死んだお目々のステフちゃん (イクリール)
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おじいさまェ……

『名前は、どうされますか?』

 

『うむ……ステファニーというのはどうだろう?』

 

王冠(ステファニー)……ええ、素敵ですわ。人類種(イマニティ)を導くに相応しい名前かと』

 

『よし、決まったな。今日から、お前はステファニー! ステファニー・ドーラだ!!』

 

 このお父様とお母様の会話を聞いて、転生したばかりの赤ちゃんである少女は、自分がとあるラノベの世界に生まれ変わったことを理解しました。

 

 “ノーゲーム・ノーライフ“。ゲームで全てが決まる世界に異世界トリップした男女がゲームで無双するお話です。

 ステファニー・ドーラという少女は、そのお話に登場するヒロインの女の子。少々扱いが酷い所はありますが、まぎれもない主要人物の1人です。

 

 少女は、そのステファニーに生まれ変わったのです。

 

 少女……ステファニーは歓喜しました。

 

 なぜなら、自分が大好きなお話を間近で見る事ができるからです。

 素敵な登場人物たちとお近づきになれるからです。

 

 何より、命の危険が無い世界であることが素晴らしいです。

 

 この世界は“十の盟約“という唯一神が定めた絶対のルールが有り、これは誰も破る事ができません。

 その1番最初のルールに“あらゆる殺傷・戦争・掠奪を禁ずる“とあるのです。

 

 ゲームで全てが決まる世界ですので、そうした権利を賭けてゲームをして負けたりするとその限りではありませんが……何、そんなゲームなんてしなければ良いのです。

 

 主人公たちにゲームで負けて色々と恥ずかしい目に遭うのだって、主人公たちとゲームしなければ問題なく回避できます。

 お話の進行にステファニーちゃんがゲームで負ける必然性は有りません。本来主人公たちが享受していたであろう利益をステファニーちゃんが提供してあげれば良いのです。

 

 とはいえ、せっかくゲームで全てが決まる世界に生まれ変わったのです。“できれば自分もゲームで活躍したい“と、ステファニーちゃんは思いました。

 

 それからステファニーちゃんは一生懸命勉強しました。

 

 王族なので元々勉強しなければならないことは多かったのですが、隙間の時間に将来に備えて更に知識を蓄え、いっぱいゲームの実践訓練をしました。

 アカデミーを飛び級で首席卒業するにとどまらず、専門知識を持つ家庭教師をお願いして更に知識を深めました。

 

 日常的に他人を観察することで、社交界で警戒されるくらい高い観察力・洞察力を手に入れましたし、“こうすれば、こうなる”と様々なシチュエーションで頭の中で繰り返したイメージ力・シミュレーション能力は、チェスといった先読み系のゲームで負け無しになるほど鍛えられました。

 

 流石は睡眠不足の状態であっても主人公の片割れを相手にして追い詰めたキャラクター。そのトンデモ肉体スペックに、ステファニーちゃん大喜びです。

 これならばひょっとすると、いつかやってくるであろう主人公たちとゲームをして、いい勝負をすることだってできるかもしれません。ステファニーちゃんの夢は膨らみます。

 

 ステファニーちゃんは、みんなから『ステフ』という愛称で呼ばれ、愛されながらスクスクと育ちました。

 

 両親が亡くなるなど、決して良い事ばかりではありませんでしたが、それでも素敵な人達に囲まれながら幸せに暮らし、そして立派な淑女(レディ)に育ちました。

 

 今では文武両道・才色兼備と名高い、人類種(イマニティ)が誇るお姫様です。

 

 なんと、齢8歳でありながら国のお仕事もバリバリこなします。精神年齢が成人しているからこそできる転生者ならではのチートです。

 最初にお仕事をもらう際、ゲームで無理やり仕事を奪ったことは“幼女のやったこと”として目をつむってもらいましょう。

 

 仮に主人公たちがやってきて、この国を中心に多種族連邦を作ろうとも、バッチリ対応してみせる自信があります。ステフちゃんのお目々は希望に輝いていました。

 

 そんな希望と充実感に満ち溢れた毎日を過ごしていたある日のこと。

 

 この国の王様であるステフちゃんのおじいさまが、国政を決める会議で『獣人種(ワービースト)の国に国盗りゲームを仕掛ける』と言い出しました。

 

 十の盟約では、争いは全てゲームで決めるルールになっています。つまり賭けゲームをすれば、国を貰う事だってできるのです。

 “あらゆる殺傷・戦争・掠奪を禁止する”というルールと矛盾している気がしますが、どうやらこちらのルールの方が強いようで、ゲームで勝ちさえすれば、あらゆる殺傷・戦争・掠奪が許されます。“全てがゲームで決まる世界”とは、こういうことです。

 

 大臣達は大反対。変幻自在の魔法を操る森精種(エルフ)が挑み、何度も返り討ちに遭っているという獣人種自慢のゲームです。

 しかも、彼等はゲームの対価として必ず“ゲームで戦った記憶を忘れること”を要求するのです。

 

 十の盟約は絶対のルール。盟約を護る本人に可能な事であれば、記憶を忘れさせることすら可能なのです。

 これでは対策を立てることすらできません。なにせ、獣人種以外にゲームの内容を知る人が誰もいないのですから。

 

 おまけに、彼等が要求するのはゲームの記憶だけではありません。獣人種の国を賭けるというのですから、当然それ相応のものを要求してきます。

 

 そんなゲームに挑むなど無謀にも程があります。タダで大金や国土をあげるようなものです。

 そのように大臣達は王様を説得しようとしますが、王様は全く譲りません。

 

 ステフちゃんは不思議に思いました。

 

 原作を読んだ事があるステフちゃんは知っています。

 王様が獣人種の国に国盗りゲームを仕掛けてボロ負けし、多くの国土を失って『愚王』と呼ばれるようになる事を。

 

 そこまでしてどうして獣人種の国が欲しいのか、会議の後でこっそり聞いてみました。

 

 ステフちゃんのお爺ちゃんである王様は『お前になら……』と、誰にも話さないことを条件に話してくれました。

 どうやら『ステフちゃんを後継者に』と考えてくれていたから話してくれたみたいです。『一生懸命頑張ってきて良かった』と、ステフちゃんは心の中で自分をいっぱい褒めました。

 

 王様は言いました。

 

「かつてのように、この地上すべてを人類種の領土にする……それが爺ちゃんが王として為さねばならない使命だからじゃよ」

 

「……それ、いったい何のメリットが有るんですの?」

 

「そうしなければ、最終的に人類種が滅ぶからじゃ。資源は有限じゃが、生物は繁栄すれば無限……有限を無限で割れば共倒れじゃ。そうなる前に、他の種族の資源を奪いつくさなくてはならない」

 

「……おっしゃることは分かるんですけど、それ、方向性が間違っておりませんの? 仮に人類種が他の種族を全て駆逐して世界統一したとしても、その問題はついて回りますわよね? だったら資源を“奪う”のではなく、“増やす”方向で考えないといけないのでは?」

 

 現時点で人類種は最大の国土を持っています。焦って他種族の国土を奪いに行かなくても充分余裕を持って豊かに暮らせていますので、今から資源を増やす研究をすれば、人類種がその問題にぶつかるまでには間に合うでしょう。

 

 ステフちゃんの頭の中には、前世において資源を増やすことに成功し、戦争しなくとも貿易でどうにかなるようになった先進国のイメージがあります。

 後々ステフちゃんが王位を継いで国のかじ取りをすれば、決して不可能ではないはずです。

 

 ステフちゃんがそう言うと、王様は『バレたか』と茶目っ気たっぷりに舌を出しました。

 

「すまん、実はメリットなんてない。これは男のロマンじゃ。序列最下位の人類種が他種族を圧倒し、世界を手に入れる……限りなくゼロに等しいが、決してゼロではない可能性を信じて賭ける……ワクワクしてこないかね?」

 

 ステフちゃんは絶句しました。

 

 先程の会話にも有った通り、現在の人類種の国土は世界最大です。わざわざ獣人種の小さな国土を奪わなくたって、国民は充分幸せに暮らしています。

 

 獣人種の“絶対勝てないゲーム”を脅威に思う必要もありません。十の盟約に“ゲームを挑まれたら受けなければならない”なんてルールは無いのですから。

 それどころか、十の盟約が掠奪を禁止してくれているので、ゲームさえしなければ無理やり奪われる心配すら要りません。

 

 むしろ今国盗りゲームをしかければ、負けて国土を奪われるリスクがある分、人類種の資源不足が早まる可能性の方が高くなってしまいます。

 そう、王様の言う通り、メリット/デメリットとは関係のない、極めて合理的でない理由が無ければ、誰も獣人種の国に国盗りゲームなど仕掛けるはずがないのです。

 

 そこまで考えて、ふとステフちゃんは気づきました。

 

 原作では、王様は後継者にステフちゃんを選びませんでした。

 王様は亡くなる前に、こう言い残していたのです。

 

 

 

 ――『次期国王は余の血縁からでなく、“人類最強のギャンブラー”に戴冠させよ』

 

 

 

 そう、()()()()ではありません。()()()()()()です。

 

 こんな言葉、自分がギャンブラーでなければ出てくる筈がありません。

 王様は国の資産を質に入れてまで賭けをする、根っからの博打うちだったのです。

 

 いえ、よくよく思い返してみれば、それどころではありません。

 

 原作における“国王選定ギャンブル”を王様が実施した理由について、主人公たちは“他国の干渉が入って、他種族の傀儡が王になる欠陥を承知で命じた”、“他国の干渉を正面から破れる者しか、王が残したゲームの記録を役立たせられないから”と推測しておりました。

 

 つまり、この王様は国の資産どころか、人類種の全てを賭け皿に乗せた上、次の王様すら自分の賭け事に巻き込んで人類種にギャンブルを続けさせようとするレベルの賭け狂いだったのです。

 

 絶句するステフちゃんを見た王様は、慌ててステフちゃんを安心させようと、地図を広げながら言葉を続けます。

 

「大丈夫じゃ。ゲームに賭けるのは、奪われても問題の無い国土じゃからな。……たとえば、ほれ、この土地。ここに有るのは鉱山だけで、そこから取れる鉱物“アルマタイト”は、融点が三千度もあるせいで、今の人類種では活用できないものじゃ。じゃが、獣人種には既に加工できるほどの優れた技術があるにもかかわらず、その加工するための資源そのものが無いから、彼らにとっては喉から手が出るほど魅力的な土地でもある。ここなら盗られても問題ないじゃろう?」

 

 そんな訳はありません。

 

 “ただの山”ではなく“鉱山”ということは、“掘り出される鉱物に需要があるから開発されて鉱山になった”ということです。

 

 そして“獣人種に需要がある”ということは、“その鉱物が獣人種に高く売れる”ということ。言わば、金の成る木です。そんなものを取られたら、この国――エルキアは経済的に大ダメージを受けてしまいます。

 鉱山で働く人たちは仕事も住む場所も失って路頭に迷うでしょうし、彼らを相手に商売をする人達も大きな商圏を失うでしょう。もし土地を取られたら、彼らに何と言って謝れば良いのでしょうか。

 

「次に、この広い湿原……土地の整備ができていないから何にも利用できない。ここも無価値だ。ここも賭けることができる」

 

 そんな訳はありません。

 

 今まさに王様が自分でおっしゃったではないですか。『資源がなくなってしまえば、人類種は滅びる』と。その資源を自ら手放してどうするのでしょうか。

 整備できてないから使えないのであれば、整備して使えるようにしてしまえばいいのです。仮にこれだけの大平原を全て農地にできたとしたら、いったいどれだけの人口を養うことができると思っているのでしょうか。

 

 というか、そもそもそれらの土地を治める貴族達への補填はどうするつもりなのでしょうか。

 もしゲームに敗北して土地を奪われ、何の補填もなければ、王様は政治で一番大切な“信用”を失ってしまいます。

 エルキアは貴族社会。彼らにそっぽを向かれては、まともな政治なんて期待できません。

 

「勝算もある。獣人種はゲーム内容がバレる事を恐れているのだから、“記憶を失う”のではなく“生涯他人にゲーム内容を話さない”と契約内容を変更すれば良い。そうすれば、爺ちゃんは対策を立てて何度でも挑戦できる。もし爺ちゃんの実力で勝てないゲームなら、爺ちゃんが死んだ後に、爺ちゃんが記録したゲーム内容を、もっと実力のあるゲーマーに見て貰えば良い……死んだ後にまで十の盟約の効果は残らんからな」

 

 そう言って自信満々に王様はニヤリと笑いますが、そんな事はありません。

 

 まず、そんな契約を結んでくれるかどうかも分かりませんし、仮に結んでくれたとしても、毎回同じゲームで勝負してくれるか分かりません。

 原作を知るステフちゃんは知っています。獣人種が国防に使っているゲームは、フルダイブ型のテレビゲームです。

 

 

 

 ――そして、テレビゲームというものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 一生懸命アクションゲームの練習をした後に、格闘ゲームを出されて勝てるでしょうか? FPSゲームを出されて勝てるでしょうか?

 仮に同じジャンルのゲームだったとしても、ソフトが変わればルールがガラッと変わることも珍しくありません。そんな状態で、いったいどうやって対策を立てるというのでしょうか?

 

 “ゲーム内容を知らずに挑む”とは、これ程までに無謀な行為なのです。

 

 こんな状態でイカサマなんて仕掛けられたら、目も当てられません。

 

 十の盟約では、“ゲーム中の不正発覚は敗北とみなす”とあります。つまり、バレなければイカサマOKということです。

 例えバレたとしても、それがゲーム後であれば何も問題ありません。

 

 格闘ゲームで技の無敵時間を多めにするイカサマをされた後で、次に挑戦した時にはFPSの照準(エイム)速度が上がるイカサマなんてされたら、どうやって対策すれば良いのでしょうか?

 

 そういう意味では、確かに『生涯ゲーム内容を話さない』という契約を結んでくれるかもしれません。

 だって、王様が対策を考えつくギリギリにゲーム内容を変えてしまえば、それまでの王様の努力は全て無駄になり、獣人種は大儲けできるのですから。

 

 王様の狙い通り、王様が亡くなった後に情報を伝えられたとしても、役に立つのは“フルダイブ型のゲームで戦った”という1点のみ。

 こんな情報だけで勝てるゲーマーなんて、原作主人公以外にステフちゃんは知りません。

 

 あと、なぜか王様本人がゲームしようとしていますが、『もし勝てなかったら次の人に』なんて言わず、最初から国内で1番強いゲーマーにお願いしないのは何故でしょうか。

 国土を賭ける権限が無いのでしたら与えれば良いですし、裏切られることを恐れているのなら、それこそ“絶対に裏切らないこと”を賭けてゲームをして、わざと負けて貰えばいいのです。

 

 そうすれば、十の盟約に縛られて、絶対に裏切らない、王様よりゲームの強い人が最初から戦ってくれます。王様が負けるのを待つ必要なんてありません。

 

 また、確かに『生涯ゲーム内容を誰にも伝えない』と契約を結べれば、十の盟約の効果は王様が死んだ後に切れますが、もし相手に狙いを気づかれて『永久にゲーム内容を誰にも伝えない』と変えるように言われたらどうするのでしょうか。

 十の盟約は絶対遵守です。もし『永久に伝えない』としたら、記録を残すことすら許されません。なぜなら、十の盟約に縛られた王様は、永久にゲーム内容を伝えないよう最大限の努力をさせられるからです。

 

 いえ、もし気づかれたとしても、それが最初のゲームであれば問題ありません。合意ができなかったとして、ゲームをしなければ良いのですから。

 最悪なのは、王様が何回も挑戦した後で気づかれてしまうことです。充分な対抗策を考えつけるだけの情報を手に入れる前に契約変更を迫られたら、もうゲームへの挑戦が出来なくなってしまいます。もし次に負けたら、今まで溜めた記録すら捨てなければならなくなるのですから。

 もちろん、それまでに取られた国土などは取り返せません。泣き寝入りです。

 

「なぁ、ステフや。あらゆる物事に通ずる“目的を達成する方法”を知っているかな?」

 

「……え?」

 

「それはな、“予測し、予想し、準備を整えて、挑み……そして()()()()()()”なんじゃ」

 

「え……? は? ……し、失敗?」

 

 ステフちゃんは混乱しました。

 予測するのも、予想するのも、準備するのも、挑戦するのも分かります。ですが、何故そこで失敗しなければならないのでしょうか?

 

「うむ。失敗した理由を検証・対策・準備して挑み……そして、また失敗する」

 

「は、はぁ……」

 

「あとは、これを()()()()()()()()、できないことなどこの世にないのじゃ。例え成功しないまま爺ちゃんの寿命が尽きようとも、世代を超えて託すことができる……それが人類種の強さなのじゃ」

 

 自信満々に笑みを浮かべる王様に、ステフちゃんは再び絶句します。

 

 それは、あくまで相手がいない場合の話です。自分1人ならば、寿命尽きるまでいくらでも挑戦できましょう。王様の言うように、夢を後継ぎに託すこともできましょう。

 

 しかし相手がいる場合、無限回も相手が勝負を受けてくれる保証がいったいどこに有るというのでしょうか。

 

 特に今回の場合、国土が尽きてしまえば、それで“詰み”です。賭け金なしで獣人種が国盗りゲームを受けてくれる訳がありません。

 そうなれば、後は人類種のコマという、人類種の全権限を具現化したアイテムを賭ける以外になく、もしこれを取られたら、王様含めて全員獣人種の奴隷です。ゲームを挑むことすらできなくなってしまいます。

 なぜなら、コマと共に奪われた権限は種族全員……つまり子孫にまで影響してしまうため、王様の言う“後継ぎ”が権利を奪い返すこともできなくなるからです。これだけは絶対に賭けることはできません。

 

 加えて言えば、王様は“自分が対策を準備する間、相手もまた対策を準備できる”という点を失念しています。

 仮に無限回こちらが検証・対策したとしても、都度、相手が別の対策を用意するのであれば、いつまでたっても勝てません。いたちごっこです。

 

 つまり、王様の言う“無限回の試行”というのは、心構えとしては良いですが、相手有りの賭けゲームでは決して実践してはならないものなのです。

 

 ステフちゃんは青ざめました。

 

 このままでは、この国が王様のギャンブルのためにボロボロになってしまいます。

 原作では“大半の国土が取られた”としか書かれていませんでしたが、現実に生きてみるとそれだけでは済まないことが良く分かります。

 “原作通りだから”と見過ごすことなど、ステフちゃんにはとてもできません。

 

 ステフちゃんは覚悟を決めました。

 

「おじいさま、わたくしとギャンブルをしましょう」

 

 ステフちゃんは、あえて『ゲーム』ではなく『ギャンブル』という言葉を使いました。

 すると、王様はその言葉に反応し、興味深そうにステフちゃんに先を促します。

 

「わたくしが勝ったら、今すぐ王位をわたくしにお譲りください。もしわたくしが負けたら、ゲームで負かしてでも大臣達を説得いたしますわ……おじいさまは獣人種に国盗りゲームを仕掛けて、最後には世界を手にしようとする御方ですもの。こんな小娘相手に、王位程度で腰が引けたりなんかしませんわよね」

 

 これで拒否して貰えばしめたものです。

 

 こんなあからさまな挑発に乗らないくらいの冷静さと頭脳をちゃんと王様が持ってくれていることが分かりますし、何よりここで腰が引けたことを理由にして、王様に国盗りゲームを諦めて――

 

「いいじゃろう! 受けて立とうではないか!」

 

 ――はい、とても元気で良い返事ですね。

 ステフちゃんは泣きそうになりました。

 

「爺ちゃんが挑まれた側じゃから、爺ちゃんがゲームを決めさせてもらうぞ!」

 

 そう言って王様は、心なしかウキウキした様子で自分の机へと向かいます。

 ウキウキしているのは、“久しぶりに孫とゲームができるから”だと思いたいステフちゃんです。決して“賭け事が楽しいから”ではないことを祈ります。

 

 そして王様が机から取り出したトランプを見て、ステフちゃんはハッと気づきました。

 

 あれは今よりもっと幼い頃、ステフちゃんが王様の誕生日プレゼントとして贈ったトランプです。1枚1枚デザインを考えて、業者にお小遣いで発注して作った渾身の作品です。

 

「ゲームの内容は……ポーカーじゃ!」

 

 そして王様の発言に、ステフちゃんは確信します。

 

 このトランプ……王様には伝えておりませんが、実は当時の幼いステフちゃんが一生懸命考えた仕掛けが施してあります。

 そしてその仕掛けはポーカーや神経衰弱といった、トランプの裏面を確認できるゲームで初めて発揮できるものなのです。

 

 おそらく王様はその仕掛けに気づき、ステフちゃんが用意した罠を逆に利用した高度な頭脳戦をしようとしているのでしょう。

 あえてステフちゃんが罠を施したトランプを使っての頭脳戦……不謹慎とは分かっていても、まるであの憧れの主人公たちのようなシチュエーションに、ステフちゃんはワクワクしてしまいます。これこそ転生ならではの醍醐味ですね。

 

「それでは、わたくしが勝ったら、おじいさまは今すぐわたくしに王位をお譲りいただきますわよ! ……【盟約に誓って(アッシェンテ)】!!」

 

「よかろう。だが爺ちゃんが勝てば、お前には大臣たちを説得してもらうぞ! ……【盟約に誓って(アッシェンテ)】!!」

 

 十の盟約に従い、絶対順守のギャンブルを行う宣言――この宣言をした上で負けてしまえば、ステフちゃんは王様の無謀なギャンブルを実行できるよう大臣たちを説得せざるを得なくなります。そのように精神が支配されてしまうからです。

 

 8歳の幼女の身で国の仕事をしっかりこなしてきたステフちゃんは、次期国王にふさわしい凄まじい才女であると認識されています。

 ステフちゃんが説得すれば、首を縦に振ってしまう大臣は少なくないでしょう。

 

 しかし、そうとは分かっていても、この国の行く末を決める重大なゲーム……いえギャンブルを自分が行うという事実に、どうしても原作主人公と自分を重ねてしまい、ステフちゃんは興奮を抑えることができなかったのでした。

 

 

***

 

 

 王様がお互いにチップを20枚ずつ配り、カードを5枚ずつ配ります。

 今回は、このチップを全て奪われたほうが負けというルールです。

 

 ステフちゃんが参加代のチップ1枚を場に出し、自分の手札を確認すると、同じ数字のカード2枚が2セットありました。既にツーペアです。なかなかの強運ですね。

 チラリ、とステフちゃんは、ポーカーフェイスの王様が扇状に広げる手札へ視線を向けます。

 勝負を降りる必要は無いので、ステフちゃんはさらに1枚チップを場に出しました。

 

「レイズ!」

 

(……え?)

 

 一瞬、ステフちゃんの頭が真っ白になりました。

 

 呆然とした表情を表に出さないよう、一生懸命ポーカーフェイスを維持しながら再び王様へ視線を戻すと、自信満々の表情で笑みを浮かべた王様がチップを2枚場に出し、1()()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間、先程まであった高揚感が砕け散り、深い絶望感をステフちゃんが襲いました。

 

「……コールですわ」

 

 はたして自分は落ち込んだ表情をしていないでしょうか。落ち込んだ声を出していなかったでしょうか。

 ステフちゃんには自信がありません。それほどのショックをステフちゃんは受けていました。

 

(いいえ……まだ、まだ希望はありますわ……!)

 

 “勝負は最後まで分からない”と奮起したステフちゃんはチップを更に2枚場に出すと、王様と同じように1枚だけカードを交換します。

 

「レイズ!」

 

「……コール」

 

 再び王様がチップを4枚場に出して掛け金をつり上げ、ステフちゃんがそれを受けて立ってチップを4枚場に出します。

 

 さあ、いよいよ勝負の瞬間です。

 

 “どんなイカサマも見逃さない”とステフちゃんは王様の手札を中心に、王様全体を視界に収めるようにして、全身全霊で王様の行動を見つめ――

 

 

 ――王様が公開した手札を見て、今度こそポーカーフェイスを維持する余裕を失い、愕然と言葉なくその手札を見つめ続けました

 

 

 王様が公開した手札は………………()()()()()()()

 

 

 

 

 ――ステフちゃんのお目々が死にました

 

 

 

 

 ノロノロとステフちゃんが公開した手札は………………()()()()()

 ステフちゃんの完全勝利でした。

 

 

 ステフちゃんは確信しました。

 “王様は、このトランプの仕掛け(イカサマ)に全く気付いていない”ということに。

 

 

 このトランプに施された仕掛けは、シンプルなマークドデック……つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 王様を描いた精緻な点対称の絵柄を、2列に並んだ「―」と「・」のマークが四角く縁取ったとても見事な絵柄ですが、よく見ると縁取りの角の部分だけ対称ではなく、ひとつとして「―」と「・」の並び順が一致するカードが無いことに気づくでしょう。

 

 

 “モールス・トランプ”――それが、ステフちゃんが名付けた、このイカサマトランプの名前です。

 

 

 このトランプには、各カードごとにアルファベットが割り振られており、“どのカードにどのアルファベットが割り振られているか”はステフちゃんしか知りません。

 

 実際の割り振り内容は、スペードのエースに「A」、スペードの2に「B」……のように、スペードのエースからキングまで順番にAからMが、ダイヤのエースからキングまで順番にNからZが割り当てられています。

 同様に、クラブのエースからキングまでAからMが、ハートのエースからキングまでNからZが割り当てられています。

 

 2列の縁取りの角を見て、外側の「―」と「・」のマークの長辺側が、モールス信号で「A」を表す「・―」であれば、そのカードはスペードのエースです。

 短辺側が「U」を表す「・・―」であれば、そのカードはクラブの8です。

 

 列の外側の模様がカードのアルファベットを示しており、長辺側でスペードかダイヤ、短辺側でクラブかハートを判断します。

 アルファベット26文字×2で、52種類のカードを判断できるわけです。

 

 長辺・短辺どちらを見ればよいかは、2列の内側の「―」と「・」のマークを見ます。

 「―」が2連続で並んでいる箇所がモールス信号の区切り位置です。この区切り位置が長辺側にあれば長辺を、短辺側にあれば短辺を見ます。

 

 長辺にあれば、トランプの長辺が縦になるように見て、角から縦に区切り位置までのモールス信号を読みます。

 短辺にあれば、トランプの長辺が縦になるように見て、左の角から右の区切り位置まで、あるいは区切り位置から右の角までを読みます。

 

 残り2枚のジョーカーは、内側の区切り位置を示す2連続の「―」がありません。

 区切り位置が無ければ、それがジョーカーです。

 

 ステフちゃんは、自分が作ったこのトランプを一目見るだけで判別できるよう訓練していました。

 ……そうです。最初にカードが配られた直後、王様の手札を見た瞬間に、ステフちゃんは王様の手札の内容がただのワンペアであることを既に知っていたのです。

 

 だからステフちゃんは勝負を降りる必要は無かったし、ワンペアであるにもかかわらずレイズを宣言した王様に驚いたのです。

 もしこのトランプの仕組みを理解していれば、既にツーペアが揃っているステフちゃんに勝つのは難しいのですから。

 

 そして次の瞬間、1枚だけカードを交換した王様を見て、ステフちゃんは気づきました。

 ワンペアであるにもかかわらず1枚だけカードを交換するということは、相手を勝負から降ろすためのブラフ目的の行動です。

 

 仮に3枚交換したとすると、王様の初期手札が“ノーペア”か“ワンペア”の2択にまで絞られてしまいます。

 しかし、2枚交換ならば“スリーカード”が選択肢に入り、1枚交換であれば“2ペア”もしくは“ストレートやフラッシュに1枚足りない状態”まで候補が一気に増えます。

 ジョーカー無しのルールでプレイしているので、フォアカード以上は確率的に無視して問題ないでしょう。

 

 自信満々の笑みをステフちゃんに見せつけつつ1枚だけカード交換を行い、果敢にレイズを宣言することでストレートやフラッシュ、フルハウスを警戒させてステフちゃんを勝負から降ろし、場のチップを得ることを目的としていたのでしょう。

 その行動自体は間違いではありませんが……それも“イカサマトランプを使ってさえいなければ”の話です。

 

 王様のブラフは完全に筒抜け。

 ステフちゃんは“この程度のイカサマを見抜けない王様が、人類の全てを賭け皿に乗せてギャンブルしようとしていた”という事実に、深い絶望感を王様から与えられたのです。

 

 いえ、この時点ではまだ希望はありました。

 なぜなら、わざとイカサマに気づいていないふりをして、ステフちゃんを罠にはめようとする作戦の可能性が残っていたからです。

 

 この時ステフちゃんが想定した王様の作戦は、“すり替え”。

 カードオープンの直前に裏面が全く同じ柄でありながら、(おもて)面がステフちゃんの用意したものと全く異なるトランプを用意してすり替え、ステフちゃんの手札よりも強力な手札でステフちゃんをくだす……“王様はイカサマに気づいていない”と油断していれば、まんまと引っかかるでしょうが、そうはいきません。

 

 実は、ステフちゃんは王様にプレゼントしたこのモールス・トランプを自分でも2組持っています。

 1組はどうしても負けられない勝負をその場で持ち掛けられたときに使うため、そしてもう1組は、その勝負で“すり替え”を行うためのカードを自分の服に仕込むためです。

 十の盟約で“ゲーム内容の決定権は仕掛けられた側にある”と明記されているのです。せっかく一目で見抜けるよう練習したこのトランプを使わない手はありません。

 

 つまりステフちゃんは、服に仕込んだトランプを含めると、常にこのモールス・トランプを2組携帯していたのです。

 ゲームで全てが決まる世界ならではの用心は、まさに今この時、その効果を発揮しようとしていました。

 

 あらかじめ服に仕込んでいたカードの位置を脳裏に浮かべて確認し、フルハウスにするために必要なカードを、ちっちゃなお手々の裏に丸めるようにして仕込みます。

 そして手の甲で隠すようにカードを持ちながらバレないよう慎重にデッキに手を伸ばし、あたかも上から1枚めくったかのように仕込んだカードを取って見せます。

 

 これでフルハウスが完成しました。仮に王様の手が本当にストレートでもフラッシュでも勝つことはできません。

 王様が勝つためには、カードをすり替えて役を作るしかないのです。それも、ステフちゃんのフルハウスよりも強い役を!

 

 ステフちゃんは、必死に王様がすり替える動作を見抜こうとしましたが、どうしても見抜くことができません。

 ステフちゃんの焦りと興奮が頂点に達したとき――!!

 

 ……最初に確認したまんまのワンペアが出され、“この程度のイカサマを見抜けない王様が、人類の全てを賭け皿に乗せてギャンブルしようとしていた”という事実が確定し、ステフちゃんのお目々が死んでしまった……という訳でした。

 

 この程度のイカサマ、原作主人公なら一目で見抜くどころか逆利用してステフちゃんを完膚なきまでにコテンパンにしてくれることでしょう。

 いえ、のちに内戦が続く獣人種をまとめ上げるお狐様や、吸血種(ダンピール)最後の男性体である少年だって、それくらいはやってのけるはずです。

 

 ステフちゃんが考えた程度のイカサマで負けていて、どうして森精種の魔法ですら攻略できない獣人種のゲームを攻略できるというのでしょうか。

 

 ……いえ、何となくですが、ステフちゃんには王様がイカサマに気づけなかった原因について想像がつきました。

 “自分の孫(ステフちゃん)が自分にイカサマなんて仕掛ける筈がない”という信頼(思い込み)もあったかもしれませんが、何より大きいのは王様の“老い”でしょう。

 

 エルキアの文明は中世ヨーロッパ……正確には15世紀初頭レベル。栄養学なんてステフちゃんの前世とは比較にならないほどの後進国です。老化のスピードは、ステフちゃんの前世よりもずっとずっと早いのです。

 一般の人よりは良いものを食べているので、彼らに比べればずっとマシなものの、それでも品種改良品や栄養補助食品に溢れ、“何を食べればどのような効果があるのか”がつまびらかにされた21世紀日本に住むご年配の方々とは天と地の差があります。

 

 おそらく王様は老化のせいで視力が落ち、「・」と「―」の組み合わせの違いが分からず、トランプの模様の違和感に気づけなかったのでしょう。

 もしかしたら違和感どころか、模様そのものが良く見えていなかった可能性だってありますし、気づけないほど老化によって判断力が低下していた可能性すらあります。

 

 それは、“王様がそんな老いた身体で獣人種の国盗りゲームに挑もうとしていたこと”を意味しています。

 若者の反射神経にすら負けるかもしれない王様が、フレーム目押し余裕どころか個体によっては物理法則を超越する獣人種の反射神経相手に、どうやってテレビゲームで勝とうというのでしょうか。もはやイカサマ以前の問題です。

 

 ステフちゃんは、死んだお目々で使用したトランプを集めると、デッキをシャッフルしてカードを配り直し始めます。

 

 “おじいさま自身の力で、この仕掛けに気づいてほしい”とワクワクしながらプレゼントしたトランプでしたが……結局、王様はその生涯を終えるまで気づくことはありませんでした。

 

 

***

 

 

 こうして、ステフちゃんは王位を継ぎ、エルキア初の“8歳の幼女女王”が誕生したのです。

 

 しかたのないこととはいえ、自ら原作ブレイクしてしまったステフちゃん。はたして、原作主人公たちはエルキアに来てくれるのでしょうか?

 

 ふてくされつつも開き直ったステフちゃんは、その後10年に渡り前世の知識を利用した内政チートで国を発展させ続け、国の、そして人類種の未来のために身を粉にして働き続けます。

 

 その彼女があげた多大な功績を称え、エルキアの人々は彼女を“人類史最高の賢王”と呼ぶようになるのですが……

 

 

 

 ――不思議なことに、彼女の眼は、いつも死んだ魚のように濁っていたそうです

 

 

 

 

 



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ジブリールェ……

 ステフちゃんが人類種(イマニティ)で唯一残った国――エルキアの女王様になってから9年後……

 

 

 

 ――とあるお客様をお迎えして、ステフちゃん(17歳)のお目々が死にました

 

 

 

「……申し訳ございませんが、その勝負(ゲーム)をお受けすることはできません」

 

「理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。自分で言うのもなんですが、悪い話ではないと思いますよ? なにしろ、私が賭けるモノは“この私自身”なのですから」

 

「ご自身を賭けても問題ないほど、ゲームに勝利する自信がお有りなのでしょう? “人の身で天翼種(フリューゲル)にゲームを挑む”ということがどれほど無謀な行為であるか、わたくし達は良く存じておりますもの。“このゲームを受ける”ということは、“無償で賭けたものを差し出す”ということと同義です。さすがにお渡しできませんわ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エルキアの王宮――その応接室にて、ステフちゃんは絶世の美女とご対面しておりました。

 

 ――光の角度によって虹のように色を変える長い髪

 ――シミ一つ無いどころか、輝いてすら見える白い肌

 ――腰からは淡く輝く神秘的な翼を生やし、

 ――頭上には幾何学的な模様の光輪を戴く

 

 【十六種族(イクシード)】位階序列・六位――天翼種(フリューゲル)

 その最終番個体(クローズ・ナンバー)。最強の天翼種――ジブリール。

 

 まぎれもない原作キャラです。実際に出会えたステフちゃんのお目々は、憧れと興奮にキラキラと輝いておりました。

 

 

 

 ――まぁそれも、当のご本人に『国の資産よこせ』と脅されるまでの話でしたが

 

 

 

 エルキアにおいて“本”というものはとても貴重です。

 

 ステフちゃんが獣人種(ワービースト)の国――東部連合と交渉した結果、エルキアは急速に発展しました。製本の分野においても、活版印刷や高品質な紙の大量生産が実現されました。

 原作と違って王様が国土を東部連合にゲームで奪われていないため、多くの国民を抱えているのに土地が小さい東部連合は資源不足で追い詰められており、逆に土地や資源だけはやたら多いエルキアから……正確にはステフちゃんから『資源を多めに融通するから技術よこせ』と言われて、しぶしぶ応じた形です。

 

 とはいえ、東部連合はステフちゃんの前世の地球でも実現されていなかったフルダイブ型テレビゲームを開発するような超技術大国。つまり、彼らの製紙・印刷技術はレーザープリンターでデジタル印刷するようなレベルです。

 そんな何世代も未来の技術をいきなり持ってこられたところで、中世ヨーロッパレベルの文明のエルキアでは上手く導入することができません。

 

 なので、『何世代も型落ちの技術でいい』とステフちゃんが言えば、『まあ、その程度なら……』と獣人種のお偉いさんも頷いてくれました。

 もはや東部連合では誰も使用していないような型落ちの技術など、惜しくも何ともないでしょう。

 エルキアは余った資源で先進国の技術が手に入ってハッピー。東部連合は不要となった過去の技術を渡すだけで大量の資源が手に入ってハッピー。まさにWIN-WINです。

 

 しかし、大量製紙・活版印刷の技術が導入されたとはいえ、デジタル印刷ができない以上、写本を作成する時間も費用もそれなりにかかります。

 つまり、エルキアにおいて“本”というものは、未だ簡単に複製ができない高級品なのです。

 

 なので、“国立図書館をまるごとよこせ”という要求は、いかに原作ファンのステフちゃんといえども、国を治める者として絶対に首を縦に振るわけにはいかないものなのです。

 

 

 ――ですが、相応のメリットを提供してもらえるのであれば、話は別

 

 

「ゲームではなく、交渉でしたら喜んでお受けいたしますわよ? ゲームではオールオアナッシングですが、交渉はお互いに利がありますわ。場合によっては、ゲームをするよりもWIN-WINの関係を築けます。国立図書館の写本を順次作成してお譲りいたしますので、ジブリール様の所有する書籍を順次お借りし、写本を作成させていただけないでしょうか。もしお望みでしたら、書庫もお付けいたしますわ」

 

 原作において、ステフちゃんのおじいさまが盟約に誓った賭けゲームでエルキアの図書館を奪われてしまう展開をステフちゃんは知っています。

 そのため、ステフちゃんはいざというとき図書館の書籍ではなく、その写本を渡すことでどうにかできるよう少しずつ予算を割き、国立図書館の書籍の複製を進めておりました。

 

 東部連合から技術をもらえるよう交渉していたのは、エルキア全体の技術を底上げして発展させるためではありますが、この事も大きな理由の一つだったのです。

 

 写本とはいえ、天翼種に寄贈するのですからオリジナル以上に立派なモノに仕上げてお渡ししますし、そもそも原作においてジブリールは自分だけの書庫が欲しくて図書館を要求したはずですから、書庫も付けてあげれば文句はないでしょう。

 言うなれば、図書館そのものを丸ごとコピーして渡してあげるわけです。

 

 その代わり、ジブリールが集めた書籍を複製させてもらいます。

 

 知識の収集を生業とする天翼種が何百年・何千年もかけて集めた書籍の質と量は、エルキアの図書館程度とは比べ物になりません。

 もしその全てを複製し、図書館に収めることができたのならば、現時点のエルキア図書館のコピーを渡したところでお釣りが来ます。いえ、お釣りの方が遥かに大きいくらいです。

 

 仮に複製できる書籍の数をエルキアの蔵書数と同数に制限されたとしても、やはりメリットの方が遥かに大きいでしょう。ステフちゃんは、そう考えました。

 

 しかし――

 

「おやぁ? 人類種(ムシケラ)ごときが私と交渉をなさるおつもりで? ましてや、私の所有する書籍に手垢をつけようと?」

 

 スッとジブリールが琥珀の中に十字が浮かぶ瞳を細めた瞬間、まるで心臓を絞めつけられたかのような強烈な悪寒がステフちゃんを襲いました。

 

 十の盟約は結構穴があります。十の盟約は“あらゆる殺傷・戦争・略奪”を禁じてはくれますが、そのほとんどが直接的なものであり、間接的なものはあまり防いでくれません。

 さらに言えば、物理的な攻撃はほとんどが“直接的”判定になってくれますが、精神的な攻撃は結構な範囲が“間接的”判定にされてしまいます。

 

 例えば、直接ナイフを刺して相手の肉体を傷つける行動は十の盟約がキャンセルしてくれますが、直接悪口を言って相手の精神を傷つける行動は“間接的”と判断されてキャンセルしてくれません。

 森精種(エルフ)をはじめとする魔法を使える種族が魔法を使い、直接精神を攻撃するところまで行ってようやく十の盟約がキャンセルしてくれます。精神そのものに干渉するレベルになって、はじめて“直接的”と判断されるわけですね。

 

 だから、この世界の人々は悪口を言うことも脅すこともいじめることもできますし、こうして殺気を飛ばして怖がらせることもできます。

 原作主人公も彼女と出会った時、殺意を乗せた視線を向けられてビビりました。お揃いですね。

 

 だからこそ、この世界には“山賊”という職業が存在できます。

 

 十の盟約のおかげで直接的な暴力ができないので、どれだけ山賊が脅そうと無視したりゲームを拒否したりすれば山賊は何もできません。

 しかし、そうと分かってはいても、刃物を突き付けられたり怖い声で脅されると、ついお金を差し出したり無理やり賭けゲームをさせられたりする人は少なくありません。これが山賊を撲滅できない原因でした。

 

 余談ですが、エルキアにおける殺人の手段で最も多いのが自殺教唆です。

 徹底的に精神を痛めつけて、自分で自分を殺すように仕向ければ、十の盟約に引っかかりません。恐ろしいですね。

 

 しかし、残念ながらステフちゃんにその手の脅しは通用しません。

 

「――はい。わたくしは貴女方から見て取るに足りない存在ではありますが、それでも多くの民の命を預かる王……我が国の国益にならない行動を取ることはできませんわ」

 

 ジブリールは驚きました。

 

 天翼種は人類種とは比較にならないほど強力な種族です。水爆をノーガードで受けても無傷でピンピンしているくらい強い生物です。

 その殺気も山賊などとは比較にならないほど強く、普通の人類種であれば恐怖から逃れたい一心で天翼種の要求を呑んでしまいます。気絶してもおかしくありません。

 

 ところが目の前のステフちゃんは、そのお目々こそ死んでいるものの、声にも身体にも一切震えがなく、恐怖に思考が麻痺することもなく、ハキハキとしっかり自分の意思を伝えてきたのです。

 その堂々とした態度・風格は、人類種の王たるにふさわしいものでした。

 

 実は、これにはタネがあります。

 

 十の盟約を利用した【盟約に誓って(アッシェンテ)】ゲームは精神に作用します。物理的には何にも作用しません。

 

 仮にステフちゃんがゲームに負けて『100メートルを1秒で走れ』と言われたとしましょう。

 どこぞの令呪であれば、空間を跳躍してその場所まで1秒で移動させてくれるでしょうが、十の盟約の場合、“100メートルを1秒で走りきるつもりで、全力でステフちゃんが走る”だけです。

 

 しかし、確かに【盟約に誓って(アッシェンテ)】ゲームは物理的には何もできないものの、その代わり、精神に関することであれば非常に強力な効力を発揮します。

 

 獣人種の国防ゲームにもありましたが、意図的に記憶を消すことすらできるレベルです。やろうと思えば、一時的に恋心を植え付けることだってできます。

 どんな薬や催眠を使ってもできないような精神操作だって、盟約を使えば可能です。

 

 このことに気づいたステフちゃん(当時3歳)は、こう思いました。

 

 

 

 ――この【盟約に誓って(アッシェンテ)】ゲームは、敵ではなく、味方や自分に使ってこそ最大限の効果を発揮する()()()()()()()()()()、と

 

 

 

 そこでステフちゃんは、人類種にできる範囲で“こういう風になれたらいいな”と思えることを全て紙に書き出しました。

 

 ――必要な時に任意のタイミングで、集中力を自在にコントロールできるようになる

 ――必要な時に任意のタイミングで、ゾーン状態に入ることができるようになる

 ――いかなる恐怖にも負けない強靭な精神力を持つ

 ――視覚・聴覚・触覚など、イメージで情報を記憶し、好きなタイミングで思い出せるようになる

 ――一瞬で視覚に入った情報を記憶し、本をめくっただけで全て速読できるようになる

 ――頭の中で、高速演算・高速シミュレーションができるようになる

 ――時間感覚を視覚化したり、色から温度を感じ取ったりする共感覚能力を手に入れる

 

 その他にも思いつく限りのことを全て書き出したうえで、コインを1枚取り出し、ステフちゃんは、こう宣言しました。

 

『このコインの表が出れば、わたくしの勝ち。裏が出れば、わたくしの負け。それ以外は全てわたくしの勝ち』

『わたくしが勝っても負けても、わたくしはこの紙に書かれたことを【盟約に誓って】遵守いたしますわ』

 

 

 ――十の盟約その6:【盟約に誓って】行われた賭けは、絶対順守される

 

 

 十の盟約において、ゲーム人数の規定はありません。たとえ1人でゲームをする場合であっても、【盟約に誓って】からゲームを行えば、自分自身を盟約で縛ることができます。

 

 このように、本来であれば対戦相手を縛るための効力を逆手にとって、本来長い能力開発の訓練や暗示などを必要とするはずの超人的能力をステフちゃんは手に入れたのです。

 特に速読能力と完全記憶能力は物凄く便利でした。これがなければ幼女の身でアカデミー首席卒業なんてできなかったかもしれません。

 

 そんなステフちゃんの願いの中には“自分の精神の完全制御”といったものも当然含まれていますので、どれだけジブリールが怖い顔をして脅そうとも、言うことを聞かせることができないのです。

 

 しかし、そんな裏事情を知らないジブリールはこう思いました。

 

 

 ――この人類種の王は、他の人類種とは何かが違う

 

 

 天翼種は、今は亡き主たる戦神より命令をいただいております。

 

『万が一、戦神たる己が滅ぼされしとき、己に代わり、その因を暴け』

 

 戦神亡き後、この命令が最初番個体――アズリールより全天翼種に告げられて以来、その因を調べるため、天翼種は知識の収集を生業とするようになりました。

 ジブリールは、この因について既におおよその推測は立てているものの、確証を得られていない状態です。

 

 天翼種の中でも特に力を持つ個体であるジブリールの眼力にもひるまない、ステフちゃんの人類種ばなれした肝の太さは、“その確証を得るための材料になるのではないか”と思わせるに充分なほど異常なものだったのです。

 

 しかし、自らを“能力は無理やり開いたけど、それ以外は凡人”と自称するステフちゃんは、それに気づけません。

 “自分は盟約のおかげで耐えられてるけど、これを素で耐えて話せた原作主人公スゲー”なんて考えているステフちゃんでは、“ジブリールの興味を引いてしまった”など夢にも思わないのです。

 

 ジブリールは意味深な笑みを浮かべると、こう言いました。

 

「……なら、国益になるのであれば、ゲームを受けていただけると考えてよろしいので?」

 

「ですから、オールオアナッシングでは――「いえいえ、もちろんそこは承知していますとも」……??」

 

 何が言いたいのか分からず、ステフちゃんは可愛らしく首をコテンと倒します。

 そんなステフちゃんに、ジブリールはいい笑顔でこう言い放ちました。

 

 

 

「私の提示するゲームを受けていただく……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(!?)

 

 ステフちゃんは驚きました。

 確かに、それならば検討の余地はあります。ただゲームをするだけで天翼種の所有する多くの知識を得ることができるのであれば、ほぼ丸儲けです。

 

 しかし、世の中そんなに美味しい話が転がっているはずがありません。きっと何か裏があるはず。

 たとえば、『ゲームで負けたら全部パアになって、さらにエルキアの図書館をもらう』とかだったら――

 

「ああ、もちろん貴女様が懸念しているような『ゲームで負けたら全部なし』とかは言いませんのでご安心を。貴女様が負けても、私は()()()()()()()と盟約に誓いましょう」

 

(!!?)

 

 ステフちゃんはさらに驚きます。

 『ゲームで勝ったら写本と書庫をよこせ』ならばまだわかりますが、『何もいらない』とはいったいどういうことでしょうか。

 

「……いったい何を考えているんですの?」

 

「秘密でございます♡ さあ、ご返答は?」

 

「……」

 

 ステフちゃんは考えます。

 

 盟約に誓う以上、嘘はつけません。仮に嘘をついたところで、盟約が約束を破らないように精神を縛ってしまうので、誓約者は嘘を本当にせざるを得ないのです。

 それは、例え人類種とは比較にならない力を持つ天翼種であろうとも変わりません。

 

 可能性があるとすれば、“そもそもジブリールが書物を所有していない”ケース。

 天翼種であるジブリールが所有していないとは考えにくいですが、一時的に別の天翼種の方に譲渡しておくなどすれば条件は満たせます。このケースであれば、ステフちゃんがジブリールのゲームを受けたところで何も手に入れることはできません。

 

 ですが、仮にそのケースであったとしても、今ジブリールが言った条件ではジブリールにメリットがありません。

 ジブリールは“ステフちゃんとゲームをすること”以外に何も要求していないのですから。

 

 ここまで考えれば、いかに自己評価の低いステフちゃんといえども、ジブリールにとって“ステフちゃんとゲームをすることそのもの”に価値があるのだと察することができます。

 どうしてジブリールがそこまで自分に興味を持ってしまったのかまでは分かりません。ですが、それはステフちゃんにとって都合の悪い展開でした。

 

 本来の原作の流れであれば、このように超越者たるジブリールが人類種などという下等種族であるステフちゃんに興味を持つことはありません。

 彼女が唯一例外として興味を持った人類種はたったの2人――原作の主人公たちだけなのです。

 

 ステフちゃんが女王様となってしまったことで原作の流れはとうに崩壊してしまいましたが、それはあくまでもステフちゃんのおじいさまの賭け事にエルキアを巻き込まないために仕方なく行ったことです。

 そうした“どうしても見過ごせないこと”が無いのであれば、できる限り原作改変を避け、原作の流れを(できれば特等席で)拝見したいと、原作ファンであるステフちゃんは考えております。

 

 そんなステフちゃんにとって、“ジブリールが興味を持つ一番最初の人類種”は原作主人公たちであってほしいのです。

 

 原作主人公たちは、“引きこもりでほとんど人と会っていないのに、まるで心を読むかのように人の心理を読み解く兄”と、“フルダイブ型ゲームのゲーム内からソースコードも読まずに五感を通して得た情報だけでプログラムを解読できる演算能力を生まれつき手に入れている妹”という、華々しいまでに才能に溢れた強者中の強者です。養殖物のステフちゃんとは格が違います。

 

 一番最初に興味を持つべき人類種として、これ以上のものは無いでしょう。

 ジブリールには、そうした素敵な思い出を作ってほしいとステフちゃんは考えているのです。

 

 とはいえ、ステフちゃんに不安はありません。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 天翼種が行うゲームは、基本的に1種類――原作でも登場した“具象化しりとり”です。

 

 これは天翼種が用意する魔法のゲーム装置を利用して行われるしりとりで、口にした単語が“その場に有れば消え”、“無ければ出現する”というものです。

 

 ただし、これを利用してプレイヤーに直接干渉し、しりとりを継続できなくさせることはできません。

 

 仮にステフちゃんが『天翼種(フリューゲル)』と口にしてもジブリールを消すことはできませんし、ジブリールが『水分』と発言したところで、ステフちゃんの体内の水分を消して失血死させることはできません。

 継続不能にならないのであれば、『髪』と発言して相手をつるっぱげにもできます。その代わり、自分もつるっぱげになりますが。

 

 しかし、間接的な干渉であれば問題なく相手を継続不能にさせることが可能であり、例えばジブリールが『猛獣』とでも発言すれば、ステフちゃんはジブリールがイメージした猛獣に襲われ、殺されてしまいます。

 こういった内容が前提のルールなので、このゲームに同意した途端、“自身を傷つけて良い”と同意したこととみなされるため、十の盟約も護ってくれません。

 もちろん、殺されたプレイヤーはしりとりの継続ができなくなりますので敗北扱いです。

 

 

 ――だからこそ、ステフちゃんは自然に負けることができます

 

 

 6千年前にあった種族間の大戦で多くの猛獣は絶滅しておりますが、知識として知っていれば“具象化しりとり”はいくらでも再現することができます。

 そして天翼種を殺せるような猛獣なんていませんが、人類種を殺せる猛獣はいくらでもいるのです。

 

 “具象化しりとり”はゲームが終われば全て元通りになるので、例えステフちゃんが死んでも無傷の状態で復活できます。

 盟約で恐怖心を制御できるステフちゃんであれば、猛獣に殺されても失うものが無いというわけです。

 

 何より“自然に負けられる理由”として有力なのは、具象化しりとりは“実在しないもの”・“架空のもの”・“イメージが無いもの”以外でさえあれば()()()()()()()ということです。

 

 原作で主人公たちがジブリールと戦った際、まず真っ先に主人公たちは『水爆(すいばく)』と発言します。

 そして主人公たちのイメージ通り、両者の頭上で今にも爆発しそうになった水爆から主人公たちを護るため、ジブリールが『久遠第四加護(クー・リ・アンセ)』という森精種(エルフ)の扱う最上位封印魔法を具象化しています。

 

 ジブリールが主人公たちを護ったのは、異世界からやってきた2人の知識に興味を持ち、“もっとしりとりを続けたい”と思ったから……といった細々とした背景はさておき、()()()()()()()()、『水爆(すいばく)()()()()()()()久遠第四加護(クー・リ・アンセ)()()()森精(エルフ)()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――つまり、音の響きがある程度一致していれば、文字や綴り(スペル)を一切問わないのです

 

 

 これは、日本語のしりとりによくある『“ん”が末尾につく単語を口にする』という敗北条件が無いことを意味します。

 “ん”で終わる単語は“n”の響きで終わる単語なので、全て“ナ行”の言葉で返すことができ、継続不能にならないからです。わざわざ“ンカイの腕輪”といったマニアックな単語を用意しておく必要すらありません。

 

 同時に『“る”攻め』、『“x”攻め』といった“頭にその音がつく単語が少ない文字”を多く口にする戦略が使えないことも意味します。

 

 “る”で終わる単語は、“ru”あるいは“lu”の響きから、“Luminousness(ルミナスネス)(明るさ)”と返すこともできれば、末尾の“u”の響きだけ取って“ウサギ”と返すこともできます。

 “x”で終わる単語もその響きだけ見ればいいので、仮に“FAX(ファックス)”を日本語の発音で言えば“ス”、あるいは“su”と取って“u”を、英語の発音であれば末尾の響きから“s”で終わると捉えて“s”を始まりとする言葉で返すことができます。

 

 実は語尾の文字数指定すら無いので、先の“Luminousness”であれば末尾の“ness”を取って“Nesselrode(ネッセルロードゥ)(栗を使ったお菓子の一種)”なんて返すことだってできます。

 これを使えば『“る”攻め』、『“x”攻め』も、少し前の文字から取って“ボウル”→“うるし”、“Fox(フォックス)(狐)”→“Oxygen(オキシジェン)(酸素)”のように返すことも可能です。

 

 結果どうなるかというと、“近い響きで始まる単語をいくつ知っているか”という単純な知識量勝負になってしまうのです。

 何千年も生きていて、知識の収集を生業とする種族相手に知識量勝負など、前世含めて数十年程度しか生きていないステフちゃんでは勝てるわけがありません。

 

 ……原作主人公は『しりとりで勝つのに知識量は関係ない』と言っていましたが、このルールで知識量無しにどうやって勝つつもりだったのでしょう?

 

 ジブリールの説明を受ける前に“具現化しりとり”の詳細を調べ上げて、原作で実行した勝ち方をあらかじめ考えておいたのでしょうか。

 それとも本当に“ただのしりとりである”と認識して“る”攻め、“x”攻めをするつもりだったのでしょうか。

 凡人のステフちゃんには、そこまでは分かりません。

 

 こうした理由から、ステフちゃんは“ゲーム後にジブリールが自分に興味を持つことはない”と判断しました。

 すると、ステフちゃんがゲームを受けるデメリットはほぼありません。せいぜいステフちゃんの公務の時間が削られることくらいです。

 

 その程度のデメリットで天翼種のプレッシャーから逃れられるのであれば、例えジブリールの書籍の写本を手に入れられずともステフちゃんにとっては充分なメリットと言えます。

 今こうしてジブリールと対峙していること自体、ステフちゃんの精神に多大なダメージを与えつつ公務時間を削るという現在進行形のデメリットなのです。

 

「……承知いたしましたわ。それではこの契約書に目を通した後、問題なければ空欄にゲーム内容を記入のうえ、サインをお願いいたします」

 

「ああ、これがあの人類種の涙ぐましい努力で作られたというセコい契約書でございますね」

 

 ステフちゃんが机から取り出した1枚の書類――これは、ステフちゃんが考えたイカサマ防止ツールです。

 この契約書には、【盟約に誓って(アッシェンテ)】ゲームを行うに際し、イカサマを防止するための決まりごとが列挙されています。

 

1. 甲および乙は、_____ゲーム(以下“当該ゲーム”)に際し、一切のイカサマを行わない

2. 当該ゲームのゲーム内容は以下空欄内の記述の通りとする。空欄に無い内容はこれを一切認めない。

ゲーム内容を記載しきれない場合は、別紙(以下“当該別紙”)を用意し、当契約書の契約番号と甲および乙の署名を記載することで、例外的に当該別紙の内容もゲーム内容に含めるものとする。

3. 甲が賭けるものは以下空欄内の記述の通りとする

4. 乙が賭けるものは以下空欄内の記述の通りとする

5. 上記2、3、4は、甲および乙が記載されているものを両者が声に出して読み上げ、両者の認識が合っていることを確認したうえで、【盟約に誓って(アッシェンテ)】の宣言を行う

6. 甲および乙は、魔法や超人的な身体能力をはじめとする人類種に不可能な行動の全てを禁止し、人類種に可能な水準に力を制限したうえで当該ゲームを実施する

7. 甲および乙、そして“当該ゲームを行うために必要な道具および環境の全て”に対する第三者からのあらゆる干渉は全て権利侵害とみなす

8. 甲および乙は上記7の認識でもって当該ゲームを実施する。もし既に第三者からの干渉を許可する状態であれば、当該ゲーム実施前にその全てを申告し、相手の同意を得なければならない。もしこれに違反した場合……

 

 他にもズラッと細かい字で並んでおり、読むだけでうんざりしそうです。何とか表裏あわせて1枚に収まっているのが救いでしょうか。

 

 しかし、これはステフちゃんが【盟約に誓って(アッシェンテ)】ゲームをするにあたって絶対に必要なツールでした。

 

 この世界には魔法だの、物理法則を超越する身体能力を持った種族だのが存在しますが、人類種はそういった超人的な能力を一切持っておりません。

 そのため、そういった超人的能力でイカサマをされてしまった場合、人類種はそのイカサマを証明できず、一方的に負けてしまうのです。

 

 これは人類種同士のゲームであっても発生する場合があり、例えばゲームをしている者が人類種であっても、裏で森精種(エルフ)と組んでコッソリ魔法でイカサマされたりするので、誰が相手であろうと防ぐための手段が必要でした。

 

 それがこの契約書です。

 

 ゲームをする当事者に“イカサマをしない”と盟約で誓わせることで当人によるイカサマを防ぎ、第三者の介入を権利侵害――すなわち盟約違反と認識させることで、外部からの干渉を防ぎます。

 

 後者について分かりにくければ、トランプをイメージしてみるといいでしょう。

 

 盟約によって、ゲーム以外ではあらゆる殺傷・略奪が禁じられているこの世界では、魔法によってトランプの絵柄を変更することはできません。

 “トランプを改変する権利”はトランプの所有者のものなので、その権利を譲り受けない限り、例え森精種であろうとトランプの絵柄を改変できないのです。

 

 しかし、トランプの所有者の同意があれば絵柄の改変は可能です。ゲームの当事者がトランプを用意し、当事者ではない森精種が魔法で絵柄を変えることを同意すれば、“絵柄改変”のイカサマは成立します。

 そういったイカサマを防ぐための条項が、“第三者の介入を権利侵害と認識する”という内容です。

 

 こういったイカサマを防ぐための条項を列挙し、()()()()()()()()“勝っても負けても引き分けても、お互いにこの契約書の内容を順守する”と盟約に誓って簡単なゲームを実施することで、イカサマそのものを盟約違反にしてしまう……それがこの契約書であり、ステフちゃんが考えたイカサマ防止法でした。

 

 十の盟約その3:ゲームには、相互が対等と判断したものを賭けて行われる

 十の盟約その4:3に反しない限り、ゲーム内容、賭けるものは一切を問わない

 

 つまり、十の盟約において“自分が賭けるもの”と“相手が賭けるもの”が全く同じであっても構わない、ということです。

 ステフちゃんはこれを逆手にとって、“勝っても負けても引き分けても、お互いが同じ盟約に縛られる”ようにしたわけです。

 

 原作主人公であれば頭脳戦そのものでイカサマを封じてしまいますが、凡人のステフちゃんにそんなことはできませんので仕方ありませんね。

 

 ちなみに、この契約書は応用されて、エルキア王国では大きな交渉時の契約や法令順守にも利用されています。

 

 交渉の前に“契約内容を順守する”ことを盟約で縛れば、約束を破ることはできません。たとえ空手形であろうと、約束を守る最大限の努力を強いられてしまいます。

 

 また、ステフちゃんの政策によって、エルキアでは生後3年たったら“エルキアの法と裁きに従う”という契約を盟約に誓って宣誓する儀式が作られました。

 こうすることで、エルキアの法律と裁判による判決を盟約によって順守させるわけです。儀式に参加した者はエルキアの戸籍に明記され、その人物の信用度を測る大きな目安になります。

 就職や契約に大きく影響するため、ステフちゃんが儀式を行う以前に3歳を過ぎていた人たちも、その多くがこの儀式を実施しております。

 

 これらの政策をステフちゃんが実施するまで、エルキアは法律の大部分が形骸化した無法国家でした。

 なぜなら、同意を取ってしまった時点であらゆる契約が盟約によって絶対順守されてしまうため、例え法律で何らかの罰則を与えようとしても、それらが全て権利侵害として盟約に無効化されてしまうからです。

 

 例えば、AさんがBさんに騙されてお金を取られたとしましょう。後から騙されたことに気づいてBさんに返却を迫っても、Aさんはお金を取り返すことができません。Aさんがお金を渡すことに同意した時点で、そのお金の所有権はBさんに移ってしまっているからです。

 AさんがBさんからお金を取ろうとすることは十の盟約で言う“略奪”に該当してしまうので、例え取り返そうとしてもAさんはその思考をスキャンされ、行動をキャンセルさせられてしまうのです。

 

 詐欺行為を証明して警察を頼ったところで、警察もまた行動をキャンセルさせられてしまうので、罰金を取ることも牢屋に入れることもできません。

 法律を順守させることなどできるわけがないのです。

 

 エルキアはこういった詐欺行為がまかり通るどころか、常識レベルで浸透してしまった詐欺大国だったのです。

 幼い子供が「相手に『うん』って言わせさえすればいいんだよ!」と発言しているのを聞いたとき、あまりの世紀末ぶりにステフちゃんのお目々は死にました。

 

 こうしたステフちゃんの活躍によって、エルキアは法治国家として生まれ変わりました。

 先に述べた東部連合との交渉による技術革新を含め、ステフちゃんが女王様になってから目覚ましくエルキアが発展したことから、ステフちゃんは稀代の賢王として称えられるようになったのです。

 

 そんなステフちゃんの涙ぐましい努力など、どこ吹く風。『セコい契約書』と一蹴したジブリールは、ザッと契約書に目を通し、用意されたペンを手にすることなく魔法を使ってゲーム名に“具象化しりとり”、ゲーム内容にその詳細な説明、そして“甲”の欄に自身の名前である“ジブリール”という単語を記入しつつ――

 

 

 

 ――契約書の末尾の枠外に、サラリと一つの条文を付け足しました

 

 

 

「……え?」

 

 大きく目を見開くステフちゃんを嘲笑うように、ジブリールは目を細めて笑います。

 その条文には、こう書かれておりました。

 

 

 

 ――“乙は、当該ゲームにおいて全力で勝利を目指さなければならない”

 

 

 

 ジブリールの脅しにも微動だにしなかったステフちゃんが、動揺にピタリと動きを止めてしまいます。

 盟約は“その人にできる最大限を行うよう精神を縛る”もの。つまり、催眠などよりも余程強力な盟約で精神制御できるよう自らを縛ってもなお、動揺を表に表してしまうほどに大きな衝撃をステフちゃんは受けてしまったのです。

 

 交渉を始めてからこゆるぎもしなかったステフちゃんのすまし顔を崩してやったことに気を良くしたジブリールは、ここぞとばかりに煽ります。

 

「おやぁ、どういたしました? 私はごく当たり前のことしか書いておりませんよ? それとも……()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……いえ」

 

 ステフちゃんは原作知識持ちです。原作主人公がどうやってジブリールに勝利したのか、その詳細を知っています。

 つまり、盟約によって“全力で勝利すること”を誓わされてしまうと、その知識を使ってジブリールに勝利してしまうのです。

 

 しかし、こうなってしまっては、もうどうしようもありません。

 先程までゲームに乗り気だったのに、契約書にこの一文を足されただけでゲームを拒否してしまっては、『私は貴女に全力を見せたくはありません』と宣言するようなもの。それは同時に『私は天翼種相手だろうと“具象化しりとり”で勝つ手段を持っています』と言っていることと同じです。

 

 つまり、ゲームを受けようが受けまいが、ジブリールから自分への興味を失わせることができなくなってしまったのです。

 

 どちらの道を選んでもデメリットを避けることができないのであれば、より多くの国益を得られる選択肢を選ぶほかありません。

 ステフちゃんは、契約書に書かれたゲーム内容と賭けるもの(正確にはジブリールが前払いするもの)を確認し、ジブリールと口頭で認識合わせをすると、しぶしぶ契約書にサイン。人払いを行ってから、そばに置いてあった契約専用の黄金色のコインを手に取ります。

 

「それでは今からコインゲームを行います。コインを放り投げて表が出れば、わたくしの勝ち。裏が出ればジブリール様の勝ち。どちらの勝ちであっても、また引き分けであっても、盟約によって履行されるものは、共にこの契約書に記載し、口頭にて認識確認した内容……よろしいですね?」

 

「はい、よろしいです♪」

 

 ステフちゃんとジブリールは、ともに右手を掲げて宣言しました。

 

 

「「【盟約に誓って(アッシェンテ)】」」

 

 

***

 

 

 ステフちゃんが弾いたコインがその右手の甲に落ちた直後、ステフちゃんの様子が変わりました。

 盟約に縛られ、ジブリールが提示したゲーム……“具象化しりとり”に勝利すべく、全力で動き始めたのです。

 

「ジブリール様……ジブリール様は、わたくしの全力が見たいのですわよね」

 

「……? ええ、確かにその通りでございますが……」

 

 首をかしげるジブリールに、ステフちゃんは挑発的な笑みを浮かべつつ言いました。

 

 

 

「わたくしが指定する場所でゲームを行い、わたくしに先手を譲っていただければ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「!!?」

 

 ジブリールは驚きました。

 この極めて天翼種に有利に作られているゲームで、人類種が天翼種に勝利する方法が……それも()()の方法があると言うのです。

 

 未知を好むジブリールにとって、これほど極上のエサはありません。ジブリールの表情がまるで牙をむく獣のように凶悪な笑顔に変わり、戦意がほとばしります。

 たとえ罠と分かっていても関係ありません。彼女は最強の天翼種。非力な人類種の罠ごとき、食い破って見せる自信があります。

 

 ステフちゃんから提示された場所は、広大な無人の空き地。

 エルキアは非常に広大な国土を持っており、文明レベルの低さから開発が追い付いていないため、都市から少し離れればすぐにこういった未開発の土地があったりします。

 

 地図で場所を確認したジブリールは『移動する時間がもったいない』と空間転移で瞬時にステフちゃんを空き地に連れてきました。

 (……帰り、どうしよう)とステフちゃんのお目々が死にました。

 

 ジブリールが手をかざすと、彼女の目の前に光を放つ幾何学模様が生まれ、収束し、無数の魔法陣が浮かびます。

 すると、魔法陣の中から円テーブルと一対の椅子、そしてテーブルの中心に浮遊する水晶が現れました。事前に認識合わせで確認した“具象化しりとり”用のゲーム装置です。

 

「さて、それではお望み通り貴女が先攻です。お好きな言葉をどうぞ♪」

 

「……ありがとうございます」

 

 ステフちゃんはそう応えるや否や、全力で後方へダッシュ。円テーブルから100メートルほど離れたところでジブリールに向き直り、地面に伏せながら両手で耳をふさぎ、目をつむりました。

 ステフちゃんの視力では良く見えませんが、おそらくジブリールはステフちゃんの突飛な行動に首をかしげていることでしょう。

 

 王城での認識確認で『具象化された猛獣に襲われたとき、逃げながらしりとりする必要があるが、ジブリールはどれくらいの距離であれば自分の言葉を聞き取れるか』とステフちゃんが訊いた際、『今話している程度の音量であれば、ジブリールの視界内であれば問題なく聞こえる』と言っておりましたので、今ステフちゃんがいる場所からでもジブリールは問題なくしりとりできますが、これでは逆にステフちゃんがジブリールの言葉を聞けないでしょう。耳をふさいでしまえばなおさらです。

 

 そんなジブリールの疑問に対する答えを、ステフちゃんが大声で叫んでくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神撃!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直後、ジブリールは「は?」という口の形のまま、一瞬にして蒸発しました。

 

 

***

 

 

 原作主人公がジブリールに勝利した方法……それは、具象化しりとりを利用して星のクーロン力を消滅させることで発生させた極超新星爆発(ハイパー・ノヴァ)をジブリールにぶつけ、ジブリールを殺害することでした。

 

 水素爆弾にも無傷で耐えられるジブリールでも、流石に数光年の星系をも蒸発させる威力には耐えられず殺されてしまったわけですが、これは原作主人公が天翼種の耐えられる限界を知らなかったために、具現化しりとりで出しうる最大威力をぶつけざるを得なかったことが原因とも考えられます。

 

 ですが、原作を知るステフちゃんは、当時の原作主人公以上に天翼種がどういったものかを知っています。

 

 まず、天翼種の創造主である戦神アルトシュ。彼は概念そのものが自我を得た種族である“神霊種(オールドデウス)”の1柱です。

 彼ら神霊種は、万物の源流・万象の潮流たる星から生まれます。つまり、神霊種全員を合わせたものよりも星そのものの方が力は上、というわけです。星そのものの爆発をぶつけられれば、神霊種の眷属として生まれた天翼種程度ではオーバーキルもいいところでしょう。

 

 ということは、ジブリールを倒すにはもっと低い威力でもいい訳です。

 

 そして星を爆発させたにもかかわらず、どうやって原作主人公たちが死ぬよりも先にジブリールを殺せたかというと、()()()()()()()()()()()()()です。

 

 原作主人公たちは星を爆発させる前、まず大きくジャンプしてから地表を消し、惑星の中心核を露出させてから、数回のしりとりを挟んだうえで爆発させています。

 主人公の兄は18歳、妹は12歳なので、多めに見積もって大学生の垂直飛びの平均値である60cm程度ジブリールから離れると仮定します。空挺降下といったテクニックを主人公たちが使っている記述はなかったので、単純に手をつないで2人分になった分だけ空気抵抗が増えて、ジブリールとの距離が時間経過で離れると考えても、せいぜい数メートルから十数メートル。いえ、高速で落下し、耳元で風鳴が酷い中できちんとしりとりの単語を聞いていたことを考えれば、もっと短いかもしれません。

 

 重要なのは、“この短い距離の時間差で、先にジブリールの方が死んだ”ということです。

 

 ジブリールが単純に原作主人公と同じ強度……人類種と同じくらいの丈夫さであれば問題ありません。

 強度が同じであれば、爆発が先に到達したほうが先に死ぬのは当たり前だからです。

 

 ところが、ジブリールは水爆が直撃しても無傷でいられるほどの非常に高い耐久性を持っております。

 つまり、ジブリールに爆発が到達した後、原作主人公たちに爆発が到達するまでのほんの一瞬耐えることさえできれば、ジブリールの方が勝利していた、ということになります。

 

 で、あるならば――

 

 

 

 ――彼女たち天翼種の創造主の最大最強の一撃をジブリールに叩き込み、その余波がステフちゃんに到達するまでに生き残っていればステフちゃんの勝ち、ということになります

 

 

 

 戦神アルトシュの全力の一撃が“神撃”です。星の精霊回廊の源潮流の……つまり、星の力を吸い上げ、自身の力と眷属である天翼種全員の力を()()()放ちます。

 そう、極超新星爆発(ハイパー・ノヴァ)は無差別に破壊をまき散らしますが、彼の“神撃”は収束しているのです。

 

 星の力すべてを吸い上げるわけではないため、星そのものの爆発よりも総合的なエネルギー量は低いかもしれませんが、収束されたエネルギー密度は神撃の方が上かもしれません。

 そして余波についても、当然収束されている神撃の方がずっと威力が低いはずです。

 

 そして、神撃の発生位置と出現の過程。

 

 原作主人公たちは水爆を頭上で爆発させましたが、なぜ具象化された水爆は爆発できたのでしょうか。また、何故すぐそばの地面ではなく主人公たちの頭上に出現したのでしょうか。

 “爆発しない水爆”が出てきてもおかしくないはずですし、地面に水爆が出現してもおかしくないはずです。

 

 その理由は、イメージ。

 “爆発する状態”を主人公たちがイメージしたからこそ具象化された水爆は爆発したし、“頭上に出現したイメージ”を思い描いたからこそ水爆は頭上に具象化されたのです。

 ということは――

 

 

 

 ――ステフちゃんが“既に発射済みの神撃”を“既にジブリールに命中済み”の状態でイメージすれば、ジブリールにそれを避けるすべは無い、ということです

 

 

 

 ステフちゃんは神撃をジブリールに当たった状態でイメージし、その余波でステフちゃんが死ぬ前にジブリールが死んだ、というわけです。

 “極超新星爆発(ハイパー・ノヴァ)の無差別攻撃で数メートル程度の距離であっても、人類種が死ぬより先にジブリールが先に死ぬ”という原作で証明された事実が無ければ、とてもできない危険な賭けでした。

 

 本来であれば防御魔法でジブリールは自身の耐久力を上げられるのですが、原作では具象化しりとりの過程で魔法を使うために必要な精霊回廊を消されてしまったため、そして今回はステフちゃんとの事前契約で“魔法の使用不可”を盟約に誓わされてしまったため、その手段を取ることができませんでした。

 

 ここまでくれば、どうして『先手が欲しい』とステフちゃんが言ったのかもお分かりでしょう。

 

 ステフちゃんは、この“具象化しりとり”というゲームについて、こう考えております。

 

 

 

 ――この“具象化しりとり”の本質は、しりとりではない。“叩いて・かぶって・ジャンケンポン”の亜種である

 

 

 

 原作でジブリールは、こう言いました――『具象化しりとりは天翼種同士の諍いを解決するために使われるゲームである』、と。

 それは、このゲームは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということを意味します。

 

 つまり、先攻は該当の響きから始まる“自身が知る最も攻撃力の高い攻撃手段”を発言して具象化。後攻はそれを自身の魔法で防ぎ、先攻と同様、該当の響きから始まる“自身が知る最も攻撃力の高い攻撃手段”を発言・具象化。先攻もまた同様に自身の魔法でこれを防御。

 これを延々繰り返し、相手の継続不能を狙います。

 

 もし相手の攻撃を防げる魔法を展開できない場合、原作でジブリールが久遠第四加護(クー・リ・アンセ)を具象化したように、防御側はしりとりで防御手段を具象化して防ぐことになります。

 すると、攻撃側は更にもう一度攻撃チャンスが回ってくることになり、有利な状態を手にすることができる、というわけです。

 

 魔法が使えず、天翼種よりずっと肉体性能が低い人類種であるステフちゃんに、そんなことはできません。

 彼女にできる手段はたった一つ。“最初の攻撃具象化でジブリールを殺しきる”、それだけです。

 

 原作で主人公が初手で『水爆』と発言できたことからも推察できますが、この具象化しりとりは『“しりとり”の“り”で始まる』といった先攻の単語を縛るルールがありません。

 つまり先攻は初手に限り、自身の知る最大最強の一撃を叩き込むことができる……具象化しりとりは〇×ゲームにも似た“先手必勝”のゲームなのです。

 

 

 これが盟約によって全力を出させられたステフちゃんの“ジブリールに勝利する方法”でした。

 

 “原作を知っている”という圧倒的なアドバンテージがあるにもかかわらず、原作主人公と比べてあまりに(つたな)いその手段に、“やっぱり原作主人公は凄い”とステフちゃんは改めて彼らを尊敬しなおしながら、“神撃”の余波に巻き込まれ、その意識を白く染めました。

 

 

***

 

 

 ゲームが終了したのか、仮の死から復活したステフちゃんの意識が戻り、100メートル前方にジブリールの姿が見えるようになりました。

 ジブリールをあまり待たせないよう小走りで近づくステフちゃんに、椅子に腰かけたジブリールは、いつの間にか魔法で()び出したティーカップから口を放して円テーブルの上に置くと、不自然なほどに落ち着いた声音で言いました。

 

「……完敗、でございます。盟約通り、私が所有する書籍の写本作成を許可いたしましょう」

 

「あ、はい。ありがとうございます。書籍の移動は事前契約のスケジュール通りでお願いいたしますわ」

 

 そう応えるステフちゃんは、ゾクリと背筋を震わせました。

 

 

 

 ――ジブリールが、本当に心の底から嬉しそうに……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、飢えた獣の瞳でステフちゃんを見つめていたからです

 

 

 

 ジブリールは、このステフちゃんとのゲームに敗北して確信しました。

 それは“人類種こそが、創造主である戦神アルトシュを討ち、大戦を終結させた『因』である”ということです。

 

 天翼種であるジブリールから見ても、ステフちゃんの勝利は実に見事でした。

 天翼種の誰もが想像しえなかった必勝法……それをあの短時間の説明で見抜く思考力、自身の命がなくなることを覚悟で実行できる精神力。こうしたものがあれば、大戦を裏で操り、彼女の創造主を討つことすら可能だとジブリールは確信したのです。

 

 ですが、足りません。まだまだ足りません。

 

 “彼女の創造主がどのようにして討たれたか”を推察するには、人類種の力に対する理解が全く足りていない……そう考えたジブリールは、一瞬にしてステフちゃんの背後に転移すると、“絶対に逃がさない”と言わんばかりにステフちゃんの肩をガッシリと掴み、ニッコリ笑顔でこう言いました。

 

「私、貴女のことがとても気に入りました。どうぞ、これからも末永くお付き合いください。……ね?

 

 

(あ~……やっぱり、目をつけられましたわ~……)

 

 

 ジブリールの言葉を聞いたステフちゃんは、原作知識からジブリールの笑みの意味を正確に理解し、その可愛らしいお目々から光を失わせていったのでした。

 

 

 

 



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プラムェ……前編

「エルキアを大きく発展させ、さらには天翼種(フリューゲル)すら下した人類種(イマニティ)の、そしてエルキアの女王、ステファニー様……どうか、どうかボク達の種族を助けてくださいぃッ!」

 

 

 目の前にひざまずく見目麗しい吸血種(ダンピール)の少年の涙ながらの懇願に、ステフちゃんのお目々が死にました。

 

 

***

 

 

 事の始まりは半月前――ステフちゃんが“具象化しりとり”でジブリールを倒した直後。

 

 『早速』と言わんばかりにジブリールが大量の書物を王城へ運び込み、ステフちゃんが写本の作成を部下に指示するという、両者の生物としての格を考えればありえないやり取りが目の前で行われたことで、あっという間に“ステフちゃんが天翼種をゲームで下した”という事実が国中に広まってしまったのです。

 

 当然、そんなビッグニュースがエルキア国内にとどまる筈もなく、世界中に広まった結果、各国からステフちゃんが警戒されることとなったのですが……まあ、それはいいです。

 ジブリールのゲームを受けたときから、それくらいはステフちゃんも覚悟していました。

 

 問題はステフちゃんを利用しようとする勢力……その中で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを、ステフちゃんがすっかり失念していたことでした。

 

 

 それが、今ステフちゃんの目の前にいる、一見少女にも見えるほど眉目秀麗な吸血種の少年――プラムでした。

 

 先の彼の発言は、少々差異はあるものの、原作で主人公たちに述べた内容とほぼ同じ。

 しかし、言われた側はステフちゃん(17歳)。原作のステフちゃんは18歳なので、約1年イベントを前倒しにしてしまったことになります。

 

 つまり原作ファンであるにもかかわらず、ステフちゃんは自身の凡ミスで原作イベントをつぶしてしまったのです。自業自得ですね。

 ステフちゃんのお目々が死んだのは、そういう理由でした。

 

「……とりあえず、まずは詳細をご説明いただけますか?」

 

「は、はいぃ……」

 

 プラムの説明をまとめると、こんな感じになりました。

 

 吸血種はその名の通り、他者の血を吸って生きる種族です。そのため、十の盟約で同意なく他者を傷つけられなくなったことによって、滅亡の危機に追いやられてしまいました。

 何らかの条件と引き換えに血を吸おうとしても、血を吸われた相手は漏れなく“直射日光を浴びると死ぬ”という病にかかるため、地上に生きる十六種族(イクシード)は誰も交渉に応じてくれません。

 

 そこで彼らは、海棲種(セーレーン)という種族に目を付けます。

 

 海棲種は女性しか存在せず、下半身が魚である人魚のような種族です。

 彼女たちは海底に住む種族であり、海から長時間出ることができません。つまり、“直射日光を浴びると死ぬ”という病気にかかっても問題ないのです。

 

 しかも、海棲種もまた、他者を傷つけなければ滅亡してしまう種族です。

 彼女たちは繁殖する際に他種族の男性を必要とします。その際、一部の例外を除いて繁殖に利用された男性は絞りつくされ、死に至ってしまうのです。

 つまり、吸血種の交渉に応じるだけの理由があります。

 

 そこで、吸血種は海棲種に“共生”を持ちかけました。

 “海棲種が血を提供する代わりに吸血種は魔法を提供し、餌となる他種族を確保する”という共同戦線です。

 

 吸血種は魔法を使わず、八百長で引き分けのゲームを持ちかけ、共生関係を提示いたしましたが……なんと海棲種は、その意味どころか十の盟約により自らの種族が滅びに瀕していることすら理解しておらず、愚かにも海棲種は吸血種を返り討ちにしてしまったのです。

 

 その結果、“吸血種の男性は海棲種の繁殖を手伝うこと”、“吸血種の男性は海棲種以外からは血を吸わないこと”という意味不明の契約を結ばれてしまいました。

 

 しかしながら、吸血種もタダ黙って滅びを待つことはしませんでした。

 海棲種は異種族の男性の精と魂を奪いつくすことで繁殖するのですが、繁殖に要する魂の量が致死量未満で済む個体が“1代に1人だけ”存在することを突き止め、繁殖協力を“彼女”のみに対して行うことにしたのです。

 

 こうして海棲種の企みは潰えたかに見えましたが、ここでまさかの事態が起こります。

 

 今から800年ほど前に誕生した“1代に1人だけ存在する”特徴を持つ個体の海棲種が、とある童話に影響され、“私を目覚めさせる王子様が現れるまで起きない”と盟約に誓い、()()してしまったのです。

 

 “凍眠”とは海棲種が体内の精霊を利用して行使する冬眠のようなもので、千年以上眠り続けることができる生理的機能です。

 “彼女を惚れさせる王子様が現れればクリア”というゲームを設定した彼女は、その力を用いて千年の眠りについてしまったのです。

 

 ……いったい眠ったままの状態で、どうやって彼女を惚れさせればよいのでしょう?

 

 このような根本的な疑問にすら気づかないほど、彼女は愚かでした。

 

 

 ――さあ、吸血種はどうなるでしょうか?

 

 

 通常個体の繁殖を拒む口実がなくなったその800年後である現在、吸血種の男性はたった1人……目の前にいるプラムだけになってしまった、ということです。

 プラムは自分のことを『その男性だ』とは言っておりませんし、なんなら自分のことを女性と勘違いさせようとする素振りさえ見せますが、原作を知るステフちゃんには意味がありませんでした。

 

 自分の知る原作知識と情報が変わらないことを確認したステフちゃんは、プラムに問います。

 

「……それで、わたくしに『どうしろ』と言うんですの?」

 

「女王は凍眠状態ですが意識はあるんですぅ! そこでぇ女王の意識に――夢に干渉する術式を編み、夢の中で惚れさせる――恋愛ゲームを可能にしましたぁ!」

 

 “1代に1人”の個体は、全権代理として種のコマを管理する女王としての立場に祭り上げられることになりました。

 つまり、今、凍眠中の個体は海棲種の女王様です。

 

「どうか、女王様を惚れさせてくださいぃ! そのための策も用意しましたぁ!」

 

「ご自分でなされば?」

 

 ステフちゃんは半眼で呆れたように言いました。

 

 そこまで準備できているのであれば、プレイヤーがステフちゃんである必要はありません。

 仮にステフちゃんの腕を買っているのだとしても、まずは自分達でプレイしてみて、どうしようもなくなってから頼るのが筋でしょう。別にプレイ回数に制限などないのですから。

 

()()()()()()()()()()()()……。それでどうしようもなかったから、こうしてステファニー様のお力を頼ってるんじゃないですかぁ……」

 

(あ~、なるほど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 原作を知るステフちゃんは、この要請が海棲種と吸血種がグルになって仕組んだ、人類種をハメるための罠であることを知っています。

 原作でプラムが主人公たちを騙そうとする際、主人公たちの傍には獣人種(ワービースト)の仲間がいました。獣人種はその飛びぬけた五感で相手の生理的反応を読み、嘘を見抜くことができます。そのため、嘘をつかずに自分達のゲームを受けさせるよう、次のような言い回しをしたのです。

 

 ――用意した“策”は、女王が対象に抱く感情を、強制的に“恋愛感情である”と誤認識させる魔法である

 ――女王様が求めているのは“王子様”である

 ――したがって、生殖能力のある男性でなければ“恋愛感情である”と誤認識させることができない

 ――吸血種最後の男性は幼すぎて、この“策”を使うことができない。だから、貴方(原作主人公2人のうち、男性である兄)に協力を仰いでいる

 

 吸血種は唯一の男性が幼すぎて不可能。

 海棲種に協力を仰ごうにも、海棲種は女性しかいない種族。

 だからこそ男性で、かつゲームにおいて素晴らしい腕を持っている原作主人公を頼る……と誤解させるよう、うまく嘘をつかずに言いまわしておりました。

 

 ステフちゃんは誰がどう見ても女性です。人類種の中でもトップクラスの美少女です。間違っても“生殖能力のある男性”には見えません。

 なのでステフちゃんがジブリールに勝利したところで、このイベントは起きないと踏んでいたのですが……“ステフちゃんには獣人種の仲間がいない”という点を見落としておりました。

 

 ステフちゃんは、相手の発言を嘘だと見抜く(すべ)を持っていません。なので、プラムは嘘をつき放題なのです。

 海棲種にとって、この罠は“種族のコマ”を持つ、他種族の全権代理者にかかってもらわないと意味がありません。なので、海棲種が吸血種に女王のゲームをプレイする許可を与えるわけがないのです。

 

 つまり、“吸血種が既に女王のゲームをプレイして失敗した”というプラムの発言は嘘になります。

 

 また、嘘がつけるので、“生殖能力のある男性しかプレイできない”という言い訳を使う必要もありません……というか、逆に使えません。

 女性であるステフちゃんがプレイできるのなら、同じ女性の吸血種や海棲種にプレイさせればよいのですから。

 

 余談ですが、原作では“生殖能力のある男性しかプレイできない”と直接言わず、相手に誤解させるよう誘導しているから“嘘”になっていないだけで、実際はこれも真実ではありません。

 吸血種の認識偽装魔法は、“存在そのもの”に偽装をかけて荷物の量や重さを感じなくさせたり、性別どころか生物ですらないマフラーに化けたりできるデタラメなものです。幼い男児を成人男性に見せることも、女性であるステフちゃんをイケメンに見せることも朝飯前でしょう。

 

「……失敗しているなら、その“策”は意味が無いではありませんの……」

 

「はいぃ……。絶対成功するはずの策なんですが……なぜか、おっしゃる通り失敗してしまって……その原因を調べるためにも、ステファニー様のお力をお借りしたいんですぅ……」

 

「……その“策”の内容をお話しいただけます?」

 

「ステファニー様を男性と認識するよう、女王の夢に干渉しますぅ。その上でぇ、女王のステファニー様に抱く感情を、それがどんな感情であれ“恋愛感情である”と認識するよう定義づけしてしまう魔法をかけますぅ」

 

 原作と全く同じ策でした。

 それに対し、ステフちゃんはこう答えます。

 

「なら、そもそもの前提条件…… “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

 プラムは目を丸くします。

 

「海棲種の女王の逸話はわたくしもある程度存じておりますが、彼女が宣言した盟約の内容を明確に記したものは見たことがありません。失伝したのか、そもそも女王が伝えていなかったのかまでは分かりませんが、あなたの策が失敗した以上、間違っていることだけは確かでしょう」

 

「あなたがわたくしを高く評価してくださっているのはありがたいのですが、さすがにクリア条件の不明なゲームでの勝利はお約束できませんわ。申し訳ございませんが、お引き取りください」

 

 プラムは慌てて反論します。

 

「そ、そんなぁ! 見捨てないでくださいよぉ! 第一、今聞いた情報だけで判断するのは早急すぎますぅ! 実際にプレイしてみて、それから判断してみてもいいじゃないですかぁ!」

 

「……報酬は?」

 

 ステフちゃんの質問の内容に、“前向きになってくれた”とわずかに安心したプラムは、ホッとした様子で答えます。

 

「“海棲種の国(オーシェンド)の海底資源3割の提供と、恒久的友好関係の締結”ですぅ!」

 

 ……しかし、その認識は誤りです。

 即座にステフちゃんから断る気満々の発言が飛び出しました。

 

「……で、女王のゲームをするための掛け金と対価は?」

 

 女王が盟約で誓ったうえで眠りについた以上、彼女が設定した掛け金が存在するはずです。

 

 そして、原作で明らかになっているその掛け金は……“プレイヤーの全て”。もし全権代理者であるステフちゃんが全てを賭けて敗北した場合、人類種のコマを奪われて、人類種そのものが支配されてしまいます。

 それこそが海棲種と吸血種が仕組んだステフちゃんに対する罠でした。

 

 ステフちゃんの鋭い指摘にピタリ、とほんの一瞬プラムが固まりますが、すぐに笑顔で答えます。

 

()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()!」

 

 ステフちゃんの眼がスッと細まり、すかさずプラムにこう要求しました。

 

「その言葉が真実でしたら、盟約に誓っていただきますわ。『プラムは常にステファニー・ドーラの声を聞ける状態を維持しつつ、ステファニーが帰還の意思を示した場合、いかなる状況であろうと速やかに全力でエルキア王城まで安全にステファニーを帰す』、と」

 

 今度こそプラムの動きが固まりました。

 

 十の盟約は、故意に相手を害する行動をキャンセルしてくれますが、同意の取得あるいは過失によって被害を被った場合、そのアフターフォローまではしてくれません。

 

 原作では、ジブリールがプラムの存在を失念したまま広範囲の空間転移で日光の直下に移動し、危うくプラムが死にかけるというハプニングがありました。しかも、死にかけたプラムに対し、ジブリールは特に何のフォローもしませんでした。

 このように過失でも良いので相手を害する結果さえ出してしまえば、十の盟約下であっても相手を害することは可能ですし、その被害を補填する必要もないのです。

 

 今回のケースであれば、嘘をついて騙してでもステフちゃんを海底の国 オーシェンドに連れてくることができればOKです。

 十の盟約は彼女をエルキアまで帰してくれませんし、プラムに帰させる効力も発生させません。

 

 仮にステフちゃんが自分の脚でエルキアに帰ろうとした場合、オーシェンドから最寄りの海岸まででもその距離は378.23km。

 一般に徒歩の移動速度が時速4~5kmですから、仮にステフちゃんが時速5kmで歩いたとして、不眠不休で3日以上……1日8時間歩いたとしても、約9.5日かかる計算です。食料無しでこれは死ねます。

 

 それどころか、プラムから水中呼吸の魔法を故意に解除してステフちゃんを溺死させることはできませんが、ステフちゃん自ら魔法の効果範囲を離れてしまうことは問題ないので、ステフちゃんは“息をするため”という、ただそれだけの理由でプラムから離れることができません。

 また、魔法の効果が自然に切れて溺死する分にも問題ないので、ステフちゃんは自分の命を握られることになってしまいます。

 

 つまり一度海底に連れ込まれてしまえば、どんなに無茶な要求であろうとプラムは通すことができてしまうのです。

 だからこそ、プラムは『掛け金は無い』と嘘をつきました。海底についてさえしまえば、嘘がバレても“全てを賭けること”をステフちゃんに強制できるからです。

 

(……“賢王”の名はダテではないってことですかぁ……)

 

 プラムはがっくりとうなだれながら、真実と言い訳を口にします。

 

「うぅ、申し訳ございませぇん……本当の掛け金は“プレイヤーの全て”ですぅ……。でもぉ、これを聞いたら絶対に受けてくれないと思ったんですよぉ……」

 

「……そんなことだろうと思いましたわ」

 

 ステフちゃんは考えます。

 

 ここで拒否すること自体は可能です。十の盟約は不法侵入を防ぐことはできませんが、滞在を拒むことはできると原作の獣人種の外交官も保障しております。

 プラムの滞在を拒否して追い出し、救援要請を拒否することは可能でしょう。

 

 しかし、そうすると彼が何をしでかすかが分かりません。

 

 原作でも救援要請を主人公たちが拒否すると、プラムは間接的な業務妨害を仕掛ける形で要求を呑ませました。

 ある程度はエルキアのトップであるステフちゃんがいなくとも国政が回るようにしてはありますが……あまりに長期間業務妨害を受けると厳しいですし、ステフちゃんが懸念している“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”を取られたら流石にシャレになりません。

 

 ステフちゃんは悩みに悩んだ末、大きくため息をついて言いました。

 

「……わかりましたわ。先ほどの“わたくしをエルキア王城に帰す”という内容を一字一句間違いなく今ここで盟約に誓っていただけるのでしたら、その女王のゲームをクリアして差し上げましょう」

 

「ほ、本当ですかぁ!?」

 

 騙そうとしていたことが明白になったのに、まさか了承してもらえるとは思っていなかったプラムが目を大きく見開いて驚きます。

 そしてステフちゃんが用意した契約書に先ほどの“ステフちゃんをエルキア王城に帰す”内容を追記すると、“ここで拒否されてはたまらない”と言わんばかりに素早くサインし、口頭で認識合わせを行い、コインゲームで“ステフちゃんをエルキア王城に帰すこと”を盟約に誓いました。

 

 すると、ステフちゃんは傍付きの者に命じ、エルキアの宰相を呼び出します。

 

 “何事か”と頭に疑問符を浮かべるプラムの前で、ステフちゃんは先ほど契約書を書くために使ったペンを手に持ちつつ、宰相にこのように言いました。

 

 

 

「今から【盟約に誓って】ゲームを行い、このペンの所有権を除くわたくしの全てをあなたに譲渡いたしますわ」

 

 

 

「は……はあああぁぁぁあぁああああっ!!?」

 

 プラムは目の玉が飛び出るかと思うほどに驚きました。

 

「譲渡した“わたくしの全て”をあなたは利用できず、他者に譲渡することも破棄することもできません。あくまでも預かるだけですわ。そしてゲーム終了から24時間後、あなたはわたくしを見つけ次第、速やかに“わたくしの全て”を返還しなさい。また、あなたは可及的速やかに“わたくしの全て”をわたくしに返還できるよう、最大限の努力を行うものとします……よろしいですわね?」

 

「御意」

 

 ステフちゃんを賢王として心の底から尊敬している宰相は厳かに一礼します。

 プラムはその様子を見ながら呆然としておりました。

 

 十の盟約の穴の一つに、“既に奪われたものを賭けることはできない”というものがあります。

 

 所有していないものは賭けられませんから当然ですね。

 仮に賭けることができてしまったら、そこらへんにいる幼児に対して“国の全て”を賭けさせて勝てば国を取れる、なんてことになってしまいます。

 

 全てを宰相に預けてしまったステフちゃんが“自分の全て”を賭けてゲームに参加したところで、奪われるものなど何もありません。

 仮に女王のゲームに参加するために何らかの掛け金を賭ける必要があったとしても、唯一除外した“今ステフちゃんが持っているペンの所有権”が賭け皿に乗りますので問題ありません。

 

 この方法は原作でも利用されていた手段で、獣人種のコマが奪われそうになった時、“東部連合の全領土と、その上にある人材資材一切合切”を森精種(エルフ)のとある人物が先に奪っておくことによって、たとえ獣人種のコマを奪われてもそれらを奪えないようにしようとするシーンがありました。

 ステフちゃんが使った方法は、その応用になります。

 

 今回この方法を利用する際に注意すべき点は、返還における誓約の主体をステフちゃんではなく宰相にしておくこと。

 

 もし“ステフちゃんが返還の意思を示したら返還される”とした場合、ステフちゃんが“自分の全て”を賭けてゲームをすると、“ステフちゃんの全てを返還してもらう権利”を賭け皿に乗せてしまうことになるからです。

 主体が宰相であれば、宰相に“ステフちゃんに返還する義務”があるだけで、ステフちゃんには何も残りません。これで安心ですね。

 

 こうしてステフちゃんは、ほぼノーリスクで海棲種の女王様のゲームに参加することになったのです。

 

 

***

 

 

「ありがとうございます、ジブリール様。あまり長い間、国を留守にするのは臣下たちの負担が大きいので、とても助かりましたわ」

 

「いえいえ、こんなに面白そうなこと見逃せるわけがございませんので、礼など不要でございます♪」

 

 自らの創造主が討たれた“因”を推察するためにステフちゃんをジ~…………ッと観察しているジブリールが、吸血種の訪問なんて特大イベントを見逃すはずがありません。

 吸血種には劣るものの、人類種には絶対に見抜けない隠ぺい魔法で自らの姿を隠し、盗み見、盗み聞きしたうえで同行を申し出、ステフちゃんは“空間転移での移動”を対価にその申し出を快諾しました。

 

 どうせ拒否しても勝手についてくるに決まっていますし、下手に拒否すると後で何をされるかわかりません。

 

 それに海棲種がジブリールに“オーシェンド滞在拒否”をきちんと告げられるかも分かりません。十の盟約が護ってくれていると分かっていても、天翼種が放つ殺気はそれほどまでに恐ろしいものです。

 以前“山賊がなくならない理由”でもお話ししましたが、“脅し”という手段は未だこの世界で有効な手段なのです。

 

 それならば、素直に同行を許可し、ついでに天翼種の空間転移能力で送ってもらった方がよほど建設的というものでしょう。

 

 そんなわけで、ジブリールを伴って海底にある海棲種の国――オーシェンドにやってきたステフちゃんは、さっさと盟約に誓ってステフちゃんの全て(=持ってきたペン1本)を賭け、プラムの魔術によって海棲種の女王様の夢の中にやってきました。

 

 もちろん、ステフちゃんがどうやって女王様のゲームをクリアするのか興味津々のジブリールも一緒にプレイしております。

 

 そうしなければゲームに参加できないとはいえ、躊躇なく自分の全てを賭けられるところは流石です。

 ひょっとしたら、ステフちゃんが“自分の全て”を宰相に預けるところを見て、自分も同じように天翼種の誰かに“自分の全て”を預けているのかもしれませんが。

 

 あらかじめ海底のイメージを思い浮かべていたので、ステフちゃんのイメージと女王様の夢のイメージのすり合わせはほとんど齟齬なく一瞬で行われ、ステフちゃん達はすんなりと女王様の夢の中に侵入できました。

 

 すぐに、その耳に美しい歌声が聞こえてきます。

 

 ステフちゃんがそちらに視線を向けると、そこには海のように波打つ長い青髪を揺らめかせて水中を優雅に泳ぐ人魚の姿がありました。

 

 海棲種の女王――ライラです。

 夢に入る直前に氷の中で眠る彼女の姿を見ているので、間違いありません。

 

(……うん、夢の中でも問題ないようですわね)

 

 ステフちゃんは、表情に出さずホッとします。

 

 海棲種は人類種と同じく魔法が使えない種族ですが、一つだけ魔法のような特性を持っています。

 それは“魅了”。体内に保有する圧倒的な量の水の精霊が、他種族の体内の精霊を惹きつけることにより、彼女達は他の種族を魅了することができるのです。

 

 女王クラスになれば、天翼種ですら魅了できるその力は非常に強力です。

 原作に登場した一般的な海棲種であるアミラが原作主人公を誘惑した際、獣人種の男性は『あんなに魅力的な女性に迫られて躊躇なく断れるとは、想像を絶するような自制心でも持っているのか』と驚いたほどです。

 

 しかし、海棲種の魅了能力は相手の精神に干渉する魔法ではなく、生来備わったタダの身体的特徴です。人類種で例えれば、傾国の美貌とスタイルをもって生まれた絶世の美女のようなもの。

 だからこそ“故意ではない”と判定され、十の盟約に引っかからず相手を魅了できるのですが……逆に言えばあらかじめ“そういうことができる”と認識し、警戒しておくだけで抵抗は簡単にできてしまうということも意味します。

 

 美人局(つつもたせ)をイメージすると分かりやすいかもしれません。

 美人な女の人が『好きです♡』と擦り寄ってきたら男の人はコロッと騙されてしまうかもしれませんが、あらかじめ“美人局かもしれない”と警戒しておけば、そうそう騙されることはありません。

 

 それどころか心の底から惚れた相手が別に存在した場合、女王クラスであっても何の魅力も感じられなくなるケースも存在します。原作主人公が、まさにこれです。

 

 なので、盟約で自分の精神制御を誓うことによって自らの精神を縛っているステフちゃんは、ライラの姿を見ても、その歌声を聞いても、彼女に見惚れることがありません。

 事前に夢ではなく現実の世界で、氷の中で眠る彼女を見ても見惚れることが無かったので、おそらく大丈夫だろうとは思っていましたが、ステフちゃんにとっては初めて体験する“他者の夢の世界”。ついつい警戒してしまうのも仕方のないことでしょう。

 

 その美しさを保ったまま、とても格好いいイケメンの姿になったステフちゃんは、さっそくライラに向かってスタスタと歩いて近づいていきます。

 ステフちゃんに気づいたライラはニコリとほほ笑みながら、自分の姿を見せつけるようにスルリと泳ぎつつステフちゃんに近づきます。

 

 ステフちゃんは、まっすぐにライラの眼を見つめながら話を切り出しました。

 

「わたくしは人類種の国――エルキアの王、ステファニー・ドーラと申します。ライラ様でお間違いございませんでしょうか」

 

「はい、わたしがライラです」

 

 ほんのわずかの対話ですが、実際に話してみるとどことなく上から目線の傲慢さを感じます。それでいて、知的な雰囲気を全く感じません。表情も“何も考えずに生きている”ということが良く分かるポヤッとしたものです。

 

 そんなライラに対し、念のためライラ本人であることを確認したステフちゃんは、単刀直入に本題に入ります。

 

 

 

 

 

「大変申し訳ございませんが、わたくしはこのゲームをプレイしに来たわけではございません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 原作においても、経緯は異なりますが、原作主人公たちは“女王を起こす条件は惚れさせることではない”と気づき、本当の条件を探す展開になります。

 

 原作を知るステフちゃんは、その過程を省略したのです。

 ゲームをクリアする条件を一番よく知っているのは、ゲーム内容を作った本人。夢でその本人と意思疎通が取れるのであれば、本人に聞いてしまうのが一番手っ取り早いですから。

 手に汗握るハラハラドキドキの原作と違い、あまりにロマンがありませんね。

 

「……はい? わたしに“真実の愛”を「()()()()()()()()を教えていただけない場合、今すぐ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を全世界に公開いたしますわ」……ッ!!?」

 

 首をかしげながら発言したライラにかぶせるようにステフちゃんが脅しをかけた瞬間、まるで頭痛に苦しむかのようにライラが両手で自分の頭を押さえてうつむき……

 

「……」

 

 ……そして、ゆっくりとその顔を上げました。

 その表情は先ほどと変わらず、どこかポヤッとした感じに()()()()

 

「え、本当にクリア条件がわからないの? このゲーム――わたしに惚れず蹴飛ばせばクリアよ? バカじゃないの?」

 

 そして、彼女がバカっぽい口調で上から目線のセリフを吐いた瞬間――

 

 

 

 

 ――ステフちゃんは、ライラのみぞおちに渾身のヤクザキックを叩き込みました

 

 

 

 

***

 

 

「“手に入らぬ愛”……つまりは“絶対に自分に惚れない人”を求めていたってわけですかぁ……。こんな理由でぇ……800年眠られて、ボクたち滅びかけたんですよねぇ……。ちなみにぃ、『海棲種が吸血種にゲームで勝利した本当の理由』ってなんですぅ?」

 

「上位種族のイケメンで逆ハー「あ、もういいですぅ。聞きたくありませぇん」」

 

「なんで話しちゃうの!? わたしが恥ずかしい思いするじゃない!!」

 

「女王様は、もう既に恥の塊ですぅ……ほんっと~に今さらですぅ……」

 

 見事にライラを眠りから目覚めさせたステフちゃんは、ライラの口から正確なクリア条件をプラムに説明してもらい、それを聞いたプラムのお目々が死にました。

 

 それも当然でしょう。海棲種の中でも極めて高い魅了能力を持つ彼女に対し、“絶対に惚れない”と証明する最も簡単な方法は()()()()()()()()

 つまり“自分を虐める人が欲しかった”という理由で吸血種は何百人・何千人という死者を出し、滅亡寸前まで追い詰められたのです。これは酷いですね。

 

 これほどおバカな海棲種が吸血種にゲームで勝利した理由……“たぶんヤバい理由だろうな”と薄々予想していたプラムですが、“怖いもの見たさ”ならぬ“怖いもの聞きたさ”で、つい内容を訊いてしまい、速攻で後悔しました。

 

 その後、ステフちゃんは原作の主人公と同じように“ステフちゃんに従う義務”以外の全てをライラに返還しました。

 プレイヤーに全てを賭けさせるゲームで、ライラがゲームに賭けたものもまた“ライラの全て”だったからです。

 

 もしここで返さないと、ライラの持つ義務――吸血種への血液提供までステフちゃんが引き継いでしまいます。

 “ステフちゃんに従う義務”だけは残したのは、いざという時、吸血種に対する切り札になるからです。

 

 唯一吸血種を死なせずに繁殖できる海棲種を押さえておけば、吸血種はうかつにステフちゃんを追い詰めることができません。

 もしステフちゃんがライラに自害を命じれば、それだけで種の存亡に関わってしまうからです。

 

 

 

 ……まあそれも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 本来ならば、ライラ1人ではなく“海棲種のコマ”そのものを押さえてしまった方が遥かに効果的です。次代の女王も含めてステフちゃんは支配できるのですから。

 ですが、ステフちゃんにそれはできませんでした。なぜなら、ライラのゲームに勝利した直後、スカートのポケットに手を入れて、ポケットの中で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――さて、全権代理者であるはずの彼女を“自分の全て”を賭けたゲームで倒したというのに、どうしてステフちゃんは“海棲種のコマ”を手に入れることができなかったのでしょうか?

 

 

 

「ああ、愛しの君よ……どうか2人っきりで、誰にも邪魔の入らないところで、思いっきり! 周りの方がドン引きするほどに! わたしを虐めてくださいませぇ~~♡」

 

 性欲にとろけただらしのない笑顔で、いかにもおバカなマゾ女の発言をするライラに対し、ステフちゃんの眼は氷のように冷めています。

 ライラのおバカさに呆れているのではありません。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ステフちゃんの眼が笑っていないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ジブリール様」

 

「はい、何でございましょう?」

 

 “海棲種のおバカさ加減がより明確になっただけで、大した収穫は無かった”とガッカリしているジブリールに、ステフちゃんは“お願い”をします。

 

「わたくしとライラ様以外に誰も入れない空間を創り、誰も入れないようにしたうえで“中で行われる会話の内容を絶対に誰にも伝えない”、“他者に会話内容を推測させる言動を取らない”、“一切記録に残さない”、“得た情報を絶対に利用しない”と盟約に誓えますか?」

 

 原作を知るステフちゃんは、ジブリールが“断絶空間”と呼ばれる天翼種ですら突破不可能な空間を作成できることを知っています。

 また、吸血種の魔法は、注意を払っていなければ天翼種すら欺くほど偽装に特化した魔法ですが、逆に言えば、注意を払ってさえいれば天翼種を欺くことはできません。

 

 つまりジブリールの協力を得ることができれば、ジブリールとライラ、そしてステフちゃん以外には話を聞かれることはまず無い防音密室を作成することができるということです。

 

「もし、誓えるのでしたら……そこで“弱者の戦い方”を一部、教えて差し上げますわ」

 

 

 ――ゾクリ

 

 

 ステフちゃんの会話の内容を理解できず、疑問符を頭に浮かべていたプラムの背筋が凍ります。

 

 

 

 ――なぜなら、ジブリールの口がまるで裂けるかのように三日月の形を描き、よだれを垂らさんばかりの飢えた獣の眼でステフちゃんを心の底から嬉しそうに見つめていたからです

 

 

 

「お安い御用でございます♪ ええ、蚊の1匹すら通さない、絶対的な密室を用意してご覧に入れましょう」

 

 言うや否や、瞬時にジブリールの超魔力が空間を断ち切り、世界からステフちゃんとライラ、ジブリールを切り離します。

 即座にジブリールが盟約に誓うことを宣言し、ステフちゃんはそれを確認したうえで、ポケットからコインを取り出して親指で弾き、右手の甲に落とします。これでジブリールは吸血種の盗聴を防ぎ、これから交わされる会話内容を誰にも話せなくなりました。

 

「お待たせいたしましたわ、ライラ様。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうステフちゃんが話しかけた直後、まるで今までのおバカなマゾ女であったことが吸血種の認識偽装であったかのように、ライラの背筋がスッと伸び、『女王である』と言われても大いに頷ける高貴な雰囲気へとガラリと変わりました。

 

「大変失礼いたしました。海棲種の王女、ライラと申します。此度は人類種に多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 

 ライラは自らのことを“女王”ではなく“王女”と名乗りました。

 ライラが凍眠する直前には、彼女の母である先代の女王が生きていたためでしょう。

 

「いえ、おそらく海棲種の方々……特に女王代理のアミラ様も、流石に『自分の全てを賭けろ』と言われて本当に賭ける方がいるとは思っていなかったのだと思いますわ」

 

「それでも……です。なりふり構わなくなった吸血種の恐ろしさを今の海棲種は分かっていなかった。それは(ひとえ)に海棲種の至らなさが招いたことです。王女として心よりお詫び申し上げます」

 

 互いに認識している情報をすっ飛ばして行われるステフちゃんとライラの会話に、意味が分からないジブリールはストップをかけます。

 

「ステファニー様、私にも分かるようにご説明いただけますでしょうか?」

 

「ああ、申し訳ございませんわ。ライラ様、少しだけお時間をください。この話し合いの場を調えてくださったジブリール様に背景から説明いたしますので」

 

「承知いたしました」

 

 快く頷いてくれたライラに感謝し、ステフちゃんはジブリールに向き直ります。

 

「ジブリール様。ジブリール様は吸血種と海棲種の関係について、どこまでご存じですか?」

 

「残念ながら、一般に知られているよりは多少詳しく知っている程度でございます。エルキア王城であの蚊(プラム)が話した以上のことは存じておりません」

 

 ジブリールの回答に一つ頷いたステフちゃんは、こう続けました。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 



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プラムェ……中編

「……………………は?」

 

 ジブリールは絶句します。

 

 それも当然でしょう。

 “おバカ”の代名詞である海棲種(セーレーン)が“噂を流して印象操作”なんて高度なことができるはずがありません。

 

 しかし、その認識を崩す質問がステフちゃんから投げかけられます。

 

「ジブリール様、落ち着いて考えてみてください。その話では『十の盟約によって、海棲種は滅亡の危機に瀕するようになった』とされておりますが、それは本当でしょうか?」

 

「当然でございましょう? 男性の魂を全て絞りつくさなければ、海棲種は繁殖できないのでございますから。十の盟約によって十六種族(イクシード)を害することができなくなった以上、海棲種は繁殖を封じられ、滅亡するしかありません」

 

「そこです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。確かジブリール様は大戦当時のことをご存知でしたよね? では海棲種は、まだ十の盟約が存在しなかった大戦時、どうやって繁殖していたのでしょうか?」

 

「それは当然、海棲種の特性である“あらゆるものを惹きつける魅力”で、他種族の男を誘惑し、行為に及んだのでございましょう」

 

「どうやってですの? 彼女たちは海から出られないんですのよ? 他の十六種族はほとんど地上で過ごしているというのに」

 

 ステフちゃんのその疑問に対し、ジブリールはステフちゃんの無知を嘲笑うかのように慇懃無礼に回答します。

 

「ああ、ステファニー様はご存じないのかもしれませんが、短時間でしたら海棲種は海上に出ることも可能なのでございます。獲物が近づいたところで海上に出て魅了したのでございましょう」

 

 ステフちゃんはジブリールのその態度を全く気にせず、ジブリールの回答に対し、ゆっくりと一つ一つの単語を強調するように発言しました。

 

「そうです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……いいですの?」

 

 ステフちゃんは、一つ指を立てて言います。

 

「十の盟約があろうとなかろうと、海棲種と行為に及んだら死んでしまうことに変わりはありませんわ。つまり、海棲種と繁殖したい方は大戦時でもほぼ存在しなかったはずですの」

 

 ステフちゃんは、二つ目の指を立てて言います。

 

「そして海棲種から見れば、十六種族のほとんどが自分達を簡単に殺せる魔法や、強力な身体能力を持っているのですわ」

 

 ステフちゃんは、三つ目の指を立てて言います。

 

「さらに、大戦時は他種族同士での殺し合いが当たり前。“他種族に見つかったら殺される”なんて珍しくもなかったでしょう」

 

 ステフちゃんは、指を立てた腕を降ろして言いました。

 

 

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 ジブリールは凍り付きました。

 

 海棲種は魔法も使えなければ、優れた身体能力も持っていない種族です。

 そんな彼女たちが相手の同意を取らずに無理やり相手を強姦しようとしたならば、魔法や強力な身体能力で殺されてしまうでしょう。他種族同士で殺しあっていた大戦中であれば尚更です。

 

 仮に薬を盛って相手を強姦しようにも、魔法や鋭い嗅覚で薬を見つけられてしまったら即ゲームオーバーです。大戦中であれば、そのような警戒や対策は当たり前のようにしていることでしょう。薬を所持しての接触は、あまりにもリスキーです。

 仮に上手く飲ませることができたとしても、大戦中であればその手の解毒魔法を準備していてもおかしくありませんし、鋭い味覚で海棲種では判別できない微妙な味の差異を見破り、薬を吐き出すかもしれません。

 

 そして、確かに海棲種には強力な魅了能力がありますが、それはあくまでも“自分を魅力的に魅せるだけ”であり、“相手の動きを封じる”わけでもなければ、“相手を洗脳できる”わけでもありません。

 どんなに海棲種のことを魅力的に感じても、同意を取ることができなければ、その圧倒的な身体能力や魔法で跳ねのけられるか、あるいは殺されてしまいます。

 

 つまり、魅了能力で相手を魅了するにしろ、そうでない手段を使うにしろ、基本的に相手の同意を引き出さなければ、彼女たち海棲種は繁殖することができないのです。

 

 人類種(イマニティ)であればまだ何とか強姦できるかもしれませんが、彼らの場合、そもそも出会うことが非常に難しかったでしょう。

 最弱の種族でありながら大戦を生き延びることができたということは、相応の知恵と逃げる技術を持っているはずです。海棲種が蔓延る海に近づくことはまずなかったでしょう。

 

 原作のジブリールが言っていたように海棲種は多産な種族ですが、多産でなければ生き残れないほど、彼女たちの繁殖は生死を賭けた命がけのものだったのです。

 

「――“自分達の種を滅ぼさせない”という使命を胸に、勇気を振り絞って、自分を殺すかもしれない相手に声をかけ、」

 

「――命がけで繁殖に成功した先人たちから受け継いだ知識や知恵・テクニックを使って、自らの魅了能力を最大限発揮し、殺されないよう立ち回って、」

 

「――どんなに嫌いな相手でも、その嫌悪感を使命感で塗りつぶして、精いっぱい機嫌を取り、尽くし、奉仕し、」

 

「――そして“死を伴う性行為への同意”という奇跡を何度も何度も勝ち取って、彼女たちは大戦を生き抜いてきたのですわ。だったら――」

 

 

 

 

 ――だったら十の盟約下(いま)でも、他種族の男性に性行為の()()()()()ことだってできると思いませんか?

 

 

 

 

 ジブリールはようやく気づきました。

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 海棲種は人類種と同じく魔法が使えない種族です。獣人種(ワービースト)のような優れた身体能力も持っていません。持っているものはただ一つ、“自分を魅力的に魅せる能力”だけです。

 ()()()()()()()()()()()()()天翼種(フリューゲル)()神霊種(オールドデウス)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかも、彼女たちは長時間海から出られません。

 つまり、そのほんのわずかな時間の間に他種族を魅了し、繁殖に応じさせることができるだけの魅了能力や頭脳・テクニックを持っている、ということです。

 

 それも常に命の危機を感じ、警戒心が常に最大まで引き上げられ、魅了しにくかった筈の……場合によっては海棲種を警戒し、海には近づこうとしなかったかもしれない男性たちからはぐれ、海に近づいたほんのわずかな例外の男性を彼女たちは確保し、滅亡を回避したのです。

 

 それは、この十の盟約で縛られた世界において、どういうことを意味するでしょうか?

 

 

 ――そう、“簡単に相手の同意を取ることができる”ということを意味するのです

 

 

 大戦当時よりもはるかに平和になったこの時代、死亡率が劇的に下がったおかげで他種族の男性は一気に人数を増やし、警戒心も大幅に下がりました。

 おまけに“十の盟約のおかげで、十六種族を害することができなくなったから、海棲種は繁殖できなくなった。海棲種は安全だ”などと勘違いし、油断しきってくれています。

 繁殖相手に困ることなど、ありえません。

 

「し、しかし、十の盟約があれば、相手を魅了して同意を取ることなんて――」

 

「できますわ。海棲種の魅了特性は、あくまでも体内の精霊の保有量が大きいから発生する磁力のようなもの。つまり、本人の意思に関係なく発動するものですの。十の盟約はあくまでも悪意に反応するものなので、魅了能力はキャンセルしてくれませんわ。それはライラ様を見たジブリール様が一番よく理解されているはず……そして、十の盟約は悪意をもった暴力などはキャンセルしてくれますが、悪意をもって同意を取ることまでは防いでくれない」

 

 ジブリールは、再び絶句します。

 

 ステフちゃんの言う通り、十の盟約で海棲種の魅了能力を封じることはできません。

 

 繰り返しになりますが、海棲種の魅了能力は、故意に利用できるような“魔法”をはじめとする“技術”ではなく、生来備わったタダの身体的特徴です。

 美しい女性が美人局(つつもたせ)を仕掛けたところで、十の盟約は相手の美貌を不細工に変えてくれたりはしないようなものです。

 

 事実、原作において、ジブリールや獣人種の男性を含む主人公の仲間たちが、氷の中で眠るライラを一目見ただけであっさりと魅了されておりました。

 

 つまり海棲種は、ただでさえ強力な魅了能力が全く封じられていないというのに、大戦時、何百年・何千年もの間、命を懸けて蓄積し、磨き上げてきた百戦錬磨の知恵やテクニックでもって、生来の魅了能力の効果を何倍にも引き上げた上で、海上に出て男性に『エッチなことしよ♡』と誘惑したり、あるいは大恋愛を演出したりしてくるわけです。

 十の盟約で平和ボケした今、そんな彼女たちの知恵やテクニック、そして魅了能力に太刀打ちできるでしょうか? おそらく魅了された相手は少しずつ、あるいは気づいたときには無意識に同意してしまい、彼女達に搾り取られてしまっていることでしょう。

 

 ちなみに、十の盟約において必ずしも同意の意思を言葉で示す必要はありませんし、無意識下・潜在意識下であっても同意していれば“了承”の意思を示したことになります。

 原作において天翼種の最初番個体アズリールが主人公に突如キスできたように、受け入れる側が無意識に同意していれば言葉も要らないし、本人の表面意識がどのような状態であっても問答無用でOKになってしまうのです。

 

 『手だけなら……』、『口だけなら……』と流されて気がついたら最後まで致していた、なんてこともあるかもしれませんし、夢のように素敵なムードを作られて、無意識にいつの間にか同意してしまい、“気づいたときには海棲種にのしかかられ、合体していた”……なんてことも起こりうるかもしれません。

 

 そして、一度合体してしまえば最後、男性は逃れることができないでしょう。原作でジブリールが読んだ文献によると、海棲種との繁殖は『天にも昇る快楽』だそうなのですから。

 

「ここまでくれば、聡明なジブリール様であればもうお分かりでしょう。プラム様はエルキア王城で自分達の事情を説明する際、『海棲種は海底に住む種族であり、海から長時間出ることができないから“直射日光を浴びると死ぬ”という病気にかかっても問題ない』とおっしゃっておりましたが――」

 

「そんなわけがございませんね。海上に出なければ、他種族の男を確保できないのでございますから」

 

 ジブリールは鋭い目つきで頷きます。

 

 海棲種は繁殖相手を手に入れるため、必ず海上に出なければなりません。彼女たち以外の十六種族は、そのほとんどが地上で生活しているからです。

 もし吸血種の提案を呑んで、直射日光を浴びて死んでしまうようになってしまえば、雨の日や夜間という非常に人の出歩きにくい時間帯にしか繁殖相手を手に入れることができなくなってしまいます。

 

 かといって、吸血種の提案を蹴ることもできません。

 

 “吸血種の提案を蹴る”ということは、『あなたたちの協力が無くても海棲種の繁殖に問題はありません』と宣言することと同じです。

 せっかく海棲種が噂を流して“十の盟約のおかげで、海棲種は繁殖できなくなったから安全だ”と印象操作していたのに、吸血種の提案を蹴ってしまったら、その計画は完全におじゃんです。“問題なく今まで通り繁殖できる種族である”ことが、吸血種を通して世界中に知られてしまいます。

 

 ここまでの説明を聞いて、ジブリールは首をひねりました。

 

「……はて? 提案を断って“繁殖に困っていないこと”がバレるとマズいのでしたら、素直に提案を受けてしまえばよいだけでは? 提案では“吸血種は繁殖用の他種族を確保する”としているのでございましょう?」

 

「……ジブリール様、もう少しだけ深く考えてみてください。今までは自分達で繁殖用の他種族を確保できていたのに、これからは吸血種に頼らなくてはならなくなるのですわよ? そして、吸血種は『自分達はエサとなる他種族を確保できるぞ!』と言っているのですわ」

 

 まだ分からない様子のジブリールに、ステフちゃんは更に突っ込んで説明します。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 吸血種の要求をそのまま受け入れて、海棲種全員が血を吸われて太陽の下に出られなくなった後、『繁殖用の他種族が欲しいなら種のコマをよこせ』と言われたら、いったいどうしますの?」

 

「――ッ!?」

 

 そう、実はこの“共生”の提案は、吸血種が一方的に得をする罠です。

 

 吸血種は、まず海棲種を騙して吸血を行い、自分達の危機を回避すると同時に自分達が魔法を使うために必要な“魂”を、吸血を通じて確保します。

 そして、存分に自分達の魔法を使って他種族を吸血用の奴隷として確保した後、繁殖用の他種族を引き渡す代わりに種のコマを要求し、海棲種という種族そのものを吸血種の奴隷にするつもりだったのです。

 

 吸血種の認識では、海棲種は十の盟約のせいで滅びに瀕していることになっているので、この策は100%成功するはずでした。

 

「……い、いえ! 吸血種は“海棲種の血液提供”と引き換えに“繁殖用の他種族を差し出すこと”を約束したのでございましょう!? だったら、吸血種は必ず海棲種に他種族を差し出さなければならないはず――!!」

 

()()()。彼らは『()()()()』とは言っておりません。『()()()()』と言ったのです。差し出すかどうかは吸血種の気分次第ですわ」

 

 いつの間にか吸血種の言葉遊びに引っかかってしまっていた自分に、ジブリールはサーッと青ざめつつも、思い浮かんだ疑問を口にします。

 

「で、では……海棲種は何故“繁殖に困っていないこと”がバレるのを覚悟で吸血種の提案を断らなかったのでございましょう? 種のコマに比べれば、“自力で繁殖できる”くらいバレても問題ないのでは?」

 

「ジブリール様……『自力で繁殖できる』と言えば聞こえはいいですが、やっていることは“死を伴う性行為への同意”ですわよ? 言い換えれば、男性限定とはいえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということですわ。“そんなことができる危険な種族である”という事実がバレてしまったら、世界中を敵に回してしまうに決まっているではありませんの」

 

「あ……。い、いえ! そうです、海棲種には女王がいるではございませんか! 『海棲種には他種族を殺さなくても繁殖できる女王がいるから問題ない』と言って提案を断れば――!」

 

 ジブリールがハッと気が付いて言いますが、ステフちゃんは首を横に振ります。

 

「……それは悪手ですわ。吸血種は海棲種を罠にかけたいのですわよ? しかも海棲種の女王は1代に1人しかいませんのよ? もしそんなことを言ってしまえば、『じゃあ、女王がいなければ海棲種は繁殖できずに滅びるんだな』と吸血種の狙いが女王1人に集中してしまうではないですの。それでもし女王を吸血種に奪われてしまったら、今度は『女王を返してほしければ種のコマをよこせ』と脅しにくるか、女王の能力を悪用して吸血用の海棲種を養殖させられてしまいますわよ?」

 

 海棲種にとって“女王”とは、切り札であると同時に最大の弱点です。

 

 海棲種にとって“人を殺さずに繁殖できる”という女王の能力は世界を敵に回さないために必要不可欠の能力です。

 この能力と“十の盟約のおかげで、海棲種は繁殖できなくなったから安全だ”という印象操作を組み合わせることによって、ようやく海棲種は『ああ、女王という特殊個体がいたから、十の盟約ができても海棲種は滅びなかったんだな』と世界から受け入れてもらえるようになるのです。

 

 ですが、逆に言えば、それは“女王さえ押さえてしまえば、海棲種は他種族を殺さなければ繁殖できなくなる”ということ。

 いくら十の盟約があるとはいえ、魔法が使える種族である吸血種、その全員が女王1人を押さえに回ったら、流石に魔法が使えない海棲種では防ぐことは難しいでしょう。

 

 例えば、()()()()()()()()()()

 

 吸血種は認識偽装を得意とする魔法使いです。ジブリールですら注意しなければ見逃す彼らの姿隠しを、魔法を使うことすらできない海棲種が見破れるとは思えません。

 そして先の“滞在拒否”の件で述べた通り、十の盟約は不法侵入を防ぐことはできません。女王の寝床に侵入するなど、彼らにとっては朝飯前でしょう。

 

 そして、もう一つ。

 実は十の盟約は“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 原作でも、畑に埋まった状態で意識を失っている地精種の女の子をジブリールが引っこ抜き、運搬し、水洗いしたうえでベッドへと放り込むシーンがありました。

 そうでなければ、怪我や病気で意識を失った人を医療機関に運ぶことができなくなってしまいますから、当然と言えば当然かもしれませんね。

 

 この十の盟約の穴を利用し、魔法を使って静かに、静かに、眠っている女王を起こさないように運びます。

 もし見張りがいたら、女王の姿を隠したり、“寝床で眠っている女王の幻影”を見せたりして認識を偽装します。

 もしこれらの偽装魔法を使用する際に大量の魂が必要である場合は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、あらかじめ海中に用意していた大きな容器の中へ女王を寝かせたら、今度はその容器を中の女王や海水ごと()()()()()()()()()()()

 “閉じ込めている”わけではありません。“移動させている”だけです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だっただけです。

 

 自力で移動できなければ、当然自力で食料を手に入れることもできないため、女王は“飢え死にするか”、“吸血種から食料をもらう代わりに、『自分の全て』を差し出す必敗のゲームに応じさせられるか”の2択を吸血種に迫られます。

 

 “自分を差し出す”ことを選べば、吸血種の指示通りに“魂を吸いつくさない繁殖”をさせられ、“自力で移動も食料の確保もできない海棲種”を量産させられるでしょう。海棲種の養殖場の出来上がりです。

 あとは天然の海棲種に『女王を返してほしかったら種のコマをよこせ』というだけです。吸血用の養殖海棲種から血を吸いながら、ゆっくりと交渉できます。

 

 “飢え死にする”ことを選んでも問題はありません。海棲種が提案を拒否する原因がなくなったことに違いは無いのですから。

 女王がいなくなったことに対しては『知らぬ存ぜぬ』と言い張りつつ、再度海棲種に同じ提案をするだけです。

 

 このように、吸血種全員が一丸となってしまえば、女王を1人さらうことくらいならできてしまうのです。

 

 もし女王を吸血種に奪われてしまっても、他種族を殺しさえすれば繁殖自体は可能ですが、海棲種は既に吸血種に狙われてしまっています。

 偽装魔法で姿を隠して海棲種を監視し続け、いつかは“海棲種が他種族を殺して繁殖する場面”を目の当たりにするでしょう。

 そうなったら今度は、『“十の盟約下でも他種族を殺せる種族である”と世界中にバラされたくなければ種のコマをよこせ』と脅されてしまいます。

 

「……………………」

 

 ここでジブリールはようやく、吸血種の提案を持ちかけられた時点で、海棲種がどれほどまでに追い詰められているかを理解しました。

 

 吸血種の提案を断れば、世界中を敵に回してしまう。

 吸血種の提案を受ければ、海棲種は未来永劫、吸血種の奴隷となってしまう。

 

 究極の2択です。

 しかし、追い詰められた海棲種は、このどちらも選びませんでした。

 

「吸血種に無自覚に追い詰められた海棲種が、この状況で選べる手段はそう多くありませんわ。わたくしが現在思いつくことができる手段はたった一つ……」

 

 

 ――それはわざとゲームに勝利し、吸血種を支配すること

 

 

 海棲種という種族全員が愚か者を演じ、ゲームの意味を理解していない()()をしてゲームに勝利します。

 そして、海棲種の繁殖を強制させることで吸血種の男性を少しずつ殺し、緩やかに吸血種という種族そのものを滅ぼすのです。

 そうすれば男性の数が徐々に減少し、最終的に子孫を残せなくなった吸血種は滅びざるを得ません。

 

 そして、“海棲種以外からは血を吸わないこと”と誓わせる対象を吸血種の男性に絞ることで、海棲種の血液提供義務を吸血種の男性のみに限定します。

 こうすることで、徐々に吸血種の男性が減少するにつれて、吸血種に血を吸われていない海棲種の数が増えていき、“直射日光に当たっても問題ない、海上に出られる海棲種”を増やしていきます。

 もしかしたら“凍眠”を利用して、数人~数十人くらい“吸血種に血を吸われていない海棲種”を確保し、吸血種から隠していたりするかもしれません。

 

 こうして緩やかに、そして自然に吸血種を滅ぼすことで、再び元通りの生活に戻ることができます。

 

 そして、吸血種を滅ぼし終わった後は、“吸血種に血を吸われていない海棲種”を利用して、十六種族の体毛を集めて回ったり、あるいは交易で海底資源と交換で体毛を入手したりして、女王のみが繁殖を行えば、“海棲種が十の盟約下でも故意に人を殺すことができる能力を持っていること”を誰にも知られないまま、全てが丸く収まります。

 

 原作で明らかになった“海棲種の女王が繁殖するために必要な魂”は、髪の毛数本分。その程度であれば魅了した相手から抵抗なくもらえるでしょうし、魅了しなくとも海底資源と大量に交換できるでしょう。単に種の滅亡を回避するだけならば、吸血種の協力なんて必要ないのです。

 

 『吸血種は全員自決しろ』と言えれば手っ取り早かったのでしょうが、流石にお互いそこまでできる権利を賭けてゲームをするとは思えませんし、もしそのレベルの権利を賭けていたのなら引き分けなんて目指さず、魔法を使ってイカサマをしてでも吸血種がゲームに勝利していたでしょう。

 

「ここで最も重要なのが“愚か者を演じる”ということですわ。ジブリール様、もし愚か者だと思われていない状態で意図的にゲームに勝利すると、どうなると思いますか?」

 

「“なぜ海棲種は自らが滅ぶにもかかわらず、このようなことをするのか?”という疑問から、“吸血種の協力が無くても繁殖できる”、“問題なく繁殖できるので、吸血種全員を意のままに支配できるチャンスである”と吸血種は推測するでございましょうね。……ああ、だから“海棲種は愚か者である”という噂を広め、印象を操作したのでございますか」

 

 ジブリールは感心しつつ頷きます。

 

 もし海棲種が愚かなふりをしていなければ――

 

 吸血種の協力が無くても繁殖できる方法がある

 →海棲種の特性は一つしかない

 →魅了で相手の同意を強制できるのではないか

 

 と、海棲種が最も隠したい事実にたどり着いてしまいます。

 

 しかし“バカだから、自分たちが滅ぶと理解せずにやってしまった”と思わせることができれば、その事実を隠すことができます。

 

 あるいは

 

 吸血種の協力が無くても繁殖できる方法がある

 →女王であれば魂を吸いつくさずとも繁殖できるらしい

 →なら、女王をさらって海棲種を脅すか養殖してしまおう

 

 と、愚かなふりをしていない状態で女王の存在がバレれば、先の“女王誘拐”パターンになってしまいますが、“自分達が滅びると理解できない、自分の命が危ないと理解できないほどの凄まじい愚か者である”と吸血種に認識させることができれば、

 

 ――女王はバカだから、自分が飢え死にすることを理解できていない

 ――海棲種はバカだから、女王がいなくなったら自分達が滅びることを理解できていない

 

 と“脅すことをそのもの”を不可能と思わせることができます。

 

 原作のライラが水と共に鞄で運ばれ、水を溢れさせて死にかけたシーンでも『あら、胸が……苦しい、わ……。あ……これ――恋、なの……ね……?』と、自ら死にかけることをためらわない、覚悟を決めた愚か者の演技をしておりましたね。

 “脅す”という行為は、“相手の安全をおびやかす”行為です。“安全”なんて頭から放り出し、自ら平気で死に急ごうとする超ド級の愚か者を相手に“脅す”という行為は全くの無意味なのです。

 

 それどころか、

 

『へ~、魂を吸いつくさなくても繁殖できる娘なんていたんだ~。凄いね~☆。んじゃ、繁殖しよっか♪』

 

 と、まるで自分達の種の存亡を気にしない愚か者のふりをしてガンガン吸血種の男性と繁殖に励めば、“女王を攫って脅す”どころか、吸血種は自分達の種を護るために、逆に女王を護らざるを得なくなってしまいます。

 ゲームで負けてしまった吸血種は繁殖を断ることができないため、“女王()()と繁殖する”以外に生き延びる方法が無いからです。女王を脅そうとして飢え死にさせてしまったら、自ら滅びの道を歩むことになってしまいます。

 

 “愚かなふりをする”という手段は、使う人が使えばここまで凶悪な効果を発揮するのです。

 

 とはいえ、すぐに“愚か者である”と信じさせることは難しいでしょう。ましてやそれが“種族単位で愚かであり”、“1人も賢い者が生まれてこない”、“自分達の種の滅亡の危機にも、自分の身の危険にも気づかない”なんて極端なものであれば尚更です。

 さらに、長命の種族や不老の種族もいるため、数十年・数百年単位では信じさせることができないかもしれません。

 

 おそらくこの数千年間は全力で世界中に“種族単位の愚か者である”と信じさせることに徹し、そしてライラが眠った約800年前、“準備が整った”と判断した海棲種が一気に勝負を決めにかかったのでしょう。

 

 これは、海棲種が人類種と同様、弱者であるからこその戦略です。

 人類種は大戦当時、一方的に狩られる弱者であったため、とにかく敵から気取られないよう、逃げ隠れすることに徹しました。

 

 その戦略はおそらく海棲種も同じだったでしょう。

 ひたすら海底に潜み、核兵器もかくやという威力の流れ弾から逃げ続けてきたはずです。そして、ほんのわずかなチャンスをつかみ、海に近づいた男性を魅了してすぐに体毛と精(=魂)を確保し、逃げ帰ったことでしょう。

 

 ――自分たちは存在しないものである

 ――仮に気取られようと、相手からは“取るに足らないもの”、“気にする必要のないもの”と思わせる

 

 こうして見事に、自分たち海棲種を除く全ての十六種族から“愚か者(とるにたらないもの)”と見下されることに成功し、未だに自分たちの魅了能力の恐ろしさを隠し続けているのです。

 これほどまでに凄まじい種族単位の“昼行燈(ひるあんどん)”をステフちゃんは他に知りません。

 

 これらは全て原作に記載されていないステフちゃんの推測ですが、おそらく当たっているでしょう。

 なぜなら、原作には、こうした“海棲種は、本当は頭のいい種族であること”を暗示する記述がそこかしこに記載されているからです。

 

 そもそも、海棲種は自分達の種の存亡の危機に気づいていなければ仕掛けられない罠を主人公達に仕掛けていますし、海棲種の一時的な代表として登場したアミラに至っては、人類種語(イマニティご)流暢(りゅうちょう)に操っています。

 日本人が英語をペラペラに話せるようになるまでに、いったいどれほどの教育環境と訓練期間、そして本人のやる気を必要とするでしょうか。

 

 それも当然でしょう。海上に出られるわずかな時間で男性の警戒心をほぐし、油断させて“心の隙”を作りつつ誘惑するために、誘惑対象の言語を話せる能力は非常に大きな武器です。

 誘惑対象の警戒心MAXで、魅了がかかりにくい大戦当時のことを考えれば、皆、必死に習得したことでしょう。

 そう考えれば、むしろ海棲種全員が全種族の言語を話すことができてもおかしくはありません。

 

 その証拠に、今、目の前にいるライラもまた流暢に人類種語を話しておりますし、彼女が眠る原因とされている“真実の愛”を描いた地精種(ドワーフ)語で書かれた本も読んでおります。

 彼女が海棲種語を含めた3種族言語能力者(トリリンガル)であるだけでなく、地精種語に至っては読み書きすらできることを示しています。

 

 また、原作ではライラの夢に主人公たちが入った際、学校のイメージが登場し、“何故こんなおバカな女王が『学校』を知っているのか?”とプラムが疑問に思っていましたが、これもまた海棲種が“学校”――すなわち“教育機関”という概念を知っていることを示唆しています。

 

 こうした背景から考えると、読めない・話せないふりをしているだけで、実際は多くの海棲種が他種族の言語を操れるであろうことが推測できます。

 

 いえ、そもそも頭がよくなければ、人類種とそう大差ない力しか持たない海棲種が大戦を生き残れるはずがありません。

 彼女たちは海底に身を隠すことができ、他種族を魅了する能力を持ちますが、その代わり“女性しかいない”という大きすぎるハンデを背負っています。

 

 これは、“必ず他種族の男性と接触しなければならない”ということを意味します。ちなみに海棲種は十六種族の中の位階序列は第十五位。人類種の1つ上であり、さらにその1つ上は個体によっては物理限界すら超越する身体能力を持つ獣人種です。

 そして、序列六位の天翼種以上は“生物”ではなく“生命”――存在そのものが魔法でできている種族であり、魂の器や濃度の次元が高すぎるため繁殖できません。もし吸血種が天翼種の血を少しでも吸ってしまったら、蒸発してしまうようなものです。

 

 十六種族のうち“序列六位以上”と“自分たち海棲種”を除くと、残りは9種族……つまり、8/9――パーセンテージに直すと約89%の確率で、自分達を容易く屠ることができる種族と繁殖のために接触しなければならないわけです。

 残った1/9の人類種だって武器を持っていたら危ういですし、そもそも彼らは弱者である自覚が強いため、視界が開けて他種族に見つかりやすく、海棲種が出没しやすい海岸には滅多に近寄りません。

 

 だからといって、突出した魅了能力を持つ女王を軽々しく利用するわけにもいきません。

 

 確かに彼女は海棲種の中で唯一、洗脳さえ生ぬるい暴力的な拘束力を持つ魅了能力を発揮できます。

 さすがに凍眠状態ではそこまでの力を発揮できませんが、声やしぐさを用いて十全に魅了能力を引き出せば、彼女との繁殖を断れる者は相当限られてくるでしょう。

 

 ですが、同時に彼女は海棲種の中で唯一、体毛数本で繁殖可能な個体であり、種族の滅亡を回避するために最も重要な個体でもあるのです。

 もし万が一、彼女の魅了から逃れた他種族に女王が殺されてしまったら、あっという間に滅亡の危機です。

 

 彼女は、自分以外の海棲種たちから魅了に成功した他種族の毛を受け取り、それらを元に繁殖するという重要な役割があります。

 女王の魅了能力は、使わないに越したことはないのです。

 

 彼女達から見たら、人類種をうらやましく思ったこともあるでしょう。

 確かに上位種族がドンパチする陸上に住まなければならないデメリットがあるものの、人類種は自分達の種族だけで繁殖することができます。“危険な種族との接触を避け、徹底的に逃げ続ける”という戦略が取れるのですから。

 

 もしかしたら、海棲種が扱う“凍眠”という能力は“どうしても繁殖のしようがない”と追い詰められた時のために、時間を置くための非常手段だったのかもしれません。

 流れ弾で大陸が吹き飛び、海が蒸発する大戦において、ジッと同じ場所に居続けるのは非常に危険ですが、そうせざるを得ないほどに追い詰められた彼女たちが生み出した知恵の結晶なのでしょう。そう考えると、これもまた海棲種の知性を証明するものなのかもしれません。

 

 原作主人公も、こうした海棲種の知性を理解している模様です。

 

 原作では、アミラが吸血種の裏切りまで織り込んで吸血種を出し抜いていることを主人公たちがプラムに突きつけていますし、アミラが人質を取った際、『手を出せばどうなるか分かっているだろう?』と、これからの未来を推測できるだけの知性があることを確信した発言をしています。

 “海棲種はおバカである”と思い込んでいたら、このような発言はできません。

 

 また主人公は、ステフちゃんのおじいさまである王様が『愚王』と呼ばれていることを原作のステフちゃんが悲しんでいることから、その愚かさを疑い、亡き王様の遺志をつきとめています。

 そんな彼らが“海棲種の愚かさ”を疑わないはずもなく、だからこそアミラの知性に気づくことができたのでしょう。

 原作でライラのおバカなM女っぷりに付き合っていたのは、海棲種が愚かなふりをしていることを吸血種たちに気づかせないためなのかもしれません。

 

 海棲種が実は頭のいい種族であることは、こういった原作の描写からチラチラと伺うことができるのです。

 

「なるほど、だから先ほどライラ様は『人類種に迷惑をかけた』と謝罪したのでございますね」

 

「ええ。本来であれば、この問題は海棲種と吸血種の間の問題であり、吸血種を滅亡させることで完結していたはずでしたわ。ところが、吸血種がなりふり構わず他種族……わたくしたち人類種を巻き込んでしまったんですの」

 

 ここでライラが説明に加わります。

 

「もちろん、吸血種が他種族を巻き込むことをある程度は想定しておりました。だからこそ、わたしは“凍眠”する際、あのような無茶苦茶な参加条件とクリア条件を設定したのです」

 

 ジブリールが首を傾げたので、ライラは詳しく掘り下げます。

 

「ジブリール様。ジブリール様は、もし『自分の全てを賭けてゲームに参加しろ。勝った時の報酬は海棲種の女王の愛』と言われたら、どういたしますか?」

 

「深刻な脳障害を憐れみ、せめてもの慈悲に首を()ね――ああ、なるほど……そんなゲーム、応じるはずございませんね」

 

 見たことも会ったこともなく、“海底”という十六種族で海棲種以外にほとんど住む者がいない場所で生活しているため、種族によっては一緒に暮らせるかどうかも分からない女性の愛を手に入れるために『自分の全てを賭けろ』と言われて賭けられる人は『ほぼいない』と言っていいでしょう。

 それが“愚か者”の代名詞として悪い意味で有名になってしまっている女性であれば尚更です。

 

 そこを何とかするために吸血種は『女王のゲームに賭け金は無い』という嘘、そして『海底資源の3割』というエサを用意しました。

 そして、海棲種の女王代理であるアミラに『人類種の全権代理者を罠にハメて、人類種のコマを奪って新たな海棲種の繁殖材料にしないか?』、『このまま吸血種の男性が滅びれば、吸血種だけでなく海棲種も滅びて共倒れだぞ?』と罠を仕掛ける話を持ち掛けたのが、今回の話になります。

 

 実際に彼女に訊いてみないことには分かりませんが、『グルで人類種を罠にハメようぜ』と吸血種に言われたアミラは、おそらくこう思ったことでしょう。

 

 

(種が滅びる瀬戸際まで追い詰められて~、気でも狂ったのかな~☆)

 

 

 仮に吸血種の言う通り、『賭け金は無い』という嘘で騙せたとしましょう。『海底資源の3割』というエサにも喰いついたとしましょう。

 ですが、吸血種から『ゲームをするために海底に来てほしい』――そう言われたなら、きっと言われた人類種のほとんどがこう返すはずです。

 

 

 

 ――『わかった。ゲームをしてやるから海棲種の女王を()()()()()()()()()()()

 ――『凍眠のせいで氷に包まれてる女王を何百kmも運ぶのが大変? 種が滅びに瀕して追い詰められているのはそっちだろう? ヤれ』

 

 

 

 精霊を感知できない人類種にとって、魔法とは完全に未知なものです。

 

 ――そんなものを自在に操る種族が、大量に待ち構えているかもしれない場所に行く? 

 ――しかも、その種族の魔法が無ければ呼吸すらできない場所に?

 

 恐ろしすぎてできる訳がありません。

 

 吸血種は、『自分たち“魔法を使える種族”が人類種にとって如何に恐ろしいものであるか』をまるで理解していなかったのです。

 逆にアミラは、海棲種もまた魔法が使えず、長時間水の無い場所で生存できない種族ですので、彼ら人類種の気持ちは非常に良く分かりました。

 

 吸血種は『人類種の全権代理者は、天翼種をゲームで下して調子に乗っているだろうから引っかかるはず』とでも思っているのかもしれませんが、アミラからしたら『序列六位を下せるくらい頭が良いのなら引っかかるはずないし、別の種族が背後にいたから天翼種に勝てたのだったら、天翼種にすら勝てるその種族に魔法なりなんなり使わせれば、“海底での呼吸”や“長距離移動”なんて、どうとでもなってしまうだろう』と、吸血種の言う計画が絵空事に見えた事でしょう。

 

 そして、先に“女王をさらう”例で述べた通り、十の盟約は“同意なく意識を失った人を運ぶこと”を防いではくれません。

 なので、“やろう”と思えば吸血種はエルキアまで凍眠状態のライラを運ぶことはできてしまうのです。

 

 『大変だからやりたくない』なんて言い訳はできません。もしそんな言い訳をゴネ続けてしまえば、“どうしてそんなに『海底に連れていくこと』にこだわっているのか?”と疑問を抱かせ、“海底に罠があるかもしれない”と警戒されて、ますます海底に連れていくことが困難になってしまいます。

 しかもそれを“自分達の種族が滅びる瀬戸際である”というギリギリの状況でやってしまえば、“不審”なんて言葉では収まらないほど怪しさ満点です。これで騙せるわけがありません。

 

 『海棲種が嫌がっている』という言い訳も使えません。吸血種の言い分を信じれば、海棲種もまた吸血種の男性が尽きてしまえば種が滅んでしまうのですから、『海棲種の滅びも救うことになるのだから吸血種(おまえたち)が彼女らを説得しろ』と言われてしまいます。

 

 ――『海水が無ければ女王は生きられない』と言えば、『じゃあ、海水も一緒に運べ』と言われ……

 ――『“海そのもの”の中でなければ女王は生きられない』と嘘をつけば、『じゃあ、(海底に行くのは怖いから)断る』と言われ……

 

 アミラからしたら、吸血種がどのように話を運ぼうとも、人類種は“地上でゲームをする”か“ゲームを断る”のどちらかを選ぶイメージしか思い浮かばなかったのです。

 アミラから見れば、別に吸血種や海棲種が滅びようとも人類種は何も困らないのですから、この考えに至るのは自然と言えました。

 

 そして当然、ライラをエルキアに運んでしまえば、呼吸の心配も長距離移動の心配もない人類種に対して正直に“女王のゲーム”の本来の賭け金を説明せざるを得ません。『賭け金は無い』と嘘をついたのに、です。

 おまけに、氷の中で眠るライラを目にしたところで、人類種がライラに魅了されることはありません。原作で“()()()()()()、全てを惹きつける魅了”と書かれていたように、海棲種の魅了能力は“海”限定の能力だからです。

 

 こんな状況で『自分の全てを賭けろ』と言われて賭けられる人類種がいるとは、アミラにはとても思えなかったことでしょう。

 

 だからこそアミラは“できるものならやってみればいい”くらいの気持ちで吸血種の提案に乗ったのでしょう。

 愚か者の演技をしているのですから、“吸血種の策を理解できずに『うんうん、いいよ~☆』ととりあえず頷いているふり”をしていた方が自然なので、提案に乗った方が都合が良かったという理由もあるかもしれません。

 

 “海棲種と吸血種がグルになって罠をしかけている”と吸血種は思っていたのかもしれませんが、実際には吸血種の独り相撲だったわけです。

 ステフちゃんがライラに『アミラも流石に“自分の全てを賭けろ”と言われて本当に賭ける人がいるとは思っていなかったのだと思う』と言っていたのは、こういう訳です。

 

 なお、ステフちゃんがこの方法ではなく“確実に自分を五体満足で返すようプラムを盟約で縛ったうえで海底に行くこと”を選んだのは、例の“業務妨害なんてレベルではない、とある行動”を思いつかれて実行されることを恐れて、“思いつかれる前にサッサと解決してしまおう”と考えたからです。

 逆にアミラは、何千年もの長期間をかけて吸血種を滅ぼす計画を実行している立場であり、さらに今の今まで……自分達の種が滅びるギリギリになっても吸血種がその“とある行動”を思いつけないでいる様子を間近で見続けているため、いまさら吸血種が思いつけるとは思えなかったのでしょう。

 

 持っている知識や周囲の環境がアミラとステフちゃんでは違うため、それぞれが全く別の結論を出したわけですね。

 

 それと、もう一つ。“アミラが『自分の全てを賭けろ』と言われて本当に賭ける人がいるとは思っていなかっただろう”とステフちゃんが推測していた理由は、『自分の全てを賭ける』というゲーム参加条件が、凍眠状態のライラに魅了されても正気に戻って拒否せざるを得ないほど無茶苦茶なものだったからです。

 それは、一度ライラに魅了された原作のステフちゃんですら、『全てを賭けろ』と言われた途端、『何言ってるんですの!?』と激しくツッコんだことからも分かります。

 

 ライラの魅了は洗脳以上の効果を持つ極めて凶悪なものですが、凍眠して動くこともできなければ声も出せない状態では、いかに彼女といえども“自分の全てを賭けること”を強制させられるほどの魅了能力は発揮できません。

 このことを利用し、仮に他種族が凍眠状態の自分の魅了に引っかかったとしても、きちんとゲーム参加を拒否できるよう事前に配慮していたからこそ、ライラは“自分の全てを賭ける”という無茶苦茶な参加条件を設定していたというわけです。

 

「はい。加えて、わたしは“真実の愛”という言葉をミスリードにし、本当のクリア条件を“わたしに惚れず危害を加える、または罵倒すること”といたしました。これはクリアを困難にすることで、わたしの眠りを解かさせず、吸血種を滅ぼすことが主目的ではありますが――」

 

「――同時に、他種族にクリア困難であることを見せつけ、他種族の干渉を減らすことも目的だった、ということでございますね」

 

 海棲種の女王であるライラの魅了は、命を持つ魔法そのものである天翼種のジブリールにすら油断すれば通ってしまうほど強力なものです。

 まず、“ライラに惚れずに”という条件をクリアすることが非常に困難になります。

 

 また、“ライラを罵倒する”であれば、まだ可能性がありますが、“ライラに危害を加える”こともまた非常に困難です。

 これはライラが十の盟約を逆手に取った“常識の盲点”をついた条件だからです。

 

 

 ――十の盟約その4:その3に反しない限り、ゲーム内容、賭けるものは一切を問わない

 

 

 実はこの盟約、半分嘘になります。

 もしこの盟約がそのまま通ってしまったら、“殺し合いをして、殺されたほうが負け”、“戦争をして、王都を滅ぼされたほうが負け”といったゲームが成り立ってしまいます。

 

 そのため、この世界では直接的暴力そのもののゲーム――例えば格闘技で殴り合って優劣を競ったり、国同士で戦争したりは基本的にできないようになっています。

 原作でも地精種(ドワーフ)は伝統的に殴り合いのケンカで物事を決めてきましたが、十の盟約以降はそれができなくなってしまっていました。

 

 このような常識があるため、ライラがステフちゃんに言った『わたしに惚れず蹴飛ばせばクリア』という条件を通常は思いつくことができないのです。

 仮に思いつくことができたとしても、この常識が邪魔をして“そんなはずはない。十の盟約でできないようになっているのだから”と候補から外してしまう人も多いでしょう。

 

 ところが、実際にはこの程度であれば可能です。

 

 十の盟約その4は非常にグレーゾーンの多い盟約であり、“どこからどこまでがゲーム内容として設定可能なのか”は実際に試してみないと分からない部分が数多くあります。

 

 例えばジブリールの“具象化しりとり”はあくまでも仮想世界の出来事であり、実際の暴力ではありません。大怪我をしても、死んでも、ゲームが終われば元通り。この条件であればOKです。

 直接的な暴力であっても、プレイヤー本人に危害が加わらないのならOKです。先ほどの地精種の例で言えば、殴り合いのケンカはダメでもロボットを操縦して戦わせるのはOKになります。

 

 また、十の盟約は精神的な危害に対しては非常に緩いので大体がOKです。

 存在そのものをパーツに分けて奪い合い、記憶や人格を奪って相手を廃人に追い込むことだってできますし、精神的危害に対する条件が緩いことを逆手にとって“『大戦』のシミュレーションゲームで首都陥落したら自殺”といったように、特定の条件を満たしたら自傷・自殺させるよう精神を操作するルールを組み込むこともできます。

 

 今回の場合は“危害を加えられる本人の同意があり”、かつ“直接的暴力そのものをゲーム内容としていないから”OKという判定です。

 直接的暴力である“蹴り”はあくまでもクリア条件であり、ゲームそのものは“ライラが本当に求めているものは何か”を彼女が読んでいた本の内容から推察する“推理ゲーム”という扱いなので、盟約をクリアできた形です。

 

 “オラクル・カード”という森精種(エルフ)のゲームがあります。

 

 これは“直接的暴力そのもの”を十の盟約ギリギリまでゲーム内容に反映させたゲームで、カードで作った役で勝利した方の魔法攻撃が相手に炸裂し、カードの役で負けた側はそれを自身の魔法で防御する、という内容です。

 

 原作でこのゲームをプレイしていた森精種のプレイヤーが、『失敗しても大丈夫ですよ。ちょっぴり痛くて――うっかり死んじゃうだけです』と脅されて否定していなかったことからも分かりますが……このゲーム、防御に失敗した術者は普通に怪我をしますし、場合によっては死に至ります。

 

 おそらくは、“十の盟約において直接的暴力をどこまでゲーム内容に反映させられるか”を検証する過程で作成されたゲームなのでしょう。

 このように、ある程度ゲームっぽい体裁を整え、そして互いの同意が取れていれば、直接的暴力であっても問題なくゲームに反映させることができるのです。

 ライラのゲームの“惚れずに蹴飛ばす”なんて、余裕で問題ありません。

 

 このようなゲームを作った森精種がもしライラのゲームに参加していたら、もしかしたらゲームのクリア条件を見破っていたかもしれませんね。

 

「? では、ステファニー様はどうしてそのような何のメリットも無い条件を呑んで、彼女のゲームを受けたのでございますか?」

 

「“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ですわ。ジブリール様。十の盟約で暴力が封じられたこの世界で、最も強力な“力”とは何かお分かりになりますの?」

 

 ジブリールの頭脳が目まぐるしく回転し、ステフちゃんの言葉を分析します。

 

(『脅す前』……『力』……)

 

 ふと、思い浮かんだキーワード。

 それを並べることで、ジブリールは答えを導きだしました。

 

「“脅す力”……で、ございますか」

 

 ステフちゃんとライラは揃って頷き、交互に答えます。

 

「正確には“相手の弱みを握る力”ですわね。これがあれば必敗のゲームに応じさせることもできますし、そもそもゲームをする必要すらありません。無理やり同意させればよいのですから」

 

「騙すことでも同意を引き出すことはできますが、どうしても限界があります。相手の財産をむしり取るくらいは何とかなるでしょうが、相手の全てを奪うことは難しいでしょう。種族や国そのものとなれば、ほぼ不可能に近い」

 

「ですが、相手の弱みを握れば話は別ですわ。極端な話、相手の子供の全権利を奪って人質にすれば、その親の全てを手に入れることも可能ですの。わたくしが東部連合相手に終始有利な条件で外交や取引ができるのも、“資源不足”という東部連合の弱みを握っているおかげですわ」

 

 この世界はゲームで全てが決まる世界ではありますが、あらゆる取引や交渉をゲームでする必要はありません。

 そんな条件をこの世界の法則に加えてしまったら、とんでもなく面倒で時間のかかる生活になってしまいます。

 

 だからこそ“互いの同意があればOK”という条件が入っているわけですが、このせいで相手を騙そうが、脅そうが、とにかく同意を引き出せばOKという抜け道が発生し……結果、弱みを握って脅しさえすれば、面倒なゲームをする必要もなく全てを手に入れることができるようになってしまったのです。

 

 原作主人公の兄が『盟約で戦争がなくなったのに、何で国盗りするのか?』と訊いた際、主人公の妹が『資源は有限、生物は繁栄すれば無限、有限を無限で割れば共倒れ』と答えたように、戦争が封じられたこの世界では資源が非常に重要です。

 

 そして、原作において、エルキアが東部連合に土地を奪われ、その後エルキア連邦として併合された状態においてすら『連邦になったせいで、本来東部連合に法外な値段で売れるはずだったのに、妥当価格で売らざるを得なくなった』と言われるほどに、東部連合にとって大陸資源は必須なものであり、非常に価値があるものなのです。

 

 ステフちゃんのお爺様である王様が、国土を賭けて負けてしまった原作ですらそのような状況なのですから、今の土地を奪われていないエルキアでは“法外な値段で売れる”どころの話ではありません。

 価格決定権をほぼ完全にエルキアに握られた状態になってしまっているだけでなく、資源提供と引き換えに様々な要求を飲まされてしまっているのです。

 

 このため、この世界のエルキアは非常に経済的に豊かで、資源の輸出を盾に東部連合から技術や知識を少しずつもらっているため、加速度的に発展しています。

 ステフちゃんが“賢王”と呼ばれる所以(ゆえん)の一つは、“平民も貴族も含めて、国民すべてが豊かになっていっていること”なのです。

 

 いざとなればエルキアからの資源の輸出を停止することで、ある程度は政治的に言うことを聞かせることもできるでしょう。

 こうなってしまえば、“ゲームがどうこう”なんて話ではありません。東部連合がゲームを持ち掛けてきても、ステフちゃんが一言『資源の輸出を止めるぞ』と言えば取り下げざるを得ないからです。

 

「ジブリール様。突然ですが、ジブリール様は吸血種が魔法で存在を偽装したら、彼女たちに気づくことはできますの?」

 

 ステフちゃんの急な話題転換に戸惑いつつも、“説明に必要なことなのだろう”と判断したジブリールは質問に答えます。

 

「……癪に障りますが、注意していなければ見落とします。日常生活で気づくのは難しいかと」

 

「ならば、お分かりですわよね」

 

「……ッ――!?」

 

 ようやく、ジブリールは気づきました。

 その答えをライラが言います。

 

 

 

「この世界で、一二を争う“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”……それが、吸血種なのです」

 

 

 

 吸血種の認識偽装魔法は非常に高レベルで、ジブリールですら注意しなければ気づくことができず、最大限に能力を発揮できるようになれば、“生物”の範疇では最も魔法に適性があり、魔法の複数同時起動だってできる森精種ですら、実は魔法を使っていないのに“自分は魔法を使った”と誤認識させられ、倒されてしまうほどの力を持っています。

 

 そして、十の盟約は不法侵入も盗聴も防いではくれません。

 先に述べたように、滞在拒否を告げれば立ち退かせることは可能ですが、そもそも侵入されたことに気づけなければ立ち退き要求などできるはずもありません。

 

 もし彼女たちを野放しにしてしまえば、あっという間に各国は“国家機密”という名の弱みを握られ、彼女たちに支配されてしまうでしょう。

 獣人種自慢の必勝のゲームだって、こっそり開発者や責任者が資料を読むところ、プレイヤーが実際にプレイしている場面を覗き込んでしまえば、内容は丸裸です。

 

 “吸血させてもらう”なんて要求、簡単に呑ませることができます。“国の存亡に関わる機密情報”と“数人の犠牲”であれば、“数人の犠牲”を選ぶ可能性の方がずっと高いからです。

 “国や種族を護るためなら……”と妥協し、吸血用の奴隷を提供してしまう様子が目に浮かびます。

 

 いえ、そもそも資料などを覗き込む必要すらありません。先の森精種の例で“魔法を使った”と誤認識させられたことからも分かるように、十の盟約は魔法による他者への認識干渉を防いでくれないのです。

 

 ということは、相手の認識を操作して関係者になりすませば、機密情報は引き出し放題。仮になりすましがバレても、“本当に相手は関係者か?”と疑心暗鬼に陥って、互いを信頼することができなくなった国は崩壊せざるを得ません。

 秩序を失った国など、かたっぱしから脅しをかけていけば簡単に各個撃破し、奪いつくすことが可能です。

 

 もうお分かりでしょう。

 “共生”という提案を海棲種に持ち掛けず、ただ弱みを握って脅す方向に動いてさえいれば、彼女たち吸血種は、この世界で最も強力な“力”を手にしつつ、かつ直接的な命の危険から解放されるという、十の盟約の恩恵を最大限に享受した種族になれていたはずだったのです。

 

 ライラ達は、繁殖の件だけでなく、この事にも気づいていたからこそ、提案を持ち掛けた吸血種を封じ、滅ぼしにかかりました。

 そして、ライラ達の企みによって滅ぼされる直前まで追い詰められたことで、吸血種はようやく他種族へ干渉することに思い至ったのです。

 

 ステフちゃんが恐れていた“業務妨害なんてレベルではない、とある行動”とは、吸血種によるスパイ活動を指していたのです。

 

「だからこそ、ここで吸血種に対して“弱みを握る”必要があるのですわ。先に吸血種に弱みを握られてしまったら、詰むのは人類種の方なのですから」

 

「そこでステファニー様は、吸血種に対する切り札としてライラ(わたし)に目を付けた、というわけです。わたしを押さえてしまえば、たとえステファニー様の弱みを握ったとしても、吸血種たちはステファニー様を脅すことができなくなります。……わたしを吸血種から取り上げてしまうだけで、彼女たちは滅びてしまうのですから」

 

 ジブリールは戦慄しました。

 ステフちゃんとライラの間で行われた、あのほんのわずかな二言三言(ふたことみこと)の会話の中に、これほど多くの情報と戦略が入っているとは思いもしなかったからです。

 

 ジブリールもまた、天翼種の中では非常に思慮深く、その知性によって、大戦中、本来天翼種単体では討伐不可能な筈の上位種族をジブリール1人で討伐するという快挙を成し遂げている知恵者です。

 その彼女ですら戦慄するほどの情報量がやり取りされていたことを知り、ジブリールは確信を深めました。

 

 

 ――彼女の創造主である戦神アルトシュを倒した者は人類種、()()()()()()()()()()

 

 

 ジブリールの推測、その候補に海棲種も加わりました。

 ライラの知性もまた、ジブリールには及びもつかないものであり、アルトシュを討つ可能性を感じたからです。

 

 その証拠に、今まさに“神殺し”とまではいかずとも、本来であれば到底勝てないはずの上位種族である吸血種を、魔法すら使えない下位種族である海棲種が滅ぼそうとしています。

 あまりの興奮に、ジブリールの表情がヤバいことになっていました。

 

「……とはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……はい?」

 

 ステフちゃんが苦笑いしながらそう言うと、ジブリールは何を言われているのか分からずポカンとします。

 

「これほど頭の良い方が、本当に自分の全てを賭けてゲームをするはずがありませんわ。おそらく、わたくしと同じように別の誰かに自分の全てを預けていらっしゃるはずです」

 

「その通りです。現在、誰が持っているのかまでは分かりませんが、少なくとも代々わたしの全てを預かり、継承している者がいるはずです。もちろん、対外的にはステファニー様に従うふりはいたしますが」

 

「……で、では、海棲種の種のコマも……?」

 

 ジブリールがそう疑問を呈すと、ライラはあっさりと頷きます。

 

「はい。そもそもあれは、吸血種が海棲種のトップを分かりやすくするために、全権代理者と繁殖能力の高い特殊個体を一つにまとめるよう要求したものなので、わたしたち海棲種にとっては、何のメリットも無い提案なのです。要求に従ったふりをして、わたしたち代々の女王が全権代理者として振る舞っておりますが、本当の全権代理者は別に存在いたします。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ですから、もし本当にわたしの全てを手に入れたとしても、海棲種のコマは絶対に手に入りません」

 

「だから、ライラ様はこのような話し合いの場を設けたのですわ。わたくしと口裏を合わせて“わたくしがどのようなお願いをライラ様にしたいか”、“ライラ様はどの程度まで受け入れられるのか”をあらかじめ決めておかなければ、わたくしに従う義務を持つはずのライラ様が無理なお願いをされて上手く動けず、不審な動きをしかねませんの。もしそこを吸血種に怪しまれ、本当はライラ様が盟約に縛られていないことに気づかれたら、そこから海棲種の聡明さに気づかれてしまうかもしれませんもの」

 

 ステフちゃんがそう言うと、なんとライラは首を()()振りました。

 

「いえ、そのようにご認識なさるのはごもっともなのですが、わたしからお話ししたいことは全く別です」

 

「え?」

 

 思わず目を丸くするステフちゃんに、ライラは言います。

 

「わたしが水精を使って確認したところ、あの場にいた吸血種で男性は1人。わたしがゲームのクリア条件を説明した少年だけでしたが、他に吸血種の男性はおりますでしょうか?」

 

 その言葉にギョッとしたのはジブリールです。

 

「お、お待ちください! 海棲種は魔法を使えないはずでは!?」

 

「魔法ではありません。“海”という場所限定ではありますが、体内の水の精霊が一定以上多い海棲種は、周囲の精霊に命じて水を思い通りに操ることができるのです。少なくともわたしくらいの量があれば、水を通して水中にいる吸血種の体表面の形を把握し、性別を見分けることはそう難しくありません」

 

 原作でも“海にあってライラは絶対であり、彼女の有する『水精』の量を前にしては、水中の万物が彼女に跪く”、“森精種だろうと術式に使われる精霊はライラに味方する”と説明されておりました。

 この能力も海棲種が隠しているため、一般にはあまり知られていない特性で、海棲種が大戦を生き残ることができた理由の一つです。

 この能力があるからこそ、海棲種は水を操ることで水中を高速で逃げ回ったり、強敵が油断した隙に返り討ちにしたりして、ピンチを切り抜けてきたのです。

 

 残念ながら“海を離れてしまうと使えなくなってしまう”という弱点がありますが、そもそも海棲種の能力は魅了も含めて、全て“海”限定の能力です。

 原作の表記も“()()()()()()、全てを惹きつける魅了”、“()()()()()ライラは絶対”と書かれていました。彼女たち海棲種は、良くも悪くも“海に愛された種”なのです。

 

 だから、原作で水の入った鞄の中にいたライラが、鞄から飛び出した際に水が溢れてしまった時、“水を操作して自分を包む”といったことができずに死にかけたし、そのライラを見ても誰も魅了されなかったわけですね。

 

 ステフちゃんは、ライラの問いに首を縦に振ります。

 

「少なくともわたくしは、あの少年……プラムさんから『吸血種の男性は1人しか残っていない』と、そのようにお聞きしておりますわ」

 

「では、ステファニー様。ステファニー様は彼の油断を誘い、同意を取らせることはできますか?」

 

「……内容によりますわね。いざという時、ライラ様のゲームをいつでも強制的に中断できるようプラムさんを盟約で縛っておりますので、それを使えばある程度はどうにかなると思いますわ」

 

 ステフちゃんがライラのゲームに参加するとき、一つだけ心配していたことがありました。

 

 

 ――それは、本当にライラがおバカであること

 

 

 原作で描写されていたライラの心中は、まさに本物のおバカの思考であり、非常に傲慢なものでした。

 おそらく愚か者の演技がバレないよう、盟約で自らを愚か者であるよう洗脳してしまったのでしょうが、緊急時に……『海棲種が吸血種にゲームで勝利した本当の理由』という海棲種にとって致命的なキーワードを聞いた瞬間に、その洗脳が解けるかどうかは賭けでした。

 

 そこで、いざとなったらゲームを中断してバックレるため、プラムを盟約で縛り、ステフちゃんが望んだ時にエルキアへ帰れるようにしておいたのです。

 

 十の盟約は“ゲームは必ずどちらかの勝利で終わらせなければいけない”とは言っていません。

 ゲームを中断してうやむやにできることは、原作主人公たちがまさにこのライラのゲームで証明しております。

 

 プラムは“ステファニーが帰還の意思を示した場合、()()()()()()()()()()()速やかに全力でエルキア王城まで安全にステファニーを帰す”と盟約に誓っています。

 なので、ステフちゃんが『帰る』と言えば、ゲームを中断させてでもステフちゃんをエルキアに帰さざるを得ないのです。

 

 まあ原作の描写を見る限り、ライラの洗脳が解けなくとも、おバカな様子を理由にわざと冷たい会話をしたり、ライラの発言を無視してからゲームを中断して帰れば、“ライラに惚れない”、“手に入らない愛”という条件をクリアできるので、洗脳状態のライラからクリア条件を聞くことができなくとも問題なくゲームクリアできたとは思いますが、念のためです。

 

 まさか最初も最初、王城でのプラムとのやり取りで“ゲームの中断”を想定していたなど想像もつかず、ステフちゃんがそこまで先のことを考えていたことに、傍で聞いていたジブリールが絶句します。

 

 ステフちゃんの答えを聞いたライラは、真剣な表情でステフちゃんに提案しました。

 

 

 

 

「ステファニー様…………海棲種(わたしたち)と同盟を組んでは頂けないでしょうか」

 

 

 

 

 



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プラムェ……後編

 ――深夜。エルキア王城

 

 

「あ、あれぇ!? な、なんでボク、帰れないんですかぁ!?」

 

 ライラとの秘密会談が終わり、ステフちゃんの帰還要求に従って、プラムがエルキア王城までステフちゃんを送った後のこと。海棲種の国(オーシェンド)に戻ろうとしたプラムが行動をキャンセルされて動揺しています。

 そんな彼の様子を、ステフちゃんが呆れた様子で見ながら、プラムの疑問に対して回答します。

 

「それは、そうですわよ。『プラムは常にステファニー・ドーラの声を聞ける状態を維持しつつ、ステファニーが帰還の意思を示した場合、いかなる状況であろうと速やかに全力でエルキア王城まで安全にステファニーを帰す』……“常にわたくしの声が聴ける状態”をプラムさんは維持しなくてはなりませんもの……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ス、ステファニー様……ま、まさかとは思うんですけどぉ……?」

 

 ステフちゃんはニッコリとプラムに微笑みます。

 

「これからも、わたくしの送り迎え、よろしくお願いいたしますわ♡」

 

「ええええぇええええええぇえええッ!!?」

 

 プラムはビックリ仰天。ステフちゃんに抗議します。

 

「酷いですよぉ、ステファニー様ぁッ! ボクがいったい、何をしたっていうんですかぁッ!」

 

 そんなプラムの慌てる様子を見て、クスクスと笑ったステフちゃんがスカートのポケットからコインを、そして玉座の隣に用意した台からプラムが書いた契約書を手に取りつつ謝ります。

 

「ごめんなさい、冗談ですわ。それでは、今から私の言うことに盟約に誓って同意してくださいな」

 

 盟約に誓った内容は、誓わせた本人であれば、再度盟約に誓わせることで解除できます。

 原作でも主人公の兄である“空”に『ステフが“空”になる』と誓わされて、“空”になったつもりで調子に乗ったステフちゃんが、『今すぐステフが元に戻る』と誓わされることによって元に戻っていましたね。

 

「一つ、プラム様が盟約に誓った、この契約書に書かれた内容を破棄すること。……()()、」

 

「へ?」

 

 ……とあっけにとられた様子を見せつつ、プラムは内心で警戒します。

 契約書に書かれた内容を破棄するだけなら、一つ目の内容で充分な筈です。ならば、二つ目以降はそれとは別件。契約を解く代償に、新たに別の契約を持ち掛けるつもりです。

 

(…………?)

 

 しかし、それにしてはステフちゃんの表情も雰囲気も柔らかく、とてもこれからプラムを罠にかけようとしているようには見えません。

 演技をしている可能性もありますが、とりあえずは最後までステフちゃんの話す内容を聞いてから判断しようとプラムは考えます。

 

「――プラム様が、わたくしの友達になること」

 

(…………???)

 

 プラムは内心で混乱します。

 

 “友達”と自分に認識させることで吸血種(ダンピール)の協力者を増やすつもりでしょうか? いえ、それは無いでしょう。

 “友達”と一口に言っても、その関係は千差万別。“ただの知り合い”レベルでも『友達』という人もいれば、“親友”と認識していても目的のために平気でその人を殺せる人もいます。盟約による拘束力など全くありません。

 

「三つ、…………………………………………」

 

 そして、ステフちゃんが三つ目を口にするとき、なぜか寂しそうに眉をひそめて黙り込みました。プラムもまた、黙ってステフちゃんの回答を待ちます。

 ややあって、ステフちゃんが再び口を開きます。

 

「……あと、5分だけでいいので、わたくしとお話しませんか?」

 

(……これぇ、もしかして本当にボク、気に入られちゃいましたかねぇ……?)

 

 プラムには、自分が気に入られるような振る舞いをした記憶はありません。

 ですが、“もしかして気に入られたかな?”とプラムが思った記憶はありました。

 

 ステフちゃんは“行き”、そしてどういう理由か、一度エルキア王城に戻って宰相から“ステフちゃんの全て”を受け取って帰ってきた“往復”は、ジブリールの空間転移を使って移動していました。

 ところが、なぜか全てが終わった“帰り”だけは『ぜひプラム様に送っていただきたい』とプラムに帰してもらうことをねだったのです。

 

 盟約で『ステファニーを返す』と誓っている以上、そのおねだりに逆らうことはできず、“『空間転移』なんて便利なものがあるのに何でわざわざ……”とうんざりしつつ疑問に思っていたのですが、“仕事が終わってゆっくりできるようになったから、できる限りプラムと長くいたかったのだ”と考えれば納得はいきます。

 『これからも自分の送り迎えを頼みたい』という先のステフちゃんの発言も、実は本音なのかもしれません。

 

(……これは、逆に使えるかもしれませぇん。もし本当に気に入られているのなら……人類種(イマニティ)の王に近づく理由として、これ以上のものはありませぇん♪ ぜひお近づきになって、今度こそ罠にハメて人類種のコマをいただくとしましょうかぁ。吸血種を海棲種(あのバカども)から解放するためですぅ、悪く思わないでくださいねぇ?)

 

 プラムは無邪気な笑顔で同意します。

 

「その程度のことでしたら、お安い御用ですぅ! 意外とステファニー様は寂しがりやさんなんですねぇ!」

 

 ステフちゃんは嬉しそうに微笑むと、コインを目の前に掲げて言います。

 

「それでは、盟約に誓ってくださいな。このコインを弾いて、表が出ても、裏が出ても、それ以外の結果でも全てプラム様の負け。プラム様は負けたら、先ほどわたくしが言った内容すべてを遵守する、と」

 

「はいぃ! 【盟約に誓って(アッシェンテ)】ぇ!」

 

 プラムの誓いの言葉が広間に響いた瞬間、キィン――と涼やかな音を立ててコインが舞います。

 ……やがてコインはステフちゃんの右手の甲に落ち、ステフちゃんは静かにコインをスカートのポケットへと仕舞いました。

 

「……ありがとうございます、プラム様」

 

「いいえぇ♪ ……それで、何を話すんですぅ? あと5分だけですよぉ?」

 

 ステフちゃんはニッコリ笑って言いました。

 

 

 

 

 

 

「――()()()2()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 ――ドサリ、と音を立ててプラムが崩れ落ちました。

 

 

 

 ジブリールの口がパクパクと音もなく開閉します。

 何が起こっているのか、彼女には全くわかりません。

 

 倒れたプラムの様子をジッと見て、完全に彼が眠ったことを確認すると、ステフちゃんは言いました。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 すると、ステフちゃんの玉座の前――プラムよりも後方に、まるで霧が晴れていくかのようにスゥー……と20前後の影が現れます。

 影の一つが言いました。

 

「こちらこそありがとうございます、ステファニー様。おかげで吸血種を滅ぼす必要は無くなりましたし、優秀なスパイを()()できるようになりました。これで海棲種(セーレーン)も、しばらくは安泰です」

 

 存在の偽装を解かれ、何もないように見えた空間から現れたのは、ライラをはじめとする海棲種たちと……()()()()()()()()()()()()()()()

 ライラ達は、それぞれが自分の身体を包めるほど大きい透明な器の中にいました。中には海水が詰まっており、全員が水面から頭を出しています。彼女たちの傍の吸血種が疲れている様子から、おそらくこの吸血種たちが一生懸命彼女たち海棲種をここまで運んできたのでしょう。

 

「ほんのわずかな時間で“死を伴う性行為”にすら同意させる海棲種の魅了能力……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 海棲種に付き従う吸血種たちを見ながらしみじみと(こぼ)すステフちゃんに対し、ライラはその豊かな髪を両手で包み込むように弄りながら、にこやかに答えます。

 

「はい♪ とはいえ、さすがに女王クラスの魅了能力でなければ、“自分の全てを差し出す”なんて同意は取れませんよ? 一般的な海棲種の魅了は、基本的に繁殖特化ですから。それに、女王でなければ海中の精霊を支配下に置けませんので偽装対策もできませんし」

 

 さも当然のように交わされるえげつない言葉のやりとりに、ジブリールは戦慄を覚えつつも説明を求めます。

 

「ス、ステファニー様……? 今、いったい何が起こっているので……?」

 

「……また、オーシェンドの時と同じことを盟約に誓っていただけますの?」

 

 何が何でも事情を知りたいジブリールはブンブンと首を縦に振ります。

 ジブリールが盟約に誓い、断絶空間を創ったことを確認すると、ステフちゃんは再びスカートのポケットからコインを取り出して親指で弾き、右手の甲に落としました。

 

 しかし、ステフちゃんは直ぐにはジブリールの問いに答えず、とある質問をします。

 

「ジブリール様。計画とは失敗した時を想定して、2重3重に用意しておくものですわ。では、もし何らかの理由で吸血種を滅ぼせなくなったら、海棲種はどうしたらいいですの?」

 

 その質問であれば、答えは簡単です。

 なにしろ、目の前の状況こそがその答えなのですから。

 

「吸血種を滅ぼせずとも、支配してしまえば問題ございませんね」

 

「そうです。では、どのように吸血種を支配すればいいですの?」

 

 ジブリールの眉がグッと中央に寄り、その頭脳が高速回転します。

 

(……このお2人の考える策ですから、おそらく普通に考えては答えに辿り着くことは難しいでしょう。であれば、先ほどのお2人の会話をヒントとするべきでございましょうね)

 

 

 ――『とはいえ、さすがに女王クラスの魅了能力でなければ、“自分の全てを差し出す”なんて同意は取れませんよ?』

 

 

(……女王から吸血種に『自分の全てを差し出せ』と言う? そんなことをしてしまえば、いたずらに吸血種を警戒させてしまうだけ。愚か者のふりをしている意味も無くなってしまうはず……いえ、そうではございませんね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えるべきでございましょう……はて? それは、いったいどんな奇妙なシチュエーションで?)

 

 ジブリールの思考がピタリと止まってしまったのが分かったのか、ライラがヒントを言います。

 

「ジブリール様。吸血種には繁殖の義務があるのです。そして、女王は相手の魂を吸いつくさずに繁殖できるし、海中でさえあれば水の精霊だけでなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「すべ……ての……――ッ!?」

 

 スゥー……ッと、ジブリールの顔から血の気が引いていきます。

 海棲種のあまりのあくどさに、肉体的・魔法的には強者であるはずのジブリールが“怖れ”を抱いた瞬間でした。

 

「吸血種の男性は、()()()()()()()()()。その吸血種の男性を女王と繁殖させるときに、2人きりになってから魅了し、『自分の全てを差し出せ』と命令する……」

 

「「正解です(わ)」」

 

 理解した答えを口にするジブリールの声は、わずかに震えていました。

 

 “海にあってライラは絶対”です。

 それが如何に凄まじいものであるかは、以下の原作の記述からもうかがえます。

 

 ――彼女が有する“水精”の量を前にしては、水中の万物が女王に跪く

 ――それはただの()()だ。逆らえるものではない。()()()()()()()()()()()()

 ――森精種(エルフ)だろうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、ジブリールがきちんと注意すれば吸血種の偽装を見破れるように、海棲種の女王もまた“自身の周囲にある全ての精霊を支配する”ことを意識すれば、吸血種は偽装魔法で姿を隠して女王を監視することができないのです。

 “生物”の範疇では最も優れた魔法使いである森精種すら、女王の前では魔法を使うことができないのですから。

 

 ちなみに“十の盟約下で、他者の術式に外部から干渉できるか”については、天翼種の都(アヴァント・ヘイム)でアズリールが視線を向けただけでプラムの隠密術式を破壊したことからも可能であることがわかります。

 

 『恥ずかしいから繁殖行為は2人きりでやりたい』という発言は、ごく自然なものです。

 

 吸血種の男性と2人きりになった女王は、周囲の精霊を支配して、あるいはかき乱して、偽装魔法で吸血種が監視・盗聴などを行っていないことを確認した後、魅了能力を全開にします。

 原作で“拒否不能のコマンド”と言わしめたほど……そして原作のライラが『這いつくばれ』と主人公達に発言したことからも分かる通り、繁殖以外の命令を聞かせることもできるほど凶悪な魅了能力を、です。

 

 そして耳元で、小声で、唇を読まれないよう手を添えて、こう命じます。

 

 

 

 ――『あなたの全てを差し出しなさい』

 ――『あなたの子供が生まれたら、その子がまだ物事を判断できないほど幼いうちに“その子の全て”をあなたが奪いなさい』

 ――『あなたの子供の全てを奪ったら、その子に“自分の子供が生まれたら、その子の全てを奪う”よう命じなさい』

 ――『これらは、くれぐれも誰にも気づかれないように行いなさい。子供にも“誰にも気づかれないように行うこと”を必ず命じなさい』

 

 

 

 全てを奪われた男が、新たに所有する“自分の子の全て”もまた、女王のものです。

 それは原作のジブリールが地精種(ドワーフ)の少女の大槌(ハンマー)を拾得した際、“ジブリールが拾得した物は、ジブリールの全てを所有する主人公たちの物”、“拾得物である以上、主人公たちに『返せ』と言えば返却してもらえるが、主人公の所有物にすぎないジブリールに返すように言っても返却してもらうことはできない”と記載されていたことからも分かります。

 

 あとは不要な義務や権利は返却しつつ、全てを奪った時の記憶を忘れさせ、親が子の全てを奪ったのを確認したら、その子の権利を女王が別の海棲種に譲渡することで“支配した吸血種の管理者”を増やし、管理しやすいようにしていきます。

 他にも“全てを奪われたときの記憶を失う”、“現在の海棲種の管理者に忠誠を誓う”、“海棲種の管理者に従うことを疑問に思わない”、“権利が奪われていることがバレないよう、可能な限り盟約に誓った行動は取らない”など細かい調整は必要なので、そちらも子々孫々に引き継がせていくようにしていきます。

 

 この策に1人でも引っかかってしまえば、その吸血種の子孫が増えれば増えるほど、男女を問わず、海棲種に隷属する吸血種が増えていきます。

 こうして隷属した吸血種をスパイとして運用することにより、今や吸血種の内部は海棲種のスパイだらけになってしまったわけです。

 

 数が増えれば、あるいは重要な役職にスパイが入り込めば、ある程度の世論操作も行えますので、吸血種が海棲種にとって不都合な方向に動こうとしたら、動きをある程度修正することだってできます。吸血種の間に“海棲種は愚か者”という認識が広まるのも、さぞ早かったことでしょう。

 吸血種の男性がプラム1人になるまで追い詰められてしまったのは、この影響も大きかったのかもしれません。

 

 吸血種の協力が得られるのであれば、偽装魔法を恐れることもありません。同じ吸血種が偽装魔法を見抜いてくれるからです。

 海棲種から直接吸血種に指示を出す場合も、周囲に他の吸血種が隠れていないか確認してもらうことができます。

 

 1点、注意しなければいけないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということです。

 

 原作主人公たちはライラに魅了されることがありませんでした。その原因について主人公たちは『自分達に精霊が無いからでは?』と推測しますが、直後ジブリールに『魂があるなら必ず精霊はある。単に自分の知らない、あるいは検出できない精霊というだけだ』と否定されます。

 

 そして吸血種&海棲種編の最後、プラムが“恋愛定義魔法”を主人公の兄にかけ、その状態で妹を見ても何の感情の変化も感じませんでした。

 プラムはこの様子を見て「なるほど、だから女王の魅了が効かないのか」と納得し、最後に、

 

 ――この世界にいる以上、精霊の影響は受けるはずなのに女王に魅了されない

 ――恋愛感情の定義を“感じたものに設定する”、プラムの魔法で“認識が変わらない”

 

 という、“兄から妹に対して恋愛感情が既にある”、“恋愛感情が既にあれば、例え女王といえども海棲種には魅了されない”内容を暗示させる記述がされています。

 

 これに引っかかってしまってはたまりません。女王が魅了を仕掛けた相手が“魅了にかかったふり”をしようものならば、海棲種の計画が根こそぎバレてしまいます。

 そのため、最初にこの罠にかける相手は慎重に選んだことでしょう。もしかしたらリスクを避けて、最初の1人以外はこの罠にかけていないかもしれません。メインの計画はあくまでも“女王の凍眠による吸血種滅亡”なのですから。

 

 ステフちゃんは盟約で“自身の精神制御”を誓ってはおりますが、特定の誰かに恋をしているわけではありません。

 もしライラの夢に入った時、ライラが本気で魅了しにきていたら、完全に抵抗できていたかは怪しいところです。……とはいえ、もしそうなったら“今から1時間、自分は自分自身に恋をする”と再度盟約で自分を縛って回避していたでしょうが。

 

 こうして、ライラの凍眠による吸血種滅亡計画と並行して、吸血種の隷属化計画が水面下で進められていた、というわけです。

 

 余談ですが、この世界では同意が成立すれば、モノの所有権だけでなく“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 原作主人公は、ライラや“変態仮面と化した原作ステフちゃん”に対して、盟約に誓ったゲームで“相手の全て”を奪った後、『返す』と宣言するだけで権利や義務の全て、あるいはほとんどを返還しております。

 これは、相手の拒否権すらも奪っているからこそできる“同意なし”の返還ですが、わざわざ盟約に誓ってゲームをしなくとも、宣言あるいは同意するだけで権利・義務の移転が可能であることを示す事例でもあります。

 

 そもそも“同意による所有『()』の移転”が可能なのですから、それ以外の権利のやりとりもまた可能なのは当たり前なのです。

 そして、一度移転してしまった権利はその人のものなので、十の盟約によって略奪が不可能になってしまいます。

 

 そのため、女王に魅了された吸血種の男性が『貴女に全てを差し出します』と宣言・同意してしまった瞬間、例え盟約に誓っていなくとも、その男性の全ては女王へと移転し、取り返すこと(=略奪)は不可能となってしまう、というわけです。

 

 拒否権すら奪われているので、記憶をいじられることも、“海棲種にスパイとして忠誠を誓っていることを疑問に思わないようにさせる”ことも、“その吸血種の全て”を奪っている管理者の海棲種に一言命令されるだけで行われてしまいます。

 これもまた原作の“変態仮面ステフちゃん”に勝利した主人公が『今日の出来事を、寝不足や壊れじゃなく理解して開き直れるまで忘れろ』と命令した時の事例と同じやり方ですね。

 

「……ということは、ステファニー様が『眠れ』と言った瞬間、プラムが倒れてしまったのは……」

 

 ジブリールが半ば確信しながらそう言うと、ライラとステフちゃんがその確信を肯定します。

 

「はい、プラムが聞いたステファニー様の発言や唇の動きなどを、わたし達が率いる吸血種によって認識改変したのです。吸血種の魔法は、相手の認識を自在に操作できるもの。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「今度は偽装なしで、先ほどの内容を言ってみますわね」

 

 

 

 ――一つ、プラム様が盟約に誓った、この契約書に書かれた内容を破棄すること

 ――二つ、プラム様が、わたくしの友達になること

 ――三つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――()()()あと、5分だけでいいので、わたくしとお話しませんか?

 

 

 

 そう、ステフちゃんが寂しそうに黙り込んだように見えたあのシーン、黙り込んだように見えたのは海棲種配下の吸血種が見せた認識偽装でした。

 本当のステフちゃんはあの時もしゃべり続けており、『四つ、』の直後に吸血種は偽装を解除。『あと、5分だけ〜』のお願いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ジブリールは“やはり”と頷きます。

 断絶空間の中で同盟を結んだ際、ステフちゃんとライラはこのようなやり取りをしていました。

 

 ――『プラムさんに対しての同意は列挙する方式で良いですの?』

 ――『はい、何番目を偽装しますか?』

 ――『“一つ、二つ”と数えますので、3番目の内容と4番目の頭でお願いしますわ』

 

 ステフちゃんに『策を為すまでは誰にも言えない』と言われていたため、その場で答えを得ることができませんでしたが、“海棲種に隷属している吸血種”を見れば答えはすぐに分かります。

 あれは、配下の吸血種に偽装させる箇所を確認していたのです。

 

「……しかし、吸血種であるプラムが、こうも簡単に認識偽装に引っかかるものでございましょうか?」

 

「ここまでステファニー様を魔法で飛翔して送り届けて魂を大きく消費した吸血種1人と、今このエルキア王城でわたしたち海棲種の血を吸って魂を全回復した吸血種十数名……気づかれないよう認識偽装することは、そう難しくありません」

 

 ステフちゃんは、海棲種と盟約に誓って同盟を結ぶため、“ステフちゃんの全て”を返してもらいに一度エルキアに帰ってから、再びオーシェンドに戻ってきております。

 その時もジブリールに空間転移をお願いしておりました。

 

 なのに、なぜか最後にエルキアに戻るときは、ジブリールではなくプラムに送迎をお願いしておりました。

 当然プラムは文句を言いましたし、ジブリールもまた不思議に思っていたのですが、その理由を今さらながらに理解しました。

 プラムの魂を消費させ、ライラ達に従う吸血種の認識偽装に気づきにくくさせるためだったのです。

 

 ライラの説明に、ステフちゃんが補足を加えます。

 

「それにプラムさんは“まさか吸血種の中に裏切り者がいて、人類種の味方をしている”なんて思いもよらず、油断しきっていたと思いますわ。もしかしたら、まだプラムさんは幼いので偽装魔法の経験も年長者の方々には劣っていたかもしれませんし……というか、ライラ様はプラムさんより腕の立つ方をそろえていらっしゃったのでは?」

 

「ええ、そこは抜かりないです。ちゃんとプラムを超える腕前を持つ者たちで揃えました」

 

 つまりプラムは、年齢も経験も魂も足りていないのに、“人類種に協力する吸血種などいない”と油断しきっていたところに、自分よりも腕の立つ魔法使い十数人がかりで認識偽装魔法をかけられてしまった訳です。これは酷いですね。

 

「……だとしても、プラムは、ステファニー様の発言の内容すべてを認識できてはいなかったのでございましょう? 正確に内容を認識できていない状態での同意では、盟約が成立しないのでは?」

 

「それがそうでもないんですわよね~……」

 

 ステフちゃんは“頭が痛い”と言わんばかりに、こめかみに指を当てます。

 

「ジブリール様。もし、ジブリール様が自分の所有する書庫に居て、そこで別の方から『この書庫にあるもの()()を賭けてゲームをしよう』と言われて盟約に誓ったゲームをし、負けた場合……何が奪われると思いますの?」

 

「それは当然、書庫に収められた書物すべてと備品……あとは――ッ!!?」

 

 ジブリールは気づきました。

 

「私、自身……」

 

 『きちんと相互認識ができていないと同意が成立しないはず』というジブリールの意見は至極もっともなのですが、この世界は詐欺師に優しいようにできています。

 

 原作で主人公がステフちゃんに対し、盟約に誓ったゲームで『お願いを聞いて♪』と要求した際、ステフちゃんが『“宿を提供しろ”ということか』と認識確認して、主人公が笑顔で誤魔化したシーン……結果はなんと、“お願いの内容を明言していないから、あとからお願いの内容を自由に設定できる”というものでした。

 

 このように、相手の認識がどうであろうと、盟約は発言した内容そのものを優先して守らせるようにできているのです。

 

 先程ステフちゃんが挙げた書庫の例の場合、ジブリールが自分の所有する書庫の中に居る前提なので、“書庫にあるもの()()”を賭けてゲームに負けると、ジブリール本人も奪われてしまう、というわけです。

 

 認識が偽装されたステフちゃんの発言も、ステフちゃんの発言そのものの内容が優先されます。認識偽装魔法によって()()()()()()プラムが、ステフちゃんの発言をどのように受け取ろうとも、そんなものは関係ないのです。

 『先ほどステフちゃんが言った内容()()()を遵守する』と誓ったのですから、聞き取れなかった文言も当然“()()()”に入り、遵守せざるを得ません。

 

 そもそも“騙す”という行為そのものが“相手の認識を誤らせる”行為です。盟約を誓う際に“相手の認識を誤らせること”が問題無いのでしたら、その手段が言葉から魔法に変わろうとも問題は無いのです。

 

 こうした理由から、プラムの全ては、彼が盟約に誓ってコインゲームに敗北した瞬間にステフちゃんのものとなりました。

 

 拒否権すら奪われたプラムは、『眠れ』というステフちゃんの命令に逆らうことができず、眠らされることになってしまった、というわけです。

 先ほどの“変態仮面ステフちゃん”で説明した事例と同じやり方ですね。

 

「……もしや、例の契約書を使わなかったのは……」

 

「ええ、例え海棲種配下の吸血種が要求を書く欄の文字を見えなくしても、口頭で読み上げて認識確認する文言があるので、そこでバレてしまうからですわ。だからこそ契約書にわざわざ書く必要も無い“大して拘束力が無い盟約”を用意したのです」

 

 “ステフちゃんをエルキアまで無事に帰す”契約をする際、逆にプラムに“認識できない文字”を使われてしまうと困りますので、“お互いに口頭で認識確認する”という文言を外した契約書をステフちゃんは使うことができませんでした。

 そのため、プラムは既に“契約書には口頭で認識確認する文言がある”ことを知っています。もし新たに用意した契約書にその文言が無ければ、プラムに警戒されて策が失敗してしまうかもしれません。だから、ステフちゃんはわざと“わざわざ契約書を使うまでもないな”と認識させるような盟約を用意したのです。

 

 加えて、原作知識を持つステフちゃんは、“吸血種が人類種を罠にかけようとしていたこと”を知っています。

 だからこそ“大して拘束力が無い”だけでなく“プラムが喜んで飛びつきそうな内容の盟約”を用意したのです。再度人類種へ罠を仕掛けるために“人類種の全権代理者に近づく口実”は喉から手が出るほど欲しかったでしょうから

 

 余談ですが、実は()()()()()()()()()()()()()()エルキアの契約書には、互いに契約番号を読み上げつつ同意を破棄することを宣言することで、わざわざ新たに盟約に誓わなくても契約を破棄できる文言が入っていたりします。

 ですが、ステフちゃんからジブリールやプラムに手渡した契約書には、こうした文言が入っておりません。

 

 ジブリールは“ステフちゃんとゲームをするだけ”、プラムは“ステフちゃんを帰すことを誓うだけ”が目的なので、ステフちゃんが賭けるものがありません。

 ステフちゃん側から見れば“契約を破棄するメリット”が全く無いので、こうして後で何らかのチャンスを作れるよう、破棄の文言が無いタイプの契約書を渡していたのです。

 

「十の盟約は、あの文言そのままを鵜吞みにすると痛い目に遭いますわ。“如何に盟約のルールを正確に把握するか”が重要であり、ルールを正確に把握すればするほど“できること”が増えていきますの。例えば盟約を使えば、“自分自身に対する精神操作”なんて芸当もできてしまいますわ」

 

「精神操作、でございますか……?」

 

 “それはいったいどのようなものか?”と興味をそそられるジブリールの耳に、()()は届きました。

 

 

 

 

 

「あっは♪ それは~、こういうことでぇ~~す!!♡」

 

 

 

 

 

 突如として響く、この場に似つかわしくない、底抜けに明るい声。

 ジブリールが視線を向けると、そこには明らかに“愚か者”と分かる表情と態度を取ったライラの姿がありました。

 

「『バカのふりをする』って簡単に言いますけどぉ~、いつどこで吸血種たちに見られているかもしれないのに、四六時中バカの演技をするなんて、普通ムリに決まってるじゃないですかぁ~♡ 個人によって演技力にも差があるわけですし、絶対どこかでボロが出て、計画が破綻するに決まってます♪ だからこうして、1人ゲームをして盟約で自分を縛って、絶対にボロが出ないようにするわけでぇ~す!」

 

 その様子を見て、ステフちゃんもまた驚きました。

 

「……驚きましたわ。てっきり“自分自身を愚か者にする”とか“常に愚か者の演技をする”といった内容で縛っていたのかと思っておりましたが、どう見ても愚か者にしか見えないのに、発言は聡明そのもの……何かタネがありますわね」

 

「簡単で~す! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()♪ おバカの交代人格を創って主人格であるわたしが交代人格を操れば、こんな風にいざという時、交代人格の行動を操れますし、交代人格はわたしという主人格を認識できないように創ってあるので、主人格の存在が吸血種たちにバレたりもしません! そして操作を放棄しておけば、行動はまさにおバカ! いつ誰に見られても、そのおバカさを疑われることなんてありません!」

 

 多重人格――別名、解離性同一性障害。

 

 これは、“つらい現実や環境から逃げ出そうとする方法として、自分ではない別の人格を作り上げること”によって発生します。

 つまり、もともと多重人格の人物でなくとも、ヒトは自分の精神に、意図的に別人格を創ることができるのです。

 

 本人に可能なことであれば、盟約で自分を縛ることで実現させることができます。これを利用し、“主人格に操作可能な、主人格を認識できない交代人格”を創造したのでしょう。

 この方法であれば、いつでも交代人格を呼び出して“愚か者”を演じることが可能です。

 

 通常の解離性同一性障害では、主人格の方が交代人格を認識できず、交代人格は主人格を認識できるはずなのですが、ライラ達の場合はこれが逆転しているようです。

 

 もしかしたら、交代人格に主人格を認識させない手段としても盟約を利用したのかもしれません。

 多重人格といえど、どちらもライラであることに変わりはありませんので、“創造したライラの交代人格は主人格を認識できず、主人格に操作される”、“主人格は交代人格を認識でき、交代人格に操作されることは無い”とでも誓って、1人ゲームをすれば、おそらく実現可能でしょう。

 

「なるほど。わたくしが“海棲種が吸血種にゲームで勝利した本当の理由”で脅そうとした時、ライラ様が頭を抱えていたのは――」

 

「はい♡ 800年ず~~~~~っっっっっと交代人格が表に出ていたので、突然わたしに人格の操作権限が奪われて、軽いショック状態になってしまったためですね♪」

 

 もう、何を信じてよいのか分かりません。

 ジブリールは呆然と、ライラとステフちゃんのやり取りを見つめます。

 

「では、吸血種の繁殖の件ですが、生まれた子供が男性であれば人類種が、女性であれば海棲種が所有権を得る形でよいでしょうか」

 

「承知しました。海棲種による血液供給や人類種からの毛髪提供など、同盟の細かい内容については、また後日相談させて「ストップ! ストップでございます!!」……?」

 

 またもわけのわからないやり取りが行われ、ジブリールは慌ててストップをかけました。

 

「な、なぜそのような取り決めを……?」

 

 ステフちゃんと、おバカのふりをやめたライラはお互いの顔を見つめた後、不思議そうにジブリールに向き直ります。

 

「なぜって……形式上とはいえ、お互いの立場を対等にしておかないと、同盟にならないじゃないですか」

 

「男性と女性で吸血種の管理を分けておけば、どちらかが裏切った場合、吸血種の繁殖ができなくなりますわ。それは、お互いにとって困るので、同盟を守らざるを得ない……いわば人質ですわね」

 

「……だったら、それこそステファニー様を、先ほどの認識偽装を使って盟約に誓わせて操れば……ッ!? あの時の契約はそういう――!!」

 

 立て続けに驚かされ続けた意趣返しと言わんばかりに、ジト目でジブリールが案を口にしようとした瞬間、ジブリールはそれができない理由に気が付きました。

 

 ステフちゃんはライラと同盟を結ぶ際、ライラに“本当の海棲種の全権代理者”を呼んでもらい、再びジブリールの創った断絶空間の中で盟約に誓った同盟関係を結んでいます。

 もちろん、ステフちゃんはジブリールに頼んで一度プラムと共にエルキア王城に帰り、宰相に“自分の全て”を返してもらってから同盟を結びました。そうでなければ人類種のコマを持っていないステフちゃんは、人類種の代表として契約を結べないからです。

 

 その際、互いに盟約に誓って『今から5分間ウソは言わない』と宣言してから、『自分が全権代理者である』と名乗り、種のコマを目の前に出現させたうえで以下の契約を交わしています。

 

 ・人類種は、“海棲種が自力で繁殖できること”をはじめとする“海棲種側が指定した内容”を誰にも伝えない。記録にも残さない

 ・海棲種は、人類種に対し“人類種に隷属化した吸血種”を提供する

 ・人類種もしくは海棲種のどちらかが吸血種のコマを手に入れた場合、コマの所有権は人類種と海棲種共有のものとする

 ・人類種は海棲種に、海棲種は人類種に、吸血種を使って干渉してはならない

 

 この最後の文言について、ジブリールは“一つ上と二つ上の文言にかかっているもの”と認識していましたが、実際にはそれだけでなく、ステフちゃんに隷属化した吸血種を提供する前に、既に海棲種が隷属させている吸血種からの干渉を防ぐための文言でもあったのです。

 

 ちなみに、同盟を結ぶ前後のタイミングでステフちゃんに認識偽装をすることはできません。

 

 ライラのゲームを行うため、ライラの夢に干渉する魔法を使う都合上、隷属下にない吸血種がウヨウヨしている海底でそんなことをしたら、隷属させた彼らの存在が吸血種に露見してしまいますし、断絶空間では吸血種が中に入らないようジブリールが見張ってくれていたからです。

 

 言葉を詰まらせるジブリールに、ステフちゃんは苦笑いして言います。

 

「いえ、確かにそれもあるのですが、あの契約は、あの“吸血種を使って互いに干渉しない”という文言まで含めて、()()()()()()()()()()()()()()()()の協定となっているんですの。わたくしは海棲種の秘密を握っておりますし、海棲種は吸血種の配下がいます。お互いがお互いを破滅させる切り札を握っておりましたので、“それは盟約で使えないようにして、お互い仲良くしましょう”という意味合いの方が強いのですわ」

 

 海棲種から見れば“人類種の内、『誰が』『どれほどの人数』海棲種の秘密を知っているか”は分かりませんし、配下の吸血種にスパイをさせたとしても100%の保証は取れません。

 また、ライラのゲームに参加している以上、同盟締結前の時点では、ステフちゃんが人類種のコマを持っている確証もありませんし、おまけに隣にいるジブリールとの関係も分かりません。

 もしジブリールと何らかの協力関係にあるのなら、吸血種の認識偽装でステフちゃんから人類種のコマを奪うことはできないかもしれません。

 

 “今現在コマを持っているかどうか”はさておき、『全権代理者を罠にかける』と企んだ吸血種が連れてきたステフちゃんは、人類種の全権代理者である可能性が非常に高い存在です。

 もし彼女に“人類種に海棲種の秘密をしゃべらせない”と盟約に誓ってもらえるのなら、100%人類種から海棲種の秘密を漏らさなくすることができるチャンスです。

 ステフちゃんの海棲種に協力的な姿勢から、相応のメリットがあれば引き受けてもらえる可能性は高いと踏み、ライラは同盟を提案したという訳です。

 

 一方、ステフちゃんから見れば、ライラたち海棲種は、吸血種のスパイを使って国家機密を盗んだり、あるいは先ほどプラムに使った方法で“ステフちゃんの全て”を奪うことができる存在です。

 いくら“海棲種の弱み”として“彼女たちの秘密”を握っていようとも、これらの手段を使われてはたまりません。“人類種の弱み”を握られるならまだイーブンで済むかもしれませんが、人類種のコマを取られてしまったら、人類種はおしまいです。

 

 ステフちゃんにとっても、海棲種との同盟は望むところだったのです。もしライラが提案しなければ、きっとステフちゃんの方から同盟を提案していたでしょう。

 

「“吸血種”という海棲種の切り札をわたくしたち人類種と共有してくださったのは、人類種が“海棲種の秘密”という切り札を手放す対価であり同盟の証。だからこそ、ライラ様はわたくしにプラムさんを支配させてくださったのですわ。本来なら、プラムさんが成人してからライラ様と繁殖する際に魅了して支配してしまえばいいだけなのですから」

 

 ステフちゃんはこう言っていますし、言っていることは間違ってはいませんが、実は“プラムにもし既に恋人がいたら、あるいは成人するまでに恋人ができたら、女王の魅了が効かなくなってしまうからステフちゃんに罠にハメてもらった”という理由もあります。

 しかし、“既に好きな人がいる相手には効果がない”というライラの魅了の致命的な弱点までジブリールに説明する必要は無いだろうと判断し、ステフちゃんはそのことについては黙っておきました。

 

「“本来わたしたち女王がする役割をステファニー様が行う”ということですね。ステファニー様からプラムさんに『あなたの子供が生まれたら、その子が幼いうちに“その子の全て”をあなたが奪いなさい』と命じるだけで、以降の彼の子孫は全てステファニー様の支配下に入ります。彼が最後に残された唯一の男性ですから、世代が変わってゆけば全吸血種がわたしたちの支配下に入るでしょう。あとは、生まれた子供が女性であれば海棲種に、男性であれば人類種に“その子の全て”を渡すよう、海棲種・人類種それぞれの隷属下にある吸血種に命じれば対等な関係を結ぶことができるわけです」

 

 ――などとライラは言っておりますが、これはジブリールに対する方便であり、実際は吸血種にとって、もっと酷い状況になっております。

 

 ステフちゃんがスカートのポケットにコインを仕舞った場面が1回、ライラがその豊かな髪を両手で包むように弄った場面が1回ありましたよね。

 実はあの時、彼女たちは“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”を確認していたのです。

 

 

 

 ――そう、あの時すでに吸血種のコマは、ステフちゃんとライラに奪われてしまっていたのです

 

 

 

 ステフちゃんは原作知識からプラムが全権代理者であることを知っています。

 

 凍眠から目覚めたばかりのライラは知りませんでしたし、だからこそ“吸血種最後の1人の男性を支配してしまおう”としか考えていなかったのですが、配下の吸血種を伴ってエルキア王城へ移動する際、吸血種のスパイから“誰が現在の吸血種の全権代理者であるか”を確認しています。

 

 ステフちゃんはポケットの中に、ライラは髪で隠した両掌の中に、自分の意思で吸血種のコマを出現させられることが分かり、吸血種の全権を自分達が手に入れたことを理解しました。

 つまり、先の取り決めなんて関係なく、既に全吸血種を意のままにできる権利を彼女たちは手に入れてしまったのです。

 

 ジブリールの前で語った取り決めは、“自分達が種のコマを手に入れていない”と見せかけるためのカモフラージュにすぎません。

 “互いを人質で縛るような関係である”と誤解させておけば、あとでその誤解を利用して何らかの手が打てるかもしれない……ジブリールは決して味方ではないのですから、いざという時のために、これくらいの仕込みは必要でしょう。

 

 こうして吸血種のコマは、人類種と海棲種の共有財産になってしまったのです。

 

 次々と教授される“弱者の戦略”……その凄まじさ、えげつなさを知ったジブリールは、ふと疑問を覚えます。

 

「……私が言うのもなんですが、強者である私にここまで自分達の戦い方を教えても良いのでございましょうか?」

 

 ジブリールがそう言うと、ステフちゃんとライラは互いに視線を合わせた後、再びジブリールへと向き直り、同時にニッコリと微笑みます。

 

()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「は、はぁ……そう言われるのでしたら、遠慮なく……?」

 

 ジブリールは釈然としない思いを抱えて“何かがおかしい”と思いつつも、こんな機会でもなければ学べることのない知識なので、遠慮なく受け取ることにしました。

 

 

 

 ――本当に残念です。もし彼女が本当の意味で“弱者の戦い”を理解できていたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ステフちゃんは海底で、そしてこのエルキア王城で、このようにジブリールに誓わせました。

 

 ――中で行われる会話の内容を絶対に誰にも伝えない

 ――他者に会話内容を推測させる言動を取らない

 ――一切記録に残さない

 ――得た情報を絶対に利用しない

 

 この最後の誓約……これこそがステフちゃんの仕掛けた罠でした。

 

 

 

 

 

 ――“情報を利用しない”とは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 答えは、“()()”。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 例えば、海棲種の事情。

 ジブリールは海棲種が為してきた戦略を利用することができません。彼女たちの戦略をマネることも、応用して自分なりの戦略を立てることも、逆にそれらの戦略に対し事前に対策を立てることだって、全て“情報の利用”に当たります。

 女王の魅了能力が如何に桁外れであるかを知っているのに、その情報を利用して警戒態勢を取ることすらできなくなってしまいます。

 

 例えば、吸血種の事情。

 ジブリールは、吸血種が非常に優秀なスパイであり、認識偽装を用いて盟約を誤魔化すことだってできる種族であることを知っているのに、その情報を利用することができません。

 “プラムの全てがステフちゃんに奪われる仕組み”の情報も利用することができないため、その仕組みに対する対策を立てることも実行することもできません。

 もしジブリールがステフちゃんに何らかの盟約を誓う機会がもう一度きてしまったら、ジブリールの全てをステフちゃんに奪われてしまう可能性だってあります。

 

 そして、弱者の戦い方。

 

 せっかく弱者の戦い方を知ることができても、それを使うことができないのであれば何の意味もありません。それどころか逆にマイナスです。

 戦略の“利用”とは、そのまま弱者の戦略を使うことだけでなく、相手の戦略を逆手に取ったり、弱点を突いたりすることも指すからです。それを封じられてしまえば、本来であれば知識がなくとも思いついていた行動すら取ることができません。

 

 ましてや、ジブリールにとっては、初めて得た弱者の戦略の取っ掛かりとなる知識です。

 その取っ掛かりの上に築かれるであろう“弱者の戦略”は、全て“関連するもの”と扱われてしまい、利用できなくなってしまいます。

 

 ジブリールの主観で“情報の利用にあたるかどうか”など、全く関係ありません。

 盟約は、個人の認識がどうであろうと、“発言した内容そのもの”を優先して守らせるようにできているのですから。

 

 ステフちゃんはこの世界の唯一神を倒すつもりはありませんし、そもそも自分が倒せるとは思っていません。それができるのは原作主人公くらいでしょう。

 そして『唯一神を倒す』と宣言するつもりがない以上、ジブリールがステフちゃんの味方になることはありません。そして、先の図書館の件からも分かる通り、彼女は平気でエルキアに牙をむきます。そんな彼女に“弱者の戦い方”を学ばれてしまうのは危険なので、ステフちゃんは事前に手を打った、という訳です。

 

 首をひねって思案するジブリールに気づかれないよう、ステフちゃんは深くため息をつきます。

 

 

 ――海棲種との同盟

 ――吸血種という手駒の入手

 ――ジブリールがステフちゃんから“弱者の戦い方”を学ぶことの阻止

 

 

 今回のゲームでこれだけの国益を手に入れたステフちゃんですが、そのお目々は死んでいました。

 

 別に、吸血種に対する罪悪感があるわけではありません。

 原作と同様、彼女たちは自分達に代わる繁殖材料として海棲種に人類種を提供しようと企み、それに失敗したら、“ライラの全て”を奪わせて人類種に血液の提供義務を移動させ、血液を提供する家畜として人類種を飼おうとした種族です。

 そんな彼女たちを返り討ちにしたところで、ステフちゃんの胸が痛んだりなんてしません。

 

 ステフちゃんのお目々が死んだ理由は、もっと別――

 

 

 

(あ~……国を護るためとはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 

 

 ――原作ファンなのに原作イベントを次々に潰していくという、“わたくし、何のために転生したんでしょう?”と思わざるを得ないような状況に陥ってしまったことでした。

 

 特に今回の場合、のちの神霊種(オールドデウス)のゲームまで潰してしまっていますので、余計に鬱になってしまっています。

 原作主人公達は、人類種のコマ・獣人種(ワービースト)のコマ・天翼種(フリューゲル)のコマ・吸血種のコマ・海棲種のコマを賭けることで神霊種にゲーム参加を了承させるのですが……

 

 原作イベントを潰してまで国を護ろうとするステフちゃんが、人類種のコマを賭ける訳がありません。

 同じ理由で、海棲種という種族を護るために世界全体に対し情報操作を仕掛けるほど、自分達の種族を大切に思うライラ達が海棲種のコマを賭ける理由がありません。

 

 原作でライラが海棲種のコマを賭けていたのは、原作主人公達が一貫してライラ達に騙されているふりをしていることが大きな理由です。

 原作主人公は、ライラのゲームに勝利しつつ、その背景を黙秘することで、“ライラは自分達に従うよう盟約で縛られている”と周囲に思わせているので、ライラがもし言うことを聞かなかったら、そこに矛盾が生じ、海棲種の知性や吸血種滅亡計画が、周囲……特に吸血種たちにバレてしまいます。

 

 そうした隠したい秘密がバレることと、海棲種のコマが奪われるリスクを天秤にかけ……最終的に海棲種のコマを賭けることを選んだのでしょう。

 種のコマを賭けないとほぼ確実に秘密がバレますが、種のコマを賭けたとしても、あのバケモノ的な知性を誇る原作主人公が神霊種のゲームに勝てば、問題ないのですから。

 

 敢えて騙されたふりをすることで、海棲種を手玉に取るその手際……さすがは主人公と言わざるを得ません。

 

 吸血種は人類種(ステフちゃん)海棲種(ライラ)に支配されてしまっているので、賭けることができません。

 

 なので、今のところ賭けられるコマの候補は天翼種と獣人種の2つのみです。

 原作ではコマ1つにつき参加者1人の形式でゲームを行っていたので、これではたった2人しか参加できません。

 それでも原作主人公なら何とかしてくれるとは思いますが、原作イベントの再現は絶望的でしょう。

 

(……空~、白~、早く来てくださいな~……)

 

 ステフちゃんは、光の無いお目々で窓の外の夜空へと視線を向けて祈ります。

 その窓の外を、まるでステフちゃんを慰めるかのように、一筋の輝く星が流れ落ちたのでした。

 

 

 

 



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フィールェ……前編

■『ステフちゃんとジブリールの内緒話シーン』削除のお知らせ
 感想欄にて読者の方より「完全記憶能力を持っている白の前で内緒話はおかしい」とのご指摘をいただきました。ご指摘ありがとうございます。
 同時に、後の展開を考えたとき、「この時点でステフちゃんがジブリールにこの話を振るのはおかしい」ということにも気づいたため、大変申し訳ございませんが、該当シーンを削除いたしました。
 ご認識いただけますよう、よろしくお願いいたします。


「“人類種(イマニティ)の賢王”だぁ?」

 

「ずい、ぶんと……大層な、肩書…………みえ、っぱり……?」

 

 ――エルキア王国の首都“エルキア”

 その都心に設置されている在エルキア・東部連合大使館の廊下を玄関に向かって歩みながら、2人の人類種がいぶかしげに眉を顰めました。

 

 “I♡人類”と書かれたTシャツを着る黒髪黒瞳の青年の名は“(そら)”、長い白髪にルビー色の瞳の少女の名は“(しろ)”。

 彼らは、異世界――21世紀日本にて無敗の戦績を誇るゲーマー“  (くうはく)”。この世界――盤上の世界(ディス・ボード)の唯一神……遊戯の神 テトによって召喚された唯2人の異邦人です。

 

 そんな彼らに対し、頷くのは狼の耳を持つ筋骨隆々とした初老の男性でした。

 

「そう思われるのもごもっともですが、その名に恥じぬ聡明な方ですぞ。ここ10年ほどのエルキアの目覚ましい発展は、間違いなく彼女の功績と言えますからな。海棲種の国(オーシェンド)との正式な交易を開くことができたのは彼女以外にはおりませんので、海底資源はほぼエルキアでしか手に入らない特産品となっておりますし、噂ではゲームで天翼種(フリューゲル)をくだし、吸血種(ダンピール)とも協力関係にあるとか……」

 

「――ほぉーッ! そりゃ凄い!」

 

「そんな、こと……できる、ゲーマー……この世界に、いた、んだ……!」

 

 2人は目を輝かせます。

 

 空と白は、テトからこの世界を『全てがゲームで決まる世界』と説明されて、この世界にやってきました。

 そんな世界で、ここまでうまく国を回すことができているのですから、相当凄腕のゲーマーなのでしょう。“ぜひ対戦してみたい!”とワクワクしています。

 

 ……が、直後、空は意地悪そうにニヤリと笑い、狼耳の男性――東部連合の外交官“初瀬いの”に言いました。

 

「……で? そんな凄ぇゲーマー様に、爺さんは尻尾巻いてビビっちまってるって訳だ」

 

「……ふむ? 空殿がいったい何を言っておられるのか、私には分かりませんな。私のどこがエルキア王殿を恐れていると?」

 

「とぼけんなよ。アンタ俺たちに出会った時もそうだったが、慇懃無礼な態度の下で基本的に人類種を見下してんのに、その賢王サマとやらの話をしたとたん言葉に細心の注意を払ってるじゃねぇか。……顔に書いてあんだよ――“()()()()()()()()()()()()()()()()”……ってな」

 

「……」

 

 空の言葉を肯定するかのように、いのは黙り込みます。

 ややあって、唇が鉛のごとく重くなったかのように、ゆっくりと口を開きました。

 

「……空殿。空殿はこれから資源の不均衡を正すべく賢王殿と交渉なさるとお聞きしましたが……我々が今までそれをしなかったとは思いますまい」

 

「……ああ、なるほど。アンタらが交渉しようとしたら、その賢王サマにいいようにされちまった、と」

 

 空の言葉に怒る様子も見せず、いのは頷きます。

 

「ええ、“獣人種は心を読む”というブラフも、“鋭い五感で嘘を見抜く”という我々の能力も通用せず、こちらに有利な条件を飲ませることも、こちらのゲームに応じさせることもできず、あらゆる策を防がれ、時には逆にこちらの策を利用されたのです。……()()()()()8()()()()()()、ですぞ?」

 

「……え、それマジ……?」

 

「……はっ……さい……!?」

 

 空と白は目を剥きます。

 現在11歳の白もコンピュータすらしのぐ常識外れの頭脳を持っていますが、それを考えたとしても8歳でそこまで政治的な能力があるとは信じられません。

 

 当時のことを思い出したのか、いのは深いため息をつきます。

 

「……幸い、どういう訳か、彼女は我々獣人種に非常に好意的でしてな。本来であればもっと強引に交渉できるはずなのに、“エルキアの交渉力を損なわないギリギリ”を見極めて我々に譲歩していたようです。“エルキア第一”という姿勢を決して崩しはしませんでしたが、東部連合の事情も真剣に考慮して資源の価格設定を行っておりました」

 

「資源と交換で我々の技術を求められることもありましたが、我々が既に使っていないような古い技術から徐々に導入しておりましたし、我々が“譲渡できない”と判断した技術についても、こちらの意思を尊重して取り下げてくださいました。……この10年のエルキアの発展は目覚ましいものがありますが、それでも“本”が“未だ簡単に複製できない高級品”扱いの水準……彼女がもっと強引に事を進めていたら、今とは比較にならないほど発展していたでしょうな」

 

 いのが語った東部連合の過去に、空は呆れたように言います。

 

「……いや、『幸い』でも『どういう訳か』でもねぇよ。見事に手玉に取られてんじゃねぇか。“自分たちでは敵わない交渉力を持ってる”、“でも、獣人種に好意的だし、譲歩してくれているから、無理に噛みつかなきゃいけないほど追い詰められてもいない”、“なら、現状維持を選ぶべきだ”って思わされちまってるって気づいてる?」

 

「……我々を手玉に取り、獣人種(われわれ)の国で好き勝手されていた方が言うと説得力が違いますな」

 

 いのは意味深な目を空達に向けながら、皮肉の意味を込めて同意します。

 

 空と白は、東部連合にたどり着くや否や、その並外れたゲームの腕で獣人種たちからお金や宿を巻き上げることで生活環境を整え、獣人種が独自に開発したテレビゲームを日々自堕落にプレイして過ごしておりました。

 そんな彼らを面白く思わない獣人種たちが、こぞってゲームを吹っかけ、それを返り討ちにしていくうちに、あれよあれよという間に政治に関わる獣人種の権利まで巻き上げてしまい、今や彼ら兄妹は東部連合の意思決定にまで関われるようになってしまいました。

 

 どこからどう見ても人類種にしか見えない空と白がそんなことをしでかせば、人類種のトップであるステフちゃんの企みを疑わないわけにはいきません。

 ですが、やろうと思えば資源を盾にいくらでも脅すことができるステフちゃんが、そんなことをしでかす理由もありません。

 

 ステフちゃんの機嫌を損ねたくはありませんが確認しないわけにもいかず、思い切っていのがステフちゃんに確認した結果は……なんと“まっしろ”。

 

 獣人種の感覚でも全く嘘をついているようには見えず、それどころか【盟約に誓って】『今から5分間嘘は言わない』と宣言したうえで『“空”や“白”と名乗る者たちが東部連合で行っていた活動について、自分は一切関与していない』と言われてしまっては疑い続けることはできませんでした。

 

 結果、いのをはじめとする東部連合の上層部は、彼ら兄妹を“エルキア以外の他国の支援を受けた侵略者である”と断定。排除しにかかったのですが――

 

「おいおい、それが国を救った英雄に対する態度ぉ~?」

 

「……這い、つくばって……足、舐める、の……」

 

 その隙を突くかのように森精種(エルフ)の策が東部連合を崩しにかかり、東部連合は窮地に陥りました。

 そこへ颯爽と現れ、兄妹はニヤニヤと大変意地悪そうに煽りに煽りながらその策を潰し、東部連合を救ってしまったのです。

 

 ……そこで終わっておけば、大変カッコいいだけで済んだのですが、

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、アァン!?」

 

 

 

 

 

 ――それだけでは済まないのが、この兄妹。

 

 プレイヤーの記憶を消すことで秘密を守ってきた“東部連合の無敵のゲーム”のゲーム内容を森精種に暴かれそうになったところを防いだと思ったら、今度は自分たちが『ゲーム内容を世界中に暴露する』と獣人種を脅し、最終的に獣人種の全権代理者に種のコマを賭けさせるところまで追い詰めてしまったのです。

 

 今にも唸り声を上げるのではないかと思えるほど迫力のあるいのの凄みは、

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ヘラヘラと笑いながら空がそう言った途端、フッと霧のように消え去りました。

 

 

 ――“種のコマを奪える状況にあって奪わない”

 

 

 彼らの状況を考えれば、確かにここまでしなければ信用を得ることは難しかったでしょう。

 多大な問題がある……いえ、問題しかない方法ではありましたが、そのおかげで、いのですら彼ら兄妹が“獣人種の敵ではないこと”だけは信じています。

 

 いのは、大きく溜息をついて頭痛をこらえました。

 

(……いったい巫女様は何を考えていらっしゃるのか)

 

 獣人種の全権代理者である狐耳の獣人――巫女は、いのに、こう命じました。

 

 

 

 ――『獣人種全権代理者、“巫女”として命ずるわ。あの者らに、ついて()け』

 ――『あのおもろい連中から、学べるだけ学んでき。“弱者のやり方”とやらを』

 ――『ほんで、くれぐれも、あの兄妹(ふたり)だけは敵に回さんようにな』

 ――『あやつら本当に――』

 

 

 

「……空殿……空殿は、本気で――」

 

 

 

 ――『――(テト)を下すかもしらんよ?』

 

 

 

「――唯一神を倒すつもりなのですかな?」

 

 この兄妹(ふたり)の実力を知り、尊敬する巫女に言われてもなお、信じきれない彼らのバカげた目標を……

 

「本気も本気。つか、俺らをこの世界に呼んだのアイツだし」

 

「……普通の、チェスで……負けたから……『次は、こっちのルールで勝つ』、だって……」

 

 兄妹はあっさり肯定しました。『既に唯一神に1回勝った』なんて、もっと信じられない……しかし、全く嘘を感知できない言葉も添えて。

 

 唖然とするいのをよそに、兄と妹は視線を合わせて楽しそうに笑いながら玄関の扉をくぐります。

 

「さて、“最終目標”は世界制覇。その第一歩だ」

 

「……ん……相手は、魔法も超能力も、使えない……最弱の、種族……でも、()()()()()……」

 

「ああ、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()退()()()()()()()()()()()()()ヤバいプレイヤーだ。……で、今からそいつと国の命運をかけた会談(ゲーム)に臨むわけだが――どう思うよ?」

 

 

 

 

「……さいこー♡」

 

「っだよな~♪」

 

 

 

 

 目を剥くいのの前で不敵に笑う異世界最強のゲーマーの表情は、強敵とゲームで対戦するワクワクで、まばゆいほどに輝いていました。

 

 

***

 

 

「……ずいぶんと嬉しそうでございますね?」

 

「ええ、東部連合に現れた常勝不敗の人類種のゲーマーですわよ? なんだか物語を読んでいるようで、ワクワクしません?」

 

「私といたしましては、エルキアの脅威になるかもしれない存在に対して、そうまで暢気でいられる理由が分かりません。……もっとも、ステファニー様であれば、取るに足らない相手なのかもしれませんが」

 

 東部連合からの客人と会談するため、応接室へと向かうジブリールとステフちゃん。

 ステフちゃんの実力を知るジブリールのお目々は非常に鋭く彼女を射抜いておりましたが、対するステフちゃんのお目々は、久しぶりに生き生きと輝いておりました。

 

 それもそのはず、ようやく待ちに待った原作主人公――異世界(ちきゅう)最強のゲーマーである“  ”兄妹と会えるのですから。

 原作ファンである彼女からしてみれば、推しのアイドルと会えるような気分なのです。

 

 

 

 

 ――もっとも、『彼らが東部連合にいる』と吸血種のスパイから報告を受けた時は、その綺麗なお目々が死んでおりましたけれど

 

 

 

 

 考えてみれば、当然です。

 

 吸血種のコマを奪ったステフちゃんには、ステフちゃんに忠誠を誓う吸血種たちが相当数います。

 

 同盟で“人類種に隷属化した吸血種を提供する”という契約を海棲種(セーレーン)と結んでおりますので、“ライラから吸血種を借りた”という建前で通せば、ジブリールに不審に思われることはありませんし、吸血種の魔法のエネルギー源となる魂は、毛髪をはじめとするエルキアの資源と交換で海棲種たちから吸血補給させてもらうことができます。

 

 そのため、今のステフちゃんは、彼女たち吸血種の強力な認識偽装魔法を使いたい放題なのです。

 

 そして今までのステフちゃんのやってきたことを思えば、“  ”をこの世界に送ろうとしている唯一神から……

 

 

 

 ――エルキアに“  ”を送り届けようものなら、ステフちゃんは彼らを危険因子とみなし、認識偽装魔法を使って“彼らの全て”を奪いかねない

 

 

 

 ……そう思われてしまっても仕方がありません。

 

 既に魔法や各種族に対してある程度の情報を得ていれば話は別ですが、この世界に来たばかりでそれらについて何も知らない状態では、いかに“  ”といえども、吸血種部隊を操り、自分の立場を存分に活かして国単位で罠にハメようとするであろうステフちゃん相手に勝利することは難しいでしょう。

 ……いえ、ステフちゃんにそこまでするつもりはないのですが、“唯一神(はた)から見れば、そう思える”ということです。

 

 この世界のゲームで自分と戦ってほしいからこそ、唯一神はこの世界に“  ”を招待したのです。

 初手必殺で彼らをゲームオーバーにしてしまうかもしれないヤバい国に、彼らを招待するわけがありません。

 

 となると、唯一神は、“  ”が何も知らないうちに魔法を使われてゲームオーバーになることを避けるため、魔法を使えない種族の国に彼らを招待しようとするはずです。

 

 人類種の国(エルキア)は先ほどの理由でバツ。

 海棲種の国(オーシェンド)は海底なので魔法なしには住めませんし、エルキアと同盟を結んでいて危険なのでダメ。

 

 ……そうなれば、もう残っているのは獣人種の国(東部連合)以外にありません。

 

 そんなことにも気づいていなかった自分に対し、“やはりわたくしは凡人なのですわね”とステフちゃんは落胆したのでした。

 

 いえ、そんな過去など、もはやどうでもよいことです。

 こうして憧れの原作主人公達と会話できる機会を、いのに用意してもらったのですから、何も問題ありません。ええ、無いったら無いのです。

 

 今回の会談で、ステフちゃんがコッソリ企む裏の目的は、“  ”と仲良くなること。

 できるなら、原作と同じくらい気の置けない仲になって、『ステフ』と呼び捨てにされるようになりたいものです。

 

 ステフちゃんは、意気揚々と憧れの人達が待つ応接室の扉を開けたのでした。

 

 

***

 

 

「――今までの礼として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ!? 空殿ッ!!? いったい何を……そんなこと、巫女様が許すわけが――!?」

 

 ステフちゃんとの交渉中、空がニヤニヤと笑いながら突如として言い放った“自分たちのカードをタダでくれてやる”宣言。

 正気とは思えない行為に言葉を荒らげるいのを無視するかのように、その場にステフちゃんの声が響きました。

 

「――うふふ、お気持ちは嬉しいですが、()()()()()()()

 

「………………は?」

 

 いのは固まります。

 

 エルキアからすれば、タダでエルキアのインフラを向上させるチャンスのはずです。それを間髪入れずに断る理由が、いったいどこにあるというのでしょうか。

 

 しかし、そんないのに、そして“あとで説明してもらおう”と考えていることが丸わかりなほどヤバい表情になっているジブリールに説明する余裕なんて、空にも白にも……そして、もちろんステフちゃんにもありませんでした。

 

(……にぃ! どう、いける……っ!?)

 

(いや、ダメだ! これっぽっちも油断してねぇ! 今のが“自分の驕りと油断を誘う罠だ”って完全にバレちまってる! 次だ!)

 

 机の下で繋いだ手の指を動かし、お互いに自分の意思を伝えあって“  ”はステフちゃんへと策を仕掛け――

 ステフちゃんもまた、自分自身を縛った盟約を存分に利用して超集中状態、超高速思考を駆使して彼らの策をさばき、逆に策を仕掛け返します。

 

 先ほど空が仕掛けた策は、“東部連合のエネルギーインフラをわざとエルキアに導入させることで、エルキア優位の状態をひっくり返す”というもの。

 

 “神霊種(オールドデウス)の双六”編で明らかになった東部連合のテレビゲームの動力源は、巫女が盟約を用いてその身に宿した“神霊種の力”でした。

 なんの資源も消費せず無限に供給されるその動力は、エルキアには存在しないものです。ですが、東部連合よりも遥かに文明的に劣るエルキアには不要のものでもありました。

 

 

 

 ――では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 21世紀の日本を想像してみれば分かるでしょう。エアコン、冷蔵庫、掃除機にゲーム機……生活の隅々にまで入り込んだ、ありとあらゆる利便性を提供する機械の数々は、ヒトの生活水準をグッと引き上げ、ヒトは“電力の無い生活”など考えられなくなります。 

 

 ところが、エルキアはこのエネルギーを自ら生み出すことができず、東部連合に頼るしかありません。

 利用されるエネルギーは電力ではなく、神霊種の力……今のエルキアに“協力してくれる神霊種”なんて存在しないのですから。

 

 こうなっては、今までのように法外な値段で資源を売ることも、資源を盾に要求を通すこともできません。

 なぜなら、エルキアに“自国でエネルギーを生み出すことができない”という“弱み”が生まれてしまっているからです。

 

 空はエネルギーインフラ……つまり“エネルギーを利用するための基盤となる設備”については『無料で提供する』と言っていますが、『エネルギーそのものも無料である』とは言っていません。

 今までのように高い値段で資源を売ろうものなら、エネルギー価格を同じくらい高く引き上げられてしまいますし、今までのように資源を盾に要求を通そうとしたら、エネルギー資源を盾に要求を拒まれてしまいます。

 

 ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――『資源と交換で我々の技術を求められることもありましたが、我々が既に使っていないような古い技術から徐々に導入しておりました』

 ――『この10年のエルキアの発展は目覚ましいものがありますが、それでも“本”が“未だ簡単に複製できない高級品”扱いの水準……彼女がもっと強引に事を進めていたら、今とは比較にならないほど発展していたでしょうな』

 

 

 この、いのの発言からも分かる通り、ステフちゃんは明らかにエルキアが発展しすぎないように調整していました。

 ステフちゃん自身、既にこのことに気づいていたからこそ、エルキア優位の状態を崩さないようにするために、エネルギーインフラを必要としない程度に発展を抑えていたのです。

 

 つまり、ステフちゃんに対し、敢えて失敗する策を使うことにより、“こんなことも理解できないレベルなのか”と自分たちを見くびらせ、油断を誘い、隙を生むための布石だったわけです。

 

 しかし、ステフちゃんにそんな油断はありません。

 なぜなら、相手が他でもない憧れの“  (原作主人公)”だからです。

 

 原作ファンであるステフちゃんは、彼らの凄さをこの世界の誰よりも理解しています。

 そして同時に、“彼らと比べれば自分は遥かに格下である”という強い強い自覚も持っているのです。

 

 凡人にすぎないステフちゃんが、原作主人公にして世界最強のゲーマーでもある“  ”に対して油断する?

 あり得ません。思い上がるにも程があります。

 

 今はこの世界に来たばかりで知識や経験が足りていなかったり、ステフちゃんが原作知識を持っていたりするからこそ、このように勝負が成り立っておりますが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ……そうです。ステフちゃんは、自分がこの2人に負けることを既に覚悟しております。

 

 

 

 ステフちゃんが思い描く理想と、“  ”が思い描く理想は違います。

 

 ステフちゃんは“エルキアの繁栄”、そして“人類種の幸福”を。

 “  ”は“十六種族(イクシード)全員が手を取り合って、なかよく『唯一神のゲーム』をプレイすること”を目指しています。

 

 女王になる前のステフちゃんとは異なり、今のステフちゃんは“  ”に人類種を任せるつもりはありません。

 なぜなら、彼らのやり方はエルキアに大きな負担を強いるからです。

 

 ステフちゃんの原作知識は、彼らが地精種(ドワーフ)の国に行くお話までですが、その最後のお話では他種族のスパイ合戦に巻き込まれてエルキアがボロボロになっておりました。

 それ以外でも行政が停止したり、人類種のコマを賭けてゲームをしたりと、エルキア国民に多大なストレスを与えざるを得ない方法を彼らは取っております。

 

 たとえ一時(いっとき)のものであろうと、ステフちゃんは愛する国民にそのような苦難を負わせたくはありません。

 ですが同時に、ステフちゃんには“凡人にすぎない自分では、どうあがいても『  』には敵わない”という自覚もありました。

 

 人類種の運命を実力不足の者に任せるわけにはいきません。その人が負けた瞬間、人類種の全てが奪われてしまうのですから。

 ステフちゃんが導く過程がどんなに幸福であったとしても、その結末が“人類種の不幸”であっては意味がありません。

 

 人類種の全責任を負う者として、ステフちゃんは最後まで自身の理想を貫いて戦いますが、もし彼らに負けたら、“自分はその役割を全うするには実力不足である”と証明されたということです。

 その時は潔く彼らの下について彼らを支え、エルキアにかかる負荷を低減しつつ、彼らの活躍を特等席で見させてもらおうとステフちゃんは覚悟を決めておりました。

 

 今、ステフちゃんが隙を見せずに空と交渉できているのは、自分の精神を縛る盟約をフル活用して全身全霊で挑んでいるだけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も原因だったのです。

 

 ステフちゃんは、最強のゲーマーの腕を一切疑っておりませんので、最後には必ず自分が負かされると信じています。

 はじめの内はステフちゃんが勝利することもあるでしょうが、いつか必ずステフちゃんが敗北させられる日が来るでしょう。

 

 つまり、ステフちゃんにとって“『  』との勝負”とは、自分自身の現在の実力を測る試験(テスト)であると同時に“エルキアに負荷をかけない期間”を延ばすための処置でしかないのです。

 

 “いつか必ず自分はこの2人に敗北する”と覚悟を決めてしまっているステフちゃんに“得をしたい”なんて欲も無ければ、煽られて怒るような精神も、何かを奪われる恐怖心もありません。

 “だが、敗北するまでは自分が人類種の全権代理者だ”と覚悟を決めてしまっているステフちゃんは、これまでの人生で磨いてきた知識や知恵を惜しみなく、一切の油断なく使ってきます。

 

 そして仮に敗北したとしても、“十六種族全員が仲良くなれる未来”はステフちゃんにはとても叶えられない、この2人にしか為せない偉業です。

 ステフちゃんの理想が目指せなくなったとしても、その偉業を為す一助となれるのでしたら、それもまたステフちゃんにとって望むところなのです。

 

 ステフちゃんは必死です。

 空と白もまた、一切の余裕がありません。

 

 ですが、お互いに交渉し、罠を、策を仕掛け合う彼らの目は活き活きと輝いておりました。

 

(にぃ、この世界……ホント、凄い……!)

 

(ああ、この世界に生まれ直させてくれて感謝するぜ……! 確かに、ディス・ボード(ここ)が俺らのいるべき世界だ!)

 

 この世界に彼らを招待した唯一神とのチェス――それに勝るとも劣らぬ大苦戦。

 噂に勝る凄腕ゲーマーとの戦いに、空と白の全身に凄まじい充実感がみなぎります。

 

 そして、同様の充実感に加えて、それ以上の高揚感まで味わっているのがステフちゃん。

 

 幼い頃……いいえ、生まれる前から憧れていた人達とようやく言葉を交わすことができただけでなく、こうして知略を尽くして互いに“騙し合い”や“駆け引き”を行うことができ、更には彼らから“強敵である”と認識してもらっているのですから。

 主人公達に強敵と認めてもらう……原作ファンとして、これ以上に誇らしいことはそうはないでしょう。

 

 1時間にわたって数十もの罠や策、駆け引きを交えた会話が為された後、お互いに“話は済んだ”と判断して空気が落ち着いたところを見計らい、ステフちゃんは傍にいた侍女に“お茶を温めなおす”よう指示を出してから、空達に向かって言いました。

 

「……それで、どうですの? ()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ああ、マジで爺さんの言うことは誇張でも何でもなかった。これは爺さんたちの手には負えねぇわ」

 

 空が肩をすくめると、冷や汗をダラダラと垂らしたいのが説明を求めます。

 

「……空殿。気のせいですかな? 『エルキア王殿の実力を把握しようとした』と私には聞こえましたが」

 

「その通りだが?」

 

「“機嫌損ねたら東部連合がどうなるか分からねぇ”って知ってんだろ、このハゲザルゥッ!!? なに失礼なことしてくれてんだ、ぶっ殺すゾ!!?」

 

 原作を彷彿とさせるやり取りにクスクスと笑いながら、侍女が新たに注ぎなおした紅茶を手に、ステフちゃんは目を細めます。

 

 空と白は大胆でありながら慎重さも兼ね備えているゲーマーです。

 彼らは、ゲームそのものは勝つか負けるか分からない……場合によっては勝てる確率の方が少ないほど難易度の高いゲームを好みますが、ゲーム以外のところで戦う時は“準備を充分に整えて、最初から相手が負けている状況を作る”策を好みます。

 

 そのため、場合によっては準備を整えるために自ら調査をすることもあります。

 原作でも、獣人種のゲームをする前にステフちゃんのお爺様が残した資料を調べたり、ライラのゲームをクリアするために天翼種の都(アヴァント・ヘイム)の資料を調べたりしていました。

 

 今回の場合、“人類種でありながら魔法を使う種族に対抗できる存在”がどれほどの実力を持っているのかを確認しに来たのでしょう。

 彼を知り己を知れば百戦(あや)うからず、というやつですね。

 

 ステフちゃんは、パン、と手を叩いて笑顔で“  ”に提案します。

 

「さて、これで本日の要件はおしまいですわね! もしこの後お時間がございましたら、わたくしとゲームで遊びませんか? 一度、東部連合最強のゲーマー兄妹とゲームで勝負してみたかったんですの!」

 

 ステフちゃんの言葉に合わせて、侍女たちが様々なカードやボードゲームなどを部屋に運び込んできます。

 

「この時のために一生懸命、仕事を前倒しして丸々1日スケジュールを空けておきましたの。もちろん、『何かを賭けろ』だなんて無粋なことは言いませんわ。純粋にみんなで楽しくゲームをいたしましょう?」

 

「……あ~、アンタとゲームをすること自体は賛成なんだが、その前にちょっといいか?」

 

「……にぃ?」

 

 ゲーム廃人であるはずの兄が、これほどの凄腕ゲーマーとのゲームに即賛成しないことに違和感を覚え、白が首をひねります。

 そして次の言葉を聞いて、勢いよくステフちゃんへと向き直りました。

 

 

 

 

「……アンタ、なんでそこまで俺らを()()できるんだ?」

 

 

 

 

 白は信じられない思いで大きく眼を見開き、ステフちゃんを見つめます。

 

「アンタ、最初から最後まで俺達に対して負の感情が全くなかった。さっきの会談の中でどんなに俺達がダメ人間で、働きもせず、学校にも行かず、引きこもってゲームばかりしていることを話そうが、自分1人では人と話すことすらできないコミュ障であることを語ろうが、アンタの目が俺達を見下すことは一切なかった。俺達がアンタの国にとって都合の悪いことを企んでいることを理解しているはずなのに、敵意すら存在しなかった」

 

「それどころか、アンタからはそれとは真逆の感情――“尊敬”と“好意”が見える。……なんでアンタは俺達をそんな目で見ることができるんだ?」

 

 “心底わけが分からない”と言わんばかりに空がそう言うと、ステフちゃんは正直にその本心を打ち明けます。

 

「……わたくしには、貴方達と同じ道を歩むことはできませんわ。わたくしには、このエルキアを、人類種を護ることで精いっぱい。ですが、貴方達は違いますわ。わたくしが進む道とは比較にならないほど難しい道を、そしてわたくしが目指す未来よりもずっと素晴らしい未来が得られる道を自らの意志で喜んで進んでいる……そんな貴方達と戦えることを光栄に思いこそすれ、見下すことなど決してありませんわ」

 

 ――“唯一神への挑戦権”

 

 会談の中で“  ”が話していた『この世界のゲームで唯一神を倒す』という彼らの目的……それを果たすために必要なもの。

 それを得るためには他種族のコマを奪ってはならず、十六種族すべてを共通の意志で束ね、それぞれ“種のコマ”を手に、自らの意志で挑まなければなりません。

 

 

 

 ――それは即ち、“十六種族全員を仲良くさせる”ということ

 ――いがみ合い、傷つけあうことしか知らなかった種族が、一つの強大な敵に立ち向かえるほどに、みんなでなかよくゲームをプレイできるほどに、お互いに信頼し、協力し合えるようにする、ということ

 

 

 

 ステフちゃんは“人類種を護ること”しかできません。ですが彼らは、人類種なんてちっぽけな視点ではなく、“世界すべてを平和にすること”を目指しています。

 これほどまでに大きな夢を、器を持っていて、その夢を実現できる実力を持ち、実際に夢を実現するために動いているのです。ステフちゃんが尊敬しないはずがありません。

 

 “唯一神への挑戦権”の詳細に既に気づいているからこそ、そして“空達が既にそのことに気づいているであろう”と確信しているからこそのステフちゃんの発言……原作知識というズルのおかげなのですが、それを“ステフちゃんの底知れなさ”と勘違いし、空と白は感嘆します。

 

「……それに、貴方方はエルキアの優位を奪うことはあっても、エルキアを滅ぼすつもりなんてこれっぽっちも無いし、エルキアを東部連合に隷属させるつもりも無いでしょう? 貴方達はただ“みんななかよくプレイしたい”だけ……むしろ、仮にエルキアが、人類種が滅びそうになったら、逆に貴方達はわたくし達を助けに来てくれるはずですわ。でなければ、“みんなでなかよくプレイ”できなくなってしまいますもの。……違いますか?」

 

「……いいや、違わねぇな」

 

 悪戯っぽく片目をつむりながらステフちゃんが言ったセリフに、空は苦笑いしながら答えます。

 

「なら、わたくしが貴方方に敵意を抱く理由はありませんわ。仮にわたくしが貴方方に敗北しようと、わたくしよりも強い貴方方が人類種を護ってくれるのですから。……()()()()エルキアの政治はわたくしにお任せくださいな。内政から外交まで、お2人の策で被るエルキアにかかる負担を最小限に抑えてみせますわ」

 

 この女王様であれば、間違いなくできるだろう――そう確信できる非常に心強い言葉に、空と白の胸から覚えのある高揚感が湧き上がります。

 ……そう、これはゲームに登場した異常に強い敵キャラが、その強さのまま味方になった時の高揚感です。ゲーム難易度は低下するので“歯ごたえ”という意味では微妙ですが、苦労させられた敵キャラが味方になった時のワクワク感や、そのキャラで無双するときの爽快感は格別なものがあります。

 

 

 

 ――自分に勝てば、仲間になってやる

 

 

 

 このゲーマー2人にとって、これほどまでに分かりやすく、これほどまでにやる気が湧く言葉は他に無いでしょう。

 “絶対にお前をゲットしてみせる”と言わんばかりの獰猛な笑顔が、とっても素敵です。

 

「……その言葉、忘れんなよ女王様?」

 

「……賢王様……いつか絶対、ゲットする……!」

 

「……ふふ。ええ、楽しみにしていますわ」

 

 ステフちゃんは、心の底から本当に、その日が来ることを待ち望むのでした。

 

 

 

 ……それはそれとして――

 

 

 

「……お2人とも、どうぞ、わたくしのことは『ステフ』とお呼びくださいな。同じゲーム仲間としてこれから一緒にゲームをするのですから、堅苦しい呼び方は無しに致しましょう?」

 

 『女王様』だの『賢王様』だの、やたら距離を感じる呼び方をこの2人にされるのは、ステフちゃんとしては、ちょっぴり気になります。

 ここはやはり、原作通り『ステフ』と呼んでもらうべきでしょう。ステフちゃんの当初の目的であった“あだ名呼び”を果たすときは、ゲームを通して親密になれる今しかありません。

 

 ……するとどうしたことか、空も白も微妙な顔をして言いました。

 

「……いや、なんかその呼び方は違うんだよな~。ほら、すんげー強キャラで、しかもめっちゃ高貴な高嶺の花を気安く呼ぶのって違和感が……」

 

「……むしろ、“様”づけの方が……しっくり、くる……」

 

 ……残念なことに、会談でのやり取りから“  ”に強キャラ認定され、更に先ほどの会話でどこか気高い印象まで与えてしまったせいで、彼らはステフちゃんのことを“気安く接することができる相手”とは思えなくなってしまっていました。

 

 ステフちゃんの自業自得としか言えません。結果――

 

「そうそう……って、うぉっ!?」

 

 ――流れるようにシームレスにステフちゃんのお目々から光が消え、それを見た空は大いにビビることになったのでした

 

 

***

 

 

「変わった、人……だった、ね……」

 

「ああ、だが意外と面白い奴でもあったな」

 

 エルキア王城から大使館へと帰る馬車の中、最強のゲーマー兄妹は幸せそうにお話ししていました。

 

 “突如としてステフちゃんのお目々が死ぬ”というささやかなハプニングがあったものの、ステフちゃんが提案したゲーム親睦会は大成功。

 会談で“  ”と互角以上の駆け引きを繰り広げ、空と白の期待のハードルを天高く放り投げたステフちゃんでしたが、見事その期待に応え、2人を存分に楽しませることができたのでした。

 

「……賢王様……本当に、強かった……。楽し、かった……♡」

 

「ああ、あれは“  ”でないと勝てねぇな。俺か白、どっちかだったら負けてた」

 

 そんな兄妹のやり取りを聞いていたいのが、自身の疑問を解決しようと空に問います。

 

「……空殿。結局のところ、当初話されていた『エルキア王殿と交渉して資源の不均衡を正す』という目的は嘘だったのですかな? エルキア王殿の実力を測ることだけが目的だったと?」

 

「いいや? すぐにできるんだったらそうするつもりだったし、女王様の実力を測って“いけそうだ”と判断できたら、次の会談までに女王様を追い詰める準備を進める予定だったぜ? 資源の不均衡どころか、エルキアを東部連合に併合するところまで持っていくつもりだった」

 

「……全て過去形ですな?」

 

「ああ、会って話してみて分かった。アレは今の手札じゃ、どうしようもねぇ。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ん……賢王様の、知ってる情報……知らない情報……だいたい、分かった」

 

 空はニヤリと不敵に笑います。

 

「さて、それじゃ~、早速エルキア以外の国から攻めるとしますか。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「せいぜい……白たちの、ために……タダ働き……して、もらうの……♪」

 

 白もまたクスクスと機嫌よく笑います。

 不気味に笑う兄妹を見て、彼らが何を企んでいるのか底知れず、いのは背筋を震わせ、しっぽの毛を逆立てるのでした。

 

 

 

 



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フィールェ……中編1

■設定変更のお知らせ
 在エルキア・東部連合大使館の位置を、“エルキアと東部連合の国境付近”から“首都エルキア”に変更しました。



「おや、どうやらどこぞの神霊種(オールドデウス)が力をふるったようでございますね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そのジブリールの言葉を聞いた瞬間、まるで弾かれたようにステフちゃんは書類に向けていた顔を上げ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ジブリール様、すぐにわたくしを屋上へ」

 

「はい、承知いたしました♪」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 すると次の瞬間、一瞬にしてエルキア王城の執務室からジブリールとステフちゃんの姿が消失しました。

 

 ジブリールとともにエルキア王城の屋上に現れたステフちゃんは、迷わず東部連合の方角を見やります。

 

 

 

 

 ――そこには、ステフちゃんが思い描いていた通りの光景が広がっておりました

 

 

 

 

 支えもなく宙に浮かび、

 螺旋を描いて雲を貫き、

 (ソラ)(ソラ)へと延びる、

 

 

 

 

 

 ――巨大な()()が、そこにありました

 

 

 

 

 

「……()()()()()()()

 

 ステフちゃんは、その目に尊敬と戦慄の色を浮かべて感嘆します。なぜなら……

 

 東部連合を守護し、全種族を統一して唯一神へ挑まんとする異世界最強のゲーマー……“  (くうはく)”。

 

 先日の会談の時点ではステフちゃんと互角のやり取りを繰り広げていたはずなのに――

 まだあれから1か月も経っていないというのに――

 

 

 

 

 

 

 ――()()()1()()()、彼らはエルキアと東部連合の不平等な関係をひっくり返してしまったのですから

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「結論から言うぞ。状況は爺さんから聞いていたものより遥かに悪い。東部連合は“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 厳しい表情で言う空を見て、周囲の獣人種(ワービースト)たちに緊張が走りました。

 

 

 

 

 

 ステフちゃんと会談した翌日――空と白、そしていのは東部連合の首都である巫鴈(かんながり)へと向かいました。

 

 原作にて“東部連合の大陸領土は全部、元はエルキア領土”とあったことからもお察し通り、エルキアから大陸を奪えていないこの世界の東部連合は完全な島国であり、いっさいの大陸領土を持っておりません。

 したがって、エルキア王国の首都“エルキア”にある“在エルキア・東部連合大使館”から巫鴈を目指す場合、まずは大陸の端まで移動し、そこから船で移動する必要があります。

 

 つい最近いのに秘書として引き抜かれたリス族の女性が白を、いのが空を背負う形で、獣人種の身体能力にモノを言わせた超スピードの大陸移動を行った後、船上で波に揺られて約1日。

 

 巫鴈に到着してから、更に翌日の現在……空、白、いのの3人は、今まさに東部連合の全権代理者であるキツネ族の獣人――“巫女”に会談の結果を報告している最中です。

 

 

 空の発言を聞いた巫女は、ピクリと頭頂部の大きな狐耳をふるわせると、スッと目を細めました。

 

 森精種(エルフ)の策による東部連合の危機も、巫女を相手に“獣人種のコマ”を取る寸前まで追い詰めた時も、余裕の表情で煽り散らかしていたのが、この自称『異世界からやってきた人類種(イマニティ)』の兄妹です。

 そんな彼らが厳しい表情をする時点で“事の重大さ”が推し量れます。獣人種の超人的な五感で、その生理反応から“彼の発言が嘘ではない”と理解できてしまうのであれば尚更でしょう。

 

「いいか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今までそうしなかったのは単に“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ですが、いくら“空の発言が嘘ではない”と理解できていても、“発言した内容が理解できるかどうか”については、また別の話。

 空の言った内容に疑問を抱いたいのは、いぶかしげに眉をひそめて言います。

 

「……空殿。確かに我が国は資源不足を盾にされてエルキアに要求を呑まされることも少なくはありませんが、流石に『国を引き渡せ』と言われて首を縦に振るようなことにはなりませんぞ? その言い方は少々おおげさではないですかな?」

 

 いのの疑問に、空は自分の髪をグシャグシャと右手でかき混ぜながら、眉をひそめて苛立たし気に答えます。

 

()()()()()()()()()()。資源不足も確かに問題だが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな兄の発言を、彼の膝の上に座る白が引き継いで言いました。

 

 

 

 

 

 

 

「……この国の、情報……ほとんど……賢王様に、筒抜け……」

 

 

 

 

 

 

 

 ギョッと大きく眼を見開いて動揺するいのに向けて、空はスマホの画面を向けます。

 

 

 ――そこには、壁際に並んで控えている4人の侍女の姿が映っておりました

 

 

「爺さんは見てたから知ってるだろうが、コイツは会談中に俺の背後の映像を撮影したものだ。コイツをよ~く見てみろ」

 

「……?」

 

 いのがジッと画面を見つめますが、特におかしなところは見当たりません。

 ただ、人類種の侍女が静かにたたずんで待機しているだけのように見えます。

 

 しばらくすると、一番左の侍女が移動して画面から消え、入れ替わりに別の侍女がやってきて同じ場所に待機しました。

 そのまましばらく見続けますが、何も変化は起こりません。獣人種としては極めて優秀な個体であるいのの目から見ても、特筆すべきようなものは何も映っていないように見えます。

 

 画面の中では未だ会談中の空が、腕を下してスマホを下に向けたのでしょう。いのが見ていた画面が真っ暗になりました。

 ここで、白が画面下に人差し指を走らせます。すると動画が早回しされ、白が指を離したとき、再び空の背後の映像が映る画面の中では、左から2番目の侍女が移動して画面から消え、入れ替わりに別の侍女がやってきて同じ場所に待機しました。

 

「……()()()()()()

 

 巫女は納得の声を上げると、その鋭い視線を画面からいのへと移して問います。

 

「いの、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「は? ……いえ、感じておりませんな。もしそのような気配を感じておりましたら、即刻会談を中止し、エルキア王殿に対して厳重に抗議しているところですぞ」

 

 “国の行く末を決める大事な会談で、こちらが了承していない魔法を使われる”などあまりにも危険かつ失礼な行為です。

 もしやられていたら、外交官として厳重に抗議しなければならないでしょう。

 

 どうしてそのような質問がされるかわからず困惑するも、いのは素直に答えます。

 

「……次。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「た、確か……だいたい10分から15分おきくらいだったかと」

 

「なんで、そんなしょっちゅう入れ替わっとるん?」

 

「……ティーポットを常に熱々のものと入れ替えておりました。不思議なことに、エルキア王殿は空殿や白殿を異常なほど歓迎しておられましてな? 王室御用達の菓子や紅茶をふるまうだけでなく、“いつでも熱々の美味しいお茶が飲めるように”と頻繁にティーポットを入れ替えておられたのです」

 

 エルキアの文明水準は15世紀初頭のヨーロッパのレベルです。電気ポットどころか魔法瓶すら存在しません。

 ティーコゼーくらいならありますが、その保温能力はそこまで高くはなく、100度のお湯も10分後には大体85度程度に下がってしまいます。

 

 紅茶を美味しく抽出するのに適した温度は95度以上なので、それでは美味しいお茶を淹れることはできません。

 紅茶の風味に大事なタンニンがお湯にうまく溶けてくれないだけでなく、80度でよく溶けるカフェインばかりが出てきてエグミのある味になってしまうからです。

 

 ですが、“紅茶を淹れなおす”のではなく、“淹れ終えた紅茶を保温する”のであれば、話は別。

 ヒトは65度以上の温度を“美味しい”と感じるそうですから、ティーコゼーを使えば、おおよそ30分くらいは美味しくいただくことができます。

 

 紅茶を飲めば飲むほどティーポットの中の紅茶の量が減り、冷めやすくなってしまうので、実際に美味しく飲めるのは10分~15分といったところでしょうか。

 そのため、ティーポットの紅茶の消費量に応じて、紅茶が美味しくなくなる前に、新たに紅茶を淹れなおしたティーポットと交換するために侍女が入れ替わっていたのです。

 

 流れとしては、

 

 1.“熱々の紅茶が入ったティーポット”や“お菓子”などの入ったティーワゴンとともに侍女Aが入室

 

 2.空達の背後にいた侍女Bが、食べ終わったお菓子などを片付けつつ、冷めたティーポットをもう1台のティーワゴンに乗せて部屋を退出

 

 3.侍女Aが、空達の背後に待機

 

 といった感じです。

 

 部屋に1台ティーワゴンが常駐し、新しいティーワゴンが入ってきたら入れ替えるイメージですね。

 

 このような心配りをしていたからこそ、会談が終わってステフちゃんが『紅茶を温めなおせ』と指示した直後、すぐに新しいティーカップをティーワゴンから取り出し、ティーポットから熱々の美味しいお茶を注ぐことができた、というわけです。

 この対応は会談の間ずっと続けられ、しかも“ティーポットが交換されるたびに茶葉の種類が変わる”という、高級茶葉を湯水のように消費する凄まじく贅沢なサービスでした。

 

 さすがにあまりに贅沢すぎたのか、会談終了後のゲーム親睦会に入るとそのサービスは終了してしまいましたが……それでも“今までに出された茶葉の中で気に入ったものを注文すれば、すぐにその茶葉で紅茶を淹れてくれる”サービスは用意されており、これまでのステフちゃんからすれば不自然なほどに空と白を歓迎していることをいのに感じさせたのでした。

 

 ……いのに対しては今までそんな対応をしてくれたことがなかったのに、よりによって人としてあまり尊敬できない空たちに対してこのような心配りがなされたことについては、いまいち納得しがたいものがありましたが。

 

 いのの答えを聞いた巫女は、ますますその視線を厳しくしつつ、さらに彼に問いました。

 

「……最後や。空はん達……会談中、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「な、何故それを!?」

 

 空の話が終わったらすぐにでも報告しようと思っていたことを、まさか報告する前から当てられるとは思わず、いのは仰天します。

 聞きたいことを聞き終わった巫女は大きく溜息をついた後、右手で頭を抱えて言いました。

 

「……かなんなぁ~……あの女王はんだけでも厄介なんに、そこにいのすら感知できん魔法が加わるんか……どないせぇっちゅ~ねん……」

 

「あ、あの巫女様……? それはいったい、どういう……」

 

 いのの疑問に、巫女は視線でスマホの画像を示しつつ、言いました。

 

()()や」

 

「視線……?」

 

 巫女の言葉に、いのは首をかしげます。

 

()()()()()()4()()()()()()()()()()()()()()()。たぶん視線の向きからして、それぞれが空はんと白はん、いのに視線を向けとる。画像の範囲外に居る侍女も含めたら、1人当たり最低2人の侍女が視線を向けとるんやろなぁ。それなら片方が入れ替わる間、もう片方がフォローできるやろし……いの、アンタ前に言うとったよな? ()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って?」

 

「……まさか!?」

 

 大きく目を見開くいのの疑問に答えるように、空は言いました。

 

 

 

 

「その“まさか”だよ。こいつら全員、吸血種(ダンピール)だ」

 

 

 

 

 原作の“  ”がやってきたエルキアでは、既にジブリールに国の図書館を奪われてしまっていたため、当初、“  ”は他種族の情報をほとんど知らない状態からスタートしておりました。

 

 しかし、この世界の彼らは東部連合からスタートしているため、国の図書館をしっかり利用できています。

 おまけにとある獣人種から政治的に重要な立場をゲームで奪ってしまったため、政府のデータベースにすらアクセスできる権限を持っており、原作とは比較にならないほど多くの他種族の情報を入手することができています。

 

 そのため、彼らは“吸血種が隠密と幻惑に特化した魔法使いであること”、そして“吸血種の魔法は術者の視界に対象を捉えることが重要であること”を知っています。

 原作でも、いののお孫さんの少女が『吸血種の魔法、気配がしたら眼から逃げろってじーじ言ってやがった、です』と言っていましたね。

 

 そんな彼らに対し、ステフちゃんとの会談に向かう前に、いのはこのように発言しました。

 

 

 ――『噂ではゲームで天翼種(フリューゲル)をくだし、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この一言のおかげで、空は吸血種を警戒し、スマホの動画アプリを事前に起動させておくことができたのです。

 

 そして空達の正面や横など、空達の視界に入る範囲の侍女たちは、特に理由が無ければ彼らに視線を向けることはありませんでした。

 

 

 ――であれば、確認すべきは自分達の視界の外

 

 

 原作の東部連合の描写にさりげなくテレビが登場していたことからも分かる通り、東部連合にはテレビに流す映像を撮影するための道具――ビデオカメラに当たるものが存在します。

 10年に渡り東部連合と付き合ってきたステフちゃんがビデオカメラの存在を知らないとは考えにくいため、自分の膝に座る白の身体でスマホを隠しつつ、空は自分の肩越しに背後の光景を撮影していたのです。

 

 動画アプリの起動音を聞かれないようにするため、会談に入る前から動画アプリを起動させておく都合上、長時間撮影は必須。

 つまり、容量がパンクしないよう低画質モードにしなければならなかったわけで、少々画質は荒くなってしまいましたが……それでも充分に空の知りたかった情報――“侍女の視線の向き”は撮影されており、空は“彼女たちが吸血種である”と確信できたわけです。

 

「バカなッ!? この侍女たちは、どこからどう見ても人類種にしか見えねぇぞ!? 魔法を使わずに人類種の姿に化けているとでもいうのか!?」

 

 吸血種はコウモリのような翼と鋭い牙、そして悪魔のように尖った尻尾を持つ種族です。牙は口の中に、尻尾は服の中に隠すことはできるでしょうが、その大きな翼まで侍女服の中に隠すことは難しいでしょう。

 であれば当然、魔法を使って翼を隠すことになりますが、いのは一切そうした魔法の気配を感知することができませんでした。彼女達が吸血種であるとは、いのにはとても思えません。

 

「そうじゃねぇよ、逆だ。()()()()姿()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……吸血種に関する資料を読んだときに“おかしい”とは思ってたんだ。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?”ってな」

 

「な、に……!?」

 

「“魔法の気配を感知したら、吸血種の視界の外に逃げる”? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。大戦時の吸血種は、一部の獣人種にワザと“気配を()()()()()魔法”を使って、視界の外に逃げさせたんだよ。そうすりゃ、“魔法の気配を感知したら視界から逃げればいいんだ”って勘違いした獣人種を、“気配を()()()()()()魔法”で姿を隠して襲いたい放題だからな」

 

 空の言う通り、魂を十分に補給した吸血種は“魔法の気配”どころか、“魔法の燃料となる精霊の気配”や、“存在そのものの気配”すら隠ぺいすることができます。

 原作のプラムが森精種の高位術者を完封するシーンでも、“森精種の術者が扱う精霊の気配は分かるのに、プラムからは魔法・精霊・存在すべての気配が感じられない”と、傍にいたいのが戦慄しておりましたね。

 

 あのジブリールをして『大戦時はそれなりの脅威だった』と言わしめた種族が吸血種なのです。

 “魔法の気配を感知したら眼から逃げる”程度でどうにかなるのなら苦労はしません。

 

 いのは動揺に声を震わせながらも、なんとか自らを落ち着けるよう努力しつつ、空に向かって反論します。

 

「で、ですが……吸血種の魔法は、天翼種や森精種などの魔法と異なり、魂を消費するのですぞ? そんな長時間の間、姿を変える魔法を……ましてや“魔法の気配を隠す魔法”すら並行して発動させながら続けるなど、とても魂が持つとは……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。さっき爺さんも言ってたろ? 『ポットを交換するために侍女が入れ替わってた』って。“いつでも温かい紅茶が飲めるサービス”と思わせておいて、実は“魂を消費した吸血種”を“補給済みの吸血種”と入れ替えていたってわけだ」

 

「……白たちが、あそこで……資源の不均衡を、たださなかった理由……わかった……?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。へたすると【盟約に誓う】段階で、俺らに気づかれないように【()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……なにせ、相手は吸血種。()()()()()()()魔法に特化してるんだからな」

 

 肩をすくめる空に、いのは口を開けて絶句します。

 

 ――贅沢なサービス?

 ――空と白を歓迎している?

 

 とんでもない勘違いです! “熱々の美味しい紅茶をいつでも飲めるサービス”は、自分たちの喉元に突き付けられたナイフのように致命的な罠でした。

 さながら銃弾を使いつくす前に弾倉を交換するかのごとく、いつでも充分な威力・精度の認識偽装魔法を放てるよう、ステフちゃんは“魂を満タンにした吸血種の侍女”を準備していたのです。

 

 このせいで、空たちは資源の不均衡を正すべく、会談中に盟約を利用した取引や契約を結ぶことができませんでした。

 

 下手に【盟約に誓おう】ものなら、背後にいる吸血種から認識偽装魔法をかけられてしまいます。

 そうなれば、“ステフちゃんの発言”や“契約書の内容”など、どこの認識をどのように偽装されて、どんな認識外の契約を結ばされてしまうか分かりません。

 

 “空たちから見た吸血種の姿”を偽装できるのであれば、“ステフちゃんの発言”や“契約書の内容”も偽装できるでしょう。

 十の盟約による“自分たちの認識の保護”は当てにできない、と考えるべきです。

 

「い、いえ、しかしですぞ……? もし吸血種がそこまでの魔法が使えるのでしたら、そもそも“自分たちの姿そのもの”を消せばよいのではないですかな? そうすれば、入れ替わりだって好きな時に好きなタイミングで行えるはずでは?」

 

 当然と言えば当然のいのの疑問に対し、空は逆に質問します。

 

「爺さん……ひとつ訊くが、“『見えない刺客がお前を狙っているぞ』って言われる”のと、“実際に凶器を持った奴らが背後に立っている状況”……()()()()()()()()()()?」

 

「!!?」

 

 声を失ういのに、空は続けます。

 

「あれは女王様が少しでも会議を有利に進めるために、俺らにプレッシャーをかけてたんだよ。吸血種の偽装魔法なら“視線の向き”だって偽装できるはずだろ? あのわざとらしい“視線の向き”は、俺らに対して“こちらはいつでも魔法をかけられる状態だぞ”っていうメッセージなんだよ」

 

「メイドさん、が……紅茶を、入れ替えてたのも……“魂の補充は万全”、っていう……メッセージ……」

 

「“自分たち吸血種の姿を人類種に見せることができる”ってんなら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()? “部屋に残る吸血種”に幻を用意してもらえば、“魂を補充する吸血種”は自分の姿を隠して魂を補充するために部屋を退出して戻ってこられるってわけだ。“部屋の出入りに伴うドアの開け閉め”だって偽装できるはずだしな。それでも“紅茶の入れ替え”なんて方法で、俺らの目の前でわざとらしく侍女を入れ替えてたのは……」

 

「それも、しろたちに……プレッシャーを、かけるため……」

 

「会談の後の親睦会が始まる前に、女王様が『“何かを賭けろ”だなんて無粋なことは言わねぇ』『純粋にゲームを楽しもう』っつってたろ? あれは『純粋に俺らと親睦を深めたいから、吸血種でプレッシャーをかけるのは終わりにする』って意味も含まれてたんだよ。実際、あの後から侍女たちの視線も俺たちから外れて自然な動きになってたぜ?」

 

 いのの背筋を冷たいものが走りました。

 

 “侍女の入れ替わり”を“弾倉交換”に例えるのであれば、“侍女の視線の向き”は“銃口の向き”に例えられると言えます。

 いのは全く気づいておりませんでしたが、空と白は常に銃口を背後から突き付けられ、時折目の前でこれ見よがしに弾倉を交換されているかのようなプレッシャーにさらされながら、ステフちゃんとの会談を続けていたのです。

 

 親睦会の前にステフちゃんが『“何かを賭けろ”だなんて言わない』と言っていたのは、『“何かを賭けるような契約をしない”=“偽装魔法を使う機会の破棄”』を意味していたのです。

 

 自分の認識外で行われていた高度な心理戦に、いのは額に汗を浮かばせて戦慄しつつ言います。

 

「空殿たちが背後にいる吸血種の存在に気づかなければそのまま認識偽装され、気づけばプレッシャーをかけられる……“相手の実力を測っていた”のは空殿たちだけではなかったのですな」

 

 うなるように低い声で発せられたそのセリフに、空は少し困ったように首をひねりながら言いました。

 

 

 

 

 

「ん~……()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 いのはポカンと口を開けて、頭に大きな疑問符を浮かべます。

 

「“実力を測る”も何も、あの女王様、とっくに俺らのことを最大級に評価してたんだよ。それどころか“俺らのことを自分よりも格上だ”って認識してる感じだった」

 

「賢王様に、とって……しろたちが……吸血種の罠を、見抜くのは……()()()……」

 

「“姿を隠そうが隠すまいが、俺らなら吸血種の存在なんて見破って当然”、“だったらせめてプレッシャーを与えるくらいの役には立ってもらわないと”ってとこだな。あの女王様は吸血種にはその程度にしか期待していなかったんだよ……。もちろん、“俺らがミスって何らかの契約を結ぼうとしようもんなら、容赦なく認識偽装を仕掛けてきただろう”とは思うけどな?」

 

 肩をすくめる空の姿に、いのは言葉を失います。

 

 ステフちゃんからすれば、空は読心術士のようなものです。

 空の洞察力のほんの一部が種明かしされるシーンで、彼はこのように言っています。

 

 

 ――『ポーカーフェイスには限界がある。()()()()()()

 

 ――『“表情”は育ちや文化にかかわらず、どんなに意識しても一瞬……0.25秒未満程度、無意味に“感情”が出る。これを“微表情”と言い、この原理を利用した噓発見器まで開発されてる』

 

 ――『“喜び”……つまり笑顔も、4秒以上続けば“作り笑い”だ。逆に瞬間的な笑みでも、目尻が下がってなければ本心じゃない。本心からの笑みは頬が吊り上がり、下まぶたが持ち上がる。だが、それも片方だけだったら“軽蔑”……つまり“嘲笑”になるわけだな。だが、それが誰に対する嘲笑かまでは微表情ではわからん。もし“嫌悪”の特徴も出ていれば“自分に対する嫌悪”の可能性もある』

 

 ――『対抗策は簡単だぞ? 顔を隠せばいい。そして……顔を隠したら、今度は声と動作に集中される』

 

 ――『けど声と動作は微表情ほど瞬間的じゃないから、獣人種みたいに血流音や心拍音まで読み取る奴らは別として、人類種相手なら意識すりゃ芝居でミスリードできる』

 

 ――『……が、()()()()()()()()()()。俺にその手は通用しねぇぞ?』

 

 

 はい。平たく言ってバケモノですね。

 

 ポーカーフェイスが通用せず、たった0.25秒の一瞬一瞬の微細な表情を都度読み取り、しかもその内容があまりにも複雑かつ多種多様。

 こんなトンデモ芸当をこなせる彼が声と動作を読めば、そちらもまた信じられない精度でヒトの感情や思惑を読み取ることでしょう。

 

 海棲種が自分たちの種族を“種の存亡の危機にすら気づかないほどのおバカである”と偽らなければならない都合上、海底資源の取引の窓口は、同じ海棲種の国(オーシェンド)に暮らす吸血種でなければ不自然になります。

 そして、エルキアと海棲種の国(オーシェンド)が吸血種を窓口として取引する以上、どうしたって“エルキアと吸血種は協力関係にあるのではないか?”という噂は立ちます。

 

 

 

 ――さて、そんな“他人の認識を操る超危険な種族が協力関係にある噂”が流れている中で、あの空が『“吸血種に関する質問”をステフちゃんにしない』なんてことが起こり得るでしょうか?

 

 ――そんな怪物レベルの洞察力を持つ彼がステフちゃんに“吸血種に関する質問”をしたとして、“ステフちゃんが仕掛けた吸血種の罠に気づかない”なんてことが起こり得るでしょうか?

 

 

 

 少なくとも、ステフちゃんにはとてもそうは思えませんでした。

 だから、ステフちゃんはあえて吸血種の部下たちに侍女の姿を取ってもらうことで、空たちにプレッシャーをかける役割を与えたのです。

 

 とはいえ、ステフちゃんからすれば“このプレッシャーも大した効果は無いだろうな”というスタンスでした。

 なにしろ、相手は“  ”です。綱渡りのようなギリギリのゲームを楽しめる人たちなのです。

 

 であれば、このようなプレッシャーなんて“そよかぜ”も同然。むしろ、会談(ゲーム)を楽しむ良いスパイスとなることでしょう。

 どちらかと言えば、『“  ”に会談(ゲーム)を楽しんでもらうため』という意図の方が大きかったかもしれませんね。

 

 ちなみに、吸血種たちに“ステフちゃんの微表情を偽装させる”といった手段を取ることはできませんでした。

 

 “  ”との会談は、一瞬一瞬に多くの策や思惑が飛び交う非常に厳しいものです。

 つまり、ステフちゃんが瞬間的に考えた策を、次の瞬間には実行に移す必要があり、しかもその中にはステフちゃんの声音や動作を用いて、相手にブラフを仕掛けるようなものも含まれています。

 

 それらの内容を瞬時に連続してステフちゃんから読み取り、“  ”に対して最も適切な微表情や声音、動作を偽装して伝える、というのは如何に吸血種といえども厳しいものがあります。

 なぜなら、“ステフちゃんがどのような表情で、どのような仕草をしたときに、どのように偽装すればよいのか”が非常に複雑かつ多種多様すぎて、どうしても微妙な“ズレ”が発生してしまうからです。

 

 その微細な“ズレ”は“  ”を相手にするには致命的でしょう。

 原作のプラムが森精種の六重術者(ヘキサキャスター)を相手にあそこまで無双できたのは、“術者であるプラム本人が主体的に場を支配していたから”という理由もあったからなのです。

 

 “認識偽装でステフちゃんの顔も声音も動作も全部わからないように隠してしまう”のなら、“主体的に場を支配する人物”が吸血種でなくステフちゃんであっても問題ないかもしれませんが……それをしてしまうとステフちゃんの意図した仕草や声音などが全く空たちに伝わらなくなり、“ブラフを信じさせる”・“ミスリードで誘導する”・“プレッシャーをかける”といった様々な行動の“攻撃力”が大幅に落ちてしまいます。

 

 “  ”は攻撃を捨てて守りに入る……いわゆる“受け身の姿勢”で勝てるような相手ではありません。

 だから、ステフちゃんは自分自身の表情や動作などの偽装をあきらめたというわけですね。

 

「んで、重要なのはここからだ。今、爺さんが言ったように、吸血種(アイツら)はおそらく認識偽装で自分たちの姿を消すことができるはずだ。魔法を感知できる獣人種の爺さんに“魔法の気配”を感知させず、人類種とは比べ物にならねぇ五感を持つ獣人種の爺さんから見て“匂い”も“姿”も完璧に人類種に偽装できるんだったら、自分たちを見えないように、嗅ぎ分けられないように偽装することだってできるだろうしな。……ってことは、だ」

 

()()()()……()()()姿()()()()()……()()()()()()()()……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……俺たちが『ヤバい』って言ってる理由、わかった?」

 

 いのの顔を滝のような汗が流れます。

 

 もし彼らの言うことが本当であれば、ピンチどころの騒ぎではありません。

 “東部連合の機密情報が一つ残らずステフちゃんに渡ってしまっている”ということは、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ということです。

 

 原作の空は、“ゲーム内容を他国にリークしたうえで、東部連合側からゲームを仕掛けざるを得ない状況を作る”という方法で追い詰め、“獣人種のコマが奪われること”を巫女に覚悟させています。

 結局、“ゲーム情報のリーク”といった諸々の内容は、ほぼ空のブラフであったわけですが……彼ら獣人種からすれば、“国防ゲームの情報が漏洩する”というのは、それほどまでに深刻な事態であり、種の存亡にかかわるものなのです。

 

 

 ――『いいか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうしなかったのは単に“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 いのは、ここに至ってようやく空が言いたいことを理解しました。

 

 ステフちゃんは、“国防ゲームの情報”を利用することで、いつでも獣人種を脅して国を、あるいは“獣人種のコマ”を獲ることができる状況にあったのです。

 

 それをしなかったのは……

 

 

 ――『……いや、“幸い”でも“どういう訳か”でもねぇよ。見事に手玉に取られてんじゃねぇか。“自分たちでは敵わない交渉力を持ってる”、“でも、獣人種に好意的だし、譲歩してくれているから、無理に噛みつかなきゃいけないほど追い詰められてもいない”、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 ……“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エルキアは“大陸資源”を盾に、東部連合から富や技術を吸い取り、ゆるやかに、そして確実に国を成長させ、国民すべてに豊かな生活を送らせることができているのです。

 無理に東部連合を、“獣人種のコマ”を獲りに行く必要なんてありません。

 

 へたに獣人種を追い詰めれば、“なんとかして東部連合が滅びる運命を回避しよう”、“自分たちが滅びるくらいなら、せめて一矢報いよう”と、手痛い反撃を受けてしまうかもしれません。

 

 場合によっては、“東部連合を救うため”という名目で他国からエルキアが攻められてしまう可能性もあるでしょう。

 “無敵のゲームを持つ東部連合への侵略を唯一成功させた国家”と脅威に思われて、他の国々から包囲網を敷かれてしまう可能性すらあります。

 

 ですが、だからといって“現状維持”が崩れた時のための準備を怠る理由もありません。

 

 東部連合が何らかの理由でエルキアと国交を断とうとしたり、エルキアを攻撃しようとしたりしたときのために、しっかり相手の首根っこを押さえる準備もしておく必要があります。

 だからステフちゃんは吸血種を使って、東部連合の情報という情報を抜いてしまいました。

 

 東部連合は、いつの間にかエルキアにしっかりと首輪をつけられ、飼いならされ、しつけられてしまっていたのです。

 

「し、しかし……それらがエルキア王殿のブラフという可能性も……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いや~、あの時はマジで焦ったわ。なんせ例の国防ゲームで使われてる、民間には卸してねぇはずのハードの機種名を出しただけで“知ってる”って反応が出たんだもんよ」

 

「……賢王様……可愛い、顔して……チョー、えげつない……」

 

 空と白は、若干表情を引きつらせながら、そう言います。

 

 よく見れば、2人の顔に冷や汗が流れていました。あの“傍若無人”を人類種の形に固めたかのような兄妹が、です。

 これだけで“いかにステフちゃんが彼らにとって手ごわい相手であったか”がうかがえる、というものでしょう。

 

 巫女もまた、表情を引きつらせます。

 

 それはそうでしょう。

 今の発言が確かなら、絶対に知られてはならないゲームの内容だけでなく、その仕組みや機材のメーカーに至るまで把握されてしまっているということなのですから。

 

 いえ、先ほど白が『この国の情報がほぼ筒抜け』と言ったのですから、それ以外の情報についても、ステフちゃんから“知ってる”反応が出たのでしょう。

 国防ゲームのことをいったん置いておいたとしても、東部連合の手札も戦略も全て丸見え。これでは如何に“  ”といえども勝負になりません。状況は絶望的です。

 

 余談ですが、ステフちゃんが会談前に盟約を使って“東部連合の機密情報の忘却”といった自身の記憶操作をしなかったのは、単純に“  ”がステフちゃんよりも格上だからです。

 

 “情報を忘却する”ということは“その情報があった場合に採れる行動や選択肢を全て捨てる”ということと同義です。

 

 仮に“東部連合の無敵の国防ゲームの情報”を忘却した状態で会談に臨んだとしましょう。

 

 この場合、もし“  ”から国防ゲームを受けざるを得ないよう追い込まれてしまったら、ステフちゃんは“あえて国防ゲームを受ける”という選択肢を採ることができなくなってしまいます。

 “自分は国防ゲームの詳細を知っている”、“仮に国防ゲームを受けたとしても勝利できる”という情報を忘れてしまっているからです。

 

 つまり、ハンデを抱えたうえで戦っているようなもの。凡人のステフちゃんが“  ”という最強のゲーマー相手にそんなマネをすれば、あっという間にボッコボコにされてしまいます。

 読心レベルの洞察力を持つ空を相手にすれば、“東部連合の機密情報をステフちゃんが知っていること”がバレてしまいますが、そのリスクを背負うことを承知で、ステフちゃんは“自分の全力を出せるようにすること”を選び、自身の記憶を盟約で操作しなかった、というわけです。

 

 空の回答を聞いたいのは、大慌てで辺りを見回します。

 そう、“この国の情報がエルキアに筒抜けである”という空の話が真実であれば――

 

 

 

「おいっ!? ってことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!?」

 

 

 

 ――“そもそも東部連合内での密談そのものが不可能である”ことを意味するからです

 

 

 

 ところが、顔を真っ青にして慌てるいのに、兄妹は不敵な笑顔で答えます。

 

 

 

「安心しろよ、爺さん。()()()()()()()

 

 

 

 普段であれば腹立たしいだけのはずの空の余裕に満ちた笑みが、荒れた海のように波立ついのの心を静めていきます。

 

「白が言ったろ? 『“()()()()”筒抜け』ってな。東部連合の機密情報も全部が全部が漏れてるわけじゃねぇ……そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが――」

 

 空と白が揃って右の人差し指を突き付けます。

 

 

 

「……()()?」

 

 

 

 2()()()()()()()()()()()が、困惑するように眉をひそめました。

 

「ああ。あの女王様から“知らない”反応が出た情報は、ぜんぶ“()()()()()()()()()()()()()()()()”だった。つまり、あの女王様は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そう、“()()()()()さんがいる場所ではな?」

 

 “いかにも何か企んでいます”と言わんばかりに、空はニヤリと表情をゆがめて言いました。

 

 

 

「【十六種族(イクシード)】位階序列・第1位――神霊種(オールドデウス)……『協力はエネルギーインフラだけ』なんて言ってる場合じゃねぇんじゃねぇの?」

 

 

 

***

 

 

 結局のところ、空が行ったことは非常にシンプル。

 

 

 ――“巫女の身に縛られていた神霊種を解放する”

 

 

 これだけです。

 たったこれだけで、東部連合とエルキアの立場は引っくり返されてしまいました。

 

 

 東部連合の全権代理者である“巫女”は、獣人種の統一国家――“東部連合”を誕生させるという離れ業を為した偉人です。

 彼女は、放っておくと勝手に自殺してしまう、精神を病んだ神霊種の少女を盟約で縛り、自らの肉体に宿すことで少女の精神を安定させ、その状態で獣人種の様々な種族をゲームで下して統一しました。

 

 とはいえ、神霊種の少女は巫女に手を貸したりなどしていません。

 彼女が為したことは、巫女が“もう無理だ”とくじけそうになるたびに『何故?』と問いかけることだけでした。

 

 ですが、それこそが巫女を“いや、無理ではない”と奮い立たせ、統一国家を築き上げるまで支え続けてきたのです。

 少女がいなければ、東部連合という国家は存在しえなかったでしょう。

 

 この経緯からもわかるとおり、巫女は基本的に“少女の神霊種としての力を利用しよう”とは考えておりません。

 

 現在、東部連合でエネルギーインフラとして利用されている少女の“神霊種の力”も、当時は“巫鴈(かんながり)(やしろ)から流れてくる謎の力”としか認識されておらず、原作にも“その力の正体は、当時の誰にも分からなかった”とありました。

 もし、この力の正体が“少女の力だ”と分かっていたら、巫女はその力を動力として利用する指示を出さなかったかもしれません。

 

 巫女にとって、あくまでも少女は友達であり、対等の関係であって、巫女の個人的な願いのために利用すべき存在ではなかったのです。

 

 そんな巫女には、“盟約の縛りがなくとも、少女に心穏やかに過ごしてほしい”、“少女に自立してほしい”という、誰にも言っていない密かな願いがありました。

 “  ”という自らを超える知性を持つ存在を目の当たりにした巫女が、“彼らならば少女の心を救えるかもしれない”と考えて、少女を自らの肉体から解き放つ――これが、原作における“神霊種の双六ゲーム”の始まりです。

 

 ステフちゃんが見た、天空へと延びる螺旋の大地……それは少女の創った“双六盤”であり、この世界においても“神霊種の双六ゲーム”が開始されたことを意味するものだったのです。

 

 プラムの一件があった際、『賭けられる“種のコマ”が大幅に減っているから、“神霊種の双六ゲーム”は起こらない』とステフちゃんは考えておりましたが、それは大きな間違いでした。

 よくよく原作の記憶を掘り起こしてみれば、そんなものなどなくとも簡単に“神霊種の双六ゲーム”のイベントは起こすことができたのです。

 

 原作の巫女は、神霊種の少女を自立させるために、自分から離れるよう改めて盟約を上書きしようとしますが、当初、少女は巫女の要求を拒否してしまいます。

 ですがその直後、『――ほなら、あては今すぐ命を絶つで』と自らの命を盾に脅すことにより、神霊種の少女を無理やり盟約に誓わせていました。巫女と共に暮らす日々は、巫女の死をもって少女を脅すことができるほどに深い友情を築いていたのです。

 

 弱みを握って脅せば、どんな条件でも飲ませることができます。

 “種のコマ”なんて賭けなくとも、巫女の命で脅してしまえば、“神霊種の双六ゲーム”をプレイすることは十分に可能だったのです。

 

 “  ”はそのことにアッサリ気づいたのでしょう。こういった細々としたポカからも、ステフちゃんの凡人さ加減がうかがえます。

 ステフちゃんは、自らのふがいなさにお目々の光を失いつつ、ヒシヒシとそう思いました。

 

 ……さて、

 

 

 

 

 ――それほどまでに巫女に深い友情を抱いている神霊種の少女が、巫女の肉体から解放されて“神霊種の力”を発揮できるようになった後、“巫女の味方にならない”なんてことがあるでしょうか?

 

 ――巫女に『エネルギーインフラ以外でも東部連合を助けてくれ』とお願いされて、“力を貸さない”なんてことがあるでしょうか?

 

 

 

 

 はい、エルキアからしたら状況は絶望的ですね。

 なにしろ、相手には神様が味方に付いてしまったのですから。

 

 いちおう、少女は“仲間になったら弱体化する(ナーフされる)タイプ”のキャラではあります。

 

 元々、巫女の肉体に縛られた少女は、“神霊種としての力”をほとんど発揮できない状態でした。

 原作の記述には、こうあります。

 

 ――巫女を通してしか、何も知り得なかったろう

 ――自立した今なら、こうして千里眼さながらの力も使えるだろうが……

 

 このように、本来千里眼さながらの力を持っているのに、巫女の肉体に縛られている間は使えなかったことがわかります。

 盟約を上書きする過程で、少女を巫女の肉体から解放することで、はじめて少女は本来の力を発揮することができるようになったのです。

 

 ところが、“神霊種の双六ゲーム”で“  ”が勝利し、神霊種の少女が巫女の肉体から完全に解放されたことにより、再度少女の精神は不安定化します。

 

 具体的には“自己否定”。

 “全てを疑う”という概念の神として生まれた少女は、“自分自身”や“自己の存在”すら疑い、肯定することができなかったのです。

 

 “神霊種の力”は“概念の力”であり、“想念の力”……自己否定の想いが極まれば、核となる神髄(しんずい)が不活性化し、死に至ります。

 あくまで不活性化するだけなので、厳密には仮死状態と言うべきですが、少なくとも“生きている”とはとても言えない状態でしょう。

 

 

 ――新たに盟約を上書きする過程として、巫女が一度仮死状態となって少女を解放している

 

 ――だが、上書きを確定させるためには“神霊種の双六ゲーム”を終わらせる必要がある

 

 

 この、“巫女に以前の盟約で縛られつつも、一時的に巫女の肉体から解放された状態”という、極めて限定的な状況下でしか、少女は本来の力を発揮することができなかった、というわけです。

 

 原作では、盟約の上書き後、“  ”の説得により自己否定が止まることで少女の死は避けられましたが、それでも“疑うこと”そのものはやめられず、“自分を疑う”少女は大幅に力を失うことになる……という筋書きです。

 神霊種は非常に多種多様かつ強力な力を持つため、そのままの力で仲間になると、“  ”ではなく神霊種の少女が活躍するお話になってしまうので、当然と言えば当然かもしれません。

 

 ですが、その力は弱体化してなお非常に強力です。

 少なくとも、現在のエルキアと東部連合の状況をひっくり返す程度なら、全く問題ありません。

 

 “神霊種の双六ゲーム”の次のお話――“機凱種(エクスマキナ)のチェスゲーム”において、ジブリールは空と白とともに朱い月へと空間転移し、そこに断絶空間を創って閉じこもるシーンがあります。

 

 地表から朱い月までの距離は平均19万kmという機凱種でも転移困難な程の超長距離にあり、しかも公転速度は毎秒3kmに及びます。

 ジブリールが空間転移で利用した空間の亀裂をたどったとしても、ジブリールたちは朱い月とともに移動しているため、追跡は非常に困難な状況です。

 

 にもかかわらず、少女はアッサリとジブリールたちを発見するどころか、あまつさえ断絶空間にいともたやすく侵入してしまうのです。

 

 少女いわく『“(くうかん)”ではなく“(れんぞくせい)”を断たねば断絶しない。これでは“(上下が抜けている)”だろう』とのこと。

 神様から見れば、たとえ空間を断とうと“断絶”空間とは言えないそうです。おそらくは“因果律”そのものを断つ必要があるのでしょう。デタラメとしか言いようがありません。

 

 ……はい、もうお分かりですね。

 

 “(れんぞくせい)”なんてものを認識し、断絶空間すら超越して対象を捕捉・認識できるデタラメな少女の眼から、吸血種のスパイたちが逃れることは非常に困難なのです。

 

 原作でプラムが認識偽装を使うシーンに、このような記述があります。

 

 

 ――他者の知覚認識を改ざん――直接“侵害”することは“盟約”によって不可能。ならば……

 ――『歓迎とお近づきの印の――“()()偽装”……お楽しみいただけましたぁ?』

 

 

 そう、相手の断りなく吸血種が他者の知覚認識を改ざんする際は、基本的に空間を偽装する必要があります。

 空間を断絶しても問題なく相手を追跡できる特性を持つ“因果律”は空間偽装の影響を受けないため、吸血種は『神霊種の“因果律”を知覚する認識感覚』に対しては偽装を施すことができないのです。

 

 天翼種の第一番個体(アズリール)が原作にて“強力な魂を――血を――取り込んだ直後であれば、あるいは神霊種すら欺ける――?”と思考していたことから、魂を大量に消費すれば神霊種の目をも欺く()()偽装は可能でしょう。

 空間を伝わる声や物音を聞こえなくしたり、空間内に存在する吸血種の姿を見えなくしたりすることはできるはずです。

 

 ですが、“因果律”を偽装できないのであれば、いかに“そこにいないように”見えても対象を捕捉することができてしまいます。

 

 つまり東部連合に潜伏するスパイたちは、神霊種の少女から見れば丸見えです。

 吸血種による東部連合へのスパイ活動は、実質的に封じられたと言えるでしょう。

 

 逆に、ステフちゃんは“東部連合への諜報”ではなく、“エルキアからの情報漏洩を防ぐこと”に吸血種の人員を割かなければなりません。

 相手はジブリールの断絶空間すら無意味にして侵入できる超諜報――重要な会議や資料閲覧のたびに神霊種を欺けるレベルの空間偽装を展開する必要があるからです。

 吸血種に魂を補給するための体液の消費も当然増大することでしょう。

 

 ここに、情報のアドバンテージが丸ごとひっくり返ったわけです。

 

 こんなデタラメな認識能力を持っているのです。いくら現在の少女が“巫女を通してしか世界を認識できない”状態であったとしても、少女が認識できる範囲に吸血種のスパイを配置してしまえば、一瞬にして“因果律”を捕捉し、スパイを認識してしまうかもしれません。

 

 ステフちゃんが、巫女の周囲にだけ吸血種のスパイを配置できなかったのは、こういうわけでした。

 

 あとは資源の不均衡の問題ですが、これもまた、少女がいれば問題は簡単に解決できてしまいます。

 

 ステフちゃんの記憶する限り、少女が弱体化した後に何らかの物質を創造した描写はありませんが、弱体化前は空に浮かぶ大地を創造し、その大地の上では絶滅したはずの猛獣すら再現して見せた能力の持ち主です。

 

 そして弱体化の原因は、少女自身の“自分を疑う想い”……()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――そう、この世界において、精神的な問題を解決するにあたり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 少女は、ただ『敗北したら10秒間“自分を疑うこと”をやめ、その間に要求された資源をこの場に創造する』と【盟約に誓って】から、ゲームに負ければ良いのです。

 たったそれだけで、どんなに希少な資源だろうと、東部連合の望むまま、少女がいくらでも生み出してくれます。

 

 “10秒間”といったように時間を区切らず、ただ“自分を疑わない”、“自分を信じる”と誓わせれば常に少女は“神霊種としての力”を最大限発揮できるようになるでしょうが……おそらく、それを巫女が許すことはないでしょう。

 

 巫女は、少女の独り立ちを望んでいます。“自分の意志で、自分の道を選択し、歩んで行ってほしい”と思っているからこそ、“少女を自分の体から解放しよう”と考えたのです。

 そんな彼女が“盟約で少女の意思を縛ること”を望むわけがありません。それは“少女の自由意思”の否定であり、“少女の生き方”の否定です。

 

 “資源を生み出すために一時的に縛る”のならともかく、“恒久的に少女の意思を縛ること”を許しはしないでしょう。

 

 こうして、東部連合は必要な時に必要なだけ、自力で資源を生み出すことができるようになったわけです。

 

 もうエルキアに高いお金を払って資源を買う必要なんてありません。

 今度は逆に、エルキアが何とかして東部連合に資源を買ってもらうようお願いしないと、経済的に大ダメージを受けてしまいます。

 

 もはやエルキアにとって、東部連合は大事な大事な“()()()”です。

 大量の資源を買ってもらうため、そのお金でエルキア国民が豊かな生活を送るため、エルキアは東部連合の言うことを聞かざるを得なくなってしまったのです。

 

 

 ……そして、“()()()()()()()()()()”が後ひとつ。

 

 

 それは、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ということです。

 

 プラムの件でもお話ししましたが、十の盟約は“同意なく意識を失った人を運ぶこと”を防いではくれません。

 ステフちゃんが眠っている間に海の底にでも移動させられてしまったら、ステフちゃんは飢え死にの危機ですし、エルキアはトップ不在で大混乱です。ステフちゃんを脅して要求を呑ませることも容易いでしょう。

 

 たとえステフちゃんが“飢え死に”を選んだとしても、次の人類種の全権代理者相手に同じことをすればいいだけです。

 東部連合は延々と人類種を脅し続けることができ、要求を呑ませ続けることができるようになったのです。

 

 たとえジブリールや吸血種、海棲種の力を借りようとも、どうしようもありません。

 

 断絶空間にすらアッサリ侵入できるような神霊種であれば、“ジブリールでも通さない空間をステフちゃんの周囲に創ることもできる”と考えておいた方がよいでしょうし、ジブリールたちの感知可能圏外にステフちゃんをさらってしまえば、そもそもステフちゃんを探し出すことすら困難だからです。

 

 頼みの綱の認識偽装で“ステフちゃんの寝ている場所”をごまかそうとしても、因果律をたどられてしまえばバレバレです。

 そして居場所さえわかってしまえば、吸血種やジブリールに認識させる間もなく、空間転移でステフちゃんをさらってしまうことでしょう。

 

 本来であれば、“東部連合の国防ゲームの内容”を知っているステフちゃんは、それを使って交渉することもできたのですが……残念ながら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()“  ”が東部連合に所属してしまったことによって、それも防がれてしまいました。

 

 

 

 ――完敗です。もうステフちゃんには、どうしようもありません

 

 

 

 たった1ヶ月、たった1手で、ステフちゃんは“  ”に完全敗北してしまったのです!

 ステフちゃんのお目々はキラッキラです。まばゆく輝かんばかりに生気に満ち溢れています。

 

 

 

 だって、そうでしょう?

 

 

 

 ――ようやく主人公チームの仲間入りができたのです!

 

 ――主人公と力を合わせて、一緒にゲームできるようになったのです!!

 

 ――凡人のステフちゃんではなく、超天才の最強ゲーマー“  ”に……“よりふさわしい存在”にエルキアを任せられるようになったのです!!!

 

 

 

 先に述べたように“  ”の策は国に大きな負担をかけるものが多いので、そこが少々心配ではありますが、“国防”という観点においては“  ”に任せたほうがはるかに安全です。

 たった1手でエルキアと東部連合の状況をひっくり返してしまったことからも、そのことがよくわかります。

 

 エルキアにかかる負担については、ステフちゃんが過剰労働すれ(のお目々が死ね)ばいいだけのことです。

 倍増どころでは済まないであろう“これから”の仕事量を思い、まるで瞬間停電が起きたかのように一瞬だけステフちゃんのお目々が死にました。

 

 そんなわけで、さっそくステフちゃんは東部連合の要請に従って、せっせと“  ”のお役に立つために、東部連合の首都 巫鴈(かんながり)にある軍事機関かつ外交機関――鎮海探題府(ちんかいたんだいふ)にやってまいりました。

 依頼内容は『東部連合を侵略せんとする不届き者を、東部連合に代わって撃退してほしい』とのことです。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……まあ、それを探るのは依頼を果たした後でも問題ないでしょう。

 

「……それではエルキア王殿、お願いいたします」

 

「ええ、お任せくださいな」

 

 

 ――鎮海探題府の応接室

 

 

 いのの声に応え、悠々とした足取りでステフちゃんは前へ数歩進みます。

 

 そして、ステフちゃんをにらむ金髪でとてもスタイルのいい森精種(エルフ)の女性と、黒髪黒衣の人類種の女性に対し、悠然と微笑みかけて言いました。

 

 

 

「いらっしゃいませ、東部連合への侵略者様。ここからは東部連合 外交長官 初瀬いの様に代わり、このわたくし……エルキア王国 第205代目国王 ステファニー・ドーラがお相手いたしますわ」

 

 

 

 



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