過ちの刃 (千年坂)
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L0 殺人事件は身近で起きた

 本作品は(株)アゾンインターナショナル様の『アサルトリリィ』の世界観をお借りした、二次創作ミステリーSSです。





 

 

「生きている」という事実に違和感を抱く────

 

 それは、興味をそそられない講義を聞き流している最中。

 それは、数少ない友達との他愛もない世間話の最中。

 

 それは、目を瞑り、夢の世界へ入ってしまうまでの物思いの......最中。

 

 込み上げてくる不安は言語化できず、それでも湧き出てくる焦りは留まるところを知らず。

 

 逃れられる結末など存在しないこの世の理は、何時誰が見つめても自明でありながら、その陰をこれでもかと主張する。

 

 ────もし、この世界の摂理に抗うつもりがあるのなら。

 

 

 

「ねえ」

 

「……何?」

 

「あなた、────し────の?」

 

「……はあ?急にどうしたのよ」

 

「────、──────のね」

 

「……っ! それが──────」

 

「私は、──────ってだけ」

 

「どうして……どうして──────ことっ!」

 

「待ってよ、──────?」

 

「えっ……」

 

「とにかく──────でしょ?」

 

「──────でもっ!」

 

「──────かしら」

 

「……え?」

 

 

 

「それじゃあ、あなたには消えてもらうことにするわ、永遠に────ね」

 

 

 

【十月一日水曜日午後五時半 英ヶ野はながの女學校じょがっこう第一訓練場入口】

 

 太陽が姿を消し、垂れこめる雲に覆われた地上は、暗く、それは誰かに見られるのを拒んでいるようだった。

 その日もまた、七つ下がりの雨が優しく大地を濡らしていた。

 

 今日、薄い闇と湿気に包まれた私立英ヶ野女學校は、まるで降る雨全てを吸い込んだかのような重苦しい気が溢れていた────

 

「勘解由さん、少し、いいですか?」

 

 私────京極きょうごくれいは気づかれないよう後輩の背後にまわり、表情から僅かばかりの怪訝を悟らせ、口調にもこれまた僅かな怒気を孕ませ、前触れもなく話しかけた。

 

「はっ、はい! 何でございましょうか、澪様!」

 

 悪くない、いや、これは上出来だ。

 

 話しかけた相手は同じレギオンの後輩────勘解由かげゆななななだ。

 

「先程の訓練、全く身が入っていなかったみたいだけれど。……」

 

 言葉を繋ぐような素振りを見せて、わざと繋がない。ここで、一切動かず相手の反応を待つ。

 

「えっ……えっと、その、はい……」

 

 何を、どう言えばいいのだろうか、分からない────おそらくそんな感じだろう。

 

「だから、何故ですか? 集中力を欠いていた理由です。今後の訓練に支障が出るかもしれません。隠すことなく全て話しなさい」

 

「はあ……えっと、はい。さっき? 学校の敷地内で殺人事件があったじゃないですか。ちょっと怖いかな〜って、あはは……なんて。澪様は特に怖くないみたいですね……」

 

 初耳だった。怖いも何も知らないことだもの。しかし、口振り的にはみんな知っている事なのだろう。

 

 怖いというのが本当なのか、ただ興味があっただけなのか……そんなことはどうでもいい。

 

「ええ、そうですね。しかし、いつも通りでないのは貴女だけ。他の皆さんはいつも通り訓練に励んでいましたが?」

 

 知らなかったということは、決して態度に出さない。

 

「はい……そうでしたか……? ごめんなさい……」

 

 やはり、だ。事件があったということはみんなが知っていることらしい。私だけが知らないということは、テレビなどで報道されているものでもなく、単なる『噂』に過ぎないのだろう。

 

 この学校の誰かが死体でも発見したのか、それとも────

 

「……反省しなさい。たっぷりと」

 

 数秒の間を取り、顎を引き、一瞬だけ目を睨めつけ、言葉を発する。

 

 そして、返事を聞く前に、早足でその場から立ち去った。



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L1 手段を選ばないタイプ

 

 

【十月二日木曜日午前五時前 学生寮 京極澪の自室】

 

 京極澪の朝は、周りに比べ少しばかり早かった────

 

 下着姿で綺麗な正座をしながら自室の出入口のドアをじっと見つめていたのは私、京極澪である。

 

 時折、左手に持つ携帯電話に目線を移しながら、ある“モノ”が届くのを待ち構えていた。

 

 持っている携帯電話は入学前に両親から買ってもらったものだ。元々はライトピンク一色であったが、その塗装は既に一部剥がれ、鈍い銀色が顔を覗かせている。

 

(あと二分……)

 

 待つだけの時間というのはやたらと長いもので、携帯をチラチラ見る回数も、意図せず増えてしまう。

 

 待つことは嫌いではないが、やはり焦れったいし落ち着かない。

 

(あと一分……)

 

 ご飯を食べているときの六十秒と、何もせず待っているときの六十秒。何故こんなにも、体感時間が違うとだろう……?

 

 ふと、そんなことを考えていた。もっとも、結論が出ることはなかったが。

 

 そして────

 

(来た……!)

 

 扉についているポストから、私が待ちかねていたソレが、バサッと音を立てて部屋の床に舞い降りた。

 

『週間英ヶ野新聞』

 

 それは、英ヶ野女學校新聞部が発行している、学校内外のニュースを集めた新聞である。

 

 火曜の朝、配達を希望する生徒の部屋に届けられるものなのだが────なんと私の部屋は、学生寮二年棟の入口に一番近い場所だ。

 

 しかも、新聞は二年棟、一年棟、三年棟の順番に配られるようになっている。つまりこの部屋は、学校内で最も早く新聞を手にすることができる場所────ということであった。

 

(三学年になっても部屋を変えないように頼んでみようかな……)

 

 そんなことを考えながら、床にボトっと落ちた新聞を手に取り、二段ベッドの上の階にあがる。

 

 置いてあるのは二段ベッドだが、実はこの部屋にルームメイトは居ない。

 

 基本は二人一部屋の学生寮であるが、何故か私だけは一人だった。

 

 学校の首席様になったから特別にアメニティ溢れる個室にしてくれたのか、それとも、同室希望の用紙の提出をワザとすっぽかしたからなのか……

 

 個室になった理由はともあれ、入学から一年の時を経て「英ヶ野の孤高のリリィ」という称号を得てしまったことは事実である────

 

 そうしてベッドの上に寝そべり、枕を覆うように新聞を広げた。

 

(今日の記事は何かな……)

 

 広げた新聞の見出しを確認する。

 

『英ヶ野の誇る孤高のリリィ 単騎で大山ケイブを制圧』

 

 ────それは、自分の記事だった。

 

 

 

『九月三十日の午後七時、大山の山の麓にケイブが発生。大山から辻興屋つじこうやの平野にかけてスモール級ヒュージが多数来襲。ほとんどのリリィが学生寮におり咄嗟の出撃ができない中、唯一その場に居合わせた京極澪(17)がケイブの制圧、人命救助を一人で行った。ヒュージによる被害は農作物のみであり、人的被害は奇跡的にゼロとなった。連絡が入り遅れて出動した我が校の生徒12人が撃ち漏らしのヒュージを殲滅、民間人の移動などの後始末を行った。これにて我が校の累計ヒュージ討伐数は12450体となった。』

 

 

 

(ああ、あのことか……)

 

 つい二日前の出来事だ。

 

 夜遅い時間ではあったが、そのとき澪は湯野浜まで温泉に入りに行く途中であった。

 

 自前の洗料、タオル、着替え、それと木製の桶が入ったリュックに、CHARMチャームを両腕に抱えて長い距離を歩いていた。そこでたまたま、ケイブと多数のヒュージの発生を目撃、そのまま制圧したのである。

 

 しかし、目的地だった温泉の閉館時間は午後九時、当然間に合わなくなってしまったのだ。

 

(あっ……そういえば、惜しかったな、温泉……)

 

 あの時温泉に入ることは叶わなかった。それも仕方の無いことだと分かってはいるつもりであるが、やはり割り切れないものはある。

 

(私はヒュージを倒す為に数時間歩いたんじゃない、温泉のために歩いたのに────)

 

 そう思い返すと、だんだん腹の奥からモヤモヤが募ってくる。

 

(見なかったことにして温泉に行けば良かったかな……でも、まあ仕方ないか)

 

 一人でケイブの制圧、という大きい功績をあげた。温泉に入れなかったのは悔しいが、その分たくさんの人に感謝された。

 

(温泉は……そう、そうだ、今日また入りに行けばいい)

 

 ふと、そんなことを思いついた。

 

(どうせなら、ただ温泉に入るだけじゃなく、もっと豪華に。ヒュージに温泉を邪魔されたんだ、今日という今日は心ゆくまで遊び倒してやる……)

 

 そう決めた瞬間『京極澪の豪華一日温泉プラン』が頭の中で構築された。計画を考えている心の中が、次第に晴れやかになっていくのを実感する。

 

(今から外出届を学校に提出して、最寄りのショッピングセンター発のバスに乗ろう。レギオンのメンバーには……置き手紙でも残しておけばいいか)

 

 今日は講義こそ入っていないが、レギオン内の訓練はいつも通りにある。しかし、ここはレギオンの隊長だ。どうとでもすることは出来るだろう。目的の為なら手段を選ばないタイプなのだ。

 

(訓練が休みになって嫌になる人なんていないよね。そうだ、昼ごはんは外食でもしよう。あとは……海岸の散歩、そして、温泉)

 

 ────結局、今日の新聞に載っていた他の内容は、ほとんど頭に入らなかった。

 

 新聞を手放し、携帯を手に取って時間を確認する。

 

『午前五時三十五分』

 

 木曜日以外は、だいたい今起きるくらいの時間。いつもならまだのんびりしている頃ではある……が、今日は違う。

 

 新聞を畳み、携帯と一緒に左手で抱え、ベッドからジャンプで飛び降りた。床からものすごい音がした。

 

 抱えていたモノを机に置くと、クローゼットから制服一式を取り出し、手際よく着衣していった。

 

 そして着替えが終わり、引き出しから黒のボールペンと、いつか提出するハズだった同室希望の用紙を取り出す。いかにも大事な書類とかに使われていそうな分厚い用紙だったが、躊躇うこともなく半分に切り裂き、何も書いていない裏側にメモをした。

 

(用事があるので一日出掛けます。今日の訓練は無しです……っと。こんな感じかな)

 

 メモをササッと書き終え、手際よくリュックに荷物を詰めていく。判断に迷いが無いのは自分の長所だと自覚している。

 

 そして荷物を纏めあげ、さっそく外に出ようと腰を上げ────

 

 ふと、机に置いてあった新聞が目に入った。

 

『“呪いのスポット”で、今度は殺人事件か』

 

(殺人事件……?そういえば、勘解由さんがそんなことを言っていたような……でも、呪いのスポットって……?)

 

『十月一日の正午、教導官と生徒数名が例の呪いのスポットにて死体を発見、その場で学校に通報。一時辺りは騒然となった。死体は英ヶ野女學校在籍の生徒で、胸にはCHARMでの攻撃と見られる大きな刺し傷があったという。』

 

(いや、だから呪いのスポットって何……)

 

 呪いのスポットの正体は分からなかったが、勘解由さんが言っていた殺人事件というのは本当にあったらしい。

 

 気にしても仕方がない、と開いていた新聞を閉じて顔を上げた。

 

(あっ、携帯も置きっぱなしだった……)

 

 手に取った携帯も一緒にリュックに仕舞い込み、すっと立ち上がる。

 

 今日は思いっきり遊ぶぞ────!

 

 そう意気込み、靴を履き、扉を開け、外出届を手に持ち校舎へと向かった。

 

 空は明るくなりはじめ、晴れやかな天球には雲の一点も見られなかった。

 

 

 

 ────受付窓口は閉まっていた。



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L2 お値段なんと……

 

 

【十月二日木曜日午前七時十五分 ショッピングモール内バス待合室】

 

 結局、受付窓口が開くまで待つことにしたのだった。確かに、あんな時間に空いているはずは無かったな、と、今更ながら思い返す。

 

 その後は一旦誰も居ないレギオン控室に行き、レギオンメンバーに宛てた手紙を置き、少しだけ時間を潰して受付窓口へ向かったのだった。

 

 そこからはこのショッピングモールまで歩き、そして今、湯野浜を通るバスを待っているところだ。

 

 本日の空は日本晴れ、朝から少し汗をかく程度には暑かったが、待合室は冷房がバリバリ働いているせいで、少しばかり肌寒い。

 

 私が座っているところから見て右奥の壁には、大きな薄型テレビがついていた。そこでは朝の子供向け番組『リリィとあそぼ』が放送されていた。

 

 誰に見られるということなくただ垂れ流されているだけのそれを見て、寂しそうだな────と心の中で呟いた。

 

 

 

「何が寂しそうなんですか?」

 

 

 

 突然、真後ろから声がした。聞いたことのある、不自然に明るい声だった。

 

「茅ノ間さん、何故ここにいるのですか?」

 

 茅ノ間かやのま唯姫いぶき────同じレギオンの一年生である。代替わりの四月から、約六ヶ月ぐらいの付き合いだ。突然話しかけられたことには少し驚いたが、いつも通り口先だけで応える。

 

「あれ? 言ってませんでしたっけ? 私、バス通なんですよ。澪様こそ、なんで此処にいるんですか? で、何が寂しそうなんですか?」

 

 言われてみて思い出す。確か彼女は、学生寮ではなく自宅からの登校だった。何でも両親の面倒をみなければいけないらしい。学生寮に部屋を借りてはいるものの、物置きにしか使っていないとか。

 

「そうでしたか。控室にも書き置きしましたが、今日の訓練は無しにします。思う存分休みなさい」

 

 そう応えると同時に、今から乗る予定のバスが到着したのが目に入った。

 

「えっ、やった〜、嬉しいです! ところで、澪様は何で学校に居ないんですか? 何処に行くんですか? 何が寂しそうなんですか?」

 

 唯姫の言葉を聞き流し、スっと椅子から立ち上がり────

 

「では、私はこれで。皆さんによろしくお願いしますね、茅ノ間さん」

 

「…………」

 

 ────一切の見向きもしないまま、待合室を後にした。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「これで」

 

 私が左手に持っているのはリリィパスポート────通称『リリパス』である。

 

 リリパスとは国が発行している、リリィであることを証明するカードだ。リリパスには『白のリリパス』『赤のリリパス』『金のリリパス』の三種類があり、一定以上の功績に応じた色のリリパスの発行申請権を得られる仕組みだ。

 

 私が所有しているのは『金のリリパス』である。すなわち、最上級のリリパスだ。

 

 金のリリパスともなると、鎌倉府五大ガーデンクラスのリリィが持つようなもので、英ヶ野女學校でこれを所有しているのは私、京極澪ただ一人だ。

 

 リリパスをバスの運転手に手渡し、運転席の左側についている機械にピッとしてもらう。

 

 すると、料金なんと十割引。

 

(ああ、なんて便利なんだろう)

 

 すました顔でリリパスを受け取り、一礼して奥の座席へと足を進める。そして窓側の席に腰を下ろし、そのままふうっと一息ついた。

 

(やっぱり唯姫さん、苦手だな……)

 

 席につき、ふと先程の会話を思い返す。彼女と会話をしていても、どうもこちらのペースに持ち込めている気がしない。

 

 自分自身、会話の主導権を握る方法は心得ているつもりではあるし、感情を読み取る能力にも自信がある。

 

 それなのに────

 

(話していて違和感しか感じない……これは絶対に気の所為じゃない。何か唯姫さんにおかしい点があるはず)

 

 違和感の正体は全くの不明だし、周りから見れば何もおかしいところなんて無いのかもしれない。

 

(まあ、気の所為ならばそれが一番いいのだけれど)

 

 気にしていても仕方ない……と、これ以上のことは振り返らなかった。

 

 

 幾人かを乗せたバスは街道を進んで行く。

 

 ここらの街並みは、昔からずっと変わっていないらしい。ヒュージによる被害は殆ど無いものの、過疎化が進み、現在では空き家もかなり増えているという。

 

 その空き家も、今は引き取り手が無く、冷たい雨と雪に晒されて風化していくのをただ待つだけ。

 

 バスが進むにつれて田んぼが多くなり、やがて集落がポツポツと生えているだけとなってくる。

 

 そんな風景を感傷に浸りながら────なんてことは全く無く、はやくもっと栄えて欲しい……などと考えながらぼんやり眺めていた。 

 

 

 

「────っ!」

 

 突如、バス中にけたたましく警報が鳴り響いた。擬音で表現するならば、ジリリリッ……といったところだろうか。

 

(これは……ヒュージが出てきちゃったかな)

 

 そう考えているところに車内放送が入る。

 

『この先にヒュージが出現したとの情報が入りましたので、お客様にはご迷惑をお掛けしますが、しばらくの間停車いたします』

 

 心の中で大きく舌打ちした。

 

 私は舌が器用ではなく掠れた音しか出ないため、実際に舌を打つことは無かった。

 

(三日前と同じ場所……撃ち漏らしがいた?)

 

 何にせよ、ヒュージが出現したとあらば倒さなければならない。

 

 すると、中老くらいであろう車掌がこちらに向かってきた。

 

「すみません、確かぁリリィの方でしたか? さきのヒュージ、どけて頂いても、よろしぃでしょうか」

 

 汗ポリポリ────といったような表情で、ヒュージの討伐をお願いされた。

 

 あくまでお願いという形であるが、これは義務である。

 

 リリパスを使用するということは、つまりはこういうことだ。

 

 様々な場所でサービスを受けることのできる代わりに、相応の対価────つまりはヒュージが出現した際の討伐義務が発生する。CHARMも常に持ち歩かなければならない。これを破ればリリパスは剥奪、もちろん再発行することも出来ない。リリパスを所持することは信頼関係の証なのだ。

 

「勿論です。京極澪、ただ今ヒュージの討伐任務に当たらせていただきます」

 

 そう応え、バスから降りる。そして討伐へ向かう前に、車掌から耳打ちされる。

 

「スモール級が一体、この道の数百メートル先とのことでしたよ」

 

 詳しい情報を放送で言わないのは、他の乗客に対する配慮だろう。小さく頷き、全速力で地を駆けていく。

 

 両手に抱えるCHARMは『シバルバーXibalba』────英ヶ野女學校の工廠科と提携チャームメーカーが総力を挙げて制作にあたった、一本限りの超高級品である。

 

 最近流行りの変形機構がついていない大剣型で、主に斬撃をメインとして戦うこととなる。

 

 一見すると何の変哲もない第1世代CHARMのようであるが、これは学校の一大プロジェクトとして開発されたものだ。それなりの『機能』というものが備わっている。

 

 その『機能』というのが、いわゆるオートムーヴだ。このCHARMは精神と連携して動き、半ば自動で敵を屠ることが可能となっている。

 

 ちなみにこの機能を維持するために、毎月中古車が買える程度のメンテナンス費用が掛かっていると聞かされたことがある。

 

 しかし、これを扱うにも多くのハードルがあった。

 

 このCHARMを一度起動してしまえば、その後は精神と同調して自動で動いてしまうため、マギ制御が非常に難しいのである。

 

 しかも、第4世代CHARMでの事故によって意識不明の重体となってしまった前例が他地域の有名なガーデンで起こったという噂もあった。これも相まって、莫大な費用をかけながらも使用者のなり手がいないこのプロジェクトを批判する声も多かったという。

 

 代替わり前の三月、一年生ながらにしてこの扱いが難しいCHARMの使い手として選定され、それを承諾したのが私なのだ。

 

(……さっさと片付けなくちゃ)

 

 全速力で駆けながら、前方右手側の田んぼにヒュージの姿を認識すると同時に、CHARMに引っ張られるようにヒュージ目掛けて静かに突撃していった────



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L3 効率的な会話

 

 

 向かった田んぼの中心には、スモール級のヒュージ────識別名『オルビオ』が、たった一体居座っていた。

 

 スモール級と聞いていたが、その大きさがほとんどミドル級のように見えるのは、おそらく気の所為では無いだろう。

 

(……相手はこちらに気がついていない。今のうちに──っ!)

 

 背後から最速でCHARMを振るおう────とするのは私ではなく、両手に抱えているCHARM『シバルバー』の判断だ。

 

「……っ!」

 

 ヒュージとの距離がぐんと詰まり、抱えていたシバルバーを大きく上へと振りかぶる。

 

 接近の気配に反応したヒュージが振り向こうと試みる────が、その姿を目視することも、悲鳴を上げることさえも許さない。

 

 灰色の装甲に包まれた身体は、シバルバーによるその一太刀で、見事に真っ二つに分断された。流出した体液と、割れて倒れた灰色の塊は、やがてマギの残滓となって蛍の光の様に散っていく。まるで見慣れた光景だ。

 

「ふう……」

 

 少しばかり荒くなった息を整え、乱れた制服を直し、ゆっくりと足を進める。ヒュージが陣取っていたその足元には、収穫されることなく命を閉じた稲穂たちが横たわっていた。

 

(ガーデンへの報告は……要らないかな)

 

 休暇をヒュージに邪魔されたことに多少の怒りを覚えていたのかもしれない。ガーデンへの交戦報告は義務となっているが、どうも行う気にはなれなかった。

 

 しかし、CHARMの内蔵機構により、討伐したヒュージの数がガーデンに送られる仕組みが存在する。直接の報告と討伐カウントの差異があれば、いずれ報告漏れは発覚するだろう。

 

(面倒くさいなあ……)

 

 ガーデンへの悪態をつきながら、元いたバスへ歩みを進める。神無月の冷える朝だというのに、制服に包まれるその体は少し汗ばんでいた。

 

 

 

【十月二日木曜日午前八時四十五分 湯野浜海岸】

 

 ショッピングモールの待合室から乗ってきたバスも湯野浜に到着し、気分よく海岸を散策していた時だった。

 

『ピロリンッ♪ ピロリンッ♪』

 

 背負っていたリュックから、やかましい着信のメロディーが聴こえてきた。

 

 ムッ────としながらも携帯を取り出し、呼び出しに応える。着信をかけてきたのは、同じレギオンの一年生である勘解由かげゆななだった。

 

「はい、京極澪です」

 

『もしもし、私です、ななです』

 

「何の用事でしょうか?」

 

『もう、澪様は今どこにいらっしゃるんですか!勉強教えてくれるって約束したじゃないですか!』

 

「……本校舎にいます」

 

『……嘘つかないでください。波の音、聴こえてますよ』

 

「気の所為です。それで、何を教えて欲しいのですか?」

 

『結局今はこっちに居ないんですか〜?せっかく澪様の部屋の前まで来たというのに……』

 

「勉強を教えるだけなら電話でも十分でしょう、分からないところを口頭で伝えてください」

 

 いい気分で歩いていたところに水を刺され、ただただ一方的に腹をたて、機嫌を損ねていた。この時点で既に、まともに勉強を教える気は無かった。

 

『えっと……ベクトルの問題なんですけれど────』

 

 ななは、一学年の中でもトップクラスの成績を誇っている。特に数学は得意分野らしく、既に二学年の範囲を先取りして学習していた。

 

 ……その勘解由ななに数学を教えている私、京極澪は、英ヶ野女學校では右に出る者が居ないと断言出来る程に数学が得意だ。

 

『────のとき、体積を求めよ。っていう問題です』

 

「そう、この問題のどこが分からないのですか?」

 

『これってどうやって高さを求めるんですか?』

 

「はあ……勘解由さん、ただの知識不足ですね。底辺が第3成分が0であるベクトルaとbを用いてa+kcとb+lcで定まる平行四辺形なら、今の問題の体積はdet(a b c)の絶対値です。ガヴァリエリの定理は調べましたか?」

 

『えっ、えっ……ガヴァ……?』

 

 教えている内容は高校の範囲を大きく逸脱しているが、この位は当然だといって話を進める。教えるのが面倒くさい時の常套手段だ。

 

「これが分からないのであれば、解く前に自分で証明を確認してください」

 

『えっ……と……ちょ、ちょっと待ってください!!』

 

「どうかしましたか?」

 

『何言ってるのかサッパリです! 私でも分かるようにお願いします!』

 

「それなら、諦めなさい」

 

『帰ったらまたその時お願いします!』

 

「……」

 

『それと……』

 

 突如、ななは声色を変えて言った。

 

「…………?」

 

『明日から学校、休校になるみたいですよ』

 

 ん?────と、面持ちを神妙にする。

 

「……詳しく」

 

『えっと……昨日、殺人事件の話をしたじゃないですか』

 

「ええ、しましたね」

 

『なんでも、今日から捜査が入るらしいです。外出も出来るだけ控えるようにって』

 

「分かりました、報告ありがとうございます」

 

『いえいえ〜、澪様どうせ学校からの連絡なんて見ないとおっ────』

 

 プチッ────

 

(なんだか大事おおごとになっているみたい……)

 

 殺人事件というものがどれだけの事態なのか分かっているつもりではいたが、イマイチ危機感が湧かないのもまた事実であった。

 

 講義が無くなるのはラッキー────などと考えつつ、これからどう動こうかと考えを巡らせていると────

 

 

 

『────ピロリンッ♪ ピロリンッ♪』

 

 

 

 先程閉じてポケットに閉まった携帯から、再び着信音が鳴り始めた。

 

「はい、京極澪です」

 

『それと、もう一つ』

 

 ななの声だった。

 

『今日中に、戻って来るように────って教導官様が言ってましたよ』

 

 ななの口振りは、明らかにある教導官を真似ているようだった。

 

「……そうですか、分かりましたと伝えておいてください。ところで、その教導官とはどなたですか?」

 

頓宮はやみ教導官様ですよ〜モチロン』

 

 頓宮教導官────英ヶ野女學校のベテラン教導官だ。名前を頓宮叶愛はやみかなめといい、十年程前からここで教導官をしているらしい。発言力がものすごく大きいことから、陰で『権力の鬼』と呼ばれていたりもするが、生徒たちからの人気は高い。

 

「用事はそれだけですか?」

 

『はい〜ゆっくり休暇をお楽しみく────』

 

 プチッ────

 

 携帯電話を再びリュックに仕舞い込み、止めていた足をゆっくりと動かしはじめる。

 

 気温は然程落ち込んでいるワケでは無いが、肌に纏わりつくような潮風に体温を奪われる。

 

「はあ……」

 

 今日は溜息が多い日だ。

 

(とりあえず、ゆっくり出来る場所でも探そうかな)

 

 幸いなことに、湯野浜には多くの温泉や旅館、更には無料で浸かれる足湯などもある。休憩する場所に困ることは無いだろう。

 

 山沿いの国道をずっと進んだところにある加茂には水族館もあるが、今日は歩いてそこまで行く気にはなれない。海産物を楽しむのであれば、その先にある鼠ヶ関ねずがせきが最適だ。しかし、それこそ徒歩で行けるような距離では無い。

 

 結局、休憩場所は湯野浜内で探すことにした。

 

 どこかいい場所は無いかと辺りを見渡せば、年季が見て取れる旅館らしき建物がいくつも見受けられる。海沿いの街だからだろう、潮風に当てられて風化、ヒビ割れを起こしている箇所がたくさんある。

 

 そんな古びた建物に入る勇気は無いので、これまでも何度か行ったことのある温泉に寄ろうと決める。

 

(確かあそこには売店と休憩所もあったはず……)

 

 過去の記憶を頼りに建物を探す。そして、その建物は意外とあっさり見つかった。

 

(何か変わっているところはあるかな)

 

 懐かしさを覚えながら自動ドアを潜り、建物の中へと入っていった。

 

 

 

「────あれ、澪様じゃないですか」

 

 

 

 休憩所に立ち寄ろうとしてみれば、そこには茅ノ間唯姫が居た。



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L4 茅ノ間唯姫

 

 

 目の前に居るのは茅ノ間唯姫────そう、今朝バス停で出会った、茅ノ間唯姫だ。

 

「あれ、澪様じゃないですか。どうして此処に居るんですか?」

 

 聞きたいのはこっちだ────と言いたい気持ちは抑えておく。聞いたら負けた気がしてしまう。

 

「多少の休息があってもいいでしょう、今日はそういう日です」

 

「私の家がこの近くにあるんですよ〜。今日から講義が休みらしいですから、荷物だけ持って戻ってきちゃいました」

 

(────っ!)

 

 内心は少し驚いていたが、表情には一切出さない。この程度の反応を予測しておくことは自分でも可能だ。この近く家があるというのも、嘘の可能性が高いように思えるが────

 

「そうですか。私はもう少しここでゆっくりしていきますが、茅ノ間さんはどうですか?」

 

「やだなあ、澪様ったら疑り深いですね。それなら私の家までついて来ますか?」

 

「……」

 

(やっぱり────この子の今日の行動は、どう考えても普通じゃない)

 

 唯姫は多分、ワザとこちらに変だと勘づかせるように誘導している。

 

 しかし不思議なのは、今の今まで同じレギオンの仲間として過ごしていて、一切そういった行動は無かったと記憶している。勿論、変な噂の一つも聞いたことがない。

 

「……少し私は席を────」

 

「────澪様」

 

 唯姫は急に声のトーンを落とし、先程の芝居じみた表情から突然、冷たい真顔となった。

 

 

 

「気をつけた方がいいかも知れません」

 

 

 

 瞬間、時が凍ったかのような錯覚に囚われた。

 

「……っ!」

 

(これは一体どういう……)

 

 何の警告なのだろうか。そして、この警告にはどんな意図があるのだろうか。良心からの警告なのか、脅しにかかっているのか。今の自分に想像出来ることはあまり無い。あるとすれば、昨日の殺人事件絡みか何かだろう。

 

「……茅ノ間さん」

 

「はい〜」

 

 普段通りの口調と表情に戻っていた。まるで夢でも見ていたかのような感覚だ。

 

「休講なのは明日からと聞きましたが?」

 

「澪様、学校からの連絡読んでないんですか?」

 

「ええ。休講だというのは勘解由さんから聞きましたが……」

 

「あー、気を遣ったんじゃないですかね? ほら、澪様そういう情報には疎いみたいですし」

 

 あくまで何事も無かったかのように会話は続く。情報に疎いというのは間違ってはいないし、訂正する気もない。

 

「そうですか、教えていただきありがとうございます」

 

「どういたしまして〜」

 

「…………」

 

 そうして、その後は他愛も無い会話を続け、そろそろ帰ると言った唯姫を見送った。

 

(気をつけて……か)

 

 もう少しぐらい説明があってもいいんじゃないか────とも考えたが、あれも強く印象づける為の手法なのだろうと納得した。

 

 これ程までに手間を掛けた警告。少し悔しい気もするが、気にせずにはいられない。気にしなくていい道理も無い。

 

(まあ、今気にしても、分からないものは分からないか……)

 

 そう思うことにするも、しばらくはこの出来事が頭から離れないのであった────

 

 

 

【十月二日木曜日午前十時四十分 湯野浜 休憩所】

 

 唯姫と話し込んでいたこともあり、だいたい一時間ほど休憩所に居座っていただろうか。目的の温泉には午後六時頃にでも入ろうかと思っているので、まだまだ時間には余裕がある。

 

 つまり────暇だ。

 

 とはいえ、私には先見の明がある。暇になることは見越していたので、数学の教科書を荷物に詰めておいた。

 

(今日はどこを……あっ、そうだ……)

 

 数学の教科書を手に取り、思い出す。

 

 最近はななともう一人、レギオンの先輩の為に数学を教えたりもしている。そこで使用する問題を作問している途中だったのだ。早速続きに取り掛かる。

 

(うーん、ななのレベルなら、この問題は流石に簡単すぎる。捻りも何もない……)

 

 過去の自分の作問にケチをつける。

 

(絶対値のついた積分は……教えてないけど、まあ少し考えればできるかな)

 

 英ヶ野の成績学年一位は伊達じゃない。その気になれば、聖橋大学にだって余裕で受かるであろうポテンシャルがななにはあった。教え甲斐が有るというものだ。

 

ゆえ様にはまずは……基礎の基礎である部分積分を理解してもらわなきゃいけないかな)

 

 月様────ひいらぎゆえは、同じレギオンの三年生だ。最近になって、数学を教えて欲しいと頼み込まれた。三学年のこの時期なので、数Ⅲの大方は履修が終わっている筈であるが────ハッキリ言って、月様はかなり遅れをとっていると思う。まあ......教え甲斐が有るというものだ。

 

(極限も同時に教える必要があるかな……複素数平面は、もう諦めてもらうしか……)

 

 こうやって、相手のレベルに合わせた作問をするのが私、京極澪の趣味の一つだ。

 

 難しいだけの問題を作問するのは好みでは無い。既知の知識に加えて気づきを得させ、発展させる力を伸ばす。これこそが教材開発の意義なのだから。

 

 例えば────トマトが苦手な一人の少女がいたとしよう。その少女のトマト嫌いを治すために、ミニトマトを大量に突き出して無理矢理口の中に詰め込んだりするだろうか。

 

 勿論、そんなことをする人はいないだろう。本当にトマト嫌いを治そうと思っているのであれば。

 

 ケチャップやトマトジュース、トマトゼリーなどを段階的に取り入れ、徐々に耐性をつけていくのが一般的である。

 

 中間層向けの学校の教材は、言わばトマトチキンカレーのようなものなのだ。トマトが大好きな人にも、大嫌いな人にも同じものを食べさせる。そして、トマトが苦手な人のトマトに対する嫌悪感は、一生治ることはない。トマトが大好きでトマトしか食べたくない人を、満足させることもない。

 

 ……いや、後者については一概にそうとは言えないだろうか。

 

 ともあれ私は、上にも下にもズバ抜けた彼女達の教材開発に努めるのだ。

 

 ちなみに私はケチャップすら喉を通らないため、この方法でトマト嫌いが治ることはない。

 

(両辺のxに関する微分で、部分積分を用いてy'yとするところを説明して……)

 

 

 …………

 

 

 ────気がつけば、時刻は十二時半を回っていた。

 

 お腹が悲鳴を上げている音も聴こえる。ああ、今日は朝ご飯を食べ忘れていた。

 

 集中していたため気が付かなかったが、携帯には一通のメールも届いていた。

 

(通知……? 誰からだろう)

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 New 11:05 From:月 To:澪

【件名】明日の午後

 

 澪ちゃん! 明日暇なら遊ぼう!

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 ────思わず作問ノートを破り捨てそうになった。

 

 どうやら月様は、自分の立場を弁えていないようである。大学受験を控える身で遊ぶなんて……とまで言えば、少しばかり酷かもしれないが。

 

(『駄目です、勉強していてください。』……っと)

 

 月様からの誘いを冷淡な文面で一蹴し、手早く荷物を纏め、腰を上げる。

 

 窓から見える外の様子は相変わらずだ。しかし、今の心境の所為であろうか、完全に日が登った空も微かに鈍色に見える。

 

 こんな気分では休暇も楽しめない────と、昼ご飯のことを考え奮起を促そうと試みる。

 

(ここでお昼ご飯を食べるならやっぱり、海鮮かな。お金はいくらでも出せるし豪勢にいきたいけど……)

 

 もう既に、頭の中は海産物でいっぱいだ。美味しい食べ物は心を満たすことが出来る。

 

 度重なる出来事による疲弊を癒すため、気分を上げるようなことを沢山思い浮かべる。そして、それを浮かばせる頭脳に積もった倦怠は──────明らかな異常事態に気を配ることを拒んでいた。

 



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L5 他人のお金で食べる料理は総じて美味しい

 

 

【十月二日木曜日午後一時半 月花亭げっかてい

 

 休憩所を出て十数分歩いたところで、良さげな外装の料亭を発見した。提げられた看板には『月花亭』と、達筆な印刷文字で書いてある。沿海部にしては潮風による風化もあまり見受けられないため、比較的新しい建物なのだろう。

 

 期待を大きくして中に入ってみれば、予想通りの綺麗な内装が広がっている。暖かみを感じられる木材の壁に、やわらかな電球の光が館内を優しい雰囲気に纏めあげていた。

 

「いらっしゃいませ。何名様でいらっしゃいますか?」

 

「一人で」

 

 来店したとともに、カウンターから出てきた女の人が笑顔の接客をしてきた。

 

「畏まりました、席へご案内致します。少々お待ち下さい」

 

 女の人はそう言い、扉の奥へ入っていった。

 

 店の内装といい店員の態度といい、煌びやかでは無く日本的で落ち着いている。とても好印象だ。

 

「大変お待たせいたしました。奥の個室が空いておりますので、そちらにご案内させていただきます」

 

 上の者か何かと話して来たのだろうか。戻ってきた女の人は深々と一礼し、先導して歩き始めた。周りを見渡しながら後ろについていく。床も綺麗に掃除が行き届いていた。

 

「こちらの部屋でございます。メニューはこちらとなります、ご注文がお決まりでしたらそちらのベルを押してください。ただいまお冷をお持ちさせていただきます」

 

 案内された個室を見て確信してしまった。

 

 ────ここは、絶対に一人で来るべき場所ではない、と。

 

 見た感じでは全席が個室で、その一つ一つに五、六人が座れそうな木造りのテーブルと座布団が置いてある。この部屋も例外ではない。

 

 しかし、一人で来たことを気に負うつもりは微塵も無い。広いスペースを堂々と占めさせていただこう。

 

 気を大きくして差し出されたメニュー表を開く。少し目を通してみただけでも、かなり私好みのラインナップである。少々お値段は張るものの、今日の財布に上限は設けないつもりなので、好きに注文させてもらうとする。

 

(牡蠣……! それに、蟹や海老もある!)

 

 ああ、メニューを見ているだけで心が満たされていく。

 

 刺し料理も沢山ある。真鯛やハマチ、ノドグロやカサゴもあるというではないか。何を注文するべきか非常に悩ましい。

 

 メニューを前に頭をフル回転させる。財布に上限が無いとはいえ、お腹に上限は存在してしまう。それならばやはり、一品で何種類もの海鮮を味わえる海鮮丼を頼むべきか……

 

 そんなことを考えていると、個室の扉に手をかける音が聴こえてきた。どうやらお冷が到着したらしい。

 

 少しメニューから目を離し、顔を上げて扉に目を向けると────

 

 

 

「────お水持ってきましたよ、澪様」

 

 

 

 ……何かの間違いだろうか。そこには水の入ったコップを二つ手に持った、茅ノ間唯姫が立っていた。

 

「……え?」

 

「あっ、驚いたって顔ですね! いやー澪様がそんな表情するなんて、私の方がビックリしちゃいそうですよ」

 

 ホラー映画か何かでも見ているんじゃないかとすら思えてしまう。唯姫の顔を見て、少し前の光景が脳裏に蘇る。

 

「えっと……どうして茅ノ間さんがここに居るのですか?」

 

「居ちゃダメですか?」

 

(勿論いいワケないでしょう)

 

「……まあ、いいですよ」

 

「酷いなぁ、心の中で『いいワケがない』って思ったでしょ。私が私の家に居ちゃいけないってことですか〜?」

 

(私の……家?)

 

 まさかと耳を疑う。そんな偶然があるのか、と。

 

「それにしても澪様らしくないですね、驚いた表情をみせるなんて。あっ、私はこの“季節の魚介フルコース 松”で!」

 

 待て、しれっと対面の席に座るんじゃない。しれっと注文するんじゃない────と言っても無駄だろう。唯姫には、そんな気持ちにさせてくる何かがある感じがする。

 

「ありがとうございます、澪様!」

 

「私は奢りませんよ?」

 

「え〜、いいじゃないですか。 澪様は私と違ってたくさんお金持ってるんですし……」

 

 だからといって、何故コース料理で、しかも一番高いものを注文しようとしているのだろうかこの子は。値段を見てみれば、五千円と少しぐらいで、他のコース料理より千円以上高いときた。

 

「ここの家の方であれば、賄いでも何でも食べられるのではないですか?」

 

「たまには余り物じゃなくて、ちゃんとした料理が食べたくなるときだってあります!ね、澪様?」

 

 ────すると、唯姫が膝を擦りながら近寄ってきた。

 

「……茅ノ間さん?」

 

「────ね、澪様」

 

「…………っ! いやっ、やめ────!」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「……仕方ないですね、今日だけ特別ですよ」

 

「えっ、いいんですか? やった〜、ありがとうございます!」

 

 唯姫はそう言うと、徐にポケットから携帯を取り出した。

 

 ……気の所為だろうか。唯姫の着ている制服から漂う柔軟剤の匂いが、いつもより微かに強く感じられる。

 

「澪様、学校からの連絡、ちゃんと読んでますか?」

 

 唯姫はアクリルキーホルダーのついた可愛らしい携帯を開き、その画面をこちらに見せてきた。

 

「ええ、読んでいます」

 

 読んでいる訳がない。

 

「読んでるんならどうしてココに居るんです? ほら、外出は控えるようにってちゃんと書いてあるじゃないですか」

 

 唯姫は携帯の画面を指す。近寄って見てみると、確かにそういった趣旨の内容は書いてあった。しかし、そんなことは今更だ。この外出は必要不可欠なものだと言ってしまえば、何ら問題は無い。

 

「それが、どうしたのですか?」

 

「どうしたのですか? じゃないですよ。澪様は英ヶ野のトップ、言わば顔なんですから、そこのところは自覚持っていただかないと」

 

「……私にどうしろと?」

 

 

 

「今日から数日間、私の家に泊まってください。勝手に外出なんて……しませんよね?」

 

 

 

(泊まる……!? 数日間、寮に帰らずに、しかも外出もできず……か)

 

 正直、気が乗らないどころじゃなく、今すぐこの場から逃げ出したい。しかし、気になることが沢山あるのも事実だ。

 

(とりあえず、理由を聞いてみようかな)

 

「茅ノ間さ────」

 

「────ええ、泊まってほしい理由ですね。別に、隠すような事じゃないですよ〜」

 

「……」

 

「私は、澪様に危険な目に遭ってほしくないんです。つまり、理由と言われれば澪様を護る為ですね」

 

「……」

 

「これだけじゃダメですか? 仕方ないですね。澪様が帰るとどうなるか、教えてあげましょう。このまま寮に帰ると、捕まる……下手をすれば殺されかねません」

 

「────っ! 殺され……?」

 

 自分の身体から血の気が引いていくのを感じる。下がった体温のせいで、今にも指先から震えだしそうだ。

 

「ええ。ですから────私が澪様を護ります。これで納得……なんて出来ないとは思いますが、とにかく、私のことを信じてください」

 

「す、少し待ってください」

 

「何でしょう?」

 

「殺される……というのは、その……少し前の、殺人事件と……関係が……?」

 

「ええ、そうです」

 

「その、殺人犯に……?」

 

「ええ、そうです。それに、ほら。私の家に泊まっていけば、美味しい海鮮なんていつでも食べられますよ! ……私はお金出しませんけど」

 

「ちょっと、考えさせてください」

 

「それじゃ、その間に注文しておきますね」

 

「……私も茅ノ間さんと同じので」

 

(帰ったら危険……かどうかは、実際のところ判断がつかない。それに、今日の唯姫の行動も変だ。もし寮が本当に危険だったとして、この子の傍に居ることで安全になるのだろうか?)

 

「この“季節の魚介 フルコース 松” お願い! あっ、澪様のは梅コースで大丈夫だよ」

 

(私は英ヶ野の中で……いや、東北の中でもかなり戦えるほうだという自信はある。力で襲いかかって来ようものなら、抵抗することも充分可能だろう。唯姫もそれは分かっている筈だ)

 

「きましたよきましたよ! うわ〜美味しそう!」

 

(しかも、数日間泊まったからといって、その間に何が変わるというのだろう。まだ今は、分からないことしかない。気持ちは全く乗らないが、唯姫の言葉に乗せられて泊まるのも、選択肢から除外できる理由が無い……)

 

「このトマトも美味しい〜!」

 

(そうすると、取るべき選択肢は……ん? トマト?)

 

 意識を戻し、目の前のテーブルを見てみる。そこには、いくつかの品が既に並べられていた。

 

「あれ……茅ノ間さんの料理と全く違うような気がするのですが?」

 

「そりゃそうですよ。私が松コースで、澪様が梅コースなんですから。ほら、同じ“季節の魚介 フルコース”ですし……」

 

 どうやら唯姫と頼んだものが違うらしいが、目の前の料理の中には、アサリのトマト煮込みも入っている。

 

「あー! ちょっと、私のバフンウニ! 取らないでください!」

 

「私のお金ですから。代わりに、アサリのトマト煮込みあげますよ」

 

「むぐぐ……あっ、だ、ダメですって! 大トロだけは! 流石の私でも怒りますよ!」

 

 

 

 こうして、一人優雅に高級な昼食を嗜むという理想とは全くかけ離れた、二人の騒がしい時間が過ぎていった。まるで、先程あった出来事を忘れたいかのように。



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L6 その真意

 

 

「それで……もし泊まるとして、着替えなど生活に必要なものはどうするのでしょうか?」

 

 唯姫から奪った大トロを口の中へ放り込み、純粋な疑問を投げかける。泊まるという選択肢を取った際、どのように行動すればよいかの指標が一切無い状態だ。

 

 唯姫も私の決断を迫り、はやくはやくと話を進めて来るだろう。頭の中を整理するための時間を稼がせていただこう。

 

「そんなに考えなくても大丈夫ですよ、お泊まり会みたいなものです。大トロ返してください」

 

 まずは可能性を考察していこう。唯姫の提言を無視し て帰った場合、寮に居ても襲われる危険はあるかもしれない。もしそれが無いとしたならば、唯姫が泊まるよう勧めてきた理由の説明が必要となる。考えるべきは、唯姫の行動は善意からなのか、それとも悪意からなのか、若しくはどちらでもないの三パターンでいいだろう。

 

「着替え用の下着と制服、タオル程度しかこのリュックには詰めていませんが……」

 

 善意からだった場合、確かに寮に危険がある可能性は高い。唯姫も私の力量を知っている訳なので、対処出来ないことも充分に考え得る。また、唯姫はその事態に対処する手段を持っているのだろう。泊まる行為自体が対処する手段なのかもしれない。悪意からだった場合、当然唯姫の家に泊まるのは危険だ。理由は全く検討がつかないが、寝込みを襲われる危険だってある。

 

 ────いや、唯姫が私に危害を加えるつもりであれば、自分の家に呼ぶ理由は無い……? 私は一人部屋で、鍵なんて付いてて付いていないようなものだ。夜中の就寝中に侵入されれば、私でも抵抗のしようがない。

 

「澪様、いつも制服しか着ないじゃないですか〜。私の制服、貸しますよ。サイズが合うかは分かりませんが、伊勢エビ返してください」

 

 それならば、全く知らない殺人犯と唯姫に襲われる可能性、どちらが高いと言えるだろうか。唯姫は仮にも同じレギオンのメンバーとして共に戦ってきた仲間だ。唯姫に襲われる可能性は前者と比較してかなり低いと捉えていいだろう。単なる願望ではない。

 

「下着の問題もあるでしょう。今着ているのを含めて二セットしかありません」

 

 そして、どちらでも無かった場合も考えられる。ただ単に、唯姫が私に泊まって欲しかった……などそういった感情があるかもしれない。その場合、帰っても帰らなくても危険性はゼロに等しい。やはりこれについては考察する意味は無いだろう。

 

「うちは一日一回洗濯回してますから、すぐ干せば乾くと思いますよ。お風呂も系列店で天然温泉がありますから、ホタテの酒蒸し返してください」

 

 そうすると、比較すべき点は必然的に、唯姫の言う殺人犯と唯姫自体の危険性となる。今日の出来事から唯姫を疑いたくなる気持ちはあるが、ここを感情論で語ってしまってはいけない。慎重に、唯姫の話は虚偽か真実かを比較しなければならない。

 

「具体的には何日間ぐらい茅ノ間さんの宅で過ごすこととなるのでしょうか?」

 

 いや……ここを二択で考えてはいけないだろう。今日の私は、少しばかり偏屈になっているのかもしれない。唯姫自身が事態を間違えて捉えている可能性だって勿論存在する。その可能性を含めると、泊まらない方に天秤が傾くことはあるだろうか。

 

「まだ分かりません……が、最低三日間とカレイの煮付けはいただきたいですね 」

 

 三日間というのは、行動を起こすまでの時間なのか。それとも、三日間で決着をつけるということなのか。

 

「茅ノ間さんはその間、何をなさるのですか?」

 

 直球な質問も悪くはないだろう。もし拒否するようであれば、徹底的に問い詰めるだけだ。答えてくれなくてもいい。それも一つの情報となるのだから。

 

「そうですね……私は問題の解決を図ります。澪様は家でゴロゴロしていてください。それと……」

 

「それと?」

 

「……私のお魚さん、全部無くなっちゃいましたよ?」

 

「そうですか、では私の分を食べてください。これなんて美味しそうじゃないですか? “サーモンとモッツァレラチーズのカプレーゼ”」

 

「それは……まあ、もらいますけど〜……」

 

 自分の気持ち的には、唯姫の言う通りに動きたくはない。しかし、俯瞰的に見るならば、唯姫の家に泊まった方がいい結果となる可能性の方が高いと言わざるを得ない。流石に同じレギオンの仲間だという信頼値が大きすぎる。そして、私は確率の高い方に賭ける。自分は今までそうして生きてきたのだから。

 

(……こんなにも身の危険を感じたのは初めてだけど)

 

「私が茅ノ間さんについて行くのはどうでしょう?」

 

 泊まることにしても、いざとなれば何処へでも逃げ出せばいい。今は唯姫のことを信じてみよう。

 

 ……決して、思考を放棄している訳ではない。私の目の届かない様々な情報を確率的に考えての結論だ。その確率に変動が起こったときは、また行動を変えればいい。

 

「……やっとその気になってくれましたね! ありがとうございます、澪様!」

 

 ────あれ、表情に出ていただろうか? いや、そんな筈はない。ポーカーフェイスは一番の得意分野……だと思う。

 

「────茅ノ間さん、一つ伺ってもよろしいですか?」

 

「ええ、モチロンいいですよ」

 

「何故私が決めた考えが分かったのでしょうか?」

 

 興味本位も交えた質問だ。それに、今は茅ノ間唯姫という人物をもっと知らなければならない。ひょっとしたら────

 

 

 

 ────彼女は、私が想像している以上のバケモノかもしれない。

 

 

 

「そんなに気になりますか?」

 

「ええ、とても気になります」

 

「全く仕方ないですね、澪様の為にも教えてあげましょう」

 

「私の……為に?」

 

「ええ、澪様の為です。まず────澪様の行動はとっても分かりやす過ぎます。行動理念……と言っていいのかは分かりませんが、必ず自分の利益になりそうな方向に動きますよね?いや、不利益にならなそうと言い換えてもいいでしょう」

 

「……ええ、そうですね」

 

「それを知っていれば後はカンタンです。澪様には私の家に泊まっていく考えに傾く情報を与え続ければ良いだけですから。今日はそれすら必要無かったですから、余計に。モチロン、百パーセントの精度で管理することは出来ません。なので、少しでも天秤を傾けてあげればいいだけです。澪様が計り間違えさえしなければ、私の求めるように思考を働かせてくれますからね」

 

「……」

 

「澪様なら勘づいちゃってると思いますが、今こうやって茅ノ間唯姫の考えをペラペラ喋っているのも、最後の後押しです。私が今とにかく欲しいのは、澪様からの信用ですから。もう気持ちは完全に固まったんじゃないですか?」

 

「…………」

 

 ────やはり、この子は普通じゃなかった。入学から今の今まで、一切そのような能力を見せる素振りは無かった……と、思う。今この現状、唯姫がこうやって自分を明かさなければどうしようも出来ない、非常に深刻な事態であるとも捉えられる。

 

「まぁ、気持ちが固まったのはよく分かりました。だって澪様、自分の中で何かを決断するとき、目つきが少し変わるじゃないですか。そのクセ、私みたいな人にはすぐ見抜かれちゃいますよ?」

 

「ええ────そうみたいですね」

 

「ちょっと、不貞腐れないでくださいよ〜? 逆に言えば、私くらいじゃないと気づかないんですから。あと、澪様の洞察力が凄まじいのは分かるんですが、もう少し他人を意識した方がいいですね。そんなんだから、私の掌の上で転がされてるような感覚に陥るんです」

 

 そんな事は分かっている。分かってはいる……が、改めて言われると心に刺さるものがある。

 

 唯姫の顔を見てみれば、明るい表情に笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 

「まあ、澪様だってお疲れでしょうし、続きの話は私の部屋でしましょうか。話してあげちゃいますよ、今回の事件のこと」

 

「…………っ!」

 

 まさか────唯姫は事件と何か関係があるというのだろうか。

 

 頭の中を整理するどころか、逆に掻き乱されているかのようだ。私一体はどうすればいいのだろうか。

 

 気がつけば、最初にあった余裕は完全に消え失せていた。

 

「あと────ああ言っといて何ですが、私の言うことは信用しないでくださいね。せっかくの澪様の強み、潰しちゃ勿体ないですから」

 

「……当たり前です。分かってます、そのくらいのことは」

 

 ふう────っと息をつき、瞼を閉じる。唯姫に言われた通り、私は他人に意識を向けることを怠りすぎている。それは、他人に興味が無いのとは違う。他人への気遣いが足りてない、他人を軸とした行動をしない、そういった意味なのだろう。

 

「それじゃ、今から私の部屋に案内しますね! ふふっ、誰かを私の部屋に呼ぶなんて初めてです、楽しみ〜」

 

 唯姫は立ち上がりそう言うと、ついてきてください────と個室を出た。



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L7 突き落とします、容赦なく。

 

 

【十月二日木曜日午後三時十分 茅ノ間唯姫の自室】

 

 唯姫に連れられて入るとそこは、意外にも女の子らしいピンクの装飾が目立つ部屋であった。

 

 入ってきた扉側の壁際には、勉強机が置かれている。机上の棚には教科書が並べられており、私が一学年の時に使っていたのと同じもので、少しばかりの懐かしさを覚える。

 

 ピアノ柄の鉛筆立てには何も入っていない。しかし、過去に使われていたと思われるような汚れは付着している。トマトの形と色をした鉛筆削りも同様に、今は使われていないのだろう。

 

 机の端には写真立てが置いてある。映っているのは唯姫と────他に二人、どこかで見たことがあるだろうか? ……思い出すことは出来ないが、英ヶ野の制服を着た人物が映っている。三人とも明るい表情で手を繋いでいて、背景は英ヶ野のグラウンドとよく似ている。この二人は多分、同級生か何かなのだろう。

 

 部屋の奥にはベッドや本棚が置いてある。本棚の中には多くの漫画がや小説本が置いてあり、最近の漫画や、名前しか知らない有名な著書なども入っている。

 

 扉から見て左側に置いてあるテレビ台の上には、テレビが────いや、ただのモニターだろうか。見ただけでは分からないが、最新のゲーム機と共に置いてある。

 

「ここが私の部屋です、存分にくつろいでってください!」

 

 唯姫は柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと、そのままベッドに腰を下ろした。

 

「……ええ、そうさせていただきます。ところで、茅ノ間さんはこの後どうする予定ですか?」

 

「私ですか? 私なら今日はやることありませんから、このまま部屋にいますよ」

 

 こうして普通に話している唯姫を見ていても、先程のような一面があるとは到底思えない。今日の唯姫が嘘だったかのようにすら思えてしまう。

 

 そして、この部屋を見渡すと、ある違和感に気がつく。その違和感の正体はすぐに分かった。

 

(この部屋────窓が、無い?)

 

「あれ? 澪様、どうかしたんですか?」

 

「……いえ、何でもありません」

 

「そーですか。じゃあじゃあ、折角来てくださったんですから、ゲームでもしましょうよ!」

 

「……勉強は?」

 

「ギクッ」

 

 実のところ、唯姫の学力を私はよく知らない。そんなに悪くは無いとななから聞いたことはあるが、一学年トップであるななの学力をアテにして話すことは出来ないだろう。

 

「そっ、そんなの後でいいじゃないですか! ゲームしましょうよゲーム〜」

 

「そんなことを言っていたら月様みたいになりますよ。学業の方はどうなんですか?」

 

「うーん……ほどほど?」

 

「まあ、少しだけならいいでしょう。それで、何をやりますか?」

 

 私はこう見えて、ゲームというものが得意だ。やはり天賦の才というものなのか、何でもそつなくこなしてしまえるのが私、京極澪という人物なのだ。唯姫の勉強の方も気にならなくは無いが、少しくらいは相手にしてやってもいいだろう。

 

 ────それに、私自身が気晴らしを求めていた部分はあった。落ち着きを取り戻すためにも息抜きは必要だ。

 

「なんでもいいですよ、澪様は何がやりたいですか?」

 

「それでは……この『テトリス』なんてどうでしょう」

 

「いいですね! 早速やりましょう!」

 

 そう応える唯姫の手の中には、既にそのカセットと思わしきモノが握られていた。私は唯姫から渡されたコントローラーを握りしめる。

 

 テトリス────言わずも知れた、世界的な落ち物パズルゲームである。そして、私が最も得意とするゲームのうちの一つでもあった。ルールは至って簡単、落ちてきた正方形四つ組のブロックを横一列に並べて消すだけだ。対戦となると少し難しいルールも出てくるが、基本的には積み上げて消すを繰り返すゲームとなっている。

 

(……? コントローラーが二つ……確か、唯姫は自分の部屋に人を呼んだことは無いと言っていたな……)

 

「じゃあ、対戦しちゃいます?」

 

「ええ。容赦は……しませんよ?」

 

「受けて立ってもらいますよ、澪様!」

 

 唯姫の声はとても弾んでいる。まるで年頃の女の子そのものだ。

 

 ……実際、年頃の女の子ではあるが。

 

「ところで澪様、こんな話は知ってますか? いや、澪様なら知ってますよね」

 

 画面を凝視しながら、唯姫は話しかけてきた。番外戦術か何かだろうか。

 

「知っています。どんな話ですか?」

 

「あなたは橋の上にいます。橋の下を通る線路の上には五人の作業員がいます。あなたは暴走したトロッコが作業員に向かって走っているのを見つけました。そして、橋の上にはもう一人、太った人が立っていました。この人はトロッコに気がついていないようで、突き落としてしまえばトロッコは止まり、五人の命は助かります。しかし、太った人は命を落としてしまいます。あなたが何もしなければ、五人の命は確実に助かりません。あなたは太った人を落としますか?────こんな話です」

 

 勿論知っている。トロッコ問題の事だろう。

 

 ────もっとも、私が知っているトロッコ問題とは少し違うようではあるが。聞いたことがあるのは、路線切り替えのレバーがどうこう……みたいなものであったと記憶している。

 

「それが、どうかしたのですか?」

 

「私は澪様の意見が聞きたいんです。澪様ならどうしま────ちょ、ちょっと、速すぎますって!」

 

「……私の意見を聞く前に、茅ノ間さんの考えを教えていただけませんか?」

 

 こんなにも擦られ続けている話、今更何を考えることがあるのだろうか。唯姫は私に何を求めているのだろうか。

 

「う〜ん……私であれば、容赦なく突き落としちゃいます」

 

「どうしてですか?」

 

「だって、五人の中には知り合いがいるかもしれないじゃないですか。だけど、目の前の太った人は、確実に知らない人です」

 

(……それは、前提がおかしい。唯姫のような人が本質を見ずに話すワケが無い。今の発言は多分、本心じゃない)

 

「分かりませんね。本当はどうなんですか?」

 

「何もしません。もしくは────」

 

「……もしくは?」

 

「あっ、また負けた〜! ちょっと、澪様強すぎませんか?」

 

「もしくは?」

 

「────私が橋から飛び降ります」

 

「それでは誰も助かりませんよ?」

 

「はい、助からないですね」

 

「……考え得る限り“最悪”の結果になると言ってもいいでしょう」

 

「最悪────確かに澪様にとってはそうなのでしょうね。でも、私は飛び降りますよ」

 

 私は茅ノ間唯姫という人物の考えが分からない。しかし、彼女は京極澪という人物の考えを分かっている……のだろう。そう思うと、あまりいい気分にはなれない。

 

「澪様はどう考えますか? ────なんてね。そんなの聞かなくても分かりますよ。澪様なら、太った人を突き落とします────」

 

「……?」

 

 ……あれ、もしかして、唯姫が私の考えを読み違えた? そんなことは果たしてあるのだろうか?

 

「────なーんて、そんなことはしませんよね。澪様は合理主義ですから」

 

「……合理主義だと言うのであれば、五人の命を救うために、太った人を突き落とすのが普通じゃないですか?」

 

「それは一般論でしょう。確かに合理主義者でそうする人は多いかもしれません。それと、そうするのが正しいというのは功利主義です。だけど────澪様は違いますよね?」

 

「……何が違うというのですか」

 

「やった! 初めて澪様から一本とれましたよ!」

 

「……」

 

「……えっと……」

 

「……」

 

「……説明する必要なんてありますか? 仕方ないですね、分かりきっている事ですが、敢えて言いましょう」

 

 一体唯姫は、何を語るのだろうか。そして、それは私にとってどのようなものなのだろうか。

 

 

 

「澪様にとって────他人の命は平等に無価値です。五人だろうが一人だろうが、太ってようが痩せてようが。そして、太った人を橋から突き落とすという行為は、澪様にとってはリスクでしかありません。誰が見ているかも分からないし、落とした事を罪に問われるかもしれない。それならば、見て見ないフリをするのが“澪様にとって”最も合理的と言えるでしょう。違いますか?」

 

 

 

 ────全く、その通りだ。ここまで私の考えそうな事を当てられてしまうのは、とても気味が悪い。

 

「……違いませんね」

 

「違わないでしょうね。あっ、別に、私が他人の考えを読み取る能力を持っている……なんてことはありませんから。ただただ澪様の行動は単純、それだけの話────うわっ、待って、ちょっと、負けちゃいますー!」

 

 そもそも、唯姫は何故トロッコ問題の話を持ち出したのだろうか。私に伝えたい事があったのか、もしくはただの興味からか。

 

 結局、今はこの話題の意味を知ることはできなかった。そして、それに気がつけるのはまだ先の話であった────



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L8 牢獄

 

 

【十月二日木曜日午後六時半 茅ノ間唯姫の自室】

 

「ぐぬぬ……」

 

 唯姫の部屋に入ってからどれくらいの時間が経っただろうか。隣を見るとそこには、悔しそうな顔でこちらを見つめる唯姫が居た。

 

「むぐぐ……まさか、ここにある全部のゲームで勝てないなんて……」

 

「才能の差というものです、諦めてください」

 

「むぅ……認めざるを得ません……」

 

 少しだけというつもりで始めたゲームは、かなりの長時間に渡って行われた。時間の感覚が少し狂ってしまったのだろうか?

 

 壁に掛けられた時計を確認する。長針が指しているのは一時十五分。短針はついていないタイプだ。ここの部屋に入ってきたのは────

 

(────あれ? 時計の針は……動いていない?)

 

 部屋に入った際に時間を気にしなかった自分を悔やんだ。リュックから携帯を取り出し時間を確認すると、示されているのは午後六時半。感覚で言えば三、四時間ぐらい経っている気がするため、部屋に入ったのは二時から三時頃なのだようと適当な予想をする。

 

「茅ノ間さん、あの時計は動かないのでしょうか?」

 

 壁掛け時計を指さしながら訊ねる。

 

「う〜ん、そういえばずっと動いてないですね。それと……」

 

「何でしょうか?」

 

「そろそろ『茅ノ間さん』じゃなくて『唯姫』と呼んでもらってもいいんじゃないですか? ほら、私と澪様の仲ですし」

 

 私に仲良くした記憶は無い。しかし、呼び方に拘りは無いためどちらでも構わないところだ。

 

「ええ、特に構いませんが……唯姫さん」

 

「やったー! なんだか澪様にもっと近づけた気がします!」

 

 唯姫は満面の笑みを浮かべている。よくもまあこんなにコロコロと表情が変わるものだ。

 

「ところで茅ノ間さん」

 

「唯姫です。何でしょう?」

 

「事件の話を詳しく聞かせてください」

 

 ────そろそろ頃合いだろう。本題に入るには丁度いいくらいの時間が経った。

 

「そうですね……でも、その前に」

 

「まだ何かあるのですか?」

 

「……私、お腹が空きました」

 

「我慢してください」

 

「嫌です。お腹が空いては口も回らないというものです」

 

 どれだけ焦らすつもりなのだろうか。時間が経てば経つ程、聞きたい気持ちは大きくなっていく。

 

「ごはん持ってくるので、ちょっと待っていてください。モチロン澪様の分もありますよ!」

 

「……ありがとうございます」

 

「二千円です!」

 

「やっぱり要りません」

 

「ツケでもいいですよ?」

 

「要りません」

 

「多分もう作っちゃってますよ?」

 

「……要りません」

 

「しょうがないですね〜、今日だけは私の奢りです。何も食べないと餓死しちゃいますから」

 

「……はあ」

 

「じゃ、今から持ってきま〜す」

 

 唯姫は立ち上がり、背中を向けて部屋を出ていった。その後ろ姿を見届けた私も、部屋を物色しようと立ち上がる。

 

 この部屋には気になる点────言わば、不自然な点が多すぎる。普通の部屋と捉えてしまってはいけないだろう。事件と繋がりがあるかは分からないが、唯姫の過去を知るキッカケにもなり得るかもしれない。

 

(まず、この部屋には窓が無い。それなら────通気口は、どこだ?)

 

 部屋の壁には壁紙が隙間なく貼られており、変な凹凸は見当たらない。天井を見るも、一面普通の模様が広がっているだけで、換気扇のようなものは存在していない。

 

 明確に穴と呼べるものは、先程唯姫が出ていった扉ぐらいだろう。まるで牢獄だ。

 

(この部屋は一階。地下室とかあったりしないかな?)

 

 ピンク色のカーペットを一枚一枚捲って確認してみる。扉はおろか、床下の点検口すら存在していない。ベッドの下を覗いてみても、本棚をズラしてみても、やはり隠し扉は存在しない。入口を閉めれば完全な密閉空間となってしまう。

 

 しかも、クローゼットのような収納スペースも無いときた。

 

 果たして、こんな部屋に唯姫は住み続けてきたのだろうか────?

 

 プラグが繋がっていない石油ストーブは置いてあるが、少し付けっぱなしにでもすれば中毒まっしぐらだろう。そう考えていると、なんだか息苦しいような気がしてきた。気の所為だと思いたいものだ。

 

 そして、唯姫が居ない今のうちに、手に入る情報は仕入れておきたい。しかし、この部屋から得られる情報はこれ以上無さそうだ。下手にノート等を開いて勘づかれてしまっても不味い。大人しく帰りを待つとしよう。

 

(そういえば……)

 

 勉強机に置いてある写真立てを再び見つめる。何度見てもやはり、唯姫以外の二人の人物を思い出すことは出来なかった。しかもよく見て見たら、二人とも顔がそっくりである。双子の姉妹と言われれば納得がいく……というくらいのそっくりさだ。

 

(背景も……英ヶ野女學校のグラウンド────だよね?)

 

 唯姫もこんな笑顔をするんだなと少し微笑ましくなる。今日まで唯姫に対するイメージなんてものは無いに等しかったし、感情表現が豊かな子だということも初めて知った。今日は私にとって、収穫が大きい日だったのかもしれない。

 

(まあ、あんなに怖い唯姫を見るのはもう嫌だけど……)

 

 休憩室に居た唯姫を見て、心臓が飛び出るかと思ったのはついさっきの出来事だ。

 

 今となっては、唯姫のあの行動も彼女なりに考えてのものだと分かっている。そして、唯姫の頭の良さというのも思い知らされた。

 

(あまり唯姫の事を考えるより、今は事件について考えた方がいいよね────ん?)

 

 ふと、とある事に気がつく。写真の端をよくよく見てみると、写真を撮った日付も印刷されていた。

 

『43' 09' 23' 15' 03』

 

(九月二十三日……ついこの間の日付だ。今日は十月二日だから、約一週間前────あれ……? いや、違う……!)

 

 

 

『43』

 

 

 

(二千っ────四十三年! 今から……十年前!? 一体……どういうこと!?)

 

 

 

「────澪様」

 

 

 

「……っ!?」

 

「ご飯持ってきましたよ〜。豪華な海鮮丼です!」

 

「え、ええ、ありがとう……ございます」

 

(写真を見ていたことは────バレてなさそう……?)

 

 唯姫の足音が聞こえ、半ば本能で元座っていた位置に戻っていた。少しでも戻るのが遅ければ、完全に怪しまれていたことだろう。

 

 しかし、心臓の鼓動は落ち着かず、冷や汗もかいている。声のトーンも震えてしまっているかもしれない。

 

「澪様がこっちで、私がこっちです!」

 

「……ん? 私の方が具材が少ないような……」

 

「お昼の分、返していただきましたから! ふっふ〜ん」

 

 具材が少ないなんてそんな事を考えていられる場合ではないが、何とか平静を保とうと普通の会話を心掛ける。

 

「……まあ、茅ノ間さんの奢りということであれば仕方ないでしょう」

 

「あれ? 意外とはやく引っ込みましたね。あと、茅ノ間さんじゃなくて唯姫です」

 

「そうですね、唯姫。ところで、事件の話はもうしていただけるんですよね?」

 

「はい、それじゃあ食べながらでも話しちゃいましょうか」

 

「……」

 

 部屋には一時の静寂が訪れた。私は息を飲み、唯姫の最初の一言を待つ。

 

 海鮮丼を持ちながら立ち上がった唯姫は、そのままベッドに腰をかけ、こちらを向いて語る体勢となった。先程までの明るい唯姫とは違い、私を見るその黄色い瞳からは、まるで生気を感じることが出来なかった────

 

 



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M9 目撃したこと

 

 

 さて、今回の事件について話しちゃいましょうか。

 

 まずは、事件の概要についてです。

 

 事件が起こったのは、十月一日月曜日午前十一時半以降のことでした。事件現場は英ヶ野女學校学生寮二年棟、澪様の自室がある敷地ですね。

 

 被害者の名前は『萬年まんねん 妃乃ひめの』。英ヶ野女學校工廠科の二年生で、レギオンまたは予備隊への所属経験はありません。ここに入学してからは、マディックとしてアンチヒュージウェポンを用いて戦っています。その傍ら、一流のアーセナルを目指して勉学に励んでいたと聞きました。

 

 時間的には、本校舎にある学食へと向かう途中だったのでしょう。彼女の武器であるアンチヒュージウェポンは持っていませんでした。

 

 次は、死体の発見についてです。

 

 これは新聞にも載っていたことかと思いますが、発見したのは『頓宮叶愛』教導官と、他数名の生徒とのことでした。

 

 死体の胸にはCHARMでつけられたものとみられる大きな刺し傷があり、出血多量による失血が死因と思われます。まだ検死が行われていないので、詳しい状態までは分かりません。

 

 発見時は既に血溜まりのような状態となっており、生徒達にとってはショックの大きい光景だったそうです。頓宮教導官は他の生徒を現場から離れさせた後、英ヶ野女學校の理事長、経営本部へと通報を入れています。その後、警察への通報が行われたそうです。

 

 

 

「……ここまでで何か、質問はありますか?」

 

「何故茅ノ間さんは、これほどまでに詳しい状況を知っているのでしょうか?」

 

「ああ、その事ですか。私、少し調べたんです。実はあの日、被害者の方とすれ違ったんですよね。バスの欠便でたまたま二限目に出れなくて、借りてある寮室から荷物だけとって本校舎に向かうところで、事件の被害者────妃乃様を見かけました」

 

「待ってください、何故二年棟なんですか? 唯姫さんは一年生でしょう。そこは一年棟に行くところでは……?」

 

「澪様には言ってませんでしたっけ? 私が寮室を借りているのは二年棟なんですよ。というのも、本来英ヶ野女學校は全寮制ですから、寮はとならきゃいけないんです。でも、入学するときに事情を話して、二年棟にある小さな部屋を特別に貸してもらったんです」

 

「茅ノ間さんが妃乃さんとすれ違ったときには、何も異変はありませんでしたか?」

 

「ええ、特に何も。私も話を聞くまでは、事件のことなんて一切知りませんでしたから」

 

「もう一度聞きます。何故茅ノ間さんはそれほどまでに詳しい状況を知っているのでしょうか?」

 

「……頓宮教導官に直接聞きましたから」

 

「直接?」

 

「はい、直接。それだけの話です。まあ、英ヶ野上層部はだいぶごたついてるって感じはしましたね〜。なんせ、英ヶ野女學校で殺人事件なんて、十年来ですから」

 

「十年……来?」

 

「そうですよ? あれ、結構有名な話だと思ってたんだけどなぁ……」

 

「……私は知りませんでしたが」

 

「ほら、呪いのスポットなんて、子供っぽい呼ばれ方をするようになったキッカケの事件です」

 

「呪いのスポット……ですか。犯人は何故この場所で殺人事件を起こしたのでしょう?」

 

「さあ。犯人の検討もついていない状況ですから」

 

「犯人の……検討がついていない? どういうことですか?」

 

「ん? そのまんまの意味ですよ?」

 

「しかし茅ノ間さんは、殺人犯から私を護るためと……」

 

「あれは嘘です」

 

「嘘……何故そのような嘘をつく必要があったんですか?」

 

「だって、その方が澪様に危機感を与えることができるじゃないですか。まあ、そうじゃなくても澪様が危ない状況なのは変わりませんが」

 

「危ない状況というのは?」

 

「さっき私、頓宮教導官と直接話したって言いましたよね。その時に聞いたんです。澪様が殺人犯の第一候補として挙げられている……と」

 

「……っ!」

 

「でも、この部屋は何があっても絶対に安全です。捕まる危険性は一切ありません」

 

「何故そんな事が言えるのですか?」

 

「それは話せません」

 

「どうしてですか?」

 

「……話せません」

 

「分かりました。無闇に詮索はしません」

 

「ありがとうございます。さて、困りましたね。今分かっている情報だけじゃ、犯人の検討のつけようがありません。そこで澪様の出番です」

 

「私……ですか?」

 

「はい。私は情報を集めます。それを元に考察するのが澪様の役目です」

 

「情報を集めるといっても、警察の調査が入ると手を触れられなくなってしまうのではないでしょうか?」

 

「そんなのどうとだってなりますよ。こ〜んな古い建物の敷地、侵入する経路なんて山ほどありますから。夜中にでもちょちょっと入っちゃいますよ〜?」

 

「……唯姫さんは何故そこまでして私を助けようとするのですか……?」

 

「当たり前じゃないですか、大切な……大切な先輩なんですから」

 

「……正直、私は嫌われる側の人間だと思うのですが」

 

「確かに、周りから見たらそうなってしまうかもしれません。でも、私は澪様のことが大好きですから」

 

「そう……ですか」

 

「はい。それで、今の話を聞いて、何か気がついたこととかはありませんか?」

 

「いえ、特に。強いて言えば、CHARMの刺し傷がある────ということは、犯人は少なくともリリィである可能性が高いですね。しかも斬撃タイプのCHARMじゃないと刺し傷にはなりません」

 

「確かにそうですね。英ヶ野女学校で扱っているのは『フンアフプーHunahpu』『イシュバランケーIxbaranque』『グングニル』の三種類です。そして、澪様だけの特別な機体『シバルバー』もあります」

 

「そうですね。そのうち斬撃モードがあるのは『イシュバランケー』『グングニル』『シバルバー』。つまり、リリィではあっても『フンアフプー』を用いている人は犯人の候補から外れると考えていいでしょう。勿論私も候補に含まれるという訳です」

 

「じゃあ、外部犯の可能性はあります?」

 

「ええ。その可能性も無くはないでしょう。しかし、この地域でリリィとしての活動を行える学校は、英ヶ野以外にありません。英ヶ野のリリィ以外が此処に来るなんて相当珍しいと言っても過言ではないでしょう」

 

「じゃあ可能性としては、英ヶ野のリリィである可能性の方が断然高い……ということですね。他に何か分かることはありませんか?」

 

「……当たり前のことですが、殺人事件が起きた時間帯に、講義に出ていた人は犯人の候補から外れますね」

 

「澪様は?」

 

「出ていません。その時間帯は寮室で寝ていましたから」

 

「あちゃー、これは真っ黒ですね。周りから見たら怪しすぎます。私から見ても怪しすぎます。でも、澪様はそんなことしないって私は知ってますから。それで、なんで講義に出ていないんですか?」

 

「サボりました」

 

「随分とハッキリ言いますね。しかも、その出ていなかった講義って確か……」

 

「頓宮教導官の講義です」

 

「澪様、やっぱり疑われても文句言えないですよ? でも、こうやって今、安全な場所に居られるのはラッキーなものです」

 

「……ラッキー?」

 

「私がたまたまショッピングモール内のバス停で出会ったから、この場所まで誘導できたんです。もし出会ってなかったら、今ごろ澪様の自室で、私が必死に説得しているところでした」

 

「そうなったら私は、多分動かないでしょう」

 

「そこは自覚あるんですね。私と幸運さんに感謝してくださいよ〜?」

 

「ありがとうございます、か……唯姫さん」

 

「どういたしまして! 後はまた明日考えることにしましょう」

 



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L10 突き上げてからブチ落とす

 

 

【十月二日木曜日午後七時半 茅ノ間唯姫の自室】

 

 唯姫の語りが終わる頃には、目の前に置かれた二つの丼は底が見えていた。唯姫はとても満足度の高い海鮮丼を平らげ、いかにも幸せですという顔をしている。

 

 対する私は、明らかに具材に対するご飯の割合が大きすぎる海鮮丼を腹の中に詰め込み、今にも精根が尽きそうだ。

 

「ところで……唯姫さん。これからどうする予定ですか?」

 

「予定? 明日になったら動きを見ながら探りを入れるつもりではありますけど……」

 

「いえ、そうではなくて。今日のこれからの予定です」

 

「ああ、そういうことですか。私は温泉に入る時間まで勉強でもしてますよ。それともまだ、事件に関するお話がし足りませんか?」

 

 受験生だというのにゲームばかりしている人には、是非ともうちの一年生組を見習ってほしい。ほら、月様、貴女のことですよ。

 

「今は大丈夫です。私も少し疲れましたから」

 

「私のベッド使って休んでもいいんですよ?」

 

 唯姫の表情は冗談めいていた。彼女は勉強机に向かい、棚から教科書を出して広げている。

 

「……いえ、遠慮しておきます」

 

「そうですか────ってあれ? なんか携帯の音鳴ってません?」

 

 床にポツンと置かれた私の携帯が震えていた。唯姫もそれを見つけたようで、こちらに何かを促すような視線を向けてくる。

 

『────ピロリンッ♪ピロリンッ♪』

 

「鳴ってないですね」

 

「ほら、鳴ってるじゃないですか」

 

「気の所為────」

 

「気のせいじゃないですよ」

 

 仕方が無いので携帯を手に取る。勘解由ななからの着信だ。

 

「はい、京極澪です」

 

『れーいーさーまーっ!』

 

「……何でしょう?」

 

 少々怒っていそうな声色だ。唯姫はこの時点でこちらに這い寄り、携帯に耳を近づけている。

 

『まだ頓宮教導官のとこに行ってなかったんですか!? なーんーでー関係ない私が怒られなきゃならないんですか!』

 

 唯姫は怪訝な顔をした後、携帯をつけているのとは逆の耳に、そっと耳打ちをしてきた。

 

 

 

 ────なんとか誤魔化してください。

 

 

 

「……」

 

『澪様、聞いてます?』

 

「……聞いています。」

 

『今どこにいるんですか?』

 

「便所です」

 

『汚い! 澪様汚い!』

 

「おトイレです」

 

『……そうですか、門限までにはちゃんと行ってくださいよ?』

 

「分かってます。それではお休みなさい」

 

『あっ、ちょっ待っ────』

 

 プチッ────

 

「澪様、頓宮教導官に呼ばれてたんですか?」

 

 唯姫は勉強机に戻りながら、そう問いかけてきた。唯姫はこの事を知らなかったらしい。

 

「ええ」

 

「どういった理由で呼ばれたんです?」

 

「分かりません」

 

「何があったか分かりませんが、絶対に行ったりしないでくださいよ?」

 

「そうですね、私も嫌な予感はしています」

 

 先程の事件の話を聞いた以上、頓宮教導官に接触するとなると、高確率でこの身に危険が及ぶだろう。勿論そんな危険を冒したくはない。

 

(────ん? 少し、おかしいな)

 

 電話の事で、数時間程前の会話を思い出す。

 

(唯姫はななからの電話の事を知らなかった……となると……)

 

「────唯姫さん」

 

「はい、何でしょう?」

 

 振り向いた唯姫の目を見つめる。唯姫の顔は、どうにも不思議そうだ。

 

「どうして唯姫さんは嘘をついたんですか?」

 

「……どの嘘の事でしょう?」

 

 唯姫の顔が、明らかに曇った。

 

「休講になるのは今日から────これ、唯姫さんの嘘ですよね?」

 

「……」

 

 唯姫の顔が、ハッとしている。

 

「何故嘘をつく必要が────」

 

「────そんな事も分からないんですか?」

 

 唯姫の顔が、呆れたような表情になった。やはり唯姫の表情はバリエーション豊富だ。

 

「そんな事……」

 

「ここまで何の話をしてたかもう忘れちゃいました? 全く、澪様は何も考えてないんですね。私はもう答えを何回も言ってますよ?」

 

(話を整理してみよう。海岸を歩いていたときの電話で、ななは休講になるのは明日からだと言っていた。対して、唯姫は休講になるの今日からだと言っている。唯姫が否定していないことから、これは嘘。でも、そんな嘘をついても簡単にバレるし、何より嘘をつく意味が分からない。唯姫の行動にしては不自然じゃない?)

 

「……まあ、そこに気がついただけでも成長です。澪様流石ですね!」

 

 心にもありません────と声のトーンが言っている。

 

(唯姫はななからの電話の事を知らなかった。つまり、唯姫は私が休講の話を知らないと思い込んだうえで、嘘をついていたことになる。そして、嘘をついていたときの唯姫の目的は……目的は────)

 

「────っ!」

 

「ようやく分かりましたか? 遅かったですね〜」

 

「私に────来て欲しいから……」

 

「……私は澪様が来てくれるなら、何だってするつもりでいました。だって、私は澪様のことが大好きですから、ね?」

 

「……私のことが……」

 

「いやだなあ、私にこんな恥ずかしい事を言わせるなんて。澪様も罪なリリィですね」

 

「……そうですか。理由については納得しました」

 

「じゃ、私は勉強に戻りますね〜」

 

(唯姫が……私の事を……)

 

 私が他人から好かれるなんて、今まで考えもしなかった。

 

 入学してからの私の言動を振り返ってみても、傲慢で怠惰で色欲で憤怒で────おっと間違えた、勢い余って身に覚えの無い大罪まで付け加えてしまった。

 

 それはそうと、自分に好かれる要素なんて一切無いと思っていた。そして、今もそう思っている。心境はなんとも複雑だ。

 

「────澪様?」

 

「……はい?」

 

「何ぼーっとしてるんですか?」

 

 勉強するって言ったじゃないか。ぼーっとするくらい別にいいだろう。

 

「私も疲れてますから」

 

「へー。ところで、なんで私が澪様の事が大好きなのか、分かってないみたいですね」

 

 唯姫は相変わらずだ。まるで心を読んだかのように話し掛けてくる。私も同じことが出来たなら、どれだけスッキリしていることだろうか。

 

「……ええ。全くもって分かりません」

 

「私は澪様の愛情に惚れたんですよ、覚えてませんか?」

 

「覚えてませんね」

 

「まー仕方ないですね、私と澪様じゃ“記憶力”が違いますから」

 

「……?」

 

「私は覚えてますよ、澪様のその本心。決して忘れることはありません」

 

 何を言っているのか分からない。もしかしたら、気にしても仕方の無い事なのかもしれない。

 

「まあ、分かりました。分かりましたから勉強しててください」

 

「私は何があっても、澪様の事が大好きです。でも澪様、勘違いはしないでくださいよ? 澪様は周りから見たらクズなことに変わりはありませんから」

 

 上げてから落としてくるパターン。これは心に大きな落下ダメージが入った。

 

 さて、私も勉強することとしよう。勉強机の傍らに立ち、上から唯姫が勉強している様子を覗き込む。これは嫌がらせでは無い、勉強だ。

 

「……澪様、何してるんです?」

 

「勉強です」

 

「嫌がらせですね」

 

「違います」

 

「……そうですか」

 

(開いているのは数学の教科書。何か変な解き方でもしてたらすぐに突っ込んでやるとしよう)

 

 そう心に決めたものの、突っ込む隙は無く時間が流れ去っていくのであった────



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L11 大きいのは

 

 

【十月二日木曜日午後九時 茅ノ間唯姫の自室】

 

「澪様、行きましょう!」

 

 それは、突然の事だった。勉強をしていた唯姫が前触れもなくピタッと手を止め、此方に振り返りそう言った。

 

 行きましょう────この言葉に、私は敏感に反応する。

 

 私がここまで来た目的────そう、温泉だ。今日は様々な出来事に巻き込まれたが、本来の目的は温泉で変わらない。湯に浸かり、先日の疲れとイライラを昇華させる為に、ここ湯野浜の地を目指して来たのだから。

 

 心做しか、唯姫の顔も綻んで見える。やはり、温泉の偉大さは誰にとっても共通のものなのだろう。

 

「今すぐ行きましょう」

 

 唯姫が勉強している間暇潰しとして読んでいた『プリンキピア・マテマティカ』を床に置き、着替え用の下着が入ったリュックをさっと持ち上げる。

 

「それで、温泉というのはどこにあるのですか?」

 

「少しくらい待ってくださいよ、私の準備がまだです」

 

 果たしてここの温泉は、一体どのようなものなのだろうか。唯姫は、ここの食事処の系列店だと言っていた。同じ建物内にあるのか、はたまた全く離れた所にあるのか。サウナは付いているのだろうか。こんな時だというのに、楽しみで仕方が無い。

 

 そして、閉塞感が強いこの部屋から離れる事が出来るという、一種の安堵感もある。こんな部屋に住み続けるなんて、普通であれば精神が狂ってしまいそうなものだ。

 

「それじゃあ行きましょう。ちゃんとついてきてくださいよ?」

 

 そうして私達は、温泉へと向かい始めたのであった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

【十月二日木曜日午後九時十分 温泉宿 泉海いずみ

 

「ここです、入りましょう」

 

 連れてこられた場所は、先程まで居た建物の随分近くに位置していた。外に出て少し歩いた所にある、月花亭とはよく似た風装の建物だ。入口に提げられた暖簾には、温泉マークとともに『泉海』と書かれている。

 

 建物の中へ入り、靴を鍵付きロッカーに仕舞い込む。簀子から一段上がり、これぞ温泉といった感じの畳床を、黒色のハイソックスで踏み進む。

 

「こっちですよ、澪様」

 

 向かう方向に迷っている私に、唯姫が手を差し伸べてきた。手を取れ……ということだろうか。

 

「え、ええ……」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

 差し伸べられた手を取ると、唯姫は柔らかく微笑んだ。小さなその手は、弱い力でくいっと引っ張ってくる。

 

 そんな彼女の手は、暖かい────と言えば、嘘になってしまうだろう。ひんやりとした冷たさが、肌にひしひしと伝わってくる。

 

「あれ……唯姫さん、受付は?」

 

 ふと、唯姫の向かう方向が脱衣所だということに気がついた。普通であれば、受付を済ませてから向かうべきであるが────

 

「────だって、私の家ですよ? お風呂に入るのに受付なんて要ります?」

 

「ですが、私は部外者で……」

 

「えっと、この時間はそもそも受付閉まっちゃってますから。九時から深夜の清掃が入るまでが、私達の入浴時間です」

 

 どうやら、このまま私が入るのは無問題らしい。推測するに、唯姫は事前に何かしらかけ合っていたのだろう。

 

「そうですか」

 

 そうして、流されるように温泉へと進んでいく。

 

 それにしても、これ程までに綺麗な温泉があるとは思いもしなかった。ここら辺は古い建物が多く、新しい温泉が建ったという話など聞いたことも無かったからだ。

 

 そして、今になって気がついたことがある。

 

(唯姫……私よりも背が高いんだ……)

 

 脱衣所にて、隣に佇む唯姫は、とても瑞々しい肌色を余すところ無く晒している。黄緑色の髪には綺麗な艶があり、見る人は誰もが妖精のような、幻想的な何かを想起してしまうことだろう。

 

 ────とは、唯姫を過剰評価してみた結果だ。

 

「……なに、見てるんです?」

 

「いえ、何も」

 

 着慣れた制服を、手馴れた手つきで身体から外していく。唯姫は既に服を脱ぎ終わり、メッシュのポーチとフェイスタオルを片手に扉の前で待機している。

 

 私も衣服を全て外し終わり、タオルとヘアゴムを手に取り浴室へと向かう。

 

「あれ、澪様、シャンプーは持たないんですか?」

 

「備え付けのを使いますから」

 

「トリートメントは置いてありませんよ?」

 

「使わなくても大丈夫でしょう」

 

「なんでそれでそんなに髪がサラッサラなんですか……」

 

 特段髪のケアに気を掛けたことは無いが、どうやら、私の髪は他人から見てサラサラの部類のようだ。

 

「普段から髪には気を遣ってますから」

 

「え〜! それなら今日は、私の浴室セット貸しますよ?」

 

「いいのですか? ありがとうございます」

 

「どーいたしまして!」

 

 貸してくれるというのなら、有難く借りることとしよう。

 

 漸く、浴室へと足を踏み入れる。

 

 唯姫の後を追って浴室の扉を潜ると、目の前に広がったのは温泉の数々。掛け湯もあれば、足湯もある。外から確認出来た通り、中はかなりの広さだ。

 

 浴室の奥につけられた扉を開けてみれば、そこには露天風呂も存在していた。今日は冷え込んでいるため、露天風呂に入るには絶好の日だろう。

 

 そんな温泉への期待を一旦胸に仕舞い込み、シャワーの前の椅子に腰をかける。

 

(あっ、そういえば……)

 

 確か唯姫は、自分の浴室セットを使っていいと言っていた。椅子から立ち上がり、シャワーの音がする方へ少し歩いて唯姫の姿を探す。先程腰をかけた場所の、小さな壁を挟んだ逆側にその姿はあった。

 

 髪を洗っている最中の唯姫に、後ろから声を掛ける。

 

「唯姫さん」

 

「あっ、勝手に使っていいですよー」

 

 何を言いたいのか察してくれたのだろう、何も言わずとも答えてくれた。そうして唯姫の隣の椅子に腰をかけ、唯姫の前に置かれた三つのボトルを手に取ろうとした。しかし────

 

(あれ…………どれが、シャンプー?)

 

 その三つのボトルは全て同じ、透明な容器だった。恐らく、温泉などへの持ち込み用に中身を移し替えているのだろう。

 

「ピンクのがシャンプーで、白っぽいのがトリートメント、よく分からない色のやつがコンディショナーです」

 

 手に取るのを迷っていると、髪を流し終えシャワーを止めた唯姫が口頭で教えてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「いえいえ〜お気になさらず」

 

 手には多めのシャンプーを取る。私は唯姫と比較しても髪が長いため、洗うのにはかなり時間がかかる。

 

 しかし、身体を洗っているだけの時間を嫌と思ったことは無い。手を動かしていると、何かと考え事が捗るからだ。

 

(唯姫────彼女の恐ろしい面を今日、知ってしまった。でも、こうしている分には到底あんな面があるとは思えない。だからこその恐ろしさというものがあるんだけれど)

 

 唯姫について、再び確認し直す。正直に言えば、全く、現実感というものが湧かないのだ。

 

(今まで、唯姫という人物をよく知らなかった。それだけじゃない。同じレギオンのメンバーでさえ、よく知らないことばかりだ。他人を見る事は苦手じゃない筈なのに、一体何故…………まあ、別にいいか)

 

 考えても分からないことは分からないと、思考をシャンプーと一緒に綺麗さっぱり洗い流す。

 

(そういえば唯姫、私が思っていたよりかなり大きかったな……)

 

 胸も身長も目の当たりにして、私のソレよりも大きいことに気が付いた。手を握った時は気が付かなかったが、並んでみるとその差ははっきり見て取れる。私が唯姫より大きいのは、どうやら態度だけのようだった。

 

 ────そんな事を考えているうちに、唯姫の姿は隣から消えていた。既に温泉に入っているのだろう。

 

 そうこう考えているうちに、私も髪が洗い終わり、温泉に入ろうと椅子から立ち上がるのだった。



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L12 蝕む呪い

 

 

 

【十月二日木曜日午後九時二十五分 温泉宿 泉海】

 

 極楽。

 

 ────この言葉が似合うものなんて、温泉の他にあるだろうか。肩の当たりまで湯に沈むと、体の芯まで温まっていく。

 

 こうしていると、日常を過ごすうちに蓄積されてきた体や脳の疲れが、綺麗さっぱり浄化されていくように感じる。温泉に浸かっているこの時間だけは、唯一何も考えずにいることができる。

 

 ────ああ、なんだか目の前が、ぼやけているようだ。

 

 

 

「澪様、澪様〜。あれ、死んでないですよね?」

 

「……生きてますよ」

 

「顔真っ赤ですよ? のぼせたんじゃないですか?」

 

 気がつけば隣では、ピンク色の手拭いを頭に乗せた唯姫が温泉の縁に腰をかけていた。彼女は足をパチャパチャさせており、お湯が私の肌に飛び散ってくる。

 

「そろそろ上がります、待たせてしまい申し訳ありません」

 

「いえ、まだ浸かっててもらっても大丈夫ですよ」

 

「それなら遠慮なく」

 

「そろそろ換水の時間ですけど」

 

「では遠慮します」

 

 そろそろ温泉からあがろうとふらつく頭で立ち上がり、唯姫の隣へと腰をかける。私はどうやらのぼせているようだ。

 

「澪様、ちょっと気になってたんですけど」

 

「なんでしょう?」

 

「前まで使ってた黒い髪留め、つけなくなったんですね」

 

(ああ、そのことか────)

 

 急に一体何の話だと思ったが、言われてみて思い出す。つい一週間程前のことだ。

 

 私には気に入ってた髪留めがあった。それは、ショッピングモールで買ったごく普通の髪留めだった。

 

 買ってからはほぼ毎日、外へ出る時はその髪留めを付けていた。しかしある日、図書館で寝落ちをしていると、いつの間にか髪留めが無くなっていたのだった。

 

「ええ。いつの日か、無くしてしまって」

 

「とても似合ってたのに、残念です」

 

 唯姫はふーんと言って立ち上がる。隣に座っていた私も、釣られるようにゆっくりと立ち上がる。

 

「澪様は身体洗いました?」

 

「いえ、まだ洗ってません」

 

「あっ、じゃあ私先にあがってますね」

 

 温泉はただの銭湯と違い、身体を洗うのはお湯に入った後の方がよい……という話を聞いたことがあった。詳しいことは知らないが、温泉の成分が云々ということらしい。

 

「少し待ってください。唯姫さんは、この後どう動くのですか?」

 

「私は一回校舎に行きますよ。澪様は出来るだけゆっくりしていてください。ひょっとしたら、休んでいられる状況じゃ無くなるかもしれませんから」

 

「温泉に入った後なのに、大変ですね」

 

「澪様の為です!」

 

 一体何が、唯姫をここまで突き動かしているのだろうか。私には到底分からない。

 

「校舎……というと、やはり殺人現場ですか?」

 

「そうですね。今日くらいしか入れないかもしれないので」

 

 殺人現場────新聞には『呪いのスポット』と書いてあった。唯姫の話によると、二年寮棟がある敷地らしい。

 

(呪いのスポットって何なんだろう……)

 

「そういえば唯姫さん」

 

「はい、何でしょう?」

 

「殺人現場が『呪いのスポット』であることには、何か理由があると思いますか?」

 

「…………知りませんよ、そんなこと」

 

(────?)

 

 おかしい。今、唯姫は明らかに目を逸らした。何かへの拒絶反応だろうか。

 

「もう一度聞きます。『呪いのスポット』であることは、何か関係がありますか?」

 

「知らないって言ってるでしょう」

 

(…………これは、問いただすべきかもしれない。唯姫には、私に隠していることがまだまだある筈だ)

 

「質問を変えましょう。唯姫さんは『呪いのスポット』について何か知って────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめてええええええええええええええええええええええええっ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(────っ!?)

 

 瞬間、唯姫が温泉内に響き渡る声で叫んだ。その声に驚き、私は一歩後ずさる。

 

「…………唯姫さん?」

 

「あそこはっ! 呪われてなんかっ…………!」

 

「私も呪いなんて信じていません」

 

「違う! 違うのっ!!!!!! 」

 

「そうですね、違います」

 

「私は…………なに、も…………」

 

「はい、唯姫さんは何も知りません。私も何も知りません」

 

「…………」

 

(少しは落ち着いた────かな?)

 

 唯姫は手を胸にあて、動悸を抑えているようだ。肩は上下していて、呼吸は荒い。

 

「一旦温泉の外へ出ましょう。私は身体を洗ってますから、先に行っててください」

 

「はい…………」

 

 落ち着きを取り戻したのだろうか、唯姫の呼吸は普段通りに戻っている。少しの間を置き、私はシャワーの方へと歩き出す。横目で唯姫を見ていると、ゆっくり、ゆっくりと彼女は歩き始めた。どうやら温泉の出口へ向かったようだ。

 

(『呪いのスポット』と唯姫の過去の関係────探らないわけには、いかないかな)

 

 温泉で温まった身体は、この数分ですっかり冷えきっていた。シャワーの前の椅子に座ると、お尻がひんやりと冷たくなる。

 

 シャワーを出し、さっと身体を流したらタオルに備え付けのボディーソープをつける。私の頭は妙に冷静で、平然と行動を続けている。

 

(今日はこの後どうしよう…………言われた通りに部屋で休むか、唯姫の後を追っていくか。でも、追っていくメリットは特に無いかな。唯姫が本当に二年寮棟を調べるというのなら、私が確認できることなんてほぼ無いに等しい。唯姫にバレるリスクだけを抱えることになる)

 

 身体をタオルで擦りながら考える。

 

(追わなかった場合、私が得られる情報は唯姫の話だけということになる。それは悪い事では無いかもしれないけど、唯姫を信用できない今、あまり取りたくない選択だ)

 

 泡だらけになった身体をシャワーで流し、タオルを絞る。温泉に入った後だというのに、まったく休まった気がしない。

 

 そうして今後の事に頭を悩ませながら、私は温泉を出ていった────



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M0-1 偏愛

 

 

 

【十月一日木曜日午前六時三十五分 英ヶ野女學校 第三訓練場】

 

 

 

「あっ、心葵みき先輩! おはようございます!」

 

「ええ、おはよう」

 

「こんなに早い時間からどうしたんですか?」

 

「少し動きの確認をしようと思ってね、貴女も一緒にどう?」

 

 笑顔でそう返事をしてくれたのは同じレギオンの先輩────『LGイシュタム』隊長、頓宮はやみ心葵みき。私がこのレギオンに所属してから何かと、面倒をよく見てくれている。

 

「いいんですか! あっ、でも……私、今日は射撃の練習にと思って来てたんでした……」

 

「そういうことなら、私の訓練が終わってからで良ければ少し見に行くわ」

 

「やった〜! それじゃあ先に射撃場に行ってますね!」

 

 心葵先輩は、英ヶ野トップの実力を持ちながら、私にいつも優しく接してくれる。心葵先輩みたいなリリィを目指してるっていう友達はとっても多い。

 

(今日の心葵先輩も優しいなぁ〜)

 

 一度床に置いた荷物を背負い直し、心葵先輩の姿を名残惜しく目で追いながら、第三訓練場内の射撃場へと向かう。

 

 よいしょと背負ったバッグの中には、愛用CHARM『フンアフプー』が眠っている。これは、私立英ヶ野女學校に入学したリリィが誂えてもらえる、選べる二本の量産型CHARMのうちの片方だ。

 

 もう一方は『イシュバランケー』というCHARMである。フンアフプーが射撃に重きを置いたCHARMであるのに対し、イシュバランケーは射撃機能は搭載しておらず、斬撃のみで戦うこととなる。

 

 中等部時代から後衛でサポートを働いていた私は、迷わずフンアフプーを選択した。

 

(はやく上手くなったところを見てもらいたいな!)

 

 毎朝射撃場に赴いてはただ一人、淡々と的を射抜く。入学当初からのルーティーンだ。そこに偶に顔を出してれるのが、心葵先輩である。

 

 そうして、期待感で浮かれながら射撃場に足を踏み込む。すると、またもや見覚えのある姿が目に映った。

 

「────あれ、叶愛かなめ先輩ですか? おはようございます!」

 

 腰をかがめ、どうやらバッグの中を漁っているようだ。

 

「あっ……おはよう……」

 

 なんとも弱々しい挨拶が帰ってきた。

 

 頓宮はやみ叶愛かなめ先輩────今しがた第三訓練場にて会った心葵先輩の、双子の妹。

 

 容姿は黒髪ロングの華奢な姿で、心葵先輩と全く同じと言っていい程にそっくりだ。服装まで同じとなると、いよいよ判別がつかなくなる。唯一見分ける方法といったら────それは、姿勢だろう。

 

「えっと、なんかあったんです?」

 

「いえっ……ちょっと、探し物を……」

 

「無くし物ですか?」

 

「うん……あの、携帯を無くしちゃって……」

 

「あら、それは大変ですね。探すの手伝いましょうか?」

 

「ううん、大丈夫だから! えっと……部屋に戻って探してみる……」

 

 叶愛先輩はそう言うと、そそくさと反対側の出口から出ていってしまった。その後ろ姿はどうにも頼りない。

 

「あっ、それじゃあまた後でー!」

 

 去っていく叶愛先輩に、別れの挨拶をかけてみる。聞こえているかは怪しい距離だ。

 

(よし、それじゃあ練習はじめようかな)

 

 背負っていたバッグを置き、中からフンアフプーを取り出す。すっかり手に馴染んだCHARMの感触は、自らがリリィであることを毎度思い出させてくれる。

 

 定位置につくと、奥にある的が自動的に新しいものに入れ替わる。これまた便利な装置だと常々思う。

 

(ふう────)

 

 呼吸を整えCHARMにマギを通わす。この瞬間、CHARMの重さが一時的に消え、手から浮かぶような感覚を得る。

 

 いつか教えてもらった通りにCHARMを構え、落ち着いて的を見据える。そして────

 

「────っん!」

 

 ポスッ────という軽い音が聞こえ、的から少しハズれた場所に穴が空いていた。

 

「う〜ん……」

 

 気を取り直しもう一度、先程と同じ構えをとる。

 

(今度こそ……っ!)

 

 再び的を見据え、そして────射る。

 

 弾けるような音とともに、的には一つの穴が空いていた。一発目を外してしまったことは心に残るが、射撃の威力は入学時よりも少し上がっていることを実感している。

 

(悪くない……んじゃない?)

 

 適当に自分の射撃の評価をしつつ、また次の射撃へと移ろうとする。一発打てばすぐ次へ────気がつけば、時間を忘れるくらいにまで熱中し、打ち続けていたようだ。

 

 一通り打ちきり、的には沢山の穴が空いていた。集中力が切れ、手に抱えていたCHARMを台へと降ろそうとした。

 

 そのとき────

 

 

 

「────うーん……まあまあ、かな!」

 

 

 

 射撃場の入り口の方から、待ちわびていた声が聞こえてきた。振り向かずとも、心葵先輩が来てくれたのだとすぐに確信する。

 

「心葵先輩! 来てくれたんですね!」

 

「当たり前じゃない、可愛い後輩ちゃんとの約束よ? 破るワケないでしょう」

 

 可愛い後輩ちゃん────なんていい響きだろう。顔を綻ばせながら、頭の中で何度も反芻する。

 

「いつから見てたんですか? 恥ずかしいなあ……」

 

「ついさっき入ったばかりよ。貴女、随分と熱中してたみたいだったから、邪魔したら悪いと思って」

 

「いえいえ! 邪魔だなんてそんな!」

 

「ふふ、それにしても上手くなったわね」

 

「やった、ありがとうございます!」

 

 人は褒められると成長するものだ。私も例に違わず成長する────と、嬉しいかな。

 

「ところで……」

 

「はい、何でしょう?」

 

「そろそろ行かないと、一限目が始まっちゃうわよ?」

 

「えっ!? もうそんな時間……!」

 

 焦って携帯を取り出し時間を確認する。そして、ハッと驚く。訓練場に入った時刻から、実に一時間も経過したところだった。

 

「すいません! 私はこれでっ!」

 

 頭を思いっきり下げ、手早く荷物を纏める。せっかく来ていただいたのに、勿体なさと申し訳なさとでいっぱいだ。しかし、講義に遅れてしまうワケにはいかない。

 

「頑張ってきてね」

 

 心葵先輩が、にこやかな顔で手を振ってくれた。私にはとても眩しい。

 

「あっ、ちょっと待って!」

 

 射撃場を飛び出そうとしたところで、心葵先輩から声を掛けられた。

 

「えっと……なんでしょう?」

 

「私から一つアドバイス。そんなに焦らずとも、ゆっくり余裕を持つといいわ。最近の貴女、何か焦っているようだったから」

 

 焦っている────その言葉に、思い当たることは沢山ある。練習しても上手くならない日々と、どんどん成長していく周りの友達。そんな環境の中、意識しながらも焦っている自分が確かにいた。

 

「……心葵先輩にはお見通しなんですね。ちょっと焦ってたかもしれません。もっと余裕を持つように心掛けてみます!」

 

「あっ、でも」

 

「でも……?」

 

「講義には遅れちゃダメよ」

 

「はい!」

 

 そうして、心葵先輩の言葉を一つ一つ思い返しながら講義がある教室へと駆けていった────



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L13 可能性

 

 

 

【十月二日木曜日午後九時五十分 温泉宿 泉海】

 

 温泉を後にした私は、脱衣所にて濡れた髪を乾かしていた。

 

 ここに唯姫の姿は無い。家に戻っているのだろうか、はたまた既に校舎へと向かっているのか。

 

 備え付けられたドライヤーの出力は弱く、腰まで伸ばされた長い髪はまだまだ乾きそうにない。

 

「はあ──」

 

 短い溜息をつき目を閉じる。辺りは真っ暗闇となり、機能している筈の聴覚までもが感覚を閉ざす。すると、徐々に思考が秩序を取り戻していく。こうして考えるための姿勢は整う。

 

 ────『呪いのスポット』

 

 この言葉が頭の中にへばりつき、まるで取れそうにない。いくら思考を切り替えようと、片隅から消えていくことはない。

 

(呪いのスポットと唯姫の関係────)

 

 何か繋がるものはないか。疑問を解決してくれる何かはないか。必死に、しかし冷静に情報パズルを組み立てる。

 

(そもそも呪いのスポットってなんだっけ……?)

 

 唯姫の言葉を頭の中で繰り返す。

 

 ────『ほら、呪いのスポットなんて、子供らしい呼ばれ方をするようになったキッカケの事件です』

 

 違う、その前だ。私は何を聞いて、唯姫は何と応えただろうか?

 

 ────『まあ、英ヶ野上層部はだいぶごたついてるって感じはしましたね〜。なんせ、英ヶ野女學校で殺人事件なんて十年来ですから』

 

 唯姫の話によれば、呪いのスポットは十年前の殺人事件からそう呼ばれはじめたらしい。その事件というものを調べれば、少しは手掛かりになるだろうか?

 

 可能性は薄いが、過去の事件と今回の事件が繋がっている可能性だって否定はできない。いや────

 

(唯姫は呪いのスポットについて詮索されることに対し、強い拒絶反応を示した。彼女が事件に関わっている可能性は────!?)

 

 …………おかしい。事件が起こったのは十年前────つまり、私が七歳の頃だ。当たり前の話だが、そのときの唯姫は英ヶ野に在籍などしていない。

 

 分からない。私には呪いのスポットに関する情報が一切無い。十年前の事件の概要も、唯姫との関係も。

 

(調べてみる価値は十分にある……か)

 

 唯姫とは別で行動して自ら情報を手に入れよう────そう決意し、ゆっくりと目を開く。鏡に映った私の姿がぼんやり目に入る。

 

 熱風にあてられ続けていた輝くような銀髪は、とうに乾ききっていたようだ。慌ててドライヤーを冷風に切り替え、毛の先まで冷やしていく。

 

「──はあ」

 

 もう一度溜息をつき直し、ドライヤーの電源を切る。その空間に残ったのは微かな換気扇の音。その静けさから逃れるように、重い椅子から軽い腰をあげた。袖を通した制服は脱ぐ前よりも、この小さな身体にずっしりとのしかかっているように感じる。

 

(とりあえず、外に出ようかな)

 

 今は夜風にあたって涼みたい気分だ。それに、そろそろ閉館してもおかしくない時間だろう。流石にそろそろ出なければなるまい。

 

 そうして足早に外へ出ると、先程まで晴れ渡っていた深闇の空が、鈍色の雲に覆われはじめていた────

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

【十月二日木曜日午後十時五分 茅ノ間唯姫の自室】

 

「入りますよ」

 

 唯姫の部屋の前まで戻ってきた私は、扉をコンコンと二回叩き、部屋の中へと声を掛けた。

 

「…………」

 

 ────ある程度予想はついていたが、やはり返事は無い。

 

 扉を開けてみるものの、そこには誰も居なかった。やはり唯姫は既に校舎へと向かい始めてしまったのだろうか?

 

 部屋に戻ってきた形跡は────特に無いように思えるが、戻っていた可能性は否定できない。

 

 唯姫が校舎へ向かっているのだとしたら、その移動手段は自転車か、はたまた別の乗り物か。何にせよ、歩いていこうと考えられる距離ではない。

 

 バスで来た私が校舎へ向かうには、徒歩以外の選択肢が残されていない。今から唯姫に追いつくことなど到底叶わないだろう。

 

 可能であれば唯姫から目を離すことはしたくなかったが、こうなってしまったものは仕方が無いと割り切ろう。それに、この部屋についても気になる事は山ほど残されている。今、無理に彼女を追う必要は無い……と、思う。

 

(もっと調べられるところはあるかな)

 

 唯姫の影が消えた部屋の中を改めて見渡す。

 

(あの写真……映っているのは、やっぱり唯姫じゃない……?)

 

 よくよく見れば、唯姫のような唯姫でないような、もしかしたら似ているだけの人物なのかも知れない。

 

(いや、そんな筈はないか)

 

 唯姫の自室にある写真だ、全く関係のない人物の写真なんて飾らないだろう。しかし、この写真は十年前に撮影されたものらしい。だとすると────

 

(……あれ、十年前って────)

 

 

 

 ────十年前の事件。

 

 

 

 ふと、脳裏にその言葉が思い浮かぶ。

 

 先程から、身体の芯から冷えていくような、得体の知れない寒気を感じている。

 

(十年前の写真に十年前の事件。考えられることは……)

 

 写真に映っているのが唯姫ではないとすると、似たような誰かかもしれない。親かもしれないし、姉妹の線だってある。

 

(────っ! もしかして……)

 

 そして、ある一つの仮説へと辿り着く。

 

 

 

 実は、唯姫には姉が居たのかもしれない。その姉が十年前の事件に巻き込まれ、命を落とした。姉の面影を無くさないように、今でも昔の写真を飾り続けている────というのはどうだろう?

 

 唯姫が『呪いのスポット』という呼び名に対して批判的であった事についても、これなら説明がつく。

 

 決定づける証拠などは何も無いが、全く考えられない話ではない。今のところは明確な矛盾も思い浮かばない。

 

(でも────)

 

 ある程度筋の通った仮説を建てられて気分の良くなったところで、思い直す。

 

 ────写真がどのようなものかと分かったところで、今の事件の何が解決するという話ではなかった。それに、これはただの仮説だ。正しいと証明するための手段など私は持ち合わせていない。

 

「んん〜っ! ふう……」

 

 身体の中に潜む異物感を吐き出すかのように、深々と息をした。これは溜息ではなく深呼吸だ。力が抜けた腰を、唯姫が座っていた勉強机の椅子に下ろす。

 

 

 

 さて、一旦状況を整理しよう。

 

 十月一日午前十一時以降、英ヶ野女學校の寮棟二年棟敷地内にて殺人事件が起きた。犯人は未だに見つかっていないらしい。そして私は今、頓宮教導官に目をつけられている。殺人犯として疑われているということだ。

 

 一番の謎である茅ノ間唯姫は、何故かは分からないが私の味方をしていてくれる。

 

 ────ただ、彼女にも不可解な行動は多々ある。

 

 一番初めに今日の行動の予定を尋ねたとき、唯姫は『明日になったら探りを入れる』と応えていた。しかし、温泉で再度尋ねたときは『この後校舎に行く』と応えていた。その言葉通りであれば、彼女は今校舎へと向かっている最中だよう。

 

 唯姫の考えを変えたような何かがあったとしたら────勘解由ななからの電話が真っ先に思い当たる。頓宮教導官の名前が出たときから、唯姫の表情は明らかに変わっていた。頓宮教導官と唯姫の間には、絶対に何かしらの繋がりがある筈だ。

 

 その繋がりが何かは分からない。特段仲がいいといったような話も聞いた事が無いし、かと言って仲が悪いという話も聞いていない。

 

 ────そもそも、唯姫は本当に私の味方をしているのだろうか……?

 

 もし味方でなかったとしたら、私を裏切るパターンなどいくらでも思い浮かぶ。寝ている間に私を突き出すかもしれないし────唯姫が殺人犯で、私を利用しているのかもしれない。

 

(────っ!)

 

 

 

 何故、今までこの可能性を考慮していなかったのだろう。

 

 唯姫が殺人犯である可能性だって全く有り得ない話じゃない。何故私を傍においておくかなどの様々な疑問はあるが、否定はできない。

 

 一番分からないのは、唯姫の動機についてだ。勿論、分からないのはそれだけではない。裏では私の知り得ない何かが大きく動いているのだろう。

 

 結局、私は何か考えるだけ無駄だということだろうか? 唯姫のいいなりになれば事は解決してくれるのだろうか?

 

 

 

 ────認めたくない。

 

 

 

 私のこれからは、私が決める。今置かれたこの現状は、今まで行動を怠ってきた分のツケなのかもしれない。そうだとしたら、そのツケは今ここで返さなければいけないのだろう。

 

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、床に置いたリュックに手をかける。

 

 ポツ、ポツッ────耳を澄ませてみれば、雨の滴るような音が部屋の外から聞こえてきた。

 



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N14-1 京極澪のようななにか

 

 

 

【十月二日木曜日午後十時四十五分 学生寮 勘解由ななの自室】

 

「ねー、明日からどうする?」

 

 後ろから掛けられた声に反応し、シャーペンを動かしていた手を止める。振り向いてみれば、私のルームメイト────眺夢ノ原ながめのはらエナえなが、二段ベッドの上段から身を乗り出し、こちらをじんまりと見下ろしていた。

 

「ん? どうするって?」

 

「明日からずっと暇になるよね。外にも出れないし、あ〜どうしよ〜……」

 

 いつも思うが、彼女の声は随分と気が抜けている。

 

「それなら勉強しなよ。エナだって進学するつもりなんだよね?」

 

「そんなコト言ったっけ〜、覚えてないや。勉強だけはしたくない〜」

 

「まったく……まあたっぷり時間はできたけどね」

 

 

 

 ────『時間ができた』。そう、久々の休暇だ。といっても、例の事件のせいで休講になっちゃっただけなんだけど。

 

 

 

「そうそう、せっかくの休みなのに、勉強ばっかりだと疲れるよ〜。ななだって、もっと休んだらどう?」

 

「私はしっかり休んでるよ。エナはちょっと休みすぎじゃない?」

 

「あたしだって、いっつも動き回ってるよ〜。なんなら休み足りないくらいだよ」

 

 休む時間が出来るのは嬉しいことだ。でも、休講といっても完全な休みになるワケじゃない。私たちにはリリィとしての責務────ヒュージの討伐の当番がある。

 

 ヒュージが出現したとあらば、当番のリリィが出動しなければいけない。

 

「そういえばさ、エナの当番はいつだっけ?」

 

「あたしは金曜日だよ〜。うーん、ななは大変だよね。メイゾールのメンバーだからいっつも出動してて」

 

「そんな事ないよ。まあ、ちょっと大変な先輩はいるけど……」

 

 

 

 そんな会話をしていると、携帯がピピッピピッ────と鳴り出した。

 

 

 

「ななの携帯〜?」

 

「うん、ちょっと外出てくるね」

 

「はーい」

 

 着信は────ちょっと大変な先輩からだった。

 

(澪様の方から電話だなんて珍しい……)

 

 いつも通りさっと移動してサンダルを履き、扉を開けて外に出る。手に持った携帯は細かく震えている。

 

「はい、勘解由ななです」

 

 そして、電話を耳にあてたまま談話室へと移動する。

 

『────ん─────────て───い』

 

「はい? あれ、澪様?」

 

 澪様の声が微かに聞こえる────が、それ以上に大きいノイズが声を邪魔してくる。

 

『───です───て──さい』

 

「澪様、なんか声が聞き取りにくいです」

 

 

 

 

 

『──────お願いです、助けてください』

 

 

 

 

 

(────っ!!)

 

 ノイズが晴れ、聞こえてきたのは助けを求める澪様の声だった。

 

「どうしたんですか!?」

 

『すみません、電波のいい所に移動しました』

 

「助けてくださいって……」

 

『勘解由さん、お願いがあります。どうか、私を助けてください。厚かましいということは分かってます。でも、今の私は勘解由さんに頼るしかありません』

 

 澪様の声は落ち着いている……ように思えるが、いつもより口調が走っている。相当に焦っているのかもしれない。

 

「助けてくださいだけじゃ分かりません! 何があったんですか!?」

 

『少しだけ説明が長くなります。一から説明するので、聞いてください』

 

 

 

 ────こうして、澪様は語り始めた。

 

 

 

『事情があって、茅ノ間唯姫さんの自室付近にいます。なので、私がそちらへ向かうことが出来ないことを前置きしておきます』

 

「まだ海岸の方にいるんですか!?」

 

『落ち着いて聞いてください。そして今、私は殺人事件の容疑者として第一候補に挙げられているそうです』

 

「えっ…………」

 

 殺人事件の────容疑者。すなわち、殺人者。本当に澪様が疑われているのだろうか?

 

『これは茅ノ間さんからの情報です。確証はありません』

 

 どうしてここで、茅ノ間唯姫の名前が出てきているのだろうか?

 

『────彼女の話によれば、頓宮教導官が私を疑っているとのことでした。茅ノ間さんは私を助けてくれる────と言ってはいましたが、正直信用なりません。しかし、茅ノ間さんを頼るしかないというのもまた事実です』

 

「澪様、待ってください」

 

『何でしょうか?』

 

「さっきから茅ノ間さん茅ノ間さんって言ってますけど、どうしてそこまで唯姫さんのことを信じてるんです?」

 

『どうして……?』

 

「冷静に考えてみてください。そんな突飛な話、まず信用出来なくて当然じゃないですか」

 

『信用はしていません。ただ、有り得ない話ではありませんし、仮に本当だった場合の危険が…………』

 

 ────一体何を馬鹿げたことを言っているのだろうか、澪様は。現実的に考えたら有り得ない話だろう。

 

「だって、考えてみてください。ただの一生徒に過ぎない唯姫さんに、そんな行動力があると思いますか? しかも、私たちも知らない事件に関する話を知ってるなんて。明らかにおかしいですよ」

 

『…………茅ノ間さんとのやり取りについては後で会って話します。電話口で話しても明確に伝わりませんから』

 

 話を聞いてみれば聞いてみるほど、変な違和感だけが積もっていく。

 

「私も百パーセント否定するワケじゃないですけど、唯姫さんの戯言かもしれませんよね?」

 

『ええ、そうですね』

 

(なにか、おかしい気がする。いつもの澪様じゃないというか────そうだ、言ってることと行動が乖離してるような感じ)

 

 いつもの澪様なら、他人の言うことに耳を貸すことなんて、無い。

 

「……まあいいです。それで、私は何をすればいいんですか?」

 

『そうですね、ここからが私のお願いです。勘解由さんには茅ノ間さんの“尾行”を頼みたいのです』

 

「えっ…………」

 

『ちょうど今、茅ノ間さんが英ヶ野の敷地へと向かっている筈です。多分2年棟へと向かうでしょう、そこでバレないように隠れながら彼女の動向を見ていてください』

 

 なんとも不確定な指示だ。澪様らしくもない────なんて思ってしまうのは、果たして私の感覚がおかしいからなのだろうか?

 

「来なかったらどうするんですか?」

 

『絶対に来ます。私を信じてください』

 

(今、世界で一番信用できないのが澪様────貴女なんですけど)

 

「自信満々に言われても困ります。まずは自分の行いを振り返ってみてください」

 

『振り返りました。私を信じてください』

 

「今のはどう考えても振り返ってる間の長さじゃないです! ちゃんと振り返ってください!」

 

『…………』

 

「…………」

 

『…………振り返りました』

 

「本当ですか?」

 

『本当です』

 

「はあ……今回だけですよ? もうこんな頼み事なんて聞きませんからね?」

 

『それは困ります』

 

「じゃあ今回も聞かないです!!」

 

『やっぱり困りません』

 

 まったく澪様は────やれやれと思いつつも、いつもの澪様の調子が戻ってきていることに、少しだけホッとする。

 

「はあ……それで、私は今から唯姫さんを監視しに行けばいいんですよね?」

 

『はい。念の為携帯を持って、いつでも連絡を取れる体制でお願いします。時間的にはもう茅ノ間さんが到着する頃でしょう、そろそろ通話を切ります』

 

「なんでこんなことになったのかは後で詳しく聞きますからね!」

 

『はい。それでは切りますね』

 

 プチッ────ツー、ツー……

 

 

 

 澪様に問い質したいことは沢山ある。納得いかないことも沢山ある。でも────

 

(もう、なるようになれ……か)

 

 携帯をパジャマのポケットにしまい、そのまま自分の部屋へと戻る。廊下に人気は一切なく、今が夜中であることを嫌でも認識させられてしまう。

 

 ゆっくりと自室の扉を開ければ、エナが眠たそうに声を掛けてきた。

 

「おかえり〜。誰から?」

 

「澪様から。ちょっと用事が出来ちゃったから、もっかい外出てくるね」

 

「大変だねぇ、いつも」

 

「あはは……それじゃ、行ってくるね」

 

「はーい気をつけて〜。あっ……」

 

「ん? どうしたの?」

 

「……いや、何でもないよ〜」

 

「そう……」

 

 なんとも締まらない挨拶をし、サンダルからスニーカーに履き替えそのまま自室を後にした。

 

 ふと廊下の窓を見ると、蛍光灯の光で自分の顔が鏡のように映し出されている。それは、いつも通りのようで、どこか寂しげな表情だ。

 

(澪様…………)

 

 大丈夫、何事も無いハズだ。そう頭の中で繰り返しながらも、拭いきれない不安は大きくなっていく一方だった────



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M14-2 とけない記憶

 

 

 

 ────暗い。

 

 辺りの景色が、何も見えない。

 

 家を出る前まで月明かりで照らされていた天球は、次第に翳りはじめ、今では星の一つも浮かんでいない。

 

 自転車を漕ぎ続けているその足は疲労でどんどん鈍くなり、家を出たときに比べて進むスピードが落ちている。

 

「ははは……」

 

「大丈夫、私は何も間違ってない……よね」

 

 虚空を見上げ、何度も何度も確認する。私の記憶に間違いなんて、絶対に無いんだ。

 

 

 

 昔も────今も。

 

 

 

「こういうのを“運命”っていうのかな?」

 

 忘れた事なんて一度もない。

 

 思い出さない日なんて一日もない。

 

 現実は後ろから見張ってくる。

 

 悪い夢は──────

 

 

 

「ふふっ…………なんでこんなコトになっちゃったのかなぁ」

 

 私のせい? 私のせいなの?

 

 いや、違う。違うと信じたい。

 

 私は悪くなんかない。悪いのは────

 

 

 

「────あれ、誰が悪いんだろう?」

 

 

 

 今回の出来事、誰が澪様をこんな目に遭わせたの……? 誰も澪様を傷つけちゃいけないのに……

 

 ああ、そうだ。悪いのは犯人だ。

 

 何も迷うことなんてなかった。

 

 私が犯人を見つけ出して…………

 

 

 

 

 

 ────この手で消してしまえばいいんだ。

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 なぁんて。そんな簡単な話なら、今更こんなコトにはなってないさ。ホント、どうすればいいのかなぁ。私にはもうわからないよ。

 

 ああ、なんだか肌寒いけれど、疲れた身体には夜風が気持ちよく感じる。

 

 そういえば、今日の天気は曇のち雨だったっけ。結局雨は降らなかったけど、カッパでも持ってくるべきだったかもしれないね。

 

 

 

(あれは…………)

 

 よく目を凝らしてみると、道の先に灯る、二つの光があった。

 

(パトカー?)

 

 気がつけば、その光は私の方へと近づいてきて────そして、私の目の前で止まった。

 

 黒と白で塗られたその車体は、間違いなく警察の車だ。どうやら運の悪い時間に出会ってしまったようで、止まった車から二人の警官が出てきた。

 

「キミ、学生?」

 

 どうやら、今から私は職務質問されるらしい。

 

「はい。学生です」

 

「今は一人なのかな?」

 

「はい」

 

 私に話しかてきた警官は、ここではあまり見かけない婦警だ。いや────そもそも警官に会うことが少ないから、珍しいかどうかも分からないね。

 

「どこから来たの?」

 

「大山からです」

 

「帰る途中? それとも用事でもあるのかな?」

 

「えっと、おばあちゃん家に行く途中なんです。容態が悪くなったからすぐ来て欲しいって……」

 

 少し焦ってる様な口ぶりをしてみる。こういうのは雰囲気で乗り切るものだ。

 

「んーとね、一応未成年は、夜十時以降の一人での外出はダメってなってるんだよね」

 

「ごめんなさい……」

 

「身分証明書はある?」

 

「あっ……急いで来たから財布とか持ってきてないんです」

 

「ん〜……まあ、ホントはダメなことだから、今後は気をつけてね」

 

「はい……」

 

 ……意外とあっさり引き返してくれたものだ。警官二人はそのまま車へと戻っていった。それっぽい雰囲気出してれば、何とかなってくれるものだね。

 

 止まってるパトカーを横目に、自転車にまたがりペダルを漕ぎ始める。

 

 少し進んだところで後ろを振り向いてみると、パトカーはもう居なかった。追ってくることはないようだ。

 

 予想外の出来事で立ち止まってしまったものの、こんな所で時間をくっているワケにはいかない。本校舎まで急がなきゃ。

 

 

 

 …………目的地まではあと少し。



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