うらなり (はるぽん太)
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幼少期

オリキャラが出しゃばります。

※1話の内容に大幅な修正をかけました。
修正に伴い、文字数が2,000文字ほど増えました。申し訳ありません。(2023/04/20)


 

「遅刻、遅刻するーッ!」

 

 体のバネを活かしながら、ぴょんぴょんと木々の間をウサギのように跳ね回りヒイヒイと情けない息を漏らす梁間(はりま)

 梁間はひょんなことから仲良くなった板間と約束をしていた。しかし、梁間は盛大に寝坊をしてしまった。

 ガタガタと自室から台所へ顔を出す顔面蒼白な梁間を見た母には「あらあら、お父さんはもう出かけましたよ」と笑われながら言われる始末。梁間はかつて弟にも「兄さんはお寝坊助さんだあ」と笑われてしまったことを思い出した。

 居間の時計は約束の時刻をしっかりと示していた。

 

「急いで支度したのにいッ!」

 

  それから梁間は大慌てで身支度をし、朝餉もそこそこに勢いよく駆け出した。

 人生初、最大の遅刻。思わぬ事態に慌てるが故に周囲の注意が疎かにしたのがいけなかった。飛び乗った先の枝に絡む蔦に右足を絡め取られる。

 勢いよくぐりん、とひっくり返り地面に真っ逆さまに落下する。ごちん、と頭蓋が大きな音を立てた梁間はその場に頭を抱えて蹲った。踏み外した枝は折れ、追撃するかのように梁間の頭上に落下する。梁間は出そうになった涙をぐっと堪えた。

 

「うおぉ……」

 

 無理に足で着地したために右足首を挫いた。暫く動けそうもない。

 一緒に落下した太枝を睨め付け、梁間は右足首を摩りながらも頭蓋に響くズキズキとした痛みに悶々とする。

 暫く梁間は太枝を支えに立ち上がり、右足を引き摺りながら暫く歩いた先の湧水で右足を冷やした。次いで脚絆で固定、きつく締め上げた。湧水で喉を潤し休息する。ほっと一息つくと、梁間はそろそろと掛けていた重心を左足から右足に徐々に移してやる。まだ幾分か動きそうなことに安堵した。そして、時折痛む右足を庇いながらも、梁間は再び雑木林の中へと駆け出していった。

 果たして、約束よりかなり遅れて到着した梁間は、川縁の心地よい空気にほうと息を吐く。雑木林のジメジメとした空気とは比べ物にならない程さっぱりとしていた。目の前の水面には太陽光がキラキラと反射し、梁間は思わず眼を窄め視線を左前方に移す。そこには頭頂部を堺に白黒に分けた頭髪の少年、板間がこちらに背を向けしゃがみこんでいる。

 梁間に気づいた板間は不服そうな顔付きで振り返る。

 

「遅い!」

「ごめん」

 

 梁間は両手をパチン!と顔の正面で勢いよく合掌し、頭を下げる。川原の大小様々な石に痛む右足を持っていかれながらも、梁間は拗ねた板間に近寄ろうとした。

 途端、ツキンと鋭く突き刺さる痛みに眉を顰めた。腹立たしげに腕を組んでいた板間はふ、と梁間の足運びがいつもと異なることに気づいた。

 

「ごめんよ、寝坊してしまって、それで」

「別に。いいよ」

 

 次の瞬間、梁間の視界から板間の姿が消えた。正しくは板間が梁間の足元にしゃがみ込んだのだ。梁間が理解する前に板間は梁間の右足を添え木ごと左手でギュウと掴んだ。

 

「ア゛、イッテぇ⁉︎」

 

 怪我を押し隠そうなんて、千手の前では意味のないことだよ。いつかの父の言葉を思い出す。

 梁間は思わずぐっとしゃがみ、掴まれた右足を庇うようにその場に座り込む。梁間は臀部に伝わるゴワゴワとした冷たい石の感触に思わず眉を顰めた。

 そんな梁間の様子を見た板間はニヤリと笑った。

 

「お返し」

 

 板間はそう呟くと、ククッと笑いながらも不慣れな掌仙術を梁間の右足に施したのだった。

 

 

 数え六つの頃、梁間には弟ができた。

 幼い梁間は母に促されるがまま、戸惑いながらも生まれて間もない弟に触れる。手のひらに自身の小指を乗せてやるとそのやわやわとした見た目に反してきゅう、と握り返してくる。あまりの力強さに驚いた梁間を見て、母は笑いながら弟の手の甲を撫でるとそれは途端に離れていった。

 真白な肌に吊り目。頬はふくふくとしていて、そろそろと触れてやるとこちらに微笑みを返す。

 

 「これからあなたは、お兄さんね」

 

 母はそう言うと、続けて弟の腕を持ち上げ腹話術のように「にいさん、よろしくねえ」と梁間に語りかけた。

 臆病でいて、素直で可愛い、優しい弟だった。

 弟が四歳、梁間十歳になった頃。未だに雑木がカサカサと風に吹かれる音を怖がる弟は、夜中の便所に付き添ってくれまいかと梁間によく声をかけていた。

 

「にいさん、にいさん」

「おう」

 

 ――そこにいる? 待ってくれてるよね?

 

 半ば夢見心地であった梁間は、かくんと船を漕ぎながら心配そうに問いかける声にああ、おう、と適当な返事をする。弟が心配そうに確認する声音を聞きながらも、これは長くなりそうだなと見切りをつけ、近くの縁側に腰掛けたる。

 夏がおわり秋に差し掛かった真夜中。煌々と辺りを照らす月明かりや、虫たちのリンリンと鳴く声を耳にしていると、梁間の意識はゆっくりと落ちていった。

 

 梁間の親はどちらも己の一族からはぐれ者とされていた。勘当の身である。うちは一族である母と、千手一族である父は兼ねてからそのどちらからしても怨敵と看做され、水と油の様に混じることなどなかったと言う。

 武器を持ち、戦場に立っていれば例え幼子であろうとも敵と見做せと言われる時代。そんな時代に二人は結婚した。さらにその二人が子を成したとくれば、うちはと千手のみならず忍界にとっても前代未聞の出来事であり、梁間や弟の存在は瞬く間に忍界に知れ渡ることとなった。

 水面下でじわじわと、両一族から兄弟への興味は増して行くばかり。

 

 両親は恐れた。いつか、この子たちが写輪眼を開眼してしまうのではないかと。

 両親は恐れた。この子たちが写輪眼を開眼すれば、どちらの一族に帰ろうとも利用されてしまうだろうことを。

 

「母上、うちはとはどのようないちぞくなのですか?」

「父上、千手とはどのようなひとたちがいらっしゃるのですか?」

 

 だからこそ、梁間が純粋に尋ねるこの問いに両親はいつも口を噤んでしまった。

 ――どのような一族であるか

 梁間の両親にとって、互いがそれぞれ幼い頃に集落で過ごした日々は何物にも変え難いものである。集落に戻ることはもう二度とないだろう。けれども、あそこには確かに大切な思い出で溢れていた。

 

『千手の森には様々な生き物が生息していてね。よく動物さんと遊んだりしたのよ。薬にだって、自然と詳しくなれちゃうんだから』

『うちはの子どもは火遁だけじゃなくて風遁も扱えるように訓練されるんだ。ほら風は火を、火は風を呼ぶと言うだろう?』

 

 しかし梁間が幼い弟を抱き抱えながらその尽きない好奇心を興味のまま純粋に尋ねてくる。両親は二人の行く末、憂う気持ちを覆い隠し、微笑みながら兄弟の頭を撫でることしかできなくなってしまうのだった。

 

 ある日の昼下がり、梁間は弟の小さな右手を左手に繋ぎながら、鼻歌混じりに料理に勤しむ母を見上げ尋ねた。母さん、

 

 ――なぜ僕たちはうちはや千手の集落に近寄ってはならないのですか?

 

 カタン、と包丁をまな板の上に置く音が勝手場にやけに響く。中途半端に刻まれたままの玉ねぎの断面は水気をたっぷりと帯びていて、ひどく瑞々しい。

 母は視線を暫くうろうろとさせた後、二人をぎゅうと抱きしめた。そのとき、母の肩は確かに微かに震え、

 

「にいさん!」

 

 いつの間にか下がりきった瞼を持ち上げると、目の前には不安そうに梁間を見つめる弟がいた。

 

「ん……。ああ、すまない」

 

 梁間は未だぼんやりとしたまま、弟の頭をくしゃくしゃと掻き撫でてやる。やめてよ! と言いながらも首を赤くしてはどこか嬉しそうな反応を寄越す弟に梁間は笑いながら手を止めた。

 

「もう便所はいいのか?」

「うん! ん、」

 

 とろとろとした目つきで両手をバンザイさせ、弟は梁間におんぶをねだると同時に、弟の手首に巻きつけられた鈴がチリンと鳴る。

 梁間はよっこらせと眠気からくる体の気怠さを振り払い、弟に背を向けしゃがむ。続けて慣れた動作で弟は梁間の背中に乗るとぐりぐりと頭を押しつけ、梁間が歩き始めると眠ってしまった。

 梁間の服をきゅう、と握る小さな手のひら。

 梁間はこの背中に伝わる、暖かくて小さな幸せの象徴がいっとう大好きだった。

 

 ――どうかこの温もりが、未来永劫失われることがありませんように

 

 梁間は眠ってしまった弟を起こさないように、慎重に歩いて寝床まで運ぶと、静かに布団の上に寝かせてやる。

 すうすうと静かな寝息を立てながら、時々むにゃりと口元を動かす弟を見て梁間は、この子の幸せがいつまでもいつまでも続くようにと願うばかりであった。

 

 梁間は自身の背中に収まってしまうほどの小さな背を撫でる。

 

「兄さんがずっと、ずっと守ってやるからな」

 

 

「おかえり」

 

 弟はいつもと同じように布団の上で静かに穏やかに眠っていた。

 梁間は、半年経ってようやく帰ってきた弟を素直に喜ぶことができずにいた。落ち窪んだ弟の目元には白布が被さっている。そっと布を捲り上げれば、まるで今にも目を覚ましそうなほどに穏やかだった。口元なんか、今にもむにゃむにゃと寝言を呟きそうで。

 

「この子は恐らく、写輪眼を開眼していました」

 

 老齢の医師が告げた一言に両親は思わず目を見張った。

 医師曰く、詳しくその解明はなされていないものの、写輪眼の開眼者の脳の経絡にはそれまでとは異なる構造が出現するのだという。弟の脳にはそれが顕著に現れていたらしい。

 

 ――眼球は無理やり抉り取られた痕が。視神経が捻れ引きちぎれていて、

 

 そこまで聞き、梁間は思わず嘔吐いた。母の震えた掌が、梁間の背中を撫でつける。あるいは、そうすることで母も感情を抑えていたのだろうか。

 非力な少年は実験対象として連れ帰りやすい。まして弟は人を傷つける事を知らない、優しい子だったのだ。故に非力さと相まって、他人を傷つける事を躊躇し反抗出来なかったのだろう。傍目から見ても分かるような傷は身体中にあれど、抵抗したようには見えなかった。

 

 ――ああ、お前はどんな目に遭ったのだろうか。

 ――さぞ悔しかったろう、辛かったろう、苦しかったろう。

 ――兄ちゃんが、兄ちゃんが守ってやるってあれだけいったのに、なあ。

 

 梁間は未だ眠る弟を呆然と見つめ下唇を噛みながら、静かに己の手と弟の手を重ね合わせる。瞬間、思わずゾッとした。ただ、冷たい。

 弟が生まれた時、初めて梁間と握った手に伝わったふくふくとした感触、握り返す柔らかい手、背中にぐりぐりと押し付けられる弟の柔らかい髪の毛、伝わるぬくもり。

 まるで、初めからこの世に存在しなかったかのように冷え切った手の感触は、梁間に弟がこの世から消え去ってしまったのだと現実を突きつけた。

 梁間の足元では、錆びて音の鳴らなくなった鈴が寂しそうに転がっていた。

 雪がしんしんと降り積もる、真冬の頃であった。

 

 

「突然の訪問、失礼する」

 

 日差しが眩しくなりつつある初夏。突然千手一族の棟梁の千手仏間とその四兄弟が梁間一家の元を尋ねてきた。

 梁間はやや緊張気味にカラカラと引き戸を開く。今まで家どころか、周辺にさえ人っ子一人訪れる経験のなかった梁間は、突然訪れた客人に不躾な視線を寄越す。

 

「こんにちは」

「……」

 

 梁間は千手仏間のその体躯に思わずたじろぐ。上背のある、どっしりとした体格に厳しい目で梁間を見つめ続ける仏間。その後ろには様々な表情で同じく梁間を見つめる子どもたち。

 梁間は、客人なのだから招き入れないことには話にならぬだろうと室内へと促す。仏間は軽く会釈し、奥へと上がっていく。はてこれからどうしたものかと梁間は思案しながら客人の背をぼんやり見つめていれば、台所から父と母が忙しく玄関にやってくる。

 

「梁間、あとはお願いね」

 

 干菓子がお勝手の戸棚にありますからね。母はそう告げると千手の四兄弟に微笑みかけ、父と仏間の後をついていった。

 途端にしんと静まり返る玄関先。

 

 

 梁間はそれまで子どもと遊ぶ経験などは全くなく、強いて言えば弟くらいしかいなかったものの、それもすでに半年前のこと。目の前の十も離れた子どもらを前に梁間はすっかり狼狽する。

 

「いらっしゃい、どうぞ」

 

 悲しいかな。これが梁間の子どもに対する精一杯のおもてなしと気遣いであった。

 

 四人はそれぞれ思い思いの場所に腰掛けたは良いものの、頭を白と黒に分けた子どもと頬に傷をこさえた子どもはどこか居心地の悪そうにソワソワとし、白髪の子どもなんか部屋の隅にちんまりと佇んでいた。四者四様。

 ただ、たった一人だけ。うずうずとしていたおかっぱ頭の少年が立ち上がり、声高らかに名乗り出した。

 

「俺は柱間!」

 

 ――左から弟の扉間と瓦間、板間だ! よろしくな! えと……

 

 柱間はそう言うと朗らかで人好きのする笑みを浮かべ、梁間に右手を差し出す。対する梁間はこれまで家族以外に関わりがなかったが故に、暫く視線をうろうろとさせるとぎこちなくその右手を取った。

 

「梁間だ」

 

 柱間は大袈裟すぎるほど目をキラキラとさせウンウンと頷きながら「梁間だな! よろしく!」と言うが早いか、矢継ぎ早に梁間へ話しかけてきた。

 

 これは忍術と言ってな、こうして印を結べば……。

 これは忍具で、……なに、梁間は、もう二十を超えておったのか ……の割に背が小さいな!

 

 気づけば柱間は正座を崩し、梁間が聞きもしていないことを延々と話し続けていたし、その周りでは、瓦間と板間が駆け回っていた。―― 扉間だけは部屋の隅で胡座をかき、腕を組みながら顔を伏せていた。

 終わりの見えない柱間の話に梁間は、ウンウンと相槌を返しては時折、笑みをこぼした。

 

 ウン、あ、それは父上の部屋で見てな。手裏剣とクナイは多少の心得があるつもりで……、背が小さいとは失礼な! これでも六尺はある!

 

 そんな他愛のない話を続ける二人の背後に、そろりそろりと小さな影が忍び寄る。梁間が柱間にその背後を指し示す前に、柱間が梁間の腕を掴み小さく右手でしぃ、と合図する。梁間は疑問に思い首を傾げながらもその手をスッと下げた瞬間、梁間の背中に何かががばりと覆い被さったではないか!

 

「へへーん! どうだ柱間兄者!」

「梁間! つかまえた!」

 

 なんと、梁間の背には板間がのしかかっていた。柱間は「ぐわーっ! やられたぞ!」と叫ぶと、大声で笑い飛ばし背中に瓦間を乗せたまま立ち上がった。

 

「ほら、梁間も」

 

 柱間が微笑みながらクイッと顎で梁間の背中を示した。梁間の背中では小さな白黒がぐりぐりとその頭を擦り付けてきた。

 その様子は梁間に、在し日の弟を思い出していた。

 

「ようし、そらっ!」

 

 

 梁間たち三人がキャッキャと三人で騒いでいると、部屋の隅から扉間が梁間を伺っていることに気づいた。梁間はその視線に何となく嫌なものを感じ取り、思わず身を縮ませる。

 柱間はそんな扉間を見兼ねてか声をかけた。扉間、お前も――

 

「あなたの弟が、」

 

 途端、扉間が立ち上がり梁間の個人領域へと無遠慮につかつかと土足で入り込んだ。

 先ほどまでやいのやいのと話し続け、声をかけようとした柱間も押し黙り、辺りは急に静かになる。

 三兄弟が静かになり、室内は普段梁間が生活するのと何ら変わりがない、潮の引くような静寂が訪れた。

 梁間は、弟の単語に耳をピクリとさせ扉間をを見つめ返す。

 瓦間と板間は、何か得体の知れない静けさに柱間の両脇へと身を寄せ合っていた。

 

「写輪眼を開眼していた、と言うのはのは真実か」

 

 梁間は思わず息を呑み、飲み込んだ息にあわや溺れそうになった呼吸を既の所で押し留めた。

 

 忘れもしない。忘れてなるものか。

 

 梁間は半月前の出来事を、それこそ昨日のように思い出すことができる。今でさえ、真っ白になった脳みそから記憶の断片をかき集め、なるべく詳細に思い出そうと奮起する脳に梁間は半分呆れていた。

 弟の痛々しい目元。口元なんか穏やかで、今にも寝言をむにゃむにゃと呟くのではないか。必死に弟の口元へと耳を近づけた。あり得ないとわかっていながら、そんな行為を繰り返すことで自分を慰め、どこか救われた心地になっていたあの日。

 

 扉間! 柱間が扉間を嗜める声がどこか遠くに聞こえる。瓦間と板間は、柱間が扉間に歩み寄っていくのをただ縁側でただ見つめていた。

 扉間は瓦間、板間どころか歩み寄る柱間さえも気に留めず、続けて梁間へ言い放つ。

 

「あなたたち一家に疑いが掛かっている。うちはの間諜ではないのかと」

 

 こうして千手一族が来たのは、お前の父親が千手であり親類にあたるからではない。間諜であるかそうでないか、その調査の一貫で俺たちはここに訪れている。

 

 ――間違っても、親交を深めるためなど甘い理由で訪れたわけではない

 

 梁間はダンッとその場に立ち上がり、思わず歯を食いしばる。両腰には掌が白くなるほどの握り拳を引っ提げながらも、努めて気を落ち着かせようとする。

 

 弟は好きで写輪眼を開眼したんじゃない。誘拐されてから、無理やり開眼させられ。それを身勝手にも抉り取られた弟がいかに無念であったか。

 扉間はさらに続ける。

 

「写輪眼を手土産にうちはに取り入ったのではないかと。父がお前たちのことを危惧し、気が気ではないと、」

 

 その瞬間、梁間は全身に迸った衝動をそのままに、右手で扉間の左頬へ振りかぶった。二人とも――、と柱間が止めに入る既の出来事であった。されど、忍でない人間が吐き出した衝動など忍であり、まして千手である彼には到底及びはしない。

 瓦間と板間は顔を合わせ頷き合うと、徐に立ち上がり駆け出していった。

 梁間は振り切った右手首をを自身の左手で押さえながら、扉間に地を這うような声で問う。

 

「お前に、弟の、俺たち家族の何がわかる」

「俺たちには、何もわかりません。ただ、だからこうして現族長が訪れ、釘を刺しに来ていることの意味がわかりませんか」

 

 梁間はカッと頭に血が昇り、全身の血液がぐらぐらと煮え湧き上がる。そうして次の瞬間、勢いもそのまま梁間は扉間の襟ぐりを引っ掴み睨み上げて在らん限りの声で叫ばんとした。

 

「お前ッ――‼︎」

「どうした⁉︎」

 

 フーッフーッ、と鼻息荒々しく扉間に掴み掛かる梁間と、至って冷静に梁間を見つめ、されるがままの扉間。その間で二人を何とか押し留めようとする柱間。

 瓦間と板間から騒ぎを聞きつけた梁間の父と仏間は、慌てて二人を引き離した。

 結果としてこの件は千手一族の預かりとなったものの、梁間一家へ掛けられた疑いは既に晴れていたと言って良いものとなっていた。

 

 帰りしな仏間からの、弟君にも挨拶をさせてくれないだろうか、との申し出に嬉々として承諾した父と母は、仏間と柱間たち兄弟を弟の墓前まで連れていった。

 家の裏庭にひっそりと建てられた弟の墓前には、神妙な面持ちで柱間が立ち、瓦間と板間はしきりに手を合わせていた。ただひとり、扉間の目線だけは梁間を、梁間の目の奥ををじっと捉えていた。梁間も対抗するように、ただ扉間を睨みつけるばかり。

 

 ――十近く離れているだろうに、これはいただけないなあ? 梁間

 

 いつもの線香の香りがいやに鼻につき、いつまでも離れようとしなかった。

 

「梁間お兄さん、ごめんね」

 

 千手仏間と柱間たちが帰る支度の最中、末っ子の板間が梁間の前にひょこりと顔を覗かせた。

 扉間兄者、いつもはあんなんじゃないんだ。

 扉間の方をバシバシと叩きながら、にこやかに語りかける柱間とそれにうんざりとした様子でため息をつく扉間を遠目で見る。

 梁間とてそれは十二分に理解している。わかっているつもりである。千手の族長として疑わしいものを放置しておく理由などどこにもない。扉間も、きちんと正しく一族長の息子として正しい判断をしているに過ぎない。そう理解していれども、どうしてか弟に対するあの発言だけは梁間にとって到底許すことなどできやしなかった。

 

「しょうがないさ」

 

 お前たちは、"千手一族"だもんな。

 梁間は、未だ胸裡に燻る苛立ちを抑えるのに必死だった。分かっていながらも扉間を諌めない彼ら兄弟にも少々の落胆をすれど、、自身にも言い聞かせるように、噛み砕くように小さく呟いた。

 

 

 板間に足首を治療してもらった梁間は、痛みがないのを確認すると、たっつけ袴の脚半を巻き直しながら言う。

 

「なあ板間。忍術、もっと詳しく教えてくれないか」

 

 梁間の言葉に板間はぱちくりと目を瞬いた。

 あれから数月経って、千手兄弟の中で唯一梁間と顔を合わせるようになった板間に忍術の教えを乞うた。

 それは、身を守る術としての意味も確かににある。

 しかし、それだけではなかった。

 何よりも梁間が怖れたのはこれからの子どもたちを失うことである。弟と同じくらいの年の子どもらが、戦場では大人の弾除けに使われると父から聞いたからだ。なにも、己が全て救ってやる、など大層なことは言えない。けれども、目に見える救える命があるなら、救いたいじゃないか。まだ命がそこにある限り。梁間の口癖にもなっていた。

 もちろん梁間の両親は忍であるから、一時は教えを乞うたりした時期もあった。けれども梁間の両親が元来争いを好まない性格なのもあって、梁間には護身程度に最低限の分身の術と簡易的な幻術、基礎的なチャクラ操作を教えるだけに留まっていた。その反面、板間は千手一族でありいずれ戦場に出ることを前提とした修行がなされている、らしい。(梁間の目の前で何度か水遁を器用に扱い、川魚を捕まえるのを自慢げに披露してくれたりもした。)

 板間に比べ倍程の歳を重ねた梁間とて、未知のものに憧れを持つ。加えてそれが己もできるかもしれないと聞けば途端にソワソワとし出す心は、まるで少年のように幼いままであったのも変えようのない事実であった。

 

「い、いいよう!」

 

 そしてこの板間もまた、梁間にとことん甘かった。いや、甘いとは少し違うかもしれない。

 実のところを言えば、年上の人間から「教えてくれないか」と頼まれるのは些か小っ恥ずかしく、少々の不安がたちのぼる気持ちもあった。けれども、今まで自身が兄らに教えてもらう立場だったのをこうして誰かに教えてくれとせがまれる日が来るとは……!と、弟ながらに兄のようなことができるのだと興奮にその胸を高鳴らせていたのもまた事実であった。

 

 一番下の板間は、いつも上を見るばかりだったのに、兄らのように振る舞い、人に教えることのできる時間が嫌いではなかった。対する梁間も、こうして先生のように欣喜雀躍と振る舞う板間の存在が友として、時には弟のように可愛らしく、大好きだった。

 

 

 ――瓦間兄者が

 

 梁間は顔を膝に埋めて座ったままの板間の隣へ遠慮がちに腰掛けた。

 そうか、と返す。川は静かに流れ、時折何かしらの魚がぽちゃん、ちゃぷんと跳ね飛ぶ音がやけに響いていた。

 梁間は板間にどう声をかけるべきか、しばらく悩み無言のまま背中をさすさすと撫でてやる。

 次第にひくり、ひくりと板間の嗚咽が喉を揺らしていた。

 

「あと一歩のところだったんだ」

 

 梁間は思わず手を止めた。

 

「お前は、おれが、にいちゃんがまもるからって、」

 

 梁間は、ギュッと肺が詰まるような感覚に囚われる。けれどもやっぱり何とか抑えて、息をフゥと小間切れに吐き出す。板間は気づけば、まるで器から水が溢れるかのように、鼻水まで溢れ出していた。

 暫しの沈黙の後、板間は梁間に静かに告げた。

 

「次の戦。僕も出るんだ」

 

 梁間は目を見開いた。あの時の弟と同じ年ほどの板間が戦場に出る。その意味を理解した途端、思わず不安になった梁間は板間に問う。

 

「大丈夫なのか」

「大丈夫さ」

 

 だってほら。先輩として、梁間に水遁の続きを教えなきゃ! そう言うが早いか、板間は目前に流れる穏やかな川にぱしゃぱしゃと歩を進めた。梁間に静かに微笑み返した。その顔は目の下のクマに加えて、涙と鼻水でくしゃくしゃとしていたがどこかスッキリとした表情だった。

 

 

 

 

「嘘つくなよ」

 

 梁間はいつまで待っても訪れることのない板間に愚痴をこぼす。

 それきり、梁間が板間の話を聞くことも、姿を見ることさえもなかった。

 

 




初心者のはるぽん太と申します。よろしくお願いします。


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幕間-1

 二話の筆が思うように進まないので幕間を挟みました。
 二話導入部


  ゴウゴウと音を立てながら崩れゆく(モノ)

 梁間はそれが燃えていく様をただただ呆然と眺めていた。

 弟の大好きだった土鈴。母が唯一の嫁入り道具だからと大事にしていた裁縫道具。滅多に自身のことを語らない父と、目を輝かせながら互いに語り合った兵法書。両親が密かに大切にしていた梁間と弟からの手紙。弟と互いの身長を競ってはこぞって痕を残した大黒柱。家族の思い出。

 それが今の梁間の足元には、錆びて音の出なくなった鈴を縁に括り付けた立派な拵の打刀が転がるばかり。右腕に巻きつけた父の千手の鉢巻は、風に揺すられはためいている。

 薄い霜を渡り、梁間の頬を通り抜ける風は刺すような痛みを運ぶ。手指に至ってはとうの昔に真っ赤なしもやけとなっていた。それでも尚、梁間は柔い雪の上に四肢をつき続け、口から洩れ出た呻くような嗚咽は、激しい慟哭へと移り変わっていく。

 未だ幼い梁間は、全身が冷気という冷気に晒される中でもこの感情をどこに持っていくべきか、どうやって昇華するべきかの術をわからずにいた。今はただ、地に手を叩きつけては喉が引きちぎれるのではないかという程に吠え続けばかりであった。

 ワアワアと感情を吐き散らし終えた頃、未だに嗚咽混じりに涙を流す梁間の目には、キュルキュルと三つの巴が規則正しく並び始めた。次の瞬間、梁間はたちどころに打刀を鞘ごと地面に突き刺した。打刀の縁に括られた錆びた鈴がコロコロと心許ない音を鳴らす。

 

 ――あのね、にいさん。俺大きくなったら、

 

 

 チリン、チリリン

 

「へいらっしゃい!」

 

 梁間は長髪を一括りにし、ゆらゆらと若白髪の房を揺らす。刀の縁に鈴を括り付け、右腕に千手一族の襷を巻きつけながら各地を練り歩いていた。道すがら何の気なしに立ち寄った八百屋のオヤジの威勢の良さ、ならびにこの辺りの商店街の活気の良さに思わず面食らっていた。

 八百屋には新鮮な野菜が、魚屋にも同じく新鮮な魚が並び立ち、それらを虎視眈眈と狙う野良猫の集団を店主が牽制している。続けて梁間は街中の会話へと耳を傾けた。此処の野菜が安い、彼処の魚は少々値は張るがその分新鮮だ、何処其処の次男坊が結婚したらしい。

 ここは梁間が今まで訪れたどの街よりも人々の営みが溢れかえり、まるで戦争など初めからなかったのではと錯覚するほどのゆったりとした平穏が街ごと彼らを包んでいる。

 この時代は今、戦乱にある。特にうちはと千手が熾烈な争い――実際のところ、その両一族を雇う大名らがその背後で争っているだけなのだとか――が頻発していることは耳に新しくない。これまで訪れた街並みも、生活感がないわけではない。けれどもこんなに雑然とした街並みを前に、戦乱の世にあっても未だこのような街もあるのだと梁間は久方ぶりに安堵していた。

 両一族の領地を転々と訪れる梁間は、こうした穏やかな時の流れを目前にすることで、初めてようやく地に足をつけ人心地つくことができた気がした。

 

 梁間は目を引く物があれば、観光客のようにあれこれと立ち寄ってはつらつらと物品を眺めていく。

 最中、梁間はたまたま通りかかった民芸品店の屋外に飾られている鈴をつまみあげる。耳元でチリンチリン、と数回音を鳴らしてやればその音の懐かしさに頬が緩む。

 家ン中で馬鹿みたいに転がっていた鈴とはまた違う音がする。……これは、蛙の土鈴? 兎や白蛇なんかもあるのか

 梁間の周囲の雑踏がぼんやりと霞み始め、次第に鈴の音色に惹きつけられては昔を思い出す。

 

『ほうら、こうして横に揺らすと音が鳴るだろう?』

『わあ……!』

『けど、こうして指に括りつけて手首を叩くと……ほら!』

『わ、わ! 今度はしゃらしゃらしてる! 僕も、僕もやるう、やるったら』

『うお、落ち着け、落ち着けったら! ヒカ――』

 

 突如、梁間の意識を二対の風が掻っ攫って行った。

 

「オッとお」

 

 意識が突然現実に戻される感覚と、通り抜けた風によろけた梁間は、酔っぱらいのようによたよたと足元をふらつかせた。

 この街で暮らす兄弟だろう。二人は梁間の隣を通り過ぎた後、よろけた梁間をちらと振り返りそれでもその足は止まることを知らない。少し遅れて「ごめんなさあい!」と、二人の少年が叫ぶ。おそらく兄弟なのだろう。その間にも小さくなっていく子どもたちの背中に梁間は叫ぶ。

 

「おうよ! 気ィ付けろよ!」

 

 少し遠くから聞こえた「はーい、ごめんなさあい!」の声に梁間は思わずふはっと吹き出してしまった。

 




 そういうことです


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