ダンジョン都市で正義を騙るのは間違っているだろうか (kuku_kuku)
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第一夜 「白兎の蜂蜜と香草煮込み」と「ちょっと特別なドワーフの火酒」

18巻で主人公していたリューさんに当てられて我慢できず・・・。


 

 ダンジョン都市で正義を騙るのは間違っているのだろうか?

 

 数多の階層に分かれる無限の迷宮。凶悪なモンスターの坩堝。富と名声を求める命知らずの冒険者達。そして、欲望に塗れた悪人達。

 膨大な資源そのものであるダンジョンを抱え、神の恩恵を受けた世界最強の多種多様な人間たちが住まう都市オラリオ。

 

 己の欲望のままに悪を成す集団が跋扈していた、暗黒期とも呼ばれる過去を乗り越えた今でも、オラリオには悪の残滓がしぶとく生き永らえている。そんな闇を抱えたこのダンジョン都市で、今日も一人かつての正義の真似事をし終え、暗がりが広がる裏路地を歩きながら、そんなとりとめも無いことを考えてみた。

 

 真似事であっても正義を成す行為自体は間違えてはいないのだろう。少なくとも、救われた誰かはいる。例え、犠牲になった誰かがいたとしてもだ。

 だから多分、唯一間違えているとすればそれは、正義を騙っているのが俺だということだけなのだろう。

 

 結局、考えてはみたものの、何時もと結論は変わらなかった。変える気はなかった。

 

 週に一度、憧れた正義に会いに行く日は何時だって同じことを考えてしまっている。

 

 誰も居ない裏路地で血に塗れた覆面と外套を外して、新鮮な空気を吸い込む。そして血を払ってから装備を鞄にしまい、今週も彼女に会いに行くために表通りへと足を向けた。

 

 

*    *    *

 

 

「こんばんは、店員さん」

 

「いらっしゃいませ、冒険者さん」

 

 酒場『豊穣の女主人』の扉を開けて、酔っ払った冒険者達の声で騒がしい店内を進む。何時もの最奥のカウンター席に向かえば、カウンターの向こうで出迎えてくれた薄緑色の髪の華奢なエルフの女性に、綺麗な空色の瞳で冷たくじっとりと睨みつけられた。

 

 何時もの挨拶ではあったが、何時も以上に瞳が冷たいリオンさんの様子を不思議に思っていると、

 

「血の匂いをさせたまま店に来るのはやめて下さい。お帰りはあちらです」

 

 と、冷たい声で斬り捨てられた。

 

「装備は洗ったし、俺もちゃんとお風呂に入って、止血もしてきたんですけど……」

 

「そういう事を言っているのではありません」

 

 一応釈明をしてみたが小さく溜息を吐かれるに終わり、カウンターにエールが入ったジョッキと、好物の不格好な冷めた焼き魚の皿が置かれる。

 リオンさんは俺の感謝の言葉を何時ものように無視して振り返り、「ミアお母さん、本日のオススメとパスタをお願いします」と厨房の恰幅の良い女性、『豊穣の女主人』の女将さんであるミアさんに注文を通していた。

 

 つい数時間前に魔法を使ったせいでカラカラになっていた喉をエールで一気に潤すと、リオンさんがお代わりのジョッキを渡してくれた。と思ったら、水である。やはり帰れということなのだろうか。

 

「お酒では水分補給にならない」

 

「あ、はい」

 

 大人しく水を飲み干すと、リオンさんは最初のジョッキに改めてエールを注いでくれた。

 

 焼き魚を食べながら何時も以上に騒がしい店内を眺めていると、あえて無視していた店の一角を占領する顔見知りの集団の中、縄でぐるぐる巻きにされた状態で天井に吊るされ、罵詈雑言を叫び続けていた灰色の毛並みの狼の獣人ベートと眼が合う。一瞬だけベートの罵詈雑言が止まったが、次の瞬間には何事もなかったかのように再び叫び出していた。

 

 知り合い達の存在には気づかなかったふりをしてリオンさんに「店員さん、店で何かあったんですか?」と尋ねると、

 

「先程まであなたの隣の席に、シルのお客さんが座っていました」

 

 という言葉と共に、パスタの皿と、兎肉の煮込み料理が乗った皿が眼の前に置かれた。

 

 どうやらこの一品が本日のオススメらしい。代わりに存分に堪能させてもらった焼き魚の皿を返し「見た目は残虐でしたが、今日も美味しかったです。ご馳走様でした」とリオンさんお礼を言えば、「相変わらず失礼な人だ」と極寒の瞳で睨みつけられつつ、質問の答えが続けられた。

 

「冒険者になりたての、純朴そうなヒューマンの少年です。多少イレギュラーな状況ではあったようですが、つい最近ダンジョンの洗礼を受けたらしく、そこを貴方のファミリアの仲間に助けられた」

 

 洗礼と言えば、つまりは初めてダンジョンで死にかけ、そして醜態を晒したと言う事だろう。多くの人が通る道である一方で、「初々しい話だ」だったり「俺も若い頃は」だったりと酒の席で笑い話として語られる話だ。

 

 吊るされたベートとその少年が座っていたという空席を見比べる。ベートは戦う覚悟がない弱い者を嫌っている。ダンジョンの洗礼を受けた少年にとって、酔っ払ったベートの弱者への叱咤激励と言う名のただの罵詈雑言は堪えただろう。

 

 何となく事情を察しながら、リオンさんから手渡されたコップに何も考えずに口を付けると、ドワーフの火酒であったらしく強い酒精に少し咽てしまう。しかしただ狂ったように蒸留しただけのよくあるドワーフの火酒かと思いきや、想定外にも後から芳醇な味わいと香りが口内に広がる。

 

「今回はその料理のためだけに仕入れて来たお酒です。ミアお母さんからの評価も高い」

 

 無表情ではあるが若干誇らしそうに酒瓶を掲げるリオンさんの言葉に、先程出されたじっくりと甘く煮込まれた、しかし香草と僅かな辛味がアクセントとして効いたホロホロの兎肉を一口食べてみると、火酒の独特な風味が混ざり溶け合い、とても美味であった。自分ではあまり飲まないのに、相変わらずリオンさんが選んでくれるお酒とこのお店の料理の組み合わせは素晴らしい。

 

 少しばかり熱い料理を冷ましながら、数口分酒と一緒に堪能して、リオンさんから酒瓶を受け取って彼女のグラスにも少量だけお酒を注ぐ。上品に小さく切りわけた肉を食べていたリオンさんは、少しだけお酒を口に含み、僅かではあるが幸せそうに顔を綻ばせていた。

 そんなリオンさんのグラスに再度お酒を注ぎながら、謝罪をする。

 

「知り合いがすみませんでした。悪意が無い……ことはないでしょうが、どっちにしろ良くない盛り上がり方をしたんですね」

 

「私への謝罪は不要です。それに思う所が全く無いわけではありませんが、あくまでも当人同士の問題。店に被害が出たわけでも……いえ、そう言えばシルのお客さんは無銭飲食をしていましたね」

 

「珍しい。店員さんが見逃すなんて、サボって寝てたんですか?」

 

 なりたての冒険者が無銭飲食を達成できた事に素直に驚くと、リオンさんから「寝言は寝てから言いなさい」と冷たく睨まれた。

 

「自分の弱さがよほど許せなかったのでしょう。無銭飲食の事など全く頭にない様子で、悲痛な面持ちで、しかし強い想いを宿した瞳で店を飛び出して行きました」

 

 リオンさんの随分と好意的な評価にまたしても驚いた。あえて止めなかったのだとすると、きっと後日代金を持って謝罪しに来ると半ば確信しているのだろう。

 

「おうおう、ええ酒飲んどるな自分」

 

 突然隣の席に勢い良く腰掛けて来た酔っ払いを無視して、リオンさんにお願いをする。

 

「なら、代わりに俺に付けておいて下さい。当人同士の問題でも、事故とは言え犯罪がおきてしまってるなら関係者の責任ではあるので」

 

「わかりました。ロキ・ファミリアからの非礼に対する謝罪という形で良いでしょうか?」

 

「はい。神様も許可してくれるので、それでお願いします」

 

「は? ちょ、何の話や?」

 

 隣に座った赤髪の酔っ払いの女性は、所属ファミリアの主神ロキ様だった。体格は少年のようで態度は中年親父のような女神様であるが、きちんと筋は通す神様だ。丁度よかったので手に持っていた瓶から神様のグラスにも火酒を注ぎ、事情を説明して事後承認をもらえば「あの食い逃げの子、ベートのせいやったんか……。悪い事したなあ」と深く反省していますと言わんばかりのわざとらしい表情を浮かべながら、空いたグラスをちらちらと見る。

 

 よほどお酒が気に入ったのか、俺の食事を奪いながら何度も何度も無言でお代わりを要求された。ひとしきり堪能して満足した神様は、ニヤニヤと笑いながら俺の肩を抱く。

 

「それにしてもニルス、せっかくの遠征の打ち上げやっちゅうのに用事があるって断ったかと思えば、サボりかいな」

 

「ちゃんとした用事ですよ。週一回の大切なリオ……店員さんに会う日、もとい借金返済の日ですから。そもそも神様、知っててこの店で打ち上げすることにしたでしょう。相変わらず中途半端な悪ガキレベルの悪戯ばっかりやってますね。それでトリックスターとか恥ずかしくないんですか?」

 

「ほんっと口悪いな、自分……しかも今の全部本心で言っとるし……。ていうか、もう五年くらいになるんか? いま借金どのくらい返し終わったん? こんな高い酒頼むくらい毎回お金落としとるんなら、結構な額は行っとるやろ」

 

 神様に言われて、そう言えば残りの借金の金額なんて全く把握していないことに気付いた。ならばとリオンさんを見てみると、

 

「私も詳細は把握していませんが、まだ十分の一にも満たないかと」

 

 淡々とそう返された。

 

「はあ!? 何でそんだけなん?」

 

 素で驚く神様だが、実は俺も結構驚いている。最近は一回あたりの支払いも当初に比べるとかなり跳ね上がっていたので、少なく見積もっても半分くらいは行っているだろうと考えていた。実は何時の間にか利子がつくことになっていたのだろうか。

 

「借金返済に充てられる事になっている純粋な店の利益分から、私の貸出代として八割が引かれていますので」

 

「え、何それこわ……。ん、でも、てことはもしかして、お金払ったらリューたんが専属で酌してくれるん?」

 

 驚きから一転、嬉々として問いかける神様に、リオンさんは首を横に振る。

 

「いえ、そもそも私の私的な時間でアズラ……冒険者さんと一緒に食事、もとい借金徴収をやっているだけですので」

 

「んん? リューたん今は仕事の時間じゃないってことなん? じゃあレンタル代八割って……あ、やっぱなんでもないです……」

 

 キッチンの奥からジロリと向けられたミアさんの視線に、神様はそっと目を逸した。

 俺が五年間支払い続けていた金額の八割がよく分からない闇に消えていた事が判明しつつあるが、そもそも適正価格で飲食すれば何時の間にか借金が返済されるというよく分からない返済方法なので、瑣末な話だった。

 

「そう言えばリューたんもう聞いた? この子、前の遠征でまた大怪我したんやで」

 

「いえ、聞いていません」

 

 誤魔化すように神様が変えた話題に、リオンさんは僅かに顔を苦そうに歪めた。

 

「他の子ら助けてのことやし、熟練度もめっちゃ上がって、ええことではあるんやけどな……。聞いてやリューたん、そんで褒めて叱ったって」

 

「承ります」

 

 以前神様からもめちゃくちゃに殴られたのに、また怒られるのか。リオンさんの冷たく固められた無表情から、そっと目を逸してしまう。

 

「この前の遠征で、うちの子ら、武器まで溶かしてまう気持ち悪い腐食液吐き出す大量のモンスターに遭遇したんよ。で、大怪我した子らが出たからって、この阿呆は一人でそのモンスター共に突っ込んで行って一人で殿を引き受けたんやって。それも自分の槍も溶かされたからって、素手でやで。いくらある程度腐食液を焼き払えるからって、自分の魔法で大火傷するんなら結局一緒やってのに……。帰って来た時なんか傷だらけで、特に両手は火傷か爛れなんかわからんほどグッチャグチャのグッログッロで、そりゃもうひっどい状態やったんやで」

 

「手を」

 

 神様の説明を受けたリオンさんは、俺を見つめてただ短くそれだけを発した。

 大人しくカウンター越しに手を差し出すと、そっと両手で包み込まれ、そして指を曲げられたり広げられたりと一通り検分される。くすぐったい。

 

「治療がよかったのですね。後遺症もないようだ」

 

 少しだけリオンさんの顔が綻んだように見えたが、

 

「冒険者さん、人を助ける行為自体は尊ばれるべき素晴らしい行いです。しかしいくらその身が呪いそのものであるスキルに縛られているからとは言え、安易に自殺するような真似は控えるべきだ」

 

 次の瞬間にはまた何時もの冷たい表情で、きつい言葉を投げ掛けられたので、気のせいだったようだ。

 

「店員さん、もう呆けたんですか? 何回か言ってますけど、俺のスキルは呪いじゃなくて、憧れた正義から、恩人から貰った生きる意味そのものです。いくら店員さんでもそれを侮辱するなら許しません」

 

「……」

 

「……」

 

 無言でリオンさんと睨み合うこと数秒、リオンさんは小さく溜息を吐いた。

 

「貴方がLv.4になって、もう長い。先程の件も踏まえると、Lv.5が見えて来てもおかしくない頃でしょう。この手も、随分と大きくなった」

 

「……」

 

「だが、今のあなたには、かつての切り札とも言えるスキルもない。もう身体諸共心が燃え尽きて死んでしまう事はないのでしょうが、心が死なずとも人は簡単に死んでしまう」

 

「ただの残り火でも、誰かの助けを求める声があれば、俺は強くなれます。今回も求められたからこそ戦った。それにあの頃よりも、強くなった」

 

「それでも、です。例えあなたが憧れを抱いてしまった間違えた愚か者より強くなっても、無理をすれば死んでしまうのです」

 

 リオンさんの手は、少しだけ震えていた。一瞬だけ迷ったが、それでも俺には、どうしても否定しなければならないことがあった。

 

「間違ってるのは俺なんかがその人に憧れたことで、その人は間違えてなんかない。だって、あの夜俺を、俺達を救ったのは──」

 

「その話はもういい。今は関係ありません。ともかくです。私はあなたが死ねば悲しいし、あなたはまだ借金の返済も終えていない。私が言いたいのはそれだけです」

 

 強引に話を終わらせたリオンさんに、俺は何も言えなくなっていた。

 

 そうか。リオンさんは、俺が死ぬと悲しいのか。悲しんでくれるのか。

 

「リューたん、リューたん。手、大丈夫なん? 素肌触られんの無理やったんやろ? セクハラされとるけど」

 

 神様のそんな笑いを含んだ声にふと我に返った。何時の間にか席から立ち上がり、触診のために添えられていたリオンさんの右手を握り返していた事に気づく。

 リオンさんも俺の顔と手を交互に見比べて、そして次の瞬間には俺の手を打ち払い、流れるような動作で左手で俺の頬を叩いていた。

 

「あーあ、こりんなあ、自分!」

 

 鳴り響いた綺麗な平手の音に、心底楽しそうにケタケタと笑って神様は勢い良く席を立ち、自身のファミリアが占領する一角へと走りながら叫ぶ。

 

「聞いてえな、みんな! ベートに続いてニルスも粗相やで! しかもうちを差し置いてエルフの店員さんにセクハラするなんて最低な粗相や! 吊るせ吊るせ!」

 

「おや、それは良くない。あのセクハラ誹謗中傷道化(ピエロ)はファミリアの恥だ。みんな、団長命令だ。やれ」

 

「我が同胞を辱めるとは最低だなあのセクハラ屁理屈暴言道化(ピエロ)。副団長命令も重ねる。やれ」

 

 低俗神様の呼び声に、アラフォーロリコン勇者と児童虐待ママの楽しそうな号令が重なる。

 

 意味不明かつ理不尽な身の危機を感じていると、ロキ・ファミリアの団員達がロープを構えながらじりじりとにじり寄ってくる。吊るされているベートと目が合い鼻で笑われたが、その状況でよくそんなことができると感心する。頭おかしくなったのだろうか、あのおつむが幼稚な察して狼ちゃんは。

 

「良い家族ですね、セクハラ道化(ピエロ)さん」

 

 微笑ましそうに悪意なく小さく笑うリオンさんに思わず反論しかけたが、それよりも早く彼女の背後から、ミアさんの拳が後頭部に振り下ろされていた。

 突然の衝撃に目を白黒させているリオンさんに、ミアさんが怒鳴る。

 

「何が良い家族ですねだ、このポンコツエルフ! 自分から手握ったくせに何で客ぶん殴ってんだい!? あの神に騒ぐ口実与えちまっただろうが!」

 

「……私は何時もやりすぎてしまう」

 

「何誤魔化してんだい!」

 

 ミアさんに怒られ落ち込んでいるリオンさんに、俺は徐々に狭まる団員たちの包囲網から逃げることを諦め、笑顔で返した。

 

「良い家族ですね、ポンコツエルフさん」

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 かつてダンジョン都市オラリオには、暗黒期と呼ばれた時代があった。

 

 暗黒期のオラリオにおいて、《正義》を掲げるファミリア(家族)に属して、多くの正義を成した少女がいた。

 

 暗黒期のオラリオにおいて、《悪》を名乗る集団に(家族)を人質に取られ、多くの悪を成した少年がいた。

 

 しかし、正義を掲げた少女は、悪によって愛する家族(ファミリア)を皆殺しにされ、正義を捨てて復讐に取り憑かれた。

 そして少女の復讐の過程によって最愛の家族()が既にこの世にいないことを知らされた少年は、壊れて、救われて、そしてその少女の姿に正義を見た。

 

 落ちた正義の使者である少女と、それに憧れたかつて悪だった少年。

 殺戮によって暗黒期を終わらせ、自分達も終わり行くはずだった少女と少年は、しかしそれぞれ新たな家族によって救われて今もなおダンジョン都市オラリオで生きている。

 

 かつての少女──リュー・リオンは、とある酒場で店員として。

 かつての仲間達の正義の成果を見届けるため。そして、間違えた正義に今も憧れるかつての少年を正すという、最後の責任を果たすために。

 

 かつての少年──ニルス・アズライトは、とあるファミリアで冒険者として。

 あの夜に伝えられた妹の最期の言葉を叶えるために。そして、憧れた正義を騙り、正義の存在を証明するために。

 

 故に、これは彼と彼女の【正義を巡る物語】。

 

 ダンジョン都市に迷い込んだ一匹の白兎の存在によって新たに始まる、一時期は【正義の味方(ヒーロー)】と呼ばれながらも今は【道化(ピエロ)】と蔑まれる正義を騙る冒険者と、かつては【疾風】として戦場を駆け、今はただの【ポンコツエルフ】として酒場で働く店員の、ダンジョン都市の命運を賭けた戦いと、そして週に一度の酒場での語らいの記録である。

 

 

 

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【とうじょうじんぶつ】

 

ニルス・アズライト

・失言&暴言標準装備型主人公

・高位存在への変身という使用条件付きレア魔法を発現させたが故に嬉々として神々に【ヒーロー】(第二候補はニチアサ)という二つ名を付けられたが、使用条件が不明で一度たりとも発動出来たことがないが故に【ピエロ】と呆れられて掌返しされた残念冒険者

・『ロキ・ファミリア』の冒険者さん

 

リュー・リオン

・バーテンダー的独自システム構築型ヒロイン

・本日のお酒は「ちょっと特別なドワーフの火酒」

・『豊穣の女主人』の店員さん

 

冒険者になりたての純朴そうなヒューマンの少年

・主人公の脳を破壊しに来る原作主人公

 

ロキ

・第一話のカウンター席への飛入り客

・少年のような体格で中年親父のような性格の、主人公所属ファミリアの低俗女神様

・「それでトリックスターとか恥ずかしくないんですか?」と地味にアイデンティティを傷つけてくる主人公をこらしめたい

 

ベート・ローガ

・第一話の酒場に居合わせた客その1

・主人公の同僚兼友人のおつむが幼稚な察して狼ちゃん

・主人公のことを「存在自体がネタなくせにシリアスぶってる勘違い野郎な上に、貢いでる酒場のエルフから雄として見られてないクソザコナメクジ。貢いでないだけ俺の方がマシ。笑える」と思って見下してる。周りからは同類扱いされている。

 

フィン・ディムナ

・第一話の酒場に居合わせた客その2

・主人公の頼りになる上司であるロリコン

・主人公に対して「本当に風評被害はやめてほしい。火のない所に煙は立たないとか、うるさい黙れ。18にもなって10歳児並の拗らせ方してる男に人権はない」と青筋を立てながら、月のない夜に背中を見つめていることがある。

 

リヴェリア・リヨス・アールヴ

・第一話の酒場に居合わせた客その3

・主人公の頼りになる上司である児童虐待ママ

・主人公とは「虐待と言われるほど折檻はしていない。おおん? された方がどう思うかだと? よろしい表に出ろ」と活発な議論を交わす仲。ただし用いる言語は肉体言語のみ。原作より物理攻撃力高め。

 

ミア・グランド

・『豊穣の女主人』の女将さん兼お母さん

・本日のオススメの一品は「白兎の蜂蜜と香草煮込み」



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第二夜 「厚切り牛肉の鉄板焼き」と「果実漬けの葡萄酒」

 

「あの、これ、お金です! どうかこれで許して下さい!」

 

 少しだけ誇らしげなリオンさんの視線に見守れながら、何時もよりも形の良い焼き魚を食べていると、真後ろから唐突にそんな声をかけられた。誤解しか招かないような内容を、切羽詰まった様子でそれも店内に響き渡るような大声でだ。

 

「詐欺なら間に合ってます」

 

 不思議に思いながら振り返ると、小柄な少年が真っ白な頭を下げて、俺にお金が詰まっているであろう小袋を差し出していた。少年の背後では、酒場の店員の一人であるシルさんが、人の悪い笑みをにっこりと浮かべて立っている。リオンさんの友人である薄鈍色の髪の彼女に俺は嫌われているので、このカウンター席に近寄って来るのは随分と珍しい。

 

「あ、えっと、すみませんすみませんすみませんすみません! 詐欺じゃなくて、僕、先週このお店で貴方にお金を立て替えてもらった、ベル・クラネルと申します! これはその時のお金で……!」

 

「クラネルさん、落ち着いて下さい。口と目つきの悪さは悪人のそれですが、彼は真っ当なヒューマンだ。いえ、真っ当ではないですが、落ち着いて話せば話は通じる」

 

 顔を真っ青にして謝罪を繰り返すベル・クラネルと名乗った少年と、そんな慌てふためく彼に少しだけ微笑ましそうに声をかけるリオンさん。どちらかというと謝罪すべきはリオンさんの方だろう。

 それにしても白兎みたいな少年だ。先週食べた兎の煮込み料理と、一緒に頂いた独特な火酒を思い出してしまう。あれはとても美味しかった。

 

「ひっ……! た、食べないでください!」

 

「は?」

 

「ひぃぃっ……!」

 

 物騒な事を口走る少年に思わず呆けた声を出すと、その後ろで必死に笑いを堪えていたシルさんが我慢の限界といった様子で小さく吹き出していた。何となく事情は理解できた。つまりは、シルさんによってあること無いこと吹き込まれたということだろう。

 

「ほらほらベルさん、もっと真剣に謝らないとダメですよ! ニルスさん先週、『あの白兎、今度見つけたらまるごと食ってやる、ぐはははは』なんて言っていたんですから。今だってもうそんな目でベルさんの事見てます!」

 

「え、や、やっぱり僕、もうダメなんですか!?」

 

 誰もそんな頭の悪い事を言った覚えはない。

 

 

*    *    *

 

 

 散々ベル・クラネルをからかうついでに俺にも地味にダメージを与え、とても満足そうにしていたシルさん。そんな彼女がリオンさんに注意され、さらに酒場の女将さんであるミアさんにもサボりを怒鳴られ、半泣きで仕事に戻ってから数分。

 

 シルさんに騙されていた事に気づいてようやく落ち着いた様子のベル・クラネルは、改めて自己紹介を終えて隣の席に座り直した状態で、ぺこりと頭を下げて来た。

 

「先週は本当にありがとうございました。おかげさまで僕、犯罪者にならずにすみました。だからせめて立て替えてもらったお金、返させて下さい」

 

 受け取った小袋の中身を見てみると、案の定、一食分にしては随分と多い金額が詰まっている。

 少年に小袋を強引に返しながら、俺も彼に頭を下げた。

 

「むしろうちのファミリアが申し訳ありませんでした。少なくともミノタウロスに君が殺されかけた事は、間違いなくうちの責任だ」

 

 先週の一件、実はベル・クラネルがダンジョンの洗礼を受けた原因は、ロキ・ファミリアにあったと後から聞いた。

 遠征から戻る途中に遭遇したモンスターの軍団をロキ・ファミリアが取り逃してしまった結果、モンスターは上層へ上層へと駆け上がって行ったらしい。その結果、ベル・クラネルが探索をしていた浅い階層にはいないはずのミノタウロスに、彼が襲われてしまう事態になったのだとか。

 

 駆け出しの冒険者である彼がLv.2相当のミノタウロスに敵うはずもなく、無残にもその若い命をダンジョンで散らすその間際、あわやという所で同僚のアイズが間に合い、事なきを得た。

 そしてその場に居合わせたベートが、その時のエピソードをこの酒場で笑い話として大声で語ったというのが先週の無銭飲食事件の真相らしい。

 

「いえ、アイズさんに助けて頂けたので、ロキ・ファミリアのせいだなんて……! それにあの狼人の人に言われた事も、全部本当のことなので……。悔しいですけど、あの言葉があったからこそ頑張れてる部分もあって、だからむしろ感謝しているくらいです!」

 

 だから頭を上げて下さいと慌てるベル・クラネルは、本心から悔しそうにしている上に、本心から感謝しているように見える。

 ベートの暴言の内容は把握していないが、何時ものような弱者への発破と言う名のただの暴言だろう。それを原動力に変えることが出来ている少年のことを、素直に凄いと思った。

 

「クラネル君は強いですね。あのゴミカス察して狼ちゃんに教えてやったら、真っ赤になりながら照れて喜びそうだわ」

 

「ゴ、ゴミカス……?」

 

 顔を引き攣らせたクラネル君は、俺から距離を取るように仰け反り返っていた。

 

「クラネルさん。冒険者さんの口の悪さは気にしない方がいい。友人に対する照れ隠しのようなものです」

 

「店員さんは、嘘つきの友人さんの悪い癖が伝染ったんですか?」

 

 堂々と嘘を吐くリオンさんは俺の指摘を無視しながら、カウンターに木皿を一枚置いた。

 

「本日のオススメの『厚切り牛肉の鉄板焼き』です」

 

 木皿の上にはジュウジュウと音を立てる熱々の鉄板と、更にその上には巨大な肉の塊が乗っている。見た所は塩と黒胡椒のみで味付けされたシンプルな一品ではあるが、見た目と音、そして匂いだけでも食欲が唆られる。

 

「店員さん」

 

「はい、クラネルさんにも同じものを用意しています」

 

 こくりと頷いたリオンさんは、クラネル君の前にも同じ一品を置いた。

 

「え、リュ、リューさん!? 僕、今日はこんな高価なもの食べるお金持って──」

 

「謝罪としてご馳走させて下さい。先週の食事代はうちのファミリアからの正式な謝罪で、これは俺個人からの謝罪として。クラネル君が死にそうな目に会ってる時、俺は呑気に寝てたから」

 

 素早く壁にかけてあるメニューと分厚い肉を見比べて焦るクラネル君の言葉を遮って、冷めない内に食べてくれとクラネル君にナイフとフォークを手渡す。

 未だにクラネル君は遠慮して何かゴニョゴニョと言っていたが、既に俺の興味はリオンさんがグラスに注いでくれた葡萄酒に移っていた。

 

 ステーキに葡萄酒。最近は珍しそうなお酒だったり、料理との組み合わせを狙ってくるリオンさんにしては無難な選択だと、少しだけ不審に思う。

 

 しかし特にそれ以上悩むこともなくお酒を口に含むと、渋い味わいと共に、葡萄とはまた異なる爽やかな風味が口内を満たす。

 

「あ、これ……」

 

「はい。葡萄酒に果実を漬け込みました。柑橘類の香りは、今日の一品によく合うはずです」

 

 リオンさんの無表情ながらも自身に満ち溢れた口ぶり。

 

 俺は鉄板の上で脂を跳ねさせる熱々の牛肉にナイフを入れ、口に運ぶ。想像以上に熱かったが、シンプルに味付けされたからこそ際立つ牛肉の旨味が口に広がり、そして葡萄酒の渋みと柑橘系の爽やかな香りがその旨味を何倍にも引き立てる。

 

「美味しいです」

 

 短くそれだけ告げて、もう一口牛肉を口に頬張ろうとして、しかし先程のあまりの熱さを思い出して手を止める。

 そしてリオンさんから葡萄酒の瓶をもらって彼女のグラスにもお酒を注いでから、ふと思い出して隣の席を見た。

 

 ナイフとフォークを持ったまま硬直しながらも、しかし目の前の肉の塊を物欲しげに見つめているクラネル君。そんな少年のグラスにも、無言で葡萄酒を注いであげた。

 

 目の前に置かれた肉と酒に意を決したかのように「ありがとうございます! ご馳走になります!」とお辞儀をして、そして勢い良く牛肉に齧り付いたクラネル君は、目を見開いて叫ぶ。

 

「やわらかい……! でも歯ごたえもあって、それより何よりお肉の旨味が凄くて美味しい! こんな美味しいもの、僕、久しぶりに食べました! じゃが丸くんと全然違う!」

 

 唐突に牛肉とじゃが丸くんを比べ始めたクラネル君の頭は大丈夫かと心配になったが、クラネル君は団員が彼一人しかいない新興のファミリア所属だという話を神様から聞いたことを思い出した。

 

 なるほど。つまり彼は普段何時も、安くて量が多いじゃが丸くんを主食にしているのだろう。俺も初めてこのお店で食事をした際に「残飯と全然違う」という普段の食事との比較をした直後にミアさんにぶん殴られた事があったなと、昔の事を思い出してしまった。

 

 ナイフとフォークが止まっている俺を不思議そうに眺めながら、クラネル君はきょとんと首を傾げていた。

 

「あの、食べないんですか?」

 

「彼は猫舌なだけです。クラネルさん、冒険者さんのことは気にせずに存分に味わって下さい」

 

 上品に小さくもぐもぐと食べながらのリオンさんの説明に、クラネル君は納得したように何度か頷きつつ正面を向き直ろうとする。が、リオンさんが俺の皿から牛肉を切り分けて食べている事に気づき、不思議そうな視線を向けた。

 

「この店の料理、一人だと量が多いんで、店員さんは手伝ってくれてるんですよ」

 

 そう説明して、程よく冷めて来た肉を口に頬張り、グラスの葡萄酒を再度煽る。リオンさんが前日から漬けてくれていたのであろう葡萄酒は、やはりとても美味しかった。

 

「そう言えば、リューさん。今日は本当にありがとうございました。あのナイフ、神様から頂いた大切なものだったので本当に助かりました」

 

「いえ、当然のことをしたまでです。それに犯人は……取り逃がしてしまったので」

 

 クラネル君の唐突な感謝の言葉に、リオンさんは新鮮なサラダが入った皿を三つカウンターに置きながら、少しだけ言葉を濁した。早速サラダを頂きつつ、あまり聞かない方が良い話かと様子を伺うと、リオンさんからそっと視線を逸らされる。

 

 彼女の様子には気づかなかったようで、クラネル君が少しだけ気恥ずかしそうに頭を掻きながら、今日の昼間にあった事なんですけどと説明してくれた。

 

 クラネル君は自身の主要武器であるナイフを、ダンジョンからの帰りに落としてしまったのだという。

 そしてそのナイフを拾い持ち去ろうとしていた小人族の男から、偶然買い出し中であったリオンさんがそのナイフを奪い返したということらしい。

 ちなみにそのナイフは彼の所属ファミリアの主神から贈られたばかりの、大切な品だったのだとか。

 

 聞く限りではリオンさんが気不味そうにする理由が分からず、不思議に思っていると、クラネル君が意を決したように「あの、ニルスさん!」と俺に問いかけて来た。

 

「ニルスさんは、アイズ・ヴァレンシュタインさんと仲が良かったりするんですか……?」

 

「アイズと? まあ同じファミリアだから……?」

 

 仲が良いか、とはまた漠然とした質問だ。五年も同じ館で暮らしているし、一緒に訓練もするし、遠征では命を預けて戦うこともある。だが、アイズに限った話ではないが、ファミリアの同僚と仲が良いかと改めて問われると、どう答えるべきなのだろう。

 

「そういう意味じゃなくて、実はニルスさんが恋人だったり、ニルスさん以外でもアイズさんに恋人がいたりとかいなかったりとか、ご存じないかなと」

 

 早口でそんな質問を重ねてきたクラネル君に、流石に察した。クラネル君は命を助けられたアイズに、惚れてしまったということなのだろう。十六歳という若さでLv.5の第一級冒険者に至った【剣姫】と称される実力者な上に、中身はともかく見た目は可憐な完璧超人だ。命を救われたという文脈を踏まえれば、クラネル君が一目惚れしてしまうのも何らおかしな話ではない。

 

「俺とアイズは同じファミリアの団員同士なだけですよ。アイズにそういう相手がいるって話も聞いたことはない。もしそんな相手がいるなら、拗らせ狼が発狂して面白いことになってるから、間違いない」

 

「そうなんですね、よかった……。ところでニルスさんって、ベート・ローガさんと仲が良いんですか?」

 

「いえ、別に。普通です」

 

 心底ホッとした様子で、ついでとばかりに聞いて来たクラネル君に、淡々と返答する。

 五年も同じ館で暮らしているし、一緒に訓練もするし、遠征では命を預けて戦うこともある。何なら昨日も、先日の祭りで都市に突如現れたきな臭い新種のモンスターの足跡を辿った先のオラリオの地下水道で、一緒に戦って来た。だが、そんなファミリアの同僚ではあるが、別に仲は良くない。断言できる。

 

「何かいいですよね、そういう友情って。僕、そういう相手がいなかったから、ちょっと憧れちゃうな」

 

「は? 頭の病気ですか?」

 

 唐突に先程の返答がなかった前提で話を進めるクラネル君を心配していると、リオンさんに「店内で威嚇はやめなさい」と指で額を弾かれた。地味に痛い。

 

 追加で出されたチーズと共に、

 

「果実を漬ける前の葡萄酒です。私が余計な手を加える前の味も是非味わって下さい」

 

 と、新たなグラスに別の瓶から葡萄酒が注がれた。葡萄酒の良し悪しが分かる程良い舌をしていないが、それでも流石はリオンさんが選んだお酒だけあって、美味であることは間違いなかった。

 

「えっと、リューさんとニルスさんもとても仲が良いですよね? 実は昔、一緒のファミリアで冒険者をやっていたとかだったり……」

 

 少しだけ居心地が悪そうに苦笑しながらそう呟いたクラネル君に、俺とリオンさんは思わず顔を見合わせてしまう。

 そんな俺達の様子にクラネル君はハッとしたように口を押さえ「すみません、詮索するつもりとかじゃなくてっ!」と謝罪してきた。

 

 申し訳なさそうに謝罪するクラネル君は、本当に人間が出来ている。と言うより、擦れておらず純粋だ。

 別に隠している事ではないので、正直に俺はクラネル君に答えた。

 

「店員さんにとって俺は、ただの敵だったんですよ。だから彼女の仲間だったなんてそんな失礼な事を言うのは、冗談でもダメですよ。まあ、店員さんに限らず、オラリオ全体の敵だった闇派閥の一員な上に、最後にはその闇派閥を裏切って壊滅させたから、表も裏も含めて全員から敵視されている嫌われ者ですが。クラネル君も、ロキ・ファミリアの事を調べたのなら、噂くらいは聞いたでしょう。蝙蝠野郎とか卑怯者のピエロとか」

 

「えっと……はい。すみません」

 

 正直に答えた上でまたしても謝罪して来るクラネル君。そんなに気にすることはないと声をかけようとしたが、それよりも早くリオンさんが声を発した。

 

「昔は敵でしたが、今はそうではありません。経緯はどうあれ、今の彼は……《正義》を成すただの冒険者です。クラネルさんがどのような噂を聞いたかは分かりませんが、彼は善人だ」

 

「正義を成してるんじゃなくて、詐称してるだけですけどね。スキルに刻まれてるんですから、店員さんが否定してもそれは覆らない」

 

 俺は《正義》ではない。だけど俺が騙っている《正義》は本物だ。背中に刻まれた神聖文字(ステイタス)が証明している。

 

 先週もリオンさんと少し言い争いになった、彼女からもらった大切な俺の生きる意味。一方で、彼女曰くの呪い。この話題になると、リオンさんとは何時も平行線だ。

 

「ス、スキル、良いですね! 僕にも早く発現しないかなあ! ま、魔法も早く使えるようになりたいし、何かアドバイス頂けませんか!?」

 

 剣呑な空気に耐えきれなくなったのか、クラネル君が焦りながら早口でそんな事を言ってきた。クラネル君は本当に人間が出来た少年だ。

 

 だが、空気を変えるためという目的があったとは言え、Lv.4の第二級冒険者のスキルや魔法、冒険自体に興味があった事も事実なのだろう。是非とも語れる範囲で俺と俺の冒険を語ってくれとせがんで来たクラネル君に、正直に俺の事を話して聞かせると、最終的には葬式のような空気になっていた。

 

 まあ、語れる範囲という制約がつくと、仕方がない。

 俺がロキ・ファミリアに所属する際の条件として、ギルドを通してオラリオ全体に公開されたスキルと魔法には、彼が思い描いているような華々しい能力もなければ、戦況を覆す事ができるような力もない。

 

 スキル【正義詐称】。通常戦闘における全能力超マイナス補正。与えたダメージと同等の痛みを受ける。代償として、憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る。

 

 魔法【イデア】。使用条件付き変身魔法。使用条件が何なのか分からず、一度も使えたことがない魔法。

 

 『憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る』という俺にとっての重要な免罪符と、あの夜、確かに実在した《正義》を神聖文字が保証してくれること以外、スキルは人ともモンスターともまともに戦闘できなくなるだけのものだ。魔法に至っては元々保持していたもう一つの魔法を食いつぶしたくせに、まったく発動できないだけの邪魔な魔法である。

 

 期待に目を輝かせていたクラネル君が、何と言うか少しだけ哀れみの視線を向けてくるのも仕方がないのだろう。

 

 語り終えた俺に何とか言葉を返そうとするが、しかし一向に言葉が思いつかない様子のクラネル君に、リオンさんが助け舟を出す。彼女が小さく笑っていたのを、俺は見逃していない。

 

「クラネルさん、そろそろ夜も遅い。明日もダンジョンに行くのであれば、もう身体を休めた方が良いでしょう。……あの小さな犬人のサポーターの少女に迷惑をかけるのも、よくない」

 

「あ、そ、そうですね! お二人とも今日は本当にありがとうございました! ご飯もお酒も、とっても美味しかったです! 僕、絶対にもっと強くなってたくさんお金を稼げるようになるので、その時は絶対にお返しさせて下さい!」

 

 リオンさんの言葉にわたわたと頷いて感謝の言葉を述べて立ち上がり、何度も何度もこちらを振り返ってはまた頭を下げながら店の出口に向かって行くクラネル君。気持ちが良いくらい真っ直ぐな少年の背中に、俺はお節介かもしれないと思いつつも、声をかけた。

 

「アイズに伝言があれば伝えるけど、どうする?」

 

「……いえ! ちゃんと自分で感謝を伝えたいので、大丈夫です!」

 

 ほんの少しだけ考えて、しかし迷いなくそう笑って、クラネル君は酒場の外へと出て行った。

 

 

*    *    *

 

 

 クラネル君が帰りしばらく経ち、夜も深まり周囲の客が少なくなった頃、何時ものようにリオンさんに近況を報告する。

 唯一何時もと少しだけ違う点は、良くない報告があることだった。

 

 先日開催された年に一回の怪物祭という、ギルド企画の、観客の前でモンスターを調教する一大祭典。その祭りで見世物にされるはずだったモンスター達が事故で逃げ出し、オラリオは一時騒然となった。

 

 その事件自体は、まだいい。

 問題は逃げ出したモンスターと同時にオラリオの各所に出現した、『食人花』と呼称されることになった極彩色の新種のモンスターの存在だ。

 

 誰も見たことがない未知の危険なモンスターが、都市を管理しているギルドや大手ファミリアに気づかれること無く、オラリオに出現した。

 そして、無限にモンスターが湧き出るダンジョンの蓋として機能しているこの都市の存在意義をも揺るがしてしまうその事件は、悪意を持つ何者かの手引によって引き起こされた可能性が非常に高い。

 

 言い方を変えれば、一歩間違えれば暗黒期の再来、都市と世界の崩壊に繋がりかねない、正真正銘の大事件だった。

 

 そして昨日、その食人花の出現ルートを突き止めるために調査した旧式の地下水路にも、まだ食人花は潜んでいた。しかし結局、犯人の手がかりは掴めていない状態である。

 

 だが、かつて下っ端の下っ端だったとは言え、奴らの一員であった俺は、直感的に理解していた。

 

 この事件には、おそらく闇派閥の残党も関与している。

 

 そして直接的に言葉にせずとも、かつて闇派閥を壊滅させた張本人であるリオンさんも同じ結論に至ったようだった。

 

「残党か……」

 

 苦々しげに色々な言葉を飲み込み、リオンさんは俺の報告にそれだけ小さく呟いた。

 やはりリオンさんには告げない方がよかったかもしれないと後悔したが、それを告げないのはフェアではないし、闇派閥の残党に明確な恨みを持たれているリオンさんに情報を伝えないのはそれはそれで危険だ。

 

「とは言え、まだ確証はありません。動こうにも情報もない。何か分かり次第また情報共有します」

 

 そう締めくくって、しばらく無言のまま、二人でチーズや塩漬け肉をつまみに数本の葡萄酒を飲み干す。

 せっかくのリオンさんとの食事であったが、闇派閥の話題から後は、まともに味わうこともせずに気分を紛らわせるためだけに酒を流し込んでいたような状態だった。

 

 とは言え、酔いが深まるにつれて、徐々にとりとめもない会話もぽつりぽつりと増えてくる。

 話題は自然と、先程まで一緒に食事をしていたクラネル君の事が多くなった。

 

 どうやらシルさんがクラネル君に惚れているようで、リオンさんは「クラネルさんは、シルの伴侶となる予定の人」などとかなり色々と過程をすっ飛ばした事を言っていたが、シルさんにとっては残念な話だが今のクラネル君にそのような予定はないだろう。

 

「それにして最後の挨拶もそうでしたが、やはり彼は律儀で真っ直ぐなヒューマンですね」

 

 そして、分かっているのか分かっていないのか、リオンさんがぽつりとそんな事を言ってきた。

 

「律儀と言えばそうでしょうが、あれはまた別でしょう」

 

 アイズの事を聞いてきた時のクラネル君の様子を思い出し、思わず苦笑する俺に、リオンさんは不思議そうに首を傾げた。

 

「恩人に自らの言葉で感謝を伝えたいと言うのが、律儀ではないと?」

 

「あ、リオンさんは鈍感純情ポンコツエルフさんでしたね。高度なお話をしてしまって申し訳ありませんでした」

 

「表に出ろ、アズライト。その席で泣き顔を晒していた頃を思い出す準備はできているか? 道化の顔にも涙はよく似合いそうだ」

 

「は? 今更そんな昔の、しかも一回限りのこと持ち出すなよ。つーかその頃あんただってポンコツポンコツ言われて凹んで半泣きだっただろうが。ああ、自爆テロか?」

 

 急に喧嘩を売って来たポンコツエルフに反射的に言い返し席を立ち上がった瞬間、キッチンの奥から凄まじい速度で飛んできたフライパンに血の気が引いて顔が引き攣る。

 同じく顔を真っ青にしたリオンさんが寸前で首を逸らし回避したフライパンを、どうにか左手で掴んで事なきを得る。とんでもなく受け止めた手が痛いが、避けた方が結果的に痛くなることを知っているので最適解ではあった。

 

「……あんた達、騒いだら分かってんだろうね?」

 

 ミアさんの一周回って不気味な程静かな言葉に、前科と壮絶な折檻の経験がある俺とリオンさんは、無言で何度も何度も頷くしか出来なかった。

 

 お互いに毒物等を一定量無効化する《耐異常》の発展アビリティを持つ身。一瞬ではあるが意識が戦闘のそれに切り替わった結果、アルコールの毒素が急速に分解され酔いが冷めてしまった。結果、何となく気不味い静寂が訪れる。

 

 ふと、リオンさんとクラネル君の帰り際のやり取りを思い出した。後で聞こうと想って忘れていたのだ。

 

「さっき、クラネル君のサポーターが犬人の女の子って言ってましったっけ? で、ナイフを拾ったのが──」

 

「二人共、もう、飲みすぎですよ!」

 

 無理やり話題を切り替えようとした俺の言葉を遮り、大量の空の食器を運ぶシルさんの「私怒ってます」と言わんばかりの声が響く。

 

「何があったのか知りませんけど、昔みたいな殺伐とした空気は、私もう嫌ですからね。あ、でもニルスさんのその気持ち悪い丁寧な言葉遣いは気持ち悪くて嫌いなので、そこだけは昔に戻ってもらっても大丈夫です」

 

「苦情は児童虐待がライフワークのどこぞのエルフの王族の方に直接お願いします」

 

 シルさんの暴言をスルーして、小さく溜息を吐く。闇派閥の話題でお互いに殺気立っていたので、嬉しい乱入であった。

 だがそれはそれとして、何時もと違い一言目が暴言でなかった分、二言目に気持ち悪いと二度重ねてくる律儀さは、ある意味尊敬に値する性格の悪さである。流石だ。

 

「シル。言葉が綺麗な事は良いことです」

 

「うーん。まあ、私には関係ないから、ニルスさんがどれだけ残念でも、リューがいいならいいけど……。でも、可哀想……」

 

「そう言えばシルさんはクラネル君の気を引こうと必死と聞きましたが、アプローチが終わってるので残念な結果になりそうですね。あれ? もしかして手作り弁当って、実は最初からクラネル君を毒殺する目的だったりします? クラネル君、可哀想に」

 

「……〜〜っ!」

 

 ぱくぱくと口を開くが、何も言い返せずに真っ赤になって震えるシルさん。

 周囲で聞き耳を立てていた他の店員さん達も「その通りにゃ」「本当に反省しろ」「もう、味見、いや……」「ありがとう、【正義の味方(ヒーロー)】」と小さく喝采をあげる。最終的にシルさんは半泣きになった。

 

 リオンさんが溜息を吐くのが聞こえたが、冗談抜きでわざとやっているとしか思えない、クソ不味い劇物のような料理を渡されているらしいクラネル君は救われるので、俺の指摘は悪くない。

 

「ニ、ニルスさんだって、自分は安泰みたいな顔してますけど、余裕ぶってられるのも今のうちだけかもしれませんよ?」

 

 今日も善行を積めたと満足して葡萄酒を味わっていると、半泣きのシルさんがそんな事を言って来た。何の話だ。

 

「今日リューは、ベルさんに手を握られたんですよ! しかもベルさんはどこかの誰かさんと違ってリューに叩かれてませんでした! 流石は私が見込んだベルさんです。この調子だとリューだってベルさんにコロッと落とされちゃうに決まってます! ふふーん、残念でしたね、ニルスさん!」

 

 顔を真っ赤にした状態で子供のように「やーい、ざまあみろです」なんて言ってくるシルさん。

 

「……」

 

 今度は俺が黙る番だった。

 

 あれ? え?

 

 エルフは種族的に、近しい者以外との素肌での接触を嫌う傾向にある。特にそれが顕著なリオンさんは、シルさん以外と接触すると自動的に反撃する危険な人種じゃなかったのか? 特に男相手だと、恩恵なしの人間なら下手したら死ぬレベルの暴力が確約されているはずだったのでは?

 

 ということは、何か? もしかしてリオンさんはクラネル君に惚れてるとかそういう話なのか? は?

 

「シル、あれは違います。そもそもクラネルさんはシルの伴侶になる人だ。だから間違っても私がクラネルさんとそのような関係になることはありません。そもそも何故その話に冒険者さんが出てくるのですか。彼こそ本当に無関係だ」

 

 困惑するリオンさん。そんな彼女の様子にシルさん嬉々として、してやったりと言った様子で俺ににやにやと笑いかける。

 

「あれれれー? ニルスさんは無関係なんですって! そっかー、無関係かー。確かに無関係ですよね? あははは、残念でしたねえ?」

 

「……」

 

「無視はよくないですよー? ニルスさーん、聞いてますかー? 何時もみたいに気持ち悪い丁寧な口調で何か返答して下さいよー」

 

「……」

 

 実際俺には無関係なので、ひたすら煽り続けるシルさんに言い返そうにも、何も言葉が出てこない。

 

 何だろう。唐突に恩人の、それも憧れた正義の担い手のそんな話を聞かされても、感情が追いつかない。とにかく複雑な心境だ。

 それに何となく、無関係という言葉にショックを受けている気もする。確かにまあ、恋愛事情なのか何なのかよく分からないが、ともかくリオンさんのそういう話は俺には関係ない。関係ないが、何か、こうアレだ。とりあえず手段を選ばずにシルさんを黙らせればいいのだろうか。

 

「別に……まあ、リオンさんが幸せならいいんじゃないですか。その時にはシルさんはもれなく不幸になってそうですが」

 

「あれれれ? 何か怒ってます? それともショックを受けてます? よく分かりませんけど、ごめんなさい、気づかないうちに私、ニルスさんのこと傷つけちゃったみたいで。あ、私、そろそろ仕事あるので失礼しますけど、ニルスさんはゆっくりして行ってくださいね!まあ、できるものならですけど!」

 

 どうにか言葉を絞り出した俺に、シルさんは完全勝利と言った様子で笑い、うきうきとスキップしながら店の奥に消えて行った。そのまま現世から消えろ。

 

 そんなシルさんを不思議そうに見送ったリオンさんは、俺に言った。

 

「よく分かりませんが、喧嘩はよくない。シルにも後で言っておきます。だから怒りを鎮めてください。いや、落ち込んいる? のかもしれませんが……」

 

「……」

 

 いや、別に落ち込んではいないが。

 

 

 

 最後にシルさんという邪魔が入ったが、こうして今週の借金返済も無事に終わりを迎えた。

 

 今日も美味しい食事とお酒に大変満足だ。来週からも頑張ろう。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

【とうじょうじんぶつ】

 

 

ニルス・アズライト

・かつて持っていた汎用性が高い魔法のせいで便利に使い潰されていた元闇派閥のパシリ系主人公

・ロキ・ファミリア入団後に教育ママに物理的に口の悪さを矯正された三下。なお代償として、教育ママの口は悪くなった。

・正義を詐称する冒険者さん

 

リュー・リオン

・純情鈍感ポンコツヒロイン

・本日のお酒は「果実漬けの葡萄酒」

・正義を捨てた元冒険者さん

 

ベル・クラネル

・第二話のカウンター席への飛入り客

・駆け出し冒険者君

・主人公の脳を破壊しに来る原作主人公

 

アイズ・ヴァレンシュタイン

・話題にされた人その1

・主人公の同僚兼友人の中身はともかく見た目は可憐な完璧超人

・主人公のことを「変な人」と思っている。主人公も「変な人」と思っている。

 

シル・フローヴァ

・ポンコツエルフの友人の嘘付き店員さん

・主人公を素直に嫌っている。主人公も素直に嫌っている。喧嘩友達と言われると、互いに苦笑する程度には仲が良い。

・かつて主人公を一時期ヒロインさんから遠ざけていたことがある

 

店員さん一同

・被害者

 

ミア・グランド

・つよい

・本日のオススメの一品は「厚切り牛肉の鉄板焼き」



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第三夜 正義ノ在リ処

 

 ダンジョンの18階層。

 天井の水晶から降り注ぐ煌々とした明かりに照らされた、広大な森林や湖畔、果てには一つの街まで抱える地上さながらの安全地帯。迷宮の楽園とも呼ばれるその階層にあるぼったくりの街と名高いリヴィラで、俺とリオンさんは先日ロキ・ファミリアの幹部たちが巻き込まれた事件の聞き込みを行っていた。

 

 一週間と少し前、このリヴィラの街で殺人事件と、それに端を発する未知のモンスター食人花による襲撃事件が起こった。

 

 殺されたのはオラリオの治安維持を担っている大派閥ガネーシャ・ファミリア所属のLv.4の男であり、彼が迷宮の30階層から持ち帰った緑色の宝玉を狙われての犯行だったと言う。

 

 そして殺人事件の犯人は、第一級冒険者相当の実力を持つ正体不明の調教師と目される女性。

 

 その殺人犯の女性は、緑色の宝玉をいち早く確保したロキ・ファミリアに対して、宝玉を奪還するためにモンスターを使役して街ごと襲撃するという暴挙に出た。

 Lv.4の男の首をへし折り殺害し、Lv.5のアイズを圧倒し、Lv.6の団長とも正面からやり合ったという戦闘力。さらに安全地帯であるこの階層に大量の食人花を招き入れ、街を一斉に襲撃させた調教師としての破格の能力。そんなふざけた力を合わせ持った規格外の存在だからこそ成せた、埒外の襲撃事件だったようだ。

 

 結局犯人は、ロキ・ファミリアが誇る幹部たちを相手取ってなお、しっかりと逃げおおせている。

 

 また挙句の果てには、事件の発端であった緑色の宝玉は、食人花を別のモンスター、食人花の上に人間そっくりな上半身を生やした巨大なモンスターへと変貌させる力を持った意味のわからない代物であったとか。

 

 一から十まで全て作り話と言われた方がまだ信じられるような、そんなふざけた異常事態の連続こそが一連の事件の概要だった。

 

 地上に戻って来た団長から事件のあらましを聞かされると同時に、「表には把握されていない高位調教師、またはそれに類する何らかの力を持つ人物に心当たりはないか」と問われたが、裏社会に属していたとは言え所詮は下っ端であった俺にまともな情報はなく、結局のところ一応の収束を迎えた大事件には未だ多くの謎が残されたままである。

 

 かくして団長から話を聞いた翌日、闇派閥の関与を半ば確信している俺はリオンさんと連れ立って、闇派閥という一点のみに絞って情報を集めるために事件現場である18階層へと赴くに至ったのだった。

 

 が、18階層に来てから今日で五日。先日の事件と闇派閥の残党に関する情報は、全くと言って良い程集めることが出来ていない。

 

 迷宮の24階層では、数日前からモンスターの大量発生という異常事態が起きていたのだ。

 リヴィラの街に着いてすぐに、命からがら24階層から逃げて来た冒険者達に「逃げ遅れたパーティメンバーを救ってくれ」と頼まれた俺は、リオンさんにも協力してもらって昨日まで24階層で人命救助を続けていた。故にひたすら24階層と18階層を行ったり来たりしていただけで、本来の目的であるリヴィラの街での聞き込みなんて今日まで一度もやっていない。

 

 更に言うと、24階層でほぼ使い果たしてしまったアイテムを補給するついでに行った情報収集の成果も、見事なまでにゼロだった。

 

「先程の回復薬で私の方も終わりです」

 

「じゃあ、昼食も兼ねて酒場にでも行きますか。そっちも報酬代わりに地上価格で食べさせてくれるって話しでしたし」

 

「食事ですか……」

 

 隣を歩きながら歯切れ悪くそう呟いたリオンさんは、深緑色のロングケープについたフードを目深に被り、更に覆面で顔の下半分を隠している。俺とは違い過去の一件でギルドから冒険者資格を剥奪されたままの彼女は、本来であれば迷宮にいていい存在ではない。

 

 しかし昔は長かった金色の髪を短く切って薄緑色に染めているし、堂々としていればバレはしないだろう。そもそも彼女の素顔はあまり知られていないのだし。とは言え、あえて反論する程ではない。

 

「気になるなら俺だけで行って来ますよ。食事は包んでもらうので、街の外で食べましょう」

 

 そう提案した俺に、リオンさんは大真面目な顔で言った。

 

「いえ、貴方と職場以外で食事をするのは初めての事だなと」

 

「それを言ったら、こうやって買い物するのも、一緒にダンジョンに潜ったのだって初めてですけどね」

 

「ああ……確かにそうだ」

 

 小さく吹き出してしまった俺に小さく頷いて、口元は見えないがリオンさんも優しくふわりと笑った。

 

 とても穏やかな時間だった。

 リオンさんとこうやって何でもない会話を交わしながら歩くことが出来る日が来るなんて、今まで考えた事もなかった。

 

 お互いに『豊穣の女主人』以外の場所で、今回だけは同じ客、同じ冒険者としての立場で食事をするのも悪くないと話しながら、酒場へと向かう。

 

 だが二人とも当初の目的を、闇派閥の存在を忘れた訳ではなかった。忘れられるはずがなかった。

 

 少しだけ仮初のごっこ遊びを楽しんで満足した後は、すぐに今後の動き方についての認識のすり合わせに移る。

 

「やはり、24階層を調べるべきでしょう」

 

「まあ、どう見ても無関係ではなさそうでしたしね」

 

 俺達は昨日、粗方24階層を回り助けられる人達を助け終えた後、モンスター達の餌場である北部の食料庫に繋がる洞窟を、あるはずがない巨大な壁、それも脈動する生きているかのような緑の巨壁が塞いでいるのを発見していた。

 

 時を同じくして現れた緑の肉壁と、オラリオとリヴィラを襲った食人花。その二つが無関係であるはずがない。

 

 昨日は装備も体力も消耗していた状態だったため深追いせずに18階層に戻り、森の野営地で傷の治療と体力の回復を優先したが、装備を整えた今、後は栄養補給を済ませればもう何時でも出発できる準備は整っていた。

 

 それにしても18階層に闇派閥の残党、ないしは協力関係にある何者かが潜伏していると思っての行動だったが、24階層で手がかりを見つけてしまうとは完全に想定外だった。

 

 今朝までリオンさんに魔法で治療してもらっていた両手の具合を確かめながら、俺は隣を歩くリオンさんに少しだけ躊躇いながらも問い掛ける。

 

「昨日までと違って今は完全に足手まといですが、24階層まで護衛してもらってもいいですか? 最低でも偵察だけはしておきたいです」

 

「Lv.2相当の力が出せるなら足手まといにはならないでしょう。それに私が窮地に陥った際には、全アビリティのマイナス補正もなくなる。ならば問題はない」

 

 スキル【正義詐称】の効果で通常の戦闘時にはレベルにして二段階程度戦闘能力が落ちる俺は、リオンさんに助けてもらわなければそもそも24階層に一人で到達できるかもあやしい実力しか無い。情けない話だ。

 

「おう、正義の味方(ヒーロー)の兄ちゃん、ここにいたか。探したぜ」

 

 少し落ち込む俺に、道の向こうから、人相の悪い眼帯の巨漢のヒューマンが昔の二つ名を呼びながら声を掛けて来た。リヴィラの住人である上級冒険者達を取りまとめる親玉にして街の顔役、ボールス・エルダーだった。

 

「俺の子分共もお前と連れの姉ちゃんに助けられたって聞いたぜ。いやー、ほんと世話になったな。強行軍だったって聞いてたが、元気そうでよかったぜ」

 

 先日までは「女のお守り無しじゃリヴィラにも来れねえような雑魚道化(ピエロ)に話すことはねえ!」と暴言を吐いていたくせに、調子が良い奴だ。

 

「そんな高速回転するなんて、ボールスさんは手首の調子が悪いようですけど、大丈夫ですか?」

 

「ああん?」

 

 とりあえず挨拶を返すと威嚇を返されたが、それよりも本題だ。

 

「もしかして、まだ逃げ遅れていた人がいましたか? 俺を探してたようですが」

 

「ああ、いや、俺が把握してる限りはもう昨日までので全員だ。逃げられた奴らも、そうじゃねえ奴らもな。お前を探してたのは、ほら、急ぎの手紙を預かってんだ」

 

 ガリガリと頭を掻くボールスさんは「ほらよ。お前のファミリアのいけ好かねえ狼人からだ」と言いながら、俺に手紙を渡して来た。

 

 封を破り中の便箋に目を落とし、汚く書き綴られた文字を目で負う。ボルスさんの言う通り、ベートの手紙に違いなかった。

 

 そして内容を把握すると同時、背中に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)が、【正義詐称】のスキルが燃え上がるように熱を発した事を自覚した。

 

「これ、何時間前の手紙ですか?」

 

「あ? だいたい一時間くらい前だ」

 

 不思議そうにしながらもそう教えてくれたボールスさんに礼を言い、背後のリオンさんに小さく頷いて合図し、下層へと続く連絡路に向けて走り出す。

 

「リオンさん、ここで別れましょう。護衛は不要になりました」

 

 走りながらそう断った俺の手からベートの手紙を奪い取ったリオンさんは、小さく溜息を吐く。

 

「緊急事態ですか」

 

「少なくとも、ベートはそう直感してるみたいですね」

 

 手紙には走り書きで端的にこう綴られていた。

 

『24階層、食料庫。他ファミリアの奴らに同行してるアイズの救援に行く。お前も来い。助けが必要だ』

 

 ベートからの救いを求める声に、背中のスキルが反応していた。全ての過程を置き去りにして、結果として正義を代行する事が可能になっている。なってしまっている。

 救援対象が先日Lv.6に至ったアイズな上に、救いを求めているのがLv.5の実力を持つベート。一体どんな事が起きれば、深層でもない24階層でこのような状況になると言うのか。

 

 本当に俺は、何時もタイミングが悪い。

 リヴィラに到着したのも異常事態が発生した後だった。そして昨日の時点で問題の場所を特定していたと言うのに、さっきまで呑気に街を歩いた。何時も何時も、俺は肝心な時に肝心な場所にいない。

 

「悔やむ暇があれば、今は先を急ぐべきだ。少しでも遅れれば、置いて行きます」

 

 歯を軋ませる俺に、別行動をお願いしたにも関わらず、リオンさんはそれだけ言って一歩俺より先を走り始めた。

 

 その背中に、あの夜の正義の姿を幻視する。

 

 あの夜、確かに俺を救った正義。何も救えなかった俺とは違い、一つの確かな正義を成した彼女の背中。

 この街で救いを求める声を聞いて、正義を捨てたと言う彼女は、それでも正義を成した。

 

 それは今回も変わらず、そこに救いを求める者がいれば、彼女は迷いながらもやはり手を差し伸べるのだろう。

 

 今はその正義と共に在ることが、少しだけ心強かった。

 

 背中の神聖文字(ヒエログリフ)が、更に熱を増した。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 レフィーヤ・ウィリディスは生粋の妖精(マジックユーザー)にして高位魔道士である。

 それも都市最強派閥の一角であるロキ・ファミリアに所属し、Lv.3の身でありながらもその魔法の才能を見込まれ、オラリオ最強の魔導師リヴェリア・リヨス・アールヴの後継者として一軍の探索にも同行する、確かな実力を持つ冒険者でもある。

 

 そんな彼女は迷宮の24階層の大空洞で、絶望の淵に立たされていた。

 

 何だこれは? 何でこんな事になっている? そして何故自分は何も出来ないのだ?

 

 絶望に染まった思考は、ただただ無意味に目の前の絶望を――正に今、雄叫びをあげて生まれ落ち行く数百を超える食人花の群れを見つめ、こんな状況に至った経緯を無意識に思い返してしまう。

 

 敬愛するファミリアの先輩であるアイズ・ヴァレンシュタイン。クエストを受けて24階層の異変の調査に向かったという彼女の救援に行け。

 その主神の命に従い、同じファミリアのベート・ローガと、そして協力関係にあるファミリアの女性と赴いた24階層では、想像以上の異常事態が発生していた。

 

 アイズが入ったと思われる食料庫の洞窟は、気持ちが悪い生きた緑色の肉壁に覆われており、その中には大量に蠢く新種のモンスターである食人花が。

 戦闘音が聞こえる奥の大空洞、モンスターの餌となる液体が染み出す30Mを超える赤水晶の大主柱が聳える空間に到着すれば、そこには大主柱に寄生した三輪の巨大な食人花と、天井や壁に垂れ下がる無数の食人花の蕾、そして、過去にオラリオを恐怖のどん底に陥れた闇派閥の残党達と、何年も前に死んだはずの闇派閥の幹部が、それも人とモンスターの異種混成(ハイブリッド)として蘇った怪人の姿で待ち構えていた。

 

 まともに事情も分からないままに、アイズと共にクエストに当たっていたヘルメス・ファミリアの冒険者達に協力して、どうにか闇派閥の残党を殲滅し怪人を追い詰めたかと思えば、別の場所でアイズと戦っていた先日のリヴィラの街の襲撃犯が合流。

 

 さらに挙句の果てにはレヴィスと名乗った赤髪の襲撃犯は、仲間のはずの怪人の『魔石』を吸収して自身がより強力な怪人へと至った。そして、彼女の命令により大空洞の天井や壁面を覆う蕾たちは開花し、数百を超える食人花が邪悪な産声をあげたのだった。

 

 はは。ありえない。何だ、それは?

 

 一瞬だけ過去に飛んでいた思考が現実に追いつき、絶望が一周回って空笑いが漏れる。本当に何なんだこの状況は。全てが全て、意味がわからない。

 

 まさに今、群れを成して全方位より迫り来ようとしている食人花の大軍の前に、泣きそうになりながら無意識に逃げ出す。モンスターの群れに囲まれたこの大空洞に、逃げ場所などないと言うのに。

 だが、こんな状況で足を止めて詠唱をするのは自殺行為だ。そして、その詠唱をしなければまともな戦力にならない純粋な後衛魔導士である自分は、完全な足手まといでしかない。だから意味がなくとも、レフィーヤは逃げる事しか出来なかった。

 

 一人では何も出来ない自分が、心底憎い。そして無力感に打ちひしがれ逃げる事しか出来ない事実に、不甲斐無さ過ぎて泣いてしまいそうになる。

 これが己の師であるリヴェリアであれば、結果は全く違っただろう。彼女であれば並行詠唱によって、逃げながらも詠唱を歌い切り、数百のモンスターを殲滅しきってみせただろう。だが、己は無力だった。このままでは、多くの者が死んでしまう。自分だって死ぬ。

 

 逃げながらアイズの姿を探せば、離れた所にいた彼女は既に食人花とレヴィスの挟撃に晒されようとしていた。この場の最強戦力であるアイズに守ってもらい詠唱時間を確保できれば、どうにかこの絶望的な状況を覆すことが出来るのではないかという安易な希望は、すぐに打ち砕かれる。

 

「おいッ! お前等全員、すぐにうちのエルフを中心に集まれ!!」

 

 次々に生まれ落ち行く食人花の咆哮で満たされる大空洞に、ベートの空を切り裂くような鋭い怒声が響き渡る。まともな思考が出来なかったが故に、反射的にベートが指差すのが自分だと気づき、その場に足を止める。

 Lv.5の圧力が込められた事実上の強制力を伴う命令に、仲間たちも反射的にレフィーヤを見て、考えるよりも前に走り出していた。

 

 混乱してどこか他人事のようにその様子を見ていたレフィーヤは、一瞬で己の前に移動してきたベートに胸ぐらを捕まれた、真正面から怒声を浴びせられる。

 

「俺はアイズの所に行く! あいつがやられたら終わりだ! だからここはお前が何とかしろ!!」

 

「は……? え、でも、私は――」

 

「御託はいい! お前がやらなきゃ、あいつ等は確実に死ぬ! だから黙ってやれ!」

 

 反射的に返そうとした疑問と否定の言葉を、ベートは遮って叫ぶ。

 

「お前は雑魚だ! だがな、そのアホみてぇな魔力だけは認めてやる! だから今ここで、あのクソババアを超えろみせろ!!それでも、この俺にここまで言わせておいて、それでも無理だって諦めるんなら、吠えることすらしねぇんなら、自分で自分を雑魚と認めるんなら、お前に価値なんかねえよ! ここで絶望して泣きながら大人しく死ね」

 

 都市最強の魔導師であるリヴェリアを超えろ。

 

 偉大過ぎる師匠を超えろなどと、今まで誰も言わなかった。そんな荒唐無稽な事を、弱者を蛇蝎のごとく嫌って見下しているあのベートが、確かにはっきりと口に出した。認めていると、お前ならやれると、そう言った。

 そして、それを無理だと否定している者は、今この場にはレフィーヤしかいないのだと、確かにそう言った。

 

 頭にカッと血が上り、絶望を前に自身の無力さを嘆くことしかしなかった自分に、恥ずかしさが込み上げてくる。

 

 掴まれていた胸ぐらを乱暴に離され、よろけそうになる。だが、座り込むことはしなかった。二本の足でしっかりと立ち、ベートを見る

 真っ直ぐに瞳を見つめて来るベートに、失望されたくない。焚き付けられた最強への挑戦という熱意を、嘘だなんて思われたくない。

 

 暗く重く落ちていた絶望の帳が晴れ、一気に思考がクリアになる。

 

「五分持たせろ。あの燃え滓野郎が洞窟に入った」

 

「……っ!」

 

 そんなレフィーヤに背を向け、ただ一言だけ告げたベートは、迫り来る食人花の群れへと雄叫びを上げながら突っ込んで行った。

 

 入れ替わるように、食人花の群れに襲われながらも次々と駆け寄って来る十数名の冒険者たち。ベートの思惑を全てを理解したレフィーヤはそんな彼らに向かって、熱に浮かされたままの状態で、しかし希望と確かな覚悟を持って叫んだ。

 

「皆さん、私を守って下さい! 今から短文詠唱の魔法であの大岩の隙間まで道を切り開いて、あの場所で籠城します!」

 

「ろ、籠城って、そんなの今の状態じゃあジリ貧に――」

 

 一時的に籠城しても、すぐに数百を超える食人花に物量で圧し殺されるだけだと反論する冒険者の言葉を遮り、レフィーヤは確信を持って再度叫んだ。

 

「五分です! 五分だけ耐えればいいんです! それで、ロキ・ファミリアの救援が来てくれます!」

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 レフィーヤの作戦は成功していた。

 三方を大岩に囲まれた空間へと逃げ込んだ即席のパーティは、地形に守られる事でほぼ正面からのみに限定された食人花の襲撃に、ぎりぎりの所で持ち堪えることが出来ていた。

 

 数名の前衛が食人花の猛攻をその身を楯にして防ぎ、その間に後衛が詠唱した短文詠唱の攻撃魔法で十数体を一気に殲滅する。そして同類の屍を踏み越え襲い来る新たな食人花の群れが到着するまでの、その僅かな時間で前衛を入れ替え、また次の攻撃魔法までの詠唱時間を稼ぐ。

 

 回復薬(ポーション)精神力回復薬(マインドポーション)万能薬(エリクサー)も、あるものは全て湯水のように消費して、傷ついた前衛と魔力を消耗した後衛を回復させ、そしてまた絶望的な食人花の波へと立ち向かう。

 

 たったの五分。されど五分。幾度ローテーションを回したか、まともに数える余裕がある冒険者はこの場にいなかった。

 

 食人花の成体はLv.4でも手こずる強力なモンスターだが、襲い来る食人花は蕾の状態から無理に開花されたばかりの小型であることが幸いし、大半がLv.3の即席パーティでもどうにか猛攻を凌げている。

 

 しかし、たかだか十数名のLv.3の冒険者達の集団と、数百を超えるモンスターの集団。

 圧倒的な覆しようのない戦略差に、徐々に綻びが生まれてくる。当然の帰結だった。

 

「あ……」

 

 誰かの、絶望に満ちたそんな声が、嫌にはっきりと響いた。

 小型の食人花を掻き分け、突如出現した成体の食人花。それから伸びた触手が前衛を努めていた獣人族の男の足を絡め取り、そして呆気ないほどあっさりと男は宙吊りにされる。

 

 前衛の壁が、決壊した。

 

 一人が抜けた出来た前衛の隙間から一体の小型の食人花が陣形の中に入り込み、治療を受けていた冒険者達へと花弁の奥の口内に並ぶ牙が突き立てられる。

 

「ぜ、前衛のカバーを……っ!」

 

 ヘルメス・ファミリアの団長の指示が響いた時には、既にもう遅かった。

 次々と何体もの食人花が雪崩込み、崩壊した陣形のあちこちで冒険者達の悲鳴が上がり――そして、突如、食人花が燃え上がった。

 

 レフィーヤは見ていた。

 冒険者達を捕食せんと牙を突き立てた五体の食人花を切り裂いた、赤く発光する巨大な刃が閃いたのを。

 

 そして遅れて、燃え尽きた炭のような灰色の髪をした目つきの悪い青年が、陣形の中に立っていた事に気付いた。

 

「ニルスさん……!」

 

 感極まって泣きそうな声で、かつて【正義の味方(ヒーロー)】と呼ばれたその冒険者の名を、ニルス・アズライトの名を呼ぶレフィーヤ。

 

「――遅くなってすみません。だけど、助けに来た」

 

 そんな彼女にニルスは、徐々に赤から黒へと変色する巨大な槍を地面に突き立て、淡々とそう返した。

 

 ふと、レフィーヤは食人花の追撃が来ないことに気づく。

 

 慌てて視線を穴が空いた前衛に向ければ、その奥に、真っすぐ延びる二対の炎の壁に守られた道が出来ていた。

 まるで海のように密集した食人花の群れを分断する炎の壁は、目を凝らしてよく見れば、燃え盛り朽ち果てる間際の大量の食人花で構成されている。

 

 そしてその炎の壁を乗り越え、未だ塞がっていない前衛の穴へと群がる食人花達を数匹まとめて束のように蹴散らしているのは、まるで踊るかのように深緑色のロングケープを翻して木刀を振るう一人の妖精(エルフ)の女性だった。

 

「レフィーヤ、それにアスフィさん。負傷者の治療を。俺はもう行きます」

 

「彼女も来てくれたのですか。であれば、私達はここで防御に徹した方がいいですね」

 

 レフィーヤが反応する前に、ヘルメス・ファミリア団長のアスフィ・アル・アンドロメダがそう返答した。

 

 彼女の言葉に無言で頷き、彼はただ一言唱え、そして走り出す。

 

「【火を灯せ(イグナイト)】」

 

 瞬間、膨大な熱が肌を打つ。

 1.5Mを超える長大な柄と、それと同じ長さを持つ長大な刃を持つ奇妙な形状の槍。石突から伸びた黒く長い鎖以外は、全てが一繋がりの黒色の金属のみで構成されたその奇妙な槍が、彼の手を中心に徐々に赤く輝いて行く。

 

 ニルス・アズライトが保有する超短文詠唱魔法が、彼の両手諸共、槍を赤熱した凶器へと変貌させた。

 そして一人舞う妖精の元へと駆けつけた彼は、長大な槍を振り回し、襲い来る食人花達を切り裂くと同時に火達磨へと変えて行く。

 

「……っ、私達も早く応援に!」

 

「ここにいた方が良いでしょう。出ていけば、あの二人に巻き込まれかねません」

 

 思わず駆け出そうとしたレフィーヤの肩を掴み、アスフィが小さく首を横に振る。

 戸惑うレフィーヤに、アスフィは「ああ」と納得したように頷いた。

 

千の妖精(サウザンド)、貴方は暗黒期が終わってからオラリオに来たのでしたか。であれば、あの二人の暴走を、あの虐殺を直接は知らないのですね」

 

「暗黒期って……もしかしてあの人、例の酒場の?」

 

 先程まで必死の形相で生死を賭けた戦いをしていたとは思えないほど落ち着き払って、そう語るアスフィ。もう窮地を脱したと言わんばかりの様子に、特定条件化におけるニルスの強さと、かつて【疾風】と呼ばれていた冒険者の噂は知っているが、だからと言ってそんな呑気な事を言っている場合ではないだろうと、レフィーヤは繰り広げられている戦闘に眼を向ける。

 

 しかしそんなレフィーヤの心配は無用とばかりに、彼と彼女は次々と食人花を葬り去って行く。

 

「【我が身を焚べろ(イグナイト)】!」

 

 追加詠唱を叫んだニルスの手から、炎が吹き出す。同時に更なる高熱に晒された槍が、赤を通り越して橙色に発光する。

 周囲の空気を歪める程加熱された槍を、彼は敵の群れに向かって投擲して進路上の敵をまとめて焼き貫いたかと思えば、石突から伸びた鎖を強引に振り回すことで、更にその炎を拡散させて行く。

 

 あれほど乱暴な戦い方を、敵どころか味方すらも須らく全て焼き尽くしてしまうような無茶苦茶な戦い方をするニルスを、レフィーヤは知らない。

 

「【――今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々】」

 

 一方で彼と共に戦うエルフの女性は、全てを灰燼へと帰すかのように荒れ狂う彼の存在などまるで意に介さず、疾風の如く動き回り木刀で敵を殲滅しながら、朗々と歌う。

 

「並行詠唱!?」

 

 その戦闘技術は驚異的だった。

 前衛で敵を打払いながら長文詠唱の高威力の魔法を歌い切る、迎撃機能を備えた移動砲台。魔導師の理想形。下手をすれば都市最強の魔導師である己の師よりも優れた並行詠唱の技術を魅せる妖精(エルフ)に、レフィーヤは呆然とした。

 

 何なんだ、あれは。何であんな存在が、酒場のウェイトレスなんてやっているのだ。

 

「【愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を】」

 

 もはや美しさすら感じる妖精(エルフ)の歌と舞いの裏では、ニルスが振り回す鎖が焼き千切れ、彼方へと吹き飛んだ槍が数十の敵を巻き込み燃やし尽くしていた。

 

「【我が血を喰らえ(イグナイト)】!」

 

 武器を失った事などまるで気にした様子すら無く詠唱を叫び重ね、彼は素手のまま食人花の群れへと突き進み、勢い良く燃え上がる両手の十指を鉤爪とし、敵を引き千切り握り潰し、そして尽くを消し炭へと変えて行く。

 

「今の彼でも、条件が揃えばここまでの火力は出せるのですね」

 

 ぽつりと呟くアスフィの視線の先では、ニルスの両手の炎が徐々に白く染まって行っていた。

 

 超短文詠唱魔法【アグニ】。

 

 その魔法は己の手と武器に炎熱を纏わせて敵を燃やし尽す、発現している現象通りの炎熱属性の付与魔法――ではなかった(・・・・・・)

 

 自傷型儀式魔法。それがステイタスに刻まれた【アグニ】の正しい特性だった。

 

 彼に発現したそれは、魔力で己の体内を流れる血潮に火を灯すことで高熱を発生させ、そして自らの身体を焚べることで、概念としての炎をこの世に顕現させる魔法。己を贄として炎を生み出すだけの魔法が、結果的にその炎熱で敵を燃やし尽くしているだけの、現在地上において唯一彼のみに発現しているとされる自傷を大前提とした魔法であった。

 

 そして自傷型魔法の名を冠する【アグニ】は、その名に相応しい特性を持つ。

 

 両手に生み出された炎熱は、痛みを負えば負う程に熱が高まり、傷を負えば流れ出た血を喰らい炎は輝きを増し、そうして強まった炎熱はまた己を傷つける。魔法を解除するか命が尽きるまで、自傷と火力強化の循環は無限に繰り返される。

 

 さらに【灰被残火】という、救いを求める声に応じて火力を微増させるスキルの効果によって、誰かを救うために誰かを焼き払う時、彼の炎は勢いを増す。

 

 挙句の果てに彼は【正義詐称】という敵を傷つけた際に同等の痛みを受けるという自罰的なスキルを発現させておきながら、あろうことか独善的に受けたその痛みすらを魔法の特性によって相手を焼き殺す火力へと変換している。

 

 それらのスキルと魔法による循環機構によって、彼が纏う熱量は無限に加速度的に高まり続ける。

 故にかつて【業火】と呼ばれ恐れられたその男は、戦えば戦う程、敵を殺せば殺す程に死に近づき、結果として周囲を巻き込むその炎は超長文詠唱級の攻撃魔法をも凌ぐ程に強くなる。

 

 正直に言って、人間性を疑ってしまう。

 

 神の恩恵によって発現するステイタスとは、その人物の歩んで来た軌跡と在り方、そして願いを形にしたものだ。

 

 であれば、そうであればあれは――正義を詐称するあの男は一体何だというのだと、レフィーヤは無意識の内に恐怖し、哀れんでしまう。

 

 救いを求める声があれば自らを犠牲に火を灯し、自分で傷つけた遍く全ての者の痛みを勝手に分かち合い共感し、その痛みを炎の糧としてたった今痛みを分かち合った者達を燃やし殺し尽す。

 

 何をしたって悲劇にも、ましてや喜劇にもならない、本当に哀れなだけの道化(ピエロ)と言うしかなかった。

 

「【来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何物よりも疾く走れ】」

 

 響き渡る、美しい妖精(エルフ)の歌が佳境を迎える。

 そして舞いを止めた彼女の元に、自他の命を等しく贄として焚べ、今や白く輝く燃え盛った炎、それも魔力で無理やり凝縮されたそれを灯した彼が寄り添う。

 

「【星屑の光を宿し敵を討て】!!」

 

「【炎よ、全てを天へと還せ】!!」

 

 最後の詠唱を終えた彼女はその場で跳躍し、彼は両腕を交差し食人花を睨む。

 

 そして二人は、魔法を解き放った。

 

「【ルミノス・ウィンド】!!」

 

「【アグニ】!!」

 

 上空から解き放たれた緑風を纏った無数の大光玉が旋回しながら敵を薙ぎ払い、同時に地上で両腕から解き放たれた炎が敵を燃やし尽くす。

 そして旋回する風が炎を巻き取り更に燃え上がらせ、数百を超える食人花を飲み込み、大空洞は火の海と化した。

 

 疾風が吹き荒れ、業火が猛り狂う。

 

 それは壮絶な光景だった。

 

 そんな目の前の光景に、五年前、闇派閥が完全に壊滅を迎えたその日、都市の一部が全焼全壊したという話をレフィーヤは思い出した。

 

 闇派閥と癒着していた疑いのあるファミリア、商会、ギルド職員の尽くを全て殺し尽くし、最終的には隠れ潜んでいた数名の闇派閥のLv.5を超える実力者ごと闇派閥の残存戦力をほぼ全て壊滅させたのは、当時Lv.4であった【疾風】とLv.2でしかなかった【業火】の二人だったという。

 

 その逸話はニルス・アズライトの経歴として、ロキ・ファミリアで密かに語り継がれている。

 入団当時にその話を聞いたレフィーヤは、所詮は尾ひれの付いたただの噂話だと思っていた。

 

 だが、目の前の光景はどうだ。あれだけいた食人花は、巻き起こった炎の嵐で全滅している。

 

 かつて【業火】と恐れられ、そして一時期は【正義の味方】と囃されたが今は【道化】と蔑まれる彼。

 ギルドから限られたファミリアにのみ公開された昔の彼のスキルが本当なら、彼の瞬間最大火力は今よりも昔の方が高かったはずだ。

 

 視線の先では、肘より下が完全に炭化しているニルス・アズライトが、ぐらりとその身体を揺らす。

 そして踏み止まる事をせずにそのまま倒れ込もうとする彼を、深緑色のケープで全身を覆った妖精(エルフ)が正面から抱き止めた。

 

 頭を覆っていたフードがふわりと外れ、妖精(エルフ)の薄緑色の髪が火の粉と一緒に風に舞う。

 

 そんな妖精(エルフ)の肩に顔を埋めて、ニルス・アズライトは燃え尽きたかのように完全に意識を失っていた。

 

「……貴方は、いつもやりすぎだ」

 

 小さく呟かれた、哀しそうな彼女の声が、風に溶けて消えた。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 その日、迷宮の24階層食料庫で発生した異常事態は、洞窟が完全に崩落することで終わりを迎えた。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインとベート・ローガによって追い込まれた怪人レヴィスは撤退を選択し、そして洞窟を支えていた赤水晶の大主柱を壊すことで、戦場そのものをも破壊して逃走するという常識外れの手段を取ったのだ。

 

 闇派閥の残党達は全て死に絶え、怪人も逃走を成功させた。

 

 一方で事件に関与した冒険者達は、決して少なくはない損害を受けた。

 

 ヘルメス・ファミリアの団長以下十三名の団員達。

 ロキ・ファミリアの幹部三名と、幹部候補一名。

 そして、その他のファミリア所属の冒険者二名。

 

 重傷者数名、軽症者多数。しかし奇跡的に死者だけは一人も出なかった事は幸いだったと、各ファミリアの主神達はほっと胸を撫で下ろすことになる。

 

 一連の異常事態の真相は洞窟の崩落と共に闇の中へと消え、傷ついた冒険者たちはそれでも生きて地上へと生還を果たす。それが事件の顛末であった。

 

 そして、未曾有の大事件――かつてオラリオに暗黒期を齎した闇派閥の残党が再び動き始め、モンスターと人の混合種なる怪人という未知の存在が出現し、迷宮の中層に大規模なモンスターの生産拠点が築かれていたという未曾有の大事件は、表向きには公表されることはなく、ギルドと一部のファミリアにのみ限定的に情報が流されるに留まった。

 

 世間に公表するには情報が足りず、また現段階での公表は余計に恐怖を煽るだけだろうという、ギルドの決定による情報規制がなされた結果だった。

 

 だが、平時であれば噂好きの神々がどこからとも無く嗅ぎ付けて、良くも悪くも面白おかしく尾ひれが付いて真実に到達できない程度の情報に薄められて語られるのがオラリオの常である。

 しかし、そんなセンセーショナルであるはずの話題は、結局オラリオに広がることはなった。

 

 代わりにたった一つの、しかし圧倒的な話題が都市中どころか世界中を席巻したからだ。

 

 フレイヤ・ファミリア団長オッタル。

 

 都市最強の冒険者の――Lv.8到達という偉業。

 

 人々も神々も等しく、時代を背負う英雄の誕生に歓喜の叫喚を捧げた。

 

 そしてその裏側では、時を同じくしてロキ・ファミリア所属の道化(ピエロ)がLv.5へと至っていたのだが、そのような些事に気を止める物好きは多くはいなかったのだった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

【登場人物】

ニルス・アズライト

年齢:18歳

所属:ロキ・ファミリア

種族:ヒューマン

二つ名:【正義の味方(ヒーロー)】【道化(ピエロ)

 

Lv.4 最終ステイタス

 力:S982 耐久:S999 器用:A892 敏捷:B752 魔力:S999

 炎熱:C 耐異常:G 鉤爪:I

 

《魔法》

 【イデア】

  ・使用条件付き変身魔法

 【アグニ】

  ・自傷型儀式魔法

  ・自身の肉体を代償に火を灯す

  ・痛みを熱に、傷を炎に変換する

《スキル》

 【正義詐称】

  ・通常戦闘における全能力超マイナス補正

  ・与えたダメージと同等の痛みを受ける

  ・代償として、憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る 

 【灰被残火】

  ・焚べる心が尽きた果ての残り火

  ・救いを求める声に応じて火力微増強



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第四夜 「猪鍋」と「水っぽいエール」

 

 最後に『豊穣の女主人』に行ってから、もう既に一ヶ月も経っていた。

 

 ここまで間隔が開い事は過去にもあまりなかったなと思いながら、店に向かって薄暗い裏路地を歩きながらぼんやりとこの一ヶ月の事を思い出す。

 

 一ヶ月前、闇派閥の残党の調査をするために、リオンさんと共に迷宮の18階層に赴いた。そして24階層で巻き込まれた、あの事件。

 

 俺とリオンさんが24階層の食料庫にたどり着いた時には、既に食人花に全て喰らい尽くされていたようだが、あの現場には闇派閥の残党が確かに存在していたという。更にはモンスターと混ざり合い人間を辞めたという元闇派閥の幹部の姿まであったようだ。

 さらに元々18階層を調査する事になった原因である殺人事件と襲撃事件の発端である緑色の宝玉も関係しており、洞窟全体を覆っていた極彩色の肉壁も大量の食人花達も、どうやら緑色の宝玉を守り成長させるためだけに存在していたようだ。

 

 そして三週間前に実施された深層への遠征で、一つの事実が明らかになった。

 

 その緑色の宝玉、中に胎児のようなナニカが眠る、モンスターを別の存在へと変貌させるその宝玉は、はるか昔に神々から遣わされ人と手を取り合いモンスター達と戦っていた、精霊の成れ果てだった。

 

 迷宮の59階層で、ロキ・ファミリアはそれに遭遇した。

 

 モンスターに寄生し、人のような何かへと変貌した宝玉の胎児。59階層の大量の極彩色のモンスター達の魔石を食らいつくしたそれは、歪な存在ではあったが確かに精霊へと至っていた。新種だと思っていた食人花や巨蟲といったモンスター達は、つまりは精霊の成れ果ての触手のようなものだったのだ。

 

 そして精霊の分身とも言える宝玉は一つだけでなく、複数存在していることが既に判明している上に、それらを守り育てている人とモンスターが混ざりあった怪人達が暗躍してる事も分かっている。更に、そこに闇派閥の残党まで関与している。

 

 正直に言って、想像よりもはるかに危険な事態になっていた。

 

 これからどう動く事が最善だろうかと、無意識の内に思考を巡らせてしまう。

 

 が、これはよくない。

 

 既に幾度も考え一応の結論を出したのだし、久しぶりにリオンさんに会いに、もとい借金返済に行くのは、堂々巡りになっている頭を切り替える目的も兼ねているのだから、これ以上一人で考えるのはやめよう。

 

 まあ、借金返済は一ヶ月ぶりだが、リオンさんには二日前にも合っているので、あまり久しぶりと言う感じもしないが。

 

 深層の遠征からの帰還時、大量発生した厄介なモンスターの毒にやられて部隊の大半が寝込んでしまったため、ロキ・ファミリアは18階層で足止めを食らっていた。

 その時、ベルのパーティが事故に合い、まだ適正階層ではない18階層に逃げ込んで来た。リオンさんはベルの主神によって出されたクエストによって編成された救助部隊の助っ人として、失踪したベル達を追って18階層にやって来ていたのだ。

 

 あまり時間は取れなかったが、その時にリオンさんとは多少会話できた。まあ、今日の約束をしたくらいのものだが。

 

 ちなみに先日、俺達が地上へと戻ってすぐに18階層は、17階層の階層主ゴライアス、それもその異常種が攻め込んで来るという異常事態に見舞われたたらしい。

 リオンさんも、ベルやあの子もそれに巻き込まれたらしいが、大きな怪我もしておらず無事とのことだ。

 

 相変わらず自分のタイミングの悪さが嫌になる。

 

 本当に無事でよかった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

「あの……お久しぶり、です……」

 

 『豊穣の女主人』の何時ものカウンター席に着けば、先客が待ち構えていた。何となく想像はしていたので、驚きはしなかった。

 

 居心地悪そうに水が入ったグラスを両手で弄び、目を合わす事が出来ないのか伏し目がちにそう挨拶をする小人族の少女。

 

 リリルカ・アーデ。

 

 ソーマ・ファミリアの団員にして今はベル・クラネルのパーティの一員である彼女は、かつて一時期、まだ単独で迷宮探索を行っていた俺のサポーターをしてくれていた少女だった。

 

「久しぶりです。と言っても先日、18階層で会ったばかりですけど」

 

「はい……でもあの時、リリはニルス様に挨拶も出来ず、その……逃げてしまったので」

 

 悪戯が見つかった泣きそうな子供のようにそう畏まるリリに、俺は思わず小さく笑ってしまった。

 

「元気そうで……いえ、ベルの所で元気にやれるようになって、よかったです」

 

「……っ! リリは、リリはずっと、ニルスさんに謝らないと──」

 

 かつて数カ月間一緒に迷宮に潜った仲間。そして、裏切られた冒険者と、裏切ったサポーター。

 俺と彼女の関係は世間一般から見ると、端的にそう表現されて然るべき関係なのだろう。

 

 だけど、少なくとも俺はそう思っていなかった。

 

「リリ。お互いこうやって元気にやれていることを祝して、久しぶりに薄いエールで乾杯でもしますか……いや、乾杯するか」

 

 だから少しだけ過去に戻った気になって、クソババアに矯正された口調も元に戻して、リリにそう言った。

 

 リリは俺の意図を汲んでくれたのか、泣きそうな顔を無理やり笑顔に変えて、「シシシシッ」と悪ガキのように笑った。

 

「ぼ、冒険者様は……大手ファミリア所属で大層な二つ名までお持ちなくせに、相変わらず優秀なサポーターに報いる事ができない甲斐性なしなのですねっ! 仕方ないので今日も安っぽいエールで我慢してあげます!」

 

「うるせえよ酒クズ。てめぇの馬鹿舌じゃあ泥水との区別もつかねえだろうが」

 

「はいぃ? 幼気な少女だったリリを酒浸りにさせて味覚障害にさせたゴミカス野郎が何をほざいてるんですかねえ!?」

 

「酒浸りになったのは自分のせいだろうが。責任転嫁すんなよゴミカス二号のアル中」

 

 元闇派閥所属の都市全体の嫌われ者で、Lv.3のくせにLv.1相当の実力しか発揮できないサンドバッグ。

 ただでさえ小人族で非力な上に冒険者としての適性がなく、サポーターとしてパーティを組んだ仲間からさえも食い物にされていた弱者。

 

 搾取される側だった俺達は生きるために自然と協力関係となり、一緒に冒険をした。

 

 気性の荒い冒険者達から人権などないとばかりに暴力を振るわれて、迷宮で命懸けで得たその日の稼ぎを奪われた毎日。そして二人で策を練って、そんな冒険者たちを撃退したあの頃。

 『豊穣の女主人』で二人で腹いっぱい飲み食いする財力なんてあるはずもなく、何の肉かも分からないあやしい食べ物を出す安いだけが取り柄の裏路地の店で、二人して混ぜ物でかさ増しされた悪質なエールで祝杯をあげて、潰れるまで飲んだかつての冒険の日々。

 

 そして、彼女が何かに追い詰められているのを知っていながら、直接的な救いを求める声がなかったからという理由だけで自ら手を差し伸べはしなかったあの日、リリは俺との関係を断つように、金も装備も全てを盗んで姿を晦ました。

 

 そんなあの日の事を酒に流そうと、俺とリリはかつて何時もそうしていたように、罵り合って、そして笑い合った。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

「これは、酷い味だ……」

 

「やっぱあの店、水じゃなくて明らかにもっと変なもん混ぜてたよな……。まだ飲める……つーか、美味い」

 

「はい、まだエールの味がしますし、頭もふわふわしませんし、ちゃんと美味しいです」

 

 リオンさんに無茶を言って、せっかくのエールを水で薄めてもらうという暴挙を行った後、三人でグラスを一気に煽った。

 眉根を寄せるリオンさんとは正反対の感想を漏らして、俺とリリは「昔飲んでたアレは何だったんだ」と笑った。これが思い出補正というやつだろうか。

 

「……どうぞ、冒険者さん」

 

 そんな俺とリリの様子を無表情で見ながら、リオンさんが何時ものように焼き魚の皿をカウンターへ置いてくれた。が、よく見なくても焼き魚なんて存在しておらず、皿には消し炭が鎮座している。

 

「て、店員さん……?」

 

「どうぞ、冒険者さん。何時もの焼き魚です」

 

「えっと……店員さん、何か怒っていますか?」

 

「いえ、別にそのような事はありません。怒る理由もない」

 

 無表情ではあるが、少なくとも機嫌が悪い……と言うより、何か俺に思う所があるのは明らかだった。

 一ヶ月間借金返済が滞っていたのは申し訳ないが、先月俺が半分死んでいた事も既に知っているし、その後にロキ・ファミリアの仕事として深層に行っていた事も連絡済みだ。

 それに、つい先日18階層で話した時だって特段おかしな様子はなかった。

 

 何だろう。リオンさんの様子がおかしい理由が見つからない。

 

 若干気不味い沈黙が流れる。が、すぐにリリが「それにしても、世間は狭いですね」と笑った。

 

「まさかあの頃、ニルスさんが口を開く度に言っていた店員さんなる人物が、リュー様のことだったなんて」

 

 何故この悪ガキはそういう余計な事を言うのだろう。思わずリリの口を塞ごうと伸ばした手は、リオンさんに渡された希釈エールのグラスによって塞がれる。

 

「……私も、名前まで知りませんでしたが、アーデさんの話は彼から聞いていました。随分と仲良くしていたと。クラネルさんのサポーターとしてお会いした際に、もしやとは思っていましたが、確証もありませんでしたので」

 

「あの時は……その、申し訳ありませんでした……」

 

 苦笑しながらそう言うリオンさんに、リリはしゅんとして謝罪していた。

 

 前回この店に来た時に、リオンさんの歯切れが悪かった理由はつまりそういう事だったらしい。

 

 先日18階層で、ベルからリリの事情は教えてもらっていた。

 

 リリは俺と別れた後も、自身の所属するファミリアに関連する厄介事に巻き込まれ続けていた。

 そしてサポーターとして自身を雇ったくせに正当な報酬を支払わなかった冒険者達を逆にカモとして盗みを働き金を稼ぎ、悪質な所属ファミリアへの上納金を納めつつ、そのファミリアから脱退するために必要な資金をずっと集めていた。

 

 しかしベルをカモとして定めたリリだったが、溜め込んだ資産に目がくらんだ同じファミリアの団員に目をつけられ迷宮で罠に掛けられて死にかけていたところを、自分が騙されていると知っていながらも手を差し伸べたベルによって救われたのだという。

 その結果、今はその事件で死んだことにして、ベルと一緒にパーティを組んで楽しく冒険者をやれているようだ。

 

「そう言えばニルスさん、その似合っていない丁寧な言葉遣い、随分と自然に使えるようになったのですね。店員さんの前で使えるようにと、飲みながら毎回毎回練習に付き合わされたのが懐かしいです。今思えば、リリ、あれに対して賃金を要求してもよかったと思います」

 

 リリがこうして笑えるようになった経緯を思い返している間に、当の本人が唐突にそんな事を言い始めた。油断した。

 

「私の前で、ですか……?」

 

「はいっ! エルフの方は礼節を大事にするからと言って、ファミリアの教育係の人に頼んで──」

 

「おいこら酒クズ。てめぇ、適当な事言うなよ。何度も言っただろうが、あれはうちの児童虐待ママが先ずは言葉遣いから人間になるようにって、虐待するから──」

 

「またまた、何をおっしゃるんですか酒クズ二号。実は自分から頼み込んだって……っ! 何するんですか!? そうやってすぐに暴力で人を黙らそうとするところ、まったく変わってないですねこのゴミカス野郎!」

 

「うるさい黙れコソ泥。お前はそうやってあることないこと言いふらすなよ」

 

「リュー様、耳を貸して下さい! ちゃんと事実を伝えさせて頂きます!」

 

 今度こそ強引にリリの口を塞げば、あろうことかリリは俺の手に噛み付いて来た。お前のそれは暴力じゃないとでも言うつもりか。

 

 リオンさんに助けを求め、彼女の耳元でコソコソと俺に聞こえないように囁くリリに、諦めた。

 もう勝手にしろ。ほんとこいつ、相変わらずいい性格をしてやがる。最初の殊勝な態度、あれ、絶対嘘だろう。

 

 諦めて水っぽいエールを飲みながら、消し炭そのものの焼き魚に齧り付く。

 この炭みたいな焼き魚といい、リリの存在といい、本当に昔に戻ったみたいだ。

 

「冒険者さん」

 

「なんですか? 店員さん」

 

 リリとの内緒話が終わったリオンさんが、無表情かつ淡々とした口調ではあるが、先ほどまでとは少し違う柔らかな声をかけて来た。

 

「礼儀正しい人間は確かにそれだけで好感が持てます。ですが私は、不器用だったが実直だったあの頃の貴方にも、好感を持っていた。だからもし窮屈に思うのであれば、たまにはあの頃のように話して欲しい」

 

「ですって! よかったですね、冒険者様!」

 

 何故か鼻高々に胸を張るリリに無性に苛ついたが、それよりもリオンさんのそんな言葉に、俺は何も言えなくなってしまった。

 

 そうか。リオンさんは、そんな事を思ってくれていたのか。

 

 であれば、あの地獄の折檻の日々は何のためだったのだろうとも思ったが、精神衛生上よろしくないのでその事は忘れよう。

 

 

*    *    *

 

 

「本日のオススメの猪鍋です」

 

「これ、わざとやってません?」

 

 数品の前菜の後に大きな鍋をカウンターに置いたリオンさんの後ろ、厨房のミアさんを見れば鼻で笑われた。確信犯である。

 

 目の前に置かれた大きな鍋には、たっぷりの野菜と一緒にゴロゴロとした猪肉が入っている。

 美味しそうではあるが、それにしても複雑な気持ちになる。鍋をカウンターに置いたリオンさんも、少し困ったように眉根を寄せていた。

 

「猪のお肉、苦手だったのですか? 昔は何でも……と言うより、肉ですらない得体の知れないものを嬉々として食べていたのに、随分と美食家の真似事をするようになったのですね」

 

「先月猪に殺されかけたからな……ていうか、あれ、やっぱり肉じゃなかったのか……」

 

 何気にショッキングな事実と共に投げ掛けられたリリからの疑問の声に、ちょっと言葉を濁して誤魔化す。

 そんな俺に不思議そうに首を傾げながら、リリは続けた。

 

「はあ、そうなんですか。あ、話を変えてしまいますが、猪と言えば遂にLv.8の冒険者様が誕生されましたね。それにニルスさんも同じタイミングでLv.5になったと聞きましたよ。おめでとうございます、これでついに第一級冒険者ですか」

 

「アーデさん、話題が変わっていません」

 

「はい?」

 

 困ったように苦笑するリオンさん。俺も苦笑するしかなかった。

 

「よく分かりませんが、とにかくおめでたい事ですし、ご無事でよかったです。ベル様が大変な目に合いながらLv.2になったのを見ていたので、ニルスさんも大変だったのだろうな思っていたんですよ。そう言えば、その説は、ロキ・ファミリアの皆様には大変お世話になりました。ニルスさんと剣姫様には、意識を失ったベル様とリリを地上に運びまでして頂いたようで」

 

「だからリリ、話が変わってない……」

 

「もう、さっきからお二人して何なんですか!」

 

「まあ……何と言うか、ベルには二重の意味で申し訳ない事をしたからな。たぶんベルに俺の助けなんて必要ないだろうが、リリの事で感謝もしてるし、何かあったら罪滅ぼしに力になるって言っといてくれ」

 

 怒るリリに、先月の24階層の食料庫での事件の後のことを思い返しながら、俺はそう答えることしか出来なかった。

 

 あの事件の後、ダメージを負って寝込んでいた俺は、皆と別れ回復を待つために二日ほど一人で18階層に滞在していた。

 そして地上に戻る際に、都市最強と名高いフレイヤ・ファミリア団長オッタルと遭遇し、戦闘になった。

 

 ミノタウロスを鍛えるなどという悪巧みとしか考えられない事を行っていたオッタルと対立し、結果的に俺は死の一歩手前まで徹底的にやられた。

 

 瀕死の重傷を負って全てが終わるまで寝込んでいた俺は、あの猪人が語った「我が神の命に従い、ベル・クラネルへ試練を課す」というふざけた行為をみすみす見逃してしまったのだ。

 

 そして目が覚めて、ステイタス更新だけ済ませて慌てて迷宮に行ってみれば、しかし全く想像すらしていなかった、Lv.1のベル・クラネルがLv.2のミノタウロスに勝利するという偉業を達成する瞬間を見ることになった。

 

 手前勝手な理由で理不尽を成す悪に容易く屈した俺とは対象的に、救わなければならないと思い込んでいた少年は、俺の助けなんて必要とせずに自らの力で理不尽を乗り越えてみせたのだ。

 

 だから謝罪以外に、俺が出来ることなんて何もなかった。

 

 そして笑えない事に、何も成せなかったはずの俺は、オッタルに殺されかけた経験によってLv.5へのレベルアップまで果たしている。その時ほど【道化(ピエロ)】と呼ばれるに相応しいと思った事はない。

 

「さっきから何を言いたいのかリリにはよく分かりませんが、もうどうでもいいです。お二人が食べないならリリが美味しく頂いてしまいますね!」

 

 そう言って鍋から小皿に大量の猪肉を取るリリに、俺は小さく溜息を吐いて、負けじと猪肉を食い尽くす事を決意した。

 

 そうして俺達は三人で、猪鍋と共に水で薄めた不味いエールを大量に飲み干したのだった。

 

 

*    *    *

 

 

 満腹になって酔いも回ってきた頃、カウンターに突っ伏して眠り込んでしまったリリを見ながら、俺はリオンさんにぽつりと言った。

 

「ベルは、凄い奴ですね。ミノタウロスの討伐も、もう18階層に到達したことも、ゴライアスの異常種の討伐も」

 

 ベル・クラネルはミノタウロスの単独討伐の偉業により、冒険者になって一ヶ月と少しでLv.2に到達するという世界最速記録を打ち立てた。

 さらには事故による強行軍の結果でパーティの適正な実力ではないとは聞いているが、それでも冒険者を始めて二ヶ月で中層18階層にまで到達してみせた。生涯を賭けても18階層に到達することが出来ない冒険者が多くいることを考えると、破格としか言えない速度である。

 

 そして18階層で発生した異常事態、18階層へ侵攻してきた17階層の階層主ゴライアスの異常種の討伐においても、ベルは大きな功績をあげたと、酔っ払ったリリが自分の事のように嬉しそうに話していた。

 

「……」

 

 じっと静かに俺を見つめるリオンさん。本心はそうでないだろうと見透かされているかのような彼女の視線に、俺は溜息を吐く。

 

 そして、幸せそうな顔で眠る事が出来ているリリを見ながら、心の内を正直に話した。

 

「それに何よりも、ベルはリリを救った。俺が四年かけても出来なかった事を、ベルは簡単にやってのけた。うちのファミリアの奴がミノタウロスと戦ってるベルを見て英雄みたいだったって言ってたけど……本当にそうですね。救いを求められなくても困っている誰かがいれば救ってしまって、結果的に相手を幸せに出来る……幸せにしてしまう。そんな綺麗事でしかない理想を、叶えられてしまう。昔リオンさんが教えてくれた《正義》と《英雄》の話、最近ちょっとあれを思い出してました」

 

 この世の全ての悪を憎み殺し尽くした果てに、それでも誰かを救う。それがあの日俺を救い、そして俺が憧れた《正義》の形である。

 

 だけどその俺の憧れた《正義》をリオンさんは否定して、過去に捨てたという本当の《正義》を苦しそうに哀しそうに、そして迷いながらも俺に語ってくれた。

 

 綺麗事だらけの理想を掲げて、届かないと知りながらも追いかけ続けて積み上げ続ける行為。それが彼女が語ってくれた一つの《正義》の形だ。

 そして同時に、叶わないはずの理想をも実現してみせる存在がいれば、それこそは正しく《英雄》であるのだろうとも彼女は語った。

 

 かつての《正義》が間違ってなんかいないと今でも信じているが、リオンさんが語ったそれも正しく一つの《正義》なのだと思っている。

 

 だからこそ《正義》の向こうにある《英雄》を体現してみせたベルに尊敬を覚えると同時に、何も成せなかった自身に失望してしまっている。

 

「アーデさんの事情を話してくれませんか?」

 

 別にリリの事情を知りたい訳ではないのだろう。ただ俺に吐き出させるためにそう問い掛けてくれたリオンさんの善意に、甘えることにした。

 

「ソーマ・ファミリアの団員達は、主神のソーマが作る神酒(ソーマ)を信奉してます。別に麻薬のような中毒性があるものではなくて、ただただ美味過ぎて一度飲んだら忘れられなくなるくらい心底心酔してしまう酒。神酒(ソーマ)を作ることにしか興味がない主神と、その神酒を飲むことにしか興味がない眷族達。人間がダンジョンで稼いだ金で神が神酒を作り、多くの資金を提供した人間には神からより多くの神酒(ソーマ)が対価として渡される。人間にとって酒が魅力的過ぎるからちょっと違和感があるだけで、本質的には健全な関係です」

 

「私も試飲したことがありますが、神酒(ソーマ)は名酒と名高いだけあって美味でした。それに【神の恩恵(フォルナ)】を与える神々を信奉するからこそ成り立つファミリアがあるように、利害関係の一致のみが神と人の繋がりであるというのも、別段おかしな話ではない」

 

「はい、ソーマ・ファミリアは、本当はよくある中小のファミリアの一つなんです。まあ、市場に出回ってる神酒(ソーマ)は失敗作で、ファミリア内にしか出回ってない完成品は、それこそ人生を狂わす程度には危険なんですけどね。もう一回それを飲むためだったら、命懸けでダンジョンで金を稼ごうなんて平然と思うくらいには。だけどそれもある意味酔いの一種で、ある程度したら酔いは覚めて冷静になる。そこも含めて神業というしかない完成度の酒です」

 

「あれで失敗作なのですか……」

 

 流石に驚いたのか言葉を失うリオンさんに苦笑して、俺は続けた。

 

「だけどそんな需要と供給が釣り合うはずの健全なファミリアは、実際は崩壊してます。ファミリアの団長や幹部とかの権力を持ってる層が、神と一般団員の間に入って、神酒(ソーマ)と金を中間搾取してるせいで。悪質なのは一般団員達の酔いが覚め切らないように、摂取量と摂取間隔を調整して事実上の中毒状態にすることで、犯罪すら厭わないような精神状態のままひたすら金を集めさせてる事です。リリはそんな一般団員だった両親から生まれ、生まれたときから崩壊したソーマ・ファミリアの中にいて、そして無力だから一般団員達から搾取され続けてたんです」

 

「……」

 

「俺がソーマ・ファミリアがそんな状態だって知ったのは、リリが俺のところを去ってからでした」

 

「確か、彼女に装備や資産を全て盗まれたのでしたか。だが貴方は、彼女を《悪》だとは見做さなかった」

 

 当時のことを思い出してかそう呟くリオンさんに、俺は頷く。

 

「どっちかって言うと、リリは俺を助けたんですよ。ある程度安定して稼げるようになって、リリと俺はソーマ・ファミリアに目をつけられてた。今はともかく、当時は別に殺しても大々的に感謝こそされ、ロキ・ファミリアからも文句は言われなかった俺を、リリは暴走した団員達から守ろうとしたんでしょうね。金目の物を本当に全部根こそぎ奪ったからこそ、ソーマ・ファミリアは俺から興味をなくした。自分だって困ってたくせに、リリは俺なんかを救おうとしたんです」

 

 それな体たらくで【正義の味方(ヒーロー)】なんて二つ名が付いてたのだ。本当に笑い話にもならない。

 

「調べて、知って、そして諸悪の根源である《悪》がいることも確信できた。だから実際に歴代の団長とか幹部達に会って脅したり、色々やりました。だけどソーマ・ファミリアは変わらなかった。変わってもそれは一瞬で、すぐに元に戻るどころか、以前よりも悪化したことも、より狡猾になったこともありました。だからって《悪》を全部殺してみても、結局は次の《悪》が生まれ続けた。あれから四年間同じことを繰返しても、結局は何も変わっていない。俺は、リリを救えなかった」

 

 そしてそれは、ソーマ・ファミリアに限った事ではない。このオラリオ中で俺は何度も同じことを繰返し、そして結果として多くの人を救えていない。

 

 ああ。だからこそ今の二つ名は、自分に相応しいと思っている。

 神様のような【道化師(トリックスター)】ではない、愚かなだけの【道化(ピエロ)】が俺だ。

 

 だけど、あれから四年間苦しみ続けたリリは、ベルによって救われた。

 自身を騙していたリリに、ベルは救いの手を差し伸べた。

 

「アーデさんは死を偽装しているだけで、彼女を取り巻く環境は根本的には何も変わっていない。だが、それでもアーデさんは、確かにクラネルさんによって救われたのでしょう」

 

「はい。今日久しぶりに話して俺もそう確信しました。例え一時的にソーマ・ファミリアの目を欺いているだけでも、そういう事じゃなくて、ベルが手を差し伸べたからこそ、リリは幸せになれたんだと、俺もそう思います。……《悪》を殺す事と誰かを救う事は必ずしも同じではない。理解はしてましたけど、結局色々考えた上で俺が最良と思って選んだ手段は、《悪》を殺すことでした……。あの日、俺もベルみたいにしてればよかったんですかね……」

 

 リオンさんの言葉に頷きながらそんなどうしようもない事を吐き出して、俺は薄いエールを飲み干す。

 

 そして、少し迷って、リオンさんに自白した。

 

「今の、嘘ついた。本当はベル・クラネルがやったみたいに、逃げたリリの手を強引に掴んで俺が直接守ることが、リリを救う事だけを考えれば最良の手段だって理解してた。だけど俺は、ただただ怖くて、そうすることを選ばなかった。選べなかっただけだ」

 

 多分俺は、リリに死んだ妹を重ねていた。だから、そんなことをするとリリまで死んでしまうと思って、怖かった。

 

「……やっと、口調を元に戻してくれましたね。先程から、私にだけはずっと敬語のままだった」

 

 リオンさんは俺の前に新しいエールのジョッキを置いて、そしてそんな事を言いながら俺の頭を撫でた。

 

「気付いていましたか? 五年前、私が何度説得しようと《悪》と判じた者を制裁する事しか頭になかった貴方が、誰かを救うための手段としてそれを成し始めたのは、アーデさんが貴方の元からいなくなってからだったのを」

 

「いや、そんなことは……」

 

「貴方が正直に本心を言ったのだ。だから私も、一つ告白しましょう」

 

 とっさの否定の言葉を遮って、リオンさんは珍しく一気にエールを飲み干した。

 

「一度も会った事がない小人族のサポーターに、おそらく私は劣等感を抱いていた。ロキ様は、当時心が燃え尽きて抜け殻だった貴方を人間に変えたのは、私だと言ってくれました。だがそれは私ではなく、貴方と一緒に冒険をした小さな少女の成果だと私は知っていた」

 

「……」

 

「当時は、やはり私は貴方の前にいるべき人間ではないのだろうと、迷っていました。毒になれど、決して薬にはならない。だから、そんな悩みを忘れかけていた今頃になって現れたアーデさんに、正直に言うとかなり心を乱された」

 

 このポンコツエルフ、何言ってんだ。

 唖然として何も言えない俺に、リオンさんは生真面目な表情を崩さすに、真剣そのものといった様子で続けた。

 

「だが、貴方を救った少女が、先程私に一つ頼みごとをしてくれました。なので私はこれからも、変わらず貴方から借金を徴収し続けようと思います」

 

 そして再度エールを飲み干したリオンさんは、小さく、だけど柔らかく微笑んだ。

 

「は? いや、店員さん、さっきから何を言ってるか全くわからないんですけど……。根本的に色々と勘違いしてそうですし、頭大丈夫ですか? それにリリ、何を言ったんですか?」

 

「ふふ、一つだけ教えましょう。アーデさんは、クラネルさんだけでなく、貴方にも救われたと言っていました。なので、冒険者さん。クラネルさんを賞賛するのであれば、その賞賛は自分に向けても良いはずだ」

 

 それだけ言ってリオンさんは、もう話すことはないとばかりに黙ってしまった。

 

 何なんだ、これ。本当に意味が分からない。

 

 

*    *    *

 

 

 それからは、何時ものようにリオンさんと情報交換をした。

 

 新種のモンスターを操る怪人達と、それと協力関係にある闇派閥の残党達の存在。

 それらの勢力が巣食っている本拠地がダンジョン内部であり、そのダンジョンと地上を繋ぐ入口がオラリオに聳え立つダンジョンの蓋であるバベルの塔以外にも存在している可能性が高い事。

 そして奴らの狙いが、ロキ・ファミリアの幹部総員でどうにか倒せる程のふざけた力を持つ精霊の分身を、緑色の宝石として未知の経路を使ってダンジョンから地上に持ち出し、地上で成長させるつもりであろう事を。

 

 ダンジョンと地上を繋ぐ未知の経路についてはリオンさんにも心当たりがあるようで、独自に探って情報を流してくれるという約束をしてくれた。

 

 俺は俺でいくつか心当たりを当たってみよう。

 

 

 会計を済ました後は、酔い潰れて熟睡してしまっているリリを背負った。

 こうしてリリを背負うのも、随分と懐かしい。今のリリの拠点が何処なのか知らないが、ベルのファミリアの本拠地の廃教会の場所は知っている。そこに届ければ大丈夫だろう。

 

 途中少しポンコツエルフがポンコツな事を言ってよく分からない空気になったが、久しぶりの食事はとても満足の行くものだった。

 

 が、気分良くリオンさんと別れようとした瞬間、ニヤニヤと笑いながら登場したシルさんから、

 

「ニルスさん、ニルスさん。お土産にとっておきの情報ですよ。なんとリューは、つい先日18階層でベルさんと一緒に裸で水浴びをしたとのことです。さらにベルさんの手を自分で握って、『私の手を取ってくれる人が、握れる人が現れたんです。クラネルさん、貴方は優しい。尊敬に値するヒューマンだ』なんて事まで言っちゃった程ベルさんに惚れ込んでいるようです! ざまあみろです!」

 

 と、ものすごい早口で似てない声真似を交えつつ意味不明な情報を叩きつけられた。

 

 は?

 

「シル、だからあれは何度も違うと説明したではありませんか。私の水浴びをクラネルさんが事故で偶然目撃し、それ以降の事は、皆の墓参りに付き合って頂いたクラネルさんに、私の過去を説明しただけです」

 

「だいたい全部事実じゃねえかよ。つーか性悪毒物製造機、てめぇは毒物渡してるだけで何もしてねえのかよ。ちょっとはポンコツエルフを見習え」

 

「ぐっ……! きょ、今日は引き分けにしておいてあげます!」

 

「ぼ、冒険者さん……? 何か、怒っていますか?」

 

「いえ、別に。怒る理由ないですし」

 

 一気に気分が悪くなったので、とりあえずリリを叩き起こして、朝まで別の店で飲み直した。

 

 

 

 

*    *    *

 

 

 

【とうじょうじんぶつ】

 

 

ニルス・アズライト

・都市最強冒険者オッタルさんに半殺しにされた間の悪い冒険者さん

・かつて教育ママに「どうしたらエルフに認められる真人間になれる?」と訪ねた所「一回死ねばいい」と返された根っからの駄目人間

・世直し出来ない必殺仕事人

 

リュー・リオン

・久しぶりにやらかした消し炭製造機型ヒロイン

・本日のお酒は「水っぽいエール」。本当は違うお酒を用意していたが、今日はこれで良かった。

・間違えた憧れを抱いてしまった少年を正そうとして来た、かつて正義を掲げていた冒険者さん

 

リリルカ・アーデ

・第四話のカウンター席への飛入り客

・主人公の昔の相棒であり今はベル君に惚れ込んでいる、家庭環境が複雑な小人族の少女

・主人公の事を「兄のように思えなくもないゴミカス野郎」と思っている。主人公は「酒で人生壊しそうな可哀想な酒クズ妹分」と思っている。

・ヒロインさんに「リリがお願いするのはお門違いですが、これからもどうか兄を見捨てないで下さい」とお願いした

 

ベル・クラネル

・話題にされた人その1

・Lv.2到達の世界最速記録保持冒険者君

・順調に店員さんとフラグを建て主人公にダメージを与えている原作主人公

 

ミア・グランド

・茶目っ気もあって強くて料理上手な完璧な女将さん

・本日のオススメの一品は「猪鍋」

 

シル・フローヴァ

・ポンコツエルフの友人の情報通の店員さん

・主人公との通算の戦績はだいたい五割

・得意技は自爆戦法

 

オッタル

・話題にされた人その2

・フレイヤ・ファミリア所属の都市最強冒険者にして先日Lv.8に到達した紛うことなき英雄

・八年前に主人公に半殺しにされた事があるので、私怨込みでリベンジマッチとして主人公を半殺しにした猪獣人さん

・第二ヒロインにしてラスボス



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第五夜 悪ノ証明

ヒロインさんと第二ヒロインさん(雄)が一瞬だけ牽制しあうハートフルラブコメ的な五話です。(嘘ではない)


 

「──と、迷宮の59階層であった事と、そこから推測される事についてはこれで全てだ。まあ、既にニルスから聞いているだろうけどね」

 

 『豊穣の女主人』の店の奥にある一室。

 

 普段はあまり使われることがないその個室では、ロキ・ファミリア団長【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナが滔々と機密情報を語り続けていた。そんな彼の斜向かい、己の横では主神ロキが並べられた高級酒の瓶を次々と手酌で開け続けている。

 

 少し前に店に訪れるなり店主であるミアに話をつけて、到底酒場で使えるとは思えない金額の注文をした上で、専属の給仕として自分を指名した都市きっての有名人と有名神。

 意図が読めないそんな二人の顔見知りに対して、リュー・リオンはとりあえず黙って話を聞き続けることを選択した。

 

「それで、ここからはつい数日前に判明した事実になる。ダンジョンと地上を繋ぐバベル以外の経路と聞いて真っ先に思い浮かべるであろう、ロログ湖については問題なかった。封印は問題なく機能していたよ」

 

 オラリオ近郊の都市である港町メレン。その町にある巨大汽水湖ロログ湖の底は、かつてダンジョンと繋がっていた。ロキ・ファミリアは真っ先にダンジョンを本拠地とすると考えられる敵対戦力が使う経路として、その可能性を潰しにかかったようだ。

 

「もともと期待はしていなかったけど、実はメレンで成果があってね。君も既に噂を聞いているかも知れないが、一週間前にメレンで起きた騒動は他国、アマゾネス国家カーリー・ファミリアによるもので、同時期に起きた食人花によるメレンの襲撃は偶発的なもの──というのは当然隠蔽のためのギルドの嘘で、本当は闇派閥の協力者達が関わっていた。メレン側の協力者は三名。漁港を管理しているファミリアの主神ニョルズ、メレンの町長、そしてギルドの支部長だ。彼らは町を支える漁師達を湖のモンスターの脅威から守るために、モンスターを捕食する食人花を闇派閥から得る代わりに、密輸の手引をしていた。ああ、先に言っておくけど、純粋に私腹を肥やすために協力していたギルド支部長は既にギルドから正式に処分されているよ。残りの二名に関しては動機と影響力、今までの実績を加味して公式的にはお咎め無しだけどね。まあ僕も妥当だとは思うし、ニルスもそれについては《悪》ではないと判断している」

 

 メレンの町の三大権力者が揃って結託して闇派閥に協力していたとは、とリューは歯を軋ませる。やはり闇派閥の撃ち漏らしは何処にでも潜んでいる。

 

 だけどそれについては、犯人達の処遇まで含めて既に終わったと彼がそう判断しているのであれば、とやかく言うつもりはなかった。

 

「フィンの言ってる事はほんとやで。そこはニルスも納得済みや」

 

 図ったかのようにそう断言するロキに「わかりました」と小さく頷いて、リューはフィンへと向き直る。

 

「メレン側については理解しました。では、オラリオ側の協力者は?」

 

「君は話が早くていいね。さて、ここからが本題だ」

 

 にやりと黒い笑みを浮かべる【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。

 ロキ・ファミリアの団長である目の前の小人族の男が、決して綺麗事だけでロキ・ファミリアを今の地位へと押し上げた訳ではない事を知っているリューは思わず身構える。

 

 フィンは鷹揚とした動作でエールが入ったジョッキを持ち、喉に流し込んで、

 

「取引と行こうじゃ……うっ……」

 

 そして、次の瞬間に胃を押さえて苦い顔をし、大きく溜息を吐いた。

 

「……」

 

「失礼、胃薬を忘れていた」

 

「……その、【勇者(ブレイバー)】。大丈夫ですか?」

 

「ああ、ちょっとストレスで胃に穴が開いていてね……」

 

 ちょっとストレスで胃に穴が開いている?

 

 人類最高峰のLv.6のステイタスを持つ男の言葉とは到底思えず一瞬放心したリューを他所に、フィンは慣れた手つきで回復薬を飲み干し、続いてエールを流し込んでいた。隣ではロキが腹を抱えて笑っている。

 

「ああ、これじゃあ交渉も何もあったものじゃないな……もういいや。オラリオ側の闇派閥の協力者は、イシュタル・ファミリアだ。僕らは数日後には仕掛ける予定だし、君にも情報を渡す。だから【疾風】、そのためにもニルスを説得してくれ。と言うか止めてくれ」

 

「……」

 

 急に開き直ってオラリオの大派閥が闇派閥に関与しているという情報を垂れ流し始め、そして疲れが滲んだくたびれた笑みで「頼むよ」と言ってくるフィンに、リューはどう返したものかと悩みながら、とりあえず思い当たる節を口に出してみる。

 

「アーデさんとクラネルさん……ヘスティア・ファミリアの一件でしょうか?」

 

 ベル・クラネルが所属するヘスティア・ファミリアが中堅派閥アポロン・ファミリアと抗争状態となり、そしてファミリア同士の正式決闘、戦争遊戯(ウォーゲーム)を開催するまでに発展したという話は、今やオラリオを熱狂させる話題の一つだ。

 恋多き男神アポロンが懸想したベルを我が物とせんが為に始めた策略が事件の発端であり、実際に戦争遊戯(ウォーゲーム)におけるアポロン・ファミリアの要求はベルの身柄であるという話だ。

 

 ニルスが妹のように思っているリリルカ・アーデと、そして気にかけているベル・クラネルが所属しているファミリアの一大事である。

 ファミリア間の抗争に別ファミリアが横槍を入れるのは色々な意味でご法度であるが、聞く限りではアポロン・ファミリアに一方的な非がある現状、ニルスが動こうとする事自体は別に驚くことではなかった。

 

 フィンは「ああ、正にその件だよ」と頷く。

 

「僕の胃痛は、三日前のアポロン・ファミリアによるヘスティア・ファミリアの襲撃から始まった」

 

 悲痛な面持ちで胃の話を始めたフィンに、リューは思わず眉根を寄せる。隣ではロキが相変わらず腹を抱えて笑っている。何なんだこの状況は。

 

「あの馬鹿道化(ピエロ)は、うちの幹部という立場を全く考慮せずにとりあえずヘスティア・ファミリアを助けに行くなんて言い始めた。最大ファミリアが抗争に参加すれば、それこそ都市全体の抗争にも繋がりかねないのにね。それをちゃんと理解した上で完全に無視してこの僕を正論で丸め込もうとするあの馬鹿にアイズが触発されて『ニルスばっかり、ずるい……。私もベルを助ける』なんてゴネ始めて、天然二人の我儘にリヴェリアが耐えかねて、『何故二人共こうなったんだ。私の育て方が間違えていたのか? いや、私は間違えていない。よろしい、表に出ろ』なんて何時もの病気で発狂した。先ずはその時点で、僕の胃を癒やすために回復薬が一本必要になった」

 

 状況の説明なのかただの愚痴なのか分からないフィンの勢いに押され、思わずリューは「それは大変でしたね」とよく分からない相槌を打ってしまう。

 

「その場はどうにかリヴェリアの説得で二人が気を失った事で事なきを得た。代わりに拠点の訓練場が駄目になったけどね。まあ、それはいい。だけその翌日、ソーマ・ファミリアも一枚噛んでいるという情報が入って来てね」

 

「まさか、アーデさんの身に何かあったのですか?」

 

 不穏な単語に反射的に立ち上がりかけたリューを、溜息を吐くフィンが「もう終わった後だし、彼女は無事だ」と制する。

 

「不当にヘスティア・ファミリアが拘束していたリリルカ・アーデを奪還するという名目で、今日までソーマ・ファミリアが彼女を監禁していた。だけど神ヘスティアと協力者達の手によって、今はもうリリルカ・アーデは無事に救出された上に、改宗まで済ませて正式にヘスティア・ファミリアに入団している。大変だったのはその報せが届くまでソーマ・ファミリアを潰すと言って聞かないニルスを力ずくで監禁する事だったよ。ていうかあの屁理屈道化(ピエロ)、何で僕の言うことは全く聞かないくせに、ガレスの説得だけは聞くんだ」

 

「フィン、フィン。愚痴になっとるで」

 

 ぶつぶつと独り言を言いながら胃を擦るフィンと、吹き出しそうになるのを我慢しながら肩を震わせるロキ。

 そんな二人のやり取りを意識の片隅で聞きながら、リューはリリルカの身の安全と悲願であったソーマ・ファミリアからの脱退の報せに、心底安堵して胸を撫で下ろしていた。

 

 ああ、これで彼女は本当に救われたのだ。そして苦しみ続けていた彼も、これでようやく罪悪感から開放される。

 

 未だに恨み言を言っているフィンに意識を戻し、リューは「それで、私にアズライトを止めて欲しいというのは?」と尋ねる。

 

「フィンが帰って来んから、うちから説明しよか。まあ、そんなつまらん盤外戦も無事に終わって、何の憂いも無く戦争遊戯(ウォーゲーム)の準備が整いつつあるんやけど、今日、神会で正式に勝負形式が決まってな。参加者はヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリア所属の子供達のみ。そんで対戦内容は攻城戦や」

 

「攻城戦、ですか……」

 

「そうや、普通に考えれば全く勝負にならんやろうな。ドチビのとこにもリリって子と他の派閥の子らが後二人ほど改宗して入団したけど……って、そか、リューたんも面識あるんか。ファイたんとこの魔剣鍛冶師のクロッゾの子と、タケミカヅチんとこのミコトって女の子の二人やな。まあ、やけどドチビのとこは総勢四人で、対するアポロンのとこの子らは百人超え、戦力差に開きがあり過ぎる。やから流石にハンデとして都市外のファミリアに限ってのみ、助っ人が一人認められた。まあつまり、フィンの依頼──」

 

「ロキ、ありがとう。流石にそれは僕が言うべき事だ。【疾風】、君が都市外の冒険者として、ヘスティア・ファミリアに助太刀してくれないかい?」

 

 先程までのくたびれた様子から一点、真面目な顔でそう言って頭を下げてくるフィン。

 

 内容はともあれ経緯が全く理解できない。

 フィンの事は暗黒期を共に戦い抜いた過去に加え、ニルスの件もあって信頼している。だが、それとこれとは話が別だった。

 

「なぜ、それをロキ・ファミリアの団長である貴方が依頼するのですか?」

 

 故にそう問い掛けたリューに、フィンは──今度は胃を押さえて机に突っ伏して、死にそうな声で答えた。

 

「あの馬鹿が、うちを抜けてヘスティア・ファミリアに入るなんて言い始めたんだ……」

 

「なるほど、そういう事ですか。……アーデさんの事を考えると、確実に勝つためにアズライトならそうするでしょうね」

 

 リリルカ・アーデがやっと手に入れた安息の場所を、アポロン・ファミリアは奪おうとしているのだ。

 今の彼ならば救いを求める声が無くとも、彼女の為に立ち上がるだろう。

 

「数年前ならいざ知らず、もうニルスはうちの幹部だ。他所のファミリア同士の抗争に、うちの幹部が改宗までして参戦するのは都市全体の均衡を崩しかねないし、そもそも僕自身、彼を頼りにしている。だから団長として許可できない。だけどニルスとは平行線でね。だから他でもない君が助っ人として参戦して、その上で君から彼の力が不要だと伝えてくれれば、ニルスも納得せざるを得ないはずだ」

 

「うちはまあ、別にええんやけどな。ドチビのとこに行くってのは気に食わんが、あの子がやりたいようにやったらええ。そりゃまあ、最後までうちの子であってくれたら嬉しいけどな」

 

「ロキ、そうやってまた悪い意味で特別扱いを……」

 

「前から言っとるやろ。フィン達とあの子は違う。これは特別扱いでも何でもなくて、ただの区別や」

 

「……納得は出来ていないけど、僕はまだいい。だけどリヴェリアは別だ。さっきだって『改宗……だと? それはつまり、改宗という意味で、改宗するという事か? わ、私は断じて認めないぞ、まだお前は一人前になっていない。おおん? 何故私が泣かないといけない? 一度殴ればその節穴同然の目も単細胞生物以下の脳も治るだろう。よろしい説教だ』なんて、杖を振り回して盛大に壊れてたんだ。無責任な事を言うなら、先ずはアレをどうにかして欲しいね。僕の胃はもう限界だ」

 

「いや、アレは無理やろ。やからわざわざリューたんとこに一緒に来てやったんやろ」

 

 リューは己を含めたエルフという種族自体に嫌悪感を持っている。しかしそれでもハイエルフであり王族であり、そして冒険者としての先達であるリヴェリアには確かに敬意を持っているし、それだけでない感情も抱いている。

 

 そんな彼女の対応を面倒くさそうに押し付け合っているフィンとロキに小さく溜息を吐いて、普段は児童虐待が云々と憎まれ口ばかり叩いているがそれでも『母』として彼女を慕っているニルスと、そのニルスを確かに気にかけてくれているリヴェリアに、少し温かい気持ちになる。

 

 本当にいい家族だ。

 

 そして、正義を捨てたこの身であるが、それとは別にニルスとその家族のために自分が出来ることがあるのなら、どうして拒否する必要があるだろう。

 彼が妹のように思っているリリルカ・アーデを救うことにも繋がり、そしてシルの想い人であり自身も掛け替えのない友人と思っているベル・クラネルの助けにもなるのだ。

 

「わかりました。貴方達であれば、ギルドの要注意人物(ブラックリスト)に載っている私の正体を隠す算段もついているのでしょうし、既に準備を終えているのでしょう。であれば、戦争遊戯(ウォーゲーム)への参戦、私自身のために引き受けましょう」

 

「あー……何つーか話がまとまりかけてるところ、悪いな」

 

 が、そう宣言すると同時に、個室の入口から気不味そうな声がかけられる。

 

 視線を向ければ灰色の毛並みの狼人、ベート・ローガが頭を掻きながら気不味そうに佇んでいた。

 

「ローガさん、どうされたのですか?」

 

 稀ではあるがニルスと連れ立って酒場に来る彼の友人に問いかければ、彼は表現しにくい複雑な苦虫を潰したような顔で、

 

「……どうもこうも色々と状況が悪い方向に変わったんだよ。ああ、そういや先月は助かったぜ。あのクソザコナメクジの世話もな」

 

 と、舌打ち混じりではあるものの、礼を述べてきた。

 

「いえ、当然の事をしたまでです。礼であれば、罵倒を抑えた上でまたお店にお金を落としに来て下されば結構です」

 

「燃え滓野郎があんたとの時間を邪魔すんなって無駄にキレるから行かねえよ」

 

「……? 別に彼と一緒にという意味ではないのですが」

 

「それこそあいつがキレるだろうが」

 

 よく分からない事を言ってくるベートに首を傾げていると、小さく、しかしはっきりと咳払いの音が響く。

 

 リューとベートが視線を向けると、フィンが冷や汗を拭い、胃を抑えながら青褪めた顔で訪ねた。

 

「どうやれば今より悪い方向に状況が変わるんだい? アイズまで改宗するなんて言い始めたんじゃないだろうね?」

 

 そんな鬼気迫る様子のフィンに、ベートは答えた。

 

「あの燃え滓野郎の改宗の噂が漏れて、それを口実にフレイヤ・ファミリアが戦争遊戯(ウォーゲーム)のルールに干渉して来た。ロキ・ファミリアの横暴はよろしくねえんだとよ」

 

「カヒュッ……」

 

 人間が発する音とは思えない不思議なうめき声を出したフィンを、頭が痛そうに、そして哀れみを含んだ目で見つつ、ベートは続ける。

 

「両派閥に、それぞれロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアから一名ずつ派遣するってルールが急遽追加されることになるらしいぜ。つーか、あの女神が動いてるせいで、実質確定らしい。うちからの派遣は当然あの燃え滓野郎で、向こうから出てくるのは──オッタルだ」

 

 

 

 その二日後、戦争遊戯(ウォーゲーム)の内容に改正が加えられ、正式に都市全体へと告知がされた。

 

 ヘスティア・ファミリア対アポロン・ファミリア。

 戦闘形式、攻城戦。

 決戦場所、オラリオ東南シュリーム古城跡地。

 勝利条件、敵大将の撃破。

 

 攻城側、ヘスティア・ファミリア。総勢四名。そして助っ人である都市外の冒険者一名。

 防衛側、アポロン・ファミリア。総勢、二百名。

 土壇場で三名の団員を増やしたヘスティア・ファミリアに対して、アポロン・ファミリアは大手ファミリアの干渉という噂を受けて、万全を期すために五十人以上の下級冒険者を加え入れその戦力差を更に広げていた。

 

 そして特別追加ルール──純粋な追加戦力としてのロキ・ファミリア幹部ニルス・アズライトと、そして彼と助っ人に対する攻撃権だけを持つカードとしてフレイヤ・ファミリア団長オッタルの参戦。

 

 こうして、当事者たち以外にとってはただでさえ久しぶりの極上の娯楽である戦争遊戯(ウォーゲーム)は、かつて純粋悪と恐れられた【業火】をLv.8に到達したばかりの都市最強の【英雄】が打ち倒すという、事実上の公開処刑という名の見世物まで追加され、大いに都市を湧かすことになった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 白亜の巨塔『バベル』三十階大広間。

 神々専用の戦争遊戯(ウォーゲーム)の観戦場には男女幾多もの神々が集い、目の前に浮く千里眼の力を宿す『神の鏡』と、そして広間中央に設置された四人掛けの大きなソファーに目を釘付けにしている。

 

 中央のソファーに座るのは、抗争の当事者同士である女神ヘスティアと男神アポロンの二柱。そして特別ルールとして抗争に参加している二人の主神である女神フレイヤと女神ロキ。

 

 右には己の大切な眷族を奪おうとするにっくきアポロン。左には何かと何時も因縁をつけてくるロキ。そんな二柱に挟まれた状態で、何でこんな居心地の悪い席に座らなきゃならないんだと、己の長い黒髪をいじりながらヘスティアは陰鬱な気持ちになる。

 

「おーおー、盛り上がっとるなー」

 

 そんな自分とは対象的に、ロキは神々から向けられるニヤニヤとした好奇の視線と、鏡の向こうで遂に始まってしまった戦いを肴に、役得とばかりに特別に用意された神酒(ソーマ)を煽りながら笑っていた。

 

「ロキ、何で君はそうも楽しそうなんだい? 君だって当事者の一人だろうに」

 

「当事者って言ってもなあ。ドチビが負けても別にうちは痛くも痒くもないんやから、実質無関係やで? むしろタダ酒付きの特等席までついて来てラッキーやわ」

 

 首を傾げながらそんな事を平然と宣うロキに、ヘスティアはそんなはずがあるかと思わずロキを睨みつけた。

 

「いやいや、痛いし痒いだろう!? ボクはよく知らないが、何故か君のところのアズライト君とやらの公開処刑になるって話じゃないか? 彼は僕のベル君に良くしてくれた見込みある子なのに、君はそんないい子が、あんな善良な子が酷い目に合わされても平気なのかい?」

 

 ニルス・アズライト。ロキ・ファミリア所属の冒険者。

 

 人相は悪いが、ヘスティアの大切な最初の眷族であるベルを幾度か助けてくれた親切な子ども。

 つい先日眷族になってくれたサポーター君、リリルカが兄のように慕っている人物で、四年間ずっと彼女を影から支え続けていた人格者。

 そして今回の事件においてはリリとベルの力になりたいと、一時は改宗までしてくれようとしていた優しい子。

 

 そんな子が何故か何時の間にかルールが改正されていた戦争遊戯(ウォーゲーム)にて、都市最強の冒険者に嬲り者にされ見世物にされようとしている現状に、ヘスティアは素直に全く納得が行っていなかった。

 

 本気で怒って怒声をあげたヘスティアに、しかし次の瞬間には広間に集まっていた神々が大爆笑していた。

 

「【業火】さんがいい子とかどこの世界線?」「初代【千の魔法(サウザンド)】先生が善良とかもはや痛烈な皮肉なんだが」「【道化(ピエロ)】先輩、今回もネタ提供あざっす」

 

 巻き起こる笑いの渦にヘスティアは混乱する。何だっていうんだ、この状況は。

 

「あんなあ、ドチビ。うちは別にあの子が見世物にされるんも、自分から首突っ込んだ結果、フレイヤんとこの子に何もさせてもらえずに笑い者になるんも、今は別にそれでええんや。つーかドチビ、今の自分にうちの子を心配する余裕あんのかいな?」

 

「その通りだヘスティア。それだけ余裕ということは、ベル・クラネルとはもう別れを済ませて来たらしいね」

 

 ロキの指摘に便乗して、髪をかき上げながら薄笑いを浮かべるアポロン。そんな彼を無視してソファーから身を乗り出し、ヘスティアはアポロンの奥で機嫌が良さそうに鏡を見つめているフレイヤへと矛先を向ける。

 

「フレイヤ。ロキだけじゃなくて、君が何を考えてるのかだってボクはわからないよ。君はベル君の味方だと思ってたんだけどね! それが何でボク達に協力してくれるどころか、とんでもない子を送り込んで来るなんて事をしちゃってくれてるんだい?」

 

 こちらの会話になどまるで興味がなかったのか、何も聞いていなかったらしいフレイヤ。彼女は暫くきょとんとしてから、可笑しそうに彼女には似付かわしくない少女のような微笑を浮かべた。

 

「オッタルの参戦は、私の意志ではなくてあの子自身の我儘よ。私はあの子からおねだりをされて、少し協力してあげただけ。この機会を逃せば二度と本気の彼と戦えなくなるかもしれないって、あんな必死にお願いされてしまうと、ね?」

 

「ね? じゃ、あらへんわこの色ボケ、止めんかいな。先月レベルアップしてまうくらいにうちの子痛めつけとんのに、そんな理由で割って入ったんかいな。強なりすぎて頭おかしくなったんか?」

 

「先月の一件、口ではオッタルを《悪》と判じただなんて言っていたようだけれど、彼、本当は《悪》ではないと赦していたと聞いたわ。現にステイタスに制限を受けた状態だったらしいじゃない。だからオッタルはまだ納得出来ていないの。ランクアップにしても、過去のトラウマが払拭されて、八年前の【経験値(エクセリア)】が遡って加算されただけよ」

 

「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ」

 

 よく分からないやり取りをするフレイヤとロキに、ヘスティアはついて行けず思わず口を挟む。

 

「何かい? オッタル君とやらは、アズライト君への個人的な感情で、ボク達の命運がかかったこの戦争遊戯(ウォーゲーム)に割って入ったとでも言うつもりかい? それにアズライト君の話も、悪だと判じるやら赦すやら、そんな神でも簡単に答えを出せない事を……君たちは自分の愛する子たちが、そんな安っぽい傲慢の権化とでも言うつもりなのかい?」

 

 頭を抱えて溜息を吐くヘスティアに、しかしフレイヤとロキは何でもない事のように答えた。

 

「ええ。ヘスティアには悪いと思っているけれど、オッタルは完全に私怨で動いているわ。ヘスティア・ファミリアにも、当然アポロン・ファミリアに対しても、今回の件では本当に全く何一つ興味を持っていないわよ」

 

「《悪》云々については、ニルスは答え出せるで?」

 

「はぁ?」

 

 二柱のそんな返答に、ヘスティアは何を言ってるんだと思わず間抜けな声を出した。

 

 そして鏡の向こうで、既に始まっている戦争遊戯(ウォーゲーム)に最初の動きがあった。

 

 

*    *    *

 

 

 古城の北側。たった一人、城壁を守るように静かに立つ猪の獣人、都市最強の冒険者【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 フレイヤの言葉を信じるなら、彼の仕事は、Lv.2の冒険者たちが大半を占めるこの戦争遊戯(ウォーゲーム)に紛れ込んだLv.5の異物(ニルス)を排除することだけだ。そして、それこそが彼からしたら退屈であるはずのこの遊戯に参加した唯一の目的である。

 

 そんな彼の視線の先、戦場の北側、城砦正面の荒野を、全身をマントで覆った奇妙な格好の二人が静かに歩いてくる。

 

 一人はフード付きの緑のケープを身に着け、その上に更にマントを羽織って全身を隠している上に、顔の下半分すらも覆面で隠している華奢な女。

 一人はフードこそ被っていないが、全身をマントで覆い、同じく顔の下半分を覆面で隠した、燃え尽きた灰のようなくすんだ色の髪の男。

 

 リュー・リオンと、ニルス・アズライト。

 

 ヘスティア・ファミリアに助力してくれる、二人の協力者達だった。

 

「ちょ、マジか、これはひどい!」「【千の魔法(サウザンド)】先生、魔法使えなくなったからって物理的に武器持って来ちゃうとか!」「千の魔法、カッコ物理! 流石っすパイセン!」

 

 囃し立てる神々が見つめる鏡には、ニルス・アズライトの手元が映っている。

 そして彼のその手には熱によって赤黒く変色した膨大な数の細い鎖の束があり、それは彼の背後で金属同士がぶつかり合う嫌な音を立てながら引きずられている、数百にも及ぶ多種多様な武器に繋がっている。

 

 剣、槍、斧、杖。短剣細剣大剣短槍長槍、その他思いつく限りの様々な武器。

 

 オッタルとの距離にして50M。

 その距離まで到達したその瞬間、ニルスは大量の鎖の束を両手で掴んで、ゆっくりと頭上に掲げて回転を始める。

 

 回転の速度は徐々に早まり、耳障りな音を立てながら鎖に繋がれた膨大な数の武器が彼の頭上を旋回し始める。

 

 そして同時にリューも動きを見せた。

 勢い良く両腕を広げ、勢いでマントが宙が舞う。隠されていた両手に装備されていたのは二振りの『魔剣』。ヘスティア・ファミリアの奥の手である、オリジナルの魔法をも超える『クロッゾの魔剣』だった。

 

 ニルスはLv.5のステイタス、人類の域を超えた膂力をもって回転の勢いそのままに数百の武器を、リューは二振りの魔剣から巨大な炎塊と大蛇のような紫電を、オッタルと、そして城壁に向けて解き放つ。

 

 その効果は覿面だった。大剣を振り回し襲い来る武器を全て弾き落としたオッタルは全くの無傷であったが、高熱を発する百の武器が突き刺さり、その上から膨大な威力の魔法をぶつけられた城壁は大きく抉られ崩壊していた。

 

「は、はあああああっ!?」

 

 隣で馬鹿みたいにそんな叫び声を出すアポロンに、ヘスティアは内心で歓喜の声をあげる。

 

 作戦通りだった。これで、道が出来た。

 

 そして二人の協力者は、二手に別れて走り出す。

 

 リューは崩れた城壁から出てきた百にもなるアポロン・ファミリアの団員達を引き付けつつ、魔剣を振って殲滅を開始する。

 そしてニルスは、片手に持った奇妙な形をした黒い長槍に炎を灯し、オッタルへと向かって走り出す。

 

 オッタルの大剣とニルスの長槍がぶつかりあい、凄まじい音が鳴り響く。

 一合打ち合っただけで弾き飛ばされたニルスは、周囲に落ちていた先ほど投擲した膨大な数の武器を拾ったかと思えば炎を灯してオッタルへと投擲し、そしてあるいは両手の十指で出鱈目に持った幾本もの武器でオッタルへと打ちかかる。

 

『まだだ。先日よりはマシだが、その程度の力で勝てるとでも思っているのか。今でようやく八年前より多少強い程度……本気を出せ』

 

『レベルアップしても相変わらず共通語が伝わらない脳筋はそのままみたいですね……もう昔のスキルはなくなったって説明しただろうが!』

 

 鏡からはオッタルの感情を押し殺した声と、全く余裕のないニルスの舌打ち混じりの悪態が響く。

 

『せめてその脆弱な炎をどうにかしろ。昔はもっと、もっともっともっともっともっと……貴様の炎は強かったはずだ』

 

『だからそっちのスキルも今は無いって言ってんだろうが!』

 

『……ならば、戦場の命を喰らい炎へと変えろ。人の命は、掛け替えのない大切なものなのだろう? 無限の可能性に満ち溢れた素晴らしい命を犠牲にするなどという悪を成せば、俺一人程度を倒せない道理があるはずないのだろう? かつて自らを《悪》だと名乗ったお前は、そう言って闇派閥の仲間を殺し尽くし、圧倒的なレベル差を覆して俺を倒したはずだ!』

 

『……何であんたがそんな昔のこといちいち前部覚えてんだよ』

 

 徐々に怒りで声を荒げて行くオッタルは、ニルスが一撃ごとに繰り出す武器を全て打ち砕き、確実にニルスを追い込んで行く。

 ニルスは大きく地を蹴って後退し、そして地面に落ちる幾本もの武器に繋がる鎖を掴み振り回し、周囲のアポロン・ファミリアの冒険者たち諸共オッタルへと叩きつけるが、しかしオッタルには一撃たりとも届かない。

 

 徐々に強くなる炎と戦場を飛び交う幾多もの武器をオッタルは軽々と打払い、そしてニルスへと横薙ぎの一撃を叩き込んだ。

 一般人と何ら代わりのない動体視力を持つヘスティアの目では、一連の攻防が終わり、薙ぎ払い終わった大剣を構え直すオッタルと、そして吹き飛び荒野を転がるニルスの姿をようやくまともに捕らえることしか出来なかった。

 

 地を転がりながらも跳ねるように起き上がり、手に持った鎖ごと武器を引き寄せ、オッタルから逃げるようにニルスはアポロン・ファミリアの冒険者たちへと攻撃を加える。

 しかし数人を巻き込んだだけで彼の攻撃はオッタルの手によって遮られ、再び強大な一撃によってニルスは吹き飛ばされる。

 

 追撃しようとしたオッタルは、しかし飛んできたアポロン・ファミリアの冒険者を受け止め、強制的にその場へと縫い止められた。立場上は一応味方なのだから、無造作に打ち払う訳には行かなかったのだろう。

 

「あの覆面の冒険者、強くね?」「無差別テロするヒーロー括弧笑と魔剣ありとは言え、百対一でよくやるわ。さっすが本物は違う」「覆面の冒険者……一体何リオンなんだ……」

 

 魔剣を使い果たしてなお、自前の木刀でアポロン・ファミリアの冒険者を相手取り、そしてオッタルの侵攻までもを食い止めたリュー。

 獅子奮迅の活躍をする強く美しい彼女に、バベルの外の民衆はおろか神々さえも賞賛と応援の声を送る。

 

 オッタルの追撃の手が止まった隙間に、ニルスはマントの肩口に仕込んだ回復薬(ポーション)の瓶を噛み砕き、飲み干すと同時に腕へと垂れ流し、大剣によって受けた傷と腕の火傷の治療をする。そして再び鎖を振るい引き寄せた武器を、周囲へと投擲して強引に軌道を変える事で周囲の冒険者たちを薙ぎ払う。

 

 しかし数人のアポロン・ファミリアの冒険者を巻き込んだだけで、空を舞う武器はオッタルに容易く打ち砕かれ、そして再びオッタルの強烈な一撃によって、背後の城壁諸共、古城まで吹き飛ばされる。

 そしてふらつきながらも立ち上がったニルスは、オッタルから逃げるようにアポロン・ファミリアの冒険者が密集している荒野へと走り出した。

 

「あー、こりゃやっぱ話にならんな。無理ゲーやわ」

 

 鏡の向こうの彼を見ながら、ロキは額を押さえて「ちょっとは手加減せえっちゅうねん」と呆れたように溜息を吐いていた。

 

「はー、思ったより刺激なくてつまんね」「オッタルさんが強すぎてお話にならない件」「ロキさんロキさん、おたくのお子さん敵前逃亡されてるんですが、感想を一言」「いやいや今はチャージ中なだけだから。【道化(ピエロ)】さんなら最期に一花咲かせてくれるから」「ちょ、それ、【道化(ピエロ)】パイセン死んでるじゃん」

 

 そんなロキと、そして鏡の向こうで戦うニルスを嘲るように笑う神々。

 

 ヘスティアは堪らず手元の鏡でバベルの外の民衆達に向けてみるが、人間たちも似たりよったりの反応だった。

 むしろ茶化しているだけの神とは違い、オッタルの攻撃によってニルスが吹き飛ばされる度にかつての恨みを晴らすかのような盛大な歓声があがる始末。

 

 憎悪と呼べる程に暗くはなく、しかし親しみ故の悪態と言うには薄暗いその感情。

 まるで物語の主人公にして英雄であるオッタルが打ち倒すべき丁度いい敵がニルスであると言わんばかりの空気に、ヘスティアは拳を握り締めた。

 

 今、間違いなく、都市中どころか戦場で戦う戦士たちの好奇の視線までもが、オッタルに嬲られるニルスに集まっている。

 

 作戦通りだった。

 殆どの者が戦争遊戯(ウォーゲーム)における前哨戦として、この一方的な英雄譚の一幕に目を奪われている。

 そして英雄譚に興味がない変わり者さえも、百対一という絶望的な戦力差を覆し戦場で舞い戦う、美しい覆面の冒険者の姿に目を奪われている。

 

 その隙に、ヘスティア・ファミリアの策は既に成った。唯一の勝機が見えてきた。

 

 今はまだ誰も興味を持っていない古城の中で、アポロン・ファミリアの冒険者の一人に魔法で変身したリリが、城門を開けてヘスティア・ファミリアの団員達を本丸へと招き入れる準備が整いつつある。

 

 だが、そのためにニルスが見世物にされ笑われている事を許容してしまった己を、ヘスティアは許せなかった。

 

「ほんま、ドチビはええ子ちゃんやな。納得行っとらんようやから、特別に教えといたるわ」

 

「ロキ……?」

 

「今はええんや。あの子は昔、今こうして見世物にされて馬鹿にされて貶されても仕方ないことをした」

 

 ニルス共々笑われているロキは適当にヘラヘラと神々へと手を振り返しながら、隣のヘスティアにのみ聞こえるように小さく続ける。

 

「昔のあの子は【悪即是我】なんてスキルを持っとった。《悪》とは何であるかを識り、理解し、そんで成した悪の大きさによって能力を増大させるなんて巫山戯たスキルや。自分の心と記憶を燃やして火力を超強化する、廃人直行の危険な切札(スキル)もあった。他にも【ソムニウム】っちゅう、単体での攻撃力はゼロやけど、思い描いたもんは金属であれば武器でも硬貨でも壁でも、何でも作り出せる使い勝手だけでいうと多分世界一の【千の魔法(サウザンド)】なんで渾名される魔法まで持っとった。当時はLv.2やったけど、それであの子はLv.5の格上や、それこそ数人がかりやけど当時のオッタルにも勝ったし、闇派閥の武器の供給を一人で賄ったり、偽金作って資金源にもなったり、本当に無茶苦茶な存在で……ニルスさえおらんやったら、闇派閥の被害はもっと小さかったって断言できる程には色々やらかした。今でもあの子が生きてる事自体に納得いっとらん子らはぎょうさんおるし、あの子が原因で自分とこの子が死んでまった神もおる」

 

「は? あのアズライト君が? だって彼は、本当に……」

 

「そや。あの子は昔からただの優しい子やった。今言った悪行も、全部人質に捕られた妹の命を救うために、自分を殺しながらやった事や。【ソムニウム】なんていくらでも金儲けできる魔法持っときながら、本人は犯罪やからって自分のためには一切使わんで、闇派閥時代も残飯食って生き凌いで来た阿呆なんや。まあそれ以上に、自分が悪やって断じながらも世界よりも妹の命を選んだ、発現したスキルの名前通りの究極の純粋悪なんやけどな」

 

「な、だ、だけどロキ……それなら情状酌量の余地だってあるし、君程の勢力がある派閥が事情を説明したら、アズライト君の扱いだって……」

 

「やから別にええんやって。ギルドも大手の派閥もそんな事は知っとるから、正式にうちのファミリアに所属できとんのやし、それ以前にあの子は別に皆に褒められたくて正義の味方やっとるんやない。やから別にどんだけ見世物にされて馬鹿にされようが、笑われようが、ストレスの捌け口にされようが、うちがわざわざ出しゃばる程の事やあらへん」

 

 ヘラヘラと笑うロキに、ヘスティアは再度反論しようとして、そしてそれに気付いてやめた。

 酒をローテーブルに置いたロキの手の平には、爪の痕が深々と刻まれ、そして薄っすらと血が滲み出ている。

 

「ロキ、君は……」

 

「なんやその目は? 喧嘩売っとんのかいな、ドチビ。つーかそれより、ニルスの火見て何か違和感ないか?」

 

「火って、あのめちゃくちゃ熱そうな魔法がどうかしたのかい? 凄い魔法だとは思うけど……」

 

 ニルスが血に染まる度に徐々に白に近づき威力を増して行く炎を鏡越しに見ながら、ヘスティアは首を傾げる。

 とてつもない威力、火力の魔法であるが、唐突にロキはどうしたというのだ。

 

「ちゃうちゃう。魔法やのうて火そのものや。ドチビ、よう見てみーや」

 

「火って……ん? は? え、ちょ、あの火ってボ──」

 

「あー、やっぱそうなんか。わかったわかった、もうええで」

 

「は? いや、ロキ、あれ、え? えええ? 何で外界の子どもがあんなものを!?」

 

「子どもの可能性、神々(うちら)が検討もつかんような未知ってのは、そういうもんや。ドチビんとこの子かて、とっておき持っとんのやろ? 似たような……いや、まあ、あの兎君の成長速度の方がよっぽどおかしいやろうけど」

 

「ぐっ……!」

 

 痛いところを突かれて、ヘスティアは黙り込むしかなかった。

 ベル・クラネルのとっておきのレアスキル【憧憬一途】、何の縁なのか知らないが、よりにもよってロキの眷族である憧憬の相手(アイズ)への想いの丈によってより成長が早くなるという破格のスキルの存在は、絶対に知られてはならない。

 

「あら、そう言えば貴方も一応火を司っていたわね。火の神同士で秘密の会話なんて楽しそう。私も興味あるわ」

 

「うっさいわ色ボケ女神。だいたい自分はニルスのこと嫌っとるやろ、黙っとれ。なーにが興味があるじゃ」

 

 頭上を行き交うロキとフレイヤの声も、焦るヘスティアの内心も置き去りに、鏡の向こうではオッタルとニルスの戦いが佳境を迎えようとしていた。

 

 ニルスが持ち込んだ数百の武具は、最早一つを残して全てが使い物にならななくなっていた。

 少なくない数が出鱈目な投擲によって戦場の各所に散らばり、大半はオッタルによって破壊され、そして残った物も強くなり過ぎた炎に耐え切れず溶解している。

 

 そして唯一残された元は黒かった長大な刃渡りの槍には白い炎が灯り、陽炎を立ち昇らせていた。

 

 傷だらけのニルスと、無傷のオッタル。

 対象的な姿の両者は、戦場で足を止め、最後の一撃に向けて詠唱を開始する。

 

『【銀月の慈悲、黄金の原野。この身は戦の猛猪を拝命せし。駆け抜けよ、女神の神意を乗せて】』

 

『【炎よ、稲妻と成りて空を駆けろ】』

 

 オッタルは大剣を上段へと構え、腰を落とす。

 ニルスは両手に灯した炎を、紡いだ詠唱によってより一層輝きと重みを増した純白へと染め上げる。

 

『【ヒルディス・ヴィーニ】』

 

『【アグニ】』

 

 オッタルの剣が黄金色の光に、そしてニルスの槍が純白の光に包まれる。

 

 片や純粋な強化魔法によって破壊の力が収束された大剣。

 片や空を駆ける稲妻の形を以って顕現した炎が宿った槍。

 

 ニルスによって投擲され一条の光の軌跡と化した槍と、オッタルが振り下ろした大剣が凄まじい音を立てて衝突した。

 

 一瞬の輝きと、周囲を揺らす衝撃、そして轟音。

 

 神の鏡の向こう、閃光が収まった戦場では、衝突し合った膨大な力が凝縮された大剣と長槍が、完全に消失していた。

 

「もしかして、引き分け……?」

 

「いや、まだやで」「いいえ、まだよ」

 

 思わず呟いたヘスティアに答えたのは、ロキとフレイヤ。

 

 二柱の主神に応えるように、二人の冒険者が動き出す。

 

 両手に純白の炎を灯し、駆け出すニルス。

 背に装備した予備というには余りにも重々しく禍々しい黒色の大剣を抜き放ち、そのまま振り下ろすオッタル。

 

 ニルスは自らを両断する勢いで迫り来る強大な大剣を、しかし右手で掴み、そして同時に纏う膨大な熱量とその握力によって砕き握り潰した。

 

 そして残った左手の五指を、鉤爪の如くオッタルの胸の鎧へと突き立て抉り、そして炎を解き放った。

 

 再度響き渡る轟音と、白い閃光。

 

『この一撃が、今のお前の限界か……』

 

 ニルスの攻撃を真正面から食らったのはオッタル。しかし、結果としてその場に膝から崩れ落ちたのはニルスだった。

 オッタルの胸の鎧は崩壊し、戦闘衣(バトルクロス)も焼き切れ、黒く炭化し一部五指によって抉られた素肌が覗いているが、それでも【猛者(おうじゃ)】は悠然と立っていた。

 

 気を失っているのか無防備に地面へと倒れ込んだニルス。焼き切れ黒ずんだ外套から覗く彼の両腕は完全に炭化しており、肩口はおろか胸元までもが焼け爛れ変色している。

 

『お前と戦うことはもう無いだろう。昔のお前は既にあの日、死んていたのだな。……残念だ』

 

 そう言ってオッタルは倒れたニルスに背を向け、戦争遊戯(ウォーゲーム)になどもう興味はないとばかりに戦場を立ち去った。

 

 こうして、戦争遊戯(ウォーゲーム)における前哨戦、かつての純粋悪である【道化】を【英雄】が圧倒的な力でもって討ち滅ぼすという英雄譚の一幕は、あっけなく幕を閉じたのだった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 一人の謎の妖精(エルフ)が繰り広げた、百の軍勢を相手取っての美しさすら感じさせる舞いのような戦い。

 都市最強の英雄によって魅せられた、勇ましく雄々しき、千の武器と業火を操る道化の討伐劇。

 

 そんな滅多に見ることが叶わないとっておきの、ともすれば本戦を全て喰いかねない豪華絢爛な前哨戦に対して、しかし戦争遊戯(ウォーゲーム)本戦も負けず劣らず大いに盛り上がり、ヘスティア・ファミリアの勇姿は都市中で興奮と共に幾度と語られる事になる結末を迎えた。

 

 協力者達の手によって戦力が削られたとは言え、まだ百の戦力を抱えるアポロン・ファミリアに対して、策略と無謀とも呼べる勇気を以って対等に渡り合うヘスティア・ファミリア。

 そして彼らは最終的には両派閥の団長同士の一騎打ちへと持ち込み、Lv.2のベル・クラネルがLv.3の敵大将を討ち果たすという大逆転劇を繰り広げ、その手に勝利をもぎ取ってみせた。

 

 こうして戦争遊戯(ウォーゲーム)は終わりを迎え、前哨戦を制した都市最強の冒険者オッタルには憧憬と感嘆、本戦を制したベル・クラネル率いるヘスティア・ファミリアへは賞賛と期待の叫喚が都市全体から捧げられたのだった。

 

 

 

*    *    *

 

 

【登場人物:過去】

ニルス・アズライト

年齢:13歳

所属:闇派閥(イヴィルス)

種族:ヒューマン

通り名:【業火】【千の魔法】【純粋悪】

 

Lv.2 最終ステイタス

 力:S999 耐久:S999 器用:S999 敏捷:S999 魔力:S999

 炎熱:E

 

《魔法》

 【アグニ】

  ・自傷型儀式魔法

  ・自身の肉体を代償に火を灯す

  ・痛みを熱に、傷を炎に変換する

 【ソムニウム】

  ・創造魔法

  ・その火は鉄を鍛え、想像を具現化する

 

《スキル》

 【悪即是我】

  ・悪の根源を識り体現する権利を得る

  ・成した悪の大きさに応じて全能力超補正

  ・成した悪の大きさに応じて苦痛を受ける

 

 【焼心灰燼】

  ・己の心諸共全てを焼き尽くす業火

  ・焚べた心と記憶に応じて火力超増強



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第六夜 「お造り」と「極東の醸造酒」

属性過多ヒロイン同士が手持ち属性で殴り合うバトルパート的第六話(たぶん嘘ではない)
クーデレポンコツ潔癖エルフ vs ツンデレドジっ子暴力雄猪獣人


 

 これは夢だと、すぐに分かった。

 

 闇派閥の全てを殺し尽くした五年前のあの夜。

 火の海と化した都市の一角、火の粉が舞い落ちる路地裏。共に戦った彼女とも別れ、朽ち行くのをただ待ち望みながら眺めていた赤く染まった夜空。

 

 邪悪に笑う道化師のような女神は、そんな御伽噺に出てくる地獄のような夜を背負って俺の前に現れた。

 

 焼け焦げてしまって、もう所々思い出すことが出来ない記憶、神様との始めての会話が、夢の中で断片的に蘇る。

 

「大層な名前持った極悪人がどんな面しとんのか気になっとったけど、目つき以外は随分と可愛いらしいガキンチョやないか」

 

「……」

 

「ハッ、無視かいな。ああ、それとももう口利けへん程に死にそうなんか? こんな街の片隅で一人死んでくなんて、極悪人にはお似合いの最期やな」

 

「……別に、会話する理由がなかったからな。お前の眷族の復讐が理由なら、好きにしろ。お前、ロキだろ? お前の眷族は……知ってるだけでも三人殺した」

 

 そう返せば、神は邪悪な笑みを消して、「なんや、まだ元気やないか」とため息混じりにそう呟いた。

 

「自分に直接やられたんは五人や。やけど復讐する気はあらへん。その代わり、償いたいとか謝罪したいとか、少しでもそういう気があんのなら、質問に答えや」

 

「お前、頭大丈夫か? 俺が自分の意志で殺したのに、償いたいとか謝罪したいとか思っていい筈ねえだろ。まあ、別に質問には答えるが」

 

 意味の分からない交換条件にそう返せば、ロキは戸惑いや怒りや悲しみが入り乱れたような複雑な顔で再度ため息を吐いて、問いかけて来た。

 

「《悪》って、何なんや?」

 

 神は、続ける。

 

「うちの子を殺した時、悪やから尊い人の命を理不尽に奪い殺す、なんて言ったそうやないか。やけどうちは、自分が妹を人質に捕られて闇派閥に協力させられとったんを、大切なもんを守るために戦っとったんを、もう知ってしまっとる。にも関わらず自分は自ら悪を名乗り、そんで敵も味方も関係なく、全員から何の疑いも無く【純粋悪】なんて呼ばれとった。かつての闇派閥の親玉が掲げとった【絶対悪】でも、正義の神が認めた【必要悪】でもなくや。悪の根源を識り、体現する。その背中に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)の意味が、うちの子を殺した悪ってもんの正体が、一体全体何やったんかを、うちに教えてや」

 

「絶対だとか必要だとか純粋だとか、何だその言葉遊びは? 頭に大仰な枕詞をつけたって、例えどんな理由があったって何かを傷つければその行為は須らく悪で、それ以下でもそれ以上でもねえだろ。俺のスキルに何を期待してたのか知らねえけど、悪の根源を識るって言っても、成された《悪》が誰の手によるものか見れば分かるってだけの、それだけの力だ」

 

「……何かを傷つければ、その行為は須らく悪、か。確かに真理ではあるな。やけど質問に対する答えにはなっとらん。自分は成した結果やのうて、原因である己の存在そのものを《悪》と称した。それも、まだ因果が果たされる前にや。やったら自分は、何を以って《悪》を名乗ったんや? 何を以ってその行為の原因そのものを──人を、神を、怪物を、悪と証明するんや?」

 

「何をって、そんなの──悪を成す意志を持って名乗れば、それが証明に決まってんだろうが。それ以外に何か証明が必要で、それ以外に何か証明できるものがあるとでも思うのか?」

 

 俺の返答に、ロキは満足そうに少しだけ口角を上げた。

 

「ハッ、えらくまた単純な答えやな。じゃあ例えば何の罪もない人間を何十人殺した奴でも、自分で名乗りさえせんかったら、行為はともかくとしてそれを成した奴そのものは悪やないんか? それどころか、極端な事言えば何をしたって悪さしとる自覚がなけりゃ、それは悪とちゃうんか?」

 

「ああ、そんなのはただの馬鹿だろ。馬鹿は馬鹿だから勝手に死ぬし、馬鹿だから自分が悪を成した事も分からずに恨み買って誰かから殺されるか、危険だからって排除される。まあ、結果だけみりゃあ悪も馬鹿も同類で一緒か」

 

「なるほどな、なら次や。自分にとっての正義は何や? いや、この質問はちゃうな。自分は、正義をどう証明するんや?」

 

 神からの問い掛けに、俺はすぐに答えることが出来なかった。

 俺にとっての正義とは、彼女の事だった。だけど、それをどう言葉にすればいいのか、すぐには分からなかった。

 

「知らねえよ。そんなの、考えた事もない」

 

「今考えたらええ。そんで、うちに答えを聞かせてや」

 

「……正義が悪の反対なら、他人からそう認められたら、少なくともその人にとっての正義にはなるんじゃねえの? ああ……だけど、違うか。リオンは俺を救った。だから俺はその行為を成したあいつが正義なんだと思った。だけどあいつは自分が正義じゃないって、もう正義を掲げられないって言ってた。だから結局正義も、意志が必要なのかもな」

 

 まるで一貫性のないそんな俺の答えに、ロキは小さく笑う。その笑みは邪悪なようで、しかし、慈愛に満ちたような不思議な笑顔だった。

 

「《悪》とは意志を持って自ら名乗るもの。《正義》とは他者から認められ、覚悟を持って自ら掲げるもの。ああ、ええ答えなんやないか。うん、ええな。うちは好きやで。それで、結局自分は何がしたかったんや? 闇派閥を潰したんは、正義にでもなりたくてやったんか?」

 

「正義どころか悪に決まってんだろうが。俺自身のための、妹の復讐だったんだから。ああ……でも、リオンに救われて、憧れて……だから、そうかもな。正義の真似事をしてみたいって、思ってはいたのかもな。まあ、■■■■■■■■■■」

 

 焼き切れた記憶が歪む。

 闇派閥の残党を灰燼へと化すために焚べた、大切だったはずの想い出とそれに伴う心は、神との会話へも容赦なく影響を及ぼしていた。

 

 過去の俺と神様の会話を、もう思い出すことが出来ない。

 記憶の中の俺が何かを言えば、記憶の中の神様は、呆けて、大きく笑う。笑い過ぎてその瞳には涙すら浮かんでいた。

 

 昔の俺は神様と、一体何を話したのだろう。

 

「──なあ。もう死んでくだけなら、生きる意味がないんなら、うちのとこに来んか?」

 

 断片的に聞こえる、記憶の中の神様のそんな声。

 

「物好きだな。街の火が消える頃には、この記憶も想いも全部燃え尽きて廃人同然になってるかもだけど、その時の俺がいいって言うんなら、好きに使ってくれよ。ああ、でも、もし俺がまだ動けてるなら、一つだけ頼まれてくれ──」

 

 彼女に対して何か大事な願いを託した気はするが、やはりその大事な願いが何だったのかは、もう今の俺には分からない。 

 

 ロキは俺と少しだけ言葉を交わして、そして自信に満ちた笑顔で俺の頭を乱暴に撫でて、俺の背中に道化師を象る神聖文字、【神の恩恵(ファルナ)】を刻みながら、都市を焼く業火を掻き消すような大声で宣言した。

 

「──ニルス・アズライト。これからは闇派閥(イヴィルス)の【純粋悪】やのうて、うちの家族(ロキ・ファミリア)として【正義の味方】を名乗り。自分には、それが相応しい。うちが誰にも文句は言わせん」

 

 

 

*    *    *

 

 

 

「ニルス、どうしよう……。ベートさん、傷ついて一人で泣いてないかな……?」

 

 太陽は既に数時間も前に外壁の向こうに沈み、夜も深まって来た頃。魔石灯に照らされ、一日の仕事を終えた人々の喧騒で賑わう都市の大通り。

 隣を歩くアイズがオロオロと不安そうに周囲を見回しながら、冗談にしては全く笑えないそんな心配の声を零した。

 

「あー……、泣いてはないけど、そこら辺で悶ながら転がり回ってはいるかもな」

 

 俺はそんな彼女に適当な相槌を打ちながら、現実逃避のために今日見た夢を思い返していた。泣いてるベートを想像したら吐き気を催して来てしまったのだ。

 

 神様と初めて会った時の夢なんて珍しいものを見た原因の一つは、最近昔のことを思い出す機会が多かったせいなのだろう。

 先日のオッタルとの一戦での会話だったり、四日前の闇派閥との一件、特に当時の幹部との思いがけない再会だったりと、どちらにしろ碌な出来事じゃない事は確かだ。

 

 だが直接的な原因は、昨夜、都市の一角が火に包まれ燃え征く様を見てしまった事なのだろう。

 

 闇派閥と協力関係にあったイシュタル・ファミリアの根城である歓楽街。

 俺達が近日中に調査に踏み込もうとしていた矢先、何があったのかは知らないが、それよりも早くフレイヤ・ファミリアの手によって拠点は燃やされ主神は天界へと送還され、イシュタル・ファミリアは潰された。

 フレイヤ・ファミリアも都市の壊滅を巡る一連の事件に関与し始めたのかとも思ったが、神様曰くどうやらそういう訳ではないようだ。フレイヤとイシュタル、はた迷惑な美の神同士の男を巡った争いだとかいう意味不明な噂もあるが、真偽のほどはまだ定かでない。

 

 考え事をしながら当てもなくアイズと共にオラリオを彷徨い歩き、約束の時間が来たこともあって迷子の狼の捜索は打ち切ることになった。

 そしてそのままの足で二週間ぶりとなる『豊穣の女主人』へと赴けば、今日も賑やかな店内の最奥、何時ものカウンター席の二つ隣に見知った灰色の狼獣人の姿を見つけた。

 

 こいつ人が苦労して探し回ってたってのに、よりによって何でここにいるんだ。

 

「で、何でゴミカス狼ちゃんがここにいるんだよ?」

 

「いちゃあ悪いかよ? クソザコナメクジ……って、おい、何でアイズまで連れて来てんだよ……」

 

「先ずはお前が質問に答えろよ。ああ、すみません。その幼稚なおつむじゃあ簡単な質問に答えることも難しかったですかね?」

 

「借金返済なんてダセぇ理由で通ってるてめぇと違って、俺はこの女に声かけられて来た立派な客だ。これで満足か?」

 

 カウンター席に座ったままこちらを振り向き、顔を引き攣らせながらベートが親指で指し示した先には、エールが入ったジョッキと豆が盛られた小皿を俺の席とその隣へと置くリオンさん。

 

「随分と酔った状態で街を歩いていましたので」

 

 リオンさんは端的にそう答えて、座らないのですか? と小さく首を傾げる。

 先日の一件はリオンさんも現場にいたのだから、彼女が気を回した理由は察せた。

 

「ほんと、ゴミカス察して狼ちゃんですね」

 

「おい、俺にも酒だ。財布が来たんだからもう文句はねえだろうが」

 

「どうぞ、エールです」

 

 不穏なやり取りと共にカウンターを挟んでベートの手に渡ったジョッキを思わず目で追うが、しかし一気にエールを飲み干したベートは何も答えない。

 リオンさんを見てみれば、またしても少し不思議そうに小首を傾げていた。なんか可愛い。

 

「ローガさんは今手持ちがないので、冒険者さんに付けてくれと聞いています」

 

「糞狼、お前客じぇねえじゃねえか」

 

 が、そんな感想は瞬時に吹き飛んだ。この狼、本当に相変わらずクズだな。

 無視するベートにため息を吐いて席に座る。そして元気そうなベートの姿に安堵しつつも若干気不味そうに俺の後ろに隠れていたアイズを促し、無理やりベートの隣に座らせた。

 

「アイズが心配してたぞ。つい嫌いって言ってしまったから、傷ついて泣いてないといいけど、って」

 

「ごふぉっ……!」

 

 面白いようにむせ返るベートを無視して、何時ものように焼き魚が出てこないことを少し不思議に思いながらも、俺はリオンさんが注いでくれたエールを飲み干す。

 隣ではアイズがわたわたしながら、リオンさんにぺこりと頭を下げていた。

 

「あの……リュー、急に来てごめんね? 迷子のベートさんを探すのを偶然会ったニルスに手伝ってもらってて、ついでだからって誘われて」

 

「いえ、遠慮しないで下さい。アイズであれば何時であろうと私個人としても歓迎します。以前は確か、アズライトとリヴェリア様と一緒に来て下さったのでしたか。あれからもう三ヶ月は経っています。それで、大丈夫ですか? ローガさんと何か揉め事があったようですが、必要であればアズライトとローガさんにはお帰り頂きますが」

 

「え……? ニルス、もう帰るの?」

 

 ほのぼのとしたやり取りに騙されかけたが、何故か俺がベートのせいで店を追い出されかける事態になりかけていたので、最早悪意なのかと疑う不思議な解釈をしている天然(アイズ)を遮り、二時間ほど前に聞いた事情をリオンさんに話して聞かせた。

 

「この糞狼、リオンさんと会う前までは、別の酒場でアイズと飲んでたんですよ」

 

「はい、先程伺いました。ロキ・ファミリアで少し揉め事があり、一時的に拠点から出ることになったローガさんにアイズが付いて来たという内容を、随分と嬉しそうに話してくださいました。揉め事の内容や、どうしてアイズと別れ一人でいたのかは話したくないようでしたが」

 

「おいこらクソエルフ、ううう、嬉しそうとか適当な事を──」

 

「はいはいはい、うるせーですよゴミ狼。てめぇ仮にも一時追放処分中の身分で何嬉しがってるんだよ」

 

 顔を真っ赤にしてアイズをちらちらと見ながらリオンさんに突っかかるベートを黙らせ、リオンさんからお代わりのエールを受け取り再度飲み干す。が、水だった。今日は魔法を使って喉が乾いていたから丁度良い。

 

「揉め事の原因はお察しの通り、四日前のあの暴言のせいですね」

 

 まだ店に人が残っている時間帯な事もあり、ぼかしながらリオンさんに説明する。

 とは言えリオンさんも四日前の事件に参戦していたのだから、それだけで十分に伝わったらしい。

 

 四日前の事件。

 

 神々の言葉で【都市の破壊者】を意味するエニュオと呼ばれる頭目が率いていると推測される一派と、堕ちた精霊に付き従う怪人達、そして闇派閥の残党達。

 二ヶ月前から活発に動きを見せているそれらの三つの組織の潜伏先は、ダンジョンに隣接し一部接続する形で作り出された《クノッソス》と呼ばれるもう一つの人造の迷宮であることが判明した。

 

 未だ全容は掴めないものの、悠にダンジョンの中層程度までは存在していると思われる巨大な人造迷宮(クノッソス)。そんなものがオラリオの表側では今までその存在すら把握されていなかったというのだから、二重の意味で驚愕するしかない。

 

 ダンジョンへのもう一つの入口の候補としてオラリオの地下水路を探っていたロキ・ファミリアは、敵に誘い込まれる形でクノッソスへの入口の一つを発見し、そして敵の挑発にのって迷宮へと踏み込むことになった。

 

 クノッソスにはダンジョン以上に悪辣な罠が仕掛けられており、稼働する迷宮の壁や床の仕掛けによって物理的に強制的に分断されたロキ・ファミリアは、Lv.6以上の力を獲得した怪人レヴィスや、自爆前提の攻撃をしてくる闇派閥の残党と、かつて討ち漏らしてしまった闇派閥の幹部ヴァレッタ、極彩色のモンスター、雇われた暗殺者達、そして挙句の果には圧倒的な力を振るう精霊の分身との戦いを強いられる事となった。

 

 おまけに敵は不治の傷を与える呪詛(カース)が込められた呪道具(カース・ウェポン)を保持しており、受けた傷は魔法による治療や回復薬(ポーション)はおろか、万能薬(エリクサー)でも効き目がなかったのだから、下手をすれば何人も死者が出てもおかしくない戦いだった。

 

 全員で何とか生還は出来たが、正直に言って完敗である。幾つかの情報を手に入れる事は出来たが、敵の本拠地(クノッソス)の全容把握も敵の殲滅も出来ず、命からがらといった様の事実上の敗走をする羽目になったのだから。

 

 そんな致命的な負け戦の最中、あろうことかベートは敵の呪道具(カース・ウェポン)によって瀕死の重傷を負って死にかけていた仲間、それも自身に好意を抱いている少女に対して「だから雑魚は足手まといって言っただろうが」「てめぇも他の連中も無駄死にだ」「自分の甘さと弱さを忘れねえように死ぬほど呪え」など、余りにも余り過ぎる言葉の数々を投げ掛けたのだ。

 

 治療が間に合ったのが偶然以外の何物でもない以上、ベートは死に行く者達への最期の言葉として本気でそんな罵倒を選んだのだから、筋金入りの馬鹿だ。

 

「俺はその時外出してたのでアイズから聞いた話になりますが、今日の夕方にあの時の暴言を聞いていた他の団員達を中心にベートへの不満が爆発して、ティオナやティオネ……幹部層とも大喧嘩をして、団長直々に一時的な追放処分を言い渡されたらしいですね」

 

「なるほど、ローガさんの本意を知らなければ……いえ、仮に知っていても、揉めて当然でしょうね。ロキ様の言葉を借りれば、つんでれ、と言うのでしたか。あれが弱者を守るための励ましの言葉とは未だに信じられません」

 

 理解し難い不可思議なモノを見る目を向けるリオンさんに、ベートが「このクソエル」とまた暴言を吐こうとしたので、「アイズ、ベートが乾杯したがってるぞ」とアイズをけしかけて黙らせる。

 

「で、家出を心配して付いて来たアイズと酒場で飲んでて、酔っ払って来た所にアイズが本当は励ましの言葉だったと正直に言うべきだなんて説得をしてたら、このカス狼、またしても『正直も何も雑魚は雑魚だ』云々と酒場にいた全員に暴言吐いて喧嘩売って、他の客と殴り合いの喧嘩して店を破壊したようですね」

 

 リオンさんに説明しながら、ベートの本意という、色々な意味であやしい言葉に昔の事を思い出す。

 

 あれは、何時だっただろうか。

 二年くらい前にも今回のような事があった。仲間が死にかけて、そしてベートが死にかけた仲間達に暴言を吐いたのだ。

 

 その夜に神様は俺とアイズにベートを捕獲させ、「第一回、傷の舐め合い会」などと茶化しつつ、まさに今のこの席に連れて来た。

 その席でしこたま飲まされたベートは遠回しではあったが、あの何時もの罵倒は『弱者に発破をかけるのは強者の責任と義務である』という持論に基づいた発言であり、そして罵倒程度で心折られる弱者ならば、せめて戦って死なないように更に罵ってでも戦場から遠ざけたいという願い、今まで大切な人達を失い続けたベートの弱さ(優しさ)故の発言であることを吐露したのだ。

 

 いや、どう考えても流石に遠回し過ぎて伝わらないだろう。これだからおつむが幼稚な察して狼ちゃんは。

 

 まあ、とは言え伝わる人には伝わるらしく、今回特に強烈な罵倒を受けたリーネ、ベートを好いている少女は、そこら辺を理解出来ているようなのだ。

 だから、未だ目を覚まさない彼女の本心は不明ではあるが、今回の件に関しても、死に行く自分への祝福の言葉として受け取っている可能性があり得たりする。凄まじい話だ。

 

 回想もそこそこに、アイズとベート間の揉め事についてもリオンさんへと説明する。

 

「で、アイズとの件は、酒場での喧嘩の後にアイズが『人を傷つけるベートさんのそんなところが嫌いです』って言ったのが原因みたいですね。それがショックでその場から走って逃げ出して、落ち込んで街を彷徨ってたのを、店員さんが拾って帰ったんだと思います」

 

「てめぇ、人が大人しく──」

 

「ベートさん……嫌いって言って、ごめんなさい。でも、お酒で酔っ払って暴力はダメ……だと思います」

 

「お、おう……悪かったよ……」

 

 またしても何か言いかけていたベートだが、続けられたアイズの謝罪と指摘に、しゅんと頭の上の耳を垂れさせていた。

 

 こいつ、ほんとにアイズがいると大人しくなるな。最早、無様である。

 

 

*    *    *

 

 

「本日のオススメのお造りです」

 

 耳慣れない名前と共に俺の目の前と、アイズとベートの中間に置かれた大皿には、薄く切られた色取り取りの魚の切り身が盛り付けられている。合わせて出された小皿には擦り降ろされた緑色の薬味と、独特な匂いのソースが注がれている。

 

「ああん? 何だこれ、生じゃねえか。どうしろってんだよ」

 

「……っ!? 鼻が……これ、辛い」

 

 ベートは魚の切り身、アイズは薬味の匂いを嗅いで、片や顔をしかめ片や涙目になって共に困惑しながらリオンさんを見ていた。

 

「極東の食文化で、生で魚の切り身を食べる料理です。薬味は少し癖がありますので、好みに合うようでしたらソースと一緒に使って下さい」

 

 リオンさんの説明を聞きながら、昔食べた泥臭い生魚を思い出してしまいながらも、とりあえずそのまま食べてみる。

 

「こいつ、何の躊躇もなく喰いやがった……美味いのか?」

 

「ニルス、こっちも」

 

 恐る恐る質問してくるベートと、ソースと薬味を勧めてくるアイズ。

 毒味しろと言わんばかりの二人を無視し、二切れ目を取りソースをつけて食べてみる。そして続けざまに三切れ目に薬味とソースをつけて、口に入れる。

 

「冒険者さん、こちらもどうぞ。極東の醸造酒です」

 

 見計らったかのようにグラスに入った透明な酒を手渡してくれたリオンさん。勧められるままに飲んで、ようやく俺は口を開いた。

 

「すごい。めちゃくちゃうまい」

 

 魚の脂の上品な旨味。甘辛いソースの奥深い味。鼻を突き抜けるような独特な辛味を持つ薬味の香り。そして、甘く爽やかな醸造酒の風味。

 生魚を切っただけの料理と言っていいのかもよく分からないシンプルな料理は、とても美味だった。美味すぎて語彙力が死んだような感想しか出なかった。

 

 俺の言葉にベートとアイズは、自分たちの間にある大皿から恐る恐るといった様子で切り身を取り口に運ぶ。そして俺と同じく意外だったのだろう、目を見開いていた。

 そして無言のまま数切れ食べて、リオンさんに渡されたグラスから酒を一口味わう。

 

「……いけるな、これ」

 

「すごい。お魚、美味しい。お酒も……エールはあんまり好きじゃないけど、これは好き」

 

 俺達三人の幼児のような感想に、リオンさんは無表情ながらも誇らしそうに取り出した瓶を掲げた。

 

「米から作られたお酒で、極東では魚と言えばこのお酒のようです。偶然手に入ったので、ミア母さんにお願いして料理も極東のものにして頂きました。お造り、刺身とも言うようですが、この料理は素晴らしい。綺麗に盛り付けるのは上手くできませんでしたが、切るだけならどうにか私にも出来る」

 

「これ、店員さんが作ってくれたんですか。ありがとうございます」

 

 リオンさんから瓶を受け取り彼女のグラスに注げば、調理法だけでなく味も気に入っているのか、幸せそうに魚と酒を味わっていた。

 そしてほっと一息ついて、リオンさんは続けて俺の前に何時もの不格好な焼き魚を置いてくれた。

 

「どうぞ、冒険者さん。こちらもお酒に合うはずです」

 

 

*    *    *

 

 

「それで、あれから四日ずっと女の巣に転がり込んでたんだ。やることはやって来たんだろうな?」

 

 一通り食事を堪能し終え、ゆったりと酒を飲んでいると突然ベートがそんな事を言い始めた。

 

「ローガさん、今何と……?」

 

 冷たく瞳を細めるリオンさんに、ベートが笑って返す。

 

「何とも何も、言葉の通りだ。この燃え滓野郎はあの後からずっと外の女の家に引き篭もってたんだよ。しかも三人も侍らせてたって話だぜ」

 

「アズライト……。貴方の行いにとやかく言うつもりはありませんが、貴方の想い人の件は──」

 

「誤解です」

 

 極寒の瞳を向けてくるリオンさんの言葉を遮って、溜息を吐く。

 

「泊まってたのはヘファイストス・ファミリアの鍛冶場で、椿さんと新しい槍を作ってただけですよ」

 

「……そういうことでしたか。疑ってしまい、申し訳ありません」

 

「そういえばニルス、槍は? あと、薬も」

 

 しゅんとするリオンさんに返答しようとしたが、それよりも早く興味津々と言った様子でアイズが三日間の成果を尋ねて来た。

 

「今日、新しい槍は無事に出来た。ちゃんと前のよりも熱に強いのが。けど、薬はもう少し時間がかかるみたいだな」

 

 この三日間は二大鍛冶師系派閥ヘファイストス・ファミリアに泊まり込んで、都市最高の鍛冶師である椿・コルブランドに、先日の猪との戦いで消失した槍の代わりに、新たな槍を鍛えてもらっていた。

 鍛冶を手伝えない俺が泊まり込んでいたのは、戦争遊戯の際に数百を超える武具を提供してもらった謝礼として、儀式魔法によって生み出した炎を鍛冶に使いたいという彼女の要望に応えるためである。

 ついでに俺自身の血も新たな槍の素材として大量に提供させられたが、その成果もあって武器は以前のものよりも格段に性能が向上したという話だ。

 

「薬とは、例の不治の呪詛(カース)の治療薬のことですか? そうすると、先程ローガさんが言った三人とは」

 

「はい、残り二人はアミッドさんとアスフィさんです。俺の血から解呪薬を作れないかって話になって、急を要するので同じ場所で作業してたんですよ」

 

 都市最高の治療師にして希少な《神秘》のアビリティを持つ、巨大製薬系派閥ディアンケヒト・ファミリア団長アミッド・テアサナーレ。

 【万能者(ペルセウス)】の二つ名で知られる、《神秘》持ちの稀代の魔道具作製者(アイテムメーカー)であるヘルメス・ファミリア団長アスフィ・アル・アンドロメダ。

 

 オラリオの未曾有の危機への対処のためにロキ・ファミリアと協力関係を結んだ二つの派閥の団長、二人の《神秘》持ちの目的は、厄介過ぎる不治の呪詛(カース)への特効薬を作ることだった。

 アミッドさんの完全回復魔法と俺の儀式魔法しか敵の呪道具(カース・ウェポン)への対応策がない現状、特効薬の完成はこの戦いの鍵を握っていると言っても過言ではない。

 

「そう言えばクソザコナメクジ、てめぇ何で今まで魔法の能力を隠してやがった。オッタルと戦った時の最後の一撃もそうだが、あいつらを救った解呪の力もそうだ。あんな事が出来るなら言っとけよ、てめぇのせいで余計な事言っちまっただろうが。これだから頭が雑魚な奴は」

 

「『リーネを、あいつらを救ってくれて、恩に着る』でしたか? 同一人物の言葉とは思えないですねぇ」

 

「ば、馬鹿野郎、誰がそんな事を言ったんだよ!? ふざけんのも大概にしやがれ!」

 

 懲りないベートを適当にあしらったが、しかしリオンさんとアイズも気になるようでじっと俺を見つめていたので、ため息を吐いて正直に答えることにした。

 

「隠してたんじゃなくて、急に使えるようになっただけだ。あの猪に殺されそうになった時に気付いたら何時もと違う追加詠唱が浮かんで、解呪の時は神様の言葉がきっかけだった。まあ今は新しいスキルのお陰で、ある程度自由に使えるようになってるが」

 

 自傷型儀式魔法【アグニ】は、火力を高めた炎を、追加詠唱によって最後に周囲へと一気に解き放つ事が出来る魔法だ。

 それがオッタルとの一戦では、何時もと異なる追加詠唱を歌うことで、炎を武器へと高密度で収束させ雷の形で放つ事が出来た。

 先日は、呪詛によって弱り行く仲間に対して何も出来ない自分を呪っていた時、神様の『自分の炎なら呪いやって焼き祓えるわ。うちのこと信じでやってみ』という言葉で、不浄を祓う炎を生み出せた。

 

 そしてその後、新たに【千偏万火】というスキルを得て【アグニ】にはまだ可能性があることを自覚した。

 

「まあ、簡単に言うと最大火力は変わらないが、火力の調整だったり性質の変化が出来るようになった。アミッドさんとアスフィさんは浄化の炎を出せる俺の血にその特性も宿ってるって思って素材にしてたけど、そう上手くは行かなかったみたいで、今はアミッドさんが自分の血を素材して色々と試してる。ああ、そういえば店員さん、これ、アスフィさんからです。失敗作だから何の力もないみたいですけど、店員さんに渡してくれって」

 

 外套のポケットからアスフィさんから預かっていたペンダント、中に灯る火が静かに揺れている、小さな砂時計のような形状のそれを取り出して、リオンさんに手渡す。

 

「アスフィさんは薬じゃなくて、呪詛(カース)への対抗能力がある装備を作ろうとしてましたが、ダメだったみたいですね。一応魔道具(マジックアイテム)ではあるんですが、ただ火が消えないだけのアクセサリ以外の何物でもないらしいです。『三日間ここに泊まっていたのは、この通り仕事ですので誤解しないように』と伝えてくれって言われたんですけど、会う約束でもしてたんですか?」

 

「いえ、特にそのような約束はしていないはずですが……。 まあ、アンドロメダには今度礼を言っておきます。いざという時に、ダンジョンで灯りとして使えそうだ。冒険者さんもありがとうございます」

 

 記憶を辿るように不思議そうに首を傾げながらも、アスフィさんのペンダントを気に入ったようで、リオンさんは僅かながらに柔らかく微笑んでいた。俺が作った訳ではないが、気に入って貰えたのなら材料提供者としては一応喜ばしい事なのだろう。

 

「お前ら、なんつーか、それでいいのかよ……」

 

 少し呆然とした様子で問いかけて来たベート。どういうことかを二人して少しばかり悩んでいると呆れたようにため息を吐かれ、そしてふと思い出したようにリオンさんに視線を向けた。

 

「そういや店員、お前、さっきクソザコナメクジの想い人がどうとか言ってたが、あれはどういう意味だ? 嫌味にしても妙な言い回しだったが」

 

「嫌味、ですか? 何を言いたいのかよく分かりませんが──」

 

 そこでリオンさんは一度言葉を区切り、話しても問題ないのかと視線で問いかけて来た。別に隠してる話ではないので、俺は酒を飲みつつ小さく頷く。

 

「言葉通りの意味です。冒険者さんがかつての切り札(スキル)の代償で、昔の記憶を失っているのはご存知でしょう」

 

「……? ああ、妹との思い出どころか、顔も声もまともに思い出せねえんだろ? だから最期を看取ったお前が、たまにこのクソザコナメクジに妹の事を語って聞かせてるって話だったか」

 

 不思議そうに、そして少しだけ気不味そうにそう返したベート。別にベートが気に病む必要なんてないと言うのに、変な所で気を使う奴だ。

 

「思い出せないのは彼女の事だけでなく、かつての想い人の事もなのです。冒険者さんは今でもその女性の事を探しているのですが……そうですか、話していなかったのですね」

 

「はあ!?」

 

「え、初耳……」

 

 驚愕するベートとアイズにため息を吐いて、俺は補足した。

 

「……そんな話、わざわざ自分からする訳ないですよ。そもそもそんな人がいたことすら俺は覚えてなくて、後になってリオンさんから教えてもらったんですから」

 

「いや、え、はあ!? お前、マジかよ……え、誰なんだよそいつは?」

 

「私も存じ上げません。五年前に、妹以外の唯一の救いたい大切な想い人だとしか伺いませんでしたし……今更誤魔化しても仕方ないので正直に言いますが、当時はそれどころではなく、何かの会話の流れで偶然聞いたそのような話に、まるで興味もありませんでしたので」

 

「ニルスは、その人に会いたいの? 今でも大切に思ってるの……?」

 

 困惑するベートと、少しだけ申し訳無さそうに顔を伏せるリオンさん。そして気遣うようにそう問い掛けて来るアイズ。

 

「五年前、数人の第一級冒険者がいた闇派閥を全滅させる火力が出せた位には大切な人で、大切な記憶だったんだろうけど、今となっては手がかりが全く無いからな。探してるって言っても、当時の俺なんかに好かれても相手側は実は困ってた可能性もあるし、偶然会えたらそれだけでも十分、くらいの気持ちだな」

 

 嘘偽りなく苦笑しながらアイズにそう返せば、ベートが「お前、まさか」と面白いくらい混乱しながら続けて問いかけて来た。

 

「前にラウルに娼館に誘われた時どころか、今までも言い寄って来た雌相手に、操を立ててるとか気持ち悪いこと言って断ってたのは、そっちの雌の方が理由だったのか……?」

 

「あ? それ以外に何があるんだよ? 関係性はもう知りようがねえけど、もし過去の俺が婚約とかしてたら大変だろうが」

 

「大変って……お前、……いや、正気かよ?」

 

 愕然としたベートとは対象的に、リオンさんはどこか嬉し気に、そして満足そうに頷いていた。

 

「先程は疑ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。やはり冒険者さんは誠実で尊敬に値するヒューマンだ。冒険者さんの言う通り、想い人がいるのに他の女性の気持ちに答えるのは良くない。それに、娼婦の仕事を否定する訳ではないが、男女の仲というのは、先ずは婚姻の約束を結び、誰もいない夜の森で二人の永遠の愛を月に誓ってから深めるべきだ。冒険者さんは正しい」

 

「愛って、森で月に誓うんだ……勉強になる。リューは物知り、すごい」

 

「いえ、私もエルフの端くれ。この程度は常識です」

 

 大真面目にそう語るリオンさんと、目を輝かせて尊敬の眼差しで彼女を褒め称えるアイズ。

 急に明後日の方向、それも色々とアレな感じに急変した会話の内容に、俺とベートは呆然として思わず目を見合わせていた。

 

 何だこの地獄のような会話は。向かい合うリオンさんとアイズは、森で愛を誓い合うまでは手を繋ぐのはダメだとか、膝枕ならばギリギリ問題ないのではないかとか、最早意味不明な会話を繰り広げている。

 

 ポンコツエルフとド天然、こいつらを組み合わせたら手に負えない。

 

「ああ、そういや、お前の想い人とやらがあの残念猪ってオチはねえよな? あいつ、お前がいねえ時に菓子折り持って、うちの拠点の前でウロウロしてたぞ」

 

 現実逃避なのか、唐突に死んだような表情でそんな事を言い始めたベートに「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「ただお前と戦いたかっただけで、決して笑い者にさせるつもりなんかじゃなかっただとか何とか言って、落ち込んだ様子で鉢合わせたアイズに菓子折り預けて帰って行ったんだとよ。ジャガ丸だったか、アイズがアレを持ってたからお返ししといたとか言ってたが……まあ、とにかくまた挨拶に来るらしいぜ」

 

「……何なんだよそのシュール過ぎる光景は。つーか現実逃避してねえで早くこいつらを止めろよ。てめぇが妙な事言い始めたのがそもそもの発端だろうが」

 

 

 

 こうして今回の食事もとい借金返済は、何時も以上に賑やかに、そして遅くまで続くことになった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

【とうじょうじんぶつ】

ニルス・アズライト

・以前から貴重な素材として何人かの女性に目をつけられていた、全身火属性素材の冒険者さん

・新しいスキルを獲得して戦闘継続可能時間が延びた元超短期決戦型の殺戮者

・かつて大切な妹を救うために、その妹との大切な思い出を犠牲に火を灯し、罪なき人を焼き払った極悪人

 

リュー・リオン

・包丁の扱いだけには比較的自信がある元残飯製造機型ヒロイン

・本日のオススメ料理は自分で作った「お造り」、選んだお酒は「極東の醸造酒」

・古代の価値観よりも酷い拗らせ潔癖ポンコツエルフさん

 

アイズ・ヴァレンシュタイン

・第六話のカウンター席への飛入り客その1

・天然

・主人公とヒロインさんの事を友人と思っている。狼さんの事を強さを求める同志と思って信頼している。

・原作主人公とは着々と絆を深めている

 

ベート・ローガ

・第六話のカウンター席への飛入り客その2

・自分に好意を寄せている少女の最期に、誰にも聞こえないように小さく感謝の言葉をかけた、性根は腐っていないゴミカス狼さん

・でも主人公が土壇場で少女を救ったため、実は生きていた少女がこの先昏睡状態から目覚めた後、どう接したらいいのだろうと悩んでいる残念狼さん

・天然さんを強者として認め好意を寄せている。主人公とヒロインさんの事も強者と認めている。

 

オッタル

・話題にされた人その1

・先日主人公を再度半殺しにした都市最強猪獣人さん

・後になって落ち着いて考えたら、勇敢に戦った主人公を都市全体の笑い者にしてしまったと深く反省して、咄嗟に菓子折りを持って敵対派閥の本拠地に御見舞に訪れたドジっ子属性第二ヒロイン(雄)

・よくよく考えればレベル差が三もあるのに、自分に真っ向から浅くはない傷を与えた主人公に、改めて期待を寄せているツンデレ暴力属性持ち



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第七夜 道化ノ挟持 前編

異端児(ゼノス)編、連続投稿一話目


 

 夢を見た。

 昔の夢だ。

 

 絶望に満ちた暗黒の時代に、それでも眩い輝きを放っていた彼女たちの夢だ。

 

 大切で、愛おしい記憶。それなのに自分の愚かしさ故に、後悔と悲しみの象徴にしてしまったあの頃の夢。

 

 毎夜繰返し見続ける大切な思い出にして、あの日から今もなお終わらない悲しい悪夢。

 

 リュー・リオンはもう取り返しがつかない過去に、幻影に過ぎない彼女たちに、ただただ謝罪する。

 

 黄昏色の夢──一つの正義の答えを残してくれた(アーディ・ヴィルマ)との語らいの記憶。

 

『リオン──正義は、巡るよ』

 

 ──アーディ。ごめんなさい。やっと辿り着いたと思った正義の答えなのに、私は間違えた正義を彼へと伝えてしまった。

 

 夜天に輝く星々の夢──大切な家族(アストレア・ファミリア)との愛おしき日々と、絶望と憎悪に堕ちたあの別れの日の記憶。

 

『私は、リオンを助けたい。──きっと正義に正解なんてない。でもリオンだったら、きっと正しいことを選び続ける』

 

『リオン、そこにいるのか? お前は、生きるんだぞー』

 

『私の小太刀、くれてやる。形見のように大切にしてくれるなよ、存分に使え。──どうか強く在らんことを。私の初めての好敵手』

 

 ──アリーゼ、ライラ、輝夜、みんな。ごめんなさい。貴方達が命を賭して生かしてくれたのに、私は復讐に取り憑かれてしまった。皆が繋いでくれた正義を、捨ててしまった。

 

 闇夜を照らす小さな聖火の夢──復讐すらも果たせずに朽ち征こうとしていた命を、残り少ない時間(いのち)を代償に奇跡を起こして救ってくれた友にして義妹(フェリス・アズライト)との出会いの記憶。

 

『そもそもは愚兄が切り落とした右腕なのだし、今こうして奴らの手から逃れる事が出来たのだってお姉さんのお陰だ。だから当然の罪滅ぼしとせめてものお礼のつもりだったのだけれど、それでもボクの魔法に対価を払ってくれると言うのなら、人生で初めての友人というものになってはくれないかい? ついでにお姉ちゃんにもなってくれたら万々歳だ。ふふ、最後の最後に大切な兄の命を救って、友人に看取られて死んで逝けるのなら、ボクの人生は間違いなく素晴らしいものだったって、そう兄に胸を張れるようになるからね』

 

 ──フェリス。ごめんなさい。友として託されたはずなのに、私は間違えてしまった。壊れて空っぽになった貴方の兄に、間違えた正義を、間違えた生きる理由を与えてしまった。

 

 ああ、本当にどうしようもない。

 

 情けなくて、悲しくて、苦しくて、涙が零れ落ちる。

 

 ごめんなさい。愚かでごめんなさい。

 あなた達が託してくれたのに、愚かな私は全て間違え続けてしまった。

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 リュー・リオンは何時ものように、泣きながら謝罪を繰り返す。

 

 だけど何度謝罪しても、彼女たちの幻影は赦しを与えてくれる事はおろか、振り向いてさえもくれない。

 

 当然だ。赦されるはずがない。赦されて良い筈がない。

 

 こうして、今日も悪夢を見た。

 

 

*    *    *

 

 

「……きて──い……! ……リュ──、起きて下さい!」

 

「……フェリ、ス?」

 

 肩を揺らされる衝撃と耳元で小さく叫ばれる呼び声に、リュー・リオンの意識は徐々に覚醒する。

 

 ぼやける意識と視界で捉えたのは、魔石灯の光に照らされる幼い少女の顔。出会い頭に燃え盛る炎を、再生の奇跡を宿した炎の魔法を何の説明も無く投げつけて来た、傲岸不遜に笑う決して忘れることが出来ない一夜限りの友の顔。

 

 否。彼女は、フェリス・アズライトはもう死んだ。

 

 リューは寝ぼけて回っていない頭を小さく振り、無理やり意識を覚醒させた。

 

「リュー様?」

 

 目の前で不思議そうに首を傾げているのはリリルカ・アーデ。ニルス・アズライトの妹ではなく、彼が親しくしている義理のもう一人の妹のような少女だ。

 

 薄暗い地下水路の一角。眠るために背を預けていた冷たい壁から身体を離して立ち上がり、水路の奥の暗がりで、まるで闇に溶けるようにして身を休めている同行者の存在に少しだけ意識を向けた後、リューはリリへと向き直って小さく頭を下げた。

 

「アーデさん、すみません。少しだけ休息するつもりが、随分と深く眠ってしまっていました。ですが、どうしたのですか? まだ時間には少し早いようですが」

 

「すみません、うなされていたので心配で起こしてしまいました。あの、リュー様……怪我は本当に大丈夫なのでしょうか? リュー様が戦った敵は第一級の実力者だった上に、厄介な呪道具(カースウェポン)を持っていたとベル様から聞きましたが……」

 

「怪我は既に完治しています。呪詛は、アズライトの炎が焼き払ってくれましたので。心配をおかけしてしまい申し訳ありません」

 

 心配そうに顔色を覗き込んで来るリリの頭を、何時か彼が彼女にそうしていたのを思い返しながら不器用に撫でれば、リリはくすぐったそうに小さく頭を振って「ニルスさんがですか?」と不思議そうに首を傾げた。

 

「はい。以前アズライトから、灯りの代わりだと言って彼の火が込められたペンダントを貰ったのですが、どうやら破格の魔道具(マジックアイテム)だったようです。お陰で救われました」

 

 今もなお継続しているこの騒動の発端にして元凶である男、モンスターの密猟の首謀者であったイケロス・ファミリアのディックス・ペルディクスとの一戦。

 

 自らのレベルを上回る強敵を相手に、決死の並行詠唱による魔法で戦況を覆すことが出来たのは、魔法の妨害を狙って放たれた敵の錯乱の呪詛(カース)を、ペンダントから燃え広がった破邪の炎が焼き払い無効化したからこその結果だった。そしてその炎は、リューに不治の傷を与えていた敵の槍、呪道具(カースウェポン)の呪詛をも焼き清めてくれていた。

 

「ペンダントですか? ニルスさん、あれから数年経ってもまだ何にもないなんて寝言をほざいていたので正気を疑っていましたが、実はちゃんと進展していたんですね! リュー様、どんな物をもらったのですか?」

 

 何故か我が事のようにニコニコと喜んでそんな事を聞いてきたリリに、リューは胸元からペンダントを取り出す。しかし小さな硝子の容器は罅割れてしまっており、中で灯る火も外気によって揺らぎ今にも消えてしまいそうになっている。

 

「あ、割れてしまっていますね……折角のプレゼントなのに……」

 

「戦闘で壊してしまったようですね。この騒動が終われば、アンドロメダに直してもらいましょう」

 

「んん? 何故そこで【万能者(ペルセウス)】様の名前が出るのですか?」

 

「……? 何故と言われましても、このペンダントは元々彼女がアズライトの火を素材に呪詛の解呪を目的として作っていた魔道具(マジックアイテム)の失敗作ですので……ああ、先程の私の説明が悪かったですね。アズライトから貰ったと言うよりも、アンドロメダが彼を経由して渡して来たという方が正確でした。今回の結果を見るに、おそらく実験の一種だったのでしょう」

 

 失敗作という話は半分は嘘で、解呪の能力こそ持っていたが任意で発動できなかったからこそ、とりあえずその条件を洗うために自身に持たせたといったところだろう。何時の間にか実験台にされていた事は気に食わないが、それをリュー自身が知っていなかったからこそ敵の不意を突く結果に繋がったのは事実なので、少しだけ複雑な気分ではあった。

 

 眉根を寄せてそんなことを考えていると、大きく溜め息を吐いたリリが「リュー様!」と少し怒ったような様子で声をかけて来た。

 

「ペンダントの修理の件はリリに、あのゴミいちゃんの妹分であるリリに預けてくれませんか? ニルスさんが『豊穣の女主人』に行く際にでも、絶対にきちんとした形でリュー様の手に戻るように万事手配させて頂きますので!」

 

「は、はい、分かりまし……」

 

 リリの勢いに押されて思わずそう返したリューは、しかし次の瞬間にはリリの言葉に対して少し重たい気持ちになり、返答を最後まで続ける事が出来なかった。

 

「リュー様、どうされたのですか? あっ、も、もしもリュー様が少しでも嫌なら断ってくださいね! 当然リュー様とニルスさんの不利益になるようなことをする気は、ヘスティア様の神名に誓っても絶対にないですが、リリはリリが人様から警戒されるのが当然の行いをして来たので、むしろ警戒して頂く方が自然と言うか嬉しいと言うか、とにかくリリがそのペンダントを盗んでしまうのではと疑うリュー様の心配は、むしろリュー様以上にリリの方が──」

 

 顔に出したつもりはなかったが、人の負の感情に敏感なリリには勘付かれたようだった。

 勘違いしてしまったリリが早口で紡ぐ言い訳じみた自虐を、リューは「アーデさん」と鋭く彼女の名前を呼んで遮る。

 

 そして、もう一度彼女の名前を呼んだ。

 

「アーデさん……いえ、リリ。私はあなたがアズライトを本当の兄のように慕っている事を疑っていませんし、事実あなたの存在が彼を救った事を知っています。それに、過去がどうであれ、今のあなたが己の家族(ファミリア)に誇れる高潔な人間であろうとしていることも知っています。だから、私が尊敬するあなたを、あなた自身が貶めるような事は言わないで下さい」

 

「は、はい……」

 

 しゅんとして頷くリリの頭を再度不器用に撫でて、リューは謝罪する。

 

「変に隠そうとしたせいで誤解を与えてしまい申し訳ありませんでした。アズライトが次に店を訪れる事が本当にあるだろうかと考えて、それで返答に窮してしまったんです。今の私は……ロキ・ファミリアと、少なくともその幹部としての彼を裏切る行いをしていますので。現に、既にアイズ達と一戦交えてしまっている」

 

 リューはそう語りながら、地下水路の闇の奥から伝わる重い気配、人間とは明らかに異なるその気配を発する、今回の騒動の発端そのものである存在へと意識を向けた。

 

 この五日間行動を共にし、多くの言葉と剣を交わした同行者。闇に溶けるように身を休める、黒い皮膚を持つその存在。

 

 ダンジョンで出会えば間違いなくお互いに問答無用で殺し合いをすると断言できる、人類の共通の敵であるはずのモンスター。

 理性という概念から最も遠いはずのその存在は、言葉を理解する異端の黒い皮膚のミノタウロス、アステリオスと名乗る武人だった。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 自らを異端児(ゼノス)と称する存在がいた。

 高い知性と心を持ち、言葉を理解し話す異端のモンスター達だ。

 

 モンスターとはダンジョンから産まれ落ちる人間の共通の敵にして理性なき怪物である。そして彼の存在は、人類を滅ぼすことこそがその存在意義である真の【絶対悪】である。

 

 そんなモンスターと出自を同じくする一方で、地上や人類に対する強烈な憧憬を持ち、人類と分かり合いたいと願う異端の隣人こそが異端児(ゼノス)であると、事件に巻き込まれた五日前に迷宮都市(オラリオ)の実質の統治者であるギルドの主神ウラノス本人からリューはそう聞かされた。

 

 俄には信じ難い話である。

 

 モンスターとは滅ぼすべき敵であるというその絶対不変の前提が崩れれば、人類全体にどのような影響があるのか図りきれない。

 

 だが、少なくとも冒険者にとっては致命的な悪影響になるとリューは確信していた。

 

 モンスターに家族を奪われた憎悪によって冒険者になった者は少なくなく、またモンスターを間引く(殺す)ことを善行と信じる冒険者も多い。異端児(ゼノス)の存在は、彼ら彼女らにとっては自身の存在意義を揺るがす事になるだろう。

 モンスターを狩る事を単純に日々の糧としている冒険者であっても、常日頃から生死を賭けて殺し合いをしている敵に心を持つ存在が紛れているなどと分かれば、下手をすれば戦うことが出来なくなってもおかしくはない。そうでなくとも異端児(ゼノス)の存在は冒険者達に迷いをもたらし、そして戦いにおいてその迷いは冒険者達の命を容赦なく奪って行くだろう。

 

 そして冒険者の数が減れば、モンスターはダンジョンから溢れ出てやがて世界を滅ぼす。

 

 迷宮都市(オラリオ)の統治神であるウラノスが、異端児(ゼノス)との共生を願い庇護する一方で、極一部の例外の除いて彼らの存在を隠し続けているのは当然だと、リューもその判断には同意だった。

 

 だが、人間の業は深い。

 

 良くも悪くも、人間とモンスターの途方も無い年月を経た戦いの歴史に変化をもたらす切欠に違いない異端児(ゼノス)を、自身の欲を満たすための道具としか見ない怪物趣味の貴族もいれば、そんな相手に売り飛ばし金を稼ぐ事しか考えていない無法者の狩猟者集団もいる。

 

 今の状況もそもそもは、そんな狩猟者集団が異端児(ゼノス)を捕らえるために行った愚かな行為に起因していた。

 

 狩猟者集団は希少種である竜女(ヴィーヴル)異端児(ゼノス)を捕らえるために迷宮の24階層で異端児(ゼノス)の集団を虐殺し、そして竜女(ヴィーヴル)を拠点である人造迷宮(クノッソス)へと拉致した。

 それを知った他の異端児(ゼノス)達は激怒し竜女(ヴィーヴル)を助けるために、庇護者であるウラノスとその協力者の制止を振り切り、自分達を一斉に捕らえるための狩猟者集団の罠と半ば気づきながらも犯人の匂いを追って人造迷宮(クノッソス)へと踏み込んだ。

 そして五日前、人造迷宮(クノッソス)での戦いの果てに、彼らは望まぬ形で憧憬の地である地上へと結果的に辿り着いてしまう事になった。

 

 当然、現段階において人類と異端児(ゼノス)に共生の余地などはない。

 故に地上に現れた危険(モンスター)を排除しようと都市中を血眼になって彼らを探し回る冒険者と神々の眼を避けて、異端児(ゼノス)達は地上の迷宮と称される第三区画ダイタロス通りに潜伏して、今はダンジョンへと戻るための作戦の開始を待っている状態だった。

 

 リューはこの騒動にヘスティア・ファミリア所属のベル・クラネルを介して、異端児(ゼノス)達への協力者側として巻き込まれる事になった。

 

 ベル・クラネルは異端児(ゼノス)である竜女(ヴィーヴル)の少女との偶然の出会いを契機とし、ウラノスの神意に導かれる形で異端児(ゼノス)達と友誼を結んでいた。そしてベル・クラネルが持つ非凡な善性とトラブル体質を踏まえればむしろ当然の帰結として、敵の罠に踏み込んだ異端児(ゼノス)達を救うためだけに、彼はつい先日まで闇派閥によって完全に秘匿されていた人造迷宮(クノッソス)の存在に辿り着きかけていた。

 

 リューが事態に気付いた時には、既に手遅れだった。

 友を救わんとするベル・クラネルに危険を前に踏み止まる選択肢はなく、放っておけば無謀にもあのロキ・ファミリアをも撃退した人造迷宮(クノッソス)へと踏み込み、そして呑み込まれていただろう。

 故にリューは《都市の破壊者(エニュオ)》と名乗る一派との争いの切札に成り得る人造迷宮(クノッソス)の鍵を使い、ベル・クラネルの水先案内人を買って出る事に決めたのだった。

 

 リューが偶然独自に入手して保管していた魔道具(マジックアイテム)である人造迷宮(クノッソス)の鍵は、人造迷宮(クノッソス)の攻略には必須な文字通りの鍵となるアイテムであり、そしてそこを本拠地とする都市の破壊者(エニュオ)一派からすると最大の弱点にもなる、戦局を左右し盤面を丸ごとひっくり返す事すら可能な一手として、ロキ・ファミリア内部でも極一部の例外を除いて秘匿されている程重要なものだった。

 

 それを独断で《都市の破壊者(エニュオ)》達との総力戦の前に使ってしまったのだから、協力関係にあるロキ・ファミリアからするとこれ以上の裏切りはないだろう。

 

「当然と言うべきかも知れませんが、やはり都市の守護者という立場にあるロキ・ファミリアには、異端児(ゼノス)の存在は受け入れられないのでしょうか……。ですが……いえ、やっぱり何でもありません」

 

 ロキ・ファミリアへの裏切りという言葉だけを発して黙り込んでしまっていたリューは、リリの溜め息混じりのそんな問い掛けにふと我に返る。

 

 リリは都市の裏側で密かに蠢く《都市の破壊者(エニュオ)》の存在を知らない。故に異端児(ゼノス)への助力のみをロキ・ファミリアへの裏切りと受け取ったようだったが、しかし間違いという訳ではない。

 あえて訂正する事はせず、リューはリリが言い淀んで結局は口を噤んだ内容について触れる。

 

「アズライトに仲介を頼めば、ロキ様や三首脳とも対話は可能でしょう。ですがそれは平時であればの話です。リリ、あなたの認識はおそらく正しい。モンスターが都市に隠れ潜み力なき民が驚異に脅かされている今、例え異端児(ゼノス)の存在を打ち明けたとしても、いえ、打ち明けてしまえばこそ、【勇者(ブレイバー)】が率いるロキ・ファミリアはモンスターを殲滅する手段しか取れなくなる」

 

 他のどの派閥もが到達できない迷宮の深層に潜り、人類の敵を葬り続けているからこそ、ロキ・ファミリアは都市最強派閥の一角として認められ、今代の英雄候補に名を連ねているのだ。例えどのような理由があったとしても、モンスターに味方してしまえばその名声は間違いなく地に落ちるだろう。

 

 そして小人族の復興を掲げ自らその象徴たる英雄になろうとしている【勇者(フィン・ディムナ)】は、そのような人類から疑いを持たれるような行為を絶対に避けようとするだろう。

 

「はい、リリもそう思います……。仮にリリが【勇者(ブレイバー)】様の立場であれば、というか自分で言うのもアレですが、今の木っ端派閥所属のリリの立場ですら、許されるならもっと平和な時期に第三者として異端児(ゼノス)の存在を知りたかったくらいです。それが駄目なら最悪は、騙されてでもいいので直接的に異端児(ゼノス)の存在を知らないまま協力させられた方が、色々な意味で何百倍もマシ──」

 

 大きく溜め息を吐きながら冗談めかしてそう苦笑しようとしたリリの笑みが、ピタリと硬直した。そして確信とも驚愕とも取れない何とも言い難い表情のまま、リリはリューの顔を覗き込む。

 

「リュー様。もしかしてですが……と言うか、俄には信じがたいですが、異端児(ゼノス)を監視する必要があるだなんて尤もらしい理由をつけて、お店に生存報告だけしてあえてずっと姿を眩ませるだなんて事をされていたのは、ロキ・ファミリアへの無言の救援要請だったのですか? ニルスさんにすら事情を説明できない状態で今回の事件に巻き込まれている一方で、リュー様自身の意志で行動していると示すことで、ニルスさんに異端児(ゼノス)の存在に気付いてもらおうとしているのですか?」

 

 自分ですらどうかと思う策をほぼ完璧に言い当てたリリに、リューは「あなたは本当に聡明ですね」と驚嘆しながら返していた。

 

「アズライトや【勇者(ブレイバー)】であっても限られた情報から異端児(ゼノス)の存在そのものに辿り着くことは考えにくいですが、私やあなた達ヘスティア・ファミリアが明確な意志を持ってモンスターに味方をしている事には確実に気付いてくれるでしょう。そこからどう転ぶか何とも言えませんが、事情を説明できないこちらの意を汲み、殲滅ではなく捕獲を優先してくれる見込みはあると思っています」

 

 リリには言えないが、事実先日の敵との戦いでリューは人造迷宮(クノッソス)の鍵を新たにもう一つ手に入れていた。彼らであれば異端児(ゼノス)が地上に辿り着いた経路が人造迷宮(クノッソス)であり、そこにリューが関与しているのであれば新たな鍵の入手の可能性を見落とすことはせず、そして救援要請であると同時に一種の取引でもあると理解してくれるだろう。そして《都市の破壊者(エニュオ)》達が流出した二つの鍵の回収のために、異端児(ゼノス)を狩ろうとする可能性にも当然行き着くだろう。

 

 まだかつての家族達が生きていた頃と比べ、随分と姑息になってしまったものだと自嘲してしまう。

 

 モンスター(ゼノス)への助力と、ロキ・ファミリアへの攻撃行為。

 《都市の破壊者(エニュオ)》との戦いにおける切札の暴露と、恐喝に近い交渉。

 

 今回の件は間違いなくロキ・ファミリアへの、否、人類への裏切りだろう。

 

 だが、後悔はない。かつてのように間違えた行動を取っているとは思っていない。

 

 人類も異端児(ゼノス)も両者とも悪くないはずの今回の事件。不幸な事故としか表現のしようのない不条理な状況において、唯一明確な正義を成したのはベル・クラネルだった。

 

 もしも異端児(ゼノス)を助けてしまえば、人類そのものへの敵対者としての烙印を押される。それも彼が所属するヘスティア・ファミリア諸共だ。

 逆に人類として当然果たすべきモンスター(ゼノス)の抹殺という選択肢を選べば、自らの手で異端児()を殺す事になる。

 

 そんな極限の状況の中でベル・クラネルが選んだ答えは、愚者に成り下がる道だった。目先の利益に眼が眩み、獲物(モンスター)を独り占めせんがために他の冒険者を妨害したという汚名を被る、茨の道だった。

 

 積み上げた名声を捨てて、それでも純粋にただ異端児(ゼノス)を助けるためだけに愚者へと成り果てたベル・クラネル。

 

 リューは自信を持って断言出来る。あの時、彼は間違いなく一つの正義を成した。

 だからそんな彼の横に立ち、愚者の一人としてロキ・ファミリアと剣を交えたことは、決して間違いではない。

 

 リュー・リオンはもう正義ではない。正義を名乗ることは出来ない。だけどリュー・リオンには、ニルス・アズライトに正しい正義を伝える義務がある。

 

 だから彼の家族(ロキ・ファミリア)と彼自身を裏切り、傷つけ、そして今までの関係性が崩れる事になっても、この戦いから逃げることは出来ない。

 

 それに、かつての彼女たちをこれ以上裏切る事なんて、自分にはもう出来ない。

 

 ああ、本当に愚かだ。愚かにも程がある。

 

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 

 ダイタロス通りの廃墟を利用して作られたロキ・ファミリアの仮拠点の一室、団長フィン・ディムナを主とする執務室。

 

 初日に簡単な掃除はしたが元が廃墟のためまだ埃っぽい部屋には、神様と三首脳と俺以外の姿はない。少し確認したいことがあるからと団長に軽い調子で呼び出されたのだが、人払いをしているという事は重たい話なのだろう。

 

 部屋の中央に置かれたソファに座り沈黙を貫くエルフ(リヴェリア)ドワーフ(ガレスさん)、そして執務机の向こうでカップを揺らしながら淹れたての紅茶の香りを堪能する小人族(団長)神様(ロキ)は一人ベットに腰掛けて、楽しげな様子で俺達を見ていた。

 

 しばらくして団長は静かに口を開いた。

 

「君の考えを聞いておきたい。このダイタロス通りに潜伏しているモンスター達。あれらは他のモンスターと同じ倒すべき《悪》かい?」

 

 ダイタロス通りに潜伏しているモンスター達。

 五日前に18階層でリヴィラの街を壊滅させ、そしてダンジョンから地上へと侵攻して来た、徒党を組み冒険者の装備で武装した異種混合のモンスター達の異常集団。

 

「ああ、君の主張そのものは理解しているつもりだ。モンスターはそもそも《悪》じゃないし、同じく人類が《正義》でもない。今回はその前提でいい。僕は正義を論ずるつもりはないが、かといって君の思想とは相容れないからね。平行線であることが分かりきっているその点について議論をしたいわけじゃないんだ。質問を変えよう」

 

 すぐには返答しなかった俺に対して、珍しくも団長はそんな事を言ってカップをテーブルへと静かに置いた。

 そして無造作に回復薬(ポーション)の瓶を取り出し、団長は一気に中身を胃へと流し込んで切り出す。

 

「狡いとは思っているが、万が一を考えると立場上、君に僕の考えを伝えることが出来ない。だから君の考えを、君があのモンスター達をどういう存在と定義しているかを教えてくれないかい? 例えどんな荒唐無稽な考えであっても、君の……君たちの不利益にはならないように取り計らおう」

 

 今回の事件で色々と思う所があったのか、随分と参ってしまっている様子の団長。腹を割って話せということであれば別にこのような回りくどい事をしなくてもいいだろうに。損な性格だ。

 横のソファにちらりと視線を向ければ、リヴェリアとガレスさんは何の話をしているのかと怪訝そうに眉を顰めている。二人にもまだ話していないということか。

 

 思い返し考えを巡らせるのは、地上に出てきた異常なモンスター達の集団と、そして彼らを庇いロキ・ファミリアの幹部層と一戦交えたというリオンさんとベル・クラネルの行動。

 そして今になってもなお何一つ事情を告げずに、そのまま行方を眩ませ続けているリオンさんの真意。

 

 ほぼ確信している結論を、俺は特に隠すこともなくそのまま口にした。

 

「あのモンスター達は、人間と変わらないような知性と理性を持っていて、意思疎通もできる善人と言っても間違いではないような存在なんだと考えています。リオンさんとベル・クラネルがモンスターを庇ったのも、他の色々な事にもそれで説明がつくので。まあ、それが間違えていても、リオンさんが守ろうとしている存在だから、救われるべき存在だと思いますけど」

 

「意思疎通可能な善人で救われるべき存在……だと? 知性があることはあのモンスター達の行動からすれば理解できる。だが、ニルス、お前は何を言っている……? 理性があろうが知性があろうが善人の心があろうがモンスターはモンスターで、むしろそのような迷いを齎す存在がいることこそが人類にとっては脅威だろう」

 

 断定的にそう冷たく問いかけて来たのはリヴェリアだった。どう返すべきかと考えながら団長と神様を見れば、特に何も反応はない。ガレスさんを見れば、手の平で顔を覆って大きく溜め息を吐いている。

 

「昔俺に、真っ当な大人になるには知性と理性と道徳心が不可欠だって教えてくれたのはママだったと思いますけど、老化して思想まで耄碌してきたんですか?」

 

「それは貴様が人類だからこそ当てはまる話だ、ゴミクズ息子」

 

「人類だけって理由で救われるんなら、ロキ・ファミリアの副団長様でもエルフの王族様でも、結局は闇派閥の下っ端と同じ穴の貉なんですね。大変勉強になりますご同類のクソババア」

 

「……」

 

 おもむろに杖を握り締めて立ち上がろうとするリヴェリアのローブを掴んで、ロキ・ファミリアの良心ガレスさんが無言で小さく首を振って落ち着かせる。何かとすぐに実力行使に出る暴力ババアはどうにか落ち着いたようで、団長を一瞥してソファへと座り直した。

 

 一連の会話を見届けた団長は無言でもう一本回復薬(ポーション)を飲み干して、何事もなかったかのように紅茶のカップを再び手に取った。

 

「ああ……やっぱり僕の仮説は間違えていなかったのか。根本的に人間とモンスターの区別がついていない君が最も公平な視点からそう結論づけたのなら、それが真実なんだろう」

 

「根本的に幼女と成人女性を区別してない団長も同じ考えなんですね」

 

「だからそれは誤解だ。過去に君の義妹(リリルカ・アーデ)に結婚を申し込もうとしていたのは年齢を知らなかったからだし、僕にそういう趣味はない。まあ、その件は全て終わってからゆっくりと話し合おう。今僕が君と話したいのは、先ずはこの騒動の真相と《都市の破壊者(エニュオ)》一派の動き、そして彼女の狙いについてだ。おそらく互いの推測にそう大きな差はないだろうが、多少なりとも補強しあって精度をあげる事は出来るだろうからね」

 

「待て待て待て。フィン、あのモンスター達に、つまりは心があるというのは本当なのか?」

 

 淡々と話を進めようとする団長を止めたのはガレスさんだった。

 ドワーフ特有の硬そうな顎髭を撫でながら頭が痛そう大きく溜め息を吐き出すガレスさんに、団長は苦笑気味に答える。

 

「ああ、ほぼ確実だろうね。少なくともニルスが言ったように、その答えが一番今の状況を説明できる事は事実だ。人造迷宮(クノッソス)を通ってのモンスター達の地上侵攻も、そこを拠点としていたイケロス・ファミリア(密猟者)に捉えられた同族を奪還するため。ギルドがそのモンスター達による18階層の襲撃にガネーシャ・ファミリアしか関与させなかったのは、少なくとも神ウラノスがそのモンスター達の存在を知っていて隣人として保護しようとしているから。【疾風】やベル・クラネルの人類全てを敵に回しかねないあの行動も、ニルスの言った通り、彼らを助けるべき隣人として既に定めてしまっているから。ふふ、ロキに頼んで【勇者(人造の英雄)】の二つ名を名乗っている僕からすると、彼らは本当に眩しいよ。打算と計画の果てになるべくして《英雄》になろうとしている僕と違って、正しいと思う事を選び続けた果てに世界から求められてそう呼ばれる可能性があるのが彼らだ。ニルスがあの二人に入れ込んでいる理由に、やっと共感できたよ」

 

 フィン・ディムナが【勇者(ブレイバー)】を名乗る限り、決して選択できない道を選んだのがベル・クラネルとリュー・リオンだ。

 

「フィン、お前……」

 

 哀しそうな笑みでそう締めくくった団長に、ガレスさんは二の句を告げる事が出来ずに黙り込んでしまう。だが団長は重くなった空気を掻き消すように、小さく吹き出して笑った。

 

「ああ、ちょっと紛らわしい言い方をしてしまったかな。【勇者(ブレイバー)】の名を捨てる気は全く無いよ。僕はこの名前を掲げて、落ちぶれてしまった小人族の復興を成し遂げる。この誓いに嘘はない」

 

 団長のその宣言にガレスさんとリヴェリアは同時に微笑みながら満足そうに頷き、ようやくソファに深く腰を落とした。

 

 俺は今でこそロキ・ファミリアの幹部であるが、それも所詮は元闇派閥出身という経歴を逆説的に活用するための外部顧問のようなものだ。そんな俺には正直に言って、ロキ・ファミリアの三首脳が共有している思いは全く分からない。

 

 だがそれでも今の団長の宣言は事実上、既にリオンさん達……もっと言えばモンスター達に協力する気でいる俺に対する敵対宣言であるのだろうという事は分かった。

 

「こらこら、早まらんとき。ほんっとに自分はリューたんが関わると、途端に視野狭くなる上に排他的になるんやから。もう少しこの子らのこと信じたりや」

 

 とりあえずこの場から逃げ出そうかと窓の外に視線を向けようとした瞬間、ケラケラと笑う神様からそんな制止の声がかかる。

 神様は「よっこらせ」と親父臭い声を出してベットから飛び降りて俺の横まで歩いて来て、肩に手を置いた。

 

「フィンも最初にニルスと愛しのリューたんの不利益になるような事はせんって言っとったやろ? それにママかて敢えてあんな口喧嘩ふっかけてボロ負けしてまで、ニルスは道徳的に正しいって認めとったやん」

 

「ロキ、それは言ったらいかんだろう……」

 

「家族同士でする腹の探り合いと建前での会話ほど無意味なもんはあらへんやろ」

 

 再度大きく溜め息を吐くガレスさんに、神様は再度ケラケラと楽しそうに笑う。

 

「ほらほら、建設的な話に入り。とりあえず先ずはフィンとニルスで交互に現状の理解言い合って、前提の整理するんやろ?」

 

 手を叩いて「はよはよ」と急かす神様に、少し暴走気味だった思考が冷静になる。

 

 リオンさんが関わると視野が狭くなって排他的になる、か。確かに全く否定できない自覚がある。

 

「神様、ありがとうございました。それに団長達、すみませんでした。もしファミリアとしての最終的な決定に相容れなかったとしても、その時はちゃんと宣言してから敵対するようにします」

 

「まあ、一応は信じてくれてありがとうと言っておこうか。君が敵対すると必然的に、絶対にモンスター側には立たないアイズと君との間で板挟みになってリヴェリアが壊れて、芋蔓式にエルフの団員も全滅するから、そうはならないことを祈るけどね」

 

 頭を下げて謝罪した俺に、団長は頭が痛そうにそう苦笑した。

 

 団長の言葉にリヴェリアを見てみれば、ママは明後日の方向に顔を逸らす。俺は何も言うことが出来ずとりあえず思考を放棄した後、誠実に対話するつもりがあることを示すために、神様の言葉に従って先ずは自分から事件の発端についての認識を口にした。

 

「今回の事件の中心は、意思疎通可能な善良な感性を持つと思われるモンスター達の存在で間違いないと思っています。これは団長もさっき言ってましたけど、そのモンスター達の存在を以前から知っていて、かつ協力関係にあるのはギルドの上層部ないしはトップである老神ウラノスとその私兵。あとはガネーシャ・ファミリアもですね。両者の最終的な目的が何なのかは不明ですけど、ギルドの肝入りで始まってガネーシャ・ファミリアが取り仕切る怪物祭(モンスター・フィリア)の存在と、リオンさんとヘスティア・ファミリアがそっち側に協力している事を踏まえて考えると、人類と怪物の融和、という可能性が高いと思っています。あと、協力者としてヘルメス・ファミリアも一枚噛んでいるのは確実です。先日アスフィさんに情報を聞きに行ったんですけど、『立場上、巻き込まれている事態について何一つ説明できない』とわざわざ教えてくれたので」

 

「同じ認識だ。ヘルメス・ファミリアの件もレフィーヤが別の団員から似たような情報を得ているから、確実だろう。じゃあ次は僕の番だね。モンスター達と敵対関係にあったのは、イケロス・ファミリア(密猟者集団)。こっちは捕らえた神イケロスから確認した事実だけど、モンスターの密猟というありえない筈の事をやってのけられたのは、地上とダンジョンを繋ぐルートとして人造迷宮(クノッソス)を使えていたからだ。ただし彼らは闇派閥でもないし今の《都市の破壊者(エニュオ)》一派でもなく、団長のディックス・ペルディクスが今でも人造迷宮(クノッソス)を作り続けている奇人ダイタロスを始祖とする一族の一人だったから、というのがそのルートを使えた理由だ。ただ残念な事に神イケロスの言葉を信じるなら、《都市の破壊者(エニュオ)》一派との戦いに鍵にもなり得たディックスは既に五日前の騒動中に死んでしまったようだけれど」

 

「異論なしですが、一点補足すると多分そのディックスを倒したのは、リオンさんだと思います。説明が難しいですが、五日前にリオンさんに渡した魔道具(マジック・アイテム)が、ディックスが使う呪詛(カース)と同じようなものを焼き払った感覚があったので」

 

「失敗したと聞いていた解呪の魔道具(マジック・アイテム)が実は成功していた……という訳ではないようだね、その顔を見るに」

 

 団長は思わず身を乗り出しかけたが、俺の曖昧な表情を見てあからさまに残念そうに「そう上手くは行かないか」と呟く。

 間違いなく俺の魔法が発動して呪詛(カース)を焼き払った事は事実なのに、何故どうやって発動したのか俺自身が全くわからないのだから、こればかりは仕方ない。

 制作者であるアスフィさんすら「何を言っているのですか? あれは失敗作ですよ?」と胡散臭そうに言っていたのだから、使用したリオンさん自身に聞いてみない限りはこれ以上は何も分からないだろう。

 

「まあ、そのイレギュラーについては後から詰めよう。で、続きだけど、今回の事件はイケロス・ファミリアが意思疎通可能なモンスター、ベル・クラネルと【疾風】が庇ったあの竜女(ヴィーヴル)を捕らえた事から始まっているんだろう。他のモンスター達は竜女(ヴィーヴル)を助けるためにイケロス・ファミリアの痕跡があった18階層を壊滅させ、その足で18階層から人造迷宮(クノッソス)に踏み込んだ」

 

「まあ、モンスター達をまとめて捕らえるためにあえてイケロス・ファミリアが人造迷宮(クノッソス)の入口を開いていたんでしょうね。それで、何時からなのかは分かりませんが、モンスター達の存在を知っていたベル・クラネルは、罠に踏み込んだモンスター達を見捨てる事が出来ずに追いかけようとした。そのベル・クラネルを見捨てる事が出来ずに、リオンさんは例の鍵を使ってベル・クラネルと一緒に人造迷宮(クノッソス)に突入して、その途中でディックス・ペルディクスと交戦したんだと思います。ちなみに18階層に向かったガネーシャ・ファミリアの討伐隊にベル・クラネルが同行していた事も裏は取れてますし、同じタイミングで《豊穣の女主人》にアスフィさんが来て、リオンさんが彼女と一緒に迷宮に向かったのも従業員の人達から確認済みです」

 

人造迷宮(クノッソス)に踏み込んだのはその二人に加えて、神ウラノスの私兵と思われる魔術師(メイジ)もだろうね。モンスター達が地上で暴れたあの現場でガレスが遭遇している。と、まあ、ここまでは同じ考えのようだね」

 

 そう締めくくった団長は一息吐いて、神様にちらりと視線をやる。

 神様がどこまでこの事態の真相を把握しているのかは知らないが、道化師(トリックスター)を名乗る女神は呆れたように無言で笑ってみせた。

 そんな神様の様子に団長は肩を竦めて続ける。

 

「大きく外してはいないみたいだね。それじゃあここからが本番だ。率直に聞こう。【疾風】は今回何を狙っていて、そして、僕達が持ちかけられている取引は何だい?」

 

「目的は人造迷宮(クノッソス)を通ってのモンスター達のダンジョンへの帰還。ロキ・ファミリアに望むのはその黙認」

 

「見返りは人造迷宮(クノッソス)の鍵と、その鍵を狙って襲って来るであろう《都市の破壊者(エニュオ)》一派を釣り出す餌としての役割」

 

 人に聞いてきたくせに最後は自分でそう断定した団長に対して、俺は無言で同意を示す。

 俺の考えを聞いておきたいなんて言っていたが、最初からほぼ確信を持っていたのだろう。何となくだがようやく団長が俺を呼び出した理由に検討が着いてきた。

 

 故に神様の言葉に従い、俺も率直に団長に問いかける。

 

「《都市の破壊者(エニュオ)》一派、正確にはヴァレッタが率いる闇派閥の残党と戦うつもりですか?」

 

「ああ、そのつもりだよ。このタイミングで人造迷宮(クノッソス)の鍵を入手できるか否か。それが分水嶺になるだろうからね。表ではモンスター達を捕獲する振りをしながら、裏では闇派閥を釣りだして鍵を奪う二面作戦。難易度が高いミッションになるからこそ、僕は君に遊撃隊として自由に動いてもらいたいと思っている。ロキ・ファミリアの強みは指揮官(僕達)による統制と緻密な連携、徹底的な集団の力の行使だけど、それは同時に弱みでもある。特に今回のような破格の『未知』に満ちた状況では、それが顕著になるだろう。だからロキ曰く同じファミリアである一方で根本的に他の皆とは違っているらしい君は、間違いなく僕らの【道化(ジョーカー)】だ。期待させてもらうよ。まあもっと直接的に言えば、君の愛しの【疾風】の願いに寄り添うにしても、君たちの過去の精算をするにしても必要になってくる、君の昔の恋人が弄してくるであろう小細工の対処を引き受けて──」

 

 顔面に向かって飛来する炎の刃を、フィンは右手の指で挟んで受け止めて握り潰す。

 

「──肯定と受け取らせてもらうよ。ふふ、このナイフといいその表情といい、昔の恋人の話を聞いて昔に戻ったみたいじゃないか、【千の魔法(サウザンド)】」

 

「俺がヴァレッタの元恋人なら、今の恋人はちびっ子勇者ってことでいいみたいだな。本人とティオネに伝えといてやるよ」

 

「ああ、それは本当にやめてくれ。僕が死ぬ」

 

 ヴァレッタ・グレーデ。過去、闇派閥に所属していた俺の最初の直接的な上司のような存在だ。神様の言葉を借りればパワハラにセクハラにサイコパスという最悪の三拍子を兼ね揃えた上にショタコンなる性癖を併せ持つ無敵の変態であるが、もっとも七年前の抗争時に団長に徹底的にやられオラリオから逃げ出してからは、俺ではなく団長に執着している事が唯一の救いである。

 

 と、まあ、ゴミのような人間ではあるがそのLv.5という単純な戦闘能力と目的のためには手段を選ばない残虐性は勿論、当時も今も闇派閥の頭脳を担っている指揮官としての能力も侮れない厄介な敵だ。

 つまりは団長が俺に期待しているのは、そんな歩く爆弾のような迷惑極まりない相手の対処という訳である。

 

 とは言え、返答すべき言葉は決まっている。

 

「ヴァレッタの対処、承りました。その代わりリオンさん達への協力は──」

 

「わかるだろう? 現時点で他の団員達に真実を告げることは出来ない。故に、ロキ・ファミリアとして彼女に協力する事はできない。だけど結果的にそうなるように、僕達三首脳とロキが状況をコントロールしよう。約束するよ」

 

 三本目の回復薬(ポーション)を飲み干しながらそう断言した団長に、勝手に巻き込まれたリヴェリアとガレスさんは苦笑し、神様は楽しげに笑ったのだった。

 

 まったくもって頼もしい限りである。



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第七夜 道化ノ挟持 後編

異端児(ゼノス)編、連続投稿二話目


 

 三首脳と神様との密談が終わったその日の内に、ダイタロス通りの仮拠点へと集められたロキ・ファミリア全体に対して今回の作戦目的とその内容が語られた。

 

 ギルドを含む都市全体に向けて表明する表向きの作戦目的は、ダイタロス通りに潜む武装したモンスター達の排除。

 

 一方、ロキ・ファミリア内部における真の作戦目的として伝えられた内容は、人造迷宮(クノッソス)を通り迷宮への帰還を目指すであろうモンスター達が持つ鍵と情報を入手するための捕縛(・・)作戦を隠れ蓑とし、本命はロキ・ファミリアと目的を同じくモンスター達を狙うであろう《都市の破壊者(エニュオ)》一派の闇派閥(イヴィルス)残党の殲滅と複数の鍵の奪取を最優先目的とする二面作戦。

 

 今のロキ・ファミリアにおいては、ダンジョンから地上へとモンスターが湧き出た事実よりもつい先日多くの仲間の命を奪いかけた《都市の破壊者(エニュオ)》一派と彼らが潜む人造迷宮(クノッソス)の方がより大きな差し迫った問題である。もっと言えばモンスターに知性があるという致命的な情報を知りさえしなければ、結局の所はモンスターの件も人造迷宮(クノッソス)という致命的な障害から派生した小さな一つの事故でしかないのだ。

 

 餌となるモンスター達を人造迷宮(クノッソス)へと逃さないように程よく誘導しつつ扉を守り、そしてその扉の奥の人造迷宮(クノッソス)から襲い来るであろう闇派閥(イヴィルス)残党の対処を同時に行う。

 

 余りにも危険な作戦内容に戦々恐々とする団員達に対して、団長は先日の事実上の敗走を引き合いに出し鼓舞して煽りに煽った。

 

 結果として多くの団員たちはモンスターの存在そのものよりも、その危険性と状況の複雑性故に意識の大半を作戦の実行そのものに裂いている。見事なまでの問題のすり替えである。

 

 だが、そう簡単に割り切れない人間も当然存在している。

 

 怒りと悲しみと戸惑いを瞳に湛えながらも鉄面皮のような無表情で静かに剣の柄を握りしめていたアイズにとっては……モンスターを憎み殲滅する事だけが全てだった彼女にとっては、今回の件はそう簡単にすり替えられるような問題ではないのだ。

 

「ニルス……」

 

 作戦会議が終わり、複雑に入り組んだダイタロス通りを俯瞰できる背の高い建物の屋上に設置された作戦本部で、一人やることも無く団長の元に忙しく報告される情報に耳を傾けていた俺の背後からアイズはそう声をかけて来た。

 

「ニルスは、知ってるの……? ベルとリューが、何でモンスター達を庇ったのか」

 

「……」

 

「やっぱり、そうなんだ……。でも、私は……譲れない、認められない」

 

 ベル・クラネルと親しいアイズは、真相に辿り着いているのだろう。だからこそ無言を貫く俺に対し、半ば確信を得ていたアイズは悲壮な顔でそう呟き、続けた。

 

怪物(モンスター)は、人を殺す。沢山の人を殺せる。……沢山の人が泣く。だから、殺さなくちゃいけない……。そうでしょ……?」

 

 アイズが求めている言葉は、何となく分かった。だけど俺にその言葉を言う資格はない。そんな事はアイズだって分かっている。

 

 だから俺は、淡々と事実を告げた。

 

「俺は人を殺した。沢山の人を殺した。沢山の人を泣かせた。だけど、生かされた」

 

「……っ!」

 

 分かりきっていたはずなのに、それでも傷ついて泣きそうな顔をしたアイズは、俺に背を向けた。

 

「ニルスは、違うもんね……。ニルスは【正義の味方】だけど、私の【英雄】じゃないもんね……。私のところには、誰も来てくれない……」

 

 剣の柄を強く握り締めて泣きそうな声でそう漏らすアイズに、俺は溜め息を漏らしながら苦笑する。

 

「……何で笑うの」

 

「俺は英雄になんてなれないけど、それでも今は《正義》を騙るロキ・ファミリアのニルス・アズライトです。だからアイズが本当に俺に救いを求めてるなら、《正義》に誓って必ず助けますよ」

 

「ニルス、気持ち悪い……普通に話して」

 

 怒ったような顔で振り向くアイズに、再度思わず苦笑が漏れる。

 

「それだけ暴言吐けるんなら大丈夫そうだな。だいたい誰も来てくれないなんて寝言ほざいてると暴力ババアにぶん殴られるし、またゴミカス狼ちゃんが拗ねて家出するぞ」

 

「あ……」

 

「それに、さっきの質問。あれをお前が本当に聞きたい相手だって、心配しなくたってお前のことをちゃんと想ってる。だから心配せずに、一回ぶつかって来いよ」

 

 まだアイズの顔には、迷いがあった。だけどそれでも、今にも壊れそうな顔ではなくなっていた。

 ここまで言えば後は何があってもあの残念狼が何とかするだろうし、むしろここで何も出来ないならあの残念狼が全面的に全て悪い。

 

 小さく「行ってきます」と残して眼下のダイタロス通りへと、ベル・クラネルの監視任務へと文字通り飛び立っていったアイズを見送って、俺は新調した槍を肩に担ぎ、再び団長の元に集う情報に耳を傾けながら目を瞑った。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 オラリオで今最も盛んに語られる話題は、ダンジョンから都市へと湧き出たモンスター達と、他の冒険者を妨害して街に被害を出してまでそのモンスター達を独占的に狩ろうとしたベル・クラネルの愚行についてだった。

 

 Lv.1にしてLv.2のミノタウロスを打倒した偉業から始まり、階層主の異常種の討伐、圧倒的不利な戦争遊戯への勝利等の数々の偉業を打ち立て、たった数ヶ月でLv.3に到達したランクアップ世界最速記録保持者。

 【未完の新人(リトル・ルーキー)】と呼ばれ人々からその未来を期待された少年が行った愚行。

 

 期待が大きかった分、その反動なのだろう。そして未だ都市に潜むモンスターへの恐怖を紛らわせるための都合の良い生贄でもあるのだろう。

 あの光り輝かんばかりの名声は地へと堕ち、今やベル・クラネルは歴とした悪者扱いだ。

 

 街を歩けば悪意に満ちた視線に晒され、侮蔑の言葉を吐かれる。時には石を投げられ暴力を振るわれ、店でまともに買い物をすることも出来やしない。

 

 モンスターを庇うために自分が愚者へと成り下がる。

 

 こうなることを理解して覚悟した上での選択であっても、十四歳の少年には今の状況はかなりきついだろう。

 

 ──そして今、ダイタロス通りはそんな話題の渦中の少年とモンスター達を中心として、天地がひっくり返ったかのような大騒動となっていた。

 

 長い沈黙を破り堂々とダイタロス通りへと姿を現したベル・クラネル。そして夜の街へと響き渡るモンスター達の遠吠。

 

 各地に現れては消えるモンスター達とベル・クラネルを捕まえようと、冒険者達は都市を駆けずり回る。そしてそれと同時に人造迷宮(クノッソス)付近で同時多発的に発生するロキ・ファミリアと闇派閥(イヴィルス)残党、そしてヘスティア・ファミリアとその協力者達による戦闘。アイズもずっと気にしていたベル・クラネルと正面からぶつかり一戦交え終え、そして二人の対話の結末は、ベル・クラネルをまだ捕らえることが出来ていないという事を踏まえると、つまりはそういうことだろう。

 

「……来たのかい?」

 

 そんなお祭り騒ぎの中、瞑っていた目を開けた俺の気配を察したのか、そう問い掛けて来た団長。

 

「成された悪の因果が見える、か。本当に反則級のスキルだね。君の前じゃあ変装も偽装も意味を成さないんだから」

 

「そんなに便利ではないですけどね」

 

 成された悪の因果なんて見えなくても、大半の物事は思っているよりもずっと単純だ。故に世界には《悪》が溢れている。

 それこそ今だって現実世界の視界と重なる形で視えるもう一つの世界は、成された悪の印である傷とその過程である軌跡、そして傷への想いたる渦巻く怨嗟の闇で埋め尽くされている。

 《悪》を名乗っていた昔も《正義》を詐称している今も、傷と軌跡を辿った最終的な果てには最初から分かっていた原因に当然のように怨嗟が渦巻き纏わりつく光景を視る事が殆どである。

 故に、読み解くことすら困難な夥しい数の傷と軌跡と怨嗟で構成された世界に向き合うよりも、大抵の場合は現実世界と向き合うほうが手っ取り早い。

 

「……まあ、団長の言うように今回みたいな人探しにはうってつけですが」

 

 苦笑する団長に部分的な同意を示し、俺はもう一つの視界でダイタロス通りの北西側、避難している大勢の住人が集う外縁部の広場に現れた幾つかの人影を見る。

 

 その人影を構成する数多の傷の大半は、多種多少な人間の手によってつけられたモノ。そして人を人として認識出来ない程に纏わりつき蠢くのは、誰か知らない人達の怨嗟の声。

 

 周囲の圧倒的多数を占める避難住民達とも、彼らの護衛をする冒険者のそれとも違う様相。今のオラリオにおいては異質なそれは、かつての闇派閥(イヴィルス)や犯罪者集団の構成員を思い起こさせるには十分過ぎる特徴だった。

 

 絡め手による妨害。遊軍としての俺の役割はそれらの処理である。つまりは、団長が恐れていた事態ということだ。

 

「この状況下でそこまで効果的とは思えないけれど、一般人を人質にと言うことかな」

 

「それだけではないと思いますけど、まあ、選択肢の一つには入っているでしょうね」

 

 俺の視線の先を確認してそう問いかける団長に、歯切れの悪い答えを返す。悪意を伴う作戦はヴァレッタの得意領域ではあるが、逆に陳腐過ぎる策のようにも思える。

 

「処理は任せていいかい?」

 

 槍を担いで駆け出そうとする最中にかけられた声に「はい、処理するかはまだ未定ですが」と返せば、団長は大きく溜め息を吐いたのだった。

 

「まだ悪は成されていない、か。君に対してのみはその信条を否定するつもりはないけれど、それでも足元を掬われないように注意はしてくれ」

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 ──それは何の前触れもなく都市に響き渡った。

 

『オオオオオオオオオオオオオオ―ッ!!』

 

 ダイタロス通り北西、大勢の避難住人が集う外縁部の広場へと向かっている最中、今まで人造迷宮(クノッソス)へと辿り着くためだけに行動していたモンスター達が突如これまでとまったく異なる行動を起こした。

 

 石竜(ガーゴイル)紅鷲(クリムゾンイーグル)閃燕(イグアス)、そして甲冑を纏った巨大蜂(デッドリー・ホーネット)

 

 雄叫びを上げ空を駆ける有翼種である四体のモンスター達が向かう先は、奇しくも俺の目的地である避難所。

 

 ありえないはずのモンスター達の行動に、危機感と同時に強烈な違和感を覚える。

 

 焦燥に駆られながら闇派閥(イヴィルス)の刺客と思わしき一般人に擬態した五人の人影を見れば、しかし彼らはモンスター達に対して反射的に臨戦態勢を取りかけるという失態を犯していた。

 

「闇派閥ともリオンさん達とも違う、第三者……?」

 

 直感的に呟いたその言葉に、後から遅れて理解が追いつく。そして広場に向けていた視線を周囲へと巡らせ、この付近で最も広場を見渡しやすくかつ最も趣味が悪い背の高い建物を探す。

 

 広場は劇場で、住民は観衆だ。

 

 そして今から繰り広げられるのは舞台の終幕を盛り上げるためだけの、住民へと襲いかかる凶悪な怪物(モンスター)達と、それを撃退する冒険者達の戦いの一幕。

 

 それらしき塔を見つけ、方向転換して一気に駆け上がる。

 

 今回の事件、中心にいたのはやはりベル・クラネルだろう。

 リオンさんも相当後先考えずに暴れてしまっているが、それでも彼女の顔は少なくとも人間には割れていないのだから、()()()の主役はやはりあの少年に間違いない。

 

 故にこの馬鹿げた舞台の演目とはつまり、愚者へと堕ちた少年が英雄候補へと返り咲くための、怪物退治の英雄譚だ。

 

「モンスターとの共存? 馬鹿を言うんじゃないぜ!!」

 

 到達した塔の天辺で、その神は叫んでいた。

 

「一度滅びかけたんだぜ、人類は!? 男も女も子供も老人も誰も彼もが殺され尽くした!! 他でもない怪物(モンスター)の手で!! 怪物(モンスター)との融和なんて絵空事だ! 何十世紀にも及ぶ憎しみと因縁を覆して何になる? 大神(ゼウス)も言うだろう、無茶を言うなと!」

 

 舞台の中心に躍り出て必死の形相で石竜(ガーゴイル)と戦うその白髪の少年を見つめながら、両手を広げ熱に浮かされたような狂喜を浮かべ、叫んでいた。

 

「『異端の英雄』なんて誰も望んじゃいない。世界にもはや猶予はない。俺はあの白い輝きに全てを賭けたんだ! さあ、原点回帰(モンスター退治)だ!! 英雄になろうぜ、ベル君!!」

 

 橙黄色の髪を持つ飄々とした旅人風の装いをしたその神は、アスフィさんの所属ファミリアの主神──策略を司る男神ヘルメス。

 

 かの神は後ろに立つ俺へと振り返り、路傍の石を見るような目で一瞥してすぐに広場へと視線を戻す。

 

「ダンジョンを抜け出した凶悪なモンスター達が力なき民を襲っているこの状況。もしくは利己的な理由で多くの人を危険に晒した悪の冒険者が、また同じような事をしでかそうとしている現場。君なら真っ先に駆けつけるものかとヒヤヒヤしていたけれど、今回は弟分の名誉挽回のために打算を働かせてくれる気になったのかい? 【正義の味方(ヒーロー)】」

 

 神ヘルメスはそうやって皮肉気に吐き捨てるように笑い、眼下の広場で人類を抹殺せんと荒れ狂う石竜(ガーゴイル)の爪を、ベル・クラネルが悲壮な形相で手に持った黒色のナイフで捌き応戦する姿を嬉々として見つめる。

 言いたい事は色々とあったが飲み込んで、茶番そのものの脚本を書いた張本人である神ヘルメスの左後ろ、何時でも槍が届く距離へと歩み寄る。

 

「あの二人は、殺すべき《悪》ではありませんので」

 

「おいおいおい、じゃあ何かい? ここに来たのはこの俺が目的だとでも、このヘルメスが君が殺すべき《悪》だとでも言うつもりかい?」

 

 心底面白くなさそうな目で、それでも笑顔を貼り付けて演劇の役者のように両手を広げて笑う神ヘルメス。

 俺はそんな神に適当に返答しつつ広場で戦う二つの影と、そしてそれらを遠巻きに見つめるオラリオの民に視線を向けた。

 

「自意識過剰過ぎるんじゃないですか? あなたはまだ何も傷つけることすら出来ていないのに、それで《悪》を名乗ろうとするなんて、もっと言えばそんな体たらくで策略を司ってるだなんて嘯くなんて、少しは弁えたほうがいいと思いますけどね」

 

「……俺は君の事が嫌いだよ。君こそ弁えるべきだと思うけどね。五年前までの漆黒と赤熱の輝きを放っていた君ならともかく、今の君はただの燃え滓だ。あの頃の残滓に成り果てた君にはただでさえ失望したっていうのに、それどころか変身魔法なんて神好みの魔法(とびっきりの未知)と、今までの生き方を改めましたなんて言わんばかりの心躍るスキル(王道の物語)を引っさげて表舞台に降り立ち神を期待させたたかと思えば、蓋を開けてみればそれが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だって? 神をおちょくるのも大概にしてくれよ」

 

「……」

 

「ああ、もしかしてロキは君に言っていなかったのかい? じゃあ今のは忘れてくれよ。だけどまあ、こっちは聞いているだろう? ロキは言っていたよ。世界が求めている『最後の英雄』を決めるこのレースにおいて、君は既に脱落していると。君が未来永劫、英雄になることはないと。だからさ、真の英雄のためのこの舞台に、例えどんな端役だって君の出番はないのさ。せいぜいここで俺と観客に徹してくれよ。今日この日、ベル・クラネルは絶対悪たる怪物達の魔の手から、多くの民を救って『最後の英雄』へと至る道を再び歩み始める。一緒にその勇姿を見届けようぜ?」

 

 神ヘルメスの演説のような言葉の数々。超越存在たる神から告げられた俺の魔法の秘密は、おそらく事実なのだろう。それなりに衝撃を覚えた。

 

 肩に担いでいた槍を降ろし、無言のまま英雄へと至ると神に断言までさせたベル・クラネルの姿を見る。

 

 ──凶悪な石竜(ガーゴイル)から民を守って勇敢に戦う英雄。

 

 ああ、確かにそう見えなくもない。

 

 無言を貫く俺の様子に小さく肩を竦めて鼻で笑い、神ヘルメスは語る。

 

「知性と心がある怪物(モンスター)達。人と地上に対する憧憬を持ち、何時か人類と融和を結びたいと夢を見る彼らは、自らを異端児(ゼノス)と呼んでいる。別に何も俺は、彼らに特別恨みがある訳じゃないんだ。だけど分かるだろう? 少なくとも今の世界の惨状じゃあ、異端児(ゼノス)の存在は人類にとって『害』にしかならない。異端児(ゼノス)との共存を夢見て突き進んだ果てにあるのは仲良しこよしのハッピーエンドなんかじゃない。共倒れする破滅のバッドエンドのみだ」

 

 神ヘルメスの言葉は、おそらく事実だろう。

 

 人類と異端児(ゼノス)と呼ばれる彼らが共存できる未来はきっとあるだろう。だけどそれは、人類が滅びを乗り越えた先にのみ存在する僅かな可能性の未来の話だ。少なくともそれは今ではないのだろう。

 

「確かにこの脚本を書いたのは俺さ。だけどあの石竜(ガーゴイル)、グロス君といってね。この舞台は彼らの同意あってこそのものだ。彼らの心は本物さ。自分たちが巻き込んでしまったベル君の今の現状を、本気でどうにかしたいと思っている。そう、彼らは立派なベル君の味方なんだぜ」

 

 この戦いがあの石竜(ガーゴイル)達にとっても強制されたものでなく、むしろそれこそが彼らの望みであるのであれば、実際に何の罪もない人々が傷つけられる事もないのだろう。これは本当に文字通りの意味での舞台なのだから。

 

 神ヘルメスが語るこの舞台の意義には、確かに一理あると納得してしまう。

 

「ああ、話しているうちに君のファミリアの登場だ。そろそろクライマックスだぜ?」

 

 神ヘルメスの言葉通り広場を囲う建物の上に、団長と数人の団員達が到着していた。あくまでも俺の仕事は闇派閥(イヴィルス)の対処であるため、異常事態については団長が受け持つということか。

 

 それを切欠として、石竜(ガーゴイル)は翼を大きく広げ羽ばたいた。それはつまり、ベル・クラネルによって討たれて終幕を迎えるという最期の覚悟に他ならない。

 

 地面すれすれを駆ける石竜(ガーゴイル)の捨て身の特攻。背後にギルド職員の女性を庇うベル・クラネルに回避という選択肢を与えず、反撃を強制する最期の一手。

 

 迫り来る石竜(ガーゴイル)に対して、構えたナイフを突きつけるベル・クラネルは哀れにも泣きそうな顔をしていた。

 

 だけど、その瞳はまだ何も諦めてなんかいない。この期におよんでまだ神ヘルメスの神意という名の運命に意志を委ねる事無く、必死に足掻こうとする者の瞳をしていた。何時かの遠い昔に見た、彼女と同じ瞳をしていた。

 

 繰返し思う。そして、気づけば言葉に出していた。

 

「凶悪な石竜(ガーゴイル)から民を守って勇敢に戦う英雄。ああ、確かにそう見えなくもないですね。だけど──」

 

「さあ、終幕(フィナーレ)だ! 行け、ベル君! 怪物退治だ!!」

 

 興奮に身を任せ思わずと言った様子で叫ぶ神ヘルメスの横で、ベル・クラネルが動かしたナイフの軌跡を見て思わず笑ってしまう。

 

「──だけど、あそこにいるのは誰かを救いたいとだけ思って馬鹿な事をした子供と、そんな子供を救うために犠牲になろうとしてるモンスターだけだ。そんなの、誰が見たって分かるはずだ」

 

 ベル・クラネルはナイフを鞘に納め、両腕を広げて待ち構える。

 

 驚愕に見開かれる神ヘルメスの瞳の先では、ベル・クラネルの無謀な姿を前に石竜(ガーゴイル)が突撃を中断し、飛び退くという光景が広がっていた。

 

 決断できず背後の人質ごと爪に貫かれ無為に死に絶えるでもなく、決断してナイフで敵を切り裂くでもなく、ただ石竜(ガーゴイル)を信じて武器を捨てるという第三の選択肢。

 

 無謀にして愚行にも程がある選択をしたベル・クラネルと、眼の前の少年をただ見つめる事しかできない石竜(ガーゴイル)

 そんな二つの影に、一時、世界は時を止めた。

 

「嗚呼、そうなってしまうか……本当に、君は愚かだ」

 

 驚愕と焦燥を隠すように旅行帽の鍔を指で強く握り引き下げた神ヘルメス。

 この地上において全知無能たる神の瞳は、未だ広場を支配し続ける不気味な沈黙を正しく見抜いていた。

 

 ベル・クラネルを見る数多の目に浮かぶのは、確かな疑惑。

 視点を変えれば数日前の愚行もまるで怪物を助けるかのような行為だった。今眼の前で起きている事態を踏まえると、もしやあの少年は本当に『人類の敵』なのではないか? と、そんな根源的な恐怖を孕んだ確信に近い疑惑が広場に渦巻いていた。

 

 止まった時が動き出せば、広場はすぐにでも恐怖と混乱と憎悪に呑まれるだろう。

 

 そして眼の前のこの神が、そんな事を許容する筈がなかった。

 

()()()、やれ、アスフィ」

 

 冷徹にその言葉が発せられると同時、広場の一角の物陰から一つの気配が湧き上がる。

 魔道具(マジックアイテム)によって透明となり隠れ潜んでいた、ヘルメス・ファミリア団長アスフィ・アル・アンドロメダ。

 彼女の手に握られるのは、『紅針』と名付けられたモンスターを凶暴化させる魔道具(マジックアイテム)

 

 神ヘルメスは、ベル・クラネルの非凡な善性を決して甘く見ていなかった。少年が再度信じがたい愚行を選ぶ可能性を、ある意味信じてさえいたのだろう。

 

 故に神の下僕たる【万能者(ペルセウス)】を保険として遣わせ、『理知ある隣人(ゼノス)』を『理性なき怪物(モンスター)』へと変貌させる切札を用意していた。

 

 だが、その切札が切られる事はなかった。

 

 アスフィさんの手から『紅針』が放たれるその寸前、空中より飛来する黒色の刃が轟音を立てて彼女の足元の石畳を抉り飛ばした。

 

 そして弧を描きながら時が止まったかのような広場の空気を石畳ごと切り裂く黒い刃は、見つめ合うベル・クラネルと石竜(ガーゴイル)の中間地点へと深く突き刺さり停止する。

 

「ッッ!? 俺は、俺は確かに君に言ったはずだぜ!? 原点回帰(怪物退治)のこの英雄譚に、君みたいな奴の出番はないはずだと!」

 

 槍を投擲し終わり、そして広場へと向けて跳躍する間際の俺に突き刺さるのは、殺意を滾らせた瞳を隠そうともしない神ヘルメスの怒声。

 

「俺も言ったはずでよ? あそこにいるのは誰かを救いたいとだけ思って馬鹿な事をした子供と、そんな子供を救うために犠牲になろうとしてるモンスターだけだって。互いを助けたいって思いあってて、どっちも正しく《正義》に違いない。この趣味の悪い茶番劇の中でも外でも、正しく《正義》を成したはずのベル・クラネルと異端児(ゼノス)達が救われないなんて、もしもそんな事があるならそっちの方が嘘だ」

 

 そう神に吐き捨てて、時間が動き出し阿鼻叫喚の狂乱状態となっている舞台の上、少年と怪物が待つその場へと飛び降りた。

 

 

 

*    *    *

 

 

 

「見損いましたよ、ベル・クラネル。【絶対悪】であるモンスターを庇うなんて」

 

 ヘスティアは見た。

 

 神意という名の糸に操られ、怪物退治の英雄劇が繰り広げられていた楕円の大広場の舞台。

 愛おしい少年が策略の神(ヘルメス)の神意を超えてグロスとの殺し合いの手を止め、そして再び愚者への道を転がり落ちる寸前。

 広場に集った民衆の敵意が『怪物(モンスター)』と『人類の敵(愚かな少年)』へと向けられて、今にも爆発せんと熱が高まり切るその間際。

 

 空よりとてつもない速度で打ち下ろされた黒色の長槍が、轟音を響かせ広場の端から中心までを円弧状に大きく抉り取ったのを。

 

 唐突な轟音に民衆と一緒に驚愕し思わず目を瞑って吹き荒れる土埃をやり過ごした後、再度少年たちが立つ広場中央へとヘスティアが視線を向けた時には、ベルとグロスの間に突き立てられた槍の傍らにその青年は静かに立っていた。

 

 全身をマントで覆い、顔の下半分を覆面で隠した、燃え尽きた灰のようなくすんだ色の髪の男。

 

 ロキ・ファミリア所属の冒険者。【道化(ピエロ)】という哀れな二つ名を与えられた第一級冒険者、ニルス・アズライト。

 

 彼はヘスティアの身の丈の倍以上はある漆黒の長槍を抜き取り、そしてベルへと突きつける。

 

「五日前に続いてたった今の行動。これで言い逃れは出来ないでしょう。君は明らかに今回地上に出てきたモンスター達を守ろうとしていますね」

 

「ニ、ニルスさん……っ!」

 

 誰もが口に出さずとも薄々感づいていたその可能性を、ベルを間違いなく破滅へと導くその決定的な言葉を、ニルスは淡々と事実を告げるように叩きつける。

 集ったオラリオの民や冒険者達の中から「おい、本当かよ……」「腐ってもあいつはロキ・ファミリアで、【勇者(ブレイバー)】だって否定してない……」「お、俺も前から怪しいと思ってたんだ……」と次々と確信に満ちたどよめきが広がり、最早覆しようのない速度でニルスが告げた言葉が伝播し浸透して行く。

 

 突きつけられる冷たい殺意と憎悪に、ベルは思わず半歩後ずさる。

 

 ヘスティアは知っている。

 

 ニルス・アズライトは、ベル・クラネルがこのオラリオで最も信頼している大人の一人だ。

 冒険者になってすぐに知り合い、彼は今日までベル・クラネルを幾度も助けてきた。

 

 そんな彼から向けられる失望の瞳と純粋な殺意に、ベル・クラネルは大きく動揺していた。

 

 だからだろう。淡々とまるで当然かのように振り払われたニルスの槍にまるで反応できず、長大な刃の切っ先に切り裂かれたベルの首筋から鮮血が吹き出す。

 

「俺は今からそこのモンスターを排除します。抵抗してもいいですが、容赦はしません」

 

 宣言と同時、反射的に首筋を手で押さえて止血するベルを捨て置き、ニルスはグロスへと襲いかかる。回復薬(ポーション)を傷口に浴びせたベルが冷静さを取り戻した時には、既にグロスはどうにかニルスの槍を爪で受け止め絶体絶命に近い状態となっていた。

 

 漆黒の槍がグロスの石の爪に徐々に食い込みそのまま圧し切られる間際になって、ようやく覚悟を決めたベルの逆手に構えられた黒と紅の二刀のナイフがニルスの背後へと振り抜かれる。

 

 ベルとて、その二連撃がまともにニルスを切り裂けるとは思っていなかっただろう。

 それでも攻撃を中断し反転させた槍で防御、もしくは飛び退いて刃を避けるか、ともかくグロスが立て直す時間程度は稼げると踏んでいたに違いない。

 

 しかし次の瞬間にベルの顔に浮かんだのは、純粋な驚愕のそれ。

 槍から片手を離したニルスは鉤爪のように開いた左手でベルの一刃目を易々と打ち払い、そして二刃目をあろうことか素手のまま掴んで防いだ。

 

「【火を灯せ(イグナイト)】」

 

 ニルスによって静かにその歌が唱えられると同時、広場の中心から熱波が吹き荒れる。

 そして次の瞬間には、熱源たるニルスの左の鉤爪からはベルの紅刀を圧し折らんと膨大な熱量と力が加えられ、もう一つの熱源である右手に握られる槍は赤熱しグロスの石の爪をまるでバターのように切り裂き始めた。

 

「ッッ! 【ファイアボルト】!!」

 

 そこに重なるベルの砲声。零距離で紅刀越しに放たれる無詠唱速攻魔法、緋色の炎雷。

 

 轟音が鳴り響き炎が弾け、ニルスを挟んでベルとグロスが衝撃によって強引に引き剥がされ後方に吹き飛ぶ。

 

 焼け溶け消し炭となったベルの左の手甲とグローブの下の皮膚は、痛々しいまでの火傷が広がっており、グロスの右の五指の爪のうち二本は完全に切断されていた。一方のニルスは平然とした様子で、それどころか右手に持つ槍は更に熱量が高まりさっきまでよりも赤く輝いている。

 

 突如始まった冒険者同士の戦闘に、広場はかつてない喧騒に包まれていた。

 

 零距離からの魔法の打ち合い。

 

 戦闘経験がないヘスティアも、また恩恵を持たない多くの民衆達も、そして他の異端児(ゼノス)達を相手取る冒険者達も理解していた。これは本気の殺し合いである、と。そして既に天秤は傾いていることも、その場にいた誰もが理解していた。

 

「もう隠すつもりもありませんか。そこのモンスター、状況からして調教師(テイマー)の関与ではなさそうですが、とにかく高度な知能を持ってるようですね。多少賢いせいで情でも湧きましたか?」

 

 ニルスを前後から挟む形となったベルとグロス。少年と怪物に交互に視線をやり、ニルスはそう問いかける。

 

「ニルスさん……違う、違うんです……っ! グロスさんは、モンスターですけど……、モンスターですけど……!!」

 

 異端児(ゼノス)の存在を、ベルは語ることが出来ない。

 彼らの存在を明るみに出せば、世界は混乱する。

 ベル・クラネルは誰かの為に己を斬り捨てる選択は出来ても、大のために小を斬り捨てる選択も、小のために大を斬り捨てる選択も決してできない。

 

 何かを伝えようとして、だけど結局何も伝える事が出来ないベル。そんなベルに溜め息を吐いたニルスは赤く輝く槍を凄まじい勢いで投擲し、どうにか二つの刃を重ね防いだベルはそのあまりの熱量にうめき声をあげる。そしてニルスは投擲の勢いのまま反転して、グロスへと駆け寄り熱と握力で全てを圧し砕く鉤爪で無残にその身体を傷つけていく。

 

 そしてまたグロスが致命的な一撃を浴びるその間際にベルがどうにかニルスの動きを反らし、しかし次の瞬間にはニルスによって襤褸切れのように吹き飛ばされ地面を転がる。

 

 大気を歪める程の熱量を発する両の鉤爪はベルの身体を鎧ごと抉り焼き、赤熱する槍がグロスの身体を貫き切り裂く。

 

 ニルスが少年と怪物を打ち据える度に、何時の間にかオラリオの民から歓声があがるようになっていた。

 

 その男の過去がどうであれ、そして未だにどれだけ大多数のオラリオの民から蛇蝎の如く嫌われ蔑まれていようが、ニルス・アズライトは一時期は神々から正式に【正義の味方(ヒーロー)】と認められていた冒険者なのだ。

 紛うことなき【絶対悪】である怪物(モンスター)と、それに与する『人類の敵』へと堕ちた愚かな少年。これ以上ないほど分かりやすい《悪》を《正義》が懲らしめるその光景は、この五日間恐怖に晒されてきたオラリオの民にとっては最高の薬となったのだろう。

 

 ヘスティアはその光景を呆然と見ながら、しかし何もする事が出来ない己の無力さに、ただただ唇を噛み締め血が滲む程に拳を握り締めていた。

 

「お願いだ……いや、主神としての命令だ。君たちは、ベル君の戦いに絶対に介入しないでくれ……」

 

 Lv.5の圧倒的強者に嬲られるベルの救援に向かおうとしていた己の子ども(ファミリアの団員)達たちにそれだけ告げたヘスティアは、気付いてしまっていた。

 

 神であるヘスティアに、嘘は通じない。

 

 そしてニルス・アズライトは、嘘を吐いていた。

 

『見損いましたよ、ベル・クラネル。【絶対悪】であるモンスターを庇うなんて』

 

 あの言葉は、全てが全て完全なる嘘であった。

 

 ニルス・アズライトはベル・クラネルを見損なってもいなければ、モンスターのことをそもそも【絶対悪】などと思ってすらいない。

 

 五日前に愚者へと成り下がった少年の横に、迷うこと無く並び立ってみせたリュー・リオン(かつての正義の眷族)の《正義》を継ぐ者であり、そしてあの道化師(トリックスター)と恐れられるロキ()が唯一己の異名を分け与えることを許可した子どもであり、そして全てを察して眼晶(通信魔道具)へと涙ながらに小声で叫び続けるリリルカ・アーデ(賢き者)が兄と呼び慕う青年。

 

 全知無能にして超越存在であるヘスティアには、理解が出来てしまっていた。

 

 彼は、愚者(ベル・クラネル)を救うつもりだ。そして、異端児(ゼノス)をも救おうとしている。

 

 嗚呼、彼はやはり正しく【道化(ピエロ)】なのだ。

 

 神の脚本に支配された舞台に降り立った道化は、独り踊り狂う。

 

 あえて残虐に、あえて同情を誘うように、あえて目を逸らしたくなるような手口で、道化は少年と怪物を甚振り続ける。

 

 少年と怪物の命の灯火は、最早何時消えてもおかしくない程にまで小さくなっていた。

 それでも未だその灯火が消えていないのは、互いが己の命を度外視してまで庇い合っているからに他ならない。

 

 その命を賭けて隣人を救う様は、一種の崇高な光景にすら見えた。

 

 何時しか胸がすくような勧善懲悪の舞台を囃し立てていたオラリの民の歓声は小さくなり、次第に「おい、これ、やり過ぎなんじゃ……」「お兄ちゃんも、モンスターも、可哀想……もうやめてあげてよ……」「モンスターがあれだけ人間を庇うなんて、もしかしてあいつ普通のモンスターじゃないんじゃ……」「【未完の新人(リトル・ルーキー)】の奴、もしかしてそれを知っていて……」と小さな囁き声が聞こえ始める。

 

 【絶対悪】たる怪物(モンスター)とそれに与する『人類の敵』に同情が集まる。

 

 今や広場には、異様な空気が蔓延していた。

 

「【我が身を焚べろ】」

 

 そして疑惑の火種すらを糧として、道化は舞台を加速させる。

 

 その二節目の詠唱が唱えられると同時、ニルス・アズライトが静かに天へと掲げた左手の先に、炎が集い五本の剣の形を成す。

 瞬間、五本の炎剣が放射状に解き放たれ無防備だった群衆へと降り注ぐ。

 

「……は?」

 

 世界が、停止した。

 

 気付いた時には広場に集った群衆の中の五人が、炎の剣に串刺しにされていた。

 

「今、モンスターを庇うような発言をした奴も、ベル・クラネルと同罪だ。動けば焼き殺す」

 

 死んではいない。だが、それだけだ。五人の身体を貫く炎の剣に込められた熱量は、何かあればすぐにでも心臓を焼き払うと迷わずに確信出来るほどの威容を放っていた。

 皆が皆呆けたような声を出してただ呆然とする事しか出来ない中、ニルス・アズライトの決して大きくは無いが強く重い声が広場を満たす。

 

「モンスターが人間を庇ったから、普通のモンスターじゃない? ──知るかよ、そんなこと」

 

「普通のモンスターじゃないとベル・クラネルが知っていた? ──だから何なんだよ」

 

「可哀想? やり過ぎだ? ──まだ死んでねえだろ」

 

 広場を満たしていた民衆の疑惑の声を繰返し、そして否定するニルス。

 同時、天に掲げられたその左手に炎が宿る。

 

「モンスターもそれに味方する奴も、《悪》に決まってるだろうが。《悪》は、俺が殺してやるよ」

 

 否、左手だけではない。右手にも長槍にも炎が灯り、そして彼の周囲には数えることすらままならない夥しい数の多種多様な炎で形作られた武器が出現する。

 

 一種幻想的にも見える炎を、千の武器を従えるその男の姿に、広場のあちこちから恐怖にカタカタと歯を鳴らす音が聞こえ始める。

 

 【業火】【千の魔法】【純粋悪】──かつての暗黒期において、幾つもの呼び名で恐れられた少年の姿を彷彿とさせる光景に、ついにかの時代を知る者達が発狂したような叫び声を上げた。

 

「あ、あ……あいつだ……!」

 

「い、嫌だ……また、街が火の海に……!」

 

 恐怖の悲鳴は、伝播する。

 振るえて蹲る人々と、残酷に傷つけられた少年と怪物、そして炎剣で貫かた五人の民の姿。

 

 今や、広場はつい先程モンスターが襲撃した時と同等以上の阿鼻叫喚の舞台へと成り果てていた。

 

 息も絶え絶えなベル・クラネルと石竜(ガーゴイル)は元より、他の三体の異端児(ゼノス)達とそれを迎え撃っていた冒険者達すらあまりの事態に戦いの手を止めていた。

 

 突如として舞台に出現した炎を従えるその男。たった今罪なき民衆五人を無残にも串刺しにしたその男は、無防備に立ち竦むモンスター達よりも余程差し迫った驚異に他ならない。

 

 我に返った冒険者たちは、ニルス・アズライトを取り押さえようと一斉に彼へと襲いかかる。

 

 しかし、それは無謀な試みであった。

 

 広場を守護していた冒険者たちはLv.5には遠く及ばない実力しか無い。

 無造作に薙ぎ払われた黒色の槍の一撃で、冒険者たちが束になって吹き飛ばされ、そして槍をかい潜った残りの冒険者達も、宙に浮く数多の武具によって撃ち抜かれ、そして彼に辿り着いた数人すらもが燃え盛る鉤爪の如き左手によって鎧ごと焼き貫かれてその場へと崩れ落ちる。

 

 残った冒険者たちも、その圧倒的な虐殺という言葉でしか表現できない光景に既に心を折られていた。

 

 広場全体に恐怖の悲鳴が響き渡る。いつ放たれるとも分からない【千の魔法】に対する恐怖で誰一人動くことすら出来ない中、しかし、唯一動いた者達がいた。

 

 瀕死のベル・クラネルを、傷ついた冒険者達を、そして狂ったように泣き叫ぶ民衆達を守るように男の前へと立ちはだかったのは、紅鷲(クリムゾンイーグル)閃燕(イグアス)巨大蜂(デッドリー・ホーネット)石竜(ガーゴイル)──四体の異端児(ゼノス)達だった。

 

「──モウ、ヤメテクレ」

 

 そして、ついに異端児(ゼノス)である石竜(グロス)が言葉を発した。

 

 モンスターが人間の言葉を話す。

 

 それは、ありえないはずの光景だった。

 

 【純粋悪】の恐怖に支配されたこの場において、しかしその異常な光景は人々に逆に冷静さを取り戻させる程の衝撃を与えた。

 

「俺達ハ、抵抗シナイ。オ前ノ言ウ通リ、俺達ハ人間ニトッテ《悪》ダ。分カリアエル筈ガナイ。分カリ合ウ意味モナイ」

 

 片言ではあるが、確かな理性と知性を備えた言葉。

 圧倒的な暴力でこの場を支配する人間(ニルス・アズライト)に対して、言葉によって立ち向かう怪物(モンスター)の姿。

 

 世界が積み重ねてきた歴史を真っ向から否定するその光景に、人々は言葉を失っていた。

 

「ダカラ俺達ヲ殺シテ、ソレデ終ワリニシテクレ。俺達ノセイデ、コレ以上ベル・クラネルヲ、苦シメタクナイ。コノ誇リ高キ小サナ冒険者ハ、人間ガ傷ツケバキット泣イテシマウ」

 

 怪物が少年のために、そして自分たちの為に、その命を投げ出そうとしている。

 

 その信じ難い事実に、オラリオの民はただただ呆然とすることしか出来なかった。

 

「ニルスさん、彼らは、モンスターだけど、ただのモンスターじゃないんです!」

 

 そしてベル・クラネルは、決断していた。

 

 少年はボロボロの身体を引きずって立ち上がり、石竜(グロス)の隣へと並び立つ。

 

「彼らは、異端児(ゼノス)と言います! 彼らは僕達と変わらない意志と心を持っているんです! 夢を持っているんです! 暗くて冷たいダンジョンで他のモンスター達からも襲われて、冒険者からも襲われて、孤独に彷徨って、それでも何時か地上に出てみたいと、人間と仲良くなりたいと願って、今日まで生きてきたんです! だから……だから、彼らは《悪》なんかじゃないんです!」

 

 人類には、まだ異端児(ゼノス)と分かり会えるほどの余裕はない。人類と異端児(ゼノス)の出会いは早すぎた。

 

 少年は異端児(ゼノス)と出会えてよかったと思っている。だけどそれと同時に、大きな秘密を抱えたことで散々迷い続けて苦しみ続けて、今日まで傷つきながら生きてきた。だからこそ、異端児(ゼノス)の存在を秘匿するという大神(ウラノス)達の決定に異を唱えなかった。

 

 だけど、異端児(ゼノス)達だってこれまでずっと苦しみながら生きて来た。そして今この時こそが、人類と異端児(ゼノス)にとって分水嶺に他らないと直感していた。

 

 だからこそ少年は今、己が信頼するもう一人《正義》の使者へと正面から向き合っている。ニルス・アズライトに、そして今ここに集ったオラリオの民に、異端児(ゼノス)達の優しさを知ってほしいと願って必死に立っていた。

 

 ヘスティアは、少年の決断に胸が張り裂けるような思いに駆られる。

 

 これは人類にとって茨の道を強いる選択だ。ベル・クラネルは、今日のことを思い出してこの先何度も苦しむことになるだろう。

 

 だけど、きっとこの決断は間違ってなんかいない。

 

 業火を従えるニルス・アズライトから民を守るように立つベル・クラネルと怪物(モンスター)達の姿に、今やオラリオの民は声援を送っていた。

 きっとそれは一時的な感情に違いない。熱が冷めれば今日の歓声なんてなかった事にされるかも知れない。

 

 だけど、間違いなく今この瞬間、並び立つ少年と怪物を人類は受け入れていた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 ──だが、運命は(ヘスティア)の神意すらも超えるほどに気まぐれだった。

 

 雄叫びと共に、空から真の黒き『怪物』が降ってきた。

 

 広場の石畳を壊滅させた漆黒の猛牛(ミノタウロス)は、巨大な両刃斧をニルス・アズライトへと叩きつけ、槍で防いだにも関わらず体勢を崩したニルスの腹部へと雄々しく延びる両の角を叩きつけ、空高くへとかち上げる。続いて石畳を割り砕く程の跳躍と共にニルスを空中で追撃し、その勢いのまま角による突撃(チャージ)でニルスごと広場を囲う民衆を飛び越え、果てには幾多もの建造物を突き破った。

 

 恩恵のない人間なら肉片にまですり潰されると確信出来るほどの圧倒的な暴力。

 

 突如として舞い降りた黒い暴風が、【業火】を蹴散らして重なる建物に風穴を開けて消えて行った先を、誰もが呆然として眺めるしか出来ない状況。

 

 しばらくしてその漆黒の猛牛(ミノタウロス)は、土埃舞う幾多もの壁に空いた風穴の向こうから悠然と歩いてくる。

 

 その紅き瞳に映すのは、白き少年(ベル・クラネル)の姿。

 

「──夢を、ずっと夢を見ている」

 

 神が用意した舞台も、道化が狂わせた舞台も、全てを破壊した漆黒の怪物。

 

「たった一人の人間と戦う夢」

 

 彼はただただ、ベル・クラネルのみを見つめて真っ直ぐに進む。

 

「血と肉が飛ぶ殺し合いの中で、確かに意志を交わした、最強の好敵手」

 

 民衆の波が割れ、漆黒の猛牛とベル・クラネルは触れ合える距離で見つめ合った。

 

「──名前を、聞かせて欲しい」

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 ──その日、地上に最も新たな英雄譚が誕生した。

 

 人だとか怪物だとか、そんな事がどうでもよくなるくらいの、白き英雄と黒き猛牛の熱き戦いの物語が。

 

 

 

*    *    *

 

 

【登場人物】

 

ベル・クラネル

年齢 種族 所属 二つ名 Lv.

14歳 ヒューマン ヘスティア・ファミリア 未完の新人(リトル・ルーキー)4

基本アビリティ

耐久 器用 敏捷 魔力

I0 I0 I0 I0 I0

発展アビリティ

幸運 耐異常 逃走

G H I

魔法 【ファイアボルト】・速攻魔法

スキル

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

・早熟する

懸想(おもい)が続く限り効果持続

・懸想の丈により効果向上

英雄願望(アルゴノゥト)

能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権

闘牛本能(オックス・スレイヤー)

・猛牛系との戦闘時における、全能力の超高補正

火風礼賛(フランマ・テデウム)

・救いを求める声がある時、疾走の速度に応じて火力に補正

 

 

ニルス・アズライト

年齢 種族 所属 二つ名 Lv.

18歳 ヒューマン ロキ・ファミリア 正義の味方(ヒーロー)】【道化(ピエロ)5

基本アビリティ

耐久 器用 敏捷 魔力

B721 A891 E492 E452 S999

発展アビリティ

炎熱 耐異常 鉤爪 火炎

A F H F

魔法 【イデア】・使用条件付き変身魔法

・理想を不可逆に体現する

【アグニ】

・自傷型儀式魔法

・自身の肉体を代償に火を灯す

・痛みを熱に、傷を炎に変換する

スキル

【正義詐称】

・通常戦闘における全能力超マイナス補正

・与えたダメージと同等の痛みを受ける

・代償として、憧れた正義を騙り代行する権利と義務を得る

―憧れた正義の姿は、

 この世の全ての悪を憎み殺し尽くした果てに、

 それでも誰かを救った荒ぶる【疾風】。

 故に、その瞳は殺すべき悪を識り続ける。

―憧れた正義の心は、

 救い求める者へ手を差し伸べてしまう、

 愚かしいまでの崇高な優しさ。

 故に、その炎は救いを求める声のためだけに燃え盛る。

―憧れた正義の志は、

 綺麗事だらけの理想を掲げて届かないと知りながらも、

 追いかけ続けて積み上げ続ける在り方。

 故に、それは正義を詐称し続ける。

【灰被残火】

・焚べる心が尽きた果ての残り火

・救いを求める声に応じて火力微増強

【千遍万火】

・火は其処に在る



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