落ち着けようとして見た有紗ちゃんの写真が切っ掛けでこんな流れになるなんて……うぅ、ありがとう、有紗ちゃん)

 

 長年ぼっちだったひとりにとって、明らかにクラスメイト達の輪に加われている状態というのはかなり嬉しいものがあり、休み時間の間それなりに楽しく会話を行うことができた。

 もっとも、余裕で人と会話するキャパ越えではあったため、次の休み時間には教室から逃げて人気のない場所に隠れていたため、脱コミュ症はまだまだ先になりそうではあったが……。

 

 

****

 

 

 2チームに分かれてのビラ配りで有紗と共に御茶ノ水にやって来たひとりは、ある程度ビラを配ったあとで有紗とジュースを飲みながら休憩しつつ、学校の話をしていた。

 

「なるほど、そんなことが……切っ掛けができたのは凄くいいことですね。一度楽しく会話したという経験があると、互いに声をかけやすくなりますしね」

「あっ、はい。まっ、まぁ、あんまりにいっぱいの人と喋ったので……嬉しかったですけど、正直疲れました」

「人付き合いというのは、どうしても気を遣う部分が多いですからね。それでも、ひとりさんがよく言っていたコミュ症を治すという目標に、着実に近付けていますね」

「えっ、えへへ……まだまだ、全然ですけど、ちょっ、ちょっとは成長出来てますかね?」

 

 クラスメイトとの会話には気疲れしていたひとりではあったが、彼女にとって有紗との会話はまったく疲れないものであり、むしろ気持ちが穏やかになるものであり、疲れた心が癒されるような気持だった。

 嬉しそうに笑うひとりを見て、有紗も優し気な笑みを浮かべつつ口を開く。

 

「……覚えていますか、以前に結束バンドがSTARRYで初ライブをした際も、一緒にビラを配りましたよね?」

「あっ、はい。覚えてます。路上ライブをした時ですね」

「図らずも同じ組み合わせですが、あの時とは違ってひとりさんもビラを配れていました。確実に成長している証拠ですね」

「えへへ、本当に少しの枚数だけですけどね」

「それでも、自分を変えるというのは本当に大変ですし、この成長は凄いことです。誇ってもいいと思いますよ」

「もっ、もぅ、有紗ちゃんは褒めすぎですよ。けっ、けど、そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」

 

 有紗の真っ直ぐな賞賛の言葉に少し照れた様子で顔を赤くしつつも、それでもひとりは嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

(……やっぱり、有紗ちゃんと話すのは楽しいな。褒めてくれるのも嬉しいし……有紗ちゃんの優しい声、好きだなぁ……)

 

 少しくすぐったいような、それでいてまったく不快ではない不思議な気持ちを感じながら、ひとりは気を取り直すように口を開く。

 

「……えっ、えっと、休憩が終わった後はどうしますか? また、ビラを配りますか?」

「それもいいですが、せっかくの御茶ノ水なので次は楽器店に行ってみませんか? ビラを店内に貼ってもらえないか交渉してみるのいいと思うんです。楽器店に訪れる方は、音楽に興味のある方が多いでしょうし、票数の獲得にも繋がるでしょうしね」

「なっ、なるほど……」

 

 ひとりの質問に答えたあとで、有紗は飲み終わった空き缶をゴミ箱に捨ててから優しい笑顔で手を差し出した。

 

「それでは、もうひと頑張りしましょうか」

「あっ、はい!」

 

 それがごく自然なことのように差し出された手を取り、ひとりも笑顔を浮かべる。内気なひとりにとってはビラ配りも大変なことではあるのだが、それでも有紗と一緒なら大丈夫と……そう思えることを、本当に幸せだと感じながら有紗と手を繋いで歩き出した。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんにとってはすっかり心の支えで癒しとなっている。1話の頃から考えるととんでもなく距離が縮まっているどころか、距離感ならもう余裕で恋人を越えてそうな感じである。

後藤ひとり:とりあえず有紗の話を振っておけば、ある程度は話ができる。有紗の影響で精神が原作より安定しており、更に追加効果として精神的に負荷を感じた際に、有紗のことを思い浮かべたり写真を見たりしてメンタルを回復しようとするため『突発的な奇行に走らない』という副次効果があり、おかげでクラスメイトから引かれたり、休み時間ごとに姿を消したりはしておらずかなりクラスに馴染んでいる。ただ、やはりコミュ症が完全に治ったわけでもなく、あんまり多く話すとキャパ越えするのは変わらず。有紗との会話ではまったくストレスを感じていないので、もう有紗は家族の枠に分類されていそうですらある。


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五十八手天望のスカイツリー

 

 

 御茶ノ水でのビラ配りは無事に終わり、ひとりさんと共に駅に向かって歩きつつ言葉を交わします。

 

「どの店も快くビラを貼らせてくれてありがたかったですね。やはり音楽店ということもあって、ロックバンドを応援してくれる店が多いのでしょうね」

「……あっ、いや、まぁ……ロックバンドを応援というか、顔面戦闘力の暴力というか……あっ、有紗ちゃんが頼んだからだと思います。見た目もそうですけど、交渉も上手かったですし……」

「これ、そもそもビラの写真に私が映っている必要は――」

「あります」

「――そうですか?」

「はい。絶対必要です!」

 

 元々は結束バンドが使っているアーティスト写真を宣伝用のビラにプリントする予定だったのですが、せっかくだからということで新しい写真を取り直しました。

 私は撮影係に回るつもりだったのですが、皆さんの強い要望もあって一緒に写ることとなりました。ただ、構図としては5人というのはなかなか綺麗です。リーダーである虹夏さんを中央に据えて、私とひとりさん、喜多さんとリョウさんが両側に並ぶというのは、綺麗な形でバランスがいいです。

 珍しく強めに主張してくるひとりさんに微笑みつつ、ロインで虹夏さんたちに連絡をしました。

 

「……あちらもほぼ終わったみたいですが、今日は現地解散にするみたいですね」

「あっ、じゃあ、言ってた通り、スカイツリーに行きますか?」

「そうですね。ただ、その前に軽く食事でもしますか? スカイツリー内にもレストランはあるでしょうが、混み具合も分からないですし……」

「あっ、なら、ファミレスかファーストフードにしましょう」

「そうですね。確か駅前にファーストフード店が……」

 

 夕食には少々早いですが、ここからスカイツリーに行って展望デッキを見学してという形でデートをすることを考えれば、先に食事をしておく方がいいです。

 駅前のファーストフード店に行くことに決まり、ひとりさんと手を繋いだままで移動します。

 

「あっ、そういえば、有紗ちゃんってファーストフードとか食べるんですか?」

「友人と一緒に数度行ったことはありますが、あまり頻度は多くないですね。ひとりさんはどうですか?」

「あっ、わっ、私はそもそも外食すること自体が少ないので……あっ、でも、ファーストフード店はたまに行きます。よく、セットメニューをポテトにするかナゲットにするか迷いますね。両方だと量が多いですし……」

「確かに、バーガーにポテトにナゲットとなると少々多いですね。ですが、今回は私も居るので、それぞれポテトとナゲットを注文してシェアすれば大丈夫ですかね?」

「あっ、はい。そうですね」

 

 他愛のない話をしつつ移動して、店が近づいたところで先にネットで注文をしておくことにします。その方がスムーズですからね。

 

「……あっ、えっと、私はこのバーガーのセットで、有紗ちゃんは?」

「私はこちらのセットと、サイドメニューのサラダを」

「なっ、なんでしょう? サイドメニューでサラダ……それを頼む発想すらなかった自分の女子力の低さを痛感します」

「別にサラダを頼んだ方が女子力があるというわけでは無いでしょう。変に意識せずに好きなものを頼むのが一番ですよ」

 

 それぞれメニューを選んで注文し、電子マネーで決済をしてから店内に入り、バーガーを受け取って席に移動します。窓際のカウンター席に並んで座り、バーガーを食べ始めました。

 

「久しぶりに食べると美味しいですね」

「あっ、わっ、わかります。なんか、久しぶりに食べるファーストフードって、妙に美味しいんですよね」

「ですね……おや? ひとりさん、少しジッとしててくださいね」

「え? あぇ?」

 

 ひとりさんの言葉に笑顔で答えるとそのタイミングで、ひとりさんの口元に少しソースが付いているのが見えたので、紙ナプキンを持って手を伸ばしひとりさんの口元を拭きます。

 ひとりさんは一瞬ビクッと体を硬直させましたが、特に抵抗などをすることはありませんでした。

 

「口元にソースが少しついていたので……」

「あっ、ありがとうございます。ちょっと、ビックリしました……ゆっ、指でとってペロってするやつかと……」

「ああ、たまに見るシチュエーションですね」

 

 ……その手がありましたか。正直、その発想は無かったです。絶対に必要というわけではありませんが、恋愛物でたまに見る描写なので、それができる状況ながらしなかったというのは少し惜しく感じますね。

 かといって、ワザと口元にソースを付けてくれとも言えませんし……。

 

「ひとりさん、少しジッとしたままでお願いします」

「はぇ? 今度はなにを――!?!?」

 

 少し考えたあとで、私はひとりさんに断りを入れてから手を伸ばして、指で軽くひとりさんの唇を撫でた後でそれをペロッと舐めました。

 意味は無いですし、ソースなどが付いていたというわけでもないです。

 

「あっ、ああ、有紗ちゃん!? ななな、なにを……」

「いえ、せっかくのチャンスを逃したと思うと惜しかったので、疑似的にやってみました」

「いっ、今のやつは、なんか話してたのとちょっと違うシチュエーションじゃなかったですか!?」

 

 顔を赤くして告げるひとりさんの言葉を聞いて、確かに言われてみれば少し違ったかもとは思いました。しかし、特にその差が問題となるわけでもないですし、私としてはひとりさんと恋愛ドラマっぽいことができて嬉しいです。

 

 

****

 

 

 食事を終えたあとで、電車で最寄り駅まで移動してからスカイツリーにやってきました。

 

「ちっ、近くで見ると大きいですね。私、スカイツリーに来るのは初めてです」

「私も完成したばかりの頃に1度お父様に連れられてきたことがある……筈ですが、なにぶん10年も前の話なので、あまり覚えていませんね」

「あっ、えっと、チケットを買うんでしたっけ?」

「はい。チケットを購入して天望デッキに移動して、天望デッキでまた天望回廊のチケットを購入する予定です」

 

 通常の天望デッキももちろんいいですが、更に高い場所にある天望回廊も抑えておきたいポイントです。天望回廊を歩くのはロマンチックですし、是非ひとりさんと一緒に歩きたいです。

 

「あっ、えっと、天望回廊?」

「ガラス張りの回廊で、一番上の展望フロアに繋がる道ですね。景色を見ながら歩けるのできっと素敵ですよ」

「なっ、なるほど……」

 

 チケットカウンターでチケットを購入し、エレベーターにて天望デッキへ移動します。この時点で既に高い場所ですし、景色もかなりいいです。

 望遠鏡やカフェブースなどもあるので観光にも適したフロアですね。

 

「あっ、なっ、なんか思ったよりお洒落な雰囲気ですね」

「ここでも既に景色が綺麗でいいですね。カフェブースなどもあるので、後でまたゆっくり見学しましょう」

「あっ、はい。天望回廊っていうのは?」

「向こうですね」

 

 天望デッキに付いてすぐ天望回廊のチケットブースに向かい、当日券を購入して再度エレベーターに乗って移動します。日が沈みかけていることもあって、天望回廊には夕日が差し込んでおり非常に美しい光景です。

 

「あっ、すっ、凄いですね。本当にガラス張りで……景色がよく見えます」

「ええ、それにタイミングもよかったですね。夕日に照らされた町並みがすごく綺麗です」

「でっ、ですね。けっ、けど、やっぱり凄く高い……ちょっ、ちょっと、怖いですけど、綺麗ですね」

「はい。綺麗な景色をひとりさんと一緒に見れるのは、嬉しいですし幸せですね」

「うぐっ……まっ、また有紗ちゃんは、そうやって恥ずかしいことを……」

 

 手を繋いでゆっくりと歩きながら、天望回廊から見える町並みを堪能します。ひとりさんも楽しんでくれているみたいで、景色を見つつ口元には小さく笑みが浮かんでいるのが見えます。

 平日かつ遅めの時間ということで比較的空いているのもよかったですね。そこまで他の観光客の姿は見当たらず、のんびりと景色を楽しむことができました。

 

 そして天望回廊を歩いて天望デッキに戻る頃には日も沈んでおり、天望デッキは暗めのライトアップに変わっていました。

 

「……あっ、凄く、綺麗ですね」

「ええ、この夜景は本当に素晴らしいですね。宝石を散りばめたかのような雰囲気です。このままここで眺めていてもいいのですが、ひとつ下のフロア340にちょっとした穴場のスポットがあるのでそちらに移動しましょう」

「あっ、穴場ですか?」

「ええ、ソファーシートが設置されていて座って夜景が見えるのと、このフロア350と違ってカフェやタッチパネルナビもなく、静かな雰囲気の中で落ち着いて楽しめるスポットです」

「なっ、なるほど……」

 

 もちろんスカイツリーに来るにあたって、事前に簡単ではありますがスマートフォンで下調べはしてあります。ひとりさんと共にフロア340に移動して、設置されているソファシートの中で、周囲に人が居ない静かな場所を選んで並んで座ります。

 

「……たっ、確かに人も少なくて、穴場って感じですね」

「今日が平日なのもありますが、静かでいいですよね」

「けっ、けど、有紗ちゃんはよくこんな場所を知ってましたね?」

「事前に調べましたからね。たしか……こちらのサイトです」

「あっ、えっと……なぁっ……おっ、オススメのデートスポットって書いてるじゃないですか!?」

 

 私が見せたスマートフォンのサイトを見て、暗い中でも分かるほど顔を赤くするひとりさんは非常に可愛らしいです。

 それはともかくとして、ひとりさんの言うように私が参考にしたのはデートスポットが特集されているサイトでした。

 

「デートですからね」

「あっ、はい……はっ!? なっ、なんか、あまりにも真っ直ぐに認めるのでつい頷いちゃいました」

「というより、私としては最初からデートのつもりでしたしね」

「そっ、そういえばSTARRYでもデートって言ってましたね……そう考えると、いつも通りの有紗ちゃん……ですかね?」

「はい。というわけでひとりさん、この写真のように肩を抱いてもいいでしょうか?」

「なっ、なにがというわけなんですか!? いまの話のどこに繋がりが!?」

「繋がりなどはありません。単純に私がひとりさんの肩を抱きたいだけです」

「潔すぎる!?」

 

 いちおうひとりさんが恥ずかしがったりしないように、可能な限り人目のない場所を選んで切り出したつもりですが、どうでしょうか?

 もちろん無理強いはできませんが、せっかくのデートスポットですし、肩を抱いて夜景を見るという素敵なシチュエーションは堪能したいものです。

 

「……ひとりさんが嫌なのであれば、無理強いはしませんが?」

「うっ、そっ、その言い方はズルいです。凄く……ズルいです。うぅぅ……」

 

 私の言葉にひとりさんは顔を赤くして、周囲の様子を伺うように視線を忙しく動かしてから……どこか諦めたような表情を浮かべました。

 

「……ちょっ、ちょっとだけ、ですからね」

「はい! ありがとうございます!」

「うっ、嬉しそう……滅茶苦茶嬉しそう……うぅ、そんな顔されちゃうと、更に恥ずかしく……」

「では失礼して」

「あっ、分かってましたけど、一切の躊躇なく即行動しましたね。本当に有紗ちゃんは……はぁ」

 

 許可も得られたのでひとりさんの肩を抱くと、ひとりさんはビクッと体を動かしたものの、すぐに力を抜いて呆れたようにため息を吐きつつ、体の力を抜いて私にもたれ掛かってくれました。

 眩しいほどに煌めく夜景を見ながら、肩に幸せな重みを感じるこの時間は……なんとも得難く、どうしようもないほど幸せに感じました。

 

 

 




時花有紗:デートなのでいつもより大胆……いや、いつも通りだった。

後藤ひとり:なんなら、もう、有紗がキスしたいとか言ってくれば恥ずかしがりつつも最終的にOK出しそうな感じではある。スカイツリーでデートしたりと、普通にリア充街道を爆進してる気もする。


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閑話・それぞれの反応(ネット投票)

 

 

 未確認ライオットのネット投票が始まり、結束バンドと関係がある者たちもその話題で盛り上がっていた。以前池袋のブッキングライブで一緒に演奏した地下アイドルグループの天使のキューティクルのメンバーも控室で、その話題を話していた。

 

「結束バンドさんたちすごいね~皆、入れてあげようよ」

「天キュルのファンにも呼びかけますね!」

 

 リーダーであるミカエルの言葉に、ウリエルも笑顔で答える。そしてもうひとりのメンバーであるラファエルは、おもむろに鞄から法被と鉢巻を取り出して身に纏う。

 法被の背には「有後党」と文字が刻まれており、ハチマキにも「百合しか勝たん」と文字が入っていた。

 

「……ラファエルちゃん? なにしてるのかな?」

「推しである結束バンドへの投票です。正装して行わなければ、無作法というものでしょう!」

「と、というか、いつの間にそんな法被を……そして有後党ってなんですか?」

 

 やや戸惑いながら尋ねるミカエルの言葉に力強い目で答え、ペンライトまで取り出し始めるラファエルにウリエルもなんとも言えない表情を浮かべて問いかけた。

 だが、オタクと言えるレベルの追っかけにそういった質問は悪手である。問われたラファエルは目を輝かせて、生き生きとした表情で語り始めた。

 

「有後党というのは、有紗様とひとりさんのカップリングを推す派閥で、結束バンドファンの中で非公式最大派閥でもあります。結束バンドのライブを見に行った時に、党首と知り合って、私も入れていただきました。この法被は党首に提案して、先日完成したばっかりの品ですね! 鉢巻は手作りです!」

「……い、いつの間に結束バンドのライブに……」

「有紗様の美貌にやられ、有後の尊さに心を焼かれてから、結束バンドは箱推しするぐらい大好きで、いまや私は立派な結束バンドファンです! ちなみに私の最推しは有紗様なんですが、有紗様は演奏メンバーではないので、個担としてはリョウ様を推しています。カップリング推しはもちろん有後です。有後しか勝たんのです!! あっ、ちなみに個担は同担拒否ですが、カップリングの方は同担歓迎なので、よろしかったらミカエルさんやウリエルちゃんもどうですか! 有後党は、常に新たな同志を歓迎してますよ!!」

「「……」」

 

 そんな質問をしたわけでは無かったのだが、興奮気味に熱く語るラファエルにミカエルとウリエルは完全に気圧されてしまった。なんというか、追っかけの気迫を感じた思いである。

 

「近々メンバーカードが作られる予定ですし、いまなら若い番号も狙える大チャンスですよ!! やはり時代は有後なんです。可愛い女の子がガチ恋距離でいちゃいちゃしているのが、圧倒的なんばーわん! かわちーかわちーちょうかわちー! かわちーカーニバル開演って感じで、常にしゅきしゅきって気持ちが溢れてしゅきめろりーしちゃうんですよ!!」

「……う、うん。とりあえず、ラファエルちゃん……本番までにはその法被と鉢巻は外しておいてね。あと、私はちょっと用事があるから……ウリエルちゃん、後よろしく」

「嘘でしょ!? ミカエルさん、この限界オタクの前に私だけ放置してどっか行くつもりですか!? って、ひぃ、肩掴まれた!?」

「ウリエルちゃん、見てください! この結束バンドのMVなんですけど、最初のMVはいきなり究極ガチエモ尊さ爆発で、しゅきぴーが溢れて止まらないんですよ! ウリエルちゃんもきっとすぐにこの気持ちが分かりますよ!!」

「……じゃ、頑張って、ウリエルちゃん」

「待ってください! 置いてかないで! ミカエルさぁぁぁぁぁん!?」

 

 ラファエルに肩をガッチリ掴まれて布教を開始され、悲痛な叫びを上げるウリエルに申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、ミカエルは早足でその場を離脱した。

 

 

****

 

 

 そして時を同じくして、結束バンドファンの1号と2号も大学の一室で結束バンドに関して話していた。

 

「いや~結束バンドもこんなところまで来ちゃったね! 私たちが協力したMVもどんどん伸びてるし、ファン冥利に尽きるよね」

「うん、嬉しいことだよね。ただ、そのおかげで私は最近少し忙しいけどね」

「……というか、さっきからなにしてるの?」

「有後党のメンバーカードのデザインを考えてるんだよ! 最近は党員も増えてきたし、恵恋奈ちゃんっていう期待の大型新人もメンバーに加わったからね。私も党首として頑張らないといけないからね!」

「……そ、そう……」

 

 熱く語りつつ2号は手元のノートパソコンを操作して、メンバーカードのデザインを考えていく。いや、カード自体のデザインは既に決まっているのだが、使う有紗とひとりの写真をどれにするかで悩んでいるようだった。

 

「……というか、なにその写真?」

「有紗ちゃんとひとりちゃんのプリクラ写真だよ! ひとりちゃんがギターケースの裏に貼ってるのをたまたま見つけて……土下座してデータを貰ったんだ!」

「なにしてんの!? ある意味で変な拗らせ方してるじゃん!!」

「……有後はね……希望の光なんだよ。ストレスの多い現代社会を生きる者たちに尊さと癒しを与えてくれる神聖なものなんだよ」

「……そ、そっか……」

 

 あまりにも真っ直ぐな目で語る2号を見て、1号はなんとも言えない表情で頷く。同じ結束バンドファンではあるのだが、1号は箱推し……つまりはバンド全体のファンという側面が強く、2号は個人及びカップル推し……路上ライブで見た有紗とひとりのふたりを強く推している傾向がある。

 どちらも同じ結束バンドファンではあるのだが、熱量という点においては2号の方が強かった。

 

「というか、この法被もしっかりした造りだよね?」

「うん。有後党の中に服飾関係の人が居て、その人が恵恋奈ちゃんと協力して作ってくれた品だね。メンバーズカードも名刺作成の専門家が居るから、ある程度案が出来たら続きはその人に任せる予定だよ」

「……じ、人材が豊富だね有後党……」

「それだけ、世界が有後を求めているってことだね!」

「そっかぁ~まぁ、楽しそうでなによりだよ」

 

 輝くような笑顔を浮かべる2号を見て、1号はそれ以上突っ込まないことにしたのか、苦笑を浮かべつつ話題を変えるのだった。

 

 

****

 

 

 新宿FOLTでは、きくりが銀次郎にスマホの画面を見せながら楽し気に結束バンドのことを紹介していた。

 

「ほら、銀ちゃん見てよ。本当に結束バンド入ってるっしょ?」

「やだ~すご~い。MVもうちでライブした時より超レベル上がってるじゃないの~。またウチでライブしてほしいわ~!」

「うんうん。それに最近は大槻ちゃんも結束バンドの影響受けて、いい感じに伸びてる気がしない?」

「そうね~元々レベルは高かったけど、最近は貫禄みたいなのも出てきたわね」

「ね~若い子ってのは成長早いよね~」

 

 楽し気に話すきくりと銀次郎の会話を、少し離れた場所で聞き耳を立てていたヨヨコは、ふたりの誉め言葉に満足そうな表情を浮かべている。

 

「ヨヨコ先輩嬉しそうっすね~」

「最近、先輩調子いいもんね。歌ってみたの動画も伸びてるし、フォロワーも増えたんだって~」

「ふっ、まぁ、当然の結果ね」

 

 あくびと楓子の言葉を聞き、更に鼻高々といった表情で胸を張るヨヨコだが、それを見たあくびは少々訝し気な表情を浮かべた。

 

「いや、正直自分は、あのヨヨコ先輩の動画は裏があると思うんすよね~。だって、今どき大真面目にメントスコーラとかしようとするような人が、いきなり別ジャンルの流行曲を歌ってみたしようとか考えますかね?」

「……ぎくっ」

「……ぎくって口に出していう人初めて見ましたよ」

 

 あくびの指摘に分かりやすいほど動揺した表情を浮かべるヨヨコを見て、楓子は苦笑を浮かべる。嘘を付けない性格というか、あまりにもあくびの言葉が図星ですと全身で表現するような姿がなんともヨヨコらしいと思ったからだった。

 そんな光景を眺めていた幽々がチラリとヨヨコの頭の上を見てから、口を開いた。

 

「たぶん有紗さんだと思うよぉ~ヨヨコ先輩に憑いてる子の影響を打ち消せるぐらいなのはぁ、有紗さんぐらいだと思うし~」

「幽々ちゃんはこう言ってますけど、ヨヨコ先輩?」

「……うわぁ、こんな分かりやすいほど顔に出ることってあります? ワザとやってるとか言われても納得できるんすけど……」

 

 幽々の指摘にヨヨコは明らかに焦った様子で明後日の方向を向いて大量の汗を流しており、それが正解ですと全身で肯定しているような印象だった。

 

「……けどまぁ、有紗ちゃんなら納得っすね。そもそもヨヨコ先輩が素直にアドバイスを聞く相手も少ないっすし……」

「有紗ちゃんと言えば、この前の高級ホテルのスイーツビュッフェは美味しかったね、はーちゃん」

「ですね。ふーちゃん、めっちゃ食べてましたしね~今度改めて、お礼言わないとっすね」

「綺麗なホテルでしたねぇ~」

「え? なにそれ知らない……」

 

 あくび、楓子、幽々が楽し気に話し始めた高級ホテルのスイーツビュッフェに関して、ヨヨコだけは心当たりが無いようで、唖然とした表情を浮かべていた。

 

「前に~有紗さんが余ってるからってスイーツビュッフェのチケットをくれたんですよ~」

「というか、ヨヨコ先輩にも声かけたじゃないっすか、ほら次の休日暇ですか~って、でも都合悪いってことだったんで、3人で行ったんすよ」

「そっ、そういえば、そんなこと言われたような……」

 

 記憶をたどってみれば、確かにあくびに休日の予定を聞かれた覚えはあった。だが、その時のヨヨコは動画サイトの歌ってみたが好評で浮かれており、カラオケで新曲の練習をするために都合が悪いと返答した覚えがあった。

 完全に自業自得ではあるが、バンドメンバーで自分以外の3人が楽しんで来たというのを聞くと、なんとも言えない寂しい気持ちになるものである。

 そんなヨヨコの気持ち察してか、楓子が笑顔を浮かべながら声をかける。

 

「まぁまぁ、ヨヨコ先輩。また今度改めて4人で行きましょうよ!」

「……そ、そうね。まぁ、その時は私が特別に奢ってあげてもいいわよ」

「え? 本当ですか、やった~また高級ホテルのスイーツビュッフェが楽しめるんですね!」

「……え? いや、高級ホテルとは一言も……」

「ありがとうございます、ヨヨコ先輩!」

「……まぁ、任せなさい」

 

 喜ぶ楓子を見て、いまさら普通のスイーツビュッフェとは言い出せず、ヨヨコは財布の中身を思浮かべながら引きつった笑顔を浮かべていた。

 

 

 




ラファエル:信じられないかもしれないが、原作でもこのぐらい濃いキャラである。さっそく有後党に入っており、期待の大型新人として注目されているとか……。

ウリエル:限界オタクに捕捉された不憫枠。

1号:有後党党首として活躍する2号をなんとも言えない目で見ているが、まぁ、楽しんでるならいいかな~とも思っている。

2号:有後党党首であり、有紗やひとりとも個人的に知り合いとあって、貴重な写真などを入手できる。もちろん、プリクラに関しても使用許可は取ってある(許可取った相手であるぼっちちゃんは、強い押しに思わず頷いた形)。

ヨヨコパイセン:ぼっちちゃんと同じく原作より精神的に落ち着いているというか、ライバルとして真っ当に結束バンドを見ているおかげで、変な嫉妬はしていないし、実力も伸びている模様。でもポンコツかますのは相変わらず。


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五十九手再来のフリーライター~sideA~

 

 

 ある日私はとある高級ホテルに来ていました。理由は出資しているレストランの試食会があったからです。そういったものにすべて参加するわけでは無いですが、今回のレストランに関してはそれなりに多く出資していたこともあって参加しました。

 滞りなく試食会は終わり、この後はSTARRYに向かう予定です。今日はスタジオ練習の日ですし、時間的に考えて到着するころにはある程度練習して一休みという様なタイミングのはずなので、差し入れになにか甘いものでも買って行くことにしましょう。

 そう思いつつエレベーターで一階に降りて歩いていると、ホテルの前に見知った方が居るのを見つけました。

 

 ホテルの前に居たのはヨヨコさんで、ホテルの中に入ったりするわけでもなく、スマートフォンを操作してなにやら青ざめた表情を浮かべていました。

 不思議に思いつつ近づいてみると、ブツブツと呟く声が聞こえてきました。

 

「……え? 嘘……こんなに高いの? 4人分だと3万円近くに……あ、でも、ネット会員になれば1000円引き……事前に全員会員登録させる? 無理、そんなの切り出せない……けど、いまあんまり余裕は……」

「ヨヨコさん? こんにちは」

「ッ!?!? と、とと、時花有紗!?」

「ええ、こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「な、なな、なんでここに?」

「こちらのホテルに私用がありまして。終わって帰るところだったのですが、たまたまヨヨコさんを見つけたもので……ヨヨコさんはこちらでなにを?」

 

 できるだけ驚かせないように声をかけたつもりでしたが、飛び跳ねるほど驚かれてしまいました。よっぽどスマートフォンに集中していたのでしょう。

 そして、明らかに慌てた様子のヨヨコさんにできるだけ穏やかに微笑みつつ尋ねます。

 

「……わ、私は、その……し、下見にね」

「下見、ですか?」

「ええ、その、今度SIDEROSの打ち上げで、スイーツビュッフェに行こうって話になったから、リーダーとして場所の選定をしていたのよ。ほ、ほら、私はなにごとも万全の備えをして臨むタイプだからね」

「なるほど……」

 

 ここまでの話の流れと呟き、ヨヨコさんの性格を考えておおよその状況は察しました。おそらくですが、なんらかの話の流れでヨヨコさんがSIDEROSメンバーにスイーツビュッフェを……それもそれなりに高価な場所でご馳走するという話になったのでしょう。

 4人分と呟いていたので、ヨヨコさんが出すのは間違いないでしょう。そして、ヨヨコさんの性格上見栄を張って奢るという話になったものの、値段を調べてみれば想定より高額で悩んでいたという感じでしょうかね?

 

 ヨヨコさんは精神的に優位に立っていたいタイプ……というよりは、ある程度余裕のある状態じゃないと落ち着かないタイプなので、下見というのも事実でしょう。事前に他の3人を連れていく予定の店に一度先んじて行っておきたいと考えて足を運んだはいいものの、ホテルに入る前に値段を調べて尻込みしていた感じではないかと推測しました。

 絶対に当たっているという自信があるわけではありませんが、それなりに当たっているのではないかと思います。

 

 さて、ここで変に助け舟を出したとしても、ヨヨコさんはプライドが高い方なので「必要ない」と見栄を張って突っ撥ねる可能性が高いです。

 となると、さりげなく手助けするには……。

 

「それでしたら、丁度よかったです」

「丁度いい? なにがかしら?」

「いえ、実は、このホテル内の店にはそれなりに出資しているので度々割引券などが贈られてきたりするのですが、使う機会が無くて腐らせているものも多くて困っていたんですよ」

「そ、そうなの?」

 

 嘘は言っていません。実際に株主特典なども含めて、あちこちから割引券や食事券などは贈られてきますし、使いきれずに期限を過ぎたら処分しているものも多いです。

 本人でなくとも使用できる類のものに関しては、知り合いに差し上げることも多いですし、丁度このホテルのスイーツビュッフェの割引券も複数所持していますし、使用する予定もなかったです。

 

「ええ、それでこのホテルのスイーツビュッフェの割引券、ひとりに付き1枚使用できて、半額になるものがあるのですが……私は期限内に使用できそうにないですし、期限切れになってしまうのも勿体ないので、よろしければヨヨコさんたちが使ってくれませんか?」

「……は、半額……ま、まぁ、そうね。まだどのホテルにしようか決めていたわけじゃないし、別にこのホテルのスイーツビュッフェでも問題ないわね」

「では、後日送らせていただきますね。期限切れにしてしまうのも忍びないと思っていましたので、助かります」

「え、ええ、構わないわ」

 

 どうやら上手くヨヨコさんのプライドを傷つけずに助け舟が出せたようで、ヨヨコさんの表情は先ほどまでより分かりやすく明るい感じになっていました。

 

「それでは、詳しい話は後ほどロインを送りますね。それでは、私はこれで……」

「ええ……あっ、ちょっと待って!」

「はい?」

 

 そのまま立ち去ろうとしたのですが、呼び止められて振り返ると、ヨヨコさんはなにやら言い出し辛そうに視線を彷徨わせた後で、意を決した表情で口を開きました。

 

「…………その、あ、ありがとう。本当はちょっと、値段高くて厳しいなぁって思ってたから……助かったわ」

「いえいえ、私としても助かりますので、お気になさらず」

 

 気恥ずかしそうにお礼を告げるヨヨコさんに微笑んだあと、改めて挨拶をしてからその場を去りました。

 

 そして、ホテルの前で待ってくれていた車に乗ってSTARRYに向かおうとしたタイミングで、今度は意外な方から電話がかかってきました。ただ、以前に連絡するかもとは言っていたので、おそらくはその話だろうと思って、私は電話に出ました。

 

 

****

 

 

 途中で買い物をしたあとでSTARRYに到着し、スタジオに向かうと結束バンドの皆さんは演奏中のようでした。ただ、曲の終盤部分を演奏しているので、予想していた通り一区切りのタイミング……休憩前に一度通して演奏をといった感じでした。

 少しして演奏が終わると、ひとりさんが明るい表情を浮かべてこちらに近づいて来てくれました。

 

「あっ、有紗ちゃん。こんにちは」

「こんにちは、ひとりさん。練習お疲れ様です」

「なんか、尻尾振って駆けてく子犬が見えた気がする」

「反応早かったですね」

「……やっぱり、チワワぼっちでは?」

 

 ひとりさんに続いて虹夏さん、喜多さん、リョウさんも近づいて来て軽く挨拶を交わします。やはり休憩のタイミングだったみたいで、丁度よかったですね。

 

「丁度いいタイミングでしたね。差し入れにケーキを買ってきましたので、休憩の際にいかがでしょうか?」

「……有紗のそういうとこ、本当に好き。有紗のおかげで、私は草だけじゃなくて済んでる。本当に感謝」

 

 むしろなぜ定期的に草を食べる状態になっているのかという疑問もあるのですが、虹夏さん曰くリョウさんはとにかくお金があれば全部使ってしまう性格みたいなので、いっそ虹夏さん辺りがリョウさんのお小遣いを管理した方がよさそうではありますね。

 

「ああ、それと、虹夏さん」

「うん?」

「フリーライターの方から取材の申し込みがありました。未確認ライオットに出場している中で、有力候補を取材して特集記事を作りたいらしくて、許可が出るようなら今日の夕方に取材に来たいとのことです」

「え? そうなの! 凄いじゃん! 私たち、有力候補ってことでしょ……あれ? でも、なんで私じゃなくて、有紗ちゃんに取材申し込みが?」

「個人的にそのライターと知り合いでして、電話で先ほど連絡を貰いました」

 

 というか、皆さんも知り合いというか……取材を申し込んできたのはやみさんです。取材と合わせて、以前の発言についても謝罪したいとのことで、出来れば自分が行くというのは内緒にしておいてくれと言われたので、少しだけぼかして説明しました。サプライズ感も重要だとか、もし取材拒否されたら3日はへこむ自信があるとか言っていましたが、おそらく後半の理由がメインでしょうね。

 

 やみさんの認識として自分は厳しく毒を吐いたライターで、結束バンドのメンバーからは嫌われていると思っているみたいです。まぁ、実際はそんなことはまったく無く、やみさんの発言の思惑については別に口止めされなかったので、皆さんには説明済みなので誰も誤解していたりはしませんし、むしろ感謝しているのではないかと思います。

 

「そうなんだ。うん、大歓迎だよ! いや~私たちも評価されてきたってことだね!」

「ですね!」

「大丈夫? 前みたいなことにならない?」

「今回は大丈夫だと思いますよ」

「ふむ……まぁ、有紗がそう言うなら、大丈夫か」

 

 喜ぶ虹夏さんと喜多さんに対して、リョウさんは少し訝し気な表情を浮かべていましたが、私が大丈夫だと伝えるとどこか安心した表情で頷きました。

 ひとりさんは、少し考えるような表情を浮かべたあとで、アレコレ話をしている3人に聞こえないように、私に小声で話しかけてきました。

 

「……あっ、えと……前のライターさんが来るんですか?」

「ええ、ただ、今回は前の発言を謝罪したいという名目での取材申し込みなので、問題ないと思いますよ。実際、路上ライブにも毎回来てくれていたので……」

「あっ、そっ、そうなんですね」

「しかし、よく分かりましたね。流石、ひとりさんは鋭いです」

「あっ、えっと、だっ、だって、その……ライターさんのことはよく分からないですけど、あっ、有紗ちゃんのことなら……よく知ってるので……その、顔を見ればわかります」

 

 私の隠し事はひとりさんには通用しなかったようで、ひとりさんはやみさんが来ることを見抜いていました。その洞察力に感心していると、ひとりさんははにかむ様に微笑みを浮かべ、私も釣られて笑みを溢しました。

 

「ひとりさんに隠し事はできませんね。でも、ひとりさんがそうやって私のことをよく分かってくれているのは、なんだか嬉しいですね」

「えへへ、有紗ちゃんも私の考えてることはすぐ分かりますし……そっ、その、私もそれは嬉しいので……一緒ですね」

 

 そう言って笑うひとりさんの笑顔からは、互いに心が通じ合っているかのような温かさを感じて、なんとも言えない幸せな気持ちになれました。

 好きな人が己のことをよく分かってくれているというのは、本当に嬉しいことですね。

 

 

 




時花有紗:とにかく察しがよくて優しいので、陰キャやコミュ症に特効がある感じである。流れるようにぼっちちゃんといちゃつく様はまさに熟練。

後藤ひとり:チワワなぼっちちゃん。実は過去の話も含めて、有紗がSTARRYに来た際にぼっちちゃんが居ると、必ず一番初めに有紗に反応して声をかけている。有紗に関してだけは非常に鋭いのは、愛の力だろう。

ヨヨコパイセン:徹底的に下調べしとかないと不安なタイプ。偶然有紗と出会ったおかげで財布へのダメージは半分に抑えられた。


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五十九手再来のフリーライター~sideB~

 

 

 有紗を通じて届いた取材の依頼。幸い今日はSTARRYは休みということもあって、店内を使ってもいいと星歌から許可は出ており、現在結束バンドのメンバーは取材を申し込んできたフリーライターを待っていた。

 約束の時間の5分前ほどになったタイミングで、入り口のドアが開きライター……やみが店内に入ってくると、有紗とひとりを除いた3人は驚いたような表情を浮かべた。

 

「……久しぶりね」

「あっ、貴女は、あの時の……」

「たしか、ポイズンマミー」

「や、み! ぽいずんやみよ! ちょっとの違いでゲームの敵キャラみたいになってるじゃないの!?」

 

 少しだけ気まずそうに口を開いたやみだったが、リョウが変な名前の間違え方をしたせいですぐに神妙な空気は霧散した。

 なんとも微妙な空気にはなったが、少して苦笑しながら虹夏が口を開いた。

 

「取材に来るフリーライターってぽいずんさんだったんですね」

「……やみでいいわよ。今回は急な取材申し込みで悪かったわね」

「……なんか、前とキャラ違いません?」

「ぐっ、ま、前はライターとして生き残るためにキャラ付けに試行錯誤してた時だったから……いまのが素よ」

 

 以前の変に可愛い子ぶった様子ではなくどことなく落ち着いた雰囲気のやみをみて、喜多が不思議そうに尋ねると以前の様子はキャラを作っていたことを正直に話した。

 

「……まぁ、改めて、今回は貴女たちの取材に来たんだけど、そのまえに……ごめんなさい!」

「「「え?」」」

 

 取材の前にと頭を深く下げて謝罪の言葉を口にしたやみに、虹夏、喜多、リョウの3人は戸惑ったような表情を浮かべた。

 そんな3人と、有紗から話を聞いていたおかげで驚いていないひとりに対してやみは頭を下げたままで告げる。

 

「貴女たちのライブ、見させてもらった。まだまだ発展途上な部分や課題も多いけど、数ヶ月であそこまで成長しているのは本当に驚いたし、純粋に凄いと思った。ギターヒーローさんが凄いだけじゃなくて、他のメンバーもギターヒーローさんの才能に負けることなく一緒に輝けるって思った。だから、前の時の言葉は全面的に撤回させて……貴女たちは、十分にプロを目指せる……本当にいいバンドよ」

「……やみさん……あ、顔を上げてください! あの時に、やみさんが言ったことは私たちを奮起させるため、あえて厳しく言ってくれたって分かってますし、おかげで皆でもっと頑張ろうって気持ちになれたんで……むしろ感謝してます!」

 

 実際最初こそショックを受けたものの、やみの指摘は虹夏たちにとっても納得できるものであり、いつかは本気で向かい合わないといけない課題だった。

 実際あの時のやみの発言があったからこそ、結束バンドは大きく成長できたと言ってよく、有紗から真意を聞いていたこともあってやみに対して悪感情などは無かった。

 

「そう言ってもらえると、嬉しいわ……じゃあ、改めて取材をさせてちょうだい。今度はウケ狙いとかそういうのじゃなくて、未確認ライオットの有力候補のひとつとしてね」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 こうして無事にやみと結束バンドの面々は和解して、改めて取材を行うことになった。以前はひとりのラブダイブの話を聞いてネタ目的での取材ではあったが、今回は路上ライブや池袋でのライブを聞いた上で、やみは本心から結束バンドが優勝候補の一角であると判断した上での取材であり、その目には期待が見て取れた。

 そうして取材は始まったわけだが、しばらく結束バンドの面々に取材を行ったあとでやみは、笑顔を浮かべたままで口を開た。

 

「……うん。やっぱ、有紗さんがマネージャーってことでそっちに取材してもいい?」

 

 例によって取材の受け答えに結束感は皆無であり、やみは引きつった笑顔で上手く返答を纏めてくれそうな有紗に話を振った。

 そして、有紗のフォローもあって無事に一通りの取材を終えたやみは最後に「未確認ライオットは、1ファンとしても応援している」と告げたあとで、STARRYを後にした。

 

 その数日後にネットに結束バンドを含めた未確認ライオットの有力候補を紹介する記事が投稿され、ネット投票の大きな助けとなることとなった。

 

 

****

 

 

 やみの取材から数日、ネットに記事が公開された翌日。有紗とひとりは一緒にSTARRYを目指して歩いていた。今日は休日であり、現在はまだ午前中ではあるがそれには理由がある。

 

「あっ、えっと……中間結果の発表は12時でしたよね?」

「ええ、そのはずです。これで結果が決まるというわけではありませんが、今後の大きな指針になるのでやはり緊張はしますね」

「はっ、はい。どっ、どうなんでしょうね? あっ、有紗ちゃんから見て……」

「個人的な考えであれば、結束バンドの知名度は十分に上位を狙えるだけになってきていると思いますし、少なくとも通過ラインは越えている可能性は高いです。ただ、読めない浮動票などもありますし運も絡んでくるので予想が難しい部分もありますね。ただ、やみさんの記事なども含めて流れはいいと思います」

 

 実際ここ数ヶ月での結束バンドの成長は著しく、ライターとして様々なバンドを見てきたやみの目からも優勝候補の一角と認識されている様子であり、書かれた記事もかなりいい内容が多かった。

 まだまだ結成から浅めのバンドということもあって、未熟な部分や課題となる部分も指摘していたが、それ以上にメンバーたちの才能や成長を賞賛した記事だった。

 

「……ひとりさん」

「あっ、はい」

「大丈夫です」

「え? あっ……」

 

 少し不安げな表情を浮かべていたひとりの肩に手を回し、軽く抱き寄せながら有紗は優しい声で告げる。

 

「もちろんここでいい順位に居ることが最善ではありますが、そうではなかったとしても後半の1週間でどうすればいいかの課題は見えてきます。決して悪い結果にはなりませんし、させません……あと、個人的な考えですが、結束バンドはいい順位に居ると思いますよ」

「有紗ちゃん……はい。有紗ちゃんが、そう言ってくれるなら、安心です」

 

 優しく安心させるように話す有紗の言葉を聞いて、ひとりはホッとした表情を浮かべたあとではにかむ様に笑って少しだけ甘えるように有紗に体重をかける。

 仲睦まじいといえるその光景に対し、後方から心底呆れたような声が聞こえてきた。

 

「……いやいや、君らなに天下の往来でいちゃついてるの?」

「いっ、いい、いちゃついてないです!?」

「私とひとりさんの絆が深まってきた証拠ですね」

 

 振り返ると買い物袋を持った虹夏がチベットスナギツネのような顔を浮かべており、それを見たひとりは赤い顔で慌てて有紗から離れる。ただ例によって有紗はまったく動揺した様子はなく、むしろ誇らしげに微笑んでおり、虹夏は思わず苦笑する。

 

「有紗ちゃんは相変わらず動じないな~」

「こんにちは、虹夏さん。買い物ですか?」

「うん。飲み物とかお菓子だよ。皆で中間結果発表を待つわけだし、つまめるものとかあった方がいいかなぁ~ってね」

「なっ、なるほど……」

 

 中間結果の発表まではまだ1時間以上あるので、STARRY内で結果を待つことになる。気になって練習に集中できるとも思えないので、虹夏はこうしてお菓子などを買いに来ており、その帰りに偶然有紗とひとりを見かけたようだった。

 そんな虹夏の言葉を聞いて、有紗は優しく微笑みながら口を開く。

 

「……先ほどひとりさんにも言いましたが、大丈夫ですよ。皆さんが頑張って来た成果は、きっと結果に表れます」

「うっ……有紗ちゃんは、そうやってすぐに見抜くから困るなぁ……」

 

 実際のところ虹夏が買い物に出てきたのは、緊張からじっと待っていることが出来ず気を紛らわすためという側面も強かったのだが、有紗は一目で虹夏の緊張も見抜いていた様子だった。

 相変わらず鋭い有紗に苦笑しつつ、虹夏はふたりと一緒にSTARRYに向かった。

 

 

****

 

 

 STARRYの店内で椅子を並べ、虹夏が手に持つスマートフォンを覗き込む結束バンドの面々。

 

「……そっ、そろそろですよね?」

「あと5分ですね」

「緊張しますね~まだ、あくまで中間発表なのに凄くドキドキしてます」

「喜多ちゃんの気持ち、凄くよく分かるよ。私も本チャンかってレベルで緊張してる」

「スマホ持つ手がプルプルしててウケる」

 

 中間順位の発表が間近に迫り、ともかく落ち着かない様子だった。カウンター付近に居る星歌やPAもチラチラと虹夏たちを見ており、かなり結果を気にしている様子だった。

 なんとも言えない緊張感の中で時間は過ぎていき、ついに12時となった。

 

「き、きた! えっと、結束バンドは……中間――9位!!」

『ッ!?』

 

 虹夏がその言葉を告げた瞬間、緊張していた顔は喜色を強く含んだものに変わり、ひとりは思わず隣に居た有紗に抱き着いた。

 

「あっ、有紗ちゃん! こっ、これって……」

「ええ、もちろんまだ油断はできません。これからも宣伝を頑張る必要はあります……ですが、この結果は……ネット審査通過はほぼ確定といっていいぐらいの成果だと思います!」

 

 抱き着いてきたひとりを抱きしめ返しつつ、有紗も嬉しそうに告げる。もちろん最初の対策会議で話したように10位以内を狙って頑張ってはいた。だが実際に届く可能性はそこまで高くはなかった。

 最近出したMVややみの記事によるブーストなどいろいろなものが噛み合った結果、10位の壁を破った。

 

「凄いですよ! 本当に10位以内に入ってますよ!!」

「……ふっ、来たか、私たちの時代」

 

 喜多とリョウも非常に喜んでおり、思わずハイタッチを交わすぐらいにははしゃいでいた。そして、虹夏もカウンターの星歌の元に駆け寄って思いっきり抱き着いた。

 

「お姉ちゃん! 見てみて、やったよ! 私たち9位だよ!!」

「……まだ、中間発表だろ……けどまぁ、よくやったな」

「うん!」

 

 もちろんまだ中間発表であり本発表まではさらに1週間の投票期間がある。それでも、ひとまず結束バンドにとって最良といっていい結果になった。

 メンバーたちの喜びはしばらく続き、落ち着くまでには少々長めの時間がかかった。

 

「……中間結果は最高の形だったけど、油断せずにこれからも頑張ろう! ってのはいいとして……そこのバカップルはいつまで抱き合ってるの?」

「どっちかというと、有紗ちゃんが抱きしめててひとりちゃんが離してもらえてないような……」

「あ、ぼっちが体から力抜いた。諦めた顔してる」

 

 テンションが上がっていることもあり、抱き合って喜んでいた有紗とひとりだが、流れとは言えこういうシチュエーションになったのならしっかり堪能するのが有紗であり、しばらく経ったいまもひとりを抱きしめたままだった。

 最初は恥ずかしさから離れようとしていたひとりも、流石に長い付き合いで有紗の性格はよく分かっているのか、途中で諦めた様子で大人しく有紗に抱きしめられていた。

 

 

 




時花有紗:一度ひとりを抱きしめるとなかなか離したくない派であり、ハグが実行されると抱きしめている時間は長い。本人はとても幸せそうな表情を浮かべていた。

後藤ひとり:周りに虹夏たちも居たことで恥ずかしさで離れようとしていたが、途中で諦めた。なお、周りに虹夏たちが居なければそもそも離れようともせずに有紗が満足するまで抱きしめられていた可能性が高い。

ポイズンマミー(14):序盤の難敵、毒を吐いてくるので状態異常対策は必須。結束バンドの成長が著しいこともあって、原作よりかなり早い段階で和解。

中間結果発表:原作48位→9位の大躍進。ちなみにSIDEROSは原作3位→2位とこちらも順位を上げている。


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六十手同行のスタジオ練習~sideA~

 

 

 未確認ライオットの中間結果発表は想像以上にいい順位でした。できれば最終まで維持するか順位を上げて、10位以内で終わればステージ審査の突破の追い風になります。

 ステージ審査は全国4会場で行われ、ファイナルステージに進むのは過去を見る限り概ね10組前後。つまり会場によって2組通過と3組通過がある可能性が高いです。

 この2組と3組の通過枠をどう割り振るかは、地域ごとの出場バンド数などもあるでしょうが、運営側の思惑も大きく関わってくるでしょう。

 

 もちろん審査は公平に行うでしょうが、慈善事業というわけではありません。当然運営側としてもファイナルステージに多くの集客が見込める人気バンドに通過してほしいという思いはあるでしょうし、上位のバンドが多く集まる会場は通過枠が広くなるでしょう。

 それに純粋に投票に関しても、やはりネット審査の順位が高い方がバイアスがかかるものですし、上位であればあるほど後の有利につながるでしょうね。

 とはいえ、別になにかができるというわけでもなくこれまで通り広報活動を頑張っていくだけですね。

 

 そんなことを考えていると、隣を歩いていたひとりさんが小さく笑みを浮かべながら口を開きました。

 

「……あっ、ぶっ、無事に買えましたね」

「ええ、なかなかドラム用品が置いてる場所は少ないものですね」

「でっ、ですね。結局渋谷まで来ることになりましたし……有紗ちゃんが一緒に来てくれて助かりました」

 

 現在私とひとりさんは渋谷に買い物に来ており、目的は5月29日の虹夏さんの誕生日プレゼントの購入ですね。私は別ですでに用意していて、今回はひとりさんが虹夏さんに贈るプレゼントを購入に来た形です。

 いろいろ相談した結果ドラム用のアクセサリーをプレゼントすることに決めたのはよかったのですが、ドラム用品は扱っている店が少なく、あっても駅から遠かったり品揃えがいまいちだったりと、少々探すのに手間がかかりましたが、最終的に渋谷の楽器店でよいもの……ドラマー用のカスタムヘッドホンを見つけて、ひとりさんはそれを購入しました。

 

「まだ時間はありますし、せっかくですからどこかに寄っていきますか?」

「あっ、そうですね。しょっ、食事にはまだ早いですし、どこか時間を潰せる場所で……」

「ほら! 早くしないとスタジオ遅れるわよ!」

「「うん?」」

 

 せっかく渋谷に来たので、少しひとりさんと遊んで帰ろうと提案してひとりさんもそれを了承してくれたタイミングで、なにやら聞き覚えのある声がしてひとりさんと一緒に振り返りました。

 するとそこには、ヨヨコさんとSIDEROSの方たちが居て、ほぼ同じタイミングで振り返ったヨヨコさんと目が合いました。

 

「あ、後藤ひとりに時花有紗……」

「ヨヨコさん? それに皆さんも、こんなところで奇遇ですね」

「あっ……こっ、こんにちは……」

 

 本当に珍しいところで会うものです。SIDEROSは新宿を拠点とするバンドですし、皆さん楽器を持っているということは渋谷のレンタルスタジオで練習でもするのでしょうか?

 そんなことを考えていると、ヨヨコさんは腕を組みながらどこか鋭さを感じる目で告げました。

 

「……結束バンドの中間発表見たわよ。やるじゃない」

「ありがとうございます。SIDEROSも2位で素晴らしい順位でしたね」

「1位じゃなかったのは不満だけどね。まぁ、そこは最終結果でひっくり返せばいいわ」

「ヨヨコさんはいつも高い目標を見据えていて素晴らしいです。その向上心と熱意は私たちも見習わなければなりませんね」

「……ふん! まぁ、私は絶対1番になるって決めてるからね」

「……くっそ嬉しそうな顔してるじゃないっすか、褒められて嬉しいのが丸わかりじゃないっすか……」

 

 ヨヨコさんはこうして会った際には、ややぶっきらぼうながらよく結束バンドのことを賞賛してくれます。なんだかんだで、結束バンドの成長を喜んでくださっているように感じられますね。

 するとそのタイミングで会話に入ってきたあくびさんが、ヨヨコさんに一言告げたあとで私とひとりさんの方を向きました。

 

「おふたりとも、ここで会ったのもなにかの縁ですし、ウチらいまからスタジオ入るんですけど、よかったら一緒にどうすか?」

「わ~楽しそう! 来て来て!」

 

 一緒にスタジオに行かないかと誘ってくれるあくびさんの言葉に、楓子さんも明るい笑顔で賛成します。さて、どうしますかね。私とひとりさんも特にこれといった予定があるわけでもありませんし、悪くない提案ではあります。

 

「ひとりさん、どうしますか?」

「あっ、えっと、私は別にいいですけど……有紗ちゃんは、楽器とか持ってないですよね?」

「ああ、それでしたら大丈夫です。連絡すればすぐに届けてもらえますし、せっかくの機会ですし一緒させていただいて私たちは私たちでセッションしましょうか?」

「あっ、はっ、はい!」

 

 ひとりさんは現在ギターを持って来ていますが、私はキーボードを持っていません。スタジオによってはレンタルなどもあるでしょうが、渋谷であれば比較的私の家とも近いのでじいやに連絡を入れれば、すぐにキーボードを届けてくれるでしょうし、問題はありません。

 

「ヨヨコ先輩もそれでいいっすか?」

「構わないわ……まぁ、せっかくだし、ふたりのスタジオ代は私が奢ってあげるわよ。時花有紗には、前に世話になったからね」

「ありがとうございます。では、ご厚意に甘えさせていただきますね」

 

 ひょんな流れではありましたが、SIDEROSの皆さんと一緒にスタジオで練習することになりました。まぁ、こちらは演奏メンバーはひとりさんだけなので、ひとりさんの練習に私が付き合う様な形ですが、ひとりさんは嬉しそうにしてくれているので問題はありませんね。

 じいやに連絡を入れてキーボードを持って来てもらえるように手配すると、そのタイミングであくびさんが話しかけてきました。

 

「ああ、そういえば有紗ちゃん、前に教えてもらったシャンプー凄くいい感じでした。値段はちょっと高いっすけど、自分の髪色だと結構傷みやすいので質のいいシャンプーの方が長期的に見るとよさそうなんで、今後も使っていこうと思います」

「髪質に合ったようならなによりですね。あくびさんの髪は私と似ていますので、シャンプーの相性も近いのかもしれませんね」

「いや~でも、有紗ちゃんの髪艶には敵わないっすよ。やっぱり、かなり時間かけて手入れとかしてるんすか?」

「特別時間をかけてというわけではありませんが、一通りの手入れはしていますね」

 

 あくびさんは比較的私と似た髪の色ということもあって、シャンプーやトリートメントについて質問されたことがあったので、私の使っているものを紹介しました。

 たしかにそれなりに値段は張るものですが、一度傷んだ髪を元に戻す手間を考えると、あくびさんのように質のいいものを使っておいた方がいいでしょう。

 

「あ、そういえば、ぼっちさんとはあんま話したことなかったすよね? 前のクリスマスの時もテーブル違いましたし……」

「あっ、はっ、はい。そうですね」

「自分結構動画とか見るんすけど、ぼっちさんのギター動画も見てますよ。テクすげぇっすね」

「あっ、ええ、えと、あっ、ありがとうございます。えっ、えっと……」

 

 突然ではありますが、私のひとりさんへの愛は日々高まっています。それに応じて愛の力もまた強くなるのも必然でしょう。

 かつてとは違います。いまの私はひとりさんの思考を読み取るだけではなく、行動を先読みすることも可能となっています。

 ひとりさんは現在「せっかく話しかけてくれたのだから会話を広げなければ……」と考えています。それ自体は問題ないでしょうが、ここで重要なのはひとりさんが会話の広げ方をどうするかというものです。

 

 いまひとりさんの頭の中では、喜多さんかあるいは私といった比較的コミュニケーション能力の高い相手を思い浮かべており、それを参考にしようと考えています。

 ですが、得てしてそういう付け焼刃は上手く行かないものです。ひとりさんが意を決したように行動しようとしたタイミングで、私は軽くひとりさんの肩に手を置きます。

 

「ひとりさん、落ち着いてください。確かに相手を褒めるというのは、会話を広げる目的においては有用です。しかし、慣れない状態で無理をすると逆に不自然になってしまうものですよ」

「……う、うん? 有紗ちゃん、どうしたんすか、急に?」

「ああ、いえ、ひとりさんがあくびさんの肌が白くて綺麗だと褒めようとしていたみたいでしたが、そういう会話に慣れていないようで緊張気味だったので……」

「あっ、はっ、はい。そっ、そそ、そんな感じです」

 

 私の愛の力をもってすれば、ひとりさんがなにを言おうとしていたかまで正確に分かります。間違いなくあくびさんの肌艶を褒めて、化粧水などの話をして、ロインのIDを交換という流れを想定して動こうとしていました……残念ながら、ひとりさんがその流れを上手く会話で持っていけるとは思えませんが……。

 

「あれ? そんな話してましたっけ……まぁ、いいか。いや、白いのは休日とかに部屋でゲームばっかりしてるせいもあるんすけどね。けど、ありがとうっすよ」

「あっ、えっ、えと、化粧水がその……」

「化粧水などはどんなものを使っているのでしょうか?」

「えっとですね、乳液とメーカー合わせてるんすけど……」

 

 ひとりさんがなにを言いたいかは手に取るようにわかるので、私が適時サポートすることでひとりさんも問題なくあくびさんと会話が弾んでいました。

 そこに楓子さんも加わり、幽々さんが時折ボソッと会話に入ってきて、更にヨヨコさんも加わって、なんだかんだで6人でワイワイと楽しく会話しながらスタジオを目指しました。

 

 その道中で、ひとりさんはそっと私の手を握って、周りの皆さんには聞こえない小さな声で話しかけてきました。

 

「あっ、有紗ちゃん……助けてくれてありがとうございます」

「ふふ、任せてください。私はいつだって、ひとりさんの味方ですからね」

「あぅ、えへへ……その、なんか、そう言ってもらえるのは嬉しいですね。えっ、えっと……その、いつも、凄く頼りにしてます」

 

 

 




時花有紗:ひとりに対する愛の力はさらに高まっており、既に限定的な未来予知の領域にまで到達している。流石愛の力……。

後藤ひとり:やはり精神面の成長が著しく、ある程度は落ち着いて会話できる……ただコミュ症が治ってるわけでも、コミュ力が急上昇しているわけでもないので、事故る時は事故る……が、有紗が近くに居る場合は心配ない。

ヨヨコパイセン:原作と違ってへんな対抗意識が無く、純粋にライバル兼後輩としてひとりや結束バンドを見ていることもあり落ち着いている……というか、登場する度に遠回しに結束バンドを褒めていたり、スタジオ代を奢ってくれたりと……ただのいい先輩である。


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六十手同行のスタジオ練習~sideB~

 

 

 ひょんなことからSIDEROSのメンバーと一緒に音楽スタジオに来ることになった有紗とひとり。有紗が届けてもらってキーボードを受け取ったあとで全員でスタジオ内に移動する。

 この音楽スタジオは5人以上であれば大部屋を安く借りることができるため、大部屋を借りてそちらに移動する。

 

「わ~部屋広い~!」

「さすが大部屋は違うっすね」

「設備も~充実してるねぇ」

 

 部屋に入ると楓子が明るい声を上げ、あくびと幽々もそれに同意する。ヨヨコも室内に置いてあった大型のアンプに興味があるようで目を輝かせてアンプを見ていた。

 

「あっ、凄いですね」

「私たちは、STARRY以外のスタジオで練習することは少ないので、新鮮な気分ですね」

 

 ひとりも有紗が一緒に居るおかげである程度落ち着いており、一緒に演奏の準備をして軽い音合わせを

行っていく。

 そして、SIDEROSメンバーも含めてある程度簡単な音出しが終わった後で、あくびが有紗とひとりに声をかける。

 

「自分たちこれからいつもの……リズム練するんすけど、おふたりもよかったらどうですか?」

「では、せっかくですし参加させてもらいますね。ひとりさんも、構いませんか?」

「あっ、はい。大丈夫です」

「じゃあ、ハチロクでいくんでカウント6でてきとーに!」

 

 あくびが語ったハチロクは音楽用語で8分の6拍子を指す言葉であり、1小節内に8分音符が6つ入っているリズムを指す。カウント6はリズムの取り方であり、8分の6拍子のリズムは「123、123」と3カウントでとる場合と「123456」6カウントでとる場合が多く、今回は6カウントのリズムで演奏するとのことだ。

 今回の練習では通常は4拍子の曲を8分の6拍子で演奏するという、いわゆる変拍子の練習でありそれなりに難しく高度な練習ではあるのだが、有紗も含めて全員確かな演奏技術を持っているため問題なく練習を行っていく。

 

 そしてある程度リズム練習が終わると、今度はセッションでの練習となり、こちらはSIDEROSと有紗とひとりの2人という形で別れて、交互に行うことにした。

 先にセッションで曲練習を行うSIDEROSを有紗とひとりは並んで見つつ言葉を変わす。

 

「あっ、やっ、やっぱりSIDEROSってレベル高いですよね?」

「そうですね。特にバンドとしての完成度が非常に高いですね。それぞれが個性を出して調和する結束バンドとは違って、中心人物であるヨヨコさんをバンド全体でサポートするSICKHACKに近い形態で、見事に完成されていますね」

「たっ、確かに、ヨヨコさんの演奏レベルも凄いです」

 

 間違いなくプロレベルの力を持つSIDEROSの演奏から学ぶことは多く、有紗とひとりは真剣な表情で練習風景を眺めていた。

 SIDEROSが一通り曲を演奏し終えたあとは、交代して有紗とひとりが練習を行うことになる。

 

「あっ、有紗ちゃん、私たちはどうしますか?」

「こちらはそもそもひとりさん以外のメンバーが居ないので、本格的な曲練習は無理ですし、普通にセッションしましょう。ただ、練習も兼ねて前にやった変速演奏のセッションはいかがですか?」

「あっ、いっ、いいですね。あれ、面白かったですし……」

 

 ほとんどメンバーが居ないこともあって、ひとりと有紗は本格的な練習ではなく楽しくセッションをすることを重視したようで、ふたりで遊ぶように変則的な演奏を始めた。

 それを眺めていたSIDEROSのメンバーたちは、どこか感心したような表情を浮かべていた。

 

「……これは、へぇ……特定のリズムを演奏したらピッチを上げて加速、別の特定のリズムを演奏したらピッチを下げて減速……面白いことするわね」

「え? ていうかこれ、凄くないすか? 変速タイミングとか息ピッタリじゃないですか……」

「単純に、どっちも演奏レベル高いよね!」

「それにぃ、凄く楽しそうで~ちょっと羨ましぃ」

 

 有紗とひとりの練習は、曲の途中で何度も演奏速度を変える変則的なものではあったが、ふたりの息がピッタリなこともあってタイミングなどが完璧に噛み合っており、見事な演奏になっていた。

 その演奏を眺めながらヨヨコは腕を組んで思考を巡らせる。

 

(単純な技術もそうだけど、互いの演奏をよく聞いてタイミングを合わせる必要がある。曲の途中でリズムを何度も変える練習は、後藤ひとりにとって人に合わせて演奏する練習にもなるわけか……時花有紗とは息の合った演奏ができて、それを繰り返すことで自然と人に合わせた演奏方法を身に着けている。どうりで、クリスマスの時とは別人のように実力を発揮できるようになってるわけだわ)

 

 ヨヨコが考えている通り、息ピッタリの有紗とセッションをすることで、ひとりは自然と人と合わせて演奏する感覚のコツを掴んでおり、有紗とセッションするようになってから結束バンドの演奏でもいままで以上の速度で本来の実力に近い演奏が可能になった。

 現在であれば、ひとりはもうほぼ本来の実力に近い演奏が可能になっており、それが結束バンド全体のレベル向上にも繋がっていた。

 

「……けど、不思議っすね? こんなに上手いのに、なんで有紗ちゃんは演奏メンバーじゃないんですかね?」

「その辺りは私たちが口を挟むような事じゃないわ。アレだけ仲が良いなら誘ってないわけがないし、その上で参加していないのなら相応の理由があるのよ。外野が口出すのは下世話よ」

「おぉ……ヨヨコ先輩、なんか珍しく先輩っぽいこと言ってますね」

「ふっ、まあね……うん? 珍しく?」

「おっと、そろそろ演奏終わるみたいなんで、次は自分たちの番すよ、準備しないと!」

「そ、そうね……なんか、気になる発言があった気がするけど……」

 

 微妙に釈然としないような表情を浮かべつつ、ヨヨコはギターを手に取って準備を始めた。

 

 

****

 

 

 ある程度練習を行った後、休憩することになったタイミングでヨヨコがひとりに近付いた。

 

「あっ、大槻さん?」

「……ボーカルも含めた総合レベルは私の方が上よ。貴女が上なのはギターの演奏技術だけ」

「あっ、え? あっ、はい、すみませ……」

「ひとりさん、ヨヨコさんはひとりさんのギターの腕前を褒めてくれてるんですよ」

「あえ? そっ、そうなんですか?」

 

 どことなく威圧感のある物言いに委縮しかけたひとりだったが、すぐに有紗のフォローが入ったことでキョトンとした表情を浮かべた。

 すると有紗の言葉を肯定するように軽く頷いてから、ヨヨコは言葉を続ける。

 

「……まぁ、ギターの腕前は認めるわ。正直、いまの私より上ね。大したものよ」

「あっ、ありがとうございます」

「でも、あくまでいまは……いずれは、ギターの腕も私が1番になるわ」

「なんか、ヨヨコ先輩って1番とかの数字にいじょ~にこだわるんすよ~」

 

 ひとりの演奏技術を賞賛しつつも、いずれは追い抜いてみせると宣言するヨヨコを見て、あくびがゆるい口調で告げる。

 かつて陰キャで周囲に馬鹿にされていたヨヨコは、勉強を頑張って学年1位になった結果、からかってきていた周囲に己を見直させることに成功した経験があり、1番になれば周囲が己を認めてくれる、自分の好きなもので1番になりたいという思いを得た。

 だからこそ常に1番を目指して、努力を続けている。

 

「とても素晴らしいことだと思いますよ。1番という目標を常に掲げるのは大変でしょうし、挫折も多くあるでしょうが、それでも前を向けて目標に向けて歩き続けるのは本当に立派なことだと思います。常に前を向き続けていられるのが、ヨヨコさんのなによりの強さですね」

「……う、な、なんか、貴女は全部見透かしてそうで落ち着かないわね。けど、ありがとう。ええ、そりゃ1番になりたいとは思っていても簡単になれるわけじゃないし、死ぬほど悔しい思いも多いけどね。なにがあっても立ち止まったりしないわ、最終的に私たちが1番になればそれでいいの!」

 

 力強く宣言するヨヨコを見て、ひとりも思うことがあったのかどこか感心した表情を浮かべていた。

 

「まぁ、直近だと、中間発表が2位で涙流して死ぬほど悔しがってたすけどね~」

「最終結果で1位になるからいいの!!」

 

 あくびの茶々にヨヨコが反論して笑いが起こり、そのまま和気藹々とした雰囲気で休憩時間は過ぎていった。

 

 

****

 

 

 SIDEROSと一緒のスタジオ練習が終わり、すっかり夜になった道を有紗とひとりは手を繋いで歩く。

 

「……いい経験になりましたね。演奏だけでなく、精神的な面でも」

「あっ、はい。大槻さんは、私たちよりずっと前を見据えて頑張ってる感じで……負けてられないなって、思いました」

「ヨヨコさんの考えは素晴らしいものですが、そう考えられるひとりさんも素晴らしいですよ。相手の優れている部分を認めて奮起するのは、大切なことですからね」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 相手を尊敬して認めるというのは、簡単そうに見えてもなかなか難しいことである。特に同じジャンルのライバルともなれば、妬みや嫉妬の感情が湧いてきてもおかしくないが、ひとりの感情は落ち着いており純粋にヨヨコを尊敬しつつも、自分も頑張ろうと考えられていた。

 

(……けど、陰キャでいろいろマイナス思考だった私が前向きに考えられるようになったのは、結束バンドの皆と……なにより、有紗ちゃんのおかげだと思う。いまなら、お姉さんが言ってたこともよく分かる。背中を押して欲しい時に、当たり前みたいに優しく背中を押して応援してくれる相手が居るって……凄く幸せなことだなぁって)

 

 そこまで考えたところで、ひとりは少しだけ有紗の手を握る力を強める。それに反応してひとりの方を振り向いた有紗は、優しく微笑みながら口を開いた。

 

「ひとりさん、これからどうしますか? もうそれなりに遅い時間ですが、帰りますか?」

「……あっ、えっと、その……明日も休みですし、今日はまだその……もっ、もうちょっと、有紗ちゃんと一緒に居たいかなぁって……」

「それは嬉しいですね。では、どこかで夕食でも食べましょうか」

「あっ、はい!」

 

 有紗の返答に嬉しそうな笑みを浮かべたあと、なにを食べるかを楽しく話しながら道を歩く。ひとりだけであれば渋谷を歩くなど恐怖しかないひとりだが、有紗と一緒ならむしろ楽しく歩くことができる。ひとりはその幸せを噛みしめながら、ほんの微かに有紗に近付くように身を寄せた。

 

 

 




時花有紗:いるだけでひとりの精神が安定するし、会話の潤滑油的な存在にもなってくれるので、ヨヨコやひとりが上手く周囲と話すことができるので場の空気を良くする存在。

後藤ひとり:最近子犬感が増してきたぼっちちゃん。ところで、夜に「もうちょっと貴女と一緒に居たい」って、それもうお持ち帰りされる前の台詞では?

ヨヨコパイセン:普通にいい先輩。1番にこだわったり、ツンデレだったり、ちょっとダスカ感ある気がする。ツインテールだし……胸囲の戦闘力の差はともかくとして。


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六十一手誤想のロッキンジャポン?~sideA~

 

 

 未確認ライオットネット投票の最終結果の発表日も近いですが、その前に虹夏さんの誕生日があります。今回は星歌さんも協力してくれて、STARRYでパーティを行うことになっています。

 料理などは星歌さんが注文してくれて、私たちが簡単に飾り付けを行って準備は完了。リョウさんに連れられて虹夏さんがやってくると、誕生日パーティがスタートとなりました。

 

「……い、いきなり、リョウが買い物に行こうとか言うからなにかと思ったら、こんな準備を……ズルいなぁ、もう……皆、ありがとう」

 

 サプライズパーティに驚いていた様子の虹夏さんでしたが、すぐに嬉しそうに眼に涙を潤ませました。

 

「おめでとうございます、虹夏さん。ちなみに、今回のパーティの企画はリョウさんですよ」

「有紗!? なな、なんでバラすの……」

「え? リョウが……そっかぁ、リョウがねぇ」

「……そうすればただ飯食べれるかと思ったから……」

 

 今回の誕生日パーティの主催はリョウさんです。正しくはリョウさんが提案して、星歌さんが乗り気になったことで私たちも巻き込んで開催となった感じですね。

 ただ、リョウさんの性格上自分からは絶対言わないでしょうから、ここは私が伝えておくことにしました。虹夏さんはニヤニヤと嬉しそうに笑み浮かべており、リョウさんは気恥ずかしげな様子でプイッとそっぽを向きました。

 

「料理なんかは、店長さんが注文してくれましたよ。飾りつけは、私とひとりちゃんと有紗ちゃんでやりました!」

「あっ、えと、おめでとうございます」

「……もう、私こういうの弱いんだよね。泣いちゃうじゃん……」

「鬼の目にもなんとか……」

「リョウ?」

「なんでもない」

 

 虹夏さんとリョウさんも席に座り、星歌さんが注文してくれたちょっと多すぎるぐらいの料理を食べつつ、ワイワイと盛り上がり……頃合いを見て、虹夏さんへのプレゼントタイムとなりました。

 喜多さん、ひとりさんがそれぞれプレゼントを渡したあと、私も虹夏さんにプレゼントを贈ります。

 

「私からはこちらですね」

「ありがとう……封筒? なんだろう?」

「ああ、そこに描かれている場所に連絡をして納品日を決めてもらうような形です。ちなみに、プレゼントはベッドですね」

「……ベッド!?」

「はい。リョウさんから、虹夏さんの使っているベッドが古くなって、新しいのを欲しがっていると聞いたので……」

「た、たしかに、ベッド欲しいなぁとは思ってたけど……えぇぇぇ!?」

「ちなみに部屋やベッドのサイズなどは、事前にリョウさんに調べてもらっているので問題ありません。元のベッドは不要であればそのまま業者が引き取ってくれますので、その辺りは連絡して相談してみてください」

 

 虹夏さんのプレゼントには少々迷いまして、リョウさんに案を求めました。そのおかげでベッドを欲しがっているという情報を貰ったので、サイズなどを調べてもらって用意した感じですね。

 驚きつつ私とリョウさんを交互に見る虹夏さんに、リョウさんは軽くサムズアップをして告げます。

 

「……ふっ、有紗から事前に聞いたけど……想像よりだいぶすげぇやつ買ってて、驚いた。流石金持ちは違う」

「……え? なにそれ、怖い」

「でも、寝心地は凄くよさそうだった」

「た、楽しみなような、怖いような……と、ともかくありがとう、有紗ちゃん!」

 

 こうして私たちが渡し終えて、次はリョウさんの番になりました。なにやら落ち着かない様子で視線を動かすリョウさんに、虹夏さんはなにかを察したような表情で苦笑を浮かべます。

 

「リョウはアレでしょ? どうせ、お金が無くて用意できてないとかそんな感じだよね。気にしなくてもいいよ、こうやって祝ってくれただけで、十分嬉し……」

「……ん」

「え? あっ……プレゼント……」

「いや、たまたまお金あったから」

 

 リョウさんは気恥ずかし気に綺麗に包装されたプレゼントを渡しており、それを見た虹夏さんは心底意外そうな表情を浮かべていました。

 ちなみに先月頭ぐらいに「自分で持ってたら使ってしまうから預かっておいてほしい」とリョウさんに言われて、私が一時的にお金を預かっていて、そのお金で購入したプレゼントです。

 虹夏さんは、しばらく唖然としたような表情を浮かべていましたが、少しして本当に幸せそうな笑みを浮かべて口を開きました。

 

「……凄く嬉しい。リョウ、ありがとう」

「う、うん。まぁ、喜んでもらえたなら……よかった」

「……先輩たち、なんかラブの波動が出てないですか?」

「「出てない!!」」

 

 そんなやりとりがありつつも、虹夏さんの誕生日パーティは賑やかで楽しく過ぎていきました。

 

 

****

 

 

 虹夏さんの誕生日から2日、5月の最終日となった日。今日はいよいよ、ネット審査の最終結果の発表日です。今回も前回と同じく12時発表ということで、STARRYに集合して皆で結果を確認する予定になっています。

 おそらく票数は伸びているはずです。結束バンドは変わったバンド名ですが、その分人目を引くので10位以内という人目に付きやすい場所にあれば、興味を持ってくれる人も多いでしょう。そして、MVなどを見てさえもらえれば、十分にファンを獲得できるだけの力はあります。

 少なくとも、30位以下に落ちていることはあり得ないと断言できますので、そこは安心でしょう。

 

「あっ……あと、30分ですね。あっ、有紗ちゃん。だだ、大丈夫ですかね?」

「大丈夫です。きっと、いい結果になりますよ。不安なようなら手を繋ぎますか? 人肌に触れると安心感があるものです」

「あっ、はい……有紗ちゃんと手を繋いでると安心するのは、そういうことなんですね。あっ、あの、ちょっともたれ掛かったりしてもいいですか?」

「はい。もちろんです」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 やはり結果発表間近ということもあって、ひとりさんもかなり緊張している様子で、手を握ったあとで甘えるように私にもたれ掛かってきました。

 私の存在がひとりさんの安心の一助となれているのなら、とても嬉しいことですし、私自身も多少は緊張しているのでひとりさんとこうしていると安心感を覚えますね。

 

「……伊地知先輩、いまこのふたりの思考の中に私たちって存在してると思います?」

「してないんじゃないかな? 有紗ちゃんの方は、分かった上で気にしてない気もするけど……というか、最近さらにいちゃつくようになって来たよね、このバカップル」

「ふたりのキツネ顔も板についてきてて、ウケる」

 

 ひとりさんが甘えてきてくれているという素晴らしいシチュエーションを最優先するのは必然であり、周囲の様子はまったく問題ありませんし、気にもなりません。ただ、ひとりさんは気にしたり恥ずかしがったりすると思うので、その辺りのフォローは忘れないようにしないといけないですね。

 そんなことを考えつつ、しばらく待っているといよいよ結果発表の時間が近付いて来ました。

 

「……そ、そろそろですよね?」

「あと1分……よ、よし、更新するよ。皆、覚悟はいい?」

 

 その言葉に私たちが頷いたのを確認してから、虹夏さんはスマートフォンのページを更新し全員で画面を覗き込んで結果を確認します。

 

「結束バンドは――7位! やったぁぁぁ!」

「凄いですよ! 有紗ちゃんの言ってた最高順位まで1つのとこまで来てるじゃないですか!!」

「……ほっ」

 

 虹夏さんと喜多さんが抱き合って喜び合い、リョウさんもホッとした表情を浮かべています。もちろん私とひとりさんも抱き合って喜びを共有しています。

 

「あっ、有紗ちゃん! 私たち……」

「ええ、見事ネット審査突破……ここからは本当に実力勝負の、ステージ審査ですね。頑張りましょう」

「はい!」

 

 ネット審査を突破すれば次はステージ審査があり、そこを突破すれば夏にあるファイナルステージへの出場が決まります。

 ステージ審査は7月に行われるのでまだ時間はありますし、ここからさらに本番に向けて練習を積んでいきたいところですが……ひとまずいまは、皆で喜ぶべきですね。

 

「ねね、お祝いしようよ! なんか、食べ物とか買ってきてさ!」

「いいですね~! やりましょう!」

 

 虹夏さんと喜多さんが喜びながらお祝いについて話していると、星歌さんとPAさんが近付いて来ました。星歌さんは目が少し潤んでおり、PAさんはホールケーキを持っています。

 

「皆さん、ネット審査通過おめでとうございます~。このケーキは、店長からのお祝いですよ」

「え? わっ、ありがとう! お姉ちゃんこんなの用意してくれてたんだ!」

「……中間がよかったからいちおうな……」

「えへへ、凄いでしょ? 私たち7位だよ!」

「……まぁ、今回ばかりは素直に褒めとくよ。大したもんだ」

 

 嬉しそうにピースをする虹夏さんを見て、星歌さんは優し気に微笑んで賞賛してくれました。その後はもちろん星歌さんが用意してくれたケーキでお祝いとなり、皆で通過の喜びを噛みしめました。

 

 

****

 

 

 ネット審査の結果発表から一夜明けた翌日。今日はオープンスクールがある関係で高校が短縮授業となり、昼前には下校となりました。

 まぁ、オープンスクールといってもうちの学校は外部からの入学生はほぼ取らないので、エスカレーター式となる中学校の生徒たちの高校施設の見学という意味合いが強いです。

 

 元々今日が短縮授業であることは分かっていたので、いくつかの予定を組み込んでいました。これから何か所か回ることにはなりますが、幸い夕方までには予定は全て終わるのでSTARRYに顔を出せそうです。

 今日はひとりさんもアルバイトでいる筈なので、ひとりさんの顔が見れるのは嬉しいです。ひとりさんの顔を一目でも見れるかどうかで、翌日のコンディションも変わってくる気がしますしね。

 

 そんなことを考えながら迎えの車に乗ると、丁度そのタイミングでひとりさんから電話がかかってきました。なんとも珍しいというか、今は学校の昼休みだと思うのですが……急ぎの用事でしょうか?

 

「はい、もしもし?」

『あっ、ああ、有紗ちゃん、たっ、たた、助けて……』

「ひとりさん? いったいどうしたんですか?」

『……あっ、あの、なっ、なぜかロッキンジャポンに出るって誤解されて、ほっ、ほほ、放課後に全校生徒の前で演奏することに……』

「……」

 

 ……なぜ、そんな状況に? ロッキンジャポンの話はいったいどこから?

 

 

 




時花有紗:さすがの有紗ちゃんも電話で話を聞いた時はキョトンとした表情になった。ぼっちちゃんとのいちゃいちゃ度はさらに上がって来た。

後藤ひとり:未確認ライオットのネット審査を通過しただけのはずが、学校でロッキンジャポンの大トリを務めると誤解を受け、放課後に演奏まですることになって慌てて有紗に助けを求める。

世界のYAMADA:実は虹夏の誕生日のために結構早い段階から有紗に相談したり、お金を預けるなどして準備をしていたが、もちろん本人には恥ずかしがって言わない。


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六十一手誤想のロッキンジャポン?~sideB~

 

 

 未確認ライオットのネット審査結果発表から一夜明けた翌日、通過した喜びや前日のお祝いの楽しい思い出を胸に登校していたひとりは、通学の途中で偶然喜多と会って一緒に高校に向かうこととなった。

 道を歩きながら喜多は少し眠そうな表情を浮かべて口を開く。

 

「ふぁ~眠いわ」

「あっ、寝不足ですか?」

「うん。昨日クラスのグループロインで皆にネット審査の結果を報告したじゃない?」

「あっ、はい」

 

 ひとりと喜多のクラスメイトは、それこそ体育祭のようなTシャツを作ったりする程に一丸となって結束バンドを応援してくれており、今回の投票にも多くのクラスメイトが参加してくれていた。

 まぁ、ロックに興味がある者は限られていて、ノリで参加しているものが多いのも事実だが、それでも非常にありがたい話ではある。

 実際前日にグループロインに通過の報告をした際には、7位という高順位も相まってロインは大盛り上がりだった。

 

「そのあと個別ロインでもお祝いのメッセージがたくさん来て、返信してるうちに朝になっちゃった~」

「あっ、そっ、そうなんですね。私の方にも、何人かからお祝いはきましたけど、喜多ちゃんほど友達は多くないのでそんなに時間はかからなかったです」

 

 ひとりの元にも英子や美子を始めとしたよく話すクラスメイトから祝福のロインは届いていたが、流石に学校の人気者でもある喜多と比べると数は圧倒的に少ないので、夜更かしなどをすることは無かった。

 そんな話をしながら学校に行き、クラスに入るとそこでもクラスメイト達のテンションは高く祝福の言葉も多く投げかけられた。

 特に喜多が学校でも生徒教師を含めて交友関係が非常に広く社交的なことも相まって、生徒だけでなく教師にも話は広まっていくこととなり、それが誤解の引き金となった。

 

「へ~10代のバンドフェスの審査通ったんだ~喜多ちゃんたち凄いわね」

「クラスの皆で投票頑張ったんだよ~」

 

 1限目の授業では教師も正確に内容を理解しており、誤解などは無かった。

 

「喜多たちなんか夏フェス出るんだろ? 人気あるんだなぁ。先生も、毎年ロッキンには行ってるからロックにはちょっと詳しいけど、凄いよなぁ」

「いや、まだステージ審査があるので夏のファイナルステージに出れるかは分からないんですよ~」

「絶対出れるよ、大トリだって~」

 

 2限目の際にクラスメイト達がノリのままに冗談めかしたことを言い始め、それが徐々に尾ひれがつきまくった状態で広がっており、3限目を迎えるころには……日本最大の野外ロックフェスであるロッキンジャポンに大トリで出演するという風に誤解されていた。

 

「えっ、これ、大丈夫ですかね? 誤解を解いておいた方がいいんじゃ……」

「大丈夫よ。皆も冗談で盛り上がってるだけでしょ」

 

 話が大きくなっていくことに不安を感じていたひとりだったが、喜多があくまで冗談と分かった上で盛り上がっているだけだと告げたことで「そういうものか」と納得した。

 しかし、誤解はどんどん加速していき、昼休みに入るころには学校中に広まってちょっとしたお祭り騒ぎになりつつあった。

 

「……ひとりちゃん、えっと、確認なんだけど喜多ちゃんとひとりちゃんが出るのって、10代限定のロックフェスだよね?」

「……あっ、はは、はい。そっ、そのはずなんですが……」

「なんか、凄い騒ぎになってるよ。ロッキンに出るんだって……垂れ幕とか作ってるとか」

「あえ? えぇぇぇ……」

 

 どこか心配そうな表情で確認してくる英子と美子の言葉を聞いて、ようやく変な方向に状況が傾きつつあることに焦り始めたひとりだったが、陰キャでコミュ症の彼女に誤解を上手く解く方法は思いつかない。

 

「ひとりちゃ~ん。なんか、校長室に来てだって」

「はえ? こっ、校長室?」

 

 そして、喜多と一緒に校長室に呼ばれて校長から激励の言葉と……今日の放課後に臨時集会を行い、そこで一曲披露してほしいという話を受けた。

 あまりの急展開に青ざめるひとりではあったが、喜多が明るいノリで了承してしまったことで、状況はさらに悪化していく。

 

「お~い、喜多。なんか、ガチでロッキン出るって話になってきてない?」

「……やっぱ、さっつーもそう思う? これ、冗談で盛り上がってる感じじゃない……よね?」

「うん。割とヤバ目じゃない? 全校集会までやるんしょ……え? ふたりだけで演奏とか行けるん?」

「……えっと……ひとりちゃん? 行ける……かな?」

 

 教室に戻ったタイミングで次子に冗談ではなく本当にロッキンに出場すると誤解されていると指摘され、ようやくそこで浮かれていた喜多も誤解に気付き始め、状況があまりよくないことを察した。

 特に放課後の集会での演奏に関しては、ドラムもベースも不在の状況で果たしてまともな演奏ができるのかという問題もある。

 若干焦りつつ、ひとりに確認を行うと、ひとりは涙目でスマートホンを取り出していた。

 

「あっ、有紗ちゃん……たっ、助け、助けて……」

 

 この大ピンチともいえる状態でひとりが頼る相手は間違いなく有紗であり、お願いだから電話に出てくださいと祈りながら電話をかけると、数度のコールの後に繋がった。

 

『もしもし?』

「あっ、ああ、有紗ちゃん、たっ、たた、助けて……」

『ひとりさん? いったいどうしたんですか?』

「……あっ、あの、なっ、なぜかロッキンジャポンに出るって誤解されて、ほっ、ほほ、放課後に全校生徒の前で演奏することに……」

『……なぜ、そんな状況に?』

 

 有紗が電話に出てくれたことに、心底ほっとした表情を浮かべたあと、状況を知らない有紗に対しひとりはたどたどしくことの経緯を説明していく。

 上手いとは言えない説明ではあったが、そこは流石有紗というべきかすぐに正確に状況を察してくれた。

 

『……なるほど、話は分かりました。ひとりさん、喜多さんに変わってもらえますか?』

「あっ、はい。喜多ちゃん、有紗ちゃんが喜多ちゃんに変わってって……」

「もしもし、有紗ちゃん……えっと、これ、不味いわよね?」

『かなりよくない展開ですね。いいですか、文化祭ステージとは違い全校集会の場、盛り上がる土台ができていませんし、空気も違います……そのままおふたりだけで演奏をしても高確率で失敗します。ですがおそらく話を聞く限り、広まってしまった誤解をすぐに解くのは難しいでしょう。幸い放課後まではある程度時間があるので、いまから言うことを実行してください』

 

 喜多も有紗のことはかなり信頼しており、その有紗が「高確率で失敗する」と断言したことで、状況が本当によくないことを察して顔を少し青くした。

 そんな喜多に対して、有紗は対策を説明していく。

 

『場所は、文化祭ステージに使った場所とのことですから……プロシェクターは間違いなくあるはずです。まず、生演奏に関してはすぐに先生方などに話して断ってください。ドラムとベース不在では満足な演奏ができないとか、生演奏は本番にとっておくとか、そんな感じで……そして、代わりにプロジェクターに接続できるノートパソコンもあるはずなので、最近撮ったばかりの星座になれたらのMVがありますよね? 動画サイトに公開されていますし、それを流す形でお願いしてみてください』

「わ、分かった。とりあえず生演奏は避けて、動画を見てもらう感じにするのね……」

『ええ、星座になれたらは文化祭ステージでも演奏した曲ですし、馴染みやすいのでしょうし、一先ずはそれで乗り切ってください。とにかく生演奏はほぼ確実に失敗するのでそれだけは絶対に避けてください。誤解に関しては、後でゆっくりといても大丈夫です』

「……わかったわ」

 

 喜多に対して一通りの指示を終えたあと、電話は再びひとりに戻される。

 

『ひとりさん、不安に感じる気持ちは分かりますが、まずは落ち着いてください。いまから、対策を説明するので、その通りにやれば大丈夫です』

「……あっ、有紗ちゃん」

『まず絶対にしてはいけないのは、場の空気を盛り上げようとすること、ボケに走ろうとしたり空気を変えようとしたりするのはNGです。その辺りは喜多さんに任せて、ひとりさんは基本的に話を振られた際だけに発言するようにしてください』

「あっ、でっ、でも、私……事前に文を用意してないと、まともには……」

『大丈夫です。おおよそ、ひとりさんに対してどんな質問が振られるかは想像できますので、ロインで質問と回答例を送っておくので、その通りに答えれば大丈夫です』

 

 有紗の言葉を聞いてひとりはようやく表情を明るくした。絶望的だった放課後の集会に微かな希望が見えてきたように感じられたから……。

 

(やっ、やっぱり、有紗ちゃんに相談してよかったぁ。有紗ちゃんが解答例を用意してくれるなら、それを放課後までに暗記すれば答えられるし、全校生徒の前で演奏とかって事態も避けられる感じで……たっ、助かったぁ。うぅぅ、本当に有紗ちゃんは頼りになるし優しいし……好きだなぁ)

 

 

****

 

 

 結果を語るならば、臨時全校集会はなんとか上手く乗り切ることができた。プロジェクターを用いて流した曲も好評であり、ひとりも緊張しまくってはいたが、事前にしっかり有紗のアドバイスを受けたおかげで無難にコメントを行うことができた。

 大盛り上がりとまではいかなかったが、それでも事故のような雰囲気になることもなく、誤解されつつも無事に乗り切ることができた。

 

 そして、その日の夕方、STARRYに有紗が顔を出すとひとりが勢いよく飛びついてきた。

 

「あっ、有紗ちゃん!」

「ひとりさん……とっ、今日は大丈夫でしたか?」

「あっ、有紗ちゃんのおかげで、なんとか乗り切れました……ほっ、本当にありがとうございます。おかげで、学校生活が終わらなくてすみました」

「上手く行ったようなら、本当によかったです」

 

 人見知りのひとりにとって、地獄のようなイベントだったこともあり、それを無事に乗り切れた解放感から有紗に甘えるように抱き着いており、有紗は微笑みながらひとりを抱きしめて軽く頭を撫でる。

 

「……ただ、喜多さん。ロッキンに関する誤解は、早めに解いておいた方がいいと思いますよ」

「うん。クラスメイトにも協力して貰って、早めに解いておくわ……本当にありがとう。最悪全校生徒の前で大スベりしていたかと思うと、ゾッとするわ」

 

 喜多も全校集会の空気を思い出し、あそこで大失敗していたらどれほど冷めた空気になっていたのかを想像して、思わず身を震わせた。

 ともあれ、有紗のおかげでひとりと喜多が大きな事故を起こすこともなく、概ね学校全体からは好意的に応援されることとなった。

 

 なお余談ではあるが、勢いで抱き着いたひとりを有紗が簡単に離すわけもなく、そのまましばらく抱きしめて頭を撫でており、やって来た虹夏がキツネ顔を披露していたのは言うまでもないことである。

 

 

 




時花有紗:的確なフォローで大事故を回避。それはそれとして、ひとりが抱き着いてきたのは役得なのでしばらく堪能した。

後藤ひとり:即有紗に電話というファインプレー。おかげで、原作であった台風の日より冷めた空気の全校集会は回避された。ちなみに、原作では祝福の個別ロインは無かったのだが、ABコンビを始めある程度クラスメイトとも交流があることで、結構お祝いの言葉は貰っていたりする。



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六十二手遊歩の下北沢散策~sideA~

 

 

 6月に入りましたが、未確認ライオットのステージ審査まではまだ1ヶ月以上あるため、じっくり練習を積んでいくことになります。

 幸いネット審査を好成績で通過したこともあって、皆さんのモチベーションも高いのでいい感じですね。スタジオ練習の様子を眺めつつ、物販の収支を纏めていると練習が終わったみたいです。

 

「よし、今日の練習終わり!」

「お疲れ様です~」

 

 皆さんが片づけを始めたので、私もテーブルの上に置いていた物販関連の品をしまって帰る準備を行います。今日はスタジオの予約の関係で、夕方の6時と休日としては比較的早い時間に練習が終わりましたね。

 

「あ、伊地知先輩いいカフェ見つけたんですけど、この後……」

「リョウ、貸した漫画絶対明日持って来てよ!」

「……善処する」

 

 簡単に片づけを終えた私は、同じくギターを片付け終わったひとりさんに声を掛けようと近づきます。

 

「……あの、皆でカフェ……」

「ひとりさん、まだ早い時間ですし、どこかに寄って帰りませんか?」

「あっ、そっ、そうですね。どこか……」

 

 するとひとりさんに話しかけたタイミングで、喜多さんが何かを言いかけた気がしたので、首を傾げつつ喜多さんの方を振り向いて声を掛けます。

 

「喜多さん? どうかしましたか?」

「……女子高生感が足りない」

『うん?』

 

 喜多さんが呟いた言葉に私とひとりさんだけでなく、帰ろうとしていた虹夏さんとリョウさんも首を傾げます。とりあえずそのまま喜多さんの言葉を待っていると、喜多さんはグッと拳を握り噛みしめるように告げます。

 

「毎日毎日、学校練習バイトの繰り返し! たまには女子高生っぽいことしましょうよ!!」

「……あっ、こっ、これ、キラキラ欠乏症では?」

「そういえば、前もありましたね」

 

 ひとりさんの言葉に、春前の一件を思い出しました。言われてみればここの所、ネット審査の呼びかけを行ったりといった作業もあり、喜多さん的にはキラキラが足りていない状況なんでしょうね。

 

「たまには練習終わりに皆で意味のない街歩きとかしたいんですよ! 夢に向かって頑張るためには、人並みの青春も犠牲にしなきゃいけないんですか!? この一瞬プライスレスですよ! キラキラきららしたくないんですか!?」

「……したい!」

「……ちょっと、虹夏?」

 

 熱く思いの丈を語る喜多さんに、意外にも虹夏さんが反応しました。リョウさんが戸惑いの表情を浮かべていますが、虹夏さんは喜多さんと同じようにグッと拳を握って口を開きます。

 

「……私ね。最近気づいたんだ……正直、私、最近さ……ぼっちちゃんに女子高生力負けてない!?」

「えっ、えぇ、そっ、そこで、なんで、私?」

「いや、99%有紗ちゃんのおかげだってのは知ってるけど、それでもぼっちちゃんはプリクラ撮ったりカフェ行ったり、女子高生っぽいことしまくってるじゃん! それに比べて私は……」

「伊地知先輩、分かります! そうなんですよね。最近ひとりちゃんのキラキラが凄いんですよね! 9割9分9厘有紗ちゃんのおかげですけど!!」

「……あっ、すっ、凄く馬鹿にされてる気がしますけど……否定できないです」

 

 まぁ、言われてみれば虹夏さんはバイトに家事に練習と忙しく、あんまり遊んでいる感じはありませんね。いえ、もちろんリョウさんと遊んだりはしているのでしょうが、本人的にはキラキラが足りていない様子です。

 リョウさんはなんとも面倒臭そうな表情を浮かべていますが、虹夏さんが喜多さん側に回ったことでもう流される覚悟を決めたのか、どこか諦めている様子でした。

 

「……とりあえず、落ち着いて話を纏めましょう。つまり、おふたりの希望としては?」

「街歩きしましょう!」

「喜多ちゃんに賛成!」

「なるほど、でしたら遠出する時間はありませんし、下北沢を軽く回りますか? ひとりさんとリョウさんもそれでいいですか?」

「あっ、はい」

「……はぁ、しょうがない」

 

 元々私とひとりさんはどこかに寄ろうと話していたところでしたし、リョウさんもしぶしぶといった感じで同意してくれたので、皆で下北沢を周ることに決まりました。

 

 

****

 

 

 下北沢を周ることになり、いつも向かう駅とは違う方向に移動してきました。主に下北沢の地理に明るい虹夏さんとリョウさんが案内してくれる形です。

 最初は喜多さんの要望もあり、カフェに向かうことになりました。

 

「下北沢は音楽、演劇、アート、サブカルチャーの発信地。店も個人経営が殆どだから、自分好みの店に出会えると思う」

「若者多いですけど、渋谷とかとは違ったタイプの人たちですよね」

 

 リョウさんが軽く説明を入れながら歩き、喜多さんが楽し気に頷きます。リョウさんはそう言ったサブカルチャーに造詣が深いので、普段より口数が多く説明をしています。

 

「有名バンドを輩出したライブハウスも沢山あるし、バンドマンにとっても憧れの街」

「サブカル好きなら一度は住んでみたい場所かもねぇ」

 

 リョウさんの言葉に虹夏さんも同意しつつ話すのを聞きつつ、私は自然とひとりさんと手を繋いで歩きます。あまり頻度は高くないとはいえ、実はこちらの方の通りにも何度かひとりさんと一緒に来たことがあるので、多少は知っています。

 

「あちらの洋食店には前に行きましたね」

「あっ、そっ、そうですね。ハンバーグが美味しかったです」

「……え? ふたりとも結構こっちの方に来てるの?」

「たまに練習終わりにデートしていますので、ある程度は知ってますね」

「でっ、デートじゃなくて! 練習終わった後、一緒にご飯に行ったり、かっ、買い物したりしてただけです!」

「……いや、それ完全にデート……まぁ、いいや、いつものことだし」

 

 どこか呆れたような表情を浮かべつつ虹夏さんがため息を吐くと、丁度そのタイミングで目的のカフェに辿り着きました。

 キラキラに飢えていた喜多さんは、目を輝かせて本当に楽しそうです。

 

「お洒落な店内、可愛い店員さん……テンション上がるわ~! 店内のインテリアもセンスありますし、お店の中に雑貨屋さんも入ってるのが素敵ですよね!」

「喜多ちゃん楽しそうだね~」

 

 輝くような笑顔で写真を撮っている喜多さんを見て微笑ましく感じつつ、私はひとりさんと一緒にメニューを見ます。

 

「ひとりさんは、どれを食べますか? 私はこの辺りが気になるんですが……」

「あっ、有紗ちゃんオレンジ好きですもんね。わっ、私はベリーのケーキにします。まっ、また一口交換しましょうね」

「ええ、是非」

「……いちゃついてるのはいつもの事として、予想外にぼっちちゃんがカフェ慣れしてる感じがするんだよなぁ。そこそこ有紗ちゃんと一緒にカフェ行ってるな、この子……」

 

 実際虹夏さんの予想の通り、ひとりさんとカフェに行く機会はそれなりに多いです。一緒に買い物などに出かけたりして時間がある際や、食事をするほどお腹が空いているわけでは無い際などに、カフェがあれば立ち寄ることが多いですね。

 ゆっくりと会話を楽しみながら、ひとりさんとの時間を堪能できるのでとても楽しい時間です。

 

 注文を終えてケーキと紅茶が届くと、やはり喜多さんは写真を取り始めました。何度も角度を変えつつ、納得のいく1枚を撮影しようとしている様子です。

 私たちはそこまで拘りはないので、さっそく食べ始めます。私はオレンジのレアチーズケーキを注文しました。爽やかな味わいがとても美味しいです。

 

「ひとりさん、はい、どうぞ」

「あっ、ありがとうございます……あっ、美味しいですね。有紗ちゃんも、どうぞ」

「ありがとうございます。ベリーのケーキも美味しいですね。甘酸っぱいソースがいいですね」

「えへへ、ですね。美味しいですよね」

 

 ひとりさんと互いに一口ずつケーキを食べさせあって微笑みます。もちろん普通に食べても美味しいケーキですが、こうしてひとりさんと美味しさを共有できるとより一層美味しく感じるから不思議です。ひとりさんの方も同じように考えていてくれたら嬉しいですね。

 

「……こっ、このふたりは、本当に数秒目を離すと……」

「虹夏、このタルトも頼んでいい?」

「なんで私に確認? 明らかに奢らせようとしてるよね?」

「……ありがとう。虹夏は、優しい、好き」

「……」

 

 ひとりさんとケーキを食べていると、なぜかリョウさんが虹夏さんに関節技を極められていましたが、いったい何があったのでしょうか?

 写真を撮り終えた喜多さんも、少し困惑している様子です……まぁ、虹夏さんとリョウさんは仲がいいので、じゃれ合っているようなものではありますが……。

 

「喜多さん、いい写真は撮れましたか?」

「うん! やっぱりお洒落な店は映えるわ~」

「それならよかったです。とはいえ、出発の時間も遅めだったのであまり時間をかけると他を周る時間が無くなりますよ?」

「あ、そうだった。この後も古着屋とか回る予定だし、時間をかけすぎても……うぅ、雑貨屋とかもじっくり見たかったんだけどなぁ」

「その辺りは次の機会の楽しみにとっておきましょう」

 

 なにせ今回は散策開始が夕方6時だったので、そこまでたくさん時間があるわけではありません。特にひとりさんは家が遠いので、遅くまでというのは難しいでしょう。

 まぁ、それに関してはいざ遅くなった場合は私の家に泊ってもらえれば問題はありません。幸い明日も休みですし、それも手としては有りです。

 とはいえ、なんの準備もなく宿泊も大変でしょうし、普通に帰れるのが望ましいのは事実です。もちろん私の気持ちとしてはひとりさんに泊って欲しいですが、それはまた次の機会でも問題ありません。

 

「あっ、有紗ちゃん? どうしました?」

「ああ、いえ、あまりに遅くなるようなら家が遠いひとりさんはうちに宿泊しても……と思いましたが、さすがにそこまで遅くなることはないでしょうし、準備無しで泊まるのも大変でしょうから、次の機会にと考えていました」

「あっ、そっ、そうですね。着替えとかいりますしね……でっ、でも、いざ終電に間に合わなくても、そんな風に有紗ちゃんが家に泊めてくれると思うと安心感があります。あっ、迷惑かけちゃうのは申し訳ないですけど……」

「ひとりさんがうちに来ることを迷惑などと感じることなど、ありえませんよ」

「えへへ、そっ、そう言ってもらえると、ちょっと照れますけど……嬉しいです」

 

 こうして些細な会話でもすぐに互いに笑顔になれるのは、本当に幸せなことですね。ひとりさんと顔を見合わせて笑い合い、美味しいケーキと共にしばしの雑談を心から楽しみました。

 

 

 




時花有紗:結構スタジオ練習終わりとかにぼっちちゃんとデートしているので、割と下北沢の店には立ち寄ってたりする。

後藤ひとり:JK力が高まっているというか、有紗とよくデートしているおかげかカフェ慣れしていたりと、女子高生らしいことをよくしている。本当に数秒目を離すと有紗といちゃつき始める。

伊地知虹夏:原作では喜多の要望に渋々従ってた感じだが、今作ではぼっちちゃんのキラキラ具合に、なんとも言えない敗北感を覚えていたこともあってむしろ乗り気だった。頻繁にチベスナ顔を披露しているが、なんだかんだで、結構リョウといちゃついてる気もする。


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六十二手遊歩の下北沢散策~sideB~

 

 

 カフェを出たあとは、リョウがよく利用する古着屋に向かうことになった。古着屋に向かう道中先頭を歩いていたリョウが口を開いた。

 

「これから行く古着屋は、この辺りでは一番大きいし、いろいろ揃うはず」

「古着か~けど、古着とかって有紗ちゃんには縁遠いものみたいな感じがするよね」

 

 リョウの言葉に虹夏が有紗に視線を動かしつつ呟く。言うまでもなく有紗はお嬢様であり、中古の品を購入するというイメージは結びつきにくい。

 そんな虹夏の言葉に、有紗は苦笑を浮かべつつ軽く首を横に振る。

 

「そんなことはありませんよ。必ずしも新品が優れているというわけではありません。特に衣服などで言えば、古着だからこそ出る味というものもあります。それに、普通に服を買いに行くのですと、どうしてもある程度好みの関係で似た形式の服が多くなりますし、古着屋などで普段なかなか自分では買いに行くことがない系統の服などに出会えるかもしれないのは、ワクワクしますね」

「……この、お嬢様。相当分かってる」

 

 穏やかに告げる有紗の言葉を聞いて、リョウが感心したように頷き、虹夏もどこか楽し気に笑顔を浮かべた。

 

「有紗ちゃんって、もの凄いお嬢様だけど、なんていうかこういう庶民的な話にもお世辞とかじゃなくて、ちゃんと理解を示してくれるから取っつきやすいんだよね~ぼっちちゃんがメロメロになるのもわかるなぁ」

「めっ、メロメロになんてなって……なっ、ない……と、思い……ます」

 

 虹夏の言葉に顔を赤くして反論しようとしたひとりではあったが、その途中で迷う様な表情を浮かべて言葉も尻すぼみになっていった。

 

(……いや、でも、その恋愛的な意味じゃなくて、友達としてとかって話なら……有紗ちゃんのことが大好きなのは間違いない。有紗ちゃんは優しいし、頼りになるし、言いきれないぐらい素敵なところがいっぱいだし、そりゃ好きに決まってる……その上で、友達、そう! あくまで友達として、有紗ちゃんの人間的な魅力にメロメロかって言われたら……メロメロと言える気も……)

 

 有紗のいろいろな部分が好きなのは間違いないため、完全に否定しきることもできずひとりは困った表情を浮かべて言葉を探していたが、その様子にツッコミが入るより早く有紗がどこか誇らしげに口を開いた。

 

「私の方は、ひとりさんにメロメロですけどね」

「堂々としてる。どこか誇らしげですらあるよ……流石有紗ちゃん、強い」

 

 あまりにも堂々とした物言いに、虹夏も思わず気圧されてしまった。そして有紗は、ひとりの方を向いて軽くウインクをする。

 

「そして、私もひとりさんを愛する者として、今後ひとりさんをメロメロにできるように日々努力を重ねていくつもりです。というわけで、ひとりさん。今後も、どんどんアプローチしていきますね」

「あぇ!? あっ、えっと……おっ、お手柔らかに……」

「無理です。この溢れる愛を抑えることはできないので、基本的に全力で参ります」

「即答!? あっ、あの、本当に私の心臓が持たないことも多くてですね……」

「とりあえず、第一歩として腕を組んで歩きましょう!」

「……あっ、駄目だ。話聞いてくれないモードに入っちゃった。あの、皆さ――いつの間にあんなに遠くにっ!?」

 

 有紗が行動力MAXモードとも言うべき状態になったことを察したひとりは、虹夏たちに助けを求めようとしたが、虹夏たちは既にかなり離れた場所まで早足で移動していた。

 そして、振り返って少し大きな声で告げる。

 

「……じゃあ、私たち先に古着屋行っておくから、存分にいちゃついて、落ち着いてから来てね~」

「あっ、ちょっ、虹夏ちゃん――わひゃっ!? あっ、有紗ちゃん!? 相変わらず行動力が……」

 

 虹夏の言葉に唖然としていたひとりだったが、直後に有紗に腕を取られて手を組む形になった。普段から、よく手を繋いだりはしているものの、腕を組むとなると思っていた以上に距離が近く密着具合が上がるため、ひとりは恥ずかし気に顔を染める。

 しかし、それでも、拒否したり腕を振りほどこうとしない辺り、なんだかんだで受け入れている感じはあった。

 

「なんだか、新鮮な感じですね」

「こっ、これは、流石に恥ずかしいですよ……え? ほっ、本当にこのままいくんですか?」

「ひとりさんが嫌なのでしたら、止めますが……」

「うぐっ、そっ、その言い方は卑怯です。本当に……うぅぅ、ふっ、古着屋までですからね!」

「はい。ありがとうございます、ひとりさん」

「うぅ、そんな眩しい笑顔をされると、文句も言えないです」

 

 心の底から喜んでいる様子で、嬉しそうに笑う有紗を見て、ひとりは「しょうがないなぁ」と言いたげな表情で苦笑を浮かべたあと、有紗の要望通り腕を組んだまま歩いて古着屋へ向かった。

 

 

****

 

 

 有紗とひとりがやや遅れて古着屋に入ると、丁度虹夏と喜多の服を古着屋に慣れているリョウが選んでいるところだった。

 

「あ、ふたりとも来たね。いまリョウに古着コーデを教わってたところだよ」

「リョウ先輩、凄く詳しいのよ」

「なるほど、それは頼もしいですね。私も是非アドバイスを貰いたいものです」

「……いや、有紗は正直何着ても似合うと……あっ、そうだ」

 

 有紗の言葉に返答している途中で、リョウはなにかを思いついた様子で古着を漁り始めた。その行動に残る4人が首を傾げていると、少ししてリョウは一着の服を手に戻って来た。

 

「……有紗、勝負。流石に、これなら無理なはず」

 

 そう言ってリョウが掲げたのはTシャツだった。謎の英字フォントが散りばめられ、正面には黄金の骸骨が描かれており、ところどころに謎の鎖の装飾が付いている思春期の中学生が好みそうなデザインだった。

 自信満々に掲げるそのTシャツを見て、ひとりは目を輝かせた。

 

(え? かっ、カッコいい……いいなぁ、アレ、買いたいなぁ。破壊的なデザインが最高にバンドマンって感じで、凄くイケてる!)

 

 そのTシャツはひとりの好みにはガッチリ合っていた。黄金の骸骨も含めて非常にカッコよく映っていたのだが……。

 

「ちょっ、リョウ。どこで、そんなクソダサTシャツ見つけてきたの、酷すぎて面白いぐらいなんだけど」

「さすがに、これは有紗ちゃんでも着こなせないですよね。骸骨の主張が凄い……」

「こういうダサさが極まった服を、一度有紗に着てもらいたい」

 

 どこか楽し気に話す虹夏たちの言葉を聞き、ひとりはショックを受けたような表情を浮かべていた。

 

(え? クソダサ? ダサさが極まった? ……あっ、あれぇ? だ、駄目かなあのデザイン……かっ、買うのは止めておこう)

 

 ある意味ではここであまりの周囲の低評価を知ったことで、衝動的にあのTシャツを買うことを諦められたのは、ひとりにとっては幸福なことだったかもしれない。

 リョウの持って来たTシャツを受け取りつつ、有紗は苦笑を浮かべて口を開く。

 

「では、せっかくリョウさんが持って来てくれたんですし、試着してみましょうか。これなら下はデニム系が合いそうですね」

「有紗は結構ノリがいいから好き」

 

 ひとりを除き全員一致でダサいという評価が下ったTシャツを試着してみるという有紗。あくまでダサいと分かった上で、それを有紗が着ればどんな感じになるかという興味によるものだが、比較的ノリのいい有紗はそれに応じてズボンなどを選んだあとで試着室に入った。

 

「……こんな感じですかね?」

 

 そして、試着室から出てきた有紗を見て虹夏、喜多、リョウの3人は戸惑ったような表情を浮かべる。有紗が着ているのは確かに先ほどリョウが渡したTシャツだ。下に少しダメージの入ったジーンズを履き、髪は服装に合わせてショートポニーにしているのだが……。

 

「……あの……なんか、カッコよく見えません?」

「……見える。あれ? なんで? さっき、Tシャツ単品で見た時はあんなにダサかったのに、有紗ちゃんが着ると絶妙な抜け感があって、これはこれでカッコよく見えてくる」

「……有紗、チートキャラ過ぎるだろ。それを着こなされたら、もう何も言えなくなる」

 

 明らかにダサいTシャツだったはずが、有紗が着ると不思議と「これはこれでアリ、いや、結構カッコいいかも」という雰囲気になっており、予想と違った展開に戸惑っていた。

 

「あっ、たっ、たぶんですけど……有紗ちゃん、背も高めで手足が長いですし、プロポーションも抜群で姿勢もいいからじゃないですか?」

「ああ、なんか、モデルが着てる時にはカッコよく見えるのに、自分で着てみると微妙な感じになるアレだね」

「あっ、そっ、そんな感じです。なので、有紗ちゃんはなに着ても可愛いですし、カッコいいんですよ」

「う~ん。凄く納得した。本人のスペックが高すぎて、服のオシャレ度も上がってるんだね」

 

 ひとりの言葉に虹夏がしみじみと納得した様子で頷いた。

 

 有紗のスペックの高さを再実感したあとは、改めて古着を選ぶ先ほどまでと同じく虹夏と喜多に対してはリョウが、ひとりに対しては有紗が服を選んでいた。

 

「……迷いますね。ひとりさんの愛らしさであれば、どれを着ても最高に可愛いとは思うのですが……」

「いっ、いや、だから、有紗ちゃんは大げさすぎますって……あっ、このズボンはちょっといいかも……」

「それに合わせるなら、他はシンプルな方がいいかもしれませんね。上は無地かワンポイントぐらいが……一度試着してみませんか?」

「あっ、はい。そうですね。買うかどうかはともかく、試着ぐらいならいくらでも……」

「いくらでも?」

「あっ、うっ、嘘です。なんかいま、ものすごい数の服を持ってくる有紗ちゃんが見えた気がしたので、やっぱそこそこで……」

 

 有紗としてはいろいろな服装のひとりを見たいという思いがあるし、ひとりも有紗が選んだ服であれば試着することに抵抗はなく、他の人に見せるのならともかく有紗相手にだけ見せるのなら恥ずかしさもさほどない。

 ただ、ある程度制限を付けなければ本当に有紗はどれだけの服を持ってくるか分からないので、そこはしっかり釘を刺しておくことにした。

 悩ましそうにひとりに試着してもらう服を選ぶ有紗を見て、ひとりはどこか楽し気に苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 




時花有紗:相変わらずチートスペックなため、基本どんな服を着ても似合う。ただ本人は自分の服よりも、ひとりに着てもらいたい服を選ぶのに忙しそうである。

後藤ひとり:相変わらずのいちゃつき具合。メロメロであることは正直強く否定できない……普段から練習後にデートとかしてるので、下北沢ではそこそこ知られてそうな気もする。


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六十三手物見の散策後半

 

 

 古着屋で買い物を終えたあとは、再び下北沢の散策です。皆で道を歩いていると、ふとリョウさんが思いついたような表情で口を開きました。

 

「あっ、そうだ。音楽好きなら誰もが心躍る穴場スポットが、あとひとつあった」

「行きたいです!」

 

 リョウさんの言葉に喜多さんが目を輝かせていますが、なんとなく両者の認識に致命的な違いがあるように感じました。

 喜多さんが思い浮かべているのは、お洒落なジャズバーのような雰囲気の店でしょうが……この場合のリョウさんが案内するのは……。

 

「喜多さん、たぶん楽器か、あるいは機材類の中古店だと思いますよ」

「……え? あ~お洒落な音楽バーとか……」

「私たちは未成年ですし、ひとつ前に行ったのは古着屋ですよ?」

「………‥そうね」

 

 期待が高まり過ぎて落差が大きくならないように先んじて言っておくと、喜多さんも少し考えてリョウさんが案内する場所が音楽バーである可能性が低いことに気付いたのか、悟ったような表情で頷きました。

 リョウさんへの憧れはいまもあるのでしょうが、それはそれとしてリョウさんとの付き合いもそれなりに長くなってきたので、ある程度は喜多さんも察した様子でした。

 そして、リョウさんが案内してくれたのは……HARD・OPP……有名なチェーンの総合中古店でした。

 

「というわけで、ハードオプ」

「……なんか、そんな気はしてましたけど……ここをお勧めする理由は?」

「ここには現行品から生産終了した中古楽器や機材まで、稀に値の張るものが激安で売られていることもある! 気分は徳川埋蔵金探検隊!」

 

 徳川埋蔵金探検隊……子供の頃にお父様から昔そんな番組があったと聞いたことがあるような? 特番などでたまに埋蔵金探索企画などは目にすることがありますね。まぁ、この場合は思わぬお宝が見つかるという意味合いで使っているのでしょうが……。

 

「ジャンク品を買い取って自分好みに改造するのもよし! 部品のために買うのもよし! ネタで買うのもよし! 月イチ都内ハードオプ巡りも最高に楽しい……あっ、友達にこの情報は教えないでね」

「言いませんよこんな情報!?」

 

 まぁ、比較的楽器や機材に詳しい人向けのスポットというのはあるでしょうね。リョウさんは虹夏さんがマニアと呼ぶほどですし、そのリョウさんの話についていける虹夏さんも一般的に考えればかなり詳しいです。

 ひとりさんも当然昔からのロック好きですし、機材類にも詳しいですし、私もある程度は分かるつもりですが……喜多さんは、まだそこまでは詳しく分からない気がしますね。

 

「リョウ見て! スピードコブラがこんな値段で!」

「くくっ、これだからやめられんよなぁ……」

 

 その予感を裏付けるように、虹夏さんとリョウさんがはしゃぐ姿を見て、会話に入れずに困惑している様子でした。

 

「あっ、有紗ちゃん。見てください、このエフェクター……こんなに安く!」

「ひとりさんが欲しいと言っていたものですね。確かにかなり安くなっていますし、演奏の幅も広がるのでいいかもしれませんね……喜多さん」

「え? あ、なにかな?」

 

 話について行けずに疎外感を覚えている様子だった喜多さんに声をかけると、喜多さんは明らかにホッとした様子で近付いて来ました。

 置いてけぼりにされているようで不安だったのでしょう。そんな喜多さんに、私はひとりさんの前に並ぶエフェクターを指しながら話しかけます。

 

「喜多さんも、ギターの腕も上達してきましたし、そろそろエフェクターを使ってみるのもいいかもしれませんし、よろしければ一緒に見ませんか? ある程度は、私やひとりさんが説明できると思いますよ」

「あっ、いっ、いいですね。オーバードライブとか、ひとつあるだけでも結構楽しいですよ」

「そうね、よく分からないし、教えてもらえると助かるわ」

 

 実際喜多さんのギターの腕は上達していますし、エフェクターを使えば変化が出て練習などでも楽しめると思います。癖の強いものを扱うのは難しいでしょうが、ギターソロなどでも使いやすいエフェクターは扱いやすくていいと思います。

 ひとりさんはかなり機材には詳しいですが、少し説明が苦手な部分があるのでそこを私がフォローすれば、喜多さんも楽しく機材を見ることができるでしょう。

 

「……えっと、オーバードライブっていうのは?」

「あっ、歪み系のエフェクターでブースターとしても使える扱いやすいエフェクターです」

「その名の通り音を歪ませる目的で使われるもので、オーバードライブは比較的優しく温かみのある音が出せるようになるエフェクターですね。ブースター……音を大きくする目的でも使えるので、ソロなどの際にも迫力を出せますよ」

「へぇ、歪み系ってことは他にもいろいろ種類が?」

 

 初心者であれば様々な種類のエフェクトを行えるマルチエフェクターが一番いいとは思いますが、当然ではありますが限定的な種類のエフェクトを行うコンパクトエフェクターと比べると高価でサイズも大きいものが多いので、いまのシチュエーションを考えると持ち帰りやすくものによってはかなり安価なコンパクトエフェクターがいいですね。

 喜多さんも興味を持ってくれた様子だったので、ひとりさんと一緒にいろいろ説明しつつ、3人で楽しくエフェクターを眺めました。

 

 

****

 

 

 ハードオプを出たあと、虹夏さんがとある方向を指差しながら喜多さんに声を掛けました。

 

「あ、そう言えば喜多ちゃん。あそこの店の肉巻きって、ぼっちのグルメで次郎さんが食べてたやつだよ」

「有名店じゃないですか! 行きましょう!」

「まぁ、小腹空いてたし丁度いいよね。その後はどこ行く?」

「ビレパン行きましょうよ!」

「どこにでもあるし、特別感なくない?」

「下北のビレパンは特別ですよ! 下北ですもん!!」

 

 喜多さんのテンションも順調に上がっているようで、楽し気に会話をしています。皆で肉巻きを食べたあとは、ビレパンに向かう途中で喜多さんが興味を示したクレープ屋にも寄りました。

 

「ここのクレープも絶品ですね! テレビで紹介されてるんですよ、やっぱ全然違うわ~」

「……情報を食べてる。陽キャは皆こうなのかな?」

「さぁ、もうひとりの陽キャは……」

 

 有名店にこだわりのある喜多さんの言葉に虹夏さんが苦笑し、リョウさんがこちらをチラリと見ますが、私は特に気にせずクレープを食べているひとりさんに声を掛けます。

 

「ひとりさん、クリームが付いてますよ。ちょっと動かないでくださいね」

「あっ、ありがとうございます」

「そう言えば前もこういうことが……では、いただきます」

「あっ、ああ、ぺっ、ペロって……」

「私は同じ失敗は繰り返さないのです」

「ぜっ、前回のアレを失敗にカウントする辺りが、本当に有紗ちゃんです」

 

 以前も似たようなシチュエーションで、後でひとりさんに言われてから気付くという事態がありましたが、今回は同じ轍は踏みません。

 ひとりさんの口元についていたクリームを指で拭ったあとは、ちゃんと指を舐めました。定番のシチュエーションですが、ひとりさんと一緒にそれができたというのは非常に喜ばしいですね。

 

「……いちゃついてた」

「そっちはいつもの事だから……甘いもの食べてる時に見ると、胸焼けするよ」

 

 

****

 

 

 喜多さんの要望通りビレパンにやって来たあとは、ステッカーなどを眺めながら買い物を楽しみました。その際に虹夏さんがふと思い出したように口を開きました。

 

「ああ、そういえばステッカーで思い出したけど、結束バンドの物販の売り上げがいい感じで順調に利益出てるんだよ」

「え? 黒字ってことですか、凄いですね」

「まぁ、物販関連は有紗ちゃんが原価とかも考えてやりくりしてるからね。あと、なにより大きいのはリョウが思い付きで新商品加えようとしても、有紗ちゃんが却下してくれるからね。リョウも有紗ちゃん相手だと、強引に押し切れないからね~」

「……ふっ……私が有紗に勝てるわけないじゃないか……そもそも、しっかり利益も上がってるから、文句の言いようもないし」

 

 物販関連は私が管理していて、新商品などを加えるかどうかを決めるのも私に決定権がある状態です。虹夏さんの言う通り、リョウさんはたびたび思い付きで「こんな商品を加えたい」と提案してくるのですが、利益率などを考えると却下することが多いです。

 もちろんすべて却下しているわけでは無く、よさそうなものは採用したりもしていますが……。

 

「……で、その物販なんだけど、売り上げからバンドの活動費として貯めるお金や、STARRYに払う分とかを差し引いても、そこそこの額になってるからそろそろ分配しようと思うんだよ」

「さすがに月1でというほど大きな利益はありませんが、12月から知名度も上がって売り上げも伸びてきているので、半年分の利益の分配を6月に行おうかと、虹夏さんと相談していたところです。まだ正確な額の計算まではできていませんが、1人あたり2万円前後はお渡しできると思います」

「……神か、そういうのを待ってた」

 

 虹夏さんと私の言葉に、リョウさんが目を輝かせます。実際、最近は知名度も上がったおかげで物販の売り上げも増えていますし、特に路上ライブでも物販を行っていたのがよかったですね。普段ライブハウスに来る方とは別の客層が買ってくれましたし、路上ライブを聞いて結束バンドを気に入ってくれた方などが、それなりに購入してくれた印象です。

 

「いずれではありますが、通販などもできるといいかもしれませんね。動画サイトなどにはたびたび、Tシャツを購入したいといった問い合わせもあるみたいですしね」

「あっ、確かにTシャツの通販とかって結構ありますよね。いっ、いまは、そういう通販も簡単になっていますし……」

「ええ、とはいえまだ商品数も多くないですし、こちらは追々考えていくような感じですけどね。ひとりさんも、商品のアイディアなどがあれば、気軽に教えてくださいね」

「あっ、はっ、はい。私にいい案が出せるかは分かりませんけど、すっ、少しでも有紗ちゃんの助けになれるなら、嬉しいですし……」

「心強いですね。ひとりさんは、いつも頼りになりますよ」

「えへへ、そっ、そそ、そんなことないですよ……むしろ私の方が、いつも、有紗ちゃんを頼りにしてます」

 

 そんな風に話しながらひとりさんと顔を見合わせて笑い合います。時間がある際にでも、ひとりさんと一緒に新商品について考えてみるのも楽しそうですね。

 

「……本当、どんな流れからでもいちゃつくなこのふたり……」

「虹夏のキツネ顔もすっかり板についてきた」

 

 

 




時花有紗:例によって鋭いので、喜多が疎外感を感じないように適度に話を振ったりしていた。ぼっちちゃんといちゃつくのはいつも通り。

後藤ひとり:本人は普通にしているつもりだが、距離感がバグりまくってるのでしょっちゅういちゃついている。

喜多郁代:原作ではハードオプで疎外感を感じていたが、有紗が話を振ってくれたおかげでひとりと有紗と3人でエフェクターを眺められたので、結構楽しめた。


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六十四手~夢幻の明晰夢~sideA~

 

 

 普段から比較的寝覚めはよい方の私ですが、その日は特別良い気分で目覚めることができた気がします。特にコレと言って要因は思い至らないので、内容は覚えていませんがいい夢を見たのでしょう。

 いい夢と考えるとやはり真っ先に思い浮かぶのはひとりさんの姿なので、ひとりさんの夢を見れたのかもしれません。しかし、なぜでしょう? なんとなくですが……『惜しかった』という気持ちもあるのですが、どんな夢を見ていたかまでは思い出せません。

 まぁ、寝ている時に見る夢などは曖昧で然るべきですし、とりあえず気持ちよく起きられたのでよしとしておきます。

 

 起きて身だしなみを整え、朝食を食べ終えたあとは知人から送られてきた贈り物の確認を行います。お父様やお母様と比べれば狭くはありますが、私もそれなりに交友関係は広く、たびたび贈り物を頂くことがあります。

 中元や歳暮などといった季節的なものもありますが、それ以外にも単純に旬の品などを贈ってくれたりする場合もありますし、私の方が贈る場合もあります。

 中元や歳暮以外の贈り物は、気分的な要素が強いです。自分が出資している会社の品だとか、多目に手に入ってお裾分けだとか、お土産だったりと多岐に渡りますし、品もいろいろです。

 

 ……ただ、時に複数の方の贈り物が被ってしまうという場合も起こり得ます。特に旬の品などは被りやすく、単純に量を多く贈ってくれる方も居るので、個人で消費するのが難しいほどの量が届く場合もあります。

 今回は……どちらも複合した珍しいパターンでした。旬の贈り物のうち3方からの贈り物が被り、かつ贈ってきた方がいつも多目の量を贈ってくる方ばかりだったため、今が旬のある品が頬が引き攣るほどの量届いていました。

 

 とりあえず、それぞれに返礼の品を贈るとして、頂いたものはあまり日持ちする品でもないですし、知人にお裾分けする形で消費することにしましょう。

 

 

****

 

 

 きくりさん……では少し不安だったので、志麻さんに確認を取った上で新宿FOLTにやってきました。まだ開店前ではありますが、志麻さん経由で許可は取ってあるので店内に入らせていただきます。

 するとタイミングが良かったのか、納品された品をチェックしている銀次郎さんが入り口付近に居たので、挨拶をします。

 

「こんにちは、銀次郎さん」

「あら、有紗ちゃん! いらしゃ~い」

「今日は開店前に申し訳ありません」

「いいのよ~有紗ちゃんなら、いつでも歓迎よ」

 

 銀次郎さんは明るい笑顔で挨拶を返してくれ、丁度そのタイミングで店の奥から志麻さんときくりさんが歩いて来ました。イライザさんはいらっしゃらないようです。以前お話した際に、6月にオンリーイベントがどうとかで本を出すため忙しいと言っていたので、その関係かもしれませんね。

 

「有紗ちゃん、やっほ~」

「いらっしゃい、有紗ちゃん」

「こんにちは、きくりさん、志麻さん。急なお願いをしてしまって申し訳ありません」

「ああ、気にしなくていいよ。というよりむしろ、この前もこの馬鹿が迷惑をかけたみたいで、本当申し訳ない」

 

 志麻さんが口にしたこの前とは、おそらく結束バンドの皆さんと下北沢散策をした日の事です。散策が終わって解散となったタイミングで、酔い潰れて道で寝ているきくりさんを発見し、まさかそのまま置いておくわけにも行かず星歌さんに許可を取って、皆で虹夏さんと星歌さんの部屋に運んで介抱した件の事でしょう。

 

「いえ、たまたま見かけただけですし、星歌さんも気にしないでいいと言ってました」

「えへへ、だよね~なんだかんだで、先輩も優しいんだよねぇ~」

「……『このアホの愚行は全てメモしてるから、いずれキッチリ清算させる』と、静かな笑顔で仰っていましたね」

「……こっわっ……」

「私も全部覚えてるから、覚悟しとけよ廣井」

「こっちも怖っ!? あ、あ~えっと、そんなことより、有紗ちゃん! 今日はどうしたの?」

 

 志麻さんに睨まれたきくりさんはバツの悪そうな表情を浮かべてあからさまな様子で話題を逸らしました。まぁ、わざとらしくはありますが、本題に移るいい切っ掛けではありますね。

 そう考えて苦笑した私は、3人に向けて来訪の用件を告げます。

 

「そうですね……実は、知人から贈り物を頂いたんですが、量が多くて個人で消費するのは難しく、足も早い品なので知り合いにお裾分けしているところでして、よろしければFOLTの皆さんで召し上がっていただければと思いまして……」

「あら、果物かなにかかしら? 私たちが貰っちゃっていいの?」

「ええ、もちろんです。さくらんぼなのですが……なんと言いますか、総合計で10kg近く届きまして……」

「それはまた凄い量ね」

 

 6月はさくらんぼの旬ですし、今年は出来もよかったようなのでかなりの量が贈られてきました。軽く説明して、テーブルの上に持って来たさくらんぼの箱を置きます。

 

「……待って有紗ちゃん。私の見間違えじゃなければ、桐箱に入ってるんだけど?」

「え? ええ、それぞれ1kg入っていますので、ふたつで2kgですね。FOLTのスタッフの方などもいらっしゃいますし、このぐらいの量がいいかと思ったのですが……多かったでしょうか?」

「あ~いや、志麻が言いたいのはそういうことじゃなくて……これ高いやつなんじゃない? ってことだと思うよぉ」

「ああ、なるほど……いちおう佐藤錦と呼ばれる。よく贈り物などにも用いられる山形の有名なさくらんぼです」

 

 きくりさんの言葉に答えつつ、一応確認してもらうために片方の箱を開けてみると、綺麗に並べられたさくらんぼが詰められています。

 

「あらぁ、綺麗ねぇ。私、さくらんぼ大好きなのよ~」

「おお、すげぇ……ねね、有紗ちゃん。これ、1箱でいくらぐらいするの?」

「年によって若干変わりますが、概ね2万円ほどではないかと思います」

「…………そっかぁ、やっぱ、有紗ちゃんってすげぇな~」

 

 いちおう最高級品質である特選に分類されるものです。味もかなりよく食べやすいですが……まぁ、さすがに10kgは無理です。

 箱を代表して銀次郎さんに渡して、私の用件は終わったので邪魔になっても行けませんし失礼しようかと思ったのですが……銀次郎さんに呼び止められました。

 

「ああ、待って有紗ちゃん。せっかく来たんだし、なにか飲んでいってよ。いいもの貰っちゃったお礼ってことで、私の奢りよ」

「ありがとうございます」

「お~銀ちゃん太っ腹~じゃ、私ビールで!」

「なんで、お前は奢られる対象に自分が入ってると思ってるんだ?」

 

 せっかくの申し出なのでご厚意に甘えさせていただくことにして、ジュースを頂きながら銀次郎さんたちとしばし雑談を楽しみます。

 

「そういえば、有紗ちゃん。結束バンド、ネット審査7位通過だったのよね。凄いじゃない」

「ありがとうございます。皆で頑張ったおかげです」

「MVも聞いたけど、うちでやった時より大幅にレベルアップしてたわね。若い子の成長って早くて凄いわ~またうちでライブやって欲しいわね」

「そう言ってもらえると嬉しいです。皆さんも喜ぶと思うので、機会があれば是非」

 

 もちろん知り合いという要素もあるでしょうが、こうした話を振ってもらえるということは、それだけ銀次郎さんの中で結束バンドを高く評価してくださっているということでもあるので、非常にありがたい思いでした。

 物販収入などもあって最近はノルマ代も比較的余裕があるので、FOLTでのライブなども提案してみるのもいいかもしれません。

 そんな風に考えつつ、きくりさんや志麻さん、銀次郎さんと未確認ライオットの話題をしばらく話してから店を後にしました。

 

 

****

 

 

 FOLTから出て車に乗り、次に向かうのはSTARRYです。今日は練習日ではないですが、結束バンドの皆さんは全員アルバイトで居るはずです。

 全員のシフトが重なるのは珍しいので、バイトが終わったあとに閉店後のスタジオを使って軽く練習するかもしれませんね。

 ともかく、皆さんが居るタイミングならさくらんぼも喜ばれるでしょうし、私もひとりさんの仕事風景を堪能できるという大きなメリットがあります。

 

 そんなことを考えつつSTARRYのドアを開けて中に入ると、丁度掃除をしていたひとりさんが居ました。これはなんとも幸先がいいというか、STARRYに入って最初にひとりさんと会えるとは、本当に今日はいいことがありそうな予感ですね。

 

「ひとりさん、こんにちは」

「はぇ!? あっ、ああ、あり、有紗ちゃん!?」

「……え? ええ……その、どうかしましたか?」

「いっ、いえ、なんでもないですよ! ほっ、本当に何でもないですし、なんともないですし、なにも無いですし、変な夢も見てないです!!」

「ううん?」

 

 笑顔で挨拶をした私に対して、ひとりさんは何故か驚いたような表情を浮かべたあとで顔を赤くしました。なんというか、いつもとはあまりに違う反応です。

 その後も、まるで捲し立てるように慌てて喋っていますし、様子がおかしいのは確かですし……変な夢?

 

「変な夢、ですか?」

「はひっ!? なっ、ななな、なんでそれを……」

「いや、なんでもなにも、いまひとりさんが自分で言ってましたが……」

「ちっ、違います。あっ、えっと、有紗ちゃんの夢を見たとか、そういう話じゃなくて、夢の中で有紗ちゃんに変なアプローチをされて意識してるとかそういうわけでもなくて、あくまで夢だって分かってるので変に恥ずかしくなったりとかそう言うこともまったくこれっぽちもないです!」

「……そ、そうですか……」

 

 おかしいですね。なにも聞いていないのに、おおよその事情が全て分かってしまいました。というか全部ひとりさんが口に出して説明してくれました。

 そう言えば、初めて会った時も本人が気付かないままに私に住所を教えていたらしいですし、ひとりさんは混乱するといつも以上に饒舌になるのかもしれません。

 

「あっ、ああ、そそ、それじゃあ、私は仕事があるので!」

「あ、はい。頑張ってください」

「あっ、ありがとうございます。有紗ちゃんが頑張ってって言ってくれると、いつも本当に心が温かくなります。それじゃあ、しっ、失礼します!!」

 

 普段からは考えられないほどの早口で告げたあと、ひとりさんはやや慌てた様子で店の奥の方に移動していきました。

 なんというか、ああいったひとりさんも新鮮で可愛らしいですね……まぁ、それはそれとして、ひとりさんの夢の中の私はいったいなにを?

 

 

 




時花有紗:交流は広く人付き合いも大切にするので、贈り物などは非常に多い。なんだかんだでFOLTの面々との交流も多く、実際マネージャー適性も高そうである。

後藤ひとり:なにやら、有紗の夢を見たらしく滅茶苦茶意識している様子で落ち着きがない感じのぼっちちゃん。果たしてどんな夢を見たのかは、次回……。

佐藤錦:めっちゃ美味しいさくらんぼ。等級をそこまで気にしなければ、そこそこ安く買える。1kgぐらいなら1日で食べてしまいそうなぐらいには美味しい。


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六十四手~夢幻の明晰夢~sideB~

 

 

 それはひとりと喜多が通う秀華高校の休み時間での出来事だった。例によって人気ものである喜多の周囲には多くの人が集まり、休み時間も楽しそうに会話をしていた。

 ただひとつ後方のひとりの席にも英子や美子といったひとりと仲のいい者が集まり会話をしており、幸いなことにひとりが疎外感を覚えたり畏縮したりすることは無かった。

 最近では喜多の友人の中でも数人仲良くなっており、学校でひとりに話しかける相手はそれなりに多い。

 

 その要因として、やはり大きいのは有紗の存在だろう。有紗の影響でひとりが精神的に成長していることと、有紗というよく話す相手が居るおかげである程度会話慣れしてきたという要素もある。さらに学校内で大きな失態や、突発的な奇行もほぼ無く、むしろラブダイブや未確認ライオットなどの件で好意的な印象を抱かれているおかげもあって1年の時と比べて、ひとりを取り巻く環境は劇的によくなっていた。

 

「というわけで、ひとりちゃん。この映画、本当にオススメだよ!」

「あっ、そっ、そうなんですか?」

「あんまりメジャーじゃないけど傑作だと思う。私もAちゃんもかなり楽しめた。いちおう恋愛映画だけど、あんまり過度に恋愛恋愛した感じじゃないのもよかった」

「Bちゃんって、あんまり恋愛映画得意じゃないもんね」

「爽やかな感じのならいいんだけど、なんか変に感動させてやろうみたいなのが透けて見えるのは苦手」

「あっ、その気持ち、ちょっと分かります」

 

 英子と美子と話しているのは映画についてであり、今回は英子が気に入ってる恋愛映画のBDを持って来ており、ひとりに勧めてきていた。

 恋愛映画はあまり見ないジャンル……過去のひとりであれば、青春コンプレックスを刺激されてとても視聴に耐えることはできなかっただろうが、現在は青春コンプレックスはほぼ解消されていると言っていいので、いまならば問題なく視聴できるだろう。

 するとそのタイミングで、喜多の友人が興味を持ったのか会話に参加してきた。

 

「そういえば、後藤さんって映画とかって見るの?」

「あっ、最近だと話題になってたアクション映画を見ました」

「あ~あの興行収入がかなり伸びてるやつだよね? 私も見に行こうかな~って思って行けてないんだけど、どうだった?」

「あっ、おっ、面白かったです。ネタバレになっちゃうので、ストーリーはあまり詳しく言いませんが、あっ、アクションとか凄かったです」

 

 新学年が始まったばかりの頃は委縮していたが、有紗の話題を中心に喜多の友人たちもある程度打ち解けたおかげで、こうして突発的に会話に入ってきた相手にも普通に返答ができる。

 そもそも、有紗とよく出かけているおかげで、ひとり自身に話題の引き出しがある状態になっており、今回のような映画の話に関しても、有紗と一緒に見に行ったおかげで比較的流行の話題についていけていた。

 

 いつの間にか……少なくとも入学したばかりの頃とは違い、学校で過ごす時間はひとりにとって苦痛なものではなくなっていた。

 

 

*****

 

 

 学校から帰った後、ひとりは英子から借りた恋愛映画のBDを視聴した。明日がバイトこそあれど休日だったこともあって、タイミング的に丁度よかったのも要因だろう。

 映画を見たあとで日課のギターの練習をして、風呂に入り寝る支度をしたあとで、こちらも日課であるが寝る前に有紗と少しロインでやり取りをしてから布団に入る。

 

(……Aちゃんから借りた映画、結構面白かったな。Bちゃんが言うようにあんまり恋愛を前面に押し出してる感じじゃなかったのも見やすかった。まぁ、もちろん恋愛要素は多かったけどクドさみたいなのは無かったし……まぁ、女性同士の恋愛物だったのは驚いたけど、最近だとそういうのも結構あるよね)

 

 英子が勧めてきた映画は女性同士の恋愛物ではあったが、ドロドロした感じなどではなくむしろサクセス系のストーリーのおまけとして恋愛があるような印象だった。だからこそ、ひとりも比較的楽しんで最後まで映画を見ることができた。

 

(主人公もちょっと陰キャ感あって、共感できたな。あと、相手役がちょっと有紗ちゃんに似てたかも、見た目とかじゃなくて性格が……優しくて頼りになるけど、アプローチがちょっと強引なとことか……衣装がずっとスーツだったけど……有紗ちゃんも、スーツ似合いそうだなぁ。着たら……カッコ……よさそう)

 

 ぼんやりと先ほど見た映画のことを思い浮かべつつ、ひとりの意識はゆっくりと眠りに落ちていく。後々になって思えば、この時の思考が夢を見た原因だったのかもしれない。

 

 

****

 

 

 気づいた時ひとりは古びた室内灯に照らされた薄暗さを感じる部屋に居た。印象としてはライブハウス……STARRYに近い暗さかもしれない。

 そして、ひとりの目の前にはパンツスタイルのスーツをしっかりと着こなした有紗の姿があり、有紗は思わず気圧されてしまう様な真剣な目でひとりを見て口を開く。

 

『……ひとりさん、私はもうそろそろ我慢の限界なんです』

「あっ、え? あっ、有紗ちゃん……」

『このまま貴女を、私のものにしてしまいたい』

「……ふぇ……えぇぇぇ!? ちょっ、待っ――ひゃっう!?」

 

 熱の籠った目と口調で語る有紗に対し、ひとりはなんとか言葉を返そうとした。だが、それよりも早く有紗の手が勢いよく伸び、ひとりの逃げ道を塞ぐかのようにひとりの背にある壁に手を付ける。

 有紗の体と壁に挟まれているかのような状況……いわゆる壁ドンという体勢になったひとりは、顔が赤くなるのを実感しながら戸惑った表情で有紗を見る。

 

(有紗ちゃん、凄く真剣な顔してる。そっ、それに、やっぱり、こうしてみると……カッコいいなぁ)

 

 ひとりより有紗の方が身長が高く、こうしたシチュエーションになれば必然的に見上げる形になる。近くに居るだけで火傷するのではないかと感じるほどの有紗の熱い思いに、心臓が五月蠅いほどに脈打つ。

 

『ひとりさん、本当に心の底から貴女が愛おしい……私の愛を受け止めてください』

「あっ、まっ、あの、そそ、その……だっ、だだ、駄目です有紗ちゃん……あっ、有紗ちゃんのことは好きですけど……わっ、私たち女同士ですし、そっ、そそ、それに、こういうのはもっとゆっくり段階を踏んで……まっ、まだ、早くてその――っ!?」

『いま聞きたいのは、そんな言葉じゃないんですよ』

 

 慌てながら話すひとりに対し、有紗は壁についているのとは別の手をひとりの顎に伸ばしクイッと顔を少し持ち上げる。

 顔が力づくで上げられたことにより、有紗とひとりの目線が会う。真っ直ぐにこちらを見る吸い込まれそうなほどに美しい金の瞳に、ひとりは思わず息を飲んだ。

 そんなひとりの唇を親指で軽く撫でながら、有紗はどこか妖艶にすら感じる微笑みを浮かべる。

 

『……落ち着きのない口は、一度……塞いでしまいましょうか?』

「はひっ!? ふっ、塞ぐって……あっ、あの……まっ、待ってください!? なっ、ななな、なんで顔近付け……あわわわわ!?」

 

 まるでスローモーションのように有紗の顔がゆっくりと近付いてくる。口を塞ぐという言葉、そして近付いてくる顔……有紗がなにをしようとしているかは、流石のひとりでもすぐに察することができた。

 吐息がかかるほどに有紗の顔が近づき、全身が沸騰するように熱いが、それでもひとりは動けないでいた。目が潤み思考がまったく纏まらない。

 

『……本当に嫌だったら、避けてくださいね』

「あっ、うっ……」

 

 唇が触れるまであと10cmほどだろうか、有紗がどこか優しく微笑みながらそんな言葉を告げた。

 

(……あぁ、やっぱり、有紗ちゃんだ。なんだかんだで、ちゃんと私の気持ちを一番に考えてくれる)

 

 強引過ぎるぐらいのアプローチの中でも、それでも一番重視してくれるのはひとり自身の気持ちであると、そんな意思が伝わってくるような有紗の言葉に、ほんの少しだけ心が落ち着くのを感じた。

 残り5cmの距離まで近づく、まるで世界からふたりだけ切り離されたかのような静けさの中で、己の心臓の音だけがやたらうるさく響く。

 

「……ぁぅ……駄目……駄目です……有紗ちゃん……こんなの……」

 

 駄目と口にするわりには、ひとりは体を動かすこともなく有紗から目を逸らすこともしなかった。

 本当にスローモーションのようにゆっくりと有紗の顔が近づき、その距離が1cmになった時――ひとりは、ゆっくりと目を閉じた。

 

 そして、次の瞬間唐突に意識が覚醒した。

 

 

****

 

 

 目を開くと見覚えのある自分の部屋の天井が見えた。ゆっくりと上半身を起こして周囲を見渡すと、薄暗い自室……時計を見ると時刻は4時。

 それらを全て認識した直後、ひとりの顔はボンッと爆発するかの勢いで赤く染まった。

 

(あぁぁぁぁぁ!? わっ、わわ、私、なんて夢を!?)

 

 勢いよく布団を被って体を丸くして震えながら、沸騰しそうな勢いで熱くなっていく顔を両手で抑えて悶絶する。そう、ひとりは先ほどまで見た夢の内容をハッキリと覚えていた。有紗に猛烈なアプローチを受けて、キスを迫られるようなシチュエーション……。

 

(というか、あの夢、完全に昨日見た恋愛映画のシチュエーション!? んあぁぁぁぁ!)

 

 早朝の4時でなければ力の限り叫んでいたであろう程の圧倒的な羞恥に布団の中でのたうち回る。夢で見た有紗とのやり取りは、英子に借りて見た映画のワンシーンに酷似しており、主人公がひとりに相手役が有紗に置き換わったものだった。

 事実思い返してみれば違和感はある。有紗がスーツ姿だったり、覚えのない場所に唐突に居たり、だが夢を見ている最中にはまったく気づかなかった。

 

(顔、熱い……うぅぅぅ……なにしてんの夢の中の私!? 有紗ちゃんにも失礼すぎるよ!! あっ、いや、でもスーツ姿の有紗ちゃんカッコよか――じゃなくて!! あぁぁぁぁ、忘れろ! 忘れろぉぉぉ!!)

 

 鮮明に覚えていてしまっているため、夢の中で自分に向かって迫ってくる有紗の顔が頭から離れない。少し油断すれば有紗の顔が近づいてくる光景が思い浮かび、最終的にそれを受け入れそうになっていた己を思い出して、再び悶絶することになる。

 ともかく際限なく湧き上がってくる恥ずかしさと自己嫌悪……日が完全に登って母親が起こしに来るまで、ひとりは布団の中で悶え続けていた。

 

 そしてその日のSTARRYでのバイトで、有紗と遭遇した瞬間夢のことを思い出して挙動不審になったのは言うまでもないことである。

 

 

 




時花有紗:夢の中でひとりに、壁ドンから顎クイのコンボを決めた。ただ最終的な部分でちゃんとひとりの意思を確認する辺りは、強引さの中にも有紗らしさがあった。

後藤ひとり:有紗とあちこち行っているおかげで、話題の引き出しも多く、結構クラスメイトと話せている。A子に勧められて恋愛映画を見た結果、自分と有紗に置き換わった夢を見た。強引なアプローチもそうだが、なにより夢の中の己が最終的にキスを受け入れるような感じになっていたことがともかく恥ずかしすぎて、しばらく有紗の顔がまともに見れなかった。


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六十五手魅惑のレディスーツ~sideA~

 

 

 ひとりさんの言葉からの推測にはなりますが、ひとりさんは私の夢を見た結果、夢の中の私の強引なアプローチを思い出して恥ずかしくなってしまったという感じですね。

 夢の中の私がなにをしたのかは非常に気になりますし、夢の中の自分に負けているのもアレなので、可能なら夢を越えるアプローチをしたいものですが……まぁ、ひとりさんとしては触れてほしくない話題でしょうし、無理に聞きだしたりする必要も無いでしょう。

 

 あと、恥ずかしがってはいるものの、別にひとりさんは私を避けたりしているわけでもなく、休憩時間になると私の傍に来てくれました。

 若干気にしているのか、挙動がおかしい部分はありますが、私が特に夢の話題に触れないと分かると少しほっとした表情を浮かべてくれていて、アルバイトが終わるころにはほぼ普段通りに会話ができるようになっていました。

 

「それじゃ、皆お疲れ。虹夏、今日はスタジオ使うのか?」

「う~ん、明日も休みだし軽く練習したいんだけど……皆は?」

「私は大丈夫ですよ!」

「右に同じ」

「あっ、わっ、私も30分ぐらいなら大丈夫です」

 

 やはりというか、閉店後に軽く練習をする流れになるようでした。家の距離が遠いひとりさんは、終電の時間を確認していました。

 まぁ、ひとりさんが終電に乗り遅れた場合は私が送るので問題はありませんが……むしろ、追加でしばらくひとりさんと一緒に居られるので喜ばしくもあります。

 

 皆さんの練習風景を見学して、虹夏さんが宣言した通り30分で練習は終了となりました。ただ、そのあとで片づけをしながら、明日の予定について話すことになりました。

 

「明日は、いまあるオリジナル曲の最後の1曲、あのバンドのMV撮影だよ~」

「今回は有紗ちゃん主体で、私たちは演奏メインでしたよね?」

「うん。カッコいい路線で行く予定だからね」

「有紗は、スーツよろしくね」

「ええ、もう用意してあるので大丈夫ですよ」

「あっ、有紗ちゃんのスーツ!?」

『うん?』

 

 明日撮影する予定のMVで、カッコいい路線で行くということもあってスーツをレンタルして皆で着用するという話になっています。

 当然ひとりさんもその打ち合わせは把握しているはずなのですが、なぜか非常に驚いたような表情を浮かべていました。

 

「え? ぼっちちゃんにも伝えたよね?」

「あっ、そっ、そうですね……はい。だっ、大丈夫です。全然気にしてないですし、意識してないですし、恥ずかしくもないです」

「……ん~」

 

 目線を泳がせながら少し顔を赤くして告げるひとりさんを見て、虹夏さんは少し考えるような表情を浮かべたあとで、面白いものを見つけた猫のような表情を浮かべました。

 そして、心底楽し気に笑顔を浮かべながら、ひとりさんに話しかけます。

 

「ぼっちちゃ~ん。なんで、有紗ちゃんのスーツ姿にそんなに反応してるのか……聞 き た い な」

「……あっ、いっ、いや、それはその……なんでもなくてですね」

「なんでもないって顔してない」

「分かりやすすぎますね」

 

 ひとりさんの反応はなんでもないという感じではなく、明らかになにかしらを意識している様子でした。流石の私も、ひとりさんがどんな夢を見ていたかまではわかりませんね。

 ただまぁ、明らかに困っている様子のひとりさんを放置するわけにも行きません。もちろん私も夢の内容は気になるところですが、それ以上に優先すべきものがあるのです。

 

「皆さん、脱線はその辺りにしておきませんか? これ以上時間をかけると、ひとりさんが電車に乗り遅れてしまいますよ」

「あっ、有紗ちゃん……」

「う、確かにそれはまずいね……じゃ、話を戻して、明日は10時にSTARRY集合だからね。遅れないようにね、リョウ!」

「なんで私だけ名指しなのか、解せぬ」

 

 今回はそもそも時間が遅かったこともあり、ひとりさんの終電を理由にすることで簡単に話を終わらせることができました。

 そのまま手早く片付け終え、私はひとりさんと一緒にSTARRYを出て駅に向かって歩きます。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん……ありがとうございます、助けてくれて……あっ、あの、有紗ちゃんは、気にならないんですか?」

「気にならないと言えば嘘になりますが、無理に聞くつもりは無いです。まぁ、一点だけ……夢の中の私はどんなアプローチをしたのかというのは、知りたいところではありますね」

「あぇ? そっ、そそ、それは……えっと……」

「現実の私が夢の中の私に負けるのも癪なので、そこは夢以上のアプローチをしたいところですしね」

「そっ、それは絶対だめです! アレ以上とか、とんでもないことになっちゃいますから!」

「……そこまで言われると、本当に夢の私がなにをしたのか気になってきますね」

 

 慌てた様子で顔を赤くするひとりさんを見て、私は思わず苦笑を浮かべます、気になるというのは本心ではありますが、無理をして知る必要も無いと思います。夢は夢、現実は現実です。

 そんな風に考えつつ、私は慌てるひとりさんの手を握って微笑みます。

 

「ひとりさん、気にしなくて大丈夫ですよ。本当に無理に聞く気も無いですし……私個人としては、さして気にする必要のないことです」

「……あっ、そっ、そうなんですか?」

「はい。あくまで夢は夢です。現実の私は、私らしいペースでひとりさんにアプローチしていきますからね。気にせずとも、夢の私はいずれ越えられるでしょう」

「……ぷっ、はは……なんか、凄く有紗ちゃんらしいですね」

 

 私の言葉を聞いてひとりさんは一瞬キョトンとした表情を浮かべたあとで、苦笑を浮かべました。同時に、先ほどまでの緊張した雰囲気が和らぎ、肩から少し力が抜けたように感じられました。

 

「緊張が解けたようで、よかったです」

「うっ、やっ、やっぱりちょっと変に意識してましたね。けど、有紗ちゃんがいつも通りだったおかげで、なんか安心しました」

 

 ホッとした表情を浮かべたひとりさんは、私の手を握り返し笑顔を浮かべてくれました。やはり、ひとりさんには笑顔が似合いますね。アレコレと考え込んでいるよりも、いまの様子の方がずっと素敵です。

 そのまま、駅に向かって歩いているとふとひとりさんが小さな声で呟きました。

 

「……あっ、でも、今日は私が変に挙動不審だったせいで、有紗ちゃんとあまり話せなかったのは残念ですね」

「そうですね。私も少し惜しくは……」

 

 その言葉を聞いてふと思いつきました。別に必ずしも電車で帰る必要はない筈です。車で送ったとしても、ひとりさんの家に着くまでの時間はそれほど大きな差があるわけではありません。

 であれば、別に車で送ってもいいのではないでしょうか?

 

「ひとりさん、提案なんですか……私もひとりさんともう少し話がしたいので、車で送らさせていただけませんか?」

「え? あっ、わっ、私は、嬉しいですけど……いいんですか?」

「はい。ついでになにか軽く食べられるものでも買って行きましょうか? 車内で食べられるので……」

「あっ、そうですね。お腹もちょっと空いてますし……」

 

 アルバイトから練習とそれなりの時間が経っているのでお腹も空いているでしょうし、ひとりさんの家まではそれなりに時間がかかるので、近くのコンビニで軽食と飲み物購入してから私が呼んだ車にふたりで乗ります。

 なんだかんだで、こうしてふたりで車に乗ることも多いので、ひとりさんも私の送迎用車には比較的慣れた印象です。

 

「あっ、そういえば、明日のMV撮影、私もスーツなんですよね?」

「そうですね。全員スーツでの演奏になりますね。まぁ、音は別撮りではありますけど、普段と服装が違うので動きにくさに注意ですね。ただ、ひとりさんのスーツ姿は素敵そうなので、早く見てみたいという気持ちはあります」

 

 ひとりさんは普段は基本的にジャージなので、少し緩めの服装といった印象です。もちろんそれも最高に可愛らしいですし、ひとりさんの魅力がこれでもかというほどに詰まってはいますが、スーツのようなキッチリとした服はそれはそれで違う魅力があるものです。

 特に今回レンタルするのはパンツスタイルのスーツなので、ビシッとしたカッコいいひとりさんが見れるかもしれないと、いまから楽しみです。

 

「そっ、それをいったら有紗ちゃんの方が似合うと思います。夢で見た時もカッコよかったですし……」

「うん? 夢の中では、私はスーツを着ていたのですか?」

「え? あっ、そっ、そうですね。スーツ姿でした。たっ、たぶん、寝る前に見た映画の影響かなぁって思います」

「映画ですか、いいですね。どんな映画を見たんですか?」

「あっ、えっと、Aちゃんから借りた映画で……」

 

 とりあえず夢の話題に深く触れてしまうと、先ほどまでのようにひとりさんが緊張してしまう可能性もありますので、そちらはサラッと流して映画についての話をしていくことにしました。

 以前ひとりさんと見に行った映画も楽しかったです。隣にひとりさんが居ると思うと、普段以上に映画が面白く感じましたし、見終わったあとに感想を言い合ったりするのも楽しい時間でした。

 なんと表現するべきか……そう、同じ経験を共有しているのが嬉しいというか、そういう感覚です。

 

「……面白そうな映画ですね。私も見たことが無いので、また今度見てみましょう」

「あっ、はい。結構面白かったです」

「それとは関係なく、またふたりで映画館にも行きたいですね」

「あっ、そうですね。前に行った時は楽しかったです。なっ、なんていうか、映画を見ている時間もそうですけど、見終わったあとに感想を言い合ったりするのが凄く楽しかったです」

「そうですね。私も凄く楽しかったですし、また行きましょう。映画を見終わったあとに近くのカフェで見た映画の話をしつつのんびり過ごすというのは、素敵ですよね」

「あっ、はい。楽しそうです」

 

 ひとりさんも私と同じことを楽しいと感じていてくれたみたいで、とても嬉しいです。それに、ひとりさんも乗り気な様子だったので、また今度誘って一緒に映画を見に行くことにしましょう。

 今度は、ひとりさんの家からある程度近い横浜の映画館に行ってみるのもいいかもしれませんね。合わせて近場を散策しつつデートなどが出来れば素晴らしいです。

 

 そしてまだ、構想の段階ではありますが、出来れば夏休みにはまた、ひとりさんと一緒にどこかに旅行にでも行けたらいいなぁとそんな風に思います。夏の時期ですし、涼し目な軽井沢や北海道がいいでしょうか……軽井沢にはそれなりに伝手もあるので、宿の確保なども容易ですし……予定も含めて、いろいろ考えてみましょう。

 

 

 




時花有紗:基本的にぼっちちゃん第一なので、アレコレ詮索したりはしないが、夢の中の己にはちょっと対抗心を燃やしていた。ひとりとの楽しい夏休みに向けて、今からいろいろ考えている。

後藤ひとり:夢で見た有紗のスーツ姿を見ることになりそう。果たして冷静でいられるのか……それはそれとして、緊張したり挙動不審ではあっても、別に有紗を避けたりするわけでは無く普通に休憩時間とかも有紗の傍に居た。

伊地知虹夏:たまにはキツネ顔じゃなくてネコ顔もする。有紗関連だと、ぼっちちゃんが割と素顔に可愛い反応を見せてくれるので、たびたび揶揄ってはいる。


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六十五手魅惑のレディスーツ~sideB~

 

 

 大丈夫だと、そう思っていた。確かに前日こそ夢のせいで緊張して少しギクシャクしていたが、いつも通り優しい有紗のおかげでひとりは冷静を取り戻した。

 そして、翌日のスーツを着てのMV撮影に関しても、むしろ夢で予習している分気楽だと、そう思っていた……だが、得てして楽観視というのは外れるものである。

 

 現在ひとりはとても冷静な思考ができるような状態ではなかった。理由は目の前に居る有紗の姿……。

 

「どうでしょうか?」

「……あっ……えっ……そっ、そそ、その……かっ、カッコいいです」

 

 スーツを身に纏った有紗に対して、赤い顔かつ消え入りそうな声でそう返すのが精一杯だった。現在の有紗の格好は、事前に分かっていた通りスーツ姿ではあり、髪を邪魔にならないように首の後ろで一本に纏めている以外は、ひとりが夢で見た服装そのままと言ってよかった。

 

(あっ、あれ? なっ、なんで……夢で見た時よりも、カッコいい……)

 

 さもありなん。夢とはある程度曖昧なものである。確かにひとりは夢でスーツ姿の有紗を見てはいたし、夢の記憶もあった……だが、実際に目の前にすると衝撃は大きかった。

 有紗が容姿端麗なのは言うまでもないが、背も高く足も長いためパンツスタイルのスーツを着ると、そのスタイルの良さがより一層はっきりと分かった。

 まるでキラキラと輝いているかのような有紗を前にして、ひとりの心臓は五月蠅いぐらいに高鳴っていた。

 

(なっ、なにこれ、カッコよすぎてドキドキする……こっ、これがビジュアルの暴力……あばばば、かっ、顔熱いし、頭の中ぐるぐるして落ち着かないし……うぅぅ)

 

 本人も戸惑うほどのひとりの状況にはいくつか理由があった。最大の要因として、ひとりは有紗の凛々しい姿に弱い……というのも、有紗は普段穏やかに微笑んでいることが多く、雰囲気も優しげで柔らかい。

 ただ時折鋭い顔を見せることもあり、そういった際は大抵ひとりを守ろうとする時だ。江の島などでもそうだったが、不意にそういった凛々しい姿を見せられると胸が高鳴ってしまうのだ。一種のギャップ効果とでも言うべきものだろう。

 

 現在の有紗は表情こそいつもの優し気なものではあったが、スーツ姿であることで全体的な雰囲気が引き締まっており、その影響が凛々しさとカッコよさが際立っている。さらにある程度振り切ったとはいえ、少し前に見た夢の影響もあり、ひとりは顔に血が集まるのを感じつつもそれを押さえられないでいた。

 

「ひとりさんも、とても素敵でカッコいいですよ」

「はひっ! あっ、ああ、ありがとうございます!? あっ、有紗ちゃんもすごくカッコよくて素敵で……あぅ……あぅぅ……」

「……ぼっちちゃんが乙女の顔してる。いや、気持ちは分かるよ、有紗ちゃんのイケメン感半端じゃないし……」

「ビジュアルの暴力が凄まじい。ビレパン前とかに連れて行けば、ダース単位で女性ファン増やせそう」

 

 実際ひとりが真っ赤になってしまうのも納得できる程、スーツを着た有紗はカッコよかった。特に男装しているわけでは無いが、男装の麗人という言葉が思い浮かぶような雰囲気で、街を歩けば多くの人が振り返りそうだと確信できる程だった。

 

「しかし、本当にひとりさんのスーツ姿は素敵すぎて……正直これで、表に出たら、多くの人が集まってしまうのではないかと心配です」

「あっ、いや、それ絶対有紗ちゃんの方……」

「しかし、安心してください。そうなっても私がきっと守って見せますからね」

「はえ? あっ、はっ、はい……えっ、えと……よろしくおねがいします?」

 

 キリッとした表情を浮かべる有紗を見て、ひとりが少し曖昧に言葉を返す。すると有紗はひとりの手を取り、その手の甲に軽く口づけをするような動作をしつつ、微笑みを浮かべる。

 

「ええ、お任せくださいお姫様……なんて、芝居がかり過ぎまし――」

「はひゅぅ……」

「――え? あれ? ひ、ひとりさん? 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 

 芝居がかった口調かつキメ顔での言葉、有紗にとって単に冗談だっただが、有紗を意識しまくっていたひとりにはとどめの一撃となり、爆発音でも聞こえそうな勢いで顔を赤くしたひとりは、そのまま目を回して意識を手放した。

 そんなひとりを慌てて介抱する有紗……なんというか、傍目に見ればバカップルそのものといえる光景に、なんとも言えない表情を浮かべていた喜多が「このふたりは放っておこう」と考えて、気を取り直すように虹夏に声をかけた。

 

「せっかく皆スーツ着てるんですし、あとで一緒に写真撮りませんか?」

「おっ、いいね。アー写のバリエーションにしよう!」

「リーダーの虹夏が真ん中として、全体のバランスをよくするためにビジュアルツートップの私と有紗が両サイドに回ろう」

 

 喜多の提案で、せっかく全員スーツを着ているのだから記念撮影しようという話になり、リョウがニヒルに笑いながら告げると、虹夏は感心したような表情を浮かべた。

 

「……凄いね、リョウ。よく、あの有紗ちゃん見て同格みたいな顔できるよね? そこまで行くと、その根拠のない自信も羨ましいよ」

「ふっ……あ、いやナンバー1とナンバー2の間にはそこそこ大きな開きはある。けど、ツートップはツートップだから……」

「さすがに日和った!?」

 

 いかに自信家のリョウであっても、有紗のビジュアルの凄まじさに対抗できるとまでは考えているわけでは無いようで、若干目を逸らしながら告げた。

 その様子を見て虹夏はツッコミを入れたあとで、吹き出すように苦笑する。

 

「……ふふ、でも、リョウも十分カッコいいと思うよ」

「……ありがと……虹夏も、その、スーツ似合ってる」

 

 明るい笑顔で賞賛する虹夏の言葉に、リョウは少々照れくさそうに頬をかきつつ返した。そのリョウの言葉を聞いて、虹夏はさらに表情を明るくして、嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 

「え? 本当? ありがとう! いや、ほら、私って一番身長低いから、ちょっと不安だったんだけど……」

「……胸が小さい方がスーツは似合うっていうし」

「……あ?」

 

 ただ、途中で気恥ずかしくなって余計なことを言ってしまうのもいつも通りであり、最終的に虹夏に関節技を決められていた。

 ただ、それも傍目に見れば仲の良さを感じるやり取りであり……有紗とひとり、虹夏とリョウとセット状態になっており、喜多はなんとも言えない疎外感を覚えつつ、スマホを取り出して自撮りを行い。次子にロインを送った。

 

『MV撮影でスーツ着た。どうよ?』

『意外と似合うじゃん。けど、ロックバンドってよりジャズ味強くね?』

『あ~たしかにスーツだと、ジャズ感があるね~』

『つか、うちの服装も見ろし』

 

 すぐに返信がきて、少しするとヒップホップ用らしき服装の次子の自撮りが送られてきた。それを見て、喜多は思わず苦笑を浮かべる。

 

『いや、オーバーサイズのTはヒップホップっぽいけど、そのデカすぎなキャップはなによ?』

『ずるかわコーデで纏めてみた。ま、歌う時は邪魔だからポイするけど』

『自由過ぎ。けど、似合ってる』

 

 ずるかわ……オーバーサイズで可愛いコーデにしたと語る次子に、喜多はどこか楽し気に微笑みながら返信する。実際緩めの格好は性格的な要素もあって次子に似合っている気がした。

 

『サンキュー。んで、MV撮影だっけ? うちとロインしてていいの?』

『あ~まだ撮影は始まってないし、微妙な疎外感がね……』

『うん?』

『いや、実は……』

 

 そのまま喜多はロインで次子に、他のメンバーがなんかいちゃいちゃしているといった感じの愚痴を溢し、しばしの間次子とのロインを楽しんでいた。

 

 そんなそれぞれ割と自由にしている結束バンドの面々を少し離れた場所で見ているのは、今回も撮影の協力をする予定の1号と2号である。

 1号は微笑まし気な表情で結束バンドの面々を見ており、2号はどこからともなく「百合しか勝たん」と書かれた鉢巻を取り出して頭に巻いた。

 

「……いや、外しなさい」

「え~」

 

 ……そして、即座に1号に鉢巻は没収された。

 

 

 ****

 

 

 外に出てMVの撮影を何か所かで行いひと段落したタイミングで休憩を行っていると、女性の2人組が有紗に近付いてきた。

 

「……あ、あの?」

「はい?」

「もしかして、芸能人の方とかですか? なにか撮影みたいなことされてましたけど……」

「ああ、いえ、インディーズバンドの者でして、動画サイト用のMVを撮影していました。結束バンドという名前で活動していますので、もし興味があれば検索していただけると嬉しいです」

 

 有紗の容姿は人目を引く。そして、現在はスーツ姿でどこかユニセックスな魅力もあり、更に纏う上品な雰囲気が得も言われぬ神秘的な美貌へと昇華されていた。

 実際、有紗と話す女性2人の頬は少し赤く、有紗の圧倒的な美貌に魅了されているのが伝わって来た。

 

「……」

「……ひとりさん?」

 

 状況としては別にいいはずだ。有紗の穏やかな対応とさり気ない宣伝で、女性2人は今後結束バンドのファンになってくれそうな雰囲気であり、バンドとしては得と言えるだろう。

 ただ、なんとなく……面白くなかった。有紗の容姿が圧倒的なのも、人目を惹き付けるのも十分理解していたが……それでも、少し胸の奥がモヤモヤとした。

 だからだろうか、ほぼ無意識にひとりは有紗の腕をギュッと抱きしめていた。2人組を睨んだり威嚇したりというわけでなく、どこか不安げに……有紗にどこにもいかないでほしいと甘えるかのような仕草だった。

 

「……そういうわけで、よろしければ応援してください」

「あ、はい」

「が、頑張ってください」

「ひとりさん、ジュースでも買いに行きましょうか?」

「あっ、はい」

 

 ひとりの様子を見て優し気な微笑みを浮かべた有紗は、2人組との話を打ち切ってひとりと一緒に移動していった。

 その後ろ姿を見送りながら、女性2人は少し呆けたような表情で呟く。

 

「……な、なんだろう、この気持ち……仲の良さが伝わってきて胸が温かくなるような」

「……うん。なんか、こう、癒される感じだったよね」

 

 有紗もひとりも容姿端麗であり、そのふたりが仲良さそうにしている姿に感じるものがあった様子の2人……そのふたりの肩を、菩薩のような笑みを浮かべた2号がポンッと叩いていた。

 

 

 




時花有紗:容姿はチート級、カッコいい路線も当然行ける。ひとりの気持ちをすぐに察して、最優先する辺りは流石である。

後藤ひとり:キリッとした有紗に弱い。よく分からないけど変にドキドキしたり、モヤモヤしたりした……それは恋だよ、ぼっちちゃん。

喜多郁代:なんか、絶妙な疎外感があったのでさっつーにロインした。百合度はまだ控えめだが、微笑ましさがある。

2号:ようこそ、新たな有後党の同志たちよ、歓迎しよう。正直、個人的な意見ではあるが、2号さんサブキャラの中ではぶっちぎりで可愛いと思う。


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六十六手支度の水着購入~sideA~

 

 

 私の交友関係はそれなりに広く、様々な場所に出資したり株を持っていたりすることもあって、私の元には様々な案内が届きます。大切な情報であるし、ある程度は目を通しています。

 合わせて株主特典などで届いたサービス券など整理していたタイミングで、ふと1枚のチラシが目に付きました。

 それは海外のチラシでプライベートビーチ付きの邸宅の案内でした。それ自体はよく来る案内のひとつですし、特に海外に新しい別荘を購入する予定もないので、プライベートビーチ自体に惹かれたわけではありません。

 

 では、なぜ私が手を止めたのかというと……ひとりさんと一緒に海に行きたいという気持ちが湧き上がってきたからです。もっと端的に言えば、水着姿のひとりさんを見てみたいです。

 普段ですら天上が落とした美の一滴とすら思えるひとりさんが、水着を身に纏えばその美しさは女神に匹敵するでしょう。

 ですが、ひとりさんの性格上海水浴シーズンに海に行ったりというのは難しいですし、多くの人で賑わう場所自体避けたがる傾向にあります。

 

 しかし、そこでふと思いました。プライベートな空間であれば、ひとりさんと一緒に泳ぐことができるのではないでしょうか?

 国内でもプライベートビーチの購入は可能ですし、お父様もいくつかプライベートビーチや島を所有していますし、私もひとつ小豆島に海付きの土地は持っています。とはいえ近場ではないので、夏休みなどならともかく通常の週末などで行くのは少々慌ただしいでしょう。

 

 ですが、プライベートビーチではなくプライベートプールならどうでしょう? これならプライベートプール付きのホテルが都内にもありますので、簡単に訪れることができますしひとりさんとふたりきりでプライベートな時間を堪能することができます。

 ひとりさんにしてみても、プライベートプールであれば他の人の目もないので気が楽でしょうし……これはかなりの妙案ではないでしょうか?

 いいですね。考えれば考えるほど楽しそうです。もう少し計画を練って、ひとりさんに提案してみましょう。

 

 

****

 

 

 ひとりさんと一緒にプライベートプール付きホテルで過ごす計画を思いついた翌日。ちょうど月に1度のひとりさんと一緒に登校する日だったので、登校中に提案してみることにしました。

 

「ひとりさん、最近温かくなってきましたし、私と一緒にプールに行きませんか?」

「はえ? ぷっ、ぷぷ、プール!? むっ、むむむ、無理ですよ……プールってことは水着ですし、恥ずかしいですし……」

「安心してください。その辺りもしっかり考えてきました」

「……うん?」

 

 ひとりさんの反応は想定通りです。少し内気な性格で恥ずかしがりやなひとりさんですから、水着を衆目に晒すのは抵抗があるのでしょう。

 ですが、未来の妻としてもちろんひとりさんを誘う上でその辺りを見落とすことはありませんし、最優先で考慮すべきものであると認識しています。

 

「都内にあるプライベートプール付きのホテルであれば、人目を気にすることなくふたりきりで過ごせますし、週末であれば1泊して時間を気にせず楽しむことができます」

「……あっ、いや、有紗ちゃんに水着を見られるのが恥ずかし……うぐっ、もっ、もの凄く期待の籠った目で……そっ、そんなキラキラした目を向けられると……うぅぅ、わっ、分かりました。いいですよ」

「本当ですか!」

「あっ、はい。あっ、でも、私水着とか持ってないですよ」

 

 ひとりさんの了承の言葉を聞いて天にも昇る幸福を感じていると、ひとりさんが少々困惑気味に水着を持っていないと言ってきました。

 たしかに、ひとりさんの性格上プライベートで泳ぎに行ったりする機会は少ないでしょうし、水着を持っていなかったとしても不思議ではありません。

 

「それでしたら、今度一緒に買いに行きませんか? せっかくですし、私も新しいものを購入しますので」

「あっ、はい。じゃっ、じゃあ、今度の週末に一緒に買いに行きましょうか」

「いいですね。今週末に水着を購入して、来週末にプールというのはいかがですか?」

「あっ、えっと……来週末は、たしかバイトも入ってないですし、大丈夫です」

 

 プライベートプールでひとりさんと過ごせる上に、その前に一緒に水着を買いに行くデートまで楽しめるという大変に素晴らしい展開です。

 思わず顔が綻ぶのを感じていると、ひとりさんが軽く苦笑を浮かべつつ口を開きました。

 

「……そんなに嬉しそうな顔されると、本当に断れないですね。あっ、有紗ちゃん、買い物ついでに他の場所にも行きますか? 水着買うだけなら、そこまで時間もかからないでしょうし」

「そうですね。では、前に話していた通りまた一緒に映画でも見ませんか? 今度は、ひとりさんが言っていた横浜の映画館に行きましょう。確かショッピングモールの中にある映画館ですよね?」

「あっ、そうですね。確かに、ショッピングモールで水着も買えますし、丁度いいかもしれませんね」

 

 こうして私からだけでなく、ひとりさんの方からも「どこかに行こう」と提案してもらえるのは嬉しいです。ひとりさんが私と一緒に過ごす時間を楽しいと感じてくれている証拠のようにも思えて、本当に幸せな気分です。

 そのまましばらくの間。私とひとりさんは楽しく週末の計画について話し合いました。

 

 

****

 

 

 そして約束の週末となり、私とひとりさんは一緒に横浜のショッピングモールに買い物に来ていました。目的はもちろん水着ですが、映画も一緒に見ようという話なので先に映画の時刻を確認して、チケットを購入してから水着を買いに行くことにしました。

 休日とあってそれなりに人が多いので、はぐれないように手を繋いでショッピングモールを歩きつつ会話をします。

 

「……あっ、そういえば、いまさらですけど、私……泳げません」

「大丈夫ですよ。競技用のプールではなく、遊ぶのを主目的としたプールなので底は浅いです。特に泳ぐ必要もありませんし、一緒に遊ぶ感覚で大丈夫ですよ」

「あっ、そっ、それなら私でも……」

 

 もちろんプライベートプールの中には競泳もできるサイズのものもありますが、基本的には浅めなものが多いです。浮き輪などもレンタルでありますし、そういったものを使えば泳げなくとも問題ありません。

 

「あっ、ちなみに有紗ちゃんは泳げるんですよね?」

「人並み程度ではありますが、4泳法は一通りできますよ。浅いプールなので心配はないでしょうが、仮にひとりさんがおぼれたとしてもすぐに助けられると思います。いちおうライフセービングの研修を受けた経験もあります」

「……絶対相当泳げる……やっ、やっぱり、セレブですしハワイでサーフィンとかしてるんですか?」

「サーフィンはしたことはありませんね。シュノーケリングであれば中学生の頃にお母様とモルディブに行った際にやったことがありますね」

 

 モルディブの夕日は美しかったですし、いつかひとりさんと一緒に行って水平線に沈む夕日を眺めたいものです。まぁ、モルディブは5月から10月……いまの時期ですと雨季にあたるので、行くとすればベストシーズンと言われる1月から4月でしょうが……。

 

「もっ、モルディブ? って、どこですか?」

「インドの南にある1000以上の島々がある群島国家で、リゾート地として非常に有名です。1島1リゾートとも言われるほど、多くのリゾート地があります。日本からだと遠いですが、とても美しくていい場所ですよ」

「へぇ、すっ、凄いですね」

「いつか一緒に行きましょうね。ひとりさんと、水平線に沈む夕日を見たいです」

「……うっ、なっ、なんか口説き文句みたいなことを……まっ、まぁ、いつか機会があれば……」

 

 ひとりさんは顔を赤くしつつもある程度前向きな言葉を返してくれました。その言葉を聞いて感じたのは、以前と比べて海外というものに対して忌避感が強くないという印象を受けました。

 あるいは私と一緒であれば大丈夫と思ってくれているのかもしれません。コレはかなりいい傾向ですね。このままいけばひとりさんと一緒に海外旅行に行ける日も、そう遠くはないかもしれません。

 

 

 ****

 

 

 海水浴のシーズンが近いということもあり、水着はあちこちの店で売っていました。いくつかの店舗を見てみて、特に品揃えなどがよさそうな店にひとりさんと一緒に入ります。

 ひとりさんはやや緊張気味で、少し強めに私の手を握って落ち着きなく周囲に視線を動かしてます。

 

「……うっ、陽のオーラが……てっ、店員にいきなり話しかけられたりとか……」

「店によりますが、ひとりならともかく複数人での来店ではそうそう声はかけてこないので大丈夫ですよ。それより、ひとりさんはどんな水着がいいですか?」

「あっ、えっと、ぜっ、全然分からないです……」

「特に拘りが無いようなら、シンプルなビキニタイプのものでいいと思います。ひとりさんは髪の色合いを考えると、黒など比較的暗めな色が似合うと思いますよ」

 

 ひとりさんの髪の色は明るめなので、暗めの色合いの方がいいでしょう。あまり強い色合いのものだと、主張が強すぎる感じになってしまいます。

 プロポーションもいいですし、水着は飾りは少なめのシンプルなものでいいと思います。フリルなどが付いたものも可愛いと思いますが……ひとりさんの好みではないでしょう。

 そんな風に考えていると、ひとりさんは少し迷う様な表情を浮かべたあとで、私に提案してきました。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃんが選んでくれませんか?」

「構いませんが、希望はありますか?」

「……あっ、えっ、えと……有紗ちゃんが、私に着てほしいって思うもので……そっ、その、有紗ちゃんならきっと私の趣味に合わせたものを選んでくれるとは思うんですけど、そっ、そうじゃなくて、せっかくなので、有紗ちゃんが着てほしいと思うもので……」

「ひとりさん……分かりました。それでは、せっかくですし互いに選んでみますか?」

「あっ、はっ、はい。がっ、頑張ります」

 

 ひとりさんが大変嬉しい提案をしてくれたので、互いに互いの水着を選ぶ形式にしました。しかし、私がひとりさんに着てほしい水着を着てくれるということは……ちょっと、可愛めのデザインとかでもいいのでしょうか?

 とりあえず、ひとりさんが嫌がりそうなものは選ばないようにしつつも、私が着ている姿を見たい水着を選ぶことにしましょう。

 

 

 




時花有紗:相変わらずの行動力、計画した翌日には実行する猛者。もうすでにホテルの選定も終えていそうな感じはある。ぼっちちゃんの水着姿がいまから楽しみ。

後藤ひとり:有紗とセットの状態では、陽キャカウントでもいい気がするぼっちちゃん。水着を購入に……ついでに他の場所にも行こうと提案したり、有紗と長く一緒に居たいと思っている感じがする。好感度はさらに上がっている模様。


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六十六手支度の水着購入~sideB~

 

 

 ひょんなことから互いの水着を選ぶこととなった有紗とひとり、有紗の方は問題なくいくつかの水着を見て吟味しているが、ひとりは少々悩んでいた。

 ひとり自身のセンスは……正直お世辞にもいいとは言えないが、お洒落な水着が多い店であることと、自分ではなく有紗が着ると考えるとある程度イメージは湧いてきた。

 

(有紗ちゃんは、派手なものより清楚な感じのが似合うと思う。いっ、いや、まぁ、どの水着でも凄く似合うとは思うけど……白とか黒は合いそう。あと……青っぽいのとかもいいかも?)

 

 有紗のことを思い浮かべつつ考えると、普通に似合いそうなイメージを浮かべることができた。そのままいくつかの水着を見ていて、ひとりはある一着の水着を目にとめた。

 ベースは白色で縁取るように藍色の入ったビキニタイプの水着で、隣に青い花が描かれたパレオが置かれていた。

 

(あっ、こっ、これ絶対有紗ちゃんに似合う。えっと、この……なんだっけ? 名前は忘れちゃったけど、腰に巻くやつは有紗ちゃんのイメージだ! 絶対可愛いと思うし、綺麗そうだし……う、うん! これがいいな……)

 

 有紗用の水着を選び終えたひとりが、それを手に取って有紗の元に向かうと、有紗もひとり用の水着を選び終えていた。

 黒色の水着でトップに控えめにフリルがあしらわれているデザインで、シンプルながら可愛らしいものだった。

 

「ひとりさん、決まりましたか?」

「あっ、はい。こっ、これがいいかなぁって……」

「素敵な水着ですね。パレオも綺麗なデザインで可愛らしいです。私の方もひとりさん用の水着を選んだんですが、いかがですか?」

「あっ、あんまりキャピキャピした感じじゃなくて、着やすそうなので嬉しいです」

 

 もちろん水着自体がセンスのいいものであるというのもあるが、それ以上に有紗が自分に着てほしいと思って選んでくれたと考えると、不思議とその水着が一番いいものであるように感じられた。

 少しくすぐったいような感覚を覚えつつ、ひとりは小さくはにかむ様に笑みを浮かべた。

 

 

****

 

 

 サイズを確認して水着の購入を終えたあとは、映画の時間まで余裕があったのでふたりでショッピングモール内にあるチェーン店のカフェで時間を潰すことにした。

 話題となるのはやはり来月に迫る未確認ライオットのライブ審査についてだった。

 

「……あっ、有紗ちゃんから見て、どうですか? ライブ審査、通過できそうでしょうか?」

「振り分けが気になる部分ではありますね。過去の形式で考えるとライブ審査は、東京、大阪、名古屋は確定として、年によって福岡などのライブハウスも追加されて振り分けられたうえで審査になります。通過枠はひとつのライブハウスに付き概ね2組か3組でしょう。運営側の思惑としては、出来るだけ上位のバンドはバラけさせたいのではないかと思います」

「あっ、そっ、そっか……運営としては、ネット審査上位陣にファイナルステージに進んでほしいんですね」

 

 有紗の言葉を聞いてひとりは納得したように頷く。考えてみれば当然のことではあるが、運営としてもファイナルステージには集客力のある……すなわち人気の高いバンドに進んでもらいたいと考えているだろう。

 ネット審査上位陣でつぶし合いなどという展開はあまり望んでいないので、上位陣はライブ審査の会場はバラバラに振り分ける可能性がある。

 

「その上で考えるのは……まず確実にSIDEROSは東京会場だと思います。拠点が新宿かつネット審査1位通過なので、結束バンドも拠点が下北沢でTOP10入りこそしているものの、TOP5からは外れているので、同じ東京会場になる可能性は高いですね。あとはおそらく1組か2組、上位陣が同じ会場でしょうね」

「なっ、なるほど、東京拠点の上位陣は多そうですし、強敵揃いになるわけですね」

 

 そう話しつつ、有紗はライブ審査は中々に厳しい戦いになるとは感じていた。まず前提としてSIDEROSは完全に格上だ。結束バンドも十分に成長はしているが、SIDEROSも同じく成長を続けている。少なくともライブ審査までの1月半ほどで追いつくのは困難だ。

 

「ただ、有利な面もありますよ。結束バンドは名前が印象に残りやすいので、ネット審査でいい結果を残したことでライブ審査でも観客の思考にバイアスがかかる可能性は高いです。実際は知名度勝負ではあっても、ネット審査で上位であればあるほど、バンドとしての腕も上と感じる方は多いでしょうからね」

「なっ、なるほど、ネット審査上位通過のバンドと思って聞くのと、ギリギリ通過のバンドと思って聞くのだと、聞こえ方も変わってくるかもしれませんね」

「ええ、まぁ、いろいろ言いましたが……最終的にグランプリを目指すのであれば、SIDEROSも含めた上位陣を打ち破る必要があるので、やること自体は変わりませんよ。会場で最高の演奏をするだけです」

「そっ、そうですね。がっ、頑張ります」

「ええ、私も可能な限り協力しますので、頑張りましょう」

 

 グッと拳を握って決意を露わにするひとりを見て、有紗は穏やかに微笑みを浮かべていた。

 

 

****

 

 

 カフェで時間を潰し、映画の時刻が近づいてきたため有紗とひとりは映画館に移動する。入場前にドリンクなどを購入するために販売スペースに移動する。

 

「あっ、ここのポップコーンって、サイズが大きいですね」

「そうですね。ひとりで食べるには量が多いかもしれませんが、ふたりで分けて食べるならMサイズで十分だと思いますね」

「あっ、そっ、そうですね。一緒に食べればいいですね。あっ、有紗ちゃんはどの味がいいですか?」

「私は特にこだわりはないので、ひとりさんの好きな味で大丈夫ですよ。ひとりさんも特に希望が無ければ定番の塩味にしましょう」

「あっ、じゃあ、塩味で」

 

 ひとりの好きな味で大丈夫というだけではなく、希望が無かった場合の案も提示してくれる有紗の些細な気遣いにひとりは小さく微笑みを浮かべた。

 こういった些細な部分でも伝わってくる有紗の優しさは心地よく、こうして一緒に居ると楽しいと感じられる要因でもあった。

 そのままふたりでドリンクとポップコーンを購入して入場し、指定されたスクリーンに移動する。

 

 入場可能時間から実際の放映まではしばし時間が空くものであり、並んで席に座りつつ放映までの時間はポップコーンを摘まみつつ、他愛のない雑談を楽しむ。

 

「ひとりさん、どうぞ」

「はえ? あむ……ふたりの間に置いてあるポップコーンを食べさせる意味って……」

「私がやりたいだけですね」

「あっ、相変わらず清々しいほど潔いです」

 

 少しだけ照れつつも嫌なわけでは無いのか、有紗が差し出してきたポップコーンを食べてひとりは苦笑を浮かべる。

 そして、なんとなくではあるがお返しの形でポップコーンを持って差し出せば、有紗は嬉しそうにそれを食べる。

 

(有紗ちゃんは相変わらずというか、こういうことも本当に嬉しそうにしてくれるから、なんかまぁ、いいかなぁってなっちゃう気がする……ふふ、なんか、うん。やっぱり、楽しいな……)

 

 自然と笑みがこぼれるという様な感覚は少しくすぐったく感じたが、それでも不快さはまったく無く、ひとりの表情はどこか柔らかいものだった。

 休日でありそれなりに人も多いショッピングモールや映画館でこうしてリラックスして過ごせているのは、かつてのひとりから考えれば快挙といっていい変化だった。

 

「あっ、そっ、そういえば、今回の映画っていま話題のやつですよね?」

「ええ、最近公開されたばかりで出だしも好調で評判になっているものですね。流石に公開間もないこともあって客入りは多いですが、いい席が取れてよかったですね」

「あっ、ですね。スクリーンの正面でよく見えますね」

 

 そう話しながらひとりは周囲に軽く視線を動かす。休日かつ話題作ということもあって、多くの客が居てカップルらしき人や家族連れも多かった。

 

(……そういえば、最近カップルとか幸せそうな家族連れを見ても青春コンプレックスを刺激されなくなったというか、精神的なダメージを受けなくなってきた気がする。わっ、私も成長してるってことなのかな……江の島とか行った時は、結構ダメージ受けたんだけど……)

 

 こうしてふとした時に思い返してみると、己でも精神面の成長を実感できた。少なくとも去年の同じ頃の時期とはまるで違うのは確実だった。

 むしろ有紗と自然体で仲睦まじい様子は、虹夏や喜多を筆頭に周囲にある意味での精神ダメージを与えているぐらいではあるのだが……。

 

 そうこうしていると放映時刻が近づいたみたいで、照明が暗くなる。スクリーンに映る最新作の宣伝CMなどが終わって映画が始まると、ひとりもスクリーンに映される映画に集中した。

 内容としてはヒューマンドラマ寄りの感動系の話ではあったが、それなりに動きも多く展開にもメリハリがあってかなり面白い内容だった。

 

(……あたり前に思えていることが、本当は凄く幸せなことか……)

 

 その映画のテーマともいえることを考えつつ、ひとりはチラリと横を見る。スクリーンの明かりに照らされている有紗の横顔を見ると、その映画のテーマもなんだか実感できるような気がした。

 いつしかこうして有紗と一緒に居ることが当たり前になっているが、本当はそれは奇跡みたいに幸福なことであると、そう思ったからだろうか……自然とひとりは有紗の手を握っていた。暗い映画館の中で温もりを求めるかのように……。

 

 手を握られた有紗は特に驚いたような表情を浮かべたりすることもなく、少しだけひとりに視線を向けて微笑みを浮かべたあとで指を絡めるようにして手を握り返した。

 こうして当たり前のように手を握り返してくれる相手が居るというのも、本当に幸せなことだとそう実感して笑みを浮かべたひとりだったが、直後にふとあることに気が付いた。

 

(……あれ? 物凄く自然にされたから気付かなかったけど、こっ、これ、恋人繋ぎってやつでは? あわわわわ……あっ、有紗ちゃんはもう、本当に唐突にこういうことするから!)

 

 あとから気付いた事実に顔を赤くしたひとりだったが、映画を見ている途中に声を出すわけにも行かず、少し困惑するような表情を浮かべたあとで……苦笑しつつため息を吐いて肩の力を抜き、有紗の手を少し強めに握り返した。

 

 

 




時花有紗:パレオ付きの水着のイメージ。ぼっちちゃんとのデートはいつも心から楽しそうにしている。今回も一緒に映画を見たり、恋人繋ぎしたりといちゃいちゃしてた。

後藤ひとり:本人の服の趣味は壊滅的で、原作でも変な水着を購入していたが……有紗に似合うものを選ぼうと考えると、途端にセンスが良くなる。愛の力ですね、分かります。青春コンプレックスはほぼ完全に克服済み……なにせ本人が青春してるから……。


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六十七手遊泳のプライベートプール~sideA~

 

 

 ひとりさんとプライベートプール付きのホテルで1泊過ごす予定の週末。その日は快晴といっていい天気でした。梅雨も明けているので天気のいい日が増えてきてはいますが、絶好といっていいロケーションですね。

 まぁ、ホテルのプライベートプールなので天候は関係ないと言えば関係ないですが、それでも雨天よりも快晴の方が心が晴れやかというのはあります。

 

「おはようございます、ひとりさん。今日はよろしくお願いします」

「あっ、おはようございます。こっ、こちらこそよろしくお願いします」

「ふふ、基本的に私とふたりですし緊張しなくても大丈夫ですよ。一週間の疲れを癒すぐらいの気持ちで楽しみましょう」

「あっ、はい。そうですね、有紗ちゃんと一緒なら……えっ、えと、楽しみです」

 

 ひとりさんの家に迎えに来ると少々緊張した様子でしたが、すぐに安心した様子の笑顔を浮かべてくれました。そんなひとりさんと一緒に車に乗り、目的地のホテルを目指して出発します。

 

「あっ、涼しくて気持ちいいです」

「最近はすっかり夏の陽気になって暑くなってきましたからね。ひとりさんは、その恰好で大丈夫ですか?」

「あっ、そこそこ暑いですけど……暑さには割と強い方なので、大丈夫です」

 

 ひとりさんは年中トレードマークともいえるピンクのジャージ姿です。当然夏でも長袖のジャージを着用しているので一見暑そうですが、江の島などでも割と平気そうな様子だったので暑さに強いというのは本当なのでしょう。

 

「それならよかったです。長袖ジャージは少々暑いかと思いましたが……」

「あっ、でっ、でも、今のジャージは夏用の生地が薄めのやつなので、結構涼しいですよ」

「なるほど、季節ごとに使い分けているんですね」

 

 いつも学校に着ていってるので誤解しそうになりますが、ひとりさんのジャージは学校指定のものではなく私物です。秀華高校は、服装に関する校則はかなり緩いらしく、よほど奇抜な恰好でない限りは大丈夫みたいです。

 

「あっ、有紗ちゃんは暑さとか寒さってどうですか?」

「私は特別苦手な季節も、逆に得意な季節も無いですね。ただ、季節で言うと夏の方が好きかもしれません」

「あっ、そっ、そうなんですね。やっぱり、レジャーのシーズンだからですか?」

「ああ、いえ、年末年始は行事が多くて、どうしても冬は忙しいイメージがあるので……」

「そういえば、年明けは珍しく疲れてた感じでしたね。セレブはセレブで大変なんですね」

 

 本当に年末年始の忙しさだけは好きになれませんし、そこを越えてもすぐに誕生日や確定申告などもあるので冬場はやはり忙しいという印象が強いですね。

 それに比べると夏休みは比較的自由に動けるイメージなので、そういったものが作用して冬より夏の方が好きなのでしょう。

 

「ああ、ですが、一点だけ……ひとりさんの誕生日があるということを考えると、冬もいい季節ですね」

「あっ、有紗ちゃんも同じ冬生まれじゃないですか……けど、そうですよね。どっちの季節も楽しいことはありますよね。さっ、最近そういうのも分かってきた気がします」

「確かに、どちらも悪いことも良いこともあるものですね」

 

 クリスマスなどもありますし、去年はひとりさんと旅行にも行けたので総合するといい冬でした。

 

 

****

 

 

 しばらく雑談しつつ車で移動して、宿泊予定のホテルに辿り着いたのでさっそくチェックインをします。今回はホテルのプールで遊びつつ一日過ごす予定です。

 

「よっ、予想はしていましたけど……凄いホテルです」

「今回は1日ホテルで過ごすつもりなので、ホテル内に店などが多いところを選びました。食事も和洋中と揃っていますし、ルームサービスも充実しているので困ることはないと思います」

 

 フロントで手続きをしてカードキー受け取り、ひとりさんと共に専用エレベーターで移動します。

 

「あっ、えっと……プール付きなので当たり前だとは思うんですけど、いい部屋ですよね?」

「ええ、最上階のスイートですね」

「ひぇ……やっ、やっぱ凄いところ……そっ、そういえば、去年の夏ごろにも一緒にホテルのスイートに行きましたね」

「花火大会の日ですね。まだ1年経っていないはずなのに、懐かしい思いです」

 

 去年ひとりさんと花火大会に行った際も、確かにホテルのスイートルームを取りました。あの時は宿泊せずに花火だけを見て帰宅しましたが、今回は宿泊もすると考えると……私とひとりさんの関係は順調に進展しているのではないでしょうか?

 

「あっ、あの時は変な勘違いをしちゃって、恥ずかしかった思い出もありますけど……花火はすごく綺麗でしたね」

「ふふ、そう言えばそんなこともありましたね。ですが、あの時とは違ってこうして一緒に宿泊できるので、以前よりひとりさんとの距離が縮まっているようで、本当に嬉しいです」

「うっ、まっ、またそうやって恥ずかしい台詞を平然と……」

 

 少し懐かしい思い出話に花を咲かせていると、目的の部屋に到着しました。最上階フロアはこのスイートルームのみなので、フロアまるごと私とひとりさんの貸し切りといっていい状態です。

 もちろん人気のある部屋ではありますが、6月という旅行などのシーズンから外れている時期だったのが功を奏して、比較的簡単に予約を取ることができたのは幸いです。

 

「……あわわ、やっ、やっぱり滅茶苦茶凄い部屋……と、扉もいっぱい……完全に部屋が何個もあるパターンですよね?」

「1フロア丸々スイートルームですからね。プライベートプールもそうですが、フィットネスを行える部屋などもありますよ。ちなみにプールはこちらです。先に少し見てみましょうか……」

 

 着替えてから向かってもいいのですが、先に確認ということでプールを見に行きます。流石に競技用の50mプールなどには及びませんが、ふたりで遊ぶには広すぎるほどのプールですし、プールサイドも広々としています。

 

「……すっ、すご……映画とかセレブが寝転がってるイメージの椅子もありますし、なっ、なんか、凄いですね」

「綺麗ですよね。広々としているので楽しく遊べそうですね。早速ですけど、着替えて遊びましょうか?」

「あっ、はい。えっ、えっと、着替えは……」

「向こうに更衣室がありますのでそちらで……」

 

 プールを軽く見たあとはひとりさんと共に更衣室に移動して着替えを行います。ひとりさんが選んでくれた水着に身を包み、鏡で問題がないことを確認してからひとりさんに声を掛けます。

 

「ひとりさん、私は着替え終わりましたが?」

「あっ、わっ、私も終わりました」

 

 ひとりさんの声をきいて視線を向けると共に……目も心も奪われました。ひとりさんは、入浴する際などと同じように髪を両サイドで丸めて纏めており、その上で私が選んだ水着を着用していました。

 可愛らしい髪型に白く美しい肌に映える水着。その美しさと愛らしさはまるで極光のように眩しかったです。天使でしょうか? ああ、いえ、もとより天使でしたね。後光を纏ったと表現するべきでしょう。

 ただでさえ美の化身と言えるほど美しいひとりさんが水着を着ると、これ程までの美貌になるのですね。この姿を見れたこと……感無量です。

 

「ひとりさん……最高に……最っ高っに! 可愛いです!!」

「噛みしめるように言った!? あっ、有紗ちゃんは大げさ過ぎます。わっ、私より有紗ちゃんの方が凄いです。綺麗で可愛くて……見惚れちゃうぐらいです」

「私はもうひとりさんに見惚れていますが……というわけで、ひとりさん。抱きしめてもいいですか?」

「どういうわけですか!?」

 

 目の前に神の奇跡としか表現のしようがないほどに愛らしいひとりさんが居るのです。それこそ問答の間もなく思いっきり抱きしめたいほど、私の胸の内は愛に溢れています。

 ですが、そこはあくまでひとりさんが最優先なので、しっかりと確認をしなければなりません。この返答までの少しの時間ですら、永遠のように長く感じるほど……割と我慢の限界が近いです。

 

「駄目でしょうか?」

「……うっ、うぅ、そっ、そんな縋るような目で……全然理由説明してないですし……」

「ひとりさんが愛らしくて愛おしいから抱きしめたいと、それ以外の理由などありませんし」

「あっ、相変わらずストレートです。物凄くストレート……うぅぅ……ちょっ、ちょっとだけですから――ひゃうっ!? 早い早い!? まだ言い切ってなかったのに!!」

 

 恥ずかしがりつつも許可を出してくれたひとりさん……その言葉を最後まで大人しく聞いている余裕はありませんでした。むしろ愛の力である程度解答を先読みして、即座に動けるように準備していました。

 というわけで、許可も出たのでひとりさんの体を思いっきり抱きしめます。互いに水着ということもあって、肌が直接触れ合う部分が多く、ひとりさんの温もりをダイレクトに感じることができて、なんとも言えない至福の感覚です。

 

「……もぅ、本当に有紗ちゃんは……恥ずかしくて、顔から火が出そうなはずなのに、行動が強引かつ早すぎたせいでビックリして、素直に恥ずかしがるタイミングを逃しましたよ」

「仕方ないです。ひとりさんがあまりにも愛らしすぎるので、世が世なら国をひとつ傾けていたかもしれないほどの魅力にあふれていましたので、それを前に長く堪えるのは困難です。むしろ、あそこまでよく持ったと己を褒めたいぐらいです」

「おっ、大袈裟にもほどがありますよ……はぁ、本当に完璧に見えてそういうところはしょうがないんですから……」

 

 ひとりさんは少し呆れたような、それでいて凄く優しい声で告げたあと、ゆっくりと私の背に手を回して抱きしめ返してくれました。

 ただでさえ幸せだった時間が更に幸せになったような、本当に表現するのも難しいほど至上の幸福です。

 

「……あっ、ところで有紗ちゃん……私、少しだけって言いましたよね? こっ、これ、あとどれぐらい……さすがに、寝起きの時みたいに30分とかは恥ずかしすぎて……」

「では、非常に名残惜しいですが……あと25分でお願いします」

「いつもの要求から5分短くなっただけ!?」

 

 

 




時花有紗:もちろん水着ぼっちちゃんを前にして冷静でいられるわけもない。むしろ冷静でいる方が失礼……というわけで、安定の暴走。水着同士で抱き合っている姿は大変にえっちなのでは?

後藤ひとり:相変わらず有紗のお願いには弱いタイプ。1年前の花火大会の時から考えると、関係の進展具合というか……ぼっちちゃん側の好感度上昇が顕著である。


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六十七手遊泳のプライベートプール~sideB~

 

 

 更衣室で有紗が若干の暴走をしたことによりやや時間がかかったが、有紗とひとりは改めてプールに移動していた。水に入る際は少し怖がって有紗の手を握っていたひとりではあったが、入ってみればプールは浅めでありほっと安心したような表情を浮かべる。

 

「……あっ、このぐらいの浅さなら、大丈夫そうです」

「泳ぐことも可能ですが、基本的にはレジャー向きのプールですね。いちおうそちらに浮き輪などの貸し出しの品は置いてありますよ」

「とっ、とりあえず浮き輪は無くても大丈夫そうなので、このまま遊びましょうか?」

「そうですね。ひとりさん、隙ありです」

「はえ――わぴゃっ!?」

 

 有紗が不意打ち気味にかけた水にひとりは反応することが出来ず、綺麗に顔で受け止める。

 

「ふっ、不意打ちですよ!」

「ふふ、こういうのは定番ですし、やはり抑えておきたいですね」

「むっ、むむ……あっ、これだ!」

 

 楽し気に笑う有紗を見てひとりはなにか反撃の手段が無いかと周囲を見て、レンタルの浮き輪などと一緒に置いてあった水鉄砲を手に取った。

 そして素早く水を入れて、有紗に向けて発射する。

 

「きゃっ……ひとりさん、武器を使うのは反則では?」

「わっ、私と有紗ちゃんのスペック差を考えれば、これぐらいのハンデは必要なんです。ふっ、ふふふ、いくら有紗ちゃんが凄いとはいえ、水鉄砲の優位性はそうそう……」

「……甘いですよ、ひとりさん!」

「はえ? あっ、潜って……」

 

 手に比べると射程も連射性も勝る水鉄砲という武器を手に入れ、更には浮き輪などのレンタル品が置いてあるプールサイドを背にしていることで、有紗を牽制している状態。完全に有利といっていい状況に不敵に笑うひとりだったが、直後に有紗が水中に潜ったことで不意を打たれて困惑した表情を浮かべた。

 急に潜るという予想外の行動かつ、有紗の狙いが分からないという状態で虚を突かれた形になったひとりはすぐに行動することができなかった。

 その間に有紗は潜水状態のままで困惑するひとりをかわすように移動し、プールサイドに辿り着いてから顔を出し、置いてあったもうひとつの水鉄砲を手に取った。

 

「あっ、みっ、水鉄砲を……」

「これで、条件は一緒ですよ……それっ!」

「いっ、いや、一緒どころか、同じ装備だと勝ち目が――わぷっ!?」

 

 そもそも基本的な運動神経では、有紗が圧倒的に上である。正直あのまま手対水鉄砲で戦っていたとしても、なんだかんだで有紗が勝っていた可能性が高い。その状況で有紗も水鉄砲という武器を手に入れてしまった場合、ひとりに勝ち目はなかった。

 ……もっとも、そもそも勝ち負けを決めるようなものではなかったので、互いに水鉄砲で水をかけ合ってはしゃいだ様子で遊んでおり、有紗とひとりの表情には笑顔が浮かんでいて楽しげだった。

 

 

****

 

 

 水鉄砲である程度アグレッシブに遊んだあとは、プールサイドで少し休憩することになった。初めてのプールサイドチェアにひとりはややおっかなびっくりの様子で座る。

 

(えっ、映画とかでセレブやリア充が座ってトロピカルドリンクを飲んでいる謎のお洒落椅子だ。さっ、サングラスとかあった方がよかったかな……)

 

 家に置いてあるあまり使用機会のない星形のサングラスを思い浮かべているひとりの元に、有紗がペットボトルとコップを持って近付いてきた。

 

「ひとりさん、水でいいですか?」

「あっ、はっ、はい。あれ? それ、どこから……」

「ああ、更衣室とシャワールームの近くに専用の冷蔵庫があって、その中にドリンク類がありますので、そこから持ってきましたよ」

「なっ、なるほど……ありがとうございます」

 

 有紗が注いでくれた水の入ったお洒落なグラスをひとりが受け取ると、有紗もひとりの隣のプールサイドチェアに座り、タオルで軽く髪の水気を取る。その様子は非常に慣れた感じであり、動作に上品さを感じた。

 

「あっ、有紗ちゃんはやっぱり慣れてる感じですね。わっ、私は慣れないお洒落チェアにおっかなびっくりです」

「あまり気にせず気楽に楽しむのが一番ですよ。こんな風にしなければならないというルールがあるわけでもないですからね」

 

 少し硬くなっている様子のひとりに対して有紗は優し気に微笑んだあとで、軽く手を伸ばしてひとりの頭に手を置いて優しく撫でる。

 最初は驚いた顔を浮かべていたひとりだったが、少しして心地よさそうに目を細めつつ口を開いた。

 

「……きゅっ、急にどうしたんですか?」

「いえ、緊張が和らぐかと思いまして……」

「うぅっ、実際少し和らいでるのでなんとも言えない……」

 

 正直に言ってしまえば、ひとりは有紗に頭を撫でられる感触を非常に心地良く感じていた。

 

(うっ、こっ、これ癖になりそう。こうやって有紗ちゃんに優しく撫でられてると、凄くホッとするというか……滅茶苦茶安心できる。この感覚、好きだなぁ)

 

 ホッと心の底から安心できるような感覚に、幸せそうに眼を細めていたひとりだったが、ある程度経ったところで有紗が手を離すとつい反射的に寂しそうな表情を浮かべた。

 

「……あっ」

「……」

「あっ、いっ、いや、これはその、つっ、つつ、つい……」

「ふふ、私も少し名残惜しいと思っていたので、もう少し撫でていてもいいですかね?」

「あぅ、はい……おっ、お願いします」

 

 寂しげに呟いたひとりを見て、有紗はその心を見透かすような微笑みを浮かべてもう一度ひとりの頭に手を伸ばして、撫で始めた。

 ひとりは恥ずかしそうに顔を赤らめつつも、それでもやはりまだ撫でていて欲しかったのか、素直に有紗の手を受け入れ、再び心地よさそうに目を細めた。

 

 

****

 

 

 ある程度休憩をしたあとは再びプールで遊ぶ。今度は最初のように水鉄砲で遊ぶわけでは無く、のんびりと水に浸かって楽しむ形だ。

 ひとりが浮き輪に乗り、有紗がそれを軽く押す。

 

「あっ、こっ、これ、こうやって浮き輪に寝転がってるのってよく見ますけど、実際にやると……結構不安定で怖いですね」

「確かにひっくり返ったりという心配はあるかもしれませんが、いまは私が傍に居るので大丈夫ですよ。仮にひとりさんが落ちそうになっても、受け止めてみせますよ」

「なっ、なんでしょう? 頼りがいがある台詞ですし、実際に安心できはするんですけど……なっ、なんか受け止められたら、そのまま30分コースのような気が……」

「それは否定しません」

「しないんですね!?」

 

 ひとりが落ちそうになって有紗が抱き留めた場合は、そうそう簡単に離さないのではないかというひとりの言葉に、有紗は一切誤魔化すことなく同意する。

 相変わらずストレートで正面突破な有紗の言葉に、ひとりが思わず苦笑を浮かべると、不意に有紗はなにか考えるような表情を浮かべた。

 

「……ふむ」

「あっ、有紗ちゃん?」

「つまり、いまの私は、ある意味でひとりさんを抱きしめる形に移行できる権利を有しているというわけでもあるわけですね?」

「そっ、それ、私が浮き輪から落ちた場合のパターンですよね? だっ、駄目ですからね? わざと落としちゃ、駄目ですからね!」

 

 たしかに有紗の言う通り、浮き輪に乗ったひとりを有紗が動かしている現状であれば、その気になればわざとバランスを崩させることも容易だろう。ひとりの運動神経やバランス感覚はお世辞にもよいとは言えないので、有紗にかかれば簡単に浮き輪から落とすことができる。

 そうなれば、有紗はひとりを抱き留め……つまり、抱きしめることができる。有紗の言葉でその可能性に思い至ったひとりが、慌てた様子で言葉を発すると有紗は優しく微笑みながら口を開く。

 

「大丈夫ですよ。そんなことはしませんよ。そもそも、ひとりさんを怖がらせるような真似をする気自体がありませんしね。ハグについてはあとで別にやりますので」

「あっ、そっ、そうなんですね。よかっ……うん? あっ、有紗ちゃん? いま、最後になにか付け足さなかったですか?」

「え? ああ、そもそもの話として、ひとりさんを抱きしめたいのであればそのような回りくどい手を使わず正面から行きます」

「そっ、そうですね。有紗ちゃんって、そういう人ですよね……」

「なので、次の休憩の時に抱きしめます!」

「えぇぇぇぇ……とっ、突然過ぎませんか!?」

 

 たしかに有紗らしいと言えば有紗らしい。搦手のようなことはせずに、好意を示すときはストレートであり、ワザとひとりを落として抱きしめようなどとは考えず、どうどうとあとで抱きしめる宣言をしていた。

 ただ、有紗らしいと感じることと羞恥心は別であり、例によってひとりは顔を赤くして慌てだす。

 

「仕方ないです。ひとりさんを抱きしめたくなったので……」

「ちょっ、ちょっと前に更衣室で長々としたじゃないですか……」

「それはそれ、これはこれです」

「あっ、駄目だ。猛将モード入っちゃった……勝てない」

 

 鋼の意思とでも言うべきか、もう有紗の中で次の休憩でひとりを抱きしめるというのは確定した。こうなってしまったら、有紗の意思が揺るがないというのはひとりはこれまでに幾度も身をもって実感している。

 結局ひとりは諦めたような表情を浮かべて天を仰いだ。

 

「……あっ、いままで気づかなかったですけど、滅茶苦茶綺麗に青空が見えますねこのプール」

「最上階で上は強化ガラスですからね。夜に照明などを調整すれば星も見えますね」

「へぇ……なんか、凄く贅沢してる気分……いっ、いや、贅沢してました。ここ、スイートルームですよね。うっかり忘れそうになりますけど、このプールも部屋のオプションみたいなものなんですよね?」

「ええ、その通りです」

「きっ、聞くのが怖いんですけど、やっ、やっぱり、高いんですよね?」

「プライベートプール付きの部屋自体はピンキリです。安ければ数万円で泊まれる部屋もありますしね。ここはロイヤルスイートですが、いまは旅行シーズンではないので宿泊費は安めになっていますね」

「……いくらですか?」

「100万円ですね」

「ひぇ……」

 

 有紗は安めといったが、それは以前の花火の時の様に特別な行事や旅行シーズンの値段と比較してという話であり、一フロア丸ごとのスイートルームかつ全天型プライベートプールが付いている部屋が安いわけがない。

 凄まじい金額ではあるが、有紗にとっては大した金額ではないというのはひとりにも理解できており、ひとりはなんとも言えない表情で遠い目を浮かべていた。

 

 

 




時花有紗:猛将モード搭載のお嬢様。例によって回りくどい搦手は使わず、愛情表現は正面突破のストロングスタイル。

後藤ひとり:有紗と水をかけ合って遊んでいり、子犬感MAXで頭撫でられて喜んでいたり、浮き輪に乗っていちゃいちゃしていたりとリア充しまくっている。


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六十八手幸甚のホテル宿泊~sideA~

 

 

 ひとりさんとプールで昼過ぎまで遊んだあとは、シャワーを浴びて昼食を食べに行く予定です。私の前で椅子に座るひとりさんの髪にドライヤーの風を当てつつ髪を整えていきます。

 

「すっ、すみません。手伝ってもらっちゃって……」

「気にしないでください。これぐらいお安い御用ですよ」

 

 現在私は、ひとりさんの髪を乾かすのを手伝っています。ひとりさんは髪が長いので、自身ですべてをやるのは大変でしょう。

 

「ああ、着替えた水着なのですが、乾燥機に入れて乾かしておきましょう。夜にも使う予定なので」

「あっ、あれ? 夜もプールにいくんですか?」

「ええ、実はあのプールはかなり幻想的にライトアップすることもできるので、夜は夜で違った雰囲気が楽しめますからね」

「なるほど、そっ、それは楽しみですね」

 

 それにしても、手触りのいい髪にシャワーを浴びた直後なのもあって、いい香りがしてひとりさんの魅力を際立させている感じですね。

 そんなことを考えていると、ふとあることに気付きました。ひとりさんを正面からハグする機会はそれなりにありました。先ほども事前に宣言した通り、プールから上がった後ハグを実行しました。

 

 しかし、思い返してみれば後ろから抱きしめるバックハグは少ないのではないでしょうか? 明確に覚えているのは、プリクラを撮影した時ですが、あの時は撮影時間の関係でゆっくりと抱きしめることはできませんでした。

 正面からのハグにも、後ろからのハグにも、それぞれに魅力があり素晴らしいものです。もしかすると、私は少々視野が狭くなっていたかもしれません。

 

「……失態でしたね。反省すべきことです」

「うっ、うん? 反省? なにがですか……」

「ただ一辺倒に正面からハグするばかりではなく、適度にバックハグなどのバリエーションを混ぜておくべきでした。そうでなければ、ひとりさんにも失礼でしょう」

「なんか唐突にとんでもないこと言い出した!? あっ、あれ? これ、もしかして前にもあった心の声が漏れてる的なやつでは? あっ、あの、有紗ちゃん?」

「どうしました、ひとりさん?」

「あっ、えっと、また心の声が漏れてます」

「……」

 

 ひとりさんに指摘されて思考を全て口に出していたことに気付きました。コレはまた失態でしたね。

 

「……まぁ、別に嘘偽りを口にしたわけでもないので問題ないですね」

「めっ、メンタル強ぉ……」

「しかし、失敗しましたね。先ほどのハグの機会をバックハグにするべきでした。まぁ、過ぎてしまったことは悔やんでも仕方ありません。この反省点をしっかりと覚えて次の機会に……別に次の機会にする必要はないのでは? というわけで失礼します」

「……あっ、なんか、変な方向に思考が向い――ひゃうっ!?」

 

 そう、よくよく考えてみれば、ハグは一定時間に何回までと制限があるわけではありません。むしろ私の気持ちとしては、暇があればひとりさんを抱きしめていたいぐらいです。

 であれば、いま抱きしめてしまっても問題はないでしょう。多少昼食に向かう時間が遅れるかもしれませんが、誤差の範囲です。それ以上に優先すべきものがあるというだけです。

 そう考えた時点で私の思考から迷いは消え、丁度髪を乾かし終えたひとりさんを後ろから抱きしめました。

 

「あっ、有紗ちゃん! 決断から実行までが早すぎです!?」

「ひとりさんがあまりにも愛らしく魅力的で抗い切れませんでした」

「抗ってる様子なかったですけど!? とっ、というか、この格好……なっ、なんか私の方から有紗ちゃんが見えないので、変に恥ずかしいというか……」

 

 当たり前ではありますが、正面から抱きしめるのと後ろから抱きしめるのでは感触が違います。しかも、現在ひとりさんは椅子に座っており、私は立っているので少しかがみ気味で胸に抱くような形でのバックハグです。これはこれで新鮮な感触がなんとも素晴らしい。

 そしてなんだかんだ言いつつも、私の手を振り払ったり逃げようとしたりしないひとりさんの優しさが嬉しいです。

 

「これはこれで、いつもと違った感じがいいですね」

「うぅ……あっ、有紗ちゃん……えと、ご飯に行くのでは?」

「そうですね。ひとりさん、お腹が空いているところ申し訳ないですが、もう少しだけこうしててもいいですか、大変に幸せなので……」

「うぐっ、そっ、そんな嬉しそうな声で言うのは……うぅ……はぁ……もう少しだけですよ」

「ありがとうございます!」

 

 ひとりさんの許可もでたので、もう少しの間こうしていられるのは本当に幸せです。腕の中にひとりさんの温もりを感じていると、それだけで頬が緩む思いですね。

 

「……あっ、でっ、でも、こっ、個人的には正面から抱きしめられてる方が好きかも……あっ、あくまで、比較したらですけど……」

「ひとりさん、そんなことを言われると、正面からも抱きしめたくなるのですが……」

「そっ、それはさすがに、お昼を食べてからにしてください……」

 

 残念で……おや? あれ? いま、ひょっとしてお昼ご飯を食べ終えたあと、また抱きしめてもいいと許可が出たのでは? ひとりさんは意識した様子はなかったので、ほぼ反射的に言ったのだと思いますが……しかし、経緯はどうあれ言質は取りました。昼食後も楽しみです。

 

「そうですね。ではとりあえず、いまはこの幸せな感触をもうしばらく堪能することにします」

「まっ、まぁ、有紗ちゃんが楽しそうなのはよか……うん? 有紗ちゃん? きっ、気のせいですかね? いま……もう少しから、もうしばらくに変わってなかったですか?」

「……」

「……有紗ちゃん?」

「大丈夫です。先ほどの、ハグと同じぐらいの時間に留めておきますので……」

 

 いつまでもこうしていたいと思えるほどに幸せですが、確かにいつまでもこうしているわけにはいきませんので、ある程度の時間で切り上げる必要はあります。

 

「あっ、そっ、それだと30分になるんですけど……」

「あと30分お願いします」

「開き直った!?」

 

 

****

 

 

 しばしひとりさんの温もりを堪能したあとで、一緒にレストランなどがあるフロアに向かいます。手を繋いでホテルの廊下を歩きつつ、ひとりさんに話しかけます。

 

「それで、昼食なのですが和洋中のレストランがあるのですが、どこがいいですか?」

「あっ、え~と……うっ、う~ん。あんまりお洒落過ぎないところがいいです」

「それでしたら、洋食レストランのひとつにビュッフェスタイルの店があるので、そちらにしませんか? 好きなものを選んで食べられますし、堅苦しさもないと思います」

「あっ、そうですね。そこがいいです」

 

 昼食は気軽食べられるビュッフェのレストランを提案し、ひとりさんも乗り気だったのでそこに行くことにしました。

 ついでに夕食に関してもいまのうちに相談しておこうと考えて、移動しつつ追加でひとりさんに提案します。

 

「ひとりさん、夕食は逆にのんびりと食べられる個室のある和食の店はどうでしょう? 懐石料理の店としゃぶしゃぶの店があるみたいですよ」

「そっ、それなら、有紗ちゃんがいいなら、しゃぶしゃぶがいいですね」

「では夕食はしゃぶしゃぶの店に行くことにしましょう」

「あっ、はい」

 

 夕食もスムーズに決定し、まずは昼食を食べる予定のレストランに到着しました。昼時からはやや遅れて来ましたが、逆にそれが功を奏して客が少なめで食べやすそうです。

 店に入ると店員が声をかけてきたので、スイートルームのカードキーを提示します。

 

「……あっ、有紗ちゃん? なんで、カードキーを?」

「ああ、このホテルのレストランは、ロイヤルスイートの宿泊客専用の席を用意してくれてるので、席が埋まっていて座れないということはないんですよ」

「あっ、なっ、なるほど……さすが高級スイート……」

 

 ホテルによってその辺りは違いますが、このホテルのレストランはロイヤルスイートの客にはとても利用しやすくなっています。まぁ、だからこそゆっくりひとりさんを抱きしめてから来ても大丈夫だったわけです。座れなくなるということが無いので……。

 店員に案内されて、窓近くで絶景が見える席に座ります。何となく不安だったのか、対面ではなく隣に座って来たひとりさんを安心させるように微笑んだあとで、店員からビュッフェの説明を簡単に受けてひとりさんと一緒に料理を取りに行きます。

 

「なっ、なんか、どの料理も凄いですね。お洒落な料理が多いです……えっ、エスプーマ?」

「エスプーマはスペイン語で泡という意味で、その名の通り泡状のソースなどを指す言葉ですね。ふんわりと軽い食感で、見た目も可愛らしいので特にデザートに使われることが多いですね」

「おっ、お洒落……あっ、あっちのタパスコーナーっていうのは、なんですか?」

「タパスというのは、いわゆるスペイン料理における小皿料理ですね。マリネやアヒージョ、フリットやブルスケッタといったものが代表的ですね。この店はスペイン料理が多いみたいですね」

「……なるほど?」

 

 それぞれの料理について説明しましたが、ひとりさんはあまり分かっていない様子で首を傾げる仕草をしていました。そういった姿も大変可愛らしいのですが、とりあえずひとりさんの不安は取り除いておきましょう。

 

「まぁ、いろいろな呼び名はありますが、気にする必要はありませんよ。文字で注文するわけでは無いのですから、見てみて美味しそうなのを選べば問題ないかと」

「あっ、そっ、そうですよね。名前なんてわからなくても、美味しそうなら……」

「ええ、美味しく食べるのが一番ですからね。それに分からなければ私が教えますよ。たとえば、ひとつオススメするなら、スペインには中国の金華ハム、イタリアのプロシュートと並び世界三大ハムと言われている生ハムのハモンセラーノが美味しいですよ。あちらにある生ハムですね」

「あっ、す、凄い……美味しそう」

「ただ、やや塩味が強めなので、気を付けてくださいね」

 

 聞き覚えの無い料理名に不安そうにしていたひとりさんでしたが、私の言葉を聞いてほっとした表情を浮かべたあとは、楽し気に料理を選んでいました。

 私はひとりさんが選んでいないもので、ひとりさんの好みに合いそうな料理を中心に取っていきます。必ずしも別々に食べなければいけないわけではありませんし、隣同士に座って食べるのですから一緒に食べれば問題ないですしね。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんを抱きしめたいと思った時には、すでにもう行動は終わっているという行動力の鬼。正面ハグだけではなくバックハグも堪能中……思いっきりいちゃいちゃしてる。

後藤ひとり:ついにハグに関しても距離感バグり始めてきたのか、割とすぐに受け入れてくれるようになってきたぼっちちゃん。ハグは正面から抱きしめられる方が好きらしい……可愛い。


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六十八手幸甚のホテル宿泊~sideB~

 

 

 昼食を終えて部屋に戻って来た有紗とひとりは、食後の休憩を兼ねて室内にあったソファーに並んで座っていた。

 

「あっ、有紗ちゃん。午後はなにをしますか?」

「そうですね。いちおういろいろな設備はありますよ。簡単なフィットネスや運動が行える部屋もありますし、ホテル内の設備でいえば遊戯施設も複数ありますね。一度ホテルの外に出て近場を散策するというのも有りです……まぁ、旅行に来ているわけでは無いので、観光に向いているかは若干微妙ではありますが……」

「なっ、なるほど……」

 

 ひとりの問いかけに穏やかに微笑みながら提案をする有紗。それを見ながら、ひとりは心の中で小さく決意を固めていた。

 

(よっ、よし、言うぞ……午後は有紗ちゃんの好きなことをして、過ごそうって……有紗ちゃんはいっつも私のことを考えてくれるし、任せておけば私が楽しめることを提案してくれると思う。けっ、けど、そうじゃなくて有紗ちゃんのしたいことを……)

 

 日頃から有紗はひとりを気遣っており、ひとりが嫌がったり気が進まない類のものに関してはふたりで遊ぶ際にも除外して考える。

 例えば体を動かす運動系の遊びなどがそれに当たるだろう。ひとりの運動神経は低く、本人も運動を苦手としているので敬遠しがちだ。

 

「あっ、有紗ちゃん!」

「はい?」

 

 しかし、有紗のために……そう思えば、無限の気力が湧いてくるような気がした。苦手な運動であっても、有紗のためと思えば頑張れると……もちろん実際に行えば、早々にダウンはする。ダウンはするが、やる気に関しては十分ある。

 

「午後は、有紗ちゃんの好きなことをなんでもしていいですよ!」

「……」

 

 ひとりの気遣いは素晴らしいものだっただろう。自分だけでなく有紗にも好きなことをして遊んでもらいたいと、そんな風に考えられるのはひとえに有紗に対する好意のなせる業だ。

 ただ、そう、強いて問題点を上げるとするなら、やる気に満ち溢れていたせいで空回りして変な言い回しになってしまったことだろう。

 力強く宣言したひとりの言葉に、有紗は珍しくポカンとした表情で固まった。

 

(……好きなことをなんでもしていい? ひとりさんに対して?)

 

 そう、あくまでひとりの意図としては「有紗のやりたい遊びをしよう」という意味合いで、午後の予定の相談の延長で告げた言葉である。ただし、今のいい方であれば己に対して好きなことをしていいと聞き取られても不思議ではない。

 

(……いえ、ですが、流石にそれは話の流れがおかしいですし、頭に午後と付ける意味も……先ほどまでの話の流れを考えるに、これは午後の予定に関しては私の希望を通してくれるという意味合いですね)

 

 しかし、そこはさすがは有紗というべきか、すぐにひとりの言葉の真意に気付いて思考を修正したおかげで変な誤解を生むことは無かった。

 

「……午後の予定は私が決めてもいいということでしょうか?」

「あっ、はい。なんでも付き合います。うっ、うう、運動とか……かっ、カラオケとかでも……ばっ、ばば、バッチこいです!」

 

 とりあえず気合だけは十分だった。それでも若干尻込みはしている様子だったが、有紗が希望さえすれば苦手な運動やカラオケでも問題ないと宣言するひとりを見て、有紗は嬉しそうに微笑んだ。

 明らかにひとりが「苦手でも我慢する」状態で、実際にひとりが苦手なことを提案することはないが、その気遣いがとても嬉しかった。

 

「……では、私の希望なのですが……どこにも出掛けず、ゆっくりしませんか?」

「……はえ?」

「いえ、もちろんどこかに出かけて楽しむというのも素敵ですが、ひとりさんとふたりで特になにをするでもなく、のんびり会話などを楽しみたいですね。今日はもうすでに、午前中にプールで遊びましたし、互いに多少なりとも疲労はありますからね」

「あっ、えっと、有紗ちゃんがしたいなら……むしろ、私としてもそういうのは好きですし……」

 

 気合を入れていたので若干肩透かしではあったが、有紗の提案はひとりにとっても喜ばしいものだった。確かにプールで遊んだことである程度疲労はしており、ホテル内ならともかくホテル外にまで出るのは気が進まない状態ではあった。

 そしてなにより、ひとりは有紗とふたりでいる時間が好きだ。特にひとりの家に有紗が遊びに来た際などにそうなることが多いが、ふたりでのんびりと室内で過ごす時間は安心できて心休まる。

 

「ええ、他愛のない雑談をしたり、お茶やお菓子を食べたり、ボードゲームなども置いてあるので気を向いたらするのもいいですね。あとは、ひとりさんを抱きしめたり、膝枕したりなどしつつゆっくり過ごしましょう」

「……なっ、なんか、最後に欲望的なの入ってなかったですか?」

「入れましたし、実行するつもりです」

「ちっ、力強い宣言だ……確実に実行するという、強い意志が目に宿ってます」

 

 あまりにも堂々と宣言する有紗に対して、ひとりはなんとも言えない表情を浮かべていたが「まぁ、有紗らしい」と、最終的には苦笑した。

 

「せっかくですし、さっそく膝枕など……」

「あっ、まっ、待ってください! むっ、むむ、むしろ私が有紗ちゃんになにかしてあげたいので……逆に、わっ、私が膝枕します!!」

「……うん?」

 

 ともかく有紗になにかをしてあげたいという気持ちが強かったせいか、反射的に自分がすると発言したあとで、ひとりは顔を赤くした。

 

(なに言ってんだ私!? 膝枕するとか、そんな叫ぶように宣言することじゃないし、そもそも、これは有紗ちゃんの要望から外れてしまってるんじゃ……ほっ、ほら、有紗ちゃんも驚いた顔してるし!? あわわわ、なっ、なんとか弁明を……)

 

 ほぼ無意識で言った言葉だったせいで、慌てまくるひとりではあったが、有紗は少しキョトンとしたあとで楽し気に微笑みを浮かべた。

 

「なるほど、それはそれで新鮮で楽しそうですね。是非お願いします」

「はひっ!? あえ? あっ……はい。こっ、こんな膝……腿? でよければ、いくらでも使ってください」

 

 思った以上に有紗が乗り気だったこともあって、ひとりは少しほっとした表情を浮かべたあと、有紗が寝転びやすいようにソファーの端に移動する。

 それを確認したあとで、有紗は楽しげな表情のままでひとりの腿に頭を乗せて膝枕の形になった。

 

「なるほど……ふふ、こうしてひとりさんの顔を見上げるのは、なんだか新鮮でいいですね」

「うっ、あっ、有紗ちゃん……そっ、そんなにジッと見られると……恥ずかしいです」

 

 寝転がった状態で楽し気に笑う有紗の笑顔が眩しかったのか、ひとりは頬を赤くして少し目線を逸らした。それでも完全に顔を逸らしたりはしていないのだが……。

 

(おっ、思ったより有紗ちゃんの顔が近くてドキドキする。けっ、けど、喜んでくれてるみたいだし……よかった。私の膝枕に価値なんて皆無な気がするけど……有紗ちゃんには、需要があるんだなぁ)

 

 有紗が喜んでくれていることもあって、ひとりも小さく笑みを浮かべていた。本質的に自信が無いひとりとしては、自分の行動で大好きな有紗が喜んでくれているというのは、心満たされる思いであり、かなり嬉しそうだった。

 

「ところでひとりさん、ちょっと手を拝借してもいいですか?」

「え? あっ、はい。どうぞ……」

「では、失礼して……」

「はえ? あっ、ちょっ、なっ、なな、なんで手をにぎにぎするんですか!?」

 

 ひとりの手を取った有紗は、指を絡めて少し力を入れて緩めてと繰り返しはじめた。

 

「なぜと問われると返答は難しいですね。なんとなくとしか……嫌でしたか?」

「いっ、嫌とかそういうのじゃないですけど、ビックリしたというか……はっ、恥ずかしいというか……」

 

 普段から有紗とひとりはよく手を繋いでいるので、行為自体は特別なことではないのだが、膝枕という状態でどこか楽し気な様子で手を握ってくる有紗の姿を見て、思わずひとりは顔を赤くした。

 そんなひとりを見て、有紗は再び微笑みを浮かべたあとで、手を握っているのとは逆の手を少し伸ばし、ひとりの頬を優しく撫でた。

 

「あっ、ああ、有紗ちゃん!?」

「ああ、いえ、本当にこれもなんとなくなんですが……なんでしょう、普段とは違った感じなのでいろいろと楽しいというか、ひとりさんの反応が見てみたくてつい」

「うぐっ、そんな楽しそうに……いっ、いや、別に、有紗ちゃんが楽しいなら頬を触られるぐらいいいんですけど……あっ、そっ、そういえば、私を膝枕した時とか、有紗ちゃんはよく私の頭を撫でたりしてましたね」

「そうですね。それも本当に特別な理由は無くて、なんとなくそうしたくなったという感じですけどね」

「……そっ、そうですか……じゃあ、私も……」

 

 妙に緊張しつつも、ひとりは有紗の頭に手を置いてゆっくりと撫でる。すると有紗は心地よさそうに目を細め、ひとりも釣られて小さく笑みを溢した。

 

(……有紗ちゃん、嬉しそう。それに、髪もサラサラで……撫でててちょっと楽しいかも。こういうのっていままで有紗ちゃんにしてもらうことが多かったけど、なんていうか……こうやって有紗ちゃんになにかをしてあげられるのも、それはそれで嬉しいな)

 

 以前にきくりに溢したように、ひとりには有紗にいつも助けられてばかりだという思いがあり、有紗になにかをしてあげたいという感情は人一倍強い。

 だからこそ、有紗の望みであれば恥ずかしくとも「有紗が喜ぶなら……」という気持ちで応じることが多いのだが、こうして率先して有紗に膝枕をしたり頭を撫でたりというのは、受け身がちなひとりとしては珍しい行動である。

 

 だからこそだろうか? 有紗がいまの状況を新鮮に感じているのと同じように、ひとりもいつもと違った新鮮な感じを少し楽しんでいた。

 ただひとつ、変にドキドキと胸が高鳴ったり……有紗の楽しそうな顔を見ていると、喜びが込み上げてくるような感覚はくすぐったくて慣れないというか、変な恥ずかしさを覚えていた。

 

「ひとりさん、ある程度時間が立ったら交代しましょうね。今度は、私が膝枕をします」

「あっ、はい。かわりばんこ……ですね」

 

 だが、不快感は一切無く……むしろ幸せで、こうした他愛のないやり取りでも、不思議と口角が上がっていた。

 

 

 




時花有紗:なかなか無い状況ではあるが非常に楽しんでおり、せっかくのシチュエーションなんだからとひとりに甘えている感じである。

後藤ひとり:有紗のことが大好きなため、時々「有紗になにかしてあげたい」という気持ちが非常に強くなることがる……それは愛だと思う。有紗に膝枕をするという珍しいシチュエーションだが、なんだかんだで本人も楽しんでいる模様。これで恋人じゃなくて友達とか、「お前はなに言ってるんだ?」状態。


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六十九手抱擁のホテル宿泊後半~sideA~

 

 

 ホテルの広いロイヤルスイートにて、ひとりさんに膝枕をしてもらったり、私がひとりさんを膝枕したり、一緒にお茶をしながら雑談をしたりと、まったりと過ごしました。

 とてつもなく幸福感の高い時間であり、気を抜くとつい頬が緩んでしまうほどに幸せです。そして楽しい時間というのは早く過ぎるのが世の常であり、いつの間にか夕食の時間が近づいていました。

 夕食はしゃぶしゃぶの予定に決めていたので、事前にホテルフロントに連絡して準備してもらっていますので、店に向かえばすぐに食べれる状態です。

 予約した時間を考えるとあと40分ほど経ったら出発するのがいいでしょうね。そんなことを考えつつ、ひとりさんを見てふとあることを思いつきました。

 

「ひとりさん、完全な思い付きなんですが……髪を結ってみてもいいですか?」

「はえ? あっ、髪を? ……えっと、私の髪をってことですよね?」

「はい。もちろん私は素人なので、本格的なアレンジヘアができるわけではありませんが……単純にどんな風になるのか興味がありまして……」

「あっ、べっ、別にいいですけど……あっ、でも、前髪は許してください。はっ、恥ずかしいので……」

「分かりました。まぁ、本当に簡単に纏めるだけですよ」

 

 ひとりさんは入浴したりプールに入ったりするときは髪を纏めるものの、それ以外はほぼストレートの状態のままなので興味が湧きました。

 もちろん、普段の姿も最高に、究極に可愛らしいのですが、髪型を変えることで雰囲気が変わると、またひとりさんの新しい魅力が見つかるかもしれません。

 

 ひとりさんが快く了承してくれたこともあって、ひとりさんの髪をアレンジすることにします。夕食までそれほど時間がないので、ヘアアイロンを使う必要がある複雑なアレンジは難しいですし、ここは簡単にハーフアップの形にしましょう。

 ひとりさんは長い髪なので、ハーフアップはきっと似合います。

 

「少しだけアレンジしたハーフアップにしますね」

「あっ、はい。えっ、えっと、どんな風に?」

「左右の髪を一束細めの三つ編みにして、くるりんぱをして、毛先も軽く三つ編みにする、三つ編みアレンジを想定してます」

「くっ、くるりんぱ?」

「えっと、結んだサイドの毛の中央に毛束を入れてくるっと回して結ぶアレンジです。くるりんぱはヘアゴムだけで簡単にできて、いろんなアレンジに応用できるので手軽ですよ」

「なっ、なるほど?」

 

 ひとりさんはあまりヘアアレンジをしないですし、美容室にも行かないと聞いたので聞きなれない単語かもしれませんね。ただ、本当に簡単にできるアレンジなので覚えておけば便利かと思い、軽く説明しつつひとりさんの髪を結っていきます。

 今回は三つ編みアレンジにするつもりなので、左右両側の髪を細く三つ編みにしてから、くるりんぱで作った髪の中央に通すことでフィッシュボーンで行うハーフアップほどボリューミーではないですが、横からの見え方にも華やかさを演出できます。遠目に見れば編み込みっぽく見えるかもしれません。

 

 ひとりさんの毛の長さであれば、髪リボンも作れますがそこまですると少しゴチャゴチャし過ぎるので、くるりんぱで通した毛束をゆるめの三つ編みにして、ヘアゴムで毛先を止めれば完成です。

 

「できました」

「おっ、おぉ……すっ、すごい、全然違いますね」

「はい。やはり物凄く愛らしいです。いえ、もちろん普段のひとりさんも素晴らしく可憐で愛らしいですが、キュートさがさらに増して、いつもと違った雰囲気が凄くいいです!」

「あっ、えっ、えへへ……そっ、そんなに褒められるのは恥ずかしいです。けっ、けど、確かに雰囲気が全然違って、ちょっ、ちょっとだけ上品に見えますかね? まぁ、服はジャージですけど……」

「ジャージに合うようなイメージで結ったつもりなので、ばっちりですよ。せっかくですし、一緒に写真を撮りましょう」

「あっ、はい……あっ、でも、それなら私だけじゃなくて有紗ちゃんも髪型を変えた方が?」

 

 ひとりさんにそう提案されて、時計を確認します。まだ時間は大丈夫なので、私も簡単な髪型なら可能ですね。確かにせっかくなので、私も髪を結って一緒に撮影するのがいいです。

 

「……そうですね。では、私も簡単に……せっかくですし、ひとりさんのアレンジに合わせて、三つ編みをいくつか作って、首の後ろで束ねるローポニーアレンジにします」

 

 それぐらいのアレンジならさほど時間はかからないので、手早く髪を結ってヘアゴムで止めます。ひとりさんと比べれば簡単なアレンジですが、時間的な問題もありますし普段とは雰囲気が違う感じにはなっているので大丈夫なはずです。

 

「こんな感じでしょうか……どうですか?」

「あっ……かっ、可愛いです。あっ、あの、本当に凄く可愛くて……あっ、えっと、可愛いです!」

「ふふ、ありがとうございます。ひとりさんにそう言ってもらえて嬉しいですよ」

 

 おそらく、なにか気の利いた言い回しをしようとして上手く出てこなかったのでしょうが、一生懸命に褒めてくれるひとりさんがなんとも愛らしくて、つい抱きしめたい衝動が浮かびつつも、それをしていては本当に時間が無くなるのでぐっと堪えてひとりさんと写真を撮ります。

 互いに撮影し合ったり、一緒に並んで撮ったりと時間の許す限り撮影したあとで、せっかくだからと結束バンドのグループロインにも投稿しました。

 

『ひとりさんと一緒に雰囲気を変えてみました』

『うわっ、可愛い。有紗ちゃんはもちろんだけど、ぼっちちゃんも完全に美少女じゃん!』

『前髪がそのままなのだけがちょっと惜しいけど、普段と雰囲気が違って凄く可愛い! いいなぁ、私も一緒に写真撮りたいなぁ』

『……ふたりのビジュアルが凄い。その写真ブロマイドにして売ろう。めっちゃ売れると思う』

 

 やはり普段とは違うひとりさんの魅力は、皆さんにも伝わったようです。実際、本当に可愛らしいのでブロマイドに使うのも有りだとは思います。ひとりさんのブロマイドは、未だに売り上げ個数はナンバーワンですし……まぁ、その辺りはひとりさんと相談して決めることにしましょう。

 

「さて、予約の時間を考えると……もうそろそろ部屋を出て出発した方がいいですね」

「あっ、そうですね。移動も考えると、そろそろ出た方がいいですね」

 

 予約の時間が迫っていましたが、まだ余裕はあります。ゆっくり歩いて行ったとしても予約時間の10分前には着くでしょう。

 とりあえず、ひとりさんと一緒に準備をして出発の段階になったところで、チラッと時計を確認します。

 

「……よし、まだいけますね」

「あえ? なにが――ふぁっ!?」

「髪型をアレンジしたひとりさんがあまりにも可愛らしくて、先ほどから抱きしめたい衝動をずっと抑えていたんです」

「それをここで実行する辺りが、本当に有紗ちゃんですよね!?」

 

 そう、流石に30分ハグしているわけにはいきませんが……少しの間抱きしめる猶予はあります。であれば、抱きしめない理由など無いでしょう。

 今回は本当に長い時間抱きしめることはできないので、その分少し強めに抱きしめることにします。何度経験しても、このピッタリとひとりさんに密着する感覚はなにものにも代えがたいですね。

 

「……もぅ、本当に……そんな嬉しそうな顔されたら、なにも言えなくなっちゃいますよ」

 

 ひとりさんは少し呆れたような声でそう言いながら、そっと優しく私の背に手を回して抱きしめ返してくれました。

 

 

****

 

 

 予約の時間が近づいてきたので、ひとりさんと一緒にしゃぶしゃぶの店に向かいました。部屋自体はロイヤルスイート用の個室ですし、事前に予約を入れているので鍋などの準備は既にされていて、すぐにでも食事ができる状態でした。

 和風の室内でひとりさんと並んで座ると、店員が小皿料理としゃぶしゃぶ用の肉を運んできてくれます。

 

「あっ、すっ、すご……肉がキラキラ輝いてるように見えます。すっ、凄く高級そうな肉……」

「この店は米沢牛の専門店なので、使われているのは米沢牛ですね。肉寿司なども食べられるので、興味があれば追加で注文しましょう」

「あわわわ、すっ、すご……セレブ空間……」

「まぁ、基本的に私とふたりだけですから、気軽に楽しみましょう」

「あっ、はい」

 

 鍋に水菜などを入れつつひとりさんに微笑みます。そして、肉を軽く通して、先にひとりさんに食べてもらうことにしました。

 ひとりさんは用意してあったポン酢に軽く肉を浸けて一口食べ、目を輝かせました。

 

「はわっ……おっ、美味しい! すっ、凄いです! スッと、口の中で溶けるみたいで……」

「気に入ってもらえたならよかったです。たくさんありますので、好きなだけ食べてくださいね」

「あっ、はい。あっ、もちろん有紗ちゃんも、作るばっかりじゃなくて食べてくださいね。あっ、わっ、私がお肉をしゃぶしゃぶしましょうか?」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えますね」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、力強い目で頷いたあと、若干緊張した表情で肉を湯に通しつつ私に声をかけてきます。

 

「……あっ、有紗ちゃん。ポン酢とゴマダレと、どっちがいいですか?」

「そうですね。では、最初はポン酢で」

 

 なんというか、ごく自然な感じの質問ですが……これは、ひとりさんが食べさせてくれると思っていいのでしょうか? もちろん私は望むところですし、むしろ嬉しいです。

 私の返答を聞いたひとりさんは肉を少しポン酢に浸けて、垂れないように手を添えつつ私の方に差し出してくれたので、それをいただきます。

 

「……とても美味しいですね」

「でっ、ですよね!」

「特に、ひとりさんに食べさせてもらったので、より美味しく感じますね」

「はぇ……もっ、もぅ、有紗ちゃんはまたそうやって……」

「ふふふ、さぁ、どんどん食べましょう。今度はお返しに私が、ひとりさんはゴマダレとポン酢、どちらがいいですか?」

「あっ、えっと、今度はゴマダレで……」

 

 やはりこうしてひとりさんと一緒に食事をするのは、何度経験してもいいものです。いつも以上にご飯も美味しく感じるので、本当に……幸せですね。

 

 

 




時花有紗:今回は本当に朝から晩までぼっちちゃんといちゃいちゃしてて幸せ。衝動的に抱きしめるのを我慢したと思ったら、僅かな隙を見つけて実行する様はさすがの猛将スタイル。

後藤ひとり:髪型アレンジしたぼっちちゃんは、完全に美少女。有紗とのツーショットは顔面戦闘力が凄まじいことになってそう。そして、なんだかんだでぼっちちゃんも普通にいちゃついてる気がする。

有後党:勢力は順調に拡大している。新商品(ツーショットブロマイド)は、また驚異的な売り上げを叩き出すことだろう。


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六十九手抱擁のホテル宿泊後半~sideB~

 

 

 夕食を食べ終えて部屋に戻った有紗とひとりは、少し休憩をしたあとで予定通り再びプールで遊ぶことにした。水着に着替えてプールに移動したあと、夜間照明の操作パネルの前に有紗が立ちライトアップを調整する。

 プール全体の照明は薄暗くしつつ、プール内にある照明の色を調整してエメラルドブルーの幻想的な色合いに調整する。

 

「……こんな感じですかね?」

「あっ、すっ、凄いです。水面がキラキラしてて、もの凄く綺麗ですね」

「もっといろいろな色にも調整できるのですが、あまりに派手にし過ぎてもアレなので、このぐらいが丁度よさそうですね」

 

 幻想的にライトアップされたプールを見て、ひとりも感動したように目を輝かせる。すると、そんなひとりに対し、有紗は少し芝居がかった動作で手を差し出す。

 

「ひとりさん、手を……少し暗くなっていますから、安全のために」

「あっ……はっ、はい」

 

 軽く微笑みを浮かべつつライトアップされたプールを背に手を出しだしてくる有紗の姿は、その圧倒的な容姿も相まって非常に絵になっており、ひとりは思わず顔を赤くしながら手を差し出した。

 その手を優しく取って導くように引きつつ有紗はプールに移動し、ひとりと一緒にプールに入る。

 

「あっ、近くで見てもそんなに眩しくないですね。やっ、優しい光です」

「ええ、それにプールに入るとより一層水がキラキラして綺麗ですね。今回は遊んだりというよりは、この幻想的な光景の中で、ゆっくり過ごしましょう」

「あっ、はい」

「エアーマットをレンタルしてあるので、これを使いましょうか?」

「あっ、よっ、よくテレビとかで見る寝転べるやつ……こっ、こんなに大きいんですね」

「2人用のものですね」

 

 有紗がプールサイドに用意していたエアーマットはかなりの大きさであり、ひとりと有紗がふたりで寝転んでもまだ余裕がありそうなサイズだった。

 プールサイドで順番にエアーマットに乗り込み並んで横になると、空に満天の星空のようなものが見え、ひとりは驚いた表情を浮かべた。

 

「……あっ、あれ? 都会なのに、こんなに星が?」

「ああ、実はそういう感じにライトアップしているだけで、星じゃなくてただの明かりだったりします。かなり見え方とか反射を計算して作っているようなので、本物っぽく見えますけどね」

「あっ、そっ、そうなんですね。どうりで……けっ、けど、すごく綺麗ですね」

「ふふ、そうですね。ひとりさんと一緒に見ていると思うと、より一層綺麗に見えますよ」

「うっ、またそうやって恥ずかしいことを……」

 

 相変わらずの有紗の言動に少し呆れつつも、なんとなく視線を横に向けたひとりは、思わず言葉を失った。エアーマットで隣同士に寝転がっているというのは理解していたが、想像以上に距離が近かった。

 それだけではなく、先ほどまで軽くプールに入っていたため少し濡れている有紗の美しい肌、水着という普段より露出の多い恰好、プールを照らす幻想的な青緑色の光……それらが相まった有紗の姿は、思わず息を飲むほど美しかった。

 

「……ひとりさん、どうしました?」

「あっ、えっ、えっと、有紗ちゃんがすごく綺麗で……見惚れてました」

「おや? ふふ、そう言われると少し恥ずかしいですが嬉しいですね。ですが、私としてはそれ以上にひとりさんに見惚れてしまいますね」

「あえ? そっ、その、えっと……」

 

 互いに寝転がったままで向かい合うような形になると、有紗は少し手を伸ばしてひとりの頬を優しく撫でた。当然そんなことをされれば、ひとりが照れないわけもなく顔はどんどん赤くなり、動悸も落ち着かなくなっていった。

 

「一度こうしてひとりさんの方を向いてしまうと、空には視線は戻せませんね。それぐらい、ひとりさんの愛らしさに夢中です」

「うぅぅ……あっ、有紗ちゃんは……本当にそうやって平然と恥ずかしい台詞を……」

「本心なので仕方ないですね」

 

 そう言って微笑みながら、有紗はひとりの頬を撫でていた手を頭に移動させて、今度はひとりの頭を優しく撫でる。

 本当に優しく、ひとりを落ち着かせるように優し気な微笑みのままで……すると緊張しまくっていたひとりも、少しずつ落ち着きを取り戻してきて、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。

 

(あっ、なんだろう? さっきまですごく緊張してたけど……有紗ちゃんの優しい顔みてると、少し安心してきて……なんか、えっと……幸せだなぁ)

 

 幻想的な光に照らされるプールの上で、ゆらりゆらりとエアーマットに乗りながら、多くの会話はなくとも心が通じ合う様な、そんな幸せなひと時をふたりは心行くまで味わった。

 

 

****

 

 

 プールでゆっくりとふたりの時間を楽しんだあとは、ホテルの一室とは思えないほど大きな風呂に入浴してから就寝することになった。

 大きなベッドに寝転がり明かりを消してあとは寝るだけ……のはずではあるのだが、ひとりはどうにも寝付けないというか、落ち着かない状態だった。

 

(……うっ、うぅ……なんだろうこの感じ、ベッドは大きくて柔らかいし、凄くいいもののはず。布団の手触りも凄くいいし、これでもかってぐらい高級感に溢れてる。快適な眠りが約束されているような、高級ベッドのはずなのに……寝れない)

 

 目がさえていて眠れないというよりは、妙に不安な感じで寝付けないという表現が正しいかもしれない。普段家で寝る時とは違う感覚に、一瞬枕が変わったせいで眠れないのかとも考えたのだが、ひとりはすぐにその考えを排除する。

 経験自体は少ないとはいえ、ひとりも何度も外泊をしており、その際にはいまのような状態にはなっていなかったからだ。

 

(な、なんでだろう? 箱根に旅行した時も、有紗ちゃんの家に泊った時も普通に寝れたのに……あっ、いや、でも、よくよく思い出してみると、箱根の1泊目も少しだけ寝つきが悪かった気が……やっぱり、枕が変わったから? それとも他に理由が……)

 

 落ち着かない気持ちのままで過去の外泊を思い出していたひとりだが、その際にあることに気が付いた。無意識ではあったが、ひとりの手が布団の中でなにかを探すように動いていた。

 そして思い至る。外泊であった際でもぐっすり眠れた時と、今の状態の違いを……。

 

(あっ、もっ、もも、もしかして……有紗ちゃんが、同じ布団で寝てないから……とか?)

 

 正直に言ってその結論は恥ずかしすぎるので、ひとりとしては間違いだと思いたかったが……考えれば考えるほど、そうとしか思えなかった。

 最初に有紗の家に泊った際も、客室が落ち着かないという理由で有紗のベッドで一緒に寝た。その際もぐっすりと寝れたのを覚えている。

 箱根の1泊目は、少々寝付くのに苦戦したが眠ることはできた……ただ、起きた際には有紗の布団の中に潜り込んでいた。2泊目は有紗の提案で最初から有紗と同じ布団で寝ており、その際もぐっすり寝れたのを覚えている。

 

 さらにその後にも何度か有紗の家に泊ったことがあるが、毎回必ず有紗と同じ布団で寝ていた。以上のことから考えてみると、現在中々寝付けない理由……妙に不安な気持ちの原因は、ひとりにとって安心できる存在である有紗がすぐそばに居ないことで、不安が大きくなっていることだろう。

 

(あっ、だっ、だから……妙に寂しいというか、不安というか……うぅぅ、自覚すると、更に寂しくなってきた……有紗ちゃんに傍に居て欲しい。けっ、けど、恥ずかしすぎてそんなこと自分から言うのは絶対無理……あっ、有紗ちゃんが提案してくれないかな……もっ、もう寝ちゃったかな?)

 

 自覚してしまったことで寂しさが大きくなり、有紗の温もりを求めていることに顔を赤くしつつも、ひとりはチラチラと有紗の様子をうかがう。部屋が薄暗くて、有紗が寝付いているかどうかまではよく分からない。

 

「……あっ、有紗ちゃん……もっ、もう寝ましたか?」

「え? いいえ、まだですが……どうかしましたか?」

「あっ、いっ、いや、べっ、別になんでもなくて、なんとなく声をかけただけです。ちょっ、ちょっとだけ、落ち着かなかったので……」

 

 寂しさに耐えかねて、意を決して声をかけてみると有紗はまだ起きていた。そのことにホッとしたひとりだったが、結局それ以上なにかを言い出すことはできなかった。

 しかし、日頃から愛の力でひとりの考えがある程度分かると豪語している有紗には、それだけで十分だった。ひとりの声色や迷う様子から、なんとなくではあるが事情を察した有紗は少し微笑みを浮かべつつ、優しい声で告げる。

 

「……実は、困ったことに少々寝付けないんですよ。慣れないベッドで少し落ち着かないのかもしれません……なので、ひとりさん。少しワガママを言ってもいいでしょうか?」

「あっ、なっ、なんでしょうか?」

 

 有紗の優しい声に、ひとりは期待するような表情を浮かべて上半身を起こして有紗の方を向く。すると有紗は枕元のスタンドの明かりを灯し、苦笑を浮かべつつひとりの望んだ言葉を口にする。

 

「少々寂しさを感じているので……ひとりさんさえよければ、一緒の布団で寝ませんか?」

「あっ、はっ、はい……そっ、その、実は、私も少し寂しくて……えと、大きな布団で落ち着かなかったので……うっ、嬉しいです」

「それならよかったです。では、ひとりさん、こちらへどうぞ」

「あっ、はい……しっ、失礼します」

 

 優しく導くように掛け布団を少し上げて話す有紗の言葉に、ひとりは逸る気持ちを必死に抑えつつ、有紗のベッドに移動して同じ布団の中に入る。

 先ほどまで寝転んでいたベッドと同じベッドのはずだが……布団に入った瞬間、ほっと安心できるような温もりを感じた。そして、同時にほのかに香る有紗の香りがひとりの心を落ち着かせてくれる。

 

「スタンドの明かりを消して……ついでに、失礼します」

「ひゃっ……あぅ……なっ、なんとなくそんな気はしてましたけど、やっぱり抱きしめるんですね」

「確実にこの方が安眠できる気がするので……嫌ですか?」

「あっ、いっ、嫌じゃ……ないです。そっ、その……私も安心できるので……」

 

 先ほどまで感じていたはずの不安や寂しさが嘘のように消えていくのを実感しつつ、ひとりは恥ずかしがりながらも有紗の背に手を回して抱きしめ返す。

 伝わってくる温もりと柔らかな感触がひとりに心からの安心を与えてくれて……ひとりは、どこか幸せそうな笑みを浮かべる。

 

「……それでは、改めて、おやすみなさい、ひとりさん」

「あっ、はい。おやすみなさい……有紗ちゃん」

 

 有紗に言葉を返して、ギュッと抱き着きながら目を閉じると、先ほどまでとは違ってすぐに眠気がやってきて、ひとりは心地よい温もりの中で穏やかに眠りに落ちていった。

 

 

 




時花有紗:やはり愛の力、愛の力は全てを解決する。実際、有紗本人としてもひとりを抱きしめて眠れるのは幸せしかないので、まったく不都合は無し。

後藤ひとり:もうだいぶ有紗ちゃんが居ないと駄目な感じになってるぼっちちゃん。寂しい気持ちをかを察して、一番して欲しいことをしてくれるわけだし、そりゃメロメロになるだろう。今後も有紗ちゃんと外泊する時は同じ布団で寝てそう。


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七十手順調の夏突入~sideA~

 

 

 目覚めてすぐに感じたのは心地よい温もりと柔らかな感触でした。腕の中には愛しいひとりさんが居て、スヤスヤと安らいだ表情で眠っています。

 ひとりさんと出会ってから、自分の寝覚めの良さには感謝するばかりです。こうして起きてからしばしの間は、ひとりさんの寝顔を独り占めにできるのは本当に幸せです。

 

 ひとりさんの顔にかかっている髪の毛をそっとどかし、起こさないように優しく頬に手を添えます。軽く触れるだけで柔らかくスベスベとした感触が伝わってきて、本当になんとも言えない至福の一時といった感じですね。

 少しそのままひとりさんの寝顔を見たあと、頬に当てていた手を背中に回して抱きしめます。寝る際も抱きしめていたのですが、やはりある程度寝返りなどもあるので少し離れてしまっているので、そこはしっかりと密着しておきます。

 そのままひとりさんの寝顔と温もりを堪能していると、少ししてひとりさんが身をよじり薄っすらと目を開けました。

 

「……んん……有紗ちゃん?」

「はい。おはようございます、ひとりさん」

「あっ、おはようございま……あっ、わっ、分かっていても、朝起きてこの状態はビックリしますね」

 

 ひとりさんも既に何度も私と一緒に宿泊をしているので、ある程度こうした状態……朝目覚めて、私がひとりさんを抱きしめている形には慣れた様子でしたが、それでも少し恥ずかし気に頬を染めて苦笑を浮かべていました。

 

「……あっ、これ、すぐに起きる形にはならない……ですよね?」

「そうですね。私としては、時間の許す限りこの状態を堪能したいです。幸い急ぐ用事もないですから、ひとりさんさえよければもうしばしこの状態がいいですね」

「あっ、本当にいつも通りの感じですね……いいですよ。私ももう少し……そっ、その、寝てたかったので」

「なんなら二度寝してしまいますか? いい時間になったら起こしますよ?」

「……そっ、それはそれで魅力的ですけど……う~ん。まっ、まぁ、起きときます」

 

 そう言ってはにかむ様に微笑んだあとで、ひとりさんは少し甘えるように身を寄せてきました。そんな愛らしい仕草を見て、私も少しひとりさんを抱きしめる力を強くしました。

 心地よい朝の空気の中、ピッタリと密着して過ごすこの時間はまさに至福の一時ですね。

 

「そういえば、ひとりさん。今日はスタジオ練習の日ですが、どうしますか? 一度家に戻ってから向かいますか?」

「あっ、え~と、それでもいいんですけど、ギターは持って来てますし、直接向かってもいいかなぁって……いっ、一度家に戻ってると時間がかかりますし」

「確かに、往復で3時間はかかりますし、直接行ったほうが効率的ではありますね」

 

 いまいるホテルはひとりさんの家から下北沢の丁度中間あたりの場所にあります。ひとりさんの家には1時間ほどで戻れますが、その後STARRYに向かうのであれば、追加で2時間かかってしまうので、それなら直接向かったほうがと考えるのは当然の帰結ですね。

 

「それでしたら、電車で行く必要も無いですし、一緒に車で向かいましょう。私もSTARRYには行くつもりでしたしね」

「あっ、はい」

「スタジオ練習が昼の2時からなので、昼に出て向かいつつどこかで昼食を食べれば丁度いいかもしれませんね」

「でっ、ですね。それなら、まだしばらくはゆっくりできますね」

「ええ、時間を気にせず、しばらくはこうしていられそうで嬉しいです」

「あえ? いっ、いや、さっ、流石に、昼までずっとこの状態は駄目ですからね!?」

 

 私の心境としては正直昼まで数時間この状態でも問題は無いのですが、流石にそうはいかないので例によって30分ほどで切り上げるとしましょう……まぁ、それでも30分はしっかりとひとりさんの温もりを堪能しますが……。

 

 

****

 

 

 6月も終わり7月に入ると、いよいよ未確認ライオットのライブ審査が近くなってきました。結束バンドの皆さんは順調に演奏レベルを上げていますし、最近は知名度でも上位層にそうそう後れを取らないほどにはなってきました。

 この調子で行けば年末近くになれば、ホームであるSTARRYでならワンマンライブもこなせるぐらいになるかもしれませんね。

 

 もちろんそれ以外にも学生である私たちにとっては、長期の休みである夏休みがありレジャーシーズンということもあって楽しいことも沢山あります。

 私もひとりさんと楽しい夏を過ごすためにいろいろ考えてはいます……ただまぁ、その前にやってくるものというのはあります。

 

「ここは、この公式の応用で……」

「あっ、なっ、なるほど……」

 

 そう、期末考査です。そんなわけで、恒例となりましたがSTARRYにて私はひとりさんと喜多さんに勉強を教えていました。

 最初こそ全教科10点以下という点数だったひとりさんも、現在は平均点よりやや上あたりを問題なく取れるようになっていますし、喜多さんに至っては学年内でも上位といっていい成績になっています。

 

「有紗ちゃん、ここはこれでいいのかな?」

「ええ、正解です。ただ、この問題は間違えやすいので、少し時間はかかりますがこの形式で出た時は、途中式は省略せずに書ききった方がいいですね」

 

 ちなみに現在はSTARRYで場所を借りてテスト勉強を行っており、別のテーブルでは同じように虹夏さんがリョウさんに勉強を教えています。

 

「ほら、リョウ。しっかりやる気出さないと……夏休みに補習は嫌でしょ?」

「うぐっ、それはたしかに……嫌だ」

 

 リョウさんは例によって勉強を嫌がっているみたいでしたが、それでも夏休みに補習で学校に行くのは嫌なのか、渋々といった感じで勉強をしていました。まぁ、虹夏さんが教えてるからこそちゃんと聞いているという部分もあるのでしょうが……。

 

 しばらく勉強を続けたあとで休憩を行いつつ、皆さんと雑談を行います。

 

「やっぱりさ、他のハコでライブしたりするときは機材運びが大変だよね。いっそ、夏休みに車の免許取りに行こうかなぁって……車があればできること増えるしさ」

「確かに車があるといいですよね。私たちは年齢的に無理なので、伊地知先輩かリョウ先輩にお願いするしかないですが……」

「虹夏、任せた」

「え~リョウも取ってくれればいいじゃん。ひとりだけ免許持ちだと、毎回私が運転になるわけだし……」

「嫌、車の運転なんて気が乗らない」

「……怖いんでしょ?」

「…………」

 

 今回の雑談は虹夏さんの免許習得に関して……確かに、以前池袋でブッキングライブを行った際も機材運びは大変だったので、車は有効ではありますね。

 単純に行動範囲も増えるので、それこそ遠征やツアーも可能になるでしょう。まぁ、さすがにツアーを行ったりするには知名度もコネも足りないですが……。

 

「確かに車があるといいとは思いますが、免許だけでなく車自体も必要ですよね?」

「あっ、そっ、そうですよね。毎回レンタカーとかってわけにも行かないですし……」

 

 私が告げた言葉にひとりさんも頷きます。当然ではありますが、免許があっても車が無ければ意味がありません。そして、バンドの機材を運べるほどとなるとある程度の荷台サイズは必要になってくるでしょう。

 

「あ、そうだよね? まぁ、その辺は皆でお金を出して溜めて買う形で……」

「ですね。けど、車って高いですよね?」

「まぁ、その辺りはじっくり貯めていく感じで……」

 

 虹夏さんの言葉に喜多さんが不安げな表情を浮かべます。確かに、車はそれなりに高価なものが多いですし、学生の身としては大変な金額でしょう。

 バイトのノルマ代やスタジオ代などもあるので、溜めるにはそれなりに時間がかかりそうです。

 

「そのぐらいでしたら、私が出しますよ。2000万程度あれば、問題ないでしょうし」

「にっせんまんっ!?」

「待って待って待って!? ツッコミどころが多い! 2000万!? いやいや、それは基準値がセレブ過ぎる」

「……このパトロン化け物か? というか、珍しく有紗が浮世離れした金銭感覚を……」

「あっ、有紗ちゃん車にまったく興味がないので、たっ、たぶん有紗ちゃんのお父さんが持ってる車を基準に考えたんだと思います」

 

 ひとりさんの言う通り、私はまったく車に関心が無かったので、お父様が持っている車を基準に考えていました。よくよく考えてみれば2000万はお父様の持っている車の中では平均的な金額としても、一般的に考えればその10分の1ほどでよかったですね。

 これは、なんとも恥ずかしい失態ですね。

 

「し、失礼しました。ひとりさんの言うように、お父様のコレクション基準で考えていました」

「……有紗ちゃんのお父さんって、車いっぱい持ってるんだっけ?」

「ええ、私が普段の送り迎えに使っている車もお父様のものですね。お父様は似たような車を何十台と持ってますが……」

 

 最近さらに台数が増えたので、ガレージを増築することも考えているみたいです。まぁ、お父様は楽しそうではありますが、私やお母様にはいまいち分からない趣味ではありますね。

 たまの休みに、楽し気に自慢の車を紹介する楽し気なお父様の表情を見ていると、口を挟んだりする気にもならないので、高級車に関する知識は自然とある程度付いてしまいましたね。

 

「……あっ、ちなみに、有紗ちゃんが普段乗ってる車……5000万ぐらいらしいです」

「ひぇ……そのレベルが何十台もあるって、セレブって凄いなぁ……」

 

 ひとりさんの補足をきいて、虹夏さんがなんとも言えない遠い目をしていました。なんというか、若干放心しているようにも見えます。

 

「う、う~ん……しかし、なんというか、少し恥ずかしい失敗をしてしまいましたね。気づかないところで、感覚のズレというものはあるものですね」

「そっ、そういうこともありますよ。気にしないでください。でっ、でも、なんか有紗ちゃんがそういう失敗してるのって珍しくて……あっ、えっと、失礼かもしれないですけど、ちょっと可愛くて……なっ、なんかほっこりしました」

「失敗は反省すべきですが、ひとりさんが喜んでくれたのは嬉しい……なかなか反応に困ってしまいますね。ですが、なによりひとりさんが私の気持ちをフォローしようとしてくれたのが嬉しいです。ありがとうございます」

「えへへ、そっ、そんな、大したことはしてないです」

 

 ズレた発言をしてしまって気恥ずかしさを感じていた私を元気付けようと声をかけてくれたひとりさんに微笑み返すと、ひとりさんもはにかむような笑顔を浮かべてくれました。失敗は反省すべきですが、ひとりさんのこの愛らしい笑顔を見れたのは不幸中の幸いでした。

 

「……リョウ助けて、バカップルが精神に追い打ちかけてくる」

「こっちに振らないでほしい」

 

 

 




時花有紗:車には本当に興味がない。そのせいで珍しくセレブ的な感覚のズレを発揮して、少々恥ずかしがっていた。しかし、ぼっちちゃんが慰めてくれたので最終的にはプラスと考える辺りは、さすがのメンタルである。

後藤ひとり:いちゃいちゃ度が増してるぼっちちゃん。朝のハグで甘えるように身を寄せたり、有紗に対して本当に心を許しているのが伝わってくる子犬感。

伊地知虹夏:原作とは違ってハイエートも余裕で買えそう。


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七十手順調の夏突入~sideB~

 

 

 6月も終わりが近づいてきて、7月の未確認ライオットまでの期間もいよいよ1ヶ月を切ろうかという頃。STARRYの練習スタジオでは、結束バンドの4人が練習を行っていた。

 

「よし、じゃあ休憩しよう!」

 

 ある程度練習を行ってキリがいいタイミングでリーダーである虹夏が告げ、メンバーたちは思い思いに休憩を取り始める。

 その中でひとりは、どうも少々落ち着かない様子で時折チラチラと扉の方に視線を向けていた。そんなひとりを眺めつつ、少し離れた場所で虹夏は近くに居た喜多に声をかける。

 

「……どう思う? この分かりやすい感じ……」

「見るからにソワソワしてますよね。昨日はあんなに調子悪そうだったのに……」

 

 虹夏の言葉を聞いて喜多も同意するように頷く。喜多の言葉通り、前日に行われたスタジオ練習ではひとりはかなり調子が悪かった。

 決して音を間違えたり、演奏をミスしたりするわけでは無いのだが、本人の気持ちが沈んでいるのか妙にテンションが低く、それが影響して音がいまいちノッていない状態だった。

 対して今日はかなり調子がよく音がノッているのだが、その代わりずっとなにかを気にしている様子でソワソワとしており、頻繁にスタジオの入り口に視線を送っていた。

 

「……なんか、リョウがチワワに例えるのも分かるよ。飼い主の帰り待ってる子犬感が凄いもん」

「やっぱり、チワワぼっちでしょ?」

「もうなんか、ひとりちゃんの様子見てるだけで聞いてなくても、有紗ちゃんの予定が分かっちゃいますよね」

 

 会話に加わって来たリョウも含め、3人ともひとりの様子がおかしい理由に心当たりがあった。というか、あまりにもひとりの反応が分かりやすすぎた……そう、有紗が居ないのである。

 理由としては6月21日、パリの音楽の日に合わせて高校に休みの申請をした上でフランスに行っているからだ。日程としては3泊4日程ではあるのだが、高校が別々であり有紗がフランス旅行に行く前の平日も予定が合わなかったこともあり、ひとりは現在10日近く有紗と顔を合わせていない状態だった。

 

「ここ数日寂しそうだったし、昨日なんてしゅんってしてたもんね」

「明らかにアリサニウムが不足してた」

「それで、今日の感じ……帰ってくるのは今日でしょうし、ひとりちゃんの様子的にSTARRYに顔を出すんでしょうね」

 

 メールなどでやり取りはしているものの、フランスと東京では7時間ほどの時差もありあまり頻繁に連絡が取れていないこともあって、ひとりは正直かなり寂しかった。本人もたった10日でこんなに寂しい気持ちになるとは予想していなかったのか、内心かなり戸惑ってはいたが……いくら誤魔化そうと、寂しいものは寂しかった。

 特に昨日は寂しさのピークになっていて、そのせいでテンションが低く音がノッていなかった。だが、今日になって急にウキウキソワソワしている様子を見ると、昨日の夜か今日の朝に有紗から日本に帰ってくることと、STARRYに顔を出すことを伝えるメールが届いたであろうことは明白だった。

 

「……え? あっ、みっ、皆さん、どうしたんですか? なんで、そんな微笑ましげな目で?」

「いや~ぼっちちゃんは可愛いなぁって」

「はえ? なっ、なんですか急に?」

「ううん。ナンデモナイヨー」

「ぜっ、絶対なんかあるじゃないですか!?」

 

 分かりやすすぎるひとりの様子を微笑まし気に見ていた3人の視線に気づいたひとりが振り返り、なんとも不思議そうな表情を浮かべて尋ねるが、虹夏は優し気に微笑みながら棒読みでなんでもないと返答するだけだった。

 そうなると、落ちつかないのはひとりである。理由も分からず、なぜか優しみに溢れた目を向けられているのは、変に気まずく視線を右往左往させていた。

 だが、そんなひとりの様子は、直後に扉を開く音と共に聞こえてきた声で激変した。

 

「……皆さん、こんにちは」

「あっ、有紗ちゃん! こっ、こんにちは、お帰りなさい。ぱっ、パリはどうでした?」

「やはり音楽の日ということもあって、かなり賑やかでしたね。お土産もお土産話もたくさんありますよ」

「あっ、きっ、聞きたいです!」

 

 まるで花が咲くかのようにパァッと明るい表情に変わったひとりは、驚くほど素早く有紗の前に移動していった。虹夏たちが尻尾を千切れんばかりに振って駆けよる子犬を幻視するような動きであった。

 

「……反応滅茶苦茶早かったね」

「尻尾振る子犬が見えた」

「普段からは想像できないぐらい、自分の方から話振ってますし、なんというか微笑ましいですよね」

 

 見てすぐに分かるほどひとりは嬉しそうであり、内気な彼女としては珍しく自分からどんどん話を振っていた。有紗と久しぶりに会えてはしゃいでいるのが丸わかりであり、虹夏たちは再び微笑まし気な視線を向けていた。

 その後の雑談でも本人は無意識かもしれないが、とにかく有紗の傍に居たい様子で、ひとりは肩が触れるほど有紗の近くに座っており、雑談中も有紗の手を握ったままで、甘えているような様子であり虹夏たちが笑みを深めたのは言うまでもない。

 

 

****

 

 

 学生にとって夏の楽しみと言えば、もちろん夏休みがある。1ヶ月を越える夢の長期休暇……だが、その前には期末考査という試練が待ち構えている。

 昨今では二期制の学校なども増えて、夏休み前ではなく夏休み明けにテストを行うところもあるが、大半の学校は夏休み前に1学期の期末考査を行う。

 ここで赤点を取ってしまえば、夏休みに補習に出てこなければならず、なんとしてもそれは避けようと学生たちはテストへ挑む。

 

 ひとりと喜多が通う秀華高校でも期末考査は行われ、今日はその結果発表たるテストの返却日だった。ここを乗り切れば楽しい夏休みが待っている最後の審判……。

 

「ひとりちゃん、テストどうだった?」

「あっ、どっ、どれも平均より少し上、ぐらいです」

「お~凄いじゃん。私もなんとか赤点は免れたよ。勉強教えてくれたBちゃんに感謝だね」

「Aちゃんは、地頭はいいのに飽き性で勉強が長続きしないのが問題だよね。毎回テスト前の勉強で、飽きさせないようにするのに一番気を遣う」

「うぐ……あ、あはは、いつもお世話になっております」

 

 ひとりは有紗の指導のおかげもあり、真ん中よりやや上あたりの成績で安定しており、少なくとも赤点を危ぶむような点数ではない。

 友人である英子と美子に関しては、美子はクラスでもトップクラスに勉強ができるが英子はイマイチ勉強が苦手であり、昔からテスト前には美子に勉強を教わっていた。

 

「あっ、わっ、私も有紗ちゃんのおかげですけどね。有紗ちゃん凄く教え方が上手いので、私も喜多ちゃんも毎回テスト前に勉強を教えてもらってます」

「え? そうなんだ、喜多ちゃんも教わってるんだ?」

「いや、本当に凄いわよ有紗ちゃん。おかげで私もかなり成績上がってるしね」

 

 ひとりは元々勉強は得意ではない。真面目にはやるのだが要領が悪いタイプであり、その成績は定員割れしていなければ高校進学は無理だっただろうというレベルだったのだが、要点を絞って可能な限りシンプルに学ぶことで結果が出ており、上位の成績は難しくとも平均以上は取れるようになっていた。

 

 喜多は一時下降気味だったものの成績自体は悪くなく、有紗の指導を受けたことでテストはもちろん普段の勉強に関してもコツを掴んできており、安定して好成績を維持できるようになっていた。

 

「へぇ、いいな~うちも教わりたいもんだよ」

「さっつーも成績は中途半端だしね」

「かっちーん。ちょっと、いや、かなり点数が上だからって調子に乗りよって、そんな奴はこうだっ!」

「あ、ちょっ、あはは……く、くすぐったいから、こらっ……」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべる喜多を次子がくすぐり始め、その中のいいじゃれ合いを見てクラスメイト達と共にひとりも小さく笑顔を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 放課後となりSTARRYに集まった結束バンドのメンバー。今日は練習日ではないが、全員のバイトシフトが重なっていることもあって、有紗も物販関連の書類を整理するために来たので全員集合という形になった。

 バイトまでの時間もまだあるため、直近に返却された期末テストの得点についての話題で盛り上がる面々。

 

「あ、じゃあ、リョウ先輩も無事に赤点は回避したんですね」

「本当に芸術的なぐらいギリギリでね……」

「ギリギリでもクリアはクリアなので、問題なし」

「勉強を教えた私のおかげなんだから、しっかり感謝してよね」

「虹夏、ありがとう。喉渇いたから、ジュース奢って」

「お前、感謝って言葉の意味知ってる?」

 

 いつも通りの様子のリョウを見て、虹夏は呆れたようにため息を吐く。ただ実際にギリギリとは言え赤点は回避しており、問題なく夏休みを迎えられるので文句も言いにくい。

 虹夏はもう一度ため息を吐いたあとで、どこか優し気に微笑んでリョウに告げる。

 

「……けどまぁ、うん。ちゃんと赤点回避したのは偉いよ。よく頑張ったね、リョウ」

「……いや……その……ちゃんと感謝はしてる……本当に」

「リョウ……」

 

 ストレートに褒められると弱いのはリョウの方であり、気まずそうに視線を逸らしつつ小声で感謝の言葉を告げていた。

 そんなふたりのやり取りを見て、漂う仲良さげな空気に若干の場違い感を覚えた喜多は助けを求めるように視線を動かし、有紗とひとりの方を見た。

 

「素晴らしいです。しっかりと覚えたところを確実に解けていますね」

「あっ、えへへ、有紗ちゃんが教えてくれたおかげです。まっ、まぁ、平均よりちょっと上ぐらいですけど……」

「点数を気にするなとは言いませんが、それ以上に大事なこともありますよ。ひとりさんがちゃんと努力をして、こうしてその成果が表れているのは本当に素晴らしいですし、誇ってもいいですよ。ケアレスミスもほとんどないですし、分かる部分を確実に得点にできるというのは、言葉でいうのは簡単でもなかなかに難しいものです。本当に、よく頑張りましたね」

「そっ、そそ、そんな、えへへ……もぅ、有紗ちゃん褒めすぎですよ。あっ、でっ、でも、頭撫でてくれるの……うっ、嬉しいです」

「……」

 

 こちらはこちらで、虹夏とリョウより遥かにひどく、完全にふたりの世界を形成している様子だった。頭を撫でられて嬉しそうに笑うひとりと微笑まし気な有紗、とても入り込めるような空気ではなく、喜多はなんとも言えない表情でスマホを取り出し、次子にロインを送った。

 

 

 




時花有紗:6月下旬にフランスに旅行に行っていた。ぼっちちゃんの精神安定に重要な存在。

後藤ひとり:チワワぼっちちゃんという概念……ぼっちわわ……可愛い。アリサニウムが不足していたため、しょんぼりしていた。帰ってくるタイミングで滅茶苦茶ソワソワしているので、あまりにも有紗が大好きなのが非常に分かりやすい。

世界のYAMADA:のちにぼっちちゃんの10日をより短い7日間虹夏に会えてないことで限界に達して教習所に行くことになる。



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七十一手開戦のライブ審査~sideA~

 

 

 夏休みに入ってすぐではありますが、いよいよ未確認ライオットのライブ審査の日がやってきました。今回のライブ審査の会場は私たちにとっては馴染みのある新宿FOLTに決定しました。

 一度全員で下北沢に集合して向かおうという話になってますが、ひとりさんが不安げだったので私はひとりさんの家まで迎えに行って、一緒に下北沢に向かうことにしました。

 

「……あっ、いっ、いよいよ、ですね」

「そうですね。新宿FOLTで参加は全8組、通過枠は3組……出場者のリストを見る限り、上位陣はSIDEROSとケモノリアですね。結束バンドを含めてネット審査TOP10は3組参加ですね。情報からの推測ではありますが、一応結束バンドも運営側からは通過を期待されているとみていいでしょう」

 

 運営としてはSIDEROS、ケモノリア、結束バンドの3組を本戦に進ませたい印象を受けます。もちろんあくまでそうなったらいいというレベルで、実際は実力勝負にはなるでしょう。

 

「だっ、大丈夫……ですかね?」

「絶対というのはありませんし、他のバンドもネット審査からはレベルアップしているでしょうが……可能性は十分にあると思います。私も通過のバンドの演奏は一通り聞いてみましたが、この参加8組のなかで飛び抜けてレベルが上なのはSIDEROSだけですね」

「あっ、やっ、やっぱりSIDEROSは強いですか?」

「……厳しい言い方にはなりますが、現時点の結束バンドは勝ち目の薄い相手です。SIDEROSだけは明確に格上ですね。ただ、ケモノリアに関しては勝ち目はあると思います。まぁ、強敵には違いないですが……」

 

 ケモノリアはエレクトロニックロックのバンドで、電子音楽を中心としたエレクトロニカというジャンルで、結束バンドのような王道のロックとはまた違った雰囲気のあるバンドです。

 参加8組の中では唯一のエレクトロニックロックということもあって、印象に残りやすく投票では有利ですが……それを加味した上でも結束バンドなら勝ち目の見える相手ではあります。

 そんなことを考えつつも、私はひとりさんの手を握り安心させるように微笑みながら口を開きます。

 

「不安に感じる気持ちは分かりますが、大丈夫ですよ。いまの結束バンドには十分本戦に進めるだけの実力が備わっています。力を出し切って演奏すれば、きっと結果も付いて来ます……だから、頑張ってくださいね」

「あっ……はい! 有紗ちゃんにそう言ってもらえると、頑張れる気がします」

 

 私の言葉を聞いて、ひとりさんはグッと目に力を入れて言葉を返してくれました。緊張などは見えますが、それでも畏縮したりしているわけでは無い様子で、かなりいい精神状態のように感じられました。

 

 

****

 

 

 他のメンバーと合流したあと皆で移動して新宿FOLTに移動しました。リョウさんに関してはなんとなく、緊張で寝付けず寝坊しそうな気がしたので、事前に虹夏さんに気にするように伝えておいたのが功を奏したのか、無事に遅れることなく全員揃ってFOLTに到着しました。

 

「おはようございます! 結束バンドです! 今日はよろしくお願いします!」

「あら~結束バンドちゃん、久しぶり~」

 

 ライブハウス内に入ると、たまたま銀次郎さんを見かけ虹夏さんが明るく挨拶をしましたが、銀次郎さんは笑顔で返しつつもなにやら忙しそうで、手には水の入ったペットボトルを抱えていました。

 

「ごめんね、いまちょっとバタバタしてて~また後でゆっくりお話しましょ~!」

「開催場所の店長さんですもんね。今日は大変でしょう」

「……いえ、虹夏さん。たぶんですが、向こうの床に寝転がってるきくりさんが原因ではないかと……」

 

 今回はオープニングアクトとしてSICKHACKが演奏を行うことになっています。会場である新宿FOLTを拠点としており、インディーズとしては相当の人気バンドなので運営に選ばれた形でしょうね。

 そしてそのきくりさんですが、朝から思いっきり飲んでいるのかいつも以上に酔っている様子で、床に寝転んでいました。

 銀次郎さんと共に私たちもきくりさんの元に近付くと、きくりさんは私たちに気付いて震えながら手を上げました。

 

「……ッけっ……みん……おは……ッ……」

「酒やけのせいでなに言ってるか分からない!」

「大事なライブの日になんでこんなにお酒飲んでるんですか!」

「おはようございます、きくりさん。大きな声を出そうとせずに、まずは水を飲んで水分補給をしてください」

 

 とりあえずこのままというわけにはいかないので、寝ているきくりさんの上半身を起こしつつ銀次郎さんから受け取ったペットボトルの蓋を開けて、水を飲ませます。

 少しするとある程度喉が潤ったのか、きくりさんは酔った様子で涙を流しながら口を開きました。

 

「……まだ未来のある。失敗してもやり直しのきく若者たちを見ていたら、飲まずにはいられなくなって……やり直したい……やり直したいよぉ……」

「過去を悔いる気持ちは誰しも持つものですが、自棄になってはいけませんね。お酒も逃避で飲んでは美味しくないでしょう? 飲むなら楽しく前向きに飲まないと……さっ、のど飴をどうぞ」

「うぅぅ、有紗ちゃぁぁぁぁん……あの……優しく慰めてくれるのは嬉しいけど、さりげなく熟練の手腕で私の懐からおにころ没収するのは……あっ、全部取られた……」

「とりあえず、審査が終わるまではこれ以上のお酒は控えてくださいね。こちらは銀次郎さんに渡しておきますので、ライブが終わった後で受け取ってください」

「……あ……はい」

 

 STARRYなどでもよく酔い潰れているので、ある程度きくりさんの介抱も慣れたものです。とりあえず、少し持ち直すと再びお酒を飲み始めるので、それを防止するために手持ちのお酒はすべて回収して、銀次郎さんに渡しておきます。

 

 少しするときくりさんは復活して、控室の方に移動していきました。それを見送った後、虹夏さんが周囲を見渡しながら口を開きます。

 

「……にしても、普段のライブでは見ない人もチラホラいるね」

「主催のお偉いさんとかレーベルの人とかいて、なんだか堅苦しいわよね~あまり意識せずにやっちゃいなさいね。ちなみに私も審査員のひとりだけど、贔屓なんてしないわよ……そんなことしなくても、結束バンドは客を魅了できるって思ってるからね」

「……はい!」

 

 虹夏さんの言葉に反応した銀次郎さんは、微笑みながらそう告げたあとで仕事に戻っていきました。期待してくれているのをありがたく感じつつ、皆さんと一緒に軽くライブハウス内を見渡します。

 まだ、一般客の入場時間にはなっていないので居るのは出場バンドと関係者のみで、審査前の独特のピリピリとした雰囲気がありました。

 

「……ひとりさん、不安ですか?」

「あっ、もっ、もちろん緊張とかしてますけど……だっ、大丈夫です。そっ、その……有紗ちゃんも居てくれますし」

「それならよかったです」

「あっ、でっ、でも……えっと……」

「うん?」

 

 私の言葉に力強く答えたあとで、ひとりさんはなにやら落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見渡したあとで、私の耳元に口を寄せて小さな声で呟きました。

 

「……まっ、また、本番前におまじないは……しっ、してほしいです。勇気がもらえる気がしますから……」

「わかりました。任せてください」

 

 以前行ったおまじないは、ひとりさんの緊張をほぐすために咄嗟に考えたものでしたが、ひとりさんにとってはかなり効果があった様子です。

 ルーティンを始めとして、上手く行った際の行動を繰り返すというのは効率的な面で考えても有効ですね。精神状態をいい状態に導ける可能性があります。あと単純に、私としてはあのおまじないは嬉しいのでまったく問題はないどころか、ご褒美のような感じです。

 

「……ほら、そこのバカップル。なに話してるか分からないけど、そろそろ控室に行くよ~」

「だっ、だから、カップルじゃなくて――聞く素振りすら無しで移動してる!?」

「ふふ、私たちも移動しましょう」

「あっ、はい」

 

 虹夏さんたちの後を追うように控室に向かいます。今回は私も、マネージャーという扱いでメンバー登録しているので控室にも問題なく入れます。まぁ、その反面観客としての投票には参加できませんが、結束バンドの皆さんなら1票に左右されることなくいい結果を勝ち取ってくれるでしょう。

 

「あ、おはようございますっす」

「あくびさんに楓子さん、おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」

「こちらこそっすよ~」

 

 控室に向かう途中でSIDEROSのあくびさんと楓子さんに偶然会って軽く挨拶をしてから、一緒に控室に移動すると、ヨヨコさんと幽々さんの姿も見えました。

 

「ヨヨコ先輩~結束バンドの皆さんっすよ」

「あっ! ――ッ!? フンッ! 来たのね……」

 

 私たちを見て、ヨヨコさんは一瞬安心したような表情を浮かべましたが、すぐにハッとして視線を逸らしました。ヨヨコさんはアレでかなり緊張する方なので、知り合いが来て安心したのでしょう。

 もちろんそれを指摘すると怒るでしょうから、言及したりするつもりは無く微笑みながら声をかけます。

 

「こんにちは、ヨヨコさん。今日はよろしくお願いします……初めて見る方が多かったので、知り合いと会えて少し安心しました」

「そう……緊張する気持ちも分かるけど、気楽にやりなさい。積んできた練習は裏切ったりしないわ」

「ありがとうございます。SIDEROSの皆さんも、もちろんライバルではありますが、同時にひとりの友人として応援していますので、頑張ってください」

「……あ、ありがとう。まぁ、貴女たちも頑張りなさい。その、ちゃんとやれば、本戦に出れるだけの実力はあると思ってるから……」

 

 ヨヨコさんは少しコミュニケーションが苦手な方ではありますが、誠意には誠意を返してくれる方なので、私たちに対しても応援と激励の言葉を投げかけてくれました。

 そのままヨヨコさんやSIDEROSの皆さんと少し話していると、運営の方がやってきて流れの説明と、演奏順のくじ引きが行われました。

 

 要約すると全組が演奏終了後、審査員と観客による投票を行い票数の多い順に上位3組が決勝である本戦に出場というシンプルなものです。

 演奏順は代表者によるくじ引きで決めるため、結束バンドはチームリーダーの虹夏さんがくじを引きに向かいます。

 

「伊地知先輩、絶対トリを!」

「……リーダーに引いてもらった方がよくない? 有紗くじ運強そうだし……」

「私がリーダーですけど!? 有紗ちゃんがくじ運強そうなのは同意だけどね」

「ともかく、微妙な順番はやめてよ、印象に残りにくいし……」

 

 演奏順はたしかに重要ではあります。トップバッターは後の基準にされる可能性が高く、印象に残るには相当いい演奏をする必要があります。

 逆にラストは印象に残りやすいという長所もありますが、それまでの全ての組と演奏で比較される性質上、失敗すれば悪印象も残りやすいですね。

 

 そして、くじ引きに向かった虹夏さんが引いたのは……。

 

「……5番」

「真ん中あたりって、一番微妙なとこじゃん。虹夏、くじ運悪いね」

「……うぅぅ」

 

 8組中5番目と聞けば、早くも遅くもなく中途半端な位置という印象で、虹夏さんも肩を落としていましたが、私は違う印象を受けました。

 

「……いえ、そうでもないかもしれません。むしろいい順番と言えるかもしれませんね」

「あっ、そっ、そうなんですか?」

「ええ、いま他の組の順番を見ていましたが……ケモノリアが1番、SIDEROSが2番とトップクラスのバンドが前に固まりました。人気的に考えてこの2組でかなり盛り上がって会場の空気が形成されると思います」

「……なるほど、3番目とかだとやりにくい空気になってる感じか……ふむ」

 

 私の言葉を聞いたリョウさんが、真剣に考えるように顎に手を当てます。リョウさんは音楽に関してはかなり詳しいので、すぐに私が言わんとしていることは察してくれるでしょう。

 

「……先行で空気が作られて3番、4番の演奏次第だけど、タイミング的に中だるみしかけの空気になってる可能性が高いから、そこでいい演奏ができれば強く印象に残りつつ、後半の演奏組にプレッシャーもかけられるって考えると、確かに悪くないかも」

「え? 本当? いい順番?」

「ええ、それにトップバッターやトリではないので、緊張し過ぎず演奏できるというのも利点なので、本当にいい順番だと思いますよ」

「よ、よかったぁ……」

 

 私とリョウさんの言葉を聞き、虹夏さんはホッと胸を撫で下ろしました。まぁ、最終的にものをいうのは地力ではありますので、出来るだけ皆さんにはいい精神状態で臨んでもらいたいものです。そのためにも、私もできる限りのサポートはしていきましょう。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃん、きくり、ヨヨコと素のコミュ力の賜物か陰キャに対して特効があるのか、流石な感じである。名目上はマネージャーとして登録しているので、結束バンドのメンバーと一緒に控室入りしている。

後藤ひとり:実は一番精神的に安定している。基本的に有紗が居さえすれば、ぼっちちゃんの精神面はある程度安定しているので、メンバー内では一番いい緊張の中にいる。なお、おまじないはちょっと癖になったのか、恥ずかしがりつつもお願いしていた。

ケモノリア:あんま本格的に出てないのでキャラがよく分からない大学生バンド。リーダーらしきキーボーダーはぼっちちゃんと同じ発想してたり、キャラは濃そうだが、果たして再登場するのだろうか? 一緒のタイミングで紹介されてたけど、まったく登場してなかった『なんばガールズ』よりはマシか?

原作との相違:FOLTでの審査対象7組→8組、通過枠2組→3組、結束バンドがTOP10通過して、同じライブハウスにTOP10が3組集まることを加味して調整された設定。


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七十一手開戦のライブ審査~sideB~

 

 

 新宿FOLTにて行わる未確認ライオットのライブ審査。現在は参加バンドによるリハーサルも終わりあとは開催を待つ段階となった。

 軽く外の様子を見に行っていた喜多が戻ってきて、虹夏に声をかける。

 

「伊地知先輩! 表見たら、お客さんたくさん並んでましたよ!」

「開催時間ももうすぐだね~。私たちのバンドのファンも来てくれてるかな?」

「来てましたね……来てましたし……目立ってました」

「う、うん? 目立ってた?」

「ほら2号さんがよく着てる法被があるじゃないですか、あれと同じ法被を着た人が結構な数……いつの間にあんなに増えたんでしょうか……」

「なんか、あの法被結束バンドのファンクラブ的な印象になってるけど、あれ、有紗ちゃんとぼっちちゃんを推してる人たちだったような……ま、まぁ、いいか、うちのファンには変わりないんだし……」

 

 余談ではあるが、2号を党首とする有紗とひとりのカップリングを推す通称有後党は、結束バンドファンの中でも最大派閥であり、現在はかなりの人数に膨れ上がっていた。

 というのも結束バンドMVなどで有紗とひとりは一緒に映っていることが多く、最近リョウの提案で新しく追加したブロマイドなどの売れ行きも凄まじく、圧倒的に人気のカップリングだった。

 噂ではそういった推し活に強い新メンバーの加入によって勢力をさらに拡大しているとかいないとか……。

 

「結束バンドのファンが増えるのは嬉しいですし、マナーもとてもいいので文句なども無いのですが、なぜ演奏メンバーでない私なのかは未だに疑問ですね。ひとりさんのファンクラブというなら、よく分かるのですが……」

「あっ、有紗ちゃんは可愛いですから、おかしくないですよ。むっ、むしろ私のファンクラブとか、需要があるのか疑――」

「あります!」

「――あっ、はい」

 

 自分のファンクラブなど需要はないと言いかけたひとりではあったが、そこは有紗の力強い言葉で即座に黙らされていた。

 するとそのタイミングで、ふと虹夏があることを思いついたように有紗に声をかける。

 

「あ、そうだ。有紗ちゃん、ステッカー出して」

「ああ、そうですね。いいタイミングですね」

「ステッカー?」

「ほら、前に結束バンドのステッカー作ろうって話したじゃん。それで、有紗ちゃんと相談しながら作って、ちょっと前に完成したから持って来てもらったんだよ。本番前に結束感を強めるために皆で貼ろうよ!」

「いいですね! 皆で楽器に貼って、一致団結です!」

 

 虹夏の言葉を受けて、有紗が鞄から取り出したのはTシャツなどにも使われている結束バンドのマークをステッカーにしたものだった。

 有紗からステッカーを受け取りつつ、メンバーたちは各々の楽器にステッカーを貼っていく。

 

「……あっ、有紗ちゃんは?」

「私は楽器が……う~ん」

 

 ひとりに尋ねられた有紗は演奏メンバーではないため楽器を持って来ていないと言いかけたが、その途中で言葉を止めて少し考えたあと、イタズラっぽく微笑みながらひとりに1枚の白黒が反転したデザインのステッカーを手渡す。

 

「では、もしよければ私の分も、ひとりさんのギターに一緒に貼ってくれませんか?」

「あっ……はい! 喜んで! 有紗ちゃんも、メンバーですもんね!」

「ありがとうございます」

 

 有紗の提案に嬉しそうな表情を浮かべたひとりは、ボディとヘッドに1枚ずつのステッカーを貼った。

 

 

****

 

 ライブ審査の時間となり、進行役がマイクを持って舞台に上がる。

 

「全国の10代バンドから、まだ見ぬ才能を発掘するこの未確認ライオット! 今年も3000を超えるバンドが応募してくれたぜ! その中からネット投票を突破した上位30組の内、8組がこの東京会場に出場している。ファイナルステージに進めるのは、このうち3組だけだ!」

 

 進行役が簡単な解説行ったあとで、オープニングアクトを務めるゲストバンドSICKHACKを紹介する。二日酔い気味のきくりではあったが、酔ってライブを行うのは彼女にとっていつもの事であり、なんだかんだで演奏レベルは高いのでしっかり会場を盛り上げた。

 その後、一番手であるケモノリアが壇上に上がって演奏を披露し、爽やかで明るい曲でさらに観客を盛り上げる。さらに続けてSIDEROSが壇上に上がり力強いメタルサウンドと歌で、爽やかだった客のノリを一変させ、同時に会場をさらに盛り上げる。

 

「……すっっごい盛り上がってますね」

「予想通りとはいえ、やっぱりSIDEROSが頭ひとつ抜けてるし、この中で演奏する3番手はきつそう」

 

 会場の盛り上がりを見てやや圧倒されながら呟く喜多に、リョウも同意しつつ3番目に演奏を行うバンドをチラリとみる。

 現在SIDEROSの演奏が終わり、壇上に上がっているところだが遠目に見てわかるほどに力が入っており、とてもいい演奏ができる状態には見えなかった。

 

 それも当然だろう。トップバッターからハイレベルなケモノリアが演奏を行い、2番手のSIDEROSはそのケモノリアをも圧倒するほどの演奏をしてみせた。

 結束バンドの成長に触発されるようにSIDEROSもまた、以前よりかなりレベルを上げており、有紗やリョウの語る通り、今回の参加バンドの中では明確に頭ひとつ抜けた実力を有していた。

 

「分かってはいたけど、手強いね~」

「その割には余裕そうじゃん、虹夏」

「いや、余裕は無いけどさ、もうここまで来たら全力でやるだけだしね……あれ? そういえば、有紗ちゃんとぼっちちゃんは?」

「え? あれ? いませんね……まぁ、一緒に居るのは間違いないでしょうし、有紗ちゃんが一緒なら遅れることはないでしょうから、大丈夫ですよ」

「そだね~どっかでいちゃついてるのかもね」

「それはマジでありそう」

 

 ケモノリアやSIDEROSの演奏を目の当たりにしても、虹夏たちの表情に焦りの感情は見えなかった。彼女たちもまたここまで努力し成長してきたという自負があり、それが精神的な自信へと繋がっていた。驕っているわけでは無く、ケモノリアもSIDEROSも強敵であると認識したうえで、全力で挑もうと、そんな心境だった。

 

 

****

 

 

 その頃有紗とひとりは、控室から少し離れた場所に置いてあった長椅子に並んで座り、会話をしていた。

 

「もうすぐ出番ですね」

「はっ、はい。きっ、緊張しますけど……やる気もしっかりあります」

「ひとりさんは、バンドを始めたばかりの頃に比べて本当に成長していますね。技術もそうですがなによりも精神面が……」

「そっ、そうですかね? 自分じゃ、あんまりよく分からないです」

 

 たしかに有紗の言葉通り、ひとりは精神面で非常に大きく成長していた。ライブ審査という大一番を前にしても、ある程度の緊張を保ちつつも落ち着いており、傍目に見てもいい集中の仕方をしていた。

 そんなひとりを見て有紗は微笑んだあと、ひとりの前髪を軽く手であげ、以前におまじないをした時と同じように、おでこをくっつける。

 

「……ずっと見てきた私が言うのですから、間違いないです。ひとりさんは、前よりもずっと素敵でカッコいいバンドマンに成長していますよ」

「有紗ちゃん……えへへ、あっ、有紗ちゃんがそう言ってくれるなら……きっとそうですね。でっ、でも、私が成長できたのは有紗ちゃんのおかげです。有紗ちゃんが傍に居てくれると、怖くても頑張れるっていうか、勇気が湧いてくるんです」

「ふふ、私の存在がひとりさんの助けになれているのなら、凄く嬉しいですね」

「……有紗ちゃん、私、頑張りますね」

「はい。応援しています……最高の演奏を、聞かせてくださいね?」

「任せてください!」

 

 有紗を真っ直ぐに見つめるひとりの目には強い光が宿っており、有紗もこの様子ならばきっと大丈夫、いい結果に繋がるだろうと確信できる強さがあった。

 有紗はひとりの様子に嬉しそうに微笑んだあと、ひとりの体を軽く抱きしめた。

 

「ひとりさん、頑張ってください」

「あっ……はい! 頑張ります!」

 

 有紗の言葉にしっかりと答えたあとで、ひとりは有紗と共に長椅子から立ち上がって、虹夏たちの待つ控室へと向かって移動していった。

 

 

****

 

 

 3番手、4番手のバンドはやはりケモノリアとSIDEROSに気圧されたのかパッとしない演奏で終わり、序盤で盛り上がっていた観客の空気が中だるみし始めていた。

 そんな空気の中でいよいよ5番手の結束バンドの番がやって来た。

 

「次は下北沢発、そのバンド名はネタっぽいが実力は本物! ネット審査でも7位という好成績を収めている結束バンドの登場だ!」

 

 進行役の紹介で壇上に上がり、MCである喜多が笑顔で口を開く。

 

「えーこんにちは! 下北沢からきました。エゴサが全く機能しない結束バンドです! よろしくお願いします! それではさっそく一曲目……の前に、リードギターの後藤から一言あるそうなので……じゃ、ひとりちゃん」

「あっ、はい」

 

 ひとりがライブ前にマイクでなにかを喋るというのは極めて珍しい……というよりは、会場に来ている結束バンドのファンにとっても初めての事態といえるもので、少々ざわつきがあった。

 だがそんな空気の中でも、ひとりはどこか落ち着いた様子で……顔を上げ力強い目で話し始めた。

 

「……あっ、この会場に来ている、どのバンドも本当にレベルが高くて凄いのは分かってます。でも、私たちも演奏する4人と、ステージには立たないですが大切な……本当に大切なもうひとりの仲間と5人で一緒に頑張ってバンドとしての力をつけてきました。だから、これだけは言わせてください」

 

 ひとりはそこで一度言葉を区切った後、普段の内気な彼女からは想像もできないほど強い目で観客たちを見て口を開いた。

 

「どんなに凄いバンドが相手でも負けるつもりはありません! 私たち結束バンドの結束力……観てください!!」

 

 ひとりの力強い宣言を合図にして、結束バンドの演奏がスタートした。その演奏は彼女たちにとってもまさに渾身と言えるほどに力強く見事な演奏であり、中だるみしかけていた観客たちの心をガッツリと掴み、会場を再び熱狂させた。

 

 そして……その全身全霊の演奏は……確かな結果を掴みとった。

 

 未確認ライオット、3rdステージ、ライブ審査。

 

 東京会場通過バンドは――SIDEROS、結束バンド、ケモノリアの3組となった。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんにとっての心の支え……というか、もうそこまでいちゃいちゃしてるなら、恋人でいい気もする。

後藤ひとり:どう見ても有紗が心の支えになっており、原作よりだいぶ精神面で成長していて、原作よりも力強い宣言をしていた。有紗の部分に「大切な」を2回付けるあたり、有紗のことだいぶ好きだと思う。

有後党:戦力をどんどん拡大している模様の法被集団。マナーはとてもいい上、統率も取れている組織。

未確認ライオット:原作とは違って結束バンドファイナルステージ進出……まぁ、この作品のメインは有紗とぼっちちゃんのいちゃいちゃなので、さして重要ではない。


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七十二手打上のJOJO苑~sideA~

 

 

 残念ながら世の中全ての努力が報われるとは限りません。足掻いても願っても届かないこともあるでしょう。ですが今回は、皆さんが積み上げてきた努力は……確かな成果として報われました。

 

「最終ステージに進むのは、SIDEROS、結束バンド、ケモノリアの3組だ! まったくとんでもねぇバンドが出てきたもんだぜ。審査員も最後まで迷うほどどのバンドもいいライブをしてくれた! 全力を出してくれた演者も、応援してくれた観客も、皆本当にありがとうな!」

 

 そう、結束バンドはしっかりと3組という枠を勝ち取り決勝のファイナルステージにコマを進めることが決まりました。おそらく発表の順番はそのまま獲得した票数順だと思うので、SIDEROSには及ばなかったものの、ケモノリアよりも多くの票を獲得したことが予想できます。

 ただ同時に、やはりSIDEROSとの間にある壁は厚いことを実感しました。今日の結束バンドの演奏は間違いなく過去一番のものでしたが、まだそれでもSIDEROSには届きませんでした。グランプリで狙うのであれば、決勝までの期間でどこまでレベルアップができるかが鍵でしょうね。

 

 ……まぁ、後の課題はまたあとで考えましょう。いまは、結束バンドの皆さんとこの喜びを分かち合いましょう。結果発表を終えて控室に戻って来たひとりさんは、喜色に染まった表情で私に駆け寄り勢いよく飛びついて来ました。

 

「あっ、有紗ちゃん! 私たち、やりましたよ!!」

「ええ、やりましたね。今日のライブ審査の結果は……間違いなく皆さんの……いえ、私たちの実力で勝ち取ったものです。最高の演奏でした……頑張りましたね、ひとりさん」

「っ……はい!」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんはよほど嬉しかったのか、目に涙を浮かべて私に強く抱き着いてきたので、私も抱き返しつつ優しくひとりさんの頭を撫でます。

 

「相変わらずバカップルはいちゃいちゃしちゃってまぁ……私たちも混ぜろ~!」

「そうですよ! 行きましょう、リョウ先輩!!」

「え? ちょっ、私も!?」

 

 そんな言葉と共に虹夏さんたちも私とひとりさんを取り囲むように抱き着いて来て、5人で抱き合って喜びを分かち合うような形となりました。

 虹夏さんや喜多さんも目に涙を浮かべており、リョウさんもなんだかんだで口元には笑みを浮かべていて嬉しそうです。

 そのまましばらく5人で喜んでいると、SIDEROSの皆さんが近づいて来て、ヨヨコさんが腕を組みながら口を開きました。

 

「……まったく、はしゃぎ過ぎよ。まだ、決勝が残ってるってのに気楽なもんね」

「……ヨヨコ先輩、目元赤いんすけど?」

「え? うそっ、ちゃんと泣いたあと鏡でチェックしたのに!?」

「嘘っす」

「あ、ああ、貴女ねぇ……」

 

 どうやらSIDEROSの皆さんも私たちと同じように喜びを分かち合ったあとだったみたいです。完全な予想ですが、泣いてる姿を見られたくないヨヨコさんが落ち着くまで待ってから来たので、控室に来るのが遅くなったのでしょうね。

 ヨヨコさんは恥ずかしそうな表情で頭をかいたあと、気を取り直すように首を振ってから、私たちを真剣な表情で見て口を開きました。

 

「……いい演奏だったわ。クリスマスのライブの時とはまるで違う……もう、貴女たちを格下とは思わないわ。手強いライバルと認識した上で、決勝では全力で勝ちに行くから覚悟しておくことね」

「……あっ、わっ、私たちも……ぜっ、全力で頑張ります。だっ、だだ、だから……まっ、負けません!」

「ふっ……そうこなくっちゃね」

 

 ヨヨコさんの言葉に、ひとりさんがしっかりと言い返すと、ヨヨコさんはどこかひとりさんの成長を喜ぶように微笑みを浮かべたあとで不敵に笑いました。ヨヨコさんとひとりさんは似ている部分も多いので、ひとりさんが精神的に成長して一皮剥けたことを、喜んでくれているのかもしれませんね。

 そのままSIDEROSの皆さんと互いの健闘を称えて話をしていると、そこへケモノリアの方々も近付いて来ました。

 

「やっ、SIDEROSの皆さんに結束バンドの皆さんも揃い踏みで……」

「あっ、ケモノリアの……」

 

 ケモノリアのリーダーらしき長髪の女性が明るい笑顔で声をかけてきてくれたので、私たちも軽く会釈を返します。

 

「いや、どっちも凄い演奏だったよ。これで、どっちも高校生バンドってんだから末恐ろしいよね。最後の通過バンド発表って、演奏順とは違ったしたぶん獲得票数順だよね? そう考えるとうちは3位……ん~微妙に悔しい」

「ケモノリアの皆さんも素晴らしい演奏でした。エレクトロニックロックはあまり聞く機会が無かったので、爽やかな電子音の曲調が新鮮で素敵でした」

 

 エレクトロニックロックは2000年代以降に人気が上がり始めたロックジャンルとしては、比較的新しいジャンルであり、なかなかエレクトロニックロックをメインにしているバンドは少なく、今日の演奏は非常に新鮮で勉強になりました。

 

「いや~ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ……まぁ、今回は遅れを取ったけど、決勝では負けないから、よろしくね」

「ええ、こちらこそ」

 

 なんとなく私が対応するような形になったので、ケモノリアのリーダーさんが差し出してきた手を取り握手をします。するとリーダーさんは、なぜか大きく目を見開いて驚愕し、握手を終えたあとで一歩後ずさりました。

 

「……だ、駄目だ……勝てない」

「え? いきなりなに言ってんの?」

 

 その不思議な様子にケモノリアのドラムを担当していたショートポニーの女性が首を傾げながら尋ねると、リーダーさんはグッと拳を握りながら口を開きます。

 

「あの子、明らかに楽器やる手だった! 感触的にピアノかキーボード……しかも相当のレベル!」

「……それで?」

「見た感じ結束バンドの子だけど、ステージで演奏していたのはあの子以外の4人だったそれから導き出される答えは……これ絶対アレだ! 決勝で私たちが会心の演奏をして、よし勝ったって思った瞬間に『いつから結束バンドが4人だと錯覚していた?』とかいって出てきてパワーアップするパターンだよ! 間違いないって! だって、最近読んだ漫画にそういうの出てたから――あいたっ!?」

 

 熱く語っていたリーダーさんの頭にドラムの方が呆れた表情でチョップをしました。

 

「……うちの馬鹿がすみません」

「ああ、いえ、お気になさらず」

 

 日頃からこんな感じなのか、ドラムの方の謝罪も慣れた様子でした。なんとなくではありますが、きくりさんの件で謝罪する志麻さんを思い出しました。

 

「やっぱり、バンドのリーダーって皆個性が強くて目立つ……ああ、いや、それぞれかな」

「おいこら、リョウ。なんで今チラッと私の方を見てから言った? おい、こっち向け」

 

 全然関係ないところでリョウさんが余計なことを言って虹夏さんに関節技を極められていました。それにしても、3つのバンド……私も含めて13人が集まっているので、なんというか妙に賑やかになってきた感じですね。

 とりあえず、ひとりさんがアワアワとしている感じだったので、手を握って近くに引き寄せておきました。私が近くに居れば、ひとりさんに話を振られてもフォローできるでしょうし……ひとりさんもホッとした様子で、甘えるように私の手を両手で握ってきました。SIDEROSの方々までは大丈夫だったのでしょうが、ケモノリアの方も増えたことで、やはり緊張していたみたいです。

 

 その後しばらくケモノリアの方たちも加えて話をしていると、自然とファイナル進出3組で健闘を称え合って打ち上げに行こうという流れになりました。

 

「私たちの拠点とは違うから、いまいち周辺の店が分からないんだけど……SIDEROSや結束バンドの子たちは、普段どういうところで打ち上げしてるの?」

「……高級ホテルのスイーツビュッフェとか……」

「こ、高級ホテル!? スイーツビュッフェ!? ……え? ファミレスとかじゃなくて?」

「まぁ、それなりに人気はあるので……」

 

 ケモノリアのリーダーさんの言葉に、ヨヨコさんが腕を組んでツンとした表情で告げました。ヨヨコさんは割とこういう場面で優位に立ちたいと思う方なので、マウントを取りにいった感じでしょうか?

 あくびさんたちが呆れたような表情を浮かべているので、たぶん以前の件で1回行っただけでしょうね。まぁ、それでも、打ち上げで高級ホテルのスイーツビュッフェに行った事実は変わらないでしょうが……。

 

「ケモノリアの方たちは普段どんなところで打ち上げをするんですか? 皆さん大人っぽくて素敵ですし、お洒落なお店とかに行ってるんですか?」

「え? ああ、そそ、そうだね~まぁ、フ、フレンチ? とか……よく行くよね? 昨日も行ったし」

「フレンチと? ん~ちゃけど、リーダーがフレンチ言うなら、フレンチでよかたい」

「……いや、昨日行ったのはファミレスですよ」

 

 喜多さんがキラキラとした目で尋ねると、リーダーさんは目線を泳がせながら告げ、ベースの方が首を傾げつつも同意して、ギターの方が呆れた様子でツッコミを入れていました。

 喜多さんは純粋に大学生に憧れのような感情があるのでしょう。大学生はきっとお洒落で、素敵な……喜多さん的には映える日々を送っているのだという理想がキラキラとしたオーラとなって表れています。

 

「あ、後はアレだよね? JOJO苑とか行くよね?」

「過去に一回だけな」

 

 なんとか見栄を張りたいリーダーさんに対して、ドラムの方が心底呆れた様子で呟いていました。JOJO苑に関しては私も少し勉強しました。チェーン店の焼肉屋で、リーズナブルな価格で焼肉が食べられる店です。

 以前文化祭の時の打ち上げでチェーン店に関する勉強不足が露見したので、ちゃんと調べておきました。ただ、あくまで知識として知っているだけで行ったことが無いので、出来れば一度足を運んでみたいものですね。

 

「……じゃあ、打ち上げはJOJO苑にしますか?」

「え? ヨヨコ先輩、マジで言ってるんすか?」

「い、いいね! やっぱり、焼肉と言えば最低限JOJO苑レベルは欲しいところだし、私も賛成だな~」

「……マジか、JOJO苑って、ひとり1万はいくぞ……」

 

 SIDEROS、ケモノリア共にリーダーが賛同して、ドラムがツッコミを入れる状況ですが……私としては正直願ってもない展開です。

 

「あっ、有紗ちゃん、嬉しそうですね」

「はい。チェーン店の焼肉屋に行くのは始めてなので、楽しみですね」

「……かっ、感覚がセレブ……」

「有紗、私、お金ない」

「結束バンドの皆さんの分は私が出しますので大丈夫ですよ。遠慮せずに好きなものを好きなだけ食べてください」

「有紗好き、愛してる」

 

 こうして打ち上げはJOJO苑での焼肉に決まり、SIDEROSとケモノリア、そして私を含めた結束バンドの13名という大所帯で移動を開始しました。

 

 

 




時花有紗:焼肉チェーンに行くのは初めてで少しウキウキしてる。有紗ちゃんから見れば、JOJO苑の価格は大変に安価。

後藤ひとり:自分から有紗に抱き着きに行った。距離感はしっかりバグってる。なんだかんだで精神的に成長しており、ヨヨコにも力強く応対出来たりしてる。

ケモノリア:名前は不明なので2号さんやPAさんよろしく、不明のままで通す。キャラ付けは全部適当。あとになって原作で超重要キャラになって再登場したら泣く。


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七十二手打上のJOJO苑~sideB~

 

 

 結束バンド、SIDEROS、ケモノリアの3組での合同打ち上げとしてJOJO苑にやってきて、それぞれバンドごとにまとまって席に座る。

 バンドごとに固まっているとはいえ席は近くなので会話などを行うのも問題はない。

 

「……ヨヨコ先輩、リーダーっすよね? 今日の店もほぼ勝手に見栄張って決めましたよね?」

「……そ、そうね……それで?」

「ごちになりま~す!」

「ッ!?」

 

 ヨヨコはあくびの言わんとすることを理解したのか、顔を青ざめさせるが……実際に見栄を張ってJOJO苑に行くことを提案したのは己であるため、文句も言い辛い。

 

(私の財布……終わった……)

 

 さらにここでゴネては負けた気がするので、そっと心の中で財布の中のお金に別れを告げつつ、それでも顔だけは平静を装って告げる。

 

「まぁ、貴女たちも今日はよく頑張ったから、特別に奢ってあげるわ」

「さすが、ヨヨコ先輩!」

「ヨヨコ先輩が褒めてくれるなんて嬉しいですね。いっぱい食べましょう」

「久々の屍肉……嬉しい~」

「……あ、あんまり、食べ過ぎないように……ね?」

 

 心の中で悲鳴を上げつつ頬を引きつらせてはいるが、それでもそれを口にすることはなくヨヨコは額に汗を流しつつも必死に平静を装っていた。

 その光景を見ていたケモノリアのドラムがリーダーに向けて口を開く。

 

「……向こうはリーダーが奢るみたいだね。流石トップ通過ともなると、リーダーの器が違う。で、こっちのリーダーは?」

「……え? マジで? そういう流れにするの? そういうノリはよくないと思うなぁ……私たち仲間だよな? 仲間って、協力し合うものだよな!」

「仕方ない。7割で勘弁してあげるよ」

「7割? 私が全体の7割出して、残り3人で3割を割るの? ……安いの頼んで……」

 

 ドラムの言葉に頬を引きつらせるリーダーだが、強引に押し切ったという自覚はあるのか、あまり強く言い返すことはできず、最終的に絶望した表情で7割の支払いを了承した。

 だが、そんなそれぞれのリーダーがメニューに書かれた金額に戦慄しつつ、バンドメンバーに控えめに食べるように告げている中、まったく違う空気の席もある。

 

「有紗、特選頼んでいい?」

「どうぞ。皆さんも好きなものを遠慮せずに頼んでくださいね」

「う、うん。いや、ありがたいけど……大丈夫、有紗ちゃん?」

「ええ、チェーン店には初めて来ましたが、メニューの写真を見る限り質のいいお肉が安価で食べられるみたいですし、本当に素晴らしいですね」

「……うん。完全に聞く相手間違えたよ。よ~し、私も特選頼んじゃお」

 

 結束バンドは有紗の奢りであり、メンバーも有紗の圧倒的な財力は知っている。少なくとも、JOJO苑程度でメンバー全員が高いものだけを選んでお腹いっぱいに食べたとしても、まったく高いとは思わないだろうことも分かっている。

 なので、最初に軽く確認はしたもののその後は遠慮することなく、食べたいものを注文していたが、それを見て驚愕していたのはSIDEROSとケモノリアである。

 

「と、とと、特選!? 特選って1人前5000円ぐらいするやつじゃ……」

「と、時花有紗……流石ね」

 

 ケモノリアのリーダーは信じられないものを見たという感じで驚愕しており、ヨヨコはある程度有紗の財力を知っているので納得はしつつも、それでも驚愕はしていた。

 するとそのタイミングでふと思いついた様子で、有紗はSIDEROSとケモノリアのテーブルの方を向いて微笑みを浮かべる。

 

「SIDEROSの皆さんも、ケモノリアの皆さんも、今回の打ち上げの費用は私が持ちますので、どうぞ遠慮せずに好きなものを食べてください」

「え? えぇぇぇ……ちょっ、さっ、流石にそれは……い、いや、君がお金持ちっぽいのはここまでのやり取りで分かったんだけど……ほ、ほら、私たち大学生だし、少しとはいえ年上だし……」

「どうか、お気になさらず。素晴らしい演奏を間近で聞かせていただいたお礼と思ってください」

 

 SIDEROSとケモノリアの分も支払うという有紗に対し、ケモノリアのリーダーが流石にそれは申し訳なさすぎると断ろうとしたが、優しく眩しい笑顔で気にしないでを告げる有紗の輝くオーラになにも言えなくなった。

 ケモノリアは有紗のことはよく知らないが、それでも有紗の様子を見れば、3組分の支払いをまったく問題にしていない様子が見て取れ、明らかにお金持ちであることを察することができた。

 

「……どうしよう? 私いま、女子高生にビジュアル、財力、人間性のトリプルスコアでボロ負けしたんだけど……今後のために土下座して靴舐めてきた方がいい?」

「やめとけ。あと、せっかくの厚意だしここは甘えさせてもらって……またなんか別の機会にお返しはしよう」

「そ、そうだね……えと、有紗ちゃんだっけ? 本当にありがとう! えと、なんかお返しにできることないかな……あ、芸しよっか! 結構自信あるんだ、歴史武将シリーズなんだけど――あいたっ!?」

「恩を仇で返すのはやめろ」

 

 ケモノリアのリーダーの頭にドラムのチョップが落とされると、話が途切れたタイミングでヨヨコが有紗に声をかける。

 

「……いいの?」

「ええ、もちろんです。ヨヨコさんたちには日頃お世話になっていますしね」

「そ、そう……む、むしろ世話になってるのはこっちというか……ありがとう。このお礼は必ずするわ」

「あ、私たちも! なんかしてほしいことがあったら言ってね!」

 

 ヨヨコとケモノリアリーダーの言葉に有紗は微笑みを浮かべつつ、少し思考を巡らせる。このまま話を終わらせてもいいが、それでは両者に申し訳ないという気持ちも残るだろうと……そう思うなら、多少なにかを要求しておいた方が両者の気も楽だろうと、そう考えて口を開いた。

 

「……それでしたら、また時期はいつでも構いませんので、SIDEROSとケモノリアのライブのチケットを私たち5人分いただけませんか? 他のバンドのライブを見るというのは結束バンドにとっても勉強になりますしね」

「え? ライブのチケット? それは別に構わないけど……」

「そんなのでいいの? 1枚1500円程度よ?」

 

 有紗の要求にケモノリアリーダーとヨヨコはキョトンとした表情を浮かべつつ、戸惑いながら聞き返す。すると、有紗はどこかいたずらっぽく微笑みながら言葉を返した。

 

「いえ、むしろとても欲張りですよ。なにせ、ライブのチケットと『素晴らしい演奏』まで要求してしまうのですから、焼肉程度ではつり合いが取れないかもしれませんね」

「……ふっ、言ってくれるじゃない。いいわ、その時は焼肉代以上に価値のある演奏を聞かせてあげるわよ」

「この子人間出来過ぎじゃないかぁな……けど、うん。そういうのは私も大好きだよ。最高のエレクトロニックロックを聞かせてあげるから、楽しみにしててね」

 

 有紗の言葉にヨヨコもケモノリアリーダーも楽し気な笑みを浮かべて言葉を返す。先ほどまでの申し訳なさそうな空気も消え、SIDEROSもケモノリアもかなり気を楽にして焼肉を楽しめる空気が出来上がった。

 

 

****

 

 

 JOJO苑での打ち上げは楽しげな雰囲気で続いていった。金網で食べごろに焼けた肉を箸で取り、有紗は軽くタレをつけたあとで手を添えてひとりに差し出す。

 

「はい。ひとりさん、どうぞ」

「あっ、いただきます。んっ、美味しいです。あっ、有紗ちゃんもビビンバ食べます?」

「それでは、一口頂きますね」

「はい。どっ、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 流れるように自然に互いに食べさせ合って微笑み合う有紗とひとりを見て、同じテーブルの結束バンドの面々は「またか」と言いたげな表情を浮かべていた。

 

「……躊躇いとか一切なくいちゃつくよね、このふたり」

「いつも通り」

「ですね」

 

 結束バンドの面々にとっては見慣れた光景であり、SIDEROSの面々もクリスマスパーティなどで見ているのであまり気にした様子はないが、ケモノリアは初めて見る光景だったため興味深そうな視線を送っていた。

 そして、ケモノリアリーダーが好奇心に身を委ねる形でふたりに質問をする。

 

「……聞いちゃ駄目だったらごめんね。ふたりって、もしかして恋人同士とかなの?」

「ちっ、違います!」

「あ、そういうわけじゃないんだね」

「いまはただの友人ですね。将来の話で言えば恋人から結婚まで確定しています」

「……おん?」

 

 ケモノリアリーダーは、ひとりの反論に勘違いだったかと納得しかけたが、その次の有紗の返答で頭に大量のハテナマークを浮かべて首を傾げた。

 

「あっ、有紗ちゃん! そっ、そうやって誤解を受けそうなことを平然と……そっ、そそ、そういうのはまだ早くてですね。いっ、いや、有紗ちゃんのことは好きですし、女の子同士の恋愛が絶対に駄目とかそういう話じゃなくて……もっ、もっと、えっと、こう……」

 

 疑問のままに有紗に尋ねようとしたケモノリアリーダーだったが、それより早く顔を真っ赤にしたひとりが食って掛かり、有紗が宥めるような形になったため質問の機会を逃した。

 なんとも言えない不思議そうな表情を浮かべていたケモノリアリーダーに対して、虹夏が苦笑を浮かべつつ声をかける。

 

「……そのふたりは、いつもそんな感じなので、気にしないでください。そういうものだって思っておけば大丈夫です」

「な、なるほど……最近の高校生は進んでるなぁ~」

 

 細かい事情までは分からなかったが、なんとなく察した様子のケモノリアリーダーは、メンバーたちと顔を見合わせて微笑まし気な表情を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 楽しい打ち上げも終わり、心行くまで焼肉を楽しんだあとは会計の時間となった。有紗の奢りという話で纏まってはいるものの、ケモノリアリーダーは不安げな表情を浮かべつつ、ドラムの女性に声をかける。

 

「……大丈夫かな? 私たちも、かなりガッツリ食べちゃったけど……」

「いくらだろうね? 間違いなく10万は超える気が……」

 

 もちろんケモノリアだけではなくSIDEROSの面々も不安げに有紗の方を見る中、有紗の元に店員が伝票を持って来た。注目が集まる中、有紗は伝票を受け取って軽く見たあと特にリアクションを取ることもなく、黒いクレジットカードを伝票に乗せて店員に差し出した。

 

「カードでお願いします」

「かしこまりました。お預かりいたします」

 

 確実に10万円を超えているであろう支払いにまるで動じている様子もない有紗を見て、特にケモノリアメンバーは戦慄したような表情を浮かべていた。

 

「……黒いカード出してたんだけど、どうしよう? 本戦で戦う前から、格の違いを見せつけられてるんだけど……」

「お、落ち着け、気持ちは分かるけど……財力と音楽の腕はまた別の話だから……」

「凄かお金持ちで、たまがるね」

「お、親が凄くお金持ちとかでしょうか?」

 

 小声でそんな風に話をしていると、ふと疑問を抱いた喜多が有紗に尋ねる声が聞こえてきた。

 

「有紗ちゃん、前々から思ってたんだけど、高校生でもブラックカードって持てるの?」

「ええ、持つことは可能ですよ。審査に通るかは本人の収入や、年間の支払金額も関係してきますね。まぁ、クレジット会社にもよるのですが、年間のカード支払いが億を超えるとカード会社の方から勧めてきますね」

「怖いこと言ってる……」

 

 サラッと語った有紗の言葉に喜多も唖然とするが、それ以上にケモノリアやSIDEROSは驚愕の表情を浮かべていた。

 

「……有紗ちゃん、マジでパネェっすね」

「あそこまで行くと、凄すぎて嫉妬も湧いてこないわ……」

 

 感心して呟くあくびに、ヨヨコも苦笑しつつ同意する。

 

「……よし、やっぱ今後のために、私一回土下座して靴舐めてくるよ。困ったとき助けてくれるかもしれないし、仲良くしといたほうがいい子だって! よし、そうと決まればさっそくペロペロを――あいたっ!?」

 

 どこか興奮した様子のケモノリアリーダーが暴走気味に席から立ち上がろうとした瞬間、ドラムの女性により本日3度目のチョップが脳天に叩き込まれた。

 

 

 




時花有紗:相変わらず財力はマジでチート。本人は13人分の支払いなど気にした様子もなく、ぼっちちゃんといちゃいちゃしていた。

後藤ひとり:もう本当にあ~んぐらいなら普通にやる。あと、ケモノリアに対する発言から……どうも同性同士の恋愛に関しては、問題ないという考えに変わってきてる気がするし、なんなら手順踏めばOK的なことも言ってる気がする。

ケモノリアリーダー:Q、なぜこんなキャラにした? A、ポンコツなおにゃの子が好きだから。


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七十三手浴衣の夏祭り~sideA~

 

 

 結束バンドは見事ファイナルステージへの出場を決め、星歌さんやPAさんも非常に喜んでくれてSTARRYでもお祝いをしてくれました。

 そんなお祝いムードから数日経ち、STARRYにて私たちは未確認ライオットのファイナルステージに向けた打ち合わせをしていました。

 こうして見ているだけでも、皆さんの目にはやる気がありありと現れているようで、瞳に力を感じます。

 

「さぁ、皆。次はいよいよ決勝……ファイナルステージだよ! 気合を入れて頑張っていこう!」

「そっ、そうですね。こっ、ここまで来たんですから、しっかりと結果を残したいですね」

「これからファイナルステージまでの時間にしっかり練習しましょう! まずは、なにからすればいいんでしょうか?」

「……前のめり過ぎじゃない? 有紗、どう思う?」

 

 力強く宣言する虹夏さんに、声は小さいながらもやる気に満ちた発言をするひとりさん、明るく前向きな喜多さんの発言を聞き、リョウさんは少し訝し気な表情を浮かべつつ私に尋ねてきました。

 こういった場面でのリョウさんはかなり状況を見ているというか、頼りになる印象で……私もリョウさんの意見に同意です。

 

「そうですね。未確認ライオットのファイナルステージに臨むにあたって、いま皆さんが最優先ですべきことがあります」

「さっ、最優先で? あっ、有紗ちゃん、それはいったい……」

「気分転換ですね!」

『え?』

 

 私が笑顔で告げた言葉に、虹夏さん、ひとりさん、喜多さんはキョトンとした表情を浮かべていましたが、やはりリョウさんはどこか納得した様子で頷いていた。

 

「皆さんがやる気に溢れているのはとても素晴らしいです。これが仮に、ファイナルステージが今日や明日であるならこの勢いで突っ走るのが正解でしょう……ですが、ファイナルステージは来月で、まだ時間があります。いまからそのテンションでは本番を迎える前に疲れてしまいますよ」

 

 そう、皆さんのやる気は素晴らしいことです。特にいまはライブ審査を突破したことで気持ちが高揚している状態です。

 そうした勢いも大事ですし、有効に活用すべき場面もありますが、今回は違います。残念ながら今のテンションを本番まで維持するにはあまりに期間が長すぎて困難です。

 

「なので、ここで一度気分転換をして気持ちをリセットして、改めてファイナルステージに向けて気持ちを作り上げていきましょう」

「気持ちを作り上げる?」

「ええ、私の友人……玲さんの受け売りなのですが、ベストコンディションは狙って作るものだそうです。玲さんはコンサートが決まると、必ず……概ねコンサートの10日前を目安に1日、まったくピアノに触れない日を作ります。それで気持ちをリセットして、本番までに徐々にコンディションを高めていって、ピークを本番に合わせています。そこまでをやれというわけではありませんが、一度高まり過ぎている気持ちを落ち着ける気分転換は必要ですよ」

 

 玲さんはその辺りは徹底しています。彼女はピアノにおいては紛うことなき天才ですし、スポーツで言うところの一種のゾーンのような、研ぎ澄まされた集中状態にも意識して切り替えることができます。ただ、玲さん曰くそれはあくまで「100%の状態」らしいです。

 薄皮を1枚1枚重ねるように積み上げて整えたコンディションと研ぎ澄まされた集中力が合わさって、初めて「120%のパフォーマンス」が発揮できるとのことです。実際コンサート当日の玲さんは、まさに理想の状態とでも言うべきコンディションになっており、立っているだけでも普段とは比べ物にならない存在感を放つほど完璧に仕上がっています。

 まぁ、さすがに玲さんレベルのコンディション調整を行うのは無理です。あれは彼女の天才的なセンスと、ピアノへの情熱、長年の経験と緻密な計算が全て合わさって成立するものなので、真似しようと思ってできるものではありません。

 

「いまの皆さんはやる気に溢れてはいますが、同時に少し力が入り過ぎている感じでもあります……そうですよね、リョウさん?」

「そう、私を見習ってもう少し肩の力を抜け」

「……リョウは抜きすぎな気もするけど……でも確かに、有紗ちゃんの言う通り、いまからこんなに気を張ってたら本番まで持たないよね」

 

 リョウさんの言葉に虹夏さんも苦笑を浮かべ、喜多さんやひとりさんも納得した様子で頷いてくれました。これなら大丈夫そうです。やる気が空回りしてしまっては本末転倒ですしね。

 

「あっ、でっ、でも、気分転換って何をすれば……」

「深く考える必要はないですよ。単純に皆でどこかに出かけたり、息抜きをすると考えれば問題ありません」

「いいね~夏休みだし、皆でどこか遊びに行くのも……喜多ちゃん、なんかいいところあるかな?」

「ちょっと待ってくださいね。いま調べて……あっ、見てください! ちょっと遠いですけど、電車で30分ぐらいの場所で、今日お祭りしてるみたいですよ! 花火は……無いみたいですけど、それでもお祭りですよ! お祭り! やっぱり夏と言えばお祭りですよね!!」

「……い、いきなりキラキラし始めた……」

 

 喜多さんは皆で遊びに行くというのが大好きなので、そうと決まった直後から楽し気でありすぐに今日やっているイベントを調べて提案してくれました。

 花火大会ではなく昼にもやっているのなら参加しやすいかもしれませんね。

 

「……観た限り、昼から夜にかけて行われる夏祭りみたいですね。雰囲気的には盆踊りとかもありますね」

「結構楽しそうだよね。ぼっちちゃんも、前ならともかく、いまならお祭りでも大丈夫なんじゃない?」

「……あっ、有紗ちゃんが傍に居てくれたら……大丈夫です」

 

 お祭りという場で人の多さが懸念されますが、ひとりさんも比較的乗り気な様子なのは幸いでした。ひとりさんと夏祭りというのは、本当に楽しそうです。以前も一緒に花火大会に行きましたが、その時はやや特殊な形で食べ物だけ買ってホテルで見たので、一緒に祭りを周れるというのは素晴らしいです。ついでに浴衣でも着てくれれば、最高なのですがそれは高望みし過ぎかもしれませんね。

 

「せっかくですし、皆で浴衣を着ましょうよ! やっぱり夏祭りなら浴衣ですよ!!」

「……あ、圧が凄い。郁代、結構フラストレーション溜まってたのか?」

「ここの所、サードステージの追い込みで練習ばっかだったしねぇ」

 

 ここで、喜多さんから素晴らしいパスが出ました。ただでさえ愛らしさが迸っているひとりさんが、浴衣を着たら……それはもう夏の妖精といっても過言ではないほどの素晴らしい見た目になるのは確信出来ます。

 

「あっ、えっ、ゆっ、ゆゆ、浴衣!?」

「そう、浴衣! ひとりちゃんも一緒に着ましょう!」

「いいじゃん。浴衣着ると祭りって感じだよね」

「……普通の格好でよくない? あ、いや、でも写真撮って夏限定ブロマイドとして売るのはありか……」

 

 虹夏さんやリョウさんは比較的乗り気な様子ですが、ひとりさんは恥ずかしがっているのか目線を泳がせています。ここで、ひとりさんが心の底から嫌がっているようなら止めようかと思ったのですが……おや? 予想に反して、そこまで強く忌避感がある印象では無いですね。

 

「あっ、いっ、いや、でも、浴衣とかそもそも持ってないですし……」

「それなら私がすぐに全員分レンタルの浴衣を手配しますよ。さほど時間はかからず用意できると思います」

「あっ、有紗ちゃん!? あっ、うぅ、えっと……」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは、なにやら迷う様な表情を浮かべたあと少し顔を赤くして俯きます。そのまましばらく沈黙したあとで、おずおずと口を開きました。

 

「……あっ、あの……有紗ちゃんは、わっ、私が浴衣を着ると嬉し――」

「嬉しいです!」

「――食い気味で肯定してきた!? そっ、そんなにですか?」

「はい。もちろん日頃のひとりさんも最高に可愛らしいですし、そのままの格好で祭りに行ってもその愛らしさが色あせることはないでしょう。しかし、普段とは違う浴衣姿を見てみたいというのも事実です。浴衣に身を包んだひとりさんは、間違いなく夏の妖精、夏の女神といっても過言ではないほど可憐であるのは確信出来ますので、是非見てみたいです!」

「あっ、相変わらず大げさすぎです……あっ、あぅ、えっと……あっ、有紗ちゃんがそんなに見たいなら……いっ、いいですよ」

 

 ひとりさんが浴衣を着ることに同意してくれました。なんて素晴らしいことでしょうか、これで浴衣姿のひとりさんを見ることができると思うと、いまから自然と笑みが浮かんでしまいます。

 

「……滅茶苦茶嬉しそうですね、有紗ちゃん」

「ぼっちちゃん関連だけは、感情の変化がもの凄く分かりやすいんだよねぇ」

 

 

****

 

 

 じいやに連絡をして浴衣を手配してもらうと、1時間かからずSTARRYに浴衣が届きました。さすがじいやは仕事が早いです。

 星歌さんがスタッフ用のロッカーが余っているので、そこを使っていいと言ってくださったので、ロッカーを借りて浴衣に着替えます。

 

「あっ、あれ? 有紗ちゃん、こっ、これどうすれば……」

「帯ですね。ちょっと待ってください少し全体を整えて……はい、これで大丈夫です。苦しくはないですか?」

「あっ、だっ、大丈夫です。浴衣なんて着るのは、本当にいつ以来か……あっ、有紗ちゃんと行った温泉の浴衣を含むなら、アレ以来ですね」

「そうですね。ただ、温泉の浴衣とはまた違った……」

「……有紗ちゃん?」

 

 改めて浴衣を着たひとりさんを見ます。髪の色に合わせた薄いピンクの浴衣には、紫色の花模様が描かれており、それがコントラストとなってひとりさんの美しさを際立たせています。

 帯は浴衣との相性を考えて暗めの紫色にしていることもあって、引き締まって見えますし、全体的なバランスも素晴らしいです。

 

「……もはや、この美しさをどう表現していいか……日本の生んだ奇跡では?」

「おっ、大袈裟にもほどがありますって!」

「いえ、本当にそれぐらい愛らしいですし、可愛いんです」

「あっ、有紗ちゃんの方が可愛いですよ! 暗い紺色の浴衣が凄く似合ってますし、姿勢もよくて背も高いからカッコいいです」

「いえ、それを言うならひとりさんは艶やかさと可憐さが合わさりつつも見事に調和した大輪の花のようで、普段のジャージよりカッチリした服装だからか、可愛さと凛々しさも同時に溢れています」

「あっ、有紗ちゃんの方が、最高に可愛くて素敵で……」

「……お~い、バカップルふたり、そのいちゃつき合戦長くなりそうだから後にしてくれないかな……」

 

 ひとりさんと互いに互いの浴衣を褒め合っていると、虹夏さんのどこか呆れたような声が聞こえてきました。

 

 

 




時花有紗:琴河玲が特化型の天才なら、有紗ちゃんは万能型の天才。万能型の癖に特化型と渡り合えるレベルの才能なのでかなりチート。それとはまったく関係なく、ぼっちちゃんの浴衣を見れて幸せいっぱいである。

後藤ひとり:祭りは人が多くて苦手……でも、有紗が一緒なら行ける。浴衣を着るのは恥ずかしい……有紗が見たいなら着る。君、めっちゃ有紗のこと好きでは?


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七十三手浴衣の夏祭り~sideB~

 

 

 気分転換として夏祭りに参加することになった結束バンドの面々。電車を乗り継いで夏祭りの行われている最寄り駅に辿り着くと、昼下がりの時間帯でもかなりの人が見えた。

 浴衣を着ているものも多いため、結束バンドの面々と同じように夏祭りが目当てなのだろう。

 

「お~、やっぱり結構人が多いね」

「ですね。はぐれないようにしないといけませんね」

「……って、あれ? リョウは?」

 

 会場に到着してすぐだというのに、既にリョウの姿が無く虹夏がキョロキョロと視線を動かすと、有紗が少し離れた場所にある屋台を指し示した。

 

「……向こうの屋台でたこ焼きを買ってますね」

「本当に自由だなアイツ!?」

 

 さっそく単独行動をしているリョウに虹夏が呆れたように叫ぶと、たこ焼きを買い終わったリョウが戻って来た。

 

「リョウ、好き勝手に行動するとはぐれるよ」

「……確かに、ごめん、気を付ける」

「お、あれ? 意外と素直じゃん」

「このたこ焼きでほぼお金は使い切ったから、財布――虹夏とはぐれると困る」

「……たこ焼きを一旦誰かに預けろ、ぶん殴ってやる」

 

 明らかに虹夏にたかる気満々のリョウに虹夏が額に青筋を浮かべる。そんな空気の中で、有紗は苦笑しつつ虹夏に声をかけた。

 

「まぁまぁ、落ち着いてください虹夏さん。ある意味いつも通りのリョウさんですよ」

「これがいつも通りだから、頭が痛いんだよね」

「ふふ、ですが、それはともかくとして今回はリフレッシュが目的なので、リョウさんも楽しめるように多少ですがお小遣いを渡しますね。ああ、リョウさんだけでなく皆さんにも同じ額を渡しますので、それで祭りを楽しみましょう」

「有紗、マジ好き」

「も~有紗ちゃん。あんまリョウを甘やかしちゃ駄目だよ、お金渡したらすぐに勝手な行動ばっかするんだから……」

 

 全員に一律でお小遣いを渡しながら微笑む有紗に、虹夏が苦笑しつつ告げる。正直なところ、虹夏としてもこの援助はありがたかった。やはり高校生のみであり、屋台の高めの値段設定はそこそこキツイものがある。

 ただ、お金を得たらリョウが好き勝手に行動するのではないかという懸念はあり、夏祭りではぐれれば再合流が難しい。

 

「大丈夫ですよ。リョウさんは勝手な行動をとったり、ましてやはぐれたりしません……ですよね? リョウさん?」

「……は、はい! はぐれません、絶対に……」

 

 穏やかな笑顔ではあったが、軽い威圧感を放つ有紗を見て、リョウは背筋を伸ばして頷く。有紗のプレッシャーには弱いリョウなので、確かにこれではぐれることはなくなりそうだった。

 

 そんなやりとりをしたあとで、改めて全員揃って夏祭りを見て回ることにした。やはり祭りの会場の人の数は駅とは比べ物にならず、人見知りのひとりは若干怯えた表情を浮かべていた。

 

(やっ、やっぱり、人が滅茶苦茶多くて怖い……うぅ、あっ、有紗ちゃんが居てくれるからなんとか精神を保ててるけど……)

 

 そんな不安げなひとりの様子にいち早く気付いた有紗は、そっとひとりの手を握る。手を握られたことで少し顔を上げたひとりに対し、有紗は優しく微笑みながら口を開く。

 

「大丈夫ですよ、ひとりさん。私が付いてますからね」

「あっ、有紗ちゃん……はい。有紗ちゃんが居てくれるなら、あっ、安心です」

 

 優しい有紗の声にホッとした表情を浮かべたあとで、ひとりは嬉しそうに有紗の手を握り返す。彼女にとって有紗の傍というのは本当に安心できる空間であり、手を繋いだこともあって人混みの恐怖はかなり和らいだ。

 そして甘えるように少し有紗に身を寄せて歩けば、いつの間にか恐怖よりも楽しいという気持ちが強くなってくるから不思議だった。

 

(やっぱり、有紗ちゃんと一緒だと……安心できるし、楽しいな。有紗ちゃんと手を繋ぐと、なんか心が温かくて好きだなぁ……)

 

 そんな心が温かく楽しいという思いは表情にも表れており、嬉しそうに笑みを浮かべるひとりを見て、有紗も同じく笑みを浮かべる。

 

「ひとりさん、楽しそうですね」

「あっ、はい。なっ、なんていうか、有紗ちゃんと一緒だと、こうして歩いてるだけでも……なっ、なんか楽しいですね。えへへ」

「ふふ、そうですね。私も同じ気持ちです。こうして普段とは違う雰囲気の場所を一緒に歩くだけでも、なんだか新鮮で楽しいですね」

「はい!」

 

 そんなやりとりをする有紗とひとりの会話を、近くに歩いていることで必然的に聞くことになった虹夏たちは、一様にキツネのような顔になっており「またやってるよ」という雰囲気がにじみ出ていた。

 

 

****

 

 

 いくつかの屋台を覗きつつ歩いていると、不意にリョウが足を止めてひとつの屋台に注目した。

 

「……アレだ! 皆、行こう」

「うん、あれ? ……サメ釣り? なにそれ?」

「え? 伊地知先輩は知らないんですか? たまに見かけますよ」

「そうなの? 初めて見たなぁ……まぁ、そんなに頻繁に祭りに行くわけじゃないから、屋台に詳しくは無いけどさ」

 

 リョウが見つけたのはサメ釣りの屋台であり、極めて希少とまではいかないが、なかなか見かける機会の少ない少しマイナー寄りの屋台ではある。

 実際、祭りに行った経験が多い喜多は知っているが、虹夏は初めて見たらしく不思議そうな顔をしていた。

 

「あっ、さっ、サメを釣るんですか?」

「えっと、そうじゃなくて、サメのおもちゃを釣るとサメの口の中にくじが入っていて、そのくじに応じて景品がもらえる感じね」

「やや特殊なくじ引きという感じですかね? サメを釣るのは遊戯性を高めるためでしょうか……」

 

 ひとりと有紗もサメ釣りは初めて見たようで、喜多の説明に興味深そうな表情で頷く。リョウが反応したのは彼女がサメ映画などが好きであるためだが、他の面々も興味を持ったことで一度寄ってみようということになった。

 

「……ふっ、サメとの決戦か」

「リョウ、サメ好きだよねぇ」

 

 そんな会話をしながら屋台に近付くと、店主である年配の男性がフッとニヒルに笑みを溢した。

 

「ほぅ、鋭い目をしていらっしゃる。それに雰囲気も……中々できるお客さんのようだ」

「ふっ、私はサメを愛し、サメに愛された女、掴みとるのは最良の結果」

「なるほど、ふかしじゃないみてぇだ。おもしれ――ああ、坊ちゃん残念だね。そっちの箱から好きなお菓子を取ってくれ、特別に2個とっていいぜ――っと、失礼。おもしれぇお客さんだ」

 

 どうもノリのいい店主らしく、リョウの発言に乗っかってくれて互いにけん制し合うような空気を醸し出していた。

 

「言っとくが、うちは優良店よ。特賞だってちゃんと入ってらなぁ……だが、その分サメの数も桁違いよ。店主のワシでさえ、特賞がどこにいるかは分からねぇ……アンタに見つけられるかな?」

「……やってやるさ、勝負だ」

 

 傍目に見れば茶番のようなやり取りをしたあとで、リョウはお金を支払って釣竿を受け取った。他の面々も同じようにお金を支払って釣竿を受け取り、サメ釣りを楽しむ。

 リョウが最初に行ったのは「見」だった。すぐに動くのは素人……熟練はどこにいい景品があるか、店主の思惑を読み取る精神的な駆け引きを挟む。

 昨今のネット社会を考えれば、当たりを入れないというのはそれなりにリスクがある行為だ。自ら優良店で特賞も入っていると宣言する以上、このサメの海の中に特賞はある。

 

 商品棚を見てみれば、特賞の場所にはゲーム機などの高価な景品が並んでいて、その中から好きなものを選べる仕組みになっている。

 だが、果たして並べている商品の数だけの特賞があるかと言われれば……それは否だろう。おそらくはあったとしても特賞は1つか2つと見るべきだ。

 そして特賞が豪華な景品である分、それ以下の景品はやや控えめで、特賞に次ぐA賞も水鉄砲など高くても2000円に届かないぐらいの品が並んでいる。

 

「このシャークオーシャンのどこかに、当たり……研ぎ澄ませ」

「なに言ってんの、リョウ?」

「虹夏、特賞はどこにあると思う?」

「え? 普通に下の方じゃないの? あの辺りの取りにくそうな場所とか……」

「そうかもしれない。でも、そう考えることを見越して、普通ならスルーするであろう取りやすい場所に置いている可能性も……いや、完全にランダム配置しているかもしれない」

「……まぁ、楽しそうなのはいいけど、あんま時間かけずに釣りなよ……よっと、釣れた。えっと……6等?」

「おや、残念。そっちのお菓子の入った箱から好きなものを選んでくれ、2個までなら目を瞑るぜ」

 

 迫真の表情を浮かべるリョウに呆れつつ、虹夏はサッと目に付いたサメを釣り上げる。残念ながら外れであるお菓子2個だったのだが、まぁこういうものだと分かっているのか、特に気にした様子はない。

 

「くっ、時間制限か……これ以上は迷っていられない! アレだ!」

 

 虹夏が釣り上げ、後ろに居た喜多に交代しているのを見て、リョウは若干の焦りを感じつつ視線を動かした。屋台のスペースの関係、他の客も居ることを考えると全員が一緒に釣りをすることはできず、ある程度順番待ちになるのでこれ以上時間はかけられない。

 すると直後に、1匹のサメが輝いているように見えた……もちろん目の錯覚である。しかし、リョウは己の感性を疑わず気迫と共に糸を垂らしてサメを釣り上げた。

 

「お、4等だね。そっちにかかってるおもちゃから好きなの選んでくれ」

「むぅ、残念」

「いや、そりゃそうそう当たらないって」

 

 リョウの結果は4等であり、悪くはないが良くもないといった感じだった。不満そうな表情を浮かべつつおもちゃを選ぶリョウに、虹夏が苦笑を浮かべる。

 そして喜多も6等を引き、リョウとそれぞれ有紗とひとりに交代する。有紗とひとりは特にどこかを狙ったりすることはなく、適当に糸を垂らしてサメを釣り上げていた。

 

「……おや?」

「おいおい、お嬢ちゃん、特賞じゃねぇか!? 大した幸運だ!」

 

 そして、有紗があまりにもあっさりと特賞を引き当てた。

 

「有紗ちゃん凄いじゃん!」

「……この手の屋台で特賞が出るの初めて見たわ」

「有紗、運までいいって、チート過ぎるだろ……」

 

 特賞が出たことで賑やかになる周囲を見て有紗は苦笑を浮かべる。屋台の店主としては特賞を引かれたのは痛いが、それでもちゃんと特賞があるとそれなりの注目度で周囲に伝わったので、挑戦者は増えるであろうことを考えると、そこまで悪くはなかった。

 

「あっ、有紗ちゃん。凄いです。どっ、どれにするんですか?」

「……う~ん。私にはこれと言ってほしいものが無いので、ひとりさんが選んでくれませんか?」

「え? あっ、えっと……じゃっ、じゃあ、トゥイッチとか……」

 

 特賞を選ぶ権利を託されたひとりは、とりあえず無難に人気ゲーム機を選んだ。そのうち有紗と一緒に遊べたらいいなぁと、そんなことを考えつつ……。

 

 

 




時花有紗:元々運がいいのと、別に特賞を欲しいとかそういう欲もなく普通に釣った影響か、一発で特賞を引き当てた。特賞はあとでひとりにあげようと思っていて、ひとりが欲しいものを選んでもらった。

後藤ひとり:有紗と一緒だと楽しいぼっちちゃん。ちなみにくじの結果は3等で有紗を除けば一番よかったりする。有紗と一緒に居ることで幸運値も上がっているのかもしれない。

世界のYAMADA:サメに理解のある女。サメに愛されているかどうかは別問題だし、海でサメの浮き輪見て猛烈な勢いで逃げるぐらいにはビビり。


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七十四手昵懇の一時休息

 

 

 結束バンドの皆さんとの夏祭りは、騒がしくも非常に楽しいです。サメ釣りで手に入れたゲーム機は、持ち歩くには大きく重かったので、帰りが混み合った時のためにと近場に来てもらっていた運転手にお願いして預かってもらいました。

 その後は改めて夏祭りを楽しんでいたのですが、少々困ったことが発生しました。

 

「……完全にはぐれてしまいましたね」

「そっ、そうですね。見当たりませんね」

「とりあえず、ロインで連絡を取ってみますか……」

 

 ひとりさんと一緒に綿菓子を屋台で購入していたのですが、その際に事前に虹夏さんたちには断りを入れて買いに行ったのですが、どうも運悪く夏祭りのイベントの時間と重なったみたいで大きな人の移動があり、虹夏さんたちが人波に流される形で移動してしまったようでした。

 ロインで連絡は可能ですが、果たして合流ができるかどうか……。

 

『あ~ごめんね。人が多くて合流は難しいかなぁ。うん、ホントウダヨー。別に、胸焼けするとか綿菓子食べなくても口が甘いとかそういうことじゃないけど……』

『とりあえず、こっちはこっちで楽しむから有紗ちゃんとひとりちゃんもお祭りを楽しんで、後で合流できそうなタイミングで合流しましょう』

『存分にいちゃつくといい』

 

 やはり合流は難しいみたいで、一旦3人と2人に分かれて夏祭りを周って、どこか合流できそうなところで合流する形に決まりました。

 私としては不満は一切ありません。むしろ、降って湧いた幸運とすら言えますね。

 

「ひとりさん、そういうわけなので、しばらくは私とふたりでお祭りデートをしましょう」

「あっ、はい……え? いっ、いま、デートって言いました?」

「デートです!」

「……あっ、はい。デートです。じゃ、じゃあ、とりあえず綿菓子食べながら移動しましょうか?」

「ええ、ですがその前に……」

「ひゃっ!? ちょっ、あっ、有紗ちゃん!?」

 

 偶然とはいえひとりさんとデートする機会が訪れたのですから、相応の形に移行しようと思います。とりあえず繋いでいた手を指を絡めるような、いわゆる恋人繋ぎと呼ばれる形にします。

 

「あっ、あの、なんで急に握り方を変えたんですか?」

「デートですし、私がやりたかったからですね」

「あっ、駄目だこれ、デートの一言で全部押し切ろうとしてるし、たぶん全部押し切られる」

 

 ひとりさんは少し慌てたような表情を浮かべたものの、すぐにどこか諦めた表情に変わって苦笑を浮かべました。そしてそれ以上なにかを言うことはなく、ギュッと手を握り返してくれました。

 絡めた指がより密着感を高め、ひとりさんと手を繋いでいるという実感を強めてくれます。やはりこれは大変に幸せですね。

 

「それでは、ゆっくりと見て回りましょうか、ひとりさんはなにか希望はありますか?」

「あっ、はい……そうですね。綿菓子食べ終わったら……たっ、たこ焼き食べたいです。ひとつは多いので、ふたりで分けて食べましょう」

「そういえば、前に花火を見た時も一緒にたこ焼きを食べましたね」

「あっ、そっ、そうですね。まだ1年ほどしか経ってないはずなのに、もう結構懐かしいです。あっ、有紗ちゃんといろいろやってるおかげかもしれませんね。ちゅっ、中学の頃とかあまりにも思い出が少なくて、懐かしさはあまり感じませんでしたし……」

 

 たしかに、以前に一緒に花火を見たあとにもいろいろありました。江の島に行ったり、文化祭があったり、旅行に行ったり……そう考えると、確かに花火大会は懐かしいという印象がありますね。

 

「花火もいいかもしれませんね。今日は、花火はありませんが……打ち上げ花火とかではなく、手持ちの花火をふたりで遊んだりできると楽しそうですね」

「あっ、そっ、それ、楽しそうです」

「また花火ができる公園などを調べておくので、一緒にやりましょう」

「はい!」

「それに、また一緒に旅行にも行きたいです」

「りょっ、旅行ですか? 夏だと、どこになるんでしょう?」

 

 実際夏休みにひとりさんと旅行に行きたいというのは前々から考えていました。時期的には未確認ライオットのファイナルステージが終わったあとぐらいですかね。

 

「定番はやはり海か山……高原などの涼しい場所ですね。軽井沢はどうですか? 高原で避暑地としても有名ですし、私は軽井沢にはそれなりに伝手が多いので、宿などの確保も簡単ですからね」

「かっ、軽井沢……なっ、なんかお洒落な場所って感じがしますね。あっ、でっ、でも、有紗ちゃんとの旅行は楽しかったので……まっ、またいきたいとは、思ってました」

「ふふ、そう言ってもらえると私も嬉しいです。では、計画を建ててみますね」

「あっ、はい……えへへ……その……えっと……楽しみです」

 

 そう言ってはにかむ様に笑ったひとりさんは、少しだけ手を握る力を強めてから軽くもたれかかる様に身を寄せてきました。

 その可愛らしい仕草と温もりに、再び心が幸福に包まれるのを感じて、私も笑顔を浮かべました。

 

 

****

 

 

 図らずもひとりさんと夏祭りデートをすることになりましたが、人が多い状況でゆっくりできるかと言われれば難しいです。

 幸いひとりさんの希望はたこ焼きなので、たこ焼きを買ったあとは少し露店の並ぶエリアから離れて食べることにしました。

 人が比較的少ない場所に移動して、たこ焼きを食べる段階になってひとりさんが若干戸惑ったような表情を浮かべます。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? 手を繋いだままでは、食べられないのでは?」

「大丈夫です。ひとりさん、空いてる方の手で容器を持ってください」

「え? あっ、はい。こうですか?」

「はい。そして私の方も手が片方空いているので……」

 

 ひとりさんが容器を手に持ち、私がたこ焼きをひとりさんの口に運ぶ……これで問題ありません。

 

「はい。あ~ん」

「あえ? あっ、そっ、そういう感じで……」

「熱いので気を付けてくださいね」

「あっ、はい……あむ」

 

 ひとりさんがたこ焼きをひとつ食べたあとは、私も自分の口にたこ焼きを運んで食べます。この繰り返しで半分ずつたこ焼きを食べれますし、必然的に距離も近くなるので素晴らしいです。

 そのままたこ焼きを1パック食べ終え、ゴミをゴミ箱に捨ててからひとりさんに声をかけます。

 

「ひとりさん、次はどうしてますか? せっかく少し人の少ないところに来ましたし、軽く休憩していきますか?」

「あっ、そっ、そうですね……ちょっと、有紗ちゃんとゆっくりしたいかもしれません」

「では少し……あ、丁度向こうのベンチが空きましたね。あそこに座りましょう」

 

 偶然にも丁度良いタイミングで近場のベンチを利用していた方が立ち上がったので、私とひとりさんは並んでベンチに座って休憩することにしました。

 もちろん手は恋人繋ぎをしたままですので、肩が触れ合う様な形です。この距離感が本当に素晴らしいですね。

 

「あっ、有紗ちゃん、楽しそうですね」

「はい。ひとりさんとこうやって隣同士に座っているのも、一緒に休憩しているのも……些細なことでも本当に楽しいですよ」

「……あっ、そっ、その気持ちは分かる気がします。別に何もしていないはずですけど、なんか、楽しいです」

「はい。そう思えるのは、実際凄く幸せかもしれませんね」

 

 特別なにかをするのももちろん楽しいです。ひとりさんと一緒に夏祭りを周るのも、出店で買った食べ物を一緒に食べたり、遊んだりも楽しいですが、それに負けないぐらいこうして何もせずにただ一緒に居るだけの時間も楽しいと思える。それは本当に得難く、どうしようもないほどに幸せなことでしょう。

 

「というわけで、ひとりさん。ひとつやりたいことがあるのですが、いいでしょうか?」

「なっ、なにがというわけなのかさっぱり分かりませんけど……なっ、なんですか?」

「ひとりさんにもたれ掛かってもらいたいんです。こう、丁度私の肩に頭を乗せる感じで……」

「えぇぇぇ、そっ、そそ、そんな恥ずかしいことを……こっ、ここで?」

 

 いえ、本当に思いつきではあるのですが恋愛映画などでそういったシーンがあります。私がもたれ掛かるという手もあるのですが、生憎と身長差を考えると私がもたれ掛かるより、ひとりさんがもたれ掛かってくれた方が姿勢に無理がないです。

 そのことを伝えると、ひとりさんは顔を赤くして迷うような表情を浮かべましたが……しばらく考えたあとで、ため息を吐いて口を開きました。

 

「……はぁ、こっ、こうですか?」

「あ、はい。そんな感じで、グッともたれ掛かってください」

「こっ、これ以上に!? うぅぅ、もっ、もぅ、本当に恥ずかしいんですからね……まったく、有紗ちゃんは……」

 

 若干呆れたように呟きながらも、ひとりさんは私の要望通りに私の肩に頭を乗せてもたれ掛かってくれました。ひとりさんの髪が首に微かに触れ、心地よい香りと共に温もりを感じます。

 手、腕、肩、首と……ひとりさんが密着してくれているのが伝わってきて、なんとも言えない幸福感があります。

 

「思い付きではありましたが、これは想像以上の幸福感がありますね。定期的にやりたいぐらいです」

「てっ、定期的は駄目です……けっ、けどまぁ、その……私も安心できますし……えと……たまになら……」

 

 そう告げたあとで、ひとりさんは心地よさげに目を閉じました。祭りの喧騒を不思議と遠く感じるような、いまこの瞬間だけは私たちふたりだけが世界から切り離されたような、そんな不思議な感覚でした。

 少なくともこれでもかというほど、ひとりさんとふたりの時間を満喫できているので……本当に幸せでたまりません。

 

「う~ん。困りましたね。これはちょっと幸せ過ぎて、しばらくこのままで居たくなってしまいますね」

「あっ、えっと……別にいいんじゃないですかね? あっ、その、今日はリフレッシュが目的ですし……もうしばらく、こうしてましょう」

「そうですね。しばらくこうしてのんびり過ごして、互いの気が向いたらまた祭りを見に行きましょう」

「……はい。それも……楽しみです」

 

 そう言って微笑むひとりさんの笑顔はなんだか幸せそうで……私と同じ気持ちを感じてくれているのが伝わってきて、既に幸せでたまらなかったのに、またより一層幸せな気持ちになれました。本当に、好きな人と過ごす時間というのは素晴らしいものです。

 

 

 




時花有紗:ふたりきり、一考に問題なし。むしろデートが始まったと喜んで、ぼっちちゃんといちゃいちゃし始めた。

後藤ひとり:なんかだんだんと、有紗ちゃんを恋愛対象として意識してきてる雰囲気が現れている。イチャラブ旅行の約束をした。

チベット3人衆:思った以上にいちゃつくので、偶然の状況にこれ幸いと別行動を開始。

タイミングよく席を譲った人:……百合の前に障害があってはならない。


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七十五手誤解のハプニング

 

 

 サードステージであるライブ審査も突破し、気分転換もしっかりと行い未確認ライオットのファイナルステージに臨む下準備は順調です。このまま一気にファイナルステージまで一直線……とは、残念ながらいきません。

 バンドのことも大事ですし、未確認ライオットも非常に重要ですが……夏休みの学生として、それだけをやっているわけにも行かないというのも事実です。

 

「あっ、有紗ちゃん、ここは?」

「そこはですね。こちらで使った公式を応用して……」

 

 現在私はひとりさんの家で、ひとりさんと一緒に夏休みの課題を行っていました。ひとりさんが分からない場所は教えつつ、私も自分の課題を行う形です。

 明日は朝からみっちりスタジオ練習の予定なので、今日のうちにしっかり課題を勧めておきたいところということもあり、ひとりさんと一緒に行っています。

 

「やっ、やっぱり、有紗ちゃんは教え方が上手いから、私ひとりでやるよりサクサク進みます」

「助けになれているならよかったです。ですが、ひとりさんも自力で大半の問題は解けてますし、かなり学力が付いていると思いますよ」

「えへへ、そっ、そうですかね? でっ、でも、確かに前よりは授業とかでも分からないことが少なくなってますし、小テストとかもそこそこ点が取れるようになりました。あっ、有紗ちゃんのおかげですね」

「そう言ってもらえると私も嬉しいです。このペースで行けば、8月の上旬には終わりそうですね」

 

 ひとりさんの高校はそこまで課題の量は多くないですし、ひとりさんもこうして一緒に行う時以外もコツコツ進めているので、練習やアルバイトを考慮しても8月の頭頃には終わりそうです。

 そうなると未確認ライオットにも気兼ねなく挑めますし、ファイナルステージが終わった後の8月後半は夏休みを満喫できるでしょう。私も問題なく課題は終わるので、旅行は8月中旬~下旬を目処に考えておくのがいいかもしれません。

 

 そんなことを考えながら勉強を勧めていると、ノックの音共にひとりさんの部屋の扉が開きお義母様がいらっしゃいました。

 

「ふたりとも、頑張ってるわね。スイカ持ってきたから、よかったら食べてね」

「ありがとうございます、お義母様……では、せっかくですし少し休憩しましょうか?」

「あっ、はい。そうですね」

 

 軽く勉強用具を片付けてどかしてから、ひとりさんと一緒にスイカを食べながら休憩します。最近はずいぶんと暑くなってきましたので、よく冷えたスイカはとても美味しいです。

 

「あっ、なっ、なんか、スイカを食べると夏だ~って感じがしますね」

「そうですね。夏の風物詩ですね。最近はかなり気温も高くなってきましたし、とても美味しく感じますね」

「でっ、ですね。けど、こうやって、有紗ちゃんと一緒に旬のものを楽しめてるのは、なっ、なんか嬉しいです」

「それは私も同じ気持ちですよ。そういえば、去年の今頃は初ライブ前で忙しくしていて、こうしてのんびりする時間は少なかったですね」

 

 思い返してみれば、ちょうど1年前となると8月に行う初ライブに向けて頑張っていた頃です。丁度私がひとりさん以外の結束バンドの皆さんと顔を合わせたのも、この時期でしたね。

 

「あっ、そういえば、そうでしたね。いっ、いまはいまで未確認ライオットに向けて頑張ってるので、ある意味ではちょっと似ていますね」

「そうですね。状況まで似てしまわないことを祈りたいですね。特に台風とか……」

「たっ、確かに、あの時みたいに台風が来るのは勘弁してほしいですね。やっ、野外ステージですし……」

「野外ステージというと、やはり音の聞こえ方も室内とは違ってくるのが難しいところですね。かといって、野外ライブの練習ができる場所というのも限られますし……」

「ろっ、路上ライブである程度は感覚を掴んでいますけど、設備とかも違いますし音の感じは変わってきそうですね」

 

 ライブハウスなどと比べると、どうしても音の反響の仕方などが変わってくるので、同じ演奏でも聞こえ方も変わってきます。そういう意味ではひとつ大きなハードルと言えるかもしれません。

 ただ、そもそも10代のバンドで野外ライブを経験しているというバンド自体が少ない筈なので、条件としては他の参加者も同じでしょう。

 

 そんな風に未確認ライオットの話をしつつ、スイカを食べて終えたタイミングで、不意にひとりさんが声を上げました。

 

「あっ、つっ……」

「ひとりさん?」

「目にゴミが……」

「あまり擦ってはいけません。見せてください」

 

 どうやら目にゴミが入ったらしく、ひとりさんが手で目を擦っていましたのでそれを止めます。目を擦ると目の表面に傷ができ角膜びらんや結膜浮腫になる可能性がありますので、ゴミを取るにしても清潔な布やタオルを湿らせて軽く押し当てたりする方がいいです。

 ひとまず、ひとりさんの手を軽く押さえつつ顔を覗き込みます。

 

「痒いとは思いますが、少し我慢してくださいね」

「あっ、はい」

 

 ひとりさんの目を覗き込んで見てみますが、ゴミらしきものは見当たりません。おそらく最初に擦った時に取れたのでしょう。

 これなら目のかゆみを抑えるために一度顔を洗ってタオルを軽く押し当てたりするのがいいですね。もし目薬があるようならそれを使うのもいいです。

 ひとまず問題なさそうだとそう伝えようと口を開きかけた瞬間、ひとりさんの部屋の戸が勢いよく開かれる音が聞こえました。

 

「有紗お姉ちゃーん! お母さんが、今日晩御飯食べていくか聞いてきてって……」

「「あっ……」」

 

 戸を開けて元気よく笑顔で現れたふたりさんは、私とひとりさんを見てピタッと動きを止めました。その理由はなんとなく察することができます、顔が動かないようにひとりさんの頬に軽く手を当て、目のゴミを確認するため顔を近づけている状態は、角度も相まってふたりさんの目にどう映るかは想像するのは難しくありません。

 実際ひとりさんも私と同じ考えに行き着いたのか、目の痒さも忘れた様子で表情を青ざめさせながら口を開きます。

 

「あっ、ふっ、ふた――」

 

 ですが、ひとりさんが言葉を発するより早くふたりさんはピシャっと音がする勢いで戸を閉めました。そして直後に大きな声が聞こえてきます。

 

「おかーさん! おとーさん! お姉ちゃんと有紗お姉ちゃんがちゅーしてた!!」

「うわぁぁぁぁぁぁ!? ふっ、ふたり!!」

 

 予想通りの誤解をしていたふたりさんを追って、ひとりさんが真っ赤な顔で叫びながら部屋を飛び出していきます。なんともお約束といえる展開に思わず苦笑してしまいつつも、私もひとりさんを追って部屋を出て1階に向かいます。

 リビングの扉に近付くと、既に辿り着いているひとりさんと家族のやり取りが聞こえてきました。

 

「だっ、だだ、だから、誤解だから!!」

「ひとりが、ついに……大人の階段を」

「あらあら、今夜はお赤飯ね」

「だからぁぁぁぁ!!」

 

 リビングに入るとニコニコと楽し気なお義父様とお義母様が居て、ひとりさんが赤い顔で必死に訴えている状態でした。

 ただ、おふたりの表情を見る限り……これはおそらく誤解と分かった上で楽しんでいる感じがしますね。

 

「おぉ、有紗ちゃん。式はいつごろの予定かな?」

「お父さん!!」

「そうですね。やはり、なんだかんだで高校は卒業してからの方がいいのではないでしょうか? 学生結婚というのにも憧れが無いわけではありませんが、あまり急ぎ過ぎてもよい結果にはならないでしょう」

「有紗ちゃんは有紗ちゃんでなに言ってるの!?」

 

 即結婚も素晴らしいのですが、恋人同士という期間も楽しみたいという思いはあります。理想としては1年ぐらいは恋人同士での交際を楽しみ、そこから結婚という形がいいですね。

 まぁ、お義父様の発言に乗っかっただけではありますが、私の中では確定した未来なので、時期はともかくいずれ必ず……。

 

「ひとりさん、おそらくですがお義父様もお義母様も誤解と分かった上で発言していると思いますよ」

「…………え?」

「あ~ネタばらしが早いわよ、有紗ちゃん」

「もう少し、ひとりの可愛い反応が見たかったなぁ」

「申し訳ありません。ですが、私はひとりさんの味方ですので」

 

 唖然とするひとりさんにお義母様とお義父様が苦笑を浮かべます。ひとりさんはようやくおふたりに揶揄われていたことに気付き、赤い顔をさらに真っ赤にしてわなわなと震えていました。

 するとそこでふたりさんが、なにやら明るい笑顔を浮かべながら口を開きました。

 

「ふたり知ってるよ、お姉ちゃんは、有紗お姉ちゃんのことを大好きなんだよね~」

「だっ、だだ、大好きって……そっ、そそ、それはあくまで友達として好きなのは、そうだけど……」

「え~でも、前にお姉ちゃん、有紗お姉ちゃんをイメージして歌詞を書いて、自分でこれじゃ――むぐっ!?」

 

 なにかを言いかけていたふたりさんでしたが、ひとりさんが過去最速ともいえる動きでふたりさんの口を手で塞いだので最後まで聞き取れませんでした。

 そのまま私たちから大きく距離をとったひとりさんは、しゃがんでふたりさんの目線に合わせながら何かを話している様子でした。

 

「余計なこと言わないで」

「でも前に、お姉ちゃんが自分で『これじゃまるでラブソングだ』って言ってたんだよ?」

「ふたり……いい? 絶対そのことは言わないで……お姉ちゃんも、本気で怒る時はあるんだからね?」

「……う、うん。分かった言わない」

 

 距離があるせいか会話の内容は聞き取れませんでしたが、珍しくふたりさんがひとりさんの迫力に圧されている様子でした。

 私をイメージした歌詞という単語は気になりましたが、明確にひとりさんが知られることを嫌がっている様子なので、特に言及したりするつもりはありません。

 

 結局その後は他愛のない雑談をしたあとで、私とひとりさんは部屋に戻って課題の続きをすることになりました。ただ、そのあとでご馳走になった夕食が本当に赤飯だったのは……お義母様の冗談なのか、それとも本気なのかは悩むところでした。

 まぁ、将来の祝福を早めに受け取ったと考えれば問題はありませんね。

 

 

 




時花有紗:相変わらずメンタルは強い。ぼっちちゃんとの将来設計はいろいろなパターンを考えている様子だが、せっかくなので恋人期間も楽しみたいと思っている。

後藤ひとり:恋愛度あがってきたぼっちちゃん。以前に有紗をイメージして作詞してみようと考え、実際にやってみると歌詞はスラスラとあっという間に書きあがったのだが……読み返してみれば完全にラブソングだったので、全力で封印した。

後藤ふたり:実は原作よりひとりと仲が良い。ひとりが精神的に成長していることもあって、いまのお姉ちゃんは結構カッコよくて好きと思っていたりするし、最近は幽霊扱いとかもしていない。


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七十六手一同の有紗宅訪問~sideA~

 

 

 未確認ライオットのファイナルステージに向けて、結束バンドは今日もしっかりと練習をしています。星歌さんも応援してくれているみたいで、STARRYの練習スタジオを優先して貸してくれていることと夏休みなのも相まって練習できる時間は増えています。

 ただ、逆に練習をし過ぎてしまうという事態にも繋がりかねませんので、その辺りは私が適度に休憩を提案するのがいいでしょう。

 

「皆さん、飲み物を買ってきたので、少し休憩しませんか?」

「あっ、はい」

「そうだね。じゃ、ちょっと休憩しよっか」

 

 適度なタイミングで声をかけると、皆さんも軽く片づけをして休憩に応じてくれます。ひとりさんが近づいてきたので、用意しておいたタオルを手渡しながら声をかけます。

 

「お疲れ様です、ひとりさん」

「あっ、ありがとうございます……あっ、有紗ちゃんも買い物お疲れ様です。暑くなかったですか?」

「やはり日差しはかなり強いですね。天気がいいのはいいことではありますが、やはり蒸し蒸しとした暑さはありますね」

「相変わらずの子犬感で和むよね」

「ぼっチワワ……」

 

 そのまま隣に座ったひとりさんと、軽く雑談をしていると他の皆さんもこちらに近づいて来て、思い思いの形で休憩を始めます。

 練習は順調ではあります。劇的な成長や進化は無くとも着実に積み上げるように実力は上がっています。これならファイナルステージでもいい結果を期待できそうです。

 

「練習はいい感じですね。確実に実力が上がっている気がしますね」

「あっ、はい。いい感じにやる気が上がってきてる気がします。けっ、けど、やっぱりファイナルステージは強敵揃い、ですよね?」

「ええ、皆さん各地区のステージ審査を突破してきた実力者ばかりですからね。ですが、結束バンドも決して負けているわけではありませんよ。気圧されずに頑張りましょう」

「あっ、はい!」

 

 未確認ライオットの公式ホームページにある通過バンド一覧を確認してみたところ、やはりというべきかネット審査トップ5は全組通過していましたね。それ以外では数組10位以下だったバンドが通過していましたが、やはりある程度はネット審査の上位陣が出てきた印象でした。

 MVも一通り確認しましたが、やはり決勝まで進むだけあって実力者揃いといった印象で、一概にどこが上とは断定しきれませんでした。

 どんな結果になるかは読み切れませんが、あまり気にし過ぎても逆効果です。楽観視は駄目ですが、肩に力が入ってしまわないようにある程度は気楽に考えておくべきですね。

 

 そんなことを考えていると、不意にまったく関係ないことが頭に思い浮かびました。未確認ライオットとはなにも関係ない個人的な話ですが、中元の品をそろそろどうにかしなければいけないです。

 するとそんな私の表情の変化に気付いたのか、ひとりさんが少し心配そうに声をかけてきました。

 

「……あっ、有紗ちゃん? なっ、なにか悩み事ですか?」

「ああ、いえ、未確認ライオットとは関係ない個人的な話なんですが……お中元で貰った品が多くて、食品類などは賞味期限もあるのでそろそろどうにかしなければと思っていたところです」

「あっ、お中元、ですか? お父さんのところに1つか2つ届きますけど、有紗ちゃんだとかなり多そうですね」

「そうですね……いっぱいあります……本当にいっぱい」

「……そっ、相当にありそうですね」

 

 実際お父様やお母様に及ばずとも付き合いはそれなりに多いので、中元や歳暮といった際には相当の数の品々が届きますし、私もかなりの数を贈ります。少なくとも私個人で消費するのはほぼ不可能と思える量が届きますし、お父様やお母様の元に届くものも合わせるとその量は凄まじいです。

 使用人の人たちに配ったりもするのですが、それでもまだまだ大量に余っている現状なので、知り合いなどに配って対処したいところです。

 そう考えていると、なにやら目を輝かせたリョウさんがこちらに近付いて来ました。

 

「……仲間である有紗が困っているなら、私はいくらでも力になる」

「リョウは、食べ物欲しいだけでしょ……なんて分かりやすい反応」

「本当ですね」

 

 リョウさんに続き、虹夏さんと喜多さんも近づいて来て会話に加わりました。ですが正直に言って、リョウさんの言葉はむしろありがたいです。

 

「いえ、単純に助かります。本当に数が多いので……よろしければ、皆さんもいくらか貰ってくれませんか?」

「え? それは嬉しいけど、どんなのがあるんだろ? うちにお中元とかって届かないから、あんまりイメージが……」

「私のうちにはサラダ油が届いていたような?」

 

 虹夏さんはあまり中元については目にした機会がない様子です。まぁ、最近では中元や歳暮を贈ったりしないという人も増えてきていますし、中元をあまり見たことがない日という人も増えているのかもしれませんね。

 

「……それでしたら、皆さんよろしければ今日の練習が終わったあとにうちに来ませんか? そこでお中元の品を見てもらって、持って帰れそうなものがあるなら持って帰っていただく形でいかがでしょう?」

「え? 有紗ちゃんの家……滅茶苦茶興味あるし、行きたいね」

「……ただ、ちょっと恐ろしくもありますよね」

 

 虹夏さんたちを家に招いたことは無かったので、ある意味では丁度いい機会と言えるかもしれません。迎えの車を5人乗れるものに変えて貰えば招待するのは簡単ですし、じいやに一報入れておけば中元の品を一部屋に纏めてくれるでしょう。

 

「ぼっちは行ったことあるんだよね? どう? 凄い?」

「……すっ、凄いです」

 

 とりあえず、練習が終わったあとに皆さんを招待するのは問題なさそうなので、さっそくじいやに連絡を入れておくことにしましょう。

 

 

 ****

 

 

 練習が終わった後、迎えのリムジンに乗って移動して家に到着しました。玄関の前で車から降りると、虹夏さん、リョウさん、喜多さんは家を見上げて呆然とした表情を浮かべていました。

 

「……え? なにこれ? ここ、都内だよね?」

「そ、想像していたよりもかなり凄い家が……や、やっぱり桁違いのお金持ちなんですね」

「ドーベルマンとか居そうな庭……」

「あっ、なんか、皆さんの反応が懐かしいです。わっ、私も初めに来た時そんな感じでした」

 

 実際に都内では最大規模の邸宅といっていいでしょうし、皆さんが驚く気持ちも分かります。家に関しては別に私が凄いのではなく、お父様が凄いのですが……。

 そのあとでひとりさんの時と同じく軽くゲストハウスやガレージを説明したあとで室内に入ります。じいやからは事前に中元の品は第3広間に並べてあると連絡を貰っているので、そちらに移動します。

 

「お、おぉ……に、虹夏、気を付けて……迂闊になにか壊したら、借金地獄だ」

「リョウ、ビビり過ぎだって……いや、気持ちは分かるんだけどね」

 

 廊下には絵画や陶磁器を飾っているからでしょうか、リョウさんが周囲を警戒するようにビクビク歩きつつ、虹夏さんの肩に掴まっており、虹夏さんも呆れた表情を浮かべつつも引き離したりはせずに歩いています。

 対照的に喜多さんは目を輝かせて、絵画や陶磁器を眺めていました。

 

「有紗ちゃん……写真撮っていい!? 映えが凄そうだし!」

「かまいませんよ」

「ありがとう! この絵だと、この角度……あ、いや、もうちょっと下の方から……」

「あっ、きっ、喜多ちゃん輝いてますね。映えモードに入っちゃった」

「ふふふ、なんとも喜多さんらしいですよね」

 

 ひとりさんは何度も私の家に来ていることもあって慣れた様子で、写真を何枚も撮っている喜多さんを見て苦笑を浮かべていました。

 

 そんなこともありつつ、中元の品が並べてある広間に辿り着くと……さすがじいやというべきか、ズラリと綺麗に並べられた中元の品々は見やすくて素晴らしいです。

 蓋を開けて並べられているので中身を確認しやすく、種類ごとに分けている様子なのもありがたい気遣いですね。

 

「なにこれ、デパートの中元コーナーか? 有紗凄すぎるだろ……え? これ、好きなの持って帰っていいの?」

「ええ、もちろん。持ち帰り切れなければ自宅に送らせていただきますので、好きなだけ選んでください。ただ、食品などは賞味期限には注意してくださいね」

 

 もちろん食べ物もありますが、日持ちするゼリーや焼き菓子、ジュースや麺類もあるので種類は本当に豊富です。肉類はハムなどが中心ですね。和牛のギフトなどもあったのですが、そちらは日持ちしないので既に配ったり食べたりしました。

 

 自由に見てもらって大丈夫と話すと、皆さん興味のあるものに移動しました。リョウさんは言わずもがな食品類を見ており、虹夏さんは調味料などのギフトを興味深そうに見ていました。喜多さんは、ソープやバスギフトに興味がある様子です。

 

「……ほっ、本当に凄いですね」

「ひとりさんも、好きなものを持って帰ってくださいね」

「あっ、はっ、はい。あっ、でっ、でも、よく分からないところもあるので……あっ、有紗ちゃんも一緒に見ませんか? あっ、いや、有紗ちゃんは見慣れてるかもしれませんけど、私はよく分からないので教えてもらえたら嬉しいですし、一緒に居たいですし……」

「ええ、では一緒に見て回りましょうか?」

「あっ、はい!」

 

 ひとりさんと一緒に中元の品を見て回ります。不思議なもので、私としては見慣れている中元の品々も、ひとりさんと一緒に見るとなんだか新鮮で楽しい気がしました。

 

「あっ、これ、凄くお洒落ですね。綺麗な瓶が何種類も」

「これは少し珍しくて、海外のいろいろな地方の塩の詰め合わせですね」

「あっ、塩なんですね。へぇ……あっ、こっちの桐箱入りのは?」

「それは水ようかんですね。京都の老舗のものです」

「さっ、さすが、セレブ……どれも高品質な感じがして、凄いです。こっ、この瓶はお酒ですか?」

「ああ、いえ、それはアイスコーヒーですね」

「あっ、そうなんですね。瓶入りのコーヒーは初めて見ました」

 

 興味深そうな表情を浮かべるひとりさんを見ていると、こちらも楽しい気持ちになってきます。品物を説明すると驚いたり感心してくれるリアクションも愛らしいですし、やはりひとりさんと一緒だと些細なこともキラキラと輝いているように見えますね。

 

 

 




時花有紗:交友関係はかなり広く、中元も大量。まぁ、そんなことは関係なくいつも通りぼっちちゃんといちゃいちゃしていた。

後藤ひとり:休憩時間になるとススッと有紗の傍に寄っていく様は、まさにぼっチワワ。今回も例によっていちゃいちゃしていた。

伊地知虹夏:……今回はチベスナ顔をしていない……だと?


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七十六手一同の有紗宅訪問~sideB~

 

 

 有紗の家に招かれ余っている中元の品を譲ってもらうこととなった結束バンドのメンバーは、時間をかけて欲しいものを選び終えた。

 虹夏は調味料や洗剤などを中心に、喜多は化粧品を中心に、そしてリョウは……大量の食材を……。

 

「リョウ……遠慮って言葉、知ってる?」

「いえ、虹夏さん。本当に余って困っていたので、むしろ沢山もらってくださって助かります」

「ほら、有紗もこう言ってる。有紗のおかげで、私の食生活はしばらく安泰」

 

 リョウは本当に大量の食材を選び、もちろん地力で持ち帰ることなどはできないので配送の手続きをしてもらった。

 虹夏は呆れたような表情を浮かべていたが、有紗としては本当に処分に困っていたものなので、むしろ遠慮なく引き取ってもらえるのはありがたくもあった。

 

 有紗が穏やかに微笑みを浮かべていると、そこに使用人のひとりが近づいて来た。

 

「お嬢様……提案ですが」

「……はい。ああ、そうですね」

 

 使用人が何かを耳打ちすると、有紗は笑顔を浮かべて頷き、そのあとで結束バンドの面々の方を向いて口を開く。

 

「皆さん、せっかく来てくださったんですし、よろしければ夕食も食べていきませんか?」

「やったぜ」

「リョウ……う~ん、ありがたいけどいいの?」

「ええ、シェフも乗り気な様子で、腕によりをかけると張り切っているみたいです」

 

 優しい有紗は使用人からの人気も高いので、時花家の厨房を任されている料理長も「お嬢様のお友達が来ているのだから」とやる気を出しており、虹夏たちが了承すればすぐにでも人数分の調理に取り掛かる心づもりである。

 

「……個人宅の夕食の話題で、シェフって言葉が出てくるのは、もう本当に有紗ちゃんって感じよね」

「あっ、でも、有紗ちゃんの家の料理、本当にレストランみたいに美味しいですよ」

 

 圧倒されつつもさすがはセレブだという感じの表情を浮かべている喜多に対し、ひとりは何度も有紗の家に来て食事をしているので、周りと比べて落ち着いている様子だった。

 結局せっかくの申し出だからということで虹夏たちも夕食を食べることに同意し、準備ができるまでは有紗の部屋で過ごそうという話になり、有紗の部屋に移動する。

 

「……うぉぉぉ……こ、これ? 個人の部屋? 広すぎてもうどうリアクションとっていいか……というか、ぼっちちゃんの写真でっかっ!?」

「あの巨大なひとりちゃんの写真で、間違いなく有紗ちゃんの部屋だって理解できますね」

「というか……ぼっち水着じゃん」

「有紗ちゃん!? いっ、いつの間に、水着の写真に変えたんですか!?」

 

 有紗の部屋の広さに圧倒された3人だったが、それ以上に部屋にでかでかと額縁に入れて飾られているひとりの写真が目立っており、そちらに視線が向いた。

 ひとりの写真は、以前有紗とふたりでプライベートプールで遊んだ際に撮影したものであり、まさか自分の水着写真が飾られているとは思わなかったひとりは、一瞬で顔を赤くして有紗に詰め寄っていた。

 

「ああ、最近新しく中身を変えました。かなり綺麗に撮れていますよね。最近はスマートフォンの写真も画質がよくて素晴らしいですね!」

「そっ、そういう問題じゃなくて……あっ、ああ、あんな写真恥ずかしいじゃないですか……」

「眩しいほどに愛らしいと思うのですが……まぁ、ひとりさんが恥ずかしいようなら、裏返しましょうか」

「そっ、そうしてください。直ちに!」

 

 仮にこれが有紗とふたりきりであったなら「まぁ、いつも通りの有紗ちゃんか」とスルーしたが、流石に他のメンバーもいる場面で水着姿の巨大写真は恥ずかしすぎた。

 有紗もひとりが恥ずかしがっていることはすぐに察したのか、巨大な額縁に近付いて両手で額縁を持って裏返した。

 

「裏は浴衣ぼっちちゃんだった!?」

「まさかのリバーシブル!?」

「隙を生じぬ二段構え……流石、有紗」

「あっ、有紗ちゃぁぁぁぁん!!」

 

 額縁には裏表で別々の写真があったようで裏返すと今度は少し前に行った夏祭りの浴衣姿のひとりが映っていた。

 予想外の展開に顔を真っ赤にしたひとりが、今日一番の声量で叫んだのは言うまでもない。

 

 

****

 

 

 部屋に入ってすぐにひと悶着あったものの、とりあえず水着よりは浴衣の方がマシということで浴衣の写真の方にしたあとは、室内にあるソファーに座って使用人が持って来てくれた紅茶を飲みながら雑談をしていた。

 しばし他愛のない雑談をしたあとで、虹夏がふと気づいたように視線を動かす。

 

「あ、そういえばぼっちちゃんから聞いた演奏ルームはあっちだね。キーボードとかもそっちにあるんだっけ?」

「ええ、ピアノとキーボード、あとはギター用のアンプなどもありますね。まぁ、あくまでひとりさんとセッションするために用意しているだけなので、ベース用のものなどはないですが……」

「へぇ、じゃあ、仮にやろうと思えばすぐにでもひとりちゃんとセッション出来るんだ」

「そうですね。少し準備すればすぐに……」

 

 喜多が頷きながら告げた言葉を聞き、ひとりはパァッと表情を明るくして、期待するような目で有紗を見る。ひとりにとって有紗とのセッションはたまにしかできない、大好きな時間といえるものであり、もしかしたらセッションができるかもと期待に胸を膨らませていた。

 

(……私、ギター持って来てるし、時間はまだ結構あるし……セッション出来るんじゃないかな? 有紗ちゃんと一緒に弾きたい曲がいくつもあるし、今日はスタ練もそれなりにやったけどまだまだ元気だし……)

 

 たまたま目線を向けたリョウがひとりの背後に、散歩に行く直前の子犬を幻視した程度には期待に溢れた目だった。

 

「……とはいえ、夕食まであまり時間もないですし、それはまたの機会……」

「あっ……そっ、そうですよね」

 

 ひとりの視線に気づかないまま有紗が告げると、ひとりは目に見えてシュンとした表情に変わり、そこで有紗もひとりの様子に気が付いて慌てて言葉を付け足した。

 

「あ、夕食を食べた後にしましょうか! 遅くなれば、車で送りますし、ひとりさんさえよければですが……」

「あっ、やっ、やりたいです!」

 

 落ち込んでいた表情から一転、幸せいっぱいというオーラを出しながら頷くひとりを見て、虹夏たちも微笑まし気な表情を浮かべていた。

 そして、軽く顔を見合わせてアイコンタクトを交わしたあとで口を開く。

 

「……私たちは、あんまり遅くなるわけにはいかないし、夕食を食べたら帰ることにするよ」

「そうですね」

「というわけで、存分にふたりでいちゃつけ」

「いっ、いちゃつくとか、そういうのじゃないですから!!」

 

 どのみち全員で演奏するには機材も足りない状態であり、ひとりのはしゃぎようを見る限り演奏を始めれば、有紗とひとりがふたりの世界に入ってしまうのは察することができた。

 ならば邪魔をする必要も無いだろうと、そう考えて3人は早めに帰宅することに決めた。決して、胸焼けを恐れたわけでは無い。食後にはちょっとキツイかなぁと思ったわけでもない。

 

 

****

 

 

 有紗の家で驚くほど豪華な夕食を食べたあと、車で駅まで送ってもらい。虹夏たちもそれぞれの家に帰宅することになった。

 そして、下北沢駅からSTARRYに向かって歩く道の途中で、虹夏は呆れたように口を開く。

 

「……んで、なんでリョウはここに居るかなぁ?」

「お邪魔します」

「完全にうち来る気だし……なに、遊び足りないの?」

「いや、そうじゃなくて、もうSTARRYの営業は終わる時間でしょ?」

「そうだね」

「スタジオ空くでしょ?」

「……そりゃ、ね」

 

 虹夏の返答を聞いて、リョウはどこかからかうような笑みを浮かべる。そして、楽し気な様子で担いでいたベースの入ったケースを軽く掲げて告げる。

 

「というわけで、私たちもいちゃいちゃしようぜ」

「……ぷっ、あはは、そうきたかぁ……さては、有紗ちゃんとぼっちちゃんがセッションするって聞いて、自分も演奏したくなったな?」

「そうだよ、悪い?」

「まったく、昼間にあんなに練習したのに……けどまぁ、私も少しドラム叩きたい気分だったし……いちゃいちゃしちゃおっか~」

「そうこなくちゃ」

 

 営業終了したSTARRYのスタジオを借りてセッションしようというリョウの言葉に、虹夏は楽し気に笑ったあとで頷いた。

 たしかに虹夏も、有紗とひとりのセッションと聞いて以前に見た動画を思い出して、演奏したいという気持ちが湧き上がってきたのも事実であり、断る理由はない。

 

「けど、終電無くなっちゃうよ?」

「虹夏のベッドいいやつだから、問題ない」

「もうすでに泊っていく気だよコイツ……しょうがないなぁ」

 

 明らかに泊まっていく気のリョウに対し、虹夏は呆れたような表情を浮かべていたが……心なしかその姿は、楽しそうにも見えた。

 

 

****

 

 

 虹夏たちが帰った後は、約束通り有紗とひとりはセッションを行っていた。昼間の練習の疲れなど感じさせない様子で、ひとりは好調に演奏しておりその表情には笑顔が浮かんでいる。

 やはり彼女にとって有紗とのセッションは本当に楽しい時間ということもあって、疲れるどころか元気になるような感覚さえあった。

 

「あっ、有紗ちゃん、他にもやりたい曲があって……」

「ふふ、焦らなくても大丈夫ですよ。ひとりさんが満足するまで付き合いますから……もし時間が遅くなったら泊っていけばいいですしね」

「あっ、そっ、そうですね。正直、有紗ちゃんとセッションしてるとあっという間に時間が過ぎちゃって……あっ、それだけ楽しいってことなんですけど……だから、えと、有紗ちゃんさえよければ……泊って行ってもいいですか? もっと、いっぱい有紗ちゃんとセッションしたいです」

「ええ、もちろん。私の方に断る理由はありませんよ。ただ、熱中しすぎて明日に疲れが残ってしまわない様にだけは注意しましょうね」

「あっ、はい!」

 

 有紗の言葉にひとりは嬉しそうな笑顔を浮かべたあとで、有紗の隣に駆け寄っていき、甘えるように身を寄せながらスマホを取り出す。

 

「あっ、えっと、次にやりたいのがこの曲で……」

「ああ、この曲なら私も知ってますし、すぐに演奏できそうですね」

「じゃっ、じゃあ、次はこれで……この、サビの後のギターとキーボードがデュエットするところを、有紗ちゃんと一緒に演奏してみたかったんです」

「確かにこれは面白そうですね。それでは、楽しく演奏しましょうか」

「はい!」

 

 ニコニコと幸せそうに笑ったあとで、ひとりは再び元の位置に移動する。そして有紗と軽くアイコンタクトを交わして演奏を始めた。合図などは必要なく、ただ少し目を合わせるだけで完璧にタイミングが合う心地よさを感じつつ、終始笑顔でセッションを楽しんでいた。

 

 

 




時花有紗:部屋に飾ってあるひとりの巨大な写真は、常に最新のものへアップデートしており、現在は水着と浴衣のリバーシブル。

後藤ひとり:有紗とのセッションが大好きなぼっちちゃん。はしゃぎ方がだいぶ違う。お泊りをして夜遅くまでセッション……健全なはずなのに、なんだか響きがえっちである。



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七十七手挺身の決勝前夜~sideA~

 

 

 時間というのはもっと時間が欲しいと思う時ほど、驚くほど早く過ぎていくものです。いつの間にか8月となり、結束バンドにとっての大一番ともいえる未確認ライオットのファイナルステージも、いよいよ明日に迫っていました。

 

「……よし、今日はここまでにしよう。まだお昼だし、皆ももっと練習したいって気持ちはあると思うけど、それで明日の本番に疲れを持ち越しちゃ本末転倒だからね。今日はそれぞれしっかり英気を養って、本番に備えよう!」

「はい! あ、明日ですけどまたどこかに皆で集合して行きますか?」

「う~ん。でも、会場の場所的にぼっちちゃんだけ遠回りになっちゃうよね」

 

 未確認ライオットの会場は下北沢からもひとりさんの自宅からも特別近いというわけではありません。ただひとりさんの場合は、下北沢を経由すると遠回りになるので1時間以上余分に移動の時間がかかります。

 

「ぼっちちゃんは、現地で合流にする?」

「あっ、え? わっ、私ひとりで、フェスの会場へ……むっ、むむむ、無理です絶対! だっ、だって、絶対人多いですし、初めて行く場所ですし……」

「では、ひとりさんは私と一緒に車で行きませんか? 迎えに行きますので」

「あっ、有紗ちゃん……」

 

 単独で現地に向かうのは不安な様子のひとりさんに、車で迎えに行くことを伝えると、ひとりさんは表情を明るくして嬉しそうに頷いてくれました。

 私は普段月に1度ひとりさんと一緒に通学する際と同じようにホテルに泊まれば問題ないですし、一緒に行くことでひとりさんの緊張を解しつつ、私もひとりさんと一緒で幸せなので一石二鳥です。

 

「じゃあ、ぼっちちゃんと有紗ちゃんは一緒に車で来て現地で合流だね。私とリョウと喜多ちゃんは、一緒に電車で行こう」

「了解です」

「……リョウは寝坊しないようにね? サードステージの時にも寝坊してたんだから」

「前向きに検討して善処する」

「それ駄目なやつ!?」

 

 リョウさんはライブ審査の際に寝坊して現地で合流する形になりましたので、それを警戒した虹夏さんが釘を刺しますが、リョウさんはどこ吹く風といった飄々とした表情を浮かべていました。

 

「……コイツ。もう、朝に鬼電してやろうか?」

「う~ん。虹夏さん、おそらく必要なのはモーニングコールではなく――」

「待った有紗、そこまでだ。ちょっと、向こうで話そう」

「――はい?」

 

 リョウさんの寝坊の件に関して助言をしようとすると、そのタイミングで慌てた様子のリョウさんが私の手を引いて、虹夏さんたちから離れた場所に誘導します。

 そして、会話が聞こえない程度に離れたのを確認してから、リョウさんは小声で話しかけてきました。

 

「……いま、なに言おうとしたの?」

「ああ、いえ、リョウさんの性格を考えると、サードステージの時の寝坊も緊張して夜なかなか寝付けなかったからではないかと思いましたので、モーニングコールではなくナイトコールをすべきだと助言するつもりでした」

「……お願い。言わないで、この通り」

「まぁ、リョウさんが嫌なのでしたら、無理に言うつもりはありませんよ」

「助かった。本当に有紗は鋭すぎて恐ろしい」

 

 リョウさんは飄々としているようで、表には出さなくてもそれなりにプレッシャーなどを感じるタイプです。ヨヨコさんも似たタイプですね。

 ともかく、リョウさんは自然体なようでいてそれなりに緊張しているので、それを解すために夜に虹夏さんと電話するというのは有効だと思ったのですが……どうも、気恥ずかしいみたいです。

 

「リョウさんの気持ちは分かりましたが、その上でアドバイスするなら……夜には一度電話をするべきだと思いますよ。リョウさんのためだけではなく、虹夏さんのためにも」

「虹夏のため?」

「ええ、虹夏さんも明るく振舞っていますが、大一番を前にしてリーダーとしてかなりプレッシャーを感じているはずです。年下である私たちには見せにくい弱さというのもありますので、出来ればリョウさんがそれをなくフォローしてあげて欲しいんですよ」

「……なるほど」

「名目としては、私に電話するように言われた等の理由を使ってもらって大丈夫です」

「……分かった。夜に一度かけてみる」

 

 チラリと虹夏さんを見たあとで、やはり虹夏さんが心配なのかリョウさんはすんなりと私の頼みを了承してくれました。

 ふたりで話せば互いに緊張も解けるでしょうし……そうなればリョウさんが寝坊したりすることもないのではないかと思います。

 そんな風にリョウさんと話したあとで、皆さんの場所に戻ると喜多さんがなにか悩むような表情を浮かべていました。

 

「喜多さん? どうかしましたか?」

「ああ、いや、英気を養う、リラックスするって……具体的にどうすればいいかなぁって」

「難しく考える必要はありませんよ。一度家に帰って、楽器などを置いて一息ついたあとで、ふっと頭に思い浮かんだやりたいことをやればいいと思います。あるいは、誰か気の休まる相手と会うのもいいかもしれませんね。とりあえず、無理に休もうと思わず好きなことして自然体で過ごすのが一番ですよ」

 

 たしかに、喜多さんの悩みも分かります。いざリラックスして英気を養うと言っても、具体的にどうすればいいかというのか、考えれば考えるほど難しくなってしまうものです。

 なので、時としてはアレコレ余計なことは考えずに、思いついたことを思いついたままに実行するというのも有効ですね。まぁ、おそらく喜多さんは大丈夫でしょう。いま話した際に、何か思いついたような表情を浮かべていたので……。

 

 そのまま明日の打ち合わせを軽く行いお昼時のタイミングで解散となりました。私は虹夏さんたちと別れたあと、ひとりさんと一緒に駅に向かって歩きながら言葉を交わします。

 

「ひとりさんは、今日の午後はどうしますか?」

「あっ、えっと……そうですね。どっ、どうしましょうか?」

 

 ひとりさんの様子を見ると、ある程度リラックスはしているものの、やはり若干の気負いが見える印象です。そして、話を聞く限り特に午後の予定を決めているわけでもない状態……。

 

「時間を考えると、家に帰る前に昼食を食べた方がいいと思いますね。よろしければ、私と一緒に食べに行きませんか?」

「あっ、そうですね。確かにお昼時ですね」

「そして、お昼を食べたあとですが、ひとりさんさえよければしばらく私と過ごしませんか? 見たところ少し緊張しているみたいですし、その緊張を解せればと思いますので……」

「あっ、うっ……有紗ちゃんは、なんでもお見通しですね。はい……わっ、私も有紗ちゃんともっと一緒に居たいなぁって、思ってたので……」

 

 ひとりさんの緊張はそこまで深刻という感じではありません。むしろ明日のファイナルステージに向けて、しっかり気持ちが仕上がっていると言っていい状態ではあります。

 ただ、強い意気込みが結果として気負いとなってしまうのもよくある話なので、少し肩の力を抜くのがいいでしょうね。

 昼食を食べたあとは、遊びに行ったりするよりはカフェか、あるいはどこか公園のような場所でゆっくり過ごすのがいいでしょうね。

 

 

****

 

 

 ファミレスで昼食を食べたあとは、ひとりさんと一緒に駅前のコーヒーショップで飲み物を買って、公園でゆっくり過ごすことにしました。

 ベンチに並んで座り、昼下がりの公園を眺めながら雑談をします。

 

「今日は比較的涼しめですね。風が心地よいです」

「あっ、ですね。過ごしやすいです」

 

 天気などの話をしつつも、互いに未確認ライオットの話題には触れていません。いえ、正しくは触れるタイミングを計っている状態というべきでしょうか?

 そのまましばらく雑談を続けていると、ふとしたタイミングでひとりさんが意を決するように口を開きました。

 

「……いっ、いよいよ、なんですね」

「そうですね。ついに、ファイナルステージですね」

「やっ、やる気はいっぱいありますし、気合も入ってます。けど、明日ですべてが決まると思うと……やっ、やっぱり少し、怖いですね」

「……ひとりさん、残念ながらそれは違います」

「え?」

 

 緊張した面持ちで話すひとりさんの……震えていた手にそっと自分の手を重ねながら、出来るだけ穏やかに微笑みます。

 ひとりさんは少し大きな勘違いをしていて、それが結果として必要のない力みに繋がっているように感じました。

 

「確かに、明日は結束バンドにとって初めての大一番といえるものかもしれません。これまでを考えても、規模としては最大と言って間違いでないでしょう……ですが、別にゴールではないです。スタートでもないです。ただの通過点ですよ」

「……はえ?」

「結束バンドが有名になって、メジャーデビューをすれば今回と同じような大舞台も幾度となく経験することになるでしょう。だから、明日あるのは大きなステージへの初挑戦というだけで……もちろん、グランプリを取れるのが最高の結果でしょう。ですが、仮にグランプリを逃したとしても、そこで終わりになることありません。それまでの努力が無駄になることもありません……だってほら、ひとりさんの夢が叶う場所はもっと先のはずでしょ?」

「……有紗ちゃん……ふふ……そうですね。そうでした……まだまだ、夢の途中でした」

「ええ、その通りです。なので、せっかくの初めての大舞台をしっかりと楽しんで、見に来た観客に結束バンドの名前を覚えてもらって新しいファンを獲得しましょう。そうすればメジャーデビューにまた一歩近づきますよ」

「はい!」

 

 私の言葉はどうやら上手くひとりさんの力みを消すことができたようで、肩に入っていた力抜いたひとりさんはしっかりとした強い目で頷いてくれました。

 いい状態です。これなら、明日のファイナルステージも期待できそうです。そう考えた際に、ふとあることを思いつきました。

 確かに明日のステージはゴールではないですが、大一番というのも間違いはないです。それならそこに挑もうとするひとりさんに、少し特別な応援をしてもいい気がしました。

 

「……ひとりさん、せっかくですし明日のファイナルステージに向けて、ひとつおまじないです」

「あっ、おまじない? えっ、えっと、いつもやってるやつですか?」

「似てはいますね。というわけで……失礼します」

 

 ひとりさんは過去に何度かしたおでこを合わせて行う激励だと思った様子で、私が前髪を手であげても特に抵抗したりする様子はありませんでした。

 いえ、まぁ、嘘はついていません。いつものおまじないに似ています……けど、少し違います。事前に説明すると恥ずかしがって逃げてしまいそうだったので、言及はしませんでした。

 

 そして私は、真っ直ぐにこちらを見つめるひとりさんの露わになった額に……ちゅっと軽く触れるだけのキスをしました。

 

「………‥…………はえ?」

「額へのキスは、祝福の意味があるらしいですよ。明日のファイナルステージでいい結果が出ますようにと、そんなおまじないです」

「あっ、えっ、きっ、ききききき、キス!? あばばばばばば……はうっ」

「え? ひとりさん!?」

 

 額にキスをした直後は唖然としていたひとりさんでしたが、次第に状況を理解したのか爆発するかのような勢いで顔を真っ赤にしたあと、気を失ってしまったので、慌てて介抱することになりました……流石に、不意打ちが過ぎたかもしれません。

 

 反省しつつ今後の参考にしましょう。

 

 

 




時花有紗:さすがの猛将。躊躇なく強烈な攻撃を放って、ぼっちちゃんを一発KO(物理)した。そして、自分の百合だけではなくさり気なく虹リョウや喜次といった百合へのパスも行う有能。

後藤ひとり:おでこにキスされて一発でキャパオーバーして気絶した。流石にぼっちちゃんにはまだ早かったかもしれないが……何度か繰り返してれば慣れてくるので、大丈夫。最近ハグにも慣れてきたから……そのうちまた距離感バグる筈。


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七十七手挺身の決勝前夜~sideB~

 

 

 未確認ライオットのファイナルステージを翌日に控え、STARRYから自宅に戻った喜多は一度ギターなどを置いて、有紗のアドバイス通りに一息ついた。

 そして、心を落ちつけてすぐに頭に思い浮かんだ人物に連絡を取った。

 

「……んで、思い浮かんだのがうちだったわけだ。へぇ~ほ~」

「う、なんでニヤニヤしてんのよ」

 

 コーヒーチェーン店の窓際の席に並んで座り、ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべる次子に、喜多はジト目を向けた。連絡を取ったのは失敗だったかとも一瞬考えたが、次子はそれ以上揶揄ったりはせずに苦笑を浮かべつつ口を開く。

 

「でも、凄いじゃん。いよいよ決勝っしょ? クラスの皆も応援張り切ってたわ。まぁ、応援賞の1位はうちらに任せといて」

「あはは、応援賞なんて無いっての……まぁ、けど、期待しとく」

「うんうん。それで、なに? 結構緊張とかしてんの?」

「そりゃね……やっぱりなんだかんだで、演奏技術は私が一番下だし、足引っ張らないかとか考えちゃうわ。やっぱり、本番を直前にすると特に……ね」

 

 喜多も1年前と比べればかなり演奏技術は向上しているが、それでもやはり他のメンバーと比べれば劣る。有紗などのアドバイスもあり、普段はあまり気になってはいなかったのだが……大一番を前にすると、どうしてもそのことが頭に浮かんできた。

 そんな喜多の悩みに対し、次子はどこか緩い口調で言葉を返す。

 

「ん~でも別に、演奏技術が高い奴が絶対勝つとかでもないわけじゃん? つか、うちも含めて大半の客にはそこまで演奏技術の違いとかは、分からんと思うよ」

「そういうもんかしら?」

「例えば、後藤とかはめっちゃギター上手いじゃん。ロックについてよく知らないうちでも、上手いって感じられる。あのレベルになれば本物って感じだけどさ~別に皆があのレベルってわけじゃないじゃん? そうなったら詳しくない人間には差なんてそこまで分からんし」

「まぁ、そりゃひとりちゃんレベルがゴロゴロしてたら、それこそ私なんて相手にならないわよ」

 

 ひとりのギターの演奏技術はプロ級であり、バンドとしては明確に格上であるSIDEROSのヨヨコでさえギター演奏に関しては負けを認めるほどのレベルだ。

 そのぐらいになれば、確かに素人の観客でも違いが分かるレベルだろうが、次子の言う通り経験者ならともかく普通の観客に、細かい演奏技術の差を聞いただけで理解できるかと言われれば、大半は理解できないだろう。

 

「うちもヒップホップやってるから分かるけど、ダンスとかでもこっちが気にしてるような細かい部分とか観客は思いのほか気にしてねぇもんだよ。ま、だからって手を抜いていいとかでもないけどね~」

「確かに私もダンス技術の違いとか言われても、見ただけじゃよく分からないわね」

「そうそう、だからあんま気にすんなし、そもそも気にしたところで明日までに劇的に上手くなるわけでもねーし、悩むだけ無駄だって」

 

 無駄とまで言い切る次子の言葉を聞いて、喜多は思わず苦笑を浮かべた。自然と肩に入っていた力が抜けるような感じで、やはり次子に連絡を取ってよかったとそう思った。

 そんな喜多に対し、次子は頬杖をつきながらどこかいたずらっぽい笑みで告げる。

 

「それに……うちは喜多の歌声、結構好きだよ」

「え? あっ、その……ありがと」

「お? 照れた? 照れてるじゃん。顔赤くしちゃって、可愛いね~」

「はぁっ! うざっ!」

 

 不意打ち気味の賞賛の言葉に思わず顔を赤くした喜多を、次子はここぞとばかりに揶揄い出す。そうすると、喜多もさらに恥ずかしさが増して、真っ赤な顔で拗ねたようにそっぽを向いた。

 それを見て楽し気に笑ったあとで、次子はチラリとメニューを見たうえで口を開く。

 

「ごめんごめん、ついね。お詫びにチャンク奢るからさ」

「……いま一番安いやつ調べてから言ったでしょ……バウムクーヘンがいい」

「チャンクより20円高いなぁ……ま、仕方ないか」

「よし、やった!」

 

 揶揄ったお詫びにチョコレートチャンククッキーを奢るという次子にバウムクーヘンを希望しながら、喜多は顔を次子の方に向けなおした。

 元々別に怒っていたりするわけでは無く、一種のじゃれ合いのようなものであったからか、すぐに顔を見合わせて笑い合った。

 

「現金すぎんしょ」

「ケーキを要求しないだけ加減してると思わない?」

「それはたしかに……はぁ、やれやれついでにうちの分も買ってくるわ」

「よろしく~」

 

 再び苦笑を浮かべたあと、次子は要求のバウムクーヘンを購入するために立ち上がってレジに向かう。それを笑顔で見送りながら、喜多はボソリと何気なく呟くように告げた。

 

「……さっつー、ありがと」

「……ま、賞金でのお返しに奢ってくれること期待しとくわ」

 

 喜多の言葉に楽し気な笑みで返したあとで、ヒラヒラと小さく手を振ってから次子はレジに向かっていった。その後ろ姿を見送る喜多の表情は、どこか楽しげだった。

 

 

****

 

 

 未確認ライオットのファイナルステージの前夜、STARRYの2階にある伊地知家の自宅では、家事を終えた虹夏が星歌と会話をしていた。内容はもちろん明日に控えた未確認ライオットに関してだ。

 

「お姉ちゃんも、明日は店を閉めて応援に来てくれるんだよね?」

「ああ、流石にファイナルまで進んだんだしな。PAと腐れ酔っ払いもいくらしい」

「出来れば廣井さんは、せめてお酒を控えてきてほしいなぁ……」

「今回は岩下や清水も行くらしいから、そっちがなんとかするだろ」

「志麻さんも大変だよね~」

 

 例によって泥酔してるであろうきくりに関しては、同じバンドメンバーに任せるつもりらしい星歌に、虹夏も思わず苦笑する。

 さすがにインディーズバンドのフェスとはいえ、それなりの規模で開催される夏フェスだけあって直接現地で応援にという者も多い。

 

「まぁ、私たちと違って出演者のお前は朝早いんだから、今日は早めに寝とけよ」

「うん。そうする。見ててね、きっとグランプリとって見せるから!」

「……別にグランプリは取れなくてもいい。ただ、後悔だけはしないように……頑張れよ」

「うん!」

 

 しっかり頷いて自室に向かう虹夏を見送り、虹夏の姿が見えなくなったあとで星歌は目を手で覆う。意外と涙もろい星歌は、頑張っている妹を見てつい緩くなった涙腺から少し涙を零しつつ微笑んでいた。

 

 

****

 

 

 星歌と話したあと、寝る準備をして自室に戻った虹夏だったが、どうにも心がソワソワと落ち着かない感じだった。どうもこのままでは寝つきが良さそうにないが、どうしようかとそう考えた直後……スマホに着信が入った。

 

「……リョウ? 珍しいね、こんな時間に電話してくるなんて」

『ん……えと、まぁ、有紗がかけろって言ったから』

「有紗ちゃんが?」

『虹夏も明るく振舞っていても緊張しているだろうから、夜に電話してやれって』

「あはは……さすが、有紗ちゃんは鋭いなぁ」

 

 思わず苦笑を浮かべつつ、それでも実際リョウから電話が着て少し気持ちが楽になったのは事実であり、有紗には敵わないと思いながら虹夏はベッドに腰かける。

 

『……まぁ、私も緊張はしてた』

「リョウも?」

『そりゃね。流石にここまでの大舞台となると、緊張もする』

「……だよね。本当に未だに夢かって思っちゃうもん。いや、そりゃ、あくまでインディーズフェスだけどさ、それでもライブハウスでのライブとは全然違う規模だもんね」

『それでも、ここまで来たらあとは全力でやるだけ』

「そうだね……」

 

 これまでとは桁違いの会場、観客の数も空気もまるで違うであろう大舞台を想像すると、虹夏もリョウも緊張はもちろんする。

 だが逃げ出したいという後ろ向きな気持ちではない。サードステージからいままでにしっかりと気持ちは作り上げてきたので、いまの緊張は一種の武者震いに近いかもしれない。

 

『……虹夏、大丈夫だよ』

「え?」

『私たちならきっとやれる。同世代のトップレベルのインディーズたちともちゃんと渡り合える』

「……うん。そうだよね! いいバンドだよね、結束バンド」

『名前はダサいけどね』

「ダサいとか言うな! リョウだってなんだかんだで気に入ってるくせに」

『私は最初っから気に入ってた……結局、名前変えなかったね?』

 

 結束バンドが結成したばかりのころ、そしてひとりが加入したばかりの頃は虹夏は結束バンドの名前を恥ずかしがっており「絶対変える!」と発言していた。

 しかし、結局その名前を変えることはなく今に至っている。

 

「もう他の名前は考えられなくなっちゃったからね。ぼっちちゃんが入ってくれて、喜多ちゃんが戻ってきて、有紗ちゃんがいろいろ手伝ってくれるようになって……本当にいい仲間に恵まれたなぁって思ってる」

『……確かに、私も含めて超有能メンバーが集まったと思う』

「相変わらず凄い自信だな」

『けど、スタートは虹夏。虹夏が居たから私や皆が集まって、いいバンドに成れたと思う……頼りにしてるぜ、リーダー』

「……ぐすっ……もう、馬鹿。普段リーダーっぽくないとか馬鹿にするくせに、こういう時だけ……ありがとう、リョウ……その、普段は気恥ずかしくてあんまり言えないけど……リョウが居てくれてよかったって思ってる。これからも、一緒に頑張ろうね」

『……お、おう』

 

 リョウの言葉に思わず涙ぐみつつ、虹夏が優し声で感謝を伝えると……リョウも気恥ずかしかったのか、若干動揺したような返事を返してきた。

 なんとも言えない気恥しい空気の中で少し沈黙したあとで、虹夏は顔を少し赤らめて口を開く。

 

「あぁ、もうなんか恥ずかしいね! この話はもうやめ!」

『……賛成』

「ともかく、いよいよ明日は本番だからね! 全力で頑張ろう!」

『了解』

 

 そのまましばらくリョウと雑談をしたあとで電話を切り、虹夏は布団に入って寝る体制になった。少し前まで感じていた不安な気持ちはいつの間にか消えており、少しくすぐったいながらも温かい気持ちだった。

 

「……ありがとう、リョウ」

 

 ひとり小さく呟いてから目を閉じる。ぐっすりと眠れそうだと、そんな確信に近い予感を覚えながら……。

 

 

 

 




喜多郁代:有紗のアドバイスに従って次子に連絡。なんだかんだで気心の知れた次子との会話で緊張は解け、いいコンディションで就寝した。

山田リョウ:有紗のアドバイス通りに虹夏にナイトコール。結構気恥しい思いもしたが、虹夏と同じく不思議と心は温かくすぐに眠ることができて翌日も寝坊せずに起きれた。

伊地知虹夏:結構リョウといちゃいちゃしてた。やっぱりなんだかんだで、最初はふたりでバンドをスタートさせたこともあって、一番気の許せる相手という感じ。

後藤ひとり:寝る前にデコチューを思い出して悶絶していたが、寝つき自体はいいのですぐに眠ることはできた。ただ翌日迎えに来た有紗と顔を合わせた際には、恥ずかしくてしばらく顔がまともに見れなかったとか……。

未確認ライオットファイナルステージ:別に長くならない。百合とはあんまり関係ないし、サクサク進行する。


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七十八手決戦のファイナルステージ~sideA~

 

 

 いよいよやってきました未確認ライオットファイナルステージの当日です。とはいえ、ファイナルステージだからといって、特別なことがあるわけでは無く全体の流れとしてはサードステージとそう変わりません。

 会場に到着して集合場所に集まり、運営から簡単な進行の流れを聞いてくじによる演奏順の決定、そしてリハーサルといった流れです。

 ファイナリストとなったバンドは10組であり、この中からグランプリを競い合う形になります。リーダーである虹夏さんがくじ引きに向かい。演奏順の書かれた紙を持って戻ってきました。

 

「……で、虹夏、何番?」

「……5番」

「なんというか、5番に縁がありますね」

 

 喜多さんの言う通りサードステージに引き続き演奏順は5番目です。今回は前回のように一部のバンドが突出しているというわけでもないので、最初と最後以外はそれほど演奏順による影響は無さそうではあります。

 他のバンドの演奏順を見てみると、以前サードステージで競い合ったケモノリアは2番目、ヨヨコさん率いるSIDEROSは7番目という演奏順でした。

 

「あっ、えっと、この順番はどうですか?」

「正直トップバッターと大トリ以外はあまり影響はないと思います」

 

 ひとりさんの質問に軽く答えつつ、リハーサルに向かう皆さんを見送ります。私は扱いとしては結束バンドのマネージャーなので、こうして控室にも入れていますが演奏メンバーではないので待機が多いですね。

 今回は野外ステージということもあり、やや離れた場所でリハーサルを見学していると、見覚えのある方……ケモノリアのリーダーさんが近付いて来ました。

 

「や、有紗ちゃん。今日はよろしくね~」

「こんにちは、こちらこそよろしくお願いします。こちらに来ていて大丈夫ですか?」

「うん。リハーサルは本番とは順番が逆だから、私たちは最後の方だからね。たまたま有紗ちゃんが目に付いたから挨拶だけでもと思ってね。サードステージでは後れを取ったけど、今日はそうはいかないよ」

「ええ、こちらも負けるつもりはありません。お互いにいい勝負をしましょう……まぁ、私は演奏メンバーではないのですが」

「あはは、そうだったね。ラスボスモードにはならないのか……まぁ、なんにせよお互い頑張ろうね」

 

 そう言って楽し気に笑ったあとで、リーダーさんは手を振って去っていきました。前にお会いした時と同じく緩い雰囲気ではありましたが、確かな自信が見て取れたので今日までしっかりと練習を積んでレベルアップをしてきたという自負があるのでしょうね。やはり、ファイナルステージは強敵揃いのようです。

 

 

****

 

 

 リハーサルが終わって、割り振られた控室で本番前に最後の打ち合わせです。とはいっても、ここまで来たからには全力で頑張るだけ……頭ではそう理解していても、本番直前になって緊張を感じるなというのは無理な話です。

 若干表情が硬い皆さんを見て、私は少しだけ微笑んで声をかけました。

 

「皆さん、ハッキリ言っておきますと、決勝進出の全バンドの最新のMVは聞いてみましたが……結束バンドは真ん中よりやや下といったレベルなので、グランプリや準グランプリを獲得できる可能性は低いとみていいと思います」

「うへぇ、分かってはいたけど、有紗ちゃんが言うと重みがあるね」

「ですが……本当に凄いことだと思いますよ」

「凄い? 私たちが?」

 

 私の言葉を聞いて喜多さんが首を傾げて聞き返してきたので、それに頷いてからさらに言葉を続けます。

 

「前にひとりさんと話した時も感じましたが……思い返してみてください。1年前のちょうど今頃はというと、結束バンドとして4人そろって初めてのライブを数十人という観客を前に行っていた頃です。正直、その頃の結束バンドの実力であればネット審査はおろか、その前のデモ審査で落選していてもおかしくなかったです。ですがいまは……たとえ可能性が低くても、10代のインディーズバンドの中でもトップレベルのバンドたちと、グランプリ争いができるレベルにまで成長しているのですから、とてもすごいことだと思いませんか?」

「あっ、そっ、そうですよね。そう聞くと、私たちがちゃんと成長出来てるんだって、実感できますね」

 

 私の言葉に同意するようにひとりさんが頷きます。実際ひとりさんも1年前と比べると、信じられないぐらいにレベルアップしていると思います。

 

「言われてみれば確かに、そのぐらいの時期だよね。懐かしいなぁ~台風が来たんだよね」

「でしたね。お客さんも少なかったですし、皆初ライブで緊張していましたよね」

「皆へっぽこ演奏だったし、ミスしまくってた」

「リョウもね」

 

 皆さんも1年前のライブを思い出したのか苦笑しつつも、どこか懐かし気に言葉を交わしていました。少し雰囲気が明るくなってきたのを感じつつ、私は再び口を開きます。

 

「文化祭でのステージ、クリスマスのゲストライブ、新曲の作成や路上ライブ、初めての箱でのブッキングライブなど……様々な経験を経て、皆さんはここに立っています。残念ながら、努力が必ずしも報われるわけではありません。ですが、積み重ねてきた努力は……間違いなく皆さんの力になっています。だから、自信を持ってください。皆さんは未確認ライオットのファイナリストたちと競い合えるだけの力を持ったバンドです……ならばあとは、今できる最高の演奏をしてくるだけです」

「あっ、はい! がっ、頑張ります!」

「頑張りましょう! ここは皆の心をひとつにするために円陣でもどうですか?」

「え? 暑苦しくない?」

「いいじゃん、やろうよ!」

 

 円陣を組もうという喜多さんの言葉に若干面倒臭そうな表情を浮かべていたリョウさんでしたが、虹夏さんに促されると抵抗することなく加わって、皆で円陣を組みました。

 

「よし、皆……えっと……」

「虹夏、有紗みたいにリーダーっぽいこと言おうとしてるなら、無理だから諦めた方がいいと思う」

「ハッキリ言うなよ……うん。よし! 気合入れて頑張るよ!!」

『おー!』

 

 余計なことは言わないことに決めたのか、虹夏さんが出したシンプルな掛け声に合わせて私たちも声を出します。ファイナルステージに臨む心構えは完成したと言えるでしょう。

 あとは願わくば、皆さんにとってよい結果が訪れるのを期待するばかりです。

 

 

****

 

 

 12時になり未確認ライオットの本番が始まると、会場はかなりの熱気に包まれていました。観客たちのボルテージも上がっており、かなりの盛り上がりが予想されます。

 

『ついに未確認ライオット最終ステージ! 全国から勝ち進んだ大注目の若手バンドたちがグランプリを目指して熱い演奏を披露してくれるぜ! 1組目は福岡からやって来た――』

 

 そうして、1組目のバンドの演奏がスタートしましたが、やはりというべきかトップバッターから会場は大盛り上がりで、観客の中にはサークルやモッシュを行っている人も見受けられました。

 やはりファイナルステージに進出するだけあって実力は相当高く、メジャーデビューしていてもおかしくないようなレベルのバンドばかりです。分かってはいましたが、優勝争いは熾烈になりそうです。

 そして、あっという間に結束バンドの出番が近付いて来ました。

 

「もうすぐ出番ですね。ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。大丈夫です……あっ、でも、もしよかったら……」

「最後まで言わなくても大丈夫です。頑張ってください、ひとりさん。最高の演奏を期待しています」

「はい! 見ててください、有紗ちゃん! いまの私にできる、一番の演奏をしてみせます!」

 

 私の応援の言葉に力強く頷き、ひとりさんは私が誕生日にプレゼントしたギター……サードステージでは使っていなかったギターを持って、ステージに向かっていきました。

 

『続いて5組目は、下北沢の新進気鋭バンド、結成1年程度の若いバンドながらその実力は本物……結束バンドの登場だ!』

 

 きっと大丈夫と、そんな思いを感じながらステージに向かっていく皆さんの背を見送りました。

 

 

****

 

 

 ひとりさんを含め、いい精神状態でステージに上がった結束バンドは未確認ライオットファイナルステージという場で、文字通り最高の演奏を見せてくれました。

 間違いなく、現在の結束バンドの皆さんができる力を出し切った最高の演奏でした。ここまでに演奏した他のバンドと比べても決して見劣りしない素晴らしい演奏でした。

 

「あっ、有紗ちゃん!」

「お疲れ様です。素晴らしい演奏でした」

「はい。えへへ……ちょっと疲れましたけど、頑張りました」

「本当、いい感じに演奏できたよね!」

「ですよね! 私も自分で言うのもなんですけど、結構ボーカルも声が出ててよかったと思います」

「……うん。会場もかなり盛り上がってたし、手応えは十分」

 

 演奏から戻って来た皆さんにタオルやドリンクを渡して出迎えます。皆さんもいい演奏ができたという手ごたえがあるみたいで表情は明るいです。

 私の印象としても、本当に最高の演奏でした……ただそれでも、グランプリを確信できないほどには、他のファイナリストのレベルも高いです。ただ、逆に言えば飛び抜けているようなバンドも居ませんし、どんな結果に転がっても不思議ではないです。

 そんな風に考えながら皆さんと次のライブや準備の邪魔にならないように移動していると、前方から間もなく出番であるSIDEROSの皆さんが歩いてくるのが見えました。

 

「……いい演奏だった。最高だったわ」

「え? あ、ありがとうございます」

 

 すれ違い様に短く賞賛の言葉を告げるヨヨコさんに、虹夏さんが思わず気圧された様子でお礼の言葉を口にしました。

 

 ……これは、不味いかもしれません。ヨヨコさんが纏う雰囲気が、明らかに違いました。あの感じには覚えがあります。玲さんが見せる一種のゾーンとでも呼ぶべき極限の集中力を纏っている雰囲気です。

 玲さんの緻密に計算されて作り上げた120%の状態には及びませんが、それでも100%の力を発揮できるであろう状態。他の皆さんも思わず気圧されるほど、いまのヨヨコさんには凄みがありました。

 

 これはある意味皮肉なことかもしれません。結束バンドは間違いなく最高の演奏をしました。そしてそれはおそらくヨヨコさんに「負けるかもしれない」と感じさせるほどだったのでしょう。

 ヨヨコさんは性格上逆境にかなり強いタイプです。追い込まれたことで高まった集中や、本人のやる気などが上手く噛み合って理想的な集中状態に辿り着いたのでしょうね。

 

 いまのヨヨコさんがどれほどの演奏をするのか、すぐには想像できませんが……サードステージの時よりも遥かに上であることだけは、確信することができるほど、ステージに向かって歩くその背は大きく見えました。

 

 

 




時花有紗:実際マネージャー適性は高いので、なんだかんだで名目上だけでなく普通にマネージャーっぽいことしてる。

後藤ひとり:有紗が居ると割と精神つよつよなぼちっちゃん。ほんの僅かな隙に有紗の傍に寄ってきていちゃつくのは相変わらず。

ヨヨコパイセン:覚醒モード突入。


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七十八手決戦のファイナルステージ~sideB~

 

 

 順番の回ってきたライブステージの準備をしながら、大槻ヨヨコは静かに思考を巡らせる。

 最初にその名前を聞いた時は、面白くなかった。姐さんと慕い尊敬する相手が楽し気に話すその名前に嫉妬したことをヨヨコはハッキリと覚えている。

 

(姐さんが注目する結束バンド、後藤ひとりと時花有紗。初めは対抗心で目が曇ってたけど、動画を見てみれば思った以上に悪くなかった。まだまだ未熟な部分はたくさんあったけど、なるほど姐さんが注目するわけだと思うぐらいには光るものを感じた)

 

 心はグツグツと煮え滾るほどに熱くなっているはずなのに、頭の中は静かで思考もクリアに研ぎ澄まされている。初めての感覚ではあったが、この状態が良いものであるというのは理解できていた。

 

(クリスマスのライブも及第点ではあった。けど、まだその時は明確に格下だった。だからこそ、次に新曲のMVを見た時は、その成長に心底驚いた。そしてサードステージのライブ審査では、更に進化していて……もう格下とは感じなくなっていた)

 

 思考を巡らせつつ少し視線を動かすと、遠くからこちらを見ている結束バンドのメンバーが目に付いた。そして同時に、少し前に見た彼女たちの演奏も頭に思い浮かぶ。

 

(そして、今日……初めて貴女たちに『負けるかもしれない』って、そう思った。そのぐらい本当にいい演奏だった)

 

 SIDEROSと結束バンドではバンドとしてのキャリアが違い、それはそのままバンドとしての完成度の差となっている。これがもっと何年も先、互いにバンドとして熟しきったのなら話は変わってくるが、まだまだ発展途上の現段階においてキャリアの差は、実力にも大きく影響する。

 実際、ヨヨコはサードステージまでも結束バンドのことは認めていた。いいバンドであるし、成長率も素晴らしいと……だが、己が負けると感じたことは無かった。先ほどのファイナルステージの演奏を聞くまでは……。

 

(認めるわ、貴女たちは手強いライバル……私に、私たちに勝てるだけの力を持つ、本当に強いバンドだってことを……)

 

 楽器などの準備を終えて、もうすぐライブの開始というタイミングでヨヨコは結束バンドの面々たちに視線を向け、どこか優し気な表情を浮かべた。

 

(きっとそう、いつか、そう遠くない内に貴女たちに追い抜かれるんでしょうね。そして、今度は私たちが貴女たちの背中を追いかけて、追い抜き返して……そうしたら、また貴女たちが追いかけてくる。そんな風に追い抜いたり、追い抜かれたりを繰り返して、競い合い切磋琢磨しながら互いに成長していけるって、そんな風に感じてる)

 

 ヨヨコの瞳に強い光が宿り、同時にその存在感が増す。まだ演奏を始めていないはずなのに、注目を集めるような凄みのある気配、ヨヨコの心の熱が表に出てきているかのような感覚だった。

 

(いつか、そう、もしかしたら次の機会には貴女たちが勝つかもしれない。だけど、それはまだ……今日じゃない。貴女たちを、結束バンドを最高のライバルだってそう思うからこそ……私は、貴女たちにとって……『いまはまだ届かない背中』でいたいと思うわ)

 

 チラリとSIDEROSのメンバーに視線を向ける。あくびも楓子も幽々も、ヨヨコの強い決意を感じ取ったかのように無言で頷く。ヨヨコがどんな凄い演奏をしても、必ず付いて行ってみせるとそんな決意を込めて……。

 その視線に、フッと小さく微笑んだあとでヨヨコは前を、観客たちの方を向きマイクに向けて口を開く。

 

「SIDEROSです。観客の皆様、暑い中朝からお疲れ様……ここまでステージで演奏したバンドも、これからステージで演奏するバンドも本当にいいバンドで、手強いライバルだと思います。このステージを目指して、それでもこの場に立てなかったバンドにも素晴らしいバンドはたくさんありました」

 

 開始前のMCを穏やかな微笑みで行いながらも、ヨヨコの心は極限まで研ぎ澄まされていた。いまから行う演奏は、これまでで一番のものになるという確信に近い予感があった。

 

「1年後であれば、結果は全然変わっていたかもしれないと思う様な、凄い成長をするバンドにも巡り合えました。このファイナルステージに参加する全てのバンドを心から認め、尊敬しています……でも、今日勝つのは私たちよ! 観客にもライバルたちにも今日のグランプリはSIDEROSだったと納得させる演奏を見せてあげる! だから、しっかり最後までついて来なさい!」

 

 ヨヨコの力強い宣言と共に始まった演奏は……圧巻の一言だった。SIDEROSの演奏を何度も聞いてる者たちでも、いままでとは明らかに違うと感じるほど歌も演奏も凄まじかった。

 その中心となっているのはヨヨコであり、彼女の圧倒的なパフォーマンスをメンバーたちがしっかり支えることで、バンド全体の演奏をさらに高次元に引き上げていた。

 

 観客席でその演奏を聞いていたきくりは、感心した表情を浮かべる。

 

(こりゃ凄い。大槻ちゃん完全に一皮剥けたね。明らかに他のバンドと比べて頭ひとつ抜き出た演奏……切っ掛けさえあれば爆発的に成長するか……はぇ~若いってのは羨ましいねぇ。けど、カッコいいバンドマンの顔になってるじゃん)

 

 明らかにこの大舞台で大きく成長した後輩を見て、きくりはどこか楽し気に酒をあおった。

 

 

****

 

 

 未確認ライオットのファイナルステージに進んだファイナリストたちによるライブまでは、最後まで盛り上がりを維持したまま終了した。

 そうなると次にあるのは結果発表である。ある程度の休憩の後にステージ上に司会進行とファイナリストたちが上がる。

 もちろん全員というわけでは無い。仮に10組すべてがフォーピースバンドだと仮定しても総人数は40人を超えるため、各バンドのリーダーのみがステージ上に並ぶ形となる。

 

『さぁ、観客もファイナリストの皆も朝からお疲れ様! いよいよ、長きに渡った未確認ライオットの最終結果が発表だ! 果たして、グランプリの栄光を掴むのはどのバンドだ!!』

 

 結束バンドもリーダーの虹夏がステージ上に他のバンドのリーダーたちと並び、残りのメンバーはステージ脇から結果発表を見つめていた。

 

「……あっ……SIDEROS、凄かったですね」

「そうですね。悔しくもありますが、素晴らしい演奏でした」

 

 ポツリと呟いたひとりの言葉に、隣に居た有紗が同意する。言葉こそ発していないが、同じ場に居る喜多やリョウも、あるいは他のバンドのメンバーたちも、今回のグランプリについてはある程度予想がついていた。SIDEROSの演奏は他のバンドより頭ひとつ確実に抜けていた。

 

『では、まずは準グランプリの発表だ。準グランプリは――』

 

 そう思っていると、最初に準グランプリが発表された。残念ながら結束バンドの名前は呼ばれず、大トリを務めたバンドの名前が呼ばれた。

 特別審査員のアーティストが準グランプリに選ばれたバンドの選考理由と賞賛を話すのを聞きながら、ひとりは有紗の手をぎゅっと握り顔を俯かせる。

 

「……くっ、悔しいですね」

「ええ、本当に……」

「ちゃっ、ちゃんと全力は出せました。きっ、きっといまできる一番の演奏でした……でも……届かなかった」

 

 そう、分かっているのだ。グランプリは間違いなくSIDEROSだと……だからこそ、ここで、準グランプリで呼ばれなかったということは、結束バンドが入賞する可能性は無くなったということだと、ひとりも分かっていた。

 大きな失敗があったわけでは無い。緊張で力が出し切れなかったわけでは無い。間違いなくいまの自分たちにできる最高の演奏ができた……勝敗を分けたのは地力の差だろう。

 結束バンドはたしかに100%に近い力を発揮できた。しかし、残念ながらまだまだ発展途上である結束バンドの現時点の100%は、SIDEROSの100%には届かなかった。

 目に涙を浮かべて俯くひとりを、有紗はそっと優しく自分の胸に抱き寄せる。

 

「……悔しさを我慢する必要はないと思います。力を出し切って後悔はなくとも、悔しいものは悔しいんです。そして、結束バンドはまたこの悔しさをしっかりバネにして、いま以上に成長できると確信しています。だからいまは、しっかり泣いて悔しがりましょう。この後でちゃんと前を向くために……」

「有紗ちゃんっ……うぅ……」

 

 ついに目から涙が零れたひとりは、そのまま有紗に強く抱き着いて涙を零す。ステージ上ではついにグランプリであるSIDEROSの名が呼ばれ、会場は一番の盛り上がりに包まれる。

 ステージ上にいる他のバンドのリーダーたちも目に涙を浮かべたりしつつも、ヨヨコに拍手を送り、今回のフェスの覇者を称える。

 少しの間有紗の胸で泣いていたひとりも特別審査員のコメントに移るころには顔を上げてステージ上を見た。

 

「……あっ、ちゃんと、祝福しないと、ですね」

「ひとりさんは強いですね。ええ、祝福しましょう……そして、次こそはSIDEROSに勝って見せましょう」

「はい!」

 

 ひとりは1年前に比べて精神的に大きく成長しており、いまもまた大きな悔しさを経験したことでひとつ成長を見せた。

 ステージ上のヨヨコに拍手を送るその横顔には確かな力強さが見えており、それを見た有紗は少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべたあとで、ひとりと同じようにヨヨコに拍手をする。

 

 努力は己を裏切らないという言葉がある。その通り、確かに努力によって積み重ねたものは、確実にそのものの力になるだろう。

 だが、悲しいかな、全ての努力が報われるとは限らない。今回の未確認ライオットに関してもそうだ。

 

 結束バンドだけではなく、他のファイナリストも必死に努力をしてこのファイナルステージに臨んでいた。だが栄光の数に限りがあるのなら、残念ながら報われる努力にも限りがあって然るべきである。

 必死に努力を積み重ね、万感の思いを持って臨んだとしてもなにも得られぬこともある。それは仕方ないことではある。

 

 ただ、結束バンドに関して言えば……。

 

『そして、最後に審査員特別賞の発表だ!』

「あっ、審査員特別賞?」

「ああ、そういえばそんな賞もあった気が……」

 

 彼女たちが願い目指してきた舞台において、最大の目標であるグランプリには手が届かなかった。だが、積み重ねたその努力は――。

 

『審査員特別賞に選ばれたのは――結束バンドだ!』

 

 ――ひとつの形として、確かな成果を実らせた。

 

 

 




時花有紗:結果は悔しくても、ひとりの成長は喜ばしいと感じて微笑みを浮かべていたが、その後の審査員特別賞は流石に予想外だったのか珍しく驚いた表情を浮かべていた。

後藤ひとり:悔し涙を流しつつも、ちゃんと前を向いて称賛した精神的にさらに成長したぼっちちゃん。成長が著しい。

ヨヨコパイセン:覚醒。なんか真っ当に格上ライバルしてる。

未確認ライオット:結束バンドは審査員特別賞を獲得。


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七十九手歓喜の審査員特別賞~sideA~

 

 

 その言葉が聞こえた瞬間、驚愕に思わず呆然としてしまいました。頭の中で思考は巡ります。審査員特別賞が最後に発表だったのは、おそらく準グランプリやグランプリとは別の選考基準があり、その部分が結束バンドが選ばれた要因だとか、冷静な思考が巡る一方で心には歓喜の感情が湧き上がってきます。

 

「……あっ、有紗ちゃん……いっ、いま……」

「ええ、呼ばれました。間違いなく……」

 

 ひとりさんの声に答えている最中も波のように喜びの感情が湧き上がってきます。もちろん一番の目標としていたグランプリは逃しました。ですが、それを悔しいと思う以上にひとりさんや皆さんが努力し積み重ねてきたものが、実際にこうして実を結んだのが嬉しくて仕方がないです。

 そのまま、私とひとりさんは顔を見合わせて湧き上がる感情のままに抱き合いました。

 

「有紗ちゃん! 私たち……」

「はい……やりましたね!」

 

 そうして強く抱き合った直後、続けてふたつの衝撃を感じて視線を動かすと、目に涙を浮かばせた喜多さんと、冷静な表情に見えて喜色が強く表れているリョウさんが私とひとりさんに抱き着いてきました。

 

「やった! 私たち、やったんだよね!!」

「……おお、落ち着け、郁代。ここ、こういうときこそ、れれ、冷静に……」

「リョウさんも……いえ、それより喜ぶ気持ちは十分すぎるほどわかりますが、特別審査員のコメントがあるのでそっちに集中しましょう」

 

 もちろん私だって、冷静というわけではありません。冷静であろうと努めてはいるものの、この感情のままに皆さんと喜びを分かち合いたいという気持ちも強いです。

 ですが、それはあとで……虹夏さんが戻って来てからにするべきです。湧き上がる気持ちを必死に抑えつつ、皆さんに声をかけてステージ上に視線を戻すと、目を潤ませた虹夏さんが前に出ており、特別審査員である有名アーティストがマイクを持って、準グランプリとグランプリにしたのと同じようにコメントを行うところでした。

 

『先ほど話した通り、準グランプリ、そしてグランプリのバンドは10代とは思えないほどバンドとして完成していました。それこそ、すぐにメジャーデビューしても通用すると感じるほどに……対して、審査員特別賞に選ばれた結束バンドは、まだバンドとしては成熟しきっていない、粗削りさと課題をいくつも感じるバンドでした』

 

 たしかに、SIDEROSなどに比べるとバンドとしての完成度はまだ及ばないところです。ただ、もちろんそれだけではありません。特別審査員はどこか優しげな声で言葉を続けます。

 

『ですが、悪いわけでは無いんです。例えば、演奏技術に拙さはあるものの伸びのあるいい声のギターボーカル。時折周囲とリズムがズレるものの、卓越した技術を持つリードギターなど……まだまだ、バンドとして未完成だからこそ、剥き出しの荒々しいまでに輝く才能を感じることができました。今後さらに経験を積んで、バンドとして成熟し完成した時、いったいどんなバンドに成長するのだろうと、非常にワクワクした気持ちで聞かせてもらいました』

 

 課題はあると前置きしつつも、結束バンドの可能性を非常に高く評価してくれている様子のコメントに、隣に居るひとりさんの表情も明るくなります。

 そして、結束バンドが審査員特別賞に選ばれた理由も察することができました。おそらくですが、未確認ライオットというフェスのテーマに一番ふさわしいバンドだったということだと思います。

 そんな私の考えを肯定するかのように、特別審査員のコメントは続きます。

 

『もちろん才能だけでなく、現時点での演奏も十分に人を惹き付ける魅力にあふれていました。ですが、それ以上に磨かれ切っていない原石といえる輝き、未来への可能性や期待……まだ見ぬ若い才能の発掘という、未確認ライオットのテーマのひとつに非常に合致していると感じた結束バンドに、今回審査員特別賞を贈らせていただくことを決めました。まさにこういうバンドを見たくて審査員をやっていると言えるほど、楽しませてくれる素晴らしい演奏でした。おめでとう』

 

 もちろん才能だけを評価したわけでは無く、現時点での演奏技術なども高く評価した上で、若い才能を見つけるというテーマに相応しい結束バンドを選考してくれたと語る審査員の言葉に、思わず目の奥が熱くなる思いでした。

 隣に視線を動かすと、ひとりさんも目から涙を零していますが、その表情はとても嬉しそうです。

 

 思えば、最初はやみさんを見返してやる。結束バンドのことを周囲に認めさせてやるという思いから皆さんは参加を決めたのでしたね。

 その願いが叶い、震える声でコメントをするステージ上の虹夏さんには惜しみない拍手が贈られています。フェスに集まった多くの人々が結束バンドを認めてくれているというのは、本当に嬉しいものです。

 そう思っていると、ひとりさんは再びそっと私に甘えるように抱き着いてきたので、ひとりさんの頭を胸に抱えるように抱きしめます。

 

 グランプリが発表された時と同じ姿勢、同じようにひとりさんは泣いていますが、少し前とは涙の意味が違ってきています。

 

「……あっ、有紗ちゃん……嬉しいです」

「はい」

「ほっ、本当はグランプリ目指してて……グランプリを取れなくて……悔しいって気持ちはもちろんあるんですが……それ以上に……どうしようもなく……うっ、嬉しいです」

「悔しがることも反省することもあとで出来ます。いま湧き上がる気持ちを抑える必要なんて無いです。いまは喜びましょう……ひとりさん、よく頑張りましたね」

「有紗ちゃんっ……」

 

 私の背に手を回して強く抱き着いてくるひとりさんの頭を優しく撫でながら、私も目に涙が浮かぶのを感じつつ微笑みました。

 

 

****

 

 

 ステージ上での授賞式などが終わり、残すは閉会式です。ここではグランプリのSIDEROSの後ろに参加バンドが整列する形になります。

 その前に少し運営や審査員からの総評などがあるので、一旦ステージ上に居たリーダーたちも戻ってきます。そして、虹夏さんも戻ってきたわけですが、こちらに向かってくる虹夏さんは一切スピードを緩める気が無いという感じで周囲の邪魔にならないように、それでも可能な限り早くこちらに来たいという感情が全身から感じ取れました。

 

「みんなぁぁぁぁ……わだ、私たち……やったよぉぉぉ!!」

 

 目から涙を零しながら駆け寄ってきた虹夏さんは、手を大きく広げて抱き着いて来て、それを私たち4人が受け止め……5人で抱き合う様な形になりました。

 当たり前ではありますが、私たちも喜びの感情は強く、あまりその手の感情を表に出さないリョウさんでさえ、目からは涙を零していました。

 

「……虹夏、泣きすぎ。まだ閉会式があるのに」

「ぐすっ、リョウだって泣いてるじゃんか……ああ、もうっ、嬉しいよおぉぉ……」

「本当に、私たちやったんですよね。い、いや、グランプリじゃないですけど、それでも、嬉しいです」

「あっ、その、賞を取れたことも嬉しいですけど……たくさんの人に、結束バンドが認められたのが、なにより嬉しいです」

「ええ、ひとりさんの言う通り……あのたくさんの拍手は、間違いなく皆さんが……いえ、私たちが勝ち取ったものですよ」

 

 全員で喜びを分かち合うというのは本当に素晴らしいものです。いまですら抑えきれない喜びの感情が更に相乗効果のように膨れ上がっていくように感じます。

 とはいえ、リョウさんのいうとおりまだ閉会式があり。閉会式では壇上にバンドメンバーも含めたファイナリストが全員上がることになるので、このまま時間を忘れて騒ぐわけにも行きません。

 

「この喜びを抑えるのは大変ですが、もうすぐ閉会式ですから一度気持ちは落ち着かせないといけませんね」

「あっ、そっ、そうですね。全員でステージ上に上がるんですよね」

「……うぅぅ、思いっきり叫びたいぐらいなのに、もどかしい」

 

 ひとりさんが頷き、喜多さんも思いっきり喜びに浸れないことにもどかしさを感じつつも、スマホを取り出して目元などの身だしなみを確認して始めました。

 

「そうだよね。いい加減泣き止まないと……」

「この結果は、虹夏が頑張ったおかげでもある……流石、私たちのリーダー」

「お前えぇぇ、絶対わざと泣かせようとしてるでしょぉぉぉ……でも、ありがとうぅぅ」

 

 涙を拭こうとしていた虹夏さんにリョウさんが追い打ちをかけていますが、アレは素の状態では恥ずかしくて言えないので、この状況で冗談のように言ってしまおうというリョウさんの作戦だと思います。

 ともかくそのまま少しすると虹夏さんも涙を拭いて少し落ち着き、タイミング的にももうすぐステージ上に集合するぐらいです。

 

「そろそろ、ステージ上に集合して閉会ですね。では、皆さん行ってらっしゃい」

「……あっ、そう言うと思いましたけど……そっ、そうはさせません」

「……ひとりさん? なぜ私の手を?」

「あっ、有紗ちゃんもメンバーですから、一緒に行きましょう。というか、絶対に一緒に連れて行きます」

「いえ、あの、ひとりさん私は扱いとしてはマネージャー」

「かっ、関係ないです!」

 

 ひとりさんはそう言い切ると強引に私の手を引っ張りました。もちろん身体能力は私の方が上なので抵抗することは可能でしたが、そんなことをする気にはならず、思わず苦笑を浮かべつつもひとりさんに手を引かれるままにステージに向かい、虹夏さんを先頭にして整列しました。

 

「なんというか、強引なひとりさんは新鮮ですね」

「うっ、あっ、そっ、その、ごめんなさい。でっ、でも、絶対有紗ちゃんも一緒に居て欲しかったので……」

「咎めているわけではありませんよ。むしろ、そうですね……なんだかんだで、こうしてひとりさんと一緒にステージに立てて嬉しいですよ。普段は演奏メンバーではない私は、ステージに上がることは無いですしね」

「え、えへへ、それならよかったです」

 

 はにかむ様に笑うひとりさんに、私も笑顔を返します。そして未確認ライオットのステージ上から、ひとりさんたちが見ていたのと同じ景色を見つつ、閉会の宣言を聞きました。

 

 

 




時花有紗:珍しくぼっちちゃんに押し負けていた。ただ、元々抵抗する気はほぼ無かった模様。

後藤ひとり:まさかの猛将モード……恋人に影響されたのか、強引さを見せた。



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七十九手歓喜の審査員特別賞~sideB~

 

 

 大興奮のままに終わった未確認ライオットのファイナルステージ。見事審査員特別賞を獲得した結束バンドは、片づけを終えてからSIDEROSやケモノリアなどといった知り合いと雑談をしたあとで解散して、観客として見に来ている星歌たちに合流しようと移動を開始する。

 

「まだすぐ帰る必要はないよね。出店とかも結構やってるし、お姉ちゃんやPAさんと合流したら一緒に周ろうよ」

「いいですね! まだまだ、フェスの雰囲気を楽しみたいです!」

「帰って寝たい。でも、お腹も空いたし悩ましいところ……あれ? ぼっちは?」

「私の後ろに居ますよ」

 

 移動しながらも、賞を獲得した喜びは冷めやらぬのか楽し気に話す虹夏と喜多に、疲れたとは言いつつも悪くないといった表情のリョウが続いていたが、その途中でひとりの姿が見えないことに気付いて視線を動かした。

 すると有紗が己の後方に居ると告げ、3人が一番後ろを歩いていた有紗に視線を向けると、有紗の方にはひとりのものと思わしき手があった。

 

「……あ、本当だ。手だけ出てる」

「あ~ぼっちちゃんね。流石にあの観客相手に大舞台で演奏するのは精神ダメージが大きかったみたいだよ。本番中とかはかなり気合入れまくって耐えてたみたいだけど、いまはアリサニウムが切れて補充中だね」

「ああ、そういえば今回は本番前とかにビクビクしてないなぁと思ってたら、相当無理してたんですね」

 

 元々人見知りであり、未だにSTARRYなどではある程度慣れたものの、それでも人前で演奏するのはそれなりに緊張するひとりにとって、このファイナルステージという大舞台での演奏は大変な勇気が必要だった。

 もちろん彼女も成長しており、緊張しつつもしっかりと己の力を出す演奏ができるようになっており、実際に今回のファイナルステージでもひとりは大勢の観客に気圧されることなく演奏を披露できていた。

 ……ただ、それでも相当頑張っていたようで、終わった後はすっかり気力を使い果たしており、例によって有紗の背中にピッタリと張り付いて精神安定を図っていた。

 そんな様子をどこか微笑まし気に感じつつ移動していた結束バンドだったが、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あ、居た居た。お~い!」

「え? やみさんじゃないですか、どうしてここに? 取材ですか?」

「まぁ、取材もあるけど、それとは別件で貴女たちに用事があって待ってたのよ」

 

 現れたのはフリーライターでもあり、結束バンドとは交流のある愛子だった。サードステージの際にも取材に来ていたので、今回も取材かと思って尋ねた虹夏だったが、愛子は曖昧な言葉を返す。

 そして、有紗の背後からひとりがひょっこりと顔を出したのを見て、微笑みを浮かべつつ言葉を発する。

 

「まずはおめでとう。いい演奏だったわ本当に、私個人としては結束バンドがグランプリでもいいと思ったぐらいだったけど……それでも、審査員特別賞も立派よ」

「ありがとうございます。もう、せっかく泣き止んだのにまたウルって来ちゃうじゃないですか……」

「ああ、それで、本題に移るけど……貴女たちに紹介したい人が居てね」

 

 愛子がそう語ると、後方に控えていた深緑のウェーブがかった髪が特徴の女性が一歩進み、虹夏たちの前に立った。

 

「初めまして、ストレイビートというレーベルでマネジメントをしています。司馬都と申します」

「レ……レーベル?」

「はい。サードステージの演奏と、今回のライブを見て気になりまして、是非お話しできたらと紹介をお願いしました」

「レーベル~~!?!?」

 

 ひとりずつ手渡される名刺に、レーベルという言葉に虹夏たちは表情を明るくして喜び合う。都を置き去りにしている感じの光景を見て、有紗は苦笑を浮かべつつバックの中から己の名刺を取り出して都に差し出す。

 

「時花有紗と申します。個人で使用しているもので恐縮ですが……」

「ご丁寧にありがとうございます」

「司馬さん。アドバイスしとく、この有紗ちゃんが実質マネージャーかつ一番話が分かる相手だから、基本的な伝達はこの子にするのがいいと思う」

「……そうですね。他の皆さんは……その、かなりはしゃいでいる様子ですし……」

 

 愛子のアドバイスに都が視線を動かすと、虹夏、喜多、リョウ、ひとりの4人は大はしゃぎしており、完全に話の途中であるということを忘れているみたいだった。

 Nステや冠番組だなどと盛り上がっている4人を尻目に、有紗と都は言葉を交わす。

 

「……なるほど、詳細に関しては後日という形ですね」

「ええ、あまり外で長々と話すわけにも行きませんし、都合のよい日を連絡してくださればこちらで調整します」

「分かりました。皆さんの予定を確認して連絡します。持参物や衣服の指定等はありますか?」

「いえ、そちらは自由で構いません」

 

 落ち着いている有紗との会話はスムーズに進み、後日改めて詳しい話を伝えるということになって連絡先の交換を行った。

 

 

****

 

 

 愛子と都との会話を終えて、結束バンドの面々は改めて星歌たちと合流するために移動する。レーベルから声をかけられたというのは、彼女たちにとってまさにメジャーデビューへの第一歩といった印象で、一様にはしゃいでいる様子だった。

 その様子を微笑みを浮かべて見つつ、有紗は思考を巡らせる。

 

(……結束バンドの獲得した審査員特別賞は、将来性に関する評価の割合が大きいでしょうし、未完成という言葉通りまだ課題も多く若い結束バンドに、この時点でメジャーレーベルが声をかけてくる可能性は低いでしょう。あまり聞き覚えのある名前でもないですし、インディーズレーベルと見ていいでしょうね……いくつか気になる部分はありますが、いまの空気に水を差す必要もありませんね)

 

 有紗の印象としては、確かにレーベルから声はかかったが、メジャーデビューにはまだまだ超えるべき壁がいくつもあるという印象だった。とはいえ、審査員特別賞の獲得とレーベルからのスカウトという続けざまの出来事にはしゃいでいる様子のメンバーに、いまそれを言ったところで水を差すだけだろうと、その辺りの話は後ほど行うことにした。

 

「あっ、有紗ちゃん。私たち、夢に近づいてるんですよね」

「そうですね。確実に夢に向かって進めていると思います。バンドとしてもそうですが、それ以上にひとりさん自身も……」

「わっ、私自身……ですか?」

「ええ、自分で思ってる以上に、ひとりさんは精神的に逞しく成長していると思いますよ。前にもまして、カッコよくなっている印象です」

「あえ? そっ、そうですか……あっ、えと、あっ、ありがとうございます」

 

 穏やかに微笑みながら真っ直ぐに賞賛する有紗の言葉を聞き、ひとりは思わず顔を赤くしながらお礼を言う。ひとりも有紗のことはよく知っており、いまの言葉がお世辞などではなく本心だと理解できるからこそ、どうにも気恥ずかしい感じだった。

 

「……おっと、始まったよ」

「予想された結果ですね」

「胸焼けする前に、さっさと行こう。有紗が一緒なら迷ったりはしないでしょ」

 

 有紗とひとりの纏う空気がどこか甘いものに変化し始めたのを察した虹夏、喜多、リョウの3人は小声で話したあとで少し早足になる。彼女たちも慣れたものである。

 そんな3人の動きに気付かず……いや、有紗は気付いていたがあえて言及することはなく、ひとりと手を繋いで笑顔を浮かべる。

 

「特に、SIDEROSがグランプリを獲得した時、涙をこらえて祝福をしたのは本当に素晴らしいことです。競い合った相手を賞賛するというのは大切なことではありますが、実際に行うのは難しいものです……本当に素敵でしたよ」

「あぅ、あぅ……あっ、有紗ちゃん、褒めすぎです。恥ずかしいじゃないですか」

「素直な気持ちですよ。それで、少し話は変わるのですが……ひとりさん、昨日のおまじないについて覚えていますか?」

「あっ、おまじな――ッ!?」

 

 有紗の言葉でひとりは、先日のおまじない……おでこへのキスを思い出し、爆発するかの勢いで顔を真っ赤にした。

 赤い顔で落ち着かない様子で視線を動かし始めたひとりに対して、有紗は微笑みを浮かべたままで言葉を続ける。

 

「あの時に、額へのキスに意味があると言いましたが、覚えていますか?」

「あえ? えっ、えっと……たっ、たしか、祝福……でしたっけ?」

「はい。その通り、祝福です。祝福には幸福を祈ることという他に、その字の通り幸福を祝うという意味もあるわけです」

「なっ、なるほど……まっ、待ってください、有紗ちゃん!? この話の流れは、なんか不味い気がするんです……なっ、なんか、明らかにそういう前振りみたいな感じが……」

 

 慌てふためくひとりを正面に見ながら、有紗はゆっくり手を伸ばしてひとりの前髪を上げる。それがなにを意味しているかは、ひとりにも察することができて、目を回しそうな勢いで視線が動きまくる。

 だが、それでも距離を取ったり有紗の手を振り払ったりということはしない辺り、有紗に対する好意が見え隠れしていた。

 

「まっ、まま、待ってください。おっ、おお、落ち着きましょう有紗ちゃん。だって、皆も――居ない!? あっ、あれ? なんで? いつの間に……」

 

 周囲に虹夏たちが居ることを理由に有紗を止めようとしたひとりだったが、虹夏たちはとっくにその場から離脱しており、どこにも姿は見えなかった。

 3人がいつの間に居なくなったか分からなくて困惑するひとりだったが、その意識の隙を縫うようにスッと顔を近づけた有紗が、ひとりの額に軽くキスをした。

 

「~~~~~!?!?」

 

 昨日は最初になにをされたのか分からず唖然としたが、いまはなにをされたか分かっているせいもあり、ひとりの頭は一瞬で沸騰するかのように真っ白になった。

 あるいはこのキスだけなら2度目であり持ちこたえられたかもしれないが、ファイナルステージでの精神的な疲労なども合わさると、彼女が再び意識を手放すのはある意味必然だろう。

 

 

****

 

 

 先行して星歌たちと合流していた虹夏たちの元に、遅れて有紗とひとりがやって来た。

 

「あ、ふたりともやっと来た。お姉ちゃんがお祝いに打ち上げ連れて行ってくれるって……え? あれ? ぼっちちゃん……どうしたの?」

「…………精神的に限界を迎えたようで、少し待てば気が付くと思います。いえ、私としても少々テンションが上がっていまして、こうなることは予想できたはずなのですが短絡的に行動してしまいました……反省してます」

「……なにしたんだ有紗?」

 

 なぜか気を失ったひとりを有紗がおぶっており、有紗もなんとも言えない申し訳なさそうな表情を浮かべていて、状況の分からない面々は首を傾げた。

 

 

 




時花有紗:冷静ではあったが、なんだかんだで結果に喜んでテンションが上がっていた。ひとりに再びデコチューをしたが、少々短絡的に行動し過ぎたと反省……もちろん百合的には反省する必要のない大正解である。

後藤ひとり:真っ赤なお顔のぼっちちゃん……でも逃げないし、避けたり拒否したりもしない。

司馬都:登場する度にポンコツが増すビジネスウーマン。最新話付近では虹夏の頭の中でもやさぐれ三銃士と同じ枠にカテゴライズされた。


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八十手向上のハイブランド~sideA~

 

 

 未確認ライオットのファイナルステージから一夜明けた翌日。私は自室でパソコンを使って情報収集を行っていました。内容としては今回声をかけてくださったストレイビートの評判や、アーティストとの雇用契約に関してが中心です。

 インディーズレーベルとしてはそこまで大きくはないものの堅実な仕事ぶりの優良といっていいレーベルではありますが、会社の規模的な兼ね合いもあるのかあまりバンドを深く支援するような契約形態ではなく、スポンサー契約に近い形が主といった感じでした。メリットデメリットはありますが、比較的結束バンドの活動方針には適しているレーベルと思ってもよさそうです。

 

 ちなみに現在は夏休み中ということもあり、私たちは時間に余裕がありますのでレーベルにはさっそく明後日に話を聞きに行くことになりました。

 当たり前ではありますが結束バンドの皆さんはこういった契約ごとには慣れていないので、出来るだけ私がフォローして誤って不利な契約を結んでしまったりしないように気をつけましょう。

 少し話した感じでは都さんはかなり信頼できる方だという印象でした。やや経験の浅さは感じますが、人柄は誠実そうでしたのでいい人に目を付けてもらえたと考えていいでしょう。

 

 そんな風に考えつつパソコンを操作しているとスマートフォンの画面にロインの通知が表示されました。相手はひとりさんであり、その内容は……。

 

『ハイブランドで全身コーデしてワンランク上の女になろうと思うんですけど、私はブランド品に詳しくないので教えてもらえませんか?』

 

 ……なぜ唐突にハイブランド? 別にハイブランドで全身を固めたとしてもワンランク上のコーデになるというわけでは無いと思いますが……ま、まぁ、よくは分かりませんが、決意は伝わってきます。

 ただ、なんでしょう? あんまりいい流れとは言えない気がします。この感覚はそう、ひとりさんがエフェクターを大量購入しようとした時の感覚に似ています。

 そう思った私は、ロインに返信を行います。

 

『なるほど、お話は分かりました。私に可能な範囲であればいくらでも相談には乗りますよ。ただ、ちょっと詳細を聞きたいので、一度会って話しませんか?』

『分かりました。いつでも大丈夫です。動画の収益が結構貯まってて、バンドの活動も順調だからって、お父さんが自由に使っていいって言ってくれたので、お金はちゃんとあります』

 

 なにやらウキウキしているというか、はしゃいでいる感じが文面から伝わってきます。おそらく大金を得たことで気が大きくなって、財布の紐が緩んでいる状態……だとは思うのですが、それ以外にも浮かれている感じが……とりあえず、実際に会って話を聞いてみましょう。

 ひとりさんがブランド品を欲しくて購入するというのであれば問題は無いですが、これまでの様子を見る限りあまりそういったことに興味があるとも思えないので……なんだか不安です。

 

 

****

 

 

 ひとりさんと時間などを相談して、昼の1時に待ち合わせをして落ち合いました。待ち合わせ場所で待っていると、どこか緊張した面持ちのひとりさんがやってきて、私を見つけると大急ぎて近づいて来て不安げに手を握ってきました。

 

「こんにちは、ひとりさん……大丈夫ですか?」

「だっ、だだ、大丈夫です。あっ、有紗ちゃんと会えたらホッとしました……けっ、けど、なんで待ち合わせがここなんですか?」

「ああ、いえ、ハイブランドということだったのでやはり銀座が無難かと思いまして、青山の表参道あたりでもよかったのですが、単純に銀座の方が店が多いので……」

「こっ、ここが、名高いセレブタウン銀座……おっ、オーラが……」

 

 とりあえず先に詳しい事情を聞くつもりではありますが、いちおうひとりさんの希望がハイブランド品の購入だったので、すぐに買い物に行けるように銀座にしました。

 不安げなひとりさんを安心させるように微笑みを浮かべてから、手を少し強めに握ります。

 

「不安に思わなくて大丈夫ですよ。私が一緒に居ますから……最初はどこかカフェにでも入って話をしましょう。ひとりさんの買いたい系統なども知りたいですしね」

「あっ、はい……有紗ちゃんの声は魔法みたいですね。さっきまで、あんなに不安だったのに、いまは凄く安心してます」

「魔法というのは大袈裟ですが、ひとりさんの不安を少しでも晴らせたなら嬉しいですよ。せっかくですし、楽しい時間を過ごせた方がいいですしね。さあ、行きましょう」

「あっ、はい!」

 

 ひとりさんの手を軽く引いて歩き出すと、ひとりさんは嬉しそうに微笑んだあとで私の隣を歩き始めました。どうやら肩に入っていた力は抜けたみたいなので、一安心といった感じです。

 

「……けっ、けど、やっぱり銀座はなんか、お洒落な感じがしますね。せっ、セレブリティオーラに気圧されてしまいそうです」

「セレブリティオーラ? う、う~ん、よく分かりませんが……大丈夫ですか?」

「だっ、大丈夫です。わっ、私もハイブランドを手に入れて、有紗ちゃんみたいにカッコよくて可愛いワンランク上の女になって見せ……あえ? あっ、有紗ちゃん? なっ、なんで頭を撫でるんですか?」

「ああ、いえ、なんとなく微笑ましくて……」

 

 なんだか、背伸びをしているみたいな愛らしさがあって思わずひとりさんの頭を撫でてしまいました。ひとりさんが最高に可愛いので仕方ないですね。

 

 

****

 

 

 雰囲気のよさそうなカフェに入って、ひとりさんと一緒に席に座ってケーキと紅茶を注文しました。比較的店内は空いているので、のんびりと話が出来そうです。

 

「……なっ、なんか、カフェもいつも以上に高級感が……ジャージの場違い感が凄いです。あっ、でも、フローズンケーキ美味しいですね」

「そうですね。気温が高い夏だとより一層美味しく感じますね。ひとりさん、私のケーキも一口どうぞ」

「あむ……おっ、美味しいです。有紗ちゃんも、どうぞ」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 いつも通り一口ずつケーキを交換しつつ、改めて本題に移ることにしました。

 

「……それでひとりさん、ハイブランドの服を買いたいというのは? その、失礼な言い方かもしれませんが、あまりひとりさんはそういった方面には関心がない印象だったので……」

「あっ、はっ、はい。えっと……」

 

 ひとりさんは普段も基本的にジャージですし、あまりそれ以外の服を着ることはありません。ごく稀に、私とデートの際などは一緒に買った私服を着てくれることもありますが、ほぼジャージです。

 少なくともハイブランドに興味があるような感じではないでしょうし、今回の話は本当に寝耳に水でした。

 

「レーベル……よっ、よくは分からないですけど、給料とかもらえるんですよね? そっ、そして、そのままメジャーへの階段を駆け上がっていくわけですし、こっ、これからに備えてワンランク上の女になろうと一大決心をしました」

「…………なるほど」

 

 本当に先に詳細を聞いておいてよかったと、心の底からそう思いました。いえ、よくよく考えればこれは事前に考慮しておくべきでした。

 レーベルと聞くとメジャーデビューへの第一歩であり、強力なバックとなってくれる存在と考えても不思議ではありません。

 

「……ひとりさん、大変言いにくいのですが、まず間違いなくひとりさんが想像しているような形にはならないと思います」

「……え?」

「おそらくですが、ひとりさんのイメージとしてはレーベルというと、事務所のような場所に所属して月収を貰い、大きなバックアップを受けて売り出しというイメージではないですか?」

「あっ、えっ……ちっ、違うんですか?」

「もちろんメジャーレベルなどの中には、そういった強力なバックアップ体制のレーベルもあるかもしれませんが、今回声をかけてくれたストレイビートは、インディーズレーベルです。一通り所属バンドなどの売り出しやプロモーション確認しましたし、情報も集めましたが……契約としてはスポンサー契約に近い形です」

 

 ストレイビートの売り出しは主にサブスクや動画サイトであり、メディア関連にはあまり強いパイプは無さそうな印象でした。

 基本的には制作費の補助のみといった契約が多く、バックアップ体制は強くありません。その分活動の制限もほぼ無いので、自由にできるというのは大きなメリットですが……少なくともひとりさんが想像しているような形の契約にはならないでしょう。

 

「曲の作成に関して製作費を出してくれて、サブスクなどで好評であればCDの作成、その販売も好調であればメディアへのプロモーションといった形の契約形態である可能性が高いと思います。なので、収入の面に関して言うと、現状とほぼ変わらない形になるのではないかと思います」

「…………」

「えっと、ひとりさん? 大丈夫ですか?」

「……あっ、有紗ちゃんに事前に相談して、ほっ、本当に……よかった。危うく、勘違いでとんでもない散財をするところでした」

 

 どうやらひとりさんも誤解に気付いたらしく、心底安堵したような表情を浮かべていました。

 

「ですが、せっかく銀座に出てきましたしハイブランドの店にも行ってみませんか? もしかすると、ひとりさんが気に入るものがあるかもしれませんよ」

「あっ、そっ、そうですね。お金には余裕がありますし……むっ、無駄遣いはできませんけど、ある程度なら……こっ、今後の参考になりますし、ひっ、ひとりじゃ行くのは無理なので……」

 

 いちおうひとりさんがハイブランドを購入しようとする動機である今後のメジャーデビューに備えてというのと、ワンランク上の女になるということに関しても未だ有効ではあります。

 先のメジャーデビューに備えてお洒落を学んでおくのもいいですし、ワンランク上の女というのは分かりませんが、なんにせよ足を運んでみて損をするということはないでしょう。

 

「気に入ったものが見つかれば、購入してみるのもいいかもしれませんね」

「あっ、そっ、そうですね。ワンランク上の女になれるかもしれませんし……そっ、そうなったら、有紗ちゃんも私にメロメロに……」

「すでにメロメロですが?」

「あっ、そうですね。いま、自分で言ってて、凄くいまさらって感じがしました」

「いえ、ですが、普段とは違うひとりさんを見ると、メロメロの度合いがさらに上がるのは不可避ですし、間違ってはいないですね」

「あっ、有紗ちゃんは、相変わらず大袈裟すぎです……嫌な気はしないですし、むしろその……嬉しいですけど……」

「うん? すみません、いま後半声が小さくて聞き取れなかったのですが……」

「なっ、なんでもないです!!」

 

 顔を赤くして慌てた様子で目線を逸らすひとりさんを見て、私は首を傾げました。

 

 

 




時花有紗:相変わらずぼっちちゃんの黒歴史を先んじて粉砕していくできる未来の嫁。ナチュラルにいちゃつくところまでがセット。

後藤ひとり:有紗に事前に相談したおかげで、原作でやった失敗は犯さなかった。最近なんか、チラホラ自分の感情を自覚し始めてるのではと思わしき言動が散見するようになってきた。


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八十手向上のハイブランド~sideB~

 

 

 カフェを出てハイブランドのショップを目指して歩きながら、ひとりはふと思いついて有紗に質問をした。

 

「あっ、そういえば、有紗ちゃんはどうなんですか? やっ、やっぱりハイブランドでびっしり固めてたり、それすら超える特注の服とか着てたりするんですか?」

 

 ひとりにとって有紗は最も身近なハイソサエティの存在であり、その財力が圧倒的であることはこれまででもよく分かっている。

 なので当然セレブらしく高級なハイブランドを沢山所持しているのではないかと思って質問した。すると有紗は穏やかに微笑みながら言葉を返してくる。

 

「時と場合によりますかね。例えば、格式の高い席に赴く際などはひとりさんが想像しているような高級な品を身に着けることもありますし、ハイブランドの品もそれなりに所持はしています。ただ、普段着に関してはハイブランドだからという理由で服を選んだことはありませんね」

「え? そっ、そうなんですか?」

「大事なのは己の好みと合致するかどうかですよ。そういう意味では好んでいるブランドというものは存在しますが、ショッピングモールやセレクトショップで買った服を着ることも多いです。いま着ているこの服も、ハイブランドではありませんしね」

 

 有紗は特にハイブランドに強い拘りは持っておらず、服は単純に己の好みで選んでいると口にした。話しぶりや表情などからもそれが嘘ではないことは伝わってきており、実際思い返してみればひとりと一緒にショッピングモールなどに行った際も、普通に服を購入していたし、買った服を着ているのを見たこともある。

 有紗自身の美貌が凄まじいため、普通の服を着ていてもハイブランドのように見えてしまうというのはあるが、確かにひとりの認識としても、有紗がブランドに拘っているイメージは無かった。

 

「まぁ、結局のところドレスコードや気を遣う必要がない場面では、ファッションも一種の娯楽ですよ。ハイブランドだからといって好みではない服を着るよりも、自分が着たいと思える服を選ぶ方が楽しいですからね」

「……なっ、なんでしょう。まだ店についてもないのに、既に己の浅はかさをボコボコにされてる気分です……こっ、これが真のセレブ……いっ、イキってすみません」

 

 ハイブランドで全身を固めればワンランク上の女になれると考えていたひとりにとって、有紗の言葉はなんとも耳に痛いものだった。なんというか、そう……余裕を感じるのだ。

 

「……しっ、真にランクの高い女は、ブランドに拘らずに自然体なんですね」

「どうでしょう? ランク云々は置いておくとして、単純に私があまり拘りは無いというだけですよ。普通にハイブランドが好きな方も多いのではないでしょうか?」

「あっ、なっ、なるほど」

「私の場合は、最近の普段着を選ぶ基準としてはこのネックレスに合うもので選んでますね」

「え? あっ、そっ、それ……私がプレゼントした……」

「はい。できるだけ毎日着けていたいので、このネックレスを基準に選んでますね」

 

 有紗が服を選ぶ基準にしているネックレスは、ひとりが有紗の誕生日にプレゼントした2種類の宝石が使用されているネックレスだった。

 そう言われて思い返してみると、確かに誕生日以降有紗は私服の時は大体いつもそのネックレスを身に着けていた。

 

(……有紗ちゃん、あのネックレス大事にしてくれてるんだ……うぁっ、どっ、どうしよう……嬉しい。かっ、顔がにやけちゃう……おっ、落ち着け私、ここでいきなりにやけたら変だから、落ち着いて……)

 

 普段は行かないアクセサリーショップに勇気を出して訪れて、これがいいと己で選んだものを有紗が大切に使ってくれているというのは、思わず頬が緩むほどの幸福感をひとりに与えた。

 頑張って選んでプレゼントしてよかったと、そう考えながらにやけそうになる顔と格闘していると、目的のブランドショップに到着した。

 

「あっ、えっと……クッチですね。こっ、このブランドは、私でも知ってます」

「ええ、ひとりさんの好みの服を考えると、有名どころだとクッチではないかと思いました。可愛らしい系よりはカッコいい系が多いですし、デザインもスッキリとしたものが多いですからね」

 

 ひとりはファッションの好みとしてはある程度男性的な……もとい中二病的な、思春期の中学生が好みそうなデザインを好む。逆に清楚な雰囲気やフリフリとした可愛らしい服はあまり好みではない。もちろん有紗もその辺りはしっかり把握しているので、メンズの取り扱いも多いクッチを最初の店に選んだ。

 

 さっそく店の中に入ると……ひとりは、速攻高級店のオーラに気圧されて、有紗の腕にしがみついた。

 

「あっ、有紗ちゃん……こっ、これ、私、完全に場違いでは? 高級ブランド店にジャージで入店した罪で、処されたりしませんか?」

「大丈夫ですよ。気にせず、見て回りましょう」

「はっ、はひ……そっ、傍にいてくださいね。離れちゃ嫌ですからね」

 

 高級店のオーラとジャージ姿の己というギャップに完全に畏縮しているひとりだが、それでも逃げ出したりせずに済んでいるのはやはり有紗の存在が大きい。

 とりあえず、ひとりとしては有紗さえ傍にいてくれれば安心なので、ピッタリと有紗にくっつきながら店内を一緒に見て回る。

 

「あっ、このTシャツ、好きなデザイン……ひっ!? なっ、なな……7万円? こっ、このTシャツ1枚で?」

「ハイブランドですからね。ものによっては10万円を超えるTシャツもありますよ」

「ひぃぃぃ……なっ、なんでハイブランドってこんなに高いんですか?」

「いくつか、理由はありますね。例えばまず品質が非常に高く、素材などにもこだわって製作されています。そしてブランドイメージ。長い伝統や格式によって維持された高級感や信頼感といった、ネームバリューが大きいですね」

 

 ハイブランドが初体験のひとりにとって、1着で5万を超えるようなTシャツは衝撃的であり、あまりに値段に腰が引けつつも有紗に尋ね、ブランドに関しての知識を教えてもらっていた。

 

「あとは単純にヴェブレン効果を見越したマーケティングも関連していますね……簡単に言ってしまえば、商品価値が高いものほど顕示的欲求などを刺激して、需要が増加するというものです」

「あっ、たっ、確かにハイブランドとか買ったら、見せびらかしたいって思ったりするかもしれませんね」

「ええ、そういった伝統や格式、品質、付加価値、販売戦略などがいくつも重なり合った結果として、ハイブランドは高価になっています。ブランドは特にイメージが重要ですからね。金額という分かりやすい数値で、高品質で高価なことに拘ってイメージを作っている感じですかね」

「ふむふむ……なっ、なんというか自分の商品に絶対の自信を持っての販売って感じですね。いいものだからこそ高いって考えると、納得です」

「こういったブランド戦略は特に海外初のブランドに多い傾向ですね。逆にドメスティックブランドなんかでは、高品質なものを安くという考えも多いです」

「どっ、ドメスティックブランド?」

 

 聞き覚えの無い言葉が聞こえてきて首を傾げるひとりに、有紗は優しく微笑みながら説明を続ける。

 

「ドメスティック……国内のという言葉を差す通り、この場合は日本発のブランドを差す言葉ですね。逆に海外発のブランドはインポートブランドと呼ばれますね」

「なっ、なんかそういう言葉を自然と使えると、お洒落上級者って感じがします」

「知識として用語を知っているかどうかはあまり重要ではありませんよ。それより、気になったものがあれば店員に確認して試着してみるのもいいですよ。サイズ違いなどはあまり並べていないので、店員に声をかけて別のサイズがあるかを聞く必要がありますね」

「あっ、いっ、いや、でも、試着したら買わないと……」

「そんなルールは無いので安心してください。でも、せっかくですし私もなにか買いましょうかね? クッチはあまり持っていないので、新鮮ですし」

 

 ビクビクとするひとりを安心させるように優しく告げながら、自分も服を買おうかという有紗の言葉を聞いて、ひとりは分かりやすく目を輝かせた。

 

「あっ、いっ、いいと思います。あっ、あの辺の服とか、絶対有紗ちゃんに似合うと思いますし……あっ、いや、有紗ちゃんは大体どんな服も似合いますけど、かっ、カッコいい系の服も、ほっ、本当に似合うので……」

「そうですか? そう言ってもらえると、嬉しいですね。せっかくですし、お互いに相手に似合う服を選んでみますか? 私もひとりさんに似合いそうだと思う服がいくつか目に付いていますし……」

「あっ、はっ、はい!」

 

 なぜか己の服を選ぶよりも積極的かつ真剣なひとりをみて、有紗は思わず苦笑する。有紗は普段落ち着いた清楚な服を着ていることが多いが、MVの撮影などでみたスーツ姿などのカッコいい系も似合っており、ひとりとしてはどちらも甲乙つけ難いので、どちらも見てみたいという気持ちがある。

 

(有紗ちゃんは足が長くてパンツスタイルも凄く似合うし、カッコいいけど……あんまり普段そういう系統のファッションはしてないから、そういうのを……あっ、でも、有紗ちゃんの好みじゃないかもしれない……そっ、その辺は選んでから聞いてみればいいかな? あっ、あの服とか有紗ちゃんが着たらきっと綺麗で……)

 

 少し前までのおっかなびっくりな様子はどこに消えたのか、ウキウキとした様子で有紗に似合う服を選ぶひとりを見て、有紗は幸せそうに微笑んだあとで軽く手を伸ばしてひとりの頭を撫でた。

 

「あえ? あっ、有紗ちゃん?」

「せっかくですし、また前のようにお揃いの服を探してみますか?」

「あっ、いっ、いいですね。そっ、それだと私も着やすいかも……」

「ひとりさんの好む色合いやデザインだと、あの辺りだと思うのですが……」

「あっ、カッコいいですね。ちょっと、カジュアル感がありますし、あのぐらいの方が……」

 

 有紗の提案に再び目を輝かせたひとりは、有紗の手をギュッと握って楽し気に微笑みながら、有紗と一緒に服を選んだ。

 そして値段を見ずにデザインだけを重視して選んだ結果、会計時に悲鳴を上げそうになったのだが……有紗がまったく気にした様子もなくサッとふたりぶんまとめて支払っていた。

 

 

 




時花有紗:ハイブランドに対して拘りはない。ひとりに貰ったネックレスは毎日着けていたいので、それに合わせたコーディネートを考えて服を購入している。

後藤ひとり:自分の服を選ぶ時と、有紗の服を選ぶ時で積極さも真剣さもまったく違う有紗大好きなぼっちちゃん。カッコいい系の服着た有紗ちゃんも見たいなぁとか、考えながら服を選んでいる様は完全に恋する乙女。


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八十一手散財のレーベル訪問~sideA~

 

 

 買い物を終えてブランドショップから外に出ます。なんだかんだで購入したのは最初に寄ったクッチのショップだけでしたが、それなりに多くのハイブランドのショップを周りました。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「こっ、高級店オーラが凄くて……」

「それなりに回りましたし、ハイブランド巡りはこのぐらいにしておきますか?」

「そっ、そうですね。なんか、金銭感覚が狂いそうです……とっ、というか、結局有紗ちゃんに買ってもらっちゃいましたし!? あっ、あの、やっぱり今からでもお金を……」

 

 最初のクッチのショップでは、ひとりさんとお揃いのコーデで服を購入したのですが、ジャケットの値段が特にひとりさんには予想外だったみたいで、かなり迷っている様子だったので私がまとめて支払いました。

 理由はいくつかありますが、最大の要素として……せっかくひとりさんとペアルックができる気持ちになっていたのに、それが流れてしまうのが嫌だったからですね。なので、むしろ自分のためにお金を使ったと言っていいと思います。

 

「いえ、それは結構です。ですが、もし、ひとりさんがなにかをしたいというのでしたら……こんど、あのお揃いで買った服を着てデートしてください。それが私にとっては一番のお礼です」

「あえ? うっ、有紗ちゃんがそうしたいなら……あっ、いや、その、別にそんなお礼とかじゃなくても……有紗ちゃんが着てほしいなら、いつでも着ますからね」

「それは嬉しいですね。ともあれ、あの服を着て一緒に出掛ける時を楽しみにしていますね」

 

 やりました。ひとりさんとペアルックでデートできる約束を取り付けられました。普通のデートではなく、ペアルックでというのが非常に重要です。ひとりさんは普段ジャージ姿であることが多いので、それ以外の服を着ている時点で貴重ですし、更にペアルックとなると中々ない素晴らしい機会です。いまから本当に楽しみです。

 

「まだ時間的には余裕がありますが、どこか行きますか?」

「あっ、そっ、そうですね……えっと、出来ればどこか庶民的なところが……高級店オーラにやられてるので……」

「なるほど、ではとりあえず少し歩いたところの駐車場に車を呼んでいるので、荷物を預けてから近場でよさそうな場所を探しましょう」

 

 買い物した荷物が多くなっても大丈夫なように、事前に運転手に連絡して近場の駐車場で待機してもらっているので、そちらに荷物を預ければ気軽に遊ぶことができます。

 買い物は十分しましたので、今度はなにかしら遊べるような場所があるといいですね。

 

 

****

 

 

 荷物を預けたあとで、一先ず駅前に向けて歩きつつ周囲を見ていると、ふとある建物が目に留まりました。

 

「ひとりさん、カラオケはいかがですか?」

「かっ、かか、カラオケ!? たっ、確かに、庶民的ではありますけど、なっ、なぜカラオケ?」

「ひとりさんの歌を聞きたいからですね!」

「なっ、なんて真っ直ぐな目……そっ、そんな目をされると断り辛い……うぅ、いっ、いや、でも有紗ちゃんだけに聞かせるならまぁ……」

 

 カラオケという言葉に迷いの表情を浮かべていたひとりさんではありましたが、最終的に了承してくれました。コレは本当に素晴らしいですね。ひとりさんの歌声を聞きつつ、ふたりでゆっくり過ごせるわけですし……。

 

「かっ、カラオケとかあんまり行ったことが無いです」

「気楽に楽しめば大丈夫ですよ。それに今後行く機会もあるかもしれませんしね」

 

 そんな風に話しつつカラオケに入り、部屋を選んで移動します。最初に軽く摘まめるものなどを注文して準備は整いました。

 

「ひとりさん、どちらから先に歌いますか?」

「あっ、有紗ちゃんで……」

「分かりました」

 

 最初は私からということで、以前ひとりさんとセッションしたこともある流行りの曲を入れて歌います。カラオケに来るのは久しぶりですが、問題なく歌えていますね。

 歌自体は喜多さんのボイストレーニングに付き合う際などにも行っているので、ブランクのようなものはほぼありません。一曲歌い終えてひとりさんの方を見ると、ひとりさんはポカンとした表情を浮かべていました。

 

「……ひとりさん?」

「あっ、すっ、すみません!? うっ、歌ってる有紗ちゃんがカッコよくて、つい見惚れてしまって……あっ、うっ、歌も凄く上手かったです」

「ありがとうございます。次はひとりさんが是非」

「あぅ……あっ、あの歌のあとに歌うのは滅茶苦茶ハードルが高い気も……」

 

 少し顔を赤くしつつひとりさんも曲を入れて歌い始めました。やや緊張している様子ではありますが、ひとりさんは綺麗な声をしていますし、音楽をやっていることもあって音程はバッチリ掴めています。

 

「素晴らしかったですよ。音程もちゃんと合ってましたし、綺麗な歌声でした」

「あっ、ありがとうございます……でっ、でも、やっぱり有紗ちゃんの歌と比べると……なっ、なんかコツとかあるんですかね?」

「歌のコツですか? そうですね。カラオケで言えばよく言われるのは母音を意識することですね」

「母音、ですか?」

「はい。たとえば君の~という歌詞が当たっとすると、き~み~の~と伸ばして歌うのではなく、きい、みい、のおといった感じで母音を意識して発音すると、歌声が安定して聞こえますね」

「なっ、なるほど……」

 

 実際カラオケで言えば、母音を入れた上で音の強弱を意識するとかなり劇的に聞こえ方は変わってきます。ひとりさんは音程はしっかりあっているので、簡単なコツをいくつか実践するだけでかなり変わってくる気がしますね。

 

「あとは声の出し方とビブラートの利かせ方ですね。声の出し方は腹式呼吸を意識するのがコツです。ビブラートに関しては息の吐き方にコツがありましてどこで多く息を吐くかが大事ですね。せっかくですし、少し教えますのでやってみましょう」

「あっ、はい。よろしくお願いします」

 

 ボイストレーニングなどというほど本格的なものではありませんが、ちょっとした声の出し方や息の吐き方を指導をしてみます。

 

「……こんな感じですね」

「あっ、なっ、なんか少し上手く歌えそうな気がします」

「では、せっかくですしデュエットでもしましょうか?」

「あっ、はい。どんな曲――躊躇なくラブソング入れた!?」

 

 ひとりさんがデュエットを了承してくれたので、デュエット曲の中からラブソングを選びました。かなり有名な曲なので、ひとりさんも曲名だけですぐ分かった様子です。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん? これ、結構恥ずかしい歌詞が多かったような……ほっ、本当に歌うんですか?」

「はい。もう始まりますよ」

「あぅぅ……」

 

 そうして始まったデュエットですが、これはもうまさに最高の一言でした。歌詞とはいえ、ひとりさんに「好きだ」とか「愛している」と言ってもらえるわけですし、私も同じように歌詞とはいえそういった言葉を返せています。

 本当に至福の一時でしたが……残念ながらあっという間に終わってしまいました。

 

「……うぅ、かっ、歌詞とは分かってても……恥ずかしすぎますよ」

「ひとりさん、大好きですよ」

「なんでいきなりそういうこと言うんですか!? 完全に、歌詞と関係ないやつじゃないですか!」

「歌詞ではなく単純に私の気持ちなので」

「有紗ちゃんは本当に……あぅ、顔熱い……」

 

 歌詞としてだけでは私の溢れる愛は伝えきれないので、しっかりその辺りは言葉にして伝えておきます。ひとりさんは真っ赤な顔をしていましたが、私の気のせいでなければそれほど嫌そうな顔はしていなかったので……私とひとりさんの絆は順調に深くなっているみたいです。

 

 

****

 

 

 いよいよというべきか、ストレイビートに直接話を聞きに行く日になりました。一度皆でSTARRYに集合してから行く形であり、私はひとりさんと下北沢の駅で待ち合わせをして一緒にSTARRYに向かって歩いて移動していました。

 

「いっ、いよいよですね」

「あまり緊張する必要はありませんよ。基本的には向こうの提示した条件を見て、契約を結ぶかどうかを決める形になるでしょうし、交渉事は私がしますので大丈夫です」

「あっ、有紗ちゃんはなんか、そういうの強そうですよね」

「いちおう経験はそれなりにありますよ。出資関連で直接顔を合わせて交渉する機会も多いですしね」

「……ほっ、本当に有紗ちゃんが居てくれてよかったです」

 

 おそらく交渉の相手は都さんになるでしょう。あくまで初対面での印象ではありますが、20代中盤ぐらいの年齢に思えたので、大学を卒業してすぐに就職したとしてキャリアとしては3年以下の若手の方という印象でした。

 落ち着いていて丁重な雰囲気ではありましたが、やや硬さを感じる辺り場数はそれほど踏んでいる印象ではないので、いざ意見が合わない部分が合っても優位に交渉は行えるとは思います。

 

 まぁ、必ずしも都さんが交渉担当とは限りませんし、実際に細かなやり取りをしたわけでは無いので、実は物凄いやり手という可能性もありますが……少なくとも、私が居れば不利な条件を了承させられてしまう様な事態にはならないと思います。

 ただ、直感ではありますが誠実で真面目ないい人という印象だったので、実際は問題ないと思います。

 

「あくまで私の印象ではありますが、都さんは信頼できそうな人でしたし、大丈夫だと思いますよ」

「あっ、有紗ちゃんのそういう第一印象的な評価って、凄くよく当たりますし、それなら大丈夫そうですね。なっ、なんか経験豊富で、凄くできそうな人でしたし……」

「いえ、おそらくかなり若手の方だと思いますよ」

「あえ? そっ、そうなんですか?」

「どことなく硬さが見えました。まぁ、あくまで私の印象ですが……っと、もうすぐSTARRY……おや?」

「……あっ、あれって、リョウさん……でしたよね? ベース4本ぐらい持ってなかったですか?」

「……そう見えましたね。どうしたんでしょうか?」

 

 そんな話をしながらSTARRYに辿り着くと、丁度リョウさんらしき人物が入り口の扉を開けて入っていくのが見えました。リョウさんはこちらには気づかなかったみたいですが、それより気になったのはリョウさんの格好でした。

 なぜか背中に2本、両手にそれぞれ1本ずつの計4本のベースが入っていると思わしきケースを担いだ重装備だったように見えました。

 少なくとも今日のレーベルを訪ねるという場面で使用するとは思えませんが……なぜあんなに大量のベースを?

 

 リョウさんの意図がよく分からず、私とひとりさんは顔を見合わせて首を傾げました。

 

 

 




時花有紗:黒歴史ブレイカー、図らずもぼっちちゃんがこの後迎えるであろうクラスの祝勝会でのカラオケイベントに対して、事前対策を行う形になった。

後藤ひとり:歌の歌詞とはいえ、好きとか愛してるとかという単語をかなり気にしており、だいぶ意識してる気がする。有紗のおかげで散在しておらず、普通にいつものジャージ姿。

世界のYAMADA:原作通り散財……むしろ、原作では3本だったが、この作品では有紗のおかげで比較的金銭面に余裕があるため、追加でもう1本買って、無事財布は死亡した。敗因:有紗に相談しなかった。


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八十一手散財のレーベル訪問~sideB①~

レーベル訪問と付けながら、レーベルに辿り着いてないので①と小癪な方法を使って延長します。ぼっちちゃんとのいちゃつきを書きたかったので仕方ない。


 

 

 結束バンドがストレイビートに話を聞きに行く日、虹夏はSTARRYの店内で星歌と話していた。

 

「今日レーベルに話聞きに行くんだろ?」

「うん! 皆で集まっていくんだ!」

「そうか、まぁ、浮かれる気持ちは分かるけど気を付けろよ。バンドとレーベルの方針が違ってトラブルになんてのは、しょっちゅう聞く話だしな。実際、私が現役の頃もレーベルから声をかけられたことがあったが、方針が合わなくてな」

「そうなの?」

「ああ、アルバムの製作まで確約って条件は魅力的だったが、その代わりプロデュース関連はほぼ全部レーベル側の指示に従えって感じで、どうにも息苦しそうな感じで断ったよ。まぁ、レーベル側もたくさん金を出すんだから自分たちのやり方でって気持ちも分かるけどな」

「へぇ~」

 

 現役時代にレーベルからスカウトされたことのある星歌の経験談を、虹夏が感心しながら聞いているとSTARRYのドアが開き、リョウが入って来た。

 扉の開く音に振り向いた虹夏と星歌だったが、リョウの格好を見て硬直することになる。

 

「おはよう」

「な、なんだそのフルアーマーは!?」

「なんで4本もベース持って来てるの!? 今日練習とかないよ?」

 

 両肩に1本ずつ、両手にさらに1本ずつ計4本のベースケースを抱えたリョウを見て、星歌と虹夏が驚愕のままにツッコミを入れると、リョウはどこか誇らしげな表情を浮かべた。

 

「いま、ここに来る途中で買ってきた。見たいなら、特別に見せてあげよう」

「……えぇぇ……は、ハイエンドベースばっかりじゃん!? こ、これ、全部だと100万円近くなるんじゃ……そんなお金何処から……」

「ローン組んだ!」

 

 リョウが持って来た……来る途中で買ってきたというベースは、どれも優に20万を超えるであろうハイエンドベースばかりであり、虹夏が青ざめた表情でお金の出どころを尋ねると、リョウは自信満々の表情で目を輝かせてサムズアップをした。

 すると丁度そのタイミングで、ひとり、喜多、有紗の3人がSTARRYに入って来た。

 

「「「おはようございます」」」

「あ、3人ともおはよ~一緒に来たの?」

「ああ、いえ、有紗ちゃんとひとりちゃんとは偶然入り口で……って、リョウ先輩なんですかそのベース!?」

 

 虹夏の言葉に答えつつ笑顔を浮かべていた喜多だったが、直後にリョウの周りにある4本の高級そうなベースを見て驚愕の表情を浮かべる。

 そして同時に有紗とひとりも、STARRYに入る前に見たリョウの姿は見間違えではなかったのかと、顔を見合わせてなんとも言えない表情を浮かべていた。

 そんな3人に対し、リョウはどこか誇らしげに目を輝かせながら告げる。

 

「さっき買ってきた。レーベルに入るし自分へのご褒美ってことで! 返済は未来の自分にまかせた!!」

「お前はもう少し自分に厳しくしろ!!」

 

 明らかに考えなしに散財している様子のリョウを見て、虹夏が大声でツッコミを入れるが、リョウは余裕そうな表情で微笑んでいた。

 

「レーベルから契約料貰って、印税もザクザク入るし、よゆーよゆー」

「……あっ、えっ、えっと……有紗ちゃんが言うには、今回の契約はスポンサー契約みたいな感じで、給料や契約料は発生しないって……」

「……………………ごめん、ちょっと待って。いま、情報を受け止めきれてない」

 

 ひとりがおずおずと告げた言葉を聞き、先ほどまでの余裕そうな表情から一変してリョウは顔の色を無くした。これが適当な相手が言っているだけなら信じないという自己防衛もできたのだが、有紗が情報源となると話は変わってくる。

 しばし硬直したのちに、リョウはギギギと壊れたブリキ人形のような動きで首を動かして有紗に視線を向ける。

 

「……有紗、いまぼっちが言ったこと……マジ?」

「いちおう、ストレイビートに所属している他のバンドのプロモーションなども含めて情報を集めましたので、ほぼ間違いないと思いますよ。おそらくではありますが、レーベル側の補助を受けて曲を作成して、その曲がサブスクなどで十分な人気となって初めてCDが作成されて、印税などが発生するようになる形でしょうね。それなりの期間所属していても、まだCDを出していないというバンドもありましたので」

「……ほ、ほぼ、なんだよね? 可能性としては? 何%ぐらい?」

「99%ぐらいですね」

「じゃあ確定じゃないか!? むしろ、残りの1%はなに!?」

「社外秘で新プロジェクトを企画していて、その契約形態が他と異なる場合などの、極めて特殊なパターンですね」

「…………」

 

 有紗の言葉を聞いて、リョウは真っ白に燃え尽きた。リョウもなんだかんだで有紗を信頼しているし、かなり頼りにしている。その有紗が99%と言うのであれば、もう確定と思っていいレベルであるとも理解していた。

 真っ白になったリョウは、無言でスマホを取り出して隅に移動して電話をかけ始めた。

 

「……あ、あの、先ほどローンを組んで購入した楽器の返品とかって……あ、返品不可……あ、はい。確かに購入時にも説明されました……はい……」

 

 ベースを購入した楽器屋に電話をしているようだったが、どうやら返品は難しそうであり、リョウの顔はどんどん悲痛になっていく。

 その様子をなんとも呆れたような表情で見つつ、虹夏は有紗に声をかける。

 

「有紗ちゃん、今回は本当に頼りにしてるから……いや、ほら、私たちの中でこの手の交渉事に強そうなの有紗ちゃんぐらいしかいないし」

「ええ、どこまで役に立てるかはわかりませんが、可能な限り力になりますよ」

「ありがと~本当に有紗ちゃんが居てくれてよかったよ。それで、その契約形態に関して聞いてもいい?」

「あくまで私の予想ではありますが……」

 

 話が来たばかりの頃は純粋に喜んでいたが、星歌の話などを聞いて果たして己たちに適したレーベルなのかという不安はあった虹夏だったが、有紗の分かりやすい説明を聞いてホッとした表情を浮かべる。

 投資家としての顔も持ち、財界などにもかなり顔の利く有紗はこの状況では本当に頼りになる存在であり、もういっそ「正式にマネージャーでいいんじゃ……」と思ってしまうほどだった。

 

 有紗が虹夏と喜多に予想を交えつつ契約の説明をしていると、既に前もって話を聞いているひとりは電話を終えて項垂れているリョウに心配そうな表情で声をかける。

 

「あっ、リョウさんの気持ちも分かります。わっ、私も、てっきり給料とか契約料とか貰えるって勘違いして、ワンランク上の女としてハイブランドの服とか買おうとしちゃいました」

「ぼ、ぼっち……そっか、ぼっちは私の仲間……同じく散財を……」

「あっ、いえ、事前に有紗ちゃんに相談してさっきの話を教えてもらったので、散財とかは……してないです」

「ちくしょう! なんで私は事前に有紗に相談しなかった……」

 

 もちろんひとりとしては慰めているつもりではある。だが、リョウにしてみれば同じ過ちをした仲間がいたかと思ったら、実はそんなことは無かったと希望を抱いてから叩き落とされており、むしろ追撃を喰らっている気分ではあった。

 

「……じゃあ、ぼっちはハイブランドを買ったりはしなかったのか……」

「あっ、えっ、えっと、いちおう服一式とジャージを……それだけで100万円超えてて震えました」

「え? 散財……してるじゃん……」

「あっ、えと……有紗ちゃんが買ってくれたので……その……」

「くそっ! コイツ、恋人の財力がチート過ぎる!!」

「こっ、恋人じゃないですって!?」

 

 そう、なにより大きな違いとしてひとりには有紗というあまりにも強大な味方がいる。数十万はするハイブランドの服であっても、有紗には大した金額ではない。

 真っ赤な顔で否定するひとりの声も聞こえない様子で項垂れたリョウは、ただそれでもなんだかんだで自業自得であるというのは理解しているのか、安直に有紗に助けを求めたりはしなかった。

 

「……あ、誰か、ベース買わない? その、新品だけど定価の1割引きでいいから……あ、有紗、ベースとかどうかな? ぼっちとセッションの幅も広がると思うし、わ、私、教えるから……」

 

 まぁ、遠回しに助けは求めるのだが……縋るような涙目を浮かべるリョウを見て、有紗はしょうがないなぁと言いたげな表情で苦笑を浮かべる。

 

「そうですね。じゃあ、1本だけ定価で購入しますよ。残り3本はちゃんと、ご自身でローンを払ってくださいね?」

「あ、有紗ぁ……ありがとう、本当に、ありがとう……」

「自業自得なんだから放っておけばいいとも思うけど、さすがにちょっと哀れだし……リョウ、ちゃんと反省しなよ」

 

 結局有紗が1本のハイエンドベースを定価……にローンの金利分を上乗せした金額で買い取ってくれることになり、リョウのダメージはある程度軽減された。もちろんそれでも、3本のハイエンドベースのローンは残ったままなのではあるのだが、4本の時に比べればマシである。

 心から安堵した表情を浮かべるリョウを見て苦笑しつつも、ひとりの頭の中にはある考えが浮かんでいた。

 

(あっ、あれ? でもこれって、経緯はどうあれ有紗ちゃんがベースを手に入れたわけだし、有紗ちゃんがベースの弾き方をある程度覚えたら、またセッションとかできたり……たっ、楽しそう! キーボードとのセッションはもちろん最高に好きだけど、ベースとのセッションもまた違った雰囲気になると思うし、絶対楽しい!)

 

 有紗の弾くベースとセッションすることを頭に思い浮かべ、ソワソワと期待するようなひとりの視線に気付き、有紗は優し気に微笑みを浮かべる。

 

「ですが、ベースを覚えてみるのもいいですね。ひとりさんのギターとセッションしたら、キーボードの時とはまた違って楽しそうです」

「あっ、はっ、はい! わっ、私もそう思ってました。もちろんキーボードを弾く有紗ちゃんは、最高にカッコよくて大好きですけど、ベースを弾く有紗ちゃんもきっと凄く素敵でカッコいいと思うんです」

「空いた時間にゆっくり練習してみますので、また一緒に演奏しましょうね」

「はっ、はい! あっ、手伝えることがあったらいつでも言ってくださいね。いくらでも力になります!」

「ふふ、それは頼もしいですね」

 

 喜びでテンションが上がっているせいか、有紗のことを「カッコよくて大好き」と発言したことに気付かずひとりは非常に楽しげだった。

 なお、後に……具体的にはその日の夜の就寝前に己の発言を思い出して悶絶するのだが、いまの彼女にそれを知る由もない。

 

 

 




時花有紗:ほぼマネージャー。メンバーからの信頼度は非常に高い。流れでベースを購入することになったが、実際ひとりとセッションの幅が広がるのはいいなぁと思っている。リョウに関しては全額立て替えてあげることも余裕だが、それではリョウのためにならないので、1本分だけ助けた。

後藤ひとり:なんか本音みたいなのがポロりしちゃったぼっちちゃん。有紗とのセッションが大好きなので、テンションが上がり過ぎた結果である。リョウに関しては、本当に追い打ちを仕掛けるつもりは無く普通にフォローしようとした……が、ぼっちちゃんのコミュ力では無理である。

世界のYAMADA:有紗のおかげで最悪は免れたが、3本分のローンは背負ったままである。今回の件以外にも日頃から有紗には世話になっているという自覚はいちおうあるため、メンバーの中でも明確に有紗にだけは勝てないというか、頭が上がらない。

喜多郁代:実は有紗のおかげでリョウが原作より金銭面や食事面で困窮していないため、あまりたかられていないためお小遣いの前借りとかもしていないし、成績も落ちるどころかかなり上がっていることもあって、原作とは違って母親も割とバンド活動に好意的であり、普通に仲は良好と間接的ではあるが良い影響を受けまくっている。


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八十一手散財のレーベル訪問~sideB②~

 

 

 リョウの一件でひと悶着はあったものの、改めて全員揃ってストレイビートの事務所に向かうことになった。ストレイビートの事務所も下北沢にありSTARRYから徒歩3分ほどと比較的近い場所にあった。

 

「3分圏内にそんな事務所っぽい場所なんてあったっけ?」

「どっ、どうでしょう? 店がある通りは、結構行ってるんですが……」

「道が一本変わるだけで見覚えのない景色になりますし、メジャーレーベルならともかく、インディーズレーベルなので、それほど大きな建物ではないのでは?」

 

 歩きながら呟くリョウの言葉に、比較的練習終わりなので近場を散策しているひとりと有紗が答える。

 

「伊地知先輩、アレじゃないですか?」

「え~と、ああ、あの建物だね! あそこの2階だって」

「……有紗の話聞かずに見てたら、絶望しそうな外観」

 

 ほどなくして目的の事務所が見えてきたが、かなり年季の入った雑居ビルでありメンバー内で一番浮かれていたリョウが、遠い目をして呟く。

 ビルに入って2階にあるストレイビートの事務所に移動し、呼び鈴を鳴らすと都が扉を開けて出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました」

「本日はお世話になります」

 

 軽く挨拶を交わして事務所内に入り、都の案内で事務所内の会議スペースに通されるとそのタイミングで有紗が手に持っていた紙袋を差し出した。

 

「都さん、こちら焼き菓子なのですが、よろしければ皆さんで召し上がってください」

「これは、気を使っていただいてありがとうございます」

「……有紗ちゃん、いつの間に手土産を……」

 

 用意していた手土産を都に手渡したあとは、促されて結束バンドの面々が横並びに席に座り、対面に都が座る形になった。

 全員が着席したのを確認してから、都は軽く頭を下げて話し始める。

 

「改めまして、自己紹介をさせていただきますね。ストレイビートでマネジメントをしております。司馬都と申します。本日はご足労いただき、ありがとうございます」

「それでは、こちらもメンバーを代表して私だけ再度自己紹介をさせていただきます。時花有紗と申します。結束バンド内ではマネージャーに近い役回りを任されております。本日はよろしくお願いします」

 

 キリッとした佇まいで挨拶をする都に、有紗も穏やかな口調で挨拶を返す。他の4人はかなり緊張して背筋が伸びていたが、有紗は慣れているのか自然体だった。

 するとそのタイミングで、会議スペースに結束バンドとも面識があり、都を紹介する切っ掛けとなった愛子がお茶を持ってやってきた。

 

「お、お飲み物どうぞ……」

「え? やみさん!? なんでここに?」

「ちょうど人手が足りなかったのでバイトとして働いて貰うことにしました」

「……ライターだけで食べていくのは難しくてね」

 

 思わぬ顔見知りとの遭遇に少々驚きつつも、気を取り直して本題に入ることになる。

 

「……では、本題に入らさせていただきますが、レーベルと聞いてどんなイメージを持たれましたか?」

「そうですね、主にバンド活動に関するバックアップをしてくれるという印象です」

「なるほど、具体的にどのようなバックアップかなどの想定はありますか?」

「多種多様ではあるのでしょうが、ストレイビートさんの傾向もある程度事前に調べさせていただきました。形式としてはスポンサー契約に近く、主に曲作りに関する資金面の補助、サブスクや動画サイトでの広報活動、一定の人気が見込めると判断した場合のCD作成などがメインのバックアップであると認識しています」

「……え、ええ……ほぼ完璧にその通りです。ほとんど説明することがありませんね。細かい内容に関してはこちらの書類をご確認ください」

「ありがとうございます。拝見させていただきます」

 

 あまりにも落ち着いており、情報も非常に正確な有紗に若干驚きつつも都は契約内容が書かれた書類を結束バンドの面々に配る。

 ほとんどのメンバーは難しそうな表情を浮かべていたが、有紗はじっと真剣な表情で文言を細かく確認していた。

 

「契約の形としては、まずこちらの予算で数曲作成していただいて、それを弊社がサブスクや動画サイトで配信し、売上や再生数が多ければCDのミニアルバムを作成したいと考えています。時花さんが仰られたように、スポンサー契約……専属実演家契約という形式になりますね」

「……有紗ちゃん?」

「基本的には製作費を支給してもらえる以外では、結束バンドの活動自体に大きな影響はありません。バックアップは多くない代わりに自由度も高く、この契約内容を見る限りいままで通りの活動をしつつ、事務所の力を借りてメジャーデビューを目指していく形式ですね」

「なるほど、私たちが個人で出来ることには限界があるし……制限もあまりないなら、結構いい条件だね」

 

 不安げに問いかけてくる虹夏に対し、有紗が簡単に内容を説明する。それを聞いた虹夏は、バックアップが少ない代わりに比較的自由に活動ができる契約は、結束バンドにもかなり適していると乗り気な表情を浮かべた。

 他の面々もある程度有紗が噛み砕いて説明してくれたことで、内容は理解しておりそれぞれ話をしていた。するとそのタイミングで、都が思い出したように口を開く。

 

「……ところで、以前にお話をさせていただいた際に、皆さんが話していた声が聞こえたのですが、後藤さんはギターヒーローという別名義で活動されているのですよね?」

「え? あっ、はっ、はい」

「気になって調べてみたのですが、登録者数も多く動画の再生数も100万越えも複数、多いものでは300万越えまで……凄いですね。宣伝に使わない手はないので、使っても問題ないでしょうか?」

「えっ……」

 

 都が告げたその言葉にひとりは表情を曇らせる。ひとりとしてはあくまで結束バンドの皆の力で売れたいと考えており、ギターヒーローの名を用いての売り出し方はあまり受け入れたくない内容だった。

 できれば公表はしたくないと、ひとりがそう頭に思い浮かべた直後有紗が静かに口を開く。

 

「それに関しては、2点の理由からハッキリとお断りさせていただきます」

「あっ、有紗ちゃん……」

 

 有紗の口調は穏やかなままであり、表情も自然ではあったが気のせいか少し空気が張り詰めたと感じる独特の雰囲気があり、思わず都も背筋を伸ばした。

 

「まず1点目ですが、ギターヒーローのアカウントに関しては結束バンドの音楽活動は一切関係なく、ひとりさん個人が趣味として運用しているものです。もちろん過去に結束バンドの宣伝等を行ったこともなく、あくまで個人のアカウントです。ひとりさん側から提案するのであればともかく、そちら側がプロモーションの一環として求めるのは、少々こちらに記載されている契約範囲を逸脱した要求ではないでしょうか?」

「……仰る通りです」

 

 幼いころからの様々な英才教育で培った気品とでも表現すべき凛とした姿は、一種の風格として空気を支配しており、都も気圧されてしまっていた。

 都は優秀ではあるがまだ入社2年目で、マネジメント業務を受け持つようになってからであれば1年目という若手であり、幼少の頃から様々な権力者と交流を持ち、投資家としての側面もある有紗と比べればまだ場数が少ないので致し方ないともいえる。

 

「続けて2点目に、流行曲のカバーを中心とするギターヒーローと結束バンドでは、明確にファン層が違います。特に現状ではギターヒーロー側のファンの数の方が多いでしょうから、結束バンド自体がギターヒーローの添え物と認識されるリスクや、それぞれのファンが衝突するリスクを考えれば、宣伝効果のメリットよりデメリットの方が大きくなるかと思います」

「……なるほど」

「公表するのであれば結束バンドがメジャーデビューして、そちらの知名度がギターヒーローを上回ってからが適切でしょう。それであれば、人気メジャーバンドのギタリストの別名義として比較的好意的に受け取ってもらえる可能性が高いでしょうしね」

「……確かに、そもそも私が心惹かれてスカウトしたのは後藤さん個人ではなくバンド全体にですし、個人を強く推す売り方は得策ではないですね。申し訳ありません、少々浅慮でした」

「いえ、どうかお気になさらないでください。持ち得る情報が違うのですから、どうしても互いの認識に差異が生まれるのは必然です。そういった部分を話し合うのがこの席の目的ですから、こちらの意見をくみ取ってくださりありがとうございます」

 

 軽く頭を下げて謝罪する都に、気にしないようにと伝えたあとで有紗は変わらぬ穏やかな口調のままで話を続ける。

 

「せっかくですので、契約内容についてもう少し細かく質問してもよろしいでしょうか?」

「ええ、問題ありません」

「では、ストレイビートさんの予算を用いて作成した曲は別として、既に結束バンドが作曲しているオリジナル曲を、将来的にアルバムに収録した場合の権利関係についてですが……」

「それでしたら……」

 

 一度話し合い条件をすり合わせる空気ができたことで、有紗は続けて契約についていくつかの質問を行っていき、都がそれについて順番に回答していく。

 有紗は終始穏やかなままであり、口調も安定している。その余裕すら感じる振る舞いは明らかに経験値の高さを感じさせ、結束バンドの面々にとっては非常に頼もしく映った。

 

「……やっぱ、有紗ちゃんが居てくれてよかったよ。必要なところではしっかりハッキリ言ってくれるし」

「ですね。私たちだけだとこうはいかないですよね」

「というか……さっきから、ぼっちがヒーローじゃなくて完全にヒロインの顔してるんだけど……」

 

 虹夏と喜多が小声で話しているところに、リョウが同じく小さな声で呟いた。それに反応して虹夏と喜多が視線を向けると、都と話を続ける有紗の横顔を頬を赤らめて見つめるひとりの姿が見えた。

 

「まぁ、有紗ちゃんカッコよかったもんね。ぼっちちゃんが内心嫌がってたであろう場面でビシッと言ってくれて嬉しかったんじゃないかな?」

「なんというか、あんな顔してて……よく本人は、あくまで友達だなんて言えるもんですよね」

「完全に恋する乙女の顔してる」

 

 実際いまのひとりの目には有紗はまさにヒーローのように映っているだろう。元々ひとりは、有紗が時折見せる凛々しさに弱い面があったが、いまはまるで己の気持ちを察して守ってくれたかのような頼りがいのある雰囲気もあって、顔を赤らめつつも幸せそうな表情を浮かべており、リョウの言う通り恋する乙女のように見えた。

 

 継続して都と難しい話を続ける有紗と、それを見惚れるように見つめ続けるひとりという光景を眺め、虹夏たち3人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

 

 

 




時花有紗:あくまで終始穏やかで優し気な表情のまま交渉している。ぼっちちゃんが嫌がることは見過ごさない嫁の鑑。ある意味ではギターヒーローにとってのヒーローポジションかもしれない。

後藤ひとり:ギターヒロイン状態。公表しなくちゃいけないかもとしゅんとしたタイミングで、きっぱりと断ってくれた有紗の凛々しい姿にすっかり見惚れてしまい。その後はずっと恋する乙女の顔で有紗の横顔をぼ~っと眺めていた。ふたりきりだったが、腕を抱きかかえたりしていたかもしれない。

14歳(仮):……原作では私が活躍する場面だったはずなのだが……解せぬ。まぁ、この作品ではすでにだいぶ前に和解済みなので問題なし。


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八十二手我慢の契約締結

 

 

 やはり初対面の際の印象通り、都さんはかなり優秀で誠実な方のようで、細かな質問にもひとつひとつ丁寧に答えてくれました。

 

「なるほど、ありがとうございました。いろいろ質問して申し訳ありません」

「いえ、むしろこちらとしても初めの段階で疑問点をしっかりと聞いてくださるのはありがたいです。契約を交わしたあとで、思っていたのと違ったと言われても困ってしまう部分がありますからね」

「そう言っていただけるとありがたいです。契約の内容は十分に理解しましたので、少し皆さんと相談してもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。もしすぐに返答が難しいのであれば、返答は後日でも問題ありませんので……」

 

 都さんに軽く断りを入れてから結束バンドの皆さんの方を見……ひとりさんが信じられないぐらい愛らしい顔でこちらを見ているのですが? これはいったいどういうことでしょうか?

 ちょっとその顔は反則ではないでしょうか……儚げな雰囲気が庇護欲をくすぐるというか、衝動的に思いっきり抱きしめたくなってしまいます。

 しかし、いまはストレイビートさんとの契約の話が先です。ここは我慢するしかないでしょう……くっ、これは想像以上の苦行です。あとで絶対抱きしめましょう。

 

「……有紗ちゃん、難しい顔してるけど、よくない感じかな?」

「え? あ、いえ、そんなことは無いですよ。むしろ結束バンドにはかなり合っていると思います。マネジメントを務めてくださる都さんも信頼できそうですし、私はむしろこの契約に肯定的です。ただ、結束バンドは審査員特別賞を獲得しているので、未確認ライオットの公式HPを見て今後別のレーベルからスカウトが来る可能性もあります」

「あっ、そっ、そっか……サイトに結果が掲載されてから興味を持つってパターンもあるんですね」

 

 もちろん夏フェスの会場にも他のレーベルの人たちはいたでしょうが、グランプリのSIDEROSは争奪戦を見越して早めに声をかけようとするでしょうが、結束バンドについては活動歴や評判を調べてからスカウトでも問題ないと後回しにした方も居る可能性はあります。

 あるいは他県など距離的に現地に足を運ぶのが難しいレーベルなどは、フェスの数日後に公式HPに掲載されるダイジェスト動画を確認してスカウトを行うというのも十分にあり得ます。

 ……まぁ、全員学生なので県外のインディーズレーベルとなってくると、仮にいい条件のスカウトでも受けるのは現実的ではありませんが……。

 ともあれそういった情報を伝えながら、ストレイビートさんとの契約についてどうするかの意見をそれぞれに求めました。

 

「私は、有紗ちゃんと同じくいい話だと思う。さっきの有紗ちゃんとの会話を聞いてて、司馬さんはかなり私たちの意思を尊重してくれてる印象だったし……それ以外にも、知り合いのやみさんが居るから心強いってのもある」

「確かに、他にスカウトが来る可能性があるとしても、真っ先に声をかけてくれたのは司馬さんですし……私も賛成です」

 

 虹夏さんと喜多さんもこの契約には賛成の様子でした。都さんが誠実な方であるというのは、ここまでのやり取りで皆さんにも伝わっているらしく、印象はかなりいいように思えます。

 

「あっ、わっ、私も賛成です……そっ、その、個人とかじゃなくて、結束バンド全体を評価してくれてる感じがしますし、上手くやっていけそうな気がします」

「同じく賛成、STARRYから徒歩3分なのがいい。近い方が楽だし……」

 

 ひとりさんとリョウさんも賛成……となると、私も含め全員賛成ということですね。皆さんと顔を見合わせて頷き合ったあとで、私は都さんの方を振り向いて口を開きます。

 

「お時間を頂いてありがとうございます。相談をした結果、是非ストレイビートさんに所属させていただきたいと意見が一致しましたので、今後ともどうかよろしくお願いします」

「ありがとうございます! こちらこそ、よろしくお願いします。これから、一緒に頑張っていきましょう」

 

 私が代表して契約を結ぶことを告げると、都さんは表情を明るくして微笑みを浮かべました。そしていざ契約を結ぶことが決まったからか、結束バンドの皆さんも緊張を解いて都さんに次々声をかけます。

 

「司馬さんってバリキャリって感じるわ~! 頼りにしてますね!」

「照れますね。まだ入社2年目ですが……マネジメントに関しては1年目です」

「え?」

「司馬さんこう見えてまだ23歳だからね。実はあたしの方が年上なのよ!」

 

 喜多さんの言葉に都さんがまだ若手であると答えると、虹夏さんも喜多さんと同じように都さんがもっとキャリアの長い方と思っていたのか驚いた表情を浮かべていました。

 すると、そんなやりとりを見ていたひとりさんが驚いたような表情で呟きました。

 

「あっ、有紗ちゃんの言っていた通りですね」

「偶然ですが、第一印象が当たっていましたね」

「あっ、有紗ちゃんはやっぱり凄いです」

 

 ひとりさんには一緒にSTARRYに向かう際に都さんが若手であるという予想を伝えてあったので、それが的中していたことに驚いていた様子でした。

 たしかに都さんは落ち着いていて、大人っぽい雰囲気なので実年齢より高く見られやすいかもしれませんね。

 

「私はまだ年齢も経験も浅いですが、責任を持って結束バンドをサポートさせていただきますね」

「まぁ、いざって時はあたしもいるし? 業界長いしコネも結構あるし?」

「その必要はありません。自力でやれますので」

「……有紗さんの雰囲気に気圧されてたくせに……」

「アレはむしろ私がどうこうではなく、時花さんが凄いのだと思います。そしてそのことと、貴女に頼ることは関係ありません」

「……可愛げのない」

 

 気安げに話すやみさんの言葉を一蹴しつつ、都さんは私たちに簡単な今後の予定を説明してくれます。基本的には1曲目のリリースを年明けに行いたいと考えており、スケジュールも今後その形で詰めていく予定とのことでした。

 リョウさんは大学進学する気は無い様子ですが、虹夏さんは進学予定なので丁度大学入学共通テストの時期と重なるので大変ではありますが、その辺は私も含めた周りができるだけサポートしたいところです。

 

 ある程度予定についての話が終わると、契約書にサインを行い、その後はしばし都さんとやみさんとお茶を頂きながら雑談を行いました。

 比較的打ち解けてきて、穏やかに話が進んでいく中でひとりさんがポツリと呟きました。

 

「……あっ、でっ、でも、ちょっと不安ですね。CDを出すためのハードルもありますし……」

「そうですね。ですが、皆さんならきっと大丈夫です……まぁ、それに、いざとなれば少し強引な手を使えばどうにでもなります」

「強引な手? 有紗ちゃん、なにか裏技でもあるの?」

 

 ひとりさんの不安を和らげるように声をかけると、虹夏さんが私の言葉を聞いて首を傾げました。他の皆さんも気になる様子でこちらを見ていたので、私は苦笑を浮かべて言葉を返します。

 

「ああ、いえ、ストレイビートさんのことをいろいろと、親会社も含めて調べましたので……まぁ、その気になれば、それほど労力はかからず経営権が取れそうなので、最終手段としてはそういう方法も……」

「待って待って待って!? なんかサラッと怖いこと言ってる!?」

「……流石有紗、なんかひとりだけマネーゲームで戦おうとしてる」

 

 ……う~ん、半分冗談だったのですが、どうやら本気として受け取られてしまったようです。ああ、いや、嘘を言っているわけではありません。

 実際あまり大きな会社というわけでは無いので、経営権を取る……そこまでいかなくても、ストレイビート側が私の意見を拒否できないぐらいの株式を獲得することは、難しくありません。

 

「……ふふ、失礼、冗談ですよ。流石にそんな方法を取ることはありません」

「な、なんだ冗談か~。もう、ビックリするなぁ」

「伊地知先輩と同じくビックリしました。私も有紗ちゃんならもしかしたらって思っちゃいましたよ」

 

 実際そこまでの手段を取るぐらいなら、もっと他のコネを使ってメジャーレーベルに結束バンドを売り込むなり、お父様やお母様のコネを利用するなり、もっと楽でより効果的な方法はいくらでもあります。

 ただ、ひとりさんもそうですが皆さんも「自分たちの力で夢を掴みたい」という気持ちがありますし、そういった反則に近い手段を取る気はありません。

 

 それに、実際にそんな手段を使わなくとも結束バンドなら自力で夢を掴みとれると……私も信じています。なので、先ほどの話はあくまで冗談です。

 

「あっ、あれ? いっ、今の言い回し……出来ないとは……言ってなかったですよね?」

「ぼっちの恋人は、やっぱ凄いな」

「だっ、だから恋人とかじゃないですって!?」

 

 

****

 

 

 ストレイビートでの話を終えて、ビルの外に出てSTARRYに向けて歩きながら会話をします。

 

「楽しかったですね~! これからのバンド活動にやる気も出てきますね!」

「よ~し、いい曲作るぞ~!」

 

 都さんやストレイビートの印象がよかったため、皆さんかなりいい雰囲気で、年明けに向けてこれから作っていく新曲に関しての話題を生き生きと話しています。

 そんな中で、私は……そろそろ限界が近くなっていました。

 

「皆さん、申し訳ありません。先に戻っておいてくれませんか? 少しひとりさんに用がありまして……」

「え? わっ、私に用……あっ、あれ? なっ、なんで、有紗ちゃんそんな捕食者の様な目を……」

「……う~ん。まぁ、STARRY近いしね。じゃ、私たちは先に行くからゆっくりおいで~」

 

 簡潔に告げた言葉でしたが、虹夏さんはなにかを察したのか喜多さんとリョウさんと一緒にSTARRYに向かって移動していきました。

 そして、私とひとりさんが残ったわけなのですが、ひとりさんは不思議そうな表情で首を傾げます。

 

「あっ、えっと、有紗ちゃん? 用って?」

「申し訳ありませんひとりさん、もう限界なので……失礼しますね」

「え? 限界――わひゃっ!? なっ、なな、なにを!?」

 

 仕方がないんです。コレは本当に仕方がないです。ひとりさんがあまりに愛らしい顔をしていて、抱きしめたいという欲求が抑えきれなかったので、本当に仕方のないことです。むしろ、ここまでよく我慢できたと己を褒めてあげたいぐらいです。

 

「いえ、話し合いの後半ぐらいからひとりさんを抱きしめたいと、そう考えてしまいまして、一度頭に思い浮かぶと気持ちを抑えるのが大変で……」

「あっ、もっ、もしかして、あの時難しそうな顔してたのって……」

「はい。流石に、あの場で抱きしめるのは問題ですしね」

「天下の往来で抱きしめるのも割と問題だと思うんですけど!?」

「我慢の限界だったので……あと、ここは人通りも少ないので大丈夫です……たぶん」

「さっ、最後に不安なの付け足した!?」

 

 ひとりさんは困惑したような表情を浮かべてはいましたが、そっと私の背中に手を回して抱きしめ返してくれているので、嫌がったりしているわけではなさそうです。

 とりあえずこのまましばらく……流石に場所が場所なので、15分ぐらいはひとりさんの温もりを堪能しましょう。

 

 

 




時花有紗:恋する乙女顔のぼっちちゃんの可愛さに思いっきりやられていた。珍しく表情に現れるぐらいに必死に抱きしめたい衝動を我慢していた模様。猛将ではあるがステイする場面ではちゃんとステイできる……道端で抱きしめるのは、通行の邪魔にならなければOK。

後藤ひとり:ぼっちちゃんが凛々しい有紗ちゃんに弱いように、有紗ちゃんも可愛いぼっちちゃんに弱いというある意味互いに特効を持っているようなもの。いきなり抱きしめられて慌てたりツッコミ入れたりしていたが、すぐに抱きしめ返しているあたりラブ度はかなり高い模様。

熟練のチベット:下北沢のバカップルがまたなんか始めることを察してさっさとSTARRYに帰還した。


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八十三手団欒の手持ち花火

 

 

 正式にストレイビートと契約を結び、結束バンドも新たなステージで活動開始という感じではありますが、とりあえず8月中にこれといった大きな活動はありません。

 というのも、未確認ライオットに集中して頑張っていたこともありますし、結果がどうなるか……ひいては結束バンドのメンバーの精神状態がどうなっているか予想もできなかったので、今月に関してはライブの予定も入れていません。

 それに虹夏さんは運転免許を取るため教習所に通っているので時間を作りにくいということもあって、8月は散発的にスタジオ練習があるぐらいで予定はフリーといった感じです。

 

 夏休みという学生にとって時間が沢山ある期間であり、予定の都合も付けやすいとなるとひとりさんと遊びやすいという大きなメリットもあります。

 というわけで今日もひとりさんの家に遊びに来ました。近々一緒に軽井沢に行く予定もありますし、その詳細の打ち合わせも兼ねています。

 

 勝手知ったると言えるほど訪れているひとりさんの家で、お義母様やお義父様、ふたりさんやジミヘンさんに挨拶をしてから出迎えに降りてきてくれたひとりさんと一緒に、2階のひとりさんの部屋に向かいます。

 

「……ところで、ひとりさん? なぜ、リビングに見覚えのある商品券が飾られていたのでしょうか?」

 

 先ほど訪れたリビングに新しく額縁に入った音楽ギフト券2万円分が飾られていました。その音楽ギフト券には見覚えがあります。というか、未確認ライオットの審査員特別賞で貰ったものです。

 審査員特別賞には副賞として楽器やCDなどに使える音楽ギフト券10万円分が付いて来て、それを私たち5人で分けたので、ひとり2万円分所持しています。

 ただ、それがなぜ真新しい額縁に入ってリビングに飾られているかは分かりません。

 

「あっ、えっと、お父さんとお母さんがはしゃいじゃって……しっ、審査員特別賞の賞状はSTARRYにありますし、代わりに商品券を飾って同額のお金をくれました」

「なるほど……まぁ、おふたりらしいですね」

「あっ、あはは、でっ、ですね」

 

 たしかに審査員特別賞の賞状とミニトロフィーはバンドに対して贈られたので、ホームであるSTARRYに保管しています。星歌さんがウキウキと、スタッフルームに飾っていました。

 お義母様とお義父様のことですから、ひとりさんが頑張った記念としてなにかを飾りたいと考えたのでしょうね。テストの最高点も飾っていますし……それで、音楽ギフト券を飾ったと。

 言われてみればなるほどと感じることに、ひとりさんと顔を見合わせて苦笑しました。

 

「ああ、そういえばひとりさん。軽井沢に出かける件なのですが……」

「あっ、今日打ち合わせするんでしたよね?」

「はい。いろいろ考えてみたんですが……特定のホテルなどではなく、避暑地にある別荘に行きませんか? 軽井沢高原の辺りにお父様がかなり広い土地と別荘を持っているので……」

「すっ、凄く当たり前のように別荘とか言い出した……まっ、まぁ、有紗ちゃんと思うと全然不自然に聞こえたりはしないですけど……」

 

 軽井沢にはかなり強めのコネがあるので、通常であれば確保が難しい人気の宿泊施設なども予約することは簡単ですが、少し考えがあって別荘への宿泊を考えました。

 

「最初は冬に行った箱根旅行のように観光地を巡ることも考えたのですが、未確認ライオットのファイナルステージやレーベルと多くのことがあったので、なんだかんだで疲れが溜まっているでしょうし観光ではなく避暑をメインにしようと思いました」

「なっ、なるほど……確かに、ここの所いろいろありましたね」

「ええ、それで、別荘で基本的に私とひとりさんのふたりで過ごす形ですね。一緒に料理をしたり、近場に湖などもあるのでそちらに行ったりというのを計画してます」

「あっ、でっ、でも、私もその方がいいかもしれないです。人が多い観光地とかよりは、そうやって有紗ちゃんとふたりで過ごすのが楽しそう……」

 

 旅館やホテルと違って別荘で過ごす間は、食事の用意などは自分たちですることになります。それは言ってみれば朝から晩までひとりさんとふたりきりという大変に素晴らしいシチュエーションです。

 そしてまるで新婚生活のようにふたりで料理をしたり遊んだりと、涼しい高原には夏に定番となる虫なども少なく、軽井沢高原は8月の平均気温も20度前後とかなり過ごしやすいです。

 

「それとですね。今回は楽器も持っていきましょう。というか、事前に私の家の使用人の方に運んでもらっておく予定です。それなら移動中に荷物にならないですからね」

「あえ? がっ、楽器ですか?」

「ええ、アンプなども合わせてですね。今回行く別荘の土地はかなり広く楽器を演奏しても近隣の迷惑になったりしないので、大自然の中でセッションなども楽しいのではないかと思いまして」

「あっ、たっ、楽しそうです! いいですね! 屋外でのセッションとかだと、音の聞こえ方とかも違ってきますし、たっ、楽しみです!」

 

 私の言葉を聞いてひとりさんは非常に喜んでくれて、明るい表情で何度も頷いてくれました。軽井沢の別荘はお父様がお母様や私と一緒に、家族水入らずで過ごせるように建てたものなので、土地も広いですし別荘内もかなりいろいろなものが揃っていて、私とひとりさんのふたりだけでも不自由なく生活できます。

 ひとりさんも将来的には家族になるわけですし、別荘を使用するのもまったく問題ありませんし、実際お父様も快く使用許可を出してくれました。

 ただ若干不安なのは、食材などを事前に別荘に用意しておくのですが……お父様が用意してくださると言っていました。お父様は家族に対する贈り物に加減を知らない方なので、山海の珍味などの超高級食材が山のように用意されている気がします。

 素人が取り扱えないような食材を用意しないように釘を刺しておきましょう。

 

「そうです。せっかくですし、軽井沢で過ごすときは前に買ったお揃いの服にしませんか? ジャージもお揃いで買いましたし、それを着て過ごすのもいいのではないでしょうか?」

「あっ、たっ、確かにジャージだと動きやすそうですね。まぁ、クッチのジャージなので贅沢ですけど……」

「ふふふ、そうですね」

 

 その後もひとりさんと軽井沢に行く日程などを話し合います。今回は目的地が別荘なので、ある程度日程などの融通は効きますし、それほど準備が必要でもないのですぐにでも行けそうです。

 ひとりさんと旅行も楽しみですが、別荘に居る間はずっとふたりきりと思うと、それも本当に素晴らしいですね。湖では釣りなどもできますし、いろんなことを一緒にしてみたいものです。

 そんな風にひとりさんと楽しく会話していると、部屋がノックされお義父様とお義母様とふたりさんがやってきました。

 

「有紗ちゃん、ひとり、後で皆で花火でもやらないか? 少し行ったところにある河川敷は花火をしても大丈夫だからね」

「はなび~。おとーさんと一緒にスーパーで買ってきたんだよ!」

 

 そう言ってふたりさんが掲げたのはこの時期コンビニやスーパーでよく見かける手持ち花火を中心としたパックでした。

 そういえば花火もいつか一緒にやろうと話していましたし、ある意味ではちょうどいいタイミングかもしれませんね。そう思ってひとりさんの方を見ると、ひとりさんも私の意図を察したのか頷いてくれました。

 

「お誘いありがとうございます。それでは、せっかくの機会ですしご一緒させていただきますね」

「やった~! 有紗おねーちゃんと花火~!」

 

 嬉しそうに飛びついてきたふたりさんを抱き留めて、軽く頭を撫でながら微笑み返します。花火ということなので日が暮れてからになるでしょうが、楽しみですね。

 とりあえず迎えの時間を調整する必要があるので、じいやに一報だけ入れておきましょう。

 

 

****

 

 

 ひとりさんの家で夕食を頂いたあと、お義父様の運転する車で河川敷に移動して手持ち花火をひとりさんと一緒に楽しみます。

 

「あっ、なっ、なんか、いいですね」

「そうですね。大きな花火とはまた違ったよさがありますね」

 

 打ち上げ花火も非常に綺麗で見ていて楽しいですが、手持ち花火もまた違ったよさがあるものです。綺麗な花火を眺めつつ、他愛のない会話もできるというのがいいですね。

 

「おねーちゃん! 有紗おねーちゃん! 一緒にこの花火やろ~」

「あっ、うん。危ないから、火をつけるのはお姉ちゃんがやるからね」

「うん! えへへ……」

「うん? どうしたの、ふたり?」

 

 花火を持って来たふたりさんは、ひとりさんを見てなにやら楽しそうに笑顔を浮かべて、それを見たひとりさんが不思議そうに首を傾げます。

 

「おねーちゃん、前は幽霊みたいだったけど、有紗おねーちゃんと会ってから? バンドに入ってから? なんか、カッコよくなったよね~。この前のフェス? での演奏もカッコよかった!」

「え? そっ、そうかな?」

「うん! 100点満点中58点ぐらい!」

「かなり現実的な数字!?」

 

 そういえば以前に比べてふたりさんは、ひとりさんを慕っているような印象を覚えます。いえ、以前からひとりさんのことは姉として好きではあったのですが、最近は尊敬といった感情もあるような気がします。

 ライブなどで演奏しているひとりさんは素敵ですし、その姿に憧れを持つのも必然でしょうね。

 

「有紗おねーちゃんは100点!」

「おや? ふふ、ありがとうございます」

「ぐぬぬ……でっ、でも、有紗ちゃんが100点なのに関しては、異論は無し……ほら、ふたり、火が付いたよ」

「ありがと~おねーちゃん!」

 

 ひとりさんが火をつけた花火を受け取るふたりさんは嬉しそうで、それを見たひとりさんも優し気に微笑みを浮かべました。なんというか、仲のいい姉妹といった雰囲気で癒されますね。

 そんなことを考えつつ、私とひとりさんも手に持った花火に火をつけ、ふたりさんと3人で花火を楽しみました。

 

「……うぅ、娘たちが仲良さそうに、感動だぁ」

「有紗ちゃんの将来的には私たちの娘だから、3姉妹かしら?」

「義姉は姉妹数のカウントに入るのかな? 3人娘ぐらいでいいんじゃないかな?」

「それだとユニットぽい気もするわね~」

 

 




時花有紗:ひとりといちゃいちゃ旅行パート2を企画。今回はふたりでの共同作業に着目している模様。なお、後藤家ではもう普通に家族として扱われている。

後藤ひとり:有紗ちゃんと一緒に出掛けることに関しては一切抵抗がない模様で、軽井沢も普通に楽しみ。原作と比べ妹のふたりにあまり舐められておらず、姉妹中は結構良好である。

後藤ふたり:高校に入ってからひとりが、有紗の影響もあって精神的に成長しており、バンドを頑張っている姿は素直にカッコよく、勉強などもある程度できるようになり、友達もそれなり増えていることもあって原作のように舐めていたり馬鹿にしていたりという感じがほぼ無く普通に仲良し。友達などにも、姉のバンドのMVなどを自慢している。


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八十四手互恵の軽井沢旅行①~sideA~

 

 

 ひとりさんと軽井沢への慰労を兼ねた旅行の当日となり、私とひとりさんはそれなりの回数一緒に乗っている車で軽井沢の別荘を目指していました。

 楽器類は事前に持って行ってもらっているので荷物もそれほど多くないですし、荷物はトランクにしまっているので車内は広々と使えます。

 

「軽井沢までは高速道路を利用して3時間半ほどですね。実際は途中で休憩も挟むので4時間前後ですね」

「あっ、おっ、思ったより早いですね」

「そうですね。場所によっては乗り換えの多い電車より車で行ったほうが早いこともあるでしょうね。まぁ、本来は長時間車を運転する労力が必要ですね。長距離の運転は大変でしょうしね」

「あっ、ですね。集中力とか使いそうですし、高速道路の運転も怖そうです」

 

 私もひとりさんもまだ運転免許を習得できる年齢ではないので分からない部分もあります。ただ、運転手の方と以前雑談をした際には、むしろ高速道路の方が注意する要素が少ないので気楽ではあると言っていた覚えがあります。

 

「なんにせよ、この車を運転してくださっている方は2種免許も所持している方なので任せておけば大丈夫です」

「あっ、えっと、2種免許ってたまに聞きますけど、どういう免許なんですか?」

「物凄く簡単に言ってしまえば、人や物を運んで料金を貰う。つまり商用として車を運転する資格ですね。この車の運転手さんは、以前はハイヤーの運転手をしていた方です」

「なっ、なるほど、運転のプロなんですね。そっ、それなら安心ですね」

 

 お父様が車好きなこともあって、運転手はそれなりの数が雇われていて、私が出かける際には3人の運転手が持ち回りで担当してくれますが、どの方も非常に運転が上手く人柄もよい方ばかりなので、こういった際の運転もひとりさんの言うように安心して任せることができます。

 

「あっ、虹夏ちゃんやリョウさんもいまは教習所に行ってるんですよね? リョウさんは、ちょっ、ちょっと意外でした」

「そうですね。リョウさんはなんだかんだで虹夏さんを気にしていますし、運転できる人が虹夏さんひとりでは今後負担が大きくなるのを見越したのではないでしょうか?」

「たっ、確かに虹夏ちゃんひとりだと大変ですよね」

 

 実際のところは、どうでしょう? 個人的な予想の範疇を出ませんが、虹夏さんが教習所に通う影響で忙しくなって、あまり虹夏さんと遊んだりする機会が少なくなって、寂しさから同じ教習所に入ったようにも思えますが、まぁ、その辺りを知るのは本人だけですね。

 

「昼食はどこかのサービスエリアで食べましょう」

「あっ、はい。結構いろいろ特徴がありますよね。出店があったり、特産品があるイメージです」

「各地の特色が強いでしょうね。特に軽井沢に近い位置のサービスエリアには土産物なども多いでしょうから、帰りはその辺りで皆さんへのお土産を購入したいですね」

 

 車内にはテレビなどもあるので時間を潰す方法はたくさんありますが、普通にひとりさんと会話をしていると途切れることもなく、楽しく話ができるのでまったく問題ありませんね。

 その後もしばらく私たちは、サービスエリアについての話で楽しく盛り上がりました。

 

 

****

 

 

 1時間半ほど車で移動したあと、少々時間的には早めですがサービスエリアで昼食を食べることになりました。サービスエリア内にあるレストランに入り、昼食を食べました。

 そのあとで食後の休憩も兼ねて少しサービスエリアを見て回り、たまたま見つけたソフトクリームを食べることになりました。

 

「8月に入って夏の気温も本番ですし、冷たいソフトクリームが美味しいですね」

「あっ、ですね。私は暑さには強い方ですが、それでもやっぱりジャージだと結構暑いことも多いです」

「確かに、暑そうですね。前を開けたりした方がいいのでは?」

「あっ、でも、すぐにまた車で移動ですし、大丈夫ですよ。ソフトクリームを食べて少し涼しくなりましたし」

 

 ひとりさんは8月でも相変わらずのジャージ姿ですが、本人が暑さに強いという通りあまり辛そうな様子はありません。

 実際夏でも日焼け防止で長袖の服を着る人もそれなりに居ますし、服の素材さえ考えておけばある程度は大丈夫なのでしょうね。あと余談ですが、殆ど肌が紫外線に触れない影響か、ひとりさんの肌は真珠のように綺麗です。

 

「あっ、有紗ちゃん?」

「ああ、申し訳ありません。ひとりさんの肌が真珠のように綺麗だと、そんなことを考えてました」

「いまの会話からなんでそんな考えに!?」

「それより、ひとりさん、こちらのソフトクリームも一口いかがですか?」

「あっ、ありがとうございます。有紗ちゃんも、こっちのをどうぞ」

 

 ひとりさんはチョコレートのソフトクリームで、私は普通のバニラのソフトクリームだったこともあり、一口ずつ交換して食べます。

 もちろん、こうするためにあえてひとりさんとは別のものを選んだというのはありますね。

 

「……そっ、それにしても、やっぱり夏休みだからでしょうか、結構人が多い気がしますね」

「そうですね。家族連れやカップルが目立ちますので、夏休みの影響が大きいのと、今日が日曜日というのもあるのではないでしょうか?」

「あっ、そっ、そっか、今日は日曜日でしたね。夏休みでずっと休みだと、曜日感覚がちょっと狂っちゃいます」

「ふふ、そうですね。車での遠出の利点は、自分たちの時間で動けることでしょうし、天気がいいから少し車で遠くにという人たちも多いのではないでしょうか?」

「なっ、なるほど……虹夏ちゃんが免許を取ったら、私たちもそんな感じになるんですかね?」

「確かに、結束バンドの皆さんで遊びに行くとなると、車で~となる可能性が高いですね。車で移動できるようになると、行動範囲の自由さがかなり広がりますしね」

 

 いずれはツアーなどを行うのでしょうが、一先ずいますぐに免許や車が手に入っても、皆で出かける際に使用するのがメインになりそうではありますね。

 ただ、活動範囲は広がるので他のライブハウスでのブッキングライブに参加しやすくなります。以前知り合ったケモノリアの人たちも、また今度ブッキングライブをやろうと言ってくださっていたので、今後交流の幅が広がっていけばいろいろなライブハウスに出向くことも増えそうです。

 

 そんなことを話しているとソフトクリームも食べ終わったので、ひとりさんと一緒に座っていたベンチから立ち上がります。

 

「せっかくですし、買う買わないは別にしてお土産物のコーナーも見てみますか?」

「あっ、そうですね。あと、車の中で飲む飲み物も買いたいです」

「ではあちらの建物に……おや? 少し変わった移動販売の車がありますね」

「あっ、本当ですね。お洒落な雰囲気ですし、クレープとか……」

 

 飲み物や軽く摘まめるお菓子でも購入しようかと、ひとりさんと一緒に移動していると移動車両型の出店がありました。ポップでカラフルな外観で、ひとりさんの言う通りクレープ屋のような雰囲気で少し興味を惹かれたので、一緒に近付いて見ました。

 するとお洒落なドリンクやスムージーを販売している出店のようでしたが……メニューに載っていた写真に、思わず目が釘付けになりました。

 

 そこには「カップルにオススメ」という文字と共に、ハート形で2口のストローがささったドリングの絵が描かれていました。恋愛映画などではよく見ますが、実物はなかなか見ないカップル用のドリンクです。

 ふたりで顔を近づけて、ひとつのドリンクを一緒に飲む……大変に素晴らしいですし、ここで巡り合ったのは一種の運命のように感じます。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? いっ、嫌な予感がするんですけど……目線が特定のメニューの釘付けになっているかのような、そんな気がするんですけど……」

「……ひとりさん、私、あのドリンクをひとりさんと一緒に飲みたいです」

「やっぱり!? いっ、いや、でもですね……あっ、アレは流石にあからさますぎて恥ずかしいというか、さっ、流石にこんなに人が多いですし……」

「車の中で飲めば問題ないのでは?」

「うぐっ……あっ、いや、そっ、それは……」

「……ひとりさんの気が進まないのであれば、諦めますが……」

「うぅぅぅ、そっ、そんな落ち込んだ顔は……わっ、分かりましたよ! くっ、車の中で、ですからね」

「はい! ありがとうございます!」

 

 ひとりさんが了承してくれたことで、心が晴れ渡っていくかのような幸福感を覚えました。まだ一緒に飲む前からこれ程の幸福感とは、早くひとりさんと一緒に飲みたいです。

 自分でも浮かれる気持ちを実感しつつ、そのカップル用のドリンクを購入して、ひとりさんと一緒に車の中に戻ります。

 私たちが乗っている車の窓は外から中が見えない加工をしてあるので、安心してふたりきりでドリンクを楽しむことができます。

 

「それでは、さっそくいただきましょう!」

「あっ、うっ、嬉しそうですね……あっ、こっ、ここ、これ、思った以上に顔が近くないですか?」

「こんなに近くでひとりさんの顔を見ながら、同じドリンクを飲めるのは本当に幸せですね」

「めっ、メンタル強度の差が……」

 

 ひとつのカップに2口ストローがひとつだけ、それを同時に飲もうとすると顔が近づくのは必然です。離れてみても近くで見ても、ひとりさんの顔は本当に愛らしくて惚れ直す思いです。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? そっ、そんなに見つめられると、恥ずかしいんですが……」

「仕方がないんです。ひとりさんの愛らしい顔がこんなに近くにあるのに目を逸らすなどというのは、大変な困難です。そして、こうしてひとりさんを近くに感じながら飲むドリンクは、普通に飲むより何倍も美味しい気がします」

「私はむしろ味とか分からないんですけど!? うぅぅ、顔面戦闘力の暴力が……キラキラしてるし、可愛いし……」

 

 若干不満げというか、呆れたような様子でドリンクを飲むひとりさんではありましたが……それでもじっと見つめる私から目を逸らしたりすることはなく、顔を赤くしながらも私の望みを叶えるように目を合わせ続けてくれていました。

 そんなひとりさんの優しさを感じると、またいっそう飲んでいるドリンクが美味しくなったような気がして、私は笑みを深めました。

 

 

 




時花有紗:いつも通りのように見えて、やっぱりひとりとふたりで旅行なので結構はしゃいでいる。カップルドリンクを一緒に飲むのは前々からやりたかった。

後藤ひとり:かつては有紗と目を合わせることもできなかったが、いまは普通に目を合わせられるし見つめ合えるし、きっとそこに恋とか愛がある気がする。以前と比べ、最近では有紗のことを「可愛い」とか「カッコいい」と口にすることが増えており、順調に恋愛フラグは進行している感じである。


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八十四手互恵の軽井沢旅行①~sideB~

 

 

 有紗とひとりが仲睦まじく軽井沢を目指して移動しているころ、虹夏とリョウは教習所に通っていた。

 

「リョウ、おはよ~」

「おはよ」

「私今日は実技の方でついにバック駐車だよ! できるかなぁ~」

「へー頑張れ、私も今日はやること多くて忙しい」

 

 挨拶を交わして受付を通った後、講義や実技の時間までまだ時間があるためふたりは待合室の椅子に座って雑談をすることにした。

 教習所には虹夏の方が早く通い始めたので、当たり前ではあるが虹夏の方が進んでいる。

 

「リョウは今日なにやるの? というか、なにそのデカい箱?」

「ティッシュの広告入れの内職。楽器ローン代稼がなくちゃいけないから、忙しくて授業受けてる暇もないぐらい」

「教習所まで来てなにしてんだお前!! というか、その段ボール持ってくる手間ぁ!?」

 

 大きな段ボールを持って来て、教習所の待合室で内職を始めるリョウを見て、虹夏は呆れたような叫び声を上げる。

 

「もー、リョウは誕生日が来月だからまだ免許は正式に取れないけど、夏休み中までに仮免まで進んでおかないと、新学期始まってからじゃ大変だよ。車買っても私ひとりに運転させる気?」

「いざとなれば、有紗に運転手のひとりぐらい手配してもらおう。そもそも、車の運転なんて一瞬でも気を抜いたらあの世に直行の恐ろしいものだし、私がやるべきじゃない」

「確かに言えばなんとかしてくれそうだけど! というか、そのやる気の無さで、そもそもなんで教習所に入ったのさ……いや、私は助かるし嬉しいけどさ」

「………………マルオカートが好きだから」

「は~?」

 

 目を逸らしながら告げたリョウの言葉に、虹夏はなんとも言えない呆れた表情を浮かべた。実際のところは、虹夏が教習所に入って忙しくなり、虹夏に合えない日が続いて寂しくなったリョウがほぼ衝動的に教習所に通い始めたのだが、流石にそんな恥ずかしいことを口にはできない様子だった。

 

「そ、そういえば、私たちがこんなに忙しくしている時に、後輩たちはなにをやっているのだろうか?」

「露骨に話題変えたね。ん~喜多ちゃんは、原宿っぽいね」

「……イソスタとトゥイッターが爆速で更新されている」

「フラストレーション溜まってたのかもね。なんか、更新見てるだけで喜多ちゃんがどう行動してるか手に取るように分かるよ。いまはカフェに入ってるっぽいね」

 

 未確認ライオットのファイナルステージのために最近はバンド活動に集中していた喜多だったが、当然そうなるとフラストレーション……虹夏たちの言うところのキラキラ欠乏症に陥りやすい。

 未確認ライオットも終わって、時間的にも余裕のある夏休みとなれば、テンションが大きく上がるのは間違いなく。最近の遅れを取り戻すかのように、凄まじい頻度でSNSが更新されており、聞いていなくても虹夏とリョウのふたりも喜多が何処でなにをしているか分かるレベルだった。

 

「ぼっちちゃんは、どうだろ? ひとりだったら、外に遊びに行くイメージは無いけど、有紗ちゃんが居るからな~」

「確かに、有紗と一緒なら海に行ってても驚かない」

「あ~海もあるかもしれないね。ぼっちちゃん、今週はバイトのシフトないし遠出しててもおかしくないね」

「私はこんなに忙しいのに、不公平では?」

「いや、ぼっちちゃんのシフトが少ないのは、リョウが鬼出勤してるせいでしょ……」

「……自業自得だった」

 

 楽器のローン代を稼ぐためにリョウはここの所バイトのシフトに入りまくっており、現在は金銭的にも余裕があり、あまり大量にバイトに入る必要のないひとりのシフトが代わりに減る形になっていた。

 ふたりがそんな風に会話をしていると、教習所の待合室に見知った顔がやって来た。

 

「……え?」

「あれ? 大槻さんじゃん!」

「どっ、どうも……奇遇ね」

「本当にね! 大槻さんももしかして、機材車用に免許取りに来た感じ?」

「うちはマネージャーが免許持ちだから運転してくれるとは思うけど、運転できる人数は居た方がいいし、免許もあるに越したことはないからね」

 

 偶然ではあったがSIDEROSのヨヨコも同じ教習所に免許を取りに来ており、ここで遭遇することになった。椅子に座ったヨヨコに虹夏は、楽しげな表情で声をかける。

 

「大槻さんもオートマ?」

「ええ、最初はMTにする予定だったけど……まぁ、この全自動化の時代にわざわざアナログな乗り物に乗る必要なんてないからね」

「なんで微妙に複雑そうな顔したの?」

「なんでもないわ……」

 

 虹夏の質問にやや目線を逸らし気味に答えるヨヨコ。実は彼女は最初はMTで申し込みをするつもりだった。その理由はATよりMTの方がハイレベルで偉く、周りに尊敬されると思っていたからであり、特にMT車を運転するような予定は無い。

 だが、彼女はそこで念のため……そう、本当に念のため……信頼できる相手である有紗に相談してみた。そして、MTとATのメリットやデメリットを詳しく説明されたのち。最終的にATコースを受講することに決めたという経緯があった。

 もちろんプライドの高いヨヨコがそんな経緯を口にできるわけもなく、気まずそうに視線を動かしてからふとあるものに気付いて口を開いた。

 

「そ、そんなことより……それはいったいなにをしてるの?」

「ん? ティッシュの広告詰めの内職」

「……なんで、教習所で内職を?」

「あはは、突っ込まないであげて、経済的にいろいろあってね……あ、そういえば、いまさらだけど大槻さん。未確定ライオットの優勝おめでとう! あの時は、あんまりゆっくりいう時間無かったしね~」

 

 内職をするリョウを訝し気に見るヨヨコに苦笑しつつ、虹夏は未確認ライオットの優勝を称える言葉を投げかける。

 

「ありがとう……貴女たちも、審査員特別賞おめでとう。たしか、レーベルからも声かかったんでしょ?」

「うん。ストレイビートってところに所属して頑張ることになったよ。大槻さんの方はなにか進展あった?」

「いくつかメジャーレーベルからお誘いはきたわ……けど、いまいち私たちのバンドとは方針が合わなかったから、私たちのやり方で続けていくことにしたわ」

「へ~それは思い切ったね。でも、そういうズバッと決めるとこも大槻さんらしいね」

「ふふん、まぁね」

 

 メジャーからの誘いも自分たちの音楽を貫くために断ったと告げるヨヨコに、虹夏は感心したような表情を浮かべる。

 虹夏の賞賛の言葉に誇らしげに鼻を鳴らしたヨヨコは、少しして若干視線を泳がせながら口を開く。

 

「と、ところで私たち来年ツアーするんだけど……対バン相手を探してて、いいバンドがどこにもいないのよね~貴女たち、だ、誰か知らないかしら?」

「私たちバンドの知り合い少ないからな~。特にSIDEROSと対バンできるレベルだと、ケモノリアぐらいしか……力になれなくてごめん。いい相手が見つかるといいね!」

「……通訳呼んでくれないかしら」

「うん?」

 

 ヨヨコの言葉は、遠回しに「一緒にツアーに行かないか?」という誘いでもあったのだが、虹夏はそれに気付くことは無かった。残念ながらヨヨコの遠回しな言葉の意味を正確に察せる通訳……もとい有紗はこの場に居ないため、ヨヨコの意図が伝わることはなく話は次の話題へ移行した。

 

「あ、ツアーと言えば私たちもそのうち機材車を買うつもりなんだけど、なにかオススメってある?」

「定番の一番人気はやっぱりハイエートじゃない? 機材積んで5人乗れるってなると、種類は限られると思うけど……」

「やっぱりハイエートか~見た目もいいよね!」

「でも高いし、人気車だから盗難も多いって聞くわよ」

「……うん。まぁ、値段は大丈夫……ウチはパトロンすごいから……いや、本当に」

「あっ……なんか、全て納得したわ。まぁ、盗難対策はしっかりしなさいよ」

 

 そのまま虹夏とヨヨコは講義の始まる時間まで、しばしの間機材車についての話で盛り上がっていた。なお、リョウは黙々と内職を行っており、さほど会話に参加することは無かった。

 

 

****

 

 

 教習所で虹夏たちが講義を受けていた頃、有紗とひとりは目的地である軽井沢高原の別荘に到着していた。

 

「あっ、ほっ、本当に涼しいですね。風もあって気持ちいいです」

「丁度過ごしやすいぐらいの気温ですね」

「あっ、はい。それに、景色も凄いですね……大自然って感じです。こっ、ここ、全部有紗ちゃんのお父さんの土地なんですか?」

 

 遠方に見える山々、少し離れた場所に見える湖、広い空間と温かみのある木造りの別荘と、文句のつけようがない場所であり、ひとりは心地よさそうに体を伸ばしつつも有紗に尋ねる。

 

「ええ、元々この別荘はお父様がお母様と過ごすために建てたのですよ。お母様は世界的に有名ですから、周囲の目を気にせずにゆっくり羽を伸ばせるようにと……」

「なっ、なるほど、確かにクリスティーナ・フラワーは世界的な女優ですし、プライベートをゆっくり過ごそうと思うと、これぐらいの場所は必要なのかもしれませんね」

「そういった目的で建てた別荘なので、基本的には家族数人で使うことを想定されているため、あまり大きくはないですが……」

「いっ、いえ、十分大きいです。私の家よりだいぶ……」

 

 たしかに大豪邸と呼べる有紗の家と比べれば小さいが、それでも一般的な家よりはよっぽど大きな別荘であり、ふたりで利用するには広すぎるぐらいだった。

 

「生活に必要なものは揃ってますし、今回用に食材なども全部準備してくれているみたいなので、不自由なく過ごせると思いますよ。運転手の方はここからある程度離れた場所にあるホテルに宿泊するので、しばらくは私たちふたりきりですね」

「あっ、なっ、なるほど、そういう形になるんですね」

「ええ、出かけたい時などは連絡を入れれば迎えに来てくれる形です。ああ、そういえば話は変わるのですが、お父様はお母様とこの別荘に初めて訪れた際に、別荘の前でお母様を熱く抱擁したらしいんですよ」

「あっ、そうなんで……んん? あっ、あの、有紗ちゃん? なぜ唐突にそんなことを? そして、なぜ、ジリジリこちらに近付いて――ひゃぅっ!? 展開が早い!?」

 

 唐突に話を切り替えたかと思うと、有紗はスッとひとりに近付いてそのままの勢いでギュッとひとりの体を抱きしめた。

 不意打ち気味の熱い抱擁に、当然ひとりは顔を真っ赤にするが、この状態の有紗になにを言っても無駄だと判断したのか、少ししてため息を吐いたあとで有紗の背中に手を回した。

 心地よい高原の風が吹く中で、しばし有紗とひとりは互いの温もりを確かめるように抱き合っていた。

 

 

 




時花有紗:さすがの猛将。相手に思考の暇を与えない奇襲、ひとりといちゃいちゃする気満々である。

後藤ひとり:よく不意打ちされてるぼっちちゃんだが、最近さらに距離感がバグったせいで、ハグは受け入れるどころか抱き返すようになってきた。

喜多郁代:さっつーと一緒に映えスポットを巡っている模様で、イソスタやトゥイッターにツーショットの写真が何枚も投稿されている。


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八十四手互恵の軽井沢旅行②~sideA~

 

 

 ひとりさんと共に到着した軽井沢の別荘。この別荘は時代に合わせてリフォームはしていますが、外観は建てた頃とほぼ変わっていないらしいです。

 お父様とお母様は新婚の頃に休みを合わせてはこの別荘に来て、ふたりきりの時間を楽しんで愛を育んだと聞きます。その思いでの別荘で、私とひとりさんが愛を育むというというのも感慨深いです……あ、いえ、もちろん慰労がメインです。

 ですが、好きな相手と共同生活のようなことができるわけですから、それは広義の意味では愛を育むと言っても過言ではないでしょうし、新婚生活の予行練習と考えても問題はないのではないでしょうか?

 

「ひとりさん、さっそくですけど予定通りジャージに着替えましょうか」

「あっ、そうですね」

 

 元々軽井沢の別荘に着いたら、お揃いで買ったクッチのジャージで過ごそうという話をしていたので、ひとりさんと私は別荘の中を軽く確認したあとで、ジャージに着替えます。

 学校の授業以外でジャージを着るというのはなんだか新鮮な気分ではありますが、実際かなり動きやすいのでいろいろやるにはよさそうです。

 そんな風に思っていると着替え終わったひとりさんがやってきました。ひとりさんは普段もピンク色のジャージを着ていますが、クッチの黒色がベースのジャージを着るとまた雰囲気が違って素敵です。

 

「……あっ、あれ?」

「どうしました?」

「おっ、同じジャージ……ですよね。なっ、なんでしょう、この差は……」

「なるほど、確かに愛らしさに凛々しさが融合したかのような、ひとりさんの完璧な着こなしには敵いませんし、同じ服を着ていても差を感じるのは必然です」

「逆です! 逆! 有紗ちゃんの着こなしがカッコよすぎて、同じ服着てる感じがしなかったんですよ!」

「いえ、ひとりさんの方が素敵だと思いますが……」

「ぜっ、絶対有紗ちゃんの方が素敵です! こっ、これは、私も譲りませんからね」

「「……ふふ」」

 

 互いに互いの方が素敵だと主張し合った私たちは、少しして顔を見合わせて同時に笑みを溢しました。

 

「これではキリがないので……どちらも素敵ということでいかがでしょうか?」

「あっ、はい。そうですね。たっ、確かに、終わらなそうです」

 

 面白いのはどちらも自分の方が似合っているではなく、相手の方が似合っていると主張していたところですね。なんというか、考えていることが同じというべきか馬鹿馬鹿しくもなんだか楽しい空気です。

 

「あっ、えっと、有紗ちゃん。最初はなにをしましょうか?」

「とりあえず、先に送っておいた楽器や機材を確認しましょうか……ちなみに、撮影もできるように用意してきましたので、ギターヒーローの動画も撮れますよ」

「あっ、それ、いいですね。大自然の中でセッションとか、綺麗な動画が取れそうです!」

 

 ひとりさんと共に楽器や機材を予め運び込んでもらっている部屋に移動しました。この部屋からはテラスに繋がっており、広めのテラスで演奏も行えます。

 アンプなども問題なくあり、延長コードもあるのでそれこそすぐにでもセッションを行えそうでした。ひとりさんの方を見ると、少しソワソワしている様子だったので、少し微笑みながら声をかけます。

 

「ひとりさん、最初は周辺の散策でもと思っていましたが、それはあとでもできますので……天気もいいですし、セッションをしましょうか?」

「え? あっ、はい。やりたいです!」

「では、一緒に準備をしましょうか……そちらのテラスで行う形でいいかなぁと思うのですが、どうでしょう?」

「あっ、そうですね。アンプとかを外に出して……」

 

 さっそくセッションをしたそうな様子のひとりさんに提案すると、ひとりさんは目に見えて嬉しそうな表情を浮かべました。未確認ライオットの慰労も兼ねているのですが、やはりひとりさんにとっては楽器を演奏している時間は非常に楽しいものなのでしょうね。

 ひとりさんと手分けをして、テラスで演奏を行う準備をしました。ついでに事前に話していた動画の撮影も行うつもりでカメラとパソコンの準備も行います。

 テラスは元々食事などを行う想定で景色のいい場所になっているので、ここで演奏をすれば山々と湖をバックに演奏できそうです。

 

「こんな感じですね。ではさっそく始めましょうか、曲はひとりさんの好きなもので大丈夫ですよ」

「あっ、じゃあ、あの曲を……」

 

 嬉しそうな表情でギターを構えるひとりさんに微笑みつつ、私もキーボードの鍵盤に手を伸ばしてセッションを行いました。

 私とひとりさん以外に誰も居ない広い大自然のステージでのセッションは、思った以上に楽しく音もいつもより伸び伸びとしている気がしました。

 

 

*****

 

 

 ひとりさんと楽しくセッションを行ったあと、ある程度のタイミングで休憩をすることにしました。冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持って来て、ひとりさんと一緒にテラスの縁に並んで座って休憩します。

 

「風が気持ちいいですね」

「あっ、はい。なっ、なんていうか疲労が心地よい感じです。あっ、そっ、そういえば、有紗ちゃんのキーボード、ますます上手くなってましたね」

「それは、コツコツ練習してきた成果が出たのかもしれませんね。なにせ、ひとりさんが日々どんどん成長していますので、私もちゃんと練習しておかないとついていけなくなっちゃいますからね」

「……あっ、わっ、私、有紗ちゃんのキーボードの演奏。その、すごく好きです。優しく安心できる音っていうか、こっちが思いっきり突っ走ってもしっかり支えてくれるって確信できて……一緒に演奏してて、本当に、凄く楽しいです!」

 

 そう言って目を輝かせて賞賛の言葉を投げかけるひとりさんを見て、思わず口元が緩みます。私も最近では、むしろピアノよりキーボードの方が得意になっているかもしれません。ピアノで培った技術が使えるというのもありますが、ことひとりさんのサポートという点においては、誰にも負けないという自信もありますね。

 

「それを言うなら、私もひとりさんのギターの音は大好きですよ。私は、音楽……とりわけ楽器の演奏には、演奏者の心が強く影響すると思っています。ひとりさんの音は、凄くまっすぐで音楽に対するひとりさんの心が現れているようです」

「あっ、いっ、いや、そんな……むっ、むしろ私はチヤホヤされたくてギターを始めたようなものですし、動機はむしろ不純というか……」

「きっかけはそうだったかもしれませんが、いまのひとりさんは心の底からギターの演奏を楽しんでいるように感じられますよ。さっきの演奏も、聞いてるこちらが楽しくなるような素敵な音でしたしね。最初の動機がなんであれ、いまのひとりさんのギターの音は透き通るようにまっすぐで、人の心を惹き付けるようなとても素晴らしい演奏ですよ。間近でたくさん聞いてる私が保証します」

「あぅ……そっ、その、ほっ、褒めすぎです。はっ、恥ずかしくなっちゃうじゃないですか……でっ、でも、有紗ちゃんにそう言ってもらえるのは……皆にチヤホヤされるより……嬉しいです。だっ、だから、ありがとうございます」

 

 そう言ってはにかむ様に笑うひとりさんの笑顔はとても眩しく、なんと表現するべきか……ひとりさんの魅力がこれでもかというほど詰まっているような、そんな表情だと感じられました。

 だから、でしょうか? 私の体も自然と動いていました。

 

「……えっ、えっと、有紗ちゃん? なんで、両手を広げてるんですか?」

「いい雰囲気だったので、このまま流れでハグに移行できないかと思いました!」

「そうですね! いまそんな風に言わなければ、完璧だったかもしれませんね!!」

 

 両手を広げてアピールする私に対し、ひとりさんは照れと呆れが混ざったような表情で叫びます。いえ、私の方から抱きしめに行っても問題は無かったのですが、なんとなくひとりさんの方から来てほしい気分だったのです。

 ひとりさんは、両手を広げる私を見て少し沈黙したあとで、大きくため息を吐きました。

 

「……はぁ、もうっ、本当に有紗ちゃんは……でっ、でも、えっと、丁度その……ちょっ、ちょっとだけ、有紗ちゃんに甘えたいなぁって思ってたので……その……」

「はい。思う存分甘えてくれていいですよ?」

「そっ、それは駄目人間になっちゃいそうなので、控えめで……あっ、えっと……失礼します」

 

 そう言ったあとで、甘えるように身を寄せてきたひとりさんを抱きしめて、軽く頭を撫でます。セッションをしたばかりだからか、いつもより少し体温が高く温もりをよりはっきりと感じられます。

 

「うぅ……こっ、これ危険です。ふたりっきりで開放的になってるところに、この安心感は……本当に駄目になっちゃいそうです」

「大丈夫です。仮に駄目になったとしても、私がサポートしてしっかり立ち直らせますので」

「そっ、それはそれでマッチポンプのような……」

 

 そう言って苦笑したあとで、ひとりさんは体の力を抜いて私に身を任せてきました。リラックスしている様子で、ともすればこのまま眠ってしまいそうな雰囲気のひとりさんは、それだけ私に心許してくれているという証拠でもあって、心の底から幸せな気持ちが湧き上がってきました。

 

「……ひとりさん、少し休憩したら湖の方に歩いて行ってみましょうか?」

「あっ、はい。のんびり散歩するのも楽しそうですね。散歩が終わったら、夕方ぐらいですかね?」

「そうですね。片づけをしてから散歩と考えると、そのぐらいになりそうですから、戻ってきたら夕食の用意ですね」

「あっ、ちゃっ、ちゃんと私も手伝いますので……どっ、どのぐらい戦力になれるかは……その、あんまり期待しないでほしいですけど……」

「ふふ、大丈夫ですよ。そうですね。ふたりで、一緒に作りましょう」

「……はい」

 

 リラックスした声で話すひとりさんの頭を抱きしめる力を少しだけ強くして、そのまま穏やかな声でこの後の予定についてをふたりで相談していきました。

 なんとなくではありますが、私とひとりさんの間に流れる空気が温かいような……そんな、なんともいい雰囲気でした。

 

 

 




時花有紗:いちゃいちゃしている。とてもイチャイチャしている。ひとりとお揃いのクッチのジャージ姿で過ごしており、修学旅行の女子高生がいちゃいちゃしている青春感がある。

後藤ひとり:軽井沢の大自然の中で、揃いのハイブランドのジャージを着て、別荘のテラスでセッション……コメント枠の虚言は既にやめたはずなのに、虚言してた頃よりリア充してる感じがするギターヒーロー。他の人の視線が無いからか、結構有紗に甘えている。


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八十四手互恵の軽井沢旅行②~sideB~

 

 

 別荘から湖に向けて続く道を、有紗とひとりは手を繋いで歩く。軽井沢高原に吹く風は真夏にしてはかなり涼しく心地よい。

 揃いのジャージを着て歩くその姿は非常に仲睦まじく、楽し気なふたりの表情も相まってどこか甘い空気が流れているかのようにさえ感じられた。

 

「あっ、こうして近付いて見ると、かなり大きいですね」

「ええ、別荘には釣竿などもあるので、釣りもできるみたいですよ。私は釣りはしたことが無いのですが……」

「あっ、わっ、私も無いです。どんな魚が釣れるんですかね?」

「湖ですから定番なのは鯉や鮒、場所によってはブラックバスやワカサギも居るかもしれません。普通に釣竿に餌という形で釣るなら、鯉か鮒になりそうですけどね」

「ワカサギ釣りって言うと、なっ、なんとなく氷の上で穴をあけてってイメージがあります」

「北海道の氷上ワカサギ釣りは有名ですね。それ以外など、長野や山梨などでのドーム船でのワカサギ釣りも有名ですよ」

「ふむふむ」

 

 有紗の説明にひとりが感心した様子で頷いていると、湖に到着した。湖はかなり美しく、水辺周りはかなり綺麗に整えられている印象だった。

 

「あっ、結構綺麗ですね。もっと草とか生えてるのかと思いましたけど……」

「別荘も含めて、管理を委託していますから月に一度ほどの頻度で整備されていますね。今回は用意していないですが、事前に手配しておけば湖に手漕ぎボートを浮かべて楽しむこともできるらしいですよ」

「あっ、たっ、確かに湖と言えばって感じではありますね。そっ、それはそうと、湖の周りはやっぱりより涼しいですね。あんまりジメッとした感じも無くて、気持ちいいです」

「ええ、それに水面に太陽が反射して、綺麗ですね。こんな美しい景色を、大好きなひとりさんとふたりで見れて幸せですよ」

「あぅ、まっ、また有紗ちゃんはそうやって恥ずかしいことを……」

 

 いつも通りと言えばその通りだが、まったく飾ったり隠すこともなくストレートに告げられる好意の言葉に、ひとりは顔を赤くしつつ、有紗の手を握る力を少し強くした。

 そのままふたりは少しの間静かに沈黙し、美しい湖を眺める。美しい思い出を共有するかのように……。

 

「……けっ、けど、本当に凄いところですね。なっ、なんとなく勝手なイメージですけど、アルプスっぽい雰囲気の場所って感じがします」

「一般的に想像されるアルプス山脈ほど高所ではありませんが、確かに景色のいい高原となるとそうしたイメージを抱きやすいかもしれませんね」

「なっ、なんか空気が美味しい気がします」

「実際都会と比べると、空気は澄んでると思います。空気がいいと、心まで爽やかな気分になれますね」

「……はい!」

 

 有紗の言葉にひとりが楽し気に同意して、ふたりは顔を見合わせて微笑みあう。そして、引き続き散歩を楽しむように湖の近くをのんびりと歩き始めた。

 

 

****

 

 

 十分に散歩を楽しみ、夕方といっていい時間になると別荘に戻って来た。夕方とはいえ、真夏ということもあってまだ夕日などにはなっていないが、時間的に考えればそろそろ夕食の準備に取り掛かった方がいい時間帯だった。

 

「ひとりさん、夕食なんですがテラスで食べませんか? ホットプレートがあるので、肉や野菜を切って持って行って焼きながら食べる。バーベキュー……というよりは焼肉の形ですね」

「あっ、はい。そっ、それなら準備も簡単そうですし、いいですね」

「では、手分けをして食材の下ごしらえをしていきましょう」

「あっ、はい! 頑張ります」

 

 今回は食事などもふたりで用意することになるため、有紗とひとりはそれぞれエプロンを身に着けてキッチンへと向かう……前に、食糧庫になっている部屋で食材の準備を行う。

 食糧庫には巨大な冷蔵庫などが置いてあり、その中には有紗の父親が用意した高級食材がこれでもかというほど大量に詰め込まれていた。

 

「……すっ、凄い食材……」

「お父様……もう少し、女性ふたりということを考慮した量にしてほしいものですね。まぁ、余ったものは後ほど回収するのでしょうが……しかし、流石にどれも品質がいいですね」

「たっ、高そうな食材がいっぱい……肉とか、これ素人が切っていいランクの肉なんですかね?」

「まぁ、せっかくあるのですから有効に使わせてもらいましょう。本当にありとあらゆる食材があるような感じですしね」

 

 見てわかるほどに高品質で高級食材っぽい品々に、ひとりが思わず気圧されるが、有紗はあまり気にした様子もなく肉や野菜を見繕っていく。

 

「ひとりさん、申し訳ありませんが、この野菜類をキッチンに運んでもらえますか? 私は、肉類を選んで持っていきますので」

「あっ、わかりました。先に軽く洗っておきますね」

「よろしくお願いします」

 

 それぞれ野菜と肉を分担してキッチンへ運び、準備を始める。ひとりも料理はあまり得意ではないが、最低限はできるので、それなりに手際よく有紗と手分けして野菜を切っていく。

 

「あっ、えっと、大き目でいいんですよね?」

「ええ、大き目のカットで大丈夫ですよ。夏野菜を中心に、焼いて楽しむ形ですからね」

「あっ、えっと……カボチャも、夏野菜なんですか? なっ、なんとなく、冬に食べるイメージがありましたけど……」

「ええ、確かにカボチャは冬至に食べることもあって冬の野菜というイメージがありますが、実際は4~9月が収穫時期の夏野菜なんですよ」

「あっ、そっ、そうなんですね。知らなかったです」

「カボチャは瓜類の中でも水分量が少なく、長期保存に向いた野菜ですので昔の人たちは夏に収穫したカボチャを保管して、食料の少ない冬に食べたと言います。それもあって、冬に食べるイメージが強いですね」

「なっ、なるほど、有紗ちゃんはやっぱり物知りですね」

 

 分かりやすく説明する有紗の言葉にひとりは感心した表情を浮かべて頷く。そんなひとりに微笑みつつ、有紗は肉を切って軽く下味をつけて準備をしたあとで、ふと思いついたようにキッチンの棚から金属製の串を取り出した。

 

「ひとりさん、せっかくですしバーベキュー風に串に刺してみませんか?」

「あっ、いいですね。美味しそうです」

「全部というわけではありませんし、焼くのもホットプレートですがね……本当は炭火などがいいのでしょうが、私たちだけで火を使うのは危険もありますしね」

「あっ、肉と野菜を交互に刺す形でいいんですかね?」

「ええ、野菜だけの串や肉だけの串を作ってもいいかもしれませんが……ふたりではそんなに食べられませんし、普通に焼く分もあるので数個にしておきましょう」

「でっ、ですね」

 

 有紗もひとりもそれほど量を食べるわけでは無いので、あまり多く作っても食べ切れない可能性が高いので、それぞれ2串ずつ作ることにして、楽しく会話をしながら下準備を進めていった。

 

 

****

 

 

 下準備を終えてテラスに移動したふたりは、ホットプレートを用意して肉や野菜を焼き始める。テラスには夕日が差しており、非常に美しい景色の中で向かい合って食事を楽しむ。

 

「あっ、カボチャ甘くておいしいです」

「トウモロコシもいい焼き加減ですし、こちらの串も焼けてきましたね」

 

 焼くことで甘みの増したカボチャやトウモロコシ、シシトウやミニトマトを刺した串などを楽しみつつ、メインである肉も食べる。

 元々見るからに最高級の肉という雰囲気であり、実際に食べてみると非常に柔らかくそれでいて肉の味をハッキリと感じることができ、非常に美味しかった。

 その美味しさに顔を綻ばせつつ、ひとりは対面に座る有紗を見て思考を巡らせる。

 

(あっ、あれ……なんだろう、今日はちょっと変かも……なっ、なんか、変に有紗ちゃんに甘えたい気分というか……対面じゃなくて隣がいいなぁとか……)

 

 ひとり自身もその気持ちを上手く言語化するのは難しかった。少し前に有紗に促されてしばし抱きしめられていた影響か、それとも今日はずっと隣に居た有紗が対面に座っている状況に寂しさを感じたのか……ともかく、なぜかはわからないが、有紗の傍に居たいという気持ちが強く湧いてきていた。

 

(かっ、かといって、それを口に出すのは恥ずかしすぎるし……スッと、なにも無いような顔して隣に移動できないかな……いっ、いや、絶対顔に出そう)

 

 一度有紗の隣に座りたいと思ってしまうと、そればかり考えるようになったが、さりげなく移動する方法が思い浮かばずに悶々とした表情を浮かべていたひとりだったが、その様子を見た有紗はフッと小さく笑みを溢したあとで立ち上がり、座っていた椅子を持ってひとりの隣に移動した。

 

「あえ? あっ、有紗ちゃん?」

「いえ、対面より隣で食べたい気分だったので……嫌でしたか?」

「あっ、いや……わっ、私も隣が……よかったです」

「では、丁度よかったですね」

「……はぃ」

 

 間違いなく己の心中を察して移動してくれたであろう有紗を見て、ひとりの心にはなんとも言えない嬉しさが湧き上がってきた。

 優しく微笑む有紗を見ると顔が熱くなる実感があったが、決して不快ではなく、少しくすぐったくも……どこか心地よかった。

 

(うぅ、本当になんだろうこれ、甘えたいって気持ちが抑えきれないというか……ちょっ、ちょっとだけ……)

 

 より強く湧き上がってくる有紗に甘えたいという気持ちに、ひとりは少し逡巡したあとで、そっと有紗の肩にもたれ掛かるように少し身を傾けた。

 微かに触れる有紗の温もりになんとも言えない満たされるような気持ちを感じていたひとりに、有紗は微笑みながら焼いていた串を持って、手を添えながらひとりの顔に近付ける。

 

「ひとりさん、はい、どうぞ」

「あっ、ありがとうございます……美味しいです。あっ、その、えっと、ごめんなさい……なっ、なんか、変に甘えちゃって……」

「私はひとりさんに甘えてもらえて嬉しいので、まったく問題ないですよ」

「……あっ、有紗ちゃんは……優しすぎです」

 

 全てを受け入れてくれるかのような優しい笑顔の有紗を見て、ひとりは顔を真っ赤にしつつも嬉しそうに微笑み、もう少しだけ力を抜いて有紗の肩に寄り掛かった。

 

 

 




時花有紗:基本的に平常運転でぼっちちゃんといちゃいちゃしている。甘えてくれるのは嬉しいし、もっと甘えて欲しいぐらい。

後藤ひとり:本人もよく分からないが、有紗ちゃんに甘えたいモードのスイッチが入ってしまったらしく、ふたりきりということもあってそれはもういちゃいちゃしていた。いい加減もう、自分の気持ちは自覚してそうな感じがある。


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八十四手互恵の軽井沢旅行③~sideA~

 

 

 ひとりさんと一緒にテラスで夕食を楽しんだあとは、ふたりで一緒に片づけを行います。私が洗った食器などを、ひとりさんが受け取って拭いてくれます。

 なんというか、こうして一緒に食器の片づけをしていると、頭に思い浮かぶ言葉があります。

 

「ひとりさん、なんだかこうして一緒に作業していると新婚みたいですね!」

「あっ、はえ!? あっ、あぶっ……いっ、いきなりなにを言うんですか!? お皿落とすところだったじゃないですか……」

「いえ、こうして一緒に作業しているとふっと頭に思い浮かんだので……」

「そっ、それをそのまま躊躇なく出力しちゃうところが、最高に有紗ちゃんです」

 

 少し呆れたような表情を浮かべつつ苦笑したひとりさんは、拭いた皿を置いて次の皿を受け取りながら言葉を続けます。

 

「でっ、でも、そういうのって恋愛物とかでよく聞くやり取りですけど、やっ、やっぱり一緒に作業しているのが新婚っぽいってことなんでしょうかね?」

「ふたりで分担して作業をしていると、仲が良さそうに見えるというのも要因だと思いますね。実際、微笑ましい雰囲気という印象ですし……もし仮に、私とひとりさんがふたりで住んでいたとしたら、どんな感じになるんでしょうね?」

「うっ、う~ん。なっ、なんか、いろいろ有紗ちゃんに頼りっきりになっちゃいそうな……あっ、いや、もちろん私もちゃんと手伝うんですけど、それでもスペック差は大きい気が……」

「家事にそこまでスペック差は影響しますかね? 料理などは、ある程度技量差もでるでしょうが……」

「てっ、手際のよさとかあるんじゃないですか? まっ、まぁ、でも、そんなに大きな影響はない気もしますけど……」

 

 あくまで仮の想定ではありますが、未来を見据えるならイメージトレーニングはしておくべきでしょう。ひとりさんとの新婚生活を想像するのも楽しいですし……家は、新しく建てたいところですね。将来的にどうなるかは不明ですが、現時点での結束バンドの活動拠点的に下北沢に近い場所がいいですね。

 いっそ私のうちでもいいのですが、ひとりさんが畏縮してしまいますし……家の庭に新しく一軒家を建てるという方法もありますね。まぁ、その辺りはひとりさんと相談しながらですね。

 使用人を雇うのもいいですが、最初は新婚の空気を満喫するためにできるだけ家事なども自分たちでやりたいものです。

 

「どんな感じでしょうね? ひとりさんがギターの練習をしていて、私が夕食の準備をしているとか?」

「あっ、そっ、その時はちゃんと手伝いますよ。料理はあまり得意じゃないので、食器を並べたりとかが多くなりそうですけど……って、なんの話をしてるんですか私たち!?」

「新婚生活のシミュレートですね!」

「さっ、さも当然のように言ってる……あっ、あまりにも迷いがなさ過ぎて、反射的に納得しちゃいそうでした」

「ふふ、まぁ、先のことを考えるのも楽しいですが、そればかりでもなくいまもしっかりと楽しまないといけませんね。洗い物が終わったら、お風呂にお湯を入れ始めておきましょうか?」

「あっ、そうですね。一休みしたら丁度いいぐらい……お風呂のサイズにもよりますが……」

 

 この別荘の風呂はそこまで大きなわけではありませんが、2人でゆったり入っても余裕があるぐらいのサイズではあります。お父様の拘りで檜風呂になっていますが、お湯張りなどは自動なので浴場に行ってスイッチを押すだけで準備は終わります。

 

 洗い物を終えたあと風呂の湯張りを開始して、少し空いた時間にひとりさんと一緒にボードゲームで遊ぶことにしました。

 大きなテレビやゲーム機もあるのでいろいろな遊びができますが、こうして向かい合ってボードゲームをするのも楽しいものです。まぁ、洒落た言い方をしましたが、遊んでいるのはリバーシですが……。

 

「……あっ、えっと……」

「おや? ひとりさん、そこで大丈夫ですか?」

「あえ? こっ、ここは、駄目ですか?」

「ふふ、どうでしょうか?」

「うぅぅ、有紗ちゃん、意地悪です……」

 

 盤面を見て悩むひとりさんの姿を見て微笑ましい気持ちになります。この手のボードゲームは私の方が得意ですし、その気になれば圧勝もできるとは思いますが……勝負が目的ではなく、ふたりで楽しむことが一番です。

 適度に加減しつつ、可愛らしいひとりさんを眺めて幸せな気分に浸りつつリバーシを続けていきました。

 

「なっ、なんでしょう、この……掌の上で踊らされている感じは……」

「本気でやった方がいいですか?」

「あっ、いえ、手加減してください。だいぶ、かなり……ガチでやったら、この手のゲームで私が有紗ちゃんに勝てるわけないので……」

「それでは次はこの辺りがオススメですよ」

「あっ、なるほど、ここに置けばかなり戦局が……」

「まぁ、私は次にここに置くのですが……」

「あっ!? あぅあぅ、また微妙な戦局に……うう~ん」

「ふふふ」

 

 腕を組んで悩ましそうな表情を浮かべながらも、それでも楽しんでくれているのが伝わってくるひとりさんの表情を見て、私はまた笑みを溢しました。

 

 

****

 

 

 しばらく遊んだあと、風呂の湯張りが完了したのでひとりさんと一緒に入浴することにします。ええ、もちろんここで別々に入浴するという選択肢はありませんし、風呂の広さも十分なので問題はありません。

 やはりこうしてふたりで泊まりに来た以上、風呂場での背中の流し合いは押さえておきたいところですね。

 

「あっ、檜のいい匂い……おっ、温泉もいいですけど、こういうお風呂もいいですね」

「ええ、なんというか不思議と心落ち着きますね。いちおう入浴剤などを入れることもできますが、どうしますか?」

「うっ、う~ん。とりあえずなしで大丈夫だと思います」

「では、このまま入りましょうか。ひとりさん、背中を流しますよ」

「あっ、ありがとうございます。じゃっ、じゃあ、終わったら私が背中流しますね」

「はい。よろしくお願いします」

 

 去年の箱根旅行や私の家に泊りに来た際などにも、ひとりさんとは一緒に入浴しているので自然と私がひとりさんの背中を流して交代、ひとりさんが私の背中を流してくれるという流れが出来上がっている気がします。

 互いに慣れたもので、背中を流し合い、髪を洗ってから湯船に浸かります。

 

「はぁぁ……きっ、気持ちいいですね。夜になって、涼しくなってきたからでしょうか?」

「確かに日中が涼し目なことも合って、夜は少し肌寒さがありますね。しっかり体を温めて……」

「あっ、有紗ちゃん? どうしました?」

「ああ、いえ、少し距離が空いているのが気になりまして……」

「うっ、あっ、いっ、いや、それはですね」

 

 いつもならすぐ隣に並ぶ形で入浴しているはずのひとりさんが、少し間を空けていたので不思議に思って尋ねてみると、ひとりさんはやや焦った様子で視線を動かし始めました。

 そのまま少し落ち着きなく視線を動かしたあとで、顔を赤くしてもじもじと人差し指を突き合わせながら呟きました。

 

「……なっ、なんか、今日は変に有紗ちゃんに甘えたい感じで……そっ、その、近くに居るとまた甘えちゃいそうで……」

「……なんの問題もないのでは?」

「あっ、いっ、いや、有紗ちゃんに迷惑とか……」

「う~ん。素朴な疑問ですが、ひとりさん……その内容で私が迷惑だと感じると、思いますか?」

「……おっ、思いません」

「では、まったく問題ないのでは?」

「え? あっ、あれ? うっ、うん? そっ、そうなりますかね?」

 

 どうもひとりさんは、今日は私に甘えたい気分で甘えすぎてしまって迷惑をかけてしまうことを危惧して距離を取っていたみたいですが……迷惑どころか、とんでもないボーナスタイムではないでしょうか? 私としてはむしろ、ひとりさんが甘えてくれるのは大歓迎なのですが……。

 ひとりさんは恥ずかしがり屋な部分があるので、私に甘えることを恥ずかしがっていたのも原因かもしれませんが……ある意味最高ともいえる状態です。なにせ、ひとりさん自身が私に甘えたいと口にしてくれたのですから、私が思いっきりひとりさんを甘やかしても問題ないわけです。

 

「ひとりさん、もっと近くにきてください。私もいま、無性にひとりさんを甘やかしたい気分なので……いや、まぁ、とはいっても具体的になにをどうするか考えているわけでもないですけどね」

「あえ? あっ、あはは……そっ、そうですね。私もいざ甘えるって言っても、なにをどうするかはよく分からないです。なんとなく、甘えたい気分というか……むっ、難しいですね」

「あまり気にせず、思うがままでいい気もしますね。というわけで……こうです!」

「ひゃっ!?」

 

 とりあえずとして、サッとひとりさんの肩に手を回してこちらに抱き寄せました。ひとりさんは驚いたような表情を浮かべていましたが、少ししてコテンと私の肩に頭を乗せてきました。

 肩を抱くというのは大変素晴らしいですが、手を繋げないというのはマイナス点ですね。ひとりさんのいる側ではない手では不自然ですし……。

 そう考えた私は名残惜しさを感じつつも肩から手を離して湯の中に入れて、ひとりさんと手を握りました。するとひとりさんもすぐに手を握り返してくれたので、湯の中で手を繋いで身を寄せ合います。

 

「……なんというか、不思議と落ち着く気分ですね。体だけでなく、心まで温まるようです」

「あっ、はい……えっ、えっと、私も同じこと考えてました。なんか、心の中からポカポカするというか……なんか、いいですね」

「まぁ、これが甘えたり甘やかしたりしている状態なのかと問われれば、首を傾げてしまいそうですけど……」

「あはは、たっ、たしかに、どうなんでしょうね? わっ、私としては有紗ちゃんに甘えている感じはしますけど……よく分からないですね。でっ、でも、よくわからないですけど……いまのこの、温かい感じは好きなので……別に違ってもいいです」

「そうですね」

 

 たしかに、どんな形であれいま互いに心地よく幸せだという気持ちを共有できているのであれば、それに勝るものはないでしょう。

 ひとりさんは遠慮しているみたいでしたが、このぐらいでしたらいつでも……むしろ常にこのぐらい密着してくれていても、私としてはまったく問題ないのです。

 まぁ、ともあれ、いまは余計なことを考えずにこの幸せなひと時を心行くまで堪能しましょう。

 

 

 




時花有紗:ひとりとの新婚生活を思い描いたりとなんとも楽しそう。本人はいくらでもひとりを甘やかしたいので、甘えてくれるならドンと来いという感じである。

後藤ひとり:明らかに心境が変化しているというか、ラブ度が増してきたぼっちちゃん。有紗ちゃんに甘えたいモードは継続中である。


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八十四手互恵の軽井沢旅行③~sideB~

 

 

 気付いていないことと、気付かないふりをしていることというのは違うものだ。たとえ本人自身が意識しなくとも、心の奥底でその違いはなにかしらの形となって表れているものである。

 風呂に入った後、ひとりはテラスに腰かけて夜空を眺めていた。他の明かりが無いからだろうか、夏の星空がハッキリと見えて非常に美しい。

 そんなひとりの元に、ふたつのマグカップを持った有紗が近づいてくる。

 

「ひとりさん、ホットミルクを用意しましたよ」

「あっ、ありがとうございます。やっぱり、外はちょっと寒いですね」

「風も少しありますからね。寝る前に体を冷やしてしまわないように、注意しないといけませんね」

「あっ、はい。けど、なんだか静かで……星も綺麗で、なんか、いいですね」

 

 有紗からホットミルクの入ったマグカップを受け取ったひとりは、それを軽く一口飲んでから隣に座った有紗に視線を向けた。

 

(……変な感じ。安心して落ち着いてるのに、同時に少しソワソワしてるみたいな、変に矛盾してる感じがする。でもモヤモヤしてたりする感じじゃなくて、くすぐったいけど気持ちいいような……)

 

 自然と肩と肩が触れ合うほど近くで、一緒にホットミルクを飲みながら星空を見る。

 

「本当に綺麗な星空ですね。冬の澄んだ空気の夜もいいですが、夏の夜もまた少し違った空気でいいですね。こうしてひとりさんと一緒に星空を見れるのは、凄く嬉しいですよ」

「……あっ、わっ、私も嬉しいです。あっ、えっ、えっと……なんか、ギターを弾きたくなるようないいシチュエーションですね」

「星空の下でギターというのも確かに素敵ですね。MVなどに使えるかもしれませんよ」

「あっ、そういえば、それで思い出しましたけど新しく作る曲、リョウさんが私が作曲してみるのもいいんじゃないかって、言ってました」

「それは、いいアイディアかもしれませんね。いきなり作曲すべては難しいでしょうし、編曲だけしてみるというのも有りかもしれませんよ。他のパートへの理解も深まるので、音を合わせやすくなるかもしれませんね」

 

 レーベルに所属しての一曲目として制作する予定の新曲について話すひとりに、有紗も穏やかに微笑みながら言葉を返す。

 

「あっ、作詞も喜多ちゃんとか別の人がやってみるのもいいかもって話も、ありますね」

「喜多さんが作詞をすると、恋愛ソングになりそうですね」

「あっ、たっ、確かに喜多ちゃんは恋愛ソング好きですよね」

 

 その笑顔に釣られるように微笑みながら、ひとりは少し思考を巡らせる。

 

(作曲、編曲……キーボード用の改編なら結構うまくできそうな気もする。有紗ちゃんのキーボードをよく聞いてるし……恋愛ソング……あっ、アレは絶対に封印しておくとして、昔ほどそういう青春感ある曲や歌詞に抵抗を感じなくなったのは……やっぱり、有紗ちゃんのおかげだよね)

 

 そもそも、ひとりが結束バンドの作詞を担当するようになったきっかけは、彼女には青春コンプレックスがありNGとなる歌詞が多かったのが要因である。

 しかし、いまのひとりはかつてほど青春コンプレックスは感じていない。青春を感じるシーンや歌詞を見聞きしても、以前のような拒絶反応はない……それどころか、自分と有紗ならどんな感じだろうかと、想像したりするぐらいである。もちろんそんなことは、恥ずかしくて誰にも言えないのだが……。

 

「ああ、そういえば……アレも持って来ていたんでした」

「アレ?」

「ええ、少し待ってくださいね」

 

 そう告げたあとで有紗は立ち上がり、別荘の中に入っていき、少しするとベースを持って戻って来た。

 

「あっ、そのベース」

「ええ、リョウさんから購入したベースです。まだ、少ししか練習してないのでまともには弾けませんけどね」

 

 そんな風に語りながら、有紗はベースを構えて軽く鳴らす。ベースを購入してまだ数日ではあるが、有紗の音楽センスが極めて高いため、それなりにしっかりとしたメロディになっていた。

 静かな夜に響く低音を聞いて、ひとりは心地よさそうに目を細めたあとで、マグカップを置いて別荘に入り自分のギターを持って戻って来た。

 そして、まだまだ慣れていない有紗に合わせてゆっくりと音を鳴らす。本当に軽く合わせるだけのゆっくりとしたメロディではあったが、不思議な心地良さがあり、ひとりは笑みを浮かべながらギターを鳴らす。

 

(私が、有紗ちゃんをリードするのもちょっと新鮮で楽しい。本格的に準備して鳴らしてるわけじゃないから、殆ど遊んでるみたいな演奏だけど、それでもなんかいいな……)

 

 鳴らす音で会話をするかのように、星空の下しばしふたりの音が仲良く響いていた。

 

 

****

 

 

 小さな演奏会を終えたあとは、就寝の時間が近づいていた。もちろんそれぞれに個室はあるし、有紗の実家のように客間が広すぎて落ち着かないということもない。

 となればそれぞれの部屋で寝ればいい筈なのだが、有紗もひとりも、ふたりで泊まる際はいつも同じ布団で一緒に寝ていたこともあって、どちらともなく自然に同じベッドで寝ることになった。

 

「なんというか、旅行に行ったり私の家に泊りに来た際に、いつも一緒に寝ていたせいかこの形じゃないと落ち着かないですね」

「あっ、そっ、それ、分かります。なんか、凄い違和感があるというか、ひとりで寝るって考えると言いようのない寂しさがありました」

「幸いふたりで使っても問題の無いサイズのベッドですし、今日も一緒に寝ることにしましょう」

「あっ、はい」

 

 有紗の提案にひとりは小さく笑みを浮かべて頷く。いちおう最初はそれぞれの部屋で寝るということも考えたが、いまひとり自身が口にしたようにいいようのない寂しさがあった。その上、今日のひとりはなんとなく有紗に甘えたいという状態であることもあって、自然と自室には荷物だけを置いて有紗の部屋に移動していた。

 

「さて、それでは……失礼しますね」

「ひゃっ、わわ……やっ、やっぱりですか!?」

「はい。どちらにせよ、朝にはこの状態になるので」

「かっ、固い意志を感じます」

 

 そして寝る準備をして布団の中に入ると、待っていましたと言わんばかりに有紗はひとりの体を抱きしめた。これもある意味では定番ではある。というか、正しくは朝に先に起きた有紗がひとりを抱きしめるのが恒例であり、少し前から効率化を理由に寝る前の時点で抱きしめてくるようになった。

 そんな有紗の行動に呆れたような表情を浮かべつつも、ひとりは嫌がったりすることはなくそっと有紗の体を抱き返す。

 

(……温かい。外に出て、少し体が冷えてるからかな? なんか、有紗ちゃんの温もりが凄く心地よくて安心できる)

 

 抱きしめられる感触に心地よさげに目を細めるひとりをみて、有紗も優しく微笑みを浮かべる。

 

「そういえば、ひとりさん。明日なのですが、朝食を食べたあとは釣りをしてみますか? 道具などは倉庫にあるので……」

「けっ、経験なくても大丈夫ですかね?」

「私も未経験ですが、その辺りは一緒に手探りでやってみましょう。餌は朝食のあとで芋や小麦粉で作れますからね」

「あっ、なるほど、結構簡単なんですね」

「ええ、それに別に釣れなくても問題ないですし、雰囲気を楽しめればそれでいいかと」

「あっ、はい」

 

 明日の予定を軽く相談したあとで、明かりを消して寝ることになった。

 

「それでは、ひとりさん。おやすみなさい」

「あっ、はい。おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 

****

 

 

 互いにおやすみと告げて眠り出してからしばらくの時間が経った。有紗は既に眠っており静かで規則正しい寝息が聞こえてくる。

 夜の闇の中で薄っすらと見える有紗の寝顔を見つめつつ、ひとりはまだ寝付けないでいた。眠気が無いわけではなく、考え事をしているせいで寝付けないという表現が正しい。

 己を抱きしめながら眠る有紗の顔を見ていると、トクトクと心臓が脈打って主張するとともに、言いようのない安心感と幸福感があった。

 

 知らないことと、知らないふりをしていることは違う。気付いていないことと、気付かないふりをしていることも……似ているようでも、やはり違う。

 

(……私、ズルいなぁ。本当はもうずっと前から分かってて、その上で目を逸らして見て見ぬふりを続けてる。有紗ちゃんが私を急かしたりしなくて、待ってくれてる優しさに甘えてる)

 

 いつからだろう、その気持ちが心の奥に芽生え始めたことを自覚したのは……友達として有紗が大好きであるという気持ちは、前々からずっと変わっていない。だが、いつしかひとりの気持ちはそれ以上の領域に踏み込みつつあった。

 他のバンドメンバーに揶揄われた際に「あくまで友達である」と返していた。それはむしろ、自分に言い聞かせているようなものだった。

 もう、分かってる……本当は全部、己にとって有紗という存在がどれだけ特別かも分かっていて……その上で、一番大事な気持ちから目を逸らし続けている。

 

(……ごめんなさい、有紗ちゃん。いまは、まだ、怖いっていうか、未知の感覚に不安って気持ちが大きくて、どうしてもちゃんとその気持ちと向かい合う勇気が出ないんです)

 

 そこまで考えたあとで、ひとりは有紗の背に回した手の力を少しだけ強めて、有紗にギュッと抱き着く。できるだけ体を密着させるようにして、本当に小さな声で呟いた。

 

「……ごめんなさい。もう少しだけ、待っててください。いつかちゃんと勇気を出してこの気持ちと向き合うから……いまはまだ、もう少しの間だけ……気付かない振りをさせてください」

 

 目を逸らし続けていても、その気持ちがどんどん大きくなっているのは分かっている。いつか見て見ぬふりはできなくなり、勇気を出してその気持ちに向かい合った上で答えを出す日が来るのだろう。

 そして、その答えを有紗は間違いなく優しい笑顔で受け入れてくれると、そう確信していた。いつか、そう遠くない内に変化は訪れるが……それはまだ、いまではない。

 

「……有紗ちゃん……大好き」

 

 有紗の優しさに甘えているという少しの罪悪感と、その温もりに包まれている幸福感……どちらの気持ちも感じながら、ひとりは目を閉じゆっくりとまどろみの中に沈んでいった。

 

 

 




時花有紗:ひとりとの関係の進展は別に焦っていないし、じっくりゆっくり関係が進んでいけばいいと思っている。将来に結婚することは既に確定しているので、まったく問題なしの精神。リョウから買ったベースもちょこちょこ練習はしている。

後藤ひとり:実はもう自分の気持ちには気付いていて、それでも目を逸らしていたぼっちちゃん。完全に恋する乙女である。決める時は決める子なので、そう遠くない内にちゃんと自分の気持ちと向かい合うことだろう。


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八十四手互恵の軽井沢旅行④~sideA~

 

 

 目が覚めてすぐに感じたのはなんとも言えない幸福感でした。元々寝覚めはいい方ですが、今日は一段と清々しい気分です。可愛らしい寝顔で眠るひとりさんが腕の中に居るからというのはもちろんありますし、ひとりさんと一緒に眠った日の朝はいつも幸福に包まれていました。

 ただ、これまでと比較しても今日はやけに満ち足りているかのような感覚でした。なんでしょう? よい夢でも見たのでしょうか……得てしてそういうものは内容を覚えてはいないものですが、これだけの幸福感を感じるのであればおそらくひとりさんの夢を見たのだと思います。

 

 そんなことを考えつつ視線を落とせば、私の胸に顔を埋めるようにして眠っているひとりさんの姿が見えました。いつもより密着具合が高い気がしますが、私にとっては嬉しさしか感じませんし、まるで問題ありませんね。

 とりあえず、今回もいつものようにひとりさんが目を覚ますまで、ひとりさんを抱きしめてその温もりを堪能しておくことにしましょう。

 

「……んん……有紗ちゃん……」

 

 ひとりさんの口からそんな声が聞こえたので、起こしてしまったかと思いましたがどうやら寝言のようです。ひとりさんはそのまま軽く身をよじりながら、寝言を呟きます。

 

「……ごめ……有紗ちゃ……まだ……」

 

 当たり前ではありますが寝言がしっかりとした内容であることはなく、断片的になにかを呟いているようですが内容はよく分かりません。私の名前を何度か読んでいる感じなので、もしかしたら私の夢を見ているのかもしれませんね。

 それなら非常に嬉し……。

 

「……有紗ちゃん……大好き……」

「――ッ!?!?!?!?」

 

 その瞬間頭の中が爆発したかのように真っ白になって、あらゆる思考が消し飛びました。どこか甘い声で囁くように告げられた「大好き」という言葉が、何度も何度も頭の中でリフレインしていき、表現するのが難しいほどの幸福感が全身を包み込みます。

 その言いようのない感覚に促されるように、私は眠っているひとりさんの顎に手を当て唇を近づけて――はっ!? わっ、私はなにを!?

 

 寸前のところで我に返って慌てて顔を離しました。心臓がドクドクと脈打っており、顔に血が集まって熱くなっていくのを感じます。

 あ、危ないところでした。つ、つい衝動的に……よりにもよって寝ているひとりさんの唇を奪おうとするなど、とんでもないことをしてしまいました。我に返れてよかったですが、猛省しないといけません。

 そういう行為は、ちゃんとひとりさんと思いが通じ合って恋仲になってからです! いまはまだ、その時ではありません!!

 

 ただ、若干の言い訳をするのであればそれほどまでに凄まじい破壊力だったのです。こう、ひとりさんへの愛おしさが爆発するように膨れ上がって、頭の中がひとりさんが好きだという感情のみで埋め尽くされたような感覚でした。

 実際いまもひとりさんへの愛おしさが凄まじい状態で、必死に堪えているのです…………えと、おでこならセーフではないでしょうか? 過去にもしてるわけですし……とりあえずいまは、ひとりさんになんらかの愛情表現をしたい気持ちでいっぱいなのです。

 そんな風に考えた私は、寝ているひとりさんの前髪を少しだけ退けて、顔を近づけ「ちゅっ」と軽く触れるだけのキスをしました。

 

「……んんっ……うん? あっ、有紗ちゃん?」

「あ、お、おはようございます。ひとりさん」

「……あっ、はい。おはようございます」

 

 もしかすると悶々と心の中で自問自答している間にそれなりの時間が経過していたのかもしれません。おでこにキスをすると絶妙なタイミングでひとりさんが目を覚ましました。ただ、おでこへのキスには気付いていないようで、何度か瞬きをしたあとではにかむ様に微笑みました。

 

「なっ、なんか、変に目覚めがいいというか、幸せな気分です。おっ、起きてすぐ有紗ちゃんの顔が見えたからですかね――ひゃうっ!? あっ、有紗ちゃん!? もっ、もしかしていつものアレですか?」

「ひとりさん、いまの笑顔は愛らしすぎて反則です……というわけで、今日は1時間お願いします」

「いつもの倍!?」

 

 仕方がないのです。あんな愛らしさ溢れる蕩けるような笑顔を浮かべられてしまっては、溢れ出る愛おしさを抑えきれるはずもないですし、いつも通りの30分程度でこの思いが落ち着くとは思えません。

 

「……ああ、とりあえず、朝食の相談などもしつつ1時間を過ごしましょう」

「1時間なのはもう確定なんですね!? まっ、まぁ、時計を見るとまだ早めの時間ですし……有紗ちゃんがそうしたいなら……あっ、ところで朝食も私たちで作るんですよね?」

「ええ、まずはシンプルにパンとご飯であればどちらがいいですか?」

「あっ、え~と……パンもあるんですか?」

「ええ、さすがに出来たてとはいきませんけど、トーストとクロワッサンがありましたよ」

 

 昨日食糧庫を探した際にパンは見つけました。見たところ、昨日の朝か一昨日の夜に作って用意してくれていたのでしょう。

 

「あっ、じゃあ、パンがいいです。ふっ、普段はご飯なんですけど、せっかく旅行に来てるんだから、いつもと違う感じがいいかなって」

「その気持ちは分かります。環境が変わっているわけですし、日常との変化が欲しいと感じるのは自然ですね。では、簡単にスクランブルエッグとサラダにクロワッサンでいかがでしょう?」

「あっ、はい。それなら私も十分手伝えそうです」

「あとは、スープですかね。コンソメとポタージュならどちらがいいですか?」

「え? あっ、スープも作るんですね」

「インスタントですけどね。それほど手間がかかるわけではありませんが、最近のインスタントは高品質ですし手軽ですからね」

 

 私がそう言って微笑むと、ひとりさんは少しキョトンとした表情を浮かべたあとで、どこか楽しそうに笑顔を浮かべました。

 

「あっ、あはは……なんか、有紗ちゃんの口からインスタントって言葉が出ると、ちょっと不思議な気分です。いっ、いや、別におかしいというわけじゃないですけど、イメージ的な問題ですかね?」

「確かに、過去にも意外そうな顔をされたことが……インスタントやレトルトも普通に食べるんですけどね」

 

 思い返してみれば玲さん辺りにも、「有紗がインスタントラーメンとかいうとなんかギャグみたいに聞こえる」と言われた覚えがあります。食べ物にも似合う似合わないというのがあるのかもしれませんね。

 

 

****

 

 

 たっぷりとひとりさんを抱きしめたあとは、体中から活力がみなぎる様な気分でした。虹夏さんが冗談めかしてアリサニウムの摂取と言うように、私もひとりさんからなんらかのエネルギーを摂取しているのかもしれません。

 まぁ、それはさておき朝食の用意もひとりさんと分担して行います。ひとりさんにはスクランブルエッグを作ってもらって、その間に他を私が準備する形です。

 

「こっ、こんな感じですかね?」

「ええ、綺麗にできてますよ。こちらも準備ができたので食べましょうか?」

「あっ、はい。えへへ、なっ、なんか宿とかホテルの高級な朝食もいいですけど、こうやって一緒に用意するのもいいですね」

「ふふ、そうですね。ひとりさんと共同作業で作ったという事実が、料理の味を高めているようにさえ感じますね。いえ、それを抜きにしてもひとりさんの手料理が食べられるのが嬉しいんですが……」

「まっ、また、そうやって恥ずかしいことを……あっ、でも……そう言ってもらえると、うっ、嬉しいです」

 

 そう言って可愛らしく微笑んだひとりさんと共に朝食を食べます。特にどちらかが提案したりしたわけではありませんが、なんとなく対面ではなく隣同士の形で座っていただきます。

 そして、こうして隣に座っている状況であれば、定番のアレをやらない手は無いです。そう考えた私は、スクランブルエッグを一口分とって、手を添えながらひとりさんに差し出します。

 

「ひとりさん、はい、どうぞ」

「あっ、はい……食べてるものは、一緒ですけどね」

「単純にひとりさんと食べさせ合いがしたいだけなので」

「あっ、有紗ちゃんは、本当に真っ直ぐというか……ちょっと羨ましいですね。けっ、けど、そうですね。わっ、私もえっと、有紗ちゃんに甘えたい気分が継続中なので気持ちは分かります。なっ、なので、有紗ちゃんもどうぞ」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 大変素晴らしいことですが、ボーナスタイムともいえる状態は未だ継続中らしいです。そのおかげもあってか、ひとりさんがいつもより少し積極的なように感じます。

 ひとりさんが差し出してくれたスクランブルエッグを食べて微笑みながら、お返しにこちらももう一口分差し出すと、ひとりさんは素直に食べてくれます。

 

「ひとりさんが作ったスクランブルエッグは美味しいですね。焼き加減が絶妙です。普段あまり行わないだけで、料理のセンスはかなりあるのかもしれませんね」

「そっ、そうですかね? ……あっ、でも、今日のは自分でも結構上手くできたと思います。あっ、有紗ちゃんと一緒に作ったおかげですね」

「ふふ、それなら嬉しいですね」

「あっ、有紗ちゃんが作ってくれたサラダも、なっ、なんか私が想像していたよりかなりお洒落でいろいろ入ってて、美味しいです」

「そう言ってもらえると、嬉しいです」

 

 お互いに作った料理を褒め合いながら、楽しく食事は進んでいきます。なんというか、今日は本当に朝から幸福感が凄まじいです。朝起きた時の寝覚めの良さもそうですが、その後のひとりさんの寝言、朝のハグの時間、そして一緒に食べている朝食……終始幸せいっぱいといった感じで、自然と表情も柔らかくなる思いです。

 そしてなにより嬉しいのは、そういった幸せな気分をひとりさんの方も感じてくれているというのが伝わってくることですね。

 

 食事をしながら楽し気に笑うひとりさんの表情はなんとも愛らしく、最愛の人とふたりきりの時間を過ごせているという実感をこれでもかというほど与えてくれます。

 さらに素晴らしいのはまだまだ朝であり、ひとりさんとこうして過ごせる時間も十分にあります。この後は釣りをする予定ですが、その後はなにをしようかと思考を巡らせるのもとても楽しく、そんな些細なことでさえ幸せでした。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんの「大好き」という寝言に、理性を吹き飛ばされかけたが、なんとかギリギリで持ちこたえた。持ちこたえ……いちおうちゃんと持ちこたえたと思う。

後藤ひとり:昨晩心の中で己の想いを再確認したせいか、有紗に対してやや積極的というか、好意をいままでより表に出している感じがする。甘えたいモードは継続中である。


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八十四手互恵の軽井沢旅行④~sideB~

 

 

 朝食を食べ終えたあとで有紗とひとりは一緒に練り餌を作り、昨日相談した通り湖で釣りをすることになった。倉庫にある釣り道具や折り畳み式の椅子を持って湖に向けて歩く。

 

「あっ、今日もいい天気ですね。つっ、釣り日和でしょうか?」

「そうですね。ただ日差しが強い可能性もあるので、釣り用のパラソルを持って来てよかったですね」

「そっ、倉庫にいろいろありましたね。かなり本格的な感じでした。有紗ちゃんのご両親は、釣りが趣味だったりするんですか?」

「確かに一通り道具は揃っていましたが、むしろ釣りに用いる道具より、椅子やパラソル、簡易テーブルといった釣りをしながら別のことを楽しむ用品が多い気もしますね。お父様やお母様が釣り好きという話を聞いたことはありませんし、あくまでレジャーのひとつとして楽しんでいるのでしょう」

「なっ、なるほど、じゃあ、私たちと同じ感じですね」

「ふふ、そうですね」

 

 有紗とひとりも釣りにそこまで深い興味があるわけでは無く、軽井沢旅行の一貫として楽しむレジャーという意味合いが強い。

 そんな話をしながら湖畔に辿り着くと、さっそく椅子やパラソルの設置を行う。

 

「このぐらいの位置がいいですね」

「あっ、有紗ちゃん、釣れるかどうかは置いておいて、仮に釣れたら魚はどうしますか?」

「おそらく鯉や鮒でしょうし、そうでなくともあまり食用に向いた魚が釣れるとは思えないので、キャッチ&リリースでいいと思います。あくまで目的は釣りを楽しむことですからね」

「了解です」

 

 仲良く準備を終えたあとは、釣竿に餌を付けて軽く湖に向けて投げ入れ、釣竿用のスタンドに立てかける。

 

「……あっ、後は待つだけですね」

「ええ、タブレット端末もあるので、映画でも見ながらのんびりと待ちましょうか」

「あっ、はい」

 

 ふたりが行うのはウキ釣りであり、ルアー釣りなどのようにあまり竿を動かしたりする必要はなく、のんびりと時間を過ごすのが目的だ。

 有紗がタブレット端末を持って来ているので、並んで折り畳みの椅子に座り映画を見ようとしたタイミングでふと、有紗があることに気付いてひとりに声をかける。

 

「……そういえばひとりさん、日焼け止めは塗っていますか? パラソルがあるとはいえ、それなりの時間日の当たる場所に居るので、塗っておいた方がいいと思いますよ」

「あっ、えっ、えと……日焼け止め……もっ、持って来てないです」

 

 ひとりはそもそも生粋のインドア派であり、屋外で遊ぶという機会自体が少ない。その上基本的に肌を隠すジャージ姿であり、日に焼ける機会自体が極めて少ない。なので日焼け止めなどは持ち歩いてはいなかった。

 

「ジャージなので顔以外は大丈夫だと思いますが、念のために軽く塗っておきましょう。私が日焼け止めを持って来ているのでこれを使って……ふむ」

「……え? 有紗ちゃん?」

「ひとりさん、ジッとしておいてください。私が塗ってあげますね」

「はえ!? ちょっ、自分で――もう日焼け止めを手に出してる!? こっ、行動が早すぎ……」

 

 ひとりが恥ずかしがるより早く、有紗は行動に移し日焼け止めクリームを手に出し、ひとりに動かないようにと言ってから両頬、顎、鼻、額の5か所に置く。そして中指と薬指を使い、顔の中心から外側に向けて馴染ませながら伸ばしていく。

 

「……うぅ、あっ、有紗ちゃん……これ、はっ、恥ずかしいんですが……」

「動かないようにしてくださいね。塗り残しがあるといけないので……ひとりさんの顔を近くで見れて私は凄く嬉しいです」

「なんで、更に恥ずかしいことを言うんですか!?」

 

 有紗の発言にひとりは顔を赤くしつつ、顔をあまり動かさないように叫ぶという無駄に器用なことをする。そんなひとりを微笑まし気に見つめながら、有紗は丁寧に日焼け止めを塗っていく。

 そして塗り終わった後で、日焼け止めを塗るのに使っていない人差し指で、ひとりの唇を軽く撫でた。

 

「はい、完了です」

「なっ、なな、なんで、最後に唇を撫でたんですか!?」

「日焼け止めクリームが付いているといけないと思いまして、あと単純にひとりさんの唇を撫でたかったので!」

「こっ、後半の割合が大きそう……」

「おおよそ9割と言ったところですね」

「思った以上の割合!?」

 

 ウェットティッシュで軽く手を拭きながら微笑む有紗に、ひとりは顔を赤くしつつどこか呆れたような表情を浮かべるが、いつもの有紗と言えばその通りだったのでそれ以上特になにかを言うことはなく、改めて有紗と一緒にタブレット端末で映画を見ることにした。

 並んで座りながら映画を見るという状態になり、ひとりはチラッと有紗の横顔を見る。

 

(……あぅ、やっぱ駄目だ。昨日からそうだったけど、有紗ちゃんに甘えたい気持ちが……)

 

 継続して甘えたい気持ちが強いひとりは、少し落ち着きなく視線を動かしたあとで、有紗の手をそっと握る。するとすぐに有紗は手を握り返してくれて、それが嬉しかったのかひとりは軽く有紗にもたれ掛かるように身を寄せて密着する。

 心地よい風が頬を撫で、有紗からは心地よい匂いと温もりを感じ、じんわりと心の奥底から幸福感が湧き上がってくる。

 

(こっ、これまずいなぁ……こうやって有紗ちゃんにもたれ掛かるの、なんか凄く幸せで癖になっちゃいそう。せっかく釣りに来たんだし、魚が釣れて欲しいって気持ちもあるけど……いまはもう少し、釣れないでいてほしいなぁ。もう少し、有紗ちゃんにこうして甘えていたいから……)

 

 果たして魚にその願いが通じたのかどうかは分からないが、ひとりが願った通りしばらく魚がかかることはなく、ひとりはしばしの間有紗とふたりでゆっくりと過ごす時間を満喫することができたのだった。

 

 

****

 

 

 湖で行った釣りの釣果としては、有紗とひとり共に1匹ずつ鮒を釣り上げた。最初に相談した通り、釣った鮒はすぐにリリースし、昼時になったタイミングで片づけを行い釣りを終了した。

 

「お昼は軽めにパスタにしましょうか?」

「あっ、はい。カルボナーラとかにしましょう」

 

 有紗の提案に頷いたひとりは、作るパスタに関してカルボナーラを提案した。その理由は単純で有紗がパスタの中ではカルボナーラを好んでいることを知っているからだった。ひとり自身は特にこのパスタが一番好きというものはないので、有紗が好きなパスタを提案した。

 そんなひとりの気遣いは有紗にはしっかり伝わっており、有紗は嬉しそうに微笑みながら頷いた。

 

「分かりました。また一緒に作りましょうね」

「あっ、はい! ごっ、午後はなにをしましょうか?」

「そうですね。散策は昨日しましたし、釣りも先ほど行いました。遊具なども倉庫にいろいろあるので大抵のことは出来ますが……午後は少しのんびり過ごしましょうか? 昨日撮影した動画を編集したりするのもいいのではないでしょうか?」

「あっ、いいですね。動画サイトへのアップは家に戻ってからする予定ですけど、短い動画を作ってトゥイッターに投稿したりするのも……」

「普段とは違った場所での演奏なので、興味を惹くかもしれませんね」

 

 アレコレ遊ぶ方法はあるが、元々ひとりがアウトドア派ではなくインドア派なのは有紗も分かっており、体を動かして遊ぶよりも家の中で出来ることにしようと考えた。

 

「その後は、テレビゲームでもしましょうか? 確かひとりさんが持って来ていましたよね?」

「あっ、はい。といっても、前に有紗ちゃんが当てて私にくれたトゥイッチですけど……あっ、でもふたりで遊べるソフトを買ってきたので、一緒に遊びましょう!」

「ええ、楽しみですね」

「はい!」

 

 笑顔で午後の予定を話しながら手を繋いで歩く有紗とひとりの距離は近く、ふたりが纏う空気は不思議と以前より甘いもののように感じられた。

 というのも、ひとりの方が有紗に対して以前より好意を表に出すようになったとでも言うべきか、昨晩の自問自答のおかげで少し心境に変化があり心の距離が近くなっていた。

 

 

****

 

 

 昼食を食べ終えたあとは、話していた通り昨日撮影した動画の編集を行い、ギターヒーローのツイッターアカウントに30秒ほどの短い動画を投稿した。

 フルバージョンは後ほど動画サイトに上げると書いた上で、投稿するとあっと言う間に反応が現れた。

 

「あっ、もっ、もうコメントが……えっと……『ギターヒーローさんって、本当にリア充だったんですね。冗談かと思ってました』……あっ、あれ? ギターヒーローの方は、前々からリア充のキャラでやってたはずですけど……」

「ま、まぁ、いろんな印象を受ける人が居ますから……あ、ほら、他にもいろいろコメントが来てますよ。かなり反響がありますね」

 

 ひとりはギターヒーローはファンたちにリア充の陽キャであると認識されていると思っていたが、むしろ大半のファンはそれが見栄であると……思っていた。そう、以前までは同じ背景で同じジャージという構図での撮影だったので、コメントにある様な話は虚言であると薄々分かりつつもスルーしている感じだった。もちろん中には信じている者も居たが、殆どのファンは気付いていた。

 

 ……だが、その認識もまた変わりつつある。トゥイッターに友人のものとして超高級ピアノが載っていたり、明らかに高級そうな新ギターを使って演奏していたり、そして今回はハイブランドのジャージを着て大自然の中での演奏と……「あれ? 実はいままでのコメントも真実だったんじゃ」と思えるような状態になっており、いままでよりもギターヒーローがリア充であると信じているファンが増えていた。

 

「……『今回はキーボードプリンセスさんも一緒なんですね! 凄く楽しみです!』……うん? キーボードプリンセス?」

「あっ、有紗ちゃんのことだと思います。いままでも、何本か有紗ちゃんとセッションした動画をアップしてたら、コメント欄でいつの間にかそんな風に……顔は映ってなくても、お嬢様感があるからじゃないですかね?」

「そのような愛称が付いていたとは、知りませんでした」

 

 彗星の如くギターヒーローの動画に時折登場するようになった凄腕キーボードとして、有紗はギターヒーローファンの中ではかなりの人気を誇っており、彼女が登場してふたりでセッションしている動画は他と比べてかなり伸びがよかった。

 そしていつしか、キーボードプリンセスの愛称で呼ばれるようになっており、かなりのファンを獲得していたりする。

 

「……プリンセスというなら、むしろひとりさんの方が相応しい気も……」

「いやいや、それに関しては完璧に有紗ちゃんですよ!? まっ、まぁ……有紗ちゃんは王子様みたいにカッコい時もありますけど……そっ、それはそれとして……凄くしっくりくる愛称だと思います」

 

 

 




時花有紗:ギターヒーローファンからキーボードプリンセスと呼ばれている。動画からでも仲の良さが伝わってくるためか、ギターヒーローとのカップリングを推すファンも一定数居るとか?

後藤ひとり:昨晩の自問自答のおかげで少し吹っ切れたのか、以前より有紗といちゃつくことに抵抗がなくなったというか、積極性が増したぼっちちゃん。帰宅後のチベスナ三人衆の反応が楽しみである。


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八十四手互恵の軽井沢旅行⑤~sideA~

 

 

 動画をトゥイッターに投稿してしばらくコメントなどを見てひとりさんと楽しんだあとは、一緒にトゥイッチでゲームをすることになりました。友鉄という有名な多人数でプレイする定番のゲームですが、実は私は初めてプレイするのでひとりさんに教わりながらのプレイとなりました。

 

「ふっ、ふふ、私は目的地まであと3マス、有紗ちゃんは29マス……今回はもらいましたよ! あっ、有紗ちゃん、移動系のカード使ったほうがいいですよ」

「えっと、たしかコレですね。サイコロを増やせるんですよね?」

「あっ、はい。そのカードだと5個に増えますね」

「なるほど、これで一気に長距離を移動するわけですね」

 

 友鉄には移動系や妨害系といったカードが存在して、それを駆使して進めていくすごろくゲームのような感じです。初めは少し戸惑いましたが、ひとりさんの指導のおかげもあってある程度は理解することができました。

 種類が多くて複雑そうには見えますが、実際の目的はシンプルなので遊びやすいゲームですね。

 

「……あ、29ということは、これで目的地に到着ですね」

「あえぇぇ!? なっ、なんでぇ……あっ、有紗ちゃん、さっきから射程内に目的地があると全部一発で行くんですけど……なっ、なんで、教えてるはずの私がボロ負けしてるのか……こっ、これが天運……生まれながらの勝ち組の力……」

「たまたまだと思うのですが……ビギナーズラックのようなものですよ」

 

 ひとりさんのいう通り、初めてのプレイではありますが、どうも運が味方してくれているみたいで現在私はコンピューターも含めた4人対戦でトップの状態でした。とはいえ、この手のパーティゲームには逆転の手段はたくさんあるので、あくまで現時点ではという話ではありますが……。

 

「……あっ、有紗ちゃん、ごめんなさい。勝負の世界は非情なんです。この妨害カードによって、有紗ちゃんは1を出すまで動くことができません。その間に逆転を――なんで一発で出すんですか!?」

「まぁ、6分の1ですから16.7%は出るわけですし……ですが、なるほどだいたい分かってきました」

「あっ、なっ、なんか嫌な予感が……」

 

 その後もひとりさんと一喜一憂しながら楽しくゲームを行いました。今回は私にビギナーズラックがあったようで、最終的な順位も私がトップで終わることになりました。

 ひとりさんもCPUを抑えて2位なので、決して弱かったりというわけでは無く私がたまたま幸運だっただけです。

 

「楽しかったですね。またやりましょう」

「……あっ、有紗ちゃん、つっ、強すぎです……運が絡む類のやつ全部勝つじゃないですか……」

「今回はビギナーズラックがあったおかげですね」

「……いっ、いや、私の直感ですけど、再戦しても似たようなことになりそうな……」

 

 

****

 

 

 ゲームである程度遊んだあとは、おやつ時となったので休憩を兼ねておやつを用意することにしました。

 

「あっ、きっ、綺麗ですね。ハーブティーですよね?」

「ええ、今回は優しい香りが特徴のカモミールです。王道のジャーマンカモミールですね」

「あっ、え? ジャーマンカモミール?」

「ええ、カモミールはいろいろな種類がありますが、その中でハーブに向いているもので代表的なものは、ジャーマンカモミールとローマンカモミールの2種類です。精油などにも使われることが多いですが、今回はハーブティーに絞って説明すると、ジャーマンカモミールは甘く優しい香りと味が特徴で、カモミールティーと言えばこちらを差すことが多いです」

「ふむふむ、ローマンカモミールの方は?」

「ローマンカモミールは香りはとてもフルーティーでよいのですが、ハーブティーにした場合は苦みが強く出る特徴があるので、ミルクを入れたりして楽しむことが多いですね」

「なっ、なるほど……」

 

 今回はシフォンケーキをおやつとして食べる予定なので、淡い味わいに合うカモミールを選びました。普通の紅茶でももちろんいいのですが、せっかくの軽井沢ですし少し洒落た雰囲気のハーブティーもいいでしょう。ガラス製のポットに入れると、見た目にも華やかです。

 

「なっ、なんてお洒落な……あっ、美味しくて飲みやすいですね」

「ハーブティーはスッキリとした後味のものが多いですから、こういったおやつには丁度いいですね。ひとりさんが気に入ってくれたのなら、私も嬉しいですよ」

「わっ、私ひとりじゃ絶対ハーブティーを飲むって発想が出てこないので、こういう新しい味に出会えるのも有紗ちゃんのおかげですね」

 

 そう言って柔らかく微笑むひとりさんは大変可愛らしく、なんというかまたしても衝動的に抱きしめたくなりましたが、いまはおやつを食べているので我慢しましょう。食べ終えた後に……いえ、いっそ、前に旅行に行った時のように……。

 

「あっ、有紗ちゃん?」

「……ひとりさん、おやつを食べたあとなのですが、耳掃除などいかがですか?」

「あっ、えっと、そっ、それはつまり有紗ちゃんが私にしてくれるってこと……ですよね?」

「ええ、前に箱根に行った際にもしましたので、それと同じですね」

「……あっ、あの時は罰ゲームでしたが、今回は?」

「ただ私がしたいだけです」

「いっ、潔い……」

 

 素直に要望を告げると、ひとりさんは一瞬呆れたような顔をしましたが、少しして頷く形で了承の意思を返してくれました。

 

 

****

 

 

 おやつを食べ終えたあとは、話していた通り耳掃除をすることになりました。ソファーに私が腰かけ、ひとりさんが寝転ぶ形で私の膝に頭を置きます。

 

「それでは、始めますね」

「あっ、はっ、はい。よろしくお願いします」

 

 一言告げてから耳掃除を開始します。以前の旅行の際にも思いましたが、これは癖になってしまいそうな幸福感がありますね。膝の上に感じるひとりさんの頭の重みや温もり、こちらを信頼して身を委ねてくれている姿や、普段とは違った角度で見るひとりさんの顔……どれも非常に素晴らしいです。

 ひとりさんが気持ちよさそうにしてくれれば、なんというかこちらも嬉しくなる思いで、幸福度がさらに増す印象ですね。

 

「……痛くはないですか?」

「あっ……んっ……ちょっとだけ、くすぐったいですけど……あっ、その……気持ち……いいです」

「それならよかったです。リラックスしてくださいね」

「あっ、はい」

 

 穏やかに時間が流れていくような感覚の中で、耳掃除を進めていきます。できればもっと長くこうしていたいと思える時間ではありますが、残念ながら幸せな時間が過ぎるのは早いもので、あっという間に両側の耳を掃除し終えてしまいました。

 

「あっ、ありがとうございます……あっ、えっと……」

 

 幸せな時間が終わってしまったことに少し寂しさを感じていると、ひとりさんがなにやら悩むような表情を浮かべ、少しして顔を赤くしながら口を開きました。

 

「……こっ、交代しましょう! つっ、次は私が有紗ちゃんに、してあげます」

「ひとりさんが、私に?」

「はっ、はい! あっ、えっと、ふたりの耳かきを何度かしたことがあるので、たっ、たぶん大丈夫だと思います……あっ、もっ、もも、もちろん、有紗ちゃんさえ嫌じゃなければ……ですが」

 

 なんと、今度はひとりさんが私に耳掃除をしてくれるらしいです。朝から引き続きなんたる幸運……朝起きた直後に感じた今日はいい日になりそうだという直感は、間違いではなかったようです。

 

「もちろん、嫌などでは……むしろ、嬉しいです」

「あっ、よっ、よかった……じゃっ、じゃあ、どうぞ」

「はい。失礼しますね」

 

 私の返答にホッとした表情を浮かべながら、ひとりさんはソファーに腰かけて軽く自分の腿を手で軽く叩きました。そう、ひとりさんに耳掃除をしてもらえるということは、必然的にひとりさんに膝枕をしてもらえるということでもあります。

 逸る気持ちを抑えつつ、ひとりさんの腿に頭を乗せると……なんと言うことでしょう、天国はここにあったようです。

 

「あっ、そっ、その、寝心地悪かったりしませんか?」

「むしろ、極楽です。ひとりさんの柔らかさと温もりを感じていて、ひとりさんがとても近くに居てくれるのを実感するかのような、表現するのも難しいほどに幸せです」

「まっ、またそうやって恥ずかしいことを……まっ、まぁ、でも、喜んでくれたなら……よかったです。じゃっ、じゃあ、始めますね。痛かったら言ってください」

「はい。よろしくお願いします」

 

 私が返答をすると、ひとりさんの手が私の耳に触れ、少しして耳かきを用いて優しく耳掃除をしてくれている感触が伝わってきました。

 これは大変に気持ちがいいです。ひとりさんの手つきが優しいこともそうですが、耳の中を見るために顔を近づけているのか、時折ひとりさんの吐息が耳に当たってなんとも言えない心地良さがあります。

 

「……これは、癖になってしまいそうなほど気持ちがいいですね」

「あっ、そっ、その気持ちは分かります。私も、有紗ちゃんにしてもらう耳掃除が凄く気持ちよくて、癖になりそうだって思ってました」

「私でよければ、いつでもしますよ」

「あっ、えっと、そっ、そうですね。またこんな風に交代しながら、ふたりでやりましょう」

 

 するのもされるのもどちらも幸福で素晴らしいことですし、ひとりさんもそう思ってくれているのがなによりも嬉しいですね。

 さらにこうして約束をしたことで、次の機会まであるという……本当に今日という日の幸運に心から感謝したいです。

 

「……ひとりさん、話は変わるのですが、耳掃除が終わったら抱きしめていいですか?」

「あぶっ!? あっ、有紗ちゃん!? 耳掃除してる時にビックリするようなこと言わないでください! 手元が狂ったらどうするんですか……」

「申し訳ありません。ですが、ひとりさんへの愛おしさが溢れているので……というわけで、耳掃除が終わったら抱かせてください」

「言い方ぁ!? はっ、ハグならしていいですから、いまは黙っておいてください。手元が狂うと危ないので……」

「はい。ありがとうございます!」

 

 ひとりさんの許可も貰えたので、耳掃除が終わったらしっかり抱きしめることにしましょう。う~ん、本当にこうしてひとりさんとふたりきりで過ごす時間は幸せいっぱいで、最高ですね。幸いまだまだ時間はありますし、もっとひとりさんと幸せな時間を共有したいものです。

 

 

 




時花有紗:今日はいつもよりぼっちちゃんが積極的で、いちゃいちゃ度が高いため非常に幸せでずっとニコニコ笑顔である。なお、運もチート級なので運の絡む勝負は激烈に強い。

後藤ひとり:ちょっと積極的になって、有紗にしてもらうだけではなく自分からもいろいろしようと行動に移すことが増えてきた。運は悪い方……だったが、不思議と有紗といる時は割と運がよく、友鉄もCPUを抑えて2位だったし、有紗に敵わないまでもそこそこいい勝負ができていた。


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八十四手互恵の軽井沢旅行⑤~sideB~

 

 

 有紗とひとりは軽井沢の別荘に2泊する予定であり、夜もまた1日目と同様にふたりで夕食の準備をしていた。有紗が用意した麺つゆと生姜を見て、ひとりは不思議そうに首を傾げた。

 

「あっ、あれ? 麺つゆと生姜ですか?」

「ええ、唐揚げの隠し味は多種多様ですが、今回は漬け置きをしていないので短時間でしっかりと味を付けられるものを選びました。摩り下ろした生姜と麺つゆを混ぜて、そこに肉を少し漬けるだけで味付けはOKです」

「なっ、なるほど」

「オールスパイスなどでじっくり時間をかけて下味をつけるのも美味しいですが、どうしても手間がかかりますので、あとはかなり難しいですが砂糖を隠し味に入れるのもいいですね」

「かっ、唐揚げに砂糖ですか?」

「ええ、砂糖を入れることで鶏肉が柔らかくなって旨味が引き立ちますし、蜂蜜を隠し味にした時ほど甘さが出ないのでカリッとした後味のいい唐揚げが作れます……ですが、砂糖を入れると焦げやすくなりますし、色も黒くなりやすいので少し難しいですね」

 

 ふたりが夕食に作ることにしたのはひとりの好物でもある唐揚げであり、有紗がメインで料理をしてひとりがサポートする形になっていた。

 大きめにカットした鶏肉にフォークで小さく穴をあけて麺つゆと生姜に漬け、少し置く間に副菜などの準備と唐揚げを揚げる油を用意する。

 

「衣は片栗粉と薄力粉を半量ずつ混ぜて使おうかと思います。片栗粉はカリッとした硬めの衣に、薄力粉はしっとりとした柔らかめの衣になります。半量ずつ混ぜると程よい硬さと柔らかさになりますね」

「あっ、そうなんですね。衣によっても違いが……」

 

 あまり料理をしないひとりにとって有紗の説明は新鮮らしく、感心した表情で興味深そうに話を聞いてた。そして有紗に教わりながら鶏肉に衣をつけている時に、ふとひとりはあることを思い出して尋ねる。

 

「あっ、そういえば有紗ちゃん。よく油に菜箸を入れてるのをテレビとかで見ますけど、アレってなにか意味があるんですか?」

「油の温度の確認ですね。唐揚げは一気に揚げるのなら180度、2度揚げを行うなら1度目が170度で2度目が190度が適しています。そしてその温度はおおよそですが菜箸で確認できます。例えば180度であれば菜箸を入れた際に箸全体から気泡が勢いよく出るぐらいが目安です。その上の190度だと、箸の先から大きな気泡が出るぐらいが目安ですね」

「あっ、なっ、なるほど……」

「まぁ、最近であれば料理用の温度計が安価で購入できますし、そちらを使うのが確実ではありますね。特に唐揚げは低い温度で調理するとべちゃつくので、温度は重要ですね」

 

 実際に菜箸を油に入れたりしながらひとりの質問に説明をしつつ、有紗は手際よく唐揚げを揚げる用意を行う。今回は2度揚げを行うようで170度に調整した油で4分ほどあげてから一度取り出して数分おいて余分な油を切り、190度の高温でもう一度揚げていく。

 

「ひとりさん、一口サイズのものがあるので味見してみてください。熱いので気を付けて、はい、どうぞ」

「あっ、はい。いっ、いただきます……あっ、あふっ……あっ、おっ、美味しいです!」

「気に入ってもらえたならよかったです」

 

 ひとりが目を輝かせて美味しいと口にしたことで、有紗も顔を綻ばせ残る鶏肉を揚げていった。

 

 

****

 

 

 ふたりで一緒に作った唐揚げを美味しく食べたあとは、風呂の準備を行い湯が入るまでに少し空いた時間ができた。

 なにかをして遊ぶほど長い時間ではないので、雑談をしながら湯が入るのを待つはずだったのだが、そこで有紗が唐突に行動を起こした。

 

「ひとりさん、質問があるのですがいいでしょうか?」

「はえ? あっ、はい。なんでしょうか?」

「私に甘えたい状態というのは継続中でしょうか?」

「あえ? あっ、ああ、えと、その……けっ、継続中……です」

 

 唐突な有紗の質問に、ひとりは恥ずかしさから頬を赤く染めて視線を泳がせつつ返答する。有紗に甘えたいという気持ちがあるのは事実であり、甘えたいモードが継続中なのも自覚していた。だが、それを口に出して言うのは言いようのない恥ずかしさがある。

 ただそれでも素直に答える辺り、ひとりの有紗に対する高い好意がうかがえた。

 

「なるほど、それなら大丈夫そうですね……では、どうぞ」

「……あっ、あの、有紗ちゃん? なぜ、両手を広げているんでしょうか?」

「私もひとりさんを甘やかしたい気分なので、お風呂の準備ができるまでひとりさんを胸に抱きしめて、頭を撫でたいと思うので、ひとりさんが嫌でなければどうぞ」

「……」

 

 いっそ清々しいほど堂々と宣言する有紗の言葉を聞いて、ひとりはなんとも言えない表情で思考を巡らせる。

 

(……あっ、相変わらずな有紗ちゃん……でっ、でも、この誘惑は抗いがたいというか……心の奥から有紗ちゃんに甘えたい欲求が湧き上がってくるみたいで、うぐぅ、そっ、そんな優しい顔で見られると……あぅあぅ)

 

 両手を広げ優しく微笑む有紗の表情は、母性や愛情を感じさせ、ひとりは気恥ずかしさを感じながらも引き寄せられるように体を近づけていく。

 そしてひとりの体が十分に近づいたタイミングで、有紗はひとりの頭を優しく抱えるように抱きしめて、宣言した通りに頭を撫で始めた。

 

(あわわわ……やっ、やっぱりこれは、ちょっと幸せ過ぎるというか、蕩けそうというか……柔らかいし温かいし、いい匂いはするし気持ちいいし……うあぁ、これ……好きだぁ……)

 

 気恥ずかしさはあるがそれ以上に、優しく包み込まれるような温もりにひとりの表情は蕩けていき、有紗の背に手を回してギュッと抱き着く。子供が甘えているかのような仕草で密着することで、有紗に甘えたいという欲求が深く満たされて幸福感が湧き上がってくる。

 言葉で表現するのが難しいほどの幸せと、癖になりそうで怖いという少しの恐怖の中……ひとりはしばし無言で有紗に甘え続け、有紗もそれを優しく受け止めてひとりを甘やかしていた。

 

 

****

 

 

 しばらく経ち、湯張りの完了を知らせる音を聞いたことで有紗とひとりは入浴することにして浴室へ移動する。

 前日と同じように互いに背中を流して、髪を洗い合ってから湯船に浸かり、並んで座る。先ほどまで甘えていた影響だろうか、湯の中で自然とひとりは有紗の手を取っており、有紗もその手を握り返して互いにもたれかかる様にして身を寄せ合う。

 

「明日は昼前にここを出て、パーキングエリアなどで土産などを購入しましょう」

「あっ、はい。けっ、けど、アレですね。8月はライブもないし、夏休みの課題も終わってるので時間にかなり余裕がありますね」

 

 有紗とひとりは、夏休みが始まった直後からふたりで一緒に課題を進めたりしていたこともあって、既に夏休みの課題は全て終了している。

 未確認ライオットも終わり、今月はSTARRYでのライブもない。ひとり個人の話で言えば、リョウがバイトのシフトに入りまくっている影響で、今月はバイトも少ないので時間的余裕はかなりあった。

 

「新曲の製作やスタジオ練習もあるので完全にフリーとはいきませんが、それなりにのんびり過ごせそうですね。また結束バンドの皆さんと一緒にどこかに出かけるのもいいかもしれませんよ」

「あっ、いいですね。去年も皆で江の島に行きましたし……ただ、リョウさんや虹夏ちゃんが忙しいですかね?」

「教習所があるとはいえ、ある程度余裕はあるはずですよ。虹夏さんは冬休みになると大学受験であまり遊ぶ時間はないでしょうし、夏に遠出しておくのはいいですね」

「あっ、大学といえばリョウさんは行かないみたいですね。作曲に専念したいって……ひっ、昼まで寝てたいからとも言ってましたが……」

 

 虹夏とリョウは高校3年生であり、進学するならば大学受験が控えている。リョウは大学には行かないことを決め、虹夏は進学の予定でコツコツ受験勉強をしていた。

 

「まだ先ではありますが、ひとりさんは進路はどうしますか?」

「あっ、うっ、う~ん。まだ決めてないです。まっ、前までだったら、そもそも大学に合格するわけがないので一択だったんですが……」

「まぁ、焦って決める必要はありませんよ。急いても可能性を狭めるだけですからね。後悔しないようにじっくり考えればいいです。悩んだら、私も相談に乗りますよ」

 

 ひとりは、以前は惨憺たる成績であり、そもそも高校に入れたのは定員割れのおかげ……大学受験など、夢のまた夢どころか、家族も含めて大学は無理だと最初から諦めているレベルだった。

 しかし、高校1年の最初の期末テスト以降有紗がひとりに勉強を教えていることもあり、ひとりの成績は劇的に上昇していた。

 そもそも有紗が教え上手であり、ひとりの方も有紗をかなり信頼しているため教え学ぶという関係の相性がいい。それでも最初は赤点の回避がやっとではあったが、1年経ったいまは大きく変わっている。

 繰り返し指導をしてもらったり、テスト以外の場面でも勉強のコツなどを教わっているためか、現在のひとりの成績は中の上ほどになっている。定期テストでも安定して平均点を上回る点数が取れているので、大学受験も現実的に可能というレベルにまで成長していた。

 

「あっ、ありがとうございます。心強いです……有紗ちゃんは、進学ですよね?」

「私の場合はそもそも、大学までエスカレーター……学内試験が軽くある程度で、3年生になれば大学で学ぶことを先んじて学んだりしますね。もちろん必ず大学に行かなければならないというわけでは無く、就職する方や他の大学に進学する方も居ますけどね」

「じゅっ、受験なく大学に行けるのは羨ましいですけど、それ以上に有紗ちゃんの学校は勉強のレベルが高すぎて大変そうです」

「そんなことは無いですよ。範囲が広いだけで、順序立てて学べば難しくはありません」

「……あっ、頭のいい人の台詞です」

 

 当たり前のように語る有紗ではあるが、有紗の頭の良さを知っているひとりは思わず苦笑を浮かべていた。いまのことを語るのも楽しく、未来について語るのも楽しい。

 進学かバンドに専念するか、現時点ではハッキリとした答えは出してはいないが、それでもひとりの心に焦りはなかった。

 

 どんな道を選んだとしても、有紗が傍に居てくれるというのを確信しているから……。

 

 

 




時花有紗:入学から全ての定期テストで学年1位であるが、本人は特に気にしている様子もなくそれを吹聴したりすることもない。ひとりが甘えたいモードに入っているのと同じように、ひとりを甘やかしたいモードに入った模様……需要と供給がバッチリである。

後藤ひとり:有紗のおかげで実は普通にそこそこ成績がいい。そもそも有紗がひとりのことを深く理解しているため、誰よりもひとりに適した指導方法で教えてくれるので理解しやすく、成績も上がりやすい。学校自体への苦手意識も、喜多やABコンビと始めとした友人の獲得でほぼ解消しており、普通に大学進学も視野に入れて進路は考え中である。

伊地知虹夏:まったく関係ない話ではあるが、原作4巻でリョウが大学に遊びに行くと発言した際の虹夏ちゃんは大変可愛い。


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八十四手互恵の軽井沢旅行⑥

 

 

 ひとりさんとの軽井沢の旅行。最終日となった朝も、とてもいい目覚めでした。腕の中には愛らしいひとりさんの寝顔、体には柔らかな温もり……何度味わってもこの幸福感はたまりませんね。

 とりあえず例によってひとりさんをしっかり抱きしめなおして、ひとりさんが目覚めるまでの時間を満喫します。

 しかし、昨日は非常に素晴らしい出来事がありましたし、今日も目覚めはなんだかいい気分なので……なにか起こらないでしょうか?

 

「……んん……有紗ちゃん……」

 

 そんな風に考えているとひとりさんが小さく私の名前を呼びましたが、それ以上なにかの寝言を口にすることはありませんでした。

 ただ何らかの夢を見ているのか、ギュッと私にしがみつきながらグリグリと頭を動かして、私の首元に顔を擦り付けるような仕草をしました。

 ……なんたる愛らしさですか……迂闊に見たら、人が死にかねないほどの破壊力がありますよ。子犬が甘えるかのようなその仕草は、愛らしさは言わずもがな、擦り付けてくる顔の感触、首にかかる吐息の温もりと、幸せが詰め込まれていました。

 

 早起きは三文の得ということわざがありますが、まさに早く目覚めてよかったと心から思いました。なにせ、私が目覚めるのがあと15分遅ければ、この至福ともいえる瞬間を体験することはできなかった訳ですからね。

 今日のひとりさんはそれなりにぐっすり眠っているようで、首元に顔をピッタリ密着させた後は、スゥスゥと可愛らしい寝息が聞こえてきました。

 少しくすぐったくもその安心しきった様子には、言いようのない幸福感がありますね。寝ているので無意識の事ではあるでしょうが、私に密着することで安心感を覚えてくれているような感じで、なんだか嬉しいです。

 

「……ひとりさん……貴女は本当に、どれだけ私を虜にすれば気が済むのでしょう。いつもいつも、新しい可愛らしさが発見できて幸せで、本当に愛おしいですよ」

 

 ひとりさんを起こさないように小さな声で呟いて、そっとひとりさんの頭を撫でます。しっかり眠っているようですし、この様子だとまだしばらくは目を覚まさないでしょう……ひとまず、ひとりさんが目覚めるその時までは、この最高の幸福を味わっていましょう。

 

 

****

 

 

 目覚めたひとりさんを再び30分ほど抱きしめたあとで起床し、ふたりで一緒に朝食を作っていただきました。その後はまだ迎えまで少し時間があったので、軽くセッションをして待つことにしました。

 外ではなく室内で楽しく音を鳴らすような感じですね。即興のメロディを作ってみたり、少し変則的な演奏を行ってみたりしました。

 

「あっ、いまのメロディ、いい感じじゃなかったですか?」

「楽し気でいいリズムでしたね。新曲に応用できるかもしれませんし、少し調整して録音しておきましょうか」

「あっ、はい」

 

 来年リリースの新曲用に、使えそうなメロディがあればスマホに録音しておきます。リョウさんが作曲する際の助けになるかもしれません。リョウさん曰く作曲はインスピレーション勝負ということなので、インスピレーションを刺激するような斬新なメロディは有効です。

 まぁ、必ずしも奇をてらったり物珍しいことが正解というわけでもないので、難しいところではありますが……。

 

 そんな風に楽しくセッションしながら気になったメロディなどを録音していると、そろそろいい時間になったので片付けと準備を行います。

 後ほど清掃が入るので必要というわけではありませんが、別荘内も軽く掃除しておきます。やはりふたりで利用したので、最後までしっかりふたりで行いたいですからね。

 

「こっ、こんな感じですかね」

「ええ、これだけすれば十分だと思いますよ。そろそろ迎えも来る頃ですし、荷物を用意しておきましょう」

「あっ、はい」

 

 片づけと掃除を終えて持ち帰る荷物を用意すると、丁度いいタイミングで迎えの車が到着する音が聞こえたので、ひとりさんと一緒に別荘の外に出ます。

 そのまま車に乗り込んで帰宅でもよかったのですが、その前にせっかくなので別荘をバックにひとりさんと写真を撮ることにしました。

 運転手さんに撮影を担当してもらって、ひとりさんと一緒に並んで別荘の前に立ちます。

 

「せっかくですし、なにかポーズでも取りますか?」

「あえ? あっ、えっと……よっ、陽キャのポーズと言えば……てっ、手でハートを作るとか?」

「指では無く手全体……ひとりさんとふたりで、ハートの形を作る感じですかね?」

「あっ、はっ、はい。そんな感じです」

「分かりました。ではそれで撮影しましょう」

 

 片手をひとりさんと繋いで身を寄せ、空いたもう片方の手で半分のハートの形を作り、ひとりさんと合わせてハートの形にします。コレはかなりラブラブっぽい写真ではないでしょうか? 部屋の額縁の次の更新は決まりましたね。

 

「あっ、えへへ、なっ、なんか陽キャっぽい……ふへへ」

「これは、どことなくラブラブな雰囲気でいいですね」

「らっ、らら、ラブラブ!? いっ、いや、そんなつもりは……あっ、でっ、でも、確かにハート作ってるとカップルっぽくも……あわわわ……あっ、あの、有紗ちゃん……撮り直しませんか?」

「追加で撮影は喜んで、ですが先ほど撮った写真は大切に保管します」

「あぅ……」

 

 顔を赤くしたひとりさんが撮り直しを提案してきますが、撮り『直し』という言葉から前の写真を破棄してほしいという気持ちは伝わってきましたが……それはあまりに惜しすぎるので、先んじて拒否をしておきます。

 いえ、もちろんひとりさんが本気で嫌がったら削除するつもりではありましたが、恥ずかしがってはいてもそれほど嫌がっている様子はありませんでした。自分のスマートフォンに撮った写真も削除する様子は無かったので、恥ずかしくはあっても写真自体は気に入ってくれているのかもしれません。

 

「それでは、名残惜しいですが帰りましょうか」

「あっ、はい。なんか、楽しくてあっという間でした」

「私も同じ気持ちです。また一緒に来ましょうね」

「あっ、はい。そっ、その時は私ももっと料理とか手伝えるように、がっ、頑張ります」

「ふふ、楽しみですね」

 

 観光地などを巡る旅行も楽しいですが、ひとりさんとふたりでのんびり過ごす今回の旅行も最高でした。都会の喧騒を離れて好きな相手とふたりで共同生活というのは、本当に憧れますし実際に行っても素晴らしいものでした。来年の夏も来ましょう。

 

 

****

 

 

 ひとりさんとの楽しい軽井沢旅行が終わった後も、まだまだ夏休みは続きます。ひとりさんが比較的時間に余裕があったので、ふたりでカフェや映画に行ったりとスタジオ練習などの合間にも楽しく遊び、いつの間にか8月も下旬に差し掛かってきました。

 

 今日はSTARRYでのスタジオ練習の日であり、私も夏休み明けに向けて物販関連の整理をするので、ひとりさんと一緒にSTARRYに向かっていました。

 

「あ、ひとりちゃんに有紗ちゃん、やっほ~」

「あっ、喜多ちゃん……こっ、こんにちは」

「こんにちは、喜多さん。奇遇ですね」

 

 STARRYに向かう途中で偶然喜多さんと出会い、そのまま3人で一緒にSTARRYに向かうことになりました。

 

「え? ふたりとも、青山のあのカフェに行ったの? どうだった?」

「あっ、えっと、夏限定のレモンのショートケーキタルト? を食べました。さっ、爽やかで美味しかったです」

「オリジナルブレンドのアールグレイもいい味でしたね。レモンのケーキタルトに合わせて、レモングラスとベルガモットオイルを混ぜた爽やかな感じでした。写真もありますよ」

 

 少し前にひとりさんと一緒に行ったカフェの話になり、その際に撮影した写真を見せると喜多さんは目を輝かせます。確かにとてもお洒落な店で、喜多さんが好きそうな雰囲気ではありましたね。

 

「お洒落で可愛い! いいな~私もあの店行ってみたかったんだけど、まだ行けてないのよね。限定メニューが終わる前には絶対行きたいわ」

「では、今度3人で一緒に行きませんか?」

「あ、それ、最高! ひとりちゃんも、いいかな?」

「あっ、はい」

 

 目を輝かせる喜多さんに、ひとりさんも小さく苦笑するような笑みを浮かべて頷きました。一緒にいろいろな場所に行っているおかげか、ひとりさんもかなり外出などに対する忌避感は無くなっているようなので喜ばしいです。

 この調子で行けば、いつか本当に一緒に海外旅行などもできるかもしれませんね。玲さんがひとりさんを紹介しろと頻繁に催促してくるので、そのうちフランスに一緒に行ければいいですね。まぁ、それより早く我慢しきれなくなった玲さんがこちらに来る可能性もありますね。

 

 そんなことを考えつつ、ひとりさんと喜多さんと雑談をしているとSTARRYに到着しました。

 

「あっ、着きましたね」

「よ~し、それじゃあ、今日も練習頑張りましょう! おはようございま~す!」

 

 喜多さんがそう言って笑顔でドアを開けると、店内には既にリョウさんと虹夏さんの姿があり、リョウさんがこちらを振り返ってはじけんばかりの輝かしい笑顔を浮かべました。

 

「おはよう! ぼっち、郁代、有紗、清々しい練習日和だね! 今日も、一緒に頑張ろうね!」

「……」

 

 そして喜多さんは無言で扉を閉め……動揺した表情で私とひとりさんの方を振り返りました。

 

「……あ、えっと……私の目がおかしくなったかな? いま、リョウ先輩、もの凄くキラキラした笑顔じゃなかった?」

「わっ、私もそう見えました。目も、いつものローテンションな感じじゃなくてキラッキラでした」

「明るいというよりは、疲労でテンションがハイになっているような印象でしたが……」

 

 リョウさんの様子は明らかに不自然ではありました。イメージとしては徹夜明けでテンションが上がっているような状態というか、普段であればまずしないであろう明るく爽やかな表情を浮かべていました。

 ただそれは元気だからというよりは、むしろ精神的な疲労が蓄積した結果という感じで……なんと言うか、若干心配ではありますね。

 

「…‥まぁ、とりあえず入りましょうか、事情は虹夏さんにでも聞きましょう」

「そ、そうね」

 

 私の言葉に頷いて喜多さんがもう一度STARRYの扉を開けると、先ほどと同じように明るい表情のリョウさんが見えました。

 

「3人ともどうしたの? 外は暑いし、早く入っておいで、今日の爽やかな気分にピッタリの冷たいドリンクでも用意してあげるよ」

「……」

 

 そして現実を受け止めきれなかったのか、喜多さんは無言でもう一度扉を閉めました。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんとたっぷりいちゃいちゃできて満足。旅行後も頻繁にぼっちちゃんと遊んでおり、一緒にありこち出かけてデートしている。

後藤ひとり:カップルぽいことしたぼっちちゃん。例によって山田の鬼出勤のせいであまりバイトのシフトに入っていないので、夏休みは有紗とあちこち出かけて遊んでいる。喜多ともそこそこ会話が成立するぐらいには、アウトドアに耐性が付いてきてる模様。

世界のYAMADA:人生で最大のタスクを積んで壊れた目がキラキラのリョウ。原作でも1巻の最初の頃は目は割とキラキラしてて、年上お姉さん感がそこそこあった気が若干しないでもない。


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八十五手計画の気分転換

 

 

 明らかに通常とは違った様子だったリョウさんは、先ほどまでのハイテンションはどこへ行ったのかいまは疲れた様子で机に伏しています。

 

「……それで、虹夏さん。リョウさんのこの状態は? なんとなく、疲れているのは見て分かりますが……」

「うん。いや、まぁ、自業自得と言えばそれまでなんだけど、リョウってば楽器のローンのために最近鬼シフトしてたでしょ? さらに、教習所も行ってスタジオ練習もして、新曲の作曲もって……いままでの人生で積んだことがないようなレベルのタスクを抱えて、壊れた感じだね」

「あっ、ああ、追い込まれると変なテンションになるやつ……わっ、分かります」

 

 そういえば以前作詞に苦戦していた時のひとりさんも、唐突に喜多さんの真似をしてみたりといった突発的な行動をとっていましたね。

 まぁ、ともあれ、リョウさんの状態は根を詰め過ぎて精神的疲労が溜まった結果と言う感じでしょう。

 

「リョウ先輩、大丈夫ですか?」

「頭が働かない……来年リリースする曲も書き始めたんだけど、なかなか難しい。ぼっちが面白いメロディをいくつか持って来てくれたから、ある程度進んではいるけど……微妙に難航気味」

「あっ、はい。ワンフレーズが面白くても、それで曲全体を作るのは難しいですもんね」

 

 喜多さんが心配そうに声をかけると、ひとまず普通に返事はしているみたいなので深刻というわけではなさそうです。過労と言うほどではなく、いろいろなことを抱えた結果精神的にストレスを感じて疲労しているという印象ですね。

 

「いままで音楽とバイトだけだったのに、車校も入ってきて家でも5時間は学科の勉強で拘束されるし……」

「……伊地知先輩、免許ってそこまで勉強しないと取れないんですか!?」

「いや、そんなハズは……というか、私はそんなにしてないし」

 

 不満そうに告げるリョウさんを見ていると、いまの段階であれば比較的大丈夫そうな印象でした。なんというか、リョウさんは不平不満を口にしている内はまだ元気で、本当に深刻に悩むとひとりで抱え込んで隠すタイプなので……まぁ、それでもストレスを溜めていていいことなど無いですし、気分転換などは必要でしょう。

 そう思っていると、虹夏さんが私の近くに来て小声で話しかけてきました。

 

「……ちょっとリョウが心配でさ、気分転換とかしたほうがいいかな~って思うんだけど、どうだろ?」

「賛成です。遠出してみるのもいいですね。前にひとりさんと少し話したのですが、去年の江の島のように皆でどこかに出かけるのもいい気分転換になると思います」

「いいね。皆とも相談してみよ!」

 

 元々虹夏さん自身もリョウさんの気分転換は考えていたのでしょうね。私が賛同したことで明るい表情に変わった虹夏さんは、他の皆さんにも声をかけます。

 

「皆、せっかくの夏休みだしどこか遠出しない? 一泊ぐらいの旅行でさ、いい気分転換になるし……ほら、前に司馬さんも10代ならではの経験をしろって言ってたし、夏休みらしいこと皆でしようよ!」

「楽しそうですね! 賛成です! あ、でも、バイトは大丈夫ですかね?」

「そこは休めるようにお姉ちゃんに頼んでみるよ。いや、実際リョウだけじゃなくて、私も練習とバイトと車校ばっかであんまり夏らしいことしてないんだよね。喜多ちゃんたちはなにか、夏らしいことした?」

 

 皆で旅行に行こうという虹夏さんに喜多さんが明るい笑顔で賛成すると、そこで少し話が脱線してここまでの夏休みの話に移行しました。

 虹夏さんに聞かれた喜多さんは、どこか楽し気に話し始めます。

 

「私は友達と遊ぶことが多かったですね。ショッピングに行ったり、カフェ巡りしたり、カラオケ行ったりって感じですけど……夏っぽいことはあんまりしてないかもです。前に、皆と夏祭りに行ったぐらい……ひとりちゃんは?」

「あっ、えっ、えっと、夏らしいこと……あっ、有紗ちゃんとプライベートプールで泳いだり、映画を見に行ったり、河川敷で花火をしたり、軽井沢に旅行したり、軽井沢の湖で釣りしたり……とかですかね?」

「あとは、夏限定メニューのあるカフェに行ったり、夏のカレーフェスに行ったりしましたね」

「あっ、そっ、そうですね。それも夏っぽいですよね!」

 

 カレーフェスは最近横浜でやっていたので、ひとりさんと一緒に行ってきました。本格的なものから変わり種までいろいろあって、楽しいイベントでした。

 ひとりさん自身がある程度人の多い場所も平気になってきたので、ふたりでデートできる場所が増えて嬉しい限りです。

 そんなことを考えていると、虹夏さんと喜多さんがポカンとした表情を浮かべ、リョウさんもなんとも言えない表情を浮かべていました。

 

「なんか、ひとりちゃんが、一番夏を満喫してる!? わ、私完全に負けてる……」

「落ち着いて喜多ちゃん、勝負じゃないから……それにしても本当にいろいろやってるね」

「……私とぼっち、どこで差が付いたのか……慢心、環境の違い……いや、分かりやすい。明らかに差が付いた要因は有紗……」

 

 まぁ、私とひとりさんがアレコレできているのは、リョウさんがシフトに入りまくってひとりさんが時間的余裕が沢山あったからというのも要因ですが……ただ、改めて考えてみると大抵のことはしていますね。

 軽井沢の別荘でバーベキューや、天体観測というほどでは無いですが星を見たりもしましたし……結束バンドの皆さんと一緒に夏祭りにも行きましたし、夏らしいことはほぼ網羅していますね。

 

「……あ、じゃあ、海はどうかな? ぼっちちゃんもプールは行っても、海は行ってないんだよね?」

「あっ、はい。海は行ってないです……とっ、というか、私泳げな……」

「いいですね! 白い砂浜、青い海! 夏の映えといえば海ですよ! ひとりちゃんも、そう思うよね!!」

「あっ……はい」

 

 虹夏さんの提案はなるほどと感心するものでした。確かに海というのは素晴らしいです。またひとりさんの水着姿を見ることができますし、砂浜でひとりさんと一緒に過ごせるのは素晴らしいです。

 

「あんま混んでる場所は嫌……有紗、なんかない?」

「東京から1泊で行ける距離ですと、プライベートビーチ付きの別荘がいくつかあるのと、海沿いにあるホテルも2箇所程はオーナー権を持っています……あとは、宿泊できるクルーザーも何台かありますが……どれがいいですか?」

「別荘がいいな」

「分かりました。近いうちにロインで写真と場所を送るので、どこがいいか相談しましょう」

 

 ちなみにクルーザーはお父様のものが2台、お母様のものが国内には1台。あとは、以前誕生日プレゼントでお父様が贈ってきた私のクルーザーが1台あります……ほぼ使っていませんが……いつかひとりさんと一緒に乗るのもいいかもしれません。

 

「……ねぇ、喜多ちゃん別荘とかクルーザーって、そんな当たり前みたいにいくつか持ってるって話になる?」

「……伊地知先輩……有紗ちゃんなので……ひとりちゃんから聞いた話だと、海外に無人島とかも持ってるらしいですよ」

「こういう状況になると有紗ちゃんのセレブっぷりを実感するよね」

「まぁ、恩恵受けまくってるので文句はないですが、分かっててもビックリしますよね……」

 

 虹夏さんと喜多さんが話し声が聞こえた直後、ひとりさんが私のすぐ近くに来て小声で話しかけてきました。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん……私泳げないんですけど……」

「大丈夫ですよ、ひとりさん。海に入って泳ぐばかりが海のレジャーではありません。砂浜で行える遊びも多いですから、それを一緒にやりましょう」

「あっ、そっ、それなら……」

「深いところまでいかずに、波打ち際で遊ぶという手もありますしね。ひとりさんと一緒に海で遊べると考えると、いまから本当に楽しみです」

「あっ、わっ、私も……そっ、その、泳げないのは不安ですけど……有紗ちゃんと海に行けるのは嬉しいです。えへへ、一緒にいろいろしましょうね」

「はい」

 

 どうやらひとりさんも海に行くこと自体は乗り気みたいで、どこか嬉しそうな笑顔を浮かべてくれていました。以前江の島に行った際は眺めるだけでしたが、実際に海で遊ぶとなるとなにをしましょう? やはり、定番として砂浜で追いかけっこのようなことはすべきでしょうか? その辺りは流れ次第ですね。

 そして、夜に月明かりに照らされる海辺を一緒に歩いたりするのも素敵ですね。

 

「……気のせいかな? このふたり、最近よりいちゃつくようになってない?」

「分かります。なんか、前よりも空気が甘い感じになるんですよね」

「……ぼっちが以前より距離詰めてる印象」

 

 

 ****

 

 

 STARRYでのスタジオ練習を終えて、ひとりさんと手を繋いで駅に向かって歩きます。旅行に関しての詳しい打ち合わせは後ほどロインで行うことになりましたし、星歌さんに休みなどを調整してもらう必要もあるので、8月下旬ごろになりそうですね。

 

「…‥あっ、あの……有紗ちゃん?」

「はい? どうしました?」

「あっ、あのですね……海に行くじゃないですか? 水着が必要になりますよね……そっ、それで、前にプールに行った時の水着を持っていくつもりだったんですけど……」

 

 隣を歩くひとりさんが少し恥ずかしがっているような、若干迷いが感じられる声で話しかけてきました。なんとなくではありますが、私にとってはとてもいい提案のような気がします。

 ひとりさんはそのまま少し沈黙したあとで、言葉を選ぶように告げます。

 

「……たっ、例えばですけど……わっ、私が新しい水着を買ったりすると……あっ、有紗ちゃんは嬉し――」

「嬉しいです!」

「――そっ、そんな食い気味に!?」

「いえ、もちろん、以前の水着も大変愛らしかったのですが、他の水着を着ている姿も見てみたいという気持ちは、抑えきれないぐらいあります」

「そっ、そんなにですか……あっ、えっと、じゃあ……こっ、今度一緒に買い物に行って……その……選んでくれませんか?」

「はい! 任せてください!」

 

 なんと言うことでしょう。ひとりさんからデートの誘いをしてくれたこともそうですが、私が選んだ水着を着てくれると言っているに等しい言葉……想像以上の幸福感があります。

 それこそ、このまますぐに買いに行きたいと思えるぐらいです……ひとりさんの新しい水着、どんなものがいいでしょうか……以前とはまた違ったタイプがいいですね。

 なんというか、海に行く日がますます楽しみになってきました。

 

 

 




時花有紗:こういう皆で遊びに行く際には最強の味方といっていいパトロン。まぁ、それはともかくとして、ぼっちちゃんの思わぬアプローチに大喜びしており、冷静さは吹き飛んで興奮気味だった。

後藤ひとり:積極さが増したせいか、なんかアプローチみたいなことし始めた。貴女の選んだ水着を着ますとか、ほぼ恋人に向けて言う様な台詞では?


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八十六手砂浜のサマーバケーション~sideA~

残業で執筆時間があまり取れなかったので、今回はいつもより少し短めです。


 

 

 一度決まってしまえば善は急げといいますか、行動が早いのが結束バンドの面々であり、1泊旅行の準備はあっという間に終わり、予定していた別荘にやってきました。

 車で片道3時間ほどの距離で、やや遠目ですがここの別荘はかなり設備がしっかりしていますし、お母様が利用することを前提に作られているのでプライバシー面も万全と言えます。

 

「来たぞ、別荘! ……写真で見るよりだいぶ大きい」

「イエーイ! というか、移動の車がすでに凄かったです!」

 

 虹夏さんと喜多さんが楽し気に別荘前でハイタッチしてはしゃいでいるのを、私とひとりさんとリョウさんは少し離れた場所で見ながら言葉を交わします。

 

「……私、思うんだ。やっぱり、車は運転するんじゃなくて運転してもらうべきだって、将来は専属運転手を雇おう」

「あっ、はぁ……かっ、かなりお金がかかるのでは? あっ、有紗ちゃん。美春さんって、どれぐらいで……」

「美春さんの月収はおおよそ50万、賞与なども含めれば年収は800万前後ですね。あくまでうちの雇用条件で、一般的には専属運転手の平均年収は400万~600万と言われていますね」

「……専属運転手は諦める」

 

 ひとりさんが口にした美春さんは、主に私の送迎を担当してくれている運転手のひとりで、今日別荘に送ってくれたのも美春さんです。

 私の送迎を担当してくれる運転手は3人居るのですが、基本的には美春さんと夏華さんというふたりの方が回して、おふたりとも休みの場合にはもうひとりの運転手が送迎してくださいますが、機会は多くありません。ほぼ美春さんか夏華さんです。

 ひとりさんも何度も車に乗っていることもあって、顔見知りです。

 

「とりあえず、中に入ろうか……有紗ちゃん、部屋割りとかって決まってるのかな?」

「いえ、決まっていませんが事前に全員分の寝室を用意するように伝えてあるので、それぞれお好きな部屋で大丈夫ですよ」

「……ぜ、全員個室……よ、よし、とりあえず部屋割りは適当に決めようか!」

 

 私に軽く確認したあとで、別荘内に入ってそれぞれの部屋を決めて荷物を置きます。ちなみにひとりさんは私の隣の部屋です。

 そして荷物を置いたあとはリビングに集合して、なにをするかを相談することになりました。リョウさんは即座にキッチンの大型冷蔵庫を確認していました。

 

「お、おぉ……食べ物も飲み物もいっぱい……有紗、これって」

「全て自由に食べたり飲んだりしてもらって大丈夫ですよ」

「やったぜ、やっぱり持つべきものは金持ちの友達!」

「リョウもいちおう金持ち側なんだけどね……有紗ちゃんのランクが違い過ぎるせいで霞んでるけど……」

 

 私の返答を聞いてさっそく冷蔵庫から食べ物や飲み物を取り出すリョウさんを見て、虹夏さんが苦笑を浮かべつつ口を開きます。

 

「夜はBBQの予定だけど、それまでどうしよう? だらだらしとく?」

「えー!? 海行きましょうよ! 海!! あの健康的な景色を前にして、泳ぎたくならないわけがないじゃないですか!?」

「……テンションが上がりまくって興奮してる。いや、まぁ、いいけど……」

「やったー!! ずっと服の下に水着着てたから息苦しかったんですよ!」

「小学生か!!」

 

 よほど海が楽しみだったのか、早着替えのような速度で水着に着替える喜多さんに虹夏さんがツッコミを入れるのを見つつ、私は軽く苦笑を浮かべながらひとりさんに声をかけます。

 

「それでは、私たちもそれぞれ水着に着替えて集合ですかね」

「あっ、はい」

 

 そうして私たちはそれぞれの部屋で着替えて、再びリビングに集合しました。そして自然と互いの水着についての話になりました。

 

「活発な喜多さんによく似合う水着ですね。フリルも可愛らしいです」

「あっ、えっと、可愛いです」

「……写真撮って物販で売ろう」

「喜多ちゃんは水着似合うよね~」

「ありがとございます。渋谷の108で買ってきた最新の水着ですよ!」

 

 喜多さんはフリルの付いたシンプルなトライアングルビキニで、シンプルながら喜多さんの可愛らしさを引き立てている印象です。

 

「伊地知先輩の水着はハイウエストデザインで可愛いですね~」

「夏休みに食べ過ぎちゃって少し太ったから、体型隠しも兼ねてね」

「色合いも落ちついたいい色で、虹夏さんによく似合ってますね」

「あっ、可愛いと思います」

「……まぁ、悪くないと思う」

 

 虹夏さんはハイウエストのワンピースタイプの水着の上に薄手のシャツを羽織った形で、上品さと可愛らしさを感じます。

 

「リョウ先輩のシースルー水着も大人っぽいです! 腹筋割れててスタイルも最高!!」

「一番自堕落なのに、なんでこの体型……なんか理不尽」

「リョウさんは高身長でスタイルがいいので、体型の出る水着は本当によく似合いますね」

「……え? 有紗がそれ言う?」

「あっ、えっと、カッコいいです」

 

 リョウさんはボーイレッグのショーツタイプの上にシースルーの上着を着ている形でした。リョウさんのスタイルの良さも相まってモデルのようにも見えます。

 

「ひとりさんのフレアビキニは、やっぱり最高に可愛らしいですね。普通のタイプやホルターネックタイプと迷いましたが、フレアビキニを選んでよかったです。ひとりさんのプロポーションであれば大抵の水着は似合うと思いますが、やはりフリルはひとりさんの愛らしさをグッと引き上げてくれますね。いまのひとりさんは夏の妖精といっても過言ではないですし、夏の太陽以上に眩しく感じます」

「かっ、過言です! こういう時の、有紗ちゃんは大体過言です……」

「ぼっちちゃん相手の時だけ熱量が全然違うんだけど!?」

「あ、あはは、有紗ちゃんは本当にブレませんよね」

「ぼっちもまんざらではない顔してる気がする」

 

 ひとりさんの水着は私が選んだもので、かなり悩んだのですが可愛らしいフリルが付いたフレアビキニにしました。ひとりさんであれば色っぽいタイプの水着も似合いますし、フリンジビキニやレイヤードビキニといったタイプやレースアップも似合うとは思うのですが、やはり個人的にはひとりさんの愛らしさを際立たせるデザインが好みです。

 果たして人生でここまで悩んだことがあっただろうかと思うほど考えましたが、最終的に選んだ水着はひとりさんの愛らしさをこれでもかと言うほど高めてくれており、満足です。

 

「……まぁ、その、いろいろ感想は言ったけどさ……やっぱ有紗ちゃんは凄いよね。雑誌の表紙に写真載ってても納得しちゃうよ」

「……ハイネックにパレオ、着こなすの難しそうなんですけど……なんか直視できないぐらい眩しいですよね」

「あっ、有紗ちゃんの水着も可愛くてカッコいいと思います。なっ、なんか、海外のセレブみたいな雰囲気もありつつも、可愛らしいです。あっ、あと、やっぱり有紗ちゃんにはパレオが似合います。上品ですし、足も長くてスタイルがよくてカッコいいので!」

「ふふ、ありがとうございます。ひとりさんに、そう言ってもらえると嬉しいです」

「……ぼっちも、有紗に対してだけやたらコメント多くない? もうバカップルさを隠しもしてない気が……」

 

 私の水着もひとりさんの水着を買う際に新しく買ったもので、今回はハイネックタイプの露出を抑えたデザインで落ち着いた雰囲気に纏めてみました。ひとりさんが私にはパレオが似合うと言ってくれたので、パレオも合わせたデザインにしています。

 まぁ、私の水着は別にいいとして、やはりひとりさんの水着は素晴らしいのであとで写真を撮らせてもらいましょう。

 

 

 




時花有紗:本人の容姿がぶち抜けて高く、スタイルも完璧ではあるが、当の本人はぼっちちゃんの水着の方がよっぽど重要で、今日の着てもらう水着を選ぶ際は過去一レベルで悩んでいた。

後藤ひとり:他へのコメントと、有紗へのコメントがまったく違うので、好意を全然隠せてはいない感じもする。それぞれ個室ということで、有紗と別の部屋であることに、ちょっとシュンとしていた。

春夏秋冬:有紗の専属である運転士と使用人ふたりずつの計4人。運転手の美春と夏華、使用人の秋奈と冬実夏秋冬……出番はほぼ無いので覚える必要は無し。


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八十六手砂浜のサマーバケーション~sideB~

 

 

 水着に着替えてプライベートビーチにやってきた結束バンドの面々は、最初に協力してパラソルやレジャーシート、ビーチチェアなどを設置してから遊び始めた。

 リョウは設置が終わると早々にクーラボックスからドリンクを取り出し、ビーチチェアに寝転がって持参したノートパソコンを起動する。

 

「……リョウ、なにしてんの?」

「海水でベタつくの嫌だから映画観とく」

「わざわざ海まで来て!?」

 

 虹夏の質問に興味無さそうに答えつつリョウが映画を見ようとすると、有紗が不意に呟くように尋ねた。

 

「リョウさん、いちおう別荘にシアタールームもありますが?」

「…………いや、水着着たしね……やめろ、有紗。その微笑まし気な目はやめて、他意はないから、本当だから……」

「へ~なるほどね。リョウってば、そっけない雰囲気出してるけど皆が遊んでる中で、ひとりだけ別荘に居るのは寂しいんでしょ?」

「……うっさい貧乳」

「あ? お前いま、なんて言った?」

 

 虹夏の言葉は図星だった。有紗が言ったように別荘にシアタールームがあるのであれば、そちらで映画を見た方が快適ではあるだろう。ただ、他のメンバーが一緒に楽しく遊んでいる中で、ひとりだけ別荘で映画を見ているというのは、気が進まなかった。

 かといって他の面々のようにはしゃぐのもプライドが邪魔をする。なので、短めの映画を見て時間を潰してから、ほどほどのタイミングで加わろうと画策していた。だが、有紗には最初からバレていたし、虹夏も有紗との会話を聞いて気付いてしまったので、リョウは気恥ずかしさから悪態をついて顔を逸らし……その代償として、砂浜にバックドロップで叩きつけられることとなった。

 

 その後、リョウも結局虹夏に説得されて海で遊ぶことにしたのか、シースルーの上着を脱いで、浮き輪を持って虹夏と一緒に海に向かって歩き出した。

 

「ひとりさん、私たちも行きましょう。泳ぐ必要はありませんので、波打ち際で遊びましょう」

「あっ、はい。おっ、追いかけっことか……ですか?」

「やりますか?」

「あっ、うっ……ちょっ、ちょっとやってみたい気持ちはありますが……たぶん体力が持たないので、ふっ、普通に水遊びとかで……あっ、海水が気持ちいいです」

「深いところまで行く必要はないので、膝ぐらいの高さにしておきましょう。波もあるので気を付けてくださいね」

 

 緩やかなさざ波とはいえ、足を取られる可能性はあるので注意を促しつつ、膝が浸かるぐらいの位置へ移動する。

 その途中で有紗とひとりは、なにやら大量の浮き輪を海岸に並べて手動の空気入れを必死に動かしている喜多を見つけて、足を海水に浸けたままで声をかける。

 

「……あっ、喜多ちゃん、その浮き輪は?」

「人もいないプライベートビーチっていう……絶好の撮影チャンス……無駄にしないために……大型の浮き輪をいっぱい持って来たの……でもこれ、大変……」

「喜多さん、手動では大変ではないですか? 別荘から持ってきたクーラボックスの横の箱に、電動のエアポンプが入ってますよ」

「……え? そっ、そうなの!? ありがとう!!」

 

 ボートなどと一緒に持ってきた箱には電動エアポンプや空気抜き、ビーチボールやエアボートが入っており、事前に有紗が説明していたのだが、海で遊ぶことに頭がいっぱいだった喜多は聞き逃していたみたいで、持参した小型の空気入れを使っていた。

 幸い早い段階で電動エアポンプの存在を知れた喜多は、喜んでまだ膨らませていない浮き輪を持ってパラソルの方へ向かっていった。

 

「……それはそれとして、喜多さんはあの大量の浮き輪をどうするつもりなのでしょう?」

「あっ、えっと……自撮りとか……ですかね?」

「なるほど、ところでひとりさん」

「あっ、はい?」

「隙有りです」

「――わぷっ!?」

 

 油断していたひとりにたいして、有紗は片手で水を掬ってかける。

 

「あっ、有紗ちゃん!?」

「ふふ、いえ、定番かと思いまして……」

「なっ、なら私だって、えっ、えい!」

「きゃっ……やりましたね。では、お返しです」

 

 ひとりが同じように水をかけ、有紗も避けることなくそれを受けて反撃する。楽し気に笑いながらふたりで水をかけ合っており、仲のよさが伝わってくる印象だった。

 泳げないひとりも海を楽しめているというべきか、有紗と一緒に遊べているのが楽しい様子だった。

 

 そんなふたりの元に、虹夏とリョウが近づいてきた。

 

「ぼっちちゃん、有紗ちゃん、一緒にボートで遊ぼ! ちょっとは波あるけど、ボートなら泳げなくても大丈夫でしょ?」

「あっ、たっ、確かにそれなら……」

「おや? 喜多さんは?」

「……郁代なら、向こうで浮き輪を山ほど並べて自撮りしてる。長くなりそうだし、後でいいでしょ」

 

 喜多の自撮りに対するこだわりは全員が知るところであり、何十枚という写真を角度を変えながら撮影するため、ひとつの構図の写真でも相当の時間がかかる。

 なのでボートは4人で楽しむことになった。流石に4人全員でボートに乗るのは難しいので、最初は虹夏とひとりがボートに乗り、有紗とリョウは泳ぎながらボートが流れないようにコントロールする形になった。

 

「ちょっとは揺れるけど、楽しいね!」

「あっ、はいそうです――あぇ?」

「ひとりさん!?」

 

 ボートに乗ってすぐ、さざ波によって少しボートが揺れたことで、絶望的にバランス感覚が無いひとりがバランスを崩してボートから落下した。

 ボートで遊ぶ関係上、先ほどまでとは違って足が付かない場所まで来ており、泳げないひとりにとっては致命的である。

 だが、そこは誰よりも早く反応した有紗が、海に落下したひとりを助ける。

 

「大丈夫です! 私にしっかり掴まってください」

「あぶっ、あっ、有紗ちゃん……」

「大丈夫ですよ。落ち着いて……私が付いていますからね」

「……はっ、はい」

 

 片手でボートを掴んで沈まないようにして、もう片方の手でひとりの腰に手を回してしっかりと抱きしめる。ひとりも有紗に抱き着くような形でしっかりと密着して、ホッと息を吐いた。

 カナヅチであるひとりにとって、海に落下するというのはかなりの恐怖だったが、パニックになるより早く有紗がしっかり助けてくれたので、心から安堵して有紗に抱き着いていた。

 

「ぼっちちゃん! 大丈夫?」

「あっ、はっ、はい。大丈夫です。水も、ほとんど飲んでないです」

「無事でよかったけど、念のために一度戻ろう」

 

 虹夏とリョウも心配そうに声をかけるが、幸いなことにひとりは問題なさそうだった。ボートを開始してすぐということもあって、少し移動すれば足が付く場所に戻れるので、リョウの提案で足の着く場所へ移動する。

 

「ひとりさん、ボートに掴まりますか?」

「……あっ、そっ、その、迷惑じゃなければこのままが……有紗ちゃんの傍が、一番安心できるので……」

「分かりました。しっかり掴まっておいてくださいね」

「はい……あっ、有紗ちゃん、ありがとうございます」

 

 ギュッと有紗に甘えるように抱き着くひとりに微笑みを浮かべ、有紗は片手でボートに掴まりつつ、ひとりを抱きしめた状態で器用に移動する。

 そして、足の着く場所に移動したが、ひとりは有紗に抱き着いたままで離れる気配はなかった。

 

(あっ、えっと……もう足がつくし、離れた方がいいよね。でっ、でも、怖かったし……有紗ちゃんの傍にいたいし、もう少し、このままがいいなぁ……)

 

 そんな風に考えるひとりの心境を察したのか、有紗は軽く微笑んだままなにも言わずに少しだけひとりを抱きしめる力を強くする。

 

「……君たちはなにをしてるのかな? というか、私とリョウはなにを見せられてるのかな?」

「いえ、偶然とはいえせっかくの機会なので、このままひとりさんとのハグをしばらく堪能したいという気持ちがあるのです。なので、続行しています」

「い、潔い……」

「曇りのない目をしている。流石猛将」

 

 堂々と自分がひとりを抱きしめていたいから抱きしめているのだと宣言する有紗に、虹夏とリョウは思わず気圧されつつ、それも「まぁ、有紗だし」という心境で納得する。

 実際は、いま離れたくないと思っているのはひとりの方なのだが……ひとりが離れないのではなく、自分が離さないのだとあえて宣言することで、ひとりの気恥ずかしさを和らげるという有紗の気遣い。それは、当事者であるひとりももちろん気付いており、少し頬を染めてさらに有紗に体を密着させていた。

 

「……うん。まぁ、とりあえず、大丈夫そうだし、私とリョウはボートで遊んでくるから……よし、出発!」

「じゃ、そういうことで……え? まだ私が引くの?」

 

 有紗とひとりの間に流れる甘い雰囲気を察し、よく披露しているキツネ顔になった虹夏とリョウは、そのままふたりを残してボートで遊びに行く。

 そして、海の中でピッタリと密着するように抱き着きながら、ひとりは胸の高鳴りを感じていた。安全な場所に来たことで、気恥ずかしさと……そして、なにより有紗が助けてくれて嬉しいという気持ち、頼りになる有紗のカッコよさを再確認して胸の奥がむず痒い感じだった。

 

「……あっ、有紗ちゃん……あの……えっと……」

「ひとりさん、体調などに異常は無いですか?」

「あっ、はっ、はい。大丈夫です」

「それならよかったです。では、申し訳ないですが、先ほど言った通り私はもう少しひとりさんを抱きしめていたいので、このままでお願いします」

「……あっ、はい……その……私ももう少し……有紗ちゃんにくっついていたかったので……」

「ふふ、それは奇遇ですね」

「……はい」

 

 穏やかに微笑む有紗の顔を見て、ひとりは照れながらもはにかむような笑顔を浮かべてギュッと有紗に抱き着いた。

 

(ああ、本当にどうしよう……気付かない振り、してるのに……有紗ちゃんは優しくて、カッコよくて……困ったなぁ。もう安全な場所に移動してるはずなのに……ドキドキが収まらない。こんなにしっかりくっ付いてるんだし、有紗ちゃんに聞こえちゃったら……どうしよう……)

 

 そんな風に考えながらも、体を離したりすることはなく、ひとりはしばし有紗に甘えるように抱き着いていた。そう遠くない内に、心の奥に秘めた気持ちに気付かない振りもできなくなるのではと……そんな実感を抱きながら……。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんとの仲は非常に良好で、隙あらばいちゃいちゃしている。危ない状態でも即座に助けてくれたり安心させてくれたり、恥ずかしい思いをさせないように庇ってくれたりとスパダリ感が凄い。

後藤ひとり:有紗といる時は恋する乙女をしてるぼっちちゃん。もうそう遠くない内に気持ちに気付かない振りもできなくなりそうと、そんな予感を覚えている。

世界のYAMADA:原作より虹夏へのラブ度が高いせいか、サメ映画を見るのを止めて虹夏の説得を受けて一緒に海で遊んでいた。

喜多郁代:御労しや……喜多上……さっつーが結束バンドメンバーとほぼ関わりがないばかりに……。


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八十七手充足の一泊旅行~sideA~

 

 

 ハプニングもありつつ海でひとしきり遊んだあとは、バーベキューの用意を行います。大型冷蔵庫の中から必要な食材を用意して、下ごしらえを虹夏さんと一緒に行います。

 

「いや~有紗ちゃんが居てくれて本当に助かるっていうか、自分以外にも料理が上手な子がいると安心感があるよね。こういう時の準備を分担してできるだけでもありがたいよ」

「確かに5人分の準備をするのは大変ですね。虹夏さんは頼りがいがありますし、リーダー気質なのでこういった際には指示を出す側に回ることも多いですから、仕事量が多いと大変ですね」

 

 実際私が居ない状態で結束バンドメンバー4人で来ていたとしたら、虹夏さんが下準備を主導しながら各メンバーに仕事を振り分ける指示を行う必要があったでしょうし、虹夏さんの負担が非常に大きくなっていたと思います。

 

「いや~リーダーっぽくないリーダーなんだけどね」

「そんなことないですよ。誰がなんと言おうと結束バンドのリーダーは虹夏さんです。こういった全員で出かけた際に、自然と中心となることや面倒見のよさも含めて、気質がリーダーに向いているんだと思いますよ。なので、自信を持ってください」

「うぅ、有紗ちゃん、優しい……ありがと、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 私の言葉を聞いた虹夏さんは、少しだけ目を潤ませた後で明るい笑顔を見せてくれました。そんな虹夏さんに微笑み返しつつ視線を動かすと、他の3人がバーベキューを行う金網の準備を行っていました。

 なにやらリョウさんが自信満々の様子でひとりさんと喜多さんに話をしています。

 

「こうやって、炭の量を調整して火力にムラを作ることで、焼く時に強火や弱火を使い分けられるようになる」

「あっ、そっ、そうなんですね」

「リョウ先輩、博識! どこで知ったんですか?」

「車校で見た漫画に載ってた」

「免許取りに行ってるんですよね!?」

 

 教習所の漫画を読んで得た知識を披露しつつ準備をしている姿は、なんだかんだで仲のよさそうな雰囲気を感じて微笑ましいです。

 ひとりさんも、指示待ちといった感じではなくある程度いろいろ考えて自主的に動いている印象でした。

 

「……あっ、飲み物用意しますけど、お茶と炭酸でいいですか?」

「大丈夫だと思うわ。私はいまから着火して火の調整するね。リョウ先輩は、ひとりちゃんを手伝ってあげてもらえますか?」

「分かった」

 

 チーム分けとしては、比較的料理が得意な私と虹夏さんが食材の準備を行い、残る3人が食器や金網の準備を行っています。

 喜多さんがある程度バーベキュー慣れしているようで、上手く作業を分担してくれている印象でした。

 

「なんだかんだでリョウもちゃんと手伝ってるみたいで安心だね」

「最初から比較的自主的に動いていたように見えますよ」

「あ~それはアレだよ。ぼっちちゃんが意外とちゃんと準備の手伝いをしてるからね。ひとりだけなにもせずにいるのは、流石にバツが悪かったんでしょ」

 

 実際虹夏さんのいう通り、リョウさんはああ見えて結束バンドのメンバーに対してはそれなりに友好的と言うか、他の相手とは違って気遣いを見せることも多いです。

 今回に関しても、喜多さんの指示に素直に従ってあまり文句も言っていない様子なので、虹夏さんも安心しており微笑むその視線は優し気でした。

 

「……さて、虹夏さんこちらの下準備は終わりましたよ」

「あ、丁度私もこれで……よし、準備おっけ~!」

 

 そうこうしているうちに食材の準備も完了し、金網などの準備もできているようだったので予定通りバーベキューが開始されました。

 肉や野菜など、それぞれが思い思いの食材を焼いていく中、ひとりさんがなにやら不安げな表情を浮かべていたので、近づいて声をかけます。

 

「ひとりさん、どうしました?」

「あっ、いえ、果たしていまの私のBBQポイントが、肉を食べられる段階まで足りているかどうかに悩んでいました」

「……BBQポイントとは?」

「あっ、えっと、BBQの準備への貢献度によって加点されるポイントです。てっ、点数が低いと肉へ手を出した時のヘイトが多くなります。わっ、私はまだいいところ10BBQポイントぐらいです」

 

 初めて聞く概念なのでチラリと周囲の虹夏さんたちにも視線を向けますが、意味が分からないという表情を浮かべているのでひとりさんの独自システムかもしれません。

 虹夏さんがチラリとこちらを見て「ぼっちちゃんに関しては任せた」というアイコンタクトを送ってきたので、虹夏さんたちはこのBBQポイントの会話に加わるつもりはないようです。

 

「……なるほど、ちなみに私のポイントは?」

「あっ、有紗ちゃんは食材の用意に準備、場所や道具の提供……あっ、圧倒的貢献度……500BBQポイントで、ぶっちぎりのトップです。このBBQの全てを自在にコントロールする資格のあるBBQクイーンです!」

 

 一瞬そのすべてを自在にできる権限でBBQポイント制を廃止にできないかと考えましたが、別のことを思いついたのでそちらを実行することにしました。

 

「ひとりさん、ひとつ質問なのですが……例えば、私がひとりさんになにかを食べさせる際は、私のポイントとひとりさんのポイント、どちらが適用されるのでしょうか?」

「あっ、えっ、えっと……その場合は、有紗ちゃんの意思なので……有紗ちゃん、ですかね?」

「なるほど、では問題ありませんね」

「うっ、うん?」

 

 不思議そうに首を傾げるひとりさんに対し、私は丁度食べごろの肉を箸で掴んでひとりさんに差し出します。そう、ひとりさんの理論によるところのBBQポイントが足りないのであれば、私が食べさせれば問題ないというわけです。

 

「あっ、あむ……おっ、美味しいです!」

「ふふ、こうして私がひとりさんに食べさせれば、BBQポイントを気にしなくて大丈夫ですよ」

「なっ、なるほど、流石有紗ちゃん……あっ、でっ、でもこれじゃ私が有紗ちゃんに食べさせてあげれないです」

「確かにそれは問題ですね。ポイントの譲渡はできますか?」

「じょっ、譲渡……あっ、有紗ちゃんはBBQクイーンなので……たぶんOKですかね」

「なるほど、では、私のポイントを100ポイントひとりさんに譲渡すれば、ひとりさんも私に食べさせることができます」

「あっ、そっ、そうですね! あれ? でっ、でも、これなら普通に食べれる気も……まっ、まぁいいか……有紗ちゃん、どうぞ」

 

 若干戸惑ったような表情を浮かべたあと、ひとりさんもバーベキューの肉を箸で取り、私に食べさせてくれました。普通に食べても美味しい肉ですが、ひとりさんに食べさせてもらうとさらにおいしい気がしますね。

 

「……おかしい。ぼっちちゃんの奇行を、有紗ちゃんに対応してもらおうと思ったら、いつの間にかいちゃついてた……」

「完全にいつも通り」

「いつものふたりですよね」

 

 虹夏さんたちの呆れたような声を聴きつつも、食事を楽しんでいると……不意に虹夏さんが叫びました。

 

「お前ら全員箸止めろ!」

 

 なにかを我慢していたような表情の虹夏さんは、グッと拳を握った後で熱く語り出しました。

 

「さっきから見てれば、火加減、投入順、配置、肉を裏返す時の手のフォーム、全然ダメダメだ! ……有紗ちゃん以外!!」

「BBQ奉行!?」

「というか、有紗はOK判定なの?」

「有紗ちゃんは、無駄に完璧で文句のつけようがない! けど、他の奴らは全然なってねぇ!!」

 

 どうやら虹夏さんはバーベキューの焼き方にかなり拘りがあるようです。ただ、私に関しては問題ないらしいです。特になにかを意識したわけではなく、普通に焼いていただけなのですが……いえ、もちろんひとりさんに食べてもらうわけですから、焼き加減には気を使っていますが……。

 

「特に喜多ちゃん! フランスパンにお好み焼き、カステラって……なんでそんなの投入してんの!? 闇BBQじゃねぇんだぞ! というか、どうやって金網でお好み焼き作った!?」

「変わり種面白くないですか~?」

「BBQへの造詣が深いとか豪語してたけど、一番BBQへの解像度低くない!?」

「味より皆が盛り上がるのが優先っていうか~なによりも写真撮って映えるかどうかが重要って感じですね!」

「解釈違いなんだけど!?」

 

 なんとなくの印象ではありますが、定番のしっかりとしたバーベキューを好む虹夏さんと、面白く華やかなバーベキューを好む喜多さんの意見が対立している感じですね。

 とはいえ、喧嘩しているというよりはじゃれているという感じなので、騒ぎつつもなんだかんだで楽し気ですね。リョウさんは黙々と肉を口に運んでいます……まるで食い溜めをしようとしているようにさえ見えますね。

 

「あ、ひとりさん口の周りが少し汚れてます。じっとしていてくださいね」

「あっ、ありがとうございます……なっ、なんか、こうして有紗ちゃんとバーベキューするのは、楽しいですね。まっ、前はホットプレートだったので、ちょっと違う雰囲気です」

「そうですね。確かに金網で焼くとまた味わいも違ってきますし、この雰囲気も楽しいですね。もちろんなによりも、ひとりさんと一緒だからこそより楽しいのでしょうが……」

「えへへ、わっ、私も、有紗ちゃんと一緒だから……楽しいです」

 

 そう言ってひとりさんは、スッと身を寄せて肩と肩と触れ合わせるようにしながら微笑みました。その愛らしさもさることながら、こうしてすぐ近くで一緒にバーベキューを楽しめているというのが最高に幸せです。

 楽しい思いを共有することでより大きくなるというか、ひとりさんと同じ気持ちを感じられていることで2倍、いえ、それ以上に楽しく幸せな感じがしますね。

 

「……喜多ちゃん、私たちがBBQ論を語り合ってる間にバカップルがまたふたりの世界作ってるよ」

「……これ完全に私たちの存在がふたりの中から消えてますね。なんか、甘い雰囲気が……気のせいか、前よりラブオーラが強いような……」

「喜多ちゃん、このふたりを見てると争いって醜いなって思えてくるよね……止めよう……あと、お好み焼き食べていい?」

「一緒に食べましょう。きっとBBQ論に貴賤なんて無いんですよ。皆違って、皆素晴らしいんです」

「……もぐもぐ……なんだろ、この蚊帳の外感。あと肉美味い。流石有紗の用意した肉……もぐもぐ」

 

 

 




時花有紗:場所及び食材及び機材の提供、食材の下準備と調理、ぼっちちゃんの好感度補正で500BBQを獲得しているBBQクイーン。とりあえず、ぼっちちゃんとふたりで作り出す甘い空間度濃度が増しているらしい。

後藤ひとり:君まったく己の感情に気付かない振りとかできてなくない? と思うほど、有紗に対して大好きオーラを隠さなくなったぼっちちゃん。例によっていちゃいちゃしてた。

世界のYAMADA:珍しく、この5人の構図で喜多上ではなく蚊帳の外になっていた。後のローン地獄のために、いまのうちに高級食材を食い溜めしておく腹積もり。

なにかの格差社会:具体的になにがとは言わないが、ぼっちちゃん>有紗>リョウ>虹夏>>>喜多のイメージ……いや、本当になにがとは言わないが、水着になると如実に……。


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八十七手充足の一泊旅行~sideB~

 

 

 バーベキューを楽しみ、別荘に戻った結束バンドの面々は食休みをしつつ、今後の予定について話し合う。

 

「この後はどうしよう? 日も落ちてくるし……」

「もちろん肝試し大会に決まってるじゃないですか! 今日はオールです!」

「えぇぇぇぇ!?」

「耐久ホラー映画鑑賞でもいいですよ! コスメいっぱい持ってきたから、皆にメイクして遊びたいな~。あっ、ゲームでもいいですよ! トランプなら持って来ましたし、大きなテレビもありますし!」

「……なんで、郁代はこんな元気なんだ」

「あっ、わっ、私たちとスタミナが違い過ぎます」

 

 ウキウキとした様子で話す喜多に、虹夏は苦笑を浮かべ、ひとりとリョウは疲労が残る表情を浮かべていた。そもそも、普段からアウトドア派の喜多は、他のメンバーとは基礎体力がまったく違う。

 長時間の車での移動、海での遊び、バーベキューを経て、未だに元気いっぱいなのは喜多ともうひとりだけだった。

 

「皆さん、お茶を淹れてきましたので、どうぞ」

「ありがと~有紗ちゃん!」

「……有紗も元気だよね」

「あっ、有紗ちゃんが疲れてるところなんて、ほぼ見たことが無いです。正月明けぐらいです」

 

 喜多と同じく他のメンバーと圧倒的なほどに基礎体力が違う有紗も平然としており、紅茶を淹れてきてそれぞれの前に並べる。

 そんな有紗に対して、喜多がウキウキとした様子で尋ねる。

 

「有紗ちゃん! この別荘の周辺に、なんかこう祟りが起こる祠があるとか、一家心中した建物があるとが、地縛霊が住み着ているとかそういうのは?」

「……あっ、有紗ちゃんちの別荘を凄い設定にしようとしてます」

「どんだけ、肝試しやりたいんだ」

 

 目をキラキラとさせながら話す喜多を見て、ひとりとリョウはなんとも呆れた表情を浮かべており、虹夏はなにやら不安げな表情を浮かべていた。

 そして問いかけられた有紗は、少し考えるような表情を浮かべたあとで苦笑して口を開く。

 

「ええ、ありますよ」

「え? あるの!?」

「実はこの別荘は、売りに出されていたものを購入したのですが、プライベートビーチ付きの別荘にしては非常に安価だったんです。その理由は、前の持ち主が遭遇した事態にあるらしいです」

「……え? えぇ?」

 

 どこか真剣な表情で語り出した有紗に対し、虹夏は戸惑ったような表情を浮かべる。実は虹夏はホラー系が苦手であり、肝試しの流れはそもそも拒否したい気持ちだった。

 

「前の持ち主も、丁度いまの私たちと同じように5人でこの別荘に泊って肝試しをしたらしいです。別荘の裏から少し歩いたところに、昔使われていた古い家屋がありまして……そこに置いたお札を取ってくるというだけの簡単な内容だったそうです」

「あ、あれ? こ、これ、怖い話始まるパターンじゃ……」

「5人という人数だったので、じゃんけんでチームを分けて、2、2、1という形で別れて時間をずらして出発。ゴールの家屋で合流という形にしたそうで、家主だった人物は最後にひとりで向かう形になったそうです。家主が暗い夜道を懐中電灯を頼りに歩いていると、途中で先に出発したはずのふたりのうちのひとりと出会いました。どうにもはぐれてしまったとのことで、流れで家主はその人と一緒にゴールに向かうことになったそうです」

 

 ちなみに、ひとりはお化け屋敷などでは人の驚いている声に驚きこそするが、基本的に幽霊などはあまり怖いとは思っていない。薄暗いところに居るなど、むしろある程幽霊にシンパシーを感じているところさえある。

 リョウはまったく問題なく、むしろ彼女の心を占めているのは「また外に出るのは面倒」という思いだった。

 

「楽しく会話をしながらゴールを目指していたのですが、家主はなぜか強烈な違和感を抱きました。しかし、それが何故かは分からないままゴールに辿り着きました。するとそこには、他の3人が居て肝試しはお開きとなり、5人全員で帰ることになりました」

「「……」」

 

 有紗の語り方や声のトーンが上手いからだろうか、喜多と虹夏は互いに手を握って息を飲む。実は虹夏だけでなく、喜多も怖いのは苦手である。ただ、彼女の場合は怖がること自体も楽しんでおり、肝試しの様子をイソスタライブで配信するなどの計画も立てていた。

 

「懐中電灯を持って先頭を歩く家主の後方で、はぐれたひとりを非難するような会話をしつつ賑やかに話す4人、全員揃っていてもう肝試しも終わり。安心できる状況のはずでした……しかし、家主は先ほど以上の強烈な違和感を覚え、少ししてその違和感の正体に気付きました」

「「……ごく」」

「……足音が、聞こえないのです。それなりに舗装されているとはいえ、山に面した道で小枝や砂利などもありました。現に家主自身の足音は聞こえます。しかし、後方に賑やかに話す4人の足音が全く聞こえないんです。ゾッと背筋が冷たくなった家主に、後方から声がかかりました……こっちを向いてと……その声に導かれるように家主が振り返ると、目も鼻も無く口だけの顔になった4人の友人が笑っていて……そして、夜道から全ての足音は消え去りました」

「ギャアァァァァァ!?」

 

 有紗の話を聞いて、虹夏は叫び声をあげて近くに居たリョウに飛びついた。ガタガタと震える虹夏を、リョウは若干戸惑った表情を浮かべつつ安心させるように頭を撫でる。

 それで少し落ち着いたのか、虹夏は青ざめた顔を上げながら必死の様子で叫ぶ。

 

「や、やめよう! 肝試しなんてやるもんじゃないよ!! というか、そんな曰く付きの場所に居たくないよ!!」

「……あ、えっと、虹夏さん、怖がらせて申し訳ありません。いま即興で考えた作り話です」

「えぇぇぇぇ!? つ、作り話なの!?」

「ええ、この別荘はお父様が建てたものなので前の持ち主なんていませんし、そもそも別荘裏に古い家屋なんてありません。喜多さんの話にノッてみたのですが、そこまで怖がるとは思わなくて……」

「有紗ちゃんの語り方が迫真すぎるんだよぉぉぉ、本当に怖かったんだから!!」

「……あの、虹夏、そろそろ離れて……暑いし」

 

 作り話だったという有紗の言葉に虹夏は半泣きになりつつ叫ぶ。本人は無意識なのだろうが、リョウにがっしりと抱き着いており、抱き着かれた側のリョウは照れているのかソワソワと落ち着かない様子だった。

 

「け、結構怖かったですね。いつの間にか周りの人たちが別人に変わってる……でも、肝試しに向けた空気が出来上がってきましたね!」

「えぇぇ、き、喜多ちゃん、止めようよ……ね? ね?」

「に、虹夏……苦しい、ちょっと力緩めて……」

 

 有紗の即興の作り話で肝試しにむいた空気ができたと喜多が喜び、虹夏が肝試しは止めようと提案する。そんな中、ひとりは有紗に話しかける。

 

「あっ、有紗ちゃんはお化けとかは?」

「……どうでしょう? もし怖いと言ったら、ひとりさんが守ってくれますか?」

「え? あっ、はい。わっ、私お化けは平気ですし、あっ、有紗ちゃんのことは私が守ります!」

「ふふ、それは頼りになりますね」

「えへへ、わっ、私もたまにはカッコいいところ見せたいですし……」

「ひとりさんはいつでもカッコよくて素敵ですよ」

「ふへへ、もっ、もぅ、有紗ちゃんはいつもそうやって大袈裟に褒めるんですから……」

 

 実際のところ有紗もお化けや幽霊はまったく怖くは無いのだが、グッと拳を握って決意を固めるひとりを微笑まし気に見ていた。

 そのまま、再びふたりだけの世界に突入するのがいつもの流れではあるが、今回は話の途中なので名残惜しさは感じつつも会話に戻る。

 依然、必死に肝試しを撤回させようとしている虹夏に対して、目に「映え」という文字を浮かべながら説得を行う喜多、そして虹夏に抱き着かれて若干頬を赤くして素知らぬ顔でそっぽを向いているリョウ……その3人を見て、軽く苦笑を浮かべながら口を開く。

 

「喜多さん。肝試しもいいのですが、実は今日の泊まりにあたって、倉庫に花火などをいくつか用意してもらっているのですが、そちらにしませんか?」

「花火!? 花火があるの?」

「ええ、多めに用意してもらっていますし、置いて着火するタイプのものもあるので、映像でもかなり映えるのではないかと思います。夜の浜辺での、花火なんてのも素敵じゃないですか?」

「有紗ちゃん、最高! 賛成! 花火にしよう! ね? 喜多ちゃん、花火映えるよ。キラキラだよ!」

「そうですね。肝試しはまたの機会にして、夜は花火大会にしましょう!」

 

 喜多は要するに皆と一緒に遊びたいだけであり、肝試しに強い拘りがあるわけではない。単純に夏の定番ともいえるものなので推していただけで、他の遊びでもまったく問題はない。

 海辺での花火となればイソスタライブでもかなり映えそうなので、むしろ大賛成といっていい。その提案のおかげで、肝試しを回避した虹夏はホッと胸を撫で下ろした。

 

「……よかったね、虹夏」

「う、うん。肝試しにならなくて本当によかった。流石有紗ちゃんは準備がいい……え? じゃあ、さっき即興の怖い話いらなかったじゃん……」

「まぁ、いいんじゃない。私も遠くまで歩いたりとか嫌だし……いざ実際に肝試しになっても、虹夏は私が……」

「うん? なんか言った?」

「……いい加減離して、暑苦しい」

 

 そっけなく告げてそっぽを向くリョウの頬は、心なしか赤みがかっているように見えた。

 

「あっ、有紗ちゃんと花火は前にした時以来ですね」

「ですね。今回は5人ということもあってかなり多めに用意しているので、華やかに楽しめそうですね」

「たっ、楽しそうです。あっ、えっと、一緒に線香花火とかしたいなって……」

「いいですね。並んで線香花火をするのも、風情があってとても素敵ですね。是非やりましょう」

「あっ、はい。えへへ」

 

 これから行う花火に関して、楽しそうに話すひとりに有紗も笑みを返し、ふたりで顔を見合わせ合って笑顔を浮かべる。

 ちょうど日も沈み、外が暗くなったため花火には適したシチュエーションになってきたので、結束バンドの面々はワイワイと楽しく会話をしながら、倉庫に向かってあらかじめ用意されていた花火などを運び出す。

 

 

 




時花有紗:ホラー系はまったく問題なし。ただひとりに守ってもらうのもそれはそれいいなぁと思ってはいる。ノリがいいので、即興で作り話とかもしてくれる。

後藤ひとり:お化けなどは平気だが、人の悲鳴でビックリするタイプ。肝試しでも花火でも、どっちにせよ有紗といちゃいちゃしてそう。

伊地知虹夏:ぼっちちゃんのブリッジ、こんにゃく各種でも律儀に悲鳴を上げていたぐらいは怖いのが苦手。

喜多郁代:怖いのは苦手(自称)だが、イベントとして怖いのも楽しむタイプ。

山田リョウ:肝試しは怖いよりも面倒。今回は唐突に虹夏に抱き着かれたため、内心は結構焦っていた。


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八十八手寂寥のバンド旅行~sideA~

 

 

 肝試しではなく花火を行うことにして、倉庫から協力して花火を浜辺に運びます。今回はイソスタライブで配信を行うということで、喜多さんがウキウキとした様子でスマートフォンを自撮り棒に付けて撮影しています。

 

「こんばんは~! 今日のイソスタライブは、なんとメンバー全員で、サポートメンバーの有紗ちゃんも合わせて5人制揃いです! そして今回は、海辺で花火を行います!」

『5人配信レア~!』

『喜多ちゃん可愛い』

『有紗様、有紗様が参加なんですね!』

 

 ちなみに今回は用意したノートパソコンと喜多さんのスマートフォンを連動させているので、パソコンの画面でライブのコメントなども見えます。

 私たちはほぼ参加することはないですが、主に喜多さんと虹夏さんが中心でライブ配信は時折やっているみたいです。割合としては喜多さんが9、虹夏さんが1ほどなので、ほぼ喜多さんがイソスタライブを行っている感じですね。なので、喜多さんは慣れたものでスマートフォンをこちらに向けてきました。

 

「じゃ、スタ練とかのライブ配信にほぼ出ることがなくて、登場がレアな有紗ちゃんも何か一言!」

「視聴者の皆様、こんばんは、時花有紗です。本日は皆で花火を行うだけという単純な内容ではありますが、楽しんでいただけたら幸いです」

『あぁぁぁぁぁ!? ちょえ! 有紗様がポニーテール!? かわちいカーニバル過ぎて、てぇてぇ祭りが開催されてます! ありがたや、ありがたや……』

『有紗様は普段はなかなかライブ配信に出ないので、マジで超レアキャラ』

『でた、最強ビジュアルの有紗様だ!』

 

 こういったライブ配信では少し呼び方に変化が出るもので、ひとりさん、喜多さん、虹夏さんはちゃん付けで呼ばれることが多く、リョウさんと私は様付で呼ばれることが多いです。

 というか、演奏メンバーではない私ですがなんだかんだでファンの方々には、結束バンドのメンバーとして周知されているようで、ライブ配信を見に来てくださる方々となると、私のことはご存知です。

 

「……やっぱ、有紗ちゃんがでるとコメントの伸びがとんでもない。あとなんか……イソスタライブに有紗ちゃんが出ると毎回爆速で最初のコメントする熱心なファンがいるような……まぁ、いいか。そんなわけで、皆で花火をしていきま~す!」

 

 まぁ、ライブ配信こそありますが基本的にはファンの方々に結束バンドメンバーの日常風景を楽しんでもらうという趣旨なので、私たちは気負わず普通にしていれば問題はありません。

 ひとりさんはカメラが苦手なので、こちらにカメラが向くと私の背後に隠れてしまいますが、事前に何秒後にカメラを向けると宣言しておくと大丈夫です。心の準備ができるかどうかの差なのでしょうね。

 

「よし、手持ち花火もいいけど、最初は画面映えもする派手な花火にしようか!」

「虹夏、大丈夫? ちゃんと足音聞こえる?」

「ひっ!? リョウ~なんで今その話を蒸し返した」

「ビビりまくっててウケる」

「ふんっ!」

「……暴力反対」

 

 置いて火を付ける吹き出し式の花火を始めようとした虹夏さんを揶揄い、ゲンコツを落とされているリョウさんを喜多さんが撮影する光景を眺めつつ、私はひとりさんと並んで手を繋いでいました。

 いえ、特にこれといった理由は無いのですがなんとなくまだ手持ち花火で遊ぶ雰囲気ではないので、自然とその形になったというべきでしょうかね。

 

「……海風のおかげか、涼しいですね」

「あっ、でっ、ですね。それになんか、静かでいい雰囲気です」

「確かに、さざ波の音が聞こえるのがなんとも素敵ですね」

「はい……あっ、虹夏ちゃんが火を付けましたね。わっ、綺麗です」

 

 ひとりさんの言葉に導かれるように視線を向けると、吹き出し式の花火が勢いよく火花を散らし、暗かった海辺を明るく照らしていました。

 最初だからか、かなり大型で派手なものを選んだようでかなりの迫力です。打ち上げ花火の派手さとはまた違った感じの雰囲気に、ひとりさんと軽く顔を見合わせて微笑み合ったあと、花火を囲む皆さんの輪に入ります。

 

「さぁ、どんどんやっていこう! 手持ち花火もいっぱいあるしね!」

「ですね! あっ、リョウ先輩こっちに目線ください!」

「高いよ? 投げ銭はちゃんとあるの?」

「伊地知先輩が18歳になってすぐプロアカウントへ切り替えたので、投げ銭もちゃんとありますよ~。貰えるかどうかは別として……」

 

 イソスタライブの投げ銭機能は、支払いアカウントに年齢制限があり18歳以上であることが条件です。リーダーである虹夏さんが18歳になっているので、いまは問題なく使えていますね。

 実際パソコンの画面を見てみると、ポツポツと投げ銭機能によるマークがついたコメントが投稿されていました。

 

『リョウ様にお布施です』

『リョウ様、カッコいい』

『お願いです。投げ銭するので有紗ちゃんとひとりちゃんを映してください』

 

 といった感じで、最後のコメント辺りはリクエストですね。そのリクエストに応えて喜多さんがこちらにスマートフォンを向けたので、俯くひとりさんと手を繋いだ状態で軽く手を振ります。ところで、最後のコメントをしたアカウント名が「2号」となっているのですが……2号さんでは?

 

 

****

 

 

 時折イソスタライブのリクエストに応えたりしながら、皆で花火を楽しみます。手持ち花火をある程度遊んだあとは、先に話していた通り、私はひとりさんと並んでしゃがみ線香花火をしていました。

 

「綺麗ですね」

「あっ、はい。なんか、この控えめな感じにシンパシーというか……わっ、私、線香花火は結構好きです」

「私も線香花火は好きですよ。派手で華やかな花火とはまた違った。優しい雰囲気が素敵ですね」

「あっ、はい。一緒ですね……えへへ」

「ふふ、ですね」

 

 身を寄せ合って線香花火を見つめながら他愛のない会話をする。ささやかではありますが、とても幸せを実感できる距離感とでも言いますか、こういうのも本当によいものです。

 なにより、花火に照らされるひとりさんの横顔は、普段とはまた違った美しさがあって思わず見惚れてしまうほどです。

 そんな風にひとりさんと花火を楽しんでいると、喜多さんがなにやら明るい口調でスマートフォンに向かって話しかけます。

 

「ではでは、ここからは知り合いの人を招いてのコラボ配信タイムです! ゲストはこの方です!」

 

 そう言って喜多さんが宣言しつつパソコンを操作すると、画面が切り替わって酒のパックを持ったきくりさんの姿が映りました。

 

『どもども~花火見ながら酒を飲むのもおつなものですね~。自分で花火買うと高いので、ライブ見ながら飲んでま~す。廣井です~!』

「……花火とか関係なくいつも飲んでるでしょ、廣井さん!」

『あはは、そういえばそうだね~。それより皆楽しそうでいいなぁ、私も旅行とか行きたいよ~。まぁ、私が旅行に行こうとすると夜逃げと勘違いされて、借金取りが追いかけてくるんだけどね~』

「喜多ちゃん! なんでよりにもよって、この人をコラボ相手にしたの!?」

 

 画面に映ったきくりさんは本当にいつもの調子であり、虹夏さんがツッコミを入れます。ただまぁ、それでもきくりさんは人気バンドのひとりで知名度もあるので、コラボ相手としては有りと言えば有りなのかもしれません。まともなコメントをしてくれるかどうかは別として……。

 

『あれ~廣井さん、なにしてるんですか~?』

『あ、幽々ちゃん。いま、結束バンドの皆とコラボしてるんだよ~幽々ちゃんも出る?』

「あ、内田さん」

 

 そのままきくりさんとの会話が続くかと思われましたが、そこでひょっこり幽々さんが画面内に現れました。どうやらきくりさんは新宿FOLTに居るみたいで、たまたま通りがかった幽々さんも興味を持って来てくれたみたいです。

 

『こんにちは~喜多さん。おや~皆さん、なにやら霊が好みそうな雰囲気の場所にいますね~。海辺とかでしょうかぁ~』

「え? そ、そそ、そんなの分かるの?」

『はいぃ。海辺など水のある場所は、霊が好みますからねぇ~。幽々くらいになると、直接画面に映って無くても、気配を感じるんですよ~』

『幽々ちゃんは霊感があるからね~』

『いえ~霊感ではなく幽々の力はあくまで魔力であって、サタン様に力を……』

 

 きくりさんに尋ねられての自分の力について細かく説明する幽々さんですが、虹夏さんはそれどころではない様子で青ざめた顔で周囲をキョロキョロと見回したあとで、幽々さんに問いかけます。

 

「……あ、あの、内田さん? な、なんかいるのこの辺……その、霊的な……」

『うん? ああ~大丈夫ですよぉ。有紗さんが居ますし~……有紗さんの祝福は桁違いですからね~ぼっちさんに憑いてた凄いのも~躾けられた犬みたいに大人しくなってますし~ウチのヨヨコ先輩に憑いてる凄いのもぉ、有紗さんが近くにいると怯えて大人しくなるぐらいです~。なのでぇ~現世に存在する程度の霊では太刀打ちできませんから、その付近の霊たちもいまは怯えて大人しくしてると思いますよぉ』

 

 私には霊感は無いのでよく分かりませんが、幽々さんの話では私には非常に強い神様の祝福があるらしく、並大抵の霊では近づくことすらできないらしいです。

 その辺りの話は本人に伺ってもよくは分かりませんでしたが、要約すると私が近くに居ればひとりさんの運の巡りがよくなったりするとのことなので、良い影響があるのなら問題はないと認識しています。

 

「……とりあえず、ひとりさん。あちらはあちらで幽々さんの話が長くなりそうな雰囲気なので、私たちは引き続き花火を楽しんでいましょか」

「あっ、はい。そうですね……あっ、えっと……」

 

 霊について幽々さんが熱く語っており、喜多さんや虹夏さんがリアクションしつつ対応しているので、私とひとりさんは普通に花火を楽しむことにしました。

 新しい線香花火に火を付けようとすると、そのタイミングでひとりさんが周囲の様子を伺いながら小声で話しかけてきました。

 

「……あっ、その……ちょっ、ちょっとだけ、もたれ掛かっても……いいですか?」

「はい。もちろんですね」

「あっ、ありがとうございます」

 

 私が了承すると、ひとりさんは嬉しそうな表情を浮かべて少し私にもたれ掛かり……私の肩に頭を乗せるような形で、引き続き私と一緒に線香花火を楽しみました。

 

 

 




時花有紗:結束バンドファンにはかなり人気があるが、演奏メンバーではないためなかなか配信に登場しない激レアキャラ。物凄い祝福があるらしく、ぼっちちゃんやヨヨコパイセンの凄いのも、有紗の前では大人しくなるため、有紗が近くにいるとふたりの運気が上がる(下がっていたのが戻る)。

後藤ひとり:隙を見てこっそりいちゃついたりしてる姿が大変可愛い。本人がチワワっぽくなってるからか、憑いてるのも犬っぽくなってる。ところでタイトルの寂寥とは「人の気配がなく寂しい感じがするさま」である。次話の展開は読めたな……。

爆速コメントのファン:ラファエルもとい恵恋奈ちゃん。有紗が登場しない時は基本リョウ推し、有紗が出たら誰よりも早く爆速コメントをする有紗推し、ぼっちちゃんと有紗のツーショットなら、コメント量はさらに倍。

2号さん:正体がまったく隠せてない有後党党首。有紗とぼっちちゃんが手を繋いでるのを見て、パソコンの前で虚空に向かってサムズアップをしていたとか……。


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八十八手寂寥のバンド旅行~sideB~

 

 

 結束バンドのメンバーでの一泊旅行の夜。花火を終えたあとは、リラックスしたおかげで新曲のアイディアがいい感じに出てきたリョウを中心に、来年リリース予定の新曲の打ち合わせをある程度行った後、日付が変わるぐらいのタイミングで就寝することになった。

 喜多は徹夜で遊ぶことを望んでいたが、多数決により就寝が決まり、喜多自身も昼の海での遊びや花火でそれなりに満足しており、最終的には納得して結束バンドのメンバーはそれぞれに割り振られた部屋に移動して寝ることになった。

 

 割り振られた部屋の質のいいベッドの上で、ひとりは布団に入ったまま暗い部屋でなかなか寝付けないでいた。

 

(あ、あれ? なんでだろ……全然寝付けないし、肌寒い気もするし……寂しい。冷房の設定下げ過ぎだったかな?)

 

 言いようのない寂しさとでも言うべきか、妙な孤独感を覚えておりどうにも心が落ち着かない状態だった、普段家ではひとりで眠っているはずなのに、この感覚はなんだろうと寝付けない頭の中で思考を巡らせるひとりだったが、ほどなくしてその要因に思い至ることができた。

 

(……あっ、そっ、そっか……有紗ちゃんが近くに居なくて……寂しいんだ)

 

 思い返してみれば、いままでひとりが外泊した際には有紗がすぐ傍に……もといほとんどの機会で、一緒の布団で眠っていた。

 箱根旅行の際の1日目こそ別々の布団で眠ったが、それでもあの時は布団を隣に並べての状態だったので、近くに有紗が居たことは間違いない。

 おやすみと告げる優しい声も、心の奥まで温かくなるような温もりも、心地よい香りも無いいまの状態がどうにも落ち着かず、言いようのない寂しさが胸の奥から湧き上がっていた。

 

(……うぅ、寂しい。有紗ちゃんに傍に居て欲しい……でも、有紗ちゃんはもう寝てるんじゃないかな……それ以上に、寂しくて寝られないなんて恥ずかしくて言えないし……うぅ、でも、無性に有紗ちゃんの声が聞きたい)

 

 有紗を気遣う気持ちや気恥ずかしさなどが混ざり合い、ぐるぐると頭を思考が巡る。ただそれでも寂しさに耐えかねたのか、ひとりはそっとベッドから出て部屋の外に出る。

 他のメンバーが寝ているので起こしてしまわないようにそっと外に出て、すぐ隣である有紗の部屋のドアの前に立つ。

 

(一回だけ……一回だけノックして、それで有紗ちゃんがもう寝てたら諦める……)

 

 言い聞かせるように心の中で呟いたあと、ひとりはコンコンと一度だけ部屋をノックした。すると、少しだけ眠たそうな有紗の声が返ってきた。

 

「……はい?」

「あっ……有紗ちゃん」

「ひとりさん? 少し待ってくださいね」

 

 有紗の声が聞こえ、無意識にパァッと表情を明るくしたひとりの前で、鍵の開く音がしてドアが開く。

 

「どうしました?」

「……あっ、えっと……その……あの……」

 

 首を傾げる有紗に対して、ひとりは言葉に詰まって上手く返答ができない。そもそも寂しさに突き動かされて衝動的に有紗の部屋を訪れた形であり、話の持っていき方など事前に想定していない。

 さらには、寂しくて眠れなかったので来ましたなどとは恥ずかしすぎてとても言えない。どうすればいいか、顔を赤くしながら困惑していたひとりだったが、相手は鋭い有紗なのでひとりの反応でおおよその事情を察したのか、優しく微笑みを浮かべる。

 

「ひとりさん、他の方は寝ているでしょうし、廊下で立ち話もなんなので中にどうぞ」

「あっ、はい……そっ、その、ごめんなさい。寝てましたよね?」

「これから寝ようとは思っていましたが、まだ寝ていなかったので大丈夫ですよ」

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべるにひとりに優しく声をかけながら有紗はひとりを部屋の中に導き入れ、そのままふたりはベッドに並んで座る。

 ひとりは顔を俯かせ、なんと言えばいいか困惑したような表情を浮かべていた。

 

(どっ、どど、どうしよう!? 勢いで来ちゃったし、有紗ちゃんが起きてたのはよかったけど、なんて話を切り出せばいいんだろ!? 寂しいから一緒に寝てください? そんなのいえるわけないよ!! あっ、でっ、でも、やっぱり、有紗ちゃんの声は安心するなぁ……)

 

 有紗を見て声を聞いたことで、感じていた言いようのない寂しさは和らぎ代わりに羞恥と動揺が表に出てきた。話をどう切り出していいか分からないが、それでも訪ねてきたのはひとりであり話を切り出すならひとりが行うべきだろう。

 

「……あっ、えっと、そのですね……なっ、なんて言ったらいいか、その、寝付けなくて……有紗ちゃんが起きてたら、少し話がしたいなぁって……」

「なるほど……奇遇ですね。実は私も、少し寝つきが悪かったんですよ」

「あえ? そっ、そうなんですか?」

 

 一緒に寝て欲しいとは切り出せないながらも、なんとか話し始めたひとりに対して有紗は優しい声で言葉を返しながら、ひとりの手を握った。

 優しく手を包む温もりに、ひとりが少し表情を和らげると、有紗は穏やかな微笑みのままで言葉を続ける。

 

「思い返してみれば、こうしてひとりさんと一緒に外泊する時はいつも一緒に寝ていたじゃないですか? だからですかね……ひとりで眠るのがどうも寂しく感じて、なかなか寝付けないでいました」

 

 有紗のその言葉は半分本当で半分嘘だった。ひとりと一緒に寝られないことに寂しさは感じていたし、有紗の希望としてもひとりと一緒に寝たかったという思いはあった。ただ、今回はふたりきりの旅行等ではなく結束バンドメンバーでの旅行なので、そのあたりは仕方ないと割り切っていた。

 有紗がこの時間まで起きていたのは寝付けなかったからではなく、個人的に今日中に纏めておきたいものがあり、少しノートパソコンを操作していたからであり、その作業も終わってパソコンを片付けて今から眠ろうと思っていたタイミングでひとりが尋ねてきた。

 

「なので、もしひとりさんが迷惑でなければ、私の部屋で一緒に寝てくれませんか?」

「あっ……はい」

 

 有紗は鋭い。ひとりがどんな思いを抱えて部屋を訪ねてきたかは、ほぼ完璧に理解しておりひとりが望む言葉を提案してくれた。

 それに嬉しそうな表情を浮かべたひとりだったが、同時に「それでいいのだろうか?」という考えも頭に浮かんだ。

 

(有紗ちゃんは優しいから、私が恥ずかしくて言い出せないのも全部分かった上で、自分の要望って形で言ってくれてる。でも、そうやって有紗ちゃんの優しさに甘えてるだけで、伝えなきゃいけないこともちゃんと伝えられないのは……嫌だ。優しい有紗ちゃんが大好きだからこそ、甘えてばかりじゃなくて……がっ、頑張れ私、自分で訪ねてきたんでしょ!)

 

 きっと、いや間違いなく有紗はひとりのことを誰よりも理解してくれて、ひとりがなにも言わなくとも言いたいことを察してくれる。でも、言わなくても伝わるからと口に出さないのは……なにかが違うような気がした。

 相手が分かってくれていることに甘えるのではなく、ちゃんと自分の想いを口にする。それは今だけじゃなくて「これから先」にきっと必要になってくることだと思ったから……。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん!」

「はい?」

「わっ、私、有紗ちゃんが一緒に居なくて寂しくて、寝付けなくて……それでその、我慢できなくて有紗ちゃんの部屋に来たんです。だっ、だからその、ちゃんと私の方が言わないといけなくて……その……あっ、有紗ちゃん。ひとりで寝るのは、寂しいので……一緒に寝て……ください」

「ひとりさん……ふふ、はい。喜んで」

 

 勇気を出して気恥ずかしさを抑え込んで自分の要望を口にしたひとりを見て、有紗は少しだけ驚いたような、それでいてとても嬉しそうな笑顔で頷いた。

 有紗が了承したことで、ふたりは一緒にベッドの布団の中に入り、有紗が部屋の電気を消す。幸いにもベッドは大き目で、ふたりで寝ても問題ないサイズではあった。

 それでも、有紗の家の部屋にあるベッドよりはサイズが小さいので、ある程度は近づく必要があり、必然的に布団内でふたりは密着に近い距離となるわけだが……その辺りはいつものことである。

 

「ひとりさん、もう少しこちらに……ベッドから落ちるといけませんから」

「あっ、はい。失礼します」

 

 優しい有紗の声に導かれるようにひとりが身を寄せると、有紗はそのままひとりの背に手を回して抱きしめた。そうなることはひとりも予想していたのか、思わず苦笑を浮かべる。

 

「なっ、なんとなくそんな気はしてましたけど、やっぱりこの形ですね」

「ええ、やはりこの形が落ち着くので……暑くは無いですか?」

「あっ、大丈夫です。冷房も効いてますし、温かくて……幸せです」

「ふふ、それならよかったです」

 

 優しく有紗に抱きしめられたひとりは、心から安堵したような表情を浮かべたあとでそっと有紗の背に手を回して抱き返した。

 

(……ああ、これだ。温かくて柔らかいし、いい匂いがする……有紗ちゃんがすぐ傍に居るって実感できる。部屋でひとりだった時の気持ちが嘘みたいに、安心できる)

 

 割り振られた部屋でひとり眠ろうとしていた際の、寝ようとしても寝付けなかった状態が嘘のように眠気が湧き上がってくる。

 それだけ、有紗が傍にいるということにひとりが安堵している証拠でもあり、それはすなわち……傍に居れば無意識に安心できる程、有紗に対して好意を抱いているという証明でもある。

 だから、だろうか? ひとりは少し顔を赤くして、有紗に顔を見られないように有紗の胸に顔を埋めた。

 

「ひとりさん、寝れそうですか?」

「あっ、はい……なんか、凄く安心して、すぐにでも寝ちゃいそうです」

「そうですか、私も同じく安心してぐっすり眠れそうです……それでは、おやすみなさい、ひとりさん」

「はい。おやすみなさい、有紗ちゃん」

 

 軽く頭を撫でてくれる有紗の手の感触に、ひとりは自然と口角が上がるのを実感しつつ、穏やかな声で有紗におやすみと告げた。

 寂しさも不安な気持ちも全てどこかに吹き飛んでしまっていて、いまはただ胸の中は幸せでいっぱいで……有紗が口にしたのと同じく、ぐっすり眠れそうだとそんな予感を覚えながら、ひとりはゆっくりとまどろみに沈んでいった。

 

 

 




時花有紗:有紗にとってみれば、幸福が向こうからやってきたようなものなので、ただただ嬉しく幸せだった。ひとりが自分の想いをちゃんと口にしたところも、成長を感じて喜んでいた。

後藤ひとり:外泊する時に有紗が傍に居ないと、異常に寂しくなるようになってしまったぼっちちゃん。完全に体が有紗を求めている模様。ただ、有紗に甘えてばかりではなく自分の要望をちゃんと言葉にして伝える辺りは、流石決める時は決める女である。


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八十九手開拓の編曲挑戦~sideA~

 

 

 結束バンドのメンバーと来た一泊旅行の目覚めは、やはりなんとも素晴らしい心持でした。朝起きてひとりさんがすぐ傍にいるというだけで幸せですし、メンバー全員での旅行ということもあって半ば諦めていたので、思わぬ幸福といっていいでしょう。

 スヤスヤと眠るひとりさんの寝顔は大変愛らしく、このままいつものようにたっぷりと堪能しつつ抱きしめたい……ところなのですが、残念ながら今回はいままでとは状況が違います。

 

 現在は結束バンドの皆さんと一緒に宿泊しており、朝食の用意なども行う必要がありますし、時間を気にせずひとりさんを抱きしめて……というわけには、残念ながらいきません。

 それに、ひとりさんは恥ずかしがり屋なので万が一にも私の部屋で一緒に寝ていたと他の皆さんに知られるのは気恥ずかしいでしょうし、皆さんが起きる前に部屋に戻るのがひとりさんにとっての最善でしょう。

 非常に惜しいですが、ひとりさんのことを思うのであればここは起こすのが正解ですね。

 

「……ひとりさん、朝ですよ。起きてください」

「……んんっ……」

 

 ひとりさんの体を軽く揺すりながら声をかけると、少ししてひとりさんの目がゆっくりと開かれました。ただ、目がとろんとしており、まだ若干寝ぼけているような印象ではあります。

 

「……有紗ちゃん?」

「はい。私ですよ、おはようございます」

「むにゃ……おはよ……ございます……えへへ……有紗ちゃんの声だ……有紗ちゃん……ぎゅってしてください」

 

 どうもひとりさんは完全に寝ぼけているみたいで、甘い声でハグを強請ってきました。私は今日ばかりは、ひとりさんの精神面の安定を重視して断腸の思いで朝の至福の一時は我慢するつもりでした。

 しかし、ひとりさんの方から要求されたのであれば仕方ないです。愛しいひとりさんの望みです。叶えぬなどと言うのはあり得ませんし、そもそも蕩けるような表情で甘い声で語りかけてくるひとりさんを前に我慢できるかと言えば……無理です。

 

「こんな感じですか?」

「ふへへ……温かくて幸せ……えへへ」

 

 そうなれば、こうしてひとりさんの要望通りぎゅっと抱きしめるのは当然の帰結でしょう。私としてはこのまましばらく抱きしめたままで構わないのですが、どうもそうはいかないようです。

 嬉しそうに笑っていたひとりさんでしたが、少しずつ目に理性が戻るというか目が覚めてきた様子で……次第に唖然とした表情を浮かべ、直後に顔を赤く染めていきます。

 

「……あっ……そっ、そそ、その……有紗ちゃん……こっ、これはその、違くてですね……」

「落ち着いてください、ひとりさん。大丈夫ですよ。私としては何ら問題ありません」

「いっ、いや、私の羞恥心は大問題といいますか……あぅあぅ……」

 

 先ほどの自分の発言に照れているひとりさんも大変可愛らしく、このまま1時間は抱きしめておきたいという気持ちもありますが、そういうわけにもいかないので本当に残念です。

 

「ひとりさん、混乱しているところに申し訳ないですが、そろそろ皆さんも起きると思うので……」

「あっ、そっ、そうですね。いまのうちに部屋に戻っておかないと、有紗ちゃんの部屋から出てるとこを見られたりしたら大変ですよね」

「ええ、それはそうなのですが、まずは落ち着いて状況を……」

「あっ、そっ、それじゃあ、私は部屋に戻りますね! ありがとうございました!」

「あっ、ひとりさん!? 私が先に出て確認した方が……」

 

 私の話を聞いて、ひとりさんは慌ててベットから出て自室に戻るために扉の方に向かいましたが……得てしてこういった慌てている状態の時のタイミングというのは悪いものです。

 なので、先に私が外に出て確認をと言い切るよりも先に、ひとりさんは部屋の扉を開けて外に出て……直後に停止しました。これはもう、なにがあったか……見なくても分かりますね。

 

「あれ? おはよう、ひとりちゃん……うん? そこ、有紗ちゃんの部屋じゃ……」

「あっ、きっ、喜多ちゃん……あっ、そ、その、これはですね」

「喜多ちゃん、ぼっちちゃんおはよ……あれ?」

「あばばばばば、にっ、虹夏ちゃんまで……あわわわ」

 

 非常に分かりやすい状態であり、なおかつひとりさんにとっては最悪のパターンでしょう。さらに扉の開く音がかすかに聞こえたので、リョウさんも部屋から出てきたかもしれません。

 

「……リョウさんまで……あばば、こっ、こんな時に結束力を発揮しなくてもいいのに……」

 

 とりあえずひとりさんをこの状態で放置するわけにもいかないので、私もひとりさんに続くように部屋から出ます。そして、なんとも言えない空気になっている皆さんに挨拶をします。

 

「おはようございます」

「あ、おはよう、有紗ちゃん……ふむ……ふむふむ……ほ~」

「あっ、にっ、虹夏ちゃん?」

 

 虹夏さんは私とひとりさんを交互に見たあとで、ニヤリとなにやら意地の悪そうな笑顔を浮かべました。喜多さんも似たような表情を浮かべているので、おおよその状況を察したという様な感じですね。リョウさんは眠そうに目を擦っており、こちらは我関せずといった雰囲気です。

 

「ぼっちちゃ~ん」

「はひっ!? なっ、なな、なんですか?」

「なんで、有紗ちゃんの部屋からぼっちちゃんが出てきたのかな~? 気になるな~」

「ですよね~不思議ですよね~」

「あばばばばば……」

 

 楽しそうに揶揄ってくるふたりに、ひとりさんは顔が崩壊するのではと思うレベルで動揺しており冷や汗を大量にかいています。ひとりさんはあまり嘘の付けない性格というべきか、割と分かりやすいところがあるので大きなリアクションを取るのが虹夏さんたちにとっても面白いのでしょうね。

 おそらくではありますが、虹夏さんも喜多さんも特に誤解などをしているわけではなく、ふたりで一緒に寝ていただけというのは理解した上で揶揄っている気がしますね。

 そんなことを考えつつ、私はひとりさんを助けるために口を開きます。

 

「昨晩は、ひとりさんと同じベッドで寝ていました」

「あっ、有紗ちゃん!?」

「お、おぉ~ちなみになんで一緒に寝てたの?」

「私がひとりさんと一緒に寝たかった以外の理由などありませんよ?」

 

 虹夏さんの質問にストレートに解答します。実際に嘘はまったく言っていません。きっかけはどうあれ、一緒に寝た理由は、ひとりさんと一緒に寝たかったというものが一番です。

 

「……堂々としてる。物凄く堂々としてる」

「私の中では、将来ひとりさんと結婚することは確定しているので、一緒に寝るのはごく自然なことですからね」

「つ、強い……そこまで言われると、なにも言えなくなるよ」

 

 一切の迷いなく言い切った私に、喜多さんも虹夏さんもそれ以上なにも言えなくなったのか、微妙な表情を浮かべていました。

 こうして言い切っておけば言及などはしなくても、自然とふたりの中では私の要望にひとりさんが付き合った形と解釈するでしょうし、ひとりさんが変に羞恥心を覚える心配もありません。

 そして、ふたりが言葉に詰まったタイミングで、私は微笑みを浮かべながら話を切り替えます。

 

「さて、廊下で長話を続けるわけにもいきませんし、身支度をして朝食の用意をしましょうか」

「賛成、お腹減った」

 

 私の言葉にリョウさんも同意したことで、ひとりさんを揶揄う流れは消えて全員で朝食を作る流れになりました。

 ひとりさんはホッと胸を撫で下ろしたあと、私の近くに来て他の皆さんには聞こえないような小声で話しかけてきました。

 

「……あっ、有紗ちゃん……ありがとう、ございます」

「ふふ、気にしないでください。さっ、ひとりさんも部屋に戻って着替えなどを……」

「あっ、はい」

 

 私の言葉に嬉しそうに頷いたひとりさんは、一度ぎゅっと私の手を握ってからはにかむような笑みを浮かべて自分の部屋に戻っていきました。

 

 

****

 

 

 朝食を食べ終えたあとは、昼頃まで主に新曲の打ち合わせなどをメインにして過ごしたあとで、楽しかった1泊旅行も終わりとなり迎えの車に乗って帰宅します。

 車内では楽しげな雰囲気のままで会話が進行しており、当初の目的であったリョウさんの気分転換も十分に果たせているように見えました。

 

「いや~夏休みもあと1週間だね~」

「新学期楽しみですね!」

「うんうん、けどその前に新曲もだね。年明けに配信って考えると、直しも考えれば最初のデモはそろそろ用意したいよね。リョウ、どうかな?」

「うん。大丈夫、今回の打ち合わせでかなりイメージは固まった。もう少し詰めたら編曲に入れると思う。まぁ、今回はぼっちが編曲してみようって話になってるから、初めてだし少し時間はかかると思うけどね」

 

 虹夏さんの質問に1泊旅行で新曲のイメージをしっかり固めたリョウさんは、数日中には新曲のメロディは完成すると発言していました。

 大本となるメロディが完成すると、そこからメロディにコードを付けたりして、結束バンドの演奏形態に合わせて改編を行うのが編曲です。それによって、それぞれのパートの楽譜を完成させ、実際に演奏してみて気付いた課題やアレンジを加えてさらに曲を調整して新曲は完成します。

 

「というわけで、メロディが出来たら渡すから、頑張れぼっち」

「期待してるよ、ぼっちちゃん!」

「頑張ってね、ひとりちゃん!」

 

 いままではその編曲までリョウさんが全て担当していたのですが、今回はひとりさんが編曲に初挑戦する予定です。

 皆さんからエールを送られたひとりさんは、頼られることが嬉しいのか少し気恥ずかしそうにしつつも嬉しそうな笑顔を浮かべています。

 

「あっ、へへ……任せてください……結束バンド1の名曲にしてみせます」

「初めての編曲でいろいろ大変だとは思いますが、私もできるだけ協力しますので、頑張りましょうね」

「……絶対後で苦しむよね、ぼっちちゃん」

「まぁ、有紗いるから大丈夫でしょ」

 

 大本のメロディ自体は存在しているとはいえ、複数の楽器の音の組み合わせや相性を調整するのはかなり難しいですし、リョウさんのように経験も無いので大変なのは間違いないでしょう。

 私も編曲の経験はないですが、ある程度の音楽的知識はあるので協力できる部分もあるとは思うので、出来るだけひとりさんが苦労しないように手助けしたいものです。

 

 

 




時花有紗:そもそも有紗的には将来ぼっちちゃんと結婚するのが確定しているので、一緒の部屋で寝ていることを知られても一切問題は無い。その辺はさすがの猛将メンタル。

後藤ひとり:こういうところでフラグをしっかり回収するのがぼっちちゃん。いつもは有紗が自然に起きるのを待っていたが、今回は有紗に起こされて前日の就寝が遅かったこともあって寝ぼけて有紗に甘えていた。


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八十九手開拓の編曲挑戦~sideB~

 

 

 下北沢にあるストレイビートの事務室では、都と愛子が仕事を行っていた。8月下旬ということもあり、室内の温度も高く、特に愛子は非常に暑そうに手で顔を扇いでいた。

 

「あっつ~。このビル空調悪いし、ネズミ出るし本当最悪~」

「口より手を動かしてください。もうすぐ虹夏さんが楽曲の打ち合わせに来るんですから……」

 

 ブツブツと文句を言う愛子に都が呆れた表情でツッコミを入れると、そのタイミングで事務所の入り口が開き虹夏が入ってきた。

 今回は楽曲の打ち合わせといっても、進展の報告だけなのでリーダーである虹夏がひとりで打ち合わせにやってきていた。

 

「お疲れ様で~す。楽曲の打ち合わせに来ました~」

「あ、虹夏さん。外、暑さヤバくない?」

「凄いですよ。死ぬかと思いました」

「あはは、やっぱ外は中以上に酷いか~」

 

 虹夏の言葉に愛子は苦笑を浮かべ、会議室に虹夏を案内したあとでお茶を用意する。そして虹夏の対面に都が座る形になって新曲の進展について打ち合わせを行う。

 

「……それで、いまメロディは完成して、編曲をぼっちちゃんに頼んでいるところです」

「なるほど、これまでの曲は山田さんが編曲を行っていたと聞きましたが、今回は変えていくのですね」

「はい。予算出してもらえるなら、皆でいろいろな曲を作りたいなって……例えば喜多ちゃんが作詞したり、ぼっちちゃんが作曲したりって感じですね!」

「なるほど、挑戦するのは素晴らしいことですが……いきなりひとりでやって上手く行くものなのですか? 私はマネジメントはしていますが、曲作りに関しては専門ではないので分からない部分も多いので、想像ではありますが……」

 

 都としても結束バンドの面々がいままでとは違う形で挑戦するのを応援したいという気持ちはある。ただ、マネジメントを担当する側としては、新曲の完成時期も気になるところではある。

 

「安心してください! ぼっちちゃんは、やるときはやるんで……あ、後、有紗ちゃんが手伝うらしいので安心だと思います」

「時花さんが? 確かに非常に頼りになる雰囲気の方ですが、彼女は演奏メンバーではないと聞いていましたが、編曲の心得などがあるのでしょうか?」

「あ、それ、私も気になる! 有紗さんって、なんでもできそうな子ではあるけど、実際のところはどうなのかな~って」

 

 有紗が編曲を手伝っていると聞いて、都と愛子が疑問を口にする。ふたりの認識としては、有紗はマネージャーであり、演奏メンバーではないので音楽的知識に関しては不明な部分が多い印象だった。

 

「有紗ちゃんは、ピアノとキーボードが得意で、腕前も凄いですよ。というか、やみさんは知ってるんじゃないですか? 有紗ちゃん、ギターヒーローの動画で時々ぼっちちゃんとセッションしてますし……」

「……え? 待って……ギターヒーローさんの動画に出てるキーボードって……キーボードプリンセス!? アレって、有紗さんだったの!? いや、確かに言われてみれば顔は映ってないけどそれっぽい気が……演奏メンバーじゃないって聞いてたから、完全に意識の外だった!?」

「……私はギターヒーローの動画を全て見たわけではないのですが、凄いのですか?」

「凄いわよ! 完全にプロ級! ……え? というか、じゃあなんであの子マネージャーやってんの!? あの腕前なら、演奏メンバーに入ってたら未確認ライオットのグランプリもいけたでしょ!?」

 

 虹夏の告げた言葉に、愛子は驚愕と共に食い気味に尋ねてくる。彼女はギターヒーローのファンであり、当然有紗がセッションしている動画も何度も見ている。キーボードプリンセスとファンから呼ばれる彼女が、プロ級の腕前であることも理解していた。

 だからこそ、それならなぜあれほどの腕前がありながら演奏メンバーではないのかという疑問が湧いてくる。

 

「う~ん。去年の夏に一度誘ったんですけど、その時は断られちゃったんですよね。それで、演奏メンバーとして所属する代わりにいろいろサポートしてくれるって形になったんです。まぁ、いつか気が変わったら教えてくれるって約束してるので……もしかしたら、いつか演奏メンバーになってくれるかもしれませんね。というか、そうなったらいいな~って期待してたりします」

「う~ん、そっか……まぁ、本人が望んでないなら無理強いもできないわよね。あ~けど惜しいなぁ」

「まぁ、その辺りのバンドの事情に私たちが深く首を突っ込むべきではないですよ。その辺りは気にせず、新曲の完成を楽しみにしています」

「はい!」

 

 虹夏から話を聞いて、愛子も都もそれ以上深く尋ねることは無く、新曲に話題を変えて穏やかな雑談へと移行していった。

 

 

****

 

 

 虹夏がストレイビートで打ち合わせをしていた頃、編曲を任されたひとりは家のパソコンの前で頭を抱えていた。

 というのも、普段からギターヒーローのアカウントで弾いてみたを行う際に、カラオケトラックなどをパソコンの打ち込みで行っており、編曲に関しても大丈夫だろうと思っていたが実際にやってみると想像以上に難しかった。

 

「……うぅ、ここのドラムのフィルはカッコいいと思うんですけど……」

「ですが、このフィルインをこのペースで実行するのは、流石に虹夏さんでも難しいのでは?」

「あっ、うっ、やっ、やっぱりそうですよね。なっ、ならここは、虹夏ちゃんに4本腕になってもらって!」

「ひとりさん、落ち着いてください。人の腕は増えません」

 

 編曲に苦戦するひとりに苦笑しつつ、有紗は麦茶をコップに注いでひとりに手渡す。

 

「とりあえず、一息つきましょう。焦ってもいいものはできませんよ」

「あっ、はい。ありがとうございます。思ってた以上に難しくて……なかなか上手く行かなくて……」

「当たり前ではありますが、私やひとりさんにはリョウさんのような経験がありませんので、最初から完璧なものは作れませんよ……そうですね。ここは、ひとつ、考え方をシンプルにしてみるのはどうでしょうか?」

「しっ、シンプルにですか?」

 

 渡された麦茶を飲みながら不思議そうな表情を浮かべるひとりに、有紗は編曲画面を指差しながら穏やかに話していく。

 

「言ってみれば、私とひとりさんは編曲に関しては知識のある素人といった状態です。この場合において、よく失敗するパターンは詰め込み過ぎですね。アレもコレもやろうとして、ゴチャゴチャとしてしまいます。そういう時は、あえてシンプルに作ってみるのがいいですね」

「あっ、でっ、でも、やっぱりカッコいいアレンジとかあった方が……」

「もちろんそういったものも素晴らしいですが、まずはシンプルな形で全体のデモをひとつ完成させてみましょう。それを聞いて、肉付けする形でアレンジを追加していけばいいんですよ」

「なっ、なるほど……」

 

 たしかに、有紗のいう通り現状は序盤のメロディ部分でああでもないこうでもないと、いろいろなアレンジを試しては作り直していたので、全体を一度完成させるというのは非常にいい案だった。

 特にひとりの有紗に対する信頼が極めて高く、悩んでいる時に素直にアドバイスを受け入れやすい相手ということもプラスに働いて方向性が決まった。

 

「コードや音の組み合わせに関しては任せてください。私は耳のよさには少し自信がありますので、おかしい組み合わせの場合はすぐにアドバイス出来ますからね」

「そっ、そこは本当に頼りになります。有紗ちゃんは音の組み合わせを間違えないですし、私が気付かないようなアイディアも出してくれるので、助かってます」

「ひとりさんの助けになれているのなら、私も嬉しいですよ。ともあれ、まだ夏休みは5日ありますし、焦らずじっくり一緒に頑張っていきましょう」

「あっ、はい! あっ、そっ、そういえば、聞いたことなかったですけど、有紗ちゃんて絶対音感があるんですか?」

 

 有紗の耳のよさはひとりもよく知るところだ。有紗は音を間違えないし、チューナーを使わず正確なチューニングを行うことができる。なので、絶対音感を持っているだろうとは思っていたが、直接聞いたことはなかった。

 

「ええ、先天性か後天性かは分かりませんけどね」

「あえ? 絶対音感に、後天性とかあるんですか?」

「絶対音感に関しては未だ完璧に解明されたわけではなく謎が多いみたいですが、最新の研究では概ね2歳から6歳まで、脳の神経細胞が増える幼少の頃に正確な音階を何度も聞いて覚えることで、脳の奥深くに正確な音を記憶させて絶対音感を獲得できるとのことです。なので、現在では絶対音感に才能や遺伝は関係なく、後天的に身に付くものと言われ始めています」

「なっ、なるほど……」

「ただ、一部先天性ではないかと思えるような人も確認できているので、全てが後天的かどうかまでは、断言できないみたいですけどね。ただ基本的に絶対音感は幼少期の英才教育で身に着ける技術という見方が、最近の主流ではあります」

 

 有紗の説明にひとりが感心したように頷くと、有紗はそこでふと思いついたように口を開いた。

 

「そういえば、少し話は変わりますが、私の友人の玲さんは絶対音感だけでなく共感覚を持つ方でして、音を色として認識できるらしいですよ。なので、玲さんは常人にはまったく同じに聞こえる音でも、正確に聞き分けることができるらしいです」

「そっ、そうなんですか? 共感覚……漫画とかでは見たことありますけど……」

「こればかりは完全に本人にしか分からない感覚なので、私も正確なところは分かりませんが……」

 

 そのまま有紗は休憩も兼ねてひとりに玲の話をしていき、ひとりも興味深そうに相槌を打ちながら聞いていた。

 

 

****

 

 

 フランスのパリ、高級住宅地として知られるAvenue Foch……フォッシュ通りと呼ばれる場所にある一件の高級住宅で、ひとりの小柄な少女が電話を行っていた。

 

「うん。そういうわけだから、年末に日本でコンサートを開くことが決まったからさ、それに合わせて日本に帰るよ。うん、それで、お願いなんだけど……有紗には内緒にしといて、ビックリさせたいんだ。いや、まぁ、コンサート告知とかで分かっちゃうだろうけど、帰国の時期までは分からないだろうしね」

 

 右目だけ色素が薄いのか、黒と灰のオッドアイの目を持つ空色の髪の少女……若くして世界的ピアニストである琴河玲は、日本に居る母親と電話で話していた。

 

「え? いや、別に悪いことなんて考えて無いよ。いやいや、いっつも有紗に迷惑をかけてるとか言われると、否定するのは難しいんだけど……ボクも子供じゃないんだから、その辺は信用してよ。ピアノに関して以外はポンコツだから信用できない? 実の娘に言う言葉じゃなくないかな、ママは厳しいな~。まぁ、そんなわけだから、有紗には内緒にしといてよ!」

 

 そう言って苦笑しつつ電話を切った玲は、壁にかけてあるカレンダーを捲って、12月のとある日に印を入れた。

 

「……たしか、STARRYってライブハウスだったよね? で、相手の名前が後藤ひとりちゃんと……ふふ、楽しみだな~。早く会って話したいなぁ、有紗の恋人と……」

 

 楽しげに日本を訪れる日を思い浮かべて笑う玲……彼女の来訪が、有紗とひとりの関係をひとつ大きく進展させることになるとは、この時はまだ本人も含めて誰も知らなかった。

 

 

 




時花有紗:ひとりと一緒に編曲中。これまで曖昧ではあったが、明確に虹夏の勧誘を一度断っていることが判明。

後藤ひとり:なんか、12月に関係が進展するらしい。ということは、ぼっちちゃんが気付かない振りを止めるのもその辺の時期ということ……原作を考えると、どう考えてもクリスマス辺りになにかありそう。

琴河玲:小柄、オッドアイ、ボクッ娘と、大した出番がないので作者の性癖が詰め込まれている。12月の登場まで出番はないが、有紗とひとりの関係進展の切っ掛けになるとかならないとか?


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九十手新鋭のアルバイト追加~sideA~

 

 

 ひとりさんと一緒に数日かけて編曲を行い、それなりに納得がいく完成度になったので他のメンバーの皆さんにも聞いてもらうことになり、8月の末日にSTARRYに集合して打ち合わせとなりました。

 

「で、完成版がこれなんだね?」

「あっ、はっ、はい。いっ、いちおう……」

「私もひとりさんも経験が不足しているので、まだ直しは多く必要だとは思いますが……」

 

 私のその言葉に続くようにひとりさんがやや緊張した面持ちでパソコンを操作して曲を流し始めます。虹夏さん、喜多さん、リョウさんの3人は真剣な表情で聞いてくださっています。

 

「……なるほど……え? かなりいいと思うんだけど、喜多ちゃんやリョウはどう?」

「私もいいと思います! いままでの曲とはちょっと雰囲気が違う感じが、新鮮ですよね」

「初めての編曲にしては、相当いい完成度だと思う。直しはたしかに必要だと思うけど……面白い掛け合わせが多い。私だと思いつかないようなアイディアもあって、インスピレーションがかなり湧いてくる」

 

 思った以上に好感触みたいで、思わずひとりさんと顔を見合わせて笑い合いました。確かに、ひとりさんの発想は新鮮なものが多く、リョウさんが作る曲とはまた違った雰囲気があるので、一緒に編曲していて楽しさがありましたね。

 

「編曲は作曲とはまったく別物だから、もっと苦戦するかと思ってたけど光るところも多くて、かなりいい」

「えへへ……あっ、でっ、でも、有紗ちゃんが手伝ってくれなかったら上手くいかなかったと思います。わっ、私だけだと滅茶苦茶な感じになってましたし……」

「私がしたのはあくまで補助なので、アイディアは殆どひとりさんの功績ですよ」

「うん。ぼっちの奇想天外なアイディアを有紗が上手く現実的な形に纏めてる印象……さすが、夫婦、相性バッチリ」

「ふっ、ふふ、夫婦じゃないです!?」

「そうですね。あくまで、現時点では違います。ただ、未来のと頭に付けて貰えれば問題はありません」

「あっ、有紗ちゃん!?」

 

 顔を赤くして叫ぶひとりさんに苦笑しつつも、概ね編曲は好印象で、そのままメンバーでアレコレ意見を出し合って、最終的にリョウさんが直しを行う形になりました。

 それほど直す部分も多くなかったみたいで、翌日にはリョウさんの直しも終わりました。あとは実際に演奏しながら、細部を調整していく形ですね。

 

 

****

 

 

 高校の新学期が始まって数日が経ち、結束バンドもレコーディングに向けてスタジオ練習を頑張っている状態です。特に虹夏さんなどは、もうすぐ受験のシーズンに突入するので忙しくなりそうですし、時間があるところでしっかり練習しておきたいという気持ちが伝わってきます。

 とはいえ、レーベルに関する活動だけというわけにはいきません。8月には未確認ライオットの関係でSTARRYのライブは行っていませんでしたが、9月からはライブも再開するので、そちらにも備える必要があります。

 私も今日は比較的時間に余裕もあったので、9月のライブでの物販のラインナップの調整などをしようとSTARRYに向かっていました。

 

 開店前の時間ではありますが、星歌さんのご厚意もあって開店前でも場所などを使わせてもらえるのはありがたいです。

 そんなことを考えながらSTARRYの扉を開き、店内に入るとどうにも普段とは少し違う空気でした。ひとりさんとリョウさん、星歌さんとPAさんがいつのはいつも通りですが、今日は追加で2人いらっしゃいました。

 

 ひとりは見覚えがあります。髪型は変わっていますが、以前池袋のブッキングライブで会った天使のキューティクルのラファエルさんですね。もうひとりは見覚えのない方ですね……そういえば、虹夏さんが受験で忙しくなるので、新しいアルバイトを雇うと考えていると星歌さんが言っていた覚えがありますので、ふたりは新しいアルバイトなのかもしれません。

 

「こんにちは」

「「ッ!?」」

「……え?」

 

 とりあえず挨拶をと思って口を開いた直後、ひとりさんとリョウさんがもの凄い勢いでこちらを振り返り、駆け寄ってきたかと思うと私の背後に隠れてしまいました。

 

「……あっ、ああ、有紗ちゃん、たっ、助けて……」

「いいところに来てくれた、有紗。体育会系と宇宙人のコンビだ。私とぼっちじゃ分が悪い……援軍求む!」

 

 どういうことでしょうか? 現時点では状況がよく分かりませんね。虹夏さんと喜多さんは居ないようですが……今日はシフトに入ってないのでしょうか?

 いまいち状況が分からずに首を傾げていると、ラファエルさんが目を輝かせて近付いて来ました。

 

「有紗様、こんにちは!」

「こんにちは、お久しぶりです」

「……え? 有紗、誰か分かるの?」

「天使のキューティクルのラファエルさんでは? 何度か結束バンドのライブでも姿を見かけましたよ」

 

 ラファエルさんは結束バンドのライブにもよくいらしてました。1号さん、2号さんと一緒に居る姿を見るのが多かったので、おふたりと仲良くなっている印象でした。

 そんな私の言葉を聞いたラファエルさんは、ぶわっと目に涙を浮かべました。

 

「お、推しがえれを認知してくれてるっ……やっぱり、有紗様が圧倒的なんばーわん!」

「改めまして、時花有紗です」

「あ、日向恵恋奈です」

「よろしくお願いします。恵恋奈さんとお呼びしていいでしょうか?」

「もちろんです! むしろありがとうございます!!」

 

 ラファエルさんもとい恵恋奈さんと挨拶をしたあとは、もうひとりの初めて見る方に声をかけます。

 

「そちらの方は、初めましてですね。時花有紗と申します」

「初めましてッ!! 大山猫々です!!」

「よろしくお願いします、猫々さんと呼んでもいいでしょうか?」

「はい!! あ、ところで先輩は?」

 

 もうひとりの方、猫々さんは非常に元気のいい方で明るく挨拶を返してくださいました。ただそのあとで、私が誰かという疑問を抱いたみたいで首を傾げていました。

 それに私が返答しようとするよりも早く、私の背後に隠れていたリョウさんがひょっこりと顔を出しながら口を開きました。

 

「うちのバイトリーダー」

「……リョウさん?」

「あっ、バイトリーダーです」

「……ひとりさんまで?」

 

 バイトリーダーどころか、私がSTARRYでアルバイトをしたのは、人手不足の際に一度手伝っただけなのですが……ただ、いまのおふたりの発言でようやく状況を察することができました。

 恵恋奈さんと猫々さんのふたりの新しいアルバイト、虹夏さんと喜多さんが居ない現状……つまり、ひとりさんかリョウさんが仕事の指導を行う必要があるわけです。

 ひとりさんがそういったことを苦手にしているのはもちろんのこと、リョウさんも苦手そう……というか、元気のいいふたりに苦手意識を持っている感じがしますね。目に「だるい」という文字が浮かんでいる気がします。

 

 とりあえずの事情を察しつつ、少し離れた場所で心配そうな表情を浮かべている星歌さんに視線を向けます。

 

「えっと、星歌さん?」

「あ~その……有紗ちゃん、今日だけバイトリーダーってことで……頼めないか?」

「……分かりました。そういうことでしたら、どこまで指導できるかはわかりませんが協力します」

 

 さすがにこの状態でひとりさんを放置することはできませんし、協力することに決めました。幸い以前虹夏さんに一通り教わった仕事の内容は覚えているので、それを伝えることは問題ないでしょう。

 

「そ、そうか助かる。私もあんまり手が離せなくて、バイト代は弾むから! というわけで、ふたりとも有紗ちゃんに仕事を教わって」

「よろしくお願いします!!」

「有紗様に指導してもらえるなんて、最高です!!」

 

 ひょんなことでおふたりに指導することになった私は、ロッカーを借りて荷物を置かせてもらったあとでホールに戻って、恵恋奈さんと猫々さんと向かい合う形で立って、指導を開始しました。

 

「それでは、フロアの清掃は一通り完了しているみたいですね」

「はい! 部活の習慣でやっちゃいました!」

「それはとても素晴らしいです。ですが、恵恋奈さんへの指導もありますし、猫々さんにとっても部活の清掃と手順が違う部分もあるかもしれませんので、まず最初に一緒にフロア清掃の手順を再確認していきましょう」

「「はい!」」

 

 さて、私がおふたりにすべて指導してしまうのは、それほど難しいことではありませんが、なにもかも私がやってしまえばいいということでもないでしょう。

 特にひとりさんにとっては、アルバイトの後輩ができるわけですし、今後の関係を考えるとひとりさんにもある程度指導には参加してもらいたいです。

 喜多さんに関しては、いちおうひとりさんが先輩とはいえほぼ差は無いぐらいのタイミングでしたし、明確に後輩アルバイトというのは初めてといっていいかもしれないので、そういった人間関係も重要になってきます。

 

「ひとりさん、少し指導を手伝ってもらえませんか?」

「あっ、え? あっ、はい。どっ、どうすれば?」

「おふたりには私が口頭で説明しますので、ひとりさんは実際にその仕事をやって見せてあげてほしいんです」

「あっ、わっ、分かりました!」

 

 説明などは私が行って、ひとりさんには実演をしてもらう形で指導に参加してもらいます。そうすれば、アルバイトの先輩後輩としての関係もある程度良好なものが築ける可能性が高いですし、ひとりさん自身にも指導に参加したという事実が自信に繋がると思います。

 

「恵恋奈さん、猫々さん。いきなりすべての仕事を覚えるのは難しいでしょうから、今日は主に全体のおおまかな流れを覚えてください。あと、物が何処にあるかに関してはメモを取っておいてください。迷った際に見ることができるメモがあるというのは、安心感に繋がりますからね」

「了解ですっ!!」

「はい!」

 

 基本的には仕事をある程度覚えるまでは、それぞれを単独で仕事に当たらせることは無いはずなので、迷った際に聞ける相手というのは近くに居るでしょうが、常に質問ができる状態とも限りませんので、そういった際に見ることができるメモはあったほうがいいです。

 

 さて、とりあえずどの仕事を教えるという指定は無かったので、一通りの仕事を教えつつ恵恋奈さんと猫々さんの適性を見て、向いている仕事に回ってもらう形ですね。

 虹夏さんがアルバイトにあまり入れなくなることを考えると、ドリンクや受付を行えるようになってもらうのが一番ですが、向き不向きはどうしてもあるので、その辺りはしっかり確認しつつですね。

 

 

 




時花有紗:バイトリーダー(バイト経験1日)。ひょんなことから恵恋奈と猫々の指導を担当することになった。ちなみに前日のスタジオ練習には参加していなかったので、新しいバイトが来るという話は聞いていなかった。

後藤ひとり:とりあえずテンパってたところに有紗が来てくれたので、ホッと胸を撫で下ろしたし、指導にも有紗が一緒についていてくれるのでだいぶ精神的に落ち着いている。

日向恵恋奈:原作からしてめっちゃ濃いキャラ。有後党にも所属しており、有紗の指導にウキウキしてる。

犬山猫々:ぼっちちゃんがヒッピースタイルをしていないので、ヒッピー先輩とは呼んでいない。では、なんと呼んでいるかは……次回。


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九十手新鋭のアルバイト追加~sideB~

 

 

 それは新学期が始まって数日経った日のことだった。新曲のスタジオ練習を終え、当日のシフトに入っていない喜多が帰り、ひとり、虹夏、リョウの3人がバイトとしてSTARRYで開店の準備をしていた時、虹夏と星歌からの通達があった。

 

「えっ? 新しいバイト!?」

「うん! ほら、前々から言ってたけど、私が受験勉強とかでシフトにあまり入れなくなると思うから、新しいバイトを雇うことになったんだ」

「明日から2人来る予定だから、ぼっちちゃんにとっては後輩になるわけだし、対応よろしくな」

「あっ……えっ!?」

 

 星歌が言った対応というのは、つまるところひとりがバイトに入った際に虹夏がしてくれたように仕事を教えるという意味合いが含まれている。

 喜多がアルバイトに入った際は、いちおう指導には参加……しようとはしたが、ほぼテンパってロクに教えられてはいなかった。

 その失敗経験もあり、更にひとり自身が人見知りという性格ということもあって、星歌のその言葉はひとりにとって絶望的なものであり、助けを求めるような視線を虹夏に向ける。

 

「あっ、あの……」

「ごめん! 明日は進路関係の用事があって……あと、喜多ちゃんも用事があってシフトには入れないって……」

「大丈夫。私も明日シフトだから」

 

 そして、指導慣れしている虹夏も社交的な喜多も明日は休みであり、ひとりとリョウの2人で新人バイトを指導する形になる。

 残念ながらリョウがそういった指導に向いていないのは、それなりの付き合いであるひとりにも察することができる。なんなら、途中で「お腹が痛い」とかいって、逃げそうな気さえしていた。

 

(どっ、どうしよう……喜多ちゃんの時みたいに皆すぐ仕事できて、追い越されちゃうのかな……い、いや、流石に私ももう1年半ぐらいバイトしてるんだし、有紗ちゃんにも指導できたし! ある程度は先輩面できるはず……)

 

 たしかにひとりは、かつて有紗が1日だけ店の手伝いをする際に指導を行ったが、それは有紗が全て分かった上であえてひとりの自尊心を守るために質問してくれたからであり、内容も有紗が上手く誘導したおかげでスムーズに指導できた。

 なにより、ひとりにとって最も話しやすいとさえいえる相手である有紗と、まったくの初対面である新人バイトとではまったく状況は変わってくるのだが……楽観視したのか、ひとりはそれほど重くは受け止めず「なんとかなるだろう」と考えて、指導を安請け合いしていた。

 

 

****

 

 

 一夜明けて、いよいよ新人バイトがやってくる日、ひとりとリョウは新人となるふたりのバイトと向かい合う形で立ち、星歌から紹介を受けていた。

 

「え~というわけで、コイツらが新しいバイトです」

「初めましてっ!!」

「こんにちは~」

「じゃ、それぞれ、軽く自己紹介を……」

 

 星歌が軽く前置きをして自己紹介を促すと、小柄で元気のいい猫々が先陣を切った。

 

「はい! 大山猫々!! 秀華高校1年16歳です! スポーツが趣味で、中学ではバスケやってました! 高校ではバンドやろーと思ってます! 当方ギター!! メンバー募集中!!」

「うるせぇ……」

「はい! やる気と根性は誰よりもおっきいです!! よろしくおねシャッッッッス!!」

 

 その小柄な体のどこから出るのかというほどの声量で宣言する猫々を見て、もうすでにひとりとリョウは気圧されたような表情を浮かべていた。

 体育会系で声の大きい元気娘……インドア派で陰キャのふたりにとって、最も苦手な人種といっていいレベルの相手だった。

 

「……あ、えっと、ぼっちと同じ高校なんだ?」

「はい!!」

「学校でもあったことあんの?」

「いえ、直接会ったことは無いですが、ダイブ先輩は学校の有名人ですよ!!」

 

 ひとりと同じ高校という部分に反応したリョウと星歌の質問に、猫々が元気よく答えると……ひとりは、その際の言葉になんとも言えない表情を浮かべた。

 

「……あっ、あの、その……ダイブ先輩って?」

「はい! 入学したばっかりの頃は知らなかったんですけど、先輩って文化祭でラブダイブって伝説を作ったって有名なんですよ! 秀華高校史に語り継がれる伝説を作ったって言われてるぐらいですし、ダイブ先輩の写真を待ち受けにしたら恋が叶うとかって、ちょっとしたブームにもなってるんですよ!」

「あばばばばば……」

 

 告げられるあまりの事実に、ひとりは泡を吹いて絶望の表情を浮かべる。いや、ひとりも文化祭の一件がラブダイブと呼ばれて変に有名になっていることは知っていたが、まさか後輩にまで知れ渡り、そんな風に語られているとまでは知らなかった。

 いや、ひとりにとっては羞恥の塊であるラブダイブの話題に関しては、あえて耳に入らないように避けていたので、そのせいでいままでその実態を知らなかったのかもしれない。

 

「え? ぼっちちゃん、学校でそんなことになってんの?」

「はい。あたしは特に恋とかしてないんで、待ち受けにはしてないですけど、ピンク色のジャージとかもハートのイメージだとかで、恋愛面でご利益があるとか言われてますね。あたしの友達も、文化祭の時にはダイブ先輩に倣ってピンクのジャージを着るって言ってました!」

「……」

 

 キラキラとした目で語る猫々の表情には、純粋な尊敬の念が見て取れた。文化祭のステージにおいて、翌年まで語り継がれるような伝説を残したひとりを、本人としては賞賛しているつもりである。

 ただ、ひとりにとってはただでさえ、文化祭時の奇行がラブダイブと呼ばれて広まっていて頭が痛いのに、そこに来て今度は恋愛的なご利益があるマスコットのように思われてると知り、更には文化祭で少数だとは思うがひとりを真似たピンクジャージが増える。

 そのピンクジャージの意味を知ったひとりにとっては、見たくない光景である。

 

(……よし、今年の文化祭は病欠しよう。絶対病欠しよう……)

 

 ひとりは虚無の表情で心に誓った。今年の文化祭は休もうと……もっとも、後に有紗がひとりと文化祭を周るのをウキウキと楽しみにしているのを見て、病欠するとは言い出せず参加して注目を集めることになるのだが……とりあえず、この時は固く心に誓った。

 

 猫々の自己紹介の後は、残るもうひとり猫々に比べるとかなり高身長な恵恋奈が自己紹介を始める。

 

「日向恵恋奈です。16歳で通信高校に通ってます~。趣味は去年までは小説執筆とアイドル鑑賞だったんですが、いまはバンドに沼って、いろんなバンドの推し活が趣味です。いろんなバンドを推してるんですが、一番好きなのは結束バンドで、メンバーはもちろん箱推しです! 最推しは有紗様なんですが、演奏メンバーではないのでライブなどでの本担はリョウさんです。有紗様に関してはひとりさんとのカップリング推しでリアコではなく、てぇてぇ関係を応援してます。有後党所属です。それ以外に関してはリアコガチ勢夢女って感じで、さっき言った小説執筆ってのも夢小説だったりします! あっ、有後党関連は同担大歓迎ですが、リアコ系は同担拒否です!」

「……ぼっち、やべぇぞ、ひとり目がヤバいかと思ってたら、ふたり目にさらにヤバいのが来たぞ」

「……にっ、日本語喋ってるはずなのに、全然頭に入ってこない……」

 

 猫々の暑苦しい雰囲気と比べると、しっとりとした雰囲気でありつつも猫々以上の熱量で語る恵恋奈を見て、リョウもひとりも完全に理解が及ばないという表情になっていた。

 そんなふたりの反応を見て、恵恋奈は首を傾げたあとで不安げに尋ねる。

 

「……あの、お二方、えれのこと覚えてないですか?」

「こんなヤバい奴、会ったら忘れないと思うけど……」

「……あっ、リョウさん……もっ、もしかして、前に池袋でブッキングライブした時に……」

「……居たわ、有紗見て興奮してた地下アイドル」

 

 ひとりの発言でリョウも思い出した。池袋のブッキングライブで、有紗を見て大興奮といった感じで騒いでいて、メンバーが必死で抑えようとしていた地下アイドルを……。

 

「思い出してもらえましたか! はい! 天使のキューティクルのラファエルです!」

「……なんで、よりにもよって3人の中で一番ヤバそうなのが……というか、アイドル活動はどうしたの?」

「あ、やめました! リーダーのミカエルさんが大学入学して、私生活が派手になって茶髪になったりテニサーに入ったりして、大炎上しました。私たち清純系だったので……」

 

 所属していた地下アイドルグループが解散したことを少し寂し気に告げた恵恋奈だったが、すぐに気を取り直したように表情を切り替えて言葉を続ける。

 

「グループが解散して、アイドルの道を断たれたのはショックでしたが、その時すでに新たな光を得ていたえれに隙はありませんでした! むしろ、いままでアイドル活動をしていた時間を推し活に回せると思えば、プラスでもあると!! そして推し活の時間が増えれば増えるほど、どんどん沼って行きました。やっぱりバンド女子しか勝たんのです! カッコいい女の子が、圧倒的に最高なんですよ! かわちーかわちーちょうかわちー! かわちーカーニバル開演! さらに有紗様とひとりさんのようなてぇてぇカップリングにも巡り合えますし、てぇてぇ祭りを開催して、共に熱く語り合える同志たちとも巡り合えました! 本当に有後が最高で! しゅきしゅきしゅきしゅきしゅきめろりー!!」

「……なんだコイツ、宇宙人か? ぼっち、私帰っていい? 頭痛くなってきた」

「だっ、駄目です! おっ、お願いですから、こんな恐ろしい人たちの前でひとりにしないでください!」

 

 あまりにも濃い恵恋奈のキャラに完全に気圧されており、猫々と恵恋奈が話しているのを眺めつつ、リョウとひとりは絶望的な表情を浮かべていた。

 星歌も、思った以上に新人バイトのキャラが濃かったため、不安げにリョウとひとりをチラチラと見ていた。

 

 そう、ふたりは今日が初の新人バイトであり、先輩であるリョウやひとりが仕事を教える必要がある。結束バンドのメンバーの中でも性格的に陰側といっていいふたりにはあまりにも荷が重かった。

 

「……うぅ、有紗ちゃん……助けて……」

 

 思わずといった具合にひとりは、有紗に助けを求める言葉を呟いた。ともかく精神的にいっぱいいっぱいで、有紗に近くに居て欲しかった。

 そんな、ひとりの思いが天に届いたのか、直後に後方から望んだ声が聞こえてきた。

 

「こんにちは」

「「ッ!?」」

「……え?」

 

 現れた有紗はひとりにとってはまさに救世主といえる存在であり、背後に後光が差しているようにさえ思えた。そして、結果として有紗が臨時のバイトリーダーとしてふたりに指導を行うこととなり、ひとりは心の底から安堵しつつ有紗に感謝した。

 

 

 




時花有紗:相変わらずぼっちちゃんにとってはヒーローのような存在で、登場のタイミングも完璧である。

後藤ひとり:秀華高校史に名を遺した女。原作と違って、ことごとく奇行や黒歴史イベントを回避していることもあって、恋愛的にご利益のある先輩と認識されているし、ピンクジャージも好意的に受け取られている。まぁ、絶妙のタイミングで有紗が現れた時には完全に恋する乙女の顔をしていたので、あながち全部間違いでもない気がする。

大山猫々:ぼっちちゃんが学校でほぼやらかしてないので、純粋に尊敬している。原作ではヒッピー先輩と呼んでいたが、この作品ではダイブ先輩と呼んでいる。

日向恵恋奈:アニメ勢には信じられないかもしれないが、原作でもほぼこんな感じである。この作品では有後党に所属している以外は大きな変化もないので、素のキャラの濃さが凄まじい。


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九十一手臨時のバイトリーダー

 

 

 ひょんなことから恵恋奈さんと猫々さんの指導を担当することになり、最初はひとりさんにところどころで実演をしてもらいつつ清掃手順の説明をしました。とはいえこちらは猫々さんが予め一通り清掃してくれていたので、軽く説明するだけにして次はドリンクコーナーの指導を行います。

 こちらでも手順を説明して、実際にひとりさんに実演してもらう形で説明し、一通り教え終わると恵恋奈さんは考えるような表情で呟きました。

 

「……メニューモブい感じがしますね。キャラクタードリンクとかないんですか?」

「モッ、キャッ?」

「その人をイメージしたドリンクのことです~。やっぱりそういうのあったほうがエモさも上がりますし、いいと思うんですよね」

 

 戸惑うひとりさんに恵恋奈さんがキャラクタードリンクについて解説し、その説明が終わったタイミングで私は微笑みながら恵恋奈さんに声をかけます。

 

「確かにライブハウスも一種の人気商売といった部分がありますので、そういったイメージドリンクと言うのは販売戦略としては有効と言えるかもしれません。ただ、恵恋奈さんもおそらく詳しいとは思いますが、そういったコラボドリンクのようなものはコストが高くなる傾向にあります」

「あ~たしかに、値が張るイメージですね」

 

 恵恋奈さんは推し活が趣味であり、以前は地下アイドルとして活動していたこともあって、そういったキャラクターグッズやコラボ品などといったものには造詣が深いのだと思います。実際、恵恋奈さんのいうようにそういったキャラクター性の強い品を出すのも販売戦略としては有りです。

 

「ええ、なのでコラボ商品を作るのなら収益の期待値をしっかりと考える必要があります。ですが、残念ながら現在STARRYを拠点として活動しているバンドの中で、コラボ商品として十分な収益を見込めるだけの高い知名度があるバンドはほとんどいません。現時点ではコストに見合うだけの収益は見込めませんね」

「なるほど~。ライブハウスも商売ですもんね」

「その通りです。ただ、特定のバンドとコラボと言うのは難しくても、STARRYのオリジナルドリンクといったものならいいかもしれませんね。恵恋奈さんはそういった品に詳しそうですし、もしよければまた空いた時間にでも意見を聞かせてください」

「あ、はい! えれ、いろいろなコラボカフェとかにも行った経験があるので、知識だけはいっぱいあります! 有紗様のお役に立てるなら喜んで!!」

「ありがとうございます。頼りにしていますよ」

 

 そう言って声をかけると、恵恋奈さんは目をキラキラ輝かせてグッと拳を握りました。見るからにやる気が溢れているという感じで素晴らしいですが、空回りしてしまわない様にだけ注意しなければなりませんね。

 そう思っていると、猫々さんが恵恋奈さんを羨むような目で見て、私に声をかけてきました。

 

「バイトリーダー! ウチにもなんか大役ください! 恵恋奈ちゃんだけズルいです!」

 

 なるほど、ある意味では新商品の開発に期待されているという状態の恵恋奈さんを羨む気持ちは分かりますし、猫々さんは最初からやる気に満ち溢れている感じ、なにかをしたいという気持ちが強いのでしょう。

 ただ非常に思いが空回りしやすいタイプなので、その辺りはしっかり注意しなければなりませんね。

 

「そうですね、2人ともドリンクコーナーでというのも勿体ないので、それぞれ別の仕事をしてみましょうか。今日は恵恋奈さんにはドリンクコーナーに入ってもらいます。ひとりさんも同じくドリンクコーナーに居るので、分からないことがあれば尋ねるようにしてください」

「はい!」

「そして、猫々さんはリョウさんと一緒に受付に入ってもらおうと思います。当日券の販売などお金に関わる部分はリョウさんに任せて、主に接客を担当する形ですね。もちろん最終的にはふたりともできるようになってもらいますので、一度受付に移動して説明をします」

「了解です!!」

 

 元気よく返事をする猫々さんと恵恋奈さんを連れて、受付に移動します。ひとりさんはドリンク類の補充や準備で残ってもらって、受付の仕事はリョウさんに実践してもらいながら説明をしていきます。

 一通り説明を終えて、練習として実際に猫々さんに受付をしてもらうことになりました。

 

「らっしゃせー!! ワンドリンクせーです!!!」

「……元気がよくて素晴らしいですね。大きな声の出し方は部活などで?」

「はいっす! ウチ中学で3年間バスケ部だったので!」

「なるほど、元気で大きな声は猫々さんの魅力ですが……残念ながら、いまは部活動の声の出し方であって、ライブハウス受付としての声の出し方ではありませんね」

「え? そ、そうなんですか?」

 

 猫々さんの声はたしかに元気があって素晴らしいですが、少し声量が大きすぎますね。これではお客さんを驚かせてしまうので、その辺りは上手く調整する必要があります。

 

「ここは広い体育館などではなく、更に部活動とは違って訪れるお客さんは猫々さんのことをよく知りません。それで来店してすぐに大きな声をかけられると驚いてしまうでしょうね。なので、声量はもう少し抑える必要があります」

「な、なるほど……」

「ただ、元気で明るいのが猫々さんの魅力でもありますから、そこを損なわない程度にしたいですね。なので、これから少し一緒にライブハウスに適した声量を練習してみましょう」

「はい!! ご指導よろしくお願いします!!」

 

 

****

 

 

 猫々さんと恵恋奈さんに一通りの仕事を指導し、それぞれに今日の仕事を割り振ってから開店前に星歌さんに声をかけます。

 

「星歌さん、一通りの指導は終わって、今日は猫々さんは受付に、恵恋奈さんはドリンクコーナーに入ってもらうようにしました。それぞれリョウさんとひとりさんが一緒に仕事を行う予定で、私は様子を見つつ双方を行き来する形になると思います。設営準備などは口頭では説明していますが、実際に作業は行えていない部分もありますので、その辺りは今後の様子を見つつ追加の指導をお願いします」

「……お、おう、ありがとう……いま、マジで一瞬有紗ちゃんがバイトリーダーだったかと錯覚した。ともかく有紗ちゃんが居てくれて本当に助かった。迷惑かけて悪いけど、今日一日よろしくな」

「分かりました」

 

 とりあえずおふたりの指導状況に関しては、後で虹夏さんや喜多さんにも共有しておいて、必要な部分はその都度指導してもらえるようにしましょう。

 猫々さんも恵恋奈さんも素直でやる気があるので、仕事はかなり早い段階で覚えられそうな気はしますので、将来は有望ですね。とはいえ、まだ新人の状態なので今はしっかり周りがフォローする必要があります。

 私も今日は閉店後のスタジオ練習を見て帰るつもりだったので、予定的にも問題はありませんね。ひとまずもう間もなく開店なので、ふたりに一度声をかけておきましょう。

 

 その後、STARRYが開店してしばらく経って、猫々さんも恵恋奈さんも順調に仕事をこなせている様子でした。ひとりさんとリョウさんも上手くフォローしてくれているみたいで、私が口を挟むことはほぼ無いと言っていい状態でした。

 そしてある程度客入りが完了したところで、星歌さんがふたりにライブを見ても構わないと伝え、リョウさんとひとりさんも他の手が空いたスタッフが交代してくれたことで、一緒にステージの見える場所に移動してきていました。

 

「本当にライブ観ていいんですか!」

「ああ、初日だし今日ぐらいはゆっくり観ろよ」

「ありがとうございます~。えれ、このバンドも大好きで~」

 

 猫々さんも恵恋奈さんも嬉しそうですし、特に恵恋奈さんの方はかなり喜んでいる感じですね。ひとりさんとリョウさんは、やはり新人をフォローしながらだと普段より負担は大きかったのか、少し疲労はしているようですがそこまで疲れている雰囲気ではありません。

 そんな風に思っていると、ライブが始まり……同時に恵恋奈さんが何処からともなくペンライトを取り出して、激しくヘッドバンギングを始めました。

 

「ちょっ待って無理!! あぁぁぁぁっ!! 顔がいい!! すきぴ~~~~~!?!?!?」

「お、おい、暴れるな……リョウ抑え込め!!」

「……あ、無口先輩吹っ飛ばされた!」

 

 ライブが始まったことでテンションが上がったのか、恵恋奈さんが激しい動きを始め止めようとしたリョウさんが弾き飛ばされました。まぁ、ライブが好きな気持ちはよく分かりますが……とりあえず、激しく動く恵恋奈さんに近付いて動きを止めて声をかけます。

 

「……恵恋奈さん、ライブが好きという気持ちは伝わってきますが、店員として見学している以上はある程度大人しくしないといけないですよ」

「あ、は、はい!? ごめんなさい、ついなにも見えなくなっちゃって……」

 

 もちろん恵恋奈さんに悪気があるとは思いませんが、その辺りは今後しっかりとコントロールできるようになってもらわないといけませんね。ライブが始まるたびに興奮していてはバイトどころではなくなってしまいますし……。

 

「……無口先輩を吹き飛ばした恵恋奈ちゃんを軽々抑え込んでるんすけど……やっぱり、バイトリーダーを任されるぐらいになると、強いんですね」

「いや、有紗ちゃんは特殊な例な気が……というか、あの華奢な体のどこにあんなパワーがあるんだ……」

 

 

****

 

 

 多少のトラブルはありつつも、恵恋奈さんと猫々さんは楽しんでライブを見ており、その後ろ姿を見ながら私はひとりさんに声をかけました。

 

「ひとりさん、お疲れ様です。大丈夫でしたか?」

「あっ、はい。なっ、なんとか……有紗ちゃんが分かりやすく指導しておいてくれたおかげで、私が教えるようなことは殆どなくて……はっ、はは、もう年齢以外全部負けてそうな……」

「そんなことは無いですよ。まだ、ふたりはアルバイトを始めたばかりです。そつなくこなしているように見えても、不安に感じていたりやる気が空回りしている部分もあります。先輩であるひとりさんが近くにいることで、思い切って仕事ができているんですよ」

「え、えへへ……そっ、そうですかね?」

 

 私の言葉にはにかむ様に笑ったあとで、ひとりさんは少し私に身を寄せて微笑みました。

 

「……あっ、今日は有紗ちゃんが来てくれてよかったです」

「偶然でしたが、助けになれたならよかったですよ」

「あっ、有紗ちゃんは、ヒーローみたいですね……えへへ、カッコいいですし」

「私から見るとひとりさんも十分カッコよくて、ヒーローみたいですけどね」

「えへへ、そっ、そんなことないですよ」

 

 私の言葉にひとりさんは嬉しそうな笑みを浮かべて、少しだけ私の肩にもたれ掛かるように身を預けてきました。本当に少しだけなので傍目には分からないかもしれませんが、そっと繋がれた手と微かに感じる体重が、なんだか心地よかったです。

 

「……はぁぁぁぁ……てぇてぇ……党首、えれはユートピアに辿り着きました。抜け駆けじゃないです、ちゃんと情報共有します……あ、でもそのまえに、尊死してしまいそう……あぁ……しゅきぴ~」

「……店長! 恵恋奈ちゃんが今度は虚空にサムズアップしたまま真っ白になってるんですけど!?」

「……採用ミスったかな……」

 

 

 




時花有紗:なんかあまりにも普通にバイトリーダーしてるので、星歌も「あれ? マジでバイトリーダーだったっけ?」と錯覚しそうになる。優しく褒めて長所を認めつつ、指導してくれるタイプ。

後藤ひとり:有紗のおかげで原作のようにふたりの指導を任されては居ないのでそこまで疲労していたりはしない。その余裕のせいか、隙を見ていちゃついていた。

世界の山田:縦スマ(ヘッドバンギング)→「GAME SET」



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九十二手遭遇のスイーツビュッフェ~sideA~

 

 

 学校の授業が終わった放課後、今日はSTARRYに行く用事もなく、スタジオ練習も無い日なのでひとりさんと放課後デートを……と行きたいところですが、残念ながら今日は出資している店をいくつか回らなければならないので、断念せざるをえませんでした。

 

「内装も雰囲気も素晴らしいですね。オープンを楽しみにしています」

「ありがとうございます。オープンの際には是非」

 

 最初にそれなりの金額を出資している店が来月オープンとなるので、その前に店内の雰囲気などを確認しに来ました。あくまで私は出資者であり店舗経営者ではありませんが、ある程度意見を反映できる立場にあるので、気になった部分があれば指摘するつもりではありましたが、特に問題は無さそうです。

 ぐるりと全体を確認して、オーナーと軽く会話をしたあとで店を出て次の場所に向かいます。

 

 何ヶ所か回り、日もそろそろ沈む時間になってきました。まだ、夏といっていい気候で日が沈むのも遅いことを考えると、それなりの時間が経過していることになりますね。

 今回訪れた店はスイーツビュッフェを主としているレストランで、今回は2店舗目に関する相談でした。

 

 現在の売り上げは好調であり、少し前に雑誌に特集が組まれて勢いに乗っていることもあってオーナーとしては、いい流れのうちに2店舗目を出したいという思いがあるようで、出資の相談を受けました。

 ただ、チェーン店とは違いこういった店は多店舗展開のリスクは高くなります。いまはたしかに流行に乗っていて、雑誌での紹介も経て波に乗ってはいるでしょうが、スイーツビュッフェ自体は競合しやすいですし2店舗目も成功するとは限りません。

 

 なのですぐに返答することはできずに話し合いを進めてきました。オーナーはしっかりした方であり、ただノッているからという理由での展開ではなく、ちゃんとリスクも考えた上でいくつも販売戦略を練っており、勝算はある様子でした。確かに光るアイディアもありますし、2店舗目のコンセプトや出店場所の選定も悪くはないので、成功する可能性はあります。

 3店舗、4店舗と増やすのは難しいでしょうが、2店舗ならオーナーがしっかり舵を取れるでしょう……とはいえ、やはりリスクも大きいですし、2店舗目が上手くいかなければこの1店舗目にも影響が出る可能性もあるので、すぐにやりましょうとは返答し辛いので、今回は一度持ち帰って検討することにしました。

 

 その際に、是非レストランのスイーツビュッフェを食べていってほしいと提案されまして、小腹も空いていたのでご厚意に甘えることにしました。

 雑誌などでも紹介されて若者人気が高いだけあって、内装もスイーツもお洒落で可愛らしい雰囲気で、見た目にもとても華やかで楽しめそうです。

 

 惜しむらくはここにひとりさんが居ないことですね。ひとりさんが一緒であれば、更に美味しく楽しくビュッフェを堪能できたのですが……。

 

 そんなことを考えつつ皿を持ってスイーツを取りに行くと、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきました。

 

「……あっ、おっ、お洒落過ぎてよく分からない。初めて見るようなお菓子も……こっ、こんな時、有紗ちゃんがいてくれたら教えてくれるのに……」

「……ひとりさん?」

「はえ? あっ、ああ、有紗ちゃん!? なっ、なな、なんでこんなところに!?」

「私は、いくつか出資している店を回っていたところなのですが……ひとりさんは?」

 

 まさか、まさかの展開です。こんなところで偶然ひとりさんと巡り合うとは……やはり私とひとりさんは運命の赤い糸のようなもので結ばれているのではないでしょうか? ともかくこれは望外の僥倖といっていい事態です。

 状況次第ですが、ひとりさんと一緒にスイーツビュッフェを楽しめる可能性もあります。そう思って、逸る気持ちを抑えつつ尋ねると……。

 

「あっ、えっと、私は2次会です」

「2次会、ですか?」

「あっ、はい。クラスメイトが未確認ライオットの審査員特別賞獲得をお祝いする会を企画してくれて、すっ、少し前までカラオケに行ってたんですけど……そのあとで、仲のいい人たちで2次会に行こうって話になって……」

 

 なるほど、それで普段ひとりさんが居るとは思えない場所で遭遇することになったんですね。むっ、しかし、これは微妙な状況では? 学校の友達と楽しんでいる場に学外の私がお邪魔するのは不味いでしょうか? 私としては、ひとりさんの友達の方々とも交流を深めたいですね。

 

「あっ、そっ、それで、喜多ちゃんとかも向こうに居て……他にはAちゃんとBちゃんと、佐々木さんが居ます」

「ひとりさんや喜多さんからたびたび聞いたことがあるお名前ですね」

 

 確か、ひとりさんと仲が良い本部英子さんと牧浦美子さん、このおふたりは直接話したことはありませんが、ライブを見に来てくれていたところをチラッと見た覚えがあります。確か小柄な方が英子さんで、高身長の方が美子さんでしたね。

 そして、佐々木さんというのは、喜多さんがよく話す佐々木次子さんのことだと思います。

 そうやって頭の中で思考を整理していると、ひとりさんが少し迷う様な表情を浮かべたあとで声をかけてきました。

 

「……あっ、その、有紗ちゃんは、誰かと来てたり?」

「ああ、いえ、私は偶然ビュッフェをいただく形になっただけなのでひとりですよ」

「あっ、じゃっ、じゃあその……あっ、有紗ちゃんも私たちのテーブルに来ませんか? あっ、そそ、その、6人掛けのテーブル席なので、まだ1席余裕がありますし……」

「私がお邪魔しても大丈夫ですか?」

「あっ、AちゃんやBちゃんのことも、有紗ちゃんにいつか紹介したいって思ってましたし……あっ、その……あっ、有紗ちゃんと……一緒に食べたい……ですし……」

 

 最後の方は囁くように小さな声でしたが、ひとりさんが私と一緒にスイーツビュッフェを楽しみたいと思ってくれているのが伝わってきて、胸に幸せが満ち溢れます。

 

「それは、本当に嬉しいですね。では、お邪魔させていただいてもよろしいですか?」

「あっ、はい!」

 

 もちろんそういうことであれば誘いを断る理由などありません。むしろ私としても極めて喜ばしいです。

 私が了承の言葉を返すとひとりさんは明るい表情を浮かべてくれ、私も思わず笑顔になりました。そして一緒にいくつかのスイーツを皿に乗せたあとで、喜多さんたちがいるテーブルに移動します。

 

 テーブルに近付くと喜多さんがこちらを振り返り、私を見て驚いたような表情を浮かべました。

 

「あれ? 有紗ちゃん!?」

「こんにちは、喜多さん。先ほど偶然ひとりさんと出会いまして、席に誘っていただいたので……お邪魔してもよろしいでしょうか?」

「有紗ちゃんも来てたのね。凄い偶然! うん、もちろん大歓迎よ。座って、座って!」

「ありがとうございます。失礼しますね」

 

 驚きつつも歓迎してくれた喜多さんに促されて、喜多さんの隣にひとりさんが座り、その隣に私が座る形で席につきました。

 ちょうど対面には英子さん、美子さん、次子さんの3人が居るので図らずも自己紹介がしやすい形になりました。

 

「皆さんとはこうしてお会いするのは初めてでしたね。時花有紗と申します、よろしくお願いします」

「おぉ、本物の有紗さんだ。あ、私は本部英子、Aちゃんって呼ばれてるよ」

「私は牧浦美子、Bちゃんって呼ばれてる……よろしく」

「おふたりのことは、ひとりさんからよく伺ってますし、STARRYのライブでも何度かお見かけした覚えがあります。こうしてお話できて嬉しいです。英子さんと美子さんとお呼びしてもよろしいですか?」

「うん! 私たちも、ひとりちゃんから有紗さんの話はよく聞いてたし、会って話したいな~って思ってたから、嬉しいよ!」

 

 英子さんが明るい表情で告げ、美子さんも同意するように頷いていました。私もひとりさんがよく口にするおふたりとは、是非会って話がしたかったので今回の偶然に感謝したい気持ちでいっぱいです。

 

「ども~私は佐々木次子。さっつーとか呼ばれてるんで、よろしく~」

「よろしくお願いします、次子さんと呼ばせていただきますね。次子さんのお話も喜多さんからたびたび聞いていましたので、お会いできて嬉しいです」

「へ~喜多がね……ちなみに、うちのことどんな風に話してた?」

「ちょっ、さっつー!?」

 

 少し悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねてくる次子さんに、喜多さんは少し慌てた表情に変わります。とはいえ、別に変な話をしていたりするわけではないのですが……。

 

「一緒に遊びに行ったりした話などが多いですね。喜多さんは次子さんをとても信頼しているようで、次子さんの話をしている際は、他の友人の話より楽し気でしたよ」

「あ、ああ、有紗ちゃん!? そ、そんなことないでしょ? 普通に、他と同じように話してたって!!」

「へ~ほ~ふ~~~~ん」

 

 慌てる喜多さんに対して、次子さんはニヤニヤと楽しげな表情を浮かべていました。

 

「……まいったな~喜多ってば、うちのこと好き過ぎでしょ。愛が重いな~」

「はぁ? なに言ってんだか……」

 

 揶揄うような表情の次子さんに喜多さんは呆れた様子で返答していますが、互いに気心知れている感じのやり取りで仲のよさが伝わってきます。

 実際次子さんも内心で喜んでいるように思えますし、喜多さんが自分を信頼していると知って嬉しいのではないかと、そんな印象を抱きました。

 

「……あっ、そっ、そういえば、詳しく聞いてなかったですけど、有紗ちゃんはなんでこの店に?」

「元々ここのレストランにはそれなりに出資していまして、その関係で訪れていたのですが、オーナーのご厚意でビュッフェを楽しませてもらっていたところです」

「さっ、流石有紗ちゃん……言ってることがハイソサエティというか、なんか凄いです。あっ、でも、そのおかげで有紗ちゃんに会えたのは嬉しいですね」

「ふふ、そうですね。私も丁度、ひとりさんと一緒にビュッフェを楽しめたらなぁ~と思っていたところだったので、思わぬ偶然に感謝ですね」

「でっ、ですね」

 

 本当にここで会ったのは偶然でしたが幸運で、ひとりさんも同じように感じてくれているのは嬉しく、ひとりさんと顔を見合わせて微笑み合いました。

 

「……喜多。うち喜多が前に曖昧な言い方してた意味、よく分かったわ」

「覚悟しときなさいよ、さっつー。今日のスイーツは胸焼けするわよ」

 

 

 




時花有紗:投資家としてアレコレしていた際に、偶然ひとりと遭遇。一緒にスイーツビュッフェが楽しめるのでウキウキである。

後藤ひとり:カラオケでの祝勝会を無事に乗り切って、仲のいいメンバーで2次会中。やはり原作と比べてリア充してる。有紗に偶然会った時は、背後に尻尾振るチワワの幻影が浮かんでそう。


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九十二手遭遇のスイーツビュッフェ~sideB~

 

 

 秀華高校の2年生のクラス。窓際の席でひとりは静かに思考を巡らせていた。

 

(新学期が始まってはや1週間……思ったより、未確認ライオットの件に触れてこない!? なんでだろ? ロッキンの誤解は解けてるし、審査員特別賞を取ったわけだからそこそこの結果は出てるよね? もっとこう、チヤホヤされるかと思ったけど……そんな感じは無い)

 

 結束バンドは未確認ライオットにおいて審査員特別賞を獲得し、公式HPにも名前がしっかりと載った。かなりの成果を上げたと言っていい状態であり、ひとりとしては学校でチヤホヤされるのではと秘かに期待もしていた。

 いや、ひとりの性格上実際にチヤホヤされたら逃げそうではあるが、妄想の中ではスターのような受け答えが出来ている。

 

 あと誤解ではなく中学時代や1年生の頃と比べて、ひとりはクラスに馴染んでいる。英子や美子といった仲のいい友達もいて、最近では喜多の友人ともそれなりに会話ができるようになってきている。

 なのでこう、もう少しなにかあるのではと期待していたのだが、クラスメイトの殆どが未確認ライオットの話題を出すことは無かった。

 

「あ、ひとりちゃ~ん」

「Aちゃん?」

「今日の放課後に付き合ってもらいたいんだけど、時間とか大丈夫?」

「え? あっ、はい。予定とかは無いです」

「それならよかった。じゃあ、ちょっと喜多ちゃんと一緒に放課後に来てほしいところがあるんだ。場所はロインで送っとくから、よろしくね!」

「え? あっ、はい」

 

 なぜ、同じ学校の同じクラスなのに放課後に場所を指定して待ち合わせるのかという疑問はあったが、ひとりは特にそれを追及したりすることは無く頷いた。

 

 

 ****

 

 

 放課後、ひとりは喜多と共に指定された場所に向かって移動していた。

 

「なっ、なんなんでしょうね?」

「……サプライズパーティじゃないかな? ほら、私たち未確認ライオットで審査員特別賞とったでしょ?」

「あっ、はい。その割にはあんまり話題に上がらないなぁとは、思ってました。AちゃんやBちゃんからお祝いのロインは貰いましたけど……」

「あくまで予想だけど、カンパ募って有志でパーティでもしてくれるんだと思うわ。今回もほら、集合場所はカラオケだし、一緒に行かないってことは……待ち構えてるんじゃない?」

「あっ、なるほど……」

 

 そう言ったサプライズパーティに慣れている喜多の説明を聞いて、ひとりは納得した様子で頷く。たしかにそれなら、わざわざひとりと喜多が別で集合場所に向かうことになったのかと……。

 

「あ、でもひとりちゃん、ちゃんと驚くのがマナーだからね!」

「あっ、はい。えっ、えっと……どうすれば?」

「いい感じのリアクションをよろしく!」

「……」

 

 せっかくのサプライズパーティなので驚いた方が用意した側にとっては嬉しいというのは分かる。だが、陰キャでコミュ症のひとりに突然そんなアドリブリアクションを求められても無理である。

 

(いっ、いい感じのリアクション……なんか、こう……OH! ジーザス! 信じられない!? とか、そんな感じかな? こう、身振りとか手振りとオーバーな感じで……)

 

 頭の中で奇妙なシミュレーションをするひとりだが、残念ながらこの場にひとりの思考を正確に読み取って先回りのフォローができる有紗は居ない。喜多もひとりの思考に気付くことは無く、目的地のカラオケで部屋番号を聞いて移動していく。

 そのままであれば、ひとりのリアクションはそこそこの事故を起こしていたかもしれないが……幸いだったのは、カラオケルームの扉を開けた直後に鳴り響いたクラッカーの音に、ひとりは素でびっくりして固まってしまったので、むしろいいリアクションが取れていた。

 喜多に関しては、クラッカーが鳴り響く瞬間にバッチリポーズを決めて自撮りをしていたが……。

 

「喜多ちゃん、後藤さん! 未確認ライオット、審査員特別賞おめでと~!」

「こ、これは……」

「有志による祝勝会でーす!」

「わ~! 最高のサプライズだわ~!! 本当にびっくりしちゃった!」

「……その割には完璧にポーズ決めてた気がするけど?」

 

 大げさに驚く喜多に次子が苦笑しながらツッコミを入れ、そこでひとりも驚きから回復した。

 

「ひとりちゃんも、こっちこっち! 主役は真ん中だよ!!」

「あっ、Aちゃん、Bちゃん……」

「はい。タスキかけて」

 

 英子と美子によって「本日の主役」と書かれたタスキをかけられ、飲み物を渡される。そして次子が司会進行をする形で祝勝会はスタートした。

 有志ということもあって、比較的ひとりにとっても顔見知り……ある程度話すクラスメイトが多く、祝勝会はワイワイと楽しく進行していった。

 ひとりもある意味では期待していた賞賛の言葉をたくさんもらえてホクホクした表情で楽しんでいた。

 

「お~ひとりちゃん、結構歌上手いじゃん」

「うん、声は小さ目だけど音程はしっかりしている」

 

 途中流れでカラオケで一曲歌うことになったのだが、以前に有紗と一緒にカラオケに行ってコツを教わっていたおかげで、そこそこ上手く歌うことができていた。

 

「そーだ! 喜多ちゃん、結束バンドの曲歌ってよ!」

「聴きたーい!」

「え~しょうがないな~」

 

 ノッてきたクラスメイト達の要望に苦笑しつつ、喜多がカラオケの端末を操作し始める。すると、英子が不思議そうな表情で首を傾げた。

 

「あれ? 結束バンドの曲ってカラオケに入ってるの?」

「あっ、はい。有紗ちゃんが申請してくれたみたいで、何曲か入ってます。あっ、えっと、リーダーの虹夏ちゃんが18歳になった時に、著作権管理も含めていろいろ申請してくれたので……」

 

 そう、カラオケで楽曲の配信にはいくつかの方法があるが、リョウの希望で印税も入るようにと著作権管理委託も含めて、有紗がもろもろの手続きは行っており、結束バンドの曲は3曲ほどカラオケで配信されていた。

 

「てか、せっかく結束バンドの曲歌うなら、後藤もギター演奏すればいいじゃん?」

「あぇ?」

「後藤さんの演奏も聴きたい!」

「あっ、はっ、はい」

 

 クラスメイト達から促される形で、ギターを持って喜多の横に立つ。幸い音源もあるため、そこまでテンパることもなく、無難な感じで演奏をすることができてクラスメイト達からの評価も上々だった。

 口々に結束バンドの曲やひとりのギターを賞賛してくれ、ひとりは緊張しつつも嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 

(みっ、皆優しいし、楽しい。うぅ、なんかいま、凄く女子高生やってる感じがする。これで、有紗ちゃんが居れば……あっ、いや、有紗ちゃんは別の学校なんだしいないのは当たり前だけど……凄く楽しい気分だから、有紗ちゃんに近くに居て欲しいって気持ちも……なっ、なんだろうこれ?)

 

 それは言ってみれば、好きな相手と楽しい気持ちを共有したいという感情なのだが、そういった類に疎いひとりはやや戸惑っていた。

 ただそれでも嫌な気持ちではなく、有紗のことを考えると楽しい気持ちがより大きくなったように感じられた。

 

 

****

 

 

 カラオケでワイワイとクラスメイト達と楽しんだ祝勝会も終わり、解散となったが……喜多や英子といったノリのいいメンバーはまだ満足しておらず、そのまま仲のいいメンツで2次会にという話になった。

 カラオケで歌って消費したカロリーを補充しようとばかりに、カラオケから近い場所にあり雑誌等でもそれなりに有名なスイーツビュッフェに向かうことに決まった。

 

 そのスイーツビュッフェで偶然有紗と遭遇し、一緒に楽しむことになってから、ひとりはそれまで以上に上機嫌だった。

 

(やっぱり、有紗ちゃんが一緒だと楽しいな。あっ、いや、もちろんさっきまでも楽しかったけど、有紗ちゃんが居るとなんか違うっていうか……自然と笑顔になれる気がする)

 

 ひとり自身上手く言語化するのは難しいが、カラオケの際に有紗が居たらと思ったように、有紗が傍にいて楽しい気持ちを共有すると、楽しさがより大きくなるような感覚だった。

 実際スイーツビュッフェに関しても、最初はお洒落過ぎる雰囲気に気圧され気味だったのだが、有紗と出会ってからは喜びの感情が勝っているのか、まったく気にならなくなっていた。

 

「ひとりさん、このスイーツはなかなかいいですよ。よろしければ、どうぞ」

「あっ、いただきます。あむ……あっ、食感が面白いですね。あっ、そっ、そうだ。これ、美味しかったので、有紗ちゃんも……」

「ありがとうございます。フルーツソースがとても美味しいですね」

 

 有紗が登場して10分ほど、ひとりが明らかにテンションが上がっているのは周囲から見ても分かりやすく、有紗と仲睦まじいのは言うまでもない。

 英子と美子は、その光景を微笑ましそうに見つつ……時折チラチラと互いを見る。端的に言ってしまえば、ふたりとも有紗とひとりと同じように食べさせ合いをしたいという気持ちがあるのだが、どうにも気恥ずかしさが勝っており切り出しにくい。

 

 だが、それでも有紗とひとりがそういった甘い雰囲気を形成しているのは、ある意味で背中を押す展開というべきか、同じようなことをしやすい空気はあるので千載一遇のチャンスでもあった。

 しばらく悩んだ末に、英子は目を泳がせながら努めて明るく美子に声をかける。

 

「あ、Bちゃんそのケーキ美味しそうだね。わ、私にも一口ちょーだい」

 

 少し声が上ずってはしまったが、それでもしっかり言い切った。その言葉を聞いた美子は一瞬皿ごと英子に渡そうと思ったが、すぐに思い直して自分のフォークで一口サイズにケーキを切って、軽く手を添えて差し出した。

 

「……ほら」

「あ、ありがと~! お返しにこのケーキを一口あげるね!」

「……んっ、ありがと」

 

 少し頬を赤くしながら差し出されたケーキを、英子は嬉しそうに食べ、お返しとして同じように手を添えてケーキを差し出して美子に食べさせる。有紗とひとりのような甘い空気ではないが、どこか初々しい甘酸っぱさを感じる空気を醸し出すふたりを見て、次子は思わず苦笑した。

 

「おやおや、本当に口の中が甘くなってきたわ。いつもこんな感じなん?」

「だいたいね~」

「せっかくだしうちらもやる? ほれ、喜多、餌だよ~」

「餌って……はいはい、ありがと」

「可愛げが無いな~もっと照れたまえよチミ」

「言ってろ~」

 

 差し出したスイーツを普通の顔で食べる喜多に、次子が若干不満そうに文句を言って喜多は苦笑を浮かべる。こちらもこちらで、互いに気心知れているからこその気安い関係というべきか、なんだかんだでその空気感を楽しんでいる様子だった。

 

 

 




時花有紗:登場して10分立たずにぼっちちゃんといちゃいちゃし始めた。その甘い空気に触発されて他の百合たちも動き出すという、百合相乗効果を発生させていた。

後藤ひとり:クラスに普通に馴染んでいるぼっちちゃん。カラオケも歌えるし、演奏も少し緊張しつつもできるし、祝勝会も普通に楽しめてる。陰キャは陰キャだが、コミュ症はかなり克服している模様。ただやはり、有紗が居るとテンションが全然違う。


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九十三手物色のジャンクギター~sideA~

 

 

 新曲のデモも完成し、ひとりさんも初めての編曲でいい経験を積めたと思います。そして、今回は喜多さんが作詞に挑戦してみるという話になっているため、作詞に関しては喜多さんに一任していました。

 喜多さんも意気揚々と作詞に臨んでいましたが……まぁ、もちろんそんなに簡単な話ではないです。

 

「……で、1週間考えたけど特に書くことが無かったと……」

「はい!」

 

 喜多さんが作詞に挑戦して1週間後のミーティングで、明らかに作詞に苦戦している様子の喜多さんが居ました。ひとりさんも最初はかなり苦戦していましたし、やはりなにかを作るという作業は大変なものです。

 

「……恋愛ソングが好きなので書こうとしたんですけど、経験ないから恋愛ドラマの情報だけじゃどうも嘘っぽくなっちゃって……じゃあ、私らしい歌詞をって思ったけど、どれも歌にするまでもない気がして……やっぱり難しいわね。ひとりちゃんは、恋愛ソングとか書いたことあるの?」

「…………………………ないです」

「絶対あるやつじゃん!?」

 

 喜多さんの質問に目線を逸らして汗を大量に流しながら否定するひとりさんの反応は分かりやすく、虹夏さんも思わずツッコミを入れていました。

 私が以前に聞いた話ですと、ひとりさんは過去に恋愛ソングの作詞をしてみたらしいですが、あまりにも恥ずかしくて封印したと言っていました。私が聞いても内容は教えてくれなかったので、よっぽど恥ずかしいみたいですし、私もそれ以上質問したりはしませんでした。

 

 まぁ、ひとりさん作の恋愛ソングも気にはなりますが、いまはひとまず喜多さんに関してです。

 

「……私の感想ですが、喜多さんは少し難しく考えすぎているのではないでしょうか?」

「え? 難しく?」

「ええ、創作は高尚なもので、その作品にはなんらかの明確なメッセージ性が無ければならないと……そうして、無意識に創作のハードルを上げてしまって手が止まるのはよくあることです。ひとりさんも、最初はそうだったんじゃないでしょうか?」

 

 これはジャンルを問わず創作ではありがちなことと言えます。いいものを作らなければという意識が強すぎて、自分自身でハードルを上げてしまっていて、結果として泥沼に嵌るように悩みが重なって手が止まってしまう。

 まったく何も考えないというのも問題ですが、考えすぎるというのも問題ですね。

 

「あっ、はい。私も最初は世間に受ける曲を作るべきって気持ちが強くて、変に思考が固まってました。有紗ちゃんやリョウさんのアドバイスのおかげで、書けるようになりました」

「……うん。確かに最初にぼっちが書いてた詞も意識し過ぎて固くなってた気がする」

「なるほど……確かに、有紗ちゃんの言う通り創作って明確なイメージが無いと作れない気がしてたかも……」

 

 難しく考えすぎているというのは、喜多さんにもある程度自覚があるものだったのか悩んだ表情で呟くように言葉を続けます。

 

「私別に世の中に訴えたいこととか、周りへの不満とかがあるわけじゃないんですよね」

「う~ん。有紗ちゃんも言ってたけど、メッセージ性が必ずしも必要じゃないと思うよ。ほら、当たり障りのない日常の歌詞の曲とかもあるでしょ?」

「そうですね。本当に最初はシンプルでいいと思いますよ。例えば、楽しかった出来事や将来の夢、そんなものを友人に話すような感覚で書いて、細部を後から調整するだけでもそれらしいものは出来上がります。メッセージ性も後からついてくるようなパターンも多いでしょうしね」

 

 最初から難しいことをしようとすれば苦戦するのは必然でしょう。ひとりさんの編曲の際にもそうでしたが、初めはシンプル過ぎるぐらいが丁度いいのかもしれません。

 そんな風に思いつつアドバイスをしていると、ふと虹夏さんはなにかを思いついたような表情を浮かべました。

 

「あっ、そうだ! 喜多ちゃんよくイソスタとか更新してるでしょ? あんな感じで歌詞を書いたらいいんじゃない?」

「え? そ、そんなのでいいんですか?」

「全然いいと思うよ。メッセージ性とかなくて明るく楽しいだけの曲とかも私は好きだし、まずはなによりも書き上げてみることが重要だからね。そのあとで、皆で意見を出し合って修正とかすればいいから、喜多ちゃんも気楽に楽しく書いてみよう!」

「せ、先輩……はい! 頑張ります!!」

 

 初めての作詞に苦戦して下向きになっていた気持ちが上向いたようで、喜多さんはやる気に溢れた表情でグッと拳を握って宣言していました。少し吹っ切れたようなので、これなら大丈夫そうですね。

 そんなことを考えていると、STARRYのドアが勢いよく開いて猫々さんが入ってきました。

 

「おはよーございます!!」

「あれ、大山さん? 今日ライブハウスは休みでバイトは無い筈だけど、どうしたの?」

「買いたいギター見つけたんで、先輩たちに意見を貰おうと思って!! 探しまくってやっと見つけたんです! ウチでも買えるギターを!!」

「にっきゅっぱっ!?」

 

 大山さんはギタリスト志望とは言っていましたが、まだギターは持っておらず練習などもこれからという話でした。なので、まずはギターを入手しようと考える気持ちは分かりますし、高校1年生でバイトもまだ始めたばかりの猫々さんの経済事情を考えると、出来るだけ安くギターを手に入れたいという気持ちは分かりますが……意気揚々と掲げるスマートフォンの画面には2980円のギターが映っており、どう見ても訳アリ品という雰囲気でした。

 

「……猫々さん」

「あ、バイトリーダー! おはようございます!!」

「はい、おはようございます。予算などの都合で高いギターに手が出にくく、出来るだけ安く買いたいという気持ちは分かりますが、その価格ではおそらく相当の難がある品だと思いますよ」

「あっ、そっ、そうですね。ノーブランド品って書いてますし、作りも粗そう……こっ、壊れやすいと思いますし、頻繁に壊れてたらむしろ修理代で余計に高くつくなんてことも……」

「見る限りピッチも明らかに悪そうだし、オススメ要素皆無」

「なるほど……ちなみに、ダイブ先輩はいくらぐらいのギターを使ってるんですか?」

 

 もちろん低価格でも質のいい品というものも存在しますが、少なくとも猫々さんが見つけたものは通販の内容を見る限り、あまりよさそうな感じではありません。

 ギタリストであるひとりさんも、楽器に詳しいリョウさんも私と同じく反対の様子でした。

 

「ぼっちちゃんの初代ギターは、50万円前後かな? レスポールカスタムだし」

「へー……50万!?!?」

「いまメインで使ってるギターは6万円ぐらいだったかな?」

「6万!? 安い!! ダイブ先輩とおそろもいいですね。6万なら手頃で――いや、安くない!!」

 

 最初に50万と聞いたあとで6万と聞いて安いと錯覚したようですが、6万でも猫々さんが見つけてきたギターの20倍の価格です。

 

「あっ、でっ、でも、6万はギターの中では結構安い方です。ハイエンドとかだと数十万ですし……」

「えぇぇぇ!? そっ、そうなんですか!? 6万でもお小遣い何年分か……」

「ああちなみに、ぼっちはメインで使ってるの以外にもここぞという時の勝負ギターを持ってて、それは推定150万以上の特注オーダーメイドギターだ」

「ひゃっくごじゅっ!?!?」

「あと、関係ないけど、有紗の持ってるピアノの価格は2500万だ」

「………………」

 

 ひとりさんのギターの価格は猫々さんの想像を超えていたみたいで、ついでにまったく関係ない私のピアノの価格が追い打ちとなったのか、猫々さんは真っ白な顔でパクパクと金魚のように口を動かして言葉を失っていました。

 そんな猫々さんに対して、喜多さんが少し気の毒そうな表情を浮かべながら告げます。

 

「……追い打ちをかけるようで悪いけど、ギター本体以外にもアンプとかいろいろ必要だから、初期費用はギター代以外にも2万ぐらい必要になるわよ」

「え!? そそ、そんなにですか!? バンドってめっちゃお金かかるじゃないですか!! 先輩たちお金持ちなんですか!!」

 

 2980円のギターを買ったとしても周辺機器代がかかるという現実は猫々さんにはかなりのダメージを与えたようで、やけくそ気味の叫び声をあげていました。

 

「……う~ん、リョウは実家がお金持ち、ぼっちちゃんは動画サイトの広告収入があるからお金持ちと言えばお金持ちだね。私は家がライブハウスだから割と楽器関連はイージーではある。喜多ちゃんは普通かな? バイトのシフトそこそこ入ってるから、ある程度お金は持ってると思うけど……そして、有紗ちゃんは5つぐらい次元が違う」

「……さっきピアノの値段聞いてそんな感じはしてましたけど、バイトリーダーはやっぱり、半端じゃないんですね。けど、うぅ……話聞く限り3万ぐらいは必要ってことですよね? 数年分のお小遣い前借りすればなんとか……でも、続けられるか分からないのに……いや、弱気は……でも……」

 

 やはり金銭的な部分はかなりネックな様子で、猫々さんは頭を抱えて机に伏していました。バイト代が入ればまた状況は変わるのでしょうが、それは月末ですし、現時点では厳しいことには変わりないでしょうね。

 

「リョウ先輩からギター借りるとか?」

「貸してもいいけど、最初がそれだとたぶん続かない。完全に素人状態で始めるなら、最初の1本は自分で買うべきだと思う。その方が愛着が持てるし……」

「……あっ……そっ、そうですね」

 

 リョウさんの言葉に、2代目ギターを買うまでお義父様からギターを借りていたひとりさんが若干気まずい表情を浮かべますが、その辺りは人それぞれですね。ひとりさんはギターに対して強いモチベーションがあって、コツコツと努力することが苦にならない努力家だったので問題なかったのでしょう。

 

「……リョウさん、ジャンク品を探すのはどうでしょう?」

「なるほど、有りだと思う。ハードオプとかで壊れてるジャンクギターなら1万位内でも、それなりのギターが手に入る。修理は私がすればいいし、周辺機器もハードオプで揃えれば、相当初期投資は抑えられるかも」

「おっ、おぉ……無口先輩!?」

 

 ジャンク品を修理してくれるというリョウさんに、猫々さんが目を輝かせます。実際、その方法ならかなり金額は抑えられますし、手持ちが足りなければ私が一時的に貸してバイト代で返済してもらえれば問題ないですね。

 その後少し話し合った結果、とりあえず私も含めて全員時間はあるようだったので、ハードオプ巡りをしてみることに決まり、全員でSTARRYから出て下北沢の街にくり出しました。

 

 

 




時花有紗:財力は化け物。ぼっちちゃんが恋愛ソングを書いたことがあるというのは、本人から聞いているが恥ずかしがっている様子なので深くは聞いていない。

後藤ひとり:恋愛ソングを書いたマル秘の歌詞ノートが存在しているらしいが、誰にも見せない模様。何曲か書いているみたいで、知ってる人が見ればどう考えても有紗を思い浮かべて書いたのだと即わかる。

喜多郁代:作詞に関して相談に乗ってくれる人が多かったおかげで、さほど思い悩むことは無い模様。

伊地知虹夏:最近発売した設定資料集(3000円)によると、スネアドラム以外はSTARRYの備品を使っているらしい。

世界のYAMADA:バイトの際に有紗が指導したこともあって、猫々に対して原作程苦手意識を持っていないので、普通に先輩としてアドバイスしていた。


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九十三手物色のジャンクギター~sideB~

 

 

 ハードオプでジャンク品を探す方向で話はまとまり、結束バンドの面々は猫々のギターを探すために街にくり出した。

 ハードオプ自体はあちこちにあるが、せっかくだからジャンク品以外の楽器屋も参考に見てみようという話になり場所を話し合うことになった。

 以前ひとりのギターを購入する際に行った御茶ノ水が最有力ではあったが、そこに猫々と喜多の陽キャ組の意見が入った。

 

「渋谷にもあるならこっちがいいです!」

「あ、賛成! 帰りに108寄りましょう、洋服みたい~!」

「ウチもスニーカー見たいです!!」

 

 若者の街……ひいては陽キャの街と表現しても間違いではない渋谷。あくまで今回の主役は猫々なので、猫々の希望であればそれを断る理由は無いが、渋谷と聞いた瞬間リョウは若干面倒臭そうな表情に変わった。

 

「渋谷か……いや、楽器屋もハードオプもあるけど、陽キャの街は私たちにはしんどいな、ぼっち?」

「え? あっ、そっ、そうですね……あっ、有紗ちゃん。もしやってたら、帰りに前に行ったアイス屋に寄りませんか?」

「いいですね。まだ暑い季節ですし、あそこのアイスクリームは美味しかったですよね」

 

 陰キャ仲間であるひとりに同意を求めようとしたリョウだったが、期待に反してひとりは渋谷をあまり嫌がっている感じは無く、有紗と楽し気に会話をしていた。

 

「……ぼっちが陽キャの仲間入りしてる」

「渋谷と聞いても特に動揺した感じが無いから、たぶん有紗ちゃんと度々行ってるね。いや~、新宿にビビりまくってた時を思うと、成長が著しいね~」

 

 以前は新宿に行くというだけで、有紗の背の後ろに隠れてビクビクしていたひとりだったが、いまとなっては比較的外出に慣れているおかげで落ち着いているように見えた。

 そんな風に話しながらワイワイと移動して、渋谷に到着すると虹夏が隣を歩いていたリョウに声をかける。

 

「で、リョウ。どこからいけばいいのかな?」

「最初は普通の楽器屋がいいんじゃない? 駅近のギターショップならイシバシとかイケシブが品揃えもよくていいと思う。まぁ、あくまで普通のギターがどんなものか見るだけだし、どっちかだけでいいと思う」

「さっすがマニア、すぐに店名とか出てくるし、こういう時は頼りになるね~」

 

 リョウは渋谷自体は面倒だと思っているが、楽器屋巡りは好きなのでひとりで渋谷の楽器屋などにも来ることは多く、店の位置なども把握している。

 リョウの案内で近場の楽器店に移動すると、ズラリと並ぶギターを見て猫々が興奮気味の表情を浮かべる。

 

「うぉ~~~! 圧巻~!」

「猫々さん、他のお客さんの迷惑になるので声はもう少し抑えてください」

「はい」

 

 大きな声を出す猫々に有紗がやんわりと注意すると、猫々は即座に指示に従って声のボリュームを落とす。バイトの指導を受けた影響か、有紗の指示には従順かつ迅速に従っていた。

 大人しくなった猫々と一緒に店内をぐるりと見て回っていると、虹夏がふと思いついたように尋ねる。

 

「値段をまったく気にしないなら、大山さんはどんなギターが欲しい?」

「派手でとにかく目立てるギターがいいです! ウチ、目立ちたがり屋なんで……見せた瞬間に意表をつけるような攻撃力に特化したギター……あ! こういうのです! 映え先輩、これなんてギターですか!?」

「え? わ、私? えっと……ツインネックギターってやつじゃないかな? ひとりちゃん、これなんてギター?」

「あっ、えっと、それはネックが4本なのでマルチネックギターです」

 

 猫々に話を振られたが、喜多は正直そこまでギターに詳しくは無い。結局ひとりに説明を求める形になった。

 

「ふっ、素人どもめ……攻撃力と言うなら、シモンズのアックスベースに決まってるだろ」

「それは物理的攻撃力が高そうなギターじゃん? というか、大山さんは自分が目立ちたいんだよね? 奇形ギターだとギターの方ばっかり目立って、大山さんに注目は集まらないんじゃない?」

「それは困ります! えっと、じゃあ、え~と……バ、バイトリーダー! どんなギターを選べば……」

「難しく考えすぎずに、最初は好きな色あたりで大まかに選んで見るのがいいですね。あと、猫々さんが演奏する際の服に色合いを合わせるというのもいいと思います」

「なるほど、う~ん、好きな色だと……」

 

 この店でギターを購入するわけではないが、ハードオプを巡る前の参考ということでしばし猫々の意見を聞きつつ楽器店を見て回った。

 

 

****

 

 

 楽器店を出たあとは当初の予定通りジャンク品を取り扱っている店を中心に見て回り、安価で手に入るギターかつ猫々の希望に沿う品を探した。

 それなりに時間はかかったが、楽器知識に優れるリョウや、ギタリストのひとり、知識や審美眼にも優れる有紗といった頼りになるメンバーもいたおかげで、無事にいい品を見つけることができた。

 

「先輩たちありがとーございます!! まさか、5000円でこんなカッコいいギターが買えるなんて!」

「新品なら5万は余裕で越えるギターだからいい掘り出し物。故障もすぐ直せるレベルだから、明日には問題なく演奏できるようにしとく」

「はい! 無口先輩、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 

 今回購入したギターはリョウが預かって修理をするという話になっており、猫々はリョウに深く頭を下げてお礼を言う。

 そんな様子を苦笑しながら見ていた有紗は、ふと腕時計を確認したあとで口を開いた。

 

「そろそろ夕食時ですし、せっかくですからこのまま全員で夕食でも食べに行きましょうか? 猫々さんはなにか食べたいものはありますか?」

「え? あ、いや、でも、ウチ……このギターでお小遣い全部……」

「ああ、気にしないでください。今回は猫々さんの歓迎会も兼ねて私が出しますので……それで、なにが食べたいですか?」

「えっと、お肉とか……あ、いや、全然ファミレスとかで! お気持ちだけで、滅茶苦茶嬉しいですし!!」

 

 猫々の歓迎会も兼ねて食事に行こうという有紗の提案に、猫々は若干遠慮しつつも嬉しそうな表情を浮かべる。そして、他のメンバーも賛成したことで本格的に店選びとなり、そのタイミングで有紗が口を開く。

 

「お肉でしたら、焼肉とかでも大丈夫ですか? 渋谷でしたら、近場にいい店があるので……」

「はい! ご馳走になります!!」

 

 有紗の提案に猫々は大きな声で頭を下げ、残る面々は少々考えるような表情を浮かべていた。

 

「……ねぇ、ぼっちちゃん。これヤバい店来ると思う?」

「あっ、確実に来ます。いい店って言いましたので、たっ、たぶんブランド和牛とかそういうのが出てくる店です」

「やったぜ」

「……映えそう」

 

 他の面々は有紗が凄まじく金持ちなのをよく知っており、この場合はチェーン店などではなく高級焼肉店が選ばれるであろうことは理解していた。

 ただ、残念ながら猫々はまだ付き合いも浅いためか分かってない様子で、チェーン店の食べ放題のような店だろうと考えて、気楽そうな笑顔を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 有紗の案内で辿り着いた店で個室に通され、猫々はガタガタと震えながらメニューや店内に落ち着きなく視線を動かしていた。

 普段の元気さはどこに消えたのかというほど動揺しているのは、漂う高級店オーラとメニューにあった。

 

「あ、ああ、あの、バイトリーダー? こ、この、メニュー金額がおかしくないですか、な、なんか、ウチが買ったギターより高い値段がゴロゴロ書いてあるんですけど……」

「ああ、気にせず好きなものをお腹いっぱい食べてくださいね」

「……ぱえ?」

「あっ、思考が追い付いてないです。きっ、気持ちは凄くよく分かります」

 

 異常な値段がずらりと並ぶメニューを見て思考がまったく追い付いていない様子の猫々を見て、ひとりがしみじみと頷く。自分もかつて通った道だと、そんな雰囲気を出しつつ……。

 

「有紗、シャトーブリアン頼んでいい?」

「無口先輩!? それ、1人前2万円とか書いてあるんですけど!!!」

「ええ、皆さんも好きなものを頼んでください」

「バイトリーダーはなんでそんな余裕そうなんですか!?!?」

 

 心の底から戦慄しているような表情で叫ぶ猫々を見て、虹夏は苦笑を浮かべつつ声をかける。

 

「大山さん、言ったでしょ? 有紗ちゃんは5つぐらい次元が違うんだって……いまのリョウの言葉も、有紗ちゃんにとってはファミレスで『ポテト頼んでいい?』って聞かれたようなものだからね」

「あっ、ですね。なっ、なので、気にせず好きなだけ食べていいと思います」

「い、いやいや、でも、それだととんでもない金額に……」

 

 高級焼肉に完全に尻込みしている様子の猫々だが、そんな猫々に対して有紗は優しく微笑みながら告げる。

 

「猫々さん、時として遠慮は望まれない場合もあります。いまこの場においては、私は猫々さんが気にせずにお腹いっぱい食べてくれた方が嬉しいですよ。だから私のことを思うのであれば、金額は気にせず好きに食べてください」

「バイトリーダー……わ、分かりました! そ、それじゃあ、ご馳走になります!!!!」

「ええ、どうぞ遠慮なく」

 

 猫々がお腹いっぱい食べてくれた方が嬉しいという有紗に、猫々は感動したような表情を浮かべる。そして、彼女は切り替えの早い性格だ。

 しっかりと、切り替えて有紗に言われた通り値段は気にせず、高級な焼肉を心行くまで楽しんだ。

 

 そして会計時に、店員が有紗に渡した伝票を見て絶叫し、それを何事もないように支払う有紗に畏敬の念に染まった表情を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 明けて翌日STARRYにて開店準備の清掃をしていた猫々は、有紗がやってくるとビシッと背筋を伸ばして美しさすら感じる角度で一礼した。

 

「おはようございます! バイトリーダー!! あ、喉渇いてないですか? あれでしたら、ウチが自動販売機までひとっ走り買いに行ってきますよ!!」

「こんにちは、猫々さんは今日も元気ですね。お気遣いだけ、頂いておきますね。ありがとうございます」

 

 どこか暑苦しさすら感じる猫々の様子を遠目に見ていた星歌は、たまたま近くに居た虹夏に尋ねる。

 

「……なんか、前より暑苦しいんだけど……舎弟みたいになってね?」

「財力で格の違いをわからせられたから……かな?」

 

 どことなく舎弟っぽい雰囲気を出している猫々を見て、星歌と虹夏はなんとも言えない表情で苦笑を浮かべていた。

 

 

 




時花有紗:相変わらずのチート財力、ぼっちちゃんと渋谷デートもしてることが判明。

後藤ひとり:有紗とあちこち行ってるせいか外出慣れしており、渋谷に全く動じていない。たぶん、それなりの頻度でデートしてやがるなコイツ……。

猫々てゃ:金銭感覚は至極真っ当な子。バイトの指導を受ける際の実務能力、楽器を探す際の知力、圧倒的な財力と様々な要素でわからされた結果、完全に有紗が格上の存在であると認識し、体育会系のノリも合わさってなんか舎弟みたいなムーブに……。


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九十四手当選のペアチケット~sideA~

 

 

 結束バンドの新曲作りは順調で、ミニアルバムに収録予定のひとりさん作曲の曲も順調に進行しています。やはり、これまで何曲も意見を出し合って作ってきたおかげもあって、それぞれに経験値が溜まっているのでしょうね。

 特に未確認ライオットで結果を出してからは、全員の演奏レベルが少しではありますが確実に上がっているように感じますし、いまは非常にいい流れですね。

 とはいえ、順調な時にこそ注意をするものです。勢いのある時は思わぬところで躓く可能性もあるので、適度に息抜きなどを挟んでリフレッシュなどもして行けたらいいなぁとは思いますね。

 

「皆さん、こんにちは」

「あっ、有紗ちゃん。こんにちは……」

 

 スタジオ練習をしている皆さんのところに顔を出すと、ひとりさんが嬉しそうに駆け寄ってきてくれて、他の皆さんも口々に挨拶を返してくれます。

 新曲の練習をしていたであろう皆さんの邪魔にならない位置に折り畳み式の机を持って移動し、ノートパソコンを起動させつつ、鞄から紙袋を取り出します。

 

「リョウさん、まだもう少し先ですが誕生日おめでとうございます。プレゼントは迷ったのですが、前回のものを気に入ってもらえていたようなので、今回は前回とは違うホテルのものを用意しました。こちらは半年間有効ですので……」

「有紗、本当に愛してる。有紗が居てくれるおかげで、私は飢えなくて済んでる。心から、感謝」

 

 もうすぐ9月18日、リョウさんの誕生日が近いので今日はプレゼントを持って来ました。前回のホテルビュッフェの定期カードを非常に気に入ってくれていたみたいなので、今回も同じものを……ただし、変化は欲しいので別のホテルのものにしました。

 前回購入したホテルビュッフェのフリーパスは、最大3ヶ月分までしかなかったのですが、今回のホテルは半年分のものもあったので、期間は長い方がいいだろうとそちらにしました。

 リョウさんも気に入ってくれたようで、両手を合わせて拝むような姿勢で感謝してくれました。喜んでもらえるのは嬉しいですね。

 

「いや、サラッと言ってるけど、ビュッフェ食べ放題半年分だよ。有紗ちゃんは相変わらず凄いなぁ……」

「あはは、金銭感覚麻痺しそうですね。ただ恐ろしい部分もありますよ。私も有紗ちゃんに貰ったプレゼントで、高級エステを年間パスで利用してますけど、すっごく良くて……1年経った後に、もうあのエステが無いと駄目な体になってそうで……でも、自前で買うには高すぎるので……」

 

 そんな会話が聞こえてきました。喜多さんもプレゼントを気に入ってくれているようでよかったです。また来年の誕生日が近くなったら、同じパスがいいかどうか聞いてみることにしましょう。

 そんなことを考えつつ、皆さんと少し雑談して、新曲の練習を始めた辺りでノートパソコンを操作して物販関連の作業を進めます。

 

 結束バンドは動画サイトの再生数なども好評なので、一部の物販商品を通信販売ができないかという話になったので、その辺りの調整をメインに行っていきます。

 委託という形で同様にインディーズバンドのグッズなどを取り扱っている企業などに依頼できればいいのですが、あまり物販に力を入れすぎるのもそれはそれで利点ばかりとはいかないので、程度が大事ですね。

 

 

****

 

 

 STARRYでのスタジオ練習を終えて、ひとりさんと一緒に下北沢の街を歩きます。今日は比較的早い時間に練習が終わったこともあって、ある程度時間があるのでこのままどこかに寄っていこうかという話に持っていけそうな気がします。

 ひとりさんとデートしたいという気持ちは非常に強いのですし、ひとりさんも今日は練習が短めだったのであまり疲れている感じはありません。

 ならば誘うのは絶好の機会です。軽くどこかでお茶をしてから……。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい? どうしましたか?」

 

 ひとりさんをデートにどう誘おうかと考えていると、ひとりさんが話かけてきました。なにやら表情はやや緊張しているように見えますね。ただ、緊張し過ぎていたりする感じではないので、この雰囲気ですと……なにかを提案しようとしている感じですかね?

 もしかして、ひとりさんの方からデートの誘いがあるかもしれません。そうなったら嬉しい……。

 

「あっ、そっ、その……あっ、明日の休日とかって、その、予定が空いてたりしますか?」

「え? ええ、特に予定はありませんが……」

 

 おや? この切り出し方は、もしかすると本当にデートに誘ってもらえるかもしれません。幸い明日も明後日も急ぐ予定はありませんので、泊りがけでも大丈夫ですが……果たして……。

 期待に胸が高鳴るのを感じつつひとりさんの言葉を待っていると、ひとりさんは少し躊躇うような……恥ずかしがる素振りを見せたあとで、意を決するように口を開きました。

 

「わっ、私と一緒に遊園地に行きませんか?」

「遊園地、ですか?」

「あっ、はっ、はい。だっ、駄目でしょうか?」

「いえ! むしろ、喜んで……ただすみません。まさか、ひとりさんが遊園地に誘ってくれるとは予想していなかったので、驚いて言葉に詰まってしまいました」

 

 まさかの遊園地デートのお誘いでした。とんでもない幸福です。以前にも一緒に遊園地には行きましたが、あの時はひとりさんとふたりきりではなく、あくまでSTARRYの慰安の一環でした。ですが、今回の口振りや、STARRYではなくここで切り出したということは、ふたりきりでということ……思わず顔がにやけてしまいそうなほど嬉しいです。

 

 ただ、それはそれとして意外ではあります。ひとりさんも最近はかなり人見知りを克服してきてはいますが、それでも人の多い場所などは敬遠することが多いです。

 そんなひとりさんが休日の遊園地を提案してくるのは、流石に予想外でした。

 

「あっ、えっと、実はその……福引で、チケットが当たって……そっ、その、ペアチケットだったので、有紗ちゃんと行けたらなぁって……」

「そうだったんですね。私としては本当に嬉しいです。ひとりさんとふたりきりで遊園地デートと思うと、いまから気分が高揚します」

「あっ、いや、普通に遊びに行くだけで、デートじゃ――」

「デートです!」

「――あっ、はい。デートです」

 

 遊園地デート、これは大変素晴らしいです。一緒にアトラクションを楽しんだり、園内で食べ歩きを楽しんだり、パレードを見たり……本当に想像するだけで楽しみです。

 

 

****

 

 

 一夜明け、ひとりさんとの遊園地デートの日となりました。偶然ではありますがひとりさんが福引で当てたチケットは、以前STARRYの慰労で行ったよみ瓜ランドでした。

 私もひとりさんも二度目の来園となるためある程度気楽というのはありがたいです。デートを楽しむことに集中できそうです。

 そう思いつつ、ひとりさんと待ち合わせ場所で合流したのですが……驚くべきことに、ひとりさんの服装はいつものジャージ姿ではなく、以前一緒にハイブランドを買いに行った際にジャージとは別で購入していた服でした。

 

「ひとりさん、今日はその服装なんですね」

「あっ、はい。えっ、えっと、せっかく買ったんだし、着ないのも勿体ないですし……そっ、その、変じゃないですか?」

「最高に可愛いですし、とても似合っています! まず根本的にひとりさんはどんな服を着ても似合いますが、質のいい服はそれだけひとりさんの魅力を引き立ててくれると言っても過言ではありません。上品さと愛らしさが一体となったその姿は、まさに美の化身といっていいものであり、ファッション誌などを見ても果たしてこれほどのレベルの美貌を持つ存在が見つかるかどうかというレベルです」

「あっ、かっ、過言です。例によってもの凄く過言……あっ、あと、これ、また心の声が全部表に出てる感じですよね? あっ、あの有紗ちゃん?」

「むしろ一目見て衝動的に抱きしめなかった己の自制心を褒めてあげたいぐらいです。ただ、果たしてこの先耐え忍べるかと言われれば、無理でしょうし……ここは一度抱きしめておきたいところです。ただ、待ち合わせで合流しただけであり、特に抱きしめる理由が無いですし難し……別に理由は必要ないのでは? いえ、むしろ、私がひとりさんを抱きしめたいというのがすでに十分な理由です。そもそもそれ以前に、ひとりさんが可愛いという時点で理由としては完璧に成立している気もします」

「とんでもない理論を展開し始めた!? あっ、有紗ちゃん、落ち着いて、冷静に……あっ、あの、なんで近寄ってきてるんですか……」

 

 顔を赤くして慌てるひとりさんを見て、我に返りました。危ないところでした欲に突き動かされるまま、大きな失態を犯すところでした。

 

「……申し訳ありません、ひとりさん。少し冷静さを失っていたようです」

「あっ、よっ、よかった、冷静になって……」

「事前に断りも入れずに抱きしめようとするなど礼節が欠けていました。というわけで、いまから抱きしめますね」

「全然冷静になってなかった!? あっ、ちょっ……」

「失礼します」

「ひゃぅっ!?」

 

 なにも言わずに抱きしめてしまってはひとりさんも驚いてしまうでしょうし、一言断りを入れるのは大切です。親しき仲にも礼儀ありとはよく言ったものです。

 それはそれとして、これはまた素晴らしい。ジャージの時とは服装が違うからか、抱きしめた感覚もまた少し違うような気がします。

 もちろんそれは優劣があるものではありません。至高と最高のどちらが優れているかを議論する意味など無いように、どちらも違って最高に素晴らしいのです。

 

「有紗ちゃん!? ここ、駅なんですけど!!」

「私は気にしませんが?」

「メンタルつよっ!? いっ、いや、私が気にするんです!」

「む、そう言われてしまうと……名残惜しいですが……」

 

 さすがにひとりさんに嫌な思いをさせてまでハグを続けようとは思いませんので、名残惜しさは感じつつも手を解いてひとりさんから離れます。

 

「こっ、こういうのは、他に人が居ない時にしてください……はっ、恥ずかしいので」

「申し訳ありません。つい、気持ちが抑えられず……うん?」

「うん?」

「ああ、いえ、なんでもありません。改めて出発しましょうか」

「あっ、はい」

 

 気のせいでしょうか? いま、他に人が居なければ抱きしめてもいいと許可が出たような気もします。とりあえず、どこかでふたりきりになれるタイミングがあれば、そこでもう一度断りを入れて抱きしめてみることにしましょう。

 

 

 




時花有紗:ひとりの方から遊園地デートに誘ってくれるという事態に、非常に舞い上がっておりウキウキだし、いつも以上にニコニコしてる。相変わらず、ぼっちちゃん関連でだけは自制が効かない。

後藤ひとり:たまたま福引でペアチケットを当てて、誘う相手は有紗以外に思いつかなかった。遊園地に誘うわ、当日はいつものジャージじゃなくて綺麗な服着ているわと……これでよくただ遊びに行くだけと言えたものである。


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九十四手当選のペアチケット~sideB~

 

 

 9月に入って2週間近く経過し、夏休みの感覚も抜けてきたころ、ひとりは家から少し離れた場所にある店に買い物に来ていた。

 目的はギターヒーローとしての活動で使うパソコンの周辺機器の購入であり、小さなものだったので通販で買うより近場の店で買った方が早いと判断した結果だった。

 

(わっ、私も日々成長してる……この辺はあんまり普段は来ないからちょっとは緊張してるけど……だっ、大丈夫だ。いまはコンビニにひとりで行っても、ほぼ緊張はしないようになるぐらい成長したんだ。買い物ぐらい余裕……余裕……あっ、でも、お願いだから店員さんとか話しかけてこないで……)

 

 ひとりは人見知りでありコミュ症である。ただ、高校に入ってから1年半でかなり改善されており、ひとり自身が考える通り、確かに間違いなく成長している。

 ただそれでも普段行き慣れていない場所に行く際は少しビクビクとしてしまうので、まだ完全に克服したというわけではない様子だった。

 

 とはいえ、買う物自体は最初から分かっていたので特に時間がかかるわけでもなく、問題なく買い物を終え……。

 

「お客様! こちらをどうぞ~」

「ぴぃっ!? はっ、はい。すっ、すみませ……え? あっ、えっと……これは?」

 

 会計が終わった際に店員から不意になにかを渡されて、驚きつつも首を傾げる。渡されたのは「抽選券」と書かれた紙だった。

 

「はい! ただいま、お客様感謝キャンペーン中でして、1万円以上お買い上げのお客様にお渡ししています。一階で抽選会を行っておりますので、よろしければご参加ください」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 

 店員の説明を聞いて納得したひとりは、頷いてその場から離れつつ手に持った抽選券を見る。

 

(……びっ、びっくりした。急に話しかけられるのは本当に心臓に悪い。けど、抽選会……どうせ帰る時に1階は通るし、せっかくだから……まっ、まぁ、当たるようなものじゃないけど……)

 

 せっかくもらったのだからと帰る際に1階の抽選会場にやってきた。景品の書かれたボードを見てみると、特賞の大型液晶テレビなどを始めとして豪華な景品が並んでいた。

 そこまで並んでいる人は多くなかったので、すぐにひとりの順番はやってきて、ひとりは明るい雰囲気の抽選会に気圧されつつガラポンを回す。

 

「……あっ、え? 銀色の玉?」

「おめでとうございます!!」

「ひぃっ!? あっ、え? えっと……」

「2等賞! よみ瓜ランドペアチケット当選です!!」

 

 まさか当たるとは予想だにしておらず、鳴り響くハンドベルの音に怯え、勢いよく声をかけてくる店員にビクビクして、思わず一歩後ずさる。

 そのまま戸惑うひとりに景品のチケットが渡されたが、ひとりはあまりの急展開に思考が追い付かず、無言で受け取って一礼してその場を早足で去った。とにかく注目を集めている状況から抜け出したい気持ちで一杯であり、急いで電気屋を出てある程度歩いてからようやく落ち着いたのか、手に持ったペアチケットの入った封筒を見る。

 

(……あっ、当たった? しかも2等!? すっ、凄いけど……どうせ当たるなら液晶テレビとかゲーム機の方が……陰キャに遊園地のペアチケットなんて渡されても……ペアチケット……ペア……)

 

 その時ひとりの頭に思い浮かんだのは、微笑みを浮かべている有紗だった。やはりひとりにとって、ペアと言って一番初めに思い浮かぶ相手は有紗であり、頭の中ではすでに有紗と一緒に遊園地に行くことを考え始めていた。

 

(……有紗ちゃんと一緒に遊園地は、楽しそう。まっ、前にも遊園地にはいったけど、有紗ちゃんとふたりで行ったわけじゃなかったし……ふたりで行けば、きっと楽しいと思うし……いっ、いつも有紗ちゃんにお世話になってるし、こういう時ぐらい私が……)

 

 以前に結束バンドの面々と大人3人で遊園地に行ったことはあるが、その際には有紗とふたりで遊ぶ時間はそれほど多くは無かった。もちろん皆でワイワイ遊ぶのも楽しかったが、気心知れた有紗とふたりであれば間違いなく楽しく過ごせるという確信があったので、この時点でひとりの気持ちとしては有紗と一緒に遊園地に行きたいという方向に傾いていた。

 ただひとつ、誘うのがなんとも気恥ずかしいという点だけが問題ではあったが……。

 

 

****

 

 

 家に戻り、自室でペアチケットを見つめながらどうやって有紗を誘おうかと考えていると、不意に声をかけられた。

 

「ひとり、なにを見てるんだい?」

「あっ、お父さん……いや、さっき買い物の福引で遊園地のチケットが当たって……」

「おぉ、凄いじゃないか! へ~よみ瓜ランドのペアチケットか、夏休みも明けたばっかりだし、シルバーウィーク前だしで、いまのタイミングなら土日も少しは空いてていいかもしれないな。有紗ちゃんと一緒に行くんだろ?」

「うん、そのつもり……」

 

 父である直樹の言葉に、ひとりは特に否定することもなく頷いた。ひとりと有紗の仲の良さは後藤家では周知の事実ではあるし、この状況でひとりが誰を誘うかなどはわざわざ考える必要も無いものだった。

 

「いや~しかし、あのひとりが友達と遊園地に行くようになるなんて……感動だなぁ」

「おっ、大袈裟な……」

「ああ、そういえば全然話は変わるけど、ひとりも高校2年生だしそろそろ進路調査とかあるんじゃないか?」

「え? そうなの?」

「学校によるけど、お父さんが高校に行ってた時は2年の年末ぐらいにあった気がするな。まぁ、2年生の時の進路調査は軽いもので、紙に書いて出すだけで未定とかでもOKだったけどね」

「へぇ……進路か……」

 

 直樹の言葉を聞いて、ひとりはぼんやりと呟くように返す。進路に関してはあまり考えたことが無かったからだ。漠然と将来メジャーデビューして、売れっ子になりたいという夢はあるが、本当に漠然としたものである。

 

「ちなみにひとりは、高校卒業したらどうしたいとかって考えてたりするのか?」

「う~ん。前までは学力的に進学は絶対無理だから、選択肢はほぼ無いようなものだったんだけど……」

「そうだなぁ、いまはそれこそレベルの高いところじゃなければ普通に大学も入れそうな感じではあるよな」

 

 呟くように告げるひとりの言葉を聞いて直樹は苦笑を浮かべる。実際中学時代までのことを考えると、そもそも高校に合格したのも定員割れのおかげであり、大学は確実に無理だろうとひとりだけでなく家族全員が思っていた。

 しかし、いまは有紗が度々勉強を教えてくれているおかげもあって、ひとりの学力や成績は中の上程度には上がっており、そこそこの大学であれば十分合格を狙えるぐらいにはなっている。

 

「まぁ、難しく考えなくてもひとりの好きな進路を選べばいいさ。大学に進学してもいいし、バンド活動に集中してもいいし、卒業と同時に有紗ちゃんと結婚してもいいし……」

「最後のは関係ないでしょ!? なっ、なな、なんでそんな話に!! とっ、というか、そういうのって普通は親は反対したりするもんなんじゃ……」

「うん? 反対? ……反対する要素、無くないか?」

 

 明らかに焦った様子で、それでもやはりどこか意識しているのか顔を赤くしながら叫ぶひとりを見て、直樹はなんとも楽しそうに苦笑を浮かべた。娘とこういうやりとりをするのが楽しくてたまらないといった感じである。

 

「いや、もちろんひとりが不幸になるような相手だったら、父親として断固反対するけど有紗ちゃん相手ならその心配は無いしね。いや、最初はもちろん驚いたよ。なにせ、初対面からお義父様って呼ばれてたしね」

「あっ、あはは……そういえば、そうだった。いまはもうすっかり馴染んじゃったけど、そういえば最初はそんな感じだったっけ」

 

 初めて有紗が家に来た時のことを思い出して、ひとりは思わず苦笑を浮かべた。そういえば最初は美人局ではないかとか、そんな風に怯えていたこともあったなぁと懐かしむように……。

 

「……けど、有紗ちゃんと仲良くなって、ひとりはどんどんいい変化をしていったと思う。なにより楽しそうに笑ってることが増えたしね。もちろんすべてが有紗ちゃんのおかげでは無くて、ひとりが頑張ったからって部分もあるだろうけど、やっぱり有紗ちゃんの影響は大きいなって思うよ」

「そっ、それはまぁ、その通り……」

 

 実際有紗と友達になってから、ひとりの変化は著しかった。およそ一月後には念願だったバンドにも所属し、どんどん交友を広げていったし、明るい表情を浮かべることも多くなった。

 少なくとも、中学時代に浮かべていたような寂しげな表情はほとんど見なくなり、いまを楽しく幸せだと思っているのが分かる顔をするようになった。そんな風にひとりを変えてくれた有紗には、直樹も心から感謝していた。

 

「だから、お父さんとしては有紗ちゃんが相手ならなんの文句も無いよ。それに、そういうのを抜きにしても、有紗ちゃん以上の相手ってそうそういないと思うぞ。顔も性格もよくて、お金持ちで頭もいいし、ひとりのことを大切に思ってくれて……正直欠点無くないか?」

「……うっ、うん。まっ、まぁ、それに関しても異論はないよ。有紗ちゃんは本当に凄くて、可愛くてカッコいいし、いつも優しくて温かいし、私のこと大切に思ってくれてるのが伝わってきてくすぐったいけど嬉しいし、一緒にいるとすごく楽しいし……音楽のこととかで話すのも、セッションするのも楽しくて……」

 

 有紗への好意が隠し切れないといった感じで、饒舌に語るひとりを見て直樹はなんとも微笑まし気な表情を浮かべる。

 そしてひとりがある程度話したタイミングで、しみじみとした様子で口を開いた。

 

「……そうか、ひとり……幸せになるんだぞ」

「うん……うん? 待って、お父さん!? 話が変!! なんか、有紗ちゃんと結婚する前提で話が進んでるんだけど!! 私と有紗ちゃんはいまはまだ、普通の友達であって……」

「へ~いまはまだか~」

「~~~~!?!?!? おっ、お父さんの馬鹿!!」

 

 その後直樹は、顔を真っ赤にしたひとりによって部屋から追い出されることになるのだが、終始楽し気な表情を浮かべたままだった。

 

 

 




時花有紗:容姿◎、性格◎、能力◎、財力◎……実際問題、純粋なスペックだけを考えても有紗を超える結婚相手は、まず見つからないと言っていいほどの優良物件である。

後藤ひとり:もう全く有紗への好意を隠せてないというか、少なくとも家族にはバレバレの模様。遊園地のペアチケットが当たって即、頭に思い浮かべているのが有紗な時点で完全にLOVEである。


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九十五手遊戯のアトラクション~sideA~

 

 

 待ち合わせの駅で、可愛らしい私服に身を包んだひとりさんを抱きしめたあとは、名残惜しかったですが早めに体を離しました。本当に名残惜しいですが……。

 ひとりさんの現在の格好は、白い袖がふっくらとしたバルーンスリーブのシャツに、藍色のズボンを履いており、コーデ自体はシンプルですがだからこそひとりさんの素材の良さをグッと引き立てていました。

 特にバルーンスリーブの上着が可愛らしいですね。七分袖の白い上着の膨らみがなんとも愛らしいです。

 

「改めて、今日はよろしくお願いしますね」

「あっ、はい。こちらこそ……えっ、えっと、ここからバスでしたっけ?」

「以前は人数も多かったのでバスで行きましたが、今回はゴンドラで行きませんか?」

「ゴンドラ……あっ、アレですね」

 

 現在の駅から遊園地であるよみ瓜ランドを繋ぐゴンドラがあり、よみ瓜ランドのキャッチコピーのひとつである「空からいけちゃう遊園地」はこのゴンドラがあるからだと言われています。

 

「ええ、10分から15分で遊園地に着くみたいですし、景色もいいのでそちらで行きましょう」

「わっ、分かりました。あっ、でも、チケットとか居るんじゃ……」

「既に買ってあります」

「さっ、流石有紗ちゃん、行動が早い」

 

 元々今回はゴンドラでいくつもりだったので、先に駅に来て購入しておきました。ゴンドラで隣同士に座って、いい景色を眺めながら遊園地に向かう。とても素晴らしいです。

 

 そんなわけでひとりさんと手を繋いでゴンドラ乗り場に向かって、ゴンドラに乗って並び合う形で座ります。ゴンドラからの景色は非常に綺麗で、緑が多く美しいです。

 

「綺麗ですね」

「あっ、はい。なんか、こうしてゴンドラで景色を眺めながら移動してると、ワクワクしてきますね」

「ふふ、そうですね。いまから遊園地が楽しみです。最初はせっかくですし、カチューシャを買いに行って、一緒に付けませんか?」

「あっ、なっ、なんか陽キャっぽい感じですね。やっ、やりましょう!」

 

 やはり遊園地デートといえば、お揃いのカチューシャというイメージがあります。だいたい出入り口付近に土産物などを取り扱う店はあるので、そこで購入してアトラクションを楽しむ形ですね。

 以前に行った際には乗らなかったアトラクションなどにも乗ってみたいです。特に2人乗りゴーカートなどのふたりで楽しめるタイプのアトラクションは抑えておきたいところです。

 

「ひとりさんは、どこか行ってみたいアトラクションなどはありますか?」

「あっ、えっと、前にあまり行かなかった……もの作りエリアとかですかね?」

「大手の企業とのコラボが多いエリアですね。もの作り体験が出来たり、いろいろ独自なものもあって面白そうですね」

「あっ、はい。あと、屋内アトラクションが多いので……絶叫系とかが無いのが、ありがたいです」

 

 以前来た際は5人で周ったこともあって、大人数で楽しめるアトラクションを中心に周りましたし、やはり遊園地の定番となる様なアトラクションを周りました。

 あと喜多さんができるだけ多くのアトラクションを周ることを希望していたこともあって、体験エリアのような比較的ひとつのアトラクションの時間が長いものは避けていた印象です。

 

「あっ、有紗ちゃんはどこか行ってみたいところはありますか?」

「ふたり乗りのゴーカートなどに乗ってみたいですね。全長1000mを超えるコースをゆっくりと周るみたいです」

「あっ、楽しそうですね。あんまり怖くなさそうですし……」

「今日は私とひとりさんふたりですし、絶叫マシンなどには乗らずにのんびりと楽しめるものを中心に周りましょう」

「あっ、はい! 私もその方が嬉しいです」

 

 ひとりさんは絶叫マシンが苦手なので、もちろんそういったものに乗るつもりはありません。ゴーカートやメリーゴーランド、コーヒーカップといったタイプのアトラクションを中心に周ろうと考えています。

 ただ最後にはやはり、観覧車に乗りたいところですね。

 

 

****

 

 

 遊園地に辿り着き入園の手続きをして園内に入りました。やはり休日だけあってそれなりに人は多いですが、前回来た時よりは空いている印象なので、これならアトラクションなども長時間待つようなことは少なそうです。

 最初はゴンドラの中で話していた通り、お揃いのカチューシャを購入することにしました。よみ瓜ランドのキャラクターを模したカチューシャ……。

 

「こっ、こんな感じですかね?」

「か、可愛いです! ただでさえ可愛いひとりさんが、可愛らしいカチューシャを着けると相乗効果が凄いですね!」

「いっ、いや、むしろ有紗ちゃんの方が凄く可愛くて、同じものを着けてるとは思えないぐらいです」

 

 互いにカチューシャを着けた姿を褒め合って笑い合い。改めて手を繋いで園内を歩き始めます。最初はひとりさんが言っていたもの作り体験のできるエリアに向かうことにしました。丁度出入り口から近い場所にあるエリアなので向かいやすいです。

 

「あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい?」

「なっ、なんで、この手の繋ぎ方なんでしょうか?」

「デートなので」

「……あっ、駄目だこれ、この一言で全部押し切るつもりの顔してる」

 

 ひとりさんとは手を繋いで歩いているわけですが、もちろんそこは恋人繋ぎです。いえ、まぁ、そういう通称があるだけであって恋人でなければこの手の繋ぎ方をしてはいけないというわけではありませんので、まったく問題は無いです。

 

「いえ、むしろある程度自重している方といいますか……」

「あえ? 自重? どっ、どの辺りが?」

「肩を抱いたり、腕を組んだりではない辺りですかね」

「…………なるほど?」

 

 ひとりさんは、どことなく諦めたような表情で少しの沈黙の後で頷きました。とりあえず恋人繋ぎに関しては変える必要はないといった感じなので、このままで行くことにしましょう。まぁ、アトラクションなどで遊ぶ際には、手を離すのであくまで移動中だけですが……。

 

 そうこうしているうちに最初のアトラクションに辿り着きました。そこは栄養ドリンクが有名な大手の製薬会社とコラボしているアトラクションで、錠剤を選んで薬作り……という体でアトラクションを楽しむことができます。

 さっそく中に入って、ひとりさんと一緒に薬作り風のアトラクションを進めていきます。

 

「あっ、えっと、次はこのレバーを……」

「はい。一緒に下ろせば完了ですね」

 

 とはいえ、小さな子供でも楽しむことができるように作られているアトラクションですので、特に難しい工程などは無く、サクサクと進めることができました。

 基本的には数種類ある味からラムネを選んで打錠機という機械を模したアトラクションで、画面の指示に従ってレバーを上げ下げ、その後にラムネにプリントする絵柄を選んでラムネが完成します。

 そして代表的な栄養ドリンクのラベルに似たデザインの容器に、作ったラムネを入れて完成となります。あとは、容器をデコレーションしたりできるコーナーがあるので、そこで容器をデコレーションして持ち帰る形です。

 

 ひとりさんと一緒に用意されているシールなどを使って容器をデコレーションしてアトラクションは終了となり、外に出て明るい場所で作ったラムネの入った容器を見ます。

 

「あっ、結構可愛い感じですね。サイズ大きいですけど……」

「直径5㎝とのことですから、なかなかボリュームがありますね」

 

 アトラクションで作るラムネは2個で1セットとなっており、ひとつは必ず栄養ドリンク風味で、もうひとつはフルーツ系の味から選ぶ形になっていました。

 そしてひとつのラムネは直径5㎝ほどあるので、実際に見てみるとかなり大きい印象です。容器のデザインや、首から掛けられる構造なのを考えると、サイズはオリンピックのメダルをイメージしているのかもしれません。

 

 ラムネの容器を鞄にしまって、次にひとりさんと一緒にやってきたのは電動のふたり乗りゴーカートで遊べるアトラクションでした。

 全長で1kmほどのコースを電動ゴーカートで周る形になっていて、途中にチェックポイントというかマークのようなものがあり、その上を上手く通過できれば特典が加算されていく形式とのことです。

 難しいコースと易しいコースがあるみたいで、時期によっては難しいコースで高得点を取ると景品がもらえたりするみたいですが、いまの時期は特にそういったキャンペーンはやっていないようでした。

 

「……あっ、えっと、私が運転でいいんですかね?」

「ええ、私は助手席で……ひとりさんのドライビングテクニックに期待ですね」

「えっ、えぇ……ぷっ、プレッシャーが……」

「まぁ、特に得点を競ったりする必要も無いので、ゆっくり景色を楽しみながら行きましょう」

 

 全長1kmのコースは少し高い位置になっており、ぐるりと周る間に園内の景色を楽しめるようになっています。

 ひとりさんの運転で出発して、ゴーカートはゆるやかに進んでいきます。あまり大きなサイズではないので、隣り合うと軽く肩が触れるのがいいですね。

 

「あ、ひとりさん上手いですね。いまのところチェックポイントは綺麗に通過できてますね」

「あっ、えへへ、けっ、結構いい感じで行けてますよね? もしかして、運転の才能が有ったり……なんて」

「そうかもしれませんね。18歳になれば免許が取れますよ?」

「……あっ、いや、本物の車は怖いので……」

 

 コース上にあるマークを、ひとりさんはかなり上手く周っており、ここまでは満点を取れていました。距離感を掴んだりするのが上手いのかもしれませんね。

 

「……あっ、あのチェックポイントは、難しそうな……こっ、この角度でいいんですかね?」

「そうですね。もう少しこう、ほんの少しだけ右に……」

「こっ、こんな感じで……あっ、いけまし――顔近っ!?」

 

 助手席に座ったままでは上手く見えなかったので、ひとりさんの肩に顔を乗せるようにして指示を出しました。なので、いま私はひとりさんの肩に寄り掛かっている状態ですね。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? もうチェックポイントは通過したんですけど……」

「そうですね」

「あっ、離れる気ないやつだこれ……」

「こうしていると幸せなので……駄目ですか?」

「うっ、そっ、そんな顔されると……べっ、別にいいですけど……」

「ありがとうございます!」

 

 実際の車であれば運転中の方にもたれ掛かったりは危険ですが、ゆっくり走るゴーカートなら問題はありませんので、しばしこの密着を楽しんでおくことにしましょう。

 しかし何というか、運転しているひとりさんの横顔はカッコよくて素敵ですね。

 

 

 




時花有紗:ひとりとのデートを満喫中。大体のことは勢いで押し通すスタイルは流石猛将である。

後藤ひとり:なんだかんだで、恋人繋ぎもOKだし、肩にもたれ掛かるのもOKと……もう実質恋人だろこれ状態。


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九十五手遊戯のアトラクション~sideB~

 

 

 ひとりと有紗のふたりは、ゴーカートを乗り終えたあともいくつかのアトラクションを楽しみつつ、遊園地を周っていた。その最中にひとりがふと、ある店を発見する。

 

「あっ、有紗ちゃん。チュロスです。チュロスが売ってます」

「遊園地の定番ですね。せっかくですし、買って行きましょうか?」

「あっ、そうですね。小腹も空きましたし、丁度いいですね」

 

 たまたま見つけた屋台でチュロスを購入し、片手を繋いだまま食べ歩きを行う。それぞれプレーンとチョコレートの味を選び、時折食べさせ合いながら歩く姿は非常に仲睦まじいものだった。

 そんな風にチュロスを楽しんでいると、ふとひとりが不思議そうに首を傾げながら口を開いた。

 

「あっ、そういえば、チュロスってなんで遊園地とかだと定番なんですかね?」

「単純に安価で食べ歩きにむいた形状だからだと思いますよ」

「なっ、なるほど、ちなみにチュロスってどこのお菓子なんですか?」

「発祥はスペインやポルトガルという説が有力ですね。ただ、諸説あって中国やアラブが発祥という説もあるので、難しいところですが……一般的にはスペインのお菓子と認識しておいて問題ないと思います」

「あっ、スペインなんですね」

 

 博識な有紗の説明に感心したように頷きつつ、ひとりは手に持っていたチュロスを食べ終えて視線を動かす。

 

「あっ、この辺は前にも来たエリアですね。射的とかがあった覚えがあります」

「ここは比較的体験型のアトラクションが多い気がしますね」

「あっ、ですね。パンフレットにもいろいろ……あっ、これって……」

「ヒーロートレーニングセンターですか?」

 

 ひとりがパンフレットを見て興味をもったアトラクションは、ヒーロートレーニングという体験型のアトラクションだった。ひとりもギターヒーローというアカウントで活動しているからシンパシーを覚えたのかもしれない。

 

「せっかくですし行ってみますか? ただ、これはおそらく体を動かす類のアトラクションだと思いますが……」

「あっ、でっ、でも、3歳以上から挑戦できるみたいですし、2人でチャレンジもできるみたいなので、よっ、余裕ですよ」

「ふむ……では、せっかくですし行ってみましょうか」

 

 有紗はなんとなくひとりが楽観視していることを感じつつも、あくまでアトラクションなので気軽に楽しめばいいと、特に指摘することもなく頷いて一緒にヒーロートレーニングに向かった。

 そのアトラクションでは、8つのトレーニングを順にこなしていくようで、ひとりのいった通りふたりで挑戦することもできるみたいだった。

 

 そして入った最初のアトラクションは、スピードトレーニング。壁にたくさんのボタンが取り付けられており、光ったボタンを素早く押し、制限時間30秒以内にノルマの回数分ボタンを押せばクリアというシンプルなものだった。

 残った秒数は後のアトラクションに持ち越せるため、早くクリアすればするだけ有利になる。そのアトラクションに意気揚々と挑み……。

 

「……はぁ……はぁ……いっ、イキってすみません……」

「大丈夫ですか? まず落ち着いて息を整えてくださいね」

 

 有紗は余裕そうだったが、ひとりは早々に己の認識の甘さを呪っていた。思ったよりノルマがシビアで、仮にひとりが単独で挑戦したとしたらクリアはできなかったと思えるほどだった。失敗しても次には進めるのだが、全てのトレーニングをクリアしないと完全クリアとはならない。

 なお、今回に関して言えば、有紗の身体能力が圧倒的でひとりの運動音痴をカバーしても余りあるほどだったため、問題なくクリアできている。

 

 続けて2つ目のトレーニングはカンサツトレーニング。部屋の中央に立って8方向から、8種類の動物の鳴き声が一斉に聞こえてきて、モニターに指定された3匹の動物がどの方向のモニターであるかを当てるゲームだった。

 普通に挑戦すれば8方向の聞き分けというのは極めて難しいのだが、有紗が非常に耳がよく容易く聞き分けてしまったので、まったく苦戦することなくかなり時間に余裕を残してクリアできた。

 

「次が3つ目ですね……おや? これは……」

「あっ、完全に体動かすやつ……どっ、どう見てもあのサンドバック殴るんですよね?」

 

 3つ目のトレーニングはアタックトレーニング。サンドバックを殴りながら足元の床を足踏みし、パンチと足踏みでカウントを稼ぐアトラクションだった。

 なおパンチは一定以下の力ではカウントされないようで、例によってひとりは大苦戦していたが、有紗が圧倒的なスピードでカウントを稼いでこちらもある程度の時間を残してクリアとなった。

 

「……はひ……あひ……あっ、足手まといですみません」

「そんなことないですよ。ひとりさんもちゃんとカウントを稼いでいましたし、ふたりで協力し合った結果ですよ。さっ、次に行きましょう」

「……あっ、あと、5個も……ひぃぃ」

 

 続けて辿り着いた4つ目のトレーニングはブレイントレーニング、コンピューターが設定した3桁の数字を当てるというもので、いくつかのヒントを元にその数字を当てるゲームだ。

 制限時間はここまでの3つのアトラクションの残り秒数+30秒であり、このステージをクリアできないと次に進めずゲームオーバーとなるようだった。

 

(あっ、つまりここで失敗すればもう外に出れ……だっ、駄目だ! 有紗ちゃんが頑張ってくれてるんだから……ちゃんとクリアしないと……)

 

 一瞬、ワザと失敗してリタイアしようと考えたひとりだったが、すぐにその考えを首を振って引っ込め、問題に挑戦する。

 有紗からのアドバイスを貰いつつも、しっかりひとりが考え……見事正解して、後半ステージに進むことができた。

 

 たどり着いた5つ目のトレーニングはアイアンハートトレーニング、椅子に座って30秒間動かなければクリアというものであり、驚かすための仕掛けがいくつも隠されている耐久型のアトラクションである。

 ここの制限時間は特殊で、クリアできれば30秒追加で最終トレーニングに持ち越せる仕様となっている。

 

「あっ、これは、大丈夫です」

「おそらくいくつか、驚かすような仕掛けがあると思いますよ。スピーカーのようなものも見えますし……」

「あっ、外部の情報をシャットアウトして、閉じこもっているのは得意なので……」

 

 中学時代や高校で友達ができるまでの間は、休み時間も己の席で気配を完全に断っていたひとりにとって、動かないというのは非常に楽なアトラクションだった。

 外界の情報を全てシャットアウトして己の殻に閉じこもれば、叫び声やエアー噴出などにもまったく微動だにせず虚無の表情を貫いており……結果としてひとりは、余裕で30秒を耐えきった。

 

 続けて6つ目のトレーニングはコード記憶トレーニング。8桁の数字を覚えて入力するというものだが、これは有紗が得意とする内容であるため、まったく苦戦することなく一瞬でクリアできたため、5つ目と合わせてかなりの時間を持ち越せていた。

 

 そしてここまでの時間を使って、7つ目のアジト潜入トレーニングに挑むことになる。内容自体はシンプルで障害物のあるアトラクションを進み、「誰かいるのか?」という機械音声が聞こえたら、瞬時に物陰に隠れなければ失敗。

 部屋の中の3つのボタンを押し切ればクリアというものだった。「誰かいるのか?」というセンサー判定のタイミングはランダムであり、欲をかいて進み過ぎていると周囲に障害物の無い場所で判定を喰らって失敗となってしまう。

 

 ここをクリアできれば最終ステージに進み、失敗するとゲームオーバーとなる。

 

「あっ、えっと、慎重に――」

『誰かいるのか?』

「ひとりさん!」

「ひゃぅっ!?」

 

 完全に反応が遅れていたひとりだったが、有紗が素早くひとりを抱き寄せて物陰に隠れたためなんとか判定に引っかかることは無かった。

 もっとも、いきなり抱き寄せられて胸に抱かれる形になったひとりの動揺はすさまじかったが……。

 

(あっ、あれ? なっ、なんで私、有紗ちゃんに抱きしめられてるの? あっ、有紗ちゃんの真面目な顔……カッコいい……じゃなくて、あっ、えっと、動かないと……)

 

 動揺で混乱しており、完全に冷静さを欠いていたひとりだったが、有紗がフッと微笑みを浮かべて軽くひとりの頭を撫でて告げる。

 

「ひとりさん、大丈夫です。私にしっかり掴まって、ついてきてください……必ずクリアして見せます」

「あっ、はぃ……」

 

 キリッとした表情で告げる有紗は頼りがいがあり、どこか凛々しさも感じ……ひとりは己の胸が大きく脈打ち顔に血が集まっていくのを感じた。

 ひとりはとにかく凛々しい有紗に弱いところがあり、真っ赤に頬を染めながら潤んだ目で有紗を見ていた。幸いだったのは、潜入をテーマにしたアトラクションで、室内がやや暗めで赤い顔に気付かれにくいことだろうか……。

 

(うぅぅ、あっ、有紗ちゃんがカッコよすぎてズルい。こっ、こんなのドキドキしちゃうに決まってるし……うぅ、有紗ちゃんのこういう頼りがいのあるとこ好きだし……かっ、顔熱い……)

 

 どこか熱にうなされるような感覚ながら、それでも従順に有紗の指示に従って進んだ結果、無事に7つ目のトレーニングをクリアして最後のステージに進むことができた。

 

 最後のジャッジメントトレーニングは簡単ながら少し頭を使うゲームであり、若干苦戦はしたが有紗と協力して無事にクリアすることができた。

 

「あっ、かっ、完全クリアですね」

「ええ、やりましたね。私とひとりさんのコンビネーションの賜物ですね」

「あっ、いっ、いや、有紗ちゃんがいてくれたおかげです。私ひとりだと絶対無理でした……あっ、やっ、やっぱり、有紗ちゃんは頼りになって……かっ、カッコよかったです」

「ふふ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、嬉しいです。でも、ひとりさんもしっかり頑張ってましたし、4つ目の問題を解く際などは素敵でしたよ」

「あっ、えへへ……そっ、そう言われると照れちゃいます」

 

 有紗に褒められたのが嬉しかったのはひとりは顔を綻ばせ、それを見た有紗も楽しそうに笑う。その後はふたりで結果の書かれた紙を受け取って、アトラクションを後にした。

 

 

 




時花有紗:スペックが超人なので、単独でも余裕で完全クリアできた。なんなら、ひとりのフォローをしながら完全クリアして見せた。

後藤ひとり:カッコいい有紗ちゃんに割とメロメロになってた。いちおういくつかのトレーニングで活躍はあった。単独だと最初のトレーニングで体力の限界を迎えていた可能性が高い。

ヒーロートレーニング:実際によみうりランドにあるアトラクション。最終ステージは公式でも内緒になっているので、内緒。少し頭を使うゲーム……リニューアルされていて、リニューアル前は最終ステージはもっと難しかったとか? 正直2つ目の聞き分けが一番難しいと思う。


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九十六手親密の遊園地デート~sideA~

 

 

 ひとりさんとの遊園地デート、ヒーロートレーニングを行ったあとは、お昼時といっていい時間になっていました。丁度体を動かすアトラクションを楽しんだあとですし、タイミング的にもいいかもしれません。

 

「ひとりさん、お昼時ですし昼食にしませんか?」

「あっ、はい。さっき体を動かして、お腹も空きましたし丁度いいです」

「どこに行きましょうか? 前は、レストランに行きましたよね」

「あっ、えっと、今回は前回とは違うところに行ってみたいですね」

「なるほど……では、フードコートなどがいいかもしれませんね。出店形式の店が多くて、いろいろなB級グルメが楽しめるみたいですよ」

「あっ、いいですね。フライドポテトとかあったら、食べたいです」

 

 軽く相談してフードコートに向かうことに決定しました。幸い今いる場所からそれほど遠くはないので、さほど時間はかからず移動することができました。

 フードコートにはいろいろな店があり、ひとりさんが希望していたフライドポテトだけでなく、唐揚げや焼きそばなどもあり、お祭り気分で楽しめそうな雰囲気でした。

 

「あっ、美味しそうなのが多いですね。けっ、結構迷うかもしれません」

「ふたりで分けて食べればいろいろな種類を食べられますので、一緒に食べる前提で何種類か買ってみましょう」

「あっ、はい」

 

 いくつかの食べ物を購入して、ひとりさんと一緒にフードコートのすぐ近くにあった飲食スペースの席に座ります。お昼時だけあって、周りにはそれなりに人は居ましたが、混雑しているというほどではありません。

 とりあえず、そのままひとりさんと一緒に昼食をと思ったタイミングで、少し離れた場所に座るカップルの姿が目に留まりました。

 

「はい、あ~ん」

「あ~ん」

 

 仲睦まじく、料理を食べさせているその姿を見て、私は衝撃を受けました。それは何故か? 己の大きな失態を悟ってしまったからです。

 

「……な、なんということですか……」

「あっ、有紗ちゃん? どうしました?」

「ひとりさん、私はいままで大きな過ちを犯していたかもしれません。とてもショックです……己の浅はかさが恨めしいです」

「……あっ、えっと、私も有紗ちゃんのことをよく知ってるからこそ分かるんですけど……これたぶん、もの凄くどうでもいい感じのことを悔やんでる顔だと……あっ、でっ、でも、いちおう聞きますね。どんな過ちを犯してたんですか?」

「いままで、私は結果が同じであれば過程は多少省略したところで問題ないだろうと、浅はかな考えをよしとしてきました。ですが、それは大きな過ちでした。その私が省略してたひとつの行程にこそ、重要な要素が含まれていたのです!」

「……うっ、うん?」

 

 不思議そうに首を傾げるひとりさんの前で、私はグッと拳を握ります。気付くのがあまりにも遅すぎました。いままで一体どれだけの損失を出していたか、考えるのも嫌になります。

 しかし、過去を悔やんでいても始まりません。目を向けるべきは未来です。いま得た知見をもとに、今後の改善を行うことこそが重要なのです。

 

「ひとりさん、私は発声による効果を甘く見ていました。ですが、過去を悔いるのはやめにします! 失敗は恥ずべきですが、そこから学び改善することで同じ失敗を繰り返さない様にしてみせます」

「……あっ、はい。えっ、えっと、頑張ってください……そっ、それで、発声?」

「はい。幸いにして学んだことを活かせる場面です。というわけで、ひとりさん……はい、あ~ん」

「はっ、発声ってそのことですか!?」

 

 そう、私が犯した過ちとはいままでひとりさんと料理を食べさせ合う際に「あ~ん」という発声を行っていなかったことです。正直言って軽視していました。ひとりさんと食べさせ合う行為が重要なのであって、発声は絶対必須というわけではないと……浅はかでした。

 甘い声で「あ~ん」と告げ、ひとりさんも「あ~ん」と返して食べてくれる。この言葉のキャッチボールにこそ、幸福度を高める要因が隠れていたのです。

 

「というわけで、食べさせ合う際に互いに発声を行うことで、より美味しく幸福に感じるはずです!」

「……あっ、えっと、互いにって……あっ、あの……」

「ひとりさん、あ~ん」

「……あっ、えと……あっ、あ~ん」

 

 戸惑った表情を浮かべていたひとりさんでしたが、私がフライドポテトを手に持って差し出すと、少しして諦めたような表情を浮かべ赤い顔で口を開けて食べてくれました。

 ひとりさんに食べさせるという行為自体はいままでも何度もしてきたはずなのに、こうして発声を行うことで……なんというか、恋人らしさが増したような雰囲気です。

 いえ、まぁ、いまは恋人ではないのですが、将来は夫婦なので実質婚約者兼恋人のようなものですし、問題はありません。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん? こっ、これ、もしかして私も同じように……」

「無理にとは言いませんが、そうしてくれると……嬉しいです!」

「あっ、ふっ、普段カッコよくて頼りになるのに、こういう時可愛いのはズルいです……ほっ、本当に、そんな期待の籠った楽しそうな顔されると……うぅ……あっ、ああ、有紗ちゃん。はっ、はい……あっ、あ~ん」

「あ~ん」

 

 ひとりさんも私を真似して、やや恥ずかしがりつつも甘い声で「あ~ん」と言いながら料理を差し出してくれたので、それを頂きます。

 普通に食べる際もそうですが、いままで食べさせ合っていた時よりもさらに美味しく感じられる気がします。

 

「やはり、間違いではありませんでしたね。美味しさも幸福度も3割ほど増したような気分です!」

「はっ、恥ずかしさも3割ぐらい増しましたけどね!? えっ、とっ、というか……他のも同じように食べさせ合うんですか?」

「……私は、ひとりさんと恋人みたいなことをしたいのです!」

「なっ、なんて澄んだ目で欲望全開の台詞を……」

 

 もちろん現時点では私とひとりさんはあくまで仲のいい友人です。私の認識としては、限りなく恋人に近い位置ではあるのですが、それでもまだあくまで友達です。

 ですが、友達同士が恋人っぽいことをしてはいけないという決まりがあるわけではありません。

 

「ひとりさん、私は思うのです。必ずしも恋人同士になってからでなければ、恋人っぽいことをしてはいけないというわけではないはずです」

「あっ、えっ、えっと、それはまぁ……そうですね」

「もちろんいまの私たちはあくまで友人であり、恋人同士というわけではありません。ですが、私はひとりさんが大好きなんです! なので、恋人っぽいこともしたいんです……いえ、それでは受け身ですね。もちろん節度は守る必要があるので、なんでもかんでもというわけではありませんが、せっかくのデートなので状況によっては恋人っぽいことを実行していきます!」

「猛将スイッチ入っちゃったぁぁぁぁ!?」

 

 幸福は待つだけでは掴みとれません。己で動かなくては……幸いにもひとりさんとふたりで遊園地デート中というシチュエーションです。友達同士が行ってもおかしくは無く、それでいて恋人っぽい行動というのも可能なはずです。

 

「あ、もちろんちゃんと考えてやりますよ。ひとりさんが嫌がるようなことはしないつもりです」

「うっ、まっ、まぁ、そこは信頼していますけど……」

「というわけで、引き続きこの食べさせ合いをしたいのですが……駄目、ですか?」

「だっ、だからその甘えるような顔は反則です。じっ、自分の顔面戦闘力の高さを自覚してください……もっ、もぅ、本当に有紗ちゃんはもう……わっ、私が気絶したりしないように……おっ、お手柔らかにお願いします」

「はい!」

「うっ、嬉しそう……本当に、その顔は可愛くてズルいです」

 

 なんだかんだでひとりさんは私の要望を了承してくれて、しばらく私たちは互いに「あ~ん」と言いながら、交互に料理を食べさせ合いました。

 屋台で買うB級グルメが中心というのも素晴らしく、フライドポテトなど手で摘まんで食べるので、それを食べさせ合うということは、箸などを用いるよりも距離が近くなるのも非常にプラス要素です。

 

「あっ、とっ、ところで有紗ちゃん……こっ、これ、結構注目集めてませんか? こっ、怖くて周囲を確認できないんですが、視線を感じます」

「大丈夫です。私の目には、いまはひとりさんしか映ってないので……まぁ、周囲にカップルも多いので周りも似たような雰囲気ですし、それほど注目されているわけではないと思いますよ」

「そっ、それならまぁ……えっ、えっと、あ~ん」

「あ~ん」

 

 恥ずかしそうに頬を染めながらも、ちゃんと私の要望通りに発声しつつ食べさせてくれるひとりさんの優しさが本当に嬉しく、何度目か分かりませんが惚れ直す思いです。

 この調子で、遊園地では恋人っぽいことをしたいものですが……さて、食事の後はなにをしましょうか?

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんと恋人っぽいことがしたい→よし、しよう。流石の猛将スタイルであり、判断も行動も早い。あ~んの可能性に気付いて修正する様は、流石才女である。

後藤ひとり:恋人っぽいことするのもOKなら、もう実質恋人では? というのはともかくとして、恥ずかしがりながらも有紗の要望をちゃんと聞いてあげる。可愛く甘えてくる有紗は破壊力抜群だった模様。

周囲の人たち:微笑まし気にチラ見。


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九十六手親密の遊園地デート~sideB~

 

 

 昼食を食べ終えたあと、例によって手を繋いで遊園地を歩く有紗とひとりは、次のアトラクションに向かいながら言葉を交わす。

 

「……ひとりさん、ふと疑問に思うのですが……」

「あっ、はい?」

「恋人っぽいことって、具体的にどんなことでしょうか?」

「のっ、ノープランなんですか!?」

 

 有紗は先ほどのフードコートで、今日はひとりと恋人っぽいことをしたいと宣言し、それを実行すると決意を固めた。

 そこまではいい。まぁ、ひとりにしてみればいったいなにをしてくるのかという不安はあるが……それはいい。

 問題は、いざ考えてみても具体的になにをするということが思いつかなかったという点である。

 

「いえ、いざ考えてみると中々難しいものがありまして……私がやりたいのは友達同士がしてもおかしくは無く、それでいて恋人っぽいことです。よくある表現を使うなら、友達以上恋人未満のような印象ですかね?」

「あっ、はい。たっ、確かに時々聞くフレーズですね」

「ええ……ただ、具体的に思いつかないんですよね。例えば、ひとりさんは恋人っぽい行動というとなにを思い浮かべますか?」

「…‥うっ、う~ん」

 

 有紗の問いかけを聞いて、ひとりも考えるように思考を巡らせる。絶対に恋人でなければやらないというわけではないが、恋人っぽい行動……確かに、考えてみれば少し難しいかもしれない。

 

「あっ、えっと……手を繋いでデートするとか?」

「いましてますね」

「あっ、そうですね。料理の食べさせ合い……も、しましたね」

 

 とりあえずパッと頭に恋人っぽい行動を思い浮かべてみるひとりだったが、そうやって考えてみると有紗がなにに悩んでいたかが分かった気がした。

 

「すっ、砂浜で追いかけっことか、水の掛け合い」

「以前海でしましたね」

「ひっ、膝枕して耳かきとか、一緒に入浴したりとか、おっ、同じ布団で寝たりとか……」

「全部しましたね」

「……たっ、確かに全部してますね」

 

 そう、思い浮かぶ恋人っぽい行動は……既に経験済みのことばかりなのである。

 

(いっ、言われてみれば全部してるような? カップル専用ドリンクっぽい感じで、同じジュースをふたりで飲んだりもしたし、一緒に旅行に行ったりも……というか、思い浮かぶ恋人っぽい行動は大抵有紗ちゃんとしてるような……というか、これもう、実質有紗ちゃんが恋人みたいな……まっ、まった、駄目だ! それ以上その方向で思考を広げたら、せっかく気付かない振りしてる意味が……うぅぅ)

 

 とても大きな真実に……周りから見れば周知のと言えるようなことに気付きそうになったひとりだったが、若干慌てた様子で首を横に振って思考を霧散させた。

 いまはまだその気持ちに向かい合う勇気がないので、しっかり認識してしまえば挙動不審になるのが分かり切っていたので、必死に思考を追い出す。

 

「あっ、えっ、えっと、別に新しいことを無理にしなくてもいいのでは?」

「ふむ、なるほど……確かに、新しいことをしなければ恋人っぽくないということもないですね」

「あっ、そっ、そうです。ほっ、ほら、さっきの食事の時もいままでやったことがあることでしたし……」

「ッ!? そ、そういうことですね! 分かりました。つまり、先ほどの食べさせ合いのように、既に経験があることでも一歩進むことで新しい発見があるかもしれないということですね!」

「えっ、あぇ? そっ、そういう話でしたっけ? あっ、あれぇ?」

 

 ひとりの言葉を聞いて有紗は目を輝かせた。なるほど、盲点だったと……どうしても、新しいものへ目を向けがちになってしまうのが人の性ではあるが、決してそれが全てではなく過去の行いを振り返ることで新たな境地に辿り着くことができる。

 先ほど「あ~ん」という単純な発声を付け加えることで、幸福度が上がったように他にもそういったものがあるはずだと……。

 

「というわけでひとりさん、腕を組んで歩きましょう」

「なっ、なにがいったいどういうわけなんですか!?」

「いままでよくこうして手を繋いで歩くことはありましたが、腕を組んで歩いた経験は少なかったと思いまして……せっかくの機会なので、ひとりさんと腕を組んで歩きたいです」

「うっ、あぅ……」

 

 有紗は基本的に己の感情に素直で、ひとりに対する好意も真っ直ぐである。故にいまも、ひとりと腕を組んで歩きたいという思いを真っ直ぐ伝えてきている。

 その好意溢れる期待の目を向けられると、ひとりとしては弱かった。なにせ、ひとり自身は自覚していない……いや、無理やり自覚しないように目を逸らしているが、ひとりの有紗に対する好感度は極めて高い。それこそ、有紗の願いならなんでも叶えてあげたいと思うぐらいには……。

 なので、こうして真っ直ぐに頼まれると、NOという返答は選べなかった。そもそも、ひとり自身別に腕を組むのが嫌なだけではなく、気恥ずかしいという理由で躊躇っているだけなので、拒否の感情が強くないというのも要因のひとつだろう。

 

「ところで、腕を組むという形状だと、どちらかが寄りかかる形になるかと思いますが……ひとりさんはどちらがいいですか?」

「あっ、えっと……有紗ちゃんの方が背が高いですし、私が寄りかかる方が自然な気がします」

「なるほど、確かにそうですね。では、どうぞ」

「……あっ、あれ? いつの間にか、腕組むことが決定してる!?」

 

 いつの間にか腕を組むかどうかの話ではなくなっていたことに驚愕しつつも、ひとりはなんとなくこんな展開になるとは予想していたのか、軽くため息を吐いたあとで、ワクワクとした表情で待つ有紗に腕を絡め、要望通り腕を組み、少しだけもたれ掛かる。

 

(……あっ、ヤバいこれ、思った以上にしっくりくるというか、こう、心の中から有紗ちゃんに甘えたいって気持ちが湧き上がってくる気がする。恥ずかしいし、想像よりも距離が近いけど……けっ、結構幸せなのがなんとも……)

 

 高身長である有紗と腕を組んでもたれ掛かるのは、安心感が凄かった。ひとりにとって、有紗は頼れる存在ということもあって、こうした状態になるとどうしても甘えたいという気持ちが強くなる。

 腕を組んで手を繋いでいるため、普段より密着率も高く、微かに香る香水や有紗の手の温もりが心に温もりを与えてくれて、自然と頬が緩むのを感じた。

 

「やはり、これはいいですね。いつもよりひとりさんを身近に感じますし、デートという感じがします」

「あっ、そっ、そうですね。はっ、恥ずかしいですけど……確かに、その、ちょっといいかも……しれないです」

 

 満足気に笑う有紗を見て、ひとりもはにかむような笑みを浮かべながら歩く。「確かにデートって感じの雰囲気だ」と、そんなことを考えながら……。

 

「あっ、有紗ちゃん、次はどこに行きますか? さっきは私が選んだので、次は有紗ちゃんの行きたい場所に行きましょう」

「それでしたら、遊園地に隣接するフラワーパークに行ってみませんか? 遊園地の入場券を持っていると、割引価格で行き来することができるらしいんです」

「ふっ、フラワーパーク? なっ、なんか、お洒落な感じですね」

「世界中の花や、花を用いたアートなどもある綺麗な場所らしいですよ。カフェなどもあって、花を見ながらカフェで休憩もできますので、いかがでしょう?」

「あっ、はい。大丈夫です。フラワーガーデンなんて、行くの初めてですね」

「確かに、意識して行こうとしないとなかなか行く機会はないですね」

 

 遊園地のアトラクションではなく、遊園地と隣接した施設に向かうことを希望する有紗の言葉に、ひとりは特に疑問などを持つことは無く了承して、一緒にフラワーガーデンとの連絡通路に向かって歩き出す。

 

「あっ、フラワーガーデンに行きたがるってことは、有紗ちゃんは花が好きなんですか?」

「人並みに好きではありますが、特に花に強い拘りや好みがあるわけではないですよ。単純に、事前にネットで下調べを行った際に、よみ瓜ランドのデートスポットの紹介記事に載っていたので、是非ひとりさんと一緒に行きたいと思ってました」

「あっ、あぁ、そういう感じの……」

「ひとりさんと腕を組んで、美しい花を見ながら歩くというのはとても素晴らしいと思います。美しい花々を眺めつつ、それ以上に美しいひとりさんを見られるわけですし、美しさと美しさのコラボレーションですね」

「あっ、有紗ちゃんは、いつも大袈裟です……」

 

 楽し気に話す有紗の言葉を聞いて、ひとりはどこか呆れたような……それでいて、少し嬉しそうな表情で苦笑を浮かべていた。

 

 

****

 

 

 遊園地からの連絡通路を通って目的のフラワーガーデンに辿り着くと、すぐに美しい花々が咲き誇るエリアが見えてきた。

 

「あっ、すっ、凄いですね。思った以上に大きいというか……あっ、あっちの方には塔みたいなのが見えませんか?」

「ああ、あちらは貴重な文化財などがある日本庭園風のエリアになっているみたいです。いま私たちの正面にあるのが洋風の植物園とするなら、そちらは和風の植物園といった感じですね」

「あっ、なるほど和洋で分けてるんですね。あっ、どっちから行きますか?」

「特に希望が無ければこのまま花畑の中央の道を通って、向こうの建物に行きませんか? 中にはフラワーアートやカフェがあるので、そこのカフェで少しゆっくりしましょう」

「あっ、はい。分かりました」

 

 有紗の提案に頷いて、ふたりで花畑の間の小路を歩き出す。有紗がデートスポットと言っていたように、確かにカップルっぽい雰囲気の人たちが多く、どことなく甘い空気のような気がした。

 もちろん有紗とひとりも負けず劣らずの甘い空気を出しているので、まったく場違い感などは無いのだが、当人であるひとりは若干落ち着かない様子で視線をキョロキョロと動かしていた。

 

「……ひとりさん」

「あっ、はい?」

「こうして花畑をバックに見ると、本当にひとりさんの愛らしさが際立ちますね……綺麗ですよ。すごく、すごく素敵です。美しい花畑が霞んでしまうぐらいに……」

「~~~!?!? なっ、だっ、だから、なんで有紗ちゃんはそうやって唐突に恥ずかしいことを言うんですか!?」

「心からの本心なのですが……」

「あぅぅぅ」

 

 組んでいない方の手をそっとひとりの頬に添えながらキリッとした様子で告げる有紗の顔は、ひとりにとって効果抜群だったようで、ひとりは茹蛸のように顔を真っ赤にしながら唸る。まぁ、それでもやはり、どこか……嬉しそうではあった。

 

 

 




時花有紗:ひとりとのいちゃいちゃ度がいつもより高くて非常に満足。ずっと幸せそうな笑顔を浮かべており、その圧倒的容姿も相まって破壊力は凄まじい。

後藤ひとり:ついに「あれ? 私たち実質恋人みたいなものじゃ?」と気付きかけたが、全力で目を逸らした。しっかり認識したら、たぶん恥ずかしさで気絶する。ただ、無意識なのかいちゃいちゃ度は上がった。周囲から見れば、完全にバカップル。


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九十七手称揚の大観覧車

 

 

 ひとりさんと一緒にフラワーガーデンにやってきて、カフェで休憩しつつ美しい花々を堪能しました。一休みしたあとは花で出来たシャンデリアや、デジタルアートを一通り見て回り、改めてよみ瓜ランドに連絡通路を通って戻りました。

 

「あっ、コーヒーカップは久しぶりな気がします。むっ、昔家族で遊園地に行った時以来のような……」

「私も久々です。イメージより動きが早いんですよね」

「あっ、ですです。なんか、思ったよりよく動くんですよね。あっ、有紗ちゃんは、遊園地とかよく行くんですか?」

「国内より国外の方がよく行く印象ですね。お母様がテーマパークが好きなので」

 

 お母様は旅行も好きですが、遊園地も大好きで、それこそ本当に世界中の遊園地に連れて行ってもらった覚えがあります。あちこちを周って楽しむというのが、お母様の性に合っているのかもしれませんね。

 

「ひとりさんは、どうですか?」

「あっ、私は小さい時に何度か行ったぐらいです。その後は全然……あっ、でも、最近はふたりが大きくなったのでまた行こうかみたいな話を、お父さんたちがしていた気がします」

「確かに、ふたりさんもいまの年齢になれば乗れるアトラクションも増えてくるでしょうし、いいタイミングかもしれませんね」

 

 ふたりさんは活発ですし遊園地は好きそうです。子供の頃に家族と行く遊園地はとてもいい思い出になりますし、家族全員で行くのは本当にいいと思います。

 私も将来の家族という意味で同行したいという気持ちはありますが、そこはあくまで「将来の」が付くので、正式に家族の一員になるまでは我慢ですね。お誘いがあった場合には、喜んで同行しますが……。

 

 そうこうしているうちにコーヒーカップは終わり、私とひとりさんは再び腕を組んで園内を歩き出します。ひとりさんもある程度慣れてきたのか、腕を組んだ状態でも表情から緊張が抜けてきたような気がします。

 

「そういえば、話は変わりますが……作曲の方は順調ですか?」

「あっ、けっ、結構いい感じです。今日も遊んでてよさそうなフレーズを思いついたらスマホにメモしてますし、ある程度形になったらまた有紗ちゃんに意見が貰いたいです」

「ええ、私で協力できることでしたらいくらでも……さて、ひとりさん次はどのアトラクションに行きましょうか?」

「あっ、えっと、お母さんにオススメされたのがあって、ジャイアントスカイリバーっていうのが凄いってテレビでやってたとか……」

「……ジャイアントスカイリバー?」

 

 ひとりさんの話を聞いてすぐにスマートフォンでアトラクションを確認すると、大型のウォータースライダーのようでした。洋服を着たままでも乗れる設計になっているみたいで、全長400メートル近いスライダーをボートで下る形式のようです。

 

「う~ん。ひとりさん、大丈夫ですか? これは、ジェットコースターほどではないにせよ、スリルのある類のアトラクションだと思いますが?」

「あっ、えっと、なんか絶叫マシンが苦手な人でも楽しめるアトラクションらしいですよ」

「なるほど……では、行ってみましょうか」

 

 たしかにウォータースライダーであれば、ジェットコースター程の速度は出ませんし、独特の浮遊感もないので苦手な人でも楽しみやすいかもしれません。

 

 そんなわけで、ひとりさんが提案したジャイアントスカイリバーにやってきたのですが……。

 

「……あっ、ああ、あの、有紗ちゃん? こっ、ここ、高くないですか?」

「巨大なウォータースライダーという形式上、どうしてもスタート地点は高い位置になりますね。スピードはどうですか? ここからなら、他の人が乗っている様子が見えますが……」

「あっ、えっと……あっ、アレぐらいのスピードなら、そこまで怖くないので大丈夫です」

 

 ひとりさんが無理そうなら他に行こうかと思いましたが、そこまで問題ではないみたいです。ひとりさんは特に高所が駄目というわけではないのは知っています。ジェットコースターを怖がるのは、単純にスピードが速いからであり、速度が控え目であれば大丈夫なようです。

 

 会話をしつつ順番を待って、最大四人まで乗れるボートに2人で乗り込みます。

 

「あっ、いっ、いざとなるとちょっと怖いかもしれないです。こっ、これ、向かい合う形で座らないと駄目なんですかね?」

「バランス的には向かい合う形で体重を分散させるのがいいと思いますが、ひとりで乗っている方も見かけたので、ある程度は偏っても大丈夫な設計になってると思いますよ」

 

 円形のボートであり、カーブなどでのバランスを考えると向かい合う形が最適ですが、ひとりさんとしては私と離れた位置に座るのが不安な様子でした。

 ボートの大きさを考える限り、仮に最大人数の4人が片側に偏ったとしても問題は無いように計算されているとは思います。

 

「とっ、隣に行ってもいいですか?」

「はい。大丈夫ですが、急いでください。もうそろそろスタートですよ」

「あっ、はい――ひゃっ!?」

「ひとりさん!?」

 

 私の隣の席に移動しようとしていたひとりさんですが、ボートの上という足場の悪さもあってバランスを崩してしまいました。

 なので咄嗟にひとりさんの手を掴み、私の方に抱き寄せて胸に抱えるように抱きしめました。この姿勢で大丈夫だろうかと、チラリとスタート地点に居る係員さんに視線を送ると、問題ないというようにサムズアップをしたあとで「手すりはしっかり持っておいてください」と告げて送り出してくれました。

 

「ひとりさん、片手でここの手すりをしっかり持ってください」

「あっ、はっ、はい!」

「そして残った手で私にしっかり掴まっておいてください」

「わっ、分かりました」

 

 ……まぁ、手すりさえ持っていれば落下したり転倒するようなスピードではありませんが、バランスを安定させる意味でも、私の幸福的な意味でもできるだけ密着しておいた方がいいです。

 ぎゅっと抱き着いてくるひとりさんを片手で抱き返し、もう片方の手で手すりを掴みます。

 

「ひとりさん、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。あんまり早くないのと……あっ、有紗ちゃんが近くに居るので安心です」

「それならよかった。景色もいいですよ」

「あっ、本当ですね。すごい……あっ、もう大丈夫そうなので席に……」

「いえ、途中で場所を動くのは危険なのでこのまま最後まで行きましょう」

「え? あっ、でも、立ち上がったりする必要も無くて有紗ちゃんの隣に座るだけ……」

「このままがいいと思います」

「あっ、はい」

 

 姿勢を直そうとするひとりさんを説得して、そのまま抱き合ったままでウォータースライダーを堪能しました。

 

 

****

 

 

 ウォータースライダーの後もいくつかのアトラクションを楽しんでいると、日が沈んできて園内がイルミネーションによって綺麗に彩られてきました。

 ちょうどいいタイミングなので、ひとりさんと一緒に大観覧車へ向かいます。夜景とイルミネーションが同時に楽しめる最高のタイミングですね。

 

「……なっ、なんか、観覧車に乗ると締めって雰囲気がありますね」

「確かに、遊園地の締めくくりのような印象はあるかもしれませんね」

 

 隣同士に座って腕を組みながら景色を眺めます。流れる時間が心地よく、腕に感じる微かな温もりに心の中まで温かくなるようでした。

 

「……あっ、あの……有紗ちゃん?」

「はい?」

「へっ、変なこと……聞いても、いいですか?」

「なんでしょうか?」

「あっ、えっと、有紗ちゃんって……私のどこがそんなに好きなんですか? あっ、えっと、ほら、私ってコミュ症で陰キャで、情けないとこ多くて、唯一の取り柄のギターも人前では完璧に実力が出せなくて、ダメダメなのに……どこを好きになってくれたのかなぁって……」

 

 呟くように告げられたひとりさんの言葉に、私は少し考えます。むしろひとりさんの好きでない部分を探す方が大変なぐらいには、ひとりさんのことが好きなのですが……改めて言語化するとしたら、どういうべきでしょうか?

 

「う~ん。改めて言語化するというのはなかなか難しいですね。一番初めの切っ掛けを語るなら、最初は一目惚れだったわけなので、その時点ではひとりさんの容姿に惹かれたと表現するのが適切かもしれませんね」

「あっ、あの時は、ビックリしました」

「ふふ、私もつい衝動的に行動してしまいました。まぁ、ともかく最初の時点では容姿が好みだったというのが大きいのは間違いないでしょう。次に惹かれたのは、ひとりさんの優しさですかね」

「あっ、優しさ、ですか?」

 

 一番初めは一目惚れなので、どこを好きになったかと言われれば容姿と答えるのが適切です。ひとりさんは私にとってまさに理想そのものですしね。

 

「ええ、出会ったばかりの頃はひとりさんが部屋でギターの練習をして、私が本を読みながらそれを眺めているということが多かったですよね?」

「あっ、はい」

「その際にもひとりさんは、私のことをよく気にしてくれていました。練習の合間などに、一生懸命話しかけてくれたり、私が退屈してくれないか気を使ってくれたり……そんな自然な優しさに触れて、ひとりさんの内面もどんどん好きになっていきましたね」

「……あっ、あぅ」

「それ以外の面でも、ギターを演奏している際の楽しそうな姿も心惹かれますし、茶目っ気のある行動も愛らしいです。バンドの活動に話を移してもそうですね。ひとりさんは、本当に勇気を出すべきところでは、逃げずにしっかり前を向いて立ち向かえる人です。結束バンドとしての初ライブの時も、文化祭で演奏を立て直した時も、とてもカッコよくて素敵でしたよ」

「はぅぅぅ……」

 

 一度言葉にし始めると、次々に出てきます。それこそひとりさんの好きなところを語るのであれば、一晩中でも話し続けられる自信があるほどです。

 いまは、それほどたくさん時間があるわけではないので大雑把に言っていますが、いま語った部分に関して……例えば容姿にしても、細かな好きポイントはたくさんあるので、本気で語るとしたらそれだけで終わってしまいそうです。

 

「さらに、前を向いて成長していく姿も素敵です。出会ったばかりの頃は重度といっていい人見知りだったのも、少しずつ改善して自分から話しかけたり、行動を起こすことも増えてきました。言葉にすれば簡単かもしれませんが、自分を変えるというのは本当に難しいものです。それに合わせて、自分の足りない部分を足りないとしっかり見つめて改善できるのもひとりさんの良さですね。細かな部分で言えば、あの時の……さらにはあの部分も……一緒に……他にも……」

「まっ、待ってください! 有紗ちゃん! もっ、もうわかりました! 十分すぎるほどに分かりましたから!!」

「え? まだまだたくさんあるのですが……」

「もっ、もう勘弁してください……顔が沸騰します……」

 

 話がノッてきて軽快に話していた私を、真っ赤な顔になったひとりさんが止めました。私としてはまだまだ語り足りないのですが……。

 

「……本当にもぅ……有紗ちゃんは……」

 

 そんな風に小さく呟いたあとで、ひとりさんは私に寄り掛かるように体重を預けてきました。言葉はそれ以上ありませんでしたが、なんとなく今まで以上にひとりさんとの心の距離が縮んだような……そんな気がしました。

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんのことは大体全部好きだし、語ろうと思えばいくらでも好きな部分は語れる模様。本人的にはほぼ平常運転である。

後藤ひとり:興味本位で聞いてみた結果、褒め殺し+これでもかというほど好意が伝わってきて照れまくって茹蛸に……尤も、恥ずかしそうではあったが嬉しそうでもあった。


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九十八手娯楽のゲームプレイ~sideA~

 

 

 ストレイビート主導で製作することになるミニアルバムに収録予定の曲も完成し、都さんのOKも出たためいよいよ間もなく本格的なレコーディングとなります。

 

「へぇ~じゃあ最近はぼっちちゃんが大山さんにギター教えてるんだね」

「あっ、私だけじゃなくてリョウさんもですけど……」

「まぁ、合間合間に少しだけね」

 

 虹夏さんの言葉にひとりさんとリョウさんが頷きます。猫々さんはギターを購入しましたが、まだまだ完全に初心者といっていい段階であり、ひとりさんやリョウさんに教えを乞うている状態です。

 喜多さんもギターは弾けるのですが、やはりひとりさんやリョウさんほど知識はないので、まだ人に教えられるほどではないと本人は言っていました。

 まぁ、私の見立てでは喜多さんは実力だけなら指導できるレベルではあると思いますが、どうしても知識不足な部分があるので本人的に乗り気ではないのかもしれません。喜多さんはギターと共にボーカルも練習しているので、やることが多い分上達が遅れがちになるのは必然です。

 ですが、ボーカルに関してはインディーズバンドでは上の方といっていいほどに成長してますし、歌唱力という部分では教えている側の私が追い抜かれる日もそう遠くないと思います。

 

「けど、大山さんはグイグイ教わりにきそうじゃない?」

「ああ、最初はそうでしたがその辺りは私が一通り話をしましたので……」

「あの子、有紗のいうことには滅茶苦茶従順に従うから……」

 

 喜多さんの想像通り、最初はバイト先でも学校でもひとりさんの元にギターを教わりに頻繁に来ていたようで、ひとりさんが疲れ気味だったので私が話をして教わる日や時間を、ひとりさんと猫々さんの予定を聞きつつ取り決めることにしました。教える側も教わる側も楽しくできるのが一番ですからね。

 猫々さんは素直な方なので、そうやって話をすればちゃんとその通りにしてくれるので問題はありません。

 

「あれ? そういえば、リョウは有紗ちゃんにもベース教えてるんじゃないっけ?」

「……教えて『いた』が正しい。有紗は駄目だ」

「え? あっ、有紗ちゃん、ベースは駄目なんですか? まっ、前にセッションした時は結構上手く……」

「いや、そうじゃなくて、覚えが早すぎて教えがいがない。もう教えることないし、なんならもうその辺の木っ端バンドのベーシストよりよっぽど上手い。チート過ぎるだろ有紗、経験値10倍とか、そんな感じの能力持ってそう」

「リョウさんの教え方が上手かったおかげですよ。リョウさんは音楽知識が豊富ですし、相手に合わせた指導ができるので、案外指導者に向いている気がしますね」

 

 ベースをリョウさんから1本買い取ったあとに一通り教わりましたが、リョウさんは指導上手といった感じでした。口数は少ないですが、知識が深く相手が躓きやすい場所をしっかり分かっていて、それに合わせた指導をしてくれます。

 本人は「適当に教えてるだけ」と言っていましたが、なんだかんだで面倒見がいいところもあるので、本当に指導には向いていると思います。

 そんなことを考えていると、喜多さんがふと私が操作しているノートパソコンを見て首を傾げました。

 

「あれ? そういえば、有紗ちゃんはなにしてるの? また物販関係?」

「ああいえ、今回はミニアルバムのジャケットデザインですね。前に配布CD用に作った5つの結束バンドが並ぶデザインを都さんも気に入ってくださったので、それを少しアレンジしているところです」

「あ~あれ、可愛かったし、いいわね! アレンジっていうと?」

「皆さんをイメージした小物を背景にさり気なく混ぜたりですね」

 

 このジャケットは宣伝用の配布CDに使ったものでしたが、結束バンドっぽい雰囲気がいいと皆さんや都さんも気に入ってくださったので、ミニアルバムのジャケットにはこれを直したものを使う予定です。

 ひとりさんの髪飾りや虹夏さんが愛用している大き目のリボンなどを、背景にさり気なく混ぜて全体のデザインを整えていく形で調整しています。

 

「まぁ、けどレコーディング楽しみだね。本格的な日程はこれから司馬さんと相談する形になるけど、だいたい4日間かけて5曲録る形になるみたいだから、土日でやるとして2週間かな?」

「いっ、いよいよですね」

「プロのエンジニアさんもいるし、4日でレコーディング代20万をレーベルさんが出してくれるし……本当に頑張ろうね」

「いざとなれば、有紗に土下座して追加で予算出してもらおう」

「ふふふ、なんならストレイビートさんに働きかけましょうか? もう株は11%ほどは抑えているので、予算アップぐらいでしたらすぐに通せると思いますよ」

 

 ストレイビートを有する会社の株は念のために多めに購入して、主要大株主となれる10%の基準は超えています。まぁ、現状は特に口を出したりはしていませんしする気も無いのですが、その気になれば予算アップ程度は即通せるとは思います。

 

「あ、あはは、有紗ちゃんの冗談は面白いな~……冗談だよね?」

「あっ、えっと……たぶん本当に持ってそうです」

 

 まぁ、本当に最後の手段といいますか、基本的には変な横やりは入れるべきではないのでレコーディングに関しては、特になにかをするつもりはないです。

 そんなことをしなくても、皆さんなら問題なく乗り切れると思っていますからね。

 

「ま、まぁ、ともかく、レコーディングに向けてひたすら練習あるのみだよ! 頑張ろう!!」

 

 気を取り直すように告げた虹夏さんの掛け声で、皆さんは熱を入れて練習を始め、それを聞きながら私はジャケットのデザインの修正を続けました。

 

 

****

 

 

 とまぁ、皆さん気合を入れて練習を行ったのはよかったのですが、金曜日ということもあって遅くまで練習しても大丈夫という雰囲気で練習を続けた結果、いつもよりかなり遅い時間になってしまいました。

 

「……あちゃ~、うっかりしてたね。ぼっちちゃんの終電がもうないや」

「あっ、そっ、そうですね。うっかりしてました」

「では、ひとりさんは今日はうちに泊まってください。明日また家に送っていきますので……」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 

 比較的家が近いリョウさんや喜多さんはまだ問題なく電車に間に合いますが、ひとりさんは自宅の最寄り駅まで2時間近くかかるので、当然ですが終電も他の皆さんより早いです。

 念のためにリョウさんと喜多さんを見送るついでに全員で駅まで来て時間を確認してみましたが、やはりもうひとりさんの家の最寄り駅まで行ける電車は無いようでした。

 

 私が早い段階で気付ければよかったのですが、ジャケットの作業が大詰めで集中していて気付くのが遅れてしまいました。

 とはいえ、ひとりさんは私の家に何度も泊まっていますし、今回もそのようにすれば問題はありません。実際、ひとりさんも私が声をかけると微笑みながら頷いてくれました。

 これで朝までひとりさんと一緒と思うと嬉しいですね。ああ、いえ、もちろんそれを目的にワザと伝えなかったとかではなく、本当に気付かなかったのですが……。

 

「では、迎えの車を呼びますね」

「あ、それならふたりとも、迎えがくるまでうちに来なよ。お茶でも出すよ!」

「ありがとうございます。それでは、せっかくですしご厚意に甘えさせてもらいましょうか……」

「あっ、はい。それじゃあ、お邪魔しますね」

「ちょっと小腹も空いてるし、コンビニでお菓子とジュースでも買って行こ!」

 

 迎えの車は呼べば30分かからず来ますが、虹夏さんは私とひとりさんが遊びに来るというシチュエーションを楽しんでいる様子でした。それなら、少し時間を空けた方がいいですね。

 

「それでしたら、迎えはあとでタイミングを見て呼びますね」

「うんうん。せっかくだし、3人でちょっと遊ぼうよ。ゲームとかもあるよ!」

「にっ、虹夏ちゃんの家に行くのって初めてですね」

「別に特別ななにかがあるわけでもないけどね~」

 

 楽し気に話しながら移動して、途中のコンビニで飲み物や食べ物を少し購入してSTARRYの入っている建物の3階にある、虹夏さんの家にお邪魔することになりました。

 

「ささ、ふたりとも入って!」

「お邪魔します」

「おっ、お邪魔します」

 

 虹夏さんに促されて家に入り、最初にリビングに向かうと……そこには以前私とひとりさんがプレゼントした巨大なテディベアにもたれ掛かり、小型のテディベアを抱きしめてテレビを見ている部屋着の星歌さんが居ました。

 

「うん? 虹夏戻ったの――かっ!? ぼ、ぼっちちゃんと、有紗ちゃん!? な、なな、なんで……」

「こんばんは、星歌さん。ひとりさんの終電が無くなりまして、私の家に泊ることになったのですが迎えが車で少し時間がありまして、虹夏さんの勧めもあってお邪魔させてもらいました」

「そ、そそ、そうか……ま、まぁ、ゆっくりしていけ」

「はい。ありがとうございます」

 

 星歌さんはおそらく気恥ずかしさから、慌てた様子で手に持っていたテディベアを隠そうとしましたが……少しして、そもそもそのテディベアを贈ったのが私とひとりさんだったことを思い出したのか、若干恥ずかし気に顔を逸らしながらゆっくりしていくといいと言ってくれました。

 

「お姉ちゃん、ゲームしたいからテレビ使っていい?」

「ああ、別にいいがなんのゲームやるんだ? 私はホラー系はNGな」

「え? お姉ちゃんも参加する気なの?」

「……あ、いや、別にそういうわけじゃ……」

 

 虹夏さんに突っ込まれた星歌さんは気まずそうに視線を逸らしましたが、なんとなく一緒に遊びたいという雰囲気が伝わってきました。

 

「虹夏さん、せっかくですし星歌さんにも入ってもらいませんか? 3人よりは4人の方がチーム分けが出来て遊びやすいと思うのですが……」

「有紗ちゃん……」

「あ~たしかに、そうかも、じゃあ4人で遊べるゲームしよう! リョウとよくやる陣取りゲームが4人で出来たはずだから、これにしよう!」

「あっ、はい」

 

 そう言って虹夏さんが笑顔で取り出したのは、非常に有名な陣取りゲームでひとりさんの家にもあって一緒にプレイした覚えがありますね。

 

「ふたりとも、このゲームやったことある? お姉ちゃん滅茶苦茶下手だけど……」

「うるせぇ、難しいんだよこれ……」

「ひとりさんの家にあるので、少しだけ経験はあります。とはいえ、まだ素人なのでお手柔らかにお願いします」

「あっ、虹夏ちゃん。有紗ちゃん…‥鬼強いです」

「うん。いまなんとなくそんな気がした。まぁ、でも私も結構強いから、いい勝負はできると思うよ!」

 

 そうしてひょんなことから始まった4人でのゲームは思いのほか盛り上がり、再び時間を忘れて熱中してしまいました。

 

 

 




時花有紗:なんでもできるので、ゲームも鬼強い。そもそも基礎スペックがチート級なので、大抵のことは一度やればすぐコツを掴む。

後藤ひとり:手先は器用なのでゲームの腕はそこそこ、有紗にくじで当てたトゥイッチを貰ったので、たまに一緒にゲームで遊んだりしている。

伊地知虹夏:リョウとよく遊ぶのでゲームの腕前は高い。なんだかんだで有紗とひとりが遊びに来て楽しそう。

伊地知星歌:有紗とぼっちちゃんから貰ったテディベアを愛用している。ゲームは下手。


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九十八手娯楽のゲームプレイ~sideB~

 

 

 STARRYの店内では、店長である星歌がノートパソコンを操作して仕事をしており、その近くで仕事とは全く関係のないきくりが酒を飲んでいた。

 きくりがふらっとやってきて開店前の店内で酒を飲んでいるのは度々ある光景であり、星歌もPAも慣れたのかもはやノーリアクションだった。

 するとそんな中できくりが、ふと思いついたように口を開いてゆるい口調で星歌に声をかける。

 

「あ~先輩。私今日誕生日なんですよ~なんかください」

「うん? ああ、そうか、おめでとう……じゃ、ドリンクコーナーにある水道で水を一杯だけ飲んでいいぞ」

 

 本日9月28日が誕生日であると告げるきくりに、星歌は視線はノートパソコンに向けたままで答える。

 

「え~誕プレが水道水って、先輩相変わらずツンがきつ過ぎません? 可愛い後輩ですよぉ、私はちゃんと先輩の誕生日お祝いしたのに……」

「お前、自分が私になんの誕生日プレゼント渡したか思い出してみろ」

「え~と……お酒でしたっけ?」

「それは有紗ちゃんにだろうが! お前が渡してきたのは、変な期限切れのシールじゃねぇか。お前と山田はほぼタダ飯食いに来ただけで、プレゼントはワースト争いだからな。いや、むしろまだ山田のプレゼントの方がマシだったレベルだ」

「あ~そう言われればそうだったような、あはは……」

 

 呆れたように告げる星歌の言葉を聞いて、きくりは苦笑しながらドリンクコーナーに向かい、星歌が言った通り水道水を一杯だけ汲んで戻ってきた。

 そして、今度は少し離れた場所に居たPAに対して声をかける。

 

「PAさんは? ほら、私たち仲良くしてるよね? 結束バンドの皆にやさぐれ三銃士ってひとまとめにされてるぐらいだし……」

「むしろ私としては不名誉なんですが……ん~そうですねぇ」

 

 きくりの言葉に嫌そうな表情を浮かべたあとで少し考えると、PAはドリンクコーナーに移動して冷凍庫から氷をふたつほど持ってきてきくりが手に持つコップに入れた。

 

「誕生日おめでとうございます」

「わ~い、これで冷たい水が飲める……私の扱い雑じゃない?」

「むしろ好待遇なレベルだろ」

 

 文句を言うきくりに星歌が呆れたように返し、そのタイミングでPAがボソッと小さな声で呟いた。

 

「……まぁ、おふたりとも私の誕生日にはプレゼントはおろか、おめでとうの一言すらなかったですけどね」

「「……」」

 

 その感覚はなんと表現するべきだろうか……迂闊にも地雷を踏んでしまったことを自覚したとでも言うべきか、星歌ときくりはなんとも気まずそうな表情でPAを見る。

 PAは微笑みを浮かべていたが、心なしかその笑顔は黒いような……そんな気がした。

 

「……あ、いや、私はそのPAさんの誕生日知らないし……せ、先輩は?」

「あ、えっと、た、たしか11月だ……そう、11月の……えっと……」

「……」

 

 きくりはPAの誕生日を知らないし聞いたことも無かった。では星歌はというと、確かに聞いた覚えはあった。おぼろげに11月であることは記憶している。

 だが、正確な日付が出てこない。無言で微笑むPAをチラリとみて青ざめながら、星歌は自信なさげに呟く。

 

「……18日とかだったっけ?」

「11日です」

「す、すまん。今年は絶対忘れない……」

 

 とりあえず状況が悪すぎる。なにせPAはちゃんと星歌の誕生日パーティに参加していたし、プレゼントも渡してくれたのだ。どう取り繕おうと、PAの誕生日を祝っていない事実が消えるわけではないので平謝りするほかなかった。

 

「……あ~でも、た、たぶん、私たち以外も知らないんじゃないかな~ほらPAさんとあんまりそういう話はしないし、実際他の子たちも……」

「有紗さんは誕生日プレゼントをくれましたけどね」

「……すみませんでした」

 

 自分たちだけでなく他の人たちも祝いをしていないのではないかと思ったが、有紗はしっかり誕生日を祝っていたようだった。

 

「……まぁ、本当に有紗さんだけでしたけどね。あとはグローバルな友人たちが祝ってくれたぐらいで……他は完全スルーどころか、私の誕生日を知りもしない雰囲気でしたね。ふふ、所詮私は影の薄い女ですよ」

「せ、先輩、PAさんが闇背負ってるんですけど……」

「お、落ち着け、今年は絶対祝うから……」

 

 余談ではあるがPAがいうグローバルな友人というのは、音戯アルトという名で活動している動画配信で誕生日企画を行ったという話であり、実際にちゃんと誕生日を祝ってくれたのは有紗だけである。

 若干の負のオーラを纏ったPAを、星歌ときくりはしばし必死に慰めていた。

 

 

****

 

 

 STARRYである意味緊張感のある空気が出来上がっていた頃、虹夏はストレイビートの事務所で都と打ち合わせをしていた。

 

「いよいよスタジオでのレコーディングです。来週と再来週の土日4日間で5曲録り終えてください。現場には私も同行しますので、当日までに万全の準備をお願いしますね」

「はい!」

「ところで、話は変わりますが皆さんの学生生活の方はどうですか? そろそろ中間テストの時期でしょうし、伊地知さんは受験勉強もあるでしょう?」

「あ、私は問題ないです。模試もA判定ですし……他は、リョウがアルバム制作のせいにして全然勉強してないのが心配ですね」

「ふむ、時花さんはおそらく心配ないでしょうが、後藤さんと喜多さんは大丈夫そうでしょうか?」

 

 都もそれなりに結束バンドの面々のことは把握してきており、有紗に関しては成績の心配をする必要はないと感じていた。実際それは正解であり、ひとりや喜多を心配する気持ちも理解できるのか、虹夏は苦笑を浮かべつつ頷く。

 

「大丈夫です。そのふたりには有紗ちゃんが毎回勉強を教えてるので、喜多ちゃんは成績上位ですし、ぼっちちゃんも安定してますよ」

「なるほど……おふたりに指導できる余裕があるということは、やはり時花さんは学力も高いんですか?」

「本人は全然普通みたいな顔してますけど、滅茶苦茶頭いいですね。なんなら、私よりいいので時々受験勉強で分からないところを教えてもらったりしてますし……」

「それは凄いですね。ともかく、学業に影響が出ていないのならよかったです」

 

 レーベル側の都としてはもちろんアルバム制作に全力を出してくれるのはありがたいが、それで高校生活に影響が出てしまったら本末転倒とも考えており、その辺りが問題なさそうなのでホッとしていた。

 するとそのタイミングで、お茶を持ってきた愛子が虹夏に尋ねる。

 

「そういえば、レコーディングには有紗さんは来るの?」

「ええ、来ますよ。有紗ちゃんは演奏メンバーじゃないですけど、耳が凄くよくて音楽センスもあるのでよく意見とか出してもらってますし……あとなにより、有紗ちゃんが居るといないとじゃぼっちちゃんの調子がまったく違うので……」

「あのおふたりは本当に仲が良いですよね」

「あはは、バカップルですよバカップル」

 

 そうして他愛のない話をしつつ、レコーディング当日の予定などをしばし話し合っていった。

 

 

****

 

 

 時を同じくして後藤家のひとりの部屋では、ひとりが若干戸惑った表情を浮かべていた。

 

「……あっ、あの、有紗ちゃん?」

「はい?」

「なっ、なんで私は、いまこんな状態に?」

 

 現在のひとりは、有紗の膝枕に横になっており頭を撫でられていた。いや、体勢自体はそこまで問題ではない。過去にも膝枕をしてもらったことはあるし、なんだかんだで有紗の膝枕は安心できるという思いもある。

 しかし、いつ家族が来るか分からない自宅でこの状態というのは少々落ち着かない部分があった。

 

「なぜと言われると、ひとりさんが勉強を教えたお礼に私の要望を聞いてくださるということだったので、この状態になってるわけですね」

「……でっ、ですよね? 私がお礼する側だったはずなんですけど……」

 

 そう、事の発端は中間テストに関わることだった。今回も有紗に指導してもらったおかげで、無事全教科平均点を超える安定した得点を獲得することができた。

 そのお礼ということで、今日遊びに来ていた有紗になにかお礼に出来ることがあればと尋ねた結果、有紗に膝枕される形となった。

 

「……うっ、う~ん。有紗ちゃんは、これでいいんですか?」

「はい。こうしてひとりさんが、私の腿に頭を乗せていて、その頭を撫でられるのもいいですし……そうやって見上げてくれたひとりさんと目が合うのも嬉しいです」

「あぅ……そっ、そうですか、まぁ、有紗ちゃんがいいなら……」

 

 ひとりとしては、有紗にお礼をしたかったので若干の不完全燃焼感はあったが、有紗の声は非常に楽しそうであり、ひとりを膝枕することを喜んでいるのが伝わってきた。

 なので、有紗が喜んでいるのならいいかとひとりが気を緩めた瞬間、ふっと有紗がひとりの首筋を優しく撫でた。

 

「はひゃんっ!? あっ、ああ、有紗ちゃん!?」

「ふふ、申し訳ありません。つい、イタズラ心が湧いてきてしまって」

「もっ、もぅ、ビックリするじゃないですか……」

「でもひとりさんがこちらを向いてくれたのは、なんだか嬉しいですね」

 

 首を撫でられてビックリしたひとりが有紗の方を向くと、有紗は謝罪したあとで楽し気にひとりの頬を撫でたりといった行動をとる。

 

(うぅ、なんかくすぐったいというか……優しく頬を撫でられるのはドキドキして心臓に悪いというか……でっ、でも、有紗ちゃんが幸せそうで文句も言い辛い……うぅ、有紗ちゃんへのお礼だし、しばらく恥ずかしさは我慢しよう)

 

 愛おしそうな表情で顔を撫でてくるのはなかなか破壊力があり、ひとりの顔は既に真っ赤にはなっていたが、それでも有紗へのお礼という部分が大きいのか、文句を言ったりすることは無かった。

 高鳴る胸の音と、優しい手の感触にまるで風呂場でのぼせるかのような、そんな落ち着かない気持ちを感じつつ……それでも心のどこかで、こうして有紗といちゃついているかのような状況を喜んでいる気持ちも、僅かではあるが確実に感じていた。

 

 そのまま、奇なことにふたりは、同じタイミングで虹夏が都に語っていた通りバカップルのような雰囲気で、しばらくじゃれ合うように甘い空気を醸し出していた。

 それはもう途中で飲み物を持ってきた美智代が、部屋の入口の襖を少し開けてすぐに閉じたぐらいには仲睦まじい様子だった。

 

 

 




時花有紗:バカップルしてた。ひとりを膝枕するのはかなり好きなのだが、ひとりが結構恥ずかしがるため、こういった際のお礼を利用して実行している。

後藤ひとり:バカップルしてる。こんな姿を家族に見られたらどう言い訳しようと考えているが……そもそも言い訳する必要も無いぐらいには、家族公認の仲である。

廣井きくり:誕生日は9月28日。

PAさん:誕生日は11月11日、アニメの設定資料で判明。


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九十九手収録のレコーディング~sideA~

 

 

 いよいよやってきたレコーディング当日。都さんとやみさんと待ち合わせをして、ノックアウトレコーディングスタジオという場所にやってきました。

 

「それでは行きましょう。緊張するとは思いますが、優しい人ですから大丈夫ですよ。私は苦手ですが……」

 

 都さんがそんな風に言いながらスタジオのドアを開くと、明るい雰囲気の方が笑顔で出迎えてくださいました。

 

「あ、結束バンドさんですね! おはよーございます~。私、エンジニアの上村です」

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 

 レコーディングエンジニアの上村さんが、今回のレコーディングを担当してくださるそうです。パッと見た印象ですが、人付き合いの上手いタイプといった印象です。

 

「あ、都ちゃん久しぶり~! 今日も可愛いね~」

「その呼び方やめてください」

「その仏頂面がいいんだよね~~」

「だから、貴女嫌いなんですよ……」

 

 ほんわかとしたタイプで周りの空気を穏やかにしてくださる雰囲気の方ですね。計算ではなく自然体で多くの人と自然に仲良くなれる……ひとりさん的に言うと、コミュ力の強い方という感じですね。

 その人当たりの良さは、打ち合わせのさいの雑談でも発揮されており、比較的人見知りといえるリョウさんや、初対面の人と話すのが苦手なひとりさんもある程度打ち解けており、いい感じに緊張がほぐれているように感じました。

 

「有紗ちゃんはマネージャーなんだよね? なんか敏腕そうな雰囲気だね~」

「真似事をしている程度ですが、そう言ってもらえると嬉しいです」

「けど音楽もできそうな雰囲気……ん? んん?」

「どうしました?」

 

 優し気な笑顔で私に話しかけてきた上村さんでしたが、少ししてなにやら怪訝そうな表情を浮かべて首を傾げました。

 そのまま少し考えるように沈黙したあとで、大きく目を見開いて驚愕した表情を浮かべます。

 

「……ああぁぁ、あ、有紗ちゃんって7、8年前ぐらいにピアノのコンクールに出てなかった!?」

「え? ええ、出ましたが?」

「うわっ、やっぱりそうだ! なんか、見覚えがある気がしてたんだよね~」

「あっ、えっ、えっと、コンクールっていうと前に聞いた。有紗ちゃんが小学校の頃に出たっていう……」

 

 世間とは意外と狭いものです。どうやら上村さんはかつて私が一度だけ出場したコンクールを見たことがある様子でした。確かに、あのコンクールは規模も大きいものだったので見ている方が居ても不思議ではないのですが……私としては少々恥ずかしい出来事もあるコンクールなので、なんとも言えない気持ちではありますね。

 

「コンクールって、なんの?」

「ピアノだよ~。私、クラシックもよく聞くんだけど、昔行ったコンクールで見たんだよね。あの琴河玲と一緒にコンクールに出てて、優勝争いをしてたんだよ」

 

 結束バンドのメンバーと違ってコンクールについて知らないやみさんが不思議そうに尋ねると、上村さんはどこか楽しげに説明していました。

 

「ああ、あの、有紗が審査結果に異議を申し立てたという伝説の……」

「そうそう、小学生の女の子が理路整然と審査員を言い負かしてて、会場は結構ざわついてたね。そのハプニングも含めて、凄く印象に残ってるよ~」

「なんというか、人から聞くのは気恥ずかしいですね」

 

 仮に何度時間が巻き戻ったとしても私は同じ行動をとるでしょうが、それでもやはり人の口から当時の様子を聞くと気恥ずかしさを覚えます。

 完全に話はかつてのコンクールに移行してしまったようで、喜多さんも興味津々といった具合に目を輝かせながら上村さんに話しかけます。

 

「たしか、琴河玲が圧勝だったコンクールですよね?」

「圧勝? ううん、殆ど互角だったよ~。いや、確かに琴河玲の演奏の方が上ではあったけど、演奏技術にはほぼ差は無かったし、出場者の中では琴河玲と有紗ちゃんのふたりは完全にレベルが違ってたね~」

「確かに、当時の玲さんと私の演奏技術に大きな差は無かったです。ですが、コンクールの場面での演奏、僅かですが確実に上をいった玲さん……僅かではあっても、その差は絶対に埋まることのない差だと……当時はそう思っていましたね」

 

 上村さんのいう通り、プロピアニストとして本場で活躍して経験を積んでいるいまの玲さんはともかく、小学生当時であれば私と玲さんの演奏技術に差はほぼ無かったです。

 ですが、だからこそ、コンクールの時に絶対的な差を感じました。私の演奏には決定的に欠けているものが玲さんの演奏にはありました。その差を生んでいるものがなにかはすぐに理解することができましたが、私がそれを手にすることはできないだろうと思っていましたし、だからこそ玲さんには生涯ピアノという分野では勝てないだろうと感じました……まぁ、その考えはひとりさんと出会って少し変化しましたが……。

 

「そっか~。あ、ごめんね。話が逸れちゃった! 時間もあるし打ち合わせの続きね~」

 

 やはり上村さんは人付き合いの上手い方のようで、それ以上深く聞いてきたりすることは無く明るい調子で話をレコーディングに戻しました。

 その様子を見ていると、不意に机の下の私の手の上に、ひとりさんの手が重ねられました。振り向いてみると、ひとりさんが少し心配そうな表情を浮かべていましたので、手を握り返しつつ安心させるように微笑みました。するとひとりさんはホッと安堵した表情を浮かべてくれました。

 

 おそらくですが、私がなにか悩んでいるような雰囲気を察して心配してくれたのでしょうね。確かに、少し悩んでいることはあります。正しくは迷っていると表現すべきかもしれませんね。

 ……以前虹夏さんに話をした際と比べ、私の心境が変化しているのを実感していますが、「気が変わった」と言い切れるほどではないため、少し迷いはあります。

 まぁ、ですが、いま気にするべきことではありませんね。これに関しては、焦る必要はありませんし、じっくり考えましょう。

 

「じゃあ、セッティング完了したら最初に指針となるガイドを全員で録って……その後は、ドラム、ベース、ギター、ボーカルの順に録っていきます。他の人はここで聞いてても、ロビーで休憩してても大丈夫です」

 

 そうこうしている間に打ち合わせは終了し、いよいよ本格的なレコーディングが始まるようです。上村さんのおかげで皆さんの緊張もいい感じに解れているので、いいレコーディングが出来そうですね。

 

 

****

 

 

 滞りなく指針となるガイドの録音が終わり、パートごとの録音に移行しました。

 

「じゃあ、パートごとに録音始めます。奏者になにか伝えたいことがあれば、そこのトークバックボタンで向こうに声が行きますんで~それじゃ、楽しんでいきましょ~!」

 

 そうして最初はドラムの虹夏さんから録音を開始しましたが、開始してすぐにリョウさんがトークバックのボタンを押しました。

 

「はい!!」

「おっ、さっそく」

「いや、なんか最初にボタン押したかっただけ」

『……おい』

 

 単純にボタンを押してみたくて押したというリョウさんに、トークバック越しに虹夏さんの呆れたような声が返ってきます。その様子に苦笑しつつ、私もトークバックのボタンを押して声をかけます。

 

「……虹夏さん、リョウさんは虹夏さんが少し緊張しているように見えて心配だったんだと思いますよ。いまの行動も緊張を解そうとした意図が強いかと……」

「あ、有紗!? なにを……」

『へ~ほ~ふ~~~ん』

 

 私の言葉を聞いてリョウさんが若干焦ったような表情を浮かべ、対照的に虹夏さんはニヤニヤと楽し気な様子でした。実際効果はあったようで、そのやりとりでいい感じに肩の力が抜けた虹夏さんは上手く演奏を行い、2度ほどやり直しましたが、問題なく1曲目の録音を完了させました。

 

「はい。おっけ~です。じゃあ、次ベースさん行きましょうか?」

「……ふっ、私はちゃっちゃと完璧に終わらせてもらう」

「リョウさんは緊張すると演奏が走りやすいので、注意してくださいね」

「あ、はい……」

 

 クールな笑みを浮かべて録音に向かおうとしていたリョウさんですが、やはり少し緊張が見て取れたので一声かけておきました。

 リョウさんは演奏経験はバンド内でも一番ですし、初めての本格的なレコーディングに少し戸惑ってはいましたが、すぐにOKを貰っていました。

 そして続いてギターであるひとりさんの番になるのですが、もうすでに明らかに緊張しているのが分かりやすかったので、録音に向かう前に声をかけます。

 

「ひとりさん、少しこっちを向いてください」

「あっ、有紗ちゃん……」

「初めてのレコーディングですから緊張するのも当然です。慣れない環境ですし、いろいろ頭に思い浮かんで集中しきれない可能性もあります……なので、今回は私だけを見て演奏してみてください」

「あっ、有紗ちゃんを見て?」

「はい。中から見える位置に居ますので、私の方を向いて、私にだけ意識を集中して……いい演奏を聞かせてください」

「あっ、はい!」

 

 ひとりさんは緊張するとアレコレ考えすぎて集中できなくなるタイプなので、こうしてあえてひとつのことに意識を集中させるのが有効だったりします。

 しっかりと頷いて録音に向かったひとりさんは、私が言ったように私の方を向いて私に向けて演奏することだけを考えているみたいで、想像以上にいい集中をしていました。

 

「……はい。ギターさん、OKです!」

「おお、凄い。ぼっちちゃん一発OKだ」

「……これが愛の力ってやつか……」

 

 ひとりさんはいい演奏を披露して一発OKを獲得し、それに触発されたのか皆さんも調子を上げていき、レコーディングは順調に進んでいきました。

 休憩を挟みつつ何度か録音を行っていると、丁度いい時間になったようで都さんが上村さんに声をかけます。

 

「今週はここまでですね」

「そうですね。皆さんお疲れさまでした~今日はかなりいいペースで録音が進みましたし、この調子なら来週はかなり余裕ありますよ~」

 

 好調な雰囲気というのは伝わるもので、皆さんの表情も和らいでいるので、この調子で行けば来週のレコーディングもいい感じで行けそうです。

 

 

 




時花有紗:本人が言うほどコンクールでは玲との差は大きくなかったが、その僅かな差に絶対的な差を感じていたが、最近は心境が変化している模様。その辺りがぼっちちゃんとの関係進展のカギになる可能性が……。

後藤ひとり:有紗の変化にはよく気付く。レコーディングは有紗に向けての演奏ということを意識したおかげで、一番いい集中力で演奏できた。

伊地知虹夏:原作とは違ってメンバーを上手くコントロールしてくれる有紗が居るので、「自分がしっかりしなきゃ」的な固さが少なく、以前に有紗からアドバイスを貰ったおかげで思い切った演奏が出来ていて順調。

ドラマーのリナ:……ちょっと待ってほしい、ここで虹夏ちゃんが順調だと私の出番が……。


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九十九手収録のレコーディング~sideB~

 

 

 初めてのレコーディングを終えて家に戻ってきた虹夏は、なんだかんだで疲れた表情を浮かべていた。レコーディング自体は順調だが、やはり慣れない作業というのは疲れるものだ。

 

「ただいま~」

「お、疲れた顔してんな? レコーディング上手くいかなかったのか?」

「ううん。むしろ順調で、当初の予定より進んだよ。けど、思ったより疲れたよ」

「なんだ、つまんねーな」

「……今日は疲れたし~晩御飯作るのやめよっかなぁ?」

「初めてのレコーディングだから心配してたんだが、順調なようならよかった!!」

 

 伊地知家の食卓を握っているのは虹夏であり、星歌は料理はサッパリ……最低限の物は作れるが、基本的に不器用なのであまり得意ではなかった。

 なので、虹夏に拗ねられてしまうと必然的に食事のランクが下がってしまうので、若干青ざめた様子で発言を撤回した。

 

「え~本当に心配してたの?」

「してたしてた。上手くいってないようなら、助っ人でも呼んでやろうかと思ってたところだ」

「助っ人?」

「うん? ああ、ほら、リナだよリナ」

 

 星歌が告げたリナという名前を聞いて、虹夏はキョトンとした表情を浮かべた。

 

「……リナさん……リナさん……あっ、お姉ちゃんのバンドのドラムだった!」

「お前、いま一瞬忘れてただろ? 薄情なやつだな、いちおうお前のドラムの師匠じゃないのか?」

「い、いや、忘れてないよ!? すぐにピンとこなかっただけで……だって私がリナさんに最後に会ったのって小学生の頃だし……」

「あ~そういやそうだったな。私の方はたまに連絡してたから……アイツいまはスタジオミュージシャンやってんだけど、ちょっと前に未確認ライオットのことを知って連絡してきたんだよ。で、そん時にお前がレーベルに所属したこととか話してな、力になれることがあればいつでも言ってくれって言ってたんだよ。んで、レコーディングに苦戦してるようなら呼ぼうかと……」

「ん~レコーディングには苦戦してないけど、リナさんにはまた会いたいかなぁ~。先輩ドラマーだしね」

 

 星歌の元バンドメンバーであるリナは、虹夏にドラムの基礎を教えてくれた相手でもあり、星歌から話を聞いていると昔を思い出して懐かしい気持ちになった。

 星歌が8年ほど前にライブハウスを作るためにバンドを辞めてから、ほぼ会うことは無くなったがまた会いたいという気持ちはあった。

 

「んじゃ、今度お前らのライブでも見に来いって言っといてやるよ」

「やった! 楽しみ!」

「懐いてたもんな。そういや、お前……世界一のドラマーになったら、一番前にドラムを置く法律を作るとか言ってたっけな~」

「お姉ちゃん!? そ、それは若い時のアレという奴やつで……」

「世界一のドラマーになっても法律は作れねぇけどな~」

「お姉ちゃん、今日のおかず一つ減らすから……」

「え? あ、ちょっ……」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべて台所に向かう虹夏の表情からは、いつの間にか疲れは消えているように見えた。

 

 

****

 

 

 2週目のレコーディングも近くなった日、虹夏がリョウと共にSTARRYにやってくると、酒瓶を片手に持って床に座って飲んでいるきくりが緩い笑顔で声をかける。

 

「あ~ふたりともおかえり~」

「げっ、廣井さん……」

「げって酷くない? どんどんお姉ちゃんに似てくるよねぇ……もっと優しく対応してくれてもいいのにさ~」

「お前ら丁度いいところに来た。コレ外に捨ててこい」

 

 きくりを見て虹夏が「また来たのか」と言いたげな表情を浮かべ、カウンターの椅子に座っていた星歌がパソコンを操作しながら片手できくりを指差しながら告げる。

 

「……せんぱ~い? 指差す方向間違えてないですか? ゴミ箱じゃなくて私のこと指差してるんですけど~?」

「いや、合ってるよ。床に転がってる腐れ酔っ払いベーシスト捨ててこいって言ってるんだからな」

「後輩に対する情が無い!?」

 

 きくりが酔っぱらっているのも、星歌がきくりに対して辛辣なのもいつも通りであり、虹夏とリョウは顔を見合わせて苦笑し、少し離れた場所に居たPAも口元を隠して苦笑する。

 そんな困った大人であるきくりを放置しつつ、虹夏とリョウが練習スタジオに向かおうとしたタイミングで、入り口の扉が開き、有紗がやってきた。

 

「こんにちは」

「あ、有紗ちゃん、こんにちは~」

「やっほ~」

 

 微笑みながら挨拶をする有紗に、虹夏とリョウが挨拶を返す。結束バンドのメンバーとしては、ひとりと喜多、虹夏とリョウ、そして有紗という形で別々の高校に通っているので、放課後にSTARRYに来る際は、有紗は単独で来ることが多い。

 それはいつも通りなのでまったく問題ない。だが、いつもと違った反応をする者がひとりいた。

 

 有紗が現れると、先ほどまで床に寝転がっていたきくりがスッと立ち上がり揉み手をしながら有紗に近付いていった。

 

「あ、有紗ちゃん、こんにちは~。今日もお疲れ様、喉渇いてない? お姉さんがなにかジュースとか奢ろうか?」

「こんにちは、きくりさん。いえ、お気持ちだけいただいておきます」

「そ、そっか~なんか私に出来ることがあったら、なんでも言ってね」

「はい。ありがとうございます」

 

 明らかにおかしい反応だった。どう見ても、有紗に対して後ろめたいというか、頭が上がらない雰囲気のきくりを見て、星歌を始めとした店内にいた面々は怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「なんだお前、ようやく自分の立場的なものを理解したのか?」

「いやね、先輩。私はね、もう有紗ちゃんには頭が上がらなくなっちゃったんですよ……」

「むしろいままで頭が上がると思ってたのが驚きなんだが……まぁ、それはそれとして、なんかしたのか? したんだろうな……お前本当に、有紗ちゃんが優しいからって迷惑かけすぎだぞ」

「説明する暇すらなく、断定された!?」

 

 いま話を聞いている者の中で共通しているのは、間違いなくきくりがなんらかの迷惑をかけて、それが原因で有紗に頭が上がらないという認識だった。

 そしてそれは間違いではないのか、きくりは若干気まずそうに目線を逸らしながら口を開く。

 

「……いや、事の発端は酔い潰れて道端で寝てて警察に職質されてる時に、偶然通りがかった有紗ちゃんに引き取ってもらって、そのままタクシーで家まで送ってもらったことから始まるんですが……」

「廣井さん、タクシー代は?」

「有紗ちゃんが払ってくれたよ~」

 

 虹夏の質問にきくりがゆるい口調で答えると、星歌がゴミを見る目できくりを見ながら口を開く。

 

「……いや、というか、発端もなにも、既に頭が上がらない理由としては十分すぎるやつが来たんだけど?」

「あ、いや、それに関してはいままでも何回か同じようなことをしてもらってるんで……」

「……お前もう、有紗ちゃんの前では常時土下座しとけよ」

 

 泥酔して警察のお世話になっているところを助けられ、タクシー代まで出してもらった上で家に送ってもらっている。それも10歳近く年下の女子高生にとなれば、星歌だけでなく虹夏やPAの目線が冷たくなるのも必然だろう。

 その絶対零度の視線に若干気圧されつつも、きくりは話を続ける。

 

「ま、まぁ、ともかくそれは何回かあったわけなんですけど、今回のは少し違ったんです。いつもは、有紗ちゃんも用事とかあるので、タクシーの運転手に目的地とか告げてお金を渡して送り出してくれる感じで……あ、そういえば、いつもおつりは私が貰ってたけど、返した方がよかった?」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ」

「さっすが有紗ちゃん! ……おっと、先輩だけじゃなくて皆の目が冷たいぞ? ゴミクズを見る目になってる気がするなぁ……」

「まさに現在進行形で、人間のクズを見てるんですよ」

「虹夏さんに同意です」

 

 虹夏とPAの冷たい目に、きくりは冷や汗を流すが……まだ本題を語っていないため、若干気まずそうに視線を泳がせつつも話を続ける。

 

「……ま、まぁ、とりあえず普段はそんな感じなんですけど、前回は有紗ちゃんにたまたま時間があったのか、家まで同行してくれたんですよ」

「いえ、時間があったというか……いつも以上に酔っぱらっていて運転手さんに変な絡み方をしていたので、そのまま送り出すのも問題かと思った結果です」

「……本当に申し訳ありませんでした」

 

 冷静に告げた有紗の言葉に、きくりは流石に罪悪感があるのか姿勢を正して土下座を行ってから話を続ける。

 

「それで、私のアパート見て有紗ちゃんが絶句して、私の部屋見てもう一度絶句してました」

「お前マジでどんなとこ住んでるんだよ……」

「築50年のお化け屋敷みたいなアパートでしたよ。通路に穴とか開いてますし、壁もボロボロですし……んでまぁ、有紗ちゃんが生活環境改めた方がいいですよ~ってガチで心配して言ってくれたんですよ」

「いえ、本当にあそこに住んでいてよく病気になったりしないものだと、感心するレベルでした」

 

 きくりの住むアパートは家賃が激安である代わりに、相応の場所である。いまにも崩れそうな外観に、風呂無しトイレ共用、お化けが出るとの噂もありきくり以外に住人がいるのかも怪しいようなアパートだった。

 

「んで、借金あるしお金ないし、このぐらいの激安アパートにしか住めないって話を泣き上戸的に語った結果……いや、なんと、有紗ちゃんが持ってるマンションの一室を、前のアパートの家賃と同じ金額で貸してもらえることになりまして~先日引っ越しました! いや、部屋も広いし綺麗だし、風呂もトイレもあるし、防音もしっかりしてるから室内で楽器も演奏できるしで最高ですよ~」

「お前マジで……ほぼ、有紗ちゃんのヒモ状態じゃねぇか……」

「あ、あはは……そんなわけで、有紗ちゃんには頭が上がらないなぁと……」

「むしろ、なに気安くちゃん付けで呼んでやがる。様付で呼んで敬語使えって言いたいレベルなんだが……」

 

 唖然とした表情で告げる星歌の言葉を聞いて、当の有紗は苦笑を浮かべる。

 

「まぁ、丁度きくりさんの誕生日も近かったので、誕生日プレゼントも兼ねてという感じですね」

 

 実際とんでもないプレゼントではあるのだが、本当に有紗にしてみれば大したことではない様子で特に気にしたりしている様子もなかった。

 

「こんにちは~って、大集合ですね」

「あっ、こっ、こんにちは」

「ひとりさん、喜多さん、こんにちは」

「あっ、有紗ちゃん……」

 

 そして直後にひとりと喜多がやってきたことで、きくりの話は終わりとなり……有紗は嬉しそうにひとりの元に近付き、同様に笑顔を浮かべたひとりと楽し気に会話を始めていた。

 

 

 




時花有紗:きくりへの誕生日プレゼントは、前のアパートと同じ家賃での部屋の提供と引っ越し費用の負担。別に本人にしてみれば大したことではない様子。

後藤ひとり:有紗と一緒に行動していることが多いので、一緒にきくりを助けたことも何度かある上、有紗から話を聞いていたのできくりの件は知っていた。余談だが、だいたいいつもSTARRYに来た時は、有紗がいるとあからさまに嬉しそうな顔になる。

廣井きくり:築50年のお化けアパートから引っ越し済み、かなりいいマンションの一室に……流石に、世話になりまくっている自覚はあるのか、有紗には頭が上がらない模様。

世界のYAMADA:きくりを馬鹿にできないぐらい自身も有紗に世話になりまくってることを自覚しているのか、虹夏たちが冷たい目線できくりを見てるさいにも、気まずそうに目を逸らしていた。


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百手完成のMIX音源

 

 

 迎えた2週目のレコーディングでの、皆さんの調子は良く順調に進んでいきました。

 

「お疲れ様~いいテイクだったよ。この調子でどんどん進めちゃおう!」

 

 上村さんが上手く皆さんのテンションを高く保ってくれるので、いい集中力で収録に臨めている状態です。やはりこの辺がエンジニアとしての腕の良さなのかもしれません。

 私も演奏には参加しませんが、意見を出せる場面では積極的に気付いたことなどを進言しています。

 

「……ひとりさん、次の曲なんですが、スタジオの音の聞こえ方を考えると、この部分は普段よりピッチを下げた方がいいと思います」

「あっ、えっと、ここですね……どのぐらい下げればいいですかね?」

「ほんの僅かで大丈夫です。調整する程度で」

「あっ、はい。わかりました!」

 

 当然ではありますが練習スタジオやライブハウスとは似ているようで環境が違うので、音の聞こえ方も若干変化はします。

 細かい調整で難しい部分なので、相談して意見をすり合わせつつ調整するような形です。

 

「有紗、私のオクターブチューニングズレてないか確認してもらっていい?」

「ええ、大丈夫です……ふむ、まったくズレてないですよ。押さえの力も適切です」

「ん、了解。ありがと」

 

 ベーシストにとってオクターブチューニングは僅かなズレで音程がズレてしまうリスクがあるもので、リョウさんもかなり気を使っている印象です。

 特にオクターブチューニングは弦を押さえる力が強すぎたりすると、弦が伸びて音程が上がってしまう可能性もあります。今回の様なレコーディングでは、演奏に力が入りがちになってしまうので、第三者である私に確認を頼むことで、力の入り具合を調整しているのでしょうね。

 

 そんな風に時折意見を出しつつレコーディングは進んでいき、予定されていた全ての曲の収録が完了しました。

 

「よし! 全曲録り終わったよ~皆お疲れ様~。1曲試しにラフMIXしちゃうね~!」

「お疲れ様です。皆さんは、出来るまで自由にしてていいですよ」

 

 無事にレコーディングが終わり上村さんのラフMIXが完成するまでは自由にしていて構わないと都さんが言ってくださったので、私たちは休憩室に移動して雑談をします。

 皆さんある程度疲労はあるようですが、レコーディングを終えた達成感で、どこか満足気な様子でした。

 

「MIXって時間かかりますかね? この間にご飯食べに行きます?」

「う~ん、そんなに時間かからないと思うんだけど……有紗ちゃん、大体どのぐらいかかるか分かる?」

「エンジニアさんの力量によっても変わりますが、おおよそ30分~1時間だと思いますよ」

 

 ラフMIXは仮のものであり、今回の場合はプロデューサーである都さんが一度持ち帰ってレーベルで確認する用の音源ですので、比較的短時間で完成します。

 その持ち帰ったラフMIXを検討し、問題が無ければ正式なMIXに進みます。これは、レコーディングスタジオという設備の整った特別な環境で聞くのと、普通の部屋などでCDを用いて聞くのでは同じ音源でも聞こえ方が違い、スタジオでは気付けなかった課題や修正箇所に気付く可能性があるからとのことです。

 

「食事に関しては、この後事務所が打ち上げしてくれるでしょ? JOJO苑とかがいいな、お肉食べたい」

「あっ、そっ、そうなんですか? あっ、あんまり予算無いって話ですけど……」

 

 リョウさんの言葉にひとりさんが首を傾げます。私もひとりさんと同じく少し疑問に感じていますね。それほど潤沢な予算があるとは思えないので、打ち上げに回す予算があるのでしょうか?

 これが仮に、CDがよく売れた結果の2度目のレコーディングであり、次も期待されているという状態なら打ち上げの予算を用意してくれるかもしれませんが……現状では厳しいでしょうね。

 

 そんなことを考えていると、ラフMIXが完成したようでスタジオに移動して音源を聞くことになりました。プロのエンジニアさんが作成したMIXはやはり素晴らしく、上村さんの腕がいいこともあって素晴らしい完成度でした。

 

「すごーい!」

「あっ、カッコいいです」

「プロみたいです」

 

 虹夏さん、ひとりさん、喜多さんが完成した音源に感動した様子を浮かべて喜んでいます。リョウさんも満足気ではありますが、微妙に納得していない表情なのは聞いてみて課題を見つけたのでしょう。音楽に関してはストイックな面もある人ですし、冷静に考えを巡らせている様子です。

 

「エンジニアさんってやっぱり凄いんですね!」

「音の魔法使いみたいです!」

「高校生は反応が素直でいいね~。そんなに褒めてくれるなら、こ~んなオプションも付けちゃうぞ~。もちろんちゃんと請求も上乗せしちゃうぞ~」

「……おい」

 

 虹夏さんと喜多さんに賞賛された上村さんが嬉しそうにオプションを追加し、都さんからツッコミを喰らっていました。

 その光景を見つつ、私は近くに居たリョウさんとひとりさんに声をかけます。

 

「どうでしたか?」

「あっ、えっと、不安でしたけどカッコよくMIXされてよかったです。あっ、けど、やっぱり少しズレてるところもあるので、もっと練習が必要だって思いました」

「私も正直まだ実力不足に感じる部分もあって、プロとのレベル差を感じる」

 

 ひとりさんもリョウさんもラフMIXの音楽に満足しつつも課題を感じている様子で、向上心を感じる雰囲気に私も思わず笑顔になります。

 虹夏さんや喜多さんも同じようにそれぞれ課題を感じているのは雰囲気で分かりますし、結束バンドそのものもこれからもっと成長できるという幅を感じました。そういう意味でも、このレコーディングはいい経験になったと思います。

 

「レコーディングってのは大抵どんなバンドでもこんなもんでね。プロでも必ずといっていいほど、毎回反省点が出てくるんだよ。けど、それが正解! いまの音楽に満足しちゃったら、バンドの成長もそこで止まっちゃうからね!」

「そうですね。今回感じたことは次のレコーディングで活かせるようにしてくださいね」

「次? 都ちゃんも期待してるんだね~でも、売れなかったらもう出せないんでしょ? 私としては、これからも一緒にお仕事したいし、頑張ってほしいけどね~」

「そ、そうでしたね」

 

 上村さんの言葉に少しうっかりしていたという表情を浮かべる都さんですが、上村さんの言う通りかなり期待してくれているのでしょう。いまからもう、ミニアルバムが発売したあとについていろいろ考えてくれている雰囲気を感じました。

 そうして、レコーディングは終了となり上村さんに改めてお礼を言ってスタジオの外に出ます。すると、喜多さんがはしゃいだ様子で都さんに話しかけました。

 

「それじゃあ、打ち上げに行きましょ~!」

「そんな予算はありませんが?」

「……え?」

 

 やはりというべきか、打ち上げに使う予算は無いようです。キッパリと告げる都さんの言葉に皆さんも一瞬落ち込んだような表情を浮かべましたが、その後に即座に動いたのがリョウさんでした。

 リョウさんは私の方を向いて祈るように両手を組み、目を潤ませて訴えかけてきます。

 

「あ、有紗……私たち、頑張ったと思うんだ……」

「そうですね。皆さん慣れないレコーディングを2週に渡り頑張りましたし、いい気持で今日を終えたいですね。それでは、特に他に希望が無ければリョウさんの要望通りJOJO苑で打ち上げにしましょうか」

「やっぱり、有紗は最高。流石ぼっちの嫁」

「あっ、ちっ、違います。まだ……」

 

 リョウさんがなにを希望しているかも分かった上での返答。リョウさんだけでなく他の皆さんも私が打ち上げ代を持つことを察してくれている様子です。ああ、都さんとやみさんは少しキョトンとした表情を浮かべていますね。

 

「都さんとやみさんも一緒にいかがですか? 場所はJOJO苑の予定で、打ち上げ代に関しては私が負担します」

「え? いえ、ですが、私たちまで行ってしまうと……」

「食べ放題とかじゃなくてJOJO苑はヤバいって、あそこの金額は学生がそうそう手を出せるような……手を……普通の学生なら……手が出ないはずなんだけど……えっと……」

「あっ、有紗ちゃんはJOJO苑のことリーズナブルな価格の店って言ってました」

「……あ、そ、そうなんだ……私の知ってるリーズナブルと違う」

 

 都さんもやみさんも戸惑っていた様子でしたが、最終的には一緒に打ち上げに行くことに決まり、私たちと共にJOJO苑に移動しました。

 

 美味しい焼肉を食べながら、レコーディングの反省点や感想を語り合い、非常に楽しく打ち上げを行えたと思います。最初は少し口数の少なかった都さんややみさんも、後半はかなり楽しげな様子でしたので、誘ってよかったと思いました。

 

「……ブラックカード持ってるんだけどあの子……」

「そういえばチラッとうちの主要大株主になれるだけの株式を確保したとか言っていたような……あれは……冗談ではなかったんですね」

「さすが、スタンウェイ所持者……」

 

 ただ、会計時には以前のケモノリアやSIDEROSの皆さんのように、どこか遠い目をしていたのが印象的でした。

 

 

****

 

 

 レコーディングからしばらくして、完成した音源が送られてきました。その際には私はたまたまひとりさんの家に遊びに来ていたので、一緒に完成音源を聞く流れになりました。

 さっそく準備をしようとするひとりさんを見て、私はふと思いついたことがあったので声をかけました。

 

「ひとりさん、待ってください」

「あえ? はっ、はい。どうしました?」

「ひとつのイヤホンをふたりで一緒に聞くというのをやってみたいのですが……」

「あっ、ありますね……そういうやつ……せっ、青春感が凄い……いっ、いや、別にいいですけど……」

 

 そう、恋愛映画などでたまに見る互いに片方ずつのイヤホンを耳に付けて、身を寄せ合って音楽を聴く……素晴らしいです。これをやらない手はありません。

 そう思って提案すると、ひとりさんもすぐに了承してくれて互いに片方ずつのイヤホンを付けて身を寄せ合うようにしました。

 

「あっ、おっ、思ったより顔が近い……」

「ひとりさんの顔が近くて嬉しいです」

「だっ、だから、そういう恥ずかしいことを平然と……もっ、もう、再生しますよ」

「ふふ、楽しみですね」

「あっ、はい……ですね」

 

 そう言って顔を見合わせて笑い合った後、聞こえてきた完成音源の音楽を聴きながら、肩を寄せ合って目を閉じてしばし流れる音をひとりさんと共に楽しみました。

 

 

 




時花有紗:結束バンドの誇る最強パトロン。JOJO苑も数度行ったので「私もチェーン店に詳しくなってきた」とそんな風に思っているとか思っていないとか……あと隙あらばいちゃつく。

後藤ひとり:前よりさらにいちゃつく頻度が上がったというか、すぐにイチャイチャを了承することも多くなってきた。

司馬都&14歳(仮):STARRYの面々、SICKHACK、SIDEROS、ケモノリア、後輩たちと同じように圧倒的財力の差をわからされた。


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百一手和解の推し活ライブ

 

 

 秋も中盤となりようやく夏の残暑も落ち着いて涼しくなってきたころ、私は放課後にひとりさんと喜多さんと合流して一緒に歩いていました。

 この後駅で虹夏さんとリョウさんとも合流して、5人で新宿FOLTにSICKHACKのワンマンライブを見に行く約束をしています。

 

「SICKHACKのライブ楽しみね!」

「あっ、でっ、ですね。なんだかんだで、結構久しぶりな気がします」

「以前聞いたのは未確認ライオットのサードステージの際にゲスト出演した時ですから、もう数ヶ月前になりますね」

「月日が流れるのってあっという間よね~」

 

 SICKHACKは未確認ライオットのゲストに選ばれることからも分かるように、インディーズとしてはトップレベルの実力を持つバンドです。実力だけなら本来ならメジャーデビューしていてもおかしくは無いのですが……まぁ、実力以外のところに問題があるというか……問題はほぼきくりさんというか……そういった感じのバンドです。

 ただ、実力は間違いなく本物なので、そのライブを見るのは結束バンドとしてもかなり勉強になるでしょう。特にいまは初のレコーディングを終えて、皆さんさらなる成長を求めているタイミングでもあるので、刺激を受けるのは最善と言えるかもしれません。

 

 そんなことを話しながら歩いていると駅に到着し待ち合わせ場所に移動すると、そこには虹夏さんとリョウさんと……なぜか恵恋奈さんがいました。

 

「あ、3人ともこっちだよ~」

「有紗様! 今日も顔がいい! 尊みの光が溢れて、まるで太陽のようです! 今日も存在してくれてありがとうございます!!」

「こんにちは、恵恋奈さん。今日も生き生きとしていますね。恵恋奈さんもFOLTに?」

「はい! すきぴとデートできる機会を逃すなんてできませんし、SICKHACKも大好きなので……あ、もちろん最推しは結束バンドですけどね!」

「……なんで有紗は、この宇宙人に引くことなく平然と対応できるんだ?」

「あっ、有紗ちゃんはメンタル最強なので……」

 

 恵恋奈さんは素直でテンションの高い方ではありますが、しっかりと節度はわきまえている人で、相手が本当に嫌がる様な事をするタイプではありません。

 まぁ、そのテンションの高さからひとりさんやリョウさんは若干苦手意識があるみたいですが……。

 

「ああ、それと恵恋奈さんが来るのは知らなかったので用意していないのですが、他の皆さんの分のチケットはあるので先に渡しておきますね」

「推しがえれを気遣ってくれてるっ……あ、大丈夫です。えれも元々行くつもりでチケットは持ってますので!」

「なるほど、それならよかったです」

「……え? というか、有紗ちゃんチケット用意してくれたの? 当日券買う予定だったんだけど……」

 

 私が5枚のチケットを取り出すと、虹夏さんが驚いたような表情を浮かべました。いえ、私としても特に先に購入する予定は無く当日券で入るつもりだったのですが……。

 

「いえ、それが……今日ライブを見に行くことをきくりさんに連絡したら、なぜか土下座をして人数分のチケットを渡してきたので……いえ、もちろんちゃんとお金を払って購入しましたが……」

「例の件で完全に頭上がらなくなってる!?」

 

 まぁ、そんなことがあってチケットを先んじて手に入れることになったので、皆さんに渡し……当初の予定だった5人に恵恋奈さんを加えた6人で新宿FOLTに移動しました。

 

 

****

 

 

 新宿FOLT前は、流石に人気のSICKHACKのワンマンライブとあって、開店前から列ができており賑わっている様子でした。

 

「わ~今日もいっぱいだね~流石SICKHACK」

「あ、同志が……すみません、ちょっと挨拶してきますね」

「同志? うん? オタク友達?」

 

 私たちも列に並ぶと、そのタイミングで知り合いを見つけたらしい恵恋奈さんが挨拶をすると言って移動していきました。

 

「推しの金づるさんまた会いましたね~」

「しゅきピの養分になりたいオタクさんじゃないですか~! ちょまっ、あっ、あそこにいるのは……」

「ふふふ、そうなんです! 今回は結束バンドの皆さんと一緒に来たんです!」

「い、いったいどれだけの徳を積めばそんな極楽浄土に……ちょわっ!? おきゃわわわわ!! あ、有紗様とぼっちさんが手を繋いで……あああああ、尊いオブザイヤー決定!!」

 

 相手の方も恵恋奈さんと同じく推し活に熱心な方で、同時に結束バンドのファンでもあるみたいで時折こちらを見ながらふたりで楽し気に盛り上がっていました。

 

「……ああ、同志って、有後党か……」

「そういえば、最近なんかオリジナル推し活タオルとか作ってましたし、独自のファングッズも作ってるみたいですよ」

「どういう組織なんだ有後党……」

 

 虹夏さんの納得したような言葉に、喜多さんとリョウさんもしみじみと頷いていました。

 

 その後しばらくしてFOLTが開店し、私たちも入場しました。すると丁度そのタイミングでフロアに来た志麻さんと会って、軽く挨拶をします。

 恵恋奈さんもSICKHACKのライブにはよく顔を出しているみたいで、メンバーとも顔見知りのようで非常にテンション高く接していました。

 特にイライザさんと仲が良いようで、恵恋奈さんがSTARRY以外でバイトしているコンセプトカフェの常連だとかで、非常に仲良さそうにしていました。

 

 そして、志麻さんたちは控室に向かいもうすぐライブの開始時間となったのですが……そこで少々トラブルが起こりました。

 ライブは静かに見たい派であり、恵恋奈さんのテンションを苦手としているリョウさんのイライラが募っていたのか、恵恋奈さんを避けるように奥でひとりで見ると宣言しました。

 その際に恵恋奈さんにかなりキツイ台詞を言って去っていきました……まぁ、恵恋奈さん自身は気にしていない様子でしたが、リョウさんの方は勢いで言ってしまったものの言い過ぎだったと感じているので、奥の席に座りながらも少し落ち込んでいるようにも見えました。

 

「あっ、有紗ちゃん……リョウさん、大丈夫ですかね?」

「たぶんですが、本人も言い過ぎたと思っているみたいですね。リョウさんはああ見えて少し繊細なところがありますので、少し自己嫌悪しているかもしれないので、そこが心配ですね」

「あっ、そっ、それちょっと分かります。勢いで言っちゃった台詞に、後で落ち込むとか、私も何度か経験しました」

「まぁ、少し頭を冷やしたあとでふたりが話せるようにしましょう。恵恋奈さんも少々癖はありますが悪い方ではないので、落ち着いて話せばすぐ仲直りできると思いますよ」

 

 人付き合いというのは些細な認識の違いで拗れてしまうことも多いですし、特に当人たちにはなかなか察しにくい部分もあります。

 そういった際は周りにいる私たちがサポートして仲を取り持つのが重要ですね。今後も接する機会の多い相手になるでしょうし、上手くリョウさんと恵恋奈さんの仲を取り持ちたいものです。

 

 そう思いつつ、始まったライブを鑑賞していると……ふと気になる光景が目に留まりました。

 

「……おや?」

「あっ、有紗ちゃん? どうかし……あれ? リョウさん、誰と話してるんですかね?」

「分かりませんが、あまりいい雰囲気ではないですね」

 

 奥の席に座るリョウさんの前に見覚えのない女性がいて、話の内容までは聞こえてきませんがなんとなくよくない雰囲気のように感じました。

 さすがに放置しておくわけにもいかないので向かおうと思ったのですが、私より早くリョウさんの元に向かっていく恵恋奈さんを見て思い留まりました。

 

 ひとりさんと顔を見合わせて、少しリョウさんのいる場所に近付くと、恵恋奈さんとリョウさんに話しかけていた女性との会話が少し聞こえてきました。

 するとおおよその事情は見えてきました。どうもその女性はリョウさんが結束バンドの前に所属していたバンドのファンだったようで、それもかなり熱心に応援していたみたいです。

 

 本当はただ単純にリョウさんのファンであるということを伝えて話したかっただけだったみたいですが、実際にリョウさんと話すと前のバンドが好きだったという気持ちが抑えられず、結束バンドを否定するような言葉を発しかけてしまい、そこを恵恋奈さんが止めに入ったようでした。

 

 その女性も悪い方というわけでは無い様子で、恵恋奈さんの話を聞いて自分が間違っていたとリョウさんに謝罪して、これからも応援していくことを伝えていました。

 

「……どうやら、問題なく解決したみたいですね」

「あっ、よっ、よかったです。そっ、それに……リョウさんと日向さんも仲直りできたみたいですね」

「そのようですね。変に拗れる前に解決してよかったです」

 

 その後リョウさんも恵恋奈さんに先ほどの発言を謝罪し、恵恋奈さんに対する認識を改めていました。雨降って地固まるという言葉がピッタリくるような雰囲気で、この様子ならこれから先は互いに仲良くできそうだと、そんな風に感じました。

 

「……そういえば、リョウさんは恵恋奈さんを少し苦手にしていましたが、ひとりさんは大丈夫ですか?」

「あっ、私はあんまり……なっ、なんていうか、えっと……別に苦手だったりとかはないです。声が大きいとびっくりしたりはしますが……」

「ふむ。ひとりさんもかなり精神的に成長していて、様々な相手を受け入れるだけの度量が付いてきているのかもしれませんね」

「……あっ、いや、そうじゃなくて……押しの強い相手にある程度慣れているというか、いま目の前にいるというか……そっ、それで多少耐性がある感じです」

「……え? んん?」

「ぷっ、あはは……あっ、有紗ちゃんが、そんな風にキョトンとするのは珍しくて、なんか可愛いです」

 

 どうやらひとりさんが恵恋奈さんにあまり苦手意識が無いのは、グイグイ押してくるタイプは私という前例があるのである程度慣れているということらしいです。

 なんとも微妙な心境ですが、過去の行いを考えると否定もできないのでつい言葉に詰まってしまいました。すると、ひとりさんは私の反応が面白かったのか、どこか楽し気に笑っていました。

 

「う、う~ん、過去の行いを考えると否定もできないですし、時折暴走した自覚もあるのでどうにも気恥ずかしいですね」

「あはは……あっ、でも私はそんな有紗ちゃんが……」

「うん?」

「あっ、いっ、いい、いえ、なんでもないです!? さっ、ライブ見ましょう!!」

 

 

 




時花有紗:メンタル鬼つよなので、恵恋奈のテンションにもまったく動じず普通に対応する。過去に暴走したことは反省しており、若干気恥ずかしくも思っているので、珍しく照れていた。

後藤ひとり:原作と違って補習を受けていないので、普通に皆と一緒にライブを見に来た。有紗がそもそも押しが強くてグイグイくるタイプなので、恵恋奈に対してもある程度耐性があるためそんなに苦手意識は無かった。最後にポロッとなにか言いかけてた……。

シリアス寄りのイベント:百合いちゃいちゃとあまり関係ないので、容赦なくダイジェストで飛ばす。

小ネタ:リョウが結束バンドの前に所属していたバンド名は「ざ・はむきたす」という3ピースバンド。アニメ第4話で閉店したCDショップに寄った際に、貼ってあった「ダ・ダ・ダ 対バン」と書かれたポスターにリョウの所属していたバンドが映っていたので、知らない人は探してみよう。


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百二手襲来のピアニスト~sideA~

 

 

 それは10月も終わりに差し掛かった日のことでした。いつものようにSTARRYにて練習のあとで打ち合わせを行っていた際に、虹夏さんがテンション高めに提案してきました。

 

「今年のクリスマスは自主企画ライブをしよーと思います!」

「自主企画?」

「ブッカーやライブハウス主体ではなく、バンド側がライブハウスの枠を1日貸し切って行うライブです。自由度が高くいろいろなことができる代わりに、出演者の選定や宣伝まで全て私たちで行う必要があるので大変ではありますね」

 

 虹夏さんの言葉に首を傾げていた喜多さんに簡単に説明します。しかし、自主企画ライブですか……クリスマスということは、星歌さんの誕生日も関係しているのかもしれません。

 その考えを肯定するように、虹夏さんが笑顔で告げます。

 

「お姉ちゃんの31歳の誕生日だし、それも兼ねてやろうと思ってるんだよ!」

「へ~楽しそうですね」

「イベント名は題して……『結束バンド初企画ライブ生誕31年クリスマスライブ!』かな!」

「私たちがとんでもないベテランバンドみたいになってませんか!?」

 

 たしかに虹夏さんが提案したイベント名だと、結束バンドが結成31年目のように聞こえますね。まぁ、その辺りはあくまで仮のものですし、今後の話し合いで調整すればいいでしょう。

 

「確かに結束バンドの人気もそろそろワンマンライブを視野に入れてもいいぐらいになっていますし、新年の新曲リリース前の宣伝にも適していますね。ただ、よくクリスマス当日を押さえられましたね?」

「ああ、ダメ元だったんだけどなぜかこの日だけはぽっかり空いてたんだよね~」

 

 クリスマスは当然ながら大きなイベントシーズンですし、ライブハウス側としても稼ぎ時ではあります。そこが丸々空いていたと考えると……偶然ではなく、確実に意図的に空けていたんでしょうね。星歌さんはサプライズが好きなようですし、こういった企画を待ち望んでいたのでしょう。

 

「まぁ、ともかくそんなわけでいつもより準備が多くて大変だけど、きっとやりがいは十分あるから皆で頑張ろ~!」

「お~!」

 

 とりあえず皆さんも乗り気な様子で、虹夏さんと喜多さんを中心にあれこれと案を考え始めました。ひとりさんもソワソワとしており、少し楽し気な雰囲気を感じます。

 ただ、果たしてそう上手くいくでしょうか……クリスマスとなると、当たり前ですが他でもイベントは多いですし……。

 

「……ねぇ、有紗。これ大丈夫だと思う?」

「う~ん。おそらく苦戦はすると思いますね。ブッキングライブに参加するのと、企画から主体で行うのではまったく変わってきますし……リョウさんも不安ですか?」

「というか、虹夏がハイテンションで突っ走る時は、だいたい楽観視してるっていうか……失敗フラグ」

 

 結束バンドの人気はたしかにかなり上がっていますが、バンド同士の横の繋がりはあまり多くないので、問題は果たして十分な演者を確保できるかどうかですね。

 まぁ、とはいえ否定的なことばかりを考えても仕方がないですし、乗り気な雰囲気に水を差すのもよくないので、細かな問題は後々詰めていきましょう。

 

「じゃ、なにか提案ある人~!」

「はいは~い、サンタコスしたいです」

「コスするなら、限定ブロマイドも出そう。絶対売れる」

「あっ……うっ……」

 

 盛り上がっている虹夏さん、喜多さん、リョウさんの3人の横で、ひとりさんが話に加わる切っ掛けがつかめず困惑していたので、それを助けるために私はひとりさんに声をかけます。

 

「ひとりさんはどうですか、なにかクリスマスらしい案などはありますか?」

「あっ、有紗ちゃん……あっ、えっと、クリスマスっぽい曲とか……」

「なるほど、クリスマスソングのカバーなどもいいかもしれませんね。クリスマスソングには著作権フリーの楽曲も多いので、ロックアレンジなどをしてもいいかもしれませんね」

「お、いいじゃん! たのしそ~。ぼっちちゃんは、クリスマスソングとかも弾ける?」

「あっ、はい。一度聞けば大体は……」

 

 ひとりさんがおずおずと提案した案に虹夏さんも乗り気で、クリスマスソングのロックアレンジをやろうという方向で話が進んでいきます。

 ちなみに、ひとりさんはクリスマスソングも一通り弾くことはできますが、青春コンプレックスを刺激するとかでギターヒーローのアカウントでもクリスマスソングのカバーは行っていなかったみたいです。

 ただ、最近は青春コンプレックスはほぼ克服したようで……実は、今年は一緒にクリスマスソングのカバーを演奏して投稿しようという話になっていたりします。

 

「なんかおもしろそーな話してますね!!」

「えれたちも混ぜてくださーい」

「そうですね。猫々さんや恵恋奈さんの意見も聞かせてもらえれば助かります」

 

 私たちの話に興味を持った猫々さんと恵恋奈さんが近づいて話に参加してきました。もちろんSTARRYのスタッフでもあるおふたりの協力も必要になってくるので、話に参加してもらうことになりました。

 

「えれも集客なら協力できますよ。宣伝チラシとか作るの得意なので~」

「わー助かるわ」

 

 恵恋奈さんは推し活でうちわなどを作る機会もあるとのことで、チラシなどの作成や宣伝を手伝ってくれることになりました。

 恵恋奈さんは交流関係も広いですし、そういった分野には非常に強そうです。ただそうなると、猫々さんはこれといったやることが見つからないのか、落ち着きなく視線を動かしてから決意を込めた目で立ち上がりました。

 

「じゃあ、ウチはさっそく外で呼び込みしてきます!!」

「それはいいかな……」

 

 当日であるならともかくとして、現時点で外での呼び込みは意味はないでしょう。ただ猫々さんとしては、なにか力になりたいのでしょうね。どこかソワソワとした様子で視線を動かしていたので、私が声をかけることにしました。

 

「……でしたら、猫々さんは当日の飾りつけに協力してください。クリスマスらしい飾りつけを行うのはそれなりに重労働ですし、飾りの買い出しなどもありますので体力に自信のある猫々さんにはそういった仕事を手伝ってもらいたいです」

「はい!! 任せてください、バイトリーダー!!」

 

 猫々さんに関しては、やる気が空回りしてしまう典型的なタイプなのである程度こちらでコントロールしてあげるのがいいです。恵恋奈さんはその辺りも強かな部分があって、抑えるべきところは抑えますが……猫々さんは良くも悪くも常に全力です。

 

「……まぁ、ですが、そういった企画以上に出演バンドを早めに決める必要があるでしょうね」

「あ~そこは大事よね。伊地知先輩、出演バンドに当たりは付いてるんですか?」

「廣井さんとかSIDEROSとかケモノリアとか、私たちと親交の深いバンドにお願いするつもりだからね」

「そんなに簡単に集まる? 自分たちのライブもあるんだし、結束バンドの企画ライブなんか優先してくれるかな?」

 

 やはりこういう時にリョウさんは冷静かつ正確に状況を把握しているので頼りになります。虹夏さんは、いまはテンションが上がってしまって少し楽観視している雰囲気があるので……。

 

「あっ、えっと、私も難しいんじゃないかなぁって……」

「え~そうかな?」

「有紗、どう思う?」

 

 ひとりさんもある程度冷静に引いて状況を見ているみたいで、自主企画ライブの成功がそう簡単ではないと認識している様子でした。

 するとそのタイミングでリョウさんが私に話を振ってきたので、軽く頷いてからそれに返答します。

 

「そうですね。少なくとも、いま虹夏さんが挙げた3組に関しては参加はほぼ無理だと思います」

「……え? そ、そうなの?」

「ええ、まず毎年新宿FOLTではSICKHACKのクリスマスライブを行っているという話ですし、メインであるSICKHACKの参加は確実に無理です。そして、SIDEROSもFOLTをホームとしていますし、去年も一昨年もSICKHACKのライブに出ているので、こちらに参加するのは無理でしょう。ケモノリアに関しても同様で、あれだけの人気バンドですと、クリスマスライブはほぼ確実にホームであるライブハウスで予定が組まれているはずです」

「そ、そういえばFOLT組は毎年クリスマスライブしてたんだった……ど、どうしよう……ほ、他にもある程度知り合いのバンドはいるけど……」

 

 私の説明を聞いて、どうやら虹夏さんも参加バンドを集めるのは簡単ではないと悟ったようで先ほどまでとは違って、青ざめた表情に変わりました。

 最悪ワンマンライブという手もありますが……流石にクリスマスイブという激戦時期にワンマンを行えるだけの集客力が結束バンドにあるかと言われれば……難しいですね。

 

「あっ、そっ、その、私のお父さんもいちおうバンドに入ってましたし、現役の頃のメンバーと交流もあるみたいなので、頼めば出れる可能性も?」

「……ぼ、ぼっちちゃんのお父さん?」

「ああ、虹夏さん。実力に関しては安心していいですよ。お義父様のバンドは過去に一度だけですが、ローカルCMに使用されたりもしたという話なので、実力は確かですよ」

「それならいちおう候補にはなるんじゃない?」

 

 お義父様はブランクはあるとはいえ、元々は本格的にバンド活動を行っていたので実力的には安心できます。ただ、どうしても他の参加者との年齢差はあるので即決は難しいでしょうが……。

 

「と、とりあえず当たれる伝手に声をかけてみる形で頑張ろう。ワンマンになると箱代も十数万とかになるから、ノルマひとり5万とかになっちゃう」

「まぁ、箱代に関しては別にどうとでもなるので心配しなくても大丈夫ですよ」

「確実にどうとでもできるであろう有紗ちゃんが言うと、説得力が違うわね」

 

 いざワンマンライブになったとしても、ノルマ代は別に私が支払えばいいので問題はありません。ただ、流石に初めてのワンマンライブがいきなりクリスマスイブというのはハードルが高いので、出来れば回避したいところですが……。

 ともかくひとまずは知り合いに当たりながら、結束バンドの動画サイトなども利用して宣伝をして参加バンドを募集していこうという話で纏まりかけたタイミングで、STARRYの入り口のドアが勢いよく開かれました。

 

『ここかな? おじゃましま~す! あれ? この空気、もしかしてまだ開店前?』

 

 聞こえてきたのはフランス語であり、その声に聞き覚えがあった私は慌てて振り返りました。するとそこには、キャスケットを目深に被り、サングラスをかけたラフな恰好の女性が居て、その姿を見た瞬間私は思わず立ち上がりました。

 

『あ! 有紗~!! やっほ~!!』

『な、なんで貴女が……玲さん!?』

 

 唐突にSTARRYに現れたのはパリに住んでいるはずの友人にして世界的なピアニストである琴河玲さんでした。いつの間に日本に? というか、なぜここに?

 あまりに唐突な事態に呆然とする私の視線の先で、玲さんは楽し気な笑顔を浮かべていました。

 

 

 




時花有紗:さすがの有紗ちゃんも、唐突なピアニスト登場にビックリ。ある意味ではサプライズは大成功した。

後藤ひとり:有紗のおかげで問題なく話題に参加出来て、疎外感などは感じなかった。リョウと同じくある程度は冷静に状況を把握していた。

琴河玲:年末のコンサートの打ち合わせのために一時日本に来訪して、無理やり時間を作ってSTARRYにきた。有紗を驚かせられたので、サプライズは成功である。


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百二手襲来のピアニスト~sideB~

 

 

 とあるビルの応接室。17歳にしてパリを拠点に活躍する世界的ピアニストでもある琴河玲は、年末に日本で行う予定のコンサートに向けての打ち合わせと下見のために日本に来ていた。

 現在は当日コンサートホールで配布するパンフレットに掲載する記事用のインタビューを受けているところだった。

 

「琴河玲さんは、普段パリを拠点に活動されていて日本のでコンサートは久々ということですが、率直な気持ちをお聞かせください」

「はい。やはり久々に日本に来ると不思議と帰ってきたなぁという気分になります。フランスやヨーロッパを中心に各国でコンサートを行うことはありますが、やはり故郷だからでしょうか? 日本でのコンサートは少し特別な気持ちになりますね」

 

 記者の質問に17歳とは思えない落ち着いた様子で答える玲。青空のような色合いの髪に、片目だけ色素の薄いオッドアイも相まって、その佇まいからはどこか神秘的な魅力を感じた。

 その後も順調に取材は進み、予定通りの時間で終了となった。記者と軽く握手を交わしたあとで、玲はマネージャーである女性と共に出版社のビルを後にする。

 

 マネージャーが運転する車の助手席に座った玲は、先ほどまでの落ち着いた雰囲気はどこに消えたのかというほどに気の抜けた表情を浮かべる。

 

「は~疲れた~。甘いもの食べたいな。マネージャー、どっかでどら焼き買おう!」

「はいはい。けど、少し休憩したらすぐにコンサートホールの下見、それから打ち合わせ、そのあとで宣伝ポスター用の写真撮影よ」

「うへぇ、キツキツじゃん」

「貴女が、どうしても自由行動できる時間が欲しいっていうからスケジュールを詰めたのよ。つまりは、自業自得ね」

 

 そう言って苦笑するマネージャーに玲はなんとも言えない表情を浮かべた。ことピアノに関して、玲は非常に徹底している。

 コンサート会場となる場所には必ず事前に直接足を運ぶ、コンサートホールの広さ、舞台からの見え方、音の反響などを確認するためだ。

 彼女曰く環境もすべて把握しなければ「最高の演奏」は作れない。自身の体調や精神状態、環境や会場の性質などすべてを把握し、薄皮一枚一枚を重ねるように研ぎ澄まし、当日その会場で演奏をするという条件において最高の状態を作り上げるという徹底ぶりは、若くして世界一の呼び声も多い稀代の天才ピアニストだけはある。

 

「見てみて、このクラシック雑誌ボクが表紙だよ。天才ピアニストだってさ……」

「相変わらず天才って呼び名には露骨に嫌そうな顔するわね?」

 

 もっとも、当の本人はその呼び名を好んではいなかったが……。雑誌の表紙を飾る己の姿を見つつ、なんとも微妙な表情を浮かべた玲に、マネージャーは再び苦笑する。

 するとその言葉を聞いて、玲は軽くため息を吐きながら言葉を返す。

 

「いや、だってボクは天才なんかじゃないしね。ボクのレベルは、まぁ、そうだね……誰でもとは言わないけど、そこそこの才能がある人なら辿り着ける領域だと思うよ」

「あら、それはそれは、ずいぶん基準の高いそこそこね」

「ん~いや、実際に音楽の才能……もっと狭くピアノの才能ってのがあるとして、ボクが生まれ持った才能は10段階で言えば7か8ってところだよ。普通の人よりはずっと才能があるけど、上はまだまだあるって感じかな?」

 

 マネージャーにしてみれば、既に世界レベルのピアニストである玲の才能がそこそことは何の冗談だろうと問いたいところではあるが、玲の表情は真剣そのものである。

 

「ただし、ボクはその7か8しかない生まれ持った才能を、ピアノにすべてを捧げることで10にしてる。他の才能なんてなにひとついらない、なにもできなくていいってレベルでピアノに全振りした結果の10だよ。だから、出来るかどうかは別としてボクと同じぐらいのレベルに成れる才能を持った人はそれなりに居ると思う」

「……なるほどね」

 

 そこで玲は一度言葉を止め、どこか懐かしむような表情を浮かべて口を開く。

 

「……ボクのピアニスト人生において最も幸運だったのは、変なプライドが凝り固まる前に有紗と知り合えたことだよ。当時ボクはまだ小さな子供だったけどさ、それでも理解できた。理屈じゃなくて本能でとでも言うべきかな? ああ、駄目だって……この子に勝つには、ボクは全てを賭けなければならない。他の全てで負けてもピアノひとつにすべてを注がなければ、勝負することすらできないってね……本当の天才ってのは、そのぐらい理不尽な存在だよ」

 

 玲が天才という呼び名を嫌う理由はシンプルだ。彼女は己を天才とは思っておらず、同時に真の天才と呼ぶべき存在を知っているから……己が才能を全振りしてようやくたどり着ける領域に、軽々と足を踏み入れる理不尽なほどの才能の塊を知っている。

 玲にとって天才とは有紗を指す言葉であり、己を指す言葉ではない。

 

「ふふ、理不尽というわりにはずいぶん楽しそうに話すのね」

「そりゃ、有紗はボクの自慢の親友だからね!」

 

 理不尽と称しながらも、有紗のことを話す玲の表情はどこか誇らしげで、まるで「ボクの親友は凄いでしょ!」と自慢しているようにも見えた。

 そんな玲の様子を微笑まし気に見たあとで、マネージャーはふと思い出したように口を開く。

 

「確かに有紗さんは私でも分かるほど凄い才能を持つ子だけど、実際に直接対決では貴女が勝ってるんでしょ?」

「うん? あぁ、まぁ、1回だけだけどね。というか、有紗も別にすべてにおいて無敵で完璧ってわけじゃないし、ピアノっていうか音楽に関しては『明確に足りないもの』があるからね。一緒にコンクールに出た時のボクと有紗の演奏技術はほぼ互角だったけど、そこの差で勝った感じかな? 少なくとも、あの頃の有紗が相手なら100回勝負してもボクが100勝すると思うよ」

「……明確に足りないもの?」

「うん。まぁ、有紗自身も自分に足りないのがなにか分かった上で、それを手に入れるのは無理だろうって割り切ってる感じだったけどね~。ああ、いや、直接聞いたわけじゃないから、あくまでボクの感覚だけどね」

 

 実際に玲も、当の有紗も当時のコンクールにおいて勝敗を分けたのは『ソレ』であると認識していた。大抵の相手ではそもそも演奏技術が違い過ぎて勝負にはならないが、玲のように同格の演奏技術を持つ相手との戦いではその足りないものが決定的な差となり得る。

 

「……まぁ、昔の話だよ。いまは、そうだね……条件次第なら、負けちゃうかもしれないね」

 

 玲のその言葉にマネージャーは驚いたような表情を浮かべた。玲はピアノに関しては非常に強いプライドを持っており、少なくとも「誰かに負けるかもしれない」という類の発言を聞くのは、長い付き合いの彼女であっても初めてだった。

 

「あくまで、条件次第だけどね。とはいえその条件でも簡単に負けるつもりはないけどね……ボクはピアノ以外は全然すごくないよ。ピアノ以外はポンコツだって自覚してるし、それでいいって思ってる。けど、だからこそ、ピアノにおいてはボクが――世界一だ。そこに関しては、相手が誰でも譲る気は無いよ」

 

 静かにピアノにおいては己が最強だと宣言する玲の表情は17歳とは思えないほどの貫禄に満ちており、マネージャーは思わず息を飲んだ。

 

(……やっぱりなんだかんだ言って、貴女もまぎれもない天才だと思うわ。まぁ、嫌がるから言わないけど……)

 

 

****

 

 

 コンサートホールの下見や打ち合わせ、写真撮影を終えたあとで玲はマネージャーに車で送ってもらって下北沢に来ていた。

 

「飛行機の時間もあるから、あんまり長居はできないわよ」

「大丈夫大丈夫、今回はSTARRYってライブハウスで12月の予定を聞くだけだから……」

「あら? 有紗さんに会うんじゃないの?」

「ううん。別に連絡してないよ。そりゃ、有紗が居れば嬉しいけど……一度結束バンドのライブを見てみたくてね。もう12月のライブ予定も決まってるだろうし、それ聞いてその日に合わせて日本入りしようかな~って、だからすぐ終わるよ」

「そう、なら終わったら連絡してね。あと、変装はしっかりしていくこと!」

「了解~。じゃ、いってきま~す」

 

 マネージャーの言葉に頷き、キャスケットを被ってサングラスをすることで、特徴的な髪と目を隠した玲はウキウキとした気分でSTARRYにやってきた。

 もちろんアポなどは一切取っていなかったのだが、彼女にとって幸いだったのは丁度STARRYを訪れたタイミングで有紗が居たことだった。

 

『あ! 有紗~!! やっほ~!!』

『な、なんで貴女が……玲さん!?』

 

 偶然とはいえ有紗が居たことに玲は嬉しそうな笑顔を浮かべて、そのまま小走りで有紗に近付いて飛びついた。

 

『有紗~!』

『っと……玲さん、なんでここに?』

『年末に日本でコンサートやることになってね。その下見と打ち合わせに来たんだよ! そのついでにSTARRYに寄って行こうと思って……驚いた?』

『ええ、本当に驚きました……あと、皆さんが混乱しているので、日本語で話してください』

 

 飛びついてきた玲を受け止めつつ、若干呆れた表情を浮かべる有紗に玲は楽し気に笑う。有紗に会うのがメインの目的ではなかったとはいえ、親友である彼女に会えたのは非常に嬉しかった。

 

「おっと、ごめんごめん。どうもやっぱりフランス生活が長いと、そっちで話すのが癖になっちゃうね」

「あっ、あの、えっと、あっ、有紗ちゃんの友達ですか?」

「ああ! 写真で見た顔……君が後藤ひとりちゃんだね!! 初めまして! ボクずっと君に会いたかったんだよ!!」

「ぴぃっ!? あっ、あえ? はっ、はい!?」

 

 突然の玲の登場に困惑しつつひとりが尋ねると、玲はパァッと表情明るくしてひとりに近付き、ひとりの手を掴んでブンブンと振りながら嬉しそうに話す。

 もちろんそんな勢いで来られてひとりがまともに対応できるわけもなく、ビクッと体を動かして困惑していたが……。

 

「君と有紗の結婚式では、ボクが友人代表スピーチするから! あとあと、ピアノも演奏するつもりなんだけど、なにか曲のリクエストとかがあったら早めに教えてね!!」

「あえ? はっ、えっ、いっ、いったいなにを……あっ、有紗ちゃん?」

 

 ものすごい勢いで嬉しそうに話す玲にひとりは完全に気圧されており、その助けを求める視線を受けた有紗が玲をひとりから引きはがしたことで、ひとまずは落ち着いたが……STARRY内の空気はなんとも言えない困惑した状態だった。

 

 

 




時花有紗:玲いわく理不尽なほどの天才ではあるが、音楽に関しては明確に足りないものがあるとのことで、それが結束バンド入りを断った要因の模様。どうやら、その辺がキーになる可能性……。

後藤ひとり:唐突に現れて有紗に抱き着いた玲を見て、なんかちょっとモヤッとしたのか、極めて珍しく初対面の相手に自分から話しかけに行った……ら、想像以上の勢いで自分の方に食い付いてきたので、完全に気圧されてた。

琴河玲:ピアノに才能を全振りしたタイプ。実際のところは彼女も間違いなく天才なのだが、比較対象が悪い。有紗からひとりに関する惚気話を散々聞かされていて、ずっとひとりに会いたかった。


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百三手驚愕の出演決定~sideA~

 

 

 唐突に現れてハイテンションでひとりさんに話しかけていた玲さんを引きはがし、困惑している皆さんに改めて紹介します。

 

「……改めて紹介します。私の友人でピアニストの……」

「琴河玲です! よろしく! あ、開店前に来ちゃってごめんなさい。ライブハウスってあんま来たことなくて……」

「あ、ああ、いや、構わないけど……」

 

 キャスケットとサングラスを外した玲さんが挨拶をして、併せて開店前に訪れたことを謝罪すると星歌さんが戸惑いがちに言葉を返しました。

 戸惑っているのは星歌さんだけでなく他の皆さんもどう反応していいか、分からないといった感じでした。とりあえず私が促す形で皆さんも自己紹介を返しました。

 自己紹介が終わると、玲さんは改めてひとりさんに声を掛けます。

 

「さっきはごめんね。改めて、君がひとりちゃんだよね? 有紗の恋人の!」

「あっ、はい――あえ!? ちっ、ちがっ、有紗ちゃんと私は別に恋人とかじゃなくて……」

「うんうん、そっか~恋人じゃな――ううん? え? 恋人じゃない?」

「私とひとりさんは、いまは普通の友人同士ですよ」

 

 ひとりさんの発言にキョトンとする玲さんに、私も補足で説明を入れます。あくまでいまはという前提は付きますが……現時点では友人同士です。私の感覚ではすでに友達以上恋人未満の段階には進めていると思っていますが……。

 そんな私の言葉を聞いた玲さんは、心底驚いたという顔でひとりさんと私を交互に見て口を開きました。

 

「いやいや!? あんなに惚気まくってたのに、恋人じゃないの!? え? でも、結婚するとか言ってなかったっけ?」

「ええ、私の中では将来ひとりさんと結婚することは既に確定しているのですが、現時点ではあくまで友人です」

「………………ひとりちゃんもさ、有紗のこと結構分かってると思うんだけど……有紗って普段は凄く落ち着いてて冷静なのに、時々イノシシでももうちょっと曲がるだろってぐらい猪突猛進になるよね?」

「あっ、わっ、分かります。しかもそうなった時は、だいたいこっちの話聞いてくれないです」

「だよね! なんか変なスイッチあるよね!!」

 

 不思議ですね。なぜかいまの一瞬で玲さんとひとりさんが妙に意気投合したような気がしました。私という共通の知り合いの話題で盛り上がっているというか、私の失態で盛り上がっているというか……なんというか、少し微妙な気分です。

 

「う~ん。ともかくひとりちゃんはまだ有紗の恋人ではないと、でも別に有紗のこと嫌いってわけじゃないんだよね?」

「そっ、そそ、それはもちろん好きですが……あっ、あくまで友達として! そう、友達としてです!!」

「……ピンク色だ」

「あえ? かっ、髪がですか?」

「……有紗ほど真っピンクじゃないけど……脈は十分ある感じかな?」

「あっ、あの?」

「あ、ごめんごめん。なんでもないよ、気にしないで!」

 

 おそらくですがいまの玲さんの発言は、ひとりさんの髪の色に対してのことではなく声に関することだと思います。

 玲さんは共感覚があり音を色として認識することができます。なので人の声から色で感情を読み取ったりすることもあります。こればかりは本人にしかわからない感覚ですが、以前フランスに行った際にひとりさんのことを話す私の声を「凄く濃いピンク色」と称したことがありましたので、似たような感情をひとりさんから感じ取ったのかもしれません。

 

「……ところで、改めて聞きますけど、玲さんはなぜSTARRYに?」

「ああ、さっきも少し言ったけど、年末に日本でコンサートやる予定でコンサートホールの下見に来たんだ。今回は下見だけだから、すぐフランスに戻るんだけど12月はスケジュールに結構余裕があってさ、有紗から聞いてた結束バンドのライブを直接見たいな~って思って、ライブ予定を聞きに来たんだ」

「なるほど、それで偶然私たちが居たというわけですね」

「うん。有紗が居たのはラッキーだったね。おかげで話がスムーズだよ。だから12月のライブ予定を教えてもらいたいんだ。まだ決まってなければ大体の日でもいいよ」

 

 結束バンドのライブを見たいという玲さんの言葉を聞いて、私はチラリと虹夏さんに視線を向けます。現状結束バンドはクリスマスに自主企画ライブをやる予定ではありますが、その企画が難航している状態です。

 最悪出演バンドが集まらなくてキャンセルということも視野に入れておくべきですし、今の段階で伝えていいかどうかはリーダーである虹夏さんの判断に委ねようと思います。

 私の視線からそれを察した虹夏さんは一度頷いたあと、やや緊張した様子で玲さんに声を掛けます。

 

「……えっと、琴河さん。ライブの日程ですよね?」

「うん。えっと、たしか……虹夏ちゃんだね! あ、ボクのことは玲って名前で呼んでくれていいし、敬語じゃなくて大丈夫だよ。というか、虹夏ちゃんの方が年上だし、ボクが敬語使うべきだよね?」

「あ、いや、敬語は大丈夫。じゃあ、玲ちゃんって呼ばせてもらうね。12月のライブの日程だけど、いちおうクリスマスイブ……12月24日に自主企画ライブをやる予定だから、ライブ日はその日になると思う。とはいえ、まだバンド集めで苦戦してる状態で、最悪ワンマンライブとかになる可能性もあるので、出演時間とかはまだ決まってないんだ」

「……自主企画ライブ? えっと……有紗~普通のライブとどう違うの?」

「自主企画ライブというのは……」

 

 玲さんは本人が先ほど言っていたようにあまりライブハウスなどには来たことがないみたいで、自主企画ライブという意味が分かっていないようだったので、私が簡単に説明しました。

 すると、説明がすすむと玲さんの目がキラキラと輝きだして、目に見えてわかるほど笑顔になってきました……嫌な予感がします。

 

「……なるほど、面白そう! ボクも出る!!」

『はぁ!?』

 

 玲さんの言葉に当然ですが皆さんが驚愕した声を上げ、私はやはりこうなったかと軽くため息を吐きました。目を輝かせ始めた時点で嫌な予感はしていました。

 玲さんは子供っぽいところがあり、そういった楽しそうなイベントは大好きです。毎年の音楽の日を楽しみにしていますし……私がもっと早い段階で気付いて誤魔化すべきでした。

 

「……玲さん。単独でコンサートホールを満席に出来る貴女がライブハウスで演奏なんかしたら、大騒ぎになるでしょう」

「ボクだって分からなければいいんだよね? じゃあ、大丈夫! 変装するし、ピアノじゃなくてサックスで演奏するから、それならいいでしょ? ね?」

「う、う~ん」

 

 たしかに玲さんはサックスも演奏できますし、音楽の日などにサックスを披露することもありますが、ピアノに比べればずっと演奏レベルは低いです。もちろん玲さん自身の音楽センスの高さもあって、かなり上手いのですがピアノほどの凄まじさはないので、演奏で玲さんと気付かれる可能性はほぼ無いです。

 そしてなにより面倒なのは、一度こうなった玲さんはかなり頑固で駄々をこねることも多いので説得が困難ということです。

 

「……虹夏さん、どうしますか? たしかにサックスなら、玲さんと気付かれて騒ぎになる可能性は低いですし、ロックンロールやプログレッシブロックなどのライブハウス向きの演奏もできるとは思いますが……いちおう腕前に関しては保証します」

「た、確かに出演バンドどうしようって悩んでたし、有りと言えば有りな気もする」

「私も有りだと思う。有紗が腕を保証するぐらいだから、結構なレベルだと思うし、ジャンル的にも喧嘩しない。あと単純に、出演バンドを探す手間がひとつ減る」

 

 虹夏さんが意見を求めるように向けた視線の先のリョウさんが賛成したことで、比較的玲さんの参加に好意的な流れになっていきました。

 そのまま玲さんの出演にひと枠取り、細かな連絡が私が行うということで話がまとまりかけたタイミングで、玲さんが再び口を開きました。

 

「あ、そうだ! せっかくだし、有紗も一緒に出ようよ! 有紗がキーボード、ボクがサックスで!」

「……演奏のバランスはいいかもしれませんが……」

 

 たしかに私は結束バンドの演奏メンバーではないので、出演できる余裕はありますし、サックス単体よりはサックスとキーボードの方がバランスもいいのは確かです。

 

「ひとりちゃんも、有紗がステージで演奏するとこ見たいよね?」

「あっ、そっ、それはたしかに見たいです」

「うぐっ……」

 

 さすが付き合いの長い友人というべきか、玲さんは私の扱いをよく心得ているようです。いまも私がイマイチ乗り気ではないのをすぐに察して、ひとりさんを味方に付ける方向に動きました。

 ひとりさんに期待するような目を向けられてしまえば、当然私の頭の中からNOという選択肢は消えるわけで……。

 

「……分かりました。それで構いませんよ」

「やった~!」

 

 両手を上げてはしゃぐ玲さんを見て、私は軽くため息を吐きます。妙な流れになったものだと……すると、ひとりさんが私に近付いて来て不安そうな表情で声をかけてきました。

 

「……あっ、有紗ちゃん……嫌でした?」

「ああ、いえ、そんなことはないですよ。唐突な流れに少し驚いたというか、相変わらずの玲さんに少々呆れただけです。むしろ、ひとりさんに演奏を披露できるのは楽しみでもありますね」

「あっ、わっ、私も有紗ちゃんの演奏は凄く楽しみです。ふっ、普段は私がステージで演奏して有紗ちゃんが聞いてるパターンなので、その逆ですし……たっ、たぶん、ステージに立つ有紗ちゃんはカッコいいんだろうって思いますし……えへへ、なっ、なんか、変に期待しちゃいます」

「ひとりさんの期待に応えられるように頑張りますね」

「あっ、はい。がっ、頑張ってください! あっ、こっ、コレもいつもと逆ですね。えへへ」

「ふふふ、確かにそうですね」

 

 たしかに普段は演奏に向かうひとりさんを私が応援するという形だったので、こうしてひとりさんに応援されるのは新鮮ですね。

 なんだか、ひとりさんに応援されると本当に何でもできるような気分になるので不思議です。

 

「……ねぇねぇ、虹夏ちゃん。これツッコミ待ちなのかな? あのふたりって、あの空気で付き合ってないとかほざいてるの?」

「ああ、玲ちゃんはあんまり馴染みないかもだけど、これ本当にいつもの感じだから……」

「え? これいつも? ……なんていうか、皆大変だね」

「……あれ? 急に玲ちゃんと仲良くなれる気がしてきた」

 

 

 




時花有紗:ひょんな流れでクリスマスライブに出演確定。なんだかんだでひとりが喜んでくれるならいいかなと思っている。

後藤ひとり:玲いわく、有紗のことを話す際のひとりの声はピンク色……どうも、恋愛感情が籠った声だと、そういう色に見えるらしい。変な流れにはなったが、ライブで演奏する有紗を見るのはとても楽しみ。

琴河玲:やっぱり有紗の親友だけあって、行動力が高いのは一緒。有紗とひとりの様子を見て、チベスナ三銃士と仲良くなった模様。


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百三手驚愕の出演決定~sideB~

 

 

 STARRYに突然現れた世界的ピアニストにして有紗の友人である琴河玲。彼女が結束バンドの自主企画ライブに参加すると言い出した時はかなり困惑していた面々だったが、少し経てば玲の持ち前の明るさもあってすっかり馴染んでいた。

 

「はい、じゃあ、撮りますよ~」

 

 PAが喜多のスマホを持って結束バンドと有紗、玲の6人が並んでいる写真を撮影し、スマホを返すと喜多ははしゃいだ様子で玲に声をかける。

 

「琴河さん、イソスタに上げてもいいの?」

「いいよ~でも、ボクが帰ってからにしてね。あとあと、年末のコンサートのことはまだ内緒でよろしく」

 

 玲はメディア露出の機会も多い世界的ピアニストであり、活動拠点はパリであるものの日本でもかなり有名人と言っていい。そんな有名人と写真が撮れ、イソスタに上げる許可も貰った喜多は大いにはしゃいでいた。

 そんな様子を見つつ、ひとりは有紗に声をかける。

 

「あっ、なんか、本当にテレビで見る時と雰囲気が全然違いますね」

「テレビの時はキャラクターを作ってますからね。というよりは、マネージャーさんがしっかり指導した上で、口を酸っぱく余計なことを言わないようにと釘を刺しているので……」

「……ボクってそんなに信用無いかなぁ?」

「ピアノ以外に関しては、不安点が多いのは否定できませんね」

 

 事実として玲は本人も認めるようにピアノ……もとい音楽関連以外はポンコツと言っていい。

 

「しょっちゅう言われるんだよねぇ、ピアノ以外はポンコツだって……いやまぁ、自覚あるけどさ」

「ぽっ、ポンコツ?」

「ええ、テレビなどで見た雰囲気ではしっかりしているように見えるかもしれませんが、玲さんはピアノに関わらないことはイマイチというか初めから捨ててるような感じですね。ピアノが関わりさえすれば違うんですよ。コンサートホールの広さや音の反響も計算して、ピアノの位置を細かく指示したりもしますし……ただピアノが関わらないと、もしかすると以前のひとりさんより学力が低いというレベルかもしれません」

「あぇ? そっ、そうなんですか? そっ、その、自分で言うのもなんですけど、有紗ちゃんに教わる前の私って、相当ひどいですよ?」

 

 ひとりは有紗に勉強を教わる前は、全力でやって5教科合計1桁クラスというそれはもう壊滅的な学力であり、そもそも進学はおろか進級が可能なのか疑問に思うレベルだった。

 そんな己より学力が低いかもしれないという言葉に、ひとりは心底驚いたような表情を浮かべる。

 

「ボクの最終学歴って中卒だしね。中学の時の成績表も音楽だけ5であとはお情けの2だったよ」

「玲さんは中学を出てすぐにピアニストとして本格的に活動するためにフランスに移り住みましたからね。頭の出来自体が悪いわけではないんですよ。フランス語もすぐに覚えたので……ただ、それはピアノに必要だったからで、ピアノに必要でないことはまったく覚えませんね」

「ボクはピアノに全振りしてるからね。他は全部ポンコツでOK。その代わりにピアノではボクが世界一だからね」

 

 そうあっさり言ってのける玲は独特の凄みがあり、ひとりだけでなく近くで聞いていた結束バンドの面々も息を飲んだ。

 それは、それほど多くの言葉を交わさなくても理解できたから……玲の言葉が嘘偽りない真実であり、彼女は本当にピアノに全てのリソースをつぎ込んでおり、その自負があるからこその自信だと感じた。

 

「……ところで玲さん、時間は大丈夫なんですか?」

「うぇっ!? あ、えっと……やばっ!? またマネージャーに怒られる!?」

 

 しかし、有紗が一声かければ先ほどまでの凄みはどこかへ消え、時計を見て慌てるちょっと抜けた小柄な少女にしか見えなかった。

 

「あ、それじゃあ、ボクはそろそろ帰るね。皆、今日はありがと~また12月によろしくね! あ、そうだ。皆のこともコンサートに招待したいから、12月29日の予定空けといてね! それじゃ、有紗、また連絡するね!」

「分かりました……とりあえず、先にマネージャーさんに電話をした方がいいですよ」

「了解~。それじゃ、お邪魔しました~!」

 

 そう言ってやや慌てた様子でSTARRYから去っていく玲を見送った後、有紗は軽くため息を吐いてSTARRYに居た面々に謝罪した。

 

「友人がお騒がせしました」

「あっ、いっ、いえ……なっ、なんか嵐みたいな人でしたね」

 

 謝罪する有紗に苦笑しつつ、ひとりは先ほど遭遇した玲のことを考える。自分以上に有紗と付き合いの長い親友……そういう点では、少しもやっとする部分も無いとは言い切れないが、あまり嫉妬心のような感情は湧いてこなかった。

 それは、玲が有紗を恋愛対象として見てはおらず、純粋に親友の恋愛を応援しているのが伝わってきたから……だからこそ、ひとりは少し安心していた。

 

(……いっ、いや、待って!? おかしい! だっ、だって、それだとまるで私が……あぅぅぅ)

 

 

****

 

 

 玲の唐突な襲来から数日経ち結束バンドの面々は、新年からのリリースについての打ち合わせのためにストレイビートにやってきていた。

 

「今日集まっていただいたのは、楽曲リリースのプロモーションの件です。2日間のレコ発ライブを考えているんですが……」

「レコ発!?」

「ええ、もちろん結束バンドさんでのワンマンライブは、絶対に無理とは言いませんがまだ厳しいとも思いますので弊社所属のアーティストもゲストで出る形にはなります」

 

 レコード発売記念ライブを行うという都の言葉に、虹夏を始めとした面々は明るい表情を浮かべる。もちろんCDの売り上げに関わる重要なライブではあるのだが、楽しみという気持ちも強いようだった。

 特に喜多ははしゃいでいる様子で、明るい笑顔で口を開く。

 

「有名なアーティストの人たちと友達になれますかね~!」

「……この前なったじゃん」

 

 有名人と交流が持てるかもとはしゃぐ喜多に、つい先日世界的ピアニストと知り合っただろうとリョウがツッコミを入れる。

 そのやりとりに少し首を傾げつつ、都は話を継続していく。

 

「伊地知さんの大学受験の後にするので、それまでは受験勉強に集中してください」

「はい!」

「それと、他に伝えることは……」

「あ、紙落としましたよ」

「……えーと……」

 

 結束バンドへの連絡事項の書かれた紙を探し出す都だが、普段のキリッとした雰囲気からは想像もできない雑な様子でテーブルの上をポイポイと放り投げながら探しており、それを見た愛子が深いため息を吐いた。

 その様子になんとなく違和感を覚えた面々はさり気なく事務所内を見てみると、打ち合わせを行う部屋からは見えにくい位置に何度も出し忘れたであろうゴミや、絶対に必要ないと思える山のような書類などが置いてあった。

 

「……ちょっと失礼」

「あ、そっちは……ちょっと散らかってますよ」

「ぎゃぁぁぁ!?」

 

 虹夏が普段は利用することがない部屋を確認してみると、そこにある都のデスクは中々に悲惨であり、机の上はゴチャゴチャで、食事などの空容器がそのまま積まれていて、まったく清掃している様子が無かったため、虹夏は思わず悲鳴を上げた。

 

「いつもよりは、ましな方なんですが……」

「念のために少し片づけておいてよかったわね~」

「これ隠蔽したあとなんですか!?」

 

 酷い惨状ではあったがこれでも、普段よりはマシだと語る都と愛子を見て虹夏は信じられないといった表情を浮かべた。

 

「……司馬さんって片付けられない人だったんですね」

「はい」

 

 キリッとした表情で虹夏の言葉を肯定する都を見て、虹夏たちはそっと都を心の中できくりたちと同じ駄目な大人の項目に分類した。

 さすがにあまりの惨状に見ていられないということもあって、全員で清掃をすることになった。家事などで掃除に慣れている虹夏が指揮を執って、それぞれ持ち場に分かれて作業を行っていく。

 

「……複数必要とは思えない書類が複数あるということは、印刷したあとどこに置いたか分からなくなって再印刷することが何度もあるみたいですね」

「あっ、えっと、有紗ちゃん。この辺のは全部まとめていいですかね?」

「ええ、重要そうなものは私が省くので……ひとりさんは手際がいいですね」

「え? えへへ、そっ、そうですか? こっ、こういう単純作業は結構得意です。小学校の頃にベロマーク集計が早くて先生に褒められたこともあります」

「それは素晴らしいですね。単純作業を得意とする方は、特に集中力や忍耐力に優れていると言われていますし、そういった部分がひとりさんのギターの腕前に活かされているのかもしれませんね」

「えへへ、そっ、そんな、褒めすぎですよ……でっ、でも、有紗ちゃんはやっぱり凄いです。テキパキ動いてて、かっ、カッコいいです」

「ありがとうございます。ふふ、ひとりさんにそう言って褒めてもらえると、心が温かくなりますね」

「あっ、わっ、私も一緒です……えへへ」

 

 穏やかな笑顔で有紗が褒めてくれるので、ひとりは非常に嬉しそうであり顔を緩ませながらどこか楽しそうに作業を行っていた。

 そんなふたりの様子を少し離れた場所でチベットスナギツネのような顔で見ていた虹夏に、喜多が声をかける。

 

「……なんていうか、安定のバカップルですよね」

「うん。でも、いちゃつきながらの有紗ちゃんの作業スピード爆速だし、ぼっちちゃんもかなり早くてテキパキ作業が進んでるから文句も言いにくい。まぁ、見ない振りが吉かな?」

 

 いちゃついていて掃除が遅れているのなら文句のつけようもあったのだが、単純に有紗のハイスペックと単純作業が得意なひとり、更にふたりの息が抜群に合っていることもあって、掃除の進みは非常に早い。

 しかも、虹夏が特に指示を出さなくても有紗が次に必要な工程を考えて、ひとりに指示しつつ動いてくれるので、虹夏としても非常に助かる。それを思えば、多少空気を甘くするぐらい目を瞑るかと、そう結論付けた。

 

「虹夏、もう疲れた。休憩してきていい?」

「そんなこというやつには特別に力仕事をくれてやる。そこに積んであるゴミ袋を全部ゴミ捨て場に運べ」

「……鬼、悪魔、虹夏」

 

 

 




時花有紗:相変わらずぼっちちゃんといちゃいちゃしている。この子は本当にブレないというか、ある意味安定している。

後藤ひとり:特にジェラったりとかはしなかった。理由は単純で、そもそも当の有紗から溢れんばかりの……溢れすぎてて困るぐらいにLOVEの感情を向けられているのと、玲が積極的に有紗とひとりを応援している感じだったから。ただ、どうも、いい加減見て見ぬふりはできなくなってそうな印象。

司馬都:片付けられない女。家が汚すぎて事務所で寝泊まりしてるとか? 虹夏は頭の中でやさぐれ三銃士の枠に放り込んでいた。

14歳(仮):登場機会のそこそこある大人キャラでは極めて珍しく、駄目な大人判定を受けていない。14歳関連の言動以外は、作中でも屈指レベルの常識人。


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百四手進展の企画と進路~sideA~

 

 

 時間が流れるのは早いもので、自主企画ライブを計画してから既に2週間が経過しました。しかし、やはり参加バンド集めは難航しています。

 とりあえず、結束バンドが繋がりのあるバンドは全滅でしたし、告知はしましたが参加希望もほぼ無い現状です。

 結束バンドのイソスタなどでは告知はしていますが、基本的にそういった場所を見るのはファンであり、その中にクリスマスイブ当日にSTARRYに来て演奏ができるロックバンドが居る確率はあまり高くありません。

 

 現状は玲さんと私、あとはお義父様が乗り気なのでそれも数に入れても、2枠しか埋まっていません。結束バンドが多めに演奏して時間を調整するとしても、やはり最低あと2組ぐらいは欲しいところですね。

 そんな中、私はひとりさんから、案が思い浮かんだので相談に乗って欲しいというロインを受けて、ひとりさんと一緒にカフェで相談をしていました。

 

「……えっと、ひとりさん。それで、案というのは?」

「あっ、はい。バンド集めのために、最初は路上ライブの時みたいにビラをって思ったんですけど……そっ、その時にたまたま、これが目について……」

「これは、新宿FOLTのオーチューブチャンネルですね」

「あっ、はい。ギターヒーローのアカウントでは宣伝できないですし、結束バンドのためにならないから使わないって決めてますけど、こっ、こっちで宣伝させてもらえれば人が集まるんじゃないかなぁって……」

「なるほど……」

 

 これは想像していたよりもいい手かもしれません。バンドのオーチューブではなくライブハウスのチャンネルなので、バンドなどが見ている可能性も高いです。そもそもライブハウスとして新宿FOLTはかなり有名どころですし、参加バンドの募集だけでなく集客という意味でもかなり効果はあります。

 

「いい手だと思いますよ。もちろん先方が承諾してくれたらという話になりますが、ライブハウスのチャンネルならバンドグループの視聴者も多そうですし、期待できそうですね」

「あっ、はい! 有紗ちゃんが、賛成してくれるなら自信が持てます。じゃっ、じゃあ、さっそく……長谷川さんに連絡を……」

「あくびさんに、ですか?」

「あっ、はい。お姉さんは、スマホよく落として連絡付かないこと多いですし、大槻さんよりは長谷川さんの方が頼みやすいかなぁと……」

「……なるほど、ところで、少し送る予定の文面を拝見してもいいですか?」

 

 久しぶりに私の直感が働いたというか、なんとなく嫌な予感がしました。そして、ひとりさんが見せてくれたスマホの画面を見ると……そこには顔文字や絵文字を多用した……俗に言うおじさん構文と呼ばれるような、目が滑るメッセージがありました。

 たぶん、緊張して努めて明るく振舞おうとしてこうなったのだと思いますが……これを送れば、間違いなく引かれるでしょう。

 

「……ひとりさん、少し文面を直しましょう。私たちはお願いする立場なわけですし、もう少し丁重な感じで……」

「あっ、はい」

 

 とりあえずメールの文章を添削して送信すると、すぐにあくびさんから返信が来てひとりさんと共に新宿FOLTに向かうことになりました。

 

 

****

 

 

 新宿FOLTに着いて、あくびさんに案内されて室内に入ると、たまたま店内にいたヨヨコさんが首を傾げました。

 

「あれ? 後藤ひとりと時花有紗? なんでここに?」

「こんにちは、ヨヨコさん」

「あっ、こっ、こんにちは」

「ウチが呼んだんすよ。なんか、自主企画ライブやるらしくって、バンド集めに苦戦してるとかでFOLTのチャンネルの力を借りたいらしいですよ」

 

 不思議そうな表情のヨヨコさんにあくびさんが説明をすると、そのタイミングで聞き覚えのある声が聞こえてきました。

 

「ぼっちちゃ~ん、有紗ちゃ~ん、話は聞いたよぉ! 自主企画って大変だよね~。気持ちは凄く分かるし、ここは一肌脱ぐよ」

「おっ、お姉さん……」

「大槻ちゃんが!」

「えっ!?」

 

 唐突に現れたきくりさんの言葉に、私とひとりさんはもちろんヨヨコさんもまったく聞いてないという感じで驚いた表情を浮かべていました。

 ひとりさんが気まずそうに視線を向けると、ヨヨコさんもなんと発言していいか分からないといった感じの表情を浮かべていたので、私がヨヨコさんに声をかけることにしました。

 

「なんにせよ、チャンネルをお借りする形式になる以上誰かの協力は必要になります。ヨヨコさん、申し訳ないのですが力を貸していただけないでしょうか?」

「……あ、はい。なんでもします。いくらでも力になります」

「……私もそうだけど、大槻ちゃんも有紗ちゃんに頭上がらないよね?」

「たぶんすけど、ヨヨコ先輩動画サイトの件でかなり頻繁にアドバイス求めてるっぽいっすよ。じゃなきゃ、ヨヨコ先輩がカラオケで使える歌い方のコツを動画で録ろうなんてするはずがないですし……」

 

 私がお願いすると、ヨヨコさんは綺麗な90度の礼をして了承の言葉を返してくれました。なぜか敬語で……。

 いえ、確かにあくびさんの言う通り、FOLTのオーチューブチャンネルに関して、ヨヨコさんの担当しているコーナーにはたびたびアドバイスはしています。

 歌ってみたがマンネリ気味になってきたと言われた際には、実践的に使えるカラオケなどでの歌い方のコツを発信すればいいと提案して、動画の構成にもいくつか助言はしました。

 

「……ま、まぁ、時花有紗には世話になってるから、協力してあげるわ。いちおう、自分用に考えていた動画の企画がいくつかあって、そのうち時花有紗に相談しようと思ってたけど、それを使って何本か一緒に撮って、そこでついでに宣伝すればいいでしょ」

「あっ、はい……そっ、そんなに自信のある企画なんですね」

「ええ、台本もあるし、いろんな動画を見て研究したわ……メントスコーラ2Lバージョンよ!」

「……ヨヨコさん、失礼ですが台本を見せてください」

 

 先ほどのひとりさんの時もそうでしたが、今日は何故か嫌な予感がよく働く気がします。そして、実際に台本を拝見すると……なんというか、いろいろな人気オーチューバーをツギハギにしたような、それでいて絶妙になんとも笑いどころがない台本でした。

 

 他の企画案も念のために確認してみると、10万円分の弦の開封。コレはおそらくオーチューバーが高級品をレビューしたりする動画を参考にしたと思うのですが、実際にその弦を使用して演奏したりするわけでもなくただ開封するだけという話でした。

 

 そしてもうひとつは二人羽織りをしながらギターの演奏……リアクション次第では面白くなるのかもしれませんが、難しいですね。

 

「……とりあえず、1から相談して考えましょうか」

「有紗ちゃん、ウチも手伝うっすよ。というか、さっき話してたのを配信されたらSIDEROSにも影響でそうですし……」

「え? あ、えっと……」

 

 必死に考えたであろうヨヨコさんには申し訳ないですが、3つの案は全て没にさせてもらいました。最終的にひとりさんとヨヨコさんのギターセッションを行いつつ、私が間に入って質問や雑談をして時間を繋ぐ形になりました。

 撮影は最初は私が行おうとしていたのですが、あくびさんの「ふたりを上手くコントロールしてください」という要望に従って、私も出演しあくびさんが撮影する形になりました。

 

 冒頭に簡単な挨拶が入った後、ひとりさんとヨヨコさんがギターセッション。私が聞き手に回って質問をしつつ、初心者向けのギター講座などを交えつつ、バンド活動などの雑談を行っていきます。

 

「あの、10万円分の弦は?」

「単純な疑問なのですが、なぜそんなに弦を?」

「やっぱり、オーチューブと言えば高級品の紹介でしょ! 皆に羨望の眼差しで見られるのよ」

「あっ、ちょっ、ちょっと、分かります」

 

 高級なものが必ずしも自分に合っているとは限りませんが、まぁ、たしかに見る分には高級品が登場すると話題を作りやすいですし、驚きなどといったインパクトも与えられますね。

 

「……そういえば、有紗ちゃんのブレスレットキラキラしててめっちゃ綺麗ですね。そんなのしてましたっけ?」

「ああ、これは最近お母様とお揃いで購入したものです」

「確かに、高そうね……これ、いくらぐらいなの? あと、なんで後藤ひとりは遠い目をしてるの?」

 

 あくびさんの質問に私は腕に付けているブレスレットを軽くカメラに見えやすいように持ち上げます。ひとりさんには前に話したことがあるので、ひとりさんは値段を知っています。

 

「確か、540万ぐらいだったと思います」

「ごひゃっ……は? え? えぇぇぇ!? な、なんで、そんなちっこいブレスレットが500万もするのよ!?」

「これはフルダイヤモンドブレスレットなので……合計4.5カラット分のダイヤモンドを使用しているので、その値段ですね。あとダイヤモンドを埋め込んでいるブレスレット本体も18Kです」

「あばばばば……」

「……図らずもめっちゃいい絵が……ちなみにそのネックレスは?」

 

 ヨヨコさんが泡を吹くような、動画映えしそうなリアクションをする中であくびさんが続けて聞いてきた質問に、私は笑顔を浮かべて答えます。

 

「あっ、そっ、それは……」

「これは、誕生日にひとりさんにプレゼントしてもらったネックレスですね! ピンクサファイアとムーンストーンが付いたネックレスで、私とひとりさんの髪の色に近いのもふたりでより添っているようで素晴らしいです。そして、それぞれピンクサファイアは愛を象徴する宝石で、ムーンストーンは恋を象徴する宝石ですので、見た目的な相性だけでなく、意味合い的にも……」

「あ、待ってください。尺もあるので、その辺で……500万のブレスレットより遥かに熱量があるんすけど、ぼっちさん愛されてますねぇ」

「あぅ……あぅ……」

 

 私にとって一番気に入っているといっても過言ではないネックレスの話題だったので、つい熱が入ってしまいました。危うく長々と語り倒すところだったので、あくびさんが止めてくれてよかったです。

 そうこうしているうちにヨヨコさんも復活し、もう一度ひとりさんとセッションを行ってから、最後にクリスマスイブの企画ライブの宣伝を行いました。

 

 こうして無事に撮影した動画は、かなりの再生数となったみたいで翌日には複数のバンドの出演希望メールが届き、自主企画ライブに関しては最大の懸念が解消される結果となりました。

 

 

 




時花有紗:500万のブレスレット<<<<<<<<<ぼっちちゃんからの誕プレというあまりにも分かりやすい反応。ヨヨコにもアレコレ、動画のアドバイスをしているらしい。そして相変わらずの黒歴史ブレイカー。

後藤ひとり:有紗によっておじさん構文……通常おっぢ事件回避。ただその代わり、オーチューブチャンネルで、ネックレスの宝石の意味とかを発信されることになり、撮影が終わった後もしばらく茹蛸のような顔だった。

ヨヨコパイセン:有紗によってこちらも黒歴史回避。メントスコーラなどの企画は没にされた。最近はカラオケで使える歌唱テクニック講座の動画を撮影しており、それなりに人気を博しているため、きくりと同じく有紗には頭が上がらない模様。

有後党:なんか、例のネックレスのやり取りを鬼リピートしているとか、していないとか……。


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百四手進展の企画と進路~sideB~

 

 

 ある日、自室の机で喜多は腕を組んで考え込んでいた。するとそのタイミングで足音が聞こえたあと、ドアがノックされて母親である久留代が入ってきた。

 

「郁代~貴女、今日バイトでしょ? 晩御飯はどう……うん? なにしてるの?」

「あ、お母さん」

 

 夕方からバイトに行く喜多に、夕食を家で食べるかどうかを聞きに来た久留代だったが、さすがは親というべきか喜多がなにかに悩んでいる様子なのをすぐに察した模様だった。

 そして、喜多に近付き机の上を見ると……そこには進路希望調査の紙が置かれていた。

 

「進路希望調査?」

「うん。学校に出すんだけど、ちょっと迷っててね」

「……はっ!? ま、まさか……駄目よ、郁代!」

「え?」

「確かにお母さんもバンド活動のことは応援しているし、実際に結果を出してるのも知ってるけど、それ一本に進路を絞るのはリスクが大きすぎるわ!」

 

 久留代は少々思い込みの激しいところがあり、進路希望調査で悩んでいる様子を見て、我が子が受験をせずにバンドマンを目指すつもりなのではと考えた。

 久留代は喜多のバンド活動は応援しているし、未確認ライオットのファイナルステージには夫と共に足を運び、必死に頑張っている娘の姿を見た。成功してほしいとも思っている……だが、それはそれとして、娘が大学受験をせずにバンド一本に進路を絞るのは親としては当然心配だ。

 

「どうしても未だに、高卒と大卒じゃ就ける仕事にも差がある現状よ。バンド活動が上手くいけばいいけど、最低限保険はかけておかないと、後々後悔するのは郁代なのよ!」

「ちょっ、お母さん? なんのこと? ……私、大学進学するつもりだけど?」

「……え?」

 

 説得を試みようとした久留代だったが、当の喜多はキョトンとした表情で首を傾げていた。まぁ、喜多も母親の久留代が思い込みの激しい性格というのは知っているので、たぶん変な勘違いをしたのだろうと苦笑する。

 

「いや、もちろんバンドで成功出来たらそれが一番いいけど、キャンパスライフにも憧れるし……あと、ボーカルの私はいろいろ経験しておいた方がいいのよ。実際に経験したことと想像だけのことでは、歌の表現力にも差が出てくるから、大学に行くこと自体がバンド活動にも役立つの……まぁ、有紗ちゃんの受け売りだけど……」

「そ、そうなの……それなら、お母さんとしてはホッとするけど、じゃあ何に悩んでたの?」

 

 どうやら喜多は大学進学をするつもりらしく、それは久留代としては安心ではある。ただ、それならば進路希望調査でなにを悩んでいたのだろうと思って尋ねると、喜多は再び苦笑しながら告げる。

 

「ああ、いや、先生が……いまの私の学力なら、ワンランク上の大学も狙えるっていうから、大学受験は確定としてどの大学を狙おうかな~って」

「なるほど……確かに、郁代の学力もずいぶん上がったわね。本当言うとお母さん、最初は郁代がバンドをするのに反対だったのよ。実際1年生の1学期はバンド始めてから目に見えて成績が落ちてたし、悪影響が大きいんじゃないかってね。ただ、お母さんも昔小説家になりたいって夢を追いかけてた頃があったから、夢に向かって頑張るのを応援したいって気持ちもあって、結構悩んでたのよ」

「……お母さん」

 

 思い返してみると、確かに1年生の1学期……特に夏休み当たりでは小言もかなり言われていたし、成績について言及されることもあった。

 ただそれは本当に最初だけであり、その後は基本的に久留代はバンド活動を応援してくれていた。

 

「ただ、成績が落ちたのは本当に最初だけで2学期になって目に見えて成績は良くなったからホッとしたわ」

「あ、あはは、それは完全に有紗ちゃんのおかげかな……有紗ちゃん、凄く教えるのが上手くて、テスト勉強だけじゃなく普段の勉強のコツとかも教えてくれて、おかげでテスト以外もいい感じになった気がする」

「ああ、郁代がよく話す後藤って子の恋人だったかしら?」

「あ~うん、まぁ、そんな感じ……有紗ちゃんは、頭も性格もいいし、運動神経も音楽センスも抜群だし、お金持ちで美人だしって、本当に完璧超人みたいな子で、私も歌い方教えてもらったりいろいろお世話になってるんだ~」

「そう、いい影響を受けられる相手がいるのはいいわね。まぁ、ともかく、話を戻すと……確かにランクが高い大学ってのもいいけど、ランクよりはまず大学に入ってなにをしたいかと考えるべきね。幸いまだ焦って決める必要がある時期じゃないから、興味があるならオープンキャンパスとかに行ってみるのもいいし、大学生の知り合いが居れば話を聞くのもいいかもね」

「……なるほど、ありがとう、お母さん。もうちょっと、いろいろ考えてみるね」

「ええ、それに進路も大事だけど今度のクリスマスのライブもあるんでしょ? 私もお父さんと一緒に見に行くから、そっちも頑張ってね」

「うん!」

 

 穏やかに微笑む久留代に喜多も明るい笑顔を返す。それぞれに想いや願いはあれど、ひとまず両者の親子関係は非常に良好な様子だった。

 

 

****

 

 

 時を同じくして、喜多と同じ秀華高校に通うひとりも進路希望調査は有り、現在は家族全員がテーブルを囲う事態になっていた。

 

「……これより、ひとりの進路に関する家族会議を始めます」

「あっ、うぇ? なっ、なんでこんなことに……あっ、あと、家族会議って……当たり前のように有紗ちゃんも……」

「私も未来の家族なので、問題ありませんね」

 

 ひとりの進路に関する家族会議が開催され、後藤家ではもうほぼ公認の未来の家族となっている有紗も当たり前のように家族会議には参加していた。

 あまりにも堂々とした有紗の宣言に、直樹や美智代がまったく気にしていないということも相まって、ひとりがつい「あれ? 私の方がおかしいのか?」と一瞬考えてしまうようななんとも言えない空気だった。

 

「とりあえず、重要なのは第一志望に関してだ。ひとりはとりあえず、進学じゃなくてバンド活動に専念する方向でいいんだよね?」

「あっ、うん。学力的に絶対無理ではないけど、両立できそうに無いし……あっ、いや、バンド一本に絞って人生失敗する可能性もあるけど……」

「大丈夫です。いざバンドの方が上手くいかなかったとしても、私がなんとかします。これでも、ひとりさんが遊んで暮らしてもまったく揺るがない程度の財力は備えていますので、安心してください。いえ、もちろんバンドが上手くいくのが一番ですが……」

「有紗ちゃんのところにお嫁に行くなら安心ね~」

「おっ、お嫁!? いっ、いやまだ、そんな話には……お母さん!?」

「ふふふ」

 

 とりあえずバンドに絞って失敗……バンド活動で生活できるだけの金銭が稼げなかった場合に関してだが、有紗という圧倒的財力を誇る存在がひとりと結婚する気満々であり、直樹や美智代の目から見てひとり側もそれほど嫌がっている感じではない。というか、きっかけさえあればすぐ恋人になりそうな程度には、有紗に対して好意を持っているのは分かっているので、そちらの方面に関してはまったく心配していなかった。

 

「こほん。まぁ、それに関しては置いておいて、バンドに絞る方向と考えて……第一志望をロッキンジャポンにするか、フシロックにするかが重要だ!」

「ふたりどっちもよく分からない~。どっちが凄いの~?」

「どっちも凄い!」

「有紗おね~ちゃん、教えて~!」

 

 ロッキンとフシロックの違いが分からないふたりは、直樹は頼りにならないと判断して有紗に尋ねる。すると、有紗は優し気に微笑みを浮かべて簡単に説明してくれた。

 

「物凄く簡単に言えば、フシロックは洋楽……外国の歌が多く。ロッキンは邦楽……日本の歌が多いイベントですね。会場や雰囲気にも違いはありますが、どちらも非常に大きなフェスですよ」

「そうなんだ~! じゃあ、おねーちゃんは、日本のお歌だからロッキンじゃないの?」

「いや、邦楽でフシロックに出る例も結構あるんだ。そしてお父さんは、フシロックに立ってるひとりが見たい!」

 

 直樹自身が洋楽好きということもあって、娘のひとりがフシロックの舞台に立つ姿を見たいと心から思っている。だが、同時にロッキンも捨てがたいと考えており、開催時期が近いふたつのフェスのどちらを目指すかに悩んでいる。

 

「フシロックは主に7月末頃、ロッキンジャポンは8月頭頃なので、両方に出るのは確かに難しいですね」

「あっ、でも別に1年で両方に出なきゃいけないわけじゃないし、最終的にどっちも出ちゃえば……」

「おぉ! 流石ひとり! フシロックとロッキンの2大ロックフェスの舞台に立つ宣言とは、頼もしいね! ひとりがロック史に名を刻むのが楽しみだよ」

「……」

 

 当人であるひとりより乗り気な直樹に、ひとりはなんとも言えないような表情を浮かべた。だがまぁ、これでこの意味不明な家族会議が終わるならそれでもいいかと、特に否定せずに沈黙を持って解答としていたのだが……別の場所から爆弾は投下された。

 

「お母さんは、それより有紗ちゃんとの結婚式をどこでやるのかが気になるわ~」

「お母さん!?!?」

 

 のほほんとした様子で特大の爆弾を投げ込む美智代にひとりが思わず叫ぶが、美智代は特に気にせず楽しそうに微笑んでいる。

 

「……確かにそれも気になるところだね。有紗ちゃんはその辺りも考えているのかい?」

「まだ悩んでいるところではありますね。国内もいいですが、やはりハワイやグアムも捨てがたいです。綺麗な海辺の教会でというシチュエーションには憧れる部分がありますね」

「あら、素敵ね~」

「あっ、有紗ちゃんもなんで当たり前のように答えてるんですか!?」

「いえ、かねてよりひとりさんとの結婚式をどうするかは考えていましたし、いま候補は13パターンほどあります」

「おっ、多いです……じゃなくて!? とっ、とにかく、もうこの話は終わり!! あっ、有紗ちゃん、私の部屋に行きましょう! 早く!!」

「え? あ、ちょっ――で、では、皆さん失礼します。ひとりさん、そんなに腕を引っ張らないでください」

 

 とにかくこれ以上有紗をこの場に残していると、美智代や直樹と何を話すか分からなかったので、ひとりは真っ赤な顔で強引に有紗の手を引いて家族会議の場から離脱した。

 もちろん、そんな風に恥ずかしがっているひとりの様子を見て、直樹と美智代は微笑ましげな表情を浮かべていたが……。

 

 

 




時花有紗:しれっと、後藤家の家族会議に参加するぐらいには馴染んでおり、ひとりとの結婚式の式場候補はかなり絞っている模様だが、それでもまだ迷っている。いっそ3回ぐらい結婚式をしたいとも思っている。

後藤ひとり:大学受験も不可能ではないが、とりあえずバンドに絞って活動するつもり。永久就職先も内定しているので問題は無さそう。年頃の女子高生っぽい反応を見せるようになり、両親もニッコリである。

郁代と久留代親子:原作と大きく状況が変わっている。第一に喜多が成績を落としておらず、むしろクラス内でも上位の成績。第二にひとりにギターを教わっているだけでなく有紗やリョウにも並行して教わっているので、原作のようなひとりに追いつこうとする焦りがない。第三にリョウが有紗のおかげで食生活にあまり問題が無く、喜多にお金を借りたりすることがほぼ無い。第四に既に未確認ライオットで審査員特別賞という明確な結果を出しているということもあって、久留代もバンド活動を応援しており喜多との仲も良好。


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百五手福音のホーリーナイト~sideA~

 

 

 いよいよやってきたクリスマスイブ当日、今回は結束バンドが主催ということもあって私たちは早くから集まって会場の飾りつけを行っていました。

 

「有紗ちゃん、この辺りでいいかな?」

「ええ、大丈夫です。ひとりさん、そっちを持って貰えますか?」

「あっ、はい。こうですね」

 

 現在虹夏さんとリョウさんは、キッチンで星歌さんの誕生日ケーキを作っており、私と喜多さんとひとりさんでクリスマスの飾りつけを行っていました。

 今回の自主企画ライブに関しては、私と虹夏さんが分担して指揮を執っており、現在は虹夏さんが料理に専念するために私が全体のまとめ役をしています。

 

「あら、ずいぶん綺麗に飾り付けましたね~」

「PAさん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ~皆さんの企画ライブ楽しみにしてますよ~」

 

 出勤してきたPAさんに軽く挨拶を行います。現在星歌さんは虹夏さんの提案で開始の時間まで外に出てもらっています。星歌さんの誕生日パーティも兼ねたライブですし、星歌さんはサプライズ派ということもあってどんなライブかは本番になってのお楽しみという形です。

 

「3人とも飾り付けありがと~ケーキもバッチリ準備できたから、これで殆どの準備は完了だね」

「ふっ、手こずらせやがって……」

「リョウは殆どなにもしてないでしょ?」

「いや、生クリーム混ぜたから……」

 

 ケーキを作り終えた虹夏さんとリョウさんが来て、後は参加バンドの方々を待つ形になると思っていると、丁度そのタイミングで扉が開きSTARRYを拠点とするバンドで、結束バンドとも何度かブッキングライブをしたことがあるしじみ帝国の皆さんがやってきました。

 

「おはよーございます」

「今日はよろしく~」

「こんにちは、今日は参加してくださってありがとうございます」

「いつもお世話になってる店長さんの誕生日だしね~。いいライブにしようね!」

 

 しじみ帝国の皆さんと軽く挨拶をしていると、今度はお義父様がやってきました。

 

「皆おはよう!」

「あ、ぼっちちゃんのお父さん! 今日はよろしくお願いします。まさか本当に出てもらえるなんて……」

「娘がいつもお世話になってるし、こういう機会ぐらい一肌脱がないとね! ああ、うちのバンドメンバーを紹介するよ」

 

 そう言ってお義父様がいろいろな人生が垣間見えるバンドメンバーを紹介してくださり、更に続いて星歌さんが以前に所属していたバンドのメンバーもやってきました。

 ドラムのリナさんは虹夏さんにドラムの基礎を教えてくれた方でもあるようで、虹夏さんを妹のようにかわいがっている感じがしました。

 

「やほ~」

「あ、リナさん! 今日はありがとうございます!」

「なんのなんの、あの虹夏ちゃんが主催のライブなら絶対出なきゃねぇ。しっかし、大きくなったね~前はあんなに小さかったのに」

「えへへ」

「……ところで、いま星歌って外に出てたりする?」

「え? ええ……どうしました?」

「ああ、いや、なんか、ルンルンとスキップしながら歩いてる星歌に似た気持ち悪い人を見かけたから……」

「……み、見なかったことにしてあげてください」

 

 どうやら、星歌さんは今日のライブを相当に楽しみにしている様子で、私たちの前では見せませんが相当はしゃいでいるのでしょうね。

 どことなく微笑ましい気持ちになりつつ、今日の演奏順の書かれた紙を到着したバンドの方々に渡していると……勢いよくドアが開かれました。

 

「有紗~!! 来たよ~!」

「ああ、玲さん。今日はよろしくお願いします」

「うんうん。楽しいライブにしようね~! あ、そうそう、来る途中で面白いフレーズが思い浮かんだんだけど……」

「駄目です」

「……あ、いや、ちょっと、一部変えるだけですぐに使えるやつで……」

「駄目です」

「……あ、有紗なら一発で弾けると……」

「駄目です」

「……はい」

 

 玲さんはピアノに関しては徹底していますが、サックスに関しては割と思い付きでアドリブを入れようとしたりすることがあります。音楽の日などに、サックスとバイオリンで演奏をしたこともありますが、あの時の本番直前にオリジナルのフレーズを入れたいと言ったりして大変だったので、それ以後本番直前の思い付きの変更は一切受け付けないことにしています。

 

「あっ、こっ、こんにちは」

「あ、ひとりちゃん! こんにちは~今日はよろしくね! ところで、あれから有紗とキスのひとつでもした?」

「しっ、ししし、してないです!?」

「え~そこはもっと積極的にいかなくちゃ駄目だよ。恋愛は勢いだよ! いや、ボク恋愛したことないけど、なんか雑誌にそう書いてあったしたぶん間違いないよ!」

 

 玲さんに絡まれてアタフタしつつ、こちらに助けを求めるような視線を向けてくるひとりさんを見て、私は無言で玲さんの首根っこを掴んでひとりさんから引き離しました。

 類は友を呼ぶと言いますが、私も大概ですけど玲さんも思いついたら即行動みたいなところがあるので……まぁ、とりあえず本番までは大人しくしているようにしっかり言い聞かせておきましょう。

 

「えっと、これであと1組なんだけど……まだかな? 1番手なんだけど?」

「……エレ&ネネ? 初めて見るバンド名ですね」

 

 玲さんの到着を確認した虹夏さんが周囲を見渡しつつ、まだ来ていないバンドを話題に出します。すると喜多さんも興味を持ったのか会話に参加してきました。

 

「音源は超素人だったんだけど、メールの熱意は凄かったし、有紗ちゃんが是非にって推すから出てもらうことにしたんだけど……有紗ちゃんは知ってるバンドなの?」

「ふふ、そうですね。私とリョウさんはよく知っているバンドですね」

「え? リョウも? それってどういう……」

「すみません!! 遅くなりました!!!」

 

 虹夏さんが不思議そうに首を傾げるのとほぼ同じタイミングで、これはまた勢いよく扉が開いて話題の1番手のバンドがやってきました。

 

「エレ&ネネです!!」

「え? 大山さんと日向さん!?」

 

 そう、エレ&ネネというバンドは恵恋奈さんと猫々さんのふたりのバンドです。なぜ私とリョウさんが知っていたのかというと、ふたりの練習に関わっていたからです。

 驚く虹夏さんに対し、リョウさんが何処か誇らしげな表情で口を開きます。

 

「実は私がふたりを教えてた」

「嘘!? リョウが!?」

「はい! 本当に勉強になりました――山田メソッド!!」

「なにそれ!?」

 

 猫々さんがキラキラとした目で語る山田メソッドという言葉に、虹夏さんが大声でツッコミを入れます。すると、リョウさんが自信満々の表情で語り始めます。

 

「山田メソッドとは、金無し、才能無し、人脈無し……そんなどん底からのスタートでも一人前のバンドマンに成長できるというテーマの、音楽教材だ」

「ほぼ、情報商材みたいな香りしかしないんだけど!?」

「でもでも、本当に分かりやすくて1曲丸々弾けるようになったんですよ! これで500円は安いです~」

 

 恵恋奈さんが猫々さんと同じくキラキラとした目で、山田メソッドの教材を差し出すとそれを見た虹夏さんはなにやら驚いたような表情を浮かべました。

 

「……あれ? 大方ネットの講座を印刷してるだけかと思ったら……意外とちゃんとした教材? 段階的にレベルアップしていけるように、分かりやすく解説してある」

「はい! それにオーチューブの限定公開動画で、課題フレーズを見れたり、運指を細かく解説した動画もあるんですよ」

「……え? 意外にちゃんとしてる?」

「教材の製作協力は有紗、カリキュラムとかいろいろ意見だしてもらった」

「おっと、急に滅茶苦茶信頼度が高い教材に思えてきたぞ……」

 

 実は前々からリョウさんには相談を受けていまして、喜多さんや私に指導した経験を活かして、教材を作ってみたい……もとい、そういったものを作ったら儲けられるのでは? と相談を受けて、内容などを度々相談しながら作っていました。

 そしてそこにたまたま、ギターとベースの素人である猫々さんと恵恋奈さんが居て、結束バンドの自主企画ライブになんとかサプライズ参加したいということだったので、その教材を使いつつ指導してみたという形です。

 

 実際、結構拘って作りましたし、ギターの教本にはひとりさんの意見なども参考にしたので、それなりの完成度にはなったと自負しています。

 実際もう少し内容を詰めれば、本当に教材として売り出せるかもしれませんね。

 

 

****

 

 

 リハーサルを簡単に終えて、いよいよ本番です。結束バンドの人気も最近ではかなり上がってきたこともあり、クリスマスイブでもかなりのお客さんが集まってくださいました。

 1番手は猫々さんと恵恋奈さんのコンビ、2番ではしじみ帝国、そして3番手に玲さんと私のコンビという順番です。

 

「あっ、もっ、もうすぐ始まりますね」

「ええ、大勢の人が集まってくれましたしきっとうまくいきますよ。楽しみですね」

「あっ、はい。でも、有紗ちゃんの演奏も凄く楽しみです」

「ふふ、私の方が先に出番ですね。ひとりさんの期待に応えられるように頑張ります」

「えへへ、なんか、私が有紗ちゃんを送り出すのが凄く新鮮です」

 

 言われてみれば、基本的に演奏メンバーではない私がひとりさんに「頑張ってください」と告げて送り出すのがいままでの形だったので、私が送りだされる側というのは初めてですね。

 ひとりさんはその事がよほど嬉しいのか、ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべていました。

 

「あっ、有紗ちゃん。頑張ってください」

「はい。頑張ります……ああ、そういえば……」

「うん?」

「おまじないはいただけないんでしょうか?」

「おまじな……~~~~!?!? なっ、なな、なにを……」

「ひとりさんに、おまじないをして貰えたら、私はきっと凄く頑張れると思うんですが……」

 

 顔を真っ赤にしてパクパクと口を動かして、言葉が出てこない様子のひとりさんに悪戯っぽく微笑みます。ほんの冗談のつもりでしたが、ひとりさんは真っ赤な顔で悩むような表情を浮かべたあと……。

 

「……あっ、その、おっ、おでこくっつけるやつなら……」

「いいんですか? それは嬉しいですね。是非!」

「あぅ、もの凄く嬉しそうにしてる。もっ、もぅ、有紗ちゃんは……」

 

 どこか呆れたような表情で苦笑したあと、軽くしゃがんだ私の前髪をそっとあげて、ひとりさんは自分の額を私の額にくっつけ、優しい声で応援してくれます。

 

「……頑張ってください。有紗ちゃん」

「はい! 頑張ります!」

 

 それは本当に魔法の言葉のようで、不思議と最高の演奏ができると……そう確信出来ました。

 

 

 




時花有紗:虹夏にしてみれば、安心して指揮を任せられる相手なので、虹夏の負担がかなり軽減されている。隙を見てぼっちちゃんといちゃつくのは相変わらず。

後藤ひとり:いちゃいちゃ度は上がっているし、時期はクリスマスイブ……決めるなら今日しかないのでは?


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百五手福音のホーリーナイト~sideB~

 

 

 時間となり開始となった結束バンドによるクリスマスイブの自主企画ライブ。先陣を切ったのは、猫々と恵恋奈のコンビである「エレ&ネネ」だった。

 

「メリークリスマスイブー!! 一夜限りのえれちゃんとの即席バンドエレ&ネネです! 数ヶ月間頑張って1曲練習しました!!」

 

 ふたりはそれぞれ猫々がギターを恵恋奈がベースを担当しており、ドラムは存在しないためリョウがパソコンでドラム演奏を打ち込みした音源を利用して演奏を行う。

 ふたりの演奏はまだまだ拙く、ミスも多かったが非常に楽しそうに演奏しており、ふたりの友人たちの応援の声もあってなかなかの盛り上がりを見せていた。

 なんだかんだで面倒見がいいリョウは、指導したふたりの晴れ舞台にハラハラと心配そうな表情を浮かべていたが、最終的になんとか乗り切ったのを見て満足気に頷いていた。

 

 続く2番手はSTARRYをホームとして活動するしじみ帝国であり、爆発的な人気こそないものの堅実に活動を続けてきたことでしっかりと固定ファンも多く掴んでいる発展途上のバンドである。

 

「しじみ帝国でーす。なんか1番手が盛り上がって、2番手はちょっとプレッシャーな雰囲気ですが頑張ります。引き続きそのノリでお願いします!」

 

 しじみ帝国はさすが何度もライブを経験しているだけあって慣れたもので、1番手が盛り上げた空気をしっかり繋ぎつつ、更なる盛り上がりへと導いていた。

 そして、演奏は終わり最後にMCで店長である星歌への誕生日祝いのメッセージを送る。

 

「店長誕生日おめでと~。これからもSTARRYでいっぱいライブするね!」

 

 言ってみれば自分のライブハウスで成長したと言ってもいいバンドからの祝いのメッセージに、星歌は感動しているのか目からは涙を流しており、まだ開始して2組という状況で泣いている星歌には虹夏からツッコミが入っていた。

 そして、3番手として有紗が壇上に上がると、観客からは少しのざわめきがあった。それもそのはず、今回は結束バンドの自主企画ライブであり、観客はやはり結束バンドのファンが中心である。

 結束バンドのファンにとっては有紗は周知の存在ではあるが、いままでステージに立つことは一度も無かったのだから……。

 

「初めまして、というにはいささか私を知っている方も多いとは思います。普段は結束バンドのサポートをしている時花有紗です。今回はフランスに住んでいる友人と一緒に初めて、STARRYのステージに立つことになりました」

「REIで~す! バンド名はAR! ふたりの名前の頭文字取っただけだよ~。ボクもライブハウスのステージって初めてで、楽しみだよ!」

「拙い演奏かとは思いますが、楽しんでいただけると幸いです」

 

 サックスとキーボードというライブハウスではあまり見ない組み合わせのコンビであり、開始前は少し不安げな空気も流れたが……演奏が始まるとそれは一変した。

 そもそも、ライブハウスのステージは初めてではあるが玲は数々の舞台を経験しており、サックスに関しても音楽の日などに路上で演奏を行ったりもしている上、本人の音楽センスが高いため見事な演奏を披露していた。

 

 だが、それ以上に有紗の演奏が圧巻だった。彼女が結束バンドのサポートメンバーであることを知っているファンでさえ「なんで演奏メンバーじゃないんだ?」と思ってしまうほどであり、高い技術とセンスに裏打ちされた圧倒的な演奏に、非常に目を惹く整った容姿と……ステージ上で煌めいているかのように見えるその姿を、ひとりは観客席で見つめていた。

 

 その頭の中には、ぼんやりとあるイメージが浮かび上がっていた。有紗が自分たちと同じステージに立って演奏する姿が……いつかそれが叶えばいいと、そんな風に思いながらステージ上の有紗を見るひとりの目には、確かな愛情が宿っているように見えた。

 

 

****

 

 

 結束バンドの自主企画ライブは、非常に素晴らしい盛り上がりのまま続いていく。有紗と玲が更に会場を盛り上げ、それを引き継いで直樹が率いるバンドが渋い演奏を披露する中……有紗は、玲に誘われて店の外に出ていた。

 クリスマスイブの夜ではあるが、賑わう店内とは違って外は人も少なく静かな空気に包まれている。

 

「あ~楽しかった! ライブハウスのステージもいいね!」

「そうですね。私も、あそこに立って演奏するのは初めてでしたが、ひとりさんたちが普段見ている景色が見れて楽しかったです」

 

 正体がバレないように、夜でもサングラスをかけたままで話す玲に、有紗も微笑みながら言葉を返す。玲は近くの植え込みのレンガに腰かけながら、ぼんやりと空を見つめつつ、まるで何事もないかのように呟いた。

 

「……有紗はさ、なんで結束バンドに入らないの?」

「……」

「リハーサルや動画サイトで結束バンドの演奏は見たよ。いいバンドだな~って思った。音も綺麗な色してたしね……ただ、結束バンドはそれぞれの個性が強いバンドだよ。上手く噛み合うと実力以上の力を発揮する反面、どこかバラバラって印象も与えやすい。メロディを安定して支えるキーボードがいると、もっとずっと良くなると思うんだよね」

「そうですね」

 

 玲の言葉に特に反論することは無く、同意する有紗……その表情は静かであり、なにを考えているかまでは読み取ることはできなかった。

 

「バンドにおけるキーボードってさ、ボクの個人的なイメージだと何でも屋って感じなんだよね。いろんな事ができるけど、強い個性は出辛いサポート向きの楽器かな? キーボードが居なくてもバンドは成立するけど、本当に上手いキーボードが居れば音の幅は凄く広がる。でもその分、結構難しいと思う。状況によっていろいろな音を切り替えて、必要な場所のフォローに入って忙しいのに目立ちにくい」

「何でも屋という表現は言い得て妙ですね。上手くやらなければ器用貧乏になるというのもありそうですが……」

「そうだね~。まぁ、あくまでボクの印象だよ。キーボードってそういう役割だから、有紗みたいな献身的でメンタル強くて安定してる子に向いてると思うんだよね。いや、実際演奏凄かったしね!」

 

 玲の言葉に有紗はどこか考えるような表情を浮かべていた。実際彼女は過去に虹夏にバンドメンバーに誘われたこともあり、その時とは心境も変化してはいる。故にどうするべきか迷っているという部分もある。

 

「……有紗の演奏の欠点も克服されてるしさ」

「……誰かに、話したことは無かった気がしますが」

「うん。聞いたことは無いよ……けどまぁ、なんとなくそうじゃないかなぁってのはあるけどね」

「玲さんには敵いませんね」

 

 玲の言葉に苦笑を浮かべつつ、有紗は玲と同じようにぼんやりと空に視線を向ける。今日はやや曇り気味の空ということもあって、星などを見ることはできない。

 そのまましばし沈黙したあとで、有紗は独り言のように話し始める。

 

「……昔、貴女と一緒に出たコンクールで貴女の演奏を聞いて、私は衝撃を受けました。感動したといってもいいでしょうね。玲さんの演奏には、絶対にピアニストになるという決意や渇望、願いや夢といったとても強い感情が籠っていて、ああこれこそが本当に素晴らしい音楽なのだと思いました……反面、私の音楽にはそれは無く、ただ上手いだけで空っぽだと感じました」

「まぁ、確かにね。有紗は圧倒的な技術はあったけど、その演奏に熱は無かった。物凄く綺麗な機械音声を聞いてるみたいな感じで、大抵の相手はその技術で圧倒できるけど、同格相手だとその欠点が明確な差になるって感じかな。あの時のボクと有紗の演奏の差は、確実にソコだったね」

 

 己の演奏は空っぽだったと告げる有紗に対し、玲も同意する。有紗は音楽は演者の心の在り方で変化すると認識しており、だからこそ彼女はコンクールにおいて玲の演奏を聞いた際に、自分では生涯ピアノで玲に勝てることは無いだろうと、そう感じていた。

 

「……私はどうしようもなく恵まれています。裕福で尊敬できる両親の確かな愛情、優しくこちらを思いやってくれる人の多い交友関係、人並み以上に優れた容姿、多くの才能や知識、様々な場面での幸運……ひとつでも持っていたら人から羨まれるものを、私はたくさん持っています」

「ホントね。神様の依怙贔屓すごいな~ってレベルでね」

「凄く、嫌味な言い方になってしまいますが……なにかをやろうと思って出来なかったことはありません。欲しいと願うまでも無く大抵のものは手の中にありました。人が苦労して手に入れる筈のものを、私は少し手を伸ばすだけで簡単に掴めてしまいました」

「……確かに、普通なら苦労して頑張って手に入れるものでも、有紗にとって少しの労力で手が届く。それぐらい、有紗って桁違いの天才だと思うよ……でも、だからこそ、なんだよね?」

 

 玲の確信に満ちた問いかけに、有紗は苦笑を浮かべる。玲の考えが当たりだと、そう答えるように……。

 たしかに有紗は環境も才能も運も、なにもかもを兼ね備えている。それこそ本当に神に愛されていると言えるほどに……でも、だからこそ持っていなかったものもある。

 

「……私は、夢や目標を持ったことがなかったんです。なんでもできましたし、なんでも手に入りました。だから私は、未来になにかを願うことは無かったです。実際のところは分かりませんが、そういったものを持ったことが無かったから、私の演奏には想いが宿らなかったのではないかと思っています」

「ふ~ん。けどさ、ボクの勘違いじゃなければ有紗はその事を自覚してたし、ついでに諦めてたよね?」

「そうですね。玲さんの言う通り、夢や目標、願いや渇望を私が持ってないことには昔から気付いてましたし、別にそれで構わないと思っていました。私は恵まれていますし、夢や目標が無くとも日々は充実していて満足していましたからね。私には必要ないものだと、そう思ってました……ひとりさんに出会うまでは……」

 

 玲は流石に付き合いの長い親友だけあって、有紗のことは正確に把握していた。有紗が己の欠点に気付いていることも、気付いた上で自分には必要ないと割り切っていたことも……そしてそれらが、全て過去の話であることも……。

 

「きっかけは一目惚れでしたが、いまになって思い返してみれば……私はあの時初めて、ひとりさんと共に在る未来を願いました。こうなりたいという、夢を持ちました。気づいたのはもっとずっと後になってからですがね。ひとりさんに乞われてピアノの演奏をした時に思いました。もしかしたら、私はいまなら玲さんに勝てるかもしれないと……ひとりさんのために行った私の演奏には、無かったはずの想いが宿っていました」

「あはは、愛の力ってやつだね。いいじゃん! つまり、ひとりちゃんは有紗に夢を教えてくれたヒーローって感じでしょ?」

「ふふ、確かにそうかもしれませんね。無くても構わない、問題は無いと思っていたはずなのに……ひとりさんと出会ってからは、いろいろなものがそれまで以上に色鮮やかになった気がして、毎日がどうしようもなく楽しく幸せに感じられるようになりました。本当に、ひとりさんに貰ったものが多すぎますね」

 

 そう言って語る有紗の表情は本当に心底幸せそうであり、それを見て玲は優し気に微笑みを浮かべたあとで最初の話題に戻る。

 

「じゃあ、別に結束バンドに入らない理由とかないじゃん?」

「そうですね。最初に断った時は、まだ自分の音楽は空っぽだと思っていた時でしたし、そんな私が所属しても迷惑になるだけと思ったからでした。いまはたしかに、心境は変化していますが……う~ん。特に現状のままの立場でも問題ないと思う自分も居て、悩んでいるところではありますね」

「なるほどね。所属しない理由は無くなってるけど、だからって所属する理由ができたわけでもないか……あはは、なるほど、なるほど……」

「玲さん?」

 

 有紗の話を聞いた玲は楽し気に笑顔を浮かべて座っていたレンガから立ち上がった。そして不思議そうな表情を浮かべる有紗に対して、ニヤリと笑みを浮かべて告げる。

 

「ボクの役目はここまで。有紗の本音を引き出したところで終わり! あとの説得は……有紗のヒーローに任せることにするよ! じゃ、先に中に入ってるね~!」

「え? どういう――ひとり……さん?」

 

 楽し気に笑いながら去っていく玲を戸惑いながら見送ろうとした有紗は、途中で驚いたような表情を浮かべた。

 その理由はSTARRYに向かう階段……先ほどまで有紗と玲がいた場所からは丁度死角になっていた部分から、有紗にとって最愛の相手であるひとりが顔を出したからだった。

 いつから話を聞いてたのかは分からないが、その目にはどこか覚悟を決めたような、強い光が宿っていた。

 

 

 




時花有紗:なにもかもあらゆるものに恵まれてはいたが、天才過ぎるが故に夢や目標を持ったことが無かった。過去に聞いた玲の夢への希望や渇望の籠った演奏を聞いて、これこそが音楽であり自分には持てないものだと感じて、以後コンクールなど表舞台で演奏することは無くなっていた。それでも現状に十分に満足はしていたが、ひとりと出会って一目惚れをしたことで未来を願い夢を得て、考え方にも変化が出た。

後藤ひとり:有紗にとっては夢や希望を与えてくれたまさにヒーローといえる存在であり、迷う彼女に切っ掛けを与えられるとしたらやはりひとりしかいない。そして覚悟を決めた顔……やるんだな、ぼっちちゃん。いま、ここで……。


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百六手聖夜のマイヒーロー~sideA~

 

 

 玲さんと入れ替わるように現れたひとりさんの表情を見るに、先ほどまでの玲さんとの話はほとんど聞いていたとみていいでしょう。

 おそらく私の姿が見当たらなかったので探しに来たタイミングで、図らずも私と玲さんの話を聞くことになったのでしょうね。

 

「……あっ、有紗ちゃん。ごめんなさい、盗み聞きしちゃって」

「いえ、特に聞かれて困る様な話でもありませんしね」

 

 ひとりさんが聞いてたことには驚いたものの、先ほどまでの玲さんとの話を聞かれて困るかと言われれば……別に困りません。仮にひとりさんにどこかで質問されていたら答えたでしょうし、内容的にも特に隠す必要がある様なものはありませんね。

 

 ひとりさんは私の隣まで歩いて来て、私と向かい合うような形で立って少しだけ迷うような、言葉を考えるような表情を浮かべました。

 しかし、それも本当に少しのことで、すぐになにやら決意の籠った目でこちらを真っ直ぐに見つめながら口を開きました。

 

「あっ、最近有紗ちゃんが悩んでたことって、それだったんですね」

「ええ、迷いと言えば迷いかもしれません。以前虹夏さんの誘いを断った際には、私の空っぽで技術が高いだけの音楽は結果的に結束バンドにとっては悪影響でしかないと、そう思っていました。ひとりさんもそうですが、結束バンドの皆さんの音楽には強い想いが籠っていますからね」

「あっ、そっ、それは私も分かります。ライブとかで演奏してると、皆がいろんな想いで演奏しているのが分かる気がします」

「ええ、なので無駄に技術だけ高く心の無い私の音楽は、その魅力を壊してしまうと思っていましたが……その理由はもう無くなりました。私個人の感覚ではありますが、いまの私の音楽には想いが宿っています」

 

 そう、最初に虹夏さんの誘いを断った時の理由は既に無くなってしまっています。実際に私は実質的に結束バンドの5人目のメンバーとして扱ってもらっていますし、演奏以外の様々な場面に関わってきました。

 演奏メンバーとして所属しない理由は無い……と同時に、いまから改めて所属する理由も無いように感じているところもあります。

 

「結束バンドはレーベルと契約して順調ですし、来年からさらに活動の幅も増えていくでしょう。現状で演奏メンバーを追加するような大きな変更を加える必要も無いのではと、そう思う部分もあります。現状のように演奏以外でも皆さんのサポートを出来る部分は多いですしね」

「なっ、なるほど……」

 

 私の言葉を聞いたひとりさんは納得したように頷きつつ、一歩私に近付いて言葉を続けました。

 

「……あっ、私はいつも本当に有紗ちゃんにはいっぱい助けてもらってます。結束バンドのメンバーの中でも、一番私が有紗ちゃんのお世話になってると思いますし、バンド以外でもいつも助けてもらってばかりです。有紗ちゃんは、きっと気にしないでいいって言ってくれると思いますけど、本当に凄く感謝しています。いまの私があるのは、有紗ちゃんのおかげだって思ってます……有紗ちゃん、いつも助けてくれて、本当にありがとうございます」

「……ひとりさん」

「けっ、けど、そんないっぱいお世話になってる有紗ちゃんに迷惑を掛けちゃうかもしれないんですけど……私のワガママを聞いてくれませんか?」

「ええ、なんでしょう?」

 

 正直言ってしまえば、私とひとりさんの仲です。もう、ひとりさんがなにを私に求めてくるかは想像が出来ていましたし、それを私が断らないこともひとりさんは分かっていると思います。

 たぶんというか、間違いなくひとりさんは私を演奏メンバーに誘おうとしているのでしょう。そして、ひとりさんの願いであれば私にとっては、これ以上ないほど背中を押すきっかけになると、そういうわけですね。

 

 そう、ある程度話の流れは予想していました。ですが、当たり前ではありますがどんなに親しい相手であっても、その相手のすべてが分かるわけではありません。

 その後にひとりさんが告げた言葉は、私が予想していなかったものでした。

 

「……あっ、そっ、その、有紗ちゃんはずっとずっと私のこと好きだって、言ってくれてました。けど、私はその恋愛とかよく分からなくて、ずっとなにもちゃんと返事もできて無くて……」

「特に私は急かす気はありませんよ。私の中では将来ひとりさんと結婚することは確定しているので」

「あっ、ふふ、有紗ちゃんらしいですね。でっ、でも、えっと……本当は違うんです。本当はずっと、もっと前から分かってて……見ない振りをしてました。有紗ちゃんが急かさないでいてくれるから、それに甘えてずっと……」

 

 話しながらひとりさんの顔はどんどん赤くなっていきますが、それでもひとりさんが私から目を逸らすことは無く真っ直ぐに強い意志の籠った目で見つめ続けていました。

 自然と私の胸も高鳴るのを感じました。だって……ひとりさんが次に言おうとしている言葉は、きっと私がずっと待ち望んでいたものだと思えたからです。

 

「……わっ、私は! 有紗ちゃんが、すっ、好き……大好きです! そっ、その、とっ、友達としてとかじゃなくて、有紗ちゃんと同じ意味で……」

「ッ!?」

 

 言葉が出ないとはまさにいまのこの状態のことでした。恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、それでも真っ直ぐに好意を伝えてくれるひとりさんの言葉、それが嬉しくないはずもなく目の奥がジーンと熱くなっていくのを感じました。

 しかし、ひとりさんの言葉はそこでは止まりませんでした。

 

「そっ、それで! そんな大好きな有紗ちゃんにお願いがあるんです!! わっ、私は、結束バンドの皆とビッグになって、いつかドームで満員の観客の前でライブしたいって、そう思ってます! それがいまの私の夢です!! そっ、それで、私は……その夢が叶う瞬間に、有紗ちゃんに一番、誰よりも傍に居てほしいんです!!」

「……ひとりさん」

「だから、凄くワガママなお願いをします。有紗ちゃん、結束バンドに演奏メンバーとして入ってください。もっとずっと、私の傍に居てください……私の……私と……『同じ夢を追いかけてください!!』」

 

 それは、まさに殺し文句といえる言葉でした。私に夢という気持ちを教えてくれたヒーローがありったけの想いを込めて、私に同じ夢を追いかけて欲しいと手を伸ばしてきています。その手を握り返さない選択など、ある筈がありません。

 気づいた時には私は、ひとりさんの体を力いっぱい抱きしめていました。目が熱く、嬉しいはずなのに涙が頬を伝わるのを止めることができません。

 

「……そんな情熱的な口説き文句を言われてしまっては、答えなんてひとつしかないじゃないですか……」

「あっ、有紗ちゃん……じゃあ……」

「はい。いままでよりもっと、ひとりさんの傍に居させてください。いつか愛しい貴女が夢を掴む瞬間を一番近くで見て、同じ喜びを共有させてください。ひとりさん、大好きですよ」

「あっ、わっ、私も……大好きです」

 

 背中に手を回して抱きしめ返してくれるひとりさんの体温は心なしかいつもより高い気がしました。いえ、あるいは私自身の体温がいつもより高くて、そう感じているのかもしれません。

 

「……ところでひとりさん、私たちは両想いということでいいんですよね?」

「え? あっ、はい。そっ、そうですね」

「つまり、今後は恋人という認識で大丈夫ですか?」

「あぅ……はっ、はぃ」

「……なるほど」

「あっ、あれ? あっ、あの、有紗ちゃん? 気のせいですかね? いま、獲物を狙う鷹みたいな目になってませんでした?」

 

 若干慌てたようなひとりさんの声が聞こえますが、ここは冷静に返答をしているだけの余裕がありません。なにせ、ひとりさんと想いを伝えあって友人から恋人になれたのです。

 つまりこれは、いままではちゃんと恋仲になってからと思っていたことも実質的に解禁されたと言っていい状態です。

 

「ひとりさん、私はいままで友人関係だからと我慢していたことがあります」

「……あっ、なっ、なんか嫌な予感が……まっ、待ってください有紗ちゃん、いきなりそれはハードルが高いというか、恥ずかしすぎて死んじゃうというか……あひゃっ!? なっ、なな、なんで、無言で頬に手を……」

「ひとりさん、キスをしていいですか?」

「あっ、いっ、いちおうちゃんと確認はしてくれるんですね。あっ、でっ、でも、その、やっぱりキスはまだ心の準備が……いっ、いや、駄目なわけじゃなくて……だっ、段階を……あっ、あの、顔近付いて来てるんですけど!?」

「嫌でしたら、避けてくださいね」

「それはズルいです!! 本当にずるいです!!」

 

 我慢の限界と言いますか、むしろこれだけ愛らしいひとりさんを前によくぞ今まで我慢したと己を褒めてあげたいぐらいです。

 ゆっくりと顔を近づける私に対して、ひとりさんは焦った様子で視線を右往左往させ……少しだけ唇を前に突き出して、目をぎゅっと閉じました。

 

「んっ……ぁっ……」

 

 そして、数秒の後に私とひとりさんの唇が重なり、表現するのが難しいほどの幸福が頭を駆け抜けました。唇に感じる柔らかく微かに湿った感触は、どこか甘さを感じる印象で、唇から伝わる干渉が脳に痺れとして伝わってくるような……そんな錯覚を覚えました。

 叶うのならいつまでもこうしていたいと思えるほどに幸せな時間でしたが、なんとなくひとりさんが限界のような気がしたのでゆっくりと唇を離しました。

 

「……あぅ……はぅ……」

「ひとりさん、改めてこれからもよろしくお願いします」

「はひぃ……はっ、はい、こちらこそ……あっ、意識が遠のいて……」

「あ、待ってくださいひとりさん! このあと、結束バンドの出番があるんですから気絶しては駄目です。頑張ってください」

「わっ、分かってはいるんですけど……あっ、頭が沸騰しそうで……」

「……もう一度すれば目を覚ますでしょうか?」

「それは本当に気絶しちゃうので勘弁してください!?」

 

 そう言って真っ赤な顔で叫ぶひとりさんが愛おしく、思わずまたキスをしそうになりましたが……そこはグッと我慢して、ひとりさんの体を包み込むように抱きしめました。

 チラリと時計を見れば、もう少しの時間であれば大丈夫そうなので……もう少しこのまま、クリスマスイブの夜風が火照った体を少し冷ましてくれるまで、しばしひとりさんとふたりきりの時間を楽しむとしましょう。

 

 

 




時花有紗:ついに願い通じて、ぼっちちゃんと恋仲に進展。合わせて結束バンドへの所属も決定した模様。

後藤ひとり:さすがはヒーロー、決める時はしっかり決めると言わんばかりに、ガッツリ有紗を口説き、聖夜に初キッスも済ませた。パーフェクトだぼっちちゃん。


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百六手聖夜のマイヒーロー~sideB~

 

 

 しばらく経ってようやくある程度落ち着いたひとりが有紗と一緒に店内に戻ると、そろそろ結束バンドの出番が近い状態だった。

 現在はリナのバンドが演奏を行っており、それが終わった後のMCで元メンバーである星歌にメッセージを送っていた。

 

「えー星歌がバンドやめてライブハウスやるって聞いた時は、なに言ってんだって思ったし、正直無理だろうとも思ってたんですけど……まじめに勉強して働いて、このライブハウスを作って、いまじゃこんなにたくさんの人が来てくれる箱の店長になってて、本当に頑張ったんだな~って少し感動しました。星歌! これからも何十年も続く箱にしろよ! 誕生日おめでとう!!」

 

 元バンドメンバーからの激励の言葉に、星歌は微かに笑みを浮かべていた。その後にリナが星歌が毎晩ぬいぐるみを抱いて寝ていること、そのぬいぐるみを虹夏に洗ってもらっていることなどを暴露するまでは……。

 そんな空気の中で有紗とひとりは結束バンドのメンバーが集合している控室に移動する。道中で玲がふたりを見て、その雰囲気から話がうまく行ったのを察したのか、軽くサムズアップをしており、それを見た有紗は思わず苦笑する。

 

 控室に着くとやや慌てた様子の喜多が駆け寄ってきた。

 

「あ、ふたりともやっと来た! ひとりちゃん、早く着替えないともうすぐ本番よ!」

「え? あっ、サンタ服着るとかって……いっ、いや~でもサンタ服なんて買ってない」

「サンタ服は私が全員分用意してますよ。物品の担当は私だったので……」

 

 今回のライブは結束バンドのメンバーは全員サンタのコスプレをしてライブを行うと、喜多の提案により決定していた。ひとりとしてはコスプレは恥ずかしいので、衣装が無いことを理由に避けようとしたのだが……そもそも、そういった備品系は有紗が担当であり、当然の如く準備のいい有紗がちゃんと人数分の衣装を用意していないわけもなく、ひとりの抵抗は空しく終わった。

 諦めた様子でサンタ服を受け取るひとりを見て苦笑を浮かべたあと、有紗は今日のために持って来ていたケースの中からカメラを取り出した。

 

「……有紗ちゃん? なにその凄いカメラ?」

「ひとりさんがサンタの服を着るので、写真を撮るために用意してきました」

「ブレない。流石、有紗はブレない」

 

 虹夏の質問に有紗は明るい笑顔で答え、その場にいる全員がここで撮影した写真を額縁に入れて部屋に飾るつもりだろうということを察した。

 

 

****

 

 

 今回の企画ライブのメインだけあって、結束バンドがステージ上に現れると会場は今日一番の盛り上がりに包まれた。

 

「メリークリスマース! 今日は結束バンドサンタたちが皆に最高の歌のプレゼントをお届けしちゃいまーす! 写真もたくさん撮っていいからね~!」

「ど~も~今日はクリスマスなのに来てくれてありがと~」

「ちょっと、伊地知先輩もっとサンタになりきってください。照れてるじゃないですか!」

 

 ノリノリでMCをする喜多といざステージに来ると恥ずかしさが勝ってきたのか、少し照れた様子の虹夏……そして、リョウとひとりは無に徹していた。

 そもそもひとりの精神は割と限界である。今日がライブ日でなければとうの昔に気を失っていた。というよりは、有紗とのキスを思い出すだけで恥ずかしすぎて、サンタのコスプレの方は比較的に平気というほどである。

 ただそれでも不思議と演奏はいつも以上に上手くできる気がした。

 

「じゃあ、さっそく歌のプレゼントいきまーす! ギターと孤独と蒼い惑星!」

 

 そして演奏がスタートすると、その予感は現実のものとなった。いつも以上に滑らかに指が動いた。ひとりで演奏している時と同じような感じで、十全に己の力を発揮しつつも結束バンドのメンバーの音に合わせられている気がした。

 

(え? やば、ぼっちちゃん音滅茶苦茶ノッてるじゃん。ギターヒーローとして演奏してる時と同じかそれ以上……これ、私たちもしっかり気合入れて演奏しないと、全部ぼっちちゃんに持ってかれちゃうかも)

 

 ひとりが絶好調であることは他のバンドメンバーにもすぐ伝わっており、皆ひとりに負けじと気合を入れて演奏を行いバンドとしての演奏の質が上がっていく。

 その演奏を観客席で見ていた有紗の元に、玲が近づいて来て声をかけてきた。

 

「……いいバンドだね~。音もいいけど色もいいね」

「そうですね。でも、今後はもっとよくなると思います……よくして見せますよ」

「やっぱり、ひとりちゃんに任せたのは正解だったね。う~ん、これからの結束バンドがますます楽しみだよ。あ、ちなみにそれ以外もなんか進展あった?」

「どうでしょうね? とりあえず……結婚式ではスピーチよろしくお願いしますね」

「あはは、そうこなくっちゃ!」

 

 微笑みながら告げたその言葉ですべてを察したのか、玲は心底楽しそうな笑顔を浮かべたあとステージ上の結束バンドに視線を向ける。

 音を色として認識することもできる彼女には、ステージ上で輝く美しく鮮やかな色を見ることができた。

 

「さて、私は演奏後のサプライズの準備に行きますね」

「サプライズ?」

「ええ、星歌さんの誕生日なので……」

 

 そう告げて有紗は軽く一礼して奥に移動していった。そして、結束バンドのメンバーと同じようにサンタの服に着替えてから、星歌へのプレゼントを運びだしやすい場所に移動させる。

 そして、結束バンドの演奏が終わったタイミングでマイクを持ってステージ上に、移動していった。

 

「さて、素晴らしい演奏の余韻を邪魔してしまいますが、ここでサプライズタイムです。もうすでに観客の皆さんもご存知とは思いますが、本日はSTARRYの店長である伊地知星歌さんの誕生日です。なので、これからそのお祝いを行いたいと思います。星歌さん、ステージ上にどうぞ」

「え? あ、あぁ……なんだ、いったい?」

 

 有紗がマイクで話している間に奥に移動した虹夏が予め作っておいたバースデーケーキを持ってステージに戻ってくる。

 そして、ステージに上がった星歌に笑顔でそのケーキを差し出す。

 

「ハッピーバースデーお姉ちゃん! 誕生日ケーキで~す! ささっ、遠慮せずに一口どうぞ?」

「……」

 

 虹夏が差し出したケーキには、可愛らしいSTARRYのスタッフや結束バンドのメンバー、そして星歌を模した飾りが付いており非常に可愛らしい完成度になっていた。

 可愛いものが好きな星歌にとっては、勿体なくて食べられないほど可愛らしく、差し出されたケーキの前で硬直する。それを見た虹夏は怪訝そうに首を傾げる。

 

「何? 早く食べてよ」

「……いらないなら頂き――」

「駄目です」

「――あだだだだ!? 待って、有紗!? 腕が変な方向に!?」

 

 星歌が食べようとしないケーキに手を伸ばそうとしたリョウだったが、素早く有紗に手を捻り上げられる形で阻止された。

 

「虹夏さん、おそらくあまりに可愛らしく綺麗に出来ているので、勿体なくて食べられないんだと思いますよ。確かにその状態でフォークで食べると型崩れしてしまうので、あとでカットして食べましょう」

「あ、そうだね。じゃあ、ケーキはあとで食べてもらうことにして、プレゼントタイムに移行しよう! 今回はリョウもちゃんと用意したんだよね?」

「……その前に、有紗に片腕で抑え込まれてる姿を見てなにか言うことは?」

「自業自得」

 

 とりあえずケーキはあとで食べるということで、星歌への誕生日プレゼントを贈ることにした。有紗からマイクを受け取って、虹夏が進行を代わる形でメモを取り出して読み始める。

 

「え~まずは会場に来れなかった新宿FOLT勢からのプレゼントです! SIDEROSを代表して大槻ヨヨコさんからのプレゼントは、スターリー前に置いていた花輪です!」

 

 ヨヨコは開店祝いのような花輪とハムギフト、そして電報を送ってきており、電報の文面も非常に硬いもので、なんだかんだで根の真面目さと少しズレているところが出ており、ヨヨコらしいといえるプレゼントだった。

 

「続いて、廣井さんからはポケットティッシュの詰め合わせでーす!」

「歌舞伎町一周して配ってたやつ集めて来ただけだろ……それでも、去年よりはマシってのが酷いが……」

 

 きくりのプレゼントに呆れつつも、去年の期限切れのゴミよりはマシだと苦笑する星歌に、続けて志麻や銀次郎からのプレゼントも送られ、次は結束バンドのメンバーからのプレゼントを贈ることになった。

 

「私はホットアイマスク~」

「私はアロマディフューザーです! 癒されてください!」

 

 最初に虹夏と喜多がプレゼントを渡し、続けてリョウの番となったのだが、リョウはなにやら気まずそうな表情を浮かべていた。

 

「うん? リョウも早く出しなよ、用意したんでしょ?」

「なに用意したんですか? 古着とか?」

「う……廣井さんと被った……ボックスティッシュ」

「……いやまぁ、ちゃんと買ってるだけ箱ティッシュの方がマシだ。保湿ティッシュだし、ありがとうな」

 

 リョウが用意したのは3つセットのボックスティッシュであり、いちおうきくりと違って自分で購入したものではあるが、ティッシュという部分が被っていたため気まずそうな表情を浮かべていた。

 

「では、次は私とひとりさんですね」

「あっ、わっ、私たちのプレゼントはセットで使うものなので、一緒に渡します」

 

 最後は有紗とひとりである。去年はテディベアのセットを贈ったふたりだが、今回は渡す場所が観客もいるステージ上ということもあり、可愛いもの好きということを隠したいであろう星歌に配慮したものを選んだ。

 まぁ、尤もそれに関してはリナにより暴露されたので、あまり意味は無かったのだが……。

 

「私からはノートパソコンです。以前そろそろ新調したいと言っていたので、丁度いい機会と思いまして……」

「あっ、わっ、私はマウスです」

「おぉ、ふたりともありがとう。ちょうど、使ってるノートパソコンが古くなってたから、助かる」

 

 ふたりのプレゼントを星歌が受け取ったことで、すべてのプレゼントが終わる。するとそのタイミングでマイクを持った喜多が口を開く。

 

「それでは最後に、全員からバースデーソングを贈ります! 観客の皆さんもよかったら一緒に歌ってください!」

 

 そして、全員でバースデーソングを歌い星歌の誕生日パーティを兼ねたクリスマスイブのライブの全プログラムが終了した。

 

 

 




時花有紗:恋人同士になってもブレない安定した有紗ちゃん。正式なメンバー所属の話はライブが終わってから行うつもり。

後藤ひとり:とりあえず、全力でキスのことは思い出さないようにしてる。思い出したら気絶する。ただ、やはり思いが通じ合ったことでテンションは上がっているのか、絶好調だった。

世界のYAMADA:原作よりやや経済的に余裕があるため、ポケットティッシュではなくボックスティッシュのプレゼントだった。


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百七手愛情のメリークリスマス

 

 

 結束バンドによる初めての自主企画ライブは大成功と言っていい雰囲気で幕を下ろしました。観客が帰り、出演したバンドの皆さんが帰るのを見送ります。

 主催である私たちは最後まで片づけを行う予定なので、まだしばらくはSTARRYに居ることになります。

 

「じゃあ、迎えが来たみたいだから、ボクも帰るね~。あ、そうそう、これ年末のボクのコンサートのチケット。皆で見に来てね~」

「ありがとう、玲ちゃん。今日の演奏も凄かったよ」

「あはは、ありがと~。でも、やっぱりボクの本業はピアニストだからね。本気の演奏はコンサートでね。それじゃ、有紗、また連絡するね~」

「ええ、お疲れ様です、玲さん」

 

 元気よく手を振って去っていく玲さんを見送ると、残るのは結束バンドとSTARRYの一部のスタッフだけとなりました。

 あとは片付けと清掃を行って終了であり、それぞれ箒やモップを持って清掃を開始します。

 

「いや~無事に終わってよかったね~」

「まぁ、よく来てくれる客が中心だったけど、いい感じだったね」

「次はワンマンでも行けるかもしれませんね!」

 

 虹夏さんの言葉にリョウさんは苦笑しつつ同意して、喜多さんも明るい様子で会話に加わります。その様子を見てひとりさんと一緒に軽く苦笑したあとで、大事な用件を伝えることにして、虹夏さんに近付きました。

 

「……虹夏さん?」

「うん? どうしたの、有紗ちゃん?」

「『気が変わりました』。以前一度誘いを断っておいて恐縮ですが、私を正式に結束バンドに入れていただけないでしょうか? ……キーボードとして」

「「「ッ!?」」」

 

 私の言葉が予想外だったのか、虹夏さんだけでなく近くに居たリョウさんと喜多さんも驚いたような表情を浮かべます。

 ただ、それは一瞬のことで、虹夏さんの表情は驚きから喜びに変化していき、パァッと花が咲くような笑顔を浮かべてくれました。

 

「……うん! うん! 大歓迎だよ! というか、ずっと気が変わってくれないかなぁって待ってたんだよ!」

「有紗ちゃんが演奏メンバーに! 凄い!!」

「キーボードが入ると音の幅が広がるし、有紗なら腕は文句なしだし、セカンドボーカルもいけそう」

 

 虹夏さんだけでなく喜多さんやリョウさんも快く私の正式加入を歓迎してくれており、どこか楽し気な様子で話が盛り上がっていきます。

 

「司馬さんとかにも連絡する必要があるよね?」

「そうですね。ファーストアルバムはもう収録済みなので、それ以降から所属になるとは思いますが、STARRYなどのライブであれば問題はありません。もちろん、中途半端な時期に加入を申し出る以上皆さんやファンの方々を納得させられるだけの演奏をしてみせます」

「あっ、有紗ちゃんなら大丈夫です! だっ、だって、キーボード本当に上手ですし!」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 ひとりさんの言葉に私も笑顔を浮かべます。急な話ではありましたが、ここまでずっとサポートで皆さんと一緒に活動してきた信頼関係のおかげか、非常に好意的に受け入れてもらえてありがたい限りです。

 この期待に応えられるだけの演奏を返していこうと、そう改めて心に誓いました。

 

「いや~それにしても思わぬサプライズだね! なんか楽しくなってきちゃった!」

「ですね! テンション上がりますよね!! このまま打ち上げしちゃいますか!!」

「賛成、お腹空いた」

 

 皆さんは非常に盛り上がっており、私の歓迎会も兼ねた打ち上げを行う方向で話が進んでいます。時間もそうですがクリスマスイブということもあって、いまからどこかの店に行くのは難しいでしょう。打ち上げをするとすればコンビニ等で食べ物や飲み物を買ってSTARRYで行うことになりそうです。

 掃除がそっちのけになりそうですが、チラリと視線を向けると星歌さんも苦笑しており、どうやら店内で打ち上げすることは許可してくれるみたいです。

 

 そんな楽し気な空気に微笑みつつ、私はもうひとつ大事なことを伝える必要があると考えて口を開きました。

 

「ああ、それと、今日を持ちましてひとりさんと正式に恋人となりました!」

「ちょっ、あっ、ああ、有紗ちゃん!?」

『えぇぇぇぇ!?』

 

 なんならこちらが最重要と言えるかもしれません。ひとりさんと恋人、そう、恋人です! 頭に思い浮かべるだけで幸せな気分になれる素晴らしい言葉の響きです。

 私の宣言にSTARRY内は再度驚愕に包まれ、ひとりさんが慌てたような表情を浮かべます。

 

「なっ、なな、なんで言っちゃうんですか!?」

「いえ、どちらにせよいずれ分かることですし、遅いか早いかだけですから」

「あっ、有紗ちゃんはメンタルが強すぎます!!」

 

 実際虹夏さんを始めとした面々からいつ付き合うのかなどと聞かれることも多かったので、こうして正式に恋人となったことを報告しておきます。

 あと、若干ではありますが、こうして報告しておけば堂々とひとりさんとイチャイチャできるという打算もあります。

 

「び、ビックリした!? い、いや、いつかはそうなると思ってたけど……」

「ふむ、つまり……バカップルが、正式にバカップルになったってこと?」

「じゃあ、別にいままでと変わりませんね」

「……そだね。よく考えれば、別に変わんないね。ふたりともおめでと~」

「はっ、反応がアッサリ!?」

 

 虹夏さん、リョウさん、喜多さんは最初は驚いたような表情を浮かべていましたが、すぐに冷静になったのか割とアッサリした感じの反応に変わりました。

 ひとりさんが思わずといった感じでツッコミを入れますが、3人は顔を見合わせて頷き合います。

 

「だって、ね?」

「普段からあれだけいちゃついてたわけだし……いまさらと言えば、いまさらですよね」

「むしろ、いままでマジで付き合ってなかったのかと、そこに驚いた」

 

 ひとりさんは微妙に釈然としない表情を浮かべていましたが、交際の報告に関しても問題なく受け入れられました。

 

 

****

 

 

 なんだかんだでワイワイと盛り上がった打ち上げは遅くまで続きました。ひとりさんは電車の時間がありますが、去年と同じように私の家に泊るという話になってからは、時間を気にせずに楽しんでいました。

 そして打ち上げが終わりひとりさんと共に車で移動して私の家に向かうところですが、途中で寄りたい場所があったのでそこに寄ることにしました。

 

「この道も懐かしいですね」

「あっ、ですね。去年もこうして、歩きましたね」

 

 去年のクリスマスにひとりさんと一緒に見に行ったクリスマスのイルミネーションを今年も見に行くことにして、夜の道を手を繋いで歩きます。

 去年とは違って雪は降っていませんでしたが、互いにクリスマスプレゼントで送ったマフラーを巻いて、恋人繋ぎで歩くとなんだか特別な気分になれるような気がしました。

 

 去年とは違っていまの私とひとりさんは恋人です……まぁ、とはいえ、恋人になったからと言って大きく関係が変化するわけでもありません。

 私はひとりさんと一緒にいるのが幸せですし、ひとりさんもそう思ってくれているのは伝わってきます。だからこうして一緒にイルミネーションを見にきたりと、ふたりで楽しい気持ちを共有するという感じです。

 

「あっ、やっぱりカップルが多いですね」

「クリスマスイブですからね。まぁ、今年は私たちもカップルですがね」

「あっ、あぅ……そっ、そうですね。なっ、なんかちょっと緊張します」

「あまり意識しなくても大丈夫ですよ。恋人になったからと言ってこれまでと大きく関係が変化するわけでもないですよ。一緒にいろんな場所を見て、いろんな楽しさを共有して仲良く楽しく、幸せな関係を築けていければいいですね」

「あっ……はい」

 

 恋人になったからと言っていままでの関係が大きく変わるわけではありません。理由としては単純で、そもそも私の方がずっと好意を伝え続けていたわけですし、そういう意味では変化と言えばひとりさんが受け入れてくれるようになった……ふむ。

 

「……」

「あっ、有紗ちゃん?」

「つまり、恋人になったという名目さえあれば、いままで躊躇していたり遠慮していた、あんなことやこんなことも実行可能というわけでは?」

「……まっ、待ってください。ちょっ、ちょっと冷静になりましょう。たっ、たぶんですけど、それにイエスって返すと私が大変なことになりそうなので、そっ、その辺りはゆっくりじっくりいきましょう? ね? 有紗ちゃん?」

「……そう、ですね。確かに、焦ってしまっても仕方ないですね」

「そっ、そうです! あっ、焦らずに行きましょう!」

 

 確かにひとりさんの言う通りです。恋人になったことによって、いままで以上に制限は無くなりましたが、だからといってすぐにそれらを実行していくべきというのは焦り過ぎかもしれません。

 ひとりさんと一緒に私たちのペースで関係を深めて行ければいいですね。

 

「……ただ、ひとつだけハッキリさせておきたいことがあります」

「あぇ? なっ、なんでしょう?」

「キスは解禁ということでいいですよね?」

「……あっ、あの、さっ、さっきしましたよ?」

「私は何度でもしたいです」

「そっ、そんなストレートに……うぅ……いっ、いや、その駄目じゃないですけど……駄目じゃないんですけど、恥ずかしさが凄くてですね。あとなんか頭がフワフワしますし、心臓は五月蠅くなりますし……そっ、相当の覚悟がですね」

 

 恥ずかしがってはいますが駄目とは言っていません。というわけでキスは解禁ということでいいでしょう。いままでも、ひとりさんのあまりの愛らしさにキスをしたいと思う場面は多々ありましたが、そこはグッと堪えていました。

 しかし、いまはもうそれを我慢する必要は無いということです。

 

「……ひゃっ!? あっ、あの、あっ、有紗ちゃん? なっ、なんで顎に手を添えて……」

「ひとりさんの反応が愛らしいですし、イルミネーションが綺麗でいい雰囲気なので……キスをします」

「断言!?」

 

 宣言しつつひとりさんの顎に手を当てて少しだけ上を向かせるようにすると、ひとりさんは驚いたような反応をして顔を真っ赤にしたものの、やはり嫌がったりする様子はありませんでした。

 吸い込まれそうな綺麗な瞳を見つめつつ、ゆっくり顔を近づけると、ひとりさんは私を受け入れるように目を閉じてくれました。

 

「んっ……ふっ……」

 

 クリスマスツリーとイルミネーションに照らされる幻想的な雰囲気の中で、腕の中には最愛の人が居て、その相手と唇を重ねキスをしている。これ以上ないほど幸せな状態です。

 これからもずっとこんな幸せが続いていくようにと願いながら、ひとりさんの背に回した手の力を強めました。

 

 

 




時花有紗:結束バンドにキーボードとして正式に所属が決定。あとぼっちちゃんとの関係も即報告。相変わらずの猛将っぷりである。

後藤ひとり:恥ずかしがってはいるが、ちゃんとラブラブなぼっちちゃん。有紗が演奏メンバーになってくれて嬉しいし、恋人になってくれて幸せだしで、なんだかんだで最高にハッピーな感じである。

チベスナ三人衆:つ、ついに恋人に……ああ、いや、でも、前々からしょっちゅういちゃついてたし、ふたりの世界に入ってたし、別に変らないわ……むしろいまさらって感じだ。


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百八手加入の新体制~sideA~

 

 

 素晴らしいクリスマスイブから一夜明け、朝目が覚めると私の腕の中には天使が居ました。重要なのでもう一度言いますが天使が居ました。

 もちろんひとりさんのことです。昨日のクリスマスイブについにひとりさんと想いが通じ合って結ばれ、恋人同士となりました。

 終電の時間の関係もあって、昨年と同じようにひとりさんは私の家に泊り、一緒のベッドで眠りました……まぁ、ライブの疲れなどもあり本当にすぐ寝ただけなので、なにも無かったのです。

 さすがにそこまではまだ性急すぎますね。ひとりさんも言っていたように焦らずじっくりと私たちのペースでいいです。

 

 それはそれとして、いまはひとりさんと同じベッドで眠った際に発生する至福の一時です。私の寝覚めがいいのも要因ですが、ひとりさんは自主企画ライブで疲れていたことと私への告白に勇気を振り絞ったこともあってかなり疲れていたのでしょうね。いつも以上にぐっすり眠っている印象です。

 そんなひとりさんをそっと包み込むように抱きしめて、温もりと柔らかさを堪能しつつ軽く頭を撫でます。

 

 どれぐらいそうしていたでしょうか、しばらくひとりさんを抱きしめていると、目が覚めたのか軽く身じろぎをしたあとでひとりさんの目がゆっくり開かれます。

 

「……有紗ちゃん?」

「おはようございます、ひとりさん。いい朝ですね」

「あっ……おはようございます。なっ、なんか、この姿勢で目が覚めるのもにちょっと慣れましたけど……温かくて、なんか……幸せです」

「ふふ、私もこうやってひとりさんを抱きしめている時間は至福ですね」

「あっ、有紗ちゃんは大袈裟ですよ……」

 

 そう言った苦笑しつつ、ひとりさんは私の背中に手を回して抱き返すような形になりました。過去の経験上私がすぐに離さないのが分かっているのと、恋人となったことでこういったハグをある程度素直に受け取ってくれるようになった印象です。

 これはとてもいいですね。いままででもこれ以上ないほど幸せでした。朝の心地よい時間にひとりさんを抱きしめられるのは……ただ、恋人となったことでこちらが愛情を示すと、恥ずかしがりながらも同じように愛情を示してくれるようになったのは、本当に筆舌に尽くしがたいほどに喜ばしいです。

 はにかむ様な、それでいてこちらへの好意が現れているひとりさんの笑顔の破壊力は凄まじく、油断すると意識を持っていかれそうなほどでした。

 

「……これは、おはようのキスもいけるのでは?」

「あっ、有紗ちゃん? あの、欲望が思いっきり声に……」

「もちろんこのまま、穏やかで幸せなひと時をゆっくり楽しみたいという思いもあります。ですが、ひとりさんの愛らしい表情を見ていると、どうしても抑えきれないというのはありますね。可愛いんです、とにかく可愛いんです」

「……もっ、猛将モード入ってる……あっ、あの、有紗ちゃん? わっ、私としてはこのままゆっくりした方がいいんじゃないかと……きっ、キスは……やっ、やっぱり恥ずかしさが凄いといいますか……こっ、こう、顔から煙とか出そうになるので……」

「……そうです! キスをしたあとでゆっくりすればいいですね! 深いキスではなくバードキスのような軽いもので、穏やかに愛情を確かめ合うような形で……」

「両取りしてきた!? しかも、何回もキスするみたいなこと言ってないですか!?」

 

 方針は決まりました。そうなれば、後は実行に移すだけです。幸せなひと時を、更に幸せにしようとそう思いつつひとりさんの方を見ると、明らかに意識した様子で顔を赤くしており潤んだ目でこちらを見ていました。

 その表情はとてつもない愛らしさではあるのですが、このタイミングでこういう反応をするということは……おや?

 

「……もしかして、声に出ていましたか?」

「あっ、はい。おはようのキスもいけるのでは……あたりから、全部口に出てました」

「そ、それは、失礼しました」

 

 ひとりさんと一緒にいるとたまにひとりさんへの愛情が溢れすぎて無意識に考えていることが口から出てしまうことがありますが、今回もそうなっていたようです。

 先ほどまでの考えが全部口に出ていたというのは、やはり気恥ずかしさを感じて少し頬が赤くなる気がしましたが……それ以上に利点もありますね。

 

「……いえ、しかし、説明の手間が省けたと思えばむしろプラスでは?」

「あっ、この切り替えも早い無敵メンタルが、完全に有紗ちゃんって感じですね」

「というわけで、ひとりさん、失礼しますね」

「うっ、あっ……ちゅ……」

 

 抱きしめたひとりさんに顔を近づけ、軽く唇にタッチするようなバードキスを繰り返します。しっかりと唇を重ね合わせたキスももちろん素晴らしいですが、こうした軽いキスを繰り返すのも、なんというかひとりさんとイチャイチャしているという感じが強くて、実に素晴らしいです。

 ただ、ひとりさんの反応を見る限り、あまり連続ですると気を失ってしまいそうな感じなので、数度バードキスしたあとは再びひとりさんをぎゅっと抱きしめて頭を撫でます。

 

「あぅぅぅ……あっ、有紗ちゃん? そっ、その、これ、すっごく恥ずかしいんですけど……おっ、終わりですよね?」

「いえ、出来ればあと30分ほどは……」

「ハグですよね!? ハグのことですよね!! キス含めてじゃないですよね!?」

「キス含めてですが、大丈夫です。ひとりさんが恥ずかしさで気絶してしまわないように、間隔は空けるつもりなので……嫌ですか?」

「うっ、いっ、嫌というわけじゃ……そっ、その、幸せ……ですし……あっ、でも……恥ずかしいので……その……控えめで」

「はい!」

「……あはは、もぅ、本当に有紗ちゃんは……」

 

 控え目であればと許可を出してくれるひとりさんに満面の笑みで返事をすると、その私の反応が面白かったのか、ひとりさんは苦笑を浮かべてどこか楽しそうでした。

 そのまましばし、私はひとりさんとの幸せなひと時を満喫しました。

 

 

****

 

 

 昼食を食べ終えたあと、私とひとりさんはSTARRYに向かっていました。今日は練習日……昨日の今日ではありますが、私がキーボードとして所属して初めての練習ということになります。

 ひとりさんは私の家から一緒に向かう形になります。ひとりさんの家まで帰ると片道2時間かかるので、練習前に往復4時間の移動は大変でしょうから……。

 ひとりさんが突発的に泊まることはこれまでも何度かあったので、うちにはひとりさんのサイズに合わせた着替えも置いてあるので問題はありません。ちゃんとトレードマークのピンクのジャージもあります。

 着替えた服は使用人に頼んで洗濯の後にひとりさんの家に届けてもらうので、ひとりさんの荷物が増えたりする心配もありません。

 

 STARRYに到着して皆さんに挨拶をして練習スタジオに移動したあとは、機材などを確認しつつ持ってきた自分のキーボードをセッティングします。

 

「今日は、有紗ちゃんを交えての初めての練習だね! 有紗ちゃんなら大丈夫だと思うけど、なんか分からないことがあれば遠慮なく聞いてね」

「……有紗、キーボードパートは?」

「いちおう自作したものがありますので、確認してもらえますか?」

「OK」

 

 結束バンドの曲には元々キーボードのパートはありませんが、ひとりさんとセッションする時のために自作して練習しておいたパート譜があるので、それをリョウさんに確認してもらいます。

 あくまでギターのひとりさんとのセッションを前提に作っていて、軽く手直しはしましたが念のためにリョウさんに確認してもらいます。

 

「……流石、ほぼ完璧だと思うけど、実際に演奏すると変わってくるかも?」

「そうですね。一度通して演奏してみて、細かな部分を詰める形でいこうかと……」

 

 リョウさんからのOKも出たので、さっそく一度通して練習をしてみようということになりました。演奏メンバーとしての参加は初めてですが、日頃から練習風景やライブ風景を何度も見てきたので、皆さんの演奏の癖なども含めて一通り把握しているつもりです。

 実際に始まった演奏でも問題なく皆さんの演奏についていけましたし、上手く音も合わせられていると感じました。

 

 演奏を終えると、虹夏さんがこちらを向いてキョトンとした表情を浮かべます。

 

「…………いや……上手っ!?」

「凄かったですね! いつも以上に演奏が迫力あって、私でも分かるぐらい明らかにレベルが上がってましたよ」

「やっぱり、上手いキーボードがいるとメロディーの幅が全然違う。音の途切れも無くてスムーズに繋がるしいい。もっといろいろできそう、パート譜少し弄りたい」

 

 どうやら私の演奏は比較的高評価だったみたいで、ひとまずはこの形で問題は無さそうです。

 

「期待に応えられる演奏ができたならよかったです。ただ、イメージは固めていても合わせるのは初めてだったので、多少音のズレを感じる個所があったので、その辺りは修正しないといけませんね」

「あっ、でも、本当に凄いです。一発でここまで合うなんて、さっ、流石有紗ちゃん」

「ふふ、ありがとうございます。皆さんの練習風景はいつも見ていましたからね。そのおかげなのと、ひとりさんと度々セッションしていたので、結束バンドの曲を合わせる経験を積めていたので、ひとりさんのおかげでもありますね」

「あっ、えへへ、有紗ちゃんの役に立てたなら嬉しいです。あっ、でもでも、やっぱりキーボード演奏してる有紗ちゃんはカッコいいです。それに、ポニーテールも似合ってます」

 

 演奏中は髪が邪魔になる場面もあるのでポニーテールに纏めています。ひとりさんからは高評価みたいなので、今後も演奏の際はポニーテールの形で纏めるのがいいですね。

 

「ひとりさんも、髪を纏めてみますか? きっと可愛いと思いますが……」

「うっ、う~ん。やっぱり恥ずかしさが……あっ、でも、有紗ちゃんが見たいなら……」

「今度一緒にいろいろやってみましょうか? 気に入ったのがあれば、ライブなどで試すのもいいですしね」

「あっ、はい。ですね。一緒にやりましょう。わっ、私も有紗ちゃんのいろんな髪型、見てみたいです。なんて、えへへ」

 

 嬉しそうに笑うひとりさんに、私も笑顔を返します。初めての練習ですが、気心知れた間柄であり、ひとりさんも居るということもあって、楽しい雰囲気で練習できるというのはとてもありがたいですね。

 

「……前よりいちゃついてない?」

「恋人同士になりましたからね」

「有紗の方は変わってない。ぼっちの方が、好意を隠さなくなってきてるからだと思う」

 

 

 




時花有紗:終始ぼっちちゃんとイチャイチャしていた。演奏の腕はその才覚をいかんなく発揮しており、最初っからほぼ完璧に合わせる有能っぷり。ぼっちちゃんと一通りいちゃついたあとは、リョウとアレコレ曲の調整を行っていた模様。

後藤ひとり:有紗への好意を自覚したことで、いままでよりある程度積極的になった結果イチャラブ度がかなり増したぼっちちゃん。いちゃいちゃしてた。かわりに周りはチベスナだった。


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百八手加入の新体制~sideB~

 

 

 都内某所にあるホールには不思議な光景が広がっていた。室内で綺麗に並ぶのは老若男女これと言った法則の見えない面々であったが、どこか軍隊を思わせるように綺麗に整列する姿からは独特の威圧感があった。

 そんな面々が見つめるホールの壇上、マイクと机が置かれたそのステージの脇で死んだ魚のような目をしているのは結束バンドのファン1号を自称し、1号さんというあだ名で呼ばれる女性だった。

 なぜ彼女がこの場に居るのかと言えば、原因は付き合いの長い友人であり親友でもある2号に連れてこられたから……。

 そして当の2号はどこか神妙な表情を浮かべながら、ゆっくりと壇上を歩いてマイクの前に向かう。ホールに集まった者たちの視線が集中する中で2号は静かに告げる。

 

『……皆、急な話にも拘らず集まってくれてありがとう。今回は重要な報告がある』

 

 集結した者たちを見渡しながら話す2号の声はどこか興奮を抑えているようで、そこから伝わってくる重要な報告への期待もあり、ホール内はピリッとした空気になる。

 その中で2号は、たっぷりとタメを作ってから重要な報告を行う。

 

『……確かな筋から……というか本人からロインで聞いたので確定情報……ついに……ついに……有紗ちゃんが結束バンドの演奏メンバーとして正式加入することが判明した!!』

『うおぉぉぉぉ!!』

 

 瞬間、大きな歓声が響き渡る。ここに集まった者たちは2号と志を同じくする者たちだ。有後党という固い絆で結ばれた同志たち……そんな彼ら彼女らが待ち望んでいた有紗の正式加入。これで興奮するなというのが無理な話である。

 

(……友達がなんか教祖みたいになっちゃってる現状に、私はいったいどんなリアクションをすれば……)

 

 ただその熱気の中で1号だけは、なんとも言えない表情を浮かべていた。いや、彼女としても有紗の正式加入は朗報である。活動を始めたばかりの頃から追っかけている結束バンドのサポートメンバーであり、最初に路上ライブで演奏を聞いた時から1号も有紗とひとりのファンである。

 ただ1号はどちらかと言えば結束バンド全体が好きであり、推し活用語ではハコ推しと呼ばれる形で、メンバー全員のファンだ。

 対して2号はもちろん結束バンド自体のファンでもあるのだが、それ以上にひとりと有紗のファン……もっと言えば、ひとりと有紗のカップリングを強く推すファンであり、いつしかその想いは他の結束バンドファンにも広がっていき有後党という、一種のファンクラブが形成されるまでになった。

 その党首として精力的に活動する2号は生き生きとしており、それ自体は友人としていいことだとは思うし、微笑ましいとも感じているが……「自分を巻き込まないでほしい」というのも1号の本音ではあった。

 

『その影響でいままでは、ほぼ存在しなかった有紗ちゃんの物販グッズも出てくると思う。たくさん買いたい気持ちは分かるけど、同志たちにもちゃんと行き渡るように購入個数はちゃんと考えてほしい。まぁ、皆マナーを守る素敵なファンだから大丈夫だとは思うけど、結束バンド、ひいてはひとりちゃんと有紗ちゃんに迷惑をかけないように推していこう!』

 

 2号の言葉に集まった有後党のメンバーたちは静かに頷く。有後党は統率の取れたマナーのいい組織であり、ライブや物販でも他に迷惑をかけることはよしとしない。むしろ、マナーの悪い客に声をかけて注意したりするようなファンたちなので、その辺りは代表の2号も安心している。

 メンバーの様子を見て満足気に頷いたあと、2号は笑顔を浮かべつつ口を開く。

 

『……じゃあ、これで重要報告は終わりとして、せっかく集まったので他にも連絡事項を伝えていくね。まず、兼ねてから上がっていたライブでは法被は着にくいという意見を考慮して作成していた有後党パーカーとTシャツが完成したから、今日はそれも紹介するね』

 

 2号がそう告げると、舞台脇から世紀末的風貌の男たちが段ボールを持って歩いて来て、2号の近くに箱を置き、中からパーカーとTシャツを取り出してメンバーたちに見えるように掲げる。

 

『パーカーは黒と白の2種類で、Tシャツは有紗ちゃんカラーやひとりちゃんカラーを含めて、計5種類のバリエーションがある。パーカー1枚とTシャツ1枚は全員に支給って形でプレゼントするから、帰る時に好きなのを選んで持って帰ってね。追加で別のデザインや色が欲しい場合は有料購入になるから注意してね。明日以降、有後党の公式HPから購入できるようにするから、注文はそちらでお願い。えっと、次はこれも前から要望のあった……』

 

 そのまま続けて各種連絡事項を伝え、最後に次の結束バンドのライブ予定の情報を共有し合ってから、有後党の緊急集会は幕を閉じた。

 メンバーたちが帰るのを笑顔で見送った後、2号は1号に笑顔で声をかける。

 

「いや~いい集会だったね!」

「いや、むしろ怖い集会だよ!? というか、いつの間にパーカーとか作ったの?」

「ああ、前々から法被はちょっと恥ずかしいって意見もあったからね。えれちゃんと相談しながらライブハウスでも着やすいパーカーとTシャツの製作を進めてたんだよ」

 

 そう言いながら2号は話題に出ていたパーカーを羽織って見せる。背中の部分には書道で書かれたような達筆な漢字で「有後党」という文字が入っている。

 

「……というか、無駄にカッコいいねそのパーカー」

「いいでしょ? アパレル関連でデザインとかしてるメンバーがデザインを考えてくれて、漢字に関しては書道教室を開いてるメンバーが実際に筆で書いた文字を使ってるから、本格的だよ」

「通りで達筆な字だと……」

「ベンチャー企業の社長とか、上場企業の重役とかもメンバーに居て、その辺が制作スポンサーとして予算出してくれて、公式サイトでの販売にも協力してくれてるね」

「……どんな組織なんだよ、有後党……もうほぼ秘密結社じゃん。私が思ってた以上に怖い組織なんだけど!?」

 

 想像以上に謎の組織感の強い有後党の現状を聞いて、1号は頭痛を押さえるように頭に手を当てた。そんな1号に対して、2号は明るく笑みを浮かべながら告げる。

 

「有紗ちゃんが加わってのライブは年末らしいから、楽しみだね~」

「……まぁ、確かに楽しみだね。クリスマスライブで有紗ちゃんのキーボードは聞いたけど、滅茶苦茶上手かったし楽しみだね」

「うんうん。私たちも結束バンドのファンとして、有後党として、応援を頑張ろ~」

「……待って、サラッと私を有後党に組み込んでない?」

「なに言ってるの? 1号は、有後党の参謀長だよ!」

「やめてぇっ!! なんか、怖い組織で変な幹部っぽいポジション与えないで!?」

 

 しれっとした顔で有後党メンバーに組み込む2号に対し、1号は悲痛な叫びをあげた。

 

 

****

 

 

 結束バンドに有紗が正式に加入するという話は、当然ではあるが契約を結んでいるレーベルであるストレイビートにも連絡が入り、都と愛子も時間を見つけて結束バンドの練習を見にきた。

 そして有紗を加えた5人での演奏を見て、どこか唖然とした表情を浮かべており、少しして愛子が肩を震わせながら口を開く。

 

「……いや、むしろなんでいままでこの体制じゃなかったの!? この演奏なら未確認ライオットのグランプリとれたでしょ!?」

「凄いですね。キーボードが増えるだけでこうも変わるんですか?」

「いや、これは完全に有紗さんの腕前。このレベルのキーボードはそうそう居ないわ。それに、他のメンバーとも息が合ってるけど、なによりギターヒーローさんとのコンビネーションが完璧で、リードギターとキーボードでメロディラインがガッツリ作れてるから、存在感が増してるのよ」

 

 有紗の腕前はもちろんのことだが、有紗が加わることでひとりのパフォーマンスが明らかに上がっている。ひとりにとって有紗は本当に信頼できて頼りになる存在であり、そんな有紗が後ろで一緒に演奏してくれていることが大きな支えとなり、ここに至ってひとりはギターヒーローの際と遜色ない実力が発揮できるようになっていた。

 そのため結束バンド自体の演奏レベルが全体的に一段階引き上がったかのような錯覚を都と愛子に与えるまでの変化を見せた。

 

「……年明けのリリース自体には間に合いませんが、2枚目の目玉になり得ますし、企画しているツアーやレコ初ライブには間に合いますし、結束バンドのレベルが上がってくれることは我々としても喜ばしいですね」

「お、司馬さん、2枚目の話? 1枚目もまだ出てないのに?」

「いまの演奏を聞いて、ほぼ確信しましたからね。楽観視すべきではありませんが……大丈夫でしょう」

 

 愛子の問いかけに都は微笑みを浮かべて答える。有紗が加わった結束バンドの演奏レベルは極めて高く、これならばきっとと……そんな予感を彼女に抱かさせるだけの魅力があった。

 これからが楽しみだとそんな風に感じつつ、演奏を終えてアレコレと話し合っている結束バンドの面々を見つめていた。

 

 

 




時花有紗:演奏レベルはプロ級、ひとりとのコンビネーションはほぼ完璧。バンドの配置的にリードギターであるひとりの後方。ひとりの背中がよく見える演奏位置は本人も気に入っている。

後藤ひとり:原作に先んじて、ギターヒーローとしての能力をほぼ完全に発揮できるようになったぼっちちゃん。愛の力は偉大であり、リードギターの存在感はかなり増しているし、有紗とはアイコンタクトでアドリブもできるぐらいに息ピッタリ。

有後党:謎の人脈、謎の技術、かなりの規模、統率された組織力、謎の財力と秘密結社みたいな組織になりつつあるファンクラブ。党首2号、参謀長1号、エース恵恋奈と強力な布陣。有紗の加入は2号が本人から聞いて知っているが、有紗とひとりが交際を始めたことはまだ知らない。知ったらそれはそれで凄そう。公式サイトで有後党パーカーなどを購入可能、メンバー用の掲示板もある。実はこっそり有紗パパとママが別の人間を使って出資しており、変に財力がある組織である。


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百九手旋律のコンサート~sideA~

今日は残業長かったので、少し短めです。


 

 

 年の瀬も近づいてきた12月の後半。今日は玲さんのコンサートがあるため、結束バンドのメンバーで待ち合わせをして向かうことになっています。

 例によって先にひとりさんと合流した私は、手を繋いで賑わう街中を集合場所に向けて歩きます。

 

「すっかり年の瀬の雰囲気ですね」

「あっ、ですね。このなんていうか、変に忙しそうな感じが年末っぽいです。あっ、そっ、そういえば有紗ちゃん、コンサートってこの格好で大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。コンサートホールによってはドレスコートが定められている場所もありますが、今回は特に服装に制限がある場所ではありませんので、よほど奇抜だったりしない限りは普通の服で大丈夫ですよ」

「……あっ、わっ、私の普段のジャージだった場合は?」

「う~ん。駄目とは言われないでしょうが、目立つのは目立つと思いますね」

 

 現在のひとりさんの服は、以前にハイブランドの服を購入した際にお揃いで購入した服であり、カジュアルながら上品さもある服装です。

 そしてもちろん私とはペアルックなわけです。恋人同士ですから、ペアルックでもまったく問題はありません。

 

 そんな風に話しながら歩いていると集合場所に到着しました。既に虹夏さんとリョウさんと喜多さんは来ていました。

 

「こんにちは、お待たせさせてしまいましたか?」

「ううん。私たちもほんの数分前にきたばっかりだよ……てかペアルックじゃん!?」

「大胆! でも、ひとりちゃんも有紗ちゃんも凄く似合ってる! 写真撮っていい?」

 

 私たちの服装を見て虹夏さんがツッコミを入れ、喜多さんは目を輝かせながら私とひとりさんの写真を撮っていました。

 その反応に苦笑していると、ひとりさんが恥ずかしそうな表情を浮かべながら口を開きます。

 

「あっ、いや、ペアルックというか……ジャージ以外の私服の選択肢があまりにもなかったといいますか……」

「ペアルックである事実は変わらないのでは?」

「いっ、いや、確かにその通りですけど……ちょっ、ちょっと違って、こっ、こう守備寄りのペアルックといいますか……」

 

 ひとりさんの言葉にリョウさんが淡々とツッコミを入れ、ひとりさんは混乱しているのか、ペアルックに攻守の概念を持ち出し始めました。

 その言葉を聞いたリョウさんは軽く頷いたあとで私の方を向いて口を開きます。

 

「……有紗、こう言ってるけど?」

「ラブラブペアルックです」

「有紗ちゃん!! すっ、少しは躊躇を!? もっ、もうちょっとこう手心みたいなのを……」

 

 私が自信を持って……なんならラブラブという部分を強調しながら告げると、真っ赤な顔をしたひとりさんが慌てて抗議してきますが、なんというかその姿も大変に可愛らしいです。

 

「まぁ、ふたりがラブラブなのはいつも通りだし、ちゃっちゃとコンサートホールに行こう」

「ですね。ただ、いまから行くとまだ開催まで時間が結構空きますよね? お昼でも食べていきます?」

 

 虹夏さんの宣言で移動を開始します。いま居る集合場所はコンサートホールの最寄り駅なので、ここから歩いて10分かからずにコンサートホールには着きます。

 しかし、喜多さんの言う通りまだ時間は早いので昼食を食べてから行って丁度いいぐらいですね。道中になにかしらの飲食店があればそこに寄る形になりそうです。

 

「あっ、そういえば、有紗ちゃん? 玲さんに挨拶しに行ったりした方がいいんですかね?」

「いえ、不要です。というか、玲さんはコンサート前はたとえ親であっても会わないので、行っても取り次いでくれないと思いますよ」

「あぇ? そっ、そうなんですか?」

「ええ、玲さんは大抵のことは適当ですし、考えなしに行動することも多いのですが、ピアノに関してだけは徹底しています。演奏するコンサートホールには必ず足を運び、広さや音の聞こえかた反響などを完璧に頭に入れてから、薄皮を一枚一枚積み重ねるように集中力を高めていって、本番にそのピークを完璧に持って来ます」

 

 本人曰く、ピアノに魂を含めてすべてを捧げているとのことですが、実際それも過言ではないと確信できる程、玲さんはピアノに関しては真摯かつ妥協をしません。

 ピアノに必要な知識は分野問わず積極的に仕入れますし、コンサート前は食事の献立や食べる時間まで徹底して準備をしています。

 

「今回のコンサートは私たちにとっても非常に勉強になると思いますよ。玲さんは間違いなくプロフェッショナルであり、友人としての贔屓目もありますが、私は世界一のピアニストだと思っています。例を挙げてみると、皆さんは未確認ライオットのファイナルステージでのヨヨコさんを覚えていますか?」

「あ、うん。なんかピリッと空気が張り詰めたっていうか、貫禄みたいなのを感じたわ」

 

 そう言って答える喜多さんに頷きつつ、私は説明を続けます。

 

「ええ、あの時のヨヨコさんの状態は本人のメンタルやシチュエーション、集中力が綺麗に噛み合って一種のゾーン状態になったようなものです。ただ、玲さんに言わせるとあの状態はせいぜい8割とのことです。玲さんはあの時のヨヨコさん以上の、究極の集中ともいえる状態を本番に計算して持って来ます。なので、玲さんのコンサートはいつも必ず、その時点でその場所で演奏するという前提条件において最大値と言っていいレベルです」

「すっ、凄そうですね」

「実際、凄いですよ。コンサートの時の玲さんは普段とは全く違って、怪物のような圧倒的な存在感と雰囲気を放っています……まぁ、私たちもいずれプロとなることを考えれば、学べることは非常に多いかと思います」

 

 玲さんは紛れもなく世界トップレベルのピアニストですし、ジャンルは違えど同じ音楽に携わる者として、結束バンドにとっては非常にいい勉強になると思います。

 プロとしてデビューするなら、一種の貫禄のようなものを今後身に着けていく必要もありますし、今回のコンサートがよい切っ掛けになるといいなぁとは思っています。

 

「まぁ、いろいろ言いましたが、玲さんの演奏は間違いなく世界トップレベルなので、あまり深くは気にせずレベルの高い演奏を楽しみましょう」

「あっ、はい。楽しみですね」

 

 はにかむ様に笑うひとりさんに、私も笑顔を浮かべて手を繋いだままでコンサートホールへの道を歩いて行きました。

 

 

****

 

 

 皆さんと一緒に食事を食べてからコンサートホールの中に入り、指定された席へと移動します。玲さんが私たちに用意してくれた席は、かなりいい席でありステージが非常によく見えました。

 

「こっ、ここ、すごくいい席ですよね?」

「ええ、間違いなくホール内でも最高の席でしょうね。まぁ、玲さんが主役なわけですし、その権限を使って用意してくれたのでしょうね」

 

 そんな風に会話をしつつ演奏開始の時間を待ちます。ほどなくしてホール内にアナウンスが聞こえて照明が暗くなり、ステージ上のピアノにスポットライトが当たります。

 そして、少しして舞台脇から玲さんが姿を現すと、隣のひとりさんや皆さんが息を飲んだのが伝わってきました。

 その理由は理解できます。現れた玲さんの雰囲気に圧倒されているのでしょう。玲さんは比較的小柄ですが、まるで天を突くほど巨大なのではないかと感じるほどの存在感があります。

 

 ただ歩いてピアノに向かうという行為だけで、会場中の視線を集め自然と観客たちを聞く姿勢にさせます。ひとりさんたちも感じているでしょう。超一流のピアニストである玲さんがその集中力を究極の段階まで高めた雰囲気は凄まじいですからね。初めて見ると驚くでしょうね。

 

 そして、いよいよ玲さんの演奏が始まりました。

 

 

 




時花有紗:ひとりちゃんとラブラブペアルック、大事なので力を込めて言った。ラブラブペアルック。

後藤ひとり:珍しくジャージじゃなくて、有紗ちゃんとお揃いのハイブランド。さらっとメンバーの前でも恋人繋ぎしたままである。


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百九手旋律のコンサート~sideB~

構想では、あと3話ほどで完結の予定です……が、どうすべきか、いま208話……引き延ばして、ぼっちちゃんの誕生日である221話で終わらせた方が洒落てていいのではとも……う~~ん。


 

 

 天才ピアニスト琴河玲……その演奏はまさに圧倒的と言っていいものだった。彼女がピアノの演奏を始めた瞬間、観客たちは一瞬で彼女の作り出す音の世界に囚われたように演奏を聞くことに集中する。

 その圧倒的存在感が、最高峰の技術によって奏でられる至高の演奏が、聞き入る以外の選択肢を取らせないかのように……。

 よく彼女のコンサートに行った人は、気付いた時には終了の時間だったと語る。時間が飛ぶわけでもない、意識がなくなるわけでもない、ただその演奏に魅せられて時間を忘れて聞き入るからこそ、あっという間に終わったように感じるのだろう。

 

 実際ひとりや結束バンドのメンバーたちも、ただただ圧倒されていた。広いコンサートホールに集まった満員の観客たちの視線を受け、舞台上でスポットライトに照らされて演奏する玲の姿は幻想的ですらあり、これがひとつの分野における世界のトップレベルなのだと、強く実感するとともに……ジャンルは違えど、いつかあんな風に人を夢中にさせる演奏をと……そんな風に心に誓った。

 

 コンサートの終わりを告げる最後の曲を玲が演奏し、その最後の音が鳴らされた直後会場は一瞬静寂に包まれる。それは彼女によって、魅せられていた音楽の夢から目が覚めるまでに必要な時間……僅かの静寂の後、観客たちは一斉に立ち上がり割れんばかりの拍手がコンサートホールを包み込んだ。

 

「……すっ、凄かったです。なっ、なんか感動しちゃったというか、圧倒されました」

「そうですね。やはり玲さんは世界のトッププロだと実感するだけの、圧倒的な演奏でしたね」

「あっ、はい。私たちもいつか……こんな風にたくさんのお客さんを夢中にさせる演奏ができたらいいですね」

「ふふ、そうやって前向きに考えられるのは素敵ですよ。大丈夫です。いつかきっと、玲さんにも負けない演奏ができるようになりますよ」

 

 玲の凄まじい演奏に感動しつつも、前向きに向上心のある発言をするひとりを見て有紗は優し気に微笑みを浮かべていた。

 

 

****

 

 

 コンサートが終わった後、結束バンドの面々は玲の居る控室にやってきていた。広く上品な室内には演奏を終えた玲が居て、有紗たちが来たのを見て笑顔を浮かべる。

 

「あ、有紗に皆~来てくれたんだね!」

「ええ、今日も素晴らしい演奏でした」

「ふふん。でしょ? ピアノに関してはボクは世界一だからね!」

 

 コンサートで見せた寒気を感じさせるほどの雰囲気はすっかり消え失せ、どこか緩い感じで胸を張って自慢げに告げる玲に、有紗は苦笑を浮かべる。

 他の結束バンドのメンバーたちとも軽く挨拶をしたあとで、玲は目を輝かせながらひとりに声をかける。

 

「ひとりちゃん、どうだった? 有紗との結婚式の演奏はドーンと任せてくれていいからね! ああ、でもイメージ固めたいから式場が決まったら早めに連絡が欲しいなぁ~」

「はぇ? けっ、けけ、結婚!? あっ、いっ、いや、それはまだ話が早すぎるといいますか……あっ、いや、その、いずれはそうかもしれないですけど……いっ、いまはまだ、アレで……その……」

「玲さん、式場で演奏する可能性は低いでしょう。ピアノを演奏するとなれば披露宴の席でしょうから、イメージを固めるべきなのはそちらの会場では?」

「あっ、有紗ちゃん、ツッコミどころはそこじゃないです……」

 

 明るい顔で当然のように有紗との結婚式の話をする玲に対し、ひとりは顔を赤くしながら視線を泳がせる。いや、ひとりもいまとなっては有紗への好意を自覚し恋人同士となっているわけで、かねてより有紗が口にしている結婚に関しても現実的になっていることは理解している。

 まぁ、頭で理解していても恥ずかしいものは恥ずかしいので、その手の話は可能な限り避けたいとは思っているが……。

 

「そういえば、玲ちゃんってコンサートが終わった後はすぐにフランスに帰るの?」

「ううん。正月の特番にちょっと出演する予定だからもうちょっとこっちにいるね。だから、結束バンドの年末ライブも見に行くつもりだよ~。前のクリスマスライブもよかったけど、有紗が加わった状態での演奏も聞きたいしね」

「それは、しっかり期待にこたえられるように頑張らないといけませんね」

 

 虹夏に結束バンドの年末ライブを見に行くつもりだと答える玲に、有紗が微笑みながら告げる。玲にしてみても親友であり、己に匹敵するほどの腕を持つと認めている有紗の晴れ舞台は見に行きたいという思いが強い。

 玲の明るい性格もあり、しばし結束バンドのメンバーと玲は年末ライブについて楽しく言葉を交わした。

 

 

****

 

 

 年末の雰囲気で賑わう商店街を、ひとりのクラスメイトであり仲のいい友人でもある英子と美子が歩いていた。ふたりは幼馴染であり、家も近いということもあって毎年年末には正月に備えた買い物に一緒に出掛けており、今回もそれが目的である。

 ある程度の買い物を終えたあとは、人通りの少ない公園のベンチに並んで座り一休みする。すると、そのタイミングで英子が少し探る様な表情で美子に話しかけた。

 

「そういえばさ、Bちゃんのとこにも連絡きたよね? ひとりちゃんと有紗さんの話……」

「うん。交際始めたんだって、想いが通じてよかったよね」

「うんうん。ひとりちゃん、すごいよね。きっと物凄く勇気が必要だったと思うんだけど……それでも、ちゃんと伝えたんだ」

「……そうだね。凄いと思う」

 

 しんみりと呟く英子に、美子も軽く頷き同意する。英子と美子は互いに互いを恋愛対象として見ており、恋心を抱いているが……両者ともに己の片思いであると思っていた。

 だからこそ、現在の仲のいい幼馴染という関係が壊れるのが恐ろしくて想いを伝えられないでいた。しかし、そんな中で、ひとりが想いを伝えて有紗と恋人同士になったということは大きく……そう、大きく背中を押す出来事だった。

 

「……ねぇ、Bちゃん」

「うん?」

「私ね、Bちゃんの……みっちゃんのこと……好きだよ。友達としてって意味じゃなくて、その、そういう意味で……」

「ッ!?」

 

 中学でABコンビと呼ばれるようになる前に呼んでいた呼び名を口にしながら、好きだと告げた英子に美子は驚愕したような表情を浮かべる。

 それを見て、英子はなんとも気まずそうな表情で苦笑を浮かべる。

 

「あ、あはは、ごめん。いきなりこんなこと言って気持ち悪いよね……でも、ずっと、昔から好きで……これ以上我慢するのも辛くて、困らせちゃうって分かってたんだけど……ごめん。忘れ――」

「私もえっちゃんのことが好き!」

「――え?」

 

 唖然とした表情の美子を見て、引かれてしまったと思った英子は目に涙を浮かべながら慌てて取り繕おうとしたが、その言葉を遮るように美子も好意を伝えた。

 信じられないといった表情に変わった英子に対し、美子もまだ現実に思考が追い付いていない感じではあったが、それでも必死に言葉を紡ぐ。

 

「……こんな気持ちになってるのは私だけで、言えば引かれちゃうって……えっちゃんと気まずくなっちゃうんじゃって、ずっと言えなかった。だけど、私もずっとえっちゃんが好きだった」

「みっちゃん……あはは、そっか、そうなんだ……じゃあ、私たち両想いなんだね?」

「うん」

「みっちゃん!!」

「わっ、とと……」

 

 美子が頷くを見てこらえきれないと言わんばかりに英子は美子に飛びつく。それを抱き留めながら、美子もどこか安心したような、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「……あ~なんか、遠回りしちゃったね。こんなことならもっと早く言えばよかったよ」

「うん。けど、過去の後悔より……いまの嬉しさの方が大きい」

「うんうん! あ、えっと、じゃあ、これからは恋人同士ってことで……いいかな?」

「うん。これからも、よろしくね」

 

 互いにずっと秘めていた想いを伝えあい、英子と美子は幸せそうに笑ったあとでぎゅっと抱き合った。

 

 

****

 

 

 コンサートが終わり、結束バンドの面々と別れた有紗とひとりはゆっくり街中を歩いていた。まだそれなりに時間があるため、どこかに寄っていこうという話になりどこに寄ろうかと相談しながら歩いていた。

 するとそのタイミングでひとりのスマホがロインの通知を知らせた。

 

「あっ、ちょっとすみません……え?」

「どうしました?」

「あっ、えっと、AちゃんとBちゃんが付き合い始めたって……」

「英子さんと美子さんが? そうですか、確かに互いに想い合っている雰囲気がありましたが、関係が進展したんですね」

 

 英子と美子に関しては、有紗も以前偶然に顔を合わせる機会があったので知っている。話した時間は短かったが、鋭い有紗は両者の微妙な関係を察しており、両者が交際を始めたと言われてもそれほど驚いた様子は無かった。

 

「……よかったですね」

「あっ、はい。ふたりとも互いに好きな感じで、それでも言い出せてなくって……ちゃんと想いを伝えあえて、よかったです」

 

 ひとりも仲のいいクラスメイトということで、ふたりの関係は分かっていた。というか、英子と美子がひとりも自分たちと同じように同性に恋をしていると思い込んでいたため、積極的にその手の相談を持ち掛けてくることが多かった。

 

 ……結果としては両者の想いは正しく、ひとりとしても今年の夏を超えた辺りからは両者の想い……好意は有れど現在の関係が変わってしまうのが怖いという思いも理解できていたので、それがいい方向に進んだというのは本当に朗報であった。

 ロインでの報告と一緒に肩を寄せ合って笑うふたりの写真が送られてきており、その仲のいい雰囲気にひとりと有紗は顔を見合わせて笑い合う。

 

「あっ、ふたりとも、すごく仲良さそうですね」

「ええ、見ていて微笑ましいですね。せっかくですし、私たちも同じような写真を撮って送りますか?」

「あっ、そっ、それちょっと面白そうですね」

 

 有紗の提案にひとりも乗り気であり、英子と美子と同じような構図で写真を撮ってロインに返信する。その後のロインでは、互いにそれぞれのカップルを微笑ましいと賞賛し合うような、そんな温かいメッセージが行き来していた。

 

 

 




時花有紗:英子と美子の関係に関しては、初見でほぼ正確に把握していたが、あまり交流は無かったため口を挟んだりはしていなかった。今後は百合ップル同士で交流も増えるかも。

後藤ひとり:最初はABコンビの勘違いではあったが、最終的には本当に互いに共感し合っていたこともあって、両者が付き合ったことは己のことのように嬉しかった。今後は学校では惚気合ったりしてそう。

ABコンビ:ひとりと有紗が付き合ったことに背中を押される形で交際を開始。新たな百合ップルの誕生は大変めでたい。


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百十手年末の重大ライブ~sideA~

 

 

 年末のライブは結束バンドにとっても重要なものです。特に今回は年明けからのCDの発売の告知もありますし、私が正式に演奏メンバーとなってから初めてのライブでもあります。

 今年の締めくくりにして、来年の布石ともなる重要なライブでもちろん練習にも力が入ります。まぁ、それはそれとしてひとりさんと恋人になって初めての年末なので、そこも楽しみたいところです。

 

「せっかくですし、一緒に除夜の鐘を聞きに行きませんか?」

「あっ、いいですね。けど、人が凄そう」

「場所にもよりますが混むでしょうね。とはいえ、直接鐘を打ちに行ったりせずに、ある程度人の少ない場所で聞けば大丈夫ですよ」

「なっ、なるほど……お汁粉とか食べたいですね」

「いいですね。冷える夜に温かいお汁粉は美味しいでしょうし、楽しみですね」

「えへへ、はい」

 

 結束バンドの年末ライブは30日であり、その翌日は自由なのでひとりさんとのデートを計画しています。一緒に除夜の鐘を聞きながらお汁粉を食べるというのは、なんとも風情があっていいですね。

 そんな風に話していると、どこか狐のような顔をした虹夏さんが声をかけてきました。

 

「お~い、そこのバカップル。いちゃつくのはいいけど、明日のライブの打ち合わせするよ~」

「分かりました。新曲リリースに関する発表は最後に回す形でしょうか?」

「うん。最後に喜多ちゃんに発表してもらう感じかな。今回の目玉が有紗ちゃんの加入発表と新曲リリースだし、有紗ちゃんの加入を頭に持ってくる予定だから、それを考えると最後がいいね」

 

 大きな発表を開始前と終了後で分けるのは理にかなっています。続けざまに伝えるよりその方が印象に残りやすいですね。

 私の加入に関してはそもそも、ライブ前でないと意味がないので必然的に新曲のリリースは最後に回る形になります。

 

「う~ん、有紗ちゃんと一緒に歌えるかと思ったんだけど……」

「さすがにツインボーカルに調整するような時間は無かったですから、仕方ないですよ」

「でも、郁代が言ってるみたいに有紗は歌もいけるから、今後はボーカルふたりの形でも曲が作れるし、幅が広がる。結構インスピ湧いて来て、何曲か仮に打ち込んでみたりしたから、今度ぼっちの意見も聞きたい」

「あっ、もう新曲作ってるんですね」

 

 喜多さんは賑やかなのが好きなので、複数人で歌うということが楽しみみたいです。実際に私も喜多さんのボーカルトレーニングを指導した際にデュエットなどをしたこともあるので、コンビネーションなどに関しても大丈夫だと思います。

 まぁ、夢は広がりますがそういったものは追々といった感じですね。まずは、間近であるライブをしっかりと成功させるための打ち合わせです。

 

 ライブのスケジュールなどを相談しつつ、話を進めていき、しっかりと翌日のライブに備えて準備を進めていきました。

 

 

****

 

 

 迎えた結束バンド年末ライブには、クリスマスの際の観客を超えるかなりの人数の観客が集まってくれていました。

 クリスマスイブはいろいろなライブハウスでライブがありましたが、12月30日はそれほど被っているところが多いわけではありませんので来やすいというのもあるかもしれません。

 

「今日は年の瀬に相応しいいいライブ日よりだね!」

「あっ、そっ、そういえばいまさらですけど、虹夏ちゃんってクリスマスに続いて年末のライブでもいろいろしてましたけど、受験の方は大丈夫ですか?」

「このぐらいは全然平気だよ。模試もA判定だったし、勉強のいい息抜きになるね」

 

 虹夏さんはかなり頭がよく、コツコツと真面目に努力できる方なので受験もまったく問題は無さそうです。実際私も度々、私の分かる範囲ですが勉強を教える機会もありました。

 実際に本番にも強く模試もA判定を余裕でとれているので、正直受験に関してはまったく心配はいらないと思っています。

 もちろん世の中に絶対はありませんが、かなり安心していいという印象です。

 

「やれやれ、そんな中途半端な姿勢で今日のライブが務まるのかね?」

「ニートになるやつが、なに言ってやがる」

「ふっ、これが勝ち組ってやつ……な、なんで、有紗は微笑ましげな顔でこっちを見てるのかな?」

「説明しましょうか?」

「……やめてください、お願いします」

 

 悪態をつくリョウさんですが、最近受験勉強に集中している虹夏さんがあまり構ってくれなくて少し寂しそうという印象だったので、なんというか微笑ましさを感じます。

 まぁ、リョウさんにとっては知られたくない様子で、慌てて私を止めに来ていましたが……流石にそれを話したりするつもりはありません。

 とはいえ、虹夏さんはなんとなく気付いているようでニヤニヤと笑みを浮かべていました。あとでリョウさんとふたりになった時に揶揄うつもりなのかもしれません。

 

「あっ、有紗ちゃん、頑張りましょうね! 初めてのライブで不安だとは思いますけど、あっ、有紗ちゃんならきっと大丈夫です」

「ありがとうございます。ひとりさんが一緒なので心強いですね。ライブに関しては私よりずっと先輩ですもんね」

「えへへ、そっ、そんな、たまたま少し回数が多いだけで、うへへ……なっ、なんでも頼ってくださいね!」

 

 実際のところは特に不安に思う部分などはありませんが、ひとりさんがこちらを気遣ってくれるのは嬉しいですし、私の言葉に喜んでいるひとりさんも大変可愛らしいです。

 ただ、実際にひとりさんも以前と比べればライブにも慣れて、ちゃんとお客さんの方を向いて顔を上げて演奏できていますし、相当成長していると思います。

 

「……ねぇ、有紗ちゃん緊張してると思う?」

「いや、まったく。有紗メンタル最強だし、猛将だし」

「というか……クリスマスライブでもうライブ自体はやってるんですよね」

 

 

****

 

 

 そうこうしているうちにライブ開始の時間が近付いて来ました。今回はきくりさんや都さんも観客として見に来てくれているみたいです。

 レーベルの都さんにとっても、来年の結束バンドの行く末を占うライブといっても過言ではないので見に来てくれたのでしょうね。

 ちなみに余談ですが、やみさんは毎回必ず来てくれます。路上ライブの際もほぼ毎回来てくれていたので、ありがたい限りですね。

 

「どうも! 結束バンドです! 今日は年内最後のライブですが……重大発表がふたつあります。ひとつ目は、私たちのライブを普段見に来てくれてる人には周知の存在ですが、有紗ちゃんがキーボードとして正式に加入してくれました!」

 

 喜多さんのMCの紹介に合わせて軽く会釈をすると、どうやら好意的に受け入れてもらえたようで観客からは歓声が上がりました。

 そして喜多さんからパスされる形でMCを引き継いで、観客の皆さんに挨拶をします。

 

「改めまして、今回よりキーボードとして正式に加入させていただくことになりました時花有紗です。急にメンバーが増えて戸惑ったり心配される方もいらっしゃると思いますが……ファンの皆様を納得させられる演奏をしてみせますので、今後ともどうかよろしくお願いします」

「はい。というわけで今後は有紗ちゃんを加えて5人体制でやっていきますので、応援よろしくお願いします! そして、ふたつ目の重大発表はライブ後に行いますので、楽しみにしておいてください。それじゃあ、さっそくいきます!」

 

 喜多さんの合図でライブが始まり、私も演奏を開始します。最初の曲はギターと孤独と蒼い惑星……記念すべき結束バンドの初シングルであり、思い出深い曲です。

 ひとりさんが作詞に苦戦していたり、最初のライブに観客を集めるために路上ライブを行ったりと、いろいろありました。

 観客の前で演奏するのは、ひとりさんときくりさんと3人で行った路上ライブ以来ですが、あの時はピアノの技術で最低限のコード弾きをしただけで、私もキーボードとしてはまだまだ未熟でした。

 

 いまは、キーボードとしての練習も多く積んできたので、あの時よりもっとひとりさんをサポートできる自信があります。

 演奏しながらチラリとこちらを見るひとりさんとアイコンタクトと交わして音を調整して、結束バンドの曲がより綺麗に響くようにと演奏を行っていきます。

 こうして、ひとりさんと一緒にステージに立つのは……思ってた以上にいい気分と言えますね。正直、こんなに楽しいのであればもっと早く正式加入すればよかったとすら思うほどです。

 

 ただ、それでも、やはりあの時が最善のタイミングだったのでしょうね。私にとっても、ひとりさんにとっても……。

 

 思わず口元に笑みが浮かぶのを実感しながら1曲目を終わらせると、会場は非常に盛り上がっておりかなりの熱気を感じました。

 どうやら私の演奏もファンに認めてもらえたようで、いい雰囲気のまま2曲目に入り演奏はどんどんノッていき、結果最高にいい空気ですべての演奏を終えることができました。

 

「さて、それでは最後にふたつめの重大発表です。実は来年デジタルシングルを順次リリースします。いまのところは有紗ちゃんが加わる前の4人で録ったものがメインですが、今後は有紗ちゃんが加わった曲も出てくるかもしれません……まぁ、ぶっちゃけると売上よかったらミニアルバムとかも出るらしいので、絶対買ってくださいね!」

 

 喜多さんの発表を受け、観客からは割れんばかりの歓声が上がりました。かなりウケはいいようで、都さんとやみさんがサムズアップし合っているのも見えました。

 こうして結束バンドの年内最後のライブにして、私が初参加したライブは大成功で幕を閉じました。

 

 

 




時花有紗:例によってメンタル最強の猛将なので、加入後初ライブでもまったく問題は無し。先輩ぶれて嬉しそうなぼっちちゃんを見て、ニコニコしていた。

後藤ひとり:有紗に頼られているというシチュエーションが嬉しく、かなりデレデレな顔をしていた模様。


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百十手年末の重大ライブ~sideB~

悩みはしましたが、やはり最初の構想が綺麗に終われそうなので、次回が最終回となります。話数はあとで番外編で調整してもいいので……。

最終話が長めになった場合は、更新に2日ぐらいかかるかも?


 

 

 年の瀬の鐘が鳴り響く音が聞こえる中、有紗とひとりは木造りのベンチに並んで座り、お汁粉を飲んでいた。

 以前に約束した通りふたりで除夜の鐘を聞きに来たのだが、流石に境内などは人が多すぎてひとりが敬遠したため、こちらもある意味では予想通りメインの通りを外れて少し人が少なくなっている場所へ移動した。

 

 もちろん賑わう大晦日であり、メインの通りから離れたとしても人はそれなりに居て、チラホラと出店も見える。おかげで目当てのお汁粉の屋台も見つけることができたのはふたりにとっても幸いだった。

 

「……はぁ、あっ、温かいですね」

「ですね。気温の低さも相まってより一層美味しく感じますね」

「はい。あっ、すっ、すみません。結局境内には行けなくて……」

「いえ、凄い人でしたしむしろ行かなくて正解だったと思います。アレでは移動にも時間がかかったでしょうからね。それに私としては、賑やかな境内で除夜の鐘を打つより、こうしてひとりさんとのんびりできている方が嬉しいですよ」

「……あっ、わっ、私もこうやってるのが、楽しくて……なっ、なんか幸せです。えへへ」

 

 はにかむ様に笑うひとりに、有紗も笑顔を返す。元々有紗もひとりも絶対に境内に行きたいという思いは無かった。誘った側の有紗にとっても、重要なのは除夜の鐘ではなく年末にひとりと年越しデートをすることだったので、境内であろうが木造りのベンチだろうがひとりと一緒なら何の問題も無い。

 

「あっ、でも、こうして大晦日になるともう一年経ったのかって驚きます。なんていうか、本当にあっという間って気がします」

「確かに、少し前に夏フェスを目指して皆で頑張っていたと思うと、あっと言う間に冬になった気がしますね。やはり熱中していると、時の流れも早く感じるものですね」

 

 年末の雰囲気がそうさせるのか、お汁粉を食べながら有紗とひとりは思い出話に花を咲かせる。普段は振り返る暇がないほど、真っ直ぐに前を向いて歩いているが、こうして一息ついた際には歩いてきた道を振り返ってみるのもいいものだ。

 

「みっ、未確認ライオットも、なんだかんだでいろいろ課題もありましたし大変でしたけど、楽しかったですね」

「そうですね。そこまでは漠然とメジャーデビューしたい、ビッグになりたいという曖昧なものだったのが、明確な目標を得たことで指針が固まったというか、結束バンド自体が急成長した感じですね」

「あっ、それ、分かります。去年といまじゃ、全然違う……私も、あの頃よりずっと上手くなれた自信があります」

「演奏技術もそうですが、ひとりさんは精神的にも逞しくなりましたね。以前よりちゃんと自分に自信を持てていて、それがいい精神状態に導いている気がします」

 

 もちろんひとりの演奏技術も伸びているが、それ以上にメンタル面での成長が著しかった。もちろんまだ人見知りだったりコミュ症気味だったりという部分もあるが、こと演奏に関して言えば畏縮せずに確かな自信を持って演奏できるようになったのは、ひとり自身も自覚していた。

 

「……それは、きっと、有紗ちゃんのおかげです。あっ、有紗ちゃんは私が頑張ったからだって言ってくれるでしょうけど……私自身が、有紗ちゃんのおかげだって思うんです。いっぱい背中を押してもらえて、いっぱい支えてもらえて、すっ、少しではありますけど前向きになれた気がします」

「ひとりさんの力になれたのなら、私としては嬉しいですね。でも、背中を押してもらったのは私も一緒ですよ……ひとりさんがクリスマスの時にああ言ってくれなければ、私はなんだかんだで正式に結束バンドには所属していなかったと思いますからね。年末ライブのあの楽しさを味わえたのは、ひとりさんのおかげです」

「え、えへへ、そう言ってもらえると、嬉しいです。あっ、えっと、前にお姉さんが言ってたんです。貰ってばっかりのつもりでも、ちゃんと返せてて、相手も同じ風に思ってくれてるものだって……わっ、私も有紗ちゃんの力になれてますかね?」

「はい。それはもうたくさん」

 

 有紗との関係は、ひとりにとって「支え合う」という言葉がしっくりくるものだった。もちろんスペックで言えば有紗が圧倒的に上ではあるが、有紗とて何もかも完璧なわけではない。暴走したり呆れるような行動をとることもあるし、失敗することだってあるし、悩むこともある。

 だからこそ、だろうか? 一緒に成長出来ているということが実感できていた。そしてきっとこれからもこんな関係が続いていくのだと……続いて行ってほしいと、そう感じていた。

 

「……あっ、有紗ちゃん。また来年も、こうして一緒に来ましょうね」

「はい。そうですね。来年もその次も、ずっとずっと先も、こうして一緒に笑い合いたいですね」

「はい……さっ、先のことは分からないですけど、なんとなく、有紗ちゃんとはずっとこうして一緒に笑い合える気がします……そっ、その……大好きです」

「私も同じ気持ちです。ふふ、先に言われてしまいましたが、大好きですよ、ひとりさん」

「えへへ」

 

 幸せそうに笑い合って肩を寄せ合うふたり……その未来を祝福するかのように、ひと際大きく鐘の音が鳴り響いた気がした。

 

 

****

 

 

 ――5年後。

 

 後藤家のリビングでは、やや苛立った様子のふたりが台所にいる直樹と美智代に呼びかけていた。

 

「お父さん、お母さん、ほら、早くしないと始まっちゃうよ!」

「おっと、しまった。もうそんな時間か……せっかくのひとりの晴れ舞台なんだしちゃんと録画しないとな」

「ふふ、楽しみねぇ」

 

 ふたりの声を聞き、食器を洗い終えた直樹と美智代が少し慌て気味に来たのと同時に、リビングにあるテレビに彼女たちがよく知る人物たちが映る。

 

 現在リビングに映し出されているのは、メジャーデビューし今年の上半期の楽曲DL数で1位を獲得し、名実ともに人気バンドとなった結束バンドの面々が、昼の生放送番組に出演している様子だった。

 最初にあいさつ代わりに一曲披露したあとは、席に座って司会者と雑談形式で進行していくことになる。

 

「うぅ、ひとりがお昼の生放送に……感激だなぁ」

 

 テレビに映るひとりの姿に直樹が感動したように呟くと、丁度そのタイミングで司会者がひとりに話を振った。

 

『そういえば、ギターのBocchiさんは、よくピンク色の入った服を着てますよね? やっぱりトレードマークだったりするんですか?』

『そうですね。高校時代はいつもピンク色のジャージを着ていたので、服にピンク色が入ってた方が自分でもしっくりくるってのはありますね。まぁ、いまでも家ではピンクのジャージを愛用してるんですけどね』

『へ~そうなんですね。Bocchiさんというと、最近ではファッション誌の表紙を飾ったりとお洒落なイメージがありますが、家ではラフな格好もしたりするんですね』

『そっ、そうですね。あっ、あはは……』

 

 司会の言葉に画面に映るひとりは、若干気まずそうな表情で苦笑し、それを見ていたふたりもテレビの前で苦笑する。

 

「お姉ちゃんの服は、有紗お姉ちゃんがコーディネートしてるんだよ」

「ああ、通りで毎回テレビに出る時はバッチリ決まってるなぁって思ってたよ」

 

 かつてはどこに行くにもジャージ姿だったひとりだったが、メジャーデビューしてテレビ出演などをするようになってからは、服装も改めてロックバンドらしくカジュアルでカッコいい服を着ることが多くなっていた。

 そして元々整っていた容姿も相まって、最近ではファッション誌などにも出ることがあるなどお洒落なイメージが定着してきているが……実際は同棲している有紗が選んでくれた服を着ているだけで、ひとり自身にファッションセンスはあまりない。

 本人もそれを自覚しているからか、なんとも言えない表情で苦笑していた。

 

「それにしても、ひとりも生放送でも物怖じせずに堂々と話せてるし、本当に成長したなぁ……」

「ホントね。もうすっかり人見知りは直ったのかもね」

「……う~ん。いや、片手が服の後ろ……う~ん。たぶんこれ有紗お姉ちゃんに手を繋いでもらって、必死に頑張ってるだけで、緊張しまくってると思うなぁ……」

 

 なんとも言えない表情でふたりが呟く先で、テレビの生放送ではひとりを始めとした結束バンドの面々が近々始まる全国ツアーに関しての告知を行っていた。

 そんな光景を見つつ、後藤家のリビングは賑やかに盛り上がりつつ、テレビに映るひとりを応援していた。

 

 

 

 




時花有紗:ぼっちちゃんと年越し、5年後はどうやら同棲をしている模様。

後藤ひとり:5年後には流暢に生放送で受け答えをしており、無事に陰キャもコミュ症も脱却……本当に? それは、次回に分かります。有紗ちゃんとは5年後も仲睦まじく、同棲している模様。


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最終手『必殺のプロポーズ』

半年以上の長らくのお付き合いありがとうございました。これにて完結です。


 

 

 明後日から行われる全国ツアーに向けて宣伝を兼ねた生放送への出演を終え、控室でメンバーの皆さんと一緒にホッと一息つきます。

 

「いや~やっぱり、生放送は独特の緊張感があるよね」

「分かります。普段の収録とはちょっと違う感じですよね! でも、それが楽しいんですけど!」

 

 虹夏さんが体を伸ばしながら告げ、喜多さんが明るい声で同意します。そのあとで虹夏さんはキョロキョロと視線を動かしながら呟くように口を開きます。

 

「……んで、ぼっちちゃんは?」

「アリサニウムの補充中」

「ええ、私の後ろに居ますね」

 

 リョウさんが返答した通り、現在ひとりさんは私の背中に張り付くようにしがみついており、これまでの経験からあと10分前後はこの状態だと思います。

 生放送の緊張感はひとりさんにはなかなかきつかったようで、いまは疲弊したメンタルを回復している最中といった感じです。

 

「なんていうか、ぼっちちゃんは変わんないよねぇ。なんか安心するな~。いや、それでもだいぶ喋れるようになってるけどね」

「あっ、しゅっ、収録は大丈夫なんです。でっ、でも、まだ生放送はハードルが高いというか、あの空気にいつまでも慣れないといいますか……」

 

 ひとりさんは人見知りもかなり克服……とりあえず、人前では猫を被るといいますか、余所行きのキャラで対応ができるようにはなりました。

 実際生放送での受け答えもスムーズでしたし、間違いなく成長しています……ただ、本質的な部分はやはり大きくは変わっていないので、生放送などではかなりビクビクしていたりします。

 

「あとは、写真撮影なども苦手ですよね?」

「あっ、有紗ちゃんのメンタルが強すぎるんですよ。あのこっちに注目が集まりまくってる状態は、陰キャにはハードルが……」

 

 ひとりさんはその容姿もあって雑誌のモデルなどといった仕事が来ることも多いのですが、基本的に私と一緒でなければNGだそうです。最悪、私が写真に写らなくても現場に見に行ける状態であればOKですが、ひとりで撮影現場に行くのは断固拒否している感じですね。

 まぁ、私としては頼られて嬉しいですし、仕事中もひとりさんと一緒で幸せなので問題はありませんけどね。

 

「でも、ひとりちゃん今日は司会の人の質問にもスラスラ答えてて、全然大丈夫そうだったじゃない」

「……ああ、なんか有紗ちゃんが解答例を前日に作ってくれてるらしいよ」

「え? そうなんですか?」

「あっ、いっ、陰キャに突発的なアドリブとか無理です……」

 

 別に完全にすべてが分かるというわけではありませんが、番組の趣向などを考えればある程度の質問のパターンは予想できるので、生放送などの前日にはひとりさんと練習をしています。

 収録などでは撮り直しもできますが、生放送は一発勝負なので事前に出来るだけの質疑応答を練習するようにしています。ひとりさんが恥をかいてはいけませんしね。

 

「ところで皆さん、そろそろ出ましょうか」

「あ、そうだね。じゃあ、話の続きはいつもの場所で……ついでに、明後日からのツアーの打ち合わせもしようよ。皆は今日は仕事は大丈夫?」

 

 いつまでも控室に居るわけにもいかないので、そろそろ出ようと提案すると虹夏さんが頷きながら全員の予定を聞いてきました。

 最近は人気も出てきて個別で活動する機会も増えたので、予定の確認は大事です。まぁ、明後日からツアーなので今日明日は皆さんも仕事は入れてないと思いますが……。

 

「私とひとりさんは、もう今日明日はなにも無いですね」

「同じく」

「私はイソスタライブはやる予定ですけど、それは家に帰ってから個人でやるので、それ以外はなにも無いです」

 

 やはり特に仕事は入ってないようなので、明後日からのツアーの打ち合わせ……という名目の雑談を行うために全員揃って移動することとなりました。

 

 

****

 

 

 テレビ局から移動してSTARRYにやってきて、机と椅子を借りて打ち合わせを始めると、カウンターでノートパソコンを操作していた星歌さんが呆れたような表情で口を開きます。

 

「お前らなぁ、うちを喫茶店かなにかと勘違いしてないか? 当たり前のように開店前に来て打ち合わせ始めやがって……」

「いいじゃん。STARRYも私たちのおかげで繁盛してるでしょ! それに今だって年何回かはライブしてるんだし、立派なホームだよ!」

「……まぁ、確かにお前らが人気バンドになってあちこちで宣伝してくれるおかげで、改築して広くするかって案が出るぐらいには客は増えたけどな」

「でしょ? ふふん……サインしてあげよっか?」

「もうあるだろうが……」

 

 胸を張って誇らしげに語る虹夏さんの言葉に、星歌さんは呆れたようにため息を吐きつつも苦笑します。その苦笑はなんというかとても優しく、虹夏さんの成長を喜んでいるように感じられました。

 するとそのタイミングでリョウさんが軽く手を上げ、星歌さんに向けて口を開きます。

 

「あ、じゃあ売り上げに貢献しているということで、ドリンク一杯タダで……」

「なんでお前は、印税とかでバンド内でも他に比べて収入が多いくせに未だに金欠なんだよ」

「……虹夏がお小遣いあげてくれなくて……」

「いや、私が管理してるのは半分だけでしょ? 残り半分は自由に使わせてるじゃん……お金ないのは、リョウがお金が入ったら入っただけすぐに使っちゃうからでしょ!」

「それを言われると、返す言葉も無い」

「自覚あるなら直せよ!?」

 

 リョウさんは結束バンドの殆どの曲の作曲を担当しているので、印税などで収入は大きいですが、その分消費も非常に大きいというか、虹夏さんの言う通りあればあるだけ使ってしまう性格で、いまもよくお金が無いと口にしています。

 最近では見かねた虹夏さんがリョウさんの収入を管理しているとのことです。

 

「あっ、そういえば、喜多ちゃん。佐々木さんは今度のツアーライブ来るんですか?」

「最終日の東京は見に行くからS席よこせとか言ってきたわね。他は仕事もあるし来れないんじゃないかしら……」

「最近大きな企画も任されて順調らしいですね」

「いやはや、あのさっつーがバリキャリみたいな感じになるとは……いや、でも、元々リーダーシップみたいなのはあったし、意外と向いてるのかしら? そのうちCM依頼するから安く受けろとか言っちゃってさ~」

 

 次子さんは短大を出たあとで音楽関連の会社に入社し、現在は精力的に仕事をしているようです。元々要領がよくリーダーシップもあったので、順調にステップアップしているみたいです。

 喜多さんとの関係も良好そのもので、現在も互いの休日にはよく会って遊んでいるとか……。

 

「……ところでさ、お姉ちゃん」

「なんだ?」

「……なんで、PAさんはあんな世界の全てに絶望したような顔して座ってるの?」

「あ~ほら、少し前に誕生日だったから……アイツもな、到達してしまったんだよ」

「到達?」

「新しいステージってやつに……な」

 

 どこか哀愁漂う様子で告げる星歌さんの視線の先で、PAさんは虹夏さんの言う通り絶望したような表情で小さく「三十路……ああ、ついに……」と、そんな台詞を呟いていました。

 その様子に私たちは思わず顔を見合わせて苦笑してしまいました。なんというか、何年たってもSTARRYの空気は変わらないままで、心から落ち着くホームだと……そんな風に感じました。

 

 

****

 

 

 STARRYでの打ち合わせを終えてひとりさんと一緒に手を繋いで道を歩きます。今日は特に予定もありませんし、明日もオフなのでこのまま夕食の買い物でもというところではありますが……。

 

「ひとりさん、この後なのですが……」

「あっ、買い物とかして帰ります?」

「ああいえ、その前に行きたい場所があるのですが、一緒に行ってもらって大丈夫ですか?」

「行きたい場所? あっ、はい。大丈夫ですよ」

 

 ひとりさんに了承を取って移動をします。とはいってもここからそれほど遠い場所ではありません。

 

 不思議そうにするひとりさんを連れて移動したのは、ある通りでした。特に何の変哲もない普通の道で、目立つ店があったりするわけでもありません。

 ひとりさんはなぜここに来たか分からないようで、不思議そうに首を傾げます。

 

「あっ、えっと、有紗ちゃん? どこに行くんですか?」

「目的地はここですよ」

「え? でっ、でもここ、普通の道では?」

「ええ、普通の道です。ですが、私にとっては重要な場所でもあります。6年ほどの間に景色もそれなりに変わりましたが……」

「6年って……あっ、そっか、ここは……」

 

 私の言葉を聞いて、ひとりさんもここが何処か思い出したようです。そう、ここは私とひとりさんが初めて会った場所であり、私がひとりさんに初対面でプロポーズをした場所でもあります。

 

「もう、6年以上も経つんですね」

「あっ、そうですね。本当にあっという間でした……あっ、あの時は、ビックリしました」

 

 この道でひとりさんを初めて見て、私は恋に落ち……そして未来を夢に見ました。言ってみればここは、私にとって大きな転換となった場所でもあります。

 

「……ところでひとりさん、ご存知とは思いますが私も完璧ではありません。失敗することも間違うこともあります。ただ、私は同じ失敗は繰り返さないつもりです。失敗から学び次の機会にそれを活かす」

「うっ、うん? そうですね。有紗ちゃんはそういう人ですね……でも、なんで今それを?」

「これもまた、失敗から学んだ結果なので……今回はちゃんと準備してきました」

「準備?」

 

 首を傾げるひとりさんに対し、私は正面に向かい合うように立って鞄から手のひらサイズの箱を取り出します。

 

「え? あっ、それって……」

「ひとりさん、私はこの場所で貴女に一目惚れをして、夢というものを知りました。そして、貴女が同じ夢を追いかけて欲しいと言ってくれたから、夢を追うことの楽しさを知ることができました。最初に会った時以上に、もっとずっと貴女を好きになりました。あの時クリスマスイブにひとりさんが語った夢は、もうすぐ叶うでしょう。ですが、私はその先もずっと貴女と一緒に歩いていきたい。夢が叶ったその先で、貴女が新しく見つける夢も、一緒に現実に変えていきたいと、そう思うんです」

「……有紗ちゃん」

 

 願った夢を叶えればそれは現実へと変わっていく。私はこれから先も、ずっとずっと一緒に歩いていきたい。

 だからこそ、今日は最初にひとりさんと会った時と同じこの場所に、あの時は用意していなかった指輪を持ってやってきました。ひとりさんとの関係をもう一つ進めるために……。

 

「ひとりさん……私と、結婚してください」

「ッ!?」

 

 最初にあった時と同じ余計な飾りを省いたストレートな求婚の言葉。あの時は戸惑いつつも拒否されてしまった言葉でした。

 ひとりさんは私の言葉を聞いて驚いたような表情を浮かべたあと、目に涙を浮かべて苦笑しました。

 

「……失敗から学ぶって、そういう……ふふ、有紗ちゃんらしいです」

 

 そう呟いたあとで、ひとりさんは私が差し出した指輪を受け取って微笑みを浮かべました。

 

「……はい。私も、これからもずっと夢を叶えたその先も、有紗ちゃんと一緒に並んで歩いていきたいです。なっ、なので……えっと……うん。結婚しよう……有紗ちゃん……大好きだよ」

「ひとりさん!」

「わっ、とと……もう、こんな道端で……恥ずかしいけど、うん。それ以上に嬉しい。えっと、これからもよろしく、有紗ちゃん」

「はい。こちらこそ……ひとりさん、愛してます」

「……うん。私も、愛してる」

 

 ひとりさんは私のプロポーズを受け、同時に意識して私への敬語を止めました。ひとりさんは以前から、家族に対してだけは敬語ではなく素の口調で話していました。

 これはひとりさんにとってひとつの区切りという意思表示なのでしょう。これからは、私のことを家族として扱ってくれるという。

 それが理解できたからこそ、嬉しくてひとりさんの体を思いっきり抱きしめました。ひとりさんは少し驚いたような表情を浮かべたあと、私の背中に手を回してギュッと抱きしめ返してくれました。

 

 夕日に照らされる道で……私とひとりさんの歩いてきた道は、ひとつに重なりました。

 

 ですがもちろんこれで終わりではありません。これから先もまだまだずっと、ひとりさんとの日々は続いていきます。

 

 夢を叶えたその先まで――きっと、ずっと――いつまでも。

 

 

 





~5年後の面々~

時花有紗:ぼっちちゃんと同棲しており、いまも継続してラブラブな有紗ちゃん。ぼっちちゃんとの関係は日頃から公言しているので、周知の事実であり、実際ぼっちちゃんとふたりでの仕事が非常に多い。投資家としても継続して活躍中で結束バンド内では例によって最も金持ち。

後藤ひとり:余所行きの猫かぶりができるようになって、テレビなどではある程度流暢な受け答えもできるようになっているが、根っこの部分は相変わらずであり精神的に疲労するとアリサニウムを補充するのも変わらず。有紗とは同棲して仲良くしており、今回有紗のプロポーズを受け入れて結婚。有紗への敬語を止めた。

喜多郁代:5年後もキターンとしており、イソスタなどでもかなりのフォロワーを誇る有名人。さっつーとの関係も継続しており、休日はよく遊んでいるとか、そこそこ恋愛対象として意識しているとか……。

伊地知虹夏:5年後も元気な結束バンドのリーダー。リョウの財布の紐を握っていたりと、実質夫婦みたいな関係ではある。結束バンドも人気になりSTARRYも大繁盛なので、かなり誇らしげにしている。リョウに対して恋愛感情もあり、リョウが意識を向けてきているのも知っているので、告白を待っているが……いつも直前でヘタれるリョウを見て、もういっそ自分から行こうかと考えている。

山田リョウ:5年後も相変わらずなYAMADA。自分で持ってるとあるだけ使ってしまう浪費癖持ちなので、自分から虹夏に収入の半分を管理してくれるように頼んだ。虹夏との関係は良好で、恋愛感情も自覚しているが……肝心なところでヘタれるため、なかなか告白できていない。


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