かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~ (あかのまに)
しおりを挟む

プロローグ
彼が迷宮へと挑むこととなった経緯


 

 

 

 

迷宮は、賢しい草花が羽虫を誘う蜜の如く、魅力的だ。

 

 

その蜜が毒で、死に至らしめようとも、その魅力は褪せることは無い。

 

 

【名も無き冒険者達の警句集】序文より抜粋

 

 

 

 

「嘘だ。ぜってえ嘘だ。なあにが蜜だバカヤロウ」

 

 この言葉はどこで聞いた話だったか、と、少年は頭を巡らせようとした、が、考えがまとまらなかった。頭がぼやけている。身体が軋んでいる。いろいろなものが足りないと訴えている。

 

 休んで、何かを食べて、寝てくれと。

 

 だが、それは出来ない。昏く、狭い道を彼は必死に歩く。そうしないと死ぬからだ。

 

『GYAGYAGYA!!!!』

 

 彼の背後から異形が迫っていた。人の形をしているが、子供のように小さく、しかし醜く、潰れたような大きな鼻。頭には小さな角が一つ。小鬼(ゴブリン)、魔物と呼ばれる人類の敵対種が迫っていた。鈍く光った爪を伸ばし、身体を引きずるようにして迷宮を彷徨うヒトの子供の背中に向かって、その爪が振り下ろされ、

 

『GYAAAAAAAAA!!!!』

「うっさい……!」

 

 どす、という鈍い音は、少年からでは無く、小鬼の身体からした。

 少年の右手に握られていた細い槍だった。この地下回廊、【迷宮】で拾ったものだ。何処かの誰かが忘れたのか、死んだ結果の遺留品かもわからないものを少年は振るい、そして小鬼を串刺した。

 

『GYA!?』

 

 反撃に驚いた2匹目の小鬼の脳天に槍を振り下ろす。元々柄が古く傷んでいたのだろう。中心から大きく軋み、真っ二つにへし折れた。残された最後の小鬼は、その様をみてにたりと口を歪め、半ばでへし折れた槍を握った少年は忌々しそうに折れた先端を睨んだ。

 

『GYAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 仲間を二体失いたった一人になって尚、微塵も殺意を萎えさせず襲いかかってくるその様は、紛れもなく人類の敵対種だった。小鬼は爪を今度こそと少年の頭に振り下ろす。少年は折れた槍を横に構え、防ぐ。ひび割れる。残された柄の部分もとっくの昔に耐久力は限界だった。割れて、砕けて、そのまま爪は少年の頭へと伸びる。

 

「………!!!」

 

 すんででそれを回避出来たのはとっさの反応かたまたまか、柄が砕けると同時に倒れ込むようにして前に身体を倒した少年は、結果としてその爪を回避した。少年はそのまま小鬼の身体を押しのけ、へし折れたもう片方の槍の先端、鈍い槍の刃を素手で引っ掴んだ。

 

「だぁあ!!!!」

『GAAAAAAA!?』

 

 叩き込まれた刃の先端は、槍としての機能を失ったためか半ばまでしか小鬼の身体を貫くには至らなかった。故に、少年はそのまま身体を貫いた刃を掴み、姿勢を低くして身体ごと突進した。近くの壁に小鬼をたたき付けた衝撃で刃は小鬼の身体を貫き、臓腑を破壊した。

 

『GA!!!?』

 

 びくりと小鬼の身体が痙攣し、そして絶命した。

 

「…………しぬかと、思った」

 

 少年はゆるゆると立ち上がると、そのままフラフラと壁に寄りかかった。刃を掴んだ右手を抱え、痛みに唸る。その間に、3体の小鬼の死体はみるみるまにその肉体を崩していく。まるで迷宮に溶けていくように。そして死体があった場所に三つの、青紫色の石が転がった。 【魔石】と呼ばれる魔力の結晶を少年は見て、一瞬どうするかと迷うように天井を見上げ、その後溜息をつきながら、怪我をしていない左手で魔石を掴むと懐に入れていった。そして再び移動を開始する。

 

「帰ったら二度と迷宮探索なんてしない」

 

 この上なく苦々しい愚痴を吐き出しながら、少年――ウルは歩き続けた。

 彼がこのような苦難に見舞われる羽目になった経緯は、およそ数日前に遡る。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 迷宮大乱立時代

 イスラリア大陸

 大罪迷宮都市グリード

 

 地の底から迷宮が溢れ、魔物が溢れ、ヒトはその支配領土を大幅に失い、限られた土地の中で、多種多様なヒトと、そしてそれらの上位存在である精霊達とが生きていく世界。

 

 ウルと呼ばれる【名無し】の少年、安全な都市の中で住まうことが許されず、都市と都市の狭間を放浪する流浪の民。彼が何故に地下の迷宮に落ちる羽目になったのか。その最初のきっかけは父親の病死からだった。

 

 1,死の間際に父親に借金を告げられた

 

「アンタ本当にどうしようもないろくでなしだったけど死んだら埋葬くらいはしてやるよ」

「すまんなあウル……これは遺言だが、実は妹のアカネが借金のカタになっててな」

「は???」

 

 2、借金取りに捕まる

 

「すまん、アカネの事をたの………」

「は?オイ待て死ぬな俺が殺すから。……マジか死にやがった」

「おーっす借金取りでーす!いるかークズ-!!!」

「話がはやい」

 

 3,大罪都市グリード周囲に存在する迷宮鉱山に強制労働の任に就く。

 

「おめえの馬鹿親父が借金のカタに、妹を差し出したんだよ。正式な契約だ。ほれ書類」

「その借金分俺が働いて返すので妹を売り飛ばすのは勘弁してほしい」

「金貨10枚だぞ?」

「あの親父マジで殺す」

「死んでるけどな」

 

 このように、ウルと、ウルの妹の運命は極めて迅速に、流れるように奈落へと落ちた。

 ウルは妹と離ればなれになり、迷宮で獲得できる都市運営のエネルギー資源、【魔石】の発掘のため、迷宮での魔物退治を強いられる羽目になった。

 

 言うまでも無く、迷宮の魔物退治は危険だ。

 

 魔物退治を生業としている【冒険者】だって、人数を揃え、装備を調え、安全に倒せる魔物を選んで狩るのが普通なのだ。なのにこの職場にまともな装備が与えられるわけも無い。

 要は、ブラックな環境だった。このまま此処で働き続ければ早晩死ぬ。ウルはソレを理解した。

 だが、妹が売られた金貨10枚は、此処で得られる駄賃では到底集まらない。

 どうにかしなければ。

 

「そんなに金返したいなら、良い仕事があるぜ?」

 

迷宮探鉱の責任者である小人(こびと)の男から提案が持ちかけられたのはそんなときだった。

 曰く、ウル達が働く迷宮とは別に存在する小規模迷宮の奥に、迷宮の“核”と思しき反応があったのだという。その奥地を探索する斥候をしてこいというのが彼の依頼だ。

 

 何故、ウルにそんな依頼が来るのか。誰もやりたがらないからだ。

 

 核があるということは“主”がいる。危険な魔物の中でも一際に危険な魔物。迷宮の核を守る強大なる存在。小規模迷宮といえどそのリスクは変わりない。

 その脅威を知る者は誰もそこには向かいたがらない。

 脅威を知らない者は、知らないが為に無謀に挑んでは帰ってこなかった。

 

 だから、ウルにまでこの話が回ってきたのだ。

 

「お前が様子見に行くってんなら斥候だけで銀貨1枚くれてやるよ。今のお前の給金と比べりゃ破格だろ?」

「核を取ってきたら借金チャラにするっていうなら行く」

「誰を強請ってやがるてめえ?」

 

 男の護衛であろう獣人に顔面を殴られた。鼻血が出たが、ウルは気にしない。

 

「約束しないなら行かない」

 

 小人特有の背丈の小ささ故か、下からのぞき込むような厳めしい形相をする雇用主に対して、ウルは一歩もたじろぎせず睨み返した。名無しとして生きてきたウルにとって侮られ、恐喝されることなど日常茶飯事で、故に知っている。こういう時に一歩でも退いてはいけないと。

 

「ハッ、いいだろ。やってみろよ。死ぬだろうがな」

 

 どうせ此処で働いても死ぬのは一緒だよ。と、ウルは口に仕掛けた言葉を飲み込み、頷いた。

 

「やってやる」

 

 かくして、無謀に限りなく近い挑戦は始まった。

 ウル自身この選択は分の悪すぎる賭けだと理解していた。が、このままだとゆっくりと弱って死ぬ、その確信があった。そうなった先駆者が既に何人か物言わぬ骨となって転がっていた。追い詰められた彼の崖っぷちの賭けだった。

 

 これが、彼が地下の迷宮でたった一人落ちる羽目になった経緯である。

 

 迷宮という魔と欲望の坩堝に堕ちた経緯と考えると、はっきり言ってややありきたりだ。

 事実、ウルという少年はまぎれもない凡人であり、今日まで生きてきた中で、特別なことなど一つもなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だから、今日まで多くの凡人たちが迷宮の奥地に沈んだのと同様に、彼もまた名もなき亡骸として墓標を連ねる、はずだった。

 

 この賭けが、決断が

 自分と、

 妹と、

 迷宮と、

 竜と、

 勇者と魔王と精霊と神と世界と

 その他諸々を運命の激流へと巻き込むことを決定づける事になるのだが、

 

 この時点での彼には知る由も無い。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女が迷宮へと挑むこととなった経緯

 

 其処は透き通るような静寂と深淵なる魔の力に満ちていた。

 

 神聖なる場所、白を基準とした巨大なる神殿。穢れの一切ない魔力に満たされ、そこに立ち入る者を静かに威圧していた。

 

 そんな神殿の中心に、二人の人間が存在していた。

 

 一人は神殿の中央、光注ぐ場所で静かに祈りを捧げる少女。小柄だが、その緩やかに波打つ銀髪に隠れた彼女の顔は美しく、そして色香があった。体つきも成熟した女性のものに見えるが、その顔にわずかに幼さを残していた。

 両手を組み、一心不乱に祈りをささげ続けるその姿は敬虔なる信仰者そのものだ。

 もう一方は、神殿の奥地で彼女の祈りを見守る50代半ばの男だ。身体は病的に細く、かけられた眼鏡の奥の瞳は険しかった。

 彼は静かに祭壇の前から降り、少女の前に立った。

 

「―――時は来た」

 

 男は、その目の奥と同じ厳めしい声で、少女に語りかける。静かに降り注ぐ彼の声を聴き、少女は静かに立ち上がる。

 

「万事は尽くした。私たちが持ちうる全てを、君に注いだ。後は君次第だ」

「はい」

 

 少女はその言葉を正面から受け止める。決してその美しさを揺らがせず。

 

「事が始まれば、最早私たちは君に何もしてやれない。君は一人だ」

「はい」

「過酷な運命に立ち向かわねばならない。君には多くの敵が襲いかかる。味方は少ない」

「はい」

「――――――――許してほしい」

 

 その最後の言葉は、思わず漏れ出たようなかすれた声だった。途端、先ほどまで厳めしくしていた顔を、男は崩す。堪えきれぬ、というように、苦痛に満ちた表情で、顔を手で覆った。

 

「許してほしい……許してくれ。済まない。御免なさい……!私たちは……!!」

 

 悲鳴のような声が漏れ出す。頭を掻きむしるようにして絞り出される懺悔の言葉は、しかし途中で途切れる。対面していた少女が、男の身体を包むようにしてそっと抱きしめた。

 

「良いのですよ。どうか、お任せ下さい」

 

 その声音はあまりに優しく、胸に飛び込んでくるような音色だった。苦悶に満ちていた男は、その言葉一つで、僅かに安らぎを取り戻していく。力が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 

「私の命を懸けて、貴方たちを救いましょう」

 

男の額を少女は優しく撫で、そして微笑むと、振り返った。彼女の眼前、静謐なる神殿の中心には、大きく巨大な、輝く扉があった。

 

「参ります」

 

 その言葉と共に、少女の姿は扉の奥へかき消えていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「どっかの誰かが突然やってきてカッコ良く妹と俺を助けちゃくれねーかな……」

 

 ウルは起こるとは全く信じていない奇跡を口にして、その妄想じみた願望を口にした。その現実味の無さに苦い笑いが零れた。

 一体どこの誰が助けてくれるというのだ。

 家族は妹、アカネだけだ。他に身内などいない。

 此処に入る前、“精霊達”には散々祈り続けたが、助けてくれるかと言えば、正直怪しい。何せ名無しだ。精霊達との繋がり薄いが故の名無し。都市に不要とされたが故の名無し。

 要は、彼にとっていつものようにいつもの如く、自分で何とかするしかないのだ。

 

「腹減った……」

 

 ろくな食事を与えられず、というのは、正直なところを言えば普段とあまり変わりが無いので、この空腹もいつものことだが、労働時間、魔物の討伐と魔石の発掘を行った上でのこの単独での探索はキツイものがある。

 そもそも普段の労働はもっぱら、魔物達を討伐隊に誘導する“囮”だ。単純に疲労の濃度が違う。

 

 疲労の理由を考え続けると余計に疲れる気がして、ウルは首を振った。今は目の前に集中しよう。

 

 現在ウルがいるのは問題の小規模迷宮の第二層、

 オーソドックスな【地下迷宮型】であり、階段を下るようにして降りていく迷宮だ。変動もせず、迷宮の形も固定。最終層、地下一層の最奥へと続くルートも既に開拓済みであり、ウルにはその道順の地図も渡されているため、迷うことはない。

 

 問題は、降りるに従って魔物の数が明らかに増えてきた事である。

 

 先ほどはギリギリ、現在の貧弱な装備のウルにも対処可能な小鬼であったが、それ以上の対処不能な魔物もちらほらと見えている。そのたびウルはルートを外れ、気配を隠し、必死にやり過ごしながら地を這うようにして前進していた。

 

 このまま先に進んだとして、主とやらは倒せるのか?

 

 厳しいだろう。というのがウルのおおよその予想である。現状武器は随分と痛んだ長槍が一本(しかも一度折れて自分の服のボロ布で補修)正直心許なさ過ぎる。

 小規模迷宮で、魔物も最下級、“第十三位”の小鬼くらいしかせいぜい出てこない。だが、主となればまた話は違う、かもしれない。そもそも主というのをウルはこれまで見たことがないので分からない。

 

 己の迷宮に対する知識の無さを悔やんだ。“名無し”はその職業選択の幅の無さから冒険者を志す者も多い、が、ウルは忌避していたために(ろくでなしの親父が冒険者としてウルと妹を振り回したので)迷宮の詳細には詳しくなかった。

 

 が、悔いても今更であり、知識が増えるわけでも無い。

 せめて警戒して、腹をくくるしかない。

 

「……あった」

 

 地下3層へと続く階段を発見し、ウルは足を踏み入れる。世界中に突如として発生した迷宮、ヒトの手を一切介さず生まれた超常的な建造物は、しかしこうしてヒトが利用する目的であるかのように通路が舗装され、階段まで用意されていることも多い。

 まるでヒトを地下深くに招くことが目的のようだった。

 ウルは生唾を飲み込み、階段を降り続ける。

 

 階段が途切れる。三層に到達した。同時に、此処がこの小迷宮の終点だった。

 

 三層は他の層のように通路が幾つも枝分かれするような迷路にはなっていなかった。少し通路を進んだ先に大きな広間が有る。最奥の広間は随分とボロく、柱がへし折れていたり、砕けたりしていた。広間全体を覆う魔力の光、魔光以外の光源はない。近くに燭台の跡があるのみだ。

 人が利用していた形跡、しかもそれほど劣化していない。ひょっとしたらこの迷宮は“天然型”ではなく、既にある建造物を使った“侵食型”で、まだ侵食されてから時間が経ってないのかもしれない、とウルはぼんやりと思った。

 そしてその中心にウルが目的とするところの“核”が存在した。

 

「……アレか」

 

 魔物からとれる青紫の輝き、しかし小鬼からとれたようなものとは明らかに違った、煌煌とした輝きを放った二回りも大きな結晶が広間の中心で浮遊している。

 

 【真核魔石】と呼ばれるそれを、ウルは獲得しなければならない。

 

 だが、宝の前には必ずそれを守る番人がいるものだ。

 

大牙猪(グレートボア)……」

 

 真っ黒な毛並み、突き出た鼻横から伸びる禍々しい牙、何よりも縦にも横にも広い巨体。

 迷宮知識の薄いウルでも、都市に生息する魔物で在るため、存在は知っていた。

 魔物に存在する十三階級の内、この猪は十二級、小鬼の一つ上であり、たった一つでもその脅威は大きく跳ね上がる。戦い方は単純明快、凄まじい重量の巨体が突撃する。ただそれだけであり、しかしまともにそれをくらえば人体は“弾ける”。

 都市外にて時々見かけるものと比べ、更に一回り大きいように見えるのは恐怖故の錯覚か、あるいは主として特別な力を持っているからなのか、ウルには判断できなかった。

 

 この存在を掻い潜り、あるいは撃破し、あの【真核魔石】を手に入れなければならない。

 

「……無理では?」

 

 ウルは率直に感想を述べた。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女が彼女を手に入れることになった経緯

 

 大罪迷宮都市グリード、衛星都市クーロ間に存在する【大迷宮ケイカ】。

 大罪迷宮グリードから管理権を買い上げた金貸しギルド【黄金不死鳥(ゴルディンフェネクス)・グリード支部】が管理する大迷宮では、日夜大量の魔石の発掘が行われていた。

 

 借金で首が回らなくなった債務者達を奴隷のようにこき使った危険な魔石の発掘作業は、結果として大成功を収めていた。無論、借金をしたのは債務者の自業自得であるが、やってることは人権侵害も甚だしい。

 だが、此処は都市の外だ。そして使っているのは都市民ではなく、都市には永住権も無い“名無し”達。わざわざ都市の中の連中が、都市の外の名無しの人権を保護するために出張ってくることはまず無い。

 

 管理者である小人のザザにとってここは金を無限に生み出す畑に近かった。

 その筈だった。

 

「一体どのようなご用件でしょうか……」

 

 現在、ザザは追い詰められていた。

 彼の目の前には【黄金不死鳥・本部】の監査部門の連中が並んでいた。アポなしで突如として現れた彼らを前に、ザザは冷や汗を浮かべて、引きつった笑顔を浮かべている。

 

 何故に彼らが此処に来たのか。

 

 心当たりはある。たっぷりとある。それ故に彼は追い詰められていた。

 

「た、確かにこの迷宮鉱山は名無しを利用し魔石発掘を行っていますが、しかしこれは正式な契約のもと行っているものでして」

「雇用条件に関して、そこに違法性が無いのなら口出しするつもりは無い」

 

 正面に座る頭を剃り上げた男は、ザザの早口の説明に淡々と答える。とても好意的とは言いがたい彼の迫力にザザはたじろぐ。

 

「え、ええ!勿論!【大連盟】の法に則ったものですとも!そもそも此処で働いている連中はどいつもこいつもマトモに金を返せなかったクズどもばかりで」

「問題としているのは、魔石の採掘量、換金額、その他諸々の“記録”だ」

 

 ぱらりと、彼は目の前に広げられた帳簿を眺める。ザザの冷や汗が多くなった。

 

「報告されてきた数字と実際の数字とで随分と違いがあるな」

「それは……その」

 

 ザザは己の不正が全て見抜かれたことを知り、顔を青くさせる。

 都市の外、迷宮の管理を命じられたザザは、危険な仕事を任されたことへの苦痛を周囲に訴えてみせていたが、内心ではほくそ笑んでいた。都市の外、即ち【太陽の結界】の外の世界は大地に穴を開けた迷宮からあらゆる魔物達が溢れかえり、ヒトの住まう場所ではない。しかしそうであるが故に法をくぐるのは容易い。

 何せ監視する眼が少ないのだ。拠点さえ作り、その管理者となれば、最早ザザはその場の王様だった。名無し達を奴隷のように使い始めたのもそれからだ。

 都市を支配する神殿の【神官】達だって、ザザのように自由に振る舞うことは出来まいと彼は悦に入(い)っていた。

 

 今日までは。

 

 男は立ち上がり、ザザの肩に手を置く。男の手が随分と大きく、重く感じるのはザザが小人(こびと)で男が只人(ただびと)だから、というわけではないだろう。

 

「都市外の【人類生存圏外】の迷宮管理、さぞ苦労も多いことだろう。そこを治めるというのは一筋縄では決していかない。日々命の危機に晒されながら働くなど、その心労察する」

「え、ええ!ええ!!それはもう!!本当に!!た、大変で!」

「故に、我らがギルド長は多大な報酬。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。様々な危険にさらされ、働くのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うことをギルド長は理解して下さっている」

「ありがた、ありがたい事です!!」

「だが」

 

 ミシリ、と肩に置かれた男の手に力がこもる。ザザは肩が軋むのを感じた。

 

「物事には()()というものがある。分かるな?」

 

 “対冒険者”金貸しギルド、黄金不死鳥《ゴルディンフェネクス》、保証もへったくれも無い荒くれどもから確実に相応の金銭と利子を取り立てる特殊なギルド、その監査部門。それはこのギルドの中でも一際に危険であり、彼らによって言葉の通り“首が飛んだ”者がいるという噂を、彼は思い出していた。

 そして、今、まさに、彼がその噂の真偽を証明する事になるのも、理解した。

 

「お、お、お待ちを!!!お待ちください!!実はお渡ししたいものがあるのです!!」

 

 ザザは叫んだ。それはあからさまが過ぎる賄賂の提案であり、駆け引きもなにもない命乞いでもあった。彼とて此処を任された以上、相応の場数を踏み、取引の心得も持ち合わせていた。いた、が、命の危機を前にしてはそんな経験値など無意味だった。

 

「金銭の類なら間に合っているので結構だ」

 

 当然、というように監査の男は呆気なく切り捨てる。立場上、彼らからすればそういった賄賂の提案は随分と聞き飽きているのだろう。凍てついた瞳はまるで揺らぐ様子を見せない。

 

「違います!違うのです!!お渡ししたいのは金などではなく!!」

 

 だが、ザザにはまだ切り札があった。奇跡的に、彼の手元に転がり込んできた切り札。たまたま偶然、愚かな冒険者気取りの男が借金の担保にと差し出してきた“娘”は、その男自身全くその希少性、価値を理解していない奇跡そのものだった。

 

()()()()()()()()()()()!!!」

 

 その、ザザの言葉は、流石に監査の男も予想外だったのだろう。思わず肩の手が緩むほどだった。場を沈黙が包み、ザザは己が助かったか否か把握できず、その場で脂汗をかき続けた。

 

「――――へえ?」

 

 沈黙を破り声を発したのは、ザザでも監査の男でもなかった。

 短く切り揃えられた金色の髪の美しい少女だった。この少女は、執務室に監査員達が入った時、一緒に立ち入り、しかしザザの尋問には一切参加せず、先程まで部屋の窓から迷宮探鉱の光景を眺めていた。一体彼女が何者なのか、ザザは気にする余裕が全く無かったため、意識から外していた。

 その少女が、ザザの言い放った一言に、初めてザザに視線を移した。髪の色と同じ瞳が、ザザの眼を見据える。途端、ザザは奇妙な圧迫感を胸に覚えた。監査員の男に圧力を掛けられたときよりも、遙かに強く。

 

 少女は優雅に近づく。監査員の男はすっと彼女の道を譲るようにザザの前を退き、頭を垂れる。この時になってザザはようやく悟る。

 この場の支配者は目の前の男ではない。この少女だと。

 

「その、精霊憑きの少女のこと、詳しく聞かせてほしいな?」

 

 美しい少女は、その仄かに紅のさした唇を弧にして、微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、小迷宮最奥にて。

 

「やばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬダメだわコレ」

『BUMOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 ウルはとても死にそうだった。

 大牙猪を発見したウルは、まずは【真核魔石】だけを盗もうとした。危険を回避できるならソレに越したことは無い。というのは誰もが思う事だろう。ウルも当然そう思った。試してみた。

 

『MOOOOOOOOOO!!!!』

 

 ダメだった。

 【真核魔石】は“主”にとって、ひいては迷宮にとっての心臓である。心臓を盗まれそうになって放置する者はいない。結果、ウルが魔石に近づくだけで大牙猪はウルにむかって突撃を開始した。ウルは追いかけられて、今死にかけている。

 

「っだああ!!」

 

 ウルは走り、跳ぶ。この広間が荒れ果て、大牙猪には動きにくい状況であったのが幸いした。これで広間が障害物のない綺麗な状態だったなら、ウルは轢かれて挽肉になっていた。

 

「どうする…!!」

 

 右手に握った槍を見る。振り回す?無理だ。確実にへし折れて終わる。こんなものではどうにもならない。なにか他にこの状況を打破する手段はないか。道具は……?

 

 ウルの視界の端に、【真核魔石】が映る。

 

 あれは、迷宮の核だ。主はあれを守ろうとしている?ならば、盾になるか?

 ウルは己の中の直感に従い、動いた。

 

『GUMOOOOOOOOO!!!!』

 

 猪が声を上げる。突撃が来る。ウルは足を必死に動かし、逃げる。向かう先は真核魔石を掲げている台の上。乗り上げ、回り込み、盾にする。猪にとってこれが守るべきモノは攻撃できない、筈だ――――

 

「……!?なんだ?!」

『MO!?』

 

 ウルが驚き声を上げる理由は目の前にあった。

 真核魔石の輝きが強くなった。ただでさえ眩かった青紫色の輝きが更に強く、激しく、部屋の全てを満たすように。一体何が起きたのか、ウルにはわからなかった。しかしそれは大牙猪も同じだったらしい。突撃を中断し、距離を取る。

 そして驚愕に眼を見開くウルの前で、巨大な真核魔石にピシリと“ヒビ”が生まれた。

 

「は?」

 

 と口を開けるウルの目の前でそのヒビは一気に広がり、一瞬間があいた後、爆発した。

 

「ぶはああ!?」

 

 爆発の勢いにウルは身体を吹っ飛ばされた。暴風を正面から受けたような衝撃が、ウルの小柄な身体を弾き飛ばした。ウルは藻掻くように手を伸ばし、何かを掴んだ。

 それは柔らかくて、大きかった。

 

「ガッ!?」

 

 直後、地面に背中から落下する。背中に受けた衝撃で呼吸が暫く出来なかった。背中の痛みを堪えながら混乱する状況を確認しようと眼を開けた。

 

 目の前に乳があった。

 

 全裸で銀髪のむやみやたらな美少女がウルに馬乗りになって、微笑みを浮かべていた。

 

「あら、初めまして」

「全裸!!!」

 

 たいそう混乱したウルは目の前の光景をありのままに叫んだ。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大牙猪

 

「怪我をしないよう抱えてくれてありがとうございます。大丈夫です?」

「どういたしまして服を着ろ全裸」

 

 ウルは自分に馬乗りになっている凄まじい美少女に着衣を命じた。

 

 目の毒、なんていうレベルではない。

 ウルの目の前にいる美少女は恐ろしかった。

 

 まるで優れた職人が生み出した人形のように僅かな歪もない精密な顔の作り。しかしその表情は慈母のような優しさを湛えており、彼女がヒトと教えてくれたゆるく波うつ銀の長い髪が細い肩にかかり、豊かな乳房にかかる。臍を辿り、艶めかしい足がウルの身体を跨いでいた。

 ウルはこの緊急事態、命の危機の前にあって自分が彼女から目を離せなかった。今すぐにでも彼女の身体に飛びついて貪りたい衝動が腹底から湧き上がるのを感じていた。

 

 此処でこの女を貪りながら死ねたらソレは最高の人生の幕なのでは?

 

 そんな、脳みそがゆだっているとしか思えないような考えが本気で頭をよぎる、それ自体が彼女への警戒を高めた。

 

 この女、危ない。

 

『BUMOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』

 

 大牙猪の怒りの咆吼は、混乱していたウルの正気を取り戻してくれた。その猪がウルの命を挽きつぶそうとしているわけだが。

 猪は怒り狂っていた。真核魔石が砕けたからだ。木っ端微塵である。ウルとしてもその怒りは共感できる。借金返済の目処を失ったからだ。互いに怒りの理由は同じなのに、殺されそうになるのは理不尽だった。

 

「いかん死ぬ」

「ご安心ください」

 

 すると、銀の美少女はすっくと立ち上がり、猪の方へと向き直った。立ち姿まで颯爽としており、巨大な牙をかざし怒り狂う猪に対して一歩もたじろぐ事はしなかった。

 

「罪より産み落とされた魔性の者、貴方の命に罪は無く、けれども私の使命を遮るというのならば」

 

 そして彼女は両手のを胸の前に合わせ、まるで祈るような姿を見せる。

 

「貴方を討ち、その命を背負いましょう」

 

 次の瞬間、彼女の周囲に魔力が渦巻き始めた。

 その場にいるすべての者の頭に直接響き渡るような不可思議な音色と共に、周囲の空気がパチパチと音を立て始める。

 【魔術】

 世界に満ちる現象の万物の源、魔力と呼ばれるソレを手繰り、自らの望む現象を生み出すヒトが編み出した奇跡の再現法。その力を、彼女は行使しているのだ。ウルは息を飲んだ。

 

「受けよ、炎を」

 

 同時、彼女の目の前に巨大な火球が出現した。常識から大きく外れた光景はまさに魔術。そして炎の玉は彼女の意思に合わせ一直線に大牙猪へと直進し―――

 

『…………MO?』

 

 直撃した火玉は、ふんわりと、“ぬるうい”風を猪に届けた。

 

「……は?」

「あら?」

 

 ウルは火の玉が大牙猪をそのまま素通りしていく光景のシュールさに笑うべきかわからずおかしな顔になった。対面する美少女は、自分が起こした魔術の結末を最後まで見届け、その後しばらく悩むような顔をして、すっと手を上げた。

 

「ちょっとタイムもらってよいでしょうか?」

『BUMOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』

 

 大牙猪は怒った。

 

「タンマはねえよ!!!!!」

 

 ウルは美少女を抱きかかえ全力で逃げ出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「お前マジでなんなの?!なにしに此処来たの!?っつーか真核魔石は!?」

「魔力を消費して恐らく砕け散りました」

「クソッタレ!!!」

 

 ウルと少女が逃げ込んだのは広間の奥にあった小さな小部屋だった。

 おそらくは元々は倉庫の類いだったのだろう。大量の埃がつもり、朽ち果てガラクタと化した【遺物】が大量に転がっている。外ではまだあの大牙猪は暴れているのだろう。この倉庫に入って即閉めた木製の扉に激突を繰り返してる。奇跡的にまだ壊れていないが、時間の問題だろう。

 一通り彼女に向かって言いたいことを叫んだ後、大きく息を吐き出した。この謎の全裸に構っているヒマは全くない。聞きたいことは山ほど在るが聞いていると死ぬ。

 今は現状を打開せねば。と、ウルはこの小汚い倉庫をあさり始めた。

 

「何か探していらっしゃるのですか?」

「武器、防具、道具、使える物なら何でも。このままだと死ぬ」

 

 折角直したボロボロの槍も、あの真核魔石の爆発でどこぞに吹っ飛んでいってしまった。まあ、あの役にも立たない補修ではよしんばあの猪に使ったとしてもすぐにへし折れてしまっていただろうが。

 

「お手伝い致します」

「是非そうしてくれ。扉がぶっ壊れる前に」

 

 こうして少年と全裸の美少女は倉庫をあさることとなった。倉庫自体は随分と狭く、小さい。すぐに探索は終わった。どうやらこの倉庫、というよりもこの三層の広間はなにかしらの儀式を行うための場所だったらしい。その儀式とやらは迷宮に飲まれ、その意味をうしなっているが、しかし儀式のための用具一式は(殆どが劣化していたが)残っていた。

 

・儀式剣×3(内1本は破損)

・儀式盾×1(破損)

・儀式用と思しきローブ×2

・儀式に使用していたと思しき薬瓶複数

 

 以上。一応これは迷宮からの出土品という事になり、つまりこの迷宮の管理者であるあの小人の男に提出しなければならないのだろうが、ウルは無視した。そんなもの生きて帰ってから考えるべきだ。

 ウルは一先ず儀式服を一枚、謎の全裸美少女に着せた。この緊急時に容赦なく気を散らす存在の排除は一先ず叶った。靴もはいていないので、やむなくウルのを与えた。小柄なウルと彼女とで足のサイズが変わらなかったのは幸いだった。

 

「靴、良いのですか?」

「素足じゃ逃げられないだろ。俺は足袋(何度も縫ったボロ)があるからまだマシだ」

「逃げられますか?」

 

 この狭い倉庫の扉に向かって、猪が猛烈に突進を繰り返している。既に穴が開き、そこから猪の血走った目と、巨大な牙が見えている。多分あと一回の突撃で壊れる。

 

「まず俺が飛び出す。猪がこっちに向いてる間に一気に駆け抜けろ」

「貴方は?」

「隙を見て逃げる」

 

 隙があれば、だが。障害物の少ない広間。直線をあの猪の突撃から逃げ回るのは容易ではないということはウルにも分かっていた。しかし、二人でバラバラに逃げたところで恐らくどちらかが轢かれて死ぬ。

 ならば、確実に一人は逃げた方が、数的には得だ。

 

「大牙猪の気を向けさせないようにひっそりいけよ。そうすりゃなんとか「いけません」

 

 逃げる手順を説明する前に言葉を遮られた。は?と、問うよりもはやく、彼女の白く長い指先がウルの手を絡めとった。

 

「貴方を犠牲にする事などできません」

「恋人みたいな台詞ありがとう。現状逃げられるのは一人なんだから仕方ないだろ」

「では私が囮になります」

「女が背後で挽肉になってる音聞きながら逃げるとか気分悪いわ」

 

 ウルはげんなりとした顔で彼女の提案を却下した。

 勿論、逃げられる物ならウルは今すぐにでもここから逃げ出したい。さっさ帰って狭くてくさい宿舎のベッドに潜って眠ってしまいたい。妹に会いたい。だが、そのために見ず知らずの女を生け贄に捧げる選択肢はウルの中に存在していない。

 “名無し”であるからといって、倫理観まで捨てているわけではない。そういう奴らもいるがウルはその考え方は嫌悪している。ウルの回りにそういうバカが多かったからだ。

 

 故に、見捨てる選択肢はない。元々、自分一人で大牙猪と対峙している状況だったのだ。何か変わるわけでもあるまい。と、自分を慰める。

 

「靴を貸してるんだ。ちゃんと逃げろよ。後で返せ」

「貴方は死にたいのです?」

「んなわきゃねーだろはったおすぞ」

 

 不思議そうな顔で暴言を吐く美少女にウルは口をひん曲げた。何なんだこの女は。

 しかしこのウルの回答に、美少女は何やら納得がいったのかそれとも理解しがたいのか不明だが、ウルの顔をじっと見つめる。そして

 

「わかりました」

 

 なにが?とウルは聞き直したい気もしたが、やめた。猪が距離を離す気配がする。突撃の助走を取っている。最後の突撃が来る。扉が粉砕される。扉が無くなれば後はもう後が無い。

 

「よし、扉が砕けると同時に此処を出るぞ。後はさっき言ったとおり」

「お断り致します」

「なんて?」

「私も戦います」

 

 扉が砕けた。二人の戦闘が始まった。

 

 

 




評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大牙猪②

 

『BUMOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

「だあああああ!!!」

 

 大牙猪の咆吼を聞きながら、ウルは恐怖をかき消すように叫び声を上げつつ、ついでに猪の気を引き寄せながら飛び出した。目論見通り、扉を粉砕した猪はそこから飛び出してきたウルに視線を移す。血走った目と、禍々しい牙がウルの方へと向き直った。

 

「参ります」

 

 そしてその隙をつくようにして、謎の少女が破砕した扉から飛び出した。若干だぼついたローブを纏った彼女は、出口の方へとは向かわず、ウルへとその牙を向けた大牙猪の背面に動く。

 

 ガチで戦う気か。あの女。

 

 ウルは顔を顰め、何か言おうとして、思いとどまる。何かやれるっていうならやってもらおう。悲しいかな、ウルに彼女を気遣う余裕は全くない。牙をこっちに向けてる大牙猪がとても怖い。これ以上彼女に意識を割く余裕など持ち合わせていない。

 

 現在のウル達の勝利条件は明確だ。

 

 ①倒す

 ②逃げる

 

 このどちらかを達成すればいい。現在の戦力なら逃げる一択だ。よしんば戦って勝ったとして、得るべき【真核魔石】は存在しない。戦うだけ損だ。

 問題は目の前の“主”から逃げる方法。

 対抗策は、ある。ウルは倉庫からみつけた薬瓶を取り出した。

 

『BUMOOO……』

「上手くいけよ…!」

 

 倉庫から発見した薬瓶、中に在る液体の正体はウルには理解できない。彼に薬学の知識はない。ただ中の液体がこの上なく腐敗しており、瓶の蓋をあけるととてつもない悪臭を漂わせていることだけだ。

 そう、悪臭である。ウルが嗅いだ瞬間顔を顰め、えづきそうになったレベルの悪臭。

 

『BUMOOOOOOOOO!!!!!』

 

 あの大牙猪がどのような生物かは不明だが、あの牙と牙の間に覗いている巨大な鼻が何の役にも立たないハリボテの訳があるまい――――!!

 

「そいや!!」

 

 ウルが薬瓶を投げつけた瞬間、中の腐敗物が飛散し、大牙猪にぶちまけられた。

 

『BU――――』

 

 その薬物は恐らく毒物の類いではない。ただただ長い年月、放置されもとが何だったのかも分からないほど腐敗してしまったに過ぎない。が、その効果は絶大だった。

 

『BUGYAAAAAAAAA!!!??!』

 

 大牙猪は叫ぶ。

 魔物への知識の浅いウルは知るよしも無いことだったが、大牙猪は五感の内、九割以上を嗅覚によって判断している。だからこそ眼は小さく視界は狭い。皮膚は分厚く弾力があり感覚が少ない。故に、鼻に腐敗物を叩き込まれるダメージは計り知れない。

 

 ウルの予想は当たっていた。

 ただし

 

『BUGIIIIIIIIIIIII!!!!』

「っ!?」

 

 基本的に、大牙猪と対峙する冒険者や騎士達は、決して猪の嗅覚を奪うような真似は“しない”。明確に見える弱点を攻撃で潰したりはしない。

 なぜなら、危険だからだ。長大な牙を持つ大牙猪の嗅覚を失わせるのは。

 

『BUGIIIIIIII!!!』

「だあああああああああ?!!!」

 

 ウルは頭上を凄まじい速度で過った巨大な牙に悲鳴を上げた。猪は暴れている。恐らく悪臭に耐えられないのだろう。苦痛そうに身悶えし狂ったように暴れ回る。そのたびに長い牙が地面を削り、壁にたたき付けられ、柱に突き刺さる。そこに一貫性は全くない。どう動くか全く予想が付かない。だというのに直撃すれば致命的だ。

 

 これは、これは正気の状態のほうがマシだ!!!

 

 ウルは己の安直な作戦の結果に顔を引きつらせる。嗅覚を、此方を感知する能力を奪えば逃げられるかと思ったが、これだけ得物のリーチがあれば見えようが見えまいが一緒だ!まだ愚直に一直線に突進してきてくれた方がいい!!

 

「ああ、クソ!どうする!!」

 

 最悪な事に、大牙猪が暴れている場所は出口の周囲だ。デタラメに振り回される牙の射程圏内である。この攻撃の合間をさけていくなんて真似は出来ない。

 回復するまで待つか?だがこの狂乱状態のまま突撃してくるとも限らない。どうする。

 

「離れてください!!」

 

 女の声がする。そして次に新たに彼女が何かを放った。薬瓶が複数。更に悪化させるのか!?と思う間もなくそれらは大牙猪に直撃した。

 

『BUGII!!』

「………!!」

 

 大牙猪は更に激しく暴れ出す。身体に牙が掠める。死ぬ。マジで死ぬ。ウルは悲鳴すら上げられなくなった。なにしてくれるんだ、と彼女の方を見ると、少女は両手を前に出し、そして再び魔術を発動させようとしていた。

 

「【焔よ唄え、我らが敵を討ち祓え】」

 

 まるで()のように響く、魔術の“詠唱”と共に。

 

 魔術の詠唱、魔力をより深く、重く浸透させるための技術。先ほどよりも強く魔術を撃つ?そうすれば倒せる?本当に?そんな気はしなかった。見るだけでわかる凶悪に分厚い皮膚、貫けるほどの炎になるとはとても……

 

「……ん?」

 

 その瞬間、悪臭で麻痺していたウルの鼻に僅かに別の匂いが流れてきた。

 腐敗の類いの匂いではない。嗅いだ覚えのあるものだ。迷宮に侵食された地下施設。迷宮の魔力なしでは先が見通せない真っ暗な空間、奥の広間の倉庫ならば絶対に保管されていなければおかしいもの。

 油か!!

 ソレって本当に可燃性か?そもそもどれだけ時間が経ったモノかもわからないものが使えるのか?とか、様々な疑念が頭を巡るが、それらを全て頭から追いやる。考えているヒマは無い。なぜなら狂乱していた大牙猪がぐるんと、少女の方へと身体を向けたのだから。

 

『BUMOOOO!!』

 

 鼻が回復したのか、あるいは本能的な勘が働いたのかは不明だが、このまま放置すればどうなるかは明らかだった。少女はまだ魔術を放てていない。たとえ放たれたとしてもあの巨体が突撃したらそのまま潰れて彼女は死ぬ。

 

 突撃を止めるしか無い。

 

 咄嗟のことだったが少女とウルが大牙猪を対角に囲んだのは正解だった。大牙猪は少女の方を向いた。つまりウルには背を向けている。牙の脅威は低い。だがどこを攻撃する?

 ウルは儀式剣を構える。幸いにしてただ剣の形を模した模造品ではなかった。切れ味は多少ある。だが、それだけだ。真っ当な武器でもこの猪の皮膚を貫くのは一苦労だろう。此方に向いた尻に剣を突き立てたとて、まともなダメージとなるまえに振り返り様に牙になぎ払われてそのままウルは死ぬ。牙、牙だ。牙にあたりさえしなければ――

 

「――――()()()!」

 

 ウルは大牙猪へと駆けだした足を更に大きく蹴る。跳ぶ。そして駆け上るようにして大牙猪の背中に上った。背中、絶対に牙が届かない場所、安全地帯は此処だ!!

 

「だらああ!!!」

 

 ウルは叫び、自分の足下に猪に剣を突き立てる。重く、固く、鈍い手応え。予想した以上に全く刃が通る気配がしない。息を大きく吸い込み、更に深く、全身の体重を剣に込めて刺しこんだ。ぶちりと何かが千切れるような音がした。

 

「BUGYA!?」

 

 大牙猪は突進を止め、背中から突然湧いて出た痛みに悶え苦しむ。跳ねるように足を蹴り、再び暴れ始めた。しかし牙はウルには届かない。背中にいるウルには届かない。ウルの直感は当たっていた。大牙猪の背中は、分厚い肉に囲まれているため急所たり得ないが、安全圏ではあった。

 

「……………!!!!……!!!!」

 

 その事をウルが理解する余裕は残念ながら全くなかったが。現在彼は暴れ狂う猪の背中で振り落とされないよう必死だ。突き立った剣を支えにギリギリ生きている。

 

「いきます!!」

 

 少女の声、ソレを聞いた瞬間、ウルは両手を手放した。投げ出されたのか自分から飛び出したのか不明だったが。地面に投げ出された。前後が不明になりながらも、立ち上がらずそのまま這いずるように猪の気配から離れた。

 

「【火球!!】」

 

 そして次の瞬間少女の魔術が放たれた。

 先ほどと同じ火の玉。しかし先ほどと比べ明らかに熱量も大きさも増していた。揺らめく炎は猪に一直線に向かい、そして爆発した。

 

『BUGYAAAAAAAAAA!!!??』

 

 火が巻き起こる。激しい炎が大牙猪の身体を焼く。攻撃の魔術をマトモに見るのはウルはこれが初めてだったが、その威力の高さに驚愕する。近づくだけで火傷しそうな炎は大牙猪の命を確実に奪っていった。

 しかし、まだ立っている。

 

「頑丈だなクソが!!!」

 

 ウルは駆け出す。ここに至っては逃げる選択肢は無い。逃げる体力がウルにはない。魔術を放ちおわり、脱力している少女にもだ。

 半端な退却は死につながる。ならばもはや一択だ。

 

「殺す……!」

 

 ウルは背中に仕込んでいたもう一本の儀式剣を握りしめる。そして駆ける。未だ大牙猪は炎に焼かれ、此方に意識を向けていない。その隙に、ウルは全力で剣を突き出した。

 その、小さな眼球に向けて

 

『GIIIIIIIII!??』

 

 突き立つ。頑丈な皮膚に守られていない急所に深く、強く、ウルは突き刺した。

 

「え、ぐ、れ、ろお!!」

 

 眼部に突き刺さった剣の柄に全身全霊の力を込める。両足で地面をけりつけ。腕を振り絞り、そして前へと突き出した。なにかが破れ、そして砕け散り、抉れる音と感触がウルを震わせる。

 

『……GA……GI……』

 

 そうして、脳天に深々と剣を突き立てられた大牙猪は、ようやくその動きを停止した。

 死んだ、とウルがそう思った直後には、大牙猪の肉体は崩れていく。迷宮によって生み出されたその肉体は溶けて消える。迷宮そのものも今は核を失った。末路はこの魔物と同じだった。

 そして、大牙猪が居た場所に、小鬼のそれよりも二回りほど大きな魔石が一個転がる。ウルはそれを拾い上げる気力もなく、ただ見つめた

 

「……終わった、のでしょうか……?」

 

 少女が、ウルと同じく疲労困憊といった声で確認する。見れば額から血を流し、ローブも寸断され露出した腕から血が出ている。あの大牙猪が暴れたとき、牙を掠めたのだろう。それだけでこの様だ。

 

「平気か…?」

「貴方の方こそ大丈夫なのですか?」

 

 言われて、彼女よりもウルの方がよっぽど酷い姿なのだと気がついた。全身擦り傷まみれで血まみれだ。そしてソレを自覚した途端、全身から凄まじい痛みが走った。半ば興奮状態で麻痺していた分、痛みと疲労が一気にウルを襲った。

 

「……率直に言って、全く大丈夫じゃない」

「回復魔術を使いましょうか?」

「できるの?」

「…………ごめんなさい、魔力切れです」

「ぬか喜びをありがとう」

 

 ウルは溜息をついて、へたり込んだ少女の近くに座り込んだ。迷宮の核を失った今、魔物が湧き出ることもないだろう。そして核を失った以上、ウルは借金返済のアテを再び失ったことになる。安堵と徒労のダブルパンチがウルから体力を奪った。少し休む必要があった。

 すると、隣の少女がウルをじっと、じいっと見つめている事に気がつく。無視して休もうかとも思ったが、黙っているのもヒマを持て余した。

 

「……何?」

「助けてくださいましてありがとうございます」

「どういたしまして」

「何かお礼をしたいのですが、どういたしましょう?」

「金くれ」

「ありません。全裸です」

「じゃあもういらん……ああ、くそ、骨折り損だ。誰か慰めてくれ」

「頭を撫でましょうか?」

「そんならまだそのデカイ乳でも揉ましてくれた方がマシだわ」

「されますか?」

「冗談だよ……」

 

 余計に疲れて、ぐったりと薄暗い天井を眺めたウルは、そのときになってようやくはたと、気がついた。

 

「……名前なんなの?」

「シズクと申します。貴方は?」

「ウルだ」

 

 かくして、ウル少年はシズクと名乗る少女との邂逅と、初めての迷宮攻略と「主」退治を終えることとなった。

 攻略を終えたウルの感想は一つ、「二度とごめんだ」だった。

 残念ながら、この願いは叶うことは無かった。




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妹の値段

 

 小迷宮【アル】 入り口

 

「……ああ、外だ」

「とても眩いですねえ……」

 

 大牙猪撃破後、ウルと、謎の美少女シズクが外に出たのはそれから数刻後のことだった。迷宮の核を失い、魔物の出現が停止したため帰り道はそれほど苦労は無かったものの、大牙猪との対決で負った傷と疲労の回復は相応の時間が必要だった。ようやっとの帰還である。

 

 尤も、ウルの気分は全く晴れない。妹の借金をチャラにする計画はおじゃんだ。しかも、【真核魔石】が失われたとなれば、あのハゲ男がどんな風にキレ散らかすかわかったものじゃない。しかも自分の隣で暢気そうに太陽を仰いでいる絶世の美少女がいる。

 いや、別に彼女とウルは関係ないのだが、この酷い格好の女を放置したら下手すると女に飢えた債権者に襲われる。

 

 最悪、この女はどっかに避難させなければ、

 しかしこの都市外に存在する迷宮採掘場のどこに……?

 

 などと、ウルが血の足りなくなった頭でぐるぐると思考を巡らせていた。故に目の前のドタバタとした騒動に気づくのにワンテンポ遅れた。

 

「随分と忙しないご様子ですね?」

「…………んん?」

 

 顔を上げると、彼女の言うとおり、採掘所はウルが迷宮に入っていったときよりも忙しない事になっていた。此処には借金を返済できずに働く奴隷まがいの債務者とソレを見張る管理者ぐらいしか居ないはずだが、今は鎧を纏った者達が彼方此方でなにやら忙しなく動いている。

 

「騎士団だ……なんでだ?」

 

 生存圏が縮小した人類が生きる都市国家、その都市を魔物の脅威から護り、都市の治安を維持する武装組織。その性質上彼らは都市の外に出ることはあまりない。此処は都市の外である。そこに彼らがわらわらというのはおかしな光景だった

 騎士の纏う鎧の意匠を見るに、近隣の都市、世界で七つある【大罪迷宮】の管理を担う大罪都市グリードの騎士であるのは間違いなかった。しかし彼らが何故ここに居るのか。

 

「何故だ!何故です!!裏切ったのか!?最初からこのつもりだったのか!」

 

 見慣れぬ光景に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。この迷宮鉱山の責任者であるザザだ。彼は何やら騎士団達に両腕を掴まれ、捕まっていた。なにかしらの罪でしょっぴかれているらしい。そしてその状態で必死に、眼前にいる金髪の少女に向かって喚いている。

 

 少女は恐ろしい剣幕になってるザザに対して平然と言葉を返す。

 

「裏切ったのはそちらでしょ?奴隷めいた契約まではまだ見逃されたのに、都市に献上する魔石をチョロまかすのは完全にアウトだよ。君を切り捨てざるを得ない」

「“精霊憑き”を返せ!アレは私のだ!」

「君のではなく、黄金不死鳥のモノだよ。そして君は既にギルド員ではない」

 

 幾らか問答をするが、騎士はザザの腕を緩めない。無駄なあがきであるというのはウルにもわかった。対面する彼女は小さく溜息をついた。

 

「哀しいよ。君はとても向上心があったのに、目先の欲に溺れて、美徳を失った」

 

 彼女がそう言うと、怒り狂っていた様子のザザは何か言いたげに口を何度も動かすが、最後にはうなだれた。そのまま騎士達に連行されていった。一体何がどういうことなのかはウルには不明だったが、どうやらザザが失脚したらしい。

 

 いや、そのこと自体は心底どうでもいい。

 

 問題なのは、()()()()()()()()()()()()。ウルは騎士達と何事か話している先ほどの金髪の少女に向かって行った。

 

「――――それでは、ご協力に感謝する。フェネクス殿」

「此方の身から出た錆、迷惑をかけたね。補填は……おっと?」

 

 短く綺麗に切り揃えられた金色の髪の少女は、突然近づいてきた酷くボロボロの風体の少年に驚いたようだった。ウルは彼女を改めてみる。

 白く眩く見えるほどの金色の髪、都市の“神官達”が着るような美しい生地の衣類。体のラインはしなやかで、整っていた。何よりどこか常に余裕を感じさせる笑みを堪えた綺麗な顔立ち。薄らと化粧をしていて大人びて見えるが、実年齢は見た目よりももう少し若そうだった。

 

「君達、どうしたんだいその怪我は。こちらで治療を」

「いや、申し訳ないがその前に」

 

 異様な風体のウルに驚き気遣う騎士を制して、ウルは少女に向き合う。

 

「すまないが、“精霊憑き”と言ったか」

「言ったね」

「妹だ」

「ん?」

「その“精霊憑き”は俺の妹だ」

 

 その一言に彼女が納得したようにああ、と手を叩いた。そして懐に手を入れると、ひょいと小さなモノを取り出した。小さな小さなヒトガタ、人形のようなそれは、ウルにとってとても見覚えのあるものだ。無いわけが無い。それは

 

《にーたん!!!》

「アカネ、無事だったか」

 

 ウルの妹、アカネだったのだから。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 精霊憑き

 

 精霊に取り憑かれたヒト、あるいはヒトと精霊の中間生物。この存在を知る者はそう多くない。何せ、実例があまりに少ないからだ。精霊はヒトの上位存在。【神殿】にてヒトが崇め、信奉し、その恩恵を授けてくれる神の眷属だ。

 その彼らがヒトと混じるなどありえない。と、精霊に仕える神官の中には真っ向からその存在自体を否定する者もいる。あるいはヒトの世に降りた神の遣いと信奉する者もいる。その扱いを巡っては様々な議論が交わされたが、しかし決着はつかない。

 なぜなら彼らの前に、精霊憑きが現れることなど殆どないからだ。

 

 希少、そして存在したとしても()()()()()()()()()()。ソレが現在におけるこの世界の【精霊憑き】の立場である

 

 そして困ったことに、ウルの妹はその精霊憑きである。

 

《にーたん、ヘーキか?ちまみれだが?》

「平気だよ。一応治療してもらった。そしてグルグルはヤメれ、響く」

 

 彼女は、名前をアカネという。ウルの妹だ。妹で、そして【精霊憑き】でもある。生まれたときはちゃんと、ウルと同じヒトだった。正真正銘の只人だった。愚かなるバカ親父が偶然たまたま、本当に偶然たまたま、“精霊の卵”と呼ばれるモノを気づかず手に入れ、それをオモチャ代わりにしていたアカネが卵に“飲まれて”しまうまでは。

 

《あんまむちゃすんなよにーたん》

 

 赤紅と金色の交わる体、髪の毛先まで同じ色で輝いている。まるで鉱物のような硬さを持ちながら、しかしその形は変幻自在。小さな人形のような姿になったと思えば、羽で空を飛ぶことも、動物のように姿を変えることも出来る。

 というか今変わっている。今彼女は蛇になってウルの身体にまとわりついている。重くはないが擦り傷が痛い。

 

 ――恐らくお前の妹は土の系譜の精霊に飲まれ合一した。隠せ。消される前に。

 

 彼女がこうなった後、彼女の存在を知った男が、そっとこのことを教えてくれてから、ウルはずっと彼女の存在を守り、隠し続けていた。姿形がとんでもなく変わろうと、彼女はウルの妹である。可愛く、イタズラ好きで、無邪気に見えて時々賢い。守るべき妹。

 

 今もそれは全く変わってはいない。いないのだが

 

「うん、感動の再会でわるいんだけどこの子、書類上私のモノになってるのでごめんね?」

 

 だが、悲しいかな、それと実際に守れることとは別である。

 

 都市外の魔石探鉱基地、その管理室にて

 

 元々此処で主として君臨していたザザは既にいない。その代わり、金色髪の少女が、小人用に据えられたやや小さな椅子に座り、ウルと対峙している。

 

《むぅぅ………》

 

 ウルは警戒する唸る妹の頭を撫でながら、疲労した頭を回し、この状況から逃れるための言葉を探した。

 

「……人身売買は法律で違反では?」

「彼女の存在をこの世界はヒトとして認めていない。彼女は所有物として君の父親に質に出されて、正式な契約で黄金不死鳥のものとなった」

 

 ぴらりと渡された書類をウルは凝視する。何とか契約に不備が無いかと探し続けた。

 無かった。

 

「一応言っておくと、これは【血の契約】、契約履行を強制する魔道具によって成立している。逃れられるとは思わない方が身のためだよ。破れば死ぬし」

「死ぬの?」

「死ぬ、君が」

「俺が」

「君、連帯保証人になってるから」

 

 ウルは書類の一番下をみた。ウルの名前が父の名前の下にあった。当然ウルはこれを記入した覚えが無い。ウルは心中で百回悪態をついた。

 

「勝手にあの親父……」

 

 ウルの様子をみて、彼女は肩をすくめた。

 

「大変同情するし契約として問題だけれども、【血の契約】が使われて、そして譲渡が完了した事で術が“成立”してしまった。解呪は難しいよ。この契約書自体が、金貨一枚はする強力な魔道具だからね」

「なんでそんなもんを親父……“名無し”の冒険者もどきに……」

「精霊憑きの存在が希少だったからだね。ザザの金への嗅覚は間違いなく一流だった」

 

 惜しい人材を失ったよ。と、彼女はしみじみと言う。金色の少女の感傷に構っているヒマはウルにはなかった。どうやら妹は黄金不死鳥、一大金貸しギルドのモノになるのは避けられないらしい。

 “名無し”として生きてきたウルにとって理不尽は日常である。自分の身に振りかかる理不尽くらい、少しくらいなんて事は無い。 

 だが、妹のこととなると話は別だ。流石に、彼女がモノとして売られるのはあんまりだ。

 

「妹がそちらのものとなった後、どうする気だ?妹はどうなる?」

「聞かない方が良いよ?」

「どうなる?」

 

 ふむ、と、ウルの頑なな態度を見て、金色の少女は頷く。そして先ほどまでの飄々とした態度を拭い去り、温度の感じない、凍て付いた眼で、鋭く告げた。

 

調()()()()()()。精霊の神秘を僅かなりとも手中に出来る極めて希少な機会だ」

 

 たとえ、調べる対象がどうなろうとも。と、言外に彼女はそう告げていた。

 

《ぬー……》

 

 ウルは、隣で唸りながらも自分にひっつくアカネをみて、大きく息を吐き出した。そして腹をくくった。

 

「妹を買い戻したい。その場合幾らだ」

「金貨1000枚」

 

 ウルは言葉を失った。

 

「……最初の契約は金貨10枚だったはずでは」

「君の父親との取引は既に完了している。この取引はあくまでも、黄金不死鳥の所有物を買い取りたいというだけの話。“精霊憑き”にウチが値段をつけるならこうなるね」

「……本人の了承の無い契約だったのにか」

「だから君の提案に真面目に答えている。本来ならば、幾ら金を積まれようと、君の提案は拒否するところだ。金貨1000枚どころか1万枚積まれたとしてもだ」

 

 金貨1000枚、などという単位は、真っ当な金銭感覚を持っていれば冗談と笑う金額だ。都市内に住まう事が許された“都市民”であっても、その額を生涯稼ぐことは無いだろう。

 まして、“名無し”のウルでは大変に厳しい。都市の外にまともな仕事はない。都市にも仕事はない。そもそも都市には長く滞在することすら叶わない。“名無し”は長期滞在するだけで費用が掛かるのだ。

 “名無し”とは、血を繋ぐ価値無しと世界に見放された者達の意味なのだから。

 

 故に、ウルには金を稼ぐ手段がない。()()()()()()()()

 

「…………」

 

 ウルは遠い目になり、しばし、複雑に表情を変化させた。そして、最後に大きく大きく溜息をついた後に、己の決断を告げた。

 

「……俺が“冒険者”になって、金貨1000枚を作る」

 

 ろくでなしの父に倣う選択は、彼にとって苦渋の決断そのものだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 冒険者

 

 迷宮探索を主として活動する人間の総称、しかし本来は魔物退治を中心とした幅広い活動を行う、いわば“何でも屋”、“傭兵”が正確な所だった。600年前の“迷宮大乱立”以降、現在の意味合いに変化した。

 現在は迷宮探索、魔石発掘を主立った仕事とする者は非常に多いが、それだけではなく、強大な魔物退治や人類生存圏外の探索、物資運搬の護衛などなど、仕事内容は多岐にわたる。

 

黄金級

 

 冒険者ギルドが制定する、いわゆる冒険者の階級(ランク)付けの第一位。冒険者ギルドに対する一定以上の貢献度、“第二級”の賞金首の打倒の実績、幾つもの査定をクリアした者のみがその称号を与えられる。

 狭き門であるが為に、与えられる特権は非常に多い。

 

・“階級一位”の賞金首の討伐依頼受注認可

・古代遺物の所持および使用の認可

・多くの公共機関利用の無償化及び優遇

・神官階級二等“セイラ”の官位。

・【大連盟】からの資金融資、金貨1000枚以上

 

 此処に載せられた特権は一部に過ぎない。それほどの権限が与えられるだけの価値が、黄金の冒険者には認められているのだ。事実彼らはこれらの特権に勝るとも劣らないだけの成果を瞬く間に生み出し、地の底から溢れる魔の脅威から人類を守護する。彼ら、彼女らの存在こそ、この世界最大の資産であると言えるだろう。

 だが、この世界に数多ひしめく冒険者たちがまず目指すところは【銀】であり金色を目指す者はまずいない。何故なら―――

 

 

                          ~実録!冒険者の世界!!~

 

 

 

「つまり、俺が冒険者になり出世すれば、アカネを買い戻せる」

「素敵なプランだね。可能かどうかに目をつむれば」

 

 金色の女はニッコリと笑った。

 だが、ウルは冗談を言ったつもりはなかった。笑われても困る。

 

「黄金級になる。絶対に金貨1000枚を稼ぎきる。だから妹の“調査”は待ってくれ」

「借金を背負ったヒトは大抵、「絶対」とかそういう言葉を安易に使うけど、本来安くないよ?絶対っていう言葉は」

 

 ザザのように叫ぶでもなく威圧するでもなく、淡々と金色の女は告げていく。だがその言葉の一つ一つがウルの両肩に重石のようにのしかかり続ける。彼女は言葉を続ける。

 

「君はただの流浪の“名無し”だ。見る限り特別な技術も才能も感じない。金貨1000枚という尋常ならざる大金を支払うという言葉にはまるで信頼が無い。それがないなら、代わるモノを君は差し出さなければならない」

「代わり」

「君の父親は金銭の対価に自分の娘を差し出した。君は何を差し出す?」

 

 何を?と、問われても、ウルには差し出すモノは何も無いと言うことは彼女も承知だろう。流浪の“名無し”、無能の“名無し”、それも力も持たない子供。差し出せるような何かを持っているなら、こんな迷宮探鉱でコキ使われる羽目に陥ってはいない。

 無い。何も無い。この命以外は。故に、

 

「……俺の命を懸ける」

「――――へえ?一応言っとくけど、ソレは冗談にはならないよ?」

「分かってる。血の契約書ってのがあるんだろう。ソレを使ってもいい」

 

 ウルは己がいかに馬鹿な事を言っているのか重々承知した上で会話を続ける。馬鹿な事を頭を馬鹿にして口にするのは中々の苦痛だった。妹の命を救うにはこれしかない。

 

《ちょーっとにーたんまってまって!》

「俺の人生を担保に時間をくれ。ソレまでの間に俺が金級になって妹を買い戻す」

「ふうーーー…………ん」

 

 ぐいと、彼女が顔を近づける。下から覗き見るように、ウルの瞳を見つめる。全てを射貫くような金色の眼の眼光を、ウルは正面から受け止めた。背中から冷や汗が吹き出すのを感じた。とても同じ年の少女とは思えない力がその瞳にはあった。

 数秒だか、数十秒だかの時間が過ぎる。ウルはその間一度も彼女の目からは目をそらさなかった。そして、

 

「そうだね、なら、()()考えてあげよう」

「少し?」

「正直なところ、君の命では何の担保にもならない。君よりも遙かに能力在るヒトの人生を私はいくらでも自由に出来る。君には価値がない」

「酷いことを言う」

 

 だから、と、指をウルの胸へと指す。

 

「価値を示せれば、君の提案を受けよう」

「どう示せと」

「それはまた今度決めようか。君も限界みたいだしね?」

 

 そう言われ、ウルはぐらっと頭が揺れるのを感じた。指摘された瞬間、目を向けずにいた全身の痛みと疲労ががくんと襲いかかった。朝からの魔石発掘作業。更に単独での小迷宮探索、大牙猪との対決に加えて、謎の女との自分と妹の命を懸けた交渉。

 完全にウルの体力の限界を大幅に超えていた。つい先ほどまで彼が立っていられたのは妹の命がかかっているという危機感からだった。そして今その緊張がぷちんと切れた。

 

「少なくとも君の価値が決まるまで、アカネの処遇は待ってあげよう。まずは冒険者だ。頑張ってね?」

 

 最後の一言を得た僅かな安堵と共に、ウルの意識は落ちていった。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪迷宮グリード編
冒険者になろう


 大罪都市グリード 癒療院

 

 ウルの意識が浮上し、まず知覚したのは匂いだった。

 

 鮮やかな花の香り、ではない。どちらかというと都市の外、どこまでも広がる平原の香りだった。旅を繰り返していたウルにとってはその香りは馴染みのあるものであり、心地の良いものでもあった。

 近くに寄せようと手を伸ばす。サラサラとしたものが手に触れる。柔らかいものもあったので指でつねってひっぱる。「むえあー?」とかなんかそんな感じの声が耳を打った。

 

 そしてそこでウルの意識が覚醒した。はて、今俺は誰の頬を引っ張っているのか。

 

 目を開く。天井が見えた。自分はベッドで寝ていたらしい。そして自分の手元に目を向けると、そこに別のヒトの頭があった。銀色の、指で梳きたくなるくらいに艶のある髪を持った美少女のほっぺを、ウルはつねっていた。

 

「……シズクか」

 

 ウルは記憶にある彼女の名前を引っ張り出す。あの小迷宮で文字どおり湧いて出てきた彼女を忘れられるはずも無かった。問題は何故彼女がベッドで眠っている自分を枕に眠っているのかだが。

 疑問に思っている内に彼女も目を覚ましたのか、もぞもぞとして、寝ぼけた顔を上げる。寝ぼけた面構えでも美少女は美少女なんだなとウルは感心した。

 

「………ウル様」

 

 彼女はウルが目を覚まして此方を見ているのを確認し、笑みを浮かべた。

 

「おはようございます」

「おはよう」

「おやすみなさいませ」

「寝た」

 

 すやあ、と再び眠りついたシズクを前にウルは驚愕する。

 

「あら、目を覚ましたのね?体の調子は大丈夫ですか?」

 

 と、そこに新たな声が耳に入った。声のほうを向く。30代半ばの女性の只人。とても大きなエプロンを身にまとっている。彼女の事をウルは知らないが、そのエプロンは治癒術師の証だとウルにはわかった。故に、

 

「お金はありません」

「元気そうで何よりで」

 

 開口一番手持ちがないことを告げたが軽く流された。癒しの魔術は非常に便利だが、その術の難度の高さから扱える術士が少なく、故に、金も結構かかる。その都市の出身者ならば安くもなろうが、出身者でもなんでもないウルが治癒術を受けようと思うとその金額はシャレにならない。

 

「その子、ずっと貴方の事心配していたわよ。恋人?」

「知り合ったばかりの他人ですが」

「一目惚れかしらね」

 

 適当なことを真顔で言い放つ癒者だな。とウルは思いつつ周囲を見渡す、周りにはウルが寝ているのと同じベッドがいくつも並んでる。恐らく癒療院(いりょういん)なのだろうという事はわかった。

 

「失礼。真っ赤な猫は見なかっただろうか」

「獣人ではなく?ならみていないわ。此処は動物厳禁」

「ありがとう」

 

 赤い猫、普段都市に居る時に精霊憑きのアカネの取る形態である。それが近くにいないのなら、彼女はやはり、あの金色の女の所だろう。出来れば目が覚めれば夢であればと思っていたが。

 

「もう既に治療は完了済みよ。治療費は()()()様から戴いているわ」

「ディズ?」

「黄金不死鳥のディズ様。“ザザの無茶代は払っとくよ”ですって」

 

 荷物をまとめたら退院してね。と、サックリ言って、癒者の女は退室した。

 ひとまずあの金色の女の名前が判明した。ディズというらしい。まあ名前が判明したからどう、と言うわけでも無いのだが。

 

「さて…………どうすっかなあ」

「……どうされるのですか?」

 

 ウルは自分の腹を見た。銀髪の頭が顔を上げて此方を見ていた。髪と同じ銀の、透き通った瞳にウルの顔が映る。睫毛長いなあ、とウルは思った。

 

「起きたのか」

「おはようございます」

「2回目だな」

 

 彼女はもぞもぞと身体を起こす。地下空間では彼女の姿の観察などまるでするヒマは無かったが、こうして安全な場所で改めて彼女を見るとやはりというか、図抜けて美少女だった。見ているだけでなんだか得した気分になるレベルの美少女だ。こんな時でなければウルも喜んでいた。今はそれどころではない。

 これからどうするか。自分でそう言ったが、現状ウルの持ちうる選択は一つしか無い。

 冒険者になる。

 ディズ、あの女にウルの価値を指し示すというのなら、それしかない。

 

 彼女のいう所の“価値”を示すなら他の手段、職業でも良いのでは?という考えも一瞬頭を過るが、すぐにかき消える。他の職業などと、何が出来るというのだ。都市民でもなく、特別な技術や知識があるわけでもない、名無しのクソガキの自分に。

 

 迷宮大乱立の魔の時代。

 この世界における底辺の身分である名無し。

 そんな子供が安い命一つ賭けるだけで成り上がれる可能性を秘めている冒険者という職業は最適、というかそれ以外ない。ないのだが、

 

「なりたくねえなあ、冒険者……!」

 

 ウルは冒険者が嫌いだった。

 名無しに冒険者は多い、冒険者ギルドの門は名無しに広く開かれている。魔物退治、迷宮探鉱、都市外探索、都市内に住まう者ならば忌避するような、しかしこの世界を維持する上で重要な職業が冒険者に多く割り振られる。

 故に冒険者の多くは、粗野で、学も知識も技術も無い“名無し”が多い。

 少なくともウルの周りに居た名無し達の多くもそうだった。そして彼らは女子供だろうと暴力を振るい、人語に聞こえないわめき声を周囲にまき散らし、酒を飲み、金を無駄に使う。実に野蛮な連中だった。

 その一員にならねばならない自分の未来が憂鬱だった。

 

「冒険者になりたくないのですか?」

「なりたくはないが、素性も知れない奴が身一つで成り上がるなら選択肢はない。魔物を殺せば魔力で身体は強くなる。出てくる魔石は金にもなる。一石二鳥だ忌々しい」

 

 ウルは己に言い聞かせるようにしてダラダラと説明を続け、やりたくないという自分の願いに反する現実にうんざりした。対し、ウルの愚痴のような説明を聞いていたシズクは、ふむふむ、と納得したようにうなずいた。そして、

 

「私もなれるでしょうか?」

 

 は?とウルはシズクの顔をマジマジと見る。美しかった。美少女だった。瞳は大きく、鼻も高く、色も白く化粧もしていないのに肌が艶やかで胸まで大きい。故に、

 

「いや、お前冒険者やるくらいならもっと仕事いくらでもあるだろ。そのツラだけで」

 

 身を売れ、なんて極端な事を言うつもりはないが、その容姿を利用すれば絶対に冒険者よりもっとマシな仕事がある。適当な酒場の看板娘として働かせれば一躍大人気になるだろう。踊り子でもやればスターだ。この世界の特権階級、【神官】の愛人だって夢じゃない。

 冒険者をやる理由が見当たらない。

 

「いえ、お金の問題ではなく、強くならねばならないのです」

「修行僧かなんかかよ」

「はい、そのようなものです」

 

 ウルの冗談に対して彼女は真顔で返答した。

 そういえば、彼女と初めて遭遇した時も、彼女は恐らく“転移”の魔術と思しきものを使っている。存在自体は知っている。しかし極めて高度で、使用できる者も、場所も限られている。それこそ神官くらいのものだろう。

 ウルは首を傾げ、確認する。

 

「あんた神官か?」

「いいえ」

「じゃあ都市民?」

「いいえ」

「じゃあ俺と同じ名無しってか?どうやって転移の魔術なんて使ったんだ?」

 

 シズクはにっこりと微笑みを浮かべて、黙った。言いたくないらしい。ウルは追及しようとして、止めた。言いたくないなら追及するものでもない。そもそも別にそこまで突っ込んで確認したいわけでもない。ぶっちゃけ彼女の事情なんぞに興味は無い。

 ウルは咳払いをして話を切った。

 

「まあ、アンタの選択だ。冒険者になりたいなら好きにしろよ」

「はい!よろしくお願いします!!」

 

 よろしく?

 と問い直す間もなく、彼女の手の平はウルの手をガッチリと掴んでいた。瞳にはウルに対する目一杯の感謝の輝きが灯り、ウルを見つめている。

 

 ひょっとしてコレは冒険者ギルドまでの案内を俺がしなければならないのか?

 

 問う相手は目の前にしか居ない。そのまま聞こうとしたが、圧倒的な感謝のオーラにウルは二の句が告げなくなった。

 

「まあ……もういいか……」

 

 別に、自分一人で冒険者ギルドに行こうが彼女二人と行こうが違いがあるわけでもなし。そんな言い訳を自分にして、なんだかこのままずるずると彼女にひきずられそうな予感に若干身震いした。

 嫌な予感を振り払うようにしてウルは首を振る。

 

「……まあ、とりあえず、だ。とりあえず……」

「とりあえず?」

 

 とりあえず、優先すべき事がある。ウルの肉体が切実に告げている。先ほどから胃袋が非常に情けないうめき声を上げ続けている。

 考えてみれば昨日の朝から何も食べてない。このままだと癒院で餓死とかいう非常に間抜けな死に様を晒すことになりかねない。故に。 

 

「どさくさでちょろまかせた魔石換金して、メシ食おう。あと靴を買う」

 

 ウルは現在靴を保有していない。




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう②

 

 

 冒険者ギルド、大罪都市グリード支部、訓練所

 

「ああ、暇だ。平和だ。最高だ」

 

 冒険者ギルド所属、指導教官グレン。

 彼は訓練所施設、3F、教官事務室の机に身体を投げ出し、自堕落に惰眠を貪っていた。無論、昼寝は彼の仕事ではない。彼の仕事は新人の冒険者達に最低限死なないように訓練を施す事である。つまりサボリだ。しかし、その仕事をこなそうにも今、彼には仕事がないのも事実だった。

 つい先週、訓練所に参加していた生徒を軒並み“退学”にしたばかりなのだから。

 

 彼の下にやってくる冒険者希望の連中の大半は名無し、この世界の最下層の住民達だ。

 

 都市に住まう“都市民”に冒険者を希望する者はいない……訳ではない。安定した生活、仕事が約束されて尚、現状に不満を抱いたり野心を抱いたり、あるいはもっと純で愚かしい羨望で冒険者を志す都市民もいることはいる。だがやはり比較すると少数だ。

 つまり基本、冒険者は“名無し”で、彼らは“都市民”が当たり前のように受けるような教育も身につけていない場合が殆どだ。つまり身も蓋もない事を言うと学の無い馬鹿の集まりである。

 そして馬鹿の相手は疲れるのである。

 彼は疲れるのが嫌いだ。故に、この訓練所の生徒なんてものはいないに限る。

 

 しかし悲しい事に、この訓練所を訪ねる馬鹿は絶えない。

 

 此処は大罪都市グリードだ。

 大陸でも最大級の迷宮、大罪迷宮を保有する大罪都市の冒険者ギルドである。此処を足がかりに成り上がろうという馬鹿は絶えない。名無し故、都市民のような出生制限も無いため、まあワラワラと絶え間なく迷宮に向かっていくのである。

 そしていくら名無しとて迷宮でぽこじゃか屍の山を作られても困ると回されるのが、この訓練所だ。バカの集積場である。憂鬱だ。

 こうして僅かに出来た隙を思うさま堪能するのは、自分に与えられた権利だ。と、彼は惰眠を貪る。春の精霊・スプリガルが活発な時期だ。暖かな陽気と心地の良い風が彼の昼寝を促進した。

 しかしふと、自分の聖域もとい教官室に侵入者がはいってきたのを察知し、むくりと身体を起こした。侵入者はグレンを見て、呆れたように言った。

 

「あらあら、随分無駄に人生を消耗しているようじゃないの、グレン」

「……ロッズか。一応言っておくが俺はサボってないぞ。仕事が無いだけだ」

「そんなことを誇らしげに言われても困るのだけど」

 

 そこに来訪者が現れた。ロッズと呼ばれる女だった。一見して美人な女だったが、中身はおっかない。冒険者ギルドの受付を担っており、つまりグレンに仕事を持ってくる女でもある。故にグレンは彼女のことが嫌いだった。

 

「っつーかちょっと前に未来ある若者どもを送り出しただろう。俺は休みのハズだ」

「そんなあなたに新たなる未来ある若者をプレゼント」

「ふざけんなくたばれ」

「私も仕事なのよ」

 

 グレンの大人げの全くないブーイングにロッズは平然と肩を竦める。まあ要は、彼と彼女にとっていつものやりとりだった。

 

「っつーかこっちに押しつけてくる人数が多すぎるんだよ。過保護か。命知らずのバカくらいほっとけよ。死ななきゃ痛い目見て学ぶだろ」

「いくら名無しでも無駄に死人が増えて、迷宮探索、魔石採取が滞っては困るっていうのが今の世の中の方針なのよ。ウチはソレに従うだけ」

「お役所仕事め。もっと自分の仕事に誇りを持てコラ」

「仕事場でお昼寝していた貴方よりは自分の仕事への矜持は持ち合わせているわよ」

 

 昼頃に来るから、よろしくね、と釘をさすように言ってロッズは去っていった。残されたグレンは押し寄せてくるであろう冒険者未満のチンピラを想像し、実に陰鬱とした気分でため息をつくのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市、グリード

 イスラリア大陸南東部に位置する大罪迷宮を有する大罪都市。北部にアーパス山脈が存在し、南部には海岸部。その先は”世界の果て”があり、その先にはなにも無い。つまりかなり狭まった場所に位置するが、大罪迷宮が生み出す莫大な魔石がそのまま都市繁栄に直結している。

 また、大罪迷宮を封じている大罪都市の外にも、複数の中小規模の迷宮が存在し、新たなる迷宮も定期的に誕生している。

 魔物が迷宮から溢れ、決壊するような迷宮災害を防ぎ、魔石をより多く採掘するため、民間にも採掘権の譲渡を行っている。高額ではあるが、迷宮から産出する多量の魔石、なによりも迷宮の核となる真核魔石から得られる膨大な魔石を直接都市に売りつける権利は破格であり、故にこそ、多くの成り上がりを目指す者達がこの地に集う。

 

 欲望と野望の集う地、それが大罪都市グリードだ。

 

 その大罪都市グリードに存在する冒険者ギルド グリード支部にて、

 

「此処でございますか……」

「そうだな。ならず者たちの総本山だ」

 

 ウルの目の前にそびえたつ冒険者ギルドの建物は、都市国内部の建造物の例に倣い、とても高く、そして年季を帯びたものだった。正門の上には、朱色をベースとした竜と剣のシンボルが誇り高く掲げられている。冒険者ギルドの証、竜を討つ者の印である。

 ウルには見覚えのあるものだった。父親に連れられて冒険者ギルドには何度も足を運んでいる。大罪都市、このグリードの冒険者ギルドは初めてだが。

 さて、と、ウルは隣を見る。この場には似つかわしくない美少女が、観光気分のツラで巨大な建築物を眺めている。

 

「俺が確認するようなことじゃねえけど、本当に良いのか?冒険者になるの」

 

 ウルの問いに、シズクはハッキリと頷いた。

 

「どうやら、私は力が足りないようで、鍛えねばならぬと」

「霧散したものな。魔術」

「霧散したですねえ…」

 

 困った顔をした彼女だったが、すぐさま奮起するように前を向いた。彼女の事情はよく分からないが、まあ兎に角強くなりたいらしい。それならそれで別の手段があるのでは、なんてこともウルは一瞬思ったが、頭を振るう。そこまで彼女の人生を気にして口出しする義務も権利も自分にはない。

 

「まあ、お互い頑張るとしよう」

「そういたしましょう」

 

 ウルは古く重く大きな扉を開ける。扉を潜ればその先が冒険者達の巣窟だ。ウルの記憶の中にある冒険者ギルドの中は、粗野で汚らしい男達が、ギルドと同時に経営している酒場で飲んだくれている光景であった。

 どこぞの衛星都市だった記憶があるが、さて、この大罪都市ではどの程度のものか。

 

「おや意外と綺麗」

 

 内装は、ウルの想像からは大きくかけ離れていた。外見と同じく確かに作りこそ古く年季が入っているものの掃除は行き渡り、ギルド所属の人間は統一された制服に身を包んでいた。鎧に身を包んだ冒険者と思しき者たちがいるが、勿論、というべきか、酔っぱらって周りに絡むよう真似はしてはいなかった。掲示されている、依頼書と思しきものを真剣な表情でみつめていたり、談話用のテーブルで仲間たちと和やかに話し合いをしていたりとだ。

 

「掃除が行き届いていますね」

「大罪都市の冒険者ギルドなら、利用者もわきまえてるものか……」

 

 少し釈然としない気持ちを心の片隅に払い、ウルは正面の受付へと足を運ぶ。そこに立つのはこれまた冒険者ギルド、という言葉からはイメージしがたい若く、そして美人の女性だった。ギルドの看板と同じ朱色の制服に身を包んだ彼女は、ウル達の姿を見てニッコリと笑った。

 

「こんにちは!冒険者登録をご希望でしょうか?」

「え、ああ、そうです……そうだ」

「では、此方の書類に目を通しておいてください。後で審査と説明を行いますので」

「……凄く話早いな」

 

 驚くほどに流れるように進む手続きに、ウルは若干引いた。

 

「ものすごーく多いので、冒険者になりたがるヒト。特に“名無し”の子は」

「名乗ってないが」

「格好」

 

 ウルは自分とシズクの格好を見た。大牙猪と戦闘した時の格好そのまま(一応洗って泥は落としたが血の痕は落ちず)ボロボロの格好のウルと、小迷宮でみつけたいつのものとも不明なローブを纏ったシズクの二人。なるほど、こんな格好の“都市民”を見たら事故を疑う。 ウルは納得し、書類を眺める。絵が多かった。文字が読めないヒト向けなのだろう。ウルは一応文字は読める。ある都市に長期滞在したとき、物好きの神官に都市民に混じって読み書き、足し引きを教えてもらっていたからだ。

 折角ならこの技能を生かした仕事を都市で、とも思ったが都市民なら出来て当然のことであり、悲しいかな特別優遇されるような事は無かった。

 閑話休題。ウルは雑念を振り払い書類を読み進める。内容は冒険者ギルド、というよりも、迷宮探索の注意点、禁止事項の羅列だった。今時の冒険者なんてのは迷宮探索が本業みたいなものなのだからこんなものか、と思いつつも読み進める。と、その様子を見て受付嬢が首を傾げる。

 

「ところで、そちらのお姉さんは弟さんの付き添いですか?」

「は?」

 

 と、横を見ると、シズクがウルに配られている書類を横からジッと見つめている。自分のを見ろよと思ったが、何故か彼女の前にはウルと同じ書類が配られていない。

 

「姉弟に見えるか?」

「いえ全然全くこれっぽちも」

 

 失礼な、なんていう気にはならない。シズクはヒトの股から生まれたと言われても一瞬信じられなくなるような美少女だ。黒白混じりのボサボサ灰髪、三白眼でチビのウルとは似ても似つかない。

 まあ、要は、冒険者志願者と全く思われなかったらしい。

 

「彼女も冒険者希望です」

「え?……ええ?……うーん…………?」

 

 彼女はウルの説明に訝しげに首を捻り、彼女をジッと見つめた。容姿に見合わない職業志願に疑問符を露骨に浮かべているが、対してシズクはニコニコと笑顔で彼女の視線を受け止めている。度胸があるのか鈍いのかは不明だった。

 やがて、受付嬢は肩をすくめた。

 

「……ま、いいか。じゃ、書類をどーぞ。二人分用意しますのでちょっと待っててね」

 

 いいのか?と、ウルは口に出しかけたが、先ほども言っていたが冒険者志願者は後を絶たないらしいので、いちいちこんな所で気にしていてはキリがないのだろう。おそらくは。

 ともあれこれでシズクも一人で読めるだろう。と思っていると、何故か彼女は渡された書類を前に首を傾ける。わかりやすく困った顔をしていた。

 

「……読めないのか?」

「読めません」

「……………………一緒に読むかあ」

 

 シズクは微笑みを浮かべた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「以上が迷宮探索の際の獲得した魔石の換金の流れ、此処までで何かご質問は」

 

 準備完了後、ウル達は一室に通され、そこで幾つか手短にギルド員から指導を受けた。ロッズという名前の女性からのいくつかの説明を聞き終わった後、ウルは手を挙げた。

 

「いいだろうか」

「なんでしょう。ウルくん」

「聞いた話、全部冒険者ギルドの、と言うよりも迷宮探索の内容ばかりだったのだが、いいのだろうか」

 

 彼女の説明は先に渡されていた資料の、ただの補足だった。迷宮にはいったとき、どうなるか、どんなリスクがあるか、どんな魔物がでるか、どんな保証がなされ、どこまでが保証されないか。魔石の換金率などなど。

 冒険者ギルドのギルド員としての話ではない。

 

「いいのよ。だって、貴方たちはまだ冒険者ギルドに所属できていないのだもの」

「いないのか」

「仮よ」

「仮」

 

 曰く、冒険者ギルドは迷宮探索者達を管理する立場にあるが、しかしギルドとて迷宮探索者全てを認めていてはキリがない。そもそも迷宮探索者の中には犯罪者まがい、というかまんま犯罪者すら混じっている。名無しが主な迷宮探索層なのだから当然といえば当然だ。

 だから安直にギルド員として認めるのは難しい、が、迷宮から採れる魔石は都市運営に非常に密接に関わる重要な資源である。迷宮探索者を減らすのは望ましくないし、冒険者ギルドを通さず違法な取引が横行するのも嬉しくはない。さてどうしたものか。

 

「と、いうことで出来たのが、冒険者の指輪(仮)。別名【白亜の指輪】」

「白くてかわいらしくございますね」

「冒険者の指輪っていうと……」

 

 これはウルも知っている。ギルドに認められたギルド員が指に装着する指輪だ。その色や装飾によってギルド内部の階級を表す。確か父親も所持していたし、ウルと出会った多くの名無しの冒険者達も指に装着していたのを覚えている。その白色。

 

「本来冒険者ギルドの階級は金・銀・銅でこっから更に細かく分かれるんだけど、コレは白でそのカテゴリからも外れた最下層。一応冒険者ギルドが認可した探索者、だけど最低限の保証しかしていませんし冒険者ギルド員として正式には認めていませんよ、っていう、そんな塩梅の指輪」

「やたら言い訳がましい代物だな」

「その通りだからね。あくまで迷宮探索の認可状以上でも以下でも無い」

 

 つまり、まだウルは冒険者としての入り口にも立てていない、と、そういうことらしい。そしてこれからウルは冒険者ギルドの最上級、金級にならなければならない。ウルは自分が言い出した発言の荒唐無稽さへの理解がじわじわと襲ってきた。

 

「じゃあ、その【白亜の指輪】を貰えるのか」

「最後の質問に答えればな」

 

 そう言ったのはロッズとは別の、男の声だった。

 しわがれた、しかし強い芯を感じさせるしっかりとしたその声はウル達の背後から聞こえてきた。振り返ると、声の主にふさわしい、深く皺の刻まれた白髪の老人。しかしその体つきは大きく、そして逞しいものだった。年齢を重ねているのはわかるのに、年を取っているとは感じない。それほど彼の立ち居振る舞いは精気に満ちていた。

 

「あら、ギルド長。また来たんですね。白亜の譲渡くらい私がやりますのに」

「仮といえど、冒険者の門出は可能な限り私が立ち会うと決めている」

「その真面目さ、グレンに分けてあげたい……」

 

 そんなやりとりをしながら、ギルド長はロッズの隣に立った。座っているウル達の前に立つ彼は巨人のような威圧感だった。ウルは少し仰け反りながらも、立ち上がり頭を下げた。隣のシズクも同じようにした。だがギルド長は軽く首を振った。

 

「ジーロウと言う。構えることはない。大したことは聞かない。込み入った事情を踏み込むこともない。試験でもないからな」

 

 そう言いまずはウルを見つめる。深いしわの間から覗く金の目には、思慮の深さと、何物をも射抜く鋭さがあった。

 

「名前は」

「ウルという。名無しなので姓はない」

「ウル、君なぜ冒険者になる事を望む」

「……特殊な事情を抱え売られた妹を買い戻す必要がある。大金だ。金を稼ぎたい」

 

 ウルは自分の事情を簡易に話す。ジーロウはふむ、頷く。

 

「冒険者の多くは迷宮の浅い層で貧弱な魔物を追い回し、その日をしのぐだけの小金を稼ぐに留まっている」

 

 それはウルも知っている。ウルの周りの冒険者もどきたちは皆そんな風にしていた。そしてウル自身も冒険者ギルド管轄外の迷宮で似たような事をした事がある。故にその光景はリアリティを持って想像ができた。

 

「向上心を高く持ち、辛抱強い努力を保てねば君は彼らの仲間になるだろう。それが悪いとは私は思わない。だが君の目的は決して果たせなくなる。そうならない覚悟はあるか」

「妹と離れ離れになるのを黙って見送るつもりはない」

 

 ウルは断言した。ジーロウはそのウルの決意に頷いた。そして次にシズクを見つめ、

 

「名前は」

「シズクと言います。私も名乗る姓はありません」

「シズク、君はなぜ冒険者になる事を望む」

「強くなるために」

「強くなってどうする?」

「目的を果たします。必ず」

 

 ウルに対してシズクの返答は実に短く明瞭でもなかった。が、その言葉の端には、なみなみならぬ決意が込められていた。ジーロウはシズクにもうなずいてみせ、そして立ち上がった。

 そして指につけた指輪、銀製の、ギルドの正門に掲げられていた冒険者ギルドの紋章の刻まれたそれを二人の前に掲げた。

 

「我らの信念と誓いの下、新たなる仲間の誕生に祝福を」

 

 その瞬間、ふっと、小さな輝きがウルとシズクに降り注いだ。見れば、酷く薄ぼんやりとだが、ヒトガタの何かがジーロウの背に浮かび、そして両手を広げている姿が見えた。

 

「精霊」

 

 シズクが小さく呟いた。ウルもソレは知っている。

 精霊、この世界においてヒトであるウル達よりも上位に居る魔力生命体。この世の万象に宿り、そしてその力を振るうことが出来る存在。“唯一神”の眷属達。

 

「制約の精霊プリスの簡易の加護だ。先に読んだ冒険者ギルドの規則を守る限りにおいて、簡易の守りを約束する……精々、風邪がひきにくくなる程度だが」

「ギルド長は神官だったのか」

 

 精霊の力を借りられるのは神殿の神官のみである。都市民でもソレは叶わない。ギルド長も冒険者ギルド所属なら名無しだと思ったのだが違うらしい。

 

「銀級に至れば神殿から一定の“官位”相当の権限が与えられるのだよ。神官ではないがね。神官から力を借り受けているだけにすぎない」

「破るつもりはないのですが、制約を破った場合はどうなるのですか?」

「加護が消える。度が過ぎれば罰も受けるだろう」

 

 絶妙に曖昧な物言いが中々の脅しになっていた。実際、ウルはソレを聞いて規則を破ろうという気にはならない。精霊の力は絶大だ。ヒトの振るえる力を遙かに上回る。その精霊から下される罰など、どれだけ簡易なものであっても受けたくはない。

 要はこの場は冒険者希望者に対する説明会であり、同時に迷宮を挑む者達への脅しの場でもあったのだ。ルールを守る限りは助けるが、破れば容赦はしないという。

 そしてジーロウはロッズから白亜の指輪を受け取ると、ウルとシズクに順にそれを与えていた。ウルとシズクはソレを黙って指に嵌める。その二人の姿をみて、ジーロウは頷いた。

 

「では冒険者の世界へようこそ。新たなる同胞よ。君たちの成功を祈る」

 

 ジーロウはそう言うと、余韻も無くすぐに部屋を出ていった。ギルド長というのは、やはり忙しいのだろうとウルは納得した。そして部屋には再びウルとシズク、そしてロッズが残される。

 

「さて、これで貴方たちは迷宮探索の許可が下りた。後は自由よ」

「自由……」

「迷宮に潜り魔石を稼ぐもよし、ギルドに貼り出される依頼をこなすもよし。どっちもギルドに報告は行く。ちゃんと真面目に仕事を続ければ、いずれは【銅の指輪】つまり正式なギルド員になれるわ」

 

 いずれは、と言う言葉がどの程度なのか。気になったが今は置いておいた。それよりも、だ。

 

「さて…………これからどうするか」

「迷宮に行くのではないのですか?」

「それはそうなんだが……」

 

 迷宮に行かねばならない。ソレは間違いない。まずは魔石を稼ぎ、正式に冒険者ギルドに認めてもらわねばならない。ディズにああして啖呵を切ったのに、冒険者にすらなれなければ失笑を買うこと請け合いだろう。

 そしてそのための時間はない。アカネの扱いに「待った」をかけている今の状態が既にムチャなのだ。更に冒険者になるのを待ってくれと言ってハイ分かりましたと頷く女ではない。というのはあの短いやりとりで分かっている。

 つまり、最短で冒険者になり、そして最終目標である金級への道を作らねばならない。しかしどうすれば“最短”になるのか、その知識をウルは持たない。

 つまるところ、アドバイスが欲しかった。

 

 そしてその事をロッズは察したのか、彼女は事務的な笑みを浮かべた。

 

「ご安心あれ、行き先を見失ってるそこな少年少女。右も左も分からない君たちのような新人のために、冒険者ギルドには【訓練所】というものがあるのよ」

 

 ロッズ曰く、冒険者を半ば引退した実力者や、冒険の合間、手すきの冒険者の厚意を借りて、新入りの冒険者たちに指導するための訓練所がグリードには存在するのだという。迷宮探索のイロハや、必然的に遭遇する事になる魔物達との戦闘の仕方、冒険者ギルド内部での身の置き方、出世の仕方等々、様々な指導をしてもらえる、まさにウルにとってうってつけの場所のように聞こえた。

 

「だが、金ないぞ」

「少量の手数料さえ払えば訓練はタダ、“名無し”であっても宿泊は激安で通常発生する“【名無し】の滞在費用”も無し。食事は出ないけど、1か月、引退したつよーい元冒険者に指導してもらえるメリットはデカイと思うわよ」

「いたれりつくせりでございますね」

「何のメリットがあってそんなコトしてんだ?」

「魔石採掘に不味いイメージをもたれて魔石の採掘量が減って困るのはこの国だからね。冒険者の卵たちがむやみに命を散らすのは避けてほしいから、金と時間を持て余した引退者が支援を行う。ご理解いただけたかしら?」

 

 どうかな、もなにも、ウルからすればそれは全く以って、渡りに船の話だった。後先考えずに冒険者の世界に飛び込んで、あっという間に成功できると思える程流石にウルも夢見がちではない。先にこの世界に飛び込み酸いも甘いも噛み分けた先達からのアドバイスは絶対に欲しいものだった。

 

「それなら、訓練所に入らせてもらいたい。良いだろうか」

「そう、わかったわ。それなら一つだけ先に言っておくけど」

 

 ロッズはそう言うと、ウルとシズクにニッコリと微笑んで、肩を叩いた。

 

「ドンマイ」

「俺は今からどこに連れていかれるんだ…?」

 

 いきなり不安だった。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう③

 

 大罪都市グリード、訓練所一階、講習室

 

 グレンは訓練所の部屋の中心で小さくぼやいた。

 

「ああ……めんどうくせえ」

 

 彼の目の前にはおおよそ30人ほどのヒトが集結している。性別もバラバラ、人種も只人、獣人、土人と様々だ。彼らは全員が白亜の指輪の所持者、つまりは冒険者見習い達である。彼らはなんともまあ、悪そうな人相を首の上にのせて、かったるそうに着席している。

 まともな連中には見えなかったし、実際そうだ。名無し、この世界の最下層の住民であり、更に言うとロッズが「コイツは迷宮にそのまま突っ込んだらすぐに死ぬな」と判別し訓練所に言葉巧みに誘導した選りすぐりのクズである。

 正直言って相手をするのも面倒くさい。

 

「こいつら全員早く子鬼どもに食われて死なねえかなあ」

「思ったこと全部口に出てるぞオッサン」

 

 やさぐれた生徒その1に指摘されおおっと、と、グレンは顎髭をさすった。まあ別に本音を聞かれて困るわけではないが。

 

「あーもういいや、とにかくさっさと訓練終わらすぞクソども覚悟し――」

「グレン、追加で2人訓練ついかよー」

「死ね」

 

 そこへ乱入してきたロッズと2人の子供を前に、グレンはうめいた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 訓練所

 

 ウルはその言葉に一も二も無く飛びついたものの、時間が経つと共にその名称と、冒険者という役職の相容れ無さに、奇妙な感覚を覚えていた。訓練、という言葉の響きには地道で、真面目で、堅実な印象を受ける。冒険者という言葉には粗野で、乱暴で、不真面目な印象を受ける。

 ウルの個人的感想ではあるが、大きく外れているとも思わない。実際ここにいる、ウルと同じ冒険者見習い達は、机に座るという事すら鬱陶しそうにイライラとしている。顔には「なんでこんなとこにいなきゃなんねえんだ」という不満がまき散らされている。

 

 そうそう、冒険者ってこんな奴らだよな。

 

 という、妙な納得を得ながらも、ウルは眼前の講師と思しき男を見る。

 

「……めんどうくせえ」

 

 見た目、4、50くらい。只人(タダビト)、無精髭、赤黒いボサボサの頭。やる気という物を全く感じない生気のない眼、教師、という言葉があまりにも似つかわしくなさ過ぎる。ウルでも訝しげな顔にならざるを得なかった。

 ぶつぶつと何か愚痴のようなものをこぼしながら大きく、諦めたような溜息をつくと、男はウル達の方へと向き、皮肉げに顔を歪めた。

 

「ここで指導を行うグレンってもんだ。ようこそクソッタレな訓練所に、クソッタレな冒険者になろうなんて志したバカども」

 

 コイツ本当に指導する気あるんだろうかとウルは思った。他の奴らも多分そう思った事だろう。隣に居るシズクだけは何故か拍手しているがコイツはコイツで何とも思わないのか目の前の男を。

 しかしグレンという男は気にしたそぶりも見せず言葉を続ける。

 

「別にこの訓練所に通うのは義務でもなんでもねえ、今すぐ迷宮に行ったって誰もお前らを咎めやしねえし騎士団もしょっぴいたりはしねえ。……っつーのに此処にいるってことは、まあロッズのバカにそそのかされたって事だろう」

「私たち、そそのかされたのですか?」

「そうかもなあ…」

 

 シズクの問いにウルは生返事する。

 実際ウルはこの話を聞いたときは随分美味しい話もあったもんだと思った。家を持たない放浪の身では、寝泊まりにすら金はかかる。名無し用の不潔で寝心地最悪の安宿であってもだ。寝泊まりと指導をタダでしてもらえるなんてうさんくささしかない。残念ながらウルには選択肢がなかったが。そそのかされた、と言われても納得しかない。

 

「おいコラふざけてんじゃねえぞオッサン!!てめえの話なんてどうでもいいんだよ!」

 

 しかし他の者達は納得できなかったらしい。ウルの隣の男は立ち上がりがなりたてる。五月蠅かった。

 

「指輪をよこすっつーからこっちは来たんだよ!寄越せよ!“銅の指輪”を!」

 

 指輪?とウルは首を傾げ、シズクを見る。シズクも首を傾げていた。

 銅の指輪の意味はわかる。今ウル達が持っている“白亜の指輪”ロッズが言っていた“仮”の冒険者の指輪なんかじゃない、本物の冒険者の指輪だ。それをくれるのだろうか?ここで?しかしそれならなぜロッズはその事を言わなかったのだろうか。

 

「サプライズとかではないでしょうか?」

「サプライズかあ」

 

 と、間抜けな会話をウルとシズクがする最中、グレンが彼方此方から湧き上がる不満の声を鬱陶しそうに無視しながら、懐から何かを取り出す。

 窓の外の太陽の輝きに照らされ眩く輝くその指輪は、ウル達が装着している鈍い白亜の指輪ではない。紛れもない正式な冒険者の指輪だ。

 

「銅の指輪、まあ冒険者ギルドの中じゃ最下位の指輪だが、それでもお前等が渡された白亜と比べりゃその持つ効力はデカイ。権限の一つに、“都市滞在費用”の免除が与えられるって言えばわかるだろう」

 

 その一言で、不満を上げていた訓練所の参加者たちは色めきたつ。一定の費用を支払わなければ都市に居続けることも出来ない名無しには、それだけで魅力的な権限が、あの小さな指輪に秘められているのだ。

 

「っつーわけで、どうせ長ったらしい説明してもおめーらは聞かねえだろ?此処のルールを説明してやる」

 

 そう言ってグレンは指を三つ立てた。

 

「この訓練所を出る方法は三つ。一つは退学、コレはいつでも、自分の意思でそうしたいと思ったらそうすりゃいい。さっきも言ったが、別にこの訓練所は義務じゃねえんだ。望まないなら出ていっても止めねえ」

 

 そう言って一つ指を折る。だが、他の参加者達はグレンが持つ指輪を凝視している。少なくとも今すぐ此処を出ていく気は無いらしい。

 

「二つ目、俺に認められること。俺が許可を出したら指輪をくれてやる」

 

 ニヤニヤと笑いながらグレンは更に指を折る。あ、コイツ許可出す気ねえなという気配がありありと出ていた。しかし参加者たちは未だ指輪を凝視している。全く諦めていない。今にも飛びかかりそうだった。

 そして、グレンは最後の言葉を口にする。

 

「三つ目、俺を倒せ。手段は問わねえ」

 

 それを言い放った瞬間、参加者の何人かががたりと椅子を蹴り飛ばし立ち上がった。見ればどっから持ち出したのか棒状の鈍器をそれぞれ持っている。見た目完全に強盗の類いの男達のリーダーと思しき男がグレンへと近づき、せせら笑った。

 

「てめえをぶちのめしゃ“お勉強会”せず指輪貰えるってか?」

「おーそうだぞ」

「そいつはルールとかあんのかい?タイマンじゃなきゃならねえとかよ」

「言っただろ、手段は問わねえって」

 

 それを聞いた瞬間、彼は仲間たちを顎でしゃくる。そして吠えた。

 

「んじゃあ!ここでのめしちまっても文句はねえってこったよなあ!!!」

 

 古びた長机が押し倒される。男達が飛び出し、グレンを取り囲む。教室から怒号とも悲鳴ともつかない声が響く。

 

「……ぅぉ」

「あら?」

 

 ウルはその瞬間、()()()と何か背中に得体の知れない悪寒が走ったのを感じた。根拠も何も無い直感が、危機を告げていた。それに従いウルは咄嗟に隣に居るシズクの肩を掴んで頭を下げた。

 

 衝撃が部屋全体を飲み込んだのはその次の瞬間の事だった。

 

「っっっっっっっっっハガゴバァ?!!」

 

 同時に、魔物の断末魔でもそうはならないような奇妙な悲鳴がこだました。

 

「………………は?」

 

 恐る恐るウルが顔を上げると、何故かグレンを囲っていた男達の姿が消えていた。右を見ても左を見てもどこにも無い。そして、パラパラと上から何か、石片のようなものが落ちているのを見て、上を見上げる。

 

「……………あ、が」

 

 そこに、その天井に、チンピラ達はいた。頭から天井に頭を突っ込み、胴体近くまで身体をめり込ませながら、つり下がっていた。奇妙な天井のインテリアと化したチンピラ達は、恐怖を通り越してシュールだった。

 

「おーし、ほかに挑戦者はいるかー。全員で来てもらってかまわねーぜ俺は」

 

 グレンがにこやかに訓練生に笑いかけるが、それにこたえるものは一人もいなかった。

 

 冒険者ギルドグリード支部、訓練所、第245期生

 

 参加者三〇名、内脱落者五名、残り二五名

 

「……ええ」

「とんでもない場所に来てしまったのでは?」

 

 シズクののんびりとした指摘は、的確だった。

 




評価 ブックマーク 感想いただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう 阿鼻叫喚編

 

 

 【大罪迷宮グリード】

 カテゴリ:地下階層型迷宮。

 イスラリア大陸、南東部、アーパス山脈の横に構えた大陸の“端”に位置する大罪迷宮。

 百年前に発生した迷宮大乱立騒動で発生した最大級レベルの迷宮の一つ。定期的な変動と、大規模な魔物の大量発生を起こす“活性期”を繰り返しており、現在でも攻略は出来ていない。現在確認するだけでも30層以上、一説では50層以上先まで存在するという話もあるが、真実は定かではない。

 一人の黄金級の冒険者が深層で竜を討って以降、その者が到達した迷宮踏破の記録は破られていない。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 迷宮都市グリード冒険者育成訓練所、授業開始1日目

 

 ウル達訓練生たちはグラウンドに集合していた。

 

 この時点で5名の尊い犠牲者……もとい脱落者達が出てからというものの、オラついていた訓練所の参加者達は随分と物静かになっていた。少なくとも目の前の無精髭の男、グレンに罵声を浴びせるような者は一人も居ない。誰も、天井のインテリアにはなりたくはないらしい。

 無論、ウルも同じく不安ではあった。が、一方で安心した点もあった。

 グレンが、間違いなく強いという事だ。

 

「グレン様はお強いようですから、強くなれるかもしれませんねえ」

「強いイコール指導力があるとは限らないが、まあな」

 

 シズクの言うことは安易だが尤もだ。少なくともウルよりは強いことは間違いないのだから何か学べることがあるはずだ。

 

 ――向上心を強く持ち、そして辛抱強い努力を保てねば――

 

 ジーロウの忠告を思い出す。現在ウルには本当に何一つ持たない。才能も努力も財産も知識も技術も、流れ者である故に、土地勘も、知り合いも何もない。黄金不死鳥、そしてアカネの件がなくとも、どのみちウルは生きるための力が必要なのだ。

 力を手に入れる。生きていくための力を。アカネと幸せに生きていけるだけの力を。

 ウルは自身をそう鼓舞する。少なくとも、隣のシズクの前向きさくらいは持っていなければやっていけないだろう。

 

「おーし集まってんなクソども」

 

 そこへ、訓練生たちの不安の大本であるグレンが満足げに声をあげる。不安と恐怖の視線を一斉に浴びながらも彼はどこか平然と、気にする様子も見せずに訓練生一同を眺めた。そして一言、

 

「お前らにはさっそく迷宮にもぐってもらう」

「ちょっと待て」

 

 即座に待ったをかけたのはウルだった。

 

「なんだクソガキ」

「早ない?」

 

 迷宮に潜るための力を付けるつもりだったのに即日で迷宮に突撃をするというのは流石に想像していなかった。

 

「普通こういうのは、基礎訓練の指導みたいなのから始めるものと思ったが」

「ここいらグルグル走り回ってたって迷宮に潜れるようにはなんねえよ。迷宮を学びたきゃ迷宮に行け。魔石を稼げ。指導代としてギルドで搾取するから」

「クソみてえな理由が聞こえたんだが」

 

 条件付きでタダ

 というロッズの言葉をウルは思い出した。条件とはつまりこれか。全然タダでも何でも無いじゃないかあのアマとウルは思った。当然、ウル以外も不満を持ったのだろう。落ち着いていた不満の声が再び湧き上がった。

 

「てめえふざけんな!ろくな指導もしねえ!迷宮の稼ぎは減らしますだ?!だったら訓練所なんて今すぐ辞めててめえで迷宮掘りに行くわ!!」

 

 極めてごもっともな意見ではある。指輪のご褒美が無ければ彼らは今すぐにでもここから立ち去っていたことだろう。ウルとて、本当にこれからまともな指導が受けられないならそうするつもりだ。

 グレンもまたその罵声をきき、なるほどと頷いた。

 

「んじゃ、こうしよう。この中で最も魔石を取得出来た奴に指輪をくれてやる」

 

 次の瞬間、文句の声をあげていたならず者達は一斉に飛び出していった。凄まじい速度で、訓練所を飛び出し、ウルは取り残された。

 

「…………馬の鼻先に吊り下げる人参みたいにつかっていいのか、その指輪」

「使えるものは使う強かさがうんたらかんたらなんだよ冒険者」

「せめて最後まで言い訳頑張れ」

「で、お前等はいいのかよ」

 

 お前等、と言われてウルは隣を見ると、シズクもまたウルの隣に居る。彼女も残ったらしい。まあ、それはいいとして、ウルは溜息をついた。

 

「どうせ指輪をやるつもりなんてないんだろ?」

「そりゃそうだ。誰がやるかあんなバカどもに」

 

 講師役失格としか思えない台詞を平然とのたまいながら指輪を指で弾く。名無し達が喉から手が出るくらいにほしがるものをオモチャのように…、と思いつつも、グレンの言うことに内心で同意もしていた。あのチンピラ達があのまま冒険者の指輪を獲得し、都市の中に蔓延るようになるのは正直いやだ。

 

「では、これはあの方達の()()()()のが目的なのですか?」

 

 今度はシズクが問う。

 やや物騒な言葉の響きに、グレンは楽しげにケラケラと笑った。

 

「そだよ。よくわかったな」

「皆様、とても元気が良さそうで、話を聞かなそうでしたから」

「から?」

「落ち着いてもらった方が良いかなと」

 

 グレンはソレを聞いてケラケラと笑った。そしてしげしげと興味深そうにシズクを眺めた。

 

「変な女だな。なんで冒険者なんかになろうってんだ。()()()()()()()で」

「強くなりたいのです。一刻も早く」

 

 その言葉にある強い意志は隣に居るウルにも感じ取れた。グレンは「面倒くさそうだな」と鼻を鳴らした。

 

「もっとも、名無しなんて大概、スネにキズ抱えてる奴ばっかだがなあ。んで、都市の外に居るから、野良のちっせえ迷宮なんかを既に経験済みな事も多い」

 

 なるほど、とウルは頷く。ウル自身も迷宮探索の経験はある。アカネの一件で迷宮で魔石採掘として働かされるよりも前から、その日のメシを稼ぐため、何度か迷宮の出入り口で剣を乱雑に振り回し、魔物から魔石を奪ってその日の飯の種にしたことはあった。

 

「だから、そういう奴らは自信満々で、迷宮のことを侮って、つけあがる。んでそういう奴らほど死亡事故やトラブルを起こしやすくてな」

「だから鼻っ柱をへし折ると」

「そゆこと。こっちの監視下でな。一度自信失えば少しは慎重になるからな」

 

 とてつもなく乱暴な人格矯正法だった。こんな真似を冒険者ギルドがやってるのかと呆れもしたが、冒険者らしい扱いということなのかもしれない。

 

「そうすりゃ、適度に自信をなくして、ビビって、浅い層で毎日毎日魔石を採っては都市に還元する都合の良い奴隷が出来あがるっつーわけだ。頭良いだろ」

 

 いややっぱひっでえわ。

 

「一回の挫折で心折れるような奴はその程度だ。死なないようにセーフティ敷いてやっただけありがたく思えっての」

「最初から成功するかもしれんぞ。迷宮探索。余計自信を付けるかも」

「最初から上手くやれる奴らならそれでいいんだよ。【大罪迷宮】の上層くらいなら上手くやれる“腕”と“頭”があるって事だからな……そんな奴ばかりなら俺も楽だ」

 

 グレンの言葉は何処か確信めいていた。大罪迷宮。実際ウルも大罪迷宮に足を踏み入れるのは初めてだ。さっきのチンピラまがい達も初めてだろう。現存する迷宮の中でも最も巨大な規模となる大罪迷宮。それらは全て大連盟及び、“都市の政治を司る神殿の管轄”であり、冒険者ギルドを通さなければ立ち入れないのだから。

 しかし冒険者として成り上がるなら、避けては通れない。

 

「さて、てめーらもとっとと行けよ」

「折っておきたい鼻柱なんて存在しないが」

 

 ウルがそう言うとグレンはうるせえとウルの額を小突いた。痛かった。

 

「指輪目当てでも無く訓練所にのこるっつー事は、殊勝なことに強くなりてえんだろ?」

 

 頷く。隣に居るシズクも同様に頷く。

 

「なら1にも2にもまず迷宮に行くしかねえんだよ。実戦しろ。死線を越えろ。魔力を喰らって血肉に変えろ。戦い方の指導なんてその後だ。行け」

 

 そう言ってグレンから蹴り出され、ウルとシズクもまた、大罪迷宮グリードへと向かうのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 迷宮都市グリード 行軍通り。

 

 かつて迷宮からあふれ出んとした魔物たちを抑え込むため毎日のように迷宮へと軍隊や冒険者たちが突入を果たしていたころに付けられたその名だが、現在はそのような光景は見られない。迷宮探索家の増加、結界術の発達に伴い、迷宮から魔物があふれ出る心配がほとんどなくなったからだ。

 代わりにこの行軍通りにはさまざま店舗が立ち並び、日々激しい活気に包まれている。迷宮から産出される豊富な資源、それらの加工品等が並ぶこの通りは大陸随一の商店道と言えるだろう。

 

 

                      ~イスラリア大陸の歩き方~

 

 

 

 行軍通り

 

 かなりの広さの大通りなのだが、そうは感じられない。立ち並ぶ商店、露店、それらを目当てに集まるたくさんの人々でごった返しているからだ。それもただ人通りが多いというのではなく、そこには凄まじい人の熱気が溢れかえっていた。

 露店を張る商人たちが道行く人々に声を張る。その凄まじいエネルギーは熱気となって、道行く人々に当てられ、それが更なる熱気へとつながり、全体の活気と熱気へと変わっていく。

 ウルは放浪の間、様々な都市を巡ってはきたが、此処ほど活気のある場所は見たことはなかった。大罪迷宮を中心とした複数の迷宮から流れ込む莫大な魔石が産業を高めヒトを呼び、活気と金を生む。尽きぬ魔石によって夜も照らされ、住まうヒトは欲望に酔いしれる。

 

 大罪都市グリードとはそういう都市だ。この通りはその縮図のようだった。

 

「皆様、元気で、とても活気があるのですね」

「伊達に大罪都市の一つじゃないからな」

 

 となりで歩くシズクののんびりとした感想にウルも頷く。活気があり、

 

「元気がありませんね?」

「正直に言って憂鬱だからな。冒険者になるハメになるとは」

「お嫌いですか?冒険者」

「嫌いで苦手だ。金好き酒好き暴力好き。下品な刹那主義者。関わりたくない」

 

 昔から、冒険者という生き物に対して純粋な生理的嫌悪感をウルは常々感じていた。彼らが根っからのろくでなしばかりでないということは勿論知っている。時としてウルやアカネを気遣ってくれるような心優しい冒険者に助けられたこともある。誰もがアホでバカではないとウルは知っている。

 要は、それとは別に、ただただウルが冒険者という存在が苦手なのだ。堅実な人生をと願う彼にとことんそぐわぬ生き方であるような気がしてならないし、実際にそうだと思う。命を懸けて魔物達と切った張ったする生き方は、刹那的だ。

 

「そんな冒険者になるのですね」

「いやだなあ…………」

 

 改めてシズクから指摘され、ウルはへこんだ。大変に辛い。

 

「で、お前は?強くなりたいのは分かったけど、なんで強くなりたいんだ?」

 

 迷宮での殆ど事故みたいな出会いから、何故か同行し続けている羽目になっているが、肝心要の彼女の目的については全くもって分からないままだ。恵まれすぎている容姿も捨てやって、兎に角強くなりたいということしか分からない。

 質問に対して、しかしシズクは困り顔になった。

 

「申し訳ありませんが、あまり私の事情は説明できないのです」

「そうか。まあそれならいい」

 

 ウルは彼女の言葉に納得し、会話を切った。すると今度はシズクが首を傾げる。

 

「いいのです?」

「喋りたくない事情に首突っ込んでも得なんて無いだろ」

 

 コッチの事情に踏み込むな。

 という奴はウルは結構知っている。彼らは犯罪者だったり、【神殿】の法に触れるような所業をしていたり、様々だった。結果、距離の取り方をウルは学んでいる。聞くなと言われれば聞かないし、問わない。踏み込まない。彼にとっていつものことだった。

 しかしシズクにとっては違うらしい。彼女は顔をほころばせて笑った。

 

「ウル様はお優しいのですね」

「こんな事に優しさ感じられてもな」

 

 ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべるシズクにウルは不安を覚えた。

 

「ダメですか?」

「いちいち恩を感じてたらそのうち騙されて売られるぞ」

 

 冗談ではなくマジだ。今の時代、ヒトの売買は決して珍しくはない犯罪の一つだ。都市の中は安全だが、大連盟法に守られない都市の外ではそのような犯罪も起こりうる。都市の中で安全にうつつぬかしていた都市民が気がつけば都市の外で奴隷になっていた、なんて話も珍しくはないのだ。

 ましてシズクは容姿の恐ろしく整った女である。誘拐されるリスクは十分ある。

 ウルがそう説明するとシズクは納得したように頷いた。そして、

 

「では色々と教えていただけますか?」

「は?」

「ウル様ウル様、あの出店は何を売っているのでしょう?」

 

 なんで俺が?と聞き直す間もなく、シズクはキラキラとした眼で通りに開かれる出店を指さしてウルに問うた。ウルは一瞬無視しようか悩み、沈黙し、彼女の目を見て、唸った。そして諦めたように溜息をついた。

 

「……子供の駄菓子だよ。ミナっていうやわい果実に蜜塗って焼いてる」

「あちらのなにかキラキラと輝いてるのは?魔道具?」

「玩具だよ。空にかざすと七色に光る。万華光とか言ったか」

「あちらのうねうねとしているのは」

「……大人の玩具だな。表で売るなよあんなもん。あ、しょっぴかれた」

「まあ」

 

 そんなこんなで、二人でまるで観光のような会話を続けながらも、通りを進んでいった。

 そして間もなくして、彼らの目の前に大罪迷宮グリードが姿を現すのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう 阿鼻叫喚編②

 

 

 大罪都市グリード 大広場 欲望の顎

 

 大罪迷宮の出入り口に存在する大広場にたどり着いたウルがまず目に付いたのは広間の四方に建てられた魔よけの石柱だった。

 先ほどまで通ってきた行軍通りに劣らず、否、それよりもはるかに増してそこは活気にあふれていた。広間の限られたスペースに露店が敷き詰められるように並び、商人達が最早叫ぶようにして自らの商品をアピールしている。

 そしてそれを眺める客たち――冒険者達――もまた真剣だ。誰もかれも、ショッピングに楽しみ浮かれる様子はない。商品を手に取り睨みつけるようにして、その品質を見抜こうとする。迷宮を前にした最後の準備を誰もが入念に行っていた。

 

 そして大広場の奥に、それはあった。

 

 この活気に満ち満ちた大広場の中にあって、何故かそこだけが薄気味の悪い、冷たい、湿気た風がながれていくのを感じる。古びた門の先、深く深く、広間から地下へと続く階段。

 あれこそがこの都市の要。幾多と発生した迷宮の中でも最大規模の迷宮。

 

 【大罪迷宮グリード】に他ならない。

 

「あれか……」

 

 ウルは本能的に感じた薄気味の悪さに少し身震いしながらも迷宮の入り口へと向かう。すると途中でヒトだかりのようなものが見えてきた。近づくとそれが怪我人を運びだす癒院の癒者たちであると気がついた。

 怪我人は、知らない顔もいたが、つい先ほど見たことのある顔の方が圧倒的に多かった。というか、どいつもこいつも訓練所から飛び出していったチンピラもどきの冒険者達だった。

 

「…………」

「……ぅう」

「いでえ……いでえ……」

 

 グレンに対してイキがっていたのは何だったのか。というくらいのボロっぷりである。まあ、癒者達も回復魔術などは使わず軽い応急手当で済ませているから、大けがはせずに済んだのだろうが。

 

「あら、貴方。ウルだったかしら」

 

 と、聞き覚えのある声がウルの名を呼んだ。見れば、癒院でウルを治療した女の癒者がウルをみていた。彼女も仕事なのだろう。足下に転がるチンピラ達に包帯を巻き付けていた。痛い痛いと喚く男の悲鳴を無視して容赦なく治療を行っている。

 

「毎度の事ながら喧しいわね」

「毎度なのか」

「毎度よ。訓練所から送り込まれる冒険者未満達の治療は」

 

 つまり、訓練所から出撃した者達は怪我する前提ということか。グレンの話を信じるならそもそも重傷にならない程度に怪我させて鼻っ柱をへし折るのが目的なのだから当然だが、酷い話だった。

 

「それで、貴方たちも行くの?言っとくけど、指輪なんて貰えないわよ」

「一応、参加者の中で最優秀のものが貰えると聞いているんだが」

「そうね。ちなみに突撃したあの訓練生徒たちに熟練の冒険者が混じってるわけだけど」

 

 ちらっとみると、うめき倒れる怪我人達の中に一人だけ颯爽と立つ女が一人いた。両腰に剣を二本差し、外套を頭からすっぽりと纏った女。情けない声がひしめく中、魔石を納める“拡張鞄”から大量の魔石を“換金所”に預けている最中だった。

 

「……ひでえ話だ」

「そんなわけで、指輪なんて貰えないわけだけど、それでもいくの?」

「…………ひとまずは、行く。どのみち迷宮に潜らなきゃ冒険者にはなれんのだ」

 

 グレンの命令だから、という訳ではないが、言っていることはもっともだとは思った。どのような思惑であれ、冒険者になろうというのだ。なろうとするからには迷宮は絶対に避けては通れない。地道に訓練をしてからなどという悠長な真似をする余裕はないのだ。

 

「…………そ。なら無理はしないようにね。魔物10匹を目安にしなさい。侵入も1層目に留めること。低層でも大罪迷宮、この人達みたいになりたくないでしょ」

「なりたくはないなあ」

「気をつけますね。ありがとうございます」

 

 ウルとシズクは癒者の女に頭を下げ、そして迷宮へと向き直る。

 二人にとって初となる大罪迷宮の探索が始まるのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あ?初めて?白亜か。んじゃあそこのでっけえ“引石”に指輪を擦りつけろ。出口の方に案内してくれるようになる。白亜は3層までしか侵入は許されとらん。魔石は全部此処に出すのがルール。以上だ行け」

 

 換金所。迷宮の通路や魔物から採れる魔力の結晶、魔石の金銭への換金所であり、同時に関所でもあるはずのこの場所での説明はおそろしく雑だった。

 

「あんな適当でよろしいのでしょうか?」

「入るのは良いんだろう。緩くて」

 

 その代わり、と、ウルが魔石の換金場、迷宮から出てきた冒険者達の方を見る。彼らは一様に入念な持ち物の検査をされている。魔石のみならず、迷宮から持ち帰ったもの全て、身につけている装備品に至るまでしっかりと確認させられている。

 

「あちらは厳しいのですね?」

「迷宮に入る奴が減るのは困る。だから入り口は易しくして、でも魔石や遺物を勝手にちょろまかされると困るから出口は厳しいと」

「合理的ですね」

「あけすけすぎるのもどーかと思うが……いやまあいいか」

 

 別にこの都市がどんな風に迷宮を運用していようがウルは困らない。入り口がどんだけ緩かろうが、冒険者ギルドという関門を先に通している以上、よっぽど変な奴が入ってくることはまず無いという信頼もあるのだろう。

 

「さて」

 

 ウルはそう言って自身の格好、装備を確認する。あの小迷宮を探索したときと同じボロの私服、ではない。酷くボロではあるが革鎧に、右手に小型の盾を一つ。更に長槍を一本装備している。迷宮探索としてはやはり心許ないが、武器一本で特攻させられた時と比べればまだましだった。

 しかしこれはウルのものではない。訓練所でグレンが貸し出してくれたものだ。

 

 ――先輩達が残してくれた武具だからありがたく受け取れ。

 ――死んで残してった遺品ってんじゃないだろな。

 ――……

 ――なんか言えよ。

 

 そんなこんなで倉庫に突っ込まれていた武具防具の幾つかを貸し出してもらえた訳なのだが……

 

「なあ、血なまぐさくない、これ?なんか」

「まあ、ウル様。その革鎧、背中にべったり黒ずんだ痕が」

「この盾、カビはえてない?」

「青紫色で少し可愛いですね?」

「毒々しさしか感じない」

 

 無料の借り物だから文句も言えないがもう少し見た目がまともなものはなかったのだろうかと思わざるを得ない。グレンからは一応「迷宮探索には支障はない」とは言われたが、不気味でならない。

 

「お前はまだマシだな……比較的ってだけだが」

「綺麗なものをいただけました」

 

 シズクの装備は魔術師の魔術を補助する霊木の杖、ウルと似たような革鎧一式だ。血の痕がないだけでウルと同じくらいボロっちいが、それでも多少は様になるのはやはり容姿のおかげだろうか。どうでも良いことだが。

 まあ、少なくとも、最初のあの大牙猪との戦闘の時と比べれば遙かにマシな装備である。不安も嫌悪感も依然としてあるが、しかし防具に身を固める事の安堵感がまだウルを勇気づけてくれていた。

 

 魔物を10匹、10匹ならウルも倒した事はある。大罪迷宮ではないが、ろくな稼ぎのない親の代わりに、自分で稼いで妹と自分の食い扶持を稼いできたのだ。

 

 いける。問題ない。大丈夫だ。ウルは自分にそう言い聞かせる。

 

「よし」

「いきましょうか」

 

 目の前の大罪迷宮へと続く地下への階段を降りていく。

 多くの迷宮は地下より生まれ出でる。大罪迷宮といえどそれは変わりないらしい。しかし地下へと降りていくに従って、ウルは感じた覚えのない感覚を覚えた。まるで全身にまとわりつくような、得体の知れぬ“悪意”。まるで、見えない、巨大な生き物が、自分の身体にまとわりついて、敵意をもって見つめてきているかのような不快感。

 気のせいだ、と強がるようにして階段を降り続け、そしてたどり着いた。

 

「――――ここが」

 

 大罪迷宮グリード第一層。

 ソレは巨大なる地下空間だった。それほど深く降りてきたはずも無いのに、天井が深い。まるで小人にでもなったのかと錯覚する程に、そこは巨大だった。不規則に柱が並び立ち、そして、ウル達が立つ広間から幾つもの通路への入り口がウル達を囲うようにして連なっている。迷宮そのものが放つ魔力の光ではほんの僅か先までしか見ることは叶わず、先の見えぬ闇が、ウル達を睨んでいた。

 ウルは立ちすくみ、そして思った。

 

「やっぱ大丈夫じゃないかもしれん」

「…………ひろいですねえ?」

 

 大罪迷宮グリード探索開始

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう 阿鼻叫喚編③

 

 

 迷宮大乱立

 

 数百年前を境に突如世界中に発生した魔窟、地底の奥深くから魔物を次々に生み出す恐怖の洞穴。人々の生活圏を侵略し、破壊し、崩壊させ、生活を根本から変えてしまった全ての元凶。

 そして今や人々の生活の要と化した資源採掘場。その成立ち、状態は様々だが、基本その規模から小中大と単純な種類分けがなされる。

 ただしそれらに当てはまらない例外がこの世界には七つある。ヒトが背負いし宿業の7つに分けられた七つの迷宮。

 

 傲慢 憤怒 嫉妬 怠惰 強欲 暴食 色欲

 

 強欲(グリード)の名を関する迷宮が此処となる。

 

 しかし大罪の名に反して迷宮の内容は実にオーソドックスだ。大乱立以降、多く出現した小型の迷宮らと同じ地下階層型迷宮、大型迷宮に時折存在する地形変化も起こさない実にシンプルな作りをしている。中層、深層へと至ればその様相は更に変化するものの、低層の段階では迷宮そのものがこれといって特殊な変化を起こすことは基本的には無い。

 

 その成り立ちは通常の迷宮と変わりない。

 では、何が通常の迷宮と違うか。

 

「来たぞ来たぞ来たぞ!!正面!!」

「ウル様、背後からも来ています!」

 

 魔物の“濃度”である。

 

『GYAGYAGYAGYA!!!!』

 

 ウルとシズクが大罪迷宮に踏み込み始めてから数分後、ウル達は小鬼(ゴブリン)と接敵していた。魔物としてはもっとも脅威度の低く、小迷宮でウルはもっと装備が貧弱な時に打倒した事がある小鬼だ。

 

 それが1()0()()来た。

 

「多いわ!!!!」

『GYA!?』

 

 ウルは叫びながら槍を突き出す。馬鹿正直に突っ込んできた小鬼の腹を貫き、更にその奥にいたもう一匹を突き殺す。二匹同時、やはり小鬼自体は脆く、弱い。

 ただしまだあと8匹いる。

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 醜い子供のような体躯の魔物が、死んだ仲間の背後から何匹も飛び出してくる。鋭い爪を伸ばし、涎まみれの牙を剥き出しにして。食いつかれ、引き裂かれれば当然、死ぬ。

 ただ数が増えただけで爆発的に脅威が増す。それもまた小鬼の特性だった。

 

「危ないです!!」

『GAAA!?』

 

 対抗するならば、此方も数でもって戦う以外無い。ウルの隣に立ったシズクが魔術師の杖を振りかぶり、振り下ろす。小鬼一体の頭をたたき割った。魔術の杖、という使い方としてはいささか物理的だが、後方でじっとするだけの魔術師ではないことが今は頼もしかった。

 ウルは急ぎ小鬼から槍を引き抜き、即座に薙ぐようにして振るう。二匹捉えた。一匹は逃れたが、もう一匹は壁にたたき付ける。ごきりと骨が折れるような音がした。脆い。

 残り6匹。先の薙ぎ払いで哀れにもすっころんだ小鬼が目の前に転がってくる。ウルは容赦なく蹴りを繰り出し、首をへし折った。残り5匹。

 

 やはり、小鬼は脆く、弱い。乱雑な攻撃でも呆気なくその命を散らす。だが、どれだけ一方的であっても、数が多ければ殺しきるには今のウル達には手数が足りなかった。

 

『GYAAAAAAA!!!』

「っくっんのお!!」

 

 殺しきれなかった残りの小鬼がウルに飛びかかる。口を大きく開き、腕にかみつこうとする。革鎧がソレを防ぐ、が、つきたった牙と爪が肉に食い込み、血が噴き出す。更に2、3匹飛び掛かりに来る姿がウルには見えた。

 

 このまま受ければ、なぶり殺しにされる。

 

 その恐怖は正確だった。魔物の十三階級最下層の小鬼、個体としてはたいしたことがなくとも群れることで飛躍的に危険性が高まるこの魔物は、他の魔物と同じく決して侮ってはならない存在だった。

 その脅威を前に、怯えず、パニックを起こすこと無く動けたのは、社会的弱者であるが故に陥った窮地の場数の多さから来る「慣れ」による所が大きかった。

 

「に、げる!!!」

「はい!!」

 

 此処にいてはいけない。という直感からの彼の動きは速かった。飛びかかった小鬼達から距離を取り、同時にそのまま背中を向け、そして走る。

 小鬼を相手取るとき、小鬼自身の脆さと弱さから正面で、“足を止めて”迎え撃ってしまう者が多い。だが、足を止めれば格好の餌食だ。囲まれて死ぬ。

 

 走る、振り返る、小鬼との距離は離れていく。小鬼は足が遅い。

 

「シズク!!」

「【焔よ唄え、我らが敵を討ち祓え――火球!!】」

 

 シズクの唄が迷宮に響き、そしてヒトの頭よりも大きな火の玉がシズクの目の前に出現し、そして直進した。

 

『GYAAAAAAAAAAAA!?』

 

 爆散した炎の球に、残る小鬼達は一気に焼かれた。大牙猪の時のように耐えられる、ということも無い。魔術の詠唱、そして回数の制限、様々な制約がありつつも、やはり魔術は絶大だった。

 

『G………』

 

 残り5匹、全員が燃え焼け、僅かに悶え、その後動かなくなった。そして、肉体がグズグズと溶け始める。迷宮の地面にまるで吸い込まれるようにして消えていった小鬼の肉体、その後には魔石が落ちた。

 

「……危なかった」

 

 ウルは、額に吹き出した汗を拭い、深々と溜息をついた。

 

 ウルとシズクが迷宮の入り口に入って最初の頃は魔物は殆ど出現しなかった。故に通路を進み、暫くすると一匹二匹と小鬼が湧いて出た。それを倒すとまた出現しなくなったので更に奥へと進み、進み、進んで、ある程度進んだ矢先、いきなり10匹の小鬼に取り囲まれ今に至る。

 まるで誘い込まれたかのような唐突さであった。いや、実際に誘い込まれたのかもしれない。この大罪迷宮に。

 

 10匹を目安にしろ

 

 という助言の意味が、わかった。この迷宮で欲張り深入りすれば、死ぬ。欲を掻いて奥に進めば、その瞬間逆に食い尽くされる。この場所はそういう場所なのだと、思い知るには10匹という目安は。丁度良い数だった。

 

「……そりゃ、あのチンピラ達は一網打尽になるだろうさ」

 

 ウルとシズクは互いに助け合って、いわば一行(パーティ)を組んで尚、今のような窮地に至ったのだ。グレンに挑発されたあのチンピラ達は恐らく競い合うようにして急いで魔物達を倒そうと、どんどん迷宮の奥へと突っ込んでいったのだろう。当然、ウル達以上に激しい猛攻に遭ったはずだ。

 必然的に死屍累々になる。グレンの思惑通りに。酷い話である。

 

「ウル様、ご無事ですか」

 

 魔術を放ち、ウル以上に疲労の表情を浮かべたシズクが近づいてくる。ああ、とウルは手を上げて彼女の方へと振り向き――

 

「――は?」

『GAAAA!!』

 

 彼女の背後から新たに湧いた小鬼に驚愕した。

 

「伏せろ!!」

「――っ」

 

 醜く鋭い爪を伸ばし、シズクの首へと伸びた小鬼に即座に反応し、槍を繰り出せたのは、この大罪迷宮の脅威を目の当たりにして、戦闘完了後も緊張を解くことが出来なかったから。要はビビっていたからだ。そしてそれは正解だった。

 

『GOE………』

 

 突き出された槍はシズクの頭を掠め、小鬼の喉を貫き、殺した。小鬼は魔石になったが、ウルはそれを拾うよりも先に驚愕した。

 

「……マジか、もう湧いたのか次が」

「……ありがとうございます、ウル様」

 

 迷宮の魔物の出現速度は、迷宮の規模によってまちまちだ。出ないときは一日の間に何度か、というレベルで少ないことも。しかし今のは、一〇匹まとめて出現してから1分も経っていない。なら、この後も?こんな調子?

 いや、まさか、という楽観が出来るほど、ウルは能天気ではなかった。

 

「シズク、急いで帰ろう」

「魔石はどうします?」

「いら――――いる」

 

 一刻も早く逃げたい、という衝動を堪え、ウルは言葉を翻した。

 訓練所で寝泊まりは出来るらしいが、メシは出ない。メシを食わないと人間は死ぬ。ウルは一文無しである。此処で魔石を拾わず逃げ帰ったとあってはどっちにしろ死ぬ。可能な限り魔石は拾わねば。

 

「逃げてきたので、落ちた魔石は先ほどまで進んだこの通路の奥です」

「……………畜生!!」

 

 ウルは先ほどまで居た道へと全速力で駆け出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮グリード、迷宮出入り口 欲望の顎にて

 

「あー辛気くせえ」

 

 そこに訓練所の主であるグレンが悠々と姿を現した。大体の人間は彼の出現を気にもとめなかったが、広間に集う冒険者達の何人かは彼の姿を見るとぎょっと顔色を変えた。グレンはそれらを無視して大罪迷宮グリードの入り口前、自分の生徒達がゴミのように折り重なっている現場へと足を進めた。

 ぶったおれ、治療を受けている訓練生徒達はグレンを見るが最早何か罵る気力は無いらしい。黙ってうなだれるばかりだ。それをグレンは鼻で笑う。

 

「なんでえ根性のねえ。まだ罵る気力残ってたら割と見込みあったんだがな」

「勝手なことを言うな。筋肉ダルマめ」

 

 そこに声をかけてきたのは、外套を身に纏った女だった。彼女は訓練生と共に迷宮に突入した冒険者であり、怪我人だらけの中一人無傷の帰還者であり、そして今回の突入の折、グレンの仕込みの冒険者でもあった。

 

「おう、ご苦労さんカルメ」

「重役出勤とは良いご身分だな、グレン」

 

 そう言い、彼女は頭にかぶせていた外套を外す。鋭い目つきが印象的な女。頭の上にピンと立った二つ耳、獣人のそれだった。それ自体は別に珍しくもない。問題なのは彼女の指に、美しく銀色に輝く指輪が嵌められていたことだ。

 

「……指輪」

 

 訓練生の一人がうめくように呟く。彼女の指には訓練生達の白亜のソレとは違う、本物の冒険者の指輪が陽に照らされ輝いていた。“銀色”は一流の冒険者の証だ。

 本来であれば、訓練生のお守り、なんて仕事は任せるようなヒトではないが、ちょうど彼女の一行が迷宮中層から帰ったばかりの、要は休養期間中だったのでグレンが仕事を(強引に)依頼したのだ。結果、貧乏くじを引いたのが彼女である。

 

「ちなみに一番狩ってきたのもカルメなので賞品コイツな」

「イラン」

 

 最初のやりとりがペテンであることを明かされて尚、文句をいう気力が残っている者は此処に残っていなかった。

 

「これで全員か…?」

「いや、あと二人……おっ来たな」

 

 グレンがそう言って間もなく、迷宮の入り口から新たに二人分の影が姿を現した。

 

「……太陽の光が、眩しい」

「眩いですね……」

 

 大罪迷宮グリードから最後の組ウルとシズクがよろよろになりながら生還した。

 二人は息も絶え絶えであり、外に出た瞬間ぐったりとうなだれたが、しかし少なくとも自分の足での帰還を叶えた。怪我もしているが、即座に治療が必要というほどでもない。そして何より、魔物を倒した後の魔石も回収している。握りしめた麻袋から魔石が零れているのが見えた。魔物と遭遇しただただ逃げ帰ったというわけでもない。ちゃんと“儲け”を出している。

 初の大罪迷宮探索者としては“まあ悪くない出来”である。グレンはよしよし、と満足げに笑うと、死屍累々の冒険者もどき達に向き直った。

 

「っつーわけで、今回初探索が終わったわけだが……んー、よし、カルメなんか言え」

「押し付けるなと言ったはずなのだけれど」

「いーだろがよ。報酬はギルドから貰ってんだろ?これもお前の仕事だ」

 

 割に合わない、などと小さくカルメと呼ばれた女は愚痴を呟き、しかし諦めたように顔を上げると、ボロボロで座り込んでいる、彼女が連れてきた一団を睨みつけた。

 

「理解できただろう。迷宮探索は、特に大罪迷宮探索は決してたやすくない」

 

 鋭いその声は、疲れ切ったウル達の頭に深々としみ込んでいった。

 

「魔物の凶悪さ、出現頻度の高さ、迷いやすく孤立しやすい嫌らしい迷宮の作り、どれをとっても小中規模の迷宮とは訳が違う。それらを攻略して図に乗って、此処も同じだと高をくくって死んでいった冒険者は数え切れない」

 

 びくりと、思い当たる節がある者は反応するが、返す言葉はなかったのか顔を俯かせる。それを知ってか知らずかカルメは容赦なく言葉をなげかける。

 

「己の実力を知り、慎重さと協調性を重んじれば子供だって探索は可能だ。今回しくじって、私に助けられた連中は自分が子供以下だったと理解しておけ」

 

 子供、とは最後に迷宮から出てきたウル達のことであろうという事は誰もが分かっていた。幾つかの視線がウル達の方へと向けられるが、ウル達もウル達で疲労困憊しているのか、その事を気にするような元気はなさそうだった。

 

「そして、今回比較的、まともに探索をこなせた者は……そうだな」

 

 彼女はしばし考えた後に、自身の銀の指輪を爪でキンとはじいた。

 

「気づいてるかもしれんが、この訓練所で本物の指輪を渡す気なんぞ最初から0だ。要領さえつかんだらとっとと訓練所なんぞやめて実戦で経験しろ」

 

 彼女は腕を組んでのんびりとしているグレンをびしと指さした。

 

「この男は実力は確かだが指導能力は壊滅的だ。盗めるところは早いところ盗んで適当に見切りをつけろ。以上」

 

 言うべきことを言い切ると、仕事は終わった、と、颯爽とカルメはその場を後にするのだった。割と言われた放題だったグレンはと言えば、彼女の言葉を一切否定することもなく肩をすくめ、

 

「そんじゃーけーるぞー。帰ったらグラウンド20周なー魔力なじませねえと」

 

 やる気があんなら、だが。

 と、一言付けくわえ、後は何かいうでも無く、軽快な足並みで訓練所へと戻っていくのだった。取り残された冒険者未満の一同は、互いに互い、顔を見合わせ、その後に、げんなりとうなだれたのだった。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう 阿鼻叫喚編④

 

「……ひっでえ指導教官もいたもんだ」

 

 銀級の冒険者カルメとグレンの話を座り込みながらも最後まで聞いていたウルはなんとも苦々しい顔で感想を吐き出した。分かっていたがめちゃくちゃ乱暴なやり方であり、そしてそれが本当に乱暴であると銀級の冒険者からお墨付きをもらってしまった。

 適当なタイミングで見切りを付けろ。という彼女の言葉も心からのアドバイスだろう。実際、このグレンのやり方が今後も続くなら、適当なタイミングで引き上げないと怪我では済まないかもしれない。

 

 とはいえ、まだ初日、しかもまともな指導もなくただ迷宮に突入したばかりである。見切りをつけるにしても早すぎる。と、ウルは一先ず考え直した。

 

「ではウル様、私たちも訓練所に帰りますか?」

「いや、その前に魔石換金せにゃ」

 

 先立つものが無いと死ぬ。何のために必死に魔石をかき集めたのだ。

 

 あの後、魔石を取りに行く途中で更に小鬼三匹と遭遇し、魔石を拾ってる間に一匹、そこから帰る途中“影狼”と呼ばれる魔物2匹と遭遇し、結果、合計で二〇匹以上の魔物と遭遇し、倒す事になった。

 魔石は必死に拾ったが、最後の方はその余裕も無く逃げ出す羽目になった。しかも数えてみると明らかに拾った数よりも少ないので、おそらくは何処かで幾つか落としている。魔石を落としたということは金を落としたということと同義だ。金を落としたのだ。

 

「金……」

「思った以上にダメージが深刻ですね」

「生死、かかってるからな……お前もだぞ」

「次は落としません」

 

 シズクは真剣な表情で頷いた。その真面目な顔を見て、逆に気が抜けたのか、出口のすぐ側の地べたにウルはゆるゆると座り込んだ。身体の彼方此方が痛む。革鎧で防げなかった部分、爪や牙がウルの身体を傷つけていた。

 

「あら、ちゃんと帰ってこれたのね。感心だわ」

 

 そこに癒者の女がやってきた。彼女はウルの側に座ると、手慣れた動作でウルの身体を触診していった。そして怪我の場所を確認し、治癒の魔術を発動させる。

 

「【癒(ヒール)】」

「……ぬくい」

 

 癒者の両手から放たれる淡い緑色の暖かな光がウルをゆっくりと包みこんだ。痛むところ、傷ついた場所が温くなって、癒えていった。温い風呂場にでも全身浸かったかのような心地よさにウルは溜息をついた。

 

「今回は冒険者ギルドが負担してくれたから無料だけど、次回からは有料よ」

「良い気分が台無しだ」

「【名無し】だからお値段お高めになるからちゃんと稼ぎなさい」

「傷口に塩を塗り込むのヤメロ」

 

 シズクも別の癒者の魔術によって傷を癒やしている。手厚い介護も今日限りだという。

 

「訓練所なら無料で治療を受けられるとか、そういうサービス無いのか」

「無いわね。今回は初回特典。次回以降は有料」

「なるほど……」

 

 今回は幸運だっただけで、次から金がかかる。この癒者の言うとおり名無しは都市民と比べ更に治療に金がかかる。やはりなにをするにしても金である。

 

「……魔石、換金するか」

「それならあそこよ。あのうさんくさい老人の居る場所」

「だーれがうさんくさいじゃ無愛想な女め」

 

 と、癒者が指さす先、出入り口にある魔石換金所にて、幾つもの魔石を鑑定する老人がコッチを睨んでいた。なるほど。と、ウルはそちらに向かい、必死にかき集めてきた魔石を老人の前に差し出した。

 その魔石の数を見て、鑑定士の老人はほーんと笑う。

 

「まあ、悪くないな。少なくともあのバカどもと比べれば」

「これで悪くないならどんな有様だったんだよ。あのチンピラども」

「まあ、無難にこなせたのも何人かいるが、集めることもままならず逃げ帰った者もおるぞ。カツアゲなんぞしてたバカもおった」

 

 迷宮内でも基本冒険者同士の諍いは厳禁じゃのにアホじゃの。と老人は笑う。いつの間にやら横に居たシズクは不思議そうに声をあげた。

 

「迷宮にもルールがあるのですね?監視する人なんていなさそうですが」

 

 問われ、一切魔石から眼を外さぬまま、老人は鼻で笑う。

 

「冒険者がそもそも監視する側じゃ。都市を守る騎士団の眼が遠い迷宮内部で蔓延る悪党どもをひっつかまえて、迷宮の秩序を保つ番人こそ冒険者じゃ。自分が乱す側になってちゃ世話ねえわ」

「冒険者が悪徳に手を染めたらどうなる?」

「騎士団にとっ捕まるのう。ま、その前に大抵はギルド内部で潰されるのう。冒険者ギルドの粛正はきっついぞ」

 

 少なくとも自浄機能は働いている組織である、らしい。ウル自身は犯罪など起こすつもりは無いが。それ以降は老人は口を閉ざした。仕事の邪魔をするなという気配を察し、ウルもシズクも黙って待った。老人は手慣れた手つきで次々に魔石を鑑定し、そして背後の魔石の収容箱に仕分けし収めていく。

 

「ひのふのみの……ほれ、換金じゃ受け取れ」

 

 そして鑑定が終わり、老人が投げてよこしたのは銀貨1枚と銅貨20枚だ。

 

 ふむ、とウルは思案する。

 銀貨1枚で銅貨30枚、つまり銅貨50枚。

 節制すれば大体一日の食事は銅貨10枚に切り詰められる。で、あれば5日分の食事分。それが数刻で手に入ったことになるわけだが……そのために2,3度死にかけた。しかもこれはシズクとウル二人分だから分ける必要があるのにで2、5日分。かなりザックリした計算でこれだけ。現在は訓練所に無料で住まわせてもらえる、らしいが、それもなくなればどうなるか……

 うん、割に合わんな。とウルはため息をつく。当然、こんな生活続けていける筈がない。怪我をするか、病にでも一度かかるだけで即座に破綻する。その前に生活を安定させるか収入を増やさねば――

 

「随分湿気た顔してるね、未来の黄金級」

 

 そこに、聞き覚えのある声がした。

 嫌な予感がして、出来れば無視したかったが、そうもいかなかったので顔を向ける。まぶしい金色がそこに居た。あのゴルディンフェネクスの借金取りの女だ。彼女は晴れやかな笑顔を浮かべながらウルの方へと近づいてきた。

 

「……なんでここに居る」

「君を探しに来たのさ。前はほら、君が気絶しちゃって、ちゃんと話せなかっただろ」

「アカネは?」

「いるよ」

《にーたん!!》

 

 べしゃりとウルの顔面に紅色の液体がぶつかった。アカネだった。興奮すると彼女は自分の形態維持が出来なくなる。ウルは彼女を顔面から剥がすとそっと足下で形を猫のソレに戻して、頭を撫でた。

 

「生きていて良かったアカネ。この女に酷いことされなかったか」

《ごはんたべておかしくれてベッドでねたー》

「おや、俺より境遇がいい」

「自分のモノは大事にする方だよ。私」

 

 金髪の女はクスクスと笑う。その仕草は腹立たしい事に可愛らしい美少女だった。しかし彼女はウルとウルの家族の命運を握りしめている女である。

 

「で、俺の嘆願は届いたのか?えっと……」

「ディズと呼ぶと良いよ。で、なんだっけ」

「泣くぞ」

「冗談だよ。冒険者になって妹買い戻したいって話ね?」

 

 ディズ、と名乗った女は楽しそうである。ウルは当然楽しくはない。この女のこの後の決定でウルの命運の全てが決まる。妹を買い戻すのはウルの希望でしかない。彼女がやはりなしだと言えばアカネの命運は尽きる。ウルがこうして迷宮で必死に走り回ったのも無意味に終わる。魔物に追い回されるよりも更に心臓が悪かった。

 

「ヒトをいたぶる趣味もなしさっさと答えよう。君の提案は条件付で許可する」

「条件」

 

 許可、という言葉に一瞬諸手をあげそうになるのを抑える。ウルは自分がめちゃくちゃな要求をしているのを理解していた。形どうあれ正式な取引によって奪われた妹を何の手札もなく待ったをかけているのだ。その自分の要求を通す条件、となると、決して容易くはないだろう。

 

「んで、それはなんなんだ」

 

 問うと、彼女は指一本をピンと立てた。

 

()()()()()()()()()を手に入れろ」

「――それは」

 

 ウルは言葉を迷った。抗議すべきなのかそれとも黙って受け入れるべきなのか。グレンが餌としてチラつかせていたそれを手に入れる。一ヶ月の間に。極めて困難な条件を提示されているという事だけはわかったが、それが具体的にどれだけ困難なのかを理解するだけの知識が、ウルにはまだ無かった。

 

「ハハハ!ムチャクチャ言いおるなこの女!出来るわきゃないじゃろ!!」

 

 そこに鑑定士のジジイが横やりというか茶々をいれて笑う。どうやら冗談だと思ったらしい。毎日毎日沢山の冒険者を見ている鑑定士の男が「冗談」と笑うレベルの困難ではあるらしい。

 しかしこの女はマジである。口元は笑みを浮かべているが、“眼”が全く、一瞬たりとも笑っていない。射貫くような眼光でウルを見つめている。笑っていた鑑定士のジジイもこの女が本気で言っていることに気づいたのだろう。眉をひそめ女の顔をのぞき込む。

 

「……いや、出来るわけないからの?」

「ソレを決めるのは貴方じゃないよ。おじいちゃん」

「お前が決めるんか?」

「いいや、決めるのは彼だ」

 

 言われ、ウルは思わず退きそうになった。

 気軽に、口先だけで「出来る」とは言えなかった。そんなことを言ったとしても彼女は即座に見抜き条件を取り上げ去ってしまうであろうということは容易に想像できた。心からの決意を示さねば、彼女は決して納得しないだろう。

 だが、出来るのか?さっきまで小鬼相手に必死に走り回り、逃げ回り、ようやく一回目の魔石の確保ができたような自分に?

 

 冒険者への無知と、矮小な自分に対しての理解が、ウルを躊躇わせていた。だが、

 

《にーたん……》

 

 足下で心配そうに見上げてくる猫のアカネを見て、卑小に慌てる心が静まった。

 妹が死ぬ。絆のある家族が消える。帰るべき故郷も家もない放浪の民、名無しである自分にとって、残されているのは彼女だけである。ソレすら失って、自分だけが残って何になるというのだ。

 

「――――やってやる」

「大変よろしい」

 

 ウルのその答えにディズは笑った。笑って、そしてすっと手を上げると、いつの間にか彼女はその腕にアカネを抱えていた。ウルは驚き目を見開いた。自分の身体に彼女はひっついていた筈なのだが。

 

《んあ?あれ?》

 

 ディズによって抱きかかえられているアカネ自身も驚いた様子だったが、ディズに慰められるように頭を撫でられおとなしくなった。そうされること自体慣れているらしい。ディズはアカネを抱えたまま、くるりとウルに背を向けた。

 

「一ヶ月後を楽しみにしよう。未来の黄金級。楽しませてね?」

《にーたん!!しぬなよー!!?》

 

 ディズの煽りと、妹の声を聞きながら、ウルは最後まで彼女と妹の姿を見送り、そして姿が見えなくなった後、大きく、大きく溜息を吐き出した。

 

「…………吐きそう」

「大丈夫ですか。背中さすりましょうか?」

「……そうしてくれ」

 

 若干的外れなシズクの気遣いを少しありがたく思いながら、ウルは大変に困った。困ったが、途方に暮れている時間もまた、無かった。

 

 

 依頼(クエスト)発生

 

 冒険者ギルドから銅級の冒険者の証を獲得せよ

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 訓練所

 

「なんだ、えらい遅かったなクソガキども」

「今すぐ俺に銅の指輪を授けてくれないと粉々に爆発して死ぬって言ったらくれるか?」

「面白そうだから粉々になってみろ。笑ってやる」

 

 ダメ元の懇願は、当然のようにダメだった。

 

 初の大罪迷宮探索と、ディズとの取引、二つの大きな出来事に直面し、這々の体で帰還したウルだったが、訓練所に帰ってきてみると、えらく人の気配が少ないことに気がついた。

 

「ひー……ひー……」

「しぬ……しぬ……」

 

 迷宮前でのグレンの予告通り、今は訓練所内に存在する小さな広間をひたすらグルグルと走り回り続けているチンピラ達。しかしその数が明らかに少ない。

 死屍累々だったチンピラ達は確かに怪我人ばかりだったが、しかし再起不能と言うほども無く、多少の怪我も治癒魔術で治してもらっているはずなのだが、はて、彼らの半分くらいはどこへ行ってしまったのか。

 

「ああ、あいつらなら出てったぞ」

「ええ」

「全く根性がない、コレで仕事がへるぞやったぜ」

「本音隠す努力をしてくれ」

 

 酷い教官もいたものである。あの銀級冒険者が言っていたように、彼はやはり指導者としてはかなりムチャクチャなヒトであるようだ。しかし、この男が銅の指輪を持っていて、そして与える権利を持っている。たとえそれが危うい冒険者もどき達をつるための餌であったとしても、そう言ったのは事実は事実だ。故に、

 

「グレン、お前が認めたら銅の指輪をくれるのか?」

「やるわけねえだろトチ狂ったのかてめえ」

「建前すら用意しなくなった」

 

 せめて自分の言ったことくらい守ってほしい。

 

「いけません、グレン様。ウル様は真剣に銅の指輪を欲しています」

 

 と、そこにシズクが口を挟んだ。ディズとの遭遇の際は空気を読んだのか一歩後ろに下がって一切口を挟むことはしなかったが、しかしウルの事情は一緒に聞いていたのだろう。詳細は分からずとも、ウルが冗談でこんなことを言っているわけではないのは彼女も分かっている。

 

「妹様を救うために、至急【銅の指輪】を獲得しなければならないのです」

「至急ってどれくらいだよ」

「一ヶ月」

「ハハハ出来るかボケ」

 

 グレンはウルの頭に拳を叩き込んだ。痛かった。

 

「この条件は俺が言い出したんじゃない。言ったのは妹の預かり人だ」

「その条件は了承したのかよ」

「した」

 

 じゃあやっぱりおめえが悪いんじゃねえか、とグレンは更に拳を振り下ろした。ただでさえ悪い頭が更に悪くなる気がした。

 

「仕方ないだろ、ほかに選択肢が無かった」

「いや意味が分かんねえよ。というかなんでそんな不利な条件呑まなきゃならない状況にお前が追い詰められているのかってとこから意味が分からんわ最初から説明しろ」

「殴るなよ」

 

 ウルは自らの事情をグレンに説明を行った。結果、3回ほどウルの頭に拳が振り下ろされるハメになった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 全てを聞き終えたグレンは、珍しく(と言っても出会って半日も経っていないが)沈痛な表情になって、ウルのことをこの上なく哀れましいものを見るような目で見つめてきた。

 

「………もっとあっただろ……条件とりつけんならよお……」

「余裕が無かったんだ」

「それにしたってもお前……黄金て……銅を一ヶ月って……」

 

 グレンはしばらくぶつぶつとなにか暫く口にしていたがふっと顔を上げると、沈痛な顔をしてウルの肩を叩いた。

 

「妹の事は残念だったな」

「死んだ前提で慰めようとしている」

 

 妹は死んでいない。まだ存命だ。そう簡単に諦められるはずがない。しかしグレンは兎に角哀れなものを見るような目でウルを見ている。

 

「無理だ。諦めろ」

「理由は?」

「立ったばかりの赤子が「竜を今から退治しに行く」って言ってるようなもんなんだよ。黄金級になろうってお前が言ってるのは。そんで?銅の指輪一ヶ月?」

 

 無理だ。と、グレンは重ねて断言する。銅の指輪の獲得条件は幾つか存在するが、そのうちの一つに“一年以上の冒険者活動経験”というものがある。一年である。この時点で無理なのだ。

 実力がどうとか、才能がどうとか、それ以前の問題だ。

 

「大方そのディズって女が適当にお前を諦めさせるために突きつけたデタラメな条件ってこったろ。出来るわけがねえ一ヶ月とかお前なんかにゃ――」

 

 と、淡々とグレンは、説得を重ねていた、が、

 

「ということは1ヶ月で取得する手段自体はあるのですよね?」

 

 その間に入るようにして、シズクが声をかけた。

 

「……あん?」

「ウル様“なんかには”無理とおっしゃっていましたから、ほかの方にはできるのかと」

 

 グレンは眉をひそめてシズクの指摘に口を閉ざす。その顔は明らかに「口が滑った」といった風情だった。問うたシズクはニコニコと笑みを浮かべながらもグレンから目を離さない。当人であるウルを余所に奇妙な沈黙が続き、そしてグレンが諦めたように溜息をついた。

 

「“特別待遇”が無いわけじゃねえ」

 

 どのような事にも、才能を持った新人というものは現れる。冒険者の世界であってもそれは例外ではない。あるいは、騎士団など元より魔物退治の心得を多く積んでから冒険者に転職を果たした者など。

 将来有望な人材、有能な経験者に対する優遇措置は冒険者ギルドにも存在する。要は余所にその人材を逃さないように早めに唾を付けておくのだ。

 無論、問題ないか彼らに対しては銅の指輪の条件は緩い、人格と実力に問題なしとされれば一ヶ月で与えられる事も確かにある。が、

 

「才能がある、あるいは実力がある場合、な。で、お前あるのかよ」

「無いが」

「諦めろよ……」

「嫌だが」

 

 グレンは再び頭を痛そうにした。どうにか諦めさせられないものかというように顔をひしゃげていたが、彼の目に映るウルの顔にはムスッとした頑なさしか感じなかった。

 

「……なら、試してやる」

「試す?」

「お前が銅の指輪を手に入れられる能力があるかどうかだ」

 

 まずは、と、グレンはグラウンドを指さした。

 

「ほかの連中と同じように走ってこい。ただし全力疾走で」

「ぜん……どこまで?」

「倒れるまでだ。魔力を最速でなじませる。いけ」

 

 ウルは一瞬何か抗議をしようとしたが、冗談もないグレンの眼を見て黙った。そしてグラウンドに向かって全力で駆けだしていった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウルが駆けだしていったのを見届け、グレンは空を仰いだ。

 

「あーあ……一際めんどうくせえ奴が来ちまった……」

「大変でございますね」

 

 そこに、こんな話をする羽目になった元凶ともいえるシズクが賛同する。ウルはウルで変な男だったが、この女は女で相当に変な女だった。容姿だけで異常が際立ち過ぎるが、なんというか、頭も回るらしい。そんな奴がなんだって冒険者になろうとしているのか意味が分からなかった。

 

「それでは私も走ってきますね。全力で走れば良いのですか?」

「いや、それはあのガキだけだが」

「ですが、全力の方が速く魔力がなじむのですよね?」

「……まあそうだな」

 

 では、とそう言うと彼女も走り出した。足はウルより幾らか遅いが、彼女なりの全力疾走で、グラウンドをグルグルと回り始めた。

 

「……変なのがきたなあ、二人も」

 

 今回の仕事は長引きそうだ。という予感にグレンはもう一度溜息をつくのだった。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になろう 阿鼻叫喚編⑤

 

 2日目

 

「おう、新人ども良い朝だな。目覚めはどうだ」

「だりぃけどそれ以上にお前がしごいたガキ二人が死んでんだけど」

「息はしているな、よし。今日は朝から迷宮な。魔物を殺してこい。目標20匹な」

「この前の2倍になったんだが」

「なんだ、ならランニングするか。日が暮れるまで走り続けても良いぞ」

「逝ってきます」

「お前等は30匹な」

「ゲロでそう」

 

 訓練生7人脱落、残り15名

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 3日目

 

「おーおー死屍累々だな。死んでるんじゃねえのコイツとか」

「殺した張本人が何を」

「まーしゃーねえ、今日は休みだ休み。休みなく体酷使しても死ぬしな」

「……教官、そのごん太な本はなんでしょう」

「身体を休ませてる間は脳を動かせ、魔物の知識はあるだけ身を助けるぞ」

「まあ、生死を彷徨うよりは座学の方が……」

「尚テストでトチったら殺す」

「生死を賭けないと気が済まないのか」

 

 訓練生5人脱落、残り10名

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 4日目

 

「オラァ!何寝てんだこのクソガキ!!!」

 

 腹部に強烈な蹴りを叩き込まれ、ウルは呻きと嘔吐と共に目を覚ました。

 訓練場のグラウンド、対人戦を行うとグレンが口にし、結果残る訓練生全員VSグレンというめちゃくちゃな状況での模擬戦闘が開始し、そして数秒後にウルの意識はぶっ飛んだ。

 目を覚ませば死屍累々で、周りには痛みにもがいている者しかいない。いったい何をどうやってこんな有様に出来たのか、ウルにはさっぱりわからなかった。

 

「こーんな役立たずじゃあ冒険者になんぞなれんぞオラァ、さっさと立てゴミども」

 

 立てるか、という抗議の声すら上げる気力はない。先ほどから右足をガンガン蹴り上げてるところを見ると起き上がらないと順番に蹴り起こしていく算段なのだろう。恐ろしいことに。

 いっそこのまま蹴り飛ばされ続けた方がましなのではないだろうか?なんてことが頭を過ったが、動きがあった。

 

「……むー」

 

 起き上がった者がいた。ウルではなかった。他の訓練生でもなかった。泥塗れでも色あせない銀の髪、麗しい美貌の少女、シズクだ。無論、彼女に対してもグレンはなんら容赦はしなかった。殴りつけ、蹴りを叩き込み、地面に転がしていた。

 だが、その彼女は誰よりも早く体を起こすと、痛みに顔をゆがめながらも、確りとした目でグレンを睨みつけた。

 

「……女のほうが根性あるじゃねえか。情けねえぞクズども」

「【氷よ唄え、穿て】」

 

 両手の合わせた不思議な歌、そして生まれるのは氷の刃。幾本もの鋭い氷柱が宙に舞い、そしてピタリとグレンに狙いを定め、直進した。躊躇なく容赦もない魔術だ。だが、グレンは笑う。

 

「魔術の精度は良い、躊躇いなしなのも悪かない、が、」

 

 ぶん、とグレンは拳を振るう。特別な装備もない、ただの一振り。ただそれだけの動作でグレンの眼前に迫る氷柱は砕けて散った。

 

「……まあ」

 

 目を丸くするシズクにグレンは肩を竦めた。

 

「狙いが単純すぎる。だが、それよりも魔力が根本的に足りてねえな。脆い」

「どうすれば強くなりますでしょうか」

「魔力を喰らい、血肉に変えろ。魔物を殺して、使いまくる」

「なるほどー……では」

 

 そして彼女は魔術を唱えるべく構えた、が、次の瞬間にはグレンがシズクの目の前に到達し、平手でシズクぶっ飛ばし、地面に転がした。起き上がろうとするが、その前にグレンが追撃する。ひっぱたき蹴り飛ばし、更に叩き潰す。

 

「壁がいねえ魔術師なんぞサンドバッグだ!女殴られて寝たままとかタマついてんのか!」

「……ぐ」

 

 ウルは立ち上がる。口いっぱいの血を吐き出して立ち上がるが、ぐらぐらと脳みそが揺れ、まっすぐ立つのもままならない。その様を見てグレンは鼻で笑い、

 

「息を吸え、腹下に力溜めて疲れを吐き出せ」

 

 言われた通り、する。息を大きく吸って、吐き出す。お腹の下が、少しだけ暖かくなった、気がした。ぐらぐらと揺れていた身体が少しだけましになり、前を向く。その先にグレンの拳があった。

 

「そんじゃ死ね」

 

 訓練生3人脱落、残り7名

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 5日目、6日目、7日目―――

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者(もどき)にはなれたけど

 

 

 14日目

 

 迷宮グリードは数ヶ月に一度の活性期に入る。

 

 迷宮が地中より現れ幾年が経過し、様々な迷宮がこの世界に出現した。中でも最大規模を誇る大罪迷宮グリードは魔物自体を生み出す迷宮。攻略を困難にさせ、同時に無限の富を生み出し続けた魔鉱だ。

 

 中でも活性期と呼ばれる時期は、特にこの迷宮の“生産”が顕著になる。

 

 普段以上に多くの魔物を生みだし、更に深階層の魔物や、より強力な個体、いわゆる“亜種”と呼ばれる魔物も低階層に出没するようになる。通常の魔物も普段より活発で凶暴化する。

 迷宮大気の魔力が濃くなる影響か、一体当たりの魔石量も増加するのだが、それ以上に魔物が危険になるこの時期の迷宮収益は平均から比べ、下がる。

 

 そしてこの迷宮を生業とする冒険者たちの活動もこの活性期に合わせ変化する。

 

 この期間中を休暇としてため込んだ資金で遊ぶ者、普段と比べて探索範囲を浅い階層に潜る者、あるいは都市外の迷宮やギルドから承る都市民からの依頼を受ける者など様々だ。

 指輪持ちの冒険者は、富豪たちから直接依頼を受けることや都市からの依頼を受けることもままある。剣と魔法、魔物と迷宮の時代である今のこの世界、迷宮以外で冒険者の知恵や腕っぷしが必要とされる仕事はごまんとある。

 

 だから必ずしも、この時期の危険な迷宮に足を踏み入れる必要はない、のだが。

 

 それでもなお、実力に見合わない迷宮に踏み込む者は少なからず、いる。

 

 そのリスクを承知で同業者の減った迷宮で魔石を荒稼ぎする者。違法行為でギルドからの信頼を損なった者や、金銭的借金を抱えている者。あるいは何らかの事情で元より表の仕事には手を出せないアウトロー達。

 特に指輪を持たない名無しの中にはリスクを承知で迷宮に潜る者が多い。彼らは都市滞在費を稼がねばこの都市には居られない。その為に危険な迷宮に潜り、そして魔物を狩る。

 結果として、この時期の大罪迷宮グリードの死亡率は高くなる。

 

「はっ!はっ!なんで!なんでだ!!」

 

 この冒険者が活性期の迷宮に足を踏み入れた理由も極めて単純だ。金が無かったからだ。そして借金があったからだ。都市民という、名無しよりは恵まれた地位にいた彼だったが、その趣味の賭事が災いした。いつもは最低限の(本当に最低限ではあるが)引き際というものをわきまえてはいたのだが、今回は少しばかり力を入れすぎ、借金を(いつもより多めに)背負ってしまった。

 それでも、いつもであれば必死に迷宮に潜り魔石を漁れば返済の目処も立つのだが、運悪く迷宮が活性化してしまったのだ。他に返すあても仕事も無かった男は、リスクを承知して(あるいは全く理解していなかったが故に)迷宮にもぐりこんだのだ。

 

 少しくらいなら死にはしないさ。

 

 いやむしろ、いつもの小鬼や大鼠どもより多く魔石を稼ぐチャンスかも。

 

 ここで儲けて、今度こそ勝ってやる!

 

 侮り、楽観視し、挙句目の前の迷宮からすら目をそらして別の事に意識がそぞろになってしまった男の顛末はこの迷宮に沈んだ多くの冒険者達と同じであった。

 

 最初は順調だった。だが、探索し慣れたはずの通路は気が付けば魔物であふれかえり、普段のルートを外れるうちに帰還ルートが分からなくなった。彷徨ううちに傷が増え、ろくに用意できなかったポーションはすぐに底をついた。そして普段よりふた回りも巨大な大蜥蜴の群れが現れた時点で、彼は完全に行き詰まった。

 

 死ぬ!死ぬ!死ぬ!死ぬ!

 

 大蜥蜴の速度は並だ。人が全力で走れば振り切れることは無くとも追いつかれることもない。が、否応なく警戒を維持させられる迷宮の中を彷徨い続けていた男の体力は既に限界だった。

 仮にも迷宮探索者。常人以上の体力をもっているはずなのに、息が切れる。腰には剣が備わっているが、振り返り、戦う力も精神力も既に彼にはなかった。

 

 助けて助けて助けて助けて!!

 

 大蜥蜴は際立った攻撃手段を持たない魔物だ。あえて指摘するなら岩石をも砕く強力なアゴだが、それ以外は特にない。棘や毒を持った種族もいるが大蜥蜴には存在しない。問題なのは、名前の通り、彼らがひときわに巨大であるという事。

 しっぽまで含めれば2,3メートルはある巨体と、その体から生まれる力でもって人間をなぎ倒し、肉を抉り喰らう。そういう魔物だ。

 

『SYURUUUUUUAAAAAAA!!』

 

 獲物を前に興奮した、奇怪な鳴き声が更に恐怖を煽る。否応無く突きつけられんとする逃れようの無い危機が足を空回りさせ、もつれさせる。

 

「がっ!?」

 

 そしてとうとう、自分の足にもつれ、彼は転んでしまった。この状況下で足を止めるということは、それは即ち死を意味する。振り返ると彼の目の前にあったのは、牙のように鋭く尖った、大蜥蜴の大きな口だった。

 

「ひぃぃいいいいいいい!?」

 

 頭がかみ砕かれる。腹底から、断末魔となるであろう悲鳴が上げる。遠のきかけた意識の端から声が聞こえたのはその直前だった。

 

「邪魔」

 

 目の前に現れたのは小さな影だった。

 その影は、まるで男と大蜥蜴を分断するがごとく割って入ると、そのまま、手に持った巨大な"大槍"を鋭く真っ直ぐに突き出す。今まさに獲物に飛び掛らんと口蓋を開けていた大蜥蜴は、真っ直ぐに突き出されたその大槍につき貫かれた。

 

『!!!!!??????』

 

 逃げ惑った男の代わりに死ぬ事となった大蜥蜴は、断末魔をあげる事すらかなわず、大槍に串刺されたまま身悶えると、そのままがくりと力尽きた。

 

「ヒ、ヒ、ヒィイイイイイイイイイイ!!?」

 

 魔物の死に、男は正気を取り戻す。いや、正気であったかどうかは不明だ。ただ生物としての本能がそうさせたのか、彼は黒い影にも魔物たちにも目をくれず一目散に、顔から体液を撒き散らしながら全力で逃げ出したのだった。

 

「お逃げになられましたねえ」

「ああ、一目散だったな」

 

 その男の背中を、ウルとシズク、二人のパーティは感心するように見送った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 もともと助けるつもりもなく、単に複数の魔物の動きがあったので狩りに来ただけだった。そのため、見返りを期待したわけでは無かったが、さすがになんの一言もなく逃げ出されると虚しさがあった。

 

「これだから冒険者はダメだ」

「あら、私たちも冒険者なのでは?」

「もどきだからセーフ」

 

 ウルはシズクに軽口をたたきながらも、目の前の大蜥蜴たちからは目を離さなかった。

 階級十二級、大蜥蜴たちは仲間が殺された事実に、先ほどの勢いを潜め、警戒するように僅かに距離を空けていた。だが、魔物特有の、人間に対する並々ならぬ敵意と、仲間を殺されたことで更に深まった殺意だけはありありと感じられた。

 

 数は4、先ほど一匹殺して残り3匹。

 

「ウル様。背後から魔物の気配はありません。いつでもいけます」

「後、魔術何回使える?」

「2回です」

「なら、攻撃支援を一回お願いする。大蜥蜴は氷だったな」

 

 ウルはそう言って、小柄な体躯には不相応に見える大槍を握りしめ、歩幅を広げ、大きく息を吸い、腹下に力を込め、吐き出した。同時にシズクは“魔導士の杖”を両手で握りしめ、構え、そして詠唱を開始する。

 

「行くぞ」

「【氷よ唄え、穿て】」

 

 ウルは構え、そしてまっすぐに突撃した。同時に、仲間を殺され、その血で酔い狂っていた大蜥蜴も唸り声をあげながら、ウルへと突撃した。

 

「【氷刺】」

 

 同時に、シズクがウルの動きに合わせ、魔術を重ねる。ウルの突撃よりも早く、冷気は渦巻き、まとまり、そして矢の形をなす。魔物が迫る。牙をむく。悪意に淀み鈍く輝いた瞳がこちらをにらむ。

 

 ウルは一瞬恐怖を覚えるが、それを噛みちぎるようにして、叫ぶ。

 

「貫け!!」

 

 シズクの魔術が氷の矢を成すと同時に、ウルは強く地面を踏み込んだ。

 速度はさらに増し、その勢いのまま、ウルは鋭い矛先でもって、大蜥蜴を顔面から穿ち貫いた。それはシズクの氷の矢が隣の大蜥蜴を貫くのと同時だった。

 

『A……』

「3!」

 

 そして返すようにして、その横の4匹目に槍を叩き込む、つもりだった。が、

 

『GIGIGI!!!!』

 

 それよりも早く、大蜥蜴はウルにとびかかる。 

 大蜥蜴はウルの右腕にかみつき、その強靭な顎で彼の籠手ごとかみ砕こうとする。ウルの籠手がギリギリと音を立て砕けていく。

 

「……んのっ!!」

『GIIII!?』

 

 籠手が砕け散り、腕をへし折られるその前に、ウルは左腕の小型盾を振りかぶり、横薙ぎに叩きつけた。メキリと響いた嫌な音は盾の軋む音か、はたまた大蜥蜴の頭蓋が砕けた音か。それを確認する間もなく、

 

「くたばれ」

 

 ウルは大蜥蜴の顔面に大槍を叩き込み、大蜥蜴の口から上下に引き裂いた。

 

「お疲れ様でございます」

「……よし」

 

 ウルとシズクは、魔物の絶命を確認した時点で、息を吐き出した。特に前線で戦っていたウルは大きく肩をなでおろす。魔物の退治はいつになっても疲れる。この短い期間に随分と魔物を狩り続けたが、それでも命のやり取りは体力を奪う。

 グレン曰く、その緊張感がなくなった奴から死ぬという事なので、こうして疲れること自体は悪いことではないのだが。

 

 大蜥蜴に噛み砕かれそうになった籠手を外す。かみつかれてから即座に大蜥蜴を叩き落としたにもかかわらず、ウルの腕は真っ赤に腫れているのだから寒気がする。

 

「ごめんなさいですね。魔術で2体、倒せていればよかったのですが」

「そんな謙遜されても困る。助けられたのは俺だ」

 

 ウルは落ち込むシズクに首を振る、彼女はのんびりに見えて、いつも自らに厳しかった。

 

「回復の魔術を使いますか?」

「いや、温存しよう。次の魔物が来る。回復薬で十分だ」

 

 ウルは携帯袋から回復薬(ポーション)を取り出し口に入れる。痛みが僅かに引く。薄めた安物ではこの程度だが、飲まないよりはましだ。

 

「そっちのケガは?」

「なんともありません。ウル様のおかげですね」

 

 シズクは小さく微笑み頷いてみせる。既にこのやりとりも慣れたものだ。動作を確認し終えたウルは、周りを見渡す。訓練所に入ってから今日まで迷宮には潜りつづけ、魔物の出現する気配がわかり始めてきた。今のところ魔物が出現する様子はない。が、

 

「……迷宮の活性化、激しいな」

「あまり、居心地はよくはありません」

 

 ここ数日から始まった、魔物の活性化。定期的に発生するというそれは、いまだ最上層で戦うウル達にもはっきりとその脅威が伝わっていた。何しろ魔物の数が明らかに多くなっている。そして出現する魔物の種類も変化している。

 この階層に出現する魔物は小鬼や血狼程度だったはずだが、先のような大蜥蜴、吸血蝙蝠など、もっと下層でしか出ないような魔物が出現するようになった。何より――

 

「出来れば、もう少し魔物を狩りたいんだが……」

 

 直後、ズン、と腹底から響くような地響きが迷宮を揺らした。これは、先ほどの変動を予告する揺れとは違う。もっと物理的な衝撃だ。そしてそれがゆっくりと、ウルが先ほど通ってきた通路の方から響いていた。

 振り返った彼の目に映ったのは、迷宮の通路一杯に広がる"煌めき"だった。迷宮の通路全体が持つ淡い光を反射するようにして、通路一杯に煌めく何かは、そのままゆっくりとウル達へと近づいていく。

 よくよくみれば、その煌めきの正体は巨大な1体の魔物だった。

 

「……出た」

 

 土人形(ゴーレム)、と呼ばれる魔物がいる。

人形とはつまるところ人の手で生み出された魔物の一種だ。一定の命令を封じた魔導核をその身に封じた、人の意思で動く人形と定義されている。

 しかしこの大罪迷宮は、本来人の手で作り出さねばならない魔物すらも生み出す。しかも、ウル達の目の前に現れたそれは、通常の土人形とは一味違った。多量の鉱物によって作り出された強靭な土人形、宝石人形(クリスタルゴーレム)だ。

 

 本来宝石人形(クリスタルゴーレム)はこんな場所に出現するような魔物ではない。

 

 この活性期に入ってから、中層から上層へとなぜか上ってきたのだ。魔物の生態が変わる活性期ゆえか、別の理由があるのか。兎も角、上層で戦う未熟な冒険者たちにとっては倒すことは難しい、もはや歩く災害のような存在だ。

 

 動きが鈍いのが唯一の救いであり、故にウル達の選択は一つだ。

 

「逃げよう帰ろう」

「そういたしましょう」

 

 ウル達は、先に逃げ出した男に倣うようにして、宝石人形から背を向け全力で逃げ出したのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市グリード西部地区、とある酒場

 

 “欲深き者の隠れ家”と、名のついたこの酒場は行軍通りから少し離れた場所に存在する酒場の一つだ。迷宮からは少し場所は離れているものの、出される食事や酒の質は良く、店の雰囲気も明るい。

 店主が元々は冒険者を生業としていた事もあって、冒険者達への理解も深く、自身の経験から相談を受けてくれることも多い。

 結果、迷宮グリードからは距離あれど、この店は冒険者達で賑わいを見せていた。飯を食らい、酒を飲み、冒険者同士、迷宮の情報を交換し、友好を深める。

 

 そして今日もまた、来客を告げるベルが鳴った。

 

「おう、いらっしゃい」

 

 冒険者は風変わりな容貌の者も多い。土人(ドワーフ)や森人(エルフ)、竜人(リザード)といった、亜人も珍しくない。が、今回はそれとは別の珍しい客だった。

 

 まず一人目、小柄の只人の少年。灰色髪に同じ色の瞳。その年齢も風貌も、珍しいがいないわけではない。ただ、少年の背負った武器だけは少し変わっていた。彼の背丈を優に超える槍だ。彼自身が小柄なだけに背中に突き出たその武器だけは目立っていた。

 

 そしてもう一人は少女で、目を引くのは明らかにこちらだ。

 

 男と同じく只人。白銀の緩やかな髪の、背丈は低いが体つきはとても良い、綺麗な女だった。魔術師の装い、安物の、染めもなく模様も縫われぬ実に地味なローブを羽織るだけの姿だが、それでも尚彼女のその風貌は人目を引いた。

 比較的治安が保たれているとはいえ粗暴な冒険者ばかりのこの酒場に置いてはとんでもなく場違いだった。いつもバカみたいに酒を飲んでバカみたいな笑い声を上げる酒飲み達が、絶句しながら彼女を凝視していた。

 

 そんなアンバランスな2人組は、他の客たちから視線を集めながらカウンターに腰を下ろした。迷宮に潜った冒険者特有の疲労感を体からにじませながら、店主に顔を向け、まず少女が口を開いた。

 

「お腹が大変すいているのでご飯を頂きたく思います」

「此処は酒場だぞお嬢ちゃん」

「うまい飯もやってると、聞いた。ここらの店は回ったがここが一番いいと」

 

 少年が次に口を開く。事実ではある。食事目当てで来る下戸もいるのが店主のひそかな自慢だ。

 

「金あるのか?」

 

 無言で銅貨を数枚机に置く。ならば文句はない。大人だろうが子供だろうが老人だろうが、森人だろうが鉱人だろうが小人だろうが獣人だろうが、等しく扱うのがモットーだ。

 

「何がいい」

「腹が膨れるの」

「お腹いっぱいにたべたいでありますねえ」

「食えないものは」

「ない」

「おなじく、です」

 

 感心な事だ。と、店主は笑い。手早く食事の準備を始める。近くの衛星都市から運ばれる新鮮な肉に野菜。値段はそれなりだが、店主はケチることはしない。

 間もなく裏で用意は済む。注文の通り、飢えに飢えた若い彼らの胃が膨れるように、腸詰の山盛りに甘ネギとミルクをたっぷり煮込んだスープ、ついでに麦パンを積んでやると、二人は一斉に、むさぼるようにして食べ始めた。

 

「喉詰まらすなよ」

 

 貪り食う二人は無言であった。ここまで凄い勢いで食いつかれるのは悪い気はしなかった。最後にミルクをたっぷりといれた茶を淹れてやると一息で飲み干して大きく息をついた。

 

「美味しかった」

「おいしゅうございました」

 

 少年は満足げに、そして少女はとろけるような笑顔で感謝を告げる。

 店主は笑った。山盛りの料理が全部綺麗にカラになるのは見ていて気分が良いものだ。それはほかの客たちも同様であったらしく、気が付けばワイワイと酔っ払いたちがカウンターに集まっていた。

 

「良い食いっぷりだなあ。迷宮はよっぽど疲れたのか!?」

「肉も食うか!そんで酒も飲むか?!」

「おいこらガキに絡むな酔っ払いども」

 

 店主が散らそうとするが、銀髪の少女は根がまじめなのか、その酔っ払いたちにも律儀に答えていた。

 

「本日は大蜥蜴を数匹撃退してまいりました」

「おう!やんじゃねえか!」

「アイツ等最近ドンドン湧いてくるしなあ。しかも大体2匹セットだ」

「知ってるか。大抵はオスメスでコンビ組んでるらしいぞ。アレ」

「大蜥蜴ですら女がいんのに俺らと来たら……」

 

 無駄話に花が咲く。アホらしいと思うが、まあ、雰囲気は悪くないのでよしとする。粗野で粗暴な冒険者、それでも外道で無いのが彼らの良い所だ。

 

「っつーかお前ら、顔そんな見ねえけど、冒険者になったばかりか?どれくらいよ?」

「2週間だ」

「ド新人じゃねーか!!よくこんなヘンピな店知ってたな」

「おうなんつったてめえオラ」

 

 店主がキレそうになった。が、それを無視して少年は質問に対して口を開いた。

 

「冒険者ギルドのグレンに教えてもらったんだ」

 

 次の瞬間、その場にいる者の多くの顔が一様にひきつった。

 当然である。彼らの多くはこのグリード出身の冒険者である。この世界における最大規模の迷宮の存在するこの街は、それ故に冒険者たちの食い扶持を無尽蔵に思えるほどに生み出してくれる。結果、流れるより此処に定住し迷宮に潜りつづける冒険者は少なくはない。

 詰まるところ、この場にいる多くの冒険者が“あの男”の世話になっている。

 

「辛い思いをしてきたんだな……!!」

「今もしているが」

「今日は飲もう!兄さんのおごりだ!!」

「うっとうしい絡みをやめろアホども!」

 

 店主は今度こそ酔っ払いどもを散らす。ありがとう、と店主に頭を下げる少年は、確かにまだまだあどけなさの残る子供だ。この年で冒険者になること自体は別に珍しくもない。冒険者を志す者は、むしろ多いほどだ。

 

 だが、グレンの訓練所に2週間居座る、となると一気に珍しくなる。

 

「なんだ坊主に嬢ちゃん、訳アリか?」

「いろいろと、急ぎ強くなる必要がある。お代わり出来るのだろうか」

「私も、もう少しいただきたいでありますね」

「おうおう、食え食え。グレンにいびられても死なんようにな!」

 

 要望通り、カラになった皿を回収しさらに盛り付けてやる。最初の勢いから衰えることなくガツガツと二人は食べ尽くす。どんな事情かは知らないが、肉を喰らう元気があるなら、今日明日に死ぬことはないだろう。

 

「御馳走さまでした」

「御馳走さまでございます」

「お粗末さまだ。今日はこれでグレンのところに戻るのか?」

 

 懐かしきあの無精面を店主は思い出す。まあ、加減はしないだろうし、教え方は破滅的だが、しかしハンパな真似だけはしないであろうあの男なら、この子供らもなんとかしてくれるだろう、と、店主は思った。

 

「いや、ちょっと借金取りに売られて解体されそうになってる妹の顔を見に行く」

 

 やっぱ少し心配した方がいいかもしれない、と店主は思った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者(もどき)にはなれたけど②

 

 黄金不死鳥 グリード支部

 現在イスラリア大陸からウエストリア大陸の二大大陸をまたにかけて活動する巨大商会。古くは数百年前の迷宮大乱立時代から続く歴史ある商会であり、様々な商売を手掛け多くの利益を得ているというが、彼らの主な商売は“金貸し”だった。

 

 冒険者たちへの融資を行う事で不死鳥は有名だった。

 

 本来、冒険者なんてものは安定性から最も遠い職業であり、ギャンブルと大差ないようなもので、迷宮という()()()()()()があっても次の日には死んでいてもおかしくない。“指輪持ち”であっても金を借りるのには一苦労なのだから、その信用のなさは相当である。

 しかし不死鳥はそんな彼らに金を貸す。そして“きっちりと利益を獲得するのだ”。果たしてどういう嗅覚なのか、冒険者たちを選定し成功するものや、あるいはその懐に“お宝”を隠し持つ者をかぎつけ、そして金を貸し、徴収する。

 

 えげつのないやり口、と呼ばれることも多いが、彼らは大連盟と神殿の法と契約にのっとり、それを破ることはない。キチンと契約をすれば、どうしても入用の時、冒険者たちという職業を考慮せず金を貸してくれるという事で、感謝されることの方がはるかに多かった。

 しまいには、「彼らに金を借してもらえた者は大成する」なんて噂まで流れる程であったが、それはおいておこう。

 

 約束を守る者には優しく、違える者には容赦ない。それが黄金不死鳥というギルドだ。

 

「……ふう」

 

 そのギルドに勤めるガネンという男は、大罪都市グリード支部の新たなる責任者だ。

 堅物の大男。冒険者からのし上がったたたき上げ。都市外の迷宮管理をしていたザザが腐敗した折、腐敗の証拠をまとめて上に報告したのも彼であった。出世のためではなく、神殿の逆鱗にすら触れかねぬ暴挙に出たザザを諫め、ギルドを守るための判断だった。

 さて、そんな堅物で生真面目、それ故に恨まれることも多く中々出世できない男だったはずなのだが、今回の密告の件で彼は大幅に出世しトップに躍り出てしまった。それまで認められなかった仕事が認められた。しかもその彼を恨むものよりも、支持する者の方が実のところ多くいたのだ。断ることもできなかった。

 

 本来であれば喜ばしい事なのだが、彼には悩みができた。それも二つ。

 

「ガネン、こっちの報告書はまとめておいたので確認してほしい。今月の集金分は机に」

「お嬢、そんな仕事俺らが……」

「ザザが抜けて人事が大きく動いて、皆新しい自分の仕事を覚えるので手一杯だろう。急場しのぎの穴埋めはするさ。私の判断でこうなったのだから」

 

 ディズ・グラン・フェネクス。

 彼がザザの不正の事実を大罪都市プラウディアにある本部ギルドに報告したところやってきたのが彼女である。彼女曰く、「ゴーファ・フェネクスの代理できた」と言っていたが、その名は黄金不死鳥の現トップ、ギルド長の名前である。

 

 ――………ひょっとすると、ギルド長のご親族ですか?

 ――娘だよ。義理だけど。

 

 自分の組織のトップの娘が来てしまった。これを素晴らしい事と歓迎できる程、彼の心臓は強くはない。

 

 しかも何故か“グラン”即ち“神殿の官位”を持っているときた。(これは本当に何故か不明。ギルド長は官位を持っていない)

 

 せめてこの娘がお飾りの置物であったならまだましだったのだが、困ったことに彼女はとても優秀だった。仕事は迅速でしかも気配りが出来る。ザザの失脚で混乱し組織運営が麻痺を起こしていた事もあって世話になりっぱなしだった。それが逆にガネンの胃を痛める結果となった。

 

 そしてもう一つの悩み、こちらはその彼女がもたらした問題でもあった。

 

《おっちゃんなにしてるん?》

「……おい、邪魔だ除け」

《あたしがあそんだげよか?》

「ヒマなのはわかったから勘弁してくれ」

 

 今、自分の首にしがみついてるアカネ、と呼ばれる“精霊憑き”。これが二つ目の厄介な案件だ。

 とある名無しの三流冒険者が金を無心し、返済のための担保として、差し出したのがこの精霊憑きだ。彼女の価値はガネンは捉えきれぬ所があったが、ザザは彼女の確保に執着した。返ってくる見込みも無い三流に金を貸し出し、娘を担保にするよう誘導した。

 彼の判断は、結果としてみれば正解であった。彼が失脚した後であっても、精霊憑きを手に入れたザザの法スレスレの手法をディズは眉間にしわを寄せ、溜息混じりに称賛したのだから相当なものだろう。

 

 最終的に、その冒険者はくたばり、契約に基づき精霊憑きは不死鳥のものとなった。

 

 そうなるはずだったのだが。

 

「アカネ、おじさんはお仕事中だ。邪魔しちゃいけない」

 

 なぜかその取引を、このお嬢が待ったをかけてしまった。

 

《でぃずーひまー》

「とても羨ましいね。おじさんの代わりに私が遊んであげよう」

《にーたんは?》

「ウルは今日は来ると思うよ。だからそれまでは良い子にしていなければいけないよ」

 

 お嬢はアカネ、と呼ばれる精霊憑きに、ねー?と語り掛ける。精霊憑きは彼女の言葉にふにふにと頷き、ヘビとなってディズ嬢の首に巻き付いた。

 

 現在、アカネは不死鳥のものにはなっていない。完全には。

 

 “精霊憑きの兄”、ウルという少年のめちゃくちゃな申し出に対して、何の気まぐれか彼女はOKしてしまったのだ。普段、彼女は優秀なだけに、何ゆえにそんな気まぐれを彼女が起こしてしまったのが、ガネンには理解できなかった。

 

「おや、理解しかねるという顔をしている」

「心を読まんでください。お嬢」

「まあ、悪いとは思っているよ。何せこれは完全に私の遊びだ」

「遊び、ですか」

 

 常に笑みを浮かべ飄々としているが、彼女の仕事っぷりは有能の一言に尽きる。そんな彼女に“遊び”という言葉はどこか似つかわしくなかった。

 

「最近根を詰めすぎていてね、知り合いから少し息抜きに遊んだ方が良いと言われたのさ」

「その遊びが、あのガキですか?」

「私は遊びってのがよくわかってないんだけど、どう思う?」

「悪趣味かと」

「君、気遣う割に必要な処では容赦ないね。褒めてあげよう」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げるとコンコンと二回殴られた。これで済ますあたりやはり彼女は寛容ではあるらしい。が、それならなおの事、あのガキに対する仕打ちは中々にむごく思えた。

 

「正直言って、死ぬしかないと思うんすけどね、この精霊憑きの兄貴」

 

 彼女から出された条件(正確にはあのガキが言い出した条件だったが)、金級の冒険者になるというのはキツ過ぎる。はっきりと言って不可能だろう。それが出来るのは伝説級の英雄ぐらいなものだろう。そしてあのガキにその見込みはない。

 仕事上、数多の夢追い人を彼は見てきた。それ故に断言できる。あのガキは何の変哲もない、ただの子供だ。未来の英雄候補では断じてない。

 

「その点は私も同意見だけどね」

「では、ガキが無様に死ぬのが娯楽だと?」

「そこまで私も悪趣味じゃ……いや、悪趣味なのかな?」

 

 彼女は少し困った顔をして、アカネの手で手遊びをしながら少しだけ考えるように首を傾げ、一言。

 

「私はね、打倒されたいんだ」

 

 彼女のその言葉の意味を掴めぬままに、来客を告げるベルの音が鳴った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 シズクと別れ、単身で黄金不死鳥のグリード支部を訪ねたウルは、早速この場所の主であるディズと対面していた。此処二週間繰り返した来訪時と同じく、実に快く彼女はウルを招き入れた。

 

「やあ、ウル君。元気してた。って言っても3日ぶりくらいなんだけど」

「元気していたとも、ディズ。で、アカネは?」

「もー少し私と楽しくおしゃべりしてもいいんじゃないかな?」

 

 ウルはしばらく沈黙し、そのままゆっくりとディズに顔を向け、

 

「……ご趣味は何ですか?」

「借金抱えた冒険者がのたうち回るのを眺めて笑う事かな?」

「アカネの教育上良くないので引き取らせてもらいます?」

「金貨1000枚耳をそろえて出してもらおうか」

「邪悪なる借金取りめ」

「借金をした人間は皆そう言うのさワハハ」

《ワハハー》

 

 フハハハハとディズは楽しそうだった。そしてその後ろでディズの真似をしてアカネも楽しそうだった。悲しい。しかし元気そうで何よりではあった。

 

「アカネ。おいで」

《にーたん!》

 

 呼びかける。するとアカネはぱあっと笑い、飛びつき、抱き着いてきた。愛いやつめ、と抱きしめ返す。しばしそうしたのち、アカネはしゅるりと少女の姿となってウルの身体にひっついて、目を閉じるのだった。

 

「見せつけてくれるね。私には肩車くらいだ」

「どうだ羨ましいか」

「羨ましいし、やっぱり何度見ても驚きだね。精霊憑きは希少、しかもどんな精霊が憑いたかでまるでその力は異なる。彼女は変幻自在の金属……とは少し違うみたいだけど」

 

 部屋に備えてあったティーポットに水を入れ、ウルが見たことない魔動機の上に乗せ、水を沸かす。手際よくお茶の準備をしながら、ディズはアカネの様子を観察するように眺めていた。

 

「どうやって見つけた……いや、彼女の場合、どうやって精霊憑きになった、かな?」

 

 ディズはアカネを見つめ、目を細める。アカネはよくわかっていないのか首を傾げた。ディズの言う通り、アカネはもともとは普通の人間だった。少なくとも生まれた時から精霊憑きというわけではなかった。

 

「……そうだな。いつも通りオヤジが迷宮から逃げかえって、ガラクタを大量に持ち帰っては馬車を圧迫させてた時だ。変な卵があった、金と紅の交じった、卵」

 

 恐らくは“精霊の卵”と呼ばれるものだった。

 

 精霊がこの世界に生まれ落ちる前の状態。精霊の生態は殆ど解き明かされておらず、当然生まれる前の状態は誰も見たことがないといってもいい。

 日ごろ、自分が持ち帰るガラクタを宝の山だ。古代の遺産だ。などと意味不明にのたまう事が常なウルの父親だったが、まさか、本当にお宝を、それも最高位の代物を見つけるなどと、誰が想像しようか。

 

「そして、それをオモチャにしてたアカネが、その卵に“喰われた”」

「喰われた?」

「最初、粘魔(スライム)にでも襲われたのかと思った」

 

 それはそれは恐ろしい光景だった。赤子だったアカネが手に持ったその球体が、突如としてアカネを包み込んでしまったのだから。それを眼前で見たウルは悲鳴を上げてアカネから引きはがそうとした。が、まるで引きはがすことはかなわなかった。

 ウルの悲鳴に近くにいた父も慌て近づいたが、次の瞬間にはアカネは完全にその謎の赤い物体に飲み込まれ、丸い球体になってしまったのだ。

 

「……球体。つまりまた卵か、あるいはサナギみたいな?」

「そんな感じだ。どうしようもなかったのでその玉をとりあえず安全な場所において見守るしかなかった。大体丸一日はそうしていたかな」

 

 正直言って気が気ではなく、その間あんな魔物かもわからないような物体を持ち込んだ父親を恨み続けたが、次の日目を覚ますと、卵は割れ、アカネが出てきていた。

 

「そしたら髪が赤くなって、体もまるで金属みたいに滑らかになってた」

「そして、自分の意思で変幻自在に変わるようになったと?」

「そうなる。で、それを見た知り合いの神官が、それは“精霊憑き”だと」

 

 魔術のような技術を使うことなく、自在に肉体を変える力。人ならざる奇跡を使う者。精霊の力を宿した精霊と人の中間。それを聞いた親父は「凄い発見だ!」とバカみたいにはしゃぎ、その顔面にウルは近くのガラクタを思い切り叩きつけた。

 

「以上。全くろくな思い出じゃない」

《にーたんだいじょぶ?》

「大丈夫大丈夫。アカネが元気でよかったなあって話だから」

 

 アカネの頭を撫でて安心させてやる間、ディズはぶつぶつと考え込むように独り言をつぶやき続けた。

 

「うーん……精霊の自己保存のレアケース……信仰と魔力不足の補填…?」

「アンタも精霊憑きは見るのは初めてか?」

「ん、まあね。記録の上では幾つか知ってるけど、現物は完全に初めてだね。しかも憑く精霊も人によって違うから、彼女のケースは完全に初耳だ」

 

 そう言って蛇となったアカネの首元を撫でると心地よさそうに首を振る。そのしぐさはネコのようだ。ディズは笑う。

 

「精霊は超常の存在だ。人が決して扱えない現象をノーリスクで引き起こす高次元の生命体。その力を人の身で宿す、まさに奇跡の体現者だ」

「そんな彼女を手中に収めて、アンタは何をしたいんだ」

 

 ディズ自身が言うように、精霊という存在は世界の化身だ。

 ありとあらゆる現象、万象を映すのが彼ら彼女らだ。ヒトよりも明らかに優れた生命体。本来であれば手中に収めようとすること自体“神殿”から罰せられるレベルの悪行と言える。それを、たまたまヒトと精霊が混じった【精霊憑き】が現れたからといってそれをどうこうしようという発想が、どう考えても金貸しギルドの考えとは思えない。

 

「神殿なら問題ないよ、私第三位だし。上手く隠せる」

「それがますます意味分からん。あんたは【グラン】、つまり官位持ちだろ?」

「そだよ。敬いが足りないな名無しクン」

「這いつくばって平伏すればいいか?」

《ははー?》

「あんまり楽しい気分になりそうにないしいいや」

 

 地面にヒザをつこうとしていたウルをシッシとディズは手で払う。

 そう、ディズ・グラン・フェネクス。彼女は各都市国を治める【神殿】が定めている【グラン】の官位の所持者。要は特権階級なのだ。本来であれば名無しのウルが面と向かってペラペラと話すことすら不敬とされる。国によっては罰せられて牢獄行きか、下手すれば死刑である。

 なら今からでも態度を改めるべきなのだが、最早時既に遅く、彼女が神官であると気づいたのは彼女に対して無茶な条件を突きつけるという暴挙に出た後のことである。

 

 要は開き直りである。ヤケクソとも言う。

 

「ま、商売人としての私と神官としての私は分けてるし、商売相手の君に神官としての権威を振るうつもりはないので安心してよ」

「安心する要素は微塵も無いが、そうでないなら死ぬしかないので信じる」

「ま、私は神官としても“不良”だしね。あまり気にしないでよ」

 

 出来るかボケ、という言葉をウルは飲み込んだ。

 自分の事を言えた義理はないが、いよいよもって変な女だった。

 

「で、結局なんで精霊憑きを研究したいんだよ。アンタ」

「必要だからだよ」

「必要。神官のアンタに?」

 

 特権階級であれば、都市の中でならある程度自由に出来るはずだ。しかも【グラン】なら、官位のなかでも第三位、相当の権力者。その彼女が何を必要としているのか全く解せなかった。

 

「この世界にさ。悪意と敵意と理不尽に満ちたこの世界のためには必要なのさ」

「……んなこと言って良いのか?太陽神(ゼウラディア)に仕えているんだろ」

 

 この世界は精霊達の長、唯一神である太陽の神、ゼウラディアの箱庭である。

 精霊達は神の使徒であり、神官はその僕(しもべ)である。ディズの発言は神の庭に対する侮辱に思えた。しかし彼女はその指摘を気にする様子もなく肩をすくめた。

 

「言ったでしょ。私不良神官だって。唯一神にはちゃんと畏敬の念を抱いているけどね」

「……まあ、アンタが神官としてどういう問題を起こそうと俺の知ったことでは無いけどな。咎めようもないし」

 

 告げ口したところで自分に得があるわけでも無し。わかったのは彼女がアカネを解体する事に対して躊躇いがないという事だけだ。そんなことはこの2週間でわかりきっていた事ではあったが。

 結局、ウルがやるべき事は変わらない。客間に通されたときに差し出されたなにやら高級そうなお茶を一息に飲み干し、ウルは立ち上がった。

 

「じゃあなアカネ、良い子にしていろよ」

《にーたんはしぬなよ》

「それは保証しかねる……頑張るよ」

 

 妹が折角の愛らしい顔を台無しにする膨れ面になったので、ウルは頷く。彼女はまんぞくしたらしい。ふにゃふにゃと可愛らしい笑顔に戻り、ディズの手元へと帰っていった。蛇の形をとって巻き付いたアカネを抱えると、ディズはウルに微笑みかける。

 

「冒険者になる訓練、頑張ってね?」

「……まあ頑張っちゃいるよ」

 

 あのメチャクチャな教官、グレンの下で今なお必死に訓練を続けている。最初の頃と比べて間違いなく迷宮探索の効率は上がっている。魔石も稼げるようになっている。魔力の補充により血肉が強くなっているという実感がある。だが、

 

「グレンからはまだ銅の指輪はもらえてない。目指す許可すら出ちゃいない」

 

 どれだけウルが根性を振り絞りグレンの指導に食らいつこうと、決して彼は頷かない。

 

「どのような状況であれ、後2週間で銅の指輪が取れなきゃ話はナシだよ」

「分かってるよ畜生めが」

 

 不敵に笑う彼女を背に、ウルは訓練所へと向かうべく部屋を出た。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者(もどき)にはなれたけど③

 

 何が何でも冒険者になる。ならねばならない。後などないという事実を改めて自覚し、ウルは今日も今日とて訓練所にてグレンのしごきを受けていた。

 彼の指導はメチャクチャで乱暴だが、しかし間違いなく自分の血肉となっている確信をこの2週間で得ることが出来た。粗暴な態度に相反して、彼の指導は的確だった。ただそこに多大なる暴力が入るだけで。故に、彼の指導を受けることに迷いは無い。冒険者となる、強くなるというのなら受けない手は無い。無いのだが、

 

「…………意気込んでもいてえもんはいてえ」

「つらいですねえ……」

 

 ウルは腫れた顔を押さえるように呻き、シズクはおなかを抱えてうずくまる。

 

「……シズクはよく続けられるなあ」

「私もやらなければならないことがありますから」

 

 若干青い顔をしながらもシズクはこくりと頷く。妹の命がかかっているウルであっても、この2週間心が折れかけた事は数度あった。しかし彼女がくじけるところはウルが見ている限り一度も無い。

 出会った当初は(その異様な登場の仕方も相まって)なんかふわふわした変な女、というくらいの印象しかなかった。が、今はその認識も変わる。異常に美しく、そして聖女のように優しく、根性の据わった――――天才。

 

「本日は新たな魔術を使ってみたのですが、付け焼き刃では上手くいきませんね」

「魔術ギルドに行って、教えてもらったのか?」

「はい。教えてもらったらできました」

「できたのかあ…」

 

 普通、魔術はそう簡単に習得出来るものではない。ウルも手札を増やすために練習しているが、一つ覚えるのにも一苦労だ。

  神と精霊に選ばれし神官達が起こす【奇跡】と異なり、【魔術】は、理論上は誰もが平等に扱うことができる。【魔術】は元々、神と精霊を介さずに【奇跡】を起こすことを目的に生まれた技術だからだ。ただし、【魔術】を起こすためには弛まぬ努力が必要であり、一つの魔術を一朝一夕で身につけることなど出来はしない。普通は。

 

 出来るものは天才という。彼女は天才だった。

 

 白亜の冒険者では平均して一日に一回使えれば良い魔術を日に三回使いこなすほどの才能。悪態と皮肉が意思をもったかのようなグレンすらも、彼女の才能は手放しに絶賛するほどだ。

 

「心強いよ。全くもって」

 

 彼女と一緒に居ると、自分の凡庸さにくじけそうになることがある。が、その考えはすぐに振り払う。卑屈さはなんの助けにもならない事はわかっている。そもそも、そんな大天才の彼女と今、パーティを組めている事自体この上なく幸運な事なのだ。

 矮小でひねくれた自分の根性を宥め、立ち上がり土を払う。するとほかの訓練生の相手をしていたはずのグレンが目の前に立っていた。

 

「おう、今さっき、お前等以外の全員の訓練生が卒業したぞ。おめでとう。お前等もさっさと辞めちまえ」

「……途中、新入生が何人かはいってこなかった?」

「そいつらも辞めた」

「賢いな……」

 

 そもそもこの暴君のいる訓練所にいつまでもしがみついているウルとシズクがおかしいのだ。酒場の冒険者達に話を聞いたが、グレンの指導はせいぜい1週間続けば良いところだそうだ(その短い時間に徹底して鼻っ柱をへし折りつつ生存術を叩き込むから無駄ではないのだが、と冒険者達は苦い顔をしながら付け加えた)。

 1週間もすれば銅の指輪をこの男が与えるつもりが全くないと誰しも気づく。それでも尚居座り続けるウル達がおかしいのだ。

 

「グレン、銅の指輪をくれ」

「やらん。2週間も同じこと言って飽きねえのかお前は」

「妹の命がかかっている。時間も無い」

 

 グレンは溜息をついた。2週間同じ事を言い続け、同じ言葉を返され続けている。2週間である。約束の一月の半分を消費している。一応、冒険者となるための訓練自体は順調ではあるものの、焦りは募るばかりだった。

 

「グレン様、この2週間ウル様は決してくじけずグレン様の訓練を耐え忍び続けました」

「3、4回くじけてたけどな……」

「少なくともグレン様の“試し”をウル様は乗り越えたと言って良いのではないですか?」

 

 シズクの意見に対して、グレンは口を閉じ、ウルを睨み付けた。ウルはせめてフラつかないように歯を食いしばったが、迷宮に突入、帰還してから訓練というハードなスケジュールでなかなか足下はおぼつかない。それでも目を背けまいとしていると、グレンは溜息をついた。

 

「……ま、心身の耐久性が在ることは認めてやる」

「それだけか」

「重要だよ。一番重要と言っても良い」

 

 ついてこい。と、いつもの訓練を切り上げ、グレンはウル達を連れ訓練所へと向かった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 冒険者ギルドグリード支部訓練所、資料室

 

「まず、大前提として、お前が目指している黄金級がいかにメチャクチャかを説明する」

 

 グレンはそう言ってだんと壁にかけられた黒板を手の平で叩いた。そこには巨大な文字で【大連盟】とかかれていた。

 

「【黄金級】は冒険者ギルドが定めている冒険者階級の最高位だ。そしてこの黄金級に到達するヒトはめったにいない。今現在、黄金級として認定されている者は片手で数えられるほどだ」

「ギルド長は違うのか?」

「お前らが最初にあったジーロウも銀級だよ。まあ、大罪都市プラウディア本部の冒険者ギルド長は黄金級だが……まあ、それはいい」

 

 つまり、黄金級とは単純なギルド内部における役職制度とは必ずしも合致しない。冒険者ギルドで出世したからといって黄金級にはなれないし、黄金級になったからといって冒険者ギルドを牛耳れるというわけでもない。

 

 冒険者の指輪とは、総合的な見地から見る()()()()()()()()()、それのみを基準として采配される極めてシビアなものだ。冒険者ギルドのギルド員としての貢献を幾ら重ねようと、それは決して指輪の昇級に直結したりはしない。

 

 つまり黄金級とは虚飾なく冒険者にとって最高の称号である。

 

「有名どころだと【黒の王】、【真人創り】、【神鳴女帝】なんかだな。どういう実力か、って言われてもピンとこねえだろうから功績だけ上げるぞ」

 

 大罪都市ラース及び周辺の衛星都市の魔獣災害

 真人と呼ばれるホムンクルスによる2桁以上の大迷宮の踏破実績

 人類生存圏外化した【大罪都市スロウス】エリアの踏破及び開拓

 イスラリア大陸、全土に蔓延った犯罪ギルド【鎖蛇】の壊滅

 

 数え始めればキリがない。そしてその種類は多種多様だ。冒険者、といういわば何でも屋のトップなのだ。その功績は“荒事である”事以外共通点は少ない。

 ただし、多様なプロフェッショナルである彼ら彼女らは、しかし一つだけ、共通した案件で貢献を上げている。どんな黄金級であっても必ず“ソレ”とだけは遭遇し、結果を勝ち取っている。ソレは――

 

「【竜】だ。黄金級になるなら、必ず、竜の攻略が必要不可欠だ」

「竜……」

「そだよ。竜、竜、名無しのお前なら割と知ってるだろ。竜。あれ倒せるか?」

 

 いきなり倒せるか?と言われても、ウルには全くイメージがわかない。

 知っているか、と言われれば知っている。グレンの言うように“名無し”であるが故に、都市国の彼方此方を放浪しているが故に、必然的に知る機会がある。

 

 竜、世界の敵対者、生きとし生けるものの憎悪の対象

 迷宮を生み出した元凶とも呼ばれる唯一神の敵対者、都市をも喰らう災厄

 

 だが、認識しているからこそ、竜の攻略と言われてもあまりにもピンと来なかった。それはまるで、巨大なる山脈を動かせるか?と言われているような気分に近かった。

 

「……具体的に、竜って戦ったらどう強いんだ?」

「竜の鱗は刃も毒を通さず、上級魔術以外の魔術は全て反射する。魔銀をも溶かす猛毒の牙、眼光は睨むものを石化させ、咆哮は脳を破壊する。ブレスを吐けば万の生命が一瞬で溶ける。そして、知性は賢者を上回り、幾度となく討伐されようとも生き残った百戦錬磨の経験を持つ。生ける者全ての敵対者」

「出来るか」

「なら黄金級は諦めろ」

 

 グレンはアッサリとそう言う。彼からすればウルが諦めるなら願ったり叶ったり、というようだった。実際、グレンが繰り返し「諦めろ」と言っていた理由の一端がようやくウルにも理解できてきた。

 

「……今は無理でも、成長したら竜と戦えるようになるか?」

「無理だ。お前にゃ」

 

 取り付く島もなかった。だが、無理、という言葉も流石に聞き飽きた。何故そうまで断言するのか。

 

「俺には才能が無いのか?」

「普通」

 

 グレンの評価は実に端的で、的確だった。

 

「此処2週間、ずっとお前を殴ってきた結論だ。良くも悪くもない。平凡、凡人、平均、一山いくらの人材。それがお前だ」

「泣くぞ」

 

 別にウルは才能が無いわけではない、とグレンは言う。

 これまでの訓練の中でも、厄介な事情も相まって人一倍の根性は示してきた。魔物への恐怖からくる警戒心と、その恐怖に溺れない胆力も持っている。成程、不断の努力をずっと重ね、運に恵まれれば、ひょっとしたら良いところまで、銀級の末席くらいにはたどり着けるかもしれない。

 

「だが、黄金級は無理だ」

「そこまでたどり着く才能がないと?」

「いいや、“違う”」

 

 違う、その否定は予想していなかったのかウルは眼を点にする。

 

「才能は確かにあるに越したことは無い。だが、才能だけでは黄金級にはなれない」

「なら努力が足りない?」

「銀級以上の奴らは誰だって死ぬほど努力してる。だがアイツらは黄金級にはなれない」

「運?」

「ラッキーが百万回続くなら黄金級になれるかもな。そんな奴は存在しないが」

 

 努力でも、才能でも、運でもない。では何が黄金と銀と分け隔てるのか。

 

()()()

 

 グレンは少しウル達から距離をとると、ぐいっと服をはだけた。

 

「自分も、自分の周りも、全ての運命をもなげ捨てる()()()()()()が、銀を黄金たらしめる」

 

 はだけたグレンの鍛え上げられた肉体。その右肩から腰にかけて、彼の身体を真っ二つに引き裂くよう青黒い傷跡が刻み込まれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者(もどき)にはなれたけど④

 

 その傷は異様だった。

 右肩から雷でも奔ったかのような巨大な傷跡、それは真っ直ぐに胴を跨ぎ、左の腰まで到達していた。そしてそれを回り込み、恐らくだが背面にまで至っている。真正面から切り刻まれたというよりもまるで“巨大な魔物に丸ごと食い千切られた”ような痕。

 

 尋常ならざるその傷跡にウルは息を飲み、そして理解した。

 

「――黄金級なのか、グレン。あんたは」

「おうとも。【紅蓮拳王】たあ俺の事よ……自分で名乗るときっついなコレ」

 

 十数年前に発足した冒険者ギルド所属の一行(パーティ)【緋色ノ王山】大罪迷宮グリードの深層で大竜を撃退した功績で黄金級として認められた生きる伝説であり、今なお語り継ぐ者が多く居る大英雄だ。

 その大英雄が、こんな、こんな――

 

「無精髭ですげえやさぐれてるオッサンとは……」

「どつくぞ」

「もう既に殴ってる」

 

 ウルは殴られた頭をさすった。しかしまさか、ウルの目標としている黄金級がこんな身近にいるとは思わなかった。訓練所は確かに「教官は冒険者として成功を収めた引退者」である事が多いとは聞いていたが。

 

「あんたは、黄金級になれたんだな」

「結果的にな。俺は、俺達は別に黄金級を目指した訳じゃなかった」

「じゃあ何が目的で?」

「復讐」

 

 その言葉を継げた瞬間のグレンの形相を、ウルは忘れる事は出来なかった。それほどに壮絶な表情だった。その胴体に刻まれた傷に勝るとも劣らないほどに、壮絶で、悲惨だった。

 

「俺達はな。竜を殺したくて殺したくて仕方が無い連中の集まりだったんだよ。全員がそうだった。俺の仲間も、全員、竜を殺せるなら何だって良かったんだ」

 

 竜は人類への敵対種である。

 そこに例外は無い。竜は圧倒的な暴力でもってこの世界に住まう様々な人類を焼き払い、呪い、苦しめ、そして殺す。しかし、その脅威を知る者は少ない。遭遇して生き残る者は殆ど居なかったからだ。いたとしても、彼らは竜を呪い、竜への復讐に走り、そして無残に殺される。 

 グレンと、グレンの仲間達はまさしくその竜への復讐者だった。

 

「俺たちの一行は大罪迷宮グリードで不意に眷族竜……【大罪竜】の下僕か?そいつに半壊にされてなあ。で、復讐のためにそいつを探して探して探して探して探して、殺した。以上だ。その過程で生き残った仲間も、嫁も炭になって消えて、俺だけが生き残って英雄になった」

「……なんといえばいいか、キツイ過去を掘り返させて――」

 

 ウルは言葉を濁す。あまりにもザックリと語られたそれは壮絶だった。名無しで、家族は妹だけになったウルだが、それ以上になにもかもを失った男が目の前に居たのだ。

 だが、謝ろうとしたウルに対して、グレンは鼻で笑う。

 

「謝る必要は無い。何せ俺は微塵も後悔していないからだ」

「は?」

「嫁と仲間が死んだことに悔いはないと言った。アイツらがそうなることを、そうなってでも竜を殺す事を俺は決断した。だから悔いはない」

 

 竜を殺すという決断がどれだけの危険に見舞われるものなのか、グレンの一行は全員が分かっていた。発生するであろう犠牲も承知の上だ。故に、グレンにとってその過去は触れたくない“傷”ではなかった。自らが選び取り進んだ道でしかない。

 

「イカれてるだろ?だが、そうじゃなきゃ竜は殺せなかった」

「何もかも犠牲にしなければならなかったと?」

「そうじゃない。犠牲は結果でしかない」

 

 重要なのは最後ではなく、最初。グレンがその道を選んだそのときの。

 

「断固として、なんとしても、やり遂げると、決める事だ」

「……」

「竜退治なんてのは、まともじゃあない。普通は神官サマ達も総出で、一個の都市が総掛かりになって決死の覚悟で挑むような“大戦争”だ。冒険者の集まりだけで挑むモンじゃ絶対にない」

 

 それも、多くは凌ぐための戦いであって、自ら大罪迷宮の深層、奥地へとまで潜り込んで探し出して、自分から殴りかかるなどという、竜の逆鱗に自ら触れるような真似は、狂っているとしか言えなかった。

 

「しかも竜を退治する過程で力も、資産も得た。安定もだ。いつ、身を引いても何の問題も無かったんだ」

 

 だが、そうはしなかった。グレンは決断した。全ての安寧が消えて失せる可能性を全部承諾して、竜を殺す道を選んだのだ。

 それが、ほかの銀級の天才達、黄金に至れなかった者達との最大の違いだった。

 結果として仲間が死んだことは関係ない。重要なのは、全てを失うかもしれないと知って尚、その先に進んだ決断そのものだ。

 

「冒険者として成長していくほどに得るもの、背負うものは大きくなる。捨てがたくなる。今はお前は何も持っちゃいないだろうが、順調に冒険者稼業を続ければ続けるほど、お前は何かを得て、何も出来なくなっていく」

 

 グレンの言葉は、重みがあった。理解があった。彼は見てきたのだろう。失敗し破れていった冒険者達はもとより、成功したが故に停滞し、身を引いていった冒険者達も。

 失敗すれば何者にもなれない。だが、成功し、足を止めても黄金級には至れない。故に、真っ当な冒険者は黄金級になれない。なる必要がなくなるからだ。だから必要なのだ、狂気めいた、気が違っているとすら思えるような、断固たる決断。

 

「それがあるのか?お前には」

 

 あるのかと、問われれば、グレンに向かって幾度も繰り返した言葉をウルは繰り返すしか無い。

 

「俺は妹を救わなきゃいけない」

「ただそれだけではお前はそのうち心くじけるぞ」

「何故」

「他人を“理由”に行動してるからだ。“目的”がお前の中ではっきりしていない」

 

 ウルが訓練所に来てから今日まで支えたものをグレンは正面から否定した。

 

「他人に依存した選択は、脆い。失敗したとき、責任の所在を相手に預けてしまうからだ。俺が苦しいのはアイツのせいだってな」

「そんなことしない」

「そう言い切れるか?今日までの俺のしごきの中で、お前はほんの僅かだって、妹に対して恨みがましい想いを抱かなかったか?」

 

 そんなわけが無い。と、言い返そうとして、ウルは言葉が止まった。止まってしまった。自信が無かった。グレンの訓練は苛烈極まった。その最中に、僅かだって妹に負の感情を抱かずに居られたか?

 今この時、グレンの言葉に真正面から否定できなかった男が。

 

「俺の訓練程度でも自信がないなら、本当に冒険者になった後はなおさら無理だ。絶対にお前は苦難の中で、妹への見当違いの恨みを抱いて、足を止める。それで終いだ」

「……ソレは嫌だな」

 

 ウルはアカネを愛している。その感情は間違いなく本物だ。この想いを自分の手でぐしゃぐしゃにしてしまうなど、考えたくもない。

 

「だったらお前はお前を見つめ直さなきゃいけない。理由ではなく目的をはっきりとさせろ。何故妹を救うのか、身内とか、そういう言葉で濁さず言語化しろ。それができなきゃ、黄金には至れない」

 

 銅の指輪をとれようと、全部徒労だ。グレンの断言にウルは沈黙する。ウルがここまでやってきたのはアカネのためであり、ソレまでの人生もただ、妹と生き残る事だけに必死だった。 

 名無しなんてのは大抵がそうだ。今日を生きるのに必死で、自分を見つめ直す機会なんて無いのだ。見つめ直したって、メシは食えないから。経験がなかった。自分を振り返るなんてことは。

 ウルの沈黙に対して、グレンは鼻をならす。失望、というよりも分かっていた、という風だった。

 

「まあ、いい。どのみち時間はない。お前が()()()()()()()()()、そのときになって手遅れにならないようにだけはしてやる」

 

 そう言って、グレンは背後から紙束を取り出した、冒険者ギルド公認の判子が押されたそれは、ウルも見覚えがある。冒険者ギルド内で依頼の張り紙をしてある掲示板のすぐ横に啓示されているそれは、【賞金首】のものだ。

 

「銅の指輪は黄金と比べりゃもっとシンプルだ。大層な決意なんて無くたって、コツコツじみーに実績重ねてりゃ自然と手に入る。まあ、迷宮探索なんで死ぬ奴は死ぬが」

 

 ぱらぱらとグレンは乱雑に賞金首の張り紙を広げていく。そこには当然今のウルにはどうすることも出来ないような凶悪な魔物達ばかりが並んでいく。しかしその中で一枚、ウルにも見覚えのあるものがあった。

 

「銅の指輪の譲渡には本来なら一年以上の冒険者活動経験が必要だ。前も言ったな。そしてその条件を覆すためには一年以上の活動経験を上回るような実績が必要だ」

 

 そこで、と、グレンはウルも“見覚え”がある魔物の賞金首のチラシを掴み、見せつけた。そこに描かれているのは、ウルとシズクが遭遇し、逃げ回る羽目になった巨大なヒトガタ、輝く肉体を持った人形。

 

「宝石人形、コイツを討つ」

 

 賞金首:宝石人形

 種別:人形種、大型魔物

 階級:十級

 懸賞金額:金貨10枚

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 講習修了、魔力を馴染ませてこい。

 と、いつものようにグレンに蹴り飛ばされ、ウルは資料室から出ていった。そして、

 

「で?」

「はい?」

 

 ウルの後ろについていこうとするシズクを、グレンが呼び止めた。グレンは胡散臭げな表情で、呼び止められたこと自体不思議そうなシズクを睨んでいる。

 

「何がしてえんだよ。お前は」

「私ですか?」

「ウルを随分と後押しして、何がしたいんだってんだよ」

 

 黄金級になる、というウルの目的は荒唐無稽だがハッキリとしている。だが彼女は強くなりたい。という目標しか聞いていない。それ自体は別に良い。あまり自分の過去の詳細を口にしたくないというのはこの冒険者の界隈ではそれほど珍しくもない。

 そして、強くなりたいという彼女の願いは紛れもなく本物であろう。訓練に取り組むときの彼女の凄まじい気迫からもソレは分かる。妹の命がかかっているというウルよりも更に貪欲だ。鬼気迫るものを感じる。

 だが妙にウルに肩入れする理由が見えなかった。

 

「ウル様がこまっているようでしたので、お助けしたいと思っただけですよ?」

 

 しかし、グレンの疑念に対して、彼女の解答はあまりにも、なんというか、綺麗事だった。グレンは珍奇なものを見るような顔になった。

 

「……そりゃ本気で?」

「おかしいですか?」

「此処に来るまで所持品ゼロの女が聖人めいた台詞を吐くのは変だが」

 

 彼女が此処に来たとき、彼女の所持品はなにもなかった。小迷宮の奥で拾ったというカビ臭さとぼろさしか感じない服が一枚だけの女。その女が相手を気遣うような余裕を見せるのは奇妙だった。滑稽と言っても良い。

 相手を無償で気遣い、助けにしてやろうという者が持つ裕福さと今の彼女は無縁だ。

 

「変、そうなのですね。気をつけます。教えてくださってありがとうございます」

 

 そんなグレンの訝しみを知ってか知らでか、シズクはほわほわと笑みを浮かべた。グレンはその笑みに自分の心に緩みを感じた。普段の業務では、どれだけゲラゲラと笑って見せても内心で笑ったことのない自分が、緩んだ。

 その事実に彼は少し背筋がひやりとした。

 

「ただ決して、彼の助けになりたいだけ、というわけではないのです」

「自分のためでもあると?」

「私は強くなりたいのです。出来る限り早く、可能であれば最速最短を」

 

 そう言う彼女の言葉には強い意志があった。訓練時にグレンが感じていた鬼気迫るような決意が再び溢れる。少女と言ってもいい年の子供が放つものとは明らかに隔絶していた。

 

「ですが、迷宮探索を重ねわかりました。一人では無理だと」

 

 グレンはその言葉には頷く。

 迷宮攻略は一人で出来るようなものではない。複雑な地形、多様な強さを持った魔物達、消耗する体力、必要な道具の運搬作業、それら全てを一人でこなすのは困難を極める。この目の前の少女がいかほどの天才であろうともだ。だから皆一行を組むのだ。

 そして今、彼女が組んでいる仲間がウルである。

 

「ウル様は黄金級を目指すとおっしゃっていました。ソレは並大抵の道ではないのでしょう。尋常ではなく、鍛えねばならないと」

「まあ、そうだな」

「ならば、道の通ずるところがあります。一行としてこの上なく頼もしい事です」

 

 自身の強さへの執着の異常性を理解しているが故に、その目的が近しいウルの存在は彼女にとってこの上なくありがたい事であると、そういうことらしい。グレンにもそれは理解はできる。

 一行にはバランスも重要だ。その日の稼ぎさえあれば良い考える者と指輪の獲得を目指す者とではかみ合わない。ともに行動するのであれば、目指すところは合致している方が望ましい。彼女はソレを理解しているらしい。

 

 と、そのように語る彼女がウルを後押しした理由は、一般的なものとそう変わりないものだった。“ここまでは”。

 

「こちらからも質問が一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()。それは本当ですか?」

 

 竜、と、その言葉を口にする彼女の眼からは一切の感情が見受けられなかった。それは、グレンのよく知る復讐者の眼のようにも思えていたが、それとも違った。さきほどまでふわふわと、ヒトの心を問答無用でゆるます笑みからはかけ離れていた。

 それがなんなのか、グレンが見抜けなかった。見抜くヒマもなかった。彼女が“虚ろ”を見せたのは一瞬であり、すぐに再び柔らかで優しげな、聖女のような笑みを浮かべる。そして、

 

「で、あるなら、ウル様には目指していただきたいですね。叶うなら、()()()()()()

 

 竜を打倒する。黄金に至る道の険しさを語り、伝え、それがいかに困難であるかをグレンは懇切丁寧に説明したつもりである。ウルに向かってではあるが、勿論シズクだってその事はちゃんと聞いたはずだ。

 その上で、この女は、ウルが地獄へと進むことを笑顔で願っている。

 グレンは目の前の女が得体の知れぬものであると知った。

 

「……女運がねえなアイツ」

 

 

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賞金首:宝石人形の傾向と対策

 大罪都市グリード冒険者ギルド 訓練所16日目

 

 何故妹を救うのか、その理由を見出せ。己を見つめ直せ。

 

 グレンに言われた言葉をウルは頭の中で反芻する。

 自分の過去を振り返ることは、それほど難しくはなかった。ウルの人生はそれほど複雑でもない。ただただ貧困と過酷な流浪の旅の中で、妹と自分が生きることに懸命であり続けただけの事だったからだ。野生の生物と変わりなかった。

 信念であるだとか矜持であるだとかを握りしめる事が叶うのは、金か、力に余裕のあるヒトだけだとウルは思う。飢えて、胃袋に何かを詰め込むことに必死な貧者にそんなものを考える余裕はない。

 

 だが、黄金に至るにはそれが必要であるとグレンは言う。

 

 で、あればウルは考えなければならない。いくらグレンが「他人を理由にするな」と言ったって、妹であるアカネに死んでほしくないのは事実なのだから。

 だが、さて、では何故己は妹を救いたいのだろうか。

 

 肉親だから?妹だから?愛してるから?多分どれも間違っていない。

 

 間違っていないが、更にこれを突き詰めないといけないという。この衝動がウルのどこから生まれているのかを。それは才能も、実績も、家も故郷も持たないウルには大変に難しい作業だった――

 

「【火玉!】」

「っつああ!!」

 

 その思案の最中であっても、迷宮の魔物退治でウルとシズクが乱れないのはひとえにグレンの鍛錬のたまものであった。

 

 死と血と金と栄誉、その全てが入り混じる迷宮グリード、その通路をウルとシズクは突き進んでいた。グレンから、自分を見つめ直すように指示されてからもウルとシズクは迷宮探索を続けている。思案にふけり、ぼうっとベッドの上で寝転がる余裕は二人にはなかった。特にウルには。

 

 冒険者の指輪を獲得せよ

 

 ディズから与えられた課題の期限は残り2週間。これをクリア出来なければ、先ほどからウルの頭を巡っている黄金級だのなんだのの話は全て無意味に帰す。決して避けては通れない。

 そのために、ウル達は急ぎ強くなると同時に、一つ、攻略しなければならない問題に立ち向かっていた。グレンから提示された条件、1年以上の冒険者活動経歴という実績をも覆す条件と。

 それは今、“物理的”に近づいてきていた。

 

「……来た」

「近いですね……」

 

 ズン、ズン、と地響きのような足音が迷宮に響く。巨大な何かの足音。ウル達が保有する白亜の指輪しか持たない冒険者でも潜れる浅い階層で出現する大型の魔物は、現在一体だけだ。

 

『OOOOOOO……』

 

 階級十級、宝石人形

 

 本来は中層に出没するはずが迷宮の活性化によりこの上層へと紛れ込んでしまったイレギュラー。現在金貨10枚の賞金が懸けられた賞金首。

 これを打倒すれば、グレンはウル達を銅の指輪を譲渡するに相応しい冒険者としてギルドに推薦できるのだという。いうのだが、

 

『OOOOOOOOOOOOOOOO』

 

 それが近づくにつれ、その巨大さがウルを委縮させる。

 造形自体は子供の作った泥人形に似ているが、その体は、自身が纏う鉱石によって輝き、迷宮の仄かな光を反射している。だがそれよりにも何よりも問題なのは、デカイ、この一言に尽きる。

 全長10メートル超はそれ自体が一つの脅威であり、この重量が自由に闊歩していること自体が狂気めいている。一歩歩く、それだけで迷宮そのものが重量に震える。地面が割れる。弾ける。

 その様子を脇道から観察していたウルは、顔を引きつらせた。

 

「これ……を、倒す」

 

 倒す。

 やるべきことをやる。これはしなければいけないことであり避けては通れない敵だ。と、頭で理解し、心で念じても、身体はそのあまりの巨体とそこから生まれる地響きに、震えていた。魔物はこの浅い階層の中でもウルより巨大な魔物も珍しくなかったが、ここまで強大な魔物は流石にいなかった。大きいというのは純粋に脅威だ。

 

 頭ではわかっていても肉体が、本能が拒否する。かないっこない。逃げろ。と

 

 落ち着け落ち着け。怯えたところで動きが鈍り損をするだけで、意味なんてない。そう言い聞かせても本能が情けのない悲鳴をあげ手足を鈍らせた。全く思い通りにならない自分の身体にウルは顔を顰めた。

 

「ウル様」

「んむ」

 

 と、するりとその首にシズクの腕が回り、そのまま抵抗する間もなく、彼女の胸へとウルの顔は導かれた。そのままぽんぽんと彼女はウルの背中を叩き

 

「落ち着かれましたか?」

「とっても」

「それはようございますねえ」

 

 ふくよかな部分にウルは幸せになった。彼女の柔らかな声は逆波立っていたウルの心を静めてくれた。ウルは大きく息を吐く。年も変わらない少女に幼児をあやすようにされて落ち着くなんて恥ずかしい話だが、助かった。

 

「落ち着いていきましょう。私たちの今の目的は調査です。討伐ではありません」

「うん」

 

 彼女の言う通りだった。現在、ウル達の目標は宝石人形の“討伐”ではなく“調査”。どうすれば倒せるか、という、いわば下調べの段階だ。この段階で慌てふためいていては世話ないのだ。

 

「シズクは落ち着いているなあ」

「神の使徒として、成すべき事があります故、」

 

唯一神、太陽の化身ゼウラディアの信奉者らしい言葉が返ってきた。

 勿論ウルとて信仰心はある。神なくしてこの世界は、それどころか都市の維持すらままならない。太陽の化身ゼウラディアの結界なくしては迷宮や魔物から都市を守ることができないのだから。しかし、彼女のように命の危機を前にしてどっしりと構える事はできない。

 

 それは信仰の深さの違い、とかではないのだろう。多分彼女は自分のするべき事、そして何故自分がそうするのかという事をちゃんと理解しているのだ。グレンの言っていた自分に足りないものを、彼女は最初から持っているのだ。

 それを羨ましいとも、悔しいとも思わないのはシズクの人柄故か、それともウルの自己評価の低さ故か、あるいはどちらもなのか、ウルには判断がつかなかった。

 

「ウル様もきっと大丈夫ですとも。冒険者になって間もない日数を、死に物狂いでこなしてこられた努力を私は知っております。その日々は無駄にはなりません」

「……ああ」

 

 どうあれ、こうしてビビリ散らして縮こまるウルを励まし、手を引いてくれる彼女が良い奴なのは間違いなかった。ならば彼女の言葉に応えなければならない。今この時だけだったとしても、ともに戦っている仲間として。

 

「……よし悩むのも愚痴を吐くのもすべてその後だ」

「やれることをまずはやっていきましょう」

 

 と、二人で気持ちを立て直し、改めて隠れつつ、宝石人形の様子を窺う。いきなり突っ込んでどうこうしようという気は流石に起きない。まずは研究だ。

 

「……で、そもそもコイツは何に反応して動いてるんだ?」

 

 近づけば攻撃される。それは間違いない。つまり何かしらの感知能力は持っているのだ。では何で感知しているのか。ヒトならば五感だ。目、鼻、口、耳、肌の感覚、ではこの宝石人形にそれらはついているかというと、

 

「目、鼻、口と形を模してはいますが……」

「ただの空洞にしか見えない」

 

 ちょうど、子供が作った泥人形のようなものだ。生き物の器官と同様の機能を持っているとはとても思えない。

 

「ですが、何かしらの感知機能は持っているのは間違いないはずです」

「で、なきゃそもそも迷宮を歩き回って人間を追い回せないものな」

 

 入り組み、しかも時間と共に形が変わるグリードの大迷宮を歩き回れるのだから、何かしら周囲を感知するための機能を持っているのは間違いないのだ。

 ではそれは何か?

 

「グレンが貸してくれた図鑑には?」

「ゴーレムに刻まれた術式と核の精度によってその機能は大きく異なる」

「ふわっとしてるな」

「してますねえ……」

 

 しばし沈黙後、互いに頷き、

 

「調べてみよう」

「そうしましょう」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 宝石人形の研究その1

 

「とりあえず、まずは視覚か」

「では試しに前に出てみましょうか?」

「それは絶対追いかけられて死ぬんじゃないか?」

「では、この人形を目の前に投げてみましょうか?」

「何処から買った。つーかどっから出した、子供ぐらいサイズあるけど」

「古市で。おばあさんが病気をした孫と息子と娘のために売らねばと」

「騙されてると言いたいが、実験の役に立つなら仕方ない。では一発、そーれ」

『OOOOOOOO……』

「おーっつってる」

「言ってますねえ」

 

 視覚能力、確認できず

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 宝石人形の研究その2

 

「結局反応しなかったな。人形には」

「でも我々には反応しますね」

「そうだな現在進行形で追いかけられている死ぬ」

『OOOOOOOO!!!!』

「人とそうでないものの見わけがつくのではないだろうか?」

「結局その見分ける方法が分からないわけでございますが」

「生物としての反応、心音、つまり聴覚」

「次の交差点左右に分かれて実験してみましょうか。私が声を出してみます」

『OOOOOOOO……』

「はーい!お人形さーん!手の鳴る方へ!!」

『OOOOOOOO!!!!』

「俺の方に超来る」

 

 聴覚能力、確認できず

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 宝石人形の研究その3

 

「音というわけではない。何か視覚に映ると反応するわけでもない……」

「何で感知しているのでございましょう……」

「となると、やはり魔力では?」

「ですが魔物にも魔力はございますね」

「だけど魔物は襲っては……」

「いませんでしたっけ?」

「え?」

「え?」

「……」

「……」

『GYAGYAGYA!!!』

「おや小鬼が」

「一匹だけでございますね」

「こっちに来るな」

「来ますねえ」

 

 

 

              ~数分後~

 

 

 

『GIIIIIIIIII!?!!』

「思うんだが、今俺達は恐ろしい事をしてないか?」

「それは、小鬼をふんじばって宝石人形に投げつけようとしてることでしょうか?」

『GYAAAAAAAGAAAAAAAA!!』

「凄い悲鳴が」

「しますねえ」

「俺たちが魔物呼ばわりされても否定できない」

「ウル様」

「うん」

「物事には優先順位があります」

「前から思っていたがシズクはそういうとこサッパリしてるな」

「「そーれ」」

『GYAAAAAAAAA!!??』

『OOOOOOOOO!!』

 

 

「ミンチよりひどい」

「どうやら人と魔物の区別はつかないようで」

 

 魔力感知能力、疑いあり

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 宝石人形の研究その13

 

 十回を超える宝石人形との接触と実験と逃走、そうやって研究を続けることでウル達は宝石人形の感知能力に関して一つ、推論を立てるに至った。

 

「研究の結果、【近づいてきた魔力を持つ生物を攻撃する】という結論が出た」

「恐らくは、とつきますが」

「時々そうしないことがあるのがわからん」

「これ以上検討するには、私たちの実力も人手も足りませんね」

 

 そう、足りない。何せ接触するたびに命を懸ける必要がある。一回の実験ごとに命からがらの逃走を繰り返していては文字通り命がいくつあっても足りない。故にこれ以上検証を進めるのは無理だった。

 そして

 

「……これがわかったからどうだっていうんだ」

 

 ウルは壁を叩いた。手が痛かった。

 検証の結果わかったのは、自分たちが近づけば襲われるという事実である。そしてその事実に対する感想は「んなこたあわかってんだよ」である。

 命がけの徒労というのは中々に精神に来る。毎度毎度、無駄な時間と労力と金を使ってすかんぴんになって帰ってきても全く懲りなかったクソ親父が少しだけ凄いと思った。が、気の迷いだなとすぐに思い直した。

 

「よし、次だ。切り替えていこう。次は戦力差を確認したい」

「直接ぶつかってみる、という事ですね」

「やっぱり実際戦ってみないと。どれくらい倒すのが難しいか、わからん」

 

 今まで、さんざん接敵してきたが、ウル達のとる行動は逃げの一択であった。装備的にも、心構え的にも、まったく準備なしのままにぶつかる相手ではない。というのウルとシズクの共通認識だった。

 デカイ、という一点だけでも単純に脅威だ。それすら理解できずに突っ込んだ冒険者たちは何人かいたが、ことごとく先ほどの小鬼と同じ末路を迎えていたのだ。警戒もする。

 

 が、ただ情報としていて知るだけでは対策は立てにくい。一度はぶつからねば。

 

「ウル様!右通路前方から宝石人形が来ました!」

「よし」

 

 ウルは槍を身構え、シズクは杖を握りしめた。

 

「これで倒してしまったらお笑い話だな」

「まあ、でもそれができたら素敵ですね」

 

 緊張を和らげる冗談を、シズクは楽しげに受け止め、笑う。そうしてリラックスできたところで、二人は互いに頷き合い、覚悟と決意と共に宝石人形の前に飛び出した。

 

 

 

           ~数分後~

 

 

 

 

「やめときゃよかった!!」

「やめておけばよかったですね!!!」

 

 そしてすぐさま後悔した。

 

 今進んでいる通路は狭く長く緩やかに曲がりくねる一本道。その通路をウル達は必死に走り抜ける。そしてその背後で、凄まじい轟音と破壊音、そして2人の身体に影を落とす、凄まじき巨大なる人型が迫り来る。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……!!』

 

 繰り返される咆哮、それが宝石人形の声なのか、はたまた人形の身体を維持する謎の機構の駆動音なのか、ウルには当然さっぱりわからない。わからないが、しかしそんなものわからなくたって、あの人形が今ウル達に明確な敵意をもって迫ってくるのはわかっている。

 戦力を測ると挑みかかった宝石人形相手になぜ逃げ回る醜態を晒すのか。

 

 理由は単純だ。どうにもならなかったのだ。

 

「【氷よ唄え、穿て】」

「貫けえ!!!」

 

 時折振り返り、ウルはその足に槍を叩き込み、その背後からシズクが魔術を叩き込む、現時点でウル達が持てる渾身の力を込めた。だが、その結果は

 

「……とてもかたい」

「反応もありませんね…!」

 

 まったく、ちっとも、槍が通らない。魔術も直撃した場所に傷一つない。歯が立たないのだ。これでは倒す倒さない以前の問題だ。

 

 知っていた。わかっていた。グレンから宝石人形が硬いとは聞いていた。本来の住処、中層を縄張りとする銀級の冒険者たちもてこずるとは聞いていた。が、認識が甘かった。甘すぎた。ウル達の実力では、戦いにすらならない。

 

「ダメだこれは逃げよう」

「そういたしましょう」

 

 そんなわけで二人は逃げることにしたのだが、それもまた一筋縄ではいかない。

 宝石人形の動き自体は愚鈍だ。が、なにせデカい。ゆっくりと一歩歩くだけでウル達が必死に稼いだ距離をつぶしてしまう。

 

「来ます!」

 

 シズクの声、ウルもまた直感からの怖気を感じ、一気に前へと蹴りだす。というよりも転がり出る。次の瞬間、ウル達の背後で地響きが鳴り、そしてウル達の身体が一瞬“跳ねた”。

 

「…………!?!?」

 

 そして地面に無様に墜落する。痛みはない、だが、身に起こったあまりの現実離れした有様に、ウルは一瞬全身を硬直させた。

 

「ウル様!!」

 

 ウルを正気に戻したのはシズクの容赦ないビンタだった。痛烈なベチンという音でウルは覚醒し、そして衝撃で揺れる足をたきつけ、再び走る。だがまたいつ来るともわからない強襲に構えないといけなかった。

 ただ全力で逃げる。という行為も、宝石人形は許しはしなかった。

 

「足止め、足止めだ、足止めをする!」

 

 焦りと恐怖でマヒしかけてる頭をたたきながら、ウルは今すべきことを何度も口にする。槍を握りしめ、振り返る。あの煌めく身体には傷一つつかない。ならば叩くべき場所はその足場だ。

 

 宝石人形は次の一歩を踏み出している。その歩幅は大きい。そして人の姿をする以上はその巨大な体を支えるのは二本の足だ。こちらを追って足を前に出す瞬間ならたったの一本。

 

「すっころべ!!」

「【大地よ唄え、鎖よ解かれよ、粘土(クレイ)】」」

 

 ウルはこちらへとのびる宝石人形の手を滑り込むことで回避し、そして片方の足を支える迷宮の石畳を粉砕した。同時にシズクはその場所を魔術によって“柔く”した。結果、

 

『O……OO……OOO』

 

 ぐらり、と宝石人形は倒れ始める。

 

「あ」

「まあ」

 

 つまり、とてつもない巨体と重量が前のめりに倒れてくる。

 

「逃げろ!!!!」

 

 叫ぶが否や足下にいたウルは宝石人形が倒れ込む方とは逆側の方へと身体を投げ出すようにして飛び出した。後方でシズクもまた人形から距離を取ろうとしているのが気配で分かったが、確認する余裕はなかった。そして次の瞬間、

 

「「~~~~~~!!!」」

 

 轟音。

 先ほどの一撃とは比べ物にならない衝撃がウルを直撃し、ウルの身体は吹っ飛んだ。あちこちに身体をぶつけ、ダメージを負った。動くだけで傷が鎧に擦れて痛んだが、死ななかっただけ幸いだろう。巻き上がった粉塵を払いながらウルはひぃひぃと身体を起こした。

 

「……し、死ぬとこだ……!シズク!!」

「此方は平気です!!」

 

 土煙で姿は見えないが、無事ではあるらしい。ウルは安堵の溜息をついて、土煙を払いながら声の下へと向かった。シズクも同じようにしていたのか、宝石人形の腰アタリで二人は合流を果たした。

 

「よかった、無事か」

「私は……ですが、人形は起き上がれるのでしょうか?」

 

 倒れたまま、ピクリとも動かない宝石人形に、ウルとシズクは一先ず少し距離を取りながら、様子を窺う。周辺の土煙は未だ晴れる様子を見えず、未だ先ほどの衝撃の残響が広い迷宮に残っている。

 シズクの言うとおり、宝石人形は中々起き上がる様子を見せない。まあなにせこの巨体だ。ただ起き上がるといったって大変だろうというのはわかった。だが、もし本当にこのまま起き上がれないのなら、それなら討伐達成とみなされやしないかしら、などとウルが思い始めた時だった。

 

「好機だ!!」

 

 ウル達の背後から、何人もの影が飛び出した。いつからそこにいたのか、あるいはずっと待ち伏せしていたのか、様々な武装で固めた冒険者たちが一斉に飛び出す。そして、

 

「っと!?」

 

 宝石人形との間にいたウル達を突き飛ばして、宝石人形に襲い掛かった。

 

「はっはー!ガキども!ありがとよ!!こいつは俺ら【赤鬼】がいただくぜ!!」

「くそ!かてえ!ぜんっぜん剣が通らねえよ!!」

「アレもってこい!アレ!!」

 

 混乱しているウルを尻目に、男達は準備を重ねてきたのか手際よく何事かの用意を進めていく、宝石人形の胴に投げ込まれていくそれは、手のひらサイズの球形、術式が刻まれた羊皮紙が巻かれた【魔封玉】、効果は術式によって様々だが今回使われたものは

 

「発動しろ!!」

 

 爆火魔術。

 合図とともに、放たれた魔力は術式に反応し、破壊を生み出した。此処がもしただの洞窟なら崩落を起こしていたようなレベルの爆発は断続的に続き、ウルの耳から頭を揺らした。目が回るような気分だった。

 

「どうなった!!??」

「きこええねええよ!!!」

「いってえがれきふってきた!!」

 

 爆発音と振動音にまけじと赤鬼と名乗った連中が声を張り上げている。視界は先の宝石人形の転倒の時よりもまして最悪の状況だった。しかも五月蠅い。ウルは声をかける代わりにシズクの手を掴み、その場を離れるように合図を送った。

 

「――」

 

 シズクも頷き、動く。状況が分かるよう少しでも騒乱から離れる。端的に言って嫌な予感しかしなかった。

 

「―――え?」

 

 誰の物かはわからないが、随分と間の抜けた声がウルの耳に聞こえた。

 視界を覆う粉塵が大きくゆらめく。大きな“何か”が動いて、その風圧で粉塵が動いたのだ。もっとも“何が”動いたかは明白だった。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』

 

 宝石人形が起き上がった。そしてゆっくりと、拳を振り上げていた。目の前にいる、自らの外敵に向かって大木よりも太い拳を叩き込むために。

 

「ヒィ!?」

「……そこらで売ってるような道具で倒せるなら、賞金首にはならないよな」

「【風よ唄え、我らに守りを】」

 

 ウルが男達の討伐失敗の理由を少し現実逃避気味にしみじみと呟く間に、シズクは素早く呪文を紡いだ。宝石人形は拳を振り下ろす。その動作はそれまでの緩慢な動きに相反してやけに素早く感じた。

 

「【風鎧(ウィンドアーマー】――!?」

『OOOO!!!』

 

 シズクが風の障壁を生み出す魔術を放つ。と同時に宝石人形が拳を振り下ろした。一瞬、その風の障壁に阻まれ、拳は弾かれるように見えた、がそれは本当に一瞬だった。パァンという強烈な破裂音が響き、破壊された魔術と、宝石人形の拳が巻き起こす衝撃にウル達は再び吹っ飛んだ。

 

「だああ!?」

「ぎゃああああああ!?!」

 

 ウルは強かに背中を壁にぶつけた。背中は痛かったが、それでも怪我がたいしたことがなかったのは、シズクの風の魔術があの拳の間に入ってくれていたからだろう。そうでなかったら、粉砕した迷宮の地面の破片とともに飛来する衝撃でウル達はズタズタになっていた。

 

「ウル…様……!」

 

 そして、その幸運は二度は続かない。シズクもウル同様に吹っ飛ばされた衝撃で迷宮の壁に叩きつけられていた。しかも、強引に発動させた魔術の影響で体力を使い果たし、ぐったりしている。

 

「シズク、抱えてやるから、逃げるぞ!」

「あの、方達、は、大丈夫、ですか…?」

「もうギャーギャー言いながら逃げ出してるよ!俺等も行くぞ!!」

 

 そう言って二人もまた、一目散に逃げ出した。走り去る寸前、ウルは追ってきていないかを確認するため最後にもう一度宝石人形の方を振り返った。

 

「OOOOOOO……」

 

 宝石人形は、ウル達の攻撃にも、赤鬼と名乗った連中の強襲にもまるで動じた様子は無かった。というよりも、その身体に傷一つすらついてはいなかった。迷宮通路の魔光に照らされて輝くその身体は名前の通り宝石のように美しい。

 そして、何事もなかったように、再び迷宮を歩き、徘徊を始めたのだった。

 

「……どうすりゃいいんだ。本当に」

 

 シズクを抱えながら、ウルは困り果てた情けない声で呟いた。当然答えてくれる者はいなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賞金首:宝石人形の傾向と対策②

 

 欲深き者の隠れ家にて

 

「店長、日替わりランチを二つ」

「お願い致します」

「今日はまた随分ぼっろぼろだな……埃はちゃんと店の外で払え」

 

 宝石人形との戦闘から無様に撤退したウル達は、そのまま既になじみとなった店に足を運んでいた。どれだけの失敗を重ねようが、どれだけ思い悩もうが、心身の健康が最低限保たれている限りにおいて腹は減るのだ。

 

「ま、メシが喰いてえならまだまだ心配はいらんか」

「心配はしてくれ。大分行き詰まってる」

「この店にも大なり小なり行き詰まってる奴はおるんでな。簡単に贔屓はできんな。肉は一枚増やしてやる」

「ありがとうございます。店主様」

 

 なんだかんだと良くしてもらっている事に感謝しながら、ウル達は疲弊しきった肉体にエネルギーを補給すべく、目の前の食事にがっついた。

 

「今日の日替わりは何だろう」

「赤耳鳥の照り焼きと目玉焼きだよ。【生産都市】から今日運搬されたから油の乗った良い肉だ。とっとと喰え」

 

 言われるまでも無く、ウルは目の前の肉にフォークを突きたてた。厚切りの肉から肉汁が流れ、皮の上に乗ったタレと混じる。ウルに赤耳鳥が高い肉のなのか安い肉なのかはよく分からない。だが肉は肉で美味しい肉だ。ウルはその旨みを口の中で噛みしめた。

 

「うまい」

「語彙がねえなあ」

 

 そう言いつつ、店主は嬉しそうだった。美味いものを腹一杯になるまで食べられるようになったのは、冒険者になってからの数少ないメリットの一つだった。

 

 アカネにも食べさせてやりたいなあ。彼女はジュースになるが。

 

 と、そんなことを思っていると、近づいてくる者達がいた。男の冒険者達が複数でぞろぞろと、彼らは眼の前においるウル――は、さっくりと無視して、その隣に座りウルと同じように肉をニコニコと食べるシズクへと近づいていった。そして、

 

「シズクさん!ご機嫌麗しゅう!今日もお美しいですね!!」

「ありがとうございます。ガイさんに褒められるとうれしいでございますね」

「シズク!君に似合う華を摘んできたんだ。どうか受け取ってくれないか!」

「まあ、ダンジさん。ありがとうございます。とっても素敵なお花ですね」

「シズクさん!今度俺達のパーティと一緒に潜りませんか?!」

「ごめんなさい」

「振られた!!」

 

 次々に男がシズクの前にやってきては、適当に彼女にあしらわれている。

 いつもの光景である。

 いつもの光景になってしまった。

 

 シズクは優秀な魔術師であるが。正確には極めて優秀な“素養”を持った魔術師だ。魔術の技能は素晴らしいが「初心者にしては」という注釈がつく。

 まだまだ彼女は白亜の冒険者である。今彼女に声をかけてる連中はだいたいが銅の指輪は既に保有している、そこそこに熟達した冒険者達ばかりだ。彼女を勧誘したところで、彼女をつれて迷宮探索には向かえないだろう。純粋に一行のバランスが悪くなるからだ。

 

 しかし彼女への勧誘を男達がやめないのは何故か。

 

 最初彼女の容姿につられて声をかけてきた男達を、彼女が片っ端から骨抜きにしたからである。

 

「皆さん優しくしてくださって、私はとっても幸運です」

 

 あまりに目立ちすぎるシズクの容姿にまず惹かれて彼らは声をかけ、そして彼女の冒険者らしからぬおしとやかな仕草と態度、誰に対しても分け隔て無く優しく接する態度に絆され、魅了される。店の男達はすっかり、彼女に夢中になっていた。

 

 しかしこんなだと女性に嫌われそうな気もするのだが……

 

「アハハ、またシズクがナンパされたの?ウフフアハハハ。ウルさびちいねえ~」

 

 と、今度はウルが絡まれる。鍛えられ整った身体を押し付けてくる彼女は兎の獣人ナナ、銅の二級の冒険者だった。

 

「真昼間からまた飲んでるのかナナ」

「だぁって、おちゃけがおいちいのだもの!」

「だきつかないでくれお酒臭い」

「あらぁ照れてるのウフフフフ?」

「いいや、この前思い切りゲロを吐きかけられた地獄絵を思い出している」

「大丈夫よ安心しら。きょうはあんましのんでらいもぉおうっぷ…」

「誰かこの酔っ払いを早く」

 

 ナナに絡まれ、助けを求めると彼女の仲間、この店では少数派の女性冒険者達が無理矢理彼女をウルからひっぺがした。

 

「ほらもーナナ、あんた悪酔いするんだから酒量減らせって言ったのに」

「シズクーあんたも男ども相手にするのは適当にしなよー!バカだから勘違いすんのよ!」

「ご忠告ありがとうございます。気をつけますね」

 

 女性冒険者の警告に、シズクは本当に嬉しそうに頭を下げる。その態度に彼女達はふっと笑った。どうやら彼女の魅力は女性にも通じているらしい。少なくともシズクがこの店でトラブルを起こしているという話は聞いたことがない。

 まあ、要は、現状、ウルがシズクに捨てられる可能性を除けば、問題は無いということだ。

 ウルは目の前の肉に集中した。

 

「おう、いいのかボウズ、お前の相棒、ナンパされてるぞ」

「俺にどうしろと言うんだ店主。肉がうまい」

「そんなんじゃかっさらわれるぞ?」

「俺に止める権利はない。肉がうまい」

 

 無論、彼女が本当に勧誘されて困るのはウルではある。一応既に組まれた一行(パーティ)を横から引き抜くのはあまりマナーとしてよろしくないし、おおっぴらにやると顔を顰められるし恨まれることもある。が、絶対禁止というわけではない。双方が同意すれば移籍も起こるだろう。

 そうなればウルに止める権利は無い。ウル自身それはとても手痛いが、仕方ないことではあるとも思っている。恋人でも家族でも無い。ただ行きずり、偶然出会い、そしてたまたま都合が良かったから互いに手を組んだだけの間がら。よりよい環境に移ろうというヒトは止められない。

 ウルだって彼女以上の優良な物件から「一緒に冒険しないか」と勧誘されたら移籍を考慮するだろう。現在のウルと実力が釣り合う彼女以上の素養を持った冒険者は、どれだけ上を見上げても見当たらないのだが。

 

 彼女の損失が自分の人生がかかっているというのに「仕方ない」で済まそうとしていること自体、グレンから言わせれば決断力が無い、ということになるのかもしれない。と、若干落ち込みそうになるウルだった。

 

「彼女をつなぎ止める良い方法を教えてやろうか?」

 

 そう言ってきたのは、先ほどまでシズクに対してなんども声をかけ、そして、

 

「誰も何も聞いてないぞ今さっきシズクにフラれたジャック」

「フラれてねえよ!ちょっと話がすれ違っただけだよ…!」

 

 そこに声をかけてきた冒険者のジャック(ウルと同時期に訓練所に通っていて、そして逃げ出した者の一人)は、ウルにむかってしたり顔を向けてきた。このツラの時は大抵ろくな事を言わない顔である。そしてウルが聞きに来てくれるのを待っている顔でもある。

 

「ちなみに具体的にどうすんだよ」

 

 このままなんかむかつく顔を目の前に吊り下げられるのもうっとうしかったので、ウルは諦めて質問した。すると彼はそれはな、といやらしい笑みを見せ、

 

「男が女をつなぎ止める方法といったらコレよ!!」

 

 腰を突き出し決め顔をするジャックを無視してウルはイモを突き刺しソースに絡めて喰った。美味かった。

 

「無視すんなコラ!!」

「そのやり方自体別に否定はしてねえよ、否定は」

 

 肉体的な繋がりというのは割とバカに出来たものじゃない。夫婦だって、元々は他人だったのだ。ヒトとヒトを結びつける手段の一つとして一定の価値はあるのだろう。多用しすぎて刃傷沙汰なんて例もあるが。

 

「しかし、それが通じる女なのか。アレ」

「なんでえビビってんのかよ!俺はとっくにシズクさんとデートしたんだぜ?」

「へえ」

 

 一行としてシズクと手を組んでいるウルだが四六時中一緒にいるわけではない。迷宮探索と訓練の日々だが、自由時間が全くないわけではないのだ。軽い買い物程度なら一緒にできるかもしれない。

 口先だけでなく、キッチリとやることをやってるジャックに素直に感心した、が、

 

「あ、デートなら俺もしたぞ」

「あ、俺も俺も」

「俺も、なんなら仲間内3人一緒にシズクちゃんとデートしたな」

 

 シズクをとりまく男達の主張を聞いて、ウルはジャックをみた。ジャックは机に突っ伏して泣いていた。

 

「シズクのガードが緩すぎてデートが日常になってしまっとる」

「違う!!俺はデートしたんだ!あれはデートだったんだ……!!」

「泣くなよ。別に否定してねえよ」

 

 適当にジャックを慰めながら、ウルは隣のシズクを見た。

 

「お肉、柔らかくてとっても美味しいですね」

 

 現在寄ってきた男達を適当にあしらいながら幸せそうにのほほんとお肉を口にしてふにゃふにゃに笑ってる彼女は、なんなら超チョロそうだった。実際、彼女の容姿目当ての男の誘いを彼女は特に拒むこともしない。このままだと実際取られてしまうのも時間の問題かもしれない。

 そうなる前に、ウルも積極的に彼女と仲良くなるべきなのかもしれないが……あまりその気にならない。不思議なことに何故か全く、彼女と“お近づき”になろう、という気にならない。何故だろう。

 少なくともシズクの容姿は自分好みであるはずなのだが。

 

「ウル様、どうかなさいましたか?」

 

 顔と胸を見すぎたのか、彼女が首を傾げた。ウルは黙って目をそらした。

 

「シズクともう少し仲良くなりたいなあと思っただけだよ」

「まあ、とっても嬉しいです」

 

 シズクはパァっと顔をほころばせて、笑った。男に限らず、女だって思わず心動かされるような満面の笑顔だった。ウルはよこしまな想いで彼女を見ていたことが恥ずかしくなった。

 

「……メシ喰うか」

「はい」

「シズクさん!俺も一緒に良いですか!」

「ええ、勿論。皆さん一緒に戴きましょう?」

 

 こんな風にシズクを中心に冒険者達が集うのもまた、いつもの光景となっていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ところでおい、ウルよう。お前訓練所まだ続いてるのか?」

「そうだが、それがどうしたジャック」

「マジか!嘘だろ!俺2週間に賭けたのに!!どうしてくれる!」

「ヒトを賭事にするな。というか自分が訓練所に残って賭けていればよかったものを」

「そんな余裕あるかあの地獄に!!」

「同意見だ」

 

 ジャックが訓練所に通っていた期間はおよそ5日、彼の“鼻っ柱”にグレンは最初から目をつけていたらしくコテンパンに顔面を思い切りぶん殴られ、そののちに折れ曲がった鼻を強引に治され治癒薬をぶちまけられるという粗暴極まる治療で限界を迎え逃げ出した。

 

「あれ、訓練っつーかただのリンチだよな……」

「アイツ、元黄金級のくせに指導下手くそすぎる」

「別のとこで銀級の指導受けたら丁寧でわかりやすくて俺泣いちゃったよ」

 

 此処に居る若い連中の多くはグレンにひどい目に遭わされた事があるらしい。グレンの思い出を語ると死んだ眼になって遠い所を見ようとする。ウルも今日の訓練を思い出せばこんな顔になるだろう。

 そして、それ故なのかどうかは分からないが、訓練所出身の冒険者達は仲間意識が高い。彼らはウル達を気にかけてくれている。ありがたいことではあった。

 

「そういえば今日は【赤鬼】という連中に会ったが、どういう奴らか知ってるか?」

 

 誰に向けるまでもなく問うと、ウル達の背後で据わっていた獣人達が応答した。橙色の毛並みと耳の獣耳は、赤鬼という名前に不快そうにゴロゴロと喉を鳴らした。

 

「ああ、アイツラか。何か嫌がらせでもされたかニャー?」

「いや別に。一緒に迷宮を出た後、少し絡まれたくらいだ」

 

 宝石人形との戦闘後、迷宮を出たシズクがほかの冒険者一行に誘われる、それ自体は割とよくある話だったのだが、今回は宝石人形との戦いの時遭遇し、シズクが助けた「赤鬼」だった。

 それだけの事なのだが、今回は少しばかり強引だった。シズク目当てと言っても、大抵は既に一行として組んでいるウルの存在は建前でも気にかける、が、今回は完全にウルの事は無視していた。どころか、

 

「鈍間はほっとけだの、一行(パーティ)はちゃんと選べだの、色々と楽しそうだった」

 

 鈍間であることは特に否定はしないのでウルは気にしなかったのだが、それを聞いた獣人はゲンナリ顔になって干し魚をカジカジと噛みちぎった。

 

「んな物言いして勧誘できると思ってんだからアイツラ本当にバカだニャ」

 

 他の冒険者たちも同意するように頷いた。割と有名な連中らしい。良い意味で、とは思えないが。

 

「上層の支配者、を気取ってるバカな連中さ」

「要はずっと銅級にくすぶり続けているってだけなんだがな」

「トラブルもよく起こしてる。ギルドに見咎められるとこでは手を引くから狡いんだよ」

「なまじ、ぐだついてる分、魔物殺して上層の中じゃ力だけはあるからにゃあ…」

 

 なるほどな、と、ウルは【赤鬼】の名前を要注意集団として記憶した。

 と、このように、この酒場は冒険と訓練に非常に忙しなく活動してるウルにとって非常に有用な情報収集源となっていた。知りたいこと、聞きたいことがあれば知っている誰かが、快く答えてくれる。“基本的には”。

 勿論、何もかも無条件で情報が集まるかと言えばそうではないが、

 

「――ところで、宝石人形について誰か知ってるか」

 

 特に、その情報が彼ら自身の損得に関わってくるのなら、なおのことだ。

 

 不意にウルがそれを口にした。瞬間、場の空気が少し変わった。

 迷宮、魔物、賞金首、即ち自分の生きる糧の話だ。その糧の規模が大きければ大きいほど、競争率は高くなるのはどんな界隈であっても同じで、冒険者達の中でも同様だった。この場にいる冒険者達は気の置けない同業者たちだが、同時に食い扶持を奪い合うライバルでもある。宝石人形に関しても当然、誰もかれもがそれを狙っている――はずだった。

 

「――賞金首なんざ誰もが狙ってるさ……と言いたいが」

「そうそううまい話でもないけどな。特に今回は」

 

 そう言って、彼らはどこか弛緩したような溜息を吐き出した。

 

「気が抜けてるな」

「そらそーダ。そもそも賞金首ってのは裏を返すまでもなく並みの冒険者じゃ太刀打ちできない証明だゼ?」

 

 魔物を倒せば、魔石が手に入る。魔物退治の報酬とは基本的にはこの魔石だ。賞金首とはつまるところ「魔石程度では割に合わない」という事を意味する。

 

「そして俺らニャ通い慣れて、要領を掴んだ大罪迷宮がある」

「ハイリスクハイリターンとローリスクミドルリターン。どっちが得かってぇーとね?」

 

 蜥蜴族、猫族の獣人と小人のトリオパーティがそう言って肩を竦める。その言葉に他の冒険者たちも頷く。ウルはなるほど、と頷いた。この考え方は多分この店の中だけでなく、恐らく大罪迷宮の冒険者達共通の認識であるように思えた。

 迷宮という莫大な魔石産出場、ありとあらゆる活用が可能なエネルギーを採掘できる迷宮に潜れば、一定の利益は保証される。むろん魔物と戦うリスクこそあるが、わざわざ強大な賞金首を倒そうとは、普通は思わない。

 

 “冒険”者、という言葉とは随分反しているが、その安定志向自体はウルはどちらかというと好意的な印象を覚えた。冒険、なんてもんは好き好んでする必要はないのだ。切羽詰まらない限りは。その切羽詰まっているのがウルではあるのだが。

 

「それに、だ。宝石人形ってやつはクソ面倒なのさ」

 

 そういう只人の男は魔銀(ミスリル)のハルバードを担いだ銅の一級、ローガ。もうじき銀級、つまり一流の冒険者の仲間入りをしようという彼の

 

「兎にも角にも固い。尋常じゃないくらいに硬い。生半可な武器魔術は全然これっぽちも効きやしない。あいつが出現する中層では無視するのが基本だ。相手にしてたら全く割に合わねえから」

「銀級でも難しいのか?」

「倒せねえことはない……が、それでリスクに上乗せで消耗する武器防具、道具に費用とか考えりゃあなあ。防御を無視する方法もないではないが……そっちはそっちでなあ」

 

 グレンに聞いた通りか、とウルは事前に聞かされていた宝石人形の解説を思い出していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「人形(ゴーレム)を倒す手段は幾つか在る」

 

 銅の指輪獲得

 という結果を得るために掲げられた目標、宝石人形(クリスタルゴーレム)の撃破を成すために、グレンの訓練所における魔物の研修会は人形に絞られる事となった。

 

「1、真正面から人形の核の魔道核を破壊する。2、人形の頭部を破壊し、暴走を引き起こし自滅させる。3、目的を奪い機能停止させ破壊する」

 

 一つ目の正面から撃破するという手段は、そのままの意味なので言及する事は何も無い。人形、土塊や鉱物が魔物としての意思を持つための“心臓”、【魔道核】、それを破壊すれば人形は機能を停止する。迷宮から産まれる人形も同様、この核はある(何ゆえに技師の手で生み出される魔道核までまねられるのかは不明)。

 

 グレンは三つの手段を提示したが、そのどれも最終的にはこの【魔道核】を破壊する事に帰結する。破壊しなければ、人形の破壊には至らない。

 

 ただし、正攻法で宝石人形を相手にしようとするのは至難の業だ。

 

「宝石人形は通常の人形と比べてその耐久力は段違いだ。アホみてえに硬い。魔鉱物採取用の破砕ハンマーで殴ったらハンマーの方が砕けたって話もある」

 

 単純な話だが、攻撃が通らなければ、核を探すもなにも無い。本来の頑丈さを更に上回る宝石人形の強固さは多くの冒険者も手をこまねく。しかも核を発見し破壊できなければ、人形の肉体は時間と共に自動で回復していくのだ。キリがないとはこのことだ。

 通常の人形(ゴーレム)の強さの階級が12級、宝石人形は10級だ。これは【銅級】の上位、もしくは【銀級】の冒険者が対処すべき強さを示している。間違っても指輪も持っていない冒険者が挑む相手ではない。

 

「特に魔道核が存在する胸部は一際に分厚い。よって、普通に考えりゃ1は除外だ。お前らにゃ無理。実力も装備も伴ってない」

 

 ウルも頷いた。成功率が限りなく低い討伐計画だが、その可能性がわざわざ0になる選択を取るのは論外だった。

 

「つまり残り二つ。一つは"暴走"、一つは"機能停止"だ」

 

 暴走は、人形にとってのもう一つの弱点を狙う事になる。それはウルの知識にもある。宝石人形対策を話し合う前から、グレンノ基礎講座で頭に拳とともに叩き込まれた。宝石人形のもう一つの弱点、それは、

 

「頭」

「そうだ。基本的に、それは迷宮産の人形も含めて、人形ってのは頭に行動を命じる術式が刻み込まれている。人間でいうところの脳だな」

 

 しかし、人間にとっての脳であるこの部分を破壊しても、人形は死ぬことはない。そして魔道核が存在している状態で頭を失った人形は”停止”ではなく“暴走”を開始する。

 

 制限を失い、自壊も厭わずあたりをひたすらに破壊するようになる。

 

「危険なだけだと思うのだが、メリットがあるのか?」

「暴走というだけあって、この状態になると出力は上がるが脆くなるんだよ」

 

 暴走状態になると防御性能が落ちる。正確には不安定になる。必要のない部分に異常に体の素材を回したり、逆に自分の弱点の魔道核を露出させたりとだ。人形に備わっている最低限の自己保存能力すらも“狂う”。故に暴走。

 

「しかも頭は胴体と比べりゃ脆いからな。暴走は狙いやすい……が、オススメはしない」

「何故でしょう?正当な方法が難しいなら、選択としてはありでは?」

「あの巨体が巨体のまま暴れまわる事を想像してみろ。普段の5割増しの速度で」

 

 言われるまま、ウルは想像してみる。

 ウルよりも数倍はあろうあの硬質の巨人。莫大な重量を伴ってうごめくアレが、四方八方に対して無差別に破壊を繰り返しながら、此方を殺そうとするのだ。今までのようにのんびりゆったりとした鈍足の攻撃ではない。全身全霊、己が存在を狂わせてまでして。

 さて、そんな存在から逃げ回る。それが果たしてできるか?通常状態でもただ逃げるのに必死だったのに。

 

「死ぬ」

「相手が倒れるまでに、此方が10回以上死にそうですね」

「今のお前らの実力なら、まあそうなる。装備をもっと整えられたらやれるかもだが」

「金はない」

 

 そーだろーな、とグレンはつまらなそうに頭をかいた。そしてそうなると残る手段は、

 

「そんで三つ目だ」

「目的破壊というのは?」

「ある種の裏技だが、成功すりゃデカいぞ。要は“人形の目的を達成させる”んだ」

 

 人形は元は人が生み出した魔物。

 しかし人形は自分自身に意思があるわけではない。頭に刻まれた命令、それをひたすら実行するための、まさに生命をまねただけの人形に過ぎない。『この場所を守れ』『敵を攻撃しろ』その程度の単調な命令を人形は従順に、数百年たとうと守り続ける。

 そしてその命令対象を“失えば”、あるいは“達成すれば”、人形は機能を止める。行うべき役割がなくなるからだ。

 

 例えば守るべき場所が跡形もなくなれば、

 あるいは自分の周りに敵がいなくなれば、

 人形は機能を停止する。身動ぎ一つ取らなくなる。

 

「自分の身体を保つ機能すら落ちるから、もろくもなる」

「人間が作った物なら兎も角、迷宮産に決まった“命令”なんてものが定められているのか?」

「ある。が、その内容は創り主、即ち迷宮にしかわからん」

 

 “命令”自体は迷宮の人形であろうと必ず存在するらしい。迷宮に存在する一部屋を守れ(その部屋に何もない状況だろうと)だとか、あるいは外敵(冒険者のみならず近くに湧いた魔物に至るまで)排除しろだとか、まるで意味のないような命令がランダムに刻まれ、それに忠実に従って動く。

 

「ま、今回は普通に“侵入者を排除”しろってなもんだとは思うがね」

 

 突如として、本来の住処である中層から場違いな上層に上がってきた点を除けば、宝石人形の行動は実にシンプルだ。冒険者を見つければ片っ端から攻撃をしかけてくる。それだけだ。特別その動きに法則性は見えない。普段はうろうろと最上層を徘徊するばかりだ。

 

「その場合、目的を破壊するにはどうすればいい?」

「人類滅ぼすとか」

「アホかよ」

 

 ウルはあほらしそうに首を横に振った。全く現実的ではなかった。

 溜息を大きく吐いて、状況を整理する。正面からの正攻法の撃退は困難を極める。しかし裏技を使おうとしても、また別の困難として立ち塞がる。

 つまり八方ふさがりだった。

 

「そら、既に賞金首になってるんだ。そう簡単に倒し方なんて思いつく訳がない」

 

 グレンの指摘はごもっともだった。倒すのが極めて困難、という認識が出来てまずスタートラインだ。そんなことは誰だって分かってる。その上で、どうやってコイツを倒すかが問題なのだ。

 

「……暴走させたうえで、放置して力尽きるのを待つってのはどうだ?」

 

 ウルは思い浮かぶままに案を述べる。

 人形は生物とは違うが、それでも体力、魔力というものは無限ではないはずだ。まして暴走状態、通常よりもはるかに魔力を消費する駆動を続ければ限界が訪れるはずではないのか?

 しかしグレンは首を横に振る。

 

「外部の人形ならその手もありだったんだがな。奴がいるのは迷宮だ。無尽蔵に魔力の結晶である魔石を生み出し続ける魔力の宝物庫。エネルギーはそこかしこにある」

 

 ここ、迷宮にいる限り、体力は無尽蔵にあるというわけだ。厄介なことに、

 

「供給は止められないのか」

「放置する限りは自然と魔力は注がれるさ。そうでもなきゃ、他の魔物達だってそのうち餓死するはずだろ?一応生物なんだからなあいつらも」

「“少なくとも維持はされるだけの魔力”は供給されると。たとえ暴走状態であっても」

「外に誘い出すというのはどうでしょう?」

 

 次はシズクの提案だ。しかしグレンはまたしても首を横に振る。

 

「やむを得ない場合を除き、意図的に迷宮の外に魔物を連れ出すのは大連盟が定めた法に触れる。最悪人権はく奪されて奴隷行きだぞ」

 

 基本的に、迷宮の外に魔物を出さないために、こうした迷宮都市が生まれたのだ。その魔物を討つために外に連れ出しては本末転倒だ。

 それから次々に案を述べていくがその都度グレンに却下されてしまい、ウルはうなだれた。現在のウル達の“手札”の少なさが改めて浮き彫りになっていた。出来ることがあまりにも少なすぎる。

 

「せめて装備をもう少し……」

「生活費と、訓練所への手数料、消耗品の購入でカツカツですね」

「多少は装備の更新も出来たが、もう少しなあ……」

 

 ウルは【白亜の盾】を、シズクは【魔蓄のアクセサリー】を購入しているが、依然としてほかの装備は訓練所の借り物である。整備自体はちゃんとしているが、貧弱極まる。低層で魔物を狩る分にはまだなんとかなるが、賞金首相手には、不足だ。

 

 金か、あるいは実力か、せめてもう少し時間をかけて整えたい。ディズがもうけた時間ギリギリ一杯までは。

 

「……ライバルが少ないのだけが幸いか」

 

 賞金首は時として冒険者同士の奪い合いになるという。しかし、宝石人形の厄介さは散々語ったとおり。現状、積極的に狙おうという輩はいない。居ても全員返り討ちになっているのが現状だ。そっちの猶予はまだある、はずだ。

 と、ウルがそう思っていたのだが、

 

 グレンは自身の無精ひげを撫でながら、残念なものをみる顔でウルを見ているので、嫌な予感がした。

 

「……なんだよグレン」

「お前を哀れんでるだけだ」

「……俺の目論見が崩れると……何があるんだ?」

 

 こういうときのグレンの嫌な忠告は大抵的中する。嫌なことに。そしてそれ故に聞かないわけにはいかない。

 

「この世界において迷宮から採れる魔石採掘は重要だ。都市を守る結界、【太陽の結界】は神官達の祈りによって賄われているが、それ以外のインフラの維持の大半は魔石を活用されている」

 

「だから?」

「場違いの上層で弱小冒険者どもに嫌がらせする宝石人形は討伐されねえと都市としちゃ困るッツー事だ。賞金がかけられてそれなりの日数が経過したが、未だ宝石人形は討伐される様子も無い。国をまとめる神殿はバカじゃない。つまり」

 

 こんこん、と机に広げられた賞金首の張り紙、かかれた金貨10枚という額を指さす。

 

「そろそろ額がつり上がる。んで、【討伐祭】が発生する」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「たぶんこの調子なら、【討伐祭】になんだろーしなあ」

 

 その言葉にウルはピクリと反応する。

 

「討伐祭……皆は参加するのか?」

「あー、そうかウルは初めてだったか。あたりめーだが」

「この都市特有だからニャー」

 

 討伐祭、小中規模の迷宮の発生が非常に活発で、それ故に厄介な魔物達の出現頻度も高い大罪都市グリード特有の催しだ。祭り、という単語がついているが、それ自体は別にソレほど特殊な事でも何でも無い。

 要は賞金首の値段のつり上がりである。本当にただそれだけのことなのだ。ただし、

 

「この都市、冒険者はメチャ多いから、賞金が上がると一気に大騒ぎになるんだよなあ」

「装備買う奴とか、魔具買い占める奴とか、一気にゾロゾロ出てくるニャー」

「んで、ソレに便乗する商人達が出店開いたりなんだりしているウチに、いつの間にやらお祭りになったっつーのが事の経緯よ」

 

 季節ごとに神殿が催すような祭事とは別の、自然発生したお祭りであるらしい。

 要は冒険者達が馬鹿騒ぎし、ソレに乗じて都市民達が金儲けすると、それだけの話だが、この都市はそれだけで一大事業となる。多くの金が飛び交い、都市が潤う。神殿もそれを咎める理由は無く、結果、半ば公認のお祭りと相成った。

 

 そして、祭りとなった以上、規則というか、ルールが存在する。

 

「1,緊急性を有する賞金首だった場合は討伐祭禁止、2,大罪都市グリード周囲及び迷宮低層に発生した賞金首に限る、3,討伐祭決定時以後は祭り開催までその賞金首の討伐を禁止する。4,賞金首の魔物の適正階級以上の冒険者の手出し禁止」

「ガチガチだなおい」

「都市の折角の儲け時だ。潰されても困るっつってどんどん付け足されていったのよ。俺が現役の時はここまでガッチリじゃなかったな」

 

 店主がしみじみと語る。この討伐祭はまだ年月としては若い方であるらしい。

 

「ちなみにコレ、討伐し損ねたらどうすんだ?」

「控えてる銀級あたりが始末する。賞金がより高額になるから神殿としちゃ若い連中に始末してほしいとこなんだろうけどなあ」

「なるほど……」

 

 ウルは相づちを打ちつつ、頭を整理した。グレンから聞いた情報では数日中にこの討伐祭の開催が告知され、その後1週間前後で開催されるらしい。

 

 つまり討伐祭開催までは宝石人形を誰も討伐出来なくなる。

 これは良い情報だ。

 しかしその後の祭りでは、ウル達以外のライバルが一斉に宝石人形を狙い始める。

 これは良くない。とっても良くない情報だ。

 

 敵が増える。ディズが提示した条件をクリアするには何が何でもウル達が宝石人形を撃破しなければならないのに。もし誰かに宝石人形撃破をかっ攫われれば、当然一ヶ月以内に指輪獲得の目標は不可能になるだろう。

 となると問題は、どれだけのライバルが出てくるか、だが。

 

「ま、俺は参加しねーけどな!祭りの熱狂で自分の力量を測り損ねるのはバカのすることだ!」

 

 と、聞いてもいないのに声をあげるのはジャックだった。ライバルが増えること自体はウルとしては全く嬉しくないので、彼の宣誓は黙って喜んでいた……が、彼の周囲ではその様子を見てハイハイ、と、感慨深い表情になっていた。

 

「そういう奴ほど熱気にあてられて突っ込んでくんだよな……」

「いたな、そういうバカども、そのままあの世にまでいっちまったけど」

「やらねえよ。やらねえからな?聞いてる?」

 

 あまり、彼の宣誓に信用はなさそうだった。

 

 要は、ライバルは増える。確実に多くなる。その認識で間違いはなさそうだった。畜生め、とウルは黙って毒づいた。あまり顔に出したつもりは無かったが、周りの熟練者達には既にその前の質問で察されていたのだろう。

 

「ってー結局おミャーやるのか?宝石人形」

 

 獣人が少し楽しげに尋ねてくる。ウルは溜息を深々とつき、しかし頷いた。

 

「……ああ、やる」

「死ぬぞ?お前冒険者になってひと月も経ってないんだろ?」

「俺も自分でそう思うよ。だがやる」

 

 なんだってそんな愚か者の真似をしなければならないのか、誰のせいだろうか。父親である。ウルは死んだ父親に再度呪いの言葉をぶちまけた。だがやる、やらねばならぬ。

 

「妹のためだ。退路はない」

「妹ってあれか?違法人身売買組織に売られたっていうアノ?」

「あん?生き別れた恋人を邪悪な悪徳貴族から買い戻すためって聞いたが?」

「病弱な妹を救うための神薬(エリクサー)を買う費用じゃねえの?」

 

「いろいろと全然違うが兎に角俺はやる」

 

 ウルは怖じける自分を奮い立たすようにして何度も宣言する。

 周りの冒険者たちの反応はジャックの時と同じだ。呆れたような、諦めたような眼でウルを見て、ため息をもらしつつも、止めようという声はそれほど上がらなかった。

 

 逃げ道がない。後が無い。

 

 そういう、ウルの事情を彼らはなんとなく察していた。そしてその進退窮まる状況はそこかしこに転がっているものだ。ウルは特別不憫というわけでもなく、故に止める事も無い。自己責任だからだ。

 彼らは良き隣人ではあるが、家族でも友人でもない。そこまでの肩入れはすべきでないと皆知っていた。せいぜい口にするのは忠告くらいだ。

 

「意気込むのはいいけどお、シズクちゃんを巻き込むのはやめとけよ」

 

 故にこのジャックの一言も、いわば善意(とわずかな嫉妬)の忠告に過ぎなかった。が、ソレを聞いたシズクはニッコリと笑って、おかわりしていたランチを口に運ぶ作業を止めた。

 

「あら、お気遣いありがたいですが、私も同行させていただきますよ?私の方からお願いしたいくらいですから」

 

 シズクは、冒険者たちの目線など気にするそぶりもみせず、立ち上がり宣言した。

 

「強大なる魔物を打倒すれば、強い力を得ることがかなうのでございましょう?」

「そりゃ、まあ、なあ。特にデカブツを倒した時得られる魔力は膨大だ」

「では、迷う理由はございません。そして指輪の獲得が叶えばより強い敵と戦える。ならば一石二鳥でございますね」

 

 そう言う彼女の姿に一切の怯えも、熱狂も無かった。淡々と、自らの成すべき事を確信して、“決断”した少女がそこにはいた。周囲の冒険者達は口を閉ざす。しかしそれはウルの時のような呆れ半分の諦観故ではない。

 ただただ、己が成すべき事を成さんとする少女のその姿に圧されたためだった。

 

「なあんだ、男達よりもよっぽど腹が据わってるじゃないか。シズク」

 

 僅かに膠着した空気を割ったのは、空気をまるで読む気のない酔っ払いであった。彼女は麦酒を呷るとケタケタとシズクに威圧されていた男達を指さし笑う。その姿に再び酒場は元の馬鹿騒ぎの空気に戻っていった。

 

「そう言うおめーはどうだよナナ」

「やーんない。私もうすぐ中層の烈火岩領域にアタックすんだもん。帰った時にゃ私は銀級だよ!!シズクー!どっちが先かしょーぶよー!」

 

 ナナの雄たけびに彼女の一行は呼応するように声を上げる。シズクは彼女の言葉に大きく微笑み「はい!」と頷いた。ソレに呼応してほかの冒険者達も雄叫びを上げる。討伐祭の開催を前にして、冒険者達は実に盛り上がっていた。

 ウルを除いて。

 

「おーおー若いっていいのう、お前はどうなんだ、ウル。燃えとるか」

 

 店主はケラケラと笑いながら目の前のカウンターで薄暗い顔でいるウルに問いかける。が、ウルのテンションは変わらず低かった。

 

「そんな、余裕、はない」

「若いっつーのに、今からつまらん事言ってたら、つまらん大人になっちまうぞ」

「ほっといてくれ」

 

 ふてくされたように言うウルに、店主は笑って、彼の頭に塩ゆでの豆が盛られた皿を乗せてきた。頼んだ覚えは無いという眼を向けると「サービスだ」と彼は手を振り、厨房へと姿を消した。

 

「…………シズクか」

 

 ウルは頭の上に乗った豆を一つまみとりだし齧りつつ、真横で絡み酒をかますナナと楽しく会話するシズクを眺め続けるのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賞金首:宝石人形の傾向と対策③

 

 ウルは未だ、シズクという少女の事情についてまるで触れてはいなかった。

 

 別にウルが他人に興味が無いのかといえばそんなことは無い。むしろ相手の話は積極的に聞き手に回る性質だ。ヒトの話を聞くのは好きな方だ。

 

 だが一方で、放浪の民として生きてきたウルにとって、他人の事情というヤツは安易に踏み込むべからず、という意識があった。加えて、そもそも現状。彼女との関係が長続きするものなのか分からず、踏みこみ難かった。迷宮潜りと訓練の日々があまりに忙しく、腰を据えて話し合う機会がまるで無かったのもあった。

 

 結果、2週間以上彼女と背中を預け合っていたのに、肝心の彼女の事情をウルは知らぬままでいた。が、流石にそろそろ聞いておくべきか、と、ウルが思い始めていた。

 

 安易に踏みこむべからず、とはいえ、意思疎通、相互理解をないがしろにすべきかといえば当然そうではない。誰だって事情というのはある。ムチャをする人間ほどその事情というのは重く、大きく、そのヒトの行動を縛りつけてくる。ウルがそうであるように、シズクもそうなのだろう。

 そして、デカくて重い事情というヤツは、時として思ってもみないトラブルを招くことがある。相互理解を怠ると、全く予期しないタイミングでこれが炸裂するのだ。

 

「そんなわけで、できれば事情を聴いておきたいのだが、よいだろうか」

 

 危険な地雷は事前に撤去しておくに限る。ウルはそう思い質問を投げた。

 が、

 

「ダメです」

「ダメか」

 

 訓練所内の“宿泊塔”の中で、腹をくくったウルの質問は、無駄に終わった。

 即答で拒絶したシズクは、沈痛な面持ちで首を横に振る。

 

「私が宝石人形を倒す決意をした理由はあります。それは切実です。ですが軽々しく口にできるものではないのです。本当に申し訳ございません」

「いや、いい。そう答えるかもしれないとも思ってはいた」

 

 ウルはウルで彼女の拒絶を素直に受け入れた。

 彼女の事情がいかなるものであるのかは分からないが、それがウルか、ウル以上の理由であるのなら、なるほど軽々しく口にしたくはないだろうというのは分かっていた。ウルだって、精霊憑きとなったアカネの事情は気安くは口にしたことが無いのだ。シズクとて、秘匿にしたい事の一つや二つ、あるだろう。

 

「ですが、ウル様。一つだけ保証します」

 

 そう言って彼女は寝間着姿のまま、ウルの手をそっと握りしめる。湯屋で汚れを流した彼女からは風呂場の華の香りが漂ってくる。勘違いされるような所行を相手を選ばずにするなと言いたくなった。

 

「私は何が何でも、宝石人形を打ち倒したいのです。その魔力を獲得し強くなりたい。そこに嘘偽りはありません」

「……そこは疑ったつもりはない。それくらいは一緒に戦ってて分かる」

 

 彼女の懸命さ、必死さはウルが一番分かっているつもりだ。その場しのぎで、他者を偽ろうとする者の戦い方はすぐに分かる。彼女にそれは感じなかった。

 ウルは彼女の手を解いて、頭を掻いた。

 こうまで真っ向から拒否されるとなると、やはり彼女の抱える事情というのは結構な深刻度のものであるというのは間違いなかった。出来れば知っておきたかったが、しかし踏みこまれることを良しとしない相手の懐を探って、コンビを解消されても困る。彼女と組んだのはそもそもが偶然に依る所も大きいのだ。そう何度もその偶然は起こらないだろう。

 

 保留する他ない、か。

 

 消極的な判断にならざるを得なかったが、それ以上の大問題が差し迫っている状況で、いらん問題を増やすわけにはいかなかった。

 残り十日前後、宝石人形の討伐祭、それまでにあの巨大なる魔物を倒す手段を得なければならない。

 

「……んで、シズクはその宝石人形を倒す手段、思いついたか?」

「ウル様にはありますか?手だて」

「あればきいていないなあ……」

 

 元から既に厄介な問題ではあった。まともに戦っても傷一つ付けられなかったような相手なのだ。ごくごく真っ当に研鑽を積み武器を更新し挑んでも、果たして期限までに倒せるかは分からないような相手。

 そして今回更に厄介な問題が追加された。討伐祭による競争率の激増。

 

 つまり、宝石人形を撃破する手段を獲得し、かつ、ライバル達を出し抜かなければ、ウル達は宝石人形を倒す事叶わない。

 

「ほんっと……どうするかな……」

 

 困難に困難が重なった状況である。宝石人形の打倒すら困難であるというのに、そこにライバルの存在が追加されたこの状況は、ウルからすれば泣きっ面に蜂である。

 

 ウルは自分たちの実力を理解している。

 

 自分たちは所詮は“新人”だ。シズクが天才的な魔術師の卵であろうとも、まだ二人は冒険者として活動を始めてまだ2週間経った程度。どれだけの才能があろうとも、どれだけ死に物狂いの訓練に勤しもうと、2週間ではたかがしれている。現在この大罪都市グリードにはびこる山ほどの冒険者達の中では最下層だろう。

 たとえ、それが銅の指輪を未だ取れずくすぶっているような連中と比較しても、ウル達が上回れる所は多くはないだろう。ウルはそれを分かっていた。

 討伐祭当日は、そんな連中がウルのライバルだ。

 周りは自分たちより上の冒険者達ばかり。これで気が滅入らずしてなんだというのか。

 

「ですが、考えようにもよるかもしれません」

「というと?」

「他の人も宝石人形を狙うということは、他の人の力を借りられるかもしれません」

「一行を増やすとか?」

「それ以外でも」

 

 むう、と、シズクの指摘を考える。

 

 確かに、これまではあの厄介で戦うだけ面倒な宝石人形を進んで倒そうとする輩は非常に少なかった(ウルが宝石人形の調査にとりかかってから同業者に遭遇したのは赤鬼くらいだ)だが、今後はそれ以外の連中も宝石人形を狙うだろう。彼らはライバルだが、彼らとて宝石人形が厄介な敵なのには変わりないのだ。人手不足に悩み、あるいは共闘を願う者もいるかもしれない。

 あるいは、こうして攻略法を見いだせずに居る者達に“商売”を持ちかけてくるような連中もいるかもしれない。宝石人形を倒す手段を、出し抜く手段を求めてやまない冒険者達に売りつける商人達が現れるかもしれない。

 

「……祭りが必ずしもマイナスに向くわけではないか」

 

 もとより、短い期限までの間に宝石人形を正面から倒すのは不可能に近かったウル達だ。ならばこの状況の変化をプラスとも見れる。いや、見なければならない。それくらいの思考の切り替えはウル達には必要なことだった。

 問題は

 

「誰から、何を支払い、何を得るか」

 

 コネ 対価 報酬

 宝石人形を取り巻くヒトの数を利用するのはいいとして、そもそも信頼できる取引相手との繋がりをウル達は築けていない。そして支払うべき価値のある金銭ないしソレに相当する物も持ってはいない。で、あれば宝石人形に有効な手立てを手に入れる事も勿論出来ない。

 

 宝石人形に関わるヒトが増えたとして、ソレを利用する手立てがウル達には一つもない。

 

「一つ一ついくか。まず、一番重要なところ。俺達は何が欲しいか、だ」

「宝石人形を倒す手立てですね」

「そうだな。で、それはなにか」

「私たちは宝石人形を“私たちが”倒すことで指輪と魔力を得ることを目的としています。一行を増やす、つまり“助っ人”は望ましくありません」

「そうだな」

 

 ウル達の現在の目的を考えると、宝石人形はウル達自身が倒さなければ何の意味もない。ただ宝石人形を倒せば良いというわけではない。

 故に望むのは、例えばウル達自身の戦力を底上げするもの。装備を更新するための資金、あるいは宝石人形を撃破するための強い助言などだ。

 

「次は何を支払うか、でしょうか?」

「正直コレは相手にもよる所なので保留。価値観はヒトによってバラバラだ」

 

 ある人にとって何より大切に思えることが他の人にとってはゴミのように感じる、なんてことはよくある話だ。両隣の都市国同士で全くバラバラの価値観を持ったヒト同士が戦争を起こす寸前までいった、なんて話はウルも放浪の最中に見たことがある。故に保留。

 なるほど、とシズクは頷く。そして、

 

「では、最後、コネですね」

「……これが一番難しいんだよな」

 

 コネ、コネクション、ヒトとの繋がり、縁。

 ウルにとって極めて難関に思える。何せ彼は今まで深い関係性を誰かと築けたためしがない。築く前に、ウルは別の場所に流れていってしまっていたからだ。名無し故に。

 

「ウル様、ツテに心あたりはないですか?」

「根無し草の名無しに期待するなそんなの……シズクは」

「この地では酒場の皆様くらいでしょうか。ウル様と大差ありません」

「だわな……俺等の行動殆ど同じなんだから」

 

 男達に誘われるままデートにいく彼女ならば、とも思ったがそこはあまり変わらんらしい。

 “欲深き者の隠れ家”には有能な冒険者達もいるが、基本的に彼らは良き隣人であって仲間ではない。ウル達はかわいがってもらっているが、しかし贔屓してくる事はないだろう。そこら辺の線引きはキッチリとしている。正当な取引でなければならない。

 だが、そもそも彼らは冒険者だ。知識や経験もウル達よりは上の者が多いだろうが、彼らの資本は基本的にその鍛えた身体。ウル達の望む形での助けは得られるか怪しい。

 

「都合良く宝石人形に詳しい冒険者とかいなかったか」

「もしそんな方が居れば冒険者でなく魔道技師になっているのではないでしょうか」

「そらそうか」

 

 うーむ、とウルとシズクは二人で唸った。この都市に来て間もない、という現実が思った以上に足を引っ張っている。対して他のライバル達の多くはグリードに居ついて長いはずだ。世界最大規模の大罪迷宮。名無しでも滞在費を超える儲けを得ることは容易なこの場所に居着く冒険者達は多い。

 で、あればコネの一つや二つ持っているだろう。ウル達と違って。

 

 ウル達が持っている特別なコネなんて一つも――

 

「……いや、一つ、あるか」

 

 ウルはせまくるしいベッドに寝転びながら、思いついたというように手をポンと叩いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 17日目

 

「というわけで力になってくれそうな人を教えてください」

「ためらいなく俺に聞きに行く図太さは嫌いじゃねえよ」

 

 グレンは頭を真っ直ぐに下げるウルを呆れたように評した。

 

「だがお前、仮にも俺は冒険者ギルド所属の教官だぞ。一応お前らを見定める側なんだが?」

「教官は生徒を導くのが仕事だろう」

「生徒はお前等だけじゃないし」

「私たちだけですよ。今朝、昨日入った新入りの方が逃げ出しました」

 

 根性なしめ、と、追い出した張本人のグレンが舌打ちをした。ウルは

 

「だが、宝石人形攻略に役立つアテなんてのはな……」

「ないのか」

「……ないではない」

 

 なんというか、グレンは有能な男だった。

 

「覚悟しとけ、役に立つかわからん上、ろくでなしだぞ」

 

 グレンがそれを言うのは相当だな。とウルは口に出さずに思った。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 装備について

 

 

 

 

 悪名高き大罪迷宮、グリードへの入口の広場の、そのすぐ東には武具防具その他もろもろを取り扱う鍛冶職人街がある。

 通常、武器防具を取り扱う職人たちはまず自分の作ったものを商人に卸し、そこから市場に流通する。が、此処、大罪迷宮グリードでは事情が異なる。

 

 武器防具の材料の流通が直結し、更に冒険者がたくさん集まるがゆえに武器防具の需要も存在する。つまりこの都市での武具の流れはこの都市だけで完結している。故に商人に卸すという過程を跨ぐ必要がなく、故に職人たちはそのまま商売権を都市から獲得している場合が多い。(勿論、他都市に渡る商人たちには卸もする)

 

 故に、この職人街には多くの冒険者たちが行き交う。自分たちが仕事で使う商売道具の宝庫である。しかも流通に人を跨がない分、此処の武具の価格は他都市と比べても比較的安い事もあり、他都市からわざわざ見に来るものまでいるほどだ。

 

 さてごくごく最近冒険者になった不運の少年、ウルもまた例外なく此処に足を運ぶ。

 

「……おーいボウズ、数打ちの武器の山相手ににらめっこはやめーや」

 

 小柄の髭もじゃ、筋骨隆々のドワーフ、このあたりの鍛冶師らの仲でも年長でありリーダーをしている彼は、物欲しそうににらめっこを続けるウルに声をかけた。ウルは気難しそうな顔で彼に向き直り、

 

「いい加減、装備を新調したくてな」

「予算は」

「銅貨5枚くらいで買える便利な防具くれ」

「かえんなボウズ。冒険者を夢見るバカなガキでも銀貨握りしめるわ」

 

 比較的安い、と言っても、勿論それはあくまで比較的であって、実用に足る武器防具であれば当然相応の値段はするのだ。数打ちの安物ならばお手軽ではあるが、それなら恐らくは訓練所に余っている“中古品”を使っていた方がまだマシだろう。

 

「兜に銀貨20枚とか、これで3月は暮らしてけるだろ……」

「安い方だぞそいつらはまだ。何せ迷宮都市だ。需要は掃いて捨てるほどある」

「……買う手数多か。まあ、職人よか冒険者の方がなるのは楽だわな」

 

 迷宮に潜り魔物を殺しさえすれば金を稼げる危険だが安易な冒険者と、ギルドに入り、師に弟子入りし、何年もの修行を経てようやく一人前になれる職人とでは、どちらの数が多くなるかは考えずとも分かる。

 

「迷宮潜りの数が多い分、どうしても割高になるわけだ」

「職人だって冒険者達に死んでもらっては困るだろうに。安くならないのか」

 

 髭もじゃドワーフはフンスと鼻息で髭をゆらし、自分の背丈ほどもある巨大なハンマーを仰々しくゴンと叩いた。

 

「こちとらお前らの命を預かるモノを作る職人よ。であればこっちも命と誇りつぎ込むつもりで武具を作る。で、ある以上安売りなんてできるかよ」

「ふむ」

 

 ウルは背後を振り向いた。

 

「まあ、素敵な短剣でございますねえ。貴方がお作りしたのですか?」

「まあな!どーだいお嬢さん!今ならこの短剣銀貨1枚にまけとくよ!!」

「ありがとうございます。でも申し訳ありません。今は手持ちが少なくて」

「あるとき払いでも構わないさ!この俺の武器は麗しい君にこそよく似合う…!!」

 

 後ろで若き職人とシズクが交渉をしている。交渉というか、露骨にデレッデレにとろけきった顔の男がシズクに貢いでいた。ウルはもう一度前を向くと、ドワーフは遠い目になっていた。

 

「……職人って女っ気がねえんだよ。特に人間(ヒューマ)は火石で肌焼けるしよお」

 

 そうか、とウルは頷いた。そして、

 

「まけてください」

「やだよ」

「売り飛ばされた不憫な妹を買い戻すためにはどうしても金が」

「この前お前の妹金髪のねーちゃんと楽しそうに散歩してたぞ」

「お兄ちゃんは悲しい」

「これやるから他所で嘆いてくれねえかな。ボウズ」

 

 使い古されたブラシを放り投げられて、ウルは追い出された。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 訓練所宿舎、の外庭、井戸の前にて

 

「……防具が欲しい」

「欲しいでありますねえ」

 

 現状宿舎を利用しているのはウル達だけであり、井戸も貸し切り状態である。ウルとシズクは自由に井戸の水を使って、自分らの装備の点検を進めていた。自分の命を預ける武器防具の整備も仕事の内。というグレンの指示に従い、整備は毎日必ず行うようにしている、の、だが、その肝心の装備は頼もしいとは言いがたい状態だった。

 

―Name:ウル―

[>冒険者見習い♂

―階級―

[>なし

―武装―

[>【鉄の槍[F]】【木製の盾[F]】【革の鎧[F]】【革の具足[F]】

―職―

【戦士】

―保有物資―

[>なし

―備考―

[>妹買い戻し金額、金貨1000枚貯金中

 

 

―Name:シズク―

[>冒険者見習い♀

―階級―

[>なし

―武装―

[>【魔術の杖[F]】【ローブ[F]】【守りの首飾り[F]】

―職―

【勇者】

―保有物資―

[>なし

―備考―

[>なし

 

 初期装備としては充実している方である。

 が、これらはすべて中古品だ。決して品質が優れているわけでもない。すぐに壊れるようなものではないものの、やはり命を預けるには不安と不満がある。

 また、数度の魔物との戦闘を経て、自分に必要なものが徐々にわかってきた。

 

「俺は出来れば全身鎧がいい」

「重量の心配はありませんが、動きにくくはありませんか?」

「俺はどうやら俊敏には動けないらしい」

 

 模擬戦、迷宮探索時、それらにおいてウルは被弾率が高かった。シズクよりもずっと。

 

 もちろん彼女が魔術を主として戦っている分被弾率は下がるが、それを差し引いてもウルが怪我を負う回数は多い。生傷が絶えない。シズクが治癒術を覚えてくれていなければ回復薬(ポーション)(銅貨5枚)をかなり浪費していただろうから、シズク様様だ。

 

 が、流石に何度もシズク頼みでは辛い。彼女は攻撃にも魔術を割いてもらいたいのだ。そうでなければ収入も増えない。何よりウル自身、痛いのは嫌だ。本当に嫌だ。今すぐ冒険者なんてやめたい。だがそうはいかないから装備を充実させる。そのためには金がかかる。

 

「収入を増やすために武器防具に浪費するとか本当にバカじゃないのか冒険者」

「でも、命にはかえられませんねえ」

 

 ごもっともである。

 故にウルは鎧を、特に全身を守ってくれるような鎧を所望している。半端なものではなく、魔物の牙や爪も弾くような魔鉱鎧などがベストだ。予算を考慮しなければ。

 

「私は魔術用の補助具が欲しいでありますねえ。魔術の回数を増やさねば」

 

 ローブを洗濯し、乾かす間に半ば下着姿になったシズクは、今は自らの杖を丁寧に磨いている。その豊かな肉体のラインがハッキリと見えて目に毒なのでウルは気をそらすようにして会話を続けた。

 

「今は魔術は何回使えるんだったか、シズクは」

「3回でございますね。種類は4つ」

「素晴らしい才能だとは思うんだがな」

 

 たいてい魔術師になりたての者は1回、多くて2回しか使えないらしい。種類も最初は一つだけだ。4種も使える時点でズバ抜けている。それも攻撃、防御、補助、回復とまんべんなくだ。

 

「やはりコンビは限界か……?」

「誰かをお誘いしますか?」

「……宝石人形を一緒に倒してくれる人いますか?って酒場に張り紙出すか」

「ダメっぽいです」

「だなあ」

 

 ウル達の活動は、グレンにせかされているというのもあるが、とにかく生き急いでいる。毎日毎日迷宮に潜ることも稀なのに、そのうえ宝石人形にまで特攻をかけようとしているのだ。

 一時的な共闘は可能でも、常時付き合ってくれる仲間、パーティというのは難しい。となればやはり装備を充実させるしかない。しかし金は心もとない。

 

 職人ドワーフには銅貨でせびったが、流石にそこまでカツカツであるわけではない。

 

 訓練所に暮らす二人は宿代はかからない。せまっ苦しい宿舎のベッドは悲惨だが慣れれば寝れないことはないし何より貸し切りだ。食事は朝だけの鬼のように硬いパンだがついてくる。そして毎日毎日訓練のために迷宮に通うのだ。獲得した金額の半分はグレンに納めているが、それでも金はたまっていった。

 現在ウル達が今後の食事代などを考慮した生活費を抜いた自由にできる金は銀貨3枚。

 

 装備の一つくらいは新調できるとは思われる……が、たった一つ、となるとやはり心もとない。たった一品では選択肢がかなり狭まるし、その買い物が結果、失敗すれば悲惨だ。

 

「……となると、アレだな」

「アレ?」

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 翌日、訓練所内、講義室

 

「防具を新調したいのでお金ください」

「ほらよ」

 

 朝一にグレンに小遣いをせびるウルに、グレンは銀貨5枚を放り投げてよこした。

 

「話が早いな恐ろしく。というかいいのかコレ」

「いいも何もお前らの金だよこれは。迷宮行くたびに徴収してたお前らの金」

 

 銀貨が額に直撃しさするウルに、グレンはつまらなそうに答えを明かした。

 

「そもそもウチは金なんて取らん。国とギルドの協力で成り立っている場所だぜ」

 

 代わりに食事は自己負担。武器も防具も中古品以外は自分で買うしかなく、そしてグレンの訓練(スパルタ)だ。利用者はこってり絞られ、すぐに逃げ出すので、このメリットの恩恵に与る者は少ない。

 

「ではなぜ今までは、お金の徴収を行っていたのです?」

「駆け出しは、“必要なもの”じゃなくて“欲しいもの”を買おうとするからな」

 

 存在を誇示するがごとく大剣、煌びやかな鎧、派手な盾に用途不明の魔法のアクセサリー。それらに実用性があるかどうかはさておき、それらをシロウトが扱いきれるかどうかはかなり怪しいものだ。

 だというのに、シロウトはそういうのを欲しがる。

 

「まー大抵は、商人どもにぼられて、扱いには困って、捨てられるか、そのまんま遺品になるのが殆どだ」

「もしや、此処でたまってる中古品ってのは、そういう事なのでありましょうか?」

「大部分が、とは言わんがな」

 

 故に、此処ではそういう無駄遣いを抑えるために最初は半分、料金として徴収するのだとか。必要最低限の装備を持たせ、そして何が必要なのか、自身で考え始めてからようやく預かっていた金を渡す。

 まさしく大人が子どもに施す“小遣い”だ。

 

「ま、そこに至るまでにやめる奴が殆どだが」

「役に立たん気づかいだな」

「根性なしが悪い。ちゃんと預かった金は投げてよこしてやったよ」

 

 ともあれ。資金は手に入れた。銀貨5枚。現在の所持金を加えて銀貨8枚。つまりウル達が10日間ほど必死に迷宮巡りをして集まる貯金がこの程度という事だ。通常の都市の市民の通常の労働の報酬と比べればたぶん多い。大体これならちゃんとした大人のひと月分の給与だ。

 が、命を賭しての金額と考えれば高いのかそれとも安いのか。

 

 ちなみに、イスラリア大陸の貨幣は大同盟成立時に生み出された硬貨であり、価値は銅貨<銀貨<金貨として上がり30枚ごとが上の貨幣と等価となる。極めて単純に考えれば、今のままでは100年たっても借金返済には遠く及ばないという事になる。

 

 しかもこれはあくまでウルとシズク、2人の報酬だ。つまり8枚ではなく一人頭4銀貨、借金返済はさらに遠のく。

 

「……いかん、やめよう」

 

 絶望的に気が遠くなりそうだったので頭を振るう。

 目の前のことを考えよう。銀貨8枚。これで必要な装備をそろえる必要がある。ウルの鎧、そしてシズクの魔具だ。

 

「“必要なものを買え”。自分のパーティを考えろ。ほら行け」

 

 これも訓練だ。と、グレンは告げ、ウル達を訓練所から蹴りだした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 必要なものを買え。

 

 というまるで幼い子供に親が言うような忠告。ウル達はまだ年齢的には子供だが、流石にもうはじめてのおつかいなんて年でもなく、親にそんな忠告を受けなければならないなんてことはない。

 ない、のだが、しかしこの忠告を守るのはひどく困難だと思い知ることになる。と、いうのも、

 

「……さて、シズク、俺達に必要なものはなんだろう」

「いっぱいいっぱいたくさんたくさんでありますねえ」

 

 必要なものが多すぎる。

 前述のとおりウルには防具が、シズクには魔術を補助する魔道具が必要だ。が、しかし当然、ウル達に必要なのはそれだけじゃない。

 武器が欲しい、防具が欲しい、魔道具、回復薬、上層の中でも危険な毒を保有する大毒蜘蛛への保険の解毒薬、日用品の消耗品衣類などなど、必要なものは山積みだ。勿論優先事項というものはある。何かで代用できる場合も。

 だがそうやって数を排除したうえでも、まだまだウル達には必要なものが山のようにあるのだ。

 

「それでもやはり、二人で戦うのが基本となると防具は欲しいでありますね」

「どちらかが欠けるだけでアウトだものな」

「でも武器も欲しいですねー……私の杖、取っ手がささくれはじめて」

「槍ぶん回してると軋んだ音が何度も。戦ってる最中にばらけやしないか」

「おや、ウル様、あそこで紅火晶をふんだんに使った炎槍(ファイアランス)の実演が」

「金貨数十枚とかアホみたいな金額がとんでるんだが」

「大セール、銀貨20枚相当の蒼銀鎧が今なら銅貨8枚に」

「あれ、メッキが少しはげてるんだが」

 

 職人通りをアテもなくさまようのは目に毒だった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ギルド、というのは平たく言えば、同じ生業をした者同士が、互いの権利と安全を守るための“労働組合”である。冒険者ギルドはその筆頭(ただし冒険者の数の増大に伴い、更にそのうちで“小ギルド”が発生しているが)大小様々な種類の様々な目的思想をもったギルドが存在する。 

 当然、鍛冶師達が集うギルドも存在する。技術を教えあい、互いに切磋琢磨する。目的思想方向性、あるいは人種、様々な形で彼らは分かれ、集い、そして手を組んだ。

 

 そして、ウル達がよく足を運ぶ職人ギルドも存在する。

 

 【黄金鎚(ゴールドハンマー)】という実にシンプルな名のそのギルド。掲げる目標、ギルド理念もそれと同じくらいシンプルだ。掲げているその名前の通り、即ち、迷宮黄金期にその腕で成り上がろうとした野心家鍛冶師の集団だ。

 欲望と死が氾濫する今の迷宮時代と、そのシンプルであけっぴろな理念は合致したのだろう。黄金鎚は急速な勢いで拡大を続けた。下手な矜持を持たず、培われた技術を目的に志願する鍛冶師も増え、今や一大ギルドの一つになっている。当然、グリードの職人通りの一角もまた、彼らは根城にしている。

 

「というわけでいいものくださいな」

「ウチのは全部良いものだよボウズ」

「そういうの良いから」

 

 ウルは此処の常連だ(買う事は滅多にないが)

 

 通う理由は単純だった。グレンに勧められ、酒場からもいい職人が集うと教えられ、更にグレンから何度も足を運び顔を覚えてもらい、さらに武器防具の勉強もしておけと命じられていたからだ。

 既に見知ったドワーフの爺さんに挨拶すると、彼はやれやれと重たい槌を下した。

 

「今回は金持ってきたんだろうな、ボーズ」

「銀貨8枚」

「もーちょい持ってこいってのったく……おーいおめーら!ちょっとこいや!」

 

 顔を覚えられ、交流をするというのは、こういう時に楽だった。ウルやシズクの込み入った事情も知ってか、こうして親切に気を回してくれるのだから。

 

 最も、なにもかも融通を図ってくれるわけではもちろんない。彼らも商売だ。

 

 特に【黄金鎚】は金にはうるさい。自身の商品に支払われた金額が、そのまま自身の価値であり、評価であると彼らは信じている。故に妥協はしない。商人に卸す時も、直接冒険者たちに売りつけるときも、自らが誇る商品を正当な価格でかってもらうまでが、彼らにとっての仕事なのだ。

 

「見よ、この翡翠の刃を!美しかろう!?無論見た目だけじゃない確かな切れ味!そして軽やかさ!風の魔名を宿した【風精剣】!お値段銀貨29枚!」

「いやいや!俺のこの兜を見ろ!地味と思うなかれ!その内側には呪彫士に依頼した守護術式の数々。魔物の牙はおろか呪文や毒!果ては虫刺されまで防ぐ!【救命兜】!お値段銀貨25枚!!」」

「おめえらわかっちゃいねえな!冒険者は足が命よ!ウエストリア大陸にしか生息していない王魔牛の皮を半年がかりでなめし、戦争蜂の針を使って縫って作られた【縦横無尽靴】!!お値段金貨2枚!」

 

「かっこいいなあ、お金があれば」

「素敵でございますねえ、お金があれば」

 

 さりとて此方の予算を計算してもらわねば困るだけなのだが。

 

「銀貨8枚の予算内で買える防具が欲しいのだが」

 

 次の瞬間しけてやがんなとギランギランした兜や剣やらを持ち出した職人たちは唾を吐き捨てた。こちとら客だぞ貴様らと言いたくなる。

 

「君らまだまだひよっこだろ?予算全部使い切っていいなら悪くない装備はあるよ?」

「出来れば彼女の魔道具の予算も残しておきたい」

「鎧はお金の出し惜しみをすると悪いものに当たるぞー」

 

 身体を覆い守る鎧は、当然必要になる材料の量も多くなる。用途や種類によって細かくは異なるものの、基本高くつく。鎧で安物になると商品の性能そのものを疑ってかかった方がいい。

 

「安かろう悪かろうってね。呪われてたり、素材だまくらかしてたり」

「材料足りなくて途中で他の金属混ぜたりな」

 

「悪い人もいるのでございますね」

 

 シズクが怖そうに身震いするように言う、と、途端若い男らが飛び出した。

 

「もちろん貴女にそんなことはしませんしさせませんよ!麗しの君!」

「おうとも!もしもだまくらかそうなんてふてい輩がいたら俺らに相談しな!」

「職人総出でその野郎をタコにしちゃるぞ!」

 

「鎧買うの俺なんだがなあ……」

 

 シズクに向けられているのは親身とはまた違う感じがするが、親切にしてくれるなら何でもよかった。

 

「で、だ、その予算で買うならコイツかな」

 

 と、若き職人の兄さんが取り出したのは乳白色、といった感じの色の上鎧。その造形に奇抜さはなく、実に実直でウルの身体と比べ僅かに大きめだがオーダーメイドでもない限り完全なサイズ一致は見れないだろうしこの程度なら妥協範囲だ。

 

「頑丈なのか」

「素材が。亜銀っつー、迷宮でとれる鉱物でな。見た目銀にそっくりなんだが、地上に持ち帰ると色が褪せちまう代物でな。見目も悪くて鑑賞に向かねえんだが、これが割と頑丈でよ」

 

 故にもっぱら防具の素材として重宝される。尤も、先の説明の通り、色あせた亜銀は乳白色、あるいは煤けた白色のような、あまり見目よろしくない色に変化するため冒険者からすらあまり好まれないことが多い。

 もっぱら「駆け出し御用達のビンボー装備」と揶揄される。この装備に頼らなくなれれば一人前だとうそぶく者もいる。

 

「僕から言わせりゃ、見た目に拘って死んじゃう冒険者のほうがよっぽどだと思うけどね。君はその口?」

「いいや、見た目は全く気にしない」

 

 そもそも人の目を気にするなら、冒険者にすらなりたくはない。とはさすがに口にはしなかった。まあ確かに色合いは世間一般の言う「カッコイイ」とは程遠いが、実用に足るのであれば全く気にしない。

 

「問題は価格だ」

「銀貨7」

「まけろ」

「絶対NO」

 

 即答であった。妥協の余地はないらしい。

 

「もし買うというなら、君の身体に合わせた調整はサービスしたげるよ。悪くないと思うんだけどね」

「んー……シズクの欲しい魔道具はおいくら?」

「銀貨1枚から3枚でありますね。質も枚数の差の通り」

 

 彼女が欲しいのは【魔蓄石】と呼ばれる魔石で作られた魔道具のネックレス。この魔石は通常の魔石のように魔力を吸収する。そしてそれだけではなく、その魔石を砕く必要もなく形を維持したまま、魔力を放出することもできる。要は魔力の保管庫だ。

 

 性能も単純、銀貨1枚で回復魔術1回分、2枚で2回分、3枚で3回分の魔術になる。

 

 彼女の魔術の回数は貴重だ。それはそのままウルの、PT全体の生存力にもつながるし、同時に火力にもなる。だがウルの防具が整えば、回復魔術の必要数そのものを減らすことにもつながる。さて、どうするか。

 

「なんでえ、防具が欲しいのか。ならこっちもいいぞう」

「おいこら商売の邪魔はやめてくれよ」

 

 若い職人の声を無視して、今度はガタイのいい中年の職人が顔を出した。

 

「盾か。これはまた汚いグレー色だことだ。これも亜銀製?」

「性能は確かだぜ。硬い。重い。頑丈。重量に関しちゃ冒険者は気にしねえだろ?」

 

 それはまだらの現在ウルが装着する盾と比べ大きく、しかし身体を覆うには足りない中型楕円型の盾。手で持つのでなく、腕に装着するような形で装備するものであるらしくそのためのベルトと取っ手がある。

 ベルトで絞めると割としっくりと来た。

 

「お前の話聞くに、盾は使わないってこたないだろ」

「ああ、使う使う」

 

 ウルの盾の使用頻度は高い。なにせ俊敏な回避運動は苦手なたちだ。必然体を前のめりにして攻撃をいなすくらいしかできず、そうなると盾は重要になる。小型の盾ではどうしても不安だったが、これくらいのサイズであれば、叩きつけるように前に突き出すにも便利だ。

 

「頑丈な、信頼感のある盾一つでずいぶん楽になると思うぜ?」

 

 それ以来、盾が壊れる可能性がちらつき、結果うまく盾を使えずに被弾率はあがってしまっていたが、盾が頑強になればその心配はなくなるかもしれない。

 

「ちなみにいくら?」

「銀貨5枚」

「まけろ」

「絶対NO」

 

 即答であった。妥協の余地はないらしい。

 

 しかし銀貨5枚なら、銀貨3枚の【蓄魔のネックレス】を買う事ができる。総合的に見れば盾を買った方が得?しかし鎧が初期の目的だ。盾は一部しか守ってはくれず、鎧は全身を守る。その差は大きい。

 

「……そうだ、鎧と盾を買えばいいのでは?」

「ウル様ウル様、しっかり」

 

 シズクにゆさぶられ、ウルは正気に戻る。

 

「むう……難しいな」

 

 お金のやりくり、なんてのは生きてく上で当たり前のことだ。

 ウルの父親、あのろくでなしはそういう事をまるで考えもできなかった男であったために、“やりくり”の思考というのはとっくにウルの生活と思考に根付いている。自分の中で優先順位を決め、そして妥協する部分を選択する。

 

 が、直接的に命がかかった金のやりくりは経験がない。

 

 半端な妥協はそのまま死に直結するがゆえに、選択はどうしても慎重になってしまう。

 

「……ちなみに、シズクはどう思う?」

「鎧一つと銀貨1枚の魔蓄石一つ」

「その心は?」

「前線にウル様が出ているのですから、ウル様の身体が第一です」

 

 シズクはキラキラと微笑みを浮かべた。まぶしかった。

 まあ、考え方としては正しいし、別に間違っていない。そもそも選択肢は少ない。鎧と銀貨1枚分の魔蓄石か、盾と3枚魔蓄石か、程度である。あるいは市場を探せばまだ選択肢はふえるかもだが、信頼度的な意味でも、腕的な意味でも、黄金鎚以上の知り合いはウルにはないし、今から探すのは難しい。

 

 今回は見送る、ないし節約するという考え方もないではないが、装備の新調、投資は早い方が得が多いのは当然のこと。となると必然この二択。ウルとしても決めかねてるなら、彼女の意見を尊重するという考え方もある……が、

 

 パーティを考えろ

 

 グレンの言葉を頭の中で繰り返す。しかし今のウルとシズクのパーティに出来る事なんてたかが知れている。人類の英知たる武具のカバーなんて事は……

 

「んー?」

「んー?」

 

 ウルはシズクを見て首を傾げ、シズクもそれにつられた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 訓練所

 

「んで、結局どうしたんだ?」

「盾と魔蓄石のアクセサリー(銀貨3枚相当)を購入して銀貨8枚消費」

 

 ウルは腕に新たなる頑強な盾を装備し、シズクは首から淡いオレンジの色に輝く石をぶら下げ、ニコニこと笑っている。デザインがお気に入りらしい。

 

「かっこいいでありますね!」

「趣味が男の子だなあ……んで、当初の目的の鎧はどこ行ったんだ?」

「鎧はシズクに任す」

 

 ウルはシズクをちらりと見る。シズクはこくりと頷いて、手を合わせ集中し、魔術を詠唱した。新たなる魔術を。

 

「【風よ唄え、我らと踊れ 風鎧(ウィンドアーマー】」

 

 次の瞬間、ウルの中古の皮の鎧のその上から見えない、“風で出来た鎧”がまとわりついた。

 

「成程。新しい魔術を覚えたと」

「彼女には負担をかけたが、魔術は多様な対応力が力と前グレンが言っていた」

 

 維持は相応に長い風の鎧。必要な時は使い、必要でない場合は温存する、出し入れ自由な鎧。シズクに守りの魔術を覚えられるかと尋ねると、彼女は嬉しそうにハイと頷いて、そして本当に瞬く間にその日のうちに習得してみせたのだから、やはり彼女の才能はすさまじかった。

 

「元々、風の魔術も覚えがあったので、習得はしやすかったのです」

「成程。流石だ……それで、この買い物は正解か?」

「そりゃお前ら次第。ま、限られた資金で足が出ないなら上出来じゃね?」

 

 気のない答えだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人形遣いとの邂逅

 

 

 大罪都市グリード領、強欲都市と名高きこの都市を中心とした一帯の特徴として、大罪都市グリードのみならず多種多様な規模の迷宮が乱立する事にある。

 今回ウル達が足を踏み入れた迷宮もそんな乱立した迷宮の一つ。グリードの結界から外に出て、おおよそ半刻ほど歩いた先にある廃墟。迷宮大乱立時代以前に存在したらしい都市の残骸の中にひっそりと存在する地下へと続く階段。

 

「グリードよりもなんだか規模が小さいでありますね」

「十三級、俺達白亜の冒険者でも行ける最小規模の迷宮“だった”らしいからな」

 

 だった。今現在この迷宮は既に攻略済みである。地下奥にある迷宮の【真核魔石】は破壊され、魔物を生み出すことはない場所。迷宮の支配から取り返した場所。

 それを、買い取った人物がいるという。

 

――立地が微妙に悪くてな。んで、神殿が売りに出して、それをあの女が買い取った

 

 とはグレンの説明だ。迷宮を破壊し、それを買った者がいる。グレンの知り合いである“人形技師(ゴーレム使い)の住処”

 

「迷宮の核がない以上、魔物は存在しないはずだし、緊張することもないだろう」

「そうでありますねえ」

 

 なんならこの都市に来るまでの間の道のり、結界の守りのない人類生存圏外の移動の方がよっぽど危険だったかもしれない。と、ウルはこの時はたかをくくっていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 “元”小級地下迷宮、第一層=最終層

 

「……」

「……」

 

『『『OOOOOOOOOOOOOOO……』』』

 

 グリードのような迷路の細い通路、そこに何故か、すでに崩壊しているはずの迷宮に人形がひしめき合っていた。一見するだけで4-5体の土人形(クレイゴーレム)が迷宮跡地を徘徊している。

 

「……いえ、ウル様。ひょっとしたらこれは此処の主人の所持してる人形では?」

「ああ、なるほど。つまり警備などのために用意された魔物であると」

 

 人形は迷宮で生み出される特殊なもの以外は、人が人のために生み出す魔物だ。魔物を排除したり、田畑を耕したり。魔物であるには変わりないため、都市の中では使えないが、此処は都市ではない。

 住処としてるのが人形技師であるとなるとその可能性は高い。

 

「なら、別に襲われる可能性は『OOOOOOOOO!!!!』あるらしい」

 

 人形がこちらを発見した瞬間、凄まじい雄たけびと共に無造作にこちらに向かって突撃をしてきた。ひょっとしたら歓迎のポーズかもしれないと現実逃避気味に思ったが、右こぶしを振り上げているのでたぶんそれはないだろう。

 

「ウル様!」

 

 シズクの呼びかけと共に、ウルは大槍を取り出した。攻略済みの迷宮といえど、外部の魔物が流れてくる可能性は十分あると戦闘準備を欠かさなかったのが功を奏したらしい。

 

 人形は3体、内1体が突出して前に出ている。大きさは巨大だが2メートル程度。リーチは槍を持つウルにある。

 

「ふっ!」

『OOOO!!!』

 

 足を踏み込み、息を吐き出す。そして槍をしならせ横に薙ぐ。土くれのこぶしよりも先に達した大槍が、人形の足を引き裂いた。脆い。という感想が出るのは宝石人形を相手にしたからか。人形の中では小柄なこの人形の群れは、その体を構成する土もそれほど密ではないらしい。

 

「【氷よ唄え、穿て】」

 

 氷刺(アイスニードル)が人形の足を貫く。火球よりも物理的なダメージが幾分こちらの方がよく攻撃が通った。通った、という事にシズクもまたわずかに驚きの顔を見せる。土人形とはこんなにも脆いのか、と思ったがそもそも宝石人形が硬すぎるのだ。

 

 土人形はサイズも様々だが、人型サイズは魔物の階位の中でも最下位の13位だ。ウル達のような初心者の冒険者でも対処は可能。なにせ単調だ。此方を攻撃するときはまっすぐ突っ込んでそのまま拳を振り下ろす。それだけを繰り返す。

 魔物のような生き物でもない。人の形をして、人の姿をまねるようにできているために、戦い方も原始的な人の戦いをまねる。故に、ひどく読みやすくよけやすい。

 

 ともあれ、現状、ウル達にはそれほど脅威にはならなかった。宝石人形との練習にもならないな、とウルが判断する程度には、対処可能だった。

 

『OOOO……』

 

 人形は砕け、うごめいている。人形の急所は二か所。頭と心臓。

 

 頭の中に刻まれた魔術刻印、すなわち命令系統を破壊すれば役割を忘れ暴走する。

 心臓部の魔道核を破壊すれば機能を停止する。

 

 人形の中で最も質量が少ない、つまり脆い手足を破壊し動きを止めた。それ故に人形らは頭の術式も破壊されてはおらず、また、魔道核も運よく破壊されずに残っているらしい。徐々にではあるが人形たちはうごめき、そして再生を始めている。

 

「倒しますか?」

「此処の主のものかもしれないし、やめておこう」

 

 ひょっとしたら単なる警備のための人形かもしれない。勝手に家に押し入りそれを破壊したとなれば、悪いのはこちらだ。これから交渉する相手に悪印象を持たれたくない。

 

「シズク、人形が復活する前にその辺を――」

 

 故早々に此処を住処とする変人、もとい目的の人物を探すために、早々と捜索を開始しようとした矢先、動く気配を感じた。迷宮に潜りつづけた賜物か、何かの動き、気配には敏感になっていた。その違和感のままに視線を向けると、

 

「人形……?」

「……あれは」

 

 人形が3体並んでいた。先ほどと同じ小型。人と同じ規模のサイズ。それ故に一瞬ウルは肩の力をわずかに抜こうとして、そして彼らが持つ奇妙な物体に疑問が浮かんだ。

 筒状、太く長い。人形が両手で抱えるように持ったそれは、なんだか火薬を込め放つ火砲に似ていた。が、それにしては小さい。

 その筒がなにやら光を放ち始めた。バチバチと言っている。振動もしている。動きが激しいのかそれを持つ人形の手があちこち崩れている。

 

 あ、これはやばい。とウルとシズクは同時に気づいた。

 

「伏せるぞ!」

「伏せてっ」

 

 同時に叫んで、そして同時に即座に体を伏せた。

 続けて爆裂音、近くに雷が落ちたかのような凄まじい音が連続して起こる。耳を塞ぎたかったが武器を手放すわけにはいかず歯を食いしばる。

 

「―――ー!?―――!!」

「――――っ!!」

 

 なにが起きている?!と叫んだが、轟音にかき消される。隣でシズクも何かを叫んでいるようだがまるで聞こえない。ウルは声を上げることをあきらめ、前衛としてシズクに覆いかぶさり盾を構え閃光から身を隠した。

 轟音と破壊は十数秒間、強くなったり弱くなったりしながら断続的に続き、そしてそれ以降急速にしぼんでいった。ウル達が顔を上げると、目の前の光景は一変していた。

 

『OOO……』

 

 小筒を抱えた土人形が、ボロボロになっていた。あの光を放った小筒の影響、縦横無尽にあたりにばらまかれたあの光の渦は、それをもって発射した当人すらも焼きこがし破壊までしたのだ。

 無論その周囲もただではすまず、あの破壊の光が乱舞したのか、彼方此方の壁が崩れているのが見て取れる。この迷宮は死んでいるから回復もしないだろう。落雷でも起きたような焦げ跡が至る所に見受けられた。

 

「ウル様、お怪我は?」

「……へーきだ。そちらも無事か」

 

 盾として掲げた白亜の盾には小さな無数の焦げ跡があったが、ウル達自身は無事だった。購入したばかりの盾だったが、その役目はキチンと果たしたらしい。その色はやはりどこか小汚い印象を受けるが、今は誇らしくも見えた。

 

「しかし何だったんだアレは……何を考えて此処の主はあんなもんを」

「――ウル様」

「どうした」

 

 自分を呼びかけるシズクの声が、どこか緊張をはらんでいた。

 なんだ、と再び槍と盾を構えるウルに、シズクがすっと視線を前に送る。先ほど見た、ボロボロになって崩れていく人形たちだ。見てる間もなく、ひとり、またひとりと形が崩れ崩壊する。どうやら心臓である魔道核をもあの光の渦で破損したらしい。

、だが、3体のうち、1体だけ、地面に崩れ落ちずに立ち続けていた。足も破壊されているせいでバランス悪くグラグラと揺れながら――ー

 

「壊れどころが悪い、いや良かったの―――」

 

 ウルはもう一度改めて人形を見る。何の変哲もない人形。先ほどの小筒の攻撃によってからのあちこちを欠損し焼き焦げた人形、右手や足首、そして

 

「……頭」

 

 ぐらぐらふらふらと、それでも立ち尽くす人形には、頭がなかった。砕け散った残骸が肩の上にのるだけで、跡形もない。人形の弱点の一つ。自身の役割が刻まれた術式の存在する頭が、消えてなくなっていた。つまり、

 

「暴――」

 

 それを理解した時には、事は始まった。

 

『O、O……GI,GIGIGギギギギいいギギギギギギアッガアアガッガガガガガ!!!!』

 

 喪われた頭の代わり、肩の部分がぱっかりと割れ、そこから奇妙な音が、うめき声が響き渡る。もはや生物のそれとは思えない軋んだ音の連続。崩れ落ちるように前のめりになった人形が、その両手を地面につき、次の瞬間、でたらめに手足を動かし、獣のように此方へと突撃した。

 

「なん……!」

「【風よ唄え、我ら―――

 

 あまりに性急な動きに意表を突かれたウルと違い、シズクは素早く呪文を詠唱していた。判断はウルよりもずっと早い。が、

 

『GIィ――』

 

 肩から割れた口、瞳もない大きな口の、最早ヒトを模したものとはとても言い難いバケモノとなったソレは真っ直ぐにこちらに突っ込んでくる。一直線に、シズクの魔術が間に合わないほどに速く。

 

「っ…!」

 

 ―――詠唱中、魔術師は無防備だ。故に、前衛が体を張って死ね。

 

 という、グレンに叩き込まれた教えが、ウルの硬直していた身体を強引に前に進ませた。飛び込んでくる人形を迎撃するなんて器用な真似はウルにはできない。故に、僅かに軌道を修正し、まさにシズクへと突撃しようとした人形との間に、ただ割って入り、

 

「があっ!?」

『GIGIGッガガ?!』

 

 正面から、衝突した。頭から花火が散った。盾を構えなければ吹っ飛ばされていただろう。

 

「【――と踊れ】!!】ウル様!」

「へ、-きだ」

 

 チカチカと瞬く星を振り払いながら、ウルは人形をにらむ。遅れてきた風の鎧を身にまとい、改めて暴走した人形に退治する。向こうとて、決して軽い衝撃ではなかったはず、なのだが、

 

『GIGGI、ギャ、ギャハ、GYAHAHAHAHAHAHAHAHAA!!!!!!!』

 

 地面に転がり、もとよりボロボロの身体を更に崩しながら、人形は笑っていた。

 その笑いは歪で、破綻したナニカを感じた。壊れている。そう、壊れているのだ。この人形は。暴走、という言葉をウルは軽んじていた。要は壊れた魔道機のように本来の稼働から外れ、異音を立って暴走し、ただただ自壊していくものだと。

 

 しかしそうではない。暴走とは、魔道生物としての理そのものからの逸脱であり、暴走なのだと、ウルは理解した。

 

『ギヒッヒヒヒ、GYAYAGAGAGGAGGAGAAGAGAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 理から外れた、人形だった“ナニカ”は、ぐねぐねと身体を揺らしながら、再び突っ込んでくる。ウルは風鎧の備わった右手を突っ込む。

 

『GIIIIIIII!!!

 

 いつの間にか人形の口には獣のような牙が伸びていた。土塊の牙は鋭く、しかし籠手と風の魔術で守られた腕は砕けない。

 

「砕け――」

 

 腕にかみついた人形をそのまま地面にたたき伏せようとした、が、次の瞬間には姿がない。気づけば右から衝撃が来る。体当たり、しかし目で追い切れていない。

 

「上!」

『GYAHA!!ギャハハハHAHAHAHAHAHAA!!!』

 

 爬虫類のごとく、天井に張り付いた人形が笑う、嗤ってる。身体のあちこちを自らの出鱈目な動きで自ら砕きながら、大きな口でわらっている。その狂気に気圧されそうになりながらも、歯を食いしばる。

 ただの人形ですら手こずっていては、目的など達成できるはずがないのだ。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「突―――」

 

 天井からとびかかる瞬間、ウルは右足で思い切り地面をけりつけ、そして一気に天井にへばりつく人形へと身体ごと突貫した。魔力により強化された肉体による全力の突撃(チャージ)は、引き絞られ放たれた矢のごとく、その一撃を叩き込む。

 

「――貫!!」

 

 砕け散る音が響いた。

 

『GA………a』

 

 天井ごと縫い貫かれた人形は、断末魔の悲鳴のように、最後の音を放ったのちに、その瞳の虚ろな光を消失させた。ウルは天井に突き刺さった槍を掴みぶら下がり、その重量で槍を引き抜くとそのまま地面に着地した。

 

「……ふう」

「ウル様、お怪我はありませんか?」

「いやあ、おつかれさーん」

 

 ウルを心配するシズクの声、そして“もう一人”、至極当然のようにそこにもう一人の女が立っていた。ウルは思わず目を見開くが、彼女は特に気にしたそぶりもなく、そのままふらふらと、先ほどウルが粉砕した人形の残骸をつついていた。

 

「やーっぱ竜砲の収束が足りないかー。これじゃ役にも立ちやしない。もうちょい魔道核の魔力解放を抑えないとダメかなー……?」

 

 異様な風体、というかどう考えても寝間着のような姿で素足のまま、ぺたぺたと迷宮の中をふらつく彼女は、人形と、彼らが持っていた筒を検分しながらブツブツと独り言をつぶやき続ける。

 奇異だったが、しかしウル達にそれを咎める資格はない。此処の主は彼女なのだから。

 

「……ウル様、ひょっとして彼女が?」

「……多分な」

 

 人形技師、変人、迷宮を住まいとする女。

 

 これに該当する人間が二人もいるとは到底思えない、という事は、彼女がそうなのだろう。グレンの紹介した人物、都市の外、攻略済みの迷宮の中に住まう変人。

 元銀級、人形師マギカ・グレイズ

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人形遣いとの邂逅②

 

「グレンが誰か紹介するなんて、珍しいこともあるものねー」

 

 ぼんやりとしたその声の主、マギカという名の人形師の“家”にウル達は招待されていた。先ほどまでいた地下一階から更に一つ降りた地下二階。地下一階と同じ閑散とした複雑さもない迷宮の、その一室が彼女の家だった。

 

 迷宮の中、と、理解していても、一瞬ここがどこだか分からなくなるくらいに、そこは家として機能していた。魔道灯によって照らされる光は、大罪迷宮グリードのような青緑の薄気味の悪いものではなく、暖かな淡い橙色。この迷宮独特の白の殺風景な石畳の上にはカーペットが敷かれている。本棚にテーブル、更には台所と思しき場所まである。

 

「……家だな。本当に家だ。しかも小洒落てる」

「引きこもりだからねー私、住む場所は大事-」

 

 のんびりとしたマギカの言葉通り、細かなインテリアから配色に至るまで、こだわりが見られた。これだけのものを、わざわざ迷宮に用意するのだから、やはりグレンの言うように変人なんだろう、彼女は。しかし……

 

「……良いな」

「ウル様は、こういう家がお好きですか?」

 

 ぽつりとつぶやくウルに、シズクが反応する。ウルは頷いた。

 

「家というのはあこがれる。クソ親父のせいでまともに落ち着けた試しがない」

 

 昔から、ガタついた馬車と老いた馬にのせられて、東へ西へとクソ親父の勝手で振り回され続けた。その街で友達を作ってもすぐに別れてしまう。暖かい寝床はなく、ささくれ傾いた馬車の中で一夜を明かすは数えきれないほど。だからウルには家というのはあこがれの象徴だ。

 

「あははー。落ち着く場所が欲しいなんて、ボウケンシャとは真逆じゃーないか。なんでボウケンシャなんてやってんの?キミ」

「へこむ」

 

 何もかもあのクソ親父のせいである。生き返らせて絶対殺そう。と、ウルは気持ちを新たにした。そう思ってるうちに机に散らばってた何か、ウル達にはわからない工具をマギカは机から片していた。

 

「さ、どーぞ座って。グレンの紹介ならお茶くらいだすよー。実験手伝ってくれたしね」

「普通に殺されかけたが」

「実験には犠牲がつきものだよー」

 

 言いたいことはあったが、彼女の機嫌を損ねても仕方がないので黙っておく。ことんと温かなお茶の淹れられたカップが出されたので礼を言おうと顔を向けると、カップを出したのは人形だった。

 

「襲い掛かってはこないだろうか」

「だうじょーぶよたぶんねー」

「この人形は、マギカ様が作られたのですね」

「そだよ。都市の外は人形の制限がなくていいわー」

 

 基本的に、人形は魔物を生み出す所業に他ならない。制限こそ加えて行動をあやつれるが、一歩間違えれば、先ほどの暴走だ。都市内での規制は当然といえる。彼女がこんな都市の外の迷宮に居を構える理由はそこらしい。

 

「んで、なんのよーお?話はきーたげるけど」

 

 と、問われ、改めてマギカを見る。見た目はグレンよりも若い。大体30代くらいの女性、のほほんと眠そうに目を細めている、化粧っ気はないというかそもそも身だしなみを気にしていない。姿も完全に寝間着のそれだ。

 女性らしさのない人だ、と思いつつも、しかし寝間着越しの女性的なまるみは中々のものだった。シズクに匹敵するかもしれない。

 

「ウル様?」

「すみませんでした」

 

 不思議そうにするシズクに、ウルは謝って、すぐに本題に入った。

 

「貴女が有名な人形技師であると聞いている。どうかその知恵を貸していただきたい」

 

 ウルは丁寧に頭を下げた。

 グレン曰く、大連盟一でも指折りの人形技師。現在の人形学、特に自動人形(オートマタ)の研究に関しては彼女の頭脳はずば抜けている。が、偏屈。人嫌い、というか人づきあいを面倒くさがる。

 そのせいか彼女の名はあまり知れ渡ってはいない。

 

 その彼女のことをなぜグレンが知っているのか、というのは置いておく。兎も角彼女が有能な人形技師で、その知恵を借りられるなら 借りたいと思っている。宝石人形打倒のために。

 

「実は俺たちは新入りの冒険者で今グリードには――」

「宝石人形でしょー?しってる。あーなるほっどねー。グレンもひとがわるいなー」

 

 事の経緯を説明しようとしたその初めで、マギカはウルの話を遮った。そして納得したような顔になった後、ウルを憐れむようにして一言告げる。

 

「もーしわけないけど、宝石人形の簡単な攻略法、ないよー?」

 

 そして的確に、ウルの聞きたかった答えと真逆の回答を行った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 マギカ・マギステル

 銀級、即ち一流の冒険者として 彼女は相応の知名度を誇る。が、彼女の場合、それよりも別の形で世間では名をはせている。人形の核となる心臓部分、すなわち魔道核に関して、彼女は世界でも指折りの賢者だった。

 

 【魔道核】

 

 魔物からとれる生命の塊ともいえる魔石、魔物が死んだとたん、単なる魔力の塊と化すそれを、人工的に真似る事で活用できるようにした模造品。それまでは耐久性に酷く問題のあった魔道核に数十、数百年という寿命を与えた若き天才。

 魔道学、特に魔道機械学において、彼女の名を知らぬ者はいないほど、彼女の成果は偉業だった。

 

 【土塊の賢者】の異名を冒険者としてではなく授かるほど、偉大な功績を遺した彼女だが、しかし、その成果には一つ、“落とし穴”があった。

 

「私が魔道核を改良したら、その改良した魔道核を迷宮の人形が真似たんだよねー」

 

 魔物の核、魔石をまねた魔道核、それを真似る人形

 

 なんとも奇妙な話ではあるが、しかし事実だった。それまで迷宮の人形というのは長くても3日も経てば自壊する生物だった。彼女が耐久性の高い魔道核を完成させ、そして各都市に広く普及させた時期を境に、人形に耐久力という欠点がなくなった。

 

 彼女が魔道核の研究を進め、人形の改良を行うほど、迷宮の人形も欠点を克服していくのだ。その因果関係はすぐに知れ渡ったが、しかし研究は止める事は出来なかった。魔道核の研究の成果は人々の生活を豊かにしたのだ。

 莫大なメリット故に、必要なリスクとして見過ごされたのだ。

 

「兵器としての人形の開発は全ての都市で禁止されたけどねー。完全に禁忌扱い。多分知識が一定範囲で人類間に広がるのがトリガーだと思うんだけどねー」

「つまり、簡単な攻略法がないというのは」

「私が、簡単な攻略法を片っ端からつぶしちゃった、ってことー」

 

 ウルは頭を抱えた。言ってしまえば彼女はウル達を苦しめる諸悪の根源である。

 彼女が弱点をつぶしたからこそ、宝石人形は賞金首にまでなった、ともいえるのだから、彼女のおかげ、と言えなくもないが。

 

「魔道核そのものと、頭部の命令術式。この二つは手を加える前だったから残された唯一のセーフティ。なんで、今も改良は加えられず残されてるけどね」

「頭部が他の場所と比べて脆いと聞いていますが、命令術式の破壊による暴走がセーフティ?」

「うん。魔道核が破壊できないようなときに行う緊急対策だねー。下手に手を加えて野良の人形がパワーアップされるよりはマシかなーって判断、それに自分で使う分にはほらー」

 

 そう言って、テーブルに置かれていた空のカゴをかぽっと、背後で家事を行う人形にかぶせる。

 

「こんな風に兜かぶせちゃえばいいしねー」

 

 外付けの小細工程度なら迷宮に真似られることはない、とマギカは笑う。成程、確かに鎧兜を装備した迷宮の人形、なんてものは聞いたことがない。

 

「ちょっと話それたけど、結論として、私は魔道核、そして術式以外の弱点、攻略法は知らないし、たぶんないと思うのー」

「もしあったら、貴女が改善しているから、か」

「いえーす」

 

 うそをついているとも思えない。そもそも考えてもみれば、人形の楽な攻略法なんてものがあれば、もっと出回っているはずだ。秘密にする理由はない。現在賞金首になり、競争の景品のように扱われようと、迷宮から産まれた人形が、人類にとっての敵であるのには変わりないのだから。

 ウルが続ける言葉を見つけられず沈黙する。マギカはどこ吹く風だ。このまま会話が途切れようとしていたとき、口を開いたのはシズクだった。

 

「マギカ様、グリードに出現した宝石人形に関しての情報は詳しくご存知ですか?」

「ご存じだよー。人形についての情報は何でも粗方調べるようにしてるからー」

「では、宝石人形の目的、“命令術式の内容”は推察は出来ますでしょうか?」

「んー、できるよ?」

「……なんだって?」

 

 何でもないようなその返答に、ウルは一瞬自分の耳を疑った。術式の内容、人形の目的が理解できると彼女は言った。それはすなわち、『目的を達成ないし破壊する事による無力化』が可能であるという事だ。

 窮地にあるウルらにとって、それはまさしく天から降りる蜘蛛の糸だった。

 

「是非教えていただきたい」

「見返りはー?」

 

 のんきな顔、呑気な声、ただし言葉だけはやけに鋭く刺さった。

 

「タダじゃーいやだなー。べつにー生活にこまっちゃいないけどー」

 

 のんびりとした物言いに相反して、此方を値踏みするような視線が刺さってくる。対価の要求、それを言われることは分かっていた。問題はここからだ。

 

「金か」

「白亜の冒険者みまんのおさいふに、期待はしてないよー?」

「じゃあ何を?」

「そもそもー君たちは何ができるのー?君らのこと私しらないー」

「なにが……」

 

 逆にそう問われると、ウルは困った。

 何が出来るかといわれれば、正直何も出来る気がしない。金もない、実力も無い、何もないのが今のウル達だ。それはウル達が今一番よく分かっている。提供できるモノがあまりにも少ない。

 が、ここで「何も出来ません」と答えるのは間抜けが過ぎる。

 

「そちらの望む事を可能な限り実現するつもりだ」

「んふふーまっじめー、でも答えになってなーい」

 

 ニタニタと彼女は笑う。ウルの必死に言葉を絞りだそうとするのを明らかに面白がっていた。ろくでなし、というグレンの評が全くもって正しかったとウルは理解した。

 

「お金はいくらあってもこまらなーい。貴方たちよりもーっとお金ありそうなヒトタチに話した方が得かもねー」

 

 安易な揺さぶりだったが、何の後ろ盾も存在しないウルにはその言葉は容赦なく効いた。どうやって彼女に気を向けさせられるのか必死に考えるが、言葉として形になることは無かった。

 

「ですが、そちらもあまり、冒険者とのコネクションはないのではないでしょうか?」

 

 そこに割って入ったのはシズクだった。

 彼女はいつものようにニコニコとした笑みを崩さぬまま、マギカを見る。マギカも興味深げにウルからシズクへと視線を移した。

 

「へーなんでそうおもうのー?」

「討伐祭の開催はまだですが、そもそも宝石人形が賞金首にかけられてからそれなりの日数が経過しています。そして貴女には宝石人形を倒す秘策とも言える情報がある。しかし誰にも売りつけず、討伐祭開催まで時間経過してしまった」

「討伐祭を開催させて、賞金をつり上げるのが目的なだけかもよー?賞金が上がれば、当然情報の価値もつり上げられるでしょー?」

「その間に倒されてしまえば、その情報は塵芥になります。そのリスクをのんでまで、起こるかもわからない討伐祭のために温存していたのですか?」

 

 シズクはいつもどおりの温和な表情で、しかしその言葉は鋭かった。ウルは断固たる決意を見せた酒場での彼女ともまた違う、その姿に驚いていた。

 

「情報を温存していたというより、持て余して腐らせようとしていたのでは?」

 

 シズクの指摘に、マギカは一瞬黙って、その後クスクスと笑い出した。

 

「ンフフ、変な子ー。貴女も冒険者らしくなーい」

「そうでしょうか?」

「そーよ。綺麗な顔して、頭も回るなら、冒険者なんてやらなくていいのにー」

 

 そう言ってケタケタ笑いながら、ぼすんと椅子によりかかる。そしてテーブルにのせられていた魔道機械、恐らくは人形にも使われる魔道核をいじり始めた。

 先ほどのように此方をからかうような、侮るような視線は無くなった。おそらくそれがデフォなのだろう。彼女の視線はのっぺりとした蛇のような印象を与える冷たいモノに変わった。

 

「貴女のいうとーり、アタシはこの情報をもてあましてる。たまたまぐーぜん、宝石人形がなんでか上層にあがってきたってきーたから、調べてみたらわかったってだけー。売りつける相手も居ないの」

 

 白亜級のよわっちい冒険者の知り合いなんてそんなにいないしねーと彼女は笑う。

 

「でも積極的に捌こーとも思わなかった。めんどーだし。ここ知られたくなかったし」

「こんな所にわざわざ暮らすのは。積極的にヒトと関わらないためですか?」

「ヒト嫌いなわけじゃないんだけどねー?どっちかってーと嫌われるほー」

 

 だろうなあ……とウルは口に出さずに思った。

 

「んで、だからー別に貴方たちに売る事自体はしょーじき、別にいーの。他に売る相手なんていないしねー」

「なら」

「でも、安売りは、したく、ないなー。なんかイヤ」

 

 カチャカチャと魔道核をいじりながらそう言う彼女は、玩具をもってふてくされている子供のようでもあった。随分と大きくて、邪悪な子供だとウルは思った。

 

「俺達の出せるモノなんてたかがしれてるぞ」

「つまんなかったら、売らなーい」

「貴方には一銭の得にもならないが」

「別に良いよー」

 

 その彼女の言葉にウルは理解した。コレは金持ちの道楽だ。

 

 別に彼女は金に困っていない。何かそれほど不自由をしているわけでもない。ウル達が差し出せるモノにそれほどの興味も持っていない。ただ戯れに、何か面白いことをするかすまいかと眺めている。結果、期待はずれだったとしてもどうでも良いと思っている。多少の損を痛手とも思っていない。

 コレはこういう状況だった。そして、それ故に厄介である。相手は利益度外視で動いている。基準は自分の快不快のみ。その基準は彼女の頭の中にだけある。

 ウルは何度かこんな経験があるから理解している。この手合いは、マトモにやり合うだけ意味が無い。相手の頭の中なんてわからないのだ。全ては相手の気分次第である。

 

 この類いのヒト相手で最も有効なのは相手にしないことである。

 真面目に相手したところで、からかわれるだけからかわれて終わる事はままある。たっぷりと、自分の優位性をひけらかされるだけひけらかされて。

 

 が、無視できない場合、どうしても相手を振り向かせなければならない場合、重要なのはこれを取引に戻すことである。まともな利益の相互交換が行われなければ意味はない。

 

 これを道楽でなく、まともな交渉にしたいなら、手の平から零れなければならない。

 だがさて、どうやって?

 

「そういえば、此処に来るまでに、人形がなにか、筒のようなモノをつかっていましたが、アレはマギカ様が生み出した魔導機かなにかですか?」

「あれー?知らない-?あれ、【竜牙槍】だよー。ちょっとマイナーだけど、冒険者用の武器だよあれ。アレはその実験、新型魔道核にあった竜牙槍の設計、スポンサーがやってってさー」

「実験、ということは今マギカ様はその仕事を?」

「んー?ふふ、わたしの仕事てつだってくれるのー?」

 

 そりゃむりでしょ?と言うように彼女は笑う。馬鹿にするように、というよりはものを知らない子供に言い聞かせるようだった。自身の仕事にウル達が立ち入る余地がないという確信もあった。

 

「竜牙槍の開発は後は試行錯誤するだけのじょうたーい。てつだってくれてもいーけど、大体早くても一ヶ月はかかるよー?」

 

 一月。まあ確かにそれでは意味が無いだろう。一ヶ月も経過すれば討伐祭は終わっている。それまでの間手伝ったところで倒すべき宝石人形がいなくなるなら何の意味も無い。

 だが、シズクが聞き出したこの話題自体は重要だった。彼女の現在の仕事の話。彼女の生活を支える話だ。此処に彼女の遊びの余地はない。彼女が自分の人生すら適当するようなヒトならば兎も角、実験そのものは真摯に思えた。

 

「……試行錯誤ってのはどんなことをするんだ」

「んー?形考えて、試して、計測して、結果見て、また考えて、試す。すごーくザックリいうとこの繰り返し」

 

 場所が場所だし、時間がかかるんだよねーと、彼女は面倒くさそうに言った。ウルはその言葉を聞いてしばし考え、そして言葉を続けた。

 

「時間がかかる、あの“大砲”を安定させるための形状を考えるのが?」

「考えるのはいーの、問題はその形を鍛冶ギルドに頼んで、つくってもらって、それを試すっていうのにどーしても時間がねー」

「――――手伝えるぞ」

 

 ウルの言葉に、マギカは「はい?」と首を傾げた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《……このねーたん、へん》

「アカネ、怖がらなくてもいいから」

「アカネ様?大丈夫でございますよ」

 

「……ウィヒ、ウェヒヒヒヘッヘヘッヘヘヘヘヘヘヘヘー」

 

「アカネ、訂正だ、逃げろ」

「マギカ様、正気に戻ってください」

 

 グリードに戻り、ディズに事情を説明して3回くらい頭を下げて連れてきた彼女。変幻自在の金属であり、望むまま、望む形に変身できるアカネを前に、マギカは変なテンションになった。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吉凶の情報

 

 既に攻略され、打ち捨てられた小型の迷宮の中心、高名なる人形術士マギカの住処にて、轟音が鳴り響いていた。

 

「あはははーすごーい精霊憑きすごーい!らくー!!」

《このひとうるさーいめんどーい》

 

 それも連続で、マギカの笑い声をかき消すように。

 彼女は今【竜牙槍】(彼女が人形達に持たせていた武器)の試射を行なっていた。勿論ただの試射ではない。アカネ、精霊憑きの彼女の力を利用した試射だった。

 竜牙砲は魔道核を利用した強力な破壊魔術を射出する“大砲”だ。槍のような外装は、射出時二つに開き、射出するエネルギーの軌道を制御するレールとなる。

 

 アカネの役割はそのレールである。マギカの要望に合わせた形に正確無比に寸分違わず変貌し、そして

 

「はっしゃー!」

 

 撃つ。竜牙砲から解き放たれる眩い白の閃光は迷宮の壁に着弾し、迷宮全体を震わせる。それは右に逸れたり複数に分裂したりと様々な形になりながらも兎に角迷宮の壁を削っていた。

 正直傍から見ていたウルはこの迷宮がいつ崩れるかとヒヤヒヤしていた。

 

「アカネー大丈夫かー怪我してないかー」

『あつーい、うるさーい、にーたんかわってー』

「そりゃ無理だ―頑張れアカネー」

 

 どーんどーんどーんどーんと、轟音響く中、ウルにはエールを送る事しかできなかった。

 

「段々、エネルギーがまとまっていきますねえ」

 

 シズクは轟音の中指摘した通り、アカネから放たれるエネルギーは徐々に収束していた。あれほどバラついていた光は一本の太い線となり、同時に迷宮内に響く轟音は徐々に強くなっていく。そしてついに

 

「はっしゃー!」

 

 アカネから放たれた最後の一撃は、一際に大きく迷宮を揺るがした。音に慣れていたウルとシズクも思わず耳を塞ぐ程の一撃であり、土台となっていた人形は撃ち切ると同時にその体を崩壊させた。それを確認したマギカはニッコリと笑った。

 

「この形状かー!!うわーい!アカネちゃんあんがとー!!」

 

 興奮気味にマギカはまくしたて、そのままダッシュで家に飛び込んでいった。残されたのはウルとシズク、そして疲れたようにフラフラと竜牙砲からでてきたアカネはしばし沈黙の後に、

 

「……とりあえず満足してもらったという事でいいのだろうか?」

《つーかーれーたー、ジュースー》

「あとで私と一緒にレモネードを買いに行きましょうねー」

 

 アカネをシズクが宥めながら、マギカの満足げな様子にウルは小さくほっと安堵の息をついた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 マギカの後に続いて家に戻ったウル達は、マギカが奥の部屋で何やら作業をしているのを待ちつづける事数時間、時折外に出てきたマギカにアカネが掻っ攫われて外で何度かの轟音が響くこと数回を繰り返したのちに、ようやく会話に戻ることが出来た。

 

「いやーアカネちゃんのおかげでかなり時間浮いたよー助かったー」

 

 マギカはウル達に最初に接した時のけだるげで適当な感じとは違う、何やら艶々とした顔で満足げな笑みを浮かべていた。

 

「それはなにより……そんなにも役だったのか」

「頭の中をそのまま出力できるってすんごいよー?そりゃ“コレ”書かかされるよねー」

 

 彼女の机の前には大量の紙。それは内容を破れば重大なペナルティが科せられる【血の契約書】。ディズがアカネを貸し出すと話した際、彼女が出した条件がコレだ。

 

 ――人形遣いのマギカね、彼女レベルの優秀なヒトに精霊憑きを明かして貸し出すなら保険は必要だよ?

 

 ということでディズが用意したのが此方となる。ちなみにこの契約書一式だけで金貨数枚が消し飛んだという話はウルは聞かなかったことにした。 

 

「精霊憑きはすごいのねー……私がおもったよりずーっとなんでもありだったわー」

「満足頂いて何より……それでだな」

「いーよ。黄金不死鳥には報酬払っておくけど。貴方たちには情報だけでいいの?」

「アカネの労働の報酬は俺のものではない」

 

 

 あくまでアカネはディズの所有物であり、彼女の報酬はディズのものである。ただし、その彼女へとディズをつなげたのはウル達の成果であるから、その分のおまけということになる。

 

「ちなみに、彼女との取引でかるーく宝石人形の賞金超える額がとんだけどーききたい?」

「結構っす」

 

 実に楽しそうなマギカの提案を、ウルは丁重にお断りした。

 

「ふっふ-、どうして精霊憑きなんていうデタラメなジョーカーが身内にいたのに、貴方が窮地に追い込まれているか不思議だわー。お金がうまれる源泉よ-その子」

《わたし、じょーかー?》

「ジョーカーが過ぎて、貧乏人には扱えなかったんだよ」

 

 マギカとの取引の際、ディズが安全のために費やした費用はとてつもない。ウルやウルの父親にはそんな金を費やすことは出来なかった。だからウルはアカネを他のヒトの眼から隠す事しかできなかったし、下手に利用しようとした馬鹿親父は、端金を掴んだだけで死んだ。

 金は、金のある方に流れていく。

 と、何処かの誰かがしたり顔で語っていたが、それはどうやら事実だったらしい。 

 

「まーんなことはいいんだ。報酬、俺達にも払ってもらうぞ」

 

 後悔よりも目の前の問題だ。ディズに何度も頭を下げてなんとかアカネを連れ出せたのだ。貰えるモノは貰わねばならない。

 

「いーよ。と言っても割と単純なんだけどねー。ハイこれ」

 

 と彼女が差し出してきたのは水晶だった。手のひらより少し大きいくらいの白の水晶であり、そこに映し出されているのは迷宮の、そして宝石人形の姿だ。景観を映し、固定する白水晶だった。それ自体はウルも分かる、が、

 

「……で、この宝石人形が何か?」

 

 見る限り、宝石人形が映し出されている、だけだ。これがなにを意味しているのかピンと来ない。

 

「あー違う違う、宝石人形じゃないよー見るのはー」

 

 そう言って彼女は水晶に移る“絵”の下部を指さす。水晶の絵からはみ出すほど大きな宝石人形の足元。そこには当然、人形の巨大な足があるだけだ。他には何も―――

 

「……ん?なんだこれ?」

「あら、何か小さな……ネズミ?」

 

 そう、よくよく見るとその巨大な足の、その近くに小さなネズミの姿が映っていた。生き物と言えば魔物か冒険者な迷宮の中で、大鼠でもない単なるネズミなんてものは珍しいが、しかしいないわけではない。そんな珍しくもないネズミの姿が映された水晶を前に、ウルとシズクは、そしてついでにアカネは、頭を捻った。

 

「……それで、これがなんなのだろうか?」

「だから、“それだよー”」

 

 繰り返される、マギカの言葉。ウルはその言葉の意味をしばし理解できず、もう一度水晶をのぞき込み、そしてしばしの黙考の末、ふと、気づいた。

 

 “宝石人形が、ネズミをかばうようにして立っていることに”

 

「……おいまさか、そういう事か?」

「そう言ってるじゃん最初から、この“ネズミ”がこの宝石人形の行動目的だよー」

 

 行動目的。

 迷宮から生み出された、人の意思を介さず生まれた人形たちに刻まれた命令術式はランダムだ。至極真っ当な守護者(ガーディアン)らしい命令になるときもあれば、まったく無意味な行動を延々と繰り返すことになる場合も多々ある。

 ならば、『ネズミを守れ』という命令に忠実な人形がいてもおかしくはない。

 

「……じゃあ、突然中層にいたはずの宝石人形が上がってきたのは」

「宝石人形がー、じゃなくて、このネズミが上層に上がったからついてきちゃったんだろうねー。多分迷宮が活性期に入って混乱してたんだろうねーネズミさん」

 

 宝石人形の行動の中で、唯一不可解とされていた行動。突然の上層への侵入も、確かに彼女の説明なら筋が通っていた。

 

「……よく気が付いたな」

「そんな難しい話じゃないよー。上層に突然上がってきて、なのに外にまではでず上層にとどまってるなんて少し考えればわかるよ。後は調べるだけ―」

 

 そしてその結果がこれだった。

 宝石人形は確かにネズミの姿を追いかけて行動する。しかしネズミを攻撃するためではない。宝石人形は常にネズミを守る様にして行動している。ネズミに近づいてくる人間や魔物を(それがネズミではなく宝石人形自身を狙ったモノだったとしても)徹底的に排除し続けていた。

 宝石人形の謎の上層への進出、それ以後のあらゆる生命体に対する攻撃行動、そのすべてに説明がついた。そして宝石人形の弱点にも。

 

 【破壊】【暴走】【機能停止】、このうちの3番目、目的を達成もしくは破壊する事で行動不能にすることができるのだ。

 

「これなら…」

「宝石人形を俺達でも討てる」

 

 シズクとウルは顔を見合わせ。まるで見えてはこなかった突破口がようやく見えてきたのだ。宝石人形を直接叩くというのは難しいかもしれないが、小さなネズミの撃破くらいなら、ウル達にだってできる。宝石人形の手を掻い潜らなければならないが、それでも直接叩くよりはまだ現実的だ。

 光明が見えた。と、二人はそう思った。

 

「ま、そー簡単にはいかないけどねー」

 

 そこに水を差したのは、福音をもたらしてくれたマギカだった。 一瞬浮かれていたウルは、彼女の言葉に眉を顰める。

 

「……というと?」

「今の話だけど、どう思う?」

「どうって……」

 

 とても良い話である。とは思った。決して確定ではないが、一級の人形師の彼女が、それも精霊憑きの一時的に貸し出してもらうために提示した情報だ。精度は高いだろう。

 誰でもできる。たとえ一月ばかし前になったばかりのウル達にも狙える、本当に誰にでもできる簡単な――

 

「……誰にでも?」

「そーだれにでもー」

 

 マギカはアカネの小さな手のひらを何かのレンズで凝視しながら、なんでもないようにつぶやいた。

 

「貴方たちって【銅の指輪】を狙ってるのでしょー?」

「そうだが」

「としたら【機能停止】を狙った場合、冒険者ギルドがどう評価するか微妙なとこねー」

 

 機能停止は相手の弱点を突き、討つ。実に合理的な戦術だ。だが、あの宝石人形はこの弱点が、ネズミの存在が今まで発見されなかったからこそ賞金首になっていたのだ。そのネズミが発見されたからと言って賞金首が取り下げられる、なんてことは今更起こることはないだろう。

 が、冒険者の実力を査定する立場にいる冒険者ギルドにとってはどうか。

 

「人形の守護対象のネズミを見つけて殺して、機能停止しましたー。じゃ、弱いよねー」

「弱い」

 

 冒険者ギルドが信に足ると見なされた証に必要なものは幾つもある。当人の人格も、普段の素行も、瞬時の判断能力の有無も、実績も必要だ。

 だが、何よりも最も重要なのは、戦闘能力である。

 人類の脅威、次々と迷宮からあふれる魔物達に立ち向かえるだけの力なくして冒険者の資格はない。しかし、【機能停止】は、その重要なポイントを示すことはできない。

 

「難易度が下がる分、評価点も下がると」

「宝石人形を倒せたらいこーる銅のゆびわーってのはちょーっとなめ過ぎかなー。冒険者ギルドって割とシビアだよ?」

「どうやってそれは示せばいい」

「それはしらなーい。私の報酬はここまでよー」

 

 ねー?とアカネと一緒に首をかしげるマギカはそれっきり、ウル達に興味は無くしたようだった。ウルと、そしてシズクは沈黙し、目の前の水晶に映る人形とネズミを見つめ続けた。ちっぽけな、なんてことはない、小さく老いてるようにも見えるネズミ。

 

 こんな何でもないネズミが、ウル達の命運を握り、揺さぶっているのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

相違

 

 

 人々に恵みと命を与え、同時に奪いもする太陽が今日もまた沈んでいく。ゆっくりと静かな闇が世界を包みこむ。だが、この大迷宮時代において、ヒトは闇に抗う手段を手に入れていた。ヒトから住まえる土地を奪い去った迷宮から採れる魔石というエネルギーの結晶が、皮肉にもヒトの生活を豊かにしていた。

 大陸でも随一の魔石発掘量を誇る大罪迷宮グリードは今宵もまた、煌煌とした魔石の輝きで闇を裂き、活気溢れた街並みを照らしていた。

 

「おらあ!さっさと走れ!!魔力を体になじませろお!!」

 

 それ故に、夜になっても訓練所にはグレンの罵声が響き渡っていた。

 近所迷惑にならんのだろうかとウルは思った。

 

「おらあ!なにしんでやがるクソ犬とっとと走れエ!!」

「ギャアン!!」

 

 倒れていた獣人の背中をグレンが蹴り飛ばしている。彼は何日で辞めるんだろうなあ、という他人事のような感想が頭に浮かんだ。すると、グレンもコチラに気がついたのだろう。

 

「おう帰ったか……っつーか何それ」

「アンタの紹介してくれた女のテンションがヤバくて」

《……あのねーたん、こあい》

 

 ウルは自分の頭にスライム状になってしがみついているアカネの頭を撫でる。グレンもアカネ、ウルの妹であり精霊憑きの事情は聴いているから、金紅の奇妙なる少女の姿にも特に驚きもしなかった。重要なのは、

 

「んで?得るものはあったのか、あの女から」

 

 問いかける。と、若干疲れた顔をしたウルとシズクはコクリと頷いてみせた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

《…………すぴー》

「……寝るのか、この生物」

「かわいらしいですね?」

 

 ふにゃふにゃと猫の姿で眠りにつくアカネをしげしげとグレンは眺める。マギカの仕事に付き合うのはアカネにもこたえたらしい。綺麗な水を一杯飲み干すとすぐに眠気に襲われてしまった。今はシズクのヒザの上を寝床にして気持ちよさそうにしている。

 彼女の睡眠を邪魔しないように、ウルはマギカとの交渉の内容をグレンに説明した。全てを聞き終えたグレンは、ふむ、としばし沈黙し、

 

「なーるほどね。微妙なラインだな」

 

 マギカから得た情報をそう評した。

 

「微妙」

「実際、マギカの言う通りで、ネズミ退治で指輪が手に入れられるかどうかは正直分からん。少なくとも通常の賞金首撃破と比べりゃ評価は落ちる、かもしれん」

「かも」

「今回お前らが狙うのは、正規の指輪の獲得ルートとは別の裏道だ。そうなると、否応なく条件があいまいになる」

 

 宝石人形の急所であるネズミの発見を行い、それを突くことができたという調査・判断力が評価されるかどうかである。それを重視されるかどうかはグレンにもわからない。

 

「じゃあ聞くが、グレンがもし査定する立場になったとき俺達に指輪をくれるか?」

「やらん」

「むごい」

「正直に言わなきゃ意味がないだろ。精々ラッキーな奴らだなー程度だわ俺なら」

 

 実際、グレンがマギカというコネを持っており、更に彼女がたまたま武器の作成を行なっており、そして更にアカネがその問題を解消できるだけの能力をたまたま持っていたから、情報を提供してもらえた。

 まさにラッキーである。幸運という以外ない。これが冒険者の実力かと言われれば、大体の者は首を傾げるだろう。

 

「そりゃお前らがそのまま宝石人形に突っ込んでも死ぬだけだが……」

「ネズミを殺しただけでは、指輪を獲得できるかどうかは怪しい処なのですね?」

 

 シズクの確認に、グレンは頷く。

 

「ついで言うと停止状態の宝石人形の撃破は、魔力の獲得は少量になる。停止状態の人形は魔物ではなくただの物体のようになり、魔力は霧散するからだ。シズクが望む肉体の強化にも繋がらん」

「……ウル様」

 

 グレンの言葉を聞き終えたシズクは、ウルへと向き直った。

 

「私は反対です。このやり方で宝石人形を打倒すべきではありません」

 

 それは、グレンが可能性として示しつつも直接的に言う事を憚った言葉だった。ウル達にとって千載一遇の好機を、ドブに捨てる選択でもある。マギカが示した方法は、宝石人形の打倒は容易であっても、ウル達の、少なくともシズクの目的を達する事は叶わない。で、ある以上は、それがいかに素晴らしい解決案であっても、切り捨てなければならない。

 だが、そうなると別の問題が発生する。

 

「……それならどうやって宝石人形を討つ」

「暴走状態での撃破を狙います」

 

 ウルの問いにシズクは即答した。そして更にグレンへと質問を投げかける。

 

「グレン様。我々が宝石人形が暴走状態になった際、撃破できる可能性はありますか」

「暴走状態の進行度、道具装備の充実度、そしてその場の戦術にもよる。不可能とは言わない。だが厳しいぞ」

「機能停止で人形を討った場合指輪が得られる可能性と、暴走状態の人形を討てる可能性どちらが上ですが」

「後者が上だ。ただしあくまで俺の主観だ。運も絡む」

 

 グレンの言葉を耳で聞きながらも、彼女はウルを見つめる。睨んでるといってもいい。そう感じるのはウルが彼女に気圧されているからだろうか。

 

「ウル様。可能性の高い方を選ぶべきです」

「ローリスクハイリターンと、ハイリスクハイリターンだぞ」

「いいえ間違っています。リスクはほぼ同等です。マギカ様の案の方が上回るくらいです」

「死ぬリスクを背負うか、背負わないかだぞ?逆じゃないのか」

「この場合のリスクとは、目的を達せられるか、そうでないかです。“生死は関係ありません”」

 

 シズクは断言した。ウルは反論しようとして、再び言葉を失った。

 言いたいことは山ほどある。シズクの意見はあまりにも極端だ。生死が同じなど、あるわけがない。彼女は彼女の目的のために正しい判断を見失い、そしてそれをウルにまで強いようとしている。そう言える。

 だがそれならなぜそうと言えないのか。口に出して言い返さないのか。

 

 何故ならウルは不可能を成そうとしているからだ。シズクの目的は知らない。だが、少なくともウルは妹を取り戻すために不可能ともいえる困難を成そうとしているからだ。

 

 だというのに、常識の範疇から物を言って何になるというのか。

 

 ウルがこれから飛び込まんとする世界においては、ウルの正論は間違いで、シズクの極論は正しいのだ。ウルにはそれはわかった。だが、わかっていて、それを容易く受け入れられるかは別の話だった。

 

 死ぬのと、死なないのとが、同じ?そんなわけがない。

 

 放浪の旅の中、多くの死を見てきた。実の両親の死すら見届けた。

 神官達や都市民は、死ねば唯一の神、太陽神ゼウラディアに迎えられるのだという。だが名無しは神殿での葬式も許されない。死体は都市の外で捨てられて、血肉は大地に、魔力は風に乗って世界を巡り、最後には無に還る。

 

 残るものは何もないのだ。故に、死は恐ろしい。

 

 これまでウルが歩んできた人生で培ってきた価値観が、至極当然とも言える命惜しさが、ウルの足を縮こませた。喉を震わせ声を奪った。シズクの言葉に頷く事が、ウルには出来なかった。

 

「――――」

 

 シズクは、そんなウルの様子を侮蔑するでもなく悲しむでもなく、ただじっと、眺め続けていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

迷いとネズミ、ところにより背後からの打撃

 

 冒険者ギルド本部の中には食事処、というよりも酒場が存在していた。

 

 ギルド本部に勤めるギルド員の食堂であり、また、迷宮から戻った冒険者たちにとっての憩いの場の一つでもあった。

 酒場は元々、その都市の住民たちにとって重要な場所だった。単に食事や酒を楽しむための場所、自然と人が集まるが故に一種の集会場として機能し、最も情報が集まる場所でもある。だからこそ多様な情報を必要とする“何でも屋”の側面もある冒険者は、酒場には必ず顔を出す。

 結果、酒場は冒険者が集う場として定着した。冒険者ギルド内にそれが生まれるまでに。

 

「お代わり。あとつまみもくれ。燻製肉一つ」

「グレンさん、仕事なんじゃないんすか?クビっすか」

「きゅーけいちゅーだよ。はよはよ」

 

 その中に一人、カウンターでダラダラと酒を飲み酔っぱらうグレンの姿があった。無精ひげを生やした親父が昼間から飲んだくれる光景にはダメさしか感じないが、その彼の背中を見る冒険者たちの視線は畏怖がこもっていた。

 グリードの冒険者の多くは、グレンに指導を受けた者たちであった。中には銀級、つまり一流の冒険者もいるが、その視線に込められた恐怖の念は新人達と変わりなかった。

 

 故に彼は邪魔者もなく、昼間からのんだくれているのだが、そこに来客がやってきた。

 

「……で、お前は何をしているグレン」

「あん?ジーロウ、何してんだお前。ヒマなん?」

「少なくとも昼間から酒を飲み酔っぱらうお前よりは仕事に追われている」

 

 呆れたように声をかけたのはこの冒険者ギルドグリード支部のトップ、ジーロウだった。彼に対してもグレンの態度は変わらず、なれなれしく無遠慮であったが、ジーロウも彼の態度を気にする様子は無かった。彼の態度にも慣れた様子だった。

 

「訓練所は」

「今は訓練生全員迷宮に突っ込んでるよ。昼までにゃもどんだろ」

「あいも変わらずお前は指導方法が雑だ」

「所詮冒険者だろ?雑な扱いにゃなれないとなっていう俺の気遣いだよ気遣い」

 

 やれやれ、とジーロウはため息をつきながら、彼の隣に座る。昼食代わりに一品注文した。グレンは隣に座る彼を気にするそぶりも見せず麦酒をちびちびと飲み進める。

 

「3週間ほど前、お前の所に送った二人はどうなった。あの少年少女は」

「今は宝石人形挑戦中」

「それは……また無茶な話だな。勝機は?」

「あるにはあるが、どうなるかは知らん」

「お前の“カン”でもわからんか」

「俺の“直感”は未来予知じゃねーよ」

 

 迷宮に潜り、幾多の魔力を獲得した者は、時として超常的な能力を身につけることがある。魔眼等、五感が更に強化されたり、あるいは直感や霊感のような第六感に目覚めたりとだ。

 グレンは黄金に至った冒険者であり、その直感は時として恐るべき精度で未来を予測する……と、皆はもてはやしていた、が、グレンからすればそれはそれは買いかぶりすぎというものだ。

 

「うすぼんやりとしかわからんし、具体性もないものを口に出せるか」

「相変わらず妙なとこで真面目だなお前は。なら、純粋に教官として、お前の見込みとしてはどうなのだ。彼らは」

 

 問われ、グレンは酒を一息あおると、息を吐(つ)き、

 

「無理、だな」

 

 そう言い切った。ジーロウはその答えにわずかに眉を顰める。

 

「理由は?」

「女は良い。だが男はビビっちまってる。踏ん切りがついてない」

 

 グレンの燻製肉を突きながら、言葉を続ける。

 

「自分の命を、狂気の淵に投げ込む踏ん切りが、ついてない。今一歩足りてねえ。あれじゃダメだな」

 

 ただ、生きていく上では全く不要な決断力だ。冒険者としてすらも必要であるとは言い難い。リスクを前にして踏み止まる勇気をこそ、本来冒険者は必要とする。だが、黄金級なる荒唐無稽な所を目指すウルに必要なのは、勇気ではない。命を投げ出してもなお何も得られないかもしれないという恐怖を吞み、身を投げ出す狂気こそが必要だった。

 

 黄金級、人外の領域に踏み込むというのなら、不可欠な狂気。それが彼にはない。

 

「そう、指導はしてやらないのか」

「“イカれちまえ”ってか?ムリだな。こればっかりは教えてどうにかなるもんじゃない」

 

 グレンは肉にかじりつき、そして吐き捨てるように言った。そこにはうんざりとした嫌悪の感情があった。深く、強く込められた。

 

「自分と同じ思いをさせるのは御免か?」

「そーだよ。たのしかないぜ?黄金級への道は。あんたにゃ分からんだろうがな」

「痛いところを突く」

 

 熟練の冒険者として駆け抜け、今でもグリードの冒険者たちの長を務め多くの尊敬を受けるジーロウですら、銀級止まりだ。勿論冒険者としてのジーロウの旅路が生温かったわけではない。偉大なる功績と認めたから、彼は銀級になっている。

 それでも尚届かない高みこそが黄金級である。そこにたどり着く苦悩は、ジーロウにも想像つかなかった。

 

「だが望む者を止める事は出来まい。無理だと告げても止まらなかったのだろう」

「そりゃそーだが、ここまでくるとあとはもう当人次第だからなあ……期待できるとすればあの女だが」

「期待?あのシズクという少女にか?何を期待すると?」

「そりゃーおめー決まってるだろう」

 

 グレンには意地の悪そうに顔を笑みに変えた。

 

「ビビって崖っぷちで踏みとどまる憐れなヘタレを地獄に突き落としてくれる事をだよ」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 20日目

 一方で、ウル達は現在

 

《ウル様、宝石人形発見しました》

《了解》

 

 宝石人形の後を追い、件のネズミの探索を開始して、数日が経過していた。

 先の話し合い、判明した宝石人形の急所についての方針は、結局真っ二つのまま、話し合いで決着がつくことはなかった。しかし議論を重ねていく時間もない。結果として二人が選んだのは折衷案、ひとまずあのネズミと思しき存在を確保してから判断するという事になった。

 

 もっとも、簡単に確保、とはいかない。

 

 マギカの情報は正しく、宝石人形は常にネズミを追いかけ、そして守ろうとしている。いくら宝石人形の動きが鈍かろうとも、やはりあの巨体が常にそばにいるネズミを探すというのは中々難易度が高い。

 

 そもそも確保した後、どうするかという問題もある。

 

 ――持って帰ってペットにして討伐祭まで飼いましょうか?

 ――それで宝石人形が迷宮の外に出たら大惨事だな……

 

 グレンも言っていたが、ワザと魔物を迷宮の外に連れ出すのはルール違反どころか犯罪である。指輪獲得どころか捕まる可能性が高い。それはできない。つまりネズミは迷宮にとどめなくてはならない。

 つまり確保するにしても、迷宮の中で行わなければならない。

 

 これらの条件を踏まえてウル達が考案した策は迷宮の地形を利用した誘導であった。宝石人形は当然ながら封じる事は出来ない、が、ネズミならば、迷宮の地形を利用し動きを止めることはかなうはずだ。

 例えば出口が一つの袋小路に追い詰めて、出入り口をネズミが出入りできないように仕掛けを用意するか、見張りを用意するかするだけで、封じ込めは完成する。

 

 現在ウル達が行なっているのはそのための準備である。

 

「今日で3日目か……」

 

 時間は深夜。この時間帯の選択の理由は、他の冒険者たちの目から逃れるためだった。宝石人形の弱点は、気が付きさえすれば多くの冒険者も真似るであろうこの策を広めるわけにはいかなかったが故の苦肉の選択だった。

 しかしそれも三日も続けば疲労はたまる。時間がないために通常の訓練も併用して行なっている(それでも事情を知っているグレンはある程度加減こそしてくれているものの)正直言ってきつかった。

 

 今ウル達が行なっているのは、宝石人形を追いつめるに望ましい場所に誘導するというもの。最も、近づきすぎれば襲われるという状況で、不用意な誘導は危険すぎた。

 

 結果、選んだ手段は“待ち”となる。

 

 多くの狩りの基本ともいえる手段、此方の望んだ場所に望んだ魔物が来るまでただずっと待つこと。しかし、他に選択肢がなかったとはいえこれがなかなかに精神に来た。討伐祭の期限も迫っていることがなお、ウルの焦りを更に煽る。

 

 だが、それ以上に、ここにきてなお、選択を迷ってる自分自身にウルは焦れていた。

 

 ネズミを確保してから、と、選択を先延ばしした。しかし、その確保にも時間はかかり、決断は更に先延ばしになっていた。これは良くない。決断は早いほど良いのだ。単純に準備はしっかりと出来るし、それ以上に精神的に腹が据わる。宙ぶらりんのまま、命は賭けられない。

 そして今のウルは宙ぶらりんだ。

 

「……クソ」

 

 こういう時、自分が凡人だと思い知らされる。決めるのが遅い。判断が鈍い。これが大きな差になると知りながら、足を踏み出せていない。

 ネズミ、宝石人形の弱点を見つけてから決める?本当に?

 もしも見つけてなお、迷うようならばその時は――

 

《ウル様、宝石人形が予定ポイントに近づいています》

《――――わかった》

 

 などと、悩んでいるタイミングをまるで見計らうように、好機は訪れた。

 

 魔術、風音によって遠距離から伝わったシズクの指示に従い、ウルは宝石人形の進行方向上で待ち構える。片手に備えるのは武器、ではない。閃光の魔術が込められた【魔蓄玉】だ。

 使用すれば音と光が放たれる。だが威力は低い。子供の玩具レベルに抑えられたものだ。そもそも耳も眼もない宝石人形には全く意味のない代物だ。が、しかし、彼が守っていると思しきネズミに対してはそうではない。はずだ。

 

「これで、そのネズミまで人形だったなんて話になると笑えないが……さて」

 

 宝石人形の地響きが近ずいてくる。ウルは宝石人形には見つからぬように、曲がり角の陰からそっと、魔蓄玉を放り投げた。てんてんと、地面を転がった魔蓄玉は、次の瞬間、破裂音と共に、光を巻き散らした。

 

『OOOOOOOOO……』

 

 宝石人形は、この光と音には反応を示さなかった。当然だ。宝石人形には目も耳もない。あるのは空洞だけだ。しかし、あの人形が守るネズミは違うはずだ。と、なると

 

『……OOOO』

 

 宝石人形はしばらくすると、ぐるりと方向を変えて、逆向きへと歩き出した。一見すればただ単にうろうろとアテもなく徘徊を続けているようにしか見えない。が、そうではない。光と音、衝撃に驚き逃げていったネズミを、宝石人形が追いかけているのだ。

 

「よし《シズク、そっちへ行った》

《分かりました》

 

 シズクに連絡し、ウルも再び魔蓄玉をもう一つ取り出す。現状、ウルとシズクは宝石人形を挟むようにしている。一つの通路の間に宝石人形がいる。そしてその通路には横道が一つ、存在していた。

 

「さて、もういっちょ」

「【光よ唄え、闇を裂け】」

 

 その両端から光を放ち、追い詰めれば、当然逃れる先は一か所しかない、筈だ。魔物の習性も宝石人形の習性も何度も調べなおしたが、ただのネズミの習性なんて流石にウルにも分からない。そもそも直接ネズミの姿を確認すらしていないのだ。

 

「行け……」

 

 行ってくれ、と懇願する。

 両端からの光に、宝石人形は立ち止まる。宝石人形が此方に襲い掛かってくる危険性を考え距離をとるので、ネズミの様子など確認できないので、宝石人形の挙動が目印だ。

 

『……OOOO』

 

 数秒、数十秒、宝石人形はその場で立ち往生を続ける。ウルが失敗したか?と魔蓄玉を新たに取り出そうとした時、宝石人形は動き出した。ウルの方でも、シズクの方でもない、残されたもう一本の道へ。

 

「……成功だ」

 

 心臓が高鳴るのを抑えるようにして、ウルはつぶやく。宝石人形が向かった先、行き止まりの大部屋への誘導が完了したのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……これ、効果あると思うか?」

「商人様は、家の中のネズミには効果てきめんだとか」

「迷宮だとどうかなあ……」

 

 ウルとシズクは宝石人形が入り込んだ迷宮の大部屋、入口は一つだけのどん詰まりのその場所唯一の出入り口である通路に、ネズミ避けの仕掛けを設置していた。大広間の商人が売っていた怪しげなネズミ避けの芳香、らしい。

 果たして屋内用のそれがこの迷宮でどれほどの効果を発揮するのかまではわからない。が、少なくとも宝石人形、そしてネズミはあの大部屋から出てきてはいない。

 

 すでに大部屋に誘導してから一時間経過している。その間宝石人形は部屋の中を徘徊することはしても、部屋の外へと出ようとはしない。恐らくはネズミが外に出ない、または出られないためだ。

 

 直接の確保は難しい。常に宝石人形の妨害が入るからだ。しかしこの方法ならば、少なくとも封じ込めはこれで成功した、と言っていいだろう。

 

「手こずった割に、呆気ないな」

「最も、封じ込め続けられるかどうか、まだわかりませんが」

「見張っておく必要もあるかもな……」

 

 そう口にしつつ、ウルは決断が目の前に迫ったのを感じた。

 即ち、この捕らえたネズミを利用すべきか、否か。その決断を。

 

「……二択だ。他者の判断に身をゆだねるか、自分で勝ち取るか」

 

 前者ならばほぼ運だ。全くと言っていいほど自分でどうこう出来る要素がないうえ、その道のプロたちが揃って「厳しい」と断言している。後者ならば運の要素はないが、現状の戦力では「無謀」という他表現のしようがない。此方もまた黄金級の実力者が「足りない」と言い切っている。

 

 なんという不自由な二択だろう。叶うならどちらも選びたくはなかった。

 

 だが、選ばなければならない。最早討伐祭は目前だ。猶予はとっくに底を尽きていた。二日後の討伐祭、準備を考えれば今ここで決めても遅いくらいだ。

 

「俺は……」

 

 躊躇う様にしながら、胃に痛みを覚えながら、その答えを腹底からウルは振り絞ろうとした。その答えが発せられる、その直前だった。

 

「ウル様」

 

 シズクが、それを遮る様に声を上げたのは

 

「……シズク?」

「ウル様、“選択肢は二つではありません”」

 

 その言葉の意味が理解できず、聞き直そうとシズクの方へと振り返った。

 そしてその時気が付いた。

 気配がする。自分たち以外の気配。それも魔物や、宝石人形の気配では“ない”。

 

 つまり―――

 

「おー、仕事ご苦労さん坊主ども。ありがとよ、俺たちのために」

 

 複数人の冒険者の気配。武装を固めた男達が、通路の出口を塞ぐようにして並んでいた。明確な、敵意と悪意をにじませた笑みを浮かべながら。

 ウルは全身からジワリと、嫌な汗が噴き出すのを感じた。

 

「……あんたらは」

「【赤鬼】ってーもんだ。まあ別に俺らの事なんてどうでもいいだろ?この状況なら。それとも察せねえほど鈍いのかお前?」

 

 髭を生やした禿げ頭。恐らくは彼らのリーダーと思しき男がウルに問いを投げかける。

 無論、ウルもわかっている。彼らが何をしに此処に来たのか。そもそも、今この状況、ネズミを捕らえたという事自体、誰にも知られてはならなかったのだ。それを、恐らくは知っている者たちが、ウル達の前にいる。しかも武装し、完全にこちらを包囲するようにして。

 

 考えるまでもない。ネズミの一件が彼らにバレ、そしてウル達がネズミを確保したタイミングで、それを強奪しようとしているのだ。

 

 最悪だ。

 

 紛れもなく、最悪の事態だった。相手は5人。武装も充実している。こちらは二人だ。それだけでも不利だ。いや、そもそもここを、この場所を知られただけで作戦は失敗に近かった。討伐祭当日に、彼らが先手を打ってネズミを殺し、宝石人形を破壊してしまえばおしまいだ。

 

 どうする。どうすればいい。ネズミを逃がして状況をリセットするか。だが、ここまで三日かかったのに、状況をリセットした後討伐祭に間に合う保証がない。彼らを此処で口封じするしかない?出来るのか?そんなことが

 

 ウルの頭で、危機感と焦燥感でぐるぐると思考は巡り、極端な選択すら視野に入ろうとしていた。しかしそんな混乱は、ふと過った一つの疑問にすべて消し飛んだ。

 

 まて、そもそもなぜ彼らはこのネズミの事を知っているのだ?

 

 その直後だった。“背後から”頭部に衝撃が走ったのは。

 

「がッ!?」

 

 なんだ?!否、誰だ!?

 

 耐え難い衝撃にウルはたまらず地面に倒れ伏しながら疑問に思った。それ自体が愚かな事でもあった。“誰”などと、頭部を守ったウルの兜の隙間を、丁寧に死角から殴れる人間はこの場には一人しかいない。

 

「シズ……!」

「これでよろしいでしょうか?」

「躊躇いなく一撃かよ。怖えー女だ」

 

 ウルの背後からシズクが前に進み出る。ウルを不意打ちで殴打した杖を握りしめて。その事実を、答えを飲み込む前に、ウルの意識は急激に暗くなっていった。打撃のせいではない、恐らくは魔術だ。それも、シズクによって仕掛けられた、魔術。

 

 混乱と疑問と共に、ウルの意識は闇に落ちた。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の理由

 

 21日目

 

 最悪の目覚め、というものをウルはその日経験した。

 頭部に痛みを抱え、頭は魔術の影響かグルグルと回り吐き気がする。

 

 だが、怪我の痛みも気分の悪さもどうでもよかった。

 

 気を失う前の事はハッキリと覚えている。ネズミは奪われた。最大にして最後の好機は仲間に裏切られ、ライバルに奪い取られた。その現実がウルを打ちのめしていた。

 

 失敗した。

 

 シズクが裏切った。

 何故あんなことをしたのか?という疑問をウルが抱くこと自体、彼女の事を理解できていない証拠だった。彼女は自らの素性を決して明かさず、ウルはそれを承知した。リスクを飲み込んで、彼女に背中を預け、その背中を刺された。今回はそれだけのことだった。

 

 終わった。これでもう、アカネは救えない。

 

 疑念と後悔で頭がどうにかなりそうだった。とても前を向く気にはなれない。そうしようにも、そのための手段のすべてはもう、失われて―――

 

「おう、こっち無視すんなや、人が看病してやってんのに」

「…………グレンか」

 

 そこで、真横のベッドで暇そうに本を読んでいるグレンの声で、自分が訓練所の医務室にいる事に気が付いた。

 

「……討伐祭は」

「お前は丸一日寝てたから4日後」

 

 少なくとも、討伐祭まで寝過ごすなんていう間抜けはせずに済んだらしい。最も、だからどうしたといわざるを得ないのが現状だが。

 

「……シズクは」

 

 口にして、バカな質問をしたと苦い顔になった。いるわけがない。いるわけが――

 

「ああ、アイツなら講義室にいるぞ。守護精霊に祈りを捧げたいとかで」

「そうか…………………ん?」

 

 ウルは流そうとして、聞き直した。

 

「今なんて?」

「いや、だから講義室にいるっつってんだよ。シズク」

「今?」

「今」

「…………」

「…………」

「え?なんで?」

「ボケてんのかテメー」

 

 ウルはグレンに一発殴られた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 講義室。 

 

 普段は意識していない、というかグレンからいつ拳がとんでくるかわかったものではないので目に映ることすらないのだが、部屋に入って正面の教壇、その上部に一つ意匠が刻まれている。偉大にして絶対なる神ゼウラディア、そしてその眷属たちを記す“精霊の紋章”。この世界ではどこにでも存在する代物だ。

 

「……」

 

 その紋章を前に、シズクは熱心に祈りを捧げていた。

 両の手を合わせ、深く頭を下げ、強く、深く、祈りつづけている。【神殿】の中でだって、彼女ほど熱心に精霊たちに祈る人々はいないだろう。

 

 しばしの間、ウルは邪魔をせぬようその場でじっとしていた。彼女が手を合わせるのをやめたのを見計らい、部屋に入っていった。

 

「そうも熱心に祈るなら、せめて“神殿”の前にでも行けばいいのに」

 

 後ろからウルが声をかけると、シズクは特に驚いた様子もなくゆっくりと顔を上げ、ほんわかと微笑みをみせた。

 

「いいえ、私にはここで十分です」

「そうなのか」

「ええ、そうです」

 

 のんびりとしたシズクの言葉にウルもつられてのんびりと返した。近くの椅子に座ると、シズクは静かにウルの傍へと座りなおした。そしてしばし沈黙したのち、先に口を開いたのはシズクの方だった。

 

「私は、とある【邪霊】を信奉する集団の巫女です」

「邪霊?」

「精霊の一種です。かつて、唯一神ゼウラディアに、“人の営みには不要”とされてしまった忌むべき存在をそう呼称します」

 

 シズクは淡々と告げた。

 ウルには邪霊をどうこう言われてもピンとは来ない。彼女の言う通り、邪霊などという存在そのものを今初めて知ったのだ。彼女が何ゆえにその使命を背負うに至ったか、そこまでは分からない。だが、

 

「それが、シズクの冒険者になって、竜を討たんとする目的か」

「はい。私の目的はその邪霊の復権です。巫女である私が、世の敵対者である竜を討ち、我らの邪霊が過ちでないことをイスラリア大陸全土に示さなければならなかった」

 

 彼女の瞳は微塵も揺らぐ様子はなかった。不安も、恐れも、そしてその逆に使命感に燃える誇りも、情熱も、彼女の瞳には映らない。ただ、すべきことを成さんとする意思だけがあった。

 

「今まで語らずにいて、申し訳ありませんでした。邪霊という存在自体、あまり知られるわけにはいかなかったのです」

 

 シズクはそう言って深く頭を下げた。

 

「何故、今それを?」

「これ以上ウル様に自分の事情を秘めておくのは出来ないと思いました。貴方からの信頼を完全に失ってしまう。なので()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ああなった以上は?」

「ああなった以上は」

 

 そう、本題だ。宝石人形の急所、最も重要な根幹の情報漏えい、それを意図的に行なったシズクの意図。明確な裏切りと、にも拘らず、今なおウルの目の前に姿を現している理由。

 

「説明する気があるのなら教えてほしい。何の意図でああなって、今も俺の前にいる?」

「ええ、それは―――」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 シズクの説明は決して長いものではなかった。口にしてしまえば極めて単純で、明快だった。そしてそれ故に、

 

「……」

 

 ウルは、若干顔を青くさせ、絶句していた。

 

「――――以上です」

「……シズク」

「はい」

「ヤバいのでは」

「はい」

 

 シズクが何をしたのか。何ゆえにネズミの情報をあの赤鬼の連中に漏らしたのか、その全てを聞いたウルは押し黙る。ひとまず彼女が何をしたかったのかはわかった。理解もできた。

 そして分かった。彼女の取った行動はとても“危ない”。いくつものリスクを抱え込み、しかも結果に結びつくかも怪しい。ただ、しかし、ハッキリしているのは。

 

「私たちが宝石人形を討つ、その成功率を上げる選択肢としては、これしかないかと」

 

 ハッキリとしたのは、彼女が依然として、ウルと共に宝石人形を討つ気であるという事だ。彼女は徹頭徹尾、その点においてはブレてなどいなかった。ウルの状況はいまだ、“詰み”ではない。

 

「……だが、そんなことを勝手に……」

 

 が、しかし、だからといって、ああよかった、と話を済ませるわけにはいかなかった。彼女の行動と決断は完全にウルの意思を無視しきっていた。独断も甚だしい。一行を組んだ以上、それがいかにウルの利益になるものであったとしても、決して許される事ではなかった。

 シズクはウルの少し躊躇うようなその指摘に「勿論」と頷いた。

 

「その点は理解しております。私は償いをしなければなりません。なので」

「なので?」

「どうぞ」

 

 シズクは自らの両腕を広げた。ウルは理解できずに問い返した。

 

「どうぞ?」

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルは絶句した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼の理由

 

 ワタシヲスキニシテクダサイ?

 

 ウルは言葉を理解するのに暫く時間がかかった。頭が痛い。彼女の発言のせいではない。迷宮の中で彼女に殴られた後、昏倒の魔術をかけられたせいだ。つまりどっちみちシズクのせいだった。なんて女だ。

 ぐらぐらとなりそうな頭を押さえ、ウルは問うた。

 

「何故、……なんでそうなる?」

「償う必要があると思いまして」

「それで?好きにしてください?」

「ウル様は私の身体の事が好きなようですから」

 

 あまりに明け透けな物言いにウルは硬直する。彼女の胸を見ていたのに気づいていたらしい。普通なら恥じていたかもしれない、が、今はそれどころではない。目の前にもっとヤバいのがいる。

 

「償うというなら他に手段なんていくらでもあるだろう」

「ありません。金銭は貴方と共に稼いだもの。私の能は授けられたもの。私は自分で持ち合わせているのはこの身だけです」

 

 貴方を騙した咎を償うならば、“コレ”を差し出すしかありません。

 

 そう、自分の身体を、豊かな起伏をなぞるように撫でる。その仕草は艶めかしい。

 

 頭が痛い。身体がダルい。心臓が痛い。疲労と、それに興奮がウルの頭を掻きまわしていた。いっそこのまま、彼女の言う通り、促されるままに、蠱惑的な身体に溺れてしまえば、たぶん楽になる。ウルはそう思った。そう思って、確認でも取るように、シズクの瞳を覗き見た。

 

 そして、喜びも悲しみも恥じらいもない、空っぽの目を見て、ウルは気づいた。

 

「……なんとも思わないのか、自分の身体をそんな風に扱って」

「そうですね、ウル様がこれで納得していただけるか、それは心配です」

「違う、そういう事を言っているんじゃない……」

 

 と、否定しても、シズクは不思議そうにするだけだった。

 

 致命的に、会話がかみ合わない。

 

 昨日まで何の問題もなく会話できていた筈なのに、突然意思疎通できない狂人にでもなったかのようだった。確かに彼女と距離をとり、彼女の内面に踏み込まないようにしてきたのは事実だが、それにしたって限度というものがある。

 

 だが決して、思い当たる節が無いわけではなかった。

 

 誰に対しても優しく、誰の願いも拒まない態度。聖女のように優しい少女。酒場ではヒトに慕われ、その慕ってくる誰しもを、シズクは拒まなかった。

 

 怪我人には治癒の手を、

 飢える者には施しを、

 悩める者には慰めを、

 好く者には笑顔を、

 

 身も心も清らかな聖女。天賦の才と完璧な人格が備わった素晴らしい少女。彼女と出会った多くの人がそういう認識で彼女を満たし、ウルもそうなんだろうなと思っていた。

 だが今、こうして踏み込んで、ようやくわかった。

 

「今わかった。どうしてお前が、優しいのか。使命のために命を懸けられるのか」

 

 よほどの人格者であるからだと、そう思っていた。

 よほどの重要な使命があるからだと、そう思っていた。

 慈悲深い心があるからこそ、粗野な冒険者達にすら優しく出来るのだとそう思った。そして、家族の為、妹と己の為と必死になっているウル以上の何かを背負っているのだと、だからこそ命をなげうつような危険な挑戦が出来るのだと、そう思った。

 

 だがそれは違った。彼女は、この少女は、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分に対して、一欠片も価値を感じていない。

 

 だから自分の身を投げ出せる。使命を達成するためならば、自分の身に降りかかるリスクなどどうでもいいからだ。聖女のように他人にも優しくできるだろう。見ず知らずの他人でも、少なくとも自分よりは価値があるのだから。

 なにがどうなって、シズクがこうなったのかは分からない。

 だが、その在り方はあまりにも歪だった。

 

「なんだそれ。どうやってそんな風になったんだ」

「ウル様」

 

 そしてシズクは、そんなウルの苦悩を知らず、あるいは知って尚無視するようにして、微笑みをウルへと向けた。愛らしく、美しい。慈悲深い、聖女のような笑み。決して自分自身に対しては向けない慈愛に満ちていた。

 

「シズク――」

「ええ、そうですね。私はきっとおかしいのでしょう。狂っているのでしょう」

 

 シズクは静かにウルの手を取った。火傷しそうなほどに熱っぽく、両手から痺れる様な感覚が全身をのたうった。

 

「私は人とは違う。異端である自覚はあります。ですが、ウル様。私たちの目指す場所は"そういう場所"でしょう?」

 

 彼女の瞳に自分の目が映る。眩さすら感じる透き通った銀の瞳は、ウルの視線を強引に奪い、離さなかった。

 

「冒険者に身を染めて日は浅くとも、黄金級に至る道のりが尋常ならざるものという事は十分に理解しました。常識を前に足踏みをしていては入口にたどり着くことも叶わない場所であると」

 

 それはウルも理解し始めていた事。そして諦めかけていた事。自分が異端ではないと。異常者ではないと。認めかけて、だからこそシズクの意見には頷けなかった。だが、だからこそ

 

()()()()()()()()()()()()、ウル様」

 

 シズクは誘う。狂気へと

 

()()()()()()()()()()()。ウル様。私を求めてください。狂った理屈を並べ立てて、貴方を困らせる私を、どうかお好きにしてください」

 

 彼女が両手をウルの手から頬へと移す。蛇のようにするりと首に腕が纏わりつく。恐ろしく整った彼女の顔が目の前に迫る。その笑みで、聖女の笑みで、淫魔のそれよりも邪悪な言葉と声で、絡めとろうとした。

 

「さあ」

「――――断る」

 

 それをウルは、吐き捨てるようにして、拒絶した。両手を突き出して彼女を突き放した。

 

「ウル様?」

「断る。絶対に嫌だ。なんだそれは。()()()()()()()

 

 ウルは抱きつくようにしていたシズクを押し倒し、そして見下ろした。自分が拒絶されたことに対して、悲しみも羞恥もなくただきょとんと不思議そうな顔をしているシズクのその顔に、ウルはふつふつと抑えきれない感情が生まれたのを感じた。

 この感情は、怒りだ。

 

「お前のやってることはつまりこうだ。“自分の事は全く大事じゃない”。これっぽちも自分に価値を見出していない。そんな無価値な自分自身を俺に“くれてやって”機嫌を取ろうとしている」

 

 言ってしまえば、自分にとっての“ゴミ”を、たまたま相手が欲しがっていたから提供しているだけだ。これのどこが謝罪で、償いというのか。ふざけている。

 彼女が裏切ったことなどこの上なくどうでもよくなった。ウルの胸中に渦巻くのは、舐めくさった真似をしてきた女に対する怒りだけだ。

 

「ではどうすれば良いですか?私にできることならなんだってします」

「自分の事を軽々と扱う発言を今すぐやめろ、不愉快だ」

 

 ウルは不快感を隠さず、シズクを怒鳴りつけた。

 

 そもそもウルは怒っては“いなかった”。彼女が決断を強いられるほどに迷い続けていたのは自分なのだからやむを得ないとすら感じていた。ただケジメとして、今後彼女と上手くやっていくための決まり事を定めるべきだ、と、その程度に思っていただけだった。

 だが、今は違う。ウルの中では激情が煮え滾っていた。彼女がとった態度はウルの価値観をあまりに大きく逆撫でした。シズクのふざけた謝罪を拒絶し、彼女自身のそのありように憤慨した。

 

 価値のないものを押し付けて媚を売ろうとする彼女の態度も。

 

 価値が無いものとして自分を売り払おうとした彼女の価値観にも。

 

「何故ウル様は、私の事でお怒りになられているのですか?」

 

 何より、そのことに怒り狂うウルを、全く理解できていないシズクにも、ウルは怒った。

 

 何故ウルがこんなにも自分の事を。()()()()()()()()()()()()()()()()、怒りをたぎらせているのか、彼女には見当もつかないのだ。それがあまりにも不愉快だった。

 

「私の事なんてどうでもいいではありませんか。今は宝石人形の事を」

「宝石人形の事が重要なら尚の事だ」

「私の事ですよ?」

「仲間の事だろう」

 

 そうだ。仲間だ。ウルにとってシズクは仲間だった。保護者を失い、妹も失い、0からのスタートになってから初めてできた仲間だ。後ろ盾も何もなく、不安とどうなるかもわからない恐怖に立ち尽くしそうになったウルにとって彼女がどれだけの助けになってくれたかもわからない。

 そんな彼女が、彼女自身をそんな風に扱うのは嫌だった。到底看過する事は出来ない。

 

「ウル様、怒っていますか?」

「そうだな」

「何故でしょう。何故私の事で、ウル様はそんなにも怒るのでしょう?」

 

 先ほどと同じように聞こえて、しかしその質問の本質はウル自身に向けられていた。

 何故、自分が怒るのか。何故、血も繋がらぬ、出会って一月と経たない女の事でこんなにも自分が怒り狂っているのか。その問いに、ウルはふっと昔の記憶を想起した。

 

 前にも一度、ウルは「何故?」と聞かれたことがあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪都市プラウディア“名も無き孤児院”

 そこは、死んだ冒険者達の子供らを養うための養護施設だった。【大罪迷宮プラウディア】、天空に存在する“巨大迷宮要塞”。幾多の魔石、遺物、宝魔。家族を置いて夢を追いかけ、そして散っていった冒険者達の忘れ形見の子供達を集めた場所だ。

 冒険者の多くは“名無し”だ。彼らに永住権は無く、故に、その子供らにも同様の事が言える。しかし自活の能力もない子供を都市の外、人類生存圏外に放り出すだけの無道さは、都市民にはなかった。

 

 故の孤児院。親無き子達が独り立ちするまでいることを許された箱庭だ。

 

 ウルとアカネはここに居た。当時、病で母は死んだが、父親は存命だった。が、この孤児院は半ば、長く冒険に出る冒険者達のための託児所としても機能しており、ウル達も此処を利用していた。

 しかし、親の居る子供といない子供、環境の違いからの軋轢も多かった。

 

「何故だ」

 

 そう、問うたのは孤児院の主である老人だった。

 

 孤児院は【神殿】の建てた施設であり、その管理者も【神官】だ。都市内における特権階級であるはずのその男は、しかしあまりに権力者特有の生臭さとはかけ離れていた。肉付きは悪く、骨に皮膚が張り付いたような身体つき。皺は寄り、ふとすれば名無しの老人と間違わんばかりに、貧相な印象を相手に与える。

 しかしその眼光は異様に鋭く、立ち姿は老い衰えた印象を感じぬほどに真っ直ぐだ。

 孤児院の管理者、神殿の中でも閑職も閑職、めざましい功績も、精霊達との交流もまるで望めない、神官にとってまるで得のないその職務に自ら赴き就いたその“変わり者”の神官は、ウルを真っ直ぐに睨み、問うた。

 

 頬や腕に擦り傷を作った、そのときまだ6つ程のウルは、その問いを復唱した。

 

「なぜ?」

「何故、諍いを起こした」

「ごめんなさい」

 

 当時、今と比べ随分と感情に乏しかったウルは顔色を変えず、ただ頭を下げる。

 

「ごめんなしゃい」

 

 それをみて、ウルの背後に居た、4才頃の妹、アカネもまた同様に、兄の真似をするように頭を下げた。この時彼女はまだ精霊に憑かれてはいない。彼女が精霊憑きになるのはもう少し先のことである。

 兄妹の謝罪に対して、神官の男は首を横に振った。

 

「違う。謝罪を求めているのではない。貴様が諍いを起こしたその理由を問うている」

 

 幼い子供に対して向けるにはあまりに堅苦しい物言いだった。しかしそれは彼にとっていつものことだった。その神官は幼い子供であっても平等に厳しく接した。相手が神官の御曹司だろうと、都市民の子供だろうと、名無しの孤児だろうと、当然ウルに対しても同様にだ。

 そして別に、彼は怒っている訳でもなかった。

 

「貴様は幼いが、頭は回る。危うさから逃げる頭はある。怪我を負う喧嘩よりも、逃げることを選択してきたはずだ」

 

 孤児院の主は、ウルの傷を水で湿らせた布で丁寧に拭ってやる。しみる筈だが、ウルは黙ってその治療を受けていた。

 

「だが、今回何故喧嘩を起こした。しかも、手を出したのは貴様からだ」

「アイツら、アカネのメシをとったんだ。おやがいるのにおれたちのメシをとんなって」

 

 言い分として、正しいと言えば正しかった。

 この孤児院はあくまでも、親を失った子供達を育てるための場所である。半ば容認されているとはいえ、託児所のように利用している冒険者達がおかしいという指摘は正しい。孤児院に配給される食事は決して豊かではなく、そして多くもない。その食事を不正に奪っていると言えなくもなかった。無論、孤児院のルールには反しているが

 

「だから、奪い返そうとしたと?自分より5才年上で、しかも3人相手に?」

「うん」

「返り討ちに遭うかもしれないと分かっていただろう?」

「うん」

 

 頭に血が上って、無鉄砲に向かったわけではない。

 ウルはその時知っていた。相手には決して敵わないと。明らかに体格が二回りも違う相手が3人だ。ウルでなくともバカだって分かる。ウルはソレを承知で、食事を奪っていった彼らにつっかかり、喧嘩を起こした。

 喧嘩の結果は、ウルが返り討ちにあい、ぼこぼこにされて、大けがを負う前に神官が止めに入り、終わった。ウル達の食事を奪い、ウルを殴った少年等は懺悔室にて反省中だ。

 しかし、この喧嘩は一方的でもなかった。

 ウルに暴行を加えた少年等も怪我をしている。しかも3人中2人には“石で殴りつけたような痕があった”。最後は3人がかりで殴られたが、それは彼らがアカネを狙ったからに過ぎず、そうでなければこのウルは、3人全員を石で殴り倒していただろう。

 だから今、こうしてウル少年の聴取に神官自ら赴いている。

 

「そこまで飢えていたのなら、まず私に言えば良いのだ。幾ら金のない孤児院と言って、子供二人の食事の融通が利かぬ訳でもない」

 

 そう言うと、しかしウルは首を横に振った。

 

「ちがう」

「何が違う」

「べつに、おなかはへってない。アカネにはリリのみをあげた」

 

 見れば、幼きアカネの手には裏庭に自生しているリリの木の実が握られている。リリの木は高く、子供が実を採ってはいけないと釘をさしているが、黙って採ってしまったらしい。

 

「リリの実の件は後で叱る。だが、なら何故だ。なおのこと理由があるまい」

 

 腹を満たせるのなら、問題は無いはずだ。

 

「ある」

「それはなんだ」

「あいつらはアカネをいじめた。“おれ”のてきだ。だから“おれ”がたおす」

 

 老人を見る、ウルの表情は無感情のままだった。しかし瞳の奥は燃えていた。激しい怒りが見えた。決して萎え尽きぬ激情が、幼い子供の奥底から発していた。

 老人は、幼い子供の内を垣間見て、小さく溜息を吐いた。

 

「……放浪の旅の過酷さと、寄る場所も、物も、ヒトもいないためにこうなったか」

 

 骨張った手が、ウルの頭を撫でる。

 

「その憤怒、諫めねば身を滅ぼすぞ」

「ふんぬ?」

 

 その言葉の意味が分からず、ウルは繰り返した。

 

「その幼さで、自分以外の誰かが解決してくれるという甘い期待を“捨てきっている”。故に、自らの判断で、自らの手で、解決しようとする」

 

 だから、自分と妹を攻撃してきた子供達に対して即座に行動に移した。親や、神官達、他の孤児達が自分たちを助けはしないだろう、と、確信している。

 しかも、困ったことに、その彼の考えは、ある程度“的を射ている”。

 

「……じいさんだって、また、はなれるよ?」

「そうだな」

 

 ウルの言葉に、神官は同意する、

 名無し故、そしてウルの父が存命であるが故に、ウルにこの都市に永住する権利はない。あるいは、彼の父が滞在費を支払うことが叶えばソレも出来るかもしれないが、残念ながらその期待は薄いだろう。

 ウルは老人の手から離れ、この都市を出ていく。ウルとアカネはこれから先も都市の外で幾多の厳しい試練に見舞われる事だろう。ウルはソレを知っていた。

 

 故に、一概にウルの考え方を否定する訳にはいかなかった。

 しかし、それだけでは“足りない”部分がある。

 

「お前の“立ち向かうための手段”はあまりに、拙く、苛烈が過ぎる」

「かれつ」

「その苛烈さは、自分は護れても、妹はついてはいけまい」

 

 ウルがケンカ相手を石で殴りつけるような手段を取るのは、自分が幼く、弱いことを理解しているからだろう。戦える者が自分しかいないのだという理解が、立ち向かう手段を過激化させた。

 だが、それはあまりに極端だ。

 

「にーたん、おなかすいてないん?」

 

 見ると、ウルの後ろでアカネは渡されたリリの実をウルに返そうとしている。ウルに食べさせたいらしい。優しい娘だった。

 そんな彼女が、ウルの行動についていけるか。神官の見立てでは怪しいところだった。アカネはウルの愛情を受けたが故に優しさを得て、厳しさを失っている。

 

「お前についていけず、お前にまきこまれて、遠からず妹は傷つくと言っている」

 

 ウルはアカネの頭を撫でながら、困った顔をした。

 

「……それはやだ」

「で、あろうな」

 

 老人は頷く。そして膝を曲げ、ウルに視線を合わせ。瞳の奥の炎は、未だにあり、そして尽きる事はない。それはそうであろう。この火があったからこそ、今日まで彼は幼き妹を守り続けてきたのだから。

 

「これからお前に道徳を与える」

 

 神官は言った。どうとく、という言葉に、やはりウルはピンとこなかった。首を捻りながら、その言葉が出てきた話を頭の中から思い出す。

 

「せいれいさまのおはなし?」

「それよりももっと基本的な、ヒトの世を生きる術だ」

 

 ウルにとって、世の秩序、社会的な規範は縁の遠いものだった。関わり、学ぶだけの時間が無かったからだ。親から学ぶ機会も、彼には無かった。故に、代わりに神官がそれを与える。

 

「善きを尊び、悪しきを嫌悪する。欠落が無ければ種として本能的に備わる社会性だが、お前にはそれを培う機会がなかった。故に私が与える」

 

 無道を征けば、いずれ必ずたちいかなくなる。ウルの親がそうであるように。守るべき者がいるなら尚のことだ。神官がこれから教えるものは、一見脆く頼りなくみえても、困難に暴力以外で立ち向かうための必要な武器だった。

 だが、と、彼は区切る。

 

「忘れるな。お前の根底にある“我”を」

「が」

「頼れる者などいない。守るべき者のため立ち向かえるのは己のみであるというお前の悟りは、悲しいが正しい。お前に与える【道徳】は、“我”を貫くための手段に過ぎぬ」

 

 苛烈なる“我”。

 自らを救うのは自分しかいないという強靭な確信。

 彼の瞳の奥の炎を奪うことを神官は選ばない。それが必要な場所にウルが居るからだ。

 

「我によって荒野を拓き、徳によって道を得よ」

 

 そう言って、これから先のウルの道行きを労るように、神官はウルの頭を撫でてやった。

 これがウルにとっての“はじまり”だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……ウル様?」

「…………」

 

 シズクの呼びかけに、ウルは過去の回想から戻ってきた。

 

「少し、昔を思い出しただけだ」

 

 懐かしい思い出だった。ウル自身、ずっと記憶の奥底にしまっていて、思い出すこともなかった程、古い話。しかし、思い出さずとも、あの老いた神官がウルに語りかけていたことは、ウルの中に根付いていた。

 

 そしてソレを思い出した今、ハッキリとわかった。

 

「で、なんだった?何故、お前のことで、俺がこんなにも怒るのか?だったか」

「はい、私のことなど気にし――」

「そんなものは決まっている」

 

 ウルは、目の前のシズクの頭をがっしりと掴んだ。驚きもせずぱちくりと瞬きするシズクに、ウルは真っ直ぐに告げた。

 

()()、お前のことが気に入らないからだ」

「それは――」

「俺の感性にお前の言動全てが不快に映った。それだけだ」

 

 正当性など存在しない。ただただ、不愉快だったから怒ったのだ。

 そしてそれこそが、ウルの全てだった。

 寄る辺のない放浪者である彼の、絶対的な判断基準は【我】だ。

 

「ああ、そうだ。そうだった」

 

 思い出した。そして確信を得た。

 

 アカネを助けたいと願うことに、アカネは関係ない。

 アカネが売られ、ソレを救おうと足掻いたのも、彼女のためでも、せいでもない。

 ウルが決めたのだ。ウルが救うと決めたから、ウルは冒険者になったのだ。

 

 グレンはウルに自身の行動原理、目的を問うた。

 答えは一つだ。“ウルがそうしたい”からだ。 

 それしかない。そして、それだけで命を賭す理由は十二分だ。

 

 そして今、目の前の、哀れで壊れた美しい女を、どうにかしたいと思うのも、ウルがそうしたいからに他ならない。そしてその衝動に逆らう理由を、ウルは持たない。逆らう意味など無い。

 己に背いた先に、ウルが望むものなど一つも無いのだから。

 

「いいさ。なら償ってもらおうか。これからお前の肉体の全ては俺のものだ」

 

 ウルはシズクの頭につかみかかったまま、言い捨てた。しばし呆然としていたシズクだったが、ウルのその言葉に笑みを浮かべる。その嬉しそうな表情が尚ウルの神経を逆なでしているのだが、彼女は気づいた様子は無かった。

 

「……ああ、良かったです。それでは――」

「だから、お前は“俺の物になったお前”を大事にしてくれるよな?」

 

 そして、続けてウルが発した言葉に、ぱちくりと瞬きした。

 

「…………私を?」

「そりゃそうだろう。お前の肉体は俺の物になったんだろう。なら俺の所有物をないがしろにしてくれるなよ」

「それは、ですが、私は」

「償うんだろ」

 

 有無を言わさずというようなウルの問いに、シズクは、困った顔になった。

 

「それは、難しいです」

「何故だ」

「この身体を使って貴方に尽くします。償います。ですが私の命は、使命のために消費しなければならないのです。私は、私の命を大事にする自信がありません」

 

 彼女をこうしたナニカが与えた使命こそが最上位。

 ウルに対する償いがその次に在り

 そして最下層に自分がある。

 

 彼女の価値基準をウルは理解できた。

 使命がある限り、彼女は自分のことを絶対に大事にしない。出来ない。それを理解した。

 

「………………わかった」

 

 だからウルは決断した。

 ウルはシズクの頭を掴み、近づける。触れ合いそうな距離にあって、シズクの瞳に映るウルの表情には愛や友情のような類いはなかった。燃えさかるような怒りと、そして決意に満ちていた。

 

「ウルさ、ま!?」

 

 そのままガン、と額をシズクに叩きつけて、ウルは立ち上がった。

 

「いたいです?!」

「命の方は好きにしろよ。俺も好きにする。アカネもお前も絶対に死なせない」

 

 我望む 故に 我在り

 

 ウルは一つの真理を得た。

 己の選ぶ全てはエゴであるという、険しく苛烈極まる真理を。

 故にこそ、彼は妹を救うことを決意した。

 故にこそ、彼は目の前の悲惨な少女を放置することは許さない。

 

「精々勝手に命を費やしてろ。どんなことがあろうと俺がお前を救ってやる」

 

 ウルがそう言うとシズクは――恐らくウルと出会って初めて――極めて困惑した表情で、ウルを見た。

 

「……何故そんな結論になったのです?私は別に、そんなことは望んでいません」

「関係ない。お前の意志もアカネの意志も関係ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ますます、わかりません」

 

 だろうな、とウルは彼女の疑問に内心でうなずいた。ウルだって、自分がここまで頭がおかしくなるとは思わなかった。だが、気分は悪くなかった。

 

「俺が理解できなかろうと、気にすることはないだろう?お前の取引を受け入れたんだから」

 

 だが、迷いは晴れた。もはや躊躇はない。

 

「それは、つまり」

「お前は俺のものだ。そして、お前と一緒に俺は宝石人形を討つ」

 

 ウルがそう答えると、シズクは笑みを浮かべ、口づけを交わした。男に媚びるための笑みも仕草も不愉快だったが、触れた唇は柔く、子供のようなその笑みは愛らしかった。

 

「私は貴方のモノです。どうかお好きに」

「そうさせてもらうよ。命軽女」

 

 かくして、紆余曲折の果て、二人の契約はなった。

 奈落の底へと突き落とそうとする少女の手を、少年は自ら掴み、そのまま二人仲良く奈落の底へと自ら飛び降りた。

 

 故に これより二人は地獄を見る。

 

 だがそれは、自らの意志によって成される事だった。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

討伐祭

 

 

 

 討伐祭、当日。

 

 晴天となったその日、迷宮都市グリードは普段よりも増して活気に満ち満ちていた。元より常に、多くの人やモノが行き交う街ではあるのだが、今日のそれは普段にも増していた。

 理由はただ一つ。賞金首である宝石人形の討伐祭にある。

 

 宝石人形は中階層から上層へと上がってきた結果発生した、イレギュラーな賞金首。宝石人形は中層では決して珍しい魔物ではない。十級以下の魔物を撃破した際に手に入る素材も、有用性こそあれど希少というほどでもない。

 上層で駆け出しの冒険者、魔石を集める白亜の冒険者たちにとっての障害になるという理由で発生した賞金首だ。竜や邪眼蛇(メドゥーサ)、混沌獣(マンティコア)など凶悪極まる怪物達とは比べるべくもない相手。

 

 だが、そんな相手であっても、まだ素人に毛が生えたばかりの新人達が必死に戦う姿はまた、それはそれで娯楽たり得る、と考える者が多いのは、大罪迷宮都市であるからだろうか。祭りを楽しむ者達は誰しもが浮かれながら、白亜の冒険者達の人生を賭けた戦いを肴に酒を飲み、笑っていた。

 

「完全に見世物だな。俺等」

「屋台もたくさん出ていますね……」

 

 訓練所前、グラウンドにて、

 

 柵の外から見える活気あふれる街並みをウルとシズクは眺めていた。町の住民たちはえらく楽しげである。それを苦々しく思うのは、自分もまた、彼らの肴となる一人だからだろうか。

 しかし、こうしてお祭り騒ぎをしてくれるような都市民達がいるおかげで、今回のような好機が巡ってくるのだと思うと、複雑な気分だった。

 

 ともあれ、こんな悩みは後から幾らでも出来る事だ。

 ウルは目の前の問題に意識を切り替えた。

 

「装備の準備、出来たかシズク」

「ええ。ウル様もお似合いでございますよ」

 

 ウルの問いに、シズクは頷く。ウルもまた、準備を整えていた。

 

 ウルの姿はいつもの迷宮探索の武装と大きくは変わらず、しかし細部に念入りな準備が施されていた。普段から装備していた鎧はいつもの通りだったが、丁寧に磨かれ、もろくなった部分は新調され補強されていた。左腕に装着された【白亜の盾】は既に購入してからしばしたち、腕にも馴染み深いものとなっている。前評の通り、特殊な魔術効果もなにももたらしてはくれないが、純粋に頑強だ。腕に装着する細工も単純で、それ故に壊れにくい。

 そして身体は、前回購入を見送った【白亜の鎧】を身につけている。安く、正直言って見た目は不格好なモノではあるが、性能は確かだった。

 首には【対衝のアミュレット】が二重にかけられている。名称の通り、強い衝撃を防ぐ効果の魔術がかけられたアミュレットだ。効果は一度きり。使い捨てで銀貨一枚と相当に高価ではある。現在のウル達の収入を考えればかなり厳しいものだが、それを二つ、ウルは躊躇わず装着していた。

 

 シズクもまた装備は新調されていた。

 

 後衛であり、金銭的な厳しさからもそれほど装備の新調は行なってこなかった彼女だが、今回ばかりはがらりとその姿を変えている。訓練所から借り続けていた古びた杖は、都市外で出没する【喰樹木】を素材とした【緑木の杖】に変わっている。衣服も、殆ど都市民の娘の私服と変わりないような様から、杖と同じ【喰樹木】の葉と枝で編んだ【若葉の魔道着】を身に纏い、一新している。ついでに耐衝のアミュレットは彼女も一つ。

 

 そして、回復薬(ポーション)を5本、魔封玉を5個

 

 合計銀貨14枚と銅貨25、現時点でウル達が稼いだ金額のすべてを費やし、ここまでの装備を整えた。残金銅貨1枚とギリギリのギリギリだ。

 一通り自分らの装備を見直した後、ウルは一言もらした。

 

「金かかったな……」

「今日にいたるまでのすべてを費やしましたね……」

 

 すなわち、もはや後には引けないという事だ。

 

「おーおー、えらくガンぎまった装備だな。渡した金全部使ったか」

 

 その姿をグレンは半ばあきれ、半ば面白そうに評した。ウル達の装備から、おおよそどれだけの金を費やしたのか理解したらしい。

 

「グレン。まだ残りの金があるなら出してくれ、消耗品に回す」

「ねーよ。おめーらから預かった金は銅貨一枚も残ってねえ。スッカラカンだ」

「酒代につかっちゃいまいな」

「他人の血汗滲んだ金を勝手に酒に変えるシュミはねーよ」

 

 グレンはつまらなそうに否定する。

 実際ウル達の資金は完全に底をついた。底をつくまで今回の作戦に費やしきっている。これで“作戦”が上手くいかなければ、ほぼ無一文だ。迷宮に潜り魔石を得ればまた生活も成り立つが、“作戦”が無傷で済めばの話。大怪我を負えば治療費すら払えない。都市の滞在費も払えず、都市の外で無残な最期を迎えるだろう。

 にも拘らずウル達は躊躇いなく金を消費した。

 

 命を賭すギャンブルに身を投げ出す覚悟を決めている。

 

「……ギリギリで腹が据わったって事かね」

「ん?」

「何でもねえよ。それより背中のソレかよ?例のブツは」

 

 ああ、とウルが背中に背負うのは、何時も使用している鉄の槍ではない。

 白く大きな布に覆われた長物であり、一見して何なのかは不明だ。隠してあるのは、これが作戦の要であるからである。万一にでも情報を伏せるために古布で隠されている。

 これにてシズクの“作戦”は完了した。正直、作戦、というも怪しいギャンブルだが、少なくとも現状ウルたちが取れる唯一の策。失敗すれば全てが終わりだ。

 

「大変だねー」

《ねー》

「呑気してないでくれないか、事の元凶その1と2」

 

 そんなウル達の様子を見学するのは、ゴルディンフェネクスのディズ、そしてウルの妹であるアカネの姿だ。アカネは蛇の姿でシズクの肩にぶらさがり、ディズは呑気そうな顔でウル達の姿を眺めている。

 

「何しに来たんだ」

「茶化しに」

「帰ってくれ」

 

 アカネはともかくディズに心底帰ってほしい。こちとら命をかけたギャンブルに今から飛び込もうというのに。

 

「君に無理難題ふっかけた張本人としては、最初で最後かもしれない勇姿を見守ってあげたいという乙女心を分ってほしいものだね」

「乙女要素皆無だが。悪徳借金取り要素しか感じない」

「実際そうだしね……っと、貴方とは初めましてかな?シズクさん」

「いえ、一度“都市の外”で会ったことが。会話はありませんでしたが」

 

 ディズとシズクは顔を見合わせて、そして互いに握手を交わした。

 

「初めまして。シズクと申します。ウル様と一行(パーティ)を組ませていただいています」

「初めまして。ディズだ。ウルの妹を買い取った人間だ。黄金不死鳥というギルドに所属している。よろしくね」

 

 二人は顔を見合わせてニッコリと微笑みあう。正直性格はあまりかみ合うところの見えない二人だったが、意外と、というべきか二人は朗らかな雰囲気で笑いあっていた。

 

「ウルがお世話になっているそうだね。これからもどうかよろしく頼むよ。先があれば」

「頑張らせていただきます。ディズ様もアカネ様の事をよろしくお願いしますね」

《よろしくなーねーたん》

 

 アカネも交じり、3人は楽しそうであった。これから宝石人形と殺し合いに行くと言ったらウソに思えるだろう。本当にウソならばどれだけよかったか。だが、残念なことにそうではない。

 

「さて、楽しい会話もこの辺に。ウル、頑張りなよ?君にアカネの命運がかかっている」

「言われるまでもない」

「いや、多分わかってない。だから警告をしよう」

 

 ディズは、そう言って。アカネとシズクから少し距離を離すようにウルに近づき、そして小さくウルにだけ聞こえる声で語り掛けてきた。寒気を感じるくらい冷たい声音で。

 

「もし、君が今回失敗した場合、アカネの処遇を保留してあげていた理由はきれいさっぱりなくなる。その結果彼女に待ち受けているものは決して生易しいものではない」

「……」

「精霊憑きは未知だが、それを調査する心得のある技術は保有している。その価値を失わせず“分解”することくらい訳はない。そしてそれを止める気は私にはない。今度は、どれだけ君が懇願しようともだ」

「……」

「覚悟して、挑むといい。成功を祈っているよ。本当に、ね」

 

 それだけ言って、彼女は近づけていた顔を離す。その時にはいつもの笑顔だった。

 彼女の宣告は、ウルが僅かにでも無意識に期待していた、最後の逃げ道をキッチリと踏みつぶしていった。退路はない。今自分が立っている場所は正真正銘のがけっぷちであるという事を。

 だが、それはもはやわかっていたことではある。ウルは冷静だった。

 

《にーたん》

「アカネ、大丈夫だ。待っていろ」

 

 アカネの頭を撫でる。心地よさげにするアカネを愛しく思いながらも、そのままウルは自分の両手を見つめた。ひと月前と比べれば、ボロボロで傷まみれだが、何度も皮がむけ強くなった。勿論両手だけじゃない。

 シズクを見る。初めて出会ってからまだ短い。だが、血よりも濃い契約を彼女とは結んだ。背中を預けることに、もはや躊躇いも恐れもしない。

 

 努力は重ねた。たった一月、されど死に物狂いの一か月だ。

 

 自分よりも才能のある者はごまんといるだろう。努力をしてきた者も。だが、このひと月に限るなら、自分よりも必死となった者はそうはいないはずだ。

 

「さて、と」

 

 不安を飲み干し、ウル達は今日の戦いの舞台へと足を運ぶ。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪迷宮グリード、入口

 日々、常に賑わいを見せる、グリードにて最も金と人が行きかうこの場所、しかし今日この日、この場所は静寂に包まれていた。しかし人がいないわけではない。普段よりも少ないが。いつもは迷宮への行き来で人は流れるようだが、この日は違う。その光景を言葉にするなら、冒険者たちが“つまっていた”。数にすれば数十人の冒険者たち。彼らが各々の武器を携え、言葉も交わさず、その場に立ち並んでいた。

 全身をくまなく鎧に包んだ者や、あるいはその逆にみすぼらしい、農民と変わらないような姿の者まで。しかしその瞳だけはやけにギラギラと鈍く輝いていた。顔を動かさず左右に眼球を蠢かせ、周りの人間を警戒する。互いに互いを出し抜かんとする濁った感情が行き交っていた。

 

 異様な光景だ。大規模な魔物の討伐作戦であっても、あるいは都市間同士の“いさかい”の時でも、こうはなるまい。“討伐祭”という、特殊な催しにしか見られない特殊な光景だった。

 

「よくぞ集まったな! 冒険者ども!!」

 

 そこへ声が響く。よく響く太い男の声だ。

 広間に備え付けられている壇上に上がったのは、頭を丸めた筋骨隆々の厳めしい男。軽装で武器もなく、修行へと赴く武闘家のような恰好ではあるが、その右手の指にのみ輝くような装飾の施された銀色の指輪があった。

 銀の指輪、即ち一流の冒険者の証、名は“鉄砕のコーダル”で通っている。人格共に優れ、冒険者たちにも慕われている彼が本日の祭の司会進行者だ。

 

「これより宝石人形の討伐祭が開催される。足並みだけを揃えての賞金首の奪い合いだ!共闘は自由だがあくまで各自の判断に任せられる。賞金は最初にそれを撃破したものが総取りだ!冒険者としての規則を守る限り、手段は問わん!」

 

 乱暴な、ルールとすら言えないようなルールではあるが、しかし銀指輪の冒険者がそれを宣告するとそれだけで真実味が増す。それほどまでにこの世界における“指輪”の持つ力と信頼は絶大だ。コーダルの背後に並び立つ、彼と同じくして銀の冒険者たちがさらにその言葉への信頼を厚くさせる。

 

「そして喜ぶがいい諸君!討伐祭に合わせ、太っ腹な我らが冒険者ギルドが賞金を金貨五枚上乗せしてくれた!勝てば金貨15枚だ!!」

 

 その言葉にどよめきが走る。淀んだ熱気がさらに強くなり、士気は跳ね上がった。同時に参加者同士に向けられる殺意も同等以上に跳ね上がった。

 

「戦え!勝ち取れ!勝利せよ!!!勇猛なる者にこそ全能の神ゼウラディアの加護がある!」

 

 ゼウラディアの教えに基づく祝詞、繁栄を司る神の言葉は、冒険者たちにとってこの上ない着火剤となった。溜まりに溜まった冒険者たちのギラギラとした熱意は爆発し、歓声となって広間を包み込んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 熱狂を背に、熱弁をふるったコーダルは壇上から降りて一息ついた。背後の活気は上々だ。正直言えば、こういう“火付け役”というのは別に得意というわけではないのだが、自分の言葉で熱狂を巻き起こすというのは中々悪くはない。

 

「お疲れさんですコーダルさん!大成功ですね!!」

 

 同じギルドの後輩が嬉しそうにはしゃいでいる。名はアレイと言ったか。素直で可愛げのある子だったが、此処は「自分こそが!」と名乗ってくれた方がコーダルとしては喜ばしかった。

 ここの所の新人は、素直だが冒険心に欠ける。冒険者たるもの命を賭してこそ、というのが彼の心情、それ故の先ほどの激励であったのだが、当の身内にそれが伝わらないというのは中々難しいものだ。

 

 などと、時流と自身の考えの相違を感じる年寄りのような悩みを抱えていると、目の前の後輩の顔が唐突に顰め面にかわった。

 なんだどうしたと思って振り返れば、そこには知った顔が一人。

 

「冒険者もどきのクズどもを死地に追いやる仕事は大変だな、コーダル」

 

 グレン。古い友人。悪名高いグリードの訓練所の長にして唯一の指導者、そして冒険者界隈の中でも“嫌われ者”。理由は3つ。冒険者“もどき”達が最初に叩き込まれる訓練所にて、彼の指導があまりにも“出鱈目”であるという点、こんな風に冒険者のくせに冒険者に対して四方八方皮肉をぶちまける点、にも拘らずとびぬけた実力者で黄金級という英雄の称号をもっている点。以上の三つ。

 もっとも、コーダルはこの男の事は別に嫌ってるわけではなかった。

 

「ほう珍しいなサボリ魔!いつもこういう祭りごとは面倒くさがってこなかっただろうに。討伐祭は特にな」

「自分の教え子がくたばる処なんぞ好き好んでみるような悪趣味な人間に見えるか?」

「らしいことをいうな?不良教師め!」

 

 不良教師、と呼ばれてもグレンは特に気にした様子はない。そうだと思ってるからだ。

 もっとも、そういったコーダルは逆に、そうは思ってないのだが。少なくともこの男の教育は、過剰ではあるが、的を外しているわけではない。実際彼が教えを三日ほど続けた者は、それだけで生存率が高くなる。三日と彼の訓練を受け続けられるものは一度に半分もいるかいないかといったところだが、それでも大きな成果だ。

 

 夢を見た冒険者の心を折る仕事、などとグレンは自嘲するが、コーダルはそれも立派だと思う。死んで、唯一神の許に旅立てば、夢をまた見ることすら叶わないのだから。

 

「それで、あんたはいったい何をしに来たんだ此処に」

「なんだよアレイ。俺が何をしようと勝手だろ。それともまた泣きべそかいてケツに蹴り入れられたいか?」

 

 尻を守るようにして顔を真っ赤ににらむアレイを、グレンはケラケラと笑った。

 このように、教え子の名前はキッチリ憶えていたりと、妙に律儀な処はある。要はひねくれ者なのだ。この男は。

 

「で?そんなお前が珍しくここに来た理由はなんだ?」

「悪趣味な真似しに来たんだよ」

「悪趣……なんだ、教え子を見に来たのか?本当に珍しいこともあるものだな」

 

 コーダルは振り返り、今係の者たちにぞろぞろと誘導されていく冒険者たちを眺める。

 

「貴様基本、卒業した者は放置だろう?何か思い入れでもあるのか?」

「卒業してないから見に来たんだよ」

「してない……いやちょっと待て、その教え子、お前のところにきて何日目だ?」

「3週間と少し」

 

 その回答に対して、若干の空白が生まれた。最初に動き出したのは、アレイだった。

 

「冒険者始めて一月も経ってないやつが賞金首に挑んでるのか?!」

「そうだよ。ちなみに15くらいのガキ二人な」

「何を考えてるんだ!!というか止めろよ!!」

 

 確かに、血迷っているとしか言いようがない。賞金首に挑むなら最低でも1年は修練を積むのがコーダルのギルドの、否、おおよその冒険者の常識だ。莫大な報酬、だがそれ以上に割に合わないリスクが待ち受けているのが賞金首だ。

 正気の沙汰とはとても思えぬ。その指摘はもっともだった。だがグレンは悪びれる様子もなくニタリと笑った。

 

「血迷いもするさ。当然だ。何せ俺たちは“冒険者”だぜ?てめえの命賭けたギャンブルをせずに何が冒険だよ」

「いつの時代の話だそれは!名無しを迷宮に飛び込ませるための煽動文句か!」

 

 アレイは怒り狂うが、知ったことではないという風にグレンはそっぽをむいた。

 確かに昔はそういう時代もあった。迷宮が大地に溢れ、住まう土地が限られ、迷宮の脅威から都市を守るため、精霊と心交わせぬ者達、“名無し”を過剰にあおり立て、迷宮や、危険な人類生存圏外に突入させていたような時代が、無茶と無謀が溢れかえっていた時代があったのだ。

 

 コーダルもその時期を肯定する気にはならない。迷宮の脅威をいち早く抑えるためとは言え、あの時期はあまりにヒトの命が安すぎた。だが、あの時期、無謀な綱渡りを渡りきった英雄が幾人も生まれたのも事実ではあった。

 

「そんな絶滅危惧種がよりによってお前の弟子とはな。どんな奴よ?」

「冒険者嫌いと、乳のでかい聖女みたいな面した悪女」

「カカッ!また冒険者らしからぬ連中だなあ、おい!そいつらはやれんのかよ!」

「さあな、当人に聞け」

 

 グレンは知らん顔をしながら、挑戦者たちの後を追うようにのんびりと迷宮へと降りていった。危険な賞金首をゲームの景品のように扱う討伐祭だからこそ、死人を可能な限り出さぬよう、実力のある冒険者たちが万が一の際の救助を行うのも討伐祭のルールだ。

 支援者としてグレンは潜り込むらしい。つまりはそれだけこの男は入れ込んでいるのだ。

 

「こいつは期待できる祭りになりそうだ」

 

 “噂”を聞く限り今回の宝石人形の討伐は“つまらない結果”になりそうだとひそかにコーダルは予想していた。が、どうやら面白いものが見られそうだと彼は笑った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 迷宮の地下広間

 

 迷宮の外に存在する大広間であふれ出た活気とは裏腹に、此処に移動した冒険者たちは静まり返っていた。黙りこくり、それぞれの武器を片手に握りながら、じっとその時を声も出さずに待っていた。

 熱気は放出されず冒険者たちの内側にこもり、瞳だけがこの薄闇の中でギラついていた。

 

 大広間の出入り口には支援者の冒険者が並び封鎖していた。彼らは参加を希望した冒険者たちが揃ったのを確認すると、内、一人が前へと進み出て口を開いた。

 

「では、これより宝石人形討伐祭を開催する!参加者同士の殺人の禁止をのぞいてルールは存在しない!いち早く宝石人形を討伐できた者が勝者となり賞金が支払われる!!」

 

 その宣誓に冒険者たちの緊張はピークに到達した。最早熱気というよりも殺気に近い。封鎖した冒険者たちを押しのけて飛び出さんとするような圧が充満していた。ヘタすると暴動にもなりかねないほどだった。

 

 その空気を支援者たちも感じ取ったのだろう。最初の短い説明を終えると、同じく封鎖していた支援者たちに合図を送り、そして向き直ると、

 

「では、討伐祭を開始する!!」

 

 そう言って、迷宮への入口を開放した。

 

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!

 

 怒号が迷宮を埋め尽くし、そして出入り口に一斉に冒険者たちは流れ込んだ。

 先頭を行くのは上階層の支配者レッドオーガ、更に彼らに続いて続々と冒険者たちが流れ込み、複雑怪奇な迷宮の通路へと分かれていった。

 そして、その中にウル達もまた、いた。

 

「行くぞ。シズク」

「ええ。ウル様」

 

 こうして、多くの願いと欲望行き交う討伐祭が始まった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

討伐祭②

 

 

 迷宮の広間から、数十の冒険者たちは四方八方へと散らばった。

 

 迷宮では人の数が多くなればなるほど迷宮の抵抗、魔物の出没は激しくなる。パーティ同士がかち合った場合、速やかに距離を置くのが、少なくともこの大罪迷宮グリードにおいては常識だった。

 尤も今回の場合は、他のライバルを出し抜くために分かれたという方が正しいのだが。横並びに一斉に走り出して、ライバルを出し抜けるわけがないのだ。

 

 しかし、そうやってバラバラに分かれたとしても、魔物が出てこないわけがない。いつも以上に溢れかえった探索者たちに活性化した迷宮は対抗し、そして侵入者を攻撃すべく魔物を生み出す。

 

『GIIIIII!!!』

 

 幸先よく飛び出していった冒険者たちの前に現れる小鬼、大蜥蜴。魔霊。二首大蛇、上層といえどそれぞれ決して油断できるような魔物達ではない。

 

 が、今の活気あふれる冒険者たちにすれば、彼らは邪魔者であり、眼中にはなかった。

 

「うおらあ!!邪魔だあ!!てめえらに用はねえんだよ!!」

「宝石人形はどこだごらあ!!」

『GYAAA?!』

 

 討伐祭の参加者一同、全力で魔物達を蹴散らしていた。彼らは活気と熱気に溢れ、それが勢いとなり普段とはまた別の力を引き出していた。もっともそれらは祭りに浮かされた熱のようなもの。普段以上の力を使えば当然、怪我の元となる。

 

『GAAAAAAA!!』

「ぎゃあああ!!腕!腕が!!!」

「畜生!死ね!しねえ!!」

 

 大怪我、死人が増えるのもこの討伐祭だ。

 

「怪我した者、リタイア希望者は此方に来るように!」

「安全に迷宮の外へと運びます!」

 

 故に、遠方から彼らを見守る支援者たちに意味がある。参加者たちよりも数段上の実力の彼らは、的確にけがをした冒険者たちをさばいていた。彼らの多くは指輪持ちであり、銀級の者もちらほらと存在する。

 銀級の実力者。彼らの中には、宝石人形を撃破する実力を持つ者もいる。が、討伐祭は基本、低い階級の者たちの祭りであり、彼らは参加を自粛している。ひな鳥たちの巣の中で、とびぬけた実力者が出張って、得られるのは名声ではなく白い目であり、賞金にしても信頼を損なった対価とするなら銀級にとっては安すぎるのだから。

 

 銀級にとってみれば、下手に参加するよりも支援者として、冒険者ギルドへの信頼を稼いだ方が得るものも大きいというわけだ。最も、普段の銀級の稼ぎを思えば、善意によるところが大きいのだが。

 

「う、うおお!離せ!俺はまだ戦えるうう!!」

「ハイになってるだけであんた腕ちぎれかけてんだから無理に決まってるでしょーが寝てろ!」

 

 起き上がろうとした怪我人を思い切り殴りとばしたターナという【治癒魔術師】もその一人。

 彼女の所属するパーティの中層への長期探索がちょうど終わり、長期の休暇で暇を持て余していたときに冒険者ギルドから声がかかったのだ。直接の参加はないが、以前一度支援者として参加したこともあり、彼女は了承した。

 

「怪我人の数、多いですなあ」

 

 彼女と同じく支援を行なっている治療魔術師がボヤく。尤もその男は彼女のような銀級はおろか指輪持ちでもない。小遣い稼ぎの支援者だ。今はターナの指揮の下働いているが、討伐祭は初めてだったのだろう。けが人の多さにうんざりしている様子だった。

 

「宝石人形との接敵が始まったらこんなもんじゃないよ。今捌ける所は済ませましょ」

 

 彼女の忠告に、男はうへーと顔をゆがませた。

 

「どっかすげー天才がぽかーんってやっつけちまっちゃくれませんかね、宝石人形」

「そういう期待はするもんじゃないよ」

 

 なにせ、と、彼女は以前経験した討伐祭を振り返る。そう何度も起こるようなイベントではないが、それ故に数少ない好機に対して誰もかれも必死になる。そして、それ故に、

 

「こういう熱に浮かされた連中はともかく、冷静な奴らがまともじゃない手段を選ぶのも、討伐祭って場所なんだから」

 

 要は、何が起こるか、わかったものではないのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 さて場所は少し変わり、多くの冒険者たちが宝石人形を探して四方八方迷宮内を駆け回っているその最中、宝石人形の位置を把握している【赤鬼(レッドオーガ)】の5人組は、彼らの喧騒から離れるようにして急ぎ、目的の場所に向かっていた。

 当然魔物は道中に現れる、他の者たち同様消耗もするが、しかし対処は冷静であり、落ち着きもあった。

 当然だ。彼らは宝石人形がどこにいるのかわかっているのだから。不要な戦闘をする必要がない、目的地に向かって一直線にいけるだけでも消耗の度合いが違う。

 

「ハハ!他の連中は無駄に右往左往してるんだろうな!!」

「勝利の女神様様だぜ!いや悪魔かな!!」

 

 シズク、という名の少女がもたらした情報、宝石人形の弱点は彼らにとってまさに棚から牡丹餅のような情報だった。宝石人形、賞金首に関しては彼らとて狙いはしていた。弱点を探るべく情報収集に奔走もした、が、中々発見は出来なかった。

 当然だ。賞金首の情報だ。勝利すれば莫大な賞金が手に入る。もし知っていたとしてもそうやすやすとは口を開くまい。“相応の金でも積まない限りは”。

 

 彼女、シズクとあの少年が“宝石人形の何か”を掴んでいると【赤鬼】が気づいたのはこの大会開催の直前だ。数日前から、深夜にグリードに出入りする彼らの存在に気づいた【赤鬼】は、シズクが一人になったところを見計らって彼女に詰問した。

 

 ―――私たちの運命がかかった情報です。易々と渡すわけにはいきません。

 

 複数人に囲まれて、()()()()()()()ではあったが、彼女は此方が脅しかけても一切口を割らなかった。脅しのため殴っても微塵も揺らがない。彼女が持ち掛けてきたのは交渉である。ただでは渡さないの一線は全く譲らなかった。

 彼女が要求したのは金貨1枚、赤鬼はその額を聞いた時、表面上は渋い顔をしたが内心ではほくそ笑んだ。金貨一枚は確かに高額だ、が、宝石人形、賞金首打倒のための情報と考えればその額はかなり安い。重要度にもよるが、本来なら賞金額の2割、下手すると3割以上を要求する事はままある

 

 その事実を、彼女は知らない。素人なのだ。

 

 暴力で口を強引に割らせることも出来たが、流石にそこまですればギルドに睨まれる。それならこのマヌケに端金を握らせた方が得だ。

 取引は成立した。彼らは金貨一枚で宝石人形の弱点、更にはその弱点そのものまで手に入れることができたのだ。実に安い買い物だった。

 

「おい、そろそろだ。お前らは待機だ」

 

 そういって、5人中2人、レゴとグロッグが通路に残る。残る理由はただ一つ。この情報を知っている他の人物に対する警戒。つまり彼女への警戒だ。

 

「わかっだ……でもあいつら、くんのが?」

「わざわざ念を押してきたんだぜ?あの女。必死によ」

 

 あくまで渡すのは情報とネズミのみ、討伐祭の撃破の権利までは譲る気はない。

 

 そう、念を押してきた。必死に泣きそうな顔で。彼らはそれをせせら笑いながらも了承したのだ。勿論、彼女達に宝石人形を討たせるつもりはさらさらない。故に見張りだ。

 もし、万が一彼女が此方に来たら足止めするように。

 

「とはいえ、真正面からくるかね?万が一まだ宝石人形狙ってても足止めされるってわかんだろ?」

「……いや゛」

 

 グロッグは気配を感じ、前を見据える。奇妙な光で照らされた通路から人影が近づいてくる。

 

「来たぞ」

「バカだねえ」

 

 レゴはヘラヘラと笑い、そして2人で並び武器を構えた。

 ここは迷宮の中である。迷宮内での冒険者同士の争いはご法度である。“基本は”。しかし今は討伐祭中、積極的な冒険者同士の争いが推奨されているのがこの祭り。殺しは流石に問題にはなるが、妨害程度は文句を言われることはまずない。

 

 まだ迷宮入りして一月足らずのど素人、囲んで威圧するだけで怯え竦んだあの態度、侮るには十分な要素が詰まっていた。

 

「お前ら止まれ。此処は通行止めだぞ」

「殴られたくなきゃ!消えろ゛!」

 

 武器を見せつけ、大声で警告する。あの時のシズクという少女と、更に彼女の相方であるウルという少年だ。なんとまあ、けんか別れもせずいまだコンビを続けているらしい。

 裏切られて男が少女を見捨てると思ったが、まあそれはどうでもいい。

 

 警戒すべきは、人数的にイーブンとなったことだ。その時点で【赤鬼】の二人は警戒を強めた。数の暴力で脅せると思っていたのだ。しかもその二人組が、此方の警告を完全に無視して、まったく怖れる様子もなく突っ込んでくるものだから、その警戒は加速した。

 

「通行止めっつってんだろ!!」

 

 レゴが手に持った大剣を鞘ごと振り回す。と、流石に2人とも足を止める。銀級にならずくすぶっている彼らとて、長年迷宮探索を続けてきた者たちだ。本気で戦えばどうなるか理解できないほど間抜けではないらしい。

 勢いに押されかけたが、相手が足を止めたことでグロッグも改めて警告する。

 

「いいが!これ以上近づいたら殺すぞ!!覚悟できてんのが!!」

「殺される覚悟はできていないなあ」

 

 と、そこで男の方が口を開いた。シズク同様怯えた様子はない。そして目が据わっていた。グロッグは警戒心を強めた。あまり頭が良くない彼だが、このガキのような眼をした奴は、あまりなめてかからない方が良いと知っている。

 

 覚悟が決まっている目だ。何をしてくるかわからない。

 

「あんたらの方が経験では勝る。やりあったらただじゃすまない。その間に宝石人形はあんたらの仲間が始末する」

「おうそうだぞ!だから―――」

「だが、」

 

 男は、ふっと、レゴ達二人から視線をそらし、言った。

 

「俺達だけに気を取られてていいのか?」

 

 次の瞬間、ウル達の背後から“無数の冒険者たち”が飛び出した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂人二人は地獄で笑う

 

 

 

 【赤鬼】の面々は驚愕していた。

 

 宝石人形とネズミ、この二つを封じ込めた小部屋への通路を進む最中、背後から何人もの冒険者たちが此方に向かってきているのが見えたからだ。最初はレゴ達かと思った。次にあの女、シズクが追ってきたのかと思った。だが、そうではない。それどころではない。

 

「いたぞ!!【赤鬼】の連中だ!!」

「追え!!!ぶっころせ!!!」

「殺しちゃまずいだろ!あいつらが持ってるもん全部奪え!!」

 

「あいつら何してやがんだ?!!」

 

 リーダーのオーロックは悲鳴のような罵倒の声を上げた。あいつら、とはもちろん足止めにと残していったレゴ達だ。だがそもそもレゴ達に指示したのは、シズク達の足止めのみだ。あんな大勢の冒険者たちの足止めをしろなんて、勿論彼らは指示していない。止められないのは当然だった。

 

 いや、そもそもだ。なんだってこんなにも冒険者たちが溢れかえっているのか?

 

 宝石人形の弱点、ネズミの件は殆どの人間には知られていなかったはずだ。で、なければ早々に、宝石人形に賞金がついた時点で即倒されていてもおかしくはない。では情報が知れ渡った?どこから?誰から―――

 

「あ、……あの女!!」

 

 思い当たるとしたら、あの銀の女しかない。

 だが、何故?何のために?ライバルが増えるだけ損なのに?

 まさか完全に宝石人形の事は完全に諦めた?!だが、参加しているのはオーロックも確認している。まさかその参加自体がフェイクだった?!

 

「おい!こっちの小部屋宝石人形がいるぞ!!ここだ!!」

「探せ!!何かがあるはずだ!!」

「おいやべえぞ!衝突起こり掛かってる!!てめえら出ていけよ!!」

 

「チィっ!!!」

 

 今は考えている暇はない。既に別ルートから小部屋に先回りしている連中まで出てきている。最悪、ネズミを確保しなければ危険だ。情報料が無駄になる。

 オーロックは宝石人形の小部屋へと足を急がせた。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 その様子を、荒れ狂う冒険者たちの陰に隠れたウルとシズクがじっと眺めていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 話は、シズクがウルに自らの所業を告白した一夜に戻る。

 

「バレていたのです」

 

 シズクは、静かにその事実を告げた。

 

「なに?」

「宝石人形の弱点を知ってると思しき人たちは、既にいたのです。情報の精度は私達ほどではないですが、私が【赤鬼】の方にバラすまでもなく、広まっていました」

 

 ウルは、しばし硬直し、それからゆっくり与えられた情報を飲み込んだ。

 マギカとの交渉で得られた情報は、宝石人形を倒す上で値千金とも言えるものだった。ソレは間違いない。そしてウルはその情報を得るため、グレンのツテを使い、ディズに頼み込んでアカネの力を借りてようやく手に入れた。故にその情報は絶対的で、唯一無二のものであると確信していた。

 ()()()()()()()()()()

 だが、マギカも言っていたではないか。

 

 ―――少し考えればわかる

 

 マギカは確かに人形に対しては膨大な知識を持つ女だ。しかし、彼女が立てた推論は、決して、特別な知識が必用なものではなかった。ある程度の人形の習性を知っていれば、たどり着ける推論だ。

 

 ―――あの女は優秀だが悪辣だぞ

 

 グレンの言葉が今更に頭の中でよみがえった。

 

「さらに言えば、“何かに気づいた奴がいる”と目をつけている人たちは更に顕著に存在しました。私たちの事も、気づいている人らは【赤鬼】の方々だけではなかったです」

 

 情報そのものを手に入れられずとも、それを所持するヒトの目当てはつけられる。

 討伐祭は日程も時刻も定められ、一斉にスタートを切る大会だ。情報を持っている者を目印に追跡し、おこぼれを得ようとする輩は絶対に出てくるだろう。

 

「連日迷宮に潜って宝石人形周囲を探索していましたから、悪い意味で私たちは目立ちすぎました」

 

 そして困ったことに、今回のケースに関してはおこぼれは非常に狙いやすい。ネズミを殺せば即、宝石人形が倒れるわけではない。あくまでも機能を停止するだけだ。宝石人形を封じてる部屋にウル達が突入し、ネズミを殺し、その後動かなくなった宝石人形を破壊するまではどうしてもタイムラグがある。

 ネズミと人形の破壊は誰にも邪魔されず速やかに行うのが大前提。おこぼれを狙う冒険者が周囲にいる状況では困難を極める。

 

 要は、ウルが選ぼうとしていた作戦は上手くいかない可能性が極めて高い。

 

「賞金を付けた神殿とか……冒険者ギルドも気づいていた?」

「可能性はありますね。ですが、祭りとなった方が彼らは得する事が多いでしょう」

「成程……成程な」

 

 徐々に、ウルも現状が飲み込めてきた。彼女の意図するところを。

 マギカから仕入れた情報、それ自体は間違いなく貴重だ。しかし、それを自分たちが有効に利用する事が困難であるなら、一刻も早く、その情報は売り払わなければならない。その情報が腐る前に。

 

「故に早々に売り払いました。ネズミという弱点の確保もプラスで金貨1枚分の価値にはなりました。意図を悟られないように、これ以上欲張ることはできませんでしたが」

 

 都合よく、此方にめどをつけて、私を強請ろうとしようとした人たちがいましたから。

 と、シズクは微笑む。シズクは金貨を懐から取り出し、ウルへと差し出した。金貨1枚、銀貨30枚分の価値のある、一月、ウル達が必死に迷宮に通い稼ぎ貯めた額以上の金額。

 

「これを使い、装備を一気に整えます」

「……倒す準備を?」

「はい。“暴走状態の宝石人形を打倒する準備を”」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そこから先は、作戦の調整だった。

 

 ウルとシズクは話し合い、残り少ない時間で装備品を調整し、同時に【宝石人形の弱点】という情報を“撒いた”。金はとらず、情報も大部分は伏せ、グリード内の彼方此方の酒場の盛り上がっている場所で、小さな噂話程度で拡散させたのだ。

 

 結果は、ウル達が想像した以上に、一瞬にして宝石人形の情報は拡散した。

 

 正直言えば、このやり口は問題になりかねないという予感はひしひしとしている。情報という無形のものを商売として取り扱う上でのタブーを破っている気がしてならない。【討伐祭】という、情報を掴んでも活用できる期日が決まってる特殊状況下においてのみ可能な外法。

 

 だが、今はそれは置いておこう。後の事は後で考えよう。

 

 結果として、今、この状況を生み出せた。

 

「うおおお!!その籠をよこせえ!!」

「うるせえてめえら!!どけ!!」

 

 混沌だ。宝石人形の弱点、ネズミの確保を巡って大乱闘が発生している。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』

 

 そしてそこに宝石人形が乱入する。最早誰もかれもが逃げ惑い、同時に【赤鬼】たちが確保したのであろう、籠に入ったネズミを探して大暴れだ。しかしネズミは殺せない。殺した瞬間、宝石人形の周囲を取り囲む連中が宝石人形を攻撃し、手柄を奪われるからだ。

 

 混沌とした膠着状態である。誰もが大暴れしながらも、()()()()()()()()()()()()()

 

「ウル様」

「うん」

 

 そして、この状況をこそ、ウル達は望んだ。宝石人形を討たねばならない状況で、しかし誰もが宝石人形には攻撃ができないこの状況。誰も彼も、明確な弱点が目の前にぶらついているのに、宝石人形を直接攻撃しようとは思わない。

 

「行くぞ【竜牙槍】」

 

 ウルは背中に背負っていた“モノ”を取り出した。

 

 古布から取り出されたそれは、一本の槍のように見える代物。だが実態は槍ではない。槍の用途にも使えるが、その実態は【兵器】に近い。金貨一枚、マギカと交渉し獲得したそれは、彼女が研究していた新型武装。個人が携帯できる超火力の大砲。

 

「咢開放」

 

 ウルは竜牙槍を前へと構え、柄に用意されていた可動部分を握り、弓の矢をつがえるようにして引く。大剣にも似た大槍の両端が、まるで獣の顎のごとく、大きく開かれた。

 

「魔道核起動」

 

 そしてそのまま、ぐいとウルは柄をひねった。大顎の奥に仕込まれていたモノ、魔道核が怪しげな輝きを放ち、そして充填されていた魔力を開放し始める。バチバチと、明らかに通常の魔道核とはケタが違う、凄まじい轟音が響き始めた。その時点で宝石人形から逃げ回っていた何人かの冒険者が思わず視線を向けた。

 魔道核の鳴動が最大に達した時、ウルは叫んだ。

 

「警告する!伏せた方がいいぞ、全員!」

 

 最初、その声に驚き、言っている言葉の意味を理解せず疑問符を頭に浮かべていた冒険者たちは、しかしウルの両手で握った武装から放たれる、明らかにヤバい破壊の光を目撃し、光から逃れるようにして宝石人形との間を空けた。

 

「【咆哮!!!】」

 

 咆哮、同時に充填された魔道核の光が、一挙に前方へ、宝石人形へと解き放たれた。光は莫大な熱と共に周囲を焼き払いながら真っ直ぐに宝石人形へと突き進み、一瞬にしてその体を飲み込んだ。

 

「うおああああああ?!!!」

「なんだあ?!!あっち!!」

 

 灼熱の光線が頭上を掠め、冒険者たちは悲鳴を上げる。見るも無残な乱闘から阿鼻叫喚の地獄絵図へと景観が一変した。が、それを生み出したウルはといえば、その光景を見る余裕など全くない。

 

「……っぐ……」

 

 灼熱の砲撃を最も間近で受けているのだ。両手で握りしめた【竜牙槍】が震える。全力で押さえないと両手から弾け飛んで暴れかねなかった。両足を踏ん張り支え、歯を食いしばる。迸る閃光が頬を焼く。それでも狙いは宝石人形、その頭からズラさない。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO…!!!

 

 唸り声、宝石人形が動き出した。真っ直ぐこちらに向かって。ネズミを守護するという使命とは別の自己保存本能、敵として此方を認識し、攻撃を仕掛けてきている。だが、いまだ頭は破壊できていない。

 

「一番脆い場所で…これか…!!」

「【氷よ唄え、貫け】」

 

 巨大な手が迫る。避ける余裕はない。距離を置いた背後からシズクの詠唱が響く。頭上に巨大な氷の矢が生み出される。宝石人形の手が迫るその直前、巨大な刃は完成に至った。

 

「【氷刺】」

『O』

 

 巨大な氷柱はミシリ、と、ヒビだらけになった宝石人形の頭部を、刺し貫いた。

 

「あ……」

「おお……」

 

『oooooOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……』

 

 それは、声だった。洞窟の中を風が抜けるような、宝石人形の独特の奇妙な駆動音。だが、そう聞こえていたのも最初だけだ。何かが擦れ軋むような音が耳を劈く。ガクガクとその巨大な身体を震わせ、轟音を立て、宝石人形は地面へと倒れこんだ。

 

「たお……した?」

 

 冒険者の誰かが言った。確かにそう見えた。誰が見たところで、莫大な破壊の光と追撃の魔術が宝石人形を破壊した、ように見える。先ほどの混乱から一転して静寂があたりを包んだ。

 

「……キキッ」

 

 静寂を破ったのは、先ほどまで冒険者たち一同が死に物狂いで奪い合ったネズミの鳴き声だった。宝石人形の急所、宝石人形に設定されている“使命”、ネズミの鳴き声―――

 

「―――生きてる、だって?」

 

 その事実に声を上げたのは、ギルド【赤鬼】のリーダー、オーロックだった。生きてる。守護対象、宝石人形の目的そのもの。それが生きてる。

 

 【魔道核を破壊されぬまま頭部が破損された場合、宝石人形は“暴走”する】

 

 彼の頭の中にある知識が警告を発する。そして、その通りの事象が目の前で起こりつつあった。

 

『O……OO』

 

 最初は石がヒビ割れるような小さな音だった。だが、それが徐々に連続して続くと、気のせいではないと誰もが理解した。巨大な何かがきしむ音、擦れ、何かが砕けつづける音。それらはすべて倒れ伏した宝石人形から聞こえてきた。

 

 形が変わる。頭部を失ったヒトガタが、そもそもの形を変質させる。両手は歪な足に、頭部を失った首は変形し、洞穴の様な口に変わり、歪み、そして嗤う。違うものになっていく。“全く違うバケモノ”に変わっていく。

 

『OOO……OOOOAAAAAAAAAAGAAGAGAA』

 

 先ほどまでピクリともしなかった。宝石人形が、動く。四本脚となり、超重量の身体を難なく支える。肉体は更に一回り巨大化し、人に似せた頭が喪われた代わりに、人とは似つかない歪で巨大な角の生えた獣の頭部が生まれていた。

 

 宝石人形“だったもの”が立ち上がり、そして咆哮した。

 

 

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』

 

 

 

 暴走状態となった宝石人形が、冒険者たちの眼前に姿を現した。

 

 一時的な静寂を引き裂く咆哮に冒険者一同は身をすくませ、しかしそれでもいまだ現状が理解しきれていないのか殆どの者が足を止めていた。呆然と、まるで見学でもするように目の前の“異様”を眺めつづけていた。が、

 

「……に、げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 誰がそれを叫んだのか、あるいは全員か。その悲鳴をきっかけとして堰を切るように冒険者たちは一斉にその部屋から逃げ出した。

 

「逃げろ逃げろ!!逃げろ!!」

「どう考えてもやばいぞありゃ!!?」」

「ふざけんなどけ!!!」

 

「悲鳴ばっかだな。討伐祭」

 

 その地獄絵図を作りした当の本人、ウルだけはどこか呑気にその光景を眺めていた。あるいはあきらめたような動作で竜牙槍の状態を元の槍に戻す。

 冒険者達が続々逃げていってくれるのはありがたかった。この後に及んで尚、宝石人形討伐を諦めないバカは自分たちしかおらず、ライバルがいないということなのだから。

 尤も、「暴走状態の人形は非常に危険であり、決して相手にしてはならない」と噂を広げるついでに脅しかけていたのはウル達だったのだが――

 

「てめえこのガキぃ!!」

 

 そんな風に思っていると、罵声と共に肩を赤鬼のオーロックにつかまれた。ウルは驚きもせず振り返る。彼は怒っていた。激怒である。赤鬼の名にふさわしく顔面を真っ赤に染めていた。

 

「どうした。赤鬼殿、逃げないのか」

「てめえなにしたのかわかっててやったのか…!!こんなもんいったいどうする気で!!」

「ウル様!!」

 

 そこに、シズクが近寄ってくる。彼女の声にオーロックは憤怒の形相で、何か罵倒を浴びせようと口を大きく開いた。が、

 

「良かった!!上手くいきましたね!!!」

 

 満面にして絶世の笑顔で歓喜する彼女に、絶句した。

 

 オーロックはおろか、その場でまだ逃げようとどたばたとしていた冒険者たち全員が、彼女の澄んだ声を聴き、そして言葉を失った。彼女は頬を赤く染め興奮し、花のように綻ばせていた。心の底から喜んでいた。この死屍累々の地獄絵図と、バケモノを誕生させた結果を。

 その背後で暴走した宝石人形にぶっ飛ばされた冒険者達の血しぶきが飛び散っていた。阿鼻叫喚を背に歓喜を振りまく銀の美少女の姿はあまりにも邪悪だったが、絵にはなった。

 

「ああ……そうだな」

 

 ウルは震えだしそうな足に力を籠める。鳴りそうになる歯を食いしばり、そして笑みに形をゆがめ、彼女に同意する。彼女はイカれている。それは違いない。そしてそんな彼女の狂気に乗っかると、既に決めたのだ。故に、

 

 普通を辞める時が来た。

 

 “たが”を外す時が来た。

 

 狂気に身を置く時が来た。

 

 さあ、笑え、狂え、構えろ。眼前の地獄に向かって突撃しろ。全ては“己”のためにある。己が為に命を使う、繕いようもない自己満足のために、地獄の底に飛び降りろ。

 ウルは笑った。大声で。狂った策略が見事に的中した事実を哄笑し、叫んだ。

 

「ああ、最高だ!完璧だ!!さあ後は勝つだけだ!!!!」

「はい!!!」

 

 かくして狂人二人は地獄で笑う。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!』

 

 

 ―――宝石人形戦 開始―――

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宝石人形との闘い

 

 

 討伐祭の動向を見守る冒険者ギルドの面々は大慌てになっていた。

 

 宝石人形との接敵、更にそこから始まった冒険者同士の争いと宝石人形との戦闘。慌ただしい流れの中、救助隊や治癒術者達は迂闊に割って入ることも出来ずにいた。ヒトが集まりすぎると迷宮は猛威を振るう。その引き金を自分たちが引くわけにはいかなかった。

 そんな状況下で宝石人形が暴走状態に入ったものだから、酷いことになった。混乱し、一斉に逃げ惑う冒険者たちをなんとか制御し、小部屋から出口の通路へと誘導するのに支援者たちは声を張りつづけていた。

 そんな大騒動の最中、コーダルと、訓練所の主グレンは、宝石人形の暴走の瞬間をしっかりと目撃していた。

 

「おいおいおい、やりおった。やりおったぞお前の弟子!」

「あーあーあー、やっちまったなあの野郎」

 

 そして盛り上がっていた。

 暴走の経緯をコーダルは見ていた。ウルがワザと暴走させた瞬間もだ。

 あるいは、事故のような形で誰かが先走って宝石人形が暴走する可能性は十分にあると彼も予想していた。だが、まさか宝石人形の弱点、カラクリに気が付いてなお、それを放り捨てて暴走状態にする者たちが出てくるというのは予想していなかった。しかもそれはこのグレンの弟子であるという。

 

「命知らずにもほどがある。お前の弟子バカなんじゃないのか!?」

「俺もそう思うよ。否定する要素がないね」

 

 グレンの弟子達の作戦(と言うにはあまりに乱暴だが)の意味は分かる。

 

 “宝石人形の急所の存在”に関してのうわさは、実はコーダル達の耳にも届いていた。故に奪い合いの争いになるだろうとの予想もついていた。実力が拮抗している銅以下の冒険者たちでは誰が宝石人形の急所を突くかもわからないであろうという事も。

 

 誰が急所を突くかもわからない運試し、不確かなギャンブルに賭けるよりも、暴走状態にしてしまえばライバルの数はぐっと減るだろう。

 

『GAAAAAGYAYAYAYAYAYAYYAYAYAAAAA!!!!』

 

 あんなバケモノ、誰だって戦いたくはないのだから。

 

 四肢を迷宮の部屋目いっぱいに広げ、窮屈なほどに膨れ上がった巨体。見た目通りケダモノのような咆哮を続ける頭と禍々しい角、それでもなお煌めき続ける体は迷宮の光に照らされて怪しげな輝きを続けていた。

 明らかな凶暴化。そして強化だ。人形の暴走は決して、知性理性を失うというだけの話ではない。魔石の代わりとなる魔道核からの魔力の過剰供給による“階級”の上昇。単純に魔物としての難度が数段跳ね上がる。

 

 元より賞金首としての難度を持っていた宝石人形がこの状態になってしまえば、白亜どころか、銅級の冒険者たちだってまともに相手していいものではない。

 

「それを、冒険者になって一月のお前の弟子が、勝てるのか」

「さて、な」

 

 グレンは気のない返事で返す。その彼の目の前で、宝石人形とウル達の激突が起こっていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 集中していた。

これほどまでに意識を集中させた事は無かった。それほどに今、ウルは感覚を研ぎ澄ませていた。理由は明白だ。そうしなければ死ぬしかないからだ。目の前の動きを全力で注視し続け、そして出来る限り上手く――

 

「ぐがっ!?」

『GAAAAAAAAAAA!!』

 

 殴られる。

 

 よける事は敵わなかった。圧倒的なサイズ差、元々の宝石人形の攻撃すら回避するのは難しかった。そして今の宝石人形は、いや、“元宝石人形”は、それに加えて、

 

『GIIIIIIIIIII!!!』

 

 回避不能な速度で、回避不能な巨体を振り回す。

 現在のウルの技量と力ではどうしようもなかった。華麗に躱すなどどう考えても不可能だった。

 

「ぐがあ…!!」

 

 だから吹き飛ばされる。叩きつけられる腕を、盾で受け、無駄に力まず、衝撃を流し、地面を転がり即座に起き上がる。

 可能な限りダメージが無いように。相手の行動前の動きを見極め、盾で、鎧で、兜で、身体で、受けるダメージが可能な限り少なくなる事にのみ意識を集中させ続けた。

 

 つまるところウルはサンドバッグになっていた。

 

 これが可能なのは装備をガチガチに固めることができたおかげだった。頑強な防具と、耐衝の魔術がかけられた魔具の多重かけによる完全な物理防御態勢。最初から暴走した宝石人形と戦うという前提での備えと心構えが、ウルを踏ん張らせていた。

 しかし、それでも、

 

「……き、っつ」

『GAAAAA!!!』

 

 前足が大きく振り上げられ、そして真っ直ぐにウルへと振り下ろされる。直撃すれば耐えられないという理解と死への恐怖が心臓をわしづかむ。足を動かし僅かでも攻撃の中心から外れ、盾を上へと、そして斜めに構える。一瞬間が空き、衝撃が振り下ろされる。

 

「がっ!?」

 

 衝撃が斜めに流され、それでも身体が一気に弾き飛ばされる。衝撃が一度、壁に叩きつけられ、地面に落ちる。自分が今どこにいるのか一瞬見失い混乱する。地面に転がってると気づく。

 怪我は?痛みは?全身が痛い。全身打撲だらけだ。しかし動けないほどの激痛ではない。

 問題なし、続行。

 

 だが、殴られる。殴られ続ける防戦の一方。当然だ。この戦いにおいてウルは盾だ。宝石人形の前に立ち続けるだけのデコイに過ぎない。そして攻撃は、

 

「【氷よ唄え、穿て、穿て、穿て】」

 

 ウルの背後に構えるシズクに一任している。彼女は詠唱を唱え、そして同じ詠唱を重ねる。術式の構築を変えず、時間というコストを積み上げ、迷宮に満ちた魔力を魔術の強化に充て、一撃の火力を増していく。そして、

 

「【氷刺・強化】」

 

 普段よりも二回りも大きくなった氷刺が放たれる。氷の刃は鋭い速度で真っ直ぐに、宝石人形の胸部へと飛んでゆき、

 

『GAAA!?』

 

 直撃する、その前に前足が氷の槍をせき止めた。その腕に深々と槍は突き立つ。前回は刃の一つも立たなかったことを考えれば、耐久性の劣化は明らかだった。だが、ただ攻撃すればいいわけではない、弱点の魔道核を狙い撃たねばならない。

 

 ウルを守る風鎧で一回、更に今の氷刺で二回、残り三回の魔術回数。

 

 魔術回数は残り三回。しかしウルの守りが最後まで持つ保証もない事を思えばあと二回。その二回で弱点を打ち抜く。それまで決して 集中を途切れさせるな。と、ウルは両の手、前足をじっくりと睨む。攻撃が飛んでくるとしたら左右のどちらか―――

 

「上から来ます!!」

 

 はっと、シズクの言葉にウルは身体を真横に突き動かした。確認する間もない。直後振り落ちたそれは、ウルが目視していた両手ではなく

 

「あ、たま?!」

『GAAGAGAGAGAGAGGAGA!!!』

 

 脳天を逆さに振り下ろした人形は、そのまま虚ろな眼孔でウルをにらみ、嗤う。マギカの住処で発見した人形と同じく、本来の人形の理から大きく逸脱している。最早完全に別の魔物だ。

 

「面白くねえ、よ!」

『GAAA?!』

 

 ウルは目の前の口蓋に横薙ぎに竜牙槍を叩きつける。鈍い音、砕ける音。

 ウルが砕いた直後、新たに歪み生まれた宝石人形の頭はやはり脆くはなっていた。元より宝石人形にとって頭は暴走を引き起こす弱点、しかも砕けた頭を更に急造で作り変えたのだ。竜牙槍の“砲弾”を撃ち込まなくとも、砕ける。

 だが、急所は此処ではない。頭がなくなったところで宝石人形は稼働し続けるし、破壊された部分は回復するだろう。狙うべきは宝石人形の急所、魔道核。

 問題は、それがどこにあるのかまるで見当もつかないことだ。

 本来なら胸元の中心、しかし今変形したこの状態ではいったいどこに―――

 

『GA、GAGAGAGA!!』

「いつまで笑って、」

 

 頭を逆さにしたままこちらを見て笑う宝石人形に、ウルはもう一撃を叩き込もうと前へ出て、気づく。宝石人形の口から光の瞬きが見えるのを。

 そう、あれはウルが先ほど竜牙砲ではなった一撃の光と似て――

 

「ウル様!!!」

 

 シズクが背後から魔封玉を一つ投げる。コツンと、宝石人形の頭にそれはぶつかって。直後に炎がさく裂した。【爆炎】の魔術が込められたそれが、僅かに宝石人形の頭を揺らした。

 次の瞬間

 

『GA――――――――――――――――――!!!!』

 

「「…………!!!!」」

 

 ウルが竜牙砲で放った光の、その何倍も凶悪な破壊の光が迷宮に放たれた。その威力は背後に控えていた冒険者ギルドの面々も即座に身を隠すほどのもので、眼前でそれを受けたウル達は、体を伏せるので精いっぱいだった。

 

 シズクが方向をそらしてくれていなければ確実に死んでいた。

 

 頭上、間際を過ぎる確実な死の光線に、ウルは背筋が凍るような気分を味わっていた。幸いにして、一度放てばその後は方向を変えられないらしい。ウルが足元に伏せているのに無関係な方向へと光の渦が飛んでいく。

 

「ウル様!!ご無事!!ですか!!」

 

 徐々に収まりつつある光の渦の破壊の最中、シズクは這うようにしてウルの傍に近づいてくる。ウルは一つ頷き、

 

「シズク!あったぞ!!魔道核!!」

「どちらに!?」

「喉の、奥だ!!!」

 

 ウルは目撃した。あの光の渦を放ったその直前、ウルの持つ竜牙砲と同じ光が宝石人形の喉奥から放たれていたのを。もしあれが、本当にウルの使った竜牙砲と同じモノであるなら、あのエネルギーは魔道核から解き放たれたに違いない。

 すなわち、宝石人形の急所!

 

「喉の奥!または胸部の上部だ!!狙うぞ!!」

「はい!!」

 

 互いにターゲットを確認した直後、光の破壊が止む。宝石人形は自らの敵が死んでいないのを確認し、再び怒り狂ったような騒音をまき散らし、突撃した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宝石人形との闘い②

 

 宝石人形もとい、宝石“獣”の暴走が始まって、冒険者たちは一斉に身を引いた。

 

 尤も、迷宮から逃げ出したわけではない。宝石獣の暴走の被害を受けないずっと遠方で、散り散りになりながらその宝石獣たちと戦うウル達の見物に移っていた。

 

「おいおい、あのガキ殴られっぱなしだぞ?勝つ気あんのか?」

「おらー!せっかくの大金のチャンス潰しやがってー!やられちまえー!!」

「おいそこだ!殴れ!何してんだ!!」

 

 くだらないヤジは飛び交うが、彼らの士気は低い。宝石獣と戦おうという気を持ったものはこの場にはいなかった。多くは宝石獣の荒れ狂いっぷりにすっかりしり込みしてしまっていた。彼らの中には銅の指輪持ちの人間も幾人かはいる。彼らが装備を充実させれば、あるいはウル達以上に宝石獣に立ち向かう事もかなうかもしれないが、そうしようという者は出てこなかった。

 “ネズミ退治”と比べるとあまりにリスクが大きすぎた。敵が強大過ぎた。故に戦わない。今日を逃すとも、彼らには明日を生きていくための迷宮が残されている。彼らは賢明と言える。ウル達のように無謀な真似はしない。

 

 だから彼ら冒険者ギルドの面々よりもさらに後ろに下がりつつも、自分たちの邪魔をしたウル達にやじをいれる者。あるいは冷静に装備品の確認とパーティの状態をチェックする者。あるいはウル達が力尽き死ぬのを前提として美味しい処だけをかっさらうべく準備を進めている者もいた。

 

 そんな中、最前でウル達を見学するグレンのもとに近づく女がいた。

 

「なあ、オイ、不良教師。グレン」

 

 ウル達が今利用している酒場の客の一人、ナナだ。いつも酔っぱらっている彼女だが今日は素面であり、難しそうな顔をしていた。

 

「あん?ナナじゃねーかお前久しぶりだなあオイ。お前も参加したの?」

「あたしゃスタッフの方だよ。あの子らが心配でね」

 

 アタシの事なんてどーでもいいんだよ。とナナは首を振り、彼女はウル達を眺める。切羽詰まっている。そういう印象は酒場に来てた頃から感じてはいたが、まさかここまで危険なギャンブルに手を出すとは思わなかった。

 

「アイツラ、勝てるの?」

「さーな。アイツラしだいだろ」

「あんたの見立てだとどうなのって聞いている」

 

 ふむ、とグレンは首を傾げ、前を見た。目の前では依然としてウルがボコボコに殴られている。その様を見て、両の手を広げた。

 

「五分五分」

「五も勝率あるのかい……?」

 

 ナナから見ても“宝石獣”の強さは凄まじい。宝石人形は魔物の十三階級のうち十級に属していたが、攻撃力だけをみるならアレはどう見ても九級相当の魔物だ。それを、一か月そこらで冒険者になったばかりの子供が相手にするなど正気の沙汰とは思えない。

 

「本来以上の力を強引に引き出してる魔物が、真っ当でいられるわけがねえだろ」

 

 グレンは宝石獣の方を指さしてみせる。彼が示すのは宝石獣の右腕だ。先ほどからまるで嬲るようにしてウルを叩きのめし続ける右腕の関節部、ちょうど人間の肩に当たる部分が、よくよく見れば細かなヒビがいくつも走っている。

 

「……あれは?」

「シズクの魔術の影響だけじゃねえぞ?あれは“自滅”だ」

「自分の攻撃で崩壊しかけてるのかい?宝石人形が?」

「迷宮は迷宮の魔物に魔力を提供する、だがそりゃ維持までだ。流石に回復まではしちゃくれない」

 

 宝石人形を暴走させ放置しての自壊は狙えない。迷宮が律儀に“暴走状態の維持必要量魔力”を提供してしまうからだ。が、それ以上の消費を強要し、破壊すれば、再生するわけではない。

 

「見た目の異形に気を取られてビビっちまうかもだが、そもそもありゃー、魔物としてのバランスが崩れて崩壊寸前な状況なんだよ。上手く突きゃすぐ砕けるぜ?」

「このままならアイツら勝てるって事?でもじゃあ、逆になんで5割なんだい?」

「やり直しは利かないからだ」

 

 その言葉には強い実感がこもっているようにナナには感じられた。

 

「あいつらがやってるのは綱渡りだ。一歩踏み外せば死ぬ。そうならないように最後まで渡り切れるかどうかっていう戦いだ。それを続けるには鍛錬が根本的に足りていない」

 

 際立った才能があるわけでもなければ、努力を重ねるだけの時間もない。一般人のウルの綱渡りはあまりにも不安定で、細かった。少しでも風が吹けば奈落に転げ落ちる。

 シズクには特別な才能がある。が、それを育む時間はウルと同じくなかった。磨かれぬ才能など只人とそう変わりない。ウルとリスクは同じだ。

 

 二人がやってるギャンブルはいつ落ちるとも分からぬ凶行であり、無謀なのだ。右に左に吹っ飛ばされて、ヨロヨロと立ち上がってはまた同じことを繰り返すウルの状態を見ればよくわかる。

 既に彼はいつ気を失ってもおかしくない。

 

「出来る限りの準備のおかげでギリギリ踏ん張っちゃいるが、最後までいくかね」

「……」

 

 しゃべっている間にも咆哮と轟音は響く、宝石獣は自分の腕を、足を、体を、頭を、好き勝手に振り回してウルをいたぶり続けている。グレンは5割は勝利するといったが、果たして本当なのか、ナナにはとても怪しく思えた。

 

 ナナのような協力者たちは、危険と判断した場合冒険者たちの救助は許されている。無論、そうすればその冒険者は失格となる―――

 

「―――ちょっと?」

「手出しすんなよ。その瞬間あいつらのチャンスが水の泡だ」

 

 何かを行動する前に、グレンはナナの肩をガッシリと掴んでいた。昔からそうだったが、この男は本当に心が読めるんじゃないかと疑わしくなる。

 

「あんたの弟子、死ぬよ?」

「かもな」

「だったら」

「これからアイツは地獄を見るんだ。その入り口で躓いてたらそれまでだ」

 

 グレンの言葉はどこまでも冷静で、しかしそれ故に真実を突いていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 宝石獣とウル達の戦闘は膠着していた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAGAAAAAAGA!!!』

「ガアッッ!!」

 

 宝石獣の伸びた腕から繰り出される横の薙ぎ払いを、ウルは白亜の盾で受け流す。かがみ、斜めに構え、なおも衝撃を流せず地面に叩きつけられ転がり、壁にぶつかる。痛みが腕と肩と背中に走る。もう痛くないところがない。

 

「逸らします!!」

 

 シズクの掛け声を聞き、ウルは即座に起きあがる。シズクが魔封玉を放り投げたのを目視するや、腰に備え付けた薬入れから回復薬(ポーション)を取り出し、即座に飲み干す。

 痛みが和らぐ。用意した五本のうち三本消費し残り二本。数を確認し、再び竜牙槍を握り

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAA!!!!GAA?!』

「そっちじゃないって言ってる!!」

 

 シズクへと気をそらし始めた宝石人形に突撃を叩き込む。再び宝石獣の狙いを此方へと向けさせる。シズクに注意を向けさせるわけにはいかない。魔術はまだ残り三回、発動するだけの隙を作るため、気をそらさなければならない。

 

 だが、持久戦ともなれば不利になるのがこっちなのは明らかだ。

 

 回復薬は残り二本、シズクは事前の作戦通り躊躇なく魔封玉を消費している。故に残りの数もそう多くはないだろう。現状で有効なものは後二つか、多くて三つか。

 突破口を掴まなければならない。あの口の中にある魔道核、あれを叩き壊しさえすれば、勝機が見えるのだ。なんとか、なんとか、なんとか!!

 

「おお!!」

 

 一撃、竜牙槍を宝石獣の右腕に振るう。それは役割を果たすための一撃だった。シズクから宝石獣の狙いをそらすために。

 

 そして、そのなんでもない一振りが決定的な結果を生んだ。

 

「……え?」

『GAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 ウルの突き出した槍が、宝石獣の腕を"叩き砕いた"のだ。

 

 ウルは宝石獣を()()()()していた。

 

 あの、まったくウルの攻撃に対して身動ぎ一つしなかった宝石人形。ましてその暴走体。一回りも二回りも凶暴化した完全なるモンスター。どれだけ準備を重ねたとしても準備不足な分の悪すぎる賭けの相手だと。

 

 実際、ウルのその見立ては正しい。宝石人形から変異した宝石獣はウル達が戦うにはあまりにも早すぎる強敵だ。しかし、だからこそ、ウルはシズクに攻撃を委ねていた。

 

 自分如きが暴走した宝石獣を傷つけることはできないという認識がどこかにあった。

 

 だが、シズクの魔術が通るようになったように、ウルが自分に誘導するために放ち続けた攻撃も、実のところ有効だったのだ。暴走状態が、ウルの想定よりもはるかに人形の肉体を脆く、弱くしていたのだ。そしてウルの攻撃がとどめとなった。

 

 そしてウルはその結果を全く予想できなかった。敵への過大評価と自身への過小評価が彼の判断を曇らせた。結果――

 

「―――ウル様!!!」

「……っは?!」

 

 想定外の結果は、たとえ好機であれ、致命的な隙を作り、

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「―――――」

 

 宝石獣の薙ぎ払いが、ウルを直撃した。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宝石人形との闘い③

 

 宝石獣とウル達の激闘を見物していた一同は総毛立った。

 

 先ほどまで互角に、いやそれ以上に勇勢に戦っていたようにすら思えたウルが、一瞬にして紙きれのごとくすっ飛び、壁に叩きつけられたのだから。

 

「ウル!!」

 

 ナナは思わず絶叫する。他の見物者たちも、あわよくばウル達の横取りを狙おうとしていた者たちに至るまで、思わず息をのむような衝撃的なシーンだった。全員の頭に、最悪の光景が過った。

 

「ほらみろ、まだまだ精神修行あめーなおい」

「呑気してるね!あんたの弟子ミンチになったよ!?」

 

 ナナからみても、ウルを直撃した反撃の一打は明らかに致命傷だった。彼の体は迷宮の壁にめり込んでいるが、はたしてその体がどうなっているのか想像したくなかった。

 しかし、グレンはそれでも冷静だ。

 

「今のは右腕が崩れて残った左腕だけで繰り出した一発だ。対衝ネックレスと守りの魔術重ねてるし死んじゃいめえよ」

 

 こういった事故が起こることを想定して、ウル達は出来る限りの準備を進めていた。即死することはない。もっとも、骨の一つや二つはへし折れていても不思議ではないし、意識があるかは怪しいが。

 

「もう無理だろ!助けに行くよ!!おまえら゛っ!?」

 

 仲間たちを引きつれ、ウル達を助けに入ろうとナナたちは飛び出した。飛び出そうとした、ところでグレンに首根っこをひっつかまれ、強引に止められた。

 

「なにすんだい!!」

「まだ終わっちゃいねえよ」

 

 グレンは指さす先に、ウルの後衛に努めていたシズクの姿があった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウルが壁に叩き込まれてからの、シズクの判断は迅速の一言に尽きた。

 

「……!!!」

『GAYHAAHAHAHAHA、GA?!』

 

 まず、備えてあった残る三つの魔封玉を一気に宝石獣に投げつけた。目障りな虫を叩きのめし、いいように笑っていた宝石獣は、突如目の前で発生した爆発、粉塵、そして爆炎にのけ反る。

 

「【風よ唄え、彼らを包め】」

 

 払うように残る左腕を振り回すが、魔術により生まれた炎と粉塵、それは掻き消えず宝石獣にまとわりつく。右腕を失いバランスも崩れているせいで思うように魔術を振り払う事は出来ていない。

 

 その隙に、シズクはウルがいるであろう、砕け散った迷宮の壁へと駆け寄る。

 見れば、凹みができている壁の中にウルがいた。少なくともミンチにはなっていない。鎧も、兜もほとんどがひしゃげているが、少なくとも人の形は保っている。

 

 急ぎ、首に指をあてる。心音がする。息もしている。

 

「ウル様」

 

 声をかける。だが、目を覚まさない。

 あまり衝撃を与えぬよう腰にある回復薬を抜き出す。衝撃で割れ、回復薬がこぼれている。シズクはそれをすぐにこぼさぬよう口に流し込み、それをそのままウルに口づけて注ぎ込んだ。ちゃんと飲み込めるよう、顎を掴み、強引に喉に落とし込ませる。

 

「ウル様」

 

 まだ目覚めない。

 ふむ?と、シズクは、頬を張ろうと平手を広げ、しかしその前に振り返る。

 

「……」

『GAGYAGYAGYAGAGYAGYAGYAGAYGYA!!!』

 

 宝石獣だ。魔封玉の魔術を振り払い切り、顔をこちらに近づけ、そして嗤っている。嗤っている。実に愉快そうに。自分の敵対者を叩きのめしたことが楽しくて仕方ないのだろう。子供のように純粋で、邪悪な笑いだった。そしてそのまま

 

『GAGGYAY-------!!!』

 

 拳を、振り上げる。残された左腕を大きく大きく、シズクとウルを、丸ごと叩き潰すべく。

 シズクはウルの身体を引っ張ってみる。抜けない。歪んだ鎧が食い込んでいる。引き抜く間につぶれるのが見えていた。

 

 残された選択は2つだ。ウルを見捨て、此処を逃げるか、守るか。

 

 彼女の最も優先すべき事項は“使命”である。

 使命の為にウルは重要ではあるが、不可欠ではない。

 彼がいなくとも、使命は達成できるのだ。使命が達成できなくなるリスクを背負ってまで、ここで彼を命がけで助ける意味は―――

 

 ―――お前は俺のものだ

 

「……ああ、そうでしたね」

 

 胸中に刻まれた約束が、先ほどまで頭に浮かんだ選択肢を捨てさった。

 

「守ります」

 

 ウルに背を向け、宝石獣を見やる。間もなく振り下ろされるであろう左の拳を睨みつける。

 

「【風よ、我と共に唄い奏でよ】」

 

 両の足で大地を踏みしめ、ウルを守るようにして、杖を両手に構えた。

 迫る死に立ち向かう事を彼女は選択した。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「【邪悪を寄せつけぬ堅牢なる盾で我らを包め】」

 

 振り上げられ、振り下ろされる拳。確実な死を伴う一撃を前にした彼女の歌にも似た詠唱は、思わず聴き惚れるほどに美しく、迷いなく、そして澄み切っていた。

 

「【風王ノ衣】」

 

 そして魔術が発現する。

 ウルを守るために彼女が生み出していた風鎧より上級の魔術がシズクとウルの身体を包む。本来迷宮内に現れる筈のない豪風は砕け散った迷宮の壁をも喰らい、巻き上げ、壁とする。迫る拳から主人らを護るにとどまらず、宝石獣の一撃を“弾き飛ばした”。

 

『GA?!!』

「発展魔術…!!戦闘中にか!!」

 

 驚愕に満ちた声がどこからか響くが、シズクには聞こえなかった。

 彼女は極限まで集中していた。自分たちを守る強大なる風の維持はすべて彼女の集中力にかかっていた。降りかかる拳は当然、一撃ではないのだ。

 

『GAGAGAAGAGAGAGAGAGAAAAA!!!』

「…………!!!」

 

 一撃が致死の攻撃が、繰り返し繰り返しシズクへと振り下ろされる。その度、暴風が吹き荒れ、その風圧でもって拳を弾き返す。拳は壁や地面、天井、果ては己自身の身体とあらぬ方向へとすっ飛び、しかしシズクには傷一つつけなかった。

 無敵とも思える風の結界、しかしそれを維持する彼女は、確実に削られていた。

 

「ああ……!!」

『GUGAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 シズクはおぞましい感覚に襲われていた。

 まるで荒れ狂う海の中一人溺れるような感覚、十分な準備と複数の術師で制御する強力な魔術をたった一人で操るのは至難だった。その状態で“風の鎧”を維持し続けなければならない。

 途切れそうな意識の中求められる集中と、それを殴りつけて妨害する宝石獣の攻撃、両端から体を引きちぎれそうな感覚でもなお、彼女は魔術を解くのを止めない。

 

 ウルを守る、その一心が彼女の意識を繋ぎとめていた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「……っか」

 

 不思議だった。誰が為、というのは彼女にとって日常だ。彼女は滅私の化身であり、己の事など二の次だ。それが当然、故にこそ、誰かのために力を尽くすのも彼女にとってはごく普通の事。

 

 なのに何故、こんなにも力が湧き出るのだろう。なぜこんなにも必死なのだろう。

 

 朦朧とした意識の中、理由を己が内に問いかけると、返ってきたのはあの夜感じた暖かさだった。魔力の枯渇で指先まで冷たくなる感覚に襲われる中、胸の中心だけが暖かさに満ちていた。それがシズクを奮い立たせた。

 

 この温もりは、感情は、なにか

 

「………………ぐ」

 

 後ろでウルの呻き声がする。起きたのか、あるいはまだ意識がなく蠢いているだけか。振り返る余裕が全くないシズクにはそんな余裕は全くなかった。しかし振り返ることも叶わないその後ろから、腕が伸びて、シズクの身体を確りと掴み、支えた。

 

「……シ……ズク」

 

 それは、縋りつくのとは違った。

 こちらを気遣い、そして助けようとする腕だった。気力を振り絞って、自分を支え助けようとしてくれている動きだった。そうと気づいた瞬間、胸の温もりが更に燃え上がる様にしてシズクの身体に広がり、気力を取り戻させた。

 同時に、この温もりの正体に気が付いた。

 

「……嗚呼、嬉しかったのですね、私」

 

 嬉しかった。大事にすると、守ると言ってもらえて、嬉しかったのだ。

 “罪深いことに、許されがたいことに、嬉しいと思ってしまった”。自分には過ぎたものだと思いつつも、そう思ってしまった。

 この温もりは決して失いたくはないと、そう思ってしまった。愚かしい。罪深い。でも今は――

 

「死なせはしません」

 

 決意を口にし、彼女は再び意識のすべてを魔術の維持に集中する。パチパチと頭の中で小さな火花が何度も散って、焼ききれそうな熱を感じる。それでも、彼女が魔術を途切れさせることはなかった。

 

「………………!!!」

『GAA!?』

 

 そして先に根負けしたのは宝石獣の方だった。

 

 振り回し続けていた宝石獣の左腕、右腕は砕け残された左腕にも大きな亀裂がいくつも入り始めていた。シズクの魔術の影響だけではない。自らの負担を全く顧みず、力任せに振り回し続けた結果だ。宝石獣は砕けボロボロになった自らの左腕に対して唸り、うめき声をあげる。痛みに苦しむ声ではない。が、その声からは煮えたぎるような怒りが発せられていた。

 風の衣はいまだ宝石獣の前にそびえたつ。あと数度叩きのめせば砕けそうなほどに弱り始めていたが、自分の左腕とどちらが先に砕けるのかわからない。

 

 そう判断したのか、あるいは単に煩わしくなったのか、結果、宝石獣は手っ取り早い手段に出る。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 すなわち、魔道核による破壊の光熱の準備である。

 

 自らの心臓、魔道核を稼働させ、破壊の光を生み出す。爆発的な熱量と光を身体で反射し、まるで宝石獣自身が光り輝いているようにすら見えた。近寄るだけで火傷しかねない熱量は、そのままこれから放たれんとする破壊の威力を物語っていた。

 対して、それを受けるシズクは、

 

「……まだ」

 

 と、口にしつつも、すでに魔力のすべてを完全に使い切っていた。そして魔術を集中するための意識も、全てを振り絞った決死の守りだった。しかし、それはもはや途絶えた。

 身体を支える気力すら、すでに残されていないのか、ぐらりと、杖を取り落とし、体から力が抜けて、

 

「やっと、急所を、さらしたな、木偶人形」

 

 その彼女を抱きとめ、ウルは立ち上がった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宝石人形との闘い④

 右手に竜牙槍を握り、左腕で倒れたシズクを支えるウルの身体は悲鳴を上げていた。

 

 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!

 

 全身が痛い。

 だが特に脳天と、竜牙槍を握る右腕からはことさらに強い痛みが唸っていた。ほんのわずかでも動かすだけで稲妻のような痛みが走る。涙が出そうだった。いや、実際今ウルの顔は血と涙と鼻血とでぐしゃぐしゃな状態だった。拭うもままならない。

 

「……か、ぐう」

 

 息をするのも辛い。肺が動くたびに体の何処かが悲鳴を上げる。じっとすることもままならない。地面に転がりまわって赤子のように泣きわめきたい衝動が頭の隅を過る。

 

 だが、そうはしなかった。

 

 ウルの思考は全く別のモノに支配されていた。それは

 

「……ああ、はらがたつ」

 

 怒りだ。

 ウルは怒っていた。腹が立っていた。煮えくり立っていた。目の前で、シズクによってことごとく攻撃を跳ね返され、癇癪を起こした子供のように最大の攻撃を放とうとする宝石獣など目ではないくらいに、ウルは怒り狂っていた。

 

「なんで、なんだって俺が、こんな、目に遭うんだ」

 

 壁にめり込んだ身体を強引に引き抜き、シズクをそっと地面に寝かせ、その左手で竜牙砲の柄を握りしめ、ウルは唸る。

 

 なぜこうなったか?理由はいくらでも思い浮かぶ。

 

 そもそも目の前の宝石獣が悪い。コイツが好き勝手暴れさえしなければこうはならなかった。それを言い出すと他の冒険者たちもだ。こっちの邪魔をしさえしなければ評価点が低いというリスクを飲んで安全な手段で宝石人形のまま討てた可能性があった。というかそれを言い出すとそもそもかわいいアカネを借金の担保に出したクソバカバカしい冒険者(笑)なあの父親がすべての元凶なのではクソクソクソクソ絶対にあの親父は殺す百回殺しても足りない。

 

 ああ、なにもかも、なにもかもだ!!!だがそれよりも何よりも腹が立つのは――

 

「なんで俺はこんな道を選んじまったかなバカ野郎!!!」

 

 この地獄、奈落の底に踏み出した自分自身だ。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

「うるせえ!!!」

 

 ウルは人形に劣らず叫び、睨みつけた。死の恐怖は怒りでかき消えていた。

 

「眩しいんだよ、この野郎!!」

 

 そして眼前で輝く魔道核へと跳躍し、竜牙槍を振り回し、

 

『GIAAAA!!!』

「あ?」

 

 槍は、空を切った。

 単純な理由だった。宝石獣が後方へと、この大部屋一杯後ろに跳躍していた。砕けかけていた左腕を地面に叩きつけ、その反動で跳ね退いたのだ。結果、残った腕も砕け散り、両前足を失った宝石獣は、それでも頭だけは此方へとゆがめ、光をウル達へと向け続けた。

 

『GU,GAGAAGAAAAA』

 

 嗤う。魔道核の駆動音とは別の、歪な嗤い声が聞こえてくる。嗤っている。その槍はもう届かないと、ボロボロになったウル達をあざ笑う狂った獣の嘲笑だった。

 

「――危ないとみるや遠距離攻撃、賢いな」

 

 ウルは、その嘲笑を意に介さず、少し感心したように声を漏らすと、

 

「“魔道核起動”」

 

 竜牙槍の柄を捻った。

 竜牙槍の中に仕込まれた魔道核は人形と同じく脈動を開始する。竜牙槍の動作手順は顎を開き、核を起動させる。その手順とは真逆に、顎を開放しないままウルは核の起動を開始した。当然そうなれば膨大なエネルギーの出口を失い、熱は内部に籠り続け、最後には爆散する。

 

 故に

 

「俺も真似しよう」

 

 ウルは、竜牙槍を“投擲した”。

 

『AGA!!!!?!?』

 

 迷宮によって鍛えられた力で全力投擲された槍は、此方に向かって大きく開かれていた宝石獣の口内に一直線に叩き込まれ、魔道核に突き立った。何かが砕ける音と、狂った駆動音が大部屋の中で反響する。放たれる直前だった宝石獣の閃光が飛び散り、天井や地面を焼き切った。

 そして遅れて、突き刺さった竜牙槍の核が限界を迎えた。溜め込まれたエネルギーが逃げ場を失い、爆散した。

 

『GIIIIIIII?!』

「良いな」

 

 ウルは自らが生んだ結果に満足するようにそういって、飛び出した。武器としていた竜牙槍は既に彼の手にはなく、しかしその代わり、彼の手には別の槍がすでにあった。

 

「【氷棘】」

 

 氷の槍、シズクが意識を失うギリギリで生み出した最後の魔術。それを握り、ウルは駆ける。宝石獣は己が急所の破損でもだえ苦しみ、地面をのたうっている。竜牙槍の爆散が宝石獣の頭を半分消し飛ばし、魔道核が完全に露出していた。

 

「とっとと死ね」

 

 跳躍し、渾身の力を込めた槍を、ウルは宝石獣の心臓に真っすぐに突き立てた。

 

『―――――』

 

 直後、まだ放出され切っていなかった宝石獣の魔道核のエネルギーが、衝撃と共に砕け散り、宝石獣は爆散した。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 宝石獣とウル達の激闘を眺めていた者たちは全員が息をのんだ。

 

 暴風と轟音、そして光と爆発、

 

 

『―――――』

 

 あれほどまでに荒れ狂っていた宝石獣の動きが、ピタリと止まったのだ。

 

 唸り声も止まり、荒れ狂う光の渦も停止していた。まるで呆然とするように動きを停止させていた宝石獣は、やがて重力の法則にしたがうようにゆっくりと、地面に倒れた。あれ程までの硬度を見せていたその身が、衝撃と共に崩れ、砕け、崩壊する。

 

「お、おおおおお……」

「お、おい!やったぞアイツ!!」

 

 ずっと距離を取って眺めていた冒険者が歓声とも驚愕ともつかない声を上げる。その横で討伐祭の実行を取り仕切っていたコーダルが矢継ぎ早に医療魔術の使い手たちや、救助を行う冒険者たちに指示を送り、宝石獣の残骸の撤去に向かわせた。その中にはナナたちの姿もあった。

 

 慌ただしく行き交う声と人の中、ガシャン、と、宝石獣の残骸を踏みしめる音が響く。

 

「―――――――」

 

 その場にいた全員息をのむ。

 宝石獣の残骸の頂上に、勝利者であるウルが姿を現した。背中にはシズクを抱え、立つ彼の姿はボロボロだった。身にまとってたはずの兜はなく鎧は半ばまでひしゃげている。装備していた盾は半ばで砕け落ち、握りしめている竜牙槍は、もはやただの残骸に等しい。頭から流れた血は顔をべったりと汚していた。

 

 凄まじい死闘であったことを物語る身体を引きずるようにして、ウルは歩き進む。そして最初から最後まで同じ姿勢を崩さず見物に徹していたグレンの前にたどり着いた。

 

「かった、ぞ」

「おう。やるじゃん」

 

 あまりにもさっぱりした、しかし初めてのグレンの称賛に、ウルは力なく笑った。そしてそのまま、この場に集まった冒険者たちに向けて、あるいはこの世界そのものに向けて、ウルは宣告した。

 

「俺達の、勝ちだ」

 

 そう言って、ウルはそのまま前のめりになって、倒れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭りの後

 

 身体を酷使しきった後の睡眠は、深く、心地の良いものだ。

 真っ暗な世界、思考が形を結ぶ前に解けて霧散していく海の底。不安な事は何もない。ただただ癒しをもたらしてくれる海の底。だからこそ、覚醒に伴う浮上は苦痛だ。

 

 意識がもう少し眠らせてくれと強請る。しかし身体は願いを無慈悲に拒否し、グングンと意識を浮上させていく。やるべきことがあるのだと訴えるように。

 やるべきこと。やらなければならないことは何か、と考えた時、脳裏によぎったのは唯一の家族の事。

 

「……」

 

 ウルは目を覚ました。

 目を覚ました。はずなのだが、なぜか目の前が真っ暗だった。夢でも見ているのだろうか、と思ったが、体は動く。自分が動かしている身体がこれは現実だと教えてくれている。ではこの闇は何か。

 

《にーたーーーん!!おきた?!》

「アカネか」

 

 顔面にへばりついてるモノを引きはがして、ウルは闇の正体をしった。アカネが顔にはりついていた。なぜに睡眠状態のウルの顔面にへばりついていたのかは不明だが、アカネは目を覚ましたウルを見て、手足をパタパタさせた。兎に角嬉しそうだった。

 

《いたいとこないー?!》

「んーダイジョブだ……シズクは」

 

 探す。までもなく、隣のベッドで横になっていた。

 重たい体を引きずりゆっくり彼女のもとに近づく。ベッドに横たわる彼女は規則正しく呼吸をして、幸せそうに眠っていた。少なくとも死んでるわけではないらしい。ウルはほっと息をはいた。

 

「……シズク」

 

 小さく声をかける。

 起きなければそれで良いと思っていたが、その声でシズクはぱっちりと、目を開けた。そして身体を起こし、ウルを確認すると、両腕を広げ、そして

 

「なん……おご」

「御無事でよかったです」

 

 タックル気味に抱き着かれた。中々の衝撃が病み上がりの身体を貫いたが、柔らかな感触があったのでよしとした。下を見れば、シズクは心底に嬉しそうに、安心したように微笑んだ。うっとりするような、愛らしい笑顔だった。

 

「躊躇いないなあ、シズクは」

「喜ばしい事ですから」

 

 どうあれ、彼女が無事でよかった。とウルは安堵のため息をついた。そして冷静になって、今さらながら自分がいる場所が、普段寝床としている馬小屋と違うことに気づく。

 

「貴方は3日寝てたんですよ」

 

 と、そこに聞いた覚えのある声がした。“以前”も世話になった30代半ばの女性。とても大きなエプロンを身にまとっている。療院の治癒術師。

 

「お金はありません」

「賞金の方から治療費は差っ引かせてもらいましたので」

 

 ウル達が担ぎ込まれた理由を知ってるらしい。当然か。

 

「……で、おいくらで」

「二人分の治療で金貨2枚」

「高い」

 

 ウルは思わず悲鳴のような声を出した。

 実際想像以上の高額だった。いくら自分たちがこの国の国民ではないとはいえそんだけの金が吹っ飛ぶとは、どれだけ自分たちは重傷だったのだ。

 と、顔を青くするウルに、彼女の背後から

 

「高回復薬(ハイポーション)を使わせたからねー。私が頼んで」

 

 と、ひょっこりと、ディズが姿を現した。

 3日ぶり、と言っても特に変わりあるわけでもない、迷宮の入口で別れた時と変化ない彼女は、いつも通り優雅な動作でするりと病室に入ってきた。ウルのもとにいるアカネに驚きもせず、治癒術師もディズの存在を自然に受け入れているところを見るに、ひょっとしたら3日間毎日見舞いに来てくれていたのかもしれない。

 

 お礼の一つでも言うべきなのだが、その前に気になる言葉があった。

 

「高級回復薬(ハイポーション)」

「熟練の冒険者たちや小金持ちたち御用達の高級霊薬。貴重な体験だね?」

「お安い治療方法はなかったのだろうか」

「3か月くらい治療に専念することになったけどそっちの方がよかった?」

 

 良くなかった。ウルには時間がない。アカネ買い戻しの期限は決まっているのに3か月も寝ころんでいられない。そもそもそれだと、3日で目覚められたかもわからない。彼女の判断は適切だった。

 出費はこの上なく痛いが。

 

「……よし、うん、よし、わかった、ありがとうディズ、本当に、助かった…!」

「いろいろと飲み込もうと苦心してるのがとても面白くて私は好きだよそのお礼」

「俺がこれまでの人生で触れたこともなかった金が眠っている間に吹っ飛んだ事実を飲み込む時間をくれ。頑張るから。感謝してるから」

 

 ほんのひと月前まで、ウルは銀貨はおろか、銅貨1枚か2枚のやりくりにうんうんと唸っていたのだ。それがいきなりこれでは、現実感もなにもあったものではない。

 

「その様子だと、これからもっと心臓が大変なことになりそうだね」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 【冒険者ギルド】、グリード支部

 

 ウル達が住処としていた訓練所のすぐ真裏に建てられている、今や世界を回す冒険者業の中心にして運営所。ありとあらゆる冒険者たちが立ち寄る場所であり、冒険者にとって様々な手続き、情報の交換、依頼の受付に報酬の受け取りや昇格の申し込み、パーティの申請などなど、あらゆる“冒険”のサポートを行うのがこの場所だ。

 

 その直下の施設である訓練所にいたために、そういった手続きや情報などを得ずともグレン達からもたらされていた。そうでなくとも日々が迷宮探索と訓練、そして宝石人形対策で手いっぱいになっていたウルはあまり立ち寄る場所ではなかったのだが、今日はウル達は此処にいた。

 理由は

 

「それでは、お二人が討伐した宝石人形の報酬がこちらでございます」

 

 宝石人形の報酬を受け取るためだった。

 ウル達の目の前に、見たこともない量の金貨が積まれていた。累計金貨10枚である。節制すれば1年は働かずとも暮らしていけるような金額が目の前に積まれていた。

 

「……」

「まあ、すごいですねえ」

 

 ウルは眼前に存在する金貨の山に言葉を失い、シズクは呑気にその光景を称賛していた。

 

「そしてこちらから療院の治療代および高回復薬の代金、金貨2枚を差し引かせていただきます」

 

 そしてそこから金貨2枚が引き抜かれる。唯一神ゼウラディアが刻み込まれた大きな金貨、本来なら1枚だって慎重に扱うようなシロモノが無造作に引き抜かれる。

 

「そしてそこから討伐祭に際して追加された金貨5枚を足させていただきます」

 

 その上にさらに金貨5枚が無造作に乗せられ、

 

「更に宝石人形の撃破時に発生した魔石の換金で金貨2枚、銀貨20枚が加わりまして」

「タイム」

 

 ウルがギブアップした。

 

「ウル様、気分が悪いのですか?背中をさすりましょうか」

「うん……今までの金銭感覚がマウントとられてタコ殴りにされてる感覚がだな」

 

 シズクに背中をさすられ、ウルは頭をクラクラとさせた。

 冒険者として働き始めてから、同僚たちの金銭の扱いがおおざっぱだと思っていたが、その理由の一端を垣間見た。恐ろしい勢いで金が右に左に流れていくのだ。これで金銭感覚が狂わない方がおかしい。

 ともあれ、だ。とウルは改めて目の前の金貨を見る。合計金貨15枚。やはり大金だ。しかし、

 

「……命懸けの報酬として適切なのか?これは」

「ウル様の装備は殆ど全損していましたので、新しく装備を整えねばなりません」

「シズクの装備も新調したいとなると、更にここから減るわけか……」

 

 なんという自転車操業だろうか。迷宮に潜り、賞金首と死闘を繰り広げ、得た金を使ってさらに強い敵と戦うための武器を獲得するのだ。冒険者という職業はバカだ。とウルは改めて確信した。

 

「……でだ、一番重要な問題がまだ残ってる」

「そうですね……私たちの冒険者としての昇格はどうなっているのでしょう?」

「昇格するか否かは一月ごとの冒険者ギルドの定例会議によって決められます。それがちょうど五日後ですので、間に合わせるために明日には一度面談を受けていただきます。そうすれば早ければ1週間後には結果も出ますので、それまでお待ちくださいませ」

 

 ニコリと有無言わさず冒険者ギルドの受付嬢は微笑みを浮かべた。

 

「後5日、生殺しだな。どうやって過ごすか」

「心配するな。やるべきことはタップリある」

 

 と、背後から聞きなじみのある声と共に、ポンと肩をたたかれる。いやな予感がして振り返ると、予想通り、無精ひげのグレンがニッカリと笑顔を浮かべていた。

 

「久しぶりだな。師匠。で、なんだ」

「久しぶりだな弟子。さ、行くぞ」

「ちょっと待グェ」

 

 有無言わさず、ウルは首根っこをひっつかまれ、引きずられる。

 

「宴会だよ」

 

 

 

 

 宝石人形獲得賞金、金貨15枚、銀貨20枚

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭りの後②

 大罪迷宮都市グリード、酒場【火鯉の池】

 

 地下に存在するその酒場は多く存在する他の酒場と同じく、冒険者たちで賑わっている。特にこの酒場では派手な格好をした若い女性の従業員が多く、所謂“サービス”も豊富であるためか、男達には人気の場所だった。今日も今日とて、迷宮で稼いだ金を女たちに貢いでいた。

 

 そんな、ある意味実に昨今の冒険者らしさの詰まった酒場の片隅で、浮かれた雰囲気からは程遠い怒気を撒き散らした連中がいた。

 

「くそ!あの女!やってくれやがって」

「俺らをなめ腐ってやがる!」

「このままじゃ済まさねえぞ……今に目にもの見せてやる!」

 

 【赤鬼】のメンバーは殺気立っていた。

 当然である。彼らは“してやられた”のだ。あのシズクという少女に。何も知らない素人のツラで、金だけを奪い取り、更にその情報を拡散し劣化させ、そして賞金首討伐の機会をまんまと奪い取られ、討伐されてしまった。

 

 やられたという以外言葉がない。彼らは小娘の手のひらの上で踊らされたのだ。

 

「…………」

 

 だからこそリーダーのオーロックは苦い顔になった。仲間たちの怒りはもっともだ。自分だって腹が立っている。だが、それは負け犬の遠吠えであるという事実を理解できないほど彼は間抜けではなかった。

 

 もともと、相手を侮って、相手の無知に付け込んでやろうとしたのはこちらである。要は“騙し合い”に敗れたというだけである。だというのにこれで怒りのまま復讐すれば、【赤鬼】の名は地に落ちるだろう。素人の冒険者に騙し合いに負けて、挙句それに怒って復讐に走った無能な冒険者として。

 そんなことになれば、この都市での居場所がなくなる。冒険者のウワサはすぐに広まる。元より【赤鬼】が良く見られてはいないことは承知だが、この復讐は明らかに“限度”を超える。それは彼にもわかっていた。

 

「オーロック!このままでいいのかよ!!」

 

 だが、仲間たちは収まらない。復讐しない、なんて提言でもすれば一触即発、下手すれば分裂解散の危機である。彼は板挟みにあっていた。そしてその全ては結局シズクのせいであった。

 

 あの女本当に余計な真似してくれやがって……

 

 八つ当たりとわかっていてもそう思わざるを得ないくらい彼も思い詰めていた。仲間たちの意見に思わず賛同しそうになった、その時だった。

 

「失礼いたします。【赤鬼】の皆さま」

 

 シズクが、正面から自分たちを訪ねてきたのは、

 

「…………は?」

 

 彼は流石に己の目を疑った。彼女は店の酒場の扉から堂々と、仲間の少年を引き連れやって来たのだ。

 

 当然、仲間たちの怒りは頂点に達した。

 

「こ、このアマ!?」

「よくも顔見せられたなあ?!おい!!」

 

 罵倒を向けられてなお、シズクは平然としている。その背後で仲間のガキがいるとはいえ、まったくもって気にする様子はない。やはり囲まれた時、怯えていたのは“フリ”だったようだ。憎たらしい事に。

 

「で、何の用だ?俺達を嗤いに来たのか?」

「謝罪と賠償を」

 

 皮肉たっぷりに言うと、彼女は素っ気なく返事し、そしてことんと目の前のテーブルに手を置いた。思わず全員が目を向ける、彼女がテーブルから手を離すと、其処には

 

「……金貨だ」

 

 そう、金貨があった。それも“2枚”。

 

「1枚は貴方達に渡した情報の対価。結果として此方でその情報の価値を損なわせてしまいましたから、その代償で」

「……もう1枚は?」

「僅かであれ、協力関係であったことへの感謝です」

 

 実際は協力、なんてものは欠片もなかったのはシズクも承知だろう。であるにもかかわらずそう口にしたのは、此方を納得させるためであるのはすぐにわかった。

 だが、

 

「ふ、ふざけんな!納得するかよ!!」

 

 仲間達はいきり立つ。

 これが得のある話なのは皆分かっている。金貨2枚を受け取れば金貨1枚分の黒字。馬鹿でもわかる。しかも、仕事という仕事は殆どしていないのだからまる得と言って良いだろう。だが、それでも「だから“やられた”のを飲め」と言われると、プライドが邪魔をする。

 本当は後ろにいるバカどもだって金は欲しいに決まってるのだ。しかしバカ故に肥大化したプライドを制御する手段を持っていない。さてどうするか――

 

「前提として、あんたが脅迫まがいの真似をしなきゃ、こんなややこしい事にはならなかったんだがな」

 

 と、そこに、女をかばうように仲間の少年が前に出てきた。自分よりもはるかに強面の男たちに囲まれても、怖がる様子も見せない。宝石人形と正面から殴り合い、一皮剥けたらしいルーキーは堂々とこちらを見つめてくる。

 

「シズクのやり方にケチをつけて、自分たちはセーフ、なんてのはちょっとカッコ悪くないか?」

「てめ――」

「それともう一つ、祭りが起こる前、迷宮でシズクがお前らを助けたのは覚えてるか」

「あ」

 

 と、仲間の一人が声を上げた。声を出してしまった。それが決定的だった。仲間達は先ほどまでの威勢が急激にしぼんでいった。

 オーロックもその件は知っている。仲間たちが無茶をして、宝石人形退治を狙い、挙句失敗した。他の冒険者に邪魔された、と言っていたが、どうやら向こうの言い分は違うらしい。そして、どちらが真実であるのかは、仲間達のしょぼくれた顔を見れば明らかだった。

 

「迷宮で助けてくれた恩人を脅しかけた挙句、逆に利用されてしかも逆ギレしたバカになるのと、労せずに金貨一枚の得を得たやり手の冒険者。どっちが好みだ」

「……いいだろう、金だけおいて消えろ」

 

 一言、それだけ言った。オーロックの言葉に、僅かに仲間たちはどよめき、抗議するように声を上げようとするが、勢いはない。まともに言葉になろうとするその前に

 

「それでは失礼いたします」

 

 シズクは深々と頭を下げ、金貨を置いて退散した。完全に怒るタイミングを失い、振り上げたこぶしを振り下ろす間もなく好機を失った彼らは、途方に暮れていた。酒場の騒がしさ、男たちのはやし立てる声と女の声が響くそのさなかにおいて彼らの空気は冷え切っていた。

 

「いいのが?リーダー」

 

 口を開いたのは、メンバ―の中でも比較的冷静だったグロッグだ。問われ、オーロックは頷いた。

 

「これ以上の引き際はねえよ。アイツの言うとおりだ。損しかねえ選択と、得しかねえ選択。選ぶなら後者だ」

「だがよ」

「それに、討伐祭の時ならいざ知らず、平時での冒険者の諍いはご法度だ。あの女のせいで今後の生活に支障をきたすわけにはいかねえ」

 

 正論を淡々と述べ、まだ少しくすぶっていた不満を丁寧にもみ消す。それでもぶつぶつと不満を口にするが、先ほどまでの勢いは完全に消沈していた。

 オーロックは内心で冷や汗をかきながら安堵していた。金貨を見た瞬間、仲間たちの怒りが一気に萎んだのを感じた。すぐに頭に血が上るやつらばかりだが、金には弱い。

 

 で、あれば、あとはもうひと押し。

 

「んで、リーダー、かね、どうすんだ?」

「んなもん決まってら!あぶく銭だ!女と酒よ!!!」

 

 オーロックの言葉に、メンバーたち歓声をあげるのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……ぶじ事が収まってよかった」

 

 飛び出した酒場の中で背後で小さく聞こえてくる男達の歓声を聞きながら、ウルは静かに安堵した。

 

「すみません、ウル様。ご迷惑をおかけしました」

 

 頭を下げるシズクにウルは首を横に振る。

 宝石人形の賞金を得て、真っ先にウル達が行なったことは、【赤鬼】達との決着だった。宝石人形打倒のための装備を整えるためにシズクがだまし取った冒険者たちへの謝罪。

 

 しかし別段、シズクが【赤鬼】と交わした契約で間違ったことは一つもしていないし、返金のみならず追加で更に金貨を一枚くれてやるというのはやりすぎかもしれない。が、禍根を完全に断つための必要経費とウルは割り切った。グレンも事情を説明するとそれに同意した。

 

 ―――無駄な恨みは買うなよ、おめーら弱いんだから

 

「あの時得た金貨はいわば無理矢理こさえた借金だ。利子くらいつくさ。上手く向こうが流してくれたのは幸運だった」

 

 もし、そうでなかったなら、厄介なことにはなっていただろう。ヒトの恨みとは根深く、いつまでも後を引く。

 

「まあ、もう済んだことは良い。それよりも、やらなきゃならんことがある。めんどくさいが」

「既に酒場に連絡は入れてあります」

 

 そう、赤鬼への謝罪は前座でしかない。本番、討伐祭の勝者が行わなければならない“恒例の義務”はこれからだ。

 

 すなわち、勝者が獲得した賞金をふるまい行う宴会である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 刹那主義の乱暴者、先を考えず今を楽しむ冒険者、というのも今は昔。

 

 命の危機あれど、安定した収入の約束された迷宮という職場を得てからというもの、冒険者も建設的に金を貯め、将来に目を向けるのが当たり前となった。その日稼いだ金をその日のうちに全て消費するようなバカな真似をする冒険者は最早希少種だ。

 

 しかし、時に大金が懐に転がり込むような事があった場合――例えば賞金首を討った時など――その時は冒険者は大盤振る舞いで金を散財するのが決まりになってる。“義務”と言ってもいい。

 

「特に討伐祭なんかは、他の冒険者を出し抜いたわけだろ?恨みっこなしの一発勝負っつっても、奥底で恨みつらみを抱えちまうのが人間だ」

「だから、それを後々に引きずらないために、討伐祭の勝利者は、普段世話になってる酒場で宴会して、全員に“おごる”のが通例と……面倒な」

 

 と、グレンの解説を思い返しつつ、ウルは顔を上げる。

 場所は『欲深き者の隠れ家』、本道から若干外れつつも賑やかしいこの酒場は、普段と比べさらに人が多かった。見た顔は多いが見ない顔も結構ちらほらいる。ひょっとしたらおこぼれにあずかろうとしてるのかもしれない。まあどうでもいい。

 そして彼らは全員が全員、此方をじっと見つめている。ウルが口を開くのを待っているかのように見える。いや、本当に待っているのだ。なにせこの場の主役はウルなのだから。

 

「……えー」

 

 ウルはグレンに教えられた定型文を頭の中で繰り返す。なまじこんな真似をするのは初めてなので緊張した。が、宝石獣と対峙するよりははるかにマシだと心を落ち着かせた。

 自分の隣にはシズクもいる。いつも通りのほほんと、柔らかい微笑みを浮かべる彼女を見るとさらに落ち着いた。緊張しているのがバカバカしくなる。

 さて、と、ウルは咳を払い、全員に聞こえるように大きく落ち着いた声で伝えた。

 

「賞金、ゴチになりました!!」

 

 瞬間、酒場中から一斉にブーイングが起こった。

 

「代わりに今日は俺の奢りだー好きに飲んでくれ!!」

 

 瞬間、酒場中から歓声と共に乾杯の掛け声が響き渡った。

 

「おお、ウル!我らが大将!!乾杯!!」

「大物喰らいのウル!!人形殺しのウル!!」

「てめえが手に入れた賞金全部のみほしちゃるからなー!!」

「シズク!!偉大なる魔術師の卵よ!!」

「シズクちゃーん!!かわいーぞー!!」

 

 元気だ。とウルは思った。もちろん、それはありがたいことではあった。そうやってバカ騒ぎして、禍根を残さないでいてくれるならそれでいいのだ。

 皆が注がれた麦酒(エール)を呷るのを確認して、ウルは安心して席に着いた。自分のテーブルについているのはシズク、そして

 

「やーや、カッコいいねウル」

「ディズ」

 

 借金取りの少女、ディズである。彼女はアカネを膝に抱えながらにまにまと嬉しそうに笑った。アカネはキョロキョロと人がたくさんいる場所を楽しそうに見て回っている。

 

「アカネ、果実水飲むか」

《のーむ》

 

 店主に頼んでいた甘い飲み物(幾つかの果実を絞りミルクに混ぜたもの)をアカネに渡すと、アカネはとてもうれしそうにコクコクと飲み始める。ウルはアカネの頭を撫でてやるとくすぐったそうに目を細めた。

 

「可愛らしい」

「俺の妹だぞ」

「今は私のものだもんねー……ちょっと、そんなこの世の終わりだみたいな顔にならなくても。いいよ君の妹でいいから顔をあげなさい」

 

 テーブルに突っ伏すウルをディズはぺちんぺちんと叩いて起き上がらせて、

 

「君、妹好きだね。アカネもウルが好きだけど」

《にーたんすきよ》

「好き嫌いとかよくわからんが、家族だ」

「それを望むなら今後も頑張らないとねって、今言うのはヤボだねー……そんなわけでどうぞ。2人にプレゼント」

「……これは?」

 

 手渡されたそれは、一見すると単なる小型の鞄で、腰に装着するためのベルトがついている。深い紺色の生地で誂えられており、派手な装飾もなくシンプルだが、不要な部品を取り除いた機能美を感じた。

 鑑定能力など持っていないウルでも、良いものであるというのは分かった。これは

 

「【拡張鞄】か?」

「いわゆる“魔石収容鞄”。拡張魔術が仕込まれているから借り物のボロ袋よりも収容率は数倍。重さは逆に驚くほど軽い高級品、おまけに魔石の自動回収機能付きだ。大事にしなよ」

 

 見れば魔石以外にも、魔具薬品地図その他を収容する袋が備わり実用性に富んでいた。試しにウルが自身の腰に備えてみるとしっくりと収まった。言う通り、重さもなかった。

 

「良いのか?貰って。高いだろう?」

「私の無茶ぶりに君は真正面から応えた。ご褒美くらいは用意するさ」

 

 ディズは笑って、両手を叩いて拍手する。アカネもそれをまねした。

 

「おめでとうウル。シズク。見事宝石人形を討ち取った。とても素晴らしいことだよ」

《おめでとー》

「ありがとうございます。ディズ様。アカネ様」

「ありがとうございます……無茶ぶりはもうないよな?」

「後は冒険者ギルドに評価されて銅の指輪を獲得してその後3年で黄金級になるだけだよ!」

 

 結局元の大問題が残されている事実に、ウルは机に突っ伏した。しかしもともとはウル自身が打ち立てた無理難題であるので、文句も言えない。

 

「……なんだか、あんたとは長い付き合いになりそうな気がするよ。ディズ」

「そうでなくては困るね。ウル。アカネも寂しがるだろうから」

 

 そう言って、よいしょとディズは膝に座らせていたアカネをウルの方へとやる。ウルは元気になった。

 

《にーたん元気ー?》

「アカネ、最近はどうだ。ディズにいじめられていないか」

《ハゲのおっちゃんすきー》

「ハゲ言うのはやめなさい。とりあえず後でお礼とお詫び言っておかなければな」

《これきれい》

「お酒はダメだぞアカネ、まだお前には早い」

 

 紅の身体をくねらせながらも、ウルに「何が楽しかったか」を語っているアカネの様子を見るに、今のところひどい目には合っていないのは間違いないらしいので、ウルは安堵した。この幸せそうな彼女を悲しませてはならないとウルは心を引き締め、

 

「おりゃー、ウルー!よくしななかったにゃおめー!!」

 

 よっぱらいに絡まれた。アカネは使い魔のフリをしながらパタパタとディズの懐に逃げ込む中、アルコールにより顔を崩壊させたナナがテ―ブルに乗り込んできた。

 顔が真っ赤である。鎧を脱ぎ捨て薄着で肌色があちこちから見えている。酒瓶を両手に握りしめて暴れるさまは酔っ払い以外の何物でもない、教育に悪い。

 

「んにゃ!あちしゃかんどうしたんらー!おまーらがなー!ほうせきにんぎょーほな!」

「この素行で指輪はく奪されないかと心底思うんだがもう少し酒癖をだな」

「だいじょうぶらよー!!ほら、あらひ!素行の良さがあふれてる!!」

「口から嘔吐物があふれようとしてるけどな危ない危ない待て待て待て」

 

 結果として彼女の口からあふれ出た“素行の良さ”は桶に収まり何とか処理は完了した。ため息をついたウルの気も知らずうへへへへと笑うナナはごにゃごにゃと言葉にならない言葉を呟いて、ウルに向けて笑みを浮かべ、

 

「んふふ、死ななくてよかったらー」

「……うん、心配をかけた」

 

 心配してくれていたのは事実なのだろう。酒に酔っ払いぐでんぐでんになったナナにウルは素直にお礼を言った。そんなやり取りを見て、隣のテーブルで酒を飲んでいたジャックが同じく酔いで据わった目で大きな声で叫びだす。

 

「俺は別にくたばっても構わなかったんだがなー!そしたら賞金は俺の物だった!」

「ぬかせよ!おまえにゃーむりだよチンピラ三下」

「んだとーら!!」

 

 ケンカが始まった。とたん、近くのテーブルが他の冒険者たちの手によって速やかに除けられ、二人を囲むリングができた。早くも賭けを取り仕切り始める者まで出てきている。ケンカなんてものは冒険者には日常茶飯事らしい。店主はやれやれとほうきを持ち出し破損した瓶の片づけを始めた。

 

「元気だねーアホどもは」

「宴会としては正しいと思うが……というか、それこそアンタは何してんだグレン」

 

 その騒乱の最中、グレンは彼らのバカ騒ぎには全く絡まず、一人で酒をドンドンと空け、そして目の前のおかずをチビチビとつまんでいる。やってることは独身男の贅沢な晩酌である。

 

「あん?ただ酒とただ飯を楽しんでるよ」

「タカリか」

「何のためにお前に宴会の手順教えたと思ってんだ」

「やっぱりタカリじゃないか」

 

 世話になったのだから感謝したいというのに感謝しがいのない男であった。最も、彼は基本的にこんな感じだったのでいつもの事だった。ウルは空になっているグレンのコップにエールを注ぎ、頭を下げた。

 

「ありがとう師匠。死なずに済んだ」

「そりゃよかった」

「そんだけか」

「上等だろうが。ほれ、酔っ払いに絡む暇あったら行くとこあんだろが」

 

 グレンはしっしとウルを追い散らす。行くところ、というと一つしか思い当たるところはなかった。思えば起きてからドタバタとし続けてまともに話してはいない。ウルは自分のテーブルで先ほどから変わらず椅子に座る相棒に顔を向けた。

 

「シズク?」

 

 普段からおとなしく、ふわふわとしている彼女であるが、今日はそれよりも増して随分と静かだった。彼女はウルの声で顔を上げるが、いつものようにやんわりと笑いもせず、マジマジとウルの方を見つめ返してくる。

 

「……どうした?」

「ウル様……」

 

 しばし間をあけ、そして彼女はこらえきれない、というように立ち上がり、ウルに駆け寄って、

 

「やりましたね」

 

 そう言って、彼女はウルの両手を自分の両手でぐっと握りしめた。

 

 途端、彼女の中の感情がウルの中に伝達するようにして、ウルの身体の奥から、まるで噴火するような想いが湧き出てきた。喜び、達成感、安堵、目の前の彼女への圧倒的な感謝、今の今まで実感出来ずに蓋をしてきたモノが怒涛のようにウルの身体を包み込んだ。

 

 きっとそれは目の前で、微笑むシズクも同じだった。

 

「……そうだな、やった」

「はい」

「やった、俺たちはやった。やれたんだ」

 

 何度も言葉にする。だがそれだけでは到底足りない。あふれ出る感情を処理する事なんてとてもできなかった。だからウルは衝動に従い、目の前のシズクを腰から抱いて、掲げるようにして、思い切り叫んだ。

 

「俺たちは、勝ったぞ!!!」

「はいっ」

 

 そのウルの咆哮に、冒険者たちは再び乾杯を掲げ、ウル達を讃えたのだった。

 

 

 

【討伐祭・宝石人形討伐戦:リザルト】

・宝石人形撃破賞金:金貨10枚

・宝石人形獲得魔石:銀貨20枚相当

・討伐祭特別報酬:金貨5枚

・落下物:宝石人形の石片

・人形の魔片 吸収

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険する者

 

 イスラリア大陸、中央域、大罪都市プライディア 別名 天陽都市プラウディア

 

 冒険者ギルド本部、総会議室

 

 優に数十名は収容可能であろう大きな会議室。調度品、椅子、机、一つ一つとっても簡素だった。会議室は冒険者の仕事場ではない。という信念があり、歴代の冒険者ギルドのトップの多くはギルド本部内に積極的に金を回すような真似をしなかった。

 尤も、だからといって、冒険者ギルドは今やこの世界に無くてはならない存在であり、だからこそこの会議室での仕事も決してないがしろにすることはできない。本日は冒険者ギルドの定例会議であり、各都市支部の支部長達からの報告がなされていた。

 

 ただし、各支部の冒険者ギルドのトップが全員この場に集結しているわけではなかった。それどころか、この場にいる人間はたったの三人。会議室の上座、トップの席に座る女性が一人と、その左右に会議の記録を取る書記が一人、議長席に座る女性の秘書が一人いるだけだった。残る席にはだれも座っておらず、その代わり会議テーブルの中央に球体の水晶、遠方との通信を可能とする“遠見の水晶”が置かれていた。

 地中から出没した迷宮の存在が確認されてはや百年。迷宮からあふれ出た魔物たちの存在によって、地上では移動するだけでも相応のリスクがかかる。そのため冒険者ギルドの会議は魔道具による通信で行われる。魔道具の費用は相応にかかるが、それでも直接全員が出向くよりははるかにマシであった。

 

《―――以上でグラドル支部の報告を終わります》

「ご苦労」

 

 魔道具から聞こえてくる暴食都市グラドルの支部長の報告に対して頷く女性。

 栗色の髪を後ろで丁寧に束ねまとめ、黒をベースとしたギルドの制服で身を包んでいる。僅かだけで化粧を済ませた肌には張りがあり、一見すれば30代に見える。顔も間違いなく美人と分類されるモノだ。が、頬から首にかけて刻まれた巨大な傷跡、まるで巨大な刃物で切り裂かれたようなその傷跡が、美人であるという印象をかき消していた。また、その表情は“老練”という言葉が似合うような鋭さと、落ち着きがあった。会議室の中心、この世全てを回しているといっても過言ではない冒険者ギルドのトップの椅子が相応しい。

 

 【神鳴女帝】と名高く、現在冒険者ギルドの長を務める女、名をイカザ・グラン・スパークレイと呼ぶ。彼女は額に寄りそうになる皺をならすように何度か指でみけんをなぞり、ため息をついた。

 

「賞金首の数が減らんな」

 

 ぼやきに近い彼女の言葉に椅子の前に設置された通信水晶が輝き、言葉を伝達する。

 

《腕利きの冒険者を当たっているのですがやはりリスクが高すぎると……》

《迷宮が儲けやすすぎんすよー。おかげで世界は潤ってますけどさー》

「最早冒険者というよりも迷宮炭鉱夫とでも名乗った方が正確だなこれでは」

《今に始まった話ではないであろう。貴方が現役の時にはとうに冒険者の名は意味を成してなかったではないか≫

《別に気にしなくてもいいんじゃねえのー?もともと都市防衛に関しちゃ各都市の騎士団の仕事で、賞金首の討伐はウチらの義務じゃないでしょう?》

《それを都市の長どもに言うてみい、どんな顔されるかわかったもんじゃないぞ》

 

 答えの出ない堂々巡りの言葉の応酬に、再びイカザはため息をつき、

 

「まあ良い。次だ」

 

 そういって、ピタリと討論を止めさせた。

 

「冒険者の昇格の件について」

 

 冒険者の昇格、即ち指輪の授与に関しては、必ず定例会議を通して決定している。それほどまでに指輪持ちの昇格に関しては慎重だ。指輪持ち、ギルドが認めた実力者の証の信頼を保ち続けるためにも、昇格候補として本部に送られてきた冒険者の情報は必ずイカザまで届けられる。

 イカザは秘書から渡された書類を改めて確認する。

 

「およその判断に問題はなかった……が、グリード支部」

《はい》

 

 老いからくる、いささか震えた男の声が水晶から響く。名はジーロウ、長らくグリード支部を支えてきた支部長で、冒険者からのたたき上げでもあるために現場への理解も深い。

 迷宮都市として大量の魔石を発掘し、大陸全土に貢献するこの都市を担うに足る人物であると、イカザも理解している。が、それ故に今回の“ソレ”は疑問だった。

 

「一組、銅の指輪の昇格とされてるパーティが若すぎる。登録からたったのひと月だぞ」

《登録後、一月以内の賞金首の撃破、合否はともあれ一度は選考する必要性はあると》

「その物言い、お前自身はさほど積極的ではないと」

《ウチの訓練所の教官、グレンの推奨です》

 

 グレン、という名に僅かざわめきが彼方此方の水晶から漏れる。元黄金級、【紅蓮拳王】の異名を持つ彼は、冒険者ギルドの中での認知度は高い。

 

《……あの、性悪のグレンが?》

《面倒って理由だけで黄金級の昇格式すらサボった男が……?》

《竜でも降ってくるんじゃなかろうな?》

 

 ただし、悪い意味でも高かった。

 ともあれ、元黄金級の推奨、ともなればジーロウも昇格選考にその冒険者を出さないわけにはいかなかったのもわかる。たった一月で賞金首を撃退した事実も確かに素晴らしくはある。が、

 

「シズク、この者はまだ良い。魔術師として高い素質を持っている。早いうちウチに縛っておくには申し分ないものだ。だが、この少年はどうか」

 

 パサリ、とイカザは書類を広げる。こまごまと詳しく一人の冒険者の魔名や技能を文章化された情報(ステータス)が載せられており、一番上にはウルと名前が書かれている。

 

「彼には特筆すべき才覚があるようには読み取れない。一月での賞金首退治は確かに優れた功績であるが、指輪を与える判断を下すには少し弱い」

《あやつの推薦だけでは足りませんか》

「その中身を聞いている。あの男の推薦文、「推薦する」しか書いてないのだが」

 

 水晶の奥で、頭を抱えるような気配が伝わってきた。

 

《申し訳ありません。送らせる前にこちらで確認すべきでした。》

「子供ではないのだから……全く」

 

 イカザはため息をつく。その言葉の端にわずかに楽しそうな声音があったことは水晶越しの他支部の面々には気づきようが無かった。彼女はその気配をすぐ消して、改めて

 

「グレンからの推薦理由、何か聞いてはいなかったか」

《理由、というにはいささか抽象めいていますが》

「それは?」

《「奴が冒険者だから」だそうです》

 

 その一言に対するその場の反応は困惑と失笑だった。推薦理由としてはあまりに具体的に欠けていたし、そもそも冒険者なんて今や星の数ほどいるのだ。何を当たり前のことを言っているのか、という反応が大半だった。

 

 だが、イカザはその言葉に静かに目を細めた。

 

「―――成程?」

 

 彼女は眼前に広げられた“ウル”の資料を見る。彼の技能を見る。

 平均、平凡、特に何か特別な能力があるわけでもない。才能を持ち合わせているわけでもない。冒険者になった経緯はいささか普通とは異なるが、彼自身は凡人だ。一山いくら、この世界にたくさんいる、ごくごく一般的な冒険者だ。

 

 しかし、その彼が、ひと月で賞金首に“挑んだ”のだ。

 

 勝利した結果は重要ではない。彼の相方の少女の活躍もあっただろう。それ以上に運の要素が存在したはずだ。賽の目が良い方向に転がっただけでは“足りない”し、そこに注目しても意味がない。

 

 重要なのは、彼が、挑んだ事だ。死地を選択したその事実。

 

「…………」

 

 イカザは僅かに考え、そして頷いた。

 

「良いだろう」

《イカザ様!?》

 

 複数の水晶から驚きの声が響く。が、イカザは気にしない。“ウル”の資料をひらりと指先でつまみながら、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「慎重安定、冷静な判断、それらを“踏まえたうえで投げ捨て”、結果を掴むというのなら、それもまた、冒険者の在り方だ。それを続けられるかどうかは今後にかかっている、が、やれるものならやってもらおうじゃないか」

 

 資料を手放し、手元にある印でもって、“ウル”と“シズク”の資料に認可の証を叩きつけた。

 

「“冒険者”としての活躍を期待する」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者になった後 

 

 

 【冒険者認定証明具、銅の指輪】

 

 冒険者として一定以上の実力と人格を持ち合わせていると本部に判断された者に渡される実力者の証。この時世、冒険者を名乗る者は掃いて捨てるほどに存在するが、実際に冒険者ギルドが冒険者として認定しているのは指輪を所持している者のみだ。

 

「これが……」

「カッコいいですねえ……」

 

 冒険者ギルドグリード支部の一室で行われた長きにわたる講義ののち、ウル達は冒険者の指輪を渡された。サラサラとした布を解いて姿を現したその指輪は冒険者としては最下級の証であるにもかかわらず、ハッと息をのみたくなるような美しさがあった。

 黄金とも見紛う銅の輝き、そしてそこに意匠された竜とそこに交差した刃が二本、冒険者ギルドの紋章が細やかに刻まれている。

 

「ピッタリだ」

 

 人差し指に嵌めてみるとピタリと指に収まった。指のサイズを測った覚えもないのに完璧だった。そして

 

「銅の指輪を持つ者は六級までの魔物出没域への挑戦が許可されている。当然だが、挑戦が可能であることと、お前たちの実力がそれに見合うかは別問題なのを忘れるな」

 

 長々とウル達に講義をしてくれたグリード支部支部長のジーロウの言葉にウル達は頷く。冒険者の指輪の譲渡の際は支部長直々に手ほどきを施すのがグリード支部の伝統であるとかなんとか。

 

「冒険者の指輪は様々な施設の無料利用も許可されるほか、複数の魔術が収納された魔道具だ。使いこなせるようになれば今後の迷宮探索の助けになるだろう。一つ一つ今まで教えてきたことを復習し、試行を重ねろ」

「はい」

「承知いたしました」

 

 素直に頷く生徒二人を前に、よろしい、とジーロウは頷いた。

 

「お前たちの事情は既に聞いた。無茶をするなと言っても聞かないだろう。が、闇雲さが必ず成功に繋がるとは限らん事は忘れるんじゃないぞ」

 

 そう言って、二人の頭を優しく叩く。表情の険しさと違って、手のひらからは二人への思いやりが伝わってきた。

 

「一つの問題に対する回答は一つではない。一つのやり方で失敗したなら、一度足を止め全体を俯瞰し考える時間を自らに設けろ。自分にとっての最善の答えが何かを考えることを忘れるな」

 

言い終えると、二人の子供は自分の頭に触れながら

 

「凄い、なんてまともな指導者なんだ」

「グレン様であればここらへんで一撃拳がとんできますからねえ」

 

 二人は感動した。

 

「もう少し加減するよう伝えておく」

 

 ジーロウは、額を揉んだ。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 訓練所、講義室。

 指輪を受け取りそのまま裏手のこの場所に戻ってきたウル達を出迎えたのはこの場所の主であるグレン、そしてアカネを連れたディズだった。二人が講義室に入ると、グレンはまるでやる気なく、ディズは楽しそうに、アカネはそのディズの真似をして、拍手で迎え入れた。

 

「指輪獲得おめでとうクソザコナメクジども」

「祝福したいのか罵倒したいのかどっちだ」

「おめでとうウル。心から称賛するよ」

「元凶が優しい」

《めでたーい》

「アカネ様、それは手拍子です。拍手ではございませんね」

 

 てんでバラバラな祝われ方をしながら、ウル達は椅子についた。二人の指にはしっかりと銅の指輪がはめられている。冒険者ギルドに認められた証であり、二人が討伐祭の勝利者である何よりの証であった。

 ウルはその指輪をディズへとぐいと見せた。

 

「約束は守った。これで――」

「アカネは正式に“預かり”になった」

 

 そう言ってディズはニッコリと微笑みを見せた。

 

「君の望みはかなえられた。後は3年内に黄金級になるだけだ」

「絶対なってやるから覚悟しろコノヤロウ」

「お二人とも仲良しでございますねえ」

《なかよしねー》

 

 人生のかかったやりとりだが、妙に間は抜けていた。まだウルとアカネ以外は出会って一ヶ月だというのに、すっかり馴染んだ印象である。

 

「イチャついてるところ悪いが、説明すべきところはもう一つある。お前ら指輪の魔具機能はジーロウのおっさんから学んだか」

「一通りは」

「実践は」

「急ぎの講習でしたので、説明だけでした」

「んじゃ、最優先で実践すべきものを一つ。お前ら指輪付けた手を前に出せ」

 

 言われるまま、指輪をはめた手を前に出す。

 

「術式詠唱。【名を示せ】」

 

 言われるまま、術式を詠唱する。と、指輪をはめた右手の甲にうすぼんやりと何かが浮き上がってきた。“一筆”の模様だ。ウルの手の甲に浮かんだものは真っ直ぐな線だが、シズクのものはまた違う形をしている。

 

「これが……魔名って奴か」

 

 魔力は基本的には目に見えない。よほどの濃度でなければ、ヒトの目では形を捉えることはできない。それを魔術によって見えるようにしたものが魔名だ。いわばこれはウルが獲得し、成長させてきた魔力そのものである。

 

「そだな。そんでもってこれはお前自身の【魔名】だ。お前という存在そのものを示していると言っていい。ある程度魔力を喰ってなきゃ示されないんだが、宝石人形撃破で基準値は超えたらしい」

 

 見れば、ウルとシズクとで魔名の形は違う。それぞれ別種の成長を遂げているらしい。

 

「ちなみに、これがわかったから何か得でもあるのか」

「相手がどんな性質と魔力量を保有してるかがわかる……まあざっくりだがな。そして自分の場合は、これまたざっくり成長具合が分かる。魔名の大きさでな」

 

 なるほど、確かにウル達の魔名は小さかった。ほぼ一筆書きで完成している奇妙な模様だ。

 

「成長すると魔名の画数が増える?」

「そうだな。わかりやすいだろ?それが成長の具合。【一刻】【二刻】【参刻】と刻印数が増えていればそれだけ魔力を喰った証拠となる」

「ちなみにグレンは幾つなんだ?」

「【五刻】、現在確認されている最大刻印数だ」

 

 つまり、すくなくとも黄金級に至るまでには五刻印を目指さなければならないと、そういうことになる。なるほど、確かにざっくりとした指針くらいにはなる。

 

「刻印が増えれば、つまり魔力が強化されればそれに応じて肉体も強化される。場合によっては異能も芽生える」

「具体的には?」

「基本、五感の強化だ。【魔眼】もこれにあたる。それ以外にも第六感の【直感】【霊感】等。それ以外も色々。中身もピンキリだな」

「……それは選べるのか?」

「無理」

「無慈悲だ」

 

 技能とは、その都度、自身に必要なものが発現する。元々の素養、その時の環境、自身の精神状態、あらゆる要素が絡み合う。選択できる代物ではない。

 

「まあ、安直な欲望とかじゃなくて、“真に必要と感じたもの”になる傾向は高いがな。冒険者は狙わずとも戦闘系統に依りやすい。当然、獲得した魔力の質や量で形作るもんだから異能の中身についてはやっぱりピンキリなんだが……」

 

 ちょうど良いな。と、グレンはぴっと2本、指を立てた。

 

「お前がこれから黄金級を目指す冒険者として選べる道は二つだ。一つはこれからも大罪迷宮グリードに潜りつづける事」

「もう一つは?」

「各都市国家を移動して、賞金首を退治して回る事」

 

 賞金首。その言葉を聞いた瞬間脳裏をよぎるのは勿論あの宝石人形の事だ。獣のように暴れまわり、ウル達があと一歩間違えれば確実に命を奪い去っていたであろう脅威そのもの。

 それを退治して回る。それがどれだけ無茶な事か。と、思いつつもその言葉は飲む。無茶を言ってるのは自分なのだ。

 

「それぞれのメリットとデメリットを確認したい」

「一か所に場所を据えた迷宮潜りは多くの冒険者の主流だ。まず安定する。なにせ同じ場所を潜りつづけるわけだからな。出現する魔物にも慣れるし、迷宮の構造への理解も深まる。都市からの信頼も増えりゃ仕事も増える」

「良い事ばかりな気しかしないのだが、デメリットは?」

「安定しすぎだ」

 

 グレンはくいっと訓練所の外を顎で指す。

 外の大通り、行軍通りには今日もたくさんの人があふれかえっていた。つまりそこには冒険者たちの姿も沢山あるという事だ。使い古した装備を着こなした古参の冒険者からピカピカの装備と緊張した面持ちの若者、果てはそこらで働く都市民と変わらないような恰好のまま腰に剣だけ突っ込んでる者までいる。様々な格好をした者たちが、そろって全員向かう先は勿論【迷宮】だ。

 

「基本的に迷宮潜りの連中がやることは、魔石掘りだ。魔物を殺して魔石を採って引き上げる。それはこの都市への貢献ではあるが、それは別に偉業でもなんでもねー。皆やってることだ」

「冒険者ギルドへの印象は弱い?」

「未開拓階層の攻略、グリードなら59階層以降の攻略ができれば偉業だが、そんなもん、一朝一夕で出来るもんじゃない。何年も何年も下積みしてようやく。中層にたどり着くのが基本だ。近道はねえ。だから正直、期限があるお前の状況では選択できないに等しい。シズクならまだこちらをお勧めするが」

 

 シズクは首を横に振った。

 

「私もあまり悠長にはしていたくありません」

「生き急ぐよりはましだと思うんだがねえ……で、そうなると、もう一つの方だな」

 

 突き出した指の片方を折る。残った人差し指を揺らし、グレンは口を開いた。

 

「各都市を巡り、迷宮や開拓予定地をうろついているような賞金首を狩っていくルート」

「リスクがかなりデカそうだな」

 

 勿論、とグレンは肯く。

 

「多くの冒険者が倒し難いと判断し、賞金が付けられても尚、誰も手を出さなかった、あるいは出しても返り討ちにして生き残ってるような奴らを狙うわけだからな。当然ハイリスクだ」

「そんなもんを狙うメリットは?」

「さっきとは逆だ。冒険者ギルドからの評価は著しく高い。賞金を懸けられながらずっと放置されていた魔物の撃破だ。評価しないわけにはいかねーんだよ」

 

 安定性は著しく欠く反面、地道な積み重ねが必須な迷宮探索と比較すると、明確な近道が存在するのが賞金首ルートとなる。ギルドの点稼ぎにこれほど明確な目標は無いだろう。

 

「だが、ずっと放置されてた強力な魔物だろ?それこそ地道に実力付けなきゃどうにもならないんじゃないのか?」

「そうでもない。放置された理由、っていうのは必ずしも戦闘力に依存していない」

「戦闘力よりも“面倒”という理由で放置されることもあるということでしょうか?」

「正解。あるいは、魔物そのものより、その拠点としてる場所が面倒って事もあり得る」

 

 更に言えば、近年、冒険者達が出世よりも安定を求める傾向が強くなっているのも一因ではあるとグレンは説明する。わざわざ命や大金を懸けてまで、賞金首を倒すくらいなら、手慣れた迷宮で安定して稼ぐ方がずっとマシだと、そう考える冒険者の方が現在では多数派だろう。

 今回の宝石人形の時のように、よっぽどメリットがあるか、放置するデメリットが大きくない限り、無視されるのが今の冒険者界隈の傾向だ。

 

「つまり、“出世欲が強い物好き”にとっては、狙い目ではあると」

「ついでに、これはさっき話してた魔名の話に繋がるが、賞金首レベルで長生きしてる強い魔物から得られる魔力は“量”と“質”がかなり高い。雑魚を繰り返し狩る場合よりは早く強くなれる」

 

 迷宮に出没する魔物達などは、迷宮から生成されて間もないためか、魔力は煮詰まっておらず、また、属性に染まってもいない。偏りが無い分、形になるにも時間が掛かる。何より安全が十分に確保された単調な狩りでは“真に力が必要な状況”に遭遇することは滅多にない。

 その点においても、賞金首狩りは、強くなるには最適である。

 

「っつーわけだ。お前の状況考えりゃ、まあ一択だわな」

「大陸の彼方此方で手頃な順番から賞金首狩りか……まあ、そうなるか」

 

 つまり、今回の宝石人形狩りのような騒動がこれからも続くということだ。

 

「ではこの都市ともおさらばですね?此処で親しくなれた人たちとお別れになるのは少し寂しいですね?」

「今日すぐ出発するわけでもなし、ちゃんと挨拶するとしよう……問題は」

 

 ウルは振り返り、ディズと、そのディズの膝に座るアカネを見る。旅をする、という事は必然としてこの街を離れるという事だ。それはすなわち、アカネとも離れ離れになるという事に他ならない。

 

《にーたん?》

 

 首をかしげるアカネの頭を撫でる。

 アカネと離れ離れになる。それはつらい。アカネも辛いだろうがウルはもっと辛い。

 

「ディズ」

「流石に君と一緒に旅するのは許可しかねるな。まだ彼女は君のものではない」

「そこをなんとか」

「食い下がってもダメー……と、言いたいんだけど」

 

 ディズは小さく首をかしげて、少し考えるようにして、言った。

 

「一つ、提案がある。いや、正確に言うと……“依頼”かな?」

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出立の準備

 

 

 

 大罪都市グリードという巨大な迷宮大国から獲得できる魔石の量はイスラリア大陸で最も多い。

 神殿の神官たちが授かる精霊の加護は社会維持の要だ。都市の全てを覆うように守護する太陽神の加護、【太陽の結界】はまさにその象徴と言えるだろう。

 だがその一方で、現在の社会を維持する上でその全てを精霊の力で賄うことはできない。魔導技術の発展はその消費も激しさを増し、魔力そのものの消費を加速させた。個々人の持つ魔力だけでは賄いきれなくなった。迷宮の魔石の需要は爆発的に増したのである。

 

 故に、グリードから産出される魔石を求める都市は多い。が、その貿易には相応の困難が付きまとう。

 

「なにせ、都市の外を一歩でも出れば【人類の生存領域外】になるからねー」

 

 大罪都市グリード正門前でディズはしみじみとつぶやく。

 

 都市の外は【人類の生存領域外】だ。人の支配域はあくまで防壁と結界に囲われた都市国の内側のみ。一歩外に出れば、魔物や盗賊たちが蔓延る文字通りの無法地帯だ。

 そこを、移動するのは必然的にリスクが伴う。迷宮が世界各地に生まれ、迷宮の外に魔物たちが溢れるようになり、人類生存圏がズタズタに引き裂かれてからというものの、交易をおこなうのは大きな困難が伴うようになった。

 

「その対策の一つが、これですか……」

《おっきーねー》

 

 “ソレ”を見上げ、シズクとアカネは口をあんぐりと開けた。

 それは、ウル達が先日撃破した宝石人形よりも遥かに大きかった。六本の足で大地を踏みしめる巨大なる“亀”。頭には大きな角が一本生えた“亀の魔物”だ。

 

「【島喰亀】だね。全長100メートル超の陸型“運搬獣”。馬車ごと運搬可能」

「何を食べたらこんなに大きくなられるのでしょう」

「魔石」

《かたくないん?》

「ボリボリ食うよ。野生の島喰亀は魔石が埋まった岩盤ごとゴリゴリ食べるらしい」

 

 確かにアレでかみつかれたら、岩だろうがなんだろうがあっけなくつぶれるだろう。間違ってでも顔の近くには近づきたくはなかった。

 

「通常の魔物と同様、大気の魔力も食べるから、そこまで大喰いってわけじゃないんだけどね。それでも島喰亀を維持できるのはグリードならでは、かな」

「歩く速さはどれくらいなのでしょうか?」

「馬車とどっこいかな。ただ、休まず数日間歩き続けても問題ないってのが魅力だね」

 

 大亀は大きくぶふうと息を吐いた。離れているはずなのに生暖かい息が此処まで届く。臭くはないのは主食が魔石だからだろうか。

 

「何より、この背中に乗っていれば都市間の移動で、襲われるリスクが少ないのは大きいね」

「盗賊たちが襲うにも魔物達が襲うにも、大きすぎるわな」

 

 大きいという事は強さである。

 宝石人形と戦ったウルにはそれが強く実感できた。宝石人形すらも石つぶのようにみえる大亀にウルは挑もうという気にはならない。それは魔物たちも同じらしい。

 

「だから、私も都市間の移動にはコレを使う――はずだったんだけど」

「だけど?」

「ダメになった」

 

 ディズはうなだれた。いつも余裕しゃくしゃくな彼女がうなだれている様子は少しスッとした。

 

「……理由を聞いても?」

 

 たしか島喰亀は金さえちゃんと積めば名無しであっても乗ることが許可されるはずだ(無論、犯罪者等は弾かれるが)。まして彼女は官位持ち。拒絶される理由がわからない。

 

「各都市の移動要塞って維持費に【商人ギルド】がかなり出資してるんだけど、私そこに所属してる一部のヒトにめっちゃ恨まれててさー」

「何したんだよ……」

「欲しいものがあったから弱みに付け込んで奪った」

「邪悪!自業自得じゃねえか!」

 

 同情する余地はなかった。邪悪と指さされてもディズは否定しない。自覚があるらしい。

 

「で、まあ移動要塞が使えないなら、馬車の旅ってことになる。ただ、ちょっと今人手不足でね。護衛が欲しいんだ」

「……それを俺たちに頼みたい、と」

 

 これが、ディズからの提案、依頼だった。

 

「私も仕事で都市を巡らないといけなくて、君たちの目的を考えればちょうどいいだろ?」

 

 確かに、まさしく、彼女の移動に合わせて動くならアカネとも離れずに済む。最適ともいえる提案だった。しかし

 

「ありがたい話だが、まだ冒険者になって一ヶ月の俺たちを信用して良いのか?」

「いざとなったら命を懸けて護衛してくれるだろ?人質もいるしね?」

《ひとじちよ》

 

 アカネが手を上げた。ウルは彼女の頬をむにむにとひっぱる。

 

「素直に喜びづらい」

「ですが、助かりますね」

 

 それはウルにとってもシズクにとっても、一石二鳥の提案だった。

 賞金首巡り、各都市を回る一番の難点は、安定した収入が望めないことだろう。拠点を定めて同じ迷宮を潜ることを繰り返す冒険者たちが多いのもまさにそれだ。護衛という任に就きながら移動すれば、移動間の収入の不安定は解消されるだろう。

 安易に飛びつくわけにもいかないが、実に、美味しい話なのは確かだった。

 

「だけど、グリードを出て結局アンタはどこへ向かうんだ?」

 

 ふむ、とディズはしゃがみ込み、小石でさらりと地面にこのイスラリア大陸の図を簡単に描きだした。斜になった楕円形の上半分、右下の端っこに点をかく、そこは今この場所【大罪都市グリード】だ。ディズはそこから右に弧をかくように線を引いていく。

 そしてそのまま大陸の中心からやや左上の一点に小石をおいた。

 

「【アーパス山脈】を迂回しながら【大罪都市ラスト】を経由しつつ、最終的には大連盟盟主国【大罪都市プライディア】を目指す」

「大移動だな」

「ま、ね。直線形路のアーパス山越えはきついし、東からぐるりと回っていくから長旅だよ」

「どれくらい時間がかかりますか?」

「さあね。補給で衛星都市によったりもするだろうけど、場合によっては仕事が発生するかもだ。途中ラストでひと月は過ごすつもりだけど、グラドル領による可能性もある」

「グラドルに寄るなら相当遠回りになるぞ?」

「だからこそ護衛が欲しいんだ。野営とかの準備やら、魔物襲撃時の迎撃とかも任せたい」

 

 なるほど、と、ウルはイスラリア大陸の地図を頭に思い浮かべる。

 

 彼女の言う通りなら、このイスラリア大陸をぐるーりと外周を半周近くすることになる。

 だが、ウル達にとってそれは歓迎すべきことでもある。各都市を巡ればそれだけ賞金首と遭遇できる確率も上がるだろう。旅が長いほど、護衛の報酬も続くということでもある。提示されている報酬の額も悪くない。

 なら、とシズクに視線を向けると彼女も頷いた。ウルはディズに向き直る。

 

「了解した。依頼は受けるよ」

「なら、補充は今のうちにね?道中の魔物と遭遇は鬱陶しいし、できれば島喰亀の出発に合わせて移動したい。二日後までに所用は済ませておきなよ」

 

 と、言うわけで、ウルとシズクの出立の準備を始めるのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 職人街

 

「さて、装備を新調する必要が出たわけだが」

「はい」

「正直大金持っていて恐怖しかないので全部使いたい」

「ダメです」

「ダメか」

 

 ウルは自分の財布に詰まった金貨を見て怯えるような顔で胸元に抱え込んでいた。

 宝石人形撃破時に獲得したウル達の資金は金貨15枚と銀貨20枚。銀貨20枚はあの酒場での宴会ですべてを使い切り、赤鬼に「協力費用」金貨2枚を支払い金貨13枚が現在のウル達の全財産だ。

 勿論、それらをすべて持ち運ぶなど恐ろしくてできなかったので、冒険者ギルドに預けている。指輪所持者にしか利用できない銀行であるが信用は高い。ウルもそこに金貨5枚は預け、持ち歩いているのは金貨8枚だ。勿論これでも大金だが。

 

 冒険し、金を集めその金額で新たなる装備品を手に入れ、その装備でさらに金を稼ぐ。というのが冒険者の基本的な金の使い方と集め方だが、勿論、現実はそう単純にはいかない。

 

 高い武器には維持費もかかる代物も多い。いきなり強力な武器防具を手に入れたとして、それが使いこなせるとも限らない。現在は大迷宮時代、突如として身に余る大金を獲得する話なんてのはままあるが、それ故にその大金をうまく使えず失敗して大損する冒険者なんて話はままあるが、しかしその大金を無為に失ってしまうという話もまた、ままある事なのだ。

 だから最低限の金貨5枚を預け、手持ちは金貨8枚。勿論これでも大金も大金だが。

 

「さて、どう使うか」

「ウル様の防具は必要ですね。私の装備は殆どが無事でしたが……」

「俺の場合、ほぼすべての装備失ったからなあ……」

 

 どれほどの激闘かを物語るものだ。

 ウルが宝石人形の時に装備していた物は、竜牙砲に白亜の鎧、盾、更に耐衝のネックレスが二つ。そのすべてが粉みじんに砕け、再使用不能となっている。ウルとしては白亜シリーズは信頼性が高く使いやすかった。見た目は少々不格好ではあるものの、頑強で、動きやすさもさほど阻害されない。

 

 そんなわけで、鍛治士達が集う職人街に足を踏み入れたわけだ、が、

 

「おお!宝石人形撃破おめでとう勇者よ!此方にかつて勇者が竜を殺すときに使ったと言われるのと同型、竜殺しの剣/ドラゴンスレイヤー!!金貨5枚でどうよ?!」

「おお!宝石人形撃破おめでとう勇者よ!みよこの美しい銀色の鎧!!魔銀(プラチナ)製!魔術も弾く全身鎧(フルメイル)!西で名を轟かす鍛冶師グララの一品だ!金貨8枚!」

「おお!宝石人形撃破おめでとう勇者よ!みてくれ!!これは風の精霊フィーネリアンが人々に与えた【精霊器】の一種!颯の具足!!金貨10枚だよ!?」

 

「凄い、力の限り俺達からぼろうとしてくる」

 

 職人であり商人たちの瞳にはギラギラとした凶悪な輝きがあった。明らかにウル達に向けられている。討伐祭の時の冒険者たちの輝きも顔負けか、それ以上だ。正直いって怖かった。

 討伐祭りの勝者、ウル達の名はグリードに瞬く間に広がった。そしてウル達が一瞬で小金持ちになったことも。そんな彼らが物を買いに街を出るのは、カモがネギを背負うようなものであった。

 

「黄金槌の方の方がまだマシでは?」

「そうだな、きっとまだマシだ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ウル!ウル!俺たちのおかげだよな!!俺の盾のおかげだよな!金を出せ!!」

「おお!シズクさん!!医療院に運ばれた時はどうなるかと!!結婚してください!!」

「ウル!超ピーキーで商人も買い取り拒否した剣があるんだけど金あるよな!!」

 

「マシではなかった」

「欲望の出し方に品がありませんね?」

「シズクはバッサリと言うなあ」

 

 考えてみれば黄金槌は職人の中でもひときわに金にうるさい連中であった。金にうるさいのは当然であった。しかし最早商品を売りつけようという気すら見えないのはいかがなものか。

 

「物は買う。俺の防具を買うつもりだから落ち着いてほしい」

「おう、いくらもってんだ。ジャンプしてみろや」

「何処のチンピラだお前ら」

 

 どのみち使い切るつもりでもってきているので予算は明示しておいた方が話が早いと金貨4枚を提示した。金貨の数におお、と小さくどよめき、次の瞬間、ウルの前にどかどかと武具防具が並び始めた。

 

「火魔石の短剣(ダガー)!!金貨2枚!」

「魔銀で編んだ銀鎖鎧(シルバチェイン)!!金貨3枚!!

「金火魚の皮手袋(レザーハンド)!!金貨1枚!!」

 

「まてまてまてまて、待って。待つんだ。まてっつってるだろ強欲ども」

 

 このままではウルの目の前に次々に際限なくバカみたいな金額の装備品がなげつけられ続けかねないのでウルは止めた。心臓に悪いしキリがない。

 

「私達はグリードを出て長く移動する事になります。長旅に優れ、整備が自分でも叶うものが望ましいです。希少な素材を使われていると、別の場所で補修がきかない可能性があります」

 

 シズクはニッコリと微笑んだまま、キッパリと自分たちの要望を告げる。グリードを出るという彼女の言葉に複数の職人たちが両手を顔に当てうめき声をあげてる様子が見えたが、それは無視する。

 

「出来れば上下セットの鎧が良い。頑強な。俺はよけるのがヘタだ」

「守りはガッチリ、しかし旅路に向いた、のう。中々面倒な要求しおる」

「別に前もらった白亜シリーズでもいいぞ」

「ありゃー素材の材質上どうしても嵩張るからのう。旅向けとなると……」

 

 ドワーフの鍛冶師が唸る。

 

「防具が破損した時、グリードに居座るなら職人もすぐそばにおるが、旅となるとそうもいかん。専用の職人が街にいないこともあるし、そもそも都市外にいることもある」

「革鎧とかの方が良い?」

「一概にそうとも言えんがの。魔物の皮で作られたモノなんぞは強力だが、仕立てるのには相応の“針”がいる。結局その道の職人の技術と道具がな」

「どのみち自分らで容易く直せるようなものではないと。強力な防具は」

「かといって、代替え可能な防具じゃあ心もとないとなるとな……」

 

 と言って、鍛冶場兼販売店の出店に並ぶ商品から一つ、取り出してウルの前に提示する。それは、

 

「灰色の鎧?」

「火喰石の鎧、ご要望通り全身鎧、関節部は布当てて動きやすい。金貨3枚」

「性能は?」

「魔銀(ミスリル)ほどじゃーねえが頑強さは悪くない。何よりもコイツは、魔力を喰う」

「喰う?魔蓄石みたいなものか?」

 

 ウルはちらりとシズクの方を見る。彼女が首に下げているのは魔力を貯めこむ魔蓄石。

 

「ま、それに近いか。要は性質さ。魔力を若干量吸収する。だから魔術や、魔力を伴う魔物の攻撃をいなしやすい」

 

 説明を受けつつも装着してみる。ピタリ、というには少し大きすぎるが、調整すれば体にフィットはしそうだった。宝石人形との戦いのときに装着した白亜の鎧と比べてると重いが、しかし動きやすさが阻害されるほどでもなかった。

 

「喰った魔力はそのまましばらくすれば抜けていく。吸収して成長するわけでもなし、衝撃が強すぎれば当然壊れる。が、良い品だぜ。壊れにくく強い。火喰石は希少な鉱物でもないから補修もしやすい」

「買った」

 

 おっしゃ!と、恐らくこの鎧を作ったであろう職人がガッツポーズをとった。その周囲では嘆いたり地団駄を踏んだりする男達。楽しそうである。ウルとしてはそんなにも楽しいのであれば、もう少し金額をまけてくれた方がうれしいのだが。

 

「ほんで、他にはなにを買う?鎧だけってつもりはあるまい?」

「出来れば盾と兜も欲しいんだが……」

 

 と、ウルは布に包んでいたブツを取り出した。

 それは青と黒が入り混じる、半透明の宝石にも似た石だった。一瞬、ドワーフの親父は首を傾げ、小さなトンカチでカンカンとその石をたたき、そして顔を顰めた。

 

「【宝石人形の欠片】か……まーた難儀なもんもってきおって。

 

 迷宮産の魔物の多くは撃破時、魔石を残し他は迷宮に飲み込まれ消滅する。が、全てではない。迷宮に食われず残る落物(ドロップ)も存在する。宝石人形をウル達が撃破した時、大量の魔石に交じって宝石人形の身体が残っていたのだ。

 

 当然この落物もウル達が所持する権利がある。が、扱いに関してどうするか悩んでいた。当然ながらウルやシズクにどうこうできる代物でもない。そもそもモノの価値としてこれがどれほどのものなのかすら、ウル達には今一つピンときていなかった。

 

 グレン曰く「防具の素材にはなるが硬すぎて加工が面倒で職人を選ぶ」

 ディズ曰く「磨いても輝きはそこそこでばらつきがある。宝石としてはイマイチ」

 

 と、いう事なので、ひとまずこの職人街に持ってきたのだ。

 硬さは保証済みだったので、防具に使えれば僥倖だ。恐らく道中破損した場合、材料を新たに用意するのは困難なため、壊れれば使い捨てになる可能性もあるので、複雑な作りではない盾が望ましい。

 

「難しいでしょうか?このサイズなら盾に出来るのではとも思ったのですが」

「任せてくださいシズクさん!」「俺たちの手にかかりゃこんなもん!」

「だーあっとれ……まあ、やってみるさ。宝石人形の欠片となりゃ腕も鳴るさ」

 

 宝石人形の倒し方はいくつかある。

 そのうちウル達が避けざるを得なかった“機能停止”では宝石人形の欠片は落物(ドロップ)しない。機能停止した瞬間宝石人形の身体全体が脆く、一瞬で崩れ去ってしまうからだ。つまり、真正面から倒すか、暴走させて倒すかするしか出ない素材だ。

 

 硬度は一級品、しかしただでさえ厄介な宝石人形を更にリスクを背負って倒す冒険者はそう多くはない。故に物の性能は高くとも、希少であった。

 

「素材費はそっち持ちだが、加工の手間賃はこっち持ちだ。相応の金は貰うぜ」

 

 その言葉にウルとシズクは顔を見合わせ、頷きあった。

 

「素材費持ちなんだから半額割り引いてくれ」

「コイツの加工だってめちゃ手間かかんだぞ。精々2割引きだ」

「なら4割引きくらいで」

「2割引きだっつの」

「私達、宝石人形を倒すために文字通り命を賭けて戦いましたのに」

 

 シズクはさめざめと泣いた。

 

「親父!安くしてやれよ!」

「親父!!可哀そうだろう主にシズクさんが!!」

「おめーらどっちの味方だ」

 

 最終的に3割引きという事で決着した。

 その後ウルは鎧とセットで火喰石の兜を購入し、その盾と合わせさらに金貨2枚を渡して、防具装備の補充は終了した。

 

 残り金貨3枚



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出立の準備②

 

 大罪迷宮都市外、マギカの館

 

「やーやー、おーつかれさまー、ウル少年」

「どうも、数日ぶりだ、マギカ」

 

 迷宮内に暮す魔道機械の技師、マギカのもとをウルは訪れていた。

 彼女は自身の人形の調整に熱心なのか、土人形から引きずり出した魔道核を、ウルには理解できない細い金属の器具で弄り回している。

 

「貴方から買い受けた竜牙槍のおかげで助かった」

「いーよいーよ、こっちも希少なデータ、情報はとれたしねー」

「情報の価値が暴落しかけていたのを黙っていたのは絶対許さん」

「やーん、こわーい」

 

 マギカのすっとぼけた態度に対して思うところがないではないが、結局いい勉強にはなった。“宝石人形の行動目的を教えてくれ”という要求に彼女は答えただけである。全くウソはついていない。その情報をどう利用するかは相手次第である。そしてこちらもその情報を活用したのだから、あれは正当な取引だった。故に、恨みを引きずるのは情けない話だ。

 

「実は頼みがある」

「新しい竜牙槍でしょー?いーよーお金貰うけどー」

 

 と、ウルが切り出す前に、彼女はぴっと壁を指さした。そこにはウルが宝石人形との戦いで使った槍と全く同じ、ではなく少しばかり風体が変わったものが立てかけられていた。

 

「宝石にんぎょーとの戦闘記録から、安定度はましてるよー」

 

 試しにといくらか動かしてみる。確かに遜色なく動く砲口の開放もスムーズだった。更には家の外、迷宮内にて【咆哮】を弱く試してみると一閃の閃光として着弾した。

 ウルはその性能に満足し、マギカに頭を下げた。

 

「とても助かる」

「一応言っとくけど、街に出回ってる方がー安定度は高いよー?」

 

 竜牙槍は別にマギカしか扱っていない代物ではない。魔物退治において必要な火力を補う武装として一定の評価で市場にも流れている。魔導核も外の穂先部分も、修繕できる職人は都市にたどり着けば一人は存在しているだろう。

 魔導核と穂先でそれぞれ別の職人の手が必要になるという点ではやはり手間だし、所持者にも最低限の知識が必要になるという欠点も存在するため、あまり人気はない。が、ウルはこれを選んだ。

 

「今手が出せる範囲で火力をえり好みすると、やはり貴方のが一番になる」

 

 賞金首を撃破していく。

 という目標を立てた以上、ウル達のこれからの敵は賞金首になる。強力な武器は必要だ。多少の手間暇はかかろうとも、その苦労を惜しんでいる場合ではないのだ。

 ウルは代金として金貨1枚と銀貨1枚をテーブルに置く。マギカはそれを見て首を傾げた。

 

「ありゃ?この銀貨一枚は?」

「出来れば竜牙槍の整備の仕方をご教授願いたい」

「アカネちゃん見せてくれたらタダでおしえるのにいー」

「今はディズに預けている」

 

 アカネをたびたびディズから借りてそれを又借りして報酬を得ようとするのは流石に問題だ。前回は急を要していたからこそディズからの許可も下りたが、頼って当然、借り受けて当然、という態度をウルがとっていると、多分ディズは手痛いしっぺ返しを用意する。そういう女だ。

 

「そんなわけでこれで教えてくれるなら教えてくれ」

「まーいいよー。対魔物退治の武装の一種として普及し始めてるから、手入れは簡単に出来るようになっているし、すぐ身につくよー」

「ありがたい」

「ところでシズクちゃんはー?」

「ちょくちょく世話になってたらしい魔術ギルドで新しい魔術の仕入れ」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 魔術ギルド員の一人、ココロはその日も研究室の中にこもり、魔術の研究にいそしんでいた。

 彼女は風と水の属性を得手とする魔術師であり、特に都市の上下水の管理に関しては一役かっていた。

 魔物に土地の多くを奪われ狭い都市の内部で暮らす人類にとって、清潔な水の獲得、汚水の処理は都市の営みの根幹だ。彼女は自分の研究の重要性を重々に理解していたし、誇りとも思っていた。己がこの都市を回すための重要な役割をになっている自負もあった。

 

 だからひきこもることは多いのだが、別に彼女自身はヒト嫌いというわけではない。

 

 誰かと話す事は多かったし、魔術ギルドで魔術の教えを乞う者たちにはヒマがあればアドバイスすることもある。

 時々、「何もあなたがしなくとも」と言われることもあるが、こういう基礎的な指導というのは刺激になるのだ。

 

「そういえば、グリードはどこでも水が利用できましたね」

「別にグリードに限らず大罪都市なら大抵は上下水は完備してるっすけどねー」

 

 目の前にいる白銀の少女、シズクも彼女が指導した者の一人だ。

 冒険者ギルドと魔術ギルドの仲は悪くない。未熟な冒険者に魔術の指導を魔術ギルドで行うことはよくある。だから彼女への指導はその一環だった。だからそういう意味ではココロにとって彼女は決して特別な一人というわけではなかった(恐ろしく飲み込みが早いのでそれはそれでかなり目立ってはいたが)

 だが

 

「やーおめでとうっす、シズクさん。まさかマジで宝石人形やっちまうとは」

 

 ひと月で賞金首を討ち、挙句に銅の指輪を獲得したともなれば、話は違う。

 

「ありがとうございます。ココロさんのご助力に感謝を。おかげで生き残れました」

「さわりしか教えてないっすけどねー。ほんと」

 

 彼女が賞金首を討ちとって最速で冒険者の指輪を獲得したことを、ココロはそこまで驚くことはなかった。彼女に幾つか魔術を指導したからこそ知っている。1を聞き10を知る。どころではない学習速度を持った彼女は間違いなく天才だった。それくらいできたってなにも不思議ではない。

 

 支部長に頼んで、本格的に魔術ギルドに勧誘した方がいいんじゃないっすかね。

 

「んで、本日はどんな魔術を知りたいんすか?」

 

 いっそ自分から誘ってみようか?なんてことを考えながら問うと、シズクは頷いた。

 

「実は、もうじきグリードから離れるので、旅路に便利な魔術が幾つかあればと」

 

 早速目論見が崩れた。昨今なら一つの迷宮都市に腰を据えて地盤を築くのが冒険者の基本スタイルだろうに。

 

「この街にはいられないんすか?今なら名前も売れてるしいい仕事も入ってきますよ?」

「ダメです」

 

 即答であった。

 とりつく島もないとはこのことだ。これほど強い意志を有しているからこそ、彼女はその天才性を発揮できるのだろうが、残念だった。

 

「……ま、そんならしゃーないっすね」

 

 いい助手ができると思ったんだけどなーとココロは内心でこぼしつつも、頭を切り替える。まあ、無理なら仕方がない。間もなく旅立つという彼女の事を引きずったところで意味はない。本来の仕事に戻ろう。

 

「んで、旅に出るのならどんな魔術が欲しいんすか?」

「魔道具でフォローできる物は除外したいです」

「なら【結界】と【解毒】っすね。魔道具はあるけれど、基本消耗品で金がかかるっす。後【浄化】も簡単で便利っす」

「又聞きで仲間に伝えても身につくでしょうか?」

「コツ掴んだら子供でもできるっすよ。便利っす」

 

 ではそれらを。と、シズクは頷き、そして指導が始まった。

 最も、ココロがやることは本当に手短だ。目の前で見本を見せると、シズクは瞬く間にその魔術を習得してしまうのだから。しかも自分なりに、詠唱を唄のようにアレンジして。

 

「ワザワザ組みなおすなんてすごいっすよねえ、手間じゃないです?」

 

 一通りの習得後、自らの詠唱を繰り返すシズクに、ココロは尋ねた。

 

「私、こうした方が相性が良いようなのです」

「うーん、シズクさん、確かにうまいっすもんねえ。私はオンチだからだめっすわ」

 

 勿論、ただ歌えば魔術になるわけではない。正しく言葉や歌を術式の形に納めなければならない。彼女の詠唱はそれを成立させていた。しかも通常の詠唱よりも速いペースで。

 独自の詠唱方法なんてものは世にいくらでもある。ココロだって一つくらいは身に着けているし、通常の詠唱でも“クセ”なんかで僅かに変わる事なんてままある。

 しかし魔術ギルドが研鑽した詠唱と同等以上の速度と精度で行うというのはかなり驚異的だ。

 

「どっかで習ったんすか?私もできるならご教授願いたいもんすよ」

「難しいかもしれないですね」

 

 少しだけ探るつもりで問いを投げに対するシズクの答えは、あいまいなものだった。曖昧すぎて、どういう事か尋ねようとして、シズクがただ何も言わず微笑む顔を見て、口を閉ざした。

 どうやら踏み込まない方がいい事であるらしい。なるほどとココロはそれ以上踏み込むのをやめる。面倒ごとに踏み込む趣味は彼女にはない。

 

「シズクさんはこれからどこに向かうんです?」

 

 へたくそな話題のかえ方だった。しかしシズクはその意図を理解してくれたのか微笑んだ。

 

「プラウディアに向かうという事で、アーパス山脈を回っていくという事です」

「あー、そりゃ長旅だ。移動要塞使うんすか?」

「旅費を出してくれる雇い主の意向で、馬車になりました」

「そりゃますます大変っすね。無事を祈るっすよ」

「ありがとうございます。ココロ様」

 

 雑談を続けながら、魔術を教えていく。

 まるで砂が水を吸うかのように何もかもを習得していく彼女に末恐ろしさを感じながらも、この傑物がどんな旅路を進んでいくのか、ココロは他人事のように好奇心がそそられた。

 

 そして、彼女の想像を遥かに超える旅路をシズクが進むことになることを、当然ながらココロは知る由もなかった。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出立の準備③

 

 

 

 大罪都市グリード所属の島喰亀を筆頭とする、都市間の人類生存領域外の移動手段。

 

 手段方法は様々だが、基本的に【移動要塞】という名称で統一される。

 

 魔物に襲われず安全に都市間を移動できる手段は希少だ。個人がそれを保有するには沢山の資金と、それ以上にそれらを獲得するための機会に巡り合うだけの運が必要になってくる。そうでない者の多くは、魔物の影におびえる羽目になるのだ。

 だからこそ、島喰亀のように都市や国家公認の【大ギルド】が管理するような、多くの人間を乗せ移動可能な移動要塞には搭乗希望者が殺到する。

 

「そして私たちは乗れないのですね」

「まあ俺たちの搭乗員数の限界というよりディズのせいだがな。許せねえ」

「嫌われてますねえ、ディズ様」

 

 旅の支度を終えたウルとシズクは大罪都市グリードの門の前に集合していた。

 

 大罪都市グリードを訪ねて本日で一月。今日は二人がこの都市を出発する日である。

 

 旅路に必要な荷物を背負い、更に鎧防具を着込み武器も取り出しやすい形で備える。旅路に出る格好、というよりも迷宮に潜るときの装備と変わりない。これからウル達が飛び出すのは人類の生存可能領域の外である。いつ魔物が出てくるともわからない場所に放り出されるのだ。むしろ迷宮以上の緊張をもっていなければならない。

 

「ま、ディズの馬車に荷物は載せてもらえるらしいから楽だろう、島喰亀ほどじゃないだろうが」

「ところで彼女はいったいどこに?」

「はて、待ち合わせはここのはずなんだが……」

 

 島喰亀の搭乗エリア。巨大な島喰亀の背に搭乗するための巨大な“橋”が用意された広場に、島喰亀への搭乗希望者たちが集まっていた。小奇麗な恰好の小さな子供が両親に囲まれて笑顔を振りまいている。とてもこれから都市外の地獄へと足を踏み入れるようにはみえないが、それほど島喰亀が安全だということだろう。

 そんな彼らを横目にしばらく歩いていると見覚えのある金髪と緋色の妖精が目に映った。

 向こうも気が付いたらしい。手を振ってきた。

 

「あ、ウルとシズクだ。やっほー元気?」

《にーたん!》

「よお嫌われ者と可愛い妹……と、そちらさんは?」

 

 そしてもう一人、見覚えのない獣人がディズの傍にいた。ドレスを纏っていることから島喰亀の登場予定者だろうか。ディズの前に立っているが、その表情は親しげからは程遠い。殺意がこもったような険しい目つきでディズを睨んでいる。

 少なくとも友達ではあるまい。ではだれか。というウルの疑問を察したのか、ディズは笑った。

 

「私が家宝を奪って、島喰亀の同乗を拒否してる張本人。さっき偶然会ったんだ」

「話しかけなきゃよかった」

 

 修羅場だった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「言っておきますけど」

 

 ローズ・ラックバードという名の獣人は、ヤバい目つきに反して落ち着いた声で――少なくとも表面上は落ち着いた声でしゃべり始めた。

 

「別に、かつての貴方との取引に、ケチをつけるわけじゃないわ」

 

 言葉の端々に恐ろしいほどの怒りをみなぎらせながらもそれを懸命に抑えようと努力しているのがウルにもすぐにわかった。目の前で語りかけられるディズはもっとだろう。眼前にその怒りを浴びせられて平然としているディズの胆力にウルはいい意味でも悪い意味でも感心した。

 

「アレは正当だった。そしてあなたの資金の貸し出しで壊滅寸前だったウチのギルド【幸運の鳥】が持ち直したのは事実。あの取引が間違いだったという気はありません。ええ全く」

「だったら移動要塞に乗せてくれる?」

「いやよ」

「即答だ」

 

 ローズはディズに一歩近づく。背丈のあるローズは小柄なディズを見下ろす形になった。

 

「私個人だけの問題じゃないもの。貴方を嫌う者が商人ギルドには多くいる。“貴方がどんな立場だろうともね”」

「私の不徳の致すところだね。申し訳ないとはおもってるけど――」

「それでもどうしても乗りたいというのなら」

 

 ディズの両肩を掴む。その手に込められた力は明らかに強かった。獣人の爪がディズの肩に食い込むが、ディズは平然としていた。じっと、ローズの目を見つめ続ける。

 

「【灼炎剣】を買い戻させて」

「無理」

「……そう」

 

 ローズは手放した。先ほどまでの怒気が消え去り、代わりに冷え切った表情でディズを見つめ

 

「地べたを這いつくばって、魔物に食われてしまえばいいわ」

 

 最後にそれだけを告げて立ち去った。彼女の部下なのか、島喰亀に荷物を運搬している者へと指示を出し、彼女もまた島喰亀へと搭乗していった。振り返ることはなかった。

 

「ローズ元気そうで何よりだ」

「お前凄いな」

 

 最後にディズから飛び出したその感想に、ウルは引いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

旅は始まる

 

 【聖遺物】

 

 精霊との交信を続け鍛錬を重ねることで得られる【加護】とは別の、精霊から直接与えられる“特別な道具”。

 加護は鍛錬を重ねた神官にしか使えないが、聖遺物は道具だ。神官以外でも使える。触れるだけで体が癒される水晶だったり、振るうだけで一帯の魔物を消し去る杖だったり、様々だ。

 そしてラックバード家に存在していた【灼炎剣】もその一つだ。

 

「それを奪ったと」

「うん。徴収したねー」

 

 現在、ウル達は島喰亀から少し離れた場所で荷造りをしていた。

 

「ラックバード家は古くから続く商家でね。幾つもの都市を跨いで繁盛する商店を開いていた。ウルも旅をしていたなら知ってるんじゃないか」

 

 ウルは頷いた。確かにラックバードという名前の商店は見覚えはある。見知らぬ土地に次々と流れゆく流浪者だったからこそ、どこでも見かけたその名前は記憶に刻まれていた。

 

「ところが3年前かな。都市間の移動中に魔物襲撃があってね。丁度仕事で遠出していた彼女の両親が不運にも巻き込まれ、亡くなったのさ」

「まあ……」

「しかも、取引の最中だったらしくてね。用意していた商品が丸ごと損なわれて、結果、ローズは両親を失い、しかも巨大な負債を背負う羽目になった」

 

 ラックバードは天涯孤独となったローズが引き継ぐこととなった。両親から学んだ商売人としての知識、技術、才覚は当時の彼女に既に備わっていた。が、最愛の両親を喪失し悲嘆にくれる暇すらなく、巨大な負債を抱えたギルドの運営を行うのはあまりにも酷だった。

 

 やむなく彼女は援助を乞う事になる。【黄金不死鳥】に。

 

「潰れるのが目に見えていた当時のラックバード家に金を貸し出してくれるギルドはそうそうなかった。ウチ以外はね」

「ディズは貸し出したのか」

「ま、ね。【灼炎剣】をラックバードが保有しているって知ってたからね」

 

 光と熱を生む奇跡の剣、四大精霊の一つ、炎の【ファーラナン】の聖遺物。ラックバード家の初代が授かった子々孫々に受け継がれてきた家宝。

 

 それを担保にする条件を突き付けられたローズの心情は計り知れない。

 両親を失い、更に家宝まで寄越せと言われたのだから。

 しかし彼女には背負うべきギルドと、部下たちがいた。彼女は断腸の思いでその条件をのみ、そしてそれからは必死に働いた。なんとしてでも家宝を取り戻すべく、並外れた商才を発揮し、そして瞬く間に負債を取り戻していった。

 しかし、担保を取り戻すには至らなかった。定められていた期限に間に合わなかった。

 

「ま、間に合わないのはわかっていたんだけどね。間に合わない期限を設定したから」

「俺の時のように?」

「君の場合、提案は君自身だからね?」

 

 反論できなかった。

 

「それでもギリギリまで迫ってはいたんだけどね」

「で、結局家宝は奪って、恨みを買ったと。買い戻しさせてやらんのか」

「とっくに“分解”したから無理」

 

 ディズの容赦のない言葉にウルは沈黙した。

 

「……あの女には黙ってろよ」

 

 ただでさえ恨みを買っているようなのに、自分の家の家宝が破壊されたと聞いたら、どうなるか、正直あまり想像したくはない。ディズもそのことは分かっているのか黙って肩をすくめた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「長い付き合いになるだろうから紹介しておこうか。黒いのがダール、白いのがスール、オスとメスだよ」

 

 紹介、と言ってディズが目くばせしたのは馬車に繋がれた馬たちだった。

 黒と白の毛並みの二頭。どちらも大きい。基本、都市外を走る馬は追ってくる魔物達から逃げ、時に蹴散らせる程度の大きさは有しているものだが、それでも他の馬たちと比べてもなお立派だった。

 

「よろしく、ダール、スール」

「よろしくお願いいたしますね」

 

 ウルとシズクが頭を下げると、此方の挨拶がわかってるのかわかってないのか、黒の方はぶるると鼻をならし、白の方は小さく鳴いて頭をシズクに少しだけ押し付けた。

 

「よろしくって」

「賢いのでございますね」

《かーい》

 

 シズクとアカネはきゃいきゃいと白馬と戯れている。黒の方はウルの方をじっと見ている。というか睨んでいる。「大丈夫かコイツ」とでも言うかのような見定め方をされている。ウルが目をそらすと鼻息を鳴らした。

 

「ダールはプライドも高いけど、ちゃんと接してればいい子だから安心してね」

「なんというか凄くバカにされてる気がするんだが?」

「認められるように頑張ってね?」

「バカにされてはいるんだな」

 

 悲しい。が、仕方がない。

 動物というものは割と気難しいものだと理解している。畜生風情が、とバカにしていると文字通り痛い目を見る。とくにこの両馬から噛みつかれでもしたら、頭を砕かれそうだ。

 出来る限り認められるように努力しようと決めた。

 

「で、ウル達の準備は出来ているかい?」

「いつでも出発して問題ない」

「はい、私もです」

《できてるー》

 

「よろしい。なら、最後に別れの挨拶をしてくるといい」

 

 ディズはグリードの正門を指す。そこにはなじみの顔、グレンの姿があった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 グリードを出る直前、ウル達はそれぞれこの都市で世話になった人々に挨拶に回っていた。たった一月の短い期間ではあったが、それでも多くの人に世話になった。

 しかし誰よりも助けてもらったのは冒険者の指導教官だろう。彼はウル達が近づくと、心底面倒くさそうな顔になった。

 

「わざわざここまで来てくれて感謝しようとしたのに何つー顔だグレン」

「哀れな連中の最後を茶化しにきただけだっつーの。っつーかお前ら島喰亀に乗るんじゃねえのか?」

「雇い主の素行が原因で乗れなかった」

「やーいばーか」

「低レベルな悪口やめろいい大人」

 

 無精髭でだらしない恰好のグレンはいつも通りだった。

 最後の最後まで変わらない。感傷的になろうとしていた気分が吹っ飛んでしまった。だがそんな彼に対してもシズクはブレることはなかった。丁寧にグレンに頭を下げ、微笑んだ。

 

「グレン様。今日までお世話に大変お世話になりました」

「お前は手間かからんかったがな。隣の凡人と比べて」

「せめて最後の挨拶くらい罵倒なしで終わらせてほしいんだがな……俺も世話になった。感謝している」

「本当に世話かけたよ凡人の方は、這い蹲って五体投地で崇めろ」

「本当に素直に感謝させてくれないなこの師匠」

 

 性格がひねくれすぎている。

 

「感謝する暇があったらこの先を憂うんだな。黄金級志願者。お前の道行きは地獄だぞ」

「んじゃ、アドバイスくれよ元黄金級」

「アドバイスねえ……」

 

 グレンがつまらなそうに首をひねり、

 

「俺が黄金級になった時、嫁も仲間も死んだっつったろ?」

「出だしから辛いんだが……黄金級になるんならそれくらい覚悟しとけと?」

 

 グレンは「いいや」と首を横に振り、言葉を続けた。

 

「そうはなるなよ。お前らは。つまらんからな」

 

 そう告げた時のグレンの感情はウルにはわからなかった。だがそれが、自分たちの未来を案じてかけてくれた言葉だということは分かった。

 自分たちの指導者としての任を終える彼からの、最後の導きの言葉だった。

 

 だから、ウルとシズクは二人とも、頷いた。

 

「行ってくる」

「行ってまいります」

 

 グレンは何も言わず、いつも通りつまらなそうな顔のまま、手を振った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊跋扈編
都市の外


 熱気と欲望に溢れる都市の外へと踏み出すと、その先にはどこまでも広がる平原が続いた。

 

 かつては大地が見えなくなるくらいに存在したという人類の建造物は今はない。迷宮と、そこから現れた魔物たちの襲来によってその多くは瓦礫と化し、地に埋もれた。

 

 そんな平原を島喰い亀は悠然と歩む。

 

 強大な島喰亀の一歩一歩で大地が揺れ、沈む。これまでも繰り返し周回してきた島喰亀のルートは強く踏み固められ、草も生えぬ硬い地面と化していた。自らが舗装した道の上を島喰亀はゆったりと、歩み続ける。

 

 島喰亀の歩みを、ウル達は馬車から横目に見物をしていた。

 

 島喰亀の動作は遅いが、その歩幅はとんでもない。ゆるりと歩む馬車の速度よりもやや速いくらいだろう。ディズの馬達でなければあっという間に距離をあけられていたのかもしれない。

 ディズの愛馬、ダールとスールの曳く馬車は人だけでなく貨物も運搬可能な中型車でありスタンダードな代物だが乗り心地はかなりよかった。

 座っていても伝わってくる衝撃が殆どなく、音もしない。しかも速度は並を大きく上回る。馬たちは余裕たっぷりに見えるが、島喰亀に離されることはない。今まで彼方此方を旅してきたが、此処まで快適な馬車の旅は初めてだった。

 

「お金かけてるからねー」

 

 とはディズの言葉だ。

 旅路が楽になるのなら、高い車は大歓迎だった。問題は、

 

「……というか、俺が此処に座っていいのか?」

 

 ウルが馬たちの手綱を握っている点だろうか。

 

「馬を走らせることくらいやったことあるんでしょ?」

「まああるが」

 

 都市の外にいた日数の方が長いんでないか、というくらいに旅を続けてきたウルだ。馬の乗り方、操り方は一応最低限は心得ている。

 

《にーたんおうまさんはしらせるのじょうずよ?》

 

 アカネのお墨付きである。ウルは自信を持った。

 

「じゃー任せた。ダールとスールは賢いから平気だよ」

「そーかい」

 

 ウルはともかく、馬の方を信頼しているらしい。

 実際二頭は賢かった。殆どウルが御することもなく馬車を引く。それどころか今からどこに行くのかも分かっているかのように迷いのない歩みだ。拙いウルの手綱さばきをフォローしてくれていた。

 しかし緊張しないと言えばうそになる。というよりも、馬車の中で、シズクの膝枕を使って寝転がるディズはもう少し緊張してほしいという気がしないでもない。

 

「あー、ねむねむ……シズクのおひざはやーらかいねー」

「まあディズ様、ありがとうございます」

《かぜひくぞー?》

「その時はシズクに布団もしてもらうからへーきだもん」

「まあ、それなら抱きしめないといけませんね」

 

 馬車の音があまりに静かなためか、そんな会話がウルにも聞こえてきた。シズクまで楽しやがって、とは思わない。シズクにはディズの枕になってもらいながらも、魔術で周囲の魔物の警戒をしてもらっている。

 都市間移動において最も警戒すべきは魔物との遭遇であり、必要な警戒だった。しかし、

 

「今のところ、魔物の気配はありませんね」

「ここら辺は確か、影狼の群れや、死喰鳥が出る筈なんだがな……」

 

 影狼は複数体で襲ってくる集団性の魔物、小鬼程度の力しかないが俊敏さは高く、群れられると危険である。死喰鳥は死体を喰らう魔物であり、賢しい。時として死体を作るために影狼を誘導するなんて真似もするため一匹でも見かけると警戒が必要になる。 

 筈なのだが、出発以降、まったく見かけていない。

 理由は明確だ。このあたり一帯に、定期的に響く地響きのせいである。

 

「島喰亀のおかげだね。迷宮の外の魔物は通常の生物に近くなる。生存本能が高まってる分、島喰亀に警戒するのさ」

 

 その理屈で言えば、馬車引く馬もこの地響きには驚きすくむのが普通だ。立ち止まったり、逃げだそうとしたり、あるいは転びそうになったり。

 その点、ディズの馬たちは地響きにも微塵も怖がる様子はないのは楽だった。

 

「馬の制御は難しくても、それでも魔物への警戒が減るのは魅力的だから、私たちみたいに亀と一緒に移動するヒト達は多いね。背中に乗らない限り絶対じゃないから警戒はいるし、亀みたいに休みなしに動けないから、段々離されるけど」

「しかし、ディズは慣れてるんだな?都市間移動」

「ベテランだよ?私」

 

 ウルやアカネのような名無しは選択肢はない。都市に長くいられないからだ。だが、裏を返せば名無しでもない限り、普通都市間の移動はかなりの重労働だ。それこそ移動要塞を使えない嫌がらせを受けてもなお都市間を移動をするのはよっぽどの事情か、物好きかのどっちかだ。

 

 金銭的な不自由をしているとも思えないのに、何ゆえにそんなリスクを背負うのか。

 

《しにたいん?》

「死にたくはないけどねー。でも、仕事だからしゃーないねー」

「黄金不死鳥の仕事?そのために都市間移動までするのか」

 

 こうして自分専用の馬車を抱えているという事は、幾度も都市間を移動する経験をしてきたであろうという事でもある。馬車のくたびれ具合を見てもダールとスールの熟れた様子にもそれが分かる。

 

「ま、色々とあってねー。いっぱいいっぱいたくさんたくさんあるんだ。あるから……」

「あるから?」

「疲れてて、とても眠い。なのでお休み」

「は?」

 

 ウルが振り返ると、ディズはシズクの膝に沈みこむようにして目を閉じていた。フリかと思ったが緩やかに寝息を立てながら、ピクリとも動かない。

 

「眠られましたね」

「寝つきが良すぎる」

《はなつまんでもおきない》

「寝かしてやれ」

 

 一瞬で熟睡に至った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 移動要塞、島喰亀の歩みは特別速いわけではない。

 その巨体を支える6つの足でゆったりと確実に前へと進み続ける。島喰亀の最も大きな特徴は、やはり一度に搭載できる貨物の多さと、魔物や盗賊に襲われる危険性がほぼ皆無な処だろう。

 

 【人類の生存領域外】

 

 様々な迷宮から溢れかえる魔物達、法から逃れた無法者たち。本来であれば馬を無理させて駆け抜けるようにして逃げ出すか、あるいは周囲におびえながらビクビクと灯一つない暗闇の中で過ごすほかない人類を拒む魔の領域にあって、島喰亀と共にある旅はなんとものんびり穏やかだ。

 

 親しき友人達と共に談笑する者。

 活気ある商人たちと、彼らが広げる自慢の商品を物色する客たち。

 穏やかな日差しの中、亀の揺れを子守歌の代わりにうたたねするもの。

 

「あの女、どうしてあそこまで頑ななの……!」

「お、落ち着いてくださいローズ様!!」

「五月蠅い!!ああもう、倍の金額は支払うって言ってるのに…!!」

 

 そして怒りに身を任せ執事に当たり散らすもの。

 

 ローズ・ラックバードが泣くようにして叫ぶ暴言を、使用人のルーバスは必死に抑えていた。

 ルーバスにとってローズは娘のような存在だった。ラックバードに仕えてから20年、子供もおらず妻もすでに他界した彼にとって彼女と彼女の両親が家族だった。

 

 両親が健在な頃のローズは、優しく、思慮深く、とても優しい少女だった。両親の愛を一身に受けた、ルーバスにとっても自慢のご主人様だった。

 

 だがそれは崩れた。魔物たちの襲撃によって両親が失われてから。

 

 以後の、彼女の境遇はひとえに言って地獄だ。

 

 両親を失った彼女に待ち受けていたのは慰めではなく、陰湿な攻撃だ。ラックバード家が運営していたギルド【幸運の鳥】は大きな商店だった。長い年月をかけ、多くの都市で顧客を獲得し続けてきていた。こつこつと長い年月をかけ、築き上げてきた努力の結晶だが、他のライバル達からすれば目の上のタンコブだ。

 この機に乗ぜよと、たった一人残された彼女に多くの悪意が襲い掛かった。

 

 だがローズは、嫉妬と敵意と欲望の嵐を前に全力で立ち向かった。

 

 無論彼女だけの力ではない。昔から彼女の両親を支えた部下たちの献身、長らく世話になってきた商売ギルドからの手厚い協力、勿論ルーバス自身も全力で彼女を支えた。だが、それにも増して彼女の商人としての、もっと言えば人の上に立つ者としての才覚はズバ抜けていた。最初こそ躓けど、あっという間に彼女はラックバード商店を盛り返した。

 

 だが、失ったものは両親の他、二つある。

 

 一つはラックバードの秘宝【灼炎剣】。

 両親の命と共に失った商品の返済のために背負った借金を抑えるために、ゴルディンフェネクスへの担保としてやむなく手放さざるを得なかった【聖遺物】。幼き頃から両親にその“経緯”を教えられ誇りに思っていた彼女にとって、家宝を手放したことは両親を失った事に続いて彼女の心を大きく傷つけた。取り戻そうとかなり強引な手段をとっているのはそのためだ。

 

 そしてもう一つ。

 

「……もういいわ、次の都市で顔を出すギルドのリストをまとめておきなさい。私はAからDまでの魔法薬のチェックを行うから」

「ローズ様、ここの所働きづめです。少しはお休みを……」

「いいから、さっさと貴方の仕事をなさい」

 

 苛立ちを隠すことなく、部下たちに指示を出して、ローズは貨物エリアへと一人で向かっていった。

 

 失ったもう一つ。彼女からは笑顔が消えたのだ。

 両親が生きていたころ、彼女はよく笑う少女だった。よく泣くが、笑う少女だった。しかし今は違う。怒りばかりだ。痛々しいほどに。

 

「お嬢様……」

 

 ルーバスは彼女をそうしてしまった己の無力さを嘆いた。

 しかし、それでも、以前よりは彼女は穏やかになっていた。昔のように笑う事はまだないが、時間の流れが彼女の傷を少しずつ癒していった。

 

 昔のように笑ってもらえるよう、全力で支えなければならない。

 

 ルーバスは想いを新たにして、与えられた自らの仕事を始めた。

 

 そんなルーバスの思惑も、ローズの怒りも、悩みも、全てが灰燼に帰す事になるのはもう間もなくの事だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

都市の外②

 

 迷宮乱立の発生以後、人類の生存圏は縮小し、防壁に守られた内側に押し込まれた。

 

 都市間には人の営みは存在しない。全ては生い茂る草木に覆われ、隠れて消えた。だがしかし、その全てが一切失われたのかと言われればそんなことはない。都市間を移動する名無したちの手で、作られたものが存在した。

 

 馬車や人が通過するための道、そして要所で設けられる体を休めるための休息所。

 

 グリードと他都市の間にもそういった場所は必ず存在していた。

 

「形態は様々だが、“止まり木”と皆呼んでる。まあ絶対安全じゃあないけれど」

 

 時刻は偉大なる唯一神である太陽が天高く昇る真っ昼間。

 ウルは近場の林からとってきた枯れ枝を抱えながら、広場へと足を踏み入れる。柵で囲まれた十メートル四方くらいの屋根もない小さな広場だった。馬車を中に入れ、ウル達は今腰を休め食事の最中だ。

 馬達、ダール達は放ち、近くの草をのんびりと食んでいる。日の出から歩きどおしだったが疲れた様子もなかった。

 

「ダール達は三日間走りっぱなしでも疲れないよ。魔物との混種だからね」

「魔物との……ってそんなことできるのか?」

「大罪都市グラドルの品種改良技術」

「寄る機会があれば今度はじっくり都市を見て回るか……こんなものか。アカネ、ナイフになってくれ。小枝を削ぐ」

《あーい》

 

 ウルはアカネに手伝ってもらい、近くの林で拾い集めた小枝を適当なサイズに割いて、先人が利用していた石造りの簡易のかまどに枝木を重ね、割いた枝に着火し、火をともす。

 

「水溜の水を浄化かけて沸かそう。後は簡単に食事を」

「チーズとタブタの干し肉。後はオイル付けのキャベ等々、旅予定の三日分はちゃんとあるよー」

「馬車持ちは食料の運搬、あまり制限が無くてありがたいな」

「干し肉一つで銀貨一枚になりまーす」

「泣くぞ」

《ケチー》

「冗談だよ。まあ、食べ過ぎず余らせず、上手い事消費してね」

 

 ウルが此処に来るまでは、邪魔にならない量の保存食を、ひもじい思いをしながら僅かにこそいで食いつなぐような状態だったので、その点で不安がないだけでも彼女の護衛を依頼されて良かったと思えるのは我ながらチョロかった。

 

「そういえば都市外に存在する割に、寂れている印象はありませんね?誰が整備を?」

「俺達だ。基本、“止まり木”は都市間移動をする人間が各々行う。壊れてたら自分たちで進んで直すし、何か作業をしている人がいれば手伝う」

 

 石造りのかまども、雨水をためる水溜も、それぞれ別の誰かが用意したものだ。元は此処は何もない広場だった。が、僅かに小高く周囲の状況を確認しやすく、近くに“野良迷宮”も存在せず、更には薪や食料を調達しやすい手ごろな林も存在するこの場所に、自然と人が手を加え始めた結果がこの“止まり木”である。

 

「壊れてる所があったら直すし、汚れていたら掃除もする」

「素晴らしい事ですね」

「必要な事だからな。適当な真似をして恨まれたら困る。特に、都市外では」

 

 都市の中なら法という守りも存在する。が、ここは都市の外である。魔物から守ってくれる防壁がないのと同じように、人々が自らを律する法もまた存在しない。存在しないが故に、互いへの気遣いに対して慎重になる。どこかの誰かの逆鱗に触れた時、守ってくれるルールが存在しないのだから、無意味なリスクを背負うのは誰だって避ける。

 それでも、やはりというか無作法な真似をする者もいるが、その結果がどうなったかは知らない。知らないから、ウルは同じ真似はしない。

 

「そんなわけでシズクは掃除を頼む」

「もうやっております……ですが、この柱は」

 

 シズクが指さすのは、広場の中央に突き立てられた一本の柱だ。照明もつけられてはおらず一見して何のためにあるのかわからない、が、近づいてその表面を見ると、不可思議な文字が刻印されている。

 

「【旅の守護精霊ローダー】を現す魔言だ。神殿の代わり」

 

 この世界には様々な精霊がいる。彼らに対する信仰は幾つもあり、そしてその信仰に見合っただけの“礼”が返ってくるのがこの世界の信仰だ。故に誰もがそれぞれ、自分が目的とする行動への守護精霊に対して祈りをささげる。

 都市間の休憩所、こんな場所で祈る願いがあるとすれば当然、旅の安全だろう。ローダーは旅を司る風属性の精霊である。

 

「まあもっとも、ローダーは気まぐれだからねえ。加護をくれたりくれなかったり」

「オマケに都市の外にいる奴らなんて大抵名無しだからな。此処を利用する奴も」

 

 名無しは、精霊に縁遠い故に都市の外に追い出された者達である。

 要は単純に、精霊への祈りが届きにくい。届きにくいということは恩恵も受けにくいということである。

 

「ウル様は助けてもらった事がありますか?」

「飯の準備の時、鍋ごとスっ転んだらなんか助けてもらったかな……」

 

 ともあれ助けは助けだ。

 縋れるものは縋るべきだ。祈ることに代金は必要ないのだから。

 

「どうする?私らは祈る?」

「祈ろう。そうしないと落ち着かん」

《ろーだーたんありがたやー》

「「「ありがたやー」」」

 

 かくしてウル達4人は両手を合わせ、精霊に祈りをささげるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 簡単な食事を終え、お茶を飲み一息ついて、ディズは手を叩きウル達の視線を集めた。

 

「それじゃあこれからの予定を改めて説明するね」

「そういえば、島喰亀のごたごたで、あまり話聞けていませんでしたね」

 

 勿論、事前に何度か簡単な打ち合わせこそしてきたが、やはり改めて確認していた方が良いには違いない。と、ウルとシズクは居住まいを正した。その隣でアカネも同じように真似をした。

 

「次に私らが向かうのは“衛星都市アルト”。大罪都市グリードの衛星都市だよ。特徴は……そうだね、強いてあげるなら質の良い紙の製造量産技術を有していてそれでグリードと取引してる」

 

 都市間での交流に制限が生まれ、技術的な共有が滞った結果、都市ごとに多かれ少なかれ独自の技術や特色を保有していることが多い。その最たるものが大罪都市の迷宮だろうが。

 

「あと二日程で辿り着く。ただし魔物と遭遇した場合プラス一日はズレこむ可能性はあるのでそのつもりで。何か質問は?」

 

 問われ、挙手したのはシズクだった。

 

「はい」

「どうぞ、シズク」

「改めて確認させていただきますが、滞在期間の我々の仕事は?」

「無いよ。賞金首を探して狩るならご自由に」

「俺達の仕事は基本的に都市間の移動のみだな」

「そだね。ただし緊急の際は此方の要請には従ってもらう。追加報酬はその都度相談」

 

 都市の中でも彼女につきっきりではウル達の目的である賞金稼ぎは不可能だ。ディズもその点は承知しての条件だった。この辺りは事前の交渉で確認した通りだ。

 

「特に何もなければそのまままっすぐにラストへと向かうから、アルト滞在はそれほど長くはないかな」

「ま、流石にアルトで賞金首を討つ機会には恵まれそうにないか」

「冒険者ギルドはあると思いますから、ラスト領の情報は集めておきましょうか」

 

 そしてその間に上手くいくなら賞金首を漁る。とはいえ、グリード領ではめぼしいものはもういないだろう。少なくとも現在のウル達の実力で打倒可能な相手はいない。グリードの冒険者ギルドで確認済みだ。

 ウル達の本格的な活動はラスト領に入ってからになる。今はまだ問題はない、はずだ。

 

「他、何か質問は?」

「ない」

「ありません」

《なーし》

「よろしい、それじゃあー」

 

 ディズは笑って、もぞもぞと馬車の中に戻り、

 

「寝るね。日が沈む前に次の止まり木まで移動して野営の準備よろー」

 

 寝た。マントも被らずに。

 

「本当に寝つき良いのですね、ディズ様。お疲れなのでしょうか?」

「……アカネ、ディズと一緒に寝ておいで。マントになって」

《おやすみー》

 

 雇い主に風邪をひかれても困る。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 実際、ディズは疲れていた。

 

 彼女を包むようにして、柔らかな生地のような姿で眠るアカネを抱きしめて、共に彼女は眠りつづける。

 

 ディズは疲れていた。

 大罪都市グリード、世界に七つ存在する大罪迷宮の一つを保有した大都市でありながら、その場所はイスラリア大陸の東南端、アーパス山脈をぐるっと迂回して存在している事もあり、“大陸の果て”とも言われているような場所だ。故に、交通には時間がかかり、そして尋ねてみれば自分以外処理できない“仕事”がたまっていた。

 滞在中、彼女は非常に忙しく、溜まり切っていた仕事を処理する羽目になり、眠る暇すら惜しむほどだった。

 そんなわけで、彼女はいま体力回復に専念している。本当なら安全安心な島喰亀の上でのんびりゆったりと過ごしたかったのだが、残念ながらそれはできなかった。だから雑務と護衛のためにウルとシズクを雇ったのだ。

 

 本来ディズをサポートしてくれる従者は、今は所用で別の場所にいる。その代理としてはやや心許ないところもあるが、二人は十分努力はしてくれていた。二人の護衛に身を任せ、ディズはひたすら昏々と眠り続けていた。

 

「…………んあ?」

 

 その眠りは、シズクに頬をつよめに引っ張られる事で覚醒する事となる。

 

「……シズク?」

「はい」

《……くー》

 

 シズクはディズを上からのぞきこむようにしていた。いつの間にか膝枕までしながら。少しだけ身体を起こして、自分にかかったアカネを優しくどかすと、そのままディズに顔を向けた。

 

「君は今何をしているの?」

「ディズ様の頬をつねっております」

「そうなの?」

「そうでございます」

 

 シズクは淡々と状況を説明してくれる。説明してもらわなくても彼女が何をしているのかくらいは流石にわかるのだが、

 

「じゃ、その理由は?」

「はい」

 

 シズクは頷いて、そして真剣な表情で口を開いた。

 

「大変です。ディズ様」

「大変なの?」

「そうです」

 

 とてもまじめに彼女は告げた。まじめに告げられているのだが、なんだかのんびりとした印象を受けるのは彼女の雰囲気のせいであろうか。緊張感がなかった。ディズはゆっくりと体を起こし、伸びをして、シズクに確認する。

 

「それで、なにがあったの?」

「先を進んでいた島喰亀の上に【死霊兵】と思しき複数の魔物の気配を感知、更に強盗と思しき者たちがその死霊兵と共に島喰亀に乗り込んでいる痕跡を確認。現在島喰亀は動きを停止中。恐らくは占拠されているものと思われます」

「……」

「……」

「大変じゃないか」

「ええ、大変です」

 

 大変だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃

 ウル達がその”大変な事態”を確認したのは、”止まり木”から出発して数時間が経過したころだった。ペースは一定、旅路は順調、しかし、休みは必要な馬車に対して、全く休みなく進む島喰亀とでは既に大きな差が開いていた。

 巨体さ故にまだその姿は確認可能であり、それほど離れていないようにも思えるが、この馬車を引く名馬達が全力で走ってもそうそうに追いつけないところまで距離が開いてしまっていた。

 

「出来ればもう少し引率してもらいたかったんだが、まあ仕方ないか」

「まだ距離はありますが、徐々に魔物の気配が増えてきています」

「島喰亀の威を借りられなくなってきたと……次の止まり木までもてばいいが」

 

 少し警戒を強めながらも、ウルは島喰亀からできる限り離れぬようにとダール達の足を速めた。今のウル達なら多少の魔物が出現しても対処は出来るが、無駄な消耗は抑えるに越したことはないし、今ウル達は護衛をしているのだ。護衛対象に不要な危険を浴びせないようにするのは仕事のウチだ。

 次の”止まり木”のポイントにたどり着けば恐らく日は沈みかける、そうなればそこで今日は宿をとることになる。流石に島喰亀の恩恵はなくなるだろう。魔物に対する警戒はより強めなければならない。

 

 と、今後の対策を考えていたウルは、しかし、ふと気が付いた。

 

「……ん?」

 

 遥か先を行っていた島喰亀との距離が縮んでいるように見える。

 

 島喰亀の足は遅くはない。歩む馬の足と変わらない速度だ。で、あれば追いつける道理はないのだが、何故か島喰亀との距離が縮んでいる、ように見えた。

 少しでも島喰亀の恩恵を得ようと、馬達に足を多少急がせはしたものの、走らせている訳ではない。なのに距離が縮むのはなぜか。最初は巨大すぎるが故の目の錯覚かともおもったが、時間と共に大きく見えてくる島喰い亀の姿は気のせいでないことを告げていた。

 

「なんだ……?」

「ウル様」

「シズク?どうした」

「足音がありません」

 

 シズクに言われ、気づく。近くにいた時は一定のペースで発生していた島喰亀の足音が消えている。距離が離れたからと思っていたが、そうではない。つまり今現在島喰亀はそもそも歩いていない。停止している。

 

「島喰亀は休みなく移動するはずだったが…?」

 

 島喰亀はグリードから次の都市までの間は休みなく動く。都市で一度供給を済ませれば一月は休みなく動き回れるのだ。当然乗客用の食料もぬかりなく完備している。わざわざ魔物が存在する都市間の人類生存圏外で動きを止める必要性は皆無なはずだ。

 

 何か起きている。という警戒にウルは竜牙槍を手元に寄せる。手綱を繰りダール達の速度を落とし、周囲を警戒する。

 

「シズク、魔物は?」

「……います」

「どこだ」

「”島喰亀の上です。それも無数に”」

 

 ウルはその答えに一瞬、混乱した。

 

「……島喰亀の気配で混乱したわけではなく?」

「はい。島喰亀とは異なる小型の魔物の気配が無数に島喰亀に群がってます」

 

 ウルは島喰亀に視線を向ける。その甲羅上部、乗客たちが乗り込むエリアを確認した。まだこの距離なら上部の状態がわずかに見えた。なだらかな亀の甲羅の上に、乗客たちがくつろげるように幾つかの施設が建設されているはずだが―――

 

「……明るい、いや、火か?」

 

 日が徐々に落ち、薄闇が掛かり始めた空で、島喰亀の上部がやけに明るい。照明を常備している可能性もあるが、僅かな揺らめきを見せるその灯りは、人工の灯りとは違う。

 

「ウル様。周囲に複数の人の気配と”馬車”を確認しました」

「止まれ」

 

 手綱で制御する間もなく、ウルの声でピタリと馬たちは歩みを止めた。本当に賢い二頭だ、と感心しながらもウルは竜牙槍を構え立ち上がる。

 

「シズク、隠蔽の結界を」

「【風よ唄え、悪意の瞳から我らを隠せ】」

 

 速やかに馬車の周囲にシズクが結界を張り巡らせた。ウルは馬車の上に上り、冒険者の指輪を前に差し出す

 

「【鷹の目】」

 

 魔具としての指輪の機能が起動する。ウルの眼前の光景を望遠鏡のように拡大し、目の前に映す鏡が現れる。其れをウルはのぞき込んだ。馬車、とシズクは言ったが、そもそも賢いダール達ですら島喰亀のそばに近づくのは警戒する。何故に馬車を寄せられるのだ。と、映し出された光景を確認する。すると、

 

「……馬じゃない」

 

 そう、馬車を引いているのは馬ではなかった。四肢で地面に立った馬のような形をしているが肝心の肉が全くついていない。”骨”しかなかった。

 

「【死霊馬】…でしょうか?甲羅上部にいるのも恐らく同種の【死霊兵】です」

 

 同じように調べていたシズクから指摘がある。

 魔物の一種、正確に言えば【死霊骨(スケルトン)】という呼称の魔物だ。名称の通り、骨の魔物。人間や動物の死骸に魂が宿り、血肉ではなく魔力だけでさまよい蠢く魔物。宿る死骸は人とは限らないので、あの骨の馬たちは馬の死骸に何かしらの魂が宿ったのだろう。

 

「でも、わざわざ魔物を馬の代わりにするか…?」

「島喰亀に近づくためでしょうか。普通の馬では近づきすぎると怯えてしまいます。」

「……もしそうだとするなら、意図的に死霊骨を作ったってことになる」

 

 それが可能か?と問われれば可能だ。死霊骨は人形(ゴーレム)と同じく、人の手で生成可能な魔物である。都市によっては禁忌として定められることもある外法、悪用も可能な魔術の一種。

 しかし、今ウル達がいるのは都市の外、都市の中の法は通用しない場所だ。

 

 ウルは更に馬車周辺を調べる。と、

 

「……ヒトの姿を確認、獣人と只人か?二人、武器を持ってる」

 

 遠目では正確な装備は不明だが、剥き出しの剣を握っている状態がまともとは到底思えない。疑惑は確信に変わる。

 

「死霊骨を使った乗り込み強盗」

 

 都市間の安全な移動を可能とする移動要塞に対しての乗り込み強盗、前代未聞の事件にウル達は遭遇していた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「とりあえず状況は把握したよ。ウル、君運悪いね」

「この場合、運が悪いのはディズなのでは?」

《ふたりともついてなーい》

「まあ、いけませんよアカネ様。本当のことを言っては」

 

 話の主旨を聞いたディズはまだ寝ぼけた顔をしながらも、状況は理解したらしい。

 

「さて、君たちはどうしたい?」

「俺達に聞く意味があるか?雇い主」

「あるね。少数の旅だ。意見のすり合わせは大切さ。雇用の関係であってもね」

 

 そう言い切って両手を広げ意見を促す。果たして本音を言っていいものなのか一瞬考えているうちに、先にシズクの方が口を開いた

 

「助けに行くべきかと」

「即答だね。素敵だ。ちなみに理由は?」

「乗客の皆様が危険だからです」

 

 シズクは断言した。実にわかりやすく、そして真っ直ぐな意見だった。自分がどういう意見を述べるべきか少し考えた自分がアホらしくなるくらいには。ディズはシズクの意見に対して肯定的な意見も否定的な意見も述べず、うんうんと頷いて

 

「で、ウルは?」

「……助けに行ける、かはわからんが、出来ることがあるのならやってはおきたい」

「理由は?」

「……乗込口で俺達よりさらに小さな子供が乗っているのもみた。放置できん」

「カッコいいね。その割に随分と顔色が悪いようだけど」

 

 指摘の通り、ウルの顔色は悪かった。当然である。

 

「そもそもこんな災難起こってほしくはなかった」

 

 島喰亀なんてバケモノに襲い掛かる強盗団なんて命知らず、出来るなら関わりたくはない。かなう事なら生涯を通して。

 

「それなら道を避けて逃げようって提案すればよいのに」

「さっきも言っただろう、放置できん。そんな事したら不愉快だ。”俺が”」

「難儀な性格してるねえ」

 

 実際、ウルは難儀な性格をしていた。いや、難儀な性格に”なった”。そしてその難儀さに苦悩しているのはウル自身である。その苦労を知ってか知らずかディズは笑いながら、ウルの横でふよふよと浮かぶ紅の少女に目を向ける。

 

「アカネは?」

《にーたんといっしょよ》

「おにーちゃん想いのいい子だね」

 

 アカネは楽しそうだった。ウルは咳ばらいをして話を戻す。

 

「だが、雇い主はディズで、俺達はあんたの護衛の為に雇われている。あんたが望まない限り、下手に危険にさらす真似をするつもりはない。」

 

 その点においては既にシズクと話をしている。前金は既に支払われ、雇われている以上は優先順位はブレてはいけない。というのはシズクも心苦しそうにしながらも納得していた。

 そして、ディズからすればあの島喰亀は乗る筈だった自分を追い出したローズ含め、遠目にも悪意を向けてくる連中ばかりだった。それを考えると、彼女の意見は――

 

「あ、それは大丈夫だよ?」

 

 大丈夫?と問い直す前に、ディズは島喰亀を指さして

 

「皆の意見が統一されていてよかった。じゃあ全速力で島喰亀の皆を助けに行こうか」

 

 GOGOGO、と、彼女は乗り込み強盗犯の討伐を命じるのだった。

 

 

 

 

 依頼発生

 

 島喰亀に侵入した盗賊たちを撃退せよ

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪鬼どもに少女は問う

 全会一致での島喰亀の救助が決まった。当然、実行役となったウルとシズクは馬車にディズとアカネの二人を置いて、密やかに騒動の中心である島喰亀に接近していた。

 

「シズク、今は魔術何回使える?」

「本日は3回分の魔術を消費しています。残り7回です」

「なら、俺達に改めて不可視の魔術を1度頼む。これで残り6回か」

 

 現在シズクは魔力を貯められる魔蓄石と合わせ、10回の魔術を使用できる。残6回という回数は迷宮探索時にはまだ余力があるが、しかし盗賊退治ではどの程度必要になるのか想像がつかなかった。温存するに越したことはない。

 徐々に日が落ちていく夕暮れ時、隠蔽の魔術に紛れ、近づく。間もなくして島喰亀が眼前に迫ってきた。二人は高く茂った草むらに身を伏せ、状況を窺う。

 

「……島喰亀、やっぱり大きいですね」

「グリードの乗り込み口には外付けのスロープがあったが、ないと崖だな」

 

 島喰い亀は巨大な魔物だ。その甲羅に階段があるわけもなし。甲羅上部に存在する乗客用スペース以外は殆ど手が加えられていない。正規の手続きを踏まずに無法者たちが乗り込んでこられては困るからだ。

 

「だとして、じゃあ、あの複数の馬車の乗組員たちはどこ行った?」

 

 本当に乗り込めないなら、あれだけの大量の馬車に乗り込んでいた乗客たちが島喰亀の足元に存在しているはずである。あの死霊骨の馬車を見るに、乗っていたものが本当に人だったのか保証はないが、

 

「ですが、少なくとも見張りと思しき2人はヒトですね……あら?」

 

 シズクは死霊骨の馬車近くにいた乗組員と思しき二人の男に視線を移し、そして疑問の声を上げる。獣人と只人の二人、“その顔”を見つめ

 

「……入れ墨でしょうか?」

 

 その顔に刻まれた奇妙な模様に首をかしげる。二人の男の顔には、黒く禍々しい目立つ意匠の模様が刻み込まれていたのだ。ファッション、というにはあまりにも大きく人目を引くソレを、ウルは知っていた。何度となく旅を続けてきた彼にとって、顔に刻まれた特徴的な印は覚えのあるものだった。

 

「あれは、都市外追放のしるしだ」

「どこかの都市から追い出された事を示すと?」

「大連盟で定められた法の一つだ。重罪を犯し都市外追放になった人間には必ず印が施される。アレがつけられたものはどの都市にも入ることは許されない」

 

 別の都市の犯罪者を他都市が知らず招いては困る。という理由があった。都市と都市の間でのインフラが限定されたこの世界においての知恵である。結果として都市外追放された犯罪者たちの多くは人里に近づくこともできず、遠からず魔物達に食い殺される未来が待っている。

 が、しかし、時として生き残る者たちもいる。彼らの多くは盗賊となり、都市間を移動する旅人たちの荷物を略奪し、食いつなごうとする。

 

「まあ、ある意味この上なくわかりやすいな。少なくとも連中は島喰亀の観光に来たわけじゃ断じてない」

 

 彼らは経緯はどうあれ犯罪者であり、そして島喰亀を囲って武器を構えている。どういう事情であれ良からぬ目的であることには間違いなさそうだ。

 

 見張りと思しき強盗達の姿が2人、ウル達の視界に映るだけでも馬車は3台ほど、馬車数に対して人数が少ない。ならばのこりの大多数は既に上に上っている可能性が高い。だがどうやって?

 

「空を飛ぶ魔術を使ったとか?」

「【飛翔】は高度な魔術です。死霊兵を操る魔術師がいる以上、使い手がいないとも思えませんが、島喰亀側がその類の魔術への対策はしているはずです」

「だよな、ならますますどうやって――――なんだあれ」

 

 周囲を窺っていたウルは、自分の眼を一瞬疑った。

 島喰い亀の正面、ウル達の進行方向からは亀が陰になって見えなかった所にそれはあった。ウルの眼前に現れたのは、やはり骨である。骨で生み出された死霊兵だ。ただし、“デカい”。人より身長が高い、なんて物じゃない。高さは島喰い亀のソレに及ぶ。巨大な人骨だ。それが、島喰亀のルートに立ちふさがっている。

 

「……島喰亀が歩みを止めた理由がコイツか」

「背中を橋代わりに?」

 

 見れば、その巨大な両腕は島喰い亀の進行を塞ぐようにして伸び、上半身が斜になってよりかかっている。背骨に当たる部分を橋のようにして島喰亀の上部へと橋渡ししている。島喰亀はその巨大なガイコツに道を阻まれ、身動きもせず止まっている。

 

「押しのけられないのかね」

「というよりも、動こうとしていませんね」

 

 島喰亀に乗り込む手段は基本的に、都市側が舷梯を用意する。万一の時、無法者や魔物達が乗り込んでくるのを避けるために。折角のその警戒が、今のウル達にとっては障害だ。乗り込む手段がない。

 

「……あら?ウル様」

 

 と、少し立ち往生していると、シズクが声をかけてきた。

 シズクが指さす先、何か、淡い、小さな光があった。闇夜の中ですら薄っすらとしかわからないような小さな灯りだ。それを見て、ウルは一瞬訝しがり、しかしそれの正体に気づき、あっと声をあげた。

 

「……“ローダー”だ」

「【旅の守護精霊ローダー】様?」

「そうだ。鍋もってすっころびそうになったとき、この光が助けてくれた」

 

 その時も今と同じ、橙色の光の小さな人型、つまり精霊がウルが煮えた鍋を頭からかぶりそうになった時、ひょいと鍋を支えてくれたのだ。ウルがローダーにささげる祈りがより一層真剣なものとなったのはあのときからである。

 そして今回もウル達の目の前に出現した。つまり、

 

「私達を案内してくれる?」

「多分」

 

 悪戯好きの風精霊の眷属でもあるが、しかし生き死にのかかる場面でからかうほど悪辣でもない。ウル達が近づくと、先導するように橙色の光を放った小さな小さな人型が動き出した。ウル達は息をひそめ、盗賊たちに見つからぬようにと後に続く。

 

 間もなくして巨大なガイコツの舷梯とは反対側、盗賊たちのいない島喰亀後部にたどり着いた。そこでローダーは上空に飛び、そして巨大な甲羅の先端部分へと向かう。そして、

 

「おお」

 

 からから、と音がして。暗闇から梯子が落ちてきた。恐らく島喰い亀の乗務員が利用する秘密の乗り込み口だ。巨大ガイコツの反対側にあるのも大変都合がよかった。これなら気づかれずに乗り込むことが可能だ。

 

「ローダー。ありがとう。感謝する」

「今度はお供え物を持ってまいりますね」

 

 ウルとシズクが頭を下げると、橙色の光はクルクルとその場で回り、そして虚空に消えた。上位存在の助けは必ずしも得られる物ではないし、直接的なモノではない事が多い。名無しなら尚のことだ。

 故にこうした助けは本当にありがたい。ウルは改めて、念入りに感謝の祈りを捧げた。

 

「……良し行くか」

「はい」

 

 2人は頷き、梯子に足をかけ、島喰い亀へと乗り込む。

 スムーズに乗り込むことが叶ったが、ウルの表情は優れなかった。大罪都市が有する移動要塞を襲撃する、死霊兵たちを有した強盗団。決して単純な野盗の類ではあるまい。

 

「……ろくでもない予感がする」

 

 この先に待ち構えているであろう困難を前に、ウルはため息をついた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 島喰亀の上部、つまるところ乗客エリアおよび貨物収容エリアは、魔物の背中の上という事を忘れそうなくらい、広く、そして整備されていた。足場はしっかりと組まれ大きな広間を形成し、雨風を防ぐ屋根に乗客たちがくつろげるベンチや机が備え付けられてある。当然寝床も完備だ。

 更に安全安心な旅路と言えど数日の旅路の間、食事も必要になる。が、当然、島喰亀にはその備えもある。レストランまであるのだから至れり尽くせりと言えるだろう。

 

 そして現在、そんな快適極まる島喰亀の甲羅の上は

 

「助けて!!助けてえぇ!!」

「キャアアアアア!!!」

「痛い……痛い……」

 

 地獄と化していた。

 突如、島喰亀の進路をふさぐように出現した巨大なる【餓者髑髏】と、その背中に乗って乗り込んできた盗賊たちの手によって暴力を振るわれていた。無論、島喰亀に警備の兵士も存在したが、「襲撃など起こるはずもない」という油断があった。

 

『KUKAKAKAKAKAKAKAKAKKAKAKAKAKAKAKKAKAKAA!!!!』

「ひ、ひいいい!!!?」

「なんだこい、っぎゃあ!?」

 

 そこに、盗賊たちと共に現れた大量の人骨の兵士たち。死霊兵たちが襲い掛かり、一瞬にして飲み込まれた。抵抗手段を失った島喰亀はパニックになった。

 

「おい!女つれてるぞあのジジイ!殺せ!!」

「ひぃ!いやあ!!助けてええ!!」

 

 身形の良い乗客たちはその美しく着飾った衣服を引き裂かれ、装飾を奪われ、ボロボロになっている。女子供相手にも容赦なく盗賊たちは嬲り、そして嗤う。

 

「……想像以上に酷いことになってるな」

 

 ウルは不快そうに皺をよせ、堪えるように溜息をついた。耐えているのはシズクも同じだ。今にも飛び出したそうな顔をしている。しかし隠蔽の魔術を揺らがせることは無く、冷静だった。

 二人がいるのは島喰亀の上部に建造されている施設の屋根の上、恐らくは乗客用の寝室エリアと思われる場所だ。

 そこからだと、島喰亀の上部の様子がよく見えた。集められた乗客たちの姿も、それを嬲り嘲笑う盗賊たちの姿も、そして

 

『KUKAKAKAKAKAKAKKAKAKAKAKA!』

 

 大量の死霊兵たちも。

 その総数は圧倒的で数十体の死霊兵が島喰亀の上部にひしめいている。ろくな兵装も与えられていないただの骨身だが、その両顎で肉を噛みちぎられれば痛いでは済まないだろう。

 何よりも逃げ場のない島喰亀の上ではその数が脅威だ。乗客たちは隠れる場所も失っている。

 

「数を減らさないとどうにもならん……」

 

 ウルは死霊兵の情報を思い出す。グレンによって文字通り叩きつけられた知識を。

 

 ――――死霊兵の行動パターンは二つ。天然と人工によって変わる。

 

 天然の場合は、その行動は実に単純明快だ。死骸に魂が宿り魂を動力として蠢く死体。自らの核を糧に蠢く死体は、終わったはずの己の存在を持続するために他の魂を求める。その両顎で、腕で、生者の血肉を引きちぎって魂を引きずり出す。

 

 では人工は?

 

 ―――性質が大きく違う。人形のように、魔道核を作って魂の代わりにしてやるわけにはいかん。死霊術師が“己の魂を別け生み出すのが”人工の死霊兵だ。

 

 命の根幹を別けるという狂気の所業を行うが故に、死霊術師の多くは人の道を外れている事が多く危険視される。当然、魂の“腑分け”が多いほどに危険は高まる。それを大量に行うほどに術者の技量が高いことを示す。

 

 つまり、この島喰亀を襲っている死霊術師はとんでもない術者であることを示している。少なくとも銅になったばかりの、加えて言えば冒険者として一月と少ししか経験がないウル達よりもはるかに。

 

「だが、あくまで死霊兵は死霊兵でしかないはずだ。特別に強いわけじゃない」

 

 あの多量の死霊兵をすべて自由に操れるというのは間違いなく脅威だが、その技量と単体の死霊兵の能力が=であるわけではない。単体ならウルでも容易に倒せる。

 

 状況を整理しよう。

 

 ウル達の目的は“乗客たちの救助”だ。此処に来るまで状況がわからなかったが故に具体的にどう救助するかの方針は定まらなかった。避難させる、という発想も此処に来るまであったが、今この状況を見るに、逃げるというのは不可能に近い。

 島喰亀の甲羅の上、グリードの前にあったような橋はない。

 

 で、あれば、いかにして乗客たちの安全を確保すればよいか。

 

「やっぱり【結界】か。シズク。使えるか」

「【氷結結界】ならば。ですが繰り返しの攻撃には耐えません。時間も3分ほど。魔力をすべて使い切っていいのならば、15分と少し」

「いや、魔術は3回分は残そう。それなら?」

「10分は持たせます」

 

 竜牙槍をちらと見る。咆哮ならば薙ぎ払う事も可能だ、が、乗客と盗賊達がごったがえしている。この状況でぶんまわして下手すれば乗客を巻き添えにする。この状況では動けない。

 

「オラ聞けえ金持ちども!!!」

 

 混乱が静まった。ウルとシズクも息を殺し身を更に屈める。好機か窮地か、見極める必要がある。

 

「俺らのボスは女を望んでいる、若い、処女だ。ソイツを差し出せば他の奴らの命は救ってやる」

 

 その言葉に、混乱していた乗客たちは更に混乱した。処女、若い女。傷を、それも深手を負った者は思わず視線を同じ乗客たちにさ迷わせる。そして心当たりある者は身をさらに小さくし、あるいはその身内をかばう。

 先ほどの混乱とはまた違う痛々しい沈黙と緊張が辺りを包む。その様子を盗賊たちはニタニタと笑った。

 

「なら、私が出るわ」

 

 沈黙を切り裂いたのは、女の声だった。ウルは視線を向ける。一塊になった乗客たちから一歩前に出たのは、煌びやかなドレスを身にまとった獣人の少女。

 

「ロ、ローズお嬢様!!」

 

 覚えのある少女だった。というか、搭乗口の前でディズ言い争っていた彼女だ。彼女は僅かに震える手を押さえるようにしながらも毅然とした表情で前に出て、盗賊たちを睨みつける。

 盗賊たちはそんな彼女を前に、せせら笑う。その笑みには加虐的な悪意が満ちていた。

 

「はーん?アンタが身代わりになるって?」

「出ろと言ったのだから出てあげたのよ、不満?」

「処女か?ちゃんとおぼこちゃんかね?おじょーさん」

「確かめてみたら?」

 

 無神経極まる質問も毅然と返すローズ。無法者相手に怯え竦むことなどしてやらぬという強い意志があった。物怖じしない瞳は真っ直ぐと盗賊たちを射抜く。若くして商会を率いるものとしての矜持と強さがにじみ出ていた。

 

「……ムカつくな」

 

 だが、それは、この場においては悪手だった。

 え?というローズの口が動いた時には、盗賊の拳は彼女の頬を打っていた。鈍い音。ローズは地面に倒れ伏し、乗客たちからは悲鳴が上がった。容赦なく暴力を振るった盗賊は、そのまま倒れ伏したローズに近づき

 

「ッあ……!!」

「なに誇らし気に胸張ってんだこの雌猫が!泣け!命を請いやがれ!!」

 

 二度、三度と強盗は殴打を繰り返した。微塵の容赦も躊躇も感じない、良心の“たが”の外れた暴力だった。鈍い音が響くたび悲鳴が上がるが、それは徐々に弱弱しいものへと変わっていく。

 

「ウル様……」

「限界か」

 

 その状況から目をそらさず観察していたウルはシズクの声に竜牙槍を握りしめ、唸る。このままでは彼女が死ぬ。見殺しにする気にはなれなかった。

 不幸中の幸いか、「処女の女探し」のためにか、乗客たちは一か所に集められている。盗賊たちの意識はローズに集中している。

 結界を張り乗客たちを守るのは、可能だ。問題はウルがどれだけシズクの結界が維持できている間に、敵を減らし、状況を傾けられるかだ。

 

 出来るか?否、やるしかない。

 

 ウルはふと右手の甲を睨む。己の【魔名】の刻印を思い出す。己の力の成長の証。宝石人形との戦いを経て、ウルは強くなった。それは間違いない。だが、

 

 ―――急激な強化は慢心と油断に繋がり、自滅する。忘れんな

 

「……わかっているさ、グレン」

 

 訓練中、繰り返された師匠の警告を胸に刻み、ウルは立ち上がった。同時にシズクは声を潜め詠唱を始める。目くばせするとシズクは頷く。彼女が詠唱を完了し、結界を張ると同時にウルがローズを救い。結界の外部で暴れる。シズクの結界がこわれるギリギリまで――

 

 

「はーい、美しい生娘なら此処にもいますよー」

 

 

 のんきな声がした。それはローズの時と同じく、乗客たちの中からの声だった。

 

 今にも飛び出そうとしていたウルは虚を突かれ動きを止めた。誰か?という疑問が一瞬湧いたが、その声には聞き覚えがあった。あったから、ウルは混乱した。その声は此処では絶対に聞こえてはいけなかった声だった。

 

「彼女をいたぶるなら先にこちらからどうぞ、強盗の皆さま」

 

 にこやかな笑みと共に姿を現した、金色の髪を揺らす女。軽やかな笑みを浮かべる美しい少女。

 

 ()()()()()()

 

 何故か彼女がこの島喰亀の、それも乗客たちの中から姿を現し、強盗達の前に姿をさらしていた。

 

「……なん、で?」

 

 馬車で待機しているはずの護衛対象がいつの間にか戦場の渦中に出現した現実にウルは混乱していた。先ほどまで飛び出す気マンマンだった姿勢が大いに崩れた。そもそも自分たちが可能な限りの全速力で島喰亀に向かったのに、何故馬車に待機していた彼女が乗客に紛れている???

 他人の空似かとすら思ったが、その恰好は馬車の中にいた彼女と同じものだ。

 

「どうし……どうする…」

 

 一瞬悩んだが、どうしたもこうしたもウルは護衛対象を守らなければならない。先ほど話した打ち合わせの通り、救出すべき人質が二人に増えただけだ。先ほどの流れと同じように――――

 

「―――――」

「っ?」

 

 一瞬、本当に一瞬だけ、ディズが屋根の上のウル達に視線を向けた。

 

 ディズには屋根の上に隠れる予定なんて伝えていない。そもそも島喰亀の甲羅の上がどうなってるかわかったものではないのだから当然だ。

 なら偶然?しかしウルはディズと目が合ったと感じた。彼女はしっかりとウル達のいる場所を視線で捉え、そして小さく素早く口を動かした。

 

「ま・て?」

「…………」

 

 意味不明だった。何を待てというのだ。目の前の盗賊たち、乗り込み強盗の連中は完全に道徳と倫理性が吹っ飛んでる。人の心を失った畜生と変わらない。身代わりになるといっても、次の瞬間殺される可能性もあるのだ。

 

 と、考えているうちに彼女が盗賊たちの前に立った。ウルは息をのむ。

 

「もし、ディズ様に暴力が振るわれそうになった時は魔術で視線を集めます」

「その間に俺が救出か……」

 

 自信は無かったが、そうするしかなかった。せめて救出のタイミングだけは見失わないでおこうと眼下をにらむ。

 

 盗賊たちは一瞬、呑気な声で出てきたディズに呆気にとられていた。が、ディズの美しい容姿を確認して、ニタリとその顔をすぐ下卑た笑みに変えた。

 

「お嬢ちゃんが代わりに殴られてくれるって?」

「うんそうそう」

「で、お嬢ちゃんは条件聞いてたか?処女じゃなきゃいけないんだぜ?ウチのボスは」

「勿論」

 

 するりと、かぶっていた上着を脱ぎさり、彼女の白い肌が露になる。島喰亀の魔灯に照らされた彼女の姿は美しく、そして艶めかしかった。盗賊たちは興奮するように声を荒らげ、早速、というように髭面の男が彼女へと手を伸ばし、ウルは竜牙槍を握りしめた。

 

「あ、そうだ、その前に一つだけ確認したいことがあったんだ」

「あ?」

「貴方たちは、ヒトを3人以上殺したことがある?」

 

 その問いに、一瞬盗賊たちは顔を見合わせ、そしてゲラゲラと大笑いした。

 

「なっつかしいなあ!都市の外の法か!1人目は事故!!2人目は正当防衛!3人目は殺されても文句は言えない!!」

「人を殺したこと?どーだったかなー?おいお前ら!どうだったっけかね?」

「そこらへんで転がってるジジイは骨共が殺したしノーカンだろノーカン!」

「ああ、砦の奴隷の女は最近2人くらいおっちんだぜ?」

「勝手に死んだんだから俺らのせーじゃねえな、ハハハハハ!!!」

 

 盗賊たちは自分たちが踏みにじった命を嗤いつづける。乗客たちは思わず顔を顰め唸る。あるいは怯え震える。そして、質問をしたディズだけは、ただ彼らの言葉を聞き、静かに頷いて、

 

「成程、残念だ」

 

 右手を振った

 

 その軌跡はウルには一瞬も見えなかった。ただ右腕が消えたように見えた。

 

 そして目の前の髭面の首が“するり”と地面に滑り落ちた。

 

「え?」

 

 ウルは呆けた声を出した。

 

「え?」

 

 盗賊たちも呆けた声を出した。

 

「え?」

 

 髭面の男も呆けた声を出した。そしてそのまま絶命した。

 

 




評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

殲滅

 

 

 髭面の男の首が落ちる様子を、ウルは目撃した。

 

 だが、あまりに唐突に起こったそれを理解するのは難しかった。呆けた表情のままの男の首が地面に転がっても、残された胴体の首先から噴き出るように多量の血がこぼれ始めても、いまだ冗談にも似たような空気が場を支配していた。

 

「おっと」

 

 そんな中、たった一人、ディズだけがその場を平然と動き回っていた。

 彼女は目の前の男から噴出する血をひょいと避けると、その動きのまま軽やかにさらにその後ろに並ぶ男たちに距離を詰め、

 

「よいしょ」

 

 再び、文字通り目にも止まらぬ速度で腕を振り、そこにいた男2人の首を飛ばした。

 

「……ちょっ」

 

 自分の真横の仲間の首が消えてなくなり、ようやく硬直の呪縛から解き放たれたのか、後ずさろうとした男の額に穴が開いた。

 

「てめ――」

 

 腰に掛けた剣を引き抜こうとした男が、その恰好のまま下半身と上半身が分断され、絶命した。

 

「……ひっ」

「捕縛」

《―――りょ》

 

 一息の間に、周りの仲間が一人残らず殺され尽くした事実を目の当たりにし、それをようやく理解できた男が、ディズの指先から伸びた赤紅の金属によって雁字搦めになって捕縛された。

 その時点でようやく、ウルはディズがアカネを武器として使っていることに気が付いた。

 

「アカ―――」

「ウル、動け!」

 

 アカネへと意識が引っ張られていたウルだが、直後にディズの鋭い指示が意識を引っぱたいた。そして眼下の状況がまさに、絶好の好機であることを理解した。ウルはシズクに一瞬視線を向ける。彼女は既に結界の準備を始めていた。

 

「乗客は頼む」

「お任せを」

 

 シズクは微笑み、一か所に固まった乗客たちを中心とした青い結界魔術が発生する。それを確認し、ウルは構えた。少なくとも此処にいる強盗達は全滅した。ならば残されたのはただただ立ち並んでいる死霊兵たちだけ。ならば

 

「【突貫・二連】」

 

 ウルは槍を前方に構え屋根を蹴りつけ突撃する。

 単純な突撃攻撃(チャージアタック)。だが、宝石人形戦を経て、あの人形が蓄えていた魔力を吸収し、強化された肉体から繰り出されたそれは、

 

『カガガゴ?!』

 

 たかが死霊兵如きならば、十数体をまとめ、弾き飛ばすのも容易なほどに威力が向上していた。ウルは更に足に力を籠め、蹴り、飛ぶ、眼前の死霊骨たちに巨大な槍を叩きつけ、弾き飛ばし、砕いていく。

 

『KAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 更に十体以上の仲間たちが砕かれたタイミングで、自衛機能を有していたのか。死霊兵が動き出し、ウルに向かって一斉に動き出す。

 

「よし」

 

 死霊兵たちの敵意がこちらに集中した事を確認し、ウルは更に跳躍する。

 乗客たちから距離を取りつつ動く。最初の不意打ち以降は、無暗に死霊兵たちに突っ込んでいくことは避けた。完全に敵意がこちらに向いている状態で下手に突っ込んで、一斉に襲い掛かられたらどうなるか分かったものではない。

 

 宝石人形との闘いを経て、ウルは確かに強くはなった。だが、それは決して無敵になったわけではない。

 

 湧き出る力と高揚感を静める。調子に乗るな凡人、と自分に言い聞かせながらウルは攻撃と離脱を繰り返す。死霊兵たちはそんなウルを律儀に追い回し続けていた。

 可能なら、先ほど盗賊たちに痛めつけられたローズの事も探したいが、今動けば、死霊兵を引き連れることになる。死霊兵を全滅させた後に捜索するしかない。あるいはディズがなんとかしてくれるか―――

 

「というかディズは本当に何なんだ……?」

 

 疑問をこぼしながら、ウルは死霊兵の殲滅作業を続けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 ウルが暴れだし、戦況が一気に混乱に傾いたその時、ディズは自分が首を刎ね飛ばした盗賊の死体から武器を漁っていた。彼が使っていた剣を見つけ出すと一度二度と振るい、そして眉をひそめた。

 

「んー、なっまくらー。都市外でよくまあこんなもの使ってたね」

《けんするー?》

「アカネは待機だよ。そこの捕虜が逃げないようちゃんと見張っててね」

 

 そう言って、そのまま流れるように、自分の肉を食いちぎろうとした死霊兵の頭蓋骨を切り裂いた。そしてそのまますぱすぱと、整備もろくにされていない剣で死霊兵を斬り落としていく。

 腕、足、頭、死霊兵の身体を引き裂きながらも、その足取りはまるで散歩にでも行くように軽やかだ。

 

「さて、ローズはどこ行ったかな……?」

 

 この場において最も危険な盗賊たちの排除を最優先としたが、その隙にローズの姿が消えていた。死ぬほどではないが怪我は負っていたし、容赦なく嬲られていた彼女が自分から逃げ出す気力などあるはずがない。

 と、なると、だ。

 

「【眼】」

 

 短く鋭く唱えた詠唱と共に金色の小さな球体が彼女の手のひらに生まれる。わずかに掌で浮遊した球体は、次の瞬間天高くに飛び立ち、空で輝きを放った。

 

「―――いた」

 

 ディズは静かに呟き、跳躍する。ウルを盲目的に追い回す死霊兵たちの中で一体だけ、ウルとは逆方向に進む死霊兵の姿をディズは“空”から確認した。

 懐から剣と同じく盗賊たちから奪い取った短剣を取り出し、投げた。音もなく放たれた短剣は一直線に死霊兵へと飛ぶ。ローズを抱え込んだ死霊兵の足を砕き、動きを止めるために。

 

『KAKAKKAKAKAKAKAKAKAA!!!!!』

 

 だが直後、周囲の死霊兵よりも数倍にけたたましい音が響いた。島喰亀を引き留めていた巨大な死霊兵が動き出していたのだ。巨大死霊兵が島喰亀の甲羅をよじ登り、そしてディズが狙った死霊兵を、そのナイフが届くよりも先に掴み取った。

 

「……抜け殻だった筈なんだけど、魂入れなおしたのかな?」

 

 ディズは眉を顰め、新たな魔術の詠唱を始めようとして、しかし途中でそれを中断した。

 

「……ああ、ダメだなこれは」

 

 巨大な死霊兵の身体は、無数の小型の死霊兵の身体によって構築されていた。そこまでは良い。だが、その無数の死霊兵たちの中に、生きた島喰亀の乗客と思しき者たちが紛れ込んでいる。

 

 肉壁、人質か。

 

 ディズは舌打ちした。そして人差し指を差し向けると、そのまま別の魔術を放った。

 

「【印(マーク)】」

 

 小さな赤い閃光が射出された。それは巨大な死霊兵の額部分に着弾する。が、特に何事か起こることもなかった。そしてその隙に、というように、巨大な死霊兵は蛙のように四肢を使って島喰亀の上で跳躍する。

 人質である乗客らを捕らえたまま、瞬く間に夜の闇夜に消えていった。

 

「あれほどの死霊兵を自在に操る死霊術士……、しかも処女の乙女か。厄介なことになりそうだなあ」

 

 ディズはそうつぶやきながら、ゆるりと落下していった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……これで、最後、か!!」

 

 ガツン、と上から叩きつけるようにして竜牙槍で頭蓋を粉砕した。恐らくは最後となる死霊兵を粉砕しきった。周囲を見渡してもウルに向かってくる敵の姿は発見できない。

 乗客たちの結界を維持しているシズクもこちらにやってきた。

 

「ウル様、ご無事ですか?」

「ああ、シズクは?」

「私は大丈夫です……が」

 

 シズクと共に周囲を見渡すウルは顔を顰める。

 

「痛い……痛いよお」

「おか、おかあさあーん!」

 

 砕かれた死霊兵、荒れ果てた島喰亀の乗客区画を背景に、悲鳴と苦悶があちこちから聞こえてくる酷いありさまになっていた。頭や腕から血をダラダラと流しもだえる者や、身動きすら取れなくなって家族が縋り付いて泣きわめいていたりと、まさしくパニックだ。

 

「どうしたものか、これは」

「けが人の治療をしてあげたい、のですが、この状況では」

 

 未だ混乱が冷めやらぬ状況だ。けがの治療を行うにしても、もう少し落ち着かせなければならない。下手にシズクが治療に動けば怪我人達が押し寄せて押しつぶされ、更に怪我人が増える。そうでなくとも彼女の魔術の回数は結界で消費してそう多くはないのだ。

 

「兎に角、この島喰亀の責任者?艦長?そういう人間を探すしか―――」

「し、失礼します!!お二方!!」

 

 と、提案しかけたウルとシズクの前に、転がり込むようにしてある人物が飛び込んできた。周囲の人々の例にもれず頭からは血を流し、耳に掛けた古いメガネにはひびの入った老人。彼の顔には見覚えがあった。

 

「ええと……あなたは……島喰亀の乗り込み口で、確かローズさんと一緒にいた人ですか?」

「執事のルーバスと申します!あの、お二方を腕利きの冒険者と見込んで頼みが!!!」

「却下」

 

 と、老人とウルの間を割って入るように声が響く。それは未だ下着姿のままのディズだった。

 

「デ、ディズ殿!!あの、私は!!」

「連れ去られたローズお嬢様を追いかけてくれっていうんだろ?却下、私の護衛を横から雇わないでね」

「では貴方に!」

「却下、夜の人類の生存圏外に準備も情報も無しで飛び出すなんてバカだ」

 

 無慈悲なまでに淡々とディズは正論を叩きつけ、ルーバスはもともと悪かった顔色が更に悪くなって、ガックリと肩を落とした。無関係のウルすら思わず哀れに思うほどだったが、しかしディズの意見は一つの反論の余地もなく正論だった。

 少なくとも今、夜、都市外に飛び出すのは只の自殺だ。魔物のあふれかえった暗黒の世界をアテもなくさまようなど危険とかそういうレベルではない。不可能だ。

 

「ディズ様……」

「彼に同情している暇はないよ、シズク。準備しておいてね」

「っつーかお前はどうして此処に。っつーかアカネも」

「説明が面倒だった。ウル、上着頂戴」

 

 そう言って歩を進めるディズにウルは慌て、積み荷かなにかだったのだろうマントをみつけ彼女の肩にかける。死霊兵に踏み荒らされたのか若干裂けてもいるボロだったがディズはまるで気にせずそのまま、何かのイベントのためにあるのか、広間に設置されていた壇上に上がった。そして軽く息を吐くと、声をあげた。

 

「聞け!!!」

 

 その声は周囲の悲鳴や混乱を一挙に引き裂く鋭いものとなった。混乱の只中にいた者たちは一斉に、壇上に登ったディズへと注目した。

 

「この中に魔術の心得のある者は挙手せよ」

 

 その言葉に顔を見合わせ、そして心得のある者は挙手した。シズクと、そして一応はとウルも同じように挙手をした。

 

「では治療魔術を扱える者」

 

 ウルは手を下す。同じように多くの者が手を下した。挙手を続けているのはシズクを含めて両手で数えきれる程度の人数しか残らなかった。

 

「では“蘇生級”の治療魔術を扱える者」

 

 その言葉で、挙手するものはいなくなった。

 蘇生魔術、死の淵にいる者を引き戻す治療魔術の最高峰、最も強大な治癒術だ。当然、たやすい魔術ではない。元より治療魔術自体習得は難しいが、蘇生はその比ではない。

 当然、この場でホイホイとそんな人物が出るわけがない。ディズもそれはわかっていたのかやっぱりか、と小さくつぶやき、再び顔を上げた。

 

「これより怪我人を集め、分ける。意識のハッキリしている者、軽傷の者は魔術を介さず手当を、これは外で行う。血を大きく流した者、痛みで動けぬ者は治療魔術師による治療を行う。屋内に運べ。治療魔術使も中へ。動けぬ者には手が空いている者が助けるように」

 

 ディズの明瞭な指示に、島喰亀の乗組員たちは、彼女の指示に合わせ動き出した。けが人たちの仕分けと誘導を行い、乗客たちは彼らの言葉に従い始める。

 

「そして、意識のない者。命の危機と思しき者」

 

 そこで、ピタリと息をのむように多くの者が動きを止めた。重症、命の危機。癒療院も存在しない島喰亀の上の人類の生存領域外、こんな場所で重傷者が助かる見込みは限りなくゼロだ。見捨てるか、あるいは“楽にしてやる”くらいしか手はない。

 血塗れになって、身動きすらできない身内を抱えた家族は、震えるように、ディズの次の言葉を待った。

 

 だが、ディズはその不安と恐怖の視線を受け、サラリと

 

「彼らは全員“私のもとに集めろ”」

 

 そう言ってのけたのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

よくわからない女

 

 事態の終息したころには、日が昇っていた。

 

 休息区画の長屋の狭いベッドは怪我人達でいっぱいになっていた。治療魔術師の治療、そして備えてあった回復薬(ポーション)によって手当ては終わっているものの、多くが憔悴し、体力を取り戻すためにも体を休める必要があった。

 

「ああ、まったく助かりました」

「御無事で何よりでございます」

 

 シズクはこの島喰亀の操縦者、島喰亀を操っていた“魔物使い”の怪我の治療にあたっていた。シズクの魔力は既に底を尽きており、今は魔術が扱えない。代わりに回復薬等を用いた治療に専念していた(幸いにしてその類の道具は島喰亀に多く残されていた)

 魔物使いの男は怪我自体がそれほど大きくはなかったのが幸いしていた。

 

「あの強盗の連中も、私を殺しては島喰亀がどうなるかわからないと恐れたのでしょう」

 

 島喰亀の操縦席にて島喰亀を操っていた彼曰く、島喰亀を操っていると目の前に突如巨大な死霊兵が出現し、驚いた島喰亀が足を止めた次の瞬間には、その巨大な死霊兵から幾多もの小さな死霊兵が落下、操士に襲い掛かってきたらしい。

 気が付けば殴られ、縄で縛られ身動きできず。今に至ったらしい。

 

「本当に乗客の皆さんにはご迷惑を……貴方がたには感謝してもしきれません」

「いいえ、私達が出来たことなんて微々たるものです」

 

 包帯の巻かれた額を撫でながら頭を下げる彼を、シズクは労わるようにして微笑む。実際、彼らの救助が成功したのは自分たちだけの力ではない。最大の貢献をしたのはやはり―――

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルは、世間一般で言うところの奇跡の御業とでも言うべきものを目撃していた。

 

「【――――】」

 

 ウルの目の前で、ディズは魔術の詠唱をずっと続けている。非常に正確に、しかしとても早く詠唱をし続けている。

 その魔術の向かう先は重篤状態の怪我人だ。死霊兵によって腹を大きく食いちぎられ、先ほどまで呼吸すら怪しかった瀕死の男性は、家族であろう女性と子供たちに両手を握られながら、ディズの治療を受け続けている。

 そして間もなく、

 

「―――】ん、終わり」

 

 ディズがそう宣言した。子供らも、その妻も、あまりの呆気なさに本当か、ときょとんとしていた。だが、ディズが手を離すと、男は静かに寝息を立て始めていた。顔色も肌色に戻っている。少なくとも先ほどまでのように青白く、今にも死にそうな状態ではない。

 

「あとはゆっくり休ませてれば、少なくとも死ぬことはないよ」

「あ、ああ……」

 

 ディズがそう告げると、男の妻は、身を震わしながら声をあげ、そしてひらひらと振るディズの手のひらを強くつかむと、ボロボロと涙を流し繰り返し頭を下げた。

 

「あり、ありがとう、ありがとうございます!本当に…!!」

「それはどうも。死なずに済んでよかったね」

 

 対してディズはやはり軽く、あっさりとしたものだったが、女の震える手はキッチリと握り返し、父親に縋りつき、なく子供たちの頭はぽんぽんと、優しくなでてやっていた。

 そうして、最後の重篤患者が休息区画に連れられ、ディズの仕事は終了した。

 

「ああ、つーかれた。ウル、まくら」

「どうぞ」

「おかしー」

「ディズに救われた出店のおっちゃんから差し入れ。モウルの乳とリリの実で作ったフルーツチーズ。魔術によって適温に冷やされている」

「つめたい、あまい、すっぱい」

 

 ウルは黙ってディズの口に菓子を運び、甘やかした。雇われているだとか関係なく、彼女はワガママを言う権利がある。夜が明けるまでの間、彼女はぶっ続けで蘇生魔術で多くのヒトを死の淵から救い上げ続けたのだから。

 

「蘇生魔術なんて良く扱えるな」

「沢山練習したからねえ……」

「練習」

 

 練習でどうにかなるものだろうか。というかなんで金貸しがそんな技術を練習したのだろうか。という疑問はあったが、とりあえず黙っておいた。菓子を食べ尽くすと、そのままわずかに目を閉じたそうにうとうととし始めた。流石に疲れているらしい。

 

「少し休むか?」

「出来るなら今すぐに熟睡したいね……そうもいかないだろうけど」

 

 それは?と問い返す間もなく、新たな人影がディズとウルの前にのっそりと顔を出した。焦燥し切ったその男は、夜、島喰亀を救出に向かった直後にウル達に縋りついてきたローズの執事の男だ。その後ろには彼の部下と思しき男達もいる。全員怪我をしていて痛ましかったが、そのことを気にするそぶりはない。

 不作法にも寝転がりながらその様子を眺めるディズを前に、彼らは、ゆっくりと膝をつき、そして頭を下げた。

 

「頼みたいことがございます!!ディズ・グラン・フェネクス様……!」

「それは……」

 

 無論、ウルにも彼が何を嘆願しようとしているのかわかっている。

 ローズ、結局あの強盗騒動の時攫われてしまった彼女の事だ。救ってほしい、と、彼らは言っているのだ。だが、それはあまりにも難しい話だった。都市の中ならばともかく、都市の外に存在する盗賊たちのアジトなど、どこにあるか見当もつかない。どこから魔物が現れるかもわからないような場所での捜索がどれほどの難儀かなど、子供でも理解はできる。

 

「そもそも、生きている保証すら無い、あのお嬢さんを救えと?」

 

 ウルは口には出しづらいであろう事実を告げる。

 相手は盗賊で、しかも邪悪な死霊術の使い手、そいつにさらわれて、無事であるとはとても思えない。彼女の行方を捜している間に好き放題に嬲られて、殺されている可能性が非常に高い。

 

「無理を承知でお願いします!どうかお嬢様を!!」

「貴方がたに無礼を働いたのは謝罪しますから、どうか…!」

 

 執事の背後に控える部下たちも次々に頭を下げる。どうやら彼女は慕われていたらしい。だが、危険で安全の保障もない都市外移動を繰り返してきたウルは知っている。都市の外で行方不明になった人間が助かる可能性はほぼゼロだと。

 どれだけ頭を下げられようとも、救える見込みが怪しい者の救助を安請け合いすることは難しかった。

 

「ま、いいよ。勿論準備はさせてもらうけど」

 

 だが、ディズはウルの懸念をあっさりと跳ねのけた。

 

「おい、ディズ」

「ウルの言いたいことはわかるけど、十中八九ローズは無事だよ」

 

 のっそりと起き上がり、伸びをする。島喰亀の甲羅の上から眺める絶景の朝日を眩しそうに眺めながらディズは言葉を続ける。

 

「強盗達のボス、恐らく死霊術師が、処女の乙女をご所望ときたんだ。恐らく彼女は何かしらの儀式に利用するためにさらわれた。なら、死んじゃいないよ。儀式が終わるまではね」

「だが、その儀式がいつ起こるかはわからないぞ」

「規模の大小にもよるけれど、生贄捧げてはい終了なんて魔術的儀式は基本的に存在しないよ。対象を確保してから少なくとも数日、下準備が必要になる筈さ」

 

 無論、その期日までに間に合わなかったら彼女は死ぬわけだけど、とディズは付け足して、そのまま自分を縋るように見つめてくる男達に目くばせした。

 

「と、いうわけで、命の保証はしない。それでもかまわないならローズを救いに行こう。これでいいかい?」

「お願いします!!!!」

 

 男たちは深々と頭を下げ、改めてディズに懇願するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうわけでついてきてね。護衛」

「やべえ絶対仕事選び間違えたわ俺」

「ブラックですね?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

よくわからない女②

 

 

 あってはならない移動要塞への襲撃騒動から一夜を明けて、ディズの活躍もあり見事収束を果たした……とは言い難かった。

 

 最低限の薬品の備えこそあれど、怪我人の数があまりにも多く、そして騒動にまぎれ強奪された貨物も少なからずあった。恐らくあの巨大な死霊兵が奪っていったのだろうと推測された。

 被害は甚大、怪我人多数。死者が出なかったのはディズの尽力と幸運あってこそのもの。乗客たちの多くは一刻も早い都市への帰還を望むものが殆どだ。安全安心な旅とたかをくくっていた彼らにとってあまりにも酷な体験だった。

 

 結果、残り二日かかる次の都市への移動よりも、大罪都市グリードへの帰還に島喰亀の進路は変更と相成り、急ぎ出発するという事になった。

 

 が、当然ウル達は引き返す島喰亀に搭乗しない。

 

「あの巨大死霊兵が逃げたのはグリードの方角とは正反対だよ。島喰亀の頭部方面、つまり本来の島喰亀の目的地【衛星都市アルト】方面だ。途中で途切れたが追跡の魔術もそっちを示している」

 

 というディズの言葉により、別れる事となった。その際、ラックバードの面々はお供すると言ってきたが「怪我人は邪魔」と、いうディズに両断され、彼らは島喰亀と共に一時的なグリードへの帰還と相成った。

 

 島喰亀を降り、ダールとスール達の下へと戻った。彼らはディズの不在にもかかわらず、同じ場所でずっと待機していた。(その際彼らの足元には数体の“影狼”が頭を粉砕されて死んでいたのだが)。

 そして、ウル達は馬車の旅を再開した。

 とはいえ、昨夜の盗賊騒動から徹夜し、結局島喰亀と別れたのは昼頃だったこともあり、体力の回復も必要であるとして早々に野営を行い、そして更に一夜が明けた。

 

 そして都市外移動、二日目の朝

 

「……む」

 

 都市外における朝は早い。

 魔灯の無い都市外において陽光は貴重な光源だ。一時も無駄には出来ない。日の出と共に体を起こすのは当然だ。

 体調は良い。よく眠れた。それ自体がありがたい。なにせここは都市外、巨大な防壁も存在しない、魔物の跋扈する所だ。朝も昼も夜も、魔物たちにとっては何の関係もない。常に油断ならぬ状況が続く。

 寝ずの見張りを交代で行う等、様々な対策を取らなければ命はない。その点において、魔術の結界による守りは、ウルの知る野営とは比較にならない快適さを与えてくれた。

 

「……シズクに感謝だな」

 

 睡眠をとれる、という事実に感謝をしながら、ウルは体を起こした。

 旅を繰り返してきたウルだが、夜の見張りというのは慣れることのない苦行だった。移動もままならない真っ暗闇の中、焚火を絶やさぬよう薪を足しながら、眠気と疲労に襲われながらじっと耐え続ける時間。暗闇を魔物と勘違いしたことも数えきれないほどある。

 その苦労が結界の魔術一つで大幅に減るのだから、ありがたい事だった。少なくとも昨晩は2回“しか”魔物の襲撃に起こされてはいない。しかも結界に驚き逃げ出したため戦闘になることもなかったのだ。

 

「浄化の魔術は覚えたが、俺も一つくらい結界魔術は覚えた方が良いかな……」

 

 旅布の温もりを名残惜しく放り捨てる。馬車から顔を出すとイスラリア大陸は年中温暖な気候であり、水平線から登り始めた朝日の温もりが頬をさし心地よかった。

 

 朝食の準備、そしてもはや習慣となってる朝の鍛錬を少しでも……

 

 と、そう思い馬車から降りると、シズクも既に外に出ていた。挨拶のためにウルが近づく。が、彼女はウルに気づかず、ずっと平原を見つめている。

 

「シズク?」

「……」

 

 問われても返事のないシズクに首を傾げつつ、前を見る。彼女の視線の先に、彼女が目を奪われているソレが舞い踊っていた。

 

「――――」

 

 ディズだった。

 彼女は紅の刃を、アカネを片手に舞っている。剣技を振るっている。

 

 魅せるための曲芸のような真似ではない。誰かを相手取り、そしてその命運を断ち切ることに心血の注がれた剣の舞。軽やかにステップを踏むたび、幾重もの風が鳴る。不用意に近づけば、風ではなく自身の首が刎ね跳ぶだろう鋭い剣技だった。

 

 で、あるにもかかわらず、彼女の所作にウルも目を奪われた。

 

 綺麗だった。昇り始めた陽光に金色の髪が照らされ輝く。流れる汗が陶器のような肌を滑り、跳ねる。所作の一つ一つに目を奪われた。洗練し続けた技と、そこに至るまでに積み上げ続けた努力が、ウルに敬意を抱かせた。

 

 最後の一閃を振り下ろし、ディズは剣舞を終える。そして紅の刃、アカネを自身の前に掲げ、一言。

 

「アカネ、遅い」

 

 罵倒した。

 

《うー》

「これなら変化できなくても、上等な剣持ってた方がましだよ」

《ディズはやすぎー》

「鍛錬を重ねないと強くなれない私と違って、君は理を超越してるんだからもうあとは感覚の問題だよ。ほら、頑張って」

《うー》

 

 淡々とアカネの欠点を指摘するディズは容赦がなかった。尤も、それで腹を立てるほどウルは過保護ではない、が、気になる事はある。

 

「ディズ」

「おや、ウル。シズクも。おはよう、良い朝だね」

「おはようございます。ディズ様」

 

 二人の視線にも気づいていたのだろう。特に驚くこともなく手を上げた。ならばとウルはさっそく一つ質問を投げた。

 

「ひょっとしなくても、これまでも結構アカネを“使ってた”のか。ディズ」

「そだよ」

 

 あっさりと、ディズは認める。ウルは唸った。

 盗賊を撃退した時のディズのアカネの使いこなしよう。あの戦いっぷりは手慣れていた。あれは一朝一夕で出来る動きではなかった。

 

「君との契約はあくまで君が買い戻すまでの間アカネを所持し続けておくという契約だけ。破壊し彼女を損なうのはともかくとして、通常通り“使用する”分には文句は言わせないよ」

 

 もし彼女を大事にしておきたいというのなら、契約は正確に行うべきだったね。と今更な指摘を受け、ウルは頭を掻いた。文字通り人生を賭けた契約だったのだ。当たり前だがあの時の自分は正気ではなかった。半ば勢い任せの契約だったのだから、そんな詳細に約束事を詰めておくなんて真似は土台無理な話だった。

 

「……出来ればアカネには物騒な真似はさせてほしくないのだが」

「誤解してほしくはないのだけど、彼女の扱いに関しては同意をとってるからね?」

「同意?」

「もし、彼女が私に、“彼女のままである事の価値と意味”を示すことができたなら、その時はたとえ君が失敗したとしても、分解は見送ろうっていう約束」

 

 それはウルの失敗を見越しての契約だった。失敗してもいいように、と用意された保険である。アカネはアカネで、ウルが無茶をしなくてもいいように、自分で考えていたのだ。

 

「ごめんな、アカネ」

《にーたんはがんばってるのだから、わたしもがんばるわ》

 

 アカネは剣の状態のまま答える。その声は笑っている。頼もしさと大人びたその声音に、成長しているのだなあ、とウルは思い、不覚にも少し泣きそうになった。

 

「ま、今の状態だとダーメダメなんだけどね」

「台無しだ」

「実用には足りない。便利ではあるけれど代用は可能。これじゃあ意味がない。バラして研究した方が圧倒的に得るものが多そうだ。って結論になっちゃう。のーで、頑張ってねアカネ」

《うーなー》

 

 ディズの掲げた紅の魔剣がぐねぐねと唸った。

 

「……というか、なんでアンタがそんな戦闘力に拘るんだ?」

「仕事が大変だからねえ……」

 

 しみじみと語りながらも、アカネをヒュンヒュンと軽く振るう彼女の剣速は、やはりウルの目にも止まらぬモノであった。アカネという特異な武器を使っているのとはまた別に、彼女は異常だった。

 昨夜、瞬く間に盗賊たちを始末し、さらにその後の混乱を瞬く間にまとめ上げた彼女が何者か。とはいえ、進んで彼女が答えるつもりもないものをあえて問いただす気にもならなかった。それよりも、

 

「ディズ様、ご一緒させてもらってもよろしいですか?」

 

 シズクが杖を握り、尋ねる。ウルもまた竜牙槍を握りしめた。彼女が実力者であるのなら、彼女との鍛錬に得る物はあるだろう。

 

「いーよ。ま、かるく遊んであげよう」

 

 二人を前に、ディズは不敵に微笑んだ。

 

 結論から言って、本当に言葉の通り、ウルとシズクはディズに遊ばれることとなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「「なんでそんなに強いの」でしょう?」

「練習」

「もうお前がよくわからん」

 

 シズクは感嘆としながら、ウルは自信喪失に呻きながら、朝食を貪っていた。

 幾度かの模擬戦を繰り返し、ウルとシズクはボロボロ―――にはならなかった。正確には怪我すらさせてはもらえなかった。こちらの攻撃は、魔術にしろ槍による刺突にしろ一切通らず、彼女の攻撃には反撃の余地もなく、挙句、バランスを崩し転ぶ前に助けられた。

 

 言葉の通り、紛れもなく遊ばれていた。

 グレンと戦った時と同じような感覚、即ち数段以上格上の者との戦いである(彼と比べると滅茶苦茶に丁寧だったが)

 

「シズクは詠唱に集中力の余力ありそうだし、もう少しスキルを別の事に伸ばしてもいいかもね。ウルはまだ伸びた力に振り回されてるね。要練習だよ」

 

 更に的確なアドバイスをされる始末である。護衛であるはずなのに。

 

「……というか、ディズは護衛なんていらんのではないのか?」

 

 島喰亀から降りる際、当然の支援としてもらった充実した食料からパンを食いちぎりながらウルは指摘する。ちなみにちぎったパンは柔らかく、美味かった。旅路の共としては随分と質の良い。下手すると都市で食べる物よりも良いものかもしれない。

 

「君たちは必要さ。私がサボるために。あ、このパン美味しい。生産都市(ファーム)の神官用の小麦使ってるね」

「人のとるな。十二分に食料もらったのに」

「ウル様。こちらの果実などどうですか?グルの実というのですが美味しいですよ?」

 

 もむもむとパンを口に入れつつ、ディズは言葉を続ける。

 

「仕事が忙しいんだもの。都市間移動中くらいは楽したいのさ。私も。私以外でもできる雑用くらい人に放り投げて、休むくらいいいだろう?」

「で、前代未聞の強盗騒動に遭遇したわけだが」

「アカネ、枕」

《あーい》

「ふて寝すんな」

 

 分かりやすくふてくされた顔のまま横になる。先ほどまでの超人めいた振る舞いが途端年相応の少女のようになるギャップにウルは頭が痛くなった。彼女はその姿勢のまま、行儀悪くグルの小さな実をつまむ。

 

「面倒ごとになりそうだねえ……」

「ローズ様の救助ですか?」

 

 ローズの救援依頼、あの執事の男達に頼まれた依頼は確かに面倒ごとである。が、ディズは首を横に振る。

 

「ローズを助けることは良いんだよ。でも、死霊術師の方は不穏が過ぎる」

「死霊術師」

 

 あの巨大な死霊兵、島喰亀を占拠する大群、尋常ではない使い手であることはウルにもわかる。厄介、と言われればその通りだとウルも納得する、が、ディズが懸念しているのはそことはまた別の点だった。

 

「彼ら、なんで島喰亀を襲ったと思う?」

「ローズ……処女の娘ってやつを攫うため?」

「それだけならもっと別のやり方をした方が良い。島喰亀を――【大罪都市グリード】と大ギルドである【商人ギルド】の共有財産である【移動要塞】を襲撃するリスクにはあまりに見合わない」

 

 島喰亀を活用した都市間の物流は、今の世の中においては希少な安定した手段の一つである。魔物蔓延る都市外の世界を自由に行き来し、多量の物資を運べる移動要塞である。そして“そうでなければならない”。

 

「多くの都市国の民たちにとって、島喰亀は安全の象徴、そうであるという信仰が、淀みない流通に繋がっている。その信仰を崩す者は何者であれ、決して許されない」

 

 実際のところ、島喰亀の襲撃、というのは過去、なかったわけではなかった。特に運用が始まった最初の頃は、多量の物資を持つ島喰亀への襲撃を目論む悪党たちの存在は少なからず存在していた。

 そして、そんな事をもくろんだ彼らは、その悉くを徹底的に“滅ぼされた”。

 

「完膚なきまでの皆殺し。島喰亀に悪さをしようとした連中は潰され、そしてその事実は広く喧伝された」

「移動要塞に手を出す者は、死あるのみ、と?」

「その結果、島喰亀は誰にも手出しされず、魔物も近づけない聖域となった」

 

 にも、かかわらず、だ。今回このような事態になった。

 なるほど、高レベルの術者がいれば確かに襲撃は可能だろう。島喰亀には結界や護衛は巡らされているが、完ぺきではない。やってやれないことはないのだ。だが、問題はその後だ。

 

「この件が各都市に伝われば、銀級レベルの実力者や騎士団の大隊規模が投入される大討伐になるだろうね。ヘタすると金級まで担ぎかねない。それくらい、不可侵の存在を犯したんだよ。あの盗賊たちは」

 

 確かに大騒動である。戦争でも起こすのかというほどの話だ。そうなるのが当然の流れなのは子供でも分かる。子供でも分かる様に、各都市は内外に知らしめてきたのだから。

 

「多大なリスクを冒してまで必要だったものがあったということですか?」

「そだね。よりにもよってあの巨大亀を襲わなきゃいけない、その理由」

 

 大罪都市グリードから出発した島喰亀が保有する、この島喰亀しか持ちえない“ナニカ”そこまで言われればウルにもピンと来た。

 

()()か」

「そ。大罪都市で産出され、各都市に渡る前に集められた莫大な量の魔石。運んでた物資を確認したら、魔石がそっくりなくなっていたよ」

 

 大罪都市グリードの衛星都市、幾つもの都市がその機能をつつがなく運航するために運ばれる魔石全てともなれば、相当量のものとなる。それをすべてゴッソリと奪っていく理由、後に滅ぼされるリスクを背負ってまでそうする理由。それを死霊術師が行う理由。未だその真意は不明だが、これだけの情報が揃えば、どんな阿呆でもなにかヤバいと察しもつく。

 

「ひょっとしなくても大ごとなのでは…?」

「そだよ。折角の貴重な休息期間だったのになあ……」

《やーんこしょばい》

 

 ディズはいじけるように、枕をいじいじと指でつつき、アカネはこそばゆそうに身もだえた。ひとまず、ディズがローズ救出の依頼を安請け合いではなく、正しく困難さを理解しその上で受けたのだという事はウルにも理解できた。が、

 

「そんなにつらいなら、あとで銀級の冒険者が確実に来るのなら、彼らに任せるという選択肢もあったのでは?」

 

 そもそも今回の案件、都市外で攫われた少女の救助、その責務は島喰亀を保有しているグリードや商人ギルドにあるはずだ。ウル達はたまたま偶然、その場に居合わせただけであり、何の責任もないのだ。あのローズの部下たちの懇願を無視する選択肢はディズにはあったはずである。

 だが、ディズはいじけたポーズを続けながらも

 

「どれだけ各都市が盗賊の討伐に迅速に動いたとしても、事を起こすには時間がかかるからダメ。多分ローズが間に合わない」

「……なんだってそう、ローズを助けようとするんだ?」

 

 ここまでの情報を整理すると、ローズを助けることは非常に困難なはずなのだが、にも拘らずディズがローズ救出に拘る理由がウルにはわからなかった。

 断片的な話から分かる彼女とローズとの関係は、険悪の一言に尽きる。実は昔は仲が良かっただとかそういう理由でもあるのなら兎も角として、そうでないなら何故、別に冒険者ギルドでも都市を守る騎士団でもなんでもない彼女がローズを助けようとするのだろう。

 

「ラックバードに恩でも売るつもりなのか?」

「うんにゃ別に?」

「灼炎剣ってのを奪った罪悪感から?」

「ぜーんぜん」

 

 じゃあ何ゆえに?と問うウルに、ディズはといえば、むしろなんでこんなことを聞かれるんだというような不思議そうな顔をして答えた。

 

「だってほら、死ぬことなくない?ローズ」

「……やっぱりお前の事がよくわからん」

 

 そりゃそうだけれども。という他ないくらいの理由で、都市規模の戦力が動きかねない大ごとに突っ込んでいく彼女の事が、ウルにはサッパリわからなかった。

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

衛星都市アルト

 

 

 【衛星都市国アルト】

 

 大罪都市グリードから連なる衛星都市の一つ。都市としての規模は平均的。大罪都市のように都市内部ないし近隣に迷宮は存在しない。しかし都市外北部のアーパス山脈の森林地帯から採れる木材の生産、および加工品が有名。

 精霊の力を授かっている神官の数は少ないが、大罪都市を経由して常に安定した量の魔石を確保できるため、魔導機による都市のインフラの整備は整っており、都市民の生活はとても安定している。つまり比較的平和な都市国だった。

 

 しかしその日、彼らに激震が走った。

 

 移動要塞、島喰亀の襲撃の報である。

 

 大罪都市グリードを中心としたすべての都市の物流の要である島喰亀の襲撃は言うまでもなく一大事である。グリードで産出される魔石のみならず、食糧生産を担う【生産都市】の産出物の運搬も島喰い亀が行うのだ。

 一度の交易で揺らぐ程、都市の蓄えが無いわけではなかったが、その情報を聞いた誰もが顔を青くし、そして襲ってきた盗賊たちに対して恐怖し、憤慨した。

 

 一刻も早く!悪しき盗賊たちに鉄槌を!!

 

 そんな声が湧きあがるのは必然だった。

 

 捕まえろ!討伐せよ!!見つけて殺せ!!!

 

 都市の中心、神殿に人々が殺到し、盗賊たちの殺戮を求む声が木霊する。異常な光景だった。だが、自分たちの生活が、命がかかっているのだからそれも当然の事。神官らもこのことを重く見て、ただちに討伐部隊の編成との布告をだした。さもなくば暴動でも起きかねないほどの熱が渦巻いていたのだ。

 

 ひとまず神殿を都市民が取り囲むような事態は収まったが、しかし都市の内側はピリついていた。

 

「クソ……なんてことしやがる」

 

 その都市内部の空気に小さく悲鳴を上げる男が一人いた。

 

 名はクシャルという。小人であり、この都市に住まう都市民の一人だ。

 ものを売る商人だが、売る品物は胡散臭い魔道具や骨董品、また冒険者の遺品なんてものまで取り扱う事もある、真っ当でない商人だった。時に商品を仕入れるためか、迷宮に潜って盗賊紛いな真似までするものだから、冒険者ギルドにも目をつけられ、最近ではグリードへの立ち入りも禁じられていた。

 しかしこの男、実はそれ以上の問題を密かに引き起こしていた。

 

「折角手引きしてやってたっつのに、アイツら勝手なことを……チクショウ……!」

 

 アイツら、とは、島喰亀を襲った盗賊たちの事である。

 この男は島喰亀を襲った盗賊者たちとひそかにつながっていたのだ。

 都市外を生きる追放者たちにとって、都市内部でしか手に入らない物品や食料等は非常に希少である。それらをこの男は商人として仕入れ、盗賊たちに買い取らせ、金を得ていたのだ。

 この都市国への、ひいてはこの周囲の全ての国に対する完全な背信行為である。だが彼は目先の金に釣られて、致命的な過ちを犯した。そのことに無自覚だった。

 

 そしてその挙句がこの騒動である。彼は今、狂乱する都市民らに背を向けて逃げ出そうとしている。

 

 もし彼が盗賊たちを手助けしている事に気づかれれば、彼は盗賊たちの仲間として捕まり、極刑は免れないだろう。法で裁かれるならまだマシかもしれない。ヘタすれば都市民達にリンチにあって殺される。

 盗賊たちに心中で罵倒を繰り返しながら、彼はアルトの正門に近づいた。都市外に出るのは危険だが、今この都市の中にいるよりははるかにマシだ。そんな焦りを悟られないよう、正門の番兵に顔を出す。

 

「都市を出るのか?理由は」

「商売さ。新しい迷宮で面白い“遺物”が発掘されたらしいんでな」

「どんなもんか知らねえが、お前みたいなケチな商人にゃ買い取れねえよクシャル」

 

 うるせえ、と門番の男と軽口を叩きながらも、内心でほくそ笑む。商人という立場は都市の外に出るのにも違和感がないので便利だった。外に出るのはこれまでと変わらずたやすい。

 

 このままほとぼりが冷めるまで別の都市で静かに暮らしていよう。幸いにして盗賊たちとの取引で得た蓄えはあるのだ。いっそバカンスのようなものと考え「あ、ちょっと失礼」て楽しく……

 

「あ?なんだアンタ?」

「クシャルさん?」

「だからなんだよ」

 

 次の瞬間、目の前の金髪の少女は笑顔になり、同時に彼の側頭部に衝撃が走り、クシャルは昏倒した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 予定から一日遅れ、そして非常に厄介な問題に巻き込まれながらもなんとかウル達一行は衛星都市アルトに到着した。到着して、そして正門前にて、

 

「じゃ、尋問よろしくね。あと吐いた情報は全部こちらにも寄越しておいてね」

 

 “おおとりもの”が行われていた。

 

 都市への入国のため正門前で手続きをしていたウルが、必要な書類を記入し戻ってくるとその時にはこうなっていた。騎士団の騎士たちは、ディズとシズクが捕らえた男を恐ろしい形相で睨みながら連行していく状態である。

 ディズが亀の上で捕らえた捕虜から聞き出した衛星都市アルトのスパイの捕縛である。

 

「アレが捕まえた盗賊の言ってた内通者だったって、なんでわかったんだ?シズク」

「あの人の“音”、安心していましたから」

「都市の外に出ようとしているのに、か。なるほどな」

 

 普通、都市の外に出るものはたとえどれだけの手練れであろうと緊張するものである。安心できる防壁も魔物を避ける結界も存在しない場所に身を投げ出すのだから。平然としている人間は手慣れているのではなく緊張感が足りていない。

 もしくは、都市の外よりも都市の中の方に危険がある場合だ。

 

「しかし音か……声でも漏れていたのか?」

「最近どうやら“耳”がよくなったようでして」

「耳………………【その名を示せ】」

 

 ウルは少し考えた後に、冒険者の指輪を装着した指先をシズクに向けた。詠唱の通り【解析】を行なった指輪はウルの前にシズクの魔名を示す。すると

 

「増えてる。【二刻】だ」

「まあ」

 

 グリードで確認したときと比べて、シズクの刻印数が一つ増えている。くねるような一筆に重なり巻き付くようにもう一刻印。これで【二刻】。魔力を獲得し、成長した証しだ。そして、その結果、肉体が強化され、五感が発達したのだろう。

 

「聴力が良くなったと……」

「ちなみにウル様は」

「【一刻】のままだよ。知ってたがな」

「まあそうほいほい刻印数は増えないさ。シズクが異常だね」

 

 と、先ほどまで騎士団と交渉していたディズが此方に戻ってきた。

 

「既に襲撃の報は先にグリードに戻った島喰亀から各都市に伝達されている。となると情報は多かれ少なかれ都市を巡って、騒動になる」

 

 故に、この状況で都市を出ようって輩はそう多くはない。外見的特徴と名前は生き残った盗賊から聞き出していたのであたりはある程度付けていた。

 

「でも、まさか入口で出くわすとはね。シズクもありがとうね」

「いえ、手早くディズ様が動いてくれたおかげです」

 

 出来る女たちであった。ただ手続きをして戻ったら何もかもが終わっていただけにウルとしては少々肩身が狭いが、グレンにさんざんシズクと比較されて罵倒されたせいもあってか慣れていた。

 

「で、これからどうする。アルトの入国は問題ないと思うが」

 

 警戒からか、都市外からの入国には時間がかかるのが殆どで、丸一日正門で待たされることもあるが、今のウル達には冒険者ギルド所属の証、“指輪”がある。最も位の低い銅の指輪だが、それを見せただけで門番たちの反応が露骨に緩和したため、効果は絶大だった。間もなく入国の許可はおりるだろう。

 

「ひとまずは宿を取ろう」

「承知しましたお嬢様」

 

 と、このような騒動を経て、ウル達は入国することと相成ったのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

衛星都市アルト②

 

「尋問には時間がかかるだろうし、私も調べる事ができたから解散。所用を済ませたらまた宿屋で合流しようか。これから盗賊退治だ。道具の補充は忘れずにね?」

 

 つつがなく宿を取ったあと、ディズの宣言によりひとまずウル達は買い出しに出る事となった。

 

 衛星都市アルト、グリードを出発してから記念すべき一つ目の都市国である。

 

 と言っても物珍しさは感じない。

 大罪都市グリードへと向かう場合、グリードの衛星都市のどれかを経由するのは普通だ。立地的にもアルトは最もグリードとの行き来が容易く、利用するものは多い。ウル達も例にもれなかった。グリードを訪ねる前にウルは一度アルトに足を踏み入れている。

 そもそもアルトという都市自体、別に珍しい街並みというほどでもない。だから観光客めいてキョロキョロとあたりを見渡すような真似はしない――シズクやアカネのようにフラフラと動くことはなかった。

 

「まあ、あれはなんでしょうか。ウル様?」

「道中で食べたグルの実を使った果実酒だ。割と有名で、彼方此方で飲まれてる」

《あたしのみたい!!》

「アルコールはダメ」

《んじゃーあれはー?》

「あれは食べ物じゃない。この都市特産の木製の工芸品だ」

「あちらは?」

「本市だ。アルトは紙づくりの技術が高いから、本の都市でもある。グリードが近いのもあって加工出版を行う魔道機も発達してて、本好きの聖地みたいなものなんだ」

「本」

 

 そう言うと、シズクはしばらく視線をさまよわせることを止めて、本市へと視線を固定させた。ウルは首を傾げた。

 

「本市場、興味あるのか?」

「恥ずかしながら……文字の読み書きを覚えたいのもありまして」

 

 これまた珍しく、少し照れたようにする。何を恥ずかしがる必要があるのか。ウルは肩を竦めた。

 

「そんなに気になるのなら行ってくればいい。残る買い物は魔法薬の補充と強化だ。それくらいなら一人で事足りる」

 

 食料品の類は既に購入済みだ。大荷物は宿屋の馬車に運び込まれている。あとはウル達自身の戦闘用の消耗品を買うのみである。

 

「ですが……」

「正門でシズクは仕事をしただろう。アカネと一緒に行ってきてくれ。アカネを放置するとどこへ行くかわからないからな」

《わからないわよ?》

 

 アカネをダシに、というわけではないがこれくらいの理由をつけてやらないと動きそうになかった。アカネはシズクと一緒に、と聞いた瞬間とても嬉しそうにクルクルとシズクにまとわりつく。

 そのアカネの様子を見てシズクは微笑み、ウルに頭を下げた。

 

「では、いきましょうか。アカネ様」

《いくー!》

「ちゃんと隠れとけよー。バレたら使い魔って言うんだぞー」

《わかってらー!》

 

 そうして二人は本市に向かっていった。

 

「さて……買い物済ますか」

 

 旅路の途中消費した回復薬の補充、そしてこの先に待ち構える盗賊たちの討伐のためにウルは足を延ばす。次に行くべき店は決まっていた。

 トップが誘拐されたラックバード商店だ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ラックバード商店が主として取り扱うのは回復薬(ポーション)等の錬金術を利用した魔法薬である。特に迷宮に潜る冒険者御用達の物品、強壮薬や毒消し、果ては銀級以上の一流冒険者や神官が扱う高級回復薬に至るまで。

 そしてその店はアルトにも存在していた。本市から更に大通りを先に進み、このアルトの大広間からわずかに横道にそれたところにそびえる一角の小さな店舗だ。

 

 さて、どんな状態だろうか、とウルが店舗の中に入る、と、

 

「店長!健維薬の在庫が残り少ないです!!」

「倉庫に予備の貯蓄が十二分に残っているはずです。焦らないで」

「店長、工房から昨日届く予定だった匂い消し用の香草の一部が尽きたと連絡が」

「今の手持ちの材料では作りようがない。島喰亀の件は既に周知されてるのだからその旨の布告を。怒る方もいらっしゃるでしょうが丁寧に対応してください。それでもほしいという方のために幾つか作成を」

 

「酷く混乱している」

 

 本来、島喰亀から届けられるはずの商品等が届かないという事態は、ラックバードのみならず多くの店に少なからず混乱をもたらしていた。それほどまでに島喰い亀のもたらす恩恵が絶大だったという事だろう。都市民の怒りの理由もわかろうというものだ。

 

 と、はいってきたウルに気づいたのか、店長と思しき女性が近づいてきた。ローズお嬢と同じ獣人、先ほどまで的確に指示を出していた女性だ。

 

「いらっしゃいませ、どのようなご用向きでしょうか?」

「回復薬の購入―――それとルーバスさんの代理で」

 

 ルーバスの名を出した瞬間、先ほどまで営業的スマイルを浮かべていた彼女の顔が崩れた。

 

 ルーバスのサインと共に島喰亀の詳細を説明すると店長含めたラックバードの従業員一同は顔を青くさせた。島喰亀襲撃の情報は当然ながら彼らの耳にも届いていたが、ローズの詳細については混乱も相まってまだ耳に届いていなかったらしい。

 先ほどまではまだ、混乱を収めようという熱気があったが、今は文字通り血の気が引いた様子だ。だが、それでも店主はなんとか表面上は平静を取り戻し、ウルを奥の客間に案内してくれた。

 

「成程そのような経緯で……救助依頼を受けてくれた件、私の方からもお礼を言わせてください」

「俺ではなく俺の雇い主に言っていただければ」

 

 アルト店舗店主――チューリから深々と頭を下げられ、ウルは首を横に振る。島喰亀を助けに行く決断をしたのはディズであり、更に言えば活躍したのもディズである。頭を下げられても肩身が狭い。

 

「無論、フェネクス殿にもあとで挨拶を。ローズの救出の依頼、引き受けていただいたことに感謝します」

「……ローズさんの親戚ですか?」

 

 見れば、尾や耳の毛色が同じに見える。

 

「遠い親戚ですがね……都市間移動は危険と何度も言ってきたのに……その矢先に」

 

 そう言ってため息をつく。淡々とした女性だが、しかし顔には心労で額に皴が刻まれていた。そして改め、彼女は深々とウルに頭を下げる。

 

「申し訳ありません。どうかあの娘を助けてあげてください。必要な道具なら何でも申し上げください。我々に出来ることは何でも融通させていただきます」

「確約は出来ないが、出来る限りのことはさせてもらう。ただ料金は払う」

「ですが」

「もう一度言うが、必ず助ける保証ができない」

 

 出来るかどうかもわからない事で金や物を得るのは、向こうからの申し出だろうがやめた方がいい、というのはウルも理解していた。そもそも今回の支払いはディズ持ちだ。遠慮することはない。

 此方の意図を察してか、分かりました。と、頷く。

 

「では、お客様として対応させていただきます。現在島喰亀の騒動の影響であらゆる物資が品薄気味ですが、言われたものは必ず、倉庫をひっくり返してでも用意します」

「では回復薬(ポーション)を5つ高回復薬を3つと強壮丸を6つ、魔壮薬を8つ」

「回復薬は用意があります。強壮丸は底を突いていますが工房に連絡し、確保しておきます。他、何か入用がありましたらなんなりと」

 

 見れば、流石の冒険者御用達の店、というべきか、魔法薬以外にも様々な品が並んでいる。流石に武器防具まで並んではいないが、役立ちそうな小道具や魔具の類なら下手な専門店よりも多い。それも、実際に迷宮に潜った探索者たちが必要だと感じるであろう、要は“わかっている”品々が取り揃えられていた。

 

「魔石の収集具……風払いのマント……無尽の水筒?これは迷宮の品では?」

「グリードから流れてくる商品もございますので」

「こう言ってはなんだが、大罪迷宮からも程遠いこの場所で、冒険者向けの店舗は商売になるのだろうか?」

「グリードを目指して長らく旅をしてきたお客様などがお買いになられます。いざ、グリードを目指す備えとして」

 

 つまり、大罪都市グリードを前にして意気揚々と気を逸らせた冒険者が金を出すわけか。とウルは納得する。無論、グリードにもラックバードの店は存在するであろうに。

 

「逆にグリードから他の都市を目指して旅を始めた方々も品を買いに来られることは多いですね」

「それこそ、グリードで必要なものを買いそろえてから出発する人が殆どでは?」

「想像や伝聞と、実際に都市の外にでて得た所感は違うものです」

 

 なるほど。と、再びウルは納得した。実際に外に出て必要だと感じたもの、不要だったものを調整するうえでもこの店は役に立っているらしい。無論、そういった冒険者や旅人たちだけでなく都市民たちが魔法薬の購入に重用しているらしい。

 

 経緯はどうあれ、ウルにとってもローズ救出の準備に困らないのは助かる。もっとも、魔法薬以外で今のところ、必要とするものは特には……

 

「……ん?」

 

 そう思って眺めていた品々の中で一つ、眼を惹くものがあった。

 それは右手用の手袋だった。浅黒い色の動物の皮、恐らく魔物の皮で作られたであろう一品。一見してゴツゴツとした表面から少なくとも着飾るような類のモノでないのは間違いなかった。

 手に取ってみる。金属製ではないが重みがある。が、厚みはそれほどでもない。手のひらの部分に別の加工の生地が使用されている。こちらは触ってみるとザラザラとした感覚が指先に伝わる。

 

「これは?」

「わかりません」

「オイ」

 

 流石にあんまりな解説にウルはツッコミをいれた。が、チューリは特に気にしたそぶりも見せず、尻尾を揺らしながら

 

「グリードでずいぶん前に発掘された採掘具なのですが、魔術の類がかけられているわけでもなく、具体的に何の用途で作り出されたモノなのか不明なのです」

「防具の類では?」

「相応の強度があるのは間違いないのですが……」

「試してみても?」

 

 どうぞ、と言われたので試しにウルは装着してみる。装着してみて驚いたのは指先の動作が驚くほどに軽い事だった。全体的な重量は感じるものの、指先の動きがほぼ阻害されない。籠手などの防具を装着すると構造上、どれだけ力があろうと少なからず動きは鈍くなるものだが。

 

「精緻作業のための防具なのでしょう恐らく」

「恐らく」

「これがどこの誰が作り出したものなのかわからないので」

 

 迷宮から獲得できる発掘品にも種類はある。

 他冒険者が紛失し迷宮に飲まれ、時を経て再び出現した遺留品、迷宮が生み出した天然物、精霊たちが気まぐれでおいていった聖遺物、またはかつての時代に作りだされた古代遺物。

 種類によって作られた目的は違い、そして用途も異なる。どの発掘品なのかさえわかれば多少は特定もできるが、これはそれすらハッキリとはしていない。

 引き続きウルは試着を続ける。試しに、と隣に並ぶ道具の一つをそっと掴んでみる。対して力を入れていないのに指先に吸いつくようにしてつかみ取ることができた。

 

「そしてグリップが利きますね」

「そうですね。そしてそれ以上の性能に関しては判明しておりません。本当にそれだけしか能がないのか、あるいは何か隠されているのかも。何分シンプル過ぎて製造元の特定が難しいのです」

 

 恐らく、というかほぼ間違いなくそれ以上の効能があるとは思えないが、しかしこれが“発掘品”であるという事実がこの防具の存在を厄介なものにしているらしかった。なにせ迷宮産のモノである。迷宮から発見された何の変哲もない剣が、数年後、突如としてとんでもない呪いを引き起こす魔剣であったことが判明、なんてことも決して珍しくはない。

 で、あればこの防具、手袋も同じことがないと証明できない以上、効果が判明しているとは言えない。という事になる。

 

「ちなみに価格は?」

「銀貨1枚」

「かなり安いが、要は効果がハッキリとしていないから?」

「正直こちらでも取り扱いには苦労していますので」

 

 でしょうねえ。とウルは口にせずに納得した。彼女の説明の端々からもそれは伝わってくる。ウルも客の立場として冷静に考えると、いつ、どのようなタイミングで爆発するか、それともしないのかもわからない代物、僅かであれ存在するそのリスクを飲んでまで購入するメリットを、このちょっと指が動かしやすいだけの防具に見出すのは難しかった。

 が、しかし、

 

「買います」

「オススメしませんが」

「商売人らしからぬ警告をどうも。ただ買います」

 

 ウルは購入を決断した。思いつきや衝動で買うではなく、少し前からやろうとしていた“実験”に丁度良い代物だったからだった。これは自分の装備なので自分の懐から払う必要はあるが、仕方ない。

 

「お買い上げありがとうございます。何か問題がありましたら」

「返品を受け付けてくれる?」

「同情いたします」

「おい」

 

 冗談です。と真顔で返してきた。いい性格をしているらしい。ひとまず発注したものは後で宿屋に届けてもらうよう頼み、ウルは店を出た。

 向かう先は宿屋ではなく衛星都市アルトにも存在する冒険者ギルドの訓練所だ。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

衛星都市アルト③

 

 

 時は衛星都市アルトに到達する少し前

 

「強くなる方法ねえ」

 

 馬車の中のベッドの上で、ディズは寝転がりながら、ウルの質問に対して眠たそうな顔をしながらオウム返しした。

 

「どうしたらいい?」

「練習」

「もう少し具体的な感じでお願いします」

 

 ディズはふむ、と、思案顔になりながら、枕となったアカネをふにふにと引っ張っていた。

 

「どういう風に強くなりたいのかにもよるしなあ。って言っても、君の場合は強大な賞金首を倒せるようになりたいってとこなんだろうけど」

「そのためにはどうすればいい?」

「さー」

「悲しいくらいに素っ気ない」

 

 まあ、ディズからすればわざわざ教えてやる義理なんてものはないのだろうが、こうも興味なさげに適当な返しをされるのはつらかった。が、ディズは違う違う、と手を振る。

 

「強くなりたいなら当然魔力を獲得、つまり魔物を倒せばいい。より強大な魔物を倒すことでより強くなる。それがこの世界の理だ」

 

 しかし、魔力を獲得した結果、どう強くなるのかに関しては個々人によって異なる。

 

「身体が強くなるもの。魔力が強くなるもの。あるいは両方か。肉体に限っても、それが腕なのか足なのか身体全体なのか、五感の何かか。魔術なら魔力容量、放出量、制御力、とにかく様々だ。獲得した魔力は様々な形で人を進化させる。同一の形で、という事はまず、ない」

 

 故に、どう強くなり、得た力をどのように利用するか、なんてものを教えるのは決して容易くはないのだ。極端な例えだが、肉体に腕が4つある者が、眼が3つある者に自分の戦い方を教えても仕方がない。

 

「君には君の力と、その使い方がある。それを私が教えてもね」

「むう」

 

 納得できる話ではあった。

 が、ウルは自分が凡人であることを理解し、同時に自分には時間がないという事も理解している。なんの指導者もなく、暗中模索で自分が最善の成長を遂げることが叶うとは欠片も思ってはいなかった。自分より上の実力者が存在するなら、得られるものは積極的に得ていきたいのが心情だった。たとえ相手が自分と自分の妹の命運を握る相手であったとしても。

 そのウルの想いを察してか、ディズはクスクスと笑った。

 

「誰でも獲得できるような技術の伝授、強くなるための方針の助言くらいはできるけどね」

 

 そういうと興味深そうに聞いていたシズクが口を開いた。

 

「例えばどのような?」

「きもちよーく眠る方法」

《ふなー》

 

 アカネを枕に寝転がりながらディズはまるで健康と美容の秘訣にでもなりそうなことを言い出した。強くなる方法とはなんぞや。とウルは疑問した。シズクも同様に思ったのか不思議そうな顔をした。

 ディズは此方の疑問を無視して言葉を続けた。

 

「あとはまあ、方針の助言かなあ……ちなみに2人は戦い方は選ぶ?」

「選ぶ?」

「この戦い方は好きだとか。こういうやり方は卑怯だな、とか」

 

 そう言われ、ディズが何を言いたいのか得心がいった。そして二人はそろって首を横に振る。

 

「道徳に反する事が無いなら、とくには」

「不用意に命を奪うような手段でないのなら」

「素晴らしい。んじゃ、強大な魔物を倒す必勝法ってやつを教えてしんぜよう」

 

 必勝法、という言葉にウルは一瞬心をときめかす。まあ冷静に考えて、そんな方法があるなら苦労はない、という話なのだが、数段上の実力者である彼女がいう必勝法、というと流石に興味は尽きない。

 

「必勝法、それは―――」

「「それは?」」

 

 わずかに間をあけ、自信満々に彼女はそれを口にした。

 

「―――相手が攻撃できない遠距離からずっと攻撃してたら勝てる」

「「……………」」

 

 そりゃそうだろうなあ……と、二人は思った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 時は戻る。

 場所は衛星都市アルトの冒険者ギルド、その訓練所。グリードと比べれば二回りも小さいものの、少なくとも剣槍を振り回すに足るだけの広さはある。土地が限られる都市の内部においてこれだけの広さを確保しているだけでも十分にありがたかった。

 

「さて」

 

 ウルは先ほどラックバードで購入した防具、“鷹脚”と銘をつけられたそれを取り出す。全身鎧の“火喰の鎧”の右腕部だけを取り外し、代わりに身につけた。装着の心地は店で試したものと同じだ。細かい指の動作を可能にしている。

 

 そしてウルは、事前に集めておいた、形もバラバラな石ころを手に取り、握り心地を確かめる。念のため周囲に人がいないことを確認し、遠方、自分の位置から十メートル以上離れた位置にある、剣の打ち込み用にと捨て置かれた人型の模型を見定め、そして

 

「投げる」

 

 それも、冒険者として身に着けた全力の力を込め、足を踏みしめ、肩を回し、遠心力を利用し、放つ。指先から石ころの弾丸が放たれた。

 

「…ッ」

 

 放った、と思った瞬間に着弾の音がウルの耳に届いた。着弾位置は狙いをつけた模型からは大きく離れた地面だ。大きく抉れたようになった着弾痕と、その先に粉々に砕けた石ころが散らばっている。

 

「威力どうこう以前の問題だなこれは……」

 

 だが、目論見の通り、“鷹脚”は物を掴むという一点においては極めて優秀だった。掴んだものが指先に吸いつき、そして手放す一瞬に全ての力が集約する。

 これが正しい使い方かどうかまではわからない。が、それはまあ、どうでもいい。重要なのは、これをうまく使いこなせば“投擲”という戦法を得られるということ。

 

「もいちど」

 

 再び、小石を拾い、振りかぶり、投げる。今度は模型の上に大きく逸れる。力をもう少し抑えれば当てるだけなら出来るかもしれない。だが、それでは意味がない。ぶつかればいいという話ではない。相手を殺傷できなければならないのだ。

 全力投球をウルは繰り返す。途中、幾度か投げ方の姿勢を自分で改めながら、繰り返す。徐々にではあるが、模型との着弾点が縮まってきていた。そして

 

「ふっ!」

 

 放る。と同時に激しい破砕音が。遠くの模型から響いた。着弾した小石が模型の身体に着弾した。元より冒険者が打ち込むための練習具である以上、頑強に作られているためか破壊には至っていないが、大きな凹みが生まれていた。

 

「……悪くない、か?」

 

 実際に魔物に対して試したわけではないが、これくらいの威力を遠距離から叩きつけることができるのなら有効な戦法になるのかも―――

 

「全く動かない相手に当てて満足してもしゃーないよん?」

「ぬ……」

 

 と、満足感に浸る処に水を差してきたのは、ウルにアドバイスを与えた当のディズであった。何故此処にいるのか、という突っ込みは兎も角、ウルは彼女の言葉に唸る。

 

「動く相手にぶつけるのは難しいか、やっぱり」

「此方に気づいていない相手にぶつけるならともかく、敵対状態になった相手に石ころを当てるのは至難だよ。相手だって無警戒じゃないんだ。それなら最初から武器を身構えていた方が楽」

 

 投擲を構え、投げ、外し、新たな弾を補充している間に喉元を喰いつかれては世話がない。動かない相手に対して“そこそこ当たる”程度の命中精度では到底、実戦には足りない。

 

「……投擲っていう発想がそもそもダメか?」

「うんにゃ?良いと思うよ?投擲は原始的、かつ最もシンプルな遠距離攻撃の一つだ。矢玉が何処でも補充できるのも大きい。魔術のような詠唱もいらない。連発もできる」

 

 そして冒険者ならばその威力はお墨付きだ。と、ディズはウルが集めた小石を一つ拾い、そして放る。パン、と空気がはじけるような音、そしてそれと全く同時に遠方の模型が大きな音と共に撥ね跳んだ。

 

「確実に当てることができるのなら、だけどね」

「……お見事」

 

 本当にスキのない女だった。

 

「無論それには練習が必要になる。何十何百何千何万と。でも君は時間がない。だから早々にこの技を生かすにはもうひとひねりいるねえ」

「例えば?」

「自分で考えましょー。試行錯誤も練習の内」

 

 ディズは更に投擲を続ける。何気ない動作。投球の姿勢もバラバラで適当に石を放っているようにしか見えない、が、当たる、当たる。宙を跳び、弾け、地面を転がる模型に更に当て続ける。なのに弾速は凄まじい。

 なんであんな適当な投げ方で、あれだけ命中するのだろう。と疑問が湧いたが、すぐに納得する。彼女の適当なフォームは、“適当なまま洗練されていた”。つまり、彼女はどのような状態からも全力投球できるのだ。できるようになったのだ。

 その命中精度を支えるのは、夥しい量の訓練であろうという事は、ウルにももう理解はできていた。何ゆえに金貸しが、という突っ込みどころは指摘するのにもつかれたので無視をする。彼女の投げ方をじっくり観察し学ぶ方がよほど為になる。

 

 ガン、と、設置した位置からだいぶ遠くに転がっていった模型に最後の一弾を見事着弾させ、人型の鎧をボコボコにして満足したのか、ディズは軽く伸びをした。

 

「あまり時間がないし、気が済んだら宿に戻ってきてね。作戦会議するよ」

「盗賊の居場所が分かったのか?」

「うん、ああ、喜ばしい事を教えてあげよう」

 

 喜ばしい、とは?

 

「グリードを筆頭とした討伐軍の編成を待てない者が他にもいたらしい。冒険者ギルドが賞金をかけた。金貨20枚だってさ」

「…………ワーイヤッタァ」

 

 宝石人形の元々の賞金の2倍である。

 喜ばしい反面、迫る困難の予感にウルは項垂れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

衛星都市アルト④

 

 この衛星都市における書物は希少な都市民の娯楽であり、他都市へと流す交易品である。

 

 が、いくら紙の生産ができるといっても、その白紙に筆を走らせる人間がいない限り本になる事はない。という事で、このアルトでは多くの者が執筆活動にいそしんでいる。趣味の範疇の者から都市を跨ぐほどの売れっ子の作家、果ては魔導書の執筆を行う腕利きの魔術師たちまでいる。

 

 そういった人々のための道具魔具の類の製法も磨かれてゆき、アルトは良質な紙類を各都市に流通させる産業都市となるとともに、様々なジャンルの作家たちがあらゆる種類の本を書き上げ出版する、本生誕のるつぼと化していた。

 

 事前の手続きさえ行えばだれでも売り手として参加可能な“本市”は、都市外のヒト向けの観光地ではない。そもそも都市の外から流れてくる人は今の世界はそう多くはない。本市は自身が書き上げた本を製本化し、販売することも許される。そこは自らの書いた本を販売する絶好の機会でもあった。

 

 ジャンルを問わずして様々な名作傑作を出してきたアルトで認められることはこの大陸に認められることに等しく、故に物書きにとってこの本市は一つの勝負の場でもあった。都市アルトの民にとって本市は、他の都市にとっての迷宮にも等しいくらいの重要な場所であった。

 

「はーやく帰りたいなあ……」

 

 尤も、当然だが、誰しもがその場で勝負に出ているわけでもない。

 少女の名はミンネという。この都市の民の只人の小柄な眼鏡をかけた少女だった。

 

「どーして懲りもせず本なんて出すのよー……どうせ売れないのに」

 

 彼女は本市の一角で露店を開いていた。尤もやってることは座敷を敷いて、両親が作った少量の本を並べるだけなのだが。彼女の両親は普段は本の製本作業、その装丁作業を請け負う商売をしている。

 規模としては小さいが、丁寧でセンスが良く、何より依頼者の意見をよく聞いてくれる店としてアルトでもそれなりに名の通った店舗で、本市の際は自分たちが作った子供向けの絵本を自分で作り、少量であるが出品しているのだった。

 

 ところがその日は急な仕事が入り、彼女が代役として店番を頼まれたのだ。

 

「……」

 

 様々な人が目の前を通る。この国で一番活気のある場所であるのだから当然と言えば当然だ。が、ミンネは特に声を出して宣伝することもしなかった。

 正直言って、自分の両親の本を売るなんて、恥ずかしかった。両親の仕事をほめる人はいるし、自分だって2人の仕事に誇らしさがないわけじゃない。だけど、2人の出す絵本は正直好きではなかった。というか、気恥ずかしかった。出来が悪いというわけではない。ちゃんと話の要所は押さえてるとは思う。

 

 が、自分含めて、この都市の民たちは誰もかれも目が肥え切っている。ちょっと出来がいい、程度では誰もかれも見飽きているのだ。そんなのだから、両親の絵本もそうそう売れたことはない。彼女が店番をしたことがあることは何度かあるが、その中で売れたのは精々2、3冊だった。

 

 しかし両親は嬉しそうに仕事の合間、隙を見つければ本市に自分らの本を出す。娘からすれば懲りもせずに。

 

「まー仕事サボれるからいーけど……」

 

 他の都市民の例にもれず彼女も本は好きだ。名作と呼ばれる作品は網羅している。故に彼女にもまた、両親の絵本の稚拙な処は嫌でも理解できてしまう。

 と、そんなわけで彼女はやる気もなくダラダラと店番を続けていた。自分が買っておいた冒険譚の小説シリーズの新作を読みふけりながら。

 

「もし」

「ヒャア?!」

 

 都市の若き騎士隊長と粗暴ながらも明るい魅力にあふれる女騎士とが仄かな恋の芽生えの場面で、少しニタニタしながら読んでいた彼女は、不意に声をかけられて素っ頓狂な声をあげた。

 何だこの野郎という恥ずかしさと怒りが湧き上がったが、そもそも自分が店番しているのだと気づき、そしてようやく自分に声をかけてきた女が客であることに気が付いた。

 

「い、いらっしゃ……ヘア?!」

 

 そして、その客の常識はずれな美しさに更に奇声が出た。

 綺麗な女性だった。流れる銀の髪、ローブの上からでもくっきりとわかる、女の身でも思わず視線を奪われる抜群のプロポーション。ペットなのだろう金紅の色をした不思議な猫が彼女のそばによりそっている。

 現実感があまりにない。それこそミンネの好きな恋愛小説のお姫様がそのまま出てきたような人で、同性であるにもかかわらず動悸が激しくなった。

 

 こっちの挙動不審に対して、彼女は特に気にもせず、男達を一瞬で魅了するような微笑みを浮かべ静かにこちらの商品を指さす。

 

「小さな子に読み聞かせるような絵本は置いてありますか?」

「あ、はい。えっと、ど、どうぞ」

 

 もともと子供用に向けて両親が作成した絵本である。言われるがままに差し出して、こんな人に両親の本を渡していいのだろうか、と彼女が手に取った後に思った。絵本にしてももっといいものはあるのに。

 

「まあ、素敵な絵柄ですね。文字の勉強にもなりそうです」

 

 しかし彼女はそんなこちらの懸念などまるで気にしてはいないらしい。

 

「お姉さんは、冒険者の方ですか?」

「ええ、そうですね」

 

 アッサリと彼女は肯定する。冒険者、とてもそうは見えなかった。彼女のように容姿端麗という言葉でも足りぬ美女が、何ゆえにそんな事をするのだろう。ひょっとしてあれだろうか。他の男の仲間たちをこき使う姫という奴なんだろうか。と、本で得た偏った知識であらぬ妄想をミンネは膨らませるが、当たり前だが目の前の客は彼女の失礼な妄想に気づくわけもなかった。

 しばらく試読を続けた彼女は、手に取っていた一冊をすっとこちらに差し出す。返却かな?と思ったが、彼女はニッコリと微笑み

 

「おいくらでしょうか?」

 

 まさかの購入希望だった。

 

「あ、は、はい……銅貨10枚で、す……」

「承知しました」

 

 自費出版故の割高な金額をあっさりと支払い、彼女は嬉しそうに微笑む。両親の絵本の何をそんなに気に入ったのかミンネにはイマイチ理解できなかった。もっと画力がある本もあるのだが。

 

 しかし商品を受け取った彼女はとてもうれしそうにしている。彼女が欲しかった、わけではないのだろう。ひょっとしたら兄弟とか、知り合いの子供に読み聞かせるのかもしれない。その姿を想像してみるとやはり、全然冒険者らしからぬものだった。どっちかというと精霊たちに仕える神官たちという風情だ。

 

 まあ、姫とは言わんが後方支援とかそういう事を生業としているのかもしれない。

 

 こんな穏やかそうな人なのだ。きっとそうだ。と、ミンネは勝手に納得する。こんな穏やかで優しそうな美人が魔物と殺し合うなんて想像もできないし―――

 

「それと、遠距離から魔物を殲滅できるような強力な魔導書などあります?」

 

 どうやら後方でのんびりする人ではないらしかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 幸いにして、というべきなのか何なのか、ミンネの両親の仕事は魔導書にも通じていた。装丁の仕事、とはなにも、一般的な書籍だけでない。魔導書の類の仕事も彼女の両親は請け負っているのだ。

 故に、この出店には両親の手作りの絵本のほか、彼女の両親が仕事の一端を担った魔導書も一緒に並んでいる。常連となった魔術師たちから何冊か売り物として

 

「ええと、攻撃系の魔術はありますが、お姉さん、魔術師ですよね。それなら別の魔導書の方が良いですよ」

「そうなのですか?」

「んー……具体的にどのような魔術が欲しいんです?自動発動型とか?」

「自動発動」

 

 説明に対していちいちピンと来ていない、と絶世の美少女は首を傾げた。ミンネは普段店番をしている時と同じ調子で両親の商品を解説する。

 

「えーっと……魔導書は、当たり前ですが、その中身によって効果が変わります。発動方法も様々で、書いてある呪文を読み上げたり、魔力を注いで効果を発揮したり」

 

 普通の本だって、本という種類だから全部おんなじ、なんて訳がない。書いてある内容が違えばそれぞれは全くの別物だ。

 ミンネの両親の手掛ける魔導書の魔術は凡庸なものが多いが、種類は豊富だ。様々なものがあるし、魔力効率も良いから消耗も抑えられる。だが、

 

「ウチにあるのは大体、魔術が苦手なヒトとか、悠長に魔術の準備をしているヒマがない人のためのものが多いんですよね……つまり、その補助にリソースが多く割かれてます」

「ある程度魔術が得意なら、無用の長物だと?」

 

 ミンネは頷いた。

 

「この魔導書なんかは、魔術の詠唱を代用する代わりに、魔力の消費は多くなりますし、ヘタクソな詠唱よりも時間がかかったりします。用途をちゃんと絞らないと、持ち腐れになっちゃうかなって」

「なるほど、攻撃魔術は、自分で覚えた方が良いかもしれませんね……それ以外、魔導書ならではの商品などはあるのでしょうか?」

 

 ミンネは唸る。少し面倒な要求だったが、しかし、その手の商品の要求はないわけではなかった。彼女のように、自分の能力では手の届かない部分の補完を望む魔術師はいるし、そういう魔術師用のややニッチな魔術効果を封じた魔導書というものも一応売ってはいる。

 

「これなんかは体からあふれる微量の魔力を受け取って自動発動する魔導書です。効果は小さな幸運の加護……本当に小さな幸運ですが」

「小さな、では足りませんね…本が少し大きすぎるのが旅に向きません」

「旅をされてるんですか?」

「まだ、始めたばかりでありますが、この大陸をぐるりと回る予定であります」

 

 目と鼻の先に大罪都市グリードという、多くの冒険者が遠方から集うであろう冒険者の聖地があるというのに、もの好きなんだなあ、とのんきに思った。そして再び悩む。さてどうするか。

 これでも、いずれは両親の後を継ぐ事を望んでいる。この都市の一員の根っからの本好きだ。本を望む相手をがっかりさせては沽券にかかわるというものだ。さて、どうするか。

 グリードが近いためか、冒険者用の魔導書は店でも扱っているし専門店では更に多い。だが、それらの多くは迷宮で利用するようなものだ。旅で使うもの、となるとさて……

 

「じゃあ、これなんてどうでしょう?【新雪の足跡】って本なのですけど」

「これは……本には“何も書かれていませんね?”しかも2ページだけ?」

 

 そう、この魔導書は中身は何も書かれていない。白紙のページが僅か2ページ。他の魔導書などは術式や魔法陣が刻まれている者が殆どだったが、これにはない。

 

「魔力消費は殆どありません。大気の魔力と所持者から漏れる魔力をついばむ程度で。それで、効果は……」

 

 そう言って“足跡”の表紙を触れながら、起動するために魔力を注ぐ。すると

 

「……まあ」

 

 ぼんやりと、絵が浮かび上がった。絵、というには単調ではあった。単純な線で描かれたそれは、一見すれば子供の落書きのようにしか見えなかったが、よくみればそれはこの周辺の“地図”であるとわかった。

 

「こんな感じで、自分の知覚できる範囲を地図化していくんです」

 

 特に迷宮探索においては便利な魔導書、だとミンネは思う。しかし割と人気が無い。というのも、ここ等近辺の冒険者はたいてい、グリードを根城としている事がおおい。そしてそのグリードはたびたび地形が変わるが故に地図を作ることは無意味に終わる。この魔導書でも同様であり、磁力石による出口の方角確認による探索が主流となるため、“足跡”は売れることはなかった。

 が、これからグリードを離れていく、という冒険者なら話は別だ。これからの旅路の助けにはなるかもしれない。

 

 すると目の前の美女はその魔導書を手に取った、そしてしげしげと眺めたのち、眼をつむり口を開けて、

 

「――――」

 

 声を放った。正確にはそれは歌だった。小さく、しかし鋭く耳を通る旋律、ほんの数秒間だけの、しかしそれが紛れもないメロディだったと近くでそれを聞いたミンネに直感させる美しい音だった。

 そして彼女は眼を開き、そして目の前に広げた“足跡”の魔導書を再び確認し、そしてニッコリと微笑んだ。

 

「これ、いただきます」

 

 どのようなものであれ、魔導書である以上相応の額(銀貨10枚)をあっさりと支払う彼女はやはり冒険者だった。

 

 

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

島喰亀襲撃犯対策作戦会議

 

 

 宿屋【木陰の腰かけ】10F VIPルーム

 

「では、作戦ターイム、皆拍手」

 

 宣言する我らが雇い主に対して、ウルは適当にまばらな、シズクは真面目に、アカネは楽しそうに拍手を送った。3人は今、宿屋の一室に集まっている。

 冒険者の宿、と言ったら安宿に相場が決まっている。

 だが、今3人が泊まっている部屋は寝室のみならず寛ぐための広間まで用意された大部屋だった。

 

「やーこんな広い部屋をとれるなんてラッキーだね、不謹慎だけど」

「一応言っておくが、代金は払わんぞ」

「期待しちゃいないからご安心あれ。宿泊代やら食事代やら、護衛の必要経費はこっち持ちなのは最初に契約した通りだよ」

 

 衛星都市アルト正門から程なくにしてある【木陰の腰かけ】、1Fが寄合の酒場兼食堂であり、それ以降10階まですべてが宿泊施設となっている大都市と比べてもそん色ない巨大な宿屋だ。

 アルトは衛星都市であるものの、やはり大罪都市グリードが近いという事もあってか、この都市を中継点として利用する人間が多いため、宿泊施設の需要は多い。この木陰の腰かけも“普段”は相応に賑わいを見せていた。

 しかし島喰亀の襲撃の被害はこの宿屋にも及んでいた。本来宿泊予定だった来訪客がまとめてグリードに引き返した結果、この宿屋は珍しいくらいに部屋が空いていた。

 

 当然宿屋としては困り事であり頭を悩ませる案件だったのか、部屋を借りると申し出たディズと交渉し、割安の契約で、本来借りる筈だった部屋のワンランク上の部屋を契約することと相成った

 

「良い部屋過ぎて少し落ち着かない」

「馬小屋が良かった?」

《くさいくてちくちくやーよ》

「遠慮する」

 

 金銭的に切り詰めるところは切り詰めねばならないが、肉体が資本の仕事をしているのに労わるのを忘れてはろくな結果にならない。貰えるものは貰っておくに限る。

 

「ま、上下水まで完備で風呂場まであるらしいからくつろいでね。それじゃ、本題だ」

 

 ディズはそう言って机の上にかなり大きな書物を一冊、机にどっかりと乗せた。表紙には【周辺地図録】と書かれていた。

 

「地図?」

「ただし、迷宮大乱立の前のね」

「数百年以上前のか。よくあったなそんなの」

「複製品だけど、それでも相当古いね。本の都市として有名だけに、図書館の意識が高くてよかったよ」

「宿屋とってから即姿をくらましたと思ったら……」

 

 便利だから今度尋ねてみると良い、とディズは言って本を開く。

 古い本特有の独特のカビた匂いと共にかつてのアルト国とその周辺の地域が描かれた地図が姿を現した。そしていくらかの縮図から詳細に書かれた図面からうすぼんやりと都市の全容と周辺の状態が見えてくる。

 

「やっぱ、昔は都市の規模が“デカい”な」

「迷宮が出てくるまで、魔物の脅威はなかったからねー。もっぱら脅威はヒト同士だった。だから彼らの住処もそのために作られた場所だ」

 

 そうしてディズが指さすのはアルトから北部にある一つの建造物。小さな潰れそうな文字で書かれたその名前は

 

「……カナン砦?」

「隣国との戦の備えのために用意された砦、らしいね。迷宮大乱立と更に続いた地殻変動の影響でアーパス山脈のふもとに現在は位置している。更に迷宮が近隣に出没し魔物の襲撃を受けて放棄された砦だ」

 

 そして、その放棄された砦に現在あの盗賊たちが住み着いているのだという。距離は馬車で此処から丸一日ほどの距離。

 

「ダール達なら半日で行けるよ。かっとばせばもっと早い。距離的には問題ない。ただし、砦の方に問題がある」

「問題?迷宮乱立前のってなると最早遺跡と変わりないレベルの砦だろう?」

 

 カタチが保たれているのかどうかも怪しいレベルだ。少なくとも砦としての機能はほぼ死んでいるとみて間違いないだろう。しかしディズは地図の砦を外周を指先でなぞった。

 

「盗賊の行き先を探っていたアルト騎士団の術者が確認した情報だ。現在盗賊たちの住処とする砦全体に強力な結界が敷かれているらしい」

「死霊術師のものでしょうか?砦全体の結界となるとかなりの大規模なものですね」

「そんなん維持できるの……ああ、そうか、魔石か」

 

 島喰亀から簒奪した莫大な量の魔石、何に使うかまではわからないが、複数の都市運営に使用する筈だった魔石をすべて使い切るとは思えない。余剰分を結界維持に利用しててもおかしくはなかった。

 

「使い魔越しなので正確な解析は出来ていないけど、ガッチガチの結界だ。普通なら一日と持たない……が、今回はウルの言う通り魔石がある、数日は持つだろう」

「というかコイツら、待ち構えるつもりなのか……?」

 

 ウルは結界の状態を聞き、首を傾げる。

 島喰亀を襲う事は死を意味する。で、あれば、その後は一目散に逃げ回るべきだとウルが彼らの立場ならそう思う(その結果、逃げ切れるとは全く思えないが)。が、彼らは拠点と思しき場所から動いていない。どころか腰を据えてガッチリと身構えている。

 

「魔石だって無限じゃない、こんな強力な結界、いつまでも持たない」

「そう、持って数日だ。騎士団からすれば周囲を囲んで兵糧攻めの選択をしても何ら問題はない。にも拘らず待ち構えている。結界まで張ってる。さて」

 

 そう言うとディズはウル達に視線を向け、両手を広げた。

 

「何故こんなことをしているのか、意見をどうぞ」

 

 ウルとシズクは顔を見合わせる。ディズは特に何も言わず此方が口を開くのを待っている。

 

「……籠城戦?」

「都市外で安定した食料も得られない彼らに継戦力ってものはないと思っていい」

「結界は囮、騎士団を足止めしている間に脱出する可能性はどうでしょう?」

「各国の騎士団が、血眼で追い、使い魔使って見張ってる中逃げられるなら有効な案だ」

《ビビった!》

「恐慌状態に陥って判断を誤る?ありそうだけど、こんだけ周到な連中がそうするかな?」

 

 ウルは少し黙って考え始める。

 結界は聞く限り強固だ。持続時間は度外視するレベルで出鱈目に兎に角何物も通さないように張り巡らせている。時間がたてば確実に崩壊するというのに……時間がたてば?

 

「……時間稼ぎか。守るためでなく、時間を稼ぐための結界。島喰亀を襲ってまでして魔石を強奪してやろうとした“何か”をするための?」

 

 ディズはウルの言葉にこくりとうなずいた。

 

「多分ね。逃げも隠れもせず、ただ相手を威圧するような結界の張り方はそれくらいしか今のところは思い当たらない。むしろそれ以外の理由がある方が嬉しいね、個人的には」

「ますます嫌な気配がしてまいりましたね?」

 

 島喰亀を襲い、各国を激昂させ、騎士団を退けるために全力な結界を張り巡らせてまでしようとしている“何か”。それさえできれば、これだけの問題を引き起こしてなお構わないというような姿勢、その正体はいまだつかめないまま、危険な予感だけはどんどんと膨れ上がっていった。

 

「俺達が言うのもなんだが、騎士団にも急いでもらった方が良くないか、討伐」

「急がせたよ。島喰亀での盗賊たちの奪取品も正確に伝えた。アルトの騎士団長は柔軟な人でね。討伐軍の編成が半端な状態になろうと、明日には討伐に向かうと決断した」

「明日……」

 

 早い。話が伝わったのはウル達が到着した本日中の事だ。その話を聞きその明日の出発というのはかなりの速度だ。そもそも騎士団は都市防衛の軍隊。それを外に出すというだけでも都市運営を託された“神殿”も良く許可したものだ。それほどまでに今回の案件は重要視されているようだ。

 だが、それでも、

 

「……騎士団が間に合うと思うか?ローズの救出、死霊術師がやろうとしている何かに」

「出発自体は早い、が、難しいかな。騎士団は都市を守る事には長けていても、都市の外に出るのには全く不慣れだ。まして危険な死霊術師を確実に討つため相応の人数を率いる事になるだろう。必然的に行軍速度は落ちる」

 

 だから、私たちが急ぐ必要がある。と、彼女は続ける。

 

「私たちは少数であり、そして並みならぬ駿馬を持っている。全力でいけば騎士団より圧倒的に早く砦にたどり着ける。」

「時間は間に合うとして、結界は?」

「確実とは言えないけれど案はある。アカネー」

《あーい》

 

 アカネが運んできたのはこれまた一冊の本、今度のそれは机に広げられたものとは違う普通の書物だ。表紙に書かれた題名は実にシンプル、【アルトの歴史】。

 

「歴史書?何故?」

「アルトという国が出来る以前の記録も此処には残ってる。カナン砦放棄の詳細の、63ページ」

 

 言われるまま、アカネに手渡された本のページを開く。ひどく細々として、さらに堅苦しい文章で正直読みにくかった、が、ちょうどそれは“迷宮大乱立”が発生した時代の各地の被害状態を記している部分であることが分かった。更に読み進める。

 

「……えー、[北部のカナンの砦もまた壊滅的な被害を受けた。砦の近隣に出現した迷宮とそこから出没した魔物の存在は大国プラウディアへの備えとして築かれ常に外に警戒の目を向けていたカナンにはあまりに予想外の災害だったのだ。出現した迷宮は魔物を生み出すのみならず、次第に成長し砦の地下通路まで己がものと]……ん?」

 

 読み進め、ウルも気づく。記述の内容と、そしてディズが言わんとする結界の踏破方法に。

 

「まさか、迷宮から砦に侵入すると?」

「上手く迷宮が発見できればね」

「見つかったとして、地下にまで結界が張られていたら?」

「いくら消耗度外視とはいえ、地下深くに至るまで完全に覆う規模の結界はやるまい。魔石は有限なんだから」

 

 つまり、侵入するなら地下だ。そしてその道が迷宮となる。

 

「だが、まて。迷宮とつながっているなら、何故盗賊たちはあの砦を根城に出来たんだ?魔物が出るんだぞ?」

 

 ウルの疑問は当然だ。そもそも都市の外は魔物が跋扈しているからこそ危険で、人が住めない環境になっているのだ。いつどこで誰に襲われるか分かったものではないから。まして、迷宮とつながった砦を根城など出来るとは到底思えなかった。

 

「可能性1、迷宮は踏破され核を潰し魔物がでなくなった。可能性2、迷宮の侵食部を断絶した、可能性3、迷宮と砦は完全に一体化し半ば共生状態になっている」

「共生なんてできるのでしょうか?」

「パターンは様々だけど、ある。容易くはないし今回がそうとは限らないけれど」

 

 迷宮の踏破及び沈静化であった場合、ウル達の迷宮への侵入は容易くなる。ただしその場合砦のみならず迷宮も盗賊たちが占拠していることになるためより警戒が必要になる。封鎖の場合、迷宮は手つかずであるが故に当然魔物が迷宮から出現する。その対応は勿論ウル達が行わなければならない。

 加えて問題もある。

 

「封鎖されていた場合そこからどうやって侵入する。魔物が入ってこないように、なんて規模の封鎖だ。半端じゃあないだろう?」

「君の竜牙槍は何のためにあるの?」

「少なくとも発掘作業のためではないと思うんだがな……」

 

 ぶっぱなせ、という事らしい。まあ、特にためらう理由はない。崩落の危険性を考慮しなければならないが。

 

「無論、他にも想定できる可能性は幾つもある。そもそも迷宮からの侵入が可能な状況とも限らない。その場合強引な結界の突破も考慮しなければならない」

「出来るのですか?」

「消耗を考えると最終手段だね」

 

 その後も彼女は次々と言葉を続ける。

 迷宮に侵入できた場合出現するであろう魔物の種類とその対策、砦への侵入前に消耗しないための対策、現在盗賊たちの住処となっているカナンの砦の現在の状態、住処とする盗賊たちの数、装備、実力、その他諸々、本当にありとあらゆる今後の状況への考察と対策を立てていく。

 

「どこまで対策する気なんだ?」

 

 若干頭がパンクしかけた所でウルが待ったをかけた。

 

「勿論、全部」

 

 全部、そう言うディズの顔にはいつも浮かべている軽快な笑みはどこにもない。真剣そのものだった。

 

「君たちも宝石人形の時に思い知っただろう。物事は事前準備が9割がた事の行く末を左右する。やりすぎるという事はない」

「それは……そうだ」

 

 反論しようとして、まったく反論の余地が無かった。

 宝石人形との戦い、ウル達は勝利した。運が良かった、と言われればウルは躊躇いなく同意する。が、それ以外の要素は何か、と問われればまさしくディズの言うところの事前準備が大きくかかわっただろう。宝石人形と戦う準備、多くの参加者に対する根回し、装備アイテムの調達。どれか一つ怠ればあの結果は生まれなかった。

 

「この話し合いが必用なのはわかった。ただ、準備時間がない」

 

 金銭に関してはまだ何とかなる。基本的な消耗品一式はディズが出すと言ってくれているし、それ以外の装備の充実に関しても、ウル達には今は余裕がある。宝石人形の時のように無理矢理金を集める必要はない。

 だが、物を買おうにも、買う商品が今のアルトには少ない。なにせこのアルトは島喰亀の襲撃の被害をモロに受けた国だ。先ほどラックバードの商店を訪ねた時の大混乱からも窺える。金があっても買えるものは少なかった。

 それになにより

 

「そろそろ、俺たちも休まないとキッツいぞ」

 

 そもそもウル達とて、不眠不休で動く訳にはいかない。アルトに到着してからここまで休まずのぶっ続けだ。強盗団討伐の前に力尽きかねない。

 

「物資に関しては仕方がない。金に糸目は付けず、可能な限りそろえていこう。体力に関しては君たちには至急習得してほしい技術がある」

「それは?」

 

 ビシリ、と彼女は指さした。ふかふかの巨大なベッドを。

 

「気持ちよく寝る方法」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瞑想と煩悩

 

 

 現在ウルとシズクの体力と魔力は大きく消耗していた。

 

 日の出と共に動き、訓練と準備を経て出発。魔術による結界と目視による魔物への警戒、そして小さな戦闘を繰り返しながらアルトにたどり着いたのは本日の昼頃である。更にアルトについてからも一息入れる間もなく消耗品や装備の補充、そして対策会議だ。

 戦いが始まる前から、既に疲労が濃くなっている。このまま会議を続けて更に戦いへと赴くとなると、問題が出てくるとウルは自覚していた。魔術で魔力を消耗していたシズクはもっとだ。

 

 休む必要はあった。出来る限りタップリと。それは理解していた。が、

 

「で、これは何」

「瞑想。心を休めていてね」

「全然心休まらない」

 

 今、ウル達はベッドの上で寝転がっている。ウルとシズクは隣同士で、ディズは二人の前で覆いかぶさるようにして。しかも衣服も外し下着姿で寝転がっている。美少女二人と同じベッドで横になっている状態で心を穏やかにしてくれと言われて出来る奴がいたら、きっと賢者か仙人か不能者か同性愛者だ。

 ウルはそうではない。耐えるのは辛かった。

 

「ウル様。御気分が悪いのです?」

 

 シズクは心配そうに声をかけてくれた。原因の半分が彼女であることを除けば優しかった。

 

「皮膚面積多い方が体感しやすいからねえ。襲っちゃやーよ?」

《にーたんえっちー》

「妹の前で怪しい言動はやめていただきたい」

「大丈夫ですよ、アカネ様。ウル様ならきっとそんなこといたしませんから」

「すまん、過剰な信頼も厳しい状況だ……!」

 

 悪意ある誘惑ならば拒否もできるが、純粋に肌色が多いのはつらかった。いや、辛くはないが妹の前だと辛い。

 

「繰り返すが、これに何の意味がある。気持よく寝ると言ったが」

 

 気持ちよく、という言葉に妖しい響きを感じる惚けた脳みそに活をいれ、努めて冷静になろうとしながらウルは問う。

 

「ま、要は効率よい休息と回復の方法を伝授しようという話。8時間の睡眠が必要だったところが1-2時間で十分な睡眠と回復がとれたら、時間効率は圧倒的だろう?」

「……成程」

 

 それができれば、便利なんてものではない。今回のみならず、今後の事を考えると是が非にでも身につけておかなければならない技術だ。時間が限られる中で強くならなければならないのだから、その時間が増えるのは助かるなんてものじゃない。

 ウルは頭を振るい、煩悩を払うようにした。していたら、目の前にディズの寝間着の下で小振りな胸が揺れた。

 ダメだった。ウルは諦めて両目を手でふさいだ。

 

「手も大事なんでフリーにして」

「退路ください」

「諦めて煩悩に身を委ねててよほーらえっちえっち」

「自制心を挑発するような真似は本気で勘弁していただきたい」

「ウル様、大変でしたら片手だけでもお手を握りましょうか?」

「ありがとうシズク、逆効果だ」

 

 最早何も考えないことに全神経を集中せざるを得なかった。体を休める瞑想とは対極の心境である。余計疲れる。

 

「ま、ウルが暴走する前に話進めようか。まあこんな格好になったのにも理由があってね。体内の魔力を操作するから、体術と魔術の中間くらいの技術なんだ」

 

 魔力は消費させず、ただ循環させる。そうすることで肉体の疲労を休め、損耗した魔力は外から取り入れる技術。正しい詠唱を行う必要がある魔術よりも、感覚に依存する。身につけるのは容易ではない。と、ディズは言う。

 だが今回は時間がないため、外部、つまりディズが直接魔力に干渉し、感覚をその身で覚えさせようというのがこの試みだ。

 

「だから肌は殆ど密着する必要がある」

「密着……」

「性別的に耐え忍ぶべきは此方なんだから辛そうな顔をされるのは不服だな」

「貴方みたいな美少女に抱きついてもらえるなんて大変うれしいです」

「変態」

「どうしろってんだ畜生」

 

 望んでこの状況にいるわけではないのに理不尽だった。しかしこの状況に少し喜びを感じていないかと言われれば嘘なので黙って罵倒される以外なかった。

 

「変態くんは置いといて、まずはシズクと始めようか」

「よろしくお願いしますね、ディズ様」

 

 シズクはニッコリと微笑み、ディズは彼女の胸に文字通り飛び込むようにして抱き合った。美少女二人が抱き合う光景は大変に官能的だった。むろんこれは盗賊討伐に向けて重要な技術を獲得するための真剣な鍛錬なのだ。とウルは自分で自分に言い聞かせた。

 

「呼吸は常に一定に、お腹の奥から息を吸って、吐き出して、魔力を感じて」

「う……ん」

《なんかえっちね?》

「俺に同意を求めるなアカネ」

 

 ウルとアカネの漫才も尻目に二人はゆっくりと体を動かしている。傍から見れば絡み合っているようにしか見えなかったが、しばらくすると

 

「あ、出来た。そんで寝た。寝つきいいねシズク」

 

 パッと、ディズが顔をそう言って顔を上げた。

 

「え、もうか?」

「変態」

《えっち―》

「そういう意味ではなく、あっという間だったので。というかシズクは……?」

 

 ディズが退いた後をウルがのぞき込むと、シズクは目をつむっている。先ほどのように瞑想を行なっているのともまた違う、規則正しい呼吸をしながら豊かな胸が揺れていた。

 

《すやすやね?》

「……これがディズの言う、良い寝方?」

「単に深い睡眠というんじゃない。体内の流れを正常化し、活発化した状態」

 

 よく見て、とディズはシズクを指さす。言われ、ウルも目を凝らすと、彼女の身体、正確にはその皮膚の上に薄い光の膜のようなものが形成されているのがわかった。魔力が彼女の身体をなぞるようにして流れていく。

 

「体内の魔力の流れを操作して活性化、身体の外にも路を作って体外の魔力を効率よく取り込み自身に吸収する最小規模の結界形成技術。結界の一種だから外部の異常も感知しやすく一石二鳥」

「よくわからん」

「ま、感覚で掴んでくれれば理屈はわからなかろうが構わないよ。さて、ウルの番だ」

 

 ディズは微笑み、そして寝転がるウルへと寄りかかる。

 目の前にいるのはアカネを奪い、そして分解しようとしている憎き相手である。とどれだけ自分に言い聞かせても、彼女は普通に美人だった。

 

《にーたんがんばって?》

「むしろ頑張らないようにしないといけないんだがなあ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウル、言いたいことがあるんだけど、いいかな?」

「大体わかるが、どうぞ」

「早く寝よ?」

「無茶言うな」

 

 彼女の言うことは無茶だった。思わず見惚れるほどの美少女であるディズが、半裸で、こっちの身体に纏わりついてくる状態で、寝ろというのは無茶過ぎた。どれだけ意識を集中しようが「いい匂い」と「やわらかい」という感想が脳みそを侵略する。

 

《やっぱえっちね?》

「アカネ、もうどっかいってくれ頼むから」

「というかてんで魔力巡回してないんだけど、一点集中なんだけど」

「全面的に俺が悪いんだけど妹の前では本当にやめてください」

 

 セクハラも甚だしいし、ウルは別に悪いわけではないと思うのだが謝るしかなかった。

 

「これじゃどうにもならないんだけど、静めてあげようか?」

「お……いや、いい、努力するから」

「もぎ取ってあげようかと思ったのに」

「努力するから……!」

 

 こきりと手を右手を鳴らすディズの口は笑っているが目は笑っていなかった。ウルは少し心が落ち着いた。

 

「だが、そうでなくとも体内の魔力のコントロールなんて全然感覚が掴めんぞ」

 

 グリードを出る前に、ウルも最低限、日常で必要になるような簡単な魔術――体を清める【浄化】の魔術等――を身に着けたが、その一つとっても大変な集中力を必要としていた。

 それだけでも大変だったのに、体内の魔力を操れなどと言われてもさっぱりわからない。

 

「外側から干渉してもやたらと魔力の動きが鈍い、普段あまり魔術使ってないんだもんね……しょーがないな」

 

 ディズは小さくため息をつくと密着させていた身体を起こした。ウルの身体にまたがるようにして座る彼女は、ウルの腹に両手をゆっくりと触れると、眼を閉じる。

 

「受け入れてね?」

 

 なにを?と問おうとしたウルは、その次の瞬間、とんでもない異物感をディズが手を当てている腹に感じた。まるで熱のある塊を身体に直接差し込まれたような感覚だ。痛みはないが、思わず息が詰まった。

 

「な……んだ?」

「君の魔力を貯めこむ臓器に、つまり魂に、直接干渉している」

「そ、れは……大丈夫、なのか?」

「君は大丈夫だよ。危ないのは私さ」

 

 ディズの声が彼女の口から聞こえない。ウルの内側から直接反響するように響く。その違和感に思わず身をねじりそうになるが、先ほど彼女が告げた受け入れて、という言葉を思い出し、耐える。

 その様子に、ディズはえらいえらい、と笑った。

 

「基本的に魂同士の接触は干渉する側が圧倒的に弱い。君が無意識にでも拒否する意思を持つだけで私ぶっとばされるから、ちゃーんと今の調子を維持してね」

「い、いつま……?」

 

 と、問いかける間もなく、ウルの身体に変化が及ぶ。身体を巡る血、というか恐らく魔力が急に熱を帯び、そして体を流れるように巡り始めたように感じた。まるで魔物と全力で戦うかのような感覚。そして更にその熱が体の内から外へと移り、再び中へと巡りつづける。

 不思議なのは、その状態を“自分自身が引きおこしている”感覚がある。自分の身体が、魔力が勝手に動き出し、巡りだす。

 

「今の感覚、忘れないようにね」

 

 彼女の言葉が頭の中を反響する。ウルは頷こうとしたが、全身を包む温もりと、色々な意味でため込んだ疲労が一気に襲ってきたのか、間もなくして意識を失った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《にーたんおはよ》

「……おはよう」

 

 眼前で妖精の姿で飛び回るアカネの声で、ウルは体を起こした。意識を失う前と同じ姿で、ベッドの上で寝転がっている。背中のべちゃりとした感覚に少しギョッとなる、大分汗をかいて寝ていたらしい。

 

「……どれくらい寝てた?」

「3時間くらいかな?」

 

 疑問に、備え付けられていた机の椅子でのんびり茶をのんでいたディズが答えた。さすがにずっと下着姿なわけもなく、馬車の中でも着こなしていた身動きしやすい衣服を身を包んでいた。

 

「身体の調子は?」

 

 ウルは体を起こし、動かしてみる。自分の身体を点検する。身体の軽さ。不良部分の有無、ゆっくりとストレッチをしつつ慎重に確認を続けた。

 

「……7、8割?」

「初めてならそんなもんだね。効率は数をこなせば上がっていくからその調子で」

「シズクは?」

「1時間君より早く目覚めて全快状態だよ。今は夕食を貰いに行ってる。あの子凄いね」

「頼もしい限りだ」

 

 ウルは脱ぎ捨てていた自分の衣類を着なおして嘆息する。シズクの凄さに関しては今更驚くような事でもない。驚くべきは自分の今の体調だ。7,8割と言ったが、そもそも通常の睡眠時だって、完全回復に至ることはそこまでない。精々5,6割回復すればいい所だろう。

 だが、今の3時間の睡眠は、宿屋で8時間は熟睡した状態と遜色ないレベルまで身体が回復している。しかも今後はこれ以上の質になっていくという。

 本当にとんでもない技術だ。

 

「ディズ、指導ありがとう」

「どういたしまして。まあ、苦労した甲斐があったよ」

「苦労、やっぱりあの魂の干渉ってやつは、大変だったのか?」

 

 確かに尋常ではない手段ではあった。冒険者になってまだ日は浅いが、そんな技術噂でも聞いたことがない。

 

「んーまあそうねえ……使用するのは危ないし、大変だってのもあるけど……なにより」

「なにより?」

「んー……」

 

 彼女にしては珍しく、しばし言葉に詰まり、窓から階下の景色を眺め、一言だけぼそりと告げた。

 

「恥ずかしいし」

 

 ……半裸で抱き合うような真似しておいて?

 という疑問をウルは口に出来ずに終わった。彼女のその言葉の真の意味を理解するのは随分と先の話になる。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カナンの砦攻略戦

 

 迷宮大乱立がおこり、人類の生存圏が都市の防壁と【太陽の結界】に囲まれた場所に限られるようになってからというもの、都市の外には光が失われた。

 かつて、迷宮が出現するよりも前は、大陸の全てが人工の光に満ちていたと言い伝えられているが、今は見る影も無い。衛星都市アルトにたどり着く道中で直接目にしたように、都市の外に人工物の痕跡は跡形も無い。僅かに名無し達が用意した“止まり木”くらいのものだ。

 

 だから、太陽神が身体を休ませる夜の都市の外は、真っ黒な闇に覆われている。

 太陽神の代わりに大地を見守る精霊達が、満天の星となって大地を照らすと言われているが、その光は太陽神のそれとは比べものにならないほど、儚い。

 夜の都市の外は、一歩先すら分からなくなるほどの闇が支配していた。

 

「じゃ、準備できたかな?ウル、シズク、アカネ」

 

 そこへと今から飛び出そうというのだから、中々正気じゃない。

 

《ガッテンダー!》

「出来ました……ですが」

「……マジで、行くのか?」

 

 ウルは自分が大分腰の引けた声を発している事を自覚していた。情けないとは思うが、仕方の無いだろうと誰に向けるでもなく言い訳する。名無しのウルは、夜の人類の生存圏外に出ることの危険性を十分に理解していた。

 

「……正気じゃない。今から貴様らがしようとしているのは、自殺だ」

 

 門兵を務める騎士もまた、ウルと同意見らしい。彼は酷く顔を顰めている。

 今はまだ門の入口だから灯りが漏れて僅かに足元を照らすが、ここから少しでも都市から離れると文字通り何も見えなくなる。足元、どころかすぐそばの自分の手の平すらも。

 魔術による照明にだって限度があるし、消耗する。そして魔物達はその灯りを導にして一斉に襲い掛かってくる。

 まさしく地獄だ。

 

「というか、島喰亀の時も危険だからってやめたんじゃないのか、夜の追跡」

「あの時は相手の拠点も何もかもさっぱりわからなかったからね。でも今は違う。ダール、スール」

 

 ディズは馬車を引く二頭の愛馬たちのもとに近づく。二頭は近づく主に首を垂れて頭を寄せ、ディズは二頭の耳元で言葉を告げる。

 

「ここから北東の山脈のふもと。かつての砦跡だ。行けるね?」

 

 馬達は小さく鳴き、そしてその瞳を真っ直ぐに、自分たちの目指す場所へと向けた。

 

「この子たちは闇夜でも自在に駆け回れる。手綱を操る必要すらない」

《かしこーい》

「夜魔の血も入ってるからね。むしろ独擅場さ」

 

 つまり、この二頭に完全に案内させる。という事らしい。ウルは少し安堵した。闇夜の中、馬車の操作など正直言って生きた心地がしない、どころか一歩だって前に進ませるのは御免だ。道だって都市の外は舗装されていないのだから。

 が、しかし、ウルの安堵に対して、ディズは微笑みを浮かべた。その笑みに、なんだから嫌な予感を覚えた。

 

「少し安心している所申し訳ないけれど、ちょっと覚悟してもらう必要があるんだ」

「……具体的には?」

「ダールとスールは闇夜でも全く問題なく動ける。そして今回、状況も状況だけに、全速力で走ってもらうつもりだ。この夜の都市の外を」

「つまり?」

「メッチャ怖い」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 移動中、何があったのかに関しては詳細は省く。

 

 端的に言えば、ダールとスールは名馬、を通り越した怪馬であり、いざ夜の闇夜を疾走するとなった瞬間、その筋肉は一回り大きくなり、額からは角が伸び、その嘶きは星空の下、轟いた。

 魔物達すらも置き去りにするほどの爆速で、一切何も見えない闇の中を瞬く間に駆けていくのだ。

 

 その間、馬車の中の乗客はどうなっていたかというと

 

「…………!!!!!!!」

「アッハッハッハッハッハ-」

《はやーい!!!》

「そうですねえ、すごいですねえ」

 

 以上。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 1時間後

 

「……死ぬ、かと、思った」

「ウル様大丈夫ですか?」

《だいじょーぶ?》

 

 ウルはぐるぐるに回った眼を伏せながら、シズクとアカネに背中をさすられていた。

 馬車の中で揺れを堪えるだけだといえばそうなのだが、窓の外を見ても何も見えない闇夜の中、激しい速度と揺れに身を晒し続けるのは苦痛で、恐怖だ。宝石人形と闘った時とは別種の恐怖である。

 

「まあ、慣れると楽しくもなるんだけどね」

 

 ディズは魔灯を掲げながら気楽に言った。

 

「慣れるまではどうなるんだ?」

「地獄」

「二度目が無いことを願う」

 

 この短くも恐ろしい高速の旅をプレゼントしてくれた、ダールとスールは流石に疲れたのか地べたに座り込み、荒くなった呼吸を整えている。闇夜の中、4つの眼光が魔灯の光を反射させていた。

 「おつかれ」といたわるように首を撫でると、スールはやさしくすりよってくれたが、ダールは生意気にフンと鼻をならした。後はそっちの仕事だぞ、とでもいうようだった。

 ともあれ、この二頭のおかげで、なんとか“此処”までたどり着いたのだ。

 

「眩いですね」

《まるいのね》

 

 シズクとアカネが眺めているのは山奥の“半球”だ。人工物の跡地、恐らくカナン砦を覆おうようにして結界が輝き、同時に内部を照らしている。神秘的な光にも見えるが、あの光は、浅ましく島喰亀から強奪した魔石を利用した結界だった。

 

「本当に、あっという間にたどり着いたな」

「さて、多分ここら辺に」

 

 ディズは小さなランタンで目を凝らしながら辺りを探り出す。自然のままに野放図に成長した木々の間を縫うように進む。そしてふと、行く先の闇の中から何かが動く気配がした。

 

「……魔物か?」

 

 ウルは身構えるが、ディズは手で押さえる。そして物音をした方へと顔を向け、口を開ける。

 

「火」

《水―――まさか本当に夜の間に来れるとは思わなかった》

 

 姿を現したのは小鳥だった。黄色の羽をもった小さな小鳥。しかしその愛らしい嘴からは囀りとは違う、男の声が聞こえてきた。

 

「これは……」

《アルト騎士団、魔術師のラノだ。使い魔を通して会話している》

 

 小鳥が男の声を続けて発する。騎士団。使い魔を放ち、盗賊を追い続けて敵拠点を発見したとそういえばディズが言っていた。その魔術師であるらしい。ウルは警戒を解いた。

 

「頼んだもの、見つけてくれた?」

《……こっちだ》

 

 小鳥が羽を広げ、飛ぶ。ウル達の歩調に合わせ、どこかへと案内するらしい。砦の結界の方角から若干それるように進む。慎重に、魔物との遭遇を警戒しながら歩を進めると、程なくして小鳥はピタリと小枝に止まった。

 

《此処だ》

「……迷宮か」

 

 山肌がはげ、晒され、ランタンに照らされる周囲の地面とは明らかに色が異なる硬質の石づくりの建造物。人工物を思わせる大地に今なおひしめく魔物達の巣窟、かつて平和な時代の【カナンの砦】の地下を侵食した迷宮の痕跡だ。

 

《魔物の気配は少ない。だがゼロではない》

「気を付けよう。砦には繋がっている?結界の影響は?」

《結界はない。砦の下まで続く道順は印を付けておいた。が、途中瓦礫で完全にふさがっていて出口は見当たらない》

「そこは準備があるから平気。探索ありがとう」

 

 ディズが礼を言うと、小鳥越しの魔術師は、表情こそまるで見えないが、少し硬い声音で、声を発した。

 

《奴ら、巨大死霊兵から取り出した人質の内、邪魔になる者はその場で殺していったらしい。真新しい死体が幾つか魔物に食われていた》

 

 感情を交えない声だった。しかしそれは意識して抑えようとしている声音だった。湧き出る怒りを押し殺そうとしているのが、使い魔を通してウル達へと伝わってきた。

 

《敵を討ってやってくれ。我々も急ぎ準備を整え、此方に向かう》

 

 そう言って、小鳥は再び結界の周囲を探るように闇夜を飛び立っていった。ただの小鳥、ただの使い魔であるはずのその姿に、拭いきれぬ無念さをウルは感じた。

 

「騎士団に、迷宮の位置を探っていただいたのですね」

「情報を聞き出したついでにね。協力してもらった」

「……手際が良いな」

 

 最初、ディズから砦への侵入経路を提案された時は荒唐無稽にも思えた。

 だが、宿屋で提案したその時には、ディズは盗賊団のアジトの情報を獲得し、アルト図書館で書類をそろえ、更にそれをもって騎士団に作戦を提案し軍の編成を急かし、協力者を仰いで作戦を確固たるものとしていたのだ。

 

 戦闘能力とは全く別の、問題に対する“処理力”の高さ。

 見習おう。と、ウルは思った。事によっては剣や槍を振り魔術を放てるようになるよりも、遥かに強い力になる。

 そんなウルの決意を他所に、迷宮の入口の横に立つディズはウルとシズクの方に振り返る。

 

「さて、それじゃあこれから盗賊退治に突入する訳だけど、心構えは出来ている?」

「ここまで来て、今更すぎないか」

「安全な場所での決意表明なんて意味ないもの。目前にまで迫って初めて人間は自分でもわかっていなかった本音が出てくるってものさ。特に今回は通常の迷宮探索や魔物退治とは違う。要は―――」

 

 スイッとディズは自分の首を指で軽くなぞる。ウルは一瞬、島喰亀でディズが首を落とした盗賊の髭面が頭を過った。

 

「人を、殺すことになる。ほぼ確実にね。その覚悟はあるかな」

「相手は盗賊で、悪党だ」

「だから?悪党だろうが何だろうが彼らは同じヒトだ。殺人には相応の“負荷”が生まれる。どんな相手でもね」

 

 同族殺しに僅かだって感情を覚えない人間はそれはそれでお断りだけどね。

と彼女は付け足す。ともかくとして、殺人はそれだけ“重い”行いであり、故に改めて確認しておく必要がある。己がソレを行えるのか。

 

「私はできます」

 

ディズの問いかけに、真っ先に答えたのはやはりシズクだった。

 

「即答だね。思い込もうとして言ってるなら危険だよ?」

「いいえ―――確信です」

 

 シズクの声音に、瞳に、感情の揺らぎは一切なかった。凪の水面のようにただ静かで、事実をあるままに告げるようにして彼女は宣告した。

 

「それが許されざる業であっても、私は殺人を行えます」

 

 その回答に、瞳に、ディズは満足したのか頷いた。そして次にウルを見る。ウルはシズクが答えている間もずっと考えを巡らせていたが、出てきた答えは一つだ。

 

「正直言えば、実際にそうなってみないと、わからん」

 

 虚勢を張る場面でもないので正直に回答した。ディズはその曖昧にも腰が引けたようにも聞こえる回答に、別に怒るでもなく、まあそうだろね、と頷いた。

 

「やったことが無いことを出来るかと問われて即答できる方が珍しいしね」

「……まあ、経験がないと言えばウソなんだが」

 

 そなの?と聞かれ、ウルは頷く。別に隠している事でもなかった。

 

「昔、自衛のため、盗賊を殺したことがある。恐らく」

 

 都市の外ではよくある話であるが、ウルは旅の途中盗賊たちに襲われた事がある。何度もあった内の一度。ウルは盗賊に襲われ、咄嗟に、偶然、そして幸運にも、盗賊たちの武器を奪い、そしてその武器で反撃した。

 結果、盗賊はウルに切り付けられた首を押さえ、血しぶきをあげながら倒れた。その後は知らない。ウルはその場からアカネを連れ逃げ出したのだ。多分死んだのだろう。しかしそれは自己防衛の果ての結果である。

 

「俺はそれに罪悪感を覚えていない。だけど、自分から殺しに行ったことはない。だからわからない。その結果どんな感情が生まれるか、不明だ。……ただ」

「ただ?」

 

 ウルは自身の内を見直し、自身の価値観を見直す。そして答えた。

 

「“自分”と名前も知らない“敵”との天秤を量り間違えるつもりは、ない」

 

 自分、自分の妹、自分の仲間達の命と畜生に落ちた悪党の命、その天秤をかけて迷うつもりはウルにはない。

 自分のため、生きるために闘うのだと、既にウルは“決めて”いる。

 ディズはシズクの時と同じく満足げに頷く。最後に自分の肩の周囲を飛び回るアカネに笑いかけた。

 

「アカネには残念ながら選択肢はない。私と一緒に行ってもらうよ」

《ひっどーい!》

「私の所有物だからね。ちゃんと仕事しなよ。しなきゃ死ぬよ」

《ディズが?》

「うんにゃウルが」

《しょーがないにーたんね》

「ごめんて」

 

 しゅるんと、アカネは妖精の姿から体を変化させる。対してディズは身にまとっていた薄手のドレスをあっさりと脱ぎ捨てる。ウルは黙って目をそらそうとしたが、その間もなくディズの頭上から“球体”のようになったアカネがそのままディズの身体に“落ちていった”。

 

「ぷは」

 

 アカネが弾け、そしてディズの素肌にまとわりつく。あっという間に、アカネは彼女の身体を完全に包み込んでいた。まるで皮膚の上に更にもう一枚薄く、そして紅の皮膚と金色の紋様で包まれているかのような彼女の姿は異様であり、艶めかしく、美しかった。

 

「……それ、鎧か?」

 

 うん、と紅の鎧のディズが頷く。頭もアカネによって守られており、丁度流線型の兜を身にまとっているかのようだった。覗き見える瞳と口元はいつも通り愉快気に笑っていた。

 

「アカネで色々試したけど、防具はこれがベストかな。君の方が詳しいのでは?」

「トラブルの時、アカネに顔にくっついてもらって老人に変身して逃げた時とかはあったけども」

「それもおもしろそうだね」

 

 笑いながら、ディズは砦の結界、そして目の前の迷宮の入り口へと順に視線を向ける。

 

「迷宮は恐らくこの辺りの地下一帯に広がっている。そして自然と一体化しているが故にここらの木々の根が侵食を続けているはずだ。侵入しやすい位置を探し出し、そこから迷宮の内部に侵入する。良いね?」

「はい」

「分かった」

《アイアイサー》

 

 かくして、カナンの砦の討伐作戦が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カナンの砦攻略戦②

 

 

 

 カナンの砦、1F廊下

 

「ああ、だっり……」

 

 島喰亀を襲った襲撃犯。大罪人の一人である筈の獣族の男は、呑気にあくびを一つかましていた。衛星都市アルトが、どれほど自分たちを血の海に沈める事を望んでいるのか聞けば、その態度も変わるかもしれないが、残念ながら彼にそれを知る術はなかった。

 彼は島喰亀の襲撃の際にその場にはいなかった。

 自分たちのアジトの守備を任されていた。だから子細はしらない。だが、“襲撃の実行犯である仲間達が無事に戻ってきた”。それも大量の戦果を抱えて。

 つまり、大勝利だ。祝杯の一つや二つあげて大騒ぎしたいと思うのが人情というものだろう。だのに、盗賊達のボスである男は自分たちに厳戒態勢を命じてきたのだ。不満の一つも零したくなる。

 

「折角センセイが結界も敷いてくれたのによお……」

 

 センセイ、盗賊達の“協力者”である【死霊術士】が戦果の膨大な量の魔石を使い結界を発生させたときは、自分たちは歓声をあげたものだった。これなら都市の騎士団がどれだけ来たって、攻めることは出来ない。そう思った。

 今、センセイは砦の奧で女を一人連れて引きこもってまた何かの研究を始めているが、きっと恐ろしい魔術を研究しているのだろう。楽しみで仕方が無かった。

 

「っつーかこんな時間に来るわけねえってのに、ボスも慎重だなあ」

 

 無論、ボスの画策した島喰亀の襲撃という蛮行を全く理解していない訳ではない。学は無いが、流石に「とんでもないことをやってのけた」くらいの理解はある。が、それでも彼がこんなにも呑気している理由はほかにもある。

 今の時間が夜だという事だ。

 夜の都市外はヒトの住まう世界ではない。都市の外に追い出された追放者、犯罪者である彼等は、人一倍、夜が危険であると知っている。結界の眩い光が砦を照らしているが、普段は本当に真っ暗だ。手を伸ばせば手先が闇に飲まれるような暗黒の中を襲撃される危険性はない。

 だから、都市からの報復が来るとしても今ではない。

 

 それは油断からくる侮りではなく、経験からくる確信だった。

 

 それでもなお、ボスが見張りを立てるのは、ビビっているからだ。島喰亀の襲撃という事実に。あの強大な結界をセンセイが作っても、ボスは報復に怯え竦んでいるのだ。

 みっともない、と声に出さずに彼は自分のボスを嘲った。

 

「“センセイ”に任せりゃいいのによ」

 

 ボスは今回の島喰亀の襲撃に反対していた。センセイの計画に対して最後までしぶっていたのはボスだった。だが結果、押し切られた。それは詰まるところ、ボスが既に指導者の立場を失っているという事実を示す。

 

 その死霊術士がいつ頃、自分たちの協力者になったのかは“あまり思い出せない”。

 

 分かっているのは、都市の外に追い出され、魔物達の影に怯え、盗賊行為を繰り返し、遠からず死ぬしかなかった盗賊達が、今快適に暮らせているのは彼のお陰だということだ。

 眠りもせず休みもしない。魔物達から自分らを守ってくれる死霊兵、襲撃に護衛、更には食料の収集に至るまで、全てをもたらしてくれた死霊術師はまさに救世主だった。

 

「アルトのクソ騎士団どももホネにしちまうかもな!ハハハ!!」

 

 そして島喰亀の襲撃によって、死霊術師への信頼は盲信の域に到達していた。彼に出来ない事などなにもないと、この男も、その仲間たちも信じて疑っていない。

 その盲信故だろうか、背後の崩落した瓦礫の下から強い光が漏れてきていることに、彼はギリギリまで気づく事はなかった。

 

「【咆吼】」

「へ?」

 

 のんきな間抜け面で振り返った盗賊は、瓦礫の奥から放たれた莫大な閃光と共に吹っ飛んできた巨大な瓦礫の山に降られ、悲鳴を上げる間すらなく、生き埋めになった。

 

「繋がりましたね」

「まさか“木の根”と戦うことになるとは」

 

 そして、ウルとシズクは吹き飛ばした瓦礫の奥から這い出した。

 

 カナンの砦への侵入に成功したのだ。

 

 ディズの目論見通り、この一帯は迷宮と化しており、盗賊たちの根城と地下にて繋がっていた。しかし侵入は容易いということはなかった。迷宮の中には自然と一体化した木の根のバケモノ達が蔓延り、それらを砕きながらの光の差さない通路の強行軍だ。

 事前にアルト騎士団が道順を印を付けてくれなければ、もっと時間がかかっていたことだろう。だが、なんとかここまでたどり着いた。

 

 盗賊たちのアジト、カナンの砦

 

 わかっていたが、砦の中は随分とボロボロで、防衛の機能を保てているとはとても言い難かった。経年による劣化は激しく、崩れた壁から外の結界の輝きが漏れ出ている。それが通路を照らしていた。

 よく見れば、通路の彼方此方も、地下迷宮で見掛けたような木の根のようなものが見える。ウルはそれを見て顔を顰めた。

 

「これも【悪霊樹】じゃなかろうな」

「動く様子はありませんが」

「迂闊には近付くべきじゃあないな……で、ディズ、こっからどうする」

 

 ウルが振り返ると、ディズが最後に大穴から抜け出した。緋色の鎧を身に纏った彼女は周囲を確認すると、シズクに目配せする。

 

「シズク」

「はい」

 

 シズクはディズの合図に頷くと、書物の都市、アルトにて手に入れた【新雪の足跡】の“魔導書”を手に顔を上げた。

 

「探知開始」

 

 そして、耳で聴きとることもままならない高く小さく、そして鋭い音を喉から発した。ウルの耳には一瞬耳鳴りのような音がしたが、それもすぐに収まった。シズクはそのまま自らの手にした魔導書を確認し、頷く。

 

「ウル様。ディズ様」

 

 言われ、全員でその魔導書をのぞき込む。そこに書かれているものを確認する。ウルは眉をひそめながらそれを凝視する。一方ディズは数秒後には頷いて、視線を外した。

 

「それじゃあ、後は作戦通りにね」

《しぬなよーにーたん》

 

 アカネと共にそう告げて、ウル達の前から文字通り姿を消した。

 魔術の類ではなく、純粋な体術によって、一瞬で砦の奥へと単独で進んでいったのだ。ウルの目端には残像のようなものが映ったが、すぐに見えなくなった。

 風のような動きに感心する暇もなく、ウルもまたシズクと共に魔導書の“中身”を頭に叩き込んだ。そして、遅れる事しばし、二人は顔を上げた。

 

「ウル様。我々も」

「ああ」

 

 どん詰まりの通路を抜け、自分たちがふっとばした瓦礫とそれにつぶれた盗賊の一人を乗り越え、ウルとシズクは駆けだした。既に散々、この後どう動くべきかを検討し、時間が許す限り作戦を練った。迷いはなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 時間を戻して、宿屋にて

 

「上手く敵の結界内部に侵入した後、二手に分かれる」

 

 ディズはかつて健在だったころのカナンの砦の地図を広げ、告げた。ウルは首を傾げる。

 

「この少数を更に分けるのか?」

 

 今回の盗賊の討伐は3人で行う。真夜中の都市外を突っ切る無茶が出来たのは自分たちだけなのだからその点は最早仕方ないにしても、更にその人数を分けるのは、あまり良い判断とはいえないように思えた。

 

「ごもっともだけど、三人で行動すると、多分君たち二人がずっと私の後ろについてまわるだけになるから意味ないんだよね」

 

 ディズは苦笑する。

 さもありなんだった。実力差がディズと二人の間で開きすぎているのだ。一か所にまとめると、作業の分配がままならない。全てディズ任せになってしまう。確かにそれでは3人で固まる意味が無い。

 

「だから君たちにも働いてもらう。役割は分ける」

 

 ディズは単独で動き、最も危険と思しき死霊兵を操る死霊術士を叩く。

 その間にウル達は、捕まった島喰亀の住民達を助け出す。

 

「グリードからずっと二人一組で戦ってきたなら連携面に関しては特に私から指摘することはない。それ以外、予想しうる敵の戦力、敵拠点の状態、相手の戦い方、死霊術師が扱う死霊兵らの傾向と対策、その他もろもろ全部詰めるよ―――」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 と、このような流れで作戦は決まった。

 作戦はあらゆるパターンを想定して検討されたが、大筋の流れは変わっていない。

 ディズが死霊術師を討つまでの間の盗賊たちの誘導と撃破、そして攫われた人質の救出がウル達の役割だ。状況としてはウル達の方が目立つので、死霊術士がウル達を狙う可能性も検討されたが、

 

「もしもふらふらと君たちの方へと死霊術師がやってくるならむしろやりやすい。君たちに危険が及ぶ前に私が暗殺する」

 

 だが、恐らくは死霊術師は出てこないだろう。というのがディズの見立てだった。そして実際、ウル達に迫る盗賊たちの中に、魔術師の姿は見られなかった。

 

「待て!待ちやがれこのガキども!!」

「こっちだ!!殺せ殺せ!!!」

 

 ウル達を追う盗賊たちは三人。各々が持っている武装は斧、棍棒、長剣とバラバラだ。防具もロクに装備していない。本当に島喰亀を襲った盗賊なのかと疑うくらいに、貧相なものだった。

 

「追手3人、全員近接装備、魔術師確認できず。防具なし」

「次の通路を右です」

 

 対して、ウル達は盗賊達の陽動のため、逃げていた。敵の本拠地ともいえる砦の中を縦横無尽に駆け抜けていた。本来どのような地形になっているか知る由もないこの場所で、其処を住処とする住民たちから逃げ回るなど本来なら失策もいいところだが、今のところこの追いかけっこは持続できていた。

 理由は、事前のこの砦の調査による地形の叩き込み、そして

 

「この先の通路は直進です。途中、崩れているので右側の通路は使えません」

「了解」

 

 現在、シズクが使っている【新雪の足跡】の魔導書による効果が大きかった。

 知覚した場所の地図を記録するこの魔導書は、本来の使い道ならば「そこそこ便利」にとどまる程度の代物である。が、宝石人形の撃破以後、人並み外れた聴覚を得たシズクがこの本を使用すると、非常に強力な効果を発揮した。

 

 即ち、自身の“声”の届く全域に対する瞬間マッピングである。

 

 【足跡】の“知覚”の判定は、必ずしも視覚で行う必要はなかったらしい。彼女が声を放ち、更にその反響を“耳”にすれば、それがそのまま情報として魔導書に視覚的情報として記録される。この方法でウル達は瞬時にこの砦の地形情報を獲得していた。

 故に、地理の優位は奪っている。相手は侵入者がそこにいる以上追わないわけにはいかず必死だ。囮としての誘導は成功していた。適度に引き寄せ、魔導書を確認しながら逃げ道を探りつづける。これの繰り返しだ。

 そして、

 

「後方の3人の追手との距離が空きました。前方からはまだ人影なし」

「次の曲がり角で一度視界から外れる」

「はい」

 

 ウルとシズクはそれまで保っていた速度を一気に引き上げ、加速する。

 

「クソ!逃げるぞ!!追いかけろ!!」

「何だあいつらはええ!?」

 

 一月と言えどグリードでほぼ毎日迷宮に通い詰め、宝石人形を撃破し一気に肉体を強化したウル達と、曲がりなりにも都市の外で魔物達の撃退を繰り返しながら自然と体が鍛えられてきた盗賊たちとの間に身体能力の差異はそれほど多くはない。

 

 にも拘らず単純な追いかけっこで全くウル達に彼らが追いつけないのは、脚力強化【翼足】の魔具や、身体強化の魔法薬を買い込んで、使用しているからだ。どれも使い切りの消耗品。コスパが良いとはとても言えない買い物だったが、購入した。

 

 ―――偵察もできない完全なぶっつけ本番、訓練する時間もない、人手もない、そんな私達がそれらの代わりに費やせるコストは一つ、金だ―――

 

 故に今回ウル達は装備品に金を費やし、消耗品を買いあさった。消耗品はディズ持ちだが、自分たちの装備品は自分達持ちである。だが金を惜しむような真似は一切しなかった。耐衝アミュレットも2枚ずつ装備し、更に“足跡”以外の使い切りの魔導書も2冊程、購入している。

 結果、現在の所持金はほぼ底が見えてきていた。

 

 上手くやれば数年は生活費には困らない額を一瞬で消し飛ばす冒険者はやはり頭がおかしいとウルは改めて思った。

 

「ウル様」

「ああ、大丈夫だ」

 

 距離が離れた時点でウルは振り返る。右手には崩れた砦の壁面の欠片。子供の頭一つ分くらいはありそうなソレを“鷹脚”でひっつかみ、そして通路から顔を出した男達を目視した瞬間、振りかぶり、そして放った。

 

「ふっ」

 

 放たれた大きな石塊は、恐ろしい勢いで顔を出した男の胴に直撃した。

 

「ぐげはあ!?」

 

 痛烈な打撲音と共に直撃した男が後方に転がる。残る二人の男は唐突な事態に驚き、しかし何をされたのか理解すると顔を真っ赤にしてウル達に吠えた。

 

「テメ――」

 

 そして何かを言葉にする前に、その顔面に次弾の瓦礫の直撃を喰らい、脳天から血しぶきをあげながら地面に倒れ伏した。そして残る一人はと言えば、同タイミングで飛んできた炎の魔術の直撃を受け、黒焦げになって同じ末路を辿った。

 

「狭い通路、此方を追うために真っすぐに突っ込んでくる相手なら、狙う必要はないと」

 

 ほぼ初となる“鷹脚”の実戦運用にウルは納得する。上下左右に動かれれば狙える自信はまるでない、が、ならば動けない状況にすればよいのだ。これもディズが言っていた工夫の一つだろう。

 技術を身に着けるには才覚か訓練が必要となる。が、才もなく努力を行う時間もないというのなら、発想と工夫によってそれを補う。これは今後重要になってくると心に刻んだ。

 

「後方通路横から二人が。警戒しているのか速度はゆっくりです」

「なら、道を戻って三叉路を左折、倒した3人を囮に狙いを定めよう」

「承知しました」

 

 シズクに指示を出し、一度道を戻る。今は探索が重要なのではない。盗賊たちを引きつけ、囮となり、そしていかに削りディズの助けになるかだ。目標を改め足を運ぶ。途中、今しがたウル達が倒した3人が折り重なるように地面に伏していた。

 一人はシズクの魔術で焼け焦げになりピクリともしない。もう一人は瓦礫により頭を割り、同じく動かない。最後の一人、最初に瓦礫を腹部に直撃した男はビクビクと動きながら、口から血反吐と泡を巻き散らしながら憎悪に満ちた目でこちらを睨みつけていた。

 

「こ、こ、こここ、この、ガキ」

 

 ウルはそれを聞き終わる間もなく、竜牙砲を真っ直ぐに突き出し、男の心臓を貫いた。憎悪に満ちた目をした男は、一瞬あっけにとられたようだが、間もなくして倒れ伏した。

 

 死んだ。ウルは盗賊たちの命を奪い、殺した。

 

「―――どうですか?」

 

 シズクは問う。

 それは此方を心配するのではなく、ただウルの状態の確認をする問いかけだった。“問題ないのか”という、ウルの性能の確認だった。魔物を殺す時とはまた違う、人の肉を刺し貫き殺す感覚を竜牙砲の柄から感じ取りながら、自分の状態を確認した。

 そして、確信した

 

「問題ない」

 

 だが

 

「愉快じゃない」

「そうですね。私もです」

 

 シズクも表情は酷く辛そうだ。しかし、強ばり、動けなくなるような様子はない。

 互い、動ける。その事に納得し、頷いた。

 

「行くか」

「はい」

 

 ウルは通路の横道に入り、そして再び距離を置く。新たな盗賊たちを殺すために。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カナンの砦攻略戦③

 

 

「何やってやがんだこの役立たず共が!!!」

 

 カナン砦に居座る盗賊団のボス、ガダは怒りに声を震わせていた。

 島喰亀の襲撃騒動から戦勝ムードに浮かれていた仲間たちを尻目に、彼はとんでもない禁忌に触れてしまったことに対する恐れと、能天気にバカ騒ぎをする仲間たちに怒っていた。

 

 そして事のすべてをなしたあの“死霊術師”に対して憎悪していた。

 

 元々彼ら盗賊団は常に飢えと魔物の脅威に襲われる中、必死に生きる追放者の集団だった。その日食べるのにも苦労していたのは確かで、細々と、他者の蓄えをわずかに掠め取るようにして生きていくだけの狡い盗賊だった。

 

 それを、あのどこから来たのかも分からない死霊術師は劇的に変えた。

 

 魔物の脅威を排斥し、馬の死霊兵による移動手段まで用意して、活動範囲を劇的に広げ生活を豊かにした。仲間達はあっという間に死霊術士の男に心酔した。

 が、元々リーダーだった彼は死霊術師のことが信用できなかった。あの男が来てから自分の肩身が狭くなった、というのが理由ではない。

 

 ――我が“神”の御力をもってすれば、罪深き貴様らも必ずや救われよう

 

 あの男の言う“神”に当てはまる存在は、唯一にして太陽の神ゼウラディアしかない。

 だがあの男は一度たりともゼウラディアへの信奉を口にしない。ならばあの男の言う神とは【邪神】だろう。それがガダには不吉だった。

 ガダは自分がクズの悪党であると自覚している。外道であるとわかっている。だが、外道でも道は道だ。クズは屑なりの道理があって法則がある。

 

 しかし、あの死霊術師はどこかの道に立っているようにすら思えなかった。どこまでも落ちていくかのような奈落の闇しか感じない。だというのにバカな部下たちはバカだから、死霊術師をセンセイセンセイと頼っているのだ。彼からすればたまったものではなかった。

 

 島喰亀の襲撃も猛反対したのだが、それも他の仲間たちの賛同に潰され、決行された。

 そしてこの襲撃騒動である。

 ほら見た事か、と叫びたくもなるが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。このままではバカどもの巻き添えを喰らって自分が死ぬ。

 

「さっさと捕らえろ!!殺せ!!数はたったの二人なんだろう!!」

「でもボス、アイツラまるでこっちの位置がわかるみてえに!!」

「だったらそれがわかるような魔術使ってんだろ!バカか!!」

 

 罵倒する。仲間達の頭が悪すぎる。なぜこんなにも考えなしなのか、と怒りをにじませるが、そもそもこんな場所にまで流れてきた奴らの頭がいいわけがなかった。

 冷静になれ、とガダは自分に言い聞かせる。仲間たちには頼るな。どうせ役に立たん。襲撃から戻って以降ずっと部屋で引きこもってる死霊術師も同様だ。自分しか頼るやつはいないのだ。

 

「数はこっちが上回ってんだ!!数で囲え!!先回りを―――いや」

 

 そこでふと、怒りに煮えていた彼の頭にアイデアが降ってわいてきた。怒りに満ちていた彼の思考はクリアになり、そしてニタリと顔が自然と邪悪に歪んだ。

 

「丁度いいエサがあんじゃねえか」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 カナンの砦1F、崩壊した正門へと続く中庭の道を横切る途中

 

「右方から敵影、後方からも来ています」

「動きが変わったな」

 

 依然として、盗賊たちの囮となるべくして戦闘を繰り返すウルとシズクは、敵の動きの変化に気が付いた。先ほどまではただ此方を探し回り、そして発見次第突っ込んでくる、という実に単純で愚直な行動を繰り返しており、故にウル達の戦術の格好の餌食となっていた。が、今は違う。

 

「恐らくは此方の存在に気づいても、すぐには追いかけてきません」

「仲間を呼びながら、此方の道を塞ぐように距離をとる……か」

 

 此方の探知能力に気づいたか?

 

 勿論、その場合もウル達は考慮していた。敵に頭の回る者がいれば、相手の位置が見えているように動き回るウル達の感知能力の異様さにすぐ気が付くだろう。

 最も危険な死霊術師以外にも、知恵者の一人や二人いたとしておかしくはない。

 

 故に、この動きは予想の範囲内である。

 とはいえ、予想していたから問題ないと言うわけでもないのだが、

 

「相手の数は5人です。恐らくですが死霊兵も動員されています。強引な突破はあまり望ましくありません」

 

 数の優位を完全に押してきている。1人、2人なら即攻撃即離脱も叶うだろう。が、4、5人ともなると速攻で倒しきるのは難しい。死霊兵も邪魔だ。足が止まれば周囲にいる他の盗賊たちに横から殴られる。そうなれば終わりだ。装備の充実は圧倒的にウル達が上だが、数の優位には叶わない。囲んで棒で殴られればなぶり殺しだ。

 

「距離を取りつつ、攻撃で少しでも数を減らすしかない……か」

 

 この盗賊たちの動きが知恵者の指示として、では何を狙っているのか?

 此方の役割は陽動だが、敵も道を塞ぐようにして誘導しようとしている。ではどこに誘導しようというのか?事前の調査と魔導書で地形の知識は得たが、それ以外の知識の利は当然向こうにある。罠が仕掛けられている可能性も―――

 と、そこまで考えた所で、シズクから呼びとめる声がした。

 

「相手の誘導しようとしている場所がわかりました」

 

 ウルは咄嗟に助かったと顔を上げた。が、彼女の表情はあまり晴れ晴れとしたものではない。良い情報ではないらしい、という身構えをしながら、ウルは彼女の持つ魔導書をのぞき込んだ。

 シズクが指さすのは、ウル達もいる砦の一階。ウル達の進行方向の先にある一室だ。その部屋には少なくとも10人以上のヒトがいることを魔導書は示していた。

 

 待ち伏せか?とも思ったが、違う。待ち構えるにしてもここまでの数を見るからに狭い部屋で待機させるのは不可解だった。ではここに集結してるヒトの影は

 

「恐らくですが、盗賊たちにつかまった人々が此処に押し込められています」

「人質を取るつもりか…?」

 

 ならば、急ぎ駆けつける必要がある。ウル達の目的の一つは人質の確保である。攪乱が第一の目的であったとしても、見捨てる選択肢はウルにもシズクにもない。が、

 

「人質は助けられるかもしれませんが、相手の思惑は防げないかもしれません」

 

 彼女の言葉の意味を、ウルは理解していた。しかし、それでも人質の部屋に向かわないわけにはいかなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ボス!あいつら“奴隷部屋”まで先に着いちまいますぜ!!」

 

 部下の一人が唸る。人質を利用する、という彼の言葉は頭の悪い部下たちでもなんとか理解はできたようだが、それ故に侵入者たちの動きの速さに焦っていた。奴らは速い。恐らく魔具か魔法薬の補助を使っているのは明らかだった。

 だが、

 

「いーんだよこれで」

 

 そう。これでいいのだ。

 

 奴らは真っ直ぐに人質の部屋に向かっている。やはり此方の動きを察する探知の魔術か何かを利用しているのは間違いない。だが、此方に先んじて人質の下に一直線に向かうというのは、要は自分たちに人質が有効であると自白しているようなものだ。

 

「そんなに人質助けたきゃ行くがいいさ。逃がすも守るもままならんだろうがなあ」

 

 で、あれば後は容易い。奴らの足を封じるのも、人質を利用し奴らを屈服させるのもだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……成程」

 

 その様子を見たウルの第一声がこれだった。納得を示す言葉は、しかしそこに多大な、そして不快な感情が込められていた。眼前の光景を見れば真っ当な感性を持つ誰もがそうなるだろう。シズクを言葉を発さず閉口しているが、その目は悲しみに歪んでいた。

 

 盗賊たちがウル達を此処に誘導した理由はそこにあった。

 

「いだい……いだい……」

「たす、たすけて……」

「……っああ……」

 

 この部屋にいた誰もが悲惨な姿をしていた。綺麗な召し物だっただろう、今は血と泥にまみれたそれをもうしわけ程度に体に羽織りながら、体は鎖に繋がれ、体の彼方此方には切り傷と打撲痕、島喰亀の事件からまだ一日と経っていないにもかかわらず、彼らが待ち受けていた境遇は惨いの一言に尽きた。

 分かりきっていた事ではあった。島喰亀襲撃なんていう真似をしでかした連中に、今更人質の扱いをどのようにしようと怖いものなどなにもないのだ。だが、実際に直面すると心が掻き毟られるような痛みと怒りを覚えるのは抑えられなかった。

 

「治療を行います」

「頼む……さて」

 

 人質の現状は想像がついていた。だから治療の準備、回復薬の用意は可能な限り行なっていた。だが、彼らを治療するという事は足を止めるという事だ。先ほどのように逃げ回って誘導を行い、隙を見て反撃するような真似は出来ない。“足跡”のメリットはすべて潰れる。そして、

 

「気配、多数」

 

 シズクから預かった“足跡”の地図、今ウル達のいる人質の収容された部屋を盗賊たちが囲っている。先ほどまではこちらを避けるようにして距離をとっていた盗賊たちが此方に距離を詰めていた。間もなくこの部屋に集中する。そうなれば数の暴力に押されて間違いなくこちらが死ぬ。そうでなくとも人質を守りながら戦うのは不可能だ。

 要は追い詰められた。ではどうするか。

 

 ―――物事は事前準備が9割がた事の行く末を左右する

 

「……全くだな。ディズ」

 

 ウルは嘆息し、そして竜牙槍を捻った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カナンの砦攻略戦④

 

 

 カナンの砦に二度目の轟音が響いたのは、侵入者たちが“奴隷部屋”に入ってすぐの事だった。落雷の様な轟音、地面が揺れるような震動、それは敵が侵入してきた時と全く同じであるとガダは気づいた。

 

 侵入の時と同じ、で、あればそれは逆もありうるという事だ。

 

「ッチ……おいてめえら!急げ!!」

 

 クズたちの尻を蹴り飛ばしながら、ガダは人質の部屋に迫る。とうに朽ちかけた扉の穴から物の焼けた匂いと煙が漏れている。

 

「……何しやがった?」

 

 警戒が強くなる。少数の侵入者、偶然迷い込んだのでもなければ、此処に盗賊がいるとわかって攻めてきたはずだ。装備をみても、何かしら手だてをもって此処に来たのは間違いない。

 

「おい、骨共!!」

 

 同行させていた死霊兵たちを前に突き出す。むざむざとどうなっているかもわからない場所に自分が突っ込む理由はない。死霊術師の事は気に食わないが、それはそれとして利用できるものは利用させてもらおう。

 

『KAKAKAKAKA!!』

 

 骨たちがカタカタカタと頭を不気味に揺らす。気色が悪いとガダは顔を歪めた。

 死霊術師に与えられた死霊兵たち。自分たちの言う事を愚直に実行する不気味なこの兵隊たちの材料は、魔物や獣、そして“人間の死体”からも作られる。自分らが襲った“獲物たち”の死体、のみならず、自分たち“盗賊団の死体”をも利用されてこの兵隊たちは作られているのだ。

 もし自分が死んだら、あの死霊術師は自分もこの骨と同じにするのだろう。それがおぞましかった。

 

「おい、行け!中の連中を皆殺しにしろ!!」

「って、ボス!奴隷たちは…」

「黙ってろ!」

 

 未練がましいクズを殴りながら、死霊兵をけしかける。骨たちはカタカタカタと足を進め、ボロの扉を押し開く。そのまま口蓋を大きく開き、中の人間の肉を食いちぎろうとして、

 

『KA――――』

 

 そのまま、真っ直ぐ“下に”落ちてった。

 

「なに?」

 

 後に続く死霊兵も次々に下に落ちていく。勿論、この奴隷部屋に地下へと続く階段などなかったはずだ。開け放たれた扉から、死霊兵が落ちていった“下”を覗き見る、と、

 

「……穴ァ?」

 

 小部屋の床の半分ほどを穿った巨大な穴が開いていた。まるで巨大な魔術が穿ったような跡であり、崩れた瓦礫の跡が焼け焦げていた。そしてその穴は、単なる穴ではない。それは地下に続いていた。この砦の、この山全体に広がった地下の迷宮だ。

 

「ボス!奴隷どももあのガキどももいませんぜ!!」

「っつーことはだ……」

 

 ガダも、盗賊たちも、死霊兵たちも、穴の下をのぞき込む。何処にもいないというのなら、向かう先はこの迷宮しかない。侵入してきたときと同じように、だ。

 ガダ達にとって迷宮は盲点だった、というよりもこの彼らのアジトの塞ぎようのない欠点だった。元より都市の外の廃墟を使っているのだ。このような穴の一つや二つあって当然だった。

 

 だが、これでまんまと逃げられるかと言えばそうではない。

 

「はっ!バカが。あの奴隷どもと一緒に逃げられるわきゃねえだろ?」

 

 ガダは嗤う。奴隷たち、彼らが弄んだ人質たちの状態は彼らが一番よく知っている。まともな食事も水も与えずにいた連中だ。だが肉体は元より、彼らの心をガダたちはへし折った。嬲り、罵り、口答えすれば容赦なく暴力を振るった。心身ボロボロになった連中だ。

 奴らを全員引き連れて、逃亡?大樹の魔物が蔓延る迷宮の中を?出来るわけがない!!

 

「追え!!あの奴隷どもは騎士団相手の盾だ!絶対逃がすな!!」

 

 ガダは部下と、そして死霊兵たちに指示をだす。暗い穴の迷宮に骨と盗賊たちがぞろぞろとなだれ込んでいく光景は悪夢じみていた。ガダは一人、敵を追いつめた安堵と、ただでさえ騎士団を待ち構えねばならない状態で振り回してくれたネズミどもをどういたぶってくれようかという嗜虐心に心を躍らせ、笑った。

 

 そして、

 

「楽しそうだな」

「あ?」

 

 背後からの一言、それに反応する間もなく顔面に強烈な衝撃が叩き込まれ、そして何かが砕け散る音を耳にしたまま、ガダの視界と意識はその身体ごと、穴の中の闇に落ちた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……あのガキどもどこへ行った?」

 

 死霊骨たちと共に下に降りていった盗賊の下っ端達は、探索をするまでもなく、自分らが下りた場所が、迷宮の通路ではなく、小部屋であったとすぐに気が付いた。出口は一か所だ。

 

「なにもたもたしてんだ!はやくしねえと逃げられるぞ!!」

 

 一人が声を荒らげ、出口へと駆ける。他の仲間らも後に続く。続こうとした。が、

 

「お、おいちょっと待」

 

 先頭を行く仲間を止めようとして、間に合わなかった。

 

「あ?」

 

 次の瞬間、天井から伸びてきた“木の根”が彼の頭へと伸び、ヘビのように巻き付いた。

 

「ガッ!?」

 

 悪霊樹、この迷宮に巣くう魔物。その木枝を手先のように伸ばし人を襲う魔物。

 死霊術師が来るよりも前は彼らも苦しめられ、しかし死霊術師が来てからは随分とご無沙汰になり、そしてすっかりその脅威を忘れていた彼らは、今再びその恐ろしさを思い出させることになる。

 

『SIIIIIIIIIIIIIIIIIIII…』

「ガ!があああ!!!やめろ!はな!!」

 

 悲鳴と絶叫、そして幾度かの何かがへし折れる音。そしてプツンと悲鳴は途切れた。血と、引きちぎれた肉塊が地面に落ち、そしてそれを悪霊樹の根がすすった。そして、残った木の根が他の獲物を探すようにずるりとうごめき、

 

「ま、ずいぞ逃げろ!!早く!!」

「骨共!!木をつぶせ!!うお、うわあああ?!」

 

 悲鳴と絶叫が迷宮内で連鎖する。侵入者を追いたてるつもりだった彼らは、自分たちがこの都市の外において弱者であることを思い出した。

 

『クカカカカ!!ゴガ!』

「くそ!骨どものストックがなくなる前に早くアジトに!!」

 

 来た穴から元のアジトに戻る、つもりだった。が、戻るのは中々難しいと彼らは気づく。降りるときは勢いで飛び降りたが、この穴は梯子や階段もない、強引に破壊されて作られた穴なのだ。そんな便利なものあるわけがない。

 

 それでも、魔物を少なからず殺し強化された盗賊たちの身体なら乗り越えられるはずだった。だが、

 

「……なんだ?」

 

 取って返すように穴の下まで戻ってきた盗賊たちは、先ほどまで何もなかったその場所に“何か”が転がり落ちてくるのに気がついた。手足を力なく揺らし、首をぐらんぐらんと揺らしながらぼとん、と、彼らの足元に落ちてきた、それは

 

「……ボ、ス?」

 

 彼らの、ボスの死体であった。

 そして、それだけではない。

 

「ギャッ!?」

「なんだ!?何か降ってきてるグガ?!」

 

 穴の上から、次から次にモノが降ってくる。否、降ってくる、などという生易しいものではない。明確な殺意と共に巨大な石の塊が、盗賊たちの頭を直撃していった。頭から血を噴き出すならまだしも、首に頭をうずめてそのまま死ぬものまでいる始末だ。

 

 この攻撃の仕方は当然彼らも覚えがあった。つまり、

 

「あのガキども!上だ!上にいやがる!隠れていやがったんだ!!」

 

 穴をあけ、そちらに逃げた。ように見せかけてその実は、隠れ、盗賊たちが穴の中に落ちていく様子を眺めていたのだ。そして全員が降りきった時点で攻撃を開始した。

 

 自分たちを、一網打尽にするために。

 

「クソ!まっずいぞ!!急げ!早く登れ!!」

「うるせえな!てめえが先に行けよ!」

 

 指揮を執っていたリーダーが死に、追い詰められた状況で彼らは途端に混乱を起こしていた。尤も、混乱していなかったとしても、背後から迫る悪霊樹の根と、上から容赦ない速度で落とされる巨大な岩を防ぐ手段は彼らにはなかった。

 

 だが、それでも、数に任せ、死霊兵を盾にすれば、何人かは登る事が出来た。投石さえ止めることができれば後続も続くことができる、筈だった。が、

 

「ああああああああああああああ!!!!」

 

 悲鳴のような咆哮と共に、何とか顔を出した盗賊の一人の頭に棍棒が振り下ろされる。鈍い打撲音が狭い穴の中で響いた。

 

「ギャァ!!」

 

 激痛に頭を反射で押さえ、同時に穴の淵にかけていた手を放して再び彼は落下する。何が起きたか、すぐ近くで投石を防いでいた彼の仲間は目撃した。

 

「あの人の…!仇…!!」

 

 ボロボロの姿をした女、人質として、奴隷として彼らが嬲った島喰亀の乗客。その女が棍棒を握りしめ、血走った眼球をぎょろりとさせて、穴をはいずっている自分たちを見下ろしている。

 

 そして気づく、1人ではない。

 

 魔灯の光を反射する瞳がいくつも、穴を囲うようにして此方をのぞき込んでいる。憎悪に満ち満ちた目が、盗賊たちを射殺さんばかりに睨みつけている。

 

「……なん」

 

 気づく。それらはすべて人質たちだ。彼らが攫い、嬲り、暴力を振るい続けた奴隷たちだった。瞳から光を失っていたはずの彼らが、ギラギラと、怒りと憎悪に眼を輝かせ、歯をむき出しにして此方を睨みつけ、各々がそこらに転がっていた木片や小石、武器とすら言えないようなものを握りしめていた。

 一人一人は盗賊たちの身体能力には及ばない。所詮は都市の中でぬくぬくとしていた連中でしかないのだ。が、地の利を奪われ、この数で隙間なく囲まれたこの状況下は決してたやすくはない。

 だが何より、目に映りそうなまでに注がれる敵意と憎悪は、盗賊たちをひるませた。何故、心をへし折り切ったはずの連中が、敵意満々に、しかも恐れず此方に殴り掛かってくるのか、不可解でもあった。

 

「皆様」

 

 そして、その憎悪と敵意の中心で、女の声が響いた。

 

「どうか無理をなさらないで。傷が痛む方はすぐにおっしゃってください」

 

 声を放っていた女は、すぐにわかった。人質たちの中心で、恐ろしく容姿の整った銀髪の女が、やけに頭に響く“声”で話している。優しく大きな手のひらで包まれるような安堵感が心を支配する。 

 

「身体の痛みは、傷は、私が必ず癒しましょう。皆様を苦しみから救いましょう」

 

 だが、その慈悲は決して、盗賊たちに向けられているものではない。

 

 彼女の声が響くたび、奴隷だった者たちの目の光が強くなる。憎悪が、敵意が、激しさを増していく。自分たちよりもずっと弱いはずの者たちの殺意に、盗賊たちは後ずさった。

 

「ですが―――心の傷は、皆様自身にしか癒せません。理不尽に奪われた人々の無念は、皆様自身にしか晴らせません。私には助けとなる事しかできません」

 

 故に、

 

「報復を 然るべき者に 応報を」

 

 武器を握りしめる音がする。砕けた瓦礫を握りしめ、振りかぶる姿が見える。そして盗賊たちの背後からは悪霊樹の根がずるりずるりと近寄り、這い寄ってきていた。

 そして、ようやく気づく。自分たちは詰んでいると。

 

 怒号と悲鳴、幾度もの打撲音、刺突音、砕ける音、不快音の合唱が奴隷部屋に木霊した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウル達の作戦は実にシンプルだった。

 

 竜牙槍で地下の迷宮への通路をつくる。しかし迷宮には降りず、部屋の奥で【不可視の結界】をシズクが張り、狭い部屋の片隅で人質たちと共に息をひそめる。盗賊たちが、ウル達が下に逃げた、と勘違いし迷宮に降りたタイミングで逆襲を行う。

 以上。

 

 単純だが、短い時間で手際よく実行できたのは事前に「人質を敵に利用された場合」をディズと共に話し合っていたからだ。直接人質を取られた場合、あるいは人質を首尾よく発見できた後、どのようにして人質を逃がすか、あるいは守りながら盗賊たちと戦うか、あらゆるパターンを考えていたからこそ動くことができたのだった。

 

 が、しかし、立てられた作戦はそこまでであった。

 

「……彼女は、扇動者か何かなのかの?」

「まあ、そのようなものらしい……恐らく」

 

 ウルは武器を構えながら、人質だった男の問いに曖昧に答える。

 眼前で起きている光景はひどいものである。人質として捕まっていた女たちが、手あたり次第に階下の盗賊たちにものを投げつけ、近づけば棍棒で殴りつける。全員でいっぺんには登ってこれない盗賊相手に数にものを言わせての殴殺だ。

 

 何故こうなったかと言えば、シズクの仕業であった。

 

 結界で隠れている間、もしも気づかれた場合即座に奇襲をかけるためウルはずっと盗賊たちに集中していた。そしてシズクは結界を張りながらも、魔術の代わりに回復薬を使用し、献身的に人質たちの治療を行い続けた。怪我を癒し、適切に応急手当を行い、そして献身的に優しく、人質たちを励まし続けた。

 

 そしてこうなった。どんな励まし方をしたのだ彼女は。

 

「魂に響く、とでもいうべきなのか、彼女の言葉を聞いてる者たちは見る見るうちに気力を取り戻していった。人質を暴徒に変えるとは怖い女だの」

 

 盗賊たちに痛めつけられたのか、腕をさする男は興味深そうにシズクを見る。シズクはいまだ、幾人かの人質たちに声をかけ、時にけがの治療を行い、そして優しく微笑みかけている。立ち居振る舞いはまさに聖女のそれだった。

 が、立ち直らせた人質たちを戦力として利用しているのは果たしてどうなのか。

 

「……まあ、元気になったのなら良い事だ」

 

 深くは考えまい。とウルは思った。

 自分たちだけでは十人以上はいる人質達全員を守り切れるか微妙な所だったのは間違いなかった。ある程度自分たちで動けるようになってくれるのはありがたい。盗賊達だけではなく死霊兵達もいるのだから。

 

「ひとまずこっからは人質を守りつつ維持、か……だが」

 

 盗賊と死霊兵たちを蹴散らし、陽動は完了した。人質も確保した。恐ろしく順調だ。ただし、ウル達にとって本命であるローズはこの人質部屋にはいなかった。そしていまだ死霊兵が健在であるという事は、それを操る死霊術師も健在であるという事だ。

 ならば、恐らくは死霊術師の所にローズもいる。

 

 ディズ、アカネ、頼むぞ

 

 ウルは声に出さず別行動中の2人の無事を祈った。

 




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

災禍出現

 

 カナンの砦、3F、“元”指令室

 

 迷宮大乱立の際、放棄されたこの砦の中で唯一と言っていいほどに被害が少なかったこの場所は現在、死霊術師のための工房となっていた。かつては自国を守護する任を負った者たちの集った場所が、今は怪しげな魔法陣や薬品、そして夥しい数の死体が積まれた邪悪としか言いようのない空間となっていた。

 

「……」

 

 そしてこの部屋の主である死霊術師は、部屋の中心の魔法陣の前に立っていた。若くも見えず、だが、老いているようにも見えない青白い肌のローブをまとった男。眼の色は虚ろであり、押せば倒れるのではないかというくらいに弱弱しくすら見えた。

 階下で発生している侵入者騒動も、我関せずとでもいうように、幾度か小さく詠唱を繰り返し、その後再び何か考えこむようにしてブツブツと近くの壁や床に何かを走り書きを行う。

 

 一見すると研究に没頭する魔術師のそれだ。彼の前にある魔法陣の中心にいる、拘束された少女がいる点を除けば。

 

「騎士団が来たのよ。貴方達はもう御仕舞よ」

 

 少女、ローズは強気に声を上げる。顔にいくつもの殴打の跡があり鬱血していたが、それでも虚勢であれ強気に盗賊たちの首領と思しき男を挑発できる彼女の肝の太さは筋金入りだった。

 

「……な………やは………く………」

 

 だが、そんな声も死霊術師にはまるで届いていない。

 ぶつぶつぶつと、ローズに視線すら向けずに魔法陣の前で詠唱を続ける。時々魔法陣を書き足しながら、ローズが転がされているその魔法陣を完成させようとしている。

 

 なんとか、止めなければ。

 

 ローズは、魔法薬も売買するラックバード商店のトップだ。最低限は魔術に精通している。故に、この男が“何かとてつもなく危険な事をしようとしている”のはわかっていた。

 魔法陣の周囲に均等に設置された莫大な量の魔石、本来グリードの各衛星都市に分配されるはずであったその魔石を利用しようとしていることからもその危うさは窺える。

 

 止めなければ。という使命感と危機感がローズの胸中を支配する。この術師がしでかそうとしている事は、イスラリア大陸で生きる誰しもが拒絶しなければならない何かだ。

 

「……っ」

 

 縛られた状態で、少しだけ身体を捻る。後ろに回された両手を地面に向ける。精緻な魔法陣だ。魔力を込めた爪先で術式を弄るだけでもこの儀式の進行を少しでも遅らせる事ができるかも―――

 

「動くな。贄めが」

「ッか!?」

 

 次の瞬間、先ほどまで全く此方を見ていなかった死霊術師が、一瞬で彼女の目の前に現れ、その手がローズの首を絞めた。死に掛けのようにすら見えた男のものとは思えぬほどの力が込められていた。

 

「何ゆえに抗うか、“間もなく”偉大なる御神の礎になる名誉を与えようというのに」

「邪神の贄になる事を名誉に思うほど私はイカれてないわ…!」

 

 少しでも時間を稼ぐべく挑発する。そして、邪神、と罵った瞬間、術師の元より悪かった顔色が更に悪くなった。年齢も定かでない表情が醜く歪み、そして首にかかる指に力が入った。

 

「随分と舌の回る贄だ。盗賊どもも気が利かぬ。舌を抜いておかないとは」

「……が……っか……」

 

 ローズの首に、死霊術師の骨ばった指先が絡みつく。逃れようと抗う中、彼女の目に死霊術師の黒いローブから首飾りが下げられているのが映った。太陽、唯一神、太陽神の紋章、しかし世界を照らす陽の象徴が、“真っ黒な蛇”にまるで卵のように飲み込まれる絵図が彫り込まれていた。

 意識がかすむ中、ただただ不吉なイメージが脳を埋め尽くしていく。

 

「ああ、しかし、混ざり無しの器さえあれば血肉の檻は不要か。うむ。成程」

 

 殺すか。

 短い宣言。そして指先に込められた力がさらに強くなる。僅かも息をする事が叶わなくなり、ローズの意識は真っ黒になる。目の前の危機も、体の痛みも、自分の守るべき商会も部下たちも、恨むべき相手も、此方を心配してくれていた親戚も、死んでしまった愛しき両親も、何もかもが闇に溶け、彼女の命もそのまま消える―――筈だった

 

「……グッ?!」

 

 ふっと、首の締め付けが緩くなり、彼女の意識は急激に浮上する。

 

「ッガハ!!ごほ!!げほ!!」

 

 慌て呼吸し、そして咳き込む。目の前の事態を理解するよりも呼吸が先だった。そして涙目になりながら、ようやく前を向く。つい先程まで此方を殺そうとしていた死霊術師がしゃがみ込んだまま、身動き一つ取らずに呆然としている

 

「な、なに…?」

「………………なん」

 

 そしてローズの前で、死霊術師の首が、“ズレた”。

 

 そしてぼとりと傍らに落下する。

 ローズは呆然となった。目の前の現象が何を意味するか分からず後ずさる。状況はまるで分らない。わからないが、これが死霊術師も予期せぬ事態であるのなら、今の間に逃げ出さなければ――

 

「ああ、動かないでね。まだ終わってないから」

 

 だが、そう判断するよりも早く、耳元で声が聞こえてきた。

 ローズは周囲を見渡す。誰もいない。だが、聞き覚えのある声だった。

 そしてその助言の意味する所を彼女は即座に理解させられた。

 

「我が邪魔をするか――!!」

 

 落ちた首が、口を開いたのだ。

 ローズは声にならない悲鳴を上げた。落ちた生首は血もこぼさず、その浮き上がった眼球をギョロギョロと動かし、自らの首を落とした犯人を捜し求めていた。そして続けて口も開き―――

 

「【我ッガ?!」

 

 魔術を詠唱、しようとした。だがそれよりも早く、地面に転がった生首に虚空から突如出現した緋色の剣が叩き込まれた。術を詠唱しようとした口蓋を貫き、 更に周囲を見渡す眼球に別の二本の短剣が撃ち込まれる。

 

「……!!」

 

 あまりに容赦のない追撃だった。だが、これでもう死霊術師は喋ることもできなくなった。ローズはその結果に安堵する。流石にこれではもう、生きていたとしてもなにもできまい、と。

 しかし、その視界の外で、首から上を失った死霊術師の胴体が音もなく立ち上がろうとしていることに、彼女は気が付かなかった。

 首を失った身体は、まるで生きているかのように指先を動かしだす。声を発する手段を失った胴体が、その指先の形を詠唱の代わりとし、新たな魔術を産み出そうとしていた。

 

「っ!?」

 

 が、次の瞬間、再び空中から出現した緋色の剣によってバラバラに両断された。

 ローズが死霊術師の身体が動いていることに気が付いたその時には、既にその体は地面に散らばった。四肢も指先も何もかも、死霊術師の肉体を構成するその全てが、徹底的に破壊しつくされた。

 

「やーれやれ、間に合ったかなっと」

 

 そして、聞き覚えのある声がローズのすぐそばから聞こえてきた。振り返ると、何もない――ように見えたその空間が、歪んで見えた。幻影か、不可視の術か、姿を隠していた者がその姿をさらしていた。

 紅と金色の奇妙な鎧を纏った金色髪の少女。

 

「やっほーローズ、良く生きてたね。間に合ったか」

「デ、ディズ?!」

 

 ローズから家宝を奪っていった憎き女が、この状況下でも変わらない軽快な笑みを浮かべていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あ、貴女、なんで……」

「はいそれじゃ服脱いで。怪我見せて。回復薬ぶっかけるから」

 

 奇妙な姿をしたディズは、こんな状況であるにもかかわらずいつもの飄々とした態度をまるで崩さなかった、テキパキとボロボロになった此方のドレスを裂くようにして脱がしていく。盗賊たちによって暴力を振るわれた箇所に回復薬をぶっかけて、更に新たに一本渡してくる。

 

「どうぞ。品質は保証するよ。なにせ君の店の商品だからね」

 

 見れば、確かに自分の所で扱っている薬瓶だった。一息で飲み干す。苦みと臭みが強かった。飲みやすさへの配慮でひと手間しているはずだが、ああ、島喰亀の騒動で運ぶはずだった香草などが不足しているのか、と、どうでもいいことがローズの頭でぐるぐると巡った。

 しかし効果は確かであったらしい。鈍い痛みがすっと消えて楽になった。頭がスッキリする。そして改めて現状の訳の分からなさに対する疑問が湧き上がった。

 

「アカネ、そこの触媒破壊して、順序は右左真ん中」

《まとめてこわしたらあかんの?》

「ダメ、爆発するから」

《こあい》

 

 何ゆえに、我が家宝を奪っていった女が此処にいるのか。

 

「なんで私を助けたの」

 

 この混乱する頭を静めるべく、問いかける。すると、なにやら部屋の儀式の跡を淡々と砕いていたディズは振り返った。そしてなんでもない、というように肩をすくめた。

 

「え、まあ、ほら、頼まれたし、死ぬこともないなって思ったし」

 

 なんだ、それは

 

 そのあまりにいつも通りな“軽さ”に、ローズの心は沸点に達した。

 

「な、によそれ!なんであなたはいつもそう適当なの!!」

 

 なんでこの女はこんなにも軽いのだ!

 

 今助けられた恩すら怒りに燃やし、ローズは叫んだ。

 両親が死に、莫大な負債を背負い、店が傾きかけたその時、誰一人として助けてくれなかった時も、この女は何でもないように目の前に現れ、手を差し伸べて、そして奪っていった!

 本当は、家宝を奪っていった事だってローズにとっては恨めしいことなどではなかった。あれは正当な取引だったのだ。そして返済できなかった自分が悪かったのだ。

 だが、自分を救い、奪って、それだけ自分の人生を翻弄しておいて、なんでもないという様に、どうでもいいというように、目の前から去っていた彼女が許し難かった。ディズにとって自分がなんでもない路傍の石であることがあまりにも腹立たしかった。

 

 救っておいて、奪っておいて、何だその適当な態度は!

 

「軽軽とヒトの人生振り回してさぞかし楽しいでしょうね!!この―――」

「待った」

 

 激情に任せ、理不尽な怒りを叩きつけようとしたその時、ディズかぴたりと手でローズを制止させた。何を、と問おうとすると、ディズはじっと、部屋の中央を見つめる。正確にはその奥、幾つもの魔導具が陳列された棚の上の方を見つめていた。

 

 

                ぐげ

 

 

 なにか、いる。

 棚と、天井の隙間に、小さな何かがいる。何かがうごめいている。恐らくローズの身体の半分もないようなサイズだ。

 しかし、それなのに、何故こんなにも心臓が早く打つのだろう。息が苦しい。あの不気味な、おぞましい死霊術師を前にした時ですら全く感じたことのない圧迫感が、ローズの身体を包んだ。なんだ?何がいる?

 

 

               ぐげげげ

 

 

 小さな何かが、蠢いた。何か一瞬動いたのをローズは視認した。そして、

 

「おっと」

 

 自分の目の前に、ディズの腕が伸ばされた。そしてそこに巨大な、蠢く、軟体の、蛇のような物体が“貫いた”。

 

「…………なっ!?」

 

 顔に生暖かいものが飛び散る。ディズの腕から噴き出した血が自分にかかったのだと理解するのに時間がかかった。

 

「アーカーネー、油断したよね。鎧ならちゃんと守らなきゃ」

《うえー……ごめん》

 

 蛇のような何かがうごめくようにして引いていく。ディズの腕にはぽっかりと穴が開き、そこからどくどくと多量の血が零れ落ちた。絶句するローズを尻目に、ディズはその目を“小さな何か”から逸らさなかった。

 

「要は、とっくに“手遅れ”だったって訳か」

 

 棚の上に隠れ潜んでいた何かが地面に降りる。べしゃりと落ちてくる。そして蠢くように立ち上がる。ぬめぬめとした表皮、頭を半分に割るような大きな口、そこから伸びた牙、小さな翼、肥え太ったヒトのように膨らんだ腹、小さな手足、そして鈍く輝く巨大な目が二つ。

 

 

『ぐげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげ!!!!!!!』

 

 

 幼竜(ドラゴンパピー)は狂笑した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

急転

 

「推測するに、召喚に成功したことに術者が気づかず、無駄骨を折ってた、とかかな。全く、運が良いんだか悪いんだか…」

 

 その生物は、子供という事はわかった。

 小さな手足、小柄な身体、大きな頭。それがどういう生物なのかはわからないが、身体が完成していないアンバランスさを抱えている。ヒトの赤子にどこか似ていた。

 だが、そこに愛らしさは微塵も感じない。歪で、不気味で、おぞましい。胸の奥底から湧き上がってくるのはただひたすら嫌悪感しかなかった。

 

 生物としての本能が拒絶していた。これを愛しく思ってはいけないと。

 

『ぐげ』

 

 その、頭部を真っ二つにするような大きな口から、舌がこぼれる、不気味な蛇のような舌。一体どこに収まっていたのだろうと思うほどの巨大な舌が地面に零れ落ちて、

 

『ぐげ』

 

 次の瞬間、舌が部屋を、空間を、薙ぎ払った。

 

「っ!?」

「盾」

《んにぃー!!》

 

 轟音が部屋に木霊する。

 何が起きたのか、ローズには何も見えなかった。ただ、ディズの紅の鎧の手先が盾のような形状に変化していた。凄い力を受け止めたのか激しく震動していた。

 同時に、部屋の中の半分近くの物が“消えて”いた。散らばっていた幾つもの魔具も、魔石も、バラバラになっていた死霊術師の死体すらもゴッソリと。

 

「【暴食】の配下か、面倒だな」

 

 ディズがつぶやく視線の先、不気味な生物はその肥大した頭を更に大きく膨らませて、もごもごと蠢かせていた。頭だけ不定形の粘魔(スライム)のようになっていて、不気味だった。

 

「なに、してるの……」

「食ってるんだよ。魔石と、あと死霊術師の死体を」

 

 は?と聞きなおそうとした瞬間、小さな生物は動きを止めた。そしてかぱっと口を大きく開いた。そしてその口の中に、一見して魔石のような輝く赤黒い石が存在していた。

 血管のようなものが浮き出て、脈を打っている。まるで心臓のようだった。

 

「あれは……?」

「“元、死霊術師”【熱光】」

 

 次々と変わる状況をローズが飲み込む間は一切なかった。

 ディズは指をピッと指さした。その先から強力な閃光が放たれた。それは奇妙な生物の頭を貫き、更にその奥の壁を貫通し破壊した。闇夜に一条の閃光が流れ星のように奔った。

 

 だが、

 

『ぐげ』

 

 閃光を喰らってなお、奇妙な生物は生きていた。口内の赤黒い魔石を咥えたまま、首を傾げるようにして若干焦げ付いた頭を未熟な足先で掻き、

 

『ぷぺ』

 

 ぺっと、魔石を吐き出した。砦の窓から外へと、

 

「鞭」

《あい》

『ぐっげげ』

 

 再び、瞬間の交差が起こる。

 ディズが握っていた盾が、今度は鞭のようにしなり、吐き出された魔石のようなものを打ち砕かんと伸びた。だが、その直前、蛇のような舌がディズの鞭を弾き、妨害する。

 

 そしてその隙に、魔石は窓から指令室の外に飛び出していった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 カナンの砦の中でも最も薄暗く狭い牢獄。

 盗賊たちが奴隷のように扱っていた人質達の牢獄に出来た、迷宮へと続く穴の底にて。

 

「……うぐ、ぐが」

 

 盗賊たちのボスだったガダは呻くようにして“起き上がった”。

 頭が痛い。そして意識がぼんやりする。意識を失う前に何があったのか、はっきりと思い出せずに、ただ不愉快な後頭部の痛みに彼は頭をしかめた。そしてこうなった原因となる侵入者たちを思い出し、腸を煮えくり返らせた。

 

「クソ…あの、あの餓鬼ども、見つけ出して殺してやる……!」

 

 いや、殺すだけでは飽き足らない。徹底的にいたぶり犯し苦しめた後に奴隷のように虐め殺してやる。死んだ後の死体は死霊術師に玩具にさせてやる。

 真っ黒な情念に突き動かされながら、彼はふらふらとなりながら、穴の上を見上げる。既に人質たちもあの侵入者も去った後なのだろう。既に他の人間の気配はなかった。

 

 “殺さなかったことを”後悔させてやる。

 

 そう思いながら、何とか穴のとっかかりを掴みながら、穴を登っていく。いったいどうやって掘り返された穴なのか、ゴッソリと掘り返され、迷宮の壁伝いに昇るのは中々困難だった。

 悪戦苦闘している間に、他の仲間たちも背後からゾロゾロとやってきた。まんまと全員この穴に突き落とされたらしい。間抜けどもめ、とガダは自分の事を棚に上げ、仲間たちを罵った。

 

「おい、てめえらチンタラしてんじゃねえ!ここを出てあのガキどもを探すぞ!!」

『……が、ぐが、ボ、ボボ、ボズ、あのガキ、がが』

 

 ガダの憤激に対して、彼の仲間たちの返事は淀んでいた。奇妙な、言葉にもならないような声をあげながら、のそのそとした動きでガダの壁登りに追従する。

 

「おお、“そうだとも!ようやくまともな事言うようになってきたじゃねえか馬鹿共!”」

 

 ところが、だ。ガダは仲間たちのうめき声などまるで聞こえていないように、それどころか何故か嬉しそうにしながら、“のそのそとした動きで”壁を登っていく。

 

『が、……ぐげ、ごろ、ごろ、ごろず、ごろ、ごろず、GOGOGOGOGOAAA』

「そうだ!見ていやがれあのガキどもが!絶対に嬲り殺しにしてやる!あの坊主の生首晒しながらあの女をぶち犯してそのまま殺す!!」

『AA……あAAAAAAAAAAA』

「あの死霊術師だって覚悟しろ!あいつがそもそもあんな真似しなけりゃ…!ハハ!!」

『AAaaaaaaaaaAAAAA……ァAAAAA……!!!』

「ハハハハハ!!AHHAHAHAHAHAHA!!!!』

 

 “頭蓋の半分が内側にめり込んだガダ”は、嗤いながら、仲間たちと共にズルズルと、侵入者たちを追いつめるべく穴の中から這い出ようとしていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 カナンの砦、中庭

 

「………?」

 

 真っ先に異変に気付いたのはシズクだった。

 

 盗賊たちの大半をひとまとめにして殴殺し、人質たちを解放した。結界を使い死霊兵の眼から逃れながら、外への誘導を開始していた。敵の陽動、混乱作戦は既に完了していた。盗賊の戦力も大幅に削り、人質を救出した。これ以上の目立つ行動は無意味だ。後は速やかに退散をするのみだ。

 盗賊たちの完全な殲滅はアルトの騎士団に任せればよい。盗賊討伐の名声はウル

達も惜しいと言えば惜しいが、人質を危機に晒して得られる名声などたかが知れている。

 

 故に迷わず、人質達を安全な場所へ誘導する、その途中だった。

 

「シズク?」

 

 大きく崩壊したカナンの砦の中庭に移動している最中、シズクがピタリと足を止めたのだ。そしてじっと、中庭から見上げるように建っている司令塔を見つめる。

 

 どうしたのだ、と声を再びかけようとすると、その前に、

 

「ウル様」

 

 シズクは振り返り、駆け寄り耳元に口を寄せ、小さな声でつぶやいた。

 

「大変です」

 

 その言葉に、ウルは嫌な予感がした。

 

「なに、アレ」

 

 人質の女が一人、戸惑うような声をあげた。自然とウルもそちらに視線が向かう。司令塔の頂上付近から、何かが飛び出した。この闇夜の空にもわかるくらいに不気味に輝く赤黒い石。魔石のようにも見えるし、心臓のようにも見えた。

 飛び出してきた“ソレ”はそのまま落下することもなく、空中で速度を落とし、その場にとどまり浮遊する。そして、まさしく心臓のように脈を打った。

 

「なんだ?」

 

 ドクンという大きな音が辺り一帯に響く。砦を取り巻く結界中に木霊するようだった。異常な事態が起こっている。ウルとシズクは連れ出した人質たちを両端からかばうように周囲を警戒した。

 

『『『KAKAKAKAKKAKAKAKAKAKAKAKA!!!!!!』』』

 

 間もなくして、その警戒が正しかったことが示された。

 

 中庭の幾つかの出入り口、そして崩れた瓦礫から死霊兵たちが突如、あふれかえるようにして出現した。十や二十ではきかない量の骨、骨、骨、いったいどこに潜んでいたのだろう。島喰亀や、砦の中で見掛けた数とは比べ物にならない規模の死霊兵が出現した。

 

「ヒ…!」

「静かに」

 

 不可視の結界の中で驚く人質たちの声をシズクが抑える。シズクの結界は視界のみならず、音や魔力すらも遮断する。少なくとも。死霊兵どもの目には止まることはないはずだ。それは既に先の奴隷部屋の不意打ちが成功したことで証明された。

 故に、息をひそめ、中庭の隅で様子を窺う。人質を連れての突破は到底不可能な数の死霊兵が集まっている。やり過ごし、上手くこの場から離れるしかない。そのためにも隙を窺わなければ―――

 

「う、うわああああああ!!」

「あれは……」

 

 死霊兵たちとは別方向から、盗賊たちが姿を現す。先ほどまで怒りの形相で、此方を追いかけていた彼らは、今は恐怖に顔を歪めて逃げ惑う。

 

「ど、どうしたんだお前ら!や、やめぎゃあああ!!!!」

 

 正確に言えば“盗賊たちだったもの”から。

 

『GAAAAAAAAAAA……AAAAA!!』

 

 仲間たちの首を食いちぎり、血を啜りうめく盗賊“だった”ものたち。

 頭に岩石をめりこませながら、あるいは首をあらぬ方向にへし折りながら、死霊兵たちに混じりながらずるずると中庭の中央へと歩いていく盗賊たち。その目は白く濁り、そして傷口は真っ黒になって一滴も血がこぼれ落ちてこない。

 

 そういう特異な体質のヒトでないというのなら、間違いなく彼らもまた死んでいる。

 

 “死霊兵”だ。しかし、ウル達が彼らを殺して時間も経っていない。にも拘らずその短い間に彼らの死体を死霊術師が利用した?そんな暇はないはずだ。で、あれば

 

「予想通りどの程度の割合かは知らないが、もともと“死んでたな連中”」

 

 事前の予想はついていた。故に驚きはない。死霊兵たちの観察をウルはつづけた。突如としてこの中庭に集った彼ら。ウル達を見つけたのではないとするなら、やはり原因はあの天に浮かぶ“赤黒い魔石”だろう。

 

『KAKAKAKAKAKAKAKAKAKA!!』

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 死霊兵、そして蘇死体(リビングデッド)、彼らは瞬く間に集まり、積み重なるようにしてどんどんと天高くにある魔石へと群がり、そしてあっという間に一塊になってしまった。すでに赤い魔石の姿は見えない。脈動と共に放たれる不気味な光だけが定期的に周囲に迸った。

 状況は、まったくの不明。だが、死霊兵達がこっちに敵意を向けていない事だけは確かだ。ウルはシズクに目くばせし、結界の中にいる十人くらいの人質たちに潜めつつ声をかける。

 

「皆、今のうちに移動する。ついてきてくれ」

 

 結界の術師であるシズクを先頭にし、全員がぞろぞろと移動していく。最後尾にはウルが警備にあたる。と、人質たちの最後列、先ほどウルと話していた年老いた男が立ち止まっていた。

 

「どうかしたか?早く先に」

「彼らは何をしているのかわかるかの?」

 

 男はウルの方を見ず、死霊兵たちと、そして天で脈動する魔石を注視している。

 

「彼らはのう、崇めているのだ。新たな主を』

「―――」

 

 そして男は、ぐりんと首をウルへと回し、そしていつのまにか握っていた大剣をウルへと振り下ろした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼の者

 

 

「“盗賊たちの何割か”が既に死亡している可能性が高い」

 

 その話題が出たのは、砦攻略の作戦会議の最中だった。部屋に持ち込んだ大量の書類を睨みつけていたディズが唐突にそう告げた。

 

「死亡、している、ですか?では盗賊たちは死霊兵であると?」

「そうだね。蘇死体(リビングデッド)の類とは思うけどね」

 

 骨だけの死霊兵たちと違い、肉を持っている。腐る前の死体を、あるいは腐り落ちた血肉を他の動物の血と肉で補って作り出された人形だ。

 血肉が残っている分、動きは死霊兵と比べ力強い。また、術師は細かく分けた自分の魂ではなく、もともとの死体の魂を利用する場合もある。

 だから、蘇死体は自分の意思である程度動くし、“死んでいると気づかない”事もある。

 

「しかし根拠は?」

「はいこれ、冒険者ギルドからもらってきた過去の【依頼(クエスト)】報告書」

「こんなもんまで……」

 

 冒険者ギルドからこういう情報収集も出来るのだ、とウルは記憶しながらその中身を確認する。パラパラと眺めていくと、二年前に発生した都市外の強奪事件の件だった。

 

「犯人は数年前に追放処分を受けたアルト国出身の犯罪者、何件かの小規模の強奪被害が発生し、商人ギルドが冒険者ギルドに討伐を依頼、カナンの砦周辺で犯人と同特徴の追放者発見、襲撃、相手に5人の死傷者を確認後、魔物の襲撃が重なったため撤退……」

 

 読み進める、そしてディズが指摘したいであろう場所を見つけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 成功、つまり冒険者ギルドは盗賊たちの討伐は成った、と考えたわけだ。だが、今回島喰亀の被害が発生した。では冒険者ギルドの判断が誤っていた?無論そういうこともあるだろう。しかし、仮にも現在の世界で最大規模のギルドの判断だ。そこには一定の信頼がある。

 

 この討伐成功とは、()()()()()()()()()()と見るべきだ。

 

「少数だったという事でしょうか?」

「それもあるし、5人の死傷者が出た程度でほぼ間違いなく崩壊しうる程度の集団だったという事だろう。なにせ都市の外だ。ウル、君は都市の外で何年も生き残ることは出来るかい?」

「無理だ」

 

 ウルは即答した。そう、ムリだ。準備をし、食料を確保し、都市と都市の間を移動する事なら出来る。だが、生活を築くのは不可能だ。日々魔物に襲われ夜も眠れず、食料の確保もままならない。早々に疲れ果て、魔物に食われるのがオチだ。

 10人20人集まろうと、都市の外で【太陽の結界】なく暮らしていくのは困難だ。だからこの世界のヒトは城壁を作り、結界を張り、その狭い土地の中で暮らしている。

 

「少数の追放者たちで構成された盗賊。多分盗賊行為自体、生き残るための苦肉の策だったんだろう。更にそれが冒険者によって崩され、死者が出た。崩壊は確実だし、実際それ以後、盗賊被害は出なかった。島喰亀の一件が出るまでは」

「では、今回の盗賊は以前カナンの砦で出た盗賊とは別の盗賊という事ですか?」

「ところが、君が発見した小人のエセ商人から面白い話を聞けた」

 

 曰く、エセ商人は、盗賊たちとはずいぶん以前からの顔見知りであったのだと証言したらしい。

 2年以上前からカナンの砦を根城にしていた盗賊者たちであり、そしてその時から自分は彼らに物資を融通していた。しばらく姿を見せなくなっていたが、急にまた顔を出して、商売を要求してきたのだ。と、彼は言っていた。

 都市国への背信行為についての減刑のための必死の証言だ。嘘はないだろう。と、ディズは言う。

 

「……つまり、同一人物?」

「多分ね。姿を見せなくなったのは、恐らく冒険者に討伐された時だろう。そしてしばらく間を空けて、再び姿を見せた。しかも、死霊術師が傍にいる。これだけの情報が揃ったら、死者と疑わない方がおかしいよね」

 

 全員が、ではないだろうけど、と、ディズは付け足した。少なくともグリードからの連絡を聞く限り、アカネが生かして捕らえた盗賊は、文字どおり生きていたらしい。

 

「でも、骨だけの死霊兵と違うとはいえ、死んでるんだろ?エセ商人相手にどう誤魔化したんだよ」

「幻術の類かな。死霊術師はよく使うよ。蘇死体だけじゃなくて、普通の死霊兵だって、生きたヒトらしくみせかけることだってできるだろうさ」

「一見して区別はつかないって事か。まあ、生きていようが死んでいようが手加減なんてする余裕は無かろうが……」

 

 と、ウルが考えていると、隣で聞いていたシズクは少し困ったような顔をしていた。どうした?とウルが問うと、

 

「盗賊だけではなく、人質の皆様にも警戒が必要になるかもしれません」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして現在

 

『ほう』

「……っ!!」

 

 ウルは壮年の男が軽々と振り下ろした長剣から繰り出された斬撃を受け止めながらも、戦慄した。咄嗟に宝石人形の盾で受けきったが、男の剣撃は明らかにウルの技量を上回っていた。盾で受けきったはずなのにその衝撃が足まで届いた。震えと、汗が噴き出す。

 先ほど相手していた盗賊たちとは全く違う。達人の剣技だ。

 

 だが、

 

『凌いだ。驚いたの。完全に意識の不意を突いたつもりであったのだが』

 

 ウルはその相手の不意打ちを完全に防ぎ切った。

 

「な、なに?!」

「あのヒト、体が……?!」

 

 人質たちから悲鳴と混乱が巻き起こる中、男の姿が変わる。人畜無害そうな、年老いた皺の入った男の顔が掻き消える。幻術がかかっていたのだろう。その下から現れるのは死肉ではなく、死霊兵たちと同じ骨の身体。しかしそこらに群がる死霊兵よりも一回り大きかった。更に人骨で出来た鎧を纏っている。

 

「ウル様」

「結界を維持して、中庭から離れてくれ。こっちは【聖水】で凌ぐ」

「時間にお気をつけて」

 

 シズクに指示を送り、ウルは薬瓶をポーチから取り出し、飲む。

 聖水、魔除けの加護、要は魔力の気配を隠す効果を持つ魔法薬だ。当然眼で目視されれば意味はない。が、死霊兵のように“目”が効かず、魔力探知で人を襲う五感を持たぬタイプには有効だ。

 高価であり、時間制限があり、アルトの騎士団も必要としてたこともあり、数もあまり用意できなかった。

 

『むう、お主が見づらくなったな。何かしたのか』

「別に、何も」

 

 しかし、目の前の死霊兵にはあまり効いていない。単なる死霊兵ではない。先ほどからカタカタカタ、と頭蓋骨が動き、声が伝わってくる。目の前の死霊兵がしゃべっているのだ。その他大勢の死霊兵のような魂なき操り人形ではない。意思がある。

 

「蘇死体でもない。なんだあんた」

『死霊騎士(スケルトンナイト)というらしい。ワシは詳しくはないのだがの』

 

 死霊騎士。死霊兵は魂すらない、魂の入れ物だった外枠に術師の魂を込めて操るだけの人形だ。しかし騎士は蘇死体と同じく、もともと込められていた魂そのものが使われている。世界に還らず留まった強い魂を利用した、強靭なる魔物。

 

 魔物の等級、十三階級の内、十級。宝石人形と同じ。ウルは警戒を強めた。

 

『しかしお主にも驚いたの?先ほどから動きを観ていたが、まだ戦いに身を置きはじめて間もないだろう。随分とぎこちない。にも拘らず一撃を防いだ……気づいていたカ?』

「人質に死者が紛れ込んでいた可能性は予想した。その中であんたは男で、ガタイがよくて、人質のように見えなかった。警戒して当然だ」

 

 ウルはもつれそうになる舌を回しながら、時間を稼いでいた。ディズが死霊術師の暗殺を成功させれば、目の前の状況はすべて解決だ。基本的に目の前の死者の群れも、この強靭な死霊騎士も、術師さえ消えれば解放されるのだから――

 

《はろ、ウル。聞こえる?》

 

 そして、耳元から魔具を通したディズの声が届いた。ウルははやる気持ちを抑え、答える。

 

「聞こえる。死霊術師は?ローズはどうなった?こっちにはいなかったが」

《単刀直入に言おう。ローズは救えたが他は手遅れだった。術師は滅せていない》

 

 その答えにウルは息をのみ、そして幾つかの言葉を巡らせ、腹から息と共その言葉を全て残らず吐き出した。

 

《怒ってもいいよ?》

「……俺達や、騎士団の尻に鞭を打って、急かしたのはディズだ。そのアンタですら間に合わなかったというなら、それはもう誰にも間に合わなかったろうよ。で、どうする」

 

 余計なことを言いそうになる己を律し、ウルは問う。術師が滅せなかった。どういう状態なのかは不明だが、少なくとも目の前の骨どもがいきなり糸の切れた操り人形のように崩れおちることはまずないだろう。で、あれば次の策を考えねばならない。

 

《君は連れ出せるだけの人質を連れて今すぐこの砦から脱出してくれ》

「お前はどうする気だ」

《勿論後から逃げるさ。残るは騎士団に任せるよ。これ以上踏ん張る義理もないし“にぇ”》

 

聞こえてきたその声に、ウルは眉をひそめた。

 

「……今噛んだか?」

《噛んでない》

「何動揺してんだ。俺達だけ逃がす気か」

《……》

「ローズは見つかったんだろう。あとは全員連れて逃げれば一応目的達成だ。なのに何故逃げない。逃げたら何が起こるんだ」

 

 ディズの虚言を無視してウルは話を進めた。ディズは何か悩むようにしばらく唸っていた。その間魔具越しに彼女の周囲から激しい金属の擦れるような音が繰り返し鳴り響いていた。

 

《……後悔するよ?》

「もうとっくにしている。はよ言え」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルは、再び息をのみ、そして先ほど以上にたくさんの言葉が頭の中で洪水のように巻き起こった。そして、絞り出すように声を吐き出した。

 

「……手伝うから、なにをしたら、いいか、言ってくれ」

《だから後悔するって言ったじゃん》

 

 うっさい、と呻く。そんな話を聞いて「じゃあ俺達は逃げるな」って言えるわけがないだろう。ああ、だから何も聞かずに逃げるようにと取り計らってくれてたのかありがとうございます!!とウルはヤケクソ気味に心の中で吐き出した。

 

「で、何をすればいい」

《―――いいだろう、じゃ付き合ってもらおうか。そっちで赤黒い魔石見なかった?》

 

 ウルはすぐに思い当たった。今や死霊兵の巨大な塊となったソレに目を向ける。

 

「見えて“いた”。死霊兵と蘇死体が続々と群がって一塊になってる」

《それ壊して》

「まーじか」

 

 出来るかいボケェ。

 

《その赤黒い魔石は死霊術士“だった”ものだ。それを壊さないと死霊が崩壊しない》

「俺達で倒せるのか」

 

 死霊術士が自分たちには手が余るから、ディズが戦うことになっていた。その役目をいきなり自分たちができるのかわからなかった。

 

《死霊術師本人は殺している。あの魔石はその“残骸にしがみついていた魂”を利用した魔石だ。卓越した死霊術も使えない動力源だ。魔物の魔石と同じものだと思えばいい》

「全ての死霊兵たちの核か」

 

 元々死霊術師とはそのようなものと言えばそうだ。姿かたちまでそのものになったのだ、と思えばまあ分かりやすい。

 

《追加情報。術師の魔石には恐らく【暴食】の【竜】の加護がついている。》

「暴食……【竜】?!」

 

 竜、という単語に思わず聞き直そうとするが、ディズはそれには答える間もなく矢継ぎ早に言葉を続ける。

 

《特性は【捕食】と【膨張】だ。喰らうモノがあれば際限なく拡大する。エサを探し求めて都市に向かうだろう。何かを喰われる前に潰せ。後は司令塔には近づくな》

 

 最後の方は彼女もいくらか早口になり、通信はブツンと切れた。その直前では金属の擦れるような轟音が一際に大きくなっていた。向こうでも何かろくでもないことが起こっているのは間違いないらしい。

 

 魔石を、破壊する。暴食の竜、何かを喰らう前に。

 

 次々に与えられた情報を何とか飲みこむようにウルは頭を振るう。そして改めて前を向くと、対峙していた死霊騎士はといえば、

 

『終わったかの?』

 

 そんな風に尋ねながら、自身が握っている長剣をのんびりと眺め、素振りをしていた。一見すると、都市城壁で暇そうに見回りする騎士か何かにすら見えるほど、人くさい所作だった。

 

「わざわざ、待ってたのか?」

『人の会話に割って入る趣味はないわ。元より、あの術師の道具として扱われるのは不本意じゃからの』

「その割に、さっきは不意打ちに殺そうとしてきたが」

『突然命令が割り込まれ、抵抗できなかったのだ。許せ。カカ』

 

 骨をカタカタカとならし、そしてゆらりとこちらに向き直る。途端、体が重く感じるような圧力が体を包んだ。

 

『そして今もまた、どうやら抵抗はこれ以上は難しいらしい。腹が立つの』

「ちなみに、どんな命令なんだ?」

『“喰らえ”だ。』

 

 剥き出しの並びの良い歯がガチンガチンと音を鳴らす。この場合、肉野菜を用意すれば満足するかといえばそんなわけもないだろう。彼の頭上では赤黒い魔石、死霊術師の核がさらに強く脈動する。

 

『KAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKA!!!!!』

 

 集った骨たちが魔石に吸われ、そして一個の塊となる。最初は多量の骨の球体。だが、そこから何かが伸びる。それは腕となり、足となり、体となり、そして頭となる。

 異様な光景だった。同時に、死霊の騎士は剣をゆらりとこちらに向ける。

 

『ちなみに貴様は美味いのかの?』

「知らん。食ったことも、食われたこともない」

『では、確かめよう』

 

 地響きがする。背後のヒトガタが形を成し、そして降りてきた。島喰亀を襲撃したものと同じ、無数の骨が積み重なってできた、餓者髑髏(ギガントスケルトン)、そしてそれを従えるようにして立つ、死霊騎士(スケルトンナイト)

 

『死霊どもに食い散らかされたくなくば死に物狂いで足掻けよ小僧』

「心配するくらいならそのまま自害してくれ」

 

 

  ―――死霊の軍勢戦 開始―――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 司令塔、死霊術師の部屋

 

「……よし、さて、待たせたね」

『ぐげげげ!!』

「ああ、そういえば君は全然待ってくれてたりはしなかったね」

 

「…………!!」

 

 ローズの眼前では激闘が続いていた。

 ローズをかばうように前に立っていたディズは、彼女を守り続けていた。あの奇妙でおぞましい生物の猛攻は、ディズがどこかへと連絡を取っている間も全く緩むことなかった。

 

『げっげげげっげげ!!』

 

 あの生物がいったい何なのか、ローズには全く分からない。わかっているのは、あのバケモノが攻撃を繰り返すたびに、徐々に体を肥大化させていくということだ。

 

『げっげげぎぎぎぎひひひ』

 

 あの気色の悪い舌が空間をえぐるたび、幼子のような短い手足が長く伸び、爪が醜く光る。胴が更に二回りと大きくなり、背中からは蝙蝠のような翼が伸びる。そのたびに攻撃の速度は増していく。瞬く間に強くなっていくのだ。

 

「あたたたたたたた!っと」

 

 それを、ディズはひたすら凌いでいた。目にも止まらない速度で剣をふるい、四方八方から繰り出される舌の猛攻を一つ一つ弾き飛ばしていた。彼女の剣速それ自体は、決してあのバケモノが振り回す舌に劣るところはなかった。だが、それでも

 

「んん……!」

 

 ディズの体の彼方此方を抉られていく。衝撃音が響くたび、血が飛び散る。凌ぎ切れない暴力の嵐が確実に彼女の身を抉っていた。その理由もわかっている。彼女がローズを守るため、その場から一歩も退こうとしないからだ。

 

「ディズ!!!」

「動かないで、陣がぶれるから」

 

 思わずローズは叫ぶ。が、激音を縫うようにディズの声が耳に届いた。そして気づく。彼女の紅の鎧の足先が針のように伸び、そしてこちらの足元に術式を刻み円を描いていく。精緻で、複雑な、幾重にも重ねられた式によって構築された魔法陣。

 

「【白結界】」

 

 カン!とかかとで術式の端を踏む、同時にくるんと彼女は一転し、魔法陣の中に転がり込んだ。完成された結界が淡い光を放ち、ディズとローズの身体を守るようにして包み込んだ。

 

『ぐぎいいいいいいいいいいいいい!!!』

 

 それを嫌がったバケモノが、逃すものかと言わんばかりに舌を伸ばす。だがディズへと一直線にとんだ舌は、彼女を捕らえなかった。間違いなくディズの背中をえぐるようにして伸びたはずのその舌は、なぜか彼女の身体を通り抜けて、向こう側の壁だけを抉った。

 

「あた、らない?」

「“ズラ”してるからね。さて」

 

 と、彼女は手のひらをかざすと、赤紅の鎧が解け、そこからばらばらと細かい、しかし大量の魔石があふれだした。戦いの最中、儀式に使われていた魔石を掠めていたらしい。それを結界の中心に積み上げた。

 

「これだけ魔石があればしばらくはこの結界でも持つ。ローズは此処から動かないで」

「……って、貴女は」

「怪我治し終わったら出るよ。アレが飽きて別の所に行く前に動かないといけない」

 

 そう言いながら、ディズは紅の鎧を指でつかみ、脱ぎ捨てた。まるで液体が滑るように、奇妙な解け方をして晒された彼女の身体は、先ほどローズが見ていたよりもずっと多くの傷があった。鎧で押さえられていた傷が晒され、そこから大量の血が零れ落ちた。

 

《ディズ!ち!》

「へーき。治癒術で治せる」

 

 脱ぎ捨てられた彼女の鎧自体が声を発している。“知恵の武器”の類だったのか、それはローズにはわからなかったし、その事は別に彼女にとってもどうでもよかった。

 問題なのは、これほどまでの傷を負いながら、彼女が自分を守ったということだ。

 顔を見合わせれば悪態しかつかなかった自分を。

 

「……どうして、そうまでするの」

「ん?」

「私は、貴女に救われるような筋合いは、ないわ」

 

 救われるような筋合いは、権利は、資格は、自分にはない。そんな血塗れの怪我だらけになってまで、彼女に救われるようなことをした覚えはないのだ。

 恨まれ、嫌悪され、侮蔑される覚えはある。事あるごとにつっかかり、時に悪評を流し、くだらない嫌がらせをした。だというのに、何故、そんな血塗れになってまで、彼女は自分を守ろうとする?

 

「だーから、どうして皆同じこと聞くのかなーっと。よいしょ」

「なにを……」

「ま、確かに私は君の家宝を悪辣な手段で奪い去った。君は私を恨んでいる。嫌がらせも山ほど受けた。私の方だって君に良い感情を抱いていない」

 

 でもね、と、ぽんと頭に掌を置かれる。まるで子供にするようなしぐさにローズは手を除けようとした。そうしようとして、彼女の顔を見た。

 彼女は微笑んでいた。優しく、慈しむように。

 

「なにも、死ぬことはないだろう?」

 

 それは、慈悲だった。親が子に注ぐような、庇護すべき者へと向けた、無償の愛だった。

 

「ディ……ズ」

「神は天にいまし、世はすべて事もなし、とはいかない。唯一神がいても世は騒乱に満ち、多くの弱者は悪意に軽々しく翻弄され、振り回され、踏みにじられる」

 

 それでも、と彼女はローズの頬を撫で、額に口づけする。途端、彼女の瞼は重くなり、ぐらりと意識が遠のいた。まって、と、手を伸ばす先にいる彼女は既に、鎧を纏いなおし、剣を構えていた。

 

「死ぬことはないじゃないか。失われなくたっていいじゃないか。私はそう思うよ」

《だからからだをはるの?》

 

 結界から足を踏み出して、バケモノと対峙するディズに、アカネが声をかける。

 

「自分のしたいことをするのに身体を張るもなにもないよ。ただの身勝手さ」

《そうなん?》

「そうとも。さて、アカネ」

 

 アカネが生み出した剣をディズが構える。手出しできない結界から飛び出してきた獲物を前に、バケモノは嗤っている。その濁った眼には相手を嬲り喰らう欲望しか浮かんではいなかった。

 決して存在してはいけない悪意がそこにあった。

 

「君の全能を私に寄越せ。さもなければ死ぬよ」

《にーたんが?》

「ウルも、シズクも、アルトの住民も、ここで“アレ”を止めなきゃ何もかもが、死ぬ」

《いーわよ。しょーがない“せかい”ね》

 

 そうだね。とディズは微笑んだ。

 

「でも、私はこんな世界が好きなんだよ。そこそこね」

 

 そう言って彼女は笑みを消し前を見据える。剣を構え、左手の甲を竜へと向ける。

 

「我、世界の守護者、七天が一人 【()()】」

 

 紅の鎧越しに、浮かび上がった魔名が輝く。彼女を顕す刻印が手から腕、体を巡りその背へと翼のごとく浮き上がる。後ろで眠る少女を、その先の世界のすべてを守り包むような眩い輝きを、竜は忌々しげに睨み、そして咆哮した。

 畏怖を与える喚き声にも一切怯まず、ディズは静かに宣告した。

 

「凶星を断ち、世の平穏を守らん」

 

 ―――天賢王勅命(ゼウラディアクエスト) 竜殺し開始―――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊の軍勢戦

 

 餓者髑髏と死霊騎士、両方と対峙したウルは、早くも帰りたくなっていた。

 

『GAGAGAKAKAKAKAKAKAKAKAKAKA!!』

『さて、小僧。ちゃんと我らの遊び相手になってくれるのか?』

 

 宝石人形より更に一回り巨大な餓者髑髏、そして歴戦の雰囲気を漂わす強靭な死霊騎士、この二体と対峙し、確信した。この状況はウル一人の手には負えないと。

 自分の実力は知っている。素人に毛が生えているにすぎない凡人だ。“指輪”を獲得し一人前の冒険者として認められたが、実力も足りてない。

 故に、

 

「……断る」

『っむ?』

 

 ウルは懐から取り出した“モノ”を投げつけた。死霊騎士はそれを剣でもって叩き落とし―――

 

『カッ!?』

 

 途端、死霊騎士がバチリと弾かれる。そしてそのまま雷に打たれたようにその場から身動ぎしなくなった。

 

「【退魔符】」

 

 今回の討伐任務にあたり、死霊兵対策をしないわけがなかった。

 そのまんまな名の通り、効果は多くの死霊系の原動力となる魔力の霧散。魔力を血肉に変換した魔物には効果が薄いが、魔力そのもの、あるいは魔力で器を動かす死霊系への特効だ。

 ただし、効果的であるがゆえに今回の件で戦闘準備を始めた騎士団にほぼ全てを持っていかれたため、ウル達が手に出来たのは10枚ほどだ(これでもかなり融通してもらった結果である)

 

 だが、やはり効果は絶大だ。死霊騎士の動きを見事に封じた。

 

「遊びならあの世でやれ爺」

『ぬっ――――』

 

 そのままウルは竜牙槍で死霊騎士の胴を貫き、砕く。ぐらりと崩れる死霊騎士の身体を上から力任せに振り下ろした槍で叩きつけ、更に砕く。二度、三度、四度、跡形が完全になくなるまで繰り返し叩きつけ、そして小石のように粉々となった騎士の姿を見てウルは満足する。そして上を見上げた。

 

『GAGAGAAKAKAKAKAKKAA!!!!』

「まともにやってられるかこんなもん!」

 

 宝石人形よりもさらに巨大な餓者髑髏は此方に気づいてるのか、ぐらりと体を曲げ、そしてずるりとゆっくりこちらに手を伸ばしてくる。ウルは竜牙槍を構えた。

 

「咢開放、【咆哮】」

 

 ためらわず、竜牙砲を発射する。闇夜の中で輝く白い閃光が赤黒く脈動する巨大な死霊兵の、その胸元に吸い込まれるようにして叩き込まれる。

 

『GAGAKAKAKAKA!!』

 

 幾多の骨が砕け散る音。光はそのまま体の中心で輝く魔石の下へと届―――

 

「とど……かない!?」

 

 中心部、竜牙槍の“咆哮”が叩き込まれた中心部に骨が集まっていく。餓者髑髏は巨大な一体の人骨ではない。動物、人、問わず幾多もの骨を器とした集合体だ。それが一か所に集まり、塊り、まるで盾のようにして”咆哮”から魔石を守っている

 

『GAAGAGAGAGAAAAAAKAKAKAKKAKA!!!』

 

 エネルギーの放出が途切れ、徐々に光が細くなる。餓者髑髏の身体を構成する骨は次々焼け落ち、砕けていく。だが、中心の魔石には届かない。幾重に重ねられた骨の防壁が衝撃をかき消し続けた。

 

『GAGAGAGAGAAAAAA』

 

 咆哮の収束と同時に、餓者髑髏が膝をつく。正確には魔石を守るため骨が障壁となって削られ、失われたのだ。身体の彼方此方が欠落し、満身創痍のように見える。

 だが、

 

『KA――――――』

 

 赤い光が再び輝く。砕け散り、地面に散らばった骨が、その光に呼応するように再び動き出す。最初、死霊兵たちが魔石へと群がったのと同じように、欠落した部分に粉砕した骨が集まり、形を成していく。瞬く間に餓者髑髏は回復した。

 

「そんなんアリか……」

 

 ウルは心の底から呻いた。回復前に追撃、と言いたいが竜牙槍は連発は出来ない。放熱と魔力の充填をしなければいけない。しかも砦への侵入と、盗賊達を嵌める落とし穴の作成、そして今回の最大放出で計3回つかっている。恐らくあと一回が限界だ。

 と、考えているうちに、ウルへと向かって餓者髑髏の腕が大きく振りかぶられ、そして叩きつけられようとした。

 

『GAKAAAーーーーー!!!!!』

「……!!」

 

 ウルは全力で地面を蹴り、逃げる。背中に迫る巨大な破壊の音に振り返ることもなく、駆け抜けた。

 

「くそったれ……どうする?どうすればいい!!」

 

 泣き言のような疑問が口から零れ出すが、その疑問に対して答えてくれるものはいない。どうすればいいか、現状の打破と解決はウル自身が見出さなければ、死ぬだけだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その頃、シズクは人質たちを連れ城壁の外へと移動していた。

 と、言っても、砦全体を護る結界の外に出るわけにはいかなかった。完全に出てしまえば魔物達の脅威があるし、内側から外へと出ることは叶うとしても、一方通行だ。シズクがウルを支援しに戻るにはまた地下迷宮を単独で潜る必要が出てくる。それは厳しい。

 故に、あくまでも砦と結界の狭間の、人目に付かないところに人質達をシズクは誘導し、そして結界を発動させた。

 

「【風よ唄え、悪しきの目を眩ませ、不可視結界(インビジブル)】」

 

 不可視の結界が救助された人質たちの身体を包む。更に携帯鞄から結界維持のための依り代となる魔石を一つ、中心に据えた。

 

「それでは皆様、ここに隠れていてくださいね」

「シズク“様”はどちらへ?」

「ウル様の手助けに」

 

 現在、砦の中ではウルがたった一人で奮闘している。彼を一人にすることは決してできない。急ぎ戻り、共に戦わねばならない。そのためにはどうしても人質たちが邪魔になる。

 その言葉に、人質の女達は顔を顰めた。

 それは、護ってくれていたシズクが居なくなる事への恐怖ではない。怒りだ。今も砦の中に居る、自分たちを悲惨な目に遭わせた連中に対する憎悪が彼等の表情に渦巻いている。しかしそれが自分たちだけでは行くだけ無駄だという無力感が、憎悪を膨らませている。

 

 その憎悪を煽ったのはシズクなのだが、このままでは少し危うい。どうするか、と考えていると、不意に人質達の中から二人、手が挙げられた。

 

「私たちも手伝えるよ」

「いけ、ます」

 

 二人組の女たちだ。人質達の例にもれず姿は痛々しく傷があちこちに残っている。が、見れば体つきがしっかりしている。魔物を殺し、魔力を獲得した闘う者の身体つきだ。

 同業者だ。シズクは理解した。

 

「貴方達は島喰亀の護衛の方々ですか?」

「うん……依頼人は守れたんだけど、私達の方が無様に捕まった。武器も何もかも奪われてさんざんやられた。やり返してやりたい」

 

 装備もあのクズどもから奪ったしね。と体格には若干合わないものの兜や鎧、剣を構えてみせる。隣で彼女の同行者も頷いた。顔色は悪いが目の色はしっかりしている。

 

「か、彼女はニーナ。け、剣士、です。私はラーウラ、魔術師。魔道具、杖、奪われてしまったけど、それでもいくつか魔法、使えます!」

 

 シズクはちらっと彼女らの指を見る。ウルやシズクのような指輪はない。銅の指輪すら持たぬという事は、まだ冒険者になって時間も経っていないのだろう。

 尤も、ウル達とて冒険者になって一月と少しだ。宝石人形撃破で魔力は大きく得たが、それほど極端に差があるわけではあるまい。

 人手は多い方がいい。シズクは頷いた。

 

「どうか、皆様の想いを背負っていただけますか」

「ああ、いいとも」

 

 シズクの“言い方”に対して、ニーナは強くうなずいた。他の人質の皆を納得させるためにも必要な言葉だった。彼女はシズクの意に沿うようにして他の人質たちの顔を見つめた。

 

「お前らの仇はきっととってやる。だから、じっとしてろよ」

 

 憎悪に染まっていた人質の女たちも納得したらしい。お願いします!と何人も震えるような声で願いを託していった。

 

「行きましょう」

 

 そうして助けを得たシズクは再び、死霊蔓延るカナンの砦へと突入した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊の軍勢戦②

 

 

 カナンの砦、元宿舎跡2階

 

 ウルは逃げ込み飛び込んだこの場所で、崩れた壁の穴をのぞき込み、中庭を注視していた。中庭の中心には餓者髑髏がうごめき、そして竜牙槍で穿たれた身体を回復させていた。

 ウルの竜牙槍で破壊した身体は、その全てが瞬時に回復しきっていた訳ではない。ウルを近くから追い払った後で、再び餓者髑髏は自身の回復に専念していた。

 だが、上半身と比べて下半身の回復がやや遅い。だからこそウルは容易に逃げ切ることが出来た。

 

『GAKA……』

「……」

 

 ウルは見る。観察する。

 己よりも強大なものに挑むとき、観察と理解は必要だと宝石人形戦で経験した。

 

 死霊兵の本質は魔力の操り人形だ。骨に死霊術士が自らの魂を込め、自在に操る。

 

 つまり骨は魂を入れるための器だ。

 そして餓者髑髏は骨の、器の集合体である。

 

 下半身が回復しないのは、もしや器が破壊され、足りないからでは?

 

「器を破壊し続ければ、そのうち再生できなくなる、か?」

 

 島喰亀に出現したときのように、人質を取り込み盾とする、なんて真似も今は出来ない。人質は既にウル達の手で救出している。ならば、地道にでも攻撃を繰り返せばいずれ器を失いあの巨大な人型は瓦解するはず。

 

「……いや、まて?そもそも今、急ぎで倒さなければならないのか?」

 

 全力疾走でここまで来たのは、ローズの救出と死霊術師が行おうとしていた陰謀の阻止のためだ。そして結果としてローズは救えたが、死霊術師の陰謀は防げなかった。

 

 間に合わなかった、という結果が出た以上、もう急ぐ必要はないはずだ。

 

 餓者髑髏も竜牙槍で破壊され身動きが取れないでいる。都市に向かおうとする手段さえ入念に潰せば、後は騎士団の偵察係と連絡を取り、アルトで出撃準備を進めている軍と連携して―――

 

『それはむずかしそうだの』

「あ?」

 

 首筋に走った怖気と共に、ウルは反射的に盾を首筋に構えた。瞬間、強い衝撃が腕に走り、ウルはその力に地面にたたきつけられた。

 

「なんっ!?」

 

 倒れ込み、仰向けに目を見開くと、目前で剣先が鈍く輝いていた。逃げようとしたが、何かがウルの身体を挟み込み、動きを封じている。逃げられない!。

 ウルは盾を再び構えた。首は鎧が守っている。心臓も同じ。

 

 ならば狙われるのは、顔、眼!!

 

 宝石人形の盾が顔を守るのと、剣が盾を突くのは同タイミングだった。甲高い音が周囲に響く。防いだ衝撃が腕から全身に伝わる。盾はヒビ一つなく、攻撃を防いだ。ウルはグリードの黄金槌の職人に心の底から感謝した。

 

『ほう、盾ごと目ん玉まで貫く自信があったのだが、良い盾だの』

 

 ギリギリと盾越しに押し込まれる刃を押さえながら聞くその声には覚えがある。というよりもつい先ほど聞いたばかりだ。

 

「……なんで蘇ってんだ骨爺、早く太陽神(ゼウラディア)の御許に召されろよ」

『あんな外道やバケモノに行使されている以上、難しそうだがの』

 

 死霊騎士だ。先ほど木っ端みじんにその身体を砕いたはずの騎士が再び復活していた。

 器は砕いた筈だ。依り代が無くなれば、魂が解放される筈なのに。

 

『言っただろ。特別製と。なんぞ、ワシの身体は仕掛けがあるらしい。なんぞ、生半可では入れ物が壊れぬようにとな」

 

 なるほど、と、ウルは心底嫌な気分になった。が、道理でもあった。骨の器は死霊兵の要である。器は破壊されれば、それまでだ。

 見るからに特別製の死霊騎士が、その弱点を対策していないわけが無い。

 

「再生機能つきか」

『おそらく……の!!』

 

 死霊の騎士が押し込んでいた剣の切っ先がまるで蛇のように滑り、盾を弾く。ウルはその瞬間足を全力で振り上げて、死霊騎士の胴を蹴った。

 

『カッ!』

「っだあ!!」

 

 その蹴りだした足の勢いを利用し死霊騎士の股を潜り抜け、転がり出る。体勢を整え前を向くと、死霊騎士は嬉しそうにカタカタと笑った。

 

『カカ!やるの』

「…………!」

 

 何楽しそうにしてやがるさっさと召されてくれ。という悪態を、ウルは吐き出せなかった。恐怖と緊張と咄嗟の動作で息が詰まったからだ。あんな曲芸のような反射と反撃は2度3度と出来るようなものではない。

 わかっていたが、戦闘技術、特に殺人術に関しては間違いなく、向こうが上だ。このままやり合うのは危険すぎる。

 

 ではどうするか、決まっている。逃げるほかない。

 

 粉々に破壊しても器となる骨は再生する。その再生と身体を動かす分の魔力はあの餓者髑髏の死霊術師から、島喰亀から奪った莫大な魔石が使われている可能性が高い。

 

 叩いてもキリがない。相手にするだけ損だ。

 

 距離を空ける。そして再び聖水を使用し魔力感知を避ける。目くらましした隙に、餓者髑髏を討ってまとめて一網打尽にするほかない。ウルは懐から魔術符を取り出し、そして投げつける。

 

『同じ手は食わん』

 

 死霊騎士の反応は早かった。先の不意打ちを経験して悠長に構える間抜けではなかった。逃げようとするウルを追うため、最小限で飛んできた魔道符を躱し―――

 

『ぬお!?』

 

 その真横で炸裂した。

 投げつけたのは同じものではなかった。炸裂魔術の魔道符だ。威力はそれほどのものではなく、騎士も警戒はしていたのだろう。身を翻し爆風を防いでいた。

 

 が、その隙を見てウルは逃走した。

 

『手品師か貴様!!』

 

 うるせえと思いながらもウルは死霊騎士から距離をとるべく走り出す。とにかく一度態勢を立て直さなければならない。あわよくばシズクと合流できれば結界で身を隠せるはず――

 

「っ!?」

『GAGGAGAGAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 獣よりも醜い咆吼がウルの耳を貫く。死霊兵の骨の音ではない。餓者髑髏のものでもない。ならば思い当たる対象は一つ。

 

「蘇死体!!」

『GUUUUUクウウウウウソガキイイイイイイ!!!!!』

 

 驚くべき事に蘇死体は中庭から跳躍し、此方に向かって飛び込んできた。ただの死霊兵とは明らかに動きが違う。血肉がある分、俊敏、とは言え、ここまで違うか!?

 

『GAAAA!!!』

 

 落下と共にウルへと突撃し、地面に両腕をたたき付ける。その衝撃で地面が崩れ、階下まで穴が開く。ウルは慌てて距離をとると、蘇死体は自分の攻撃でへし折れた砕けた両腕を不思議そうに見下ろしていた。

 

『A,A?』

「全然制御できてない……」

『GAAAAAAAA!!!』

「そんでうるさい」

 

 次々飛び込んでくる蘇死体を走りながら避けていく。力加減が全く出来ていない。結果、自分の肉体を自分で破壊している。宝石人形の暴走状態に似ていた。

 無論、あれと比べれば脅威は低いが、しかし危険であることには変わりない。

 

「此処までとは聞いてないぞ、ディズ!」

 

 この場にはいない雇い主に文句を言いながら、ウルが懐から取り出したのは、魔道書だった。それにウルは魔力を込める。術式の詠唱も、集中も必要とせず、ただ魔力を込めさえすれば完成する魔道の書は、間もなく魔術を完成させた。

 

「【火球】」

 

 手のひら大の大きさの火の玉がこちらに近づこうとする蘇死体の中心に向かい、炸裂した。

『GA、GAAAAAAAAAAAAA!!?』

「まあ、骨よりは燃える……燃えるものなのか?まあ効いてるか」

 

 蘇死体の危険性を考慮した際用意した対策の一つである。

 魔道書は高く付いたが、悪い結果ではなかった。

 だが魔力は消費する。魔力を使いすぎれば、体力も削れる。多用もできない。

 

「だが、とりあえず数を減らせ――――?!」

 

 その矢先に気が付く。

 己を照らす赤黒い脈動に。上を見ると、ウルの身体よりも大きな巨大な手が、羽虫を潰すように、振り上げられていた。

 そして振り下ろされた。

 

「―――――ぃいッ!?」

 

 悲鳴にすらならない情けない声が喉から押し出され、

 同時にウルのすぐ真後ろが文字通り“叩き潰された”。もとより脆かった城壁跡は粉みじんに粉砕され、土煙となって舞い上がる。

 ウルの立つ一歩後ろは崖のようになり、その後ろは瓦礫の山だ。もしあと少し遅れれば瓦礫の一部になっていたのは間違いない。

 

 そして餓者髑髏が、ウルを見下ろすようにして“立ち上がっていた”。

 

「どうやって……」

 

 器が足りないから、回復できなかったんじゃなかったのか?それとも死霊騎士と同じように、器が回復したのか?ウルはちらりとその欠落していたはずの下半身を目視する。そして、眼を見開いた。

 

『SIIIIIIIIII…』

「悪霊樹…?」

 

 迷宮の下に潜んでいる魔物の木が、餓者髑髏の下半身にまとわりついている。いや、まとわりついている、という言葉は正確ではない。巨人に引き抜かれた大樹がそのまま2本、餓者髑髏の足代わりにまとわりついている。そして、そこから伸びた根が死霊術師の核まで伸びて、絡みついて、“喰いこんでいる”。

 

 いや、喰いこんでいるというよりも、あれはまるで……

 

『SIIIII……SI,ZIZIZI……』

「食って……いる?」

 

 何故、自分がそう認識したのか。食う、という表現が頭に浮かんだその理由はディズからの助言だった。【捕食】と【膨張】。暴食の竜の特性といっていた彼女の言葉が、ウルの脳裏にこびりついていた。

 魔物を、食う、捕食する。捕食して、足りない器を埋め合わせた……?

 

『言うたとおりじゃろ?』

 

 ウルの理解に頷くような物言いで、死霊騎士が燃えおちる蘇死体を飛び越え、近づいてきた。ウルは更に距離をとったが、死霊騎士は気にせず言葉を続けた。

 

『ありゃーほっといたらそこらの生物をドンドン喰らって、ドンドン肥えて、強大になっていくらしいのう。しかも制限もない』

 

 つまり、魔物が、いや魔物に限らずどんな生物だろうが、近くにいればそれを取り込んで強くなるという事か。ウルは理解し、そして戦慄する。

 正直言えば、餓者髑髏はウルやシズクにとっては脅威そのものだが、都市規模で考えればそれほど致命的な状況とは思っていなかった。

 この世界に危険な魔物はごまんといるし、そしてそれらに対処できているから、都市というのは存続できているのだ。たかが巨大な魔物くらいなら、都市の結界で弾かれ、都市防衛を任される騎士達に葬られるのが道理だ。それが難しいなら、神殿から精霊の加護を授かった神官達が出てきて、それを殲滅するだろう。

 だが、この餓者髑髏が、もしこれが平原の魔物を全部喰らいつくしたら、どうなる?平原の魔物も生物も、なにもかも取り込み捕食し、膨張し続けたならば?

 ウルにはわからない。どれだけの速度で成長するのか、そもそもこの餓者髑髏がどれくらいのペースで他の生物を喰らうのか。この砦から近隣の都市までの間にいる魔物の数はどれほどなのかも。

 

 一つはっきりしているのは、今の餓者髑髏が、“最も弱い”という事。

 

 死霊術師の作り出した結界が、この場から魔物を排除している。それが皮肉にも餓者髑髏の捕食を防いでいるのだ。捕食対象が少ないから、餓者髑髏は膨張出来ていない。

 だから、今ここで、目の前の巨大なる人骨を打倒しなければならない。

 

「…………」

『なんじゃ、急に黙りこくって』

「己が不幸を嘆き悲しんでいる」

『かわいそうにの』

「ありがとう。お前のせいだよ」

 

 ウルは携帯鞄から聖水を取り出し、そのままその身に振りかけた。飲む場合、魔力の放出を体内から長く抑える聖水は、その身に振りかけることでより短い時間になるがより強い封魔の効果を発揮する。

 

『KAKAA!?!』

 

 視覚のない死霊兵たちは当然ウルを見失う。

 

『隠れても居場所の見当はついと――――』

 

 そしてそれが通じない死霊騎士の方へとウルは新たに別のものを投げつける。今までの経験からか死霊騎士は即座に身構えるが、これは躱しようがないものだ。

 

「む!!?」

 

 それは、魔石を砕いた“粉塵”なのだから。

 実験である。

 死霊骨は魔力を感知し認識している。それを理解したときから、ウルは地下迷宮で悪霊樹を倒して手に入れた魔石を粉塵にして握っていた。

 

 現在ウルの魔力は聖水で絶たれている。

 そして魔石の粉末を、魔力の塊を死霊騎士の方へと投げた。

 さて、餓者髑髏はどうするか。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!』

『ぬうああ?!』

 

 餓者髑髏は振り上げた拳をウルに、ではなくウルが撒いた魔石の方へと、つまり死霊騎士のいる場所に叩きつけた。死霊騎士は驚きと共に跳躍し、回避するが同時に地面が砕かれ、落下した。

 

「成程、感知能力はそれほど高くないと。しかしよくあんなの躱せるな骨爺」

 

 理解と感心をしながら、ウルは逃走を再開した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊の軍勢戦③

 

「な、んなの、あれ!?」

 

 驚きを伴ったラーウラという魔術師の悲鳴を聞きながら、シズクは静かに状況を確認していた。ウルとディズの通信はシズクの耳にも届いていた。状況は理解している。つまりはあの巨大な餓者髑髏を、正確にはその内側にある死霊術師の魔石を破壊しなければならない。

 現在、シズクが張った結界により、あの餓者髑髏は此方を認識していない。中庭をうろうろとしながら何かを追うようにして定期的に巨大な拳を振り上げ、振り下ろし、砦を粉砕している。恐らくはウルが狙われている。

 

 まずはウルと合流しなければならない。シズクは通信魔具でウルへと連絡を取る。

 

「ウル様。正面司令塔、中庭を出て左側の砦通路の1Fです。合流できますか?」

《今……行く……》

 

 雑音とひどい息切れがシズクの耳をうつ。窮地らしい。シズクは『足跡』を確認する。ウルは先ほど餓者髑髏が両腕を振り下ろした箇所の少し先を全速力で進んでいる。間もなくこちらに来るだろう。だが、そのウルと同等の速度で何かがウルを追いかけている。

 準備せねば。シズクはラーウラへと振り向いた。

 

「ラーウラ様。攻撃魔術は使えるとのことでしたね」

「あ、氷刺と、火球、風刃、基本はいけます!」

「では氷刺を、合図後に向こうの廊下に向かって放ってください。ニーナ様は護衛を」

「りょうかい!」

 

 餓者髑髏に吸収されきれずに未だまばらに存在する死霊兵をニーナに退けてもらう間に、ラーウラは魔術の詠唱を進め、氷刺を生み出す。しかしまだ射出はせず、宙に留める。

 足跡を見ながらシズクはタイミングを見計らう。ウルは幾度か交戦しているのか何度か足を止めたりしながらも此方に近づいてくる。そして彼が突き当りの角から顔を出す直前に合図をだした。

 

「今です!」

「【穿て】」

「シズ――ぬお?!」

『ガ!?』

 

 通路の曲がり角から顔を出したウルは、直後氷刺の攻撃が眼前に迫る光景を目撃し、悲鳴を上げ、地面に転がった。放ったラーウラは顔を青くさせた。いわれるまま魔術を放ったがもう少しで自分の氷刺が出てきた少年に直撃するところだった。同時に、その背後に迫っていた死霊騎士はわずかな避ける間すら与えられず、直撃した。

 

 ラーウラの訴えるような視線を受けて、シズクはニッコリと微笑んだ。

 

「大丈夫です。ウル様の鎧は頑丈ですから、一回くらい耐えます」

 

 つまり、直撃前提のタイミングで放ったらしかった。何か言いたげにパクパクと口を開くラーウラをよそに、死霊騎士から距離をとれたウルが急ぎ近づき、そして悲鳴のような声を上げた。

 

「兜を鋭い氷の塊が掠ったのだが」

「ウル様、ご無事でよかったです」

 

 心底嬉しそうに微笑むシズクに、こいつぁヤバい奴だとラーウラとニーナは思った。ウルは既に諦めた顔をしていた。

 

『お主の仲間もメチャクチャな事ばかりするの、小僧』

 

 死霊騎士は、直撃した魔術を防いだのか剣を振るう。鎧も身体も一部が砕かれているように見える、が、僅かに間を空け、砕かれた鎧と剣が再生した。

 

「武具まで骨なのか……趣味の悪い」

『あの術師に言わんカ』

 

 ちらりと死霊騎士は中央の餓者髑髏を見る。無惨な有様に成り果てた死霊術士(最も、本来の姿など知らないのだが)は、ウル達の居る場所へと拳を横に振りかぶった。

 

「伏せろ!!!」

 

 咄嗟に地面に倒れこむようにして伏せたウル達の頭を掠めるようにして、すべてが薙ぎ払われ、崩壊する。元より半ば崩れていた砦の一角が完全に崩壊した。幾つかの柱が砕け、残された天井が崩れて落ちる。

 

「離れろ!!中庭とは反対へ……!」

『KAKAKAAKAA!!!』

「……!?」

 

 土煙で視界が遮られ避難を呼びかけるウルの横から、聞きたくない骨のかち合う音がする。ウルは音の方へと盾を構え、直後に、

 

『KKAKAKAKAKAKA!!』

 

 盾に、死霊兵が3体、噛み付いた。

 ウルはそのまま盾を一度引き、そのまま振り抜き叩きつけ、死霊兵たちの頭蓋をたたき割る。

 

『GAッ』

 

 頭蓋の砕けた死霊兵は地面に倒れる。だが、まだほかにも周囲から何かが動く気配がしている。シズク達のものではない。骨と骨がかち合う不快な合唱が、土煙の中、木霊する。

 

「薙ぎ払った腕から散らばったのか……?」

 

 餓者髑髏は死霊兵の集合体だ。散らばれば元の死霊兵に戻る。ただの1体1体は小鬼にすら劣るかもわからない雑兵だが、しかし死霊騎士と餓者髑髏のいる状況で、複数体から一斉に襲われれば―――

 

「ガッ!?」

 

 意識がそぞろになった直後に腕に鈍器で殴られたような衝撃が走る。剣を籠手が防いだのだ。ウルは痛みに歯を食いしばり、そのまま剣が伸びてきた方に槍を振るった。

 

 金属のぶつかる音。死霊兵とは明らかに違う力で竜牙槍が押し返される。死霊騎士だ。

 

「ぐ、ぅ…」

『関節を狙ったはずなんだがの、やはり気配だけでは鎧の構造までは視れぬな』

 

 死霊騎士がカタカタと笑う。更に周囲から死霊兵たちの気配がある。蘇死体も近づいてきている。

 

 窮地だ。

 

 餓者髑髏も死霊騎士もウル達の手に余っている。敵の繰り出す手に対応する事しかできていない。ディズが、何故にウル達を逃がそうとしたのか分かろうというものだ。

 複数の都市存亡の危機を前に今更敵いそうにないからと尻尾を巻いて逃げる選択肢は、ない。だが、どうすればいい。今すぐにでも何か手を打たなければ圧殺される。

 土煙が晴れてくる。つばぜり合いをする死霊騎士、他左右から2体の死霊兵が大きく口をあけて此方に近づいてくる。背後からも一体来ている。ウルは決断した。

 

「シズク!退魔符!!一気に使え!!」

「はい!!」

 

 ウルは叫ぶように指示し、同時に自分の携帯鞄から取り落とすように退魔符を取り出す。紐で括られたそれが解け、周囲に散らばり、そして効果が発動する。魔力の退散、拡散の術式により周囲の魔力が霧散する。

 

『KA……』

 

 死霊兵たちも動力を奪われ、身動きが取れなくなり、崩れおちていく。ただ一体、いち早くその場から距離をとった死霊騎士をのぞいて。

 

「ウル様、あの死霊兵は」

「特別製だ。昔の腕利きの騎士の魂を使ったらしい、そっちの二人は」

「こっちはニーナ、向こうはラーウラ、戦士と魔術師よ」

 

 手短な自己紹介に感謝しつつ、ウルは死霊騎士を睨む。戦力は増えた。死霊兵も退けた。が、まるで事態は好転していない。

 

『厄介だの。その符、だが、まだ残っているのかの?それは』

 

 死霊騎士がカタカタと笑う。図星だ。退魔符はもう残ってはいない。今ので在庫切れだ。そして退魔符で魔力を退散させた死霊兵たちも、器の骨の身体までは破壊できていない。死霊術士の脈動と共に再び力を取り戻すだろう。

 しかし呑気に器を破壊していたら、背中から騎士に切り捨てられる。

 

 こいつらを相手にしてもキリがない。だが、無視するには強すぎる。

 

 どうにか、どうにかしなければ―――

 

「もし、よろしいでしょうか?“お骨”様」

 

 緊迫と窮地の空気を打ち破ったのは、シズクのノンビリと聞こえるような声だった。

 

『ワシに言っとるのかの?乳のでかい娘』

 

 シズクの声に死霊騎士は反応する。カタカタと骨を鳴らしながら首を傾げた。シズクは「はい」とおっとりとした笑みを浮かべながら、骨の騎士に向き合う。

 

「確認したいことがあります。貴方様は意識もしっかりと持っていらっしゃるように思えるのですが、何故“彼”に協力しているのでしょうか?」

『別に好んで従っとるわけではないが、抗おうとするとかなりの苦痛での』

 

 そう言いながら、カタカタカタ、と身体を鳴らす。

 

『こうして会話しとるのだけでも、そーとー頑張っとるんじゃぞ?ワシ』

 

 事実、死霊騎士がウル達に向けている剣先が震えていた。今、こうして斬りかからずいるのもかなり難しいらしい。

 

『どうしようもなく抗えぬ。そもそも、ワシはもう人間ですらない。二度も死にとうないが、どう足掻こうと葬られる定めじゃろ。と、なると、だ』

 

 カタカタカ、と、骨が鳴る。剣は既に震えていない。死霊騎士の歯がかちなって、笑っていた。カタカタと、ゲタゲタと、見た目の通りの邪悪さで。

 

『―――まあ、若者と殺し合うのもまた一興かと思い始めての?生前の記憶はないが、家族友人がいたとしても、確実に死んでおるしのう?」

 

 圧力が色濃くなる。赤黒い魔力の脈動と共に揺らめく剣が此方を向く。先ほどまでの飄々とした印象は揺らめくような濃密な殺意に塗りつぶされる。

 ウルは自然と後ずさる。現状既に死霊騎士一人にすら対処できていないのだ。餓者髑髏が更に暴れ、死霊兵が次々と湧いている状況で、騎士が本気になればいよいよもって圧倒されてしまう―――

 

「つまり別に好んで死にたいというわけではないのですね?」

 

 しかし、シズクはまるで身じろぎもせず、呑気な調子を変えず確認する。そして、

 

「では、提案です。()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()。ですから今、全力で支配に抗ってください」

 

 一瞬、その場で間が生まれた。その場にいた全員がシズクの発言を飲み込むのにある程度の時間を必要とした。そして、

 

『は?』

「え?」

「ちょっと?」

 

 ウルとニーナと死霊騎士は揃って変な声をあげた。シズクは全く気にしなかった。

 

「二度も死にたくはないのでしょう?」

『ま、まあそう言うたが』

「別に、好んで悪徳に手を染めているわけでもないのでしょう?」

『ま、まあそうじゃが』

「でしたら、対価として貴方をこの戦いを終えた後も第二の人生を満喫できるよう取り計らいますので、協力をお願いします」

 

 再び沈黙が発生。死霊骨に魔力を供給する赤黒い脈動だけが周囲に響いた。

 

『い、いやしかしな乳のデカい娘、ワシ結構抗うの辛いんじゃぞ?今も、具体的には1週間何も食わん状態で目の前に差し出された肉を我慢するような猛烈な飢餓感がじゃな』

「御労しいです。どうか頑張ってください」

『それに抵抗してもやっぱ最終的には貴様らを殺しにかかってしまうぞ?』

「声は出せるようですから、近づいた時は全力で合図を。奇声とか上げてください」

『ワシ、もうちょいくーるに戦うタイプなんじゃが……』

「餓者髑髏の動きに気づいたらそれも合図をお願いします。出来るだけ大きな声で」

『忙しいのう、ワシ……』

「では、」

 

 すっと、シズクは空に掌を向けた。

 ん?とシズクのその合図にシズク以外の全員が疑問に思い、そして彼女が手のひらを向けた星が輝く夜天に、星と結界の光を跳ね返し煌めく、巨大な氷の魔術が形成されていた。

 

「【氷よ唄え、落ちよ涙】」

 

 シズクの唄と共に、会話の間ずっとしれっとした顔で準備していた巨大な氷の塊が落下し、真っ直ぐに死霊騎士と、散らばった死霊兵達の下へと降りてきた。

 

『ぬっ!』

 

 死霊騎士も少し遅れたがそれに気づく。彼はこれまでと同じく俊敏に攻撃を躱そうと身構え――――

 

「避けないでくださいね」

『ぬっ!?』

 

 シズクの「お願い」で一瞬びたりと体の動きを止めた。そして、

 

「【落氷塊】」

『ぬあああああああああああああああああ?!』

『KAKAAAAAAAAAAAAAAA!?』

 

 巨大な氷の塊が、死霊騎士と、更には周囲で復活しそうになっていた死霊兵に落下した。巨大な質量の塊は骨を粉砕し、更に地面をたたき割って騎士の残骸を地下迷宮まで叩き落とした。

 

「さあ、今の内ですウル様。対策を練りましょう」

 

 対話の最中も魔術の詠唱を指示し、どのような結果になろうと魔術で死霊騎士を叩き潰す魂胆だったのだろうシズクは、ウルに向かって笑顔を向け、そう言った。ニーナもラーウラも、ウルの方を何かを訴えるような眼で見つめた

 

「よし、そうしよう。ここがふんばり時だ。みんな頑張るぞ」

 

 ウルは二人の視線を無視した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊の軍勢戦④

 

 いかにして餓者髑髏を討つか?

 

 重要になったのは戦闘中に餓者髑髏が見せた“特性”だった。

 無数の死霊兵が身体となって、同時に変幻自在の盾としても機能する巨体。更に状況に応じて身体を散らばらせて、兵としても操る。更に、鎧となる器を削っても、地下の迷宮から悪霊樹を捕食し、代用とする。

 消耗戦に持ち込むこともできない。むしろ時間をかけるだけ、地下迷宮から更に魔物を吸収し肥大化する可能性が高い。しかし短期決戦を望もうにも、それだけの火力をウル達は用意できない。

 ではどうすれば良いか?光明はウルの発見であった。

 

「ディズが死霊術師のなれの果てだっていう赤黒い魔石のようなものが引き起こす【脈動】……死霊兵に魔力を供給しているさなか、餓者髑髏は“動かなかった”」

 

 シズクが死霊騎士と交渉を続ける最中、ウルは餓者髑髏を警戒していた。死霊騎士とシズクは交渉していたが、言うまでも無く餓者髑髏にはそんなこと関係ない。いつあの巨大なこぶしがふり下ろされるかとヒヤヒヤしていた。

 

 だが、餓者髑髏は攻撃を仕掛けてこなかった。

 

 中心、赤黒い魔石を脈動させ、魔力を死霊兵たちに送りつづける間、餓者髑髏は不動だった。悪霊樹で足を代用し、自由に動き回れるはずなのに。

 そこから仮説は立った。

 餓者髑髏はあの脈動時は身動きできないのではないか、という推測が。

 

「“脈動”は定期的に発生していた」

 

 餓者髑髏はあれ自体が一つの生物ではない。死霊兵が集い、それらをヒトガタに固めて巨人のように動いている。動かせば、魔力を消費する。あの核は莫大な魔力を保有しているが、補充という動作が省略されるわけではない。

 おそらく、定期的に発生していた脈動は、自らの身体を構成する“器”に“魔力補充”するための時間だ。それが隙である。

 

「まずは、餓者髑髏を、振り回して、消耗させる!!」

「そ、そ、そ、その前に!死なない?!私達ぃ!!」

 

 ウルの作戦に、ラーウラは悲鳴を上げながら走り続けていた。現在、ウル達は餓者髑髏の攻撃を誘発させつつ、逃げ回っている。崩れ去った城壁の屋外通路を駆け回りつづける。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 両拳が砦を破壊し続ける。一瞬でも足を止めれば、自分の身体を粉々に粉砕してしまう一撃を回避し続けるのは神経を削られた。

 

「本当にこうやって動き回らせれば脈動起こるんですか?!!」

「多分」

「多分って言った?!」

『GAGAGGAGAGAAAAAAAAAAA!!!』

 

 餓者髑髏からひたすら逃げ回っていた時も、あの脈動は幾度か発生させていた。あの巨体の燃費は決してよくはないらしい。

 一撃でも喰らえば終わる、が、幸いなことに、敵の動作よりもウル達の方が動きは速い。回避に集中すれば避け続けることは可能だ。脈動は遠からず起こるだろう。

 だから、問題になるのは

 

『キエェエエエエエエエエエエエエエ!!!!』

「あ、爺が来た」

 

 現在、ウルの背後から奇声をあげながら近づいてくる死霊騎士である。

 

『おら小僧!!上段からの振り下ろしで脳天割じゃ!!避けるかその盾で防げよ!!』

 

 言うや否や、一気に接近され、剣撃が叩き込まれる。通常であれば、回避も防御も不可能な程の一撃だ。しかし事前に告げられた場所へと盾を構えることは出来る。

 猛烈な痛みと衝撃をなんとか我慢すれば、耐えられる。

 

「……ぐっ!!」

『カッ!つ、ぎ、右腹!首、目!』

 

 順に護る。どれだけ死霊騎士が加減しようと努力していても、ウルからすればどれも致死の一撃だ。防ぐたび寒気がした。

 

「ウ、ウルくん!蘇死体が来ます!!」

「爺!蹴り落とす!避けるなよ!!」

『防がれるなよ小僧!!』

 

 ウルは横薙ぎに蹴りを振るい、死霊騎士の腰へ叩きつける。どれだけ尋常でない技量の戦士であっても、重量自体は骨の騎士だ。軽い。そして、城壁の下に落とせば、翼も持たない死霊騎士は戻ってくるまでに時間がかかる。

 

『ぬおおおおおおおおおおおおお!!?』

 

 たたき落とす。身軽さを生かした跳躍ですぐに戻ってきてしまうが、時間は稼げる。そしてその間に別の敵を凌ぐ。

 

「き、きまし、た!!」

『GUGAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「【火球】!」

 

 魔道書の炎を撃ち出し、迫る蘇死体を焼き払い、その隙を見て殴りつける。 魔力切れもそろそろ近い。魔道書も使えなくなる。敵は途切れない。それでも、と、もつれる足を振り回し、ラーウラを先導し、ひたすらに走る。目に汗が入り痛い。だが、まだ、まだ、まだ―――

 

『ガ――――』

 

 ドクン、と、赤黒い脈動が砦に奔った。

 

「来た!!用意してくれ!!」

「【魔よ来たれ、氷霊を宿せ、形を成し―――】」

 

 ウルの指示でラーウラは魔術の詠唱を開始する。冒険者の魔術師なら多くが習得している攻撃魔術である【氷刺(アイスニードル)】、氷で出来た刃を飛ばす魔術。

 

「【―――それを“重ねよ”!!】」

 

 その魔術を少し変化させる。

 本来備わった刃の射出能力をカットする。代わりに、氷棘自体を大きく強化する。2メートルはあろうほどの大槍に、それを変貌させる。

 

「できました……けど!」

 

 ごどん、と巨大な氷刺は地面に落ちた。飛ばす事は出来ない。もしこれを射出するなら更に別の魔術を必要とするが、このサイズではコントロールするのも難しい。

 だが、これでいい。ウルはそれを引っ掴んだ。

 

「よし……」

 

 ウルは荒れた息を整え、そして備えていた【強靭薬】を口に放り、かみ砕いた。

 

「……にっげえ」

 

 効果は肉体への一時的な魔術付与、強化術と同様の効果である。代わりに値段の割(銅貨20枚)に効果時間は短く、何よりも、苦い。

 ウルは顔を顰めながら、氷刺を“鷹脚”で引っ掴む。巨大な氷の塊はウルによって動かされ、そして餓者髑髏を睨む。

 

『GA――――』

 

 やはり、動かない。赤黒い脈動によって魔力を補給している間は動かない。動けないのだ。それがどれだけの隙になろうとも、そうするしかない。その隙を埋めるように死霊騎士は襲いかかってくるのだが、今は

 

『ぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……』

「よし、遠いな」

 

 まだ遠い。死霊兵もいない。少なくとも今周囲にはいない。

 つまり好機だ。

 

「シズク、聞こえるか。いけるか」

《問題ありません》

「よし、先にいく」

 

 ウルは氷刺を握りしめ、地面を蹴り、駆け出した。底上げされた肉体の力を氷刺を掴んだ腕に集中する。速度を上げ、肩を回し、腕をしならせ、全身の力が一か所に集中するタイミングで、放った。

 

「穿て!!!」

 

 “鷹脚”から放たれた瞬間、風が引き裂く音と共に氷刺が飛んでいく。それは通常の魔術で放たれるそれより遥かに早く、目で追う事すらままならず―――

 

『――――GA!!!!??』

 

 餓者髑髏の胴体に着弾した。無数の死霊兵で創られた身体に叩き込まれた氷刺は、ぶつかっても尚、その形が砕けることもなく、抉り、貫き、突き進んだ。そして、

 

『GGAGAAKA……!!?』

 

 核の右隣付近で、無数の死霊兵の盾に阻まれ、止まった。

 

「外した……」

「で、でも、届きました!!」

 

 そうだ。届いた。敵の急所まで届いた。あれではまだ、直撃してもダメージにはならないかもしれないが、届いたのが重要だ。竜牙槍の咆吼なしに、この攻撃は敵の急所を破壊できる。

 

「もう一回だ!」

「既に氷刺、作ってます!!」

 

 竜牙槍と比べ、充填時間が圧倒的に短いのも都合が良かった。餓者髑髏が失われた肉体を地下迷宮から補充するよりも早く、攻撃が出来るのだ。

 

「もういっぱあつ!!!」

 

 2射目、ウルの全身全霊の力と共に、もう一発氷の槍が放たれる。

 

「っ!!」

『GAAA!!!』

 

 だが、今度は狙いが荒かった。

 氷の弾丸は餓者髑髏の核から狙いがズレる。このまま跳んでいっても、決して核にまで届くことは無いと、ウルは氷の大槍を手放した瞬間実感した。

 

『GAGAGAGAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 だが、餓者髑髏にはそれが“わからない”。

 瞳もなく、魔力感知でのみ知覚している餓者髑髏にとって、狙いが正確かどうかを確認する手段はない。向こうにとって、先ほどの攻撃も、今の攻撃も変わらず、「魔道核に届き得るほどの巨大な質量の魔術」だ。

 当然、身を守らなければならない。全力でもって防がねばならない。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 脈動から再起動をはたした餓者髑髏は、その身体の死霊兵達を一気にウル達の方へと向ける。巨大な人骨の障壁を作り出し、その攻撃を全力で防ごうとする。

 まともに狙いの定まらぬ、ウルの攻撃が“囮”であるとも気づかず。

 

《【氷よ我と共に唄い奏でよ。何者をも貫く大槍と成りて悪しきを穿ち爆ぜよ】》

 

 既にシズクは詠唱を開始していた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「こおの!!」

『KAKAKA、GA!!?』

 

 兵舎の屋上にて、ニーナは剣を振り回し近づいてくる死霊兵を破壊した。剣を振るうが全く切断する事は出来ない。刃も潰れ最早叩きつけるばかりだ。それでもノロノロと蠢く死霊兵相手ならば対処は可能だ。

 しかし、数が数だ。無数ともいえる死霊兵の群れを前に明らかに追い詰められつつある。

 

「シズク!シズクさん!もう限界が近いです!!」

 

 ニーナは必死に声を上げながらも剣を振る。このままでは圧殺される。だが、シズクは餓者髑髏から視線を外さず、魔術の詠唱を続けていた。発展魔術、極度の集中と、多量の魔力を消費するその魔術は、宝石人形を撃破し成長した彼女であっても激しい消耗を強いた。

 だが、それでも魔術は完成する。彼女の上空に、長く、大きく、鋭く、相手を穿ち引き裂く氷の槍が現出した。

 

「【氷霊ノ破砕槍】」

 

 震えるような冷気を伴い、氷の槍は射出される。ウルの投擲とも遜色ない速度で真っ直ぐに、死霊兵の盾をウルへと向けた餓者髑髏の、護りの薄くなった魔石に向かって。そして―――

 

『GA!!!?』

 

 直撃した氷の槍は餓者髑髏の身体を、破壊し、砕け散った骨を凍り付かせた。更に着弾部から瞬く間にその氷結部分が拡散し続ける。餓者髑髏はそれから逃れるように暴れるが、凍結の拡大はまるで留まること無かった。

 あっという間に、カナンの砦の中庭、その中心に巨大なる人骨の氷像が完成した。

 

「す、すご、やった!!」

 

 ニーナは歓声を上げる。

 冒険者として経験も浅い彼女にとって始めて見る発展魔術(セカンド)だった。それを単独で完成させるシズクは、さぞや歴戦の冒険者なのだろうと確信した。まさか自分よりも経験が浅いとは思いもしなかった。

 そして、そんな彼女の感嘆に対して、シズクは表情を曇らせていた。

 

「……い、え」

 

 彼女は汗を大きく流しながら、首を横に振る。

 彼女は視ていた。己の魔術が死霊術師の核を貫く直前、赤黒い核が、まるで落下するかのように“ひょい”と下に逃れていくのを。

 

「逃げ、られました」

 

 直後、地響きが砦全体に木霊した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死霊の軍勢戦⑤

 

 

《逃げ、られました》

 

 シズクからの通信が届いたその直後、ウルは突然発生した地響きに足をもつれさせた。

 

「なんだ……?」

 

 地面が揺れる。砦が崩壊しようとしているのかとも思ったが、揺れと同時にあの“脈動”が起こっている。この一帯が揺れ動いている。経験したことがない現象にウルは屈みながら周囲を見回す。

 地面が揺れている?地面、地下には迷宮と悪霊樹しか―――

 

「まて」

 

 逃げた。とシズクは言った。逃げた。下に。地下迷宮に。悪霊樹のもとに――

 地響きが一層大きくなる。そして何かがあちこちから飛び出した。土色の、巨大な蛇のようなものが、いや、よく見れば蛇ではない。石のようにゴツゴツとした表皮をしたそれは、

 

「“根”か?!」

 

 悪霊樹の根と思しきものが地下から這い出してきた。それも尋常な数ではない。数え切れぬほどの無数の木の根が地下から飛び出してきた。そしてのたうちながら崩れかかった砦を破壊し始める。

 

「うっおお!?」

「ウ、ウルさん!!」

 

 ラーウラの悲鳴が聞こえる。だが応じる余裕はウルにはない。

 震動は先程までの比では無くなっていた。元々カナンの砦は数百年の時間経過で劣化が進行していた。形が残っていただけでも奇跡に近かった。だが、餓者髑髏の度重なる攻撃と、この地下からの破壊で完全に限界を迎えた。

 遺された形が全て崩壊していく。ウルとラーウラの間の道が崩れ、崩壊が進んでいく。

 

「こっちに跳んでこい!!」

「ム、ム、ムリ!!」

「死ぬぞ!!」

 

 ラーウラは必死の形相で跳んだ。ウルは彼女の身体を受け止めた。直後ウルの足元まで崩壊が進んだ。ウルは咄嗟に彼女を庇いながら、下へと滑落していった。肘、肩、兜と連続して何処かにぶつかり、最後は背中を激しく打ちながら、防壁の下へと落下した。

 

「っぐえ…!!」

「だ、だ、大丈夫です?!」

「なん、とか、な」

 

 ラーウラの声に必死に応じる。少なくとも、身体は無事だ。耐衝のアクセサリーが一つ砕けた感覚があったが、こういう時のための使い捨て品だ。こんな窮地であってもどこか惜しむ自分の心をなだめるように言い聞かせて、ウルは体を起こした。

 

「……で、なにがどうなってこうなってここはどこだ」

「つ、土煙がひどくて。あ、あと、すみません。私もう魔力が」

「ラーウラさん後ろに下がって。シズク、シズク?……魔具の雑音がひどいな」

 

 周囲を見渡そうにも視界が悪い。死霊兵の出現を警戒し、ウルは槍を構えたが、やってくる気配はなかった。代わりに

 

『……こぉぞおおおおおおおおお!!!』

「爺か」

 

 敵は敵だが、意思疎通できて情報を流してくれるならこの状況はありがたい。ウルは声のした方に槍を構え直し、待ち構えた。間もなく土煙の中から、骨の騎士が顔を出す。

 カタカタカタと頭蓋を鳴らしながら、死霊騎士は声を上げる。

 

『小僧おおお!まずいぞ!』

「何が」

『ワシ絶好調!!』

「はったおすぞコノヤロウ!」

 

 もう少し益になる情報を言え。と言おうとした。が、ふり下ろされた剣の力にウルは息を詰まらせた。本当に、力が強い。今までよりもさらに強くなっている。慌て、両足を踏ん張って槍を支えるが、丸ごと押しつぶされそうな力に、ウルは顔を顰めた。

 

『ぬう!!』

 

 押し切られる。というところで騎士の刃がピタリと止まる。その隙にウルは剣を弾き、距離をとる。絶好調、その言葉の通りの意味だった。

 注がれる魔力量が増えた?先ほどの脈動で強化されてる?

 

『やたら大量の魔力が送られてきておる。だが、逆に飢餓感は落ちてきている、もう少し抵抗できそう―――なんじゃ?』

 

 再び、地響きがする。巨大な何かが近づいてくる音。

 

「餓者髑髏か……?」

 

 餓者髑髏はシズクの魔術で凍り付かせた。骨の器を全て粉々に砕いた訳ではないが、しかし簡単に動けるはずがない。で、あればこれは――

 

『……………ZIIIIII』

 

 悪霊樹の擦れるような音、それと共に近づく地響きがする。

 土煙が晴れると同時にウルはそれを見た。巨大な二つの大樹が、まるで巨人の足のように交互に動きながら、崩壊した砦を踏みしめている。足だけでない。胴も、両腕も、そして頭までも、複数の悪霊樹の組み合わせによってできた巨人がいる。

 

 

『ZIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』

 

 

 大悪霊樹(ギガントトレント)が叫んでいた。

 

「身体、代えやがった……?」

 

 動かせなくなった骨の器を全部丸ごと捨てて、地下迷宮の大樹に乗り移った?

 そんなことできたのか?出来るとしたら、それはもう反則だ。器を破壊しようと、別の器に乗りうつりさえすれば良いのだから。そんなことを繰り返されれば、力尽きるのは間違いなくコッチだ。 

 だが、恐怖し混乱している暇もなかった。再び地響きが起こる。ウルは先ほどの光景を思い出し、咄嗟に横に跳んだ。次の瞬間、足元から悪霊樹の根っこが飛び出した。

 

「死霊兵の次は、これか!!」

 

 これはまずい。

 死霊兵のようにノロノロと近づいてくるならまだ対処は可能だが、足元から突然突き出てくる“根”の攻撃は、どこからやってくるのか非常にわかりづらい。唯一震動だけが予兆と言えなくも無いが、カナンの砦の崩壊が始まって以降、揺れはずっと続いている。区別が付かない。

 

「きゃああ!!!」

 

 言っている傍から、ラーウラが足元から伸びる木の根に捕まった。足元に絡みついた木の根が彼女を縛り、そのまま瞬く間に胴へと伸びる。拘束、などという生易しい縛りではない。肉を喰いこみ骨を砕こうとするような力が込められていた。

 

 

「あ……がっ」

「クソが!」

 

 ウルは竜牙槍を一気に叩き込む。どれだけ出現した木の根が蛇のように動き回ろうと、地面から這い出た根元は動かない。狙いを定めて叩き込んだ竜牙槍が根元を打ち砕く、ラーウラの拘束が解け緩んだ。

 

「っか、ケホ!!ウ、ウル、ウルさん!!」

「逃げ回れ!ここから離れろ!!足を止めるな!!」

 

 解放したラーウラにウルは矢継ぎ早に指示を出す。

 島喰亀で襲われ、捕まり、更にそこから戦って、魔力まで使い切った。もうすでにラーウラは限界だ。彼女もそれはわかっているのかウルの指示に必死に頷き、駆け出した。

 尤も、ウルとて既に限界は近い。此処への侵入から悪霊樹、盗賊、死霊兵、餓者髑髏と戦い詰めで既に体力はつきつつある。強靭薬によるドーピングも限界がある。薬の効果が切れれば反動が来る。今度こそ動けなくなってしまう。

 

「早く、本体を、ぐっ?!」

 

 木の根が再び地面から伸びる。拘束か?とウルは背後に跳ねるが、高く伸びた木の根は、そのままゆらりと垂れると、鞭のようにしなり、いや最早鞭そのものとなって、ウルへと叩きつけられた。

 

「っが」

 

 盾で受け損ね、胴体に直撃し、そのまま力ずくで瓦礫の山に叩きつけられる。残る耐衝撃の装飾が砕ける。保険が尽きた。しかも危機はまだ終わってはいない。

 

『ZIIIIIIII』

「―――っ」

 

 木々の擦れる音と共に地面から次々と木の根が伸びてくる。ウルは腹の痛みを堪えて、跳ねるようにしてその場から逃げ出した。

 状況が息つく暇も無く悪化し続けている。なんとか打開策をみつけなければ――

 

『小僧!!』

 

 畳みかけるように死霊騎士の声がする。竜牙槍を握る腕の動きが鈍い。せめて、盾を構えねばと思ったが、盾の動きよりも死霊騎士の剣の動きの方が圧倒的に速かった。

 だが、その剣閃はウルではなくその頭上を掠めた。

 

『ZI!』

 

 背後から襲い掛かろうとしていた”根”を死霊騎士の剣は切り裂いたのだ。

 

「じ、爺」

『しっかりせい小僧!!もうちょいじゃ!!』

 

 死霊騎士は声をあげながら剣を振る。それはウルの方向を向きながら、絶妙に剣先をずらし、ウルを掠めながら周囲の木の根を引き裂いていった。

 

『ようみろあの木のバケモンどもを!奴ら死霊術師に取り込まれておらん、“捕食”されきってはおらん!」

 

 言われて、確認する。確かに大悪霊樹にも餓者髑髏と同様の“脈動”の赤黒い光が奔っている。が、確かにその光の影響範囲は少ない。木の根は次々にウルに襲いかかってくるが、肝心の本体、大悪霊樹はその場を動き回るばかりで直接ウルを狙ってはこない。

 此方に近づいてくるかと思ったら、急に見失ったように方角を変える。そして出鱈目な方向へとその腕を振り下ろす。動きに一貫性がなくちぐはぐだ。

 

『追い詰められて、焦って強引に多量の魔力を送って捕らえたにすぎん!踏ん張れ』

 

 追い詰められてる?本当に!?

 とウルは叫び出したくなった。だが追い込んでいる。そう思うしかない。追い詰められていなかったらウル達は終わりだ。

 そしてやるべきことは変わりない。あの核を破壊する事だけだ。

 

「爺!今死霊術師の核が悪霊樹の体内のどこにあるかわかるか!!」

『近くじゃ!!』

「わかるかい!」

 

 今度は叫んだ。これでは意味がない。敵の位置がわからなければ倒しようがない。幾らここで木の根を切り倒しても、あの悪霊樹達はあくまで操られているだけ―――操られている?

 ウルは大きく息を吸って、吐く。脳に空気を送り込み、頭を回転させる。

 考えろ。

 天賦の才も並みならぬ努力も足りないのなら、せめて考えることを止めるな。

 

 “核”による悪霊樹たちの支配は不完全だ。

 あの大悪霊樹の動きをみてもそれは明らかだ。もし支配が完全なら、あの巨大な木の巨人にウルはとっくに踏み潰されている。餓者髑髏のように自在に操れている訳ではない。

 

 故に、疑問が湧く。

 

 そんな、ちゃんと制御もできていない強大な魔物の体内に、無防備な心臓を隠すような真似をするか?

 

「ウル!ウル!!」

 

 そのタイミングで、ウルを呼びかける声がした。見ればニーナが木の根を躱しながらこちらに近づいてくる。

 

「ウル!シズクさんが魔術を使った後グッタリして!!」

 

 彼女の背中にはシズクがもたれかかっている。彼女の症状には見覚えがある。魔力枯渇による消耗だ。発展魔術で魔力を一瞬で消費し、体力も一気に削られたのだ。

 だが、ちょうどよかった。

 

「シズク起きろ!」

「あんた悪魔か!」

「急がないと俺達が死ぬ」

「シズクさん頑張って!!!」

 

 回復薬と魔力回復薬を朦朧としているシズクに強引に含ませる。青い顔をした彼女だったが、少しばかり血の気がもどり、ゆるゆると頭を振った。そしてニーナの背からうっすらと、こんな時ですら美しくウルに微笑んだ。

 

「ウル、様」

「平気か?」

「問題ありません。発展魔術は疲れますね」

 

 ウルはほっとしながらも、指示を出す。

 

「シズク、魔術だ」

「攻撃を?」

「“違う”」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 死霊術師が己の状態に気が付いたのは、“そうなって”しばらく経った後の事だった。死霊の業を身につけてから長い事感じたこともなかったような強烈な“飢餓感”が彼の意識を呼び覚ました。

 

 手も、足も、体も失い、肉体を完全に損なった己の姿を彼は知覚した。

 

 初めに覚えた感情は驚愕、次に狂喜、そして怒りが湧き上がった。血肉を失った衝撃は、しかし元より他者の魂も己の魂も好き勝手に弄んできた彼には些事だった。そして己の宿願。“邪神”への貢献に成功したことを確信し喜び、そして自分を殺したあの女に対する怒りが湧き出た。

 

 “我らが崇高なる使命”を邪魔しおって

 許されぬ。赦されぬ。償わせねば、その魂でもって――――

 

 あの女には不意を打たれ殺された。

 だが、今ならそうはなるまい。何故なら彼らが信奉する“邪神”の、竜の加護が与えられたのだから。事実、力が内側から満ち溢れるのを感じていた。圧倒的な万能感が飢餓感と共に満たされていた。

 何もかもを喰らいつくすことも叶うという確信が彼にはあった。

 

 おお!神よ!ご覧あれ!貴方の下僕がイスラリアに住まう家畜どもを喰らうのを!!

 

 そして、死霊術師は暴れだす。力を振りまわし、そして何もかもを喰らおうとした。圧倒的である。本来は文字どおり精魂を消耗しなければ操ることも出来なかった餓者髑髏も、今や自由自在だった。他者の魂、魔物の支配も、“捕食”も可能とする圧倒的な権能だった。

 

 素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!!

 

 彼は力を振り回す。振りかざす。周りにまとわりついていた羽虫どもを叩き潰す。気分が良かった。死霊術師として魂を削りつづけ、何もかもが削げ落ちていった彼の人生で初めて愉快な気持ちだった。

 

 だから彼は力を振り回して、喰らって、振り回して、喰らって、―――――――――――そして、今、追い詰められていた。

 

 …………あれ?

 

 彼は、不思議に思った。何故今、自分は追い詰められているのだろう。力を得たのに。彼が信奉する神の、“邪神”の加護を得たのに、今、薄暗い闇の奥に隠れる羽目になっているのだろう。

 

 何故?何故?何故?

 

 答えは傍から見れば必然だった。

 今の彼は、彼自身が今まで使っていた死霊兵と同じ存在になったのだ。邪悪なる竜にとって都合の良い、使い捨ての道具になったのだ。適当に使った後、捨てるための道具に。

 で、あれば、この結末は必然だ。遅かれ早かれこうなってはいただろう。今まで使い捨ててきた死霊兵と同じ末路を、自分が辿るに過ぎない。

 

 故に、破滅はやって来る。

 

「【咆哮】」

 

 闇から声がした。直後、強烈な爆音が彼の頭上から巻き起こった。天井が崩れ、瓦礫によって魔石となった彼の身体が埋もれていく。何が起きたか、理解する間もなかった。

 

「穿て」

 

 直後、上空から落雷の如く一閃の槍が叩き込まれ、彼は、砕け散った。

 

 




評価 ブックマークがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

辛勝と契約、そして爆発

 

「勝った――」

 

 咆吼によって穿たれた深い穴。

 その先に、土竜のように隠れ潜んでいた巨大な頭蓋骨。餓者髑髏の頭部、その虚ろな眼孔部に輝く“核”に自身の竜牙槍を叩き込んだのを確認し、ウルは震える声で自身の勝利を宣言した。言葉にしなければ信じがたかったのだ。

 

 勝利、勝利である。薄氷の上だったが、勝利は勝利だ。

 

 土壇場で、悪霊樹が囮であると気づけたのが勝敗を分けた。

 シズクの【足跡】で調査した。大悪霊樹に対してではなく、その周辺、隠れるようにしている何かが存在していないかを確認させた。

 そして、悪霊樹達が這い出た地下迷宮に隠れ潜んでいた頭蓋骨と、その核を発見できた。

 

「【足跡】は、最高の買い物だったな……」

 

 穴に降りて、骨を砕いた竜牙槍を引き抜きながら、シズクの買い物に心の底から感謝する。シズクの能力と魔導書の合わせ技。広域の探知が今回の戦いで貢献するところはかなり大きかった。

 

「金、準備、対策……大事、だ」

 

 空けた穴を登りながら、ウルは噛み締める。

 宝石人形との戦いで十分に自覚したつもりだったが、今回の件でより深く、確信した。それこそがすべてを左右すると言っても過言ではない。一つでも何かを怠っていれば、間違いなく死んでいただろう。

 今後、ウルが生き残る上でこの理解は絶対不可欠だ。

 

「まあ、その前、に……!」

 

 穴から手を出して、外に出て、周囲を見渡す。そしてウルは顔を顰めた。

 

『SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!』

「……ま、元気だわな。そりゃ」

 

 眼前には、強引に土の中から引き抜かれた悪霊樹の大群が、怒りに任せ、暴れ狂っている。“核”が破壊され、支配から解かれたが、彼らは別に死霊兵のように魂を与えられた操り人形ではない。死霊術師本体を倒したところで、死ぬわけではないのだ。

 

「……逃げるしかないか」

 

 ディズからの命令、死霊術師の核は破壊できた。これ以上は無理だ。体力も魔力も道具も使い果たした。この戦場に残るのはただの自殺だ。逃げるしかない。

 幸いにして、悪霊樹はもともと地中に潜りこむ様にして存在する魔物だ。地上に引きずり出され、混乱し、此方を見失っている。逃げるくらいなら何とかなるだろう。

 

「ウル様、ご無事ですか」

 

 穴から這い出たウルをシズクが出迎える。まだ顔色は悪いが回復薬が効いてきているのだろう。まだマシになっていた。未だフラつき、そのたびにニーナとラーウラに支えられている様子だが、それでも彼女は座り込んだりはしなかった。

 

「シズク、休んでなくていいのか」

「眠たいです。ですが、その前に。悪霊樹が気づく前に」

 

 そういって、彼女はふらふらと歩いていく。悪霊樹とは反対側、崩壊したカナンの砦が小高く積まれた残骸の上で、“それ”が座り込んでいた。

 

『おう、小僧、生きとったか』

 

 死霊騎士が手を上げる。

 表情もわからないはずの骨の姿、だが、疲れているように見えた。魔力を供給する死霊術師が死に、魔力が尽きかけているのだとウルは理解した。即座に彼の姿が崩れないのは、特別製だからだろうか。

 その死霊騎士にシズクは近づいていく。そして目の前でペコリと頭を下げた。

 

「約束を守ってくださってありがとうございます。騎士様」

 

 死霊騎士はその礼に、ゆるゆると手を振った。

 

『なあに、魂まで外道に堕ちる前に引き戻してくれて感謝しとるよ乳のデカい娘』

「シズクと申します」

『ワシは、ロックと呼んでくれ。さて、どうするのかの?』

 

 では、ロック様、と、シズクは彼の前に立つ。

 

「契約を致しましょう」

『死霊術、使えるのかの?』

「簡易の使役術なら概要は聞いていますので、応用します」

 

 さらっとそんな事を言いながら、彼女は細やかに術を編む。

 唄い、奏で、幾度か修正を繰り返しながら新たなる術を作り出す。シズクと死霊騎士の間に徐々に光のラインが結ばれ、ほつれ、再び結ばれるのを繰り返す。術の構築に悪戦苦闘している様子がはた目からでも分かった。

 

『きつそうじゃの』

「少し、つかれて、ます」

『ま、別に無理そうなら、それはそれで構わんぞ』

 

 やれやれ、というように、戦ってる最中の元気な様子はどこへやら。疲れたようにありもしない肺からため息が一つ死霊騎士からもれた。

 

『なんも覚えとらん。この世にもあの世にも、何の未練も無い。消えて無くなろうとどうでもよいのじゃ』

 

 そう言う死霊騎士、ロックは、頭蓋骨で読み取れないはずのその顔に、底知れぬ寂しさが垣間見えた。シズクが勧誘するまでの彼の投げやりな態度の理由が少し分かった。

 誰一人知る者のいない時代にたった一人たたき起こされたことに対する自棄。未練も満足も失ったが故の虚無が、彼を包んでいた。

 これでは、ここで消滅を逃れたとしても意味は―――

 

「では、私と家族になりましょうか」

『ほあ?』

 

 死霊騎士は呆けた声を上げた。ウルは声を上げなかったが変な顔になった。

 

「生きる理由がないのならば、作ればよいでしょう?」

『だから家族になると?なんじゃあ母ちゃんにでもなってくれるんかの?』

「まあ、大きな息子ができましたねえ」

『娘とか?』

「頼りがいのありそうなお父様がでございますね」

『恋人?』

「素敵な旦那様ですね」

 

 死霊騎士はウルへと振り向き、シズクを指さした。

 

『おい、小僧、この娘ヤバいぞ』

「後で叱る」

「まあ」

 

 シズクは困った顔になった。

 

「新たに関係を築けば、新たな生を歩む理由になるかと思ったのですが」

 

 冗談のような提案だったが、彼女は心底までに本気だったらしい。だからこそ性質が悪い。自分を大事にしろ、というウルとの約束を違える彼女ではないが、要はこの程度の事ならば別に“蔑ろにしているつもりはない”らしい。

 常識から教えた方が良いのか?という疑問と葛藤にウルが勝手に苛まれる間に、シズクは術を徐々に完成へと近づけていった。死霊騎士はその光景を眺め、先ほどのシズクの言葉に応じる。

 

『そうまでお前さんにしてもらう理由が全く思い浮かばんわい。なんだってワシにそうまで良くしようとする?それともなにか?』

 

 死霊騎士の、カタカタと、肉の削げ切った頭蓋骨が揺れ、不気味に音を鳴らす。

 

『そうまでしてワシを使役したいのか?』

 

 あの死霊術師と同じように  眼球を失った眼孔の闇が、シズクを睨んだ。

 

()()()()()()()

 

 そしてシズクは、精霊すらも虜にするような満面の笑みを浮かべた。

 

 怒りにも似たロックの暗く重く滾らせようとしていた誇りと情念は、その笑顔に飲み干された。ウルにはそう見えた。

 

「魔力さえあれば疲れ知らず、粉砕されても再生する身体、熟練の剣士としての技量と洞察力。貴方はとても素敵です。ロック様」

 

 シズクは魔術を唄い奏でる。たった数度の試行錯誤で、彼女は新たなる己が為の使役術――――【死霊術】を完成させていた。周囲の魔力が光となって周囲で瞬く。精霊が躍るようなその幻想的な光景を、ニーナとラーウラはぽかんと口を開けて、魅了されていた。

 

「私の下僕となってくださいませ、ロック様。代わりに、貴方の望む主となりましょう」

 

 シズクは何もかもを虜にする笑みのまま、手の甲を差し出す。その所作は妖しく、しかし同時に貴人の如く優雅でもあった。

 ロックは、しばし呆然とするように身動きしなかったが、しかし、ふっと、カタカタカタと骨を鳴らした。笑っていた。心底までに楽しそうに腹を抱えながら。

 

『おい、小僧、この娘ヤバいぞ』

「後で叱る」

「まあ」

 

 シズクは困った顔になった。

 

『成程?生き甲斐になるかはわからんが、()()()()()()()?お主の下僕になるのは』

 

 偽りの家族の関係などよりもよっぽど、彼女自身が面白そうであり、魅力的だ。

 彼はそう言って、カカカと笑った。

 死霊騎士はシズクの前で跪き、彼女の手を取った。途端、白銀の魔力のラインが輝き、シズクと死霊騎士を結んだ。

 

「【風よ導と唄え、我が魂への隷属を望む者への道を紡げ】」

 

 魔術は完成した。弱弱しくあった死霊騎士の身体にシズクの魔力は巡り、精気を取り戻す。死霊騎士は姿勢を変えず、顔だけを上げ、そして骨を鳴らした。

 

『カカ、今後ともよろしく頼むぞ我が主よ』

「よろしくお願いいたします。私の騎士様」

 

 闇夜の中、暴れ狂う悪霊樹と、荒廃したかつての守護の砦の中心。長く、美しく星々の光に煌めく銀の髪の絶世の美女。それに忠義を誓う、血肉を失った死霊の騎士。

 その光景は一枚の名画のように美しかった―――得体のしれぬ悪寒を感じる程に。

 

 何か、決定的な事態を傍観してはいまいか。

 

 そんな悪寒をウルは振り払う。バカバカしい。疲れ果てた心が根拠のない猜疑を生み出している。深呼吸をして不安を吐き出し。腹に力を籠める。まだ何も終わってはいないのだから。

 

「……って、うっわ!!まずい!ウルさん!悪霊樹!こっちきてる!!」

「ニーナ、ラーウラ、シズクが人質たちを守るために結界を敷いた場所まで逃げてくれ。場所は覚えているよな」

「大丈夫です!逃げようニーナ!」

「お二人も急いで!!」

 

 悪霊樹はいまだ暴れている。なによりディズとアカネにいまだ連絡が届かない。途切れたままなのだ。死霊術師を討ちとった後、幾度か交信を試みたが、未だ返事は来ない。

 やはり撤退しかない。アカネを置いていくのは口惜しい思いだが――

 

「シズク、魔力補充薬余ってるなら飲みきってくれ。で、ロック、シズクを背負ってくれ。撤退する。砦の城壁の外に逃がした人質たちと合流する」

「わかり、ました」

『カカカ!任せよ!』

 

 ウルの指示に対してロックもシズクも動き出す。ウルは最後に、崩壊していくカナンの砦の中で、唯一奇跡的に形を保っている建造物、ディズが侵入した司令塔を見つめ、唸った。

 

「大丈夫だろうな、二人とも」

 

 そう呟いた直後、司令塔は爆散した。

 

「……大丈夫じゃあなさそうだな」

 

 ウルは気が遠くなった。

 

「ええ!?なに!?」

 

 少し先の方から、ラーウラの悲鳴が聞こえてくる。ウルも悲鳴を上げたかった。ちょっと前まで、奇跡的なまでに無傷だった司令塔が、本当に言葉の通りに砕け散ったのだ。冗談みたいなタイミングで、思わずウルは笑いそうになったが、顔が引きつるだけだった。

 

『SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!』

 

 無差別に暴れていた悪霊樹達もまた、一斉にそちらに意識を向ける。そして、振り落ちる瓦礫と、土煙の中から何かが飛び出してくる。二つ。

 

 一つは黒い影、何か大きく、そして巨大だ。

 そしてもう一方、小さな、紅の人型の、少女。

 

「ディズ!アカネ!!」

 

 ウルは思わず叫んだ。

 

 もう一つの戦いの決着もつこうとしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

金色の勇者

 

 

 かつての話

 

「では、私にこれを授けると?【ファーラナン】様」

《そうなるな》

 

 初代ラックバード、ただの流れの商人であった彼は、ひょんな事から出会った火の精霊ファーラナンから、聖遺物【灼炎剣】を授かった。初代ラックバードは、授かった鮮烈な焔の意匠の刻まれた美しい長剣を両手で握りしめている。

 

《私を助けた礼だ》

「祈りを捧げただけなのですが」

《悪しき教えが蔓延り、私の力は落ちていた。お前の祈りは一助となった》

 

 当時、迷宮の出現の不安からか、精霊達への懐疑を叫ぶ怪しげな信仰が増えていた。

 後々、それが邪教徒の策謀であったと判明し一掃されるまで、精霊達の力はその策謀により衰えていた。初代ラックバードの祈りは、偶々偶然、四源の精霊の一角を助ける事と成った。

 

 尤も、それはほぼ偶然であり、偶然のためにこんな凄まじいものを授けられてもラックバードとしては困った。

 

 握りしめた柄から伝わる強大な炎の魔力の鼓動。人の手では決して作り出す事叶わないその圧倒的な力の波動を受け取りながら、雄々しくも美しい白い焔を纏ったヒト―――精霊に言葉を告げた。

 

「私は物売りですが」

《そのようだ》

「剣など、振り回せませぬ」

 

 初代ラックバードは本当に困っていた。なにせ己はしがない商人である。剣を振り、戦う能などない。まあ、精々盗賊たちや魔物から身を守る事もあるかも知れないが。明らかにこの剣は、過分だ。

 しかし精霊からの授かりものを売り飛ばすわけにもいかないし、

 要は困る。こんなものを軽々しく与えられては。

 

《使わずとも、持っていればよい。いずれ、お主を助ける》

「この先の未来で、という事でしょうか……ちなみに、いつくらいかはわかります?」

《10年後か、50年後か、200年後》

「おおざっぱですな……」

 

 精霊の時間の尺度がヒトのそれと違うのは当然ではあった。獣人の自分は森人や鉱人のような長命族とは違う。しかし精霊も流石にそれは理解しているようだった。

 

《それは、いつか、どこかで、お主か、お主の連なる者に降りかかる定めを裂く剣よ。いずれ来る“決定的な末路”からお主を救う》

 

 たとえ、その途中剣が喪われたとしても。

 

 初代ラックバードが、聖遺物を授かった事の顛末はこのようなものだった。その後ラックバードは商人として成功を果たし、預かった【灼炎剣】はラックバードの象徴にして成功を導いた家宝となった。

 しかし、灼炎剣に商売成功の加護などなく、その真の意味を初代ラックバードはあえて子供らに教える事はなかった。商売繁盛のお守りのように、心のよりどころとするなら、それはそれで構わないと思ったからだ。

 

 そうして、時は流れ―――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「―――はっ」

 

 ローズ・ラックバードは目を覚ました。

 ディズに掛けられていた昏睡の魔術が解けたのだ。うすぼんやりとした意識が急速に晴れていく。彼女は起き上がり、そして周囲の光景に絶句した。

 

 死霊術師によって作り出された、おぞましい研究室、なんてものは既になかった。文字通り、跡形もなく崩壊しきっていた。周囲にあるのは瓦礫と、崩れた壁、支えるべき天井を失い直立するだけになった柱のみ。上を見上げれば砦の崩壊と共に薄れかかった結界のその先で、星空が広がっている。

 

 何が……?

 

 見れば、足元の魔法陣も光を失いかけている。恐らく魔石が尽きかけているのだ。魔法陣の外に出ることは叶った。

 

「ディズはどこへ……?それに」

 

 あの、おぞましいバケモノは?

 彼女はふらつきながら周囲を見渡す。ロクに探索できる場所もないために、そのまま流れるように崩壊した壁から外を眺めた―――そして、彼女は視た。

 

 はじめ見た時よりも数倍大きくなった、凶悪な翼を広げたあのバケモノと

 

 そのバケモノに相対する金色の戦士、ディズが対峙するのを。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 カナンの砦、上空

 

『GUGEGGEGEGGEGEGGEGGEGGE!!!!』

 

 最早その身丈5メートルほどに成長し凶悪な力を更に向上させた幼竜は、その禍々しくも歪に伸びた翼を羽ばたかせ、ただ獲物を貫き悶えさせるためだけに伸びた牙を鳴らし、哄笑していた。

 愉快だから笑っているのではない。急速な捕食と成長と変化に精神がまるで追いついてはいなかった。愉快だから笑っているのではなく、己が眼前に迫る敵に対して、嗤う事しかしらなかった。

 嗤いながら、舌を伸ばす。小さい個体だった頃と比べて、グロテスクに肥大化した空間を抉る捕食の刃だ。

 

「【極壊、金剛、雷速、万魔を束ね我が剣へ】

 

 対する紅の鎧を纏った金色の剣士、ディズは、緋色の剣を振るう。

 黒い暴食と緋色の剣が交差する。鈍い金属の擦れる音が連続で響き渡る。不快音が空間を支配し、連続して響き続けた。それは戦闘の拮抗を示していた。

 しかし、

 

『GUGEGEGEGE!!!』

 

 徐々に、拮抗が崩れていく。闇の中で緋色の剣閃の数が明らかに多くなる。醜い暴食の舌が徐々に弾き返されることが多くなる。

 そしてその攻撃と攻撃の隙を彼女は逃さず、前へ飛翔した。

 

『GI!?』

《んにぃ!!》

 

 根元から暴食の舌をつかみ取った。するとつかみ取った舌が変形し、鋭利な刺が幾本も伸び手を貫いた。アカネは驚き悲鳴を上げるが、ディズは握りしめた舌を離さず、剣を振る。

 

「【魔断】」

 

 一閃が奔り、長大な竜の舌が切断された。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 舌が引き千切れる。同時に、即座に再生が始まる。だが、その再生の隙を彼女は逃がさない。飛翔の魔術で懐に潜り込み、剣を空へと構え唱える。

 

「【星墜】」

『GI!?』

 

 空間が歪む。人を大地へと結ぶ星の力が数十倍に跳ね上がる。翼を羽ばたかせ宙を舞っていた竜は途端地面に叩き落とされた。しかも、墜とすだけにとどまらず、そのまま幼竜の体は押しつぶれようとしていた。

 

『G……!』

 

 逃れようと幼竜は動き、しかし翼は疎(おろ)か指一本とて動かせぬ強大な重力の檻にとらわれているのだと気づく。そして理解したがゆえに、“攻撃の方針を変えた”。

 

『SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』

 

 周囲で暴れていた悪霊樹達が、急に、一斉に動き出し、金色へと向かい手を伸ばす。地上に出ていた悪霊樹だけではない。砦の彼方此方から木の根の全てがディズへと突進した。

 

「悪霊樹、捕食したのか」

 

 地面に叩きつけた際に、地上に出現していた悪霊樹を全て、一瞬にして捕食したらしい。真っ黒な暴食の加護を得た木の根が、ディズを引き裂かんと四方八方から伸びてくる。

 

《ディズ!どーする!?》

「“権能”準備」

《あれするん!?ぶっつけで!?》

「する。鎧の7割は解除する。使って」

 

 ズルリ、と、紅の鎧が波を打ち、揺らめく。掌から彼女の頭上へとアカネの身体が集められる。白く細い、無防備な肢体をさらしながらもディズは揺らがず、頭上に掲げたアカネの身体に掌を向ける。

 

「【赤錆の権能・劣化創造開始】」

 

 悪霊樹が迫る。触れるだけですべてを喰らう【暴食】の権能を有した力が迫る。

 ディズは微動だにしない。その間アカネは幾度となく形を変える。赤錆の精霊の力、ヒトの力では決して届くことのない、理を超越した力が発揮される。

 

「【模倣・灼炎剣】」

 

 かつての四大精霊の一人から初代ラックバードが授かった焔の剣が形を成した。

 

「【×5】」

 

 それが“5つ”、ディズの周囲に展開する。

 

「【灼炎発動】」

『ZIIIIIIIIIIIIIIII?!?!!』

 

 五つとなった聖遺物が、眩い白の焔を発動する。闇夜の中、突如として出現した業火に悪霊樹達は燃え盛る。精霊の権能を有した聖なる焔はヒトを傷つけず、仇なす魔のみを焼き払う。一方的な蹂躙だった。

 

『GEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』

「【魂魄滅却・五葬】」

 

 そして、未だディズによって地面に押さえつけられていた竜を、五つの聖剣が貫き、

 

『GE――――――――――――――』

 

 その魂ごと 焼き尽くした。

 悲鳴を上げ、逃れようとしてもがき、奇声を上げる。抵抗すべく舌を伸ばすが、ディズに届く事も無く燃え尽きる。憎々しげにディズを睨んでいた濁った眼球も、彼女を映す事を許さず焼かれ―――

 

『―――――――――…………      』

 

 地上に出現した災厄の一端は、跡形もなく滅却された。

 

 天賢王の勅命は成った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、あれ」

 

 ウルは眼前の戦闘の始終を呆然と眺める事しかできなかった。

 

 ディズと竜らしきものが出た所まではわかった。が、それ以降、ウルはディズを手伝う事はおろか近づくこともできなかった。天空でドス黒い竜がうごめき、同時に緋色の閃きが幾度となく交差する。悪霊樹の大群が集い、その全てに襲われながら、ディズは全てを返り討ちにした。

 

 なんだアレは。

 

 最早、金貸しの娘などという肩書はどこぞへとすっ飛んでいった。

 彼女は、ディズは、このイスラリア大陸の“最上位”だ。

 元黄金級であるグレンとの戦いで、大陸最強の力の一端に触れることは出来たが、彼はあくまでも引退し一線を退いている。

 彼女の力は、アレこそが――――

 

「ウル様」

「……シズク?」

 

 シズクが声を上げた。

 そちらを見ると、ロックに背負われた彼女は、ひたすらにじっと、ディズを見つめていた。アカネが生みだした業火の中で、竜の肉体が焼け崩れる様子を見守るディズを、眩そうに見つめ続けていた。

 

「私は、彼女のようにならねばなりません」

 

 そして小さく、決意を口にした。

 

「そうか……そうだな……俺もだ」

 

 ウルは彼女の決意に頷く。ウル達が目指すもの、冒険者の頂点である金色とは、つまるところ“彼女のような存在になる”事なのだとウルは理解した。遠くから眺めて、凄いと感心している暇などウル達にはない。

 あれこそが、目指さねばならないものなのだ。

 

 そして次第に炎が消え去った。悪霊樹も、死霊兵も、カナンの砦そのものも跡形もない。

 

 そして、避難させていたのであろうローズを抱えたディズが、上空から降りてきた。飛翔魔術によってふわりと着地したディズは、ローズの身体をゆっくりと地上へと降ろし、大きく息を吐き出すと、

 

「……むう」

 

 ぐらりと後ろに倒れこんだ。

 

「ちょっ……ちょっと!ディズ?!」

「ディズ様?」

『おうちょっと、背中で動くな主』

 

 ローズが慌て彼女を引き起こし、シズクもロックの背中からもがく、そしてもちろんウルも駆け寄る。倒れこんだディズは、アカネの鎧が半ばまで剥がれ半裸の状態になりながらじっと空を睨んでいた。

 怪我でもしたのか?いや、調べるまでもなく身体の彼方此方傷だらけではあるのだが――

 

「……私はね」

 

 と、思った矢先、ディズが口を開いた。

 

「ひっさしぶりに休暇期間だったの。移動の間の僅かな時間だったけど、休みだったんだよ。最近ドタバタしてたからようやく休めると思ったの」

「……おう、それで?」

 

 突然、早口にまくしたてるディズに、ひとまず続きを促した。

 彼女のしゃべり方に覚えがあった。不満があって酒を飲んで悪酔いした酔っ払いだ。

 

「だからね」

 

 一言言って、そして大きく息を吸い込んで、彼女は叫んだ。

 

 

「つーーーーかあーーれえーーーたあーーーーのーーーーーー!!!」

 

 

 それは咄嗟に耳を塞ぎそうになるくらいには大きな声で叫んだ。続けて、疲れた疲れたと喚きながら寝転がり、幼児のように暴れ始める。ウルは黙ってそれを見守った。こんな感じになったら放っておいて相手が落ち着くまで黙ってきいてやるしかない。口を挟んでも無駄だと理解していた。

 そしてひとしきり暴れたのち、彼女はむっすりとした顔になって、

 

「……ねる。おこさないで」

 

 寝た。一瞬である。あの睡眠技術を使ったのか、あるいは本当に疲れ果てていたのか、小さな寝息を立て始めた。

 

《おねむ?》

「……おーい、ディズ?」

 

 声をかけてみた。身動ぎすらしなかった。背中は砂と砂利と瓦礫の山で、背後では悪霊樹達が未だ燃やされているというのに、熟睡である。

 

「幸せそうな顔ですね」

「というか誰が運ぶんだよ。これ」

『わしゃ主背負っとる。お主しかおるまい。半裸の美少女なんぞ役得じゃの、カカ』

「アカネ、マントになってくれ」

《あたしもつかれたので、ねる》

「……着替えなんぞないぞこの瓦礫の山にゃ」

 

 ウルは嘆くが、さりとてディズが眠りから目覚めてくれることもなく、あの苛烈な戦いを繰り広げていた当人とは思えないほど、間抜けな寝顔で熟睡を続けた。

 

 さて、その後――

 

 結界によって守られていた人質たちと、ウル達は合流を果たした。(その際人質たちを考慮し、ロックには兜などをかぶせ死霊兵とわからぬようにした)

 盗賊たちの撃破に成功したとはいえ、彼らが今いるのはいまだに都市の外、いつ、どこで魔物達に襲われるか分かったものではない危険地帯だ。そして現状、怪我人が大量にいて、そもそも戦えない者が大勢居た。結果、一夜を過ごすこととなる。

 

 カナンの砦の結界は既に崩れかかっており、魔物の襲撃を懸念したが、結界の効果がなくなると同時にダールとスールが二頭、砦の中に突入し、ウル達の下に来てくれたのが幸いだった。

 

 予備の回復薬等を馬車から取り出し、自分たちの回復と怪我人達の治療を行いながら警戒を続け、そして、夜が明けた。

 

「……まぶし、太陽神様様だ」

『良い朝日じゃのう』

「アンタ朝日浴びたら溶けて死ぬのかと思った」

 

 日が昇り、疲れ果て、眠りに落ちていた人質たちは目を覚まし、ほっと息をついた。ニーナにラーウラもそうだ。ディズはいまだアカネと共に昏々と眠りつづけていたが、ダールらが彼女たちを守りつづけた。

 

 そして、日が昇り始めてすぐ、アルトの騎士団たちが駆けつけてくれた。

 

 使い魔の魔術師が事の急変を騎士団に伝え、危険を顧みず日が昇る前にこちらに駆けつけてくれたらしい。途中、砦から逃げだした盗賊たちを捕らえつつの到着であり、使い魔に案内され真っ直ぐにウル達の下にたどり着いた彼らは、すぐさまウル達を保護してくれた。

 

 かくして、島喰亀の襲撃から始まったウル達の討伐依頼(クエスト)は成功と相成った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦いの後

 

 冒険者と騎士団の手によって、悪しき島喰亀の襲撃犯たちは討たれた。

 

 アルトの都市民はこの朗報に安堵し、昂っていた怒りを鎮め、被害者たちを悼んだ。

 運ばれるはずだった多量の物資食料、都市運営のための莫大な魔力資源、島喰亀の信頼の損失、そして何より、失われた多くの命。無事の解決、とは間違っても言えない結果ではあった。多くの傷が残り、得る物のなにもない事件だった。

 しかし、魔の蔓延るこの世界に生きる者達は、凶事に対する耐性は持ち合わせていた。嘆き悲しんでも、それを引きずることはしなかった。故に、都市民達は死者を悼む一方で、事件の立役者たる騎士団と冒険者たちを讃えた。

 

 しかし、真に讃えられるべき事件の立役者の名を、アルトの民が語ることはなかった。

 

「あーいいよ別にーどうでもー。あんまり騒がないでって言ってるしね」

 

 その立役者、死霊術師を討った張本人であるディズは、宿の最高級の部屋で丸一日と半ぶりに目を覚まし、事情を聴くとのんびりとそう言った。

 

「正直、ディズを差し置いて、褒められるって居心地が悪いんだが」

「他の【七天】差し置いて私が英雄視されると、ちょっとめんどくさいんだよね」

「【七天】ね……」

 

 大連盟の盟主国、【大罪都市プラウディア】にして【神殿】のトップ、【天賢王】。

 その彼自身も所属する、【神殿】最強の戦力【七天】。

 ディズがその一端である【勇者】を担っている。その説明を受けた時、ウルが真っ先に思ったのが

 

「なんでそんな女が金貸ししてんの……」

「魔具集めに丁度良くってさ、この仕事」

 

 指輪持ちでもない彼女が騎士団や冒険者ギルドとの交渉を極めてスムーズに行えたのはそのこともあったかららしい。勿論、彼女自身の圧倒的な手際の良さがあってこそのものでもあったのだろうが、なんとも凄まじい話だった。

 

「……で、なんで都合が悪いんだよ。英雄扱いもなにも、英雄だろお前」

「でもほら、君、【勇者】である私のこと、あまり知らなかったでしょ?」

「それは……まあ」

 

 【七天】自体は、ウルも知っていた。

 言うまでも無く、この世界で最も偉大なる【天賢王】や、その腹心の部下にして最強の剣士と名高い【天剣】、森人にして恐るべき魔術師である【天魔】など、有名な七天達の活躍はウルも冒険者になる前から時々耳にしていたし、知っていた。

 だが、確かに【勇者】の名前は殆ど知らなかった。そもそも知っていたら、彼女の名前を聞いたとき、多少はピンと来たかも知れない。

 

「他の七天達と比べて、私は下っ端だからね。“一番弱いし”、だから下手に有名になりすぎると、バランスが悪い。めんどくさい」

「下っ端ねえ……」

 

 その割に女はべらせてだらけているけど、とはウルも口にはしなかった。

 

「ディズ様、反対側の耳もお掃除しますね」

「あまり動かないで、癒しの香油を塗ったげるから」

 

 シズクは寝転んだディズを耳かきで掃除をしながら甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 ぶっちゃけ彼女の奉仕気質はいつも通りだが、もう一人、今回の事件で救出されたラックバードのローズもまた、シズクにならうようにディズの世話を焼いていた。ベッドに寝転がるディズに自分の店の商品を使用している。未だ激闘の影響で熱を持つ彼女の身体に癒しの香油を甲斐甲斐しく塗り込んでいた。

 

 シズクが目を覚ます少し前に執事を伴って見舞いに来たローズは、タイミングよく目を覚ましたディズに、真っ先に頭を下げ、礼を告げた。

 

「貴女のおかげで助かりました。そして、今までの無礼、謝罪いたします」

 

 島喰亀での彼女のつっかかりようから一転したその心変わりにはウルも驚いた。救出時、色々あったらしい。ディズはその感謝と謝罪に寝ぼけ眼で、少しだけ困った顔になりながら、

 

「灼炎剣、返せないよ?」

「いいの。貴女こそが私にとって“灼炎剣そのもの”」

 

 彼女が何をもってその結論に至ったのかは勿論ウルにはわからない。ディズもまたあまりよくわかってはいないらしい。が、結果として和解は成った。

 ちなみに島喰亀でディズに救出の依頼をした執事のルーバスは(アルトに帰還時、彼女と再会した時は泣いて喜んでいた)、主の様子を見て目を真ん丸にして驚いていた。が、どこか険が抜けたような笑みを浮かべる自分の主を嬉しそうに受け入れた。

 

 ともあれ、二人の関係はこんな感じで落ち着いた。らしい。

 

「まー好意はありがたく受け取っとくよ。流石に疲れたしね」

 

 そう言って、ディズは今回の事件の功労者と知る宿屋から差し入れされた果実を口にしながらだらけている。どこかの貴人のような扱いである。【七天】の一人であることを考えれば事実としてそういう立場なのかもしれないが。

 

「しっかし、そんならディズはこれまでもずっとあんな戦いをしてたのか」

「まあね」

 

 ディズは当たり前のように頷いた。あんな、各都市国を揺るがすような大事件が、彼女にとってはまあ、日常であるらしい。

 

「本当はもっとちゃんとした武具を用意してから闘うんだけど、今はどれも調整中でね。結果として、アカネに手伝ってもらった……けど、まあ、今回は流石に無茶させたね」

 

 そう言ってディズは、自分の懐から何かを取り出した。

 それえは紅と金の入り交じった“球体”だ。奇妙な金属の球体だ。それがアカネだった。

 アカネは身体を休めるときは様々な形をとる。ここまでシンプルな形になるのはあまり見覚えが無いが、別に珍しくもない。だが、砦の戦いが終わって以降、長期間一度たりとも目覚めずこのまま、というのは覚えが無かった。

 

「……大丈夫なんだろうな」

「人を殺すような顔しないでよ。大丈夫だよ、彼女とのつながりは感じるし」

 

 ディズの言う感覚はピンと来ないが、しかしディズがこういう時下手な嘘をつくような女では無いというのはウルも理解していた。元々、アカネの特性については身内であるウルにも分からないことが多すぎるのだ。

 ディズを信じるしか無い。ウルは球体となったアカネをそっと撫でた。

 

「ゆっくり休めよ、アカネ」

《――――》

 

 優しく球体を撫でてやると、鈴のような音が響く。わずかながら意識があるのか、あるいは単なる寝言なのかはウルにはわからなかったが、暖かな気持ちになった。

 

「無茶をさせた以上、少しは休ませないとな。仕方ないか」

「アカネのありがたみがわかったか」

「面倒で困るよ」

「血も涙もないなこの女」

「代用品は手持ちにはないのですか?」

「アカネくらいの武具防具はちゃんと用意しているよ……ただ、ね」

 

 ディズはしばしの間、アカネを抱き枕のように抱えながらベッドの上で寝転がった。そしてしばし考えこみ、よし、と立ち上がる。

 

「所用を済ませたら、すぐにアルトを発とうか」

「主の命令には従うが、理由は?」

「大罪都市ラストで私の装備を回収する。もう少し周囲の地域の様子を見ながら動くつもりだったけど、向こうから飛び込んでくれたおかげでこの地域のデッカイトラブルが解消された」

「されたなら、少しはゆっくりすればよいのに」

 

 休みがない、と嘆き悲しんでいたというのに、えらい急ぎようだった。

 

「トラブルが休んでくれるなら、私も休めるんだけどねえ……ローズ」

「なに」

「“太陽を喰らう蛇の紋章”をあの死霊術師はしていたんだね」

 

 その質問に、不快な記憶を呼び戻そうとしているのか、彼女はわずかに額にしわを寄せながら、考え込む。そして、

 

「そうね……でも、あれ、今思えば蛇というよりも……」

 

 竜

 

 その言葉を口にして、ウルはギクリとした。ウルがディズと“暴食の竜”の戦いを見たのは僅かな時だった。しかしそれでもあの存在感は覚えている。真っ黒で、いびつで、胸の中がひっかきまわされるようなひび割れた笑い声を放った、翼の生えたバケモノの事は。いずれウル達が討たねばならない目標、しかし今はとてもかなう気はしない。どころか、近づくことすら嫌悪感を覚えた。

 

 太陽、ゼウラディアを喰らう蛇のエンブレムを持った死霊術師、呼び出した竜。

 

 不吉な印象を覚えないわけにはいかなかった。

 

「竜の信奉者が元気になり始めた。“いろいろ起こりそうだ”」

 

 竜の信奉者、という不吉なる言葉を放つ彼女の声はまるで予言であり、うすら寒い信憑性があった。

 

「……ちょいと待て」

「うん?」

「よもやこれから先も今回みたいなトラブルが起こるのか?」

「起こるかもしれない。起こらないかもしれない」

「その場合、ディズはそれに首を突っ込むのか?」

「“とてつもなく危険な問題”でない限り、基本的に現地の人間に任せるスタンスだよ」

「“とてつもなく危険”の場合は?」

「突っ込む」

「俺達はどうなる」

 

 ディズは美しく微笑んだ。

 

「頑張り給え護衛諸君」

 

 ウルは沈黙し、そして一呼吸おいて叫んだ。

 

「詐欺だ……!」

 

 自分たちにとって都合の良い条件だと思ったのに、その護衛対象が都市規模災害のトラブルに首を突っ込んでいく狂戦士なのは詐欺だ。そんな話は当然のように契約の時には聞いていない。

 

「ウソは言ってないもの。護衛の依頼をしただけ」

「畜生め」

 

 そもそも彼女から依頼された時、考え無しに飛びついた時点でウルが阿呆だったというだけの話だが、それにしたってあんまりだ。冒険者ギルドの間を通さない美味しい話には最大の注意を払わなければならないという事をウルは学んだ。学ぶのが遅すぎたが。

 

「ま、当たり前だけど出来ない事をさせるつもりは私にもないよ。冒険者ギルドの指輪持ちを無駄死にさせたとあっちゃ、私の仕事にも差し支えあるからね」

「だからあの時逃がそうとしたのか」

「ムリだと思ったからね、結果を見ればそれは私の見誤りだったわけだけど。褒めてあげよう」

 

 手招きしてくる彼女に近づくと頭を撫でられた。子供か俺は、と顔を引こうとすると、その前に両手で頬をひっつかまれた。

 

「なにふる」

「いや、つくづく面白い拾いものをしたなって。正確には面白い成長をした、というべきかもしれないけれど」

 

 こんな凡人の何を面白がっているのか、とウルは不思議でならなかったが、彼女は楽しそうだ。そして、何を思ったのだろうか。そのまま彼女はウルの頭を抱えるようにして抱き寄せて、ウルにしか聞こえないくらいに小さな声で、囁いた。

 

「私に勝ってね。ウル」

 

 彼女の言葉を、ウルはこの時は全く理解できてはいなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦いの後②

 

 

 衛星都市アルト、冒険者ギルド。

 

 衛星都市アルトにも冒険者ギルドは存在していた(というよりも存在しない都市国がこの世界にはほぼない)。だが、此処を最初訪れたときは、ほぼ一瞬顔を出しただけだった。マトモに腰を据える暇が無かったのだ。

 

 盗賊騒動を終えて、改めてようやく顔を出すこととなった。

 

『ほーお、此処にお主等みたいなイカれどもがおるんかの?』

「そうですよロック様」

「シズクは兎も角俺を含めるな」

 

 カタカタという音と共に聞き覚えのある声がシズクの方から聞こえてくる。彼女の肩に小型の人骨が乗っている。ややデフォルメされており、魔術師の使い魔のように見えるソレは、死霊騎士、ロックだ。

 

「……随分まあ、可愛らしくなったな。ロック」

『女の子にモテモテになってしまうの?』

「第二の人生楽しそうだなオイ」

 

 死霊術師が生み出した死霊騎士の骨の肉体、器は今のウル達ではとても手出しできない術式が刻まれており、破壊する事も作り替える事もままならなかった。だが、形状に干渉することは出来たらしい。

 都市内に死霊騎士をそのまま連れ歩くのは刺激が強すぎる、という事も考慮した結果が現在の形状である。精々、少々悪趣味な人形と見えなくもない。少なくとも此処に来るまで、多少目を引くことはあっても、騒がれることは無かった。が、

 

「あまり喋るなよ。でかい都市でもない。魔術師慣れしていない都市民ばかりだ。人の魂を流用した死霊兵は世間受けが悪い」

『なに、わきまえとるよ。主に迷惑はかけんわい』

「お願いいたしますね、ロック様」

 

 主従関係の構築は順調らしい。

 正直言えば、邪悪なる死霊術士の使い魔だった存在を流用する事をリスキーに感じなくもない。が、しかし、彼の戦闘力が実に有用である事も先の戦いで散々思い知った。しかも使い魔カテゴリなので報酬の分け前も必要としていない(小遣いは要求されたが)。

 リスクを無視すれば、協力者としてこの上ない優良物件である。多少のリスクなど今更だ。飲むしか無かった。

 

 そのためにも、冒険者ギルドにロックの存在を認知してもらい、使い魔として登録する必要がある。さっさと用事を済ませるか。と、ウルは冒険者ギルドの門を潜ろうとして、

 

「あ、や、やっぱり、シズクさん!ウルさん!」

 

 その前に、背後から声がかかる。これまた聞き覚えのある声だ。

 

「ニーナさん、ラーウラさん」

 

 死霊術師との戦いで協力し戦ってくれた二人である。

 出会った頃のボロボロの姿ではなくまともな――――と言っても、鎧もローブもまるでボロで立派なものではないが――――格好の2人は、嬉しそうにウル達に手を振った。

 

「ご無事で何より。二人とも」

「お怪我は響いてはいませんか?」

 

 中々の苦難に見舞われたはずの彼女たちであるが、しかしその表情は思った以上にしっかりとしていた。

 

「だい、じょうぶです!!」

「頑丈だから、私ら。平気さ」

 

 タフだ。ウルは感心した。グレンの訓練所で一つ学んだが、冒険者の素養として重要なのは頑丈さだ。その点で、彼女たちは優秀であるらしい。

 

「それは良かったです」

「ただ、一式の装備が盗賊達に盗られちったのは痛かったな」

「わた、私の魔導書も、もう、が、瓦礫のしただしね」

 

 えらく古い装備を身につけている理由はそれらしい。元より指輪なし冒険者などカツカツなうえ、装備の全喪失はかなり痛い。彼女たちの苦悩は理解できる。指輪があるだけで、正直彼女たちとウルの立場は大差ない。そして

 

「なら、まあ丁度良かった」

「そうですね」

 

 はい?と顔を上げる二人は理解していなかったらしい。

 だがそれも当然だろう。“あの事”が決まったのは彼女たちが捕まった後のことだ。

 

「賞金を取りに来たんだ。冒険者ギルドに」

 

 討伐に向かう直前に掛けられた金額は金貨20枚である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「えっと、えっと、金貨、2、20枚ですね!こちらになります!!」

 

 いかにも不慣れな印象を受ける受付嬢が、どがしゃんと、雑にウル達の前に突きつけてきたのは、島喰亀襲撃の盗賊たちの賞金、金貨20枚である。

 20枚、大金である。宝石人形の時と上回るだけの額が目の前にある。そこに

 

「あ、あと、集めていただいた魔石の換金額が此方になります!!」

 

 と、銀貨20枚ほどが追加で投げられる。金銀の山が積もった。

 

「さ、更に、今回、第三級の【子竜】の出現が確認できたため、ギルドからの報奨金として更に金貨20枚を贈らさせていただきます!!少なくて済みません!」

 

 その上から金貨がじゃらじゃらと積まれた。最早圧力である。ウルは目眩がした。

 

「……さて」

 

 ウルは横に一緒に並ぶニーナとラーウラに顔を向ける。二人は目の前に輝く金貨と銀貨の山に顔を覆っていた。多分目が潰れないようにしてるのだろう。ウルも同じ気持ちだからよくわかった。

 

「お二人とも、よろしいだろうか」

「お、おおおおう……」

「では分配と行きましょう」

「は、はい!はい!?」

 

 混乱している二人をよそに、ウルはまず銀貨を寄せて、それを二つに分配した。

 

「ひとまず通常の魔物の討伐は我々だけで行なったので二分、銀貨10枚はそちらに」

「え、え、あの、私達こんなに」

「それで、金貨だが、貢献度の査定はギルドに依頼した」

 

 そう言ってウルがちらりと冒険者ギルドの受付の女性に目くばせした。彼女はコクコクと頷いて山と積まれた金貨の前に立った。

 

「さ、先ほど皆さん一人一人から今回の盗賊達討伐の詳細については伺いました!その情報をもとに分けさせていただきます!」

 

 そう言って、現在40枚存在する多量の金貨の内、ずい、と半分まず両手でかき、そして分けた。

 

「まずは半数の金貨20枚、こちらは最も今回の案件で貢献度の高かったディズ様の取り分となります……えー本来であれば彼女の取り分はもう少し多くなるのですが、基本的に、分配の最大は半分となりますのでこちらで」

 

 その分配にディズが不服を申し立てれば金貨は彼女へと動くし、その権利はあるのだが、幸いにしてディズはその点は「任せる」の一言で、後はすよすよと熟睡モードに移った。

 故に代理人としてウルはギルドの分配に同意し頷く。するとギルドの女性はニッコリ笑い、金貨をむんずとつかみ袋に詰め縛る。続け、

 

「残20枚の内、貢献度の割合はお二組をおよそ2:1とし13枚をウル様達に、7枚をニーナ様達に、それぞれお渡しします。以上が冒険者ギルドで判定した貢献度に基づいた分配となります!」

「……という事らしいので、どうぞ、金貨7枚、銀貨10枚」

 

 ずい、と押し付けらる金貨と銀貨にラーウラは明らかに目を回していた。ニーナはニーナで突如として押し付けられた大金に恐れおののいている。真っ当な感性をしているなら(冒険者が真っ当なのかはともかく)いきなり大金が突きつけられれば警戒するので反応としては正しい。

 

「さて、確認するがこの分け方に不満や不都合はあるだろうか」

 

 問われ、しばし呆然となっていたラーウラはその声に正気になったのか、首を横に振って叫んだ。

 

「不満っていうか……あ、あの、私達こんなには受け取れません!!」

「何故に」

「だって、私達そんなにたくさん手伝えませんでしたし……」

「十二分に働いてくれたと思うが。だからこそギルドもこの分配にしたのだし」

 

 盗賊たちにとらわれて暴力を振るわれ、それでも尚懸命に戦った。彼女達の協力がなければどこかで瓦解していただろう。それほどあの戦いはギリギリのものだった。

 しかしそれが彼女には納得いかないらしい。

 

「私達、ウルさんと違って指輪持ちじゃないし……まだ駆け出しで」

「私達冒険者になってからまだ一月の駆け出しですが?」

「いっ!?……で、でも、それなら余計に貴方達、凄すぎて、私達なんか邪魔に」

 

 すごい、という言葉にむずがゆさを感じ、ウルは口をひん曲げた。

 傍から見れば「すごい」ように見える、らしい。だが実情は次々と迫る状況に対して、死に物狂いで地べたを這いずり回り、幸運をつかみ取っただけのような気がしないでも無い。

 そもそもディズが居なければどうにもならなかったのは事実なのだ。

 

「だ、だいたい、こんな大金分けるなんて、ウルさん達だっていやなんじゃ」

「何を言っている、勿論嫌だ」

 

 ウルは正直に言った。

 嫌である。折角消費アイテムのすべてをディズに任せられるという、消費を度外視して賞金首を討つ絶好の機会だったのに、その金を分けるなど嫌だ。これから先、もっとたくさんの、もっともっとたくさんの金を浪費しなければならないのは間違いない。

 本当に嫌だ。しかし

 

「お金はとても大切でございますからねえ」

「そうだな。そんで、大事だから、誤魔化すべきじゃない。正しく分配すべきだ」

 

 宝石人形の時、かなり強引な手段で金を集め、その結果事を荒立てないためにより多くの金が必要だったのをウルは忘れてはいない。あのときあれだけのお金で済んだのはまだ幸運だったのだ。ヘタすれば金だけでなくもっと大きなトラブルを抱え、引きずるハメになっていただろう。

 

「お金は重要だ。そっちも簡単に要らない、なんて言わないほうが良いと思うぞ」

 

 謙遜や無欲は美徳だが、何事も過ぎれば決して良い事にはならない。

 ラーウラは沈黙すると、代わりに先ほどまでずっと黙っていたニーナが口を開いた。

 

「それじゃあ、その、いただきます」

「ニーナ?」

 

 驚いた顔をするラーウラに対し、ニーナは何処か腹の据わった表情でラーウラを見る。

 

「いいじゃない。そりゃあ、2人や、“勇者様”みたいには戦えなかったけど、私達、頑張ったよ。ギルドだって認めた。これは正当な報酬」

「でも……」

「それに私達はお金がない。武器も防具も失って、しかも安全だった島喰亀の護衛の任務も失敗した。このままじゃ失業だよ。お金は要るんだ」

 

 キッパリと、現状の自分らの状態を見つめた彼女の発言に、ラーウラも何か言いかけた口をピタリと閉じる。そして暫くした後、小さく頷いた。

 

「私は夢があるんだ。いつか都市民権を得て、【プラウディア】の騎士団に入る」

「わ、私も、天賢王様の管理する【螺旋図書館】で働くの」

 

 二人は互い、掲げた夢を確認し、頷きあう。そして改めてウル達に視線を戻した。

 

「ウルさん、この分け方で問題ありません。ありがとうございます。いただきます」

「そうか、譲ってもらえなくて大変残念だ」

 

 ウルは軽くそう言うと、ギルドが分けてくれた金貨の袋を手渡す。分配は完了した。袋を受け取った二人は中身を確認し、そして喜び合った。

 

「夢に向かって一直線というのは素敵でございますね」

「……俺ら、あんま健全じゃないからなあ」

 

 最短距離で金級に到達するという目標は残念ながら真っ当ではない。地道に、少しずつ努力を、なんてこととは無縁な目標だ。命の切った張ったな職業に就きながらも、夢を目指して頑張ろうとする彼女達は眩しかった。

 

「まあ、見比べても仕方ない事だ……で」

 

 ウルは振り返る。すると案の定、酒場で酒を飲んでいた冒険者の連中のほとんどが、じっとこちらを見つめていた。大罪都市グリードとは違い、普段ならそうそうないレベルの金額がぞろぞろと動いたのだ。注目を集めない方が変だ。

 そして彼らの視線は、必ずしも好意的なものではない。多量の金を獲得したウル達と、そしてニーナ達への嫉妬、好奇、その他諸々、多くの視線が集中している。

 無論、島喰亀を打倒し、この都市に訪れた悲劇を絶ったのがウル達である、というのは大体察しているのだろうし、間違いが起こることはまず無いだろう。

 が、グレンの言葉を思い出し、ウルは溜息をついた。

 

「……えー」

 

 ウルは席から立ち上がり手を挙げた。自然とウルへとその場の視線が集中する。咳ばらいを一つする。

 

「島喰亀の一件、損害を被った衛星都市アルトにお悔やみ申し上げる。皆様の想いと、騎士団の皆さんの速やかな協力もあり、無事、邪悪な盗賊達を滅する事に成功した!」

 

 緊張の焦りで舌が絡まって噛みそうになるのを抑える。こういうのは本当に苦手だった。

 

「故に、死者への追悼と、このアルトという都市への感謝を込めて、この場の全員に一杯酒をおごりたい!!受け取ってくれ!!」

 

 ウルが少し早口になりながらも大きな声で言い切る。と、少しだけウルの言葉を咀嚼するために沈黙していた冒険者たちは、次の瞬間一斉に雄叫びを上げた。

 

「ウル!ウル!!」

「人形殺しのウル!!」

「髑髏殺しのウル!!!!!」

 

 冒険者のノリというのは正直心の底から苦手なのだが、しかしこうやって即行で乗ってくれるのは本当に助かる。と、背中に冷や汗をかいていたウルは安堵した。

 

 こうして、島喰亀から続いたウルの衛星都市アルトの冒険は終わった。

 

 旅へと出た初っ端からとんでもないトラブルにぶち当たったとも言えるが、旅に出た目的、賞金首の撃破と貢献度稼ぎの事を思えば順調な滑り出し、と言えなくもなかった。

 

「でも次はせめてもう少し穏当な流れで討伐に挑みたい」

「穏当な賞金首というのは果たしてどんな方なのでしょうね?」

「こっちを攻撃してこなくて、穏やかで昼寝ばっかりするような賞金首」

「家畜さんですかね?」

「……せめてナマモノがいい」

「人形、死霊兵と続きましたからねえ」

 

 彼の願いは次の都市で一部かなう事となる。

 

 しかし残念ながら、そして当然ながら「穏当な」という願いはかなう事はなかった。

 

 

 

【餓者髑髏討伐戦:リザルト】

・餓者髑髏撃破賞金:金貨20枚

・餓者髑髏撃破後の獲得魔石:銀貨1枚相当(大部分の魔力は消費されていたため)

・餓者髑髏の魔片:吸収

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪迷宮ラスト編
リーネという少女


 

 大罪都市ラスト

 

 大山脈アーパスから東、衛星都市アルトから北東、衛星都市を更に一つ経由した位置あるこの都市は【大罪迷宮ラスト】を有する都市国である。この都市国は大罪迷宮という最大の特徴に加えもう一つの顔を持っている。

 

 大罪都市ラスト、別名【魔女の国】

 

 【大罪迷宮ラスト】はイスラリア大陸の北東部に存在していたサラザール大密林と一体化する形で出現し、その密林地帯全てを迷宮とした。

 出現当時は魔物の出没頻度も非常に強く、密林を越えて地表のすべてを迷宮として侵食し、飲み込まんばかりの勢いがあり、誇張抜きにイスラリア大陸全土の危機だった。

 その状況を何とかしたのが、後に【白の魔女】と呼ばれる1人の女魔術師だった。彼女は拡大し続ける迷宮を、当時誰も編み出せなかった、空間すら湾曲させる【白の結界】を用いて密林そのものを封印したのだ。

 

 大罪迷宮の脅威をたった一人で収めたのだ。

 

 後に世界を守護する七天が一人としてあがめられる“役職”ともなった彼女を、

 救われた人々は、封じられた迷宮を監視するための都市を建造し、そして彼女を崇めた。彼女の魔術を引き継がんと研鑽を続けた。いつしかイスラリア大陸中の魔術師たちが集い、魔術師たちの聖地となり、大陸一の魔術国家と化した。

 

 大罪都市ラストは魔女の都市、一大魔術国家だ。

 

 そして、そんな場所だからこそ、魔術師のための学び舎もある。

 【ラウターラ魔術学園】

 大罪都市プラウディア、天賢王の住まう【真なるバベル】の地下にある【螺旋図書館】すらも凌ぐ、この大陸でも頂点に君臨する魔術の学び舎である。魔術ギルドの総本山でもあった。

 その、魔術の学び舎の一角、最高峰の魔道学園にて教室を開き、生徒を指導する魔術師の部屋で、2人のヒトが机を挟み向かい合っていた。

 

「……本気なのか、お前は」

「はい」

 

 一方はこの部屋の主である男、名をクローロという。

 精悍な若者に見えるが、その実年100を超える。森人であり、魔術を究めんと森人の隠れ里から出てこの学園に足を踏み入れ、挙げ句教師になってしまった変わり者だ。

 そして彼と相対するのは、1人の小人の少女だ。この学園の生徒の制服を着ている。頭には今どきそんな古臭いものは誰も被らないような古めかしい魔女帽子。端から栗色の髪が三つ編みで2本伸びている。背丈は種族特有の小ささで、長身のクローロと見比べれば彼の半分にもとどかない。彼女が座る椅子はクローロの椅子の倍は高い。

 

 その少女を、クローロは睨む。森人特有の異様に整った顔で睨むと、下手に厳めしい者よりも迫力があった。だが、彼を前に、小さな少女は真っ向から向き合っていた。微塵も揺らぐ様子はない。

 

「確認するぞ、これはなんだ?」

「進路届です」

 

 クローロがひらひらと見せる紙に彼女は素直にその答えを告げる。だが彼はそんな事はわかっている、というようにため息を一つついた。

 

「そうではない。その中身だ。貴様のはなんだ。この……」

 

 そう言って、もう一度ため息をつく。次の言葉を継げるのが苦痛だ、そして改めてクローロは口を開ける。

 

「“冒険者”というのは、なんだ」

「……」

「冒険者、冒険者になるのか?お前が?」

 

 淡々と、しかし明確な怒りを滲ませた声であった。彼は普段そこまで怒らない。森人としての種族故か、感情の起伏は激しくない。だがそんな彼が明確に怒りをあらわにするほど、彼女の希望する進路先は、彼にとって理解不能なものだった。

 

「私のクラスに入ったものはその多くが都市運営、魔術開発、新都市開拓に貢献している。他では決して学べない此処で得た知識と技術を活用し、そして広めようと努力している」

「……」

「ヒトの世に貢献する上で、冒険者という職業を否定したりはせん。成程、現在の多くの都市が冒険者達が採掘する魔石にある程度依存するところは認めよう。事実、この学園からも冒険者を志すモノもいるにはいる……だが」

 

 クローロはじっと、少女の身体を上から下まで眺める。ヒトを、異性を相手にしているというよりも、捕らえた観察対象の獣を検分するような感情の籠らぬ瞳だった。そしてその観察を終え、冷静に指摘する。

 

「お前は向いていない。リーネ、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「無能という事ですか?」

「違う。不向きだと、そう言ったのだ」

 

 そう断言した。そして彼は彼女の出した志望届を彼女につき返した。

 

「もう一度、考え、改めろ。以上だ」

 

 突き返された少女は、突き返された進路届を受け取り、しかし淡々とした表情で頭を下げ、きびきびとした動きで彼の部屋から出ていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔道学園は一見すると城のように見えた。

 実用性を度外視した権威を主張するための城ではなく、明確な“敵”を迎え討つための砦の作りだった。幾重の城壁、見張り迎え撃つための高台に、かつてはさぞかし働いたであろう兵器の残骸等などが今も残っている。

 それもその筈で、かつてはこの場所こそが拡大し続ける【大罪迷宮ラスト】を抑える最前線の場所であり、白の魔女の住処だったからだ。魔女が結界を施し迷宮をその内側に押し込めるまでの間、戦い続ける総本山。白の魔女の結界封印が完了し、お役目御免となったその場所を再利用したのがこの学園だ。

 かつてと比べれば幾度となく改装が施され、無骨な印象は随分と薄れたが、それでも一部は当時の激闘の跡が見える。

 

 クローロ教授に部屋を追い出された少女、リーネがいる場所は中庭も、かつては魔物達を誘い込み、そして一挙に始末するための処刑場だった。が、今は花壇に花が咲き乱れ、植木が、傍らには小さくも太陽神へと祈るための礼拝堂まで建てられた憩いの場だ。

 

 リーネはそこに備え付けられたベンチに飛び乗るように腰かけ、自らが出した進路届をじっと見つめる。表情は険しい。しかし己の師に拒絶されたことを悲観する様子はまるで見えない。

 

「……どうすれば納得するかしら。先生」

 

 改めろ、という師の指示をまるで聞く気がないというように、彼女は思案に暮れる。眼鏡の奥の目つきの悪い瞳が更に険しくなっていた。

 

 そんなだから、背後から近づく影に気が付かなかった。

 

「魔女よ」

「魔女だ」

「落ちこぼれの魔女」

「役立たずの魔女」

 

 ケラケラケラという嗤い声が響く。その声にふと、彼女が顔を上げると。目の前に人の頭よりも大きな水球が飛び込んできて、弾けて、彼女の小さな体はびしょびしょになった。

 

 嘲笑の声は更に強くなる。劣ったもの、格下のヒトに対する嘲笑。ズブ濡れのリーネに対するものだ。見れば、リーネと同じ制服をまとったクラスメイトの少女たちが彼女を遠巻きに嗤っていた。勿論、こんな真似をする彼女らはリーネの友達、ではない。

 魔術をリーネに叩きつけた少女は、クスクスと笑い、仲間内にささやく。

 

「この程度の魔術、防げないのよ、アレ。ひっどいわね」

「クローロ先生に教えられてるクセに、いい迷惑よ」

 

 明らかに聞こえる声での、嘲笑、嘲笑、嘲笑、軽軽と投げつけられる悪意。それらに対してリーネは、依然としてその表情を悲しみに染めることはしなかった。眼鏡を裾で拭うと、そのまま嘲笑を続け、更には魔術をぶつけた少女達に向かってまっすぐに歩み始めた。

 遠目になって嗤っていた相手がまっすぐに近づくことにぎょっとなり、少女らは逃げだそうとするが、その前にリーネは彼女の手を掴んだ。

 

「痛い!離して!!」

「“神殿の官位持ち”相手に良い度胸ね貴方たち」

「最下位のクセに!!」

「官位すら持ってない貴方たちよりはマシだけど?自分の行いの意味分かっている?」

 

 国営を担う神殿の官位、即ち彼女の家はこの都市の“特権階級”である。権力者に対する嘲笑と暴力など、たとえその官位が最も低い物であったとしても、常識的な判断力があるのなら行わないだろう。そんなマネをするのはよほどの阿呆か、あるいは

 

「おいおい、権力を振りかざすなんて、官位持ちのヒトの所業か?レイライン殿」

 

 あるいは、同等以上の官位保持者の庇護下にあるかだ。

 

「顔を出しなさいメダル。下品よ」

 

 リーネの指摘に、男が顔を出す。やはりリーネと同じ制服の少年。顔つきは悪くはない。体躯もしっかりとしている。が、どこかべったりとした、人を見下すような笑みがその整った容姿を歪にしている。

 

「なんだよ?別に俺は彼女たちにそうしろと命じるなんて真似はしていないぞ。全ては彼女たちの義憤によって成されたものさ」

「メダル様!」

 

 出てきた寄る少女たちを、メダル・セイラ・ラスタニアは白々しく養護する。元よりあまり感情の色のつかないリーネの瞳が、更に冷たくなった。

 

「そもそも、あの程度、まっとうな魔術を扱えるなら「用がないなら、私はもう行くわ」

 

 相手にする暇などない。言外にそう告げる彼女に、意気揚々と嗤っていた彼は、気分を害されたようにムっと顔を歪めた。彼の表情の変化を見る間もなく背を向けるリーネは、しかし目の前に突如として現れた魔術の壁に歩みを阻まれた。

 

「何の真似」

 

 当然、この場で犯人は1人しかいない。メダルは杖を構える。ほぼ詠唱も動作もなく結界術を発動する彼の腕は確かなものだ。この男も“魔女の血筋”の一人、“重言魔術”を継ぐラスタニア家のこの男は、才能と、そして環境に恵まれていた。

 

 リーネとは違って。

 

「稽古をつけてやろうってんだよ。冒険者になろうっていうんだろう?魔女殿は」

 

 ニタニタとメダルは嗤う。取り巻きの少女たちはいつの間にか結界の外に離れていた。一対一、魔術による決闘の図。それ自体は別に珍しくもない。魔術とは学問だが、同時に魔の者と戦うための術でもなる。

 まして、ラストは大罪都市、大罪迷宮に対抗するために生まれた都市だ。戦う技術無くしてなんとする。という考えがこの学園には根付いている。決闘も、度が過ぎなければ認められているのだ。

 

 故に、当然リーネもそれは承知しているはずだが、彼女は杖を構えることはしない。メダルのような片手で握れる小型の杖でなく、身の丈ある魔道杖、それを強く握るのみだ。

 

「どうしたんだ?攻めてこないのか?」

「……」

 

 余裕たっぷりに挑発をするメダルに対し、リーネは無言だ。だが、しばし間を空けたのち、意を決したように魔道杖を地面に突き立て、そしてまるで踊るように地面を杖先で描く。土に刻まれた線から魔力の光が迸りラインを描く。

 “魔法陣”と呼ばれる魔術系統の一種が彼女の足元で描かれ始める。その動作は流れるようで、幾度と繰り返してきたであろう洗練さが窺えた―――が、

 

「【(魔よ/風よ)来たれ】」

「ッ……」

 

 短く、早く、魔術の詠唱を唱えたメダルの風魔術が彼女の身体を弾いた。途端、先ほどまで彼女が描いていたラインが崩れ、光が消失する。メダルはその様を笑った。

 

「おっと、邪魔をしてしまったかな?続けてくれよ」

「……」

 

 リーネは起き上がり、再び無言で魔法陣を描く、だがそれが完成を見る間もなく、幾度となく、たやすく、メダルの魔術が邪魔をする。まるで決闘にならなかった。なにせ、リーネは一度たりとも魔術を発動できないのだから。

 

「っが……」

 

 幾度となく魔術で弾き飛ばされ、最後には顔から地面に倒れ伏す。取り巻きの少女らと共に、メダルはその様を容赦なく嗤った。

 

「これは善意からの忠告だけど、冒険者、諦めた方が良いだろう。冒険者たちの方が迷惑するだろうからなあ?」

 

 そう言い捨てて、彼らは去っていく。土に汚れたリーネは彼らが居なくなった後、起き上がり、体の土を払って、落ちた眼鏡を広い、顔をぬぐい――ーそしてそのまま目に手を当てて、しばらくそのままじっとしていた。

 数秒たって、手をどけると、そこには先ほどの少し険しい瞳をした少女の顔があった。

 

「へいきよ」

 

 少しだけ声が震えていたが、しかし中庭から立ち去る歩みに揺らぎはなかった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――お前のご先祖様は特別な魔女だったのよ、リーネ

 

 リーネは魔女である。そして彼女の母も魔女である。そして祖母も、さらに言えば祖先を辿ると、この国の祖とも言える人物につながる。

 最初の魔女、【白の魔女】を弟子らは継ごうとして、しかしあまりに膨大な知識と技術故に全員が分担した。その直系の弟子がリーネの先祖だ。それを脈々と引き継いできたのが彼女の家だ。

 そしてリーネは家族から、その技術を祖母から引き継ぐことを託され、努力を続けてきた。

 

 ――この力を、決して絶やしてはいけないよ。習得し、次代に継がねば

 

 祖母の指導は厳しかった。幼子が身につけるにはあまりに複雑な技術の全てを祖母は少女に叩き込んだ。習得する前に死んでしまうのではないかと誰しもが思うような訓練を、幼き少女は恐るべき意思と努力によって受け止めた。

 

 そしてその果てに“白の魔女の技術の一端”を身につけた。

 

 彼女の兄弟姉妹、両親は彼女を称賛した。それは、厳しい責務を彼女に押し付けてしまったが故の罪悪感からのものであったのだが、ともあれ、継承はなったのだ。

 

 ――ただ、身につけるだけでは足りない。研鑽し、より強くしなければいけない

 

 一通りの継承が成った後も、祖母の指導は続いた。だが、彼女の祖母の体が弱くなると、それが徐々に叶わなくなる。技術のすべてを伝えきったことによって、それまで彼女を支えていた何かが途切れたのだろう。ベッドの上にいる事の方が多くなってきた彼女は、我が孫、リーネを他の兄弟らと同じようにラウターラ魔術学園への入学することを決めた。

 

 ――時季外れだが、ツテを頼りにするとしよう。最後まで見てあげたかったが…

 

 無念そうな祖母の声を聴きながら、リーネはラウターラへと入学を果たす。

 だが、厳しい祖母の指導の先に待っていた学園で彼女を待っていたのは、苦難だった。指導が厳しいだとか、試験が難しいだとか、そういう事ではなく、もっと根本的な問題に、彼女はぶち当たったのだ。

 

 それは、あれだけ熱心に指導され、そして血のにじむ努力によって身につけた、【白の魔女】の業、その根本的な部分に根差した問題だった。

 

 何のことはない。彼女の魔術は、白の魔女から伝えられた技術の一つ、彼女の専属が受け継いだソレは、あまりに尖り過ぎていたのだ。今のこの時代にそぐわぬほどに――

 

「先生、遅いわ」

 

 同級生のメダルから理不尽な仕打ちを受けた翌日、リーネはいつも通り授業開始の半刻前に机につき、授業の予習を続けていた。前日、教師から自分の進路を完膚なきまでに否定され、同級生からむごい仕打ちを受けたものの、彼女は普段通りの日常を過ごしていた。

 と、いうよりも、昨日あったことは、彼女にとって割と“いつものこと”だからだ。己の魔術の否定も、“ラスタニア家の天才児”から嫌がらせを受けるのも。だから彼女はいつも通りだ。

 

 だが、教師、あの神経質なクローロ教授がこの時間になっても来ないのは珍しい。誰よりも早く教室に入る男なのに。

 

「皆、揃っているな」

 

 結局、クローロ教授が教室入りしたのは授業開始の鐘が鳴る直前だった。金色の髪に長き耳、森人たる彼が姿を現すときは常に清涼な魔力が教室に流れ出す。魔力感知に優れた何人かはいつもそれにうっとりとする。

 その彼が、リーネを見つけると少しだけその視線を険しくするが、彼女はまるで変化しない。平然と睨み返す彼女の態度に、クローロは諦めたように目をそらし、そして教卓に立った。

 

「さて、諸君、早速だが連絡事項がある」

 

 普段、無駄話、雑談を省き授業を進める彼にしては珍しい前置きがついた。なんだ?と興味深げに生徒たちは顔を見合わせ彼を見る。

 

「……ん?」

 

 そんな中、リーネは既視感を覚える。そういえば、時季外れに編入してきた自分も、こんな風にしてこの教室に案内されたような気がする。

 クローロは話を進める。

 

「冒険者ギルドからの依頼があり、一ヶ月の短期の入学を許可された者が我が教室にやってくる……平たく言えば、転入生だ。入れ」

 

 そして、リーネは視た。

 

 銀色の髪、同じく銀の大きな瞳、精霊たちのように整った美しい顔。身に纏う制服は女性的な身体の起伏がくっきりと見えた。手足もスラリと伸びていて、同性でもハッとなるような美少女が、この教室に入ってきた。

 

「自己紹介を」

 

 クローロに促され、そして彼女は生徒たちへと振り向き、そして皆が思わずうっとりしてしまうような顔で、微笑んだ。

 

「シズクともうします。皆さま、どうかよろしくお願いいたしますね」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園

 

 ラウターラ魔道学園 学園長室

 

 名の通り、この学園の最高責任者のいる場所である。それ即ち、この大陸で最も偉大な魔術師のおわす場所……というわけでもない。

 

 少なくともこの部屋の主である女性、ネイテ・レーネ・アルノードは己の事をそんな大それた魔術師であるとは思ってはいなかった。

 

 御年70過ぎ、只人である事を考えれば高齢者、昔と比べれば身体がふっくらして、少し動作がゆっくりとしている。老眼用の眼鏡をかけ、ちまちまと裁縫する姿は、どこからどうみてもごくごく普通の優しそうなただのおばあちゃんにしかみえないし、実際彼女自身、そんなものだと思っている。

 魔術の知識も優れていない。少なくとも彼女がこの学園の生徒だったころから決して、同級生から秀でていたとは思えない。ただ、ほんの少し、人と人の仲をとりもつのが得意だっただけだ。それが気づけば長の地位に立っている。

 

 正直言えば、自分より優れた魔術師たちの上に立つのは申し訳ない気持ちも少しはある。が、しかしその彼らが自分を推すのだから仕方が無い。求められているものが傀儡や添え物の類であったとしても、自分にできることをしよう。と、彼女は思っている。

 

 そんな彼女のもとに、今日は来客が来ていた。というよりも今からくる。先ほどからカツカツとこの学園長室へと続く無駄に長い廊下から足音がする。「そっちに挨拶に行く」と昨日手紙があったばかりだというのに、早いことだ。扉が開き、そしてその者が姿を現す。

 彼女はニッコリと微笑みをこちらに向けてきた。ネイテもそれに返す。

 

「また貴女に会えてとてもうれしいわ。ディズ」

「私もだよ。ネイテおばあちゃん」

 

 ディズ・グラン・フェネクス。この大陸、大連盟の盟主国プラウディアの【七天】が1人、それがこんな少女だなんて、きっと誰も信じはしないだろう。ただでさえ、【勇者】その名も、神殿の総本山であるプラウディア以外ではあまり広まってはいないのだから。

 しかし、そんな仰々しい事実など、ネイテは気にしてはいなかった。彼女は都市の外のいろんな話をしてくれる親しき友人の一人だ。

 

「おばあちゃんだなんて」

「失礼だった?」

「可愛い孫が増えたみたいでうれしいわ」

 

 ネイテはニコニコと微笑むと、ディズもまた嬉しそうに笑うのだった。そしてネイテは、彼女の傍らでふよふよと宙を舞う少女にその細くなった目を向けた。

 

「それで、貴方のお名前は?」

《アカネはアカネよ》

「まあ、アカネちゃんというの。ディズとはお友達なのかしら?」

《シャッキンのカタよ?》

「ディズ、感心しないわね?」

「精霊憑き、やむを得ない事情ってとこだよ、おばーちゃん」

 

 ディズが肩を竦めるのを、ネイテは困ったように微笑みかけた。

 咎めるのは容易いが、この賢くも妙なところで愚直な少女にそれを批難するのは惨いだろう。彼女はちゃんと考えられるヒトだ。アカネを連れる経緯だって、ちゃんと考えた上でのことなら、今更口に挟むことじゃない。

 

「でも、それじゃあ、“貴方が連れてきた生徒”も、アカネちゃんの身内なのかしら?」

「シズクの事?彼女はアカネのお兄ちゃんの一行(パーティ)の一員だよ」

《シズクとはともだちよ》

「まあ、すてきなことだわ」

 

 ディズは今回、一人の冒険者を連れてきた。

 本当に冒険者なのかと疑ってしまうようなきれいな少女、シズクという冒険者。これは珍しいことだ。基本的に、ディズという少女は単独行動を好む。(誰も彼女の無茶なスケジュールについてこれないというのが正確なのだが)自分の従者以外を連れてくる事なんて滅多に無い。

 

「まあ、シズクに関しちゃ、私がどうしたってわけじゃないけどね。この学園を知って、

彼女が希望し、己の持つ権限を利用しただけだよ」

「冒険者ギルドのお客様なら、私達も拒否する理由は無いわね」

 

 冒険者ギルドが配布する【冒険者の指輪】は銅であっても、所持している者はこのラウターラ魔道学園に一か月ほどの無償での短期入学が許されている。指輪の特権の一つだ。冒険者ギルドと魔術ギルドの協定により生まれた特権である。

 

 ただし、優秀な成績を残せなければ、それ以降の残留は許されない、という条件がある。

 

 価値さえ示せれば残留の権利と助成金も出るが、一月でそれを示すのは難しい。この学園で指導する教師たちがいかに優秀であったとしても、慣れるのに必死に駆けまわっている間に終わってしまうのが殆どだ。

 

「あの子、シズクさんはどうなるかしら?」

「元々1か月だけの入学って決めてるよ彼女は。私の護衛の任務もあるからね」

「それじゃあ、あくまでどんな学園か体験したかったってだけなの?」

「いや、彼女は此処の叡智を吸収していく気だよ。それも貪欲に」

 

 何処か確信めいたディズの物言いに、ネイテはあら、と首を傾ける。

 ディズだって、もし入学してもたったの1か月でどうこうするだなんて容易くないことは承知だろうに。それでも尚、そういう言い方をするという事はつまり、

 

「才能のある子なの?」

「天才だよ。私よりもずっと才能がある」

 

 彼女は言い切った。その言葉にネイテはあらまあと驚き、しかしその後おかしそうに口元を押さえてくすくすと笑ってみせた。

 

「でも、貴女と比べたら、私だって才能がある方だわ」

「酷い事言うなあ、おばあちゃん」

「ごめんなさいね。でも、そんなあなただから尊敬しているのよ。私は

 

 そう言って、ネイテは先ほどまで手元で治していた編み物を取り出す。それは吸いつくような紅の生地に金色の刺繍が施された美しい外套(マント)だった。

 

「【星華ノ外套】修繕できたわ。最上位の魔具の修繕は大変ね」

「あんがと、貴方にしか頼めないからね、これは」

 

 そう言ってディズは身にまとう、と、紅の外套は己が主の下に戻れたことを喜ぶように、仄かに明るく瞬いた。陽の光に反射したのではなく、それ自体がまるで意思をもつかのように、生きているかのように輝いたのだ。

 すると、近くを飛んでいたアカネが、その外套に近づき、ぺたりと、その小さな体で触れた。

 

《あったか》

「精霊の住まう【星海】に近い性質だから、心地良いかもね」

《……ねむ》

「まだ本調子でないんだろう?マントと同化して眠ると良い」

《にーたん……》

「ウルが来たら起こしてあげよう。おやすみ」

 

 そう告げると、彼女は紅の生地の中に“とぷん”と溶けた。一体化した外套をディズは優しくなでると、再び仄かな光を瞬かせ、彼女の身体を温めた。

 

「災厄から主を守る神秘の外套、その力は貴女が一番知っているのでしょうけれど……」

「ん、気を付けるよ」

 

 彼女はなんでもないように笑顔をネイテに向ける。

 しかしネイテは彼女がこれから決して容易くはない仕事をいくつもこなさ無ければならないことを知っている。自分はこんな日当たりの良い部屋で雑務をこなすばかりだというのに、申し訳ないという気持ちがネイテの心をつついた。

 しかし、そんなことを彼女に言えば彼女に笑われる。だから出来得る限り手を貸してあげよう。非力な己にもできることを。

 

「困ったことあったら言ってね、ディズ」

「あんがと、おばーちゃん」

 

 ネイテの決意を知ってか知らでか、ディズはそう言われて、嬉しそうだ。その姿は見た目の通りの幼い少女のようだ。出来れば、彼女の力になってくれる人がもっとたくさんいてくれることをネイテは願った。

 

「シズクさん、大丈夫かしら」

 

 故に、彼女の同行者、シズクにも思いをはせる。一時であれ、新たに我が学園の一員となった少女。ディズの事とは関係なく、彼女にもまた、頑張ってもらいたい。

 真剣に向き合えばきっと得るものはある、そういう場所である筈なのだから。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔道学園の一日はとても忙しい。

 

 魔術、という学問は極めて奥が広く、幅広い。この世のあらゆる現象に干渉し、自在に操る技、今のヒトの世の根幹を成す技術の勉学なのだから、それも当然だ。多くを知り、学び、身につけ、己がものとしてようやくこの学問の入口に立てる。

 学徒はそのために先人たちの教えを乞い、彼らの教室に足を運ぶ。決められた時間だけ、彼らの教えを吸収し、理解する間もなく時間が終われば次の教室だ。移動し、準備し、学び、次へ、繰り返している間に半日はすぐすぎる。朝から勉強し通しの学生たちにとってようやくの休みが訪れる。昼食の時間だ。

 

 大勢の学生たちを受け入れる巨大な食堂にて、全ての学生たちは昼食をとる。料理の中身は豪華絢爛、なんてことは流石にないが、衛星都市から供給される食料から生まれる豊富な料理の数々はこの大罪都市ならではだ。

 

 学生たちは料理を楽しみながら、人心地つく。そして、次の授業までの間に、学生同士で交流を交わすのだ。

 

 つまるところこの一時が、あの噂の転入生と接触する好機でもある。

 

「お野菜の葉で大きめに切り分けたお肉を包んでいる?蒸し料理でしょうか……?」

 

 手に取った料理をしげしげと興味深げに観察をする少女、銀髪の転入生。とても冒険者とは思えない冒険者。シズク。香葉の沼鳥肉包みを口に運び、おいしそうに頬を緩ませている彼女を、他の学生たちはチラチラと様子を窺う。

 別に、転入生自体珍しくはない。明夜の魔道学園は大陸一の学び舎だ。冒険者たちだってこぞってここで学びたいと志願してきて当然だ。

 ただやはり、彼女の容姿はあまりにも、目立った。

 

「あら、これはパスタですね。でもかかっているソースが……黒?」

 

 見目麗しいから興味をそそられる、なんてのは魔術の学徒、真理と深淵の研究者達であることを考えれば失笑ものだが、それもやむなしと思えるほどに彼女の美しさは、否応なく視線を奪うような魅力に満ちていた。興味を惹かれるな、という方が無茶だった。

 だから魔術師の卵たちはひそひそと遠巻きに、機を窺う。誰か、声をかけろよと、きっかけをつかもうとして、しかし中々にその一歩が踏み込めずにいた。そんな中。

 

「やあ、こんにちわ新入生さん。お隣良いかな」

 

 濃い紺の色の髪をした若い少年。見目は良い方だが、何処か動作が芝居がかっている男、メダル・セイラ・ラスタニアが彼女に声をかけた。彼を知る学生らは、顔を顰め、あるいはげんなりとため息をつく。

 彼らの態度からでもわかるように、彼は中々に問題を抱えている男だった。

 

「まあ、勿論よろしいですよ」

 

 そんな、他の学生たちの態度など露知らず、美しき転校生シズクは彼の申し出を笑顔で受け取る。メダルは隣に座り、そして慣れた様子で彼女に話しかける。

 

「僕はメダルという。よろしく。キミはシズクさんと言ったかな?」

「はい。メダル様、どうかよろしくお願いしますね」

 

 メダル・セイラ・ラスタニア。【第二位(セイラ)】、即ち“神殿の官位持ち”であり、この都市における有権者。更に言えばラスタニアは白の魔女の弟子の家でもある。

 白の魔女から【重言】の術を引き継ぎ、才能もある。いずれはこの大罪都市ラストを代表となる魔術師の一人になる事は約束されている。

 が、しかし、問題があった。

 

「まだ学園生活がどういうものか、わからないことが多いんじゃないかな?どうだろう?僕が案内してあげようか?融通もきかせられると思うし」

「そうなのですか?」

「これでも、優秀な生徒でね?先生にも顔が利くのさ」

「まあ、お凄いのですね!」

 

 魔術師の腕はある。その点は多くのヒトが認める。そしての【神殿】の有力者の家だ。彼は選ばれし者だと誰もが思うだろう。だが、その立場が彼を増長させた。

 教師に対してはある程度いい顔をするが、同じ学生に対する態度は傲慢そのもの、女生徒には何人も手を出して、学園の施設も我がもののように扱う。彼の親が【セイラ】の神官として神殿に勤めている事実も相まって、歯止めが利かなくなっていた。

 今こうしてあの新入生に声をかけているのだって、いつものように手籠めにするつもりなのだろう、という事は誰もが知っていた。だが、それを表立って指摘する事もまた、出来なかった。

 

「では、案内お願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、勿論だとも!」

「助かります!」

 

 だから、そう言って転入生がメダルの手を取り喜んでいるのを見て、様子を見ていた他の学生たちはがっくりと項垂れた。ああ、またあの男によって、彼女は弄ばれるのだろう、と。

 メダルは彼女の感謝に笑みを深める。その目が下卑た欲望にくらみ、淀んでいた。そのことに転入生が気づくそぶりは見せなかった。

 

 だが、転入生のその美しい銀の瞳の奥に何が宿っているのか気づく者もまた、いなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔道学園は広い。

 

 魔術の研究は非常の多数の分野に分かれる。森羅万象に通じるのが魔術であるが故、その全てを解き明かそうともすればこの世界すべてを調べることと同義である。到底、一個の研究所だけでは足りない。いくつもの研究所が重なり、積み上がり、場所を変え、様々な形で協力し合っている。だから広い。学園という敷地内にとどまらない。大罪都市ラストすべてがこの学園と言っても過言ではない。

 

 敷地内だけでも丁寧に紹介していけば昼休みどころか日が暮れるだろう。

 

 故に必然的に、案内する場所は限られる。

 魔道学園“西塔”地下、あらゆる条件下で変化成長する魔草の育成を行う【幻夜ノ園】、“北塔”の屋上、天の星々、精霊たちの命の煌めきとその動きを観察するための【星見塔】、あらゆる魔術の発動への影響を外に漏らさずその空間に押しとどめることであらゆる魔術の試験が可能となった【白ノ庭】

 どれもこれも、この学園ならでは、おそらく外ではお目にかかることは叶わない秘術の数々だ。メダルはそれらをシズクへと案内していった。

 

「素晴らしい学園ですね」

 

 昼休みの時間も終わりに近づき、次の教室へと足を運ぶメダルに、シズクは優しくそう声をかけた。メダルは自尊心をくすぐられたのか自慢げな笑みを深める。

 

「“我が学園”は大陸一の魔術の学び舎といっても過言ではないからな」

 

 そう言って、彼は饒舌にラウターラ魔道学園を語る。この学園が、都市が生まれた経緯、そこから積み上げていった幾つもの輝かしき歴史の数々打ち立てた幾つもの偉業、これでどれだけの都市が発展してきたか。

 ソレらを我が事のように、というよりも、“我が物”のように彼は語る。事実、彼はこの学園を己のモノのように思っていた。彼は白の魔女、その弟子の血筋、彼らの中でも最も汎用性に優れ、大罪都市ラストでも強い地位を獲得したラスタニア家の長子だ。いずれはこの学園の長になる、というのもあながち妄想の類ではない。彼はそう確信している。

 他の学生たちが聞けば顔を顰めるような傲慢さだったが、シズクはメダルのその自慢話をニコニコと聞いて相槌を打つ。それに気をよくしたメダルは気をよくして更にそのボルテージを上げようとして――

 

「―――む」

 

 ふと、教室に入る直前、向かいの廊下から歩いてきた少女と鉢合わせた。オレンジの髪を三つ編みにした少女。メダルとはそこはかとない“因縁”があり、そして幾度となくメダルがちょっかいをかけ、そして昨日もまた決闘という名のリンチをかけた少女、リーネである。

 彼女を前にした途端、メダルはその顔を加虐的なモノへと変えた。

 

「リーネ。昨日の醜態をさらしておきながらよくまだ顔を出せるな」

 

 ニタニタと、先ほどまでシズクに見せた人の良さそうな顔から一変した悪意に満ちた態度。それを隠そうとしないのは、陰でコソコソとする必要がないという彼の自信の表れだろう。

 あるいは、己が目を付けた人間がどういう事になるのかを示す良い例と思ったのかもしれない。メダルは嬉々としてシズクへと振り返った。

 

「シズク、紹介しよう。彼女はリーネ・ヌウ・レイライン。この学園を創りたもうた偉大なる白の魔女の業を引継ぎし魔女の一人だ。最も彼女の技術は―――」

「リーネ様、教室に入られましたけど?」

 

 メダルが紹介する間にさっさとリーネは教室へと逃げていった。俊敏だった。

 

「なっ……この女!!」 

 

 メダルは吠え、教室の中で席に着こうとする彼女を追いかけ、腕を乱暴にひっつかんだ。最早転校生の前で見せた人当たりの良さなど皆無だ。リーネは強引に腕を掴まれ引っ張られて尚、冷静沈着にメダルを睨んだ。

 

「痛いわ」

「無視とはいい度胸じゃないかレイライン!」

「興味ないの。貴方に」

 

 リーネの淡々とした物言いに、メダルはますます顔を赤くさせた。教室にいる他の生徒たちは半ばメダルを怖れ、半ば野次馬根性で、二人の対立を見守っている。メダルはリーネを突き飛ばし、そして声を上げる。

 

「“白の系譜”の面汚しめ。ラスタニアのおこぼれで授かった【第五位(ヌウ)】の地位をこの俺の権限で奪ってやったっていいんだ―――」

「我が教室で脅迫とはいい度胸だな。メダル」

 

 と、静かな、しかしまるで教室中に浸透するような震えの声が響いた。この教室の主、森人のクローロ教授が顕れたのだ。いつの間にか、というくらいに声がするまで存在感がなかったのに、彼が声を上げた瞬間、彼が放つ濃密な魔力が教室を支配した。

 先ほどまでの混沌とした熱が、彼の魔力によって一気に鎮められていく。

 

「クローロ、教授」

 

 王のように立ち居振る舞っていたメダルすらも、彼の前ではわずかに怖気づくのが垣間見えるほどだ。

 

「席につけ。私が無駄が嫌いな事は知っているな」

 

 問答無用、というようにクローロが睨むと、メダルはわずかに何かを口にしようとするが、しかしそれが言葉として吐き出される事はなかった。彼は一度だけリーネを睨みつけた後、彼を待つ生徒との取り巻き達の下へと向かって行った。

 

 それを見て、クローロ教授は面倒くさそうにため息をつくと、リーネには目も向けず教卓へと歩みを進め授業の準備を始めた。もう用はない、とそういう事らしい。シズクもまた、メダルの下へと戻ろうとした。

 

「ちょっと」

 

 リーネに小さな声で呼びとめられた。

 

「はい?」

「あの男に近づかない方が良いわ。魔術の腕はあるけど、ハッキリ言ってクズよ」

 

 そのリーネのセリフはメダル少年に対する意趣返しというわけではなかった。不愛想な顔つきながらも、目の前の、見ず知らずの、シズクという転校生の少女を気遣ってのものだった。

 その忠告を受けて、シズクという少女はと言えば、何故か笑顔になった。そして、

 

「まあ、素敵ですね」

 

 そう言い放ったのだった。

 

 何だこの女?

 

 という感想を隠さない、怪訝な顔をしたリーネにシズクは頭を下げて、そのままメダルの下へと歩いていってしまった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あの女はこの学園きっての無能さ!もしこの学園でよい結果を残したいなら、近づかないほうが無難だよ、シズク」

 

 女生徒たちに囲まれ、教室の一角を陣取りちやほやとされながらも、シズクに対してメダルはそう言い捨てた。シズクはと言えばそれに対して、そうなのですね、と微笑み返したのみだ。

 そんな彼女の態度に対して、メダルは気に留めることはなかった。彼にとってシズク、というよりも美しい女性全般は、一種のトロフィーのようなものだった。彼女自身の性格は、彼にとってそれほど重要なものではなかったのだ。

 

 しかし、彼を取り巻く女生徒たちはそうではない。

 

「……」

 

 メーミンという少女は、メダルの取り巻きの一人だ。彼女には、あるいは彼女ら取り巻きにとっては、メダルは己の将来を左右する男だった。彼女らもまた、このラウターラ魔道学園に入学した将来有望な魔術師である。キチンと卒業に至れば並みの魔術師など、目ではない知識と技術を身につけている事だろう。

 

 だが、腕の良い魔術師、というのはこの魔女の国では決して珍しくはない。

 

 優遇はされても、それは特別ではない。多くの魔術師たちが切磋琢磨するこの国では、卒業後悠々自適な生活を送れるわけではない。かといって、この都市を、国を、家族を捨て、他の都市に行くという決断は、流石に少女らには重すぎた。

 

 だからこそ、メダルだ。国営を行う神殿の中でも上位の有権者、しかも“ゼウラディアの結界”の拡張権限まであたえられている【セイラ】の官位を持つラスタニア家の家督をいずれ継ぐ男。彼の寵愛を受ける事が叶うならば、狭い都市の中の数少ない有力なポストを獲得するのも、夢ではない。

 

 要は彼女らは、己が実力だけで何かを得るのをあきらめた少女らなのだ。

 

 故に、そのポジションを奪おうとする相手は警戒する。

 

「全く、クローロ教授にも困ったものだよ。偉大なる森人である事には尊敬の念を抱くが、ここでは一人の講師であることを理解していない」

「まあ、そうなのですね」

 

 メダル“様”の話を楽しそうに聞くシズクという少女は、美しかった。メダルの取り巻き達は例にもれず容姿に優れた者が多い、というか全員そうだ。それだけを基準にメダルが選んだから当然だ。

 しかし、その中でも明らかにシズクの美しさは突出していた。とても、都市の外、魔物達が跋扈する“人類生存圏外”からやってきたヒトとは思えない。浮世離れした美しさだった。

 まあ、彼女が人並み外れ美しいのは別に構わない。問題なのは、メダルが彼女を気に入って自分たちを捨ててしまわないかどうかというところだ。

 

「ねえ、シズクさんってどうしてこの学園に入学してきたの?」

 

 メダルがほかの取り巻き達と会話を始めたタイミングを見計らい、メーミンはシズクへと質問を投げかけた、にこやかに、なんでもないように尋ねながらも、内心ではメダルと会話をしている少女たち含めたその場の全員が聞き耳を立てていた。

 何でもない理由なら構わない。だが、もしも自分たちのポジションを奪うような目的ならその時は―――

 

「ええとですね」

 

 そんな彼女らの思惑を知ってか知らでか、シズクはただただ微笑みながら、メーミンの質問に答えた。

 

「大きなモジャモジャフワフワでモケモケと奇怪な鳴き声を放つ生き物を殺さなければならなくて、勉強するつもりなのですよ」

「………………そうなの」

 

 メーミンはゆるゆると頷いた。

 

 何言ってんだろう、この女

 

 と、彼女はそんな顔をしていた。盗み聞きを立てていた他の少女らも同様である。その質問が追及される間もなく、開始のベルが鳴り、クローロ教授が授業を開始し、その質問は流れてしまった。結局、彼女らの疑問は解消されぬままとなったのだ。

 ところが、彼女のその説明は、実のところ全く以って、ウソ偽りのない本心だった。彼女がこの学園に入学した目的は一つ。“ピンクのモケモケの撃破”である。

 

 そして、その目的を果たすべく、彼女の仲間は今なお、活動中である。

 

 この学園にではなく、迷宮、即ち大罪迷宮ラストにて。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪迷宮ラスト

 

 【大罪迷宮ラスト】

 

 【魔女】による白の結界により、空間をズラされ封じられた迷宮。無数に存在する迷宮の中でも最大級に分類された7つの迷宮の一つ。地上に出現後、世界の侵略を結界によって抑えられた、都市ラストの北東の森林一帯にとどまった。

 

 しかし、無限に膨張し、拡張し続ける性質そのものは失われたわけではなかった。

 だが結界は破れない。白の魔女の魔術は完璧だった。

 結果、出口を失った迷宮は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という常軌を逸した現象へと発展した。

 確かに迷宮は結界の外へと広がる様子はない。だが、結界の内側に足を踏み入れると、ラストの迷宮は外からは想像もできない程、複雑で広大な超巨大迷宮へと様変わりする。誕生してから数百年、いまだ、正確にどれほどの広さがあるのかつかめてはいない。それどころか、観測できたとしても時間経過とともに更に迷宮は広くなり続けるのだ。まったくもってキリがなかった。

 一説にはイスラリア大陸を超えるほどの大地が、ラスト領の一角に過ぎない森林地帯に閉じ込められているのだという者もいるほどだ。

 

 そんな空間が歪んだような迷宮の内部が果たしてどのようになっているかというと、

 

「……あっつう」

 

 大罪都市グリードで宝石人形を、次の都市では餓者髑髏を打ち倒し、最近名前が売れ始めている(らしい)冒険者、ウル少年は【大罪迷宮ラスト】に挑戦し、その暑さに呻いていた。

 

 暑い、本当に暑い

 

 温暖な森林地帯と一体化した迷宮は、結界の内部で圧縮し、異常な密林地帯を生み出した。草木を殆ど掻き分けるように前に進まなければならない迷宮の中は、密集した動植物の放つ熱気と湿気に覆われていた。

 結界の外では見ることなどまずないような毒々しい花々、捻れ、曲がった木々、甘ったるいような香り、あるいは鼻が曲がるような悪臭、獣たちの、虫や鳥らのわななく声。

 

 臭い、暑い、騒々しい。

 魔物の出現以外は、埃一つなかった大罪迷宮グリードとはあまりにも対照的だった。

 

 この状態で全身鎧なぞ身にまとってしまうと、鎧の中が更に蒸し風呂のような状態になってしまう。魔物の脅威の前には多少の不快さも耐えねばならない、にしても限界があった。

 餓者髑髏との戦いでは大変お世話になった火喰石の鎧も兜も脱ぎ捨て、安価な革鎧を装着した(大牙猪の革鎧)。宝石人形の盾だけは変わらないが、随分と軽装だ(肌だけは決してさらさないようにはしているが)。

 それでも、これくらい装備を軽くしなければ、不快感と暑さにやられて死ぬ。

 

『カカ、大変そうじゃの、どうじゃ?お主も骨になるか?』

「死ねってか」

 

 同行者である、ロックの軽口にウルは口をひんまげた。

 死霊騎士、シズクの使い魔であるロックは現在、安価な鎧と革防具、兜で顔と身体を隠し、見た目をごまかしているが、本来ならばそんな装備など必要ない。彼自身の身体が鎧であり、盾なのだ。そして当然、暑さに苦しむ事もなかった。

 彼のような身体になりたい、などとは全く思わないが、この熱気に平然としている彼が少し羨ましかった。

 

「流石に、対策が、いるなこれは」

『なんぞ、魔術でちょちょーいっとできんのか?主に頼んで』

「保温の類の魔術はあるが……付与(エンチャント)にも容量ってもんがある」

 

 何種類もの魔術を一つの対象に多重にかけすぎると、飽和する。それ以上をかけようとすると、魔術が押しだされたり、相殺したりする。成長すれば容量は増えるらしいが、現在のウルでは精々三つが限界だ。それ以上の魔術はかけられない。

 普段お守りとして常備している対衝のアクセサリや、カナンの砦で使った強靭薬も、言わば人体に対する魔術付与(エンチャント)だ。うっかり付与魔術を使いすぎれば、あっという間に飽和するだろう。

 保温の魔術が吹っ飛んだときに、重装備でいたら、熱でやられて死ぬ。安易に魔術に頼っていたら、恐らく痛い目を見る。さてどうするか……と、考えている内に、ロックが剣を構えた。

 

『おい、ウル、来るぞ。魔物じゃ』

「クッソめんどくせえ……」

 

 当たり前だが、ウルに襲いかかる暑さはあくまでも迷宮の環境の特性でしかない。

 迷宮に蔓延る魔物達は、暑さに苦しむ侵入者達の苦悩など知ったことではなかった。

 

『JIIIIIIIIIIIIII!!』

 

 不快な羽音と共に、ウルの眼前に現れたのは【大刃甲虫】と呼ばれる甲虫の魔物だ。巨大な角、硬い甲殻を持った大の大人ほどのサイズ。見た目の凶暴さもさることながら、短い時間ながらも飛翔する。飛翔し、勢いを付けて、巨大な角で相手を串刺しにする。

 十三階級の内、第十一階級。危険な魔物だった。

 

「っ!?弱点は……!」

 

 飛翔しそのままぶつかってきた。単純な体当たりだが、威力は高い。ウルは顔を歪めながらもそれを受け止め、こらえる。反撃を試みようとしたが、それよりも早く、甲冑の骨騎士その懐に潜り込んでいた。

 

『胴が、柔いの』

『ジ…』

 

 ロックの鋭い突きが、甲虫の胴を貫く。

 落下した大甲虫は声を上げない。断末魔の悲鳴も当然出さない。代わりにその羽や手足をでたらめに動かしながら地面でのたうち、最後にはピクピクと痙攣しながら絶命した。

 

『ふむ、他愛無し』

「言うてる場合、か!」

 

 調子こいてるロックに突っ込みを入れながらも、ウルも彼に続いた。倣うように盾で甲虫の角を下からかちあげる。晒された胴に対して素早く竜牙槍を振り、貫いた。

 

「よし……」

 

 一連の動作を淀みなく行えたことに手ごたえを感じ、ウルは小さく息を吐いた。今のは悪くなかった。

 

『調子がええのう、その槍も新調したおかげか?』

「刀身部分だけだがな」

 

 竜牙槍の構造を、非常にざっくりと言えば三つに分かれる。

 

 柄、握り振り回すための、槍の中心にして最も重要な骨格。

 魔道核、魔力を蓄え攻性魔術を放つ竜牙槍の心臓部。

 刀身、槍として機能し、“咆哮”の際は獣の口のように上下に開く可動部。

 

 この3つ。

 内、“魔道核”は新調できない。魔道核はそもそも新しく付け替えるものではない。戦い続けることで使い手と同じく魔力を吸収し、強化していく。つまり育てていくものだ。

 と、なると柄か刀身の二択となる。今回ウルが更新したのは刀身部だ。

 【白鋼】という。硬く、鋭く、重い鋼の刃。使い心地はかなり良い。が、値段は金貨1枚、本体の購入額と大差ないというのはいかがなものか。

 

「……やっぱ竜牙槍(コイツ)、維持費も結構すんなあ……」

「……普通の武器の方が良い気がしてきた。シンプルな槍とか」

『でも“びぃむ”は便利なんじゃろ?』

「そうなんだよなあ……」

 

 金はかかる。整備も必須。だが、相応の見返りがある。

 魔術を使わず、地形すら変えることが叶う竜牙槍の咆哮、非常に手間のかかる武器ながら、それでも廃れるまではいかない理由がそこだ。人類の脅威である魔物に対して、携帯可能な大砲を振り回せるのは、大きなメリットだ。

 

「まあ、もう少し、あとで、考え、る!」

 

 上段からの振り下ろしで、新たに一匹を叩き潰す。魔物の気配は消えた。だが、此処は迷宮であり、一時敵を殲滅できたとしても、魔物の襲撃が絶えることは無い。

 

「収容鞄が魔石を回収したら動くぞ」

 

 と、思い、ふと気づく。虫たちの死体が霧散していない。残っている。

 

「……死体が残ってる」

『なんじゃ?そりゃおかしいのか?』

「……都市外の魔物達はともかく、迷宮の中の魔物は生まれて間もないことも殆どだから、死んだ後は肉体が霧散する筈なんだが……」

 

 霧散しないのは、時間経過で血肉を得た魔物達だ。それだけの間、冒険者達から生きながらえて、強くなった魔物ということになるのだが、この蟲たちは手応え的にそれほど強いとは思わなかった。

 たまたま、上手く生き延びることが出来た魔物なのか、あるいは――

 

「……まあいい、後で考えよう」

 

 ともあれ、腹を裂き、魔石を露出させ、ディズからもらった特別製の“魔石収容鞄”を近づけ魔石を回収した。そして速やかにウル達は動く。目的地はまもなくだ。

 

「兎に角、金だ……金の苦労がなければこんな悩まなくても、済む」

『じゃあ此処で稼ぐか?たいざいめいきゅうってやつなんじゃろ?此処は』

「金も名声も、チマチマ稼いでる時間は、ない」

『んじゃ、派手にドカーンとやるっきゃないの、“アレ”相手に』

 

 アレ、とロックが口にした瞬間、奇妙な音が、というか鳴き声がウルの耳に届いた。「モケモケモケー」というなんとも気の抜けるような鳴き声、優雅さとは程遠い不細工な翼の羽ばたく音、漂い始める獣臭さが入り交じった悪臭。

 

 ウルとロックは口を閉じた。そして草花が長く伸び、身をひそめやすそうな場所に潜り、聖水を周囲に振りかける。魔力遮断の簡易結界を張り巡らせる。

 

『ワシもそれ見づろうなるからいやなんじゃが』

「シズクが魔術覚えるまで我慢しろ」

 

 小さい声で愚痴りあいながら、二人は息をひそめる。すると大きな足音と共にソレは現れた。

 

『MOKEKEKEKEKEEEEEEEEE!!!!!』

 

 周囲の毒々しい花々にも負けず劣らずのド派手な濃い桃色の身体。巨大な翼、筋肉質な胴、禍々しい爪が伸びた二本の足で闊歩する巨大なる“怪鳥”。

 

 名を毒花怪鳥(ポイズンガウチョ)

 大罪迷宮ラストにて賞金首となっている魔物である。

 




評価 ブックマークがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥観察日記

 

 大罪迷宮ラスト、沼地エリアに陣取った巨大なる鳥の魔物。【毒花怪鳥】。

 元は毒爪鳥と呼ばれる小型の鳥の魔物だったらしい。毒爪鳥は爪先に毒性の体液があることを除けば、見た目は野生の鳥と大差ないのだが、【毒花怪鳥】は今や小型とはとても言えないサイズとなっていた。

 

『MOKEEEEEEEEEE!!』

 

 彼方此方に伸びる大樹すらもその肥大化した肉体を覆い隠すことは出来なかった。見た目、3,4メートルはある。飛翔を可能としていたはずの翼は本来の機能を捨て、肉体を守る盾のように身体を覆っていた。長い首の先にある嘴も、その巨体を支える両足から伸びる爪も禍々しく、大きく鋭い。唯一の面影と言えば、その派手な羽毛の色くらいのものだ。

 

 怪鳥、という名がしっくりとくるその賞金首は、迷宮内の沼地の周囲をノッシノッシと我が物顔で歩いている。

 

「……デカいな」

『餓者髑髏ほどじゃあるまい』

「そりゃアレと比べりゃなんだってそうなる」

 

 砦の城壁よりも巨大な餓者髑髏と比べれば、確かに小さいが、それでもヒト一人くらいならあの大きな嘴で一呑みしてしまいそうだ。

 恐ろしい。正直闘いたくない。が、ウル達の今回の目的はこの生物である。

 賞金、金貨30枚。倒せば冒険者ギルドからの覚えも大きいだろう。やるしかない。

 

「……兎に角まずは相手の生態を把握しない事には始まらん」

 

 ウルは携帯食量を齧り、水をわずかに口に含んだ。

 今回の探索であの怪鳥を打ち倒すつもりは全くない。やるべきは観察、情報収集だ。相手の事を全く知らずに行き当たりばったりの戦いに挑むなど、御免だった。

 

「完璧に対策を練り安全確実に倒す」

『それができるなら賞金なんぞかかっとらんと思うんじゃがのう』

「うっさい」

 

 かくして骨と少年の怪鳥自由研究がスタートした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ディズに「この手の調査は記録した方良い」と言われたので記録を取る。

 昔、じいさんに文字を教えてもらっていてよかった。

 

 

 記録地:大罪都市ラスト 

 筆記者:ウル

 対象:毒花怪鳥

 賞金首:金貨30枚、

 解析魔術情報:階級九/十三・毒・獣

 生息地:大罪都市ラスト、中層手前、上層終点付近

 

 観察1日目

 

 毒花怪鳥を発見した。デカい、色がキモい、鳴き声が変。

 見た目のインパクトがすさまじかったが、しかし突然変異の元になる毒爪鳥と外見的な特徴、特に羽毛の色や、嘴の配色なんかは一致している。アイツが縄張りにしている沼地には同種の毒爪鳥も確認できた。

 酒場で言われていたように、この沼地がアイツの縄張りらしい。

 

 今日はちょっかいをかけずに観察に努める。

 

 行動範囲は沼地周囲、ロックと交代で丸一日観察し続けたがその場から動く様子は全くなかった。睡眠中も沼地の岸辺で身体を休めていた。

 

 寝るとこは同じ場所、草木が新たに生える間もなく潰れてる場所に座り込んでた。

 

 少なくとも積極的に人間を襲うために迷宮を動き回るような事はしない。じっとここを動かない……なんというか、普通の生物のように見える。長生きして受肉したからだろうか?

 睡眠どころか食事もとる。沼地の魚、虫を食べてるのを見た。他の毒爪鳥はその周辺で同じように行動している。仲間意識がある?

 

 仲間意識がある

 →つまり毒花怪鳥を攻撃したら一緒に襲ってくるのか?

 →数十羽といる毒爪鳥とあのデカブツを同時に相手にする?

 →勘弁してくれ!!!!

 

 ギルドでそこら辺、情報収集する必要がある。あるいはこっちで実験するか。

 

 夜になると大罪迷宮ラストは真っ暗になった。大罪迷宮グリードのように迷宮通路そのものが光源のようになっているわけではない。星光だけでは全く周りが見えない。そして毒爪鳥たちの眼球が星光に輝くのがメッチャ怖い。眼球が全部こちらを見つめている気がして怖い。聖水がいつ切れるかビクビクしている。

 

 だが向こうは気づいてる様子はない。と、ロックが言った。

 

 信用できるかはわからないが、もし本当なら、こっちには結界があるとはいえ、感知能力はそんなに高くないのかもしれない。

 丸一日迷宮にいるので疲れた。ロックに見張りを任せて就寝。あまりがっつり眠れなかった。でも寝れるだけマシ、ロックいてよかった。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2日目

 かゆい

 虫に刺された。しかもメッチャ腫れてる。かゆい通り越して痛い。病を運ぶ虫対策に虫除けも用意していたはずだが、それが通じない虫に噛まれたらしい。 

 虫刺されの軟膏は迷宮に入る前に買っておいたが、それでもキツイ。まさかこんなことで回復薬を消費する羽目になるとは思わなかった。

 

 暑さだけでなく此処にも対策がいる。虫に刺されて賞金首討伐失敗とかシャレにならん。

 

 しかしこの暑苦しさと虫刺されの状態でも最低限眠れたのは多分ディズの【瞑想】の技術のおかげだろう。最近目覚めがよりスッキリしてきた。

 

 とりあえず観察再開、今日の昼まで粘った後帰還予定。

 

 夜間、ロックに見張ってもらったが、連中は夜間は寝床でじっとしているらしい。なら夜襲も、と思ったが、性質が悪いことに怪鳥の周囲を毒爪鳥が数十匹、囲うようにしてるらしい。目撃した冒険者曰く、まるで防壁だったとか。

 

 近づいたら周りの鳥に気づかれる。遠距離の矢とかじゃ羽で防がれる。

 お前さんの大砲でワンチャンか?→ロック

 

 可能性はある。か?でも、観察するとあの怪鳥、背中にたたまれた翼に古くなった剣や槍が突き立ってるのが見える。多分、他の冒険者たちの武器だ。あの翼に突き立てて、肉に届かず弾かれた痕跡だ。貫けるか?わからん

 

 夜間、竜牙槍による遠距離奇襲 

 →でも、誰かもうやってる気がする。酒場で聞いてみる。

 

 その後、しばらく観察して面白いものを見た。

 夜明けからしばらく後、沼地の巡回しているとき、急に沼地の外周ルートから外れて怪鳥が飛び出した。此方に気づかれたのかと警戒したが、【大刃甲虫】がいたからだ。

 そして戦いが始まった。【毒華怪鳥】が【大刃甲虫】を食おうとしているのだ。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 魔物は共通して人間を襲うが、魔物同士では同種でない限り、通常の野生生物と同様に食物連鎖の関係が存在している。魔物として誕生してから、時間が経過するとその傾向が強くなる by 魔物大事典

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 現在、冒険者は誰もあの怪鳥には近づかないそうなので、あの怪鳥が闘う姿を見られるのは貴重だった。

 甲虫は高い木の上に潜んでいたらしい。そこに向かって怪鳥は跳ぶ……というよりもジャンプして蹴りを入れた。木を大きくしならせ、虫を叩き落とした。そして地面に落下しひっくり返った甲虫に向かって、怪鳥は再びジャンプして、半ば踏みつぶすようにして一撃で仕留めた。

 更にもう一匹落下していた。その個体は上手く着地出来たのか、急いで逃げようとしていた。が、怪鳥の足は長く、射程が広い。逃げ出すのは間に合わなかった。

 甲虫の背中はまるで鎧のように硬い。が、鋭いつま先は甲虫の背中を容易に裂いてしまった。

 しかし、一撃で殺すことは出来なかった。甲虫は背中を傷つけられて、それでも逃げだそうと羽を広げ、飛び立とうとした。が、その十秒後、突然甲虫は地面に落下した。そしてジタバタと蠢きながら、最後には動かなくなった。

 

 毒だ。やはり毒をもっている。

 

 周囲にいる毒爪鳥と同様だ。攻撃を受けてから毒が回るまで、約十秒ほど。恐ろしく早い。解毒剤をもっていっても間に合うか怪しい。

 

 この日はここまで調査して、一度帰還する事にした。

 

 あんなのを倒さないといけないのは憂鬱だ。シズクがアレを一撃で倒せるような凄い魔術覚えてくれてたら助かるのに。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥観察日記②

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 観察3日目

 

 虫除け対策をギルドで聞いたら、虫除けの香油を教えてもらった。

 塗ったらすごいスースーしたが効果はあった(銅貨10枚)

 

 今日は実戦に移った。戦うのは俺ではなくロックだけだが。

 老人虐待じゃ(←ロック)

 

 血肉がないから毒も巡らないし、何より既に死んでるから殺されても問題ないというのは心強い。実験に最適だった

 まあ、そう言って、ロックは乗り気だった。砦でも気づいたがこの男、血の気が多い。好戦的だ。倒せるなら倒してほしい。そもそもあの怪鳥はロックを敵として認識するのか、という疑問も含めての調査だ。

 不意打ちであの怪鳥が死ぬなら万々歳だ。

 

 結論:ダメだった

 

 毒爪鳥とあの怪鳥を同時に相手にするのは難しいので沼地の周囲巡回中に近付いたのだが、ロックが近づくと怪鳥は一瞬で警戒モードになって、更に近づくとモケケーって鳴きながら襲ってきた。

 

・ロックでだまし討ちはムリ

 

 そして怪鳥が襲ってくると同時に周囲の毒爪鳥がバサバサと羽ばたき、ロックへと向かって襲ってきた。

 

・やっぱ群れとしての意識がある。毒花怪鳥と毒爪鳥(数十羽)

 

 その後、流石、というべきか、あの怪鳥と毒爪鳥を前にロックは中々戦っていた。四方八方から飛んでくる鳥たちを次々に切り落とし、更に怪鳥の攻撃を凌いでいた。爪で傷つけられようと毒が効かないのが効果的だった。途中までは。

 

 怪鳥が怒り、本気で動き出すとどうにもならなかった。

 

 あの強大な図体で、凄まじい動きで跳ね、そして長い足を振り回す。大暴れだ。

 逆にロックの攻撃は通らない。胴を切りつけても翼に刃が全く通らなかったらしい。

 後で聞くと鋼に剣を叩きつけているような感触だったらしい。

 

・翼の防御力はかなり高い

 

 そして、やむなく首を狙い切りつけようとしたら、その首がムチみたいにしなって、ロックを叩きつけて、ロックがぶっ飛ばされた、十メートル以上

 

 すげえ飛んだ

 

・あの首もやたら強い。筋肉のムチ?

 

 リベンジさせろとロックがうるさかったが魔力による再生限界があるのでここまで。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 以上が三日間の大罪迷宮ラストの調査の結果だった。

 

『あやつ、自分の急所武器にして振り回すとか反則じゃろ!』

「すっげえしなってたな、首」

 

 冒険者ギルドの酒場にて、ウルとロックは食事をとりながら反省会を行なっていた。尤もご飯を食べているのはウルだけであり、ロックは食事の代わりに魔物からはぎ取った魔石を口にしているだけだ。

 換金しなかった分の魔石を兜の面をわずかに開き、内側にひょいひょいと投げ込むさまはシュールだ。中でどのように処理しているのか全く分からない。

 

 その様子を、同席していた銀級の冒険者、“山浮かせのガラルダ”は怪訝な顔で眺めていた。

 

「……うまいのか、それ?」

『ま、美味いっちゅーより……満たされる?酒も恋しいがの』

「ほお……死霊兵の使い魔なんぞ見たことないので、面白いな」

「ギルドには正式に許可をもらっているぞ」

「わかっているとも。むやみにソイツの存在を言いふらすつもりは無いよ」

 

 彼はこりこりと顎を掻きながら興味深げにロックを眺める。

 彼は銀級であり、高位の魔術師だ。ラウターラ魔道学園の出身者ではないらしいが、ロックの存在には興味が引かれるらしい。

 だが、ロックにばかり気を取られてもらっては困る。彼には聞きたいことがある。

 

「それで、本当なのだろうか。竜牙槍であの怪鳥を攻撃したって」

 

 問われ、ガラルダは頷く。

 

「うむ、なにせあの怪鳥、中層に至る最短ルートに陣取っとるからな、俺らにとっちゃ目の上のタンコブ、排除を試みたのよ」

 

 魔術よりも簡易に、大火力を放つことが叶う竜牙槍は、金銭的な余裕さえあれば有効な武装だ。銀級である彼らにはそれをそろえるのは容易い。メンバーをそろえ、迷宮でのパーティ限界である5人全員に一本ずつ持たせ、そして同時に放った。

 

 結果は、言うまでもないだろう。未だ怪鳥は健在なのだから。

 

『あの翼か』

 

 と、ロックがテーブルに広げてあるウルの手帳、あの怪鳥の絵、その翼の辺りを指さすと、ガラルダは頷く。

 

「そうだ。驚くべきことにあの翼、竜牙槍の【咆哮】すら弾くのだ。ダメージがなかったわけではないのだが……俺達の用意した竜牙槍の魔道核は即席の“育ててない代物”だったにしても、あの防御力は脅威だ」

 

 そして、攻撃を受けた怪鳥は怒り狂い、毒爪鳥と共に反撃が来た。無論、失敗に備えた迎撃の準備は進めていたものの、出鼻をくじかれ、猛攻を受け、分が悪いと判断し撤退した。その後も幾度か手を変えたものの、結果は変わらずだ。

 

「夜間、アイツはじっと動かんが、その状態の時は常に翼で体全体を覆っとる。毒爪鳥たちに気づかれない遠距離から、翼を避けて狙うのはほぼ不可能と思った方が良い」

『あやつ、頭は器用に翼に埋もれさせて寝とったからのう』

 

 その後も、ガラルダはウル達が得た情報を補正するように、気前よく自分の経験を教えてくれた。更に、大罪迷宮ラストの情報に至るまで。彼から与えられた情報を食事そっちのけでメモに書き留めたウルは、ガラルダに頭を深く頭を下げた。

 

「成程……助言感謝する。礼金を」

「いらぬよ、これは先達の務め。それに、お前があの怪鳥を討ってくれるならありがたい事だしな。頑張れよ若者」

 

 悩ましい顔をするウルをガハハと笑いながら、ガラルダは自分のギルドのテーブルへと戻っていった。ウルは確認した情報を前に大きくため息をついた。

 

「夜襲は無理かあ…」

『夜襲に限らず、あの翼をどうにかするか、避けないとどうにもならんぞ』

「うーむ……」

 

 想像以上の厄介な存在に、ウルは頭を痛める。わかってはいた事だ。賞金首になっているという事は、それだけ厄介だという事なのだ。ただ、問題点はハッキリとしている。

 

 目下、攻略しなければならないのは翼―――だけではない。その先、翼を掻い潜った先にある、“猛毒の爪”も恐るべき脅威だ。それこそがウル達や、それ以外の銀級の冒険者たちすら悩ませている大元の元凶だ。

 

「他の冒険者たちも、毒爪が無けりゃ翼を掻い潜って近接で挑む奴もいたかもしれない」

『毒がなくともあの足は脅威じゃが、毒ありじゃと掠っただけで死ぬしのう』

 

 遠距離攻撃、夜襲を狙うのも結局はそこだ。毒爪を伴った強烈な攻撃は、近づくことすらためらわせる。無策で突っ込めば怪我では済まない。

 

「その点、毒が無効なロックは頼りになるが……」

『ワシ一人はきっついぞ。腹が立つが、ありゃ単騎でどうこうするヤツじゃないわい』

「死霊兵とか操れないのか、骨爺」

『主に期待してくれ。あの外道の下を離れてだいぶ力落ちとるぞ、ワシも』

 

 あの死霊術師は外道だったが、しかし腕は一流だった。更に、かなり危険な手段で魔力をかき集めていたからこそ、あれだけの死霊兵を操っていたのだ。

 今はロックの力はカナンの砦の時と比べ随分と落ちた。現在のロックの再生能力は、砦の時と異なり回数制限がある。これは無尽蔵に魔力が送られなくなったがためだが。

 

 それでも不死身の熟練戦士、というのは頼りになる。が、彼だけではどうにもならない。

 

「とはいえ、俺が防毒装備でガッチガチに固めた所で、なあ……」

『頭数、単純に一人増やしたところで、死闘じゃぞ』

 

 手札が足りていない。その事実をウルは痛感する。

 

 ロックという戦力の増加はウル達にとって非常に大きい。大きいが、しかしそれでもまだ足りていない。取れる選択肢が狭い。それを自覚しているからこそ、シズクは今、魔術を“仕入れに”行っている。

 しかし、彼女が成果を持って帰ってくるのを口を開けて待っているわけにはいかない。ウルはウルで、何か考えなければならない。

 

 そう考えると、一番手っ取り早いのは

 

「……やっぱ、仲間、増やすか」

 

 数は力だ。自分にない技能を持ったヒトが一人増えれば、それだけ一気に手札は増える。取れる手段の幅が広がる。組み合わせ次第ではもっとだ。迷宮に入れる一行(パーティ)の限界人数は5人。最低限、その面子を埋めないと勿体ない。

 

『だが、たやすくもあるまい?仲間っちゅーのは、ようはお主等のムチャについてきてくれるような仲間、ってことじゃろ?』

「……」

 

 ロックの言葉にウルは沈黙する。

 彼のいう事はもっともだ。ウルとシズク、二人は無茶をしようとしている。本来なら避けて通る、戦わずやり過ごすのが鉄則の賞金首を狙い、討伐し、最短距離一直線で黄金級を目指している。

 

 この無茶を是とする仲間、というのは中々探すのは難しい。

 

 シズクがロックを少々強引に勧誘した理由もそれだろう。死霊術師討伐の際のように、一時的に他の冒険者達と共闘することはあっても、道中を常に共にする変わり者は、はたしているのだろうか。

 

『募集でもかけるか?』

「やりがいのある。アットホームな職場です。賃金歩合制」

『お前さん、働きたいと思うかそこで』

「転職を考えています」

 

 冒険者を辞めたいと心底に思ってるのは、ウル自身である。

 

『あの娘っ子はどうなんじゃい、ディズと言ったか』

「それこそ無理だ。多分俺達には想像もできないような仕事をして忙しそうだし、もし手伝ってもらったとしても、俺たちただの邪魔者だ」

 

 竜騒動という異常事態だからこそ彼女は協力してくれたのだ。

 冒険者の活動の多少の障害になっている程度のトラブルに彼女は首を突っ込まない。

 それに、彼女に頼り切りになるのは、彼女自身、良しとしないだろう。ウルがそういう態度を見せれば、彼女は厳しく跳ねのける。そういう女だ。ウルもそういう事はしたくない。

 

「つまり、だ。それなりに強く、しかし俺達が不要にならない程度に弱く、それでいて俺達に出来ない事が出来て、しかも今後含め賞金首にどんどんぶつかってめちゃくちゃな無茶をしても問題なし!としてくれる仲間が欲しい!」

『よーしそれで募集してみるかのう!!』

「募集が山のようにきたら困っちゃうなー」

 

 ひとしきり、二人で笑い、そしてウルはため息をつき、ロックは魔石を投げやりに兜の中に放り込んだ。

 

『……なんぞ、仲間集めできるとこないんかい此処は。冒険者の支援ギルドなんじゃろ』

「まあ、あるにはある」

 

 ウルが指さした先、迷宮探索とは別に、様々な冒険者への依頼が貼り付けられた“依頼掲示板”。ではなく、その横だ。

 

『……えっらいごちゃごちゃしとるの』

「都市民からの依頼掲示板と違って、冒険者は名無しが多い。品があまりよくないからな」

 

 “旅人板”と銘打たれたそれは、冒険者たちのために設置された掲示板である。

 冒険者同士が相互で協力し合うための交流掲示板だ。

 冒険者ギルドが自ら設置されたものではなく、冒険者たちが勝手に壁を利用し始めたのがきっかけだったとかなんとか。兎も角、冒険者同士で意見や物々の交換、そして仲間集めの呼びかけも行われている。

 

「……大罪迷宮ラスト探索、斥候募集、報酬は平等分配」

『前衛募集……近接職の募集が多いのう』

「魔女の都市だからな、後衛職には事欠かないだろう」

『しっかし……全然読めんの、ワシが死んどる間に文字変わったんかい?』

「いや、字が汚すぎて読めないだけだ。神殿で勉強しなかったんだろう」

 

 ゼウラディアとその配下の精霊たちの信仰者たちの集う神の家、神殿は各都市に必ず存在し、全ての人々に学び舎を与えている。最低限の読み書きは誰しもが学ぶ権利がある。そしてその門は名無しに対しても開かれている。

 この字の汚さは当人の努力の怠りによるものだ。ウルでももう少し字は綺麗だ。

 

『っちゅーかここに載ってるようなものは、あくまで一時の連れ合い募集じゃの』

「……だな、となると」

 

 ウルはギルドの受付へと目を向けた。依頼受注、賞金の受け渡しなどの作業が主な仕事だが、冒険者のお悩み相談も仕事の一環である。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ううーん……ちょっとそういう条件となりますと……あまりにも……」

「ですよね」

 

 相談した結果、ダメだった。

 受付のギルド職員の青年は何とも言い難い表情で首を捻っている。パラパラと記帳を眺めもするが、少なくともウルが提示した条件を見つけ出すのは難しいらしい。

 

「そもそも、銅の指輪を獲得するレベルになってから新たに同等の仲間を募集するのはあまり多くはないのですよ。大抵は白亜の指輪の間にある程度一行(パーティ)を固めるんです」

「ひと月だったからな……銅の指輪獲得まで」

 

 出世が早すぎた。なんてのは聞きようによっては自慢話だが、これはあまりに急ぎ過ぎたがゆえに発生した弊害である。真っ当な手順を踏んで銅の指輪を獲得する冒険者たちの道程が、ウル達にはまるまる欠落している。

 ソロで活動する指輪持ちもいないことはない……が、徒党を組むなら早い方が良い。実力がついてからでは、戦闘スタイル、方針、性格、その他諸々のかみ合わせが難しくなってくる。

 時間をかければウルとシズクの仲間が増えていたか、といえば微妙なところではあるが。しかし現状、より条件が難しくなってしまったのも事実だった。

 

「此処にも訓練所はあり、訓練生はいるんだろう?めぼしい人材はいないのだろうか」

「ウルさんは銅の指輪持ち、冒険者としては実力者です。それも、第九級の賞金首を討たんとするともなれば、まだ迷宮探索もおぼつかない白亜の指輪の人間を連れていくというのは……」

「……むう」

 

 ウルは唸った。思いのほか死活問題だ。そして恐らくこの問題は時間が経つほどに大きくなってくる。出来れば早急にあと一人は仲間に加えたい。そうなると

 

「やはり魔道学園ラウターラの学生の勧誘か?」

 

 そう言うと、しかし受付の青年は難しそうに首を捻った。

 

「そういったことを望まれて入学された学生の方もいるにはいるんです……が」

 

 元々ラウターラ魔道学園は歴史をたどれば迷宮に対抗するために生まれた学び舎だ。かつては大規模な冒険者育成訓練所と言っても間違いではなかった。

 ただしそれは昔の話だ。

 長い年月とともに歴史と実績が積み重なり、学園の“格”となった。ラウターラ学園は、大罪都市ラストの中心となってしまった。そしてそうなってくるとまた話は変わってくる。

 

「学園で知識を身につけた方が、わざわざ冒険者を望むのは、稀で」

「元々冒険者志望だった奴とかはいないのか?」

「入学して視野と選択肢が広がってしまうとどうしても……」

 

 まあ、そりゃそうだわな、とウルは溜息をついた。

 ウルだって妹が売られたなんて状況でなく、安定した就職の道が存在していたのなら、わざわざ冒険者なんて危険な職業に就く真似は絶対にしない。確かに現在ウルは、ちょっと前までには考えられないようなお金を稼いでいるが、そのために死ぬような思いをしたいかと言われれば絶対に否だ。

 

『主が冒険者辞めちまうかもしれんぞカカ、ウルよ平気か?』

「そうかもな」

『つまらん反応じゃの』

「あの女が前言翻して俺を棄てるような事態が起こったとしたら、もう俺にはどうすることもできん。んでもって、そういう事態が起こらん保証は無い」

 

 己の生活が根底から覆るような、予想だにしない事態が起こるということは、アカネの件でウルも理解した。そしてそれに対して心配したとしてもどうしようも無いことも。

 明日空が落ちてくるかもしれない。なんて心配をしても仕方がないのだ。

 

 思考が逸れた。ウルは改めて受付の男へと向き直る。

 

「要は、ラウターラに冒険者志望の学生は存在しない、という事で良いだろうか」

 

 それなら、それはそれでやむを得ないことだ。また別の切り口から仲間を探さなければならない。ひょっとしたらこの都市で仲間探しをするのは難しいかもしれないが、別の都市国で改めて探してみるのも考えて―――

 

「……いえ」

「ん?」

『ぬ?』

 

 すると何故か受付の男は先ほどまでのセリフとは正反対の言葉を口にした。依然として困った顔ではあるが。

 

「……いるの?」

「……います」

『なーんでわざわざ隠しとったんじゃい回りくどい』

「隠していたわけではないのですが……ええとですね」

 

 そう言って一枚の資料を彼は取り出した。見ればそれは1人の人間の経歴を記した記録紙だった。

 

「冒険者志望の方が出た場合、学園から志望者の書類が送られてくるのです。最近になって一名の方が志望されているとしてこのように」

「大陸一の魔道学園に入学し、わざわざ冒険者になろうっていう物好きと……で、隠していた理由は?」

 

 意地悪をしたくてわざわざ隠していたわけでもあるまい。とすれば、何か相応に理由はある筈だ。その問いに、彼は僅かにためらった後に

 

「……少々、問題を抱えてまして」

「……」

『……なんちゅーか、ウチもそんな奴ばっかじゃがのう。』

 

 やかましい。とウルはロックの兜をはたいた。カタカタと骨が鳴った。

 

 

 

 




評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園②

 

 

 ウル一行、ラスト入国直後

 

「此処は大陸一の教育が受けられる魔術学園だよ」

「入学します」

「話が早い」

 

 以上、シズクが入学を決断した経緯

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 魔道学園ラウターラ、大正門

 大罪都市ラストが誇る巨大な魔術学園を一望できる正面にウルとロックは立っていた。

 

「……でかいな、改めて」

『初見というわけでもないじゃろ。この都市国におりゃどっからでも見えるわ』

「何度見てもデカイ……まあ、都市建造物は大体背が高いんだが」

 

 “毒花怪鳥”の撃破を一時的に中断し、この学園を訪ねた理由の一つはギルドで紹介された冒険者志望の魔術師に会うため。そしてもう一つは

 

「シズクと情報交換したい」

『言うてまだ主が入学して数日じゃがの』

「滞在日程は短い、情報交換は密にした方が良いだろ」

 

 毒花怪鳥の討伐の為、新たなる魔術の習得のため一時的にここに入学を果たしたシズクと情報交換を行う為である。彼女が学園への入学を決意したのは戦力強化のため。

 彼女の強化はウルにとっては当然ありがたい話である。多様な魔術が扱うことが出来れば、それだけ戦術幅は広がる。加えて、ロックの事もある。彼は今シズクの使い魔だが、その魔術的な契約は酷く拙いものだった(土壇場でアドリブで完成させた物なのだから仕方ないが)。

 死霊術の知識も最低限、仕込んでおかなければならなかった。

 そしてその間にウルがターゲットの毒華怪鳥の情報を仕入れ、定期的に毒花怪鳥がどんな能力を有し、どんな魔術があった方が便利かを伝える。役割分担だった。

 

「お待たせしました。ウルさん。シズクさんの確認が取れました。どうぞ」

 

 ウルは頷き、開門した扉へと進む。一緒にロックもついていこうとした時、不意に呼び止められた。

 

「失礼、彼は死霊兵、シズクさんの使い魔と聞いておりますが、お待ちください」

『む、暴れたりはせんぞ』

「いえそうではなく、シズクさんから伝言で、《現状、契約が不安定なので、様々な魔術が蔓延っている学園内に足を踏み入れるのはもう少し待ってほしい》とのことです」

 

 ウルとロックは顔を見合わす。シズクからの伝言、というのならやむを得ない話だ。ロックもそれに納得したらしい。軽く肩を竦め、一歩下がった。

 

『ま、そういう事ならワシは遠慮しておこう』

「適当に時間を潰しててくれ、夕刻の鐘が鳴ったら宿屋に集合で」

『ほいじゃワシはガラルダ殿のとこに顔出すかの』

 

 ガラルダ、先ほど酒場でアドバイスをしてくれた銀級の先輩だ。何か用事でもあるのだろうか、と疑問に思っていると、ロックはニヤリと笑った――――ように見えた。兜の奧でカタカタと骨が鳴った。

 

「近くの“競蟲”なる賭け事をやっとる酒場があるらしいでな。案内してもらってくるわ』

「……小遣いの範囲で遊んでくれよ」

『言われずとも、ではの!』

 

 と言って、軽やかな足取りで手を振りロックは去っていった。

 

 なんというか、キッチリと第二の人生を楽しんでいるようで何よりだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔術学園、学生宿舎、来客用の一室にて、

 

「ウル様!お久しぶりですね!」

「まあ、まだ4日ぶりくらいだけどな」

 

 ウルはシズクと顔を合わせていた。特に心配などはしていなかったが、彼女はいつも通り元気な様子だった。普段の魔物退治の防具ではない、この学園の白を基準とした制服は、白銀の髪をした彼女の美しさをより際立たせていた。

 

「綺麗な制服だ。似合っている」

「とても気に入っております」

 

 褒められてシズクは仄かに嬉しそうに見えた。こんな風に喜ぶ姿は年相応に可愛らしい。そういう仕草を見ると、心配する必要なんてないように思えるが……

 

「……ひとまず情報交換と行こう。こっちは毒花怪鳥の生態が少し分かったくらいだが」

「拝聴いたします」

 

 ウルは咳払いし、シズクは頷いた。現状のウル側の状況をすべてシズクに説明した。

 現在判明している毒花怪鳥の特徴、武器や性質、気質等。

 それ以外も大罪迷宮ラストの環境や、困ったこと、脅威、出現する魔物達についても事細かに一つ一つ語っていった。シズクはそれらの情報をひたすらに沈黙し、聞き続けた。そしておおよそ語ることが無くなったあと、ようやくシズクは口を開いた。

 

「毒を使い、頑強で、仲間と群れで行動ですか。とても厄介ですね」

「動きも俊敏で、しかも筋力もすさまじい。迷宮そのものの環境対策に、毒への対抗手段を用意しないと、ロック以外近付いて闘うこともできない」

「解毒の魔術は習得した方が良いですか?」

「基礎(ファースト)の魔術の解毒で追いつくかわからない。それなら金をかけて高位の解毒薬を用意した方が良いかもしれない」

「現状はまだ、死霊術の完成と、強化に集中した方がよろしいでしょうか?」

「毒を喰らわないロックは要だからな。後、気候の対策についてなんだが――」

 

 別れていた分の相談をまとめて進めながら話を進めていく。濃厚な話し合いになった。今までと違って対面で会話できる時間が限られる分、話すことはとても多かった。

 

「……ところで、シズクは限界ギリギリまでここにいるつもりなのか?」

「ええ、得るものがかなり多そうですから」

 

 シズクは迷いのない頷きを見せた。たった一ヶ月ほどの間にこの学園で何かを得るのは難しいという話はウルも聞いている。しかし彼女のその表情からはその不安を感じさせない。

 頼もしい。とウルは素直に思った。彼女の魔術師としての成長は、間違いなくウル達の今後にプラスに働く。

 

「頼もしいが、一人で大丈夫か?」

「心強い協力者の方がいらっしゃいますから」

 

 協力者?とウルが疑問に思っていると、部屋にノックの音が響いた。同時に男の声も。誰だろう、と、ウルは疑問に思っていると、

 

「ああ、来られましたね。ウル様」

「なん、むあ?!」

 

 何かがウルに向かって投げつけられた。生暖かかった。シズクが今着ていた制服だ。

 何故脱いだ。という突っ込みを入れる前に、ウルはぐいとベッドに押し倒され、布団をかぶせられた。

 

「念のため声は出さないでくださいね?」

「急にどうした???」

 

 身体のラインがくっきりと見えるインナー姿で、艶めいていた髪を指先で乱しながらシズクはウルにささやいた。なんだどうした何する気だ。という様々な突っ込みをウルは口にしそうになりながらも、黙る。

 シズクは乱れた髪のまま、扉に駆け寄り、そしてそっと小さく扉を開けた。そして少しだけ熱っぽく息を吐き、そして扉の向こうにいる男に向かって微笑みかけた。

 

「ああ、メダル様。ごめんなさい。少し疲れて、眠ってしまっていたみたいなのです」

 

 眠っていた。はて、先ほどまでとても快活にウルとしゃべっていたようだが。という、ツッコミをウルはこらえた。ベットの陰に隠れては殆ど扉の向こうの男の様子は見えないが、

 

「あ、ああ、転入してまだ間もない。きっと大変だろう。気にしなくていいさっ」

 

 上ずった声の様子から、シズクの姿に心乱しているのは間違いないらしい。

 

「それでご用件は?」

「なに、君が前に言っていた持ち出し制限のかかった死霊術の魔導書をもってきてね」

「まあ!」

 

 シズクは男の両手を包むようにして手を握る。

 

「ありがとうございます。メダル様!本当に助かりました!それもわざわざ直接届けてくれるだなんて……」

「なあに、君だけ贔屓をすると他の女たちが嫉妬するからね。これで苦労しているのさ」

「まあ」

 

 シズクは至近で男の顔を見上げるようにして微笑みかけている。絶世と評して違いない容姿の彼女が、薄着で頬を赤らめて微笑んできたら、恐らく見慣れているウルですら息を詰まらせるだろう。

 実際扉の向こうも息が詰まっている。か細い息が悲鳴のように聞こえてきた。

 

「ど、うだろう。何ならその死霊術の魔導書、詳しく教えてあげようか。此処で――」」

「ああ、御免なさい、メダル様!今、この部屋、入学の準備で慌ただしくてとても人を迎えられる状態ではないのですそれに……」

 

 そう言って、少しだけシズクは声を小さくして、

 

「男の方を部屋に招くのは、少し、恥ずかしいのです」

 

 はて、己の性別は乙女であったか。とウルは突っ込みそうになって、黙った。

 

「また明日、詳しく教えていただけますか?私、とても助かります」

「勿論、構わないとも!なに、ムリをすることはない。今日はゆっくりと休むといい」

「お優しいのですね。メダル様。ありがとうございます。そういたします」

 

 シズクは深々と頭を下げる。扉の向こうの男はシズクのその様子に満足げな笑い声をあげながら、悠々と立ち去っていった。

 扉が閉まる。シズクは閉まった後もしばらく扉の前に立って、じいっと聞き耳を立てていた。そして彼が完全に立ち去ったのを確認すると、そのまま手に入れた魔導書をもって、ベッドの布団に隠していたウルへと近づき、ぱっと笑みを浮かべた。

 

「ウル様!死霊術の魔導書を手に入れました!!」

「シズク」

「はい!」

「正座」

 

 魔術師として成長するならともかく、悪女として成長してどうする。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 手段を選ばなすぎるのは長期的にも短期的にもリスクがデカすぎるのでやめろ

 

 という忠告の後、ひとまず彼女との相談会は終了となった。

 

 やはりどうにも自分の事を軽視ししてやらかす悪癖がある。一朝一夕では治らないらしい。まあ、彼女のことだから、あの協力者の男とやらは遠からず御し切る事ができそうではあるが、それはそれでどうなのだろう。いややっぱ駄目だろう。

 

「留学中、何事も起こらなければいいんだが……何も起こらないわけない気がしてきた」

 

 ぶつぶつと独り言を零しながら、ウルは此処に来たもう一つの目的のために学舎を探索していた。冒険者ギルドにて紹介された、冒険者志望という学生の少女を訪ねるためだ。

 名前はリーネ・ヌウ・レイラインという。その名前に聞き覚えがあるかシズクに尋ねてみると、思い当たるのかぽんと手を叩いた。

 

「彼女の事なら知っております。丁度私によくしてくださっている方が」

「おお」

「イジメられていらっしゃいましたので」

「おお……」

 

 できれば聞かなかったことにしたかった。

 

 時刻は既に夕刻、太陽も沈みかけるこの時間帯は既にどの教室も授業を終えている。が、生徒たちは各々、魔術の鍛錬と学習を続けている。

 来客用の宿舎を抜け、中庭に歩を進め、ウルはその光景に、少し感動した。

 魔術の灯火、その様々な光が中庭の花々を照らし、彩り、華やいでいる。校舎を囲うように建つ四方の塔にもまるで木の蔓のような光が周囲を巡り、そして輝くその様は光の大樹のようだった。

 そして校舎の窓硝子も教室の中で鍛錬を続ける魔術師たちの魔術を映している。

 綺麗だった。大陸一の魔術の学び舎、というのも納得だ。そして、こんな時間帯でも鍛錬する魔術師達の多さにも感心した。

 

「頑張ろう」

 

 ウルは彼らの勤勉さに共感しながら足を進める。

 向かう先はこの学園の地下にある魔術訓練所、通称【白ノ庭】だ。中庭中央の階段を降りていく先にそこは存在した。広い地下空間と、そこを覆い尽くすように広がった【白の結界】、どれほど強力な魔術であっても受け止め、外への影響を0にする強靭な結界だった。

 

「でかい」

 

 人類の生存領域が限られるこの世界において、地下空間の建設技術は発達している。それ故に地下施設は決して珍しくはないのだが、これほどの広さはウルもお目にかかったことはない。地上の中庭どころか、この学園の敷地いっぱいにまで広がっているように見える。

 この結界は魔術の最高峰、終局魔術(サード)すらも受け止めてしまうらしい。最高峰の魔術師の教育機関が用意した訓練所に相応しい頑強さだった。

 

「この時間帯は此処に居るらしいが、さて……」

 

 冒険者ギルドの受付曰く、この時間帯なら大抵此処に居るらしい。上手く会えれば良いが……と、結界の前で悩んでいると、利用者とおぼしき者達が結界の中から出てきた。訓練の帰りだろうか。

 

「……ス、ねえ見たあれ?」

「このまま……れないんじゃない?」

「ちょうどいいでしょ?あんな……の面汚し、外に……い方が……」

 

 ……何やら、やや不穏な言葉が聞こえた気がしたが、今は重要ではない。ウルは無視して結界を睨んだ。

 

「……しかしこれ、勝手に入っていいものか?」

 

 そっと結界に触れる。何か奇妙な、泡のような感触があるが、それだけだ。中の様子は白い光に阻まれて見えなかった。少し不気味だが、しかしここでまごまごとしているのは時間の無駄だろう。

 

「……ここで時間を潰しても仕方がないか」

 

 守衛に許可されたこの学園の滞在時間は決まっている。ここでうだうだしても仕方がない。大体、中に本当にリーネという魔術師がいるかどうかすらも怪しいのだ。ともかくパッと確認してしまおうではないか。

 

「お邪魔しまーす」

 

 と、できるだけ声を出して、ウルは白の結界の内部に足を踏み入れる。結界に触れた瞬間、何かとても軽く柔らかな布に触れるような奇妙な感覚に襲われながらも、ゆっくりと歩を進め、内部へと侵入していった。そして―――

 

「…………」

「…………」

 

 小さな泥の塊と遭遇した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園③

 なんだこれ。

 というウルのまっとうな疑問が目の前のドロの塊に注がれる。マギカの住処でみた土人形の類いだろうかとも思ったが、よくよく見れば下部からヒトの足が見えている。生身のヒトではあるらしい。それが大量の泥をひっかぶった姿なのだ。なるほど納得である。

 いや何でだ。なんで泥をひっかぶってる。

 

「……」

 

 ウルの疑問をよそに泥の塊をひっかぶった彼、ないし彼女はウルの方へと直進を続ける。別にウルに用件があるというわけではなく、単にここから出ていくつもりであるらしい。

 が、そのみすぼらしいとすら言っていい泥まみれの姿を他人事として流せるほど、ウルの神経は図太くはなかった。

 

「……その、大丈夫だろうか?」

「なにが」

 

 無視されるかと思ったが、返事が返ってきた。高い声。おそらく少女のものだ。しかし込められた感情はやけに固く、敵意のようなものすら感じる。ウルは声をかけたことを早くも後悔しながらも、言葉を続ける。

 

「泥まみれで、尋常でない様子なので、大丈夫なのか確認したのだが」

「……心配されなくても、へいきよ」

 

 その割に、声色が若干震えているような気がするのは気のせいなのだろうか。

 結界の外ですれ違った女生徒達の会話を思い出す。その陰湿な気配に、余計なことに首を突っ込んだ気がした。しかし、だからといって今更踵を返して逃げ出すには遅すぎる。

 

「……せめて泥は落としていったらどうだろう。魔術とかで」

「“私は使えないの”いいからほっといて」

 

 はて、使えない?

 浄化の魔術はウルですら覚えられる非常に基礎的な魔術の一つだ。体や衣類についた汚れを払う「洗濯魔術」とも言われている。その利便性の高さから傑作魔術と名高く、迷宮とは縁の無いような都市民ですら習得している者も多い。

 それを、この大陸一の魔術学園の生徒が、使えない、というのは解せなかった。

 とはいえ、使えないと言うのなら仕方が無い。そして、使える者は此処にも居る。

 

 

「……【魔よ来れ、水霊を宿せ、穢れを祓え】」

「な、ちょっと」

 

 魔術の詠唱を始めたウルに泥少女は驚いたような声を上げる。が、ウルは無視した。別に洗濯魔術くらいウルだって毎日使用しているし、失敗することはまずない。そのままウルは詠唱を完了させた。

 

「【浄化(クリン)】」

 

 途端、奇跡が発動する。泥の少女の身体から仄かな光を放ち、そしてフッと彼女の身体にまとわりついた泥が弾ける。水の魔術が彼女の身体から穢れを流し、落とし、正常に戻そうとする。あっという間に少女の身体から泥が払われ

 

「…………」

 

 その下から、ズタズタの制服をまとったあられもない姿をした小人の少女が姿を現した。

 

「………………ヘンタイ」

「異議申し立てる!」

 

 ウルは叫びながら服を脱ぎ少女に投げつけた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……つまり、魔術の練習中に嫌がらせで泥ひっかけられて、しかも洗い流せずそのままの姿でうろつかせるために下の服は切り刻んできたと」

「そうね」

「陰湿……!!」

 

 事情を聞いたウルは、中々に悪質ないじめの被害状況を聞き、手のひらで顔を覆った。聞いて全く楽しい話ではなかった。最高峰の魔術の学び舎でやることのしょうもなさが実にげんなりとした気分にさせてくれる。

 いじめの被害にあった目の前の少女が弱っている様子がないのは幸いではある。小人特有の体躯の小ささで、ウルの上着を被りすっぽりと胴が隠れる姿はなんだか愛らしいが、顔が怖い。コッチをめっちゃ睨んでくる。まさか先ほどの事故を根に持っているのだろうか、とウルは背中にいやな汗をかいた。

 指輪の権限を使って学園に入れたとはいえ、所詮は部外者の流れ者、無用なトラブルになれば不利になるのは当然ウルだ。そんなことになればシズクにまで迷惑がかかる。

 早いとこ用件を済ませよう。と、ウルは此処に来た目的を思い返す。

 

「失礼、ここにリーネという少女はいるだろうか?」

「私だけど」

 

 ウルはもう一度顔を覆った。なんてこった。

 いや、何を気落ちする事がある。と、ウルは自分に言い聞かせる。元々彼女を探しに此処まで来たのだ。話が早いじゃ無いか。と、気持ちを持ち直して、彼女へと向き直った。

 

「……ええと俺は、冒険者ギルドの紹介で」

「貴方、“骸骨殺しのウル”?」

 

 は?と、ウルは出鼻を挫かれた。

 ウルとは、考えるまでもなく自分の名前である。しかし自分のその名前の頭に、物騒な単語がくっついていた。

 

「ギルドに行ったとき、噂になっていた。若い、小柄、灰色髪、ウルという少年一行、賞金首を続け様に撃破してる期待の新星だって。指輪も早くも手に入れている」

 

 そう言って、彼女はウルの装着している指輪を指す。先ほどから睨み付けているように見えたが、どうやら、ウルの装備した冒険者の指輪を睨んでいたようだった。

 

「……まあ、期待の新星かどうかは知らんが、ウルは俺だ」

「私を雇って」

 

 話が早すぎた。

 

「いや、ちょっとま「私を雇って」だか「雇って」あの「なんでもするわ」聞けや」

 

 グイグイと顔を近づけてくるリーネの両肩を押さえ込んだ。とても力強い。押しも強い。

 

「……元々コッチはアンタを勧誘しに来たんだ。だから落ち着け」

「本当?」

 

 ウルがそう言った瞬間、リーネの顔が初めてパッと、年相応の少女のように明るくなった。彼女の人格は全く知らないが、少なくとも出会い頭の無愛想なツラが全ての少女ではないらしい。

 

「だが、俺はアンタというヒトも、その事情も、実力も、何もかも知らないままだ。そしてそれはアンタもそうだろう。俺や、俺の仲間達の事を何も知らないはずだ」

 

 それが一時的な仕事の雇用ならともかく一行(パーティ)として迎えるのに、相手のことを何もしらないのはまずかろうというのはウルにだってわかっている。しかも、彼女はどう考えても何かしらの事情を抱えている様子なのだ。

 ちゃんと見極めねばまずい。

 

「じっくり話し交流を深める……なんて、時間はないかもだが、せめてどんな能力を持ってるかくらいは確認しないことには、話は進まん」

 

 なんとか宥めるようにそう説明すると、リーネは少し考え込む顔になった。そして、

 

「なら、明朝、此処に来て」

 

 私の魔術を見せるから。

 彼女は睨むような、挑むような顔つきでそう言うのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市ラスト、金融ギルド【黄金不死鳥】ラスト支部にて

 

「ということがあったんだがどうだろう、アカネ」

《にーたんのえっちー》

「やめろ、傷つくぞ」

「にーたんのえっちー」

「その節は本当にすみませんでした」

 

 ウルはアカネとディズになじられていた。

 リーネとの出会いからしばらくして、ウルは学園を一度立ち去った。

 すでに陽は沈み、迷宮、ギルド、学園と一日で彼方此方回ったウルの体力は疲れ果ててはいたが、アカネへの顔出しは欠かさぬよう心がけていた。

 尤も、アカネとディズが両方留守にしていることも珍しくはないのだが。

 

「また仕事が忙しいのか?」

「この国は優秀な魔術師が多いから、グリードよりは楽なんだけどね。それでもちょっと、潜らないといけないことが多くてね」

《なんかすっごいでっかいのうねってた》

「アカネは凄いなあ」

「私も褒めてよ」

「ディズは凄いなあ」

 

 褒めた。ディズは満足そうだ。

 

「黄金不死鳥の仕事は荒事がなくて助かってるよ。借り手が研究費をせびる魔術師ばかりだから、貴重な魔道具も回収できているし」

 

 ディズの机の前には様々な、ウルには全く使途不明の特殊な魔道具がゴロゴロゴロと転がっている。一つ一つが相当な価値を持つ魔具の数々であるらしい。詰まるところこの国の優秀な魔術師達から強奪したものである。

 

「【七天】様がそんなことしていいのか」

「黄金不死鳥の仕事に違法性はないしね」

 

 魔道具を一つ一つを手に取って、丁寧に磨き、時折、細かく魔術の詠唱を行う。そうしている姿は専門の職人のようだった。本当に、彼女は多芸だ。

 

「てっきり、黄金不死鳥の立場は、身分隠すためのものだと思ってたが」

「どっちも本当だよ。色々あってそういうことになった」

 

 色々、という言葉が本当に色々とありそうなので、ウルはそこに突っ込むのはやめておいた。つついて、自分では処理できない情報を抱えたくはなかった。

 

「で、ディズはどう思う。リーネについて」

「どーもこうも話聞いただけじゃなんともいえないよ。そもそも基本ソロで活動してるから、一行(パーティ)に関しては私、素人」

「ボッチか」

《ボッチボッチー》

 

 側頭部に物を投げられた。彼女が集めた魔道具の一つだった。なんつー物を投げるんだこの女は。

 

「雇用関係については、少しはわかるから簡単なアドバイスは出来るけど」

「拝聴する」

「妥協していいところと、しちゃいけないところは見極めよう」

 

 ふむ、とウルは首を傾げる。ディズは作業を中断し、紅茶を煎れながら続けた。

 

「例えば能力、技術はある程度妥協できる所だ。伸ばせるし、成長するし修正も利く。幾ら君が即戦力を期待していると言ったって、最初から完璧な人材を、なんて高望みはしてないだろ?」

「まあ、それは」

 

 現在のウルが望む人材に完全に合致する相手を待っていたら陽が暮れる。なんてものではない。存在するかも分からない人材を待ち続けるくらいなら、不足している部分があってもその相手を育てた方がマシだろう。

 

「なら、妥協できない所はどういうところだ?」

「相手を好ましく思えるか否か」

「……んん?」

「重要だよ?もし相手が好かなかった場合、その好きでもない相手と毎日顔を合わせてしかも命を預けるんだよ?」

 

 ウルは黙る。

 要は人格、相性の問題だ。確かにここに問題があった場合、修正するのは容易ではないだろう。無論、コレに関しても「全てが好意的に思える相手」を待ち望むのは無理な話だ。妥協も必要だろう。しかし、どうしようもなく意見が合わない相手を選ぶのは危険だ。

 

 嫌いなやつに、信用できないやつに、命を預けることなどできないのだから。

 

「能力の有無ももちろん大切だけど、それ以上に“関係”ってやつはチームを作る上では欠かせない。そこは気にした方が良いね」

「……なるほど」

 

 そう言われると、あのリーネという少女はかなり突飛な、といったら悪いが、中々にクセのある性格をしていた、気がする。勿論、まだ殆ど会話を交わしていない相手だ。どういう性格なのかも分からないし、噛み合うかも分かったものでは無い。だ

 兎に角、まずは彼女の事を知らなければ話にならない。そして、こちらのことを知ってもらわなければならない。

 

 結局は、約束した明日を迎えてみなければどうなるかはわからなかった。

 

「どんな魔術を見せてくれるのかね」

「その点で気になっていたんだけど、リーネ?彼女のフルネームなんだっけ?」

 

 はて?と思いながらも冒険者ギルドで渡された情報を思い返す。確か……

 

「リーネ・ヌウ・レイライン、官位持ちのご息女だ。特権階級がなんだって冒険者になろうとしてるかは知らないが……」

「“レイライン”ね。なるほど」

 

 と、ディズはその情報を聞いて何やら納得したようにうなずいた。

 

「なんだ。知ってるのか?」

「これはアドバイスだけど、明日用意しておいた方が良い物があるよ」

「何を?」

「食事と、暇つぶしの道具」

 

 なんというか、いやな予感のするラインナップだった。

 

 




評価 ブックマーク がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園④

 

 翌日 大罪都市ラスト、訓練所にて

 

「……眠」

『【瞑想】とやらで睡眠時間短縮できとるんちゃうんかい?』

「俺はまだ下手くそなんだよ……ディズは最近ぱっちりだ、羨ましい」

『ワシは眠らんでも良いから楽だがの』

 

 現在まだ日は昇ってはおらず、都市の内部も人気なくガランとしている。小山の上に建築された冒険者ギルドからはこの都市が一望出来る。シズクのいる学園もまた、視界に収まっていた。

 この訓練所で何をしているかと言われれば、もちろん、この場所の名の通り、訓練である。短い睡眠でもかなり体力の回復が出来るようになってからというもの、ウルとシズクは、手すきの時はほぼ丸一日中、鍛錬を行なっている。全ては圧倒的に不足している経験値を補うためだった。

 

『マジメじゃのう。普通訓練なんて辛いしつまらんしでサボりたがるもんとちゃうんか?』

「俺だって、嫌だ、よっ」

 

 踏み込み、身体を捻り、身の丈ほどもある竜牙槍を前に突き出す。風を巻き込み食い破るようにして突き出された一撃は、向かいあうロックの剣に容易くいなされる。力で押さえ込まれるのではなく、まるで受け流すようにして避けられた。そのままそれが二人の技量の違いを表していた。

 

「汗かくし、楽しくない、身体は痛いし、魔力による強化は危ないし、この上勉学までしなきゃならん、アカネとも会えんっ」

 

 ウルはかまわず槍を振る。相手を見極め、己の身体の動きを意識し、連撃を繰り出す。先端の重量を生かし、しならせ、威力を重ねる。合わせ、徐々にロックの回避の余裕を奪っていく。最後の一突きはなんとかロックの鎧を掠める事は叶った。

 

「でも、死ぬのは、嫌だろ」

『それがわかってもなお、苦しみに耐え、備えるという辛抱は中々利かんもんじゃがのう』

 

 その生真面目さが取り柄か。と、ロックはカタカタと笑った。

 アルトを出て、ロックが相手になってからというものの、訓練の充実さは増した。時折ディズも手伝ってくれるが、遙か高見から此方を指導していてくれる相手と、死に物狂いで食らいつけばなんとか足下に及ぶ相手との訓練はまた別のものだ。

 結果、宝石人形や餓者髑髏から強奪した魔力はすでに十分に肉体になじみつつあった。少なくとも、自分の力に振り回されるような無様は晒さずに済む程度には、身体を上手く動かせるようになったのだ。

 

 だが、それでも。あの怪鳥を討つ手立ては今のところ立っていない。それがウルを焦らしていた。

 

「……む」

『夜明けじゃの』

 

 東の空から太陽神、唯一神(ゼウラディア)の陽光が差し込んでくる。眩い光が闇夜を裂いて、淡い魔灯の光をかき消し、都市の景観を色づかせていく。

 そして、同時に、家々から都市民が外に顔を出す。

 彼らは眩い光の下に身体をさらすと、そのまま太陽の光に向かい両手を合わせ、祈る。

 

「我らが神よ。偉大なる御身によって我らの道行きを照らして下さい」

 

 ウルもまた、短く、しかし確かに祈りを捧げた。太陽神、唯一神ゼウラディアへの祈りは、都市民、に限らず都市の内側に居る者なら誰もが必ず捧げねばならない“義務”である。

 何しろ、この都市の、人類が生き残る事が許される都市部に巡らされた【太陽の結界】は唯一神からもたらされたものなのだ。信仰がどうこうとか以前に生死がかかっているのだから、皆真面目にやる。

 だから、神と神殿への祈りを忘れる者がいるとすれば、神に依らぬよほどの変人か、邪神を信仰する邪教徒か、あるいは――

 

『おぬしは都市民ですらない流浪の冒険者じゃろ?祈らんでもいいんじゃないのか?』

「別に、都市民でなかろうが、助けてもらってることには変わりない」

『……ふむ、ならやはりワシも祈ったほうが良いのかの』

「心からのものでない祈りに意味はねーよ」

 

 あるいはそもそも神と精霊への信仰を知らぬ者である。

 

「アンタが生きてた頃はゼウラディアへの信仰は薄かったのか?」

『さあのお?』

「おい」

『ほんと、生前の記憶がさっぱり思いだせんでの。ばあさんやメシはまだかの』

「じいさんや、昨日たべたでしょ」

 

 ウルは魔石を取り出しロックに投げつけた。ロックは器用に鎧兜に魔石を納め、吸収する。なんだか動物に餌付けしているような気分になった。

 しかし、唯一神への信仰すら忘れるというのも、随分と難儀な話だった。

 この世界の住民にとって、神への祈りは、個々人の思想、信仰、主義主張の枠を超えた生活の一部だ。それを失うというのは、極端な話、息の仕方を忘れるようなものだ。

 あるいはもっともっと、遙か昔に生きた人物なのだろうか?とも思ったが、真相は忘却の彼方である。とはいえ、それほどに彼の過去に興味があるわけでもないが。というわけでウルは思考を切り替えた。

 

『んで?この後の予定はどないなんじゃ?』

「湯屋でさっぱりして、少し休んだら学園に行く。面接だ」

 

 今日はリーネに魔術を披露してもらう日である。念のためディズの警告に従い、何処かの出店にて携帯食を手に入れる予定である。つまり今日も学園に行くわけで、ロックは入ることは許されない。

 

『今日はどこ行くかのう、ワシ』

「出来れば迷宮で地道に魔石稼いでほしいんだがな」

『小金なら稼いどるぞ、カカカ』

 

 チャリン、とウルが渡した小遣いの入った小袋をロックがならす。何やらウルが渡したときと比べて袋が膨らんでいるが、どうやら賭け事が上手いらしい。この骸骨は。

 

『どうじゃ、お主もやるか、面白いぞ、虫の魔物が角突き合って争うのは』

「……一度グリードで、冒険者仲間に蜥蜴の競走(レース)の賭け事に無理矢理付き合わされたことがあったが」

『ほう』

「秒で資金が底をついた」

『おう……』

 

 別にそれほどの金を費やした訳ではなかったが(自分の夕食代を使った)、あの時は日々の生活もギリギリまで切り詰めていたので、それを無為に損なう気分は最悪だった。幸いにして、というべきなのか、一緒につき合わされたシズクが大勝ちし、プラマイゼロになったので事なきを得たが、二度とはやるまいと誓ったものである。

 

「まあ、問題を起こさない限りは自由にしてくれ」

『そんなら今日は姉ちゃんの店に行ってみるかの』

「魔物と勘違いされて追い出されるなよ……」

 

 骨身の身体で綺麗な姉ちゃんの店に行って何が面白いのかわからないが、本人が乗り気なのでウルは流した。シズクの「第二の人生を提供する」という契約の通り、この男にはそれを堪能する権利があるのだから、せいぜい満喫すれば良い。

 

『何なら今度お主もいくか?』

「行く」

『……考えとく、とか適当に濁すとおもったんじゃがの』

「ストレス解消の機会がないと俺の精神が持たん。マジで」

 

 

 

             ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 さて、ラウターラ魔道学園二日目である。

 昨日と同じく正門の守衛に声をかけると、どうやら自分の事は既に話として通っていたらしく、初日よりもスムーズに手続きが終わった。

 昨日は学園の広さに戸惑い、しばし道に迷うこともあったが、今日は迷いなく昨日の【白の庭】に向かう。リーネの魔術とやらを見せてもらわねばならない。まさしく、面接だ。

 無論、というべきか、ウルには自分が面接する側の経験なんてモノはない。される側にしても小銭稼ぎに小規模の魔石探鉱に首を突っ込み、いかつい顔をした責任者の男に鼻で笑われ蹴り出されたことがあったくらいだ。

 

 人事の知識なんてのはディズのアドバイスくらいのものである。どうしたら良いかわからず右往左往する自分の姿が容易に想像つく。せめてリーネを困らせるような事はないようにしなければなるまい。

 

《わたしもてつだったるよ》

「おお、アカネや。おまえはなんて優しいんだ」

 

 ウルは妹の優しさに感動した。そして我に返った。

 

「で、なんでここにいるんだい妹よ」

《にーたん、こまってそうだから、てつだいにきたのよ》

「ほう、学園に入る許可は?」

《ふほうしんにゅうよ》

「不法」

 

 ウルはちらりと先ほど通過した正門を振り返った。すると守衛の気の良いおじさんが視線に気づいたのかにこやかに手を振ってきた。ウルは手を振り返しつつ、罪悪感にかられながらアカネをそっと隠した。

 

「アカネさんや。君がここにいることで俺の立場が大変苦しい」

《にーたんがんばって》

「粗雑な応援に喜ぶ自分が腹立つ」

 

 まあ、好んで問題を起こす妹ではなし、余計なところにフラフラしないようにしながら、後でこっそり帰そう。

 

《それにさいきんあんまはなせてないしなー》

「……まあディズにつきっきりだったからな、アカネ」

 

 “自分の装備の回収”とやらの後、ディズはアカネを連れて割と忙しそうに毎日彼方此方に出向いていた。おそらくはあの“骸骨騒動”の時のように彼女の仕事があったのだろう。どれほど大変な仕事かは想像つかないが、出来れば関わりたくはない。

 

《だからちょっとははなしといでって。ディズが》

「諸悪の根源優しいなあ…」

 

 今度彼女の下を訪ねるときは、何か高い菓子を持っていこう。と、ウルは思った。

 

《あと、“れいらいん”相手にするならはなしあいてになったげてって》

「気遣い本当に感謝するんだが、俺は今から何をみせられんのマジで?」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後、約束の時刻まで少し時間が余っていたので、ウルはアカネと一緒にラウターラ学園の見学に回った。アカネの存在がこの学園にどう映るのか怪しかったので出来るだけ建物の中は避けたが、それでも学園の見学は楽しかった。

 

「都市の建物が高いのはいつものことだが、独特だな……此処のは」

《なんかうねってるなー》

「あの花畑、発光しとる」

《おひるねのじゃまでは?》

「……なんだアレ……精霊信仰の簡易神殿か?」

《きもいぐるぐるへびのぞう》

 

 見たことの無い訳の分からないものが山ほどあって観光のしがいがあった。魔術の学び舎の最高峰に対して観光気分でうろうろするのは中々に不謹慎ではあったが、優先すべきはアカネである。とウルはさっくり罪悪感をほうりすてた。

 

「ええと……八時前、ちょうど良いか」

《にいたん、それとけい?》

「ああ、今後も必要になると思って買った懐中時計、銀貨5枚。きっつ」

《とけいはかっこいいのににいたんかっこわるいなー》

 

 自分で購入した懐中時計を握りしめながら己の出費に吐き気を催しつつも、ウルは白の庭に到着した。広大な地下空間、そしてそこに広がる眩い結界、何度見ても幻想的な光景だ。アカネは物珍しさに歓声をあげている。勝手に何処かに行ってしまわないようにしなければ。

 

 さて、約束通りならリーネもいるはずだ。約束よりも早めの到着となったが、と、周囲を見渡した。すると、すぐに見つかった。

 

「……」

 

 白の結界の前で小柄な橙色の髪、三つ編みの小人の少女がいた。しかし、その格好は他の学生達のようなこの学園特有の制服とは違う。大きな魔女帽、そして同じ色の真っ黒なローブに、幾重に首にかけられたタリスマン、そして身の丈もあるような“箒のような杖”。

 なんというか、ガチだった。少々ウルが後ずさりそうになるくらいの本気度が垣間見える格好だった。

 

《じんせいかけてる?》

「重い……」

 

 今更ながら、他人の人生をこれからあずかることになるやもしれないという自覚が湧き出てきて、ウルはずっしりとしたものを胃の中に感じた。ひとまずアカネを懐に隠しつつ、彼女の下へと近づいた。

 

「……どうも、リーネ。今日はよろしく頼む」

 

 声をかけると、リーネはキッとこちらを睨む。やはり眼光が鋭い。そのまま彼女はぐいと、ウルに何かを押しつけてきた。なんだ、と受け取ると、それはウルが昨日渡した上着だった。

 

「お返しするわ」

「どうも」

「助かったわ」

「どういたしまして」

 

 会話の応酬が途切れる。ウルが困っていると、リーネは背を向けて少しウルから距離を置き始めた。そして振り返り、睨む。

 

「今から私の魔術を見せるわ」

「ああ……いや、ちょっと待て。何の魔術を見せるんだいったい。種別は?」

 

 ウルは手を上げ問う。魔術、といってもその種類は多い。多いというか、数限りなく存在している。この世のあらゆる現象は魔術を用いて再現が可能だと言われるほど、

 魔術は万能だ。自分の魔術を見せる、といったって、それがなんなのかくらいは教えてもらわねば見る側としても困る。彼女は冒険者志望なのだからして、それに類する魔術を見せようという気はあるとは思うのだが……

 問われたリーネはこくりと、大きな魔女帽子を揺らしながら頷いた。

 

「攻性魔術よ」

「……なるほど」

 

 まあそれならば、ウルだって見慣れている。シズクがいつも使うものだ。ウルの一行に彼女が必要であるかどうかはともかくとして、冒険で役立つことすら叶わないということはあるまい。冒険者にはそれが自衛のためであっても戦闘は事欠かないのだから。

 

 しかし、それならディズのあの意味深長な台詞の意味はなんなんだろうか。

 

「……確認するが、普通の攻性魔術なのか?」

「違うわ」

「違うのかあ」

 

 違った。不安が増した。

 

「私の家は、かつて、白の魔女様の弟子の一人だった。私が使う魔術は、白の魔女様の技術の一端、それを鍛え続けたものよ」

 

 そう聞くとなるほど確かに凄そうな魔術ではある。

 白の魔女の逸話はウルも詳しくは知らないが、大罪迷宮ラストを封じたのは知っている。その偉大なる魔術師の力の一端ともなれば期待しない方がおかしいだろう。

 問題は、そんな素晴らしい魔女の技術を引き継ぎながら、何故そんなにも険しい表情なのか。

 

「でも欠点があるの」

「それは?」

 

 もはや、問題が有る、ということはウルも想定済みである。では何が問題なのか。

 

 魔術は万能性を獲得するためにはコストが生じる。魔術の共通した欠点と言える。

 

 膨大な魔力、あるいはそれに代わる媒体、贄、術そのものの成功率、精度などなど、結果を得るためのコストは様々だ。魔術が「机上の万能」などと呼ばれる所以でもある。

 当然、彼女の魔術にもコスト、欠点があるのだろう。それはわかる。ではそれはなにか。ウルは黙って彼女の説明を待った。リーネは、相変わらず険しそうな顔で、少しだけ重たそうに口を開いた。

 

「前提として、私はその魔術に特化し、研ぎ澄ますために、制約を自らに加えた。この魔術の系譜以外の魔術の一切を私は扱えない」

「ああ、だから浄化も使えなかったと。それで、それ以外では?」

「時間がかかるの」

「……ふむ」

 

 それは思いのほか、ウルにも理解しやすい問題だった。

 魔物達と接敵した時、魔物達が距離を詰めてこちらの喉元に食いついてくる時間は、場合によっては1秒にも満たない。数十秒で一つの戦闘が終わることもままある。そんな中、ちんたらと魔術発動に時間をかけていては、役にたてない事は確かにあるだろう。

 例えばシズクの歌のような魔術の詠唱は、他の魔術師から聞く限り恐ろしく素早く、正確な詠唱技術らしいのだが、それでも時に戦闘に追いつかないことはある。

 

 それを間に合わせるためにウルが壁となり、シズクを守るわけだ。

 

 天才的といろんな人間から言われるシズクとて、時間という制約からは逃れられない。故に、シズクはシズクで自身の魔術の発動速度については常に鍛錬を続けている。魔術の発動時間短縮は死霊術の鍛錬の他、今回学園に入学した目的の一つだ。

 

 思考がそれたが、リーネの抱える問題がその魔術の発動時間であるという。

 

「……時間、ちなみにそれはどれくらいかかるんだ?」

 

 ウルはある程度は覚悟して、問うた。威力次第とは言え、一つの魔術に数十秒と時間がかかってしまうとなると、迷宮で有効活用できるかはかなり怪しいところだ。それでも活用するなら様々な工夫が必要になるのは間違いない。どの程度か事前に確認しておきたかった。

 問われ、リーネは少しだけ間を開けた後、告げた。

 

()()()()()()()

 

 ウルの意識は遠くなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園⑤

 

 かつて、大罪迷宮を封印した“白の魔女”は弟子をとっていた。

 

 白の弟子達がどのようにして白の魔女に弟子入りし、どのようにして彼女の技術を継いでいったのか。何故彼女が類い希な己の秘術を、血縁関係すらない弟子達に惜しみなく分け与えたのかは定かではない。

 危機を前に、備える必要性を感じたのだとも、大罪迷宮との戦いに命を費やしすぎた結果、死期が迫ったため、自分の技術を残そうとしたのだとも言われている。確かなのは、彼女が弟子達をとり、そして彼らにそれぞれ教え与えたということ。

 

 その弟子の一人が、リーネの先祖だ。

 

 その当時は官位はおろか、レイラインという姓すらもってはいなかった。もっと言えば、名前すらなかった。

 何しろ、リーネの先祖は奴隷だったのだから。

 小人は、かつて迷宮が出現する前は、被差別種族だった。

 どのような経緯で、小人を白の魔女が弟子に選んだのか、これもまた様々な説がささやかれたものだが、今は置いておく。ともかくとして、その小人はその技術を学び、同時にレイラインの姓を受け取った。後に出来る大罪都市ラストの一員として受け入れられ、そしてその子孫へと白の魔女を技術は受け継がれた。

 

 だが、引き継がれたその魔術は、“特殊”だった。

 

 魔法陣。

 それがレイラインが継いだ魔術である。決して、それ自体は珍しいモノではない。魔術を多少かじるモノならばだれでも扱えるような基礎魔術。今や都市の中を歩けば必ず目につくであろう、魔術の基本中の基本。

 

 それを、“尋常ならざる域”まで構築したものが、レイラインの魔術だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 リーネは描き、舞う。

 

 身の丈ほどある魔女の“筆記具”を用いる。【白筆】という、レイラインに伝わる魔法陣を生む魔具。魔力を込め、地を掻き、魔力の線を引く、込められた魔力の光は強く瞬きながらその場にとどまる。

 幾重にも重ねられた式と模様が形をなしていく。力ある光の線が鼓動しながら、まるで絵画を生み出そうとするように細やかな軌跡を描いた。

 リーネがそのように魔法陣を描き始めて、かれこれ10分以上が経過していた。

 

「……ディズが暇つぶし出来るものもってけと言った理由が分かった」

《にーたんはなによんでるん?》

「魔物事典。面白くないぞ」

《えはきれいよ》

「此処の図書館の本、指輪見せたら貸してもらえるかね……」

 

 ウルは腰掛け、魔物事典を見ながらも懐から聞こえてくるアカネの声にひっそりと答える。リーネが魔術を構築している間、ウルは本を読みながらその時間を潰していた。

 最初はちゃんと見学していたのだが、やはり最低でも一時間眺め続けるのは無理があり、早々に諦めた。そもそも見学したところで魔術の知識の浅いウルが得るものなどない。どの程度の時間が必要なのかという確認は必要だが、後は結果を見せてもらわねば判断は出来ない。

 余所事を始めたウルにリーネが悪印象を抱くかもとも思ったが、見学者の飽きは覚悟していたのか、あるいは集中してよそ見をする余裕がないのか、彼女は魔法陣を描く手を休めず続行していた。

 

「……!!…っく……!!」

 

 鬼気迫る表情で、その小さな身体全てを使い、箒を振り回す。怖いくらい真剣だ。 

 そんな彼女の前で読書などなんだか申し訳ない気もしたが、毒花怪鳥の件はウルにとっても真剣だ。この仲間捜しの本題でもある……が、図鑑を読み返しても得るものはあまり多くない。魔物事典の知識が不足している訳ではない。だがウルは既に何度もこれを読み返している。毒花怪鳥に関しては特に入念にだ。

 故に今更読み返したところで、新しい発見が得られるわけではなかった。

 

「さて、そうなると……」

 

 ウルは本を丁寧に鞄にしまうと、別のモノを取り出した。手のひらに収まるぐらいの球、子供達が遊ぶためにあるような球だった。

 

「朝の鍛錬の続き、やるか」

《てつだう?》

「んー……他の学生が来たら隠れてくれな」

 

 がってんだー、と楽しそうなアカネは笑う。

 ウルはアカネの頭をなでつつ、自身の冒険者の指輪を手の甲に当てる。己の魔名が手の甲に浮き上がった。

 

「……【二刻】か。シズクにようやくおいついた」

 

 ウルの魔名は以前のそれと比べ、一画増えていた。

 【二刻】

 冒険者になって二月と少しという事を考えれば、かなり異常な速度と言える。だが、現在のウルの戦闘経験は常識的なものからはかけ離れている。一月で賞金首の宝石人形を打ち砕き、二月で死霊の軍勢を砕いた。それを思えば、遅いと言っても良い。

 魔名は己が魔力の特性の反映、即ち“魔力の貯蔵臓器”である魂の可視化である。魔名の刻印数が増えたということは。魂が魔力を吸収し強くなったことを意味する。

 

 そして魂は強化が進むと、本人の意思や環境を反映し、肉体に大きな変革をもたらす……筈なのだが

 

「そろそろ、なにかしらの異能が宿る……はずなんだがなあ?」

《にーたんはいつものにーたんよ?》

「へこむなあ」

 

 シズクが【聴覚】の覚醒に至ったような異能の獲得を、ウルはまだ出来ていない。

 魔力を吸収した事による単純な身体能力の向上については流石に自覚があるものの、異能、というレベルの肉体の変化は未だウルの中では起こっていない。

 大体銅の指輪を獲得する段階に至れば、肉体が特徴的な強化を得る事が多いという話は聞いている。超短期間での指輪の獲得とはいえ、ウルは遅咲きだった。

 

《にーたんおっくれってるー?》

「つらい」

 

 同じタイミングでスタートしたシズクに差をつけられる事に焦りを覚えないほど、ウルは達観などしていない。シズクがどれだけ天才的な少女であると理解していたとしても、やはり焦れる。

 が、同時に、焦ったところで自分の足は速くならないことは理解している。焦り、空回りしてすっころぶような愚を犯すまい、と、ウルは深呼吸を一つし自らを戒めた。

 

「さて、いくぞアカネ」

《さあこいにーたん》

 

 ウルは先ほど取り出したボールを掴むと、それを振りかぶり、そして空を舞うアカネへと投げつけた。魔力で強化されたウルの肉体から放たれたボールはすさまじい速度でまっすぐアカネへと向かう。

 するとアカネはボールがぶつかる瞬間にその姿を“大きな手のひら”の形に変え、受け止める。そしてそのままウルへと投げ返す。

 要は、投擲の練習である。死霊術士の討伐以降、ウルはずっと投擲の練習を続けていた。アカネにもその時々でこのような形で手伝ってもらっていたのだ。狙った場所、狙ったところに全力で投げつけ、当てられるように。

 

《にーたんちょうしいい?》

「ああ、最近、コツが、わかってきた」

《こつ?》

「目標物をよく見ると当たる」

《あたりまえのことをドヤってるのよ》

 

 おかげで命中精度はかなりよくなってきていた。手に持っているモノがボールに限らず、石ころ、土、木の枝、剣、槍、竜牙槍であってもだ。短期間でなかなかの習熟度に至っている。

 ただし、それは敵から命を狙われない状況下に限る。勿論そういったパターンの練習も続けているが、本番でどこまで正確な投擲が可能か、といわれると難しいところではある。

 

 その不安を打ち消すためにも、やはり必要なのは練習だ。

 

 どれだけ時間を引き延ばそうとも、努力を積み重ね続けるだけの時間はウルにはない。それでも、わずかにでも、鍛錬に打ち込む。それがたとえ無駄な努力であったとしても――――

 

「おやあ?公共の練習場を占領して無駄な努力をしているやつがいるなあ?」

 

 ぶっころすぞ。と、ウルは思った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園⑥

 

「役にも立たない攻性魔術を此処で練習するのは迷惑だと言わなかったかな?リーネ。君の魔術は無駄に場所をとる」

 

 朝から魔術の構築を続けていたリーネの前に、ぞろぞろと女を連れてやってきた男にウルは見覚えがあった。確かこの前シズクの部屋で、シズクに操られ……もとい、善意によって死霊術の手引き書を持ってきていた男だ。確か名前はメダルだったはず。

 と、いうことは、である。

 

「本当、どうして無駄な努力だというのに続けるのでしょうね?」

 

 シズクがいた。なんかすごい悪くて色っぽい顔をしてメダルに寄り添うようにしている。指先をつつつとメダルの顎に触れてなでている。やってることが完全に悪女愛人のそれである。無駄に似合っていた。反省してねえこの女。

 

 ウルは顔を引きつらせながらシズクに目を向けると。彼女はほんの一瞬だけウルへと目を向け、パチリとウィンクし、そのままメダルへの密着を再開した。とりあえず無関係という方針で行くらしい。

 

 さて、メダルである。先ほどから彼が視線を向けているのはウルではない。彼が睨んでいるのは未だ集中力を切らさず一心不乱に魔術を構築しているリーネである。リーネはメダルの存在に気づいていないのか、あるいは気づいていながら無視しているのか、魔術の構築を全く止めない。

 その状況をメダルは面白く思わなかったのか、あるいは、いつものことだったのか、彼はリーネの様子をせせら笑って、そして連れてきた女生徒達に向かって宣言した。

 

「新魔術の鍛錬に来ようと思ったのだが、どうやら彼女はその的になりたいらしいな?」

 

 杖をすっと、彼女へと向けた。冗談のような気軽さで、凶器たり得る代物を人に向ける。それがどういう意味を持つのか、理解していないのか、麻痺しているのかは不明だが、ウルも、その所業を黙ってみているわけにはいかなかった。

 

「ええと、失礼、ちょっとお待ちを」

「……は?なんだ貴様?」

 

 ウルの呼びかけに、メダルは少し驚いたような声を出す。どうやらウルの存在は全くもって眼中になかったらしい。まあ、それはどうでもいい、とウルは彼とリーネの間に立った。

 

「彼女は俺のために魔術を見せようとしてくれているんだ。申し訳ないが手出しはやめてもらえないだろうか?」

「……貴様、冒険者か?」

 

 じろじろと見られながら、貴様呼ばわりされるという中々に無礼を働かれているウルだったが、それ自体は割と慣れたモノだった。

 【都市民】や【神官】にとって【名無し】は流れ者、余所者というのは多かれ少なかれ疎まれるものだ。”冒険者の指輪”を獲得してからというものの、その手の視線で見られることはほとんどなくなっていたが、ウルからすれば慣れたモノだった。

 

「一応は冒険者ということになる」

「ふ、アハハハハハハ!!!なんとまあ、間抜けで節穴な冒険者がいたものだな!!」

 

 が、しかし流石に初対面相手にここまで露骨に無礼な態度をとるやつは初めてだ。と、ウルは腹を立てるよりも驚きながら彼の嘲笑を受け止めた。

 

「良いことを教えてやろう。そこの女の魔術は事、迷宮探索においては壊滅的だ。たった一つの魔術を発動させるのに1時間も2時間も時間を要するのだからな」

「ふむ」

「おまけに起動までは常時無防備だ。【集中(コンセントレート)】の技能の代償に意思疎通もままならん」

「なるほど」

「しかも、レイラインの“継承者”は己の習得する魔術を狭め、縛り、制約する事でその技能を高める。分かるか?これしかできないんだよ、その女は!」

「ほう」

「レイラインは“白の系譜の落ちこぼれ”だ。無駄な期待はやめたまえ。むなしいだけさ」

「あいわかった」

 

 ウルは頷いた。頷いて、そのままウルは彼の前から退くことはしなかった。楽しそうにつらつらと、リーネの問題点をあげつらね笑っていたメダルだったが、ウルが退く様子がないのを見ると、徐々にその機嫌を害し始めた。

 

「……おい、なんのマネだ?」

「なんの、と言われても」

 

 ウルはしばし、答えるべきか悩み、可能な限りゆっくりと自分の感想を述べた。

 

「情報提供感謝する。彼女の魔術を検討する上で良い参考になった。そういうわけだから、彼女の妨害をするのはやめていただきたい」

 

 彼女の魔術の欠点、問題点はなるほど理解した。把握していた内容もあったが、改めて正確な情報が得られた(彼の説明に嘘偽りがないなら)。

 だが、別に、彼女の魔術の欠点を並べられたところで、「彼女の邪魔をするな」というウルの意見がブレる事は無い。むしろ、今の説明が何処まで正確なのか確かめるためにも確認は必要だ。

 それに、初対面でいきなり無礼な言動を繰り返し、他人の努力をせせら笑うこの男を、ウルは普通に嫌いになった。好きになるやつがいるか疑問だが、正直好き勝手にさせる理由が無い。

 

「人が親切に警告してやったというのに、頭が悪いのか?貴様」

「……まあ、頭の出来の良さに自信はない」

 

 嫌な相手だ。しかし物理的にこの男を排除すれば良いのかと言えば、そんなことは出来ない。実現可能かで言えば可能だろうが、言動と、取り巻きを囲ってる(シズク含む)状況的に恐らく官位持ちだろう。

 ラウターラの生徒で、都市の有権者とおぼしき相手に問題を起こすのは正直、面倒くさい。腹立たしさより面倒くささが勝った。ただでさえ毒花怪鳥という撃破しなければならないオオモノがいるのに、さらなる問題を引き起こすのは愚の骨頂といえる。

 

「そんなにその女が的になるのが嫌なら、貴様がなるといい」

 

 だが、そんなウルの思惑とは裏腹に、メダルは不機嫌さをどんどんと募らせ、リーネへと向けていた杖を此方にむけてきた。

 面倒だ。

 この男は多分、自分の思い通りの展開にならない事に耐性がない。よっぽどストレスのない人生を歩んできたらしい。羨ましい。と思ったが全て口にしなかった。おそらくこれ以上は何をしゃべってもこの男を不愉快にさせるばかりだろう。最悪この男の魔術を一発か二発くらって、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

 

 ウルは半ば諦観の境地で押し黙る。兎角、嵐が過ぎ去るのを黙って待ち続けた。

 

《にーたんいじめんなこらー!!!》

 

 まさかそこに、妹が突っ込んでいくとは予想していなかった。

 

「ぶっ!?」 

「メダル様?!」

「なにあれ、使い魔!?」

 

 ウルの懐に隠れていたはずのアカネが飛び出し、メダルの顔面にけりを入れ、事態は混沌と化した。アカネはぷんすこに怒っている。ぷんすこ状態のアカネを宥める手段はウルにはない。考えてみれば実の兄が好き勝手に罵られ攻撃される事態を黙って我慢するなど、アカネに出来るはずもなかった。失敗である。

 そんな反省を、現実逃避気味にウルはしていたが、現実逃避なんてしている状況ではなかった。アカネはメダルの周囲を飛び回り、蹴り、女生徒の服を引きちぎっている。

 

「いい加減にしろこの使い魔が!!!」

《んにゃあ?!》

 

 その思考停止状態の間に、メダルがアカネを引っ掴んだ。アカネはじたばたともがいている。いかん、とっとと土下座でもなんでもして、アカネを離してもらわなくては。とウルが声をあげる間もなく、メダルはもう片方の手で掴んだ杖をアカネへと突きつけた。

 

「そんなに実験材料になりたいのならお望み通り魔力のチリにして――」

 

 その次の瞬間、様々な出来事が連続して発生した。

 

 まず、メダルがアカネへ魔術を放つより遙かに早く、ウルがその手に握っていたボールをメダルの顔面に向けて速射した。鍛錬の成果が出たのかボールは一直線に飛んでいき、メダルの顔面にめり込んでいった。

 メダルは鼻から血を噴き出しながら後方へとぶっ飛び、アカネを手放した。取り巻きの女生徒達は一瞬遅れて悲鳴を上げ、慌てメダルへと駆け寄った。

 その隙を突くように、シズクが放り出されたアカネを素早い動きですくい上げ、そしてそのままよどみない動作で自らの制服の内側に隠した。そして何事もなかったかのような態度でメダルへと心配そうに声をかけた。

 

「大丈夫ですか!?メダル様!!」

 

 やっちまった。と、我に返ったウルは顔を覆った。

 

 




評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラウターラ魔術学園⑦

 

 

 

 リーネは集中し、魔法陣を描き続けていた。

 

 必死だった。恐らく学園の試験の時よりも集中していた。彼女にとってこれは降って湧いたような、後にも先にもないであろう好機だった。最初、自分の魔術の欠点を説明したとき、その時点で帰ってしまうのではないかと怖かった。

 だが、ウルは帰らなかった。「完成まで適当に時間は潰させてもらう」とは言ったものの、それを見届けると言ったのだ。これまで冒険者ギルドにて、何人かに魔術を披露する機会はあったが、最後まで見ると、そう言ってくれたのは彼だけだ。

 だから彼女は必死だ。レイラインの魔術を継ぐ際に獲得した異能、【集中】も発動させ、一心不乱に魔法陣を描き続ける。それでも、構築にかかる時間は決して短くはならない。それでも焦らず、一つ一つ確実に、光の線を描き続ける。完成に至るために。

 

「き……貴様!こ、この!!貴様ぁあ!!」

 

 そんなわけだから、背後で発生しているいざこざを彼女は全く関知出来ていなかった。

 

「…………ごかいです」

 

 何言ってんだろうこいつは、とウルは自分の口からこぼれた台詞を聞いてそうおもった。

 誤解もクソも、目の前で鼻血を噴き出している男の顔面におもいっきり球をたたき込んだのはウルである。弁明の余地もなく全力投球だった。良い球速だった。ちょっとスッキリした。

 訓練用のボールはものを壊さないように柔らかいモノを選択していたおかげか、派手に血を噴き出しているものの骨が折れるような事にはなっていないらしいのは幸いだった。怪我も、シズクがささっと回復魔術で今治してしまっている。血もすぐに収まるだろう。

 

 が、しかし、メダルの怒りは当然そう簡単には収まりそうにはなかった。

 

「【魔よ来たれ(火を/風を)宿し穿て!!!】」

「ぬあっ」

 

 杖から放たれた魔術をウルは横飛びに避ける。火球(ファイアボール)、と思ったが違う。シンプルに威力が違う。基礎魔術であればどれだけ威力を向上させようと限界はある。術構築の手段、精度で威力の上下は相応にあるものの、“これ”は明らかに違う。

 

「いっつ!?」

 

 ウルは突き刺さるような痛みを掠めた腕から感じた。覚えがある。シズクとの鍛錬の時、彼女が使っていった雷の魔術の感覚だ。あれと似ている。だが、二種の魔術を同時に?

 

「【魔よ来たれ(大地よ/氷よ)刺し貫け!!!】」

 

 詠唱が二重に重なって聞こえる。そして放たれる魔術が基礎魔術ではありえない威力で放たれる。同時に二つの魔術が発動している。なんだそれは便利だな。とウルは感心しながらも逃げる。

 

 相手の魔術はとても派手だが、躱すことは割と容易ではあった。

 

 なんだかんだとウルは今日に至るまでいくつかの死線をくぐっている。本気の殺意の込められた一撃を幾度となく回避し続けてきた。普段の鍛錬でも本番に可能な限り近い一撃を受ける訓練も躱す訓練も続けてきた。

 そして今、相手はどれだけ有能な魔術師であろうと、直接戦闘を経験したことのない学生で、頭に血が上りきっている。攻撃は読みやすく、避けるのは今のウルには容易だった。

 

「この!!この!!!この!!!!!!」

 

 当然それはメダルには全く面白くない状況だった。

 柔い球が直撃したせいなのか、頭に血が上ったせいなのか、顔を真っ赤にしながら吠える。ウルに対して怒り狂うあまりアカネの事がすっかり頭から抜け落ちてしまっているのは幸いだったが、さてどうしよう。

 

「この都市に!!いられると思うなよ!この!!余所者が!!!すぐに追い出して!!追放刑の印をくらわせて!!!」

 

 魔術の詠唱と詠唱の間に挟まるメダルの罵倒はもはや支離滅裂だ。このままでは頭の血管が破裂するのではとすら思えた。せめて取り巻きの女生徒たちでいいから、なんとか宥めてはくれないだろうか、とウルが内心で祈っている、と

 

「メダル様」

 

 そこに、どこまでも通るような透明感のあるシズクの声が響き渡った。彼女は、怒り狂うメダルを、背中からそっと抱きしめてみせた。

 

「心を落ち着かせましょう。メダル様。あなた様の心はあのような木っ端のために乱される事あってはなりません」

 

 木っ端呼ばわりされたウルは「どうも木っ端です」と沈黙し、なりきった。

 シズクの声は静かで、しかしまるで心に潜り込み、深く浸透するような震えを持っていた。アルトの騒動での人質達への人心掌握術を思い出していた。あのときと同じ、人の心にするりと滑り込むような音色だ。

 

「あのような男、あなた様なら如何様にも出来ましょう。間を置けば己の所業がいかに罪深いか、無能であっても理解できましょう。まずは、あの男に自らの罪を理解させなければ、裁くことはできません」

 

 外道へと誘うような笑みをメダルへと向けるシズクはまさに悪女のそれだった。そして、彼女の言葉に、鼻息を文字通り荒くさせていたメダルの顔色が徐々に落ち着きを取り戻していった。

 しかし、それでもなお、彼の表情には色濃く憎悪が残っていた。学園生活を送る上では決して味わう事がなかったであろう恥辱を許す気はなかった。

 

「よく覚えておけ、貴様がいったい誰に手を出したのかを。そしてこれから待ち受ける制裁を震えながら待つと良い!!!」

 

 そう言いながら、女達に支えられながら、メダルは去っていった。

 

「……アカネのこと、ディズに報告しねえと……攫われたって」

 

 彼らが去った後、ウルは現実逃避気味にぽつりとつぶやき大きくため息をついたのだった。

 

 

               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……で、きたわ」

 

 リーネは完成した己の魔術に声をあげ、そしてへたり込んだ。絶え間なく連続で魔力を注ぎ、魔法陣を形成しつづける動作は彼女に大きな疲労を与える。技能の【集中】の反動だ。倒れ込みたかったが、あまりにも格好が付かないと両足に気合いを入れて踏ん張る。

 

「出来たわ」

 

 改めてそう言って、振り返る。振り返った先に、ウル少年が既に立ち去っている可能性が頭をよぎり、少し恐ろしかった。

 

「……ナルホド、お疲れ様だ」

 

 だが、恐れは杞憂だった。ウル少年はちゃんとそこにいた。何故か表情が大変優れない様子で、凄くぐったりと疲れている感じだったが。

 

「……待つのに疲れたの?」

「いいやそれとはまったくの別件だ。ところでメダルというヒトをご存じ?」

「私、あいつ嫌いだわ」

「そうか、俺も嫌いになった。向こうも俺のこと嫌いになったんだろうが」

 

 ウルは深々とため息をついた。何があったのかは把握できていないが、あの男がなにかしでかしたということだけはよく分かった。

 大体いつもメダルはリーネに対してちょっかい、というにはいささか過ぎた干渉をしてくる。かつて奴隷の立場にいたレイラインの一族の事を未だ彼は自らの所有物であり、奴隷であると勘違いしているのだろう。

 どう思おうが結構、と言いたいが、今邪魔されたくはなかった。

 

「それで、出来た。と言ったな。ようやく魔術を見せてもらえるのか?」

「そうね。見せられるわ」

 

 なるほど、と、そう言ってウルはまず、リーネの前に懐中時計を見せた。

 

「貴方自身が予告したとおり、貴方が魔術を描き始めてから、一時間が経過した。何もない、妨害もない状況下であったにもかかわらずだ。つまり、迷宮で発動させる場合、同じ場所で、たった一回の魔術を行使するために、貴方を襲い来る多数の魔物達から守りつづけなければならない」

「だから雇うのは難しい?」

「この大きなデメリットを上回るモノを見せてもらえないなら、そうなる」

 

 ウルはハッキリとそう告げる。その表情には、此方を試すような所も、あるいは迂遠な失格の通知でもなく、誠実さがあった。事前に言うべきことを言っておこうという不器用な心遣いだった。

 リーネは、未だ見捨てず、そして真剣に此方に向き合ってくれているウルに感謝し、大きく息を吐いた。どのみち既に逃げも隠れもできない。後は、自分が、祖母が、そしてレイラインの先祖達が黙々と培ってきた技術の粋を見せるだけだ。

 

 リーネはウルをつれて魔法陣からたっぷりと距離をとると、杖で地面をたたく。

 

「【開門(オープン)】」

 

 途端、遠方にある魔法陣が凄まじい光を放つ。累積されていた魔法円に魔力が収束したのだ。それは瞬く間に幾重にも重なった【増幅】【強化】【拡大】の術式により膨れ上がり、しかし一切術式の型を崩すことなく洗練を続ける。

 この工程を刹那の内に術式の内部で幾度となく繰り返し、そして、発動する。リーネが選んだのは【雷】の魔術、風属性の魔術の上位にして扱いのとても難しい魔術の一種。

 

「【天雷ノ裁キ・白王陣】

 

 その、終局魔術(サード)。

 

 途端、魔法陣を中心に莫大な光と音を放つ、この巨大な地下の天井にも届く雷の刃が突き立った。術士を除く全てを焼く雷は、ほんのわずか一瞬で魔法陣の周辺を焼き切り、空気を焦がした。さらにその場にとどまった刃は雷を放ち続け、周囲を破壊し続ける。

 白の結界の内部でなければ、破壊はこの地下訓練所全体に及んだのは想像に難くなかった。

 そして、たっぷりと一分間、光と破壊を放ち続けた終局魔術は、その後役目を終えて消失した。あれほどまで時間をたっぷりとかけて生み出した魔法陣もまた、その仕事を終えて、消えた。

 

 たったの一回、術式構築の時間を思えばほんのわずかな時間の間、しかしヒトの身で起動可能な最大レベルの魔術の発動を単独で可能とする。それがレイラインの魔術だった。

 

「どう?」

 

 恐る恐る、リーネはウルに感想を求めた。だが先ほどまで横に立っていたウルはいなかった。おや?と見回してみると、ウルは地面に転がりながら縮こまり両耳を塞いで頭を伏せていた。

 考えてもみれば、たとえ距離をとろうとも、終局魔術の威力に晒されれば術者以外は平気なはずがなかった。と言うことを、リーネは失念していた。

 

「……大丈夫?」

 

 問われ、よろよろと彼は立ち上がる。ウルは表情を強ばらせながら、口を開いた。

 

「……仮採用で」

 

 リーネの就職が仮で決まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

研修期間

 

 【迷宮大乱立】による大騒乱。

 イスラリア大陸の七つの大罪迷宮から発生した同時多発的な人類滅亡の機。

 それに対抗すべくして生まれた大罪都市プラウディアを中心とした【大連盟】。イスラリア大陸の国家の全てがこれに集った。国力、思想、種族、文化、あらゆる隔たりの壁を越え、一つの組織への恭順が成されたのは偏に「さもなくば確実に滅ぶ」という身も蓋もない危機感から来るモノだったのだろう。

 

 極端に狭まった国土の調整。

 食糧問題の解決のための【生産都市(ファーム)】の建築。

 魔物の目を眩ますための国民の人口制限含めた新法の構築。

 精霊への信仰力の低い名無し達を活用するための公認ギルド、冒険者ギルドの設立。

 

 あらゆる迷宮への対策が【神殿】という精霊の力を管理する組織のもと、急ピッチにすすめられた、この速度なければイスラリア大陸は迷宮に飲まれ魔の大陸となっていただろうと歴史家は口を揃える。

 【神殿】は元より強い影響力を持っていたが、この騒動を経た結果、完全に世界を支配するための政府機関としての地位を確立した。その事に異議を唱えるものは“ほぼ”いなかった。迷宮の騒動の折、精霊を操る神官達が誰よりも最前線で戦い抜いていたからだ。

 

 そして神殿の内部においては、精霊とどれだけ繋がり、その力を引き出せるかによってその地位は変わる。

 

 第一位シンラ

 第二位セイラ

 第三位グラン

 第四位レーネ

 第五位ヌウ

 

 5つの官位をもつ神官達によって神殿は構築される。魔術大国ラストであってもそれは変わりない(もっとも、白の魔女の弟子達の多くは自らの権力を盤石とするため、神官の血を多く取り込んでいるため神殿にも食い込んでいるが)。

 都市国の行き先を定める定例会議も、この一つの官位を持った神官達によって行われる。

 

「では魔石の採掘量も問題ないということかね、アランサ殿」

 

 そしてこの日の定例会議でも、ラストの神殿の【神官長】、ココトリア・シンラ・ガルトーラの指導の下、大罪都市ラストの運営方針が取り決められていた。

 今日の議題の中心となっていたのは大罪迷宮ラストの魔石採掘量についてだ。そのために呼び出されたのは、冒険者ギルド、ラスト支部のギルド長アランサだった。

 

「毒花怪鳥の出現で開拓されていた中層へのルートが一部変更になり、速度は落ちましたが、採掘量自体は問題ありませんね」

 

 彼女はラストで最も高い地位に就いている男の問いに肩を竦め、答えた。【銀級】の冒険者の指輪を持ち、神殿における官位相当の地位を持つ彼女であるが、その態度はやや荒っぽい。その態度に顔を顰める神官もいたが、彼女は気にしなかった。

 

「その怪鳥とやらは倒してはしまえぬのかね?」

「なまじ、中層への道はいくつもあって、回避できちゃうんですよ。冒険者達の意欲が向かわないのが実情です。毒もかなり凶悪で、銀級に不要なリスクを背負わせるのは此方としても…」

「中層へと探索可能な銀級が都市にもたらす魔石の貢献度は認識している。銀級を失うのは本意ではない。なるほどあいわかった」

 

 どーも、と彼女は軽く手を振り着席する。やはり作法に欠ける態度であったが、彼女が、そして冒険者ギルドがこの都市に貢献する所は大きい。迷宮から採掘される魔石は、神官の精霊達の力だけでは届かない部分を補填するのに大いに役立ってくれている。魔術の国であるラストではそれがより顕著だ。

 尤も、それでも冒険者という立場のものを嫌う神官もいるにはいるのだが、少なくとも“今は”静かだった。

 

「……さて、そろそろ時間か。本日の議会は――」

「議長、一つ」

「ラスタニア殿、何か」

 

 議長に声をかけたのは50代半ばの女性だった。

 名をコレイン・セイラ・ラスタニア。 

 この議会の出席者の中でも高位の“神官”であり、白の魔女からの技術を受け継いだ弟子の家系、ラスタニア家の現当主。魔術学園ラウターラの理事長でもある。魔術術式の短縮、圧縮化に優れた魔術師の家系であり、多くの有能な魔術師が彼女に師事している。この国で最も優れたる魔術師の一派だった。

 が、少々問題があることでも彼女は有名だった。

 

「昨今、我が国、ラストからの術士の流出や損失が目に余るように見受けられます。何らかの措置が必要かと提案します」

 

 その発言に対して意味を汲み取れずいくらかのざわめきが起こった。

 

「しかし、魔と迷宮の浸食が今に始まったことではないでしょう?被害が出るのは避けようのないことなのでは?」

「限度がある。ということです。特に、ラウターラの出身者が損なわれるのは我が国の大きな損失です」

「だが、ではどうすると?」

 

 それは、と、彼女はその厳めしい表情で

 

「魔術師保護のため、ラウターラ魔道学園含めた魔術師達に制限を加えるべきかと」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 冒険者ギルド、酒場にて。

 

『ほう、そのちんまいのが新人か』

「仮のな」

「よろしくお願いするわ」

 

 ウルはリーネをロックに紹介していた。

 ラウターラでの魔術の披露を経て、仮採用、ということで、ウルはひとまず彼女を連れ、迷宮の探索へと向かうこととなった。

 

「リーネよ。小人。魔術師」

『ロックじゃ、死人で剣士やっとる』

「死人?」

 

 はて?と首をかしげるリーネへとロックは近づき、顔を隠していた兜をかぽっと外してカタカタと歯を鳴らした。リーネは驚き目を見開く。悲鳴を上げなかったのは凄いと思った。

 

「……まさか、死霊術。この国でも学園でもあまり見たことない。学生には禁術扱いよ」

「人間の魂扱う魔術なんてそうそう許されないわな」

『ま、一応ワシは既に冒険者ギルドに登録は完了しとるでな。世間体が悪いので隠しとるが、問題はないので安心しとくれ』

「……でもそれなら、術士は?」

「今日はいない。まあ、近いうち顔を合わせる。今日は3人の探索だ」

 

 本日の本題、リーネを交えた大罪迷宮ラストの探索。授業を終えてから、ということで現在の時刻は昼過ぎであり、少々遅めの出発となる。移動時間も考えるとそれほど長居は出来ないだろう。

 

「冒険者になるのなら、学園も辞めるわ」

「気が早すぎる」

 

 無愛想な面構えのまま鼻息荒く気合いの入ってる彼女をウルは宥める。流石にまだどうなるかわからないのに、彼女の人生の退路を断つのはあまりにも急すぎる。

 まあ、ウルとしては彼女の力にはかなり惹かれているのは事実だった。“終局魔術”の発動、恐らくシズクでも単独では発動不可能な超威力を操る技術は大物狙いのウルにとって、とても有効な切り札になり得るだろう。

 

 が、とはいえ、まだ彼女の採用を本決めにするわけにはいかなかった。

 

「毒花怪鳥、賞金首の観察の続きだ。今回も討伐は目的とせず観察がメイン、ただし、本番に向けて経験を積むため、交戦も視野に入れる」

「頑張るわ」

「いや、リーネは頑張らなくて良い」

 

 ウルはリーネの意気込みを抑える。彼女には今回前に出過ぎてもらっては困るのだ。

 

「そっちは随分と冒険者になる気マンマンに見えるが、実際の冒険者がどんなモノか知らないんだろう。勧誘された経験がないと冒険者ギルドからも聞いている」

「“思ってたのと違う”って、後から私が喚き出すと懸念している?」

「言葉を選ばずに言うならば、そうだ。だから“仮”だ」

 

 悲しいかな、グリードの訓練所にいるとき、ウルが聞いたことのある泣き言ベスト3に入る言葉である。想像と現実は大きく違う。彼女の気合いの入り方は、正直に言えばウルには不安だった。

 故に、“試用期間”が必要だと、ウルは感じた。

 

「俺たちは現在大罪迷宮ラストの賞金首を狙っている。今回リーネは可能な限り客観的に、俺たちの戦いを見学してもらう。そしてよく見ていてくれ。俺たちの――」

 

 区切り、そして今回リーネを連れてくる最大の目的を口に出す。

 

「――俺たちの醜態を」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 リーネは冒険者というものに幻想を抱いているつもりはなかった。

 

 魔石の採掘者としてどれだけこの世界に必要であろうとも、所詮はならず者、暴力を生業としているヒト達。彼ら彼女らに決してリーネは幻想を抱いていなかった。

 冒険者は決して、素晴らしい仕事だとは思ってはいない。ただ彼女は“自分の目的のために”冒険者になりたいのであって、冒険者そのものに憧れを持っているわけではない。

 

 と、リーネは、冒険者を客観的に見ることが出来ていると思っていた。

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイしぬしぬしぬしぬしぬ」

 

 どうやら、それでもまだ冒険者に幻想を抱いていたらしい。と、彼女は気づいた。

 現在彼女たちは大罪迷宮ラストの上層、中層との境目にいる。ウル達が狙う賞金首、毒花怪鳥の調査に来たのだ。そう、調査に来たはずなのだが、

 

「ウルさん」

「なんだいリーネさん」

「鳥、速いわ」

「せめて飛べよ……なんで足速いんだあいつ……!」

 

 リーネはウルの脇に抱えられ、逃げ回っていた。毒花怪鳥から。

 

『MOKEKKEKEKEKEEEEE!!!』

 

 けたたましい鳴き声が深い森林に木霊する。間抜けな鳴き声のようにも聞こえるが、その鳴き声と共に数メートル以上の怪鳥が恐ろしい勢いで迫ってきているとなると全くもって話は別だ。木々を乗り越え、時に蹴り倒しながら聞こえてくる奇声は死の警鈴だ。

 

 ウル達は今回毒花怪鳥と正面から闘うつもりは無く、あくまでも調査のつもりだった。

 

 上層、“巨杭樹”から抜ける3つのルートの内の中央ルート、【毒茸の泉】と呼ばれる上層に存在する泉にして、毒花怪鳥の住処、その近くにまで行こうとしただけなのだ。泉の手前で簡易拠点を創ろうとしていたその矢先に、何故か鉢合わせてしまった。

 結果、今に至る。

 

「でも調査って言うなら、少しは闘わないと不味いんじゃないの?」

「作戦変更だ」

「後、前衛張るはずだったロックさんが私たち庇って潰れて砕けたけれど」

「作戦変更だ」

「柔軟ね」

 

 実際、大幅な作戦変更をせざるを得なかった。出会い頭、互いに存在に驚き、半ばパニック気味に繰り出された毒花怪鳥の一撃を回避するため、硬直していたウル達をロックが突き飛ばしたのだ。

 結果、ロックは見事に砕け散った。ウル達の代わりに受けたダメージであることを考えるとぞっとした。

 

「ロックさん大丈夫なの?」

「時間が経てば復活する。確かこの先はずっと木々が乱立してる筈だ。あの巨体では追いにくいはずだ。そのまま振り切る――」

 

 ウルは前を見た。

 何故か眼前にはだだっ広い平原が広がっていた。

 

「……わあ、綺麗」

 

 木々は一切生い茂ってはおらず、結界の内にあるはずだが、太陽の輝きがさんさんと降り注いでいた。寝転がり、ピクニックでもしたくなるような絶好のロケーションだった。

 

『MOKEEEEEE!!!』

 

 こんな時でなければ。

 

「隠れる場所、ないわ」

「予定変更」

「予定が息していないわ」

「俺の息の根も止まりそうだよ」

 

 【大罪迷宮ラスト】は生きた迷宮である。

 以前あったはずのものがなくなり、以前なかったものが出現するなど、決して珍しくはない。加えてラストの迷宮特有の鬱蒼とした森が方向感覚を狂わせていた。右を見ても左を見ても似たような植物に囲まれ、方向感覚を失う。太陽を見上げ方角を確認しようにも白く輝く結界が邪魔をする。【指輪】による出口へのナビゲートがなければ確実に迷っていたし、あって尚、道に迷う。ちょうど、今のようにだ。

 

 地形そのものまでは大きくは変化しない。ウルは広間の場所は記憶している、中央まで行けばこの広場は途端に強い傾斜になる。滑り落ち、距離をとれるはずだ。が、しかし、

 

「来る……!」

「ちょっ!?」

 

 既に追いつかれている。怪鳥が突撃し、その毒の爪で踏み潰そうとしてくる。ウルはリーネを突き飛ばし、盾を構え姿勢を低くした。最悪、毒を食らうことを覚悟した。【防毒のアミュレット】が効くかどうか――

 

『ワシを無視しとるんじゃないぞ鳥頭ァ!!』

 

 だがそこに、回復したロックが飛び出した。彼は握った大剣を振りかぶり、そして半ば力任せのように怪鳥の首へとたたき込む。が、刃は首を刈り取る事は叶わない。恐ろしく強靱な筋肉が首を守り、刃を通さない。

 

『なめとんじゃないぞ!!』

 

 弾かれた刃を、ロックは再び振る。鋭く速い一撃、それを、先ほどと全く同じ場所に寸分違わず叩き込む。

 

『MOKE!?』

 

 怪鳥は悲鳴のような鳴き声を上げた。強靱な首が揺れる。全く同じ箇所にあたえられた衝撃は怪鳥の頭を揺らし、首から僅かに血を吹き出させた。それはウル達一行が初めて怪鳥にダメージを与えた瞬間だった。

 

 好機である。ウルは守りを解き、竜牙槍を構え、魔道核を起動させた。

 

「ロック、そのままな」

『おいちょま』

 

 返事を聞く間もなく、ウルは竜牙槍をぶっぱなした。美しい平原の中心で轟音と、肉が焦げるような匂いが漂った。

 

『KUKEEEEEEEEEE!!??』

 

 相変わらず奇妙な泣き声と共に、毒花怪鳥は吹っ飛んだ。

 事前情報、酒場の話では竜牙槍の攻撃も耐えるほどにあの羽根は頑丈と聞いていたが、聞いた話よりはダメージを与えられたように見える。ウルの竜牙槍は酒場の冒険者達の竜牙槍と比べ“成長している”のかもしれない。良い情報だった。

 

「もう一発………!?」

 

 続け様にウルは竜牙槍の放熱を開始し、構え、二発目を放とうと構える。が、しかし、それを放つよりも早く、目の前の状況は動いた。

 

『MO   KEEEEEEE!!!』

 

 毒花怪鳥が大きく羽ばたくと、そのまま地面を蹴りつけ、ウルに背を向けて跳躍したのだ。一瞬、新たなる攻撃手段を繰り出すのかと思ったが、そうではない。そのまま怪鳥は森の中に飛び込み、走り続ける。

 つまるところ、“逃げ出したのだ”。

 

「……撃、退できたのか……ロックは」

 

 ウルは振り返る。先ほどの竜牙槍の一撃をモロに直撃したロックの身体は、バラバラになって吹っ飛んでいた。ロックの頭蓋骨が足下に転がって、焼き焦げている。

 

「……貴い犠牲だった」

『やかましいわ』

 

 頭蓋骨だけになったロックが喋った。ウルは驚かず、そのままバラバラになった胴体の下に投げる。と、彼の身体は徐々に再生していく。

 

「頼りになるよ。不死身の剣士」

『バラバラは気分悪いわい。もっと気遣えお年寄りを』

「もう死んだからよいだろ、コッチは死んだら死ぬんだぞ」

『ワシの手柄じゃからな、あの怪鳥撃退できたのは』

「あーそれでいいよ。ざまあみろだクソ鳥め、全く見事な逃げっぷりで――」

 

 あっはっは、とウルとロックは笑った、笑って笑って、

 

「『……逃げた?』」

 

 二人ははた、と、笑いを止めた。

 

「……いやまて、逃げたぞあの鳥」

『逃げたのう……?』

 

 ウル達の目的は毒花怪鳥を倒すことである。

 断じて襲撃を迎撃し、追い返す事が勝利条件ではない。

 

『……ちなみに、ワシらさっきダメージ与えたが、ほっといたらどうなるんじゃ?』

「回復するだろそりゃ。迷宮だし魔力は潤沢だ。傷の回復だって早い」

『……』

「……」

 

 ウルは毒花怪鳥の逃げた方向に視線を向けた。既に怪鳥はこの平原から森林の奥深くに逃げ込んでいる。痕跡をたどれば逃げたルートくらいは追跡できるだろうが、そもそもあのとんでもない移動速度に追いつけるかと言えば、無理である。つまり

 

「……え?マズくない?」

 

 とても、とても厄介であることに、二人は気づいた。

 

「え?いやまて、違う、そもそも何でアイツ逃げてんだ!魔物だろ!?」

『魔物だと逃げないのか?』

「基本的に魔物はヒトを見れば問答無用で襲ってくる。自分の命が尽き果てるまでだ。どんな魔物でも原則としてそれは変わらないのに、尻尾を巻いて逃げ出すなんて…」

 

 ない、とは断言できない。必ずしもそうではない。

 魔物が発生してからしばらくは、ヒトを機械的に襲う敵対者でしかない。が、時間が経つと、徐々にその生態が生き物に近くなっていく。魔力の塊でしかなかった肉体に血肉骨がつく。生殖を行い繁殖もする。生物らしくなるのだ。

 無論、それでも獰猛で危険で、ヒトにとっての敵対者であることには代わりはしないのだが、これは【受肉】と呼ばれる現象である。特に迷宮、都市の外、地上に出現している魔物達の多くはこの特徴を得ている。

 

「……そうだ、【大刃甲虫】の死体は消えなかった。受肉していた」

 

 他の魔物達もそうだ。毒花怪鳥に集中していた為それほど積極的に魔物を狩ることはしなかったが、どれもこれも死体が残っていた。毒花怪鳥の周辺地域であったから、冒険者が近づかず、生き残った魔物が多かったのかとも思っていたが……

 

「この大罪迷宮ラストが、そういう迷宮っていうことか……?」

 

 より生物に近しい魔物を、生態を生み出す、迷宮。

 

『じゃが、酒場ではこんな話聞かなかったぞ?』

「大罪都市の冒険者は都市間を移動する奴は少ない。生活が安定して都市滞在費が稼げるなら尚のことだ。つまり他の迷宮を知らない」

 

 故に、情報が欠けていた。酒場の冒険者達がウルにわざわざ情報提供を伏せる事はあるまい。彼らにとっては此処の魔物が受肉しているのは当然のこと。言うまでもないことだったのだ。

 

 そして、あの毒花怪鳥の賞金が高い理由が一つ分かった。

 

 とても厄介だからだ。戦闘力よりも何よりも、“討伐”という一点において。

 

「………………どうしよう」

 

 ウルは頭を抱える。

 厄介だった。いや、厄介なのは覚悟していたのだ。賞金首だ。容易いわけがないと。が、しかし、この厄介さは覚悟していたものとは方向性が違う。装備品の制限を強いる環境、非常に危険な毒、竜牙槍の一撃をも耐える防御力、そして逃走、今までとは別種の対策が必要になる。

 これは思考を切り替えていかなければならない。ウルは深く皺を寄せた。

 

『ところでウルや』

「なんだいおじいさん、俺今忙しいから後にしてくれ」

『リーネは大丈夫なんかのう?』

「…………」

 

 ウルははた、と顔をあげる。そのまま振り返り、彼女を突き飛ばした場所まで戻る。と、見ればそこは平原の中でも若干泥濘んでいた。そこにリーネはいた、ウルが突き飛ばした勢いで泥濘みに頭から突っ込んだのか、泥まみれで。

 

「……」

「……」

「…………ごめん」

「……思ってたのと、違うわ」

 

 だろうな。とウルは思った。




評価 ブックマーク 感想がいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リーネの事情

 

 

 観察十二日目

 

 メモ

・毒花怪鳥、逃走癖あり

・逃走ルートランダム?【毒茸の泉】にまっすぐ向かう訳じゃない?

・迷宮の特色は外から来た冒険者とそこを拠点とする冒険者の認識の乖離がある←重要

 

 引き続き、本日も毒花怪鳥討伐のための観察を行う。

 リーネも同行中。

 正直一日目で心折れて、もう来てはくれないものと覚悟していたのだが今日まで継続している。わざわざ学園の授業が終わった後冒険者ギルドに顔をだしてきたんだから相当気合い入ってる。

 彼女がいない午前中はロックと毒花怪鳥の観察だが、やはりと言うべきか、先日与えたダメージは数日の内に回復していた。

 →少なくとも一見してダメージが残ってるように見えない。

 そして住処は変わらず、中層へと進むためのルート、【毒茸の泉】だ。あんな思いっきり逃げ出したくせに、住処は変わらないのが質悪い。

 

・そうだよアイツ逃げるんだよ、言ってなかったっけ?→言ってない

・大物は生存意欲高いから面倒なのよ。追いかけっこしてたら労力にあわんからみんな放置してるの。他の迷宮では違うの?→多分違う

 

 冒険者ギルドで改めて確認したがやはり周知ではあったらしい。今度情報収集するときはもう迷宮の特色を含めて突っ込んで確認しないといけない。今回は損害が出る前に気づけて良かった。

 対抗手段を考えなければならない。

 今の手札。シズクはどういう知識を得るか分からないので今は除外。

 

・俺:戦士、竜牙槍、投擲、遠距離攻撃可能

・ロック:戦士、死霊兵、不死

・リーネ:魔術師、魔法陣→超強力

 

 並べてみると、出来る事は多そうではある。

 が、そもそもリーネがちゃんと仲間になってくれるか分からない。やる気いっぱいではあるが、そもそもなんでそんなにやる気一杯なのか見えてこない。

 とりあえず、明日はリーネが学園にいる間にギルドからリーネの事を聞いてみよう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日、毒花怪鳥討伐一三日目

 

 冒険者ギルド、ギルド長室にて

 

「……ええと」

「理解できた?ウル少年」

 

 冒険者ギルドにて、リーネの事を尋ねようとしたウルは何故か今、冒険者ギルド ラスト支部のギルド長の部屋にいた。そして対面するギルド長アランサから聞いた情報を飲み込もうとしていた。

 

「魔術師を、特に白の魔女の魔術を引き継ぐ魔術師達に対する新たなる保護法が生まれようとしている」

 

 それ自体は別に、なんてことは無い。特に驚くに値しない話だ。

 此処は魔術の国。その術者を出来るだけ護ろうと神殿が動くことに文句なんて在るわけが無い……はずだったのだが

 

「白の系譜の術者は、法の恩恵を受ける対価として“その技術を保護するための義務が生じる”……と……ごちゃごちゃ言ってるけどコレってつまり」

「冒険者みたいな、危ない仕事に就くことを禁じるって事よ」

 

 ウルは、なるほど、とゆっくりと頷くと、そのまま勢いよく机に顔を突っ伏した。

 

「怪鳥退治に集中させてくれ……!!」

 

 ウルは叫んだ。切実だった。

 既に怪鳥だけでも相当頭が痛いというのに、仲間集めくらいスムーズに進めたかった。

 リーネの素性は彼女から聞いている。彼女が白の魔女の弟子、その系譜である事も聞いている。で、あるならば神殿が定めるという新たな法に彼女が引っかかる可能性がある。

 

「っつーかなんつーピンポイントな……狙い撃ちかよ」

「実際、そうかもしれないわよ」

「は?」

 

 ウルが聞き直すと、アランサは肩を竦める。

 

「アンタがあのラスタニアの息子の顔を物理的に潰したのは聞いている」

「事故です」

「事故かどうかは関係ない。そんでもってこの法を提言したのはその母親」

 

 ウルは眉を顰めた。まさかとは思うが。

 

「……メダルって奴が、母親に頼んで、俺たちに嫌がらせしたと?」

「だとしたらどうする?」

「もう一発ボール叩き込んどきゃよかった」

 

 ウルは真顔で言った。

 結構危ういことをウルは口走っているが、アランサは愉快そうに笑った。

 

「ま、冗談よ。流石にあの女がどれだけ子煩悩の冒険者嫌いだからっていって、子供にせがまれたから法を動かすような真似するほどとち狂っちゃいないわ」

「そりゃよかった」

「さっき述べた提案が通りそうなのは本当だけど」

「何も良くねえ」

 

 本当に、何も良くはなかった。仮採用の新入りの周りがクソややこしいことになった事実は何も変わっていない。

 

「なんだってそんな規則を」

「建前は魔術大国ラストの技術の保護なんだろうけど、本命はやっぱり私達への“嫌がらせ”だろーね」

 

 そう言いながらアランサは口をひんまげる。言葉以上に、そのメダルの母親とやらが嫌いであるというのが伝わってきた。

 

「あのババアは典型的な魔術師至上主義でね。冒険者を完全に見下して、魔術師が魔石探鉱夫なんぞやらんでいいって言い切っててうぜーのなんの。で、神官の立場つかってちょくちょく圧力かけてくんの」

「今時珍しい考えだこと」

 

 別の国ならば、魔術師が全てを支配するなどという思想は極論も良いところと一蹴されるだろう。

 が、ここは魔女の国である。ラストという国を構成するありとあらゆる場所に魔術師は居る。冒険者ギルドにも、そして当然【神殿】の内部にも。つまるところ、魔術師至上主義という極論が、“ある程度まかり通っている”。

 

「そんでもって、魔術師が、特にラウターラの魔術師が冒険者になることを滅茶苦茶反対してるのよ。多分その意見を通そうとしたんでしょうね。最近は大人しくしてると思ったのに全く、更年期かっての……」

「なるほど……それで、結局リーネはどうなる?」

 

 神殿の神官と冒険者の確執については、言っちゃなんだがあまり関わるつもりは無い。ウルが問題視しなければならないのはやはりリーネの件だ。彼女が本当に自分たちの仲間になるのかどうかまだ分からないが、彼女の意思とは全く関係ないところで彼女の望みが絶たれるのは流石にあんまりだ。

 

「あの子がただの都市民なら、せいぜいややこしい制約を誓わされるくらいですんだかもなんだけどね……でも、リーネは第五位(ヌウ)。それも“白の魔女の弟子”なのよ」

「この国の創立者の……で、それがまずいと」

「有能な魔術師、ましてや白の系譜が外に流れる事なんてあってはならない。ってのがあのババアの意見。しかもこの意見が通りそうなんだよね」

 

 リーネのレイライン一族は白の系譜の中でも最も力は弱い。

 が、一方でその彼女の魔術が有する“白の魔女の術”という称号は未だラストでは神聖視されている。それを損なう事を良しとすることはしないだろう。

 

「となると、彼女は冒険者になれないと?」

「選択肢は無いでは無いけど……」

 

 若干彼女は口を濁し、その後諦めたように溜息を吐いた。

 

「【都市民権】を捨てるなら許されるかもね」

 

 つまり、都市に住まう権利を失うということ。この都市からつまはじきにされ、ウルと同じ根無し草となるということである。

 

「……流石にあんまりでは」

 

 その立場の人間として、ウルは苦言を口にした。都市民ならざる者のつらさはウルは理解している。基本的に、都市民ならざる者、“名無し”の立場は厳しい。

 都市の立ち入りを拒絶されることこそ殆ど無いが、都市民でないものに都市の居場所はない。都市とは都市民のためのものである。法も同じく。“名無し”は多くの施設を利用できず、法でも守られない。露骨な拒絶や差別を受けることもある。デメリットを数えるとキリが無い。

 冒険者の指輪を得れば、冒険者ギルドの存在する全ての都市にてある程度までは都市民に近い権利を獲得できる、が、やはり、制限は多い。

 

 だが、それよりもなによりも、単純に過酷なのだ。都市の外は。

 安定した食事もない。安眠できる寝床もない。あらゆる気象が牙を剥き、些細な怪我が致命傷となりかねない。名無しの暮らしとはそういうものだ。

 

「まあ、ね。普通は冒険者になるために名を捨てるなんて。ましてや官位持ちの家の名を捨てるなんてあり得ないんだけど……」

「……捨てかねんぞ。リーネ」

 

 あの猪突猛進のような勢いの彼女ならば、捨てかねない。躊躇いそうに無い。

 だが、流石にウルとしてはそれは止めたい。どんな事情があるのかはウルもまだ知らないが、名無しという過酷な立場にわざわざ自分から飛び込む事なんて無い。

 

「アンタとしては、都合が良いんでしょ?」

「都合が良いからって、ソイツの人生が破綻しても構わないとは思わんよ」

「なるほど」

 

 アランサは満足げに頷いた。ウルの回答を喜んでいるようだった。

 

「ひょっとして、アランサさんは、リーネの事を気にかけてらっしゃる?」

「まあね。だからわざわざアンタと直接話をしている」

 

 官位持ちで、白の系譜、末席とはいえ大罪都市ラストの特権階級の少女。リーネが冒険者ギルドに通い詰めていることをアランサも把握していた。彼女が無愛想な顔をさらして、様々な冒険者に声をかけては一蹴されている様子も把握している。その様子をずっと心配していたらしい。

 「それに」とアランサはさらに続けていた。

 

「先代のレイラインとは顔見知りでね。だから余計に心配だったよあの子」

「先代……リーネの両親?」

「いや祖母……でまあ、この祖母ってのが、中々“尖ってて”ね」

 

 尖ってる。という含みのある言葉から良い響きは感じなかった。

 

「良い祖母ではなかったと?」

「世間的には、そうね。頑固、偏屈、偏執、レイラインという家系、その技術の継承に執念を燃やしていた。妄念にとりつかれていたといっていい」

 

 アランサが見たというのは、先代のレイラインが都市主要部の術式構築の改善作業に当たっていた時のことだった。大規模な魔物の襲来事件があり、衝撃で幾らかの術式にゆがみが生じ、魔法陣のスペシャリストであるレイラインに声が掛かったのだ。

 その際、祖母と共に現場にいたのがリーネだったという。が、そのときの祖母の彼女に対する仕打ちは、とても、身内に向けてのものではなかった。指導のためだったのだろう。作業の一部をリーネにやらせていたときの祖母の指導の仕方はハッキリ言ってしまえば、鬼だった。

 

「口を開けば罵声、少しでもトチれば体罰。射殺しそうな眼光、まー鬼ババアっていって差し支えないもんだったね。幾ら厳しい指導っつったって異常だったよ」

「周りは止めなかったので?」

「止めたさ。というか私が止めた。ババアに杖で殴られたけどな。むかついたんでひっぱたき返したけど」

 

 わーお、とウルは顔をひきつらせた。冒険者ギルド支部の長を杖で殴る祖母も強烈だが、杖をついている相手に仕返しするアランサも中々に強烈だった。

 

「レイラインの魔術はそんなにも難しいのか?」

「終局魔術をたった一人で生み出せるのはとんでもない技術さ。普通、それだけの術式を受け入れるための陣を形成するまでの間に集中力が途切れる」

 

 終局魔術は決して単体で扱うものではない。複数人、数十人規模の熟達した術士が扱い発動させるものである。そしてその運用はもっぱら危険な魔物が出現した際の都市防衛に利用される。

 

「【迷宮大乱立】の時は、必要不可欠の技術だったんだろうね、限られた少人数で、本来打倒不可能な敵を討つため」

 

 本来不可能とも言える業を可能とするために練り込まれたレイラインの技術は並大抵のものではない。術式構築の拡張、強化、全てが絶妙なバランスで組み込まれる。それらを数時間以上にも渡って維持し続けるのは並大抵のことでは無い。リーネの祖母の指導も、そうでなければ習得がままならないという理由もあったのだろう。

 

 まあだからって、孫を杖で殴るような真似、許す理由にはならんがな。とアランサは呟く。

 

「そんなこんなで気にしないって方が無理があったし、そもそもあの子は冒険者ギルドには登録を終えている以上、身内だ。ほったらかしにはしないさ」

「なるほど……しかし、なんだって、彼女はそんなにも冒険者になりたいんだ?」

 

 ウルは本題を尋ねる。

 リーネが冒険者を志す理由。あそこまで形振り構わずにいる訳。彼女からもちゃんと聞くつもりではあるが、先に確認しておきたかった。

 

「“レイラインの復権”らしいよ」

「復権?」

「レイラインの立場が白の系譜の中では弱いってのは知ってる?」

 

 ウルは頷いた。あのメダルという少年からも話は聞かされた。

 理解も出来る。恐ろしく強力な魔術を単身で生み出す反面、かかった強力な制約。汎用性とは対極の技術だろう。都市運営が安定し始めた現代において落ちぶれる理由も分かる。が、そのために冒険者、というと少し繋がらない。

 

「だとしたら尚のこと魔術ギルドで頑張るべきなのでは……?」

「私もそう言ったけど、アッチは他の白の系譜がガチガチに固めてるんだって」

 

 ギルド内の政治の問題として、レイラインが魔術ギルドのラスト支部で権威を復活させられる可能性は極めて低い、らしい。

 

「だから河岸を変えて冒険者ギルドか……極端だな」

「ま、詳細はリーネに聞きな。私だって詳しくは聞いていない」

「そうしよう」

「……しかし、アンタ」

 

 じぃと、ウルの目をアランサが覗き見る。

 何でも無い動作だったが、目が、まるで心の奥底まで覗き見るようで、ウルは姿勢を正した。どれだけ気安く荒っぽくとも、彼女は冒険者ギルド支部のギルド長であり、即ち熟達した冒険者である事をウルは再認する。

 

「ここで、改めて確認しとこうか。アンタはあのリーネを仲間にする気があるのか?肯定でも否定でもかまわないが――嘘はつくなよ?」

 

 ここで、仲間にする気はない。と言ったところで別にアランサは怒らないだろう。気にかけると言っても、たった一人に依怙贔屓をして、他の冒険者に負担を強いるような人間ではないことは流石にこの短い会話でもウルには分かっていた。求めているのはアランサに、そしてリーネに対する誠実さである。

 

「仲間にする気は、ある。彼女は必要だ」

 

 故にウルは偽ることも隠すこともせず、正直に答えた。

 

「そりゃ、同情とかではなく?」

「同情なら俺の方がしてほしい。そんな余裕はない。彼女は、“使える”」

 

 それがウルの結論だ。彼女の技術は使える。莫大な時間的コストとリスクを飲み込むだけの価値が、彼女の魔術にはある。

 不可能事を可能とする技術は、まさしく、ウルが必要なものなのだから。

 

 その、ウルの回答を聞いて、アランサは満足げに笑った。

 

「そんならコッチでも頑張ろうじゃない。あの子が“名無し”にならないですむように、なんとか交渉してみるよ」

「それができるなら、コッチとしても気楽だ」

 

 たとえ、本当に仲間になって、そして都市を出る旅になったとしても、帰れる場所があるというのはやはり違う。のだろう。ウルには分からない。分からないが、帰る場所は欲しい、と常々思っていた。アカネと共に、帰る場所があれば、と。

 リーネにそうはなってほしくはない、と思う。

 

「まあ、こんな話したところで、彼女がこっちに愛想尽かしていたらおじゃんだがな」

「愛想尽かされるようなコトしたのか」

「毎日汗まみれ泥まみれ虫刺されで走り回ってる」

「アンタら迷宮に何しに行ってんの?」

 

 アランサに呆れられながらも、リーネの事情のことはウルも頭に入れておいた。今日も午後からは彼女と迷宮に潜る予定だ。その時、時間があれば彼女の事情を尋ねてみた方が良いだろうと、そう思った。

 

 が、しかし、この日、ウルが彼女に遭遇することは叶わなかった。

 

 彼女が冒険者への道を諦めたというわけではなかった。学園の授業の都合でもなく、それとは全く別の、しかし急を要する案件が飛び込んできたのだ。

 

 彼女の祖母、レインカミィ・ヌウ・レイラインの危篤の情報だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リーネの事情②

 

「……身体が痛いわ」

 

 リーネはゆっくりとベットから身体を起こす。

 身体は痛かった。

 しかしそれは魔物に攻撃を受けた名誉の傷とかではない。ひたすら魔物から逃げ回り続けたための筋肉痛である。ついでに転げ回り、地面に擦れて出来た擦り傷のせいでもある。

 迷宮探索時は、細々とした魔物の討伐は一緒に行うので、その際出てきた魔石から得られる報酬はわざわざウルから分けられていた(まともに仕事をこなせていないとリーネは断ろうとしたが、断固としてウルは押しつけてきた)ので、回復薬くらい買う余裕はある。が、それは避けておいた。実家の祖母からの仕送り含め、彼女は貯金できるお金は全て貯金している。先を見据えて、だ。

 

 先を、即ち冒険者になった後のことを考え、彼女はお金を貯めていた。

 

 ラウターラの冒険者志望者に対する制限制度については、昨晩帰ってきてから彼女は知った。メダルがやかましい声で高々と勝利宣言でもするかのように彼女にそう教えてきたのだから知らないわけがなかった。

 が、それでも彼女の決意は揺らがない。冒険者になる。それが彼女の最大の目標だ。もしもこの学園の在籍が許されないというのなら、退学も視野に入れる。都市民権だって棄てる。それほどの不退転の決意だった。

 

 無論、家を捨てるというのは、決して愉快なことではないのだが。

 

「……へいきよ」

 

 寝間着から制服に着替え、軽く髪を整え身支度し、寮を出る。本日も学園の授業を受けるためだ。単位取得後も望めば期間内は授業をとることは許される。

 レイラインの魔術、術式構築、魔法陣形成の技術と効率向上にも役立つところが多い此処の授業を受ける機会をみすみす見逃すつもりは彼女にはなかった。たとえ残り短い期間だろうと――

 

「あら、リーネ様。お久しぶりでございますね」

 

 と、学園へと向かう途中、校舎へと続く中庭にて、美しい女と遭遇した。誰だったか、と思い返す必要はなかった。息をのむような美しい銀髪、端麗な容姿、同性でも思わず目が行く起伏ある身体、冒険者として一時的に入学を果たした女、シズクだ。

 

「……久しぶりね、私の事覚えていたのね」

「ええ、もちろんです。最初のころ、親切にしてくださいましたから」

「私の親切、無下にされた気がするけど?」

 

 このシズクという少女、冒険者としての転入生であり、最初は授業についていくこともままならないだろう。と、密かに生徒達は小馬鹿にしていた。事実、彼女の魔術の知識はひどく初歩的であり、初日から数日間は授業をまともに受けることすら出来てはいなかった。

 

 が、その数日の間に、彼女は驚くべき速度でこの学園の知識と技術を吸収していった。

 

 1を聞き、10を知る。天賦の才があると誰もが気がついた。多くの教室の教授達が彼女に声をかけているのをみている。そして彼女は既にメダル……“ラスタニア一派”に取り入り、色々と融通をしてもらっている、らしい。リーネはその辺りの事情はそれほど詳しくはない。友人は殆どいないし、忙しいからだ。

 

「……上手くやってるみたいでなによりだわ」

「はい、ありがとうございます」

 

 一応、出会ったときに少し気をかけた間柄である。このまま無視するのも感じが悪いために言葉を続ける。なんだか皮肉を投げつけているような感じになってしまったが、シズクは気にしていないのかニコニコと感謝を告げた。

 正直言えば、彼女のことが出会ったときからあまり得意ではなかった。なんというか、何を考えているのかよく分からない。もうこのまま「それじゃ」と会話を切って先に教室に行ってしまうか、とリーネが思い始めた時だった。

 

「リーネ様は冒険者としての活動はどうでしょうか?」

「え?」

 

 予想外の言葉がシズクから投げられる。彼女には自分の目標を口にしていないはずだが。

 

「知り合いから、そのように聞いておりましたので」

 

 ああ、メダルから聞いたのか、と、リーネは納得する。どうせあの男のことだ。嬉々としてリーネがいかに愚かしいかを長々とシズクに向かって語ったのだろう。リーネはフンと鼻を鳴らした。

 

「絶好調よ。悪かったわね」

「まあ、大変よろしいでございますね」

 

 シズクは大変に嬉しそうだった。リーネは再び肩すかしを食らった。

 

「同業者が増えるというのは心強い事ですね」

「……貴方、冒険者辞めるつもりはないの?」

 

 少し驚いた。彼女の学園での立ち居振る舞い、メダルへの取り入り方を見ると、冒険者を辞め、学園に本入学する気マンマンに思えていたし、実際彼女どころか、メダルや教授達だってそう思っていたのだろうから。

 しかし彼女はさも当然というようにすました顔で、ハイ、と頷く。

 

「私にとってこの学園は冒険者の活動としての糧でございますから」

 

 そう断言した。みじんも揺らぐことのない声音だった。リーネはこのとき初めて、正体不明だったシズクの本質の一端に触れたと思った。

 

 不動の、恐ろしいまでの決意。

 

 なんだかふわふわとした笑みを浮かべているのに、その奥底に恐ろしく根深い何かが彼女を貫いている。少し怖かった。だが、同時に、少しだけ、親しみを覚えた。

 まあ、もし同じ冒険者となるのなら、親しくなるに越したことはない、かもしれない。

 

「……あら?鳥さんでしょうか?」

 

 と、そこで、シズクが空を見上げる。植林された木々の合間を縫って、真っ青な一羽の鳥が飛来してきた。まっすぐに此方へと。それが使い魔であり、更に言えば自分の家の使い魔であることにリーネは気がついた。

 

「ルー?」

 

 名を呼ぶと、羽ばたき、そしてリーネの指先に着地する。美しい青の鳥、祖母の使い魔であり、実家にいた頃はよくかわいがっていた。指で少しだけなでるようにすると指にすり寄ってくる仕草は相変わらずだ。

 さて、そんな使い魔がなんの用なのだろう?と見ると、彼女は足に手紙をくくりつけている。ほどき、そして中身を、確認する、と、

 

「――――」

 

 ぐらりと、視界が揺らいだ気がした。書かれていた文面に心臓が早鳴り、恐怖が身体を締め付けた。

 

 祖母が、危篤であると書かれた手紙。

 

 祖母の体調が思わしくないことは知っている。やりとりで送られてくる手紙の文字も年々揺らぎが多くなっていたのを知っている。知っていて、まだ先だと目をそらしていた現実がやってきたのだ。

 

「リーネ様」

 

 ふらっと、揺らいだ足を、背中からシズクが支えてくれる。彼女の静かに此方を伺い、心配するような顔つきに、少しだけ心が平静に戻ったのを感じた。

 

「あまり、よろしくない内容のお手紙だったのですね?」

「……家族が、危篤だと」

「お家は近くに?」

「え、ええ……中央区からは外れるから、離れてはいるけれど」

「では急ぎ、戻られると良いでしょう。教授には私から連絡いたします」

 

 ハッキリとそう言われて、リーネは頷く。小さくありがとうと口にすると、震え、もつれそうになる足を叱咤しながら、制服のまま、急ぎ学園の外へとかけだしていった。

 

「おばあちゃん……」

 

 その言葉にどのような思いが込められたのか、自分自身も分からなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 シズクは、リーネが急ぎ学園から飛び出していくのを見送りながらも、背後から複数の人の気配が来ているのを感じた。クスクスと、小さな嘲りと悪意。メダルの取り巻き達。いつも通り、学園に行く途中、リーネを見つけてちょっかいをかける気なのだろう。

 

 とはいえ流石に今は迷惑だ。

 迷惑でない時なんてないのだが、限度というものがある。

 

「【水よ唄え、捕らえよ/鎮■】」

 

 シズクは素早く、正確に魔術を唱える。間もなく背後からリーネへと飛んでいった泥の魔術を、シズクの魔術が迎撃する。ターゲットを襲おうとする泥の塊を透き通るような小さな水の弾丸が絡め取る。僅かに勢いが削がれ、リーネに当たる前に失速し、落下した。

 その結果にシズクは少し首を傾げる。

 

「……片方しか術式が成立しない。見よう見まねでは難しいですね」

 

 小さくひとりごちて、振り返ると、メダルの取り巻き達がぞろぞろとシズクを取り囲む。ターゲットはリーネからシズクへと移ったらしい。彼女たちのウチ一人が威圧的に声をあげた。

 

「何邪魔をしてるのよ」

「いけませんよ。リーネ様はお急ぎの用があるそうなので」

「何で私達があの女気遣わなきゃいけないのよ。というか、あの女の味方する気?」

 

 「いけませんか?」とシズクは首をかしげる。すると取り巻き達は嘲笑った。

 

「あんな冒険者冒険者連呼してる()()()()の味方するとか貴方正気?ああ、そういえば貴方も冒険者なんだっけ?だったら仕方ないかしら?」

 

 お似合いよね!と、嘲り声が澄み切った朝の空に不愉快に降り注ぐ。彼女たちはどこか嬉しそうだ。それもそうだろう。転入してからあっという間にメダルに気に入られた目の上のたんこぶに弱みが出来たのだから。

 これでメダルからの寵愛を取り戻せる。と、彼女たちは鼻息を荒くした。

 

「せいぜい覚悟しておくのね。メダル様、裏切り者には厳しいのよ?」

「まあ、そうなのですね」

 

 困りました。と、シズクは本当に困り顔でため息をついた。謝罪と懇願でもしてくるのだろう、と、彼女たちは思っていた。裸に剥いて土下座でもさせてやろうか、とでも思っていた。

 だが、シズクは、そんな数から増長した悪意に対して、にっこりと微笑みを浮かべた。

 

「それでは仕方ありませんね――――口封じをしませんと」

 

 え?と間抜けな声を上げた少女達の眼前で、氷よりも冷たい白銀の魔力がバチリと音を立てた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リーネの事情③

 毒花怪鳥討伐十四日目

 

「リーネの祖母が危篤?と言うか何で貴方が知ってるんだアランサ」

「仮にもレイライン家は白の魔女の系譜だからね。ギルド長なんて立場にいると自然と耳に入ってくる」

 

 冒険者ギルド受付にて、ウルはリーネの身に起こった出来事を耳にした。そして、聞いたところでどうにもならないという事実を理解した。

 

『なんじゃい、あの娘っ子、身内の不幸か。』

「死んでないよ、まだ」

 

 ロックの不謹慎な発言にアランサが訂正を入れる。まだ、と言うことは随分と危ない状況であることは確かだった。そうなると少なくとも今日、彼女と同行して迷宮に突っ込むことは難しいだろう。

 ただ、明日以降、彼女が戻ってからはどうなるか。

 

「どう思う」

『どうもこうも、わからんわい。ワシらはまだなーんもあの子から話聞けとらん』

 

 ごもっとも、彼女からもっと突っ込んだ情報を確認しようと決めたのが昨日である。今日、その話をしようとした矢先だ。彼女についての情報はアランサから聞いた話くらいものである。

 

「ギルド長は、どう思う」

「そりゃ私だってそんな詳しくは知らないよ……ただ」

「ただ?」

「あの子が、リーネが“レイラインの魔術師”としての道を歩み始めたのは、あのババアの影響が大きかったのは確かよ……最悪の事態は想定した方がいいかもね」

 

 レイラインの復権という目的自体が、祖母によって強いられたものであったなら、彼女が失われればそれは=目的の喪失と言うことに繋がりかねない。冒険者を志すこと自体、辞めてしまうかもしれない。

 正直に言えばウルとしては頭が痛かった。彼女の“技術”を戦術に考慮した作戦を考えていた矢先のことなのだから。

 が、しかし

 

「……だからといって、俺らに出来ることは、ない」

 

 ウルは自分に言い聞かせるようにしながら、椅子から立ち上がった。実際やれることはない。ないのだから、うじうじ悩むのはまさしく時間の無駄だ。

 

「ギルド長、情報感謝する。もしリーネが此処に戻ってきたら話がしたいと伝えてほしい。そんでロック、迷宮いくぞ」

「今日もあのクソ鳥とやりあうんけ?」

「最終的な一行(パーティ)の予想がつかんので一時中断、魔物狩って金稼ぎと環境調査」

「りょーかいじゃ。ほんじゃのガサツなねーちゃんよ。カカ」

 

 ギルド長敬えっての!という背後の罵倒をカタカタと笑いながら、ウルとロックは今日も今日とて迷宮へと向かった。

 

「……動じても、揺らいでも、足を止めることがないのはアイツの武器だな」

 

 アランサのちいさな呟きはウル達には届かなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 レイラインの本家は大罪都市ラストのなかでも中心から大きく外れた北東部、【都市結界】のすぐそばにあった。人類生存圏外の都市の外では迷宮からあふれた魔物達が跋扈している以上、結界の内部は安全であり、もっと言えば、結界の中心が最も安全な場所である。

 【神官】でありながらも、レイラインの本家の場所は中央から離れた不便な場所にあった。かつてのレイラインのご先祖が選んだその場所は、かつて奴隷種族という立場にあったレイラインが周囲との軋轢を避けるために選択した土地と言われている。

 

 だが、悪い場所ではなかった。都市の中心を見渡せるような小高い場所にたったその家は、レイライン一族にとっては帰るべき家であり、故郷だった。

 そしてその玄関をリーネは久しぶりに叩いた。

 

「おばあちゃん!!」

 

 中には見慣れた家族の姿や、見慣れない親戚達、そして知らない人々までいた。親戚の知り合いか、自分の知らない祖母の友人達か。だが彼等が誰だろうとリーネにはどうでもよかった。誰かに声をかけられているが耳にも入らない。リーネはそのまま一階の奥の部屋、レイライン家当主の部屋、レインカミィ・ヌウ・レイラインの部屋へと向かった。

 

「おばあちゃん!!」

 

 彼女はいた。昔と同じように、大きなベッドで、眠るようにしていた。そばにはリーネの両親がいた。父のダーナンに母のリーラウラ、二人はリーネの姿に少し驚いた後、リーネを祖母のそばへと導いた。

 

「もうずっと、目を覚まさないの」

「手を握ってあげなさい」

 

 リーネは言われるまま、祖母の手を握った。細く、骨張った、カサカサの手、撫でられるよりも叩かれる方がよっぽど多かったその手を握り、リーネは再び声をかける。

 

「おばあちゃ――」

「リーネ」

 

 その途端、パチリと、祖母が目を開ける。瞬間、どよめきが起こり、医者を呼ぶ声や祖母を呼ぶ様々な声が部屋を満たした。だが、リーネにはその騒音も聞こえない。鋭い眼光をした祖母の目をジッと見つめた。祖母もまた、リーネの事を見つめ、そしてリーネの掌を確かに握りしめた。

 

「後は、頼んだよ」

 

 それが彼女の最期の言葉だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レイライン一族

 

 葬儀は盛大に行われた。

 

 当代の当主にして神官の死去。最も位の低い【ヌウ】であっても。神に仕え、都市に貢献した者として敬意をもって送られる。神殿に運ばれた彼女の遺体は、担当となる神官の祈りによって太陽神(ゼウラディア)の許へと送られた。

 

「神よ、神よ、その身を委ね、貴方の下へと還します」

 

 神殿の巫女達が並び、唄う。唯一神へと捧げる歌。太陽に魂を送り、唯一神と共に空から我らを見守ってもらうための歌。そして天から捧げられた日光に乗って、再び大地の命へと戻っていくための唄。

 

「その光で我らを照らし、命を照らし、育み、癒やし、お迎えください」

 

 家族は空への祈りを捧げる。神に、そして己の家族に。これからも見守り、この先の未来を照らしてくださるようにと。

 

「太陽よ。その御身でもって世界に光を、未来を眩きものへとお照らし下さい」

 

 巫女の聖歌が終わる。精霊教会はゼウラディアの加護、太陽の眩き光で包まれる。その温もりの中で葬儀は終わるのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「御婆様が太陽に迎えられたか……まだまだ元気そうだったんだがなあ」

「ちょっと前も都市の機関部で駆け回ってるの見たぞおりゃあ。ものすごい元気だった」

「私も見たわ。孫のリーネとも一緒。小突いて回ってたのよねあの鬼婆……」

 

 葬儀の後、再びレイライン本家に戻っての親戚一同の食事は宴会の様相を呈していた。

 レイラインの家はこの都市国の創立からのものであり、かの白の系譜。その中でいかに不遇であれ官位持ちだ。通常の都市民のような出生制限もかからない。年月と共に自然と一族は大きくなっていた。

 知った顔、知らぬ顔も集まって、店で頼んだ食事を運び、酒を交わし、昔話に花を咲かせて、悲しみを飲み込み、受け入れ、思い出に変えていく儀式だった。亡くなったレインカミィはレイラインの当主であり、少々“クセ”のある人物であった事もあってか、話題には事欠かなかった。

 祖母の代行当主としてリーネの両親もまた、悲しむ間もないというように、彼方此方に顔を出しては頭を下げて回っていた。

 

 そんな中、リーネはと言えば、くっつけ、並べられた机の端っこで座り込み、誰とも言葉を交わさぬまま静かにうつむいていた。

 

「リーネ、平気かい?」

「何か食べる?持ってきてあげるわ」

 

 そんな彼女を慮って、次男ロイン、三女のレナンがリーネへと近づき、優しく声をかける。リーネの反応は思わしくはない。うつむき、そのまま

 

「へいきよ」

 

 短くそう返すだけだった。

 兄姉達は思わしくない末っ子の様子を心配した。彼女がこういう風に言うときは、泣くのを我慢しているときだ。あまり表情の変化が顔に出ないだけで、彼女は激情家なのだ。

 

 彼女は可愛い末子であり、しかし同時に、恐ろしくも厳しい祖母への“贄”でもあった。

 

 御婆様、レインは厳格であり、家族にも厳しかった。だが、彼女がリーネを【白の後継】と定めた時から、祖母の厳しさは全てリーネへと集中したのだ。それに対して兄も姉たちも祖母を咎め、優しくするようにと何度も言った。

 

 だが、心の何処かで、自分らに矛先が向かない事にも安堵していた。

 

 元々祖母の教育方針が極端に厳しかったのが全ての原因であるし、兄姉達はそれでも自分が出来うる限り、リーネを庇い守ろうともした。だが、結果として自分の妹をスケープゴートとして差し出してしまっている事への罪悪感、良心の呵責があった。

 だが、当のリーネはと言えば、そんな兄姉達の罪悪感など知らないというように、大人でも泣き出すようなレインの指導も泣き言を言わず淡々とこなし、ラウターラへの入学と寮での一人暮らしもリーネとレインで決めてしまった。

 

 リーネの家族は、リーネの身内でありながら、理解しきれていないところがあった。

 

 無論、家族だから理解できるなど傲慢な話だ。とはいえ、やはり心配にはなる。祖母が亡くなった今、兄達も姉達も両親もリーネの内心を推し量れずにいた。

 とはいえ、彼女の心配ばかりはしていられない。現在のレイラインの当主の死は大きい。この親戚一同集まっての集会は、感情の整理だけが目的ではない。名有りの家として、今後のあり方も定めなければならない。

 

「そういえば、当主の件なのだが、これはどうするのだい?」

 

 そう切り出したのは、レイラインから分かれたロウセン家の当主のボロンだった。レイラインの魔術の、いわゆる“廉価版”の作成に成功し商売として転用することを成し遂げた、一族の中でも発言力が高い人物だった。

 小人特有の小柄さに加えて、どこか丸いボールのようなころころとした体つきの彼は、他の種族に侮られぬようにと伸ばした立派なひげを掻きながら問う。普通ならば、特に確認の必要もない問いだった。当主が亡くなれば、指定が無ければ子に、長子に継がれる。

 この場合リーネの父、ダーナンである。

 

 しかしこの国、それも“白の弟子”は少々異なる。

 

 白の弟子、その子孫達、彼ら彼女ら白の魔女の力を都市で活用し、名有りという権力を獲得、認められた。代わりに“一つの義務”が生まれた。

 

 即ち、“白の力”を決して絶やすことなく受け継いでいく、という義務。

 

 故に“白の弟子”の当主は、その前の当主からその技術を継いだものである。そして、前当主レインから力を受け継いだのは――

 

「母、レインカミィから力を継いだのはリーネです」

 

 ダーナンは少しだけ躊躇うようにしてそう告げた。親戚一同からも懸念するような声がちらほらと漏れる。反応も当然だった。リーネは此処で集まったレイラインの一族の中でも幼い。小さな赤子や10にも届かない子供もいるため最年少ではないが、それでも当主として任せるには幼すぎる。

 

 規則ではないが、官位の家の当主となれば【神官】となるのが一般的だ。

 

 神官がこの都市に与えられる影響は大きい。たとえ最も権限の低かろうが、国営の一端を担うのだ。利益も、責任も、単なる都市民とは比較にならない。右も左もわからない子供に託す事では断じて無かった。

 

「…………」

 

 名を告げられた彼女自身はうつむいたままだ。周囲の不安や動揺も当然だろう。それを抑え、リーネを庇うようにしてダーナンは前に出た。

 

「無論、彼女が成長するまでは私が引き続き代行をします。いきなり何もかも彼女に任せるつもりはありません」

 

 元より彼はここ数年、弱っていた祖母の代行を務めており、修行を経て【精霊】と心通わせ、【神官】としての資格も得ていた。リーネは学ぶべき事の多い子供であり学生だ。彼女がしっかりと判断できるようになるまでは代わりはやっていくつもりだった。彼自身、精密魔道具の技術士でもあるため二足わらじなってしまい苦労も多いが、やりきる覚悟は彼にはあった。

 

「心配しないでください。ボロンおじさん。レイラインに泥を塗る気は無いです」

「昔からお前は真面目なのに頑固だなあ……しかしだ」

 

 ボロンは髭を掻くようにしながら少しだけ息をついた。彼がそういう仕草をするのはいつも、腹をくくってなにか“大きな事”を言うときだ。ダーナンは少しだけ身構え、彼の言葉を待った。

 

「……これはあくまで提案なのだがね?もう良いんじゃないかと思うのだ」

「というと?」

 

 ボロンは少し黙った。そして勇気を出すように自分の心臓の辺りを強く叩き、そして言った。

 

「レイライン原初の魔術、当主が継ぐ【白王陣】はもう、不要ではないだろうか」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「馬鹿な……」

「……かし……」

「不敬だぞ!!」

 

 その言葉はリーネが次期当主であるという言葉以上に周囲に荒波を起こした。口憚らず彼を罵るような声すら出るほどだ。ボロンはそうなることを覚悟していたのか、目をつむって騒音が収まるのを待った。

 落ち着いてください、と、ダーナンが親戚一同を抑え、ようやく辺りが静まった。

 

「皆さんのお気持ちは分かります。かつての我らの祖先を、そして白の魔女様を侮辱する発言だったことは自覚しています」

「だったらなんでそんなことを言うんだ!ボロン!お前さんだって【白王陣】の恩恵を受けてそんな成功を収めたんだぞ!!」

 

 ダーナンと同じ緻密魔道具の技術士であり、彼の先輩でもあるジレンが怒りをにじませて言う。極めて細やかな術式の刻印を担う彼は特に、白の魔女の与えた技術には敬意を払っていた。

 

「もちろん分かっていますとも。レイライン、被差別種族だった我らが、早々に高い地位を得られたのは、勿論かの力を伝授されたからに他なりません」

「だったら」

「が、そのレイラインの魔術を、今、此処に居る全員が、どれほど大事にしていますか?

 

 むっ、とジレンは沈黙する。

 【白王陣】、白の魔女が継いだレイラインの魔術。現在、レイライン一族に派生している魔術の全てはここから始まっている。しかし、“攻撃のための終局魔術”という本来の特性を継いだレイラインは先代当主の祖母から直接の手ほどきを受けたリーネ以外はいない。

 

 理由は明確だ。“役に立たない”からだ。

 

「迷宮が出現した直後、この都市が形になる前の時は、我らレイラインの祖先の魔術は多大な貢献を果たしたと聞いている。ですが、今はもうその時代ではない」

 

 【太陽の結界】により護られた都市国が完成し、白の魔女は去った。生活は安定したことによって、レイラインの尖った魔術はその需要を失った。汎用性の高い他の弟子達との間に格差が生まれ、挙げ句、権力闘争に敗北し低い地位に甘んじた。これが歴史だ。

 レイラインに生まれた子孫達は、この魔術の研鑽の大半を、“いかに白王陣をねじ曲げるか”という事を焦点にあててきた。“白の弟子”として投げ捨てるわけにもいかず、さりとてそのまま扱うには有効な場面は限られるが故の苦肉の策。研究が実り、戦闘以外の様々な分野で成功を収め始めたのも近年になってからだった。長い苦難の時代がレイラインにはあった。

 

「敬意は必要でしょう。ですが、使わぬ魔術を延々とあがめるのも少々不器用が過ぎませんか。それも、多大な労力と――――犠牲を払ってまで」

 

 犠牲、という言葉をボロンは誰に向けても言わなかった。だが、その言葉に多くの者がリーネを見つめた。レインカミィの、虐待と見紛うような厳しい指導は親戚一同も知るところだった。その視線は同情的だった。

 

「綺麗事、白の系譜の当主の地位を狙ってるだけなんじゃないの?ボロンのオッサン」

 

 と、今度は若い魔女、トリンが口を出す。家を離れて独立した魔女の一人だ。そのやや棘の篭もった言葉に対して、しかしボロンはまるで動じることなく肩を竦めた。

 

「勿論、そういう打算もあるとも」

「ちょっと」

「我が家の商売が成功したのは私の代になってからだ。だが、それまでも両親もその前も、ずっと血の滲む研究を続けてきた。その努力は決して【白王陣】の習得に劣るものでないという自負はある」

 

 しかしそれでも白の系譜の当代にはなれない。【白王陣】を継いでいないからだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そこに理不尽を覚えないのは難しい。君だって思うところがあったから、家を離れたんじゃないのか?トリン」

 

 むう、とトリンは唸り、考えるように沈黙した。

 

「しかし、おじさん。確かに結果的に私たちが地位を独占していたかもしれない。が、我々は可能な限り一族の皆の意見を取り入れてきたつもりだ。決して、独裁はしなかった。それでも不満だったのかい」

「そうではないよダーナン。だが、だからこそ、今なんだ」

 

 ダーナンの少し悲しそうな表情に対してボロンは首を横に振る。

 

「長い研究の末、レイラインの魔法陣技術は徐々にではあるが、汎用性を高めてきた。いずれ没落したと指さされる日は無くなるかも知れない。だがそうなれば、遠からず私が今言った問題が表出するはずだ」

 

 当代の証である“白の魔術”の実用性の皆無。

 実際に都市に貢献しているのは当代以外の魔術師達。

 確かに、時間が経つほどにこの現実は、火種となるだろうというのは間違いなかった。その場の全員が反論する事は出来なかった。

 

「これからもし順調にレイラインが大きくなって、その後で問題が発生したとき、それを制御できるかどうか分からない。で、あれば今、このタイミングで話を始めた方が良い」

 

 幸いなことに、我々はいきなり殺し合いになるほど不仲ではないからな。と軽く冗談めかしてボロンが言うと、かるい笑いが場に起こった。こうやって笑い合って話せる程度には、レイラインの家は仲が良かった。苦難の時代、不遇の時代を共に乗り越えようと協力し合い、奮起していたからこそだった。

 故に、今ならまだ話し合いで決められる。ボロンの言葉には頷くところがあった。

 

「しかしそうなると、今代からそうすると?」

「いや、流石にそれでは急が過ぎる。一先ずはダーナンには代行として出てもらって――」

 

「あの、少しよろしいです?」

 

 ダーナンとボロンが話し合いを加速させる最中、声が上がる。若い少女の声、レイライン本家の四女であるミーミンが手を挙げた。これから更に話を詰めようとしていた二人はその介入に言葉を引っ込める。

 

「どうしたんだい、ミーミン」

「これが大切な話なのは分かります。熱が上がるのも結構です、が」

 

 淡々と、あまり声を荒げたり怒ったりはしないが、言いたいこと、言うべきことはハッキリと言う。まだ成人に届かぬ幼い彼女だが、その点で一目置かれていた。

 今回も、彼女は言うべきことを言った。

 

「仮にも当主となる可能性のあるリーネを無視して話を進めるのはいかがなものかと」

「ふむ」

「むう……」

 

 その指摘に、ダーナンとボロンは沈黙した。彼女の指摘は正しい。幼い子供だから、と、弱っているようだからと、無意識にこの話し合いから彼女の存在を排除していた。だが、それは不義理だ。

 年齢がどうあれ、今、この場において、中心になるべきはリーネなのだ。その彼女を無視して勝手に話を進めるのは、勝手が過ぎる。

 

「……すまん。私も熱が入りすぎていたようだ」

「私もです……リーネ」

 

 ダーナンは未だ、机の隅でうつむくリーネにそっと声をかける。リーネは俯いたままだ。できるだけ優しく、彼は彼女の肩に触れた。

 

「話は聞いていたかな。君の意見も聞いておきたい。何か言いたいことはあるかな」

「……そうね、あるわ」

 

 すると、リーネはそう言って立ち上がった。ゆらりと、少し怪しくふらつく彼女のことを周りの家族は気遣うが、それをリーネは無視した。親戚一同がリーネの言葉を傾聴する中、彼女はそのままゆっくりと――――

 

「私が言いたいことは一つだけよ。――――ボロンおじさん」

「……ふむ、なんだいリーネ」

 

 ――――ゆっくりと、()()()()()()()()

 

 

 

「【白王陣】のどこが役立たずだあああああああああ!!!!!!!!!!!!」

「ごぱあ?!」

 

 

 

 酒瓶が飛んだ。ボロンの少し出た腹に直撃した。皿は舞い散り、悲鳴が上がった。

 

 リーネは()()()()()

 

 何故キレたのか、この場の誰も分からなかっただろう。リーネにしか分からない。リーネと、“レインカミィにしか分からないことだ”。

 歴代のレイライン当主、【白王陣】の継承者しか知らぬ事実。密かに、というほど大げさではないが、実のところ、この継承者には一つの法則があった。

 継承者以外にはピンと来ない、一つの法則が。

 

「どどどどどうしたリーネぇ!?」

「おち、おちつ、おちついて!?」

「どうしたの!?え!?リーネ!??」

「あーダメダメダメ!!その皿高いのよ!!」

 

 白王陣継承者、レイライン当主は、代々、一人残らず、

 

「レイラインの白王陣を馬鹿にするなゴラァア!!!!」

 

 レイラインと、白王陣の“信奉者”だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

爆誕

 

 リーネは祖母が苦手だった。

 

 レイライン家の当主を務めていたリーネの祖母は多忙だった。神官として神殿に仕え、精霊達を崇め、同時に白の魔術の系譜の魔術師として様々な都市への貢献を求められていた。

 忙しさは当然だ。最も位の低い【ヌウ】の官位とはいえ、神官として様々な権限が、報酬が与えられる以上、担わなければならない責任も大きい。

 そのためか常に表情は険しく、家族に対しても決して優しさを見せることは無かった。

 リーネにも勿論彼女は厳しかった。神官の家の子として、白の系譜の者として、相応しくない行動を取れば即座に雷が落ちる。祖母とリーネは他の家族同様、決して気安い関係ではなかった。それが必要なことであったとしても、兄たちや姉たちと一緒で、リーネにとって彼女はただただ恐怖だった。

 ただ一点、祖母の好きなところがリーネにはあった。

 

 ――ちゃんと私の描き方を見て学ぶんだよ

 

 祖母が、【白王陣】の手ほどきをしてくれるときだった。

 今となってようやく、様々な応用法が見出され、活用されてきた白王陣ではあるが、最も基本的な部分では、やはりどうしても元の白王陣を知らねばならず、故に、最も白王陣を扱える祖母からの指導はレイライン家の必須授業だ。レイラインの子供は、最初は必ず当主からの手解きをうける。

 

 リーネは祖母の描く【白王陣】が好きだった。

 

 魔法陣は魔術を発動させるための手段に過ぎない。術式を書き込みそれを輪と成し現象を起こす。それだけのもの。しかし何事もそうであるように、極め抜き、研ぎ澄ましたモノにはある種の美が宿る。

 祖母の描く白王陣も同様だった。少なくともリーネにはそう思えた。恐らくその生涯をかけて繰り返し続けたのであろう、術式の文字一つ一つが寸分の乱れも無く、幾多も重ねられる記号もまるで計ったように寸分違わない。一つの魔術を完成させる、その工程が美しい。

 

 勿論、祖母でなくとも【白王陣】を使える者はレイラインに居る。しかし、この時既に、基本となる【白王陣】はあまりに時間と手間が掛かりすぎると、扱うものは随分と減っていた。早々に見切りを付け、その応用に力を入れる者が殆どだ。創ったとしても、祖母のソレには到底及ばない。

 祖母のが一番美しい。だからリーネは祖母が仕事に行くときはひっそりとついてまわっていた。見つかって拳骨が頭に降りてくるまで。

 

 ――そんなに気になるならついておいで。今日は10年に一度の日だ

 

 ひとしきりの説教の後、祖母はリーネを連れて、ある場所へと連れていった。

 

 それは全ての都市部に存在する【神殿】その地下空間だった。

 

 ――ここは?

 ――“最初の場所”だよ

 

 長い長い階段を下り続けて、そして現れた広い広い地下空間。

 

 その()()()()()()()使()()()()()()()()()()にリーネは息を飲んだ。

 都市の核たる神殿の土地範囲全てを使った巨大なる白王陣、それだけでも壮観なのは違いないだろう。だが、それ以上にリーネの心を揺さぶったのは、その白王陣の描かれた軌跡だ。

 地下空間を一つのキャンバスとするそのラインは、見れば幾多もそれを重ねた痕がある。何度も何度も、何十何百と、魔力を込め術式を刻み込んだ痕跡がある。

 魔力は霧散する。術式として世界に固定する魔法陣でも同様だ。万物と同じく、時と共に、劣化し、褪せ、そして朽ちる。コレは必然である。

 

 だが、目の前の、この巨大な地下空間にある圧倒的な白王陣に、色褪せる様子などない。

 僅かな綻びもない。それは、つまり、衰え、褪せてしまわぬよう、努力したからだ。

 決して損なわれないようにと、幾たびも重ねたからだ。

 

 その執念が白王陣の軌跡、一つ一つに残っていた。そこには歴史があった。

 リーネは震えた。全身の産毛が逆立つようなうな気分だった。

 

 ――見ていな

 

 そう言って、祖母は幾度と重ねてきた儀式に続いた。

 巨大な白王陣の、その軌跡を辿り、重ね、洗練させていく。その姿はまるで踊っているかのようだった。ソレを続けていく。ずっと、ずっと続けていく。通常でも一時間以上は時間を必要とする白王陣だが、この規模と範囲では当然、それより遙かな時間を要した。

 朝から始めて、日が沈み、真夜中になるまで、祖母は延々と白王陣を描き続ける。その間一切飲み食いもせず、腰を下ろすこともしない。祖母ももう随分と高齢だ。普段は杖をついて、腰を曲げて、よたよたとした動きをしている彼女の姿とは到底思えない。鬼気迫る表情で、心血を、命を注いでいるのだと、わかった。

 

 リーネはそれを見続けた。祖母の姿を、舞を、命を、見続けた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ――この白王陣は【太陽の結界】の代用品さ。魔術至上主義が罷り通った一端さね

 

 唯一神、太陽神ゼウラディアがヒトに与えもうた太陽の結界、その維持には膨大な量の、精霊と心通わす者達の祈りが必要となる。故にこそ、精霊と交信を可能とする者達が権力を持つのがこの世界だ。彼らは神殿に集い、祈りを捧げ、結界を維持し、精霊達から加護を受け取り都市を豊かにする。

 対し、【大罪都市ラスト】は魔術至上主義の都市である。神官の官位すらも、精霊の交信深度より魔術の腕を重視する者までいるほどだ。だが、本来であればありえない。魔術だけでは都市経営は成立しない。この世界において、魔術はそこまで万能ではない。精霊こそが人類の生存圏を維持する要だ。

 ヒトは未だ、精霊の揺り籠から抜け出せてはいないのだ。

 故に、魔術を至上とするこの都市は異常である。

 

 その異常を、不可能を、可能とした一端が、コレだ。

 

 神の御業、太陽の結界の代行。一時であれ神の力をヒトの手で体現する業。【白の系譜】が受け継いだ秘奥だった。

 

 ――レイラインは、私たちは、この都市が生まれてからずっと、維持を続けてきたのよ。

 ――おばあちゃんも?

 ――そうさ。初代レイラインが、白の魔女様に。優しい魔女様に教えられてから、ずっと

 

 ずっと

 そう言う祖母の表情には、険しさの中に、何処か誇らしさが垣間見えた。それはリーネにもよく分かる。彼女も誇らしかったからだ。

 目の前に広がる白王陣は決して生半可なものではないと見ればすぐに分かる。

 白の魔女が、何故に極めて複雑で、構築に非常に労力を要する白王陣をレイラインに与えたのか、初代レイラインが何故、この白王陣を受け継ぎ続けたのか。それがわかった。

 限界まで、叶う限りの全てのヒトを守るため、手を伸ばし続けるためだ。

 その意志と願いの集大成がこの白王陣なのだ。

 

 民を庇護する神官の責務として、

 白の系譜の誇りに懸けて、

 共に暮らす家族の生活を護るため

 

 様々な想いや願い。祈りが、リーネにも見えた。

 これまで、祖母の描く白王陣を美しいと思っていた自分の思いは、決して間違っていなかったのだと、肯定されたような気分だった。

 

 ――でもね、これを継ぐのは、私でもうおしまいだね

 

 だからこそ、続けてそう言った祖母の言葉は、リーネにはあまりに衝撃だった。

 

 ――どうして?

 ――あまりにも厳しすぎる。受け継ぐ者もいない。時代じゃないって事さ。

 

 時代は変わった。大罪都市ラストは今や大陸一の魔術大国だ。白の系譜の魔術も分岐と発展を繰り返してきた。賢者とも言える術者は沢山増えた。

 結果、白王陣のような、たった一人で、命を削るかのような苛烈なる魔術を頼りにする必要な時代でも、なくなっていた。白王陣に至る魔術は存在しなくとも、ソレに劣る幾つもの魔術で代用は可能になっていたのだ。

 

 だから、この白王陣はもうお仕舞いなんだよ。と祖母は言った。

 その瞳には憂いと、諦めがあった。もうムリだと、彼女は諦めていた。

 

 ――そうしたら、ここはどうなるの?この白王陣は?

 ――…………消されるね

 

 消される。

 消えて無くなる。この軌跡が、歴史が、命が、拭われる。まるで、無かったかのように。

 初代レイラインから、祖母に至るまで、紡ぎ続けてきたバトンが、断たれる。

 

 ――ダメよ

 

 その声は、普段物静かなリーネのものとは思えぬ程に力強く、腹底から出た声だった。

 

 ――リーネ?

 ――ぜったい、ぜったい、ぜったいに、ダメよ!!!

 

 あっけにとられる祖母を前に、リーネは小人特有の小さな身体から、圧倒的なエネルギーを放出させ、そして叫んだ。

 

 ――私が、継ぐわ!!おばあちゃんの後を、私が継ぐの!!!!

 

 全てを諦めかけていたレイライン当主、レインカミィ・ヌウ・レイラインは、その瀬戸際にて、後継者と巡り会った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 結局の所、レインとリーネは同じ志を有した同志だった。

 

 冒険者ギルド長のアランサや、彼女の家族がレインの指導を見咎め、リーネを心配していたが、全ては見当外れだった。なにせ、実際は、リーネが率先し彼女の指導を受け続けていたのだから。

 

 全ては初代から続く、レイラインの白王陣を継ぎ、守るため。

 あの祈りの結晶を護り継ぐため。

 

 無駄なこと、非効率なことと誹られることに、彼女たちは、そしてそれまでの歴々の当主達は努力を続けていた。

 不思議なことに、と言うべきか、当主はどのような形であれこの志を継いでいた。レイラインでは洗脳めいた教育もしていないのに、不思議と次世代のウチ一人は、レイラインの魂を率先して継ごうとする子供が現れ続けた。

 今回のリーネの件もそうだ。彼女は誰にそうしろと言われるまでも無く、研鑽を続けた。まさに血の滲む努力で、「役立たず」と揶揄される魔術の習得に明け暮れた。

 

 いつか、必要なとき、駆けつけられるようにと。

 これまで受け継ぎ、磨き続けてきた努力は決して無駄ではなかったのだと証明するために。

 リーネが冒険者を志したのも、少しでも結果に近づくためだ。安全な都市の内部で引きこもっていては決して証明する事はできないだろう。

 歴々のレイラインが捧げた祈りは、正しかったのだと、その証を立てたかったのだ。

 日に日に、【原初の白王陣】の存在価値が危ぶまれていく中、そして同志である祖母が徐々に弱っていく中で、彼女は焦ったのだ。だが、その祖母が死んだ。彼女を駆り立てる内の半分を失って、半ばリーネは呆然としていた。していた、筈だった。

 

 彼女の家族が揃いも揃って初代レイラインの魔術を使えないと連呼するまでは。

 

「リ、リーネ」

「……証明する」

 

 暴走したリーネを前に親戚一同も家族達も静まりかえっている。リーネがあれほどまでに激情を表に出すことは今まで無かったからだ。そして、物こそ投げなくなったが、それでも彼女は激憤に包まれている、継続して“キレて”いた。

 

「白の魔女とレイラインの【白王陣】の偉大さを証明する」

「い、いや、無論僕らとてそれはわかって――」

「そういうのではない」

 

 宥めるような父の言葉に対して、堪えきれぬ怒りのせいか妙にカタコトになった声で、リーネは否定する。

 

「端先の都合の良い部分を利用するだけの行為は偉大さの証明にはならない」

「とにかく落ち着いて。まずは座りなさい」

「座らない。私は冷静」

 

 目が完全に据わっていた。兄姉達は暴走寸前の、というよりも今現在進行形で暴走している野獣を見ているような気分になった。

 

「私が【白王陣】の偉大さを、レイラインの継いできたものの偉大さを、証明する。世界に知らしめる。貴方たちに理解させる」

 

 ガン、と、机に小人特有の小さな足を乗せ、憤怒の形相で杖を掲げる。家族親戚一同はそのあまりの仰々しさと怒りのオーラに思わず仰け反った。

 

「私がレイラインだ」

 

 レイライン家新当主、リーネ・ヌウ・レイラインが爆誕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっらいことになったなダーナン」

「頭から血でてますよおじさん」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友達の定義

 毒花怪鳥討伐一四日目

 

 今日はリーネと引き続き探索に行く予定が崩れた。身内の危篤だそうだ。やむを得ないので今日は金を稼ぐ。一応、盗賊討伐の時の金はまだ余裕があるが、場合によってはまとめて消費する可能性が高い。というか金なんてあるだけあるに越したことは無い。

 

 毒花怪鳥の相手をするなら絶対に解毒薬は大量にストックしたい。

 高級回復薬もほしい。

 ロックの餌もいる。

 つまり金が足りない。金を稼ぐしか無い。

 なんで命を懸けまくってるのに金が貯まらないんだ畜生。

 

 金稼ぎの手段、やはり迷宮に潜って魔物を狩る必要がある。短期間で、出来る限り効率よく。魔物狩りと此方の武器を考えて選択する必要がある。

 

 階級十二 銅貨10~30枚の敵 一覧

 

 大刃甲虫

 毒爪鳥

 悪霊樹

 血吸花

 

 甲虫、除外、固い、数が多い、一体ごとに手間取る。

 毒爪鳥、戦い慣れてきたが毒が危険、しかも怪鳥が寄ってくるので金稼ぎに向かない。

 悪霊樹、図体がでかく厄介、本体が根にある場合があって倒しにくい。

 

 血吸花 近づく動物を無差別に攻撃する。魔物も同様。伸びてくる蔓は槍のように鋭く貫かれるととても危険。だが、動きは単調で読みやすい。何よりありがたいことに、こいつは自分以外の魔物を倒した際魔石をため込む。一体につき、銀貨一枚を超えることもある。

 倒し方さえ身につければ、此を狩るだけで大得である。こいつを狙おう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐十五日目

 

 血吸花 おらん。

 理由は分かる。狩ったら美味しい魔物なんてのは皆が知ってるから皆が狩るのだ。そしてこの都市を根城にしている冒険者は当然、血吸花の効率よい狩り方を身につけている。俺たちよりも早く狩る。そりゃそうだ。そしてその狩り方は酒をおごっても絶対教えてくれなかった。それもそうだ。自分の喰いぶちをわざわざ教える馬鹿はいない。

 この迷宮も変動型の迷宮だ。近い地形はあってもまったくの同じ地形はない。微妙に変化、膨張を続ける。目印は変わる。なんで、それなのに効率よく狩れるのか。

 

 魔物大百科を開く。項目確認

 此方の知っている情報しか載っていなかった。が、その頁に誰かが書き足していた。

 多分グレンだ。普段の粗暴さに似合わぬきめ細かい文字に覚えがある。

 

 ――血吸花は常に餌を求め誘っている。血の臭いと魔物に注意

 

 誘う。血。魔物。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 毒花怪鳥討伐十七日目

 

 目印は魔物だった。

 正確には、血吸花は魔物を誘い自分の餌とするために、ヒトの血に似た臭いを放つ。魔物が寄る。その魔物を血吸花が狙う。

 この迷宮はやはり、迷宮の内部であるにもかかわらず外に出た魔物と同様の帰化が進んでいる迷宮なんだ。だから、此方の匂いを消すか、あるいはヒトの匂いのしないロックが魔物達を追跡すると、そのまま血吸花のとこに案内してくれる。それを狩るのだ。

 

 問題として、他の一行と遭遇する可能性が上がるので、下手に接触すると一行の【衝突】による魔物氾濫が発生する可能性が上がる(こっちはロックと二人だけだからあまり確率は高くないが)

 

 とにかく、魔物狩りは割と効率が上がった。今日一日でこれまでの三日分くらいの魔石が手に入った。経費をさっぴいた収益も上々。これを続けていればそれなりに贅沢な日常を送れることだろう。何で俺は賞金首なんて狩ろうとしているんだろう。ずっとこの生活をおくりたい。畜生。

 

 リーネはまだ帰ってこない。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 毒花怪鳥討伐十八日目

 

 冒険者ギルド、ラスト支部酒場にて。

 

『おう、何くっとるんじゃお前』

「女将のロンロさん新作。食料都市で新たに開発された黒毛豚の肉で作られたトマラトのシチューだと」

『美味いんか?』

「そこそこ」

『メシが食えんワシに気を使う必要は無いぞ』

「熱々のスープに溶け込んだトガラの辛みとトマトラの酸味が身体を芯から温め、そこにじっくり煮込まれた豚肉のとろけ具合が舌を刺激しゆさぶいってえ何すんだ爺!」

『誰が食レポせい言うた!!』

 

 ウルとロックは元気にケンカしていた。ケンカできるくらいには余裕があった。

 最近の迷宮探索は順調だ。血吸花の討伐方法が確立できてからは飛躍的に金が増えている。リーネが戻ってきていないことと、毒花怪鳥の対処法がいまだ手探りなことを除けば、本当に順調だった。

 

「楽しそうだね、ウル」

「ディズ。仕事から戻ったのか」

 

 この都市に着いてからというものの、毎日迷宮通いで忙しくしているウルだが。一応は雇い主である彼女も彼女で、毎日を忙しそうにしている。ウルの護衛の任務はあくまで都市の移動の間だけなので、都市到着後は完全に別行動をしているのだが、同行しているアカネ曰く、「ちょーぶらっく」らしい。

 

「一通り“アッチ”のお仕事がすんだから、フェネクスの仕事に戻ってるよ。それももうじき終わるから、それが終わったら予定通り、また出発だね」

 

 それを聞くとウルはすっと椅子から立ち上がると――深々と頭を下げた。

 

「移動はもう少し延ばせませんか」

 

 ディズはにっこりと微笑んだ。

 

「後12日」

「もう少し」

「ダーメ」

 

 可愛らしく拒絶された。ウルは唸った。

 毒花怪鳥の情報は集まってきている。道筋は見えているがリーネの加入が不確かな状況で残り1週間の期限は辛いものがある。既に、リーネが“ダメ”だったときのことを考え、彼女抜きに戦う戦術を一から組み直しているが、やはり、いてくれた方が嬉しい。元より人手不足と手札不足に頭を抱えていたのだから。

 

『そういえばアカネの嬢ちゃんはどうしたんじゃ?また主のとこか?』

「そ。まあ、私の仕事の時は必ず戻ってくるからこまってはいないんだけどね」

「……大丈夫なんだろうな?」

「悪いことは手伝っちゃダーメよって言ってるから多分ね」

 

 君の妹を信じなさい。とディズは笑う。シズクを信じろとは言わない辺り彼女もわきまえているらしい。

 

『ちゅーか今日はその期限の連絡にきたのか?ディズ嬢は』

「君たちはついでだよロックじいちゃん。今日はギルド長に挨拶」

 

 と言っていると、冒険者ギルドの二階からどたどたと音がする。階段から飛び出すようにギルド長アランサが顔を出した。そしてディズを見ると、凄まじく面倒くさそうな顔になった。

 

「――げえ……【勇者】様……連絡いただければ出迎えましたのに」

「わあ、凄い嫌そうな顔だね。アランサ。再会できて嬉しいよ」

 

 ギルド長、アランサはひしゃげたような嫌そうな顔のまま、丁寧に頭を下げた。近くにいたギルド所属の冒険者達は世にも珍しいものを見たと目を丸くしている。

 

「お知り合いで?」

 

 聞くと、アランサは心底うんざりした顔のまま、頷いた。

 

「以前、大罪迷宮にほど近い場所で迷宮氾濫が発生したとき彼女が救ってくれたのよ。感謝してもしきれない……というかお前達の雇い主ってディズ様?」

「そうだが」

「……ご愁傷様」

 

 恐らくこのギルドに顔を出してから一番の優しい言葉をウルは聞いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ギルド、黄金鎚

 

 大罪都市グリードで世話になった鍛冶ギルド。同じく大罪都市ラストにもこのギルドは存在していた。大罪都市、世界最大規模の迷宮都市は鍛冶ギルドにとっては最も質、量ともによい顧客が得られる重要な場所であるからして、黄金槌のように大規模な鍛冶職人ギルドが存在するのも当然だった。

 グリードからのツテで紹介してもらった。最も紹介状がなくとも、現在絶賛名前を売り出し中のウルならば、喜んで此処の連中は力を貸しただろうけれども。

 

「ウルくん!期待の新星じゃないか!君に見合う勇ましい兜が出来たんだ!!」

「ウル、あんた今日は顔が凜々しいわね。素敵。短剣買わない?」

「おお、イケメンじゃないか。今財布どれくらい金がある?」

「おべっかが雑」

 

 黄金槌の連中はどの都市も変わりなかった。金の亡者である。

 ウルは適当にまとわりついてくる連中をいなしつつ、依頼している職人の下にたどり着いた。

 

「来たなウル、金を出せ」

「まず完成品をよこせダンガン」

 

 鉱人のダンガンはウルよりも少し年上の若い男である。職人としての年季は浅いが、腕は悪くなく、経験のため安く仕事を引き受けてくれるのでウルとしてはありがたい人材だった(それでも金にはがめついが)。

 そんな彼に託した仕事の内容は、装備の調整だった。大罪迷宮ラストに対しての。

 

「ほら、出来たぞ。コイツだ」

 

 と、渡された装備は火喰石の鎧と兜だ。グリードから装備していたこの鎧、大罪都市ラストの熱帯の気候に全く適応出来なかったためにやむなく外したこの装備を装着できるようにしてくれないかと頼んだのだ。正直、無理な頼みだと思っていたのだが、ダンガンは割とあっさりと承知した。

 

「似たような依頼は山と来るからな。対策は色々ある」

 

 そんなわけで色々と調整を任せていた。が、調整完了した鎧装備や兜は一見して大きく特徴が変化している様子は無い。

 

「これ、変わったのか?」

「一見して分かりにくいが、俺の仕事は確かだ」

 

 ふんす、と鼻を鳴らす。黄金鎚の看板を背負って阿漕な真似なんてすることはないか。とウルも黙ってそれを装着する。着心地は変わっていない。あえて言えばアルトの盗賊戦から傷んだ部分の補修が施されているくらいだ。本命の熱への対策はいまいちピンとこない。通気性が良くなったようでもないらしい。

 兜の表面を開いて、ウルはダンガンに向かい首をかしげる。

 

「それで、これでどうやってラストの熱気が防げるんだ」

「魔術容量を喰う付与(エンチャント)が嫌というオーダーだったからな。代わりにその【火喰いの鎧】性質を強化したんだ」

「性質強化……」

 

 性質、と言われ、ウルはグリードでこの鎧を購入した際の説明を思い出す。魔力を喰らう鎧。魔力の伴った衝撃をある程度まで緩和する性質。ウルからすればとても“頑丈”くらいのイメージしか湧かなかったのだが、その性質を強化するということと、ラストの熱気がどう関係あるのか。

 

「平たく言えば、大罪迷宮ラストの熱気は魔力が原因だ」

「迷宮の魔力?」

 

 魔力はこの世を満たす力だ。そしてそれは流れ、全てに影響を与える。温度、気候、地形、湿度、季節、それら様々な要因と魔力が混じり合う。この世界で魔力の影響を受けていないものはまず無い。

 そして大罪迷宮ラストの魔力影響は通常のそれとくらべても大きい。

 

「そもそもイスラリア大陸の気候は全域で安定している。あれほどの熱気と湿度を保つのはラストの魔力の影響だ。逆を言えば、魔力を奪えば周辺温度は安定する」

「なるほど……で、強化か」

「不純物を取り除き、純度を高め重ねた。強度を変えず性質の底上げは出来たはずだ。素材は割と消費したがな」

 

 まだ実際に試してみないことにはなんとも言えないが、ダンガンの腕が確かならば。迷宮の熱気の解決は出来たのかもしれない。欲を言えば、同行者全員の問題も解決出来るのが望ましかったが、ウルと比べれば他の一行はまだ装備が軽い。ロックに至っては骨である。ある程度はなんとかなる。

 最大の問題はウルの装備であった。一先ずは解決と考えていいだろう。

 

「ありがとうダンガン」

「修理費込みで銀貨15枚」

「……」

 

 ウルは渋い顔になりながらも銀貨を渡す。ダンガンはムッスリとした普段の顔をにっこにこに綻ばして金を受け取った。本当にこのギルドの連中は金が好きだった。

 

「まあ、装備を新調する必要が無くて良かった……」

「ところでウルよ」

「なんだよ」

「あの女、なんだ?」

 

 あの女、と指さす方向をウルは見る。人だかりが出来ていた。この黄金鎚であれば顧客に職人達が集る光景は割とよく見るのだが、少しだけ普段と様子が違った。

 

「これならどうだ!凍て付く刃、白氷剣!!金貨10枚!!」

「付与魔術を完全に剣に定着させているのは見事だけど、その分刃そのものの精錬がおろそかになっているね。却下」

「私の鎧兜はどうよ!!あらゆる攻撃を弾く魔銀の兜!金貨15枚!!!」

「魔銀の純度が低い。もう二段階くらい鍛えられるよ魔銀は。却下」

「流紅刀!!金貨26枚!!!!」

「ふうん……悪くない。刃も美しい。これは買おう」

 

 うおおおおおおおお!!!!という歓声と咆吼がする。買い上げられた職人が両腕をあげて雄叫びを上げていた。相手にしているのはディズである。彼女の周囲には自分の作品を手に持った職人達が傅き次々に彼女に見せていた。

 

「なんの品評会だアレ」

「お前が連れてきた女に職人達が集まって気づけばこうなった」

 

 最初はいつものように、ガメつく職人達がディズに自分の商品を押し売りしていったのだが、異様な目利きで商品の詳細を見抜いた上で、適切かつ情け容赦の無いアドバイスと共に商品が跳ね返されていったので、それが逆に職人達の矜持に火をつけたらしい。自分の最高の一品を突き出しお眼鏡に適うかどうかの挑戦のようになったようだ。

 

「なんなんだあの女」

「俺のご主人様だ」

「特殊な趣味だな……お、とうとう親方まで出てきたぞ」

 

 シズクとの合流の前に、毒花怪鳥の本格的戦闘に向けて買い物を済ませると告げると、ギルド長とのなにかの話し合いを済ませたディズがついてきたのだ。正直言えば、ついてきて何が楽しいんだとは思っていたが……

 

「まあ、少なくとも充実した買い物のようでなにより」

 

 ウルは気を取り直して自分の買い物に意識を戻した。必要なものを考える。武器、防具、消耗品に回復薬、現在の自分の装備と付与魔術の容量が幾つなのか。前回のシズクとの相談で彼女が身につけた魔術も考慮に含めなければならない。

 

『おうウル。みろみろこのマントを、かっこええじゃろ買っとくれ』

「性能を説明しろ性能を」

『【緑の風翼】。なんと、身軽になり軽やかな動きが可能となるらしい!!』

「おめーがこれ以上軽くなってどうする気だよジジイ」

 

 ロックの頭をたたくと乾いた骨の音がした。ええーとロックが子供のようにだだをこね始める。ロックの装備の充実に関しては、勿論、特に渋る気持ちは無いのだが、ただ彼の場合、彼の今現在の装備、というより肉体が既にかなりの高品質のものだ。魔力ある限り再生する毒も熱も通じぬ肉体、そして肉体を覆う鎧も同様だ。無尽蔵の再生を可能とする装備を既に身につけているのだ。そこに半端な装備を重ねても仕方がないといえば仕方が無い。

 資金は無限ではないのだ。ケチるべきところではケチりたい。

 

「私は悪くないと思うけどね。軽量の死霊騎士」

「ディズ。」

 

と、ディズがこっちに来ていた。背後では彼女のお眼鏡にかなった職人達が武器を包み、かなわなかった職人達が泣きながら工房にダッシュしにいった。品評会は終わったらしい。

 

「いいものあったか、ご主人様?」

「そこそこ」

「ようござんした」

 

 ついてきたのだからせめてそうでなくては困る。

 

「で、軽量の騎士がいいというとどういうことだろうか?」

「単純だよ。死霊騎士の肉体は魔力で動く。身体を動かすだけで魔力を消費する。動作の補助ができれば魔力消費は軽減される」

「付与の容量は足りるのか?あのマント、装備者に魔術を付与する類いだろ?」

 

 ロックが若干距離を置きながら此方をチラチラとマントを翻しながら見てくるのをうっとうしく思いながらもディズに尋ねる。

 

「ロックの身体は、あの死霊術士が選りすぐった“器”だからね。見たところ、5つ分の付与魔術容量があり、内、死霊術によって封じられたロックの魂が3つを占領している。つまり残り2つ分の魔術容量がある」

「2……か」

「無論、他の付与魔術を選択するならそれも良いけどね」

 

 しばしウルは考える。普段のロックの魔力消費量、戦闘時の消費速度、毒花怪鳥の戦闘時の平均時間、魔石の消費をケチるつもりはない。が、戦闘の、それも激闘の際にロックの魔力消費は激しい。補給の間もなく、ロックの魔力が尽きてしまえば大きな隙だろう。だが、そもそもあのマント一つでどの程度軽減が効くのか……?

 

「……保留」

『なんじゃいつまらん』

「喧しい」

 

 せめて同種の魔術をロックに試用して確かめてみなければならない。

 

「君は買い物しないのかい?ウル」

「正直、毒対策に本格的な戦闘を避けてたので、装備の更新の判断材料がない」

「ふうん……」

 

 そう言って彼女はウルを上から下までジッと眺めた。現在のウルの装備はシズクと合流後そのまま大罪迷宮に向かう予定だったので、迷宮へと向かう時の装備のままだ。それを頭の天辺から爪先まで眺めて、頷く。

 

「竜牙槍の柄は新しくした方が良いかもね」

「柄」

「竜牙槍は“魔道核”以外は着脱と更新が可能な武器だ。そして遠距離火砲としての仕事を除けば基本的な構造は槍だ。刃を新しくしたみたいだけど、柄も新しくした方が良い」

 

 ただの槍としてみたとしても、握り、突き、しならせ、叩く。全ての動作を行う上での起点となる部分だ。“咆吼”が連発する事も出来ない以上、近接的な戦闘技術も必須となる。ウルの場合、投擲技術を身につけ遠距離攻撃も手に入れつつあるが、耐久性と機動力の高い魔物との戦闘で遠距離攻撃のみで対処することは不可能に近い。

 

 ウルの竜牙槍の柄部分はまだ明らかに傷んでいる訳ではない。毎日ウルが自分で整備を行なっている。しかし、この竜牙槍本体を購入してから、結構な数の魔物の討伐を行いつづけた。肉体は強化され、購入した当時と比べて随分と力が変わってきている。魔物討伐と成長の強行軍を行なっている以上、装備もまたそれに会わせた急ぎの更新が必要なのかもしれない。

 

「なるほど……ダンガン、竜牙槍の部品ってあるか」

「竜牙槍の柄で、お前の資金なら、“赤猿樹”製の柄ならどうだ」

「樹、木製?」

「だがかなり頑丈で、密度があって重量も相応あるので刃とのバランスも悪くない。木製なのでしなりも利き衝撃に強い」

「ほう」

「銀貨20枚」

「おう……」

 

 ウルは全力で渋い顔になりながら、金を渡し、そのままダンガンに竜牙槍を手渡した。彼はほくほく顔になりながら竜牙槍の分解のため工房へと潜っていった。

 

「金が……どんどんと消えていく」

「浪費は買い物の醍醐味だよ?」

 

 そんなこんなで毒花怪鳥戦に向けた買い物は完了した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市ラスト、大時計前、大広間

 この都市で最も人の流れが多い場所、ラストの魔術師達の知識によって生み出された大時計、魔術学園ラウターラの四方の塔よりも尚高いこの時計塔は、大罪都市ラストの観光名所の一つだ。技師達の魔動機、白の系譜による巨大演算術式によって正確な時刻のみならず、気温、日照時間、果ては大気中の魔術濃度や大罪迷宮ラストの活性期の予報までを刻んでいる。元々、大罪迷宮ラストの対策本部だった広間の行動指針にもなっていたものなだけあって、その精度は大陸一だった。

 

 そんな大時計を中心として、人々は出店で菓子を売り出したり、芸人達が場を賑やかす。観光向けに魔術を披露する魔術師達もいる(尤も、こういう場所で自分の魔術を見世物にする魔術師は大した腕ではないことが多いが)

 

 広間の入り口前には大きな、古びた噴水が設置されている。最先端の魔道具と術式によって稼働する大罪都市ラストにおいて、少々年季を感じさせるそれは、かつてこの土地を守り救った白の魔女の憩いの場であったらしい。それをそのままに保管し続けたためか、時代遅れと言って良いほどに古い作りになっていた。それでも、魔道技師の者達は大切に噴水を整備し続け、そして都市の民達はその噴水を憩いの場として親しんでいた。

 

 そんな噴水の前を待ち合わせの場所として、ウル、ロック、ディズの3人はシズクを待っていた。まだ約束の時間まで猶予があり、3人は買い物の疲れを癒やすようにうららかな日差しを受け、一息ついていた。

 

「んーふふ悪くない買い物だったね」

「暇つぶしに買い物に付き合うと言ったお前が一番散財してたな金持ちめ」

『ワシらが荷物持ちになっとる』

 

 彼女が購入した幾つかの武器防具を(それも一つ一つが金貨数十枚になるような)抱えながらウル達は大通りを歩いていた。丁寧に布で包み見た目には分からないが正直気が気ではない。高価なのもそうだが、一本一本がとんでもない威力を伴った武具なのだから。

 

「黄金鎚は割と若いギルドで、名前は聞いていたけど顔は出せなかったんだよね。見てみると中々どうして悪くない。粒ぞろいの職人が育ってる」

「そんなに買って、使うのか?それ」

「無論使うとも。全て余さず」

 

 彼女は断言する。かつての彼女の戦いっぷりをウルは思いだし、納得する。まあ、彼女がそう言うのなら本当に余さず使い、そして使い潰すだろう。職人にとっても、武具にとってもそれは本望かもしれない。

 

「この調子で切磋琢磨してもらいたいね。良い職人が育つのは、大罪都市にとって大きな成長につながる」

 

 彼女は目を細めて口にする。その口ぶりと視線は見た目通りの少女のそれではない。彼女の視点はまるで――

 

『なんちゅーか親のような視点じゃの?』

「そう?」

『年齢の割に立派だの。ウルとは大違いじゃの、カカ』

「おめーも年齢の割にガキだよなロック」

 

 ロックの言葉を頭の中で繰り返す。親視点、まあ確かにそんな感じだった。“七天”とやらはそういう視点になるのだろうか。あるいは彼女が元来そういう人間なのか。

 

「それで?これからシズクに会うんだっけ?」

「ああ、もうちょいしたら時間だ。シズクに会えば彼女の装備も確認して迷宮に向かう。悪いがその後は買い物には付き合えないぞ、ディズ」

「いいさ。私としては、誰かと買い物してみたかっただけだし」

 

 ふむ?と彼女を見る。確かに彼女は既に満足そうである。買い物が上手くいって喜んでいたのかとも思ったが、どうやら買い物それ自体が目的だったらしい。しかし、誰かと買い物に行きたいというのは年頃の少女らしい願望だが、買い物先のチョイスはどうなのか。

 

『……もう少しこう、流行の服屋とか行った方が良かったのかのう?』

「え?なんで?」

「なんでとは」

「他人から見て美しく映える服は部下に任せているから問題ないよ?この通り」

 

 自身のスカートをひらりとつまみ、ディズは上品に微笑んでみせる。その姿は確かに美しかったが、ウルは変な顔になった。この女、話が合ってない。

 いや、合ってないというか、彼女自身が、世間一般的な年頃の女からズレている。破滅的に。そしてその事実から、彼女の先ほどの言葉の意味が思い当たる。

 

「“してみたかった”って、要は、誰かと買い物したことが無かったと?」

「配下の人間をカウントしないとなるとそうなるね?」

『今までやった事無かったことをなんだって急にやってみることにしたんじゃい』

「ほら、私くらいの人はみんなやってるって聞いて、試してみようかなって」

 

 で、そのお試しに、汗臭く火花が散り、鉄錆の匂いと罵声が飛び交う鍛冶ギルドに向かったと……ウルはやはりなんとも言えぬ顔になった。

 

「……で、楽しかった?」

「へー普通の子達はこれが楽しいんだ、って思ったよ。興味深かった」

「……そうすか」

 

 それは楽しいと思った時の感想ではない。

 が、ディズは満足げだ。ウルの考えていることなど全く気にしている様子は無い。それがおかしいと全く認識していない。どうしようか、とウルが沈黙すると、ロックが立ち上がった。

 

『ワシちょっと大道芸の魔術士気になるから見てくるかのう』

「おいロック」

『なあに、主との約束の時間までにはちゃんと戻るしのー』

 

 ごん、とロックが手の甲でウルの鎧を叩く。“なんとかしたれ”という意味合いであるのはわかった、が、無茶を言うなこの野郎と抗議する間もなくロックはするりと広間の方へと歩いていった。

 そもそも本人は満足気なんだからそれでいいんじゃないかとか、気をつかうといってなにをすればいいんだとか、様々な事がウルの頭の中でぐるぐるとしている内、時計塔の針を確認したディズが伸びをした。

 

「さて、そろそろ私も仕事だし、帰ろうかな」

「待てい」

「ん?」

 

 呼び止めた。は、いいがどうするんだろう。と、呼び止めたウル自身が疑問に思った。しかしこのまま彼女をお疲れ様ですと見送るのは、あまりにも、男が廃った。

 ウルは立ち上がると、急ぎ近くに目に付いた出店に飛び込むと、商品を購入し、そして急ぎ戻り彼女の前に立ち塞がった。

 不思議そうにするディズを前にして、ウルは購入したそれを差し出した。

 

「どうぞ」

「……ふむ?」

 

 半ば勢いで彼女に手渡したそれは、この都市では割と流行ってる有名な、“アモチの甘タレ焼き”というものだった。作りは単純で、食料都市から採れるアモチの実を磨り、練り、固め、タレを塗って焼くだけのもの。単純故に奥深く、特にタレはそれぞれの店の秘伝のタレがあり、店によって味がガラッと変わるとかなんとか(大罪都市ラスト観光案内調べ)

 その、いわば名物料理を前に、ディズは首をかしげた。

 

「私、別におなか減ってないよ?」

「そうか」

「あと、お金私の方が持ってるんだけど、払った方が良いの?」

「いらん」

「じゃあ、結局これは何を目的にして差し出してるの?」

「顔引きつるの我慢して格好つけてんだから黙って受け取ってくれないかね」

「これ格好いいの?」

「しにそう」

 

 羞恥で息の根がとまりかけたウルに対して、ディズはまあいいや、と、ウルの差し出したアモチ焼きを受け取り、口にした。彼女は既にそれを口にしたことがあるらしく、特に驚きも無くそのふわふわとした食感のそれを口にして、微笑む。

 

「ん、美味しいね」

「そうなのか」

「ウルは食べたこと無いの?なら早く食べた方が良い。あつあつが一番だよ」

 

 そうか。とウルもそれを口に運ぶ。柔らかで、舌が火傷しそうなほどに熱々の食感に少し苦戦しながらもかみ切ると、甘いタレが柔らかなアモチに絡んだ。元々のアモチの仄かな甘みと、僅かに焼かれ焦げた香りもついたタレも重なり、胃袋を刺激する。

 

「なるほど、おいしい」

「此処の店のは甘口ベースだね。これも悪くない」

「違うのもあるとは知っていたが、どんな味があるんだ」

「甘辛いタレの所とか、タレじゃ無くて甘粉をふったのとか。冷やしたのもあったな」

「……美味しいのか?それ」

「それなりに?食べ飽きた顧客を満足させるための試行錯誤だよ」

 

 噛み、そしてもちもちと伸ばして味わいながら都市内部の名産物の競走事情を語っていく。ウルは全く知らないことも多く、流浪の民のウルよりも彼女の方がよっぽど話は詳しかった。

 

「それで?結局これはなんのマネなの?」

「べつに。他の若い子がしていることをしてみたいと言ったから、やってみただけだ」

 

 ふむ?と、聞かれた言葉に彼女はやはりまだピンとは来ていないようだ。

 

「でも、一緒に買い物してないよ?君が私に食べ物を買ってくれただけ」

「買い物しなきゃいけないわけじゃないだろ。要は、一緒に遊びたいんだよ」

 

 買い物自体が目的というわけではないのだろう。本当に買い物が目的な事もあるかもだが、若者達が友人を誘って買い物に行くのは、そういうことではない。

 

「感情を共有できる経験を経て、楽しんで、思い出にしたいんだよ」

 

 尤も、誰もが誰かと遊ぶ時に、こんな事考えるような事はしないのだろうが。ディズを納得させるために言語化するならこうなる。

 

「だからアモチ焼き?」

「一緒に同じものを食べて、感情を共有したら、それは二人の思い出だろ……多分」

「多分?」

「俺もあまり友達いたことなかったので」

 

 都市民になれない流浪の民、幼少期から都市を転々としてきた人間に友人を作る暇なんてなかった。運良く少しばかり気の合う同年代の子供達と遊べても、しばらくしたらお別れだ。都市民と根無し草の立場の違いと別れが悲しくて、そのうち遊び相手を探すこともやめてしまった。遊ぶにしてもいつも妹のアカネとばかりだ。例外も無くは無かったが、基本二人きりだった。

 

「ウルかわいそう」

「やかましい。お前もかわいそうだろうが。それに今は友人もいる」

「シズクとロック?」

「お前もな」

 

 ディズは変な顔になった。

 

「……なんだよ」

「私たち友達だったの?」

「やめろ、お前、本当に死ぬぞ俺が」

「いやだってさ」

 

 ディズがアモチ焼きを食べきり、串を指先で遊ぶ。その所作は暇をしている。というよりも、戸惑っているような印象だった。眉をひそめ、解せぬと言うように首を傾げる。

 

「だって、私、君の妹殺そうとしてるんだけど?」

「ああ……」

 

 当然、それを忘れたことは全くない。現在のウルにとってアカネは最優先事項である。そしてそのアカネの命運を未だにこのディズは握っている。ウルが待ったをかけただけであり、もしもウルが“金級”への挑戦を諦め、アカネがその価値を示せなければそのときは、間違いなく彼女は速やかにアカネを解体することだろう。だからこそ、彼女はこんな顔になっているのだ。

 ウルにもそれが分かった。わかったから、ああ、と顔をひしゃげ、口を開き、

 

「全く、お前は嫌な友人だよ」

 

 そう告げた。親の借金の形に妹を奪い、あげく殺そうとして、必死に頼み込む此方の誠意を笑い、ろくでもない試練をふっかけ、チャンスを与える事で助け、人々を救い、都市を竜災害から守り、そして今日も親切にアドバイスをあたえてくれる

 嫌な友人である。出来れば適度に距離を置きたい。が、まあ友人は友人だろう。

 

「友人なの?」

「俺はそう思っていたが、お前が友人と思わないなら、俺は哀れで痛いやつだ」

 

 自分の妹を殺そうとする相手を勝手に友達だと思うとか頭がおかしい。と、ウルは自分の言動を客観視し、へこんだ。

 対して、ディズはウルの言葉を繰り返すように、しばし考え込んでいた。どのような自体に対しても飄々と、そして難なく対応していく彼女にしては大変珍しい。まるで、全く予期せぬ事態に遭遇したかのようだった。

 そして、大時計の針が幾つか進んだ後、彼女はぱっと顔をあげ、

 

「そっか!じゃあ私たちは友達だ!!」

 

 笑った。いつもにこにこと笑みを浮かべている彼女だったが、ウルはこのとき初めて彼女の笑顔を知った。頬を僅かに紅潮させ、喜びを隠すこと無く表に出して、好意をまっすぐに相手に向ける彼女の笑みは、端的に言って、愛らしかった。

 

「……いつもこれくらい可愛げがあればいいんだがなあ」

「さあ、ウル!私の友達!次はなにしよう!なんかしよう!!」

「この友人、距離の縮め方が雑」

 

 よっぽど嬉しかったらしい。ウル達がこれからシズクと待ち合わせて、迷宮に仕事に行くのだということをスッカリ忘れている。

 

「無茶を言うな。もうすぐシズクも来る」

「えー、折角だしもう少し見ていこうよ。ほら、あそこの芸人が世紀の大魔術するって」

「絶対お前あの芸人より凄い魔術出来るだろ」

「やってみせようか?」

「芸人のおじさん達の糧を根こそぎ奪うようなマネはやめろ」

 

 ねーねーねーねー、と、やたらと顔を寄せスキンシップをせがむ彼女は、男としては悪い気はしなかったが、チョロすぎて不安になった。友達友達と言われて詐欺にでもあわないだろうか。と言うかもう少し距離を――

 

「あっ」

「まあ」

 

 気づくと、目の前にシズクがいた。学院から此処に来たであろう彼女は、既に冒険者としての装いを身にまとっていた。その彼女は、ウルとディズの様子を見つめ、そして優しく微笑みを浮かべた。

 

「ウル様。ディズ様。逢瀬ならもっと良い場所がございます」

「ちゃうわ」

 

 この女はブレなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪女といじめっ子

《にーたーん!!!!》

「ごっふぉ」

 

 ウルの顔面に何かがへばりついた。なにか、というかアカネだった。ウルは慣れた手つきで布のような姿でへばりついた彼女を引き剥がすと、彼女はいつもの妖精の姿をとった。このラストでは使い魔のような姿にも見える彼女の姿は都市でも違和感は無い(そのせいで学園ではとんだトラブルが発生もしたが)。

 さて、彼女はシズクを手伝いに行っていたとのことだったが、

 

「アカネ、大丈夫だったか」

《にーたん、つかれたわ》

「シズクにひどいことされたんだな」

「何故確認ではなく確定なのでしょう」

《おおむねただしいのよ、スパイかつどういっぱいしたわ》

 

 ぺしこんぺしこんと小さな手のひらでアカネに頭をはたかれながら、シズクはニコニコと微笑み、ウルたちに頭を下げた。

 

「お久しぶりでございますね、ウル様。ディズ様」

「まあ、言うて数日ぶりだけどな」

「私は結構久しぶりー」

「ディズ様はお忙しかったようでございますからねえ」

 

 和やかに挨拶を交わしつつ、ウルは彼女の姿を改めて検分した。ここに来る前と後で彼女の装備は一新されている。

 身の丈ほどある魔術の杖、先端部には金属製の五芒星がはめ込まれており仄かな光を放っていた。白銀の髪をまとめるようにしている髪飾りにも幾つかの魔石がはめ込まれ、衣服は白をベースとしたローブだが、彼女の髪色と同じ銀色の糸が彼女の美しさを損なわない程度に織り込まれている。

 なんというか、率直に言って

 

「………高そうじゃない?その装備」

「ご安心ください。ウル様。殆どが贈り物です」

「不安が増した」

 

 学園で何してんだこの女。

 

「大丈夫です。あまりに高価な贈り物は問題になりそうなのでお断りしましたから」

「つまり贈られようとはしたんだな」

《シズク、もてもてよ》

「モテモテかあ……」

 

 マジでどういう立場にいるんだこの女、まだ一月経ってないのに。

 

「問題は起こしていないんだよな……?」

「…………」

「シズク、黙って微笑むな」

《シズク、もてもてよ》

「モテモテかあ……!」

 

 もう学園から連れ戻した方が良いんじゃないだろうか、とウルは痛切に思った。

 

「いえ、私自身は問題が起こらないようにしているつもりなのです、が」

「が?」

「少々強引な方もいらっしゃって、問題が起きることもあります」

「その強引な人って、今君の後ろで憤怒の形相になっている彼のこと?」

 

 ディズが指さした先に、見覚えのある男がもんのすごい怒った顔をしていた。

 メダルである。ウルはとっさに火喰の兜の前面を降ろして顔を隠した。アカネも察したのかするりと蛇のような姿となってウルの鎧の中に隠れた。だがウルとアカネの事など全く目に入っていないのか、メダルはシズクへと真っ直ぐに向かうと、かなり強引に彼女の腕を引っ張った。するとシズクは全く驚くそぶりも見せず、優雅に微笑み振り返った。

 

「まあ、メダル様。奇遇ですね」

「何故俺の許可無く勝手に外出許可を取った!!」

 

 まるで自分の所有物が勝手に出ていったことを苛立つような、かなり傲慢さの入り交じった台詞だが、シズクは全く気にするそぶりは見せない。彼女は笑みを絶やさず、「私は冒険者です」と告げる。

 

「私は目的のために学園に入りました。冒険者の活動もその一環、欠かすことは出来ません」

「だから!この俺が冒険者に行く必要など無くしてやると言っている!!」

「それは不可能です。メダル様。私が直接向かわねば意味の無いことなのです」

 

 まるでとりつく島もないシズクの態度に、徐々にメダルも業を煮やしてきたのだろう。怒りから、悪意に満ちた醜い笑みにひしゃげ、一段下がった声でシズクを指さした。

 

「いいのか?俺の言うことを聞けないなら、学園にいられなくなるぞ」

 

 すると、シズクは悲しそうな顔になる。

 

「それは困ります……“トーマス様”にお願いしなければいけませんね」

 

 どなた?と、ウルは疑問におもったが、メダルの笑みはさっと消えた。

 

「トーマス…?上級生のトーマスか!なんでアイツの名前が出てくる!?」

「この前、一緒にお食事したときに親しくなりました。此方は彼の贈り物です」

 

 ちゃりんと、髪をまとめた髪飾りを見せる。メダルはカッとなりその髪飾りを奪い去ろうとしたが、シズクはさっと彼の手を避ける。

 

「外せ!!」

「それはできません」

「アイツの家の官位は【グラン】!俺の下だ!」

 

 自らの権力を強く主張するが、その顔に怒りや悪意といったものはなく、表情にあるのは明らかな焦りと動揺だった。

 

「トーマス・グラン・ダンラント、白の系譜の一人だね。“白の結界術”を司る、文武両道眉目秀麗の出来息子、だってさ」

 

 背後でディズが小さな声で解説を入れる。なるほど、その情報を聞く限り、少なくとも目の前で癇癪を起こして暴れ回っているメダルよりは、ヒトとして出来が良さそうだ。それを自覚しているから、余計に怒り狂っているのだろうか。

 

「この!!」

 

 と、メダルが更にシズクへと近づく。拳は強く握られ、いまにもそれを振り回しそうだ。ウルはとっさにシズクの前に出ようとした。が、

 

『おっと』

「ぐあ!?」

 

 その前に、背後から音も無く迫っていたロックが彼の腕を捻ることで決着がついた。

 

「まあ、ロック様。お久しぶりですね」

『単なるケンカ程度なら放っておこうと思ったんじゃが……まあ、主は元気そうじゃの』

「離せ!!貴様!!この俺を誰だと思ってる!!」

『主、こやつの腕、へし折ってもかまわんのかの?』

「それはやめてください」

 

 物騒な台詞が飛び出す中、シズクは未だもがきながらも、僅かもロックの拘束から抜け出せずにいるメダルへとそっと近づいた。

 

「メダル様が許可をくださらないのであれば、トーマス様に頼らざるをえません」

「あの男など、俺の家が潰してやる!!」

「では、更に他の方に頼らねばなりませんね?パペラ様?それともクロムラ様?」

 

 更に次々と名前が、恐らく男の名前が出てくる。背後でディズが「あー」と思い当たるそぶりをしているが、ウルは気づかぬフリをした。メダルはディズ同様に思い当たっているのか、顔色が更に悪くなった。

 

「こ、この…!!」

 

 売女、とでも言おうとしたのがウルには分かった。だがその言葉はメダルの喉から形になることはなく、代わりに喉がひくつき、奇妙な呼吸音が吐き出されるだけだった。

 メダルの目の前にはシズクの笑みがある。美しかった。見惚れるほどに。

 

「メダル様。私もメダル様を困らせてしまうのは本意ではありません。他の方々に頼ってしまうのも」

 

 シズクは弱々しく、そう口にする。そっとメダルの頬に触れて、その吐息が触れるほどに顔を寄せて、メダルをくすぐる。

 

「メダル様は学園に入って右も左も分からなかった私を助けてくださいました。メダル様が一番に私を助けてくださいました」

 

 だから

 

「メダル様、私の勝手を許してくださいませ。()()()()()()()メダル様なら、そうしてくださいますよね?」

 

 メダルは、シズクのその言葉に、何も言えなくなってしまった。感情の抑制が未熟な彼の心はふりまわされ、赤くなり、青くなり、最後には真っ白くなって、小さく俯いたまま「わかった」と小さく頷いた。

 

「だが、だが忘れるな、お前は俺のものなんだからな…!!」

「ありがとうございますメダル様」

 

 そう言って、メダルは学園へと戻っていった。その歩く姿はいつも通りだったが、ウルにはまるで精魂が引き抜かれた亡者のようにしか見えなかった。シズクはそんな彼の後ろ姿を最後まで見送って、ニッコリとウルに笑顔を見せた。

 

「さあ、ウル様!行きましょうか!」

「正座」

「まあ」

「まあじゃない」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………」

 

 リーネ・ヌウ・レイラインは再び大罪都市ラスト中央区画に戻っていた。

 目的は明確である。何をするべきなのかハッキリとしている。彼女の目的はただ一つ。レイラインの魂を、正しさを証明することに他ならない。

 元より力強いものであった彼女の信念は、実家での出来事によって不屈に変わった。何があろうと、どのようなことになろうと、それを曲げぬと彼女は決めた。

 

 だが、彼女一人では決してそれは叶わぬ事を彼女は知っている。故に、協力が必要なのだ。ウル、あの新星の力を。レイラインの魔術の欠点を知って尚、受け止めた彼の協力が。

 もしかしたら、日にちを空けてしまった彼が心変わりしているかもしれない。だがそれがなんだというのだ。なんなら頭を地面に擦りつけてでも彼には協力してもらう。

 

 絶対に、絶対に、絶対に見返すのだ。皆を、家族を!!世界を!!!!!

 

 彼女はそのような決意でもって自らの戦場に帰還し、

 

「俺は自重しろと言った。限度を見極めようと。アレは見極めた結果かな?」

「いけるかなと」

「いけてねーよ。いやある意味逝ってるけど。正常な人体の顔色の変化じゃねえよアレは」

 

 転入生のシズクにガチ説教しているウルに遭遇した。

 

「……何してるの?」

「説教だ。今取り込んでるから少し後にして……リーネ?」

「まあ、リーネ様!無事に帰ってこれて何よりです!」

 

 かくして、ウル達一行は集結したのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

検証と対策

 

 大罪迷宮ラスト入り口

 大罪都市ラストの正門をくぐり、大罪都市プラウディアへと向かう道とは逆に位置する東への道へと進むとそれはある。迷宮へと向かうための冒険者達、冒険者ギルドに所属せずとも魔石を目当てとする小遣い目当てで足を運ぶ流れ者、それらの人間を目当てにあえてリスクを負い、人類生存圏外にて商売をし高値でモノを売りつけようとする商人などなど、人通りは多い。都市内部に迷宮があったグリードとはまた違った雰囲気だが、活気のある光景であることに変わりは無かった。

 だが、人気が増え、賑わいも増していくにもかかわらず、歩みを進めるほど、迷宮へと近づくほどに、辺りの空気は重く、よどみ始める。鬱蒼とした木々が高く、異様に高く伸び、太陽の光を遮るように、太陽神の威光を遮るように青黒い葉を伸ばす。まだ昼間であるにもかかわらず、薄暗く、暖かな季節であるはずなのに、肌寒い。

 

 闇と、寒気が、一番深くなる場所、つまり道の最奥に大罪迷宮ラストの入り口はある。

 

「……いつ見ても気味が悪い」

「グリードとはまた違う、独特の空気ですね」

 

 ウルはここのところ毎日のように足を運び、何度となく入り口の門をくぐってきたが、それでも未だに慣れなかった。足を踏み入れるたび、命が縮むような思いをしていた。

 呼吸を整え、最後の点検に入る。この歪な門を一歩でも踏み入れば全てが敵になる。腰を据えて確認できる最後の機会だ。自分の装備、竜牙槍の更新を終え、鎧も火喰いを装着し直した。これからはロック任せにはせず、前線で戦わねばならない。憂鬱だ。

 

『カッカカ!足を引っ張るなよウルよ!』

 

 ロックの姿は以前とそう変わらないように見える。だがシズクが彼の契約魔術を改め、その器を強化した。ロック曰く「身体が軽うなった」とのこと。

 

「私は久しぶりの迷宮ですから、迷惑をかけないよう気をつけます」

 

 シズクも装備が一新されているが、本命は学園で学んだ魔術だろう。どんな魔術を学んだのか聞いてみると、1度では把握しきれない数の魔術を習得したらしいので、期待しても良いだろう。詳しくは実戦で確認するとする。

 そして

 

「さて……リーネ」

「なに、ウル」

 

 リーネである。身内の不幸があり、意気消沈しているのではと思っていた彼女だが、現在の彼女はやる気に満ちあふれている。制服ではなく、ウルに魔術を披露するときに見せた魔女服だ。杖だけが違う。真っ白な、小人の彼女の身体と同じくらいの長い長い白の杖。

 

「その杖は?」

「初代レイラインが白の魔女様から授かった【流星の筆】。当主の証」

「なるほど、気合いが入ってるのはわかった」

 

 当主、となると彼女は紛れもなく【神殿】の神官である。都市国の特権階級であり、その権限を使えばウル達のような“名無し”は即刻国外退場も叶うような相手ではあるのだが、今更取り繕っても仕方が無い。ウルは半ば諦めの境地で腹を据え、彼女に向き直った。

 

「良いんだな。本格的に俺達の一行に加入する事になって」

「良いわ」

「俺達は“名無し”だ。都市民権を持たない流浪の民、今仕事の契約をしている主の意向もあって、毒花怪鳥の討伐の結果にかかわらず近いうちにこの都市を離れる。それも承知しているな?」

「無論」

「この都市の方針で、下手すると貴方の神官としての地位も、都市民権も、剥奪される可能性もでている事は知っているか?」

「ギルド長から聞いた」

「俺達がギルドで噂されているような期待の新星ではないことももう分かっているよな?今日からは前以上の無様を晒すことになるぞ」

「分かってる。その上で貴方の仲間にして」

 

 質問に対して、その全てが即答である。ウルはため息をついた。

 

「……わかった」

「嫌なら嫌と言ってほしいわ」

「他人の人生を背負う責任が肩に来ているだけだから気にしないでくれ」

 

 官位持ちの人間が自分の人生をかけてウル達の一行に入るのだ。重い。責任を負える気が全くしない。が、既に妹の人生と、シズクという最高に重い女の人生も背負っているのだ。今更ではある。

 

『ま、気にしすぎてもしゃーないじゃろ。責任を背負ったからと言って、お前のやることが変わるわけでもあるまい?』

「他人事と思って軽く言いやがって」

『骨じゃもの』

 

 カタカタカタとロックは笑う。首を引っ掴んで投げてやりたい。

 

「気にする必要は無いわ。私が、私の目的で、私のために戦うのよ。死んだとしても、私の責任」

 

 彼女はハッキリと言う。迷いは無い。初めて彼女と出会った時よりもずっと強い光だった。祖母の死は、彼女を挫折させるのではなく、背中を押す事に繋がったらしい。それが彼女にとって良いことかどうかは分からないが、ウル達にとってはありがたいことだ。

 その上で、最後に一つ確認しなければならないことがある。

 

「都市民権すらも捨てるリスクを飲んでまで冒険者になる目的はなんだか聞いて良いか」

 

 元々、聞かなければならないと思っていたことをようやくウルは彼女に尋ねることが出来た。彼女の動機、理由、レイラインの復権ではないか、とはアランサは言っていたが――――

 

「私の目的、それは――」

 

 彼女はその小さな身体で大きく息を吸い、そして言い放った。

 

「白の魔女様と初代レイラインが授けて下さった白王陣の偉大さを世に知らしめそれを全く理解できていない能なしどもの頭にその事実を刻み込み、泣かせて、頭を地面にこすりつけて謝罪させた後そのままの姿勢で崇め奉らせるためよ!!!!」

 

 でかい声で言い放った。周囲にいた冒険者達が何事かとギョッとした顔になった。

 ウルは思った。やべえやつだと

 

『こやつ頭大丈夫かの』

 

 うるせえ骨頭。

 

「随分とえきせんとりっくな方だったのですね。リーネ様」

 

 やかましい奇抜の化身。

 

「…………よし、うん、わかった」

 

 とりあえず、誰かに強いられてだとか、実はイヤイヤだったとか、そういう可能性はサッパリ無いらしいので、良しとすることにした。新たに入ってくる仲間がかなり狂人であったという事以外何の問題も無い。多分。

 

「白の魔女様の偉大さをまだ語れていないのだけど」

「後でな」

「絶対よ」

 

 言質を積極的にとろうとする狂信者に軽く引きながら、ウルは迷宮に向き直る。仲間の意思も、装備も、確認は終わった。事前調査も資金集めも、現時点で出来うる限りの事はしてきた。懸念事項も解消された。

 ならば、やるべき事は一つ。

 

「……やるか」

 

 毒花怪鳥の本格的な討伐の開始だ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 とはいえ、だ。

 全ての準備が完了したからと言って、全ての懸念が解消されたからと言って、その後の挑戦が万事上手く行くかと言われれば全くそんなことは無い。

 何の保証にもならない、と言うことをウルは地面に転がり身悶えながら思い知っていた。

 

「が!!……っか…………げえ…!」

 

 獣の断末魔のような引きつった悲鳴をウルは漏らして、死にかけていた。理由は単純だ。毒花怪鳥の毒を喰らったからである。

 

「がっ……ぐ、え…!!」

 

 兜の表面を外して、こみ上げてくる異物を吐き出す。ぐるんぐるんと世界が回った。毒を喰らった足が燃えるように熱く、しかし腹が凍るように冷たい。命の危機を全身が告げていた。

 

「げ、どく…!」

 

 指が震える。意識が途切れかけている状態で、ウルは必死に解毒薬に手を伸ばした、意識が飛び、指が震える。瓶を落としかけるが必死に力を込める。気を失ったらそのまま死ぬ。

 

「ぐっ……」

 

 薬を口に含む。戻しそうになる喉のケイレンを強引に手のひらで押さえ込むようにして飲み干す。体内に落ちた魔法薬が瞬時に肉体に浸透し、込められた魔術を発動する。

 中身は解毒薬だ。それも魔物が生成する死毒を分解する【不死鳥ノ涙】(銀貨20枚)

 毒を扱う賞金首と判明してすぐ購入した虎の子の一本を飲み干す。恐るべき勢いで肉体を破壊していた毒を瞬く間に分解し、更には毒が破壊した肉体を癒やしていく。まさに魔法の薬だった。

 

「っぐ……!!」

 

 瞬く間に発生した肉体の破壊と再生にウルは息を飲んだ。目が回った。間近に迫った死を回避できた事実に、肉体が弛緩しかけた――が、

 

「立……つ…!」

 

 身体に鞭をいれ、力を込め直す。

 安堵など、している場合ではない。

 事態は、依然として窮地だ。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』

 

 毒花怪鳥は未だ、大暴れしているのだから。

 その巨大な両足で地面を踏みならし、奇っ怪な泣き声を迷宮に響かせる。実に元気が良い。だが、それだけ元気であるにもかかわらず、ウルがもだえ苦しんでいたその間、攻撃してこなかった。その理由もまたハッキリとしていた。

 

「【水よ/風よ唄え】」

 

 ウルが弱っていたその間、シズクが単独で毒花怪鳥を押さえているからである。

 学園に入学する前と今とで、シズクの戦闘方式は大きく変わっていた。以前までは前衛に護られながら後衛で魔術を発動させる極めてオーソドックスな魔術師のスタイルを取っていたが、現在の彼女はウルと並ぶように中近距離で毒花怪鳥を牽制している。

 

「【凍て付け/刻め】」

 

 魔術の発動速度が明らかに違う。後衛で護ってもらう必要が無い程度には、彼女の魔術の速度が跳ね上がっている。新しい魔術の詠唱の仕方を試みているらしく、二つの唄が重なって聞こえる。やや不安定で上手く安定しないと彼女はぼやいていたが、ウルから見れば十分に機能しているように見えた。

 

 そしてもう一つ。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEE!!』

「ブロック」

『KE!?』

 

 彼女が扱う魔術の詠唱、その隙を突くように怪鳥が飛び込んでくる。

 だが直後に怪鳥の爪が阻まれる。それはシズクが扱う杖だった。しかしそれを彼女は手に持って盾のようにしたわけではない。そもそも彼女は杖を握ってすらいない。五芒星の杖が自ら浮遊し、彼女の周囲を旋回していた。

 

「スマッシュ」

『KE!?』

 

 更に、シズクが手振りすると、杖は自ら動き、怪鳥の脳天を打ち据える。決して軽くない、鈍い、いい音が響き、突撃をしていた毒花怪鳥の動きが一瞬止まった。

 

 “物体操作術”。彼女が自身の装備した杖に対して行なった魔術は極めて単純なものだ。

 

 多くの魔術師が、基礎として習う魔術の一種。魔術師といっぱしに名乗るモノなら誰でも身につけているだろう術だ。そんな基礎的な魔術を彼女は学園で学び直し、そして短い期間の間に研ぎ澄ませた。

 

 ――事前に魔術で、その動きを学習させる事で、簡易の指示で詠唱なしに操れるようになりました

 

 結果、彼女の近接戦闘能力は圧倒的に向上した。単身で前衛と後衛、どちらもこなせるようになったのだ。熟練の魔術師だって、ここまで器用に立ち回れる者はそう多くはないだろう。練度とは別の才能(センス)に依存する立ち回りだった。

 

「【炎よ/炎よ唄え――強化(フォース)】」

 

 怪鳥を引き下がらせたその隙を見て、再び彼女は詠唱を続ける。魔術師としての隙、詠唱時間という弱点を完全に埋めている。

 やべえ、俺要らないんじゃねえの?

 なんて卑屈な考えが脳裏を過ったが、ウルはすぐに首を振ってマイナス思考を棄てる。足手まといなんてのは今に始まったことではない。だったらこれ以上の足手まといに成らないよう、今できる全力を尽くせ!

 

「あったれ!!」

 

 身体は既に回復し、力も入る。ウルは足下に転がっていた鋭く尖った石を握ると、腕を振り、しならせ放つ。手の平から放たれた石は怪鳥の眼球付近に直撃する。

 

『KUKEEEE!!?』

 

 目元に突然ぶつかってきた投石に怪鳥は悲鳴を上げる。

 直撃はしなかったが、狙いは悪くない。どんな生物でも鍛えようのない急所はある。怪鳥も眼部への攻撃は有効であるらしい。が、その結果、余計なヘイトを買ったようだ。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』

 

 怒りを表すようにして、怪鳥は長い首をぶんぶんと振り回す。

 そしてその翼を広げ、跳躍した。

 

「“アレ”が来ます!」

 

 シズクの警告にウルは身がまえ、宝石人形の盾を身構えた。その攻撃はウルが毒を喰らう羽目になった原因でもあった。

 高く飛び上がり跳躍した怪鳥は、その翼を広げると、前に交差するように振り回した。単に羽ばたいているようにも見える、が、その動作と共にウル達へと無数に“ナニカ”が落下してきた。

 

「……!」

 

 それは羽根だった。毒花怪鳥の羽根。鉄のように固く、そして怪鳥の血が、毒が染みこんだ羽根。薄い鎧部分すら貫通する鋭さを持った羽根による超広範囲攻撃。先ほどウルは脚部の関節部の隙間にこれをくらい、毒をもらった。

 

「クソ!!」

 

 ウルは身体を可能な限り小さくして、盾の陰に身を隠した。直後、盾越しに無数の衝撃が叩き込まれる。宝石人形の盾が毒で脆くなるような事が無かっただけ安心だが、それでもさっきの毒をもう一度喰らうのだけはご免だった。

 

 鳥の羽根はフツー鎧に突き刺さらねえよ!!

 

 という怒りを堪えつつ、弾く。が、当然、怪鳥の攻撃はこれでは終わらない。飛び上がった鳥は、そのままその巨体を、ウル達に向けて落下させる。毒の爪をむき出しにして。

 

「……!!」

 

 受ければ、毒を喰らうまでも無く潰れて死ぬ!

 

 ウルは地面を蹴った。直後、ウルの足下に怪鳥が急速落下した。爆発のような音と共に地面が吹っ飛び、大小の小石がウルの鎧にぶつかる。ウルはよろめきつつ、必死に姿勢を整え、着地した。

 

『MOKEKEKEKEKE!!』

 

 先程の投石がよっぽど気に入らなかったのだろう。怪鳥は明らかにターゲットを此方に移している。危険だった、が、しかし好都合でもある。シズクがいかに万能となったとしても魔術師であることには変わりない。前戦に晒し続けるわけにはいかない。

 

 この怪鳥はどうやらあまり頭が良くない。ターゲットの選び方が雑だ。誘導は容易い。

 だからこそ、“この作戦”を取っている。 

 

「ウル様、毒は平気ですか」

「平気だ。が、虎の子の【不死鳥の涙】を使った。残り予備一個」

 

 シズクが此方の背後に回り、話しかける。先の毒羽根に警戒しながらウルは応じた。

 

「まだ、有効なダメージがあたえられません」

「いや、いい。攻撃しすぎると逃げる」

 

 有効なダメージを与えると逃げる。迷宮中を逃げ回り回復されてしまう。牽制と誘導で時間を稼ぐ。時間を、リーネが魔法陣を完成させるまでの時間を――――

 

「……きっつう」

 

 予想以上に、キツイ。

 怪鳥の攻撃手段が想像以上に多様。まだ必要時間の半分にも届いていないのに物資の摩耗もさることながら、体力の消耗も激しい。シズクも自分が毒を喰らった支援のためとはいえ、魔術を使いすぎている。これでは持たない。

 

 向こうは上手くいってるのか?

 

 別働隊として動いているリーネとロックのことを考えながら、ウルは歯を食いしばって持久戦を再開した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『……ふむ、きっついのう』

 

 別場所、毒茸の沼、そこから少し離れ、沼が一望できる木々の影にて、ウルと同様の感想をロックはもらした。

 現在ロックが行なっている作業は護衛であり、その護衛対象はリーネだ。

 

「………………っ」

 

 彼女は一心不乱に地面に魔法陣を刻み続ける。既に【集中】に入っているのか、ロックの独り言に対しても全く反応を示さない。作業を続ける。既に一時間以上だ。しかし術式の完成はまだ成っていない。

 

 3時間

 

 彼女がウル達に宣言した、毒花怪鳥を確実に討てる魔術の発動に必要な時間が3時間である。つまり残り2時間。その間、彼女は完全に無防備になる。その彼女を、ロックは守り切らなければならない。

 彼女の魔法陣の、更にその外周には結界を敷いている。シズクが施した結界であり、不可視と魔力遮断の多重構造によって周囲から彼女は完全に守られている……訳ではない。

 

 視界と魔力は絶った。その二つの感覚を感知する魔物は寄ってはこない。

 

 が、それ以外、例えば音、例えば匂い、あるいはそれらとは全く別の感覚を持つ魔物達は退けられない。それらはロックが迎え撃たねばならない。故に彼は守っていた。1時間もの間ずっと。

 そして結果として、ひどいことになった。

 

『……うむ、いかんのコレ。』

『GIGIGIGIGGI……』

 

 大甲虫が周囲を囲んでいる。土竜虫の異音がする。木々の上から無数の魔物達が此方を睨んでいる感覚がある。完全な窮地だった。

 最初は良かった。魔物の気配も殆ど無く、遠目に見かけても、近づいてくる様子も無い。「ヒマだのう」などとロックも余裕ぶっていたほどだ。

 だが一体、おそらくは不運にも進路上にロック達がいたのだろう、大角甲虫が近づいてきたのをやむなく対処した直後から、徐々に状況が悪くなっていった。最初は偶然だったが、そこから少しずつ少しずつ、この結界の近くの気配を感づく魔物の数が増えていった。戦闘音、死体として残った魔物の血の匂い、戦うほどにその痕跡が新たな魔物を呼び寄せている。

 

 一時間経過し、既に結界外部は飽和状態だった。

 

『こりゃムリじゃの。守りながらでは、ワシ一人では戦いきれぬ』

 

 迷宮で同じ場所にとどまり続けることは難しい。

 というのは冒険者の間では常識の一つだ。理由は迷宮によって様々だ。魔物が続々と現れる。道が変わる。閉じ込められる。空気中の魔力が毒化し滞在者を苦しめる等々。

 安全圏(セーブポイント)と呼ばれる場所は迷宮にはあるが、それ以外の場所の多くは立ち止まれないようになっている。立ち止まらず、“奥に誘うよう”に出来ているのだ。

 

 そしてこの大罪迷宮ラストもその例からは漏れなかったらしい。

 

 この迷宮の特殊、魔物達の死体が残るという現象、痕跡が新たなる魔物を呼び寄せる。倒せば倒すほど痕跡が増え、魔物が増え続ける。幸い、本命の怪鳥は今はウル達が引き寄せているものの、近いうちにロック一人では限界を迎える。

 

『カカ、こりゃ目論見失敗じゃぞウル。あるいは“予想通り失敗”か。』

 

 この事態を、ウルはある程度“予想はしていた”。今回から調査を辞めて本格的な討伐に入った。当然、調査の時と現状が違う。失敗は起こりうる。それが起こっただけのことだ。ロックに焦りは無かった。ウルからもこうなるであろうということは重々言い含められていたからだ。

 

 ――アイテム等はケチらなくていい。ただ失敗は覚悟しておいてくれ。

 

 現状、彼の主はシズクだが彼女のボスはウルだ。そのウルの意見、考え方にロックは不満を抱いてはいない。まだ子供と言って良い年齢なのに判断は冷静で、失敗を恐れない。失敗を前提に作戦を組んでいる。

 生前、記憶もおぼろげなロックだが、ウルのような判断の出来る人間は割と希少だった、と思う。失敗は誰もが怖い。失敗すれば多くを失う。ヒト同士の不和も生む。それを覚悟し、前提で動ける指揮者は得がたい。

 

 要は、ウルのことをロックは割と気に入っていた。口にはしないが。

 

『おっと』

 

 ロックが懐から魔力の流れを感じ、触れる。【感応石】、二つ一組小さな魔法石。強く握れば小さく魔力が灯り、同時に離れたもう一つの石も握らずとも光を灯す。ウルとロック、双方が持っているこれは、撤退の合図として使うと決めていた。

 つまり、ウルの方が戦闘続行が不可能になったのだ。尤も、それは此方も同じだったが。

 

『ま、そうなるの。おーいリーネよ。帰るぞー』

「――――――――――――!!」

『きいとらんか。まあ、しゃあないの』

 

 ロックは依然として魔法陣を完成させようとする彼女の小さな身体をひょいとかつぐと、そのまますたこらさっさと、必要な魔物だけを蹴散らして、退散していった。

 

 毒花怪鳥本格的討伐1日目はこうして大失敗と相成った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

検証と対策②

 

 冒険者の酒場

 撤退を果たしたウル達一行は食事を取る。反省会であり、次につなげるための作戦会議でもあった。それぞれ消耗した体力を補充するように冒険者向けに用意された多量の食事を身体の中に注ぎ込んでいく。特にウルはその量が普段の1,5倍は多かった。

 

「……うまい」

 

 ウルは次々に肉にかぶりついていった。迷宮から出て暫くしてから、強い空腹感に襲われていた。理由は分かる。毒をくらい、回復薬で回復したからだ。毒で破損した箇所の回復に肉体がエネルギーを欲しているのだと分かる。

 

「【不死鳥の涙】は毒ダメージの再生もするが、削られた体力までは回復しない」

「毒?きつかったの?」

「死ぬほど。リーネは小人で小さいから毒喰らったら即死だぞ」

「怖いわ」

 

 リーネはリーネで小人である筈だが食事の量は多かった。今はジョッキに注がれた冷たい牛乳を一気に飲み干している。魔法陣完成までに至らなかったとはいえ。途中まででも体力はゴッソリと削られるらしい。

 

『で、今回の撤退のきっかけはどうだったんじゃい?主?』

「大きなダメージを与えず引きつけていたのですが、怪鳥が突然逃げ出しました。そちらではなにか変化がありましたか?」

 

 問われ、リーネは首を横に振った。彼女には周囲を確認する余裕なんぞ全くない。代わりにロックが魔石を口に放りながら、ふむと、首を捻る。

 

『お主が撤退の合図を送る少し前に、毒爪鳥を殺した。鳥どもには結界が通じておったのか、それまでは近づいてもこんかったんじゃがの』

 

 偶然か、あるいは他の魔物の死体に気が付いたのか、不意に一匹、リーネのいる方角に向かって飛んできたらしい。止む無くロックはそれを殺した。そしてその後に撤退の連絡が来た。

 

「と、すると怪鳥が取って返した原因はそれか……?一匹死んで、巣に異常があると感知して、とって返したとか」

 

 毒花怪鳥は常に自分の巣、毒茸沼に戻る逃げ回っても最終的には戻ってくる。此処が自分の居場所だというように。ともすれば、あの沼に何かしら縄張り意識があり、その沼の住民の異常にも感知した、かもしれない。

 

「しかし、魔物であるのに、自分の縄張りを創って護ろうとするのですね」

「なんならあそこで卵も産むぞ。迷宮が生み出すんじゃなくて自分たちで仲間を生産する」

「毒花怪鳥が卵を?」

「そうだな。怪鳥はメスだ。多分毒爪鳥がオスなんだろう。だから怪鳥が襲われて暫くすると毒爪鳥が守りに飛んできて加勢する」

 

 メスである怪鳥を中心とした巨大なコミュニティがあの沼を中心にできあがっている。怪鳥が襲われれば毒爪鳥は守りに向かうし、逆に毒爪鳥たちが襲われても、怪鳥が助けに向かう。強い絆で結ばれた関係と言えるだろう。ウル達にとってすれば迷惑極まりないことに。

 するとその情報を聞いたシズクが少し考え込んだ。

 

「卵……誘導に使えますか?」

「試したんだがな……」

「結果は?」

「ダメだった。アイツらバカだ」

 

 そう、バカだった。困ったことに。

 怪鳥は日に何度も、あの毒沼で大量の卵を産む。大量に産む、ので、自分の卵が一部無くなっても気づかない。自分で誤って踏み潰す事すらする。故に、魔術で隠れ、うまく一個二個盗んだところで気づかない。

 試しに毒花怪鳥のルートに転がしてみたところ、毒花怪鳥は全く卵に気づかず踏み潰して終わった。

 

「あくまで毒花怪鳥が過敏に反応するのは毒爪鳥が攻撃を受けたときだけだ」

「多分だけど、怪鳥と毒爪鳥の間にはなにかしら“繋がり”があるんだと思う。その繋がりがあるから反応して、怪鳥は巣に戻る。」

 

 だから、怪鳥の誘導は楽なのかもしれない。結局怪鳥の戻る場所は巣、毒茸沼であり、異常があれば、あるいは怪我をすれば、迷宮を駆け回り、追跡者を振りほどきながら此処に戻ってくる。

 沼の近くに白王陣を設置さえ出来れば、あとは挑発してそこに誘導すれば良い。

 だが

 

「根本的な問題がある。結界ではリーネが護れない。白王陣が完成できない」

 

 結界だけでは多種多様に出現する魔物達の感知から完全に逃れることは出来ない。そして一匹でも倒してしまえば、迷宮内に取り込まれず死体が残る迷宮の特性上、死体が呼び水となり次々に魔物が殺到し、崩壊する。

 

『単純に人数を増やし、結界が破綻しないようにするというのはどうじゃ』

「人数が増えるほど、魔物の量は増す。むしろ結界崩壊が早まるぞ」

 

 迷宮での人数制限の理由、ヒトの増加による魔物の活性化。

 5人という人数なら問題ないとされているが、それはギリギリの数であるというだけで、影響がなくなるというわけでは無い。数が多いほど魔物の活性率は上がる。ロックとリーネだけの時よりも遙かに多く魔物が出現する事だろう。より難しくなる。

 

「術の成立が出来たとしても、恐らくこっちは消耗しきっているだろう。その後毒花怪鳥を誘導しなきゃいけないんだぞ。大量の魔物の死骸がのこっているであろう術式の中心に」

「近づきますかね?」

『ムリジャロ、あの臆病鳥が近づくわきゃない』

 

 あの怪鳥はバカで単純だが、動物としての本能は鋭敏だ。危険を察知すれば近づかない。リーネの魔術が完成するまで同じ場所で戦い続けるとなると、夥しい数の魔物の死体が積まれることになるだろう。そこに突っ込んでくることを期待するのは、少々難しい。

 

『もっと完璧な結界つくれんのか?主よ。もっと直接的に魔物が近づけなくなるような』

「残念ながら私の技術では現在結界の効果は二種までしか付与できません」

『その上から更に結界を覆うとか』

「結界の上から更に結界を重ねると互いに干渉し合います。むずかしいかと」

 

 うむむ、とロックは唸ると、今度はリーネへと視線を向けた。

 

『ウルよ、本当にこのお嬢の魔術を採用するんか?』

「殺すわ」

 

 黙々と食事をしていたリーネはロックを殴った。手が早い。

 

『喧しいわ。事実として、お前さんの魔術は使いにくいじゃろ。文句言うな』

 

 ロックはリーネの拳を頭蓋骨に受けながらカタカタ苦言を口にする。リーネはむっすりとした顔になって先ほどよりも二倍マシの速度で拳を振り下ろし始めた。

 

『一つの事に拘りすぎると迷走するぞ。どうなんじゃいそこら辺』

 

 その問いに、リーネはウルを凄まじい形相でにらみつけた。露骨である。自分を外したら殺すと目が語っている。彼女の目的を考えればそれも当然だろう。彼女の活躍は彼女の目的そのものだ。

 が、その彼女の情熱は結果に直結しないのはウルも理解している。情熱が結果に繋がるなら、彼女はとっくに冒険者として成功している。そして、彼女の魔術がピーキー極まる事も、十二分に理解した。コレまで彼女の魔術が日の目を見なかった理由もよく分かった。

 その上で、

 

「方針は変えない。彼女の術をメインにしていく」

『理由は』

「逃げ惑う毒花怪鳥を逃げる前に仕留める手段として有効なのが一つ」

 

 シズクの発展魔術ならば、とも思ったが、彼女の発展魔術は大体ウルの竜牙槍の“咆吼”と同等の威力である。ウルの咆吼でとどめを刺せないならば、彼女の発展魔術も同様だろう。学園で威力の向上が望めれば、とも思ったが

 

「発展魔術以上の火力を単独で放つのは現状は厳しいかと」

「ムリなのか」

「発展魔術以上の火力にしようとすると、終局魔術(サード)に至るしかありませんがそれは今の私には不可能です……というよりも、容量の問題ですね。ヒトの身では不可能です」

 

 とのことだった。

 で、あれば、やはりリーネに可能性を感じる。彼女の使う術が最も高火力であり、劣勢とみればすぐに逃げ出す怪鳥相手に、劣勢である、などという認識をさせるよりも早くに仕留めることが出来るだろう一撃必殺。学園で見た彼女の魔術を直撃させること出来れば間違いなく、撃破は叶うだろうとウルは確信していた。

 

「それともう一つ」

『もう一つ?』

「毒花怪鳥は、正面から普通にやり合っても確かに勝機が無いわけではない……が」

 

 ウルとシズク、ロックで前戦を護りつつ、リーネが魔道具などを使いながら闘う。オーソドックスな戦い方を考えなかったわけではない。だが、

 

『が?』

「多分、文字どおり生死の境を行き来するような死闘になる。下手すると死人が出る。こんなこと続けられん」

 

 ウルが今現在掲げている目標は【金級】への出世である。シズクやロック、リーネはまた目的が異なるとは言え、今はとりあえずこの目標に向けて全員が行動しているのは間違いない。

 で、あれば、戦いはこれからも続くのである。毒花怪鳥との戦闘がもし上手くいったとしても、それ以降もまた別の、より強い賞金首と戦い続けなければならない。

 

 だというのに、一戦一戦命がけのギャンブルを続けていくのは、ムリだ。

 

 絶対に途中で破綻する。コインの表を常に出し続けられる幸運をウルは持っていない。

 

「だから、ここらで一つ“戦術”って奴を身につけたい」

「具体的じゃないわね」

『ま、言わんとするところは分かるがの?』

 

 ウルの言葉にロックが頷いた。

 

『“敵に対応する”んではなく、“敵に対応させたい”んじゃろ?』

「まあ、な」

 

 必勝、とまでは言わない。だが、今までの戦闘はあまりに“行き当たりばったり”だった。手札が少なすぎたために、手持ちの武器を全てたたき付けるような戦い方しか出来なかった。

 しかし今は違う。資金が増え、人手が増え、戦力も増した。選択肢の幅が大きく増した。今なら、敵の強大さに振り回され、ただ対応を余儀なくされるのではなく、“此方の戦い方”を敵に押しつける戦い方が出来るかもしれない。

 いや、しなければならない。今後を戦い抜くためには。

 

『で、その戦術にお嬢ちゃんをつかうと?』

「ぶつけられれば“必勝”の魔術を軸に闘えれば、闘いやすさが違う、と思う」

 

 リーネは自慢げに胸を張った。わかりやすい女だ。

 

「ではどうしましょうか?彼女の魔術、【白王陣】を成立させるのは並大抵ではないです」

『事前に紙に書いておくとかできんのか?』

 

 問われ、リーネは首を横に振った。

 

「“完成後”の【白王陣】は陣を維持するため、描き込んだ対象の魔力も消費する。紙とか、魔力含有量の薄い代物に描き込んでも、生物のように大気中から自然と魔力を取り込まないから陣自体が自然消滅するわ」

「不足してきたら魔力を後から補充するのは?」

「手法はあるけど、手間よ。魔力貯蓄量の高いモノは値段もするし、しかるべき手順をふまなければならない。それなら最初から最低限の魔力を有しているものに描き込んだ方が良い」

『最低限の量ってのは?』

「……魔物の魔石で言えば、九級の魔物が落とす魔石一つ分」

「餓者髑髏規模ってか……」

 

 魔石は基本的に全て都市運営のために使用されるので、特に巨大な魔石は即燃料として還元される。冒険者が売り払う魔石は基本一方通行だ。手に入れるなら自分で獲得するしか無い。が、今回必要になる規模の魔石を体内に保持しているであろう魔物は、毒花怪鳥である。

 怪鳥を倒すために怪鳥を倒す必要がある。ムリだ。

 

「だから本来は地面に描き込む。大地を通して、魔脈から必要分魔力を回収する」

「では、対象が私たちであるならば?」

 

 と、シズクがよく響く澄んだ声で提案する。

 

「ウル様や私は魔力を相応に有しています。そして生物であるが故に、自然と消費した魔力は回復します。陣の消滅まで猶予があるかと」

 

 彼女の問いに、リーネはしばらく考えるように俯いた後、頷いた。

 

「出来るわ、付与できる魔術の種類は【強化】に限られるけど」

 

 強化の魔術。身体向上の魔術。その【終局魔術】、最大規模の強化を得られる。ウルは顔を上げる。これならばいけるか?

 

『なら、強化魔術を描き込んでおけばいけるのか?』

「でも、さっきも言ったけど、陣は維持にも魔力消費するのよ。完成に至る過程でも陣維持に魔力が喰われるわ。完成したら爆速よ」

「具体的にどれくらいで俺の魔力が喰われる?」

 

 むう、とリーネは椅子から立ち上がると、ウルの方へと小さな手の平を向けてきた。ふむ。と、ウルはその手に自分の手を合わせると、彼女は静かに目をつむる。そしてしばし後に、

 

「完成してからだいたい3分」

『はやいのう』

「強化が発動したら30秒」

『みじかいのう』

「魔力が完全に尽きたら身体能力は大きく減力するし、当然魔術はムリよ」

『つらいのう』

 

 迷宮の外、安全な場所で白王陣をウルに描き込んだ場合、それから三分以内に毒花怪鳥に接敵し、その後30秒以内に撃破しなければならないということになる。大変厳しい。怪鳥との接敵まで大体1時間は掛かる。

 

『おう、そうじゃ。ワシみたいに魔石で魔力補給していけばどうじゃ』

「魔石で魔力補給できるヒトはいないわ。貴方は魂が改造されてるから出来るんでしょうけど」

 

 魔力補充薬は存在する。存在するが結構高い。魔力の貯蔵庫たる魂に、物理的な干渉によって直接補充するための技術は非常に高度だ。作成者は限られ、故に、高い。

 

「1本銀貨20枚から金貨1枚くらいだったかしら?そして1度の補充で延びる時間は精々1分よ」

 

 迷宮に入ってから1時間、魔力が尽きるたびに補充し続けてはいったいどれだけ金がかかるかわかったものではない。論外だ。

 ヒトからヒトへの譲渡も出来なくもないが、三分で尽きるような消耗率であれば、あまり意味が無い。

 

『そりゃ厳しいのう……じゃあワシみたいに魂改造すればええんか?』

「生きた人間への魂の干渉はとても危険よ。干渉する側もされる側も。技法自体は知っている術者はウチの学園にいる可能性はあるけど、やってくれるヒトはいないわ」

『んじゃ魔力を簡単に補給できるワシを強化!!』

「死霊兵として存在するだけで付与魔術の容量を喰っている貴方に強化の終局付与魔術をつかったら、貴方の魂ごと消し飛ぶわ」

『ギリッギリまで書き込んどいて、最後の一筆は現場で書き込んで完成させるとかはどうかの?』

「基盤までならそれは出来るけど、それ以降はどのみち魔力消費量は完成に近づくほど増え続けるわよ。大半を完成させてから移動しても多分、毒花怪鳥に接敵するよりも前にからっけつになるわ」

 

 リーネの言葉にうんうんと唸ったロックは、しばしのちにうなり声を上げ、降参、というように両手を挙げた。

 

『かぁ~、面倒じゃのうお前さんの魔術、そりゃ廃れるわい』

「殺すわ」

『死んどるわ』

 

 カタカタとロックがからかうようにリーネを笑うと、彼女はロックから頭蓋骨を奪い無表情で拳をガンガンと振り下ろし始めた。シュールなその光景に周囲の客がぎょっとなったが、4人は無視した。冒険者ギルドの酒場故、ロックに対する最低限の周知と理解はされている。

 シズクは二人の様子を微笑み眺めながら、ウルへと視線を向ける。

 

「難しいですねウル様……ウル様?」

「ん?……ああ」

 

 生返事を返すウルに、シズクは首を傾げた。

 

「何か、思いつきましたか?」

「……策……と、言って良いのかは分からんが……」

 

 強化魔術の概要を聞いたとき、ウルは一つ閃いていた。

 突破口、というにはあまりにも突飛なアイデアだった。恐らく誰もやったことが無いだろう。考えついても、実行しようとは思わないだろうから。ウルだって馬鹿馬鹿しい発想だと自分の考えを失笑しそうになるほどだ。だが――

 

「……思いついた事はある……が」

 

 自分の一行の3人がウルへと視線を向ける。

 突飛な発想。だが、そもそも賞金首を討とうとする事そのものが現代の冒険者のセオリーから大きく外れているのだ。更に言えば、戦闘での使用が困難を極めると言われる【レイラインの魔術】を活用しようというのだ。

 普通、常識からウル達はとっくの昔に外れている。常識的な戦術とやらが今のウル達に当てはまるわけが無いのだ。

 

 で、あれば、開拓しなければならない。自分たちで、自分たちのための戦術を。

 

「教えて。どうすれば白の魔女様の業を今の世界で使えるの」

 

 リーネの期待を帯びた瞳を受け、ウルは頷く。

 

「それは――――」

 

 

 

 

 

 

 

『カカ、カカカカカカ!!!けったいな事思いついたのう!ウルよ!!』

「俺もそう思うよ……」

 

 全てを説明しきったウルは、結果として仲間から盛大に笑われた。まあ、黙って顔を伏されるよりは真正面から笑い飛ばされた方がまだマシだった。

 

「反対意見があるなら聞くが」

 

 ロックは骨をならし、そしてニヤリ、とそんな感じで剥き出しの歯をかみ合わせた。

 

『ワシ構わんぞ。じーっとお嬢ちゃんのお守りを続けるよりは大分、大分楽しそうじゃ』

「シズクは?」

 

 シズクは至極真面目な表情で頷いた。

 

「本当に実行可能か検証する必要はありますが、試す価値はあるかと」

「リーネ」

 

 リーネは最初に出会ったときと変わらない、憮然とした、睨むような真剣な表情でウルを見つめた。

 

「白の魔女様の力を、レイラインの培った技術の結晶を、世に知らしめる事が出来るのなら、私はなんだってするわ」

「決まりだ。まずは――――買い物だ」

 

 一行の方針が決まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ロックンロール

 

「おう、ダンガン、腕を上げたじゃねえか。これでいいぞ」

「うっす」

 

 ダンガンは自分の補修した防具の出来を褒められ、喜びを隠すように頷いた。

 師匠から任された仕事は終わった。冒険者が迷宮から帰還し素材の持ち寄りや武具修繕に立ち寄る最も忙しい夕刻も過ぎ、日が沈み始めている。無論、迷宮繁栄時代の今の世、太陽神(ゼウラディア)の光なしでも都市の内部は魔灯に照らされまぶしいが、今日の作業はもう終わりだろう。

 だが、ダンガンはまだ忙しい。彼は黄金鎚の内部ではまだ下っ端で、多くの雑務を任されている。掃除、片付け、道具の整備、果ては衣類の洗濯まで。そうした作業を可能な限り手早く済ませ、更に明日に備えた準備と鍛冶師としての勉強に励むのだ。朝の作業は日が昇ると共に行う。当然はやい。

 

 忙しく目が回るような日々だが、そこそこの充実を彼は感じていた。

 

 最近も、自分の作った武具防具が売れた。それも新星の冒険者に。尤も、冒険者にしては随分と変わった連中だったが――

 

「ダンガン」

「んん……?ウルか。もう日が沈むぞ」

 

 考えていた側から、新進気鋭の冒険者が現れた。が、ダンガンは首を傾げる。基本、冒険者が此処を訪ねるのは迷宮に出る前の朝か、迷宮から帰還する夕刻頃だ。

 無論、冒険者なんてのは不規則で不安定な仕事ではある、が、傾向としてはそうだ。こんな日が沈みかけた時間帯に訪ねてくる事はあまりない。大抵の冒険者は、その日の儲けを散財すべく、繁華街に繰り出すものだ。

 

 そして、更に彼はおかしなものを持ってきていた。というか、“引いて”いた。

 

「……そりゃなんだ」

「荷車だ」

「そりゃわかる。なんで何も載せてないんだそれ」

 

 荷車とは、荷物を運ぶためのものである。

 そんなこと誰だって言われなくても分かる。かなりの大型の荷車だ。小型の馬車と大差ない。だが、この男は荷車に何も載せていない。荷車だけを此処に持ってきていた。もしかして途中で荷物を落としてきてしまったのか?

 しかし彼は真っ直ぐに荷車を引っ張り、目の前に置いた。そして此方を見つめる。

 

「依頼をしたい」

「なんだ」

 

 ダンガンにはまだ雑務が残っているし、そうでなくとも既にクタクタと言って良いほど今日は十分働いた。だが、目の前の客から漂う仕事と、金の匂いを見過ごすことは【黄金鎚】の一員としては避けられなかった。

 何より、興味があった。この話題性の塊のような男がどんな依頼をするのか。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、ダンガンは額にしわをよせる。

 

「俺は鍛冶屋だ。木工職人じゃあねえ」

「鍛冶屋ってのは武具防具を作ってくれるところだろう?」

「えらく雑な理解だ。間違ってはいないが」

 

 なら、合ってる。と、ウルは

 

「正確に言うとだ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ダンガンの顔のしわが深まった。だがそれは不快さからくるものではなく、困惑と、思考を巡らせるためのものだった。防具、防具、身を守るモノ。冒険者達の命を預けるモノ。荷車を?

 

 だが、理解不能。と、いうわけではなかった。思い当たる事がある。

 

「……【戦車】を作りたいのか?」

 

 荷台に兵器を載せ、機動力を馬に任せて走る兵器の概念はこの世界に無いわけではない。かつて、世界が迷宮に溢れる前はメジャーな武装の一種だったと聞いたこともある。魔物が溢れた今の世界では、馬たちで戦車を引かせようとしても、魔物を畏れて馬たちが走行してくれなくなり、衰退していった。

 今もあるにはある。が、多くはない。機械の発明で有名な【大罪都市エンヴィー】では魔導機械を馬の代わりにした兵器が誕生したとの事だが、流石にそれはダンガンも専門外だ。

 いや、それを言うと戦車そのものもそこまで専門ではない……ないのだが、ダンガンは酷く興味がそそられた。

 

「そうなるな」

「迷宮に馬なんて連れていけないぞ。ただの馬なんて魔物に速攻で食われちまう」

「機動力ならアテがある」

「マジか……で、それで毒花怪鳥を討つってか?」

「そうだ」

 

 ウルは真顔で言い放った。

 

「……ちょっと待て」

 

 ダンガンはウルが持ってきた荷車を観察する。どうやらウルが持ってきた荷車はそこらで購入した中古の安物ではない。刻印があった。木工ギルド【神樹の木陰】で購入した高級品だ。悪路の衝撃を抑え、壊れにくく、荷重にも耐える。都市内で使用するものではなく、都市間の移動、人類生存圏外で利用するためのものだ。

 

「竜牙槍の柄に使った赤猿樹で出来た荷車だそうだ。下位の魔物の爪では傷も付かないと太鼓判を押してもらった」

「だが毒花怪鳥の爪は貫くだろ」

「だから改造だ。出来るのか」

 

 ウルも、本来は荷車を買った【神樹の木陰】で改造も頼みたかったが、「賞金首の攻撃にも耐えうる改造はウチでは専門ではなく保証できない」と拒否され、ここに来たのだ。無論、黄金鎚も荷車の改造なんてのは専門ではない。ダンガンだって知識豊富というわけでもない。ない……が、

 

「……おい、いつまでに作れば良い」

「最長10日間」

「予算は」

「金貨5枚」

「後5枚だせ」

 

 ウルは渋い顔になった。だがムリだとは言わなかった。金は、あるらしい。無論、金貨10枚は大金だ。彼が狙っている。毒花怪鳥の金貨は確か結構な額がついていたはずだが、それでも上手く倒せなければ大損も良いところだろう。

 しかもその大金を使って生み出すのは、何処の誰もやっていないような廃れた兵器ときたものだ。普通は絶対に頷かない。普通は。

 だが、ウルは大きく息を吐き出して、苦々しい顔で頷いた。

 

「……わかった。出す。だが、見合うものを作れよ」

 

 ダンガンはその言葉にニヤリと笑った。

 

「金貨10枚、俺にとっちゃ大仕事だ。そして金を出されたということは、それだけの信頼と、腕を買われたって事になる」

 

 黄金鎚の理念は金だ。金を儲けることを喜びとする。なぜなら金を出してもらうということは、それだけ腕を買われたということなのだから。金は、この世で最も信頼に足る計りだ。そしてウルは今、ダンガンに金貨10枚の金を出すと言った。

 ならば、それに全力で応えねば、黄金鎚の名が廃る。

 

「任せろ。最強の荷車をつくってやる」

 

 かくして荷車の改造計画が開始された。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐十九日目

 荷車改造計画一日目

 

 今日から荷車の改造計画に入る。時間はあまりないので可能な限り迅速に動く。

 

 大前提として、荷車を引く馬、機動力はロックである。

 シズクの死霊術を応用し、ロックの死霊騎士の姿を改造し、馬にするらしい。島喰亀の時に見た死霊馬と同じものだ。ロックの人権を(骨だが)相当無視している気がする発想だと思ったのだが、本人は、

 

 ロック:カカカ、ええぞええぞ!!面白そうじゃ!!

 

 というわけでロックは馬になった。もうちょっとカッコ良いほうがいいとかうるさかった。

 荷車はシンプル。馬が引くように出来ている荷車、四輪型で、中型サイズ。大の大人でも3人は乗り込めるだろう。こうなってくるともっと大型の馬車でも最初から買った方がいい気もするが、あまりにサイズが大きすぎると今度は迷宮の狭い路地を通れなくなる。これがギリギリのサイズだった。

 一先ずは俺達が乗り込む荷物置き場に防壁を作る。移動速度は相応に出さねばならないため、重量は抑え、風圧を抑えるため斜めに打つ。軽く、固く、強い素材を、と追求していくと価格が青天井なのである程度で妥協する。

 

 緑重金と呼ばれる金属で出来た防壁が出来た。試しに走ってみる。

 

 結果、速度を出すと重心が崩れ、馬車のバランスが崩壊する。

 

・防壁の高さを低くし重心を下げる。風の影響を可能な限り減らす

・正面を除いた不必要な箇所を軽量化。

・車輪の補強

 

 改造、その間に迷宮に突っ込み魔石を稼ぐ。忙しい。

 

 ~本日の迷宮探索成果:銀貨10枚~

 

 帰ると馬車の状態が改善されていた。防壁が低く、ちょうど屈めば身体が隠れるぐらいのサイズだった。

 

 ダンガン:走行は問題ない。それ以外の問題が出た。

 

 試しに俺、シズク、リーネで乗ってみる。

 あっつい。

 一応窓らしきものは設置してあるが、狭い密室に3人の人間が入るとあっつい。

 都市の内部でこれだ。迷宮だと蒸し風呂になって死ぬ。

 

 リーネ:暑いわ←俺もそう思う

 シズク:汗だくですねえ←服を脱ぐな

 

・通気性の確保 

  or

・装備見直し

 

 俺は問題無い。わけじゃないが以前の改修で多少は迷宮の熱には耐性がある。シズクとリーネは下手すると熱中症になりかねん。ダンガンから【氷上白札】の設置を提案された。結界ほどの効果は無いが、設置した周囲に効果を及ぼす魔法陣の簡易版、つけると確かに中は涼しい。

 

 リーネ:ちなみにこれもレイラインの魔術よ←何故か複雑そうな顔。

 

 迷宮だとどれくらい効果があるかはわからないので試してみるしかない。

 

 その日はコレにて終了。

 帰りにアカネに会いに行くついでにディズにこの発案を話したら大笑いされた。

 今に見てろクソッタレ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐二十日目

 荷車改造計画二日目

 ~本日の成果:銀貨5枚~

 

 今日は迷宮での使用状況を想定し、かなり乱暴に運転をしてみる。

 流石、と言うべきか、元々購入した荷車も都市の外、人類生存圏外域で使用する事を前提に作られたものだ。当然魔物から襲われ、逃げることを想定しているため、めちゃくちゃな速度で走っても、飛んで跳ねての乱暴な運転でも見事に衝撃を吸収する。思った以上に良い買い物だった。

 

 代わりに乗っている俺達がもみくちゃになって頭ぶつけて死にかけた。

 

 ロック:ッカー!観たかワシの華麗なるコーナリング!←うるせえ

 リーネ:痛いわ←俺もそう思う

 シズク:あらウル様、のしかかってしまってごめんなさい←はなれろ

 

 固定具がいる。そもそも俺が四方八方に動いていたら話にならない。

 

 想定では、荷車の上から適宜、外へと攻撃する必要があるため、出来れば、即座に動けるような状況が望ましい。天板から顔を出して周囲の迎撃が出来るような状態でなければならない。

 

 椅子を設置し、車高を車輪軸に対してやや下ろす。固定具(ベルト)で身体を支え、動く際はすぐ取りはずせるようにフック式にした。少なくともコレで、魔物と戦う前に天板に頭を打って死ぬなんていうマヌケを晒す事はなさそうだ。

 この際、どうしても荷車の構造そのもののバランスをある程度いじる必要が出てきたため、結局【神樹の木陰】の職人に助けを求めることになった(というかダンガンが半ば強引に引っ張り出してきた)

 職人のヤーシはダンガンが途中まで手がけた改造荷車の状態を見て卒倒しそうな顔になり、その後いかに自分の作った作品が無駄なくバランスを考えて作っているのかを説明し、その後、一切この改造をやめるつもりはない旨を説明すると、諦めた顔になって手伝ってくれるようになった。

 

 ヤーシ:目の届かない所でめちゃくちゃされるくらいなら俺が引導を渡した方がマシ。

 

 謝っといた。

 ヤーシの報酬はダンガンへの報酬から分けるとダンガンが言ってくれて安心した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐二十三日目

 荷車改造計画五日目

 

 リーネ:なんにでもなれるならロックが馬車そのものになればよくない?

 

 荷車の激しい揺れに固定具でもっても身体をぶつけ、青たんが彼方此方にできたリーネの案を聞いたとき、彼女は天才かもしれないと思った。荷車、馬車なのだから馬が牽かなければならないのだという固定観念があったが、動力と、貨物車部分をわざわざ分ける必要は無かった。

 基盤となる骨組みや車輪、補強の防壁は必須だ。だが、ロックが馬となる必要は無い。

 ロック自体が馬車となり、車輪をまわすのだ。そうすれば馬になってひいてもらうよりも衝撃はすくなくなる、必要な部品も補強すべき箇所も減る。

 

 ロック:ワシ自身が馬車に……カカカ、すんごいのワシ!←本当に良いのかお前

 

 シズクは死霊術の見直しを行う。ただ、ロックが馬車、正確にいうと荷車の車輪の動力を担う場合、馬よりも更に人体と離れすぎてしまうため、上手いことやれるかは難しいとのこと。

 

 なので、今日は迷宮には向かわず、死霊術の調整をシズクとロックに行ってもらう。

 

 リーネと自分だけでは迷宮に行くのは難しいので、彼女とは強化魔術の練習を行う。

 

【白王陣:白王降臨】

 

・通常の白王陣と違い、人体に描き込んで完成される魔法陣。

・必要時間4時間

・維持時間3分発動後の効果時間30秒

・使用後は人体の魔力が全て尽きるので、戦士職でも一時的に行動不能に陥る

 

 概要を改めて書き出すとものすごい効率の悪すぎる魔術だが、これを完成させるのが今回の作戦の要だ。身動きがとれないリーネと自分の足を代わりに用意し、移動して、そして魔術完成後速やかに怪鳥をたおすために。

 

 問題なのは、魔法陣作成の間、どれくらいまでコッチが動けるのか。

 

 リーネ:意識を【集中】で傾けているから、術完成以外なにもできないわ。私。

 

 彼女は問題外。ではその間、俺は動けるのか?と聞いたら

 

 リーネ:私が描き込んでいる部分はあまり動かないようにして。

 

 描き込む場所は背中。ほぼへばりつくようにして背中に魔法陣を描き込むことになるらしい。で、言われてもイマイチピンと来ないので試してみる。

 

 結果:暑さ対策で薄着の小人の少女に閉所で背中にくっつかれるという異様にアンモラルな状況であることを除けばまあ、術完成までに大きなトラブルは発生しなかった。

 

 ただし、課題が一つ。シズクだけで攻撃の手が足りなくなる場合、俺も攻撃に参加するため出入り口の天板から顔を出す必要があるのだが、そうすると立ち上がるため、小人のリーネの背丈が足りなくなり、俺の背中に届かなくなる。当然その間彼女は魔術を作成出来ない。

・滞りなく魔術を完成させるために、出来れば座った状態で攻撃に参加出来る方が望ましい

 

 投擲の射線を作るために窓を防壁正面に開けるか? 

 とダンガンに言われたが、相応の速度で移動する荷車の風圧をもろに真正面から受け続けるのは正直怖いし、白王陣完成の妨げにもなる。しかも魔物が飛び込んできたら死ねる。 

 

 横窓から攻撃。やれないことはない。だが、座りながらだと少し難しいかもしれない。もっとも、魔法玉とか、着弾するだけで効果がでるものを搭載していればいいだろうか。

 念のため、ダンガンに相談してみる。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐二十五日目

 荷車改造計画七日目

 ~本日の迷宮探索成果:銀貨13枚~

 

 ダンガン:いいものみつけた。

 

 そう言ってダンガンが持ってきたのは、所謂大型弓砲(バリスタ)だった。都市防衛のために使用されていたものを一つ買い取ってきたらしい。そんなもんどうする気だ。と、聞いたら

 

 ダンガン:つける。

 

 ダンガンはいい笑顔だった。絶対コイツ楽しくなってやがる。

 

 ダンガン:元々、戦車の兵器にはこういうのもあったらしいが、馬のいない自走荷車ならもっと簡単にとりつけられるだろ。

 

 なるほど正しい。でもそれなら大砲とかじゃだめなのか?

 

 ダンガン:尋常じゃなく揺れる内部に火薬玉とか突っ込んで死なないか

 

 死ぬ。やめとこう。

 そんなわけで大型弓砲を設置した。魔物の肉体を貫通する規模のものはかなり大型になるため半ば先端部が防壁の外に飛び出す。防壁を改造し、固定具兼防壁として完成した。大型弓砲の機構は金属のバネを使用したハンドルによる巻き取り式のものであり、迷宮で強化された力でなら、問題なく使用できる。

 

 ただ、そうなると矢玉の方が問題か。

 

 一応、矢の類いだけでなく、石なども発射出来るらしいが、投擲なら兎も角、荷車の中にいた状態ではとても石を拾うなんてできない。餓者髑髏の時のような氷の槍を同乗するシズクに作ってもらうのも手だが、魔術は温存したい。金で矢玉が買えるならそっちのほうが良い。

 

 試す。

 

 前だけしか撃てないと範囲が狭い。

 軸を可動式にして回せるようにして、防壁の穴を広げて、射角を拡張した。攻撃範囲が広がった。見た目が更に異常になった。ロックが喜んだ。

 

 それとこの日、迷宮探索から帰ると、ギルド長に呼び止められた。

 リーネの件、ラウターラの学生の扱いについて、都市で方針が決まったらしい。結論から言うと、一定の戦闘能力を冒険者ギルドに示し、認められた場合に限って、都市から正式な形で都市権限を保持したまま、都市外に出ることが許される、と、そういった形になるのだとか。

 

 Q.つまり? A.怪鳥を倒せればいい。

 

 大変にシンプルな話になった。ややこしいことがないように、アランサが滅茶苦茶交渉を頑張ってくれたらしい。

 ありがたいことこの上ない。今度、菓子折でも持っていこう。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 毒花怪鳥討伐二十七日目

 荷車改造計画九日目

 ~本日の迷宮探索成果:なし~

 

 

 今日は迷宮で試運転、魔物の危険性があるがやはり試走しないと分からんことが多い。

 

 結果:荷車が、沈む。

 

 荷車の重量の増加と、湿度の多い大罪迷宮内の環境の相性が最悪だ。地面に思い切り車輪が沈み、思うように進まない。車体全体の安定のため重力魔術はかけているが、出力が足りていない。

 最悪だ。とてもまずい。とてもとてもまずい。この土壇場で計画の頓挫は致命的だ。なんとしても対策を考えなければならない。

 

 胃が痛い。なんでこのことにさっさと気づかなかったのか。

 

 車輪を増やし、重量を分散させる。だが、荷車のサイズ的には追加で一輪ずつが限界か。それに多少数を増やしても、悪路に車輪が取られれば変わない。下手すると沼地に突入する可能性だってある。

 なんでも、エンヴィーに存在する機械の戦車は悪路に対応するため無数の車輪を“帯”でつなげ、回している、らしい。

 

 イメージがわかない。理屈は分かるが細かい機構がわからん。

 

 ダンガンと相談し、ついでにギルド長含めた他の職人達も口出しし始め、方針が決まった。

 車輪は六輪。重量がかさむがやむを得ない。そして車輪そのものを付け替える。【生産都市】で使用されている魔道具で使われる特殊なコウゴム製の車輪。非常に分厚く、弾力があり、耐衝撃に優れ、悪路に強い。重量が分散する。横幅が広くなったがまだ許容範囲か。

 更に購入を保留にしていた外套【緑の風翼】を車体下部に敷くことで全体の重量を軽減する。やや不安定になったが全体的に軽くなった。

 

 結果、迷宮の湿地でも沈まず、走行可能となった。

 最悪の事態は避けられた。

 良かった。

 マジで怖い。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 毒花怪鳥討伐二十九日目

 荷車改造計画十一日目

 

「出来た」

「出来たな……」

「出来たがこれは…………」

 

 ウル達の目の前には、ここ数日間全力で取り組み続けた荷車の改造、その完成品が鎮座している。それを眺め、ウルは一言漏らした。

 

「…………これは、なんだろう」

 

 発案者にして、一応生みの親ということになるウルは極めて困惑に満ちた声をあげた。ウル達が完成させたそれは、当初の荷車からはかけ離れた謎の物体となっていた。

 

 【戦車】のはずだが、馬がいない。

 馬は戦車と一つになった。何を言ってるんだコイツとウルは自分でそう思った。

 

『のうワシ、カッコ良くない?カッコ良くないかコレ!!!』

「荷車が喋るな」

 

 車輪は巨大で分厚く黒い。都市外に出る馬車でもこれほどの車輪を設置している馬車はそうそうないだろう。防壁は可能な限り風圧を避けるため低く斜に構えられ丸みを帯びている。更に前方には大型弓砲がものものしく飛びでている。

 乗り込み口は後部にある。車高を下げ拡張性をあげたので割と中が広い。此処でリーネは“作業”を行い、外部の状況を見てウルが攻撃するようになっている。

 

 彼方此方を放浪してきたウルだが、今までみたことのない物体が目の前に鎮座していた。

 

「我が子が……」

 

 となりでヤーシが顔を伏せ泣いている。感動しているのか嘆いているのか。多分後者だ。

 

「時間があればもう少し改造できたんだがな」

「これ以上金かける気か。儲けあるんだろうなダンガン」

「…………ああ!!」

 

 この上なく雑な濁し方をされた。途中からノリノリになって、明らかに過剰な装備の詰め込みや防壁の改造を行なっていたから怪しかったが、やはり足が出ていたらしい。尤も、支払ってそれで納得した以上、ウルには口出しは出来ない。内心で感謝だけはしておいた。

 

「ひとまず、準備は完了した……多分」

 

 資金もほぼほぼ限界まで使った。試行錯誤も時間の限りやり尽くした。これ以上やれることはない。後は実行するだけだ。

 

「それで、これで上手くいくの?」

「わからん」

「ええ」

 

 リーネの視線をウルは無視した。

 

『おう、ウル、ところでこれ名前なんつーんじゃ』

「……いるか?名前」

『いるじゃろ』

「いるだろ」

 

 ロックとダンガンが口をそろえた。無駄に息が合っている。正直名前なんてウルは全く興味が無かったし、極めてどうでも良いのだが、今回の功労者二人がいる、というのにそれを無視するのは憚られる。

 

「……シズク、なんかないか?」

「ウル様にお任せします」

 

 シズクはニッコリと微笑んだ。常に一歩後ろに下がりこちらをたてる態度がこのときばかりはズルく見えた。目の前でワクワクとコッチを見つめるロックとダンガンの視線にさらされながらウルは考え始めた。

 が、すぐさまバカバカしいと思い直した。ただでさえ頭を抱え悩む案件が多いのにこんなことにいちいちうなりながら悩んでどうするというのだ。適当ででいいわこんなもん。

 

「じゃ、【ロックンロール号】で」

 

 命名理由、ロックが回るから。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リーネとディズ

 

 金融ギルド、黄金不死鳥(ゴルディン・フェネクス)ラスト支部

 貴賓室、現在ディズ・フェネクスの仕事部屋にて。

 

「というわけで、資金全部注ぎ込んでなんかヘンなのが出来た」

《にーたんったらまたじんせいがけっぷちね》

 

 ウルはいつも通り、アカネに現状の報告を行い、アカネから呆れられていた。最近はいつもこんな感じである。冒険者になる前までは天真爛漫でいつも心配をかけるアカネとそれに呆れるウルという構図だったはずなのだが、今ではすっかり正反対である。

 何故かと言えば、無茶を言うのもするのも現状ウルになっているからである。悲しいことに。はやくこんな無茶無理無謀な冒険者生活辞めにしたいものだった。

 

「ねえ、いいかしら」

 

 と、そんな兄妹のいつもの会話に、今日は更にもう一人参加者がいた。リーネである。彼女はいつものどこかむすっとした表情を更に訝しげにしながら、周囲の様子を見渡していた。

 

「ここ、貴方の妹を人質に取る女の住処って聞いたんだけど」

「間違えてないぞ。そういや、こっち戻ってきたときはすれ違って顔見てなかったな。リーネは」

《あのおんなのはうすよ》

 

 紛れもなく、此処はウルの妹、アカネをあずかり、彼女の解体を目論む女の職場である。現在彼女は仕事のためか席を外しており、ここに居るのはウル、アカネ、そしてリーネだけである。

 既に顔なじみとなったギルド員に「今仕事で少し出払ってるから私の部屋で勝手にくつろいでいて」とよ」と言われたので言われたとおり、勝手に中に入った。そして、言われたとおりくつろいでいる。備え付けのソファーに寝そべりながら。慣れたものである。

 

「とてもくつろいでいるわ」

「連日の突貫工事と迷宮突入で疲れてて……」

《にーたんねむねむね?》

「疲れているのは同意見だけれども」

 

 対毒花怪鳥に向けた資金集めのために連日迷宮探索した事も勿論堪えているが、何より、戦車作りが思った以上の時間と、そして資金がかかった事によるストレスがやばかった。

 予想ではもっとシンプルで簡易な、本当に荷車の周りに防壁がついているようなイメージのブツができあがる事を想像していたんだが、あれよあれよと課題が積み重なり続ける状況は恐怖でしか無かった。

 

 というわけで、無事完成して(本当に無事なのかどうかはこの際置いておく)ウルはくつろいでいる。明日は怪鳥との戦闘予定日なので今日しかない。心身を休めるのに全力だった。

 

「よく、妹を殺そうってあいての部屋でのんびり出来るわね」

「一応友達だからな」

「……なんで?」

「いやあ、俺も本当によくわからん」

 

 本気で理解できない顔をされたので、ウルも素直に困惑する。ディズが友人であることは事実だが、何故友人関係に至ったのか、ウルにもよく分かっていない。彼女の公私をキッチリサッパリ分けた性格が、妙にウルには小気味よく感じたのは間違いなかったが。

 アカネの安全を思えば、随分と呆けた危機感だ。洗脳でもされてんじゃないのかと言われればそれまたあまり否定出来ないが、好ましく思っている相手を否定する気にもならない。

 

 そのウルの反応を察してか、リーネはまあいいわ。と、アカネをみる。

 

「彼女が貴方の戦う理由?可愛いのね」

「そうだ。アカネだ。妹だ。可愛いぞ」

《かーいでしょ!》

「そうね、使い魔の妹なんて………………いえ、ちょっと待って」

 

 リーネは少しだけ微笑み、しかしその後すぐ真顔になってアカネをジッと睨み付けた。見れば見るほど彼女の表情は険しくなり、何かの魔道具なのか術式の刻まれた眼鏡を懐から取り出し取り替え見て、そして、

 

「……この子なに?」

「妹」

《ひとのこよ》

「ヒトの、只人の妹はこんな生物じゃないわ」

 

 伊達に、魔術学園ラウターラで既に卒業単位を修めているだけのことはあるらしい。ウルは諦めてため息をついた。安易におおっぴらにすべき話ではないが、一行に彼女が加わっている以上、遅かれ早かれだ。

 

「精霊憑きなんだ。俺の妹は」

 

 アカネは妖精のような姿からぐにょんぐにょんと形を変え、幼い少女のような姿に変わった。

 

「………………初めて、見たわ」

 

 長い沈黙の末、ひくついた声でそう言うリーネの表情は、恐らくウルと出会って以来一度も見せたことの無いような驚愕に満ちた表情になっていた。彼女は震えそうなほど緊張した指先で、そっとアカネの頬にふれた。アカネはこそばゆそうに目を細める。

 

「……【いと尊き上なる者よ】」

 

 そして、はっとなったようにリーネは素早く指を切り、祈りを捧げる。神殿にて神官と都市民達が精霊達に捧げる祈りの言葉だった。捧げられた祈りは“光”となり、アカネへと向かっていった……が、

 

《むに?》

 

 ぱちん、と、彼女の前で弾けた。

 

「……祈りを捧げられない?」

 

 通常、精霊達への心からの祈りは、それそのものが力となり、精霊達自身へと捧げられる。彼ら、もしくは彼女らに捧げられる力であり、源泉だ。ヒトビトはそれらを捧げ、代わりに精霊達と太陽神から恩恵を授かるのだ。が、何故かそれがアカネにはできない。

 

「ヒトと混じっているから、らしい。通常の精霊と違って、祈りを直接力に換えられない」

 

 彼女は水分を好んで口にする。ヒトと精霊の中間にある彼女の体力の補給の仕方がそれである。

 

「……お力になれず、申し訳ありません」

《ん-?よきにはからえ?》

「アカネ、多分それ違う」

 

 アカネは楽しそうに笑うとそのまま頭を下げるリーネの頭に肩車をし始めた。小人のリーネに更に小さなアカネが乗る姿はさながら小人の親子のようであったが、流石にウルも止めようと声をかける、が、その前に。

 

「失礼します」

 

 と、そのままの状態でリーネは、とてとてと部屋の中を周回し始めた。アカネはキャッキャと楽しそうだ。

 

「……なんというか、慣れてるな?」

「神殿では、時折気まぐれに降臨された精霊への応対は必須だから」

 

 精霊達は曖昧で、不確かで、気まぐれな者も多い。半ば幼子を相手にするような時もある。それでも精霊達は上位の存在であり、怒りを買えば何が起こるかわからず、力を授かれば大きな恩恵を得る。適切な応対は必須だった。

 

「なるほど、流石官位持ち」

「神官ではないけどね。神官のおばあちゃんの手伝いで慣れたわ」

 

 一通りの室内ランニングを終え、アカネが満足するとそっと彼女を降ろし、リーネは改めて、アカネの様子を興味深げに観察する。

 

「……精霊憑き、本当に存在したのね……」

「やっぱり、そんなにも珍しいのか」

「珍しいなんてものじゃない。ラウターラでも精霊憑きを目撃した人多分いないわよ」

「神殿の神官でも?」

「神官でもよ。神官長(シンラ)だって見たことすら無いはずよ」

 

 どこか暢気なウルの物言いに彼女は少し怒るように肯定する。実際ウルにはアカネの価値が分かっていないのだから、理解あるヒトからすればその無知さは苛立つだろう。価値などしらずとも彼女は唯一無二の存在だ、なんていうのろけは、言わないほうがいいだろう。

 

「どうやって、この方は……」

「冒険者気取りの身内が偶然、たまたま、精霊の卵を見つけて妹と混ざった」

「偶然って」

「実際偶然なんだよ。困ったことに。“不幸にも幸運なことに”」

 

 どれだけ珍しかろうと、精霊憑きの実在が確認されている以上、それは存在しない妄想の産物ではない。で、あれば、いつか、どこかで、必ず発生する。それがたまたまウルの妹に発生した、と、本当にそれだけの話である。まるで賭事で奇跡の大穴が直撃したかのように。ただの偶然、不幸な幸運、ウルにも、妹にも、勿論卵をみつけた父にも、運命をたぐり寄せる必然性は無かったのだから。

 

「妹が精霊憑きでなきゃ、借金の担保になんてならずにすんで、オヤジも無駄金を使わず、おっちんで、結果、こんなことにならずにもすんだというのに……ついてない」

 

 妹が上位存在になった事で、得したことが何一つないというのが皮肉だ。冒険者として、彼女の存在を活用したことはあったが、そもそもアカネが精霊憑きになることが無ければ冒険者として活躍する必要も無かったのだから。

 と、いうウルの嘆きに、リーネはなるほど、と、頷いた。

 

「彼女の存在が貴方の戦う理由」

「まあそうなる。結局は、俺が俺の望むようにするのが目的なんだが」

 

 リーネが此処に来たのは、ウルの目的を知りたいと彼女が言ってきたからだ。ウルが彼女の目的を知りたがったように、彼女もまたウルの目的を知りたかったのだ。相互理解は大事だとウルも同意し、アカネの下に案内した。

 

「不満はあるか?」

「いいえ、少なくとも私よりはマトモだわ」

「過去の偉人の名誉を取り戻すのも、真っ当だとはおもうがな」

 

 ウルがそう言うと、リーネは少し不思議そうな顔をした。

 

「目的に必要なだけで、名誉に興味はないようなのに、私の在り方は肯定するのね」

「俺と、リーネの価値観はそれぞれ違うだろう」

 

 名誉や誇りに命を懸ける、という価値観は正直に言えばウルは理解できないが、そういったあり方そのものはウルは認めているし、否定はしない。

 彼方此方の都市を放浪しながらいろんなヒトを見てきた。己の信仰する精霊の布教に命を賭す獣人の老婆、騎士団として、自身が守護する都市に果てなく愛情を注ぐ小人の騎士団長。都市から離れ、ひたすら理想の鉱物から理想の武器を生み出そうとする鉱人の男。

 彼らの価値観にウルは共感はできない事もあるが、否定はしない。旅の経験から、彼は不理解に対しては寛容だった。少なくとも、自分と妹に害をなさない価値観に対しては。

 

「そんなわけで、妹に害をなさない限り、存分にレイラインの名を轟かせてくれ」

「貴方も、レイラインの名を汚さない限り、存分に妹を助けるために動いて構わないわ」

 

 相互理解は成立したらしい。

 互い、目的は合致している。レイラインの名を轟かす。そのために必要なのは名声だろう。そしてそれは残念ながらラストという土地では制限がある。で、あれば必然的に、冒険者としての活躍が必要になる。名をあげ、金を稼ぎ、冒険者として出世せねばならないウルの目的と道は交わる。

 彼女にも様々な問題がつきまとうが、それらは棚に置いてでも、ウルのむちゃくちゃな道行きを同じくしてくれる仲間に加わってくれたのは、幸運だと言える。

 

「それで……シズクはどうなの?」

「それは本人から確認してくれ。俺から言うことではない」

 

 彼女の目的はあの日あの小さな神殿で話を聞いたが、あまりおおっぴらにすべき話ではないだろう。彼女の口から説明があるならば兎も角、許可も無くウルが口に出す気はない。

 ウルの言うことにはもっともだ、と彼女は頷いた。が、

 

「あの子……なんというか、ヘンなの」

『しずくはやさしいわよ?』

「そうですね……でも、ヘンよ……」

 

 ヘン、という彼女の言葉に、ウルは頷く。

 

「おっしゃるとおり、あの女は本当にヘンだ」

「……それでいいの?」

「良くない。安心するな。心配しろ。何かしでかそうとしたらすぐに言ってくれ」

「……要、警戒しておくわ」

 

 彼女は仲間であり、友人である。が、それはそうとして油断ならない女である。

 

「じゃあ、ロックは?」

「アホだ」

「そう……」

 

 ウルからすれば、表裏が全くないだけ、シズクよりはマシではあった。既にヒトとしての一生を全うし、第二の人生をエンジョイする事を決めたこの男は実にわかりやすい。自分が馬車になることを喜ぶ事に関しては全く分からなかったが。

 

「…………大丈夫かしら、この一行」

「大丈夫じゃないぞ、白王陣オタク」

「馬鹿にしたら殺すから」

「はい」

 

 あまり大丈夫じゃないらしい。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後、リーネにじゃれつくアカネにたいして、リーネは真面目に対応を続けた。現在彼女は真面目な表情でアカネの頬をむにむにと触ってさしあげている。

 

「それにしても精霊憑き……精霊が、肉体を得るなんてね……」

《むにむにんふふ》

 

 アカネはこそばゆそうに笑う。そうする姿は可愛らしい幼女そのものだ。

 

「神殿では精霊憑きに対する認識ってどうなってるか分かるか?」

 

 ウルは基本、アカネを神殿に連れていくことはなかった。元々都市民権のない、“名無し”のウルには神殿に立ち入るにも相応の許可と検査が必要であったのもあるし、何よりアカネの存在がどのように扱われるか、全く分からなかったからだ。

 問われると彼女はリーネは少し考えて、

 

「精霊、この世の摂理の化身、その在り方に我々が口出しすること自体、無礼」

「なるほど」

「……と、私は考えている」

「……なるほど」

 

 必ずしも、そういう考えのヒトばかりではないらしい。

 

「精霊に対する信仰が強いヒトは多い。彼女が過剰に崇められたり、あるいは逆に存在そのものを否定しようとしてくる可能性もある」

「やっぱり近づかない方が無難か」

「神官は都市内部において特権階級。“名無し”の貴方から、保護の名目で精霊を取り上げる可能性はある……精霊憑きであると判別できれば、だけど」

 

 何せ、大陸一の魔術学園ラウターラの学生ですら、アカネの正体は間近で、それもウルからの説明があってようやく気がつくほどである。存在すること自体は確かだが、そうそうお目にかかれない精霊憑きを見抜けるヒトはそう、多くはない。

 学園でメダルがそうだと思い込んだように、使い魔の類いと勘違いする事が殆どだろう。

 

「不用意に近づきさえしなければ、気がつかれることは無いと思うけれど」

「既にめざとく気づかれて、金の担保にされたとなっちゃ後の祭りだが」

《かなしーな》

 

 神殿の警戒をしようがしまいが、既にアカネは研究のために分解しようという輩にとらわれている。これなら神殿にとっつかまったほうがマシだったのかもしれない。

 

「そこが気になってたけれど、どうやって金貸しギルドがアカネの正体を見抜いたの?」

《めききのおっさんがおったの》

 

 リーネの問いに、アカネが答える。ウルはあの最初の魔石鉱山を思い出した。

 

《おとんがかねにこまって、わたしのことぺらぺらしゃべってなー、めーつけられてん》

 

 いくら彼女が希少で、ヒトには気づかれにくい存在であったとしても、身内の口からバラしてしまっては全く意味が無い。

 

「ザザは金目の匂いを嗅ぎつけるのは超一流だったからねー」

 

 と、そこに部屋の主であり、話の的となっていた人物が帰還した。ディズはまた今日もどこかで”仕事”をしてきたのか、外套を身に纏い、少しだけ疲れた表情でソファーに腰をかけた。

 よう、とウルが彼女に声をかけようとした、が、それよりも先にリーネがたちあがった。

 

「ま、さか……【勇者】!!」

 

 ディズの正式な名はディズ・グラン・フェネクス。彼女もまた神殿の官位をもった特権階級の人間である。で、あればもしかしたら面識はあるかもしれない。などとウルはおもっていたのだが、彼女の反応は予想よりも遙かに大きかった。

 ディズの前に出ると、そのまま、アカネと向き合うときと同じように頭を垂れた。

 

「やあ、レイライン。久しいね」

「お久しぶりでございます。【勇者】、お会いできて光栄でございます」

 

 その声色には心からの敬意が混じっていた。

 

「ごらん、ウル。これが七天に対する正しい敬い方だよ」

「別にやっても良いけど友達じゃなくなるぞ」

「やだ」

「やだかあ…」

 

 やだなら仕方なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リーネとディズ②

 

 挨拶の後、ディズはリーネの顔を上げさせ、そして再び談笑へと移った。ディズは自身の仕事場でいつも通りリラックスした様子でいるが、リーネの方は未だ緊張した様子でいた。

 

「まさか、貴方にお会い出来るとは思いませんでした。こんな所で」

「お仕事でねーというか、そんな畏まる必要ないよ?」

「いえそんなわけには……」

 

 ディズに対するリーネは深く敬意を払っていた。最初は神官の官位の問題なのかとも思ったが、どうにもそうではないらしい。

 

「二人が知り合いとは……って、おかしくはないのか。同じ神官なんだから」

「私は不良神官だけどね。あんま神殿顔出せなくて」

 

 まあだろうな、とはウルも思った。金貸しギルドに顔を出し、七天としてあちこちでなにやら精力的に仕事を行い、しかもその上更に神官の仕事までこなすのはいくらなんでも無理だ。いかに睡眠時間を効率的に取ろうが限度がある。

 するとリーネはどこで彼女を見たのだろう。と顔を向けると、ウルの顔から読み取ったのか彼女も首を横に振る。

 

「そもそも私は彼女を神殿で見たことは無いわ」

「じゃあどこで?」

「【大罪都市プラウディア】の【太陽祭】で」

 

 ああ、とウルはその行事のことを思い出した。

 年に一度、夏季の中頃行われる祭り。大罪都市プラウディア、イスラリア大陸の国家を繋げる【大連盟】の盟主国、太陽神を戴く大神殿によって行われる太陽神(ゼウラディア)に盛大な祈りを捧げる日だ。

 プラウディアに限らず、全ての都市でも同様に太陽神への祈りと、祝いの祭りを行うが、中でもプラウディアは最も華やかに、盛大に行われる。プラウディアの神官長、即ち精霊神殿の長、【賢者王】アルノルド・シンラ・プロメテウスの名の下に、世界の守護者たる七天が集い、祝福する。

 

 ウルもプラウディアにて、その祭りをたまたま見かけたことがある。名無しのウルでは大神殿に近づくことも叶わず、遠くも遠くから眺めるくいらいだったが。(それ故にディズの正体にも気づかなかった)

 

「神官の祖母に連れられて、そのとき」

「先代レイラインと一緒に連れられた君を覚えているよ。可愛い子だった。ま、私も子供だったけどね」

「わざわざ祭りを見にプラウディアまで?」

 

 大罪都市ラストとプラウディアの間の距離はそれほど遠くはないが、それでも向かう隣れば必然的に人類生存圏外を移動する必要がある。移動要塞を利用したとしても長旅だ。

 だから普通、太陽祭は自分の国で祝うものだ。いくら盟主国とはいえプラウディアまで移動して祝うのはよほど信心深いか、何か理由が無ければならない。

 

「正確に言えば、祭りではなく七天を、もっと言うと【勇者】を見に行ったの」

「……この女を?」

《……でぃずを-?》

「二人とも、友人の顔を指差すのやめないか。泣くよ」

 

 ――今の七天の中で、【勇者】は“本物”だ。よおくみるんだよ

 

 祖母の言葉の通り、華やかな祭りの中、祭りの景観にも出店にも目も向けず、賢者王の前に立つ勇者の顔をジッと見つめた。年齢だけなら自分と変わらないような幼い少女に過ぎないように見えた。

 だが、その祖母の言葉は正しかった。大罪迷宮ラストで発生した迷宮氾濫、結界の“乱れ”によって魔物が氾濫した大事件。名だたる魔術師達も対応が困難となる災害の時、一人、魔物達の討伐を行ったのが【勇者】だった。

 

「あの時紛れもなく貴方が本物だと確信した」

「“ばあちゃん”との話し合いで、たまたま近くに居ただけだけどね」

 

 ウルはギルド長、アランサの言葉を思い出していた。えらく渋い顔をしていたが、頭が上がらない、と彼女が言うほどに、ディズは“仕事”をしていたらしい。

 

「私は、貴方のようになりたい。どうすれば」

「――どうかその辺で。ディズ様も仕事を終えて疲れておりますから」

 

 と、そこに、いつの間にか、ウル達ではない別人の声が割り込んできた。女性にしては少し低く、男性にしては高い声。振り向くと、そこには綺麗な使用人(メイド)の女がいた。真っ白な髪が黒を基準とした衣服と対照的だった。顔も美しい。透き通るような青色の瞳が目を引きつける。

 どう見ても目立つ容姿をしていた彼女は、しかし何故か、存在感がなかった。全てが整っているが故に、特徴が一切無い女がそこにはいた。

 彼女は興奮していたリーネの前にことりと茶を煎れたカップを並べていく。リーネもまた彼女に驚き、しかし指摘されたとおり呼吸を整えて、椅子に座り直した。

 

「ああ、ジェナ。やっと合流できたね」

「ディズ様。お待たせして大変申し訳ありません。ただいま参りました」

 

 ジェナ、と呼ばれたメイドは恭しくディズに頭を下げる。どのような関係か、と思っていると、ディズは察したのか笑った。

 

「元々、私の身の回りの世話をしてくれる使用人なんだけど、グリードに言ってる間、細かい仕事の代行を頼んでたんだ。ようやく帰ってきてくれた」

「ジェナと申します」

 

 そう言って、まさしく使用人の鑑のように優雅で丁寧な仕草で一礼を送った。ウルは挨拶を返し頭を下げる。そして顔を上げると、ジェナの顔が目の前に現れた。やたら近い。

 

「……なんだろうか」

「お噂はかねがね聞いております。ウル様」

「噂」

 

 冒険者としての噂だろうか、とも思ったが、そんな雰囲気ではないらしい。彼女の整った顔はぴくりとも動かない。まるで人形のようだった。

 

「どうやら、ディズ様に気に入られたとか」

 

 ウルはディズを見る。彼女はニコニコした。

 

「不本意なことにそうらしい」

 

 すると彼女は、やはり表情を一切変えぬまま、首をふるふると横に振った。

 

「可哀想に」

「ありがとう」

 

 よく分かってるなこの女性、とウルは思った。

 

「羨ましい」

「変わった趣味だな」

 

 よくわかんねえなこの女性、とウルは思った。

 

「憎らしい」

「すみません」

 

 頭大丈夫かなこの女、とウルは思った。

 本気なのか冗談の類いなのかも全くうかがい知ることが出来ない。ディズをチラ見するがいつものことであるらしい。全く気にすることなく、のんびりとジェナの煎れたお茶を口にしていた。

 ジェナは、その瞳でウルをまるで虫か何かを観察するようにじぃっと見つめ、そして暫くした後、頷いた。

 

「ですが、ディズ様が貴方のことを好ましく思うのなら、私もそうしましょう」

「そうしましょうとは」

「よろしくお願いしますね。ご友人」

「何言ってんだこの女」

 

 とうとう口から突っ込みが飛び出した。

 

「私はディズ様の影ですので、ディズ様の願うまま、思うままに動くので」

「死ねと言われれば死ぬと」

「ええ、無論。影ですので」

 

 軽口のつもりが真顔で返された。この女怖い。

 

「影ですので、私のことは居ないことと思ってくださいませ」

「そう言われても――」

 

 と、口にするかしまいかした途端、彼女が“消えた”。

 

「……え?」

《すごーい!》

 

 と、リーネとアカネが声をだすくらいに、文字通り彼女の姿がかき消えた。目と鼻の先にいたウルはなおのこと驚愕した。瞬きすらしない間に、彼女の姿が小さな炎が風で吹かれて消えるようにしてかき消えたのだ。

 そして目の前にはお茶菓子がならび、良い香りのしたお茶が鼻をくすぐった。花瓶には花が添えられている。いつの間にか。

 

「……ひょっとしておちょくられてるのか」

「おや、よく気づいたね」

 

 ディズは焼き菓子を口にしながら意外そうな顔でウルを見ている。

 

「ジェナはヒトのことおちょくるのが趣味なんだ」

「お前のメイドどうなってんだ」

「まあ、邪魔になることはないから適当にあいてしてあげて」

「ウル、私の身体が宙に浮いているのだけれど」

 

 何故か魔術も使わず肉体の浮遊を開始したリーネと、それをみて楽しそうにキャッキャと笑うアカネを後ろに、ウルは頭が痛くなっていた。

 

「そういえばウル、見たよ。君の作った戦車」

「さいで、感想は?」

「笑えた」

「ヒトの命運が懸かった代物をコメディ扱いするのやめろ」

 

 実際あれはウルの今後の命運を左右すると言っても過言ではない代物だ。性能がどうとか、今後の戦術がどうとか以前に、アレには金がかかっている。単純な話で、あれが無残に失敗すれば資金が尽きる。

 ディズの護衛で報酬が得られている以上、再起不能になることはないが、それでもそこから立ち直るのに相当な時間を必要とするだろう。成功しないとまずい。

 

「流石に試作一回目はもーすこし及び腰になってもバチは当たらなかったよ?」

「俺だってそのつもりだったよ」

 

 そもそもウルの最初の想定では、あの戦車はもっともっとシンプルな作りの物になるはずだった。荷車の前後左右に防壁を立て、周囲の攻撃を防ぎ、いざというときに逃げられるようにする。ただそれだけのためのもの。

 最初ダンガンに金貨10枚を要求されたときは驚きもしたが、流石に全部を使い切るようなことは無いだろうと、高をくくったところがあった。

 

「まさか使い切るどころか、不足するとは」

 

 防壁の耐風のための形状加工やら、荷車の改造補強追加部品等々を繰り返しの結果である最早ウルの最初の脳内設計など原型がない。職人達の暴走に歯止めをきかせることが出来なかった責任はあるが、文句の一つくらいは言いたい。

 

「ダンガンの奴ニッコニコで次々手を出しおって……アイツ絶対儲け無いだろ…」

「結果として過不足無く、理には適ってるけどね。短い期間でよくやったと思うよ」

 

 迷宮の内部に侵入探索可能なレベルに小型で、悪路に強い。基本構造はシンプルなので修理も利きやすい。そしてロックという変幻自在の死霊騎士が動力と補強を担いカバーする。エネルギーとして必要な魔力も、死霊騎士である彼なら魔石から容易く摂取可能で、しかもその魔石は迷宮のいたるところから出現する魔物から採れる。

 考えられる対策はしてきた。当然、理には適っていなくては困るのだ。しかし、それでも、散々皆で考えて作り上げた戦車を見ても尚、ウルの心は不安でいっぱいだった。

 

「……ディズ、いけると思うか。アレ」

 

 問われると、ディズは笑った。最近はあまり見なかった、意地の悪い笑顔だった。

 

「私が『無理だ』って言って、意味ある?」

「…………ない」

 

 ない。本当にない。

 何せもう既に金は費やしたのだ。大金は溶けて消え、代わりに誰も見たことの無い奇っ怪な“戦車”が誕生した。その戦車と、背後でアカネとメイドに遊ばれてるリーネに、ウルは既に自分の人生をベットしている。降りることは出来ない。

 

「不安なのはわかるけどね。意味の無い慰めはしないよ」

「じゃあ意味のある慰めをしてくれ……」

 

 今のウルの不安は正直なところ、尋常ではなかった。

 何せ先駆者がいない。前例が無い。元より賞金首狙いというウル達の方針が少数派なのだ。そこに加えて、戦闘には致命的に不向きとされるレイラインを起用し、彼女を使うため、そこに加えて全く誰もやったことが無いことをやろうとしている。ウル自身が第一人者になろうとしているのだ。

 新規開拓といえば聞こえが良いが、往々にしてこういう事は誰もが思いつき、やるべきでないと判断したから手つかずになっているものだ。それに手を出して、しかも人生を懸ける。ストレスは尋常じゃない。

 明日に備え食事も取ったが、二,三度もどしそうになって強引に胃袋に落とす作業を繰り返していた。正直味もよく分からない。精神的な負荷がかなりつらい。

 

 ディズに問うたのは、彼女が自分より遙かに“上”の実力者であるが故に、彼女から太鼓判をもらって少しでも気を楽にしたいという、逃げに他ならなかった。

 

「誰か大丈夫だって言ってくれ……」

「元凶(わたし)に縋るとかだーいぶ参ってるね。しょーがないなあ」

 

 と、ディズはウルに近づくと、頭をかかえるようにうなだれるウルの頭を両腕で抱きしめる。すこしだけ肩の力が抜けたウルの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「大丈夫大丈夫、ホネは拾ってあげるから安心して」

「慰めてんのか突き放してんのかどっちだ」

「慰めてるつもりだけど、やめとく?」

「……いやもう少しそうしてくれ」

 

 言われ、素直に続行するディズの抱擁を、ウルは力なく享受した。

 そうして、胃の痛みは少しだけ、和らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……というか、こういうのはシズクに頼めばやってくれない?あの子」

「あの女にこんな隙見せたら」

「見せたら?」

「喰われる」

「君仲間のことなんだと思ってるの?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヒトを救うためのたった一つの邪悪なやり方

 魔術学園ラウターラ

 男子寮六階、ラウターラ上級学生階の一室にて

 

「楽しい時間、ありがとうございますトーマス様」

 

 客として招かれたシズクはたおやかに微笑みながら一礼する。彼女の背後には魔術の学び舎には少々ふさわしくない、甲冑を着た鎧の騎士が静かにたたずんでいた。彼女の使い魔であるらしい。

 異様な風体であるが、既に見慣れたものだった。

 

「いや、こちらこそだ。わざわわざ足を運んでくれてありがとう」

 

 トーマス・グラン・ダンラントは、彼女に優しく笑みを返した。背後では彼の付き人達が茶会の片付けに勤しんでいた。先程まで、二人で楽しくお茶会をしていた。学んだ授業の事や、新しい魔術の開発について。あるいはそれとは関係ない生徒間にあったくだらない笑い話等々、本当にただただ雑談を楽しんだ後だ。

 

「叶うならもっとお話をしたかったのですが、期限が迫っているのがとても残念です」

「学生を続けるつもりはないんだね。君ならば特別入学試験も容易いだろうに」

 

 本来、冒険者の特別入学の一月で実力を示し、正式に入学を認めさせるのは難しい。冒険者としてたたき上げて魔術を学んだ者達には、学ぼうにも下地が無いことが殆どだ。多くの者はその隔たりにぶつかり、挫折するか、勉強を学び直して再挑戦をする。

 しかしシズクはこの学園において非凡さを示した。知識は足りない。だが、魔術の飲み込み方は天性だった。魔術は技術であり、誰しもが学び鍛えれば獲得に至る。だがその獲得の速度には、やはり向き不向き、才能による差が生まれる。彼女はそれが圧倒的だ。

 

 学んだ魔術は速やかに咀嚼吸収する。属性による得手不得手も存在しない。

 しかも学んだ術式、形態を己の独自魔術構築に変換する異常さ。

 術の短縮、効率化、新魔術の構築。

 

 全ての講師が彼女の能力に太鼓判を押す。シズクが望めば間違いなく学生としての入学を認められるだろう。だが、シズクは首を横に振る。

 

「もうしわけありません。私にはやらねばならないことがあるのです」

「そうか……とても残念だよ。君との会話は楽しかった」

「またいつか――」

 

 そう言って、シズクはそっとトーマスの身体に寄り添った。ふわりとトーマスの鼻を柔らかな髪がくすぐる。トーマスは僅かに目を細めつつ、シズクの身体を受け止めた。

 

「またいつか、お話ししてくださいますか?」

「……ああ、もちろんだとも。君なら大歓迎さ」

 

 そう言うと、シズクは顔をほころばせ満面の笑みを浮かべた。そしてもう一度頭を下げると、彼女は背後の騎士を伴い部屋を後にした。

 

「……………………ふう」

「お疲れ様です。トーマス様」

 

 彼女を最後まで見送った後、小さくため息をつくトーマスの背後で付き人がそっと声をかけた。トーマスは彼女、メイド長の顔を見ると少し顔を緩める。緊張が解けたような、安心したような表情だった。

 

「大丈夫ですか」

「ん、ああ……そうだな。少し危なかった……お茶を入れてくれるか?」

「用意しています」

 

 彼は自室に戻ると、既に用意してあったカップの琥珀色の茶を口にする。温もりが胃の中に落ちていく感覚にトーマスはリラックスするようにため息をついた。

 

「彼女、どうでしたか」

「素敵な女性だよ。何よりも“欲しい人材”だった……が、」

 

 神殿の官位を持つ家の長男であるトーマスにとって、この学園での生活は今後の神官としての人材を勧誘する時間でもあった。神官の仕事とは信仰と都市の管理であり、ヒトの世の“保護”である。

 官位が上がるほどに保護の役割と範囲は広がる。

 最も位の低い“ヌウ”ならば小神殿の管理等と小範囲だが、“グラン”を超えると広大だ。都市の管理区域も広がり、権利も増すが義務も増える。たった一人の裁量では到底処理しきれない。

 故に優秀な人材を常に欲している。いずれ学生を卒業して本格的に父の仕事を引き継ぐとき、手伝ってくれる優秀な人材は幾らいても足りないのだ。

 その点、シズクは非常に魅力的だった。魔術師としての能力は未熟ながら非凡さを示し、しかも容姿に優れている。会話能力も淀みなく、性別も種別も問わず、誰からも好感をもたれやすい。しかも冒険者の指輪まで所持している。なにより、元は名無しであるが故に下手なしがらみが一切無い。

 この上なく素晴らしい人材といえるだろう。

 だが、

 

()()()()()()()()()()

「同意見です」

 

 主人とメイド長は同じ答えをだしていた。その言葉を聞き、同じくトーマスに仕えるメイドの一人、最近彼に仕え始めたばかりの新人の獣人メイドが意外そうな顔をした。

 

「え、え、なんでです?あんな、いい人そうだったのに」

「ロクに話もしていない貴方からそんな風に思われる事がそのまま答えよ」

 

 ぴしゃりとメイド長が部下をいさめた。トーマスはため息を吐いた。

 

「彼女は、“魔性”だ」

 

 魔術を手繰るでもなく、言葉を交わし、微笑むだけでヒトを惹きつけ、虜にしてしまう魔性。一度虜にされてしまえば、身も心も魂さえも捧げてしまうであろう毒華。彼女はその類いだ。

 しかも、それを自覚している。彼女は自分がいかに魅力的で美しいか理解して、それを武器としている。それは優秀な人材として扱うにはあまりにも危険がすぎる。

 

「制御可能な手綱があればいいんだが……私には無い」

 

 彼女は“名無し”だ。神官(グラン)の権力を活用すれば彼女に都市民の権利を与える事も叶うが、それを餌にしようとしても、彼女はそこに興味はない。彼女が望むのは冒険者としての進展、そしてなにより自身の戦闘力の強化だった。しかも、少し強くなれば良いだとか、そんな次元の話ではない。冒険者ギルドの金級を目指すというのだから相当だろう。

 無論、その支援は出来る。無理の無い範囲の魔装具の贈り物を彼女はとても喜んでいた。効果はあるのだろう。多少は。だが、金色になるレベルの支援、ともなると話が違う。単純に言ってしまえば底抜けだ。キリがないし、そこまで貢いでも届かない。

 

 金や、地位、権力では決して届かない。そういう所なのだ。冒険者ギルドの金級は。

 

 つまり、彼女の望みを叶えるだけの甲斐性が、トーマスにはない。大罪都市の神官長ですらないだろう。つまり、誰にも無い。

 

「満たされない底なしの井戸に金を注ぎ続ける趣味は私にはないよ」

 

 せいぜい距離を置きつつ、無理の無い範囲で支援し、スポンサーもどきになってつながりを保つくらいだろう。必要以上の接近も支援も危険だ。此方の警戒と距離感を、シズクも理解したのか、彼女の此方への接触も適度で過剰ではない。その恐るべき魔性を此方に向けることも、そんなには、ない。

 

「それをしている男がいるようですが」

「ああ……彼か」

 

 そう言われて、思い当たる人物は一人だ。

 メダル。トーマスより高い官位の家に生まれながら、その地位にかまけて堕落している男。彼のことはよく知っている。何せ、地位が自分より下なのに優秀と多くの人間から認められているトーマスのことが気にくわないのか、しょっちゅうつっかかってきているからだ。

 そんな彼が、シズクに今はお熱であるらしい。女性への見境のなさは有名で、それ自体は驚かない。が、なんとまあ、よりにもよって彼女とは、というのがトーマスの感想だ。

 

「随分と仲が良いようですよ」

「なるほど、彼女が取られると困ることになるかもしれない。注意しよう」

「ありえますか?」

「精霊の気紛れはいつだって起こりうるものさ」

 

 メイド長の指摘に、トーマスは至極真面目に答えた。どんなことだって起こりうるのが、この世界、神の庭にして精霊の遊び場だ。どのような事態であれ、起こるかもしれないという心構えは、精霊に仕える神官には必須のもの。故に彼女への答えに嘘偽りは無い。

                   

 何事だって絶対に起こらないと否定することは出来ない。

 

 それがどのような奇跡であったとしても。

 

「そもそも私は他人の在りようをどうこうと指摘できるような身分じゃないさ」

「失礼しました」 

「お茶を飲んだら、明日の準備だ。不可侵域開拓用の結界術の新魔術発表。爺様がたへの説明は長引きそうだ。資料を用意しておいてくれ」

「承知いたしました。トーマス様」

 

 メイド長のいつも通りの小気味よい返事に満足し、トーマスはお茶の香りを楽しみ口にする。一杯を飲み終わる頃には、メダルの事など彼の思考からは消えてなくなっていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……どこだ……どこへ行った。あの女ぁあ!!」

 

 がしゃんと、なにかが割れる音が響く。

 

 メダルの機嫌は最悪だった。理由は何故か?

 

 側にシズクがいないからである。

 

 今や彼女が側に居ない。彼女が自分のものになっていない。それだけでメダルの機嫌は最悪になっていた。彼女の存在が側に居るだけでメダルの心は浮かれ、離れればそれであけで苛立つ。誰かに当たりちらし、耐えられなくなる。それは最早、依存と言って差し支えなかった。

 

 いつからこうなったのか。メダル自身にもよく分かってはいなかった。

 

 最初は見目麗しい彼女を装飾のように扱うだけで悦に入(い)られた。それは他の女生徒の扱いとも変わりは無かったはずだった。新しく手に入った景品。それがメダルにとってのシズクだった。

 それが気がつけば、変わっていた。

 その横顔に目を奪われ、透き通るような声に耳がくすぐられ、触れる肌に産毛が総立ち、花の香りが鼻孔を通して脳を揺らし、指先に触れられれば喜びにもだえて震えた。

 

 おかしかった、明らかにおかしくなっていた。だがそれに彼は気づかなかった。あるいは気づいていても、それを無視した。普段の生活がシズクが中心になっても、自分の言動が全てシズクによって制御されていても、いつの間にか自分の周りに彼女以外の女がいなくなっていても、それらの異常を彼は無視した。

 彼女の存在以外は些事だった。些事になっていった。

 

「ああ、メダル様、大丈夫でございますか」

 

 そして今日も彼女はやってくる。自分を狂わせに。

 

「貴様!!」

 

 メダルが手元にあったカップをシズクへと投げつける。シズクの顔にめがけて投げつけられたそれは、彼女の背後にいる鎧の騎士に呆気なく受け止められる。彼女はメダルの暴挙に対して特に驚いた様子も見せない。

 

「誰の!誰の許可で!!貴様!!!」

「落ち着いてくださいませ。メダル様」

 

 彼女は微笑む。優しく、どこまでも美しい。それだけでメダルの気勢は削がれてしまう。彼の精神状態は既にシズクの手中にあった。感情が沸点に到達したとしても、それは全て手の平から零れないようにコントロールされていた。

 だが、今日が話が違った。

 

「メダル様。私は明日賞金首を討ちに向かいます。その成否にかかわらず、その後はこの都市を出ていくことになるでしょう」

「なっ――――」

 

 一瞬、メダルの息が詰まる。言葉を失ってしまったかのように沈黙し、そしてその数瞬後、爆発する。失せていた血の気が増し、真っ赤になって、そしてわめき散らした。あまりに興奮していたためか、何を言っているのか最初は全く分からなかった。

 

「ふざけ!ふざけるな!なんの許しがあって!勝手に!貴様!!!」

 

 徐々に舌がまわるようになり、言葉の意味はわかるようになってきたが、しかしその表情はますます歪に引きつっていく。そして、ほんの僅か躊躇い、しかし次の瞬間、魔術師の杖を抜き出した。

 

「僕の言うことを聞け!!!」

 

 シズクの表情は変わらない。笑みのまま。そして代わりに背後の騎士が前に出た。

 

『限度があらあな、小僧。剣を相手に突きつけている自覚はあるのか』

「お前の事はもう知っているぞ!所詮は死霊兵だろう!!貴様なん――」

 

 そのまま何かを口にしようとしたのだろう。が、続きが言葉になることはなかった。ロックの腰から下げた刃が閃き、メダルが突きつけた杖を瞬く間に両断したからだ。それをメダルが認識したのは、胴から真っ二つになった杖の片割れがむなしく地面に落下してからだった。

 

「――――あれ?」

『主よ。杖を失えば魔術師は役立たずかの?』

 

 役立たずになった杖の柄をむなしく握りしめるメダルを尻目に、ロック端ずくに確認する。問われたシズクはふむ、と、一度思案し、

 

「魔術師の杖はただの補助具ですから、まだ危険ではあるかと」

『なるほどの……ふむ、舌も刻んでおくか』

「そこまでするのはやめておきましょう――――かわいそうですから」

 

 その哀れみの言葉を聞いた瞬間、既にゆだっていたメダルの頭は沸点に到達した。表情を悪鬼のように歪めきって、両の手を前に掲げた。

 

「【魔よ来たれ/魔よ来たれ/魔よ来たれ】」

 

 三重に重なった声が響く。白の魔女により受け継いだ並列魔術。一度に同時に複数の魔術を走らせる特異な魔術。人の世を守るために編み出されたその技術を、彼は口端から泡を吐きながら、叫び続けた。

 だが、それは

 

「【【【唄よ鎮まれ】】】」

 

 シズクの一言によって、全てがかき消された。

 

「…………は!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………消去魔術(ディスペル)……そ、れに」

「貴方に並列魔術を見せていただいたおかげで、面白い構築式を作れました。【反響】とでも呼びましょうか」

 

 シズクがニコニコと楽しそうに笑う。メダルはラスタニア家の秘奥、【並列魔術】に関してはシズクに漏らしていない。いかにメダルが道徳的な欠落があろうと、自身の家の秘奥をみすみす他人に明かすほどマヌケではなかった。

 だが、彼は間近で、繰り返し自慢げに披露し続けた。決して見盗られはすまいと驕り、事実今まで誰一人としてマネすることが出来なかったという事実からの過信、そしてシズクに乞い願われる快感によって幾度も繰り返し彼女の前で見せつけた。

 

 結果、彼女はラスタニアの技術を強奪し、己のものに書き換えた。

 

 仮にも本家といえる【並列魔術】をかき消すレベルの魔術を。

 

「詠唱の特異な技術を操る貴方の魔術は、唄を操る私にとってとても参考にしやすくて、助かりました」

「ぼ…………ぼくの、家の、勝手に」

「ですから“もう大丈夫”です。メダル様。ありがとうございました」

 

 言外に、「もう貴方はいらない」と、そう告げていた。その言葉に、メダルは腹の底に冷たいものを流し込まれたような気分になった。怒りが徐々に静まり、不安が急速に広がっていく。

 それが、“捨てられるかもしれない”。という恐怖であると彼が自覚することは出来なかった。いつも彼は捨てる側であり、捨てられる事への恐怖は、未知のものだった。

 

「まて、まてまて!お前、ほんとうに冒険者なんかになる気なのか!」

「ええ、最初からそう言っていたとおりです」

 

 メダルは顔をひしゃげた。嫌悪の滲んだような顔で、

 

「冒険者の何が良いんだ!確かに奴らの魔石は世界を回すが、所詮奴らは探鉱夫!魔石を回し、人々を管理し、都市を運営する神官である僕は支配階級だ!!アイツらが生涯かけて迷宮を駆け回って望む都市民権を、僕は望むままに与えられるんだぞ!何が不満だ!!」

 

 吠えるように、メダルは叫ぶ。おそらくは幾度となくシズクに言い聞かせてきたであろう言葉だった。神官、都市の特権階級の人間の優位性、いかに自分が恵まれているのかという説明。その言葉は正しくはあった。少なくともウルがその場にいたらメダルの言葉に同意していただろう。

 

「リーネのバカのように、恵まれた選択肢を捨てるようなマネをする!」

 

 しかし当然、シズクにはその一切が届かない。彼女は、優しい表情のまま、わめき散らすメダルに一歩近づくと、その頬に両手をそっとあてる。

 

「メダル様は冒険者がお嫌いなのですね」

「当たり前だ!!あんな下品で、下劣な労働者ども!好きになる要素など――」

「――――“本当は、冒険者になりたかったのに?”」

 

 …………へ?

 という空気が漏れたような声が、メダルの喉から漏れた。目は見開き、そして喉が鳴った。それは、シズクの言葉の意味を理解できないという。芯を射貫かれ身じろぎできなくなり悶える獣のそれだった。

 

「冒険者になりたかったのでしょう?メダル様。本当は貴方は冒険者に憧れ、そうなりたいと願っていた。幼い子供のように」

 

 シズクは笑う。目を細める。そしてぱらりと彼の前に書類を落とした。メダルには見覚えのあるものだ。彼の机の奧にずっと仕舞っていた“冒険者ギルド登録の申請書類”。

 何故、どうして彼女が?という疑問に答えを得られぬまま、シズクはその両手で彼の頬に触れ、逃げられないようにささやく。

 

「でも、許されなかった。神官という家の立場を捨て、跡継ぎたる貴方がそんな道を選ぶ事なんて許されるはずも無かった。貴方の夢は潰されて、お母様は貴方が冒険者にならないよう、冒険者に対して強く当たるようになった」

「だま、れ、違う違う、違う!!」

 

 彼の必死の否定をまるで意に介さず、メダルの心の芯根を指先で叩く。楽器を奏でるように、メダルの悲鳴を奏で、歌う。

 

「それで、自分と同じように神官なのに、自分とはちがって諦めずに冒険者として邁進するリーネさんが気に入らなくて、攻撃的になった。それでも諦めなくて、ますます嫌いになって、諦めてしまった自分がどんどん惨めになった」

「違うと言ってるだろおおおおおおおおお!!!!」

 

 メダルが叫んだ。血を吐くような悲鳴であり、シズクの声を塗りつぶすための必死の咆吼だった。両手をかくようにシズクに向かって振り回された拳は空を切る。シズクは既に身をひいていた。メダルは勢いに倒れ、顔を打った。

 鼻から血を噴き、それでも違う、違うとメダルは呟く。うめき声をあげる死者のようになってしまった彼をシズクは優しく抱きしめ、そして、耳元に口を寄せ、そして、言った。

 

「貴方には無理ですよ」

 

 メダルが息を飲む。身じろぎする。シズクは彼を離さない。

 

「安定だけを求める探鉱夫にはなれるでしょう。ですが貴方が望むものになれない」

 

 肩を揺らし、逃れようとする。シズクは彼を離さない。

 

「貴方には意思が欠落している。決断力が損なわれている。だから血の繋がった親“ごとき”を捨てられない。ヒトを支配する特権階級“ごとき”を捨てられない。みじめたらしく他人にあたることしかできない」

 

 じたばたと、死にかけた虫のようにもがく。シズクは彼を離さない。

 

「貴方は、危険に挑む挑戦者にはなれない。未知に挑む開拓者にはなれない。悪竜を討つ英雄にはなれない。貴方は」

 

 シズクは彼を離さない。

 

「冒険者には、なれない」

 

 そうして、メダルはピタリと動きを止めた。

 まるで死んだように、彼は身じろぎ一つ、声一つあげなくなった。シズクはそっと彼から離れて、そして自身がズタズタに切り刻んだその男の姿を見て、そっとその背中に触れた。

 

「――ですが、私なら」

「そこまでにしておけ」

 

 そこに声が響いた。闇を裂くような鋭い声であり、シズクをメダルから引き剥がす声だった。シズクはそっと彼から離れると、いつの間にかその間に立つように、男が現れた。背丈の高く、威圧的なほどの整った容姿をした男。特徴的な高い耳は森人の証。

 

「まあ、クローロ先生」

「この男を“潰すまでなら許可できるが、支配するのは許可できない”」

 

 シズクがのんびりと声をあげる。その彼女を守るようにロックが前に出た。クローロは目を細める。深緑の瞳の奥は氷のように冷たい。

 しかしシズクはその力を前に特に恐れる様子もなく向き合っていた。

 

「潰すのは良いのですか?」

「そもそもこの神官の子供は問題になっていたからな。限度が過ぎた。故に矯正のため“へし折ろう”とする頃合いにお前が来た。メダルを懐柔しようとするお前が」

 

 故に、任せた。

 と、クローロがパチリと指を鳴らすと、足下からうぞうぞと何体もの小さな木製の人形(ゴーレム)が姿を見せた。彼らはメダルの身体を見た目には分からない強い力で持ち上げると、そのままとてとてと彼を運び部屋を出ていった。

 

「学園の教師の、しかも森人が神官の後継ぎに傷を負わせば問題になるが、生徒同士の争いならば問題の規模は小さい。加えて、お前はもうあと少しでこの学園を出る」

「私が彼をどうするか、詳細には分からないんじゃないですか?」

「私もそう言った。だが“学園長はそう思わなかった”」

 

 ――メダルさんのような方を懐柔するとしたら、()()()こうするわ

 

 矜持をへし折り、砕ききったあと、優しく導く。逆を言えばこのような手管でない限りは完全に支配する事は叶わない。故に放置しても良いだろうと。

 

 そして、もしこの手管をとったならば、メダルが砕け散った“後”に回収しろと。

 

「まあ、あんなに優しそうなおばあさんでしたのに、怖いことをおっしゃるのですね」

「そうだな。その怖い手管を本当にお前が取ったからこうなったわけだがな」

 

 クローロは度しがたいものを見るような目でシズクを見つめる。彼がそんな表情をするのは希であり、そんな顔を彼がする相手は今までたった一人、この学園の学園長ネイテ・レーネ・アルノードだけであったことを目の前のシズクは知るよしも無い。

 

「それで?私は何か罰を受けるのでしょうか?」

「学生同士の交流になんの罰が付く。度々暴力沙汰を起こしたのはメダルであってお前ではない」

「良かったです」

「だが――」

 

 クローロは静かに森人特有の細く長い指をシズクに向ける。その先に途方も無い魔力が宿る。

 

「此処は“彼女の庭”だ。勝手にしすぎると、排除せねばならなくなる」

 

 只人、鉱人、小人、獣人、多様なる人種が住まい暮らすこの世界において最も魔力に愛された種属、森人。精霊に最も近いとされる種属の、持って生まれた圧倒的な魔力の奔流が、たった一人の少女に向けられた。

 

『ぬ……』

 

 ロックは剣を構える。が、彼の存在などこの森人にとっては障害にならないだろう。二人まとめて消し飛ばすだけの魔力が、魔道具でもなんでもないその指には込められていた。

 対して、シズクは

 

「ご警告ありがとうございます。クローロ先生」

 

 ふんわりと、優しく微笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「此処で魔術の多くを学べました。これ以上を望むつもりはありません」

「メダルの件は?」

 

 問われ、シズクは目を伏せ首を振る。誰しもが庇護欲をあおられるその哀しげな仕草に、クローロは不愉快げに眉をひそめた。

 

「メダル様は“あまりにも辛そうにしていたから”少し踏み入ってしまいましたが、学園長様が彼を救ってくださるというのなら、これ以上この場所を荒らす気はありません」

「辛そう?あの男が?」

「ええ」

 

 先ほどまで子供のように無様な癇癪を喚き散らし、あげく抑制の利かない殺意と共に魔術を向けてきた男に対して、彼女は本心から口にする。“彼は哀れだと”。

 

「理想と現実の違いに苦しみ、嫉妬にあえぎ、周りに怒りをたたき付けても尚、何一つ変わらない現実に絶望している。とても哀しいヒトです」

 

 嗚呼、と、彼女は部屋の外へと連れ出されていくメダルを愛おしそうに見つめる。

 

「――――助けてあげたかった」

 

 それは、心の底からの願いに聞こえた。声音に嘘も偽りも無かった。表情に嘲りも侮蔑も無くただ慈愛があった。彼のすさみきった心を救いたいと彼女は願っていた。

 彼自身を破壊してまで、一切の手段を問わずして。

 

 彼女と相対するクローロは、自身の心に薄ら寒いものがよぎるのを感じた。

 

「それでは失礼いたします。クローロ様。怪鳥との戦いで生き残れたら、また挨拶に伺いますので」

 

 簡潔な挨拶を終え、彼女はクローロに背を向けて去っていく。彼女の従僕たるロックも同様だった。クローロは魔力を注いだ指の先をシズクの背に向ける。それは学園の平和を守るためなのか、それとも“彼女自身に危惧を抱いたが故なのか”彼には分からなかった。

 

「……」

 

 だが、結局、彼が魔術を放つ事は無く、彼女は部屋を出ていった。クローロは一人、閉じた扉越しに、去っていった彼女を見つめる。

 決して、逃してはならないモノを逃したことを、悔いるように。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 人類生存圏内、太陽神の結界の内部に住まう場所が限られて以来、ヒトの建造技術は横にではなく縦に伸びた。故に、その高低の負担をいかに軽減するかについての技術もまた、発展した。

 大陸一の魔術学園においても当然、その問題に対して様々な回答が選ばれた。高い宿舎に貫くようにして建造された【地天反転塔】もその一つ。地下に刻まれた終局規模の大魔法陣により地の力を操作。全一〇階まである高い建造物を自在に移動が可能となる。

 

 大陸でもまたとない高位の魔術の恩恵に授かり、ゆっくりとシズクとロックは塔を降りていく。奇妙な浮遊感を覚えながら、二人はどちらとともなく口を開いた。

 

『死ぬかと思ったの』

「死ぬかと思いましたね」

 

 シズクも、ロックも己の実力を測り間違うほどに寝ぼけてはいない。クローロ教授は紛れもなく実力者であり、冒険者でないというだけで、戦闘能力は圧倒的だった。わざわざ自分の武器を剣士の前に無防備に晒したメダルとは違う。僅かでも動けば魔術に焼き尽くされるであろうということがわかった。

 彼の気持ち一つでロックもシズクも消し飛んでいた。

 

「指輪に救われましたかね」

 

 シズクはそっと自らの人差し指にはめている“冒険者の指輪”を撫でる。“名無し”のシズクが唯一保持する身分証明、冒険者ギルド所属の証。彼女の存在は冒険者ギルドが保証し、彼女を守るもの。高名なる魔術師であれ、大陸一の魔術学園の教師であっても、理由も無く冒険者ギルドのギルド員を排除すれば問題になる。

 

『そんなもんがなくとも、主ならうまくやったろうさ』

「買いかぶりすぎですよ」

『んなこたあ全然ないんじゃがのう』

 

 ロックはこりこりと己の骨を覆い隠す兜を掻く。

 

『しっかし残念だったのう、主よ。あの小僧を取り込めなくて、カカカ』

 

 ロックは骨を鳴らし、笑う。

 彼にとってすればシズクによって破壊されたあの男の事などどうでもよいことではあった。彼は己を生み出した死霊術士のような外道は嫌うが、さりとて、自身や仲間に害なす輩に対し温情を向けるほど優しくもない。主がメダルを破壊し、洗脳するなら好きにすれば良いと思っている。

 だがそれとは別に、主である彼女の“本質”を知りたい、ともロックは思っていた。

 何せ、半ば強引とすら言える契約の末、主となった少女である。最後には同意したが、知るべきを知っておきたいのは人情、ならぬ骨情であろう。

 

「あの小僧、神官の地位を籠絡できるなら、今まで以上に好き勝手できただろうに、のう?」

 

 反転の塔を出て、貴賓館へと歩きながら、ロックは問いかけをしつつも、彼女を観察する。その視線を知ってか知らでか、シズクは少し困ったように首を捻った。

 

「確かに、神官の地位を持つ彼を取り込めなかったのは残念です……が」

『が?』

「彼自身の荒みきった心を、学園長様が救ってくださるなら、それはそれで良いことでしょう」

 

 ロックは彼女の言葉に、なるほど、と額を掻く。

 

『主は本気であの男を助けたかったんじゃのう』

「勿論そうですよ?」

 

 彼女は笑うそこに嘘偽りはまるで無かった。当たり前のことを問われ少し不思議そうにする少女の笑顔があった。

 

 危ないのう。と、ロックは口に出さず、思う。

 ヒトなら誰しも持っている倫理観、価値観から生じる無意識のブレーキを全く持たぬまま、目の前の相手を救おうとする彼女がどのような存在になるか、ロックには想像が付かなかった。行き着く先で一体何者になり、何を成すのか。

 

 歴史に名を残す偉大なる聖人になるか、あるいは――

 

「――とはいえ、私自身としましても、ここで干渉が断たれるのは結果的に良かったな、とは思います」

 

 おや?と、先ほどと比べ少し殊勝な事を言うシズクにロックは首を傾げる。らしくない、というほどロックはまだシズクのことをよく知っているわけではないのだが。

 

『ま、どーせワシらはもうすぐこの都市から移動するし、余計な重荷になったかもだしの』

「いえ、それも確かにあるのですが……」

 

 と、そこまで言ってシズクは何故か急にもごもごと、歯切れが悪くなった。ロックが彼女の顔をのぞき込むと、シズクは、これはまた珍しく、年相応の少女のような――――少し、ほっとしたような顔をしていた。

 

「ウル様に、怒られずに済むので」

 

 ロックはその日、死霊騎士として生まれ変わって一番の大笑いをした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥戦

 

 その日、大罪迷宮ラストの入り口は異様な雰囲気に包まれていた。

 

 元より大罪迷宮ラストの入り口は迷宮の内部の魔性が溢れ出ようとするのか、寒々しく、重苦しい空気が漂うのが常だ。どれだけ意気揚々と迷宮へと向かう冒険者でも、そのぽっかりとあいた入り口を前にすると、冷や汗を滲ませ生唾を飲むのが常だ。

 

 が、今回そういった緊張や怖気とは全く別の、珍妙な空気になっていた。

 

「……なんだあありゃあ?」 

「馬車……?戦車か……?え?迷宮で戦車?」

「最近しょっちゅう出入りしてるぞ。というか、あれ、ウルだぞ。人形殺しのウルだ」

「骨砕きのウルじゃなかったか?」

 

 冒険者や彼らを相手にする商人達が視線を向ける先は一つ。入り口の前に鎮座した奇妙な馬車があった。兵器に詳しい者はそれが戦車と察することは出来たが、戦車にしてもやや様子がおかしい。機動力の馬がいない。馬が居なくて、御者の座る場所も無い。手綱も無い。丸い。何故か大弓が飛び出ている。車輪がやたらでかくて太い。

 突っ込みどころが山ほどある。恐らくその場にいた誰もが首を捻るだろう。

 

 そして、更にその馬車の前で奇妙なことをしている二人組がいた。

 

「…………」

「…………」

 

 一人は、小柄な少年。最近冒険者達の間では噂になっているルーキー、ウルだった。只人(ヒューマ)、銅の指輪、煤けた灰色の髪、小柄な身体、巨大なる竜牙槍、魔物素材の装備で固め、風変わりな姿になることの多い冒険者だが、その中でも彼の姿はよく目立っていた。

 冒険者達を悩ませ、しかし誰もがその厄介さから手を出さずにいた【毒花怪鳥】を討とうともがいているという噂は冒険者達の間で広まり、彼の姿を知る者は多かった。

 

 その彼が、何故か上半身裸で、迷宮の入り口に座り込み、横に本を積み上げながら読書に勤しんでいる。その時点で奇妙だが、更に奇妙なのが彼の後ろにいた。

 

「【……………!】」

 

 橙の髪を三つ編みにした小人の少女、分厚い眼鏡にかなり古めかしい魔女衣装を身に纏う。更に片手には“真っ白の”魔術の杖。その杖で彼女は晒されたウルの背中になにやら魔術の術式を刻んでいる。

 それ自体は別に珍しくもない。迷宮内部における【付与魔術(エンチャント)】の主流は魔術による付与だが、迷宮に入る直前の入り口でならば、直接肉体に描き込む術式の方がより魔術効果が期待できる。そうする者は確かに居る。

 

 が、しかし、これを数時間ぶっつづけで行う者は流石にいなかった。

 

「ウル様、お気分はどうですか?」

「割としんどい」

 

 シズクの気遣いに対して、ウルは素直に現状の感想を述べた。

 現在2時間と半。ウルは身動きがとれずにいた。背中ではずっとリーネがへばりついて、つきっきりでウルの身体に魔法陣を刻んでいる。術式の対象物が迷宮内部の地面ではなく、移動可能なウル自身になったことで、少なくとも迷宮内部でリーネの【白王陣】を刻む手間は大幅にカット出来る事になった。

 とはいえ、やはり数時間じっとするというのはそれだけで精神的にこたえるものがあった。【集中】しノンストップで術式構築を進める彼女の邪魔は出来ない。ウルは以前のディズのアドバイスを思い出しながら、時間を潰し精神を疲弊させないため、読書に勤しんでいた。

 シズクもウルの周囲をパタパタと動き回り、ウルが疲弊しないよう献身的に動いていた。

 

「ウル様、新しい本は必要ですか」

「置いといてくれ」

「ウル様、リリの実お食べになりますか」

「くれ」

「ウル様、お飲み物をどうぞ。そちらの売店で売っていたレイモのジュースですよ」

「うまい」

「ウル様、お手洗いの手伝いをいたします」

「それはやめろ」

 

 いささか過剰ではあったが。

 

 かくして、周囲からの奇異な視線に晒されながらも、術式の構築は進み、そして、

 

「【………………】で、きた」

 

 疲労を滲ませた声がウルの背中から漏れる。ウルは首を捻り後ろを見ると、汗を滲ませ息を荒くさせたリーネの顔が目の前にあった。

 

「出来たのか」

「基盤だけは。一息つける。これから完成させるのに残り2時間くらい」

「……頃合いだな」

 

 ウルは立ち上がると、装備と周囲の荷物を片付ける。土を払う。荒くなった呼吸を整えているリーネに水筒を渡す。これからが本番なのだ。ここで力尽きられても困る。

 

「ロック、いけるか」

『おうさ』

 

 問うと、きゅるきゅると馬車の車輪がひとりでに動き出した。遠目に見学する冒険者達が驚きの声を上げているが、ウルは気にならない。気にしている余裕が無かった。

 

「シズクは」

「問題ありません」

「護衛のメインはシズクに頼ることが多くなる」

「理解しております」

 

 シズクはいつも通り、優しく微笑んでみせる。頭を抱えさせられる事の多い笑顔だが、この時ばかりは安心した。

 

「リーネ」

「……、いけるわ」

 

 飲み干した水筒をつっかえし、リーネは頷いた。

 

「お前の術式が全ての要になる。頼むぞ」

「完成させた術式を振るうのは貴方よ」

 

 己が失敗する事はない。という自負と、失敗したらただじゃおかねえからな、という灼熱の感情を向けられ、ウルは肩が重くなる感覚を味わったが、同時に安堵した。少なくとも、要の彼女が不安と無縁であるのはありがたい。

 

 不安なのは己だけである。つまりいつもの事である。

 

「…………いくぞ」

 

 腹底に煮詰まった不安を全てだしきるように大きく呼吸し、ウルは宣言した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 深緑の迷宮、鬱蒼とした魔の森の中を、キュルキュルキュル、と迷宮に似つかわしくない奇妙な駆動音が響く。木々の合間を縫うように、馬を持たない小型の戦車が道なき道を進み行く。ウル命名の【ロックンロール号】がぬかるんだ道をタイヤで蹴りつけながら、疾走していた。

 

『ふむ、快調じゃのう、カカカ』

 

 戦車から、というよりも戦車そのものから声がする。戦車と一体化したロックは気持ちよさそうに呟く。まるで手足のように車輪の軸を回し、小型の戦車は自在に、狭い道ですらないような斜面を縫うように動いていた。

 

「俺は快適じゃないがな……」

「あついですね」

 

 対し、戦車の内部にいるウルは呻くように悲鳴をあげた。快適ではない。という理由はシンプルだ。暑く、狭い。これがわかりきっていたから、室温調整の【魔道札】の対策を取ったが、それでもヒト同士がほぼ接する距離で3人詰め込まれているのだ。どうしても暑いのは避けられない。

 

『なんじゃい、女の子二人と密着できるんじゃぞ。役得じゃろ役得』

「限度がある……リーネが小人でよかった」

「【……】」

 

 現状、リーネの魔法陣作成は未だ継続中である。戦車の中、コレ専用に特注で組まれた椅子に座るウルの背に、リーネはほぼ寝転ぶような姿勢で彼の背中に引き続き魔法陣を刻み込む。あまりに狭い空間、僅かな灯りを頼りに行う作業はかなり過酷であろうが、彼女は決して筆は止めない。全ては白王陣の名誉のためだ。

 彼女の、強大であるが故に極めて使用に難のある白王陣を成立させるため、「その作成を持続させつつも守り、そして移動し続ける」ための戦車。結局これが、ウル達がリーネの力を利用し、そしてこれから先賞金首達に戦いを挑む上で選択した“戦術”となるわけだが、正直今でも、もっとスマートなやり方があるのでは、という疑念がウルの頭をよぎっている。

 が、流石にここまできて、思いつかなかった策を惜しんでもしかたがないのだ。

 割り切れ、と不安を振り払う。

 

『む、メシが来た』

 

 と、ロックが声を放つ。直後ドスンと、何かが突き刺さるような音と、不気味な断末魔の悲鳴が響く。ロックが外で魔物を討ったらしい。現状ロックはこの戦車と一体化している。身体の一部を刃や針のようにして魔物を迎撃することも可能だった。

 

「魔石、出たか」

『うまし』

 

 魔物から奪った魔石は集めず、ロックにそのまま喰わす。

 迷宮内部ではロックのエネルギー補給には事欠かない。戦車の動力として常に魔力を消費しているが故に重要だった。補給用に予備の魔石も用意してるものの、温存しておくに越したことは無い。

 

「ひとまずこっちの準備は順調みたいだな」

「ええ、ダンガン様たち、とても良い仕事をしてくれたみたいですね」

「金貨ばかみたいに注いだんだ。そうじゃなきゃ俺達は破産だ」

 

 兎も角、準備の手応えは感じていた。準備期間が短い代わりに、注いだ大金が確かな結果を生んでいる。その順調さは、背後でウルの背中に魔法陣を迷わず刻み続けるリーネからも窺える。

 ならば後は、迷宮側に何か問題が発生していないかどうか。

 

「シズク、【足跡】に何かおかしな所はないか」

「あります」

「そうか………なんだって?」

 

 あまりに淀みない返答に、ウルは思わず聞き返した。()()()()()問題(トラブル)が発生していると彼女は言ったのか?シズクは【新雪の足跡】を広げながら、困ったような表情で下の搭乗席にいるウルをのぞき込んだ。

 

「はい。問題発生です。ウル様。現状迷宮は普段の探索とは状況が異なっています」

「……具体的には?」

「静か過ぎます。魔物が少ない」

 

 確かに、今まで通常の探索の時は迷宮に入れば魔物との接敵は今回と比べもっと早かった。何度となく襲撃されたし、遭遇も珍しくはなかった。別にそれが特別だったわけではない。魔の迷宮というのはそういうものだ。

 だが、何故だろう。今日に限ってはその襲撃が少なかった。先ほどロックが即座に討った魔物の遭遇が、初めてだ。既に迷宮にこの戦車で突入して二〇分ほどが経過しているのに。

 

『それならワシの方でも感じとるぞ。やけに今日の迷宮は静かだ。魔物の気配が少ない』

「沈静化してると?」

『……そんないいモノじゃないのお?どっちかっつーと、なんかざわついとる』

 

 ざわついている。緊張している。抽象的な表現だが、人外の身であるロックの発言であることを考えると嫌な信憑性があった。だが問題は、それが何故起こっているのかだ。よりにもよって今このタイミングで。

 

 あるいは今、このタイミングだからか?

 

「この戦車が原因か?」

 

 圧倒的な異物、として真っ先に思いつくのがこの戦車だ。幾ら小型といえど三人他荷物が搭載出来る程度には巨大な異物、それが我が物顔で迷宮内部を疾走しているのだ。より生物に近いこの迷宮の魔物達が警戒している、と言われても不思議ではない……が、

 

『可能性はゼロじゃあないが……どっちかっつーとそれじゃあないの』

「そもそもそれなら試走の時に判明してる筈だしな」

 

 別に、迷宮内で戦車に乗ったのは今回が初めてではない。ぶっつけ本番で突入するほどウルは肝が太くない。何度も迷宮で試走してる。その時は異常な事など無かったはずだ。

 

「じゃあなんだ。誰だ」

『お前じゃ』

 

 は?と、ウルは思わず声を上げた。恐らく現在のメンバーの中で最も凡人で凡庸であるという自覚のある自分が何故トラブルの原因となるのか。まだシズクのせいとか言われた方が納得感がある。

 

『気がついとらんのかもしれんが、今のお主、ヤバいぞ』

「感覚的な話なのはわかるがもう少し具体的に言え」

『強そう』

「わかりやすい」

 

 ウルは身体を動かさないように首を捻る。小人でも狭苦しい隙間にリーネは寝そべり、そこからウルの背中に魔法陣を刻んでいる。ウルを強く感じる、という原因はおそらく、というか間違いなくコレだろう。それ以外思い当たる節は無い。

 だが、

 

「魔法陣、まだ完成していないんだが?」

 

 実際、体中から力が湧き上がってくる訳でもない。強化魔術は既にシズクに何度も使ってもらったことがあるが、そんな感覚は全くない。

 

「しかも【不可視】と【魔力遮断】つかってるだろ。ロックは結界の中だから感覚が違うだろうが……」

『そういう、直接的なもんとは違うのう。もっとふわっとしとる』

「というと」

『なにか、得体の知れないモノが、どんどんと成長していっている、そんな悪寒じゃ』

 

 成長していってる。まさしく、今現在進行形で、ウルの背中の魔法陣が徐々に完成に向かっている。それがそのまま、目に見えぬ、物質も魔力も無く、周囲に脅威として伝わっている……?

 んな理不尽な!と、叫びたい気持ちで一杯であったが、そんな理屈もへったくれもないものがこの世には存在するのはウルも知っている。と、なれば、理不尽を嘆いていても仕方が無い。現実を受け入れ、発生する問題に向き合わねばならない。

 魔物との遭遇が減る。コレはよろしい。消耗が減るのは良いことだ。緊急補給はできないが、戦闘も減るならトントンだろう。これはいい。

 一番重要なのは、

 

「……毒花怪鳥が逃げやしないかだ」

 

 ウルから放たれる“気配”のせいであの面倒な怪鳥に逃げられれば、ただそれだけでこの作戦は失敗する。魔法陣の完成は既に止められない。完成してしまえば制限時間がかかる。それから怪鳥を探すのは不可能だ。

 魔法陣が完成する前に、怪鳥を視野に納めるのがこの作戦の成功条件。

 最悪は逃げられること。

 その次に最悪なのは――

 

「ウル様、逃げられる心配はないようです」

「……というと」

 

 問い直すと、彼女の高く響く声が狭い戦車の中で反響した。

 

()()()()()()()()()

 

 その次に最悪なのは、魔法陣の完成前に、襲撃されること。

 

『KEEEEEEEEEEEEEEE!』

 

 けたたましい鳴き声が響く。それは上から降り注ぐ奇声だった。シズクが足跡を睨み、そして上を見上げる。当然、戦車の屋根が空の景観を塞いでいるが、彼女の視線の意味はウルにも分かる。

 

「…………元気だなあ畜生」

 

 直後、戦車に衝撃が走る。まるで何か巨大な物量が空から落下してきたかのように――と、いうよりも、まさしく降ってきたのだろう

 毒花怪鳥が。

 

『MOKKEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』

 

 毒花怪鳥戦、開始



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥戦②

 

 

『ぬおおおおお!?』

 

 莫大な重量が落下した衝撃にたいして、【ロックンロール号】は耐えきった。あらゆる方向からの攻撃を想定し、対策を取っていたおかげか、即破壊に至る事は無かった。

 だが、怪鳥は未だ戦車の上にいる。この状態でいつまで持つのか、安全の保証は全くなかった。

 

「ロック!!!」

『わかっとるわい!!』

 

 途端、戦車の車輪が回る。湿気た土を蹴りつけ、一気に急加速を開始する。

 

『MOKEE!?』

 

 元より戦車は上に乗るようには出来ていない。自慢の毒爪をひっかける場所も見当たらず、動き出した戦車に怪鳥は振り落とされる。

 

「なんだってあのバカ鳥はコッチ突っ込んできたんだ!!」

「危険を察知し、排除しに来たのでしょう」

 

 ウルの悲鳴に、シズクは冷静に答える。

 得体の知れないナニカが近づいてきたとき、取るべき選択は逃げるか、あるいは排除するかだ。階級最下層の魔物達は逃げ、そして怪鳥は排除を選択した。言ってしまえばそれだけの話ではある。

 

「試し打ちの時、途中で怪鳥がとって返したのは、コレか!!」

 

 初めてリーネの魔術を試験的に試そうとしたとき、術式完成まで引き寄せようとしていたウルたちの相手を途中で急にやめて、沼にとって返した時、最初は仲間の襲撃を感知したのだと思ったが、そうではなかった。リーネの術式そのものにおびき寄せられたのだ。

 今更気づいたところでどうにもならないが。

 

『どうすんじゃい!一度迷宮から出るか!!』

「向こうがターゲットに定めてる!振り切るのは無理だ!!」

 

 ダメージを与えて追い返す、という手段もないではないが、それはかなりのリスクを伴う。そもそも怪鳥が撤退を選択するほどのダメージを容易く与えられるなら苦労は無い。まして現状ウルの行動は大きく制限されている。難易度が高い。と、なると

 

「作戦続行だ!向こうがコッチを追いかけてくれるんなら都合が良い!術式完成まで――」

「完成まで?」

「逃げるっ!!!」

 

 迷宮内部での鬼ごっこが始まった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 なにか えたいのしれないものが うまれようとしている

 

 毒花怪鳥はその全身が震えるような“直感”に突き動かされていた。

 賞金首として冒険者達から忌み嫌われ、恐れられていたその怪鳥は、恐怖に駆られ、“ソレ”を追いかけ回していた。

 “ソレ”は魑魅魍魎が跋扈する迷宮においても更に奇妙なモノだった。回転する“丸い足”。まるで卵のような金属の身体。その身体を覆う“生物の骨”。長らくこの迷宮の上層を我が物顔で闊歩していた怪鳥も、初めて見る物体。

 

 その謎の生物から、“おぞましいものがうまれる”。

 

 大罪迷宮ラストの特性。強化された生物としての本能がそう告げていた。 

 突き動かされるように、怪鳥は“ソレ”に対して即座に攻撃を仕掛けた。自分の自慢の爪を弾かれようと、そのまま相手が逃げ出そうとお構いなしに、怪鳥は全力で追いかける。

 

 一刻も早く滅ぼさねばならない。そうしなければ、滅ぶのは自分だ。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』

 

 必死の鳴き声と共に、怪鳥は跳躍し、飛びかかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『飛びかかってくるぞお!!』

「回避ぃ!!」 

 

 直後、ウル達の側面から衝撃と地響きのような音が響く。

 怪鳥の今の攻撃は単純だ。跳躍、そして落下。その巨大な身体を驚くほどに高く跳びあがらせて、その身体の全てを使った加重攻撃。一度は耐えうるその攻撃も幾度となく繰り返されて耐える保証はない。

 ロックの操縦技術のみを頼るのはあまりに危険。つまり反撃だ。

 

「ロック!!」

『待てよ、まだじゃ!』

 

 ウルはシズクに合図をし、リーネの邪魔をしないよう、姿勢を動かさずに目の前の弩に手をかけた。既に引き絞られていた弦に“球”をセットする。狭いのぞき口から見える怪鳥の動きはあまりに激しく、そして素早い。とても目で追えるものではなかった。

 故に、ロックに合図を依頼する。

 

『今じゃ!!』

「っ!!」

 

 放つ。引き絞られた弦から放たれた球、【魔封球】は凄まじい速度で放たれ、勢いのまま、戦車を追う怪鳥に直撃し――

 

『MOKE!!!』

 

 しなかった。それは偶然か、あるいは気配を察知し回避したのか、怪鳥は球が着弾する寸前で再び跳躍した。魔封球は怪鳥の下方を過ぎ、地面に直撃する。封じられた魔術の炎が地面を空しく焼いた。

 ウルは息を飲む。が、それも想定していた。

 

「【【【水よ唄え、穿て】】】」

 

 狭い戦車の内部でシズクの唄が三重に反響する。戦車の外で氷の魔術が同時に三つ形成される。反響を利用した多重の魔術の氷柱がその刃を飛び上がった怪鳥に向き、そして間もなく放たれた。相手は空中、行動を制御する術は無い。

 

『MOKEEE!?』

 

 宙を跳んだ怪鳥の悲鳴のような声が戦車の壁越しにくぐもって聞こえた。

 

「当たったか!」

 

 ウルが問うと、ロックの、至極残念そうな声での返答が来た。

 

『外れじゃ。あの鳥、空中回避しおったぞ』

「……どうやって?」

『翼広げて羽ばたいて暴風起こして反動で』

「飾りじゃねえのかよあの翼!?」

 

 冷静に考えれば飾りの訳がなかった。地面を駆け回り、跳躍を繰り返す怪鳥が翼を有効に活用する図が思い浮かばなかった。どうやら予想より遙かに、あの怪鳥の機動性は高いらしい。

 

「……まあ、いい」

 

 ウルは大きく息を吐きだし、心を落ち着かせる。問題ない。これはあくまで牽制であり、時間稼ぎなのだ。この攻撃は牽制なのだから。近づきさえされなければ良い。

 

「シズク、この周囲のルートを足跡で調べろ。ロック、怪鳥は?」

『反撃に少し警戒はしとるが、闘志が萎えとるようにはみえん』

 

 よし、と指示をだし、再び戦車は逃げ、怪鳥は追走を再び始める。

 

 鬼ごっこが再開した。

 この時、ウルは現在の状況、戦況が自分の手の平に収まっているのを感じていた。急襲は予定外ではあったが、想定内ではあった。“この程度のトラブルは起こりうる”という覚悟は腹の中に据えていた。

 

 が、そこは相手も賞金首である。

 全てが想定内に収まるような容易な相手にあらずと思い知るのは間もなくの事だった。

 

『……KE』

 

 逃げ去るウル達の背後で、()()()()()()()()()()()――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥戦③/深淵にて

 

 

 怪鳥の攻撃手段はこれまで事前に行なってきた戦闘でいくらかは判明させていたつもりだった。だが、そのウルの把握した攻撃手段は、怪鳥の持つ武器の一部に過ぎないのだと、ウルは思い知る羽目に陥っていた。この瞬間に。

 

『岩じゃ!!』

「なん――?!!!」

 

 あまりに端的なロックの合図、そしてそれを確認するよりも早く戦車全体に衝撃がすっとんできた。ウルは身じろぎしないように全身で踏ん張り、両手で身体を支える取っ手を掴んだ。

 

「なんだ!?なにしたんだあのバカ鳥!!」

『岩を掴んで、投げた!!』

「一応鳥だろアイツ!?」

 

 衝撃からいってヒトの手の平サイズのものではあるまいに、どうやって、と考えるとあの足で引っ掴んで投げたのだとしか思えない。どんな器用さを発揮してるんだあの鳥は、と、ウルは唸る。

 

「次も来ています!!三つ!」

『わっしょおい!!』

 

 ロックが再び馬車を激しく動かす。内部のウルは左右に重力がかかり身体を踏ん張る。リーネの作業の邪魔だけは絶対にしてはならないと歯を食いしばる。ここが破綻すれば全てが終わりなのだ。

 

「【………………!!】」

 

 背中越し、リーネがこの激しい衝撃と振動の中、一切筆を止めずに作業を続行していることに安堵を覚える。だが、この戦車が壊されれば自由に動けない自分と彼女を守るモノが何も無くなる。動かねば。

 

「煙幕を張る!ロック!できるだけ距離を――」

「【風よ、我と共に唄い奏でよ。邪悪を寄せつけぬ堅牢なる盾――】」

 

 と、シズクが続いて魔術の詠唱を開始した。結界、岩から身を守るため?だが後方からの迎撃だけのためのその結界は――

 

「上か!!」

「【風王ノ衣】」

 

 中級の結界魔術が発動した直後、上から複数の衝撃が響き、同時に結界で弾かれる音がした。怪鳥、ではない。結界に着弾した時の音の質は先ほど投擲された岩石に似ていた。

 つまりあの怪鳥が岩を投げつけてきたのだ。それも弧をえがくように。

 

「多角的にせめてくる……!」

『あの鳥本当に鳥なんかの?』

 

 ロックの疑問もごもっともだったしウルもいよいよ疑問に思えてきた。が、鳥であろうがなかろうが今こうして異様な戦術でもってウル達に攻撃をしかけているのは事実である。対策をとるしかない。

 

「シズク!適度なタイミングで結界は解除してくれ!もう少し温存を――」

「いえ、まだです!進路後方右斜め!!」

 

 途端、シズクの指示でロックが車体をぎゅるりと回し、ウルの砲口をそちらに向けた。ウルは凄まじい強さで張られた弦を魔力で強化され続け強靱となった肉体で強引に張り直し、再び球を込め、前を見た。多量の煙幕を巨大な影が突き抜けてくる。

 

『KEEEEEE!!』

 

 怪鳥が追いかけてきた。ウルはつがえた球を再び怪鳥に向け、構え、狙う。当てる必要は無い。牽制さえ出来れば――

 

『KE』

 

 だが、球を射出するよりも前に、ナニかが爆発するような音がした。ウルの意識がそれを認識したのは、戦車全体に衝撃が走り、ウルの目の前にするどい“棘”が出現した後だった。

「……………! つ、めか」

 

 シズクの中級魔術の結界と、戦車の装甲を、突撃し槍のようにして突き出された怪鳥の爪が貫いた。後一歩前に出ていたら、ウルの顔面に穴が開いていたであろう所まで。

 爪先からしたたる猛毒がウルの足下に落ちる。冷や汗が吹き出した。汗と共に頬から血が零れる。今の一撃で貫かれた装甲の破片がウルの頬を裂いていた。目に当たらなくてよかったなあ。と、妙に冷静な思考がウルの頭をよぎった。

 

「……!!離れろ!!」

『GUGEEEE?!!』

 

 数瞬間を空けて、ウルは再起動する。懐に備えていた小型のナイフを突き出た爪の根元に叩き込んだ。恐ろしく固く強靱な皮膚が刃を押し返す。ウルの姿勢も悪くあまり力が入らない。が、強引に力を入れ、切り裂く。

 

「手伝います…!」

『GEEEE!!!』

 

 更に【風王の衣】が密接する怪鳥の肉体に叩き込まれ、間もなく戦車に突き立った巨体は弾き飛ばされた。突き立った爪を肉ごと引きちぎられながら。血が飛び散り、ぼとりと爪が戦車内部に落下した。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「フゥー………フゥー………くそ、洒落にならん」

 

 毒液のついた爪をナイフで隅に弾きながら、ウルは呻いた。装甲に対して過度な信頼を置いていたわけではないが、こうもあっさりと抜かれると寒気しかない。頬が裂けただけで済んだのは、事前の“風の結界”と、後は幸運があったからだろう。もしも頬を裂いたのが戦車の装甲ではなく毒の爪先だったらと思うとゾッとする。

 

「【……】っ……結界を、解きます」

 

 シズクが中級結界を解く。

 

「ロッ…ク、怪鳥は?」

『指一本落とされて警戒しとるんじゃろな。距離をおいとる』

「追いかけては」

『来たの。絶対に逃がすつもりはないらしい。』

「警戒しろ。また突撃の兆候が少しでも見えたら言え」

 

 指を千切られるような痛い目を見たのだ。今の攻撃を何度も繰り返すようなマネはしてこないとは思う。が、警戒せざるを得ない。進路を塞がねば危険だ。

 

「シズク、そっちは」

「ウル様!“新手”です!」

 

 は? と問い直す。だが、シズクが回答するよりも早く、その答えがウルの耳に届いた。怪鳥の騒々しい疾走音とは別の、複数の“羽ばたき音”、怪鳥に似た奇妙な鳴き声が重なって響く。

 

『毒爪鳥じゃ!その数無数!!』

「次々に!!」

 

 ウルの悲鳴をかき消すように、怪鳥と毒爪鳥のけたたましい鳴き声が周囲に響き渡った。

 

『『『KEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』』』

 

 鳥の囀り、というには耳障りな鳴き声だった。幾つもの羽ばたきの音と重なったそれは巨大なノイズとなってウル達の周囲を囲んでいた。まるで騒音の檻だった。そして間もなくして、騒音が一気に此方に向かって近づいてきた。

 

「うお!!」

 

 戦車の防壁に絶え間なく激突音が響く。更に、何かが何体も乗りかかるような音、車輪に何かがぶつかりガタガタと走行が乱れる。毒爪鳥が特攻を仕掛けてきていた。

 

「ロック!!」

『任せい!!【骨芯変化!!】』

 

 瞬間、戦車を覆っていた骨鎧が変化する。刃のようになったそれは鎧から飛び出す。それがまとわりついた鳥たちの肉を引き裂いた。死霊術の器の変化、シズクが身につけた死霊術の一端だった。

 

『KEE!!』

 

 刃によって翼や肉を引き裂かれた怪鳥達は悲鳴を上げながら逃げ惑う。が、すぐさま新たな毒爪鳥が突撃してくる。連続した轟音が響き続ける。絶え間ない。仲間が惨殺されようが一切を無視した特攻だ。

 耐えられる。準備した防壁は毒爪鳥の攻撃で崩れるほどやわではない。だが、十数羽以上の魔物達からの一斉の突進は、明らかに戦車の進行を妨げていた。しかも、

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!』

 

 怪鳥はいまだ存命である。

 チラリと覗き穴から見える怪鳥の姿はコチラから距離を適度に空けている。さっきと同じ突撃が来る。ウルは寒気を覚えた。

 

「ド畜生!!!」

『KEEEE!!!』

 

 弾丸を撃ち込む。が、射線に毒爪鳥が割って入る。届かない。

 

「砲身を変える!」

 

 宣言し、そして大弓を引き抜き横にずらす。代わり、すっぽりと収まるように設計された砲身の差し込み口に竜牙槍を叩き込んだ。素早く操作し、引き金を引く。

 

「【咆吼!!】」

『KE!?』

 

 咆吼から放たれる炎の光が毒爪鳥たちを焼き切り、そのまま貫通して怪鳥へとのたうち向かう。だが、直撃するよりも早く、怪鳥は即座に突進の姿勢を解除し、その場から飛び上がり回避した。咆吼の威力を覚えていたらしい。

 調査中、見せなければ良かったか?という後悔が一瞬よぎるが、突進を解除させることが出来たのならそれでよしとする。なにせ視界が悪い中、とっさの発射だ。こちらに突進してくる怪鳥に当てられるか自信はなかった。

 

「逃げろ!!!」

『おうさ!!』

「【水よ唄え、邪悪を退けよ】」

 

 ウルが指示を出すと同時にロックが戦車を動かし飛び出す。シズクが結界を張り、飛びついてくる毒爪鳥たちを凍りづけにして、弾き飛ばす。怪鳥と毒爪鳥の出来た隙を縫うように、ロックは迷宮の中を疾走した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――――それは迷宮の騒乱を感じ取っていた。

 

 迷宮内部の争いに、“それ”はそれほど興味は無かった。

 “それ”にとって、迷宮内部で起こる争い、ヒトと魔物達の戦いなど些事にすらならない。意識しなければ何かが起こっている事すら気づかなかっただろうし、気づいたところで干渉することもなかっただろう。

 当然だ。赤子の腕を捻るが如く、争いを消し飛ばすことも“それ”は出来るのだ。指先一つ動かすこともなく崩せる砂山へとわざわざ足を運び、そして崩す事に“それ”は価値を見出さない。まだ、何もせず、意識を投げ出して眠っていた方が、よっぽど有意義な時間を過ごせるだろう。

 

 だが、いつもは気にも留めない騒乱に、その日は何故か“それ”は意識を向けた。

 何かが気になった。

 “それ”自身も、何故に意識がそちらに向いたのか理解はしていなかった。だが、気のせいだと流す事は出来なかった。

 

 そして“それ”は みつけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥戦④

 逃げる。逃げる。逃げる。

 

 翼の羽ばたき、巨大な怪鳥の禍々しい爪が地を蹴る擦過音。それらを振り切るように【ロックンロール号】は迷宮を駆け抜けていく。時に急な坂を越え、岩を乗り越え、更に一瞬だが宙を駆けながら、追い回してくる怪鳥達から逃げ回る。

 

「まだかリーネ……!」

「【…………!!】」

 

 ウルは背後で術式構築を続けるリーネに縋るように声をかける。彼女は未だ集中を解かない。術式構築を続けていた。

 ウルは焦れていた。現状、怪鳥との距離の維持はなんとか続けることが出来ていた。だが、確実にコチラの消耗は進んでいた。シズクの魔力消費は特に激しい。既に下級魔術を十数回、中級魔術を一回発動している。これでも彼女がまだ戦えているのは間違いなく学園での学習の成果だが、限度がある。

 ロックの魔石消費の貯蔵も既に半分を切っている。大分余裕をもって用意したはずだが、急発進急停車、更に骨身の変化による魔物への攻撃等々、全力消費は思った以上に魔力を消耗しているらしい。

 ウルは、まだ余裕がある。だが身体の自由が利かない。そもそも【白王陣】完成時消費する魔力を保持しておかなければならないことを考えると消費は出来ないので余裕がないのと同じだ。消耗を抑えるために用意した魔封球(三十個超)も、既に片手で数えられるくらいになった。

 

 消費が非常に激しい。限界が間もなく迫っているのをウルはひしひしと感じていた。

 

「じ、かんは……」

 

 吊り下げている時計を確認する。既に怪鳥との遭遇から更に半刻経過している。リーネが定めた“最短完成時間”は既に経過している。だが、完成したなら彼女は言うはずだ。それを言わない、まだ【白王陣】の術式構築を続けているということは、完成が遅れているということに他ならない。

 無理もない。現在の状況は最初想定していた状況――遠方に怪鳥を捉えつつ、戦闘を一切行わないよう移動しながら術を完成させる――からあまりにもほど遠い。揺れて、跳ねて、跳んで、攻撃されまくる。マトモに術式の完成を行える環境か相当怪しい。

 遅れるのは無理はない、が、問題はどの程度遅れるかだ。本人に確認しようにもリーネは【集中】を続けていて言葉を発することすら出来ない。つまり、耐えるしかない。

 

『MOKEEE!!!』

「右から来ます!」

 

 シズクの声にロックが戦車を左に切る。しかし怪鳥は構わずそのまま突っ込んできた。右側から激しい衝撃が来る。巨体から凄まじい力で圧迫され、走行中の戦車の重心が左に傾いていく。

 

「横転する!もっと左へ!!」

「ウル様!ですがそちらは――」

『どのみち倒れたら終わりじゃぞ!!主!!』

 

 シズクが何かの警告を発しようとした、が、それ以前に怪鳥の猛攻の激しさに、ロックはやむなく更に左へと車輪を切った。その判断自体は適切だった。完全に戦闘中の現状、横転した際立て直す時間は無い。

 

 が、結果、更に状況は悪くなった。

 

 どぷうん、という、耳障りな音と共に。

 

「……どぷうん?」

「……すみません、ウル様、此処は沼地です」

 

 覗き穴からウルは状況を確認する。沼地、【毒茸の沼地】、見覚えがある。無いわけがない。此処は怪鳥どもの根城だ。つまり敵の本拠地である。

 誘導された。

 此処に来てウルは相手の知性の高さを再認した。だが気付くのは遅すぎたが。

 

『いかんの、こら動けん』

 

 車輪が沼地の中を空転している。いや、それでも特殊加工した車輪だ。少しずつだが進んでいる。が、怪鳥達との距離を維持するには到底足りるものではない。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!』

『『『KUKEEEEEEEEE!!』』』

 

 怪鳥の奇妙な鳴き声と、毒爪鳥たちの鳴き声が合唱になっておしよせる。まるで勝ち誇るかのようだった。先ほどまでの猛攻から打って変わって、悠然と、決して逃がさぬようにと鳥たちは沼地にはまった間抜けな戦車を囲い、じりじりと距離を詰めていく。

 

「…………だぁ……もう」

「済みません、ウル様。早めの警告をすべきでした」

「一人の責任じゃない……んで」

 

 ウルは背中のリーネの状況を見る。未だ彼女は術式の完成に至る気配はない。まだ時間が掛かる。どの程度かは分からない。が、少なくとも彼女の術の完成よりも早く、怪鳥達は襲いかかってくるだろう。

 

「ロック、余力は」

『馬力全部使い切って全力で走りゃ、沼地から出てなんとか逃げられるってとこじゃ』

「その後は?」

『継戦力は尽きるの。撤退しかない』

 

 一度撤退すれば、今回の戦闘で消費した魔道具や魔石、戦車の修理をまかなう資金は無い。ディズの予定も考えると怪鳥の討伐は諦めるほか無い。そうなればリーネが冒険者として都市外に出ることも許可されなくなる。

 眼前の窮地、いつ完成するとも分からないリーネの術式、撤退した場合の結果、幾つかを頭の中で巡らせて、ウルは目をつむり、振り絞るように息を吐いた。

 

 “最悪の場合の切り札はある”

 

 出来れば使いたくはないが、それさえあれば最悪、脱出は可能なはずだ。目を開ける。上部座席に座るシズクと目が合った。白銀の瞳に迷いは僅かとて無かった。ウルはロックへと声をかけた。

 

「……“城壁モード”を頼む」

『【骨芯変化】』

 

 直後、戦車の骨鎧が更に変化する。大盾のように形を変えた骨が幾つも作られ、そして地面に突き立つ。戦車の車輪や、可動部にまで回されていたロックの身体の全てが防壁に回された。

 

「シズク。結界」

「【風よ、我と共に唄い奏でよ。邪悪を寄せつけぬ堅牢なる盾で我らを包め】」

 

 シズクは結界魔術を発動する。再び中級魔術。魔力の全てを注ぐ覚悟で彼女は魔術を完成させる。

 

『MOKEEEEEEEE!!!!』

 

 機動力を完全に捨て、防御の姿勢に入った戦車を前に怪鳥は雄叫びをあげる。呼応するように毒爪鳥は一斉に飛び出し、そして戦車に突撃を開始した。

 

「しのぐぞ!!」

 

 ウルは竜牙槍を構え、己の心を鼓舞するように、怪鳥らの奇妙な鳴き声をかき消すように叫ぶのだった。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 研ぎ澄まされる意識の中、ひたすらウルの背に術式の構築を続けていたリーネは、僅かに残った意識の余白に、ウル達の奮闘をずっと捉え続けていた。

 ウル達は戦っている。戦い続けている。激しい揺れの中、否応なく【白王陣】の構築が遅れている自分のツケを肩代わりして、戦い続けている。

 その事がリーネにとってはこの上なく嬉しかった。

 

 彼らが戦う理由が“己の魔術を利用するため”だと分かるから。

 

 同情からではなく、戯れからでもなく、ただ必要であるからと魔術の行使を頼まれたのは初めてだ。自分だけではない、長くこの【白王陣】を継いできて、真に必要に迫られて発動する事など久しくなかったことだろう。

 それほど、白の魔女から継いだレイラインの術式は、随分とこの世界から必要ではなくなっていた。不便で、融通が利かない。その形態を大きく変化させざるを得なかった。

 原型が無くなるほどまでに、慎ましく。

 

 適応である。と誰かが言った。それは正しいとリーネも思う。

 

 時代に合わせ、適応し、形を変える。それができないモノは滅ぶのが世の理、流れだ。精霊信仰においても諸行無常の理は教えられる。【白王陣】は流れに逆らっている。良き方へ、悪しき方へ、自然と流れ、砕けて、形を変え、流転する世界の流れの中で地面に根を張って踏ん張り続けている。世代を幾つも乗り越えて尚。

 

 なんのために?決まっている。

 

 残すためだ。刻むためだ。世界に、歴史に、かの思いを、願いを、絆を。そのために己は不変となる。変わらず、弛まず、揺らがず、かつてをかつてのまま、極め続ける。それをレイラインは続けてきた。ずっと、ずっと、ずっと。

 でもその努力は孤独で、不毛で、嗤われて、小馬鹿にされ続けた。

 時が経つほどに、時代の需要から離れるほどにそれは強くなっていった。

 冒険者が仕事になり、魔物狩りが金稼ぎに変わり、迷宮が資源鉱山に変貌し、いよいよレイラインが当初の目的からズレ始め、祖母と同じ絶望がリーネを包んでいたそのとき、彼らは、ウル達は現れた。

 

 同情でも慰みでもなく、ただ、自分が必要だと言ってくれるヒトが。

 

 それがどれだけ彼女にとって救いだったことか、ウル達は知るよしも無いだろう。リーネもそれを口にするつもりはない。

 だが、だからこそ その期待には応える。結果を出す。なんとしても。レイラインの願いよりも、今この時だけは、彼らへの感謝を込めて、リーネは術式を描き込み続けた。

 

「【……!!】」

 

 激しい揺れ、横転するともわからない魔物達の猛攻、細かく、正確な術式構築が必須の【白王陣】にはかなり厳しい環境だった。だが、それでも一切手は休めない。恐らくこれまでで最も強い【集中】でもって、その全てを強化魔術へと注ぎきる。

 振動の最中、身体の彼方此方を打撲し、指先から血が噴き出ても、術の構築は決して緩めない。

 

 そして、精魂尽き果て、集中の限界の果てに、それは至った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ロックの身体で出来た防壁が崩れ始めた。

 元よりロックの身体の総体積はそれほど多くはない。あの狂乱の死霊術士が残したロックの器は魔力さえあれば無限に再生する恐るべき代物であるが、それ故に総量は限られる。シズクはその総量を増加するために学園でも学習を続けていたが、しかしてそれはやはり、まだまだ時間のかかる課題だった。

 

『ぬ、う……!!』

 

 故に、そう、長くはもたない。もとより再生力があるだけで、耐久性自体は高くないのだ。再生を繰り返せば魔力の消費も激しくなる。【城壁モード】は最終手段だった。魔石を使い切れば、動けなくなる。魔物が満ちる迷宮の中で。

 

『ウル!もうすぐ動けんくなるぞ!!』

「分かってる!!【顎解放!!!】」

 

 ウルは竜牙槍を再び捻る。これが最後の咆吼になる。ウルはその竜牙槍を射出口から外に放り投げた。

 

「受け取れ!!」

『【輪転咆吼!!】』

 

 ロックがそれを伸ばした“手”で受け取る。同時に“咆吼”を射出する竜牙槍を振り回す。射出された熱光は円を描くように縦横無尽に空間を焼き払い、毒爪鳥たちを焼き焦がす。だが当然、想定されていないむちゃくちゃな使い方だ。持ち手すらもその炎は伝達し焼く。

 

『っ!すまん落としたぞ!』

 

 何かが砕ける音と、ぼどん、と沼に竜牙槍が落ちる音。毒沼の焼ける嫌なにおいが充満した。やむを得ない。

 

「シズク、魔力補充は!!」

「最後の魔力補充液を使いました!残り中級2回!」

「……!まだ使うな!!」

 

 ウルは魔封玉を握る。どちらも煙幕弾。だが、身じろぎとれない現状目を眩ます事になんの意味も無い。こちらもとうとう余力が尽きた。

 

『MOKEEEEEEEEEEEEE!!!!』

 

 怪鳥の咆吼に合わせ、幾つもの毒爪鳥の鳴き声が重なる。敵の数は未だ無数。

 

 間に合わなかったか?判断を誤ったか?

 

 ウルは悪寒と共に歯を食いしばった。これ以上、時間を引き延ばす手段はな――

 

「で、きた!!!」

 

 その声は、迷宮に入ってから初めて聞こえてきた少女のもの。

 

 それはウル達に勝利をもたらす福音でもあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒花怪鳥戦⑤

 

 まにあわなかった。

 

 という、漠然とした確信が怪鳥の全身を貫いた。

 

 まにあわなかった。まにあわなかった。()()()()()()()()

 

 脅威となるモノ。己を滅ぼしうる存在。圧倒的な“力の塊”が生まれた。怪鳥は気づく。危険だ。危険だ。危険だ。たった今生まれたソレに己は絶対に勝てない。

 

 故に、逃げねばならない。一刻も早く。

 

 魔物としての絶対的な「ヒトと敵対する」という衝動すらも凌駕するほどの恐怖が毒花怪鳥を襲っていた。だが、怪鳥でなかったとしても、この気配を感じ取ったどんな魔物達も逃げ出すはずだ。

 あの強大なる“白”を前にすれば。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 リーネの合図を聞いた瞬間、ウルは背中に焼けるような熱を感じた。

 だが、それは不快ではなかった。熱と同時に力が血管の隅々まで駆け巡り、異様なまでの万能感が全身を包み込んでいた。だが同時に、腹奥から徐々に力が抜けていくのも感じる。ただそこにいるだけで魔力が失われていくのをウルは感じていた。

 

 シズクに強化魔術をかけてもらったときとは比べものにならない力を感じる。

 

 この、尋常ではない力が、まだ白王陣を発動していない状態である。

 これから3分間、発動すれば30秒で魔力は尽きる。

 

「――シズク、敵は」

「動きを止めました。恐らくは逃走しようとしています」

「槍の準備」

「はい」

 

 ウルは湧き上がる恐ろしい衝動を抑え込みながら、シズクに指示を出す。強化型白王陣の試験は数回は試している。が、魔力が完全に尽き果てその日は身じろぎ一つとれなくなるという問題から、そう何度も試すことは出来なかった。

 

「発動は背中に意識を集中するだけでいい。発動後は身体の動作に気をつけて」

 

 既に疲労困憊なのだろう、リーネは力の入っていない声で淡々と、おさらいのように魔術の説明をする。ウルは頷いた。

 

「この魔術は貴方の潜在能力を一気に解放する」

「ああ」

「後、練習と違って本番だと魔術の使用後の影響がどう作用するか不明」

「え?」

「さあ白王陣の偉大さを世界に知らしめ世界をひれ伏せさせなさい」

「重要なこと言いながら頭おかしくなるのやめろ!!」

 

 叫びながらウルは急ぎ装備を身につける。最中にシズクはいつものように優しく穏やかな声でウルに話しかけた。

 

「ウル様、戦車の外で“槍”は完成させています。ご武運を」

「ああ」

 

 短いやり取りを交わして、ウルは戦車の入り口を開け外へと飛び出した。外の空気が流れ込む。僅か1時間ほどの密室生活だったが、少しの開放感を覚えた。

 だが、外には討たねばならない敵がいる。故に、

 

「【白王降誕】」

 

 それを起動させた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 きた きた きた きた はめつがきた

 

 怪鳥から見れば小さなその身体から立ち上る力の奔流、空間を震撼させ周囲を屈服させる圧力。明確なまでの死の足音。向けられる殺意がそれだけで心の臓を締め付ける。

 

 にげろ、にげろにげろにげろにげろにげろ!!!

 

『MOKEEEEEEEEEEEEEE!!!』

 

 怪鳥が声を上げる。毒爪鳥たちが一斉に羽ばたく。怪鳥は先ほどまでの猛攻を止め、一気に背を向けて走り出した。逃げる、逃げる、逃げる。住処としていたこの沼地を捨て去る勢いで。

 逃げなければ遠くへ、見えなくなるまで逃げ切らなければ、さもなければ来る。

 

 死が。

 

「【氷霊ノ破砕槍・白王突貫】」

 

 その背に、空気をぶち破る音と共に氷の槍が飛来した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その迸る異様なまでの力は、既に経験済みであっても慣れることは全くなかった。足場にしている戦車を踏み抜いてしまいそうな気になる。周囲の全てがまるで飴細工のように、もろく不安定に感じる。指先一つで砕けてしまう悪寒が脳をよぎる。

 そして、その予感は正しい。そんな風に、一瞬で周囲を砕いて壊してしまうだけの力が今のウルには備わっている。

 

「【……いくぞ】」

 

 だが、怯えて躊躇う時間は無い。本当に無い。ウルの魔力では発動から30秒しかもたないのだ。終われば、ウルは動けなくなる。そうなれば終わるのは此方だ。

 シズクが生み出した中級魔術の氷の槍【氷霊ノ破砕槍】を【鷹脚】で掴む。毒爪鳥たちが一斉に飛び立ち、視界を遮る。だがそれらをウルは無視した。狙うべき対象は毒花怪鳥ただ一体。

 

「前方右斜め、密林の中を疾走中です。いけます」

 

 【新雪の足跡】で追跡するシズクの指示に従い、狙いを定め、そして放つ。

 自分の手から放たれたソレは、空気を破るような激しい音と共に、秒にも見たぬ速度で遠く離れた怪鳥の背を捕らえ、貫いた。

 

『MOGEEEEEEEEEEEE?!!』

 

 絶叫が響く。今まで聞いたことが無いようなひび割れた醜い鳴き声だった。確実に、大きなダメージが入っていた。だが、鳴く、と言うことはまだ生きているということだ。

 

「【氷よ我と共に唄い奏でよ。何者をも貫く大槍と成りて悪しきを穿ち爆ぜよ】」

 

 2射目の槍をシズクが作成する。急いでくれと焦れる気持ちを抑える。己の中から残された魔力が凄まじい速度で燃え尽きているのを感じ取っていた。この状態を維持できる時間はもうあと僅かだ。

 

『KEEEEE!!!!」

『ぬお!なんじゃい!?』

 

 同タイミングで、毒爪鳥たちが一斉に怪鳥へと向かっていく。先ほどまでの戦闘で瀕死のものも、ウルの先の攻撃の余波で大きくダメージを受けたモノも一切例外なく、その全てが毒花怪鳥の下へと集結していった。

 

 なんだ?何をする気だ?盾にでもなろうってか?

 

 警戒し、しかし追撃の手段無く眺めていたウルの前でそれは動いた。怪鳥か?とも思ったが、その姿は明らかに一回り大きい。巨大化した、わけではない。それは毒爪鳥だった。

 毒爪鳥が、毒花怪鳥の身体にまとわりつき、まるで一羽の巨大な鳥のようにその姿を変えているのだ。そして、そのまま、

 

「……うっそでしょ、飛ぶの?」

 

 リーネが驚愕に満ちた声をあげる。ウルも同じ気持ちだった。

 飛んだ。信じがたいことに、あの巨体の怪鳥が空を飛んだ。んなアホな。と現実を疑いたくもなるが、ソレでも飛んでいる。飛んで、そのまま、逃げようとしている。

 

「【させるか】」

 

 目の前で形成された2射目の【氷霊ノ破砕槍】をつかみ、ウルは唸る。投擲の構えになり、どんどんと距離が離れていく怪鳥の姿を視界に納める。

 距離は遠い、しかも本体が毒爪鳥たちの大群で覆い隠され捕捉しづらい。だが当てなければならない。最後の一投だ。これを逃せば後が無い。

 

 追い詰められた状況、自分に全てが掛かっているという責任、戦い続け高まった闘志。

 

 それらが全て今の集中に繋がる。ほんの僅かな時間のみ与えられた極限の肉体強化が、今、この時必要な力をウルに与える。怪鳥を見定める瞳へとその力が集約する。

 

「……っ!?」

 

 左目が一瞬焼けたような熱を持った。同時にその左目が、無数の毒爪鳥達の中から怪鳥の姿を捉える。ウル自身は気づきようが無かったが、彼をもし正面から見るモノがいれば、ウルの灰色の左目が強く、瞬いているのを見ただろう。

 【二刻】となった魔名の成長、行き場を定められずにいた魔力が、土壇場の窮地に直面し、今最も自らに必要なものを生み出した。

 

 五感の内の視覚の異能、“魔眼”が彼に宿った。

 

 【必中の魔眼】が、怪鳥を捉える。導かれるように、ウルは槍を放った。

 

「【白王突貫】」

 

 空気をも弾き、凍て付かせ、砕く絶対零度の槍は、一直線に怪鳥達を貫いた。

 

『MOGEEEEEEEEEEEEEEEE!!!??』

 

 最後まで間抜けに聞こえる断末魔の咆哮は、遠いウル達には聞こえない。

 だがウルの目は、毒爪鳥達の中心で、毒花怪鳥がその胴に穴を開け、そこから浸食した氷にその身を砕かれ、バラバラとなって地面へと落下していく様を捉え続けた。

 

 毒花怪鳥の討伐は成ったのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勝利/そして■■■が顔を出す

 

「……勝った」

 

 それを確信したと同時に、ウルは全身から力が抜けていくのを感じた。緊張が解けた、とかではなく、魔力が一気に底を突いたのだ。ギリギリだった。肉体の魔力が完全に尽きても、魔術とちがい何も出来なくなるわけではないが、一気に運動能力は落ちる。疲労のピークも相まって、半ば崩れ落ちるように戦車の天板にウルは倒れ込んだ。

 

「ウルさ、ま」

「……無理しなくて、いい」

 

 その背中をぼふっと、シズクが支えた。いや、正確には支えようとして、支えきれず彼女もまたそのままばたんと地面に倒れ伏した。当然ではあった。彼女も極度の集中を要する発展魔術(セカンド)を連発している。魔力も精神力も尽き果てているだろう。

 

「うー……」

『ワシ、干からびそう、骨なのに』

 

 戦車の中から這い出たリーネも、そしてゆるゆると“城壁モード”を解除しているロックも同様だ。全員満身創痍である。全員それぞれの理由で心身に限界が来ていた。

 

「それで……どうするの、これから」

「……怪鳥の魔石の回収は」

「どうやら、その必要は無いみたいですね」

 

 と、シズクが迷宮の密林の向こうを見る。すると遠方、怪鳥達が落下したと思しき方角から、何かが飛来してくる。敵の攻撃にも一瞬見えたが、それは魔石だった。ウル達が保有する【魔石収容鞄】に向かって飛んできたソレは、間もなく戦車内部の鞄に吸い取られた。

 

「……流石、おい、ロック」

 

 所持者と撃破した魔物を結び、魔石を回収する鞄、ディズのプレゼントだったそれは思った以上に高性能だったらしい。ウルは鞄を取り出し、幾つかの魔石を戦車の外装、ロックへと放り投げた。投げられた魔石は間もなくロックに吸収される。

 

「動けるか」

『なんとかの……うーん、毒沼に落ちた魔石は不味いのう」

「急ぎ沼地から出てくれ。このまま沈むのは不味い」

 

 勝利を喜ぶ気力すら無い。そもそも勝利を喜ぶには気が早い。現状、ウル達は迷宮の上層深くまで侵入している。毒花怪鳥が居座っていたこの毒茸の沼は、大罪迷宮中層へと続く入り口の近辺だ。ここから迷宮の外まで続く道も決して容易くはない。

 大仕事を終え、その帰り道で魔物にやられて終わるなんて洒落にならん。

 

 消耗品は使い果たしている。シズクとリーネは使い物にならない。身体がまだなんとか動かせるウルと、そしてロックだけでなんとか凌ぎ脱出しなければならない。

 

「よし、全員状態を確認次第、脱出するぞ。いいな――」

 

 ウルはそう言って周囲を確認した。

 己がこれ以上できることが少ないことを把握しているリーネは一先ず戦車へと戻る。ロックは沼地から脱出すべく慎重に車輪を回している。難しいようならウルも毒沼に降りるリスクを飲んで手伝わなければならないかもしれない。

 そしてシズクは極度の集中で大分参っているらしい。フラフラと頭を揺らしている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………………は?」

 

 それを目撃した瞬間のウルの動きは半ば反射だった。グリードでの訓練所、繰り返し繰り返し、命の危機に瀕するレベルの過酷な訓練の中で身につけた条件反射。

 「前衛は後衛を守れ」という反射がその手をシズクの肩へと伸ばした。

 

 そして次の瞬間その“白い蔦”によって、シズクの身体が、ウルを巻き込んで、迷宮の奥深くの闇の中へと引きずり込まれていった。

 

『…………はあ?!』

「え?なに?!」

 

 それを目撃したロックは驚愕の声を上げ、リーネはその声に驚く。だが二人の移動は止めることは出来なかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 なんだ なんだ! なんだ!?

 

 突如として叩き込まれた異常事態に、ウルは完全にパニック状態に陥っていた。既に身体は元より、精神も大分ガタがきていたのだ。限界の集中と、そこからの解放による弛緩、緩みきった所に来たこの異常事態はウルを激しく混乱させた。

 それでも尚、抱えたシズクの身体を決して離さなかった。だが、結果としてシズクを攫った“白い蔦”にウルは巻き込まれ、ぐんぐんと迷宮の奥へと引っ張られていく。

 

 奥、そう、奥だ。ウル達は迷宮の深部へと突入していた。

 

 景観が明らかに変わっていった。上層は魔物達が出現することを除けば、まだ常識的な“森”の範疇だった。だが、横目に見る今の迷宮の景観は違ってくる。僅かでアレ届いていた陽の光が全くない闇と、明らかに異様に成長した大樹が乱立している。

 そしてその大樹を這い纏る異様な魔物が、彼方此方でその目を光らせる。更に羽音と言うにはあまりに大きな轟音と共に飛び交う幾つもの影、鳴き声、足音。

 

 それら全てから“毒花怪鳥以上の圧を感じる”。

 

 ダメだ。奥に行ってはダメだ!

 

 超人的な直感など必要ない。子供だって理解するだろう。此処はヒトのいて良い場所ではないと。ウルは明らかに自分の実力からはかけ離れた魔境に連れていかれているのを感じた。 一刻も早く戻らなければ、逃げなければ!!

 そう思い、ウルはシズクにまとわりつく蔦を指でかけ、引っ張るが、びくともしない。疲労しているせいか、とも思ったが蔦から感じる異様な圧がそうではないと告げていた。

  コレまで接してきた魔物達とは違う、あからさまなまでに放たれる嫌な気配。だが、恐れて、このまま連れ去られるがまま奥へと行くのだけはダメだ。

 

「シズク!おい!!」

「……」

 

 シズクの反応は、ない。意識を失っている?発展魔術の連発と今ので意識が飛んだのか?ならば自分でなんとかするしかない。

 護身用のナイフを手に、蔦に刃を立て、少しでも削って――

 

 

 

『 痴   れ  者    め   が』

 

 

 

 耳元で聞こえたその声に、ウルは怖気が全身をのたうつのを感じた。

 

 シズクを伝う蔓が突然その動きを変えた。汚いものを振り落とすようにウル達は放り捨てられた。そして地面に落下する。

 

「があ!?」

 

 凄まじい勢いで地面を転がり、ウルは全身の痛みに悲鳴を上げた。みしりと骨が軋む音がする。骨が折れた可能性もあった。たたきつけられた衝撃でシズクを放り出さなかったのは奇跡だった。

 

「……………こ、こは」

 

 ウルは痛みに耐えながら、周囲を見渡す。先ほどの闇より、更に濃い闇、

 黒の画材で塗りつぶされたような暗黒。なのに瞳がその景観を克明に映し出すのは奇妙極まった。大地を穿つような大樹が密集している。

 足下を見る。ソレもまた大樹の背だ。その“横っ腹”に身体を預けている。

 

「…………っ!?」

 

 最初は、横倒しになった木に墜落したのかとも思ったが、そうではない。ウルの立っていた大樹も間違いなく大地に根付いていた。“ウルの真横に存在する地面を穿っている”。

 地面が真横にある。下にはない。下には果てしない闇がずっと続いている。

 

 脳みそが理解を拒否する光景。だが、【大罪迷宮ラスト】の成り立ちを冒険者ギルドで片耳に入れていたウルは、その異様な景観の理由を理解した。

 

 大地が、歪んでいる。

 

 この【大罪迷宮ラスト】の起こり、無限拡張していた迷宮を白の魔女に封じられ、結果空間が歪んだ。地面すらもひっくり返ったこの世界は、迷宮のその起こりの場所。

 即ち、此処は大罪迷宮の奥、【中層】どころではない。

 

 【深層】だ。

 

「………………げ、え」

 

 冷や汗が止まらない。ウルは胃から反吐が出そうだった。食事を取ってたら普通に吐いていた。最悪の状況だった。

 

 上層は【銅】の遊び場、中層は【銀】の職場、深層は【金】の墓場。

 

 ウルが目標とする金色の冒険者、歴代の幾多もの伝説達が挑み、そして死んでいったのが大罪迷宮の深層だ。文字どおり、ヒトの手に余る人外魔境こそが此処だ。未だ誰一人攻略者のいない完全無欠の地獄こそが此処だ。

 

 逃げる、逃げない以前の問題だ。完全にウルがどうこうできる領域を超えている。なにをどうすれば事態が好転するのか全く分からない。あるいは、既に――――

 

『なに を  呆 け    て いる ?』

 

 そして、それよりも深い絶望が目の前に、在った。

 

『招  か れ ざ  る 客    め が』

 

 それは、小さかった。

 比較的小柄なウルの身体よりも更に小さい。まるで幼子のように小さな身体。衣類の一つも身に纏わず、ヒトと同じく四肢がある。だがそれ以外の身体のパーツはのっぺりとしていた。髪は長い。顔つきは、世間一般のそれと比べて端正であったと言えるだろう。そのためか少女のように見えた。

 

 だが、ただ、悍ましい、と、ウルはそう思った。

 

 ウルは自身のその感想を疑問に思った。悍ましい?何故だろう。一見すれば少女のようである筈なのに。何故にこんなにも、胸糞が悪くなるんだろう。視界に納める事すらしたくはなかった。眺め続けていれば、狂ってしまいそうな不快感の塊がそこにあった。

 

 それは、頭から伸びている捻れ伸びた角のせいか

 それは、闇の中でも更に冥い浅黒く赤い瞳のせいか

 それは、背中から伸びた、迷宮の闇すら飲み込む巨大な翼のせいか

 

 

 

『  何 故  に  我の    前 に   おる  塵芥 』

 

 

 

 その美しい容姿を乗せた顔がパックリと二つに割れる。

 

 切り開かれた口から長い長い、真っ黒な牙が伸びる。

 

 竜が そこに居た。

 

「…………なんでだよちくしょう」

 

 ウルは泣きそうな声で悪態をついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地獄

 絶対に勝てない格上と対峙してしまったら、どうすれば良いと思う?

 

 【大罪都市グリード】にて、数ヶ月前、冒険者訓練場にて、ウルはグレンにそういう質問をしたことがある。その質問に対するグレンの回答は実にシンプルだった。

 

「死ぬ」

「クソの役にも立たない回答ありがとう」

「しょうがねえだろ、事実だ」

 

 グレンはつまらなそうな顔で言い切る。

 

「絶対に勝てない格上ってのは、つまりそういうことだ。運不運、実力の好調不調、それら全てが最善だったとしても勝利できない相手。そんなのと戦う羽目になったら死ぬしか無い」

「どうにもならんと」

「もし可能なら逃げろ。戦うよりはワンチャンある、まあ無理だろうが」 

「無理なのかよ」

「お前が言ったんだろ、絶対的格上って、なら逃げるのも無理だろさ」

 

 自分の実力の範疇ではどうにもならないという想定である以上、逃げようが何しようがどうにもならないという結論にならざるを得ない。今回に関してはウルの質問の仕方があまりに曖昧が過ぎた。

 

「質問を変える。絶対的な格上相手に生き延びるとしたらどんな手段がある」

「ない…………と言いたいが、ない訳じゃない」

 

 グレンのその言葉にウルは瞬かせた。この時のウルは冒険者を志してから一月も経たない新人も新人で、ふと油断すれば一瞬で死が訪れる危険極まりない冒険者の生活に少しでも安全を求めていた。セーフティが欲しかったのだ。

 それがある、というならあるに越したことは無い。ウルはグレンの答えに期待した。

 

「ただし」

「ただし?」

「たっけえぞ」

 

 ウルは苦虫をかみ潰したような顔になった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 転移術式の巻物

 

 これがグレンが教えてくれた「万が一の時の切り札」だった。

 内容は極めてシンプルだが高等な魔術が刻まれていた。即ち、任意の対象を別の空間に移動させる、【転移】の魔術だ。

 

 転移術は一般普及していない。なぜならヒトだけの力では成立しないからだ。

 

 精霊の力が必要なため、製造は神殿で行われる。だが神殿から卸される数は僅かであり、当然高価で、希少だ。

 用途はそれこそ多様である。本来ならば相応の日数と、運搬、保存を用いなければ運搬不可能な大量の物資を一瞬にして別都市に運ぶ事も出来る。極めて困難な人類の生存可能圏外の探索の保険にも使える。深き迷宮の闇の底からの帰還も叶う。

 

 そう、迷宮からの脱出も、可能なのだ。ウルはそれを保有している。

 

 グレンから教わった直後は到底手を出せない代物だったが、あの死霊術士との戦いで得た賞金でたった一枚、それを手に入れていた。神殿から卸された一枚を商人から売ってもらったのだ。金額は限界ギリギリまで交渉し、ついでにシズクの泣き落としまで使って、金貨8枚、かなり安く手に入ったほうだろう。それでも手痛い出費だった。

 だがそれでも、絶対にこの“保険”は手に入れるべきであるとウルは確信していた。何が起こるかも分からない迷宮で、絶対的な脱出装置はあった方が絶対良い。

 

 そして、その確信は正しかった。

 

『よば れても  い な いの   に  厚か まし いの   う』

「…………………」

 

 ぎちり、と、少女のような顔をした竜が笑う。笑った、ように見えただけなのか、あるいは本当に笑っているのか、判別がウルにはつかなかった。

 ウルは、懐にある切り札に意識を向けた。発動は実にシンプルである。巻物の中心にかかれた魔法陣に手を触れるのみ。後は本人の意思に合わせ、周囲にあって望むヒトとモノを望む場所に運ぶ事が叶う。

 一回使い切りの脱出装置、今すぐにでも使って 逃げだしたい。

 

 だが、目の前には竜がいる。

 

 竜、間違いなく竜だ。前見た時のものとは全く違う形だが、目の前に居る存在は間違いなく、竜だ。死霊術師との戦いで見たアレよりも小さく、それなのに遥かに悍ましい存在が目の前に居る。

 

 なんでだよちくしょう

 

 ウルは改めて、この世全てを呪う勢いで悪態をついた。

 コッチはついさっきまで、毒花怪鳥との戦いで必死だったのだ。本当に全身全霊と持てる資金を尽くして戦って、そして勝ったのだ。それだけ頑張って、戦って、なんだってこんな仕打ちを受けなければならない。なんだって、こんな、世界の敵対者と相対しなければならない!!

 そんな理不尽に対する煮えくりかえるような怒りを力に換えて、ウルは歯を食いしばり、倒れ込みそうになるのを堪えていた。

 

『 の  う  なにを しに  きたの  だ  木っ 端』 

「……用があるのはそっちだろう。こんな所に引っ張ってきて」

 

 ウルは早口に応答する。竜が何を言っているのか、あまり頭に入ってこない。頭が捻れそうな重く、響く、その竜の声は、マトモに聞いていると発狂しそうだった。

 なんとか必死に舌を回しながら、隙をうかがう。虫のような歩みでゆっくりと、手を懐に近づけていく。

 

『 我 が  目   的  は   そこ の  “銀” よ 』

「……シズクのことか」

 

 ウルは無感情に口を動かし、時間を稼ぎながらシズクの身体にそっと触れる。転移の際に彼女を一緒に連れていくために。ダラダラと汗が流れる。上層と違って、湿度も無く、光も届かず、むしろ寒いくらいの気温なのに、流れる汗が止まらない。それは緊張のためか、疲労のためか、それとも目の前の異形から放たれる気配のためか。

 

「彼女は、どこにでもいる、只人の、魔術師だぞ」

 

 時間稼ぎのためにウルは更に言葉を口にする。

 と、それが、なんの感情に触れたのだろうか。ガタガタガタと竜が音を立て始める。不気味な、木々が風に揺れ擦れるような音、それが笑い声だと気づいたのは暫く経ってからだった。

 

『そ れ  が   ただ  の   ヒト  に  みえる の   か』

「……違うと?」

『    ち    が    う    な    』

 

 ウルは、竜が奇っ怪な笑い声をあげている間に、その手を懐に当てていた。転移魔術の術式に触れている。発動は出来る。だが、起動してから数秒の時間を有する。その時間をこの竜が許すか、相当怪しい。

 別にこの転移術に隠蔽術なんてモノは備わっていない。発動すればすぐにバレる。

 

『 ソ レ   は     我  ら の   』

 

 ウルは、シズクの身体を掴んだ。同時に残された全力の全てを脚に集中し、大木の背中を蹴りつけた。歪んだ空間の重力に従い、ウルとシズクの身体は果てのみえない虚空へと落下を始める。落下の最中、転移の術式をウルは起動させた。

 

「転移!!!」

『    児    戯    』

 

 真っ白なツルが、ウルの腕をまるごと貫いたのは、一瞬の事だった。

 【鷹脚】を装着したウルの右腕をそのまま貫通し、“横向きの地面”にたたき付けた。

 

「が………!!!」

 

 衝撃と激痛で、ウルは呼吸が出来なくなった。掴んだシズクの身体も同じく大樹に転がった。奈落に落ちなかっただけ幸運だったが、しかし、現状の最悪は全く変化していない。

 

『精霊 の まねご と とは  くだ  らぬ ことを  おも い つく  』

 

 竜は、ウルの手からこぼれ落ちた簡易の転移術式を眺めると、それを脚で踏みにじる。 ウルにとって現状を打破する最後の切り札は、あまりにも呆気なく奪われた。痛みを訴え、か細い悲鳴が漏れる喉とは別に、頭の中は冷たい絶望が包んでいた。

 もう、打つ手が無い。

 

『 こ  の  まま  闇 の 果て に すてても  いい のだが  ふ む』

 

 竜は、ぐりんと首をひねり、地面に投げ出されたシズクを見つめる。無機質な目が、初めて僅かに感情を宿した。だが、ヒトとあまりにかけ離れたそれの感情の大半を読み取ることはウルには出来なかった。

 だが、一点だけ、まるで突き刺さるような怒りだけは、感じ取った。

 

『きさ  ま の  うで  を つ  か うか 』

「――――ッアァア!?」

 

 右腕の、抉るような痛みが、その激しさを増した。ウルは耐えきれずみっともなく悲鳴を上げる。白い蔓が腕に食い込み、中で暴れている。激しい痛みと共に血管の中を強引に侵入してくる感覚は、耐えられない苦痛だった。

 しかも、激痛と、不快感の激流の中で、ウルは何故か、“心地よさを感じていた”。得体の知れぬ、強大な何かに支配される不快感が、何故か心地良さに変換されている。現状と相反する感覚が強制的に植え付けられている。

 

 腕が、うごめく。ウルの意思に反して、ウルの身体を引きずるようにして凄まじい力で、ウルの身体を引っ張り、そして、間もなくシズクの下(もと)へとたどり着いた。

 

 彼女の、首の下へと

 

『 不快 な   モノは  早々に  摘むが 吉   よ』 

「ぐ……ギィ……!!」

 

 シズクの首にかける手に力が入る。魔物を殺すときのように、全力の力が入る。そして、その事を“ウル自身が望んでいた”。こうしたいという、圧倒的な幸福感、全能感がウルの意思全てを支配しようとしていた。

 右腕を抉り貫いたツルが、そのままウルを操り人形にしてしまったかのようだった。

 

 疲労、重圧、激痛、絶望、快感、めぐるましい感情の洪水にウルは脳みそが軋む音を感じた。このままでは、狂う。いや、もう狂っているのかもしれない。で、なければ何を喜んで、仲間の首を絞めているのだ。

 

 首の骨の軋み、手の感触から伝わる。このままだと、殺してしまう。絶望的な不快感、それらが全て快感に変わる。抗いようのないソレに、ウルは逃れられず悲鳴を上げた。

 

「シズ………グ………」

 

 逃げてくれ。と、ウルは彼女の名を呼ぶ。だが、彼女は身じろぎしない。魔力も、精神も尽き果てた彼女に、その余力はない。だが、ウルの呼びかけに、シズクはうっすらと、そのまぶたを動かした。

 そして穏やかに微笑んだ。

 

 いいんですよ

 

 そう、口が動いたのが、ウルには見えた。

 

「………だ、から」

 

 ソレを理解した瞬間

 ウルのぐちゃぐちゃに混乱した頭の中の全ては烈火のような怒りに振り切れた。

 

「そういうのやめろつってんだろうがああああああああ!!!!!」

 

 ウルは抜き去ったナイフを言うことの聞かない自分の右腕に思い切り突き立てた。血しぶきが舞う。無論、激痛が走る。だがウルは意に介さず更にナイフを繰り返し突き刺し、抉る。刻まれた腕から力が抜け、シズクの首にかかっていた指が抜ける。ウルはそのまま地面を蹴り飛ばし、竜へと向かい突撃した。

 

「がァァァアああああ!!!!」 

『  ほ   う    我 が   色 欲   超え る  か』

 

 竜が何かを言っているが、ウルには聞こえない。ナイフを構え突撃する。竜は微動だにしない。よけるまでも無いと思っているか。事実としてよける必要は無いだろう。毒花怪鳥を切りつける事すら一苦労な安物のナイフでは、このバケモノに傷一つつける事は出来ないだろう。

 だが、ウルは、その事を理解していた。焼き付けるような怒りに心臓を叩くが、頭はクリアになっていた。だから、“血まみれたナイフ”を構え、そして竜の身体に接近するその一歩前で、ナイフを振るった。

 

 血しぶきが竜の瞳を潰すように。

 

『   む    ?   』

「だああ!!!」

 

 腰を落とし、脚に全力の力を込め、タックルする。まるで大樹に突撃でもしたかのような衝撃がウルに跳ね返る。が、血の目潰しと、ウルの行動自体に驚いたのか、竜は僅かに後ろに下がった。踏みつけていた術式から脚を退けた。

 ウルはそのまま、竜が踏みにじった転移術式を再び掴む。あの鋭い爪のついた脚で踏みにじられ、ボロボロのそれを開く。再びシズクの下へと駆けながら、術式を起動させようとした。

 

「発――」

『  児   戯     とは  いう  まい  驚 くほど  あがく  』

 

 次の瞬間、ウルは未だに腕を抉っている白い蔓に地面にたたき伏せられた。防御は、やはりままならない。だが攻撃を受けるかもしれないという覚悟だけは事前にしていた。転移術式だけは必死に守っていた。

 身を焦がす快感が再び来る。が、それを上回る熱で焼き尽くす。

 

 操られてたまるか。そして、あの女を殺させられてたまるか!

 

『  憤  怒  の情   成る 程  私 と  相性が   悪 い な』

 

 竜がのぞき込むようにウルを観察し、ガタガタと歪に笑う。先ほどのように、まるで興味が無いという態度から、少しばかりの好奇心を誘われたような、そんな愉快げな声音だった。

 無論、それはウルにとって何も嬉しい事ではない。

 

『  よかろ う    なれば    私自身が  喰ら っ  てやる  』

 

 竜の好奇心を多少誘おうが、全く命の危機が回避できていないのだから。なんとか、なんとか転移の術を発動させなければ、転移さえ出来れば――

 その、ウルの思考をどう読み取ったのだろう。竜はその大きな口をにんまりと切り開いて、嗤った。

 

『ちな  み に    その術式  ただ  の   飾り  ぞ   』

「………………は?」

『 転移  の 術式 だ が、 精霊の【加護】が  ない   ニセモノよ』

 

 ウルは暫くその言葉を飲み込むのに時間がかかった。虚偽の可能性も勿論考えた。足下にある術式を覗き見る。ボロボロになった術式を見て、もう一度竜を見る。

 

「…………試しても良い?」

『  う  ん  』

 

 試しに発動させてみる。仄かな光と共に発動した。ような感じの発光を起こした。数秒待ち、十数秒経った。

 何も起こらない。

 

「…………」

『… … … … な?』

 

 可愛らしくそう言う竜を前に、ウルは、これを簡易転移術式と言い売ってきた男を思い出した。

 

 ――コレは俺も苦労して手に入れた大事な品 だがそれほどまで望むなら、若い者を助けてやろうじゃあないか

 

 なんだかとっても凜々しくいい顔でそう語った商人の顔を思い出し、そして思った。

 

「あの詐欺師呪い殺す……!!!!」

『う   む   良き  絶望と  憤怒 よ  では 喰らおう 』

 

 がぱりと、少女の顔が割れた。顎が外れた、なんてものではない。頭部が真っ二つに分かれた。膨張し、まるで、巨大な蛇のようになって、悍ましい速度でウルに迫った。

 ウルは動けなかった。逃げようとしたが、貫かれた右腕がまるで根のように張りウルを固定していた。

 

「――――アカネ」

 

 最後の一瞬、逃れようのない死を覚悟したウルは、妹の名を呼んだ。

 

 

 

《にいいいいいいいいいいいいいたああああああああああああんん!!!!!!》

 

 

 

 その名を呼ばれたアカネは、一直線に飛び出し、竜の頭を切り裂いた。

 

『  む  』

「――――は?!」

「ウル!!!」

 

 新たに鋭い声がウルの思考停止していた頭に響く。誰の声なのかはすぐにわかった。

 

「ちょーーーーーーーーーギッリギリだったね、私の友達」

 

 外套を翻し、アカネを身に纏ったディズがウルを守るように降り立った。

 

「ディズ…!」

 

 肌に吸い付く紅の鎧と刃、金色の髪の美しい少女がウルの前に現れたとき、ウルは思わず彼女を拝みたくなった。右腕の凄まじい痛みすら忘れるほどだった。ディズはウルをみるや、アカネの剣を使って、ウルの腕を貫いた白の蔓を引き裂いた。

 

「ぐっ……!」

《にーたん!しにそう!?》

「だいじょ……いや……死に、そう、だ」

 

 アカネがディズの鎧から妖精の顔を出す。ウルは気が抜けて、意識が飛びそうになるのをなんとか堪えた。腕に突き刺さった蔓を引き抜こうとするが、肉体にまるで根を張るようになっている蔓は完全にウルの腕に食い込んでいた。

 アカネが身体を伸ばし、小さな小瓶、回復薬をウルの腕に振りかける。ウルが自分で傷つけたナイフの切り傷の痛みが少し引いていく。だが、完全回復には至らない。

 

「ウル、重傷だね。シズクは?」

「気を失ってるだけ……だと、思う」

 

 少し離れた場所で倒れ伏したシズクは、やはり身じろぎしない。先ほど一瞬意識を取り戻したが、しかしやはり限界は限界なのだろう。だが、死んではない……はずだ。ウルはまだ、彼女の首の骨をへし折る感触を味わっていない。

 ディズはウルの説明に頷くと、竜に視線を集中させながら、背後のウルに話しかけた。

 

「さて、悪いニュースが一つあるんだけど、聞くかい?」

「聞きたくない」

「君には今私が神の助けみたいに見えてると思うけど」

「今も見えてる」

「まだ君達、全く助かってないからね」

 

 そう言うや否や、竜が動いた。蜘蛛の糸のような、白い蔓の翼が一斉に広がり、全方位からディズへと襲いかかる。縦横無尽、法則も無く一本一本が蛇のようにのたうちながら、ウルの目には全く追えない高速で飛びかかる。

 ディズは、その場でマントを翻し、一転した。瞬間、翼達が弾かれ、吹っ飛んだ。弾かれた翼は再び竜の背中に戻る。そして、竜は笑った。ガタガタガタと空気がひずむような笑い声をあげた。

 

『 【星華 ノ外 套】 ほ う  【勇  者】 か』 

 

 ディズをその細く長い骨のような指で指す。

 

『 イスラリア の守  護者   賢者  の 下 僕  何しに  来 た 』

「君が最深層から顔を出したと聞いて調査しに来たのさ。正直来たくはなかったよ」

 

 ディズは軽い口調で返事をする。だが、その表情は硬く、そして身体からは強い緊張が漂っていた。普段の彼女の、いつも何処かに余力を残している姿とは全く違う、

 その全神経を前方の竜に集中していた。

 

「魔の頂点がこんな所で何をしているのさ。最深層を陣取りなよ」

『 貴様 こ  そ  なにを  している  はよう  神を名 乗る  ガラクタ の 足  でも  なめては  どうだ』

 

 ウルは、二人の会話を背後に息を堪え、じりじりとディズから距離を取る。それが彼女の望みだというのはウルにもすぐわかった。ウルの挙動は竜には気づかれているだろう。それでも此方へと竜が意識を向けないのは、ディズが対峙してくれているからだ。

 距離を多少取ったところで助かるかは相当怪しい。が、それでも出来る限りの安全は自力で確保しなくてはならない。今のディズに、あの竜から、ウル達を守るだけの余裕を感じない。

 

「シズク、シズク……!」

 

 シズクのもとに再びたどり着く。ウルが左手で揺すると、彼女は僅かに身じろぎした。生きている。ウルは僅かに安堵し。すぐ動けるように、彼女を庇うように前を向く、と、そこで動きがあった。

 竜が、笑った。先ほどとは比べものにならないくらいに大きな声で嘲笑った。空間が軋む。迷宮そのものが同調し、迷宮そのものが一緒に嗤っているようだった。ウルは顔をしかめる。立っているだけで吐きそうだった。

 

『随分と  必死では ないか  なあ? そんなに  羽虫が  大事 か ? 』

「そうだとして、何か悪い?」

『いや  だが  なあ  気になるのだ  羽虫を 守る  それが――』

 

 少女の形をした竜は、ぐちゃりとその顔を歪めた。

 

『  それが   貴様の   死ぬ理由で   良いのか?  』

 

 そのまま、頭が膨らむ。身体が際限なく大きくなっていく。だがそれは、恐らくは本来の姿に戻っていっているだけなのだと、ウルは直感的に理解した。

 強い、毒々しいまでの華の香り。

 巨大なる、白い鱗。青紫の巨大な瞳。蛇のような頭、角が四つ。両翼は翼と言うよりも、伸び広がり自在に絡め取る蜘蛛の巣のようだった。悍ましきバケモノ。だがどこか、畏敬の念を抱かずにはいられない覇気があった。

 

 それはこの世にはびこる魔の頂点に立つからこそ放つ圧。

 

『なれば  望むように  死ね   疎ましき  イスラリア  の 守護者 』

 

 大罪の七竜が一体、【色欲(ラスト)】が現出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色欲

 

 

 それを魔物とヒトとの戦闘、と呼ぶにはあまりにも規模が強大すぎた。

 

「【赤錆ノ権能・劣化創造】【模倣・灼炎剣】」

《んにいいいいいいいいいい!!!!》

『ハハ   ハハハ   ハ    ハハハハ  !!! !!』

 

 紅の剣と白の蔓が交差する。疑似再現された精霊の炎が闇を煌々と照らし、その炎を竜は容易く飲み込み、消し去る。竜はその巨体を驚くほどの俊敏さで縦横無尽にこの歪んだ迷宮の中を駆け巡る。

 上下左右。どこから現れるかも分からない。どころではない。その長大な身体を使い、ディズを囲うようにして、そして全方位から攻撃を仕掛けてくる。

 

「【星華・開花】【劣化創造・聖籠】」 

 

 その全てが死に至る攻撃を、アカネと共に全て防ぎきるディズは紛れもなく、この世の頂点と呼ばれる【七天】にふさわしい実力者なのは間違いなかった。

 

『 いじらしく  粘るのう  貧弱でも  精霊 もどきならば      はらわたが   ひっくりかえるような   きぶんだろうに』

《うっさいなーもー……!》

「さて……どうしたもんかな」

 

 だが、それでも尚、ディズは劣勢に立たされていた。

 アカネの鎧を貫通し突き立った幾つもの白い蔓と傷、血と汗に顔を滲ませ、疲弊したディズの表情が全てを物語る。ウルの右腕と同様肉体に食い込み、侵食を始める蔓を、アカネの鎧が防ぎ止めているが、いつまで持つともわからなかった。

 

「アカネ、どれだけ持つ?」

《んん……きっつい……ぃい…!!》

 

 アカネは苦しげだ。まだ此処は深層の中でも入り口に近い場所であるが、それでも竜の気配があまりに色濃い。“精霊は竜の気配を酷く嫌う”。半分だけの彼女であっても、この場に居るだけでいくらかの苦痛を伴うだろう。しかし

 

「悪いけど、頑張って、私が色欲に喰われたらウルとシズク、マジで死ぬよ」

《んもー!!!ほんとにもー!!!》

 

 アカネの悲鳴のような怒り声が迷宮に響く。同時に彼女の姿が再び炎の剣に変貌する。

 

「【劣化創造・灼炎剣・×10】」

 

 無数に分かれた炎の剣が大罪の竜を囲む。魂ごと焼き焦がす炎が竜を睨み、そして一斉に奔った。

 濃厚な迷宮の闇をも引き裂く圧倒的な炎は一瞬で周囲の大樹を消し炭にしながら竜の肉体に突撃し突き刺さる―――ことはなかった。

 

『【揺   蕩   い】  』

 

 その直前に、色欲が禍々しい声と共に魔言を唱える。途端に、色欲の竜の周囲に不可視の力場が生まれた。一直線に向かっていたはずの灼炎の炎は途端に速度を失う。剣を放ったディズはその現象に眉を顰(ひそ)め、そして身をひるがえし外套を広げた。

 

『【  狂   え  !!!】』

 

 そして次の瞬間、ディズが放ったはずの灼炎剣が一斉に、竜の周辺に飛び散った。

 周囲の森林が燃え盛り、使い手のディズ自身も焼かれる。端でひたすらに身を守るウルとシズクはディズの外套の力が守っていたが、そうでなければ二人とも炭になっていただろう。

 そして色欲の力を直接もらったアカネは悲鳴を上げた。

 

《んにゃああああああああ!?!!!なにこれえ!?》

「色欲の権能の一つ。()()()()()()()()()()()()()()。物質非物質を一切問わない」

《はんそく!!ずる!!!》

「私もそう思うよ」

 

 ディズはアカネの姿を戻す。緋色のアカネの剣はディズの片手に収まったが、心なしかぐったりとしていた。既に彼女も限界に近いらしい。

 やむを得ないか、と、ディズは再び外套を広げた。

 途端。その外套の影から不意に幾多の武具が飛び出した。彼女があらゆる場所から買い揃えた魔剣聖槍その他諸々だ。中には黄金鎚で購入したものもあった。それらを握り、ディズは跳躍する。

 

「【物質流転】」

 

 それらの無数の武具が一斉に動き出す。物質操作の魔術によって、無数の武具がひとりでに動き出した。四方八方に伸びた色欲の白蔓の翼を牽制し、時にその攻撃を防ぎ、攻撃を繰り返す。だが一流の鍛冶師たちによって鍛え上げられた魔剣や聖槍の類であっても、色欲の身体や翼には傷一つつくことはない。

 わかっていたことではある。精霊の与えてくれる聖遺物の模倣ですらもあっけなく吹っ飛ばす魔の頂点にこの程度の攻撃は通じるはずもない。だが、せめて目くらましになってくれれば――――

 

「【魔断――――】

『   なまっちょろい   なああ? 』 

 

 そんな勇者の期待は、容赦なく打ち砕かれた。

 “揺らす力”が再び放たれる。振るおうとした腕の力があらぬ方向に動き、骨を軋ませた。魔剣から放たれるはずの力が自らの身体を貫いた。

 そして不意に飛び出した白蔓の翼がディズの胴体を貫き、食い込んだ。

 

「がっ……!」

『哀れよのお 【勇者】よ 』

 

 竜がその額に新たなる瞳を六ツ開眼する。魔眼の類いではなかったが、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。

 

『【勇者】  【勇 者】 【七天の ()()()】 【天賢王の嫌われ者】』

 

 色欲は嘲りの言葉を投げつけながらも、大きく口を開いた。

 途端にそこから黒紫の破壊の光が集まり始める。【咆哮】が来るとディズは理解したが、胴に食い込んだ蔓が彼女の動きを封じた。よしんば動けたとして、大罪の竜の放つ咆哮だ。背後のウル達がただでは済まない。

 

「【星華・開花】」

 

 ディズは大きく息を吐きながら、再び外套の力を解放した。

 次の瞬間、大罪竜の咆哮が来た。相手を嘲って、狂わせるような色欲の力は込められていない。もっともっと単純な、魔力による暴圧だ。技もへったくれもないが、今のディズには殊更によく効いた。体が灼ける。魔力が見る見るうちに消耗する。白蔓の侵食を抑えきれなくなる。

 

『 装備が 今少しマトモなら  まだ  凌げた ろうに  のう 』

 

 そして、咆哮は止まった。ディズは深く深く息を吐いた。が、限界は近かった。焦げ臭い血が流れ出る。滴となってこぼれ落ちたソレは、迷宮の深い深い闇の底へと落ちていった。

 

「哀れむ、なら、見逃して、ほしいん、だけど?」

『おお  いいぞ?  見逃してやって も良い  条件を 飲むなら』

 

 竜はガタガタガタと笑い、そして大木をも一飲みしそうな口で弧を描き、笑う。

 

『 どうだ 裏切っ  てみは せぬか ?  【太 陽】 を  』

《んんん……んなああ……!》

 

 言葉と共に、ディズの肉体に突き立つ白の蔓の侵食が更に強くなる。アカネがうなり声を上げ、その侵食を止めようとするが、徐々に彼女の身体と意思を蝕まんとした。

 

『【七天】 の中で  唯一 加護を 与えられず  武具を纏わねば  他の七天と 肩も並べられず  地面を這う  哀れな  女  』

 

 ディズが熱っぽく息を吐きだす。身を貫く白の蔓が、強制的に彼女の肉に快楽を与え、支配しようと侵食する。ウルの時よりも遙かに強く、激しく。

 

『 不満であろう   理不尽であろう  不快であろう  何故  何よりも世界の守護に 尽力する者が  こんな扱いを  うけねばならん 』

 

 色欲は目を細め笑う。完全なる魔物の瞳は、しかし何故か魅入るようななまめかしさがあった。その瞳でもって、ディズを誘う。

 

『 我なら  お前を  決してないがしろには  すまい   お前という存在に  敬おう  その孤独から救い  愛でよう 』

 

 白の蔦がゆらりと、まるで女の細く長い指先のように揺らめき、誘うようにうごめく。

 

『 【勇者】よ  我が 下に   こぬか  』

 

 この世で最も天に近しい者に対する、深淵の闇の底からの呪いのような誘惑。一言一言に忌まわしさと、それ以上の甘美を秘めた言葉を浴びせられ、肉体を物理的に浸食され、快楽を与えられる。

 

「――ハハ」

 

 そのただ中にあって、ディズは笑った。

 

「名の割に、ひどく陳腐な勧誘だね、色欲。場末の娼婦でももう少しマシだよ」

《くんにゃろおおー!!!!》

 

 アカネの咆吼と共に、ディズの紅の鎧が輝く。途端、ディズの肉体を貫いていた、白の蔓がはじけ飛ぶ。同時に飛び散る自らの血を払いながら、ディズは炎に燃える剣を前に構えた。

 

「我が愛を侮るなよ、大罪竜」

 

 竜は勧誘した蔦を退け、そして笑う。笑う。ガタガタガタと空間を震わす。

 

『侮りは  しないとも  【勇者】  歴代の  七天  の 中でも  【勇者】だけ は  墜ちたことは なかった  けなげ  よのお』

 

 竜は再び翼を広げる。広く、広く。まるで蜘蛛の巣のようにその白い蔦で空間を支配していく。それは重なり、交差し、一つの形となっていく。巨大なる魔法陣。この空間に存在する全てを消し飛ばす終局魔術(サード)が完成しようとしていた。

 

 竜は、静かにディズを見定める。その瞳に先ほどの誘惑の色は無い。あるのはただ、心臓を押しつぶすような殺意のみがあった。

 

『 それで  我が誘いを蹴って その後 どうするつもりだ?  イスラリアの  守護者よ』

()()()()

 

 ディズは頭を下げ、()()()

 

「【白王陣再起動(リブート)】【魔眼昇華・未来掌握(ラプラスアイ)】【劣化創造・竜穿ツ雷帝(ブリューナク)】」

 

 白王の陣を起動させ、

 火花散らす雷鳴の槍を握り締め、

 左目の魔眼を輝かせたウルの姿がそこにはあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色欲②

 

 時間を少し戻して

 

 ウルはシズクを庇うようにしてディズの姿を見守っていた。見守る、というよりも見る以外何一つ出来ることが無いというのが正解だった。そして見ているというのも正しくはない。何しろ全く目で追えてないのだから。ただただ、眼前で爆発と発光、騒音が連続して響くばかりで、ディズはおろか、巨体なはずの竜の姿すら、全く目で追えない。異次元の戦闘がそこにはあった。

 身を守る事すらこの戦闘の前では無意味だろう。本当に何も出来ない。

 ウルは諦めに近い境地で、ただ呆然としていた。

 

《はろー、ウル。聞こえてる?声は出さずに頭の中で返事して》

 

 が、突如として聞こえてきた声に、ウルの意識は強制的に覚醒した。ウルは悲鳴を上げるのを堪える。声はディズのものだった。言われるまま、頭の中で返事――と言ってもそれが上手くいってるのは分からなかったが――をした。

 

《……デ、ディズか?》

《お、いけたね。今、アカネを介して君の脳内に直接話しかけてる》

 

 アカネを介する、というのは一体どういう理屈なんだという疑問は出たが、今、ソレを聞く状況ではないことはウルにもよく分かっていた。こんな風に会話している現在も進行形で彼女は死闘をくりひろげているのだから。

 ウルは必死にディズの会話に耳を傾ける。なんとか生き残るために。

 

《で、本題なんだけどね。ウル》

《ああ》

《助けて》

《助けてほしいのは俺なんだが???》

 

 ウルは脳内で叫んだ。

 今此処に存在する生物の中で最も貧弱なのがウルであり、最も死にそうなのがウルである。武器は自分の血でベタベタになったチャチなナイフが一本のみ、魔力も全て尽きている。心身共にボロボロで正直気を抜けば意識を失って失血死しそうになっている状態である。

 本当に助けてほしいのはコッチである。

 

《というのもね――――うん、このままだと確実に私、負けるんだよ。竜に》

《ゲロでそうなほど絶望的な情報なんだが》

 

 ディズが死ねばウルもシズクもアカネも間違いなく助からない。ウルからすれば最悪のニュースである。泣きそうだった。

 

《大罪竜相手だと、装備が完璧でも厳しいからね。おばあちゃんの外套とアカネは頑張ってるけど……》

《んにゃあああ!!もーむーりーーー!!!》

《……うん、確実に負ける。劣勢を覆すためにある程度賭けに出ないと厳しい》

 

 とりあえず、現状が極めて厳しいということだけはアカネの悲鳴でウルも理解は出来た。アカネの事を慰めてやりたかった。が、慰めてほしいのウルの方である。

 

《だから助けてってか。いっとくが、俺今ほんっとうに何もできんぞ。毒花怪鳥との戦いでもうなんもかも出し切って、体力も魔力も道具もなんもかも底をついてる》

 

 そのウルの言葉を聞いて、ディズがニヤリと、悪い笑みを浮かべた、ようにウルには感じた。

 

《それだからいいんだ。君は今、この場において最も弱い。しかも瀕死だ。竜もそう思ってる。君という存在を完全に戦闘面からは除外している》

 

 だからこそ、狙い目ではある。とディズは言う。が、ウルはまだ彼女の言うことを理解しきれない。最も弱く、瀕死である。それは紛れもない事実で、だからこの場では何も出来ないのだ。だがディズは言葉を続ける。

 

《ウル、【()()()()】は君が使ったね?》

 

 ハッとなり、ウルは自分の背中に意識を向ける。リーネが渾身を込めて描ききった白王陣の強化魔術。発動時の全てを圧倒する力は既に失われているが、その術式の痕跡は未だウルの背中に残っていた。

 

《使った。だが、もう発動はし終わったんだぞ。魔力も尽きて陣も――》

《いや、まだ陣は霧散していない。此処が迷宮の深層なのが幸いだった。大気の魔力量も尋常じゃない。濃密な魔力が霧散しかけていた白王陣を留めている》

 

 つまり、魔力を補充し、しかるべき手順を踏めば、再び発動は可能だとディズは言う。

 

《私に白王陣を一から生み出す技術は無いけど、既にあるものを再起動するくらいなら出来る。不足してる魔力は私が与える》

《そんな余裕なんてあるのか?相当量の魔力が必要だろう、再起動》

《無い。でもあるように見せかけるくらいは出来る》

 

 ムチャクチャな話だった。だが、それくらい、彼女にとってもこの作戦は賭けなのだ。

 

《その力で、ディズを助力しろと?》

《そ。とはいえ、闇雲に突っ込んでも返り討ちに遭うだけだ。白王降臨は君を“多少は”強くするけど、正面からぶつかれば普通に竜に圧殺される》

 

 たかだか身体強化程度でどうこうできるような相手ではない。竜、ましてやこの世で最も凶悪な魔性、【大罪竜】ともなれば太刀打ちなど普通は出来ない。

 

 不意を打つ必要がある。それも一回こっきりの不意打ちだ。

 

 人より遙かに長い年月を生きてきた竜に、同じ手は二度は通じない。一度目すら「自他共に認める戦力外であるウル」が動く事によって初めて成立する。

 

 竜とディズの戦闘は会話中も続く。白の蔓がいくつもディズの肉体を貫き始める。それでも尚、ディズの思念の声は揺れなかった。ウルはいつこの思念が途切れてそのままディズが死ぬのかとひやひやしながらも会話に集中した。

 

《勝機はもう一点、ウル、君、【魔眼】手に入れたね?》

《……は?》

《気づいてない?じゃあ土壇場で習得したんだね。君、左目が【必中の魔眼】になってるよ》

 

 何ソレ怖い。というウルの感想を余所にディズは解説を加える。後衛、特に弓士などが発現させやすい、比較的ポピュラーな五感強化の一種であるとのことだ。

 恐らく白王陣の発動と、投擲の技術、土壇場で「絶対に命中させなければならない」という心理的な追い込みが作用し発現したものらしい。

 

《じゃあ、俺が竜に向かって投擲したら絶対に当たるのか?》

《残念ながら、当たる可能性ゼロの相手に投げても魔眼は補正してくれない。そもそもウル、今君、竜の動きを捕捉できている?》

《全く》

 

 たいそうな名前の付いた魔眼とやらで見ようにも、竜の動きは全く追えない。何か白い巨大な何かがびゅんびゅんしているようにしかみえない。これで必中の効果とやらが発動するならそれはそれは使い勝手のいいものなのだが、おそらくはダメなのだろう。何が必中だ。

 

《なのでこれから君の魔眼を改造手術します》

《ちょっとまって》

 

 不穏すぎる単語が二つ並んだのでウルは待ったをかけた。

 

《改造?手術?おい待てソレ大丈夫なのか?》

《うん、これもハッキリ言おう。全く大丈夫じゃない》

 

 上空でディズが炎の魔術を放ち、しかし竜がソレを一呑みにしてしまいながらも、会話は続く。ウルの眼球を弄くり回すプランの話は続く。

 

《超強引に君の魔眼を昇華させるために直接君の目を弄る。当然のように激痛を伴う。眼球の中に無数の棘が突き刺さるような感覚になると思う。しかも上手くいっても今後の君の魔眼の成長方針に多大な影響を与える。どんな結果になるか全く予想できない》

《聞けば聞くほど拒否したい》

《うん。だから念のためウル、聞いておこうか》

 

 ディズは四方八方から飛びかかってくる白の蔦を切り刻み、それでも幾つも見逃し、貫かれる。竜が鬨をあげるように咆吼する。その最中、血反吐を吐きながら、まるで明日の天気を聞くかのような気軽さで、質問した。

 

《死ぬのと、どっちが良い?》

《………………………………………………死にたくない》

 

 プランは決まった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 彼女の施術は極めて正確かつ、迅速に行われた。変幻自在のアカネの身体を極めて細く、細く、そして鋭く変化させ、その一部を密やかにウルの方へと伸ばした。そしてウルの眼球に様々な術式を刻み込み、魔眼を昇華していく。

 無駄を削ぎ、未熟を研磨し、最適化を進める。

 数年をかけて行う作業を数秒に凝縮する。

 本来多数存在した可能性の道をこの場、この時を乗り越えるために搾り、突き詰める。

 

「……!!………………ッ!!!!」

 

 ソレに伴う激痛は、尋常ではなかった。

 ウルはシズクの身を庇うようにしていたが、その実、悲鳴を抑えるために彼女の身体を抱きしめて、暴れ出してのたうち回るのを耐えていたに過ぎない。彼女の身を案じる余裕も感触を楽しむ余裕も欠片も無かった。自分で突き立てて今なお痛む右腕の刺し傷が慰めに思えるような、未知の苦痛だった。ダラダラと流される涙に血が入り交じり、血涙が滴った。

 

《もうちょいいい………!!にーたんがんばって………!!!》

 

 アカネが陰から励まし、その裏でディズが決死の覚悟で竜相手に戦い続けている。その事実がウルを地獄のような激痛を耐え続ける力となった。

 そして、そのときは来た。

 

《ウル、今から、竜と会話して、隙を作る、アカネをそちらに寄越すから、合図で使って》

《……発動、時間、は、》

《5秒》

 

 上々だ。ウルは竜とディズの会話を聞きながら、左目から零れる血を拭う。荒れた息を落ち着ける。震える身体でそっとシズクの身体を離す。するとシズクが小さく目を開けた。あまりに乱暴に抱きしめたせいで、目を覚ましたらしい。

 

「……ウル、様」

「……だい、じょうぶだ……いける」

 

 シズクはウルの血まみれの腕にそっと触れる。小さく魔術を唱えると、右腕の痛みが僅かに引いた。

 

「ご武運を」

 

 ウルは頷き、そして目の前で、竜に隠れ、一本の槍を形成するアカネを掴んだ。かつて、雷の精霊と共に成竜を屠った聖遺物、その劣化品をウルは握る。

 

《にーたん》

《いくぞ、アカネ》

 

 久方ぶりの妹との共同作業が竜との殺しあいになるなんて誰が想像しただろうか。しかしこの土壇場の窮地に彼女と共にいられることが、崖っぷちの精神の支えとなった。妹のためなら、竜とて殺せる。そう思い込め。

 

 後は迷うな。恐れるな。ビビるな。()()

 

 奈落の底へ、一歩、前に、踏み出せ。

 

「こうする」

 

 ディズが竜の意識を限界まで惹きつけ、ふっと、しゃがんだ。

 竜とウルとの間に射線が通った。その瞬間、ウルの背中が燃えるように熱くなり、その熱が再び全身を巡った。【白王陣】の感覚がウルを包む。本日二度目となる感覚。決して慣れはしないが、しかし戸惑うこともない。

 

「【白王陣再起動(リブート)】【魔眼昇華・未来掌握(ラプラスアイ)】【劣化創造・竜穿ツ雷帝(ブリューナク)】」

 

 白王降臨を身に宿し、雷の槍を振りかぶり、そして魔眼で竜を見る。

 毒花怪鳥との戦いで開眼し、ディズによって改眼されたその魔眼は、命中を促す魔眼から、捉えた対象の“先”を掌握する凶眼へと昇華を遂げていた。どれだけ縦横無尽に迷宮内部を駆け巡ろうとも、その動きそのものを知れば、困難であれ、補正は可能だ。

 

 魔眼が告げる竜の未来を見ながら、ウルは足を踏み出し、そして槍を放った。

 

「穿てぇ!!!!」

 

 紅と光の閃光となったアカネは、まさに落雷のような轟音と共に竜の喉を貫いた。

 

『【揺れ――――ッがあああああああ!!?    !????  』

「外、した……!!」

 

 竜の悲鳴を聞きながら、ウルは目の前の結果に歯軋りした。脳天を貫く筈だった槍が逸れた。外したのは魔眼の不発でも何でも無く、純粋な己のミスだ。投げる際、僅かな姿勢のブレを感じた。どれだけ肉体を強化しても、既に身体自体がボロボロなのだからそれも当然だった。

 だが、まだだ。

 

「アカネ!!」

《おっしゃああー!!!》

 

 瞬間、竜に突き立ったアカネが、雷の槍が爆裂する。突き立ち、穿った者を内部より焼き焦がす雷が色欲の喉を焼き破る。

 

『………!!!  ……   …………!!!!』

 

 血と肉と、何か得体の知れぬものが焼けた匂いが充満する。竜の悲鳴は既に聞こえない、竜の喉がまるごとゴッソリと焼け落ちて、グラグラと大部分を失った竜の首が揺れる。

 その隙を見て、ディズが跳んだ。雷の槍としての役目を終え、手元に戻ったアカネを剣に換え、その喉元を切り裂くために。

 

『  な゛   め゛    る゛   な゛  』

 

 白の蔦の翼が瞬く。魔法陣を描いていたそれが更に鋭く、巨大な立体の終局魔術は発動せんとしていた。ディズが竜の残された首を落とすよりも、魔術起動の光の方が早い。

 間に合わない。

 ウルは息をのみ、シズクをかばうようにして彼女に覆いかぶさった。

 

 

「【■ ■ ■】」

 

 

 その時、真っ当には聞き取れぬ、奇妙な魔言が、シズクの喉から零れたのをウルは耳にした。本当に小さな、しかし確かにシズクの口から漏れた言葉だった。そして、その結果は――――劇的だった。

 

『   ガ   あ  !?  』

 

 竜の身体が瞬く、正確には、突如として竜の身体に出現した巨大なる“白銀の魔法陣”が竜の胴に出現した。迷宮の深層の闇の中であって強く瞬くその魔法陣は一瞬、竜のその動きをほんの僅かの間、制止した。

 時間にしてそれは1秒にも満たず、魔法陣は消滅する。竜の動きは再起動した。だが、そのほんの僅かな時間は、“彼女”にとっては十分で、

 

「【魔断】」

 

 その一瞬の隙に、ディズは竜の残った首を両断した。

 

 




評価 ブックマークがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色欲③

 

 竜の首が落ちる。

 白の竜の首がぐらりとゆれ、支えを失って崩落する。先ほどまでの魂をも縛り付けるような禍々しい瞳も光を失い濁り、落ちていく。ウル達の傍に落下する。思いのほか軽かったのか、べしゃりという音だけが耳に残った。

 そして長大な肉体は、虚空へと落下していった。果てしない闇の中へと落ちていく。地面との激突音が響くことは無かった。

 

 ウルは半ば呆然とソレを眺め続けていた。そうする以外、出来ることが無かった。

 

「……し、んだ……?」

「ウル、シズク、怪我は」

 

 竜の首を寸断したディズがウルの傍に着地する。竜の血と、自身の血であまりにひどい姿のディズが此方を心配するのは奇妙だったが、ウルはウルで瀕死だった。二度目の白王陣発動、一度目でもひどい脱力感が身を包んだのだ。2回目ともなると、身体が震えた。マトモに立てない状態だった。

 

「…………」

 

 シズクは、再び気を失っている。見れば先ほどよりも更に顔色が悪い。

 だが息はしている。

 

「多分、大丈夫、だと思う」

「よし、アカネ」

 

 と、殆ど重なるように倒れていたウルとシズクに赤い蛇がまとわりつく。ぐるんぐるんとまるでロープのように簀巻きにすると、そのままぐんともちあがった。

 

《うごくなよーにーたん、シズク》

「どうせ動けないだろうから私が運ぶ、一刻も早くここから逃げるよ」

 

 ディズの声音には明確な焦りが見えた。彼女の選択に逆らうつもりは勿論ウルには無い。が、疑問は湧く。

 

「逃げる?アレは死んでるのでは?」

「死んでるよ。でも色欲は消えていない」

 

 どういうこっちゃ、というウルの疑問にディズは答えた。

 

「アレは本体だけど“心臓”じゃない。しかも此処は“迷宮”、竜の体内のようなものだ。いつ復活するかわかったもんじゃ――――……うん、まあ、あんな感じで」

 

 途中、ディズがとても諦めたような声で指を指すので、ウルは凄まじく嫌な確信を覚えながら、簀巻きのまま首を捻り、指さす方を向く。

 そこにあるのは先ほど落ちた竜の首だ。瞳は濁り、醜い血はどくどくと流れ続ける。どう見ても死んでいた。あの凶悪な牙の並んだ口もでろんと開いて、舌はだらしなく伸びて――――

 

 そして、その喉から()()()()がデロンと一つこぼれ落ちた。

 

「うゎ」

 

 ウルの喉から潰れた角蛙のような声が出た。

 一見して間抜けな光景ではあった。まるで欲張りな蛇が飲みきれぬ卵を吐き出してしまったかのような。だが、先ほどのディズの話を聞いて、その滑稽さを笑ったらそれこそ間抜けだろう。

 

 卵が、割れる。ひび割れ、闇の中で、闇より昏い魔力の光を放ちながら。

 

 割れて、砕けて、そして中からソレが姿を現す。少女、というよりも幼女。ウル達が最初に遭遇した時よりも小さな、幼子の姿。だが、背中の翼と、何より頭部から伸びた四つの角の異様は、変わらなかった。

 

『まさか  こうもはよう   うまれなおす   はめになろうとは』

 

 竜は復活した。ウルはほんの一瞬でも得た安堵を失い、墜落するような気分を味わった。そして本当に墜落した。アカネが再びディズの手元に戻り、ウルとシズクは落とされた。運ぶ余裕は無いと、ディズの背は語っていた。

 

「……色欲の迷宮は、生命の本能、生命の流転の領域か……侮ったな」

『まさか  きさまに  “われ”を  ころされるとはな』

「……ん、君とは初めまして色欲」

 

 “産まれ直した”竜はディズの言葉にしげしげと、どこか感心したような顔をする。その所作は気のせいか、見た目と同じくらい幼い。ウルの眼からは、ただ小さくなっただけのように思えたが、どうやら真の意味で「産まれ直した」らしい。

 

『それでは   われの   かたきを うたねば   のう?』

 

 だが、竜という存在の邪悪さは、微塵も変わらなかったらしい。幼い幼女の口をぱかりと開いて、嗤うその様は身震いを感じた。

 

「今の君は前の君と比べれば大分幼い。一方的にはならないよ」

『だが  われは  めっさぬ  きさまは  おわる』

 

 ディズは剣(アカネ)を構える。油断なく竜と対峙する。だが、彼女の疲弊と怪我の重さは明らかだった。装備不十分な状態での大罪竜との対峙と、白王陣の起動のための多量の魔力の譲渡。

 だが、竜とて弱っている。はずだ。

 弱っていないなら、先程よりも更にボロボロになったディズなど即座に殺してもおかしくない。だがそうしないとのは、ディズの指摘が正しいからだ。

 そして結果、奇妙な拮抗が生まれた。両者は中々動かない。そしてそれを眺めるウルには何も出来なかった。今度こそ、本当に見守ること以外何も出来なかった。

 

 その拮抗を破ったのは――

 

 

「生き残っていたか!!勇者!!」

 

 

 ディズでも、竜でも、勿論ウルでもシズクでもない。豪快で、粗野な男の声だった。

 

『  む  』

「間に合ったか」

 

 色欲がその声に気取られ、ディズがその隙に背後のウル達の下へ跳ぶ。そして迅速に、再びウル達を簀巻きにすると更に跳躍した。まるで危険なエリアから逃げるように。

 

 同時に竜の周囲が突如として爆発した。 

 

 魔術の衝撃というよりも、とてつもなく“固くて速い何か”が着弾したような爆発。先ほどまでの激闘の舞台となって尚強靭に地面に突き立っていた大樹がめきりと大きな音を立てる。その真ん中を“爆発”によって大きくえぐり取られ、きしみ始める。

 

『    ぐ   む    』

 

 そして、その爆発跡の中心で、きしむ大樹の上、小さな竜の首を掴み握りしめる人影があった。

 

「なんだ?!なに!?なにが!?」

「“同僚”が来たんだよ。やれやれ、なんとか凌げた」

 

 アカネに簀巻きにされながらパニックを起こすウルに対して、ディズの声は落ち着いている。安堵していると言っても良い。同僚、無論、この同僚というのはディズの管理する金融ギルド“フェネクス”の方を指してはいないだろう。

 

 つまり【七天】だ。

 

「“最弱の身”で凌いだのは見事!!だが、独断専行はいただけんなあ勇者よ!!」

 

 先ほどと同じとてもやかましい声が迷宮に響き渡る。闇が無限に広がっているように思える迷宮の深層が、やけに狭く感じるのはその声の大きさの所為だろうか。爆発時に生じた粉塵が晴れ、姿が見え始める。

 褐色、剃り上げられた頭。上半身が何故か裸で筋骨隆々の肉体が剥き出しになっている。丸太のような両足で、根を張っているかのような力強さで、軋みをあげ揺れる大樹の上で仁王立ちしている。

 だが、何よりも特徴的なのは、その両手に装着された手甲であろう。肘まで覆う籠手、ウルの倍はありそうなほどの太い腕を更に二回りも大きく覆う、まるで巨人の腕のような金色の武装だった。

 

「ごめんって【天拳】。友達が何故か死にかけててさ」

「ならばせめて貴様は死にかけるな!!!独りで突出するならそのツケを周りに回すな!」

「うーん正論」

 

 叫びながら、男は竜を巨大な拳で殴る。先ほどウルが聞いた爆発音が再び響く。竜の肉体は瞬間はじけ飛ぶ。その小さな身体は隣の大樹の幹に激突し、更にその大樹を砕いた。

 

 あのバケモノを、吹っ飛ばしたのだ。ウルは驚愕で目を見開いた。

 

「……なんだありゃあ」

「当代の【天拳】、グロンゾン・セイラ・ディラン。うんまあ、君の想像通り、七天の一人だよ」

「七天とは、太陽神の力をその身でもって顕示する者達!!!!貴様の敗北は太陽神の敗北だ!!改めて心得よ!!」

 

 凄まじくでかい声で叫び倒しながら、グロンゾンは手を休めず目の前の竜を殴り続ける。そのたびに爆発するような衝撃が響く。だが、弱っているとはいえあの小型の竜を一方的に殴りまくる様は驚愕を通り越して笑えてきた。

 グロンゾンが拳を叩き込むたび、竜の小さな身体はぶっ飛ぶのだが、その速度よりも速く、グロンゾンは大樹を蹴りつけ空を跳ねる。そして自分で殴った竜を殴りつける。単純、というにはあまりに物理を無視しているかのような戦術だった。

 

「なるほど、それなら手本を見せてもらいたいね」

「無論!!太陽神の力を――」

『   やかま  しい  』

 

 竜が口を開く。同時に小さな口から冥い魔力の光が瞬く間に凝縮する。“咆吼”が来る。ウルの魔眼にグロンゾンはおろか、竜の前方全てを捻れ砕く闇の光が見えた。ウルは思わず身体を強ばらせる。が、

 

「――――――五月蠅い」

 

 もう一人、声がした。奇妙な声だった。どこから聞こえてきたのか、そもそもその声が高いのか、低いのかも全く分からない。全ての方向から声をかけられたような気分だった。

 そして、ウルは見た。グロンゾンによって竜がたたき付けられた大樹、その大樹から”ぬるり”と細い腕が二本生えてくるのを。そしてその腕が、竜の首を”刎ねた”。

 

『    か    』

 

 首が、落ちる。幼い少女の首から光が消える。血は零れず、崩れていく。そしてその大樹の裏から、まるで水面から顔を出すように一人のヒトが姿を現した。真っ黒なフードに身を包んだ人物、ウルが弱っているせいなのか、一体どんな顔をしているのかよく分からない。特徴の無い只人だった。

 恐らくは“彼”と思われるその人物は、落とした首を前に小さく呟いた。

 

「呆気ないな」

『   ほ う   』

 

 竜の声が、首の落ちた竜の身体からした。男はその瞬間、再び大樹へと身を沈め、潜った。間もなく竜の小さな胴体が変化し、白い蔓が荒れ狂い、その周囲の全てを大樹ごとえぐり取り、食らいつくした。

 

『  このくび  そうなんどもおとされるほど  やすくないはずなのだがな 』

 

 先ほどより遙かにスケールダウンしたが、再び大罪竜がその姿を見せる。形は小さい。が、その圧は大蛇のようだった時と比べてもまるで遜色は無かった。

 

「勇者」

「は!?」

 

 ウルは自分の真横から聞こえてきた声に思わず声を上げた。見れば、ウル達の隣に、先ほどまで離れた場所で竜の首を搔き切っていた男の姿がそこにはあった。男は、ウル達を支えるディズを見て、首を傾げた。

 

「何をしている。【勇者】」

「やあ【天衣】。これは私の友達だよ」

「何故そんな子供がこんなところにいる。死ぬぞ」

「うん。だから焦ってしまったよ。飛び出してご免ね」

 

 【天衣】と呼ばれた黒髪の男は暫くウルを見たあと、興味なさげに背を向けた。視線の先には竜がいる。竜は向かいの天衣と、そして更に背後のグロンゾンに挟まれ、沈黙を保っていた。

 七天達も動かない。膠着した状態でディズが動いた。

 

「さて、色欲、まだやるかい?」

『   … ……   ハ   』

 

 ディズの言葉を聞いた瞬間、

 

『ハハ   ハハハ     ハ   ハハハハハ!!!』

 

 竜は、笑った。

 

『ハ    ハ    ハハ ハ     ハハ   ハハ   』

『ハハハ    ハ ハ     ハハ   ハハ   』

『ハ      ハ ハハ    ハハハ     ハ    ハハ』 

 

 複数の、同じ笑い声が、重なり、闇の迷宮に響き渡る。

 

『『『『『『『アハッハハハハハッハハハハハハッハ』』』』』』』

 

 途端、その気配はウル達の立つ周辺から“溢れかえった”。

 

 竜、竜、竜、竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜!

 

 大樹の陰から、地面の中から、奈落の底から、大小様々な真っ白な竜達が姿を現した。ずるずるとのたうちながら這い寄っていく様はおぞましい。そしてそれら全てが、先ほどウル達が対峙した竜と大きさ以外寸分違わない。

 その内から溢れかえる悍ましい力に至るまで、全て同じだった。

 

「ふむ!流石に深層ともなれば随分と増えておるわ!!」

「…………」

 

 【天拳】と【天衣】は再び構える。天拳は更に闘気をたぎらせ、溢れさせる。対して天衣は沈黙を保ち、気配が闇へと溶け消える。姿があるにもかかわらず、全く姿を認識できない。

 大量の竜は更に溢れる。殺意と悪意が空間を満たしていった。

 

 俺死ぬわ。と、ウルは本気で思った。

 

 そしてそれはディズも思ったのだろう。わざとらしく、大きく溜息をつきながら、ハッキリと通る声で、竜と、そして七天達に声をかける。

 

「こんな浅い場所で暴れすぎると、迷宮の“封印”のバランスが崩れて、空間崩壊するかもしれないよ?」

「む」

「――……」

『  ふ   む    』

 

 途端、三者(と、言って良いものかは相当怪しかったが)の動きが止まった。ウルにはどういう理屈なのか分からなかったが、少なくともディズの指摘は、大罪竜と七天達が拳を下げるだけの説得力があったらしい。

 天拳はその金色の剛拳に込められた力を解く。天衣は再び姿を現した。大量の竜達はずるずると、再び奈落へと戻り、最初から居た一体だけがその場に残る。竜はその瞳を幾つかパチパチと瞬きさせたのち、やれやれと鼻を鳴らした。

 

『  よか  ろう    こんかいは   くつじょくは  のもう 』

 

 不意に竜の身体が輝き、再び幼女の姿に戻る。

 

『 すでに  もくてきも  たっした  』

 

 そう言い、竜は険しい眼光を一カ所に向けた。それは七天の二人にではなく、ディズの方へと向けた。だが、ウルにはそれが、ディズ越しに、気を失っているシズクに向けられているように感じられた。

 

『どのような  さくを ねろうと     むだだ    きさまらの  はめつは  もうめのまえに   ある』

 

 竜はその身をふらりと揺らし、大樹から身体を離した。重力に従って、竜の身体は下へと、迷宮の闇の奥底へと落ちていく。

 

『  つかのまの  あんのんを  ヨロこべ  ヒトよ    』

 

 僅かに聞こえたその言葉を最後に、竜は闇の中に消えて――

 

『  おお  わすれて  おった  』

「うお!!?」

 

 ウルは奇妙な声を上げた。闇へと去っていったと思った竜がひょいと、ウルの目の前に現れたのだ。側に居るディズが無言で、即座に剣(アカネ)を振るい竜の首を刎ねた。先ほどよりも更に呆気なく首は離れ、しかしそのまま竜は言葉を続けた。

 

『  おい  おまえ   なまえは  なんという   こぞう 』

 

 こぞう、と呼ばれる者はこの場においてはウルしかいない。

 

「……名乗るほどのものではございません」

『ほう  なるほどな    ではな  ()()  』

 

 全く名乗っていないはずのウルの名前を告げて、竜はニンマリと不吉な笑みを浮かべた。そして次の瞬間、ディズによって両断された竜の首はぐらりと落下していく。他の竜達と同じく、奈落へと。

 

 静寂、それが事の終わりを示していた。

 

「………ふ――」

 

 ウルはそれを知り、同時に急速に意識が落ちていくのを感じた。限界をとうに超えた状態で張り続けた緊張の糸が切れた。

 

《にーたん!?》

 

 妹の声に安心を覚えながら、ウルは今度こそ、意識を閉じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰還

 

身じろぎすら困難な疲弊の闇の底、熱した針が突き刺さったような痛みが全身を覆っていた。逃れようとしても、身動き一つとれずうなり声をあげる。身体だけではなく、瞳、左目も熱い。眼孔を焼くほどの熱を瞳が帯びている。抉り取って水で浸せばさぞや心地よくなるだろうが、そうすることは勿論できない。

 痛みに苦しみ、もがいて、疲れ果てて、再び、まどろみに落ちる。その繰り返しだった。

 

 ようやく意識が覚醒に至ったのは、全身を覆う痛みと熱がわずかに引いた後の事だ。

 

「……生きて、いる」

 

 ウルの、目が覚めての第一声がそれだった。

 日の光の差す窓、柔らかなベッドの上、包帯まみれの身体を見て、ウルは自分があの地獄から生きて帰ったことを理解した。正直、自分が生き残ったことが信じられないような気分だった。だが全身の熱と、腕と眼の刺すような痛みが、自分の生還をこの上なく明瞭に示していた。

 

「ウル」

 

 自分を呼ぶ声がして、ウルは寝たまま首をそちらに向ける。小人の少女、リーネがこちらを心配そうに覗いていた。

 

「起きたのね」

「……ぶじだったのか」

「コッチの台詞よ。本当に。私の初めての一行がそっこうで崩壊したと思ったわ」

「おれも、そうおもった」

「コッチはロックの魔力を補充して、迷宮出口に戻ったわ。幸い魔物との遭遇は少なく済んだの」

「どれだけ、ねてた」

「まだ半日、日も沈んでいないわ」

 

 そう言いながら、近くにあった水差しを注ぎ、口元に近づけてくれる。ウルは黙ってそれを飲み干した。冷えた水が乾ききった口の中を満たし、喉を潤した。先ほどよりは喋るのが楽になった。

 

「身体、痛いところは?」

「全身と腕と眼。だけど耐えられないほどじゃない」

「そ、癒師を呼んでくるわ。もう少し寝ていて」

「シズクは?」

「隣」

 

 首を捻る。隣のベッドでシズクがすやすやと寝ていた。ウルと比べれば随分とマシに見える。が、顔色は真っ白だ。

 

「随分と魔力を消耗したみたい」

「なるほど」

「貴方ほどじゃないけど」

「なるほど……」

 

 要は、全員無事だということだ。無事だと分かると、再び急速に眠くなってきた。安心と疲労と怪我がまどろみに誘う。まだまだ確認しておかなければならないことは山ほどあるのだが、思い浮かぶ懸念が言葉になる前に溶けてしまう。

 ソレを察してか、リーネはウルの額を撫でて、そのままベッドに倒した。

 

「寝てて」

 

 彼女の手に抗うことは出来なかった。柔らかな枕に頭を埋めると瞼が意思に反して降りていく。だが寸前でウルは眠るのを堪えて、ほんの少しだけ頭を起こした。

 

「リーネ」

「なに?」

「ありがとう、おまえのおかげで、いきのこった」

 

 それだけ言うとついに限界が来た。ぐらんと頭が揺れて瞼が降りる。枕に頭を埋めた瞬間意識が途切れた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「名無しの小僧はおるか!!」」

 

 やかましい銅鑼のような頭に響く声で、ウルは再び目を覚ました。

 身体の熱と痛みは更に引いている。身体は楽だった。癒院の腕は素晴らしかった。金が幾らかかるのだろうという懸念は今は忘れた。腕の痛みは引いている。だが、左目だけは未だに刺すような痛みが続いていた。ひょっとしたら魔眼の改造とやらが一番の重傷なのかもしれない。

 

「お待ちを!此処は心身の癒やしのための場所、どうかご配慮を!!」

「配慮はするが急務だ!!退くが良い癒やしの乙女等よ!」

 

 どかどかと音を立て、女性の悲鳴のような声が聞こえてくる。それは明らかに此方に向かってきていた。ウルは部屋の扉へと視線を向けた。

 

「小僧!此処におったか!!!」

 

 勢いよく扉を開けて出てきたのは、あの迷宮の深層で見た、筋骨隆々の大男。普通の広さのこの一室が途端に狭く感じるようなその男、ディズと同じ【七天】、【天拳】の名を冠する男。

 名はグロンゾン・セイラ・ディラン。ウルも【天拳】の名は知っている。有名な男だった。その有名な男がこっちにむかってズンズンと歩いてくる。

 

「どうも、あの時は助けて戴いてありがとうございます」

「うむ!!だが感謝は天賢王と太陽神にせよ!名無しの祈りであっても貴賤はない!!」

 

 言われるまま、ウルは太陽神に祈りを捧げた。グロンゾンは満足げに頷いた。

 

「さて小僧!!何故竜が貴様等に接触したか答えよ!!!」

「わかりません」

「なんでわからんのだ!!!」

「そう言われましても」

 

 本当に分からないのだから仕方が無い。少なくともウル“は”極めて一般的なただの冒険者に過ぎない。賞金首を狙うという、今の冒険者の界隈においてはかなり無茶なマネをしているという自覚はあるが、それだって、「変わってる」程度だろう。

 ウルの来歴に特殊な所はない。ただの“名無し”であり、冒険者だ。

 

「グロンゾン様。彼は病み上がりです。出来ればあまり無茶は……」

 

 そこにリーネが再び顔を出した。見舞いを続けてくれていたらしい。小人の彼女と大男のグロンゾンが立ち並ぶと、グロンゾンが巨人に見えてくる。

 

「ふむ、貴様、名は?」

「リーネ・ヌウ・レイラインでございます。」

「ヌウか!では抗議を許す!!だが邪魔立てしてくれるな!これは太陽神の使命よ!」

 

 グロンゾンが唸る。ウルはシズクが寝ているしもう少し静かにしてくれないかなあ、と寝ぼけた頭でそう思った。しかしこの天拳、押しがかなり強い。どう見ても簡単には引いてくれそうに無い雰囲気である。さてどうしたものか。

 

「小僧、貴様には我が質問に答える義務がある!答えよ!!」

「そう言われましても」

 

 隠してないんだけどなあ。という諦めに近い境地だった。現状、目の前に居るのは七天であり【セイラ】、つまるところ【神殿】での2番目の位に位置する存在だ。名無しのウルなど鼻息で消し飛ぶ。

 逆らう気はないのだ。ないのだが、彼が納得できる答えをウルは困ったことに持っていない。

 

「竜が動けば都市単位でヒトが滅ぶ!!!迷宮の奈落から溢れ出たならば、必ずその要因を突き止めなければならない!!七天の役目である!」

「七天。逆らう気はない、です。ディズには世話になっています」

 

 まあ、諸悪の根源でもあるのだが、とは言わないでおいた。悪口と取られても困る。

 

「あの娘はヒト助けが趣味なところがあるような女だからな!!全く惜しいものだ!」

「惜しい?」

 

 奇妙な言い回しだった。ウルが不思議そうにすると、グロンゾンはウルの心情を察したのか「ああ」と頷いた。

 

「勇者は七天の中でも最も弱いのだ。その精神性は最も気高いと思うのだが惜しいものだ」

「弱い……というのは彼女自身も言っていましたが」

 

 しかし他の同僚から改めてそう言われると、意外に思える。どう言われようと、ウルにとってディズの実力は今のウルにはとても届かない領域にある。無論、目の前のグロンゾンも同じくらいにとんでもなかったが、それほどまでに決定的な違いがあるかと言われれば、あまりそうは思わなかった。

 勿論、ウルごときが測れるようなものではないのかもしれないが――と、そう思っていると、その思考を読むようにグロンゾンが頷いた。

 

「技量、という問題ではない。彼女は【太陽神の加護】を与えられていない」

「……【加護】」

 

 精霊から【加護】を預かり、それを自在に振るう神官の力。それは無論知っている。だが【太陽神の加護】ともなると話は違う。神殿の神官達が行うような力とは全く異なるのだろう。

 ちらりとウルはグロンゾンの両手を見る。あの時彼がふるって見せていた黄金の籠手、あれがその【太陽神の加護】とやらなのだろうか。

 

「【勇者】は七天の中で唯一【加護】を与えられぬ。故に七天の本来の責務である大罪竜に対抗することは叶わない。故に惜しい」

「何故、与えられないのですか?」

 

 ウルがそれを咄嗟に口にした瞬間、怒りのようなものを覚えていたことに声を出してから気がついた。それくらい声音が固くなっていた。つい先程、ディズとアカネに命をギリギリのところで救われたからだろうか。思った以上に恩義を感じていたらしい。

 だが、ウルの言葉にグロンゾンは強い視線を返した。

 

「太陽の加護を与えるか否かを判断するのは我等が天賢王の采配だ。我等に口出しする権利は無い。無論小僧、お前にもな」

 

 咎めるように強く言い切る。ウルは素直に頭を下げた。

 

「失礼しました。過ぎたことを口にしました」

 

 するとグロンゾンはニッカリと笑った。

 

「良い!随分と良くしてもらってるようだな!!」

 

 別に逆鱗に触れて、機嫌を損ねたりだとかそういう事は無いらしい。どうやらウルの立場を考えた警告だったようだ。豪快で強引な男だが、それだけの男ではないようだ。

 

「さて、話が逸れたが、では聞かせてもらおう!あの時何が起こったか――」

「あらあらまあ、【天拳】様、こんな所に」

「む」

 

 そこに新たな人物が顔を出した。白髪の、年老いた老婆。しかし身に纏う衣類は落ち着いていて、薄っすらと化粧もして、どこか上品な印象を受ける優しげな女性だった。

 

「ネイテ学園長……」

 

 リーネが驚きに満ちた声で小さく呟いた。

 学園長、とリーネが呼ぶということは、彼女はラウターラ魔術学園の長なのだろう。その彼女が何故此処に?という疑問もあるが、そのウルの疑問を余所に、彼女はニコニコと笑いながら恐れること無くグロンゾンに近づいてゆく。

 

「ネイテ・レーネ・アルノード。久しぶりだな!」

「お久しぶりでございます。相変わらず壮健そうでなによりで」

「無論、我は太陽の代行者であるからな!」

「ですが、此処にはそうでない方が沢山いらっしゃいます」

「む」

「怪我と病と戦い、疲労に伏していらっしゃる方も」

「ふむ……しかしな」

「では、私も微力ながらお手伝いいたしましょう。彼らの聴取など、冒険者ギルドに働きかけ、依頼しましょう。その方が不都合が無いでしょうから」

「ふむ」

「彼らから話を聞くより、貴方自身でしか出来ないことがあるはずですから。私のようなおばあちゃんでも出来ることは私から助けさせてくださいませ」

 

 凄まじい勢いのあるグロンゾンに対して、ネイテはゆったりと、ニコニコと笑いながら返答する。その一つ一つがグロンゾンの気勢を削いだ。最後には考え込むようにしてうんうんと唸ったのち、落ち着いた表情で頷いた。

 

「では任せよう。頼むぞ」

「ええ、勿論」

「名無しの小僧、お主も確りと答えるのだぞ!竜の抑止は全てのヒトの存亡に直結するのだ!都市の内外も関係ないことを忘れるな!」

「忘れません」

 

 よし!!とウルの返事に満足し、乱暴にウルの頭を撫でる。孤児院のじいさんにしかやられなかったことをされて戸惑っている内に、グロンゾンは不意に両腕を上げた。

 なんだ?と思っている間にほんの一瞬、彼の両腕が黄金色に輝いた。あの時、大罪迷宮ラストの深層で彼が使っていた黄金の籠手の姿が一瞬だけ見えた。そして、

 

「【破邪天拳】」

 

 恐ろしく静謐な印象を与える鐘の音が彼の両手の拳から響き渡った。驚きよりも先に、豪傑な彼の両腕から放たれたとは思えないその綺麗な音に聞き入っていると、周囲の病室から驚きの声が聞こえ始めた。

 

「……なんか、急に気分が良く……?」

「ぬおお!!ずっと痛かった腰が治った!!」

「先生!寝たきりだった患者が目を覚ましました!!」

 

 騒ぎを聞きながらも、ウルもまた会話中も続いていた身体中の痛みが引いていくのを感じた。まさしく、【太陽神の加護】の力の一端を見せつけたグロンゾンは、なんでもないように笑った。

 

「うむ!!迷惑をかけたな!!ではな!!」

 

 そういって、出てきたときと同じように部屋を出て行った。

 

「……本当に、嵐のようなヒトだったわね」

「悪い方ではないのよ。少し自分の仕事に熱心になりすぎるところがあるのだけれど」

 

 リーネの呆然とした感想に、ネイテ学園長はおっとり微笑みながら補足する。そして改めて彼女はウルへと向き直った。

 

「初めましてウルさん。私は学園長をしているネイテと言います。リーネさんとは初めましてではないけれど」

 

 ラウターラ魔術学園の学園長。というととんでもない人物を想像するが、清楚で優しげな印象を受ける老年の女性だった。ウルもまた、応じるように頭を下げた。

 

「ウルです……助けて下さりありがとうございました」

「私からもありがとうございます。ですが、学園長。どうしてコチラに?」

 

 リーネが不思議そうに尋ねる。確かに学園長が癒院にいるのはおかしいといえばおかしい。あるいは彼女も何かしら病を患っているのか?とも思ったが、その様子も無く健康そうだ。

 

「私が呼んでたんだよ。んで、【天拳】にウルが絡まれてたから助けてもらった。私が顔出したらヒートアップするだろうからね」

 

 ネイテがリーネの問いに答えるよりも先にディズがひょいと顔を出した。隠れていたらしい。同時に、

 

《わたしもいるのよ!!!》

 

 と、アカネがぴょいんと幼女の姿になってウルに飛びついた。ウルは彼女の跳躍と抱擁に対して受け身を取る体力も無く、無防備に顔面で受け止めた。

 

「アカネ、怪我は無い?」

《あーたーしーのーせーりーふーーー!!》

 

 ウルの頭にかじりつきながら、アカネはぷりぷりと怒っていた。可愛らしい。とはいえ、その怒りは受け止めるべきだろう。本当に、今回は死ぬかと思った。ディズもまた、ベッドに横たわるウルの顔を確認するように覗き込んできた。

 

「ウル、元気そうで何より」

「元気に見えるか?」

「竜と対峙して生きて帰って正常に喋れるとか結構奇跡だよ」

「俺もそう思う……そっちは?」

 

 ウルはじっとディズの身体を頭から足先まで眺める。部屋着のような無地の軽装に身を包んだ彼女は特に怪我をしているようには見えない。ごくごく普通のリラックスした姿だ。

 だが、ウルはあの時彼女が竜にめった刺しにされているのを見ている。冷静になって考えれば彼女の方がよっぽど重傷の筈だ。しかし彼女は今ピンピンとしている。

 

「私、君よりは身体頑丈だから安心してよ」

「寿命削ってるとかじゃないだろうな。大丈夫だろうな」

「心配してくれてる?」

「そらそうだろうがよ。ヒトをなんだと思ってる」

 

 そう言うと、ディズはにへへははは、と、奇妙な笑いかたをした。変な女である。

 まあ、嘘は言ってるようには見えない。となると結局、今回一番重傷なのは自分ということになる。ソレを自覚すると再びどっと疲れた。

 

「勇者様。学園長に用というのは?」

「頼み事。ま、もう終わったよ。ごめんねおばあちゃん。わざわざ足を運んでもらって」

「大丈夫よ。楽しかったわ」

 

 のんびりとそう言って、そのまま彼女は再びウルを見つめた。

 

「リーネさんの冒険者としての都市外への出立希望、認められたわ。どうかこれから彼女をよろしくね。ウルさん」

 

 彼女が何を言っているのかウルは一瞬飲み込めなかった。が、リーネの処遇、彼女が冒険者として生きていけるか否かの問題は、今回の怪鳥討伐の一つの大きな目的ではあった。それがクリアされたと、彼女は言っている。

 隣で聞いていたリーネはその言葉にいち早く反応した。

 

「本当ですか……!?」

「賞金首を討ったんですもの。功績としては十二分。最低限の護身の術はあると判断されたのでしょう」

「良かった……」

 

 リーネは胸をなで下ろす。賞金首の撃破はあくまで彼女にとって目的達成の手段であって目的そのものではない。ネイテ学園長の言葉を聞いてようやく安心できたのだろう。そんな彼女の様子を見て、ネイテ学園長は優しげな笑みを湛えたまま、一つ問うた。

 

「リーネさん。今後も冒険者を続けるの?」

 

 問われ、リーネはぱちくりと瞬きし、そして少し警戒したような顔つきで、問いに答えた。

 

「……ええ、勿論そのつもりですが」

「ああ、御免なさい。貴方を止めるというつもりはないの」

 

 ネイテはクスクスと笑う。その所作だけで不安を和らげるなにかが彼女にはあった。ウルは少しだけ隣で寝ているシズクを思い出した。

 

「ご家族から話を伺ったわ。白王陣、この都市を護り続けてきた力の名誉の回復のために、その名を上げたいという目的があるのでしょう」

「はい」

「とても立派なことだわ」

 

 ネイテは素直に彼女を称賛した。その上で、

 

「でも、名誉の回復の手段は必ずしも、冒険者だけに限った話ではない筈でしょう?この都市で腰を据えて努力する手段もあるはずだわ。それでも冒険者になりたい?」

 

 それは意思の確認のような問いかけだった。リーネの覚悟を確認するための問い。その意図を察したのかリーネはしばし言葉を探すように眼を閉じた。そしてその後、一度ウルを見て、学園長に向き直った。

 

「はい。私は自ら冒険者として、レイラインとして、外に戦いに出るつもりです」

「そのために、彼らと共に行くことが最適だと?」

「彼らは彼ら自身の目的のため、魔石採掘を主目的とせず、ヒトの世に害なす賞金首を狙い、討とうとしています。ヒトに害をなし、しかし誰にも討たれぬ魔を討つことが叶うなら、かつての白の魔女様の意思にも沿うでしょう」

 

 それともう一つ、と、彼女は再びウルを見る。

 

「彼らは私を、レイラインの魔術を必要としてくれています。応えたいのです」

 

 リーネはそう言って、ウルの前では恐らく初めて、嬉しそうに微笑みをみせたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰還②

 

 

 

 リーネの意思を確認し、満足したのか学園長は学園に戻っていった。他の連中も解散、というわけにはいかなかった。まだ聞いておきたいことや確認したいことは山ほどあった。

 

「しかしディズとアカネはよく、あんなに早く深層にこれたな」

 

 竜に連れ去られ、深層に飛び込む羽目となったウルは「終わった」と本気で思ったものだ。ディズがいち早く助けてくれなければ本当にそうなっていただろう。それ自体は感謝するが、どうしてそうも早くウル達のピンチに駆けつけられたのか分からなかった。

 

「だって、私たちそもそも深層にいたんだもの」

《おしごとでもぐってたものなー》

 

 大罪竜の活性化。

 【七天】としての活動の最中飛び込んできたその情報に、彼女達はいち早く大罪迷宮の深層に潜った。竜の活性、それ自体が都市の存亡に関わる緊急事態だったからだ。他の【七天】に緊急で救援を求めたのもその流れだ。

 

「で、まあ、いざ【色欲】を発見出来たと思ったら、何故か上層に居るはずのウル達がそこに居て、なぶり殺しされそうになっていたときの私の衝撃わかる?」

《しんぞーとまるわ》

「不可抗力です」

 

 ディズとアカネの衝撃と心労には同情するが、こればっかりはどうしようも無い。ウルだってこんなこと全く望んでいなかったのだから。ディズも勿論それは分かっているよ。と笑った。

 笑って、その後笑みを消し、眼を細めた。

 

「で、ウル、()()()()()()()()()()()()()、理由は分かるかい?」

 

 先ほどグロンゾンが聞こうとしていたように。ディズも確認する。だが、彼女は既に何が原因なのか、目星はつけているらしい。まあ、それはそうだろう。彼女はウルがなんら特殊な経歴のないただの凡人であることも理解している。

 得体の知れぬ何かを隠し持って居るであろう人物は、シズク以外いない。

 

 さて、どうするか、とウルはディズの真剣な、七天としての表情を見て一瞬だけ迷ったが、此処で適当な嘘をついてもこの女は見抜くだろうし、意味も無いだろう。そもそも嘘をつくことがシズクのためになるのかすら、ウルには分からないのだ。

 

「アイツはシズクに用があると言っていた。が、それ以上の事は分からない。そもそもシズクはそのとき、殆ど気を失っていた。竜と彼女の間で会話は成立しなかった」

「結局彼女に確認を取るしか無いと」

 

 ディズは静かに寝息をたてる彼女を眺める。その表情にはやはり、まだどこか険しさが残っている。それほどまでに今回の案件は重要なのだ。“竜が動く”という事案は。

 その彼女の様子を見ていたリーネが少々解せない顔をして、首を傾げた。

 

「竜……でも、私は竜の問題はあまり聞いたことがありません。勿論脅威とは知っていますが」

「ああ、大罪都市住まいの君は知識が少ないだろうね。ウルは違うんじゃない?」

 

 問われ、ウルは「多少は」と頷く。“名無し”であるが故、都市への定住が叶わず、彼方此方を転々としていたが故に、竜の脅威の一端について、知っている事はある。知識、と言うほどのものではないが。

 

「とりあえず幾つか、在ったはずの()()()()()は見たことがある」

 

 大罪都市、そしてその周囲にある衛星都市。魔と迷宮の蔓延る外の世界で“人類の生存可能圏外”を移動する際、都市から都市に渡っていきながら移動するのが名無しの基本だ。

 そして、それ故に、時に目にするのだ。終わってしまった都市を。

 

「何かに喰われたか、焼かれたか、分からないけど、一切合切が灰燼になった国は見た。“竜”が来た、と誰かが言っていたこともある」

「……都市、まるごとが?【太陽神の結界】があったでしょ?」

「竜は結界を“喰う”って、知り合いのじいさんが言っていた」

 

 【太陽神の結界】太陽神ゼウラディアの最も偉大なる奇跡。迷宮から魔物達が溢れかえった地上にて、今なおヒトが生存できているのはこの結界あってこそのものである。と誰しもが認識している。

 その結界を、竜は喰らう。

 ディズはお手上げ、というように両手を挙げた。

 

「唯一神の威厳を損なう、なんてもんじゃないでしょ?」

「だからあまり竜の脅威は伝聞されていない?」

「都市間の情報自体があまり行き来しないっていうのもあるけどね。後もっと単純に――」

 

 ――竜の脅威を知って、尚、生きて帰れた者があまりにも少ない。

 

 リーネが僅かに唾を呑んだ。

 

「後は……あれか。禁忌地域、【黒炎砂漠】」

「――まさか、入ったんじゃないよね。ウル」

「クソオヤジが行こうとした。殴って気絶させたけど」

「そ……良かったよ。いや、本当にね」

 

 リーネは再び眉をひそめる。

 

「……済みません、学園でもその単語は聞き覚えがありません」

「じゃなきゃ禁忌じゃない。意図的に広めたら大連盟法で罰が下る」

 

 【黒炎砂漠】。

 三百年ほど前、【大罪迷宮ラース】で発生した竜災害により生まれてしまった禁忌地帯。

 大罪迷宮から出現した憤怒の竜が、大罪都市ラースを一瞬にして焼き尽くし、更にその周囲の衛星都市はおろか、その周辺地域一帯を己の“黒の炎”で焼き尽くした。

 最終的に当時の七天達の内、半数を犠牲にして竜は迷宮に押し戻すことが叶ったが、結果、【大罪都市ラース】を中心とした周辺地域一帯は、生命一つない、魔物すら生きてはいられない砂漠と化した。

 

 そして、黒炎は()()()()()()()()()()

 

「……三百年前ですよね?」

「そだよ。しかも莫大な呪いを依然として有したまま燃えている。黒の炎の揺らめきをみれば、それだけで憤怒の呪いを受ける、この世で最も呪わしい場所の一つだよ」

 

 禁忌、と言われた理由、そしてラウターラで全くその情報を聞かなかった理由がリーネには理解できた。そんな悍ましい強大な呪物、広まればそれだけ太陽神への信仰が揺らぐ。それどころか、その呪いの遺物を手に入れようとする輩がでるかもしれない。知られることすらも避けなければならない代物だった。

 

「尤も、憤怒は、まだマシな方なんだけどね……例えば、今回ウルが遭遇した【色欲】が外に出ていたらもっと不味かった」

「具体的には?」

「外に出て“繁殖”する」

「……色欲が?」

「色欲が」

 

 ウルはあの色欲の大罪竜が爆発的な勢いで繁殖する所を想像した。生まれた赤子があの砦で遭遇したドラゴンパピーだったとして、それが地上に氾濫する所を想像してみた。

 寒気がした。

 

「……ヤバいな」

「幾つもの都市が喰われ、何千何万のヒトが食い尽くされて、まだマシだったって言えるのが【竜災害】」

 

 グロンゾンやディズが過敏になるだけの理由もある、ということだ。ふとした拍子で、自分のいる世界が足下から崩壊するリスクを、この世界にいる全ての人間は抱えている。

 それを側で聞いていたリーネは静かに頭を下げた。

 

「認識と知識不足でした。恥ずかしいです」

「さっきも言ったけど、都市にいるヒトには意図的に情報が届かないようにされてるからね。神官でも竜と関わる事になるのは“グラン”くらいからだ、気にしなくて良いよ」

 

 まあ、そんなわけで、ちゃんと話を聞いておきたかったんだけど、と、ディズはシズクを見る。が、彼女はやはりすやすやといっそ穏やかな表情で眠り続けている。「しょーがない」と、ディズは肩をすくめた。

 

「さっきおばあちゃんが言っていたように、後日冒険者ギルドから君たちに尋問は行くと思う。多分【真偽の精霊・ジャッジ】の高等神官も付くと思うけど」

「まあ、仕方ない事だろうし、ちゃんと答えるよ」

 

 ふにふにと、手元でじゃれついてくるアカネの頬をつつきながら、ウルは頷く。ここまで竜の脅威を再認識させられて、協力しないわけにはいかない。そもそもこれを拒否したら確実に罰が下る。

 

「さて、とりあえず次の話に移ろうか」

「まだあるのか」

「ここからが君にとっちゃ本番なんだけどね」

《にーたんの“め”わたしがえぐったはなし》

 

 アカネからえげつない単語が飛び出し、ようやくウルは自分の左目のことを思い出した。そしてふと、自分の左目が何かに覆われている事に気がついた。包帯か、と思ったが何か手触りが違う。革製の何かが頭に巻かれている。すぐ側についてる窓硝子に映る自分の姿を見る。

 

 そこには真っ黒な革と金色の刺繍が施された眼帯を左目に巻いた自身の姿があった。

 

「……うわ、いかつ」

 

 ウルは自分の姿に引いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰還③

 

 

「【黒睡帯】。魔眼封じの眼帯だよ。めちゃくちゃに強引なやり方で君の魔眼を強化したから、ひとまずの封印したの。プレゼント」

 

 なるほどなー。と、ウルは頷いたあと、激しく微妙な顔になった。

 

「もう少しマシな色の無かったのかコレ。いかつすぎる」

《かっこいいわよ》

「まあこれでいいか」

「妹に弱すぎる」

 

 黒睡帯そのものの色であり、下手に色を染めようとすればその効力が薄れる、らしい。色を変えることは諦めた。しかし不思議な事に、眼帯で完全に左眼を覆っているにもかかわらず、左目にも視界が鮮明に写っていた。それが眼帯に気づくのが遅れた原因でもあった。

 

「おばあちゃんに特殊な刺繍を施してもらったからね。通常の視界は問題ないはずだよ」

「ああ。だからあの人此処に来ていたのか」

 

 彼女が来ていた理由に納得し、ウルは手を叩いた。が、ソレとは別にリーネが驚愕するように目を見開いた。

 

「ネイテ学園長の……【機織りの魔女】のものだったの、ですか……これ……それは」

 

 ウルの眼帯を見ながらリーネは言い淀んだ。ウルは不安になった。とても。

 

「……それは?」

「……その眼帯、大事にした方が良いわ、ウル」

「おい、ディズ、これ幾らだ」

「知らない方が良いと思うよ?」

 

 ディズは真顔だった。ウルは聞かないことにした。

 

「さっきも言ったけど、魔眼の改造なんて無茶したのは私の責任だから、気にしないで」

「だけど、これしておかないといけないのか?絶対?」

「気になるなら外してみたら?怪我するとかそういうことはないよ」

 

 言われ、少し躊躇ったのち、試しに眼帯を外してみる。

 

「……う?」

 

 するとその途端、ウルの視界が二重に()()た。右目と左目で見えている景色が違う。違う場所を映しているわけではない。が、まるで右目と左目とで時間が違うようだった。左目の視界に映る“世界”はどこか薄ぼんやりとしていて、そして右目で見える世界より数秒ズレている。

 左目で見た景色が、数秒後に右目でも起こる。あまりに奇妙な感覚に酔いそうになり、再び眼帯を元に戻した。世界の時間が一致し、元に戻る。

 

「どう?」

「……なんというか、数秒先の光景が左目に映った。ぐっちゃぐちゃだったが」

「“未来視”系か、割とレア引いたね」

「……っていうと、ディズは俺がどんな魔眼になったか分からなかったのか?」

「賭けだって言った通りだよ。あの時あの状況なら、君が望む絶対に必要な魔眼に昇華するってのは分かっていたから出来た賭け」

「俺があの時死に物狂いだったからなんとかなったと」

《よかったねえ、しにそうで》

「良かったねえ……」

 

 つまり、ディズに頼んでどんどん魔眼を鍛えてもらう。ということは出来ないということだった。それを行う場合、ウルがまず死にかけていて、しかも魔眼でもなんでも力が必要な極限状況にならなければならない。その上であの発狂しそうな激痛の手術を受けなければならない。

 うん、絶対嫌だ。そもそも現状の魔眼すらてんで操れていないのだ。これ以上を今望んでどうする。

 

「ちなみにこれ、どうすれば安定するんだ…?」

「慣れて」

「ええ……」

「君の肉体の感覚の問題だからね」

 

 手足の動作や声の出し方、誰に教えられるでもなく出来る行動をわざわざ言語化し相手に伝えようとするようなものである、らしい。以前ディズが説明していたように、魔力による肉体の進化は、その当人にしか感覚を理解できない。

 

「なんとか練習するしかねえか……酔いそうだけど」

「未来視はレアだから、先駆者も少なくて苦労するだろうけど頑張って」

「つらい」

 

 この魔眼を上手く扱える日は遠くなりそうだった。

 

「……まあ、あんなバケモノと遭遇して、再起不能の大怪我もなく、魔眼がパワーアップなんておまけまでついたなら幸運だったって思うしかねえか……」

「え?」

「え」

 

 安堵しようとしていたウルに対して、ディズが変な声を上げた。そして次にウルを非常に哀れんだ眼で見つめてきた。ウルはリーネを見た。彼女も同様の目つきをしていた。アカネを見る。アカネも哀しそうな顔をしながら、ウルの頭を撫でた。

 

《にーたん、みぎてみてみ》

 

 布団に潜っていた右手を持ち上げてみた。さっきと同じ【黒睡帯】で腕がぐるぐる巻きになっており、更によく見れば、指先が微妙に変形をしている。爪が長い。伸びているとかではなく、獣のように鋭く、全体的に一回り大きくなっている、ように見える。

 ハッキリと言ってしまえば、竜の手っぽくなっていた。

 

「……うわ、いかつ」

 

 ウルは自分の姿に引いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ヘンに誤魔化してもしかたないから直球で言おう。ウル、君は呪われた」

「怖い」

 

 ウルは率直に自分の気持ちを述べた。ただただ恐怖である。妙にとげとげしくなった自分の右手は、あまりに見慣れないもので、しかし間違いなく自分の右手だと分かるのが怖かった。

 

「更に突っ込んで言ってしまうと君が右手に装着していた【鷹脚】という名の遺物と、大罪竜の【白蔓の翼】と君の右手が融合した」

「呪われてるってだけでゲロでそうなんだけどそこに情報更に突っ込むのやめて」

 

 そういえば鷹脚を右手に装着していたが、それと竜の羽と右腕と一つになったらしい。

 

 ……………どういうこっちゃ?

 

「鷹脚は確かローズの店で買った詳細不明の迷宮遺物だったね?」

「ああ、まあ、なんか物が持ちやすくなるから便利に使っていたんだが」

「【吸着】【吸収】【融合】何かは分からないけど多分、物を引き寄せる性質があったんだろう」

 

 確かに、何かを手に持つとき、まるで吸い付くような感触が手に残っていた。とはいえそれはせいぜい「なんだか物を握りやすい」程度の物であったので、殆ど投擲用の手袋でしかなかった。

 遺物、という物を侮っていた、といえばそうなのかもしれないが、事実、それほど大層なものでは無かった。で、無ければラックバードもあんな無造作に販売するような事はしないだろう。

 そう、本来なら「なんだか物が持ちやすくなる手袋」程度のものでしかなかった。

 

「そこに、【まぐわい】【ふえる】大罪の竜の翼が君の腕を、【鷹脚】ごと貫いて、強引に君の右腕と融合し、操ろうとした」

 

 ただ、腕に食い込んだだけではなく、完全に皮膚、肉と血、骨が翼と混ざった。そこに偶然というべきか不運と言うべきか、色欲の竜と似通った性質の【鷹脚】が混じって“一つ”になった。

 

 結果、“こうなった”。

 

「……で、具体的にどうなるんだ、俺の右手」

「世間一般的には竜に呪われたら死ぬ」

「世間一般的に」

 

 そんな世間滅んでしまえ。

 

「まあ、とはいえ色欲も今回は君を殺そうとした訳じゃあない、筈だ。呪い、と言ったけど、意図的な呪術の類いじゃなく、偶発的な事故に近い。致命的なことにはならない、と、思う」

「肝心なとこがふわふわしとる」

「わるいけどこればっかりは本当になんの保証もしかねるんだ。前例が少なすぎる」

 

 ウルが自身で傷つけたナイフの傷も驚くほどの早さで回復し、癒者が見る限り、「まもなくほぼ全快」であるらしい。黒睡帯は念のため付けているが、外しても、急に呪いがあふれ出すだとか、そういったことは無いらしい。

 

「とはいえ、完治後も暫く、依頼とは関係なく私と同行してもらうよ、ウル。状況によってはその右腕、私が切り落とすから覚悟しておいてほしい」

「…………」

《にーたん、だいじょぶか?》

 

 押し黙るウルに対して、アカネがぺちぺちと頭を叩いた。ウルはそれに対してううむ、首を縦に振ると、一つ大きな溜息をついた。

 

「俺はそもそも今回、賞金首の毒華怪鳥の撃破が目的だった筈なんだ」

《そーな》

「で、怪鳥撃破は割と、まあギリギリだったが、結果大怪我もなく順調に済んだんだ」

「そうね」

 

 アカネとリーネは同意する。そう、今回、本来の目的である賞金首討伐はまあ、順調だった。無論苦労はした。怪我だって山ほどしたし、大金だって費やして、大きな賭けにも出たが、結果から見れば大勝と言っても良いだろう。

 にも、かかわらず、

 

「なんで俺、こんなえらいことになってんだ…?」

 

 ウルの嘆きに対して、うん、とディズは頷き、そして極めて端的にその原因を告げた。

 

「竜に遭ったからだねえ……」

 

 ただ、遭遇するだけでその相手の運命が捻れ狂う。竜とはそういう存在ということだ。

 

「竜、怖いな……」

 

 その“竜種”を倒さねばならないのがウルが目的としている金級である。

 ウルはもう一度、深々と溜息を吐いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 一通りの話を終え、アカネ、ディズ、リーネらは帰っていった。

 本当はまだまだ確認しておきたい事が山ほどあったのだが、これ以上は病み上がりの人間に対して話を詰め込むのは問題だ、という実に常識的な判断でディズが切り上げた。

 

 というわけで、現在この癒院の大部屋にはウルとシズクのみである。治癒魔術の発展したこの世界において、“入院”にまで至るのはそれほど多くもなく、結果、大部屋は貸し切りのようになっていた。

 

「……さて」

 

 ウルは身体を起こし、ベッドから降りる。一度大きく身体を伸ばす。既に痛みは無かった。全身も問題なく動かせる。さすがは大罪都市の癒者達だった。まだ全身が少し重たいが、徐々に慣れるだろう。異形になった右手も含め。

 窓の外の景色は既に夜だった。太陽神は身を潜め、魔の時間が訪れる。だが、大罪都市であるこの都市は、魔灯による灯りが都市を照らし、闇を切り裂いていた。限られた都市の土地面積を生かすため、高く立てられた塔を幾つもの光が照らす様は、光の木々が立ち並ぶようで、綺麗だった。

 そしてウルはそのまま、横のベッドで、寝息をたてるシズクの下に近づく。白い顔で、呼吸も小さく、まるで死んでいるように眠っている彼女に、そっと顔を寄せた。

 

「シズク」

 

 反応が無い。

 

「本当は起きてるだろ、お前」

 

 シズクはパチリと眼を開けた。

 

「まあ、おはようございます。ウル様」

「夜だよ今は」

 

 目を覚ましたシズクに、ウルはチョップした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜の会話

 

 あっさりと、あるいは白々しく目を覚まし身体を起こすシズクに、ウルは深々と溜息をついた。この女、さも私今起きましたけど?といった顔をしている。

 

「天拳のオッサンが怖かったのか」

「なんのことでしょう?」

 

 不思議そうに可愛らしく首を傾けている。ウルは指摘するのを諦めた。

 

「……で、怪我とか、身体の怠さはないのか」

「問題ありません」

 

 シズクは微笑んだ。

 狸寝入り、は兎も角として、彼女が意識を失ったのは事実ではあった。竜との戦闘があまりに強烈に記憶に焼き付くが、そもそもその前の怪鳥との戦いで、ほぼほぼ魔力を使い切っていたはずだ。動けないウルと、機動力にほぼ全てを費やしたロック、白王陣に集中していたリーネ。つまり前線は彼女一人でほぼ補っていたのだからそうもなる。

 魔灯の光に照らされる彼女の顔は青白い。ウルがシズクの頬に触れる。熱を感じない。ひんやりとしている。ウルはそのまま身体を起こしている彼女をベッドに倒した。

 

「息を吸うように嘘をつくな」

「身体に痛みなどはありませんよ?」

「身体が寒かったり、動かしにくかったり、気分が悪かったりは?」

「ウル様ほど大変ではありません」

「絶妙にはぐらかすのヤメロ……食欲は?」

 

 問うと、シズクは少し腹を撫でて、少しだけ恥ずかしそうにした。

 

「お肉が食べたいです」

「俺もだ……何か、癒者のヒトに頼んでみるか」

 

 そう言ってウルはベッドから離れ、部屋を出ようとした。が、その前に、ウルの右腕をシズクがそっと、両手で包むようにして掴んだ。

 

「ウル様は、腕は大丈夫ですか?それに眼も」

「……まあ、大丈夫、ではないな」

 

 眼と腕に物々しい黒い包帯をしたウルは、彼女の問いに、素直に答えた。この状態で無事だという方がおかしい。怪鳥討伐前と後ではあまりに変化が著しい。が、

 

「まあ、多分、恐らく、生活にも冒険者稼業にも大きな影響は出ない」

 

 視界の方は良好だし、右手の方も、今のところ自分の手として自由に動かせている。不意にシズクの首を絞めやしないかと心配したが、今の所そのような傾向は無い。実際に身体を動かしてみないと分からない所ではあるが。

 

「それは、良かったです。とても」

 

 シズクはそっと、ウルの右手を離した。ウルは彼女に向き直る。窓から差す魔灯の光に照らされた銀髪の彼女は美しい。だが、そう言ってウルの無事を喜ぶ言葉を口にしている筈の彼女の声音に、感情が宿っていない。

 

「もうしわけありません。ウル様。私の問題に巻き込みました」

 

 そう言って、頭を下げ、ウルを見る。瞳には、やはり感情がない。凪の水面のように、白銀の瞳はまるで揺らがない。ウルはなんとなく、グリードの夜を思い出した。シズクの誘惑を退けた後に垣間見た、彼女の根底部分。

 純で、冷徹で、歪で、幼い少女。

 

「……お前が“邪霊”っつー、唯一神に追放された精霊の信奉者であるというのは聞いた。その精霊のために竜を討つとも。で、それでなんで竜に襲われる?」

 

 彼女の事情をきいたのは、あの夜の一度だけ。その内容は今もハッキリと覚えているが、それ以上を聞き出しはしなかった。しかしこうなってしまった以上は、突っ込まない訳にはいかなかった。

 今回死ななかったのは運が良かっただけである。二度は無いとウルも確信している。故に原因は確りと確認しなければ、次は死ぬ。

 シズクは、そのウルの問いに、僅かに間を開けて、口を開いた。

 

「私は、()()()()です」

「……兵器?」

 

 おおよそヒトを呼称するに似つかわしくない単語が出てきて、ウルは眉をひそめた。

 

「私たちが信奉する精霊様のため、その力を取り戻すため、竜への対策として生み出されたのが私です。あの竜はその力の一端に気づいたのでしょう」

「あの時、竜の動きがシズクの詠唱で止まったのも?」

「その力の一端です」

 

 どうやったらそんなことができるのだとか、ソレを生み出した邪霊の信奉者とは何者だとか、結局それでどうやって精霊の力を取り戻すのだとか、聞きたいことは山ほどあった。

 が、問題なのはそこではない。

 

「今後、その力を狙って竜が襲ってくる可能性は?」

「今回の件を考えれば、ありえます」

「避ける手段は」

「わかりません。竜の持つ感知能力は私も把握できていません。今回も、そもそも気づかれて、襲われることすら予想していませんでした」

「狙われるのはお前だけか?」

「ソレも分かりません。竜によっては、全てを丸ごと砕く可能性も」

 

 ウルは淡々と、一つ一つを確認していった。分かってくる事実は、いつ、どこで、どんな竜に狙われるかも分からないという割とどうしようもない事実だった。質問が終わり、再び沈黙に戻る。ウルは考えこみ、沈黙する。シズクはそれをただ黙って待った。裁きを待つ罪人のようでもあった。

 そしてウルが、よし、と息を吐く。

 

「少なくとも、リーネにはこのことは説明しなければならない。彼女に黙っているのはあまりにも不義理だ。ロックにもな。ディズには必然説明することにはなるだろうけど」

「はい」

「あとは、冒険者ギルドと神殿にもか。言われるまでも無く、向こうが尋問してくるだろうけどな。準備した方が良い」

「はい」

「最悪都市問題にもなるかもしれない……まあ、尤も本当にどこでも襲われるなら都市に居る時すら危ないが……そこを判断するのは俺等じゃないな」

「はい」

「以上」

 

 ウルがそう言って言葉を切ると、再び沈黙が来た。シズクはぱちくりと瞬きをする。先ほどと比べて僅かに感情が表に出ていた。ぽかんと、唖然とした顔だった。

 

「ウル様?」

「なんだ」

「私を捨てた方が良いと思いますが?」

 

 ひどく直接的な言葉がとんできた。そしてソレは事実でもある。

 竜に、襲われる可能性がある。どこから来るかも分からない災害であり、遭遇するだけでその人生がとち狂う。そんな存在を引き寄せる女など、側に置いておくなどハッキリ言って正気の沙汰ではない。

 彼女は正論を言っている。ウルは頷いた。

 

「そうだな。やらないけどな」

 

 再び沈黙が訪れた。ウルは特に、これ以上話すことは無い、というように肩をすくめる。次に考え込むのはシズクの番だった。しばらく彼女は首を傾け、考えこみ、そしてもう一度ウルを見た。

 

「ウル様」

「なんだ」

「私はふしだらな女です」

「はあ」

「男の方を積極的に誘惑もしています」

「知っているが」

「相手の心を平然と弄び、壊すこともします」

「ロックから聞いてる」

「嘘つきです」

「そうだな」

「私は捨てた方が良いかと思いますが」

「捨ててほしいのかお前は?」

 

 己の事を問われる。とは思ってはいなかったのだろう。饒舌に自らの悪行を語っていた彼女は、再び沈黙する。思考を巡らせているのだろう。彼女がその思考をまとめるのに、それなりの時間を必要とした。

 相手の感情を自在に弄び、そして操る彼女は、しかし己自身の感情の機微にとことん無頓着だった。これは、彼女と出会ったときから変わらない。ウルは黙って、シズクが自らの心と向き合うのを待った。

 

 数分が経過し、シズクは、少し自信なさげな声で、回答を口にする。

 

「私は“使命”を達成するために、貴方と共にいたいです」

「そうか」

「ですが、貴方が傷つき、死んでしまうのは看過しがたいです」

「そうか」

 

 シズクは黙った。なにか、言いたげな顔をしている。だが、それら全てが言葉となるまえに霧散する。ウルは彼女の言わんとする言葉を整理し、投げつけた。

 

「シズクの優先順位は、まず“使命”、次が自分以外の他人、そして最後に自分だったな」

「はい」

「なら、先に述べた二つの理由の内、使命が優先される訳だ。それでいいだろ」

 

 シズクは黙った。

 理屈の上ではそれが正しい。

 ウルの思惑がどうあれ、ウルがシズクと共に居ることを肯定することに関して、シズク側に不都合はない。その筈だ。

 

 だが、

 

「………………貴方を」

 

 ウルが見ている目の前で、シズクの表情は、変わらない。変わらないように見える。だが、何か、見知らぬ都市で迷子になった子供のような心細さを、彼女の瞳に見た。

 

「……………私の使命は、私にとって最も重いものです。“皆様”の事を大事に思いますが、使命と引き換えにすることは出来ません。だから、ウル様も――」

 

 再び、言葉が止まり、しかし今度は少し、固い口調になりながら、

 

「――ウル様も、使命のため、利用することになります」

 

 最後まで言い切った。そして、哀しい顔をした。男の心を揺さぶるような涙はない。わざとらしくすがりつくような事もしない。

 

 ただただ、哀しそうな顔をして、小さく俯いた。

 

 ウルは、シズクの肩にそっと触れた。

 

「……悪かった」

 

 ウルは己が惨い事を言わせたのだと理解した。

 彼女は歪で、どこか頭がおかしい。目的のために手段を選ぶということもしない。しかし、だからといって、別に感情が無いわけでは無い。明確な優先順位が彼女の中にあるからと言って、別に、それに対して機械じみた割り切りが出来ているわけでもなかった。

 

 彼女だって笑うし喜ぶのだ。そんなことはウルにだって分かっていたはずだ。

 優先順位がそうだから、それでいいだろと言う突き放し方は、無い。

 

 彼女とは契約を交わした。彼女はウルの物だ。勢い任せで交わした滑稽な契約だが、ウルはそれをないがしろにするつもりは無い。彼女が己の所有物であるというのなら、彼女の心を護る責務も、ウルにはある。

 

「――お前が罪悪感を抱く必要は、ない。俺は俺の意志でお前と手を組んだんだからな」

「ですが最初、貴方と契約したとき、私が竜からいきなり狙われる事知らなかったでしょう?今も気持ちは変わらないと」

「変わらない。今回はマジの不運で大事故だったが、おかげで学ぶこともできた。竜はヤバすぎる」

 

 初めての竜種との遭遇はあの死霊術師討伐の時だった。

 だが、あの時は殆ど蚊帳の外で、正直何が起きたのかも理解できていなかった。だが、今回は違う。当事者になって、竜と間近に対峙して、ハッキリとわかった。竜は、“ヤバい”。迷宮に潜り、身体を鍛えればどうこうなるとか、そういう存在ではない。

 

 生きた災害、呪いそのもの。遭遇するだけで全てが狂う魔性。

 

「あれを、黄金級になるには討たなきゃいけない。なら、力がいる。それも、生半可じゃないものが。そしてそれはお前が持っている」

 

 大罪の竜にすら干渉するような力を持っているというのなら、他の竜種にも通用する力だろう。そしてソレを持つ彼女は、間違いなく唯一無二だ。リスクは間違いなくある。それもとてつもないリスクが。

 だが、通常なら容認しがたい無茶や危険を飲み込まねばならないという事実は、グリードのあの夜に知った。

 

「だから、気にするな。俺は俺でお前を利用しようとしている。リスクも承知で。ソレに巻き込まれて死んだら、それは俺の責任だ。ロックは兎も角、リーネもまた、自分で判断するだろうし、必要なら別れもするだろう。それくらいの判断は自己責任だ」

「はい……」

 

 シズクは、ウルの励まし、といえるかも分からない言葉に、しかしまだ己の中での折り合いをつけられていないのか、気のない返事をした。顔色も真っ白で、病人と言うよりも幽霊のようだった。

 ウルは困った。納得できるだけの理屈を必死に並べたつもりだったが、こうなると理屈ではないのだろう。言い訳を並べれば彼女の心が晴れるというわけではない。

 ウルは顔を上げ、虚空に視線を迷わせながら、言葉を選んだ。彼女の心に寄り添えるようにと。

 

「……あとは、もっと単純に、お前と今更離れるのが嫌なんだよ。俺は」

 

 シズクは不思議そうに首を傾げた。

 

「……私に愛してほしいと?」

 

 ウルは顔をしかめる。

 

「そこそこに親しくなった友人と別れるのは寂しいだろうが。お前は、寂しくないのか。誰かと一緒にいたくはないのか」

 

 シズクを求めるヒトは沢山いるだろう。女として、冒険者として、惹きつけてやまない才能と、容姿を持っている女だ。竜というリスクを隠せば、あるいは判明していたとしても、彼女の周りには恐らく、ヒトが集まってくる。一人になることはまず無いだろう。

 だが、この女は愛を与えるが、受ける事は無い。常に誰かに捧げ続けるのみで、求めようとはしない。周囲にヒトがいたとして、彼ら彼女らに与えるだけだ。受け止めはしない。受け取るのは己の目的、“使命”とやらのためであって、自分のためではない。

 

 使命のためにウルと共に居る事を望み

 他者を尊ぶが故にウル達が傷つくことを厭う。

 では、シズク本人は何を望んでいるのか。

 

 己の優先順位が低いからといって、彼女が求めてはならないという道理は、無いはずだ。

 というよりも、無い。と、ウルは強く思った。

 

「一緒にいたいと互いが望むなら、それでいいだろ。どうなんだ」

「私は」

 

 沈黙は長かった。饒舌に男を誘う彼女が、酷く困惑と焦燥した表情で言葉を探す。ウルはそれを黙って待った。

 

「…………………………………私にはそれを望む権利がありません」

 

 長い沈黙の後、返ってきた言葉には、やはり感情が全く混じってはいなかった。

 ウルは、特にその回答に驚きはしなかった。怒りも湧いてはこなかった。正直なところを言えば、予想していた答えよりはマシだった。

 答えを言っているようなものだったからだ。

 

「まあ、いいさ。なら俺の望みを叶えてくれ。俺の所有物」

「貴方の望み」

「俺と共に居てくれよ」

 

 そう言うと、ずっと困惑と、無感情の狭間に揺れていたシズクは、少しだけ顔を綻ばせた。

 

「プロポーズみたいですね?」

「喧しいわ。言われ慣れてるだろお前は」

「ウル様からそうしてもらえたら、私は嬉しいですよ」

「もう少しおしとやかになってくれたら考えるわ」

 

 ウルは雑に流しながら、恥じらいを隠した。自分が不用意に傷つけた彼女を少しでも癒やせたなら、気恥ずかしい台詞の一つや二つくらい言ったって構わないが、変な汗が出た。顔に出なかっただけマシだったが。

 

「……まあ、いいや。とりあえず腹減ったわ。しゃべり続けて喉も渇いた」

 

 メシでももらいに行くか。と、ウルが今度こそベッドから離れようとすると、再び何かに引っ張られる。何か、というか、犯人はシズク以外いないのだが。

 

「おい、シズ……………んん?」

 

 見ると、ベッドからシズクの手が、ウルの手に引っかかっている。なんじゃいな、と、シズクの顔を見る、と、

 

「――――――……………」

「…………寝とる」

 

 寝ていた。すよすよと。

 ついさっきまで話していたのに。眠っている。やはり本調子ではないのかもしれない。眠った、というよりも会話に疲れて、力尽きたと言った方が良いのかもしれない。無理矢理起こしたのは、悪いことをした。とも思ったが、

 

「……さっきよかマシか?」

 

 会話の前、狸寝入りをしていた彼女の顔色は、まさに死体のそれだった。今の彼女の顔色は、まださっきよりかはマシ、のように見えた。ウルとの会話が作用してなのかまでは分からないが、何か、さっきよりも表情も緩んでいる。

 

「…………ああ、安心したのか」

 

 ウルは隣のベッドに寝転がり、自分の腕は外に投げ出して、彼女の手が離れないようにした。色々と思うことは山ほどあるが、とりあえず今は、彼女が休まるなら、それでいい。

 

 ウルはそう納得し、目を閉じた。間もなくして彼もまたまどろみに落ちていく。

 

 こうして、ウル達の長い長い、怪鳥退治が終わったのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

審問会

 

 国の中心にはかつて、城があった。

 

 今、都市の中心にあるのは神殿だ。

 

 ヒトが集い、祈りを捧げる場所。多くの者にとって寄る辺であり中心。都市を維持する全ての要。都市民ならば必ず毎日この場を訪ね、精霊達に、そして太陽神に祈りを捧げる。今ある平穏がずっと続くようにと願うのだ。そして神官達はその祈りを精霊に届け、対価に与えられた恩恵を都市へと届ける役割を担う。

 では名無しは?都市に住まえぬ流浪の民、“名無し”は神殿との関わりは薄い。都市の維持は彼らの義務ではない。精霊達との繋がりが薄い彼らの祈りは都市民達と比べあまりに“薄い”からだ。太陽神への祈りは名無しであれ変わらず捧げられるものの、神殿にわざわざ出向き精霊達に祈ることは殆ど無い。

 

 そんな、縁の無い場所にウルは立っていた。

 

「…………圧が凄い」

「大きいですねえ」

 

 隣でシズクがのんびりとした声を上げる。

 目の前の建造物、神殿は大きかった。縦にも、そして横にも。土地の限られる都市国で建造物が縦に高いのは当然のことだが、横面積の広い建物は限られる。大罪都市ラストでそれが許されるのはラウターラ魔術学園以外では此処しかないだろう。

 

 見上げてもまだ天辺が見えない白の外壁が視界の全てを埋めていく。大人が3人で囲んでもまだ届かない太い石柱が連なり、大いなる“精霊達の住まうところ”を支えている。晴天の中、陽の光を受け、更に眩く、その雄大な神殿の姿を大罪都市の中心で照らしている。

 

 まさしく国の中心である。だが、ウルが此処を尋ねた理由は祈りを捧げるためではない。

 

「ここで尋問されるのですね」

「……とても嫌だなあ」

 

 竜の案件で尋問を受けるためである。

 都市の法に触れる犯罪などに巻き込まれたならば、法と秩序の番人である【騎士団】を尋ねるのが当然であるが、ウル達が巻き込まれたのは竜騒動である。竜に巻き込まれたら向かうべきは此処だ。グロンゾンやディズが指摘したとおり、大罪の竜との遭遇は決して「不運だった」で済む話ではない。

 予告されたとおり、神殿から冒険者ギルドに出頭命令が出され、詳しい詳細を説明させられる羽目になった。

 

「私に付き合わせてしまいすみません。ウル様」

「今日だけで十回は聞いた」

 

 面倒くさそうにウルは手を振り、諦めの境地で神殿への階段を上る。もう此処まで来て逃げても仕方ない。後ろめたいことは無いはずなのだから――――恐らくは。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 縁が無い、と言っても神殿に一度も足を踏み入れたことが無いかといえば流石にそんなことは無い。小さな衛星都市の神殿に少し足を踏み入れたことくらいはウルにだってある。だが大罪都市国の神殿は流石に無かった。

 都市民達の祈祷の場はこの魔術大国であっても美しかった。信仰心を削ぐあらゆる穢れを許さないかのようだった。たとえどんな無作法者でも、一歩足を踏み入れれば身を引き締めることだろう。

 だが、ウル達の要はそちらではない。神殿の神官や従者達しか立ち入れない。都市民達が使わない通路へと進んでいく。やがて大きな扉の前にたどり着いた。

 

「此処で待つように」

 

 神殿の守りを任されている騎士――――【天陽騎士】からそう告げられ、ウル達は扉の待たされた。そして間もなくまずウルに声がかかった。シズクはその場で待たされる。ウルとシズクとで一人一人尋問を行うらしい。

 

「お気を付けて」

「まあ、下手に口滑らせないようにだけ注意するよ」

 

 不安を誤魔化すために軽口をたたきながら中に入る。そこは大きく、広い。ホール型の大部屋。天井は高く、そして天板には硝子窓がはめ込まれ、太陽の光が中央の立ち台に注ぐ。太陽神が全てを見ていると言うことを示していた。

 そこを囲うようにして作られた中二階から神官達が並び、此方を見下ろしていた。この国を、全員神官服の胸元に【真偽の精霊・ジャッジ】の紋章をつけている。彼らを前にして嘘偽りは決して出来ない。

 

 ――……いや、圧がすごい

 

 ウルは二度目となる感想を抱いた。ウルは自分が犯罪者になったような気分になった。いらんことを口走らないようにしようと改めて心に誓う。

 そしてジャッジの神官の左右に、彼らを補助する外部からの補佐要員とおぼしき者達が並んでいる。見れば、ギルド長のアランサの姿もあった。

 

「……」

 

 彼女はウルの顔は見向きもせず目をつむっていたが、一瞬だけウルを見つめると、軽く手を振った。ウルは少しだけほっとした。

 他の者達は殆どは知らない顔である。が、見える姿からなんとなし察しは付いた。大きな髭を蓄えた騎士鎧に身を包んだ土人の老人。騎士団のお偉いさんだろう。その横には珍しい森人がいる。赤黒の制服を身に纏っている事から、恐らくラウターラの関係者だろう。そして

 

「……ん?」

「………………」

 

 白金色の騎士鎧を着た女がいた。左右に神官を従えるようにしている女だ。やや目立つ。こっちを見ていた。というか、睨んでいた。

 

 ――少し色が違うけど、外にも立っていた、確か、神殿の天陽騎士の鎧……?

 

 ウルは黙ってそっと目をそらした。なんだかよくわからんが、睨まれる覚えは無い。ということにしよう。

 

 更に周囲を見渡すと、審問官の立つ中二階、その更にもう一段上に更に階層がもうけられているのが見えた。おそらくは傍聴席なのだろう。そこにはこの状況を見学しにきたであろう神官達の姿が見える。騎士達もいる。それほどの数ではないが、彼らはジッと興味深そうに、あるいは嫌悪の混じった表情で此方を見ている。

 神官というのは思いのほかヒマなのか、あるいはそれほど彼らにとって竜の存在は重いのか。

 

 ――ちゃんと受け答え出来れば()()大変なことにはならないよ

 

 ディズの言葉を思い出し、ふっと肩の力を抜く。今から緊張してもしかたがない。まあ、向こうだってこんなとるにたらない冒険者をいきなりどうこうしようなどという気は無いだろう。と、ウルは自分に言い聞かせ、質疑応答台に立った。

 

「名無し、しかも竜の呪を抱え神殿に……!なんと嘆かわしい!!」

 

 そして立った瞬間白金色の騎士の女が吠えた。

 おっといきなりケンカ腰だぞ?

 

「もう少し静かにしてくれんかね、天陽騎士様、まだなんもはじまっとらんじゃろ」

「黙りなさい!!そもそもラストの騎士がふがいないから竜が好き勝手するのよ!!」

「全くだ!貴様等が役割を果たさぬから、我らが出張る羽目になったのだ!恥を知れ!!」

 

 ウルのことで、ウルの意思を全く介さずケンカが始まった。ウルは気が遠くなった。帰りたい。一刻も早く。という衝動をこらえた。我慢して目の前の情報をなんとか集める。

 

 天陽騎士の事はウルも理解している。

 

 【神殿】が保有する武力。都市を護る騎士団とは違う、神のための剣。

 通常の騎士団では解決不能な問題を、都市を跨いででも収束させるための任務を主としている。竜問題もその一環。大罪都市プラウディアの王【天賢王】こそが彼らのトップとなる。騎士団とは似て非なる組織。

 

 故に、それぞれの国の【騎士団】と【天陽騎士団】との間の折り合いがよろしくない。

 

 都市そのものに仕え護る事を目的とする騎士団と神殿に仕える天陽騎士団とでは根本的に思想も目的も異なる。結果、激突することは決して珍しくはない。騎士団の多くは都市民であり、自国を自らの手で護っているという誇りと自負がある。そんな彼らからすれば【天陽騎士団】は余所者で有り、にもかかわらず上から指図してくる厄介者だ。

 勿論、【天陽騎士団】とて、好き好んで余所の国に介入し指図をするわけでは無いだろう。彼らには彼らの仕事がある。【天賢王】、偉大なる王の下、必要であるからこそ彼らは世界を飛び回り、そして必要な処置を行なっている。にもかかわらずソレを解さず反発する都市の騎士達があまりに不理解でならないと苛立つ。

 

 結果、眼の前の光景である。どういう状況かは少しわかった。状況は解決しないが。

 

「そもそも今回の竜案件の事情を聞くために呼び出したんじゃろ!神殿に招かずどうやって話を聞くんじゃい」

「牢獄にでも突っ込んでおけば良いでしょ!!神殿に竜の穢れを連れ込むなどあり得ない!!」

「我ら、冒険者ギルドのギルド員を、一体どのような罪で牢獄に放り込むと?」

「たかがギルド風情が!出しゃばるな!!」

 

 そこにアランサが口を挟む。アランサはいつもの快活さはなりを潜め、冷静な声音で質問しているように見えたが、短い間とはいえ彼女と関わったウルには分かる。あれは結構キレてる。

 

「ウルの神殿への出向は、重い後遺症を負って、それでも世界のためにと無理をして出た善意のたまもの。その善意を蔑ろにする発言は看過できませんね」

「被害者?竜の覚醒をいたずらに招いた張本人かもしれないんだぞ?!」

 

 今度はアランサと天陽騎士と神官らの間でバチバチと火花が散る。此処は地獄か?とウルが思っていると更に別の者が声を上げた。

 

「そもそも、今回の件、その真偽を確かめるための審問だろうに。それが始まる前から事態を停滞させて、何がしたいのだ、貴方たちは」

 

 深々と、空気に響き沁みるような低い声が放たれた。ラウターラの制服を着た森人だ。その言葉一つで、先ほどの喧々諤々とした雰囲気が一気に鎮まった。天陽騎士はまだなにか言いたげだったが、全て言葉になる前に森人の視線に飲まれ、最後には沈黙した。

 その後森人は視線を動かし、一瞬ウルを捉えたのち、中央に立つ神官に顔を向けた。

 

「【真偽】の僕、そろそろ始めてもらって良いか。私も仕事があるのだ」

「承知いたしました」

 

 中央の審問官が頭を下げる。そして彼らはウルへと向き直った。

 

「それでは、ウルへの審問を開始します。太陽神と、真偽の精霊ジャッジの名の下、嘘偽りの無い真実を述べるように」

 

 ウルは黙って頷き、顔を伏せたまま深く溜息をついた。

 

 まだ大変なことにはならない。

 

 ほんとうにそうなんだろうなあ?

 と、此処にはいないディズの肩を揺すり問いただしたい気分で、ウルの審問が開始した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 出だしの騒乱と比較して、ウルへの質疑応答は極めて淡々と、冷静に行われた。真偽の精霊の“権能”を宿した審問官がウルに対して問い、それにウルが答える。本当に只それだけのことだ。ただし、問われた問いに虚言を述べれば、その瞬間、それを審問官は見抜く。故に誤らぬよう、ウルは慎重に答えた。

 質問の内容は今回の竜との接触時のみならず、ウルがいかようにしてシズクと接触し、彼女と行動を共にしはじめたのか、そもそも何故ウルが冒険者となったのか、その生い立ちにいたるまで徹底的に掘り下げられ、その全てに真実で答えさせられた。

 

 その過程で、ウルがシズクの目的、“邪霊の復権”についても勿論、全てを語る事となった。事前、こうなることはシズクと話、仕方ないことであると了承をしてもらっている。

 

「……では、これにて尋問を終了致します」

 

 最後の質問を終えて、審問官が静かにそう宣言する。神官の身体を覆うようにしていた仄かな光が集う。神官はその光に向かって祈りを捧げる。【真偽の精霊・ジャッジ】がそこにいるのだろう。ウルには“うすぼんやり”としか見えないが。

 その光ふっと、天に向かって消えていくのを見届け、ウルは溜息をついた。

 

「疲れた……」

 

 嘘偽りの全てを見抜かれる。無論、嘘など付くつもりはないが、何もかも見抜かれるというプレッシャーはただ喋ってるだけでも嫌な汗が出た。

 

「――シズクという女は天陽騎士の預かりとする」

 

 そしてむせた。それを言い出したのは最初に騒いでいた天陽騎士の女である。

 追従するように控える神官がしたり顔で頷いた。

 

「邪霊の巫女、対竜兵器、冒険者ギルドの手に負えるものではない、決まりだ」

 

 何が決まったのだと問いたくなったが、すんでで止まる。アランサがギロっと天陽騎士の女を睨んだからだ。あの間に間抜け面でのこのこと入っていったら死ぬ。

 

「彼女は冒険者ギルドのギルド員です。天陽の預かりなど、監禁と同義ではありませんか」

「人の世の秩序のための当然の処置だ!!」

「そもそも精霊とは世の理の化身。ならば邪霊といえど自然の一部であり世の理。神殿の教えの否定ではありませんか?」

「黙れ!!邪霊がどれほど危険か理解せぬまま勝手なことを!!!」

 

 ばっちばちにやり合う彼女らを前にウルはひたすら黙って嵐が過ぎ去るのを待つ、訳にもいかなかった。ウルは注意深く状況を観察した。

 

 黙って顔を伏せて過ぎ去ってくれるものならばそうするが、黙っているだけでは誰かが自分の都合をウルに押しつけてくる。相手に流されて、それが自分にとって都合よくいくことに賭けるのは分が悪いだろう。動かなければ。

 

 そのためには、まず現状を理解しなくてはいけない。

 

 シズクの管理、ソレは困る。世の秩序を守る、とやらの為に真に必要な処置であるかは兎も角、ウルの目的のため、彼女という存在がいなくなられるのは非常に困る。そうなればロックも必然的にいなくなるだろう。ウルとリーネだけでは今後の活動に大きなブレーキがかかる。

 何よりシズクの意思を完全に無視して彼女を捕まえる、という天陽騎士の判断は純粋に受け入れられない。抵抗しなければ。

 

 天陽騎士の提案を撤回か、妥協か、歪めるかする。これが今しなければならないこと。

 

 では次、現状の把握。観察。

 

 様々な思惑が入り乱れ、荒れている審問の場だが、現状問題となっている人物、ウル達の所在をどうこうしようとしているのは天陽騎士のみだ。彼女が今回対処すべき敵だ。だが攻撃して倒せばいいというわけでは勿論無い。

 

「…………むう」

 

 場の意識が自分から外れている間に、ウルはじいっと天陽騎士を見る。

 天陽騎士は現在進行形でアランサと激しい口論を続けている。彼女の高い声は天井高い審問部屋によく響いた。そんな彼女の言い分に騎士団長の土人は時折怒鳴り、ラウターラの森人がたしなめる。天陽騎士の後ろに控える神官らは口汚く彼らを罵る……が、よく見るとあくまで彼らは天陽騎士の女の発言に追従するばかりであり、決して積極的に前には出ていない。

 

 なんというか、ポーズだけそうしている感じだ。

 この場において、彼女は酷く孤立しているように見える。

 つまり、天陽騎士のその振り回す言い分は、それほど理が通ってはいないということか?

 

 邪霊、彼女がシズクの確保の理由として挙げた一つ目の理由。

 が、少なくともこの場の様子を見る限り、「邪霊の巫女」であるとわかったからと言って、即刻人権剥奪されるレベルの問題では無い、らしい。シズクが言っていたように、殆ど情報が少ないから判断に困っていて、だから他の連中は(ウルも含めて)物知らずで、天陽騎士の彼女だけが危機を理解しているからそれを訴えている、かも、だ。

 

 だが、もし本当に“邪霊”という存在が竜のような恐るべき脅威であるならば、シズクはもっと、問答無用で連れていかれても仕方がないはずだ。だが結局、それができないから彼女はここできゃんきゃんと叫んでいるのだ。

 

 となると、彼女は邪霊という存在の危機を訴えるために必死になってるのか?

 

「そもそも邪霊の巫女などという汚らわしい存在を排除してやろうというのだ!感謝の一つでも述べたらどうだ!!!」

 

 と思ったが、どーにもそんな感じではないらしい。

 しかしそれにしたってどうしてあんな風に……?そもそも――

 

「あの、もし」

 

 真偽の神官の問い以外終始沈黙していたウルが挙手すると、一瞬騒音が静まりを見せた。議論を途中で中断させられた天陽騎士は露骨に苛立った表情でウルを睨む。ウルは彼女の顔を正面から見た。

 女、髪は黒にかなり近い赤色、獣人、耳が凄い立ってる。背が低い。化粧が濃い、が、意外に若い。下手するとウルと変わらない?にもかかわらず部下っぽい騎士を引き連れている。そもそも騎士なのに化粧?

 ウルはそれらの情報を飲み込み、言葉を続ける。

 

「そもそも俺達は七天の【勇者】と同行しています。シズクの管理というのなら、彼女に任せてしまうのが適任なのでは?」

 

 次の瞬間、天陽騎士の女はものすごい顔をひしゃげた。逆鱗に触れたかな?とウルは思った。あるいは急所か。

 

「【勇者】など!!!」

「など?」

「…………!!そういう問題ではない!!」

 

 どういう問題だ?と疑問はあったが口にはしなかった。

 

「馬鹿め、何が【勇者】だ。あの役立たずがいたからどうだというのだ」

「汚らわしき“混ざり”でありながら、神官など!」

 

 天陽騎士のとりまきがせせら笑うようにディズを罵倒するが、ウルはそれを無視した。ただのノイズだ。それよりも、と、ウルは更にじっと観察を続ける。顔をさっきよりも更に真っ赤にしている天陽騎士を。

 ウルは今、恐らく、この場の要点を突いた。あるいは掠めた。今回狙うべき場所は此処だ。しかし、不用意に触れれば相手を激昂させ、乱雑に殺されかねない。

 現状、彼我の権力の差があまりに違う。形振り構わなくなったら潰される。まだギリギリ理性を取り繕ってる状態を維持しなければ。

 

「神殿の事情には詳しくはないが、ディズ、【勇者】は神官であることは間違いないはず。グランの監視となるというのなら、話としては非常にスムーズです。現在彼女の依頼で、我々は彼女と同行していますから」

 

 ディズには全く話を通していないので、正直えらく勝手なことを言っている気もするが、あくまでも提案としてのつもりの意見だった。そして別に間違ったことを言ってると思わない。これが一番無駄が無いように思える。

 だが、

 

「ダメだ!!!」

「何故でしょう」

 

 拒否される。そんな気はしていた。問題はソレは何故か。

 

「ダメなものはダメだ!!!我々で彼女は保護する!これは決定事項だ!」

 

 論理的に話してくんねえかなこの女。とウルは思った。

 だが、拒否する彼女の様子に、違和感がある。そもそもディズも【神殿】の所属で、同じ組織であるにもかかわらず、自分たちがシズクを確保しようとして、ディズに確保されるのは嫌?

 保護する、と彼女は繰り返している。保護、それが重要なのだろうか。危険というのは建て前か。この天陽騎士がシズクをほしがっている?

 

「聞き及ぶ限り、大変らしいな。()()()()()()()()()()()()()というのは」

 

 そこに、森人の教師が静かに声をかけてきた。相変わらずその声は深く、重く、よく響く。そしてその言葉を聞いた瞬間、天陽騎士がさっと顔色を変えて森人の方を睨んだ。

 

「エシェル・レーネ・ラーレイ。【グラドル】の天陽騎士が何故に【ラスト】までやって来たのかと思ってはいたが」

「貴様――」

「【大罪都市グラドル】は昔からプラウディアと折り合いが悪い。【七天】に助けを求めづらい立場なのは知っていたが、湧いて出た【対竜兵器】とやらの噂に飛びつくほどとはな」

「……ベラベラと、何が言いたい」

「落ち着いてはどうか、と言っている。太陽神の剣と言うには、余裕がなさ過ぎる。今の貴方は」

 

 森人の男は淡々と言葉を続ける。天陽騎士は彼を睨み付けた。

 どうやらこの男は現状の天陽騎士の狙いを大体は把握しているらしい。しかし何故にそれをわざわざ口に出して、相手を煽っているのか。状況を把握できて此方としてはありがたいが……

 

 ひょっとして、これは援護を受けている?何故かは知らんが。

 

 ちらっと森人を見てみると、彼は一瞥もコチラには向けない。表情もおっそろしく凜々しい顔を崩さない。森人は美形が過ぎて何を考えているのかわかりにくかった。あるいは此方を気遣い視線を向けないようにしてくれているのか。

 ウルは黙って内心で感謝を告げ、状況を整理した。

 

・【大罪都市プラウディア=七天】と【大罪都市グラドル】は対立している。

・今騒いでる天陽騎士はグラドル領の都市国で発生したトラブルを抱えている

・その解決にシズクの力を使おうとしている

 

 つまり、シズクの存在自体がどうこうというよりも、向こうの事情でシズクの処遇が振り回されている。

 

 なんというかすげえ帰りたくなってきた。

 

 しかし、シズクが色々と問題を抱えているのも、つまり神殿側が大義を振りかざすだけの理由があるのも事実ではある。ではどうするか――

 

「すみません、失礼致します」

 

 そこに、ウルの背後から声がした。

 よく知った声だった。

 シズクだった。

 

「……わあ」

「はい」

 

 シズクはいかんともしがたい表情をしたウルにニッコリと笑みを浮かべた。

 

「勝手に立ち入るな!!お前の審問はこの後だぞ!!!」

「ウル様の審問はもう終わったと聞いています」

 

 吠える神官に、シズクは小首を傾げながら可愛らしく答える。確かにウルに対する審議は既に終わっている。真偽の神官も既に所在なさげにしている。ぶっちゃけ早く帰りたそうだ。ウルも帰りたかった。

 

「シズク」

「待機している間に、何処かへ連れていかれそうになったので」

 

 ああ、つまり此処での審議は時間稼ぎも兼ねていたのか。実力行使で連れて行こうとしたのか。酷く強引な話だった。アランサが眼をひんむいている。ウルは彼女を見ないようにした。

 

「なので説得しまして此処に」

「説得したのかあ…」

 

 内容はあまり突っ込まないことにした。

 シズクはそのままウルの前に一歩出ると、天陽騎士を見据えた。

 

「天陽騎士様、先ほどまでの話は全て伺いました。私にも答えさせてくださいませ」

 

 天陽騎士の女はシズクの登場にあからさまな動揺を示した。彼女からすればシズクは既に自分の部下だか同僚だかが連れていっている手筈になっている予定だったからだろう。

 

「……いや、」

 

 だが、気を取り直して、尊大な態度を取り繕う。胸を反らし、声を張り上げ、シズクを指さした。

 

「ちょうど良い、シズク、貴様には我らへの協力を要請する!」

「わかりました」

 

 シズクは頷いた。天陽騎士は鼻息荒く宣言した彼女は、その返答に即座に反応できず数秒沈黙した後、へあ?と間抜けな声を出した。

 

「竜対策の協力、ええ、勿論でございますとも。この世界に住まう者ならば、あのような脅威捨て置くことは出来ません。私に出来ることがあればおっしゃって下さいませ」

「あ、……ああ、そうか……?」

 

 先ほどまで四方八方とバチバチにやりあっていた天陽騎士は一転して非常に協力的な当人の言葉にかなりの戸惑いを見せていた。アランサも何か口にしようとしたが、その直前、ウルが彼女に視線を向け、ふいと首を横に振ると、黙った。様子をみようと腕を組む。

 天陽騎士は思わぬ援軍に気を良くしたのか、先ほどの動揺を拭うように笑みを浮かべた。

 

「そ、そうか!ならば話は早い!今後は我々の管理の下その力を振るうか!?」

「もちろんでございます。ですが、条件が一つ」

 

 と、天陽騎士が全てを言い切る前に、シズクはそう付け加えた。台詞を途中で遮られた天陽騎士は少し眉をひそめる。

 

「なんだというのだ」

「引き続き、ウル様達との旅を継続させていただきたいです」

「それは――」

 

 一瞬言葉を迷った天陽騎士に対して、シズクは柔い声音で、しかし口を挟ませぬよう追撃する。

 

「元々、私の力、対竜兵器としての能力はそれほど強力なものではありません。ほんの僅か、ほんの少し、竜という存在に干渉するのが関の山でしょう」

「だが、貴様は一時とはいえ七大罪の竜にすら干渉したと聞いたぞ」

「ええ、そして、退くことが叶ったのは、そこに居るウル様と、【白王陣】の使い手リーネ様のお力あっての事なのです。決して、私一人で成したのではありません」

 

 場がざわめき、ウルに視線が集中する。ウルは居心地が悪くなり、シズクを睨みたくなった。大げさに物を言ってくれる。だが、同時にウソを言っている訳でもなかった。確かにあの時、ウルは白王陣の力を用いて竜の撃退に協力した。

 実際はほんの一助でしかなく、また、真に竜を撃退したのはディズであり、他の七天の二人であったのだが、事実は事実だ。シズクはその話で必要なところだけ絶妙に強調し、伏せている。嘘ではないので真偽の精霊も反応しない。

 

「ウル様たちの力なくして、どこまで天陽騎士の皆様のお力になれるか、分からないのです。ですからどうか、同行させてくださいまし」

「む……だが……」

 

 シズクの言い分は正しい。しかし、天陽騎士の反応はいささか渋かった。するとシズクはぽんと手を叩く。

 

「――――ああ、【勇者】めの動向を懸念していらっしゃるのですか?」

 

 勇者、という名を告げるとき、シズクはさげすんだ、嫌悪を感じるような声音を吐き出す。天陽騎士の感情に寄り添うようなその声に、彼女は強く頷いた。

 

「そうだ!あの女がお前という力を利用しかねないのだ!」

「私と彼女との関係はあくまで護衛とその雇い主の関係。決して【勇者】に忠誠を誓ったものではありません。信用なりませんか?」

 

 今度は深く、哀しげな声でシズクは嘆く。ウルは自分まで哀しいような気分に心が揺らされている事に気づき、嫌な汗が出た。魔術じゃないだろうに。

 

「い、いや違う、そういうわけではないのだが……」

「では、よろしいでしょうか?勿論決して勇者が邪魔とならぬよう、微力を尽くします故」

「そ、そうか……それなら……」

 

 まあ、頼まれなくたって、わざわざディズがウル達や彼女の邪魔を積極的に行うような事はすまいとウルは確信している。そんなしょうもない真似をするヒマは彼女にはない。だが、勿論、その事は黙っておいた。

 

「では、よろしくお願い致します!天陽騎士様!これから共に頑張りましょう!」

「あ、ああ………うん」

 

 シズクの晴れやかな笑みに、天陽騎士はかくりと頷いて、同意する。結果としてみれば、天陽騎士に協力すること以外、ほぼ全て現状のまま特に変わらず、という条件になったのだが、それに突っ込むことが出来るモノはこの場に誰もいないのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

審問会②

 

 【黄金不死鳥・ラスト支部】

 

 ディズ・グラン・フェネクス。【七天】の一人である彼女は、勇者としての仕事だけでなく金融ギルド、【黄金不死鳥】の管理も行なっている。ディズの今日の仕事場は此方だった。

 【勇者】としてディズが保有する“手”の一つ。金銭の流れから世界の流れを読み、同時に希少な武具防具を集め、時として強奪する。世界を守護する上で、必要不可欠なアンテナであるが故に、この仕事に手は抜けない。たまっていた書類をやっつけて、今後の方針について支部の責任者と打ち合わせを行い、ついでに提携しているギルドにも挨拶回りを行って、一息ついた頃には陽も沈んでいた。

 

「やーれやれ、ちかれたなっと」

《やーめれーでぃずー》

「君のおにーさんもそろそろ仕事終わりかな?」

 

 アカネをむにむにとひっぱりながらウルの審問会に思いをはせる。竜との遭遇、シズクの異能、神殿に出頭命令を受けることそれ自体はやむを得ない事だ。

 

 大罪迷宮の封印、即ち()()()()()()こそが神殿の、大罪都市の役割である。

 

 大罪都市に住まう全ての都市民達はその役割を少なからず背負っている。彼らの信仰と祈りが、太陽神の結界を維持し、同時に迷宮の竜を最奥に止めているのだから。当然、竜の動きには過敏になる。

 

 故に今回の招集は必然だ。しかしシズクの能力自体が未だ竜への効能がどの程度か不確かである以上、大事には成らない。というよりも出来ないだろう。何せ、彼女自身あまりよく分かっていないのだから。

 今後の彼女の成長と素行を監視するしかない。ディズはそう結論づけたし、神殿も順当にいけばそうなるだろうと彼女は予想していた。

 

「ディズ様、ウル様達が来られました」

「ああ、通して」

 

 ゴルディン・フェネクスのギルド員ではない、ディズの使用人ジェナが来客を告げる。ウル達には念のため、事が終われば此方に来てもらうよう約束していた。無論、審問の内容に関しては後でディズ自身精査するが、本人からの話も聞いてはおきたいのだ。

 

「やっと終わった……アカネー」

《にーたんおつかれー》

 

 飛びついてきたアカネを撫でるウルの表情は端的に言って憔悴していた。まあ、当然ではある。真偽の神官の問い、嘘偽りを見抜かれる質疑応答は精神が削れる。たとえ嘘をつく気が無かったとしても。

 背後にいるシズクはニコニコと笑みを崩さないでいるが、それでも疲労は感じているのか、動作はいつもよりゆっくりだ。ディズはジェナに労いのお茶を煎れるよう目配せし、二人を迎え入れた。

 

「やあ、ウル、お疲れ様。どうだった?」

「天陽騎士と一緒に仕事することになった」

「そっか………………………どうして?」

 

 ディズはウルが何を言ったのか理解するのにしばし時間がかかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 メイドのジェナの煎れてくれたお茶は、疲弊したウルの精神を優しく包んでくれた。不思議な花の香りだった。なんでも都市の外、アーパス山脈麓の湖でのみ咲く花から煎れられたものらしく、疲労回復魔力回復にとても効くとか。

 良い値段がするらしいが、折角煎れてもらったのだから遠慮無くいただいた。正直言うと不満もある。

 

「何事もないと言ってたじゃないか友よ」

「流石に天陽騎士が突っ込んでくるのは私も予想してなかったよ。いや、ほんと」

 

 ウルははじめからの事の経緯を約束通り、ディズに説明した。シズクの扱いに関してこじれにこじれたのちに、最終的に何故か天陽騎士の仕事を手伝う事になったところまで。

 事の経緯を聞いたディズはなんとも言いがたい顔をしていた。何か言いたげになんども口を動かしてはそれが形になる前に飲み込む事を繰り返す。そして最後まで聞き終えた後、

 

「うん……巻き込んで悪かったね。グラドルとプラウディアのいざこざに」

 

 ディズは謝った。ウルも謝った。

 

「護衛の仕事ついてるのにこっちも勝手に話進めて悪かった」

「すみません、ディズ様」

「それはいいよ。正直今回私の問題のところ大きいから……しかしまあ」

 

 一息、そしてお茶を飲む。中々今回の件に関しては彼女も予想外だった所が大きかったらしい。予想を上回る、のではなく、下回った結果なのだが。

 

()()()()()()()()()()()()()()()……それにしたってちょっと強引だけど、その天陽騎士のお名前は?」

「あー確か……」

「エシェル様ですね。エシェル・レーネ・ラーレイ」

 

 シズクがその名を告げると、ディズは思い当たるところがあるのか、あーと額を指先でこすった。

 

「知り合い?」

「グラドルの第一位(シンラ)、カーラーレイ家の分家だ……一応ね」

「お偉いさん?いやまあ、官位持ちなら当然か」

「私もそうなんだけどね?敬っても良いんだよ?」

 

 大罪都市グラドルのトップ、その系譜なら確かにとんでもない存在だ。審議中のウルの全く敬意を払ってない態度に憤激しても仕方ない気がしてきた。

 

「まあ、そこら辺の事情は少々ややこしいことになってる……らしいね。まだ私も情報仕入れ切れてないけど。で、その彼女がグラドルの問題に対処しようとしている」

「どんな事情かは知らんが、殆どシズクの能力も分からないまま強引に彼女を確保しようとしてたが、焦りすぎでは?」

「彼女も事情は複雑なのさ。勿論、だからといって振り回される君たちからすれば、知ったことじゃないとは思うけれどもね。」

「そんなことはございませんとも。私も出来る限り、彼女の力になりたく思います」

 

 シズクはニコニコと微笑みながら断言した。一見すれば悪意なんて全く見えない美しい笑みである。が、ウルは嫌な予感しか覚えない。

 

「一応、お前の身柄が好き勝手にされそうだったってのに随分と積極的じゃないか」

 

 ウルは問うと、シズクは真面目な顔で頷く。

 

「私たちの最終目標が竜である以上、竜と関わるコネクションを得られる機会かと」

「なるほど」

「それと」

「それと?」

「エシェル様、御しやすそうでしたから」

「もうすこし包み隠せ。そのゲスさ」

《あたまわるそうなん?》

 

 容赦なく指摘するアカネにやさしくデコピンした。シズクは言葉を続ける。

 

「彼女は精神的に未熟であるところが見受けられました。上手く制御すれば今後のやりとりもしやすそうだと思ったのですが、いけませんでしたか?」

「いいけどよくねえ」

「それに彼女は随分と自分の立場と使命に苦しんでいるご様子でしたから、どうにか助けて差し上げたく思っています」

「ゲスさと清純さの温度差で風邪引きそうなんだけど」

 

 この女はこういう女である。

 いつもの調子になってきたことに安堵半分、不安一杯な気分になった。

 

「……まあ、意図は分かった。で、改めて聞くんだが、ディズは良いのか。護衛そっちのけで天陽騎士の仕事を請け負うことになったんだが」

「いいよ。というのも、多分だけど、彼女の依頼と私の依頼は被りそうだ」

「行き先が?」

「懸念があるとすれば、彼女と私の仲が下手にこじれないかだけだけど……」

 

 まあ、暫くは大丈夫。とディズは言い切った。

 

「何故?」

「この仕事終わって暫くしたら、私寝るし。暫くの間」

「暫くって……どれくらいだよ?」

「2-3週間?」

「獣の冬眠か???」

 

 曰く、色欲にズタズタにされた身体の治療がまだ終わっていないらしい。事後処理が多かったため表面上は動けるようになったが、ある程度落ち着いた後、本格的な休息を取らなければならならない、らしい。

 そう言われるとウルとしては文句の言いようが無かった。

 

「まあ、今回無茶したツケだよ。【神薬】があれば楽だったんだけど、なんで、暫く彼女と顔を突き合わせることは無い」

「ま、会話が成立しないなら問題になりようがないか……」

「と、いうわけで、君たちの方針には文句は無い。ただ、重要度が低い脅威に関しては君たち任せになるってのは覚えておいて」

「ま、そんなら護衛の仕事はキチンと果たすよ」

 

 こうして、審問会議の反省会はお開きとなった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ウルとシズク、二人が帰宅した後、アカネを【星華の外套】で休ませて、ディズは執務室でまだ身体を休めずにいた。ランプの灯りの中で静かに物思いにふける彼女の手には、神殿で行われたシズクに対する審問会の質疑応答が記録されていた。

 ウルの質疑応答の後、彼女も勿論改めて聴取されたのだ。その結果が記載されている。ディズはそれをじっと見ていた。

 

「ディズ様、そろそろお休みになられた方がよろしいかと」

 

 その後ろで控えていたジェナは、新たに一杯お茶を彼女の前に差し出し、提案する。ディズはその言葉に頷きながらも、記録からは目を離さなかった。

 

「うん……そうだね」

「気になられますか?シズク様の事」

 

 そうだね、とディズは素直に答えた。

 真偽の神官の質疑、一切の嘘偽りの出来ないこの応答に対して、シズクは誠意を持って受け答えしているのがこの書類からは見える。特殊な事情を抱えてはいるものの、それらを隠している様子はない。

 

 だから何の問題も無い――――――とは限らない。

 

「……真偽の精霊の権能は、相手の嘘を見抜く力であって、全てを曝け出す力は無い」

 

 強力であるが、絶対的ではない。何もかもをさらけ出せるわけではないのだ。

 

「ですが、真偽の精霊の力を預かる審問官達も熟練の者達です。精霊の力から逃れようと、曖昧な濁し方をすればそれを見抜く洞察力は最低限身につけています」

「そだね。そういう意味でも、彼女の受け答えは完璧だった……けど」

 

 ディズはシズクの笑みを頭の中で思い描く。魔術を扱い学び成長する速度の天才性、容姿の美しさ、そういったわかりやすい才覚とは全く別の、彼女の奥底にある底知れない、“何か”。

 

「そもそも精霊の力も完璧じゃない。抜け道はある」

 

 自身の記憶の改竄や消去によって自分で本当のことを言っていると思い込むことだって出来る。あるいは――――

 

「もう少し、探りを入れますか?」

「今はグラドルが接近している。あまりシズクに構い過ぎると、余計に妙な勘違いをし出すだろう。あまり無理には――」

 

 ――――こういう形になるのも彼女の狙いだろうか?

 

 と、ディズはそこまで考えて、首を横に振った。

 

「一応彼女の素性を探ってくれる?彼女が仕える“邪霊の神殿”ってのを確認してほしい」

「承知致しました。手配しておきます」

 

 そう言って、背後に控えていたジェナはふっと、夜の闇に姿を溶かし、そのままかき消えるように立ち去った。残されたディズは一人、机に置かれた、まだ暖かな湯気の立ち上るお茶を口に含んだ。

 

「こんなのはいつものこととはいえ、知人を疑うのは疲れるな」

 

 そんな憂いを帯びた彼女の独り言を聞き届ける者はこの部屋には誰も居なかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ディズ様。そんな哀しげで可愛い表情をしなくとも、ジェナはずっと貴方の側におりますとも」

「なんでまだいるのジェナ」

「忘れ物をとりにきました」

「此処君の私物ないでしょうに」

 

 そんなこんなで夜は明けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勝利の宴

 

 

 

「はいお待ち!!白茸とシイの葉のバター炒め!それに赤花鳥の手羽先ね!ホクホクネマイモのシチューパイ包み!エール!葡萄酒!!リリのジュース!!」

 

 どかどかと巨大な皿に並ぶ多量の食事が机に並ぶ。こぼれ落ちそうなくらいに料理が盛り付けられた皿を器用に運んでいく。胃袋を殴りつけるような暴力的な香ばしい匂いが溢れる。ウルは口の中に唾が溢れるのを感じて、喉を鳴らした。

 

「……たまらんな」

「癒院のお食事は、あまり美味しくありませんでしたからね」

「それ以上になんの気兼ねの無いまともな食事はひさしぶりな気がする」

 

 シズクはウルの言葉にこくりと頷く。

 怪鳥の討伐より以前から、身体作りのためにも食事は欠かさなかったが、しかしどこか気が気では無かった。ディズが指定した時間までに怪鳥を討てるのか。今回は賭けた費用が大きかっただけに、悲鳴を上げる胃をなだめて無理矢理食事を押し込んだものだった。

 

 が、今は違う。懸念すべき問題は山ほどあるが、目の前の食事を楽しむ余裕はあった。

 

「よし……」

 

 ウルは一先ず自分の前に注がれたジョッキを手にして立ち上がる。そのウルの姿をシズク達のみならず、この酒場に居る全ての冒険者達が眺めていた。ウルはわざとらしく一度咳を払い、そしてジョッキを掲げる。

 

「毒花怪鳥撃破ゴチになりましたー!!!全員飲めー!!」

 

 ウルの咆吼に冒険者達が奢られた酒を掲げ、雄叫びを上げる。宴が始まった。

 ウルはつつがなく馬鹿騒ぎを始めた冒険者達にほっと息を吐くと、そのまま自分の椅子に戻り、そして机に座る一同に向き直った。シズク、ロック、リーネにディズとアカネもいる。

 

「……で、怪鳥撃破おめでとう&竜撃退お疲れとありがとう&リーネ参加ありがとうっツー事で、乾杯」

『さっきとテンションちがいすぎんかの』

「うっさい乾杯乾杯」

《いえーいかんぱーい!!》

 

 5歳児くらいの子供に姿を変えたアカネが楽しそうにグラスを掲げ、ソレに追従するようにウル達も乾杯した。

 

「あ、此処のエール美味しい。少しナッツの香りする」

「葡萄酒もなかなかいけておりますね」

『っかー!!この一杯のために生きておるわ!!』

「死んでるが。というかソレ美味いのか?酒に魔石入れただけなんだが」

『いやーこれがなんと魔石が酒精を帯びて味が染まるんじゃよ。思いついたワシ天才!』

《ジュースもおいちーのよ!!》

「ミルク、冷えてるわね。冷凍魔術の効きが良いのかしら」

 

 がやがやと騒ぎ始める。ヒトが増えたなあ、とウルは感慨深く思いながら手羽にかぶりついた。歯が肉を裂き、中の肉汁が溢れ舌を幸福感が包んだ。ウルは生きていて良かったと心の底から思った。

 

「今回ばかりは本当にダメかと」

『ま、完全に無事とはいかんかった、が、の……カカ……いや……そのな?』

「んだよ」

『カカカ-!!魔眼に眼帯に右手に包帯とかかっこえーのー!!ほれ!!魔眼が疼く…!とかやってみろオイ!!!』

「っく…!我が封印されし邪眼が鳴動する…!!」

『……!…………!!!!』

 

 試しにやってみたらバカウケした。何が面白いんだか分からん。

 

「冗談とか虚勢で済んだらどんだけ良かったんだけどねえ。右手は大丈夫?」

「今のところは」

 

 ディズの問いに、ウルは一回り大きくなった右手で器用にフォークを握り盛り付けられたサラダの大葉を突き刺し、そのまま口に運んだ。右手は今のところ自分の意思通りに動く。突然勝手に暴れ出したり、ヒトを殺そうとしたりはしない。欠点があるとすれば

 

「身体を洗うとき、爪が刺さって痛い」

「庶民的な悩みですね?」

「爪ヤスリいる?」

「ヤス……ああ、そうか、爪削れば良いのか。天才か」

 

 呪いとか言われていたので、未来永劫このままなのかと若干悩みもしたのだが、別に、竜の爪を削ってはいけないという規則はない。爪が丸くなった竜の手というのは中々にシュールが気もするが、実用優先だ。

 

「竜はこりごりだ」

「でもその竜を討つんでしょう?」

「そうなんだよなあ……ディズ、楽に倒せる竜とかいない?」

 

 ウルがやけくそ気味に問うと、ディズは楽しそうにニッコリと微笑んだ。

 

「怠惰の眷属竜とか大体眠りっぱなしでめったに起きないよ」

「へえ……それなら」

「その表皮から定期的に生物の活動を鈍化させるガスを噴射し、対策なしに近づく生物は問答無用で睡眠状態になって、そのまま生命活動も停止させるけど」

「地獄か」

「怠惰の竜は地面と同化するから、周囲で死んだ生物は通常の何倍もの速度で腐敗し、ぐずぐずになって地面の養分になる。竜周辺は生物が一切存在しない腐敗の大地と化す。結果、命の無い不死者がわんさか」

「ナマ言ってすみませんでした」

 

 そんな楽な道は無いということか。

 

『カカ、そもそも黄金以前に、銀級もまだじゃろ』

「……ま、そりゃそうだ。っつーか銀級はまだなれんのかね」

「あらら随分気が早いじゃないのー」

 

 と、そこに新たな声が湧いて出た。なんだとウルが振り返る前にがばりと背後からのしかかる柔い感触。覚えのある声。ギルド長のアランサだ。

 

「んっふっふ、まさか怪鳥を討つどころか、竜と対峙して生きて帰るなんて、なっかなかやるわね。期待の新星」

「どえらく酒くさいんだがよってらっしゃる?」

 

 そうねえ。とアランサは掴んだジョッキをぐいと男らしく飲み干す。

 

「あんたらが無事生きて帰ってきて、嬉しくてね。まさかその後、竜とやりあって、挙げ句、天陽騎士が出てくるとはおもいもしなかったけれど」

「ご心配をおかけしました」

「本当にね」

 

 アランサは頭を下げるシズクをなでる。そしてそのままその目がリーネを捉えた。彼女は再び頬を緩める。

 

「リーネ様も、良かったです。仲間が見つかって」

「様は良いです。レイライン当主は今は父が代行しています」

「いいえ、同じギルド員ですが、それでも線引きは必要です。でも嬉しいのは本当です。貴方の道が決まって良かった」

 

 アランサは心から嬉しそうにそう告げる。随分と彼女の事は心配していただけに、ちゃんと彼女が望む道を進めたことを喜んでいるようだった。

 

「というか、あんたらは気をつけなよ?神官との距離感間違えるんじゃないよ?リーネ様が特別なんだからね?」

「まあ、気をつけるようにはするつもりだが……何分育ちが悪いからなあ……」

 

 ウルは分厚いハムに噛り付きながら呻いた。神官と都市民との繋がりは深く重いが、神官と名無しの放浪者との繋がりは、薄い。生活を都市に依存しない(できない)が故に、必要以上の畏怖が無い。

 これを持たざる者の強みというのは少し違うが。どちらかというと無謀に近い。

 が、今後はそうはいかない。

 

「冒険者の銀、金級目指すなら、必然神官達と関わる事も増えるんだから」

「そういうものか」

「都市の運営と精霊と交信できる神官達は密接に関わる。魔石を沢山稼ぐ強い冒険者は必然的に神官達と繋がるのよ。リーネ様みたいに神官が冒険者になるのは希だけど」

「ヌウの私たちの家はそれほど、精霊には通じていないけど。上の官位は違うでしょうね」

「なるほど……だが、結局俺達は銀になれるんだろうか?」

 

 出世すると気遣う部分が増えたのは分かったが、結局本当に出世できなければ狸の皮算用である。問われたアランサはやや複雑そうに額に皺を寄せた。

 

「まーそれが、割と判断が難しいのよ……」

 

 詳細は言えないが、と彼女が言うところによると、賞金首撃破の貢献度は間違いなく高い。なにせ誰もが手をこまねき、野放しになっていた魔物を撃破しているのだから、認めるところ大だろう。 

 しかし、まだウル達が冒険者の活動を始めて、3ヶ月だ。経験も実力もまだ浅いのもまた事実だった。

 

「銀を与えるなら当然、責任も伴うわ。その貢献を認めることと、大任を任せるってのはまた別だし……」

「言わんとすることは分かるがな」

 

 ウルとて、こんな特殊な状況でないならじっくりと経験を重ねて実績と自信を身につけてから出世したいと思う。身の丈に合わない仕事と責任なんてまっぴらご免だった。無論そんな事を言っている場合でもないのだが。

 

「とはいえ、流石に“銅の四級”のままではないとは思うけどね。詳細が定まり次第伝えるから、ソレまでは待っていてー」

 

 そう言ってひらひらと手を振り、後は若い者達で、と彼女は去っていった。

 

「……出来れば早く決まってほしいがな…」

《いきいそぐなー》

「仕方ない。お前が解体される瀬戸際だ」

《あたしもがんばってんだけどなー、でぃずがなー》

「アカネがもっと頑張ってくれたら助かるんだけどね、私も」

 

 むにーとディズはアカネの頬をつまむと、アカネはこそばゆそうに眼を細めた。こうしてるやりとりを見ると仲の良い姉妹のようにも見える。が、その実は研究のため殺されそうな少女と殺しそうな少女である。傍から見ても奇妙な友情だった。

 

「そういやそっちの仕事……竜の信奉者の捜索、上手くいかなかったのか」

「そだね、都市や、大罪迷宮内部をかなり入念に探したんだけど、いなかった。この周辺に痕跡があるんだけど……むーん」

《でぃずーはなせー》

 

 アカネのほっぺをつまみながら悩み始めるディズにアカネの抗議は届かなかった。そっとウルがディズの指をアカネの頬から解放してやると、アカネは嬉しそうにウルにすりついてきたので、彼女の頭を撫でてやる。可愛らしい。

 

「アテが外れた以上、場所を変えるしか無いかなって」

「それが天陽騎士の行き先と被るって?」

 

 天陽騎士エシェルとの話し合いで出た、天陽騎士からの依頼が自分の目的地と“ダブる”、というディズの予想である。

 

「エシェル、あの天陽騎士が今抱えているトラブル。【グラドル領】に私も用があってね。十中八九君たちへの依頼も恐らくそこだろう」

「グラドルか……」

 

 アカネをあやしながら、ウルは若干嫌な顔をした。

 

『なんじゃあウル、その国に嫌な思い出でもあるんかの』

「……あの国は衛星都市の建設に精力的でな。人類生存圏の拡張に尽力している国だよ。この大陸じゃプラウディアに次ぐ大国……ただ」

「ただ?」

「グラドルとその周辺国は“名無し”の扱いがちょっとな……」

 

 大罪都市グラドルの王(シンラ)は数世代にわたってこの大陸全てを“生存圏”にする事を目標として掲げ、邁進している。【生産都市】【衛星都市】の建築を進める。が、当然、人類の生存圏外での建築作業は尋常なものではない。魔物達に襲われる事はしょっちゅうだ。

 当然、都市民は進んで開拓に向かう者は少ない(莫大な報酬を目当てにして向かう者がいないわけではないが)開拓の労働力の大半は、都市に住まう権利のない“名無し”である。

 

「開拓都市の、半ば奴隷みたいな扱いになってるからなあ。“名無し”」

「グラドルは身分差が激しいというのは聞いていたけれど……」

 

 リーネは顔を顰める。大罪都市ラストでは魔術の方が重視されているためか、それほどに神官、都市民、名無しの間での扱いに差が激しくはない。シズクは名無しだろうと魔術に素晴らしい才覚を見せたがために敬意を払われていた。グラドルの在り方はソレとは全く違う。

 

『なんじゃあそんなもん逃げりゃいいじゃろ?』

「……まあ、理由は色々あるが、一応報酬として“都市開拓後の永住権”ってのがあってだな。ソレ目当てで必死に働くヒトも多くてだな」

「それ、本当なの?」

「口約束で用が終わったら迷宮の穴蔵にポイ捨てで処分、なんて噂まである。あくまで噂だけどな」

 

 リーネは更に不安になった。ディズもそのウルの言葉に対して咎めたり、訂正したりはしない。つまりは、そういった不穏さが漂う地域という事になる。

 実際ウルも、以前放浪していた際には危うく開拓労働者に“就職”しかけたので慌てて逃げた事もあった。が、今回はそうもいかない。シズクの証明の件もあるし、ディズの仕事もあるのだ。腹をくくるしか無い。

 

『カカカ、今から色々と心配しても仕方あるまい?酒が不味くなるわ!』

《おらー!のめー!!》

 

 少し重くなった空気を破るようにロックが笑い、それにアカネが乗じる。ウルふっと肩の力を抜いた。ごもっともである。折角大きな山場を乗り越えたのだ。なんだってその祝いの場でしんどいツラをぶら下げねばならないのだ。

 

「リーネ、折角だ。此処の名物料理とか無いのか」

「アモチ焼き」

「もう飽きるほど喰った」

「ならそうね……例えば――――」

 

 そんな感じで、とりとめのない雑談を続けながら、楽しい宴の時間は過ぎていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『カカ……もーのめん』

「人骨が酔っ払うのはシュールだな」

《もーのめにゃーい》

「アカネは酒飲んでないんだがなあ」

「…………」

「目を開けたまま寝てる…?」

 

 宴も終盤に入っていた。ウル達一行も、そのほかの冒険者達も飲めや歌えやを満喫し、アルコールの心地よさを満喫していた。酒場の従業員も皿を回収し始めている。そろそろお開きの時間だった。

  ディズは「仕事があるから」と適度なタイミングで席を外した。アカネを連れていくかと思ったが、今日くらいは良いさ、とアッサリそう言って颯爽と去っていった。テーブルについている内3人も既に潰れかけている。

 問題ないのはウルともう独り。

 

「シズクは平気なのか」

「ラストのお酒は美味しいですねえ」

「そうだなあ……魔術と酒造って関係あるのかなあ」

 

 シズクだけのようだ。若干ほわほわしてるが少なくとも会話の受け答えは出来ている。美味しそうに葡萄酒をくぴくぴと飲んでいる。腹も膨れ、適度に酔いも回り、ウルも心地よい気分になっていた。

 この時間が続けば良いのに、と、そう思えた。この感情はなんなのか。

 

「ウル様、心地よいですか?」

「そうだな」

「では、幸いですね」

「ああ……」

 

 シズクがそう言った。幸い、幸せ。ああ、そうか。幸せなのか。と、ウルは自覚する。今の心地よさは幸福なのだろう。冒険者になる前からずっと必死で、ただただ生き残ることだけにがむしゃらになっていた。今が幸いで、それが続けば良いと思えたのは、ひょっとしたら初めてなのかもしれない。

 元々、アカネの命を守ろうとしているのも、冒険者になって毎日ひいひい言っているのも、全ては幸せのためなのに、その幸せを深く自覚したのはこの時が初めてだった。

 勿論、この時がずっと続くわけではなし、やらなければならないことは沢山あるが――

 

「そういえば、ウル様。わすれていたのですが」

「ん……」

「また、抱きしめますか?」

 

 なに言っとんじゃこの女。と思ったら、彼女はニコニコ笑いながら、両手を広げてこっちを見ている。また、とは、と、ウルが酔った頭を巡らすと、そういえばグリードでの宴会で、彼女を抱き上げ、勝利を宣言したのを思い出した。

 

「ますか?」

「いや、別に必ずやらんといかん訳でもないが」

「ますか?」

「しない」

「しませんか」

 

 シズクは哀しそうな顔になった。

 

「……するか」

「しますか」

 

 シズクは嬉しそうな顔になった。

 

「……酔うと顔に出やすくなる?」

「そうですか?」

 

 まあいいか、とウルはシズクの腕に身体を預けてみた。柔らかく、良い匂いがした。お酒の匂いもするが、それはウルも同じだった。心地よかった。このまま眠りたくなる衝動にかられた。

 

「ウル様は心地よいですか?」

「そうだな」

「では幸いですね」

「お前は?」

「……よくわかりません」

 

 ウルは少し身体を起こしてシズクの顔を見る。彼女の顔は酔いで赤らんで、へにゃへにゃになりながらも笑っていた。普段の、まるで崩れない聖女のような微笑みとは随分と違う印象を受ける情けのない笑みだったが、ウルとしてはこちらの方が好きだった。

 

「シズク」

「はい」

「次も勝つぞ」

「はい」

 

 またこの幸せを得るために前へと進もうと、ウルは決めた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

【毒花怪鳥討伐戦:リザルト】

・毒花怪鳥撃破賞金:金貨三十枚

・毒花怪鳥獲得魔石:金貨三枚相当

・毒爪鳥他、複数体の魔物から獲得した魔石:金貨一枚相当(半分はロックが消費)

・落下物:毒花怪鳥の鉤爪

・対迷宮探索兼戦闘用戦車「ロックンロール号」製造

・【白王を継ぐ者】リーネ・ヌウ・レイライン、参入

・【技能】取得:「必中ノ魔眼」

・毒花の魔片 吸収

 

【大罪竜遭遇戦:リザルト】

・七天の祝福:魔眼改眼「未来視の魔眼」

 →ルート減殺 硬度Ⅹルート確定 

  次回昇華必要研鑽年数:150年

・大罪の呪印:右腕竜化 色欲の大罪の蔓翼同化

 →【禁忌】

・大罪竜・色欲の魔魂(破片) 寄生 

 →【禁忌】

  【■■■■■■■■の断片】

  【精霊との交信適性最低ランク<E>の下限を限界突破】

  【現在適性E- ⇒ Ω-】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ギルド結成と天陽騎士

 

 

 

 冒険者ギルド、大罪都市ラスト支部

 

「では、ウルとシズクの両名を銅の一級に昇級させます」

 

 ウルとシズクはその宣誓と共に、自らの指にはめた銅の指輪を掲げる。すると目の前に居る冒険者ギルドの術士、”昇格審査員”がその指輪に詠唱を捧げ、指で触れる。銅の指輪に灯った光が3つから1つに変わった。一級の証拠である。

 打ち上げから数日が経過した。ウル達が療養とリハビリに務めている間に冒険者ギルドでいくらかの検討があり、その結果、ウル達の昇格が決定した。

 

 今日はその昇格の儀式の日だった。

 

 儀式、と言っても、それほど大規模なものでは無い。冒険者ギルドの一室にて、ウル達が装着している冒険者の指輪の設定をいじるだけだ。

 

「これにて、貴方たちは冒険者ギルド銅の一級、銅級の中ではトップとなります。銀級ほどではありませんが、それでも多くの冒険者達の前をゆく存在、重々その責任を忘れませんようお願いします」

「それでどうやったら銀級になれるんだ」

「人の話を聞きなさい」

 

 ウルは昇格審査員のおじさんにチョップされた。

 

「あなた方の事情は把握しています。ですが、銀級は一流の冒険者の証、容易くはありません」

「ソレは分かるが、聞いておきたい。備えたい。自分でも調べてはいるが、今の自分の実績がどのあたりで、どうすればいいかがピンと来ない」

 

 何せ現状、ウルの辿ってきた道筋は随分と特殊である。冒険者になって一月で十級の魔物であり賞金首の宝石人形を討ち、次の都市に行くと竜信奉者の死霊術士と餓者髑髏の撃破、大罪都市ラストで賞金首怪鳥を打ち倒し、更に【大罪竜・色欲】の迎撃の貢献を行う。

 必ずしもその全てがウル達の手柄ではないし、偶然も味方したし、助けもあったが、それでもスピード昇格に見合うだけの結果は残してきた。

 

 だが、銀級がこの調子でなれるものなのかはわからない。

 

 銅の中で位が上がるのと、銅から銀に色を変えるのとでは訳が違う。銅と銀では大きく異なる。とは散々いろんな連中から聞いたのだ。ただ闇雲にやれば良いというわけでは無い。筈だ。

 ウルの懸念を察し、昇格審査員はおほんと咳を払った。

 

「そうですな……銀に上がる条件は幾つかあります。ギルドへの貢献度の高さがまず上げられます」

「賞金首の撃破は高いです?」

 

 シズクの挙手に、審査官ええと頷く。

 

「賞金首は冒険者ギルドでも対処に難航している相手ですからソレは間違いなく。ギルドからの依頼(クエスト)をこなすことでも上がります」

 

 考えてみると、ウル達はまだあまり積極的に冒険者ギルドから配布されている依頼をこなしていない。ディズの護衛の為の都市移動、その合間合間の賞金首の撃破と、依頼に割く時間がないというのもある。今度じっくり見てみるのもいいかもしれない。

 

「今はお二人とも銅の一級ですから、直接ギルドから依頼を提示されることもあるはずです。最も、ある程度はその土地のギルドになじむ必要はありますが」

「なるほど……次、迷宮攻略の実績、というのがイマイチよくわからない」

 

 今度はウルが挙手をする。

 

「迷宮という存在がこの世界においての脅威であり、同時に人類生存の要である事は間違いなく、それ故に迷宮攻略も銀への昇格には重要になってきます」

「具体的には」

「大罪迷宮なら中層への到達と一定以上の魔石発掘、もしくは複数の小中級迷宮の制覇」

 

 この世界に存在する迷宮は当然ながら大罪迷宮のみではない。地表に現出した迷宮は大小様々だ。ほんのわずかな階層しかもたない小規模の迷宮から、大罪迷宮ほどでは無いもののの幾つもの階層のある中級規模の迷宮まで、それらの制覇は都市とギルドへの大きな貢献となる。

 

「迷宮の主(オーナー)を撃破し、【真核魔石】を獲得し持ち帰る事が出来れば確実でしょう。銀級と成った者の多くは迷宮から勝ち取り、持ち帰っています」

「銀級は必ずこの実績が必要だと?」

「そうではありませんが、しかしコレなしでとなると、それ以外での、それ以上の活動実績が必要となります」

「ふむ……」

 

 現在のウル達の冒険者としての活動には制限時間がある。あまり同じ場所で悠長にするのも難しい。その短い時間に迷宮を完全攻略が出来るかは正直怪しい。

 

「どのような選択をするかはあなた方の自由ですが、無茶は兎も角、無謀な真似はしないように」

「ありがとうございます。審査員さま」

 

 シズクはニッコリと微笑み、ウルも頭を下げる。

 

「ところで……あなた方はギルド登録はしていらっしゃらないのです?」

「冒険者ギルドには所属していますが?」

「冒険者ギルドは大連盟直下の”大ギルド”です。それとは別に、自身のギルドを結成し、そのギルドで再び、冒険者ギルドに登録する事も出来ます」

「メリットは?」

「細かいメリットは色々と。幾つかの制限がありますが、ギルド員もギルド長である貴方と同じ指輪の恩恵を受けられるようにも成ります。依頼や賞金首の報酬の分配もかなりスムーズになるでしょう」

「デメリットはなんでしょう?」

「事務処理が少し面倒くさいです」

「面倒くさい」

 

 真面目そうな審査員から出てくる不真面目単語にウルは首を傾げた。しかし彼は冗談を言ってる様子はなく、至極真面目だ。

 

「大連盟への登録も必要なので、提出しなければならない書類が増えます。ギルドとして成果を上げた場合の収益に関しての報告も。勿論冒険者ギルドのサポートはありますが、全てというわけにはいきません」

「……それは結構バカに出来ないレベルで面倒くさいな」

「私たち、時間が在りませんものね」

 

 ディズの指導によって現在のウル達の一日は”長い”。

 が、しかしだからとて時間に余裕があるわけでは無い。短期間の昇格を目指すウル達にはやることは山ほどある。鍛錬、勉学、調査、移動、護衛、そこに更に書類仕事まで追加、となると正直ウルはキャパシティオーバーする自信があった。

 

「その手の書類処理を専門に請け負う信用できるギルドに委託するのも手です」

「金はかかると」

「費用補助はウチからある程度は出しますよ……もっとも、その申請も必要ですが」

「今から他のギルドに所属するのは?」

「銅の1級を得た貴方たちを今更引き入れるのは、ギルド内のパワーバランスが崩れるのを恐れて拒否する所が多いでしょうね。しかも今の冒険者の主流は一か所の都市にとどまった活動です」

「そりゃそうか……つまり、自分たちで立ち上げた方が良いと」

 

 ウルとシズクは顔を見合わせた。

 

「ではウル様がギルド代表ですね」

「俺かあ」

「ギルド名はどうしましょう」

「じゃあ、歩ム者(ウォーカー)で」

 

 極めてアッサリと、ウル達のギルドは結成された。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「いいわよ。貴方がギルド長で」

 

 冒険者ギルドの酒場にて昼食を取りつつ、ウル達は今後の方針について話し合っていた。さし当たってギルド結成に関しては、当然他の仲間達に許可を取る必要があるため、確認を取った。

 結果 リーネはアッサリとウルのギルド結成とギルド長となる事に承諾した。

 

「白王陣の名を汚さないというなら私は構わないわ」

「ブレないなお前」

「ギルド紋章出来てないなら私が描くわよ」

「絶対白王陣モチーフの模様で描くだろ。わからんだろうし、いいけど」

 

 さて、そしてロックはというと

 

『カカカ、かっちょいいのうギルド長よ。もっと胸張ったらどうじゃ?』

「正直なところやりたかない。やりたいならやってもらって構わんぞ。ロック」

『ワシ、第二の人生は身軽に生きると決めておるので』

 

 カタカタとロックは笑い、ウルは溜息をついた。

 身軽さ、羨ましい。ウルだってそうしたい。ギルド長などと、正直責任ばかり増えそうで旨みはあまりなさそうだ。さりとて、現状そのポジションに着くべき者は自分以外いない、というのもウルに分かってはいた。

 仲間になった時期的にリーネは除外、ロックはそももそもシズクの使い魔だ。となるとウルかシズクの二択になるが、シズクは自分が前に出るのではなく、ウルを支えるよう務めると既に決めてしまっている。

 そうなると自分しかいまい。面倒なことだ。

 

「まあ、まだ3人と1体だ。一行(パーティ)となんら変わらない。ギルド結成も形だけのものになるだろうさ。仕事の受け方や報酬の受け取り方が少し変わるだけだ」

「ですが、同行者は増えそうですよ?」

 

 は?とウルがシズクの言葉に首を傾げる。

 シズクはチラリと酒場の出口の方に視線をやる。するとそこに彼女の言う同行者がいた。

 

「あれは……」

 

 ウルだけではなく、他の冒険者達も思わず視線を向けるその鎧の派手さ。身を守るためではなく、太陽神の威光を示すためにある太陽をモチーフとした眩い鎧に身を包んだ”騎士”が一人、真っ直ぐにウル達がつくテーブルに向かってきた。

 ウルはその鎧に見覚えがある。無いわけが無い。あの審問会議の際に、散々暴れ回った天陽騎士その者である。エシェル・レーネ・ラーレイだった。

 

「……ふん、随分と”無能の名無し”が多い場所だな。魔物の死骸を漁るギルドらしい」

 

 無駄に響く高い声で告げられた罵声に、訝しげにしていた冒険者達は「は???」と青筋を立てた。

 

「酒場も泥臭く下品だ。何故わざわざこんな所に集まるのか理解に苦しむな」

 

 冒険者ギルドから直々に酒場を任されている店主は少し音を立てながら包丁で肉をたたき切った。

 

「こんな小汚い場所に私に足を運ばせた事「失礼しました」

 

 ウルは彼女の腕を引き速やかに酒場から退出した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「その竜で呪われし汚らわしい手で私を掴むな!何の真似だ貴様!」

「申し訳ありません。あのままだと殺されそうだったので」

 

 外に出て早々、ヒステリックにウルを罵る天陽騎士、エシェルにウルは頭を下げながら理由を述べた。それに対して彼女は少し目を丸くした後、尊大そうに腕を組み鼻を鳴らした。

 

「私は天陽騎士だ。あそこの名無しどもが私になにが出来るというのだ」

「まあ、直接的に貴方に刃向かう命知らずは居ませんが……」

 

 と、言いかけた瞬間、ふっと、背中から猛烈な視線を感じた。ウルはそっと後ろを見る。釣られてエシェルもソチラへと眼をやると

 

「「「「「……………………」」」」」

 

 ギルドの入り口で、幾人もの冒険者達が睨んでいた。何も言わないし、当然武器も持ってない。ただ睨んでいるだけである。ただし彼らの多くは歴戦の冒険者達であり、魔物達すら無手で退けるほどの殺意を込めた眼光である。ウルすら普通に背筋が震えた。

 

「ぴっ」

 

 エシェルがか細い悲鳴を上げるのもやむを得ない事であろう。ウルは彼女の前にそっと立ち、頭を下げて謝罪をした。すっと殺意が消えたので一応は収めてくれたらしい。

 しばらくウルの背中に隠れていたエシェルは、最初は顔を青くしていたが、そのうちに今度は驚愕に表情を変えた。

 

「なんだあいつら!?私は官位持ちだぞ!!」

「基本、”名無し”は都市国内部の官位に対して強い敬意は払ってないのでご注意を」

 

 神官達の与える恩恵は凄まじい。上位存在である精霊達の力を、一端であっても我が物として活用できる。その力を都市の守りと、豊かさの為に分け与える。都市に暮らす”都市民”からすればまるで神のような存在だろう。

 ただし、名無しにとっては、そうではない。彼らは基本、都市に永住することも許されない。都市は、謂わば仮住まいのような場所である。いかに神官達が都市に多くの恵みを与えようと、その恩恵を直接与えられる立場に彼らはいないのだ。

 冒険者となり、指輪を得、都市への永住権を得たとしても、かつて味わった格差の意識はそうそうには変わらないだろう。多くの名無しにとって神官とは「精霊との交信の力を持つ”都市国の”特権者」以上でも以下でも無い。自分らを庇護する者たり得ない。

 

 名無し、都市民、神官、彼らの間には紛れもない格差が存在するが、全てが単純な上下で成り立つ訳では無い。

 

「まあ、だからって神官に暴力振るうやつは居ませんが……神官ってだけで平伏するような奴らばかりではないですよ」

「こ、()()()()()…!!」

「は?此処でも?」

 

 問うと、エシェルはハッとなり、首を振って再び胸を反り、わかりやすく不遜な態度をウルに示した。

 

「五月蠅い。お前にとやかくと言われる謂われは無い」

「失礼しました」

 

 ウルは頭を下げる。ウルはウルで、この天陽騎士に対して深い敬意を払っているわけでは無いが、これから長い付き合いになる可能性がある神官相手に下手を打つのは避けたかった。

 

「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?エシェル様」

 

 酒場から追いかけてきたシズクが微笑みながらエシェルへと問いかけた。ウルもちょうど聞きたかったことだ。あんな風に愚痴をたれながらも、わざわざ単身で彼女が自分たちを訪ねに来た理由が分からない。

 

 問われ、エシェルは気を取り直すようにゴホンと咳を払い、年相応に不安げだった表情を再びわざとらしい尊大な態度に変え、シズクを指さした。

 

「貴様への通達だ。ありがたく拝聴しろ」

「承知致しました」

 

 シズクは恭しく傅く。ウルも一応それにならった。エシェルは満足げに頷く。

 

「グラドル天陽騎士団からの任務(クエスト)である。貴様等はコレより【大罪都市グラドル】、その【衛星都市ウーガ】へと向かってもらう」

「……やっぱりグラドルかぁ……」

「そこで何を?」

 

 ウルは額に皺を寄せ唸った。シズクは気にすることなく続きを促す。エシェルは引き続き仰々しく胸を反らしながら声を上げる。

 

「人類生存圏外の開拓都市にて竜災害が発生している。貴様等はその調査並びに解決が求められている」

「あー……解決は必須ですか?シズクも言ったとおり、俺等では竜には敵いませんぜ」

「必須だ」

「あー……」

 

 ウルは承知しました。と言う言葉を飲み込んだ。シズクは無言でニコニコしている。それを肯定と勝手に取ったのか、エシェルは会話を続けた。

 

「天陽騎士団への貢献はそのまま貴様等に対する評価になる。務めろよ!!」

「持てる力を尽くします」

 

 竜に関わるトラブルが持ち込まれる。というのは予想は出来ていた。シズクの能力に目を付けたのだから、その力を求めるのは当然ではあるだろう。しかし解決を求められると、さてどうなるか。最悪、彼女には内緒でディズの協力が必要になるかもしれない。

 

「そして貴様の監視は私直々に行うことが決まった」

「エシェル様自身が、ですか?」

 

 続く言葉に、今度は端で聞いていたリーネが驚いた様に口を開いた。

 

「我々はエシェル様の依頼(クエスト)を何時こなせるかわかりません。その、エシェル様はその間我々の監視を?ずっと?」

 

 言外にそんなヒマあんのかテメエ、という疑問が漏れ出す問いだったが、エシェルはなんら気にした様子はなく彼女の問いに答えた。

 

「私は現在、【衛星都市ウーガ】の”都市建設総責任者代行”を請け負いあの都市に滞在している。何ら問題は無い」

「…………なるほど」

 

 その答えにリーネはなにか考えたそぶりを見せたが、その後は何も言わずに首肯し、引き下がった。エシェルは全員の沈黙をもって、説明責任を果たしたと思い満足したらしい。最後にびしっとウルを指さした。

 

「私は先に【ウーガ】へと帰還しておく。準備が完了次第貴様等も出立するのだぞ!」

 

 そう言って、エシェルは用意されていた馬車に乗り込んで颯爽と去って行った。ウルは手を振り見送り、彼女の乗る馬車が見えなくなった後、口を開いた。

 

「……要は、自分が担当している都市建設のトラブルを解決しろって事か?」

「そういうことでしょうねえ」

『シズクをほしがってたのはこれが理由かの?』

 

 ウル、シズク、ロックは納得したように、困ったように頷いた。特にウルは、竜の問題とやらを解決しなければ全く納得しそうにない彼女の様子に頭が痛くなっていた。なんとか言いくるめる方法を考えなければいけないかもしれない。

 そしてリーネはというと、ウルとは違う理由で顔を顰めていた

 

「……第四位(レーネ)なのに、都市建設?代理……?」

「なんだ、なんかおかしいのか?」

「おかしいでしょ?」

 

 リーネは首を傾げた。ウル、シズク、ロックも首を傾げた。会話が全くかみ合っていない。冒険者になったとんでもとはいえ、正規の神官であるリーネと、そう出ない3人との間に明確な知識の差が存在していた。

 しばらくそうしてから、シズクが手を上げた。

 

「申し訳ありません。リーネ様。よろしいでしょうか」

「どうしたの。シズク」

「私、コレまで都市の成り立ちにあまり深く関わってこなかったので、理解が浅いところがあるのですが、一度、騎士や神官の関係を説明していただいてよろしいでしょうか。それに、【天陽騎士】のことも」

 

 シズクの願いに、リーネはウルの方を見た。ウルも頷く。ウル自身、名無し出会ったが故に都市の成り立ちに詳しくはない。知識を整理しておく事は必要に思えた。

 

「そうね。なら簡単に説明しましょうか」

 

 そう言って彼女がぴっと指さす。その先にいたのは、今は都市の見回りを行っているのだろうか。大罪都市ラストの紋章を身につけた”騎士達”が巡廻していた。

 

「まず各都市に存在する【騎士団】。法と秩序、都市そのものの守護者。法を破る犯罪者や、都市そのものを害する魔物達、危険を及ぼしかねない迷宮の排除を主な目的としているわ」

 

 指さされた騎士達は一度此方を訝しがるような視線を向けたが、此方が会釈をすると肩をすくめて去って行った。

 

「構成員は【都市民】よ。【名無し】はなれないし【神官】もなれない」

「【神官】もですか?」

「【神殿】の【騎士団】への干渉は【大連盟】の定めた法で禁じられているもの。官位を持ったまま騎士団に入るのは影響が大きすぎる。もし入るなら官位を捨てないといけない」

 

 そんな酔狂は人はめったに居ないけど。と、リーネは自分のことを棚に上げた。ちなみに彼女は官位を返上していない。別に、名無しと同行することに誰の許可も必要ではないからだ。

 そしてリーネは次に都市の中央にそびえる神殿を指さした。

 

「次、【神殿】と【神官】」

 

 今現在の時刻は昼過ぎ。昼食を終えた都市民の多くが神殿へと集まっていく。彼らは神殿にて、昼の祈りを精霊と唯一神(ゼウラディア)に捧げるのだろう。都市民の義務だ。

 

「【神殿】は太陽神の下に集う政府組織。迷宮の乱立によって崩壊した世界を立て直した神の社。政治を執り、精霊の力で都市を守る都市国の要」

『ほーん……元々いた王様とかはどうなったんかの?』

「迷宮の混乱の最中力を失い、神殿との争いに敗れて、その殆どが”失われた”わ。王権を維持している都市国もあるとは聞いたことがあるけど、ごく少数よ」

 

 王、貴族の概念は失われ、代わりに【神官】が生まれた。

 

「【神官】は全ての都市に存在する【神殿】に勤め精霊達と心通わす事が出来る都市の特権者達。精霊様の力をお借りして都市を運営する役割を負った権力者。【生産都市】の運営も任されてる」

 

 第一位(シンラ)、第二位(セイラ)、第三位(グラン)、第四位(レーネ)、第五位(ヌウ)の五つの官位。これは精霊との親和性の差異を現す。親和性は血で引き継がれ、故に官位は姓に与えられる。

 神官達は精霊達から授かった力で都市運営を行う。生産都市による食料生産、水源確保、だがなによりも重要な、都市全体を覆う【太陽神の結界】の維持。

 魔物が跋扈するこの世界でヒトが安全に暮らしていける都市の維持は、彼らの力によって成されていると言っても過言ではない。

 

「だから、どんな都市でも精霊をないがしろにすることはできない。魔術都市(ラスト)ですらもそうね。魔術は精霊の加護ほど万能ではない」

 

 迷宮からの魔石の採掘による魔術の発展は著しい。だが、それでも未だ、ヒトは精霊の領域にまったくたどり着いてはいない。【神殿】【神官】の地位と権威が揺らぐのは先になるだろう。

 

「そして【天陽騎士】。彼らは【神殿】が保有する”武力”よ。騎士団とは根本的に違うの」

 

 騎士団は都市国に仕える。

 天陽騎士は神殿に仕える。

 神殿と国を同一視する者も多いが、完全に合致はしない。故に、時に騎士団と天陽騎士は敵対することもある。

 

「【天陽騎士】は【騎士団】とは逆に特殊な場合を除いて全員官位持ち。彼らは天賢王の命の元、神殿の秩序を護る。時に国を跨ぐことだってある。ちなみにディズ様、【勇者】を含めた【七天】もここにあたるわ」

「アイツ、騎士だったのか……」

『なるほどのお……ほんじゃああのお嬢ちゃんはお偉いさんな訳か』

「第四位(レーネ)の官位。勿論おえらいさんよ」

 

 と、そこでロックがカタカタと首を傾ける。

 

『んで、そんなお嬢ちゃんが都市を建てるのがおかしいのカの?』

「単純に、官位が足りないのよ。普通、都市建設監督は第二位(セイラ)からよ」

「だから代行なんだろ?」

 

 権限をもつ人間の代行として出る。というのは別におかしいとは思わない。だが、リーネは首を横に振る。

 

「セイラの代行だからって、都市建設の知識が与えられる訳がないわ。【神殿】の造り、特に精霊様達や唯一神との”交信の間”の建設手段は秘中の秘よ。神官の間どころか、セイラ以上の神官の家でも一子相伝だもの。」

「では、エシェル様は?」

「当然、神殿は作れないはずよ。形は作れるかもだけど……そもそも官位を持っていれば天陽騎士にはなれるけど、神官の資格は別よ。しかるべき修行を経ないとなれない。神官でもない天陽騎士に都市建設を代行させる……?」

 

 再び全員に沈黙が訪れた。

 官位の足りない天陽騎士、建設途中の絶対必須の神殿が建設できない都市で発生している竜災害の解決、判明する情報の数々に明るい要素は一つも存在しなかった

 

『ま、アレじゃな』

「何だあれって。肩を叩くな」

『まーた、厄介な奴が増えそうじゃな?カカカ!!』

 

 ロックの高笑いに、ウルは深々と溜息をついた。

 ロックの言葉が的中しそうな予感で胸が一杯で、胸焼けしそうになった。

 

「どーしてこうなるかねえ……」

「不思議ですねえ」

 

 シズクのすっとぼけた態度に、お前が厄介代表だよとツッコミを入れる気力もウルにはわかなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の旅立ち

 

 ラウターラ魔術学園、クローロ教授の教室にて

 

「それでは本日の授業はここまで」

 

 リーネ、彼女にとっての最後の授業が終わりを迎えた。

 

 別段、彼女にとってそれは今日まで続けてきたものと、これといって変化があるわけでもなかった。違いと言えば、メダルとその信奉者の姿が見えないことくらいか。

 どうやら彼らはこれまでの生活の態度を踏まえて、厳重注意を受けたらしい。今期の単位の没収に加えて追加の授業を受ける羽目となっている。尤も普段の彼らの素行、他の生徒に魔術をぶつける等、乱暴な振る舞いであったことを踏まえれば、軽い、といえるかもしれない。

 

 そんな、彼らの横暴の被害者であるリーネは、その事を大して気にも止めてはいなかった。今彼女はこの先どうするかを考えることに夢中だった。これからいかにして、レイラインの名を、白の魔女の偉業を轟かせるかに夢中だった。幾人かの生徒が、自分のことを興味深げにしげしげと眺めていることなんて気づきもしなかった。

 

「リーネ」

 

 そんなだったから、当然、目の前に自分の恩師がいることにも気づかなかった。

 

「クローロ先生」

「私の部屋にこれから来なさい」

「嫌です」

 

 リーネは即答した。この男の話は長いのだ。それよりもはやいとこ、出立の準備をしなければ。明日には出発なのだから。

 そんなリーネに、クローロは深々と溜息を吐き出し、その後細く長い指先を一本ぴんと立てた。途端、リーネの身体はカチンと固まる。指先一つ動かない。クローロの束縛の魔術だった。無詠唱で行われる高度なそれを、リーネはよく喰らっていた。ので慣れていた。こうなるとどうしようも無いということも知っていた。

 

「いくぞ」

 

 そう言って、リーネを完全にもの扱いで浮遊させながら連行していった。これもまた、割といつものことであり、そしてこれが最後になるかもしれない光景でもあった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 クローロ教授の研究室

 独特の、心が安らぐような木々の香りがする、本人の怜悧な性格に相反してやけに本や書類、魔道具の類いが散らばった部屋、これまた見慣れた光景……ではないところもあった。

 

「リーネ」

 

 リーネの両親がそこにいたのだ。二人はリーネが顔を出すや否やほっと顔を緩ませ、そしてリーネの下に近づいていった。

 

「あの日以来全く音沙汰なしだから心配したよ。しかも、賞金首まで倒しただなんて話まできいて……リーネ?」

「失礼」

 

 クローロが指をふいと上げるとリーネの不可視の拘束が解けた。自由になったリーネはひとまず、目の前の両親に宣言した。

 

「私は冒険者になるわ。この都市を出る」

 

 言って、泣かれるだろうか、とリーネは警戒した。しかし彼女の予想とは対照的に、両親二人は随分と落ち着いた様子でリーネを見つめていた。少しだけ哀しそうでもあった。

 

「自分のやりたいことをハッキリと言ってくれて嬉しいわ」

「お前は、自分でやりたいことを黙って実行してしまう子だったからな。心配だった」

 

 そう言って二人でリーネの頭を撫でる。どうやら随分と心配をかけてしまっていたらしい。当たり前と言えば当たり前のことだった。それがわからないくらいに、自分の周りのことがみえなくなっていたのだ。

 

「お前の猪突猛進っぷりは、一種の才能で、長所でもあるが、形振り構わず突き進み、置き去りにされたものたちの心も少しは掬ってやるべきだ」

「そうします」

「その素直さを普段から発揮してほしいものなのだがな……」

 

 クローロ教授はごりごりと拳を頭に乗せてリーネの頭頂部をごりった。痛かった。

 

「リーネ。都市を出るっていうけれど、準備はちゃんと出来たの?着替えや、お金は?大丈夫なの?」

「一応、入れてもらった一行のリーダーに色々と聞いて、準備は進めた」

「その人は大丈夫なの?極悪人とかじゃない?」

「様子を見る限り、名無しであるが、頭の回る少年でしたよ」

 

 クローロは素っ気なくそう言うと、リーネは首を傾げた。

 

「会ったことがあるの?先生。ウルに」

「先の審問会の時、少し。少なくとも権力に阿る類いでもなく、功績に驕ることもない少年だった。真偽の神官の応答にも問題なく答えた。そうそうに問題を起こすものではないだろう。彼は」

 

 ソレを聞いて、母は少しだけ肩の力を抜いた。勿論、まだまだ心配だ。という表情は崩さなかったが。

 

「出来れば、貴方を止めたいわ。末端とは言え神官の家に生まれたのに、わざわざ名無しと同じまねごとをするだなんて…」

「嫌よ」

「そういう貴方だから、反対するだけ、無駄なんでしょうけどね」

 

 母はそう言って弱々しく微笑んだ。父はそんな母の肩を支える。そしてリーネの前に何かを差し出した。リーネは受け取り、それをまじまじと見つめる。

 

「【白の魔術符】?」

「ボロンおじさんからだよ。お前の前でレイラインを侮辱して悪かったと謝ってもいた。ミーミン達からもだ」

 

 白の魔法陣を補助する魔道具や、旅路に助かるようなお守りや外套が次々に彼女に手渡された。小人の彼女の腕では抱えきれないくらいになっていた。

 

「多いわ」

「なら、持っていく荷物を整頓しないとね」

 

 母はそう言って笑う。昔、遠出の時、自分で作り終えた荷物を母が勝手に足したり引いたりするのをリーネは思い出した。それが少し迷惑に思う反面、彼女が真に自分を想い世話を焼こうとしてくれているのだということが伝わって、胸の奥が少し締め付けられた。

 

「父さん」

「なんだい」

「私、愛されていたわ」

「そうだね」

 

 父はリーネを抱きしめる。リーネはこの想いを忘れないようにしようと心に誓った。レイラインの一族が脈々と継いできたものは、“あの白王陣”に刻み込まれた想いの一端がこれなのだと、分かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 翌日

 

「……重いわ」

 

 リーネの小さな背中には少々大きな鞄が背負わされていた。母の手で随分と整理されたが、それでも多くなってしまった。中身の多くは有用な魔道具の数々であり、邪魔にはならないだろうが。一度ウルに相談した方がいいかもしれない。

 宿舎をでて、学園を背に向けて彼女は歩き出す。振り返ることは無い。彼女にとってこの学園は目的を達成するための手段に過ぎなかった。青春を謳歌し、友情を高め合う事をする場所ではなかった。

 勿論、だからといって一切の縁が生まれなかったかと言われれば否だ。

 それが悪縁であっても。

 

「…………おい」

 

 その、要らない縁が彼女の行く先に姿を現していた。

 メダル、学園でリーネを狙って嫌がらせを繰り返してきた男。休学になってから部屋に引きこもっていたらしいが、今は随分と顔色が良い。休学になる前よりもよっぽどマシな顔つきになっている。まるで憑きものでもおちたかのようだ。

 その彼が、取り巻きの女達もなしに立っていた。邪魔をしたり、嫌がらせをしようという雰囲気ではない。リーネは歩みを止めず、そのまま問うた。

 

「何」

「……………冒険者になっても、どうせ、すぐ死ぬんだ」

「そうかもしれないわね」

 

 リーネは歩く。その小さな歩幅で、しかし一切緩めることなく。

 

「それか、仲間に役立たずとして捨てられる」

「そうかもしれないわね」

 

 リーネは歩む。門の前、メダルの横を通り過ぎる。

 

「諦めろよ」

「嫌よ」

 

 そこでようやく、彼女はメダルに顔を向けた。しかし、足を止めても、その瞳に滾る意志は、微塵も揺れてはいなかった。学園に在学している時と全く変わらず、真っ直ぐにメダルを捉えた。

 

「自分が足を止めるための言い訳を他人に投げつけるのに熱心みたいだけど」

「なにを…」

「私は行くわ。少なくとも貴方の言い訳には負けない」

 

 だから

 

「貴方も好きにしたら」

 

 それだけ言って、彼女は学園を去っていった。もう振り返ることはしなかった。残されたメダルは、彼女に何か言葉をなげかけようと口を開いて、閉じて、そしてそのまま膝を突いて、唸るようにして地面を叩いた。

 

 以後、リーネがこの学園を二度と訪れることは無かった。

 だからその後、この学園に所属していた神官の息子が一人学園を飛び出して、冒険者となったことを知ることも無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞魔卵都市 ウーガ編
複合迷宮ソラ渓谷


 

 

 風の精霊が、大日華の花畑で戯れ、花の精霊達と舞い踊る様を太陽が燦々と照らす。

 

 イスラリア大陸は夏に突入していた。

 

 【春の精霊スプリガル】は去り、【夏の精霊サーミィ】が顔を出す。イスラリア大陸における四季の移り変わりは穏やかであるものの、日中の太陽神から注がれる日光は肌を焼く。外を出歩けば自然と汗が額に浮かぶ。

 神官達は精霊住まう神殿にて、風の精霊フィーネリアンの運ぶ花の香りに夏の訪れを知り、太陽神の最盛時期を祝う【太陽祭】の準備を始める事だろう。都市に住まう都市民達は、太陽の結界を通して降り注ぐ熱気に感謝の祈りを捧げ、夏の到来に喜ぶ事だろう。

 そして、都市の外に爪弾きにされた名無し達は、照りつける熱気に焼かれながらも、必死に次の都市へと向かうため足を延ばすか、あるいは――

 

「きた、きたきたきたきた!!!魔物、来たぞ!!シズク!!」

「まだリーネ様の陣が出来ていません!!ロック様!」

『ッカー!忙しいのう!!』

 

 薄暗く、じめじめとした迷宮で、魔物達と追いかけっこをしているかである。

 ウル達は後者だった。

 

 大罪都市ラストから北西部に向かった先にある大罪都市グラドルの管理地域に存在する小迷宮、今現在ウル達が探索しているのはその地下8階だ。

 基本、小迷宮規模であれば、おおよそ3~8階層で終着点を迎える。最奥には迷宮の動力源たる【真核魔石】が存在し、その前には【主】が存在し魔石を護っている。これが基本だ。

 そしてウル達が今居るのがまさにその場所である。つまり

 

『SIIIIIIIIIIIIAAAAAAAAAA!!!』

 

 現在ウル達は主と対峙している真っ最中である。

 

 敵対するのは魂喰虎。虎と名は付いているものの、異様に伸びきった爪に牙、頭部の中心にある巨大な一眼、口から吐き出される瘴気と、そのことごとくが悍ましい。虎からはかけ離れていた。

 魔物の位は十級。宝石人形と同等に位置づけられる強敵である。

 

 鎧を貫く牙に、皮膚を切り刻む爪、肺を腐らせる瘴気のブレスに、恐ろしいまでの俊敏さ。撃破の厄介さという意味で宝石人形は十級にいるが、魂喰虎は純粋な危険度の高さだ。対峙して危ういのは断然に此方である。

 

 が、しかし、ウル達とて決して、宝石人形と対峙したときのままではない。

 

「ロック!!」

『よしきたあ!!』

 

 地下通路、その奥から追ってくる魂喰虎から逃れるようにウルとシズクが退くと同時に、ロックが飛び出す。正確に言えば、彼が肉体を包み動かす戦車【ロックンロール号】が車輪を走らせ飛び出した。同時にその骨の肉体が魔力の輝きを放つ。

 

『骨芯変化!!』

 

 瞬間、戦車の正面の骨が戦車から外れ、地下迷宮の通路を塞ぐ即席の壁となる。刃が伸び、突撃してきた魂喰虎の身体を刺し貫いた。

 

『GAAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、それでも尚、微塵も突撃をやめる様子はなかった。肉体を穴だらけにされながらも爪を立て、振り回し、骨の壁を叩き割らんとしている。我武者羅なその攻撃は、しかし確実に骨の壁を崩しつつあった。

 

『そう持たんぞ!!』

「【スマッシュ】」

「【突貫!!】」

 

 シズクが物質操作により手繰る杖で脳天を叩きつけ、ウルが竜牙槍を胴体に叩きつける。青紫の不気味な血が噴き出し、しかし、それでも尚、魂喰虎は止まらない。骨の壁に体当たりし、ソレを越えようとする。

 あまりにも必死に。

 

「まだかリーネ!!」

「……!…………!!」

 

 理由はハッキリしている。その壁の向こうにいるリーネを排除するためだ。

 【白王陣】から生み出される魔術の、【終局魔術】の脅威を、敏感に感じ取っているが故だ。排除出来ねば自分が滅ぼされると知っているのだ。故に、必死だ。

 

『おうウル!あれださんかいブァーーー!!って出る奴』

「【咆吼】ならもう出しきったわ!!充填中!」

『敵ピンピンしとるんじゃが!?』

「当たらなかったんだよ!!」

『その仰々しい魔眼は飾りか!?』

「すっげえ使いづれえんだよコレ!!飾りだわ畜生!!」

 

 ウルはロックの罵倒に罵倒で返しながら、何度も虎の肉体を竜牙槍で突き立てる。が、まるでひるむ様子はない。それどころかその真っ黒な毛並みが針のように伸びたかと思うと、此方をズタズタにしようと飛んでくる。

 魔物というのは大概がそうだが、生きているものを殺すことに対してあまりに熱心が過ぎる。真っ当な生物としての理から外れた、まさしくバケモノだ。

 

『壁、越えられるぞ!』

「ぐ……!!」

 

 ウルが唸り、右腕に力を込める。黒睡帯に巻かれた腕が隆起する。竜の呪いによる狂化、そして短期間で幾多の賞金首を屠って獲得した魔力がウルの肉体を強化していた。湧き上がる力の全てを右腕に込め、左足を地面に叩きつけ、その勢いで一直線に前へと突き出す。

 

「ぅぅぅらああああ!!!」

『GAAAAAAAAAA!!!?』

 

 突き立った槍から噴き出す血しぶきがより大きくなった。ウルは更に歯を食いしばり、更に抉る。貫く。臓腑を抉る。

 

『GA!!!』

 

 魂喰虎の腕がもちあがり、ウルへと振り下ろされる。白王陣の脅威を前に、まず排除せねばならない鬱陶しい外敵であると認識されたらしい。それはいい。敵の攻撃を白王陣からそらすのが目的なのだから。

 問題はこのままだと死ぬということだ。

 

「ウル様!」

 

 その爪が振り下ろされる間に、シズクの杖が割って入る。物質操作の魔術によって操られる細身の杖は、一見してすぐにでも魂喰虎にたたき折られるほどに頼りないものだった。が、振り下ろされる爪を青白い光と共受けとめ、あまつさえ弾き飛ばす。

 

『GAAA!?』

「【【【炎よ唄え、我が剣に纏え】】】」

 

 更に、詠唱と共に紅の炎が纏う。それも“三重”に。響き重なった魔術を付与された杖はまるで巨大な炎の柱のようだった。ソレはそのまま宙を揺らぎ、矢のように一直線に魂喰虎へ放たれた。

 

『GUUUUUUUUUUUAAAAAAAAAAA!!!』

 

 着弾した炎を纏う杖は、まるで爆発したような火力で虎を焼き尽くす。流石に耐えられなかったのだろう。魂喰虎は大きく後退した――――が、

 

『GAAAAAAAA………!!』

 

 臓腑が半ばこぼれ落ち、身体が焼き焦げて尚、魂喰虎の殺意と闘志はまるで衰える様子は無かった。全身の真っ黒な体毛がざわざわと立ち上がる。それはただ、怒りを表すでなく、此方に向かってまるで矢のように狙いを定める。

 飛んでくる。ウルは直感し、故に先制に動いた。

 

「ロック!槍!!」

『骨芯変化!!』

「【【【焔よ唄い重なり、討ち祓え】】】」

 

 ロックが砕けた骨の壁から鋭い槍を生み出すや否や、ウルはソレを掴み、振りかぶり、一直線に投擲する。同時にシズクが炎の魔術を唱え、それを響かせ“重ねる”。虚空に生まれた三つの巨大な炎の球が一直線に魂喰虎へと叩きつけられる。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 骨の槍が更に眼部に直撃し、炎の球は肉を焼き払う。が、それでも、尚も、魂喰虎は止まらない。真っ黒な体毛の矢を瞬時に飛ばし、反撃する。ウルは盾を構え、シズクはウルの背後に逃れる。しかし、守り切れず、ウルの鎧を引き裂き、皮膚を引き裂く。

 

「ぐ……!!マジでぜんっぜん怯まねえ!!」

「回復を!!」

「いや……それよりも」

 

 ウルは、背中から気配を感じていた。その身に刻まれた経験があるからこそ感じる気配、圧倒的な何かが生まれた気配。圧倒的な破壊の塊のような気配。

 魂喰虎もそれは感じ取ったのだろう。あれほど狂ったように絶えず攻撃を続けていた魂喰虎が、体毛の矢の射出を抑え、じりと、後ろに一歩下がろうとしている。

 だが、遅い。

 

「【開門】【天風ノ斬鬼・白王陣】」

 

 戦車の背後でずっと白王陣を描き続けていたリーネがそう唱えた直後、竜巻でも発生したかのような轟風が迷宮内部で轟き、同時に、瞬きする間もなく、魂喰虎の胴体がその中央で真っ二つで両断された。

 

『………GA』

 

 迷宮の主は、何が起こったかも理解できぬまま即死した。

 【複合迷宮ソラ渓谷】【小迷宮イザ】の攻略完了。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市ラストから北西に進むと、大きな渓谷にぶちあたる。本来はアーパス山脈の側にある巨大な湖、ソラ湖から流れる大河だったのだが、迷宮の発生によりその構造は大きく変化した。

 川はまるで蛇のようにのたうち、谷の如く深くなり、流れは急となる。渓谷となった谷の周囲に多数の迷宮が生まれ、それらが複雑に絡み合って一つの巨大な迷宮となった。

 

 それが【複合迷宮ソラ渓谷】である。

 

 【大罪都市ラスト】から北西に位置する【大罪都市グラドル】もしくは真西に存在する【大罪都市プラウディア】へと向かう全ての陸路はこの複合迷宮が進路を邪魔する。陸路から向かう場合は必ず、渓谷の何処かの腹にぶつかるのだ。

 

 故に、【大罪都市グラドル】へと向かうウル達は必然、この迷宮の突破を強いられる。

 

「あー疲れた」

 

 その迷宮の突破を行い、出口から抜け出したウルは兜を脱ぎ去り汗を拭った。後ろからシズク、馬車となったロックに、ロックの内部で運ばれるリーネもやってくる。全員一様にくたびれ果てていた。

 

「……ねえやっぱ、もう少し楽なルートからいくべきだったんじゃない?」

 

 “ロックンロール号”の上部入り口から顔を出し、魔力枯渇でぐったりとうなだれながらリーネが問う。迷宮を突破してしまった後で言うのは遅すぎる話だが、言いたい気持ちも分かる。単純な通り道と言うには、【小迷宮イザ】は中々にタフだった。規模こそ小迷宮だったが、魔物達はかなり手強かった。

 

「難易度の低い迷宮形状を安定させたルートはあるにはあるが……遠すぎる。このルートと比べると下手すると一ヶ月は時間が変わってくる。しかも通行料まで掛かる」

「天陽騎士、エシェル様の依頼の期限にも間に合いませんね。それでは」

『【勇者】の意向にもそぐわぬしのう。ほれ、くるぞ』

 

 暫くして、出口から更にもう一台の“馬車”が顔をだした。本来迷宮には侵入するのも困難な馬車であるが、そこを悠々とくぐり抜けるダールとスールの二頭、そして、

 

《にーたん!しんでないー?!》

 

 精霊憑きのアカネがウルの顔面に飛びついてきた。ウルはそれをいつも通り受け止め、そのまま顔から引き剥がした。何時も通りの羽で空を舞う妖精のようなスタイルの彼女はウルの無事な様子を見て笑った。

 

「死んでないよアカネ、ジェナさん。そっちは大丈夫だったか」

《ダールとスールちょーかしこーい》

「小迷宮くらいなら、二頭は問題なく踏破できますからご安心ください」

 

 二頭を手繰っていたディズの従者であるジェナは微笑む。

 アカネに褒められて、スールはすりすりと宙を飛ぶアカネにすりよって、ダールは当然だ、と言わんばかりに鼻を鳴らした。この二頭は本当に賢く、そして強い。ロックンロール号が苦労して進んだ迷宮の踏破を事も無げに行うのだから。

 そして肝心の、この二頭の主であるディズはと言うと

 

「ディズは?」

《ねとる》

「まだか」

「もうあと1週間は眠られるかと思われます」

《むちゃしたからなー》

 

 馬車の中で、金髪の見目麗しい勇者は、簡易ベッドの中ですよすよと眠りについている。身じろぎ一つしない。ここだけ見るとただのお昼寝だが、この状態で彼女は既に5日以上眠り続けている。

 

「おい、ディズ、迷宮を抜けたぞ、わかるか?」

「……………………んにゃ………」

「ダメか」

 

 以前彼女自身が予告していたとおり、現在ディズは大罪竜色欲に負わされたダメージを癒やすために身体を休めていた。本当に獣の冬眠のようである。

 兎に角今現在、ディズはまるで動けない状態であるのは間違いなかった。つまるところ、護衛である自分たちの責任は大きいということだ。

 ここまで護るよりも護られる事の方が多かったが、せめて彼女が本当に身体を休めている時くらいは、きちんと仕事をしなければ給料泥棒も良いところだろう。ウルは気合いを入れるように自身の頬を叩いた。

 

「……さて、と」

 

 ウルは周囲を見渡す。此処は小迷宮を通り下っていったソラの渓谷の最下層だ。中心には川が流れている。一見して小さな川だが、周囲を見渡すと幾つかの箇所に、増水した川が流れていた痕跡が見えた。

 見る限り、ウル達の身長を超える高さの水が流れていたのが窺える。ロックもそれを確認したのか、戦車の形態のまま不審げな声を上げた。

 

『……ここ危なくないカの?』

「あぶない。今は水量少ないがいつ増水するかわかったもんじゃない。急いで渡るぞ」

 

 ラストの冒険者ギルドで仕入れた情報によれば、渓谷を降りてから下流の方角に特殊な“橋”があり、向こう岸に渡れるらしい。その先に“止まり木”はある。その方角へと既に歩を進めている。

 

「シズク、足跡……もうやってるか」

 

 ウルが振り返ると彼女は既に新雪の足跡を開き、唄を唄っている。渓谷の谷間に彼女の澄んだ歌声が響き、反響する。不可思議な旋律が聞いていて少し心地よかった。が、リラックスするために聞いている訳では勿論ない。暫くすると彼女はパチリと目を開き、魔道書を開いた。

 

「ウル様、あと少し歩けば“例の橋”が見えると思います」

「なるほどありがとう」

「それと上流から鉄砲水が凄まじい勢いで」

「なるほどありがたくねえ急げロォォック!ジェナ!!!」

『ッカー!!ほんに運がないのお前さん!!!』

「此方はお任せを」

 

 ロックが車輪を回し疾走を始め、同じくウルの呼びかけにジェナはそつなくダールとスールを奔らせた。ウルとシズクはロックンロール号に飛び乗り、アカネはダールとスールの馬車に戻る。

 

「魔力どれくらい残ってる!?」

『びみょーじゃの!魂喰虎の魔石喰って良いか!?』

「やべーときは喰え!!まず“橋”まで急げ!!」

 

 激しく揺れる馬車の中で、それと別の振動をウルは感じていた。渓谷そのものが震えるような音、迫り来る大量の水流が迫る音に違いなかった。時間は無い。

 

「なにか見えてきたわよ!橋…………じゃ、ない!?何あれ!」

 

 上部にいるリーネから驚きの声が上がる。ウルにも見えた、川の中央に、突如として灰色の巨大な物体が出現していた。巨大な岩のようにも見えるが、よく見れば僅かであるが動いている。

 

『なんじゃいありゃ!?でかい魔物か!?』

「アレだ!【大王象】!!登れロック」

『無茶言いよるの!!【骨芯変化】!』

《あたしもてつだうのよー!》

 

 瞬間、走るロックンロール号の道先に骨が飛び出し、それがまるでトロッコの線路のようにして灰色の小山へと伸びていく。同時にアカネの紅金の身体がロックンロール号とダールスール達を結び繋げる。更に線路を補強する。二台の馬車は即席の線路を勢いよく登り切った。

 

「来ます!」

 

 そして次の瞬間、破裂するような音と共に鉄砲水が流れ込んだ。

 

『ぬお!?』

 

 濁流と大量の木片のようなものが流れ込み、灰色の山に遮られ二股に分かれて右を通過していく。下手な魔物よりもよっぽど怖い自然の猛威にウルは背筋が寒くなるのを感じた。

 

「死ぬとこでございましたね」

『はームチャクチャさせおるの全く』

《こわー》

「木片……自然のダムでも出来たのかしら。」

「聞いていた以上に、皆様トラブルに愛されていらっしゃいますね」

「うるせえ」

「くかー」

 

 おのおの感想を述べつつ、一息ついた。だが、結果として身動きが取れなくなった。助かったとはいえ、完全に川は増水し、先ほどまで歩いていた陸面も隠れてしまった。

 

『で、どーすんじゃいこっから』

「……確か、橋に動いてもらう必要がある、はずだ」

「橋……って、この……コレ?」

 

 リーネが足下にて鎮座する、今しがたウル達を救った灰色の小高い山のような塊を指さす。見ればそれはごわごわとした、灰色の毛が生えた一体の生き物だと分かる。今現在進行形で流れ込んできている鉄砲水にも微動だにしない巨体だ。二台分の馬車が乗っても全く問題ないほどにその背中(と、思しき場所)は広く大きい。

 

「【大王象】ですね、聞いた話によると」

「魔物?」

「いいえ。この地域特有の獣だとか。ですのでヒトに襲いかかってはこないそうです」

 

 シズクがそう説明していると、ぐらりと足下が揺れた。つまり大王象が動き出したのだ。ゆっくりと、恐らく立ち上がったのだろう。ウル達の視線はさらに一回り高くなった。

 

『このまま乗っとってええんか?振り落とされんカ?』

「いや、【大王象】は賢い。俺達の存在にも気づいているはずだ。だから」

 

 と、ウルが説明かけていると、ふっと影が差した。見上げると、灰色の蛇……ではなく、大王象の鼻が伸びて、ウル達の所に近づいていた。

 

《おはなおっきいのねー》

「本当でございますね」

『カカカ!すんごい生き物じゃのー!』

 

 アカネとシズクとロックはほのぼのとした感想を述べ、

 

「……ねえ、この鼻、馬車も飲み込めそうなんだけど、このまま私たち喰われないかしら」

「喰われないといいなあ本当に……」

 

 ウルとリーネは真っ当に怯えた。

 しかし心配を余所に、鼻はウル達を喰おうとはしない。ふらふらと、自分の頭の上に乗っかってきた生物を探るようにして鼻先をウル達に近づける。生暖かい息が強い勢いで吹き掛かる。そして、

 

「……よし、シズク」

「はい、ウル様」

 

 と、ウルの指示でシズクが取り出したのは、ロックンロール号に取り付けておいた貨物の内の一つだ。相当に大きな木箱であり、中を開くとそこには大量のリリの実が詰め込まれていた。

 

「リリの実、食べるの?」

「雑食だが好物、らしい。のでこれで交渉する」

 

 ウルはリリの実の木箱を鼻の前に押し出した。大王象の鼻は、そのリリの実を鼻先で触れ、それがなにかを確認するとぐるんと、非常に器用にそれをつまみ取ると、木箱ごと運んでいった。そして、しばしのちにばりばりと、木箱とリリの実が砕ける音が聞こえてきた。

 

「……木箱まるごと食べてる?」

「俺達も喰われないように注意しよう」

 

 言ってると、再び鼻が戻ってきた。鼻は再び生暖かい息を吐き出して、ゆっくりとのうたった。そして、

 

『はこぶ』

「喋った?!」

「賢いって言ったろ。よし全員馬車に戻れ」

 

 言っている内に、大王象の鼻は動きを開始した。ロックンロール号とディズの馬車を囲うようにして鼻は伸び、ゆっくりと距離を狭める。

 

「大丈夫なの?二台もまとめて?」

 

 基本的に、迷宮の中を馬車は通過しない。二台もの馬車を大王象に運ばせること自体、殆ど前例が無いことだろう。二台を背中に乗せて尚平然としている大王象の巨体であってもリーネは不安そうだった。

 

「ムリならムリで分配して運ぶらしい」

 

 言っている間に鼻が迫る。鼻は恐ろしく長く、器用に馬車二台、更にダールとスール達を優しく、しかし確りと掴む。ロックは勿論のこと、ダールとスールも見事におとなしく、掴まれたままでいた。そしてそのまま鼻は、ウル達を掴み、ぐっと上へと上げていく。

 

『ぬ、おおおおおおお!?』

《わはははあー!!!すごーい!!》

「…………!!!」

 

 ぐんぐんと伸びていく鼻が深い深い渓谷の谷を一気に持ち上げていくのは安定感がまるでなく、ウルは悲鳴が出そうになった。だが、声を上げる間もなく身体は戦車ごとぐんぐんとも持ち上がり、そして突然どしんという衝撃と共に、彼らの身体は地面についた。

 顔を上げれば既にそこは渓谷の上、ウル達が向かうべき、渓谷の西側、大罪都市グラドルへの道のりである。

 

『はこんだ』

「あ、ああ、ありがとう……助かった」

 

 間違えてラストの方に戻されたりはしないかと思ったがそんな心配は必要なかったらしい。渓谷の崖下からここまで伸びきった恐るべき長大な鼻から聞こえてくる声にウルは礼を告げると、鼻はぼふんと息を鳴らした。そして

 

『きをつけて』

「え?」

 

 そのまま別れる、かと思いきや、続けて大王象が声をかけてきた。このように話しかけてくるなんてことは冒険者ギルドの連中からは聞かされていなかった。不思議に思っている内に“鼻”は言葉を続ける。

 

『そのみぎてと、おなじにおいが、このさきから、するよ』

 

 それだけ言って、長い長い大王象の鼻は再び大渓谷の真下へと降りていった。

 右手、と呼ばれたものはなにかと考えれば当然ウルになる。黒睡帯に巻かれた、竜に呪われた右手。それと同じ匂いがこの先からするという。

 つまり、竜の気配が、グラドルからするというのだ。

 

「……まあ、“竜害”が起きているっつー確証は深まったな……」

 

 正直言って、竜の被害が起きているという言葉には半信半疑だった。

 竜がそう容易く出現する筈がないからだ。そんなホイホイと出てきてしまっては都市が幾つあっても足りない。都市を渡り歩く“名無し”ですらそうそう竜とは遭遇しない。都市の中では伝説扱いな存在である

 

 だからそう簡単に出てこられては困るし、出てくることは無い筈、と、少しくらい甘い希望を抱いていた、が、その希望はすっかり大王象によってあっさりと崩れた。

 

「……………行きたくねえなあ」

「すみません、ウル様。ですが――」

「わかってる。主導権を天陽騎士に全て奪われるつもりは無い」

 

 いつまでもグチグチと尻込みしていても仕方が無い。仮にもこの【歩ム者(ギルド)】の長だ。そう思い直し、自分の頬を叩き、全員に目配せする。ウルの視線に皆は頷きで答えた。

 

 こうして彼らは大罪都市グラドルの領域へと足を踏み入れる事となる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガ

 イスラリア大陸北部の平地、その中央に存在する巨大都市と周辺に広く分布する衛星都市が大罪都市グラドルの支配域である。

 この都市、というよりもグラドル支配地域にある大きな特徴の一つに“魔物の出現率の低さ”がある。迷宮の出現率が非常に少なく、魔物の出現率も少ない。結果、この土地では非常に、【人類生存圏外】の開拓が積極的に行われている。

 

 故に衛星都市は非常に多い。今なお“建設中”のものも含めて。

 

 ウル達が向かう先の場所もそんな建設途中の衛星都市の一つ。

 【衛星都市ウーガ】だ。

 

「あったぞ。待ち合わせの“止まり木”だ」

 

 進む先の丘の上、“名無し達”が建てた都市外の休息地点に足を踏み入れる。程なくして待ち合わせの相手が見つかった。天陽騎士のエシェルは此方を見るや否や、顔を顰めて怒り顔でウル達を歓迎した。

 

「遅いぞ貴様等!」

「一応最短距離を全速力で来ましたがすみません」

 

 ウルは謝った。エシェルはプリプリと怒っている。彼女の背後には何やら大きな魔道機械が鎮座している。鳥の翼を模した機械の羽が伸びている。アレが彼女がウル達よりもいち早くここまでたどり着けた理由だろう。

 

「天陽騎士専用の“飛行移動要塞”ですか」

 

 リーネが興味深そうにそれを眺める。ウルも同様に近づく。精巧な魔動機械だ。そして規模の割に、乗り込む場所がおおよそ一人分しか存在していない。と、なるとウル達が利用するというのは難しいかもしれない。

 ここまでの道中の困難さを考えれば、鳥のように空を飛び、困難を簡単に飛び越えるというのは実に爽快だったろうに、残念だった。

 

「見世物じゃないぞ」

 

 そう言って彼女は手をかざすと、飛行移動要塞が動き出す。魔術の発光と共にその姿が変形し、みるみる内に小型化し、気がつけばキューブのような形となってエシェルの手の平に収まった。

 

「凄いな」

「これは精霊様のちからではなく、魔道機械の仕掛けでしょうか」

「喧しい……【勇者】はどこだ」

「寝てます」

 

 馬車をウルが指さす。依然としてディズはすよすよと馬車の中で眠っている。ついでアカネも、エシェルから姿を隠すため、今は外套となってディズと共に就寝中だ。ジェナはエシェルを前には黙って頭を下げるだけで、何かを口に挟むことは無かった。

 

「末席だろうと世界の守護者ともあろう者が、無様な」

 

 馬車の外から、ディズの様子を見たエシェルは彼女を嘲るようにして罵った。

 

「自分たちを救うために死にもの狂いで奮闘してくれたので、ご容赦ください」

「黙れ、お前等の意見など聞いていない。さっさと行くぞ。ついてこい」

 

 ウルの小さな抗議を無視し、近くに留めていた馬にまたがりエシェルは止まり木を出る。ウル達もそれを追った。

 

「この先に【ウーガ】があるのですよね」

「そうだ」

「では何故、集合地点を此処に?」

 

 死霊馬となったロックの背にまたがりながら、シズクはエシェルに問うた。確かに、素直にウーガに集合すれば話は早かったように思える。問われたエシェルはいつも通り怒りながら返事を――するのかと思っていたのだが、少し黙って、俯いてしまった。

 

「エシェル様?」

「……着けば、分かる」

 

 その言葉に不穏さを感じたのは、ウルだけではないだろう。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後、遭遇する魔物の数は極めて少なく、非常に安定した道をウル達は進んでいった。高低差も少なくなだらかな平原は平和そのものだった。時折、空高くを舞う翼の大きな鳥の鳴き声がどこまでも響いていった。

 

 一時間ほど、そうして何事もなく進んで、ようやく目的となる場所がウル達の視界に映り始めた。

 

「あれが衛星都市ウー…………ガ……………?」

 

 リーネが目視した“ソレ”に対しておかしな呼び方をした。しかしそうなる気持ちはウルにもよく分かった。ウルもそれを見た瞬間、疑問に首が大きく傾いたからだ。

 

()()()()()()

 

 シズクの感想は実に端的だったが、しかし正確でもあった。

 “巨大で真っ黒な半球体”。

 それが平原のど真ん中に出現している。迷宮の中でもそうそう見ないであろう、奇妙な光景にウルは言葉を失った。断じて【太陽神の結界】ではない。あの不吉さしか感じない真っ黒な球体は太陽の結界の安心感とは対極に位置する存在だ。あれがいったいなんなのかまるで見当がつかないが、一点だけハッキリしている。

 少なくともアレは“都市”ではない。

 

「……あれが、【衛星都市ウーガ】だ」

 

 しかし、ウルの認識に反して、苦々しいニュアンスを込めてエシェルはあの謎の球体を都市と呼んだ。何言ってんだお前、とウルは口に仕掛けた。

 都市というものは基本的にヒトの営みを行うための最後の砦、魔物に溢れた世の中で唯一の“生存圏”だ。間違ってもあんな怪しげな真っ黒な球体のことではない。

 

「先月、建設途中だった【衛星都市ウーガ】が突如として“竜の呪い”を受けた」

「竜……」

「中心の神殿から半径数百メートルまでの距離を“正体不明の魔力結界”で覆い隠された。結果、現在は建設途中で中断となっている」

「大変ですねえ」

 

 シズクの暢気な相づちを尻目に、ウルは非常に嫌な予感に包まれていた。というか確信だ。何故にエシェルが“対竜兵器”という不確かな要素を持つシズクを強引に引き抜こうとしたのか、その理由が今の説明に集約していた。

 

「あの解放がお前達の依頼(クエスト)だ」

「……………………………………………ウッス」

 

 罵詈雑言の言葉も拒絶の悲鳴もあげず、ギリギリで頷いた自分をウルは褒めた。

 

 

 依頼:【竜呑都市・ウーガ】を解放せよ

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『…………ほお。こりゃ壮観じゃの』

 

 エシェルに聞こえぬように小さく呟かれたロックの他人事めいた感想には、これから当事者になるという事実がなければ概ね賛同できた。目の前に広がる真っ黒な巨大な壁。遠目には半球体だった筈だが、近づくと壁にしか見えない。本物の壁と比べ不確かに揺らぎ、しかしその内側にあるものを一切映さない。此処が元々は衛星都市ウーガの“正門”だったらしいが、まるで見通せない。

 魔術で引き起こす結界に印象が近いが、ハッキリ言って不吉だった。

 

「……で、都市を解放しろとは」

「言葉のままの意味だ。この現象を元に戻せ」

「具体的なプランはあるので?」

「お前達で考えろ」

 

 ノープランか畜生。と、睨むように見返すウルの視線にエシェルも気づいたのか、少し焦るように、言葉を続けた。

 

「し、仕方が無いだろう!ウーガの崩壊で作業員を避難させて、生活を安定させるので手いっぱいだったんだ!」

「避難……って、都市の外に?大丈夫なのか?」

「近くで簡易の拠点を作ってる……コッチだ」

 

 “真っ黒な結界”に沿うようにして歩き始めた所に、エシェルの言うところの簡易拠点があった。だが、簡易、と呼んでいるが、それはウルの想像を大きく超えていた。

 

「これは……止まり木っていうか、集落じゃないか?都市の外で?」

「防壁もありますね」

 

 想定したものよりも遙かに立派な“都市もどき”がそこにはあった。

 岩石で出来た防壁が周囲を取り囲んでおり、簡易の門まで造られている。門を潜れば幾つもの居住者が住んで居るであろうテントが幾つもある。更に中央には周囲の防壁と同じ材質の巨大な建造物が屹立していた。

 まさしく、集落といってもいい。が、そうなると疑問がある。

 

「魔物に襲われないのか。こんなにヒトが集まって」

「グラドルの土地は、迷宮数が少なく、魔物の出没地点が絞られる。元々【ウーガ】の建設予定地だ。そういう場所が選ばれる」

「だが……」

「分かってる、こんなのは一時しのぎだ。だからお前達を呼んだんだっ」

 

 太陽の結界はこの場には無い。

 防壁で防げる程度の小型の魔物達程度なら対処は容易だが、それを崩せるような大型の魔物が1度でも襲いに来た瞬間、この集落は決壊する。

 一見して平和に思えるが、あまり猶予は無いらしい。

 

「“仮”神殿に行くぞ」

 

 言われ、“仮都市”の中を進んでいく。幾らかの視線が刺さる。

 その視線の内半分、ウル達に向けられているソレは新たなる来客に対する警戒、好奇心の類いだ。特にロックンロール号に向けられている。

 だが、それらの視線に悪意の類いは感じない。少なくとも突然やって来た自分たちに対して、それほど警戒している様子はない。

 そして視線のもう半分は、エシェルに向けられたものだった。そして何人かが此方に気付き近付いて、声をかけてくる。

 

「お、エシェルお嬢様じゃないですか。帰ってきたんです?」

「あ、エシェル様だー。何してんのー」

「エシェル-、遊ぼうぜー」

 

「喧しいぞ貴様ら!仕事に戻れ!!」

 

 やけになれなれしい“名無し”の住民達に対してエシェルは憤慨する。神官の激怒に対して、名無しの住民達はへいへいと慣れた様子で受け流し、去っていった。

 シズクはふむ、とその状況を見て頷き、ウルに耳打ちした。

 

「慕われてますね?」

「舐められてるって感じもするが、悪い印象じゃあないな」

 

 大罪都市ラストで彼女が口走った「此処でもか」という言葉の意味が分かった。どうも彼女は此処でも、神官としての畏敬を向けられてはいないらしい。それが良いことなのか悪いことなのか判断はつかなかった。が、

 

「何故アイツらはいつもいつも…!!」

 

 少なくともエシェルはこの状況をなんとかしたいらしい。イライラと声を荒らげた。

 

「慕われるようなことをしたので?」

「してない!赤子が生まれたというので生誕の祝福を懇願してきたからしてやっただけだ!!そしたら次から次に……」

「ああ、なるほど」

 

 都市内で生まれた赤子は、基本神殿で神官から祝福の儀式を受ける。なんら特別な精霊の加護も無い、形だけのものだが、それでもありがたがる者は多い。

 そして“名無し”はそれを受けられない。都市に永住する権利を持たない彼ら彼女らが神官から直接祝福を受け取ることは殆ど無い。

 それを知ってか知らでか――恐らくは知らなかったのだろう。エシェルは名無しの赤子に無償で祝福を施した。天陽騎士といえど官位持ちのからの祝福だ。名無し達からすればそれは破格で、感謝するに十分な行いだ。

 

「まあ、いい。兎に角行くぞ」

 

 そしてそのまま彼女に連れられてやって来たのが、外からでも見えた、集落の中心に建造されていた建物だった。

 周囲のテントとは比較にならないほど、石造りのその建造物は立派だった。しかも加工された石材を組み合わせて造られたような痕跡も一切無い。それが【神官】の力による物だろう、というのがすぐに分かった。

 

 そして、その“仮神殿”の住民と思しき者達が、入り口から此方を見つめていた。

 

 神殿の紋章の刻まれた白いローブを身に纏った男達。装いが違うので神官ではないのだろうが、神殿の関係者であるのは間違いなかった。つまり天陽騎士のエシェルの同僚と言うことになるわけなのだが……

 

「……、…………」

「………」

「…………」

 

 雰囲気が悪かった。先ほどの名無したちの雰囲気と比較するとあまりにも。

 仮にも、別の大罪都市領まで来て助けを連れてきたはずのエシェルに対する彼等の視線は冷ややかだ。出迎えに来た、と言う印象も無い。エシェルが彼等に視線を向けると、逃げるようにして中に入っていってしまった。

 

「なんだありゃ……」

「……」

 

 ウルは疑問を零すが、エシェルは答えることは無かった。だが、先程よりも更に機嫌が悪くなったように見える。雰囲気は最悪だった。帰りたい。

 

「エシェル様!お戻りになられましたか!」

 

 だが、そんな空気に割って入るような声が響いた。

 先程逃げるように中に入っていった男達と入れ替わるように、一人の女性が“仮”神殿の中から外に飛び出してきた。褐色肌に橙の髪の只人、彼女の姿を見て、エシェルはようやく少しだけ肩の力が抜けたような表情になった。

 

「カルカラ、今戻った。そちらはどうだ?」

「変わりません。相変わらずウーガはあの状態です……後ろの者達は?」

「例の連中だ」

 

 そう紹介され、此方をみる女の目は、一瞬様々な感情が巡ったのが見えた。が、ウル達が何かを口にする間もなく、彼女はぺこりと頭を下げた。

 

「【岩石の神官】、カルカラ・ヌウ・シーラです。中へどうぞ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガ②

 

 

 カルカラという神官に案内され、ウルとシズクの二人は仮神殿の一室に案内された。

 ちなみにロックやリーネ、ディズにアカネ、ジェナには外で待機してもらっていた(ディズは変わらず冬眠中、ジェナとアカネは付き添いで、リーネも疲労が溜まっていたのでロックが護衛に付いた)。

 案内された部屋に備え付けられていた家具の大部分が石造りであり、ウルは少し驚いた。【岩石の神官】と名乗っていた彼女の仕業だろうか、と想像しながらも石の椅子に腰掛ける。少しひんやりとしていた。

 

「“ウーガの結界”が発生してから今日で二月が経過しますが、現時点では未だどのようにすれば結界が解消されるのか全く判明しておりません」

 

 そして椅子についたウル、シズク、エシェルの前でカルカラは状況を説明しだした。

 

「迷宮化の類いじゃないのか?」

「確かにウーガの内部は迷宮の性質を有しています。内部でも魔物の生成と襲撃が確認できています」

「魔物が出た……んじゃあ、まあ、そりゃ都市建設続行は無理だわな。そりゃエシェル様としてはなんとかせにゃならんわけだ。それ以外で分かってるのは?」

「【真核魔石】にあたる存在が何処にあるか、存在するのかも不明です。ハッキリしているのはウーガの内部が異形化し、魔物が出現し、容易にヒトが立ち入れなくなったという状況だけで」

 

 

 カルカラから教えられた情報にウルは頭痛を覚えた。つまりそれは何も分かっていないということだ。

 

「……まあ、そうなったら、ウーガの中を調べるしかないんだろうが、情報は無いのか?」

「冒険者ギルド、銀級【白の蟒蛇】が。彼らは現在も迷宮の探索を行っています」

「【白の蟒蛇】」

「元々は都市建設中の護衛を依頼した冒険者“でした”」

 

 でした、という言葉に不穏な響きを覚えた。

 見ればエシェルがあからさまに不機嫌になっている。

 

「俺たちより上等な冒険者がいるならそいつらに任せれば……って、言いたいけど」

「はい、既に彼等との契約は解除しています。護衛依頼の延長で、ウーガの調査と解決を依頼しましたが、本来の護衛の依頼とは異なるということで拒否されました」

「ま、確かに迷宮の攻略と護衛は全然話が違うわな……でもまだ此処に居るんだろ?」

 

 現在もウーガを探索しているというのなら、引き上げたわけではないはずだ。

 

「契約解除後、彼等はウーガで魔物狩りを開始しました。「途中で契約解除になった分は稼がせてもらう」だそうです」

「こっちの依頼を軽々しくつっぱねておいて、あの“白豚”……!!」

 

 カルカラの説明で、その時発生したいざこざを思い出したのか、エシェルは石造りの机を強く叩いた。

 確かに、雇用者を突っぱねておいてその場には居座るというのは中々に図太い所業である。だが一方で、ウル的にはその銀級の冒険者ギルドの行動も理解できた。中途半端に解約された依頼、銀級ともなれば一つの依頼をこなすためにかける費用は相応となるだろう。 

 その依頼が半端なところで終わった。どの程度の報酬が支払われたのかは不明だが、足が出そうなら補填しようとあがくのは普通だろう。

 

 多少気まずかろうが、金には換えられない。

 しかしその感想は口にはしなかった。それを言えばエシェルが更に不機嫌になるのは目に見えていた。

 

「なので、恐らくウーガの内部状況に一番詳しいのは彼等です。もっとも、迷宮の攻略ではなくあくまでも魔物狩りを目的としているので、ウーガの深層部については知らないようですが」

「……アイツらと交渉するなら勝手にしろ。仮拠点の一角を根城にしている」

「了解しました」

 

 エシェルは投げやりにそう言い、ウルは頷いた。関わるのも許さないとか言われたらどうしようかとも思っていたが、安心した。

 

「失礼します。一つよろしいでしょうか?」

 

 すると次にシズクが声を上げる。

 

「なんだ」

「そもそも何故、今回の件が竜の仕業であると、竜害であると判明したのでしょう」

「竜が出たからだ」

 

 まあそりゃそうだ、とウルは思った。同時にマジかよ畜生という気分にもなった。

 

「……竜が出たなら、七天……いや、黄金級の案件では?」

 

 プラウディアとグラドルに何かしらの確執が存在し、七天に協力を要請するのに問題がある、という話は確かにちらっと聞いた。だが、それなら呼ぶべきは黄金級の冒険者か、それに並ぶだけの実力者だ。

 シズクがいかに特異な冒険者だからといって、間違っても未だ銅級の冒険者に任せる案件ではない。

 そんなウルの嘆きのような疑問を察したのか、カルカラは頷いた。

 

「理由はあります。まず前提として、先月竜が出没した場所は()()()()()()()()()。出没したのはこの衛星都市の中心都市。【大罪都市グラドル】近郊です」

「……それで?どうなったんだ」

「大罪都市の周辺を旋回、その後天陽騎士団が出動し竜の迎撃に動きましたが逃走。大きな被害はなく、竜は姿を隠しました。そのため、黄金級、【真人創りのクラウラン】はグラドルの護衛についています」

「だが、そうなると此処はこんなことに?」

「事案が発生した直後、グラドル領の複数箇所で“迷宮化現象”が発生しました。巨大な黒の結界に包まれ、その内部が迷宮となったのです。ウーガもその一つです」

「だから竜が原因である可能性が高い、と……」

 

 少しずつ、理解できてきた。

 ザックリ言ってしまえば、このウーガという都市は直接的に狙われた場所ではなく、【大罪都市グラドル】に竜が出現した際の“余波”に巻き込まれた場所だということだ。

 当然、大罪都市グラドルとしては、都市近郊に竜が出現したなら、グラドルの護衛にリソースを集中させるし、一方で建設途中で、完成すらしていなかった都市のために資金や戦力を割くことも無い。

 

 まさに道理だ。だがそれは詰まるところ――――

 

「……ちなみに、この都市の状況について、主星都市、グラドルはなんて言ってるんだ?」

 

 ウルはそれを問うた。

 正直なことを言うならば、あまり聞きたくはなかった。何故なら大体予想が付いているからだ。しかし、聞かないわけにはいかなかった。

 ウルの質問に対して、エシェルは表情を深く曇らせて、小さく俯いて沈黙する。彼女の代わりというように、カルカラは淡々とした声で、ウルの問いに答えた。

 

「物資支援は兎も角、戦力的な支援は困難なため、可能な限り、現地にて対応するようにとの事です」

 

 ウルは顔を覆った。ひどい話だった。

 このウーガという建設途中の都市は、見捨てられている。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「都市の迷宮化後は、作業員達とともに避難し、仮拠点を建設しました。【岩石の精霊】の力を借り、防壁や建造物を生みだして、魔物から身を守っています」

 

 つまり、この建物も防壁も、目の前のカルカラが創り出した、ということらしい。

 勿論、ヒトの手で同じ事をしようとしたら、魔術を利用したとしても大仕事だ。流石は神官、と言うべきなのかも知れないが、一方で疑問が生まれた。

 

「……他の神官はどうしていたのです?」

「いません」

「は?」

 

 ウルは思わず聞き直した。

 

「ここに、私以外の神官はいません」

 

 ウルはエシェルを見る。ウルの視線に対して、エシェルの表情は苦虫をかみ潰したような表情だった。

 

「この仮神殿にも何人もの神殿の制服を着たヒト達がいました。彼等は?」

「彼等は官位を持っていますが、祈りを捧げ神官を補助するための【従者】の者達です。精霊たちから精霊の加護を授かっていません。当然、力は振るえません」

「貴様も噂には聞いているだろう。グラドルは現在多数の衛星都市建設を同時に執り行なっている。配属する神官の数が足りていない。少数精鋭による建設作業だ」

 

 エシェルの補足に、ウルはなんとも言えない顔になる。

 少数精鋭とはまた、物は言いようだった。

 都市建設というものがどういった計画で組み立てられるのか、勿論ウルは詳しくはない。が、神官が1人だけで、しかも第五位(ヌウ)の神官だけというのは絶対におかしい。

 そしてその挙げ句、都市が迷宮化したという。

 

「兎に角!迷宮化したウーガの攻略が貴様等の使命だ!わかったな!」

 

 それ以前に問題が多すぎるという点を見ぬ振りするように、エシェルは強く言い切った。無茶苦茶を言いやがる、とも思うが一方で彼女は正しいことも言った。

 

「確かに、ウーガをなんとかしないと話にはならない、か」

 

 あらゆる問題の中心点がウーガなのは確かなのだ。ならば、そこを攻略するしか無い。

 石造りの窓から覗く暗黒の球体をウルは忌々しく見つめた。

 




~お知らせ~
現在作者が転職し、新しい仕事を覚えながら引っ越しの準備をしつつ毎日投稿を行うとかいう中々とんでもない現状になっております。
その状態で各投稿サイトの読者が急増し感想数が跳ね上がるとかいうこの上なく喜ばしい地獄が追加され、「あ、コレはいかん。ヘタすっと作品のクオリティの維持に関わる」と判断したため、タスク削減の為感想返信を止めさせていただきます。

皆様からのご指摘やご感想はどれも心からありがたく、とてつもなく大きなモチベーションであったため本当に心苦しいですが、どうかご了承を願います。
そしてよろしければ今後も、どうか思ったこと感じたことを書きなぐっていただければこの上ない喜びでございます。
どうかよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇と残念な騎士

 

 【白の蟒蛇】のジャインは朝の食事に勤しんでいた。

 

「クソが、また角豚の干し肉かよ。他にねえのか」

「我慢してくださいよジャインさん」

「うるせえ黙れクズ女、ベジラの実寄越せ」

「ひでえっす」

 

 一行(パーティ)の女の抗議を無視してジャインは食料を淡々と口内に放り込む。一見して縦にも横にも巨体な彼は、その姿にふさわしく豪快に目の前の食料を食らいついていた。干し肉を食い千切り、水を呷る。他の者のものまでまとめて食い尽くす勢いだ。

 

 しかし彼らがいる場所は、決して食事を楽しむような所ではない。

 

 此処は【竜呑都市ウーガ】の“大通り予定地”、竜の結界に覆われた都市であり、ヒトの住処から魔の迷宮となった死地である。

 しかし、食事を我慢するわけにはいかない。

 何も喰わずにいると、“喰われるのだ”。

 

「今日でコレ何回目の食事でしたっけ、ジャインさん」

「数えとけクズ。5回目だ」

 

 竜呑都市、暴食の竜の迷宮、その特色は実に単純明快だった。

 存在するだけで、“命を喰われる”。

 規模自体は通常の中小規模の迷宮と大差無いはずだが、その特色は明らかに通常のものとは異なっていた。【大罪迷宮グラドル】と合致したその性質は、此処が大罪竜グラドルの力が干渉している何よりの証明だった。

 故に彼らは食事を取る。過剰なまでに。さもなければ身体が保たない。半日も何も食べなければ否応なく、精気を迷宮に食い尽くされ、“餓死”によって死亡するだろう。

 

「でもジャインさん、もう食料も限界っすよ。一度戻らないと」

「次に補給が来るのはいつだ」

「明日っすよ。【暁の大鷲】がくるっす」

「あのババアのとこかよ…」

 

 ジャインは思い切り顔を顰め、唸り、咥えた肉を骨ごとバリバリと喰らい始めた。豪快なその姿は、しかし周りの一行にはいつもの光景なのか、気にすることもせず命を繋ぐため自身の食事に没頭する。不機嫌な自分たちのリーダーに不用意に触れたくないのかもしれない。という単純な理由もあるかもしれないが――

 

「えー、何が嫌なんすか。あそこ、ボッてこないからいいじゃないっすか……いっで!」

 

 しかしそんな中、全く気にせず話しかけるのは、クズと最初にいきなり罵られた小柄な女、名をラビィンと呼ぶ獣人だった。クズだなんだと罵られて尚、彼女は気にする様子もなく、ジャインが確保していた果実をつまみ食いしようとして、頭を殴られた。

 

「ババアが嫌いなんだよ俺ぁ、いつも見透かしたような事言いやがって鬱陶しい」

「めっちゃ私情じゃないっすか。アタシは好きっすよ。お菓子くれるし」

「ガキ扱いされて舐められてんだよテメーは!」

「いーじゃないっすかー侮られていた方がー」

 

 青筋を立てるジャインに対し、ラビィンもまるで口を減らす事もせず、このままいつものように再び拳が飛ぶか飛ぶまいか、と周りの仲間達が予想しはじめたその時だった。

 

「――ん?」

 

 最初にその異変に気がついたのはラビィンだった。獣人、兎族特有の長い耳をぴくんと動かし、その音を聞き取った。遅れ、他の仲間達も音に気づく。ジャイン達のいる大通りよりも手前、本来憩いの場となるはずだった大広場、現在は噴水だったものの残骸の上で、多数の魔物達が溢れ、侵入者を襲う危険区画。

 そこから“戦闘音”がする。

 

「魔物と戦ってるっすね、多分。武具の音、魔物の鳴き声が聞こえるっす」

 

 魔力成長による異能、【超聴覚】によりラビィンは戦闘音を聞き分ける。その情報にジャインは両腰から手斧を引き抜き立ち上がる。そして顔を顰めた。

 

「ウチの居残り組が入ってきたんじゃねえだろうな」

「竜牙槍なんて“ゲテモノ”使ってるのウチにいないでしょ」

「んじゃ、別の冒険者か。面倒くせえ、てめえら準備しろ!」

 

 ジャインの一声で一行達は速やかに食事を終え、片付けを始めた。既に準備を済ませていたラビィンは彼の横でナイフを構えつつ、面倒くさそうにぼやいた。

 

「いくんすか?」

「独占していた稼ぎ場に来た闖入者だ。縄張りは示す」

「獣人よりケダモノみたいっすね」

「黙れクズ」 

 

 ラビィンを軽く小突き、その巨体でノシノシとジャインは音のする方へと歩みを進めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 時は少し戻り、

 

「……()()が、元都市か」

 

 【歩ム者】、ウル達が“迷宮・竜呑ウーガ”に足を踏み入れていた。

 そしてウル羽目の前に広がる光景を見て、その異様さに少々圧されていた。

 竜の結界、太陽の光の一切を遮断された元都市は、今は内部に充満する魔力が変わる光源となって都市全体を下から赤紫色の光で不気味に照らしていた。

 建造途中だったとはいえ、そこは確かに都市としての痕跡が強く残っていた。限られた土地に建築される高い高い建造物が均等に並び建つ。これをたった一人の神官と、精霊の加護など全く持ちようのない名無したちだけで建設したのだから大したものだった。

 尤も、それらすべてが、奇怪な肉塊に覆われ、台無しになってしまっているのだが。

 

「……なんでしょうか、肉の……根?」

 

 シズクの表現は的確だった。肉の根。うごめき、脈打つ、皮膚もない剥き出しの肉の塊が伸び、建造物に巻き付いている。建造物だけではない。それは地面にも伸び広がり、整えられていた舗装された通路を砕くようにして広がっていた。

 

「……なにかの魔物の一種かしら?」

『不用意に触れるのはやめといた方がよさそじゃの。“生きとる”わ、コレ』

 

 興味深そうに近づいて見ていたリーネは、騎士鎧の姿をしたロックの忠告に飛び退いた。地面にも這い、脈打つ肉の根は確かに、生きているように見える。

 

『さて、それで、これからどうすればええんかの?騎士殿』

「…………」

 

 ロックが振り返り、問う。そこには眩い白金の鎧を身に纏った天陽騎士、エシェルの姿がそこにあった。彼女はロックの問いかけに対して、少々忌々しそうに顔を顰める。

 

「黙れ死霊兵め、気安く話しかけるな」

『背後から襲われても黙っといた方がよいカの?』

「貴様……」

 

 睨むエシェルに、ロックはカカカと歯を鳴らし、笑った。兜の影から真っ白な歯が覗く。

 

『冗談じゃよ。そうイキリなさんな。ちゃーんとお主の言うことは聞くとも』

「基本、彼は私の命令に逆らうことは出来ません。ご安心を。エシェル様」

 

 シズクが更に言葉を重ね、エシェルは不満げに、しかしシズクの言葉に納得したのか押し黙り、顔をそらした。ウルは彼女に聞こえぬよう、小さく溜息をついた。

 

 何故に彼女がついてきているのかといえば、彼女がついてくると言ったからである。

 

 「お前達だけでの活動は信頼できないから私も同行する」と、エシェルが言い出したときは、ウルは非常に困った。いきなり一行に新人が加入するというだけでも連携などに不安を覚えるのに加えて、ロックの存在がある。

 既に正式に冒険者ギルドには使い魔として登録し許可を取っているとはいえ、彼の存在は正直あまり表に出せない。死霊術は都市によっては禁忌とされる程のあやうい術だ。そしてエシェルはそういった物に対して、寛容な性格とは思えなかった。

 が、しかし、彼女が同行するという以上、彼の存在を明かさない訳にはいかなかった。迷宮に一緒に突入する以上、たとえ相手が騎士だろうが神官だろうが、命を預け、支え合わなければならない。迷宮とはそういった死地である。半端な隠し事など、論外だ。

 故にウルは彼女が同行を決定としてすぐ、ロックの正体を明かし――

 

「ふざけるな!死者冒涜の禁忌を扱うなど正気か!!」

 

 と、予想通り滅茶苦茶に怒鳴り散らされた――――が、意外にも、と言うべきか、最終的には彼女はロックの存在を許容した。しぶしぶと、怒り混じりでではあるが。

 それは彼女を説得したシズクの話術のたまものか、あるいは自らが管理する都市の状態に対する危機感か、もしくはその両方かは不明だった。が、兎に角、ロックを連れていくことは叶った。

 問題はエシェル自身である。

 

「で、改めて確認するが、あんたの武器は、“ソレ”か?迷宮探索可能なのか?」

 

 ウルが指摘したソレは、彼女が肩から提げた得物だった。細く長い筒状の長物、所謂【銃】と呼ばれる武装の一種。基本的に“対人武器”であるとウルは記憶している。魔物を相手に使う場合、火力不足が問題だった。

 しかし彼女は恐れることなく誇らしげに銃を構えた。

 

「【魔道銃】だ。言っておくが、貴様らごときに後れを取る腕ではない」

「聞き覚えがあるわ。理屈としては貴方の竜牙槍と同じよ。内部に魔道核がある」

「より高度な技術により小型化したものがコレだ。貴様のゲテモノとは違う」

 

 彼女はウルの背中にあるブツを鼻で笑った。ウルは自身の獲物、竜牙槍を引き抜き、確認し、そして頷いた。

 

「正直もうゲテモノなのは否定しない」

「ウル様の竜牙槍、大分独特な形になってまいりましたね」

『正直きっしょいの』

「見た目もう少し気にした方が良かったと後悔し始めている。今」

 

 ウルの竜牙槍は槍身、柄、魔道核の三つの部品から構成される武器であり、魔力を吸収することで成長を果たす魔道核以外の部品は、鍛冶などで依頼することで徐々に更新していく。

 

 現在のウルの竜牙槍の槍身は、あの毒花怪鳥の強靭なる足爪、【毒華怪鳥の鉤爪】を錬金術により分解し、再構築した【紫華の槍】と銘打たれた姿である。名前は何やら美しいが、ぶっちゃけ毒々しい。色が赤紫であり、怪鳥の魔力の影響を受けたのか、何故か禍々しく歪んでいる。毒色の雫が刀身からこぼれ落ちるかのようだ。

 完成品を見せられたときは返品しようと即思ったが、機能としては全く問題なく動いていたので何の文句も付けられなかった。理不尽である。

 

「まあ、なんだ、コレで便利なので勘弁してくれ」

「こっちに近づけるな気持ち悪い!!!」

「まあそう言わず」

 

 雇用主との嫌がらせ(スキンシップ)をとりつつ、ウルは周囲を巡らした。現在、魔物の気配は、“ある”。当然だ。此処は迷宮だ。間もなく襲いかかってくるだろう。だからウルは気を引き締めた。二つの意味で。

 

「さて、エシェル様。約束を覚えてるだろうか」

「は?なんだ」

「自分たちに同行するにあたっての条件」

「ああ……下らん。あんな忠告私には――」

「エシェル様」

 

 シズクが追撃すると、エシェルはまた気まずそうに黙った。その場の自分以外の全員の視線を浴び、そして諦めたように吠えた。

 

「“どうしようもなくなったら全力で地面に伏せろ”、だろ!分かっている!無論、そんなザマを晒すつもりは無いがな!!」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「きゃあああああああああ!!!」

 

 晒した。

 

『ま、こうなる気はしたのお。で、何じゃあコイツ』

 

 “事故”の結果、地面にぶっ倒れて悲鳴を上げるエシェルを横目に、首がすっ飛んで地面に転がっているロックが暢気に尋ねる。【歩ム者】一行の周囲には、大小様々な、真っ黒な、巨大な、軟体生命体がゆらゆらと薄気味悪くうねっていた。

 

「【粘魔(スライム)】だ。行くぞ」

 

 既に若干疲れ気味なウルはげんなりしながら戦闘開始の声をあげた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇と残念な騎士②

 

 【粘魔】 ()()()()()()()()

 

 魔物としては最もポピュラーな物の一種。そしてこれほどまでに強弱に幅の出る魔物はいないだろう。まず、この魔物と相対したとき冒険者が真っ先にすべき事は【解析】である。粘魔は状況、環境に染まりやすく、変化しやすい。同じ場所で出会った二体の粘魔が全く別種の特性を保有している事もあるほどだ。

 その特性から、経験者ほどこの罠にひっかかりやすい。【中級者殺し】なる呼び名が冒険者の内で流行るのもその為だ。

 

 中心の核を破壊すれば絶命する。以外の共通項はない。

 

 冒険者は、金に至ったとしても、常に心に留めておくべきだ。魔物は、決して冒険者の“獲物”ではない。“敵”なのだと。

 

 

                      【名も無き冒険者達の警句集】より抜粋

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 時系列順に状況を説明すると以下のようになる。

 

 まず石畳の地面、その隙間から突如、巨大な軟体生物、粘魔(スライム)が出現。エシェルの背後に全長2メートルほどのソレが現れた。

 次、出現した魔物をロックがエシェルに指摘、エシェルは驚き、そのまま手に持っていた魔道銃を発射、結果、狙いが定まらず、ロックの首を焼き切りながら粘魔(スライム)に着弾。しかし粘魔(スライム)の核には当たらず、粘魔(スライム)は敵対行動を開始。

 最後にエシェルがパニックを起こし、銃を乱射しそうになったのでウルが動く、よりもシズクが素早く魔術によって彼女の身体を地面に倒し、今に至る。

 

「戦闘経験あるんじゃなかったの彼女」

「銃を使って魔物を倒したことはある、とは言っていた。状況にもよるだろさ」

 

 魔光が髪を掠め、冷や汗をかいているリーネに鎧が若干焦げたウルは補足する。安全な場所から安全な距離で、遠方への牙を保たない魔物を撃ち殺してもそれなら倒した事にカウントされる。

 正直嫌な予感はしていた。迷宮に入った直後の彼女の様子は、明らかに力が入りすぎていた。どこがと言わず全身が。迷宮に慣れた者の姿とはほど遠い、ちょうど、ウルが迷宮に初めて入ったときのような姿だ。

 事故るかもしれない、というよりも、事故る前提で彼女のすぐ側にロックを配置し、万が一の時は周りの被害を防ぐように指示を出していた。そしてこの結果である。警戒しておいて良かった。

 

「で、リーネ、そっちの準備」

「魔道符は習得して、既に準備済みよ。不本意だけど。不本意だけど」

「普段の使い勝手はそっちの方がいいんだから仕方ないだろ」

「殺すわ」

「粘魔を殺してくれ。【解析】」

 

 ウルは指輪を差し向け、粘魔達にむかって解析の魔術を放った。魔名が指輪の上に表示される。その形状に覚えはある。大罪都市グリードにて、グレンに魔名の読み方は徹底的に叩き込まれた。

 魔名は無限、完全に一致するモノは一つもなく、しかし傾向を知り、大雑把な分類に分けることは可能。この形状は――

 

「……なんだ?やけに歪な形だ」

「粘魔ってかなりシンプルな魔名になる傾向にあるのだけど、環境のせいかしら……」

「【重】……?重たいのか?風魔術とかはあまり通じなさそうだ」

「承知しました」

 

 断片的な情報をよみとりながら、粘魔が自身の身体を変えて腕のように振り下ろしてくるのをウルは躱す。地面は叩き割れる。柔そうな見た目からは想像もつかないような破壊力にウルは軽く身震いした。

 対し、魔術師の二人は冷静だった。一人は術の詠唱のため唄い、一人は術符を取り出し、そして即座に放った。

 

「【電雷符】」

「【【【【氷よ唄え、穿て】】】」

 

 簡易の白王陣から雷が奔り、粘魔の身体を通り、焼く。焦げたその身体にシズクの氷柱が突き刺さり、粉砕した。その胴の中心にある魔石ごと。

 

『…………!』

 

 粘魔達は声もなく、魔石を砕かれて散っていく。濁りつつも透き通った胴体の中で、魔光によって輝く魔石――急所が目視できるのは、粘魔の明確な急所だ。無論、そこまで攻撃を通す手段があるのならば、だが。

 

「【咆吼・破裂弾】」

 

 ウルは竜牙槍を手慣れた手つきで操作し、砲身を開き、魔光を放つ。魔道核の成長と、槍身の更新からなる新たな魔光は、光の柱ではなく、大砲の弾のように巨大な球体となって粘魔達の間に着弾した。

 

『………!!!』

 

 そして爆散する。光と熱が粘魔の半透明の身体をなぎ払い、核を剥き出しにする。

 

「【突貫】」

 

 ウルはそこへと槍を突き出し、砕く。

 新型の【咆吼】の威力は申し分ない。しかも以前のような放射一辺倒ではなく、今のような小細工まで出来るようになっている。残念ながら、魔力の燃費が悪く、消耗が過ぎれば、充填に時間が必要なのは変わらないが。

 

『おいウルよ。ワシはどうする?』

 

 既に胴体と首が再びくっついたロックが問う、彼の足下には未だ動けずにいるエシェルがいた。

 

「わ、私なら、やれ()()わ!!」

「……エシェル様の護衛、少なくともこの戦闘完了までは」

『了解、まー楽でええがの』

 

 ロックは彼女の胴体を引っ掴むと速やかに粘魔の包囲網から抜け出した。

 死なれても困る。本当に困るのだ。ずっと護ってやるわけにもいかないが。

 粘魔は引き続き蠢いている。うねり、不意にコチラにむかって腕を振り下ろす。数が全く減っていないように見える。いや、減ってはいるはずなのだ。だが、

 

「ウル様。粘魔、増えてます」

「どっからか来てんのか」

「いえ、この場で増えてます」

「めんどうくせえ」

 

 粘魔の特性の一つ。()()()()()()()

 雌雄の区分けは無く、たった一体でも自分と同じ存在を生み出す。故に、強力な個体であるほど厄介である。

 対処法は一つだ。時間をかけず、まとめて消し去るに尽きる。

 

「【顎延長】」

 

 竜牙槍の槍身、“顎”と呼ばれる場所が稼働し、通常よりも増して長槍の形状へと姿を変える。禍々しい形状に歪んだ槍が、赤紫色に不気味に輝く。それは錯覚ではなく、毒花怪鳥から奪った爪に込められていた魔力が溢れていた。

 毒性の魔力。触れたモノを腐らせ、焼き切る。

 

「【輪閃・牙毒】」

 

 ウルはその小柄な身体の全てを使い、回転させ、長槍を撓らせ、一気に振り抜く。槍の穂先から溢れた毒性魔力が刃に転じ、水性の身体を腐らせ、弾き飛ばし、そして残る魔石を破壊する。

 

「【【【【貫け】】】】」

 

 残る粘魔もシズクが仕留め、粘魔は全て退治するに至った。

 ウルは溜息をついた。

 

「損害報告」

「ありません」

「ないわ」

「ワシの首がすっ飛んだ以外は無事だの」

「…………」

 

 1名は無言だが、まあ怪我はしてる様子はない。全員の無事を確認し、ウルは安堵し溜息をついた。そしてそのままロックに現在進行形で抱えられているエシェルに近づいた。

 

「さて、エシェル様」

「……何」

「一度外に戻るから帰ってくれ。アンタを守るのは俺達には無理だ」

 

 ウルはすっぱりと断言した。

 

「待て!私は雇用主だぞ!」

「尚のことだ。大事な雇い主を護って戦うのは無理だ。するしない、ではなく、不可能だ」

 

 大体こうなる予感はあったが、最初の説得段階ではテコでも引き下がりそうにも無かったため、一先ず一度戦闘に連れ出してみたが本当に案の定な結果と相成った。というか普通に危うい。命を担保に相手を試すような真似はするものではなかった。

 

「拒否するというなら、悪いがアンタをぶん殴って気絶させて都市外に連れ出した後俺達は逃げる。神殿から追われる異端者になろうと、悪いが自殺したくはないんだ」

「ぐっ……!!」

 

 ウルの言葉にエシェルは歯を食いしばる。表情にあるのは怒りと、しかしそれ以上の焦りだ。ウルには何故に彼女がこうも同行を望むのか、その謎をウルは明らかにするつもりはない。明らかになって、結局迷宮に連れて行く羽目になっても困るのだ。兎に角今は一刻も早く彼女を外に――

 

「オイオイ、誰かと思えばまさか天陽騎士殿かよ。なにしてんだアンタ」

 

 その声は、建設途中だったのであろう、半ばまで建てられた高層建造物の頂上から聞こえてきた。人の声だ。此処は迷宮の中であり、詰まるところ冒険者(どうぎょうしゃ)の声である。ウルは声の方へと視線を向けた。

 

「………でか」

 

 その男はデカかった。縦にも横にも。

 只人、身長は優に二メートル超の大男。両手に手斧を持ち構えたその男は、遠目にもハッキリとその姿がわかった。魔力量こそが身体能力に強い影響を与えるこの世界だが、そうであっても単純なガタイの良さはそれだけで圧になる。腹の虫でも悪いのか、強面の、顰めた顔つきのその男は強い存在感を放っていた。

 その陰に隠れ、他の冒険者達も顔を覗かせている。獣人と只人の混成一行のようだった。彼らはそのままひょいと、冒険者特有の身体能力でもってその場から飛び降り、地面をかるく砕きながらウル達の目の前に着陸した。

 

「てめえらが天陽騎士に新しく雇われた冒険者か?まだガキじゃねえか」

「……どうも、初めまして先輩」

 

 ウルは可能な限り平静を保ちながら、警戒を強めた。

 迷宮における冒険者同士の遭遇時の対応は、“無視”が基本である。迷宮でヒトがあつまれば魔物がよってくる。単純な自衛のためにも不必要に接触する事を避けるのは基本だし、そうでなくとも万が一冒険者同士の諍いが起こった日には、その間に魔物に襲われ双方共倒れになりかねない。しかし目の前の男はそのセオリ-を無視している。警戒しなければならない。

 

「【白の蟒蛇】!貴様ら!よくもぬけぬけと顔を出せたな!!」

 

 エシェルの怒りに満ちた声が、都市迷宮に響き渡る。白の蟒蛇、銀級の護衛として雇われていたその男達は、エシェルの怒りに対して物怖じ一つする事はなかった。

 

「自分からこんな死地に首つっこんでまで変わんねえな。迷宮探索の許可をアンタからもらわなきゃいけねえ義務なんてねえんだよコッチは」

「裏切り者め!」

「話にならん」

 

 男は早々にエシェルに見切りを付けたのか、ウルへと視線を戻した。ウルを見る目もまた、格下を見る目だった。そしてそれは正確でもあった。真正面で対峙してハッキリと分かる。この男は明らかにウルよりも格上の冒険者だ。

 

「ジャインだ。【白ノ蟒蛇】所属。迷宮探索のリーダーだ」

「ウルだ。【歩ム者】というギルドを率いている」

「そうかよ。で、何しに来たんだお前らは……その女がいる時点でわかりきってるか」

「ああ、この迷宮の攻略だ」

 

 迷宮の攻略。それこそがウル達の現在遂行中の依頼である。本来はジャインがエシェルからこの依頼を受ける筈だったという事は事前に聞かされている。ならば推測は容易いだろう。ジャインはウルへと一歩近づく。

 

「お前らが何をどうしようが興味はねえ。迷宮を突破するってんなら勝手にしろ。俺達にソレをとめる権利なんてものは無い。だが」

 

 彼の握った斧の柄がミシリと音を立てる。万力が込められているのがウルにも分かる。もし、この近距離で彼が斧を振り回せば、誰かが止める間もなく、ウルの首ははじけ飛ぶだろう。ウルはじっとりと汗をかいた。

 

「此処は俺達の職場でもある。魔物を排除し、ルートを確保し、幾つもの拠点を構築し、魔石の採取を行うために俺達が攻略を進めた迷宮だ。ソレは分かるな?」

 

 彼が何を言いたいのか、ウルにも理解できた。つまりこれは、縄張りの主張だ。

 

「俺らの狩り場に無断で入ったら殺す」

「……了解」

 

 都市の異変後、未開となったこの迷宮を探索し、魔物達を撃破し魔石を採取するまでの流れを開拓したのは彼らの尽力である。それを、後からきた冒険者がシレっと美味しいところだけを掠め取るなど、決して許さないだろう。

 実益的にも、銀級の冒険者としての矜持的にも。

 殺意に満ちたジャインの態度も当然だ。生活がかかっている。此処でウルが巫山戯た言葉を口走ったその時は、本気で殺し合いになるのも辞さないと物語っている。

 

「では、具体的にどのエリアに立ち入らないべきか、教えていただくことはできますか?」

「あ?」

 

 その空気をまるで全く読まないように、あるいは読んでいてあえてぶち破るのがシズクという女だった。シズクはニコニコと微笑みを浮かべながらウルの隣にたつ。ジャインは場違いな彼女の美しさに気勢を削がれる――

 

「俺は今そのガキと話してんだ。何許可なく割って入ってんだ?」

 

 訳でもなかった。彼は一層に機嫌を悪くさせ、シズクを睨み付ける。シズクに対する反応としては珍しい、訳でもない。シズクの態度は気に障るものにとっては間違いなく気に障る。極端な好感か敵意しかもたらさない女だ。

 

「初めまして、シズクと申します」

 

 そしてそういった敵意に対しても彼女はまるで物怖じしない。

 

「先ほどの話ですが、叶うなら、【白の蟒蛇】の皆様の現在の狩り場を教えてもらいたいのです。誤って、踏み入ってしまっては事ですから」

「で、だから情報をタダでよこせってか?」

「では買います。迷宮の情報と併せて、そして皆様の狩り場の情報を」

 

 ジャインの皮肉交じり返しを、シズクは予想していたのだろう。即座に彼女は買うと提案した。無論、そんな話は事前に相談するヒマもなかった。が、ウルはさも当然だといった顔を保った。ギルド長はウルだがシズクとの関係は対等であり、金銭の管理もまた彼女と対等だ。ギルド資金として貯蓄している資金の運用方法についての選択権利は彼女にもある。

 

 さて、シズクの提案に対して、ジャインは表情をしかめ面から変化はせず、しかしその目には利益を計算する光が見えた。

 

「……幾ら出す」

「あまり、余裕はありません。銀貨20枚で迷宮の魔物の情報と併せていただけますか?」

「金貨1枚だ。それなら魔物の詳細も付けてやる」

「銀貨25枚ほどにまかりませんか?」

「要らねえなら勝手にしろ。こっちも勝手に邪魔した奴を叩き割るだけだ」

 

 シズクは少し悩んだような仕草をして、ウルにチラリと視線を向ける。ウルは諦めて頷いた。

 

「では、それで購入させていただきま――――あら」

 

 シズクが不意に足下に視線を向けた。彼女のその反応の意味に最も早く気づいたのはウルだったが、目の前にいたジャインも同じくらいに素早く気づいた。武器を構え、後ろに跳ぶ。ウルもシズクを腰抱きにして跳び、そして後から他全員がそれに追従するようにして後ろに下がった。

 

「敵襲!!!」

 

 次の瞬間、地面が爆発した。石畳の道路が大きくひび割れ、そして空いた亀裂から先ほど倒した粘魔達が次々に這い出しくる。それだけでなく黒く、ゴツゴツとした肌の、巨大な顎を持った【黒沼鰐】がずるずると飛び出してくる

 

「【衝突】だ!!」

 

 戦闘が開始された。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇と残念な騎士③

 

衝突(コンフリクション)

 迷宮に突入する冒険者一行が、五人以上の人数で連れ歩かない一番の原因。

 魔物はヒトを襲う。その習性はヒトが多いほどに強くなる。迷宮を探索する際の限界数がその五人だ。ではソレを越えるとどうなるか?その地点に周辺の活性化した魔物達が一斉に突撃してくる。

 冒険者同士の、あるいは冒険者と魔物の“衝突”、そういう意味でこの現象は名付けられた。総じて魔物は凶暴化し、通常時以上の魔物の数と戦闘になる可能性が高いため、この事故が発生した場合、行動選択は1択となる。

 即座に逃げる、だ。逃げなければ、衝突を起こした冒険者達がその場を離れなければ、無尽蔵に魔物を引き寄せるのだから。

 

「撤退!!」

「逃げるぞ!!!」

 

 二つのギルドの二人のリーダーから出される指示は明確かつ、同じだった。

 

『GB――――GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』

「地下から粘魔アホほど溢れてきてるっすよ!!“王”がいるかもしれないっす!」

「【【【氷よ唄え、穿て、連なれ】】】」

 

 獣人の指摘と、シズクの魔術の詠唱もまた、同時だった。宙に発生した巨大な氷柱が、出現と同時に重力に沿って地面へと落下する。発生した亀裂に連続して叩き込まれた。

 

「うわ、はや!多!!」

「コレでしばらくは持つかと。今のうちに撤退を」

 

 兎の獣人が驚きの声を上げる中、シズクはのんびりとウルに声をかける。言われずとも、黒沼鰐は氷柱によって進路を塞がれたが、粘魔は僅かな隙間からぬるぬると湧き出てくる。間もなくこっちに襲ってくるだろう。

 【歩む者】と【白の蟒蛇】の長たる二人は一瞬顔を合わせる。

 

「南出口へ行く」

「こっちは東だ。コチラに逃げてくるなよ」

「そうしよう」

 

 同じ場所に逃げて再び衝突が発生しては元も子もない。

 

「情報の取引に関しては、帰還後に頼む」

「そっちが死んでないならな」

 

 衝突の責任の所在についてウルは口にしない。

 本当に衝突を警戒するならウルはあの話を中断してとっとと背中を向けて逃げ出していた。あの時、白の蟒蛇との接触を受け入れ話を進めたのはウル達だ。その時点でこの状況は織り込み済みだ。故に判断は早かった。

 

「では」

「ああ、最後にアドバイスだ」

「は?」

 

 背を向けこの場から逃げようとしていたウルが振り返ると、ジャインは足下に這ってきた黒鰐の首を手斧で搔き切ると、体液を払い、その斧でウルの背後を指した。正確には、衝突で突如として出現した魔物の衝撃に恐怖しすくんでいるエシェルを。

 

「その女はとっとと切り捨てた方が良いぞ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言うだけ言って、ジャインはその巨体に似合わず素早く跳躍し、彼の部下達も後から続いた。ウルは、恐らくは激怒し、顔を真っ赤にしているであろうエシェルへと顔を向け、どう宥めるかと口を開こうとして――

 

「――――」

 

 予想とは正反対の、真っ青になった彼女と対面した。

 

「どうした?」

「――――な、なんでも、ない」

 

 なんでもない反応ではない。明らかに様子がおかしい。銃を抱きしめるようにして、硬直している。魔物達を前にしても、動こうとしない。

 

「おい……仕方ないか」

 

 ウルは溜息をつくと、身じろぎもしない彼女を肩で担いだ。ほぼ荷物扱いな事に、エシェルは文句を言わなかった。

 

「ロック。先導頼む。シズクとリーネはロックを援助」

『騎士殿はワシが守らなくて良いんかの?』

「もうこの状態で銃暴発させる事はしないだろ。いくぞ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 同時期。

 白の蟒蛇達もまた、都市の外への撤退を恙なく行なっていた。時折飛び出して襲ってくる魔物達をたたき落としながらも、その連携に淀みはなかった。ジャインは建築物の間の横道から突如飛び出してきた目の無い大蛇を叩き割りながら、ちらりと後ろについてくるラビィンをみる。

 

「駄兎。アイツらどうだった」

「銀髪やべーっす。なんすかあの魔術展開速度と回転速度」

「見ればわかんだよあの女は。他は」

 

 ラビィンはぴょんと砕けた建築物を飛び越えながら、うーんと唸る。

 

「あの兜被った騎士は、なんか音が変。獣人とかでもないと思うっす」

「銀髪の使い魔かなんかに鎧でもかぶせたか…?他は」

「小人は魔術師、多分魔道具専門?あとウルってリーダーもこれといってそんな特徴はなかったっすね。ひょっとしてあの銀髪の傀儡かなんかじゃないっすか?」

 

 異常、とも言える魔術発動技術、更に威圧するジャインの間に割って入り交渉を進める度胸、あの集団において彼女が頭一つ二つ抜き出ているのは間違いない。当然の推測だった。

 だがジャインは首を横に振る。

 

「少なくともリーダー張ってるのはウルってガキだ」

「根拠は?」

「何も考えてない、背負ってない奴の目じゃない」

 

 傀儡であれば背負う重責は少ない。悩むことはない。与えられた役目をこなすだけで足りる。だが彼の目つきはそうではない。ジャインという存在を警戒し、計算し、苦悩し、選択しようとしている者の目だった。

 そういった表情を隠せていない辺り、やはり未熟なのは間違いないが。

 

「で、アイツらに情報売るんすか?」

「別に、時間かけりゃアイツらでも集められる情報なんだ。腐る前に早めに売りつけるに限る。それでコッチの邪魔もしない契約もつけられるなら万々歳だ」

「守銭奴っすねえ」

「でなきゃこんな所で荒稼ぎしちゃいねえよ。てめえは要らねえのか金」

「うーんにゃ、お金大好きっすよー、稼ぐ旦那も大好きっすよー」

「死ね」

「照れ隠しっすか」

「殺す」

「斧ぶんまわすのやめろっす!!!」

 

 二人のやりとりを他の一行は実に慣れた様子で、巻き込まれぬよう、遠巻きに眺めるのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「リーネ!!符を背後に撒け!!シズクは結界を面にして同じく背後に!!」

 

 一方ウル達は中々死に物狂いな状況になっていた。

 背後から迫る黒鰐が4,5匹と続く。更に粘魔が後に続く。まるで大雨が道を流れるように、粘魔が通路一杯まで溢れ迫っていた。

 あの衝突の際、出現した魔物の数を考えると明らかに白の蟒蛇との魔物の比率がコチラに傾いている。その理由は

 

『喰いやすい獲物の方を狙っとるんじゃろな』

「弱い方をってか!クソ!」

「あのジャインってヒト、コレ狙ったんじゃないでしょうね!!」

『魔物の種類まではえらべんじゃろし、いつも通り運がないだけじゃろ、カカ!!』

「いつも言うな!」

 

 ウルは竜牙槍を掴み、再び咆吼を放つ。光弾が後方で炸裂する。相手の被害状態を確認することは出来ないが、背負う魔石回収鞄が自動で収集する音で、幾らかの魔物を落としていると分かる。分かるが……

 

「キリがない!」

「【氷結界】!」

「【雷陣符】!!」

 

 シズクとリーネが結界を発動する。幾らかが弾かれ、凍り付き、雷に焼かれる。だがそれでも勢いは止まらない。前方で無残な姿となった仲間を踏みつけ、乗り越えて更に多くの魔物達が突撃してくる。

 

「ロック!出口は!」

『もうちょいじゃい!気張れ!!前は魔物が少ない!』

 

 ロックは前方から飛びかかる魔物に骨を突き立てながら吠える。骨身であり、軽快であるロックは先んじて魔物達を討ってくれているおかげでウル達の歩みは淀みない。

 だから問題は背後であり、もっといえば最後尾のウルだ。

 

「分かってる!クソ!」

「ひ……ひぃ…!!」

 

 あと一歩後ろまで寄ってきていた粘魔を躱し、払いのけながらウルは進む。彼の足が遅い理由は明確だ。背中にエシェルを背負っているからだ。別に重いわけではないが、彼女を護りながら走るのは、彼方此方の動作が阻害され、大変に邪魔だ。ウルの武装が長物であるのもその動作の不備に拍車をかけた。思い切り振り回すことが叶わない。

 

「ウル様!!」

 

 シズクが鋭い声を上げた。ウルは背後を注視する。波のように押し寄せる魔物の群れの中で、一際に大きく伸びる影があった。巨大な柱のような、しかしそれは“のたうち”、こちらに凄まじい勢いで迫ってくる。

 瞳の無い、巨大な口の魔物。大蛇の類いとも思ったが、それはどちらかというと蛭といったほうが正確だ。魔光に照らされ鈍く輝く粘膜を彼方此方にまき散らしながら、異常な速度でこっちに突っ込んでくる。

 

「【【【焔よ】】】」

 

 反響させた火球の詠唱がシズクから放たれ、3つの火球が巨大蛭に叩き込まれる。放たれた一撃に巨大蛭は声もなくのたうち、しかしそれでも真っ直ぐコッチに近づいてくる。止まらない。

 ウルは冷や汗をかいた。確実に追いつかれる。そして、足が止まれば、あの魔物の波に呑まれ、踏み潰される。だが竜牙槍は充填の最中、そもそも狙って撃つために足を止めるヒマは無い。

 迫る危機に、ウルは叫んだ。

 

「エシェル!!!」

「ひ!え?!は、わ、わた」

「デカブツを!!撃てッッッ!!」

「はっはいっっ!」

 

 混乱する彼女を、上からかぶせるようにウルは命令を叩きつけた。

 ウルはエシェルの足をガッチリと掴み、固定する。エシェルは混乱しながらも指示されるまま、魔道銃を構え、狙い、撃――

 

『BUOOOOOOOOOOOOO!!!』

 

 その最中、黒鰐が一匹、魔術の嵐を飛び越えた。ただただ肉を引き裂くためにある牙がずらりと並んだ口を大きく開いて、ウルとエシェルの頭上に降りかかろうとしていた。

 いかん割と死ぬ。ウルはそう思った。

 

「――――【   】!!!」

 

 その瞬間、エシェルが何事か叫んだ。悲鳴と混じり合っていたためか、何を言っているのかはウルには聞き取れなかった。だが、その瞬間

 

『BUO!?』

「は!?」

 

 黒鰐は、空中で奇妙な軌道を描いて地面に墜落した。まるで、ウル達の前に透明の壁でもあったかのように、()()()()()()。黒鰐自身、何が自分の身に起こったのか分かっていないようで、頭から墜落し身体をばたつかせた。

 

「ひぃ!!!」

 

 そしてその隙に、エシェルの銃口から緋色の、細い閃光が奔る。

 元より、狙い撃つ事に関して彼女は決して素人ではなく、故に、その射撃は違わず地面に落ちた黒鰐、そして巨大蛭の頭に着弾した。光熱はその頭を焼き切り、胴を引き裂いた。胴体から溢れた粘液から異臭を放ちながら巨大蛭は横に倒れ、その身体に阻まれ、後ろの魔物達もその突撃が緩まった。

 

『出口じゃ!!!』

 

 竜の結界で覆われた南門の出口に、ウル達はそのまま飛び込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フラグⅠ

 

 

「そ、と、だあ!!」

 

 南門の出口から飛び出したウルは、大きく息を吸い、開放感と共に声を上げた。そして外に出た瞬間、ぐっと後ろを首だけ振り向いた。まだウル含め全員足は止めていない。魔物が追いかけてくる可能性は十分あるからだ。

 しかし、

 

『――――――』

「き、来てない……か?」

 

 大量にいた魔物達は、迷宮の外、“竜結界”の外までは追ってくる気配はなかった。結界を壁のようにしてうろうろと動いている。まるで物理的な障壁があるかのようだが、ウル達が今抜けたように、竜の結界は別に物理的な壁の役割を果たしているわけではない。

 が、結局魔物たちは外に出てくる事は無く、暫くした後、南門の前から姿を消した。

 

「……ふぅぅぅう……」

『さんざんな偵察じゃったのお、カカ』

「うるせえ」

 

 ウルはカタカタと笑うロックに忌々しげに呟いた。

 一回目の迷宮探索であり、様子見も様子見の筈がいきなりとんだトラブルだった。収穫こそあったとはいえ、冷や汗ものである。次々流れてくる汗が鬱陶しく、兜を脱ごうとして、エシェルを背負いっぱなしになっていた事にウルは気づいた。

 

「エシェル様。下ろすが平気か」

「………え、あ、ああ。大丈夫、だ」

 

 先ほど滅茶苦茶な命令口調でエシェルを怒鳴り散らしたウルとしては、罵声のひとつふたつでは済むまいと思っていただけに拍子抜けだった。疑問に思いつつも彼女をゆっくりと下ろすと、ぺたんとエシェルは座り込む。

 

「…………」

「……とりあえず、被害確認。怪我した奴いるかー」

 

 そしてそのまま何も言わないので、ウルは一先ず彼女を置いておき、一行を確認した。返事は無し。怪我人は無かった。

 

「消耗は」

「“白王符”は幾つか消耗したわ。補充はしておくけども」

「なるほど。シズクは?」

「お腹すきました」

「そういう事じゃ………いや」

 

 言われ、意識するとウルも凄まじく腹が減っていた。今回は迷宮探索の時間自体はそれほど長くもない筈なのに、やけに全身がダルい。

 

『ワシも大分魔力消耗しとるの。ぶち殺した魔物の魔石も喰ったりしたが、足りんわい』

「事前に聞いていた迷宮の特性が、コレか。強烈だな」

「下手すると、戦闘中に動けなくなりそうですね」

「携帯食がいるなあ……うん、とりあえず戻ろう」

 

 このままダラダラとしていると、本当に体力が尽きて動けなくなりそうだった、ウルは手を叩き、撤収を合図する。それぞれ装備を整え、“仮都市”への帰路につく中、ウルはいまだ座り込むエシェルに声をかけた。

 

「エシェル様。戻るが平気か」

 

 起こそうと手を差し出すと、彼女の手が伸びた。それはウルの手を掴むと、しかし座り込んだまま、ウルを見上げる。その表情は怒っているような、泣いているような、感情がごちゃ混ぜになっていた。

 

「……私は役に立ったか」

「そうだな。最後のでけえ魔物をぶっ倒して進行を塞いだのは役に立ったのは間違いない」

「そ、そうだろ……」

「その前の、【黒沼鰐】を弾き返したのもな。あれはアンタだろ?」

 

 あの現象がなんだったのか、正確な所をウルは把握できていない。分かるのは彼女が何事か叫んで、鰐が弾かれたというだけだ。魔術だか天陽騎士の秘密兵器だかなんだか知らないが、アレも彼女の功績だとすれば確かに役に立った。

 故に、正直にその事をウルは告げた訳なのだが――

 

「違う」

「は?」

「……ソレは違う、私じゃない。私、していない」

 

 その口調は早口で、顔色は青く、そしてうつむき決して目を合わさない。

 

「……まあ、少なくとも助けになったところはあったよ」

 

 それが、彼女にとって何かの核心なのは間違いなかったが、ウルは触れぬようにした。今後、彼女にどこまで踏みこむのかまだ分からなかったからだ。エシェルもまた、話を変えたかったのか、すぐにウルの言葉に食いついた。

 

「なら、私がついていっても問題無いだろう!」

「だが、混乱し仲間を撃たれても困るんだ。常にロックに見張らす訳にもいかない」

「う……」

 

 正直に告げると、彼女は死にそうな顔になって、再び顔を伏せる。怒鳴る気力もないらしい。ウルは頭を掻く。何故にそんなにも現場に出ようとするのか。

 

「迷宮踏破っていう結果さえもってくりゃ、アンタは満足なんだろ?なんで同行に拘る?」

 

 問う、だが、彼女は顔を伏せたままだ。返事は無い。身じろぎもしない。

 ウルは困った。愚図る少女の慰め方に悩んでるのではなく、単純に場所が悪い。

 此処は迷宮の外だが、都市の外でもある。人類の生存圏外だ。決して安全な場所ではなく、可能ならば早くこの場から離れ、少しでもマシな“仮都市”に場所を移すべきである。

 が、弱々しく此方の手を握る彼女の手を払うのも躊躇われた。

 

「ウル様、簡易の結界を張っておきます。脱出の準備を進めておきますね」

 

 シズクが微笑み、そのように動きだした。つまり、彼女の相手は自分がしろと、そういうことらしい。ウルは諦めて、座り、エシェルの言葉を待った。

 沈黙は暫く続いた。中々彼女は口を開かない。それをかったるい、とはウルは思わなかった。愚図る相手と向き合って、辛抱するのは妹を相手にして慣れていた。

 

「私は……」

 

 少しして、エシェルは口を開く。ウルは黙って続きを促した。

 

「私は、見捨てられて、ない」

 

 振り絞るような声であり、すがりつくような声でもあった。ウルの問いに対する答えとはとても言いがたく、また、彼女の言葉に対してウルは肯定する言葉もなかった。彼女の事情を、ウルは殆ど知らないのだから。

 

「ああ、わかったよ」

 

 故に、ウルに出来ることは、その言葉を出来るだけ優しく、汲み取ってやることだけだった。

 

「……分かったってなんだ。私の何が分かったって言うんだ」

「客観的な事実は知らん。だがアンタがそう思ってるって事は分かった。それを否定してほしくないって言うなら、アンタのその願いを尊重するよ」

「……」

「ほら、立つぞ。此処も安全じゃないんだ。他に言いたいことがあるなら拠点に戻ってからだ。ちゃんと聞くから」

 

 ウルは手を引いて彼女を立たせた。軽く、彼女の身体を見渡し、怪我が無いかを確認する。汚れは払ってやり、そのまま手を引いて、先を行く仲間達を追いかけた。自然と、幼い頃の妹を連れる時のようになったが、文句を言われるようなことは無かった。

 

「……」

 

 ただ、後ろで、手を引かれたエシェルが、ウルの手をジッと見つめていることに気づかなかった。

 

「なるほど」

 

 対して、ロックンロール号で移動準備を進めていたシズクは、それに気づくのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暁の大鷲

 

 仮都市

 

 と呼ぶこととなった、衛星都市ウーガからの避難民の集まりなのだが、当然だが都市と呼ぶほどの人口が此処に住んでいるというわけではない。何せ此処は人類の生存圏外だ。正式な都市のように、【太陽の結界】で守護されてはいないのだから当然だ。

 

 が、一方で寝泊まりせずとも立ち寄る名無し達はそれなりの数が存在していた。

 

 元々ウーガは都市と都市の間に建設された【衛星都市】。

 都市間の移動が多い名無し達にとっては都合の良い場所に存在しているのは間違いない。故に、ウーガ建設のために動員された名無し達とは無関係な者達が此処に立ち寄り、利用する。結果として、奇妙な賑わいを見せていた。

 

 【暁の大鷲】と呼ばれるイスラリア大陸一の通商ギルドもまた、この中継地点を利用するギルドの一つだ。

 

 元々はウーガがまだ“呪われる”よりも前、ウーガ建設に必要な資材の準備を担当していたギルドだった。しかしウーガが呪われ、混乱した状況下において住民達の避難を誘導するだけでも四苦八苦していた指揮官に当たる天陽騎士の代わりに名無し達の誘導と、仮都市の建設を実質的に主導したのがこのギルドだ。

 故に、此処に避難している名無しの者の中には【暁の大鷲】に感謝している者は多い。

 

「あんまり崇められても、神殿連中に睨まれそうで困るんだけどねえ」

 

 【暁の大鷲】のギルド長、年老いた獣人の女、スーサンはやれやれとぼやいた。資材の売買のため、“仮都市”に立ち寄った彼女ら【暁の大鷲】が設営したテントの中には、もう一人の客がいた。

 

「評判利用して荒稼ぎしといてよく言うぜ、ババア」

 

 【白の蟒蛇】のジャインは呆れたような顔で目の前の高齢の老婆を睨んだ。自分よりも二回りもデカイ巨体の大男に睨まれて尚、スーサンは気にすることなく部下が運んできたカップを口にしてうむむ、と唸った。

 

「プラウディアの神官達の間で流行ってるって言うから取り寄せたんだけど、私の好みじゃあないね。ちょっと匂いが強すぎる」

「獣人には甘ったるすぎるかもな。プラウディアの神官が好みそうな花の匂いだ」

「ああ、プラウディアの神官は只人多いからね。なるほど」

 

 そう言って彼女はカップを置き、目の前の大男に視線を向ける。

 

「攻略はどこまでいったんだい?【白の蟒蛇】」

「3層。これ以上突っ込む気はねえよ。元々建設途中の衛星都市だから層自体は少ないが、代わりに一層ごとの範囲がえらく複雑だ。深入りは火傷にしかならねえ」

「おや消極的だね。あの天陽騎士の嬢ちゃんが泣いちまうよ?可哀想に」

「心にもねえ事ぬかすなよババア」

 

 ジャインの指摘にスーサンはケラケラと笑う。この老婆はこういう女である。一見して優しそうな見た目に騙される事が多いが、基本的に底意地が悪い。

 天陽騎士のエシェルの前では彼女は猫を被るが、ウーガが無事なときの都市建設中も、あの事故の後の仮都市の建設の折も、容赦なく報酬をふんだくっていたのをジャインは知っている。可哀想とはよく言ったものだ。

 

「ま、いいさ。つまりアンタの魔石の荒稼ぎ続行かい。ライバルのいない独占の狩り場で随分ともうけたんじゃないのかね」

 

 問われたジャインは鼻を鳴らした。

 

「残念ながら独占じゃあなくなったよ。短いボーナスタイムだった」

「おや、何処かの冒険者が聞きつけてきたのかい?早かったね」

「いーや、あの天陽騎士が引っ張ってきたんだよ。俺らの代わりにな」

「ほお」

 

 スーサンは目を細めて、少し意外そうな顔をした。

 

「あのお嬢ちゃんにそんなコネがあるとは思わなかったね」

「大方、天陽騎士の立場つかって無理矢理引っ張ってきたんじゃねえかね」

「ありそうだね。可哀想な冒険者だよ。名前は?」

「【歩ム者(ウォーカー)】のウルだとよ。銅の指輪をしてたが聞いたこともねえな」

 

 その名前を聞き、しかしスーサンは今度は興味深そうに口端をつり上げた。その反応を見てジャインは眉をひそめる。こういう反応をするときのスーサンは、面白い玩具をみつけた時の反応だ。

 

「知ってんのかよ」

「割と有名だよ。いや、有名に“なった”。金稼ぎで彼方此方の迷宮に潜り続けてたアンタが知らないのも仕方ないね。名前が聞こえてきたのはここ数ヶ月の内だ」

「何やらかしたんだよあのガキども」

賞金首狩り(ジャイアントキリング)さ」

 

 その言葉に、ジャインは眉をひそめた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ウル達が【暁の大鷲】達の拠点に顔を出す事になった経緯は単純だ。

 此処に【白の蟒蛇】の頭、ジャインがいると他のギルド員から話を聞いたからだ。

 

 ――ジャインさんならそっち行ってるっすよ?用件?さあ?

 

 という超絶適当な兎の獣人の指示によりたらい回しされて今に至る。

 

「昨日までこの辺りは何も無かったのに凄いですね」

 

 シズクが驚いたような声をあげる。ウルも声には出さずに驚いていた。二人が居る場所は仮都市の最南部、魔術による結界のぎりぎり内側で、何も無い平地だった。が、今は違う。幾つもの簡易住居が建ち並び、商人達が声を張り上げ別の都市から仕入れたと思しき商品を並べている。

 あっという間に商店通りが出来ていた。仮都市に住まう者や、此処を駐留地として利用していた旅人、冒険者達も利用するため顔を出している。

 

「【暁の大鷲】だからなあ……」

「ご存じなのです?」

「昔世話に……いや、迷惑をかけた。俺じゃなくて、親父の方が」

 

 暁の大鷲はこの大陸でも指折りの大規模通商ギルドである。規模も大きく歴史も深い。迷宮大乱立の直後、つまり現在の世界の形となってからずっと続いているというのだから相当だろう。

 構成員の殆どは名無し。都市間を渡り歩き、商品を仕入れ売る。都市を渡り歩く名無しがギルドの源流である事を考えれば、名無しが集まるのは自然の流れだった。

 

 そういった事情からか、魔物を狩る冒険者の類いに成らなかった“名無し”の多くは、通商ギルドに所属することが多い。その中でも【暁の大鷲】は門戸が広い事で有名で、上手く都市滞在を延長できず都市を出る羽目になった名無し達は、彼らを頼りにする事も多かった。

 ウルの父親もその口である。幾らかの仕事を融通してもらい、旅路の世話をしてもらった事がある。だから無関係ではない。

 

「まあ仕事適当にどこぞに冒険に出かけやがってそっこうで追い出されたけどなクソが」

「残念な思い出ですねえ」

「なまじ、【暁の大鷲】のギルド員はこっちを哀れんで良くしてくれたのが辛かった」

「優しい思い出ですねえ」

 

 ウルはどうしようもない思い出を頭の隅においやって、目的地に向かう。商店通りを少し外れ、【暁の大鷲】のギルド員達が集う拠点へと足を踏み入れる。するとウル達の姿を見たギルド員がコチラに近づいてきた。

 

「なんだボウズ、こっちに用でもあるのか」

 

 表情には笑顔を浮かべているが、警戒しているのが見て取れる。盗人か何かと警戒しているのだろう。此処は都市の外だ。全てに対して警戒しようともしすぎると言うことは無いだろう。

 ウルは右手を挙げ、冒険者の指輪を見せる。ギルド員は少し驚き、そして少し肩の力を抜いたのが見て取れた。冒険者の指輪の効果は絶大だと改めてウルは感心した。

 

「冒険者ギルド、【歩ム者】のウルという。【白の蟒蛇】のジャイン殿を探しているのだが、此方に来ているという話を聞いてきた」

「ああ、ジャインさんなら、ウチのギルド長と話している最中だ」

 

 商店通りには見当たらなかったはずである。コッチの約束をスッカリ忘れているのか、あるいは、覚えていてわざと、イニシアチブを握るためにコッチを振り回しているだけなのかもしれない。

 迷宮での遭遇時の彼の反応を見る限り、後者の可能性の方が高いな、とウルは思った。

 

「まあそれなら、時間を潰してくるか」

「うーむ、だがあの人、話し込むと長いからなあ……ちょっと待ってろ」

 

 そう言うと、ギルド員の男は奥にある仮設住居へと向かい、中へと入っていった。暫くの間そうしてから、再び彼は外に出て、ウル達の下へとやってきた。

 

「中に入っても良いそうだ。ウチのギルド長もあんたらから話を聞いてみたいってさ」

 

 ウルとシズクは互いに顔を見合わせる。元々やることは金を渡してジャインから情報を買うだけの話だったのだが、何やら少し話がややこしくなりそうな気配を互いに感じていた。

 

「じっとしていても仕方ありません」

「虎穴に入らずんば……は、失礼か流石に」

 

 そう言って、ウルは腹をくくり、シズクを連れて奥の仮設住居へと足を進めていくのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暁の大鷲②

 

 中は一見するよりも広く、家具一式が揃っていた。夏場の時期に合わせているのか風通しも良い。そして中央の座敷に座るのは二人。一人は迷宮で遭遇した大男、ジャインだ。となるともう一人は必然的に【暁の大鷲】のギルド長になる。

 

「来たね。怪鳥殺し」

 

 仮住居に足を踏み入れたウルを出迎えた獣人の老婆、スーサンは、ウルの顔をみるやニヤリと楽しそうに笑った。怪鳥殺し、【毒花怪鳥】をウル達が討ってから一月も経過していない。にもかかわらず彼女は既に情報を仕入れているらしい。ウルがこの“仮都市”にいることは流石に知らなかっただろうに、情報収集の範疇は凄まじい。

 ウルは感心と警戒を強めた。といって、警戒するもなにも、後ろめたいことがあるわけでもないのだが。

 

「どうも、初めましてスーサン殿【歩ム者】のウルと言う」

「シズクと申します。ジャイン様は先日ぶりですね」

「なんだ、昨日の騒動で死んでなかったのかよてめえら」

 

 ジャインは舌打ちと共にウル達を迎えた。とんだ歓迎だが、ウルが用があるのは彼の方である。

 

「ジャイン殿と迷宮内で話していた情報の取引に来たのだが、会談中で構わなかったのか」

「あ、邪魔だよ後にしろや」

「おや、私は気にしないとも。どーせこのデカブツと茶をしばいてただけだからね」

 

 ジャインは忌々しげにスーサンを睨むが、彼女はケラケラと笑うだけだ。思ったよりも面倒くさい空間に足を踏み入れてしまったことにウルは気づき、何も気づかなかった事にした。ウルは用意していた金貨1枚をジャインの前に差し出した。

 

「では、ジャイン殿、約束の支払いだ。可能な限りの迷宮の情報を譲ってほしい」

「俺の縄張りに踏み入るなって条件も忘れるなよ」

「おやまあ後輩相手に随分とぼるねえ。もう少し加減してやっても良いんじゃないか?」

「黙ってろババア、次口挟んだら殺す」

 

 話が進まないから俺も黙っててほしい、と言いそうになるのを堪えながら、ウルは交渉を続ける。

 

「約束は違えない。俺達の目的は攻略だ。そちらと活動範囲が被ることも無いだろう」

「はっ、だと良いがね。途中で攻略を投げなきゃな」

 

 ジャインは鼻で笑う。なるほどとウルは納得する。

 彼は、ウル達がエシェルの依頼、迷宮攻略を途中で投げると思っているのだ。そしてその後、自分たちと同じように迷宮に居座ろうとするのではと懸念している。

 それほどウーガの攻略が困難である、ということなのかもしれないし、あるいはウル達にそれほどのモチベーションがなく、逃げ出すと踏んでいるのかもしれない。

 

「残念ながら、逃げ出す訳にもいかない事情がこちらにもある」

 

 ならば、と、安心させるようにウルは自分らの事情に軽く触れた。ジャインは訝しげに此方を睨んだ。

 

「人質でも取られたかよあの天陽騎士様に」

「そんなところだ」

 

 シズク関係の事情は適当に濁した。シズクはその事情が自分のことだというのに僅かたりとも動じずニコニコとしていた。とはいえ、元々容姿の段階で目立ちすぎる彼女だ。ジャインは既に察しているかも知れない。

 

「だから安心してくれ、とは言うつもりはないが、安易に方針変更したりはしない」

「……ふん」

 

 ウルの言葉の意図するところに納得したのか、以後淡々と、ジャインは彼の知る限りの【竜呑都市ウーガ】の情報をウル達に提供するのだった。言動の粗暴さに似合わず、取引はきちんと行う性質なのか、ジャインがウルにもたらした情報は非常に詳細であり、有益だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……厄介だな」

 

 一通りの説明を全て聞いたウルは確認した情報を整理し、メモにまとめ、そして感想を漏らした。

 

「言っただろうがよ」

 

 ジャインのせせら笑う声に、ウルは返す言葉もなかった。確認した情報を見る限り、この迷宮は最低でも13段階中、9階級の魔物が出現し、そして確認できただけでも7階級の魔物が出現している。より深層に近づけばそれ以上の出現は十二分にあり得る。

 

「幸いなのは、賞金首に足りうる、長命の魔物の気配がないことでしょうか」

 

 賞金首相当の、つまり、長く生存し魔力をため込み続け肥大化した長命の魔物は、現在までジャインが探索する間見かけることは無かったらしい。恐らくは、迷宮として成立し間もないが故なのだろう。

 体内の魔石を育てきった魔物は、その階級を一気に引き上げる。この迷宮に出現する魔物の元々の強さを考慮すると、生存し続け、育たれるのは大変に不味い。ウル達の戦力では到底太刀打ちできない魔物が出現する可能性が高い。

 もっとも、迷宮を踏破するのであれば、【真核魔石】と、それを守護する【主】を討たなければならない。勿論、ウーガに存在しているかは不明であるが、まだ油断は出来なかった。

 

「なんだ、賞金首がいなくて残念じゃないのかい?」

 

 ウルとシズクの反応に、スーサンはなにやらつまらなそうに言う。ウル達の情報を知っているのなら、ウル達が賞金首を狙っていることも当然知っているだろう。

 ウル達の事を好き好んで賞金首を狙うバトルジャンキー集団なのかと思っていたのかもしれない。当然、そんなわけが無い。

 

「何も、好き好んで命をベットにギャンブルなんてしたいわけではないので」

「なら出世かい?狙いは」

「出世と、金だ。冒険者らしくシンプルだろう」

 

 何故にそれを目指す羽目になったのかは省きつつ、ウルは解答する。実際、ウルの目標は、切っ掛けを省けば実にありきたりだ。賞金首狩りは急ぎ目標を達成するための手段でしかない。リスクに酔っている訳では断じてない。

 

「今回の場合、賞金首なんていない方がありがたい…がそれでもこの迷宮は厄介だな」

 

 ただそこにいるだけで体力が、魔力が吸い尽くされる迷宮。単純に食事を取ればそれで済む訳でもないだろう。魔力の補充はさらに困難で、そのための薬は高価だ。ロックならば魔石を喰っていれば何とかなるが、儲けは目減りする。

 

「しかしよく此処で稼ごうと思ったな。ジャイン殿」

 

 確かに競争相手が居ないなら魔石稼ぎに専念できる。金も集まるだろうがやはり、リスクは大きいように思える。それでも尚此処で稼ごうというのは、かなりリスクを飲んだやり方だった。

 

「知るか」

「素っ気ない反応だ」

「敵にくれてやる情報なんぞねえ」

「俺達は敵か」

「食い扶持取り合う同業者なんて敵に決まってる」

 

 これまでの冒険者達との遭遇時には比較的、友好的な対応が多かっただけに中々厳しい反応だった。だが、その反応自体は別に、悪いことでは無かった。

 これまでのウル達は同業者達から悪感情を向けられたことは無い。アドバイスも沢山受けてきたし、色々と良くされてきたと自覚している。だがそれは彼等にとってウル達が「多少融通してやっても害になることはない」と見くびられていたということでもある。

 

 だが、ジャインはそう思っていない。つまり正しく“同業者”として認めているということだ。得することでも、嬉しいことでもないが、見下してきているわけではないようだ。

 

「他人の心配する前に、自分の心配したらどうだ?あのヒス女に邪魔されないかってな」

「エシェル様のことでしょうか?」

「アレ以外誰がいんだよ」

 

 天陽騎士であり、神殿の官位を持つエシェルに対する敬意というものをジャインからは感じない。その事にウルは特に驚かない。正直な所を言えばウルもそうだからだ。

 ウルもジャインも“名無し”だ。彼らの帰属意識は“都市国”には無い。無論、だからといって都市の権力者達相手に好き勝手出来るわけがないし、彼らの一息で吹き飛ぶような立場ではある。

 

 だが、言ってしまえば“名無し”という立場の者は、既に吹き飛んだ後なのだ。

 

 名無しとは、都合が良いときに都市に招かれ、都合が悪くなれば追い出される哀れなこの世界の最底辺。

 結果、開き直る。持たざる者の余裕とも言う。名無しの立場の人間には共通してこのような考え方はある。だからか、時折、神官と名無し、神官と冒険者のトラブルは起こったりもする。

 つまり、ジャインの言葉を察するに

 

「エシェル様となにかトラブルでもあったか?」

「起こらないと思うかよ。生まれ立ての雛より喧しいぞあの女」

「雛はかわいいですよ?」

「あの女は可愛くないね。おかげで部下を抑えるのに無駄な労力を割かれた」

 

 エシェルが継続した契約を断られた理由をなんとなく察せた。トラブルの内容も大体想像がついたのでそれ以上の追求もしなかった。

 

「迷宮探索は事前に潰せるリスクは叩き潰すのが基本だ。ただでさえクソ面倒な迷宮に、クソうぜえ魔物が湧いて出るのに、クソ喧しい女までオマケにつけるなんて酔狂だな」

 

 嘲笑うジャインに、ウルは反論する言葉もなく、それどころか少しばかり同意した。今現在の彼女は明確な足手まといで、ハッキリ言って邪魔だ。しかも迷宮につれていけと喚き散らしている。

 しかし、こうして彼女の事を思い返してみて、何故かウルは彼女に対して不愉快な感情を抱いていないことに気づいた。トラブルを持ち込んで巻き込んできたのは間違いなく事実だというのに。

 

「どうかしましたか?ウル様」

 

 隣で不思議そうに首を傾げている無駄に顔の良い災難製造装置(シズク)を眺め、そして、気づく。ウルがここまで出会ってきた様々な女達が、ウルの基準を滅茶苦茶にしていると。

 その上でエシェルのヒステリーを思い出し、ぽつりと感想が漏れた。

 

「可愛いもんじゃないか」

 

 次の瞬間、ジャインは顔を顰め、そしてスーサンは、

 

「ふ、ふふふあはは!!言われたねえジャイン!あっははははは!!」

 

 爆笑した。何故に、とウルが疑問に思っている間にジャインが舌打ちし、鬱陶しそうにテントを出て行った。スーサンは引き続き大爆笑をしている。どういう事なのか全く分かっていないのはウルだけである。困り果てたウルに、シズクが横からそっと口を寄せた。

 

「ウル様。ウル様は今、ジャイン様が「面倒だ」と言ったエシェル様を「可愛いもんだ」と一蹴したのですよ?」

 

 意味が分かった。ウルは己の失言に口を手で覆った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 スーサンの大爆笑はテントの外まで響いたのか、何事かと顔を出した【暁の大鷲】のギルド員はギルド長の大爆笑に目を丸くさせた。

 

「あ゛~~~~笑った。っはーこんなに笑ったの久しぶりだわ」

「勘弁してくれ……謝った方がいいだろうか」

「追い打ちですか?」

「……止めとく」

 

 シズクの指摘にウルは黙った。相手を引っかき回す達人の彼女にこう言われたらどうしようもない。

 

「なあに、自分の無様を引きずって八つ当たりするほどアイツは恥知らずじゃあないさ。安心しな。腹の底は知らんがね」

「……どうも」

 

 全く安心できないアドバイスに、ウルはぐったりしながら礼を言った。なんで単なる情報交換だけでここまで疲れなければならないのだという理不尽な気分になった。そして目の前の同席しただけの部外者は随分と楽しそうである。

 ウルの恨みがましい視線にスーサンは当然気づいており、更に楽しそうな顔をするのだからこの老婆の性格は随分と良いらしい。

 

 しかし、次に彼女が口にした言葉に、ウルはぎょっとなった。

 

「くく、いやあ、全く、あの()()()()()()()()()の息子は随分と面白いモノに育ったじゃないか」

 

 それはこのところ、すっかり耳にすることも口にすることもなかった、自身の実の父親の名前だったからだ。あの男が【暁の大鷲】に迷惑をかけた事は知っているが、末端も末端だったはずだ。

 

「……父の事を知っていたのか」

「そもそも私は一時的にであれギルドと関わった奴の顔と名前は全部覚えるようにしているからねえ。その後呆気なく病死したのは残念だったね……いや、スッキリしたかい?」

 

 確か、ギルド員だけで数百を超えるのが暁の大鷲だ。

 そのギルド員を全員覚えているだけでも脅威だというのに、一時的に雇っただけの末端すら記憶しているというのは尋常ではない記憶力だ。ウルは目の前の老婆の認識を改める。彼女は一大ギルドをまとめ上げる恐るべき猛者だ。

 

「まあ、死人の話なんてどうでもいい。それよりも、折角こんなにも笑わしてくれたんだ。ちょっとしたアドバイスをしてやろうじゃないか」

「それは……もらえるものなら病以外ありがたくもらっておきたいが、何の助言を?」

「可愛いもんだ、とあんたが言ったエシェルお嬢様の事さね」

 

 スーサンはにい、と笑う。意地の悪さを煮詰めて形作ったような笑みだった。聞いたら間違いなく後悔する事を確信させる笑みだが、聞かなくても後悔するのは変わらないのもまた間違いは無い。ウルは腹に力を込め、続きに耳を傾けた。

 

「アンタはあの子を容易いと一蹴したし、確かにアンタの言うとおり、あの子のわがまま程度、アンタにとっちゃ可愛らしいもんなのかもしれない」

 

 だが、と区切る。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って奴は、ちょっと面倒だよ」

「……」

 

 ウルはスーサンの指摘に沈黙する。

 エシェルは確かに最初、シズクをかなり強引な手口で引っ張り出そうとした。

 最初それは、彼女が官位と、天陽騎士の権威を盲信し、振り回しているものだと思っていた。典型的な都市の内側のヒトの思想。“名無し”なんぞただの木っ端とみなした者の傲慢さであると。

 しかし話してみると、いや、実際話してみても彼女は傲慢な振るまいはするのだが、それが“地”ではない。というのがウルが彼女と接して得た感想だ。そもそも傲慢さというのは、余裕がなければ生まれない。自らの優位性を確信してこそ生まれるものだ。

 彼女にはそれがない。まるでない。あるのは焦燥感と、自信のなさばかりだ。

 

「慣れない仕事とその責任を突然投げつけられたみたいではあったが」

「そもそも、都市建設責任をあんな小娘に押しつけるなんて異常だろ?」

「人手不足と当人も言っていた」

「神官の、精霊様の力は都市建設の要だ。精霊様の力がいかに万能に近かろうと、力を蓄える神殿もなく、出力する神官が少なきゃ、どうにもならん。“名無し”で補うなんて限度がある」

「まあ……」

 

 だからこそ、ウルもまた、彼女から現在のこの都市の神官の人数を明かされたときは耳を疑ったのだ。やはり真っ当ではない。

 

「つまり、何か理由があると?」

「さあね。私らも所詮は“名無し”。都市の外様も外様。知らんことの方が多い……だけどねえ。思わないかい?」

「何が」

「まるで、“わかっていたみたい”じゃあないか」

 

 彼女は視線をウルから外す。彼女が目を向ける先にはテントの壁しか無いが、見ているのはその先にあるものであるとわかった。外の、仮都市のすぐ側に存在する竜呑都市となったウーガを見ている。

 彼女が何を言いたいのか、理解したウルは背筋が寒くなり、周囲を見渡す。今はシズクと自分以外、此処には居ない。

 

「安心しなよ。神殿の連中だって万能じゃあないんだ。私らのヒソヒソ話に耳傾けるほどヒマでもないさ」

「……だと良いが。兎に角、警告助かったよ。貴方の言う意味、少しは分かった」

 

 ウルは話を切り、立ち上がる。今の話の深掘りは、此処でするべきではないだろう。スーサンもそれは分かっているのか。ひらりと手を振る。

 

「携帯食ならウチで買い込んでいきな。良いのがある。魔石の換金もしてる。精々稼いで買い込んで、ウーガを解放出来るよう頑張ると良い」

「そうしよう」

 

 そんな風にやりとりして、ジャインとスーサンとの対話はお開きとなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒の襲来

 

 ウルとシズクがジャイン達との取引を行なっている間、ロックとリーネは待機する事となる。彼ら二人だけで迷宮探索には向かえないし、ジャインから得られる迷宮の情報を持たずに迷宮に突っ込むのは馬鹿な事だ。

 そんなわけで待機しているわけなのだが、ロックはヒマを持て余していた。“仮都市”には娯楽が少ない。あくまで都市建設中に避難してきた“名無し”達が集まっただけなのだから当然と言えば当然だろう。今は【暁の大鷲】が店を開いており、活気はあるが、それでも規模は都市の商店街に劣る。

 ヒトが多すぎれば魔物が狙ってくるのだから仕方の無いことではある。そんなわけでロックはヒマだった。何をするでもなくぼーっと自分の一行の仲間を眺めていた。

 

『……何しとるんじゃリーネよ』

 

 が、その眺める対象であるリーネがあまりにおかしな事をしているので思わず声をかけた。ロックが見ている前でリーネは自身の巨大な杖を握りしめ、ぶんぶんと杖を振りながら、地面に術式を刻み込んでいる。

 しかし術の完成を目指していると言うよりも、あえて言うなら、剣術の鍛錬、素振りに見えるが……彼女は魔術師である。何してるのかさっぱり分からない。

 

「白王陣の修行だけど」

 

 ロックの質問に、リーネは額の汗を拭いながら答える。ロックはカタカタと首を傾げた。

 

『そういうの研究っていうんちゃうんかの』

「鍛錬よ。私がより素早く白王陣を刻むための筋力を鍛えるための」

『思ったより修行じゃった』

 

 ロックは呆れた。変な魔術師がいたものだった。

 

『そういうの、魔術の方を研究でなんとかするんとちゃうんカの?』

「研究はもう突き詰めるところまで突き詰めてるのよ。洗練は続けているけど、劇的な変化はそうそう起こらないわ」

 

 リーネの言葉は重かった。白の魔女からもたらされた技術の鍛錬は数百年続けられている。ソレは決して絶えることなく行われたのだ。簡易化、廉価版の発明も含めて、多方面の研究も成された。今更一日やそこらの研究でパッと解決できるような問題ではないのだ。

 と、なれば、未だ伸びしろの余地があるとすると、リーネ自身の肉体である。実に単純な話だが、リーネが術式を刻む速度が速くなれば、それだけ【白王陣】の完成も早くなるのだ。迷宮の探索、魔力の吸収によってリーネの身体能力も向上の傾向にあるが、単に力が増加するだけでは意味が無い。術式の構築は、【白王陣】の構築は、繊細な穂先の技術も求められるのだから。

 

 と、ここまで丁寧に説明すると、ロックは感心したような、呆れたように、

 

『大変じゃのう……』

 

 と、実にシンプルな感想を述べた。勿論、もっと色々と思うところはあったのだが、簡単にその感想や指摘を口にするのは享楽主義なロックでも憚られた。【白王陣】という魔術の研究に紛れもなく人生を捧ぐ覚悟を決めている女に軽口を叩くほど、彼は愚鈍ではない。

 

「大変なのよ……貴方は、どうなの?」

『ん?ワシ?』

 

 リーネは鍛錬を少し止めて、ロックに向き直る。

 

「目的とか、あるの?」

『ないのお』

 

 ロックはあっけらかんと断言した。

 

『今のワシにとって今生は、長い眠りについた後に見る夢よ。前の人生にいくらかの悔いもあったかもしれんが、それ自体定かな記憶もなし。そも、“ワシがかつてのワシから続いているのかもわからん”』

 

 異端の強力な死霊術士によって呼び起こされ、異形の身体を手に入れたロックは、自らの不安定な状態を十分に理解していた。朧気な記憶にある死に絶えたかつての自分と、今の自分が必ずしもイコールで結ばれる訳でもないということも。

 

『何一つ定かでないなら。今を楽しむのが得じゃろ?カカカ!』

 

 だからロックは今を生きる。朧気で確かなことが何一つ無い過去に捕らわれる真似をしない。彼は享楽的であり、そして合理的だった。

 

『主に付き合っていれば、ヒマはしそうにないしのう!小遣いもくれるしの!』

「……なるほど」

『呆れたかの?』

 

 リーネは首を横に振った。

 

「酔狂さで他人を笑えるほど、私の目的はマトモじゃないもの」

『カカ!酔狂者同士、仲良くするとしようかの!』

 

 ロックは笑い、リーネも少しだけ笑った。互い、これからも命を預け合う仲間同士なのだ。互い、信頼出来る関係を築くことは大切だった。

 

「まあ、それを言うと、貴方の主も、我らがリーダーもそうだけどね」

『二人とも竜殺しが目的じゃろ?できるんかのう』

「私、直接は一度も見てないからピンとこないのだけれど、凄いの?」

『ワシも一度だけ、子供をチラっとみたくらいだったがのう……』

 

 ロックはあの光景を思い出す。まだ成体になっていない半端な竜と、それに相対するディズとの戦いを。朧気ながらある騎士としての自身の記憶が訴える。あれは“異次元”だと。

 

『力が強いとか、魔術が凄いとか、そういうレベルじゃなかったの。ありゃ』

「【白王陣】でも厳しい?」

『いや、むしろウルは竜を見たからこそ、お前さんに期待しとるんじゃと思うぞ?正攻法で打ち破れるような奴じゃないわありゃ』

 

 ロックの言葉に、リーネはぐっと杖をもつ手に力を込めた。彼女の表情は外からは非常に読み取りづらいタイプだが、内から燃えるような意思をロックは感じていた。期待を重く感じるタイプも世の中にはいるが、彼女は期待を力に変えるタイプであるらしい。

 

『ま、とてつもない苦労を背負いそうということじゃ。容易い道ではなかろ』

《そーなのよねー》

 

 ん?と二人が振り返ると、ウルの妹である精霊憑きのアカネがふよふよと、困り顔で浮遊していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「アカネ様」

『ウルの妹御、何しとるんじゃ』

《おちごとよ》

 

 アカネが舌足らずな声でそう言う。

 今の彼女は、優雅に舞う蝶のような、妖精の姿をしていた。変幻自在の彼女は、しかしよくこの姿を好んでいる。そして何やら今の彼女は少し疲れ気味だ。

 

「仕事、とは」

《ディズのよ》

「ディズ様、お目覚めになられたのですか?」

《うんにゃ、ねてるのよ》

 

 リーネは首を傾げた。彼女が眠りに就く前に話を聞いていたのだろうか、とも思ったが、そんな様子は無かった。

 

《ねてるけど、おきてるのよ》

『どういうこっちゃ?あのメイドの、ジェナとやらが代行しとるんか?』

《つながってるのよ》

「すみません。分かりません」

 

 アカネの説明は、酷く感覚的なものになる。と、説明していたのはウルだった。曰く、精霊としての感覚と、ヒトとしての感覚が入り交じっているせいだとかなんとか。アカネはしばらく説明しようと苦心していたが、最後には《まーいっか!》と、すっぱり諦めてしまった。

 

《とーにかーく、でぃずのおしごとなのよ。いそがしいの》

「お手伝い致しますか?」

《んーん-。にーたんのてつだいしたげて》

『兄想いじゃのう』

 

 カタカタとロックは笑う。だが、アカネの表情は優れない。

 

《にーたんむちゃばっかしてなー》

『お主のためじゃろ?』

《だからいやじゃん?》

『ああ、そらそうじゃな』

 

 自分のために実の兄が血反吐を吐いて苦労しているという事実は、真っ当であれば申し訳ないやらいたたまれないやらで、苦痛を感じるのはそれはそうだろう。相手を大事に想うなら尚のことだ。

 アカネはただ、庇護を享受する事を当然と出来る幼子ではないのだ。ロックはそれを理解し、そして先に口にした言葉が誤っていたと悟った。

 

『お主がウルの無茶無謀を苦痛に感じるなら、そりゃお主の“ため”ではないわな。ウルが自らの勝手のために無茶をしとるんじゃ。気にかけるだけ損じゃよ』

《だからわたしもかってにするのよ》

『なるほどのお。身勝手な兄妹じゃの。カカカ』

 

 ロックもリーネも、ウルの事情を聞いた時は、単なる兄妹愛の類いと思っていた。が、どうやら聞く限り、そういったものとは少し違うらしい。

 

《にーたんがしぬまえになんとかがんばるわー》

 

 ただ、仲は良いのは間違いないらしい。

 

「所で、お仕事というのは何なのですか?」

《んーかんし》

「監視?」

 

 愛らしい妖精のような姿をした彼女から飛び出たなにやら不穏な言葉の響きにリーネは聞き直す。アカネは頷いた。

 

《なんかなーもうそろそろなんかおきそうってー》

「なにかとは……」

『――――のう』

 

 アカネに意識を向けていたリーネは、ロックの呼びかけに少し反応が遅れた。彼の声音が、明らかな緊張を帯びている事に遅れて気がついた。リーネが振り返ると、ロックは腰に差した骨の剣を引き抜き、そして“空を見上げていた”。

 

『あれかの?“なんか”っちゅーのは』

 

 “ソレ”を見たリーネは、初めて見た“ソレ”の正体を知っていた。

 詳細な脅威を伏せられている都市内部であっても、自然と伝え聞かされた姿。空と太陽を覆い隠すような巨大な翼。何もかも飲み込むような巨大な牙の伸びた口、獲物を絡み捕るような長い尾、鋭いかぎ爪のついた両足。

 

「――――竜」

 

 真っ黒な竜が、“仮都市”の上空に襲来した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛竜襲来/フラグⅡ

 魔物の襲来を告げる激しい鐘の音が響き渡る。

 此処は都市の外、人類の生存圏外である。【太陽の結界】のないこの場所において、魔物の襲来は決して珍しくはない。ここに住まう多くの名無しも、魔物の襲来に慌てふためくような事はしない。“本来であれば”。

 

「竜が出たぞおおおお!!!!!」

 

 悲鳴に近い警戒を叫ぶ声、空から現れた巨大な影、飛来する“翼竜”の姿。仮都市の住民達は驚き、そして恐怖した。

 名無しの彼らは竜の脅威を知っている。

 都市の内側、安全圏で暮らす都市民達よりも遙かに生々しく知識として知っている。残骸だけになった都市の跡地を、今なお燃え続ける呪われた地を、腐敗し、死者が蠢く冥府の地を、彼らは知っている。

 

「逃げろおおお!!」

 

 結果、パニックが起きた。逃げようにも、敵は遙か上空を未だ舞い旋回しているのだ。この仮都市から逃げたところで、すぐに追いつかれて殺される。逃げ道を失った住民達は避難することも出来ずに硬直する羽目になった。

 

「なんだっていきなり来るんだよ竜……!!」

 

 その恐慌状態のただ中、ジャインとの交渉後、買い物をしていたウルはげんなりと悪態をつきながら自分らの拠点としている宿屋へと急いでいた。

 

「今のところ、攻撃しようという動きはありませんがどうしますか?」 

「どうもこうもマジの竜なら俺達に出来ることがあるか?」

 

 ウルは死霊術士との戦いで、そして色欲の竜との対峙によって十二分に竜の脅威を理解していた。ハッキリ言ってどうにもならない。いくらいずれ、黄金級になるために倒さねばならないといったって、現状では歯が立たない。戦いにならない。

 それがわかってるからウルは急いでいた。急ぎ、ロックやリーネ達を見つけ、アカネとディズと合流しなければならない。ディズに起きてもらうのが最善だが、それができない場合、護衛対象である彼女を守り、何とかここから避難しなくてはいけない。

 

「宿に居てくれりゃいいんだが――――っと」

「こ、此処に居たのか、貴様ら!!!」

 

 聞き覚えのあるその声はエシェルのものだった。

 見れば、彼女はコチラにヒトの流れにもみくちゃになっている。あちこちに走り回ってるヒトに突き飛ばされたり押しだされたり、ただでさえ小柄な彼女はフラフラと今にもすっころびそうだった。

 大男が彼女の後ろから突進するように逃げていたので、ウルは彼女の腕を引っ張りコチラに引き寄せた。

 

「あ、ありが、とう」

「どういたしまして。それで、何のご用で」

「そ、そうだ!お前達!あの竜を何とかしろ!」

「無理だ」

 

 彼女が何を言い出すか分かっていたウルは即答した。

 

「なんで!」

「シズクの能力の説明は言ったとおり、大したもんじゃない。本物の竜をどうにかできるような代物じゃない。現状俺達に竜に対抗する術はほぼ無い。無理だ」

「命令に従わないというなら!」

「天陽騎士として捕まえる?構わない。死ぬよりはマシだ。その前に俺達は逃げるが」

 

 ウルは淡々と、しかしハッキリと拒絶した。必要なことだ。彼女の無茶にここまで付き合ってきたのは、どれだけ無茶でもウル達の容量(キャパシティ)をギリギリ超えることは無かったからだ。

 今は違う。完全に【歩ム者】の限界を超えている。尻尾を巻いて逃げるしか無いのだ。

 

「……………!」

 

 ウルに真っ正面から拒絶され、エシェルは言葉を詰まらせた。

 更に怒り狂うだろうか、とウルは身構えたが、そうはならなかった。

 

「………ど………どう…………したら……」

 

 エシェルは顔をしわくちゃに歪めていた。怒っている。というよりも怒ろうと顔を歪ませるのだが、感情が追いついていない。目から涙が溢れて、こぼれ落ちる直前だ。

 周囲では未だに悲鳴と混乱が続く。元々、都市の避難所でしかなかったこの場所の状況は完全に崩壊していると言っても良い。この場所を管理している彼女にとってすれば、最悪の事態だろう。とっくに彼女は限界だったのだ。

 ウルは彼女の両肩を掴んだ。

 

「ディズに助けを求めよう。現在この状況で対処できるのは彼女しかいない」

「だ、ダメなんだ!それでは!私、私が…!!」

「もう、そんなことを言ってる状況じゃない」

 

 ウルがハッキリそう言うと、彼女は絶望に顔を歪ませた。本当に今にも死んでしまいそうな顔である。だが、どれだけ死にそうな顔をされても、今ウルが提案できる事なんてこれくらいしか――

 

「――――助けてほしいですか?」

 

 それを打ち破るように声をかけるシズクに、ウルは最悪に嫌な予感がした。

 

「待て、シズク」

「現状を何とかしてほしいですか?そのためなら“なんだって出来ますか”?」

 

 ウルの制止を無視してシズクはエシェルの頬に触れる。シズクの銀水晶のように美しい瞳がエシェルの瞳に映る。呑まれるように、彼女の目を食い入るように見つめながら、エシェルは、促されるように頷いた。

 

「な、なんだってしてやる!!」

「では誓ってください。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 エシェルは目を見開いた。

 

「なんで」

「依頼者である貴方が現場に口出しすると命令系統が酷く混乱します。統制しなければなりません」

「で、でも」

「それが叶わないのであれば申し訳ありませんが私達は引き上げます。ただでさえ貴方の依頼はリスクが高い。不用意に危険を上乗せ出来ません」

「待って!!」

 

 エシェルが慌てて叫ぶ。シズクはすがりつくように自分の腕を掴むエシェルを静かに見下ろしていた。本来であれば、エシェルがシズクを従わせる立場であるはずなのに、いつの間にか主導権が完全に逆転している。

 エシェルは一度二度と息を大きく吐き出し、睨む。

 

「お、お前の言うことを聞けば良いんだな?」

「私ではありません。()()()()()

 

 は?と、声にならない声がウルの喉から漏れ出た。

 シズクはぬるりと、幽霊(ゴースト)のようにエシェルの背後に回り、彼女の小さな両肩にそっと手を置いて、ウルの方へと歩みを進ませた。

 

「さあ、誓ってください」

「誓う、って」

「大丈夫ですよ。ウル様は優しくしてくれます。痛くしたりしません」

 

 シズクの声音は柔らかかった。母が子供に与えるような慈愛に満ちていた。そんな優しく聞こえる声で、名無しの男への絶対服従の契約を促していた。

 

「彼の言うことを聞いてくれるというのなら、私達も貴方の依頼を、叶う限り懸命に務めることが出来ます。私は貴方の味方になることができるのです」

「み、かた」

「きっと、貴方も安心できますよ。それにもう、()()()()()()()()()()()()

「――――」

「さあ」

 

 上空を依然として飛び回る竜の姿、名無しの住民たちの罵声と悲鳴、追い詰められた彼女の精神状態において、シズクの言葉はまるで闇夜の灯火のようだった。

 促されるまま、エシェルはウルを朧気な瞳で見つめ、そして

 

「お、お前の、言うことを、聞く」

 

 たどたどしくも、確実に、そう誓った。シズクは微笑みを浮かべた。

 

「【契りを此処に】」

 

 そして素早く詠唱を唱えた。

 

「ウル様試してください」

「おいコラ」

「時間がありません、急いで。普段なら命令されても絶対にやりたがらないようなことが望ましいです」

「俺に犯罪をさせようとしてんの?」

 

 確かに時間はない。今も混乱は加速している。だが、やりそうにないこととなると――

 

「……………お手」

 

 した。

 エシェルは一切考える様子もなく、差し出されたウルの手に自分の手を乗せた。忠犬でもここまで早くはなかろう。エシェルは数秒遅れて自分の所業に気がついたらしい。先程までの混乱がすっ飛び、恥辱やら羞恥やらなにやらが入り交じった表情で赤面した。

 そしてそれを見て、シズクは満足したように頷いた。

 

「上手くいきました」

「尊厳って知ってるか」

「知ってます」

「じゃあもっと性質悪いなコイツ。捕まらないかな」

 

 理解してやってるなら最悪である。しかも彼女はそのまま続けて、

 

「あ、ウル様。命令を守ったのでご褒美をあげてください」

「なんて???」

「急いで。時間がありません」

「この緊急事態を盾にしたら何言っても良いと思ってる?」

「思ってません」

「目を合わせながら真顔で嘘ついてくるこの女」

 

 褒美、褒美とはなんだ。と思ってもこの状況出来る事なんてほぼないし持っているものもない。時間も無い。やむを得ずウルはそっと彼女の頭に手を伸ばした。やや怯えている様子なので指先からそっと触れるようにして、彼女の頭に触れた。

 

「よーしよしよしよし」

 

 犬扱いが褒美か?

 という強い疑問が頭を過ったがもう割り切って何も考えないようにした。驚かせないようにゆっくりと動かして、獣人特有の耳の後ろを揉むようにして触って、首回りをさすり、温もりを与えた。撫でると言うよりはマッサージに近かった。

 竜が飛び回り、周囲に悲鳴が飛び交う状況で何故こんなことをしているのか全くの疑問だったが、ウルは思考回路を完全に切った。褒美に集中した。

 

「……ぁ……ふ…………ぅ……ぅう……」

 

 エシェルは、何か言いたげな顔だが、文句や罵倒は出なかった。顔は真っ赤だが、不快感や嫌悪を感じている様子はない。目じりに涙を浮かべ、何かくすぐったそうに堪えているが、逃げようとはしない。

 セーフらしい。らしいが、とてつもなくいかがわしい事をしている気がしてきた。というかしている。何のプレイだコレは。

 

「流石です。ウル様」

「ここまで嬉しくない称賛ってあるもんなんだな。初めて知ったわ」

「では皆さんと合流しましょうか、ウル様」

 

 シズクは笑顔で力強く言った。ウルは頷いた。

 

「そうだな。シズクは後で説教な」

「まあ」

 

 まあ、じゃない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛竜襲来②

 

「…………で、どうするの、アレ」

『不用意に手出ししてこっちこられてものう。まあ、手出ししようがないが』

《とんでんなー》

 

 ロック達の視線の先、遙か上空を旋回する飛竜らしき姿を前に、彼らは立ち往生していた。ウル達と一刻も早く合流する必要はあるが、向こうも此方の合流を目指しているだろう。で、あれば行き違いを防ぐために待つしか無かった。

 

『で、お主はなにしとんじゃ』

「書きかけだった【白王陣】の修正」

『どんなんじゃ』

「強いの」

『どれくらい時間かかりそうなんじゃ?』

「後50分」

『それまでずっと空でぐるぐるしてりゃええのう……』

 

 白王陣の形成に必要な時間というコストはやはり重たい。時間と労力を費やすだけで、終局魔術を単身で生み出せるというのは破格ではあるのだが。

 

『ま、こっち来ない事を祈るしかな『GYAAAAAAAAA!!』来るのうこれ』

 

 ロックは骨剣を大きく振りかぶり、構えた。竜が吠える。まき散らされる雑多な殺意と敵意がこちらに向いていることをロックは鋭敏に察知した。そして来る。

 

『【骨芯変化】』

 

 飛竜が来る。巨大な鉤爪を振りかざして真っ直ぐに。

 周囲での悲鳴が大きくなる中、ロックは巨大化させた骨剣を斜に構える。竜は凄まじい勢いで、風をまき散らして突進してくる。が、ロックは武器を慌て、振り回すことはしない。静かに、その虚ろな眼孔で竜の姿を見定める。

 

『GYAAAAAAAAAAA!!!』

『ッカァァアーー!!』

 

 交差の瞬間、ロックは自分の身体よりも巨大な爪を剣で弾き飛ばす。強烈な金属音が響き渡り、一際悲鳴が大きくなる。再び飛竜は空に舞い上がり、ロックはヒビが入った剣を修繕した。

 

『重いのう…!』

 

 ロックは大剣を再び構え直す。体格があまりに違いすぎる上、上空から落下するような勢いでかまされる体当たりをいなしきるのは厳しい。このように受け続けていては遠からず、この身体もろとも砕け散る。

 だが、

 

「助けて!助けて!!」

「なんでこっちくるんだよおお!!」

 

 逃げるわけにもいかない。ロックの周囲には戦闘力の無い名無しの民達がいる。背中を向けて逃げ出せば、巻き込まれるのは彼らだろう。それはいくらなんでも後味が悪い。

 

『リーネ』

「ごめんだけど、白王符は今手持ちに無いわ」

『しゃーないの。頑張って陣を急いで完成させてくれ。後五分くらいで』

「……頑張るわ」

 

 ロックは大きく息を吐き出した。ような動作をした。現在のロックの身体は息を吸う必要も無いが、生前の習性は身体から抜けない。だがそれでいい。かつての肉体の使い方を思い出さねばならない。

 朧気な記憶、名前も定かではないが、かつての自分は今よりも“研がれて”いた。かつて、血肉が通っていた、ただのヒトであった時の方が、自身の技量は上だった気がする。それを思い出す。今の、特殊な骨の身体に、ソレを降ろし、合わす。

 

『【骨芯変化・骨芯強化】』

 

 骨の剣を強化する。シズクから与えられた魔力を剣に追加で注ぎ、骨の剣を再び振りかぶる。かすかな記憶の自身を降ろし、両足を更に広く踏みこみ、両足の裏にスパイクを生み出す。軽い、自らの身体を補うために。剥き出しの歯を食いしばる。

 全く、損な役回りだ、とロックは口に出さずに愚痴る。相手は得体の知れぬ、しかも竜ときたものだ。真っ当に考えれば絶対に勝てない。そんな相手に単身で挑む。コレが損でなくなんなのか。

 

 だが、同時にぐぐと、口端がつり上がるのを感じる。

 

 魂が研がれるのを感じる。喪われた自らの業を取り戻すことを悦んでいる。血肉を喪って、こんな有様に成って尚、今なお剣を求める自分は滑稽だったが、ロックはそんな自分に、酷くしっくりきていた。

 

『剣は、楽しいのう』

 

 全てが朧気な記憶の中、ひとつだけ、確信できることがある。

 剣は楽しい。相手が如何なる異形であれど、

 

『GAAAAAAAAAAAAA!!!』

『こおおおおぉい!!!!!』

 

 間もなく、幾度もの剣戟の音が辺りに響き渡った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 リーネは焦っていた。

 足下の白王陣の完成はとても数分そこらで至れるものではない。当然だ。それが困難である事はもうとっくに分かっている。分かっていて尚、彼女は焦れていた。

 目の前ではロックが飛竜と激突を繰り返している。激しい衝突音と暴風が吹き荒れる。凌いでいるロックは凄まじいが、それでも尚、骨片が飛び散る。こんなムチャクチャな戦闘そう長く持つものじゃない。

 

 【白王符】を取りに行った方が良いか。あるいはウル達に助けを呼ぶべきか。

 

 そんな考えが頭を過るが、しかし、今既に、この場所は竜の射程圏内だ。いや、空を舞う竜を前にすれば、このろくな結界のない仮都市はどの場所も攻撃圏内だろう。武装手段を持たないままロックから離れるのは、ただの自殺。

 “白王符”を手放していた迂闊さをリーネは悔いた。都市の外の認識が甘かったのだ。

 だから急いで、彼女は白王陣を完成させようとしている。それ以外、出来ることが無い。しかし、完成はまだ遙か先だ。己の未熟さをリーネは悔いた。

 

 コレではダメだ。ダメだと分かっているから都市の外に出たのだ。

 

 だというのに何も変わってない。当たり前だ。都市の外にでたら即、何かが変わるなどと、そんな事があるわけがない。それは分かっている。分かっていても尚、自分への怒りがリーネの腹の中を灼いていた。

 だが、どれだけ泣こうが喚こうが、目の前の現実は何も変わることは――

 

《てつだうのよ》

「っ!アカネ様!?」

 

 アカネがリーネの後ろで光り輝いた。文字どおり、紅色の輝きが彼女を包み、そしてそのままリーネが握りしめる“白の杖”に絡まり、結びついた。

 

「何を」

《ちゃんとつかってね》

 

 言葉の意味はすぐにわかった。白の杖、レイライン一族が代々継いできた当主の証の杖を、アカネの身体が飲み込み、その姿を一回り大きくさせた。紅色の糸が五指に絡みついてくる。見た目だけでも大変なことになっていたが、それ以上に、リーネは自らの身体に突如として降りかかった“感覚”に身震いした。

 

「こ、れは…!!」

 

 リーネは自分の指が五本から百本になったような感覚にとらわれた。驚き、指先を見ても自分の小さな指は五本だけだ。ではこの感覚は何なのか。増えた指先を動かそうとしてみる。すると、自分の元々の指先は当然動かず、代わりに、アカネが飲み込んだ穂先の一部がそのように動いた。

 自分の身体の延長上に、自分の杖の穂先がある。

 自分の杖が、自分の身体の一部となった。

 コレの意味するところを理解したとき、リーネは自分の身体に雷が落ちたような衝撃が走った。

 

「――――まさか」

 

 杖を離し、手の平を広げ伸ばす。次の瞬間、アカネの糸に繋がった杖がその穂先を幾つにも分け、恐るべき速度で【白王陣】の構築を開始した。地面に術を刻み、魔力を注ぎ魔言とし、術として構成していく繊細な作業が、超高速で組み立てられていく。

 自分一人では、杖一つではどうしても必要だった時間と手間が、大幅にショートカットされていく。その姿を見て、リーネは、

 

「――――は、はは、あはははあははは!!!!」

 

 狂い笑った。

 その喜びは、ただ目の前の白王陣が凄まじい速度で完成することに対する歓喜ではない。

 

 天啓が降り落ちたのだ。

 ブレイクスルーが発生した。

 今、まさに、この時に!

 

 【白王陣】のどん詰まりの未来の先が、求め続けてきた答えの形の一つが、突如として鮮明に彼女の目の前に映し出されたのだ。これを喜ばずどうしようというのだ。

 

「なんてこと!!そうか!!そうだったんだ!!鍛錬だなんて!()()()()()()()をしたわ!!!アハハハハ!!!!」

 

 【白王陣】は偉大なのだ。奇跡の才能を持った【白の魔女】がもたらし、それから数百年と鍛錬を続けた究極の魔術だ。つまりそれは伸びしろが狭くなっているということに他ならない。

 だが、自分の肉体はどうか。魔力を吸収し、魔力貯蔵量は増加した。身体能力もいくらかは向上した。“それだけだ”。つまり、拡張の余地がある。伸びしろがある。そしてリーネにとって、白王陣はある意味不可侵の神聖なる信仰そのものであったが――

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「嗚呼!素晴らしい!白の魔女様!!貴方の叡智を世に知らしめる時は近いです!!」

 

 今は亡き、自らの魔術の元祖たる白の魔女に感謝を叫びながら、リーネは舞い踊り、白王陣を刻みつけた。

 

《だいじょうぶかー!?なんかハイになってないー!?》

 

 彼女に福音をもたらしたアカネは、リーネの異様なテンションに少し引いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ウル、シズク、そしてエシェルの3人は紆余曲折の末、ロック達との合流を果たした。

 そしてそこは

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

『ククカカアア!!!どぉーしたあ!!クソトカゲ!!!もっと強くうたんかあい!!』

「くふ、アハハハハハハ!!!!素晴らしい!素晴らしいですアカネ様!!!」

《だいじょうぶか-!?ほんとうにこれだいじょうぶかー!?》

 

 えらい、混沌とした状況となっていた。

 

「……合流しますか?」

「……近づきたくねえな」

 

 自分のギルドの所属員の頭が軒並みおかしい。

 ウルは率直な感想を漏らした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛竜襲来③

 

 できるだけ頭おかしい奴らとは関わりたくない。

 という、実に真っ当な感想をウルは抱いたが、残念ながらその頭のおかしい連中はウルの仲間と妹であり、彼らに倒れられては非常に困るので不本意ながら助けに行かねばならない。

 そして、更に残念なことに出来ればスルーして逃げたいと思っていた竜と思いっきり接敵していた。つまり逃げようが無い。ウルは己の不運を嘆いた。

 

「竜…!!」

「動くなよ。エシェル様」

 

 激情が込められたエシェルの声に先んじてウルは制止を呼びかける。彼女は何か言いたげだったが、しかし、反論はなかった。先ほどの“約束”が効いているらしい。

 だが、それでも彼女の焦りは消えない。その瞳には周囲で恐慌する、なんの武器も持たない名無しの連中が映った。中には小さな子供もいる。

 

「周りが無差別に襲われたら大惨事だぞ!」

「わかってる。もうこうなったら無視もできん。……本当、不本意だがな」

 

 ディズに助けを求めるにも、この竜に背中を向けて逃げられるかわからなかった。あるいはディズの所までたどり着いたとしても、馬車で眠っている彼女の所にこの竜を引き連れて、馬車ごと彼女が襲われれば最悪である。これでも護衛なのだ。依頼主を危険に晒す真似は出来ない。

 

 つまり戦うしかないのだが、さて、状況はどうか。

 

 狂乱中のリーネと彼女にブンブンされてるアカネは置いておく。彼女の【白王陣】がいつどこで完成するかは、この危機的状況を脱するカギとなり得るが、ならば尚のこと彼女の邪魔をするわけにはいかない。アカネが凄い悲鳴をあげているが心中で謝罪する。今度ジュース買ってあげよう。

 そして、現在前線で戦うロックの肉体は限界だ。身体の彼方此方に亀裂が入り、しかも魔力補充が足りなくなった骨が身体から脱落している。それでもなお、残った、ただ剣を振るうに必要な部分だけを残して竜と正面切って戦っているのは凄まじい。

 しかし、それも後僅かで破綻する。故に、

 

「エシェル様、銃を構えろ。シズク、魔術詠唱。一斉に狙うぞ」

「え?あ、うん……イヤ待て、あの死霊兵が近くに」

「そうだな。気にするな」

「は?!」

「撃て」

 

 瞬間、ウルの竜牙槍からは咆吼が放たれ、シズクの火球が反響し、連なる。僅かに遅れ、エシェルの魔道銃の閃光も重なって、その全てが今まさにロックの身体を砕こうとした竜と、竜と近接で戦っていたロックに直撃した。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

『カアアアアアアアア!?』

 

 竜の咆吼と、ロックの悲鳴が一緒に聞こえてきた。

 完全な不意打ち、竜は幾らかダメージがあるように見えるが、こっちを睨んでくる。ロックは消し炭になった。エシェルは顔を青くしてウルの顔を見る。

 

「良し、逃げるぞ」

「死霊兵消し炭になったけど!?」

「リーネ様から竜を離さねばなりません。仮都市の皆様からも」

「聞いてる!?」

 

 エシェルはウルとシズクに引きずられながら、その場を後にした。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 背後では、暗黒の翼竜が凄まじい咆吼を挙げ、飛翔した。獲物を狩るために。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ウル達は逃げる。しかし闇雲に逃げれば良いというわけでもない。

 竜の正体、戦力がどれほどか不明だが、竜は竜だ。ウルは竜をよく知っている。望んでもないのに思い知らされた。生半可では絶対に勝てないということを。現在のウル達の手札で唯一、僅かでも竜に一矢報いる可能性があるのは、リーネ一人だ。

 

 故に彼女の白王陣の射程圏内から離れすぎてはならない。しかし現在パニック中の仮都市の中をうろつくのも危険だ。リーネに近づきすぎて彼女を襲われても勿論ダメだ。全てを考えて逃げ回らなければならない。

 

「やばいしぬしぬしぬしぬ!!!ふっざけんな!!!」

 

 無論、ウルにそんなことを考える余裕なんてものは無かった。精々ヒトが居ない所、都市の外周に逃げ回るくらいだ。

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 背後、やや上空から竜の咆吼が響く。明確な殺意がウルの背中に向けられている。先ほどまで敵意(ヘイト)を惹きつけていたロックが消えて無くなり、すっかり次のターゲットをみつけたらしい。

 シズクとエシェルはウルからは距離を取らせる。彼女らは後衛だ。魔術と魔道銃による援護を行う者を竜に狙わせるわけにはいかない。必然、攻撃を受け、返し、惹きつける役割はウル一人になる。つまり死ねる。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「ッ!!!」

 

 来た、理解した瞬間、ウルは振り返り、竜を視認し、その巨大な爪に対して宝石人形の盾を身構える。馬鹿正直に受ければ死ぬ。斜に構え、その脅威が叩きつけられる直前で、弾く!!

 

「ぐ、う!!!!!」

 

 腕にかかる重量はとてつもなく重い。弾く、というよりも、吹っ飛ばされないように自分の身体をささえるので精一杯だ。だが、当然、ウルの状況を飛竜は慮ってはくれない。

 

『GYEEEE!!!』

「ぅぅぅおおおお!!!」

 

 巨大な三本の爪がまるでギロチンのようにしてウルに迫る。当然、優しくつかみ取るためではない。紙切れのように引き千切るためだ。ウルは悲鳴のような声を上げながら、死に物狂いで両手足で地面を蹴り、キルゾーンから転がり出る。背中で背後の空間が潰れる音がした。

 急ぎ、駆け出すウルはまるで猫の手から逃れたネズミのようだった。大変に無様ではあったが、ウルは気にしない。死ぬよりはマシだ。ウルは空っぽになった肺に空気を送り込み、叫んだ。

 

「撃て!!」

 

 直後、ウルの立ち位置とは正反対の方から閃光と爆発が起こる。シズクとエシェルの援護が竜に直撃した。やはりダメージは無い。だが、ウルへの攻撃を中断し、自分への横槍をかまそうとした者へとその巨体を向けようとし――

 

「――こっちを見ろ!!!」

 

 その横面にウルが竜牙槍を叩き込む事で再び敵意を向けさせる。鬱陶しそうに竜は唸り、ウルは再び背中を向けて走り出した。

 

「ないないない!こんなもん長く持つ訳がない!!」

 

 曲芸じみた綱渡り戦術が長く続かないのは宝石人形戦で十二分に思い知っている。予想外の行動、不測の事態、様々な要因が少しでも加われば、細く伸びた綱は千切れて落ちるのだ。

 そしてこの場にはその要因が多すぎる。絶対に近いうちに破綻する。

 

「リーネ頼むから急いでくれ…!!!」

 

 藁にも縋るような思いを叫びながら、ウルは綱渡りを続行した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルの逃走劇の後方、シズクとエシェルはウルの援護射撃を続けていた。逃げ惑う名無し達を避け、魔術を撃ち、射撃する。しかし、手応えはまるで感じなかった。

 

「う、うう……」

「エシェル様、大丈夫です。その調子で狙ってください」

 

 エシェルの射撃をシズクが励ます。だが、エシェルの心持ちは晴れなかった。

 

「こんな調子で何とかなるのか?!無意味に逃げ回ってるだけじゃ!」

「我々の仕事は白王陣完成までの時間稼ぎですから」

「だ、だが」

「エシェル様」

 

 シズクはすっと、続けて泣き言をこぼしそうになるエシェルの唇に指を添え、ソレを塞ぐ。そのまま指の先をすっと、今なおウルを追い続ける黒い翼竜へと向けた。

 

「構えて」

 

 エシェルは混乱した頭にピンと響く、シズクの声に従い魔道銃を構えた。

 

「狙って」

 

 重なるシズクの声に、エシェルの心の細波が沈んでいく。

 

「撃って」

 

 引き金を引く。熱光が寸分違わず翼竜の頭部に着弾する。翼竜は疎ましそうに顔を振り、ウルへの攻撃を中断した。

 

「素晴らしい、続けますよ」

「は、はい」

 

 取り繕っていた尊大な態度がすっかり剥げている事にも気づかぬまま、エシェルは引き金を引き続けるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛竜襲来④

 

 

「竜、ねえ?」

 

 【白の蟒蛇】のジャインは仮都市の防壁の上で眼前の光景を黙って眺めていた。

 眼下では名無しの者達が泣き叫びながら防壁の外へと飛び出していく。【暁の大鷲】が来ていたことで人入りが多かったためか、混乱は大きかった。

 

「全員慌てるな!!あの魔物は此方を狙ってきてはいない!!走るんじゃないよ!!」

 

 が、その混乱を【暁の大鷲】の連中は的確に抑えていく。

 彼等としては混乱に乗じて自分たちの商品が破損されたり盗まれたりするのを避けるための打算も込みなのだろうが、それでもこういった事態には頼りになる。寄る辺のない名無しの者達でも、暁の大鷲というギルドそのものを寄る辺として見定める者が多いのも道理と言えた。

 

 ジャインはそれを手伝うことは無い。

 

 別に、彼等の行いを愚行だと見下すわけではない。ただジャインは自分の中で、自分が護るべきものが明確になっているだけだ。身内と定めた相手しか彼は護らない。自分の能力を身内以外に割いて、自分の目的がおろそかになることを彼は嫌っていた。

 

「ジャインさーん!無事っすかー!」

 

 と、ジャインのすぐ側にラビィンが降り立った。ジャインはそちらに視線を向けることなく、鼻を鳴らした。

 

「遅いぞ駄兎」

「ひっでーっす。んで、交渉は上手くいったんすか」

 

 問われ、ジャインは布袋を彼女の方に放る。受け取ったラビィンの手元で硬貨がこすれあう心地よい音が響いた。

 

「貰うもんは貰ったよ。んで、“そっちは?”」

 

 問う。ラビィンは首を横に振った。その表情は普段常に楽観的なヘラヘラとした笑みを浮かべる彼女とは違い、険しかった。

 

「駄目っすね。()()()()マジで辞めるみたいっすよ」

「……まあ良い」

「しゃーないっすよ。気にしない方が良いっす」

「気にしてねえよ駄兎」

 

 ジャインは軽く拳を振ってラビィンを殴ろうとした、彼女は華麗に回避し、ジャインは舌打ちする。

 

「で、どうするっす?」

「迷宮、金稼ぎ続行だ。それとも人助けが良いか?」

「うんにゃ、めんどくさいし嫌っす。他の皆も用意させるっすね」

「ああ」

 

 ラビィンが再び立ち去る。ジャインもまた防壁から飛び降り、竜吞ウーガへと向かって歩み出した。だが最後に1度、後ろを振り返った。

 

「きなくせえが、精々俺たちの代わりに探ってくれよ、新人」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「完成、した…!」

 

 リーネはアカネと共に生み出した白王陣を前に感動に打ち震えていた。彼女の前には白王陣が明滅と共に恐ろしい威圧感を放っていた。まだ起動に至っていないが、それでもこの圧である。これまで彼女が何時間もかけて生み出した白王陣となんら遜色のない完成度である。

 それが、僅か数十分で完成に至った。しかも、5割はアカネが手を貸してからの数分に集約する。凄まじい結果だった。

 

「アカネ様!大・変!素晴らしい出来です!アハハハ!!!」

《てんしょんがやばーい》

「【開門!!!天火ノ煉弾・喰追・白王陣!!!】」

 

 リーネが生み出したこの白王陣は、火の属性を司る終局魔術だった。しかし、シズクが普段から扱う初級の魔術の火玉とは次元が明確に異なる。陣の光に呼応し、そして、同時に、陣の輝きが空に映る。

 天に映った巨大なる魔法陣、その中心から、巨大な、本当に強大な火玉が現れる。宙の果てから呼び出された“星の欠片”は、凄まじい熱を放ちながら、真っ直ぐに、今まさにウルを追いかけ回している飛竜へと狙いを定めるようにして、放たれた。

 

 弓から放たれた矢よりも速く、撃ち放たれた星の欠片は、竜のいる地点で凄まじい衝撃音と共に着弾した。

 

「完・璧!!」

《にーたんしんでね!!?》

 

 リーネは天に拳を握りしめ、アカネはその爆音に引いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「死ぬわァ!!!」

 

 凄まじい爆発音と共にウルは吹っ飛ばされ、地面を長々とすっころび続けた挙げ句、最後には泥まみれになりながらウルは叫んだ。火喰の鎧を身に纏ったおかげで擦り傷まみれにならずには済んだが、代わりに打撲まみれになった。死ぬほど痛い。

 

 衝撃の正体は不明だったが、リーネの白王陣の攻撃であろうというのは分かる。何故なら自分の目の前に居た飛竜の脳天に巨大な火の玉が直撃したのが見えたからだ。その直後にウルも吹っ飛んだが。

 

「外に出といて良かった…」

 

 仮都市の中であの爆発を起こしてたら死人が出ていた。いや、これくらいの火力でなければ、あの飛竜に傷を負わすのも難しいのだが。

 

「ウル様。ご無事ですか」

「なんだあの威力?!外周の簡易結界がぶっ飛んだぞ!?」

 

 背後からシズクとエシェルがやってきた。シズクは手早くウルに治癒魔術を施し、怪我を癒やした。ウルは彼女に小さく感謝を告げ、しかし視線はずっと目の前で立ち上る土煙へと向けていた。

 あれで死んでくれるなら勿論最高だが、そんな甘い期待をする相手ではない。

 

《――――GYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!》

 

 途端、巨大な咆吼が響いた。先ほどまでの、ただ怒りと敵意に満ち満ちたものとはまた違う、なにか、苦しみ藻掻くような咆吼だ。そして直後、巨大な黒い塊が土煙を割って空へと飛び出した。

 

「……!」

 

 ウルは咄嗟に槍を構えるが、しかし竜はコチラに向かってはこなかった。そのまま凄まじい速度で反転し、そして飛び去っていく。向かう先は間違いなく、【ウーガ】だ。

 あの黒い結界の中に、逃げるようにして飛び込み、消えていった。

 

「……逃げたって事で良いのですかね」

「……これで、“竜を倒した”っつー黄金級昇格の条件達成になんねえかな」

「であれば、倒しきらねばなりませんね」

 

 ウルは深々と溜息をついた。まあ、生きているだけめっけもん、ではあるのだが。

 

「竜、どうしてこんな……仮都市は……皆は……」

 

 背後ではエシェルがぶつぶつと呟いている。戦ってる最中はウルの支援に必死で、それ故に深く考えずに済んでいたが、全てが終わった後、一気に混乱が訪れたらしい。

 

「い、いてえ!いてえよ…!」

「おかーさん!おかーさんどこー!?」

 

 その気持ちも分かる。状況は死屍累々だ。“都市らしきもの”として最低限、維持できるだけの名無し達が集まっていたからそれらしい形となっていた。だが、今はそのかろうじての体裁すらボロボロだ。時間が経てば、竜を恐れ離れていく者もでるだろう。そうなれば、この都市予定地は本当にお終いだ。

 

「エシェル様。落ち着け」

「わ、わかってる。だ、だが、あんな……これから、どうしたら、いいの?」

 

 ウルの呼びかけに対しても明らかにしどろもどろだ。そしてウルを縋り付くように見つめてくる。

 助けてくれと彼女は訴えていた。だが、それを直接口にすることは出来ずに苦しんでもいた。

 ウルは少し息を吸って、吐いた。ウルとて、誰かに縋って答えをもたらしてくれるならそうする。だが、不本意ながらそうしてくれる者はいないらしい。自分で決めるしか無いのだ。ウルは腹をくくった。

 

「痕跡を見ろ。血の痕がある。多分ダメージを負ったんだ。攻撃を中断して逃げるほどのダメージが。それが癒えるまで、こっちに来ることはないだろ」

 

 おそらくは、とは口にしなかった。言っても仕方ないからだ。

 しかし確かに巨大なクレーターとなっている【白王陣】の破壊痕に、真っ黒な液体、血がこぼれ落ちている。それも僅かではなく結構な量だ。あの謎の飛竜の生態は未だ不明だが、決して軽い怪我ではないだろう。恐らくその見込みが当たっている可能性は高い。

 

「そして【竜呑都市ウーガ】に逃げたって言うなら、アレがあの都市の迷宮化の原因の一端か、原因そのものである可能性は高い」

 

 つまり、“都市の迷宮化を解除する”よりも、状況は明確になったと言える。“主”と思しき“飛竜”を討つ。実にシンプルだ。

 

「た、倒せるのか?」

「やるしかないだろう。可能か不可能かを論じて、意味があるか?」

 

 エシェルは黙った。

 彼女も悟っているのだろう。可不可を論じるのは、余裕が在るものの特権だ。後退する場所がある者の権利だ。ウル達にはない。そしてエシェルにもそんなものはないのだろう。だから、考えても仕方ないのだ。

 結論は出た。

 

「シズク、魔力量は」

「一日は休めば回復します」

「なら、今日、明日はロックの復元を完了した後は回復に専念だ。ジャインから得た情報を元に俺はありったけの食料とその他消耗品、装備を【暁の大鷲】から買いあさる。エシェル様。資金は援助してもらうぞ」

「わ、わかった」

「準備完了次第。本格的に迷宮探索を開始する。いいな」

 

 ウルの一言に、シズクとエシェルは頷いた。

 

 依頼:【竜呑都市・ウーガ】を解放せよ

   new【謎の翼竜】を討伐せよ

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仮神殿にて

 

 “仮”神殿

 本来であれば衛星都市ウーガに設立されていたはずの神殿。

 その代用となるこの場所に住まう“神官”の数は極めて少ない。たった一人、カルカラだけだ。が、しかし、だからといってこの場所にヒトが居ないわけではない。

 【従者】と呼ばれる者達が此処のを住居にして暮らしている。

 

「改めて言うけど、官位持ちの家の全ての人間が【神官】になるわけじゃないわ。私だって、まだ神官――――精霊様から加護を授かる訓練を受けてない」

 

 そう、ウルとシズクにリーネが説明する。

 現在3人は、エシェルに呼び出され仮神殿に再び足を踏み入れている。

 竜吞都市迷宮ウーガの攻略を決めてから、ウル達は準備を進めていた。と言っても、全てをすぐに済ませて、というわけにもいかなかった。消費した体力と魔力の回復は勿論だが、何よりも混乱した仮都市の修繕とケガ人たちの介抱も必要だった。暁の大鷲が中心となって動いて、混乱は瞬く間に収まっていったが、それでも放置するのは憚られた。そもそも現在の消耗品補充のアテが暁の大鷲しかないのだから彼らの手が空かなければ話にならない。

 その最中、エシェルから呼び出しがかかったのだ。

 そして改めて“仮”神殿に足を踏み入れた。最初の時は想像以上に特殊な状況を飲み込むのに精いっぱいで周りを観察する余裕が無かった。だが改めて周囲を確認すると、この“仮神殿”と呼ばれる場所が想像以上にしっかりした造りであると分かってきた。

 

「ウル様見てください。水まで引かれています」

「マジかよどうなってんだ此処。一応避難所だろ」

 

 施設の破損も、あの竜騒動が起きたにもかかわらずほとんどない。大分頑丈な場所なのだと分かる。

 

「……話を戻すわ。従者の話ね」

 

 リーネが咳払いする。

 

「官位持ちの家の人間は全て神官になるわけじゃない。でも、官位持ちの家系は精霊との親和性は通常の都市民の比じゃない。だから、神殿は官位持ちの家の者には神殿に勤める義務を与える。祈りを捧げさせるために」

 

 都市運営の、冒険者からもたらされるエネルギー源は魔石が主に使われる。だが神殿で精霊の機能を維持するために必要なのは官位持ちの者達自身だ。

 神殿の要請に応じて働きに出る者達。それが【従者】と呼ばれる。

 

「此処に居る皆様が官位持ちの方々、というわけですね?」

「そうね…………ええ、その筈よ」

 

 “その筈”の彼らを見ながら、大分微妙そうな表情にエシェルがなるのも納得ではある。

 

「なんで私がこんな所にいなきゃいけないの!はやく家に帰して!!」

「ラーレイはどこだ!責任を取らせてやる!」

「………!!!………!!!!!」

 

 ちらっと覗いた会議室、と思しき場所で従者達が集まっている。集まって、仕事をしているのかといえばそうではない。各々、無秩序に喚いて、叫んで、そして責任を追及している。やっていることはバラバラだが、時間の無駄という点では共通していると言って良いだろう。ウル達はそっと、会議室から距離を取った。

 

「……混沌としてんなあ。此処、一番被害が少なかったはずなのに、一番騒がしい」

「状況的に仕方ないかもしれませんが、思ったよりも大変な状況みたいですね」

「いえ、でもこれ、本当に酷いわ。全く機能していないじゃないの」

 

 リーネが顔を顰めた。白王陣以外基本興味の無い彼女がここまでの顔をする程度には酷い状況らしい。

 

「でもまあ、祈るくらいなら、アイツら……もとい、あの方々にだってできるだろ??」

「従者の仕事はそれだけじゃないわ。神官の全般的な補助、他の都市との情報伝達、物資管理その他雑務、全部従者の仕事よ?」

「大変そうだな」

「大変よ。そして緊急時の神官の補助も大事な仕事。その筈なのに何してるのあの人達」

「正論だが俺に言うな」

 

 少なくともリーネの言う雑務がこなせるような状況には全く見えない。一言で言えば烏合の衆だ。何故にこんな有様になっているのか――――

 

「仕方ねえさ、バランスが崩壊してるからな。この神殿モドキ」

 

 と、そこに男の声が割って入った。振り返ると獣人の男が一人、興味深げにやってきていた。中年の獣人の男。少し胡散臭い笑みを浮かべている。従者の衣装に身を包んでいる。つまり官位持ちの人間だ。ウルとシズクは頭を下げ、礼をした。

 

「あーそういうのいいっていいって。官位持ちの家出身だからってだけ。それに俺はほら、真面目な従者じゃないからさ。最下位(ヌウ)だしな」

 

 ケラケラと男は笑って手を振った。なるほど本人が言うように真面目ではないらしい。真面目な官位持ちの者との遭遇率がやたら低いなとウルは思った。

 

「あんたらアレだろ?エシェル様に雇われた冒険者」

「ええ、そうです。貴方は?」

「カラン・ヌウ・フィネルだ。従者、よろしくな」

 

 ヘラヘラと彼は笑う。顔にへばりついたような笑みだった。

 

「リーネ・ヌウ・レイラインよ。同じヌウね」

「ウルという」

「シズクと申します。それで、バランスが崩れているというのは?」

 

 シズクの質問に対して彼は「そのまんまだよ」と返した。

 

「此処の指揮官、エシェル様だろ?彼女は第四位(レーネ)だ。しかも神官でもない。そんで、従者の中にゃ彼女以上か同等の官位の奴がいんだよ」

 

 ほらアレ。と彼が会議室の扉をちらっと開けて顎をしゃくる。その先には一際に肥えた男がいた。只人である筈なのだが、別種族かと疑う程に丸い。脂肪のせいか、首が存在していない。

 

「……なんつーか不摂生の塊みたいなのがいるな」

「グラドルは美食都市だからなあ。生産都市の品種改良が一番進んでるから、とくに神官にゃ太ってる奴が多いんだよ。で、アレがグルフィン・グラン・スーサン。従者の中でいっちゃんの高位な」

「なんと」

 

 ディズも同じ第三位(グラン)だったはずだが、印象が明らかに違う。肥満かどうかが人格や能力の出来不出来に直接関係があるわけではないのだが、それにしたって度を越している。

 

「わざわざグラドルからも大量の食事を持ってくるほどさ」

「まあ、食いしん坊さんなのですね」

 

 シズクが微笑む。ウルは引き続き肥え太った第三位(グラン)の男を観察するが、彼はエシェルへの不満を大きな声で繰り返す。周囲がそれに賛同すると、それで仕事をしたという顔でふんぞり返り、そして暫くするとこくりこくりと身体をゆすり始める。ここからだとよく見えないが、恐らく居眠りをこきはじめている。

 

「あと、眠るのも好きだな」

「育ち盛りなのですね?」

「……とりあえずあの第三位(グラン)がマトモに仕事していないのはわかった」

 

 あれが此処で一番地位が高いのだから、大分末期だ。

 

「他の奴らも似たり寄ったりだぜ?此処のトップはエシェル様、つまり第四位(レーネ)、従う義理がねえって奴が多いんだよ」

「これって、都市建設の一大事業でしょ?普通、官位がどうであれ、指揮官の命令はちゃんと遵守しないと、破綻しかねないわよ?」

「実に正しい正論だ。そして実際にもう破綻したんだよ。此処は」

 

 元々危うい状態だったところに竜が襲いかかってきて、都市建設現場が正体不明の呪いに覆われ、全ての建設計画が頓挫した。指揮系統は崩壊した。

 会議室の混沌はさもありなん、と言ったところなのだ。

 

「ついでに言うと、此処で従者をやらされる連中は、神殿からも家からも“万が一失えども痛くない”って思われてるような奴らが多い」

「捨て駒みたいな扱いを受けてると?」

「そのものさ。パワーバランス以前に、元々不良債権なんだよ俺達は」

 

 有能なのは精々、エシェルのサポートに来た、神官のカルカラくらいだろうと彼は言う。それ以外の連中は誰も彼も、半ば厄介払いされたようなものであるらしい。彼自身も含めて。

 

「そういうカスが集まって、パニックまで起こしている。後悔したか?」

「かなりな。で?ソレをわざわざ、俺達に教えてくる理由はなんなんだ?」

 

 わざわざ何の見返りもなく親切に仮神殿の内情を喋ってくれたわけではあるまい。するとカランは、先ほどのまでの余裕たっぷりな態度から一転して、少し困ったように頭を掻いた。

 

「あー、ほらあんたらエシェル様に直接雇われてんだろ?だったらほれ、あれだ」

 

 こほん、と咳払いをし、少し言いにくそうにしながら、彼は彼の本題を口にする。

 

「あの嬢ちゃんに、それとなーく、諦めるように促してやっちゃくれねえかなってな?」

 

 そう言う彼の表情を見る限り、侮りや、悪意といったものは無いように見えた。どちらかといえば憐憫のような表情だ。

 

「此処はゴミ箱さ。邪魔になった役立たずを捨てるためのゴミ箱。そんなゴミ箱のために寝る間も惜しんで必死に駆け回るなんて、滑稽すぎて笑えねえんだわ」

「だから、諦めさせろと?どうせあの女は引かないだろう」

 

 今更、引き下がれるような状況にあの女はいない。

 

「ヒトに頼む前に自分で言ってくれ。余裕なんてないんだこっちは」

「おじさんが言ったところで、嫌みにしかならんだろ?だから……っと」

 

 会議室の扉が開く。ぞろぞろと烏合の衆、もとい従者達が出てきた。カラン曰く不良債権呼ばわりされていた連中である。そう言われるとなんだか駄目そうに見えるのは、色眼鏡で見ているだろうか。

 

「全く、時間の無駄だった!」

 

 そしてその中でも大きな声を上げているのは、先ほど遠くからカランが説明していた第三位(グラン)、グルフィンだ。先ほどまで居眠りをこいていたとは思えない不遜な態度でのしのしと近づいてきた。

 絡まれればこの上なく面倒な事になりそうだとウルは素早く頭を下げる。早々に通り過ぎてくれる事を祈った。が、

 

「……ん?誰かと思えば、カランではないか。会議にも出ず、何をしているのだ貴様」

 

 残念ながら、やり過ごす事は叶わなかったらしい。

 グルフィンはピタリと身体を止めて、じろりと此方を見る。正確にはカランを。名指しで呼び止められたカランは一瞬面倒くさそうに表情を歪めさせた後、へらっと笑った。

 

「いやあ、俺みたいな奴が出ても何の役にもたてそうになかったもので……」

「ふん、まあ確かにな」

 

 グルフィンは笑った。表情には強い嘲りがあった。

 

「神官の修行からも逃げ出し、最下位(ヌウ)のフィネル家からすらも追い出された半端者。低位の家がクズなのは当然としても、貴様ほどの落ちこぼれはそうはいまい」

「ほんと、おっしゃるとおりで…」

「従者としての役目も果たせないというのなら、せめて茶くみでもしたらどうだ」

「次からはそうさせてもらいます」

 

 真正面から嘲られて尚、カランは笑う。怒りを抑えているというよりも、諦めているといった風情だった。言われるまま、まるで反応をしない玩具に早々に飽きたのか、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 そして視線を彼から外し、

 

「…………む、うん?」

 

 そこに絶世の美少女(シズク)を発見した。

 

「お、おお!なんという美しい娘だ。お主なんという名だ!」

「シズクと申します」

「その格好、従者でもないな!まあ許そう!私は寛容だからな!」

「まあ、なんと慈悲深い対応でしょうか!ありがとうございますグルフィン様!」

 

 シズクは顔を綻ばせ、いくらか大げさにグルフィンに感謝を告げる。そんなシズクの態度に、グルフィンはとても気をよくしたらしい。丸々とした顔をだらんと緩めた。ひっぱったら良く伸びそうだなとウルは現実逃避気味にそう思った。

 

「どうだ。これから一緒に食事でもせんか。グラドルの豊かな食文化を教えて――」

「彼女は私の客人です。グルフィン様」

 

 そこに声が挟まる。

 エシェルだった。彼女はカルカラをつれて此方にやってきて、シズクの前にずいと割って入った。いつも通り少し怒った顔、ではなく、少し怯えを隠すように表情を引き締めていた。

 グルフィンは途端に顔を不機嫌にさせた。丸々とした頭をさらにぷっくりとさせていると別の種族みたいに見えてくるなとウルは思った。

 

「私の意向に文句でもあるのか。ラーレイ」

「い、いえ。ですが、彼女はこの事態の解決に必要なのです」

「その解決とやらはいつするのだ。竜に呪われ、迷宮化し、挙げ句本物の竜まで襲来した!この事態どう責任を取るつもりだ!!」

 

 シズクの前ではだらしなく伸びて、先ほどプックプクになった顔を、今度は顔を真っ赤にさせて怒りだした。まるで百面相である。随分と情緒が忙しい。

 エシェルはきゅっと身体を縮める。怖がっている。迷宮に突撃する勇気があるのに、脅威を感じない肥えた男に怯えるエシェルの恐怖のポイントがウルにはよく分からなかった。

 

「グルフィン様。どうかもう少しだけお待ちください。必ずやこの混乱をおさめ、平穏を取り戻してみせます。ご慈悲をいただけませんでしょうか」

 

 小さくなったエシェルに対してカルカラが盾になるように前に出て、両手を合わせ深く頭を下げる。彼女の言葉に、鼻息荒くしていたグルフィンは気勢を削がれ、しかし未だ怒り収まらぬと言った表情でエシェルを指さした。

 

「もし、これ以上の長引くようであれば、私はグラドルへと戻るからな!」

「それは……」

「私の祈り無しでは仮都市の維持も叶わぬ事を肝に銘じるのだな!!」

 

 そう言ってグルフィンはのっしのっしと去っていった。嵐のような男だった。そしてふと気づくとカランの姿もなかった。グルフィンの矛先がエシェルに向いた隙にとっとと退散したらしい。抜け目ない男だった。

 彼の姿が見えなくなってから、エシェルは額に拳を当て、苦々しく唸った。

 

「グルフィン殿が去ってしまうのは不味い……!」

「不味いのか?」

「第三位(グラン)の祈りが損なわれるのは不味いわね。精霊の力を行使するためのエネルギーを失う。神官一人で補える規模じゃないもの。都市建設は」

 

 魔術に活用している魔石がごっそり失われてしまうようなものと、リーネから説明を受けてウルもしっくりと来た。なるほど確かにソレは不味い。だが、エシェルの苦悩に対して、カルカラは冷静だった。

 

「あの肥満で怠惰な男がわざわざ都市建設の従者として駆り出されている時点で、彼自身か彼の家に“相応の理由”があるはずです。容易く辞退など出来はしないでしょう」

「そ、そう……か?」

「ええ、ですから気を確かに。エシェル様」

 

 淡々とした励ましの言葉にエシェルがゆっくりと顔を上げる。表情はまだ弱っていたが、少しは回復したらしい。カルカラはそのまま視線を此方へと向けた。

 

「それで?何故あなた方はここに?竜討伐、迷宮探索はどうしたのです?」

「そこのエシェル様に呼ばれたのだが?」

 

 ウルがそう答える。カルカラはエシェルへと視線を戻すと、彼女はばつの悪そうな顔をして、目を逸らしたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仮神殿にて②

 

 “仮”神殿、執務室。

 

「私は反対です」

 

 そう言って、カルカラはエシェルの迷宮探索の同行に真っ向から反対した。元々、エシェルが先の迷宮の様子見に同行することにも反対していたが、本格的な探索にも同行すると聞くや否や、強硬な反対の姿勢を見せた。

 強い怒りを堪えた瞳で、主にウルを睨む。となりでエシェルは助けを求めるような目でこっちを見てきた。なるほど、エシェルがわざわざこっちを呼び出した理由が判明した。彼女を何とか説得しろと、そういうことらしい。

 

「同行を望んだのは俺達じゃなく、エシェル様だ」

「そ、そうだ。カルカラ。私が望んだのだ。コイツラだけでは不安だから」

「エシェル様」

 

 ぴしゃり、とカルカラが口を挟むと、エシェルは萎縮したように言葉を止める。官位はエシェルの方が上の筈なのだが、なぜだかこの場での立場が逆転しているかのようだった。

 

「貴方は【大罪都市グラドル】からの勅命でこの都市の建設を任されているのですよ。迷宮の探索など、冒険者どもに任せれば良いのです。地の底、悪神の配下の住処を這いずり回るのは神官の役目などではありません」

 

 カルカラの言い分は全くもってごもっともであり、故にウルは反論する事はない。これでエシェルが諦めるならそれはそれで構わないと思っていた。

 

「……イヤだ」

 

 しかしエシェルは、彼女の指摘に対して、引き下がるような顔はしていなかった。これも、そうなるであろうというのはウルにもわかっていた。

 あの最初の探索で、あそこまで無様を晒し、危険な目に遭い、挙げ句ウルに服従を誓ってでも同行を願った女だ。生半可な覚悟じゃない。

 

「私がやるんだ。私だって、やれるんだ…!!」

 

 絞り出すような声だった。特権階級にあるまじき、功績への執着だった。何故彼女がこうなったのかはウルには不明だ。しかし、カルカラには察するところもあるのだろうか。少し間を空けて、小さく呟いた。

 

「……お父上の顔に泥を塗りますよ」

「……っ」

 

 その一言は急所だったのだろう。エシェルは一気に顔を青くした。泣きそうな顔になって、顔を伏せた。小さく、何か言いたげにもごもごと口を動かすが、しかしどれも言葉にならない。

 その彼女の様子に少し安心したようにしたカルカラは、続けて口を開こうとして、

 

「とっくに顔に泥を塗ってると思いますが?」

 

 それよりも先に、シズクが口を挟んだ。カルカラが虚を突かれてる隙に、シズクはエシェルへと顔を向ける。

 

「私は神官ではありませんし、官位を持つ家の家庭事情に詳しくはありませんが、建設途中の都市の崩壊、避難した労働要員に襲来した竜による被害。汚名を被るという点ではとっくに取り返しがつかないかと」

 

 紛れもない追い打ちである。エシェルは更に沈んだ。顔は伏せて分からないが多分泣いている。突如として湧いて出た援軍、というよりも追撃に、カルカラは喜ぶよりも先に訝しんだ。

 その疑念は正しいとウルは内心で思った。経験上から理解している。彼女がこうして相手を追い詰めるのは、決して、カルカラを助けようなどと思ったわけではない。

 

「――故にこそ、汚名は貴方が濯がねばならないでしょう」

 

 シズクは、エシェルが沈みきったタイミングで、すくい上げるように言葉をかける。カルカラが口を挟む間も与えず、続ける。

 

「それ以上の失態を恐れて黙っていたとして、更に失敗を重ねることはないかもしれませんが、既に積み重なった失態は無かったことにはなりません」

「…………」

「失敗を、代わりに消し去ってくれるヒトはいません。貴方の失態は貴方のもの」

「……そうだ」

「貴方が、貴方自身がやらねばなりません。貴方を救うのは、貴方です」

「そうだ……!!」

 

 エシェルは立ち上がった。顔色は真っ青だ。恐怖に歪み、切羽詰まった顔になっている。しかし、その立ち姿は力強く、鬼気迫っている。追い詰められ、死ぬ寸前となって、藻掻き抗う事を決めた者の気迫だった。

 

「私がやるんだ!証明する!そうでなきゃ私はお終いだ!!」

 

 泣きながら震える声で叫んだ決意の言葉に、シズクは笑みを浮かべ、カルカラは苦い顔で顔を手で覆った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 夜、仮都市内にて建設された宿泊施設にて

 

「――――で?どういうつもりなんだ。シズク」

「怒ってます?」

「勝手にエシェルと俺に主従契約をむすんだ事については怒ってはいる」

 

 シズクは正座し、ウルは腕を組んで彼女の前に立っていた。ちなみに正座については到着後シズクが自主的に行なったものである。別に、上から頭ごなしに否定したいわけではないのでいきなり怒られる姿勢になるのはやめろと言いたい。

 

「今更、俺がデメリットを背負うような真似をするとは思ってないが、説明しろまず」

 

 いつも、唐突かつ、突拍子も無い行動でふりまわされる身にもなってほしい。

 

「で、まずなんであんな契約にしたんだ。反発必至だろ」

 

 名無しのウルに対して、官位持ちのエシェルが期間限定とはいえ絶対服従など、自然と考えれば反発必至、不敬罪かなんかでしょっぴかれかねない。竜撃退後、何故彼女がキレちらかさなかったのか不思議でしょうがなかったくらいだ。

 

「恐らく大丈夫だと思いますよ」

 

 だがシズクは断言した。確信したような言い方だった。

 

「理由は?」

「彼女、命令“されたがって”いましたから」

「したがる、じゃなくてか?」

「はい」

 

 迷宮探索のため、必要な装備の準備をする。と言って1度別れたエシェルをウルは思い浮かべる。いつも顔に怒りを浮かべ、ウルに対しても怒鳴り散らしてばかりの彼女が、命令をされたがっている。と聞いてもピンとこない――――わけではなかった。

 

「まあ、ヒトの上に立つのに向いてる女じゃないのは確かだが……」

 

 特権階級の家の生まれである割に、やけにヒトの使い方が下手くそとは思っていた。

 何を指示するにしても、頭ごなしに怒鳴りつけ、わめき散らすばかりだ。癇癪を起こした子供のようである。いくら彼女が権力を有していようと、相手を不快にするような振る舞いをすれば、立場が下の相手だろうと不快感を覚えるものだ。

 その結果が、ジャイン達の彼女への態度だ。現状の彼女は、良い上司になれるようなタイプではない。

 

「だが、それが何故命令“されたがる”になるんだ」

「現在の彼女の立場は、この衛星都市建設のトップです。あの幼さで。誰もその責任を負ってくれる人間はいません。自分よりも遙かに年上を相手に命令し続けなければならない立場にあります」

「…………つまり、重責に疲れていると?」

「そうでしょうね。情緒が不安定でしたから。限界いっぱいいっぱいなのかと」

 

 怒り、泣き、叫び、怯える。あの態度が、ストレスに追い詰められ続けた結果だとすれば、確かに彼女は限界の瀬戸際まできているだろう。

 

「だからでしょう。先の迷宮で、ウル様に命令されていた時、彼女は安らいでました」

 

 自分で考える必要も無く、ただ相手の命令をうけ、責任を相手に預ける。その事の彼女の安堵の仕方はとても露骨だったとシズクは言う。ウルにはあの時、エシェルの様子を確認する余裕なんて全くと言って良いほど無かったのだが、しかし彼女がそう言うのならそうなのだろう。人間観察において彼女の洞察力は最早疑うまい。

 ならば、とウルは次の質問を投げる。

 

「そういう奴がいるのは否定しない……が、なら何故俺だ」

 

 命令する相手なら、何も別にウルじゃなくてもシズクであっても良いはずだ。何故にウルと彼女に一時的であれ主従関係なんていうものを結ばせたのか。自分がギルドの長であるから、と言われれば納得するしかないが、理由は確認しておきたかった。

 

 問いに対して、シズクは神妙な表情で頷いた。

 

「男からの命令の方が、彼女は響くと思いまして」

「ゲスい」

「隷属願望にはいろんなタイプがありますが、彼女は見た目から入るタイプです」

「クッソゲスい」

 

 ウルはシズクの側頭部を拳でぐりぐりと捻った。シズクはあーうーと悲鳴をあげた。

 

「じゃあ、なんでそうまでしてエシェルを連れていこうとしてるんだ?」

 

 ウルは問う。それこそが最大の疑問だ。

 単純に考えるなら、エシェルを連れて迷宮を行くのは賢い選択とは言い難い。彼女との契約で、最初の探索の時のような大事故は起こらないだろうが、

 

「彼女への配慮と懸念、そして打算があります」

「ふむ……?」

 

 続きを促す。シズクは頷いた。

 

「配慮は勿論、彼女の願いを叶えたいということ。結果を残したい。成果をあげたいというのなら、それは叶えて差し上げたいです」

「まあ、一応指揮官の立場でなんで現場に出ようとするんだって疑問はあるが……」

 

 とはいえ、理解は出来る。自分以外の相手の願望を叶えたいというのはシズクの基本行動だ。そこは正直予想も出来ていた。

 

「懸念は?」

「放置していたら、一人で勝手に動いてしまいそうです」

「ああ……見張ってたほうが良いか」

 

 シズクの言うとおり、エシェルがかなり精神的に追いつめられているのは間違いないだろう。その彼女を目の届かない所に放置するよりは、手の届く所に置いた方が安心できるのは理解できた。

 

「最後、打算は?」

「彼女には無茶をしなければならない事情があります。たとえ命の危機に陥るような場所にも、立ち向かわなければならないと本気で思っています」

 

 シズクのその言葉をウルは最初飲み込めなかったが、暫く考え、そして思い当たった。彼女が言いたいのは、つまるところ

 

「……仲間になるかも、と?」

「人手不足の我々の無茶に付き合ってくれるヒトは稀です。一時かも知れませんが、同行者が増えるならそれに越したことはない」

 

 元々、ウル達のギルド、一行(パーティ)の懸念事項の一つだ。無理無茶無謀な挑戦をするウル達の戦いに付き合える仲間の不足だ。真っ当な神経をしていれば、ウル達の行軍に付き合おうというような輩は少ない。

 仲間が増える、というのは望むところではあるのだ。

 

「だが……使えるか?」

「彼女が依頼者であるという偏見を取っ払って考えてみてください。どうですか?」

「……」

 

 ウルは暫くエシェルの動作を考え、そして頷く。

 

「ちゃんと落ち着いてくれたら……まあ、確かに許容範囲か。経験不足で醜態さらしたが、そんなもん、最初に失敗しない奴なんていない」

 

 事情が入り組みすぎて分かりにくくなっていたが、先の探索が新人の初戦闘だったと考えるなら、確かにどうしようもない、というほどではなかった。

 

「首輪も付けました。勿論、経験の浅い新人を連れる基本的なリスクはありますが……」

「ま、そこは俺がフォローするよ。ギルド長だ。新人のケツ持ちは仕事だろ」

 

 そう言って、ウルは確認した情報を整理し、頷く。色々と無茶苦茶だが、しかし彼女の判断が間違っているとはウルも思わなかった。

 

「了解、納得した」

「良かったです」

「ただし緊急事態を盾にいいように話進めようとした件については説教続行」

「まあ」

「まあ、じゃない。それともう一つ」

「はい」

「あの竜についてだ――――」

 

 こうして幾つかの意見の交換を進め、その日の話は終わった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仮都市の住民達

 

 竜吞ウーガ攻略に向けた準備をウルは進めていた。

 暁の大鷲と交渉を繰り返し、消耗品、特に食料を買い漁った。【白の蟒蛇】のジャインから得た情報を基に、必要なものを揃えていく。そしてそのついでに、仮都市の被害状況をウルは確認していった。

 

《もんだいなさげ?》

「意外にも落ち着いてるな」

 

 ディズの仕事が一段落した、という妹と共に。

 竜の襲撃によって混乱していた仮都市の状況だが、一日経って、意外にも混乱は落ち着きを取り戻しつつあった。元々、“仮神殿”以外は簡易テントばかりだったため、復興は容易だったらしい。

 それでも逃げた名無しは何割かいたようだが、それでも残った者達の数はまだ多い。

 それに加えて

 

「【岩石の精霊(ガルディン)、大地を押し上げよ】」

 

 【岩石の神官】であるカルカラによる補修が行われていた。

 

 カルカラが自らの精霊の名を宣言する。同時に、大地が隆起し、壊れた防壁の修繕や、残った住民達の新たなる住居の作成などを次々に行なっていく。石材などを切り出す必要も無い。地中で加工され、完成された建造物がそのまま下からせり出している。

 

「……凄いなあ」

《すんごーいのね》

 

 ウルとアカネの兄妹は語彙の浅い感想を述べた。

 

「見事なもんだなあ」

《ほんになあ》

「あなたは何をしているのですか。一人でブツブツと」

 

 のんびりと話していたウルとアカネの下に、カルカラがやってくる。彼女はウルしか認識していないのは、アカネがネックレスの形状に変化しウルの首に掛かっているからだ。ウルは平静を崩さず彼女に向き直り、深く頭を下げた。

 

「どうも、カルカラ様。精霊の力ってのを見学させてもらっていた」

「仕事しなさい。何のためにエシェル様があなた方を呼んだと思ってるのです」

「今日の仕事は大体済ませた。この仮都市の状況も把握しておきたかっただけだ。それが終わったら攻略に向かう」

 

 攻略、と言った瞬間カルカラは露骨に顔をしかめた。まだエシェルが自分たちの旅に同行することに納得していないらしい。

 

「エシェル様が迷宮に行くのは彼女の選択だ」

 

 そう告げると、ものすごい勢いで睨まれたのでウルは目を逸らした。

 

《……こーわ》

「絶対に外に出たらダメだぞアカネ」

 

 ヒソヒソと話すウル(とアカネ)を睨みながらも、カルカラは引き続き作業を続ける。

 本来であれば多数の人手と大量の時間が必要な建築を、たった一人で作り続けていく様は圧倒的だ。その力でもって、竜に破壊された建物や防壁を補修していく。その修繕速度は凄まじい。

 しかしそれ以上に感心すべきは、その補修の“自由さ”だった。

 

「神官様、申し訳ありません、よろしいでしょうか」

 

 竜騒動が起こった後も仮都市から逃げ出さず、カルカラと共に修繕作業を続けていた名無しの一人が深々と頭を下げながら彼女に声をかける。カルカラは一時的に作業を止め、視線をそちらに移した。

 

「顔を上げなさい。何用ですか」

「先の騒動で崩れかかっている建物が。地盤が柔くなってしまっているようです」

「場所は」

「此方です。周囲の補強のための土台も欲しいのです」

 

 案内された場所に彼女は動く。そして場所を確認すると、そのまま不意に片手を上げた。途端、その地面が動く。加工されたように真っ直ぐな石が、柔らかだった地面を塗り替える。

 

「土台はあちらですね」

 

 彼女が再び手を上げれば、その先に足場が生まれる。望む場所、望むまま、望む形に。

 魔術とは違う。

 魔術はまず、術ありきだ。様々な魔術が研究し、生み出され、問題に際した時、事前に組まれた魔術をその対処にあてる。故に「その時その場所その問題のためだけの魔術」というのは殆ど無い。たった一つの問題だけのために作られる魔術など、非効率の極みだからだ。

 

 だが、カルカラは“それ”をしている。

 

「補強は終わりました。幾らか陥没が進んでいたので均してもおきました」

「おお、神官様、ありがとうございます」

「足場を拡張しておきました。引き続き作業を進めなさい」

 

 カルカラは岩の精霊の力をその場その場に合わせて使っている。石畳のような岩を地面に広げ補強し、階段のような岩を足場に、防壁を広げて魔物に備え、それを支える柱をも生み出す。

 魔術ならば、それぞれに対して別種の魔術を使わなければならない。それも細かな術の調整も必要だろう。そういった工程の一切を彼女は省いている。

 

「精霊の力は……なんというか、“何でも出来る”んだな」

「当然、制限はありますが」

 

 と、ウルの言葉を聞いていたのか、カルカラが補足を入れる。

 

「制限とは」

「魔術による魔力のように、精霊様の加護の力を扱うにもエネルギーが必要です」

「ああ、都市民や従者達の【祈り】の力でしたか」

「それなくば力は尽きます」

 

 分かりやすく言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という認識で間違いないらしい。都市民はその力を溜めるために神殿に通い、祈りを捧げる。

 

「じゃあ、一人では力は使えない?」

「使えますが、魔力が尽きるのは早いでしょうね。精霊の【加護】を扱うための祈りの【魔力】を個人が生み出すのには、限界があります」

「限界」

「此処にちゃんとした神殿があれば、【岩石の精霊】の加護をもう少し自由に振るえていたでしょう。あの仮初めの神殿では祈りの貯蔵庫としての役割は果たされない」

 

 従者からの祈りはカルカラに直接譲渡されるが、そのカルカラという神官の器には限界がある。“蓄える”ということが出来ないために、効率がかなり落ちている。らしい。

 

「なんというか……神官というのは万能ではないんだな。神殿が無いってのが大きいんだろうけれど」

 

 ちゃんとした神殿があるなら、魔術以上に汎用性の高い力を無尽蔵に使える。都市内において神官の力は圧倒的と言って良いだろう。だが、此処ではそうではない。

 だから第三位(グラン)の従者、グルフィンの存在にエシェルも拘っていたのだ。

 

「あくまでも、精霊様の力を【加護】として借りているだけですから、当然です。ヒトの身で力の全てを扱えない。私のような第五位(ヌウ)では特に」

「なるほど……じゃあ、例えば第一位(シンラ)の神官とかだとまた違う?」

 

 それは興味本位の質問だったが、カルカラの瞳は明確に鋭くなった。怒りではない。そしてウルの方を向いているわけでも無い。

 その瞳に込められた感情は、畏怖だ。

 

「……第一位(シンラ)は精霊との親和性が高い。祈りの量も圧倒的ですが、何よりも与えられる加護の強度が違います。私のような小手先とは次元が違う」

「……具体的には、どんなことができると?」

「天変地異」

 

 極めて端的かつ、分かりやすい説明だった。

 

「我が国、グラドルの第一位(シンラ)なら、一瞬でこの地全てを山脈に変える事も出来ますよ」

「わあお」

「無論、ヒトの身である以上魔力貯蔵の限界という問題は残りますが、第一位(シンラ)であれば、自身の担当する神殿との直通回路(パス)も持っていますから、その領内であればほぼ無尽蔵です」

「……正直、想像も出来ないな」

「どうせ貴方には縁も無いこと。想像の必要はありませんよ。それよりも、手伝う気があるなら貴方も祈りを捧げてほしいのですが」

 

 カルカラがウルを睨む。

 確かに彼女の説明によれば、彼女は【従者】達の祈りを自分という器にしか蓄えることが出来ていない。つまり効率が悪い。今の修繕で再び彼女は消耗したのだ。

 

「名無しの祈りで良ければ」

 

 ウルは頷き、両手を合わせる。名無しの祈りでは大した力にはならないだろうが、少しは足しにはなるだろうとそう思った。だが、そうしていると、カルカラは不審そうな顔になる。

 

「……何か?」

「貴方……真剣に祈ってますか?」

「ここで適当かます理由はないが」

「なら何故そこまで祈りが……名無しにしたって限度が……」

 

 おかしな言い様にウルが不思議そうにしている間、彼女は自分の覚えた違和感を探っているのか、ウルの周りをグルグルと回り、そして、じっと、ウルの右手を睨んだ。

 

「貴方、それ、なんですか」

「え、ああ。エシェル様からきいていなかったので?」

 

 黒睡帯が巻かれた右腕を彼女は睨む。ウルは帯を少しだけ捲る。現れたのは、元のウルの肌の色とはかけ離れた真っ黒な皮膚、固く、禍々しい、ヒトのものでない右手。

 

「実は最近竜に呪われて」

「近寄らないで下さい」

「酷い罵倒だ」

 

 カルカラは汚物でも見るような凄まじい表情で顔を顰めるので二重に傷ついた。まあ、呪いなど、見て喜ぶ者はいやしないだろうが、それにしたってカルカラの忌避する態度はかなり露骨だった。

 2歩3歩と後ろに下がり、悍ましいものを見るような顔でウルの右手を指さす。

 

「……()()()()()()()()()()()

「精霊が?」

「加護を通して、嫌悪が、伝わるので、隠して」

 

 帯を戻すと、ふうと、途端、彼女はしかめ面を解いた。それほど違うのだろうか、と思っていると、首にかけていたアカネが小さな声で囁いた。

 

《にーたん、“おび”はずしとったらいかんよ?》

「いかんのか」

《はずすときはよらんとってな》

「泣く」

 

 ウルは念入りに右腕を黒睡帯で縛り付けると、カルカラは今度はその帯を注視した。

 

「その帯は……」

「機織りの魔女という方に織ってもらったものですが」

「大罪都市ラストの……なるほど、随分奮発したものですね」

 

 この帯が幾らしたのか、考えるのが本当に怖くなってきたウルだった。

 

「おーいカルカラ様ー」

 

 と、そんな会話をしていると、再び別の声が聞こえてきた。仮神殿の方から手を振ってやって来たのは、つい最近顔見知りになった男の顔だ。

 

「カランさん。だったか。どうも」

「っと、よう、冒険者。まーた会ったな」

 

 仮神殿で出会った従者のカランがひらりと手を振り挨拶する。ウルも挨拶を返したが、彼が用事があるのはウルではないらしい。彼はカルカラへと向かっていった。

 

「何用ですか」

「ちょーっと神殿で他の従者の皆様が騒ぎ始めてましてね。なんでも食事に虫が混入していただとか。全ての備蓄食料をチェックして、同じ事がないようにしろと」

「不可能なことを喚かないでくれと言っておいて下さい」

「それこそ、俺如きにそんな事を言うのは不可能だと理解してくれよ。カルカラ様」

 

 カルカラは深々と溜息をついた。そして振り返り、彼女を手伝っていた名無しの作業員達に振り返りよく通る声で指示をだした。

 

「いまできる範囲での補修作業を続けなさい。終わり次第、今日は解散です」

 

 その言葉にまばらな返答が返ってくる。そのまま彼女はカランと共に仮神殿の方へと向かっていった。

 

「大変そうだな……」

《にーたんもてつだう?》

「遠慮しとく。全然楽しくなさそうだ……しかし」

《どしたん?》

「……結構、残ってんだな。名無し」

 

 カルカラが去っていった後、ウルは竜に破壊された仮都市の現場を眺めてみると、そこには興味深い光景があった。防壁作りを行う名無し達。精霊の力など当然持ち合わせない彼らは、カルカラが用意した足場を辿り、えっちらほっちらと資材を組み立てて、補修作業を続けていた。

 

《みんながんばってんねえ》

「ああ、そうだな。カルカラもいないのに」

 

 そしてその彼等は、尻を叩く監督役もいないのに熱心に作業をしていた。

 嫌々なら、必要なことと分かっていても、手を抜くものだ。見張る者が誰もいないなら、空気は自然と弛緩する。だが、彼らにその様子は無い。

 彼らのモチベーションは高く見える。そもそも、飛竜の騒動を受けて尚、逃げ出さずこの場所を維持しようとしている者達が居ること自体、意外だ。

 

「おーいお前ら、サボってんじゃ……って、確かエシェル様が呼んだ奴らか」

 

 と、そこに作業員と間違えたのだろうか。恐らくカルカラの代理で此処を仕切っているのであろう土人の男が声をかけてきた。様子を見るにウルの素性は知っているらしい。ウルは会釈を返した。

 

「どうも、少し見学させてもらっていた」

「ほおん、ま、邪魔しねえならなんだって構わねえけどよ」

 

 じろじろと顔を見てくる。露骨に胡散臭く思われているようだ。彼も名無しなら、冒険者は見慣れているとは思うのだが。あるいは見慣れ知っているからこそだろうか。

 

「名無しの流れ者には、神官の御業を見れる機会はそう無くてな」

「おお、そりゃ違いねえ。俺も初めて見たぜこんな間近でよ」

 

 土人は豪快に笑った。警戒を解くために振った雑談だったので、ウルは少しほっとする。そしてそのついでに、思っていたことを口にする。

 

「しかし、名無しの皆、仕事熱心だな。それに逃げた奴が思ったより少ない」

 

 問いに、うむ、と土人が頷く。

 

「ワシらは、エシェル様に恩があるからなあ」

「……恩?」

 

 それは思ってもみない言葉だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仮都市の住民達②/フラグⅢ

 

 防壁建設をカルカラに代わり仕切っていた土人の男はダッカンと名乗った。

 

「大罪都市グラドルが衛星都市を彼方此方に作ってるのは知っとるか」

「知ってる。ついでに、名無しを雇って無茶苦茶な働かせ方してるのも」

「ふん、なら話は早いな」

 

 グラドルにおける名無しの扱いは、奴隷だ。と彼は語る。

 

「都市永住権なんて餌で釣られて、給金もまともに払われず酷使される。口答えすれば殴る蹴る。まともな住処も与えられず、粗末な部屋にすし詰め状態よ」

 

 見てきたように、というよりも、実際に体験したのだろう。その様子を語るダッカンの目には昏い色に淀んでいた。

 

「逃げられなかったのか?」

 

 ウルは当然の疑問を口にした。都市永住権は確かに、間違いなく魅力的な提案だが、しかし命には代えられない。名無しが都市外を彷徨うなんていつもの事。逃げようと思えば逃げ出せたのではと思った。

 だが、ダッカンは首を横に振る。

 

「天陽騎士に、神官様が見張ってんだ。逃げれねえよ」

「神の下僕が奴隷商人の真似事か……」

 

 神官、唯一神ゼウラディアの下僕。神の手足とも称される彼らがやる所業とはとても思えない……と、思うほど、ウルは彼らに幻想を抱いてはいない。彼らとて同じヒトなのだ。道を踏み外す者も出てくるだろう。

 国単位でそれを行う、というのは流石に、あまり聞いたことがないが。

 

「唯一神様の下僕なんてとんでもねえ!グラドルの連中は、私利私欲に精霊様の力を振り回すろくでなしどもさ!」

 

 聞く限り、グラドルを支配する神官達は、天賢王の目が遠くあるのを良いことに、随分と好き勝手にやっているらしかった。特に名無しへの扱いは、以前から噂を聞いていたが相当に酷いようだ。

 

「女子供も同じ部屋!身体もロクに洗えねえ!口答えも許されず文句を垂れれば鞭がとぶ!人身売買と大差ねえ!」

「なるほどな……それで?恩ってのはどういうことなんだ?」

 

 やや、話が逸れ始めたので軌道修正を行う。おお、それだそれだとダッカンは相づちを打った。

 

「まあ、今の話の通り、ロクな扱いを受けなかったもんだから、疲れ果ててボロボロになった奴が結構出てきた。病気になった奴もいた。幾ら鞭で打たれたって動けないんじゃどうにもならねえ」

「そりゃそうだ」

「で、俺達を管理してた神官達に、邪魔に思われたんだろう。ある日、仕事場を移すっつって、特に弱った奴らが選ばれて、運ばれたのが此処だ」

「……それは」

 

 と、言い淀み、ウルは口を閉じた。ダッカンは話を続ける。家畜を運ぶような手荒さで此処に運ばれた名無し達を迎えたのは、“衛星都市ウーガ”建設を取り仕切っていたエシェルだ。

 彼女は、自分で立ち上がることも出来ないほど弱った名無し達を見て、怒り散らしたらしい。

 

 ――なんだコイツラは!なんでこんな役に立ちそうに無い奴らばかり!

 

 病人に向ける罵声としてはあんまりだが、しかしその怒りも当然でもあった。彼女は名無し達に不足した神官の代わりの労働力を求めていたのだ。

 だというのに、労働力どころか、不良債権を押しつけられたのだから。

 

「で、だ。散々俺達に文句を垂れて、病人達を罵った後、あの嬢ちゃんどうしたと思う?」

「……病人を安静にして、食料を与えたんだろ」

 

 ダッカンは少し驚いたように小さい目を見開いた。

 

「なんで分かった?」

「ある程度はどういう人柄かは分かってきた」

 

 彼女の善性を信じた、というわけではない。

 恐らく、エシェルは余裕が無かったのだ。送りつけられた病人達に対して、それ以上痛めつけようだとか、処分してしまおうだとか、放置しようだとか、そういう私利私欲を満たすことを考える余裕が全くなかったのだ。

 余裕がないから、正しいことをする。病人、弱った人間は休ませ、癒やし、食事を取らせなければならないという、“当たり前”を選んだのだろう。

 

「ま、そういう事さ。だから俺達は、だからあの嬢ちゃんには恩がある」

「善意からの施しでなくても?」

「恩は恩だ。おかげで俺の嫁も死なずに済んだ。仕事の内容も、前よりか断然マトモだしな!」

 

 ガッハハと笑うダッカンに、ウルは納得した。名無しに帰属意識はない。権力者に対する畏敬も浅い。もっと直接的な損得、温情のやり取りにこそ動く。エシェルは結果としてそれを満たしたのだ。

 名無し達の労働意欲の高さの理由はコレだ。

 

「そうでなくとも、あのお嬢ちゃん、全然余裕がねえからよお」

「そうなのよねえ」

 

 と、話していると他の名無し達も集まってきた。老若男女、人種も多様だ。

 

「あたしの娘くらいの年なのに顔青くしてるのが不憫でねえ」

「グラドルの奴らもムカつくしなあ。あんなちっせえ子に何できるってんだ」

「だからまあさ、仕事はちゃんとしてやろうって思った訳よ」

 

 おそらくそれは、エシェルが本来望んだものからはかけ離れているようではあるが、しかし彼女へと向けられた確かな人望がそこにはあった。彼女の余裕の無さ、人柄、名無し達の元の待遇、様々な状況が重なった結果の偶発的なものなのだろうが、悪いことではなかった。

 

「まだ、逃げない奴が多く居る理由が分かったよ」

「ま、本当にヤバくなったら逃げるさね」

「そうなんねえように、オメーらも頑張れよ!あのウーガをなんとかしてくれや!」

「期待せず待っててくれ」

 

 仮都市、そこに住まう名無し達、そしてエシェルの情報を頭に入れながら、名無しの住民達の過度な期待をウルは聞き流すのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 翌日 

 竜呑都市ウーガ、正門前

 

「そんじゃあ、二回目探索行くかね」

『前はさんざんじゃったの』

「研究もう少ししたかったのに……」

「実戦も必要でございますよ」

 

 それぞれ好き勝手にしゃべっている。特に緊張はないらしい。固くなって動きが鈍るようなメンツではない。固くなるとしたらウルだけである。そう思うとマイペースな連中にちょっと腹が立った。

 いや、もう一人、問題になりそうな奴はいる。

 

『で、あのお嬢ちゃんはくるんかの』

「もう来たみたいですよ?」

 

 シズクの言葉にウルは振り返る。エシェルがやってきていた。カルカラもいない。天陽騎士の鎧を身に纏うが、見栄えのための装飾は取り外され、いくらかスマートになっていた。魔道銃を肩に提げ、携帯鞄をベルトで締めて装着している。昨日一緒に検討しただけあって、きちんと迷宮に挑む者の装いになっている。 

 だが、なにより違うのは、

 

「化粧ちゃんと取ったんだな。エシェル様」

「五月蠅い。汗で滲んで目に入るんだ」

「そうだろな」

 

 まあ、迷宮で化粧をして、誰にソレを見せるのだという話ではある。しかし、こうして化粧をとったエシェルを見てみると、なんというか大分幼く見えた。

 

「聞いてなかったが、年齢は幾つなんだ?」

「……いま関係あるか」

「単なる興味本位で、言いたくないなら質問を取り下げるが」

「…………18才」

 

 ウルの3つ上である。それにしては背丈も大分低い。年はもっと下に見えるくらいだ。だからこそ、似合わない化粧で背伸びをしていた、ということらしい。

 綺麗におめかしする女性も好ましく思うが、あの化粧は“無い”からとってくれてよかった。と、それを言ったら絶対にキレられるとわかっていたので黙っていた。

 

「文句でもあるのか」

「無い。その年で重責を背負っていることに尊敬の念に堪えないが」

 

 そう言って、ウルはそのまま片手を差し出す。エシェルは最初、訝しがった。

 

「なんだ」

「握手だよ」

「なんで」

「必要だからだ」

 

 ウルは差し出した手を引っ込めはしなかった。只人だがウルよりも小さいエシェルに対して、少し腰を下ろし、見下ろす事もせず真っ直ぐに彼女を見る。

 

「雇う側と雇われる側。命じられる側と命じる側。関係がやたらややこしくなったから一つ、ハッキリさせておきたい」

「何を」

「迷宮の中において俺たちは仲間だ」

 

 そのウルの言葉にエシェルは少し目を見開き、顔を顰め、そしてウルを睨んだ。ウルは目をそらすこともなく、依然として手は差し出し続けた。しばらく間があく。誰もそのあいだ、口出しはしなかった。そして、とうとうエシェルが折れたのか、あるいは何かを決めたのか、ウルの手を取った。

 ウルは彼女の手を強く握った。

 

「ちゃんと仕事をしろよ」

「一蓮托生だ。そっちも頼むぞ」

 

 かくしてエシェルが仲間となった。

 この二人の関係は、ウルが思うよりも、エシェルが思うよりも、ずっと長くなることを二人はまだ知ることはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガの冒険/フラグⅣ

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 記録地:竜呑都市ウーガ 

 筆記者:ウル

 対象:飛竜

 賞金:不明 ← 絶対エシェルから金をせびる。

 解析魔術情報:階級不明/喰/囲 ← シズクが指輪で調べていた。

 

 探索1日目

 竜呑都市の探索が始まった。

 一行(パーティ) 自分、シズク、ロック、エシェル、リーネ。

 ロックンロール号の導入は今回は避ける。ジャインの情報の確認を優先。

 

 前みたいな事故はゴメンなので、“蟒蛇”のルートからは徹底して外れるよう意識したが、今度は魔物の数が多く、キツい。

 

 居住区予定エリアだが、建造途中の建物が魔物の住処になっている。

 →高い建造物の真上に住み着いていた魔物が上から降ってくる。

 →ヤバい。

 

 特に粘魔がヤバい。降ってくる時風圧で身体が広がって広範囲に降り注いでくる。頭だけ護っても、その周りに粘魔が降り注げば、そのまま捕らわれてお終いだ。事前にジャインから話を聞いていなければ確実に死んでいた。マジで危ねえ。

 

 空が抜けている場所には絶対いてはいけない。

 そもそも地上部はジャインが大体探索し終えて何も無いという結果が出てる。

 地下に潜らなければ。 

 

 尚、エシェルは今回は混乱する様子もなく此方の命令に従っていた。

 前と比べると、随分と精神状態が安定しているが、シズクが言ったことが影響しているのかは不明。

 

 あと、指示通りにこなしたあと、チラチラこっちをみてきた。なんだろう。

 

 2日目

 地下もやべーんだが???

 都市建設予定地。限られた土地を有効利用するための地下通路の殆どに肉の根がはびこっている。地上と比べれば細いが、足の踏み場も無い。それだけなら、まだ足の踏み場が悪い程度ですむのだが、困ったことにこの肉の根が通路を複雑化している。本来通れる道を塞ぎ、順路を複雑化する上、竜牙槍で穴を掘ろうにも地面や壁にもびっちりと肉の根が侵食している(キモい)。

 地下への階段も本来地下5階まで続くはずなのに、地下2階でそっこうで詰まった。別の地下への降りる通路を探さなければならない。

 まさに迷宮だ。狭い空間に魔物が溢れかえる。きっつい。早々に撤退。

 

 エシェルには後列からの銃撃で魔物を撃退させた。割と順調に魔物を撃ち落としていた。

 ただその後じっとこっちを見てきた。

 →試しに頭を撫でると黙って撫でられ続けた。

 

 大丈夫なんだろうかこの天陽騎士。リーネの度し難いものを見る目が痛い。

 

 

 3日目

 引き続き地下探索。

 ジャイン曰く、この竜呑都市の“肉根”は地下から伸びているらしい。で、あれば目指すべきは地下だろう。地上にも【真核魔石】も見当たらなかったらしいし。

 で、シズクの音響と、エシェルの都市建設計画の知識を併せてなんとか地下への通路を発見。5階まで続いていたので地下五層に到達。3,4層はシズク曰く「肉の根で埋まってる」ので無視。

 

 ジャイン曰く、階層自体はそこまで深くないらしい。と、なると終点は近いか。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 四日目 五層、地下水路

 

「……エシェル様。此処はなんだったんだ」

「都市の下水の浄化設備、予定地だ。まだ殆ど建設出来ていなかった」

「水路でしょうか?これは」

『地下にこんな空洞を作って崩れんのかの?』

「都市建設は迷宮が出現してからの数百年間蓄積されたノウハウをもとに建築されてるのよ。そう簡単に崩れることはないでしょう」

 

 ウル達の目の前に広がるのは、入り乱れた四方に広がる水路の空間だ。元々は下水が流れる場所であったらしいが、使用していなかった事もあり、悪臭がたちこめるといった事は無かった。代わりに、やはりここにも肉の根が蠢く不気味な空間が完成していた。石造りの水路がまるで、生物の臓腑のように蠢いている様は不気味極まった。

 ウル達がいるのはその水路の上段。管理者が移動するための通路入り口だ。

 

『さて、先に進むかの?』

「……いや、シズク、周辺の環境は」

「魔物の数は少ないですね。水路奥に蠢く気配が小さいのが幾つか……」

「よし……、周辺探索後、此処に中継定点を設営する」

「中継?」

 

 エシェルが首を傾げる。ウルは水路から目を離さないまま、よく分かっていないエシェルの疑問に答える。

 

「結界を組んで魔物も立ち寄らない休憩場所を作る。ここから先は、地上までの距離がありすぎるから、安全圏を用意したい」

「迷宮の中にそんな場所、作れるのか…?」

「魔物から少し目をそらせれば上出来で、見張りありきなのが基本らしい……普通は」

 

 ウルは後ろを見る。リーネはぐっと親指を立てた。

 

「何年持たせれば良い?」

「数時間でいいわい。っつーかそんなに持つ結界作れるのか?」

「迷宮は魔力の坩堝よ。魔除けくらいの結界ならいつまでもやれるわ」

「白王陣様々だ。居心地良い奴を頼む」

「1時間ちょうだい」

「了解。全員、リーネの護衛開始」

 

 ウルの一言で各々、エシェルを中心として周囲を見張ることとなった。尤も、周辺の魔物に関してはシズクと魔導書の【新雪の足跡】があればいち早く発見できるため、常時気を張っておく必要は無い。

 結果、小休止の状態となった。

 辺りにはリーネの魔法陣を刻む音だけが響く。魔物の気配は依然として少ない。シズクは遠くでその存在を感知しているが、未だ、コチラに来る様子は無いという。ウルは自身の竜牙槍の汚れを払っていた。出来れば分解し整備をしたいが、流石にいつ魔物が来るか分からない状況で、武器を使い物にならなくするのは間抜けだ。

 

「……」

 

 すると、ウルの横にエシェルがやってきた。彼女はウルのやや斜め後ろに座り込むと、そのままウルをジッと睨み続けた。最初、ウルは無視してやろうかとも思ったが、あまりに熱心に、そして何か言いたげに睨むので顔を向けた。

 

「どうしたんだ」

「…………別に、何も無い」

「そんなツラして睨み付けといてなにも無いわけ無いだろ。話なら聞くぞ。今なら間がある」

 

 迷宮にゆっくり出来るような時間はそんなに多くはない。地上に戻ったら戻ったでウル達はクタクタだし、やるべき事も多い。エシェルは仮にも仮都市のリーダーだ。彼女は彼女でやるべきことは山積みだろう。腹を割って喋れるタイミングは本当に少なかったりする。

 ソレを理解してか、少しエシェルはウルに近づいた。他のヒトに聞かれたくないらしい。そして、

 

「…………私は役に立っているか」

「ん?」

「答えろ」

 

 ウルはしばし考え、頭をかいた。周囲にはリーネが術式を刻む音だけが響く。迷宮の中とは思えないほど、静かだった。やがて、ウルは顔を上げると、なにやら深刻な顔でウルの答えをまっていたエシェルを改めて見て、答えた。

 

「それなりに」

「なんだそのいい加減な答え!」

 

 怒った。ご不満らしい。

 

「詳細に言うなら、少なくとも戦闘面では役に立ってる。近接は俺とロック、後衛はシズクとリーネだ。シズクは詠唱、リーネの【白王符】、魔術の発動までに時間や枚数制限がある」

 

 シズクの魔術の詠唱速度は規格外だが、やはりノータイムというわけにはいかない。リーネの符も自作出来るとは言え、個数には限度がある。白王陣の使いにくさは言うまでも無い。

 ウルの投擲技術はあるが、あくまでもサブウェポンだ。今現在のウルの仕事は近接で手一杯である。後列の手が増えるに越したことはない。

 

「アンタの“銃”は威力はそれなりだが、速い。時間差なく魔物を撃ちぬいていくのは頼りになる。が、まだ不慣れな分、初動が遅い事がある。のでそれなり」

 

 ウルは真正直に答えた。嘘偽りも媚びへつらいもない忌憚なき意見だった、つもりだ。それが果たして彼女の望む答えであったかどうかは兎も角として。

 

「…………」

 

 そしてエシェルは、ウルの解答に対して、しかめっつらな表情で返してきた。残念ながら彼女の望むような答えではなかったらしい。

 

「この答えでは不満だったか?」

「………五月蠅い」

 

 顔を伏せてしまった。今日の情緒はダウナー気味らしい。

 彼女の精神の浮き沈みの激しさにウルは既に慣れていた。迷宮を探索し始めてからはかなり落ち着いてきた。声を荒らげることも無くなっていた。つまり現在の状態は大分マシだ。

 だからウルは慌てずに、出来るだけ落ち着いた声で話しかけた。

 

「なにか、不安でもあるのか?」

「……気になるなら聞き出せば良いだろう。お前の命令には逆らえないんだ」

「別に、言いたくないことを言わせる気は無い。逆に、言いたい事があるなら聞くが」

 

 そこまで言って、ウルは黙った。竜牙槍の汚れを落とし動作を確認しながら彼女の反応を待った。もしも返事が無いのならそれはそれで構わなかった。

 

「私は」

 

 やがて、ポツリと小さくエシェルは声を漏らした。ウルは手を止めて振り返る。

 

「……もっとちゃんと出来るって示さないと駄目なんだ……そうじゃなかったら……」

「新人冒険者の活躍程度では足りない?」

「足りるわけが……!!」

 

 エシェルは声を張り上げ、ウルを睨む。だが、それも長くは保たなかった。ピンと立った耳はへなへなと倒れ込み、抱えた足に顔を伏せた。

 

「……お前達と私は違うんだ。現状に甘んじるわけにはいかないんだ……」

「その向上心の高さは尊敬するがねえ……」

「馬鹿にしてるだろ」

 

 エシェルが苛立ちながら顔を上げる。ウルは首を横に振った。

 

「心から思っているさ。見習わなければとも思う」

「見習う……?」

「何しろ俺は、新人のエシェル様を除外すれば、一行の中で一番貢献度が低いからな」

 

 え?と、初めてエシェルが顔を上げた。別に、彼女の顔を上げさせるために自分を卑下したのではない。ただ事実を述べただけだ。

 

「最大戦力はシズクと、要所ではリーネだろ。ロックは近接戦闘、更には自身の骨を変化させるオールマイティな能力持ち。それに引き換え俺は凡百の戦士職に過ぎない」

 

 強大な格上の賞金首を撃破し続けることによって、魔力の吸収、肉体の強化は確かに進んだが、未だその力に四苦八苦している。あまりに間断なく強力な魔物を倒し続けた結果、ずっと肉体のコントロールが不安定な状態が続いている。食事の時、加減を誤り、カップを握りしめ粉砕してしまうこともあった。

 シズクはそんな事もなさそうだというのに、なんていう劣等感も最早言い飽きた。

 

「だから、このままではいけないと努力することを、嘲ったり、馬鹿にするような事はしない。んなこと出来る立場じゃあないからな。俺は」

 

 ウルがそう言うと、エシェルは先ほどとは少し違った表情をした。バカにしているような風ではない。同類を見つけた、とも少し違う。少し不思議そうな表情だ。

 再び沈黙に戻ったが、しばしして、意を決したように顔を上げ、彼女は尋ねた。

 

「…………平気なのか?」

「いや、日々劣等感に苛まされているが。惨めなもんだ。指示する奴が一番弱いのは」

 

 ウルは正直に答えた。エシェルは更に変な顔になった。そしてまた少し黙る。ウルもまた黙って竜牙槍の手入れを続けた。術式の刻まれる音だけが再び辺りに木霊する。迷宮の中とはとても思えぬほどに静かだった。

 

「…………出来ないのに、指示しないといけないのが、辛いのは、それはわかる」

「ああ」

 

 しばらくして、エシェルはぽつぽつとしゃべり出した。ウルは手を止めて、ゆっくり肯定した。

 

「従者の奴らも、皆こっちのことを小馬鹿にしてる。何を言っても鼻で笑われる。なんども言い聞かせたら、疎ましい顔でこっちを睨むんだ」

「ああ、きついな」

「私だって自分の指示が完璧じゃないのは分かってる!でも、こっちだって必死なんだ!それなのに、アイツらは……」

「努力を汲み取ってもらえないのは嫌だよな」

 

 最初はウルの言葉への肯定だったが、徐々に自身の胸の内を、エシェルはゆっくりと明かしていく。同時に、今まで堰き止めていた感情の抑えが利かなくなったのだろうか。言葉とともにぽろぽろと涙が零れ始めた。

 

「このまま都市がだめになったら……お父様に今度こそ……でも、どうしたら……」

「何とかするために、こんな所まで来たんだ。俺達は」

「ダメだったらどうするんだ……そうなったら……もう……どこにも……」

 

 がっくりと、そう言ってまた泣き出した。ウルが思ったより遙かに、彼女は追い詰められているらしい。特権階級で、しかも天陽騎士である彼女が何故そうなるのか。そんな彼女が何故都市建設なんていう重大な役割を背負わされているのか、疑問は尽きない。

 ウルとはあまりにも立場が違う。だから彼女の苦悩はウルには分かってやることは出来ない。だが、彼女が何に追い詰められてるのかは一応分かっているつもりだった。

 

 逃げ場のない場所で殴られ続け、悲鳴を上げることも出来ず潰される苦しみだ。

 いつ終わるとも分からない苦痛に、耐えなくてはならない絶望だった。

 

 頑なにウル達との同行を通そうとした理由も少し分かった。もう、ただ何もせず、もたらされるともしれない結果を待つのは、もう耐えられなかったのだ。

 逃げ道を用意してやらないと、彼女は潰れてしまうだろう。だが、ウルが用意できるものなんてたかが知れていた。

 

「……ま、全部駄目だったらウチに来れば良いさ」

 

 とはいえ、何も言わずに放置するのも無い。ので、ウルはそれを口にした。

 

「……は?」

 

 エシェルはウルの言葉に数秒おいてから反応した。全く予期しない言葉だったのだろう。ぽかんとした声だった。

 

「なんだ、嫌なのか。だったら残念だな」

 

 まあ、名無しの冒険者ギルドに入るなんて嫌か、とウルは肩を竦める。が、エシェルの反応はそういったものではなかった。どちらかというと、驚愕したような表情である。

 

「…………お前の、ギルドに、入る?」

「ああ、そう言ったが」

「そんなの……そんなのは……駄目に、決まってる」

「決まってるのか?名無しの冒険者稼業のギルドに入るハードルほど低いものはないだろ」

 

 ほぼ地に沈んでる。と、ウルは笑った。

 罪でも犯していない限り、ウルとしては問題ない。彼女がどのように追い込まれていて、失敗したらどうなってしまうのかはイマイチピンと来ないが、最悪身体一つ残って無事なら、ウルとしては歓迎である。それくらいハードルが低い。

 勿論、当人から願い下げと言われればそれまでではあるのだが――――

 

「…………………いい、のか?」

「いいよ、別に。何せ人手不足だ。猫の手でも借りたい」

「……いい、んだ……」

 

 エシェルはそれから暫く、ぶつぶつとその言葉を繰り返した。それが彼女にとって良かったのか悪かったのかはわからないが、少なくとも先程のように死にそうな表情ではないだけ、マシだろう。

 ウルは彼女をそっとしておいて、再び竜牙槍の整備をしようと手を伸ばした。だがそれよりも早く

 

「ウル様」

 

 シズクが声をあげた。探知を続けていた彼女が声をかけてきたということは、つまり魔物が近づいてきた証拠だ。ウルは竜牙槍をもって立ち上がった。

 エシェルも慌ててそれに従う。

 

「魔物か?!」

「はい。確認できる限り五体ほどの魔物が。内四体は小型の魔物です」

「じゃあ残り一体が大物と……サイズは?」

「高さ4メートルほどで長さが50メートル超はあるかと」

「「そう……」」

 

 ウルとエシェルは1度、シズクに与えられた言葉をそのまま飲み込んだ。飲み込もうとして、まったく飲み干せない情報であった事に気づいて、それを吐き出した。

 

「「は?!!」」

『GUBUUBOBOBOBOBOBOBOBOBOOOO!!!!!!』

 

 次の瞬間、迷宮となった水路から、その水路目一杯にその巨体を滑らせうごめく巨大なる土竜蛇(サンドワーム)が姿を現した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガの冒険②

 

「――――っ!!!!」

 

 エシェルはあまりの驚きによって自分の悲鳴が引きつった喉に潰されるのを感じた。水路から出現したその魔物、巨大な、あまりに巨大な、ぶよぶよとした肉の塊が、なにやら恐ろしい勢いでこっちに向かってつっこんでくるのだ。

 大地を揺らすような轟音に反射的に銃を構え、引き金をすぐさま引こうとして

 

「エシェル、動くな!」

 

 と、ウルの指示でぴたりと動きを止めた。

 

「なんでだ!!」

「“こっちを視認しているかわからん!”不用意に攻撃するな!」

「こっち来てるんだぞ!?」

「わかってる!!ロック!!リーネの回収準備!!」

『邪魔したらあとでキレられそうじゃのう!』

 

 未だ白王陣に集中しつづけるリーネの前にロックが立つ。

 ウルは道具類を全て背負い、武器をしまう。迷ったが、もし本当に接敵した場合、あのお化けじみた土竜蛇に適当な攻撃がどれほどの効果をもたらすか分からない。逃げ足に集中した方がマシだ。

 

「シズク!不可視と静音の結界はかかってるよな!」

「持続中です!」

 

 言っている間にもどんどんと土竜蛇は近づいてくる。あの巨体で、どのようにして動いているのか全く分からないが速度は凄まじい。遠方でも大きく見えていたその不気味な肉の塊は、近づくと壁に近い。

 

「ああ、くそコレきっついんだがな…!」

 

 ウルは左目の【黒睡帯】を取り、左目の魔眼を見開く。この上なく扱いづらい、使いあぐねている【未来視の魔眼】を使用する。

 

「……!」

 

 視界が多重にブレる。情報の処理に脳みそが激しく混乱する。やむなく右目を塞ぎ、情報を数秒先の未来に収束させる。土竜蛇の動きを先取りし、自分たちの行動を決定する。

 

「――――よし、()()()!!!」

 

 その瞬間、

 そしてその壁の前には、魔物が数体、同じく此方に向かってきている。影狼数匹に毒爪鳥が数羽、決してサイズとしては小柄なタイプではないのだが、迫る土竜蛇と比較するとまるで羽虫のように見えた。

 

 その、羽虫のような魔物達が、ウル達の立っている上層の通路へと飛び込むようにして――――

 

『BOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 その前、土竜蛇がそれらの魔物を一瞬で、なぎ払うようにして食い散らかした。そして、そのまま、“まるでウル達を避けるように”その進路を横にそらして、土竜蛇はウル達の前から離れていった。

 

「…………………はああ……」

 

 長い胴が通路の闇に隠れ見えなくなり、地響きが聞こえなくなってから、ウルはようやく大きく息を吐き出した。他のメンバーも同時にぐったりと肩の力を抜いた。エシェルなどへたれこむようにして地面に座り込んでいた。

 

「………………」

 

 唯一、リーネだけは一切なにもなかったかのように一心不乱に【白王陣】を刻んでいるのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 一時間後

 

「……んじゃ、作戦会議はじめんぞ」

 

 白王陣の中に座り込み、煮込んだ干し肉を食い千切りながら、ウル達は作戦会議を開始した。全員、ウルへと顔を向けつつも目の前の食料を口に放り込む。迷宮の特徴か、体力、魔力が恐ろしく摩耗していた。

 ウル達も迷宮には慣れてきていたし、身体も強くなっていた。数時間なら集中力も体力も切らさず戦うことも出来るようになっていた筈なのだが、ここでは1時間も持たない。思った以上に厄介な迷宮だった。

 だが、だからこそ白王陣の結界は非常に役に立っていた。

 

「この中だと、この迷宮の“吸魔”の影響は受けないのですね」

「そうよ。あがめたてまつりなさい」

 

 リーネは無愛想なツラながら、鼻高々にふんぞり返っている。ウル達はありがたやと足下に広がる精巧なる【白王陣】に感謝を告げた。実際ありがたい。不可視と魔除け、更に他からの魔術の影響を完璧に遮断する複合結界だ。オマケに魔力は迷宮から奪い吸収するので消耗も無い。事前準備に恐ろしく時間が掛かることを除けばほぼ万能となる休憩所だった。

 

「その分、作成時のリーネ様の消耗は凄まじいですが」

『完成した瞬間ぶったおれたからの』

「魔力欠乏と栄養失調で死にかけたからな。マジで気をつけろよ」

「気をつけるわ」

 

 リーネは真顔で頷いた。白王陣の完成のためなら絶対同じ真似をすると思った。次から陣作成中にでも口に携帯食ぶちこもうと決めた。

 

「でも、今回、陣作成自体は楽だったわ。邪魔が少なかったもの」

 

 通常、この結界に限らず【白王陣】を生み出す場合、時間稼ぎに幾多の魔物を迎撃しなければならず、相応の消耗を強いられるのだが、今回はそうでもなかった。

 

「魔物の数が少ない場所でよかった……っつーのも、原因は、アレなわけだが」

 

 あれ、とウルが名指すのは、先ほどウル達の眼前にまで迫った巨大な、あまりに巨大な土竜蛇の存在だ。接敵した事を思い出したのか、エシェルがぶるると身体を震わせた。

 

「あんなもの、どうすれば……」

 

 あの土竜蛇がこの水路の迷路をうごめき、動く者全てを食い尽くしている状態を前に、ウル達は立ち往生を強いられていた。というのも、避けて通るルートがない。

 上の管理用の通路は所々が砕けていた。あの肥大なる土竜蛇が水路を通過する途中で、砕いてしまったのだろう。今ウル達が立っているこの入り口を除いて、まっとうな通路は残されていなかった。

 

「まずはそもそもこの先を進む理由があるかってところだが。シズク」

「飛竜の気配かはわかりませんが、この水路の中心地に魔力が集中しています」

「真核魔石かしら?」

「不明です。肉の根が魔力の流れや音の反響を乱しています。魔力が集っているとしか」

『手がかりはそれだけカ……なら、いくしかあるまいのう?』

「……」

 

 先に進む必要がある。コレは確定だ。では次。

 

「あの土竜蛇だ。さてどうするか」

「今現在、再び停止状態ですが、魔物が、というよりも生物が、でしょうか?水路、肉の根の通路に出現するたび、動き出して、それらを飲み込んで、停止を繰り返しています」

「逆を言えば、水路にさえでなければ、此方を知覚してこない」

『目んたまもないからのう?』

「実際は、無数の目玉があるらしいぞ。土竜蛇。すげえ小さい上、機能してないらしいが」

 

 一定のエリアに侵入すると、途端に活動的になる魔物。あらかじめ動きを決められている人形の動作が近いだろうか。そのため、安全な場所にいれば害はない。が、問題は、目的地である中心部に向かうには水路を通らざるを得ないということだ。

 

「追われたら逃げられるか?」

「厳しいでしょうね。移動強化の魔術も、この迷宮では効果時間は短く、万全の状態でもあの土竜蛇は、速いです」

「ロックなら?」

『速度なら負けんが、いつまで持つかわからんぞ?ただでさえ魔力の消耗が爆速じゃ』

「結局、この迷宮そのものがネックか……」

 

 体力、気力、魔力、魔術効果、全てを急速に奪う厄介すぎる迷宮だ。白王陣で迷宮中を覆うなんて真似は出来ない以上この問題はずっとついて回る。

 

「エシェル様、意見はあるか」

「へぁ!?」

 

 途中から、上手く話に入れなかったのか、ずっと押し黙ってたエシェルにウルが話を振る。突然話を振られたエシェルは挙動不審になりながら手に持っていた干し肉のスープを少しこぼした。

 

「わた、私は、とにかく、あそこを突破しなければ話にならないわけでだな」

「それで、どうすれば良いと思う」

「……………それは…………」

「別に、思いつきでも構わないぞ。どうせ今のところ、ろくな意見がないんだ」

 

 エシェルは考え込むように黙った。ウルもそれにあわせて黙った。シズク達もウルに従い口を閉じた。少しの沈黙、その間、遠方で土竜蛇が蠢く音と魔物達の悲鳴以外何も聞こえなかった。

 

「……か、隠れて……進むとか」

「シズク、どうだ?」

「土竜蛇が今現在、どのようにしてこちらを知覚しているのかわかりません。しかし、“肉の根”で埋まった水路を利用している以上、肉の根を一種のセンサーにしている可能性があります」

「つまり?」

「我々がいくら姿や音を隠しても、水路を移動するしかありませんから、見つかる可能性が高いです。見つからなくとも、水路は土竜蛇の通り道です」

『コッチを狙ってなくとも、轢かれるかもしれんの?』

 

 単純に姿を隠すのは困難だということだ。エシェルはむむむと眉間に皺をよせた。

 

「空を飛ぶのはどうだ!」

「魔術でですか?一行全員を浮遊させる高等魔術は習得していません」

「私の白王陣も、強化付与で出来ないことはないけど、持って数十秒よ。この迷宮だともっと速いわ」

「私の個人携帯の移動要塞!」

『あーあの空飛ぶやつカの?あれどんだけ魔力持つんじゃ?あとこのせっまい空間をどんだけ正確に飛べるんじゃ?』

「……………」

 

 黙ってしまった。顔は非常にむっすりとしている。折角頑張って考えた意見がことごとく潰されて機嫌を損ねたらしい。が、意見交換の場で機嫌取りのためによいしょしても無駄なので仕方が無い。

 

「結局、土竜蛇をどうにかしないまま、中心地に向かうにはリスクが大きいです」

「…………何よ、結局戦わなきゃいけないんじゃない」

「だが、正直戦うにはリスクとコストが大きすぎる。そんでリターンも怪しい」

 

 そもそも土竜蛇は、今回の迷宮探索の目的でも何でもない。賞金首でもない。迷宮の主でもない。ただの、障害物に近いのだ。たとえ倒しても精々大きな魔石がとれるかもしれないくらいだろう。まったくもって払う代償に見合わない結果だ。

 まともに戦うだけ損なのだ。

 

「だったらまともに戦わなきゃいいでしょ!毒殺でもなんでもしちゃいなさいよ!」

 

 エシェルはキレ気味にぶちまけた。どうせ自分の意見はすぐに否定されるに決まってると、そう言わんばかりの態度で口走った。彼女自身、それで上手くいくとは到底おもってもみないという顔だった。

 

 だが、ソレを聞いたウルとシズクは違った。

 

「「…………なるほど」」 

「………え?」

 

 予期せぬ返事に、エシェルの顔は再び呆けるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔物に対する薬毒は、決定力に大きく欠くのが通説である。その理由は幾つかある。

 

 ・そもそも魔物は飲み食いを必要としないものが多く、経口服毒は期待できない。

 ・魔物の種類は多様であり、その魔物に合わせた毒が必要となる。

 ・よしんば用意できたとして、効果が現れるほどの毒を用意できるか。

 

 挙げていけばキリがない。魔物と一言で言い表せない程の多様性が、毒殺という手法そのものの大きな壁となっている。誰も使わないから、発展も、普及もしない。結果、廃れてしまった。ヒト相手につかうものであれば兎も角として。

 それ故に、エシェルのやけっぱち気味に口走った「毒殺」という手段は本来であれば論外として片付けるような話だった。本来であれば。

 

 だが、ウル達には武器が、毒がある。以前の賞金首との決戦の際得た毒が。

 【紫華の槍】

 あの怪鳥の爪から錬成された竜牙槍の刃。毒の属性と魔力を有したこの槍は、毒性の魔力を産む。不完全なヒトの毒でなく、魔物が生み出した、万物を呪い爛れさせる毒を。

 

「…………こんなのが、上手くいくのか?」

「さあ」

「ちょっと」

「わからんから試すんだ。危ないから離れてろ」

 

 ウルは手ぬぐいで顔を覆いながら、竜牙槍を握り、先端を地面に固定した空のガラス瓶に差し込んだ。そして柄を力強く握りしめる。魔力を注ぐという行為に筋力は必要ないが、ウルにとって魔力を注ぐスイッチがそれだった。

 

『ほぉー毒々しいのう……』

 

 ロックはガラス瓶を両手で固定しながら目の前に垂れてくる毒性の魔力の雫を、集めていく。跳ね飛んだ雫がロックの身体にすこしかかり、そこがじゅうじゅうと溶けていった。

 

『……こんな危ないモノ振り回してたのか、貴様』

「魔力を大量に注ぐような真似しなきゃ、精々刃に触れると焼け爛れる程度らしいんだがな。魔力を過剰に注ぐと、刃を媒介して、魔力が毒に変化する……らしい」

 

 魔力は万能物質で、万物に流転する。で、あれば毒にも勿論なり得る。極めて強い触媒を介すればそれは可能、と、これを作り出した錬金術師の言葉だ。彼としては「故に魔力を注がないよう注意しろ」という意味で言ったのだろうが、早速悪用する羽目になってしまった。

 

「……ただ……そこまで強い毒でもない……らしいんだがな」

 

 急速に喪われていく魔力から生まれる虚脱感をこらえ、歯を食いしばりながらウルは説明を続ける。口を動かして疲労を誤魔化していた。額に浮かんでくる汗はシズクが甲斐甲斐しく拭ってくれていた。

 

「物質から錬成したものじゃない魔力そのものだから……相手の魔力量に影響されてしまう、らしい」

「……つまり?」

「単純に言うと、強い魔物には効かない」

 

 格下専用、と言ってもいいだろう。大量の魔力を身体に宿した相手にこの毒を服用させても、対象の魔力の影響を受け、すぐその性質を変えてしまう。故に意味は無い。魔導核の傍にあれば毒性は最低限保たれるので、刃として振るう方が良い。【紫華の槍】の本来の使い方はそちらである。

 

「じゃあそんなの、あのデカブツに効くわけ無いじゃないか」

「……どうかな」

 

 エシェルの抗議を聞きながら、ウルは槍を握る手を緩めた。魔力の放出はとまり、瓶には毒に変質した魔力がたっぷりと溜まった。ロックはそれをキッチリと蓋をする。ソレを見届け、ウルはゆるゆると腰をおろす。手放した竜牙槍から毒は既に漏れていない。あくまでも毒質をもった魔力であり、ウルが手放せば無害な武器に過ぎなかった。

 

「……しんど」

 

 ぐったりと身体を休めているウルへとリーネは水筒を手渡す。

 

「それで、これを使うの?」

「いや……もうあと数本作る。半端に効いて暴れられたら事だ」

「私が代行しましょうか?」

 

 シズクがウルを気遣ってか確認する。確かに、竜牙槍はウルの装備だが、別に魔力を注ぐだけならシズクにも可能だろう。魔術も扱う彼女なら、ウルよりよほど上手く出来るだろう。しかしウルは首を横に振った

 

「いや、いまんとこ、ウチで魔力に余裕があって、用途が無いのは、俺だ」

 

 シズクはオールマイティにあらゆる魔術を扱える。魔力はいくら温存していても足りない。リーネは白王陣でからっけつ、エシェルも魔力を注ぎ銃を放つ戦闘スタイル。ロックにいたっては魔力が尽きれば身動き一つ取れなくなる。

 つまりウルが唯一の適任だ。魔力消耗による幾らかの脱力は、筋力でフォロー出来る。

 

「っつー訳で、次の用意頼む。ロック」

『そりゃ構わんが、倒れるんじゃないぞ?』

「土竜蛇も倒れてくれるなら上々だよ」

『カカカ!そう上手くいくわけなかろ』

 

 そりゃそうだ。とウルは力なく笑った。冒険者になってから日は浅いが、その間、容易い魔物などろくにいやしなかったのだから。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一時間後

 

「土竜蛇死にました」

「うそお」

 

 ウルは巨大な土竜蛇の死体を前に眼を疑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガの冒険③

 

 土竜蛇は死んだ。

 生成した毒を、ウルが目の前を通過しようとしていた土竜蛇の巨大な大口に瓶を放り込んだ数十秒後、凄まじい断末魔の咆哮と、激しい地響きが響き、更に数十秒後静かになった。確認しに向かうと、土竜蛇が死んでいた。

 

「……本当に死んでる?」

「死んでます。既に迷宮による肉体の分解吸収が始まってます」

「効くかもとは思っていたが、ここまでとは……」

 

 ウルがその結果に驚く傍ら、エシェルは自らの策が上手くいったというのに驚愕の表情で固まっていた。

 

「なんで……こんなデカイのが死ぬんだ?」

「毒が効いたんだろう」

「強い奴には効かないって言ってたろ」

「コイツが強くなかったって事だろう」

「【解析】できましたが、どうも階級は十一級でした」

 

 宝石人形よりも下の階位の魔物だったのだ。解析したときは目を疑ったが、考えてみれば道理ではある。魔物は魔力によって生まれる、世の摂理に反したバケモノではあるが、その強さに関しては、摂理に則っている。

 魔力を吸収し、強くなるには時間が必要なのだ。

 

「で、この迷宮は生まれて間もない。つまり成長する時間もなかった」

『図体だけがいっちょまえってとこカの?なら、まともにやりあったら勝てたかものう』

「ガタイのデカさは本物だったからな。あの速度で突っ込んでくるデカブツ相手に、まともに戦うのは事故が起こりかねん」

『そらそじゃの……っと、みつけたぞ』

 

 ゆっくりと崩れていく魔物の体内を探っていたロックが声をあげる。魔物を倒した以上、魔石を取得しなければならないのだが、“回収鞄”が魔石に反応しなかったため、ロックに様子を見に行ってもらっていたのだ。

 ディズが用意してくれた回収鞄は万能ではなく、物理的な障害によって回収し損ねることがある。しばらくすると“引き寄せの魔術”も効力が切れるので、直接回収しなければ、放置された魔石は迷宮にそのまま吸収されてしまう。

 

 故に、ロックの発見の報告を聞いてウルは安堵したのだが、ロックが運んできたソレを見て、ウルは少し顔を顰めた。それはロックが持ち帰った成果に不備や不足があったわけではなく――

 

「…………魔石、()()()?」

 

 成果が、過大だったのだ。

 

『これ、確か“怪鳥”の時くらいありゃせんかの』

 

 ロックが両手に抱えるようにして持ち帰った魔石は、確かに多い。途中砕けたのか、大小様々な魔石があるが、全て集めれば階位が九級だった賞金首【毒華怪鳥】規模のサイズだ。魔力の質にもよるが、金貨1枚分にはなるだろう。かかった労力と比較すれば大もうけと言える。

 が、ウルの表情は優れない。エシェルは不思議そうに首を傾げた。

 

「なんだ、喜ばないのか。良いことじゃないか」

「見合わない成果ってのはあまり喜ばしいもんじゃない」

「プラスでもか?」

「ロクに結果も出せていない仕事にバカみたいな報酬出されたらどう思う」

 

 ウルがそう言うと、エシェルは少し想像するように黙り込み、そしてその後額に皺を寄せた。

 

「…………気持ち悪いな」

「だろ」

 

 これがその例えと全く同じかは不明だが、能天気にそれを受け取って話を終わらすのはいささか楽観的すぎる。

 一先ず魔石は鞄に収納し、再びウル達は水路を戻り、白王陣に腰を据えた。

 

「十一級で間違いなかったんだよな。シズク」

「間違いなく。もしかしたらこの魔石は元々一つではなく、バラバラのものが一カ所に集まっていただけなのかもしれません」

「というと?」

「この魔物は水路の魔物を喰い漁っていました。その分の魔石が此処に集まったのでは?」

 

 シズクの言葉にウルはなるほどと頷く。元より、この魔物の挙動は通常の魔物のそれと比べておかしかった。魔物が長く生きると野生化し、独自の行動を取り始めるというのは【大罪迷宮ラスト】で思い知ったが、ひたすら同胞の魔物を積極的に食い荒らす、というのは野生化とはまた印象が違う。

 この土竜蛇が最初から、他の魔物を喰らう習性があったのだとしたら、なるほどシズクの意見にも納得がいった。

 

「でも、それなら、なんで他の魔物を喰って魔石を回収した上で、蓄えていたのかしら。肉体の維持のために消費するでもなく、魔石として貯め続けるのは、ヘンだわ」

『喰っておる途中だったのかもしれんぞ?単に消化が遅いのやもしれん』

「“その線は考える必要はありません”」

 

 情報が錯綜する最中、シズクが響く声で告げた。ウルは首を傾げる。

 

「というと?」

「それが正解なら、我々が得しただけです。我々が想定すべきは最高ではなく最悪です」

「……それは、道理ね」

「最悪を想定した場合、一つ思い当たる事があります。何故大量の魔石を周囲の魔物から回収し、しかし全く消費しなかったのか」

 

 シズクは土竜蛇のいた方角に視線を向ける。

 

()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 沈黙が場を支配した。その言葉には不穏さ以外何も無かった。

 

「用途」

「勿論、それが何かは分かりませんが、しかしどこに集められたかは推測できます」

 

 シズクが【新雪の足跡】を広げ、唄う。魔本が輝き、頁が空中に浮遊し一帯の地図が浮かび上がる。元々の水路の上から発生した肉の根の迷宮がウル達の目の前に姿を現す。

 地下水路は複雑に入り組んでいるが、途中で道が塞がっている様子はない。曲がりくねりながらも、最終的には全てが中心に向かって延びていく。

 

「此処かと」

『こんだけの魔石を集め続けた場所、のう?』

「……………行かねえ選択肢は無いんだが、なあ……」

 

 行きたくねえ。

 ウルは何度目かになるぼやきを心中で口にした。

 

 

 

               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 中心へと向かう、と決めて、移動を開始してから何体かの土竜蛇と、その土竜蛇から逃れた魔物達との幾度かの戦闘をウル達は繰り返した。結論から言うと、最初の土竜蛇から得られた魔石はかなりの“大当たり”だったらしく、以降、土竜蛇を倒すことが出来ても得られる魔石はまちまちだった。

 

 無論、“当たり”の時もあるにはあるのだが、他の魔物との戦闘中に土竜蛇が突然襲来してくるリスクを考えると、狩り場としては良しとは言い難い。そうであったなら、白の蟒蛇の連中は地上ではなく地下を狩り場にしていただろうから、それも当然と言えた。

 

 こうして、何度か苦労を重ねながら、徐々に行進を続け、竜吞都市ウーガ5層水路の中心部にようやくウル達は到達した。

 

「……さて、全員警戒準備」

 

 ウルは一度足を止め、全員にそう呼びかけた。

 

『この先に迷宮中の魔力が集中し、あの土竜蛇がわざわざ同胞を食い殺してでも集めた魔石が集められた場所があるんじゃのう』

「滅茶苦茶萎えるから事実を並べるのやめろロック」

『じゃがいくしかなかろ?』

「わーかってるっつの……エシェル様」

「な、なんだ!」

 

 ウルは明らかにガチガチになっているエシェルに声をかける。反応は返すが、とてつもなく緊張している。正直あまり状態としてはよろしくない。

 無論、ウルとて緊張はしている。だが今日まで酷い経験を繰り返したお陰、ないし所為で、緊張と脱力を同時にする技術は身につけつつあった。エシェルはそれができていない。

 

「今日はあくまで偵察だ。無理をしない範囲で情報は集められれば良しとする。ヤバそうなら即逃げる。いいな」

「わ、わかってる!そんなこと……」

「危ないと思ったらちゃんと助けを呼んでくれ。なんとか助けるから」

 

 コクコクコクと何度もエシェルは頷く。あんまり大丈夫に見えないが、此方の言うことを素直に受け入れているだけ状態としてはマシだろう。出来れば、ウルだって助けてほしいものなのだが、それを今彼女に言うのは酷というものだ。

 

「いくぞ」

 

 再びウル達一行は前進した。間もなく肉の根の通路が終わり、この水路の中心部が、竜呑都市ウーガの中心点が露わとなった。

 

 

 

               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 “仮都市”の何処かにて。

 

 そこは、太陽神、世界を遍く照らす絶対神の庇護も届かぬほど、暗く、淀んでいた。

 

 この世界に暮らす者の多くは闇を嫌う。天に輝く太陽こそが神の象徴であるが故に、その光の届かぬ場所は叶う限りは生み出すまいとするのだ。

 都市はその土地の制限故に地下空間も利用するが、居住区は必ず地上に作られる。地下に暮らす事を望む者はいないために。都市の内に住まえぬ名無しですらも、好んで光の届かぬ場所で生活を望もうとはしない。

 この世界の闇とは、本能的に避けるものである。実入り多い迷宮探索も、地下深く潜ることも多いが故に忌避する者も決して珍しくはないほどだ。

 

 だから、闇に望んで潜むような者は、後ろ暗い事がある者だと言われる。

 太陽神の目から逃れ、悪事を企てようとしているのだと。

 

 “悪徳の華は闇に咲く”とは都市民の間で囁かれる警句だった。

 

《アレの進捗はどうなっている》

 

 そして今、闇の中で言葉を交わす者はまさに、悪徳の華を咲かせようとしていた。

 闇に隠れ、光ささぬ部屋の中で、通信用の水晶から聞こえる言葉に耳を傾けているフードを被ったその者は、紛れもなく、悪徳に身を染めていた。

 

「順調に進んでいます。間もなく()()が始まるかと」

《……………………遅い》

 

 ぽつりと、通信相手は呟く。

 

《どれほどまでに時間がかかるのだ。着手してから数ヶ月にはなるのだぞ》

「ご容赦を。卵が割れるには時間が必要なのです。易き道はありません」

《【勇者】が来ている。あの忌々しいネズミが》

 

 相手の説明、言い訳を無視するように、通信相手が言葉を続ける。声を荒立てるようなことはなかったが、勇者、と呼ぶその声には強い苛立ちが込められていた。

 

《太陽神の加護を与えられなかった小間使いのクセに、ことあるごと、“勇者”は我らの邪魔をする。此度の一件もようやく成就すると思った矢先にだ。どれもこれも“あの愚物”が余計な塵を呼び寄せたからだ》

「心中お察しします。しかしアレは此方に来てから一度たりとも自分の馬車の中から動きません。先日、偉大なる七王の竜によって負った傷が癒えていないのかと」

《――――今のうち、始末できぬのか》

「油断は出来ませぬ。下手に刺激し、計画が気取られるのも危険です」

《忌々しい》

 

 改めてそう吐き捨てる。水晶には相手側の顔も姿も映さないが、さぞかし渋い顔をしているであろう事が容易に想像できる声音だった。

 

《良いか、勇者に決して邪魔をされるな。必ず成し遂げろ。さもなければ終わりと思え》

「承知しました」

 

 水晶の通信が切れる。水晶の輝きが収まり、部屋はさらなる暗闇に包まれた。小さなランタンの魔光の明かりのみが揺らめく中、しばしの沈黙の後、小さく呟いた。

 

「小物め」

 

 水晶を疎ましそうに手で払う。八つ当たりされた哀れな通信具はコロコロと地面に転がり落ちた。それを拾うこともせず、その者はゆらりと音もなく明かりを落とし、部屋を出る。

 

「あの男が臆病風に吹かれ逃げ出す前に、始末を付けねば」

 

 その言葉とともに扉は閉められ、部屋は真の暗闇が訪れた。光一つ指さぬ真っ暗な空間を見通せぬ者は居ない。

 

《…………………………あやしーな》

 

 当然、部屋の天井裏からそっと、その会話を盗み聞いていた、粘魔のような姿となっていた金紅色の精霊憑きに気づく者は誰も居なかった。

 

 

 

               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑都市ウーガ、地下五層

 

「………………なんじゃこりゃ」

 

 ウルは眼前の光景に絶句していた。ウル以外の面々も大小アレ反応は同様だ。

 地下水路の中心地、恐らくこの竜呑都市ウーガの中心地にたどり着いたウル達の目の前に現れた光景は、覚悟していたものとは全く違ったものだった。

 

「【真核魔石】……かしら?これ……」

 

 リーネが自分で言って、自分で疑わしそうに“ソレ”を指摘した。ソレは確かに強い魔光を放った結晶であり、ウル達も見慣れた迷宮の核、【真核魔石】のようにみえなくもなかった。

 だが、根本的に違うところがある。明確な違いだ。【真核魔石】は乱暴な言い方をしてしまえばただの凄い魔石の塊に過ぎない。

 断じて、その表面に“人工的な術式が幾つも刻み込まれたりはしない”。

 

『……いや、なんじゃいアレ』

「俺が知るわけないだろ。エシェル様は?思い当たるか?」

「知るわけないだろ!なんなんだコレは…どうしてこんなものが地下水路の真下に…」

「……………コレって」

 

 水晶に目を奪われる、ウル、ロック、エシェルに対して、リーネはその周辺の状態を眺め、撫でるようにして触れていく。大陸一の魔道学園の飛び級の卒業生である彼女だ。思い当たる節があるのかとウルが尋ねようとしたが、それよりも速く、“左目が疼いた”。

 

「構えろ!」

「来ます!」

 

 ウルとシズクは同時に叫んだ。そして

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 結晶の影から、ウル達がずっと追っていた飛竜がその姿を現した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガの冒険④

 

 真っ黒な竜が姿を現した瞬間、ウル達は完全に不意を突かれていた。

 

 いち早く反応したウルとシズクすらも、武器の構えが一瞬出遅れた。それほどの不意打ちだった。警戒はしていた。だが、想像すらしていなかった謎の結晶に意識を奪われ、結果、隙を突かれた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 咆吼と共に巨大な顎が開かれる。空気が焼かれるような匂いが距離のあるここからでも流れてきた。咆吼(ブレス)が来る。どのような性質のものであるかは不明だが、殺意に滾ったあの飛竜が生半可なものを寄越す筈もない。

 

「――――ロック!!」

 

 咄嗟にウルが叫べたのはこれくらいだった。骨による障壁を造り、そしてそこに皆隠れろと、細かな指示を口にする余裕は全くなかった。それでもウルの言葉にロックの方へと仲間が動き、同時にロックが【骨芯変化】による障壁を組むに至ったのは、偏に、修羅場の経験からくる意思疎通の高さからだった。

 

「――――え?」

 

 それ故に、まだウル達と同行して間もないエシェルはその反応が遅れた。

 

「ああクソ」

『GAAAAAAAAAAAAAAA――――!!!』

 

 炎、というよりも爆発のような咆吼が、この狭く、逃げ道も少ない空間で炸裂した。

 

『ッカアー!!!』

 

 ロックが叫ぶ。斜に構えた障壁が爆風を割る。尚も軽減しきれない破壊の炎が彼の身体を焼き焦がし砕く。それでもシズクとリーネをロックは守り切った。

 が、ウルの姿は後ろにはない。

 

「ひあぁ?!!」

「――――っが?!」

 

 ウルはロックの壁から飛び出し、呆然としたエシェルの身体を庇うように抱きしめていた。同時に、爆風が彼らの小柄な身体を容赦なくさらった。

 

「っがああああああ!?」

 

 今どういう状況になったかウルに確認する余裕はない。ただ、凄まじい熱の痛みと、地面にバカみたいな勢いで叩き付けられている激痛しかない。エシェルを手放さずにいたのは最早ただの奇跡だ。

 最後に壁に激突し、激痛に悶える事も出来ず、そのままウルは意識を失った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 爆発の衝撃に、リーネは頭を抱え蹲ることしかできなかった。冒険者となって命の危機は何度もあったが、ここまで危ういのは初めてだった。恐ろしかった。死にたくはなかった。死ぬわけにはいかなかった。まだ、何一つとして成していないのだから。

 彼女が咄嗟にロックの陰に隠れ身を守ることが叶ったのは、経験の濃さと、何よりの危機感から生まれた生存本能によるものだった。

 

 間もなく爆音と爆風が静まり、状況を確認するべく顔を上げる。

 

「どう、なった……の」

 

 状況を確認する。最前線で自分とシズクを護っていたロックは、ほぼ九割方が炭のように真っ黒に黒焦げ、ほぼ崩れかけていた。死んだ!?と思ったが、徐々に再生が始まっている。恐るべき頑強さだった。

 リーネは少しだけ安堵して、そしてそこで、ウルとエシェルの姿が無いと気づいた。

 

「ウル!?エシェ――っひ」

 

 そして、自分たちの立つ場所より、遙か背後にて、エシェルを庇うように抱きしめながら、そのままピクリと動かないウルの姿に、リーネは悲鳴を上げた。

 嫌な、血の焦げた臭いが、ウルからした。最悪の光景が頭を過った。

 

「シズク、ウルが!」

 

 咄嗟にシズクによびかける。癒やしの魔術を扱う彼女の力が必要だった。リーネの扱う白王陣にも勿論、癒やしの効力を持った白王陣は存在する。だが、やはり時間がかかる。一刻を争う今の状況では、シズクの力が必要だった。

 だが、シズクの返事はない。どうしたのかと振り向く、と、

 

「――リーネ様。ウル様をお願いします」

 

 シズクが、己の魔力を体外に迸らせながら、静かに前を見据え続けていた。

 その視線の先にいるのは、先ほど爆炎を放った飛竜だ。はっと、リーネはその存在を今更再認識した。

 傷ついたウルの姿に頭が真っ白になっていた。だが、未だこの場所は死地で、脅威は依然として健在だ。

 

 故に、シズクは竜と向き合っている。かつて無いほどに集中しながら。

 

「アレは私が抑えます。どうにかウル様を助けてください」

「シズク、一人で?」

「急いで」

 

 飛竜が吼える。

 不意打ちとはいえ、ほんの一瞬で一行を壊滅させてきた相手に一人で戦う?無理だ、と声をあげようとして、そんな甘い泣き言は通じない状況であるとすぐに悟った。可不可を論じているヒマなど、今はない。やらねばならない。

 

「行って」

 

 リーネはウルの下へと走った。この状況への打開策は何一つ頭には浮かばない。だが、足を動かさねばならない。それだけはわかっていた。

 そして、残されたシズクは、静かに前を向く。

 

「【風よ唄え、束ね糸となりて紡げ 物体風繰(ウィペレート)】」

 

 物体操作の魔術によって、転がっていたウルの竜牙槍を拾う、自らの杖と共に二本を宙に浮かせ、手繰る。不可視の風の糸で手繰りながら、彼女は唄を始める。

 

「決して死なせはしません。ウル様」

 

 飛竜へと向ける殺意よりも重い意志を込めて、

 地獄を共に征く友を護るための歌をシズクは唄った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ウル!!」

 

 リーネはその短い手足を必死に振り回し、ウルとエシェルへと駆け寄った。近くに行けば焼き焦げた臭いが濃くなった。最悪を想像し、血の気が引いていくのをリーネは感じた。

 至近で見ると、ウルの身体は五体は無事だった。が、鎧の殆どが砕け、身体が焼けている。身動き一つとらない。

 

「あ、ああ、ああ、わ、私!ウ、ウル、ウルが!」

「エシェル様、離れて!」

 

 対してエシェルは怪我は浅い。が、明らかに混乱している。ぼろぼろと涙を流しながらウルにすがりついている。無事なのはまず幸いだが、今は邪魔だ。

 

「ウル!聞こえる!?」

「…………う」

 

 リーネが声をかけると、ウルが僅かに身じろぎした。息をしている。少なくとも死んでいないことに少しだけ安堵したが、全く予断は許さない。

 

「高回復薬飲める!?」

「ぐ、が、ゴホ、おえ!」

「…………!」

 

 なんとか回復薬を飲ませようと口を開けようとすると、彼は激しくえづき、血を吐いた。臓器を傷つけたらしい。このまま回復薬を呑ませられるかわからなかった。

 不味い状況だった。高回復薬ならば無理に飲ませても癒やせるかもしれないが、上手くいかず吐き出してしまったら、後が無い。高回復薬は手持ちは一つしか無い。

 せめて、シズクに少しでも回復魔術を使ってもらえないか?

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 飛竜の咆吼が響く。続けて、幾つもの魔術が炸裂する音も。シズクが背後で戦っている。たった一人で、一瞬で自分たち一行をなぎ払った恐るべき飛竜と戦っている。こっちに力を割く余裕なんて彼女には絶対に無い。

 だが、なら、どうする、ウルは先ほどから血を吐き続けている。もう多分、本当に猶予は無い。もう、押し込むようにして高回復薬を飲ませるか。上手くいくことを祈りながら――

 

「……違う」

 

 リーネは自分の頭を自分で殴る。情けなく、及び腰になり、挙げ句、責任を他に預けようとした自分を殴りつけた。

 違う、違う、違う!!!

 こんな情けない判断をするために自分は家を飛び出して、こんな迷宮に来たのか?違う!断じて違う。白王陣を、自らの誇りに胸を張るためにこんな地の底に来ているのだ。

 なのに、祈る?祈るだと?神や精霊に頼ってどうする!自分は魔術師だ!!!

 

「【蘇魂ノ緑光・白王陣】」

 

 天啓は既に得た。精霊憑き、アカネの補助。白王陣作成の短縮に手が足りないならば、手を増やせば良いというあまりにシンプルな力業の発想。それを自らで成す。

 初代レイラインから継承し続けた【流星の筆】を握る。杖全体ではなく、箒状の穂先の一本一本、その全てに意識と魔力を集中する。血液を流すように、万力で杖を握りしめる。

 

「ぐ……ぎぃ!」

 

 次第に、穂先が膨れ上がる。一つ一つの毛先が、それぞれ生き物であるようにうごめき出す。全てを操ろうとして、すぐに全ては不可能だと悟る。数を絞る。必要な数を、自分が操れる限界の際まで意識を行き届かせる。

 限界を超えてはならない。

 無理に超えて、潰れてはいけない。絶対に失敗は出来ない。

 瀬戸際だ。限界の境界線、水際に立て。

 

「【速記開始】」

 

 穂先が踊る。ウルを囲い、その命を救わんとする。リーネの戦いが始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞都市ウーガの冒険⑤

 

 シズクは唄い、宙を舞っていた。

 

「【【【氷よ唄え、穿て】】】」

 

 竜の猛襲を踊るようにして躱し、自らが手繰る杖を足がかりに宙を歩き、息を吸って吐くような速度で魔術を放つ。魔術の合間に竜牙槍が隙間を縫うように竜を切り刻む。

 

「【【【雷よ唄え、奔れ】】】」

 

 端から見ればそれは曲芸の域だった。まるで優雅に踊りながら、荒れ狂う飛竜を相手にとって翻弄し続けている。魔術師の戦いとは到底思えない。熟練の戦士であってもこうはいくまい。

 

「【紫華突貫】」

 

 しかしそれは、どれだけ天才的な彼女であっても限界を大きく超えた戦い方に違いなかった。

 術の詠唱速度も、物質の操作技術も、竜を翻弄し続ける体の動かし方の一つ一つも、全て彼女自身が定めた限界点を大幅に超過している。

 彼女は分かっている。これはどうしたって長続きはしない。もう後数十秒もたてば潰れる。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 しかしその彼女の限界を待たずして、飛竜は痺れを切らしたのか、その巨体でシズクに向かって突撃する。むちゃくちゃな動きだった。幾ら巨大な迷宮とは言え、空が抜けているわけでもない地下空間。勢いよく突っ込めば確実に自分も体をあちこちにぶつけ、ダメージを負うだろう。捨て身の特攻だった。

 シズクにはまだ、それを回避することは可能だった。

 

「位置が悪いですね」

 

 背後に瀕死のウルと、その彼を救おうとするリーネがいなければ、だが。

 このままだと背後のウル達が巻き込まれて死ぬ。故に、

 

「【骨芯変化・骨刃風】」

『ッカ!』

 

 自身の僕たる死霊騎士をたたき起こす。

 突撃をかましてきた飛竜の、ちょうど真下で焼き焦げていたロックに魔力を送る。既に彼の回復は済んでいた。最適のタイミングまで、飛竜の意識から外すために動かさずに置いていた彼を叩き起こす。

 

『GAAAAAAAAA!!?』

 

 突如眼下から、爆発するようにして鋭利な骨が湧き上がり、渦を巻いて飛竜を引き裂く。その突撃は半端に叩き潰された。飛竜が距離を空け、前を見れば、忌々しい魔術師の前に、再び死霊の騎士が剣を構えていた。

 

『カカ!無茶をやらすのう主よ』

「もうしわけありませんロック様。ですが窮地ですので」

『つーまり、いつものことじゃ、の!』

 

 骸骨の騎士が跳ぶ。剣を振りかぶり、飛竜の身体に叩きこむ。

 

『カカカカカカー!!おーうどうした黒トカゲェ!温いぞ!!』

『GAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 ロックにとってもこれは二度目の戦いだ。

 前回はウル達の横やりで中断されたとはいえ、続けていればロックが敗北していたのは明らかだった。だが、今回は逆に、ロックがやや飛竜を押していた。無論、その異様に硬い―――と、いうよりも、手ごたえが掴みにくい、異様な黒いうろこに阻まれているもの、攻撃の手数は明らかにロックの方が上だ。

 飛竜にとっては単純に、場所が悪い。左右天井どこを見ても肉の根の壁。いかに立派な翼があろうと、その巨体が動ける空間は少ない。羽ばたく翼もふとした拍子に天井を擦れバランスを崩しかねない。

 その隙をロックは突く。皮膚が通らないというのなら、眼球を抉るように刃を突き出したり、あるいは翼の動きを阻害するように剣を叩きつけ、バランスを崩させて落とそうとする。

 

「【【【炎よ】】】」

 

 そしてその合間合間にシズクが魔術によって追撃を果たす。

 戦況は悪くはなかった。と、いうよりも押している。この調子を続けていけば、最低限、ウルが回復するまでの時間稼ぎは達成できそうだ。

 

 だが――

 

『む』

「来ますね」

 

 シズクとロックが同時に動きを止める。飛竜が一気に後ろに飛び上がったのだ。

 

「咆吼ですね」

『堪え性ないのう』

 

 一行を壊滅の機に追いやったあの咆哮をもう一度放とうとしている。シズク達もまた一気に後方へと、ウル達の間近へと下がった。3人を今動ける二人が護らねば死ぬ。

 

「ロック様。核だけは壊さないように注意を」

『カカ!おうとも好きに使えよ主よ!』

 

 ロックの身体が変化し、再び障壁のように変化する。シズクはロックの障壁を盾のようにして構え、そのまえに竜牙槍を備え、【咆吼】の発射準備を完了する。先ほどまでの喧噪から一転して、静寂が訪れる。間もなく起こる破壊の嵐の前の静寂だった。

 

「――――――ううううう…ああああ!!!」

 

 だから、そのほんの僅かな間を打ち破って、エシェルが飛び出した事に、シズクもロックも、そして恐らく飛竜さえも、虚を突かれる事となった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ()()だけは決して使うなと、彼女は幼少期から怒鳴りつけられていた。

 

「う……うぅ………ぅぅううう」

 

 危険であり、許されぬ事であり、罪であり、悪である。

 故に、ソレを使う彼女もまた、不出来な者であるとして、父から吐き捨てられた。

 だから彼女は決してソレを使うことはしまいと心に誓っていた。そうしなければ、本当に、本当に自分が見捨てられてしまうという恐怖から来る忌避感が彼女を支配していた。

 味方はいない。家族にもいない。両親も、兄弟姉妹も、自分を見る目は落伍者を見る目だった。選択肢も与えられず家を追い出される形で騎士になって、それでもその先でも腫れ物扱いされて、ますます心を拗らせた。

 それでも、やっと実家から役割として命じられた大任は、災難ばかりだ。

 

「うう…………ううううう……」

 

 打ちのめされて、打ちのめされて打ちのめされて打ちのめされて、だから、やっと掴んだかもしれない状況打開の光に彼女はしがみついて、すがりついた。思えば、あまりにも無様に。それこそ振り払われても仕方ないくらいにみっともなく。

 しかし結局、すがりついたその光も、頼りになるようなものではないと知り彼女は絶望し、そしてその先で、思わぬ支えを得た。

 

 ――――俺達は仲間だ

 

 そう、ウルが言ったとき、本当はどれだけ嬉しかったか。彼は知ることはないだろう。必死に顔を顰めなければ多分泣いていた。

 

 ――――ま、全部駄目だったらウチに来れば良いさ。

 

 不安に潰れそうになって、泣き言をめそめそと続けたとき、顔を顰めず話を聞いて、そう言ってくれた事がどれほど衝撃で、どれほど嬉しかったか彼が知ることはあるまい。

 此処に居て良いと、そう言ってくれる者など彼女の人生にこれまで無かった。

 

 ――――危ないと思ったらちゃんと助けを呼んでくれ。可能な範囲で助ける 

 

 助けを叫ぶ事も出来なかった自分を、彼は助けてくれた。そして今、彼は自分を護って死にかけている。

 

「――――ダメだ」

 

 それだけはダメだ。それだけは許されない。

 

「うぅぅぅうううああああああああああああ!!!」

 

 気がつけば、喉からうなり声のような叫びが飛び出した。身体が動く。目の前の死闘のただ中に足を踏み出していた。それはあまりに愚かしい特攻であり、まったく無為に命を散らす行為でしか無い。通常ならば、

 

 しかし彼女は()()()()()()。決して。

 

 

「【ミラルフィィィイイネエエエエエエエ!!!!!】」

 

 

 その名こそ、決して口にしてはならないと戒められた言葉だった。

 神官としての彼女の才覚。精霊から貸与される人知を超えた圧倒的な【加護】の力。脈々と受け継がれてきた官位の血は、彼女にもその才を与えた。

 だが、彼女に寵愛を与えた精霊は、異端だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “邪霊”と呼ばれ忌み嫌われるその精霊の力が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――あー………」

 

 ウルは、自分の身体から起こる鈍い痛みに目を覚ました。

 そこは薄暗く不気味な地の底、肉の根の床ではなく、簡素だが柔らかなベッドの上だった。実は死んで唯一神の元に召されたのかとも思ったが、身体中が痛いのでそうではない。

 ゆっくりと上半身を起こすと、外は星空が見える。夜だ。そして空が見えるということは迷宮の外だった。ランタンの魔光の明かりに周囲を見渡すと、自分の膝を枕にエシェルが寝ていた。すぐ側に置かれた椅子にはシズクが眠りにつき、隣のベッドではリーネが杖を抱えて同じく眠っている。

 

『カッカカ、モテモテじゃのう、ウル』

「お褒めにあずかり光栄だよジジイ」

 

 そして部屋の隅で眠る必要のないロックがウルにカタカタと笑いかける。いつもと変わらぬ戦友の態度に、ウルは自分が生き残ったと理解した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰還、そして狂乱の幕は開く

 

 迷宮探索開始日から数えて六日目の夜、仮都市宿屋にて

 

「ウル様、身体に異常はありませんか?」

「なんとか。まだズキズキ身体の芯が痛むが」

「白王陣の後遺症ですね。徐々に収まるかと」

 

 リーネの施した治癒魔術によって、ウルの肉体はほぼ完璧に再生を果たしていた。全身丸焦げになって結構な重傷になっていたウルの身体を完璧に治してみせたのだから、その効力は高回復薬(ハイポーション)以上だろう。

 ただし、その対価、というにはやや大げさだが、ウルは全身の痛みを堪える羽目になった。“回復痛”とでも言うべきか、常軌を逸した回復の反動がきていた。

 

「…………くぅ……」

 

 そして、その奇跡的な治療をしてくれたリーネは、丸一日経った今も眠っている。

 【暁の大鷲】が寄越してくれた治癒術士曰く、ウルの怪我よりもリーネの消耗の方が重いらしい。

 今日中には目を覚ますらしいが、大分無茶をさせてしまったようだ。

 

「それで………アレから何がどうなってエシェル様はどうして()()なった?」

 

 ウルが指さす先、自分の左腕にほとんどしがみつくようにしてウルを引っ掴んでいる。柔らかい感触への喜びとかを感じる以前に鬼気迫る様子で思い切りくっついてくるので怖い。

 

「……エシェル様。離れないか?」

「う゛う゛ー……」

「……やっぱいいっす」

 

 涙目でうなり声をあげながら警戒されたので、ウルはすごすごと引き下がった。やむなくシズクを見ると、シズクはニッコリと微笑んだ。

 

「エシェル様に関しては、諦めてくださいウル様」

「マジか」

「ウル様にも責任はあります」

 

 ウルは反論しようとした。が、思い当たる節がない、わけではなかった。割とある。なので黙った。反論して続けたい話でもなかった。

 

「……んで、結局あの後、どうやってあの状況を退けたんだ?」

「エシェル様と、エシェル様の精霊様の御力の賜物ですね」

「精霊様」

 

 はて、彼女は確か神官ではなく、精霊の力も使えないはずだが、と、エシェルを見る。彼女はぶっさいくなしかめ面で口を一文字に閉じている。どういう感情なんだソレは、と、ウルは彼女に説明させるのを諦めてシズクに続きを促した。

 

「【鏡の精霊ミラルフィーネ】の力で、飛竜の咆吼を全て()()()()()のですよ」

「跳ね返す……そりゃまた」

 

 凄いな、と、そのまま口にしなかったのはエシェルの反応が気になったからだ。精霊の名前をシズクが口にした瞬間ウルの腕を掴む彼女の手が明らかに強ばった。やはり、単純なものではないらしい。

 

「鏡の精霊だから、跳ね返ったのか?」

「ええ、そのような性質を有した()()()が私達の前に出現し、咆吼の全てを受け、そのまま飛竜へと。中々凄まじい光景でした」

 

 ソレは確かに壮観だろう。あの飛竜の咆吼を直撃して最もダメージを負ったのはウルだ。それを防ぐのみならず相手に返すなど尋常な力ではない。

 

「それで、竜は倒せたのか?」

「いいえ、幾らかダメージを負っているようでしたが、やはり自分の力だからでしょうか。致命傷とはなりませんでした。その隙に我々も撤退しました」

 

 と、そこまで説明して、シズクは頭を下げた。何事だろうとウルが驚くと、シズクは哀しそうに顔を上げた。

 

「……探知は私の役割でした。あの時反応が遅れて申し訳ありません」

「それを言い出すなら、俺なんて未来予知の魔眼があったのに、反応が遅れたよ」

『カカカ、それを言えば全員じゃの?“アレ”に見事皆、目を奪われておったわ』

 

 互いに謝罪合戦になりかけたところを、ロックが笑ってそう片付けた。話をこざっぱりにまとめられた気もするが、こういう時は助かった。

 ウルは改めて、自分にひっつくエシェルに対しても頭を下げた。

 

「エシェル様もありがとう。おかげで死なずに済んだ」

「…………礼を言われるようなことじゃない……」

 

 だがどうも、彼女の表情は冴えない。

 俯いて、小さく隠れようとしているかのようだった。あれほど成果を求めていたのに、そして今回の結果は間違いなく彼女が求めていた大戦果であるはずなのに、何故そんな顔をするのだろうか。

 

「………【鏡の精霊】は、【神殿】では忌み嫌われているのよ」

「リーネ」

 

 と、そんな疑問に答えるように、眠っていたはずのリーネがいつの間にか目を覚まし、声をあげた。まだ身体が怠いのか、少し眠たげな表情ではあるが、意識はハッキリとしているようだった。

 

「鏡の精霊は【邪霊】として扱われているの」

「邪霊……鏡の精霊が?」

 

 ウルは彼女の説明に全くピンとこなかった。 

 手鏡の類いはウルだって持っている。映りの悪い安物だが便利な道具だとは思っている。自分の姿を確認できるし、視界の悪い場所での確認、迷宮通路曲がり角の偵察など、それなりに使い道がある。

 ウルにとって鏡は“便利な道具”程度の認識だ。それが何故忌み嫌われるのか?

 

「鏡は光を写すでしょう?太陽神の、唯一神の光も」

「ああ。それはそうだろう」

「だから、鏡を見て、神官達はこう思ったの」

 

 鏡は、太陽を盗む。

 

「だから、鏡の精霊には別名があるの。【簒奪の精霊・ミラルフィーネ】ってね」

「……その理屈だと、水面も同じでは?」

 

 水が溜まれば光を写す水面が出来る。そうでなくても、鏡以外でも光を反射するものはあるだろう。別に、鏡に限った話ではない筈だ。

 

「そうね。でも、水面は揺らぐしぼやけるでしょう?光の全てを映すことは出来ないって解釈されたの。畏れの信仰が生まれたのは鏡だけよ」

「ふむ」

「ウルは知らないでしょうけれど、神殿には殆ど鏡がないの」

 

 それを聞き、ウルは眉をひそめた。想像以上に極端な話に思えたからだ。

 

「不便だろソレ」

「身支度なんかは従者に任せるわ。高位の神官なんかはだけど。それくらい嫌われてるの。神殿ではね」

「……いろんな意味で、なるほど」

 

 何故、彼女あれほどの力を有していながら使うのを拒んだのかもわかった。

 何故、彼女があんなに活躍をして尚、こんな顔で伏せてるのかもわかった。

 だがまだ、分からないこともある。

 

「鏡の精霊が、不味いってのは分かったが、でもそれなら、別の精霊の力を使えば良いのでは?神官って、精霊の加護を選べないものなのか?」

 

 神官はあくまでも精霊の力を借り受けているだけだ。太陽神から爪弾きにされるような危険な精霊がいたとして、その加護を授からなければ良いだけだ。別のもっと有益な精霊から力を借り受ければ良い。 

 

「精霊との親和性の高い神官なら、複数の精霊から加護を授かることもあるけど、相性の問題もあるわ。好きな精霊の力を好きに選べるなら、皆、四源の大精霊を選んでるわよ」

「ああ、そりゃそうか……」

 

 火、水、風、土、世界のおおよそを司る大精霊。

 この四つの内、どれかがあれば、極端な話“なんだって出来る”。確かに選べるなら誰もがそれを選ぶだろう。だがそれはできない。

 精霊からの【加護】は、まさしく上位者からの贈り物(ギフト)と言えるものなのだ。神官としての鍛錬を積み、精霊の親和性を高めれば、多くの精霊からそれを授かる可能性は上がるものの、あくまでもそれは可能性だ。全ては精霊の意思によるものなのだ。

 

「……私は鏡の精霊からの寵愛を受けた。【寵愛者】だったんだ」

 

 するとエシェルが小さく呟いた。聞き覚えのない言葉にウルは首を傾げる。

 

「【寵愛者】?」

「一切の鍛錬なく、最初から精霊の加護を授かる事が出来た者の総称。精霊のお気に入り。その精霊に仕える優れた神官となりうるとして持て囃されるわね。普通なら」

 

 だが、彼女が愛されたのは【邪霊ミラルフィーネ】だった。

 本来ならあり得ない話だったという。

 精霊達の住まう庭、太陽神ゼウラディアが管理する【星海】から【鏡/簒奪の精霊ミラルフィーネ】は追放された。神殿に姿を現すことも勿論無い。間違っても精霊の加護を授かる者など現れるはずも無かったのだ。

 だが、何故か彼女は愛されてしまった。それが類い希なる才能故なのか、あるいは邪霊の気紛れなのかは分からなかった。だが、結果、彼女の運命は致命的なまでに狂った。

 

「他の精霊の加護を授かることも無かった。私の神官としての才能は全て其方に注がれている……私の兄弟達と違って……」

「ああ……」

 

 どうして彼女がやたらと劣等感に苛まされてるのか、少しわかった。自分は忌み嫌われた精霊の力しか扱えず、自分以外の周りの連中は、真っ当な精霊から愛されている。

 彼女がこれまでどういう扱いを受け、どういう想いをしてきたのか、その一端に触れた。

 

「……難しいもんだ」

 

 間違いなく、彼女の力はウル達の助けとなった。だが、これは単純な功績の話ではない。積み重なった信仰の話だ。それによって傷つけられ自分を無価値と思い込んでいる彼女の心を癒やすのは、容易くはなかった。

 

「……まあ、いいんだ。今は私の話は、それより、確認したいことがある」

 

 少し強引に、エシェルは自分の話から切り替える。もう少し彼女の話も聞いてはみたかったが、話を逸らしたいという彼女の願いを尊重し、ウルは頷いた。

 

「地下水路中央の……アレは、なんだ?」

 

 確かにそれは確認しなければならない事だった。

 ウル達が意識を逸らさざるを得なかった程の異物。地下水路の中心にそびえ立つあの魔石の巨大な結晶。アレが迷宮の核、【真核魔石】なのかも定かではない。

 

『なんだもなにも、まーアレが“核”じゃろ?』

 

 するとロックが確信したように断言する。彼とてアレは初めて見たはずなのに、あまりにも強く言い切っていた。

 

「真核魔石とはちがったぞ?」

『違うかろうが、核は核じゃ。()()()()()()()()()()()()ありゃ』

 

 確かにその意見には反論の余地は無かった。アレがあったから竜呑都市が生まれたのか、はたまた竜呑都市が生まれたからアレができたのか。因果関係は不明だが、間違いなくアレが全ての中心だ。

 証拠も根拠もなくとも、全員がそう確信するほどアレは竜呑迷宮の中でも際立った異質だった。

 

「なら、破壊すれば都市は元に戻る…!?」

「…………うーん」

「言い淀むな!」

「アレがなんなのか全くわからんからな。シズク、リーネは何かわかったか?」

 

 魔術の知識があるものならば、と尋ねるが、シズクは首を横に振る。だろうな、と思っていたが、ベッドに横たわったリーネは天井を見上げながら、少し目を細めた。

 

「リーネ?」

「…………アレは――」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 同時刻、【竜呑都市ウーガ】の外周にて

 

「何しに来たんだ。テメーら」

 

 【白の蟒蛇】のジャインは眼前の人影にそう呼びかける。竜呑都市から帰還した直後の彼らの前に立っている男達は、ジャインも見知った者達だった。

 

 何せ、彼らもまた【白の蟒蛇】なのだから。

 つまり同じギルドの同僚ということになる。

 

 で、あるにもかかわらず、ジャイン一行と、同僚達の間に漂う空気はあまりに剣呑だった。

 同僚達の内、一人の男が前にでる。仮都市の明かりに照らされたその顔は、【白の蟒蛇】の創立者の一人で、つまり、ジャインの最初の仲間だった男だった。

 

「仕事だジャイン」

「失せろやジョン」

 

 ジャインは鋭い声でそう返した。それは決して仲間に向けられる鋭さではない。迷宮内でウル達に見せた“脅し”よりも遙かに強い殺意だった。

 

「てめえらが何しようと勝手だが俺達に干渉するな。失せろ」

「勝手ぬかしてんじゃねえぞ!」

 

 そう言うのは前に出たジョンとは別の、彼の部下だった。立場上、自分の上司と同格であるはずのジャインに対して、敬意を払う様子は微塵もない。あるのは侮蔑と侮りと敵意だ。

 

「いつもこっちの方針も命令も雑に扱いやがって!何様だこの白豚が!!」

「脳みそまで脂肪がついてんじゃねえだろうな!?」

「――――は?」

 

 取り巻きらの明確な侮辱に対して、反応したのはジャインではない。彼の後ろでひっそりと控えていた獣人のラビィンだ。彼女は闇の中、瞳だけを鈍く光らせながら、じりと足を強く踏みこんだ。強脚で地面を踏みこむ様は引き絞った弓矢のようだった。

 

「やめろクズ」

「てめえらもやめねえか!」

 

 だが飛び出すよりも先に、ジャインがラビィンを叩き、直前で止められた。ジョンも同じく部下を抑え、結果、闘争は抑えられた。だが、場を支配する剣呑は雰囲気は何一つとして霧散してはいなかった。

 ジョンはその空気をまるで無視するように、無駄に明るく声を上げた。

 

「なあ、ジャインよ。そんなに気にくわねえか。“アイツら”が」

「気にくわねえのはお前らだよ」

 

 ジョンは深く、大きな溜息を吐き出して首を振った。そして演技がかった仕草で両手を広げた。

 

「よわっちい名無しの俺達が生き残るために足掻くのがそんなに不愉快かね?昔と比べて、守るモノは増えた。ガキのままじゃいられねえんだよ。ジャイン」

 

 訴えかけるようなその声に対して、しかしジャインの反応は酷く冷淡だった。

 

「随分ペラペラと綺麗事抜かすじゃねえか。自分のウソに酔って楽しいか?」

「なにを――」

「クソどもの中でもとびきりの肥溜めから餌貰って、綺麗事を抜かすのは滑稽だっつったんだよ俺ぁ。なあジョンよ」

 

 ジャインはチラリと仮都市の方角をみる。先の飛竜の騒動でまた大きく生活の灯火が削られた。仮都市が都市としての形を保てなくなるのも時間の問題だろう。先の竜の襲撃もある。いくら名無しの住民達がエシェルに恩を感じてるとはいっても限度というものがある。次々と逃げ出していた。

 だが、それだけが原因というわけでは、ない。

 

「騒動に乗じて此処の名無しの連中を連れ去ったのはお前らの仕業か?」

 

 ぴしりと、ギリギリの所で保っていた均衡が崩れた音がした。

 先ほどまで悲しげな瞳でうったえかけていたジョンの目から感情が消えた。背後の部下達からもそれがなくなった。応じて、ラビィンやジャインの部下も武器に手を添える。

 

「俺は、迷宮探索の冒険者ギルドを作ったつもりだったんだがな。いつから【白の蟒蛇】は人攫いギルドなんてものになったんだ?同じ創立者として相談してほしかったぜ」

「ジャイン」

 

 先ほどまでの声とは明らかに違う、感情がごっそりと削り取られた声だった。冷たいその呼びかけに対しても、ジャインは特に動じる様子はない。

 

「俺達に従わねえ。それでいいんだな」

「お前に従わなきゃいけねえ謂われは一つもねえなあ?」

「そうかい」

 

 それだけ言って、くるりとジョンは背を向け去っていった。部下達も続く。ラビィン達は未だ武器から手は離さない。場を支配する殺意と敵意は依然として漲っていたからだ。

 

「残念だぜ、あばよジャイン」

「ああ、じゃあなジョン」

 

 しかし結局、此処で闘争が起こることはなく、ジョン達は闇の中へと消えていった。

 

「…………此処で殺し合いかと思ったっすね?」

 

 先ほどまでの殺意はどこへやら、けろりとした表情でラビィンは笑った。ジャインは「バカが」と短く罵った。

 

「殺すつもりだろうよ。だが、ジョンは自分の身の安全は確保する男だ」

「つまり?」

「此処で殺し合いしなくても、コッチを殺す算段があるってこった」

「逃げるっす?」

「もうムリだろうな。仮都市に戻る。補充と休息を急ぐぞ、後は――」

 

 彼は少し考え込むように首を捻り、そしてつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「あのガキども、使えるか?」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑都市、地下五層

 元々は水路として建築されたその場所の中心地。

 奇妙なる、巨大水晶がそこにはある。迷宮の中心にある真核魔石とも違う、しかし紛れもなく膨大な魔力を蓄積させたその結晶は、仄かな輝きを放ちながらじっと、そこにいた。

 

『GUUUUUUU』

 

 時折、その周囲から何匹もの土竜蛇が姿を現す。先日ウルが倒したのは、水路を巡る土竜蛇のウチの一部に過ぎず、何匹もが水路を縦横無尽に蠢き、魔物達をくらい、魔石を集めていた。

 

『GU――OOOO』

 

 そして、その巨体に蓄えた魔石を吐き出しては去っていく。シズクの予想したとおり、土竜蛇はその蓄えた魔石を集め、そして自分以外の事に使用していた。集められた魔石は、暫くすると水晶へと吸収され、消えていく。

 

『………………』

 

 その様子を飛竜はただ眺める。土竜蛇たちの仕事を邪魔するでも手伝うでもなくただジッとする。その真っ黒な身体の部分部分は、深く傷ついた後があった。迷宮の魔力によって徐々に癒やされているが、深手には違いなかった。ソレを治すべく飛竜は身じろぎもしない。そして、水晶の前から動くこともしなかった。

 その様は、卵を守る親鳥のようでもあった。

 そしてそれは正しい。

 彼は守護者だった。

 巨大なる水晶、そこから生まれ出るモノを守るための守護者である。故に、いかに深手を負い、傷つこうとも水晶の前から決して離れない。いざという時、全力で敵を迎え撃つために飛竜はそこにいる。

 

『……………』

 

 飛竜の守護する巨大なる水晶の輝きはその強さを増していた。土竜蛇が魔石を送り込むたび、成長を続けているようだった。光は地下水路の闇を塗りつぶすほど強くなりつつあった。

 そして――

 

『――――』

 

 ミシリと、音がした。水晶が割れるような音と共に、幾つものソレが砕けて落ちる。同時に最も中央にそびえる水晶はより強力な光を放ち始めた。

 

『――――ようやく完成したかしら、アハハ』

 

 飛竜のうなり声とは全く別の女の声を聞き届けるモノはこの場には居なかった。

 

 だが、その異変と、大きな異変は、遙か地上にまで伝達し――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 仮都市

 

「……!?なんだ?!」

 

 大地が揺れるようなその衝撃音に、ウルはベッドから飛び出した。大地の揺れ、地震と呼ばれる現象は時折、精霊のイタズラや、自然魔力の飽和による現象で起こりうる事はある。が、決してそう何度もあるものではない。

 何より、今回のソレは明らかにその類いの現象とは違った。断続的に続き、収まる気配が見えない。

 

「シズク!俺の装備は!」

「竜牙槍以外は全部消失しました」

「マジか畜生!」

 

 今のウルの装備はただの寝間着である。都市外の異変に備えるには心許なすぎた。

 

「装備があっても今は動かないでください。私が様子を見ます。ロック様は護衛を」

『なーんじゃつまらんのう』

「わ、私もいくぞ!!」

 

 立ち上がったのはシズク、そしてエシェルだった。エシェルの顔色はすこぶる悪い。立て続けのトラブルが彼女の胃を更に痛めつけているらしい。が、彼女に助け船を出すことも今のウルにはままならない。

 

「……気をつけろよ」

「どうか、ゆっくりとお休みくださいね」

 

 シズクはニッコリと微笑み、熱がでた子供にするようにウルの額に口づけて、そのまま颯爽と部屋を飛び出していった。エシェルも慌てて後に続く。

 

『らぶらぶじゃのう』

「やかましい」

 

 ロックの軽口にウルは溜息をつきながらもう一度ベッドに倒れ込む。未だ疲労と痛みが身体を包むが、寝る気には当然ならない。今なお、断続的に震えのようなものが聞こえてくる。

 

「……ウル」

「どうしたリーネ」

 

 隣でリーネがウルに声をかけた。彼女の方が疲労の色は濃いようだが、やはり彼女も眠れないのだろう。いくらか緊張を帯びた声色だった。

 

「…………この揺れ、なんだと思う?」

「分かるわけがない……と、言いたいが、一つだけ、確実にハッキリしている」

「なによ」

「厄介ごとだ」

 

 背中から立ち上るような、拭えぬ嫌な悪寒、これまでの経験から確信する。

 今起きてるコレは、不可避の災害であると。

 

「…………まあ、そうよね」

『楽しみじゃのう?カカカ』

「うるせえ畜生」

 

 リーネは諦めたように嘆息し、ロックは笑い、ウルは悪態をつくのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 宿屋屋上

 

「…………………」

「………………な、な……」

 

 シズクとエシェルは振動の発生源を探るべく屋上に上り、そしてその正体にすぐに行き着いた。視線の先には【竜呑都市ウーガ】が、悍ましい真っ黒な結界とおぼしきそれに包まれた建設途中の都市がある。

 が、今はその様相が異なる。

 大分異なる。

 

「な、な、な!!!」

 

 黒色の結界、のようなモノが払われている。が、そのしたからは内部で溢れていた肉の根のような物体がドーム状に張り巡らされていた。黒の半球体は、もっと悍ましい肉の半球に変わっていた。

 そして、唯一ギリギリまだ元の都市の原型を止めていた周辺の巨大なる防壁も、その表面が崩れ、底から肉の根が現れ、そして要所要所には、

 

「……お目々、ですね?」

 

 生物の眼球のようなものが、ぎょろぎょろと周囲を見渡し始めていた。

 どうしてこのような状況となってしまったのか、説明できるモノは今のところどこにも居なかった。だが、アレがどういう状況なのか、簡潔に言い表すならばこうなる。

 

 都市が、()()()()()()

 

「な――――――んだああれはああ!?」

 

 エシェルの悲鳴は仮都市に響き渡った。

 

 かくして狂乱地獄の幕は開く。

 天陽騎士エシェルの強要から始まったこの依頼(クエスト)は、ここからウル達も、そして依頼者である筈のエシェルも想像だにしない方向に動いていく事となる。

 

 




MzNo様から支援絵を頂きました!!ありがとうございます!
https://twitter.com/MzNo32/status/1644705096759136257?s=20
とてつもなく嬉しい!!各キャラクターの特徴をとらえていただいていつまでも眺めていられます!
今後も頑張ってまいりますのでどうかよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞魔卵都市 ウーガ 狂乱編
円卓


 

 イスラリア大陸で最も太陽に近い場所

 

 この世を遍く照らす太陽神の恩恵を最も受けることが叶う場所は何処か。その問いには恐らく全てのヒトは一つの都市を指すだろう。

 それはイスラリア大陸の中心。

 この世で最も賢人たる王がおわす場所。

 この世界で最も強き、太陽の使徒らに守られた最も堅牢なる都市。

 

 大罪都市プラウディア。

 

 最も偉大なるその都市の中心、天賢王のいる高き城がある。名を【真なるバベル】、神に認められ、神の威光をあびることが許された唯一の塔である。

 その最上階にて――

 

「今回の集まりはこの程度か!悪くはないな、普段と比べればな!」

 

 野太く、響く声で口を開くのは【天拳】、グロンゾン・セイラ・デュランだった。神より賜った両拳でもって竜を殴り殺す、恐るべき戦士である彼は目の前の光景に対して豪快に笑う。

 最上階に備えられた巨大なる円卓、七天が集い腰をかける七つの椅子には欠落が多い。何より中央に一際美しく作られた椅子、つまるところ七天の長、天賢王が腰掛けるための玉座もまた、空席だった。

 

 この場にいるのは四名、グロンゾン、の隣には白の神官の衣装を身に纏った小柄な只人。老人のような真っ白な髪をしているが、見た目は幼い子供だ。男とも女ともつかない中性的な容姿をした者が座っていた。

 

「……………そう、ですか…………ええ……では……そちらはそのように……」

 

 【天祈】スーア・シンラ・プロミネンスは、()()()()()、一人で虚空に向かって言葉を交わしていた。まるで独り言のようにも見える。あるいは気が触れてしまったようにも。

 視界を自ら隠し、言動も虚ろ、しかし紛れもない七天のスーアは、()()()()()()()との対話を続けた。

 

「【天賢王】から賜りし【七天】の名を軽んじる愚か者が多い。不愉快です」

 

 グロンゾンの向かいの席に座るのは濃い蒼の獣人。【天剣】、ユーリ・セイラ・ブルースカイ。見た目は小柄で可憐なる少女だった。その声も小鳥の囀りのように愛らしい。

 だが、対照的に彼女自身からは、触れれば裂けるような、殺意にも似た怒気を纏っていた。言葉の通り、それは此処に集ってはいない他の七天へと向けられていた。

 

「ハッ!今より始まったことか?元より【七天】多かれ少なかれ、タガが外れた異常者達の集まりであろう?」

 

 彼女の嘆きに対して、そう言葉を選ばずに自身達を評し笑うのは、彼女の右隣に座る森人の男だった。眉目秀麗、まさに森人に相応しい若々しい青年の姿。しかし長命種たる森人の見た目の若さは当てにはならない。

 実際、その見た目の若さに相反して【七天】を“異常者”とせせら笑う彼の顔に浮かぶ皮肉と悪意は若々しさとはかけ離れていた。年齢を重ねた老獪さが浮き出ている。

 【七天】の一人。【天魔】のグレーレ。彼はニタニタと笑みを浮かべる。隣から放たれる血も凍るような殺意を楽しげに笑い飛ばす。

 

「……」

「カハハ!そう睨むな。決してお前が王より賜った【七天】の称号まで馬鹿にしたわけじゃないともさ。なあ?なんて言ったか?【天犬】だったか?」

 

 重ねられる明確な侮りと侮辱の意は、元よりとうに超過していた彼女の沸点を更に超えるには十分だったらしい。彼女は腰にある金色の剣に手を触れた。

 

「不必要に回るその舌、削ぎ落とすのが望みなら、そうしますよ」

「それはいいな!面白そうだ!【大罪竜ラスト】の話を聞いてから、魔術を一個組んでみたんだ。実験体で何度か試したし、そろそろ自分で試したくてねえ」

 

 状況は混沌とし始める。が、同時にそれはいつもの光景だった。メンバーが違えばまだましなのだが、【天剣】と【天魔】が揃うとトラブルは常である。どちらかといえば強引で豪快なやり口で周囲から窘められることも多いグロンゾンが、この面子のなかでは抑えに回ることも多い。

 今日もまた、さてどうやってこの二人を抑えるか、と彼が考え始めていた頃だった。

 

「鎮まれ」

 

 囁くように告げられたその声に、あれほど荒れ狂っていた一同が静まりかえる。喧噪を無視して“会話”し続けていたスーアすらもピタリと、言葉を止めた。起立し、声の主へと頭を深く下げる。

 従者を引き連れ現れたのは、神殿の長の冠をした男。大罪都市プラウディアにおいてその証を身につける者、ソレ即ちこの世の王の証でもある。

 

 【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス

 

 最も偉大なる知を修める神殿の長、

 眩い金色の髪を獅子の如く靡かせる若き王は自らの玉座に腰掛ける。

 

「王。ご壮健で在られること喜び申し上げます」

 

 【天剣】ユーリは真っ先に言葉を述べる。最も王への忠義の厚いのは彼女だ。その様を見て「犬のようだ」とグレーレは時折彼女をからかうが、ユーリはその嘲りも眼中にはない。ただ自らの忠誠を示すのみだった

 アルノルド王はその彼女の言葉に義務的に頷く。そして彼のとなりに控える老齢の女が彼に報告した。

 

「【天衣】様と【勇者】様が欠席でございます。必要とあらば転移の聖遺物で呼び戻しますが――」

「要らぬ。アレらは今それぞれ必要な場所にいる」

 

 そう告げる彼の言葉の一つ一つが、重く空間に響き渡る。見た目は只人でありながら、纏う気配は森人のそれよりも遙かに超越者じみていた。ヒトのそれというよりも、顕現した精霊と比べて遜色ないものだった。

 

「それで、王よ。俺の研究を中断させてまで我々を集結させた理由を聞いても?」

 

 だがそんな静謐な空気を纏う王に、無遠慮に口を挟めるグレーレの度胸は随分と据わっていた。あるいは彼自身が言っているとおり何処か精神が破綻しているかのどちらかだった。当然、ユーリは悍ましい害虫をみるかのような目でグレーレを睨み倒すが、彼は全く気にしない。

 そして王もまた、その不敬を気にしてはいないようだった。ただ、告げる。

 

「本題の前に、一つ伝えておく。建設中の都市そのものを器とした【卵】が発生した」

 

 王の言葉は短い。が、その言葉の意味を理解できぬ者はこの場に一人もいない。

 

「……邪教徒どもの仕業ですか。鬱陶しい」

 

 【天剣】ユーリは淡々と告げる。だが、先程よりも遙かに鋭く、濃密な殺意が彼女の身から発せられた。

 

「むう……建設に従事していた民達は無事であろうか?」

 

 【天拳】グロンゾンは腕を組み唸る。

 

「カハハ!面白い事を考える者が異端者にもいる。制御出来るとも思えんがな!」

 

 【天魔】グレーレは楽しげに嗤う。好奇を隠そうともせずニタニタと口を弧にした。

 

「――――――――場所は何処ですか?()()

 

 そして、【天祈】スーアは初めて意味のある言葉を口にした。

 

「グラドルの衛星都市ウーガ」

「グラドル…………嘆かわしい。そして面倒な位置ですね。干渉が難しい」

 

 それだけ言って、再びスーアは瞑目する。それ以外の七天の反応も、グラドルの名を聞いてプラスの反応を示す者は居なかった。

 

「……ですが、捨て置くことはできません。私が向かいますか?」

 

 ユーリがそう告げるが、天賢王は首を横に振る。

 

「異端者の狙いは此方だ。思惑に乗って戦力を割く必要は無い」

「しかし」

「現地には既に【勇者】がいる」

 

 勇者、その言葉にユーリは軽く眉をひそめる。

 そしてグレーレがケラケラと大きく笑った。

 

()()使()()に先を越されたな?」

 

 次の瞬間、閃光が奔った。

 雷をも引き裂くが如き鋭さによって抜き放たれた剣閃、【天剣】の刃がグレーレの首に叩き込まれる。が、同時に彼の首に魔術によって生まれた障壁が出現しそれを防ぐ。攻防としては極めて単純だが、そこに込められた力は異常だ。

 

「――――」

 

 金色の剣を振るうユーリの一振りに対し、魔術障壁は激しい光と音を立て、火花を放ち反撃せんとしている。にもかかわらず剣は一切、微動だにしない。グレーレの首を真っ直ぐに刎ね飛ばす位置から寸分違わずズレる事無く、緻密に組まれた魔術障壁を破壊し続ける。

 

「カッハハ!そうそうこれを試したかったんだ!」

 

 だが、魔術の障壁もまた異常な動作を繰り返していた。破壊される。その都度、砕けた術式が新たに再生する。砕かれ続けるたび、新たに魔術を再構築しているのだ。術を手繰っている筈の【天魔】グレーレは微動だにせず、詠唱も行なっていない。まるで魔術そのものが生きているかのように蠢き、進化し続けている。

 

 驚異的な速度の自己再生と自己成長。そしてそれすらも意に介さない不動の殺意。

 あまりに危険な拮抗を崩したのは【天拳】のグロンゾンだった。

 

「じゃれるな阿呆ども!!」

 

 距離ある向かいの机からグロンゾンが金色の手甲同士を大きく叩く。高い、鐘のような音が響く。途端、何かが弾けるような音と共にその拮抗が弾けとぶ。強い何かに叩かれたようにユーリの剣は弾き飛ばされ、術式は砕けた。

 介入され中断した二人は、しかし表情は剣呑だ。ユーリは感情の一切を殺してグレーレを睨む。グレーレも愉快そうに笑い続ける。

 グロンゾンは深々と溜息を吐いた。

 

「王の前だぞ!」

 

 そう短く指摘すると、ユーリはハッと顔を上げ、恥じらうように剣を収める。天賢王は目の前の小競り合いに怒るでも不愉快そうにするでもなく、ただただ観察するように眺めるだけだったが、それでも彼女を正気に戻すには十分だったらしい。

 そしてユーリが落ち着きを取り戻すとグレーレもつまらなそうに肩を竦め、自らが発動させた魔術術式を眺め始めた。この男は本当に自分の魔術にしか興味がない。ユーリへの数々の挑発も、自分の術を試したかったと、恐らくそんな理由だったのだろう。

 グロンゾンは事態の収束をみて鼻を鳴らし、王へと頭を下げ進言した。

 

「王。ディズに全てを任せてよろしいのですか。竜が絡めば、彼女一人では厳しいのでは」

「良い。グラドルはアレに任せる。他の七天は“本題”に備えよ」

「本題とは」

 

 天賢王はすっと上を見上げる。彼の視線の先にあるのはバベルの天井。

 だが、細工が成されている。視界に広がるのは石造りの天井ではなく青い空だ。太陽神に最も近いこの塔の最上階の天井は、太陽の恵みを間近に感じられるよう、魔術にて外の風景を天井に映しているのだ。

 故に、青空と、世界を包み守護する太陽(ゼウラディア)が輝いているのが室内からでもよく見えた。

 だがその蒼い空には一つ、あってはならぬ異物が存在していた。

 

()()()()()()()()()

 

 【大罪迷宮プラウディア】。天に輝く太陽をも呑まんとする()()()()。その稼働を指摘する言葉に、その場の七天全員が表情を変え、王と同じ空を見る。翼もなくとも天に浮かぶ巨大なる建築物は、沈黙を保ち続けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混沌の只中で

 その日のエシェル・レーネ・ラーレイの朝は本当に最悪だった。

 

 身体に重石がのしかかったように重い。頭が割れるように痛い。迷宮から帰って丸一日が経過しているにもかかわらず、身体は重い。

 理由は分かっている。精霊ミラルフィーネの力を数年ぶりに引き出した反動だ。

 精霊の力は、精霊から分け与えられた、魔術とは違う超常の力。だがいかに奇跡の力であろうと、それを起こすのは自分の身体だ。無茶をすれば反動も強い。まして、エシェルはミラルフィーネの力を忌避していたが為に、長い間精霊の力を起こすことをしてこなかった。

 反射的に力の一部を意図せず使ってしまう事はあっても、自らの意思で引き出すのは本当に久しぶりだ。反動は必然だった。

 カルカラが用意してくれた回復薬をゆっくりと口に含み少しは回復する。が、体調がいくらか回復しても、気分は全く全然晴れる事はない。

 

 何故かと問うまでもない。()()()()()()()()()だ。

 

 バケモノのようになった、自分が統治すべき都市。あまりに悍ましいその光景を目の当たりにした時、エシェルは疲労も相まって意識が遠のきかけた。あの不気味な結界のようなものに覆われただけでも卒倒しそうだったのに、あんなのはあんまりだ。

 

「一日経って、仮神殿の様子は、どうなった……」

 

 エシェルの問いに対して、カルカラはいつも通り淡々とした表情で回答した。

 

「駐留している名無しを護衛として使って、3割ほどが早々に逃げ出しました。残りも恐慌状態になっています。いつ逃げ出すか」

「……そうか」

 

 その事に驚きはしなかった。あの異常事態が起こって間もなく、神殿の【従者】達は恐慌状態に陥っていた。

 彼等は確かに不真面目でいい加減な連中だったが、もし彼等が真っ当な従者達だったとしても、こんな事態になったら普通逃げるだろう。エシェルだって自分がこの場の責任者でないならそうしている。

 

「カルカラは、どうする」

「私はまだ使命があります。そもそもエシェル様を置いて逃げることはありません」

「……すまない」

 

 カルカラのいつもと変わらぬ態度にエシェルは力なく微笑んだ。

 彼女とも長い付き合いだった。

 エシェルが天陽騎士になるよりも前、実家に居た時からだから、もう十年以上になる。

 幼くして邪霊に憑かれたが故に苦しい立場に居た彼女とずっと共に居た。血の繋がった家族よりも、ずっと長く一緒に居たのは間違いない。兄弟姉妹達からエシェルへと向けられた悪意の巻き添えになった事も少なくは無かったが、それでも今日までその献身に揺らぎはない。

 そしてエシェルに代わり神官としての任務をこなす彼女に深く感謝しているし、信頼していた。いつも無愛想で、言葉が結構キツくて少し怖いが。

 

「エシェル様?」

「いや、少し、昔を思い出しただけだ」

「昔からエシェル様と一緒にいると、いろいろな事に巻き込まれましたが、ここまで酷い事になったことは初めてだったと思います」

「ああ、全くだ……精霊から授かった力の実験台にされたときよりも酷い」

「実験にかこつけてエシェル様を亡き者にする気だったのかと思いましたよ、アレは」

 

 真顔で言い放つカルカラにエシェルは少し顔を引きつらせながら笑った。実際、冗談ではなく、その可能性はあった。エシェルの家族、血の繋がっている筈の者達のエシェルへの態度は、嫌悪というよりも憎悪に近い。殺すつもりだったと言われても、エシェルは驚きはしない。彼女にとって家族とはそういう関係だ。

 だからこそ、余計にカルカラに頼ってしまうところはあった。

 だからこそ、今彼女に依存するわけにも、頼りっぱなしになるわけにもいかなかった。

 

 ただでさえ、ウーガの都市建設から、避難後の仮都市の補強や気紛れにやってくる魔物達の対処には彼女に頼らざるを得ないのだ。せめて、少しでも結果を出さねば。彼女にも、誰にも顔向けできない。

 

 そう言い聞かせて、エシェルはなんとか立ち上がった。

 

「ウル達を、呼んでくれ」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 仮神殿、執務室

 

「…………えっらいことになったな」

 

 なんとか回復し病室から抜け出したウルは、現在の状況を雑に一言でまとめた。

 えらいことになった。と言う他ない。ウルの激動の人生経験の中でもこのような状況に遭遇したことはない。他の連中だってそうだろう。いや、それどころか銀級や金級の冒険者だって経験したことなんてそうそうないだろう。あってたまるか。

 

 都市が、人類の生存圏が、魔物になるなどと。

 

「ウーガの様子はどうなんだ?」

 

 ウルが問うと、シズクが頷く。ウルが完全に回復するまでの間、調査を行なっていたのは彼女だ。

 

「遠目で見たときと同じです。防壁に発生した眼球のようなもので周囲を見渡す以外、コレといった動きはありません。あの黒い結界のようなものも引き続き健在です」

「中には入れない?」

「音で確認する限り、物理的な障壁は確認出来ませんので、今までと同じ正門から中には入れるかと。ただし、以前と比べ、中が大きく動き続けています」

『まさに、生物の腹の中じゃったのありゃ。ま、いきなり胃液で溶かされることはなかったから安心せい、カカ!』

 

 シズクの指示で、先んじて中に調査に向かったロックが笑う。こういったとき、身体が欠損するような大怪我も容易く修繕可能なロックの身体は便利だった。

 

「暁の大鷲にも話を聞いてみましたが、向こうも混乱しているようでしたし、そもそもこの状況自体、彼等にとっても未知のようです」

「だろうなあ…」

 

 シズクの報告にウルは納得する。この状況への理解、知識がある者は多くはいまい。そもそも暁の大鷲は通商ギルドだ。魔物退治の専門家は別だ。

 

「白の蟒蛇の連中はどうだった?」

「彼らのキャンプ地を覗いてみましたが、誰も居ませんでした」

「……まさか、都市の異変の時に中にいたとか?」

 

 彼らはあの竜呑都市ウーガを中心に魔石狩りを行なっていたのだ。その可能性は十分あり得るだろう。しかし彼女は首を横に振った。

 

「少なくとも、帰ってきていたのは他の名無し達が目撃していました」

「なら逃げた?」

「キャンプ地に資材は置いてありました。全てを放置して逃げ出したとも思えません」

「うーん……」

 

 出来れば魔物狩りのギルドの意見を聞いておきたかったが、いない者をアテにしても仕方がない。ウルは白の蟒蛇は思考からひとまず除外した。

 

「仮神殿、此処の状況はどうなった?」

 

 ウルが問う、エシェルは顔を上げた。その顔色はすこぶる悪い。ロクに身体を洗えていないのか髪もよれよれだ。正直無理はするな、と言いたいが、状況はそうさせてもくれない。ウルはのどから出そうになった配慮の言葉を飲み込んだ。

 エシェルも今は無理をしなければならないと分かっているのだろう。なんとか顔を上げ、ウル達を見た。

 

「状況は、最悪だ。名無しも従者も次々に逃げ出している。今残ってる連中も、じきに逃げ出すか、あるいは都市外に逃げ出すための手段が見つからないだけだ。この場所は崩壊していると言って良い」

「……本当に最悪だな」

「都市建設の再開は、諦めるほか無い……元々、もう無理な話だったけどな」

 

 エシェルは自嘲する。その引きつった笑みは実に痛々しかったが、ある意味で肩の力が抜けて、少し楽そうでもあった。今にも崩れそうな砂上の城を支えようとして、それがいよいよ崩れたのだ。ある意味、楽になった所もあるのかも知れない。

 

「……大罪都市グラドルの天陽騎士団に連絡を取る。異常事態につき、都市の迷宮化の解除は困難と連絡し、判断を仰ぐ」

「いいのか」

「良いも悪いもない。選択肢は残ってない。私は失敗の責任を取るだけだ」

 

 エシェルは弱々しく微笑む。確かに現状、エシェルがとれる手段はそれくらいだ。元々、ギリギリのバランスで成り立っていたのがこの仮都市だ。少しでも崩れればこうなることは予想は出来ていた。

 せめて、従者達がちりぢりにならなければ、まだ選択肢もあったのかもしれないが――

 

「エシェル様」

 

 と、そこで、沈黙していたシズクが口を開く。彼女は視線をエシェルの方ではなく、部屋の隅、何も無いところを見つめていた。まるで虚空を見上げる猫のような動作だが、彼女がこうしているときは、ウル達には聞こえない“音”を拾ってるときだ。

 

「良いニュース、となるかわかりませんが、連絡します」

 

 実に嫌な前振りと共に、彼女はソレを告げた。

 

「逃げ出した従者達が戻ってきています…………()()()()()姿()()

「…………………は?」

 

 エシェルに降りかかる災難は、未だ途中であると彼女は間もなく知ることになる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混沌の只中で②

 

 仮都市から逃げ出す。というのは、決して容易くはない。

 大罪都市グラドル地域では、都市外の魔物の数もそれほど多くはない。が、皆無というわけではない。無策で結界の外に飛び出せば、魔物達の格好の餌食になること請け合いだろう。護衛は必須だった。

 

 従者達が此処に来るときは天陽騎士が送迎してくれた。だが、今は居ない。もし護衛なしで逃げるなら、魔物に襲われるリスクを飲んだ命懸けのものになる。

 それが日常の名無しは兎も角、命の危機など滅多に起こるはずも無い都市の内側で暮らしてきた従者達がその覚悟を決めて逃げることなど早々起こるはずも無かった。

 

「急げ!急いで逃げよ!!あのおぞましいバケモノから」

 

 本当に、よっぽどの緊急事態が起こらない限りは。

 そしてウーガはそのよっぽどの緊急事態が起こっていた。

 

 竜呑都市に、都市新設を補助すべく集められた従者達は、自らの義務を放棄して続々と逃げ出していた。仮都市にいた名無し達を護衛として強引に引き連れて、全速力で逃げていた。

 先日エシェルに文句をたれていた第三位(グラン)のグルフィンもまた、逃げ出していた。彼の巨体と、彼の取り巻きの従者達を乗せた馬車はごっとんごとんと実に激しく揺れながら、グルフィンの巨体を大きく揺らす。彼はその不快感に悲鳴を上げた。普段彼が利用する馬車とは比較にならないレベルで乗り心地が悪く、しかも、それなのに遅かった。 

 

「なんでこんなに遅いのだ!なんだその駄馬は!」

「勘弁してくだせえ。ウチの馬じゃそんな速く走れませんて」

 

 雇われた都市間の運送業を生業とする“名無し”の男、レイロウはげんなりと、雇い主の抗議を受け流す。どれだけ文句を言われようと、無理なものは無理だ。馬車を引く馬達は年老いた老馬だ。これでも、都市外の魔物を恐れぬよう調教された貴重な馬なのだが、目と身体が肥えた雇い主には不満らしい。

 グルフィンにとっての馬の規準は都市の中、恐るべき魔物の存在も知らずにのびのびと育った馬たちであるから、その規準から言えば遅いのは当然だろう。都市の外への理解がない“都市民”や“神官”はよくよく安全な都市の内側の物差しを持ち出すものだから、彼らを運ぶのは面倒が多い。

 それでも今回その面倒さを妥協したのは、彼らに提示された報酬の多さと、なによりもあの魔物に変貌を遂げてしまった“都市ウーガ”から一刻も早く逃れたいという目的が一致していたからだ。

 

「逃げる馬も持っちゃいねえ連中には悪いけどなあ…」

 

 グラドルで奴隷扱いされていた連中は、当然ながら何か移動手段を用意できているはずも無い。彼等は逃げる手段が無い。まあ、名無しであれば、最悪徒歩で逃げることも出来るだろう。と、自分を納得させながら、彼は必死に逃げていた。

 都市と都市の間の中継地点として仮都市を便利に使っていた。都市が竜に呪われて、きな臭くなってからも、やはり利便性が高くずるずると利用し続けてしまった。

 

 だが、流石にもう潮時だ。あるいはその潮時もとっくに過ぎてしまっているかも知れない。だから急いでいる。

 

 名無しの彼にも分かっている。背後で騒がしくしている従者達の反応はあながち間違いではない。どう考えても、あの都市の変貌はヤバいのだ。一刻も早く離れなければならない。

 

「――――なんだありゃ?」

 

 だが、大罪都市グラドルへと続く道すがら、奇妙な光景が彼の目に映ったのは、仮都市を出発して間もなくの事だった。

 ろくに舗装されていない道の先に、人影が見える。

 

「む?どうした!何故止まる?!」

 

 雇い主の抗議を無視してゆっくりと馬の動きを止める。目の前の道を封鎖するように立ち塞がる者達。盗賊の類いではない。盗賊達はあんな身なりはよくはない。あれは騎士の格好だ。それもただの騎士ではない。

 

「あれは……天陽騎士ではないですか?何故こんな所に?」

「そんなことよりも何故奴らは道を塞いでいるのだ!!おい!」

 

 グルフィンが指示し、従者の一人が頷き、彼らに話を聞きに行く。天陽騎士も神官だが、官位だけなら第三位(グラン)のグルフィンがいる。従者は堂々としながら天陽騎士に近づいていった。

 

「…………」

 

 だが、レイロウはとても嫌な予感を覚えていた。それは名無しとしての、都市の外を何度も移動することで身についた野生の動物めいた危機感だった。

 天陽騎士たちも近づいてくる従者に気がついたのだろう。彼らは近づいてくる従者へと視線を向けてゆっくりと――――腰にかけた剣を引き抜いた。

 

「――――!!!!」

 

 瞬間、レイロウは馬の手綱を引いた。彼の愛馬もその場の剣呑な雰囲気に察していたのだろう。即座に指示に従い、振り返り、一気にかけだした。先ほどまで辿った道を逆走したのだ。

 

「お、おい!?貴様何をしている!?戻れ!」

「あーあー、なんも聞こえません」

 

 先ほどの倍の騒音を奏でながら馬車が逃げ出す。客達は悲鳴をあげ、ある者は抗議の声をあげるがレイロウは全てを無視した。

 

「ぎゃああああああああああああああ!?!!」

 

 悲鳴がした。それは先ほどまで天陽騎士に近づいていった従者の悲鳴だ。仲間の従者達、そしてグルフィンは馬車から後ろを振り向く。後ろでは鮮血が散っていた。従者の身体からは鈍い、金属が突き出ていた。

 天陽騎士が、神より賜った剣でもって、従者の身体を引き裂いたのだと、理解できた者はその場にどれほどいただろうか。

 

「――――ヒィ!?」

 

 しかし従者を切り捨てた天陽騎士がグルフィン達へと向けた冷酷な目は、逃げなければならないと理解するに十分な殺意が込められていた。

 

「に、に、逃げろ!!ひ、急げ?!」

「言われなくても分かってますよ!!!」

 

 あまりにも遅すぎる命令に怒鳴り返しながら、レイロウは全力で仮都市へと戻る羽目となった。そして理解した。

 やはり、逃げるには遅すぎた。引き際を自分は見誤ったのだ、と。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ええ、まあ、なんつーか俺ん時はそんな感じでして。どうにも天陽騎士の連中がこっからの通路全部塞いでるらしいですわ。そんで、近づいてくる連中は従者だろうと問答無用にバッサリ」

「……馬鹿、な」

「まあ俺も信じられませんでしたけどね。でも、俺以外の連中で護送を請け負った連中も全員逃げ戻るか、死ぬかしてるんでねえ……やれやれ」

 

 逃げ戻ってきたレイロウからの報告を聞いたエシェルは絶句した。驚愕などという次元ではない。今聞いた話全てが嘘だったと言われた方がまだ納得がいくレベルだ。

 天陽騎士が、世界の支配者である神殿の持つ唯一の剣が、神と精霊の守護者が、己と組織を同じくする者が、避難してきた従者達を襲う?殺す?何故そうなる?

 先日の都市の魔物化の方が、前触れもあった分まだ納得がいく。

 今回の場合、本当に全く状況が理解できない。

 

「本当に、本物だったのか……?」

 

 振り絞るようにエシェルは問うた。実は天陽騎士を装ったニセモノだったと言われた方がまだわかりやすい。だが、他の従者達から情報を集めていたカルカラは首を横に振った。

 

「自ら天陽騎士を名乗った者もいたそうです。証として天陽の紋章見た者もいたそうで、彼らは間違いなくグラドルの天陽騎士団かと」

「……」

「エシェル様。しっかり」

 

 膝が揺れ、腰が抜けそうになったエシェルをシズクが支える。だが、何の慰めにもならなかった。心臓が冷たく冷え切っているのに、頭が酷く熱っぽい。身体が全くコントロール出来なくなっているのをエシェルは感じていた。

 

「誰か、誰だって構わないから、頼むから、納得のいく説明をしてくれ!!」

 

 その金切り声のような悲鳴を咎める者は誰もこの場にはいなかった。

 それはその場に居る全ての者の代弁だったからだ。

 そして、彼女のその悲鳴に応えるように、執務室の扉がノックされた。

 

「あのーすんません。エシェル様」

「あら、カラン様?」

 

 扉を開けて出てきたのは、この仮神殿の内情をウル達に説明してくれた男、従者のカランだった。彼はするりと、何かから隠れるように扉の中に入っていった。

 

「なんだその動き」

「いやまあ、見つかっちゃまずいんだよ。エシェル様。これを」

 

 そう言って瀕死のエシェルの前に差し出されたソレは印蝋によって封された封筒だった。エシェルはすぐにそれが何か察したらしい。

 

「天陽騎士団の紋章…!」

「どうも、逃げようとした従者の連中の中に、道を封鎖している天陽騎士団の本陣にぶつかった奴らがいたらしく、こいつを渡されたそうです」

 

 エシェルは半ば奪い取るようにして受け取る。そして蝋を引き剥がす。すると中に綴じられていた手紙がパチンと音を立てた。魔術の稼働音だ。エシェルが取り出そうとした手紙は、彼女が手を取るまでもなく、ふわりと封筒からその身を飛び立たせ、そして宙を浮遊した。

 

「魔術による音声記録ですね。学院で見たことがあります」

 

 警戒するウルにシズクが説明する。と、同時に、その“音声記録”とやらが再生しだした。この特殊な手紙を用意した者の声が執務室に響きだした。

 

《衛星都市ウーガの建設に携わった全ての者、及び、責任者であるエシェル・レーネ・ラーレイに告ぐ》

 

 若い、男の声。朗々と響くその声はまるで演説のようだった。魔術を介しての声だったが、自信家であることが伝わってくる。

 そしてその声が聞こえてくると同時に、エシェルがぎょっと顔を歪めさせた。確認するまでもなく、それは聞き覚えのある声を聞いたときの反応だ。

 

「え、エイスーラ……」

「エイスーラ?」

 

 と、ウルがその言葉に反応する間もなく、手紙の音声は続く。

 

《我が名はエイスーラ・シンラ・カーラーレイ。我らは天陽騎士から衛星都市ウーガの状況を解決させるために派遣された“浄化部隊”、その管理責任者である》

 

 解決のための部隊。という、実にありがたい言葉が添えられているにもかかわらず、全く喜ばしい気持ちにならないのは、“浄化”という単語の響きの不穏さからなのか、それとも必死に逃げたのにぼろくそに追い返された挙げ句殺された従者達の被害の所為なのか、ウルには区別が付かなかった。

 無論、手紙の主はウルの感想など知ったことではないのだろう。そもそもあたかも目の前で喋っているように見えるだけで、実際は事前に記録した音声を再生していただけなのだから此方を気にかける訳もなかった。

 

《ウーガに発生した竜の結界、更にはその後の異変を受け、大罪都市グラドルはウーガを【竜呪染地域】と認定した。我ら浄化部隊の任務はその処理に当たる》

「竜呪染……」

「ディズ様が以前おっしゃっていました。確か、憤怒の大罪竜が焼いた大罪都市ラースのように、竜の被害が蔓延化した場所がそれにあたると」

 

 大罪竜ラースの黒炎のように、見るだけでヒトを呪い、近寄るだけで命を奪うおぞましい悪意が蔓延した場所。つまり竜によって、都市の外の人類生存圏外において、最も忌まわしく、存在自体が害を及ぼすようになってしまった禁忌エリア、それが【竜呪染地域】に当たる。

 そして、今ウル達の居る場所がそうだと手紙の主、エイスーラは告げている。

 

 なるほど、まあ、言わんとするところは分からんでもない。都市そのものが魔物になる超常現象だ。今はまだ動いていないが、あのウーガだった魔物が本格的に活動を始めたら、大変な被害を生むかもしれない。やや判断を急きすぎる気もするがその認定自体は不服はない。

 さて問題は、その【竜呪染地域】の“解決”するための手段だ。

 

 彼らは解決する部隊というのだからこの問題は解決させる気なのだろう。そのやり方をどうするつもりなのか?

 などと、疑問符を浮かべてはみたものの、ウルにはおおよその見当がついていた。そんなもの、従者達に対する天陽騎士団の対応の仕方でとっくにハッキリしている。

 

《よって、我らはそれを殲滅する。全てを焼き払う。言葉通り全てをだ。一切の例外は許さない。一切の禍根は残さない》

 

 故に、次に発せられた言葉に、ウルは特に驚きもしなかった――不愉快ではあったが。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()》。

 

 実に明確な、皆殺しの宣言だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 全てを殲滅する。

 エシェルもまた、その言葉の可能性を予想はしていた。この事態、天陽騎士達の対応を知って予想を立てられない程彼女は愚鈍ではない。だが、考えないようにして、拒絶していた。

 その逃避を真正面から叩き潰されて、エシェルは頭がぐらつくのを感じた。

 

《最後に、我が愚かなる姉、エシェル・レーネ・ラーレイに告ぐ。貴様の官位の地位は剥奪となった。都市民として権利もだ。天陽騎士からも追放である》

 

 弟の声がする。弟が自分に呼びかけている。血の繋がった家族、その中でも最も自分を嫌悪し、いたぶり尽くした、エシェルにとって悪鬼と変わらぬ恐ろしい男の声が。条件反射で身体がすくみ上がる。

 

《愚かしく、醜く、我が血族の面汚しでしかない貴様に最後の好機を与える》

 

 エシェルがどう反応するのか、恐らく彼は理解しているのだろう。魔術によって手紙に移しただけで直接対面しているわけでも無いのに、その声音はエシェルの反応に合わせて上擦った。

 

《死ね。貴様が汚辱したカーラーレイの名を、その血で濯ぐ機会をくれてやろう。我らの先祖に詫び続け、死に果てろ。可能な限り早急にな》

 

 そんな、むごたらしい言葉と共に、手紙はその役割を果たした。魔術の光が収まると、手紙はひらりと地面に落ちる。そして、元から別に仕掛けられていたのか、火種も無いのにどこからともなく炎が手紙に灯り、あっというまに焼き払ってしまった。

 

 それを最後まで聞き遂げ、エシェルは

 

「ふ――――」

「おい」

 

 ウルが手を伸ばすよりも早く、ぱたんと意識を失った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の地獄/フラグ❖

 

 エシェル・レーネ・ラーレイ

 

 彼女が家を出る前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 カーラーレイ家、実家においての彼女の存在は、“汚点”だった。

 

「必要な時以外、我々の前に顔を出すな。不愉快だ」

 

 当主であり、父親であるはずのガルドウィン・シンラ・カーラーレイから告げられた言葉がこれである。

 ずっと幼い頃、物心が付くよりも前には親子としての会話はあった。気難しく、厳格な父親ではあったが、少なくとも父子としての体裁は保っていた。誕生日になれば、エシェルが望むものを買い与えるくらいの父としての甲斐性は彼にもあった。

 

 だが、エシェルとガルドウィンが親子としての関係を維持していたのは、エシェルが邪霊【鏡の精霊ミラルフィーネ】の寵愛を受けていると判明するまでのことだ。

 

 それが判明するや否や、長女として生まれた彼女の親としての責務をガルドウィンは放棄した。誕生日の贈り物として購入していた愛らしいぬいぐるみを即座に放棄し、全く状況を理解していない幼いエシェルに罵詈雑言を浴びせ、何故怒っているかも分からず、泣きながら謝るエシェルを汚らわしそうに振り払い、彼女の部屋から彼女を追い出し、使用人達が使う用具置き場に彼女を押し込めた。

 

 最も古く、最も鮮明な、エシェルの父親の記憶がこれである。

 

 言うまでも無く、それは幼い彼女の心に深く深く傷を付ける事となった。彼女にとって父親とは恐怖の対象そのものだ。実家の屋敷の中で、彼女は必死に、父親の視線から逃げ隠れて暮らしてきた。

 しかし、実家で恐ろしかったのは父だけではない。

 

「寄るなバケモノ!!」

 

 そうやって引きつった顔でエシェルの頬をひっぱたいたのは、義母だった。血の繋がった母親は、エシェルを産んだ事を血族全てから叩かれて、殆どリンチのような形で自殺した。正妻となった元愛人の義母は、エシェルを毛嫌いし続けた。近寄られれば、自分も邪霊に憑かれるといわんばかりに。

 

「はは!見ろ邪霊がいるぞ!屋敷から追い出せ!」

 

 義母が産んだ弟たちがエシェルに石を投げる。半分とはいえ血の繋がった彼女に弟たちがかける情けは皆無だった。罵声を浴びせ、石を投げる。時には魔術や、精霊から賜った力までいたずらに振り回す始末だ。

 

「なんだか変な臭いがするわ。汚らしい悪霊の臭いよ」

「あら、家畜の臭いじゃない?饐(す)えたような臭いがそっくりよ」

 

 妹たちがわざと聞こえるような声でクスクスと嘲笑う。反論も出来なかった。エシェルはあまり身体を洗うことも出来なかった。屋敷の風呂場には当然入れてもらえなかった。井戸の水は冷たすぎて、身体を洗うのが辛かった。

 

「出来る限り早くこの家から出ていってくれよ?存在自体が迷惑だ」

 

 ほんの数日、後に生まれた、義母の弟、元は妾の子であり、今は正当なるカーラーレイ家の次期当主となった彼女の弟は、汚物でもみるかのようなさげすんだ目でエシェルを忌避した。上から蔑むその言い方は父親にそっくりで、エシェルはいつも身がすくんだ。

 

「エシェルさま。だいじょうぶです。わたしはみかたです」

 

 エシェルがすんでの所で耐えることが出来たのは、下位の官位であり使用人として奉公に来ていたカルカラの存在があまりに大きかった。

 カーラーレイからすれば、接触することも悍ましいが、しかし死なれるのも面倒だったために最下位(ヌウ)の使用人にエシェルの世話を押しつけただけのことだったのだが、カルカラのエシェルへの態度は献身的で、決して他の血の繋がった家族達のように敵意と嫌悪を投げつけてくるような事はしなかった。

 

 彼女が居なければ早々にエシェルは心を砕いていただろう。

 

 地獄だった。

 ヒトの悪意をとことんまで煮詰めきった地獄だった。

 魔物に命を狙われ、常に飢えと戦わねばならない名無しとて、これほどではあるまい。

 

 それでも、それでも彼女は必死に抗った。砕け散りそうになる心を必死に抱え込みながら、父の言うことを守り、決して彼の前に姿を見せぬよう縮こまり、兄弟姉妹達に頭を低くして媚びるように笑みを浮かべた。自分よりも二つも三つも年下の妹や弟に奴隷のようにこき使われながらも、それでも耐えてきた。

 

 いつか、いつか、幼い頃に向けられた父の愛が、また得られる日が来るのではないか。ほんの少しでも良いから、愛情を向けてもらえるのではないかという、ありもしない希望に縋ってのことだった。

 最初から、何も与えられなかったなら、彼女はそんな風に思わなかっただろう。だが、幼い頃、1度与えられた愛情が、彼女を強く縛っていた。深く失望し、怒鳴り散らした父の怒りが、エシェルを自罰的にした。

 惨たらしい仕打ちも、自分が悪いのだと、そう思うようになってしまった。

 

 だから父に、【天陽騎士】になるように命じられた時も了承した。期待をかけてくれているのではないかという、僅かな希望にかけて。

 天陽騎士と成った者は独立が認められる。つまり早々にカーラーレイから追い出すことだけが目的だったのだという事実に、気づかぬふりをして。

 

 こうして、天陽騎士になって、家から独立してからも彼女は天陽騎士としての訓練を続けた。官位持ちの出身者として当然の教育もロクに受けてこなかったから、天陽騎士の中でも落ちこぼれで、それでも必死に、無様に、頑張った。

 頑張って、頑張って、その頑張った果てに、

 

《死ね》

 

 弟からの、死刑宣告が待っていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「エシェル様!大丈夫ですか!」

 

 聞き覚えのある声、カルカラの声にエシェルはゆっくりと目を覚ました。

 不思議と心は静かだった。ぷつりと、何かが切れてしまったかのように、何の感情も湧き上がってこなかった。自死を促す弟の言葉に、意識まで失ったというのに、不思議だった。

 

「エシェル様。こうなってはもう仕方ありません。急ぎ、ここから逃げなければ」

 

 カルカラがキッパリとそう言う。正しい意見だと思った。弟は、カーラーレイ家は、エシェルを殺す気だ。だが、エシェルは反応出来なかった。心が動かない。肯定も否定もする気にはならない。

 

「逃げるってんなら居場所は用意できるぜ?グラドルを離れた衛星都市にウチの実家がある……まあ、親には嫌われてるんだが、あそこなら知り合いも多い。かくまってもらえる筈だ」

 

 カランがカルカラの言葉に助け船を出す。だが、それでもエシェルは反応できなかった。声も湧いて出なかった。思考が何一つまとまらず、解れて散らばってしまっていた。カルカラやカランが此方に声をかけてくれるが、何一つとして、彼女の心に届かなかった、

 

「エシェル様。大丈夫ですか?」

 

 シズクが近づいてくる。美しい髪、端麗な容姿、鈴のような声音。何か、声をかけてくるのだろう。きっと、エシェルを慰めるような、あるいは奮い立たせるような言葉を。だが、何を言われようとも何かが響くとも思えなかった。

 

 だが、彼女は足を止めた。彼女の前に、ウルが進み出て、彼女を制したからだ。

 

「――――エシェル」

 

 ウルは、座り込み、虚ろな顔をしたエシェルの正面に座った。エシェルは、少しだけ顔を上げた。ウルの顔が視界に映る。だが、何も響かない。何も思わない。何も――

 

「お前、どうしたいんだ」

 

 彼が、両の手でエシェルの頬に触れる。右の手は竜に呪われ、黒い帯に覆われた歪な手だ。少し前なら悍ましいと引っぱたいていただろう。彼女の家族が、彼女にした事を真似るように。だが、そうする気にもならなかった。

 それに、嫌でもなかった。

 

 どうしたい?

 

 問われる。その声は深い労りがあった。ズタズタに引き裂かれた彼女の心に染みこんで、癒やして、そして死に絶えていた彼女の心をほんの少しだけ、蘇らせた。

 

 そして、その瞬間、心の奥底に、熱が湧き上がった。

 

 暖かで優しい想いではない。ウルを見たときに無意識に湧き上がる想いではない。

 

 そんなものでは断じてない。

 

 熱く、煮えたぎるような、その身をも焼き尽くすような熱だ。いったいそれがいつからあったのかもわからないような灼熱が、彼女の奥底から溢れた。そして僅かに回復したエシェルの心を一気に飲み込んでいった。

 動悸が激しくなって、息が苦しくなる。汗が噴き出してきた。胸を服の上からかきむしる。頭を抱えて伏せてしまいたかった。だが、ウルは正面から彼女を見つめ続けた。まるでその熱から、エシェルが逃げてしまわぬようにするようだった。

 

「エシェル。どうしたいんだ」

「……!………ッあ…!!」

 

 ウルが再び問う。エシェルは声を上げようとして、喉が震えて、まともな言葉にならなかった。代わりに両目からぼたぼたと大粒の涙が溢れた。幼い頃、父に初めて罵声を浴びせられた時だってこんなにも涙は出なかった。 

 視界が酷くぼやけたが、何故かウルの顔だけがハッキリ見えた。そして

 

「……………………………………アイツ、なんなの……!!」

 

 そして、ようやく声が絞り出た。

 自分の声とはとても思えない、血を吐くような、憤怒の声が。 

 そしてもう止まらなかった。

 

「なんだ……なんなんだアイツ……!死ねって…!!自殺しろって…!!」

「俺も聞いた」

「家でもだ!!私を見るたびに惨いことを言って!!カルカラまでバカにして!!」

「酷い話だ」

「それで、散々いたぶって、死ねって…!?死ねって!!なんなんだアイツ!!!」

 

 涙はずっと流れ続けた。彼の腕を死に物狂いでひっつかむ。血が滲むほどに爪が食い込む。だがウルは身じろぎもしなかった。

 

「私はやったぞ!!アイツの!アイツらのために!!頑張ったぞ!!いっつも馬鹿にされて!こき使われて!!殴られて!!ゴミをぶちまけられて!!!」

 

 舌が上手く回らず、言いたいことも時系列がバラバラだ。

 十年以上の想いの全てが、胸の奥に頑なに封印してきた激情が、溢れかえっていた。

 

「それでも言われた命令は全部こなして!!家族で狩りに出るための銃の手入れもいっつも全員分やって!!家においてかれて……!!!」

 

 エシェルが銃に慣れていた経緯、その事実をウルは黙って聞き続けた。見開かれた彼女の瞳からこぼれる涙をずっと受け止め続けた。

 

「天陽騎士になってからも!!こっちが手紙を送っても何一つ返事なんて送ってくれなくて!返ってきたと思ったらいきなり都市を建造しろとか言い出して!!それで!!それでも頑張ったのに!!!ふ、ふざけやがっで!!」

 

 拳を握りしめて、ウルの胸を強く叩きつけた。強く、鈍い音がした。その八つ当たりをウルは黙って受け止めた。

 行き場を失った怒りのままにウルの胸を何度も殴りつけて、それでも彼女の怒りと涙はまるで止まらなかった。そしてウルを見上げて、

 

「ウル…!!お前達への依頼を変える!!もうウーガなんてどうだっていい!!!だから!!だから!!」

「エシェル様!!!」

 

 カルカラが激しい声で彼女を制止しようとする。だが、エシェルは止まらなかった。神殿の外まで響くような怨嗟を、彼女は叫んだ。

 

 

「アイツらを!!ぶっ殺してくれ!!!!!!」

 

 

 親を、兄弟姉妹達を、殺してくれと言う願いを吐き出した。

 

 十数年間押し殺し続けた、彼女の心からの祈りと呪いが形となったのだ。

 

 後に残ったのは沈黙だ。その場にいる全員が黙った。ただ、未だ泣き続けて、息を荒らげるエシェルの嗚咽だけが部屋に響いた。誰も動けずにいる中、一人、真正面で彼女の叫びを受けたウルだけが動いた。全身をぶるぶると震わせて泣き続ける彼女の頭をゆっくりと撫でると、真っ赤に充血した彼女の目を真正面から見て、問うた。

 

()()()()()()

 

 その問い返しに、再びカルカラはぎょっと反応した。その問いは、彼女の言葉を正すのでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 エシェルはウルの問いに対して、動揺することはなかった。零れ続ける涙の奥の瞳には憎悪と殺意が煮えたぎり続けていた。親の愛を取り戻そうとしていた彼女の心は、壊れて塵になった。

 

「いい」

「なら新しい依頼になるな。報酬はどうする」

「私の何もかもくれてやる。お前の奴隷にでもなんでもなってやる」

 

 そう言われて、ウルは深々と溜息を吐き出した。そして

 

「――――わかった。お前は俺のものだ。エシェル」

 

 泣き続けるエシェルを、壊れぬように、そっと抱きしめた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「待て!!貴方本気ですか!?」

 

 カルカラがウルの正気を問うた。実に真っ当な反応だった。

 エシェルが冷静でなくなっているのはいいだろう。しかし、それにまさかウルが応じるとは全く思っていなかった。カルカラはウルを睨んだが、振り返る彼は驚くほど、静かな表情をしていた。

 

「冒険者ギルドに所属しているのに、殺人の依頼を受けるのは確かに問題だけどな」

「そんなことを言ってるわけでは……!!」

「だけど向こうさん、俺たちを一人も逃さず皆殺しにする気だ。ちゃんとした道理があればギルドも正当防衛だって認めてくれる。冒険者ギルドはそこまで融通が利かない場所じゃあない。安心してくれ」

「だから!そういう話ではありません!!!」

 

 カルカラは怒鳴った。

 冒険者ギルドの規約がどうであるだとか、殺人の是非だとか、そんな次元の問題ではない。エシェルを殺そうとしている者は、エシェルの実家。カーラーレイ家。大罪都市グラドルの第一位(シンラ)、王だ。

 

 つまり、この男は、()()()()()()()()()()()()()とそう言っている。

 

「正気じゃない……!」

 

 そう直接言われても、ウルの顔にはやはりまるで動揺の色が見られない。凪のようだった。その冷静さが逆に狂気を思わせた。

 

「逃げる道を用意すると言っているのです!!何故立ち向かおうとするのですか!!?」

「ああ、それで少し確認したいことがあったんだ。カルカラさん、少し良いか」

 

 ウルはそう言って彼女に向き直る。カルカラは訝しんだ表情のまま一歩前に出た。

 

「失礼」

 

 するとウルは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――――え?」

 

 彼女らしからぬ気の抜けたような声がカルカラの喉から漏れた。

 

 

 





  全フラグ到達  【宵闇の魔鏡姫】降誕確定


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回想 勇者との密談

 

 日は遡る。

 

 ウル達、【歩ム者】が仮都市に到着した日の夜の事まで。

 

「…………さて」

 

 ウルは宿泊施設からひっそりと外に出ていた。明かりも灯さず、まるで人目から隠れるようにしながら外に出て、迷わずに進んでいく。その先にあるのは宿泊施設のすぐ側に停めてあったディズの馬車だ。

 近くにはロックンロール号も停まっていた。全身鎧を纏ったロックが馬車置き場の明かりの下で警護をしていた。

 

「ロック、そっちはどうだ」

 

 兜を被ったまま表情は読めないが(元々彼に表情なんてものはないのだが)しかし明らかに面倒くさそうに声で言った。

 

『ヒマじゃ』

「だろうな」

『本とかないんカの?絵札とかでも良いぞ』

「警備に見えなくなるからヤメロ。っつーか絵札なんて誰とすんだよ?ジェナさん?」

『そこにおるじゃろ』

 

 ロックが指さす先にはダールとスールが二頭、パッチリとした目で此方を見ていた。

 

「馬だが」

『並の人間よりずっと賢いぞ?ゲームもできるからの』

「マジか」

 

 賢いのは分かっていたがそこまでとは、と思っていると、ダールがかるく頭突きをしてきた。侮ってんじゃねえぞコラと言うようである。「すまんかった」とウルは頭を下げて謝った。

 ダールは「しょうがねえな」と言わんばかりに生暖かい鼻息をウルに浴びせて、ふんと顔を逸らした。

 

「まあ絵札は今度もってくるが、兎に角、護衛の体は崩さないでくれよ」

『面倒じゃが、まあしゃーないの。“依頼人の命令”じゃしの』

 

 ロックはそう言って再び不動の姿勢を取る。

 ウルはそのまま隣のディズの馬車に乗り込んだ。

 

 馬車の中は相変わらず広い。なにやら良い香りまでする。少し手狭ながら高価な宿泊施設のようだ。ウルの今寝泊まりしている場所よりも住みよい空間である。

 

「ウル様」

「どうも」

 

 中には白髪のメイドが、静かにお茶を点てていた。ウルが入ってくるのを察したのだろう。ウルは感謝しながら、馬車の中へと足を踏みこむ。

 奥の座席で眠っているのは、勿論この馬車の主であるディズだ。金色の髪の美しい少女が、美しい馬車の中で眠る姿は人形と間違えそうになる。

 ウルは向かいの座席に座り、暫くその寝顔を眺めた後、口を開いた。

 

「ディズ」

「なんだい」

 

 パチリと、彼女は目を覚ました。

 ウルは特に驚かない。彼女には事前に「必要なときに呼びかけてくれれば起きるから」とは聞いていたからだ。必要なときとそうでないときの区別がどうついているのかわからないが、とりあえず今は「必要なとき」と認識してくれたらしい。ウルはほっとした。

 

「状況を説明するか?」

「ウーガに到着した。ウーガは竜に呪われていた。今居る場所は近くの避難所。この認識で間違いない?」

「……ジェナからきいたのか?」

「ずっと寝てたよ。アカネの情報はずっと入ってきてたけどね」

 

 ちなみにアカネはディズの胸の上ですよすよと猫の姿で眠っている。可愛かった。

 

「で、この状況、どういう事か分かるか?」

「まだなんとも」

「なんともかあ……」

 

 都市全体が真っ黒な結界に覆われたのを見た瞬間、これはディズの助けが必要なヤバい案件だと確信していたため、その答えは少し残念だった。

 

「結界の類いは【怠惰】に類する竜がよく使うものだ。【暴食】のものじゃない」

「余所から来たって事か?」

「そうかもしれない……ただ、迷宮全体にかかった特性は【暴食】の【餓え】だ」

「つまり?」

「ちぐはぐだ。噛み合ってない。完成度も低い」

 

 ディズは悩んでいるようだった。竜においてはウルよりも遙かに知識のある彼女がこうも悩むのであれば、ウルに分かる道理もなかった。そして彼女がこうして悩む程度には、現在の状況は混迷を極めている、らしい。

 ならばウルが提案する事は一つだ。

 

「なあ、エシェルは嫌がるかもしれないが――」

「ダメ」

「おい」

 

 【勇者】としての出動を依頼するよりも速く拒否されてしまった。

 

「竜対策は確かに私の義務だけど、暫く動くつもりは無い」

「やっぱりダメージが重いのか?」

「ダメージはかなり回復したよ。ただ、私が動けると“気づかれる”のは不味い」

 

 その言葉の意味するところの不穏さに、ウルは顔を顰めた。馬車の外を見回そうとしたが、そのまえにぐいと手をひかれて押さえられた。

 

「あんまキョロキョロしないでね?ずうーーっと、この馬車を見張っている奴がいるから」

「……誰だよ?」

 

 自然とウルは声を潜めた。今更意味が無いかもしれないが、今までの会話もずっと監視されていたと思うと薄気味が悪かった。

 

「さてね。一番疑わしいのは邪教徒、【陽喰らう竜】だけど」

 

 砦、死霊術士、餓者髑髏に竜の子、嫌なことを思い出してウルは気分が悪くなった。

 

「この騒動もアイツらの仕業?」

「さあね。彼らかどうかもわからない。逆探知されないよう、大分慎重に監視してるみたいだから、それが誰かも分かってない。ここまで距離をとるなら、こっちの会話もわかりはしないだろうけど」

 

 馬車周辺に魔術が使用された形跡もなく、本当に遠方から此方を監視するだけに止めているらしい。逆によくそんなものに気づけたなとも思うが、ディズの言うことだ。嘘ではないだろう。

 

「ただ、ハッキリしているのは、私に、【勇者】に、後ろめたいことをしようとしてるって事だけだ」

「ろくでもないことだけは確かだな……でも、それなら尚のこと動いてもらいたいんだが?」

 

 だが、ディズは寝転がったまま首を横にふる。

 

「私は負傷していることにしておいてほしい。ここまで私を警戒している相手だ。もし動けると気づかれたら、この監視者は逃げてしまう」

「逃げるだけ、なら正直コッチとしてはありがたい話だが」

 

 出来れば相手なんてしたくはないのはウルの本音だ。

 ディズはそんなウルに優しく微笑みを浮かべた。

 

「この監視者が、後片付けをしてから逃げてくれるならそれもいいね」

「……最悪、処理の仕方も分からんゴミをまき散らすだけまき散らして逃げると?」

「もしこの件に【陽喰らう竜】が関わってるなら、計画が頓挫した瞬間、無差別な破壊行為に方針を変える。太陽神の下暮らす者達に害は与えられるならなんだっていいだろうからね」

 

 無敵かよ、とウルは苦笑いをし、その後胸糞が悪くなった。

 ヒトを、今の社会を、世界を傷つける事だけを目的とした集団、手段もバラバラで姿形も違う、憎悪だけで固まった集団。コレではまさに、魔物ではないか。

 ウルの認識が少し変わった。邪教徒、自分と同じヒトであるという事実が、甘く見させていたらしい。彼らはまごうことなく、人類の敵なのだ。

 

「と、いうわけで、限界ギリギリまでこの監視者は引きつけてから動くので、私は引き続き寝るよ。まだ身体、癒えきってないしね」

「なら、俺もあまり顔を出さない方が良いのか」

「いや、アカネ以外の、ウル視点の情報も欲しいし、ちょくちょく顔を出してよ。怪しまれないようにね」

「難しいことを言う」

「恋人が心配で足繁く通う彼氏のような態度でいけば怪しまれないよ」

「友達のお見舞いって辺りでいいだろ」

 

 友達のお見舞いなんて初めて!と、ディズがやたらテンション上がったのが涙ぐましかったので、今度来るときは果実でも持っていってやることにしたウルだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「飛竜が出たんだが」

「よくよくトラブルに巻き込まれるね、ウル」

「ついでエシェルが従属の契約をシズクにかけられて仲間になった」

「よくよくトラブルを引き起こすね、シズク」

 

 ウルは苦々しい顔でその指摘を受け入れた。腹立たしいが事実ではあった。

 この日は色々あった。迷宮帰り、ジャインとの交渉後、飛竜がいきなり出現し、ソレを必死の思いで撃退し、エシェルが正式に仲間になった。

 

「それで、飛竜はどんなだった?」

「アカネから聞いただろ?アカネは今回の最大の貢献者だ」

《そーよ!がんばったのだから!》

 

 アカネはふふんと自慢げに軟体な身体をくねくねした。蛇かな?と問うと、粘魔(スライム)の真似らしい。

 今日のアカネは目を覚ましている。どうも、前にウルが馬車に顔を出したとき、自分が寝ていたのがとてつもなく不満であったらしい。此処に顔を出したとき何故起こさなかったのかとめちゃくちゃぷんすこになって怒られてしまった。可愛らしい。

 

「ウルの所感が聞きたいのさ。印象でもいい。何か無い?」

 

 ジェナが出してきたお茶を啜りながら、ディズは問うてくる。

 ウルは楽しげにへばりつくアカネを剥がしながら、中空に視線を彷徨わせる。印象と言われても困る……訳でもない。実のところ、あの飛竜に遭遇し、交戦した結果、感じた事は確かにあった。シズクとも話し合い、確信した。

 

「大罪竜とは比べるべくもない、生まれたばかりの、ディズが倒していたドラゴンパピーよりも更に弱かった。アレは本当に竜だったのか?」

 

 あれほど苦戦し、しかも倒しきれず逃げられた相手であるにもかかわらず、そんな言葉が口から飛び出したのは、ウルは知っているからだ。【竜】を。

 確かにウル達よりは強い。が、対抗できない訳ではなかった。リーネの白王陣の反撃で一時的に撃退できた。出来てしまった。だがウルは身をもって知っている。竜は、あんなに温くはないと。

 

「シズクが俺達だけで戦闘続行を決めたのも、アレに自分の対竜術式とやらが通用しなかったかららしい。形はそれらしいが、中身は竜そのものじゃあない」

 

 ディズはその答えを聞いて確信を得たというように頷く。

 

「“術式”がどこまで信用できるかはわからないけど、君とシズクの二人がそう言うなら、偽物だね、その飛竜は」

「俺達の感想でそんな断定していいのか」

「自覚があまりないようだから言うけど、君とシズクは【七天】と【黄金級】以外で【大罪竜】と相対して生き残った唯一の存在だよ?」

「わあ全然嬉しくねえ」

 

 不相応が過ぎる経験値の濃さに頭が痛くなった。

 

「最上位の竜の脅威を肌身で知り、生きて帰った君らの感性は信じよう」

「じゃあ、今回は竜に似た魔物がたまたまこの仮都市に来たと」

「本当に、たまたまと思う?」

 

 ディズは問う。ウルは嫌そうな顔で首を横に振った。

 

「……まあ、んなわきゃねえわな」

「この都市の事件のきっかけ、建設途中の都市の異変、グラドルに出現した竜(仮)の出現。黄金級の大罪都市の護衛要請。結果、此方から目を逸らされた。出来過ぎだねえ」

 

 こぼれ落ちていく情報の断片を組み合わせ、今回の依頼(クエスト)の輪郭が浮き上がってくる。そこには災害のような不確か性は皆無だった。あるのは、ただただ生臭い、ヒトの悪意と意図だ。

 

「……竜の形を模した魔物を利用して、黄金級を誘導した…?使い魔の類いか?」

「この都市に起こってるのは竜害じゃない。人災だよ」

 

 現在、グラドルで発生している竜害も含め、全ては人災である。彼女はそう確信したらしい。目的も、理由も不明な、恐ろしい竜災害が、悍ましいヒトの悪意にすり替わった。竜害よりはマシであるはずなのに、竜の悪意よりよっぽど気色悪く感じた。

 

「そして、形だけとはいえ、竜の姿を利用するというなら、邪教徒の関わっている可能性はかなり高くなった。竜を模すなんてのは、この世界の住民ならどんな悪党でも忌避する」

「邪教徒は確定と……めんどくせえな」

「この程度の面倒ならまだましだけどね」

 

 ディズが滅茶苦茶不吉なことを言ってくる。コッチを怖がらせるための冗談ならよかったが、微笑みすらしていない。

 

「そのくっそ不穏な物言いの理由は?」

「たかが建設中の都市に混乱を招くにはいささか大がかりだ」

「この騒動がなにかしらの布石だと」

「だろうね。というわけでウル」

 

 ウルは口を大きくひん曲げた。

 

「探れと」

「話が早い護衛を雇えて私は幸せだよ」

「これが護衛の仕事か?」

「私と、君たち自身の身の安全を守るという点では間違いなく」

 

 反論しようとして、ぐうの音も出なかった。

 

「だが、ウーガ探索だけでも多分手一杯だ。余裕無いぞ」

「まさしく、そのウーガを探ってほしいのさ。なにかあるとしたらあそこだ」

 

 そもそもこの仮都市、避難所が生まれたきっかけ。リーネの攻撃を受けて、飛竜が逃げ出した先の場所。全ての中心地があそこだ。確かに探るならあそこだろう。

 

「仮都市側はアカネに探させるよ。いくら邪教徒が悪辣な人類の敵と言えど、食事も水も取らなきゃ死ぬ。仮都市の何処かに潜んでいる筈だ」

《かくれんぼね!》

「アカネが鬼だね。精々見つけてあげなさい」

 

 ディズの言葉にアカネはむふーとやる気顔だ。

 追いかける相手は全人類の敵なのだが果たして大丈夫だろうか。

 

「俺は結局、エシェルの依頼通り、フツーに迷宮探索すれば良いって事か?」

「うん、ただし()()()()()()()()()()()()()()という視点は持っておいてね」

「というと?」

「自然発生の迷宮と違って、ヒトが生み出した迷宮には絶対に明確な目的が存在している。自衛か、侵略か、別の何かか。それを掴む事だ。攻略のためのヒントにもなる」

 

 彼女の助言にウルは黙って頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回想 勇者との密談②

 

 ディズから助言を受けて数日後。

 竜に丸焦げにされてから目を覚まし、ウーガに異変が起こったその夜。

 再びディズの馬車の中にて。

 

「マジで死ぬとこだった」

「よくよく死にかけるねえ、ウル。大丈夫なの?」

「……ま、なんとか。体中痛いが」

 

 飛竜に丸焼きにされて死にかけて、ギリギリで蘇生して帰ってきたウルはかなりぐったりとしながら同意した。たぶん冒険者としてやってきて一番死にかけた。

 エシェル含めた仲間達がいなければ確実に死んでいた。変な奴らばかりだが、良い仲間に恵まれたとしみじみ思った。その変な巡り合わせの所為で今こんなことになっているかもしれないという可能性は考えないこととする。

 

《にーたんさー、ほんまいっぺんあたまみてもらいなねー?》

「アカネ、それは俺の事バカだって言ってる?」 

《うん》

 

 あ、これはマジで怒ってる。

 ウルはアカネの頭を誤魔化すように撫でるが、全く反応してくれない。寂しい。

 

「まあ、油断した。完全に気を取られた俺が悪い」

「で、その君が気を取られたっていうのが、真核魔石、らしきもの、だったね?」

 

 そう、土竜蛇が魔石を運んでいった集積地点。迷宮の中心地、本来であれば真核魔石がある筈の場所に存在した、似て非なる奇妙な結晶。ロックの見解が正しければあれが竜呑都市の全ての中心だ。

 

「それが何かわかった?」

 

 問われ、ウルは少し黙って、頭を撫でていたアカネを膝の上に置いた。

 

「ああ、()()()()………推測したのは俺じゃないがな」

 

 推測を立てたのはリーネだ。

 彼女は竜に襲撃される直前、あの奇妙極まる結晶を、自らが魔術学園で習得した知識と照らし合わせて、そして合致する術式を思い出していた。

 

「アレは……使()()()()()()()()()

 

 リーネはそう言った。自分でも少々信じがたそうではあったが、しかし術式は間違いなく、そのためのものだったらしい。

 

「中央に巨大な魔石、魔力源を添え、魔石そのものと周囲に術式を刻む。魔力源を使用し、周囲の“素材”を使って使い魔を生み出す儀式」

「そして現在、あの竜呑都市ウーガは魔物のような姿に変貌を遂げた。なるほどね?」

 

 ディズは察した。ウルもリーネの説明を受けてすぐに察した。そしてそのあまりにも馬鹿馬鹿しい推測を前に、まだ見ぬ今回の首謀者と思しき邪教徒の頭の正気を疑う羽目になった。

 

()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 移動要塞、と呼ばれる存在、島喰亀のようなモノは確かに存在している。アレも、言ってしまえば使い魔の一種だ。が、しかし、今回はその比ではない。何せ都市だ。

 果たしてどのような形で完成させるつもりなのかはしらないが、これを考えた奴は頭がおかしい。いや、頭がおかしいからこそ、邪教徒になって人類に牙を向けてきているのだが。

 

《そんなん、いうこときくん?》

「さあ。作り手の腕にもよるだろうね、物量で特攻させるだけの可能性もあるけど」

「何処に向かわせる気なんだよ」

「邪教徒が関わっている前提なら、大罪都市プラウディアさ。天賢王のおわす場所。間違いなくね」

 

 ディズはキッパリと断定した。

 

「そうなのか?」

「邪教徒の憎むべき、太陽神信仰の総本山だからね?大罪都市プラウディアは常に彼らから狙われてるし、大規模な侵略計画だって、1度や2度じゃなかった」

「平和そうだったがな。俺とアカネがプラウディアに住んでいたときは」

「平穏なのは、努力の賜物さ」

 

 つまり、都市そのものを使い魔にして都市にけしかけるような常軌を逸した計画を、常に凌ぎ続けて平和を維持してきたという事である。そう考えるとディズに対する畏敬の念は高まるのだが、彼女自身はその偉業を誇らしくするでもなく、寝転がったままだ。

 

「しかし、向かう先はグラドルとかじゃないのか?そっちの方が近いだろう?」

「それはないね。ウルもわかってるだろ?」

 

 ディズは意地悪く笑った。ウルは嫌そうな顔で俯いて、自分の推測を口にした。

 

「今回の件は、大罪都市グラドルの誰かが関わってる」

「あるいは、()()()()()()

 

 ウルの少し甘い見積もりを、ディズが即座に修正する。

 

「都市そのものを使い魔にする計画だ。都市建設途中に、外部から介入してどうこう出来る規模の計画じゃない。最初からそのためにウーガが建てられたと考える方が無難だ」

「で、飛竜の一件で、今回の一件は邪教が関わっているのは確定したんだよな……」

「そう、だから立った推測はこうだ。()()()()()()()()()()()()()。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルは少し黙った。ディズの出した結論を飲み干すのに時間を必要としたのだ。

 

「…………イカれてんのか、グラドルの連中は」

 

 胸糞の悪さをそのまま吐き出すように、ウルはようやく感想を声に出して、これを仕掛けたとおぼしきグラドルの一派を評した。頭がおかしいとしか言いようがない。いや、ひょっとしたら本当に頭がおかしいのか?

 

「あれか、手を組んだというより邪教に乗っ取られでもしたのか?大罪都市グラドル」

 

 正直、その方がまだ筋が通る。というか、それくらいの異常事態でも無い限り、大罪都市に大罪都市が巨大な魔物を、いや、使い魔をけしかけるという状況が理解できない。

 だが、混乱するウルに対して、ディズはどこか納得したような表情だった。

 

「実のところ、表沙汰になっていないだけで、水面下でプラウディアとグラドルってずっとこんな感じなんだよね」

「は?」

「仲、悪いんだよ。“旧大陸支配国”と“現大陸支配国”」

 

 迷宮大乱立が起こるよりも以前のこと。この世界に魔物が溢れるよりも前、イスラリア大陸を支配していたのは大罪都市グラドル――――正確には、グラドルの元、とも言うべき大国だった。既に名前も失われたその国は、大陸の隅々までその権威を行き届かせ、無敵の軍隊を従えて、その名を轟かせていた。

 だが、迷宮が現れてしまった。迷宮は大陸の各地に出現し、膨張した大国の支配域をズタズタに引き裂いた。混乱し、まともに軍隊を編成する間もなく、大国は離散した。

 【神殿】が混乱に秩序をもたらし、援助を貰わなければ立ちゆかぬ程に小さくなって、大罪都市プラウディアの管理する大連盟に所属するまで縮小したのが、今の大罪都市グラドルの成り立ちだ。

 

「つまり、助けてもらったって事だろ。グラドルが、プラウディアに」

「でも、グラドルにはこう考えてる者がいる。グラドルは依然として、大陸の王であると。そして神殿、プラウディアは、混乱に乗じて玉座を奪い取った簒奪者であると」

 

 実際、神殿がグラドルを“救助”に向かった際、いざこざが発生し、そして少なからずの血が流れたらしい。単純な助けた、助けられたの話で終わりはしなかったのだ。

 

「だけど、何百年前の話だよ」

「何百年前からずっと続いてる、今の話さ。ウル、歴史は地続きなんだよ」

「歴史もへったくれもない、名無しの俺達には縁の遠い話だ」

「君たちだって、無縁の事ではないさ……話が逸れたね」

 

 全くだ。と、ウルは頭を掻いた。グラドルにどんな事情があろうと、どれだけ正当な理由があろうと、現状、グラドルの害意がウル達に降りかかっているのだ。振り払うしかない。歴史の重要性も理解はしたが、現状の危機を脱してからの話だ。

 

「グラドルが絡んでるのはほぼ確定だ。と、なると、疑わなければならない相手がいる」

「エシェルか?だが、彼女は」

「プラウディアに反逆を起こそうというのに、【勇者】がくっついてくること承知で君らを招き入れるバカはいない。彼女は候補から外して良い。本命は別に居る」

「――――カルカラか」

 

 エシェルの側付き。常に彼女の世話を焼く、この都市のトップに最も近い者。精霊を自在に扱えないエシェルの代わりに精霊の力を手繰り、衛星都市ウーガの形を自由に造る事が許された唯一の神官。

 最も疑わしいのは彼女だ。

 

「ウーガを使い魔そのものにする術式なら、都市設計の段階で仕込みは絶対必要だ。疑うべきは彼女だ。都市建設計画そのものを、言われるまま指示通りに作っただけという可能性もゼロじゃあないけど」

 

 ウルは首を横に振る。

 

「あの女と直接何度も話した訳じゃないが、そんな指示待ちなタイプではなかったな」

 

 エシェルやグラドルの命令であればなんであれ首を縦に振るだけの女、ではなかった。時に彼女から真っ向から反対したり、あるいは自分の望む方に誘導しようとする節もあった。その応対の是非は置いておくとして、彼女が彼女なりの判断力を持っているのは間違いない。  

 

「都市建設中、おかしな指示があれば気づいた筈と。なら、確定だね」

「……彼女は邪教徒?それともグラドルの配下?」

 

 カルカラは何度か顔を合わせているし、短いが会話も交わしている。その間の言動に、怪しげな所はなかったし、無愛想だったが、エシェルの事を常に守ろうとしているように思えた。エシェルも彼女のことをずっと信頼している風で、邪教徒という印象はなかった。

 ディズもそのウルの所感には同意してくれた。

 

「彼女は、都市建設を進めていったんでしょう?ならグラドルの命令かな。“力を精霊から没収されていない”みたいだし。竜と直接接触はしていないと思うけど」

 

 聞いた覚えのない情報にウルは疑問符を浮かべた。

 

「……精霊の力の没収?」

「精霊の力のセーフティだよ。竜、それに属する者になれば、たとえ神官であってもその力は精霊達から没収される。というか逃げられる。精霊は、竜が嫌いだからね」

 

 なるほど。と、ウルは一瞬納得し、その後、ん?と首を傾げた。

 

「精霊は竜の気配を感じると逃げる」

「うん」

「今回の一件はグラドルと邪教徒が関わってる。というか手を組んでる」

「高い確率でね」

「カルカラはグラドルか邪教徒の命令で動いてる可能性がある」

「そうだね」

「彼女、【岩石の精霊】操ってたぞ」

「邪教徒は竜と関わり深いけど、竜そのものじゃないからね」

「……」

「……」

「精霊の竜判定すげえ雑では?」

「良いところに気づいたね、ウル。精霊ってけっこう雑なんだよ」

 

 マジで言ってんのかてめえ、というウルの視線をディズは涼しい顔で流した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「イスラリア大陸を創りたもうた太陽神ゼウラディア。迷宮大乱立の混沌の折、窮地に陥った憐れなるイスラリアの民達を救うため顕現し、最も精霊との親和性の高かった初代の天賢王と神は契約を交わした。自らの力と、自らの下僕である精霊達の力を人類に分け与えた」

 

 ディズが語るのはゼウラディアと天賢王の契約の歴史だ。ウルも聞き覚えはある。とはいえ、自分とは関わりの無い遠い昔の話、という認識で、あまり深く考えたことは無かった。

 

「太陽神ゼウラディアは、精霊達にヒトを手助けするよう命じた。一方でイスラリアに迷宮を発生させた元凶と思しき竜達を敵と定めた。竜と接触すること自体忌避するように首輪を付けた」

「アカネが俺の右手を嫌う理由はそれだよな」

《くちゃーい》

「泣くぞ」

「つまるところ、精霊達が竜を嫌うのは、根本的に道徳や倫理観じゃなくて、単に太陽神の与えた枷が耐えられないからってだけなんだ」

 

 勿論、ヒトとは全く違う生物に、人類の都合やルールを精霊に押しつけること自体、不敬な話であるんだけどね、とディズは少し困ったように笑う。ウルは眉をひそめた。

 

「それなら、悪党が精霊に好かれたらめっちゃ不味いじゃん」

「だから神殿は精霊と親和性の高い血族を徹底的に管理している。神殿の役目の一つだね。神官達も、従者達も、特権階級という地位の対価に首輪をかけられているんだ」

「なるほど……だが、それは」

 

 ディズはウルの反応をみてころころと笑った。反応の良い生徒に喜ぶ教師のようである。

 

「うん、君の予想の通り。これは精霊と国を管理する【神殿】そのものが悪用しないことが前提になっているね。万が一にもそんな事態にならないよう、神殿の管理からは独立した“騎士団”が対処に当たる仕組みになっている」

 

 本来であれば。

 ウルは何気なしに馬車の窓の景色を眺めた。真っ黒な闇夜である。何も見えない。人の気配はない。いつ何時襲ってくるかもわからない魔物達に対処するために警戒する騎士団の姿はない。頼りない、魔法陣による結界の柔い光が包むばかりである。

 此処が魔物の数が少ないグラドルでなければとても持たなかったろう。

 

「…………ここに騎士団はいないが」

「いないねえ。通常建設途中の都市なら、護衛用に騎士が駐在するのが普通だと思うけど」

「人手不足を理由に、騎士団から人員が割けなかったらしい。魔物討伐ギルドの白の蟒蛇が代用で護衛に来ていた、そうだ」

「……」

「……」

 

 二人は黙った。互い、思ったことは同じだろう。だから黙った。

 沈黙を破ったのはアカネだった。

 

《さいしょからはめられてるじゃん?》

「言うなアカネ」

「グラドル騎士団までグルの可能性があるのか」

 

 本当に、考えれば考えるほど、最初からこの状況になるべく仕込まれているのが分かる。必死に事態解決に奮闘していたエシェルが不憫だ。しかも、自分の側近が裏切っているなどと。

 

「同情してるところ悪いけど、多分、更に状況は悪くなるよ」

「まだあんの…?」

「口封じがくる」

「わあ不穏」

 

 あまりに直球すぎる単語にウルは笑った。笑うほか無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回想 勇者との密談③ / 捕縛

 

「アカネに仮都市周辺を見回らせてね。んで、隠蔽術がかけられた地下空間を発見したので、見張らせてたら、不審な会話をキャッチした」

《きいたよー》

「アカネは凄いなあ」

 

 変幻自在の身体を持つ彼女は、そういった活動に思ったより向いているらしい。考えてみればウルも昔、変幻自在の彼女を顔に貼り付け、変化させ、変装をしたことがあった(クソ親父の借金取りから逃れるためだったが)

 

「全身に隠匿の術をかけて、出入りの時も徹底して痕跡を残さないようにしていたらしく、個人の特定は出来なかったけど、でも、話している会話はわかったって」

《みっけたあとに2かいくらいきてなー?だれかとずっとはなしとった》

「誰かと。それでなんて話してたんだ?」

「1かいめは、“うか”させるとか。“いそぐ”とか、ディズのはなしもしてたなあ。2かいめはにーたんがしにかけたあと。“せいこう”“あとしまつ”“ひとりのこらず”」

「……なるほど」

 

 アカネの説明はひどく断片的だったが、単語の一つ一つはあまりに露骨だ。タイミング的にも、今回の首謀者の会話とみて間違いないだろう。

 

「ウーガのあの変化が起こった時点で、区切りがついたんだろうね。黒幕さん達の目的は第二段階に移行して、この仮都市は不要になったんだね」

「都市の使い魔で此処の連中を皆殺しにする気か?」

「私も含めてそうする気なんだろう。いけると踏んだらしい。仮病の甲斐があったよ」

 

 ディズは微笑む。怖い笑みだ。この状況をつくりだした黒幕に向けての殺気のこもった笑顔だ。

 

「余裕だな」

「そうでもないよ。正直、都市規模の使い魔とやらは流石に私も想定の外だ。どれだけ脅威かも分からない。周辺の被害を無視すればやり合えないことは無いカモだけど…」

「最低限の保障があるのは良いことだが、最終手段だな」

 

 精霊への祈りを捧ぐこと以外殆どなにもできない従者達、それ以上に何も出来ない名無し達がこの仮都市には存在している。あの巨大な都市がまるごと使い魔になったとして、それが暴れたらいくらディズであっても確実に巻き込む。

 

「そうだね。だから、私としては、使い魔完成阻止、その前に非戦闘員は逃がしたい。でも多分、この仮都市からの逃走経路は、潰されているだろう。皆殺しにするなら、逃げられては困るだろうからね」

「逃走経路の確保が必要?」

「そうだね。ただ、その前に、敵の情報源を断つ」

 

 ディズがそう言って、待機しているジェナに目配せする。彼女はそのまま馬車奥へと姿を隠し、暫くすると戻ってきた。何やら仰々しい代物を手に抱えて。

 

「どうぞ、ウル様」

「それで、泳がせていた連中を捕まえる」

 

 ウルが渡されたソレは、禍々しい形状をした一本のナイフだった。

 

「ウル。隙を見て、カルカラにソレをぶっさして」

「殺せと…?」

「それ、捕縛用の魔道具だよ。突き刺すと、その対象の魔力全てを使って封印術式が起動する。そうすれば魔術も精霊の力も使えず身じろぎ一つ取れなくなる。使い捨ての高級品」

「大層だな」

 

 ディズが高級品と言うのだから相当だろう。しかも使い捨て。それを、正直戦闘能力があるとは思えないカルカラに使用して欲しいというのは大げさに聞こえた。

 だがディズは首を横に振る。

 

「精霊の力を操れる神官が本気で抵抗して暴れたら、えらいことになるよ?」

「ああ……」

 

 その精霊の力に、エシェルにウルは命を救われたばかりである。

 ウル達が一瞬で壊滅寸前までいった“竜もどき”のブレスを反射してみせたエシェルの力。カルカラも神官であるなら精霊の力は使えるだろう。なるほど、決して大げさな話ではない。

 

「本当に一切反撃の余地がない不意打ちを狙ってね。精霊の力は魔術と違って詠唱も必要ない。隙を見せたら終わるよ」

「努力するよ……それだけでいいのか?」

「いや、可能ならアカネが捕捉した奴も捕まえる」

 

 ディズはアカネを指先で撫でる。アカネはこそばゆそうに首を振った。

 

「目星はついてるのか?アカネも確認できたのは会話だけだったんだろ?」

「そこまで徹底して姿を隠そうとする時点で、ある程度推測は立つ」

 

 前提として、容疑者は仮都市に住まう誰か、ということになる。

 そして、徹底して姿を隠蔽し、誰にも見られないようにするということは、見られたら困る顔だということだ。その条件で考慮すると“名無し”は候補から外れる。彼らは数多くいる上、流動的だ。昨日までいた者が居なくなることも、居なかった者がいつの間にか別の都市から流れてくることもある。必要以上に顔を隠さずとも、すぐに紛れることは可能だ。

 

「なら個人を特定しやすい、神殿の従者か」

「カルカラとも距離が近くなるしね。密かに情報交換も容易い」

「だが、従者も結構いるぞ」

「そこで確認したい。ウル、疑わしい従者は居なかった?」

 

 わかるかんなもん。と、ウルはぼやいた。ウルは従者達に注意などまったく払ってはいなかったのだから。やる気の無い連中だなあという感想を抱いたに過ぎず、殆ど接触すらしなかった。

 

「“敵”の目的は竜呑都市ウーガそのものの使い魔化というのはハッキリした。そうなると、白の蟒蛇のような上層での魔石漁りをする発掘者は兎も角、君たちが深層へと潜り迷宮調査に向かうのは疎ましかったはずだ」

 

 大規模極まる魔術儀式だ。可能な限り不確定要素は排除したかった筈だ。

 

「最初、飛竜が出現したタイミングで、真っ先にロックとリーネが狙われたのは、まあそういうことなんだろうな」

 

 飛竜が“竜に似せた模造品”使い魔の類いなら、ウル達を真っ先に狙った意図は明確だ。物理的な排除、よしんば殺すことが出来なかったとしても、竜とおぼしき存在に襲わせて、恐れさせ、本件から手を引かせるつもりだったのかもしれない。

 

「君たちへの竜の急襲は此処に来てすぐだった。早々に君たちを追い払いたかったのかな。焦りが見える。でも、そのために“偽竜”まで使うのは少し手札の切り方が雑かな?いや、そもそも切れる手札が少ないのか」

 

 コツコツと、ディズが寝転んだまま、指先で馬車の壁を叩く。乾いた、心地よい音だった。そして徐々に徐々に、姿形もなかった“奴”の輪郭が見えてくる。

 

「そして、折角その使い魔を使ったのに、ウル達に撃退された。ビックリしただろうね。勇者(わたし)に警戒してたら、その護衛の冒険者もアレだったんだから」

「アレ」

「使い魔を慌てて引っ込ませて、ウーガの中核に護衛として戻した。ウル達を直接排除する手段を失った。困っただろうね」

 

 コツン、と、高い音がした。ディズは指を鳴らすのをやめて、ウルへと視線を向ける。澄んだ瞳、金色の光が綺麗だった。

 

「ウル、竜との戦闘以後、君たちに接触した従者はいなかったかい?向こうからの干渉だ。理由はどうあれ、()()()()()()()()()()()()()()()()はいなかった?」

「――――あ」

 

 ウルの脳裏に、エシェルに同情し、労り、そして親切心から諦めるように促してきた従者の顔が浮かんだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 時間は今に戻る。

 

「【心魔封印】」

 

 ウルはディズから借り受けていたナイフをカルカラに突き立てた。

 正直、見た目も完全にナイフであったし、それを相手に突き立てるのは躊躇いが生まれそうだったので、思考を停止させ、ただ振り下ろした。

 ナイフは真っ直ぐにカルカラの心臓に突き立った。驚くことに、肉を割くような感覚は一切無かった。

 

「――――――え?」

 

 彼女らしからぬ気の抜けたような声がカルカラの喉から漏れた。

 同時に、彼女の胸からまるで生えたようになっているナイフの柄が赤黒く脈動した。途端、帯状に術式の輝きが広がり、そしてすぐに彼女の身体へと収束した。

 ナイフの封印術が起動したのだ。驚きに目を見開いたカルカラは、そのまま身じろぎ一つ出来なくなったのか、どたんと地面に倒れ伏した。

 

「な!?」

「か、カルカラ?!」

 

 エシェルが驚きの声を上げるが、ウルは今は無視した。まだ終わっていない。

 

「【【【大地よ唄え】】】」

 

 シズクは既に詠唱を完了していた。対象を大地に縛り付ける重力の魔術を放った。

 それは、先ほどまでエシェルを気遣い、亡命場所を提供までしてくれており、そして今、カルカラの封印を見た瞬間、逃げるようなそぶりをしていた“カラン”へと叩きつけられた。

 

「っか!?」

 

 自分の身体が軋む音と共に、彼は地面にへばりついた。しかし、そうなったのは一瞬だ。彼の顔からは驚愕も、そして先ほどまで浮かべていた筈の柔和な笑みも消えて失せた。

 

「ぬ、う、う、ぅぅぅあああああ!!」

 

 どこにそんな力があるのか。相当の負荷がかかっているにもかかわらず、彼はその身を軋ませながら、立ち上がった。そして術者のシズクへとかけだした。

 

「――――侮るなあ!冒険者如きが!!」

 

 開かれた口から飛び出たのは、物腰柔らかな優男の印象はもうない。あるのは自身への攻撃に対する怒り、暴かれた罪を前にまだ足掻こうとする罪人の見苦しい憎悪だ。だが、

 

「はい。侮っていません」

 

 シズクは場の空気を一切読まぬ、愛らしい笑みをカランへと向けた。ほんの一瞬、彼女のその美しい微笑みにカランは気が削がれた。そしてその一瞬で全てが終わった。

 

「うん、お疲れシズク」

 

 部屋の扉が突如として蹴破られる。扉から現れたのは金色の少女だ。かけられた魔術の解除にやっきになっていたカランでは、反応するだけで手一杯だっただろう。シズクへと手を伸ばした彼の腕は、次の瞬間、宙を舞った。

 

「は?!」

「悪いけど手荒く行くよ。殺しはしないから安心してね?」

 

 紅の剣をいつの間にか抜き、いつの間にか振り抜いていた金色は微笑む。カランは、その笑みを前に、あらん限りの憎悪を込めて、叫んだ。

 

「勇者ぁぁぁあああああああああああああ!!!!」

「うん、知ってる」

 

 緋色の閃光が無数に奔る。

 太陽神の下僕の皮を被った邪教徒の男は、その本領の一切を発揮する間もなく、再起不能となるのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

路傍の石ころの怒り

 

 

 仮神殿、従者達の利用する宿泊室の一つにて。

 

 大地の精霊の力によって生み出された石造りの高層建築物。緊急時の避難所故、外見に飾り気は全くないが、内装は充実していた。従者達の権力と我が儘の賜物であり、家財一式が揃っている。

 

「贅沢なこった」

 

 ウルはそんな従者達の贅沢の賜物であるベッドに横たわり、小さくぼやいた。この部屋の元主は今は居ない。天陽騎士の包囲からの強襲の騒動の内に“いなくなった”らしい。深く意味を考えなければ、柔らかなベッドがただただ心地よく、ありがたいことだった。

 

「ウル様」

 

 シズクはまるで最初からそこにいたかのようにゆらりとウルの前に姿を見せる。何故か下着姿で。普段のローブで押さえられた豊かな身体が露わになっていた。

 

「服を着ろ痴女」

「先ほどまで、エシェル様を寝かしつけていましたので」

「肌晒す説明になってないが」

「体温は傷ついた心を癒やすには最適ですよ?」

 

 慈母のごとく微笑むシズクに、ウルは口を閉じて、ベッドに沈んだ。反論するのも疲れる。そうでなくても、今日は本当に疲れた。

 

 都市の異変、従者の逃亡からのとんぼ返り、大罪都市グラドルの包囲網、処刑宣告とエシェルの新たなる依頼、そしてあの実行犯二人の確保騒動。病み上がりには大変こたえた。

 

 が、この日の苦労はまだまだ始まりに過ぎなかった。

 

 二人の実行犯を捕らえた後、エシェルにその事情を説明すると、彼女はまた泣いた。が、それ以上にうろたえることはしなかった。ただただ泣くだけで、落ち着かせる手間がなく助かった反面、痛ましかった。

 

 ――私は彼らから事情を聞いておくから、ウルはその間、お願いね。

 

 と、ディズにさっくりとぶん投げられた。頼まれても、犯人が連行されれば自分たちにやれることなんて殆どない……と、ウルはその時は思ったのだが、そう甘くはなかった。

 カルカラが実行犯として連行され、エシェルが今は何も出来ない状態になってしまった。結果、“仮神殿”の指揮系統が完全に麻痺してしまっていたのだ。

 一応、エシェル、カルカラに次ぐ権力者として“従者”達がいるわけなのだが、彼らは彼らで混乱している。自分たちを守ってくれる、自分たちの「剣」であるはずの天陽騎士達からの強襲から逃げ回り戻ってきた彼らはすっかりパニックになっていた。当然仕切れるものなど居るわけもない。

 

 つまるところ、ウル達が仮神殿を仕切る以外なかった。

 

 泣きわめいてばかりいる従者達を治療し、動ける者に指示を出し、混乱の鎮静に駆け回るのに丸一日を費やした。とても疲れた。従者達から感謝の代わりに罵声を浴びせかけられる事も珍しくもなく、本当に放置してやろうかとも思った程だが、放置すれば死ぬ怪我の者もいるのでそういうわけにもいかず、深夜まで働き続けた。本当に面倒だった。

 

「明日また、従者どもが好き勝手し始めたら俺はもう知らん」

「明日はディズ様に形だけでも指揮を執ってもらいましょう。従者の皆さんもその方が指示は聞きやすいでしょうし」

「そーだな……で、何故くっつくシズク。」

 

 いつの間にかウルのベッドに潜り込んできたシズクがぴったりとウルにくっついてきた。柔らかく気持ちいいが、非常に疲れてるせいか精神の高ぶりに全く肉体が付いてこず、無駄にぐったりした。

 

「疲れているのなら癒やしてさしあげようかと」

「気遣いありがとう。今はマジで余計なお世話だから離れろ」

 

 シズクはぐりぐりとウルの頭を抱え込んだ。全くヒトの話を聞いていない。が、この女が自分から積極的に接触してくるのは少し珍しい、と、ウルは不思議に思った。

 必要な相手に対して媚びるのは全く躊躇しない女だが、自分相手にはそうそうしないはずだが……

 

「…………なんか嫌なことでもあったのか」

「私がですか?」

「そのつもりで聞いたが」

 

 他人の感情の機微に対して異常な観察力を持っている女だが、自分のことに対してはとんと理解が浅い。ウルが拒否しても尚、接触を続けるなら、その行動原理はシズク自身の中にある。

 要は、これは甘えてきているのだ。恐らく、多分。

 シズクは首をこてんと傾け、少し考え込んで、沈黙した。ウルは黙って彼女が自分の感情を形に固めるまで待った。そして、

 

「……特に嫌なことが合ったわけではありません……けど」

「けど?」

「これから、悲しいことが起こると思いましたので」

「なんだそりゃ」

 

 シズクは自分の抽象的な感想を再び言語化すべく唸った。その間ぐいぐいと胸を押しつけてくるのでウルの精神衛生上は非常によろしくなかった。

 

「そうですね――――私は、皆が幸いであってほしいと願っています」

「ああ、そうだな。ソレは知っている」

 

 自分の優先度が低いが故に、他人の幸福を願う歪な聖女が彼女の本質だ。ウルがいくら補正しようとも、その根幹はそうそう揺らぐことはない。

 

「だから、私に出来ることならなんだってしたいのです。どんなことだって」

「ソレも知っている」

 

 そして、そのためなら彼女は手段を選ばない。時として相手の尊厳を踏みにじり、粉々に砕いてしまうこともある。それはつまり、彼女にとっての“幸せ”の規準が――極めて――低い事を示している。

 

 死にさえしなければ、きっとやり直せる。幸せになれる。

 

 そんな、極端極まる判断基準が、彼女の中にはあるのだ。だから、なんだってする。どんな手段もとる。命さえ救えるのなら、命さえ助かるのなら――

 

「――――でも、今回は、多分難しいのでしょう」

「難しい」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………なるほどな」

 

 その言葉の意味するところを、ウルは察した。否定は難しかった。考えうる限り、この後起こることはろくでもないとわかりきっているからだ。

 彼女が悲しむ理由も分かった。だからウルはだまって彼女の抱擁を受け入れた。これでストレスが軽減されるなら、もうなんだって構わない。

 そう思ってされるがままになっていると、ふと、シズクがウルの顔を覗き見てきた。白銀の瞳の色が綺麗だった。

 

「でも、ウル様は、私とは逆に、なにやら怒っていらっしゃいますね?」

「俺が?」

 

 問われ、ウルもまた自分の内心を探る。シズクのように、自分の考えが全く見通せないような事はなかった。すぐに、彼女の言う怒りが見つかった。

 

「…………そうかもな」

「エシェル様の事で?」

「他人のために怒れる程、殊勝な奴じゃねえよ俺は」

「そうですか?」

「そうだよ。怒ってるのは、俺自身の問題だ」

 

 そう、個人的な事だ。

 今回の事件の輪郭が判明してから感じた――不快感だ。

 

「元々、今回の件は、エシェルが、俺達を使って、ウーガの異変を解決しようとしたところから始まったよな。俺達に拒否権は無かった」

「そうですね」

「で、調査を進めると、エシェルもまた、操り人形に過ぎなかった。彼女の側近のカルカラと神殿の従者カランが、実は都市の異変を起こした犯人で、それに気づかず、エシェルは空回りを続けていた」

「そうですね」

「で、更に突き詰めると、そのカルカラもカランも、大罪都市グラドルと、邪教、陽喰らう竜の手先、実行犯にすぎなかった」

「そうですね」

 

 今回の事件は、その構造が幾重にも重なっていた。ウルが今まで体感したことがないような規模の大きな事件だった。だからこそ、ウルは思ったことがある。

 

「推定、今回の事件の犯人、グラドルと邪教、俺達のこと知ってると思うか?」

「存在を認知もしていないと思います」

 

 シズクはストレートに解答した。ウルも同意見だった。

 実行犯であるカルカラ、そしてカランは流石にウル達の事も認知しているだろう。が、あの二人にとっても、ウル達は【勇者】のオマケでしか無かったはずだ。ディズの馬車への集中的な監視体制がソレを物語っている。

 ましてや、この場にすらいなかった邪教やグラドルが、ウル達を認識しているかといえば、絶対にしていないだろう。ウル達が何か彼らにとって問題を起こしたとて、それは「勇者の仕業」としてひとくくりだろう。

 それは、ディズの実力、知名度、七天の威光を考えれば当然の事ではある。彼女と比べ、ウル達が木っ端のような扱いを受けるのは当然だ。ウルもそれには納得している。

 

 が、それはそれとして、ウル達が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ここまで振り回されたのは紛れもない事実である。

 

「――――ふ」

 

 ウルは笑った。

 可笑しさの所為ではない。状況を整理するほど、ただただ、腸が煮えくりかえって、一周回って笑えてきたのだ。

 よくよく、起こることではある。ウルは名無しだ。自分より遙か上の存在の、極めて一方的な都合で、人生が吹っ飛ぶ事はある。珍しくもない。慣れている。いや、慣れて()()

 だが、冒険者として生き、必死に駆け回って、短い間に幾多の困難に立ち向かって、ようやく、手の平に収まるような小さな小さな自信をウルは得られた。他人から見ればあまりに小さな、しかしウルにとって、多分人生で初めて獲得した、誇りだった。

 

 理不尽まみれのこの世界を、自分の力で切り開き、進むことが出来るのだという誇り。

 

 そして、そんな小さな誇りは、紙くずのように吹き飛んだ。それは悪意によってですら無い。ウルの誇りを踏みにじった相手は、踏みにじったことにも気づいていないのだから。

 

「路傍の石ころか、俺達は」

 

 蹴とばしたことに、気づかれもしなかったのだ。

 思い上がりは叩き潰された。自分は未だ、この世界において石ころなのだと、理解させられた。勘違いをして間違えるよりも早くに気づきが得られたのは良いことではあった。

 

 だが、それはそれとして、

 

「――――黙って蹴飛ばされてやる必要は、無いよな」

 

 ウルが据わった目で吐き出したその言葉に、まあ、とシズクは微笑みを浮かべた。

 

「では精一杯、地面に食い込んでみましょうか」

「精々、小指を打って、地面に転がしてやるとするさ」

 

 かくして、深い深い闇と、歴史によって紡がれた悪意の中心地、竜呑都市ウーガ。

 その隅っこで、反撃の炎が静かに灯った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇の願い

 

 白の蟒蛇、ジャインにとって“天才”という人種は見慣れていた。

 

 彼は銀級の冒険者だ。そして銀級の領域というのは多かれ少なかれ、才覚を持ち合わせた者達の住まう場所だ。武勇、魔術に秀でるのは勿論のこと、技能も選りすぐりで、武具も希少なものを身につけ、幾多の迷宮を突破し真核魔石を人類にもたらしてきた傑物。

 

 紛れもない英雄達。それが銀級だ。

 

 そもそも彼の部下であるラビィンもまた天才のタチだ。予知に近いレベルの【直感】と、はるか遠くの敵を感知する【超聴覚】、敵を殺める時の魔物のように俊敏で自在な身のこなし。自分の死をも恐れず活路を掴む感性。間違いなく天才だ。

 だから天才に出会っても彼は驚かない。見慣れているから。

 そして才覚の際立つ者もすぐに分かる。見慣れているから。

 

 なので、【歩ム者】のシズクを目撃したときも、ジャインはそれほど驚きはしなかった。

 

 確かに、少しは驚きはした。ジャインの知る天才と比べ、遜色無いどころか大幅に上回る程度には、彼女の輝きはずば抜けていた。きっと、あっというまに銀級へと駆け上り、あるいはその先にもたどり着くかもしれないと、彼女を正確に評価していた。

 

 が、彼女へのジャインの興味はそこまでだ。

 

 そもそも同じ冒険者といえど所詮は別ギルドの、ただの他人だ。バケモノじみた天才だからなんだというのだ。彼我を見比べ、劣等感に苛まれる程、彼は幼くはなかった。

 

 だから、その隣に居る冴えない、何の見所も感じない少年にも、思うところは少なかった。

 あるとしたら、同情だ。

 

 可哀想に。あの若さで、あんなバケモノじみた天才のとなりなんて、さぞや生きづらい事だろうという、哀れみと同情。つまり、歯牙にもかけてはいなかった。

 

「何の用件だろう。ジャイン殿」

 

 “仮神殿”の最上階、執務室の中央の椅子に座り、左に天才児(シズク)を、右に何故か天陽騎士(エシェル)をはべらせ、剣呑な面構えで此方を見るウルを見て、ジャインは自分の認識を大幅に改めるハメになった。

 

「ジャインさん。見てくださいアレ、ハーレムっすよ」

「俺が許可するまで口開いたら殴るからなラビィン」

「…………」

 

 一緒に来ていたラビィンが口に両手を当てたのをみて、再びウルを見る。

 

 ジャインが此処に来たのは、【歩ム者】に協力の交渉をするためだ。

 神殿の剣、天陽騎士に包囲されている状況は把握している。だから逃げる準備は進めていた。ウル達に声をかけるのは、“念には念を入れるため”だ。

 だが、どうやら目の前の男は、そんな「保険」程度の代物ではなくなったらしい。

 

「此方も非常に面倒な状況になっていて、其方の要望に対応できないかもしれないが、勘弁してほしい」

「そりゃ、見たら分かるな。何があったんだよ。ソレ」

 

 ジャインはウルの右腕にしがみつくエシェルを見て眉をひそめる。高慢ちきで面倒な天陽騎士、わめき散らすことしか能が無い、というのがジャインのエシェルへの評価だ。が、今現在の彼女の様子はどうか。

 

「…………」

 

 まず喋らない。前はジャインを目にすれば即座に噴火していたのに、全く喚かない。こちらに視線すらやらない。何やら泣いていたのか目が赤く腫れている。憔悴しきっているのか、以前より痩せた印象だが、対照的に目にやたら強い光が灯っている。ギラギラとしている。

 そしてウルの歪な右腕に縋り付いている。指一本でも手放すまいというようだった。

 

 異様だ。人が変わったとしか思えない。

 

「……どうやってたぶらかしたんだお前それ」

「紆余曲折あったんだ。複雑骨折だ」

 

 苦々しい顔だった。本当に色々とあったらしい。

 そして、この少年(クソガキ)が、この件の中心に“なった”のは間違い無いらしい。

 

 天陽騎士が連れてきた【歩ム者】を、ジャインは過小評価も過大評価もしなかった。

 あまりに若いが、魔物と対峙したときの動きは悪くない。ダラダラと時間を消費しただけの“温い”銅級よりも場数は踏んでいそうだ。詳細な迷宮の情報があれば、ウーガの深層まではたどり着く事も出来るだろう、というのが彼の見込みだった。

 だから、情報を求められた時、(彼にしては珍しく)自分がかき集めた情報の全てをそっくりそのまま与えてやった(金は取ったが)。

 

 狙いは単純だ。ジャイン達の代わりに、この事件の中心を探らせるためだ。

 

 竜呑都市ウーガが【白の蟒蛇】にとって競合相手の居ない極めて都合の良い狩り場であったのは間違いなかったが、同時に、ここが通常の迷宮と比べ“異質”であるのを彼は重々承知していた。

 突如出現した胡散臭い迷宮で魔石の荒稼ぎをすると決めた時点で、リスクは覚悟していたが、それは起こりうるトラブルを黙って受け入れるという訳ではない。ウーガの謎は知っておくにこしたことは無い。

 そして、謎を探るのは自分でなくても良い。それがジャインの判断だった。

 

 ジャインの狙いはどうやら上手くいったらしい。

 

「それで、改めて確認するが、どのような用件で?」

 

 正確には、上手くいきすぎたというべきか。

 椅子に座るウルは、此方を観察するような目つきで問いかけてくる。余裕のある目つきだ。自分と、自分の取り巻く状況を掌握した者が持つ余裕だ。

 1Fの広間では傷だらけになった従者どもが呻き、怪我をしていない従者どもは鬱陶しく泣きわめいている。仮神殿の外でも名無し達もまた、混乱している。脅威に晒されることは多々あれど、定住の場所を持たぬが故の強み、逃走という手段が断たれ包囲されているという事実は彼らに動揺を与えていた。

 天陽騎士に襲われたのだ。神殿の剣に、神殿の下僕である従者達が殺されたのだ。混乱も当然だろう。ジャインだって、正直情報を聞いたときは耳を疑った。ジョンが“神殿の連中”と繋がっているとは思っていたが、まさか神殿の一部、などではなく、神殿そのものと繋がっているというのは予想外だったからだ。

 

 襲撃犯が天陽騎士の紋を掲げたのはそういうことだ。

 

 そう、本件で暗躍していたジョンと繋がりのあったジャインですら驚いたのだ。現状の混乱は至極当然だ。にもかかわらず、

 

「………………」

 

 目の前のガキに一切動揺を隠している様子はない。つまり知っているのだ。天陽騎士がとち狂って、従者を殺したこと。そしてそんな凶行が何故発生したかまで。

 

 それは都合が良く、都合が悪かった。

 

 ジャインの知らない情報を把握しているのは都合が良い。彼の狙い通り、自分の代わりにしっかりと情報を集めてくれたということだからだ。

 が、ジャインの知らない情報を把握“しすぎている”のは都合が悪かった。現在、イニシアチブを向こうが完全に握っている。ジョンの一件を握ってるこっちがコントロールできるかと目論んでいたが、甘かったらしい。

 

 ――――切り替えるか

 

 ジャインは思考をリセットした。

 最初の目論見、こちらの情報を餌に、向こうの動きを操ろうという考えは棄てた。逆に向こうに利用されるような事になったとしても、情報を引き出さなければダメだ。合理的に、彼は自分のプライドを棄てた。

 

「協力の要請と、情報を交換しに来た。この混乱した状況だ。助け合えるならそうしたいだろう?」 

「ああ、尤もだ。それで、“何が知りたいんだ?”」

 

 包み隠さずストレートに「お前の知りたい情報は全て知っている」と口にするのは、余裕からか、あるいは単に小細工をするほど腹がまだ黒くなっていないからなのか。

 余裕たっぷりな態度を取られると、その鼻をひっつまんで引っ張り上げてやりたくなる衝動にかられるが、自制する。別に、このガキとケンカしにきた訳ではないのだ。

 

「なら、聞くが、このクソみてえな包囲網から脱出するアテはあるか?」

「“ある”」

 

 正直な事を言えば、かなり無理のある問いだったという自覚はある。それが分かれば苦労はしないという話で、その筈なのだが――――この目の前のガキは今なんと言った?“ある?”

 

「あるっつったか?」

「言った。確実性のあるプランじゃないがな。その計画自体は今ある」

 

 目の前のウルの目に、嘘偽りはないように思えた。そもそも向こうに、こちらを騙す意味があるとも思えない。と、なると、

 

「……へえ、じゃあそれがどんな計画かご教授願えるのかね?内容によっちゃ、手伝わせていただいて、おこぼれにあずかりたいものなんだが」

「説明するのは構わないが、漏洩を防ぐための契約は結んでもらう」

「まあ、道理だな。この状況だ」

 

 現状、何処で誰が聞き耳を立てているか分かったもんじゃない。あるいは、包囲している天陽騎士達に情報を売り渡そうとする者が出るとも限らない。ジャインは納得した。

 

「なら、説明するが、その前に一ついいだろうか?」

「なんだよ」

「あんたの目的、願いを教えてくれ」

 

 ジャインはウルの質問の意味が最初、理解できずに首を捻った。突然、この修羅場にあまりにそぐわない言葉がとんできたため、脳が理解を拒否した。

 

「…………何言ってんだテメエ?」

「あんたがこんなきな臭い場所で、それでもリスクを呑んで魔石をかき集めていた理由を教えてくれ」

 

 言ってることの意味が理解できたが、ジャインは眉を潜めた。

 

「……こいつぁ何か?お前に教えなきゃその脱出計画に参加できないのか?」

「いや、単に、後の交渉の手間が省けるかもと思っただけだ。言いたくないなら構わない。情報保守の契約だけ結んで説明に入る」

 

 ジャインは口をひしゃげた。

 自分の人生の目的なんてもの、酒の席だってそうそうに口に出すものじゃない。大望をおおっぴらに胸を張って掲げる年齢はとっくの昔に過ぎている。今更それを、自分より一回り下のガキに語れなどと、どんな羞恥プレイだ。

 

「まー良いんじゃないっすか?ジャインさん。別に隠す話でもないっしょ?」

 

 すると、ラビィンが何故か出しゃばってきた。ジャインは拳を振り上げると、彼女はひょいと距離を取る。

 

「殴るっつったろ」

「だーってえ、いちいち腹探るの面倒じゃないっすか?このウルって奴の計画にのるってんなら、一蓮托生っすよ“絶対”」

 

 ラビィンの言葉の、その極端な物言いに、ジャインは顔には出さないようにしながらも、驚いた。ラビィンが断言するような時は【直感】が働いた場合が殆どだ。

 成長した冒険者としての技能。五感とは別に伸びた第六感。未来予知めいた確信が、彼女にはあるのだ。

 この目の前のガキ達と、運命を共にするハメになるという、確信が。

 

「……………………俺ら、白の蟒蛇の初期メンバーは、【幽徊都市】の出身なんだよ」

 

 やや、間を空けて、観念したようにジャインは語り出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇の願い②

 

 幽徊都市、などと呼ばれていたが、それはそもそも都市ではなかった。

 

 何が近かったかといえば、まさしく、今ジャイン達が居る“仮都市”と呼ばれる場所が最も近いだろう。つまりそこは、そういう場所だった。

 まともな城壁もなく、神を崇める神殿もない。

 故に太陽神の結界を授かる事は叶わず、精霊の力も勿論無かった。

 名無し達が、ただ集まり、身を寄せ合うだけの集落、という表現が一番しっくりきた。

 

「“名無しの都市”……ああ、聞いたことはあるが、それは……」

 

 ジャインと同じ、名無しのウルが思い出したように口にする。そして言葉を濁した。此方を気遣ったらしい。ジャインは鼻で笑った。ガキに気遣われるほど落ちぶれちゃいない。

 そしてそもそも“気遣われてやるような上等な場所じゃあない”。

 

「知ってるなら話が早い。俺のいたあそこは、“追放者”達の、つまり“犯罪者の都市”だった。クソどもの集まりだった」

 

 都市に居られなくなった者。元は都市に住まうことを許された身でありながら罪を犯し、神殿から「不要」とされ、都市に居られなくなった者達。彼らが集まってできたのが、【幽徊都市】だ。

 通常、盗賊の体をなしても早々に魔物に襲われるか、消耗し自滅するかで自然消滅する追放者達が、何故に“都市”と呼ばれる集団を維持できたのか。

 理由は幾つかある。

 魔物の少ないグラドルという土地柄。

 まとまった人数が1度に都市を追い出されたため、一塊の集団が自然とできたこと。

 その犯罪者の集団は不正を起こした元騎士団であり、戦闘技術を持っていたこと。

 

 結果、彼らは自然淘汰されず、集団として生き残った。グラドル西部の山岳地帯に幾つもの拠点を造り、魔物達から逃れるように静かに暮らしていた……訳ではなかった。

 少なくとも、静かに、ではなかった。

 

「必要にかられてなのか、元々の性根だったのかは知らん。都市から追い出されたクズどもは、自分たちの“経験”を有効に活用しだした」

 

 都市を守る騎士団でありながら、都市国に背いた彼らは、顧みなかった。むしろ、その過去を最大限に活用し、周辺諸国を彷徨いながら、都市の暗部と交渉し、対価と引き換えに犯罪を代行した。

 

「所謂、【闇ギルド】の完成だ。落伍者のクズが、真性のクソになったって訳だ」

 

 タチが悪いことに、彼らは犯罪者組織として、()()()()()()()()()()()()()()()()。元々の騎士団という立場を利用したコネクション、それを活用するだけの頭と、統率力があった。

 【幽廻都市】の名は広がった。各都市の後ろめたい連中や、あるいは都市の上層部が、自分の手を汚す代わりの代行者として彼らを選び、秘密裏に取引した。【幽廻都市】は得た資金と、都市の秘密を握り、肥え太り続けていった。

 

「俺らが生まれて、物心ついた頃がちょうど絶頂期だったなあ。そりゃーもう調子こいてたぜ」

「コンプレックスだかなんだかしらないっすけど、都市の外にいる俺達こそが真の支配者だーとかなんとか、オッサンたちが五月蠅かったっすねー」

 

 大型の魔物の出現に合わせ、次々に住む場所を移り変えなければならない不安定な生活と、それに見合わない極端な収入、アンバランスが過ぎる環境が、心の均衡を崩したのだろう。

 魔物の恐怖を忘れるためか、有り余る金と酒に溺れ、気紛れに自分の子供を殴りつける親たちを見て、ジャイン達は早々に親たちを見限ったのを覚えている。

 

 その判断は正しかった。

 

「俺が、15の時だったか。老い始めて、動きが鈍くなったクズ達が、ガキの俺達に代わりに仕事をやらせようと、俺らをしごいてた頃だったな」

「あれ、ほんっとキツかったっすね。ガチで何人か死んだし」

「てめえの酒のために殺されるなんてたまらねえわな……んで、その頃に幽廻都市は下手を打った」

「下手?」

「端的に言っちまうと、調子こいて、欲張って、だまされた」

 

 当時のグラドルと取引をしていた幽廻都市は、取引の最中、過剰な請求を行なったらしい。組織としての老い、主流だったメンバー達の加齢、そして慣れと傲慢、多くの要因があった。

 結果として、彼らは見誤った。

 何事にも共通している。自分の領分をわきまえない者には手痛いしっぺ返しがやってくる。ましてや、彼らは【闇ギルド】。存在自体、公に認められていない組織。いつ消えたところで、誰も困らないからこそ、悪徳の担い手となれたのだ。

 

 存在を認められず、いつ消えても困らないなら、

 人知れず消されても、文句は言う者はいない。

 

 報酬を受け取る取引の場で、金銭や食料の代わりに現れたのは都市の外での大連盟の法を守るための剣、【黒剣騎士団】と呼ばれる連中だった。彼等から情け容赦ない、浴びるほどの矢を浴びて、逃げた先の拠点にも先回りされて魔術の雨を受けて、幽廻都市はあっけなく、あっという間に壊滅した。

 

「で、その時、()()()()()()()()()()()()()()()()アイツらが隠してた資産を抱えて拠点から離れた場所に居た俺達が生き残った」

「いやーラッキーだったっすねーほんと」

「全くだ」

「幸運おめでとう、と言っておく。それで、その後は?」

「別に、その後は特に面白くもねえよ。金を元手に装備整えて、冒険者になって、金を稼ぎ続けて、銀級になった。以上、終わり」

 

 豊富な資金で装備を充実させることで安全を買った以外、実にオーソドックスな冒険者街道である。魔物を狩り、迷宮を潜り、仲間を増やし、時に争い、成り上がっていった。子細に語るなら幾らでも話はあるが、特別、“目的”に変化があったわけでもない。

 

「長々と人生のあらましなんぞ語ったが、お前なら分かると思うがね。名無しのウル」

「欲しいのは“安心”か」

 

 即座に正解を答えたウルに、ジャインは驚きはしない。都市の外を彷徨う名無しであれば、誰しもが焦がれる願望だからだ。

 

「親(クソ)どもの金を盗んだとき、俺ぁてっきりようやく安心できると思った。結構な金だ。遊んで暮らせるとすら思った程だ。だが、そうじゃあなかった」

 

 ジャイン、ラビィン、そしてジョン。たった3人でも、都市でずっと暮らすには莫大な資金が必要だった。“祈り”という奉仕が出来ない名無しでは、その分金を支払わされるのだ。1年2年で尽きる程の資金ではなかったが、自分たちの生涯を賄えるほど、彼らが盗み出した金は多くはなかった。

 彼らが冒険者となったのは、やむを得なかったからに他ならない。

 

「だが、そうして銅級になり、銀級にもなった。それでも安心は得られなかった?」

 

 ウルの指摘しているのは、指輪の都市滞在権の事だろう。確かに指輪を得てから、ジャイン達の資金繰りは相当に楽になった、滞在期限が切れるたび、都市を移ろう必要は無くなった。だが、それは彼の思い描く安全からはほど遠い。

 

「冒険者ギルドの指輪の滞在権は、冒険者としての活動が認められている間のみに限られる。活動の見込み無しとなれば追い出されるのさ」

 

 あるいは、なにかしらの怪我をして、冒険者として活動が困難となれば、やはり追い出される。引退するまでに都市に莫大な資金を支払うか、引退後、上手く冒険者ギルドに就職が叶えばまた違うかもだが、競合率は高い。あるいは入れたとして、やはり冒険者としての能力を求められる場所に就かされる可能性もある。

 

「つまりアンタは……そうか。もう嫌なんだな」

「ああ、そだよ。もううんざりだ。命を削った戦闘なんぞ、全然安心じゃあない」

 

 だから、ジャインは金を稼ぐ。安全のためにリスクを背負うという馬鹿らしい矛盾を飲み込みながら、金を稼ぎ続ける。いつか、自分や仲間が躓いて、2度と立ち上がれなくなるような大怪我をするよりも前に。安心を得るために。

 

「都市の中の【土地】を神殿から買う。誰にも脅かされず、追い出されない場所を手に入れる。それが俺の目的だ。文句あるか?」

「無い」

 

 ウルの即答に、ジャインは鼻を鳴らす。ケチの一つでも付けてきたなら、交渉全てぶん投げて殴っている所だ。だが、彼は不理解を示す事はないだろうというのも分かっていた。同じ名無しなら、理解できない筈が無いからだ。

 寄る辺無き、放浪者の苦悩を。

 

「――で?自分の人生をべらべら語るなんていう恥ずかしい真似をさせたんだ。さぞや意味があったんだろうな?」

 

 ジャインが実に疑わしそうな顔でウルを睨む。一体この恥さらしに何の意味があるというのか。たとえ、どれだけジャインが悲しく切実な過去があろうと、現在天陽騎士に囲まれ、窮地に居るという状況になんら変化が無いというのに。

 しかし、睨まれたウルは平静そのものだ。そして、確信に満ちた表情で頷いた。

 

「ああ、意味はあった。有意義な情報だった」

 

 マジで言ってんのかコイツ?というジャインの視線を、ウルは涼しく流した。

 

「これから先の交渉は、きっとアンタにとっても有意義な話になるという確信を持てた」

「そうであることを願いたいがね」

「じゃあ、話そうか。“問題”と“対策”と“報酬”について」

 

 かくして、ジャインはようやく、ウルからの情報提示を受けることが叶ったのだった。結局、先の自分語りは何だったんだ、という疑問は残りつつも、ウルから語られる情報の内容を正確に頭に叩き込んでいった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 短くも濃密な説明、そして、幾つもの質疑応答。

 それら、全ての解説が終わったとき、ジャインの頭には先ほどの自分語りの恥や疑問など一つたりとも残ってはいなかった。あるのは、たった一つの感想だ。

 

 それは、それは――

 

「――――頭、おかしいのか、お前」

 

 ジャインは、冷や汗を掻きながら、感想を漏らした。

 この目の前のガキは、イカれてる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴食都市の王

 

 竜呑都市ウーガの問題が発生する前の事。

 

 ――――大罪都市グラドル、カーラーレイ一派を探りなさい

 

 大罪都市グラドル、天陽騎士隊長ラークは、七天の一角【天剣】、ユーリ・セイラ・ブルースカイから下された命を緊張した面持ちで承った。相手は自分の二回りも小さい少女だが、彼女は全ての都市の天陽騎士団のトップだ。

 天賢王に直接任を賜った【天剣将軍】こそ彼女である。その彼女が何故かお忍びでグラドルの天陽騎士団の自室に姿を現している。いつの間にか。しかも、自国(グラドル)の王族の見張りを命じてくる。

 全く意味が分からない。

 

 ――――グラドル腐敗の告発をプラウディアに送ったのは貴方でしょう

 

 ラークは少し驚きながらも、恐る恐る頷いた。自分を特定できる痕跡は残したつもりは無かったからだ。しかし間違いなく、その告発を送ったのは自分だった。

 

 グラドルは腐敗している。

 

 現在、大罪都市グラドルでは汚職と不正が根深く蔓延していた。政治を司る神殿。神に仕え、神に奉じるための場所で、神官達や従者達の間では金銭が飛び交う。精霊への親和性の高さを示す官位の仕組みが安易に弄られ、ただ、悪徳を肥えさせるための道具と成り果てた。粗雑な祈りの奉納は、太陽神の結界を弱めた。しかし魔物の出現数の少ない土地の影響で都市民に危機感は無く、豊富な生産都市からの食料に舌鼓を打って暢気に肥え太っていた。

 

 グラドルがいつからそうなってしまったのか。

 

 グラドルは【迷宮大乱立】より以前、かつて大陸中にヒトが暮らしていた頃から続いた深い歴史ある国。多くの者がそこに対して強い自負と矜持を抱えている。

 だが、歴史が深いということは、そのまま腐敗と癒着の温床と化してしまう危険性も孕んでいる。グラドルはその危険性を克服できず、老い腐った大国と化してしまった。

 

 矜持だけがぶくぶくに大きくなり、結果が伴わず、それを認められずさらに歪む。

 

 その果てが、危険を顧みず、名無しの者達を奴隷同然に酷使した衛星都市の乱造だ。

 

 名無し達に定住権を餌に働かせながら、実際は定住とは名ばかりの奴隷として都市の地下施設で使い潰すあまりに傲慢な乱造計画。真っ当な感性の者ならば目を背けるような無残なやり口が、当然のように罷り通っていた。

 天陽騎士隊長ラークはそういった都市の暴虐、天陽騎士内部にすら及ぶ腐敗に嫌悪し、その犠牲者に心を痛めながらも、対抗する手段を持てなかった。彼と想いを同じくする同志はいるものの、そういった者達はそれ故に出世する事もままならない。誠実さは、グラドルではマイナスの要素でしかなかった。

 地位も力も持てず、内部から状況を変えることもままならず、不正をただそうとすれば白い目で見られ石を投げられる。状況は袋小路だった。

 

 天賢王のおわす【大罪都市プラウディア】に送った告発書は、苦し紛れの一手だった。

 

 この世界がいかに【神殿】による統一支配が成されているとはいえ、迷宮により分断された全く別の場所、実質的な支配者も異なる。更には物理的な距離もある。不正がまかり通るのも、天賢王の威光が届かないところが大きい。だから、望みは薄かった。

 

 まさか、天陽騎士のトップが直接来ようとは、思いもしなかった。

 

 ――――前提として、プラウディアは積極的にグラドルに介入することはありません。

 

 プラウディアとグラドルの国としての力関係はプラウディアの方が上だ。しかし、グラドルという国は腐っても大国であり、そしてその力関係は絶妙なバランスによって成り立っている。

 幾ら問題が発生しているからと言って、強引な干渉を行えば確実な軋轢を産み、大きな悲劇を起こすだろう。それでは本末転倒だ。

 

 ――――プラウディアが動く大義が無ければ我々の干渉は不可能です

 

 大義とは。

 そう問うと、天剣は冷え切った視線を此方に向けてきた。何をわかりきったことを、と言わんばかりだ。ラークも、彼女の言うところの大義はわかりきっている。

 

 ――――邪教との繋がりの痕跡を探りなさい。それができて初めてプラウディアは動く

 

 神殿にとって唯一無二の敵、接触することも禁忌とされる【邪教】。彼女のその言葉は、そのままグラドルが邪教という巨大な疾患を抱えている可能性を示唆していた。

 そんな、まさか、とラークは笑う事は出来なかった。官位という、神に仕えるための選定の場で、上官が当然のように金銭の詰まった麻袋を隠そうともせず懐にしまい込む所を見た時に、彼は自国に対して都合の良い幻想を抱く事を止めていた。

 

 善処します。

 

 ――――よろしい、期待しています。

 

 これっぽちも期待してはいないのだろう、というのは流石にわかった。が、それでもわざわざ此方に忠告と、助言を与えてくれるだけ、彼女は良心的なのだろう。

 

 ――――【暴食】の監視の責務があるので私はこれで失礼します。吉報を待っています

 

 そう言って、彼女は部屋を出ていった。言ってる通り、この忠告は物のついでだったのだろう。嵐のように去っていってしまった。誰も居なくなった自室で、ラークは今のが白昼夢か何かだったような気すらしてた。

 残念ながら、グラドルを取り巻く状況が大きく改善したとは言いがたい。後ろ盾とはとても言えない。だが、少なくともゴールと、そこに至るまでの手段は見えた。

 

 どのみち、自分には守るべき家族もない。出世も望めない。ならばやるだけ――

 

 ――――言い忘れていました

 

 おお!?

 と、ラークが驚くのを無視し、【天剣】はなにやらつまらなそうな、何故か少し不服そうな顔をしながら戻ってきていた。その顔は、正直幼い子供が駄々をこねているようにも見えた。間違ってもそれは口にしなかったが。

 

 ――――もし、万一自分で対処できない事態になった時は【勇者】に助けを求めなさい

 

 勇者?七天のですか?

 

 ――――アレは、力を持たないが故に、我々より身軽です。精々こき使ってやりなさい。

 

 何かやたらぞんざいな言い方であった。そして、その勇者の窓口との連絡手段だけ口頭で彼女は説明し、今度こそ去って行った。

 【勇者】、実を言うとラークはあまりその存在を把握していない。七天に属する事は勿論知っている。ラークや、そして【天剣】と同じく形的には天陽騎士所属であることも。しかしその実情はあまり把握していない。噂では、各都市の傭兵のようなまねごとをしている、なんて噂まである。実は存在しない、名前だけの存在であるとも。

 

 ラークたちの間で届く彼女の情報はそんな扱いなのだ。

 

 が、ともあれ、どのみち雲の上の存在に違いない。七天の助けが得られるならば、なんだって構わない。ラークはすぐさま勇者に連絡を取った。間もなくして、返信があり、手紙のみのやりとりだが、コネクションを得ることに成功した。

 以降、ラークは、一方的であるが、グラドルの情報を勇者に流していた。

 意味があるかも分からないが、万が一、自分が志し半ばで倒れたとき、後を引き継いでくれる者がいるかもしれないという希望だけを胸に。

 

 その最中だった。【ウーガ】の噂を聞きつけたのは。

 

 都市建造の情報を集めていた彼には、すぐその都市が、他の建造中の衛星都市と比べて異常である事がわかった。確かに現在、複数の都市建設を抱えるグラドルは慢性的な神官不足を起こしている。だが、いくら何でも、まともな神官としての役割を果たせる者が1人しかいないなどと、異常が過ぎる。

 他にも神官の従者達も、不出来な者達をあえて選んだ、としか言いようがない選出もあり、すぐに「コレは何かある」と気づくことが出来た。

 

 そして、実際に事は起こった。

 

 グラドルへの竜の襲来、それに伴う金級冒険者の招集、更に建設途中の衛星都市に波及した呪い。当然、警戒は大罪都市グラドルに集まったが、ラークは、最も注意すべきは【ウーガ】であると読んだ。本件の中心地は此処であると。

 故に、“竜呑都市ウーガ浄化作戦”に自ら参加したのだ。あわよくば、プラウディアに示せる証拠を掴むことが叶うのではないか、というかすかな希望を抱いて。

 

 そして、結果として、腐敗、不正の痕跡は見つかった。

 

 だが、見つかりすぎた。彼の想定を大幅に上回るほどに。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市グラドル、グラドル天陽騎士団。

 

 彼らは今、大罪都市グラドルの“元”衛星都市、竜害によって巨大な魔物と化した【竜呑都市ウーガ】の“浄化”のため、グラドルを包囲していた。その包囲を指揮する対策本部にて、天陽騎士団はこの前代未聞の事件の解決のため、話し合いを行なっていた。

 

「許されることではありません…!あれでは虐殺ではないですか!!」

「既にその説明はしたではないか、ラーク騎士隊長」

 

 ただし、話し合いとして成立しているかは怪しく、場の空気は最悪だった。

 設営された天幕には本件の責任者を任せた騎士達が集っていた。グラドル天陽騎士団のトップ勢、更にグラドルの神殿から派遣された神官達。大罪都市グラドルの中枢とも言える者達が揃っている。

 

「全く騒がしい。折角英気をやしなっていたというのに……」

「都市の外、太陽神の加護無き場所のなんと汚らわしい事か」

「君ね。もう少し、年配を敬う事を覚えてはどうかね」

 

 が、大層な肩書きに反して、この場に揃った面子に、英気の類いはまるで感じなかった。

 既に剣を握ることも無くなって久しい騎士は、だらしなく肥えた身体を晒す神官達、若き天陽騎士の陳情を疎ましそうに聞いている。

 現場指揮を執っていたラークは、自分の言葉が全く彼らに届いていない事実に戦慄を覚えた。今はそんな、旅の疲労の愚痴をまき散らしている場合では断じてない。

 

「我々が聞かされたのは竜に汚染された建設途中の都市の浄化作業です!」

「そうだとも。そしてその建設に携わった作業員も、汚染の疑いが強いとして、浄化せねばならなかった。何ら、我らのお役目として誤ってはいまい」

「逃げてきた者達の状態も確認せず、殺すことが浄化!?」

 

 今回の包囲作戦は、竜呑都市の汚染への対処のため必要だった、というところまでは納得も出来る。神殿に仕えし天陽騎士なのだ。竜の呪い、それそのものを侮ったことはない。

 だが、限度というものがある。無抵抗の、なんら戦う備えも持っていない非戦闘員を一方的に斬り捨てる。こんなもの、天陽騎士のやることでは断じて無い。

 

「しかもグラドルの騎士ですらない者達が部隊に紛れている!私は何も聞かされていない!」

「傭兵だとも。今回は非常に危険な案件だ。貴重な神官、天陽騎士達の代わりに矢面に立ってもらう者が必要だったのだ」

「神官でも、騎士でもない者に天陽の紋章を与えたのですか…?!」

 

 ラークは絶句した。

 本件はあまりに異常だ。だからこそ、進んで今回の作戦に参加したとはいえ、ラークは自分の判断を後悔しそうになっていた。

 

「まあ、ウーガの従者が死んだとしても、気にすることはあるまい。あそこにやった者らは不出来な者達ばかりだ」

「従者を出した家も、半ば厄介払いのようなものであったというではないですか」 

「案外、此処で死ぬことで、竜の呪いも家の恥もまき散らさずに済んだと、ご家族もお喜びの事だろう」

 

 死人の話をケタケタと笑いながら話すこの者達は、イカれている。

 殺した事を、悔いも、恥じらいもしていない。そして、そうなることが当然だと、そう思っている。彼らの道徳は肥え、腐り果てている。分かっていたつもりだったが、目の当たりにすると、頭痛がした。

 

 だが、それよりも解せないのは、彼らは何一つ、“驚きもしていない”という点だ。

 

 大罪都市グラドルとその周辺国への竜襲来は異常事態だ。都市まるごとが魔物化する事も、竜害に汚染された非戦闘員を斬り捨てることも、経験した者など誰も居ないような大事件だ。歴史を紐解いても類を見ないだろう。

 だが、それに対してこの落ち着き方はどうか。

 いくら腹の中が真っ黒に淀んでいたとしても、竜襲来に畏れを覚えない者はいない。都市に住まう者、神殿の神官達なら更に尚のことだ。太陽神に与えられし安寧と力、それらを脅かす危険性のある唯一の悪意なのだから。

 

 なのに怯えの一つも見せない。

 彼らは知っていたのだ。この事態を。こうなることを。

 

「…………失礼します」

 

 ラークは、彼らに道徳を説く事を諦めて、頭を下げる。

 現在のグラドルの腐敗の集約が此処にあるのは確信できた。ならば後はせめて、此処で何が起こるのかを掴み、そして僅かでもこの悪徳を叩くための手がかりを手に入れなければ――

 

「ああ、待ちたまえ、ラーク隊長」

「は?」

 

 眼中に無い、という態度を包み隠さなかった上司に呼びかけられ、思わず呆けた声をだしてラークは振り返る。

 そして、自分の鎧の隙を縫うように、剣が自分の腹に突き立つのを目撃した。

 

「――――な!?」

 

 自分の目の前には自分と同じ天陽騎士の鎧を身に纏った男がいた。音も無く忍び寄っていた彼が、自分を突き刺したのだ。全く反応も出来なかった。

 

「我らの制止を無視し、避難してきた従者達を殺戮した責任者として君を捕縛する」

 

 嵌められた。

 彼がそれに気づくにはあまりに遅すぎた。身体の力が急速に抜け、ラークはその場に倒れ伏せた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――それで?首尾良くネズミは捕れたのだろうな?」

「ええ、ええ!無論で御座いますとも。エイスーラ様!!」

 

 本件の包囲網を指揮する、名目上の代表である天陽騎士団の大隊長は、真のこの場の支配者である男を前に、媚びるような笑みを浮かべ結果を報告していた。

 

 端麗な容姿、緋色の長髪の獣人。エイスーラ・シンラ・カーラーレイ。グラドルの王家、カーラーレイ家の次期当主。この【竜呑都市ウーガ】の包囲を指揮するトップ。そして、本件の真の計画の立案者でもある。

 

「愚かしいことだ。よりにもよってプラウディアに尻尾を振るとは」

 

 騎士隊長、ラークの暗躍を彼らは既に把握していた。泳がせていたに過ぎない。結局、ろくな情報を漏らさなかったため、プラウディアの動向はロクに探ることも出来なかったが、しかし最後、都合の良い捨て駒としては役に立った。

 ものは使いようとはよく言ったものだ。

 

「お恥ずかしい。騎士団からそのような愚か者が出ようとは……」

「所詮、天陽騎士団そのものが、プラウディアの干渉を受けるシステムということだ。私が王になった暁には、騎士団そのものを作り替えねばなるまい」

「おお、流石ですな!」

 

 天陽騎士団は、神殿直属の武装組織であり、当然、天賢王の指示もなしに、勝手にその仕組みを変える事など決して許されることではない。

 それを当然のように口にする事を咎めるものは此処にはいない。そして間もなく世界中からいなくなるのだという確信が彼らにはあった。

 

「くだらない茶番は此処までだ。【聖獣】の準備は進んでいるな」

「え、ええ!無論ですとも!」

 

 聖獣、その言葉に一瞬だけ、大隊長は言葉を詰まらせる。

 

「術者の言では、既に【羽化】の段階に入っているとのことです。貯蔵された大量の魔石を素材に術式を奔らせ、発動に至るとの事」

「時間は」

「今より、およそ半日までには」

「素晴らしい……」

 

 エイスーラは恍惚とした表情で、その報告に笑みを浮かべた。

 対照的に、大隊長は媚びた笑みを浮かべつつも、僅かに表情を引きつらせる。だがソレも当然だ。遠方からの包囲網からでも見える、“元”衛星都市ウーガのおぞましい変貌。聖なる獣と呼ぶ事に躊躇いを覚える分だけ、大隊長の感性はまだ最低限マトモだった。

 

 それを恍惚とした表情で、聖獣と呼ぶ、グラドルの次代の王の感性が狂っていた。

 

「聖獣が完成すれば、一帯の穢れは全て焼き払われる。愚かなる天賢王の僕たる勇者、そしてカーラーレイ一族の汚点もだ。なんと喜ばしい日だろうか」

「いやあ全くですな……しかし、勇者めが、術完成の妨害をしないでしょうか?」

 

 少し探るように確認する。

 彼らも勇者の脅威は認識している。この状況で唯一、未だ残り続ける懸念材料だ。

 【七天】の1人、他の七天達、天賢王の加護を与えられし()()()()()と比べれば、まだ比較的マシではあるが、しかし疎ましいことに変わりない。

 ちょろちょろと動き回り、各地の魔物や脅威、そして不正や腐敗の温床を潰していく。つまり彼らにとってこのうえなく疎ましい存在だった。

 

「“陽喰らう竜”から、術式の中心点の護衛は偽竜が果たしていると連絡はありましたが……本物の竜でないというのなら、勇者には敵わぬのでは」

「下らん心配だな」

 

 しかし、エイスーラは大隊長の懸念を鼻で笑う。

 

「都市全てを使い、莫大な量を溜め込んだ魔石で発動した魔術の完成を半端なところで阻めば、いかな結果を生み出すか、分からぬ勇者ではあるまいよ」

「ど、どうなると……?」

「迷宮を模して、出現した魔物たちにかき集めさせた膨大な魔力だ。ウーガが消し飛ぶだけでは済まぬ。勇者は立場上、その選択を取ることはできない。滑稽よな」

 

 都市規模の魔術、蓄積された莫大な魔石、既に術が完成間近な状態で阻止しようとすれば、起こるのは周辺一帯全てを巻き込んだ破綻なのだ。大隊長はそれを想像し、そしてスッと血の気をひかせた。彼等は怯えた。その破綻が自分たちにも及ぶ可能性があることを彼等は理解したのだ。

 

「案ずるな。私の加護がある限り死ぬことはない」

「は、ははあ!!流石でございます!」

 

 エイスーラの言葉を聞いても、大隊長の表情は優れない。汗水をダラダラと垂れ流している。自分たちがしていることの危険性を全く認識できていなかったらしい。その様子を、エイスーラはつまらなそうに眺めていた。だが、そのまま何かを口にするよりも前に、彼の私兵である天陽騎士が姿を現し、跪いた。

 

「王よ。失礼致します」

「なんだ」

「魔物の襲来でございます。第三級、【火炎猩猩】かと」

 

 火炎猩猩。炎を纏う強靭なる大猿だ。

 獣のような機敏な動きと、触れたものを焼き尽くす身に纏った火炎。更に気性が極めて荒く好戦的。一度荒れ狂えば周囲一帯を火の海に変える強大なる魔物だ。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNNNNNNNNN!!!!』

「ひい!?」

 

 同時に凄まじい獣の雄叫びが響いた。大隊長は目に見えて動揺した。此処は都市の外、常にあらゆる魔物に襲われる危険性を秘めている。ヒトが集まれば当然だった。その脅威に対処する覚悟も、大隊長は出来ているようには見えなかった。

 一方で、エイスーラはその獣の雄叫びに全く興味なさそうに鼻を鳴らした。

 

「下らん、お前等で始末できるだろう。それがなんだ」

「彼等に王の力を示す好機かと」

 

 そう言って天陽騎士は大隊長に視線をやる。侮蔑の視線だった。立場上、大隊長の部下であるはずだが、とてもそんな態度には見えない。当然と言えば当然だ。彼はエイスーラの直属の私兵部隊だ。彼らが従うのはエイスーラのみである。

 みっともなく狼狽えていた大隊長は彼のその視線に不愉快げに表情を歪める。が、大隊長が何かを口にするよりも早く、エイスーラは動いた。

 

「ッハ」

 

 玉座に腰掛けたまま、パチリと指を鳴らした。彼がしたのはそれだけだ。

 しかし次の瞬間、その場に凄まじい激震が走った。大隊長は悲鳴をあげ、周囲を見渡し驚く。だがエイスーラと、跪いた天陽騎士は身じろぎもしなかった。

 

「な、なんだ!?」

 

 大隊長が天幕から外に飛び出す。そして目を見開いた。

 外に、先程まで存在していなかった“巨人”が出現していた。

 巨人である。サイズにして数十メートルはあろう土塊の巨人。何も無い場所から突如山が出現したかのようにすら見えた。見上げるほどの巨人は、大樹よりも太く大きな腕を地面に突いて停止しているように見えた。

 

 それが、足下に存在していた火炎猩猩を、拳で叩き潰したのだと理解するのに、大隊長はしばらくの時間を有した。

 

 巨人の拳の周辺に広がる血が、それを物語っていた。大隊長は身震いし、そして慌てて天幕に戻ると、再びみっともなくエイスーラの前に跪いた。

 

「お、おお、おお!さ、流石!流石で御座います!」

 

 先ほどのような、わざとらしい媚びの売り方とは違う。必死だった。脂汗と恐怖を滲ませていた。目の前の男が、自分という存在を、指先一つ鳴らすだけで肉塊に変えることができるバケモノであると理解したのだ。

 その無様から吐き出される称賛を聞いて、エイスーラは満足げに顔を歪めた。

 

「おお!!我らがシンラ!!【大地の精霊ウリガンディン】の力を授かりし者よ!!」

 

 大地の化身に愛された男は、自らの勝利を確信し、笑うのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

包囲殲滅戦

 

「それでは隊長殿、ここでどうぞゆっくりなすってください。後で迎えが来ますので」

 

 ラークは朦朧とした意識の中、自分が拘束され、乱雑に投げ捨てられたのを感じた。薄暗い、洞窟、迷宮ではない、自然の洞穴だろうか。

 自分を此処に運んだ男、ジョンと言っただろうか。彼はさっさと背を向けて去ろうとする。追いかけようとするも、短剣に毒でも仕込まれていたのか、身体が全く動かない。

 代わりに、口だけは動いた。ジョンが去ってしまう前に、声が出た。

 

「貴様何故だ。何故、あんな者達に手を貸す」

「そりゃ勿論、金払いが良いからですよ。天陽騎士様。俺達みたいな名無しが動く理由なんてそれ以外にありゃしません」

 

 ジョンは軽薄に笑う。言葉には明確な此方への侮蔑と、自身への自虐が込められていた。ラークはぼやける視界の中、声を振り絞る。必死だった。彼は全容をまるで把握していなかったが、非常に危険な計画が既に始動していると言うことだけは分かっていた。

 

「お前と同じ、名無しが、沢山死ぬんだぞ」

 

 ラークがそう言うと、男は顔をひしゃげて、笑った。タチの悪い冗談を聞いたときのような引きつった笑いだった。

 

「だから何だってんです?同胞の危機に立ち上がれってか?」

 

 ばっかじゃねえの?

 そう言って、男はラークの頭を蹴りつけた。ラークの身体には未だ毒が残っているのか、痛みが鈍かった。だが、頭が揺れ、意識が更に朦朧としだした。

 

「同じ立場なら助け合えとは、やはり天陽騎士様はお優しいねえ。馬鹿馬鹿しい。そんな思想は、富める者がするもんだ」

「っが……」

「俺達にそんなもんはねえ。誰かに分け与えるものなんて一つたりともあるものかよ!なあ!聞いてんのかおい!!」

 

 がんがんがんと、繰り返しラークの頭をジョンは蹴りつける。うめき声もしなくなってから、ジョンはおっとと肩を竦めた。

 

「死んだか?死んでねえよな?あぶねえな全く」

 

 血塗れになったラークが息をしているのを確認しジョンは溜息をついた。殺しては困るのだ。まだまだこの男には利用価値があるのだ。

 

「………ど、うせ」

「あ?」

 

 ラークが、震える声で、朦朧とした意識のまま更に口を開く。もう意識もないと思っていたジョンは少し驚き、その間にラークはさらに言葉を続けた。

 

「どうせ、うらぎられる、ぞ」

「――――」

 

 その言葉が、果たしてどのような意図で吐き出されたものなのかは不明だ。次の瞬間にはラークはがくりと意識を失ってしまった。残されたジョンは、最後のラークの言葉に、暫く沈黙し、そしてそのままゆっくりと、腰の剣に手をかけた。

 

「黙れ」

 

 振り下ろす。剣は真っ直ぐ振り抜かれ、ラークの首、その僅か手前の地面を叩っ切った。剣を振り下ろしたジョンは、剣をゆっくりと持ち上げると、そのまま僅かに震えた手でそれを再び鞘に納めた。

 

「俺は違う。僕は父さんや母さんとは違う。俺は大丈夫だ」

 

 口の中で小さく素早く繰り返す言葉の意味するところを知る者はこの場には居なかった。

 

「わあ、顔色わるいね。騎士様ったら大丈夫?騎士様()()()様」

 

 するとそんな彼の下に、先ほどの惨たらしい暴力とは無縁に思えるような、高い、子供の声が聞こえてきた。ジョンはそれに驚くこともせず、疎ましそうな表情で振り返る。

 

「喧しいぞ。邪教徒」

「あらひどい。ちゃあんとヨーグって呼んでよ」

 

 ケラケラと洞穴の奥から、少女のようにも見える存在が姿を現した。ヨーグと名乗った彼女は、その年10に届くか届くまいかと言ったところで、年齢を考えればどう考えてもこの場にそぐわない子供だった。

 

 しかしその風体は異様の一言に尽きる。

 

 薄暗い洞窟にそぐわぬ鮮やかな緑の髪に、真っ白い肌。眼鏡をかけている。大きな白衣を羽織っているが、何故かその下は何も身につけてはいない。きめ細かな白い肌を惜しげも無く露出している。よく見ればその肌に、大きく深く、呪術の術式が刻まれていると気づいただろう。

 だが、何よりも異質なのは目だ。髪と同じ鮮やかな緑色のその目は、別に魔眼の類いであるわけではないのだろう。ただの普通の目。ただし、そこに生気がなかった。

 昏い。何も映さない。光を返さない。もし彼女が身じろぎしなければ、きっと人形か、あるいは死体と間違えていただろう。生き物として大事なものが明らかに欠損していた。

 

 ジョンは彼女に視線すら向けない。目を向けること自体、汚らわしいとでも言うようだった。ただただ表情に嫌悪を露わにしていた。

 彼女はそんなジョンの無礼とも言える態度を気にすらしなかった。ペタペタと素足でゴツゴツとした洞穴の地面を進むと、気を失って倒れたラークをのぞき込む。

 

「ああ、全く、ひどいことをするのねえ。このままでは死んでしまうじゃない。乱暴しないでほしいわあ」

「ああ、そいつは悪かったよ。乱暴して済まなかったなお前の人体実験の材料(・・)に」

 

 言葉に込められた明確な侮蔑を、しかしヨーグと名乗る彼女には何一つ響いている様子は無かった。ちがうよお、と首を横に振る。

 

「あたしがしてるのは実験じゃなくて“救済”。貴方が連れてきた流浪の民たちも、この人も、ちゃあんと救ってあげるの」

 

 救う、その言葉に対してジョンが抱いた感情は、やはり嫌悪であり、そしてそれ以上の恐怖だった。自分の想像力の範疇から外れたモノを前にした未知の恐怖だ。

 だが、彼女はその反応を気にすることもない。音も無くジョンに近づき、そして笑みを浮かべる。

 

「貴方も、望むなら救ってあげるわよ」

「材料もって消えろ」

 

 殺意に近い拒絶にヨーグは肩を竦め、そして何事か詠唱を唱えると、ラークの身体を不可視の魔術によって運んでいく。洞穴の湿った、闇の中へと沈んでいった。

 

「バケモノめ」

 

 そう言ってジョンも反対の方へと歩き出した。その足も急くように早く、ただただその場から逃げ出したいというようにその場から去っていった。

 

「――――やっぱり救ってあげた方がよいのかしら?」

 

 その背中を、闇の中から、無機質な、虫のような緑の瞳がジッと見つめていることに、彼が気づくことは無かった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑都市ウーガを囲う天陽騎士団の包囲陣は徐々に狭まっていた。

 ゆっくりと、草の根をかき分けるようにして徐々に徐々に包囲を狭めていく。都市から出るモノを一つたりとも逃さないというように。

 

「殺せ、殺せ、一人たりとも残すな。彼らは呪われている。竜の因子を根絶やせ」

 

 歌うように朗らかに、軽やかに、エイスーラ・シンラ・カーラーレイは虐殺を命じる。天陽騎士達はそれにしたがった。此処に居る天陽騎士は全員が彼の部下で、一切異論を挟むことの無い従順なる兵士達だった。

 包囲の内いる生きとし生ける全てを、丁寧に、機械的に殺していった。ヒトも魔物も問わず、ゆっくりと、ゆっくりと、その円陣を狭めていった。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、全てを追い立てていく。

 呪いの中心地へ。まとめて最後に捨てるために、塵を端から掃いていくように。

 

 間もなく、包囲の隙間は無くなる。そうなれば、仮都市の住民達の逃げ場所は完全に無くなるだろう。だから、もしも彼らがこの包囲から逃れようとするとしたら――

 

「――【石槍(ストーンランス)】!」

 

 包囲が完全に閉じるよりも前、今しかなかった。

 事が起きたのはウーガの東、森林生い茂り、いくらか騎士達の包囲もバラけていたエリアだ。槍の形をとった土塊が突如として騎士達へと降り注ぐ。情け容赦なく叩き込まれた石槍は騎士達に直撃し、大量の粉塵が舞い上がった。

 

「今だ、包囲網を破るぞ!!」

 

 そして混乱と土煙に紛れて、魔術を放った者達が動き出す。包囲の内側の者達が、包囲網を打ち破らんと、最後の抵抗を開始したのだ。

 

「エイスーラ様」

《そら来たぞ。哀れな鼠の最後の抵抗を叩き潰せ》

 

 その動きを通信魔術によって確認したエイスーラは不敵に笑う。

 彼にとって、追い詰められた鼠を叩き殺す戦いが始まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 天陽騎士達に放たれた大量の【土槍】、その威力から推測される術士の技術は間違いなく一流だった。騎士達は知っている。竜呑都市ウーガには銀の冒険者ギルド【白の蟒蛇】がいると。

 同じく白の蟒蛇だったジョンから、冒険者達の能力の詳細は聞いている。優れたる術者達、そして近接に優れたリーダー格のジャインとラビィン。その能力を事細かに確認していた。今回の襲撃が彼らによるものであるのは疑いないだろう。

 

 そしてその上で結論は出た。()()()()()()()()()()と。

 

「被害報告」

 

 現場を指揮する隊隊長が機械的に確認する。無論、返答はわかりきっていた。

 

()()()()()()

「殲滅再開」

 

 一人として、傷を負ったものはいなかった。

 なんの変わりも無く動き出した騎士達を前に、土煙の向こう側の襲撃者達の動きがゆらいだのがわかった。動揺が走っている。土槍の発動と着弾は確かだった。にもかかわらず一切騎士達の動きに乱れが無いのだから、戸惑うのも当然だろう。

 しかも騎士達は攻撃を回避したのではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どうなってる!防御魔術か!?」

 

 襲撃者の誰かが叫んでいる。だがそうではない。

 騎士達は襲撃者達へと再び接近してくる。攻撃を仕掛けた側であるはずの襲撃者は戸惑い、後ずさる。そうせざるを得なかった。だが当然襲撃者側はそのまま怖気づいているばかりではいられないようだった。

 その内、一人が不意に飛び出し、果敢にも天陽騎士に向かい手斧を振り下ろした。

 

 だが、

 

「――――!!!」

 

 襲撃者であるジャインは、自分の攻撃の結果に目を見開いた。

 岩石を叩き割るような凄まじい一振りは、間違いなく目の前の騎士に叩き込まれた。兜と鎧の間の脆い部分を、それごと叩き割って首を引き千切る一撃だった。

 手応えはあった間違いなく。騎士の身体は大きく後方に弾き飛ばされた。その身体に大きなダメージが入るだけの威力、その筈だった。しかし騎士の身体は傷一つつかなかった。

 

()()()()()()()()()()

「然り、我らの身体は偉大なるシンラと大地の精霊様に護られている。貴様らでは傷一つ付けること叶わぬ」

 

 ジャインは更に追撃で、丸太のような足で蹴りを叩き込む。更に騎士の身体が後方へと飛ぶ。岩をも砕く威力。しかし、やはり、全くの無傷だ。

 

「そびえる山脈を前に地団駄して動かせないかと足掻くのは滑稽だ」

 

 淡々とした冷笑を前に、ジャインは反応せずにバックステップで距離を取る。挑発に乗ることは無かった。そして此方の“加護”にいち早く勘づき距離を置く判断力。事前に聞いている通り、そんじょそこらのチンピラまがいとは違う、歴戦の冒険者ではあるらしい。

 だが、そういう男であるとは知っている。聞いている。なにより、“その男のことを誰よりも知る者”が、此方の味方なのだから、恐れる事は何も無かった。

 

「――――っ!?」

 

 ジャインが後ろにとんだ先、鋭い矢の一射が飛んできた。ジャインは咄嗟に身体をひねり、更に後ろへと飛ぶ。だが、そのまま続け様に、ニ射三射と高速で飛んでくる。しかも、それらが全て、恐ろしく的確に、ジャインの急所を狙い続ける。

 巨体に似合わず、俊敏に動くジャインを捉え続けるのは尋常ではない。そしてその技量の高さ故に、ジャインは相手が誰であるのかすぐに察したらしかった。

 

「【必中の魔眼】……ジョンか!」

「よおー、大変そうじゃあないか、ジャイン。手伝ってやろうか?死ぬのをよ」

 

 騎士達の包囲陣のその奥、大弓を構え笑うジョンの姿があった。声音は友人をからかうようで、しかしそれとは対照的にその右目はギラギラと妖しく輝き、獲物を捉え続けていた。そして短い動作で番え、構え、そして放たれる矢は恐ろしい精度でジャインを捉え続けていた。

 視界に捉えたモノへの精度を向上させる【必中の魔眼】、そしてそれを活用した恐るべき速射攻撃こそが彼の得手だった。当然、距離を置けば彼の独擅場となる。

 だが、接近するには絶対無敵とも思えるような騎士達の壁がある。敵は近寄ることもままならない。実にシンプルかつ、凶悪な布陣だった。

 

「ようジョン、騎士様に守られて戦うなんて随分と良いご身分になったみてえだな」

「なんならお前もやってみたらどうだ。守ってくれる騎士様がいるならな」

 

 軽口の合間も攻撃の手は止まらない。速く、鋭く、そして的確だ。ジャインは大きく距離を取り、木々の陰に隠れた。

 

「随分臆病だなあ?オイ」

「そっちの手口を知ってて無謀な真似はしねえよ。毒使い」

 

 手の内を知る。それは向こうにとっても同じであるらしい。ジャインの言葉に、ジョンは舌打ちした。彼の得手は向こうに指摘された通り、毒である。薬学に精通し、多様な毒を自在に操り、獲物の動きを止め、殺す。

 強靭な魔物であれ容赦なくその動きを封じる毒、魔力によって鍛えられた冒険者であっても結果は同じになる。

 

「良いのか?こんな所でダラダラしてて、時間がねえんじゃないのか?」

「あーうるせえ」

「もうじき、ウーガがバケモノになっちまうぜ?」

「まじで五月蠅い、そういうとこがガキの頃からうぜえんだよおめー」

 

 ジョンは焦ることはしない。無理に追い詰めることもしない。【竜呑都市ウーガ】の最後の変化、エイスーラの使い魔としての魔術術式が完了すれば、前代未聞の巨大使い魔が爆誕する。

 そうすれば、自分たち以外の全てをなぎ払うだろう。あらゆる敵を完膚なきまでに粉砕する。時間は完全に此方の味方だった。

 

「コッチに来れねえならダメ押しだ」

 

 ジョンは懐から魔法瓶を取り出し放る。ガラス瓶が破砕し、途端、薄紅色のガスが溢れた。爆発的に広がるその煙は森林を一気に侵食していく。

 

「毒ガス、本気かてめ――!?」

 

 ジャインは驚愕の声を上げた。

 元より毒物は極めて扱いが困難だ。保存も難しく、持ち運びも危険。敵はおろか味方にも害をなす。安直に決して使ってはならない諸刃の剣。まして毒ガスなど、かつて一行だったときも殆ど使った事がなかった禁じ手だ。

 だが、禁じ手であったのは味方を巻き込む危険性があった場合に限った。

 

「大地に毒など効かぬ。含むだけだ」

「はあ?!」

 

 毒の霧の中を騎士達が突っ込んでゆく。それを見たジャインは目を見開き、その後すぐさま鼻口を隠すと、後ろに駆けだした。距離を取る、ではない。逃げるためだ。仲間達もそうした。

 

「反則過ぎる…!」

 

 あらゆる攻撃を受け付けず、毒すら受け付けない。正真正銘無敵の加護者を前に、襲撃者達は逃げる選択肢以外残されてはいなかった。それをあらゆる障害を無視する騎士達が追いかける。一方的な展開だった。

 慌て逃げ出す元同僚を前に、ジョンは愉快そうに笑った。

 

「は、とんでもねえな。四大精霊の加護って奴は」

 

 毒を扱うジョンは、自身の扱う毒物の危険性は理解している。扱うときは厳重な注意を払うのは当然だった。だが今はその気苦労とは無縁だ。安易に毒物を扱っても、なんらリスクを背負うこと無くメリットだけを享受する。

 

「今までの自分の苦労が馬鹿馬鹿しくなるぜ」

 

 そうぼやいていると、追走せず残っていた騎士隊長が此方に来た。ジョンは膝を突いて頭を下げる。決して、下手に機嫌を損ねないように。

 

「毒はいつまで持続する」

「長時間滞留します。この一帯の森林地帯は窪地。奴らはもう近づけないでしょう」

 

 こいつらは苦手だ。機械的に自分の主の言葉を遂行する兵士達。従者達の、無防備な一般人達の虐殺を命じられたとき、自分や自分の部下達すら少しの躊躇いがあったというのに、こいつらにはそれすらなかった。

 何を考えているのか、あるいは何も考えて居ないのか。味方の内は都合が良いが――

 

「よくぞ働いた。王も満足しておられる――――だが」

 

 剣が引き抜かれ、ジョンの首もとに当てられる。ジョンは微動だにしなかったが、薄らと冷や汗を額にかいた。

 

「違えるな。ウーガから生まれるのはバケモノではない。【聖獣】だ」

「心に留めておきます」

 

 急ぎ答えると、満足したのか剣を離し、追撃していった部下達の後に続いた。ジョンは冷や汗を拭う。やはり恐ろしい。全くもって、あんな連中と敵対するハメになったジャイン達が哀れに思えた。

 

「だが、死ね。俺の安全のために死んでくれ」

 

 心の奥底から吐き出された呪いを、かつての仲間達にジョンは吐き出すのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ジャインとジョン、【白の蟒蛇】同士の戦闘があったウーガの東の森林地帯。

 同時刻、その正反対の西側のなだらかな坂が続く平原地帯。そこ突っ切るように外套を羽織った集団が駆けていた。ウーガの方角から逃げ出すように。

 だが、途中でピタリと足を止める。眼前に、自分たちの道を塞ぐように、天陽騎士達が姿を現したからだ。

 

「――――」

 

 無言で天陽騎士達が動く。一糸乱れず、そして油断なく、逃亡者達の命を一人残らず奪うために。戦闘を行く者を取り囲み、そして剣を振りかぶった。

 だが、

 

「【魔断】」

 

 次の瞬間、黒い剣閃が奔った。

 ボロの外套、のように見えていたそれが淡く輝く。途端、騎士達の身体を覆っていた精霊の加護が、ふっと、薄れ、霧散した。

 

「【雷鳴】」

 

 空気の爆ぜる音、見るだけで焼けるような激しい閃光が放たれ、騎士達の身体を貫く。騎士達は何も抵抗することが出来ず地面に倒れ伏した。

 

「………さて」

 

 たった一人で全てをなぎ倒した少女、勇者は自らが打ち倒した騎士達を前に、しかし油断なく剣を構え続けたままだった。

 

「土塊か」

 

 倒れた騎士達は、暫くするとその形が崩れた。ボロボロと崩壊する。美しかった騎士鎧も、全てが元から無かったかのように消滅したのだ。精巧なる人形(ゴーレム)でも再現できないだろう現象だった。

 

 そして騎士達は消えていく中、一人だけが残された。

 

 鎧も兜も着ていない。最高位を示す模様の刻まれた神官のローブを身に纏った赤髪。 

 都市の外でありながら無防備とすら思える姿。にもかかわらず、自信と傲慢さに溢れた顔は、大罪都市グラドルに住まう者なら誰しもが知っていた。

 

「東は陽動か。涙ぐましく、小賢しいな。【勇者】よ」

「たった一人で出てくるとは思わなかったよ。エイスーラ」

 

 勇者は、災厄の中心人物を前に、困ったように笑みを浮かべた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

包囲殲滅戦②

 天賢王の懐刀の一本と、暴食都市の王。

 対峙した両者の内、先に動いたのはエイスーラだった。

 

「【平伏せ】」

「――――っ!」

 

 途端、勇者達と逃亡者を中心に空から“重さ”がのし掛かった。勇者は少し足をふらつかせるだけに済ませたが、彼女の背後に居た逃亡者達、仮神殿の従者達はそうもいかなかった。

 ひい!と悲鳴の声をあげながら、地面に倒れ伏した。

 

「頭を垂れるがいい愚かなプラウディアの下僕、無能ども」

「【白結界】」

 

 勇者が即座に魔術を施し、背後で悲鳴を上げる従者達に結界を施す。彼らに掛かった重力は緩んだが、しかし倒れたまま動こうとはしなかった。

 

「役立たずのクズどもを守ろうなどと、余裕だな勇者よ」

「酷い言い様だ。元はと言えば君の国の従者達だろうに」

 

 勇者は溜息を吐いた。倒れ伏す従者達を庇うように前に出ると、そのまま尋ねる。

 

「彼等を使い捨てる事を、他の官位の家々は承諾したの?」

「したとも?」

 

 エイスーラは即答した。

 それがどれほど惨い意味を示すのか、エイスーラは勿論分かっていた。分かっているからこそ、気分が良い。勇者が心底、哀しそうな顔をするのが何よりも最高だ。

 

「血を分けた家族を贄として喜んで捧げる連中の顔を見せてやりたかったな、勇者。アレは見物だったぞ」

「……神殿の頂点ともあろう者が、悪趣味に染まったね。大地の精霊も悲しんでるよ」

「ほう、流石末席とはいえ七天。精霊の代弁者を気取るとはな。恐れ多くて私にはとても真似できん事だ」

 

 彼女の言葉をエイスーラは嘲笑う。自らの精霊の扱いを省みる所はまるで無いというようだった。だが実際、この場においては、真理を突いているのは勇者ではなく、エイスーラの方だった。

 精霊にヒトの理は当てはまらない。

 精霊の意図を図ることは許されない。

 精霊の力の使い手がいかに暴挙を起こそうとも、ヒトは精霊を咎める事は叶わない。

 裁くのも、裁かれるのも、ヒトである。精霊ではない。

 

「大地の精霊が私を咎めるなら、この力はとうに没収されているだろう。だがそれはない。ならばそれが全てだ」

「もっともだね。やれやれ、たまには私にも愛を分けてほしいよ。精霊達には」

「哀れだな。神にも精霊にも愛されぬ女の嘆きは」

 

 そしてエイスーラが再び手を振るう。途端、大地が隆起し、槍のように“勇者”に向かって降り注ぐ。魔術ではあり得ない、詠唱も対価も払わずに起こす超常の力。神官にのみ許された奇跡が自在に振るわれる。

 精霊の寵愛を受けようと、ヒトの身を遙かに超えた力を扱うには当然鍛錬が必要となる。時として、過ぎた力が自身を破壊してしまう者も少なくはない。

 エイスーラ・シンラ・カーラーレイ。グラドルの王である彼の神官としての能力は紛れもなく王と呼べるものだった。

 

「見ろ!!コレがこの世の理だ!世界の真理だ!お前では決して届かぬ力だ!」

「確かに私に神官の適性は無いけれど――――」

 

 嵐のような攻撃を前に、小柄な“勇者”はその姿すら呑まれようとしながらも、しかしその声は平静だ。

 

「――――君に剣が届かないわけではないよ」

 

 黒の閃きが奔る。

 その一撃は大地の隆起を両断し、そしてその起点となっていたエイスーラの頬を掠めた。あらゆる攻撃を通さない無敵の加護が掛かっているはずの彼の身体は、しかし“勇者”の剣撃に対してはその力を発揮せず、彼の頬から血が伝った。

 

「ッ!?」

「天陽騎士の、そして七天の役割の一つは墜ちた神官への粛清だよ。用意はあるさ」

 

 振るわれる力の量は明らかにエイスーラが上だった。しかし、力の質、なにより振るう者の練度は、明らかに“勇者”が上回っていた。

 だが、

 

「……く、フハハ…!用意、用意と言ったな。貴様。それならば此方にもあるぞ?」

 

 エイスーラは、ダメージを負った事への狼狽を押しとどめ、再び余裕を取り戻す。

 “勇者”は平坦な表情を変えぬまま、剣を構え直した。

 

「用意ね。秘密兵器でもあるのかな?」

「あるとも。そのための協力者もいる」

「協力者。さて誰だろう」

 

 勇者は表情を変えず、剣を構えたまま静かにエイスーラを見つめていた。驚きもしないあたり、彼に協力者がいたことは予想していたようだった。

 

「まあ、秘密兵器なんて嬉しいわあ」

 

 だが、彼の横にいつの間にか現れた、緑髪の女が姿を見せた瞬間、彼女の顔色は変わった。

 

「勇者様。久しぶりねえ」

「――――ヨーグ、君か…!()()()()()()()!!!」

 

 その言葉に込められているのは深い嫌悪だった。普段の彼女を知る者ならば、常に余裕の態度を崩さぬよう振る舞う彼女のその反応には驚いた事だろう。それほど明確で、ハッキリとした驚愕と嫌悪を緑髪の少女へと向けていた。

 

「都市丸ごとの使い魔化……ああ、なるほど、考えてみれば確かに君の趣味か」

「あれすごいでしょう?都市まるごと遊べるなんて初めてだから張り切っちゃったの」

「ああ、凄いよ。驚いた。あきれかえるほどに」

 

 そしてそのまま視線をエイスーラへと移す。金色の瞳に込められていた感情は明確だ。

 強く重い、批難だ。

 

「とんでもないものを招いたね、エイスーラ。君の隣に居るソレがどういうモノか分かっているのかい?」

「邪教徒。それがどうかしたのか?」

 

 世界の敵。唯一神ゼウラディアに背き、邪神を崇める、存在すら許されぬ悪意。魔物と同類の紛れもない人類の敵対者。それをなんともないとでも言うようにエイスーラは笑う。神に仕える神官の身でありながら、神に背く事などなんでもないというように。

 だが勇者は首を横に振った。

 

「そういうことじゃないんだよ。()()()()()()()()()()()

 

 邪教徒を招き入れた。()()()()()()()()()()()()、と勇者は断言する。

 ならば何が問題か。

 招いたモノが、彼女であったからだ。

 

「君が招いたのはヒトの形をした災害だ。彼女は敵はおろか、君も、君の国を滅ぼすぞ」

「大地は滅びぬ」

()()()()()

 

 勇者は断言した。そのあまりにキッパリとした言い様に、エイスーラは僅かにたじろいだ。そうなると、あまりにも強く確信した金色の瞳が不気味だが。

 

「ねえ、いつまでも話していていいのお?都市の“救済”進んじゃうわよ?」

 

 しかしそんな中、まるで空気も読まず、のんびりとした声をあげたのは、誰であろう会話の中心であるヨーグだった。子供が、祭りへの道程で両親を急がせるような声音だった。

 

「……ああ、そうだね。急ごうか。それで君は、今回は何を用意したの?」

 

 問われると、ヨーグはにぃっと微笑んだ。

 自慢のイタズラを披露する時に見せるような無邪気で邪悪な笑みだった。美しい緑の瞳が細く細く弧をかく。その奥の緑が薄気味悪く光ったように見えた。

 

「聞いて!あのね!私思ったの!名無しの人達!神に愛されない人達可哀想って!だってなあんにも悪いことなんてしていないのに、ただ気に入らないからってだけで捨てられるなんて、あんまりだわ!」

 

 可哀想だと、そう言う割に彼女の声音には喜色が含まれていた。ほんの少しでも同情するようなそぶりすらみせない。そういった感情が根こそぎ損なわれているかのようだった。

 

「なるほど、それで?」

「だから、どうにかして“精霊達に愛してもらえる身体”にしてあげようと思って!」

 

 この時点で、勇者の表情は大分しかめ面になっていた。ありありと「嫌な予感がする」と物語っている。だが、そんな彼女の様子に気づいていないのか、そもそもしゃべりかけている相手のことなどまるで見てもいないのか、彼女は笑い続ける。

 

「それで、それは上手くいったのかい?」

「ううん?失敗しちゃったの!」

 

 あまりにも晴れやかに堂々と言い放たれた失敗の二文字を、勇者は驚くでも喜ぶでも訝しむでもなく、そうだろうねと言うように頷いた。

 

「ヨーグ、叡智のヨーグ、()()()()()()。君は今度は何を壊したんだい?」

()()

 

 次の瞬間、激しい地響きがした。空から何かが振ってきた。それは巨大だった。だが、巨大である、という以外に、説明が困難だった。

 ソレはあまりにも無秩序だった。

 

「オ、おオオあああアあアアガアアッッガアアアアアアア!!!!!!」

 

 巨大な手足が幾つもある。だがサイズもまちまちだ。小さいモノや大きいモノがある。獣人のような体毛に覆われているかと思いきや、土人のように筋骨隆々の所もある。赤子のような小さな頭もある、頭が幾つもある。それぞれに顔がある。全員が苦しそうに呻きそれぞれが泣き叫んでいる。

 沢山のヒトが、ぐずぐずに溶けて、混ざって、そのまま固まった。そんなバケモノが姿を現した。

 

「精霊に好かれるチカラが少ないなら、沢山のヒトを()()()()()()、きっと良くなると思ったのだけど、残念、形が整わなかったの。()()()()()()()

 

 でも、いいわよね?そう言って彼女は笑う。上手くいった、そう言うように。

 

「救済は成ったわ!だって、意地悪なゼウラディアの定めた形を壊せたんですもの!それが改善であれ、改悪であれ、救われたの!」

 

 そう、これが彼女の全てだ。

 彼女の目的は、“変える”事だ。森羅万象、この世のあるべき姿の全てを。そして変わりさえするならば、なんだって彼女は救済だと認識する。改善も、改悪も、破壊も、新生も。

 だから彼女は時として、災害に見舞われ、瀕死となった都市まるごと一つを救うような偉業を成し遂げる事もある。そしてその後に、救った都市を丸ごとぐしゃぐしゃにしてしまうような事もする。

 彼女の中には区分が無い。変化以外に、目的がない。そしてそこに際限が無い。

 

「たたただたたあたたたたたただすすっすすすすけけけけけててええええええ」

 

 だから、彼女の生み出す悲劇に底などない。

 多手多足の蠢くバケモノが此方に向かってくる。魔物と比較しても尚圧倒的な速度だった。ヨーグの“足し算”は精霊に好かれるチカラに限った話ではないらしい。

 そして、幾つもの頭達は喚き、苦しみ、そして泣いていた。勇者に救いを求めるように手を伸ばす。中には子供のような小さな手もあった。

 

「……単身で出てきた理由がコレか。そりゃ、部下にだって見せられないよねこんなもの」

 

 勇者はあまりにも忌まわしい怪物を睨んだ。

 

「あ、勿論壊れてもヒトだから、王サマの加護は受けられるんだよ!」

「その名無し達は“まだ”生きているぞ。救ってやると良い勇者よ!ハハハ!!」

「うん、そうしよう」

 

 取り返しがつかない事が明確な悲劇を前に、勇者は変わらず綺麗事を口にする。

 その様を滑稽だと、エイスーラは嘲笑うのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 “浄化”作戦は順調だった。

 無敵の兵隊達、大地の祝福を受けし神官、そして外法極まりし竜の使徒。

 その全てが情け容赦なく進軍した。道中遭遇する魔物達は呆気なく蹴散らされ、逃げ惑う従者達はそれ以上に破壊された。一流足る銀級の冒険者達も、世界最高峰の戦力足る七天も、圧倒的な大地の加護と、悪趣味極まる策謀を前に足止めを余儀なくされていた。

 

 そして、その間にも竜呑都市ウーガの術式は完成に近づく。

 

 都市を丸ごと使い魔とした規格外極まる魔術が結実すれば、全てが終わるだろう。エイスーラの一声で、山のように巨大な使い魔が周辺全てを一呑みにして、すりつぶし、そして天賢王のいる大罪都市プラウディアへと突撃するだろう。

 

 あらゆる状況がエイスーラを味方していた。全てが思うままに進行していると彼自身確信する程に、一方的な展開だった。

 

「さて、全員準備はいいか」

「暑いので少し脱いでいいです?」

『カカカ、楽しみじゃのう!』

「もう少し乗り心地よくなればいいのに。陣描くのに薄暗いし」

「おーし喧しいな」

 

 当然、【銅】の冒険者の挙動など、歯牙にもかけてはいなかった。

 

「さて行くかね。“まずは”偽竜退治」

 

 名無しの冒険者達。

 彼らが、この戦いの中心であると、エイスーラ達はまだ気づいていない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽竜最終戦

 

 竜呑都市ウーガ

 

 大罪都市グラドルに連なる新しい衛星都市――――に、みせかけて生み出された“対プラウディア決戦兵器”、都市全てを使い生み出された魔術陣、人工的に迷宮化する事で生み出された魔物達による大気の魔力の魔石化とその運搬と集積。

 それら全てを精巧なバランスで維持し、生み出されんとする都市規模の巨大なる使い魔こそがウーガの正体である。

 

 恐るべき大魔術であり、そして思いついたとて「子供の妄想」と笑い実行に移す事はない奇術だった。【台無しのヨーグ】でもなければ、あるいは七天の一人、【天魔】でもなければ、実行に移す事は無かっただろう。

 

 そんな前代未聞の大魔術が、まさに結実しようとしていた。

 全ての準備は完了し、後は魔力が満たされれば、【聖獣】は生まれる。

 その、巨大魔術の中心地。

 

『――――――』

 

 飛龍は、否、【偽竜】は聖獣の前で沈黙していた。

 主からの最後の命令、この場の守護を命じられ、それを忠実に守っていた。

 

 実のところ、既にその命令は無意味になっていた。この大魔術の守護が必要だったのは、術が完成するまでの間の事だ。そして“既に術は完成した”。最早、この魔術を編み出したヨーグであっても、途中で中断することも、変更することもできない。

 強引にそれを行おうとすれば、多量の魔力が行き場を失い、周辺地域一帯をも巻き込む破壊を起こすだろう。

 つまり、【偽竜】が此処を守ろうとしなくとも、此処に侵入するような者が居るはずがなかった。何も出来ない、何かしようとするならそれは自殺と同義だからだ。

 

 その筈だった。

 

「ああ、やっぱいるんだな。偽竜」

「傷も治っていそうですねえ」

 

 その偽竜の目の前に、巨大な異物が出現した。

 それはヒトと比べれば明らかに大きい。魔物の類いとも見紛うばかりのサイズだが、荒れた水路を蹴りつける車輪に、木造と金属の装甲は人工のものだった。そしてその身体を白く太い骨が外骨格のように覆う。人魔の入り交じった、まさに異物だった。

 それがロックンロール号などという珍妙な名前が付けられた代物であるなどと、当然偽竜は理解できなかった。

 

「戦車、運べて良かったな」

『この通路もっとはよ知っておったら楽だったんじゃがの?』

「言うな」

 

 今回ウル達が使った迷宮の侵入経路は先日までウル達が開拓していた通路とは別口だ。

 所謂隠し通路、もしくは搬入通路とも言える経路だった。

 この迷宮が人工のものである以上、【作成者】にとって中心部である最深層へのアクセスは問題だ。いちいち魔物達を潜り抜け、狭苦しい“肉の根”の通路をかき分けて魔石収集を役目とする土竜蛇を邪魔せずにたどり着くなど、どう考えても非効率だ。

 迷宮化が進んだ後も、それに影響されない安全な通路は必須だった。それが今ウル達が使った通路である。

 

「まさか仮都市から直通とはな…」

「楽勝でしたねえ」

 

 しかもそれはありがたい事に、ロックンロール号を走らせる事が叶う大きな通路だった。ウル達はそれを利用して、殆ど消耗無く、現在最深層にたどり着いている。

 

「で、だ。あの【偽竜】を操ってたのが裏切りの従者……カランだったんだよな」

 

 ウルは内部に取り付けられた望遠鏡を覗き見ながら、真核魔石(使い魔用)の前で鎮座する偽竜を覗き見ていた。マジマジとみる機会がなかったが、翼のはやした巨大な蜥蜴のような姿をした偽竜は禍々しく恐ろしかった。

 アレがヒトの手で作られた使い魔などとはとても思えない。

 

「ええ、そして自身の身体のように操っていたとか」

「そんなことできるのか」

「普通は出来ないそうですが、彼の上司の技術でそれが叶ったとか」

 

 カルカラと共に捕まった邪教徒の手先、カランの持っていた情報をディズは殆ど根こそぎ掌握していた。白の蟒蛇との情報交換や、周囲の名無し達への様々な指示に追われる中、シズクはディズからその情報を受け取っていたようだ。

 聴取の後、カランが半ば廃人のようになっていたのは気にしないことにする。

 

「残念ながら、命令の変更は出来ないみたいでした。捕まる直前に、自分でも命令を変えられないようにしたみたいです」

「自分がどんな目に遭おうともってか。けなげなことだな面倒くせえ」

『面倒ならディズに倒してもらえばよかったのにのう』

 

 ロックンロール号と一体化したロックが口出しする。無論、ウルとて出来るならそうしたかった。偽竜は非常に強力な使い魔であるが、ディズに敵わないだろうというのは間違いない。だが、

 

「アイツはアイツで大変なのに、これ以上負荷はかけられん」

『ま、ワシはこっちの方が楽しくて良いがの、カカ!』

 

 ロックは笑う。

 ウルは彼の暢気さに呆れつつも少し笑った。この気楽さはありがたかった。何しろ、これから前代未聞の“賭け”にでるのだから。

 

「全く、心臓と胃に悪い……」

「でも、賭けなんていつものことではないですか?」

「頷きそうになるが、やめろ。こんな危機的状況慣れたくない」

 

 迷宮化し、更にこれから超巨大使い魔と化する都市の中心部に侵入している割に随分と暢気な会話だった。

 

『しかし偽竜、こっちを見てるはずだが、動かないのう』

「そもそもこっちが何なのか理解できていないんだろう。ずっと戸惑ってくれるなら楽だがな。リーネの時間が稼げる」

 

 ウルは自分の背後で、自分の背中をキャンパスに集中しているリーネへと意識を向ける。先ほどから一切会話には参加していない。極度の集中で此方には見向きもしていない。【白王陣】の準備を進めていた。

 この直通通路はかなりのアドバンテージを稼ぐことが出来た。魔力消耗が激しくなる後半の筆記状況でも、安全な場所で作業が出来るのだ。先にも偽竜に大ダメージを与えた白王陣だ。有効な攻撃なのは間違いなかった。

 問題は、敵がその完成を悠長に待ってはくれるか、と言うところだが……

 

『リーネの準備は着々じゃが、お主の装備はどうなんじゃ。全部失ったろ前の戦闘で』

「悪くねえよ。【暁の大鷲】から特急で仕入れたから、細かい調整は出来なかったけどな」

 

 ウルは自身の装備を確認する。火喰いの鎧が粉砕し、新たに買い付けた薄い蒼の鎧は魔銀(ミスリル)製だ。性能は実にシンプルで、強く、軽く、頑強。それに尽きる。特殊な効果は無い。ただただ強い。

 魔銀は多くの冒険者から人気だ。冒険者となれば、これを手に入れてようやく一人前だと言われる程だ。ウルは自分が一人前になれたなどとはちっとも思わないが、備えられる最大のものを、として提供されたのがコレだった。

 

『よく売ってくれたの?というか、アイツら逃げたんとちゃうんか?』

「先行部隊は包囲前に脱出できたらしいが、本隊は間に合わなかったんだと」

 

 逃げ遅れた、という割にスーサンは全く余裕たっぷりな態度であり、本当に逃げるつもりだったのか疑わしい。しかもウル達に協力すると言いながらたっぷりと金をせしめた辺り、全く此処で死ぬつもりはないようだった。

 いざとなれば、自分たちだけでも逃げる手段は確保していても不思議ではない。

 

「ま、お陰様で十二分に補充が出来たからこっちとしちゃありがたかったがね……そろそろどうだ?ロック」

『ふむ、そろそろヤバい空気がし始めたぞ。ウル。お前さんからのう』

「時間切れか…」

 

 白王陣の完成が近づくにつれて発せられる異様なる力の気配の高まりをロックが告げる。魔物に近いロックが感じ取れるということは、偽竜にも同じく分かるということだった。

 

「んじゃ、向こうが動く前に、やるかね」

「今回はエシェル様の加護がありません。お気を付けて」

「アイツにも“役割”があるからしゃーない、なっと!」

 

 主砲となる竜牙槍を砲口にセットする。顎を開き、此方に疑問と警戒を向け、今にも動き出しそうな偽竜へと矛先を向ける。

 

「先日のお礼参りだ。受け取ってくれよな」

 

 先日、不意打ちの咆吼で死にかけたウルはそう言って、竜牙槍の【咆吼】を放つ。

 全く正体のつかめない謎の巨大な物体を前に警戒し、距離を置いていた偽竜は、突如出現した砲身から放たれた熱光に着弾し、驚きと悲鳴の声をあげた。

 

『GOOOOOOOOOOOOO!?!?』

「戦闘開始」

 

 偽竜は怒り、そして宙を舞い此方に接近する。

 通算3度目となる、偽竜との決戦の火蓋が切って落とされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽竜最終戦②

 

 偽竜との戦闘も通算3度目となる。ともなれば、スペックの方はおおよそ把握できている。

 能力は飛行と咆吼。空を自在に飛び回り、そして多様な咆吼を使いこなす。着弾すると爆散する【火玉】に近いものや、広範囲の燃焼、更に超高範囲、高出力咆吼。武器は一つだが攻撃は多様だ。

 だが現在、偽竜の力は大幅に削がれている。

 

『GYAAAAAAAAAAAA!!!』

「狭っ苦しそうで大変だな。同情するよ」

 

 理由はシンプル。地形の不利だ。

 自在に空を飛べる能力を持ちながら、偽竜がいる今この場所は都市の中、地下水路だ。空間としては広い方だが、空には限りがあり、自由からはほど遠い。移動には大きな制限がある。それだけでも大きく力は損なわれていた。

 敵の届かない距離から一方的な攻撃が出来るだけでも、圧倒的なアドバンテージがある。だが此処ではそれが叶わない。この場所の守護を命じられているから。

 その隙を狙わない理由はなかった。

 

「ロックは回避専念。シズクは氷棘で翼を狙え」

「当たるかはわかりません」

「それでもいい。無理に回避させて激突させろ」

 

 淡々とウルは指示を送り、攻撃を続ける。

 戦車から放たれる魔術は狭い地下空間を飛び回る【偽竜】を執拗に狙い続ける。

 

『GUUUUUUUUOOOOOOO!!!』

 

 【偽竜】は苛立たしそうに唸る。だが、攻撃は出来ない。動きを停めて吐息を放とうとすれば、間断なく放たれる攻撃が偽竜の身体を貫く、そうすればダメージは小さくとも、バランスを崩して墜落するだろう。

 状況は一方的だった。だが、その状況を【偽竜】は当然良しとはしなかった。

 

『GAAAAAA!!!』

 

 ぐんと旋回し、偽竜が降下する。地面スレスレの状況で低空飛行し、真っ直ぐに此方へと突っ込んでくる。

 

『カカカ!!!強気じゃのう!!』

「回避!!」

『無理じゃ!!抱きしめたるわい偽竜ゥ!【骨芯変化ァ!!】』

 

 ロックンロール号の形状が変貌する。鎧のように車体に巡らされていたロックの骨が形を変える。それは骨で出来た大きな両の手だ。ウルが外からそれを見ていたなら、死霊術師が操る巨大なる髑髏を思い出していただろう。

 更に車輪に骨の棘が伸び、地面に突き立った。

 

『【餓者双腕!!】』

 

 巨大な骨の両手と偽竜の身体が激突した。地面に深く食い込んだ車輪が、衝撃を受けきれず、砕けながら後ろへと押されていく。力は圧倒的に偽竜が上回っていた。

 

「手数ならコッチが上だ!」

 

 ウルは竜牙槍の砲口を再び開き、シズクが魔術の詠唱を続ける。ロックの動きが封じられたからと言って、戦車の機能全てが停まるわけではない。回避防御の手間を戦車に任せ、攻撃に集中出来るのは戦車の明確な強みだった。

 だが当然、向こうも使える武器が減っているわけではない。

 

『GAAAAAAAAAAA!!!』

 

 骨の双腕に押さえつけられた直後、偽竜は地面に着陸した。同時に顎を大きく開き、強い熱光を溜め込み始めた。

 吐息が来る。それもウルを一撃で丸焼きにした強烈なヤツだ。

 

『2度目はないわ!!』

「【咆吼】中断!シズク、盾!」

 

 ロックの両腕が偽竜の翼を逃がさぬよう押さえ続ける。シズクは詠唱を取りやめ、防御の魔術を開始する。ウルは黒睡帯を取り払い、未来視の魔眼に意識を集中した。

 

「【【【【火喰らいの盾】】】】」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 三重の盾が生成された直後、偽竜の高威力吐息が吐き出された。灼熱の炎は眼前に生まれた輝く盾を瞬時に1枚砕き、2枚目も即座に破壊し、3枚目も続け様に焼き払った。炎熱を喰らう魔術を正面から破壊して尚、勢いを保った吐息が戦車に直撃した。

 

「――――熱っづうう!!!!」

 

 直撃はせずとも、爆発的に上昇した戦車内の温度にウルは叫んだ。叫んだ側から口の中まで焼ける感覚に即座に口を閉じた。焼かれた鉄鍋の中に閉じ込められたような感覚だ。事前に、個々人に火除けの加護を何重にも張り、対火装備を重ねて尚このダメージである。

 何の備えも無ければ、この戦車がそのまま墓場になっていただろう。あるいは調理鍋か。

 

「だが、耐えたぞ…!!」

 

 ウルは魔眼で眼前を睨む。焼けそうになりながらも目を逸らさない。数秒先の光景が映る。偽竜の吐息も無尽蔵ではない。その火力が弱まるタイミングを先取りして読み取る。

 

「5秒後!!!」

「【【氷よ我と共に唄い奏でよ】】」

 

 ウルは竜牙槍の発射用意を再び開始する。同時にシズクが魔術の詠唱を開始する。

 間もなく、ウルが捉えた光景が始まった。竜の吐息が弱まる。攻撃が終わる。それが最も隙が生まれるタイミングであるのはヒトも魔物も変わりは無い。

 その最大の隙を、ウル達は完全に捉えていた。

 

「【咆吼!!】」

「【【氷霊ノ破砕槍・二奏】】」

 

 弱り始めた吐息を穿ち貫く、竜牙槍の咆吼が偽竜を直撃し、その両翼をシズクの氷の槍が貫き、砕き割った。

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!?!?』

『は!!かわいそうに、のう!!!』

 

 巨大な骨の手が握りしめられる。作られた拳が真っ直ぐに目の前の竜に叩きつけられる。めしゃりと、叩き潰れるような音がして、偽竜が後ろに吹っ飛ばされた。

 

『GOAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 だが、それでも尚、偽竜はまだ倒れはしなかった。ひしゃげた顎を裂けるほど大きく開く。先ほどの吐息よりも更に眩い灼熱が凝縮していく。あまりに強い熱量に身体が耐えられないのか、偽竜の黒い身体の彼方此方から黒い血が噴き出す――――

 

「――――なんだ?」

 

 ウルは偽竜の動きにぎょっとした。

 裂けるほど大きく開かれた顎、そしてそれは、()()()()()()。歪な音と共に形状が砕け、崩壊する。最早まともな竜の形を取っていない。噴き出した黒い血が、生きているように蠢きながら、崩壊寸前のからだを覆っている。これは、この生物は、

 

「粘魔(スライム)か!?」

 

 一見、偽竜の中から粘魔が這い出てきたようにも見えたがそうではない。粘魔が竜の形を模倣しているのだ。が、粘魔がそんな真似をするなんて話は勿論聞いたことはない。

 だが、目の前の粘魔は確かに竜の真似事をしており、しかもその力を再現している。そして今、自壊をも厭わず最後の一撃を吐き出そうとしていた。

 

「……まあ、いい!!死ぬなら、一人で、死ね!」

「出来たわ。【白王陣・白王降誕】」

 

 戦車からウルが飛び出す。小さな身体、しかしその身に宿す力はこの場の誰よりも強大だった。白王の力を手にしたウルが、竜牙槍を片手に跳ぶ。白王の力の余剰により、竜牙槍にもその力は溢れる。

 【紫華の槍】の刀身は、魔力を毒に換える。だが前回の探索時のような、微弱な魔力から生まれる一時的にしか効力が持たない毒液ではない。白王の魔力にあてられ、溢れたその毒は、万物をも爛れ溶かす致死毒だ。

 

「【縷牙・白王水】」

 

 本来の色を超過し真っ白に染まった毒を()()()に改めてまとわせる。

 ウルは構え、地面を踏み抜き、突き出す。

 

「【紫華突貫】」

 

 白の閃光が、偽竜の頭を穿った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『――――――』

 

 竜を模した粘魔の断末魔は無かった。

 声を上げようにも、口も喉も、それどころか頭もなかったからだ。

 ウルの一撃で偽竜の頭はかき消えたからだ。膨大な力と、万物を溶かす毒の合わさった一撃は、偽竜の頭部を完全に消滅させてしまった。

 頭部をスッカリ失った偽竜は、それでも暫く両足で立って静止していたが、しばらくするとバランスを崩し、ぐらりと揺れ、倒れた。恐らく粘魔としての核も貫かれたのだろう。そのまま残った身体も形を保てず崩れ、蒸発していった。

 

「こわ……」

 

 ウルは自身のもたらした結果にドン引きした。

 白王陣もそうだが、【紫華の槍】も思った以上に危ない特性を秘めていたらしい。注がれる魔力の質や量で毒性が変化するのは把握していたが、変化に際限がない。

 白王陣の力すらも受け入れて変質する。毒華怪鳥の爪は思わぬ拾いものだったらしい。扱いに気をつけようと心に決めた。

 

 偽竜は墜ちた。その形を保つことも叶わなくなったのか、黒い液体に溶けて、ソレすらも迷宮に吸収され消えていった。偽竜との戦闘は終わったのだ。

 しかし依然として此処は迷宮の中である。ウルは喉や全身が炙られた痛みを感じながら、シズクに指示をだした。

 

「ジズグ!周辺探索!」

 

 戦車の上部からシズクが顔を出し、両腕で丸を作る。魔物はいないらしい。そして彼女もまた喉をやられているらしかった。あの灼熱の中、唄を媒介に魔術の詠唱をしていた彼女が最もダメージがデカかったのだろう。

 

『おう、ウル!シズク!さっさと飲め!』

 

 真っ黒に焦げたロックが、その巨大な骨の手で、ぽいと二人の方へと回復薬(ポーション)を寄越してくれる。ウルは慌てぬように、ゆっくりと口に含んだ。喉の痛みと共に全身に回復の効果が染み渡るのが心地よかった。隣でシズクも同じように回復し、戦車の中を覗き見る。

 

「ふう……リーネ様、大丈夫ですか?」

「――――あっつ!あっづ!?なんでこんな熱いの!?」

『あんな炙られたのによう気づかんかったのー』

 

 見る限り、全員無事らしい。ウルは肩の力を少し抜いた。というよりも力が入らない。白王陣で魔力を消費しきった反動だ。

 

『しかし【偽竜】……いや【粘魔】か?3度目は楽勝じゃったの』

「主不在の使い魔、不利な地形、割れた手の内。楽勝じゃなきゃ困る」

 

 相手は碌な強みを発揮出来ず、此方はその強みを潰すための準備も、此方の強みを押しつける準備も全てが整っていた。相手がどれほどの格上であったとしても、これで負けるわけにはいかなかった。

 最後の変化事態は気になるが、あまりこの件に時間をかけるわけにもいかなかった。なにせ、まだ“一段階目の仕事が終わったに過ぎない”。

 

「全員、可能な限り体調を万全に戻せ。回復薬(ポーション)、魔力回復薬(マジックポーション)は全部使って良い」

「【飢餓】の特性が迷宮に残ってなくて良かったですね」

「アレも、結局の所ウーガそのものを使い魔化するための魔力収集機能だったのでしょうね。完成直前になったから機能を失った。遠慮無く回復しましょう」

 

 用意は潤沢だ。暁の大鷲から消耗品は限界まで買い漁っている。普段なら少しでも節制しようとやりくりするところだが、今回はそうも言っていられない。金の出所も自分たちではないのだから遠慮せずウル達は回復に専念した。

 

「――――ヤバいわね、これ」

 

 魔力回復薬を口にしながら、リーネはぽつりと感想を述べる。彼女が睨むのは眼前に広がる竜呑都市ウーガの“核”だ。真核魔石に似た、使い魔製造の儀式の中心部である。

 脈動する術式を睨む彼女の横でウルも同じように観察するが、なにか凄まじい力が蠢いているという事以外さっぱりわからない。

 

「やっぱ凄い魔術なのか。コレ」

「凄い……のは凄いけど……正直褒めたくないわ私コレ」

「どういうこっちゃ」

「危ういのよ」

 

 リーネは恐る恐る、というように地面に刻み込まれた術式に触れる。今にも爆発する爆弾に接触するような慎重な動作だった。

 

「ほんの僅かでも別の要素が加われば、その瞬間全てが崩壊するようなバランスよ。普通、こんなの組んでたら頭がおかしくなるわ」

「よくわからん」

「小さな小石みたいな土台の上に巨大神殿が建築されてるようなもの」

「よくわからんがわかった」

 

 これを考え出したヤツは頭がおかしい事がわかった。頭がおかしいことは重々承知していたので、情報は増えなかったが。

 

「だから、やっぱりこの魔術に直接的に干渉するのは不可能よ。ほんの僅かでも弄って術が崩れたら、私達消し飛ぶわよ」

「なるほど了解」

 

 つまり現状は、()()()()だ。ウルはシズクに視線を向ける。彼女は応じて頷き、そして自分たちが使った隠し搬入通路へと顔を向け、【冒険者の指輪】を嵌めた指を口元に当てた。

 

「【通話】――安全は確保されました。此方に来てもらって大丈夫ですよ」

 

 指輪の機能によって魔術の通話を行う。距離が遠くであれば働かず、双方が指輪を持たなければ一方的な連絡となるが、ただの合図ならこれで十分だ。

 

 間もなく、通路に隠れていた“者達”がやってきた。

 

「カルカラ様、ようこそいらっしゃいました」

「…………」

 

 裏切りの神官、カルカラは実に不機嫌な表情でウル達を睨んでいた。

 

「機嫌が悪そうだな」

「監禁、拘束、尋問されて機嫌がいい人がいると思いますか?」

「そっちの所業を考えれば、相当良い待遇とは思うがね」

「感謝しています」

「どういたしまして」

 

 雑な感謝を雑に返した。

 

「準備を進めます。他の皆さんも此方へ来て下さい」

 

 シズクの呼びかけに、カルカラの後ろから更に続いて隠し通路からやってくる。彼女と比べると恐る恐る、という様子だ。

 男女様々。彼らは“神殿にいた従者達”だ。明らかに不満と恐怖を隠そうとしない表情で、しかし止まること無く迷宮の最奥へと足を踏み入れていった。

 

「どうしてこんなことに…」

「き、気味が悪い……」

「はやく家に帰りたい……」

 

 多様な悲鳴と嘆きが溢れる。まあ、当然だろう。

 彼らの多くは迷宮はおろか、都市の外にすら出たことが殆どないような連中だ。ましてや、迷宮の深層などという、冒険者でもそう多くは踏み入れないような場所に引っ張り出されたのだ。嘆きもするだろう。

 だが、彼らは此処に来るしか無かった。彼らとて崖っぷちなのだから。

 

「ようこそおいで下さいました。皆様。どうかご協力をお願いします」

「シズク様!!!」

 

 シズクが前に出て声をかけると、やってきた従者達の半数以上が、一斉に彼女の方へと近づいていった。腐っても官位持ちである彼ら彼女らが、ただの冒険者であるシズクに向かって様付けする光景は異常であったが、口を挟む余地はなかった。従者達は最早必死と言って良い形相でシズクに跪いていた。

 

「どうか、どうか私達をお救い下さい!どうか…!!」

「ご安心下さいまし。皆様」

 

 シズクの声音は、地下深くのこの場所ではよく響く。鳥の美しい囀りのような声は、耳を通して脳を揺らした。

 

「我が身命に懸けて、皆様をお守り致します」

 

 端から聞いているウルですら、漠然とした安心感が心の奥から湧いてくるのを感じた。真正面から聞いた従者達なら尚のことだろう。うっとりとした表情でシズクを崇めている。

 短い間に人心掌握はすっかり済ませているらしい。頼もしいことだ。

 

「本当に此処は安全なんでしょうね!?」

「彼方此方から変な音がするぞ!!」

 

 とはいえ、流石にまだ、シズクに心酔していない者もいる。いくら何でも時間が短すぎたし、従者達の数が多かった。シズクとて一声で全員を支配できていたら今頃世界を征服できているだろう。

 

「き、き、貴様ら!ぼおっとしているんじゃない!早く私を守れ!!」

 

 何よりも、此処には従者の最高位のグルフィンがいる。巨体で肥満なグランの位を持った男は、恐怖で青ざめながらも此方に大声で喚き散らしながら護衛を指示する。此処に1秒でも居ることが耐えられないとでも言わんばかりだった。

 

「くそ!くそ!くそ!なんで私がこんな所にいなければならないんだ!早く帰らせろ!!」

 

 どうしたものか、と、思っていると、ウルの横からスッと、カルカラが出て、グルフィンの前に立つと――――彼の首を引っ掴んだ。

 

「んご?!」

「けたたましく喋るな豚。黙って仕事をしろ」

「き、きさ、きさみゃ」

「私はこんな所に来たくもなかったのだ。だというのにどうしても確実な護衛が必要だからとやむなく居る。これ以上苛立たせたら殺すぞ」

 

 みしみしと、骨が軋む音がしたので、慌ててカルカラをグルフィンから引き剥がす。グルフィンは悲鳴を上げながら一気にカルカラから距離を取り、シズクの後ろに隠れると小さくなって黙った。よっぽど怖かったらしい。

 

「あんたそういうキャラだったっけか」

「貴方にも言っておきます」

 

 カルカラはウルの方へと振り返ると、手の五指から岩石で出来た爪を伸ばしウルへと突きつける。目の色を剣呑に輝かせ、言った。

 

「エシェル様が死んだら殺します」

「この捕虜めちゃくちゃ自由だなあ……」

 

 裏切った主を守る。それこそが彼女の目的で全てだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女を殺す言葉

 

 

 グラドルの王(シンラ)に仕えるべく、実家から送り出されたカルカラ・ヌウ・シーラが、カーラーレイ一族に命じられた仕事はただ一つ。

 

 エシェル・シンラ・カーラーレイの“監視”である。

 

 従僕として仕えるのではなく、監視。それは鏡の精霊、邪霊の寵愛を受けたエシェルを疎み、そして恐れた当主から命じられた使命であった。

 彼女が邪霊の力を僅かたりとも発露させれば、直ちに“始末”を付けろという使命。

 血も涙も無い命令だった。誰であろう、実の父親がそれを命じたのだから救いようが無い。そしてそれを拒否する選択肢はカルカラには無い。だれであろう、王(シンラ)の命令だ。首を横に振れば、彼女の実家、シーラ一族がどんな扱いを受ける事になるか。都市追放されれば、両親も、幼い妹たちも野垂れ死ぬ。

 頷く以外の選択肢は無かった。

 

 ――あなたのじゅうしゃとなります。カルカラです

 ――………………あなたはわたしをなぐらないの?

 ――いいえ。なぐりません

 ――………………そう

 

 ファーストコンタクトは、ロクでもなかった。

 当時、周囲に味方がいなかったエシェルはすでに心身ボロボロで、表向き従者として居るはずの自分にも怯える始末だった。都市から都市に移り流れる名無しでも、ここまで死に腐った目をしてる者は中々いないだろう。

 だが、怯えられ、距離を取られては困る。彼女の仕事は監視なのだから。だから彼女は従者として、エシェルの唯一の味方として立ち振る舞った。

 

 それは上手くいった。酷く呆気なく。

 

 彼女には味方がいなかった。父親はすでに愛情の欠片も娘に向けてはおらず、母親は自ら命を絶った。そんな彼女に、唯一の味方であると振る舞えば、すぐに依存することはわかっていた。

 

 ――カルカラ、カルカラはさいごまでいっしょにいてね

 ――ええ、もちろんです

 

 そんな、白々しい約束を交わすまでに、彼女はカルカラに依存した。全ては狙い通りで、カルカラ自身の任務の達成は容易となった。問うまでも無く、エシェルはその日あった事は全てカルカラに話をし、鏡の精霊の力についても相談するようになった。

 鏡の精霊が暴走すれば、いつだってすぐにわかって、殺せる。そういう関係になった。

 

 誤算があったとすれば、カルカラも、彼女に思い入れ深くなってしまったことだろう。

 

 土台、無理な話だった。エシェルとそう年も変わらない少女だったカルカラに、冷徹な監視など、出来るはずも無い。神官としての技術を身につけただけで、彼女はただの少女だったのだ。

 

 ――カルカラ、カルカラ!またなぐられたの!なんどもなんども!

 ――エシェルさま、けがをみせてください。すぐになおしてさしあげます

 ――カルカラ、わたしまたおいていかれたの。せっかくみなのじゅうのおていれしたのに

 ――わたしといっしょにあそびましょう。きれいなはながさいていたのです

 ――カルカラ、これ、あなたにあげるわ。おかあさまがくれたたからもの

 ――はい、エシェルさま。みにあまるこうえいです。

 ――カルカラ

 ――はい、エシェルさマ

 ――カルカラ

 

 ――はイ、えシぇルさマ

 

 そして壊れた。壊れたのはカルカラの方だ

 彼女の精霊の力を暴走させるか、あるいは意図してそれを使おうとしただけでも、自分が彼女を殺さなければならないという事実に耐えられなかった。

 不幸にも、彼女は真っ当だったのだ。

 

 ――どうか、彼女に慈悲を。鏡の精霊を扱うことは決してさせません。どうか赦しを

 

 エシェルが14になった時カルカラは、当時すでに病床についていたガルドウィンに代わり、当主の代行をしていたエイスーラに懇願した。どうか彼女と自分を解放してほしいと。これ以上は1秒だって耐えることができないと、地面に頭をすりつけて。

 

 ――良いだろう。ならば、最後の大仕事をこなせれば、貴様らは()()()()()()()

 

 その言葉を受けて、カルカラは命じられるまま、動いた。

 歪な都市建設計画に従い、怪しげな施設を幾つも建造した。必要量を遙かに超える魔石を運び込み、都市を迷宮化した。従者に潜んだ邪教徒と繋がり、偽竜を手繰り、黄金級をグラドルに寄せる口実を生み出した。

 

 おおよそ、やってはならないとされる禁忌の全てに手を染めた。

 全ては、全てを終わらせるためだった。何が何でも、助かりたかったのだ。

 

 そしてそれはあと一歩まで来た。都市の迷宮化、魔物化は予定通り成就した。エイスーラの死刑宣告にエシェルが絶望していることに心臓が締め付けられたが、仕方が無い。逃げる算段は裏で用意されている。あと少しだ。あと少し、あと少し、あと少しで――

 

「失礼」

 

 ストン、と突き立てられたナイフは彼女の意識と未来を闇に落とした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 仮神殿、地下室にて。

 本来、グラドルから運ばれた物資を保管する保管庫として用いられていたその場所は、今は尋問室となっている。問い詰められる相手は二人、どちらも神に仕えながらもそれに背いた反逆者達。

 此処はカルカラの尋問室だ。カランもきっとこの何処かにいるのだろう。合図などが送れないように、しっかりと距離は取られているだろうが。

 

「どうやら、最初からカランが用意したという逃げる場所などなかったみたいですね」

 

 どのようにしてかは不明だが、あの狂気と忠誠心の塊のような邪教徒カランから聞き出した情報をカルカラは聞かされた。シズクという美しい冒険者は薄らと笑う。

 

「カラン様がエイスーラ様から命じられていたのは、エシェル様達の逃げ道の確保ではなく、お二人の速やかなる始末であるという事です。本人から聞き出しました」

 

 それを聞いたとき、カルカラが思ったのは、「ああ、やっぱり」だった。

 

 そしてそう思った瞬間、自分の浅ましい本性を自覚した。

 

 エイスーラは自分たちを逃がす気が無かった。始末するつもりだった。

 それはそうだろう。そうとしか言いようがない。

 家に居る間も、天陽騎士になってからも、ずっとずっと、エシェルを嬲り、蔑み、痛めつけていたカーラーレイの連中が、エシェルの命だけは助けてやろうなどという慈悲を、与えるわけが無い。

 そして、この竜呑都市ウーガの邪悪なる計画の実行犯であったカルカラも、生かされる訳がなかった。そんなこと、冷静に考えればすぐに分かるようなこと。なのに今日までカルカラはそんな明確な真実に気づくことはなかった。

 

 何故か?

 

 答えは簡単だ。カルカラは現実から逃げていたからだ。

 

 苦痛な現実を前に逃げ出した。目を逸らして耳を塞いで、楽な方に転がり落ちた。

 その逃避のダシに、エシェルを使ったのだ。

 彼女のためだと嘯いて、彼女を巻き込んで、一緒に破滅しようとしたのだ。

 

「――――ふは」

 

 カルカラは嗤った。己の欺瞞を嘲った。

 なんて滑稽さだろう。苦境を前に、決死の覚悟で抗おうとしていたエシェルの方がよっぽど、強く、正しかった。我が身かわいさに視野が潰れていた自分の愚かしさに目眩がした。

 さっさと死んでしまおう。カルカラは本気でそう思った。

 

「エシェル様はまだ生きていますよ」

 

 だから、まるで此方の心を読んだように話しかけたシズクに、ゾッとした。

 

「……なに、急に」

「全てを諦めた顔をしていらしたので、忠告です」

 

 白銀の瞳が此方を覗き見る。全てを見透かすような視線が気持ち悪くて目を逸らしたかったが、出来なかった。

 

「エシェル様は生きています。絶望の淵にあって、憎悪に飲み込まれて尚、まだ彼女は生きて、足掻いて、苦しんで、幸せになろうと頑張っています」

 

 彼女を、結果絶望に追いやる事になったカルカラを前に、シズクは事実を列挙していく。

 

「彼女を絶望させておいて、自分だけ楽になろうというのは、都合が良くないですか?」

 

 カルカラは衝動的に、美しいシズクの頬を思いっきり引っぱたいてやろうと思った、拘束されていたために出来なかった。代わりに絞り出すような声が出た。

 

「どうしろというのです……!」

「潔く責任を取るのでなく、無様に生き延びて彼女を助けて下さい」

「貴女たちがやれば良いでしょうっ」

 

 神を裏切り、主を裏切った自分より、彼女たちの方がよっぽど忠義者で、適格者だ。

 そう思ったのに、シズクは首を横に振る。そしてくるりと表情を豹変させる。冷酷に自分を咎め罰する執行人から、此方を嘲りからかう道化のような笑みに。

 

「所詮、私達は銅級の冒険者ですよ?力足らずで、“貴方が引き起こした災害から”彼女を守り切れず、死なせてしまうかもしれません」

「この――」

 

 カルカラはシズクを睨み付けた。だが、シズクへと向けた筈の怒りの視線は、シズクを結ばない。カルカラの目に映ったのは、シズクの白銀の瞳の中、そこに映る自分自身だった。

 地の底で、拘束され、無様で滑稽な女の姿だ。彼女は、憤怒の形相で己を見ている。自分のことを憎悪している。

 

 逃げて逃げて逃げ回り、地の底まで転がり墜ちた。

 この期に及んで尚、逃げるつもりか? 

 白銀の瞳(かがみ)の中の女が、そう罵った。

 

「――――五月蠅い!」

 

 カルカラは振り絞るようにして、声を上げた。薄暗い地下室で、彼女の言葉が繰り返し反響し、そのたびカルカラの耳を打った。引きつった情けのない自分の声を聞くたび、どん底だった自分の自尊心は更に腐り果てた。

 反響は終わる。残ったのは、自分の全てを自分で台無しにした間抜けだけだった。

 

「…………」

 

 カルカラは、最早シズクに当たり散らす気力も失った。力なく項垂れる。砕け散った彼女を前に、砕いたシズクは、その顔をのぞき込む。

 

「優れた神官の力は必要です。それも、絶対的な味方となってくれる人材が」

「……あの子が、私を許すと、思いますか?」

「関係ありますか?それ」

 

 許されようが許されまいが、彼女に償うことに、なんの影響がある。そう問われ、カルカラは己の中にあった最後の欲をも見抜かれた。エシェルに許されたいという、裏切り者の浅ましさを。

 

 死のう。そう思っていた彼女は、本当に殺された。

 

 シズクと、自分自身の手によって、何もかも、砕き尽くされた。一つ残らず破壊された。残っているのは、拭いようのない罪と、そして――――エシェルだけだ。

 ならば、やるべき事は、一つだけだ。

 

「――――あの子を守ります。今度こそ。本当に」

 

 かくして、凄惨なる禊ぎを経て、カルカラが仲間となった。

 

 この結果、ウル達は窮地にあって、()()()()()()()()()()()を手中に収めることとなった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 時間は戻り現代、竜呑都市ウーガ、最深部。

 

「彼女に危険が及ぶようなことがあれば、此処を無視して彼女の方へと行きます。いいですね」

 

 エシェルの守護者に変貌を遂げた神官を前に、ウルは両手を挙げた。どうしてこうも極端になるのかとも思うが、絶対的なエシェルの味方というのは悪くなかった。ウルもまた、彼女を裏切るつもりは無いのだから。

 

「現状俺達の中で、()()()()()()()にいるのはアイツだよ。そっちも作業にとりかかってくれ」

「……わかりました」

 

 ウルの言葉にカルカラはしぶしぶというように引き下がり、そして事前の打ち合わせの通り作業を進めていく。すると、何故か彼女から隠れていたシズクがひょっこりウルの後ろから顔を出した。

 

「上手く協力していただけそうですね」

「そりゃ喜ばしいが、なんでお前はそんな隠れ方してんだ」

「協力の取り付け方が、少し乱暴だったものでしたから」

「少し?」

「乱暴だったものでしたから」

 

 ウルはシズクの両頬をひっぱった。されるがままになってほっぺを伸ばす彼女は見ていて面白かった。カルカラの強引な勧誘は必要だった以上、悪いことをしたわけではなく、彼女の仕事もあるのですぐに離した。

 

「ウル!」

 

 リーネからの鋭い声が響く。何を意味するかは言われるまでも無くすぐにわかった。何せ、目の前の核、使い魔作成の術式の中心核が凄まじい輝きを放ち始めたからだ。

 完成した術が発動へと至る。大罪都市グラドルが生み出した前代未聞の生物兵器が、まさに誕生しようとしているのだ。

 

「ひ、ひぃ…!」

「か、神よ!ゼウラディアよ!お助けを…!!」

 

 圧倒的な魔力が凝縮し、光として放たれる光景は恐ろしいものだった。ウルからしても身がすくむようなもので、ましてや従者達など、腰を抜かしへたり込んでいる者も少なくない。

 逃げ出さないのは、逃げだす場所がなく、また、カルカラが凄まじい形相で彼ら彼女らを睨んでいるからだろう。

 正直ウルも逃げ出したかったが、悲しいかな。この場の責任者は自分である。逃げ出すはおろか、僅かな狼狽すら、表に出すことも許されない。

 ウルは浮かんできた汗を隠すように拭い、大きく息を吸い、吐き出した。

 

「おーし、そんじゃあ、逆襲開始だ」

 

 ウルは余裕たっぷりに聞こえるような声を意識して、号令をかける。

 その場に居た全員が動き出す。竜呑都市ウーガという盤上に幾つも打たれた悪辣なる策略。その全てを、()()()()()()()()()()()()が始まった。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誕生

 

 最初に、この状況の違和感に気がついたのは【白の蟒蛇】ジョンだった。

 

「……なんだ?」

 

 彼は依然として、元同僚達、分裂した白の蟒蛇たちと戦闘を続けていた。

 いや、戦闘ですらない。向こうの攻撃は全て無効化されている。行われているのは一方的な蹂躙だ。向こうは逃げ惑う以外選択肢はない。

 

「はは、見て下さいジョンさん。ジャインの奴、尻尾まいて逃げ出してら!」

「散々イキっといて笑えるぜ!」

 

 部下達がジャインの動きを指さして笑っている。彼らもまた、大地の精霊の加護による無敵の力の万能感にハイになっている。ジョンも先ほどまではそうだった。が、今はその高揚もすっかり冷めている。

 状況は一方的、だからこそ、ジョンは違和感を拭えない。

 

 なんでジャインの野郎はされるがままの状況を放置している?

 

 ジャインの実力は知っている。剛力な戦闘スタイルに反して頭脳は冷静沈着。紛れもない銀級の冒険者に相応しい判断力を有している。ならば、今の状況が彼にとって望ましくないことは理解しているはずだ。

 ジョンのしていることは、本質的には時間稼ぎだ。竜呑都市ウーガが【聖獣】と成るまでの時間稼ぎ。使い魔が生まれれば、後に起こるのは蹂躙だ。大巨星級の使い魔による無差別攻撃。大地の精霊の加護を持つ者はその場にじっとしているだけで良い。だが、持たない者は逃げることすら叶わない蹂躙劇が待っている。

 そしてジャインの情報収集力ならば、恐らくその事を把握している筈なのだ。

 

 なのに、なにもしてこない。

 ただただ一方的にやられて、逃げ回り、残り少ない時間を浪費している。

 これはおかしい。

 

「おい。探知魔術にアイツら以外の動きは無いんだろうな」

「ありません!こちら側にいる連中の動きは全部把握しています!」

「反対側の本隊と思われる連中も押さえています!!」

 

 自信満々に断言する部下に、ジョンは逆に不安を濃くした。

 他に動きがあった方がまだ納得がいった。この場所にいるのは奴らだけ。別働隊はない。そしてジャイン達の動きは全てこちらで把握できている。無策に、散発的に攻撃しては撤退を繰り返しているのみだ。

 

 だが、ジャインに無策はあり得ない。

 つまり、ジョンは今、ジャインの策の一端すら、把握できていない。

 コレは不味い。とても不味い。

 

「おい、何をしている。次の毒を放て。奴らをウーガへと追い立てろ」

 

 考え込んでいたジョンに、天陽騎士が鋭く命令する。ジョンは舌打ちしそうになりながらも騎士へと向き直った。

 

「申し訳ありません。しかし奴ら、何か企んでいるやもしれないと……」

「だからなんだというのだ。その上から叩き潰せば良いだけのことだ」

「しかし」

「では作戦を変えると?目に見えぬ策を恐れ、最善手を捨てるなど、とんだ無能だ。つまらんことを言っていないで仕事に戻れ」

 

 まるで此方に取り合おうとすらしない天陽騎士に、ジョンは怒鳴り散らしたい衝動を抑え、歯を食いしばった。腹立たしい事に、そして困ったことに、騎士の物言いに反論の余地は無かった。

 不安に怯え、取れる最善手を取りこぼすなど、石橋を叩いて砕くような愚かしい徒労だ。万事順調な作戦を切り替えるのは、愚策を捨てるよりも遙かに困難だ。

 

 順調だから足を止める理由は無い。

 順調だから別の作戦に切り替える理由も無い。

 順調だから、順調だから、順調だから――――

 

 ――――ならば、ジャインが全く作戦を変えないのは、()調()()()()()

 

「――――!!」

 

 背筋に冷たいものが流れた。不安が確信に変わる音がした。不味い。絶対に不味い。だが彼が、その確信を叫ぶよりも先に状況が動いた。

 

「おお……!!」

 

 最早人形(ゴーレム)のように機械的に進軍を進めていた天陽騎士達がピタリと足を止め、そして上を見上げる。ジョン達も釣られて上を向いた。彼らの眼前には、巨大な壁のように見える竜呑都市ウーガを包む結界が映る。

 距離が大分近づき、真っ黒な壁となったその結界、使い魔の儀式により“卵”と化したその都市が、今、強く発光している。その輝きの意味をその場にいる全員が理解した。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑都市ウーガの、術が完成に至る事を示すその輝きは、ウーガの土地の何処であろうと届かない所のない凄まじくも禍々しいものだった。

 当然ソレは、ジョン達とは向かい側にいたエイスーラ達の場所にまで届いた。

 

「ク、フハハハハハハハハ!!!!!!」

 

 エイスーラは歓喜に打ち震え、高笑いした。

 自らの生み出した圧倒的な力の波動、天地をも覆うような輝きに感動し打ち震えていた。この力の全てが自らのものになろうとしているのだ。感動しないわけが無い。

 使い魔の術の成功は、エイスーラにダイレクトに伝わる。誕生する使い魔の主は彼自身だ。右の手の平に強烈な熱が走り、【制御術式】が灼かれる。だが、その痛みすらもエイスーラは心地が良かった。

 大地をもひっくり返すほどの力が、自らの手中に収まるのだから。

 

「この力でもってイスラリア大陸の覇王となる!!プラウディアも、あの疎ましい天賢王も!!!全てを飲み干し喰らってくれようぞ!!!」

 

 エイスーラは吠え猛る。そこにあるのは果て無き貪欲さだった。全てを喰らって尚尽きぬ我欲。そのための手段を手中に収める歓喜に彼は打ち震えていた。

 そしてその後ろで

 

「…………んー?」

 

 緑の邪教徒、ヨーグは不思議そうに首を傾げた。

 彼女は自身の生み出した巨大なる使い魔の誕生にまるで興味を向けてはいない。彼女が視線を向けしているのは、自身が“台無し”にした【合人】と、ソレと戦う【勇者】だ。

 

「あたたああああああああああああぐるししししいしいいいいい!!」

「――――!!!」

 

 聞くに堪えない絶望の悲鳴。

 救いを求める幾つもの子供の手が伸びた巨大なバケモノを前に勇者はずっと防戦の一方だ。彼女はロクに反撃出来ていない。獣よりもデタラメな動き方をする【合人】に叩きつけられ、吹っ飛ばされ、後退を繰り返す。

 エイスーラは気づきもしていないが、勇者が何かしようとしているのは間違いなかった。

 

 彼女は【勇者】だ。

 だのに、【聖獣】の誕生まで、何もしなかった。不思議だ。何がしたいんだろう?

 じゃあ、気になるから、何もしないでおこう。

 

 という、思考になるのが台無しのヨーグであった。“救済”以外、目的という目的は無い。信念も持たない。だから好奇心にはすぐ流される。

 彼女だからこそ、竜呑都市ウーガの完成は至り、

 彼女だからこそ、“致命的な見過ごし”を起こしている。

 

「あらあ、始まるわねえ」

 

 そして、ヨーグは再び意識を散らして、演劇の幕開けを喜ぶ子供のような声を上げる。竜呑都市ウーガから一際に激しい音と、光が放たれる。薄気味の半円球が徐々にその形を変える。

 

 素材となるのは土と石、金属、そして秘密裏に運ばれた多量の魔石だ。

 

 迷宮化によって集った魔石は核となり、魔物と同じように血肉を模した身体へと変わる。都市建設を装い運ばれた建材は頑強なる皮膚となり、外敵を穿ち砕く角と成る。

 防壁から太く頑強な六つ足が伸びる。深い爪が地面を喰らう。胴体は山脈のように隆起し、防壁がそれを覆う鎧のように伸びていった。尾は短く太い。反対の頭は大きい。何もかもを砕く顎、左右についた六つの瞳、平べったい鼻に耳。そして顔全体を胴体と同じく防壁が覆い鎧兜のように形を成した。

 

 その巨大な両顎がゆっくりと開き、そして大地をも揺らす程の声で、産声を上げた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 【聖獣】と呼ばれるソレが咆吼した。

 

「素晴らしい…!!」

 

 エイスーラは歓喜に打ち震えた。

 

「あらあ、思ったよりずっと綺麗にできちゃった。ざんねんねえ」

 

 ヨーグは自らが生み出した狂気の異物の完成度の高さに“落胆”し、

 

「……さて、と。【星墜】」

 

 勇者は、とん、と地面に紅の剣を突き立て、【合人】を()()()()()()()()()()

 

「ゆ、ゆゆゆ、ゆうじゃああああ…!!」

「うん、大丈夫だよ。安心して。ちゃんと助けるさ。知人にアテがある」

 

 恐るべき重力が、悍ましい巨体を包み、そしてその全身を地面にのめり込ませた。深々とめり込んだ身体は抜け出すことも叶わず、結果、実に呆気なく【合人】は動けなくなった。

 身じろぎ一つ取れなくなったその怪物を、【勇者】は優しく撫でて落ち着かせた。

 

「――――あ?」

 

 流石に、その結果は、興奮と狂喜に身をよじらせていたエイスーラを我に返すには十分な光景だった。一方的に、此方の策になんの手立てもなく防戦一方であったはずの勇者が、急に反撃に出て、呆気なく此方の先兵を突破したのだから。

 

「大地の加護を貰っている生物に重力の魔術が効くか心配だったけど、問題なかったみたいだね。良かった良かった」

「き……貴様」

「ん?ああ。ゴメンね。邪魔して、さあ続けて?」

 

 勇者は肩を竦め、先を促すように両手を広げた。

 言われるまでもなく、すでに使い魔の形は完成した。対プラウディアの最終兵器が完成し、エイスーラの権威は盤石のものと至った。

 

 ウーガの破滅的な輝きは強まり、エイスーラとのリンクは完成へと至る。

 だが、エイスーラの高揚はすっかり冷めてしまった。あるのはただただ、疑念のみ。

 

「……何故、どうやって」

「ああ、たかだか“百人分くらいのヒトの筋力量と魔力量を合算しただけ”の存在でしょ?純粋な力だけなら第三位くらいの強さはあると思うけど、脅威としてはそこまでかなあ」

 

 てんで、身体の統率がとれてなかったしね。と彼女は不愉快げに語る。それを聞いてヨーグはニコニコと笑った。エイスーラはヨーグの様子にも気がつかず、【勇者】に注視する。

 

「なら、何故」

「モタついたか?勿論、時間稼ぎだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は淡々と、そう言いながら地面に倒れ伏す【合人】の身体にそっと触れる。悍ましい肉塊であったそれに、幾つもの術式が魔力により刻まれる。地面にめり込んで尚、じたばたと幾つもの腕が蠢き続けていたが、次第にその動きを止めた。剥き出しになった瞳がゆっくりと閉じる。眠ったようだった。

 

「……何を目論もうとも、無駄だ。最早【聖獣ウーガ】は止まらぬ」

 

 エイスーラはそんな彼女の動きを一つも見逃すまいと凝視し、契約の印が刻まれた手を隠すようにジリジリと距離を取った。

 彼女の対策として生み出された【合人】は全く彼女に通じなかった。ならば、今最も警戒すべき事は、彼女に自分が殺される事だ。

 ウーガにプラウディアの殲滅はすでに命じている。使い魔の契約自体も、万が一の保険のため、自身が死ねば、父に権限が譲渡されるよう仕込まれている。

 エイスーラという存在は既に、この場における必須ではない。

 

 だが、そんなことは関係ない。

 

 エイスーラは【聖獣】誕生のために殉死するつもりなど全く無い。【聖獣】の契約を、病に伏し、老いぼれ、耄碌した父親に譲る気など欠片も無い。

 全て、全て自分のためにここまで来たのだ。

 わざわざ自分が直接出向いたのも、決して【聖獣】の契約を、自分以外の弟妹達に奪われたりしないためだ。自分の私兵以外、何処にも情報が漏れないようにするためだ。

 

 彼は誰も信じていなかった。彼は全てを自分のものにしたかった。

 

 妾生まれの、忌み子として生まれてから、姉エシェルの邪霊騒動から突如として跡継ぎになったのが彼だ。腫れ物扱いから一転して、もてはやされ、彼は舞い上がり、しかし同時に、自分の立場があまりに脆い事もエシェルの境遇から理解した。

 彼女に石を投げつけ、罵倒し、弟や妹を煽動して彼女をいびり倒した。再び姉が、自分の立場を間違ってでも奪ったりしないように。エシェル以外の兄弟姉妹にも徹底して、自分のコントロールに置いた。

 

 彼は失うのを恐れ、それ以上を求めた。

 疑心と餓え。それがエイスーラの骨子である。

 

 だから彼が今最も恐れるのは、自分が失われること。自分から奪われること、それのみだ。そしてそんな彼だからこそ、【転移】の巻物は当然、用意していた。いつでも逃げ出せる。自分だけでも助かるために。

 目の前の勇者の隙を見て、すぐにでも彼は巻物を発動させるつもりだった。そのため眼前の勇者に全神経を集中させていた。

 

 故に、彼は気づかない。

 

「――――」

 

 彼が最初に地面に平伏させた従者達。悲鳴を上げて、勇者が施していた結界の中で身じろぎ一つ取らなくなった彼等が、本当に一切の身じろぎもしなくなっているのを。

 そして外套を羽織った彼等の内、たった一人だけがそっと手を上げて、エイスーラへと向けているのを。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

馬鹿には馬鹿をぶつけよう

 

 

 天陽騎士達との激突が起こる前。従者達の混乱を何とか制御し、全員の治療を無理矢理終わらせたその翌日。今後の対策を練るため、ウル達一同は集まっていた。

 

「んじゃ、作戦会議始めるぞーあんまり時間も無いし、手早くな」

 

 仮神殿の会議室の一角を使い、ウル達は集まった。少数ギルドの【歩ム者】にこの会議室はあまりにも広かった。適当な机をくっつけて、その周囲に椅子を並べて各々が席に着く。すると、早速ロックが手をあげた。

 

『おう、ウル。いいか?』

「なんだロック」

『その“右腕”のはええんか』

 

 ウルは自分の右腕を見る。エシェルと目が合った。

 

「…………」

 

 無言である。

 彼女はウルの腕をほぼ抱え込むようにして掴んで、ぴったりとくっついて離れない。もはや密着状態である。そのまま席に着くのはあまりにも窮屈で間抜けな格好だが、彼女は離れなかった。

 彼女がひとまず落ち着いてからはこれが常時である。水浴びにまでついていきそうになったのはヤバかった。

 

「……コレが一番落ち着くらしいのでコレで行く」

『まあ、ワシは面白いし、お前が良いんなら構わんがのう』

「面白がんな」

 

 ウルの抗議に、ロックはカカカと笑った。

 暢気な光景である。天陽騎士がさし迫り、自分たちを皆殺しにしようとしているとは思えない程に。

 

「話すべきこと、あるのかな?私としては避難準備を進めたいんだけど」

 

 と、そう言うのは、ウル達と一緒に席に着いたディズだ。カランへの尋問と情報収集で忙しく動いていた彼女に無理を言って同席してもらっている。現状、仮都市に集まる従者達、そして名無しの住民達の存命は彼女に掛かっていると言って良い。

 人民を守る【勇者】として彼女が極めて多忙な状況なのは理解できる。が、シズクは頭を下げた。

 

「リーネ様の判断の、その裏付けが欲しいのです。勇者としての経験をお貸し下さい」

「ふむ……」

「時間はかからない。リーネ、良いか」

「私は構わないけど、何を聞くの?あの使い魔の儀式は私の知識も及ばない所多いわよ」

 

 リーネの忠告にウルは頷く。幾ら彼女が魔術学園の秀才であったとて、あんな異常な規模の魔術、理解できないことが多いのは分かる。だが、今回の場合であれば問題ない。そんな複雑な話ではないからだ。

 

「使い魔の構築術、あれはもう止めることは出来ないんだな?」

「そうね。既に“羽化”の段階に入ってる。間もなく完成に至る術を。止めることは出来ない。正確には止めようとすると、破綻して魔力が溢れ崩壊する。あの規模の崩壊なら、この一帯が消し飛んで私達死ぬわ」

「術の書き換え、変更も不可能?」

「阻害と同義よそんなの。やっぱり破綻して爆発。私達は木っ端微塵よ」

 

 止めることはおろか、僅かに弄ることすら出来ない巨大な時限爆弾がある。そういうイメージをすればいい。と、リーネは言う。魔術への理解の浅いウルでも言ってることは理解できた。

 

「俺達では、今完成しようとしている術に介入することは出来ないと」

「発射寸前の【火玉】の魔術に指を突っ込んで、魔術を止められる訳がないでしょう?貴方が言っているのはそういうことよ」

「なら、確認だ」

 

 ウルは更に問う。それこそが今回の集まりの根幹だった。

 

()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そんなの――――」

 

 出来ない。と彼女は言葉を続けるつもりだったのだろう。しかしその言葉は最後まで続かなかった。少し呆けて、その後俯いて、何事か小さく呟きを繰り返し続けた。

 ウルは彼女の答えを待った。どのみち、此処でウルに答えを出せるのは、現場を僅かでも直接確認し、最も魔術の知識が深いリーネ以外いないのだから。

 代わりに、ウルに声をかけたのはディズだ。

 

「ねえ、ウル、君、まさかとは思うんだけど……」

「発想の元はロックだ」

 

 ワシ?と。ロックは自分を指さす。ウルは続けた。

 

「元々は死霊術師の使い魔だったロックを、シズクが契約を結び直して自分の使い魔にした。勿論、あの時とは状況は違うが、不可能じゃないはずだ」

 

 つまり

 

「完成した【竜呑都市ウーガ】を奪って俺達のものにする」

 

 その答えにディズは黙り込んだ。ウルはきこえなかったのか?とでも言うように、もう一度その答えを口にした。

 

「【ウーガ】を俺達のものにする」

 

 シズク以外の何言ってんだコイツ、という視線がウルに集中した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 少し時間が経ち、仮神殿執務室。【白の蟒蛇】ジャインとの会談

 

「……その頭の悪い計画を立てたのは誰だ」

「俺だが」

「頭、おかしいのか、お前」

「ストレートな罵倒だ」

 

 秘匿の魔術契約を結び、ウル達の計画を全て聞いたジャインはウルを正面から罵倒した。そうしたい気持ちにもなる。ジャインはこの死地から逃げ出す計画を尋ねたつもりだったのだ。

 間違っても、敵が生み出す前代未聞の【災厄】を手中に収める計画などではない。

 

「俺はまともなつもりだが」

「まともな奴の思考じゃねえんだよ…」

 

 ジャインは溜息を深々と吐き出しながら、情報を整理する。目論見通り、得られた情報は多かった。多すぎた。とんでもない爆弾が投げつけられた。

 

「……“超巨星級”の使い魔の作成って時点で意識遠のいたのに、それを、奪う?自分のものにする?バカにバカを乗算するのヤメロ」

「使い魔のコントロールを奪う、それ自体はある話だ。そういう魔術もある」

「規模が違いすぎるわ」

 

 そう、規模が違う。違う故に、誰しもの頭から抜けていた。恐らく、【竜呑都市ウーガ】を生み出した黒幕の連中も、実際にやる奴がいるなどと思ってもみないだろう。

 だからこそ、抜け道、と言われれば確かにそうかもしれない……が

 

「出来るわけ無いだろうそんなこと…………出来ないんだよな?」

 

 酒の席で、冗談を笑うタイミングを見計らうような珍妙な表情でジャインは問いかけた。が、ウルはとくに笑うでも冗談だと肩を竦める様子も無く、真顔だ。

 そのままウルは指を三つ立てる。

 

「条件は三つ。一つ、使い魔の核を掌握する事」

「……場所は押さえてるんだったな」

「二つ。使い魔構築術式を“崩さず被せる”ように構築する制御権変更の命令術式」

「巨星級使い魔の構築術式を更に上乗せする術式陣なんて出来る奴――」

「いる」

「……なんでいるんだよ……三つ目は?」

「使い魔を制御してる当人から、【制御術式】を奪いとる」

 

 そこにきてようやくジャインは嫌な汗を拭うようにして笑った。

 

「そいつは無理だろ。話聞く限り、その【制御術式】を持ってるのは()()()()()()()だろ?グラドルの王だ。そいつから奪う?どうやってやんだよ。お前のご主人の【勇者】なら出来るってか?」

 

 【七天】の権威と力は勿論ジャインは知っている。世界を飛び回る天賢王の保有する最強の天陽騎士達。天賢王の守護者としている【天剣】が、【大罪都市プラウディア】から降り墜ちる【虚飾の竜】を一刀に切り裂く姿はジャインも直接見ている。侮る筈がない。

 

 だが、グラドルの王、エイスーラの力も知っている。

 

 エイスーラ。【金剛のエイスーラ】、【大地の精霊ウリガンディン】の加護を得たグラドルの最強の神官。カーラーレイ家の次期当主。グラドルに攻め入った【一ツ目巨人】に襲われた際、彼たった一人で撃退したのは今も語り草だ。 

 

 つまり、七天もバケモノだが、エイスーラもバケモノなのだ。いくら七天が味方であったとしても、それはなにかの保証にはなり得ない。

 

 ウルもそれを認識していたのか、同調するように頷いた。

 

「勇者は多芸だが、全知全能ってわけじゃあない。魔術による制御印の移植には時間が掛かる。抵抗されたり、逃げられたりしたら終わる」

「なら無理だな。大地の精霊の加護で守られた男を、拘束なんて出来るもんかよ」

「なので魔術は使わない」

 

 ん?とジャインは首を傾げた。ウルは言葉を続ける。

 

「精霊の力を使う」

 

 魔術による工程、様々な制約の一切を無視した超常の力。

 真っ当な魔術で出来ないなら、真っ当でない力を使えば良い。彼の理屈は一応筋が通っていると言えば通っている。問題は、それができる奴がいるかという話だが。

 神官は確かにいる。裏切り者だったらしいカルカラがいる。彼女を此方の陣営に引き込むことが出来れば、確かに精霊の力は扱えるだろう。

 だが、神官ならあらゆる精霊の力を操れる訳ではない。

 

「カルカラは確か官位は一番下(ヌウ)だろう?扱える精霊の力も多くない筈だ」

「そうだな。彼女が使えるのは【岩石の精霊】による【岩の加護】と【硬化の加護】だ。それも基本的なものに限られる」

「話にならねえ」

 

 精霊は万能ではない。確かにヒトを超越した力を振るい、そしてそれをヒトに与えもするが、しかし矮小なヒトを越えた程度では万能からはほど遠い。精霊の力にも序列はあり、種別があり、可不可がある。

 

「まして、やる事は”簒奪”だ。ヒトの法に触れる、悪徳に類する精霊は【邪霊】として忌避され、神殿で管理される。その力を有した神官なんて居るわけが――」

「いる」

「――――は?」

 

 今日はコレで何回目になるかもわからない。再び話の腰を折られたジャインは、しかし今度こそ自分の耳を疑った。簒奪の力を持つ【邪霊】の加護を授かった神官がたまたまここに居て、自分たちを助けてくれると?

 

 んな馬鹿な、と笑おうとしたが、ウルは冗談だと笑いかける事は無かった。

 

 彼は、自分の腕にすがりつくエシェルの頬に触れる。ヒステリーばかり起こす元自分の雇い主、短い間に豹変してしまった彼女を宥めるようにしながら、ウルは告げる。

 

「【鏡の愛し子】【簒奪の精霊の寵愛者】が此処に居る」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 風がはためき、勇者に護られ、倒れ伏していた従者達の纏っていた外套が剥がれる。もしもエイスーラが油断なく意識を勇者だけではなく周囲にも向けていたなら、ソレに気付いただろう。

 風で外套が飛ばされる。そしてその中から現れたのは、赤毛の、小柄な獣人。

 

「【ミラルフィーネ】」

 

 鏡の愛し子は静かに、小さく、鋭く、鏡の精霊の名を告げる。

 手の平を、まるで此方に気づかず、【勇者】を睨み付ける弟、エイスーラへと向ける。腹底から煮えた感情が渦巻く。暴れ狂う憎悪を言葉に込めて、告げた。

 

「【()()()()】」

 

 簒奪が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガ簒奪作戦

 竜呑都市ウーガ、体内

 

「右方から土竜蛇が来ます」

「またかクッソ!」

『デカすぎて突いても斬っても命に届かんぞ!!毒だせ毒!!』

「今やってる!!」

 

 内部は非常にどたばたとしていた。

 核の鳴動からウル達の居る最深層は凄まじい振動が続いていた。現在進行形で都市の魔物化などという驚天動地が起こっているのだから当たり前だった。

 そんな中、ウル達一行は四方八方から襲ってくる魔物達の迎撃を続けていた。今すぐにでも脱出すべき状況で踏みとどまる理由は一つ。

 

「――――――――!!」

「岩石の精霊よ」

 

 禍々しい光を放つ中心核の周りで踊るように術式を刻むリーネと、彼女の白王陣を守るためだ。

 凄まじい揺れと、振動により崩壊していく地面を、カルカラの岩石の精霊の加護でもって瞬時に補助していく。

 

「ひ……!ひい……!!」

「おお!おお!!精霊よ!尊き方々よ!!お助けを!!」

 

 そして、カルカラの精霊の加護の力を維持するために、従者達が祈りを捧ぎ続ける。下位の神官、力の弱い彼女の補助は必須だった。地響き、魔物達の襲撃、あらゆる危機的状況は従者達の危機感をあおり、結果として祈りの総量は普段彼らが捧げるものよりも遥かに多くなっていた。

 

「皆様の身は私が守ります。どうか皆様は集中を」

 

 その彼らをシズクが結界にて守護する。従者一人一人に声をかけ、逃げようとする者や、頭を抱えて祈りを放棄しそうになっている者達を立ち上がらせる。

 

「ひい!!ひいいい!!もう無理だ!私は!私はもうここで死んでしまう!!」

「まあ、グルフィン様」

 

 肥満な巨体を震えさせ、グルフィンは地面に倒れこむ。彼がこうするのは既に三度目だ。シズクは優しく微笑みながら彼の下に近づいていく。

 

「グルフィン様。あなた様は第三位(グラン)です。従者の中では最も高位の存在です」

「そ、そうだ!だから私をちゃんと守れ!」

「第三位(グラン)であるグルフィン様が祈りを捧げなければ、私達は全員死にます」

 

 グルフィンが血の気がひいた真っ青な顔をシズクに向ける。シズクは美しい笑み一切崩さず、もう一度言った。

 

「死にます」

「………せ、せ、精霊よ――――!!!」

 

 そんな感じで、上手く尻を叩いていた。

 その場に居る全員が全力で動いた。最早何処が地面かも分からなくなるような、揺れの中で、生まれも所属も目的すらも違う全員が一心にまとまった、奇跡的と言っても良いチームワークだった。

 そして、その成果が結実する。

 

「……!!出来た、わ!」

「撤退!!!」

 

 リーネが完成を叫んだ。それを聞くや否やウルは即座に撤退の指示を出した。

 これ以上は一秒だって留まることはできない。荒れ狂うウーガの体内が危険であるというのもそうだが、従者達の精神状況が限界の際の際まで追い詰められていた。どれだけシズクが励まそうと、迷宮になど、今日まで足を踏み入れたこともないような者達が、この極限状態で踏ん張り続けただけでも奇跡的なのだ。これ以上は無理だ。

 緊張の糸が切れて、パニックが起きる前に此処を出なければ。

 

「ロック!」

『【骨芯変化!】おう乗り込めぇ!』

 

 ロックンロール号の形状が変化し、広い荷車のように変わった。従者達は次々とそこに押し込まれ、更にリーネとカルカラ、ウルにシズクもそこに続く。

 

「行け!」

『カカ!絶対に喋るなよ!舌噛み切るぞ!!』

 

 そう言って、ロックが走り出す。

 忠告の通り、ただでさえ揺れ動く地面に加え、無理矢理荷車に形状を変えた戦車の揺れは、地獄そのものであった。ダールとスールによる夜間の超特急走行の時もこれほど酷くはあるまい。ウル達ですらしがみつくだけで精一杯だった。従者達などは完全にシズクに魔術で荷台部分に括り付けられている形である。

 歪み、崩れつつある。非常用通路を疾走する。そして間もなく、出口の光が見えてきて――

 

「――――ちょっと待てロック!!ストップ!!」

『あ!?』

 

 “少し先を未来視していた”ウルの制止に反応する時間はなく、ロックンロール号は光の中へと飛び出した。

 そしてその結果、ロックンロール号は空中に放り出された。

 

『ぬ』

「まあ」

「ええ」

「――――死ぬ!!」

 

 ウルは状況を総括し、叫んだ。地下空間から何故にいきなり空に放り出されるのかという疑問に頭を巡らせる余裕も全くない。このままだと本当に死ぬ。

 

『骨芯変化!』

「【風よ大地よ、我とともに唄い奏でよ】」

 

 ロックの言葉とともに戦車の外骨格が膜のように広がり、同時にシズクの詠唱が放り出されたウル達全員を包む。と、同時に、ウル達一同は地面へと墜落した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑都市ウーガ、“脚部”周辺。

 大木よりも尚太い、近くでは巨大な壁としか思えぬその足は地面を踏み抜き、大地は沈下していた。存在するだけで地形をも変える恐るべき存在の、その少し離れた場所。

 ウーガの重量に引っ張られ、少し斜に傾いた木々の間に引っかかるようにして、白く、丸い塊が転がっていた。加工された石材のようにも見えるソレは、暫くすると仄かに光り、形を変える。

 その中から、ウル達と従者達、そして戦車が姿を現した――ひっくり返った状態で。

 

「……生きてるか」

「……なんとか」

 

 ひっくり返ったままの、よろよろとしたウルの声に最初に反応したのはリーネだった。恐らく今回の一番の功労者であろう彼女は、立ち上がる気力も無いのか地面に転がっていた。

 

「……従者の皆様も、カルカラ様も、無事のようですね」

『カカ、びーっくらこいたの…』

 

 魔術によって自分たちを救ったシズクも、自分の身を使って守ったロックも疲労の色は隠せていない。全員ゆっくりと身体を起こすが、ヘトヘトだった。従者達などは、放心していたり、泣き伏せってたり、気絶したりしている。

 怒って文句を言わないだけマシだった。正直彼らはかなり頑張ったとウルは思う。

 

「なんで、落ちたんだ?俺ら。地下にいたよな……」

「恐らく、ウーガが完成し、起き上がった結果、地下空間が地上に露出したのだと思われます。結果、都市外に続いていた通路が寸断され、外に放り出されたと」

 

 ウルはウーガの方へと振り返ると、足と同様にほぼ壁にしか見えない巨大すぎるウーガの“胴体”が見える。よく見ればそれは石材とおぼしき表面をしており、幾つかの人工物が模様のようになっている。あそこがウル達がいたウーガの地下層、最深層だろう。

 地下にあった筈のものが丸ごと外に飛び出しているのだ。恐ろしい話である。

 

「――――まだ、術が完成していない」

 

 そんな中カルカラは焦ったような声をあげた。

 

「命令権の変更が出来ていないのか。術の不発か?」

「術は、完成した、わ。それは、私が保証する」

 

 リーネが断言する。彼女がそう言うのであれば、そうなのだろう。つまり別の原因。

 

「エシェル様が【制御術式】をまだ奪えていません」

「事故ったか、作戦の時差があったか」

 

 ウーガの完成が“ウーガ奪還作戦”の合図だった。が、流石に全く別の地点で殆ど情報の連絡もなく行う同時作戦だ。時間のズレは起こるのは当然だ。それ以外の不測の事態の可能性も勿論あるだろう。つまり確認しなければならない。

 カルカラは焦るように、ひっくり返ってるロックをガンガンと叩いた。

 

「骨、彼女のもとへ私を連れていって下さい」

『まあ、骨じゃが、ええんカの?ウル』

 

 ウルはゆっくりと立ち上がり、頷いた。この状況では是非もない。

 

「……行かんわけにはいかんだろうさ。ただその前に、従者達を安全な所まで降ろしてな」

 

 そういうとカルカラが不満げに眉をひそめた。

 

「祈りのタンクとしてまだ使えます」

「限界だ」

 

 ウルが顎でしゃくる先、従者達が固まって座り込んでいた。

 

「………」

「……ひい……ひい」

「……………も、もう、むり」

 

 彼らは完全にのびていた。

 こんな有様でまともな“祈り”など捧げられまい。

 

「……引っぱたいたら起き上がりませんか」

「その元気を別の事に使え。ロック、行けるか」

『流石に車体ががたついてるが、ワシの身体を少し回せば行けそうじゃ』

「なら出発。急げよ」

 

 かくして、休む間もなくウル達は再び走り出した。

 竜吞都市ウーガを巡る物語は終盤へと向かっていった。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガ簒奪作戦②

 

 竜吞都市ウーガ、西、平原エリア。

 勇者ディズとエイスーラの戦闘地点

 

「【映し盗れ】」

 

 エシェルがその言葉を放った瞬間、連続して事態は動いた。周囲の魔力が急速に収束。魔術の現象にも似ているが、詠唱も、媒介も必要とはしなかった。

 ただ願う。それだけで精霊の力による奇跡の御業が起こる。

 空中に浮く、2()()()()()()()()()()()が生まれた。それが【勇者】に警戒しながらジリジリと逃げだそうとしたエイスーラを映し出す。

 鏡が妖しく輝く。鏡に映ったエイスーラに黒色の“もや”がかかり、同時に本物のエイスーラも同じ“もや”で覆われた

 

「っ何!!?」

 

 その時点でようやく、エイスーラはその事態に気づいた。己の身体に起こる異常、しかし注視していた【勇者】が何かをしている様子は無い。慌てるように周囲を見渡し、そして巨大な鏡を生み出した、自分の姉を発見した。

 

「き、さま!!!」

「【ミラルフィーネ!】」

 

 エイスーラは怒りに満ちた声で叫ぶ。が、エシェルは動きを止めない。起き上がり、更に強く鏡の精霊の名を叫ぶ。鏡の輝きは更に強くなる。鏡に映ったエイスーラの右の手の平、使い魔を手繰る主の印、【制御印】に黒の“もや”が集中する。

 そんな自分の姿を見て、エイスーラは自分が何をされようとしているのか、気がついた。

 

「【不動となれウリガンディン!!!!】」

 

 強大なる大地の精霊の輝きが、エイスーラの身体からあふれ出す。“黒のもや”からエイスーラの身を守るかのように。だが、鏡の力も光に弾かれ消えて無くなるわけではなかった。尚、鏡に映ったエイスーラの姿に干渉しようと蠢く。

 超常の力が衝突する。大気が、魔力が忙しく流動する。理を越えた二つの力の衝突に、世界が悲鳴を上げていた。

 

「っぐ…!」

「……!!」

 

 そしてその状況で、対峙した二人はピタリとその動きを止めた。見えない大きな手で掴まれたように、身じろぎがとれなくなった。

 その様子を見守っていたディズは、悩ましげに眉をひそめる。

 

「拮抗したか……」

「綱引き状態ねえ」

 

 そして不意に出現したヨーグに、ディズはためらいなく剣を振るった。刃はヨーグの緑髪を掠める。あと僅かで首が叩っ切られていたにもかかわらず、彼女はヘラヘラと笑った。

 

「いきなり酷いわ」

「いつまで此処に居るの?君、ヒマそうに見えるけど」

「そうね、やれることは全部やっちゃったから……でも、気にはなるでしょう?」

 

 ヨーグは笑う。笑いながら、徐々にその姿そのものが薄らいで、消えていく。亡霊(ゴースト)のように、そこに存在していなかったように、

 

「“大地の化身”を、“人工物”が食らえるのか」

 

 それだけ言って、彼女はかき消えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウル達はロックンロール号に乗って平原を疾走していた。既に従者達はウーガから少し離れた場所に結界を張り、そこに放り捨てている(その際罵詈雑言をグルフィンを筆頭に投げつけられたが、カルカラが一睨みで黙らせた)。荷物が減り、軽くなったロックンロール号の速度はかなりのものだった。

 

「とは、いえ、きっついな!!」

 

 ウルは狭苦しさに叫んだ。現在この戦車の中にはウル、シズク、リーネに加えてカルカラも無理矢理中に詰まっている。搭載していた消耗品類を可能な限り置いてきたが、尚狭い。カルカラなど、最早、うつ伏せになって押し込まれている状態だ。

 

「私は気にしていません」

「そう言ってもらえると助かるが、大丈夫かソレ」

「それより急いで」

『全速力だしとるっちゅーの』

 

 ロックが言うように、ロックンロール号は全速力だ。搭乗者の安全面が全く考慮されていない全速力である。おかげで既に何度も頭をぶつけている。

 

「見えました!」

 

 【新雪の足跡】をつかって、その道行きをシズクが先導する。真っ直ぐに平原を突き進む。戦車の小さな小窓から覗く景観は全く代わり映えしないように思えたが、その変化はシズクが告げた。

 

「此処でか!?」

「はい!エシェル様にディズ様の姿も見えます!」

 

 そこは予定の場所からは随分違った。

 元々は、ジャインたちに囮の役割を担ってもらい、エイスーラがいる筈の天陽騎士達の本拠地に“避難”という体で移動する予定だった。そのままエイスーラに接近し、ディズが場をかき乱し、エシェルが【制御術式】を奪う。その流れの筈だった。

 が、此処はまだ随分とウーガから近い。

 とはいえ、土壇場で考えられた計画だ。予定外が起こらないわけがない。エイスーラと接触できているだけ上等だろう。そのためにフォローに来たのだ。何が出来るかは分からないが。

 

「ロック!戦闘中か!?」

『今は血は流れておらん……が……どういう状況じゃ?これ』

 

 返ってきた答えは曖昧だった。ウルは首を傾げ、戦車の扉を開いて自分の目で確認する。

 

「――――………………どうなってる?」

 

 結果、ロックと似たような感想になった。

 

「ああ、ウル、来たね」

 

 戦車の接近に気づいたディズがウルに応じる。彼女は傷は無いらしい。彼女の近くに巨大な、不気味な謎の肉塊が存在するのは気になるが、動かないので今は無視した。

 それよりも、だ。

 

「ディズ、エシェルはどうなってる?」

 

 今回の作戦で最も重要な鍵となるエシェルが、おかしな事になっている。

 

「………!!」

「く……!!ぬう……!!」

 

 エシェル、そしてその向かい側には赤髪の男と相対している。状況的にエイスーラなのは間違いない。が、その二人が身じろぎも出来ず、ジッとしている。

 無論、ただ向かい合ってる訳ではない。エシェルの背後には巨大な鏡のようにみえるものがあり、そこから力を放っている。エイスーラは自らの内側から強烈な光を纏い、鏡から放たれた黒い力を弾いている。

 

「精霊同士の力がぶつかりあって、拮抗している。力が釣り合って動けなくなってる」

「今の間に我々の方でエイスーラ様を捕縛するのはどうでしょうか」

 

 ディズの分かりやすい説明に、シズクは即座にそう確認した。

 だがディズは首を横に振る。

 

「この拮抗を下手に外から干渉したら、どうなるかわからない。最悪、奪う予定の【制御術式】が消滅するなんて事も起こりうる。物理的干渉は避けるべきだ」

 

 奪う予定の制御術式が損なわれれば、コントロール出来る者を失った大巨星規模の魔物の暴走が起こる事だって起こりうる。それでは何の意味もない。ディズが静観を決め込んでいた時点で、ウル達が取れる手段はそう残されていないのは明白だった。

 

「エシェル様!!」

 

 カルカラも飛び出した。彼女は即座に祈りを捧げ始める。カルカラが仮都市で補強していたときのように、祈りを伴った魔力による支援をエシェルへと送っているのだ。支援は確実に、彼女に届いていた。

 だが、問題があるとすれば――

 

「く……くく……!無駄な……あがきだ!!私は大罪都市グラドルの神殿とリンクしている!貴様ら寄せ集めのカスどもでは!祈りの総量が違う!!」

 

 それでも、天秤はエイスーラへと傾きつつある点だ。

 どちらも精霊の力だ。人知を超えた超常の力だ。しかし押されているのはエシェルの方だというのは傍目にも分かる、目に見えて分かりやすい指針があった。

 

「う……くぅ……!!」

 

 エシェルが背負う鏡が、その中央から、ヒビが入り始めていたからだ。

 

「それに鏡など!所詮は人の手で生まれた人工物に過ぎぬ!!世の理、四源に勝てる道理などない!!」

「っ…… !!!」

「まして、この私から王座の鍵を盗み盗ろうなどと!!恥を知るが良いこの汚物め!!」

 

 エイスーラの輝きが強くなる。鏡のひび割れも更に広がっていった。均衡が崩れる。エシェルが敗北する。ウルは竜牙槍を構え、すぐさまエシェルを守るために動ける準備をした。

 

「大丈夫ですか?エイスーラ様」

 

 だから、ウルの隣で実に暢気な声でエイスーラに語りかけ始めたシズクの声にすっころびそうになった。

 

「……なに?」

 

 エイスーラもそれは同じだろう。ひとたび聞けば忘れようのない、シズクの声音に、耳を傾けざるを得なかった。シズクは、自身へと視線を向けるエイスーラへと、息がつまるような、至極の笑みを浮かべ、囁いた。

 

「彼女は、()()()()()()()()()()【簒奪の精霊】の寵愛者ですよ」

 

 その言葉の選択を、ウルはすぐに理解する事は出来なかった。だが、対してエイスーラの表情は明確に変わった。目を見開き、シズクを血走った目で睨み付ける。

 そこにあるのは激しい怒りと――――動揺だ。

 何故?というウルの疑問を余所に、シズクは続ける。

 

「天に輝く神陽をも映し盗る魔性、覗き見る者の魂を喰らわれるような美しさ。だから神殿は恐れた。その畏れが、信仰になるのを防ぐため」

「だ……まれ!!」

 

 エシェルの鏡の中央に大きく刻まれたヒビの侵食が止まる。既に砕けた部分が急速に復元し、美しい鏡面が再生する。 

 回復している?鏡の力が強くなっていく?

 疑問に思い、そしてウルも気がついた。エシェルが背負う鏡にはエイスーラが映しだされている。そしてその鏡に、エイスーラ自身の光が流れていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「でも、そうやって遠ざけて、隠して、見ないフリをしたために、逆に恐怖の膨張は取り返しが付かなくなった。迷信は真実になった」

「やめろ!!」

 

 “黒のもや”が強まる。より多く集まって、エイスーラの手に集り始める。エイスーラはそれらを振り払うように声を荒らげる。が、しかし声を荒らげても振り払えはしなかった。それどころか、彼がわめき散らすごとに、より強固になっているようだった。

 

「だからエシェル様をいじめたのですよね?彼女が、怖かったんでしょう?」

「やめ…ぐっ!?」

 

 蟲が大樹を蚕食するかの如く、大地の精霊の守りを貪り食い、彼が必死に守っていた【制御術式】へと伸びる。悶え、苦しむ彼を見て、シズクは優しく微笑みかけた。

 

「貴方達の信仰(きょうふ)は正しい。陽盗みの鏡は、貴方を喰らう」

「【ミラルフィーネェエエエエエ!!!!】」

 

 エシェルは叫んだ。鏡が鳴動し光に包まれる。

 無機質な鏡面から、ヒトの形をした何かがずるりと姿を現した。精霊の加護、与えられた力そのものが顕現し、精霊の姿を形作ろうとしていた。

 

 しかしそれは神秘の姿からはほど遠い。

 

 ただあるがままを美しく映しだすための道具、信仰としてもか細く、精霊として形づくられる事もなかった筈のものが、迷信によって歪となり、簒奪という悪行を擦られた。

 

《――――――は、はは、ははは》

 

 その果ての、精霊としてのその姿はあまりに歪極まった。

 砕け散った鏡を宝石のようにちりばめたドレス姿の女。腕は六つあり、指先は骨のように白く、細く、長い。顔を覆い隠すベールは喪服のようだ。

 その奥の隠れた顔は、何処か操り手であるエシェルに似ていた。

 

《ははははははは》

 

 笑う。嗤う。嘲笑う。

 透き通るような高い声音が、歪な悪意でひび割れる。悪徳を示す黒の衣をドレスとして纏って精霊は踊る。鏡がドレスと共に舞い、周囲を次々と映す。だが、それは、通常の鏡のように反射し、輝くことはしない。

 

《あははははははははははははははははははははははははは!!!》

「――――削れていく……?」

 

 必死の形相で祈りを捧げていたカルカラが、祈りを忘れて見入ってしまうほど、異様な光景がそこにあった。

 鏡は、映した光景をただ跳ね返す事をしなかった。煌めくような鏡面は、その身で対象を映した瞬間、対象を閉じ込める。

 ただ、相手を正しく映し返すだけの役割だった鏡が、映した対象を閉じ込める牢獄へと変わっていた。

 

《ちょうだい!ちょうだい!!ちょうだい!!!》

 

 大地が抉れ、大岩が右半分を突如として失い、雲海が割け、空間がひしゃげた。距離も何も関係なく、あらゆるものが、ただ鏡に映るだけで、損なわれていく。

 そして、その鏡の全てが、ゆっくりと、目の前の獲物へと向けられた。

 

《ちょうだい?》

 

 子供のように、かたんと首を傾けて、ミラルフィーネが呟く。

 次の瞬間、エイスーラの右手の中央に、大穴が空いた。

 

「――――――!!!!」

「盗ったぞ…!!」

 

 噴き出した血と共に、エイスーラが凄まじい悲鳴を上げる。

 対し、エシェルは己の右手に移った制御術式を握りしめ、そして叫んだ。

 

「我に従え!!!【竜吞ウーガ!!!】」

 

 そう叫んだ瞬間、起こったのは地響きだ。

 大地が震える。ウルは立ち続ける事も出来なかった。同時に、空気が震えるような爆発音。それはウーガの咆吼であると、理解できた者は少なかっただろう。使い魔の鳴き声と言うにはあまりにも破壊的だった。そして、ソレは一つの事実を告げている。

 

 エシェルの命に、ウーガは応じた。呪われし都市の簒奪は成ったのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガ簒奪作戦③

 ウーガを挟み、ウル達と正反対の場所で天陽騎士との交戦を続けていた白の蟒蛇たちもまた、ウーガの凄まじき咆吼を前に、その戦闘は一時的に中断された。

 使い魔の誕生、安定したと思った矢先に発生した凄まじき咆吼。天陽騎士達も事態を把握できず、動けないようだった。

 対し、ジャイン達は冷静だった。シズクからの通信魔術により、極めて短いながらも、「結果」が知らされたからだ。

 

「……マジでやりやがったのか、アイツら」

 

 この修羅場、土壇場で適当な事を言うわけが無いと分かっていても、信じがたい。あんな、綱渡りの作戦をマジで最後まで通すなど、頭がおかしい。その作戦に乗った自分もヒトのことは言えないが。

 

「ジャイン!てめえなにしやがった!!」

「あ?」

 

 向かいの木々の影からジョンの声がする。射撃手が自分の位置をばらすような真似をするのは愚策極まるし、らしからぬ真似だった。が、声音の震え方からは動揺が伝わってくる。

 どうやら、事態の異常と、状況が不利に傾いたという事実を察したらしい。

 

「なんにもしちゃいねえよ」

 

 俺はな。と、言葉にせずに付け足す。

 実際、今回の作戦においてジャインは囮である。天陽騎士やジョン達を引きつけ、余計な事をしないように誘導しただけ、何も嘘をついていない。

 だが、ジョンはジャインの言葉を真に受けなかったらしい。反論の代わりに矢がとんできた。ジャインが陰にしていた老木を正確に射貫き、砕く。ジャインは即座に場所を移動する。こんな状況であっても、必中の魔眼によるジョンの射撃は正確だった。此方を完全に捉えているらしい。

 

「で、俺がなにかしでかしたとして、どうするんだよ?まだおいかけっこするのかい?」

「ふざけんなクソが」

 

 声と共に、複数のガラス瓶の炸裂音。途端に広がる毒煙。躊躇のない事だった。ジャインは更に距離を取る。見事にジョンとの場所が寸断された。

 

「コイツラは囮ですらねえただの案山子だ!退くぞ!!」

 

 ジョンの声がする。幾つかの天陽騎士の声とのやり取りの後、徐々に気配が遠ざかっていく。ジャイン達が銀級であるが故に、どうしても無視できぬ戦力として効果を発揮していた囮としての機能も失ったらしい。

 大地の精霊の守りも貫けず、毒で追いやられていくだけの戦力など、最早相手にするまでも無いと見なしたのだろう。

 

 間の抜けたことに

 

 ――――可能な限りの天陽騎士達を引きつけてくれ。それだけでいい

 

「舐め腐りやがって」

 

 ジャインは小さく悪態をついた。そして合図を送る。

 

()()

 

 途端、移動を始めていたジョン達の周辺、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な!?」

 

 離れた場所から、ジョン達の悲鳴と、大地の凄まじい揺れと、轟音が響く。木々から獣たちが逃げ惑い、鳥達が一斉に飛び立った。

 

「ジャインさん!やりました!!」

「でけえ声で騒ぐなボケども、毒煙吸うぞ」

 

 騒がしい騒音の中、ジャインは周囲にまき散らされた毒煙を吸わぬよう口鼻を隠しながらその方角へと近づいていった。

 迷宮から溢れ出た大気の魔力の影響だろう。十メートルを優に超える大木が乱立した森林地帯。その最も大きい木々を重なること無く、一帯を叩き潰すためにジャイン達が作ったトラップだった。

 倒れる直前まで密かに切り込みを入れ、術式を仕込み、合図で一斉に倒したのだ。

 

「おう、ジョン、死んでないなら返事しろよ。殺してやるから」

「ジャイン!!てめえ!!」

「おうおう、元気だな。大地の加護様々でよかったな」

 

 大樹の下の方からジョンの声が聞こえてくる。大の大人数人でも囲えそうに無いほどの太く巨大な丸太の下敷きになって尚、押し潰されて死なないのは流石、大地の加護と言ったところだろう。

 だが、それだけだ。

 

「攻撃に対しては無敵の防御。だが不動の守りというわけでもねえし、剛力を授かるわけでもねえ。付け入る隙はあるわなあ」

 

 先の接敵で、ジャインは大地の加護の動きを分析し、そして把握した。一切の攻撃を通さない驚くべき守りの力。反則だと思ったのも本当だ。だが、対処できないわけじゃない。

 グラドルの天陽騎士、エイスーラの私兵達の保有する力とその対策、事前に打ち合わせていた範疇を出ることはなかった。

 

「無敵の防御も、当人が動けなきゃ石像と大差ねえわ」

「クソデブが!殺してやる!!」

「この程度の妨害!すぐにでも退けてくれる!!」

 

 ジョンと天陽騎士隊長の憎悪の声と共に、魔術の詠唱が複数聞こえてきた。自分らを押しつぶす大樹を破壊しようと動いている。身じろぎ出来ずとも、身体は無事なら魔術を唱えるくらいは可能だろう。

 

「それをさせる訳がねえだろ。っつーわけで」

 

 小さな摩擦音、ジャインの手元には火が付いた着火剤の木片が一つ。それをぽいっと、投げ捨てた。

 倒れたばかりの大木に、小さな火種など当然燃え移る筈も無い。だが、コロコロと落下した木片が大木の陰まで落下していくのを確認し、ジャインは大きく後方に飛んだ。その場から逃げるように。

 

「まあ、死ねや」

 

 直後、空気が割れるような音と共に、周辺一帯が巨大な炎に包まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 幸いにして、というべきか、可燃物になる材料は既に仮都市に存在していた。都市建設用のあらゆる建材を誰であろうグラドルが暁の大鷲に運ばせていたのだ。実際にはウーガを使い魔化するためのものだったわけだが、利用しない手は無かった。

 逃げそびれた名無しの連中に呼びかけて、資材を粉砕し、乾かし、地下空間採掘のための爆破術式と可燃性の油を混ぜて、包囲網の進行ルートに合わせて地面に仕込み、覆い隠す。

 罠の隠蔽、仕込みはジャインの得手の一つだった。天才のラビィンと並ぶために身につけた小手先の技術の一つだが、ジョンが相手でもバレない自信があった。

 

 そして結果はこの通りだ。

 

「足下不注意だぜ天陽騎士様。無敵に胡座かいてっからそうなるんだ」

 

 炎の勢いは凄まじかった。遠方からでも立ち上がる炎が見え、距離を取っても皮膚が焼けるような熱量がある。そして、倒れた木々からは悪臭を伴う強烈な黒煙が溢れだしていた。内部の水気の蒸発とはまた別の、強い異臭だ。

 

「わーくっさ!キツイっすね!」

 

 そう言って鼻をつまむのは、別働隊としてトラップ部隊を率いていたラビィンだ。指示通り、恙なく済ませたらしい。

 

「吸うなよ。あのバカがまき散らしたのと比べりゃマシだが、虫樹の樹液の焼けた煙だ。毒だぞ」

「死ぬっすか?ジョン達も死ぬんすかね?」

「そこまでじゃねえよ。大地の加護持ちに毒は効かん……が、()()()()()()()

 

 連中が呼吸をしているのは戦闘中に確認している。

 大地の加護は毒は無効化出来るのだろう。熱に身体や肺を焼かれることもないのだろう。だが、空気まで燃えれば、呼吸はできまい。大地の加護は、そこに存在しないモノを生み出すなんていう能力ではない筈だ。

 炎は燃えさかり、身じろぎも出来ず、術の詠唱を口にするため、空気を吸い込むこともままならない。

 天陽騎士達の死因は窒息死だ。

 

「わーえっぐ」

「楽にしてやろうとしても出来ないんだから仕方ねえ――っと」

 

 ジャインが手斧を振るう。瞬間、眼前に迫っていた“矢”がはじけ飛んだ。覚えのある一撃、ジョンの一射だ。だが狙いは随分と荒い。

 そして、炎の中から、丸焼けた人影が姿を見せた。

 

「ジャ、イン!!ごろ、ころしてやる!!」

「ぶっさいくなザマだな、ジョン」

 

 ジョンの有様は酷い事になっていた。纏った皮鎧や自慢の大弓は焦げつき、体中が煤まみれで反吐まみれだ。大地の加護で、守り切れない全ての部分が損なっている。無残な状況だった。

 

「なんで邪魔をしやガる!名無しの俺達が真っ当に努力して安住の地なんて得られるわけねええエえだろうが!!」

「うっせーな本当に」

 

 ジャインは深々と溜息をついた。ただただ、彼は呆れていた。彼は同郷であり、長らくを共にした戦友であるが、しかし限度というものはある。

 

「誰に言い訳してんだか知らねえが、俺は別に、テメエが俺達のやり方を小馬鹿にしようが、道を外して外道働きに走ろうが、知ったこっちゃねえ」

 

 俺達だって、地道にコツコツなんて仕事してないしな。と肩を竦める。その上で「だがな」と、ジャインは実に冷め切った目で元同僚を睨み、告げる。

 

「外道に墜ちた挙げ句、負ける間抜けにかける言葉なんてねえよ」

「ジャイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!」

 

 その言葉がきっかけとなり、ジョンは大弓を引き絞った。火に焼かれて尚、その機能を損なわれていない大弓は真っ直ぐにジャインに狙いを定め、そして放たれる。

 

「じゃあな、ジョン」

 

 それよりもずっと早く、ラビィンが速やかに彼の胸元まで飛び出していった。怒りと憎しみで正気を失い、無防備に晒されていた喉元に、彼女が両手に握ったナイフが突き立てた。

 

「っご……」

 

 大地の加護、エイスーラによって守られていた筈のその肉体を、ラビィンのナイフは真っ直ぐに、なんの抵抗もないかのように穿ち、切り裂いたのだった。

 

「…な……んで……」

「さー?バカだからわかんないっすよ。私は」

 

 血濡れたナイフを振り払う。ジョンの鮮血が飛び散る。ナイフの刀身に彼の血とは別の、赤黒い液体がこびりついていたのを、ジョンは既に目で見ることは叶わなかった。

 代わりに、フラフラと手が虚空を彷徨い、ラビィンに伸ばされた。

 

「…………ラ」

「昔は、弱虫のジャインにいを助けてくれててカッコ良かったよ、ジョンにーちゃん」

 

 かつて同郷として、家族のように苦楽を共にした仲間に告げる最後の言葉にしては、やけに軽く、それ故に彼女らしかった。死の間際まで激情に支配されていたジョンは、その最期の間際、少しだけ表情を柔らかにして、そのまま死んだ。

 

「あーつっかれたー。ジャインさーんねぎらってー」

「効果あったな。ナイフ」

「わー無視ひっでー」

「ウル達に通話魔術で結果教えておけ。それと、他の天陽騎士どもは死んだか?」

「生命反応はあと二人……いや、消えました。くたばったみたいっす」

「良し」

 

 ジャイン達と同じく、炎上した森林地帯から脱出した部下達に矢継ぎ早に指示を出す。攻撃無効の天陽騎士達の猛追を受け、流石に疲弊した様子ではあったが、幸いにして行動不能の怪我を負った者はいなかった。

 

「この後は?」

「万一の時の逃げる準備しとけ。コッチの仕事は果たした」

「サービスちょーっと過剰でしたけどねえ」

「黙れクズ」

 

 指示を終え、部下達は速やかに動き出した。その場に残されたのはジャインとラビィン、そして死体となったジョンだけだ。

 ジャインは、ジョンの死体の方へと近づくと、長く深い溜息を吐き出した。そして、

 

「あーーーーーーーーーああああ!!!早く辞めてえ冒険者ァ!!」

 

 地面に倒れ込み、あらん限りの声で叫んだ。隣で、それを聞いていたラビィンは、そのあらん限りの咆吼にやられないようにしばし耳を塞ぎ、

 

「ちょーうっせー。そんなショックだったの。ジャインにい」

 

 そう問われ、ジャインは彼女へと顔を向ける。何時もの冷静沈着な銀級冒険者の表情は無い。疲労でぐったりとした顔がそこにはあった。

 

「あったりめえだろ!なんだって同郷の幼馴染みを殺さなきゃなんないんだ!?」

「ジョンにいちゃん達が私らに隠れて犯罪に手を染め始めたからだよ」

「そうだった!!なーんで血迷っちゃうかね!本当にこのバカは!!」

 

 ジャインは物言わない死体となったジョンに悲鳴のような罵声をぶつけ、その後、もう一度溜息を吐き出した。淡々と、恐ろしく冷静にジョンを誘導し、追い詰め、そして殺しきった彼であるが、別に、情が無いわけでも無ければ、心乱していないわけでも無かった。

 

「……やっぱり、金も、帰る場所も無いって惨めだ。金があれば、ジョンも血迷わなかった筈だ!」

「そりゃどーかなあ。銀級になっても、道を外れるんならどう頑張ってもこうなってた気もするけど、私は」

 

 安心安全な居場所を得る。

 そのためのジャイン達の働きっぷりは、決して生やさしいものではなかった。ジャインが、都市に住まい、そして冒険者を辞めた後の長期的な生活を見据えていたからだ。それには実績と、都市からの信頼、そして膨大な金が要る。当然、離反者が出ないわけが無い。ジョンと、彼に付いていった元ギルドメンバー達がただ離反するだけなら、方向性の違いというだけの話だ。

 しかし彼らは“易く誤った道に逃げた”。犯罪に手を染め、名無しの同胞を邪教に売り払った。しかも、ジャインが中心となり築いた看板を浅ましくも利用し、挙げ句それを奪い取ろうとして、ジャイン達を消そうとした。

 

 コレはもう、金がどうこうという話ではない。

 

 名無しだろうとなんだろうと、“それ”を越えた瞬間、あらゆるモノから排除されてしまう一線というものはあるのだ。ジャインの育ての親たちと同じように、彼らはそれを全く理解できていなかった。あるいは知ってて見て見ぬフリをした。自分だけは大丈夫、などと言って。

 ラビィンだって、その分別は付く。彼らは付かなかった。つまりバカだ。

 

「そんなバカが自滅して消えたってーだけの話だよ。ちょうど良かったじゃん。ギルドやってくのに危ない奴ら、みーんなクビに出来てさ」

「おめーのポジティブさを見習いてえよ本当に」

 

 慰めてもなおがっくりと、自身の巨体をしぼませてジャインは明らかに疲れていた。勿論、天陽騎士達との激闘、更に苦戦を偽造し、誘導し、罠に嵌めるという曲芸をした直後だ。疲れてもいるだろう。

 だが、それ以上に彼が消耗した理由はラビィンには分かっていた。故に、

 

「いつか私らが死んで、ジョンにいちゃんと同じよーに土と風に還ったときに、からかってやろう。私らを見限ってほんっとーにバカだったねって」

「…………あー、そうだな」

 

 その、彼女の言葉に込められた労りを察せぬジャインではなかった。

 ジャインは立ち上がり、両頬を叩く。顔を上げたときには、いつもの、銀級の冒険者の顔がそこにはあった。

 

「まあ……後は祈るだけだ。あのガキどもが、このまま上手く事を運ぶことをな」

「行くと思う?」

「トラブらなかったら奇跡だっつの。いつでも逃げ出せるようにしておくぞ……だがまあ」

 

 ジャインが視線を向ける先は、巨大なる使い魔となり、身じろぎせずにいるウーガの向かい側、現在エイスーラと対面しているであろう、ウル達の方角だ。

 

「俺達にパシらせたんだ。勝てよクソガキ」

 

 




本日、話の区切りをよくするため3回投下いたします。
ご了承いただきますようよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪意と殺意

 

 竜吞都市ウーガの簒奪は成った。

 

「…………やった――」

 

 エシェルはフラフラと、自分の手に刻まれた制御術式を掲げた。自分を悩まし、苦しませ、振り回し続けた全ての元凶。それを、にっくき弟から奪い取った達成感と、今なお尽きない怒りを吐き出すように、手を血塗れにしながら此方を睨み付けるエイスーラに、エシェルは笑った。

 

「ざまあ、みろ、エイスーラ――――」

 

 それだけ言って、精も根も尽きたのだろう。ぱたんと地面に倒れ伏して、そのまま死んだように身じろぎもしなくなった。彼女の背後に顕現した【ミラルフィーネ】もまた、砂で出来た石像であったかのように、その姿を散らしていく。

 

「エシェル様!!」

 

 カルカラが悲痛な声を上げて彼女を抱きかかえる。ウル達もまた、彼女の介抱に向かいたかった、が、それはできなかった。

 都市奪還作戦は完了はしていない。

 

「…………!!」

 

 ウル達の視線の先には、手の平に穴を空けて血を流し、鬼気迫る形相でエシェルを睨み付けるエイスーラがいる。身体に穴が空いているのだ。悶えるほどの痛みだろうに、その痛みすらも彼の怒りを塗り替えることは出来ないようだった。

 襲いかかってくるだろうか。と、ウル達は身構えていた。だが、彼はふっとその怒りを表情から消した。懐に手を取りだし、回復瓶を手の平にふりかける。途端、清らかな魔光が彼の手の平を包みこんだ。

 

「神薬(エリクサー)だ。さすがシンラ」

 

 ディズが解説する間に、エイスーラの傷は完全に塞がった。しかしそこから制御印が失われていた。彼は、手の平を何度も握りしめ、怪我の具合を確認すると、そのままディズを睨み付けた。

 

「よくもやってくれたな【勇者】、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は?」

 

 言っている言葉の意味を飲み込めなかったのか、カルカラは問い返した。ディズは違ったのだろう。呆れたように、侮蔑するように首を振った。

 

「そういうシナリオにするつもりか」

「我々は最初から、竜の呪いを解呪するための浄化部隊。だが、まさか、七天の末席がそれに関わるとは、天賢王の眼も腐ったものだ」

「名無し達の異形化も私の所為?」

「無論だ。我々グラドルの民を、人体実験の材料にするとは、許しがたい」

 

 演劇のような手振りで、彼は堂々と自分の罪の全てを勇者になすりつけていた。あまりにいけしゃあしゃあとした態度に、ウルは思わず感心した。非道極まる自らの行いをなんら恥じることも無くお前の所為だと謳っている。

 狂気である。ウルは思わず聞き入った。

 

「巫山戯るな!!そんなモノ、通るわけが無いだろエイスーラ!!」

 

 その狂気にカルカラは耐えきれなかったのか、気を失ったエシェルを抱きしめながら叫んだ。耐えがたい嫌悪を吐き出すように、彼女はエイスーラを糾弾した。

 

「今回の件は全て騎士団の審議部門に報告する!シンラといえど許されるなどと思うな!」

「許されぬのは貴様だ。裏切りの巫女め。邪教と繋がるなどなんと恐ろしい」

「なっ…!」

 

 その反論により、カルカラは再び絶句した。

 言い返せなかったのではない。あまりに言い返したいことが多すぎたのだ。証拠に彼女の口はパクパクと、陸に上がった魚のようになっていた。だが、首を振って、再び叫ぶ。

 

「どれだけの証拠が残っていると思っている!!貴様の悪行は星の数でも足りないぞ!!都市騎士団に全て報告する!」

「証拠?言ってみろ。何処に残っている?私が邪教と繋がり、都市を使い魔化し、大罪都市プラウディアに戦争をしかけようとした証拠が何処に?都市を守る騎士達も、さぞ失笑することだろうとも」

 

 カルカラは即座に言い返そうとした。が、そのまま言葉が止まる。彼女が睨むエイスーラの自信に気づく。

 この男は、本件が自分と繋がる証拠の一切を残していない。残っていたとして、知っている者がいるとして、それらは全て灰燼にしている。あるいはこれから、そうするつもりなのだ。

 

「逆に、邪教と、貴様の繋がりの証拠は全て押さえてある。覚悟すると良い」

「お前が強いたのだろうが!!!!」

「妄言も甚だしい」

 

 ウルは此処に来てようやく、今自分が向き合っている相手の正体を垣間見た気がした。

 相手はシンラだ。国のトップ、王様だ。

 彼が白と言えば黒も白になる。法に裁かれる側ではなく、法を作る側なのだ。

 

「お前がそれを通そうとも!天賢王がそれを許すはずが無い!!」

 

 唯一、それを正すことが出来るとしたら、それは全ての神殿の盟主たる天賢王のみだろう。しかし、エイスーラは笑った。強く、嘲笑った。

 

「たかだか衛星都市一つと名無しども数百人を潰した程度の些事で?」

「人身売買に人体実験、邪教との繋がり、天賢王への背徳に、神殿内で行われた不正の数々、数えれば両手ではとても足りない量の罪状を些事とは言ってくれるね」

 

 ディズが視線を地面に転がる巨大な肉塊を見つめる。人体の様々な部品が肉の塊から突き出る。子供のように小さな手足、老人の細腕、中には赤子の手まで。真っ当ならば直視するだけでも胸糞悪くなるような、悪行の数々。

 だが、それに対して、エイスーラはなんら感慨を見せなかった。彼の目にも巨大な肉塊は映っているだろうに、罪悪感など欠片も無い。己が起こしたものと、認識してるかすらも怪しかった。

 

「だが、些事、と、そう思っているのは私だけではない。()()()()()()()()()?」

「……ま、そうだね」

 

 ディズは肩を竦める。カルカラは驚くように、咎めるように彼女をみるが、ディズの反応は冷淡だった。

 

「現行の、唯一神(ゼウラディア)への信仰システムが崩れない限り、彼は手を出さない。枠組みを越えるイレギュラーの存在は許さないが、枠組みの中での荒事には動かない――――彼は悪徳を楽しむような悪趣味なヒトじゃないけど、単純に暇じゃない」

「奴にとって、虫籠の中の虫同士が殺し合ったようなものだ。動く道理などない」

 

 エイスーラの言葉の端々には嫌悪と、確信があった。国の王として、天賢王と向き合った経験から生まれたものであるのは間違いなかった。彼は、その場しのぎのための嘘やハッタリを口にしているのではない。ディズの反応からもそれが分かる。勿論、ウル達にとってソレは全く、望ましくないことだった。

 

「迷宮の氾濫から数百年。国境は離れ、【移動要塞】の行き来、名無しどもの放浪の他、国同士の繋がりは極端に薄まった。どれほどの干渉が出来るものか」

「そのための七天だと理解している?」

「なんなら、今から私を捕縛するか?当然、グラドルは全力でプラウディアに抗議する。あらゆる手段でもって“あらゆる全てを巻き込んで”貴様らを糾弾する。どれほどの混乱になるか、見物だな?」

 

 ソレは明確な脅迫だった。だが、ハッタリではないのだろう。エイスーラの浮かべる笑みには、狂気が宿っていた。形振りなど構わないと、言外に語っていた。

 

「そして勇者、それに与した者ども。我が愚かなる姉」

 

 再び、彼はウル達を指さす。やはり演劇でもするかのような仰々しい仕草。だが、その表情に宿るのは、白々しい笑みではない。

 

「後悔しろ」

 

 そこにあったのは、鬼気迫るまでに燃えたぎった、悪意だ。

 

「混じり物が、塵芥が、存在すら許されぬ罪人が、この私の邪魔をする?なんだそれは?そんなこと、許されて良いはずがないだろう」

 

 僅かに震えた声音だった。笑おうとしたのかもしれない。だが顔は歪に引きつって、頬に寄ったしわがヒクヒクと痙攣した。

 

「必ず殺してやる!!だがただでは殺さぬ!!今日、この日に行なった罪がどれほどのものかを後悔するほどのあらゆる苦痛を与え苦しめるッ!!!魂の一欠片も太陽神に寄越さず、汚らわしい悪竜に喰わせてやる!!!必ずだ!!!!!」

 

 エイスーラの怒りが、憎悪があふれ出した。口角から泡を吹きながら、引きつったような声を上げて喚き散らす。吹き上がる怒りを制御出来無いのか腕や足が別の生き物のように振り回される。

 子供の駄々だ。その駄々で、叩き潰される者がいなければ、滑稽と笑えもしただろう。ウル達は当然、笑うことなど出来なかった。

 

「私がそれをさせると?」

「貴様がいかに強かろうと、端先まで全てを守り抜くことが叶うのか?その細い腕と、小さな手の平で!!世界中の秩序を守る責務を負いながらなあ!!!」

 

 エイスーラの瞳が爛々と輝く。相手を痛めつけ、苦しめる悦びに満ちていた。

 

「私は出来るぞ。私の手は大陸中に届いている!どんな国の、どんな場所でも私の兵はいる。明日、貴様らが泊まるかもしれない宿屋にまでな!!」

 

 大罪都市神殿の王(シンラ)としての立場、力を彼は十全に利用していた。この日の、巨星級の使い魔誕生のため、あらゆる根回しを行っていた。その全てを勇者(ディズ)達に向けると彼は宣言した。

 

「安心して眠れる日はもう訪れないと知れ!絶え間なく続く苦悩の果て、衰弱し続けろ!仲間割れし、信頼を失い、力を損ない、弱り切った果てに最大の苦痛を与えてやる!!!ハ!!ハハハハ!!!!!ハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 狂笑が平原に響く。 

 彼以外の全員が押し黙った。ある者は呆れ、ある者は絶句し、ある者は怒り、しかし誰もが気圧されもしていた。自らのためだけに全てを省みず、他人をここまで憎悪できる怪物に慄いていた。

 

「……暴食の都市か、よくもまあこんなものを育んだものだね」

 

 その憎悪を真正面から受けたディズは、しかしたじろぐ事はしなかった。その瞳はエイスーラをずっと見つめる。恐るべき脅威と戦うときと同じように、目の前の怪物とどう戦うか、検討しているようだった。

 

「ディズ、アカネ」

 

 その彼女と、妹に、ウルは声をかけた。

 

「ウル?どうしたの」

《にーたん?》

 

 ディズは視線を一切エイスーラから逸らさずに応じる。彼女に握られるアカネもまた、剣の形は解かない。未だ臨戦態勢を解かぬ彼女達に対して、ウルはそのままの状態で言葉を続けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――なんだって?」

 

 その、ウルの言葉には、流石にディズも集中を解き振り返った。ウルの表情は普段と変わらない。平静を保ち、自分の背後を顎でしゃくる。

 

「エシェルの容態も心配だし、置いてきた従者達も気になる。此処も、いつどこで魔物に襲われるかも分からない都市の外。一刻も早く戻る必要がある」

 

 カルカラに看病されたエシェルも顔色が真っ青だ。ロックンロール号の中ではリーネも疲労でぶっ倒れている。ウーガから距離を置いた場所に置いてきた従者達も、いつまで大人しくしてくれるかわからない。混乱して、外に出てしまったら魔物の餌食だ。

 満身創痍と言う他なかった。無事な者の方が少ない。

 

「疲労が溜まった俺達じゃ、全員をまとめて避難させるなんて出来ない。だからお前とアカネに頼みたい。従者達の位置はロックが教える。殿は俺とシズクでやる」

「ええ、お任せ下さい。ディズ様」

 

 ウルとシズクの言葉に理はあった。

 少なくとも此処で、エイスーラの狂乱を眺めるよりもよっぽど重要で、必要な指示。その筈だ。だが、ディズの表情はまるで晴れない。先ほどエイスーラに向けたものより更に鋭い視線をウルへと向ける。

 訝しんだアカネが、剣の形を解いてウルに心配そうに駆け寄るほどに、緊張感があった。

 

《にーたん?》

「アカネはディズを助けてくれ」

《わたしもこっちいよっか?》

「ダメだ」

 

 アカネの言葉に対し、ウルは断言した。ハッキリとした命令だった。アカネは少し驚き、少し悲しそうにして、少し怒った顔になった。ディズは妹を明確に拒絶するウルを見て、更に視線を鋭くする。

 しかし、それ以上彼女は何も言わなかった。代わりに、労るように、ウルの頬に触れた。

 

「ウル」

「なんだディズ」

「気をつけてね」

 

 それだけ言って、彼女はアカネと共にロックンロール号へと向いた。細かな詠唱を繰り返す。同時にアカネはその身体を細く、広く伸ばすと巨大な風呂敷のようになって、カルカラやエシェル、そしてずっと地面に沈んでいた“巨大な肉の塊のような生き物”を包み込んだ。それにディズは幾度か詠唱を唱えると、まるで中身が空気であるかのように軽く持ち上げ、そのまま、ロックに飛び乗った。

 

『勇者よ!ちゃんとしがみつけ!振り落とされるな!』

「了解。従者のところまで頼むよ。そのままウーガに乗り込む」

「ロック様。皆様が落ちてしまわれないよう、守ってあげてください」

『了解じゃ主よ。そっちも気をつけてな?カカ!』

《いくよー!!!》

 

 アカネが声を張ると共に、ロックが走り出す。ウルとシズクを置いて一目散に、駆けていった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

《いくよー!》

 

 奇妙な使い魔の声と共に、エイスーラの目の前から勇者が離脱した。

 

「ふん……」

 

 エイスーラは、その結果に苛立ちと、僅かな安堵を抱いた。

 己の計画を徹底的に妨害した首謀者とおぼしき勇者。

 そして浅ましくも自分から王座の証とも言える制御術式を奪った愚姉。

 彼女達への怒りは間違いなく今も彼の心を煮えたぎらせていた。だが、勇者が大地の精霊に愛される自分であっても脅威であるのは事実だった。不愉快極まるが、認めざるを得ない。

 己に刃向かった害虫が、なんら手傷を負うことも無く目の前から逃亡した事への怒り、だが、結果として捕縛される事無く勇者を追い散らすことが出来た事への安堵。今の彼の頭を占めていた感情はこの二つだ。

 

 当然、目の前でぽつんと二人残された名無し達など、心底眼中にはなかった。

 

「急ぎ、計画を改めなければな……」

 

 失敗時の計画も、勿論組み立ててはいる。どう足掻こうと、グラドルが、自分の地位が揺らぐことはないようにしてきた。最大の目的が失敗した以上は口を塞がなければならない者の数は増えるが、全ては想定の範囲内だ。

 彼は今後の予定を組むべく、大罪都市グラドルへと帰還するため【転移の巻物】を起動させようとした。

 

「ああ、すまない。ちょっと待ってはくれないか」

「…………は?」

 

 その矢先、まさか目端にもとらえていなかった名無しが声をかけてきた事に、彼は驚愕した。道端で蠢く虫が、いきなり話しかけてきたら、誰とて驚きもするだろう。

 

「なんだ、貴様」

「いや、少しあんたに用があって」

 

 エイスーラはウルの言葉を聞くや否や右腕を軽く振るった。次の瞬間、大地が隆起し、槍のようになって飛び出す。名無しの男は後方に飛ぶが、僅かに遅れれば彼の脳天は無残に弾けていただろう。

 

「何を勘違いしているのだ貴様。用?名無しが?この私に?声をかけることすらおこがましい愚物が何様のつもりだ」

 

 エイスーラの怒りは、彼の価値観からすれば、あるいは、都市国家内での力関係を思えば当然であった。彼は大罪都市の王(シンラ)であり、大陸でも有数の権力者だ。

 都市に暮らす都市民ですらも、彼相手には声をかけることは愚か、顔を見合わせることすら躊躇う。万が一にでも無礼を働けば良くて都市追放。悪ければ死刑だ。

 彼と、彼以外では天と地ほど、権力に差がある。まして都市に暮らす事すら許されない名無し如きが、なれなれしく「用がある」などと、その場で首が物理的になくなって当然の無礼だ。

 

「そんなに死にたいなら殺してやろう」

「死にたくはないが、話は聞いてほしいな」

「貴様」

()()()()()()()()()()()()

 

 名無しが、しれっとそう口にした瞬間、怒りに燃えさかるエイスーラの魂に、新たな燃料が注がれた。片手を鋭く突き出す。次の瞬間大地が再び隆起し、巨大な大槌となり名無しへと叩きつけられた。今度は逃げることは叶わなかったのか、前に構えていた盾ごと吹っ飛ばし、地面に無様に転がった。

 

「ぐっ……」

「貴様が、あの愚姉を唆したと?貴様がこのくだらない状況の元凶だと」

「があ!」

「名無し如きが!この私の!邪魔をしたと!!!」

「………!!」

 

 エイスーラが手を振るうたび、大地が隆起する。一切の詠唱も起こる事無く、大地が弾け、そのたびに名無しは地面に転がっていく。実に取るに足らない、無様な有様だった。そんな塵が、自分の邪魔をしたという事実が更に腹立った。

 

「で?その、大罪人がなにを私に用だと?言ってみろ。え?」

 

 憎悪は溢れかえり、留まらない。だが結果、名無しはエイスーラにとって路傍の塵芥ではなく、目の前で蠢く鬱陶しい害虫に変化した。何を喚くつもりなのか、聞くだけの意味は生まれたのだ。

 早くもボロボロになった名無しは、しかし立ち上がった。怪我の具合を確かめるようにした後、まるで友人と世間話でもするかのようなゆったりとした口調で、語り出した。

 

「……冒険者を始めて、知った。この生業は、同じ名無しを相手にする事が結構ある。都市外で盗賊紛いを行なったり、迷宮で強盗するような犯罪者達だ」

 

 冒険者として、誰かからの依頼を受け、犯罪者達を討つ事は珍しくもない。あるいは依頼が無くとも、自衛のため、彼らと殺し合いになることもこれまた珍しくない。そんな当たり前のことを、何故か名無しは語り始めた。

 

「そいつらはまあ、碌なもんじゃない。何人もヒトを殺してるようなクズどもだ。どんな聖者が説き伏せても、反省も後悔もしないろくでなし。捕らえるか、出来ないなら殺すしか選択肢はない……って言って、大体は後者になるんだがな」

 

 犯罪者を生かし、捕らえる。それだけでもコストはかかる。都市の土地も食料も限られる。【祈り】という対価も払うことが出来ない名無しの、それも犯罪者を、わざわざ生かして捕らえるメリットなど、都市にはない。

 だから、依頼される場合の多くは、犯罪者達の“物理的な排除”となる。それを残酷とは誰も思わない。道を外れ、罪を犯し、排斥されたのは当人の責任だ。

 

「ただ、思うことはある。名無しの犯罪者達が道を外れた原因の多くは、“生きていくため”だ。親にやらされて、綱渡りの生活に疲れて、何かに巻き込まれて、結果、“正しく生きたくても生きられなかった”奴らは多い」

 

 生まれ持った素養はあれど、ヒトの大部分を創るのは環境だ。劣悪な環境で、社会的な秩序を身につけることは困難だ。名無しに罪人が多くなるのは必然と言える。

 安全な場所で、自分の家で眠ることすらままならないのが殆どなのだから。

 

「だから、そういう奴らを殺すとき、胸が痛む。正しく生きるための機会も教育も与えられず、藻掻くだけ藻掻いて、沈んでいった名無し達を殺すのは」

「――で?それがなんだというのだ?」

 

 そこまで聞いて、ようやく、エイスーラの我慢にも限界が来た。

 

「名無しの犯罪者?塵の中でも最もくだらない屑の話を何故、私が聞かねばならない。なんだこの無駄な時間は」

「それは――」

「ウル様」

 

 と、そこに、もう一人の名無し、憎たらしくも、先ほどエイスーラに囁き、敗北へと誘導した女が、名無しの男へと声をかける。彼女は少し悲しげに微笑みを浮かべながら、言った。

 

「準備が出来ました」

「了解。これ以上は厳しそうだな……んで、なんでこんな話をしたかというとだな」

 

 名無しは魔銀(ミスリル)の鎧の動きを確認し、兜の位置を正す。背負っていた長く大きな竜牙槍を右手に構える。

 

「あんたはシンラで、大罪都市の王だ。いずれその血族の長になる、最も恵まれた環境にいる男だろう」

 

 名無しがゆっくりと近づいてくる。何を言っているのか、エイスーラは殆ど聞き流していた。だが、名無しの男から意識を逸らしていたわけではなかった。

 

「勿論、そっちはそっちで苦悩もあろうが、少なくとも、その日食べるものに困って雑草を口にして腹を壊して糞まみれで死んだり、家族や仲間に騙されて捨てられて乞食になって死んだり、ナイフもどきを片手に握って迷宮に潜って死ぬ事も無いわけだ」

 

 意識をそらせる筈も無かった。

 首に纏わり付くような悪寒が、目の前の男から目を逸らすことを拒んでいた。

 仮面のように変わらぬ無表情。射貫くような鋭い眼光。獣のように前傾に傾く姿勢。一つ一つの男の挙動が、明確な意思を伝えてくる。

 

 地獄の釜で煮詰めたような、触れただけで焼き焦げるような、殺意。

 

「恵まれてたのに道を踏み外したあんたを殺すのに、躊躇う理由は少ないって話だ」

「【影よ我と共に唄い奏でよ・黒鎖結界】」 

 

 平原に突如、エイスーラを囲うようにした真っ黒な魔術の壁が高く高く立ち上る。強く、強大で、大がかりな魔術。それも護るための結界の類いではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを仕掛け、尚も唄うように詠唱を続ける女と共に男は言った。

 

「死んでくれ。王サマ」

 

 使い手の意志を映すように、黒紫の竜牙槍が、鈍く光った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰色の獣

 

 五年前

 大罪都市グラドルは壊滅の危機に見舞われようとしていた。

 

『――AAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 この世界においてはある意味最も定番の脅威、魔物の襲来である。

 襲来した魔物は【一目鬼】。

 本来、迷宮の深層に出没する六級の魔物だ。しかし、現在、グラドルに襲撃をしかけたその魔物は、その階級の強度ではなかった。

 どう違うかと言えば、規模が違った。通常、一目鬼はその全長が2-3メートル、大型のものでも10メートルほどだ。無論、それでも脅威である。その巨体と重量を持ちながら、不合理なまでに自在に手足をヒトのように動かし、大樹を引き抜いて鈍器のように振り回す。

 

 そんなバケモノが、50メートルの超個体で姿を現したのだ。

 都市の中から、防壁を超えて見えるその巨人は異常の一言だろう。それが――

 

『AAAA『GUUUUUUUUA『KKKKKK『『AAA!!!!!』』』』』

 

 “混ざって”出た。

 ベースは一目鬼なのだろう。ヒトの形をしている。だが、それ以外が大きく異なる。右腕があるところに、刀鱗大蛇がのたうっている。胴体は獅子の顔が、胴から下は6足が馬人のように地面を踏みしめる。だが、その下半身は例えるなら甲虫のそれだった。

 

 果たして、一目鬼と評していいものかすら妖しい合体獣(キマイラ)だった。

 

 あまりにも歪な合成体、不出来な子供の粘土細工のような、滑稽にすら思える姿だった。とはいえ、そのひしゃげたバケモノが、大地を震わせ都市を揺らし脅かすものだから、グラドルの民はとてもそれを笑うことは出来なかったが。

 

 太陽神の結界という最大の防壁を以って尚、グラドルは恐怖した。

 

 騎士団による討伐は既に失敗した。その巨体からグラドルへの接近は早い内に察知出来ていたのだ。にもかかわらず、間際までの接近を許してしまったのは、単純にどうすることもできなかったからだ。

 

 物理的な攻撃も、魔術による破壊も通さない岩のような分厚い皮膚。

 圧倒的な巨体から振り下ろされる、理不尽な暴力。

 腕の蛇が騎士達を一呑みし、獅子の頭は火を噴き、6本の足が騎士達を無残に引き裂く。

 

 魔物の出現自体が少ないグラドルの地域性も相まって、弱体化していた騎士団では対処のしようが無かった。太陽の結界により巨人の侵入は阻まれるものの、物理防壁の上から顔を除き、朝も夜も絶えず防壁を破壊せんと攻撃を続ける悍ましい姿に、都市の中は恐慌状態に陥っていた。

 

 都市民達は都市民として与えられた仕事を放棄し、神殿へと駆け込み、祈ることも忘れて震えるばかり。眠ることすらままならない。

 神官達や従者達もまた、似たようなものだった。精霊の力での抵抗も、微々たる結果しか生まなかった。精霊は万能であっても、操る神官は万能ではなかったのだ。

 

 グラドルから逃げ出すか。

 あるいは、辛酸をなめる思いで、大罪都市プラウディアへの助力を乞うか。

 

 そんな話が囁かれるようになった、その時だった。奇跡が起きたのは。

 

 ――誅せよ、大地の精霊よ 

 

 少年のその一声で、大地から、巨人をも見下ろさんばかりの大地の化身が姿を現したのだ。山脈のような巨大な岩の塊が、ヒトの形を成す。唯一神(ゼウラディア)が降臨したと勘違いする者が出るほどだった。

 

 ―――薙げ

 

 大地の化身がその腕を一振りした。振り下ろされた時、発生した余波の風だけで、グラドルの防壁は一部吹っ飛んだ。そしてその一撃が直撃した一目鬼の形をした合体獣は紙切れのようにその身体が弾け、大地へと還っていった。

 グラドルの誰もが対処できなかった巨人を一瞬で振り払う。まさに奇跡だった。

 

 その奇跡を起こしたものが、次代の神官長となる少年であったとなれば、恐怖と絶望が熱狂へと変わるのも当然の事だった。

 

 ――我らが王エイスーラ、大地の精霊の化身にしてグラドルの守護者よ!!!

 

 彼の功績は国中を巡り、グラドル中の民が彼を支持し讃えた。彼は若くして伝説となり、物語となって歌となった。結果、彼は実の父を神官長から実質引きずり下ろし、役立たずだった騎士団を掌握し、神殿直属の天陽騎士団を私兵と化し、その全てを認めさせた。

 

 この一件が、エイスーラの手引きによって起こされたのではないかという意見を口にした者は全て消された。

 

 かくして、まぎれもないグラドルの王となった彼は、己の欲望のままに邁進する。あらゆる贅を喰らい、おおよその者が味わえない快楽を味わい、尚も彼は満足などしなかった。 

 

 足りない!まだ足りない!!次を!!次を!!!!!!

 

 大罪都市プラウディア、大連盟の盟主を疎み、その頂点の簒奪を彼が計画するのは必然だった。果てのない餓えは、彼の腹の奥底でくすぶり続けていた。

 

 そして、そんな風に、ずっと上を見続ける彼だからこそ、気づくことは無かった。

 

 餓えて飢えて、上へ上へと手を伸ばし、踏み台にした足下で、どんな石ころが転がっているかなどと。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして、現在。

 

「殺す?私を?愚かしさも大概にしろ塵屑が!!」

 

 灰色の髪色、名無しの少年の宣告を、エイスーラは驚き、そして即座に嘲笑した。

 殺す?自分を?今さっき、ボールのように自分に地面を這いずり回されたただの名無しが?勇者もいないこの場で?

 小賢しくも時間を稼ぎ、結界を用意したらしいが、その程度で自分が打ち破れると思っているのなら冗談としても出来が悪い。

 

「もういい、さっさと引導を渡してやろう――」

 

 死ねと、そう宣言し、大地の精霊の力を振るおうとした。

 だが、それよりも早く、名無しの男は何かを此方へと放った。エイスーラが反応できない程の速度で、彼の頭部に直撃するように。

 

「っが?!」

 

 それは薬瓶だった。硝子が砕け、赤黒い液体がエイスーラの官衣を汚す。常に大地の加護を受けている彼に怪我も痛みもない。だが、自分の衣類が汚されただけで、彼の怒りは沸点に到達した。

 

「そんなに死にたければ死ね!!!!ウリガンディン!!!」

 

 激昂と共に、両手を広げ、大地の精霊の名を叫んだ。

 大地を隆起させ、平原に土砂崩れを巻き起こす。大量の土と岩でまとめて圧殺する。彼の何時もの手口だった。多量の魔物の群れであっても、一振りで殲滅出来る必殺の一撃――――の、筈だった。

 

「…………あ?」

 

 だが、何も、起こらない。

 エイスーラは生まれて初めて、奇妙な手応えの無さを感じていた。物心ついたときから、彼には大地の精霊が側にいた。手足のように自由に思うままに与えられた加護を操る事が出来ていた。

 大地の精霊の寵愛者。

 鍛錬も祈りも無く、持って生まれたギフテッド。呪いの鏡に愛されたエシェルとは対極だった。彼にとって、その力は奇跡でなく当たり前だった。

 その力が、今、彼の中から消えていた。唐突な欠落に、彼は呆然となった。

 

「格好いいポーズだな。王サマ」

 

 気がつくと至近に、名無しが近づいていた。深く踏みこみ、竜牙槍を一気に突き出す。反射的にエイスーラは手を前に翳す。防御態勢はそれのみだ。常に大地の精霊の無敵の加護に守られ、更に今は不動の加護まで重ねている。ただの力押しの暴力など通るはずも無い。

 だが、直前に悪寒が走った。

 

「――――っ!?」

 

 それは今際の際に発露した、防衛本能だった。殆ど転げるようにして後ろに下がる。真っ直ぐに、エイスーラの喉をねらっていた竜牙槍は、僅かに逸れて彼の肩に突き刺さった。

 突き刺さった。無敵の加護を貫通し、彼の肉体に、その穂先が食い込んだ。

 

「ぎ、がああああああああ!?!!」

 

 肩から、燃えるような熱を感じる。普段の生活において「怪我をする」機会など殆どない彼にとって、「痛み」という刺激はあまりにも強烈だった。竜牙槍が、その先端を僅かに貫いただけであっても、地面に転がり悶える程に。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、か。なるほど」

 

 名無しは肉を貫ききる前に押し返された竜牙槍を眺め、納得したように言った。そしてそのまま、エイスーラの事を無視するように、右手に巻かれた黒い包帯を外していく。

 

「き、き、貴様!貴様!!何をした!?」

「それならコッチはどうかね」

 

 エイスーラの言葉を無視して、彼は右腕を振り上げる。黒い包帯の下から姿を現した名無しの右腕。只人のソレとはかけ離れた、赤黒い色、爬虫類のような皮膚と鱗、長く伸びた爪をした、悍ましい右腕を。

 

「よっと」

「っごあ!!!?」

 

 拳がエイスーラの顔面に直撃した。血が噴き出す。鼻柱がへし折れる。魔力によって強化された冒険者の一打と考えると、顔がひしゃげないだけマシではあるが、それでも「顔を殴られる」など経験したこともなかったエイスーラに与えられた衝撃は凄まじいものだった。

 

「こっちも無効化、ではないか。少しは貫通出来るだけでもマシか、なっと」

「ごえ!!ぎゃ!?!」

 

 殴打が繰り返される。首根っこを引っ掴み、執拗に顔面に叩きつけ続ける。全て全力だ。岩でも砕くような万力を込め、両足を地面に食い込ませ、身体を捻って拳に乗せる。大きく、鈍い、肉を打つ音が繰り返し平原に響いた。

 淡々と、相手を撲殺するために拳を振り上げ続ける名無しに、エイスーラは恐怖した。

 

「やめろおおおおおおおおお!!!!」

「む」

 

 エイスーラが叫び、両腕を振り回す。失われていた欠落、大地の精霊の加護を必死に掴む。血を吐くように叫びながら、自分の身を守るため、全方向に岩石の槍を隆起させる。名無しは後方に飛んでそれを回避した。

 殴打され続けた顔の痛みに身悶える。息をするだけで痛みが走る。何もかも耐えがたかった。ましてやその傷を、最底辺の名無しに負わされるなどと。

 

「殺ず!!死ね死ね死ねえええええ!!」

 

 再び大地を動かす。溺れる最中、水を掴もうとするような手応えの無さに藻掻きながらも、力を振るう。形になり、崩れ、再び固まる。半ば崩壊した巨大な腕が中空に無数に出現し、流星のように振り下ろされる。

 

「【【【【影よ黒鎖となりて唄い鳴け】】】】」

 

 だが、大地の猛攻は、女の名無しが唱えた魔術と共に防がれる。エイスーラを囲っていた黒い壁から一斉に、幾多の鎖が伸び、土塊の腕を掴み、縛り、そのまま砕いた。

 本来の力なら、あの程度の魔術に砕かれるようなことはあり得なかった。

 物量も火力も、明らかに弱体化している。普段の100分の1も力を引き出せない。

 

「なにを、何をした!屑が!!!」

()()()()()()()()

 

 激昂したエイスーラの詰問に対して、名無しはなんでもないような表情で、予想もしない答えをだした。

 大罪竜?

 その呼称は勿論知っている。この世界にいる誰もが知っている。唯一神、太陽神ゼウラディアと敵対する、世界の敵、邪悪の権化、ヒトの原罪の化身達。7つの迷宮の奥深くで、今なお地上へと顕現せんと目論む邪悪。

 

 その、呪い?

 

「正確に言うならば、大罪竜に呪われた、俺の血だ。効果有りと、ジャインが報告してくれて助かったよ。カルカラで実験してみたけどそれだけじゃ不安だった」

 

 エイスーラの法衣が赤黒く濡れている。一番最初、開幕に浴びせられた謎の液体が、彼の身体を穢していた。今更に漂ってくる血生臭さと、身体の芯から忌避するような、得体の知れぬ嫌悪感がエイスーラを強ばらせた。

 

「じょ、【浄化】を……」 

「【縷牙・色竜呪血】」

 

 対して、名無し達は情け容赦なく動く。

 その異形の右手を、竜牙槍の先端で貫いた。赤黒い、エイスーラを穢したものと同じ色の血がその手から噴き出す。血は、こぼれ落ちること無く、竜牙槍の刀身に纏うように付与《エンチャント》された。

 黒紫の刀身に、赤黒い血の付与。

 不吉極まったその槍を、エイスーラへと向け、踏み出す。エイスーラは思わずのけぞり、そして逃れようと踵を返した。

 

「【地縛】」

「なっ!?」

 

 が、しかし、自身の足に絡みつく鎖に動きを封じられる。此方の怖じ気に気付いたように先回りしてきたのは名無しの女だ。その所業にエイスーラは怒り、苛立ち、しかし抵抗することも出来なかった。

 

「【呪呪突貫】」

 

 視界から消えるような速度の踏み込みと共に、呪いの槍がとんできた。エイスーラの身体に叩き込まれたそれは、皮膚をえぐり、肉を貫いた。

 

「っっっっっがあああああああああああああ!!!」

「届いた。よし」

 

 勢いは殺せず、エイスーラは地面に叩きつけられ、それでも勢いを殺せず地面に転がる。奇しくも先ほどエイスーラが名無しの男に対して行なったそれと同じ有様だった。

 

「っが!!っぐ!!っぐっそ……!!」

 

 エイスーラは激痛にあえぎながら、懐を漁る。

 探そうとしていたのは転移の巻物だった。緊急用の脱出装置。あの“名無しの合成人”を使うために単身で出る以上、その備えは必然だった。巷で蔓延るような粗悪品ではなく、本物の転移の巻物だ。

 名無し達を前に尻尾を巻いて逃げ出す、など屈辱の極みだったが、兎に角、今すぐに此処を逃げ出さなければ――

 

「【黒鎖】」

「っあ!?」

「申し訳ありません。逃がすわけにはいかないのです」

 

 それを取り出した瞬間、巻物は再び出現した黒鎖によって容赦なく引き裂かれた。バラバラになった巻物はほんの一瞬だけ輝くが、次の瞬間にはただのぼろきれと変わった。

 

「こ、の女……!!!」

 

 エイスーラは叫び、女を押しつぶそうと大地を動かす。だが結局先ほどの再現で、周辺の黒い壁から蠢く鎖に次々と阻まれ、砕かれていった。女が魔術を唱えるたび、闇の壁から鎖が擦り合うような音が大きくなる。その不快な音と、傷の痛みが、彼の感情を逆撫でにした。

 

「……な……んなんだ、貴様ら!!!なんの謂われがあってこんな真似をする!」

 

 エイスーラは叫んだ。

 分からなかった。どうしても納得がいかなかった。

 

 【七天の勇者】が自分を殺そうとするならばまだ納得がいく。

 愚かしい姉が自分を殺そうとするのでも、まだ道理はあるだろう。

 だが、コイツラは、そもそも()()

 

 勇者の近くにいたのだから、彼女の僕かなにかなのだろう。

 冒険者の指輪をしているから、恐らくは冒険者。分かるのはそれだけだ。

 それ以上の情報は無く、そもそもそれ以上の“何か”であるようには全く見えない。そんな連中が、なぜ、勇者の意向を無視して、大罪都市の王である自分を殺そうとする???

 

「貴様らはなんだ!!何者だ!!!」

「ただの冒険者だが。まあ、竜に呪われたのは正直人並み外れて不運だったけどな」

「その冒険者がなぜ私を狙う!!あの愚姉に頼まれたからか!?」

「エシェルに依頼されはしたな。理由はそれだけじゃないが」

 

 名無しの男は首を横に振る。

 

「名無しどもの敵討ちか!?」

「いや別に。同じ名無しと言ったって、血の繋がってない顔も知らん他人だしな」

 

 名無しの男は首を横に振る。

 

「ならば、なんだというのだ!!!何が目的で私を狙う!!!」

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 名無しの男は、不思議そうだった。

 何故にそんなことを問うのか分からないと言うように、その理由を口にした。

 

「自分で言ってたじゃないか。死ねと。エシェルに自殺しろと」

 

 確かに、それは言った。彼女への伝言であり、勇者への宣戦布告として魔術で言葉を送り込んだ。実家で彼女が暮らしていた時と同じように、出来る限り彼女の心がズタズタに傷つくように、言葉を選んだ。

 別になんてことは無い、彼にとって当たり前の行動。それがいったいなんだと――

 

「じゃあ、仕方ない。()()()()()()

「…………は?」

「エシェルは()()()()()()()。その女をお前は殺そうとしている。そうだろ?」

 

 じゃあ、殺すしか無い。

 

「殺しなんてろくでもないけど、自分の身内が殺されるんなら、仕方ない―――アンタは俺の敵だ」

 

 その敵が偶々偶然、ノコノコと一人で間抜けにも都市の外に出てきている。なら今殺す。確実に殺す。

 彼はそう言った。

 

「――――…………」

 

 エイスーラは、絶句した。

 その理屈は、エイスーラからはあまりにも縁の遠い代物だった。

 エイスーラが暗殺されそうになったこと自体は、別に珍しくもなかった。彼を取り巻く敵意は様々だ。国家間の策謀、暗躍、神殿内での政治闘争。そこにはあらゆる主義主張、欲望、信念、信仰に憎悪と多様極まる感情が渦巻いている。

 どれも一枚岩ではなく、グラドルという長く深い歴史の中で全てが煮詰まっていた。そう言った敵意の数々を、エイスーラは大地の精霊の力によってなんら傷を負うことも無く叩き潰していったのだ。

 だが、“これ”はそんなものではない。

 

「俺や、俺の家族も仲間も、ディズもなぶり殺しにするって言ってたよな。じゃあますます生かして帰すわけにはいかなくなってしまった」

 

 それは獣の理屈だった。

 

「ここは都市の外。死体の隠蔽も容易だ。この絶好の好機に、今ここでお前を殺すしか無いんだ。俺は」

 

 自分や家族、友人、恋人、それらを護るために敵を排除する。

 もっともらしい主義主張など皆無の、原始的な本能に基づく、殺意だ。

 

「――――わ、分かっているのか?お前」

「何が」

「私を殺す意味を分かっているのか!?私はエイスーラ・シンラ・カーラーレイだぞ!?シンラ!!カーラーレイだ!!!!」

 

 エイスーラの問いには、焦燥感が混じった。何せ、分かってしまったのだ。目の前の男が、どこぞの敵対神官が送り込んできた暗殺者でも、勇者が保有する尖兵でもない。

 本当にただただ命惜しさに此方を殺そうとしている、路傍の石ころであると。

 

 そして信じがたいことに、そんな奴に、今、自分は殺されそうになっているのだと。

 

「幾度となくグラドルに住まう民達を救い、いずれは大罪都市プラウディアも喰らう真の覇者だ!!それを殺す意味を、理解しているのか!?どれほどの影響が出ると思ってる!!!」

 

 返事は無かった。代わりに一歩、名無しはエイスーラへと近づいた。

 

「グラドルには私を英雄とする者が多くいる!投資をする者もだ!!私が死んだ瞬間、破滅する者は数え切れない程いるのだぞ!!!」

 

 返事は無かった。代わりに、名無しの握る竜牙槍が駆動し、魔力の光が脈動した。

 

「私の存在がどれほどグラドルに住まう民達の利益となっていると思ってる!その罪深さを!!理解してその凶行に臨んでいるのだろうな!!!」

「罪……ああ、そうだな」

 

 返事があった。名無しの男は、自身の胸に呪われていない方の手を当てる仕草をする。少し、哀しそうに、嘘偽りも演技もなく、真剣な表情で、

 

「敵とはいえ命を奪うことになるなんて、罪悪感で胸が痛むよ。盗賊達を殺した時ほどじゃないが」

 

 それ以外の呵責はないと、そう告げた。

 

「――――――っ」

「さて、もういいか?じゃあ」

 

 男は、槍の柄を強く捻る。脈動していた魔力が、禍々しい真っ黒な閃光となり槍から溢れる。エイスーラは反射的に眼前に岩石の壁を生み出した。

 

「死んでくれ」

 

 烈光が放たれる。エイスーラが生成した岩石の盾はあっけなく粉砕される。飛び散る岩石を押しのけ、ウルは迫る。

 

「ひっ!??」

 

 反射的に、エイスーラは背を向けた。名無しに怖気づいて、背中を向ける屈辱など最早頭をよぎることも無かった。迫りくる灰の獣が放つ、息もできなくなるような殺意が、彼の矜持を粉々に砕いた。

 胸元に用意していた通信魔具は先ほどから何度も鳴らしている。周囲に待機している天陽騎士たちへの救助要請は既に繰り返し行なっている。だが、返事はない。耳元では黒い鎖がこすれ続ける騒音がなり続けている。それが通信阻害を行なっているのだとエイスーラが理解するだけの余裕はなかった。

 

「【黒鎖よ鳴き叫べ】」

「ぐう!!?」

 

 ずっと響いていた金属の擦れ合う音が、激しくなった。最早騒音というよりも轟音に近い。耳を塞いでもなお、頭を揺らすような音にエイスーラは身じろぐ。何が起こるかは不明だが、身を守ろうとした。だが、時既に遅く――

 

「【黒鎖王獄】」

 

 全ての壁から、エイスーラただ一人を狙う黒鎖が伸びる。両手足は瞬時に縛られ、両手を広げる姿のまま、身じろぎ一つ取れなくなった。

 まるで死刑囚が磔にされるようで、エイスーラはこれまでで一番の悪寒が走った。不味い。この状況は絶対に不味い。今すぐにでも逃げ出さねば――

 

「こんなものすぐに――――」

「“すぐ”は、もうこねえよ」

 

 目の前から声がした。

 同時に、彼の首に、巨大な刃が突き立った。

 

「っああああああああ!!!ああ!?!やめ!!!がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!

 

 なまじ、未だ彼を守らんとしていた大地の加護が、半端に残り続けていたが故に、彼の死は長引いた。黒紫の穢れた刃が、徐々に徐々に、皮膚を裂き、肉に食い込み、血管を千切り、骨を断とうとするのを、エイスーラはその身でじっくりと味わう羽目となる。絶叫と、自分の血しぶきを浴びながら、エイスーラは自らを殺そうとする者と目が合った。

 

「――――」

 

 あらゆる感情を押し込め、決断した者の目だった。

 自分を殺すことを決め、そのために万事を尽くした者の目だった。

 その殺意の強さに、エイスーラはようやく、自身があまりにも浅い覚悟でこの場に立ってしまっていた事に気がついた。何があろうとも、目の前の敵を滅殺するという覚悟が、決定的に不足していたと。

 

 そして、その後悔は、あまりに遅すぎた。

 

「ああああああああああああ          あ        」

 

 致死に届いた刃が、彼の絶叫と命を断ち切った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

救済

 

「――――ッああ!!」

 

 鈍く、重く、おぞましい肉を斬り骨を断つ感触を振り払うように、ウルは竜牙槍を振り抜いた。同時に、エイスーラの首を断ち切った、

 刎ねた首の断面から血が噴き出す。至近でそれを浴びるハメになったウルは、しかし身動きを取れず地面に膝を突いた。

 

「っはあ……!しんど!!」

「ウル様」

 

 シズクが駆け寄ってくる。ウルはエイスーラの死体から離れて深く溜息をついた。

 

「血を浄化し、怪我を癒やします」

「頼む……しかしまあ」

 

 身体の治療をシズクに任せながら、ウルは振り返る。未だ、シズクの魔術によって磔になったエイスーラの肉体。首を失った彼の身体がだらんと吊り下げられている。

 首の断面から噴き出す血が、美しかった彼の法衣を血で穢し続けていた。そしてその足下では恐ろしい形相の生首が、転がっている。

 ウルはそれを見ながら、ぼやいた。

 

「……やっぱり気分、良くないわ。殺しなんてするもんじゃねえな」

「ええ、本当に」

 

 シズクは悲しげな表情で祈りを捧ぐ。殺した相手に祈りを捧げるなど欺瞞でしか無いと、それを承知で彼女は祈る。ウルもまたそれに続いた。

 

「星よ、その身を委ね、貴方の下へと還します……さて、後始末だな」

「ええ、ご遺体を、残すわけにはいきません」

 

 既にシズクの表情からは悲しみは拭われていた。無理をしているのであろうというのはウルにもわかったが、ウルも彼女の意向を尊重した。

 

「魔術で、骨も残さないように焼き払います。証拠は残しません」

「犯罪、なんて次元じゃねえしな。まあ、都市外で隠蔽された死体なんて、探しようがねえとは思うが――――」

「うんそうねえ。だからそれされちゃったら困るのよねえー」

 

 瞬間、ウルとシズクは跳ね飛んだ。

 その場に、ウルとシズク以外の第三者の声が響いたからだ。

 

「あはは、反応良いわねえ。エイスーラ様を殺したのだから当然かもだけれど」

 

 女がいた。煌めくような緑の髪の美しい半裸の女。子供のように幼く見えるが、しかし妖艶な妙齢の女にも見える。陽炎のようにはっきりとしない。その不確かな容姿と、虚な目が薄気味悪く、不吉だった。

 

「…………どっから湧いて出たんだ。お前」

 

 エイスーラを殺したことで少しばかり気が抜けていたのは確かだが、常時【未来視の魔眼】の展開は続け、警戒を欠かしてはいなかった、ウーガでの反省から学んでいた。しかし、この女が出現した予兆は全く、少しもつかめなかった。

 

 未来の視界にも女が近づく動作は映らなかった。

 突然、前触れも無く、湧いて出たのだ。

 

「ウル様。お気を付け下さい」

「シズク」

「あの方、身体からヒトの音が一つもしません」

 

 彼女の“耳”がどれほどの情報を拾っているのかは不明だが、その表情と声音から伝わる緊張の強さは、エイスーラと相対した時以上のものだった事から、その脅威度は推し量れた。

 

「あら、酷い。コレでも私はちゃあんと人よ?ある程度、身体の仕組みをはずしているけど、魂は弄ったりなんてしていないもの」

 

 晒された自分の肌を撫でながら笑い、そして少し目を細め、此方を見る。正確には、自身をヒトでないと言い切ったシズクへと視線を向けた。

 

「貴方とは違うわよ。ねえ、シズクちゃん」

「私のことをご存じなのですか?」

 

 シズクは問い返す。僅かに、鋭い緊張が走っていた。

 対して、女の方はといえば、へらへらと笑って両手をあげる。

 

「予想は付くけど、正直あまり知らないし、興味も無いなあ」

「興味が無いならさっさとどっかに消えてほしいんだが」

「貴方には興味あるのよ?少年」

 

 そう言って、女の視線はシズクからウルへと移った。より正確に言えば、今は露出した、ウルの右腕、大罪竜に呪われた腕へと。

 

「うふ、ふふふふふ!!ねえ、どうしたのかしらそれ?!信じられないけれど、“色欲”の腕じゃない?!どうしてそんなものを貴方が持って、しかも生きているの?!」

「ただの事故だよ。っつーかアンタ誰だ」

 

 問いに、女は忘れていた。と言うように手の平を叩いた。

 

「アタシ?【陽喰らう竜】のヨーグ。よろしくね?」

「よろしくしない。どっか行ってくれ。コッチは忙しい」

「エイスーラ様の死体の隠滅のため?ねえ、それやられると困っちゃうのよねえ」

「だったら?」

 

 言葉を皮切りに、ヨーグという女の気配が変わった。胡乱な気配が更に濃くなった。闇夜から崖下を覗くような真っ黒な闇の魔力が、ヒトの形をした女から溢れ出る。

 

「貴女たちも救済しないと――――」

 

 そう言って、ヨーグは手の平を此方に向け、

 

「――――あ ら?」

 

 る、よりも早く、その首が両断された。

 

「【魔断】」

 

 彼女の後ろで、【勇者】ディズが、軌跡を追う事も叶わない剣技を披露していた。ウルもシズクも、切り裂かれたヨーグ自身も絶句する中、動けたのはディズと――

 

「【劣化創造・模倣:封星剣】」

《おっしゃー!!》

 

 アカネだけだった。

 ディズの振るう剣となっていたアカネがその姿を変える。その形は、ウルがカルカラを捕縛したときに使用した短剣と同じだった。ソレは真っ直ぐに生首となった女の首を貫き、直後彼女の頭を拘束した。

 

《できたよー!》

「――――おどろいたあ。この子、精霊憑き?勇者様」

 

 封じられた生首は、驚くべき事にその状態でも尚喋っていた。生首だけでどうやって喋っているのか、そもそもなんで生きているのかも分からないが、首がくっついていたときと同じように、へらりと笑いながらアカネを見つめ、目を丸くさせた。

 

「というか、どーして此処に居るのかしらあ?あの聖獣ちゃんのとこいったんでしょ?」

「急いで戻ってきたんだ。君がいるのにフリーにするわけないでしょう」

「私が出るの見計らってたって事?ふふ、ウフフ、そのためにエイスーラ様を見殺し?」

「さて、()()()()()()()()()()()()

 

 

 ディズは周囲を見渡す。当然そこには、ヨーグとは別に首が寸断され、血塗れになった死体が――――無かった。いつの間にか消え去っていた。代わりに黒ずんだ炭と、その側でしれっと黙って立っているシズクの姿があった。ウルは迂闊なことを言わないように口を閉じた。

 

「わあーひっどい。わっるい人達だわあ」

「君ほどじゃあないさ」

「失礼ねえ、私は救ってあげているだけなのにぃ」

「あの名無し達も君の救済?」

 

 そうよ?と、彼女の顔が笑う。朗らかな笑みだった。ウルは傍目にしか目撃していなかったが、あの巨大な肉塊、ヒトの部品が大量にくっついたような不出来な粘土細工のような代物を、彼女は笑顔で肯定していた。

 

「良いでしょう?ゼウラディアに使われるより、ずっと良い生き方だわ」

「それを決めるのは君ではないよ」

 

 それ以上、会話を続けるのは疎ましかったのか、ディズは会話を切り上げた。目の前までつり上げていた生首を下ろすと、ウル達へと視線を向ける。

 

「二人とも、無事かい?」

《にーたんたちだいじょぶ?》

「まあ、なんとか――」

「君たちが何をしたかについて、私は関与しない。実際見届けたわけじゃないしね」

 

 ウルの言葉を遮り、ディズは言葉を続けた。

 

「そもそも、エイスーラ、あの男は自分の意思で都市の外、人類生存圏外に飛び出した。シンラの身分でありながら、愚かしくも単身で。此処ではどんな事故も起こりうるし、“行方知らず”になったとて、それは自己責任というものだ」

「……」

「だから、彼のことはいい。ただし――」

 

 ディズは、ウルの肩を強く掴んだ。痛みを感じるくらいに強かった。

 

「シンラの失踪は、確実に混乱を巻き起こす。場合によっては、私は君たちを護れない。追い詰める立場になるからだ。だから――」

「分かっている。こっちが決めたことだ」

 

 ディズの手に触れ、ウルは頷く。全て、承知の上だった。事前に、こうなるであろう可能性についてはシズクと二人で綿密に話をしていた。故に迷うこともなかったのだ。ディズは手を離すと、額を揉む。

 

「……あの時、私がもっと早く決めるべきだったかな」

「流石に、こんなことまで自身の責任にしてしまう必要は無いと思いますよ?」

《そーよ。ディズ、かろーししないかしんぱいなくらい、おしごとしてるわ》

 

 シズクが労るように声をかけ、それにアカネが追従する。ウルも同意見だ。流石に今回の件、全ての責任をディズがひっかぶるのは無茶が過ぎる。彼女がいなければ、もっと現状は悪くなっていたであろう事は、誰の目にも明らかだ。 

 

「仲良しねえ。ヒトを殺しといて酷い子達だわあ」

 

 そこに茶々を入れるのは、ヨーグだった。どの口が、と、反論する気はウルには起きなかった。喋るだけ無駄な相手、である以上に、ごもっともだとも思ったからだ。酷い、という言葉に反論する者はこの場にはいなかった。

 代わりに、ディズが再びヨーグの生首をつり上げて、問うた。

 

「ごもっともだけど、君は自分の心配をした方がいいんじゃない?今後君からは情報を搾りとるし、もうそうなったら、長くはないだろう?」

「あらあ?心配してくれてありがとう、でもね。大丈夫なの」

 

 ディズの探りに対して、生首だけのヨーグは笑った。へらへらとした笑みではない。口端が裂けるような凄惨な笑みだった。世界の全てを嘲るような笑みだった。

 彼女は、言う。

 

「だって、グラドルは、()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

「…………―――――シズク!!!!!!」

 

 ディズが叫ぶ。同時に、

 

「――――――GA、PE』

 

 シズクの横、黒ずんだ、灰の中から、産声が響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

救済②

 

 大罪都市グラドル、大神殿。

 

 大罪都市グラドル中央に存在する大神殿は、元々この国にあった王城をそのまま利用したモノだった。太陽神信仰のための儀式準備、純粋な経年により劣化と補修を幾度となく繰り返し、外観も内装も、最早かつてのものとは別物となっている。

 だが、数百年以上手を加えられず維持され続けていたモノもあった。

 太陽神を至上と崇める他の神殿ではあり得ない、王(シンラ)を讃える玉座など、その最たるモノだろう。かつては大陸を支配していた王が座っていた豪華絢爛な玉座に、現神殿の長、ガルドウィン・シンラ・カーラーレイは座っていた。

 

 エイスーラ、そしてエシェルと同じ赤毛の獣人。だが60を越え病み、老いが身体に表れているのか、鮮やかな赤色に白髪が入り交じっていた。その男は、酷く苛立ち、そして焦燥しているように見えた。

 

「エイスーラからの報告はまだないのか!」

「も、申し訳ありません!現地も混乱しているようで連絡が…」

「だったら誰でも良いから直接向かわせろ!!ッゴホ……!!!ああ、クソ!!」

 

 ガルドウィンの罵詈雑言が従者達に吐き出される。

 大罪都市グラドルに出現した竜とおぼしき存在の目撃証言を発端とする今回の竜騒動は、神殿内でも多大なる混乱を巻き起こしていた。だが、中でも最も狼狽え、そして怒り狂っていたのは誰であろう、神殿のトップ、ガルドウィンだった。

 

 狂乱と混乱のただ中、部下に当たり散らす様は酷く滑稽だった。

 何せ、本来彼は、一連の騒動の黒幕と言える立場だったのだから。

 

「何故だ何故だ何をしているあの愚息めが!!」

 

 実の息子であるエイスーラとの関係は、良好からはほど遠い。構図としては、トップである実の父を差し置き、国内の実権を握るエイスーラと、最後の玉座だけは明け渡すまいと固執し続けるガルドウィンの対立構造である。

 老いて尚、彼は若き英傑たるエイスーラに自身の権力を明け渡すことを厭い、固執し続ける。結果、同じ血族の間に骨肉の争いを産み、神殿内部でも分裂を起こしていた。

 挙げ句の果てが今の騒動だ。憎きプラウディアへの最終兵器を生み出す今回の目論見は、その新兵器の主導権を奪い合う場にもなっていた。

 

 エイスーラが自ら現場で指揮を執ったのも、実の父に兵器の制御権を簒奪されるのを恐れたためだ。

 

「クソクソ!ああ、まさか、まさかウーガをグラドルに向けるつもりでは――」

 

 故に、王は狂乱する。実の息子にいつ殺されてもおかしくないと、彼は思っているし、そしてそれは真実だ。いつどこでそうなるか分からない。彼は精神をすり減らし、疑心暗鬼になっていた。

 そんな彼に近づける従者も神官もおらず、こわごわと遠巻きに眺めるばかりだった……が、そこに真正面から尋ねる空気の読めない男がいた。

 

「おお!おお!!グラドル王!大丈夫でございましょうか?」

 

 それは白衣を身に纏った頭を剃り上げた若い男だった。長い耳のそれは森人の特徴……しかし、それが何故か僅かに“短く”見えた。容姿も、際立って優れた者が多い森人達の中では傑出しているようには見えない。どころか逆に、一見した印象は“愚鈍そうな醜男”だ。しかも足が不自由なのか、杖をついて片足を引きずりながら歩いている。

 彼は、その場の重苦しい緊迫した空気を全く読まない、満面の笑みを浮かべていた。当然ながら、ガルドウィン王は激昂した。

 

「誰の許可を得て此処に入ってきた!!名無しの愚物が!!」

「お許しを、グラドル王。しかし私も“責務”を果たさねば成りませぬ故!」

 

 責務、と、その言葉に嘘偽りは無い。それこそが彼が名無しでありながら神殿の中に立ち入った理由だ。

 

 彼こそ、冒険者ギルドの頂点の一人、【黄金級】の冒険者、クラウランである。

 

 彼が此処に呼び出された理由、グラドルにて発生した竜騒動の護衛だ。最もソレは、今回グラドル側が引き起こしたマッチポンプであり、グラドルに存在していた黄金級に邪魔をさせないための処置だった。

 クラウランには、来るはずの無い竜を警戒し続けてもらわなければならない。そして不審に思われてもいけない。はずなのだがガルドウィンにはそんなことを考える余裕などなかった。

 

「黙れ!消えろ!!邪魔をするな!!さもなくば――」

「うむ、うむ、どうか落ち着いて下され王よ!実は危機を確認したのです!正確に言えば私ではなく、私の()()()()がですが」

「だま……なに?危機?」

 

 愛し子達、という言葉と共に、彼は振り返る。彼に同行していた二人の内一人、クラウランの背後に、ずっと隠れていた少女が姿を現した。

 不思議な少女だった。獣の耳は獣人を表すが、それ以外の皮膚は只人のようだ。髪色は透き通るような蒼色。何より、隣に立つクラウランとは比較にならないほど美しい容姿。

 その彼女は、不遜にも真っ赤な顔をしたガルドウィン王を指さした。

 

「マスター、あのヒト、もうダメだよ」

 

 あまりにも無礼な言い方に、空気が凍り付いた。

 従者達や神官らは顔を真っ青にさせ、対照的にガルドウィンは顔を更に赤黒く変色させる。そして彼女の前に立つクラウランはというと「しまった」というように額を叩くと、かがみ込み、少女の視点で両手の指を立てて、唇を尖らせて話し始めた。

 

「セブン、娘よ。ヒトを指さしてはならないよ!無礼にあたるのだから」

「そうなの?でもダメなのよ、あのヒト」

「うむ、うむむ、確かにそうかもしれないが、本当のことでも、黙っておかないといけないこともあるのだ!お前は美人だから許されることもあるかもしれないが――」

「私可愛い?」

「勿論だとも!全く私のような醜男が製造したとはとても思えない美人っぷりだ!」

 

 ガルドウィンの激昂などそしらぬ顔で、親子の教育の真似事を始めた二人に、既に限界だったガルドウィンの堪忍袋の緒は盛大にぶち切れた。

 

「こ、この、この無礼者どもをころ――――」

 

 勢いよく立ち上がり、錫杖を振り回し、そう叫んで、

 

「――――がぱ????」

 

 彼の身体が()()()

 

「――――は?」

「お、王!?どうなさ――――ぐぱ!?!!」

 

 そしてそれをきっかけとして、従者や神官達の肉体が次々に()()()いった。割れたと、そう表現せざるを得ない。あえて言うならば蛹が羽化するように、彼らの肉体が弾けて、中から何かが出てきた。

 

『――――GGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 ぶよぶよで浅黒い、肉の塊。いったいどこにそんなものが詰まっていたのだろう、悪臭漂う醜い歪で巨大な肉の塊が、幾つもその場に現出した。しかもそれらは生きていた。腹底に響くような低いうなり声を上げながら、地面をのたうつ。自分が這い出た神官達を踏みつけながら、王の謁見の間を穢していった。

 玉座に座ったガルドウィンだったものも例外ではなく、長い歴史の中引き継がれていた玉座を穢していた。

 

「――――【粘魔】ね。よくあんなに詰まっていたわね」

 

 軽やかな声音のセブンの指摘を聴ける者は殆ど残っていなかった。

 

「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいい!?!!シンラが!!ガルドウィン王が!!」

 

 数少ない無事だった従者が悲鳴を上げる。何が起きたのか、全く理解できていないようだった。理解できるはずも無いだろう。国王達が突然、前触れも無く、醜いバケモノになったなどと。

 

『GUUUUUGGGGGGGGGG!!!』

 

 粘魔達が、どこから出しているのかは不明だが、咆吼を上げた。そして、蠢きながら一カ所に集まっていく。折り重なるようになったその肉の塊は、しかしそれはただ重なっているのではなかった。生々しい粘膜の音、ぐしゃぐしゃと繰り返されるそれは“咀嚼音”だ。黒の塊は、互いに互いを喰らい一つになろうとしていた。

 そして更に形が変わる。ちょうど、子供が粘土で遊ぶように、たわみ、弾み、そして徐々に形を成す。もしもこの場に、ウーガでの一連の騒動を知る者がいたならば、黒い巨大なバケモノが形作ろうとしているものがなんなのか、わかっただろう。

 

 即ち、空を駆る竜の姿であると。

 

『GUGGGGGGGGGGG!!!!』

 

 咆吼はここからではない。城の至る所から聞こえてきた。この地獄の有様が、この場所だけで起こっている訳ではない事を示唆していた。至る所から悲鳴が響き、破壊音が響く。そして、目の前の黒い塊もまた、翼を広げる。飛び立とうとしていた。

 

 その黒い飛竜を前に、セブンという名の少女はもう一度指さした。

 

「ほら、ダメだった」

「うむ、よく分かったな偉いぞ我が娘!だが、なんてことだ!!」

 

 クラウランは自分の娘の頭を優しく撫でながら同時に頭を抱えて嘆く。おどけているようで、嘆いているのも本当だった。実際、セブンは彼の頭を慰めるように何度も撫で返していた。

 そして、彼が連れてきたもう一人、セブンと同じ髪色と特徴を持った男が前に出る。背負った槍を構え、自分の主を守るようにしながら、進言した。

 

「マスター、急ぎ、ここから出ましょう。危険です」

 

 クラウランをこの場に留めていたグラドルの王は既に死んだ。既に、クラウランが律儀にこの場に留まる理由は無くなったことを考えると、実に真っ当な提案だった。

 が、クラウランは首を横に振った。

 

「ダメだぞ、ファイブ。無事な神官や従者達がいるだろう?」

 

 彼が言うように、この場にも()()()()()()従者や神官は確かに存在した。彼らは哀れにも腰を抜かして悲鳴をあげている。ファイブという名の青年は僅かに顔を顰めた。

 

「助けるのですか?私達を良いように利用して、縛り付けようとしたのに」

「我らの仕事は護衛なのだぞ。それに彼ら以外の無関係な都市の民や、名無し達もいるやもしれない。この混乱は神殿の中だけではあるまいて」

「血のつながりも無い、無関係な者達です」

「だが()()()()()()()()()()?これは我が同胞の言葉だがな」

 

 クラウランはうんうんと、自分の言葉に頷く。セブンは彼の言葉に彼と同じようにうんうんと、頷くと、彼に向かって拍手をした。

 

「格好いいわ。マスター」

「娘に褒められるのは格別だ!!」

 

 クラウランは再びセブンの頭を撫でる。ファイブは深々と溜息をついた。

 

「……わかりました。他の兄弟達にも伝えます。しかし貴方の無事が最優先です」

「おいおい、私はそう簡単には死なないとも!私よりも他の無力な者たちを優先して――」

「い い で す ね」

「うむ、息子が怖い!ではそれでいこう!!お前も迂闊に怪我をせぬようにな!」

 

 ファイブはクラウランの言葉に僅かに微笑み、そして槍を強く握る。途端、弾けるような音と共に彼の周りに魔力が漲った。魔術にあらず、達人のみが生み出せる肉体の魔力の奔流が、彼の周囲の空気を歪ませていた。

 

「心得ていますよ。私は貴方のものですから」

「父親離れ出来ない息子だ!それもまた可愛い!では行こうか!」

 

 クラウランは自分のついていた杖を叩く。彼の足下から巨大な魔法陣が生み出される。だが、そこから顕れるのは攻撃魔術でも、収納されていた物質でもない。

 セブンやファイブと同じ、男女様々な、蒼の髪色の者達だった。彼らは各々武器を持ち、クラウランを守るようにして立ち上がった。

 

「【真人創りのクラウラン】!我が同胞、【勇者】に代わって君たちを討とう!」

 

 暴食の大罪都市の中心で、戦闘が開始された。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 同時刻、【竜吞ウーガ】仮都市。

 

「なんだありゃ……?」

 

 ジャインが、そんな声を聞いたのは、天陽騎士を殲滅した森から引き上げる途中だった。部下の一人が眉をひそめながら指を指すのは、まさしく先ほどまでジャイン達が戦っていた森林地帯だ。今も尚、黒煙が燃え続けている方角だったのですぐにわかった。

 部下が指さす何かは、勿論その黒い煙、ではない。

 

「おい、どうした」

「なんだか……いや、なにか、いねえかあれ?」

「何かって……」

 

 その煙の中に、何か蠢くような影が見える。ジャインも振り返り、煙の中で蠢く影を見た。仕留め損ねた天陽騎士か?とも一瞬思ったが、魔術で生命反応が失せたのは確認している。

 そもそも、既に森林地帯から大分距離は取っているのだ。視界に映る黒煙の影も随分徒細く見えるが、一帯を燃え上がらせるほどの大炎上。その煙が揺らめくように見えるほどの“何か”、などとそんなものがあるとすれば――――

 

「…………なんだ?」

 

 ジャインが眉をひそめる。黒煙の揺らめきが大きくなった。

 否、それは煙の揺らめきではなかった。煙の中に揺らめく影も、影ではない。真っ黒な身体だったため、色が重なり視認しづらくなっていただけだ。

 あれは、竜だった。散々、仮都市で暴れ回った、黒の竜だ。それが、

 

『『『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』』』 

 

 大量に、姿を現した。

 

「は!!!?」

 

 驚愕するジャインを嘲笑うように、大量の黒い竜が凄まじい勢いで飛来する。そしてジャインの上空を一瞬で駆けていった。一瞬、太陽が真っ黒な翼に覆い隠され、闇夜がきたかのようだった。そしてジャイン達がロクに反応する暇すらも無く、黒い竜の群れは飛び去っていった。

 だが、それだけではなかった。

 

「ジャインさん!!」

 

 部下の一人が叫ぶ。彼等の視線は森林地帯だけではなく、彼方此方の方角から、似たような不気味な咆吼が響いていた。そして少し遅れて黒い竜が飛び立ち始める。あまりの異常な光景に銀級の冒険者ギルドである白の蟒蛇達もたじろぐしかなかった。

 

 ジャインも勿論同じように混乱していた。が、一方で法則にも気付いた。

 これは、包囲網だ。ウーガを取り囲んでいた天陽騎士達の陣形だ。輪を狭めて迫ってきていた連中から、黒い竜が出現した……!?

 

「なん、すかあれ!?」

「…………」

 

 ラビィンの言葉にもジャインは反応しなかった。黒の竜達の向かう先をジャインは知っている。【竜吞ウーガ】西部、【勇者】達が目指した方角だ。ラビィンの【直感】すら必要ない。何かろくでもない事態が起こっている事がすぐにわかった。

 ジャインは自身の備えている冒険者の指輪を口に当て、通話魔術を稼働させる。

 

「聞こえるか、ウル!そっちに大量の竜が飛んでいった!繰り返す!竜が飛んだ!!」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜吞ウーガ西部

 

「…………―――――シズク!!!!!!」

「……!!」

 

 ディズの鋭い指摘と共に反射的にウルは飛び出し。かっ攫うように彼女の身体を抱きその場から離脱した。瞬間、シズクが元いた場所に、“黒い塊”が溢れかえった。

 

「シズク!無事か!!」

「無事です、が……」

 

 ウルに抱きかかえられながら、シズクは自身を襲おうとした相手を観察し、眉をひそめる。大地を穢すように蠢く、真っ黒い液体の塊。ウーガの体内で見覚えのあるそれは――

 

「粘魔、ですね。それもこれは……」

 

 粘魔はありふれた魔物にすぎない。問題なのはこの黒い粘魔がウーガの体内で出現していたものとまったくの同種であり、そしてその粘魔が事もあろうにエイスーラの遺灰から這い出てきた事だ。

 

「うふ、ウフフ!死んだフリ!上手いでしょう!その子は特別製だから、火にも氷にも強いのよ!!()()()()()()()みたいだけど」

 

 ヨーグの子供が自慢するときのような声が響く中。黒い粘魔は更に変化する。元の体積からは比較にならないほど、どんどん大きく膨張していく。あっという間にソレは数メートルはあろう巨体に変貌する。

 

 だが、それで終わりではなかった。

 

「アカネ!!」

《にゃわあー!!!》

 

 何を感知したのか、まずディズが動き、それにアカネが呼応した。薄く身体を伸ばした彼女はウル達の周囲を囲い、結界の形を作る。その直後、

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 真っ黒な粘魔が、地面の彼方此方から噴き出した。

 

「ど、どこから……」

 

 そしてその動きは地面からだけではなかった。

 

「飛竜です!!」

「は!?」

 

 大量の情報に処理が追いつかなくなっていたウルは、シズクの言葉に空に目を向ける。確かに飛竜だ。ウーガの内部でウル達が討伐した飛竜、それが“数十匹ほど群れをなしてこっちに飛んできている”。

 

「――――――――…………」

 

 ウルの絶句は無理からぬ事だった。

 停止したウルの思考を呼び覚ましたのは。彼の指輪に届いた通信魔術だ。

 

《聞こえるか、ウル!そっちに大量の竜が飛んでいった!繰り返す!竜が飛んだ!!》

「………聞こえている、ジャイン。コッチでも確認してる。“現在進行形”で」

 

 一時的にフリーズしていた脳みそが再起動する。ウルは可能な限り平静な声で返答するが、目の前で起きている光景は到底、冷静に見られるものではなかった。

 

『GG『GGGGGG『GG『GGGGGGGGG『GGGG』』』』』

 

 地面から溢れた粘魔、そして飛来した飛龍達、それらが全て一カ所に、エイスーラだったものの下へと集結していく。大小様々な粘魔がぶつかり、重なり、うごめき、形となる。

 最初の肥大化など可愛いもので、今は数十メートルまで膨れ上がった巨大な粘魔を前に、ウルは半ば呆れたような、冗談でも聞かされたような面持ちでそれを見上げるハメになった。

「【粘魔王(スライムキング)】……」

『――――――G――――GEGEGE』

 

 山のようになった真っ黒なぶよぶよの肉の塊は、歪む。揺らぐ。不定形だったものが形を取る。背中からは翼が伸びる。牙が伸びる。肥え太った腹が出て、胴に対してやけに太く短い手足が伸びる。それらは竜の形をしていた。歪で、醜いが、間違いなく竜のそれだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()?ウフ、アハハ!!!!!」

 

 唯一楽しそうな、邪教徒の生首の笑い声だけが、やけにその場で響いていた。

 

 竜吞ウーガ騒乱最終戦 【粘魔王】討伐開始

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

粘魔の王

 

 超、巨大な生物

 

 というものに、頻繁に遭遇するハメにあっているのがウル達なのだが、そのたびにいつも思うのは、とっかかりの掴めなさだった。

 まあ、なにしろ自分の数倍から数十倍はデカいのだ。目の前にすると壁のようにしか見えないモノをさあなんとかしろ、と言われて、ぱっと解決案が思いつく者はそうそういないだろう。大抵は途方に暮れるし、ウルもいままで何度も何度も途方にくれてきた。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!!』

 

 当然、巨大なる偽竜――粘魔王を前にした今も途方に暮れている。

 

「流石にクソみてえな連戦ですげえ疲れてきたんだが」

「偽竜、エイスーラ様、そしてコレですね」

「俺は前世で何の罪犯したんだ」

「ウル様は優しいですから、きっと前世でも悪いことはしてらっしゃいませんとも」

「じゃあコレは純粋に俺の運が死ぬほど悪いって事じゃねえか」

「そうなります」

「クソかな?」

 

 馬鹿な事をシズクと話しながら、ウルは目の前のバケモノを観察する。

 黒く、大きく、そしてデカい。数十メートルはあるであろう巨体。今も蠢いている肉の身体は気色が悪い。解決策どうこう以上に、感情の置き場にすら困る。どんな気持ちで向かい合ったら良いのだコレは、と。

 

「このままスルーして一旦ここから離脱っつーのはアリ――」

『GGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「ナシかあ……!!」

 

 竜が動く。短い手をぐにゃりと歪め、此方に伸ばす。文字どおり、“腕が伸びて”此方に飛んでくる。反射的にウルは抱え続けていたシズクと共に背後へと飛ぶ。

 

「ウル様!」

「…………!!!!」

 

 回避した。少なくとも直撃はしていない、はずだが、いったいどれほどの力が叩き込まれたのか、地面に叩きつけられた衝撃で、割れた土と岩石まで飛んでくる。それを庇うために身体を固めるが、攻撃はそれでは収まらなかった。

 

『GAGAAAAA『『『『『GAGAGA』』』』』

 

 腕に、更に腕が生える。

 地面に叩きつけられた、大木のような黒い竜の腕の表面から、無数の細い腕が伸びてウル達を捕らえんとする。やはり竜の形を模しているだけで、本質的には形の決まっていない粘魔であるらしい。幾多にも伸びた腕は、蛇のようにのたうち、ウルへと向かってくる。

 

「【劣化創造・灼炎剣】」

 

 だが、腕がウルを捕らえるよりも前に、ディズとアカネが生み出した炎の壁が焼き払った。目が焼けるようなまばゆさに安堵を覚えるものの、しかしその安堵はすぐに消えた。炎が消えた後、無数の腕は蠢くように焦げていたが、しかし、焼き払われてはいなかった。それどころか、徐々に再生しつつある。

 

「さて、ウル、念のため質問だ。白王陣は残ってる?」

 

 ディズは、そのままアカネを剣にして構え問うてきた。以前、大罪の竜と接敵したときを思い出したが、前回の特殊な状況と今とでは異なる。

 

「もうない。使ったが、時間経過で霧散した」

「今すぐこの場から撤退して」

「ちょっと待てディズ!アカネ!!」

 

 有無を言う隙も無かった。ディズは片手を此方に向ける。魔術が発動した。先ほど従者達を運んだ者と同じ、風の移動魔術がウルとシズクを包む。抵抗する間も無く、ウルとシズクはその場から吹っ飛ばされるようにして移動を開始した。

 

「ふふ、うふふ、フフフフフ!ねえ勇者様!あの子達を倒せる!?合人と違って、ずっとずーっと完璧に混じり合っているから、うーんと強いわよ?」

「喧しいから黙っていてね。いくよアカネ」

《あいあいさー!!!》

 

 どんどん離れていく中、ディズはヨーグの生首を“外套”へと収納すると、アカネと共に粘魔王へと向かっていった。止める間も、何か声をかけるヒマも無く、二人の影はどんどんと離れていった。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』

 

 勇者と粘魔王の戦いが始まった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ああ、もう……くそ」

 

 風の魔術によって強制的に運搬されるただ中で、ウルは強く悪態をついた。悪態をつくぐらいしか、出来なかった。風の移動魔術は恐ろしい速度で、あっという間にディズの姿は見えなくなっていた。

 

「任せるしかないけど……大丈夫なのかアイツ」

 

 【粘魔王】のことはウルは知識としては知っている。

 【粘魔】が強さがまばらだ。最大でも6級の強さを持つ特異な個体が出るとも言われているが、そんな個体が顕れることは滅多に無い。大体は最低の13級から強くても9級程度に留まるのが殆どだ。

 だが、対して、その巨大個体である【粘魔王】は“3級”だ。都市崩壊クラスの危険存在である。

 その強烈な強さの跳ね方は、“都市への脅威度の上昇”が大きな理由だ。大部分が水性で出来たその身体は、元よりどんな場所にでも潜む能力を有していると言われているが、巨体となった【粘魔王】であってもその能力は変わらない。

 結果、太陽神の結界すらも透過する危険性が増す。都市全体を覆う太陽神の結界であっても、天空、城壁、地下、あらゆる全てを完璧に守る事は出来ない。結界そのものが神の御業であっても、都市そのものはヒトの技術。必ずほんの僅かな隙間、ほころびが存在する。

 粘魔王は、そのほんの僅かな隙間を見つければ、侵入する。そして結界の内側で溢れかえるのだ。衛星都市の一つが結界の内側で、粘魔王でパンパンになって全滅したというケースも存在する。紛れもない人類に対する恐るべき脅威なのだ。

 

 しかも、今回出現した粘魔王は自然発生のものではない。邪教徒が生み出した特別製。ならばその能力もウルが知ってるものとはまた更に違うのだろう。

 

 ハッキリとしているのは、あの粘魔王に、今の疲弊したウル達では太刀打ちが困難であるということだ。そうなると、ディズに任せるというのは、何も間違った選択肢ではない、のだが、不安だ。

 

「大丈夫ではないかもしれません、ウル様」

「不吉な事を言うなと言いたいが、そりゃまたなんで……」

 

 ウルが問うと、彼女はそのまますっと空を指さす。シズクが示す方角。この状況には似つかわしくない澄み切った青空の中に、ポツポツポツと、複数の黒い点がウルにも見えた。

 最初、鳥か何かかと思ったが、違った。飛竜の群れだった。ウルは頭を抱えた。

 

「おかわりですね」

「……どっからきたんだアレ」

「グラドルからでしょうか。あの緑髪の彼女の発言を信じるに」

「まだデカくなるのかよ。エシェルの弟は」

「ひょっとしたら、他の血縁者もあの中に混じっているかもしれませんね」

「地獄かよ。絶対エシェルに言うなよそれ」

 

 大分距離が空いて尚ハッキリと視界に粘魔王は映る。それくらい巨大だということだ。そしてこれからも大きくなるだろう。恐らく、いままでウルが遭遇した中でも最大規模の大きさだ。

 

「ソレともう一つ」

「まだ不穏材料あるのかよ。もうお腹いっぱいどころか破裂するわ」

「“粘魔の増殖方法を覚えてますか”」

「………………ん?」

「“単為生殖”です」

 

 ウルは背筋が凍り付くのを感じた。いままで聞いた不穏な情報の中でも、トップクラスに嫌な情報だった。

 

「恐らくは【暴食】だけでなく【色欲】の属性をも持ち合わせています。誕生してからすぐさま増殖はしないでしょうが、時間をかければどうなるか、分かりません」

「だが、そうは言ったって、こうなっちまうと俺達に出来る事なんて――――っと」

 

 風の魔術が途切れた。ウル達は着地し周囲を見渡す。

 

『……………』

「……でっか」

 

 ウルが見上げると、誕生したばかりの巨大なる使い魔、ウーガの頭部の影になる所まで運ばれてきたらしい。風の魔術はディズの意思だ。つまり、ウーガに逃げろと、そういう事のようだ。

 ウルの指示を彼女が聞いてくれていたなら、エシェル達も此処に居るはずだ。逃げ隠れるなら此処ほど安全な場所はあるまい。

 だが、しかし、どうやって中に――――

 

「此方に乗り込み口があります、ウル様、シズク様」

「ビ……ックリした、ジェナか」

 

 いつの間にか、ジェナが姿を現していた。彼女はこのような状況下にあっても変わらないメイド服で、ウル達がやってくる場所を予想していたように立っていた。しかも近くにはダールとスールまで居る。

 

「ウーガの尾先が乗り込み用の斜面になっています。急いでください」

「助かる……が、ディズを出来れば助けたいんだ。ジェナは何か手はないか?」

 

 問うと、ジェナは頷き、そのままダールとスールの方へと二人を促した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

粘魔の王②

 

 ディズはアカネを剣に模して構え、壁のように立ち塞がる粘魔王を前に、いささか攻めあぐねていた。

 

「炎は効かない……か。灼炎剣では意味なさそうだね」

《それいがいだす?》

「今の君が模倣できる武器で、有効になりそうな武器はなさそうだねえ」

《むう》

 

 アカネは自身の力不足に呻いたが、別に彼女が悪いわけではない。

 粘魔王は厄介なのだ。弱点はハッキリしている。核だ。粘魔王には必ず、巨体を維持するための核が存在する。それを破壊すれば全体が死ぬ。

 だが、逆を言えば、核以外への攻撃は全く有効ではない。核以外を攻撃しても、此方が疲弊するだけだ。ただ、粘魔が巨体になっただけの【粘魔王】の脅威が跳ね上がる理由はコレだ。核への攻撃の難易度が跳ね上がる。身体の厚さがただの粘魔の比ではない。

 核までの身体の分厚さだけで数十メートル、純粋な物量が尋常ではないのだ。

 

「しかも、身体が真っ黒で、一見して核の居場所が分からない。ヨーグの嫌がらせかな」

《くるよー!!》

 

 アカネの合図でディズは跳躍する。彼女が居た場所、地面底から真っ黒な粘魔の一部が染みだし、一瞬で食らいつくされた。

 

「【星華・開花】」

 

 星華の外套が閃く。内蔵されていた星華が周囲に散り、彼女を守る盾となり、足場となり、剣へと変わる。

 

「【雷火】」

 

 空中で身構え、剣を振るった瞬間、雷が迸る。外套からでた星華の輝きが強まり、光の強さが跳ね上がる。遅れて鳴り響く轟音と共に【粘魔王】の身体は弾け飛んだ――が、

 

「ま、デタラメじゃあどうにもならないか」

 

 竜の身体を模した粘魔王の腹に巨大な穴が空いた。が、それも暫くすると穴が塞がる。数秒もすれば元通りだ。ディズは剣を構え直す。

 

《つぎ、あたまねらう?》

「無駄だと思うよ。頭を狙えば今度は胴に核が移動する」

《こっちのうごきよまれとるん?》

「生存本能かもね。そうなると1度に全体を破壊するのが一番……なんだ?」

 

 ディズが訝しむ。目の前の【粘魔王】がまた変化を始めた。竜の形を模した頭、肥え太った胴の上に添えられたソレが崩れる。形を変える。そのまま攻撃をしかけてくるのかと思ったが、そうではなかった。

 新たな形を取ったそれをみて、アカネは小さな悲鳴を上げ、ディズは顔を顰めた。 

 

《…………ええ》

「………うーわ、“エイスーラ”」

 

 深い哀れみの籠もった声で、ディズは目の前で粘魔王が形作ったソレを呼称した。先ほど、ウル達の手で“行方知れず”にされた彼が、目の前に顕れた、粘魔王が、竜の頭を、エイスーラの頭に変化させたのだ。

 肥えた不気味な竜の身体の上に乗る、エイスーラの頭。不気味で滑稽極まる光景だった。しかし、ただ滑稽な姿を模して、死者の尊厳を貶めるといった意図は粘魔王には無いだろう。ならば、その目的は何か。

 

「…………まさか」

 

 ディズが気づくと同時に、エイスーラの頭を模した粘魔王が、顔のパーツをデタラメに動かしながら、喉を鳴らし、奇妙な鳴き声を鳴らした。

 最初、意味の無い咆吼のように聞こえたそれらは、しかし、徐々に形となる。そして

 

『UUUUUUUUUううううウウウ【()()()()()()()()()()()()()()()()】』

「――――マジか」

 

 大地の精霊の名を、エイスーラを模した粘魔王が叫ぶ。精霊の信仰者である神殿の住民らが目をひん剥いて泡を吹きそうな光景だが、その結果に“最悪”を想像しないわけにはいかなかった。

 そして、その最悪の通りになった。

 

《ディズ!!!》

「本当に最悪だなヨーグ!!」

 

 大地が、迫ってきた。魔術も介さず、大地が隆起し、槍のような形となってディズを襲う。ディズは悪態を吐きながら再び空中を駆け出した。

 

《うりがんでぃんねぼけとるん!?》

「ヨーグが言っていた。アレは“上手くいった合人”だ。つまり、大地の精霊はアレをヒトとして認識している可能性が高い」

《やっぱねぼけてる!!》

 

 アカネの叫びはごもっともだ。ディズも大地の精霊にはいくらか文句を言ってやりたいところだった。ヒトの善悪に判断がないといったって、もう少し分別というものがあっても良いはずだ。

 

《まえ!!!》

「っと」

 

 天変地異は更に続く。空中を駆け続けていたディズの目の前に突然崖が誕生した。ディズは足を止める。背後からは大地の槍が迫り、そして目の前の崖からは

 

「うわ」

 

 粘魔王の身体が、染み出し始めた。大地に染みこんだ身体が、崖から一斉に噴き出し、津波のようにディズへと降り注ごうとしていた。

 

「【魔断・十閃】」

 

 魔を断つ黒の閃き、それが瞬く間に放たれた。その一撃が放つ余波で粘魔王の身体は弾け、崖は崩れる。それが10回。ディズを包囲するような攻撃はほんの一瞬、その攻撃によって空白を生む。その空白をディズは駆け、脱した。

 

『GGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 エイスーラの頭をした粘魔王は、苛立たしそうに叫んだ。本人の性格を反映しているのか、随分と短気らしい。

 

「どうするかな。流石に完璧に大地の加護が操れてるようじゃないけど……」

《てったいして、ぶき、とってくる?》

「コイツ、ほっといたら確実に都市を幾つも滅ぼすよ」

《いっつもそんなんね》

「本当にね」

 

 ディズは笑いながらも、粘魔王への対処を考え続けていた。 

 大地と、粘魔、実際に相対してみると驚くほどに相性が良い。粘魔の弱点の一つが、動作の重さだ。地面を蹴る足も無い、身体を這いずるしか出来ないために重力に身を任せ落下するような事でも無い限り、遅い。その問題を、大地そのものを動かし、その中に染み入り、運ばれる事で解決としている。

 厄介だ。下手にこれを放置すれば、地面を通じてあらゆる場所を汚染されかねない。いや――

 

「……既に、か」

《うーわ、きっちゃないみずうみみたーい》

 

 ディズが足下を見ると、大地が粘魔王の身体に侵食されていた。ただ、その身体が地面に伸びているというだけではない。大地が、粘魔王と混じり合っている。汚染と言って良いだろう。地面にいた獣や虫が食われているのか、小さな鳴き声のようなものが彼方此方から聞こえてくる。

 そしてこれは拡張している。暴食の小竜の眷属となっていた餓者髑髏よりも遙かに効率的で、悪質だ。放置すれば核まで増殖をし出して、致命的な状況になりかねない。

 

「……急ぎ、大地を丸ごと焼き払うか」

《そのあとぶよぶよたおすのきっついよ?》

「是非も無いさ。無理をするよ」

《りょーかい……んー?》

「アカネ?」

《んー……んー……にーたんから、つうしん。ちょっととおい》

「ウル?」

 

 アカネを通じ、ウルとディズは 冒険者の指輪と同様の通信魔術が可能だ。だから連絡はあり得る。ただし何故この状況で連絡をしてきたのかは疑問ではある。彼とて、此方の切迫した状況は理解できているはずなのだが。

 理解して、尚連絡するのなら重要な事なのだろう。

 

「繋げて。ウル?」

《ディズ……アカ……き……える…………も……》

「大分途切れているけど聞こえてはいるよ。何?」

 

 再び粘魔王の猛攻は始まっていた。ディズは凌ぎ、核を探りながら攻撃を続けていた。だが、やはり想像通り、既に肉体も大地の精霊の加護で覆われ始めていた。先ほどよりも攻撃の通りが悪い。身体を射貫くこともできなくなりつつある。

 流石にその巨体故か、加護が完全ではないのだけが救いだろうか。しかし厄介であることには変わりなかった。

 

「悪いけど殆ど余裕が無い。用件は早めに頼む」

《そこ………はな………》

「はな?」

《はな、……ろ》

 

 離れろ?

 言葉の意味を考えるよりも早く、新たな気配にディズが後ろを振り返った。そしてウルの言葉の意味を理解することが出来た。

 

「うーわ……ウルも無茶するな」

《あれやばない?!》

 

 ディズとアカネの視線の先に、今回の騒動の中心である【竜吞ウーガ】があった。

 エシェルの指示によって沈黙していたはずのウーガはいつの間にか身体を起こし、そしてその巨大な口蓋を開き、“真っ赤な雷”を溜め込んでいた。

 

《撃つぞ!!離れろ!!!》

 

 ディズは一気に跳躍し、離脱した。直後、莫大な紅の熱光が粘魔王を焼いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 時間は少し戻り

 

 【竜吞ウーガ】内部、“総司令塔”。

 

「……なんだこりゃ」

「……うん、気持ちは分かる」

 

 目の前の光景に顔を顰めるウルに対して、それを紹介したエシェルもまた幾らか困惑した様子を隠さずにいた。

 ディズにウーガまで運ばれたエシェルは、カルカラの介抱で意識を取り戻した後、休む間も惜しんで竜呑ウーガの調査を行なっていた。

 そしてこの場所があった。恐らくエイスーラが用意したと思われる、【司令塔】が。

 

「すっごい豪華ですねえ」

 

 ウルの驚嘆に対して、シズクは端的で暢気な感想を述べた。

 その場所は恐ろしく豪奢なつくりになっていた。あらゆる名剣であっても切り傷一つ付けること叶わない“石の宝石”と名高い白真石で造られた真っ白な部屋。色とりどりの宝石で飾り付けられた装飾、天井に輝くシャンデリア。華美極まれりといった印象だ。

 正直、恐るべき使い魔を操るための場所とはとても思えない。

 

「ウーガ建造時、事前に造りを指示されていましたから、この場所は知っていました。随分とこだわられていましたよ。あの男は」

 

 まだ体調が全く万全でないエシェルを備え付けられていた椅子へと座らせると、カルカラはそのまま中央に存在していた巨大な水晶に手で触れる。

 

「遠見の水晶です。起動させれば……」

 

 指で触れた瞬間、水晶が輝く。青暗い色だった水晶が白く輝き、そしてその中に景観を映しだす。それは竜呑ウーガ本体の視界だった。そしてそこには先ほどまでウル達が居た場所、現在ディズ達が粘魔王と交戦している場所も映しだしていた

 

「ディズ、アカネ。まだ無事か」

「やっぱり、更に大きくなっていますね。粘魔王」

「っつーか……こっちきてんな。やっぱなんとか援助できればな……」

 

 肥大化し続ける粘魔王の姿は、遠見の水晶でもハッキリと映っている。気色の悪い竜の形状、頭がヒトの形に見えるのは気のせいだろうか。それは兎も角として、ディズが戦っているのものの、堰き止められている様子は今のところ無い。

 勿論ウル達だけでどうこうできる相手ではない。が、おあつらえ向きに、あの粘魔王よりも同等かそれを上回る巨大な使い魔に、今ウル達は乗り込んでいるのだ。使わない手は無かった。

 

「カルカラ、この使い魔どういう風に戦うんだ。体当たりか?」

 

 確認するが、カルカラは首を横に振る。

 

「使い魔そのものの性能については、邪教とエイスーラの間でのみ決めていました。私は疎か身内の誰にも明かしてはいないはずです」

 

 エイスーラはとことん、権力欲と独占欲の高い男だったらしい。ウルは舌打ちした。だが、恐らくこの使い魔で天賢王に反逆を企てていたくらいだ。なんらかの戦う力を有しているのは間違いない。ならば、

 

「エシェル。使い魔を戦わせることが出来るか」

 

 と、椅子に座っていたエシェルに声をかける。顔を上げた彼女は、やはり顔色は悪い。エイスーラとの精霊の力の根比べで既に消耗しきっていた所に、無理をして此処まで来ているのだ。出来れば休ませておきたいが、今は無理をすべき事態であることは彼女も承知の上だった。

 だからカルカラも憤怒の形相でウルを睨みながらも、止めることはしなかった。

 

「エシェル」

「……出来る。攻撃しろと命じれば、そうするはずだ。そうするだけの機能をウーガは持っているはずだ。でも、そうしたあとどうなるかはわからない」

「……ぶっつけ本番になるか」

 

 こんな訳の分からん巨大生物を使うことに、正直躊躇いがある。だが、そうしている間も、遠見の水晶に映る粘魔王の闇は更に膨張を続け、進行している。このまま、此方にまで到達してしまうのか。あるいは、ディズがそれを堰き止め粘魔王を滅ぼすのか、どちらに傾くかはわからない。

 しかし、自分の命運をかけた戦いをただ眺めているのはゴメンだった。

 

「……よし、エシェル。仮都市から十分に離れてから、攻撃命令を頼む」

「――わかったわ。【ウーガ】!!」

『――――――AAAAAAAAAAAAAAA……』

 

 エシェルは制御印の刻印された手の平を握る。魔力の輝きが放たれ、同時にウーガが動き出した。遠見の水晶でそれが分かる。驚くべき事に、ウーガが起き上がり、歩き出したにもかかわらず、司令塔では揺れを殆ど感じることは無かった。どういった魔術が施されてるのかは不明だが、使い魔の背中は随分と安全に設計されているらしい。

 代わりに、別の変化が起こった。

 

「ウル様」

 

 シズクが部屋の周囲を見上げ、声を上げる。ウルも同じようにすると、部屋の周囲に飾られた宝石が、光を放ち始めていた。紅色の強い光。それが宝石でなく、加工された魔石の類いであるとその時気がついた。

 部屋全体が紅色に明滅する。警戒音のような鳴動が繰り返される。攻撃の指示だけしか送っていない筈なのだが、明らかに状況がおかしい。

 

『AAAAAAAAAAAAAA』

「エシェル?ウーガ何しようとしてんだ?」

「………………多分」

 

 命じたエシェルも、少し躊躇い気味に、ウルへと向き直った。そして、少し、言いづらそうにしながら、

 

「ビームを」

「ビーム」

「ばあーって」

「ばあー」

 

 非常に端的だが分かりやすい説明だった。ウルは少し黙って、その言葉をなんとか飲み干した。そして、意識をアカネへと集中し、彼女たちに呼びかけた。

 

「アカネ!ディズ!聞こえるか!!二人とも!!そこを離れろ!!」

「全員すぐに椅子に座って下さい!身体を屈めて!!」

 

 言っている間にも、室内の鳴動と光の輝きは強くなる。シズクはカルカラに呼びかけ、同時に自身も近くに備えられた椅子に座り込む。ウルも同じようにしながら、繰り返しディズ達に呼びかけ続けた。

 

《悪い……殆ど余裕…無…。用件は早め………》

「そこから離れろ!!!!撃つぞ!!離れろ!!」

 

 呼びかける最中にもどんどんと光は強くなる。遠見の水晶も、既に映っているのはディズ達でも粘魔王でもない。強烈な紅の光だけだ。

 

「来るぞ!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!』

 

 直後、司令塔にかつてない轟音と、衝撃が走った。

 恐らくそのために用意されていた固定された椅子に座り込み、身体を屈めていたため、転げ落ちる事は無かったが、その衝撃でウルは暫く立ち上がることもままならなかった。

 衝撃は長く続いた。その間一切輝きも、衝撃も弱まることは無かった。圧倒的な力の放出であり、恐らくウルがこれまで体感した中で最も強い力だった。

 轟音に耳を塞ぎながら、ウルはヤケクソ気味に叫んだ。

 

「お前の弟アホだろエシェル!!!!!!!」

「私もそう思う!!!!」

 

 二人の絶叫は、あっという間に轟音にかき消されるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 1分以上続いた、長い破壊の騒音は、ようやく収束へと向かっていった。

 

『AAAAA……』

 

 ウーガの小さくなる鳴き声と共に、光も、音も収まっていく。それを確認してウルはゆるゆると身体を起こし、立ち上がった。

 

「……全員、無事か。アカネとディズは……?」

「私達は無事です」

「死ぬかと……思った」

「此方も……水晶、回復します」

 

 あまりの閃光に見えなくなっていた遠見の水晶が正常化し始める。

 

「…………これは」

「地形、変わっていますね」

 

 大地が、抉れていた。

 恐らく、先ほどウーガが吐き出した“びーむ”なのだろう。何処までも続く平原だったはずの大地に、深く、長く、大きな溝が出来ている。その周辺は全て焼き焦げ、焦土と化していた。

 

「……お前の弟、やっぱバカだろ」

「本当にそう思う……」

 

 大地が変貌するような破壊を起こす使い魔で、本来は何をしようとしていたのか、あまり考える気にもならなかった。ふと、司令席の机の前に、魔力で出来た文字で【対都市殲滅用魔光砲】などという不吉極まる文章が書かれていたが、忘れることにした。

 

《…ル…………るかい?!ウル!》

「ディズか。巻き込まれて無くてマジで良かった」

《しぬかとおもったー!!あほー!!》

 

 頭の中に響く二人の声に、ウルは心底ほっとした。本当に、あの爆光にディズが巻き込まれていたら洒落にならなかった。敵に塩を送るどころか、味方に引導を渡しかねなかったのだから。

 2度と迂闊に今の攻撃はすまいと心に誓った。

 

《無茶苦茶やるね、身動き取れなかったよ》

「邪魔になってないかかなり心配したが、安心したよ。粘魔王は?」

《げんきー!》

「なんでだよ」

 

 思わず素で聞き返してしまった。

 

《粘魔王の身体の大部分は今ので消し飛ばせた。恐らくかなり弱体化出来たはずだ。でも粘魔王本体の核がまだ破壊できていない。多分地面の中だ》

「土竜かよ」

《厄介なことに、大地の精霊の加護が使えるからね。更にもう一つ厄介なことがある》

「聞きたくないが、どうぞ」

《粘魔王がそっちに行った。大地の加護を併用してウーガに超高速で移動している。あの破壊の嵐の最中も動いていたならもうそっちに来てるかもしれない》

「クソが」

 

 しかし攻撃指示を出したのは自分である。自業自得極まる。

 

《私達もそっちに向かってるけど、スタートも移動速度も向こうの方が速い。逃げるか、あるいはウーガにもう一度攻撃を指示できる?地面に向かって広域で》

「エシェル。さっきのやつもっかい出来るか?今度は地面を掘り返す感じで。」

「わかっ……いや、ちょっと待って」

「どうした」

 

 エシェルは暫く沈黙しながら、自身の制御印を握っている。ウーガの主にしか分からない情報を探っているのか、暫く目をつむってそうした後に、頷いて、ウルの方へと顔を上げた。

 

「ウーガ、疲れたって」

「疲れたかあ……」

 

 そうだろうね。という感想と、ふざけんなボケという感想の二つがウルの中で同時に湧き上がり、対消滅した。今は考えてる場合ではない。

 

「ディズ、ウーガは動けない。疲れたらしい」

《そっかーふざけんなー仕方ないねー》

 

 ディズも同じ事を思ったらしい。

 

《【粘魔王】という魔物はあまり頭が良くない。ウーガを脅威に感じたなら、そのままウーガに攻撃をしようと動くのは道理だ――が》

「が?」

《“素材”のことを考えると、余計な知恵が回ってる可能性がある。凌いで》

 

 ディズの通信が切れると同時に、司令塔が激しく揺れた。

 

「うお!?」

 

 先ほどの、ウーガの攻撃の時ですらも最小限に抑えられていたにもかかわらず、揺れは激しい。その違いの理由はハッキリとしていた。遠見の水晶を覗くまでも無く、部屋の大窓から“原因が顔を覗かせてたからだ”。

 

「【粘魔王】ですね」

「はええご到着だこと……」

 

 真っ黒で、半透明の胴に、青紫の核。最初に見たときと比べ明らかに体積は縮んでいるものの、それでもまだ巨大な【粘魔王】が、司令塔にへばりついていた。先の揺れは、この衝撃だ。

 

「――――っ!!!!」

 

 エシェルが声にもならない悲鳴を上げる。

 無理もない。何せその粘魔王の頭部――本来なら頭部などというものも存在するはずはないのだが、その頭部に、誰であろう、エイスーラの頭がくっついているのだから。窓を覗いていたエイスーラの頭部は、そのまま顔を大窓に近づけ、そして、舌も歯もなにもない虚ろな口を大きく開き、叫んだ。

 

『エエエエシェェェェェェエエエエエエエエエエルゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!』

 

「……いや、おっそろし」

 

 ウルは端的に感想を述べ、疲労困憊の身体をたたき起こすように、竜牙槍を構えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

粘魔の王③

 

 エシェルにとって、エイスーラは恐怖の象徴だった。

 

 実家では最も自分への当たりが強かった。父親は自分という存在を無かったことにしたがっていたが、エイスーラはそうではなかった。ことあるごとに自分をいたぶり、辱め、嘲笑うことを何よりの至上にする男だった。

 本来であれば、正妻の子である自分と、妾の子である彼。立場は逆であった。それが、邪霊という存在で逆転したことが、彼の精神の均衡を崩してしまったのだろう。勿論、いたぶられ、陵辱の限りを尽くされたエシェルにとってなんの慰めにもならない話ではあったのだが。

 

 ――カーラーレイの恥め!

 ――どうして自分で死なないんだ?

 ――こっちを見るな!悪しき霊が移るんだよ!

 ――さあ詫びろ!!我々に!!頭を地面に擦りつけて詫びろ!

 

 他の弟や妹たちに繰り返し浴びせられた罵声は今も尚、夢に見る。朧気な記憶の中、歪な形を取り、悪鬼のような姿となる弟や妹、エイスーラはエシェルにとって、魔物よりも何よりも恐ろしいものだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『エエエエシェェェェェェエエエエエエエエエエルゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!』

 

 それが、現実の中で再現された時のエシェルの恐怖は計り知れないものだった。

 

「――――っ――ひ――――ひぁ……!」

 

 みっともなく、悲鳴にもならない声で、エシェルは泣いた。腰砕けになってへたり込んだ。殺してやると、そう決断したエシェルだったが、それでも幼少期から刻みつけられた心の傷は、未だ癒えることなく生々しく彼女を痛めつけていた。

 そこにコレである。何故彼があんな姿になっているのかなど、考える事も出来ない。ただただ恐怖に押しつぶされそうになった。

 

『かああああああええええええええええええええええせえええええええええええええ』

 

 大窓を破砕し、粘魔の手が幾つも伸びてエシェルへと近づく。

 既にまともな意識が保てているとも思えない。が、それでもウーガという超兵器そのものへの執着だけは残っているらしい、幾多の伸びる手は真っ直ぐに、エシェルへと迫った。

 

「エシェル様!!!」

 

 カルカラが、力が全く入らなくなったエシェルを横から抱えるように立ち上がらせ、部屋から出ようとする。が、既に、司令塔のあらゆる場所に、粘魔王は侵入を果たしていた。四方八方から手の平は伸び、真っ直ぐに、エシェルへと迫った。

 

「ひい――――!!!」

『かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせえええええええええ!!!!』

「喧しい」

 

 その、彼女の前に、ウルは立ち、

 

「【輪閃】」

 

 その幾多の手を薙ぎ払った。

 

「【【【水氷よ我と共に唄い奏でよ・絶零結界】】】」

 

 同時に、二人の前に立ったシズクが、多重の結界を創造し、覆った。

 

「……なんつーか、攻撃したことで徒(いたずら)に事態を悪化させた気がする」

「【粘魔王】が追い詰められた証拠だと思いますよ?ディズ様とアカネ様に任せっきりにして戦況を長引かせるよりは、賢明な判断だったかと」

「そりゃどうも……、まあこうなると、後はお任せってわけにはいかねえか」

 

 二人がそう会話している間にも、幾多の【手】はエシェルを狙うべく結界を攻撃し続けていた。結界に触れた【粘魔王】の【手】は瞬間的に凍り付き、砕け、しかしすぐに再生を果たす。全くキリが無かった。

 ウルは周囲の状況を確認しながら、エシェルへと近づいた。マトモに声も放てなくなっていたエシェルは、ウルを目の前に確認すると、縋り付くように抱きついて、泣いた。

 

「ウル、ウル!!わ、わたし、こわい!!こわい!!!」

「だろうなあ。俺でも怖いわこんなん」

 

 身体を震わせ、泣くエシェルの背中をさすりながら、ウルはむずがる子供を安心させるように、彼女を強く抱きしめて。その熱に、僅かに震えが収まったエシェルは、顔を上げる。ウルは彼女の頬に触れ、強く、ハッキリと言った。 

 

()()()()()()()()()()()()

「――――ウル」

「安心しろ。お前の方があんな亡霊より強いさ。だから泣くな」

 

 ゴツンと、額と額が強めにぶつかる。軽い痛みが、エシェルの恐怖を僅かに鈍らせた。ウルはそのままカルカラへと視線を向ける。カルカラは強くうなずいて、エシェルを受け取ると守るように抱きしめる。

 ウルはそのままシズクと幾つか言葉を交わすと、そのまま一人、部屋の外へと飛び出していった。去っていく彼の背中を、焼き付けるように見つめていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エシェルを勇気づけるためにあらん限りのかっこいい言葉を吐いた後、ウルに残ったのは、この後の自分の仕事に対する結構な絶望感だった。

 

「さて、行くかぁ……行きたくねえ」

 

 その小さな悲鳴を、すぐ側で聞いたシズクはクスクスと笑う。

 

「エシェル様にはあんなに格好をつけられていましたのに」

「精一杯の虚勢だよ……コレで死んだらダサすぎるな……」

「ウル様がダサくならないようフォローしたいですが、今は結界で手一杯です」

 

 結界の維持のため、強く魔道杖を握りしめるシズクの額には汗が浮かんでいる。彼女とて連戦に次ぐ連戦だ。もう限界は近いだろう。この結界も、そう長くは持たない。

 

「この化け物をここから引き剥がす手は一応考えてる。上手くいったらフォローを頼む」

「承知しました。ウル様」

「なんじゃい」

 

 振り返ると近付いていたシズクから触れるように口づけされた。反応をする間もなくシズクは離れ、まさに絶世と言うべき微笑みをウルへと向ける。

 

「お気を付けて。格好悪くても良いですから、死なないでくださいね」

「這いつくばってでも、そうするわ」

 

 恐れは和らぎ、削がれた。そして心には火が灯る。

 残った恐怖を踏み潰すように地面を蹴り、ウルは結界の外に飛び出した。未だ、粘魔王の手は結界へと、エシェルへと集中している。ウルは特に妨害も無く、司令塔の外、屋上へと出ることに成功した。

 屋上から見れば、粘魔王の姿がよく見える。肥えた胴、異様に細く長い手足が塔に巻き付き、肥大化したエイスーラの顔面がぐりぐりと蠢いていた。

 

『かああああああああえええええええええええせえええええええええええええ!!』

「ただの粘魔の方がまだ可愛らしい有様だな……さて」

 

 咳払いを一つして、ウルは屋上の屋根から乗り出した。そして、

 

「おおおい!!王さまよお!!俺の方は良いのか!!?」

『ああああああああああああああああああああ………………あ?』

 

 声が止まった。巨大な眼球が、ぎょろりと、此方の方を向いた。ウルは精一杯、憎たらしい笑みを浮かべ、粘魔王を、エイスーラを見下しながら、言った。

 

「お前の計画を台無しにして!!お前をそんな様にした!!名無しが此処に居るぞ!!」

『―――――――』

 

 まずは沈黙が訪れた。先ほどまで狂ったように司令塔を襲っていた幾つもの手も、ピタリと動きを止めた。ほんの僅かな空白の後、粘魔王はゆっくりと、屋上へと身体を乗り出し、そして、叫んだ。

 

『きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいさああああああああああああああああまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』

「……やっぱおとなしくディズとアカネに任せたほうがよかったかなあ……」

 

 実に格好のつかない事をぼやきながら、ウルは司令塔から飛び出す。粘魔王はその身体の全てをウルへと狙いを変え、追いかけはじめるのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 竜呑ウーガの都市部の構造は、基礎的な衛星都市の形とは少し違う。

 元より、此処を【竜呑ウーガ】の居住区画として活用することを決めていたからだろう。通常、限られた土地を活用するために高く建造される事の多い建築物が此処では比較的低い。複雑な建築が存在せず、シンプルな造りだ。使い魔として生成される途中までは、あの肉の根が蠢きのたうっていた筈だが、今は見る影も無い。シンプルだが美しい街並みが展開している。

 

「だああああああああああああ!!くっそ走ってばっかだな最近!」

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!』

 

 その中を、ウルと粘魔王は駆け抜けていた。

 ウルの目的はシンプルに、時間稼ぎだ。ディズとアカネが此処に到着するのを待っている。彼女たちならばなんとかしてくれるという確信がある。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGAAAAAAあああああああああ!!!』

 

 ウルを追いかけている現在の粘魔王は身体の大半をウーガによって焼き払われ、その体積は最初に出現したときと比べても更に小さい。一見して3メートルを超えるくらいに見える。しかも分厚かった時と比べ、身体が細身となっている分、核の位置が一目で分かる。明らかに弱体化していた。

 そして時間稼ぎなら、愚鈍な粘魔王に対してウルに分がある、と、そう予想していた。の、だ、が、

 

「猿かアイツは!?」

 

 何故か、粘魔王の身体はやけに俊敏になっていた。

 肥えた竜のような形を取っていた粘魔王は、今太く長い手足を持った獣のような姿に変化していた。その手足で行く先々の建物を引っ掴み、蹴り、跳躍する。猿のような動きでウルへと迫っていた。

 

「【咆吼・破裂弾】」

 

 竜牙槍から放つ光弾もすぐに躱される。元より俊敏である上、直撃するタイミングになると思いも付かぬ形に身体を変形させてそれを避けるのだ。敵対しているのが粘魔であるという思考をウルは即座に捨てた。相手にしているのはその王だ。

 

「く、るか!!」

 

 横に飛ぶ。直後、ウルが居た場所に粘魔王が飛び降り、地面を叩き割る。その場にいたら粉々になっていたであろう一撃を未来視で見て、ギリギリで躱す。

 宝石人形を始め、偽竜相手にも繰り返した時間稼ぎの綱渡りだ。何度となくこんな真似をしなければならない自分の不幸を呪いながらも、ウルは限界まで凌ぎ続けた――が、

 

『こおおおおおおおおおおろおおおおおおおおおおすううううううううう!!!』

「うるせ、っがあ?!」

 

 横薙ぎに、何かが飛んできた。伸ばされた粘魔王の腕が、鞭のように撓りながら、建物を破壊し、ウルを薙ぎ払った。咄嗟に籠手に付いた盾で頭を守るが、その盾ごと、ウルは別の建物へと叩きつけられた。

 

「っぐ………!?」

『おおおおおおおおまええええええのせいだああああああああああああ!!』

 

 痛みから来る熱が全身に来た。死んでないのは魔銀(ミスリル)の鎧のお陰だろう。しかしそれでも、頭から流れてきた血と、激痛で動かすこともままならなくなった左腕が、自身の窮地を告げていた。

 

「一発で……これか……!」

 

 わかってはいたが、粘魔王は明らかな格上だ。第3級の魔物だ。ウーガで大半の肉体を削ぎ落として弱体化させて尚、マトモにやり合ってウルが勝てる相手ではない。

 生身のエイスーラの時のように、準備万端で殺しにかかった時とは違う。こっちだって満身創痍、殆ど準備もナシに飛び出せば、こうなるのは自明の理だった。

 

「……時間を、稼ぐ…時間を稼ぐ……時間を、稼ぐ…!」

 

 意識が飛ばないように、自分のやるべき事を繰り返す。ディズとアカネが来てくれるまで耐える。今ある勝機はそれだけだ。そのために全神経を集中する。

 

「おら!掛かってこいよお猿の王さまああ!!」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 ウルの言葉に怒り狂ったのか、あるいはもう既に理性など溶けてきているのか、言葉にならないわめき声を上げながら、粘魔王が再び接近してくる。ウルは全神経を集中し、目の前の一撃で死なない事だけに集中し――

 

『っしゃおらぁああああああああああああ!!!!』

 

 その、粘魔王の横っ面に、ロックンロール号が追突した瞬間を目撃した。

 

『GAYAAAAAA!?』

「ロック!?」

『カァーッカカカカ!!初めてやってみたが楽しいのうこれぇ!!!』

 

 横からの衝撃で粘魔王は狙い(ウル)から大幅に逸れた斜め前方の建造物に身体を突っ込ませ、ロックンロール号は突撃の衝撃で自壊し同じく後方へと吹っ飛び、六つの車輪を幾つか吹っ飛ばしながら別の建造物に激突し、停止した。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 だが、それでも尚、粘魔王はウルを狙うことを止めることはしなかった。その両腕が伸びる。先ほどウルを叩きのめしたように、鞭のようにしなった両腕がウルへととんでくる。

 

「【速記開門!!!】」

 

 同時に、リーネの声と共に、白王陣の起動の音が響く。空中にも魔法陣が転写され、そこから発生した巨大な氷柱が粘魔王を狙い、射出される、胴に突き立ち、同時に破砕し砕けた氷が刃となって粘魔王の身体をズタズタに引き裂いた。

 勝った、リーネの白王陣の強さを知るウルは一瞬そう思った。

 

『【ウリガンディイイイイイイイイイイイン!!!!】』

 

 聞き捨てならない、恐ろしい言葉を粘魔王が発するまでは。

 

「――――いやマジでふざけんな大地の精霊!!!!!」

 

 抗議も空しく、大地は動いた。

 粘魔王の身体が輝く。砕け散りそうだったその身体が不安定なその光に護られ、白王陣の氷柱を防ぐ。それだけでも脅威であったのに、ウルが立つ地面さえも揺らいで、砕け、溶けていく。まるで沼のように足が沈んだ。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』

「――――!!」

 

 崩壊した地面の中を、自在に動ける粘魔王が飛びかかる。最早、回避動作すらままならない。死ぬと、ウルは確信した。

 

「【【【【黒鎖】】】】」

 

 だが、その直前に、その身体を黒い鎖が封じた。シズクの魔術だ。しかし、恐らく急ぎ編んだであろう魔術の鎖はほんの僅かの内にヒビ入り、砕けようとしていた。

 

「時間がありません!ウル様!!!」

「――――【縷牙】!!!」

 

 言われるまま、泥沼のようになった地面で足を固定する。残された右腕を竜牙槍で斬り付け、呪われた血を纏わせ、竜牙槍を繰り出す。大猿の形をした粘魔王の身体を槍が貫く。

 同時に、稼働していた魔道核が光熱を放ち、粘魔の肉体を焼き焦がし、破壊する。

 

「【咆吼】!!!」

 

 そして内部で放たれた咆吼で、その身体の全てを弾き飛ばした。核が露出し、同時にそれが粉砕したのが見えた。

 

『いよっしゃあ!!!』

 

 ロックが鬨を上げる。ウルも同じように勝ったと、そう思った。

 

「いえ!まだ“音”が消えていません!!!」

「は?!」

 

 シズクのその指摘に、ウルはぎょっと周囲を見渡す。確かに核は破壊した。粘魔王は討ったはずだ――――と、そこまで考えて、粘魔王との戦いが始まった直後、シズクが言った言葉を、ウルは思い出した。

 

 ――粘魔の増殖方法を覚えてますか?

 

 同時に、彼の後ろ、沼のようになった地面から蠢く音がした。

 ごぼりと、泥の中から這い出たような、気色の悪い音。振り返らずとも、何がそこにいるのかはウルにはわかった。だが、既に沼のようになった地面から身体を動かす体力も無く――

 

『しぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!』

 

 ()()()()()()()()が、エイスーラが、凶刃をウルへと振り下ろす。

 

「【魔断】」

『――――――AAAああ……!?』

 

 そしてそれよりも早く、到着したディズとアカネの一撃が、その核を断ち切った。

 

「――――まーにあったあ……!」

《にーたんまた死にかけてる!!!》

 

 ウルの、首寸前まで伸びた牙が崩壊する。他の粘魔達と同じ急所を砕かれれば、その全てが砕け散る。どのような経緯で誕生したとて、粘魔という存在である以上その運命は変わりない。

 爪先から長く伸びた腕、身体に翼、そして最後に、エイスーラを模した頭が砕けて消える。あれほどに喚き散らしていた絶叫も既に無い。か細い断末魔の声が間近にいるウルにしか聞こえないくらいに小さく響いた。

 

『お……ねえ……ちゃん……』

 

 そんな事を言って、砕けて消えた。

 

「……それをお前が言う資格はねえよ」

 

 ウルはぐったりと、消滅した男にそんなことを告げながら、倒れ込んだ。

 

 粘魔王の討伐は成った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

長同士の労い

 大罪都市グラドルは混乱の極みにあった。

 

 突如として、神殿から複数の巨大な竜の影が飛び立ち、更にそれ以外も複数の神官や従者達が【粘魔】とおぼしき魔物に変貌を遂げたのだから。安全な太陽神の腕の中、美食の都市として安寧と快楽を貪っていた彼らにとってソレはあまりに思いも寄らぬ天災だった。

 都市の治安を任された騎士団も駆け回るが、無論、この未曾有の事態に騎士団達も混乱していた。そもそも彼らの内からも同じように【粘魔】に変貌する者が出てきていたのだ。統制もろくに取れてはいなかった。

 

 だが、それでも尚、死者や怪我人は驚くほどに少なかった。

 

 それは、神殿が混乱を収めた訳ではなく、騎士団達が迅速に動いた訳でもなかった。

 竜騒動で守護についていた黄金級、【真人創りのクラウラン】、そして彼の部下達とおぼしき蒼髪の戦士達の活躍である。彼らは真っ先に粘魔達を押さえ込み、トップが粘魔化し混乱した騎士団達を統制、神殿の無事な神官達に働きかけ、都市の機能をいち早く回復させた。飛竜となって飛び去った一部の粘魔達以外の、都市で暴れる粘魔達を滅ぼしていった。

 

 この機に便乗するように動いていた邪教徒も、何かを目論む間すら与えず見事捕らえてみせたのだから、まさにグラドルの救世主と言える活躍だった。

 

「全く、都合の良い連中ですね。少し前までは無駄飯くらいと陰で笑っていたくせに」

 

 今し方、都市の路地裏に潜もうとしていた粘魔を1体打ち倒したファイブは、クラウランに称賛の声を上げる神殿の神官達に、小さく悪態を吐く。

 

「そう言うなファイブ!実際、平時の時の我々は無駄飯喰らいだったのだ!」

「それが腹立たしいのです。自分たちの都合で貴方を縛り、素知らぬ顔で貴方を罵り、挙げ句今は称賛している。手の平返しをするにしても、あまりに品性が無い」

 

 ファイブは怒っていた。彼自身がどう言われようと気にしないが、彼の“創造主”であるクラウランがコケにされるのは我慢ならない。しかも今回の騒動は明らかに、グラドルという都市の歪さが招いたものだ。その歪さの尻拭いを、何故創造主がしなければならないのか。彼は憤っていた。

 しかし、クラウランは首を横に振る。

 

「違うなファイブ。私を縛ったのは、我らに感謝している彼らではない。今回の騒動の原因はエイスーラ含むカーラーレイ一族の一部。騎士団団長、そして一部の神官と従者達だろう」

 

 そして彼らは全員、粘魔に変わった。自らの業のツケを支払う羽目になった。

 

「今我らに感謝してくれる者達の多くは事情も知らぬ者達だろう。安易にヒトを括ってはいけないよ。ファイブ」

「……申し訳ありません。マスター」

「良いとも!私を思ってくれてのことだろうからな!!む?!」

 

 と、会話をしている最中、クラウランが顔を上げる。視線の先には先ほどファイブが打ち倒した粘魔がいる。核を破壊し、後はゆっくりと自壊を待つだけだった粘魔が、その自然崩壊の速度を急速に速めていた。間もなく霧散し、散り散りになって消滅を果たした。

 

「これは……」

「マスター」

 

 そこに、空中から人影が降り立った。魔術を使っていたのだろう、セブンが重力を無視した動きでゆっくりと、虚空を滑るようにしてクラウランの胸元に飛び込んでいった。クラウランは彼女を確りと受け止めて、微笑んだ。

 

「おお、セブン!探索ご苦労様だ」

「粘魔の気配が無くなったわ」

「そのようだ。……どうやら我が同胞が、この大本を断ってくれたらしい」

「勇者、ですか」

 

 クラウランは頷く。セブンの頭を撫でると、顔を真剣に戻す。自らが生み出した、愛しの子供達であると同時に、自分の手足である優秀な戦士達に指示を出す。

 

「さあ、彼女の仕事を無くしてあげようじゃないか!怪我人達を癒やし、混乱を鎮めるのだ!」

「了解です。我がマスター」

 

 かくして、グラドルの混乱は収められていったのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一方、混乱の中心たる【竜呑ウーガ】はというと、

 

「うーわー、すごいっすねー。秘密都市って感じっすねー。めっちゃぶっ壊れてるけど」

「うるせえ静かにしろラビィン」

「アレ公園ですかね。何でしょうあの無駄にでけえ噴水の像」

「美の精霊フローディアじゃないの?頭吹っ飛んでるけど」

「てめえらもはしゃいんでんじゃねえよ」

 

 白の蟒蛇は、竜呑ウーガに乗り込んでいた。彼とラビィンだけでなく、部下達も揃っての搭乗である。そしてラビィンだけでなく全員が結構はしゃいでいた。ジャインは頭が痛くなった。

 最も、ジャインとて、幾らかの高揚とした気持ちが無いでは無かった。ウルから事前に言い渡されていた“報酬”が、現実味を帯びてきたからだ。

 

「本当なんすかね?()()()()()()()()()()()()()()()

「向こうが報酬として提示したのは確かだ。契約も魔術で結んだ。不履行の場合でも金をふんだくれる」

 

 ジャインが目的を語った後、ウルが提示してきた条件がソレだった。即ち【竜呑ウーガ】の簒奪と、そのウーガの搭乗権を獲得すること。捕らぬ狸の、と言うにもおこがましい滅茶苦茶な報酬条件だった。

 が、ジャインはそれを承諾した。そしてその賭けに勝った。

 

「しょーじきあの条件承知したときは本気で脳みそまで肥えて頭おかしくなったんかと思ったすけど、いやー流石っすねージャインさん」

「手の平返し清々しすぎてキレる気にもならん」

 

 実際、かなり分の悪い賭けであったのは確かだ。その条件で受けたのは、千載一遇と言える好機であったのもそうだが、何より、あの時ウルという冒険者の発する得体の知れない空気に呑まれたのは否めない。

 そう考えるとかなり腹立たしいし、それで成功したのだから更に腹立たしい。とはいえ、それで結果として、彼の夢、人生の目標がかなり具体的な形で現実になりそうなのも事実であり、感情の置き所に少し困っていた。

 

 とりあえず本人達に1度悪態をついた後、報酬のやり取りを確認するか。と、現在ウーガに乗り込んだ次第なのだが――

 

「……何やってんだお前ら」

 

 ジャインは地面に死んだように倒れているウル達一行を発見し、呆れ顔になった。特にウルに至っては、泣きじゃくったエシェルに抱きしめられてもピクリともしない。疲労で動けないのかされるがままの状態だ。

 が、周辺の、特に破壊の酷い街並み、高熱で溶かした金属のようにドロドロになって、その後固まったような異様な地面、車輪が吹っ飛んでほぼ半壊している謎の戦車、そして、体中に治癒符が貼り付けられ、左腕がグルグルの包帯巻きになったウル自身を見れば、壮絶な状況であったことだけはわかる。

 

「疲労で、ぶったおれてた」

 

 ジャインに気づいたのか手を上げようとして、痛んだのかそのまま下ろした。

 

「ほんと、ひっでえ戦いだった」

「見りゃ分かる。いやよく分からん。どうなってんだこの辺り」

「邪教のやつら、おもったよりずっと、あたまおかしかった」

「……どういう戦いだったかは気になるが、ソレは後だ。勇者はどうしたよ」

「グラドルすっとんでった」

 

 随分と慌ただしい事だが、しかし、グラドル方面からもあの飛竜が飛んできたことを考えれば、その懸念もわかろうというものだった。最も、グラドルには確か【真人創り】が在駐していたはずだから、滅多なことにはならないだろうと思うが。

 とはいえ、今はグラドルのことも勇者の事も置いておこう。重要なのはそこではない。

 

「で、報酬は支払ってもらえるんだろうな」

「そのつもりだ、が、ウーガが、これからどうなるかわからない」

「……ま、俺達の手には余る代物なのは確かだろうな」

 

 ウーガの破壊の一撃はジャインも目撃している。と言うか、目撃しないわけがなかった。地形すらも変える恐るべき破壊の渦。アレを生み出したウーガという存在は、下手をすれば今後の人類生存圏に多大な影響を与えかねない。

 結果、ウルとジャインとの間の取り決めなど吹っ飛ぶ可能性は勿論あり得る。そうなった場合不履行の違約金はいただくつもりではあるのだが――

 

「まあ、兎に角、あれだな」

「ああ、あれだな」

 

 ウルとジャインが互いに顔を見合わせる。互い、交換したい情報も、話し合わなければならないことも、山ほどあるが、それはそれとして、一つ、区切りとして、言わねばならないことがあった。

 

「「お疲れ様だ」」

 

 二人のギルド長がそう言って互いを労った。

 こうして竜呑都市ウーガを巡る、長い混乱と、戦いの日々は、ひとまずの集結を迎えたのであった。今回の戦い以降、ウルの命運はさらに加速し、激しい混沌の渦の中に呑まれていく事となるのだが、ソレはまた別の話。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

【天陽騎士エシェルの依頼:竜呑都市・ウーガを解放せよ】

・未達成

 

【天陽騎士エシェルの依頼:謎の翼竜を討伐せよ】

・達成

・飛竜獲得魔石:金貨三枚相当

・粘魔(強)の魔片 吸収

 

【粘魔王討伐戦:リザルト】

・粘魔王撃破報奨金:なし

・粘魔王獲得魔石:金貨25枚相当

・対都市超大型使役獣[竜呑ウーガ]簒奪

・粘魔王の魔片 吸収

 

【エシェルの依頼:カーラーレイ一族暗殺依頼】

・達成

・【鏡の寵愛者】エシェル・レーネ・ラーレイ隷奴化

・業《カルマ》大幅に増加。

・未覚醒技能【大物殺し】→【王の殺戮者】に変化

・【王の殺戮者】

 →支配者への敵対時能力向上 特殊希少技能(680年間取得者無し) 自動技能 【禁忌】

 

 

 




【白銀の虚】
【黄金の聖者】
【緋終】
【死霊王】
【白神の創造者】
【宵闇の女王】

かくして役者は揃い 交差し 果てに【灰の王】は降臨する


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市プラウディア編
噂話と黒い王様


 

 噂を聞いたか?

 

 噂?

 

 期待の新星の噂さ

 

 銀級のゴウレンの話?

 

 ちげーよ!そいつ確か死んだだろうが!人形殺しの話だ!!

 

 ああ、不死殺しの?

 

 怪鳥殺しじゃなかった?

 

 つい最近、粘魔王殺しになったらしいぞ

 

 は?粘魔王なんて、銅級に殺せる代物じゃあねえだろ?

 

 殺ったらしいぞ。お陰で今ギルド上層部は大慌てだ。

 

 なんでお前上層部の事情に詳しいんだよ

 

 コイツ、ギルド正規職員に彼女いるんだって

 

 は?羨ましいなオイ。極秘情報筒抜けなの?

 

 んなことしたら仲良くギルド追放だっつの。おかげで情報の回りははええけどよ

 

 んで、その粘魔殺しがどうなるって

 

 粘魔殺しなら俺にも出来るわ!近々銀級に昇格するんじゃねえかってさ

 

 ……アイツ冒険者になったのいつだよ

 

 聞いた話じゃ1年も経ってねえ。だから大騒ぎなんだよ

 

 っかー!天才は羨ましいねえ!!

 

 しかも、だ。神官様をたらしこんでとんでもねえ使い魔を手に入れたってよ

 

 なんじゃそりゃ、よくわかんねえな。強いのか?

 

 強いっつーか、デカイ?なんでも都市並みにデカイらしい。

 

 いやいやんな馬鹿な……冗談だろ?冗談じゃねえの?

 

 んで、巨星級をその使い魔でなぎ倒して更に功績荒稼ぎしてる、とか。

 

 …………なんかもうそこまでくると現実味がねえな。

 

 嫉妬する気にもならんと言うかマジでなんでそんな事になってんだソイツ

 

 私、その粘魔王殺し見たことあるけど

 

 お、マジか。どんなやつだった。

 

 ふっつーの子供だったよ。大勝ちしたときはお酒奢ってくれるから良い奴だったけどね

 

 そんな普通のガキがなんだってそんな出世すんだよ。

 

 でもね。一緒にいた女はヤバかったね。銀髪の女の子なんだけど

 

 あ、俺もソレは知ってる。滅茶苦茶とんでもねえ美人の女がいるって。

 

 え、何?そのガキ、そんな美人もはべらせてんの?ますますゆるせねえ

 

 その女の子、あらゆる男を手玉にとる魔性の女だったんだって。しかも超天才魔術師

 

 はっはーん。そのガキは実はその女に操られてるってオチか

 

 でもなんでじゃあその女が前に出ないんだよ。

 

 そりゃ、目立つのがゴメンだからだろ?

 

 嫉妬や風当たりは男に任せて、美味しいところだけは女が戴くってか。悪いねえ

 

 俺は、名声を貰ってちやほやしてもらった方がいいけどなあ

 

 おめーみてえなバカは真っ先に操られそうだな。

 

 んだとてめえコラ!

 

 いってえなやんのかコラ!!

 

 あんたらどっちともバカだよ

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 冒険者のたまり場、酒場では今日も今日とてケンカが始まる。

 酔っ払いのバカどもの大喧嘩。とはいえ、その二人とも、曲がりなりにも迷宮を幾度となく潜ってきた冒険者達である。力も強く、酒で抑制を失った力に巻き込まれれば怪我では済まず、止められる者は少ない。

 というか、そもそもわざわざ止める者がいない。趣味は悪いが、酔っ払いの醜態は冒険者達の一種の娯楽で、早くも賭けが始まるほどだ。店側も、冒険者達を相手に商売を続けている以上、そういったものには慣れっこだ。賭けで出た儲けの一部は破損した店の修繕費に回す流れになっているから、幾らか店が壊されても怒ることもしない。いつもこうなるから内装に高いモノも置いてはいない。

 軋む椅子と安酒に文句を垂れる奴はこの店にはやってこない。

 

 そんなわけで、いつも通りのケンカと馬鹿騒ぎは歯止めが無かった。どっちかが参るか、酒が回って両者グロッキーになるかのどちらかというのがいつもの流れだった――――が、今日に限っては少し、その流れが異なった。

 

「お楽しみの所失礼。ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

 

 店外からの新たな客を告げる鐘の音と共に、体躯の大きな獣人、深い艶のある声音の男が、二人の前にやってきた。酒と怪我で頭に血が上った男二人は闖入者を胡乱な顔つきで、睨み、そのまま飛びかかろうとする。が、

 

「邪魔するぜ」

 

 と言うや、片手で一人ずつ、上から、まるで暴れる子供を押さえるように容易く、二人を地面に押し倒してしまった。子供扱いという他ないやられ方に、男達もすっかり酔いが覚めて、呆然と、真っ黒な髪と耳の獣人に目をやる。

 雄々しい顔つきだが、若くは見えない。しかし老いを感じさせない力強さがあった。そして気づいた。

 

「…………あんた、【キング】か?」

「へえ、お前みたいに若いのが、俺の名前を知ってるのか。久々なんだがな、外に出たのは」

 

 その瞬間、どよめきと歓声が酒場に湧き上がった。

 

「ブラック!!ブラック!!()()()()()!」

()()から這い出てきたのか!!オイオイマジかよ大ニュースだ!!」

 

 王と、そう呼ばれた男は少し呆れたようにしながらも手を上げる。ケンカの邪魔をされ叩き伏せられた二人の酔っぱらいもすっかりのめされたことを忘れたらしい。彼はその二人の両肩を掴むと、子供のように楽しげな声音で、こう言った。

 

「なあ、俺にもその【粘魔王殺し】ってガキの話、聞かせちゃくれねえか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市グラドル 混沌の2か月

 

 大罪都市グラドルに発生した粘魔災害から2ヶ月が経過した。

 

 多くの神官や従者が死亡した大事件は、当然ながらグラドルを大きく混乱させた。都市の支配者達が死亡する、というだけでも最悪と言えたのに、その彼等が悍ましい不定形の魔物に変貌を遂げたのだ。特に、その悍ましい光景を直接見た者達の中にはショックで暫く口をきけなくなった者までいた。

 

 が、2か月だ。2ヶ月という時間は、恐ろしい混乱と向き合うのに十分な時間だった。

 

 特に、被害が神殿の内部に集中しており、都市民には被害が殆ど無かったこともあって、市井の回復は非常に早かった。勿論、彼らとて、心の拠り所とも言える神殿で事件が起こった事実に心を痛めはした。だが、だからといっていつまでもくよくよと悩んでいるわけにもいかない。嘆き悲しみ絶望しようと明日は来るし、仕事があり、それをこなさなければ生きていくことは出来ないのだ。

 生きていくために、彼等は自然と、以前までの生活と変わりなくなった。

 

 対して、大きな混乱と、そこからの変化を余儀なくされたのは神殿の方だ。

 

 何せ、現シンラであるカーラーレイ一族が粘魔に変貌を遂げ、その大半が死亡したのだ。更にカーラーレイ一族に関わり深かった神官、従者に至るまでそうなったのだ。

 しかもその、おぞましい変化を遂げてしまった者達が、単なる被害者ではなく、危険な者達と繋がって、しくじった結果なのも明らかだった。グラドルに不正が横行し、カーラーレイ一族が妖しげな連中と繋がっていたのは、表だって指摘できる者がいなかっただけで、暗黙の了解だったからだ。

 

 バケモノとなり、死亡した者達は自業自得と、片付けられるのであれば楽だった。

 

 が、この騒動で、粘魔に成らなかった者達の中にも、自身の無事に確信が持てない者は多かった。慢性的に不正が広まった神殿内で、後ろ暗いものを抱えた者があまりにも多すぎたのだ。

 結果、いつ、自分もあの時のように悍ましい魔物に変化してしまうのではないか。と、恐れ戦き、怯えて引きこもるような者達まで出る始末だ。

 

 混沌極まった神殿を統制したのは、騒動の直後やってきた七天の【勇者】だった。

 

 本来、プラウディアの天賢王の下僕と言える勇者に対するグラドルの偏見は重く深かった。彼女の手を借りるくらいならば、汚らわしい名無しの冒険者にでも縋った方がマシ、というのが、以前までのグラドルの多数派の意見だった。が、今となってはそんな思想を振りかざす余裕も全くなく、【天賢王】の代行者としての彼女の指示と管理をグラドルは受け入れた。

 

 そうしてひと月経ち、ようやく、精霊の力の代行、国の統治組織としての機能が回復し始めた頃、グラドル神殿に新たなるシンラを冠する一族が選出されることとなった。本来、新たなるシンラの拝命は、様々な引き継ぎや、手続き、儀式が必要である筈なのだが、現行のシンラ一族が存在しない状況は問題であると、【勇者】がプラウディアの天賢王に打診し、急遽決まった形だった。

 

「ラクレツィア・シンラ・ゴライアン。天賢王の命に従い、シンラの地位を拝命致しました。どうぞ皆様、よろしくお願い致しますね」

 

 神殿内の都市運営会議のただ中、初めにそう宣言したラクレツィア・シンラ・ゴライアンに向けられる視線は歓迎が半分、不承不承と敵意が更に半分半分であった。

 カーラーレイ一族に並ぶ程に古くからグラドルに貢献し、精霊とも高い親和性を持ったゴライアン一族がシンラを拝命すること、それ自体は自然な流れだった。

 また、カーラーレイ一族とは仲が悪く、結果、今回の騒動でもほぼ無傷だったことで、神殿内での影響力を飛躍的に伸ばした。

 

「まずは今回の件で亡くなった神官や従者の皆様に対して、お悔やみを申し上げます。皆様がどうか健やかに太陽神の御許へと迎えられますよう祈りましょう」

 

「よく言うのう全く……」

「運ばれるわけないというのに。邪教に手を染めた連中が……」

 

 ひそひそと交わされる陰口をしれっと無視して、祈りを捧ぐラクレツィア・シンラ・ゴライアンは、ゴライアン一族の女当主であった。只人で年齢は50代半ば、加齢で弛んだ頬から角蛙と呼ぶ陰口もある。だが、その陰口を直接彼女に浴びせられる者はいない。

 混乱の最中、勇者ディズ・グラン・フェネクスの指示をいち早く受け入れ、共にグラドル神殿の混乱をまとめ上げたのは彼女だ。今回の期に神殿のトップに上り詰めた彼女の才覚を疑う者はいないだろう。

 

「それでは今後の方針を改めて説明致します」

 

 ひそひそと続いていた陰口を、彼女は鋭い一言で一蹴する。混迷のただ中、重大な損失を幾つも抱えた現在のグラドル神殿において、彼女の指導力が必要なのは誰の目にも明らかだった。

 

「現在、グラドルが損失した神官の数はあまりに多く、そして失った神官の数は国力低下に直結することは皆様に説明するまでもないことでしょう」

 

 都市の管理、運営、食料の生産、結界の維持、あらゆる所に精霊の力は活用される。消費も複雑な工程も介さず、行う奇跡の数々。それを執行できる神官とその力を維持する従者や都市民の数こそが、国力と言っても過言ではない。

 グラドルが今回が失った力は大きい。幾ら不正を蔓延させた不良神官であったとしても、神官は神官だ。ただそこにいる、というだけでその影響力は違うものだ。

 

「損なわれたものはすぐに取り戻す事は出来ません。従者らの神官への昇格試験の推奨など、出来る事はありますが時間は掛かります。現在行なっている事業の幾つかの縮小は余儀なくされます。特に、カーラーレイ一族が主権だった折に繰り返された都市拡張計画については、大幅な縮小が必要です」

「だが既に建築途中となった都市はどうするのだ。既に多大な投資と人材も消費しているのだぞ」

「残念ですが、投資した資金を惜しみ、これ以上の負債を抱えるだけの余裕は今のグラドルにはありません」

 

 キッパリと告げられた言葉に、神官達は呻き、青ざめる者もいる。彼らの中にはカーラーレイ一族のしてきた衛星都市増設計画に乗って投資した者達も多くいる。中には気が気でない者もいるだろう。しかし、ラクレツィアの指摘に反論する余地もまた、無かった。

 更なる金を注ぎ込んだ先に待ってるのは破産だ。投資というものは、懐にたっぷりの余裕がある者がする事だ。貧しい者が行うギャンブルではない。

 

 反論が無いことを確認し、ラクレツィアが咳払いする。神官達が顔を上げる。

 

「そして、それらとは別に、急ぎ我らの間で対応を考えなければならない存在があります」

 

 此処までの話は、おおよそ既定路線だった。そしてこれからの話が本番であると、暗に告げていた。此処ではなく、遙かに離れた場所を見据えるような鋭い視線で言葉を継げる。

 

「元衛星都市、現【対巨星級移動要塞都市、竜吞ウーガ】の運用法について」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【グラドル神殿】、執政室。

 

「…………全く、皆能天気なのだから!」

「やあ、お疲れ様」

 

 豪華絢爛な執行室に戻ったラクレツィアを出迎えたのは、金色の七天、【勇者】ディズ・グラン・フェネクスだ。無意味に宝石などがちりばめられた椅子に座りながら、ひらりと手を振ってラクレツィアを出迎える。

 先の会議で幾らか機嫌を損ねていたラクレツィアは、勇者を見ると、その眉をキリリとつり上げる。

 

「幾ら【勇者】といえど、勝手にシンラの執務室に立ち入られては困るわ」

「必要書類を届けに来ただけだよ。私が神殿を出歩くと刺激が強すぎるしね」

「その気遣いを私にも向けてはくれないのかしらね」

 

 ラクレツィアの嫌みを勇者はさらりと受け流す。

 勇者に対する彼女の当たりは強い。そもそも彼女の一族、ゴライアン家はカーラーレイに次ぐ古い神官一族で、ウーガ騒動が起こるより以前はプラウディアに対しても非協力的だった。敵対していたと言っても良い。

 

 カーラーレイとも敵対しており、不仲だったが、敵の敵は味方、とはいかなかった。

 

 で、あるにもかかわらず、ラクレツィアが彼女を受け入れたのは、天賢王の代理として大きく鉈を振るえる立場である勇者が必要不可欠だと理解していたからだ。混乱を放置しておけば、ひょっとしたら、粘魔の騒動より多い死者が出ていた可能性もある。彼女にとってもそれは苦渋の選択と言えた。

 そして苦渋であっても必要であれば躊躇無くその選択を取るのがラクレツィアだった。

 

「今後協力していくのであれば、天賢王の権威を傘に、無造作にグラドルの政治に手を突っ込んでいくのは控えてもらえないかしらね。貴方はまだマシだけども……」

「悪いけど、私【七天】じゃ一番下っ端で、言うこと聞いてくれるヒトいないんだよね」

「そういう歪な繋がりの薄さを何とかしなさいって言ってるの」

 

 笑う勇者をラクレツィアは一喝する。

 その姿は不真面目な生徒と口喧しい教師の構図であった。実際、彼女は神殿内で神官見習い達に精霊の力の扱いを学ばせる指導官としての任に就いていたこともある。厳しく、容赦ない指導で、生徒の殆どからは恐れられていた。

 神殿内の業務という点では政治的に携わる機会が無い閑職だ。カーラーレイ一族と敵対していたが故に彼女はそんな場所に追いやられていたのだ。

 それを考えるととてつもない出世であるが、カーラーレイ一族の集団自殺を歓迎する気にはとてもなれなかった。

 

「カーラーレイ一族も、かつての王族の血を引く唯一の一族であったというのに、何を無責任に退場してるのかしら」

「生き残りはいるでしょ?」

「今回の怪しげな計画にも噛めなかった末端に、邪霊の愛し子でしょ?どのみち大地の精霊の加護が全く使えないんじゃ生産都市の貢献も不可能」

「オマケに邪霊の愛し子は【ウーガ】の制御印保持者だね」

「頭が痛いわ……」

 

 心底迷惑だ、というように顔を顰める。「これなら死んでもらっていた方がマシだ」と口憚らず宣ってるグラドルの他神官よりはよっぽど慎み深い態度ではあったが。

 

「でも、【ウーガ】に直接出向くんでしょ?何とか利用するために」

 

 問われ、ラクレツィアは渋々と言うように頷く。

 

「今後のグラドルを思えば、向き合わざるを得ないでしょ?だというのに他の神官達は腰引けてるんだから……」

 

 都市規模の、戦略的機能も備えた巨星級移動要塞。それが一応形式上、グラドル所属の都市ともなれば、それを無視する訳にはいかない。それがもたらすであろう莫大な富とリスクがある以上は。

 この2ヶ月で、ウーガの取ってる“活動”は間違いなくグラドルにとっては利益となった。が、それでも、グラドル神殿では、ウーガそのものを危険視する意見は多い。前例の無い異物を恐れる声は多いのだ。

 そうなるとやはり、間接的な情報ではなく、直接的に見聞きし、見極めなければならない。

「ごもっともだね……やれやれ、ウルは苦労しそうだ」

「……その“名無し”の話、少し聞かせてもらっても良いかしら?」

 

 勿論、今回のウーガの騒動の中心となった冒険者達の名前は彼女も把握している。ウーガに出向く以上、彼と直接顔を合わせ、交渉することもあるだろう。相手は名無しで、自分よりも立場上、遙か格下だ。それでも交渉する可能性がある相手に対して、事前に準備を怠るような真似は彼女はしなかった。

 ディズはその問いに、少し楽しそうに応じた。

 

「基本、誠実な男だよ。欲は小さいが我は強い。彼と向き合うなら、難しく構える必要はない。誠実さには誠実さで返せば拗れはしない」

「誠実に向き合わなかった場合は?」

「察知して、距離を取るだろうね。逆手に取って利用しようとも思わないだろう」

「……名無しらしからぬ、在り方ね。王道とも言える身の守り方だわ」

「……教育を施したヒトは、彼が不器用と知っていたんだろうね」

 

 語る勇者は、ラクレツィアの称賛を嬉しそうに受け入れた。我が事のように。

 

 それだけ彼女にとってその名無しというのは“お気に入り”であるらしい。

 

 名無し相手にそこまで思い入れを強くするのは、ラクレツィアにはあまり理解できない所だった。そもそも彼女は“名無し”の者達と関わったことが殆ど無い。彼女に限らず、神殿から官位を授かる者達の多くは、都市の中で日々を不自由なく暮らしている。わざわざ自ら出向かない限り、都市の外と中を行き来する名無し達と関わる機会などそうそう無いものなのだ。

 だから彼女の話を聞くまで、割と軽視すらしていた所はあった。が、勇者の話を聞く限り、どうもその考え方は不味いらしい。ラクレツィアは勇者の話から名無しのウルという男の評価を少しずつ修正していった。

 

「あとは……」

「あとは?」

「……いや、貴方なら問題ないとは思うよ。気にしないでいい」

「なんなの?煮え切らないわね」

 

 追求するが、彼女は笑うばかりだ。

 その態度にラクレツィアは少し苛立ったが、これ以上喋る気はない様子だったので、それ以上の追及は止めた。まずは今聞いた情報だけを頭に入れていった。

 と、そうしているとノックの音がした。入室を許可すると、中から現れたのは、グラドル再建のもう一人の貢献者だった。

 

「失礼致します。シンラよ」

「……クラウラン様。ご用件があるのでしたら、コチラから出向きましたのに」

「私とは随分応対が違うね。ラクレツィア」

「喧しいわよ」

 

 【真人創りのクラウラン】、グラドル混迷時、多くの“部下”を指示して沢山の命を救った救世主だ。見た目こそ一見、不細工と言っても過言でないが、口喧しい、汚職神官達ですら、今の彼に向けるのは侮蔑ではなく、敬意と感謝だ。

 ラクレツィアも、自分の夫と、息子達を彼に救われた経緯がある。頭が上がらないのは彼女も一緒だった。

 

「今日はあなたにではなく、同胞に用件があってね。元気かね勇者よ!」

「昨日もあったばかりだろうクラウラン。用件って事は、アレが出来たんだね?」

 

 おうとも、と、彼は、自身の部下である蒼の髪の少年に目をやる。彼は布にくるまれているソレを両の手で大事に抱えるようにして運んできた。

 

「君に調整を任されていたモノがようやく完了したよ」

 

 彼は、そっとそれを置いて、布を取り払う。中から現れたのは、見る者を感嘆とさせる意匠の施された、白く輝いて見えるほどに美しい、金色の鎧だった。

 武具の類いには全く知識の無いラクレツィアだったが、その鎧が、とても美しく、そして

ただ、美しいだけのものではないというのはすぐにわかった。前にするだけで、自然と居住まいが正されるような力がそこにはあった。

 

「【陽神の鎧】だ。受け取りたまえ同胞。中々苦労したとも」

「ん。ありがとう同胞。試着してみようか。アカネ」

《んーにゃー》

 

 勇者が上着を脱ぎさると、彼女の外套から紅色の妖精のような姿をした使い魔が出現し、彼女の身体に纏わり付いた。薄いインナーのようになったのを確認し、勇者は鎧を身につける。

 自分よりも二回り以上若く生意気な少女、という事をラクレツィアは一瞬忘れた。それほど、世にも美しい鎧は在るべき場所収まったかのように、勇者に備わった。

 

「残るは【星剣】、プラウディアの騒動にはなんとか間に合ったね」

 

 窓外から遠く、故郷を鋭く見つめるその姿は、確かに【七天】の勇者のソレだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市エンヴィー 好奇の2か月

 

 

 

 驚天動地!!グラドルの大地に巨星級の要塞都市爆誕!!

 

 などという、少々悪乗りに近い新聞が【大罪都市エンヴィー】を巡ったのは、【竜吞ウーガ】が誕生してからおよそ2週間が経った後の事だった。

 都市一つが丸ごと“移動要塞”と化す。歴史を顧みても類を見ない超大規模の大魔術。

 そしてその裏で蠢いた邪教徒の影、神殿との妖しき繋がりをほのめかす黒い噂。

 神殿が咎めるギリギリのラインの情報は、都市民達を大いに沸かせ、娯楽として楽しませた。隣接してもいない別の大罪都市の話題は、大体の都市民にとってすれば他人事だった。

 二ヶ月の間に、新聞が出回り、都市に情報が行き渡り、様々な噂話が都市民達の間に花開き、徐々に飽きられ、工房で新たに開発された魔導機に話題が移る頃にはすっかり、ウーガは日常の一部と化した。

 

 しかし、都市の運営やその守りを司る者達にとってすれば、それは他人事ではなく、そして終わった話でもなかった。

 

「面倒な事になってしまったなあ……」

 

 神殿とは別個に存在する、都市国の治安を守る騎士団、【エンヴィー騎士団】の騎士団長、ロンダー・カイン騎士団長は、古ぼけた眼鏡を書類に向け、深々と溜息をついた。

 なんとも精気のない様子だ。巷で騎士団に憧れる幼い子供達が見れば、頼りなさが拭えないような小柄の只人の騎士団長の姿にさぞがっかりすることだろう。

 実際、見た目通り彼はもう何年も現場に立っていない。矢面に立たず、机の上で書類をやっつける仕事を続けて数十年。彼を軽視する者は騎士団内でも珍しくなく、お飾りのトップと、堂々と指摘する部下もいるほどだ。

 そんな彼がここの所ずっと憂鬱な表情を続けていた。

 

 原因はハッキリとしている。遠く、グラドルで発生したウーガ騒動だ。

 

 騒動が起きたのは遠い国の事、当然ウチには関係ない。と、そうはならないのが都市の守護を担う騎士団の辛いところである。

 

 都市が丸ごと、邪教徒の手によって弄ばれた。エンヴィーは大丈夫なのか?

 実は邪教徒がウチにも入り込んでいるのでは?

 なんとかしてくれ!貴方がたは都市守護の要でしょう!!

 

 ウーガ騒動の噂がエンヴィーまで届いた時、そういった声が殺到した。勿論そういったヒステリックな声は時間経過と共にしぼんでいったが、1度でもそういった不満があがれば騎士団として何も動かない訳にもいかなかった。

 

 とは、いえ “エンヴィーに潜んでいるかもわからない邪教徒の調査”と、いうのは非常に、面倒だった。とっかかりがない。しかし何もありませんでした。とも、言いがたい。

 

「不穏な動きをする連中なんて、どこにでもいるからなあ……」

 

 邪教徒に限らず、疑わしき連中というのはエンヴィーにも存在している。都市に住まう誰もが潔癖であるなら、騎士団なんて必要としないのだ。そして疑わしき連中の中には邪教徒とおぼしき影も確かにあった……が、

 

「悪いことをしていない連中を、捕まえる権利はないし……」

 

 彼らがつかめたのはそうとおぼしき、までであり、実際にどうかも分からない。

 【邪教徒】の連中は真っ当な組織とはとても言いがたい。唯一神と、精霊達への信仰で統一された神殿のものとは違う。思想も、目的も、信仰の在り方もバラバラ。「この世界への憎悪」という点では統一されているがその憎悪の強さもバラバラである。

 中には「ちょっとした都市への愚痴を言い合って楽しむ婦人会」なんてものまで、実は邪教徒が作った集会の末端だった事まであるのだ。

 当然、そんな邪教徒としての自覚もなければ活動もしていない出席者を捕まえるわけにはいかない。

 

 彼らは市井に溶け込み、わかりにくく、そして潜在的な脅威であっても今は何もしていない。つまり手が出せないのだ。そしてそんな彼らを探るには、何よりも情報が足りない。

 

「せめて、近隣、衛星都市で起こった事件であったならばよかったのに……」

 

 彼の発言は実に不謹慎極まったが、実際、ウーガの騒動が果たしてどのような状況下で発生してしまったのか、それを知るにはあまりにも場所が遠かった。

 この大騒動の情報がエンヴィーに届くまで2週間もかかったのもその証拠だ。物理的な距離、魔物の障害、主星と衛星都市以外のか細い流通。この世界の理だが、やはりどうしたって情報の鮮度も量も質も悪い。何よりやり取りが面倒くさい。

 情報の精度を上げるためには、現地での見聞が必要になる訳なのだが、騎士団というのは都市守護の要であって、都市の外に軽々と飛び出す事は出来ない。

 

 ただし、何事にも例外というものは存在する。エンヴィーにもソレは存在していた。

 

「カイン騎士団長、今よろしいか」

「うぉ!っとと……どうぞ入ってください」

 

 英気溢れる力強い声が扉から聞こえてくる。カインはその声に驚き書類を落とす。慌てて書類を拾い上げながら、気の抜けた細い声で返事をした。

 

「エンヴィー騎士団飛空遊撃部隊長グローリア・フローティン入ります」

「エンヴィー騎士団飛空遊撃部隊副長エクスタイン・ラゴート入ります」

 

 入室したのは二人の騎士だった。

 一人はグローリア・フローティン。森人の女。種族特有の若々しさと、整った容姿であるが、一見して受ける印象は“冷たさ”だった。細目だが、向けられる視線は強く鋭い。カイン団長のそれとは別に騎士らしからぬ気配だが、あつらえられた鎧は、彼女の纏う冷たい気配をより一層際立たせていた。

 そしてもう一人のエクスタインは只人の若い男だ。まだ20にも届いていない。橙色の髪。線が細く優しげな笑みを浮かべた中性的な美少年。グローリアの纏う雰囲気は、彼がいなければもっと鋭いものだっただろう。エンヴィー騎士団特有の青と白の色彩の鎧はよく似合っていた。

 

 二人の入室に対して、カインは少し困ったような表情をする。騎士団のトップとは思えない反応だった。それだけでこの場の力関係がハッキリと見えるほどだ。

 

「ええと……準備が出来たのかな。遊撃部隊の皆さんは」

「ええ騎士団長殿。これより【竜吞ウーガ】の現地調査に向かいます」

「出来れば、騎士団が別国に首を突っ込むのはあまり望ましくないんだがねえ…」

 

 カインは小さい声で不満を漏らすが、グローリアはまるで堪えた様子はなかった。挙動不審の団長を見下すように、薄らと笑みを浮かべる。

 

「我ら遊撃部隊は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、懸念するような問題が貴方にふりかかることはないでしょう」

「ああうん、そうなんだがね……」

 

 あっという間にしどろもどろになるカインに、今度は隣のエクスタインはカインを労るように笑みを浮かべた。

 

「申し訳ありませんカイン団長。我々も上からの指示を拒否するわけにいかず…」

「……うん。まあ、分かってます。君たちの部隊は“特別”だ。大連盟の法にも引っかからない。尤も、グラドルの方達はあまりいい顔はしないでしょうから……」

「向こうの刺激にならぬよう、注意を払います。併せて、ウーガとグラドルの情報を持ち帰れば、エンヴィーの邪教徒対策にも繋がりましょう」

 

 カインの心中を慮る言葉に、カインは縋るような顔つきで頷く。

 

「頼むよ、エクスタイン君。そしてグローリア君。【七天】のグレーレの機嫌を損なわぬよう、頑張ってください」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【七天】の一人、【天魔】のグレーレ・グレイン。森人の奇人にして天才。

 

 史上最高峰の魔術師であり、魔導機械開発の天才。【大罪都市エンヴィー】を魔導機械大国へとたった一人で変貌させてしまった真性の怪物。 

 天賢王にも認められる恐るべき魔術の使い手であり、様々な障害があり交流が大きく制限されるこの世界を様々な魔導機と使い魔の生成により編み出された「移動要塞」によって、世界を大きく縮めた偉人でもある。

 

 が、問題も多く抱えていた。

 その問題の大半は、彼の偉大な才覚と、常識に欠く破天荒な人格によって起きていた。

 

 天賦の魔術の才覚を得るための引き換えにでもしたのか、彼は躊躇いと自重を一欠片も持ち合わせてはいなかった。天賢王から渡された超法的権限を躊躇うことなく振り回し、そのたびに巻き込まれた者は破滅と祝福が同時にもたらされる。

 どのような結果であれ、彼が通った跡に元の状態であるものは一つも無い。【台無し】の異名を持つ邪教徒の存在がいるが、彼の方こそその名にふさわしいと言い出す者まで出るほどだ。

 

 さて、そんなわけで、彼を嫌う者はこの世界に多かった。

 

 特に神殿、神官達の多くは彼を嫌悪していた。憎悪していると言っても良い。彼が精霊達を、私的な実験に行使しようと考えたのが原因だろう。

 100年ほど前、彼が【七天】に成ったとき、先代【天賢王】は彼に官位も授けようとしたが幾人もの神官達からの悲鳴のような直談判を受け、官位を付けるのは諦めた。故に彼は【七天】でありながら神官でもない。

 だから彼には神殿の武力である【天陽騎士団】を率いる権限もない。

 その事について彼は困るようなことはなかった(自分を嫌う天陽騎士達を小間使いにして苦悶に悶えさせてはみたかったと、ぼやいたが)が、手足として動かす部下は必要だと感じていた。

 

 ――フィールドワークを軽視しないが、研究の時間が削がれるのは面倒だ。

 

 そういった都合から、彼は自らの故郷である【大罪都市エンヴィー】、その騎士団に介入する。様々な恩と縁故を使って、騎士団の中にとある部隊を生み出した。

 

 【エンヴィー騎士団飛空遊撃部隊】

 

 騎士団でありながら、グレーレが開発した【飛行要塞ガルーダ】を駆り、都市外まで飛び立ち、都市に迫る様々な障害や問題を“事前に”排除するために生まれた部隊である。

 その実態は、グレーレの私兵部隊であり、グレーレの超越特権を振り回し彼の望む魔術資産価値の高いモノを根こそぎに奪う【強奪部隊】だった。

 

「カイン団長も老いたな。20年前程は、もう少し精気があったというのに、今やすっかりと衰えてしまった」

「カイン団長は只人ですからそれもしかたないかと…」

「只人でも、老いと共にそれに見合う英気を纏う者はいる。あれは当人の素養だろう」

 

【飛行要塞ガルーダ】艦橋において、グローリアは嘲るように首を横に振る。

 飛行要塞の管理運用のため、艦橋で様々な操作を行う騎士達の前で、堂々と上官への不満を漏らすが、それを咎めたり、居心地悪そうにする者はいなかった。むしろ軽い冗談というように笑う者までいる。

 昼行灯な騎士団長に対する愚痴や不満は騎士団の中では慢性化していた。ましてこの【遊撃部隊】において、カイン団長は名目上の上官に過ぎない。彼を敬う者はろくにいない。

 唯一、副長のエクスタインは団長に対してやや同情的な声をあげた。

 

「ですが、あの方の気苦労も分かりますよ。頭が痛いでしょう。ウーガの騒動は」

「まあ、それはそうであろう。私とて最初は耳を疑った程だ」

 

 隊長の過ぎた言葉を、やんわりと抑えるのが彼の役割だった。

 歴史も深く、エンヴィー騎士団の中でも明らかに浮いた存在である遊撃部隊が、それでもここ数年、騎士団内で比較的円滑な関係を維持できているのはエクスタインが出世してからなのは紛れもない事実だろう。

 

「で、あればこそ、我々の出番というものだ。彼が机の上で手を拱いている間に、精々ウーガの真相と情報も“ついでに”持ち帰り、彼に恩を売るとしよう」

 

 グローリアとて、下にこそみているが、カイン団長と積極的に敵対するつもりはなかった。団長という地位にも興味は無い。遊撃部隊隊長というあまりに奇異な組織のトップを創立時から担ってきた彼女にとって、もっとも優先すべき事項は他にある。

 

「私も微力を尽くします。グラドルも今回の申し出には承知してもらえましたしね」

「今のグラドルに我らを拒む余裕はないからな。どのみち、彼らも【天魔】殿の知識と力は必要としているはずだ」

「そして叶うならば、ウーガの情報を持ち帰りましょう」

 

 エクスタインの言葉に、グローリアは笑う。と言っても、相手を和やかにするようなものではなかった。貪欲さと陰湿さを伴った笑みだった。

 

()()()()を持ち帰れるのが、最も望ましいがな」

「それは、隊長……」

 

 彼女にとって最も優先すべきは、実質的な彼の上司であるグレーレの知的欲求を満たすことだ。彼女はグレーレの信奉者であり、彼の望むまま、あらゆる魔術資産を彼に献上してきた。

 そしてそのためなら様々な犠牲をも厭わずに、だ。

 

「彼ならば、最も確実、かつ、効率的にウーガを活用出来るだろう。あるいは、“複製”すらも。ならば、彼が管理することこそが相応しいのは言うまでも無い」

 

 盲信にしか聞こえない彼女の言葉は、しかし、現実味があった。

 【天魔】のグレーレがこの世界に莫大な利益を与えてきたのは紛れもない真実だ。世界各地の移動要塞も、彼女たちが駆る【ガルーダ】も全てグレーレの功績だ。今この世界で利用される魔術の基盤も彼が生み出したと言われており、更に新たなる魔術開発も次々に行なっている。【竜牙槍】といった魔術兵器の要たる【魔導核】の開発ネットワークも彼が担っている。

 グローリアの率いる【遊撃部隊】の行き過ぎたようにすら思える接収行為を、肯定するだけの実績が、グレーレにはあった。

 

 今回のウーガ騒動は、歴史上類を見ない魔術事件だ。で、あればこそ、それを管理するのは世界最高の魔術師である【天魔】だと、彼女は確信していた。

 

「ですが、グラドル側も容易くは納得はしないでしょうね」

「生き残りに必死だろうからな。全てではないとはいえ、国家ぐるみで邪教徒に与したのなら、大人しく死ぬか、天賢王に下るのが筋とは思うが……」

 

 そう言って彼女は事前に斥候部隊から送られてきた書類をみつめる。そこに載っているのはグラドル側の情報ではなく――

 

「今回の交渉はグラドルがメインになるだろうが、ウーガ側も問題だな。構成員がかなり特殊とは聞いていたが……」

 

 カーラーレイ一族唯一の生き残りの少女【エシェル】、【七天・勇者】【銀級・白の蟒蛇のジャイン】、さらに新進気鋭の冒険者【粘魔王殺しのウル】の存在。一癖も二癖もある連中が今のウーガを住処としている。他の住民はグラドルから半ば追い出され今も帰れずにいる従者達と名無しが少数。

 改めて、混沌としている。どういう経緯でこんなまとまりのない有様になったのか、想像もつかない。

 

「どう考えてもこんな連中がまとまるとは思えない。烏合の衆ならば統制は容易いだろう……が、情報収集には苦労しそうだな」

「実は、その点ではアテが一つだけあります」

「ほう」

 

 エクスタインの言葉にグローリアは意外そうに眉を上げた。

 

「グラドルに交友があったとは初耳だ。エンヴィー出身の都市民だろう?」

「いえ、グラドルではありません。どうも、古い友人が今回関わっていたみたいで、彼から少しでも話が聞ければな、と」

 

 そう言って、彼は艦橋に映る遠見の水晶を見る。ガルーダが天空を駆けて数日。遠見の水晶に薄らと映り始めていた目的地、巨大な影を見て、彼は微笑みを浮かべた。

 

「再会が楽しみだね。ウル、アカネ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 かくして、様々な思惑が交差し、竜呑ウーガへと集結しつつあった。

 それがどのような結果をもたらすかは、今は誰にも分からない。ただ、間違いなく、大きな波乱と混乱が巻き起こることは誰の目にも明らかだった。

 

 都市同士が隔絶し、行き来の制限されたこの世界であって尚、あらゆる場所からの注目を集める【竜呑ウーガ】。

 

 その混沌の中心にして、それを生み出した張本人。冒険者となってからまだ1年足らずの間に邪教徒からウーガを簒奪した驚くべき新進気鋭の冒険者。ギルド【歩ム者】のギルド長、ウルはというと――――

 

「……なあ、ジャイン」

「んだよクソガキ」

「あんたんとこの家庭菜園で取れたトルメトの実美味いな」

「もっと食って良いぞクソガキ。自家製ソースもいるか」

「おべっかクッソ嫌うクセに自分の農作物への賛辞に死ぬほど弱い」

 

 白の蟒蛇のジャインの食卓で収穫の喜びを味わっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガ 平穏の2か月

 

 およそ600年ほども前に発生した迷宮大乱立。

 

 極めて限られた土地に住まう人類が、再びその征服地を広げない理由は幾つか存在する。様々な魔物の侵入から人類を守るための太陽神の結界、それを発動させるための神殿の建設やそれを支える神官達の数の不足。よしんば足りたとて、今度はその建設にかかる費用、襲い来る魔物に対する護衛などなど、ハードルは幾つもある。

 グラドル周辺のように、魔物の出現数が極端に少ない場所でも無ければ、そうそうに衛星都市を増やすことは困難だ。

 

 だがそれ以上に、都市建設、人類生存圏の拡大を困難たらしめてる存在がある。

 

『――――ZEEEEEEEEEEEEEEEE……』

 

 “超”大型魔物の徘徊である。

 生存圏から外れた大型の迷宮が放置され、結果氾濫を起こし、深層の凶悪な魔物が外に溢れ出て、地上の魔力を喰らい、誰にも討伐されることも無く放置された結果、際限なく成長を繰り返した魔物達。巨星級と類される、神殿も冒険者ギルドも対処不可とした魔物達。

 彼らは幾つかの例外を除き、自ら積極的に移動して都市を襲うことはしない。しかし同じ場所を陣取り、そこに人類が近づけば魔物の本能として襲ってくる。

 

 そういった習性から、決して立ち入れぬ空白地帯というのは幾つもある。現在人類が、人類生存圏の拡張を断念せざるを得ない最も主たる理由はそれらである。

 

『ZEEEEEEEEEEEEEEEEEE…………』

 

 大地に穿った巨大な“魔華”、【血皇薔薇】もその一つ。

 全長50メートル超、あまりに巨大で、馬鹿馬鹿しいまでに高く伸びたその紅の薔薇は、遠目には美しいが、しかし近づけば死をもたらす血染めの薔薇だ。その太い茎に無尽に伸びた棘はほんの僅かでもその領域に踏み入ったものをズタズタに引き裂いて殺し、地面にばらまく。根からその血肉を啜って更に美しく華を咲かせる。

 その領域があまりに広く、結果、近づくことがままならない。結果放置するほか無く、何に邪魔されることも無くなった薔薇は周囲の獣や、哀れにもルートを外れて迷い込んだ名無し達、あるいは同族であるはずの魔物達すらも貪欲に殺戮し、成長し続けた。

 

 いずれは自重でへし折れる、などという希望的観測を無視して、最早並の山よりも高くなってしまった怪華は、今日も今日とて獲物を狙い続けていた。

 

「【竜呑ウーガ】【対巨星殲滅咆吼】発射」

『ZE―――――――――』

 

 巨大な使い魔から放たれる破壊の光に、焼き切られるまでは。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜呑ウーガ、司令塔内部にて

 

「……相変わらず、おっそろしいな。コレ」

 

 竜呑ウーガの指令を司る一室、遠見の水晶で、長らくの間そこに君臨し続けていた【血皇薔薇】が見る間に倒壊し、熱と破壊と光の渦の中に落ちていく姿を眺め、ウルは若干引きながら感想を述べた。

 対処困難として長年放置され続けていた賞金首の掃討、本来ならば入念な準備と時間をかけて向かうはずのその戦いが、ウーガに掛かればものの1分足らずで決着がついてしまった。これが、本来は都市攻城兵器として利用する予定だった事実が今になって恐ろしい。

 

「接収出来て良かったですね、ウル様」

「俺達が預かって良いものなのか甚だ疑問だがな……そも正確には俺達のものでもない」

 

 ウルが顔を見上げる、この部屋の中央最上段で鎮座するのは、現在の【竜吞ウーガ】の所有者であるエシェル・レーネ・ラーレイが座っている。彼女こそが、ウーガの主だ。元々、衛星都市ウーガは彼女の管理すべき都市である以上、形が変わろうとその繋がりが変わるわけではないだろう。

 そう思うのだが、エシェル自身はといえば、首を横にふってハッキリと口にする。

 

「ウーガはウルのものだ」

「話をややこしくするなエシェル」

「私はウルのものだからこれはウルのものだ」

「そのとち狂った主張をグラドル側に言うのだけはやめろよマジで」

 

 ウルがそう言うと彼女は黙るが、確信に満ちた視線が変わるわけでもなかった。

 

 ウーガの騒動が終わってから2ヶ月が経過して尚、彼女のウルに対する依存に変化はなかった。このところの多忙な状況と時間経過で多少はマシになることも期待したのだが、むしろ依存が強くなったらしい。困った。

 

 【竜呑ウーガ】の騒動から2ヶ月が経過した。

 

 大罪竜ラストに襲われてから始まったこの騒動は、ウーガを制御下に置き、粘魔王を撃退する事でひとまずの決着を迎えた……訳ではなかった。トラブルは得てして、問題そのものよりも、その後の事後処理の方が時間が掛かるものだ。

 特に今回は、ウーガよりも、【主星都市】である大罪都市グラドルの方が遙かに大きな混乱に見舞われ、結果、状況説明のためウル一行もディズもエシェルも非常に忙しい日々を過ごす羽目になった。

 

 グラドル神殿にて事情説明も当然行なった。ただしそれは尋問と言うよりも、「今回見知った多くのことを口外するな」という脅し混じりの警告に近かった。

 当然ではある。今回の件、言ってしまえば「グラドルの王族が、邪教と手を結び、都市を魔に堕とし、天賢王に反旗を翻そうとした」という、何処をとっても醜聞どころではないスキャンダルだ。

 挙げ句、その反逆の王族が末端を除いてほぼ全滅したのだ。後始末に奔走する神官達にとって表沙汰に決して出来ない点が多すぎた。表沙汰になれば、今起きてる混乱がいよいよ収束できなくなる。

 口にすればただではおかない。という殺意にも近い念押しが神官達から繰り返され、ウル達はそれを承知し、魔術による契約まで行う羽目になった。それほど向こうは必死だったのだ。

 

 そのお陰で、コチラが隠しておきたい事――エイスーラの件を話さずに済んだわけだが。

 エイスーラはウーガで陰謀を企てた邪教徒との戦闘で殉死、という扱いとなり、既に葬儀も行われている。それ以上その件を掘り下げるつもりはウルにも、エシェルにも無かった。

 

 そんな風に色々と目が回るような忙しさを経験したウルであったが、ディズとエシェルの多忙さは、ウルのソレと比較して、更に酷いものだった。

 七天として、シンラ無きグラドルの混沌を天賢王の代行として治めたディズは勿論のこと、エシェルなど、自身の実家が未曾有の悲劇に巻き込まれたのだから、大事だ。

 神殿の王の一族。彼らが保有する財産、技術、業務、秘密、関係や取引、それら全てが突然失われたとあって、その穴埋めは必須だった。そして生き残ったエシェルは、その“穴埋め”にどうしても必要だったのだ。

 勿論、カーラーレイ一族の代行を彼女一人がこなすことは困難、というよりも不可能であるのは誰の目にも明らかだ。生き残った血族は他にもいるにはいるが、本件で巻き込まれなかった連中は、詰まるところウーガの一件からはずされる程度の連中であるわけで、要はたかが知れている。仕事はウーガの中心人物でもあったエシェルに集中した。仕事の量は膨大となった。カルカラがつきっきりで、ほぼ寝る間もなく補助していなければ、今もエシェルはグラドルの神殿の執務室でひたすらサインを書き続けていたことだろう。

 

 と、ここまでが二ヶ月間起こった出来事である。

 

 地獄のような混乱も収まり、新たなるシンラを担う一族も決まり、引き継ぎも完了した。表向きだけでも、平穏を取り繕うまでに安定した――――ただ一点、【竜呑ウーガ】という存在の取り決めを除いて。

 

 ――邪教徒が生み出した危険な魔物だぞ!処理すべきだ!

 ――あの巨体をどう処分するのだ。コントロールを失い暴れれば今度こそ破滅だぞ

 ――今、エシェル・レーネ・ラーレイの制御下にあるなら、問題ないのでは?

 ――だから放置すると?あれほどの可能性の秘めた存在を?馬鹿な!

 ――訳の分からない物を分からないまま使うなど正気の沙汰ではないぞ!

 

 と、グラドルとウーガを行き来するカルカラの話を聞く限り、グラドルの内部でも錯綜している、らしい。さもありなん。ウルとてこの存在の扱いには困っていた。

 身の丈というのはウルもよく知っているし、黄金級を目指す今、それを超えんとしているのも事実だが、流石にこのウーガは、ウルのキャパシティを大幅に、とてつもなく大幅に、超えている。

 

 一言でいうと、どうすりゃ良いか分からん。

 

 グラドル側も同じなのだろう。だから、グラドル周辺に存在していた巨星級の賞金首、【血皇薔薇】の殲滅を依頼してきたのだ。果たしてこのウーガがどれほどの価値があるのか、見極めるために。

 そしてその結果が、これだ。巨星級の賞金首を、なんの苦も無く排除せしめた。

 価値が更に上がった。ますます扱いに困る。

 

「ウル、ウーガの調子はどう?」

「リーネか。ご覧の通り、見事に血皇薔薇を滅ぼしたよ」

「そ。術式調整が上手くいってなによりね」

 

 司令塔にやってきたリーネの装いは魔女のものとはまた違っている。職人の作業着に近い。巨大な箒のような杖だけが唯一魔術師らしい部分だった。現在彼女には、この得体の知れないウーガという存在の調整役を任せている。

 知識、技術、そして制作過程に手を加えた実績を踏まえ、現在ウーガの調整を任せられていた。最初それを任せると命じられた時、リーネは白王陣の研究の邪魔になるから拒絶するとウルは思っていたのだが、意外にも彼女もその役割は喜んで買って出ていた。

 

 理由は、彼女の下働きとしてグラドルからやって来た幾人かの魔術師達の、リーネへの尊敬の眼差しが物語っている。

 

「白王陣というのは凄いのですね。このような巨大な使い魔の調整もできるのですから」

「もっと褒め称えなさい」

 

 白王陣の有用性を知らしめる好機である、ということらしい。

 

「元々、精霊に依らない都市運営の要だったから、超長期を見据えた調整は白王陣の華……ま、ウーガは例外も多くて大変だったけど」

「超アンバランスで、手を加えるのも難しいんだったか?」

「ウーガ構築前の話ね。ウーガが誕生した時点でそこは安定化した。けど、やっぱり、極端なのよこの使い魔。特に攻撃手段がね」

 

 体内にある巨大な核、魔力を収束し、指向性を持たせ一気に放出する。山のようになっていた粘魔王の身体の大半を消し飛ばし、今、血皇薔薇を倒壊させた【超咆吼】。確かに極端という次元ではなかった。

 うっかり都市部の方角にぶっ放せばどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。

 

「と、いうよりも、そのために創られていると見るのが自然ね。結界に干渉し、破壊することを目的とした術式が明確に組み込まれてる」

「プラウディア攻めのためか……正気じゃない」

 

 エシェルが苦々しく顔を伏せる。邪教徒の思惑、というだけではなく、弟と、そして自身の実家が引き起こそうとした事態を想像したのだろう。

 

「今は私が調整したから、問題ないわ。少なくとも、今のウーガの【咆吼】では太陽の結界は砕くことは出来ない。対魔物特化ね」

「ひとまず安心か……今回の結果含めて、通信魔術でグラドルにもそれは伝えなきゃな」

「【白王陣】のおかげで調整できた!……と伝えなさいね」

「了解だよ。んじゃ、【血皇薔薇】殲滅確認して、魔石回収して、終わりかな。今回の結果の検討は明日にしよう。」

 

 ウルは椅子から立ち上がり、伸びをする。実質、今回何もしていなかったとはいえ、やはりこの巨大な使い魔の中で、それを扱う責任を負うというのは緊張を強いられた。トラブルが発生した場合の責任は自分だ。何事もなく済み、肩の荷は少し下りた。

 

「ウル様は引きあげられますか?」

「ウーガの魔石回収までは見届けるよ。一応ギルド長だし。他の奴らは解散して良い。エシェルも、指示さえ出せば見ておく必要無いんだろ?」

「私もウルといる」

「……うん、まあもう好きにしろ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

【血皇薔薇討伐戦:リザルト】

・血皇薔薇撃破報奨金:金貨200枚(グラドル預かり)

・血皇薔薇獲得魔石:金貨50枚相当(グラドル預かり、一部ウーガが吸収)

・落下物:血水晶の花弁(グラドル預かり)

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガ 平穏の2か月②

 

 ウーガ、司令室。

 建造時、エイスーラが自ら乗り込むことを予定し建造されたためか、その建築様式は豪華絢爛。贅の限りの最先端の技術を用いて生み出された美しい一室、だった。

 残念ながら、誰であろう粘魔王に変貌してしまったそのエイスーラ自身の手によって多くの部分が破壊された。遠見の水晶や様々な魔導具の類いは兎も角、機能に不要であった装飾類は多くが破壊されてしまった。また、壊れたソレらを元に戻す理由もなかったため、清掃だけ行われ放置されている。

 幾らか不格好になった部屋の中、司令席にウルは座り込み――そのウルにエシェルが座っていた。

 

「せめて前向いて座れエシェル」

「いや」

 

 ウルと向かい合うように。むずがる子供をあやす親の姿勢である。エシェルは両腕をがっつりウルの背に回しているのでほぼ密着している。ウルは困った。

 

「どうしてこうなったかな」

「ウルが悪い」

「出会った頃が懐かしい。二月前だが」

「うるさい」

 

 有無を言う余地もないらしい。

 

「一応男としてこの状態で我慢するのはきついんだが」

「しなければいいだろ」

「グラドルのお偉方も出入りする場所でやらかす勇気は俺にはねえよ」

「小心者め」

「あーそうだなー」

 

 ウルはエシェルの背中を叩きながら、遠見の水晶を眺め続ける。血皇薔薇から発生した超巨大な魔石の塊を、ウーガが直接かじりつき、飲み込んでいく。ウーガが喰らった魔石はそのまま吸収されるのではなく、乗組員が出入り可能な貯蔵庫に流れる。そこで非常にゆっくりと魔石の魔力を吸収するので、その間に魔石はコチラでも回収が可能だ。

 尚、魔石の貯蔵がなくとも、大地と大気中の魔力からウーガは回復が可能だ。ただし、咆吼後は数日ほど身動きが取れなくなる。

 

「しばらく移動する予定もないし魔石は回収しとかねえとな……まあソレは明日で良いか」

「終わった?」

「自分で見ろ自分で。帰るぞー」

 

 ウルは起き上がり、エシェルを立たせる。

 日は既に暮れている。人類生存圏外で日が沈めば火をたき、寝ずの番をするか、結界を張るか、手間が掛かる所だ。勿論ウーガにその心配は全くない。太陽神の結界を除けば、世界で一番安全な場所と言っても過言ではない。

 魔物の襲来の心配も無い夜は静かだった。

 

「家に帰るなら私も行く」

「ちゃんと自分の家に帰れ」

「カルカラ今いないから嫌だ」

「わあったよ」

 

 ウルは諦めて、彼女の手を引き司令塔を降りていく。ウーガ騒動終結直後はウル達一行以外の者達、グラドルの神官達や冒険者ギルド、騎士団なども出入りと調査確認を繰り返していたが、今は誰もいない。

 二人の足音がやけに響いた。

 

「ウル」

「なんだ」

 

 その静寂を破るように、エシェルが口を開いた。

 

「エイスーラ。死んだんだな」

「そうだな。俺が殺した」

「お父様も死んで、他の兄弟姉妹も大体死んだって」

「そうらしいな」

 

 ウルが肯定すると、エシェルがウルの手を強く握った。痛いぐらいだった。ウルは振り返ると、エシェルはいつものように、泣きそうな顔になっていた。

 

「私、どうなるんだろう」

 

 彼女の精神状態は、未だ不安定だ。多忙さに身体を動かしていた間はまだマシだったが、時間に余裕が出来た今、どうしようもない現実の不安が押し寄せてきている。

 幾ら、元の家族との関係が最悪であっても、その一切がいきなり失われたとあれば、不安になるのは当然だろう。忙しさに誤魔化してきた不安や恐怖が、彼女の心の中に噴き出してきていた。

 

「悪いが、こればっかりは俺にも分からん。安心はさせたいが、何せ俺の身の上もどうなるか不明だ」

 

 そして、残念ながらウルもそれは同じだった。不安だしこれからどうなるかわかったものではない。非常に大きな流れに巻き込まれ、飲み込まれようとしている。流されないように必死に踏ん張るだけで精一杯だ。

 既に【歩ム者】に加入したエシェルを手放すことはしないが、そのままウルも流されてしまう危険性があるのが現状だ。

 

「ちゃんと慰めて」

「すまん」

「頭撫でて」

「ほれ」

「抱きしめて」

「ほーらどっこいしょ」

「コレおんぶじゃない」

「いいから帰るぞ」

 

 エシェルを背負って、ウルは司令塔を下っていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして、司令塔の前にて、

 

『おう、二人とも、乗っていくかの?カカ』

 

 3輪型の小型車両に変形し、ウーガ内部でドライビングを楽しんでいたロックが、ウルの前でサムズアップしていた。

 

「おめーはセカンドライフくっそ満喫してんなロック」

『カッカカ、たのしいぞう。魔物の心配も無い、人気も無い街を全力で疾走するのは!』

 

 シズクが死霊術を更に学んだのか、より複雑な形態変化が可能になったらしい。ベースとなるロックンロール号無しでも、小型であれば単独で動ける馬車に成ることもできたらしく、ロックはそれで遊んでいる。

 元ヒトであるはずなのだが、もう自分の形など全く気にしていないらしい。最初出会った頃、自分の今の境遇に半ばやけっぱちになっていた頃が遠い過去のようだった。

 

「そりゃ確かに楽しそうだが……今日はもう疲れたし」

『今後の動向次第でウーガも人口増えるじゃろし、殆どおらん今しかできんぞ?』

「……そりゃそうだが、エシェルいるし」

『二人乗りも出来るぞ?今のワシ』

「………………ま、いいか」

 

 ウルは折れた。

 

「アッサリ乗せられてる!?」

『カカ!実は乗りたかったんじゃろ!!』

「そりゃそうだ。絶対楽しいだろうさこんなもん」

「私はやだぞ!」

「グズグズ泣くより大声で叫んだ方がスッキリするだろ、かっ飛ばせロック」

『カカカカ!!!』

 

 有無言わさずエシェルを抱えて乗り込んだウルはロックに指示し、彼は大声で笑いながら骨の車輪を回し地面を蹴りつけ飛び出す。

 人気の無い夜道を魔光で照らし、笑い声と悲鳴が混じり合いながら駆け抜ける骨の馬車は、伝承の怪異の類いのようであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガ 平穏の2か月③

 

 ふかふかのベッドを、財布も気にせずに堪能するのはウルの夢の一つだった。

 

 名無しのウルに都市永住権はなく、故にベッドとは縁が遠い。野宿で硬い土の上、冷え切った地面から逃れるように工夫して薄い毛布にくるまって眠るか、狭く臭く窮屈な安宿のベッドで寝泊まりするのは不幸ではなく日常だった。

 冒険者となり、金回りがよくなってからは随分と向上したが、結局、借宿が基本なのは変わりない。良いベッドに寝る時は、それ相応に金が掛かっているということで、心地よさにすぐに眠りにつくものの、胸にしこりのようなものがあるのは否めなかった。

 だから、なんの後腐れも無く、自分の所有物として、寝心地の良いベッドで眠りにつく、というのはウルにとって叶えたい夢の一つだ。そして叶わないと諦めていた夢でもある。

 

 その夢が、図らずも、叶うこととなった。

 

「……すげえよく寝た」

 

 日が高く昇りきった朝にウルは目を覚ました。

 普段、【瞑想】により深く短く眠り、日が昇るよりも早く目覚めて訓練に打ち込む日々を思えば酷い寝坊である。ベッドの寝心地は最高だった。元々、ウーガの住居区画の殆どは、カーラーレイ一族と、彼らに選ばれし従僕達のみが住まうことを許された場所であるからして、備え付けの家具も超一流のものばかり、ウルは人生で最高の寝心地をウーガに来てから味わっていた。

 熟睡からの、スッキリとした覚醒と共にウルは身体を起こす。窓外では朝日が差し込んでいる。どこから紛れ込んだのか、小鳥の囀りが聞こえてくる。雲にも届くような巨大な魔獣すらも焼き殺すウーガの懐に潜り込むなど、怖い物知らずだなとウルは笑った。

 

「…………ん」

 

 同じベッドで寝ていたエシェルは少し、寒そうにしていたので毛布をかけてやり、ウルは静かにベッドから這い出した。机に置いてあった水差しから水を注ぎ口に含む。この水差しも金の掛かった代物らしく、注いだ水は驚くほど冷めたく、心地よかった。

 窓に近づき、そっと開く。外気の風が心地よい。恐るべき陰謀と共に生み出されたこの要塞都市は、しかしその経歴とはそぐわぬほどに、美しかった。

 

 最高級のベッドに守られた心地の良い目覚め。

 美しい朝日に照らされた優美な街並み。

 ベッドには親しい女性までいる。

 

 これでケチをつけたら石を投げられるような、完璧な朝だ。

 ウルはそう確信した。自身の夢が今、一つ叶っていることを理解した。その上で

 

「……過分だな」

 

 満たされた幸福のただ中、ウルは苦々しい感想を一つ漏らした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウーガの内部で、一先ずウルが自身の住処と定めた場所は、ウーガの西側に位置する3階建ての一軒家だ。

 一軒家、というのがまず結構、贅沢な話ではある。土地の限られる現在において、自分だけの住居を構えるのは神官の特権だ。都市民でも、所謂高層建築に何人もの家族がまとまって住まうのが普通で、まして名無しがそこに暮らすなど夢のまた夢の話だろう。

 

 その夢の住居の階段を一歩一歩踏みしめて、ウルはリビングに降りてきた。

 何故か既に良い匂いが漂い始めている。覗くと、なじみの絶世の美少女がにこやかに料理をしていた。

 

「あら、ウル様、おはようございます」

「おはよう……エシェルもエシェルだが、お前はお前で気づけばヒトの家にいるよな」

「あら、いけませんでしたか?」

「メシが美味そうだし良いよ」

 

 常識と照らし合わせるよりも食欲が勝った。そもそも彼女がウルの家を我が家のように利用するのは今日に始まった話ではなく、1Fリビングではウル以外の私物が日に日に増えている。

 尤も、私物の持ち主はシズクに限らないが。

 

「おはようウル」

「お前もいんのかよリーネ。おはよう」

 

 少し眠たげに、机でシズクの朝食を用意し待機する小人、リーネが挨拶を寄越す。私物という点では彼女のものが一番多い。自分の住処もウーガ内に用意している筈なのに、何故かウルの家で白王陣の研究をしたがるからだ。

 

「集会場みたいになってんな。ウチ」

「半ばギルドハウスのような扱いね」

 

 【歩ム者】のメンバーが集結していた。コレもそれほど珍しい光景ではない。

 リーネの言うとおり、ウル宅の1Fは半ば、【歩ム者】のメンバー達が集う会議室のようになっている。最初、ウーガの中で沢山あった住宅施設の内、話し合う機会も多かろうと広いリビングがある場所を選んだのだが、予想が正しかったのか、あるいはその選択が原因か、公私問わずウルの家にメンバーが集結するようになっていた。

 別にそこまでその事に不満があるわけではない。ないが、

 

「……出来れば、自分だけのプライベート空間も欲しいんだがなあ」

 

 夢の新居を得た途端、別のものが欲しくなるのはヒトの業と言えるかもしれない。

 

「秘密基地とか?」

「良い響き」

「別荘とか」

「高位の神官しか許されないという、伝説の…?」

「今なら選びたい放題じゃない?」

「ウーガの扱いが決まらない内から迂闊に次々に手を出すのはなあ」

「邪魔者がいない今の間に出来る限り確保しておくのは手だがな」

 

 と、大きなテーブルの中心に、手早く皿が並べられスープが注がれていく。それをしている人物を見て、ウルは半ば呆れた笑みを浮かべた。

 

「アンタまでいんのかジャイン」

 

 縦にも横にも大きな男、【白の蟒蛇】のジャインは、何故か似合わないエプロン姿でシズクの料理を手伝っていた。ウルの指摘に対し、ジャインはつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「シズクに誘われたんだよ。ウーガについての話し合いがあるとか。めんどくせえ」

「その割にエプロンしてウキウキ料理してるの気のせいか?」

 

 ウルが指摘すると、ジャインが少し黙った。そしてぶすっとした面構えのまま頷く。

 

「家庭菜園楽しい」

「聞いてないが」

「自分で作った作物を自分で料理して絶品だったときの幸福感がヤバい」

「しっかりしろ銀級冒険者」

 

 ジャインの夢、目標は誰にも危ぶまれず、定住できる自分の土地、マイホームを獲得する事だった。ウーガの今後の先行きは不透明とはいえ、ウル以上に、ウーガ内でその夢を叶えた事の感動は大きかったらしい。

 結果、若干タガが外れている。ちょっと前まで自分のお気に入りの家具調達にドはまりしていたが、今は庭の家庭菜園がお気に入りらしい。隣の家でよくラビィンと一緒に土を弄っている光景がそこにはあった。

 銀級冒険者というより引退してヒマと土地を持て余した神官の老後である。

 

「お前もやれ、ウル」

「今のところ不定期に家を空ける時間が多すぎてそんなヒマ無い」

「留守の間俺が手入れしてやる」

「自分の趣味に引き込むのに熱心すぎる」

 

 そんなことを言っている間に浮遊魔術で浮かんだ皿に盛られた料理がごとごとと並んでいく。中には簡単に見目良くなるよう削られた魔石があるが、それは恐らくロックの朝食だろう。どうせほいほいと口に放り込むだけだろうに、律儀なものだった。

 

「ロック様にも連絡を行いましたので間もなく来られます。エシェル様は?」

「まだ上で寝てる」

「起こしてきますね」

「あー……頼む」

 

 するりと上に上がっていくシズクを見守り、ウルは息を吐いて、机に額を付けた。

 騒がしい。だがそれが心地よくもある朝の食卓だった。

 これまた、自分の家を持ったことのないウルにとって夢の一つであった。

 

「…………過分だ」

 

 誰にも聞こえないくらい小さな呟きをウルは繰り返した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 和やか、というにはいささか騒がしい朝食を終えたウル達は、茶を煎れ人心地ついていた。平和そのものであるが、こんなにのんびりできたのも久々だった。とはいえ、またすぐに新たなる仕事がやってくる。しかも次に来る仕事は大仕事だ。

 

「……次のグラドルとの会合、三日後だったよな」

「ええ、場所はこの場所で、グラドルから移動要塞【白帝馬】でやってくるそうですよ。今回はシンラも一緒に」

 

 グラドルとの話し合いが再び迫っている。それも今回はグラドルの新たなるシンラが視察にやってくる。これまで、ウーガを調べるべく魔術師や下位の神官がやってくる事はあったが、シンラ直々に来るのは今回が初めてだ。

 となると、出迎えの準備でも忙しくなるのは確実だった。それを理解しているのか、エシェルはぺたりと机に顔を付ける。

 

「…………嫌だなあ」

「机に顔へばりつけてると、跡が付くわよ。エシェル」

「……うん」

 

 それをリーネが窘めた。エシェルは黙って顔を上げる。

 意外にも、というべきか、この二か月の間にリーネとエシェルは親しくなっていた。年齢も種族も何もかも違うし、背丈も年齢も官位もエシェルの方が上のはずなのだが、二人のやり取りはリーネの方が姉のようにも見える。

 どうあれ、カルカラやウル以外にもよりかかれる相手がエシェルに増えるのは良い傾向だった。

 

「まあ、なんにせよ三日後だ。時間はそんなに無いが、今から焦っても仕方ない。少しずつ準備を進めていって――――」

「ゆーびんのお届けっすー!」

 

 そこに、【白の蟒蛇】のラビィンが飛び込んできた。

 

「いきなりどうしたバカ」

「あ、なんすかリモモじゃないっすか。うめーっすね」

 

 食卓を共にしていたジャインの頭痛をこらえるような声をあげる。ラビィンは家に侵入するや否や、机に置かれていた果物を猛烈な勢いでつまみ始めた。

 「妖怪かてめーは」とジャインが彼女の頭を叩き、止める。

 

「恥をまき散らすのやめろタコ」

「しゃーねえじゃないっすか特急便だったんすから」

 

 ラビィンは反省した様子も見せずに手紙を二通机の上にさしだす。ウルは首を傾げた。

 

「手紙……いや、どうやって届けられたんだ?これ」

「でけー鳥が2羽、司令塔の入り口を飛び回ってたんで、絞めて朝飯にしようかなーって思ってたら、手紙がくっついていたっす」

 

 手紙を取り外すと用が済んだ、というように速やかにウーガから離れていったらしい。移動要塞として周囲の魔物たちを威圧するウーガを恐れず仕事をこなすところから、優秀な使い魔なのは間違いなかった。手渡された二通の手紙も、手触りから良い質の紙を使ってると分かる。

 問題は、どこからの手紙か、ということになるが――

 

「2通……どことどこからなの?」

「……一通は【七天】の一人、【天魔】からだ」

「ディズ様ではないのですね」

 

 七天の魔術師、通称【天魔のグレーレ】。天賢王の杖とも呼ばれる男。

 ()()()()()()()()()()()()()と名が知れ渡っている男だ。ウルは各地を転々としている途中、一度だけグレーレの魔術を目撃したことがある。と言っても、そもそも初見の時はそれが魔術とは思えなかった。

 大罪都市エンヴィーで、何かしらの事故があったのだろう。暴走して街のど真ん中に飛び出した巨大な魔導機械に対して、彼は魔術を発動させていた。が、詠唱もしない。魔法陣も描かない。ただ、その場に立っているだけで、幾多の閃光が迸り、機械は瞬時にこま切れになった。

 アレがなんだったのか、ウルは当時わからなかったし、今もわかっていない。どう考えても通常の魔術のルールから外れていた。つまるところ、バケモノなのだ。

 

「空を駆る移動要塞を生み出したっつー話でも有名な超天才だな。で、もう一通は?」

 

 ジャインに問われ、しかしウルは暫く返答しなかった。手紙に書かれている差出人の名を見つめ、眉をひそめている。その沈黙に全員が不思議そうに黙っていると、ウルはゆっくりと綴られた名称を告げた。

 

「……【穿()()()()()()()()】、【()()()()】からの手紙だ」

「――はあ!?」

 

 ジャインは咄嗟に、ウルの持った手紙を奪いその差出人を確認した。ウルの言葉に偽りない。確かにそこにはその名が刻まれていた。

 しかしそれでも()()()()()()()()()()()を前に、ジャインは叫んだ。

 

「このバケモノまだ生きてたのか?!」

 

 バケモノとバケモノからの手紙。

 新たなる騒動の前触れであることを、この場にいる全員が否応なく理解したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

対策会議

 

 朝食を済ませ、デザートも終わり、楽しい朝食の時間は終わった。

 

「はい。それじゃあ朝礼会議を始めるぞクソが」

『初っぱな悪態ついとるのう。気持ちは分かるが』

 

 そして始まったのは楽しくもない作戦会議だ。

 ウル宅の広い机に、【歩ム者】のメンバーと、ジャインが席に着く。非常に面倒な情報を持ってきたラビィン自身は「面倒くさそうだからいっす」と、そそくさと逃げ出した。

 ジャインが非常に殴りたそうな顔をしていた。ウルも同意見だった。

 

「嘆いてもしょうがねえからまずは近況報告からいくぞ」

 

 気を取り直して、現状までの情報整理から開始した。

 

「先日、ウーガが【血皇薔薇】の撃破に成功した。これでグラドル側から出されていたウーガの性能試験の要請は全てクリアできた」

「報告も完了できたのですね?グラドルはどのような反応でしたか?」

「ちょっと引いてたけど、おおむね好感触」

 

 元々、【血皇薔薇】はラストやプラウディアとの交易路の狭間に陣どっていた。交易のためには【血皇薔薇】の領域を避けるためにわざわざ遠回りする必要があった。今回の討伐により交易路の安全はかなり確保されたと言える。

 そして血皇薔薇に限らず、グラドル周辺に存在していた幾つもの巨星級の魔物を、ウーガは次々と討伐していったのだ。これを認めないわけにはいかないだろう。

 

『ま、ウーガの有用性は示せたということじゃの』

「で、その結果を受けて、シンラが来ると。それが三日後」

「シンラが来るなら天陽騎士もくるよな。面倒くせえ」

 

 ジャインが顔を少し顰め、エシェルへと視線を向ける。 

 

「おい、“元”天陽騎士殿。なんかそこら辺聞いてねえのか」

 

 今回の騒動を機に、天陽騎士を休職したエシェルは、ジャインの問いに顔を向ける。

 

「元々、天陽騎士でも浮いてたから、辞めたときも、あんまり情報も回ってこなかった」

「そ……うか」

 

 あまりに堂々としたぼっち宣言に、エシェルに対して以前は侮蔑の言葉を投げつけていたジャインも流石に黙った。最近、エシェルは不安定なことも多い反面、振り切れたところは本当にすっぱり振り切れていた。

 

「そもそも、ウーガの騒動で、エイスーラの私兵だった天陽騎士の大半が粘魔になったから、向こうも大混乱で、ヒマがなさそうだった」

「ああ、そりゃそうだ……改めてみてとんでもねえ被害だな」

 

 カーラーレイ一族と関わった人物達がそうだっただけなのか、あるいはこれをしでかした邪教徒が的確に狙いを定めたのか、グラドルで粘魔化した被害者達はグラドルの要職に就いている者が多かった。

 2ヶ月が経過して尚、混乱が収まりきらないのも当然だった。

 これを仕掛けた邪教徒の質の悪さに、ジャインは改めて苦い顔になった。

 

「お陰で複数箇所で建設途中だった衛星都市もストップだ。グラドルの空いた人員補充に回されたらしい」

「損害とんでもねえ事になりそうだな……」

「そして、ウーガの価値が反比例して高まっていく。無視はされないでしょうね」

 

 ウーガが潜在的に持つ価値は計り知れない。

 そもそも先の血皇薔薇撃破で得た資金も、魔石分と合わせると金貨250枚だ。個人では決して何年かけても容易くは集まらないであろう金額が、一瞬の内に手に入ったのだ。

 この賞金を懸けたのはグラドル自身であるから、そう単純な話でもないものの、「戦闘力」という一面だけでも、ウーガは恐ろしい力を秘めている。

 そして、そのウーガの管理権限を、現在ウル達は握っている。

 

 正確に言えば、エイスーラからウーガの制御権を簒奪したエシェルに。

 

「一応、元々ウーガの管理はエシェルが行う事になってたんでしょう?」

 

 リーネの問いにエシェルは少し困り顔になりながらも頷く。

 

「衛星都市の時は、そうだった」

「今は違う?」

「同じだとしても、そもそも衛星都市管理の主権はグラドル側にある。私は管理を任されてただけだし、向こうの決定次第では統治権没収はあり得る」

『……じゃあなんでそうしないんじゃろな?』

 

 ロックは不思議そうに、自身の頭蓋骨をこんこんとならした。

 

『何処の骨ともわからん連中と、それに()()()()()先代の王家の一族の生き残り。ワシが次代の支配者なら、絶対にソッコーで統治権没収するがの?』

「コマっ…」

「まあそりゃそうだが言葉を選べ骨」

 

 ロックはカタカタと笑った。

 

「色々な理由はあるでしょうけど、すぐさまにでもそうしない理由は、恐らくそれね」

 

 リーネが指さすのは、エシェルの右手だ。正確に言えば、彼女の右手の内側に刻まれた、【竜呑ウーガ】の主である印、【制御術式】だ。

 

『じゃが、それって奪えるんじゃろ?時間をかければ、鏡の精霊無しでも』

「可能だけど、元々、本来の主から使い魔を奪うって、かなり強引なやり方よ?その主が死んでるなら兎も角、生きてる状態なら尚のことね」

 

 正規の奪取の魔術を使ったとしても、失敗する可能性は十分在る。もし万が一にでもおかしな失敗をしてしまえば、ウーガという恐るべき使い魔がどうなるかわかったものではない。ウル達がその力を実演してきたからこそ、なおの事、強引な手口をグラドル側がとることはまずないだろう。

 

「双方の同意の上で行う引継ぎならもう少しスムーズだけど、それでもぽんぽん変えられるものじゃないわよ。だから、管理できる【制御術式】を増やす方向にいくとは思うけど……それもね」

「増やしすぎると、管理が困難になります。グラドルも幾つも作ろうとは思わないでしょう」

 

 現在のグラドルに、ウーガを悪用せんとする者がいなくなったかと言えば、そうでもない。カーラーレイ一族に繋がっていた全員が悪党で、そうでなかった者達が善人、などというわかりやすい区別がついてるわけじゃない。もともとグラドルは腐敗が蔓延していた場所だ。

 制御術式は徹底的に管理し、誰にも奪われてはならない秘宝に等しい。守らなければならない対象を不用意に増やすのは愚行だ。

 

「エシェル様は今、グラドル側には忠実です。そして今、エシェル様は物理的にグラドルからも距離がある。結果不要なトラブルが抑えられてる。この状況を動かす事を向こうはあまり望まないでしょう」

「最低限、新しいグラドルのシンラが、自分たちで管理する制御術式を用意する方向で話は進んでるわ。今度の会合では、このことは話し合う事になるとは思うわ」

 

 グラドルの疲弊と混乱、制御術式の特性、現在のエシェルのいる場所そのもの、様々な要因が重なって、今が成り立っている。それを全員が認識した。

 

「グラドルとウーガの現状確認はこれくらいかな。まあ、兎に角、三日後にシンラが来る以上、俺達はそれに備えなきゃいけなかったわけだが……」

 

 と、そこでウルは懐から手紙を取り出す。ラビィンが持ち込んだ二通の厄ネタだ。

 一つはディズ、とは別の【七天】からの手紙。

 もう一通はイスラリア大陸北部に存在する不死の大地、【スロウス】からの手紙。

 

 全く場所も異なる二通の手紙は、しかし書かれていた内容は共通していた。即ち、

 

「グラドルが来訪するその同日に、この二つの勢力も合わせて来訪したい、だとさ」

『ほう……』

 

 ウルの説明に、ロックは相づちを打った。そして言った。

 

『ちょ~~~~~~~~~~~めんどくさくないかの?』

「あーそうだな。じゃあこの二勢力の話し合い始めるぞクソが」

 

 ウルは自分を奮い立たせるように毒づきながら会議の続行を宣言した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「まず【天魔】グレーレの来訪。これは正確に言えば、代行としてエンヴィー騎士団の【遊撃部隊】ってーところが来るらしい」

「? 何故【大罪都市エンヴィー騎士団】が七天の使いとしてくるの」

 

 エシェルが首を傾げる。

 騎士団の役割は基本、都市の治安維持と魔物からの防衛である。都市国ごと、その地域ごとに担う役割は臨機応変で変わってくるが、その基本は変わらない。その騎士団が、他国のグラドルまでやってくること自体、確かにおかしかった。

 

「…………」

「……リーネ?」

 

 と、その隣でリーネがかつてない顔をしていた。口をひん曲げ、眉をつり上げ、顔全体であまりにもハッキリと嫌悪の表情を浮かべていた。

 

「リーネ様、彼らについて何かご存じなのですか?」

「こいつら嫌い」

「ご存じのようですね。では解説をお願いします」

 

 会話として成立しているかは不明だが、シズクに促され、リーネが説明することになった。リーネは言葉にするのも嫌だ、というように不機嫌そうな表情のまま、しかし暫くして観念したように口を開く。

 

「魔術研究に携わってるなら知らないヒトはいないわね。悪名高き【強奪部隊】よ」

「響きが不穏すぎる」

「要は、エンヴィー騎士団の内部にある【天魔】グレーレの私兵部隊よ。イスラリア各国に飛び回って魔術的価値あるものをかっ攫っていく強盗団。【七天】の権威を盾にするから盗賊よりも遙かにタチが悪いわ」

 

 名前の響きより遙かにやばい連中だった。

 

「魔術大国ラストでもお暴れになられたのですか?その方々は」

「白の魔女様の秘奥の術を根こそぎ奪おうとしたのよアイツら。しかも白王陣は『古くさくて使いようがないが資料にはなろう』とか抜かしやがったのよ絶対に殺すわ」

「リーネ様。お茶をもう一杯いれましょうね」

 

 説明していく最中みるみる顔面が真っ赤になっていくリーネにシズクは素早くお茶を注いで落ち着かせた。リーネは茶を一気飲みした。

 

「手紙にはざっくりと、世界保全を目的とした【七天】の名代として、【竜呑ウーガ】の性能調査及び、管理者の保全能力の調査確認のため来訪する予定である。と書かれていた。

「まあ、まず間違いなく、目的はウーガの調査、ないし接収ね」

「だが、ごちゃごちゃと付加価値がついたが、此処は一応グラドルの衛星都市国だろ。そんなもんどうやって取る気なんだ」

「さあ。でもやるときはなんでもやるわよ。アイツら。前どこぞの衛星都市で精霊の化身として信仰されていた霊鳥を『危険な魔物だ』ってパクっていったからね」

「やべー過ぎる」

 

 場合によってはウーガの奪取もやりかねない連中であるということはわかった。

 

「とはいえ、流石に問答無用の接収なんてことは出来ないし、取引すべき対象は私達よりもグラドルでしょう。ある程度は任せるしか無いと思うわ」

「グラドル側は彼らの来訪を了承してるのですか?」

「らしいぞ。三日後の会合も同意したらしい。拒否権がないんだろうな」

 

 グラドルの大幅な弱体化、その救助に【七天】のディズに頼ったことで影響力は非常に強まった。同じ【七天】の要請を断ることは出来なかったのだろう。

 それなら、とエシェルが唸る。

 

「じゃあ、私達がやれることはない、でいいのか?」

「グラドルを無視して、直接貴方を狙うかも知れないから注意して」

「……そんな、強引なことするのか?」

 

 エシェルの少し怯えた声に、リーネは容赦なく頷いた。

 

「現状、貴方を手に入れさえすれば、ウーガの全権を手に入れられる状況だもの。なら、貴方を誘拐して、ウーガをグラドルの支配地域から移動させた後、適当に七天の権限で理由を後付、なんてやりかねない集団よ。油断してるとかっ攫われるわよ」

「怖い」

「三日後の会合に割り込んできたのも制御印が増やされる前に可能なら独占する意図もあるかも知れないわよ」

「本当に怖い」

 

 エシェルは身震いして、ウルの腕を引っ掴んだ。

 リーネの言い方は脅すようだったが、しかし咎める気にはならなかった。無茶苦茶なやり方に聞こえるが、それぐらいに強引にやってきたとしてもなんら不思議ではない。それくらいの価値は、【ウーガ】には存在する。

 そして、そういうことを平気でするような連中であるのは間違いないらしい。

 ディズと同じ【七天】に属する者達であるからと言って、全く油断できるような連中ではないらしいということはウルも頭に入れた。

 

「交渉はグラドルに任せるとして、こっちでも警戒は怠らないようにする。エシェルは特に、一人でうろうろしたりはしない。いいな」

「ずっとウルについていく」

「……うんまあ、それでいいや」

 

 へばりつかれるとそれはそれで新たな問題を呼び込みそうなので、その点は注意することにした。厄介な集団ではあるが、ウル達側から出来ることはそう多くはない。油断だけはしないように、という方針で決まった。

 

「では、次の話ですね。もう一方の新たな来訪者、【穿孔王国スロウス】という方々なのですが……この中でご存じのかたはいらっしゃいますか?」

 

 シズクが問う。この中で最も知識があるリーネは、しかし不思議そうに首を傾げていた。

 

「【大罪都市スロウス】って確か100年前に滅んだ筈よ?ちょっと聞き覚えが…」

「私もあまり、ない。スロウスの地域の、【不死者の荒野】とかは聞いたことがあるけど」

 

 リーネに続いて、エシェルも首を横に振った。ロックにも視線を視線を向けるが当然、カタカタと両手を挙げて降参のポーズだ。シズクも残念ながら、と首を横に振った。

 唯一、この手紙が届けられた瞬間、最もリアクションが大きかったジャインだけが、とても渋い顔をしている。

 

「ジャイン」

「死ぬほどめんどうくせえ。名無しならてめえも知ってるだろウル」

「俺も噂程度だ。頑張ってくれ。今度レアな植物の種仕入れてくるから」

 

 彼を宥めるのに暫く時間が掛かった。

 今度彼の家庭農園の作業を丸一日手伝うことで落ち着いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

対策会議②

 

 

 【穿孔王国スロウス】 かつての名を【大罪都市スロウス】。

 

 イスラリア大陸北部、かつては、他の大罪都市と同じく、大罪迷宮を封じるための都市として存在していたこの場所が、名前を変えることとなったきっかけは二つの大きな“事変”による。

 

 一つ目は100年前に起きた【大罪竜スロウス】の活性化。

 二つ目は50年前に起きた【大罪竜スロウス】の再封印だ。

 

 どちらも【大罪竜スロウス】に深く関わる案件である。

 まず100年前、【大罪竜スロウス】が活性化した。それまで迷宮の内部にのみ留まっていた腐食、不死化の呪いが、魔物を介さず迷宮の外にあふれ出したのだ。結果、大罪迷宮スロウスを封じるように建設されていた大罪都市は全てが不死者の蔓延る地獄と化した。

 それだけでも陰惨な悲劇だったが、しかしその不死者の領域が、年月をかけて少しずつ広がり続けている事が判明してから、大罪竜スロウスは世界存亡を握る脅威と化した。

 

 そして50年前、その地の中心、大罪迷宮の全てが腐り、空いた【穿孔】に突入し、スロウスを再び封じた英雄がいた。その男は、竜討伐の驚くべき偉業を成し遂げた。更に【天賢王】に連なる【大連盟】から独立した国を、あろうことかスロウスを封じた地に生み出した。

 ブラックと呼ばれる名無しの獣人。

 名無し達からの人望を集めたその男は、故に【王】と呼ばれる事となった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「俺もガキの頃、1度だけ見たことがある。獣人で真っ黒な毛並みだったからブラックって呼ばれてて、すげえ慕われてるオッサンだった」

 

 何度も宥め、ようやくジャインが【スロウス】の解説のために口を開いた。

 スロウスの認識が全体で浅かったため、結果としてその古い成り立ちから語る羽目になったためか、ジャインは最初怠そうであったものの、徐々に舌もなめらかになっていった。

 

「何年前だそれ」

「20……いや30年前?」

「しっかりしろオッサン」

「黙れガキ」

 

 ジャインから振り回される拳を避けながら、ウルははて?と疑問に思う。

 

「……その、2、30年前で既にオッサンだったんだよな?」

「獣人って事を差し引いても髭もじゃオッサンだったよ。やけにオーラあったけどよ」

「それから数十年経った訳で、獣人だろ……もう大分高齢では?」

「だから言ったろ。まだ生きてたのかよって」

 

 そもそも、()()()()で生活してる時点で頭おかしいんだよ。と、ジャインは言う。

 

 かつて【大罪竜スロウス】によって不死者の大地となった地域。そしてかつて【大罪迷宮】だったものの全てが腐り果ててひたすらに深い穴になってしまった竜の住処。その奥底に50年前、当時、最も強いと名高かった冒険者ブラックは単独突入した。

 数日が経ち、一月が経っても、彼は戻らなかった。大穴に挑んだ他の冒険者達と同じく、ブラックも帰らぬ人となってしまったと、誰もが諦めたその時、スロウスは突然、活動を停止させたのだ。

 

 彼が命を賭して、スロウスを止めたのだと、全員が確信した。

 

 帰らぬ英雄の悲劇と栄光を謳う吟遊詩人も現れた。

 冒険者ギルドは今は亡きブラックを黄金級の冒険者と認めた。

 神殿は、彼にシンラ相当の官位を与え、その偉業を褒め称えた。

 

 世界が彼の偉業を讃え、同時に彼の死亡を信じて疑わなかった――――が、

 

「英雄の葬儀が大々的に行われた後、這い出たらしいんだよ。このバケモノ」

『……本物が、かの?』

「あんたと同じ不死者じゃないかと疑われたが、マジモンの当人だったらしい……で、()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……えげつないわね」

 

 ブラックの生還は、まさに奇跡であり、名無し達はおろか都市民達、果ては神殿の中にすら彼を英雄視する者は絶えなかった。結果、死んでいるのならば問題ないと、神殿が迂闊にも与えた様々な名目上だけの栄誉を取り下げることもままならなくなったのだ。

 そうなることを見越して、隠れ潜んでいたのではないか、と彼を糾弾する者もいたが、しかし彼が【大罪竜スロウス】の侵攻を止めたのは紛れもない事実であった事から批判は続かず、彼は神殿からも認められた希代の英雄にして、冒険者の頂点の黄金級となった。

 

「ブラックって名無しの英雄がいるって話は昔から同じ名無しに聞いちゃいたけど、そんな無茶苦茶だったとは……」

 

 名無しであるウルも、彼の存在そのものは知っていた。父の同僚、冒険者崩れから、まるで我が事のように語られる英雄の話。正直、おとぎ話の類いと思っていたウルにとっても、届いた手紙の名は衝撃だった。

 だが、どうも、聞く限り、彼の常識外れっぷりは予想の斜め上を行っているらしい。

 

「で、このオッサンが、手に入れた財産、名声好き勝手に振り回して、“大罪都市スロウス跡地”にあいたでけえ穴の底に、オッサンを慕う連中と一緒にぶっ建てたのが【穿孔王国スロウス】だ。……ハッキリ言うが、此処も滅茶苦茶やべえ」

「名無し達が最後に流れ着く楽園って俺は聞いてたが……そんなにか?」

 

 大量の不死者達と腐敗した有毒ガスを乗り越えたその先にある名無し達が暮らす楽園、ウルにブラックのことを話していた老人はそう語った。老いた自分ではもう拝む事も出来ないと嘆いてもいた。

 その老人に限らず、その楽園の前に立ち塞がる困難、不死者達の群がる荒野を乗り越えられる者はそうおらず、実態を知る者は少なくともウルの回りにはいなかった。たどり着くだけでも容易くはなく、それがスロウスの伝説に拍車をかけていた。

 

 では実態はどのようなものか。それを知っているジャインがそれを語る。

 

「確かに楽園と言えば楽園だ。何せ、あそこは大連盟、天賢王の管理から外れた唯一無二の独立国だ。名無しの滞在費もあそこでは掛からん。名無し達は1度許可を貰えば、自由にあの国で暮らしていける。咎める神官もいやしない」

「…………どうやって国として成り立たせてるんだ?というか、どうやって生活してるんだ?そこの住民は」

 

 天賢王の大連盟に加入しない。

 言葉にすると容易いがそれは太陽の結界を授かれないということだ。

 神官達は存在しない。

 つまり精霊達の力も借りられない。生産都市で、精霊の力を借り、食料を生み出せない。

 

 都市の外で生きる、というのは基本的に困難極まるのだ。そうでないなら、名無しの者達は滞在費を払ってでも都市の中に潜り込もうとはせず、外の世界で気ままに暮らしている。できないから この世界はこうなっているのだ。

 いくらブラックという人物が規格外であろうと、国という以上は、住まう住民がいなければ成り立たない。ブラック以外の人物も規格外などと言うことはあるまいし、何をどうすればそんなことができるのかわからなかった。

 

「別に、難しい話じゃない。太陽の結界がないなら、代わる結界を魔術で組めば良い。精霊の力が無いのなら、頼らず自らの力で生活すれば良い」

 

 元より、大連盟に加入している都市にしたって、万事を太陽の結界と、精霊達の力に任せているわけではない。そうでないからこそ、冒険者達による魔石の採掘は必要なのだ。彼らから金を支払って魔石を購入し、その魔石で、足らない分の都市管理を賄っている。

 理屈としては確かに、太陽神、そして精霊の力の代用という発想はある。だが、しかし、

 

「それが簡単にできたら苦労は無いだろ?そりゃアンタが一番分かっているはずだ」

 

 安住の地を求め、必死に戦っていたジャインならば、それがどれほどの無茶か分かっているはずだ。もし簡単に都市の外で生きていけるなら、彼は必死に金を稼いで都市の土地を買おうなどと考えなかったはずなのだから。

 

「ところが、ブラックって男はそれをやってのけた」

「……どうやって?」

「神と精霊に依存せざるを得ない原因は幾つもある。伝統、信仰、支配、だがそういったしがらみを抜きに考えた場合、最もシンプルな理由は“エネルギー不足”だ」

 

 魔力は万能のエネルギー源だが、その収集効率は良いとは言えない。迷宮の魔物からの直接的な採取、大気や地面からの収集だけでは、神と精霊の欠落を補うにはとても足りない。

 

 ならば、どうするか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ジャインは半ば楽しそうに、半ば呆れるように顔を歪め、語る。

 

()()()()()()()()()()()()()

「………………は?」

 

 ウルは耳を疑う羽目になった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ブラックが目を付けたのは、()()()()()()()()()()()()が生み出した有毒ガスだ」

 

 生き物を腐らせ、不死者として、それを媒介として更に広まる。

 あまりにも恐ろしい特性を秘め、【黒炎】に並ぶ禁忌として神殿が伝聞すら封じ、誰しもが近寄ることすら恐れ戦いた、【腐眠】を、あろうことか有効利用したのがブラックだ。

 

「どうもコイツが、僅かな魔術加工で、既存の燃料を遙かに上回る高効率な代物に代わると気がついたらしい」

「……それ、加工して大丈夫なのか?」

「ああ、一歩間違えれば周辺の全てを腐らせて、それを媒介に増殖し続ける【無限腐敗】のリスクを呑みさえすれば、大丈夫だ」

「そんな厄の塊みたいな代物を、利用しようなんてよく思ったな」

 

 真理の探究者と呼ばれる魔術師達でも、大罪竜とそれにまつわる呪いには決して近づかない。誰であろう、この世界を支配する神殿が、竜とそれにまつわる物を禁忌としたのだ。討伐などの目的でも無し、うっかりと近付いて、都市追放にされるリスクを思えば、好んで近付こうなどと考える者は少数派だ。

 そのリスクがなかったとしても、竜の呪いが巻き起こす災厄を思えば、やはり近付く者はいない。いたとしても、その末路は呪われて死ぬか、呪いの一部となっているか、世界に仇なす邪教徒に変貌している事だろう。

 

 だが、その男は竜そのものを退け、

 竜の呪いの中心地に国を建て

 挙げ句竜の呪いを活用した。

 異常の一言に尽きる。

 

「どうやって気づいたんだ。竜の呪いの活用法なんて」

「知らねえ。そもそもスロウスを封じたのも、実は最初からそれが狙いだなんて噂もあるくらいだ」

「んな馬鹿な」

「バカなんだよ」

 

 それがない、とはウルも言い切れなかった。色々と規格外な人物であるのは十二分に伝わった。そして、随分と狡猾であるということも。

 

「で、ブラックはスロウスが腐敗させた物質を再利用し、燃焼資源を大量に生み出し、それを活用した魔導機を大量に運用した。更に【穿孔】を防壁の代わりにして効率よく結界を編み、防衛を完成させた」

 

 そうして、【穿孔王国スロウス】は成立した。

 王国の存在は当然、神殿は【禁忌】として、竜の存在と同じく表立って話すことすら許さなかった。ウル達一行、特にエシェルやリーネがスロウスの存在をあまり知らなかったのはその為だ。

 だが、名無し達の間ではその存在はまことしやかに囁かれた。神殿もない、名無し達のための楽園がある、と。

 だがどうにも、楽園というには危うすぎるらしい。

 

「ちなみに神殿がない所為か、【スロウス】はギャンブル、ドラッグ、なんでもござれの末法世界だ。邪教徒の住処もあるんじゃねえかなんて噂まである」

『ほほーんちょっとおもしろそうじゃの』

「ふざけんなやめろよ不良ジジイ」

 

 今は亡きクソ親父が行こうなどと言い出さなくて本当に良かったとウルは安堵した。

 少なくともアカネを連れていけるような場所ではない。

 

「そんでブラックって男は世界でなんらかの問題や災難が起こるたびに、スロウスから這い出てきて、ふらりとちょっかいをかけていく。黄金級として世界の危機を救ったり、竜を討ったりもするらしいが、神殿がぶち切れるような真似を何度もしてるって噂もある」

「……そんなオッサンが、此処に来ると」

 

 ウルは思った。滅茶苦茶来てほしくねえと。

 

『そもそも手紙にはなんて書かれてたんかの』

「……………三日後遊びに行きますだと」

『友達かの?』

「身に覚えがねえ」

 

 こんな友達はご免だった。

 

「グラドルは知ってるの?」

「グラドルに聞いてみたら蛙が潰れたみてえな声をあげてたから多分知らん。エンヴィー側も同じだろう。向こうには教えてやってねえけど」

 

 通信魔術でブラックの名前をあげた瞬間、受け手の従者の反応は酷かった。その後バタバタとした音声の後「改めて返答する」旨の通信を最後に連絡は途絶えた。今は返事待ちである。

 

「なら、拒否すればいいんじゃ…?」

「拒否るとして、何処に手紙出すんだ…?通信魔具の符丁も分からん。郵送ギルドに手紙依頼して送っても三日以上かかる……っつーか届けてもらえるかすら分からん」

 

 ある意味当然とも言えるエシェルの提案に、ウルも同意したかったが、そもそも物理的な手段がなかった。此処に手紙を運んできたという鳥の使い魔なら、返信もできるかもしれないが、手紙をラビィンに渡すだけ渡して速攻で飛び立ってしまったのだから、元々向こうは返信を待つつもりはないらしい。

 

「まあ、連絡手段があっても恐らくは拒絶しないだろうけどな。グラドルも」

「……その心は?」

 

 ジャインは送られてきたブラックの手紙を指さした。

 

「書面で拒絶したところで、コイツは来る」

「わあ」

「拒絶を突破されてかき回されるくらいなら、受け入れて聞き流す方がマシだ」

「災害の対処法かなんかか?」

 

 どうも手紙が送られた時点で来るのは確定したらしい。真っ白な質の良い紙にしたためられた手紙が呪いの一品のように思えてきた。

 

「……それじゃあ、そもそもこの人何が目的なの?」

「逆に聞くが予想つくと思うか?」

「……わからないけど」

「正解。サッパリわからん。エンヴィーの方が遙かにわかりやすい」

 

 エンヴィー騎士団はウーガを目的としているのが明確だ。厄介ではあるが、コチラがどう備えなければならないかは分かりやすい。対して、ブラックは何を目的としているのか、今のところ何も見えてこない。

 

「……ウーガの会合に割り込もうってんだからウーガ狙いだとは思う……んだが」

「それもどうでしょうか?」

 

 わずかなりともとっかかりを作ろうとしたウルだが、それをシズクが否定する。

 

「話を聞く限り、この方は、名誉も、資金も、地位も手にしていらっしゃいます。ウーガの価値は計り知れませんが、それほどまでウーガにそそられているように思えません」

「断言気味に言うじゃねえか」

 

 ジャインは少し疑わしそうにシズクを睨むが、ウルは黙って彼女の話を聞いた。こういうときの彼女の洞察力は鋭い。

 

「狡猾な方であるようですが、リスクを度外視してるところから、刹那主義の傾向が見えます。そういう方は、小手先の謀略は好まないでしょう。つまり――」

 

 そう言って、シズクは机に置いてある手紙を手に取る。ひらりと捲り、書いてある文面を広げてみせる。

 

「――書いてある通りの可能性があります」

「遊びに来ます……と?」

 

 その場にいる全員「そんな馬鹿な」とは言わなかった。妙に生々しい真実味が、シズクの言葉には込められていた。彼を唯一知るジャインすら、腑に落ちた顔をしているほどだ。いままでの話し合いの中でおぼろげにあったブラックの輪郭が、妙にハッキリとした。

 

「……じゃあ……遊びに来たら……どうする?」

「遊んでもらうしかありません。疲れて帰るまで」

「……そぉ……っかあ……」

 

 そして、最も真実味のある推論から導き出された結論は、身も蓋もなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

対策会議③

 

 

「…………なんか、すげえ疲れた」

「まだ直接出会ってもいないのに、大変ですね」

 

 ブラックも大変だが、それ以外の面々もやはり、厄介ではあるだろう。そんな個別でも面倒な連中が一堂に会する時、どのような状況になるのか、想像するのも嫌だったが、想定し準備しなければならないのだから頭が痛い。

 ウル以外の面々もそろそろ疲れ始めている。そろそろ1度切り上げる必要はあるが、その前に、

 

「さて……最後に一つハッキリさせておかなきゃならんことがある」

 

 ウルが口を開く。全員がウルに視線を集める。

 

「大きな賭けと幾つかの偶然と幸運で手に入れたこの【竜呑ウーガ】を、俺達がどこまで欲張るかだ」

 

 最も重要であり、認識を共通のものとしなければならない題目だった。

 

「【竜呑ウーガ】は、別に欲しかった訳じゃない。エイスーラと邪教徒の思惑を潰すために、必要だから奪っただけだ」

 

 あまりにも大規模であったために破壊は不可能。エイスーラ自身を狙おうにも、大地の精霊の加護の守りを併用し、逃げに徹された瞬間破綻する難度の高さ。様々な問題を乗り越え、無力化するために選んだ手段が使い魔の簒奪だ。

 つまり元々、ウーガの獲得は「目的」ではなく「手段」、オマケだったと言える。

 

「そう、ウーガはオマケだ。手放したところで、別に、何かを失う訳じゃあないはずだ」

「でも、そうはしないのは、惜しいからですよね?この、あまりに巨大なオマケが」

 

 シズクが腕を広げるようにして今居るこの場所を示唆する。6人ものヒトが集まって尚、収まる広いリビング、高価な家具一式に、心地よい風。今この場にいることそのものが、ウーガを得たことで得られた大きなメリットだ。そしてこれはほんの一部でしか無い。ウーガという存在の特性を考えれば、もっとより大きなメリットが得られるのは確実なのだ。

 失うのは惜しい。と、そう思わずにはいられないのは当然だ。

 故に、確認しなければならない。

 

「だから、確認するのは、()()()()()()()()だ」

 

 今後も度々、この問題には向き合う必要がある。

 そのため最低限、1度この場で意思統一を固めなければならない。

 

「――まず前提として、俺たちは、その件に口出しはしない」

 

 そう思っていると、まず手を挙げて第一声を発したのは、この中で唯一、立場として部外者となる【白の蟒蛇】のジャインだった。

 

「アンタが一番欲張ると思ったが」

「お陰様で、今を満喫しているのは確かだが、自分を見失う程じゃあねえよ」

 

 ジャインはふっと笑ってみせる。この場の中で、“自分の家”を手に入れてはしゃいでいたのはジャインだったが、思った以上に冷静であるらしい。その点は流石に、銀級まで上り詰めた冒険者の一人だった。

 

「今の俺達、【白の蟒蛇】にとって一番嫌な展開は、ウーガからも追い出されることだ。が、そうなったところで別に死ぬわけじゃない」

 

 元々、銀級冒険者として大成している彼らにとって、此処から追い出されたところで生きるための手段が失われる訳ではない。

 

「そもそも、ウーガを獲得した功績はお前らにある。コッチは手助けしただけだ。だから俺には口出しする権利はないし、責任も負わない。違約金は貰うがな」

「【白の蟒蛇】の方針は了解した」

 

 ウルは頷き、他のメンバーに視線をやる。

 すると次に手を挙げたのはシズク、そしてエシェルだった。

 

「私はウル様の方針に従いますね」

「私もそうだ」

「理由は……いや、やっぱ言わんでいい」

 

 貴方の所有物だからですが?という視線が来たのでウルは黙らせた。話が早いのは悪いことではなかった。ウルの責任の比率が高くなるということでもあるのだが。

 視線を戻すと、今度はロックが、その骨身だけとなった手をカラカラと挙げる。

 

『なら、ワシも同じカの。主、シズクの指示に従うだけじゃからの』

「ウーガを楽しく駆け回ってたやつがよく言うわ」

『ウーガから追い出されるような事があるならちゃんと事前に教えておいてくれよ?最後に思いっきりぶっ飛ばしたいからのう、カカカ!!』

 

 ロックの意見も把握した。残るは……と、ウルがリーネへと視線をやると、彼女は少し考えるようなそぶりをして、口を開いた。

 

「そうね、私としては――――完全に手放すのは少し惜しいわね」

「意外だな。白王陣以外に興味が無い女が」

「だからこそかしら。此処って、やりがいがあるのよ。白王陣を使うのに」

 

 ウーガ騒動の終結以後、ずっとリーネはウーガの調整と点検に駆け回っていた。

 グラドルから多数の魔術師が来訪した際も、ウーガ調査を譲ることはなく、また、神殿仕えの優秀な魔術師達も、彼女の技術と知識を認めむしろ彼女に教えと指示を請うていた程だ。

 恐らく、此処を生み出したあの邪教徒を除き、今この世で最も【竜呑ウーガ】に詳しい彼女が、確信を持って言う。此処は使える、と。

 

「アカネ様の協力もあって、白王陣の筆記速度は向上したけど、白王陣の本質は“守り”よ。私達は無理矢理使ってるだけで、攻性魔術にしても本来の用途は“迎撃”」

 

 白王陣は特異で強大な魔術であるが、魔法陣という本質は揺らがない。

 【ロックンロール号】をウル達が生み出したのも、移動できない白王陣を無理矢理動かすことを目的とした手段だ。完成速度という弱点が補われたとしても、その本質までは変わることはない。

 その点、やはり竜呑ウーガとの相性は抜群に良い。

 言わば此処は“移動する拠点”だ。

 

「【竜呑ウーガ】自体が移動できるから、言わばロックンロール号の巨大版か」

「ウーガ自体の調整も、長期仕様の白王陣と相性が良いの。ウーガは生き物だから、それ自体に描き込んでも魔力不足で霧散しない」

 

 これまた、ウルの肉体に白王陣を描き込んだ時の応用だ。ウーガは生き物であるから、本体が魔力を貯蔵している限り、白王陣は途中で破綻しない。

 

「ウーガ自体の魔力は足りるのでしょうか?」

「元々貯蔵量はヒトのソレと比べて膨大だから尽きることはないし、もし不足した場合、ウーガは必要に応じて大地と一体化して休眠し、消費を減らして魔力を貯蔵できる」

『すげえのうこの怪獣』

 

 改めて、とんでもない生物である。ウーガ完成の経緯の闇さえ無ければ、世界中から賞賛されていたであろうというのは間違いない。これを生み出した制作者のヨーグは、今は生首だけになってどこぞの牢獄に封じられているらしいが。

 

「私の目的は白王陣の力の証明と宣伝。その点では此処は非常に都合が良いわ。目立つ、という点でも此処ほど話題の場所は無い。そして同時に、私ならウーガに対して大きな貢献が出来る確信がある」

「こっちからもギブが出来る、ってのはデカイな」

「此処までが私の意見。で、貴方はどうなの?ウル」

 

 リーネの視線がウルに向く。他、全員の視線もウルに集まった。ウルは小さく息をつくと、天井を仰ぐようにして、口を開く。

 

「――――本音を言うとこんな訳の分からんもん今すぐ手放してえ」

「ビックリするくらい忌憚ない意見出たわね」

「ちょっと前までその日の飯代で顔青くさせてたのに都市運営とかバカかよ」

『波瀾万丈すぎてきゃぱおーばーしとるの』

「っつーか6ヶ月前まで冒険者ですら無かった奴に全責任集まるの畜生過ぎるだろ」

「天才クソ野郎って罵りたいところだが流石に哀れだわ」

 

 言いたい不満を全部言った。なんの解決にもならないが仲間達の哀れみが暖かかった。

 

「真面目に今の状況は俺の裁量を超えている。アンバランス過ぎる。このままだと、絶対碌な事にならない」

 

 そしてトラブルが発生した場合、十中八九、ウルは対処できなくなる予感があった。ウーガ騒乱の時、ウルが立ち向かうことが出来たのは、敵が明確で、何をすれば良いのかがハッキリとしていたからだ。だから短い時間でも準備は確りと出来た。

 だが、今のこの状態は、次に何が起こり、どんな問題が発生し、そして何に巻き込まれるか、全く見えていない。備えようにも何を備えれば良いのかが分からない状態だ。無防備でいるのと変わらない。そしてそんな状態でいれば、不意のトラブルで呆気なく死にかねない。

 

「過分だ。この場所は」

「では、手放しますか?」

 

 シズクが、銀色の瞳を真っ直ぐにウルに向ける。

 ウルは沈黙し、目を暫くつむる。そして、暫くした後、苦々しい笑みを浮かべた。

 

「……ウーガ騒動で文字どおり命懸けで走り回ったのは俺達な訳で、その成果を全部明け渡すのは、バカだわな」

 

 知識も経験も不足しているウルとて、ウーガという存在が抱えているであろう莫大なまでのメリットを理解できない訳ではない。ひょっとしたら、アカネを買い戻すという自分の目的を、黄金級に至らずとも果たせる可能性があるくらいには、凄まじい場所なのだ。

 そして、この場所を、邪教徒と天賢王の反逆者達から取り戻したのは誰であろう、ウル達と勇者ディズである。

 だからウーガの権利は全て寄越せ、などと欲張るつもりはない。が、苦労に見合うだけの報酬を、グラドル側に要求するだけの権利はある。それは間違いない。

 今回の騒動の原因はグラドルだ。ウル達はその尻拭いをしてやったのだから。

 

「最低限、今回巻き込まれた俺達の住居と土地の提供。ウーガ騒動解決に導いた報酬。これくらいは貰ってしかるべきだ」

「無難なラインですね。報酬の量は要相談でしょうけど」

「ついでに、白王陣の有用性のアピールもな。リーネは後でウーガへの白王陣の用途をまとめておいてくれ。場合によっては説明に出てもらう」

「了解よ」

「私はどうすればいい、ウル」

「エシェルは難しく考えず、グラドルに忠実でいてくれ。無理にコッチに便宜を図ろうとするよりも、その方が良いだろう」

 

 カーラーレイ一族の生き残りが、今のグラドルに反抗的だった場合、問題が大きくなる可能性が高い。エシェルは何度も頷いた。

 

「おっし、じゃあ解散。各々仕事しながら、三日後に備えよう」

 

 了解、という一同の返事と共に、会議は閉幕となった。

 

 そして場面はその三日後、ウーガとウル達の運命が決まる【第一回ウーガ会合】へと移る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

集結

 

 三日後、竜吞ウーガ後部、搬入口。

 

 ウーガに乗り込む際、出入り口用のスロープとなるのはウーガの“尻尾”だ。

 まずウーガ自身が地面に潜り込む形で沈み、半ば地面と一体化する。そしてその尻尾も地面に潜り込ませ、ウーガ内の居住区画までの道とするのだ。これは大罪都市グリードの移動要塞【島喰亀】と構造が似ていた。実際、邪教徒達はアレを一部参照したのだろう。とはカルカラの説明だった。

 ただし規模は違う。地面に突き刺さったウーガの尻尾は、なだらかで大きな山のようだった。馬車はおろか、小型の移動要塞であれば容易に通行が可能であろうというくらいに、それは大きかった。

 

「実際、それを想定していたんだろうな。エイスーラは」

 

 尻尾の付け根、居住区画の入り口の前で、エシェルが小さくぼやいた。出迎えに待つ彼女は、かつてはずっと身につけていた天陽騎士の鎧でもなく、私服でもなく、神官用の式服を身に纏っていた。

 神官の制服というには少し派手だが、上品さは保っていた。お偉方を出迎えるにあたり、最低限、身だしなみに気を使う必要があるということで、彼女の姿はこうなった。化粧も以前のようにむやみに濃くなく、年齢から少しだけ大人びた印象を受ける程度に落ち着いていた。

 

「俺はこの格好でいいのかね」

 

 対してウルの格好は、普段から使用している鎧だ。粘魔王との戦いで破損した箇所はきっちり修繕したので、見た目は悪くないが、普段通りが過ぎて逆に落ち着かない。

 エシェルはそんなウルの姿を見て頷く。

 

「魔銀(ミスリル)の鎧なら十分だ。天陽騎士の騎士鎧も魔銀製だし」

「眼帯は?厳つくないか?」

「公の場で魔眼の類いを晒すのはマナー違反だから、良いと思う」

「なるほど……ただまあ、礼儀作法には疎い。期待はしないでくれ」

「無理をせず、礼を失するような事さえなければ十分かと思いますよ」

 

 そうフォローするのはシズクだ。彼女は頭まですっぽりと覆う白地のローブを身に纏っている。普段使いするにはすぐに汚れてしまいそうだが、今回はウーガに保管されていたものの中からあえてそれを選んだ。

 肌の露出も少ない、デザインとしては地味なものだ。エシェルと共にある時、彼女の容姿はあまりに前に出すぎているというチョイスだった。

 それでも逆にミステリアスな雰囲気を漂わせるのだから難儀なものだった。

 

「お前はどんな格好でも様になるよな。シズク」

 

 シズクは口元を隠してクスクスと微笑む。

 

「取り繕っているだけですよ」

「全然そうには見えない……」

「エシェル様は私とは逆に、これから出迎える方々の前では、もう少し堂々としていなければいけません。今は貴方が此処の主なのですから」

 

 シズクの指摘に、エシェルは肩をがっくりと落とす。顔には自罰的な笑みが浮かんでいた。

 

「虚勢は、皆を此処に連れてくるときに張るだけ張って、すっかり底を尽きてしまった。大声で喚き散らしていただけだったけれども……それもどうして出来ていたんだか…」

 

 へし折れてへし折れて、またへし折れて、何度となく砕かれて、最後に救われた彼女の心は随分と丸くなった。が、結果失われたものもあった。ラストの神殿にて、天陽騎士としての権威を振りかざしていた彼女は、無鉄砲であったが、肝が据わっていたとも言えた。

 今の彼女に同じ事は出来ないだろう。やろうとも思わない。

 だが今は、あの時の無鉄砲さが幾らか必要な時だ。

 

「勢いなんていりません。形だけで良いのです」

 

 シズクはそんな彼女の肩に触れて、身体を起こさせる。そのままエシェルの後ろに回り込んだ。

 

「相手に嘘をつく簡単なコツは、胸を張って、姿勢を良くして、何も感じず微笑んでいることです」

 

 そっと背中や肩に触れるたび、エシェルの姿勢は自然と、先ほどと比べて良くなっていった。まるで操り人形のように、シズクの手はエシェルを動かしていく。

 

「何も、考えなくて良いのか?」

「考える必要はあります。でも感じないでください」

「難しいことを言う」

「意外と簡単ですよ。誰もが身につけている防衛本能ですから」

「防衛?」

 

 理解できずエシェルが不思議そうにすると、シズクは背後からそっとエシェルの頬に触れ、耳元で囁く。

 

「エシェル様、生きている中で、死んでしまいたいほど辛いことはありましたか?」

「…………そ、れは、あるけど」

「その時、どう耐えたかを思い出してください」

 

 そう言われて、暫くした後、エシェルの中から表情が消えた。

 怒りや悲しみも無い。辛い、苦しいといった感情も無かった。一切の感情が外から消え失せて、内側に押し込められた。石のようになったその顔に、シズクは触れる。

 

「感情を切り離して、形だけを取り繕えば、後は相手が勝手に勘違いしてくれます」

 

 シズクが手を離すと、意味深な微笑を湛える女が誕生していた。

 近くで変化を見ていたウルの目にも、それが古いトラウマを自分で掘り返して、悶え苦しんでいる少女の姿には見えない。全てを理解しているような、見透かされているような気分になった。

 

「……あの、ずっと、こうしてるの、つらい」

「その内、嫌な思い出を取り出さなくても出来るようになりますよ」

 

 シズクが離れると、エシェルが溜息をついて表情を戻した。その後なんども自分の顔に触れ、身体を動かす。先ほどの自分の姿の練習をしているらしかった。

 

「いきなり完全にやろうとしなくてもいいですよ。今日は姿勢だけにしましょう。それだけでも印象は変わります」

「お前はその技術何処で仕込まれたんだ?」

 

 ウルは問うと、シズクは意味深な微笑を湛えた。

 ウルはシズクの頬を引っ張った。

 

「いひゃいれす」

「なに遊んでんだボケども」

 

 そこに、ジャインがやってきた。彼も鎧姿だ。普段使いの実用性重視ではなく、見栄え重視の真新しい鎧を身に纏っていた。

 

「っつーかなんで俺まで出迎えなきゃなんねえんだよ」

「アンタがいないと、此処に居るのは銅級冒険者二人と、カーラーレイ一族から追放された事で生き残った小娘が一人だ。ハッタリが足りない」

 

 その点において、銀級、【白の蟒蛇】のジャインは相応に名の通った冒険者だ。グラドルを中心に活動してたので、通りも良いだろう。加えて、経験豊富な冒険者がエシェル側についているというだけでも、エシェル自身の緊張が和らぐ。

 

「てめーらも銀級になるんだろ?」

「冒険者ギルドからの連絡はまだ無い。後、単純に年齢重ねてる奴が一人は欲しかった」

「誰がオッサンだコラ」

「頼りになると言ってるんだから勘弁してくれ」

 

 ジャインに小突かれながら、ウルは視線をウーガの外へと向けていた。ジャインも意識は其方へと向けている。そして不意に空を見上げ、目を細めた。

 

「来たな」

 

 ウルは頷く。ジャインと話している間にも徐々に“振動と音”は聞こえていた。【血皇薔薇】を撃破し、脅威が無くなった平原に鎮座する【竜呑ウーガ】に近付く複数の巨大な影。

 

「ありゃ【ガルーダ】だ。【大罪都市エンヴィー】からの使いだな」

 

 ジャインが空を見上げる先に、空を覆うように翻す巨大な魔導機械の塊。天空を支配し、自在に移動し様々なものを運ぶ巨大飛行要塞【ガルーダ】。

 ウルの知識では全く、どのようにして、空を駆けているのか想像つかない。精霊の力にも依らず動く機械仕掛けの翼はまるで生きているかのように優雅に羽ばたき、ウーガの傍に着陸した。

 

「……で、陸路から来るのは【白帝馬】か。【大罪都市グラドル】の移動要塞だ」

 

 正面から地面を駆る、巨大な白い馬。全長十メートルはあろう、美しい真っ白な数体の馬達が、彼らよりも更に大きな馬車を引いてやってくる。グラドルのシンラ以外、使うことが許されない専用の移動要塞だ。彼らが本気で大地を駆れば、一日でイスラリア大陸を跨ぐ事も可能であるという噂がある。

 

「【エンヴィー】と【グラドル】……で、【スロウス】は?」

「どうでしょう?そもそも移動要塞の類いで来られるのでしょうか?」

「約束をすっぽかしたとか」

「ありうるぜ?そのほうが正直ありがたいがね」

 

 残念ながら、そんなことにはならないだろう。

 という、予感がこの場の一同の間で、確かな予感としてあった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「やあ、ウル、一ヶ月ぶり……なんだかものすごく疲れているね?」

 

 白帝馬がウーガに乗り込み、馬車からまず真っ先に現れたのは、暫くの間ウル達から離れてグラドルで仕事をしていたディズだった。本来のウルと彼女との契約、護衛の依頼は一時的に解除し、グラドルの混乱を治めるのに駆け回っていた彼女は、グラドルの時とそれほど変わっているわけではなかった。

 ただ、身に纏う鎧が違っていた。

 息を飲むほどに美しい鎧。単なる鎧としてみるにはあまりにも輝かしいそれは、一見すれば派手すぎて、実用性に欠くようにもみえる。が、勇者ディズがそれを身に纏うと不思議としっくりと見えた。

 

「久しぶりだなディズ。お前が癒やしに感じるよ」

「一応私、君の妹の命運握って君に金貨1000枚要求してる女なんだけど覚えてる?」

「忘れた」

《わすれんなー!》

 

 ぼふん、と顔面にアカネが飛びついてくる。

 

「久しぶりだ。アカネ。大変だったか?」

《あたしはらくだったなー、しんでんのおっちゃんらはしにそうなかおしてた》

「だろうなあ」

 

 グラドルの神殿は地獄だろう。ウルもこの二ヶ月の間、時折グラドルには顔を出す事もあったが、その度に神官や従者達は疲労でヤバい顔つきになっていた。此方を恨みがましい顔で睨んでくる者もいたが、流石にウルの知ったことではなかった。どちらかといえば被害者なのは自分たちの方だ。

 うにゃうにゃとウルにへばりつくアカネを尻目に、ディズはウルの隣で少し緊張気味にしているエシェルへと視線を移し、微笑みを浮かべる。

 

「エシェルも、久しいね。大丈夫だった?」

「へ、平気だ」

「カルカラも後から来るから安心してね」

「わかった」

 

 エシェルとディズの関係は、事件以降、改善に向かっている。といっても、二人の接触はほぼなく、しかもエシェルからの一方的なつっかかりであり、それも彼女の実家を気にしての事だった。それが霧散した今、悪くなりようが無かった。 

 エシェルは自分の言動を覚えているのか、若干気まずそうだがその内に自然にやり取りできるようになるだろう。

 

 二人の関係については問題ない。だがそもそも今回の主役はディズではない。

 

「勇者さん、先に行かれても困るわ。年長者を気遣ってはどうなの?」

 

 ディズの後に続いて姿を現した熟年の女性。グラドルの新たなシンラ。ラクレツィア・シンラ・ゴライアンこそが、今回の主役であり問題の一つだ。ウルは緊張感を高めた。

 

「貴方は高齢って程じゃないでしょ。ラクレツィア様。足腰鍛えなきゃ」

「余計なお世話よ」

 

 一見して背丈の小さな、只人の中高年の女性。神官の法衣を纏っている。衣装以外は都市内ならどこでも見かける上品な女の人、くらいの印象だった。

が、やはり、未曾有の混乱のただ中、シンラとしてグラドルをまとめる役目として選ばれただけのことはあるのだろう。ウーガという前代未聞の使い魔に降り立っても全く浮足立つ様子はない。彼女の護衛である天陽騎士の方がまだ戸惑いをみせている。ただ精霊との繋がりが強い、というだけではないようだ。

 

「エシェルさん、一ヶ月ぶりくらいかしら。お出迎えありがとう」

「いえ、ラクレツィア様。グラドルの神殿では随分とお世話になりました。当然です」

 

 今も、エシェルと言葉を交わしながらも、竜吞ウーガ全体へと視線を向け、観察を続けている。僅かでも情報を見逃すまいとしているのがわかる。その強い視線がウルへと向けられと、背筋が少し震えた。

 

「初めまして、と言うべきかしらね。ウルさん。何度か、神殿で見かけたけれど、こうして直接言葉を交わすのは初めてね。ラクレツィア・シンラ・ゴライアンよ」

「ウルと言います、本日はよろしくお願いします」

「そして、白の蟒蛇のジャインさんですね。噂はかねがね。ウーガの奪還の際、協力して下さったことを改めて感謝致します」

「グラドルの地に住まう者として当然のこと。お会いできて光栄です、シンラよ」

 

 ジャインは驚くほど流暢に挨拶を交わした。流石に慣れている。来てもらって良かったとウルは心底思った。

 そしてシズクはと言うと、ウル達から更に一歩下がり、気配を消している。単なる護衛の一人に過ぎないというように。ラクレツィアの意識からも外れている。流石に抜け目がなかった。

 ラクレツィアも特別シズクに意識を向けることはしなかった。そのまま一歩下がると、改めて、というように胸に手を当てて、恭しく彼女は一礼した。

 

「この場にいない皆様も含めて、改めてグラドルからお礼を申し上げさせていただきます。よくぞ、この衛星都市を、“おぞましい邪教徒の手から”取り戻してくださいました。今、グラドルが無事在るのは皆様の尽力あってこそ。感謝致します」

 

 彼女に従う天陽騎士達は、新たな自分らの王が、名無し達に対しても頭を下げた事実に少しざわめく。が、ウル達には彼女の言葉の意味が理解できた。

 

 この一件は“全て”邪教徒によるものである。と心得ておくように

 

 という、改めての警告だ。グラドルに出向した際何度となく繰り返された確認であるが、最後の釘刺しだろう。ウルは心に留めた。

 

「さて、それでは早速、と、言いたいですが、別の客もいらっしゃるのですね」

「ええ、そろそろ……」

 

 と、話している間にもう一組の来客がウーガの尾から乗り込み口へと上がってきた。ガルーダ内部に収納していたのだろうエンヴィー騎士団の青と白の色彩で彩られた馬車だ。

 そして、馬車の中から悪名高き遊撃部隊が姿を現した。

 

「失礼、お初お目にかかります。新たなるグラドルのシンラよ。エンヴィー騎士団遊撃部隊隊長、グローリアと申します」

 

 出てきたのは騎士鎧を纏った森人の女だ。

 森人特有の端正な容姿をしている。表情にも笑みを浮かべているが、受ける印象はどこか冷たい。言葉は丁寧だが、その目つきはラクレツィア以上に鋭く、ウーガを見つめている。獲物を前にした獣の目つきだと、ウルは思った。

 

「急な申し出であったにもかかわらず、ご理解いただけたこと感謝の至りです」

「【七天】の名を持ちだされたら、我々に拒否権なんて無かったと思いますけどね」

「これも【七天】の役目、世界全体の平穏のため。どうかご理解ください」

「魔術狂いのご機嫌のためではなくて?」

「魔術狂いとは、我らが主の【天魔】が聞けばお喜びになることでしょう」

 

 早速、というべきか、グラドルとエンヴィーの間でバチバチと火花が散っていた。

 ウーガを何とか利用したいグラドルと、【天魔】のグレーレのため、ウーガを接収したいエンヴィーの関係は明確に敵対関係なのはわかっていたが、思った以上に白熱としているようだ。

 はじめからコレでは、この先どれだけ気苦労するハメになるのだろうとウルが憂鬱に思っていると、グローリアの視線が此方に向いた。正確には、ウーガの主であるエシェルへと。

 

「初めまして、エシェル様。本日はウーガにお招きいただきありがとうございます」

「い、いえ。あくまで私はグラドルから管理を任されただけの身に過ぎません」

「ですが、邪教徒に奪われようとしたウーガを、冒険者達を率い、見事に守り抜いたと聞いておりますよ」

 

 そう言って、エシェルへと手を差し出した。エシェルも、それに応じるように右手を差し出す。グローリアはその右手をジッと見つめる。“何の制御印も刻まれていない右手”を、しっかりと確認し、握手を交わした。

 

「どうかその武勇伝も本日は聞かせていただければ嬉しいです」

「武勇伝、になるかは分からないが、頼もしい仲間達の話ならば、出来ると思います」

 

 グローリアは微笑み、エシェルもシズクに倣った微笑みで返した。

 ウルは違和感が無いように、シズクへと近づき、冒険者の指輪で彼女に触れる。直通の通信魔術を起動させた。

 

《あれ、【制御術式】探ってたよな》

《ええ、“お化粧”しておいて良かったです》

《魔術じゃなくて良かったのか?》 

《その方が目立つかと。》

 

 制御術式、ウーガ操作の要を探ろうとする動き。不穏だった。

 いきなり制御術式を奪いに襲い掛かるほど、彼らは狂ってもいないだろうが、やはり警戒するに越したことは無いらしい。

 

「あら、私には握手をしてくれなかったのに、森人というのはやっぱり“若い女の子”が好みなのかしら」

 

 森人が長く若々しいのは、若い女の生き血を啜るからだ。

 吸血鬼と呼ばれる不死者の亜種と、森人が同一視されていた時代の噂の一つを用いて、ラクレツィアがグローリアの挙動を皮肉る。ラクレツィアもグローリアの探りには気づいているらしい。そしてその皮肉には流石のグローリアも少し、表情を強ばらせた。

 

「随分古い迷信を持ち出すのですね。数百年も前の栄誉に今もしがみつくグラドルらしいといえばらしいですが」

「あら、御免なさい。50代も半ばの小娘の戯れ言ですわ。数百も年上の年長者に、無礼を口にしてしまいましたかしら?」

 

 二人は微笑み会う。が、最早笑顔で体裁を保とうとしていること自体が滑稽なほど、隠しきれない敵意がバチバチに燃え上がっていた。

 

《……ラクレツィアさんってすげえやり合うのな》

《ディズ様がおっしゃってましたが、結構な武闘派だそうですよ》

 

 グラドルでは、ウル達には比較的良心的に接していたため、こうした彼女の側面を見るのは意外だった。だが、此処で戦闘開始されては話が進まない。どうするかと考えていると、助け船はエンヴィー側からやってきた。

 

「隊長。落ち着いてください。ラクレツィア様もどうかお許しを。我々も立場上、魔術に対しては神経質にならざるを得ないのです」

 

 そう言って、互いを宥めるようにして進み出たのは、グローリアと共に降りた、彼女の副官とおぼしき人物だった。只人の、柔和な笑みが似合う青年。場の空気を落ち着かせる柔らな声音で、今にも爆発しそうなその場の空気を散らしていく。

 あの火花散る戦場に平然と割って入って、あっという間に空気を引き戻してしまった。大したものだと、感心するように眺めていたウルだったが、ふと、気がついた。

 

《にーたん、あれ…》

「エクスか……?」

 

 ウルの懐に隠れていたアカネが小さく呟き、ウルも気づく。

 向こうも気づいたのだろう。一瞬だけウルを見て小さく頷くのをウルは見た。

 

《お知り合いですか?》

《昔の友人だ。まあ、それは後で良い》

 

 エンヴィー遊撃部隊副隊長、エクスタインによってなんとか場は鎮まる。が、やはり空気は良くなかった。双方のトップに影響されるように、グラドルの天陽騎士も、エンヴィーの騎士団も、互いに互いをにらみ合っている。

 ウーガが二国間の奪い合いになる可能性は事前に考えてはいたが、想像以上に露骨な状況に、ウルは軽く冷や汗を掻く。この調子でこれからウーガを案内していくのか、と、憂鬱な気分になっていると、ふと、思い出した。

 

「……結局、最後の連中はまだ来ないな」

 

 この場の空気を散らす目的で、ウルはそれを声に出した。

 ウルの指摘に、ラクレツィアは思い出したくないものを思い出したというように顔を顰める。対してグローリアはウルの言葉に不審そうな顔をした。

 

「まだ、別の勢力が来ると?」

「急だったため、エンヴィー騎士団の方々には連絡が間に合わなかったのですが、貴方がたと同じく来訪が決まった方が……」

 

 エシェルがそう説明する。が、しかし、その最後の一組は影も形も無い。二勢力のように移動要塞を使うのであれば、遠方からでもその気配はすぐに感じ取れるが、それもない。

 

「……すっぽかされたかな?」

「だったら最高だな」

 

 ウルの言葉にジャインが鼻をならす。

 

「元々、予定に無い部外者も部外者だ。何も困らん」

「まあ、確かにそうだ」

 

 エンヴィーのようにウーガそのものを目的としているならまだしも、それすらも怪しい相手だ。取り扱いに困りすぎる。

 

「燃料の扱い間違えて腐っちまったのかもしれないぜ。元々、まともな脳みそしてるかすら、怪しいところだが――」

 

 

「おいおい、失礼なこと言うんじゃねえよ。ジャーイーン」

 

 

 がしりと、なんの予兆もなくジャインの肩に手が置かれた。

 当然、それは隣にいたウルではなかった。彼とウルとの間に、もう一人。真っ黒で、大きな獣人が立っていた。巨体である筈のジャインに並びながらも、彼のほうが小さく見えるほど、体躯以上に強烈な存在感があった。

 ジャインは目を見開く。ウルも同じだ。先ほどまで気配は全くなかった。

 

「……アンタ」

「よお、28年ぶりだなあ、ジャイン。あんときゃ目ぇギラついた生意気そうなクソガキだったのにデカくなって、ジジイは嬉しいぜ」

 

 ラクレツィア、グローリアも、男の姿を見て驚愕に顔を歪める。二人を守る騎士と天陽騎士は一斉に臨戦態勢に入った。魔物と対峙したときでもそうはならないだろうというくらいの警戒具合だ。

 しかし、男は無数の敵意を向けられても全く気にすることもなく、そのまま気安く騎士たちを従える二人に手を振る。

 

「よお、ゴライアンの末っ子お嬢ちゃんは相変わらず賢そうな顔してんな?」

「……お嬢ちゃん、と、呼ばれる年ではないのですがね」

「グローとは50年ぶりかね?昔は可愛らしかったけど、すっかりいかつくなったなあ」

「…………貴方は恐ろしく変わりありませんね。森人より老けにくいようだ」

 

 そんでもって、と、そのまま彼の視線は横にずれた。ラクレツィアの隣で、自然と彼女を最も守れる位置に移動していた金色の少女、ディズへと。

 

「よう、勇者。相変わらず可愛いね。他の七天に虐められちゃいないか?辛くなったら相談に乗るぜ?」

「悩むことがあったとしても、貴方にだけは相談できないな」

「おいおい酷いな。女性には紳士的で通ってるんだぜ?これでも」

 

 そんな風に冗談めかして笑って、最後に、ウルへと視線が移った。

 

 全く高齢とは思えない、艶のある顔立ち。一目に一品と分かる黒い毛皮から、香料でも使っているのか、甘い匂いが鼻をくすぐる。両目は髪色と同じく黒く、十字の印のようなものが眼の奧に刻まれていた。魔眼であるのか定かではないが、見ていると引き込まれそうになった。その二つの瞳が、ウルをじっと睨み、そして笑った。

 

「【粘魔王殺しのウル】。初めましてだ。よ・ろ・し・く・な?」

 

 【黄金級】

 【王】

 【怠惰の超克者】

 

 ブラックは人懐っこい笑みをウルに向けた。

 

「…………………初めまして。よろしく、ブラック殿」

 

 死ぬほど面倒くさそうなオッサンが現れた。

 と、ウルは顔を引きつらせながら挨拶を交わした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

集結②

 

 

「ウーガの最後部、搬入口だ。ウーガ停止時はその身体が地面にめり込み、尻尾は通行可能なスロープになる。中小規模の【移動要塞】なら直接乗り込める」

 

 

 【搬入口】尻尾の付け根部分は平たく広い。乗り込むに“都合の良い形”になっている。生物としてやや不自然なその形は、意図的に生み出された使い魔である事を示す証拠の一つでもあった。

 

 

「搬入口から、倉庫区画へと続き、その先に住居区画がある。建築物は通常の都市部のそれと比べてそれほど高層建築になっていない。地下空間も少ない。見た目ほど収容能力は無い」

 

 

 住居区画は一見して広いように思える。元々通常の衛星都市だったものがそのまま使い魔となったのだから相応の広さはあった。しかし此処は巨大なる使い魔、ウーガの背中だ。

 住まう、と言う点では必ずしも優れてはいなかった。通常の都市のように地下空間や高くどこまでも伸びた高層建造物を使って、居住エリアを嵩増しすることも出来ない。通常の都市以上に、限られた者達しか此処には収容できない。

 

 その事実は、見る者が見ればすぐ気付くだろう。

 このウーガの価値と、存在する椅子の数の少なさ。この二つの要素が起こしうる危険を案内された者達は敏感に感じ取っていた。

 

 

「ウーガの周辺は、ウーガ自身の硬質化した皮膚が防壁となって守っている。単純な結界よりも強力だ。もっとも、ウーガ自身に積極的に近付く魔物が少ないが」

 

 

 ウーガは生物型の【移動要塞】の特性を有している。巨大な生物として強い気配を発しているために、その上にいるヒトの気配を魔物達が感知しない。一見して太陽の結界がない無防備な場所に思えて、魔物に対する防衛能力は高い。

 

 

「ウーガの中央地下、管理区画だ。ウーガの揺れの制御、ウーガ自身の体調、取り込んだ魔力の調整等を担う一つの要だ。また、司令塔との通信魔具も備え付けてある」

 

 

 此処の管理はグラドルから既に魔術師が派遣され、管理運用を任せている。ウル達には分からないことの方が多く、リーネ一人では手が回らなかったため助かっている。魔術師として派遣された彼らは、ウーガをみて激しく興奮し、駆け回っていた。

 ちなみにウーガの建設計画に関わった魔術師は、グラドルから派遣されていない。深く関わった者の殆どが、粘魔となってしまったのだから当然と言えば当然だ。

 

 

「で、司令塔周辺、ウーガ前頭部に近い。“甲壁”も一番分厚く、守りが堅い場所だ。都市で言うところの神殿区画だ」

 

 

 ウーガの搬入口から最も離れた、ウーガの最奥のエリアだ。エイスーラが自らの城となる場所と定めて設計させたためか、優美な建築様式を取り入れられたウーガの中でも一際に美しい。ウルや、ウーガで暮らす名無し達は司令塔に入るときは少し気後れする程だ。

 

 

「司令塔内、ウーガ運用時、制御印を持った者が利用する司令室だ。巨大な遠見の水晶はウーガの視界を反映している。制御印所持者以外も、許可された者はここからウーガ各部の術式制御が可能だ」

 

 

 この2ヶ月の間、ウーガを活用したウル達も此処は頻繁に利用していた。様々なウーガの情報がダイレクトに反映され、各部の確認と制御が可能となるこの司令室は名前の通りウーガの頭であり、要だろう。そして――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「会議室。まあ、そう呼んでいるだけだが。司令室の向かいで、多人数で利用できる巨大な机に椅子が並んでる。話し合うにはうってつけの場所だ」

 

 

 ウーガの見学ツアーの最終地点、司令塔内会議室に全員が集った。それぞれが陣営に固まって席に着いていく。

 

 ウル達側は、ウル、シズク、エシェル、リーネ。補佐にジャイン、ロックは留守番だ。

 グラドル側は、シンラのラクレツィア、勇者ディズ(とアカネ)、そして護衛の天陽騎士達。

 エンヴィー騎士団は、隊長のグローリア、副長のエクスタイン、そして配下の部下達。

 そしてスロウス側はというと――

 

「……ブラック殿、どうしました?」

「ああ、司令室に小さな黒剣虫が潜り込んでてさ。ウーガの中に良く潜り込めたと感心してちょっと眺めてたんだよ。悪い悪い」

 

 外から司令室を楽しそうに眺めていたブラックが笑って席に着く。

 スロウス側は彼一人だ。

 この見学ツアーの最中も、あちらにこちらにとふらふらと歩いては、楽しそうに眺めるばかり。緊張感が無いことこの上ない。完全に旅行に来た観光客のそれである。

 

「……やっぱ、来訪拒否ってもよかったんじゃないか?あの人?」

「黄金級で、神殿からもシンラ相当の地位を与えられた正真正銘の大英雄、生きた伝説を袖にした後の禍根とどっちが良い?」

「面倒くせえ……」

 

 ジャインの忠告に、ウルは沈黙した。

 ブラックもようやく席に着いて、役者が揃う。

 そしてそれを確認して、エンヴィー騎士団遊撃部隊長、グローリアが立ち上がった。

 

「さて、まずは本日、このような機会を設けて下さったグラドルの皆様とウーガの皆様に改めて御礼を申し上げさせていただきます。竜呑ウーガ、大変素晴らしいものでした。現存する移動要塞、使い魔の中でも最も完成度が高く、最も強靭であるということは疑いようも無いでしょう」

 

 そしてグローリアは「しかし」と、言葉を更に続ける。

 

「はたして、保全という面で、グラドルは【ウーガ】の管理能力を有しているでしょうか。そもそもからして、このウーガの成り立ち自体、後ろ暗いところが本当にないのでしょうか」

 

 きた、と、ウルは身構える。ラクレツィアも同じくそう思ったのだろう。姿勢を正し、グローリアを睨み付ける。

 

「で、あればどうすると?」

「確認を行いたいのです」

 

 そう言ってグローリアは自身の部下に合図を送る。一人が前に出た。騎士達の中で、一人だけ、神官の法衣を身に纏った男だ。彼は祈りの所作を行う。

 

「果たしてグラドルにウーガ所持の正当性があるや否や?それを問う討論を始めたい。そして、もし、話し合いの結果、そぐわないという結論が出たならば」

 

 間もなくして、机の中央に、自ら光を放つ巨大なる【天秤】が突如として顕現した。威圧的にすら感じる天秤に、ある者は怯え、ある者は敵意を向け、またある者は笑った。

 

「【七天】が一人、【天魔のグレーレ】の名代として、天賢王から与えられた権限を用いて、【竜吞ウーガ】という魔術資産をグラドルから没収します」

 

 【天魔裁判】開始のゴングが鳴った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天魔裁判

 

 

 このイスラリア大陸において、多国間会議というのが頻繁には起こらない。

 

 正確には()()()()()()()()

 国全体が物理的に断絶しており、その多くは不干渉に成らざるを得ないからだ。

 ほぼ全ての国が大連盟に所属している以上、国家間の繋がりはあるものの、物理的な障害が大きい以上、干渉も、問題も中々起こらない。衛星都市国同士、あるいは主星と衛星都市国が争うことならあるが、結局それも身内間の問題と言えるだろう。

 故に大連盟の繋がりも、定期の通信魔術による定例会議と、年一に盟主国のプラウディアに集うことで行われる大会議で、事済んでしまう。

 

 国同士の議論は、政治的に熟達した者であっても不慣れな事が多い。

 

「ウーガという存在がもたらした混乱、そして唯一神ゼウラディアと交信する神聖なる場を穢して尚、悪びれないその態度はいかがなものでしょうか?」

「全ては邪教徒の謀りが原因と申したはずです。邪教徒どもの目論見の全てを事前に抑えられないことが罪であるなら、この世に罪人がどれほど蔓延ることでしょう?」

「グラドル側が邪教と手を組んだという噂がありますが?」

「根拠も無い決めつけで貶めるのはやめていただきたいですね。程度が知れますよ?」

 

 結果、議論は白熱する。地獄のように。

 

 ……想像したよりずっときついな、コレ

 

 ウルは黙って思った。

 【天魔裁判】開始後、始まったラクレツィアとグローリアの論戦は、言葉を交わすごとに熱量も加速していった。ギリギリ、声を荒らげるまではいかないものの、開始から数時間休み無く殺意にも近い視線と言葉がバチバチに飛び交う空間は、座ってるだけでもかなり辛かった。

 

 実際に死なないなら問題ないだろう。

 

 という、冒険者特有の議論に対する侮りをウルは早々に捨てるはめになった。これは強烈だ。そして、恐らく森人として長らくこの戦いをやり慣れていたであろうグローリアと真正面からやりあっているラクレツィアが凄まじかった。

 

《……あの人、凄くタフなんだ。グラドルがカーラーレイ一族に完全に支配される前は、対抗派の代表だったヒトだ》

《で、疎まれて閑職に追いやられて、今復活したと》

 

 机の下、手に触れることで行う直通通信魔術でのエシェルの解説に、ウルは納得する。実際かなりのやり手なのだろう。立場的には彼女が味方であるのはありがたかった。が、

 

「全滅したカーラーレイ一族が邪教徒と一切関わりが無かった、と主張するのは無理がありませんか?ねえ、エシェル様?貴方なら何かご存じでなくって?」

「え!いや、そ」

「彼女は若くして数年前天陽騎士として家を出て家名も変えています。以降絶縁状態で、最近のカーラーレイ一族についての情報は殆ど持ち合わせていません。そうですよねエシェルさん」

「あ!はいそ」

「絶縁状態なら、何故カーラーレイ一族は彼女にウーガの管理を任せたのかしら?エシェル様?自分の選出理由くらいはわかるのでなくって?」

「う、それ」

「前シンラ、カーラーレイ一族の方針で衛星都市新造計画が重なり、神官の不足が高まったと伝えていましたでしょう?で、あれば、精霊との繋がりが深い元々はシンラの家の出の彼女に役目が回るのは自然な事よ。そうでしょ?エシェルさん」

「は」

「私はあなたにではなく、エシェル様に質問したつもりなのですが?」

「私でも解答可能な質問を答えただけのこと。身内を全て失った彼女の心労を考慮してあげて下さらないかしら?」

 

 それはそれとしてエシェルの存在もガンガンに討論に組み込まれているので、楽は全くさせてはもらえなかった。

 エシェルは既に死にそうな顔をしている。そろそろ休ませなければ不味いか。

 

「皆様、そろそろお茶などいかがでしょうか?」

 

 際限なく白熱する討論、その隙間を突く形で、女の声が響いた。一人はシズク、そして ジェナが静かに微笑む。

 

「グラドルの生産都市で採れたコフィの豆を煎れさせていただきました。コフィが苦手な方はセンの葉を煎じたお茶もありますよ」

 

 結果、ラクレツィアとグローリアの戦いは一時的に中断となった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「どうぞ、ラクレツィア様」

「ええ、ありがとう。ジェナさん。シズクさんも」

 

 コフィを受け取ったグラドルのラクレツィアは、グローリアを相手取って鬼気迫っていた表情を解いて、優しい笑みで、手早く客人一人一人に茶を出していく二人に礼を告げる。白熱しているように見えて、実のところまだ冷静であるらしかった。

 

「どうぞ、グローリア様」

「……ええ、どうも」

 

 対して、エンヴィーのグローリアはまだ、表情の険しさを解いてはいなかった。森人であるから見た目の若々しさよりも年齢は重ねているはずで、なによりこの手の交渉経験は恐らくこの会議内でもっとも豊富な筈であるのだが、あまり余裕があるようには見えない。

 

「エシェル様はお茶の方がよろしかったですね」

「あ、ありがとう」

 

 エシェルはかなり消耗している。

 その議論の多くはラクレツィアが前に出て戦っている分、エシェルが矢面に立つ数は少ないが、最も重要なポジションの一人だ。精神的な消耗は大きいだろう。

 特に、前シンラ、カーラーレイ一族の話になると彼女は明らかに動揺する。事前のシズクのアドバイスで、感情の変化を表に出さないようにだけはしているが、長くは持たないだろう。

 

「ブラック様はいかがですか?」

「ああ、コフィでいいよ。可愛らしいお嬢ちゃん」

 

 そして、会議中も一切干渉せずにいるブラックからは、何も読み取れない。

 そもそもが見物に徹している。干渉もしないのなら疲労もしないだろう。彼は机の端で、楽しげに会議が紛糾する様子を眺めるばかりだ。本当に遊びに来たのでは無いか?という推測が信憑性を増している。

 

《と、このような印象でした》

《エシェル、もう少ししたら下がらせるか?》

《カーラーレイ一族の生き残りである彼女の存在をラクレツィア様はまだ利用しています》

《もう少し頑張ってもらうしかないか……》

 

 ウルは表情を動かさず、シズクからの情報を聞きながら額を掻いた。

 ディズの方にはジェナが報告に向かっている。この手の情報収集において彼女たちは本当に頼りになった。

 

《今のところ、議論は膠着していますが、ややグラドル側の方が余裕がありますね》

《と、いうか、思ったよりもエンヴィー側が苦戦してるな》

 

 急な割り込み、そして来た当初の余裕と比べると、思ったよりもエンヴィー側に余裕が無いように思える。無論、一国のシンラと、他国の騎士団の部隊長がやり合うという時点で脅威ではあるが――

 

《そりゃあもう、私とラクレツィアが頑張って準備進めたからねえ》

《――っディズか》

 

 シズクとウルの直通の通信魔術に、ディズの声が割り込んできた。

 そっと右手を見ると、細い紅色の糸が指先に絡まっている。アカネが直接ウルに触れて、ディズと繋げたらしい。糸の先端がピコピコと動いて、合図を送っている。

 

《ディズ様。コフィ、おかわりは大丈夫ですか?》

《気づいたジェナが行ってくれてるから大丈夫》

《まあ、それでは手伝わなければいけませんね》

 

 そう言ってシズクはさっと席を外す。ウルは、指先のアカネに触れながら、ディズに抗議の念を送った。

 

《ビックリするから先に合図してくれ》

《顔に出さないだけ偉いよ。ウル》

《えらいえらーい》

 

 アカネは楽しそうにしている。アカネのことを撫でてやりたいが、今のところその余裕がないので、ディズの言葉に集中した。

 

《エンヴィー騎士団としては、グラドルと邪教徒の繋がりを突けば、交渉は優位に進むと思ったんだろうね。正当性さえあれば【天秤】はすぐにエンヴィー側に傾く》

 

 ディズは視線を皆が席に着く円卓の中央へと視線を向ける。

 円卓の中央、自ら輝きを放つ巨大な天秤が浮かんでいる。【審判の精霊・フィアー】の顕現だ。エンヴィーの用意した神官の力だ。

 会議の開始と共に、双方の同意の下決められた論題の下、正しきに傾き、過ちを誅する。天秤が完全に傾けば、その者に精霊の加護としての執行力を与え、与えられなかった者にはそれに従う制約を与える。

 言わば、ウルとディズがアカネの件で最初に交わした【血の契約書】の精霊版だ。

 

《今回の議題は、〈大罪都市グラドルの【竜吞ウーガ】保持の正当性について〉だ。そう話を進めるだろうと予想できていたから、事前に言い逃れ方は十分対策できたよ》

 

 いかに、現行のグラドルと、カーラーレイ一族が無関係であり、自分たちが被害者であるか。という、以前までのグラドルの在り方、カーラーレイ一族の暴走を放置していた事を考えると、正直かなり厚顔な態度を取る必要があったが、ラクレツィアはそれを平然とやってのけていた。

 そしてラクレツィアのその厚く塗りたくられた化けの皮を、グローリアは剥ぎ取れずにいる。主張する正当性と被害者面を崩せていない。

 

《エンヴィーがこっちに来ると連絡があってから準備したのか?》

《そだよ。三日間ぶっ通しで、大変だったね。私は兎も角、ラクレツィアとかあの年で缶詰して今やりあってるんだから、本当に尊敬するね》

 

 ラクレツィアは今現在も元気よくグローリアとバトルを続けている。ディズが手放しに称賛するのだから相当だろう。

 

《後、【七天】の私がグラドル側にいるのも大きいね。元々、エンヴィー遊撃部隊は【天魔のグレーレ】の名代であるってだけで、【天秤】が傾きやすいんだよ。》

《ひでえ話だな!》

 

 天秤が傾く規準は【審判の精霊・フィアー】の判断による。 

 そしてその判断は、世界中で神と精霊達に祈りを捧ぐ人類の、無意識下の審判によるものであるらしい。そしてその人類の無意識下の中で、【七天】の名が持つ力は酷く重い。

 エンヴィー騎士団がフィアーの神官を持ち出したときは、悪名高き【強奪部隊】と聞いていた割に正々堂々たる手段をとるものだなと思ったが、とんだ詐欺である。

 

《でも、今回は私がいるから、天秤の動きは鈍い。()()()()()()()という点で【天魔】と比べたら、小さいけど、ゼロじゃあない》

《結果、いつもと違って議論が拮抗して、向こうが焦ると……》

 

 こうしてウルと通信魔術で言葉を交わしている間も、時折ディズはラクレツィアの言葉に援助している。様々な言い回しで、生き残った今のグラドルに非は無いと語っている。

 

《改めて確認しそびれていたんだが、ディズはグラドル側で良いんだよな?》

 

 勿論、今の彼女の立場、ラクレツィアを補助している所を見ると明らかではあるが、彼女は別にグラドルの味方ではないはずだ。世界全体の秩序を重んじ、場合によっては少数の犠牲を強いるやり方も辞さない。で、なければ彼女はアカネをすぐさま手放していただろう。

 そう考えると、グラドルの損益を目的とするラクレツィアにつく今の彼女は本来の在り方からやや外れているようにも思えるが、ディズはウルの問いにほんの小さく頷いてみせた。

 

《【天魔のグレーレ】の叡智と、それが人類にもたらす恩恵は計り知れないけど、あのヒトは基本好奇心が第一だから、必ずしも恩恵として還ってくるとは限らないんだ》

《今回は還ってくる見込みが少ない?》

《恐らくね。それなら今のままグラドルに置いた方が、ウーガ騒動の後混沌するグラドル一帯の安定に繋がるというのが私の考え。納得した?》

《わかった》

 

 ウル達も一応はグラドル側の味方である以上、彼女の存在はやはり心強い。エンヴィー騎士団にも天魔がついているのだから、コッチにだって就いてくれていないと卑怯というものだ。

 

「――グラドル側が、邪教徒の被害者であるという点は、確かに理解しました」

 

 と、その間にも議論は進んでいたらしい。

 ラクレツィアの主張に対して同意するグローリアの不機嫌そうな表情を見るに、その点においてはグラドル側が押し通したらしい。

 

「ですが、ウーガそのものが持つ危険性、そしてそれを管理する能力が、果たしてグラドルにありますか?」

 

 そして、第二ラウンド開始のゴングが鳴ったことを悟った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天魔裁判②

 

 

 【竜吞ウーガ】の持つ性能は会議が始まる前にグラドル、エンヴィー、ついでにスロウスの3方に説明を行なっている。更にこの二ヶ月の間にウーガが挙げた成果についても。

 グラドルの支配域を縄張りとしていた巨星級の魔物2体の撃破。

 誕生時の【粘魔王】の撃破も合わせれば3体。驚くべき成果であり、ウーガが秘める価値を引き上げた。

 

 しかし、その結果は、ウーガがいかに危険な“魔物”であるかを示すものでもあった。

 

「魔術において、“使い魔”と“魔物”の違いを解き明かせてはいません。使い魔作成とは、言わばヒトが制御可能な魔物を生み出す技術に他なりません」

 

 魔物と使い魔の類似点は非常に多い。無いと断ずる研究者もいるほどだ。

 

「ウーガが、人類が対処を諦め放置していた魔物を滅ぼすだけの力を秘めているのは認めます。ではウーガは?あらゆる巨星級をも打ち倒す、“超巨星級”の制御が外れたとき、我々に対処する手立てはあるのでしょうか?」

 

 ラクレツィアは眉をひそめる。が、先ほどまでのように急ぎの反論はしなかった。ウーガの有用性、重要性を語る上で、避けては通れないリスク面の話だからだ。

 この点を焦って否定すると、ウーガそのものの価値を貶めかねない。 

 

「カーラーレイ一族の全滅、即ち【大地の精霊(ウリガンディン)】の加護を損ない、弱体化したグラドルにウーガを御する力があるかを問います」

 

 カーラーレイ一族はグラドルの神殿の腐敗の温床であったのは間違いなかった。そして、邪教徒を招いた原因であったのも。にもかかわらず、彼らの地位がこのような事態になるまでの間揺らがずにいたのは、大地の精霊の加護が間違いなく一端だった。

 それを失った。ウーガにおけるグラドルという国の正当性をどれだけ語ろうと、その事実は動かない。

 

「世界の秩序を守る【七天】の名代として、ウーガの危険性に対する一切の保険を持たずにその運用を行うことは看過しがたい」

 

 天秤がグローリアへと揺れる。義有りと、審判の精霊が判断した。

 

「貴女たちにはそれがあると?」

「【天魔】グレーレならば可能です」

 

 再び天秤がグローリアの方へと揺れる。嘘偽り無く真実であると示している。

 

「彼ならば、ウーガを危険が無いレベルまで弱体化する事も、今のまま制御する事も可能でしょう。彼にはその力も実績もある。彼以上の魔術師はいない、というのは貴方がたも認めるところでしょう」

 

 ラクレツィアも反論はない。天賢王が認めた最強の7人の戦士の一人が【天魔】だ。その点を否定することもやはり出来ない。

 

「目先のメリットのためにウーガのリスクを野放しにするのは望ましいものとは思えません。貴方がたに【天魔】と同じだけの技術が、保証が、用意できるならこの要求は引き下げます」

 

 出来るわけが無い。言外にハッキリと告げる、自信に溢れた笑みをグローリアが浮かべる。そしてその自信は正しい。そんな人材がいるならば、ラクレツィアは早々にそのカードを切っているだろう。

 

《ディズ、厳しいか》

《無理。私にグレーレの代わりはできない》

 

 同じ【七天】のディズならば、と、確認するが彼女は否定する。名の通り、専門分野から違うのだから確かに無理があるだろう。 

 

「せ、制御権が損なわれれば、ウーガ自体の機能が失われるよう、仕込まれている」

 

 エシェルが改めてウーガの保険を説明する。無論、その点はグローリアも事前に説明されて把握していた。その上で彼女は揺さぶっていた。ウルはエシェルを座らせようとしたが、それよりも早くグローリアはエシェルに狙いを定めた。

 

「では制御権が悪用されたならば?」

「そのようなことは、しない」

「何を根拠に。貴方がこれから先、悪の道に進まない保証は?貴方が制御権を奪われれば?増やした制御権が悪しき者の手に渡る可能性は?単に操作を誤るという事だって無いわけでは無いでしょう」

「そこまで言い出すと、どんな道具も使えなくなるのでは?」

 

 エシェルのメンタルがボコボコに殴られて死にそうになったので、やむを得ずウルが口を挟んだ。

 

「包丁だってヒトを殺せる。世に名を残す名剣、迷宮からの遺物、魔術師が生み出した魔導具。どれも悪しく使われるリスクがある。実際そういった事件も起きている」

 

 表だっては言えないが、【大地の精霊】とて、ウーガ動乱の際には思い切り悪用されたのだ。エイスーラが粘魔王になる前から精霊の加護を好き勝手に振り回し、ウル達を死ぬギリギリまで苦しめたのを忘れてはいない。

 

「それでも、ヒトが火を使い、闇を照らすことを止めないのは、それだけの価値があるからだ。リスクの側面だけを挙げ連ねるのは文明の否定では」

「…………話を不必要に大きくして、はぐらかそうとされては困りますね」

 

 バレた。実際エシェルへの攻撃を逸らそうと喋っていただけなので、完全に図星である。やっぱり、口先だけで適当にはぐらかすのは自身の得手ではないなとウルは反省する。

 

「何事にも、リスクはある。それはそうでしょう。どれだけ入念な準備をしたとて、事故や悪用のリスクを完全に消すことは叶わない。ですが、減らすことは可能なはず。その準備がウーガには不十分だと言っているのです」

 

 結局、話は元に戻る。

 ウーガを扱う上での保険が足りないのだという追求。【天秤】が依然としてグローリアへと傾きが動いているのは、その追及が正しいからだ。

 そして必要になるのは、グローリアが示した【天魔】という安全保障に匹敵するだけの何かだ。 

 

「改めて問います。貴方がたに【天魔】に匹敵するだけの保証があるのですか?」

 

 無いならば、世界の安全のため、ウーガをコチラで管理する。グローリアはそう言い切る。視線がコチラに集中した。今度はターゲットをウルに移したらしい。ラクレツィアと直接やり取りをするよりも易いと判断したようだ。

 この場で、ウルが解答せず逃げるのは、【天秤】の傾きがまた悪い方へと動きそうだという予感があった。故にウルは沈黙し、少し悩み、そして()()()()()()()

 

 その目配せに、相手は頷く。それを見て、ウルは答えた。

 

「保証は()()

 

 は?と問うグローリアに対して、ウルの代わりに立ち上がったのは、小人の少女。

 

 白王陣の使い手、リーネ・ヌウ・レイライン。

 

「私なら、【天魔】のグレーレの代わりが出来るけど」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「貴方が、【天魔】の、代わりを?」

 

 グローリアの言葉に込められたのは明確な侮りと、敵意だ。

 出来るわけがない。という明確な侮りと、自身の主を軽視するような発言をした小人の少女に対する敵対心。彼女がいかに、【天魔】のグレーレを信奉しているかが分かる。 

 

「グレーレは日々、新たな魔術を生み出し、世界に革新をもたらしています。新たなる魔導機械を生み出し生活を豊かにし、新たな武器普及させ人類の開拓を後押ししている。今の世に普及している殆どは、彼が作った!」

 

 全て事実だ。

 エンヴィー騎士団遊撃部隊、通称【強奪部隊】などという存在が何故許されているのか。様々な国の魔術的資産を【七天】の超法的特権の悪用にちかいやり口で奪い去っていくことが何故問題にならないのか。

 彼が奪っていくものを越える価値を生み出し続けている事に他ならない。

 天賢王の配下の【七天】で、人類の発展という側面で最も多大な成果をもたらしたのは彼だ。他の【七天】もそれは肯定する。

 

 それに並ぼうなどとおこがましい。

 

「そんな彼と同じ事が、出来る?名前も顔も知られていないような魔術師が!」

「リーネ・ヌウ・レイライン。陣の術者よ」

 

 出し抜けに小人の少女は自身の名を名乗った、名を知らないのなら、とそういうことらしい。すると、先ほどまで怒り狂っていたグローリアがふと、眉をひそめる。

 

「……ヌウ……いえ、それより……レイライン…」

「あの偉人に並び立とうなどと、おこがましいことを言うつもりは私には無いわ」

 

 その間に、リーネは言葉を続ける。小人の体格の低さ故、椅子を土台に立ち上がるようにしている。だが体躯に対して、語る彼女の声音はハッキリと、そして力強かった。

 

「でも、此処で重要なのは、ウーガの管理と保険が可能な術者がいるか否かでしょう?天魔のグレーレとまったくの同等である必要なんて無い」

 

 グローリアが繰り返していた言葉。【天魔のグレーレ】という存在を引き合いに出した保険の不在の追及は、意図的に話をずらされていた。ウーガの管理者がいないという話から、天魔のグレーレに並ぶ者がいないという話に。

 それをリーネは元に戻す。

 

「そしてウーガの管理という一点に話を絞るなら、決して不可能ごとではない。少なくとも私にはこの“超巨星級”とも言える使い魔に干渉する術がある」

「――本当にそうでしょうか?」

 

 そこに、グローリアが再び口を挟む。表情には再び敵意が浮かんでいた。

 先ほどとは違う、より強くなった侮りも。

 

「レイライン家。魔術大国、【大罪都市ラスト】における建国の母、大罪迷宮を封じた【白の魔女】の弟子の末裔の一つ」

 

 魔術大国ラストの名は、この場にいる全員も知るところだ。その名の持つ力も、天魔のグレーレに決して劣るものではないだろう。その国の開祖の弟子の末裔ともなれば、という期待の視線が幾つもリーネに集まる。

 しかしグローリアの侮りの表情は変わらなかった。

 

「その中でも最も落ちぶれて、術式を腐らせた一族が、レイラインだったはず」

 

 傍からこれを聞いていたウルは感情を表に出さずして、思った。

 どうか“ぶち切れ”ないでくれ、と。

 

「我々の立場上、【大罪都市ラスト】には何度も足を運んでいます。あの国が持つ魔術資産を時には預かり、逆にコチラか提供することもありました。その過程で、白の末裔と接触する機会は多くあった」

 

 場合によっては、【白王の術】を提供するよう迫ったこともあった。とはグローリアは言わなかったが、それをしたこともあったのだろう。それ故に、ラストの【白王の術】への理解は深い。

 

「彼らの多くは、受け継いだ【白王の術】を正しく活用していた。研究し、研鑽を重ね、都市に還元し、その地位を高めていた――――だが、レイラインの一族は違う」

 

 彼女はリーネを見る。小人の彼女を、森人であるグローリアは高いところから見下す。

 

「彼らは、引き継いだ術式を、持て余した。強固故に融通の利かない魔法陣という特性を扱いかね、変化を畏れ、停滞し、落ちぶれた。魔術至上主義が罷り通っているラストで最下位の官位に留まっていることからもそれは分かるでしょう」

 

 ヌウという官位は神官の中でも最下位の地位だ。無論、そうであっても敬意を払ってしかるべきだが、例えどれだけの建て前を置いても、都市民と大差ないのは変わりない。

 その地位に、魔術大国ラストの白の末裔が甘んじているという事実が、彼女の言葉を裏付けていた。

 

「そんな彼女の術が、この前代未聞の使い魔に対して太刀打ちできるのでしょうか。あるいは、一時的に制御できたとして、それがこの先もずっと問題ないという保証たり得るでしょうか?」

「――そうね」

 

 ウルの懸念に対して、彼女の声音は、酷く冷静だった。リーネでなくとも強い侮辱と分かる言葉を投げられて尚、彼女の声音には僅かな震えも無かった。

 

「おっしゃるとおり。確かに、レイライン一族は【白王陣】の扱いと研鑽に難儀したわ。大地に術式を描き、魔術を成す魔法陣の発展、それ故に複雑で、アレンジしにくい。新しい魔術と“混じる”余地が少なくて、結果として古い」

 

 彼女はレイラインの歴史を連ねていく。

 苦難と不遇の歴史、しかしそれを語るリーネの声音には、深い慈しみがあった。自身の今に続くかつての苦労の時代を、それ自体も大切であったのだと語るようだった。

 

「でも近年、レイライン一族は白王陣の転用に成功した。効力の減退を可能な限り抑えた【白王符】の開発で、術の使い勝手は発展した。他にも様々な形で、白王陣は発展しようと研鑽を続けている」

 

 リーネはそう言って、自身の家を貶めんとしたグローリアを見つめる。

 

「歩みは遅いけど、止めてはいないわ」

 

 だが、尚グローリアの態度には余裕があった。森人として長らく【天魔】の下で務めてきた彼女には、魔術大国ラストへの理解はこの場の誰よりも深い。レイライン一族の【白王陣】も直接見聞きしている。

 故にまだ確信がある。突けば崩せると。

 

「努力は素晴らしいと思いますが、結果が出なければ意味がありません。結局、“頑張ってる”という情報では、ウーガを御せる証明には成ってはいないでしょう?」

「――――証明すれば良いの?」

「は?」

 

 しかし、彼女は知らない。

 【白王陣】が、この数ヶ月で新たなるブレイクスルーを迎えたことなど。

 

「では、ご覧あれ」

 

 瞬間、結ばれたリーネの髪が解ける。髪の毛の一本一本が強く、輝き、それらが広まる。

 その場にいる全員がぎょっとなり、騎士達が慌てるように剣を抜こうとするが、それよりも早く、髪の毛は蠢き、その一つ一つが全く別の動きをしながら、瞬く間に空中に陣を構築する。

 

「――――っ」

 

 誰かが動き出すよりも早く、グローリアの目の前に【白王陣】が完成した。 

 煌煌と輝くそれは、紛れもない【終局魔術】の発動を意味している。

 

「貴方を、なんの抵抗も出来ないまま焼き殺すくらい、容易いわよ」

 

 ウルは頭を抱えた。やっぱキレてた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天魔裁判③

 

 ウーガの会議室に突如として現れた終局魔術。

 本来ならば、熟達した魔術師が数人規模で集中し、協力し、ようやく発動する最も強大な魔術の果てが、突如として会議室のど真ん中に出現した。空に描かれた魔力の軌跡は、地盤が無いために間もなく砕けようとしながらも、持続していた。

 空中で魔法陣が数秒間持続する。それ自体高度極まる技術である。まして、それが終局へと至った究極の魔術であるならば、奇跡の所業と讃えられるものだ。

 

 無論、そんなこと、魔術の銃口を突きつけられた側には、どうでも良いことなのだが。

 

「――――ひ」

「リーネ、止めろ」

「【唄よ鎮まれ】」

 

 ウルが止め、シズクが術式を砕く。一瞬騒然となった修羅場は、次の瞬間には何事も無かったように霧散した。その場にいる全員が冷や汗をかいた。だれよりも恐ろしい目に遭ったであろうグローリアは、しばし硬直した後、震える声でリーネを指さした。

 

「き、き、貴様…!」

「時代遅れの、停滞して落ちぶれた家の魔術を披露して差し上げただけだけど?」

 

 ウルによって首根っこを掴まれながらも、リーネは全く悪びれもせず言い切った。やはりブチ切れている。むしろここまで叫び出さなかっただけマシだろうか。しかしこの後どう収拾を付けるべきか。

 

「このようなこと!!」

 

 当然、グローリアもキレてる。彼女の部下達も既に何人か剣を引き抜いている。エクスタインが抑えているのが見えるが、どこまで止められるかわからない。この最悪の空気をまず何とかしなければ――

 

「このようなこととは何かな。グローリア」

 

 そこに、ディズが言葉を挟んだ。

 

「相手の家柄を侮り、【天魔】の使いでありながら魔術を見誤り、しっぺ返しを喰らったことかな?」

「ぐっ……!」

 

 そう返されて、グローリアは二の句を継げずに押し黙る。

 

「最下位とはいえ、官位を持った家柄の当主の彼女を公然の前で侮辱したんだ。無礼千万と咎められるのはどちらかを、少し考えた方が良い」

 

 そう言って、ディズは不意にラクレツィアの背後に視線をやる。

 正確には、彼女の背後に並ぶ、グラドル天陽騎士団へと、視線を向ける。

 

「…………………」

 

 彼らの、グローリアを見る目は剣呑だった。リーネが魔術を放つよりも前から、グローリアの言動に対して、腹に据えかねるといった様子だったのだ。

 ウーガの動乱で多くを欠いたグラドルの天陽騎士団は、しかし結果としてカーラーレイに繋がり不正を容認した者達が排された事で、結集した。

 

 残された我等は、真に神と精霊の剣となろうと。

 

 天災と崩壊の果てに、史上最もその意識が強くなっていた。故に、もし、リーネ自身が怒りを示さなければどうなっていたか、わかったものでは無かった。リーネがたとえラストの官位持ちであってもその怒りは変わらない。

 場合によっては、騎士団と天陽騎士団の抗争だ。

 

「ぐ…………」

「少し、空気を入れ換えましょうか」

 

 ジェナがそう提案し、扉の窓を開けていく。吹き抜けてくる風は心地が良い。夏の暑さが徐々に緩んでいくのを感じる風が、更に雰囲気が落ち着きを取り戻していく。

 その間に、ウルは引き寄せていたリーネに近づき、小さく声をかけた。

 

「……落ち着いたか」

「私は冷静よ。あれを発動させる気も無かったし」

 

 何も無い空中で、空気中の魔力のみを土台として描く白王陣は、彼女が【速記】を獲得してから得た副産物だ。通常であれば書いていく側から魔力不足で砕けるものを、速度で強引に完成まで持っていく。

 最も、威力はまるで安定しない未完成の技術である。今見せたのは半ばハッタリだった。

 

「シズクの【消去魔術】が効いたわね。ほっといたって、すぐに砕けてたでしょうに」

「冷静なら良いが、グローリアの前に立っても手を出さないでいられるか」

「蹴りは良い?」

「ダメ」

「冗談よ。腸は煮えくりかえったけど、言ってくること予想してたし、冷静。少し派手にしたけど」

 

 少し、と突っ込みたくなったが、冷静ではあるらしい。

 実際、今の魔術もやり過ぎではあったが、効果的でもあった。向こうの気勢はかなり削がれている。

 

「まだもう少し戦ってもらうことになるから頼むぞ」

「ええ――――頼ってくれてありがとう。ウル」

「この手の問題で、お前以外に誰を頼るんだよ」

 

 ウルはそう言って彼女を離し、席に着いた。リーネも椅子の上で立ち上がり、視線を集める。しかし先ほどまでのものとは明らかに違う畏敬の視線が彼女に注がれた。

 

「今見せたとおり」

 

 そう言って、リーネはグローリアを睨む、流石に今の彼女に反論する余裕は無いのか、視線に押されるように黙った。

 

「効果、発動速度、正確性、レイライン一族の白王陣は進歩しています。この【竜呑ウーガ】に対しても安定した影響を与えることは出来ている。事実、今のウーガの【咆吼】に都市部への攻撃性能はありません。結界に対して霧散するよう、私が調整しました」

 

 天秤がリーネへと揺れる。事実であると示している。

 

「私ならばウーガを制御できる。ウーガ誕生の折、邪教徒から制御を奪ったのは私だ」

「……あれを見せつけた後の補足としては不足だろうが、彼女の能力は俺からも保証させてもらう。彼女の技術と、ウーガへの干渉能力は確かだ。【白の蟒蛇】所属の銀級魔術師も認めている」

 

 そこにジャインが言葉を添える。

 最早リーネの力を疑う者はこの場にはいないだろう。彼女の力量不足をエンヴィー側が突くことは出来なくなった。それをグローリアも理解したのか、苦々しい顔をする。

 リーネの能力、白王陣の強さを誰であろう彼女自身が体感したのだ。いかにここから、【白王陣】の不足を語ろうと、それは自分に嘘をつくことにほかならない。自分を騙すような発言では、決して精霊の天秤は動かないだろう。 

 

 終わったか? ウルはそう思った。

 

「素晴らしいです。レイライン一族の研鑽の結晶、感服させていただきました」

 

 だが、リーネの力を、否定するでも無く、待ったをかけるでもなく、肯定する男がいた。

 エクスタイン・ラゴート。ソレまで沈黙していたエンヴィー騎士団の副団長。女と見間違う程の美麗な顔立ちに優しげな笑みを浮かべたウルの古馴染みは、静かに前に出た。

 

 第三ラウンドのゴングが鳴る。もう勘弁してくれとウルは思った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幼少のおもひで/天魔裁判④

 

 昔の話

 かつてウルが、冒険者となる前、名無しとしての身分故、都市間の放浪を余儀なくされていた頃、父親の仕事(と、言って良いかは怪しいものだったが)の都合から、【大罪都市エンヴィー】に滞在をしていた頃の話。

 その頃、既にアカネは精霊の卵に食われ、【精霊憑き】と化していた。彼女の価値を聞かされていたウルは、彼女を守るため、人目を避けて生活を続けていた。

 

《にーたん、みてみてーあれー》

「……走ってるなあ、なんだありゃ」

 

 馬を引かずとも疾走する巨大なる鉄の塊、魔導機の姿にウルは呆然となった。

 

 エンヴィーは魔導機の大国だ。

 

 【天魔のグレーレ】の出身地でもあるこの国において、彼のもたらす研究の恩恵を受けたこの国が最も発展させたのが魔導機械である。魔術そのものでなく、魔術を基盤とした機械が発展した理由は、エンヴィーが建設された場所そのものにある。ギンガン山脈と呼ばれたその場所は、同時に【大罪迷宮エンヴィー】でもあった。

 山そのものが迷宮と化し、本来の鉱山の形状から異常に隆起したその場所は、恐るべき魔物の巣窟であると共に、素晴らしい鉱物の宝庫だった。地層や温度•湿度、魔力濃度といった様々な条件を全く無視して生まれる、稀少で多様な鉱物の数々は、【大罪都市エンヴィー】を発展させた。

 【天魔】のグレーレの発明は、この土地との相性が抜群によかったのだ。

 

 彼がその才覚を発揮し始めてから、鍛冶の都市として有名だったこの場所は、多様な魔導機械を生み出すからくりの都市として発展する。

 

 そんな都市の真ん中で、ウルとアカネは、今日も今日とて、その日生きるための糧を探していた。彼の保護者は相も変わらず役に立たず、故に自分の食い扶持を漁るのに必死だ。

 プラウディアのように、都合の良い孤児院はなかった。あるにはあったが、人数は一杯で、親のいるウル達を引き取る余裕などなかった。

 

 そこで、子供でも出来る小遣い稼ぎはないか、と、探し回り、聞き回り、そして一つ仕事を見つけた。

 

《にーたん、みっけた》

「さすがアカネだ」

 

 様々な魔導機が作られては古い物は捨てられるこの都市で、廃棄されて貯められたゴミの収集エリアが幾つかあり、ここで利用可能な金属類を回収する仕事にウル達は勤しんでいた。

 本来、都市で出るゴミというのは可能な限り圧縮して収めるか、焼き払うか、可能であれば再生する。土地が限られる以上、ゴミに土地が奪われるなんてことはあってはならない。が、エンヴィーで出てくる魔導機は、燃やすこともできず、小さく押し込めるのも難しかった。

 結果、誰もが住まうことを好まない地下深くの更に奥に奈落を作り、そこに放棄するという無茶な手段がとられた。

 都市民たち誰もが目を背ける暗部ともいえる場所であり、今も稼働している魔導機も容赦なく捨てられるため、中には得体の知れないガスが溜まっている危険な場所だ。度々問題に上がるが、具体的な解決策が導き出せずに放置されている。

 ウル達はそこに潜り、売り物になりそうな金属を漁っていた。勿論直接降りるのは危険すぎたので、釣り竿のようなものを作り出し、アカネがひっついて、使えそうな金属があれば回収するのだ。

 

《なーこれわたしだけしんどい》

「ごめんて」

《あとでじゅーすかって》

「ミスリルとかひろえたらな」

 

 そんなこんなで、幾つか使えそうな金属類、銅線の類いを拾い集め、引き取ってくれる怪しげな工場に渡し、駄賃を得て二人は帰路についていた。

 思った以上に稼げたが、子供だけでどうしてこれだけ集められたのか、と訝しがられたので、暫くあの工場は使わないようにしようと決める。妹の事を悟られる可能性は可能な限り排除する必要があった。

 あとは手に入れた金を節約して、数日は凌ごう。頑張ったアカネに約束通りジュースでも買ってやるか、などと、ウルが考えていると、

 

《にーたん》

「どした。あんまり人前で話しちゃだめだぞ」

《あれみて》

「んー…?」

 

 狭い裏路地を通る最中、アカネが示す方角を見ると、複数の人影があった。

 ウルと同じか、少し年上の子供達だ。何やらごちゃごちゃとしているのが見える。具体的に言うなら、5人程の子供が、一人の小柄な少年に暴力を振るっているのが見える。

 

《あれやばない》

「そうだな、はなれよう」

《にーたん、しんでまうよあれ》

「騎士団をよぼう」

 

 子供のケンカ、というには一方的な暴力が繰り広げられている。が、やはり子供は子供だ。血が派手に噴き出てるが、アレで死ぬことは無いだろう。というのがウルの見立てだった。そもそも殴る側はヘラヘラと笑って、面白がってるだけで、殺そうだとかは思っているようにはとても見えない。だが、アカネは怖がっていた。

 面倒くさいなあ。と、思いつつも、他人に優しいアカネの気持ちを踏みにじるのもあまりよろしくないと思った。何より、

 

 ――お前に道徳を与える

 

 前の都市、プラウディアの孤児院で、彼を教えた「じいちゃん」の教えがウルにはまだ残っていた。

 

「……しょーがない。アカネ、お面になってくれ」

《はーあい、むちゃしちゃいかんよー》

 

 ウルは諦めて、近くにあったへし折れたパイプを握りしめる。適当な仮面となったアカネを被り、顔を隠して特定できないようにしてから近付いた。

 

「おい」

「んん?なんだい君、邪魔をするんじゃぶへ?!」

 

 3人組の子供の中で、一番デカくて、リーダー格とおぼしき少年の鼻を狙ってパイプを振り下ろした。鼻がへし折れるような勢いではないが、派手に鼻血が噴き出るくらいの強さの一撃だった。

 

「ぶ、ぶへえ!!?いだい!!」

「な、なんだよお、コイツ!?」

「こっちくるぞ!?逃げろ!!」

 

 狙い通り、血が噴き出して、すぐに狼狽した。暴力を振るうことに慣れているくせに、振るわれることには全く慣れていない様子だ。仮面を付けたウルの姿が余計に恐怖を煽ったらしい。子供達は散り散りになって逃げ出した。

 

「ぐっ……うう……」

 

 そして、残ったのは彼らに虐められていた一人の少年だった。橙色の髪をした、細身の男。ウルよりも年上に見えるが、なんだか弱々しくて、あまり頼りになりそうには見えなかった。

 まあ、怪我の具合を見るにやはり死ぬことも無ければ、後に残る怪我でも無い。と、すればさっさと引き上げよう。と、ウルはきびすを返そうとした。が、

 

《ねーだいじょーぶ?》

「あ、こら!」

 

 ウルが止める間もなく、仮面だったはずのアカネがするりと前に出てしまった。優しい妹であるが、この頃はまだ、自身が隠れなければならない存在であるということが理解できていなかったのだ。

 

「う……きみ、……えっと?君は……」

《アカネだよー?》

 

 仕方ない。と溜息をついて、ウルもまた、少年に近付く。ここらでは見かけたことの無い奇妙な二人に、少年は最初怯えていたが、自分が助けられた事に気付いて、そしてその事実に驚いた様子だった。不安げな表情でウルの肩を掴んで揺さぶった。

 

「だ、だめだよ。あいつ、あいつ、ヘイルダーだよ?アイツの父さん、中央工房の、すごいひとなんだよ?」

「ふぅん?仮面付けといてよかったなあ」

《たいへんだなあ?》

 

 その説明に、ウルはあまりピンときていなかった。中央工房がエンヴィーの大きなギルドなのはなんとなく理解はしているが、相手がその組織の偉いさんだったとしてもウルの立場が変わるわけでも無い。

 ウルにとってすれば、トラブルを起こした相手が本当にただの都市民相手でも都市を追い出されるか捕まる可能性だってあるのだ。元から立場が弱いのだから気にしても仕方が無い。そのために仮面をして顔も隠したのだ。

 

 そのウルの様子に、何かを悟ったのか、暫くすると彼は落ち着いた。そして少し下がると、おずおずというように自身に手を当てた

 

「……僕、僕は、エクスタインっていうんだ。君たち、は?」

「ウル」

《アカネだよー》

 

 と、このような経緯で3人は出会い、そしてウル達がエンヴィーに滞在する間、友人としての関係を育んでいくこととなる。

 この後、ウル達の金属回収に何故かエクスタインが付き合い始め、結果、落下した彼を回収するためにちょっとした冒険になったり、ウル達と完全に敵対した中央工房の子供集団と壮絶な戦争を開始したりするのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「貴方は……」

「改めまして、エンヴィー騎士団遊撃部隊副長、エクスタイン・ラゴートという者です。よろしくお願いします」

 

 エクスタインは爽やかに笑みを浮かべる。

 昔の彼はどちらかというとおどおどとしたタイプだった。人前で目立つことを拒み、喋ることもあまり好かない内気な性格だ。人前で営業的に笑みを浮かべるタイプでは全く無かった。と、そう思いながら眺めてみると、ウルの方にちらっと視線を送り、そして申し訳なさそうに笑った。

 

《やっぱエクスっぽいねー》

「ああいう所は変わってねえな」

 

 彼と別れたのはもう何年も前のことだ。変わっている部分は当然大きく変わっただろう。しかし、本質的なところはまだ、変化していないらしかった。

 しかしそんな彼が、今は敵として立ち塞がっている。

 

「リーネ・ヌウ・レイライン様の力、確認させていただきました。ウーガという資産の保全において、彼女の技術は有用だ。我々は節穴でした」

 

 エクスタインがそう語ると、隣のグローリアが少し咎めるように睨み付ける。が、エクスタインは気づいていないのか、気づいていて無視しているのかわからないが視線を向けない。彼は、グローリアと比べ、悠然とした口調で言葉を続ける。

 

「ですが、つまりそれなら、【グラドル】は、ウーガの運用を、【ラスト】の魔術師に頼ると、そういうことですか?」

 

 む、と、ラクレツィアが言葉を詰まらせる。

 

「曲がりなりにもウーガは衛星都市。その都市の管理を、冒険者ギルドに属した、【大罪都市ラスト】の魔術師に依存する。健全とは言いがたいです」

 

 此処に来て、ウル達が外部の者であるという事実を、エクスタインは浮き彫りにした。

 

 たしかに、ウル達一行【歩ム者】の中で、本質的に本件に関わりがあるのはエシェルのみだ。(その彼女も、今はまだ正式に冒険者ギルドに所属しているわけではない)

 ウル達は、紆余曲折の果て、エシェルの依頼で此処に来たに過ぎない。利便上ウーガに暮らしているが、正式な住民でも無い。本質的にウル達は放浪者だった。都市の運営、管理という、大任を託すに足るかと言われれば、不適格だろう。能力が不足しているというよりも、根本的に資格が無い。

 都市は人類の生存圏を確保するための壁だ。

 都市そのものを神聖視する者も多い。それを、外部の国の魔女と、放浪者の名無しが守るというのは、確かに問題が起こりかねない。

 

 

「では、グラドルが【歩ム者】を正式に雇用し、主従の関係を明確にしましょう」

「形だけそうして何の意味があるのでしょうか?グラドルの神官達とて認めないのでは?」

「都市運営の人員不足のため、ギルドを雇う事はグラドルにも多くの前例があります」

「前シンラ、カーラーレイ一族の無茶な都市計画の際にでしょう?その計画の無理が、今回の騒動に繋がったのではないのですか?騒動が起こった今、外部の介入を認めますかね」

 

 議論が再び停滞し始めた。

 グレーレと同等の能力を持つ者の不在、という点で押しつぶされなかったのは幸いだが、リーネによる管理能力の証明で押し返しきれなかったのはキツかった。天秤も中央で揺らぎ続けている。

 コレは長引きそうだと、ウルは思った。

 

「そんなにややこしい話かね?」

 

 ところがそこに、場を一瞬で支配するような、低く、深く、響く声がした。

 此処までの間、ずっと沈黙していたブラックが、声を発したのだ。否応なく全員が、ブラックに視線を集める。

 

「……なんですか?ブラック?」

 

 ラクレツィアが彼の言葉に応じた。出来れば無視してしまいたい、という気配が全身から放たれている。実際その感情はこの場の全員の共通だろうが、どうしても無視することは出来なかった。

 議論の歩みを進める最中、道のど真ん中に巨人が寝そべったような感覚だった。無視は出来ない。

 

「いや、何、小娘達の姦しい口げんかを見るのは正直楽しかったんだが、停滞してきたみたいだから、なあ?年寄りのジジイがちょっと助言してやろうと思ったのさ」

 

 そう言って彼は、自分に尋ねたラクレツィアへと向き直る。爪が伸びた、獣人というよりも悪魔のようになった手を差し出し、そして、

 

「なあ、ラクリー。俺にウーガを()()()()()?」

 

 爆弾を投下した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天魔裁判⑤ 甘言

 

 

 ブラックの発言は、場の空気を一瞬にして凍らせた。

 先ほどまでの議論も、それなりに強烈な飛び道具が飛び交うものだったが、いきなりその議論からかけ離れた提案は、全員の思考を停止させた。

 

「ちょっと待ちなさい!何を言い出すんです!!」

 

 最初に再起動したのはグローリアだ、机を両手で叩き、ブラックを威圧するようにして睨み付ける。が、彼には全く効いていないらしい。激昂するグローリアを不思議そうな顔で見つめている。

 

「おいおいどうしたよグロー。そんな感情爆発させたらまた泣いちまうぜ?」

「その悪癖はもう克服しました!じゃなくて、今の提案は何なのと聞いているんです!」

「ウーガの売買提案だが?」

 

 ブラックは立ち上がる。2メートル超の男が立ち上がるだけで、中々に威圧感と迫力があった。

 

「簡単な話さ。どうもウーガはとんでもねえ価値のあるものだが、問題も抱えてる。いろんな条件が必要で、しがらみもある。しかも下手すりゃ【天魔】の奴にタダで取られちまおうとしてる。こいつは厄介だ」

 

 じゃあ、売っちまえばいい。

 ブラックは笑う。犬歯が覗く、人懐っこい笑みに見える。同時に、全てを食い殺すような凄惨な笑みにも見えた。

 

「面倒な案件を手放して対価を得る。単純だろ?」

「そんなことできるわけが無い!」

「何故?」

「歪でも此処は衛星都市です!!天賢王を盟主とする大連盟!!主星の分身!神と精霊達に祈りを捧ぐための儀式の場!売買など、そのような事許されるわけが無い!」

 

 それを奪おうとしているお前らが言うな、という話ではあったが、グローリアの言葉は確かに正しかった。ウーガという存在がそう容易く売買できるものではないだろうというのは、この場に居る全員の共通認識だ。

 

「いいや、許されるね」

 

 しかし、ブラックは否定する。歩き出し、グローリアの前に立つ。森人の中でも身長の低いグローリアは、真上から見下され、畏れるようにのけ反った。

 

「気づいていないなら教えてやるがな、グロー。この【竜吞ウーガ】は【神殿】を必要としていない。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――は?」

「単純に言っちまうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 場がざわめいた。とくに天陽騎士達はぎょっとした表情になって周囲を見渡し、あるいはブラックを睨み付ける。だがブラックは気にしない。

 

「神殿に、神に、精霊に祈りを捧げる最も強靭な原動力は、()()()()()()()()()()()()()()()()という強迫観念だ。都市の外では生きていけないと、そう思ってるから皆は真剣に祈って、神と精霊はそれに応える」

 

 無論、信仰、神と精霊の教えからの純粋なる信仰心も存在するが、教えを真っ直ぐに受け止め、自分とは全く違う高位の存在に感謝を捧ぐだけの意識の高さを保てる者は、そんなには多くはない。

 死にたくないから、必要であるから、というのはやはり、どうしようも無く大きい。

 

「だが、なら此処はどうだ?ウル坊。お前さんはこのウーガが完成してからの2ヶ月、神官もろくにいないウーガで、不自由したことがあったか?」

「……」

 

 ウルは返事をしなかった。だが、当たっていた。

 此処に2ヶ月間居住していたウルは当然理解していた。ウーガで生活するにあたり、神殿、精霊の力は全く必要としていないということに。故にブラックの指摘には驚かなかった。

 

 巨大な使い魔としての特性上、魔物は寄りつかないので結界も要らない。

 都市全体の運行のための魔力は、大地と一体化する事で時間をかければ回収が出来る。

 生産性は低いが必要であれば移動も可能、交易も非常に容易い。

 神と、精霊の力に依存していない。在ればより豊かにもなろうが、必須ではない。

 

 ジャインから【穿孔王国スロウス】の話を聞いたときは驚いたものだ。神と精霊に依存しない独立した国、なんてものが()()()()()()()()()()()()、と。

 

「通常、衛星都市は人口をコントロールし、祈りを増やし、精霊に捧ぐ力の総量を増やすためにある。が、しかし、此処では逆の現象が起こる。時間経過と共にヒトは精霊への感謝と祈りを忘れ、力は弱まっていく」

 

 故に、此処は衛星都市ではない。それに上っ面だけ似せた別の何かだ。

 

「この司令塔を神殿の様式にしてソレっぽく見せちゃいるが、ハリボテだぜこれ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、設計者は相当性格が悪いな」

 

 ウルの隣でエシェルは表情を隠し、しかし机の下で両手を強く握った。

 この都市を生み出したのは邪教徒のヨーグであり、それを依頼したのは恐らくエイスーラだ。結果生まれたこの場所は、しかし、神官に依存しない都市だった。

 エイスーラがもし生きていたら、決して認めはしなかっただろう。エイスーラは大地の精霊に対して強い自信と誇りを持っていた。その力が、ウーガでは削がれる事になるなどと絶対に認めない。だからヨーグは“誤魔化した”のだ。

 

 もし彼がそれに気づかずウーガを運用し始めたとして、その先どうなっていただろうか。

 驚異的なウーガの力が、それを振るうエイスーラ自身に依存していない。

 その事に、住まう者達が気づいて、大地の精霊に祈るのを止めたなら――

 

 ウルは、考えるのをやめた。その先の想像が恐ろしくなったからだ。

 【台無しのヨーグ】と呼ばれた女の一端を、この期に及んでまだ思い知る羽目になった。

 

「だから、な。此処は本質的に衛星都市じゃねえんだわ。お前らも散々言っていただろ?ウーガは“使い魔”だってな。まさしくだよ。此処は巨大な使い魔以上でも以下でもねえ」

「そんな、だ、だとしても!」

「なんなら天賢王、アルノルドの奴に確認とるかい?あの真面目ちゃん“要らず”って言うと思うがね。なあ、【勇者】」

 

 振られると、ディズは大きく溜息をついたあと、頷いた。

 

「……そうだね。あの方はそういうヒトだ」

「だったら、障害は無いはずだ。ただ、ちょっと大きな使い魔を売るだけの話さ。だろ?」

 

 ラクレツィアに視線が向かう。先ほどから目をつむり、沈黙を続けていたラクレツィアは、目を開くとブラックを見つめ、尋ねた。

 

「ちなみに、幾らほどの金を出すつもりなのですか?」

「ラクレツィアさん!!?」

「そ・う・だ・なあ……」

 

 グローリアの悲鳴のような声を無視して、ブラックは指をなにやら折って計算をし出す。絶対に手指で数えられる数式の域を超えている筈だが、暫くするとブラックは頷いた。

 

()()3()0()0()()()くらいかな?まあ、物理的には無いから相当の品を幾つか手形代わりにする事になるだろうが」

 

 再び全員が黙った。挙げられた数字が途方もなさ過ぎて理解を拒んだのだ。

 

《…………ディズ、金貨300万枚って金貨何枚って意味だっけ》

《アカネが3000人買えるね》

《わたしおやすいな?》

 

 黄金級になるくらいまで出世すれば、アカネを買いもどせるくらいには金が稼げるようになる、というのがウルの冒険者になった始まりではあったが、そんな次元ではない。いや、流石にブラックが黄金級であるからこれだけ稼げてるとも思えない。絶対にこの男がおかしいだけだ。

 

「これくらいありゃ、グラドルがウーガ動乱の一件で被った損害を補って、更に上回るだけの補填が出来るはずだ。いい話だと思うぜ?」

 

 問われ、ラクレツィアは暫く沈黙する。そして顔を上げると、小さく微笑んだ。

 

「そうね、悪くない話だわ」

「なっ!!?」

「若干、足下を見られている気がしないでも無いですけれどね。グラドルの現状を考えると、それくらいが妥当かしら」

 

 ラクレツィアの言葉に、最も動揺していたのはグローリアだ。それはそうだろう。彼女はグラドルからウーガを接収するために此処まで来たのだ。ところが此処に来て、持ち主が代わろうとしている。より厄介な相手に。

 

「……良いのですか?もし、貴方がウーガを買い上げたとして、その後我々がウーガを回収すれば、貴方は破格の大金を支払ってそれを失うことになります」

 

 抵抗するように、エクスタインがそう告げる。しかしブラックはまるで気にする様子はなかった。

 

「なに心配すんなよ。俺には頼りになる仲間が沢山いる。今日お前さん達が挙げていたウーガの管理能力、ちゃあんとあるぜ。勿論心配なら、ウチに来て今日みたいに裁判してくれても構わないさ」

 

 当然、その言葉に良かった。と、笑う者はいなかった。全員ブラックを恐ろしいバケモノを見るような面構えで睨んでいる。ブラックはそんな視線を一身に受けても何処吹く風だ。彼はラクレツィアへと視線を向ける。彼女は笑みを浮かべ、頷いた。

 

「でも、お断りさせていただくわ」

「あれぇ!?」

 

 突然のはしご外しにブラックはすっ転びそうになった。

 突き放してきたラクレツィアにびっくりしてるブラックを少しだけ面白そうに眺め、笑いながらも、だって、とラクレツィアは前置いて、語り始めた。

 

「そもそも、曲がりなりにも都市運営の過程で建造した代物を、お金を出されたからと言ってぽんと売り払えるわけ無いでしょ?」

「グラドルの混乱に乗じて神殿の権力完全掌握とかしなかったのかよラクリー」

 

 そんなわけ無いでしょ。とラクレツィアは一蹴する。

 カーラーレイ一族の大半は全滅した。とはいえ生き残りはまだいるのだ。加えてラクレツィアの派閥も、あくまでカーラーレイ一族と敵対していた集団の集まりではあるが、彼等が綺麗に結束しているかと言われれば否である。まだまだグラドルに混乱の種は多い。

 そんな中「面倒くさいからウーガ売っ払いました」などとラクレツィアが決めようものなら、折角なんとか表面上であれ落ち着きを取り戻した努力が全部パーだ。

 

「それに、貴方にこのウーガを明け渡したら、きっと碌な事に使わないもの。この世界でトップクラスの危険人物相手に、金に目が眩むほど、私、倫理観を失ってはいないのよ」

「ええー?俺そんな悪い奴に見えるか?」

「見えますね。全体的に色、黒いですし」

「マジかよ。今度もうちょっと明るい色の服着ようかねえ」

 

 ブラックはがっくりと肩を下ろす。つい先ほどまで、彼の独擅場のような空気にこの場の全てが飲み込まれようとしていたが、その空気はアッサリと霧散した。ウルは冷や汗を拭った。

 あのまま、ラクレツィアがグラドルをブラックに売り払ってしまうと、ウル達もそのまま追い出される可能性が高かった。無論、ラクレツィアならウル達に相応の報酬は用意するだろうが、流石にここまで頑張ってきて、それを全部不意にされるのは気分もよろしくはなかった。

 

「ちーくしょー。折角ウーガ使って世界一周の旅やってやろうと思ったんだがなあ」

 

 だが、それ以上に、このブラックという男にウーガが明け渡されるのは非常に良くない予感がしたのだ。ラクレツィアの発言を拾うわけではないが、この男から放たれる得体の知れない気配は、確かに不吉だ。なにをしでかそうとするか、わかったものではない。

 ウルがそう思っていると、わざとらしいまでに項垂れたブラックは顔を上げる。そしてウルを見た。

 

「ま、しゃーねー。だったらお前らがやっぱ頑張るしかねえな。ウル坊」

「ウル坊ってなんだ」

「語感がいいだろ?ウル坊。頑張れやウル坊」

 

 そう言って彼は椅子に戻った。机に足をかけ、椅子をゆらし、先ほどまでの会話が無かったかのようにのんびりと、窓の外を眺め始めた。

 この場にいる全員、疲労に肩を少し落とした。非常に疲れた。そして、結局、話は元に戻ってしまった――――

 

「…………ん?」

 

 ウルは気づいた。先ほどまでとは話が少しだけ、そして決定的に変わっていると。

 

「……此処が衛星都市として不適格なら、ただの使い魔の運用なら、どの国に所属した魔術師が混じろうと問題にならないのでは?」

 

 ()()()()()()()

 

 【審判の精霊】の天秤は平等に、議論の言葉の重さを計る。それをエンヴィー騎士団に利用されようとも、その能力そのものは決して褪せない。絶対に平等だ。

 故に、ウルが誰に向けたわけでも無い独り言のような言葉でも、それが【審判】が正しいとしたならば、天秤は動く。

 

「………」

 

 ウルは目の前で落ちかけた天秤を前に、ぎょっと片眉をつり上げて、そしてブラックを見た。彼はウルを見て笑っている。楽しそうだ。感謝すべきなのかも知れないがウルは殴りたくなった。

 同時に、議論者達が動いた。膠着が唐突に解かれたのだ。

 

「確かに、貴方の言うとおりかもしれませんね。ウルさん」

 

 ラクレツィアはウルの言葉に同意する。状況の目まぐるしい変化の中、常に余裕を崩さなかった彼女だが、今の彼女は少しだけ、苦い顔をしていた。

 だが、同じくグローリア達の表情は冴えない。隣のエクスタインも、少し表情が硬くなっていた。だが、彼もまた、口を開き反論に転じた。

 

「此処が衛星都市ではないから【歩ム者】が管理しても問題ないと?」

「【審判】はそう判断したようですよ?」

「天秤は降りきってはいませんよ」

 

 実際、ウルの目の前、テーブルに皿を叩きつけるギリギリで天秤は停止している。まだ足りていない。不適格であると天秤は告げている。

 

「たとえ、此処が都市たり得ないのが事実であっても、支配階層である神官は必須です。その彼等がラストの神官の存在に頷くわけが無い」

「いえ、そもそも、都市と同じように管理しようという考えが、間違いなのでは?」

 

 エクスタインの言葉に口を挟んだのは、ラクレツィアではない。エシェルでもなく、勿論ウルでもない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。違いますか?」

 

 シズクだ。

 彼女はフードを取り払い、その美貌を晒した。混迷する会議の中であっても褪せぬ美しさは、どれほどに注意を払おうとも視線を奪い、強制的に会議の中心へと変えさせた。

 

「最後の話し合いをいたしましょう」

 

 シズクは軽やかに笑う。その宣告の通り、この会議の最後の話し合いが始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天魔裁判⑥ 判決

 

 

「ただウーガに神官のトップを添えたとて、ブラック様のおっしゃるとおり、後々歪みが出ます。彼らが支配力を発揮する力が弱まっていってしまうのですから」

 

 ブラックが明るみにした事実は、この世界の根本的な常識を崩すものだ。

 故にこの場に居る多くの者が戸惑っている。この場に居る多くは、都市を支配する支配層か、あるいはその支配者と共存する都市民達だからだ。そんな彼らの怯えをまるで笑うように、シズクは軽快に言葉を進めた。

 

「ウーガの規模があまりに大きいから難しく考えてしまうのではないでしょうか?グリードに、移動要塞の【島喰亀】がありました。あれを管理するのは神官でしたか?」

 

 島喰亀の管理、操縦をしていたのは、その魔物を扱うのに長けた術者だ。彼は別に神官ではなく、精霊の力に頼ったわけでも無い。その規模が大きくなっただけだと彼女はいう。

 そしてそれは、ブラックが提示した事実を考えれば、最終的に誰しもが行き着く結論だった。だが、それでもその事実を誰もが口にしなかった理由は一つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エクスタインが、シズクが誘導した本懐に踏みこんだ。

 神官がこの都市の支配者としては不適格。では誰が支配者となるか。当然それは、ウーガを管理できる者にこそ、その座は明け渡されるだろう。つまりウル達だ。書類上、契約上どうであろうと、自然とそうなる。

 だが、容易く「じゃあそうしよう」と言える者はこの場に多くはない。

 

「島喰亀も十二分に大きな力と影響力を持った移動要塞です。その更に数倍の規模になった代物を、名無し達に与える事を納得できる者は存在しませんよ。まだ、神官をお飾りに据えた方がマシです」

「私達は支配者となりませんよ?」

 

 だが、シズクはエクスタインの言葉を否定する。

 

「このウーガの支配者になるのに的確な者がいます。()()()()()()()

「――――ん?!」

 

 唐突に話の弾が自分に飛んできたエシェルは、集う視線を前に酷く間抜けな顔をさらした。

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 エシェルの名を出した瞬間、カルカラが鋭い視線をシズクへと向けたが、彼女は気にする様子はまるでなかった。

 

「難しい話ではありません。今のところ彼女が最も妥当であるという話です」

 

 そう言って、シズクは立ちあがると、座っているエシェルの背後に立った。

 

「エシェル様はグラドルの神殿で官位を有している点。第四位(レーネ)ですが、元はカーラーレイ一族と同じ第一位(シンラ)です。都市の管理者として的確です」

 

 もともと、ウーガは彼女が支配する予定でしたしね。とシズクは笑った。

 一方で、彼女が何故現在第四位(レーネ)かについては、シズクは触れなかった。エシェルも黙る。此処で実は自分は邪霊の愛し子でございとでも言えば非常にややこしいことになるのは彼女でも分かった。ウル達以外の面々の中にもその事実を知る者も居たが、黙った。

 

「出自も不確かな【歩ム者】が管理するよりも、よほどスマートではありませんか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エシェルは感情を表に出さないように懸命に努力した。

 シズクがあまりにも平然と、自然と、当然のように、審判の天秤に否定されないギリギリの嘘をついたからだ。確かに形式上は、自分が指揮官だ。形だけでもそうした方が良いと言われたからそうしていた。だが、実務はウルがやっていたし、エシェルは彼に殆ど頼りきりになっていた。

 だが、勿論、そんなことを言って、シズクの発言を否定するわけにはいかない。だから必死に彼女に教えられた意味深な微笑みを浮かべることに全神経を集中させた。

 

「しかし、彼女は【歩ム者】と懇意にしていると聞きましたが?」

「ええ、親()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エシェルは微笑に更に力を入れ、焦点をぼやけさせて何も視界に入れないように努めた。ウルの方だけは見るわけにはいかなかった。絶対に顔が引きつる自信があった。

 

「しかし、それは危険ではありませんか?曖昧な友好関係は腐敗の温床です。貴方たちを通じて、ラストに繋がることを、グラドルの神官達が畏れないでしょうか?」

「あら、エクスタイン様。面白いことをおっしゃるのですね?」

 

 シズクはクスクスと笑った。煮詰まりつつあったこの会議室の中にあって余裕たっぷりに。その微笑みを見て、聞くだけで、自分が追いつめられているように感じる、妖しい微笑みだった。彼女の微笑みを耳元で聞く羽目になったエシェルはぞわぞわと産毛が逆立つような感覚に襲われた。

 

「不正、忖度、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それは」

「それを防ぐためにルールを創り、組織を組み立てる。それが統治であり支配です。今指摘しても意味の無いことです」

「……そうですね、失礼しました」

 

 エクスタインは反論出来なかった。確かに「不正が起こるかも知れないから止めよう」なんて言い方は、ただの難癖だ。その危険性は高いという指摘なら正しいが、それならそれで、ではどうすれば良いかを考えれば良いのだ。

 エクスタインは非を認めた。その彼にシズクは笑う。

 

「心配してくださってありがとうございますエクスタイン様。ですが我々は健全で確かな信頼で結ばれています。ご安心ください」

 

 ウーガ奪還の折、実の弟の暗殺をウルに依頼した対価に彼の所有物になると抜かし、挙げ句、今も度々彼の寝床に潜り込んでいる事実をエシェルは黙った。絶対に言えない。背中がすごい汗をかいてる気がする。

 見上げるようにシズクをちらっと見ると、色々と全部知ってるはずの彼女はエシェルに微笑みを返した。エシェルは懸命に表情にださないように努力した。

 

「私達と彼女との雇用関係を健全に維持するために改めて検討が必要でしょうが、今は置いておきましょう。そして、彼女が適任だと思った理由はもう一つ」

 

 そう言って、シズクはポン、とエシェルの両肩に触れた。

 

「制御術式を現在彼女が持っているという点」

 

 これがおそらく本命なのだということは、その場の誰もが理解できた。

 エシェルは自らの手の平に刻まれている刻印に意識を向ける。にっくき弟から奪い取った、邪教が生み出した刻印。竜吞ウーガを制御するための全ての要。

 

「ウーガの運営には複数の人員が必要なのはそうです。白王陣の使い手たるリーネ様のような優秀な術者が不可欠なのは事実。ですが、最終的にウーガに指示を出せるのは刻印所持者のみです」

 

 即ち

 

「制御術式は、精霊の力に変わる信仰と信頼の象徴になる。官位持ちの者がこれを継承していけば、現在のこの社会の構造から外れる事もなく、権力が損なわれる事も無い」

 

 通常の都市部で、神官がその権威を振るえるのは、彼等が都市部で圧倒的な力を振るえるからだ。その権威に見合うだけの力が存在するからだ。竜吞ウーガでその力が落ちるなら、ウーガ内において真に力を持つものとは、即ちウーガに指示を出せる者だろう。

 彼女の主張は確かに正しい。

 エクスタインは、シズクの言葉を精査するように沈黙した。そして探るように問う。

 

「ウーガが規格外なのは確かですが、制御術式はただの魔術の術式です。精霊の加護とは違う。時間さえかければ、誰しもに継承も出来て、増やすことも出来る。絶対的な権力の象徴としては不確かでは?」

「あら、エクスタイン様?それはおかしいです」

 

 シズクは依然、余裕を一切崩さずに微笑む。対照的にエクスタインからは微笑が消えつつあった。

 

「そもそも、何故()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「な……」

「今しがた、ブラック様が証明したではありませんか。精霊の信仰すらも、崩れる可能性はあるのだと」

「……それは」

 

 その言葉に動揺したのはエクスタインではなく、ラクレツィアの背後に並ぶ天陽騎士たちだ。彼らからすれば、シズクの物言いはあまりにも不敬極まるものだった。だがしかし、一方で彼らには身に覚えがある。神殿の神官たち、精霊の加護に守られていたはずの権力者たちが、無惨な不定形のバケモノに豹変したのを、彼らは目撃している。

 彼らは精霊の加護を持ち、権力を有していた。にもかかわらずあのような顛末を迎えたのだ。そしてその事実を目撃した彼らの内に、神官たちへの不信が存在しないかと言われれば、否だ。結集し、高潔であろうと志しても、この不信はぬぐいきることは出来なかった。

 

「神殿も、玉座も、王冠も、本来はそれ自体に何の付加価値も存在していません。物語を奏で、煌びやかに化粧して、それを絶対的な価値があると()()()()()()()()()()()()

 

 で、あれば

 

「エシェル様の今持っている術式を、【王冠】にすることは出来ますよ。そうですね、ラクレツィア様」

 

 ボールを突如投げられたラクレツィアは、しかし流石と言うべきか動揺の一切を表情に出さなかった。シズクに向かって彼女は頷く。

 

「元々、ウーガの制御術式はどのように扱っていくかはまだ検討の段階でしたが……確かにそういった工作は可能です。複製の制限、制御術式そのものへの保護術式(プロテクト)の付与、“準”制御術式作成等、出来ることは多いです」

「制約をいくつか設けて、あとはそうですね。ウーガと術式は【大地の精霊】からの授かりもの。といった物語を付与しましょうか。恐らくウーガを創った人は元々はそうするつもりだったでしょうから」

「――そうですね。本当に性質の悪い事」

 

 二人の間で話が進む。エクスタインは口をはさむことは出来なかった。それが出来ないように、意識して二人は会話を途切れさせないまま、割り込ませないように話を進め続けた。

 誰も口をはさめず、異論も言わせず、そして、

 

「幾つか挙げられた懸念はこれで解消できるはずです」

 

 Qウーガの制御はグラドルのみで可能であるか

 Aグラドルの神官であるエシェルが雇った【歩ム者】でそれは可能

 Qウーガという都市の管理をグラドル以外の官位所持者に預ける問題についてどうか

 Aウーガはそもそも都市ではない。通常の都市の運営管理を当てはめるのは不適当

 Qだとしても、巨大な使い魔を名無し達に実効支配される懸念を、グラドル側が納得しない。

 A全ての要である制御術式を、グラドルの官位をもつエシェルによって管理させる

 

「まだまだ検討の余地はあります。ですが一先ずはおおよその問題は解消されたかと思います」

 

 シズクはそう締める。誰も何も言わなかった。それを見てシズクは頷く。

 

「それでは確認いたしましょうか」

 

 そう言ってシズクは立ち上がると、机の中心で未だ揺らぎ続ける【審判の精霊・フィアー】へと両手を合わせ、問うた。

 

「【審判の精霊】よ。判決を」

 

 すると、【天秤】が動いた。大きくぐらりと揺らぎ、ウルの方へと向かう。その秤をゆっくりと傾け、傾け、傾けて――

 

「……――――」

 

 その、直前で停止した。

 

「あら?決まりませんでしたね」

 

 シズクはすっとぼけた声をあげた。

 

「……マジで面倒くせえ」

 

 ウルは思わず本音が零れた。だがおそらくこの場のほぼ全員の感想だろうと思った。

 決まらなかった。決まらなかった以上、まだ議論は続けなければならない。だが、これ以上はどうすれば良い。本当に、あと少しであるというのはわかるのだが、何が決め手なのか、誰もつかめずにいた。

 

「ウル坊達へと()()()()()()。察するに、不適格にあらず。されど適格に()()()。かね」

 

 そこに再び、ブラックの声が響く。彼はウルの前で揺れ続ける天秤をなぞり、笑う。

 

「ま、そりゃそうだ。活動開始から1年足らずの冒険者。実績は輝かしいが、その数自体もまだ少ない。だから()()()だ」

「……つまり?」

「要は、審判の精霊は疑ってるのさ。白王陣の嬢ちゃんの個人の実力は確かでも、【歩ム者】ってギルドはちゃんと仕事出来るのかい?ってな」

 

 それを聞き、グローリアは安堵するように息をついた。

 

「では、それなら、やはり彼らに任せる事は出来ないという――」

「おっと、そいつは早計だぜ、グロー」

 

 急くように結論を出そうとしたグローリアに、ブラックはノリノリの表情で待ったをかける。本当にこの男はずっと楽しそうである。目の前で秤にグラグラされて息が詰まりそうになってるウルは、ブラックの顔面に拳を叩き込みたくなった。

 ブラックは、触れられない天秤の先を撫でるようにしながら、【審判の精霊】へと問いかける。

 

「【審判の精霊】よ。例えば、これから、【歩ム者】が、信頼に値するだけの実績を積むっていうならどうよ」

 

 計りは揺れた。傾きは深くはならなかったが、ぐらぐらと左右に振れる。その様は、もし言語化するならば「え~どうしよっかな~」だっただろう。それを見て、ブラックはしかたないな、と笑って更に言葉を付け足した。

 

「例えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で活躍したりしたら?」

「――――待てブラック!それは……!」

 

 ディズが、恐らくウルが彼女と過ごしてきた中で、最も鋭い声音で、ブラックに詰問する。他にも、神殿の関係者達や、ラクレツィアは何かを察したようだった。彼らに対してブラックはただ笑い、そして視線は天秤へと向かい言葉を続けた。

 

「【大罪迷宮プラウディア】の【()()()()()()】で、活躍したりしたら、どうよ?」

 

 その一言で、天秤が一気に傾いた。ウルへ、ではなく、ブラックのいる場所に、深々と秤が突き立った。彼の提案を是とし、執行力を与えると、【審判の精霊】が判決した。

 

「おっと、全く現金だなあ、精霊って奴らは。天賢王に利有りとなるとすぐこれだ」

 

 ハッハッハ、とブラックは笑い、笑った後、隣に座っていたウルの肩をぽんと叩いた。ウルが顔を向けると、彼は良い笑顔でサムズアップしていた。

 

「んじゃ、頑張れよ?ウル坊」

「――――ディズ、よくわかんねえけどコイツぶん殴った方が良いか?」

「ぶん殴った方が良いと思うよ」

 

 ウルはぶん殴った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

  

       強制依頼:【終焉戦争・陽喰らいの儀】を突破せよ

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者

 

 【竜吞ウーガ】 司令塔外部廻廊

 ウーガの中で最も高い司令塔、高所を苦手とする者にとっては足がすくむような絶景が待っていた。ウーガの背中に建設された都市を一望できる唯一の場所だ。

 もしウーガが観光地のような開かれた場所になるのだとしたら、この司令塔はさぞ人気の場所の一つになる事だろう。

 

 そんな廻廊に、3人の影があった。

 

「ウルって、さ、毎日こんなに、ウーガ中を、走り回ってるの?」

「鍛錬ついでの、見回り、だからな」

《にーたんまじめだからなー》

 

 一人はウル、もう一人はエクスタイン、そして最後にウルの肩に乗る妖精姿のアカネ。

 完全武装の鎧姿、しかも竜牙槍まで握って何をしているかと言えば、ウルの日々の鍛錬の一環である。

 魔物を狩り、魔力を回収するだけでなく、何でも無い時に身体を動かし、肉体に吸収した魔力を馴染ませ、その動かし方を覚える重要な時間。グリードの訓練所から染みついた習慣だった。

 

「でも、鎧着た上で走らなくても…!」

「いや、最近改めて思い知った。武装状態で走れるって重要だわ。命に関わる」

《いっつもバケモノにおわれるからなー》

「なにがあったの…?」

 

 廻廊を3周した辺りで、ウルは足を止めた。エクスタインは大きく息をついて座り込む。ウルはそのまま身体を伸びしてストレッチを開始した。

 

「これ、きっついね…!騎士団入隊時のしごきと変わんないや」

「慣れが大きいからな。別に無理に付き合う必要なかったんだぞ」

「いや、あの会議の後もどたばたして、二人とちゃんと話す機会が無かったからね…」

 

 そう言ってエクスタインは汗を拭って立ち上がる。そしてウルとアカネに向かって笑みを浮かべた。

 

「改めて、だけど久しぶりだね。ウル。アカネ」

「本当に久しぶりだ。驚いたよ、エクス」

《ほんになー》

 

 エクスタイン、大罪都市エンヴィーにウルが滞在していた折、親しい関係になった友人。放浪者のウルにとって、出会いは一期一会と思っているところがあるため、こうして友人と再会できるのは驚きだった。

 しかもまさかあのような形で再会することになるとは思わなかった。

 

「とりあえずデコピンさせろや。虐めやがって」

「冒険者が万力を込めたデコピンとか脳みそ揺れてぶっ倒れるじゃないか。いやだよ」

《おうじょうしろやー》

 

 アカネがぺしぺしエクスの頭を叩く、仕事なんだから勘弁してよ、と彼は笑った。子供の頃の印象と比べ、当たり前だが体躯は大きくなり、精神的にも少したくましくはなった気がする。

 以前なら、仕事の上でとはいえウル達と敵対するなんてことになったら、死にそうな顔になっていたはずだった。昔の彼は心身共に、貧弱なイメージしかなかった。

 

「しかし驚いたがな。騎士団に入っていただなんて。てっきり魔導機の工場勤めにでもなると思ってたんだが」

「親戚達はそうしろって言ってきたけど……」

 

 彼の住んでいた家は、エンヴィーでは多くある魔導機の工場の一つだった。ウルは、彼がよく工場の仕事を手伝わされているのを目撃していた。

 

「魔導機工房なんてエンヴィーじゃありふれてるから惹かれなかったんだよね。そもそも、子供の頃から手伝ってたけど、全然楽しくなかったし」

「危ないしな。お前からすりゃウンザリか」

 

 エクスの両親は魔導機の作成中の事故で亡くなっている。らしい。エクス自身物心がつく前の事らしく、彼も他人事のように感じているようだ。

 

「で、あの狭い工房区画の端っこで生きてくのもウンザリしたから、思い切って騎士団に入ったんだよ」

「本当に思い切った事だな。昔は暴力ごと苦手だったろ」

《かっちょいーね》

「ありがとう、アカネ。似合うようになるまで苦労したよ」

 

 エクスが腕を持ち上げる。確かに昔の彼は線が細くて、鎧などを身につければ、それごと潰れてしまうような印象しかなかった。騎士団の鍛錬で身体を作ったのだろう。

 

「しかも部隊の副長と来た。大出世じゃないか」

「それこそ君程じゃあないさ、僕こそビックリだよ!」

 

 ぱっとエクスは顔を上げ、ウルの姿をジッと見る。まあ、確かに、今のウルの姿は彼と別れた頃と比べれば大幅に様変わりしているだろう。

 

「冒険者になんて絶対ならないとか言っていたのに、今や冒険者達以外からも噂に名高い銀級候補だ!何があったんだい?」

「一言ではとても言い表せない」

 

 何があったかと問われれば、訳が分からない目にあったのだ。

 思い返すと、話したところで冗談と取られそうな話とか、話すこと自体問題になる話ばっかりだ。正直何故ウルも今こんな所にいるのか理解できていないところがある。

 

「とりあえずアカネが売られてバラされそうになってる」

《バラされそうでーす》

「大分端折ったね?!」

「いや、むしろ一番初めだ。こっから色々あって、俺は今ウーガの上に乗ってる」

「困ったな…なにも分からない…」

「正直、俺もよくわからん」

 

 大地を前進するウーガを眺めながら、ウルは憂鬱げに唸る。

 本当に、どうしてこんなモノに乗って大罪都市プラウディアに向かい、挙げ句天賢王に謁見する羽目になっているのか、ウルにはサッパリ分からなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 先の【天魔裁判】から更に数日が経過した。

 

 結果として、あの裁判の勝利者となったブラックに【審判の精霊】は執行力を、それ以外の者に強制力を与えた。ウル達はブラックの指示通り新たなる実績作りを強いられ、エンヴィーはそれまでグラドルへの一切の手出しを禁じられる。

 結果、竜呑ウーガはグラドル領から西南西。

 【大連盟】の盟主国。

 イスラリア大陸の中心地。

 【大罪都市プラウディア】に向かうこととなった。

 

「まさかプラウディア側からも許可出るとは…」

「多分、グレーレが許可出したんだと思う。あの人も今プラウディアにいるから」

「……やっかいなのに目えつけられたな、ウーガ……」

 

 巨大なウーガが移動時に問題を起こさないよう、細かいルートの提示に停泊可能な土地の指定等至れり尽くせりで対応が行われた。

 好待遇であるが故になにが待っているのか想像するのが恐ろしい。

 

 ――私はこれで。グラドルに戻り、本日の内容を神官達と検討致します

 ――ご足労ありがとうございました。ラクレツィア様

 ――当然のことですよ。貴方がたもどうか死なないでくださいね。死んでは木阿弥です。

 ――俺達これからなにに巻き込まれるんですか???

 

 グラドルのシンラ、ラクレツィアは裁判終了後、ウーガの移動前に、グラドルへ帰還した。慌ただしいものだったが、彼女も今回の裁判を踏まえてグラドル国内で取り決めなければならない事案が山ほど増えたのだろう。

 実際、ウーガの管理委託の提案を「条件付きで可」としたのはあくまでも【審判の精霊・フィアー】の判断であって、それを本当に実行するのは自分たちである。乗り越えなければいけないハードルは山ほどあるだろう。

 恐らく過労死してしまいそうなくらいの仕事がこの先ラクレツィアにも待ち受けているはずなのだが、その彼女に心底哀れまれたのが凄い気になった。

 

 ――【飛行要塞ガルーダ】と部隊の大半はエンヴィーに帰還します。エクスタイン含めた一部部隊は引き続きウーガに駐留するのでそのつもりで

 ――了解です。グローリア殿。エクスは知らない仲じゃない。仲良くしていきますよ

 ――精々、ヘマをやらかしてくださいね。天魔グレーレに献上する切っ掛けになります

 ――尽力します

 

 エンヴィー騎士団、グローリアもまた、エクスタイン含めた一部の騎士をウーガに残して不機嫌そうな顔で帰還した。最後まで皮肉を忘れない、中々に強烈な森人だった。基本、森人は感情を大きく表に出さない種族と思っていたが、偏見だったようだ。

 

 そんなわけで、現在ウーガに残っているのはグラドルから離脱し再び合流したディズ、エンヴィー騎士団から別れたエクスタイン、そしてもう一人――

 

「ウル様、そちらにいらっしゃいましたか」

「あーシズク…………とぉ…………ブラック、殿」

「おーウル坊、どうしたそんなひでえツラして。嫌なことでもあったか」

「今まさに」

 

 今、シズクと共にやってきた男、ブラックが何故か勝手に滞在していた。

 帰れや。と心底思ったのだが、「転移の巻物で此処に来たけど使い切っちゃった☆」ということでちゃっかり居座っている。恐ろしいことに案内する前から住む場所を決めており、どこから持ち込んだのか家財まで運び始めている。本当になんなんだこの男。

 

「こんな空き家があるんだからそりゃ使ってやらなきゃ可哀想だろ?家って奴は使ってやらないとすぐにダメになるんだ」

「まあ、そういう話はどっかで聞いたことがあるが」

「あと、今の間に家財持ち込んで住み着いてやりゃあ、土地分配本格的に決まる前に自分の土地って主張できるしな」

「完全に思考がマフィアとかそういう類いだね、この人……」

「相手に面倒くせえって思わせるのがコツだ」

 

 会話の間にウルはアカネを懐に隠した。絶対にこの男の前にアカネは出せない。この男がアカネを見つけたら、何を言い出すか、やろうとするか想像つかないが、きっとろくな事にならないのは間違いなかった。

 

「言っておくが、今の勝手に住みついてる場所以外に手を出すなよ。此処は今のところグラドルのものだ」

「ウル坊よお、こういうチャンスは律儀に約束守ってちゃダメだぜ?アウトとセーフのラインをよーく見極めてから、冷静に踏み越えなきゃ」

「踏み越えてますよね?」

「興味があるならやり方教えてやるぜ。なんだったら今度ここに住んでる名無しや従者の連中と一緒に講習でもしてやろうか?」

「胡散臭い男が胡散臭いビジネス講習するとか地獄かよマジで止めろ」

 

 これで適当にバカな話をするだけならいいが、そのカリスマと実力で国まで創ったのがこの男だ。最悪洗脳されかねない。この男には不用意に近付くべきでないと、今住んでる住民達に改めて呼びかけなければ危険だった。

 

「要らん仕事ばっか増える……シズクもこんな奴に同行するな」

「ブラック様とお話しするのはとても楽しいですよ?常に視線がお胸に向かって、手が出そうになるのが気にはなりますけれど」

 

 シズクは楽しそうに微笑むが、ウルとエクスのブラックに向けられる視線は冷たくなった。

 

「胡散臭い上にセクハラ親父か……牢屋ってあったっけウーガ」

「いやまておい。このご立派は注視しないのは人生の損だろうが!!」

「開き直るな。指を指すな」

「いやあ、グローもかなりの一品に成長したもんだと思ってたが、それに匹敵する娘が同じ場所に居るとは、ジジイビックリしちゃったよ!」

「ヒトの上司引き合いにだすの止めてもらって良いですか?」

 

 エクスは心底嫌な顔をした。この男、裁判の間ずっとこんなこと考えていたのかと思うと目眩がするし、そんな奴のせいで今振り回されるのかと思うと悲しくなってきた。

 だが、どれだけこの男が胡散臭かろうが、悪どかろうが、あの裁判の勝者はこの男であり、今のウーガの行き先を決定しているのもこの男だった。

 

「……それで結局、【陽喰らいの儀】ってなんなんだよ」

「あれ?勇者から聞いてないのか?」

「アンタのせいでドタバタしてんだよ。到着する前には教えてくれるとは言ってたが」

「じゃ、俺も教えなーい。楽しみにしとけよ?すげえ祭りだからな!」

 

 ブラックはニッカリと笑った。もうあと五発くらい顔面に拳を叩き込んでおいた方がよかったかもしれない。もう今から殴ってやろうか、などとウルが考え始めた頃だった。

 

「――――あ、ウル様」

「ん?どうしたシズク」

 

 シズクが、不意にウルに声をかけた。シズクは、何やら少し困った顔をして、告げた。

 

「大変です」

 

 ウルは即座に竜牙槍を握りしめて構えた。

 

「急にどうしたのウル!?」

 

 あまりに急な臨戦態勢に驚愕したエクスを無視してウルは姿勢を低くして周囲を見る。特に変化は感じない。竜吞ウーガの平和な街並みだ。しかしウルは警戒を解くこと無く、そのままシズクに問いかけた。

 

「なにがどう大変?」

「ええ、あと、数十秒後だと思うのですが……」

 

 シズク自身、解せないといった表情で空を見上げて、答えた。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉の意味を飲み込むのに、少し時間が掛かった。飲み込んだ後、やっぱり言葉の意味が理解できず、ウルは空を見上げた。

 

「………………は?」

 

 雲一つ無い青い青い空に、無数の、黒い影が見え始める。それは徐々に徐々に大きくなって――――落下してきた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 文字どおり、魔物が、降ってきた。

 

「おお、本当に大変だな」

 

 ブラックの暢気な感想がムカついた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者②

 

 大罪都市グラドル元従者、()()()()()()、グルフィン・グラン・スーサンの朝は早い。我らが太陽神が上ると共に身体を起こし、その日のうちに鍛錬を開始する。しなければならない。

 そしてそれがずっと続く。もう昼だ。天に太陽神は高々と上っていても彼は鍛錬し続けていた。

 

「な、何故、私が、こんな、ことを…!」

 

 大罪都市グラドルにいた頃のグルフィンの生活は、実に優雅で、自由で、堕落していた。スーサン家の四男として生まれた彼は、その恵まれた地位を満喫し、責任は全て兄たちに投げてしまっていた。

 彼は起きたい時に起きて、食べたいときに食べる。朝から酒を飲み、油のたっぷり染みこんだ肉を喰らって、昼寝して、また食べる。まさに暴飲暴食の極みだった。

 ほとほと実家でも扱いに難儀され、建設途中で人材不足だったウーガに神官補助の人材として体よく追い払われた後でもその生活は変わらなかった。困ったことに、グランとしての功績があった彼の実家は、彼の暴食を許すだけの力は合ったのだ。

 大量の食料を、わざわざグラドルから輸送するだけの無駄を、権力を振り回して成し遂げた。

 

 そう、彼は実家を追い出されようが、頑なに、自堕落を貫いていた、その筈だった。

 

「さっさと走ってください、脂肪の塊が」

 

 走り続けている最中に背後からの暴言が背中を打つ。いや、物理的に打ってくる。【岩石の精霊】の加護によって生み出された小さな小石が、怠けようとするたびにビシビシとぶつかってくる。

 

「ヒぃ……ヒぃ……カ、カルカラ…!やめんか!カルカラ!!」

 

 耐えきれず、汗だくの面構えで後ろを振り返る。が、そこにまっていたのは鬼の形相だった。

 

「は?今なんて言いました?」

「カ、カルカラ……()()!!!」

 

 彼の自堕落で幸せな生活は一変した。

 ウーガの変化、カーラーレイ一族の暴走、そして、ウーガ建設途中時から存在していた唯一の神官、カルカラ()()の手によって。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウーガ騒動から暫くして、仮都市にいた従者の内、大半はグラドルに帰還した。

 本当は、従者の誰一人として、ウーガに残りたいと思った者はいなかっただろう。仮都市の生活は不便が多かったし、ウーガの動乱があってからは、従者達は心身共にボロボロだった。

 その上で、得体の知れない巨大な使い魔の上に暮らすなどという状況を、受け止められる者は多くなかった。

 

 では何故残った者がいたかと言えば、残った者達には帰る場所が無かったからだ。

 

 元々実家で忌み嫌われて、追い出されるようにウーガ建設の仕事に就いていた者

 ウーガ動乱の際、天陽騎士に傷つけられたトラウマで、グラドルに戻れなくなった者

 粘魔化の騒動で、そもそも帰るべき家を失った者

 

 と、様々だが、「ウーガにいたい」ではなく「グラドルに居られない」場合が殆どで、最終的にウーガには20人ほどの従者達が残る事になった。同じく先の騒動に巻き込まれ、身動き取れなくなった名無し達と一緒にウーガで保護することとなった。

 

 さてそんな彼らであるが、勿論生きている以上、何かを消費することになる。

 

 寝床だって勿論必要だ。残った従者達にとって、それは当然与えられるものであると認識している者も多かったが、いうまでもなく、資源も土地も有限だ。特にこの特殊なウーガという場所は。

 

 働かざる者喰うべからず。

 

 同じように保護した名無しの者達は「助けて貰った恩を返すぞ!」と、一生懸命働いているというのに、彼らは何もさせず、食っちゃ寝させた挙げ句、その食事にケチまで付けさせるなど、あまりに不健全だ。

 

 エシェルは彼らに労働を命じた。命じようとした。

 しかし、従者達に働かせるのは、これまた困難であった

 

 まず本来の役割である精霊への祈りの献上は、使い道が無い。ウーガ完成前は建設に利用したが、ウーガが完成した今は、従者の祈りによってブーストさせてまで精霊の力を用いてやる事が今のところ、無い。破損した建築物の修繕くらいなら、魔術か、神官であるカルカラ自身の祈りで事足りる。

 ならば、と、名無し達のように雑用を任せようともしたが、コチラは論外だった。グラドルからの物資の運搬、粘魔王との戦いで破損した都市部の修繕、清掃、食料の調理など、率先してやる者はまずいない。指示をしてもまともに動かない。すぐに音を上げる。名無し達の邪魔にしかならない。

 

 ――いくら特権階級の集まりとはいえコレは酷い

 

 とは、ラストの官位持ちだったリーネの言葉だった。

 ウーガ動乱時、口封じに消してなんら惜しくない人材だけを集められた、というのは事実なのだろう。従者達は大半が虚弱か、我が儘か、意志が弱かった。

 この厄介者達をどうするか、困り果てて、もう何でも良いから子供でもできる雑務でもやらせようかと思い詰めたエシェルに対して、シズクが一つ提案した。

 

 ――従者の方々は、神官にはなれないのでしょうか?

 

 従者としてできる仕事が無いなら、もっとできることを増やして貰う。

 短期的で簡易な仕事をやらせるのではなく、長期的な人材育成に舵を切る発想。

 悪い考えでは無かった。そもそも彼らはそれなりの官位を持った家柄出身者が殆どだ。つまり精霊との繋がりは深い。なのに何故彼らが神官とならず従者に甘んじているかと言えば、神官になる修行自体を拒否したか、修行に破れたか、周りに望まれなかったかだ。

 

 だが、素養はある。

 

 精霊の加護を授かれれば、住民の祈りが集まらなくとも、自身の祈りで最低限力が振るえる。今のところなんの役にも立っていない20人の従者達が全員神官になるなら、少なくとも今よりは大分マシになるはずだ。

 

 が、そうなると新たな問題が発生する。

 

 適性があるとは言え、神官になるための修行は、下手な労働より更に過酷だ。そんなものを、やる気の無い従者達の尻を引っぱたける教官が必要だった。そしてそこで白羽の矢が立ったのが、

 

 ――エシェル様がお望みであれば、私がやります

 

 カルカラだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「さあ、走りなさい!自分の足で地面を蹴って、息を吸って吐いて、世界を感じなさい!」

 

 カルカラの指導は、恐ろしく、スパルタだった。

 家に引きこもっていた従者達を岩石の力でたたき出し、全員を追い回して兎に角走らせた。当然文句を言う者もいた、というよりも、従者の大半が彼女に罵詈雑言をなげかけたが、数秒後には全員神官の力で黙らされた。 

 上下関係を秒で分からされた従者達は、男女年齢問わず走りまくった。精霊の力、即ち世界を巡る力の循環を感じ取る近道であるとカルカラは事前に説明したが、怠けきっていた従者達には地獄の鍛錬であった。

 

 ――……冒険者の訓練所を思い出すな。神官と冒険者って対極の筈なんだが

 

 従者達とは別に、朝から鍛錬に出ていたウルは、汗と鼻水と涙で顔面がぐしゃぐしゃになった従者達を眺めて、そんなことをぼやいていたが、誰もそんな事を聞く余裕は無かった。

 

 走って走って走って、ぶっ倒れた後、その状態で神と精霊達への祈りを繰り返す。疲れ果てたタイミングで祈る事で、真に精霊との繋がりを体感できる、が、勿論最初はそんな余裕がある者はいなかった。カルカラに向かって抗議する者も居た――――が

 

 ――加護を授かることが出来ないならもう一周ですね。授かれるまでやります。

 

 間もなく、悲鳴と絶望と必死の祈りは、ウーガの風物詩となった。

 

 そんなこんなの地獄の訓練が今日まで続いている。

 従者達は今日も走っては祈りを繰り返す。離脱者はいなかった。離脱する者をカルカラは一切許さなかった。逃げようにも逃げる場所も彼らにはない。

 

「そ、そも、そも、き、きいたぞ、ウーガは、精霊の力を扱うには不向きと。意味が無いのでは、ないのか」

「都市民の信仰が薄れ、彼らからの祈りの受け渡しの効率が悪くなる恐れがある、と言うだけです。そもそも今のウーガに都市民なんていません」

 

 どこからその話を聞いたのか、グルフィンから抗議が飛んできたがカルカラはそれを一蹴する。カルカラもその件は後からエシェルに教えて貰ったが、グルフィン達を鍛えるという方針に変更は無い。

 

「神官当人が、心の底からの祈りを捧げれば、その祈りで力は振るえます。」

 

 天魔裁判の時に話されていたのは、あくまでも、都市民から魔力の譲渡と神殿での蓄積が困難になる事への指摘だ。神殿という名の魔力タンクから無尽蔵に魔力を取り出せるからこそ、神官達は圧倒的な力を振るえる。

 その力がウーガでは振るえない。確かにそれは問題だが、しかし神官当人らの祈りを燃料にして振るう分には何の問題も起こらないのだ。

 

「そもそも、その最低限の力すら振るえずなんの役にも立たない貴方達をなんとかモノにするための訓練なんですから早く祈りなさい。精霊の加護を授かりなさい。エシェル様の役に立ちなさいただ飯ぐらい」

「うぐう」

 

 パシンと飛んだ小石に額を弾かれ、グルフィンは沈黙する。

 

「というか貴方、官位は第三位(グラン)なんだからもう少し頑張ってください。精霊との近さは私の比じゃないのだから」

「第三位(グラン)と思うなら私をもっと敬わんか!!」

「親の脛かじって暴食にふけってたら、親兄弟からも見捨てられた男に敬意???」

「ぐおへえああ!!」

 

 グルフィンは苦悶の声を上げて死んだ。

 

「カ、カルカラ様。グルフィン様、結構トラウマになってますので、ご慈悲を」

 

 地面に突っ伏して泣くグルフィンを、従者達の中でも最も若い少女が慰める。

 従者らの中で最も真面目で、不義の子として実家を追い出される形でコチラに流れてきた彼女の方がよっぽどに不憫で同情の余地があるというのに、その少女に慰められる大人というのはなんとも悲しい。

 好き放題やりたい放題やっていたこの男でも、家族から「死んで構わない」と、思われたことは流石に堪えたらしかった

 

「トラウマになるくらいに後悔があるのなら、ここから先を一歩ずつでも頑張りなさい。過去は変わりませんが、その先の人生の選択肢があなたにはまだあるのですから」

 

 その言葉は、彼女にしては珍しく、僅かに労りがあったのだが、彼がそれに気づくことは無かった。泣きながら、幼い少女に慰められ立ち上がる様はどっちが大人かわかったものでは無かった。

 

「神官様がた、今日もおつとめご苦労様です!」

「ああ、ダッカン。毎度すまないですね」

 

 従者達と同じく、ウーガに現在住み着いている建設の補助の為の労働を勤しんでいた名無しの土人、ダッカンがやってくる。彼の手には、カップと水差し。

 ここの所、従者達への彼からの差し入れが日課となっていた。

 

「何、いいんですよ。こんな所で住まわせて貰ってんです。こっちが感謝したいくれえです!」

 

 ダッカンは笑う。名無しの彼や、彼の仲間達にとって、滞在費も払わずに寝泊まりできる場所というのは破格の待遇だ。例えウーガそのものが得体の知れない、前代未聞の巨大な使い魔であっても、受け入れる者は多かった。

 現在ウーガを運営する上で必要な様々な雑務を彼らは担っている。料理の腕に覚えのある者は食堂を開き、従者含めたウーガの住民達に食事まで用意している。

 はぐれ者ばかりが集められた従者達に対して、名無し達が有能揃いなのは、彼らを集めたエシェルの運か慧眼か、ともあれ助かることは多い。

 

「コロコの花を煎じた冷水だ!少し甘くて良い香りでスッキリしますよ!」

「だ、誰が名無しの者の施しなど!」

「グルフィン様は要らないそうなので他の皆様どうぞ。ダッカンと、大地と精霊に感謝をしていただきましょう」

「まてまてまって!!!受け取ってやらんでも!!!」

 

 このやり取りも繰り返され、日常になりつつあった。

 

「…………………おや?」

 

 しかし、その日は様子が違った。

 従者達やダッカンがおかしいわけではない。

 

『――――――――――――――――――――――――――――――』

 

 何か、変な音がする。それも、周辺からでは無く――

 

『――――――――――……aaaaaaaaaAAAAAAA!!!!』

 

 真上から

 

「っな!?」

「ぬおお!?」

「ひっ!?!」

 

 気づいた瞬間、雲一つ無い蒼天から、黒紫色の蠢く土竜蛇が落ちてきた。

 

『GAAAABUGYAA!!!?』

 

 全長2メートル超、十数匹のそれらは、カルカラ達の居る場所よりも遥か高い場所に展開している結界に阻まれた。土竜蛇の一部は落下の衝撃で身体が弾けて結界上にばらまくものまでいる。地獄の光景だった。

 

「な、な、なああああああああああ!?」

 

 グルフィンの悲鳴が喧しかったが、カルカラにもその驚きは理解できた。

 ウーガは魔物からの隠蔽能力はあるが、完全な魔物からの隠蔽能力があるわけではない。魔物の襲撃が完全に防げるわけではない。だから結界まで展開している。

 

 しかし、流石に、流石に魔物が空から落下してくる事は想定していない。しかも、

 

「ま、まだきます!?」

 

 少女が悲鳴のような声を上げる。空からは無数の影が、先の土竜蛇に続くように見えている。あれらが全て魔物だとしたら恐ろしい。

 ウーガの結界は相応の強度を有しているが、遙か上空から大量に降ってくる魔物の衝撃を防ぐ、などという対策はとっていない。恐らく途中で結界に限界が来る。幾らかの魔物の落下と侵入を許すことになるだろう。

 

「に!にげるぞ!逃げるぞカルカラ!!はやく!!」

 

 グルフィンが必死に叫んでいる。確かに彼の言うことは正論だ。もしこの場にエシェルが居れば、カルカラは真っ先に彼女の避難に動いていただろう。しかし、

 

「――――丁度良いかもしれませんね」

「ほ?!」

 

 此処に居るのはエシェルではない。そしてこれは好機でもあった。

 

「精霊との縁を得る為の最もシンプルでスピーディな手段は決死さです。死に物狂いで、心の底から精霊との繋がりを求める事で、自身と親和性の高い精霊の力を卸すことが出来る」

「待て待て待て待て待て待て!!」

「どのみちこの様子ではウーガ全体が危険です。ならば、今こそ高貴な血の役割を果たすときではありませんか」

「いやいやいやいやいやいや!!」

「全員、5人ずつに分かれて距離を取り、円陣を組んで、死に物狂いで祈りなさい!今こそ、タダ飯ぐらいを脱却して、真の戦士となる時です!!」

「戦士になろうとした覚えないんだがああ!?」

 

 二度目の落下音と共に、結界が砕ける。

 まさに天災というべき魔物の襲撃が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者③

 

 天空からの魔物の襲来

 前代未聞の魔物の襲撃に対し、ウル達は司令塔を一気に下り、表に出ていた。既に墜落は始まり、大量の魔物達は降り注ぎ、半分以上はその落下の衝撃でそのまま死亡した。だが、もう半分は蠢き、ウーガの上で動き出そうとしている。

 

「久々に全く意味分かんねえ襲撃が来たなあ……」

「竜を模した粘魔の襲来を意味不明と考えると2ヶ月ぶりでしょうか」

「訂正、そんな久々でも無かったわ」

 

 シズクの説明にウルは前言を翻した。どうもおかしな例外的襲撃ばかりが周りで起こりすぎている。普通の魔物襲撃とはなんなのかわからなくなってきた。

 

「墜ちてきた魔物の位置、分かるか?」

「場所は分かるのですが、生きてるもの、死んでるもの、死に損なってるものの区別が付きません。もう少し時間が経過すれば分かると思いますが……」

 

 シズクは耳に手を当ててるが、酷く聞き取りづらそうにしていた。先ほどから継続してウーガの結界を魔物達が叩く音、結界を抜け、落下した魔物達の断末魔、あるいは生きて痛みにもがく声、そしてその中に混じった住民達の悲鳴が全て混じり合い、音のセンサーが不調をきたしているらしい。

 

「司令塔の周辺に5体、この先の大通りと、住宅区画にも4体ずつ生きた奴がいるね」

「エクス、分かるのか?」

 

 代わりに、エクスタインが情報の補正を行った。彼は両目を閉じ、瞼を指で触れ、何かを読み取るように顔を顰めている。よく見れば薄らと、瞼の隙間から薄紫色の魔光が漏れていた。

 

「【俯瞰】の魔眼。都市警備で、罪人を追いかけるときに便利なんだよ」

「そりゃまさに今の状況にうってつけだありがたい。」

「でも残念ながら魔物の傾向は分からない。全然バラバラだ」

「十分だ。住宅街から行くぞ」

「ところで、ブラック様が来ていませんが」

「ほっとけ」

 

 冒険者ギルドから黄金級と認定された以上、実力は間違いなくあるのだろうが、あの男に戦力的な期待はしない方が良い。期待した目で見れば、全く逆のことを面白半分で行う。あの男はそういう性質だということが、ここ数日でよおくわかった。

 放置するのが吉である。

 

「アカネ。ディズのとこいかんで平気か?」

《んにー、ディズよろいもあるしだいじょうぶとおもうよ?》

「そんじゃあ兄妹で久々に頑張るかね」

《おっしゃー!あたしひゃくせんれんまよー》

「実際、我々よりも修羅場経験してそうですよねえ」

 

 【勇者】であるディズに使われ、振り回され、大罪迷宮の最下層まで潜り込むような日々を送っていたのがアカネだ。そう考えると、彼女の経験に釣り合えるかわからないが、そこは兄妹の絆でカバーしよう。と、思っていた……が、

 

《にーたんいくぞー【れっかそうぞう・てんまのぐそく】》

「ん?なに――――を゛!?」

 

 瞬間、ウルの身体が空を跳んだ。というか飛んだ。視界が一瞬で背後に消え、瞬く間に自分の目の前に住宅区画が迫っていた。

 

「なんじゃああ!?」

《にーたん!きーっくよ!》

「なんてえ?!」

 

 言われるまま足を突き出せたのはまさに兄妹の絆の証し、と言いたいが正直やってるウルは必死だった。視界には、住宅区画にて避難できていなかったであろう名無しの親子が、魔物に襲われようとしている。牛頭の人型の魔物は、その巨大な斧を振り下ろそうとして――

 

『GUUUBOOOOOOOOOO!?』

 

 ウルの蹴りが、頭部に直撃し、首がへし折れて絶命した。

 そしてウルはその勢いを全く殺せず地面にすっころび、暫く回転した後、住宅の壁に身体を叩きつけて停止した。

 

「おぼがあああ!?」

《よっしゃあさすがにーたん!》

「こ……交通事故だぞこんなもん……!!」

《でも、でぃずいっつもこんなんよ?》

 

 勇者はどうやらいつも交通事故に遭っているらしい。彼女の業務の過酷さを改めて実感した。兄妹の絆でどうこうなりそうな経験差ではなさそうだ。

 

「だ、だ、だ、大丈夫!?ウルくん!?」

「うーっと……ネネンさんか。娘さん無事?」

「え、ええ!ソレより急に魔物が!」

「ちょっと変な襲撃があったみたいなんで適当な空き家でもいいので隠れていて。そっちの方が安全だ」

 

 知り合いの名無しだったので速やかに避難を指示する。

 こういったときの避難場所として一応司令塔に逃げるようにという取り決めは通達していたのだが、ここまで魔物が全範囲に降り注いでしまうと、隠れていた方がまだ安全だろう。

 しかし、魔物はヒトを狙って襲ってくる。当然、あまり猶予は無い。

 

「ので、急いで倒したい……が」

『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 先に倒した【牛頭】、それと同じ魔物が3体、コチラに迫ってくる。確か、記憶に有る限り牛頭は9級の魔物だ。ウル達がラストの迷宮で必死に倒した毒花怪鳥と同等の魔物である。階級が同じであるから、イコール同じ強さとは一概には言えない。が、全く油断できる相手ではないと悟った。

 

「無策で突っ込んだら死ぬな……っつーか、なんでそんなのがぽこじゃか沸いて出るんだ」

 

 9級から7級程度の魔物が雑魚として沸いて出るのは、大罪迷宮における中層規模だ。周りの、落下で死亡した魔物達も、大なり小なりそれに近い。

 イメージとしては、大罪迷宮の中層の生態系が、丸ごと空から降ってきている。そんな状況だ。なんでそんな頭のおかしい事になったのかは勿論わからない。似たような事例も聞いたことが無い。

 

『GUMOOOO!!』

『G,G』

『GAAAAAAAA!!』

 

 幸いにして、と言うべきだろうか。彼らは、この場から逃げ出したネネン親娘ではなく、明らかにウルに注視し、コチラに狙いを定めている。しかし、ウルに即座に飛びかからない辺り、先ほど、一瞬で仲間の一体を打ち倒したウルを警戒しているのかも知れない。

 先ほどの一撃がほぼまぐれであった事を悟られぬよう、余裕たっぷりな動きで前を睨む。

 

「とりあえず今は、こいつら倒しておかないとな……原因調査は後だ」

《もっかいキックやる?キック!》

「牛頭の首より俺の首がへし折れる可能性が高いので却下」

《えー》

「もっと安全安心に敵ぶっ殺せる武器とかねえのか」

《わーがーまーまー》

 

 そう言って、アカネが姿を変える。右手に握った竜牙槍側でなく、左手に纏わり付く。気がつけばウルの腕に、煌煌と燃える剣が握られていた。

 

《しゃくえんけん、さすともえるよ》

「……別種武器の二刀流とか、全く使いこなせるきがしない。剣の練習とかしてねえ」

《わーがーまーまー》

「がんばるかあ……」

 

 妹、にあまり我が儘を言っては兄の威厳というものが廃るので頑張ることにした。

 ひとまず、3体の牛頭に対してやるべき事は、

 

「逃げる」

《なんで!?》

「近接で多数に囲まれたら死ぬわ」

 

 相手が魔物だろうが、コッチが特殊な武装に身を固めようが、多数有利の戦いの原則が揺らぐことは絶対に無い。訓練所時代グレンから散々叩き込まれ、その後の経験が教えを裏付けた。

 

《でもディズなら倒すよ?》

「にーちゃんそろそろ泣くぞー……追いかけてきてるか?」

《うん》

「【咆吼】」

 

 ウルは後ろ向きに竜牙槍を構え、捻る。裂光が迸り、牛頭達の真正面に直撃した。

 

『GUMOOOO!!!』

《むっ?!》

「どした」

《かばっとる》

 

 アカネの説明をウルは理解する。3体いる牛頭の内、先頭の一体が【咆吼】を受け止めたのだ。背後の2体が直撃しないようにと。 

 牛頭の特性をウルは思い出した、彼らが9級に位置づけられている理由。――獣の頭、なれどその連係はヒトのそれを大きく越える――。魔物の筋力で、ヒトの連係。数を早々に1体減らせたのが幸いだったか。

 

《散った!》

「面倒くせえ!」

 

 そして1体が防いでる隙に、残る2体は左右にばらけ、建築物の影に隠れた。咆吼を直撃した一体は丸焦げになって地面に倒れ伏した。まだ死んでいないがすぐには動くまい。

 ならば残り二体。完全に姿を隠し、未知の二方向からの連係攻撃は死の予感しか感じない。――――が、来る場所が読めているなら、話は違う。

 

「最近は、慣れて、きた!」

《んにゃ!?》

 

 眼帯をずらし、【未来視】の魔眼を開き、まだ誰も居ない右通路に灼炎剣となったアカネを投擲する。間もなく、予知通り牛頭が姿を現した。牛頭は、不意を打つ筈が、姿をさらした瞬間に炎の剣が胴に突き立つ理不尽に遭遇した。

 

『GOAAAAAAAAAAA!!!――――…』

「斬ったら燃えるっつーか炭になっとる……」

《ぽんぽんいもうとなげんなー!》

 

 すまんすまん、と謝ろうとした。が、そんなヒマは無かった。

 まだ昼間なのに影が落ちる。太陽神が隠れた、訳では勿論ない。牛頭がいつの間にか住宅の屋根に立って、飛んで、落ちてきた。

 

『GUBOOOOOOOO!!!』

「っぐお!!?」

 

 振り下ろしてきた斧を盾で受け止める。

 

「…………!!受け止め、られた!」

 

 宝石人形の盾は偽竜との戦いで焼失し、今の盾は鎧と同じ魔銀製。頑強さも去ることながら、驚くべきは、巨体な魔物が落下と共にふり下ろした斧を、ろくに受け流すことも出来ず真正面から受け、尚ウルの腕も身体も無事なことだった。

 下手な落下品(ドロップ)で作った防具より、よっぽど信頼に足るのが魔銀

 とは、これを購入した【暁の大鷲】の商人が言っていたが、事実らしい。ウル自身の未熟をカバーしてくれるのは大変ありがたい。

 

 問題は、防具がどれだけ強くとも、牛頭の力尽くの猛攻の全てから、逃れられる訳では無いと言うこと。

 

『GUBOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』

「っぐ……ぐ……!!」

 

 防いだ盾の上から、牛頭がその万力を込めてウルを押しつぶそうとしている。ウルの両足が地面にめり込む。即座に潰れないのは、ウル自身の成長の賜物と言えたが、巨体な魔物の暴力を真正面から受け止めるだけの力は、無い。

 

《にーたん!》

 

 アカネの声がする。彼女がコチラにやってきてくれれば、と、思うが、其方に目を向ける余裕は無い。なんとかしなければ――――

 

「失せろ」

『GOBO!!!?』

 

 だが、ウルが対策を講じるよりも早く、牛頭の頭部が突如、叩っ切られた。噴き出した血がウルにかかるが、まもなくしてその血も、牛頭の身体も塵と成って霧散していく。そしてその身体の背後から、見覚えのある巨漢が姿を現した。

 

「ジャインか、助かっ」

「あ゛?」

「いやなんでもないです」

 

 礼を言おうとしたウルは、ジャインが死ぬほどに不機嫌であることに気づき、速やかに口を閉じた。マトモに鎧も着ておらず、部屋着のまま手斧だけを両手に握ったジャインは、恐ろしい形相で魔物達を睨み付けている。

 

「おーいウル-、あんたが焼いた牛頭、まだ生きてたっすよーちゃんと殺さなきゃー」

《わーえっちねラビィン》

「私ねてたんすよ使い魔ちゃん。最悪の目覚めっす」

 

 ラビィンも彼に付いていた。彼女も格好はラフだ。というかほぼ下着である。住宅区画で、のんびりと日常を過ごしていた最中のあまりに突然の魔物の襲撃だ。格好に文句は言えない。が、その姿で首を搔き切れそうなナイフを握り魔物の返り血を浴びてる様は中々強烈だった。

 

「……なあ、機嫌、くっそわるいなジャイン」

「収穫直前だった家庭菜園の場所で魔物が落下死して体液浴びて腐ったっす」

「うーわ絶対近付かんとこ」

 

 自分の努力の結晶が台無しになった挙げ句復讐も出来なかった男の怒りは今魔物全体に向いている。頼もしいが恐ろしい。

 

「で、なんでこんなことになったっす?」

「マジで何にも分からん」

「ほんとっすか?」

「トンチキ案件の因果の全てが俺達にあると思うの止めてくれるか?」

 

 こうして、怒れるジャインと合流できたウルとアカネは、そのまま住宅街の魔物の掃討を進めていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜呑ウーガ、管理区画

 

「住宅街は大丈夫そうですね。ウル様に任せましょう」

 

 エクスと共に管理区画周辺に移動したシズクは、改めて音響によるウーガ全体の調査を行った。魔導書【新雪の足跡】によるマッピングで、おおよそのウーガの状況は改めて把握できた。

 最も人口が多く、密集している住宅街は、真っ先に飛び出した、というか飛んでいったウルの手によって何とか護れそうである。

 

「アカネもいるしね。二人なら平気だ」

「お二人を信頼していらっしゃるのですね」

「結構な無茶を乗り越えていったのを近くで見てきたからね」

 

 エクスは懐かしむように笑いながらも、油断なく剣を構え、そして襲ってくる魔物を処理していった。魔眼による偵察のみならず、騎士としての実力は過不足無く身につけているらしい。

 だが、問題はこの数と、範囲である。ウーガは広い。悠長に歩行で移動していては、人的被害を防ぐのは厳しくなる。どうしましょう?と、シズクが策を講じている、と、

 

『おう、お二人さん、ドライブにいかんカの?』

 

 走行車となったロックが姿を現した。シズクはニッコリと微笑む。

 

「ロック様のそのお姿、思った以上に使い勝手が良いですね」

『じゃろお?収容人数はロックンロール号に劣るがの!ほれ!エクスとやらものれい!』

 

 エクスタインは、骨で出来た自動駆動の馬車を前に驚愕の表情を浮かべていたが、暫くすると諦めたように肩を竦めた。

 

「……いや、流石ウルの仲間達だ。変、いや、変わったのが多い」

『変態って呼んで構わんぞ-』

 

 二人を乗せ、ロックは疾走を開始した。その間、シズクは自身が索敵した結果を【足跡】を開き、確認する。

 

「食堂の方にもヒトが多いですが、その場にいた白の蟒蛇の皆さんが対処してくださっているみたいです。ロック様は中央南の公園へお願いします!」

『この時間なら、カルカラ達が訓練中カの。しんどらんか?』

「……いや、怪我人はいない……みたい、だけど……?」

 

 同じく、魔眼による索敵をしていたエクスが、首を傾げる。困惑した様子だ。間もなく、なだらかな坂を越え、目視でもウーガ唯一の広間が視界に映ろうとしていた。そこでは

 

『SYUIIIIIIIIIIIIIIIIIII……!!』

 

 空を漂う奇っ怪なる半透明の魔物。【空海月】と、

 

「ひいいいい!!ぬおおおおおおお!ほんじゃあああ!!!!」

 

 ()()()()()グルフィンが戦っていた。

 

『…………』

「…………」

「……まあ」

 

 流石の光景に男二人が絶句する中、シズクは頬に手を当て、感嘆した。

 

「グルフィン様。大きくなられましたね…」

「物理的にね?!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者④

 

「一言で言ってしまえば、精霊の加護の暴走ですね」

 

 巨大なるグルフィンから少し距離を取った場所で、魔物達を処理していたカルカラは、やってきたシズク達に状況を説明した。彼女の周囲には神官見習いの従者達がいる。幾人かはグッタリとした顔つきで祈りを捧げ続けている。

 しかしもう半分ほどは、グルフィンほどではないが、()()()()なっている。

 頭が光ったり、周りに花が生えてきていたり、自分の指先から次々と出てくる粉雪におろおろしたり、兎に角いろいろだ。シズクは彼らの姿を見て、納得したように手を打った

 

「精霊の加護を宿せたのですね?」

「ええ。大分強引な方法で、制御の仕方が身になる前の覚醒でしたから、大半がまだ使い物にはなっていませんがね」

 

 そう言いながらカルカラは両手を振るう。ウーガの石畳が隆起して周囲を蠢く土竜蛇を叩き潰していく。

 そう言っている間にもまた一人なにかしらの精霊の加護を授かったのか、祈りの姿勢のまま地面にズブズブと沈んでいって泣いたので、エクスタインとロックが急ぎ引き上げていた。

 

「魔術大道芸の会場のようですね」

「まあ、最初は私も似たようなものでしたがね。ヒトに過ぎた力を卸すのですから、魔術よりも感覚に依存します。混乱するほど滅茶苦茶になる」

「なるほど……ところで」

 

 そういってシズクはふっと、未だ巨大化して空海月と戦闘を続けているグルフィンを見る。いや、戦い、と言って良いのか、関節も無く、蠢く空海月に対してグルフィンがひたすらもがいている光景である。

 

「【【【炎よ】】】、グルフィン様はどうして大きくなってしまわれたのでしょう」

 

 一息に火球の魔術を唄い、土竜蛇を焼き払いながら、シズクは暢気に質問した。

 

「流石はグラン、と言ったところでしょうか。どうも複数の加護を同時に卸したらしいのですが、その内の一つが暴発しています」

「それは?」

「肥満」

 

 背後のエクスとロックはマジで言ってんのかコイツ?というツラになった。ロックに顔は無いが、骨がそんな感じになった。

 

「訂正します。【膨張の精霊・ププア】様の加護の影響ですね」

「ああー……」

 

 その名にエクスが納得したような顔になる。精霊に疎いロックは名前だけを聞いてもピンときてはいない様子だった。

 

『つまりアレか?大きくなるとか、大きくする力って事カの?便利なんじゃ無いか?』

「まあ、そうなんだけど、ププア様の膨張は中身が伴わないんだ。麦一粒を数メートルまで拡大させても、栄養価は麦一つ分。形だけおおきくなるだけ。それも一時的に」

『ほおーん、だから膨張のう』

「金を見た目だけ大きくして売買悪用なんて事件もあって、騎士団騒動になって神殿では【邪霊扱い】なんて話も出たとか……今は善霊で良かったと思うけれど」

 

 加護の強さ、与えられた力の種類にも依るものの、要は物質の伸縮を自在に操る能力だ。使いどころを誤らなければ得られる恩恵は大きいだろう。

 

「尤も、今の彼には囮の役割くらいでしか使えないみたいですが」

『あやつデコイにされとったんカ!?』

「仕向けたわけではないですよ。自分で勝手にデカくなって、混乱して暴れたら目立って、魔物が纏わり付いているだけです」

『怪我とかせんかの?』

「あの膨張した身体、精霊の力で作られただけのハリボテですよ。殴られようと噛まれようと毒針に刺されようと無傷です」

 

 ほんぎゃああああ!というグルフィンの悲鳴がけたたましく響き続けるが、別に本人が怪我をしているわけでは無い。ただ、魔物達が大量に集まってきてビビリ散らしているだけなのだ。

 そしてその悲鳴で更に魔物が集まってくる。有能な囮だった。

 

『じゃが、力尽きたら死ぬんでは?』

「第三位の神官ですから。そうそう力尽きませんよ」

『んなーるほどのう、こいつは確かに力は使いどころじゃの』

 

 ロックは感心した。

 見た目はシュールな状況だが、周囲の魔物を引き寄せているなら被害は大分抑えることが出来るだろう。本当に、見た目は愉快なだけで結果的に仕事はしている。

 

「今のところ、即興で使えるほど強い加護を宿したのは彼と、後は【風の精霊】を宿した少女くらいでしょうか。」

「【風の精霊フィーネリアン】様!?四元の精霊を宿す者が従者達の中に!?」

 

 エクスタインが驚愕に目を見開く。精霊の中でも四元とされる風火水土の精霊は強大であるというのはこの世界の常識だ。それぞれ独立した信仰と教えが生まれるほどに強い。

 それ故に、四元を下ろせる血族というのは重宝され、往々にして神殿では高い地位に付く事が殆どだ。エイスーラ率いるカーラーレイ一族など特に分かりやすい。

 こんな場末、と言っては酷い話だが、ウーガで働かされていた従者達の中にそんな人材がいると聞けば、多くの神殿の神官達は目をひん剥かせるだろう。

 

「エンヴィー騎士団、【飛行艇ガルーダ】に乗ってきたなら風の精霊とは近しいですか」

「ガルーダ稼働時は、祈りを捧げるのは最早規則ですからね……その子は?」

「グルフィン様を落ち着かせるために彼の周りを飛び回ってますよ。加護の強さは不明ですが、生まれて初めて加護を宿して、恐れもせず飛べるなら、弱くは無いでしょう」

 

 見れば、赤子のように暴れるグルフィンの周りに蝶のように飛び回る小さな影が見える。何事か語りかけているのか、徐々にグルフィンが落ち着きを取り戻していくのが見える。

 その様子を見て、エクスタインは嘆息した。

 

「思っていたよりずっと、【ウーガ】は魔境となりそうですね……」

「手を引くなら、今のうちですよ」

「……それができればいいんですけどね」

 

 エクスタインは困った顔を浮かべた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「もう2度とやらん!やらんからな!!」

「やかましいです」

 

 身体が元に戻り、少女に支えられ泣きながら喚くグルフィンの開口一番の悲鳴をカルカラは無視して、周囲を見渡す。シズク達の協力もあって、空海月の討伐も成功した。周囲の魔物も大半は静まり、落ち着きを取り戻しつつある。

 しかし、どうにも万事解決と言う空気とは違った。

 絶え間なく周囲を探っているシズクの様子からもそれは分かる。彼女はジッと周辺ではなく、魔物達がやってきた方角、つまり空を見上げていた。

 

「……何かがいます」

「また、魔物が落下してくると?」

「いえ……落下する魔物とは別に――――」

 

 だが、彼女の調査は中断される。

 

『…………?なんじゃ……?』

 

 ぽつんと、再び、空に黒い影が浮く。また魔物かと、身構えるが、すこしそれまでの魔物の落下とは違う。

 

 具体的に言うならば、極めて単純に、デカい。

 

『来よるぞ!!!』

 

 先ほどまでの、少し抜けた空気から一変したロックの激しい指摘と共に、空からそれは降ってきた。人型に獣の頭。牛頭と呼ばれる、住宅街でウル達が討伐していた魔物の一種。

 だが、そのサイズが通常の牛頭のソレを大幅に上回った場合、その呼び方は変わる。

 恐るべき力と、それに伴う圧倒的な凶暴性、迷宮の宝を狙う盗人達を、無残な肉塊に変え、その屍肉を食い千切って雄叫びを上げる、迷宮の魔物の中でも最も有名な怪物(モンスター)

 

『BUGOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 牛頭王(ミノタウロス)が出現した

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者⑤

 

 第六級 牛頭王(ミノタウロス)

 

 第九級の魔物、牛頭の突然変異体。しかしその性質が大きく変化しているわけでもなかった。多くの魔物の変異体のように、異質な身体機能の付与や、大幅な変容を成しているわけでも無い。至極シンプルな、身体の巨大化と凶暴化のみに留まっている。そして牛頭の特徴も損なうこと無く、強化している。

 

 即ち、よく動き、よく暴れ、よく殺す。

 

 単純極まる殺戮者。特に逃げ場のない狭い迷宮で暴れれば、熟練の銀級でも不覚を取る。明確な弱点も存在せず、しかも牛頭の変異個体は、そのシンプルさ故か出現し易く、そのたびに迷宮を潜る冒険者達を血祭りにあげて恐れられていた。

 付いた渾名が迷宮王。多くの冒険者が恐れ慄き戦いを避けようとする怪物である。

 

「だが!ここは!迷宮じゃあ!!!ねえよなああ!!!」

『BUMOOOOOOOOOOOOOOO!?』

 

 その出現した迷宮王の横っ面に、即座に蹴りを叩き込む銀級冒険者がいた。

 

「ジャイン様?!」

「やあっとストレス解消に丁度良いのが出てきたなあ、ええ?!」

 

 シズク達の前に突如現れたジャインは、シャツにパンツとまさに休日の親父のリラックススタイルの姿で、しかし闘志だけはギンギンに滾らせていた。アンバランス極まる彼の後から、ウル(と、従者達がいる為、彼の中に隠れたアカネ)、ラビィンもやってくる。

 

「ウル様、ラビィン様」

「シズク、そっちは無事……でもねえな。牛頭王かえらいこっちゃ」

「ジャイン様はどうされてしまったのです?」

「農園ぐしゃぐしゃプッツンっす」

「なるほど」

 

 実に端的にで分かりやすいラビィンの説明にシズクは納得した。見た目の粗暴さに反してどんな鉄火場でも冷静な彼があそこまで荒れ狂ってる理由がそれくらいしかない。

 

「おい!従者どもは下がらせろ!!戦える奴は大きく距離を取って囲え!牛頭王のリーチ見誤るんじゃねえぞ!!」

 

 が、それでもそこは流石は一流の冒険者と言うべきか、怒りを漲らせながらも指示は驚くほど的確だった。

 言われるまま、カルカラは従者達に指示を出して撤退させる。

 残った戦士達は牛頭王周辺を取り囲むようにした。

 

『BUGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 両手に斧を持った巨大なる牛頭。謎の落下時にダメージはあったはずだが、そうは全く見えないくらいの殺意の籠もった目で周囲を睨んでいた。

 だが、ジャインは特に焦りも驚きもせず余裕たっぷりに、獰猛に笑った。

 

「第六級だろうが開けた場所で仲間も引き連れずにノコノコ出てきた牛頭王なんてえのは雑魚だ!!てめえらなぶり殺しにすんぞ!!!」

「アイサーキャプテン」

 

 ウルは素直に返答する。冒険者としての戦いの年月、戦闘経験値、知識、全てが上の冒険者の指示に従わない道理は全くない。頼もしいことだった。

 他の面々も同様だ。牛頭王の攻撃から大きく距離を取り、全方位に囲い込んだ。

 

「遠距離攻撃出来る手段を持つ奴らは方角を散らして撃ちまくれ!!近接手段しかねえ奴らはそいつらの護衛と陽動だ!!」

『おう、ジャインよ!ワシはどうする!』

「ロック爺は超近接だ!足を狙え足!!動けなくすりゃ勝ち確だ!!!」

『カカ!!ええの!!楽しそうじゃ!!』

 

 こうしてジャイン指揮の下、戦闘が始まった。

 否、正確に言えばまさしく蹂躙であった。

 

「【咆吼】」

「【【【氷よ唄え、貫け】】】」

「【魔よ来たれ、雷よ、閃光となりて我が敵を貫け】」

「【岩石よ】」

 

『BUGGOOOOOOOOOOO!!???』

 

 4方向、ウル、シズク、カルカラ、そしてエクスタインは遠距離から魔術で攻撃する。牛頭王の攻撃範囲から外れたため、攻撃は一方的に通る。それでも牛頭王は流石の頑強さであるが、しかし完全な無傷では当然いられない。牛頭王は痛みに悶え、そして怒り狂った。

 

『GAAAAAAAAAAAAA!!!』

「はいはいこっちっすよ。」

「オラ死ねや!!」

 

 振り下ろされる斧を遠距離攻撃役は避けて、伸びた腕をラビィンとジャインが切りつける。大木のように太い腕だが、刃が通らないわけでは無かった。傷が付き、血が噴き出す。そのたびに攻撃の頻度は落ちていく。

 

『カーカカカカカー!!!』

 

 牛頭王の足下ではロックが暴れている。自らの身体で生み出した大剣を握り、足の指先や健を情け容赦なく狙っていく。逃れるように地団駄を繰り返すが、そもそもが当たらない。当たったとしても即時再生していく不死身の戦士に、牛頭王は対処できなかった。

 

『BUGYOOOOOOOOOOOOO!!!』

「本当になぶり殺しだ。数の暴力だな」

「戦士の群れのど真ん中に自分から突っ込んできたこのバカが悪い。迷宮でもねえなら人員集め放題だ。オラ」

「うわ」

 

 ジャインが顎でしゃくる方をウルが見ると、ジャインからの連絡があったのか、公園の向かいからぞろぞろと白の蟒蛇の戦士達がやってくる。各々武器を持って真っ直ぐに牛頭王に向かっていた。

 

「っつーかテメエは油断すんなウル、舐めてっと死ぬぞ」

「油断する気は無いが、こっから逆転の目があるのか?」

「賞金首ばっかり狩ってたなら覚えがあんだろ。でけえ魔物はしつけえんだよ」

 

 ジャインの指摘は、当たっていた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 白の蟒蛇の増援を目撃した瞬間、牛頭王は、身じろぎ取れなくなるような凄まじい咆吼を上げ、周辺の攻撃を一時的に止めた。そしてその一瞬の隙を突いて、深く、低く、地面にへばりつくようにして、両手をついた。

 

「散れ!!」

 

 ジャインの指示と同時に、牛頭王は一気に前へと飛び出した。20メートル超の巨人の突撃だ。無論、止める術もなく、包囲は砕けた。ジャインの警告にも納得がいく。あの突撃を正面から受けたら魔銀の鎧だろうと砕けて死んでいた。

 

『すまん!足を封じれんかったわ!』

「いや、動きは鈍くなった。遮蔽物の多い場所に逃げられる前にもう一度囲うぞ!」

「――いやまて、ジャイン!」

 

 そこにウルが声をあげる。彼は自身の冒険者の指輪を耳に当て、ジャインに対して手を上げていた。少し苦い顔をしながら、

 

「少し、距離を取った方が良い」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 管理区画 中央通路

 

「さあ、行くわよ」

「な、なあなあ。これ、大丈夫なのか、これ。リーネ」

 

 白王陣の使い手のリーネとウーガの主であるエシェルは二人並んで突っ立っていた。彼女らの足下には白王陣が敷かれ、向こうの通路からは巨大な魔物、牛頭王が接近していた。

 

「私まだ【鏡の加護】は練習中だし、こんなことやったことないのに……」

「安心なさい。エシェル」

 

 リーネはエシェルに微笑みかける。その自信満々な態度にエシェルは少しだけ安心する。が、

 

「何事もやってみないと大丈夫かどうかなんてわからないものよ」

「何を安心しろって言うんだ!?」

「いいじゃない。思いついたんだもの。試したくなるのが人情ってものでしょ」

「人情じゃ無い!絶対違う!!狂魔術師の思考回路だ!!!」

 

 やかましいわね。と、リーネはエシェルの抗議も聞かず、足下の【白王陣】を起動させた。魔術の中でも最も強力な光が迸り、終局の魔術が生まれようとしていた。

 

「【開門】、エシェル」

「どうなっても知らないからな!!【鏡よ!!】」

 

 エシェルは空に手を翳す。すると空中に彼女の力の権限として、巨大な鏡が生まれる。美しく、全てを映しだすその鏡は、自らの真下にある【白王陣】をも映しだした。

 

「【映し返せ!!!】」

 

 そして、あろうことか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 二重に輝く終局魔術は、此方に向かってくる牛頭王に狙いを定め、輝きを強める。

 

『GUMO!?』

 

 その猛烈な圧力に、牛頭王は動きを止めた。何がコレから起こるのかを察知したらしい。しかし、時既に遅く――

 

「【天雷ノ裁キ・二重】」

 

 二つの白王陣から放たれた灼熱の光が、合わさり、混ざり、一つの巨大な雷の塊と化す。そして放たれたそれは牛頭王の肉体を飲み込み、一瞬で焼失させたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空の来訪者⑥

 

 巨大な爆弾でも炸裂したのかという様な轟音がウーガ全体に響いた。

 同時に、ウーガの中心地で暴れていた牛頭王の肉体が、跡形も無く焼失した。

 

「……えっげつねえ」

「オーバーキルだろありゃ」

 

 その結果にウルは怯え、ジャインは呆れた。

 白王陣の魔術である、というのはウルもわかったが、いままでのとそれと比べても範囲も威力も数段上回っていた。

 ジャインがオーバーキルと評したように、あまりに高火力すぎて、使い勝手も悪そうである。が、第六級を()()()()()なんて真似ができるのは本当にすさまじい。

 そして、それを生み出した二人はというと。

 

「もっかいやろう。もっかいやろう」

「もうやんない!もうやんないからな!!!」

 

 一方がせがんで、もう一方が拒否していた。

 

「何してんだお前ら」

「ウル!!」

 

 尋ねると、エシェルがウルに飛びついて、彼の背中に即座に回り込んだ。するとリーネが亡者のようにウルへと手を伸ばす。

 

「その女を寄越しなさいウル」

「何する気じゃお前は」

「さっきの再現」

「エシェル。向こうにカルカラいるからそっち行ってこい」

 

 エシェルは駆け足でカルカラのいる方へと駆けていった。

 

「どうして邪魔するのよ。まだちゃんと実験出来ていないのに」

「せめてウーガ停止後に外でやれあんなもん」

「2連射になると思ったけど、まさか合体するなんて思わなかったのよ。面白いわ」

「面白がるな」

 

 灼熱の光が奔った後、地面が砕け割れて、全てが焼き焦げている。しかもまだ熱を保っていて近づくこともできない。修繕が大変だし、そもそも事故になりかねない。

 

「というかまだ魔物の雨が終わったのかも分からん。気を抜いている場合じゃないぞ」

「――――いえ、ウル様」

 

 シズクがそういって、すっと空を指さす。その先には再び黒く小さな影が落ちてくるのが見えた。また、魔物の襲撃かと、その場の一同は身構える。

 が、徐々に大きくなるその影はそれまでの魔物達以上に、様子がおかしい。落下し、結界に落ちるよりも前から何故か血塗れだ。そして何より、その魔物の上に立っているのは。

 

「ディズ」

 

 そして間もなく謎の魔物とディズが落下した。衝撃は大きくは無かったので、おそらく魔術で落下速度を緩和したのだろう。ディズは血塗れだったが、それは全て返り血であるらしい。怪我は無いようだった。

 

「や、ウル。そっちは終わったね」

「ああ……で、そりゃなんだ、ディズ」

「今回の騒動の原因の魔物」

「それが……?」

 

 ディズが落としてきたその魔物の死体は、それほどの大きさでは無かった。精々が2メートル程の大きさしかない。だが()()()姿()をしていた。

 最も近しい姿を当てはめるとするなら、生まれたばかりの只人の赤子だろうか。ツルツルとした皮膚、発達しきっていない指先、毛髪の生えていない頭。開いていない瞼。まさに赤子だ。それがそのまま大きくなっていて、本来なら愛嬌を覚えるはずの姿が不気味に思えた。

 そして赤子とは違う特徴は、その背中に、真っ白な翼が生えている事だ。白鳥のような真っ白な翼。太陽神の信仰にて語られる、神に仕える眷属達の姿に似ている。

 

 だが、ウルはその翼の形状に見覚えがあった。

 鳥というよりも、その翼の形は――

 

「これ、竜か?」

「【大罪竜プラウディア】の眷属さ。といっても殆ど力を分けられてない、末端も末端」

 

 その言葉に、ざわめきが走った。

 その間にも徐々に、赤子の姿をした竜は溶けて消えていく。ディズは言葉を続けた。

 

「プラウディアの竜は厄介な特性を持っていてね。その場の空間を好きに塗り替えるんだ」

「塗り替え…?」

「違うものに変えてしまう。空を海に。雪原を火山地帯に。昼を夜に」

 

 ディズの説明は、ウルにはあまりピンと来なかった。ウルだけではないだろう。その場にいる全員、いままでの魔物との戦いとは違う次元の話に理解が出来ていなかった。

 

「眷属達の力は条件もあるし、範囲は限られる。だから大抵は空にいる。干渉する者が少ない無色のキャンパスだ。好きに書き換えられる」

「……で、そんなわけわからん力でどうやって魔物を?」

 

 うん、とディズは空を見上げ、言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………………………」

 

 ウルは空を見上げた。真っ青な、雲一つ無い青空だ。一目では何も変化は見えないし、実際、この眷属の竜が死んだ今は、普段通りの空なのだろう。だが、つい先ほど、魔物が降り注いでいる間、この空は、迷宮だったのだと彼女は言う。

 

「ウーガの居る範囲全体を覆うような形かな。その空間が迷宮に塗り変わった。だから魔物が出現するわけだけど、地面が無いから落下するでしょ?」

「すまんちょっと待ってくれ」

 

 ウルはディズの言葉を遮った。理解するのに時間が必要だった。

 

「……………は?」

 

 時間をかけても理解できなかった。

 デタラメだ。という他ない。

 ウルがわかったのは、プラウディアの竜がまるで理解できないようなとてつもなく恐ろしい力を秘めているという事実だけだ。そして、そんな力を持った竜が居る【大罪都市プラウディア】で、何やら恐ろしい戦いに自分達がまきこまれるのだと思うと、酷く憂鬱だった。

 

「ところでウル、ブラックは見なかった?」

「え?いや、見ていないが。司令塔で別れたっきりだ」

「そう……」

 

 ディズが少し考え込む。ウルも、今回一切戦闘に関わらずにいたあの男の事が気にならないと言えば嘘にはなる。あの男なら、こうした祭りは一目散に突入しそうな印象があったのだが。

 とはいえ、この場にいない相手のことを考えても仕方が無い。

 今は目の前の混乱を解決しなければならなかった。

 

「ディズ、また竜が来たら、今みたいに魔物が降ってくるのか?警戒が必要か?」

「書き換えの力を持った眷属竜はそうそう襲っては来ないけど、警戒をするなら、ウーガの結界の出力を上げた方がいいかな。リーネ」

 

 リーネは頷く。

 

「移動速度を少し落として、結界の出力を上げましょう。魔物達が突き破っては来れないようにします」

 

 その場にいる全員にハッキリと聞こえるように宣言する。まだ全員の表情に不安や警戒の色はあるものの、ひとまずは納得したようだった。

 

「魔物の死体の大半は既に霧散しているでしょうが、破損している場所が多いはずです。急ぎ、清掃と補修を行いましょう。魔術に心得のある皆様は協力をお願いします」

 

 シズクも併せて宣言する。

 そうして、空からの天災、奇妙なウーガ襲撃事件はひとまずの解決となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして、そこから距離を取ってエクスタインはその様子を観察していた。

 

「地の利、数の利があったとはいえ、第六級の魔物を一蹴。コチラが想定しているよりもずっと、ウーガの中の連帯は強い」

 

 当初、エンヴィー騎士団が調査していたウーガの内情は、混沌の一言に尽きる。彼らの多くは場当たり的に集っただけの烏合の衆。協力関係が築けている訳がない。

 と、これがエンヴィー騎士団遊撃部隊の推測だった。

 名無し、神官と従者、亡王族の生き残り、冒険者集団、別国の神官に七天。ウーガの住民の種類があまりにまとまりが無かったのもその推測に拍車をかけた。

 

 ところが、危機に対して彼らは驚くほど一丸となって戦い、そして見事に撃退せしめた。

 

「エクスタイン副長、念のため確認を行いましたが、今回の被害者は――」

「ゼロだろ?わかっている。僕も見て確認した。皆はシズクさん達を手伝いに行って」

 

 部下に指示を出して下がらせる。そしてエクスタインは引き続きウル達を遠くから眺め続けた。その表情はウル達の前で見せるような爽やかな好青年の笑みではない。冷たく、薄暗かった。

 

「エンヴィーの連中はコレを聞いても止まらないだろうけど……頑張ってね。ウル」

 

 彼の呟きを、友人のウルが聞くことは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 司令塔 上空

 

「さてさてさーて、なんだってプラウディアはこんなもん寄越してきたのかねえ?」

 

 ブラックはウーガより()()()()()()()()()()

 無論、彼に翼は無いが、その両足は、土の上でそうしているように自然と、空の上を踏みしめていた。それが魔術であるか、別の力であるか、それを見極められる者はいない。

 

 この場には彼と、物言わなくなったプラウディアの眷属竜の死体があるだけだ。

 

「わざわざ迷宮から離れたところに無理矢理眷属やって、殴りかかるたあ随分と不細工なやり口じゃあねえか、プラウディア」

 

 プラウディアの眷属竜は、その全身がズタズタに砕け、そして()()()()いた。奇妙な傷口だった。焼き焦げ、炭化しているわけではない。にもかかわらず歪な赤子のような姿をした眷族竜は、その身体の一部が()()()()()その部分に一切の力を感じられなかった。

 微かに風に吹かれるだけで散っていく死体をブラックは放り捨てる。間もなく空中で砕けて消えた。

 

「色欲や強欲と違って、ビビリで矮小な性格なのは確かなんだが……ちょーっと流石にビビリ過ぎだなあ。」

 

 そう言って彼は足下を見る。この場所からは豆粒のようにしか見えない巨大な移動都市、ウーガが見える。

 

「あんな玩具にビビってたら大罪竜の笑われものだ。と、なると、だ」

 

 彼はその金色の目でウーガを注視する。

 彼の視界にはウーガの内部、住民達の姿が映しだされる。

 それは彼の瞳の、魔眼の力()()()()。彼の眼にエクスタインのような視界強化の能力は無い。これはただ彼にとって視力が良い程度の、ありふれた身体能力の一部だった。

 彼はジッと住民達を観察する。彼らは当然、ブラックがコチラを見つめていることに気づいていない。

 【勇者】などは彼女以外に空の上でプラウディアの眷属を討った者が居たことには気づいていただろう。あるいはその時コチラを感知したかも知れない。が、今のブラックの位置は察していない。多方面に秀でた彼女だが、当然全知全能ではないのだ。探そうとしなければ見つけることも出来ないだろう。

 

 影としてすら映さない上空のブラックを察せる者はいない――――その筈だった。

 

「――――――――」

 

 目が合った。銀色の女と

 

「――――――ハッ」

 

 彼は笑った。

 

 誰も聞く者のいない天空で、大きく、楽しそうに、凶暴に笑った。

 

 そして彼は、不意に落下する。落ちていく最中、彼は空の上に視線をやった。

 

「これから楽しくなりそうだぜ。アル」

 

 ブラックの視線の先にある陽光は、眼下で起きた小さな騒乱も混乱も気にすること無く、ただ地表の全てを燦々と照らし続けていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大浴場の地獄と極楽

 

 

 エシェルは自分の容姿について、感慨を抱いたことは無かった。

 

 正確には考える余裕なんてものがまず無かった。

 幼少期は、実家で殆どの間虐められ、いたぶられていた。友人達と話す機会も殆ど無い。故に比較する対象がまず居ない。そもそもそんな余裕が無い。

 天陽騎士に入ってから、同僚から子供と侮られる事が多くなった為、化粧を覚えたが、正直あまり上手く出来たとは思えなかった。カルカラがしてくれるときは綺麗になったが、別に自分でやったって、大して違うとも思えなかった。

 実際は、随分と酷い状態だったらしく、影で同僚に笑われることも多々あったが、やはりエシェルはあまり気にしなかった。無頓着だったのだ。官位持ちの少女というにはあまりにもらしからぬ価値観の持ち主だった。

 

 が、そんな彼女も、ここの所その価値観を大幅に変更しつつあった。

 

「まあ、ディズ様。髪の毛ツヤツヤでございますねえ」

「ジェナが良いオイル使ってくれてるからねえ。シズクの方がすごいと思うけど。肌」

「ラストで良い薬液を見つけまして。魔術研究者でも、美容は気にされるらしいのですよ」

 

 目の前で、金色と銀色のキラキラが揺れている。

 湯煙の中、肌を晒し、揺れる彼女たちの姿は、何やら同性であっても官能的だった。自分の真っ赤で、あまり手入れもされていない髪では、ああもキラキラゆらゆらはしない。

 

「エシェル様?」

 

 と、シズクがコチラに近付いてくる。銀色のキラキラがゆらゆらする。それと目の前に大きな塊がゆらゆらとしていた。

 

「どうなさいました?」

「…………シズク」

「はい」

「どうやって育てたのこれ」

「はい?」

 

 エシェルは目の前のおおきなゆらゆらを両手で引っ掴んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ】大浴場

 

 その存在を確認したのは、ウーガを解放して間もなくの頃だった。

 都市の住居区画に聳え立つそれは、ハッキリ言って贅の極みとも言える代物ではあった。ウーガには迷宮の遺物と思しき、放置すれば無尽蔵に水が湧き出る【真海水晶】なる水源が存在する。とはいえ、水晶から零れる水は無尽蔵ではあるが、大量ではない。少量の水が少しずつ溜まり続けるのだ。

 故に、水は節制すべきものだし、身体や衣服の汚れを落とすなら、浄化魔術を使えば事足りてしまう。

 

 にもかかわらず、大浴場などという大量の水を消費する場所が存在する理由は、恐らくはここの設計者、カーラーレイ一族の意向だろう。

 ウーガを王の居住区とするにあたって、自分達の慰安の場所を欠かすはずが無い。内装の豪華絢爛っぷりを見てもそれは明らかだった。

 

 そして現在、ウーガの利用者はウル達だ。正直、その華美な贅沢品は持て余しているところもあった。

 

 が、折角あるものを利用しない、というのもまた、惜しい。そもそもウーガの稼働確認をする上で、この施設の使用の具合も見ないわけには行かない――――という建て前を多くの者達が並べた。実際は身体の清潔の維持は浄化魔術だけである程度は事足りるが、大浴場を使って身体を癒やしたいという希望者が居たのだ。

 議論の結果、一週間に一度、浴場は開かれることになった。

 

 今日はその日だ。ウーガに住まう名無しも従者達も白の蟒蛇も、更には駐留しているエンヴィー騎士団の連中も、勿論ウル達も、この広い広い大浴場に集合し、そして身体を癒やしている。

 その大浴場の一角にて、エシェルはシズクの乳をひっつかんだ。

 

「エシェル。止めときなさい」

「はっ!」

 

 二房の乳を鷲づかみにしているエシェルをリーネが止めた。掴まれていた方のシズクは特に恥じるでも困るでも無くニコニコと笑っていた。

 

「特に育てようとした覚えはありませんが」

「何もしていないで育つならどうして私達の乳はこうなの?」

「巻き込まないでくれる?本当に巻き込まないでくれる?」

 

 リーネはこの知能の低い会話から距離を取ろうとした。

 

「でも、リーネは小人って種族を考えるとむしろかなりスタイル良い方じゃない?」

《そーそー、びしょうじょよびしょうじょ》

 

 そこに浴槽の縁に腰掛けるディズとアカネが楽しそうに指摘して、エシェルは泣きそうな顔でリーネを睨んだ。リーネは二人を恨みがましい表情で見たが、二人はとても楽しそうに笑っている。

 

「ふざけて混ぜ返すの止めてくださいませんか。ディズ様。アカネ様」

《うそじゃないのにー》

「いやあ、ゴメン。女の子同士の会話って楽しくて」

 

 ディズは笑う。【七天の勇者】という彼女の偉大なる職務を考えると、その多忙さも、こうして親しい間柄で言葉を交わす機会も少なかったのだろう。アカネだって、その身体の特異性を抱えている以上、同じように苦労を抱えてきたことだろう。

 そう考えると、彼女達の思いも尊重したい気持ちもあるにはあるのだが、こんな頭の悪い会話以外の時であってほしかった。

 

「スタイルの良さならば、ディズ様も負けてはおりません」

 

 と、ディズの背後から、彼女の髪をずっと世話してツヤツヤにしていたジェナが、対抗するように主張した。言われて見ると、確かにディズの身体つきも美しいと言える。出るところはちゃんと出て、引っ込むところは綺麗に引っ込んでる。

 だが、彼女の身体はそれよりも目立つものがあった。

 

「でも私、傷だらけだしねえ」

《これー、ラストのときのー?》

「ラストにお腹かき回されそうになった時だねえ」

 

 彼女の身体は言うとおり、傷だらけだ。大小様々な傷の痕跡が彼女の身体に残っている。なかには身体の上と下を両断するような大きな傷まであるのだから、相当だ。

 いかに彼女達が過酷な戦いをこなしているか、よく分かる。

 

「それもまた美しいのです」

 

 ジェナは自信満々に主張する。狂信的だが、それにはリーネも同意見だ。その深く多く残った傷跡は、全てが命を賭して私達の世界を守ってきた証しだ。醜いとは全く思わない。

 隣で見ていたシズクもまた、同意見なのだろう。労るようにディズの身体の傷に指で触れ、そして尋ねる。

 

「生業上、私も怪我は良くしますが、傷は消さないのですか?」

「キリが無いからねえ。人前に出るから顔は綺麗にしてるけど。もう少し落ち着いたら一度消しても良いかもしれないね」

 

 傷を癒やすだけでなく消しさる魔術は勿論ある。大きい傷の治療は高価になるが、彼女の立場ならそれは可能だろう。歴戦の跡を無くしてしまうのは少し惜しくも感じるのは少しミーハーだろうか。とリーネは自分で思った。

 

「魔術かあ……」

「一応言っておくけど、人体の一部肥大化魔術なんて都合の良い物はないからね」

「無いの!?」

「怪我を癒やすとかなら【元に戻す】っていうシンプルな動きだけど、肉体の一部を変えるのは【人体操作】の域よ。危険過ぎるわ」

 

 余った脂肪を好きなところに移し替えたり消し去ったりする、なんてのは男女問わずに夢見る魔術だが。もしそれが容易いなら、とっくの昔に一般化しており、この世から太っちょの者は消えていなくなっている。

 一般化していないのは困難の証しだ。ラウターラ魔術学園でその研究をしている者も確かに居たが、結果事故が絶えず、生徒による研究は中止となる程だ。

 

「諦めなさい。というか、なんでそんなこだわるの、別に貴方そこまで悲観するような体つきじゃ無いでしょうに」

 

 リーネが見る限りエシェルの体つきも立派に女性らしい丸みを帯びている。だらしなく太ったりもしていない。シズクのような規格外と比べれば確かに頭がおかしくなるが、そこまで卑下するようなものでは無い筈だ。

 しかしエシェルは何故か元気が無い。顔を俯かせ、そしてぽつりと小さく呟いた。

 

「……ウル好きかなあって」

 

 リーネは思った。いらん地雷を踏んだと。

 

「ええ、ウル様は大きい乳が好きなようですよ?」

 

 連鎖爆発した。此処は地獄か。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 一方 男湯

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ウル、ロック、ジャイン、エクスタイン、ブラック

 五名は、他の来客達と同じく湯船にとっくりと沈み、無言を貫いていた。会話が無いとか、気まずいとかではない。ひたすらに無言で、肉体を湯船の中に預けきっていた。口数の多いブラックすらも、今はただ身体を揺蕩わせるのみだ。

 視線は虚空を漂わせ、ウルはぽつりと呟いた。

 

「……極楽だ」

 

 その言葉に、その場に居た全員、沈黙のまま肯定した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大浴場の地獄と極楽②

 

「やっぱそうなのか…!」

 

 エシェルは泣いた。

 

「よく視線がお胸に彷徨うので」

 

 シズクが無自覚に煽った。

 

《にーたんおっぱいまじんね》

「ねえ恋バナ?これ恋バナかな?」

 

 ディズとアカネは楽しそうだ。少なくとも恋バナではないとリーネは突っ込みたかったが口を挟むことでこのなかに巻き込まれるのだけは避けたかった。

 

「え、なんすかこの空気。なんでウーガの女王様お通夜みたいな顔してんすか」

 

 そこにやってきた【白の蟒蛇】のラビィンが天の助けのように思えた。

 普段の彼女は喧しい上に割と脊髄反射でモノを言うのでリーネはそこまで好きでは無かったが、この場においては本当に助かる。どうぞ空気をかき回してくれ。

 

「ラビィンは、どうやって大きくなったんだ。胸」

「揉まれりゃでかくなるっすよ!」

「そうなの?」

「バカみたいな迷信に縋るの止めなさい」

 

 ダメだった、やっぱバカだった。バカは嫌いだ。

 

「そういう現実的で無い事でキャンキャン言っても仕方ないでしょ。落ち着きなさい」

 

 リーネは諦めて、自分で彼女を何とか落ち着かせる方針に切り替えた、

 

「彼にどう見られたいか興味ないけど、もっとやれる事なんて他に色々とあるでしょう。世の中にどうして化粧品や装飾品、ファッションが商売として成立すると思うわけ?」

 

 相手に良く思われたいと、そう願う者は世に大勢居ると言うことだ。そしてその為の技術もあれば商品もある。鍛錬だってあるのだ。胡乱な話に飛びつくよりも前にやるべき事は山ほど存在している。

 

「手近な所でも化粧でもなんでも、まずは練習してみなさいよ」

「化粧は……私あんまり上手じゃない」

「なら練習すれば良いでしょ。分からないなら知ってるヒトに教えて貰いなさい」

「知ってるヒト……」

 

 彼女はそう言うと、そっと自分の後ろを見る。

 

「……」

 

 離れて湯船に浸かっている、カルカラがそこに居た。彼女は、最初からずっと居る。エシェルと共に大浴場に来たのだから当然だ。しかしここまで会話には参加せず、ずっと後ろの方で黙っているばかりだ。

 

「カルカラは、上手に化粧してくれる。それ以外にも色々、良くしてくれる」

「なら、彼女に教わりなさいよ」

「…………」

 

 しかしエシェルは黙ってしまった。

 理由はリーネもわかっている。カルカラの事情はリーネも知っている。エシェルを裏切り、邪教に通じた。それ自体エシェルの為であったとしても、背信は背信だった。

 その事をエシェルは怒っている訳ではないだろう。で、なければカルカラが今も彼女の側で彼女を助けようとするのを拒むはずだ。

 

「カルカラ、私から話しかけたら返事してくれるのだけど、全然自分から話してくれなくて……」

 

 この事に怒り、そして許せずにいるのはカルカラ自身だ。だから、エシェルの為に尽くす事はしても、彼女と今更保護者面して仲良くしようなんて、とてもでは無いけど思えないのだろう。

 勿論、化粧の事も頼めば真摯に教えてくれるのはそうだろうが、そう言う問題ではない、というのは流石にリーネも理解できた。

 

「気まずいなら、仲直りしなさいよ」

「……その」

「その?」

「仲直りって、どうすればいいの?」

「どうすればって、そんなの……」

 

 リーネは説明しようとして、止まった。

 彼女が求めているのは、至極単純に言ってしまえば友人との仲直りの方法だ。リーネは困った。自分の人生に友人がいた経験がほぼなかった。ケンカした友人との仲直りの仕方の引き出しなど彼女のなかには一つも無かった。

 

「……シズク、分かる?」

「申し訳ありません。あまりよくわかりません。ディズ様は?」

「私も友達出来たこと殆ど無いなあ。だから今皆とお風呂に入れて楽しい」

《ボッチばっかね?》

 

 地獄か此処は。リーネは改めて思った。

 

「え?は?何すか?仲直りしたいんすか?」

 

 沈黙を破ったのは、ラビィンだった。

 絶妙な気まずい沈黙に陥ったその場の空気を一切読まず、彼女はずんずんと湯船の中を前進していく。そして隅っこの方でずっと浸かっていたカルカラに何やら話をすると、そのまま彼女の腕をひっつかんでずんずんと戻ってきた。

 

「……!………!!」

 

 カルカラは何やら抵抗している様子だが、流石冒険者と言うべきか。精霊の力無しで、素の力比べと成れば冒険者として直接戦闘を行うラビィンに敵う道理は無く、

 

「はい、どーぞ」

 

 そう言って、エシェルの前にカルカラを放り投げた。水しぶきが飛び散り、エシェルとカルカラは正面から向き合う。

 

「……」

 

 エシェルは沈黙した。

 

「……」

 

 カルカラも沈黙した。

 

 やっぱ地獄だ。とリーネは思った。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 一方 男湯

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ウル、ロック、ジャイン、エクスタイン、ブラック

 五名は焼き石の蒸気風呂にたむろしていた。むせ返るような熱気のなか、全員が腕を組み、汗を流していた。耐えられるギリギリの熱に、体中から汗と共に疲れが抜けていく感覚に、蒸し風呂の利用者達はただ耐え続けた。

 

 そしてその心地よい苦行が終わると、汗を流し、水風呂に身体を沈める。

 

 蒸し風呂で上昇した体温が水風呂で一気に冷やされ、身体の筋肉が一気に緊張する。だが、力を抜いて、ゆっくりと浸かっていると徐々に温度に慣れ始める。

 そうして暫く水浴をした後身体が冷え切ってしまう前に水風呂から出た5人は、大浴場の外気浴フロアに向かい、用意されているベンチに身体を預ける。

 

 そよそよとした風が肌を撫でる。身体の芯に残った蒸し風呂の熱が、水風呂で緊張した身体をじんわりとほぐししていく。その心地よさを全員が味わっていた。

 外の青空を眺めながら、ウルはぽつりと呟いた。

 

「……極楽だ」

 

 その言葉に、その場に居た全員、沈黙のまま肯定した。

 

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「…………いや、マジで何してんすか?」

 

 沈黙を再び破ったのはやはりラビィンである。この沈黙状況を作り出した彼女は、他人事のようにその膠着状態に困惑していた。

 

「アンタの所為でしょが……」

「いや、さっさと謝りゃいいじゃないっすか」

「何をどう謝れって言ってんのアンタ」

「えー?ハブって御免なさい?」

 

 やはりバカだこの女とリーネは強く確信した。

 

「……」

「……あの」

「……」

 

 エシェルは、なんとか口を開く。と、カルカラは沈黙したままだ。

 エシェルは酷く気まずそうで、カルカラは石のように表情は硬い。感情は表に出していないようだが、明らかに気まずそうだ。

 

「私、あの、私」

「…………」

「……」

「……」

 

 黙った。会話は途切れた。終わった、と、リーネは思った。

 

「だぁー!!面倒くさいっすね!!なんなんすか!?」

「だからアンタの所為でしょが……!!」

「いや、仲良くなりたいなら腹割って話すしかないっすよ?」

 

 ラビィンが言う事は、バカだが真理でもあった。その点は確かに反論の余地は無い。

 関係を改善したいのなら、状況を動かしたいのなら、気まずかろうがたどたどしかろうが動くしか無い。何もしないまま起こるのは不変か劣化であって改善ではない。

 

「私にそんな価値はありません」

 

 と、そこでようやくカルカラが口を開く。

 

「カルカラ」

「私は卑しい女です。そして罪深くもある。エイスーラが消えたとしても、この事実は変わるわけではない。貴方と親しくするには不適格だ」

 

 カルカラの声は小さいが、頑なだった。

 

「違う、カルカラ!それは私が!」

「幸いにして、今の貴方の周りには多くのヒトがいる。私に拘る必要なんて皆無だ。私以外の方達と関係を築いてください。その方がきっと、貴方のためです」

 

 そう言って、カルカラは再びエシェルから距離を取る。

 エシェルは泣きそうな顔になるが、カルカラの意思は全く揺らぐ様子はない。徹底的な拒絶だった。エシェルのことを大事に思い、自身を嫌うが故の拒絶なのだろう。

 傍から見るとその関係はもどかしく、なんといったらいいか――

 

「面倒くせえこと考えてるっすねえー」

「……やめなさいって」

 

 一瞬同意しそうになった自分をリーネはなんとか抑えた。

 

「っつーか資格ってなんすか?そんなもん要らんでしょ」

 

 すると、流石に耐えきれなくなったのか、カルカラはラビィンを睨んだ。

 

「貴方は関係ないです」

「じゃあなんすか、私とウーガの女王様は友達になってもいいってことっすかね」

「ええ、私よりはマシでしょう」

「私、昔殺し屋やってたけど」

 

 その場の空気がまた凍った。ラビィン自身はまるで気にする様子もない。

 

「流石に子供の時分だったから、そんなしょっちゅう駆り出されなかったけど、20人以上は殺した。勿論盗賊とか、犯罪者とかじゃない連中」

 

 幽徊都市。

 追放され【名無し】となった者達による闇ギルド。ジャインや彼女がその出身であることは、彼ら【白の蟒蛇】と協力関係になった際に明かされている。しかし、実際その当人から事実を明かされるのは、生々しさが違った。

 

「勿論大義とか、誰かのためとかじゃない。お金のため。それもクソみたいな大人達のお金のため」

 

 ラビィンは笑った。いままでのお気楽な笑みとは違った、笑っているような怒っているような、諦めているような笑いで、それを向けられたカルカラはそれを恐れるように退いた。

 

「ねえ、私友達になっていいの?」

「……それは」

 

 そう言われて、カルカラは俯いた。そして同時に、ラビィンはニッコリと、先ほどまでの脳天気に見える笑みを浮かべた。同時に勝ち誇ったように声を上げる。

 

「はいアウトー。そこはダメって即答しなきゃダメっすよー」

 

 そう言って、カルカラの背中を引っぱたいて、再びエシェルの前に引きずりだす。

 

「自分自身のこと嫌いなのはわかったっすけど、もっともらしい言い訳付けてんじゃないっすよ鬱陶しい。意地張って相手が傷ついたら本末転倒にもほどがあるでしょ」

「…………!」

 

 カルカラは何か言おうとしたが、何も言い返す事は出来なかった。

 そしてエシェルは、カルカラの手を取り握りしめる。次は手放すまい、逃がすまいと言うように、力強く。

 

「カ、カルカラ」

「……はい」

「私、その、あの、色々化粧とか、綺麗になってみたくて……」

「……私以外でも」

「カルカラに教わりたいんだ、私……」

 

 言うべきを、エシェルは言った。たどたどしいが、それは間違いなく彼女の願いだった。

 カルカラは暫く沈黙する。黙ったままだが表情には様々な感情が渦巻いていた。だが、間もなくして、不意にエシェルの髪に触れた。

 

「……髪が少し、痛んでますね。獣人は毛立ちが強くて癖がある。只人と同じ香油の類いを使っても、上手く馴染まない」

「そうなの、か」

「幸い、元はカーラーレイ一族のための大浴場。それ用の香油類は常備してあるはず。使ってみましょう。使い方も教えます」

「うん……うん……!」

 

 カルカラの提案に、エシェルは何度も頷いた。

 瞳が潤んでいるのは、浴場の蒸気の所為ではないだろう。

 

「いえーい一件落着っすねえ!」

「……ラビィン」

「ん?なんすか?」

「貴方のこと誤解していたわ。空気が読めないバカじゃなくて空気が読めるバカなのね」

「バカが消えてない!?」

 

 誤解していたし、感心したし、感謝もしたが、それを言うのも癪なのでリーネは黙った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大浴場入り口

 

「……はあ、良い湯だった。サッパリだ」

 

 ウルはポカポカとした身体で伸びをする。まだ残る熱で少し汗をかいたが、それを風が撫でるのが気持ちよかった。エクスタインも同じように目を細める。

 

「今日は涼しいしね。夏ももうすぐ終わりかな、【秋の精霊アウタム】の季節だ」

「これ以上寒くなると湯冷めしそうだけど」

「冬は極端に短いから、大丈夫だとは思うけどね」

「……ところで」

 

 と、ウルが視線を彷徨わせる先、大浴場のすぐ外に、人集りが出来る出店が一つあった。商魂たくましい名無しの一人が、大浴場が開かれる日に必ず開く店であり、販売されている商品というのは、

 

「……美味い」

『ッカー!!最高じゃの!!』

「っしゃあ!もう一杯だ!!」

 

 よく冷えたエールである。ジャイン、ロック、ブラックは既に一杯やっている。

 

「エールって苦いから嫌いなんだが、風呂上がりにああいうの見ると美味そうだよな」

「……行きたいの?ウル」

「仕事在るんだがなあ、まだ。鍛錬もある」

「……まあ、君殆ど酔わないし」

「よしそうしよう」

「まだ全部言っていないんだけど?!」

 

 ふらふらと出店にウルは吸い込まれるように歩いて行って、エクスタインはそれを呆れながら付いていった。

 

「ウル!」

「ん?」

 

 が、その途中で呼び止められた。ウルは振り返ると、見慣れた女性陣が立っている。大浴場に入ったのはウル達と同タイミングだ。別にそれ自体はおかしくもなかった。

 が、珍しく、と言うべきか、アカネがコッチに飛びついてこない。ディズの上で大人しく黙っている。そして代わりにエシェルがウルの前に立っていた。 

 

「そっちも上がったか。サッパリとしたみたいでよろしいことで……」

「……」

 

 彼女は無言で何も言わない。だが、何やら訴えるようにウルを見上げている。ウルは首を傾げ、ふと、彼女から心地の良い、瑞々しい香りがする事に気がついた。そして改めて彼女の姿を見て、言葉を考え指摘する。

 

「何か付けたのか。良い香りがするな。髪も艶々してて、良いと思うぞ」

「……本当か?」

「おべっかを使う理由が無い」

 

 エシェルは顔を赤くして、嬉しそうに笑った。そしてそのまま後ろのカルカラに少し興奮したように抱きついた。カルカラは戸惑いながらも、大浴場に入ったときと比べて、少し解れたような顔で彼女を受け止めていた。

 良い流れがあったらしい。と、ウルが察していると、彼の隣りにリーネが近付き、口を開いた。

 

「ウル」

「なんだ」

「100点を上げるわ」

「なんて?」

「後ムカつくからキックもあげる」

「なんで!?」

「うるさいわねおっぱい魔人」

 

 小人の身長から繰り出されるローキックがウルの向こう脛を強かに打った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

野郎どもの酒池肉林

 

 当然のことではあるが、【竜呑ウーガ】に食料生産能力は、今のところ無い。

 

 土地はある。ウーガの背は魔力の巡りが良いのか植物の発育も非常に早い。

 何が問題かと言えば、やはり至極単純な土地の狭さだろう。

 勿論、この問題は全ての都市に言える。根本的にこの世界の人の住まえる場所は非常に狭い。高層建築物で、住める場所をかさ増ししなければやっていけない。食料生産のみに特化し、太陽神ゼウラディアの加護を活用した【生産都市】でもなければ、安定した自給自足というのは困難だ。

 

 そんな訳でウーガの食糧供給は現在交易に依存することになる。

 

 が、しかし、今のウーガは都市としても機能はしておらず、真っ当な交易も難しい。故に、グラドルからの依頼という形で通商ギルドから定期的に食料が供給される形になる。

 当然、その役割を担う通商ギルドは誰でも良いというわけではなく、ウーガ誕生の一通りの事情に詳しく、理解のある者達が選ばれることになる。

 

「全く運が良かったねえ。()()()()()()()()()()()()()()()()、恩恵に授かれたんだから」

「本当に上手くやるよな、ババア」

 

 定期の食料補給のためウーガにやってきた【暁の大鷲】のスーサンに、ジャインは悪態をついた。

 停止したウーガに、【暁の大鷲】は食料を運んでいく。日持ちするものから、嗜好品の類い等、更にウーガ停止中に市場を開き、幾らかの娯楽品の売買まで行っている。全くもって、彼女らは「上手くやってる」と言って良いだろう。

 ウーガの食料運搬の任務を直接依頼された【暁の大鷲】の報酬は、単純な運送業のソレとは比較にならない。ウーガで見聞きしたものの多くを沈黙すべし、という意味合いが勿論有り、それ故に彼らはただ、食料を運ぶだけでも大儲けだった。

 

 だが、彼らがウーガに足を運ぶメリットは勿論それだけではない。

 

 ウーガが持つ情報を独占できるという、恐るべきメリットが彼らにはある。

 

「っつーわけだからホレ、また何か発見できたことがあったら教えな。高値で買い取ってあげるから!」

「アンタ、もうちょっと落ち着きってもんがなかったか……?」

「ハッ!右見ても左見ても金儲けの塊みたいな場所で大人しくしてる方がバカってもんだよ!私からみりゃ此処で暮らしていながらのんびり騎士団の真似事してるアンタの方が正気か、って気がしてならないねえ」

「言っておくが、ペラペラしゃべったり、現段階で邪な利用を考えたら、グラドルにしょっぴかれるんだからな」

「んなもん分かってるに決まってんだろ?勿論、グラドルの連中がOKを出すまで我慢するさ。そしてそうなったら、スタートダッシュがものを言うのさ」

 

 そうかい、と、ジャインは溜息をついた。エシェルから彼女との交渉役を頼まれた訳だが、やはりこの女は苦手だった。一応立場として味方である筈なのだが、全く油断できない上、ウーガに来てからのこの女は更に元気になってる気がしてならない。皺が減って若返っているように見えるのは気のせいだと信じたい。

 まあいい、兎に角仕事を済まそう。と、ジャインは部下達に指示を出した。

 

「最近、ウーガで面白いものが取れてな。売り物になるのか、商人ギルドとして名うてのアンタに確認してほしい」

「なんだいそりゃ?」

「【ウーガの甲羅】」

 

 部下数人に運ばせたのは、巨大な鉄板のようにも見える、ウーガの甲羅の一部だった。

 ウーガは使い魔であり、かなり特殊であるが、生き物だ。

 

「…………軽いね」

「だが、頑丈だ。加工には少しコツがいるが、職人なら容易い」

「どの程度出る」

「数日に1度自然に剥がれ落ちる。この一枚も加工して切り取った一部だ。本来はこの五倍はある。」

「頑強さは?」

「魔銀には流石に劣るが、魔猪並にはある。何より軽さと薄さが段違いだ。」

 

 スーサンはしばし沈黙し、何かしらの計算を終えたのか、あくどく笑った。

 

「とっても素敵な、金の匂いがするね。いけるよコイツは。もっと寄越しな。どれだけ加工できるかウチのもんに確認させるよ」 

「チェックはともかく、グラドルがOKを出す前に売るなよ……?」

「わかってるってーの。ああ、でも、必死にウーガを嗅ぎまわってる連中に匂わす程度は許してくれんだろ?」

「アンタほんと性質悪いな……」

 

 そんなこんなで交渉を進め、調査用とは別に、【ウーガの甲羅】をごっそりとスーサンは引き取り、その分の対価と、幾らかの”オマケ”を融通する形で、何度目かとなる【暁の大鷲】との交渉は終わった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その夜。

 

「良い酒が手に入ったっつってお隣さんに呼ばれたんだが……」

 

 その日、ウルは中々に忙しい一日だった。

 先日の魔物の襲来で、ウーガの住宅区画がダメージを受けたためだ。当然、様々な箇所で破損が発生し、その修繕に駆り出されていた。勿論、現在のウーガに住民は少ないため、破壊された場所には現在利用していない区画も多くあったが、直さないわけにはいかなかった。

 これまでは、ほぼ成り行き上ウーガの管理を行っていたが、【天魔裁判】にて、本格的に【歩ム者】が、ウーガの管理運用を託される可能性が浮上した。

 結局それはエンヴィーにウーガが奪われないための提案だったが、もし本当に実現した場合に備え、今からでもその能力はしっかりと磨き、示さなければ、いざというときやはり出来ませんでした、では話にならなかった。

 故に今日も彼は忙しくウーガ全体を見回り、破損箇所を確認し、修繕の指示と人材の派遣などを行っていった。近いうちに、命令系統の整理もしなければならないとウルは慣れない作業で頭を回す事に疲労しながら帰宅した。

 

 すると、その帰宅の様子を見ていたのか、家の中でぶっ倒れていると、来訪のベルと共にジャインがやってきた。

 

「丁度、暁の大鷲から美味い酒を融通して貰ったんだが、飲みにくるか」

「あんたの方から飲みの誘いとは珍しいな」

「要らねえなら別に構わねえがな。ツマミは持参しろ」

「…………」

 

 タダで良い酒にありつけると聞いて、そこに魅力を感じない、と言うわけでは無く、結局彼の誘いを受けることにした。

 【暁の大鷲】から少し上等なつまみとして、黒角豚のオイル漬けなんてのも買っていたのを思い出したので、それを土産として、扉を叩いた。

 そしてそこでは

 

『カカカカ!お!ウルじゃ!ウルもきおったぞ!!カッカカカ!!』

 

 骨が酒浸しの魔石をジョッキごと飲み干し、骨身の身体を通過した酒が地面を濡らし

 

「やあウル。助かったよ来てくれて。本当に助かった…!!」

 

 エクスタインが何故か女装した状態でコチラに助けを求め、

 

「なんでまた男なんだよジャイーイン!!女の子連れてこいよおおおお!!!」

 

 ブラックが叫んでいた。

 

「………ロックとエクスは良いがなんでブラック誘ったよジャイン」

「誘ってない。所用済ませて家に帰ったらこいつらがいた」

「不法侵入じゃねえか」

 

 ウーガに騎士団がいないのが悔やまれる。ラクレツィアに相談しようとウルは思った。

 

「事の経緯を説明するとだ!俺が人の家でタダ酒を梯子していた!」

『で、途中でワシと合流しての』

「僕が誘拐されました」

「そしてジャインの家で美味い酒の匂いを嗅ぎつけて、飲み会を開催したわけだ!!」

 

 なるほど、と、ウルは納得し、相づちを打った。そしてそのまま静かに踵を返した。

 

「じゃ、お邪魔しました」

「そう言わずにゆっくりしていけ。」

「結構です。お邪魔しました」

「そう言うな。隣人同士今日は友好を深めようじゃねえか」

「距離感って大事だと思います。お邪魔しました」

「…………」

「…………」

「いいから来いやオラアア!!!」

「誘拐だあああ!!!助けてえええええええ!!!」

 

 ウルは誘拐された。

 地獄の飲み会が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

野郎どもの酒池肉林②

 

 穿孔王国スロウスの支配者、黄金級の冒険者、大罪竜スロウスの征服者、王

 

 あらゆる異名で呼ばれ、畏怖され、名無し達からは英雄と目されている男、ブラック。

 彼にまつわる謎は多い。経歴も殆どが不明。わかっているのは恐るべき実力者であり、同時に恐ろしく狡猾な男であると言うことくらいだ。

 

 そんな、秘密のベールに包まれた彼の実態が一つ、今宵明らかになった。

 

「てかなああああんで女の子いねえんだ?ラビちゃんはどうしたんだよジャイン!」

「アンタがウチに来た時点で避難させたが」

「俺ぁあの子がエッチな格好でほろ酔いになるのを生きがいに此処に来たってのに…!!」

「俺の判断が正しかったと確信がもてたわ」

「よしわあった!シズクちゃんだ!ウル!シズクちゃんをよべえい!!」

「今の話の流れで呼ぶと思うのか……?」

 

 ブラック、この男は、酒癖が酷い

 

『カカカカカ!酒池肉林!!いいのう!叶えてやれよウルよ!』

「言っとくけど今この部屋を最も汚してるのお前だからなロック」

「む!汚いな!良し!【勇者】んとこのメイドちゃん!ジェナちゃんを呼べッ!!」

「【浄化】」

 

 ウルは魔石が吸収しきれず零れた酒に手早く浄化魔術をかけた。

 

「アアアアアアアアア!!浄化魔術止めろ!お前折角の口実を!」

「俺のマイホームを口実っつったか」

『カカカカカカカ!!』

 

 骨が笑っている。この骨は酒に強いはずなので、このテンションの高さは明らかに悪乗りである。砕いてしまいたい。

 

「で、エクス、お前は……………いや、いい」

「待って欲しいウル。突っ込んで欲しい」

「他人の価値観や趣味はコチラに害及ぼさない限り文句は言わん主義だ」

「僕の趣味ではないよ!?」

「そう!!!俺だ!!!!」

「帰れや」

 

 エクスはふりっふりのドレスを着ている。顔が良いので無駄に似合うが、幼馴染みの立場でその姿を見てもお労しい気持ちにしかならない。無理矢理着せられたのだろうが、こんなドレスを一体どこから持ってきたのか。

 

「スーサンのお嬢ちゃんが売ってくれた」

「幾らだよこれ」

「金貨五枚」

「これ金貨五枚するんですか!?こわっ!!」

「お前この飲み会中にソレ脱いだら次は金貨10枚のドレス送りつけるからな」

「…………」

 

 最悪の脅迫にエクスタインは屈して席についた。顔が死んでる。

 

「おし、じゃあ新たな客も来たわけだし改めて乾杯するか!」

「俺の幼馴染みがお通夜みたいな空気になってるけどまあいいか。タダ酒乾杯」

 

 ウルは地獄のような空気になった友人を無視して酒を呷った。果実酒だ。柑橘系特有の酸味がありのどごしが爽やかで、しかもよく冷えている。

 

「美味いな。飲みやすい」

「プラウディアの新作だってよ」

 

 爽やかな味わいを少しずつ堪能するが、周囲のペースはかなり早い。特にブラックたちは飲み会の梯子をしていたらしいのに全くペースが緩まない。此処の連中は大概酒豪であるらしかった。

 

「甘い菓子にも合いそうだ」

「ああ、美味そうだ……こんな地獄の状況じゃなきゃもっとゆっくり楽しめるんだが」

「そんあこというなよお、ジジイいじけちゃうゾ」

「死んでくれ」

「ひでえな!!」

 

 出会って初日の頃はジャインはまだ少しブラックに対して警戒と敬意のようなものは在ったのだが、それは秒で消し飛んだらしい。応対の仕方が出会った頃のウルよりも増して塩だ。ウルも似たようなものだが。警戒は必要だが、この男に敬意を払ってもなんの役にも立たない。

 

『で、ウル。お前さんはなーにもってきたんじゃ。ツマミ』

「良い肉のオイル漬け。炙ろう。」

『ワシ食えん!』

「使ったオイルに魔石突っ込んだら旨み染みこんでるかもしれんぞ」

 

 ウルは適当な事をいったが、ロックは肉を取り出すといそいそと自分の魔石をオイル漬けの瓶に放り込み始める。肉も臓器も無くなったのにこの骨が一番グルメである気がしてくるのはどういうことだろうか。

 

「っつーかロックのつまみこそ俺達は食えないだろうが」

『なーにいっとるか!ワシはちゃーんと気遣ってるぞ!ほれこれ!』

 

 と、彼が取り出したのはウルと同じ瓶詰めの代物だった。見れば、オイルでは無く、綺麗な淡い紫色の粒と、乾燥した果実が詰め込まれている。なんというか、不良骨爺にしては随分としゃれた代物だった。

 

『紫砂糖ドライフルーツ漬けじゃと。紫砂糖は、北の大渓谷の付近で採れるらしいノ』

「生産都市じゃなくて都市外で採れる品だな。名無しの間じゃ、時々採っては都市の中で売りさばく奴らもいる」

『なんぞ舐めると、上等な花の香りがするんじゃと』

 

 尚、大渓谷の途中には、氾濫を起こした迷宮が幾つもあり、五ツ目熊が周囲をうろつく危険地帯であり、採取は非常に困難な稀少品である。おそらくこの菓子も結構高額であるはずだ。この手の消耗品の無駄遣いにロックは躊躇が無い。

 

「しかしまあ、魔石しか食えないのになんでこんな代物を?」

『うむ、甘味が味わってみたくなったので魔石をこんなかに突っ込んでみた』

「異物混入だ!」

 

 ウルが瓶を漁ると確かに魔石が出てきた。ロックはそれを摘まみ、口に放り込むとケラケラと笑う。

 

「……どうよ」

『甘い!!!』

「嘘ぉ……」

 

 エクスは信じられないといった顔をした。ウルもそう思いたいが、この骨、酒に魔石を漬けて骨身に酒精を取り込む裏技を覚えて以降、様々なもので試して遊んでいる。失敗したときは失敗したときで楽しそうに報告するので、嘘は言っていないだろう。

 

「……で、これフルーツ食って腹壊さねえだろうな……」

 

 魔石が魔物の心臓ともいえる臓器である事を考えると、この砂糖瓶はドライフルーツおよび臓器の砂糖漬けになるわけだが、何故に飲み会でそんな魔女の薬瓶じみた代物がお出しにならなければならないのか。

 が、警戒している間にブラックが摘まんで口に放りこみ、酒を呷った。

 

「若い奴は軟弱だねえ。ちゃんと食えるぞ。強い酒に合いそうだ!」

「あんたの食えるは当てにならん。エンヴィー騎士団。お前はまともなの持ってきたのか」

 

 ジャインの問いに対し、エクスタインは手荷物からそっと手土産を差し出した。

 

「大した物ではないですけれど、都市エンヴィーがあるギンガン山脈の麓、生産都市から採れた黒烏賊の干物です」

「そういや、大渓谷の近くだなその辺り」

 

 イスラリア大陸の北西がエンヴィーの領域であるが、大陸外の海岸部、そしてその先、”海が落ちる【大渓谷】”もその範囲の中にある。都市エンヴィーは山岳部であるが、海産物もよく食べられる。

 ウルがちぢれた干物を一つ口にくわえると、強い歯ごたえと旨みと香りが返ってきた。

 

「懐かしい、エンヴィーにいた頃よく食べた」

「空腹誤魔化すには丁度良いってよく食べてたねウル」

「んーん美味い!米酒が欲しいな!」

「あんたずっと飲んでるなブラック」

「うるせージャイン。お前も家主なら客人をお持てなしするんだよ」

「招いた覚えがねえ……」

 

 そう言いながらもジャインはキッチンへと入り、そしてすぐに戻ってきた。皿に積まれたそれはウルにとって見覚えのある、真っ赤な果実だった。

 

「おら食え」

「……皿の上に大量のトルメトの実がアホみてえに積まれてるが、これは……?」

「ウチで採れた野菜」

「マジでそのまんまのもんがでたな!?」

 

 ブラックがぎょっとなったが、隣のウルにはなじみ深いものではあった。時々手伝いをさせられて、そのお裾分けで貰っている。食べてみると甘く、わりと瑞々しい。旅が多かったウルにとっては鮮野菜はあまり口にする機会は少なかったので嫌いではなかった。

 

「塩ちょっと振ったら酒にも合うだろ」

『のージャインよージュースにしとくれや』

「自分でやれ骨爺」

 

 ブラックなどは一個丸々掴むと、ヘタを取ってそのまま口に放り込んだ。

 

「まーほひゃいほひゃはあい」

「もっと味わって食えや。ってか食ってばかりでないでアンタも出せや」

「ほへ」

 

 と、トルメトを咀嚼しながら、ブラックは何か大きめの瓶を取り出しておいた。なんというか、独特の匂いと、ツンとした刺激があった。

 

「……これは?」

「スロウス名物、糠漬け」

「えっらい渋い名産が来たな……っつーか匂いは兎も角こいつは……」

「ルガラの実、美味いぞ~?」

 

 ウルとジャインは顔を顰め、エクスとロックはピンと来ていない顔をした。それを見て、ブラックがエクスに向かってそれを放る。

 

「ほれ食え!」

「どうも?」

「ちょっとまてエクス――」

 

 エクスがそれを口にした瞬間、顔色を真っ赤にしてキッチンに走った。

 ルガラの実は強烈な辛味を伴う刺激物である。

 

「普通、辛味抑えたものを入れるもんだろ……」

「なんでだ?美味いぞ!」

 

 ブラックはバリバリとそれを口にして笑った。

 ウルはエクスの口内の平穏を祈った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 杯は何度も空き、肴は消費され、飲み会は進む。

 元々かなり酔いにくいウルにとって、飲み会はそれほど特別ハメを外すような場ではなく、むしろハメを外しすぎた連中の世話が必要な為、面倒に思うことも多かった。 

 が、流石にこの面子だと、興味深い話がぽろぽろと零れ、飽きることは無かった

 

「なるほど【エンヴィー】は変わらずか」

「まあねえ。土地柄もあって人の出入りもあまりないから」

「てめえらが乗ってきた飛行要塞はなんのためにあんだよ」

「基本、グレーレ様の許可無く、好きには使えないんですよアレは」

 

 今はエクスからエンヴィーの様子を聴いているが、聞く限り、何年も前にウルが滞在していた頃と大差は無いらしい。閉鎖的な魔導機械の大国。西の端にあり、国同士の交流は少なく、変化も無い。

 

「ま、結局は【七天】のグレーレの為の国だろあそこは、あいつの都合のために回る国があいつの都合ナシに変わるわけがねぇーさ」

 

 不敬ともとれるブラックの発言にエクスは若干居心地悪そうにする。一応この世界で最も天賢王に近い七天に対するブラックの乱暴極まる言葉遣いにまだ慣れていないらしい。

 対して、そのことを全く気にしていない様子のロックははて?と首を傾けた。

 

『神殿の王サマ、シンラはなにしとんじゃい』

「神殿はグレーレが嫌いだが、エンヴィー神殿にグレーレをどうこう言える権力はなーい」

 

 ブラックはゲラゲラ笑いながら断言した。エクスは気まずそうだ。

 

『ほーん。そんな影響力があるのカの?』

「そりゃ勿論、あの国が持つ技術も、作るモノも、採掘するモノも、何もかもグレーレが関わっている。神殿は精霊の力を扱えるが、その精霊の力を効率化する都市基盤をつくり更新するのもグレーレだ!文句言えると思うか?」

『無理じゃな!』

 

 無論、その技術力は他の都市にも影響している。現存する全ての都市がグレーレの技術の恩恵を賜っていると言っても過言ではないが、特にグレーレの出身地はその影響力が一入らしい。

 

「しかもその影響を数百年受け続けたんだから支配系統はもーガッチガチよおー。長命種を政治に関わらせると碌な事にならんね!」

「それを年齢不詳のアンタが言うか……」

 

 ジャインはまるで他人事のように寿命格差の政治問題を語るブラックを呆れた顔で眺める。見た目だけならやはりブラックは若々しい。ヘタするとジャインよりも若く見える。だが最低でもこの男は100を越えている可能性がある。

 

「ブラックさんっておいくつなんです…?」

「25才!!」

「オッサンの過剰な見栄ってきっついな」

「やめろぉー!繊細な心を虐めんな!!」

 

 言動はちっともそんな風に見えるような男ではないが。

 

「これが名無しの大英雄か……」

 

 ウルも、ブラックの情報は断片的には知っているし、彼がウーガを訪ねると聞いてから彼の情報は幾らか仕入れた。あらゆる困難を率先して切り開き、様々な偉業を成し遂げた不屈の大英雄。その彼の情報と、実際の彼があまりに一致しない。残念極まる。

 そんなウルの内心を読んだのか、ブラックは顔を上げだらしなく笑った。

 

「黄金級の英雄がこんなんで残念かい?黄金目指してるって聞いたぜ?ウル坊」

「別に、他にも黄金級は知ってるが立派でも何でも無かった」

「あー、グレンのヤツか。お前のスタートはグリードだったもんな」

 

 ボリボリと自分の持ち込んだ漬物をくらいながらブラックはグレンの名を口にする。あの不良教官まで彼は顔見知りで有るらしい。どれだけ言動がいい加減でも、やはりその顔の広さは異様だった。

 今回の面子は全員個性的ではあるものの、やはり一番正体不明で興味深いのはこのブラックである。ウルは杯に残った酒を飲み干すと、試しに尋ねてみる。

 

「アンタはなんで黄金級になったんだ?」

「あ?流れ」

 

 流れで冒険者になった、という者は割と多い。が、流れで黄金級になったとぬかすのはこの男くらいだろう。

 

「……巫山戯てんのか?」

「俺は、本当に好きに生きていただけさ。やりたいことやって、気にくわないヤツを潰して、可愛い女の子はいただく。そうやってたら偶然、人類の益になっただけだ」

「存在が巫山戯てんだな……」

 

 そう結論せざるを得ない。

 刹那的な快楽主義者。ブラックからの手紙と彼の情報から推測したシズクのブラック観が的中していたという事だろう。分かっていたが、ウルが黄金級になるための参考にはなりそうに無かった。

 

「ま、俺みたいな化石のジジイの話なんて良いじゃねえか。それより今を時めく新進気鋭のヒーローの話を聞きたいねえ!」

『言われてるぞウル!カカカ!』

 

 ブラックがコチラにボールをパスして、ロックが煽った。ウルは顔を顰めて首を振った。

 

「俺の話なんてしたって面白くもなんともねえだろ」

「面白いかどうかは兎も角相当イカれた話にはなるだろうがよ。」

「断片的に君の経歴聞いてもなんでそうなったのかよく分からないんだけど?」

 

 ジャインとエクスに突っ込まれ、ウルは少し沈黙し、額を掻いた。

 

「……謙遜してるわけじゃ無いんだが、ここの所の人生の濃度が濃すぎて、自己認識と結果の乖離が激しすぎるんだよ」

『色々あったからのう』

 

 今のウルの自身に対する認識は、未だ、グリードでグレンに追いかけ回され、迷宮を走り回った頃とそれほど変わっていない。自信を付けても、それを上回る脅威や悪意に晒されて、へし折られてばかりだ。

 

「実際、俺の周りの方がよっぽど異常な奴らばかりだがな。魔術の天才、不死の戦士、白王陣の使い手、ウーガの支配者」

 

 此処までの旅路の中で起こった問題と、その解決はウル自身の力ではなく、仲間達の力があってなんとか乗り越えてきた事ばかりだ。

 ウル自身の実力をウルは正しく認識している。その戦闘力も、才能も、凡庸の域を全く超えていない。ディズの教えと自身の勤勉さのお陰で鍛錬だけは人一倍だが、それも努力家、くらいのものだろう。

 なにより努力は自分だけの特権では無い。

 

「俺は運と機会に恵まれただけの平凡な男だよ。俺以外の仲間の話の方がよほど聞き応えがあるだろうさ」

 

 ウルがそう断じると、エクスが苦笑いをして、ロックがゲラゲラと笑い、ジャインが度し難い者を見る顔でウルを睨んできたのが解せなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 それからも宴会は続いた。

 最終的に用意した酒をすっかり飲み干して、おつまみもすっかりと食い尽くして、いい加減に喋る内容も前後不覚な状態になりつつあった辺りで、お開きとなった。

 全員しっかりと酒を飲んだため、ロックなど鎧をスッカリ忘れて骨身のまま外をほっぽり歩こうとしたり、エクスが女装姿のままエンヴィー騎士団の駐屯地に戻ろうとしたので色々と始末が大変だった。

 

「……流石に眠いな」

 

 酔いにくいが酔わないわけではなく、そもそも今日は日中の仕事で疲弊していた。しかも今はお腹も膨れている。ベッドに潜り込めば即座に意識が途切れるだろうという予感があった。

 寝る前の身支度を手早く済ませ、水をがぶのみして、とっとと寝よう。

 と、ウルは自宅の扉を開けた。

 

「よお、お帰り。ダーリン。」

 

 そこに、何故か先に帰宅したはずのブラックが待機していた。

 

「……なんの用件で?」

「二・次・会」

 

 帰れや。

 と、言いたかったが、先ほどまでぐでんぐでんだった筈のブラックがすっかり素面に戻っていた。言葉だけは冗談めいていたが、その目にはなんら胡乱な所はなく、拒否を許さないという圧力が込められていた。

 

「早く寝てえ……」

 

 その願望は残念ながらもう少し先延ばしになるという確信めいた予感に頭痛がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

古参と新参

 

 ウル宅、屋上

 

「んんー夜風が気持ちいいなあ。スロウスじゃ、風なんてろくに吹かねえからよ」

「深い穴底の都市なんて、ガスが溜まって死んだりしないのか」

「勿論、浄化の遺物が設置してあるさ。ガスの中で生きられない奴ら用に、だがな」

 

 外に出たブラックは気持ちよさそうに伸びをして、柵にもたれかかる。そこから見える光景は他の都市と比べればまだ見通しは良い。通常の都市は、特に住宅街は高層の建築が多いものだ。安全で、しかも住まう場所から景観を楽しむ余裕がある場所なんてウーガくらいだろう。

 だからウルも、それなりにこの場所の景観を気に入っているのだが、残念ながら今現在は闖入者がいて、景色を楽しむ気にもなれなかった。

 

「なんの用か知らないが。互いに酒をしこたま飲んだんだ。日を改めた方が良いと思うが?」

「名無しのお前があれしきの酒で酔うわけないだろ?」

「名無し?」

「なんだ知らねえのか。名無しは大なり小なり酒に酔いにくい。精霊との関わりが薄いから、【酒の精霊バッカス】にも嫌われるんだよ」

 

 そういえば、子供の頃からウルの周りには酒が強い者が多かった。冒険者連中にもそう言う者が多かった。酒を飲み慣れているから、というのは勿論あったのだろうが、そう言う理由もあるというのは初耳だった。

 

「ま、すぐに酔えないからコスパ悪い上、臓器が強くなるわけでも無いからバカ飲みしたら身体壊すし、なあんにも良いことねえがな!」

「別に酔っ払うのが好きって訳でもないし、構わないが」

 

 自身の体質のどうでも良い謎の一つが解けたが、別に何が変わるというわけでも無かった。こんな話をしにきただけなら、やはりさっさと帰って欲しいのだが、ブラックの話はまだ続くようだ。

 

「最も、お前さんが酔いにくい理由は他にもある」

「他?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ブラックの視線は、ウルの右腕、黒睡帯の巻かれた竜の呪いに向けられた。反射的に腕を隠す。基本的に、竜の呪いは忌み嫌われる遺物。まして今のウルの右腕は大罪都市の王、シンラをも殺した呪いを秘めていることが判明した。

 あまりに目立つため、隠せるものではないが、しかしわざわざひけらかすものでも無い。まして目の前の男になどには。

 

「警戒すんなって。言っておくが今の俺は悪巧みをしに来たわけじゃねえ。珍しくな」

「じゃあ何の用だよ」

「アドバイスしにきたのさ。先輩としてのな」

「先輩?黄金級の先達としてってか?」

「そっちじゃねえよ。()()()だ」

 

 ブラックは不意に左腕を持ち上げる。そして裾を捲った、その下は獣人特有の真っ黒な毛並み――ではなく、

 

「【竜化現象】の先達のアドバイスだ。聞く価値はあるぜ?」

 

 黒く歪な、竜の鱗に覆われていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ウルは、屋上の扉を閉めて背中を預ける。どうも他人にあまり聞かれたい話ではなく、そして腰を据えて聞かなければならない話もであるらしい。

 ブラックはウルの様子を見て笑い、腕を戻し、語り始めた。

 

「前提として、【竜化】は呪いじゃねえ」

「……ディズは、呪いと」

「前例が超少ねえからな。【勇者】もそう診断するだろうさ」

 

 実際、ディズも前例が少なすぎて判断が出来ないとは言っていた。彼女でも判断に困る未知の症状であると。だからこそ、【黒睡帯】でまるごと覆う形で対処したのだ。

 

「だが、竜に関しちゃ俺の方が一日の長だ」

「その点では、ディズも異存はないだろうけども、じゃあなんでこんな腕になってんだ俺は」

「竜の【自己保全機能】だよ。お前が器に選ばれたんだ」

 

 ウルは理解するのに暫く時間が掛かった。

 

「それは、どういう意味だ……?」

「お前、大罪竜を殺しただろ。ほんの一部であっても」

 

 問われ、ウルは思い出す。ディズの手助けをするため、結果としてウルは大罪竜の討伐の一役を買った。竜を完全に殺しきることは叶わなかったが、その肉体を貫き、焼き、首を落とした。それは確かだ。

 

「竜は、自身の活動が停止する際、機能保全のために機能の一部を適当な器に譲渡する。これは竜の本能のようなもんだ」

 

 ウルの問いを無視して、ブラックは説明を続ける。

 淡々と、まるで報告書でも読み上げる学者のように。

 

「普通は魔物や同種の竜に対してコレを行う。ヒトに対してそれを行うケースはほぼない。竜からすればヒトは殺戮の対象だ。殺す相手に自分の一部を保管しようなんて思わないだろ?」

 

 だから、竜を殺せるような実力者、黄金級や歴代の七天でも竜化するケースは()()()()()()ほぼない。と、ブラックは笑う。

 

 ウルは、今語られた情報を飲み込む。何を言っているのか全く分からない、というわけではない。が、頭がぐらぐらしてくる。理解しがたいスケールの話の当事者に自分がなっていることが信じられなかった。他人の話を聞いているような気がしてくる。

 が、ウルの右腕が歪なのはまぎれもない現実だ。

 

「……すげえ俺の運が悪くてこんな風になったのはわかった。で、そうなると、どうなるって言うんだ」

「竜の器に選ばれたということは、その竜の代わりに、その役割を託されたということだ。悪感情を喰らう器。勿論肉体もその役割を担う為に変化しつづけていく」

 

 ブラックはウルを指さし、楽しそうに言った。

 

「お前はいずれ竜に至る」

「こぉーっわ」

 

 ウルからすれば全く楽しい話ではない。呪いではないという言葉に少し希望を持てた気がしたが、コレではまだ呪われていたといわれたときのほうがマシだった。

 

「ッハハハ、死にそうな顔するなよ。笑っちまうだろ」

「アンタの性格は本当に最悪だ」

「大丈夫だって安心しろよ」

 

 ゲラゲラとヒトの絶望面を指さして笑うブラックはシンプルに最悪だった。自身がいずれ世界の敵になる、などという情報の何処に安心できる要素があるのだとキレたかった。だが、ブラックは笑い続け、そしてこう言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………なんだって?」

 

 その言葉の意味をウルは問い直すが、ブラックは笑うだけだった。答える気は無いらしい。

 

「何も悪い事ばかりじゃないんだぜ?頑丈になるし、体の治りも早くなる。そもそも魔物を殺して、魔力を喰らうこと自体、バケモノに成るための行程だ。それがより特殊になるだけさ」

「そんな風に割り切れるもんじゃないとおもうんだがな……」

「竜化を止めたきゃ、その【黒睡帯】をキッチリ絞めておくんだな。直接の魔力吸収はある程度抑えられる。最適解は肉体の魔力吸収も抑えることだが……無理だろ?」

「……今は冒険者を止められない」

「難儀なことだな。同情するぜ」

 

 ブラックは再び大笑いする。本当に最悪な性格をしている。

 

「助言どうも。結局自身が今後逃げようが無いひどい目に遭うってのがわかっただけだったが、腹はくくれたよ」

「もっと感謝しても良いんだぞ?」

「……それで、俺をからかって満足したか?それなら今日はお開きだが」

「おいおい落ち着け、もう一つある」

「まだあるのか」

 

 もう既に大分いっぱいになっているというのに、これ以上情報を詰め込まれれば胃の中に詰まった肴を全部戻しそうだ。酔いもすっかり消え去ってしまった。早く終わらせてしまいたい。

 

「シズクちゃん。あの()()はお前の女か?」

「契約上、そうなるな」

「契約?」

「口約束だよ」

 

 大罪迷宮グリードで、ウルの意思を完全に無視した独断を赦して貰うため、シズクが交わした契約。数ヶ月経って、とっくにそれ以上の貢献はしているとウルは確信しているが、彼女はそれを今でも頑なに守っている。

 その関係を除けば、ウルとシズクの関係は冒険者ギルドの訓練所時代からの同期であり、それ以降ずっと組んできた相方だ。それ以上でも以下でも無い。

 

「じゃあ、頼みがあるんだがよ」

「なんだよ」

「あの女くれ」

「断るが」

 

 即座の拒否に、ブラックは噛みついた。

 

「なんでだよ!」

「人身売買だが???」

 

 拒否しないヤツは倫理観がおかしい。最近色々とあったが、他人の命をほいほい明け渡すほどウルはとち狂ってもいない。

 

「えーその方が良いと思うけどなあお互いに」

「人身売買の提案をお見合いみたいな言い方で進められても困るんだが」

「だってお前ほら、アレだぜ?」

 

 ブラックは笑う。笑って、ウルの肩に手を置いて、そして囁いた。

 

「あの女、どう考えてもお前の手には負えないだろ?」

 

 ウルはブラックを見る。彼は笑っている。巫山戯た笑いではない。コチラの心中を覗き見ているかのような、嘲笑だった。

 

「言っている意味が分からないが」

「分からないわけ無いだろう。お前だって理解してるはずだ。()()は異物だ」

 

 アレ、と指すのは勿論、シズクだろう。ヒトではなく、何か得体の知れない存在であるように、ブラックは彼女を指摘した。

 

「容姿もそうだ。能力もそうだ。性格もそうだ。普通は、彼処まで常識から外れる事なんて絶対にあり得ない。あの女はおかしいんだよ――」

 

 普通の、お前と違ってな。

 

 ウルも反論しない。彼の言うことは正しい。確かに彼女は異常だ。自分とは違う。

 並外れて優れている、というのではない。それならばおそらくディズの方が当てはまる。彼女は恐るべき実力者だが、その全てが地続きで、努力の果てに身につけたのだと近くで見ていればわかるのだ。

 だが、シズクは違う。そういうものではない。もっと別の何かだった。

 

「……それで、おかしいならどうだって言うんだ?」

「狂うぞ」

「何が」

「お前の運命が狂う。あの女の運命に巻き込まれる」

 

 運命。

 そんな不確かな言葉をブラックが使うのは何か冗談にも聞こえたが、口の両端はつり上がっているというのに、ブラックの目は何一つとして笑ってはいなかった。

 

「邪霊信仰の巫女、竜に対する特攻術式……そういう表面的な話じゃねえ。もっと根源的な話だ。このままだとお前、あの女の運命に()()()()()()()ぞ」

「……」

「既に半ば、そうなってる。今お前が立ってる場所をみろルーキー。数ヶ月前ただの【名無し】だったお前は今、何をしている?」

 

 ウルは今、邪教が生み出した前代未聞の移動都市の上に立っている。世界を揺るがすような驚くべき事変の中心地にウルは居る。あり得ないような話で、そして実際あり得ない事なのだ。

 普通、どれだけ幸運でも、不幸でも、こんな事にはならない。

 では何故こうなったか?様々な理由がある。多くの要因と、選択と決断をウルはしてきた。それらは全てウル自身が選んできたという確信はある。だが、その選択をするより前、その選択を強いられる岐路の前に立っていたのは――シズクだ。

 

「今はまだ立っていられている。だが、この先はどうだ?断言するが、あの女の運命はこんな所では終わらない。その先に、お前は無事でいられるか?」

 

 ウルはここの所ずっと思っていた。

 過分だと。

 幸いである事を重みに感じていたというだけの話ではない。もっと漠然と、今のウルを取り巻く全てを支えきれないと感じていた。どこかでいずれ破綻する。そんな予感があったのだ。

 それが今、ハッキリと言語化された。されてしまった。

 

「さっきも言ったぜ。これは互いのためだ。あの女だってお前がズタズタになって死ぬことを望むわけじゃ無いだろう?お前だって死にたくは無いはずだ」

「……」

「手放しとけよ。精霊憑きの妹との幸せを望むにしても、あの女は重すぎる」

 

 憎たらしい程に、彼の言葉は優しかった。ウルを真摯に気遣ってくれているのだと、そう錯覚してしまうほどに。そして何より、その気遣いが邪悪な目論見であったとしても、彼の語る言葉は一定の真実をついているのもまた事実だった。

 故に、ウルは安易には言葉を返さず、瞑目し、言葉を選んだ。

 ブラックの手を振り払い、彼と向き合い、その言葉を口にする。

 

「断る」

「死ぬぞお前」

「侮るなよ。コッチはとっくに腹に決めている」

 

 ウルは両足を踏みしめ、ブラックを睨んだ。コレは戦いであると理解した。

 この場所で腰がひけて逃げ出した瞬間、全てを失いかねない岐路であると確信した。

 

「あの女の所為で自分が死んだって構わないと?」

「あの女の所為?巫山戯るなよ」

 

 闇夜のなか、真っ黒な毛並みを靡かせるブラックの姿は、実像よりもずっと大きく見える。それはウル自身が抱えた畏れや不安の具現に思えた。故に、絶対に退くわけにはいかなかった。 

 

「何故、俺の運命の責任をシズクにくれてやらなきゃならない」

 

 彼女と契約を交わしたとき、これはウル自身が決めたことだった。

 

「俺が死ぬのは俺の選択と決断で、俺の責任だ」

 

 妹を救うのも、シズクに手を差し出すのも、全ては己のエゴであると。

 

「全ては俺のものだ」

 

 だからこそ、後悔はしない。今更この道を躊躇わない。彼女のことを畏れない。その果てに死んだとして、あるいは死ぬより苦しい定めがあったとして、そうなることを選んだのは自身である事から目を背けたりは断じてしない。

 

「お呼びじゃねえんだよ。すっこんでろロートル」

 

 無意識の奥底にあった不安は晴れた。

 対峙していたブラックは、得体の知れない雰囲気を不意に解いた。そして、堰を切ったように笑い出した。

 

「ハッハハハハッ!いやあ面白いなあウル坊」

「俺は面白くねえよブラック」

「俺は面白い。いやいや、さっき言ったこと、訂正するわ」

「さっき?」

 

 なんのこっちゃと首を傾げるウルを、ブラックは愉快そうに指さした。

 

「お前()()じゃないわ」

「……滅茶苦茶失礼なことを言われている気がする」

「全く、俺としたことが野暮なこと言っちまったもんだ。こんな奴ら下手に介入するより、外から突っついていた方が絶対面白い!」

 

 やはり、無礼極まることを言われている気がする。

 ウルが睨んでいると、察したのかブラックはまた笑ってる。

 

「悪い悪い。じゃあサービスだ。何か聞きてえ事があるなら言ってみろよ。なんだって良い。答えられる内容なら答えてやる」

 

 何なら3サイズでもいいぜ。とブラックは両手を広げた。

 本当に3サイズ聞いてこの会話をお開きにしてやろうかとも思ったが、ここまで彼の会話劇に我慢して付き合ったのだ。此処まで来たなら、何かを得たいと欲張ってもバチはあたるまい。

 しかしそうすると何を尋ねるか、ウルは少し考える。ヘタにスケールが大きいことを質問しても、曖昧な答えが返るだけで、なんの利益にもならない気がする。さりとて、折角この得体の知れぬ男に質問できるというのに、小規模な事を尋ねても意味が無い。

 

 そうやって考えて考えて、ふと思いついた。

 

「現実的な問題として、この【竜吞ウーガ】をグラドルは、俺達は、保持できると思うか?アンタの私見を尋ねたい」

 

 その問いを、ブラックは予想していたのだろうか。驚くこともせず、悩むことも無く、一言で彼は断じた。

 

「――――無理だな」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 ウル宅 寝室

 

「…………疲れた」

 

 ウルは、肩をがっくりと落とした。飲み会をしただけなのに、何故にこんなにも疲れ果てなければならないのだろうか。

 

「もう、今日はさっさと寝よ――」

「ウル様」

「うぉあ!!?」

 

 魔灯も点いていない寝室の影から突如として飛んできた自分以外の声にウルは飛び上がった。が、よくよく聞けば、聞き覚えのある声だ。

 

「シ、ズクか?」

「はい」

「何なんだ。他人の家に不法侵入することが今の流行なのか…?」

 

 嫌な流行だ。とウルは呻くが、シズクは反応が無かった。何なんだと思っていると、彼女はウルの手をそっと握る。ウルが彼女の挙動に首を傾げていると、シズクが一歩近付いた。

 

「ウル様」

「なんだ」

 

 尋ねるが、返事が無かった。距離が近いだけである。表情から読み取れるかとも思ったが、まったくの無表情で、全く読み取れない……と、思ったが、その何もかも削げ落ちた様な表情には覚えがあった。

 先ほどまで誰と話していたか、彼女の表情、そして手を掴んで離さない縋るようなその仕草、ウルはそれらを踏まえ、疲れ果てた頭を回して、言葉を作った。

 

「……別に、ブラックにお前を明け渡す気は無いぞ」

「そうですか」

「そうだよ」

「そうですか……」

 

 シズクはゆっくりと顔を俯かせて、黙った。おそらく安心したものと思われる。

 何時からこの家に侵入し、どこからブラックの存在を察知し、何時からウルのことを黙って待っていたのか。色々と突っ込みたいことはあるが、要は不安であったらしい。取り繕った聖女の面が外れて、素が出るほどに。

 今の彼女はおそらく安堵している。が、しかしまだ手を離してくれる様子はない。

 

「シズク、俺は今日は疲れた」

「はい」

「眠りたいんだが」

「はい」

 

 手を離してくれる様子はない。

 

「寝るか……」

「はい」

 

 ベッドに潜り込むと、シズクはついてきたので、ウルはそのまま黙って寝た。背中から暖かい温もりがくっついてきたが、あまりにも疲労していた所為だろう。間もなく眠りに落ちた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真なるバベルと天賢王

 

 イスラリア大陸、大連盟盟主国、【大罪都市プラウディア】

 

 イスラリア大陸の大罪都市は様々な特色と独自の繁栄を築いている。だが、神官達も、都市民達も、外から流れ着く名無し達に至るまで、「この大陸で最も人類が繁栄した場所はプラウディアである」と口にする。

 

 理由は幾つもあるが、その最たるものとして上げられるのは、【太陽の結界】だろう。

 

 全ての神殿、全ての都市に与えられる魔を退ける強靭無比な結界。太陽神が与える最大の加護。迷宮と魔があふれ出したとき、人類がその生存圏を完全に損なわずに済んだ最大の盾。

 プラウディアを覆うその結界は、イスラリア大陸で最も強固で、そして”広い”。

 

 プラウディアには衛星都市も、生産都市も無い。何故なら必要としないからだ。巨大で、圧倒的な結界が、現在のイスラリア大陸の都市を構築するために必要な要素を余さず覆い尽くしている。

 わざわざ主星と衛星都市を分けて、魔物のリスクを分散させる必要性など無いのだ。

 

 通常のソレと区分するために呼ばれた呼称が【天陽結界】。

 神の慈悲、天賢王の膝元でのみ可能となる、最強の結界。

 

 土地の制限も少なく、それ故に人口も全ての都市国のなかで最も多い。魔物に侵略される危険性も極めて少なく、それ故に多くのヒトが集まる。必然的に大陸中で培われた技術も文化も、全てはプラウディアに集約するのだ。

 

 故に、プラウディアに暮らす者は言う。「此処に存在しないモノは無い」と。

 グリードの繁栄も

 ラストの探求も

 グラドルの豊かさも

 エンヴィーの絡繰りも

 スロウスの妖しき輝きも

 今は亡きラースの神秘と祈りも

 全てがプラウディアには存在している。

 それこそがプラウディアの住民にとっての誇りであり、当然でもあった。彼らの大半は、自身の居るこの場所こそが世界の中心であると自覚無くとも確信していた。

 

 だがそんな彼らの自信と誇りは、この日、少しばかり傷つけられる事となる。

 

 【竜吞ウーガ】

 

 プラウディアの誰もが見たことがないような、超巨大なる移動都市を前にして。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【大罪都市プラウディア】領外、天陽結界領域前にて

 

『っかー。すごい人集りじゃのう』

《みーんなひまねー》

『ま、そりゃ一目見に来たくもなるじゃろ』

 

 ロックとアカネはウーガ後部からプラウディアの方角へと視線を向けていた。

 彼らの前には、偉大なるプラウディアの大結界、【天陽結界】の輝きが見える。まだ、ウーガの位置からは大罪都市プラウディアは遙か遠い。だが結界は都市部でもない、防壁も無いこの場所を既に覆っていた。

 その結界の前に、多くの都市民達が集まり、結界越しにウーガを眺めているのだ。

 

「都市の外まで出て、ご苦労なことだ」

 

 その隣で、ウルもその様子を見学している。向こうにとってウーガは物珍しいものかもしれないが、ウル達からしても、彼らの様子は珍しい。いくら【天陽結界】の内側とはいえ、都市の外にこれだけのヒトが集まるという状況はあまり見たことがなかった。

 

『魔物とか、怖くないんかの』

「怖くないんじゃないかね。【天陽結界】は通常都市を覆う【太陽の結界】よりも更に強い。魔物の進行を阻むだけじゃ無くて、そもそも寄せ付けない」

 

 ヒトの気配が多ければ多いほど、魔物は集い、そして攻撃してくる。しかしウーガを見物に来ている都市民達は百人を優に越えている様に見えるが、結界の外に魔物の気配は無い。

 ウーガの圧も勿論有るだろうが、都市民達が信頼するのは結界の力であり、それを成した【天賢王】の力だろう。

 

『そんなすんごい王サマんとこに、挨拶に行って大丈夫なんカの?』

「知らん」

『おうい』

「ここの所ドタバタしすぎて腹をくくるヒマも無かったんだよ」

 

 ウルは若干投げやりだった。開き直っているとも言う。

 「プラウディアで発生する問題対処による実績作り」というブラックからの課題をこなすにあたり、まず前提としてウル達は【天賢王】への謁見が必要となった。ディズ曰く、【陽喰らいの儀】に参加するならば、王の許可は必ず必要になるらしい。

 そして彼女のツテと、更にエンヴィー騎士団を通した【天魔のグレーレ】のコネを利用し、かなり強引にウル達は天賢王に謁見できる事になった……が、

 

「正直、多忙極まるらしい天賢王の謁見スケジュールをゴリゴリに割り込むとかその時点で印象最悪だし今更何をどう取り繕えってんだかハハハハ」

《にーたんだいぶまいってんなー》

 

 通常、天賢王に謁見を求めるなら遅くとも数ヶ月前、通常なら年単為で事前に申告し、順番を待つのが当然のことであるとはディズから聞いている。そこを割り込んだのだから、印象が良くなっていたら奇跡だろう。

 移動の間はなるだけ忙しくして、考えないようにしていが、いざ謁見が近くなると、自分の場違い感と不安がウルの神経をゴリゴリに削っていった。

 

「ま、安心して、とは言わないけど、事情の説明と交渉は私とラクレツィアがやるからさ」

「ほんと、頼むからな。ディズ」

 

 ウルの背後から、正装をしたディズが姿を現す。久しぶりの帰郷であるらしいからなのか、格好も気合いが入っている。化粧もしっかりと決め、一段と凜々しく見えた。こんな状況で無ければ世辞の一つでも投げていただろうが、今は縋ることしか出来なかった。

 ラクレツィアも既に現地入りしている。ウーガの実情を説明する上で彼女もまた必須だった。

 

「元々、グラドルの新たなるシンラの報告は必要だったし、そのついでになるんだからそこまで割り込みになるわけじゃ無いよ。ウルは兎に角、頭を下げておくことだね」

「だったら俺は本当に何も言わず頭を下げておくからな」

 

 黙って責任の全てを託していいのなら喜んでそうするつもりである。天賢王の覚えめでたくなろうなどという色気など微塵もない。何事も無くやり過ごす気満々だった。

 

「ただし、【天剣】には十分に――――」

 

 と、ディズが何かの忠告を告げようとしたその時だった。

 

『…………ぬ!?』

《んにゃ!?》

 

 空気が一瞬凍り付くような冷たさに覆われた。ロックもアカネも気がついたのか、飛び上がるようにして警戒する。ロックなど、剣の柄に手が伸びていた。

 凍り付くような気配が、徐々にウーガの尻尾を上ってくる。それが魔物などではなく、ヒトの気配であると気がついたのはその時になってだった。ヒトが起こしたとはあまりに思えぬ空気の重さだった。

 

 馬車にも乗らず、従者も引き連れず、単身で現れたのは濃い蒼髪を短く揃えた獣人だ。

 天陽騎士の鎧を身に纏った少女。ヘタするとウルと同じかそれ以上に若い。しかし、その彼女から放たれる気配は、あまりにもその見た目の愛らしさにそぐわない。

 少女はウル達を見やるなり、小さく鼻で笑ってみせた。

 

「天賢王様の謁見に無理矢理割り込んできたクセに、随分と貧相なお出迎えですね【勇者】」

「やあユーリ、久しぶり。元気してた?」

「貴方が王のスケジュールをガタガタに荒らして護衛の配置を滅茶苦茶にするまでは元気でしたよ。死んでください」

 

 そう言うや否や、【天剣】ユーリ・セイラ・ブルースカイは剣を抜いた。

 本当に、頭を下げて平伏していたら上手くいくんだろうな、と、ウルは内心で悲鳴を上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真なるバベルと天賢王②

 

 それは一瞬の出来事だった。

 

「少しはマシになったと思ったのですがね、未熟者」

「……やあ本当に、相変わらず強いね」

《んにゃああ……》

 

 ウルの目の前でディズが地面にたたき伏せられ、剣となったアカネが転がっている。そしてディズを【天剣のユーリ】が足蹴にしている。

 

 何故こんな有様になっているのか、目の前でその様子を見ていたはずのウルもよく分からなかった。

 

 ユーリが引き抜き構え、ディズがアカネを引っ掴むようにして剣に形を変えさせて同じく構えた。間もなく二人が消え、幾重もの金属の重なる音が連続して鳴り響き、そしてこうなっていた。

 

「精々、自らの立場を弁えるとよいです。七天の末席として貴方が何をしようと興味ありませんが、王の手を煩わせることは断じて赦さない」

「次からは気をつけるよ。本当にありがとう、ユーリ」

「貴方の感謝は安いんですよ。ディズ」

 

 そう言って罵りながら彼女はディズの上から退いた。剣を戻すと、そのまま彼女は周囲をじろりと観察し、そしてウルの方へとやってきた。

 

「貴方が【歩ム者】のウルですか。」

「……お初にお目に掛かります。【天剣のユーリ】様」

「貴方が本当にウーガを解放したのですか?まだ子供ではないですか」

 

 自分よりも低身長で愛らしい彼女から言い放たれたその言葉に、色んな感想が渦巻いたが、しかしそれを迂闊に口にした瞬間剣が閃くことがわかっていたのでウルは全力で口を閉じた。背後でロックが何か言いたげだったので黙れと念を送った。

 

「貴方にも忠告しておきます。我らが王、太陽神の代行者、【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス様の責務は重い。この世に溢れた悪竜とその下僕どもを封じるため、世の秩序を維持するために彼が払う労力は我々凡俗には計り知れない」

「はい、承知しております」

「故にあの方の手を煩わせるものは誰であろうと決して許さない」

「はい、承知し――」

「なのでこのような意味不明な玩具を持ち込んで不必要にあの方の仕事を増やした貴方を許しません」

 

 詰んだじゃねえか。と、ウルはディズに視線をやったが、彼女は両手を軽く挙げた。お手上げと言うことらしい。勘弁して欲しい。

 剣は抜かれていないはずだ。まっすぐに睨んでいるだけだ。しかし、まるで剣が心臓に突きつけられているような異様な圧迫感があった。ウルは冷や汗が噴き出すのを感じた。

 

「本来ならば、磔刑もやむなしの重罪です……が」

 

 しかし不意に、その圧迫感は消え失せる。

 

「ウーガにて、邪教徒どもに捕らえられた無辜の者達。彼らを救う一助となった功績に免じ、許します。次は無いと思いなさい」

 

 そう言ってウルに背を向けた。ウルはへたり込みたくなるのを抑えるのに必死だった。

 

「本日、天賢王に謁見予定の者は付いてきなさい。【真なるバベル】へと移送します」

 

 そして嵐は過ぎ去った――――と、言いたいが、嵐はまだ全く終わっていないし、むしろ始まってもいない。まだ準備段階でしかない。これから彼女に嵐の中心部へと誘われるかと思うと、ウルは滅茶苦茶に気が重かった。

 

「……うん。相変わらず剣を抜くの早いけど、今日は大分機嫌が良いね」

「うそぉ!?」

 

 そしてディズの指摘に耳を疑った。

 機嫌が良い、というのは間違ってでも挨拶と同時に剣を引き抜いて、同僚をボコ殴りにするような状態ではない。絶対違う。

 

「ほら、耳ぴこぴこしてるでしょ。アレ機嫌が良いんだよ」

「ウッソだろ……」

「クラウランの協力で、ヨーグの被害者を助ける目処が付いたのが効いたね。グラドルの不正問題で助けを求めてる人々の事、気に懸けていたみたいだったから」

「それは、じゃあディズの功績じゃないか」

「私に対しては素直になれないんだよ。ツンデレだからね」

 

 ツンがあまりにも強すぎやしないか?

 と、言いたかったが、開幕地面に顔を付ける羽目になった彼女の機嫌が良かったので、ウルは何も言わないことにした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 プラウディアに用意された護送用馬車は、王城への護送用のものであるからか、豪華絢爛な作りだった。太陽と、それに連なる四元の精霊達の紋様が刻まれたそれは、神の居城へと乗り手を運ぶに相応しい威風があった。

 中も広い。拡張魔術も勿論施されているのだろうが、単純に作りが良いのだろう。十人以上が乗り込んで尚、手狭に感じない心地の良さだった。

 ウル達は現在、その馬車に運ばれてプラウディアの領内を移動中だ。

 此処はまだ都市の外だが、【天陽結界】の内側ではある。当然魔物の気配は無く、馬車の窓からはのどかな光景が続いていた。

 しかしその光景を眺める余裕は無かった。

 

「事前、人数を絞るように伝えていましたが?」

「ゴメンってユーリ。これでも絞ったんだよ」

 

 天剣ユーリの小言に勇者ディズはなんども謝った。

 確かに馬車に乗り込んだ人数は些かに多かった。

 

「申し訳ありません。ディズ様のお世話係として、同行しないわけにはいきませんので」

 

 まず勇者ディズ、彼女のお付きのジェナがいる。

 

「貴方は構わないですよ。ジェナ。精々うだつの上がらない主の世話をなさい。ですが」

 

 そう言って彼女はその隣り、ウル達、【歩ム者】を睨む。

 正確に言うと、ウルとエシェル、そして二人に同行する形で来たシズクを睨んでいる。

 

「ギルド長と、カーラーレイ一族の生き残りについてはまあよいです。貴方は何ですか?」

 

 追求の言葉も、探るような視線も冷たく、鋭かった。【天剣】と【天賢王】から与えられた名の通り、彼女の一挙手一投足が刃のようだった。しかし、相対するシズクは笑みを崩さず、ユーリに頭を下げる。

 

「シズクと申します。【歩ム者】のギルド長補佐として働かさせていただいています」

「来訪者の人数が増えればそれだけ守護を担う天陽騎士らの人員と労力は増します。貴方はどうしても必要なのですか」

「ウーガの構成手順、現在の状態、レイライン様の【白王陣】の影響など、様々な説明補足を行う為です。どうかご理解くださいまし」

 

 本来であればリーネも来て貰った方が良かったのだが、人数を絞ることを考慮し、総合的にウーガを見回り、全てに等しく関与し【白王陣】への理解も一定以上有るシズクが選出された。

 ”と、言うことにしている”。

 彼女にはもう一つ、此処に立つ理由がある。それ故に、白王陣の有用性を天賢王の前で説くと意気込んでいたリーネを説き伏せて、代わりに此処に居る。

 

「……まあよいです。余計なことは口にしないよう、問われたことのみを答えなさい」

 

 ユーリは忠告を告げる。

 

()()()()()()()()()()

「は?」

 

 シズクの次の言葉に、一転して空気が凍り付いた。同時に、瞬く間に抜き去られた剣がシズクの首の前に突き出される。切っ先が僅かに喉に触れている。このまま僅かでも前に突き出せば、馬車の中が鮮血に染まるだろう。

 シズクは、その状態でも尚、笑みを絶やさず、殺意を向けてくるユーリに微笑みかけている。ユーリは、直接その殺意が向けられていないウルですらも圧し潰れてしまいそうなくらいの圧を放ちながら、シズクに詰問する。

 

「王の手間を増やす者は許さないと言ったはずですが」

「私にも使命がございます。その為、この機会を逃すわけにもいかないのです」

「”邪霊の巫女の嘆願”など、くだらない真似に時間を取らせろと」

 

 事前に、シズクの事情は聞いていたのだろう。ユーリの言葉は鋭く的確だ。

 シズクが此処に立つ理由は、まさにそれだ。彼女が最初からウルに提示した目的。邪霊として忌み嫌われた自身が信仰する精霊の名誉回復。天賢王と直接相まみえるこのタイミングは、その絶好の機会だ。見逃す理由は彼女には無かった。

 そんなシズクの使命をユーリはくだらないと切って捨てる。だが、シズクはそれでも尚、微動だにしなかった。

 

「はい。どうかよろしくお願い致します」

「殺します」

「全てが終わった後であれば、どうぞ」

 

 空気は完全に凍り付いていた。ウルは何とか彼女の助命を嘆願しようとも思ったが、情けないことに指一本動かせず、声も発すことが出来ない。

 【天剣】のユーリの殺意は本物だ。半端な脅しでも何でも無く、必要であれば馬車の中を血の海にするだろう。一体何がその一押しになるか分からない状況で、対面する両者以外はマトモに動ける者は”一人を除いて”居なかった。

 

《シズクいじめたげんなよー!》

 

 それを打ち破ったのは、この馬車の最後の乗客である、アカネだった。

 

「アカネ……!」

 

 心の中で悲鳴を上げながら、彼女を回収しようとするウルだったが、アカネはふらふらと【天剣】のユーリの前に飛ぶと、ぺしぺしと彼女の鼻を叩いた。ウルは死にそうな気分になった。隣りに座るエシェルなどウルの手をものすごい力で握っている。気持ちはとても分かる。

 

「……勇者からの報告にあった、精霊憑きの少女ですね」

 

 鼻をぺしぺしされ続けているユーリは、アカネをジッと見つめる。そして暫くした後、その剣をゆっくりと収めた。

 

「世界の理の一端たる彼女に感謝なさい。ですが、王に不敬を働こうものならばその首を落としますのでそのつもりで」

「ありがとうございます。アカネ様も、本当にありがとうございました」

《いいってことよー》

 

 絶対零度のようになっていた空気が元に戻った。ウルは隣りに居るエシェルと共に小さく深く息をついた。心臓が確実に縮んだ。

 

「皆様、プラウディアが見えて参りました」

 

 空気を切り替えるためだろうか。ジェナが不意に窓の景観を指して言う。

 自然と、全員の視線が外へと向けられる。整備された路面を走る馬車の窓から、プラウディアの光景が見える。高く、美しく真っ白な防壁。大罪都市としての形状は他の都市と変わらない。だが一点、他の都市に見られないものがこの都市の外からも眺める事ができた。

 

 それこそが、プラウディアの中心地、天賢王が在る高き城。

 【真なるバベル】。これからウル達が向かう場所である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真なるバベルと天賢王③

 【真なるバベル】

 

 唯一神ゼウラディアと、初代【天賢王】が制約を交わすために建造されたこの世界で最も高い建築物。プラウディアで太陽を見上げれば、自然とバベルを見上げる事となる。

 

 太陽はバベルへと昇り、そしてバベルから沈むのだ。

 

 神殿としての役割も果たすこの聖なる塔に都市の民達は祈りを捧ぐ。今日までの平穏を感謝し、明日がまた続くようにと。その祈りを力とし、天賢王は神に授けられた権能を振るい、【大連盟】の都市へと結界を紡いでいく。

 

 プラウディアの中心というだけでなく、【真なるバベル】は世界の中心であり、要だ。

 

 その機能故に、バベルに立ち入れる者は少ない。プラウディアに住まう民達すらも許可無ければ立ち入ることも叶わない。名無しであれば尚のことだ。

 【太陽祭】などの祭事などであれば一部を都市民達に分け隔て無く解放されることはあるが、普段のバベルの扉は決して軽くは無い。

 

 そのバベルの塔の中に、ウル達はいた。

 

「……流石に、緊張するな」

 

 当然のことながら、ウルは【バベル】の中に足を踏み入れるのは初めてだった。

 放浪の中、世界の中心地たるプラウディアには必然的にそれなりの期間、滞在していたものの、バベルは遠く見上げ、祈るだけの存在だった。

 内部はどうなっているんだろうか。という妄想は子供の頃働かせたことがある。顕現した精霊達が飛び交っているのだとか、沢山の、とても偉い神官達がなにやら重要そうな会議をしている様子だとか、高い【バベル】の内部に存在する無限に続きそうな階段だとかをぼんやりと想像して、面白がっていたものだった。

 

 そして今実際を見て、それらの想像がまったくの的外れであったと知った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 広く、長い通路が何処までも続いている。【バベル】は世界で最も高い塔であるが、使用している面積はそれほど広くは無かったはずだ。であるにも関わらず、平面の道がどこまでもどこまでも続いている。そして何より――――

 

「……ヒトがいない」

 

 ウル達以外、見渡す限り人影というものがなかった。

 

「此処は神官の執務や祈り、精霊の力の行使の場所じゃ無いからね。別の空間にいるよ」

「空間」

「【バベル】の仕組みについて説明すると1日が終わるから機会があればね」

 

 もし丸一日かけて丁寧に説明して貰っても何も分から無いだろうな、という自信がウルにはあった。なので理解は諦め、一同と共に足を進め、その様子を確認した。

 

 間もなくして、通路の先に、巨大な扉が現れる。通路と同じ真っ白な扉。しかしなんら示威的なものなどないのに、まるで巨大な魔物と対峙したときのような、身体が本能的に逃れようとするような気後れした感覚をウルは味わっていた。

 

「来ましたね」

 

 そして扉の前には、先に到着していたグラドルのシンラ、ラクレツィアが護衛の天陽騎士達と共に待っていた。シンラといえど知った顔にウルは少し安堵を覚える。エシェルも同じだったのだろう。少し早足になって彼女に近付いた。

 

「ラクレツィア様。半月ほどぶりです」

「ええ、エシェルさん。他の皆さんも……全くここまで大所帯で【天賢王】に挨拶することになるとは思わなかったわ」

 

 やれやれ、とそう言うように笑うラクレツィアは変わらない様子に見えた。が、笑みを浮かべようとした口端が、正しく動かなかったのだろうか。ピクリと僅かに痙攣したのをウルは見た。

 彼女を護衛する天陽騎士達も、表情はいつも以上に硬い。他の国のトップですらも、この場には緊張を強いられるものなのだ。

 

 ウル自身はと言えば、最早自分が緊張しているのかなんなのかもよくわからなくなっていた。目の前の光景自体が現実的でない所為か、悪い夢でも見ているような気分だ。

 そんな中、ユーリは扉の前に立つ【バベル】を守護する騎士達に目配せする。彼らは頷き、扉の前から退く。白の扉は誰かが手を加えること無く、ゆっくりと開いていていく。

 

「これより天賢王との謁見を開始します。決して失礼の無いように」

 

 間もなくして、扉から放たれる光にウル達は包まれた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 真っ白になった視界が晴れていく。同時に、ウルは自分が居る場所が、先ほどの真っ白な通路とは別の場所に切り替わっていることに気がついた。

 

 高く、広い天井。天陽の紋章。それに従ずる精霊達の姿が刻まれてる。

 その意匠は壁まで続く。この世を満たす膨大な精霊を余すこと無く描くように。

 窓からは外の景観が見える。遙か高くから見下ろすプラウディアの街並みが見える。

 真っ直ぐに伸びる幾つもの柱。並び立つ天陽騎士達。

 そして、ウル達が立つ場所から真っ直ぐに紅色の道は伸びて、その先に玉座が一つ。

 

 そこに座る男こそが【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス。

 この世界の支配者だ。

 

 金色の髪。全身からエネルギーを放つかのような精悍な容姿。最高位の法衣を纏う姿は神々しい。唯一神を差し置いて神々しいなどという表現は、本来であれば不敬であるが、彼の身はそれを許される。彼は神の代行者であるからだ。

 

 そして、彼の隣りにもう一人。彼を補佐するように立つ子供の姿。

 

 白い髪、白い肌、白い法衣。そして黒い帯で両目を覆った子供。性別は一見して不明。【天祈】スーア・シンラ・プロミネンス。【七天】の一角、【天賢王】の肉親が静かにたたずんでいた。

 ウル達と入れ替わるように、神官達が去って行く。そしてそれを確認し、【天祈】はウル達へと、隠された視線を向けた。

 

「次」

 

 拡声の魔術も使ってはいない筈なのに、高く遠くに在る【天祈】の声は高く響き渡った。ユーリを先頭にウル達は天賢王の玉座の前まで進み、そして全員膝をつき、頭を伏せた。

 まずはユーリと、そしてディズが前に出て口を開く。 

 

「【天剣】ユーリ・セイラ・ブルースカイ。グラドルの新たなるシンラとウーガ解放の貢献者達を連れて参りました」

「【勇者】ディズ・グラン・フェネクス。ウーガの動乱を制圧し、また、邪教徒の一人であるヨーグを捕縛し、帰還しました」

「ご苦労」

 

 そこで【天賢王】が初めて口を開く。【天祈】の声音は清らかな鈴のようだったが、天賢王の声は深く、重く、地面を伝い相手の身体の芯まで震わせるような声だった。

 彼に直接ねぎらわれたディズとユーリは下がる。そのときユーリはほんの僅かに耳がピクリと動いていた。嬉しいんだろうなあと、ディズに言われたことを思い出したが、気を逸らしている場合ではない、と引き締める。

 

「では、グラドルの新たなるシンラ、面を上げ、陳情を述べよ」

 

 再び【天祈】が言葉を言い放つ。ラクレツィアが顔を上げた。

 

「新たなるシンラとして、グラドルを請け負うこととなりました。ラクレツィア・シンラ・ゴライアンで御座います。本日はその報告と、挨拶に参りました」

「聞いている。カーラーレイに代わり、神と精霊とヒトを繋ぐシンラの役割を果たせ」

「承知致しました。」

 

 それはあまりに短い挨拶だった。

 ウルが想像していた様な高位の者達同士の、様々なしきたりに沿った儀式めいた言葉のやり取りなど微塵もない。驚くほどに効率のみを重視している。それとも”らしいしきたり”など無しでも、この場と当人が放つカリスマのみで、王の威厳は保たれると確信しているのか。

 

「次いで、先に邪教の者との騒乱の末に変容した衛星都市ウーガについてなのですが」

「其方も聞いている。好きにせよ」

「好きに……とは」

 

 が、次の言葉はあまりに端的が過ぎて、ラクレツィアも戸惑った。天賢王は言うべきを言ったというように続けて言葉を発することもなく、しばし気まずい沈黙が流れる。すると隣りにいた【天祈】が囁くように

 

「王」

 

 とだけ口にした。

 それが不備の指摘であるというのはウルにもわかった。天賢王もそれを理解したのだろう。しばらく瞑目し、再び口を開く。

 

「――――ウーガは衛星都市として不適格とする。神殿の建設を認めず、太陽の結界も与えない。故にウーガはグラドルの純粋な資産となる。ウーガの扱いにプラウディアは関与しない。大連盟の法に沿った運用を心がけよ」

 

 今度は一気に情報が増えた。

 一瞬、ウルも混乱したが、彼の言っていることは概ね、あの裁判の最中にブラックが証した情報に沿っていた為、飲み込むことは出来た。ウーガはやはり、都市にはならない。そしてそれ故に、幸か不幸か最後の結論は生きることになる。

 

「【天魔】のグレーレ様についても、干渉は彼個人のものであるという認識で良いですか」

「そうだ。【天魔裁判】の結果についても聞いている。【陽喰らい】への助力を許す」

「王!」

 

 と、そこで口を挟んだのは、【天剣】のユーリだった。彼女は姿勢を崩さぬまま、しかしハッキリとした拒絶をウル達にぶつけた。

 

「彼らを【陽喰らい】に参加させるのですか!?彼らの目的は王への忠義でも、世界の守護を果たさんとする使命でも無く、単なる実績作りなのですよ!?」

 

 彼女もどこからか、【天魔裁判】の顛末は聞いていたのだろう。

 

「しかも、それを最終的にプラウディアに誘導したのは()()ブラックです!!碌な事にはなりません!」

 

 【天剣】にすら()()呼ばわりされているブラックが果たしてプラウディアでどういう扱いなのか気になった。

 そして彼女の意見には同意したいが、今回は退く気はなかった。【審判の精霊】の強制力もあるが、ウーガという居場所とそこに秘められた価値を見過ごす選択を取らないとウル達は決めている以上、ブラックの提案はろくでもなくても飲むしか無いのだ。

 

 例え、陽喰らいの儀式が如何様なものであっても、だ。

 

「有能な神官も、希望する者は参加を認めている。戦力は幾らあっても余ることは無い。目的がなんであろうと問わない。」

「しかし……」

 

 そう言って、ユーリはコチラを睨み付ける。だがそれは侮りではないとウルは感じた。その言葉と視線に混じる感情はもっと純粋な―――哀れみだった。

 

「邪教の謀りごとで呪われし都市を解放し、更にはそれを竜に抗う力とできるというのならやってみると良い。【陽喰らい】での貢献は”黒”の言うとおり、ウーガを征した証となろう」

 

 ただし、

 

「ウーガ()()()()に全てを失う覚悟を忘れぬ事だ」

 

 その警句は、【天賢王】の言葉のなかでも最も重く、ウル達に降り注いだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真なるバベルと天賢王④

 

 その後、ウル達はウーガに対する幾つかの情報をその場で説明を行った。

 

 現場にいるエシェルとウル、シズクはそれぞれ、ウーガの詳細を説明する。繰り返し説明の練習をしていた為淀みなくそれは行われた。肝心の天賢王は、あまり興味の無いような反応だったが、【天祈】とは別に側に控える記録係が猛烈な速度でウル達の説明を書き込んでいたので、意味はあっただろう。

 

「語るべき全てを語ったのであれば、下がれ。次の者を呼ぶ」

 

 天賢王の言葉に、ラクレツィアは確認するようにそっと視線を送ってきた。ウルは問題ない、と言うように頷いた。少なくともウーガ関連においては、聞くべき事の全ては語ったし、聞かされた筈だ。

 しかし、まだ、今回の件とは別に、物申さなければならない者がいた。

 

「一つ、よろしいでしょうか」

 

 シズクが声を発した。事前、彼女の嘆願を聞いていたウル達は驚かなかった。事前の打ち合わせで、ラクレツィアにも何とか飲んで貰っている。

 ユーリは表情を変え、シズクを睨んだ。

 

「貴様」

「良い。申せ」

 

 ユーリを制し、天賢王はシズクの言葉を促す。シズクは顔を上げた。

 

「【歩ム者】のシズクと言ったな。何用か」

「これより先は、今とは別の立場で話したく思います。」

「それは何か」

「【邪霊、冬の精霊ウィントール】の巫女、シズクとして話をさせてくださいまし」

 

 邪霊、その言葉に少なからず場がざわめいた。周囲を守る天陽騎士達が武器を握り返す音が彼方此方から響く。ユーリの視線は更に鋭くなる。混沌のただ中において、シズクは酷く冷静だった。

 そしてその彼女に相対する【天賢王】もまた、酷く冷静な反応を示した。

 

「【冬の精霊・ウィントール】。陽の恩寵が最も短くなる時期を指す概念の精霊。他の三つの季節と同じく神聖なものとされながらも、太陽神の巡りを短くする悪霊として唯一奉られし者」

 

 淡々と語り、そして目の前の少女を見る。ジッと、彼女を見定める。

 

「だが、其方には()()()()()()()()()()()()()。名無しか」

「はい。私にウィントール様の恩恵を授かる力はありません。元より、冬の精霊の巫女は全てが名無しで御座います。邪霊としての力を育まぬ為に」

「では何故に信奉し、ましてこの場で、邪霊に仕える非を明かしてまで進言しようとする」

 

 護衛である天陽騎士の圧が強くなる。その全てがシズクへと向けられた。

 邪霊という存在は、根本的に禁忌の扱いだ。邪悪なる存在と指を指すことも許されない。何故ならそれ自体が精霊を強くして、歪めるからだ。まして、それを信仰しているなどと、天賢王の前で口にすれば、その場で切って捨てられても文句は言えない。

 馬車のなか、【天剣】が彼女に剣を突きつけ脅したのも、何も意地悪であった訳でもなんでもない。天賢王の前でそれを口にすれば、脅しでは済まなくなるからだ。

 

 迫り来る圧と、明確な敵意に対して、しかしシズクは両の手を合わせ、まさに聖女然とした立ち姿で、真っ直ぐに答えた。

 

「この偉大なる世界の摂理そのものへの畏れと感謝があれば、損得は必要ありません」

 

 その場の敵意がほんの僅かに薄れる。

 彼女が美しかったからだとか、そんなことでは勿論ない。この場にいる天陽騎士達は、天賢王の直接の警護を任された選り抜きの騎士達であり、神官でもある。彼らが邪霊の巫女に俗物的な感情から慈悲を見せることなどあり得ない。

 

 敵意が収まったのは、彼女の言葉が、”正しかった”からだ。

 

「【精霊の加護】は必要ないと」

「【精霊の加護】は理に触れにくい私達にとって最も分かりやすい精霊の力の一つ。ですがそれはあくまでも、一端に過ぎないと考えます。直接その力に触れ、賜る機会が無かったとて、理が消えるわけでも無い筈です」

「冬の精霊の信仰が封じられ、今のこの世界の季節に冬は殆ど存在しない。それでもか」

「数の大小。時期の長短が、偉大さを図る物差しにはならないかと」

 

 実利の有無に関わらず、神も精霊も敬い尊重し、祈りを捧げ奉仕するべき対象である。

 

 シズクが述べた言葉は、神と精霊に仕える者にとって真理であり、根幹でもある。そして同時に最も実行することが困難な在り方でもあった。

 何せ、神官は恩恵を実際に授かってしまうのだ。

 強い官位の者ほど、圧倒的な力を得てしまう。天地を揺るがすような精霊の加護を授かっておいて「与えられた恩恵は関係ない」などと語るのは些か白々しいだろう。

 

 その点において、恩恵を授かれぬ立場であっても、精霊達への真摯な敬意を忘れないというシズクのその姿勢は、正しく、強い。その在り方がどれだけ険しいか理解するが故に、天陽騎士達の敵意は僅かであれ弱まった。

 最も偉大なる王を守護する最高峰の騎士達は、故に彼女の在り方への理解が深かった。

 

「……それが正しいとしても、邪霊を崇めることが許されるわけでは無い。それに、口だけでは何とでも言えます」

 

 【天剣】のユーリも例外ではない。しかしそれでも言葉を止めないのは天賢王への忠義故だろう。口先だけの高潔さも、あり得る話だった。彼女の語る言葉は神官の心得の中でも最も基本的な所だ。

 神官が誰しもそうすると口にしている。真にそう在れるかは別だ。

 

「下がりなさい、【天剣】」

 

 だが、そのユーリの指摘を【天祈】が諫める。ユーリは驚き、【天祈】を見つめた。

 

「スーア様、邪霊の巫女の進言を許すのですか?」

「【審判】【真偽】【公平】【罪罰】その全てが彼女を認めています。下がりなさい」

 

 ユーリは目を見開き、しかし言われるまま下がった。天陽騎士達も同じく、その敵意を更に退ける。

 そう、この時、この場においては、虚栄は通じない。この場には世界で最も偉大なる【天賢王】と、あらゆる精霊に通じその力を自在に授かる【天祈】がいる。その全ての力が天賢王に相対する者の真実を明らかとする、はずなのだ。

 

「【冬の精霊】の巫女よ。其方は何を望む。邪霊認定の解除か?」

 

 天賢王が更に問うた。当然、それを願うだろうと誰しもが思ったが、しかしシズクはただ、首を横に振るう。

 

「偉大なる天賢王への望みなど恐れ多い。ただ、知っていただければ、と」

「それは何か」

「我ら、【冬の精霊】を信ずる者達は、尚も太陽神への忠節欠かすことは無いと言うことを。これからも、神と、精霊と、世界を紡ぐ僅かな助力となれるよう努めると」

 

 シズクは強くハッキリと、美しい響く声音で告げた。

 ヒトに仇なす邪霊の巫女という最も最初に告げられた悪印象をねじ伏せ、全員を沈黙させるだけの力がそこに込められていた。彼女に戸惑いの視線を投げる者はいても、侮蔑や不快といった感情を向けられる者は、この場にはいなかった。

 

 聖女だ。誰かが彼女をそう呼んだ。

 

「どうか、知っていただきたいだけなのです」

「――――良いだろう」

 

 天賢王は短く、ハッキリ頷いた。

 邪霊の巫女である彼女の存在を認める。それは言葉の短さに反し、とても大きな衝撃となって場を揺るがした。

 

「寛容なるお心に感謝致します。天賢王よ」

 

 シズクは一筋の涙を流し、微笑む。今度こそ、その場にいる全員は彼女の美しさそのものに息を飲んだ。陽光の差し込む謁見の間にて、天賢王の慈悲を賜る銀の聖女。

 卓越した絵師の一枚絵とも見紛う、幻想的な光景がそこにはあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】正門前

 

「皆様。ありがとう御座いました。」

 

 シズクは全員の前、深々と頭を下げた。元々、彼女の嘆願は予定に無いことだったため、あの一幕は言ってしまえば余計な負荷に他ならなかっただろう。それを承知してくれた全員にシズクは礼を言った。

 

「ラクレツィア様には特に無理を言いました。」

「何事も無く、貴方の目的が果たせたならば結構です」

「ええ。本当に感謝致します」

 

 シズクはなんども感謝を述べる。流石にラクレツィアも照れくさそうだった。

 

「でもいいのか?その……認めて貰うってだけで」

 

 すると今度はエシェルがシズクに尋ねた。

 ラストでの騒動でエシェルがウル達をウーガまで引っ張っていった大義名分の一つにして、彼女自身の持つ【鏡の精霊】と同じ邪霊という存在。気になることは多いだろう。

 問いに、シズクは首を横に振る。

 

「それ以上は望みません。望んだところで、通りはしないでしょうから」

「邪霊の関係は重いからね。エシェルも、まだあまり不用意に力は使っちゃダメだよ」

「わ、わかってる」

 

 ディズの警告に、エシェルは何度も頷き、そして意を決するようにシズクの手を取る。シズクは少し驚いて、その後満面の笑みを浮かべた。

 

「シズク、頑張ろう」

「ええ、エシェル様、共に参りましょう」

 

 二人は微笑み合い、そしてその二人を見て皆が笑う。先の天賢王との一幕とはまた違った、美しい光景がそこにはあった。

 

「…………」

 

 その光景を、少し離れたところにいたウルが少し眉を顰めながら見つめていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】謁見の間

 

 昼時にさしかかり、謁見の時間は少しの休憩が挟まった。唯一神ゼウラディアの加護を直接賜っている【天賢王】には休みなど必要ではないのだが、その彼を守るための人員達には休みや交代が必要である。

 無論、彼らとて王に仕える一流の人員であり、本気であれば数日は食わずで仕事に従事も出来るが、平時の今わざわざパフォーマンスを落とす理由など無い。

 僅かな休みの間にそれぞれ補給や交代作業を行っていた。その最中、

 

「スーア様、よろしいでしょうか」

「何ですか、【天剣】」

 

 天賢王が今居る執務室へと向かう途中だったのだろう【天祈】のスーアに【天剣】のユーリは話しかけていた。ユーリはスーアの前に立ち頭を下げて跪く。

 同じ七天の二人だが、明確に応対の仕方が違うのは、スーアが紛れもなく天賢王の血縁者であるからだ。【天賢王】の補佐も担う、最も精霊の力を扱うに長けたスーアにユーリは尋ねた。

 

「確認させてください。あの邪霊の巫女、シズクについて」

「ああ、彼女ですか。それが?」

 

 今日の【天賢王】への謁見は当然あれだけではない。

 大陸の盟主国であるプラウディアの王には、当然のように様々な事案が舞い込んでくるのだ。確かに印象深い一件ではあったが、わざわざ掘り返すような話でも無い筈――――なのだが【天剣】ユーリはスーアに改めて確認した

 

「スーア様統べる精霊の力の全てが、彼女を問題なしと判断したのですか?」

「そうですね。”皆”そう言っていました」

「全てが、一切の淀みなく?」

「そうですね。それが何か?」

「…………いえ」

 

 そう言うと、スーアは「そうですか」と去って行った。ユーリの質問そのものを掘り返すようなこともしない。基本的にスーアはそういうヒトだ。天賢王と精霊達以外にあまり興味を示さない。

 ユーリもまた、去って行くスーアは気にも留めず、スーア自身が言った言葉を頭の中で繰り返していた。

 

「一切、問題なし……?」

 

 【天祈】のスーアが操る精霊の加護は膨大だ。無尽と言っても良い。

 あらゆる精霊と交信し、そしてその力を自在に操る。故に、謁見の間でスーアの役割は、謁見者の虚栄をさらし、あらゆる欺瞞を明らかとすることだ。あまりにもその力が強すぎて、謁見そのものを畏れる者すらも出るほどだ。

 事実、神殿内で胡散臭い動きをする者は、彼女の目から逃れる術を身に着けている。決して、謁見の間には足を踏み入れない。

 

 だが、そんな謁見の場に立って、あのシズクという女は完全にスーアの検閲を克服した。

 

 本来であれば素晴らしいことと言って良いだろう。一切の取り繕いも無い、心からの嘆願であったのだという証明でもある。休憩中、彼女のことを指して【銀の聖女】と囁く騎士達も見かけるほどだ。 

 だが、ユーリは疑問に思った。

 だって、()()()()()()()()()。本当に、一滴の影も無い完璧な聖女なんて。天賢王に絶対の忠義を捧げている自分だって、それは叶わないというのに。

 

「……【冬の精霊、ウィントール】。少し、探らせますか」

 

 邪霊と認定された精霊の情報は極端に少なくなる。 

 その信仰そのものを抑えるため、知る者も、語る者も、極端に抑制されるからだ。その邪霊を探るべく、ユーリは動くのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の不死鳥

 

 大罪都市プラウディア、天陽都市プラウディア

 

 大陸の中心地、ほぼ全ての国を繋ぐ大連盟の盟主国

 全ての知識と豊かさが集い、最も偉大なる王がそれを治める最大の国。

 

 そんな風にあらゆる方法で讃えられるプラウディアであるが、その基本は多くの都市国と大きく変わるわけではない。【バベル】という中心地に聳える塔は、他の都市で言うところの神殿である。

 そして神殿を中心に方角を分け、住宅区画、商業区画、娯楽区画、政治区画、その他様々な区画に分けてヒトの暮らしを支える作り。他の都市国となんら変わらない。

 

 それも当然、プラウディアが、他全ての都市国のモデルとなった国だからだ。

 

 数百年前の迷宮大乱立、魔物達が溢れかえり、混乱するただ中において、最もヒトが生きていく上で最適な形としてプラウディアが編み出した都市の形こそがコレだ。

 その時代のプラウディアの神殿のトップ、神官長は唯一神から賜った【太陽の結界】であらゆる魔物の侵攻を防いだ。そしてその【太陽の結界】を最も優れたる神官達にも分け与え、それらを持って大陸中の主要都市にて発動させたのだ。

 

 以降、送り出した神官達を通じ、プラウディアは大陸全土を支配した。グラドルのように、その地の王が神官としての才覚を有しているといった例外もあったが、概ね神官達はそのままその地を支配し、その神官達をプラウディアの神官長は制した。

 プラウディアの実権を掌握した彼は、自らを【天賢王】と名乗りを変え、そして自らと共に混沌の世を制するため、各分野に特化した自身を含めた7人を【七天】と呼び、彼らを扱った。

 それが今も続く【天賢時代】の始まりだった。

 

「…………と、言うのがこの国と、今の世界の在りようの始まりなんだけど、わかった?」

『ほーん、あんま興味わかんの』

「へーん、歴史の授業とかどうでもいっすねー」

「なんて教え甲斐のない連中かしら……」

 

 リーネは自身の説明に対して一ミリも琴線に触れる様子のないロックとラビィンにがっくりと肩を落とした。

 

「語る相手間違えすぎだろ。剣バカジジイと、勘と反射で戦場生き延びてるバカ娘だぞ」

「バカバカうっせーっすよー、ジャインさんだって学ないの一緒じゃ無いっすかー」

『年寄りに敬意を払わんかい太っちょ!!』

「うるせえ死ね」

 

 実にけたたましい。リーネはこのメンバーで来たことを若干後悔しだした。

 

 リーネと骨身隠蔽用の鎧を装着したロック。ジャインとラビィンがやって来たのはプラウディアの商業区画と職人区画の丁度間。卸したての武具類が即座に売り出される冒険者御用達の【天剣通り】。名の通り、初代【天剣】が取り仕切り盛り立てたとされる大通りだ――

 

「と、まことしやかに伝えられてるけど、初代【天剣】に、都市運営を託す時間的余裕が無かったって言われてるから本当かどうか分からないのよね」

「夢も希望もないっすねえ」

『あんま大ぴらにそんな話しとると商人どもに殴られかねんぞ?』

「初代【天剣】様の名前を利用して商いやってる連中にどう思われようと知らないわ」

 

 初代の七天はリーネにとって一つの目標でもある。

 世界の混沌期に世を治め、駆け抜けて多くを救った英雄達。大罪迷宮ラストの浸食を身命を賭して食い止めた白の魔女に通ずるところある彼らの名前を気安く扱うことはあまり好きでは無かった。

 とはいえ、好きや嫌い、名前の由来の真偽などに関わらず、やはり【天剣通り】は大陸一の武具屋街通りだ。道の先々に多種多様な武具防具が溢れ、それを売り出す商人達は声を張り上げる。道に面した場所であれば、建築物の2F3Fもベランダやらを利用して無理矢理商品を陳列している姿が見える。上から下、地下から空、全ての場所にヒトが溢れかえっている。まさに大陸一の人口に相応しい光景だった。

 

「っつーかそもそもなんでなんでアンタは此処に来てんだ。俺達や骨は兎も角」

「そーそー、あんた魔術師っすよね-。此処冒険者御用達の武具屋街っすよ」

 

 ジャインとラビィンが疑問の声を上げる。正しい意見ではある。通りに行き交う者達もわかりやすく冒険者といった様相をしている者が多い。陳列されている品々も明らかにそれ向けだ。勿論、冒険者には魔術師もいるものだが、此処はどうにも彼ら彼女ら向けのものでは無い。

 が、リーネにもちゃんと此処に来る理由はあった。

 

「これよ」

『…………ん?何じゃコレ?』

 

 リーネが差し出してきたものをみて、ロックは理解できずに疑問の声をあげた。

 ジャインとラビィンも続けてみるが、彼らもよく分かっていない。彼女が見せてきたそれは、なにやらボロボロに引き千切られた布の塊だ。

 

「それ、私が白王陣を描くときに使ってた保護用の手套なんだけど」

『ボロボロじゃの』

「白王陣の練習で使ってたら、破損したのよ。その代用品を買いに来たの」

「それこそ魔道具店で買うもん………んん?」

 

 ジャインは眉をひそめて、ボロ衣のようになったそれを見た。

 

「……これ皮だぞ。魔物の落下物で出来た代物だろ。【白螺鹿】の皮じゃねえのか」

「えぇ……千切れるもんすかそれ?」

「知らないわよ。千切れたものは千切れたのよ。実家にあったお古だから仕方ないけど」

 

 ジャインとラビィンはドン引きしながらボロ衣になったそれを見ていた。

 加工の仕方や、素材にも依るが魔物の皮を丹念に鞣し魔術加工が施された代物の場合、易々とは破損するものでは無い。場合によっては大きな魔術資産になり得るものだ。

 しかもジャインが見る限り、これは経年による劣化が原因という訳でもない。何かものすごい力で負荷がかかって限界を超えたように見える。

 

「ちょっとしつれ……かった!!なんすかこの手!!岩!?」

「毎日剣振ってる冒険者でもこうはならねえぞ……?」

「レディの手を勝手に触るの止めてくれるかしら?」

「レディの手じゃないっすよこれ!どっちかっていうとゴリラのあいだだだだ!!?うっそ外れないんだけど!!?」

 

 勝手にヒトの手を掴んでおいてやかましかったので、逆にラビィンの手を指で摘まんでやる。常に白王陣の筆記の為に万力を込める指はラビィンの手を挟み込んで全く離さず、ラビィンを驚愕させた。

 

『その手袋の替えを探しに来たと……まあ、武具店の方がよさげじゃの』

「でしょ?頑丈でさえあれば、最悪魔術効果無しでもいいわ。自分でなんとかできるし」

「いたいいたいいたいやーめーてええーー!!!」

 

 ラビィンを指先一つでダウンさせながら、リーネはお目当ての品を探している。しかし、そもそも彼女はあまり武具防具に詳しいわけではない。どれだけ特殊だろうと彼女は魔術師なのだ。ものの善し悪しはよく分からない。

 だからこそロックやジャイン達に付いてきたのだが……

 

『うーむ……魔物の皮すらも千切る握力を保護する頑強な手袋、のう』

「強度なら上回るの在るけど、白王陣用のだろ?繊細な動きが出来なくなると困る訳だ」

「あーいたかったー……っつーかこれと同じ品探すのも難しく無いっすか?【白螺鹿】の落下物って、高価で稀少でしょ?」

「此処(プラウディア)なら流石に見つかるかもだが、時間かかるかもな」

 

 そもそも彼女の要望は通常の冒険者とも外れている気がする。あまり彼らの知識が当てになるかは分からなかった。

 

「ウルから聞いている【黄金鎚】ってとこ行こうかしら。お金さえ積めば嘘も適当もしないって聞いてるし」

「あそこ、あまりにお明け透けすぎて好きじゃねえな俺ぁ……」

『ワシは好きじゃよ?今のこの見せかけの鎧も、金積んだらソッコーで作ってくれたしの』

「見せかけの鎧なんて嫌いそうっすもんね、普通の職人。っつーかアンタこそどうしてこっちきてんすか。武器自分の身体から作るんでしょ?」

『参考にしてパクる』

「最悪の客っすコイツ」

 

 騒がしい一同はそのまま通りを巡る。やはり人通りは多い。そして来ているのは冒険者だけとは限らなかった。何人か、以前”エシェルが身に纏っていた鎧”を身に纏った者達が真剣な表情で商品を見つめている。

 つまり彼らの正体は

 

「天陽騎士、結構見かけるわね」

「……”例の件”の準備じゃねえかね。支給された武具だけじゃ不安なんだろ」

 

 【陽喰らいの儀】

 ブラックから提示され、【天賢王】に許可され参加することが決まった戦い。その詳細は、既に彼女もジャイン達もディズから聞いている。その異様さも、危険さも伝え聞いてる。しかし今もやはり、ハッキリとした理解には至っていない。伝聞だけでは理解しきれない事は多い。

 だが、こうして天陽騎士達が、官位持ちの身分である彼らが自らの足で武具を見て調達する姿を見ると、緊張が高まる。決して他人事ではなく、そして間近に迫っているという自覚が迫った。

 

 勇者ディズ曰く、【陽喰らいの儀】は今日から三日後。

 その時までに準備を進めなければならない。

 

「急いで目当てのものを見つけましょ……あら?」

 

 リーネが気を引き締めようとした最中、ふと先行く道で人集りが出来ていることに気がついた。他のメンバーも気がついたのか、

 

「ケンカか?まあ、こんだけヒトが多けりゃあり得るが、ぐ!?」

「そんな感じじゃ無いっすねー」

「いきなり肩に乗るのやめろバカ女……!」

 

 ジャインの抗議を無視して、器用に彼の両肩に乗ったラビィンが人集りから抜け出す。そして自らの両耳に手を当てる。【超聴覚】の技能をつかっているのだろう。しばらくそうしていた彼女は、気がつく。

 

「ああ、多分あれっすね。取り立てっす」

「取り立て……?」

「「返済分を徴収するー」とか「それは一家の大事な秘宝ー」とか聞こえてくるっす」

『そりゃまさに取り立てじゃが、こんなデカイ都市でもあるもんなんじゃのう』

「そりゃあんだろ。都市がデカイならそんだけ、色んな奴らがいるもんだっつーかそろそろ降りろやバカ女」

「えーでもなんかこっちもヒト集まってきたみたいっすから、このまま宙返りとかしたらお駄賃もらえないっすかね」

「降・り・ろ」

 

 ラビィンはしぶしぶと降りてきた。

 言っている間に、目の前の人集りが解けていく。するとラビィンが聞いていた光景がそのまま見えてきた。何やら身ぐるみ剥がされたのかボロボロになっている若い獣人の冒険者とおぼしき男。そしてその対面に、強面の男達を引き連れた、小人の壮年の男が大きな剣を抱えている。

 小人にしては明らかに大きな剣、やはり元は冒険者のものなのだろう。

 

「た、頼む返してくれえ!それは家族の形見で家宝なんだあ!」

「喧しい!だったらそもそも担保にするな!!家族が泣いとるぞ!!」

「ひ、酷い!あんまりだ!もうすぐ借金返せそうだって時にいきなり徴収するなんて!」

「その返せそうっていう手段が賭事か?アホか貴様は!別の所でトラブル起こす前に回収するのは当然のことだ!!こんな名剣吊り下げるには不釣り合いじゃ!働け!!」

 

 未だ納得していない冒険者に、小人の男は鋭い剣幕で反論している。

 輝く頭に小太りの小人。釣り合う釣り合わないで言えば彼も剣を振り回すとは思えない体つきをしているが、別に彼が回収した剣を扱うわけではないだろう。物を回収した以上もう放っておけば良いのに、食い下がる冒険者を罵る彼は随分とヒト目を集めていた。

 その人集りの何人かは、小人達の方を指して思い出したというように話し始めた。

 

「ありゃ確か、【黄金不死鳥】のゴーファ・フェネクスだろ?金貸しギルドのギルド長だ」

「あー、金貸して、担保にしてる貴重な武器防具を回収していくっていうあの?でも貸してる冒険者は成功するって噂じゃ無かったか?」

「不相応な品を持ってるろくでなしからも回収するんだとよ。ありゃ後者だろ」

「確かに」

 

 見る限り、冒険者の方の装備はまともな整備をされているようにも見えない。ゴーファという男が持っている名剣がつり下がってる姿を想像しても確かに不格好だ。

 つまるところ、最初にラビィンが察したように、単なる借金回収の一幕でしかなかったと、そういうわけなのだが、リーネは一つだけ気になることがあった。

 

「フェネクス……?」

 

 その名に聞き覚えはある。聞き覚えというか、滅茶苦茶その名前は知っている。【ゴルディン・フェネクス】の方も、ウルから聞いた覚えがある。確か――

 

「……せ」

「む?」

 

 リーネが何かを思い出そうとしていた、その時だ。自身の剣を取られ蹲っていた冒険者が、小さく声を発した。既にその場を去ろうとしていたゴーファは何事かと振り返る。

 顔を上げた冒険者の表情は、明らかにおかしい。目が血走っている。真っ当な状態にはどう見ても見えなかった。ゴーファの護衛の強面達が彼の前に立ち塞がった。

 

「かえせえええええええええ!!!」

 

 だが、冒険者が懐から取り出した魔封玉、激しい閃光を生み出すそれを、この町中で投げつけるなんて真似までは、予想は出来なかったらしい。

 

「きゃあああ!?」

「あいつバカか!?!なんてことしやがる!!」

「騎士団をよべ!!」

 

 悲鳴と怒声が響き渡る中。目を潰され混乱した人々の流れを利用するように、取り立てを受けた冒険者は真っ直ぐにゴーファに前進していく。身動きできなくなった強面達の横をすり抜け、手には小さなナイフを握りしめ、それを振り上げ――

 

『ほーれパーンチ』

「ほぎゃあ!?」

「ほれ死ね」

「ぐええ!?」

 

 閃光で目を眩ませようにも、そもそも目が無いロックの拳に吹っ飛ばされ、更にジャインによって押しつぶされる形で取り押さえられた。

 

「しょっぱいナイフっすねえ。こんなんじゃヒトも殺せないっすよ」

 

 同じく、目が見えなくとも音で状況を感知するラビィンがナイフを拾い上げる。

 閃光の影響が消える間もなく、冒険者から犯罪者に成り下がった男は制圧されたのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 間もなく通りを警護していたプラウディア騎士団がやって来て、男は取り押さえられた。取り立ての件も違法性はない、と言うことでゴーファ・フェネクスも問題なく解放され、活躍したロックとラビィンは騎士団から簡単な事情聴取と礼を言われてから解放された。

 さて、それで一段落済んだわけだが、助けられた筈のゴーファ・フェネクスは、何やら納得していない面構えでこっちを睨んでいた。

 

「礼はしてやる、してやるが、貴様らでなくともワシらだけで十分だったんだからな!」

『全然ダメっぽかったがの。お主の護衛連中。めっちゃ目ぇしょぼしょぼさせとるぞ今も』

「やかましいわ!!謝礼交渉はちゃんとするからな!ボラせはせんぞ!」

「律儀なんだかケチくさいんだかわかんないヒトっすね……」

 

 どうも、お礼をせびられると警戒しているらしい。が、お礼は必ずするつもりでもあるらしい。なんというか変なヒトである。彼を助けたロックとラビィンは謝礼などどうでもいいようなので、リーネとしてはさっさと此処を離れて要件を済ませたかった。

 が、その前に確認しておきたいことが一つある。

 

「一つよろしいです?」

「む……なんじゃ貴様」

「フェネクス……その、ディズ様の関係者の方ですか?」

 

 リーネは思い出した。

 【七天の勇者】ディズ・グラン・フェネクス。彼女が【七天】の仕事の傍ら、自らが使う武具の回収のため片手間に仕事をしている【金貸しギルド】が【黄金不死鳥】だったはずだ。ウルとアカネ、ディズのややこしい関係の発端でもあると聞いている。

 まあ、ギルドが同じだからと行って【勇者】ディズの事を知っているとは限らないわけだが、彼の名前がゴーファ・フェネクスであるなら、ディズと同姓だ。官位はもっていないが、知り合いかも知れない。

 

 するとゴーファはあからさまに驚いた表情をして、その後周囲をキョロキョロと視線を彷徨わせた。そして最後にリーネに向けて嫌疑の視線を向けた。

 

「……貴様、あの娘のなんだ」

「……一応、友人です」

 

 するとゴーファは目を見開いて、一歩後ろに下がり、そしてリーネを指さした。

 

「あ、あ、あ――――」

「あ?」 

「――――あの不良娘の友人だと!?」

「不良て」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の不死鳥②

 

 ゴーファ・フェネクスが自身の観察力に気がついたのは、幼い子供の頃だ。

 

 神殿から販売される食材の、どれが良くてどれが悪いかが見ただけですぐわかった。

 家具職人の父親が卸す商品の悪い部分が一目で分かったので注意したら殴られた。

 浪費癖のある母の買ってくる絵画の粗悪品もすぐに分かったのでそれを止めた。

 

 彼は気づく。この世には様々な価値のあるものが眠っていると。そしてその多くは全く理解の無い者の手に渡って、無為に価値を下げてしまっていると。

 もったいない!あまりにも、名品達が”可哀想”だ。

 彼はそう思い、そして活動を開始した。良いものを集めて、悪いものは安値で買いたたき売りさばく。その内、自分の観察力はヒト相手にも通用すると気がつくと、有能そうな冒険者に投資も行って、更に金を稼いだ。

 部下も増えた。組織は拡大した。その過程で「金貸しなど屑のやる仕事だ!」と父親に勘当され、活動拠点を世界の中心、プラウディアの一等地に移し、更に仕事を拡大させていった。父親の木工ギルドをその内金で乗っ取ってやるのが当時の彼の目標である。

 

 と、色々あったが、彼の人生はおおよそ順風満帆だった。彼は自身の類い希な才覚を余すこと無く活用し、これからもそれは続くと信じていた。

 ところが、そんな彼の人生に嵐のような転機が訪れたのは、プラウディアに拠点を移して数年が経過した頃の話だ。

 

 ――へえ、すごいんだね。こんなにいっぱい。

 

 その年、10にも到達している様には見えないその幼い少女がゴルフィンの事務所にやって来た。丁度、回収した強大な遺物や魔剣の類いを一本一本丁寧に磨いていた彼は、突如として侵入してきた妖しき幼女にぎょっとなった。

 

 だが、驚いたのは、彼女が不法侵入してきたことではない。

 ゴーファが持つ【観察眼】が、彼女の身体に秘めた力を見抜いたのだ。

 

 修羅場を幾つも潜ったような眼光。どのような鍛錬を施したのか、恐ろしく鍛えられた身体。どう考えても地獄のような日々を過ごさなければ成らなかったはずなのに、楽しげに浮かべる笑み。しかも半端に長い耳。おそらく森人との”混血児”。

 何処をとっても異常な少女だった。彼は驚き、怯えた。もしや名剣を奪われたろくでなしの冒険者達の誰かが、闇ギルドに雇った暗殺者ではないか?と

 

 ――な、なんじゃ貴様!

 ――おじさん、わたしのパパになってよ

 ――…………は!?

 

 そんな彼女が口にした提案は、ゴーファを驚愕させることとなる。

 同時に、彼の人生はそこから大幅な狂いを見せることとなるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【黄金不死鳥】ギルド長、ゴーファ・フェネクス宅

 

「あのバカ娘がウチに来て勝手に居着いてからと言うものの連日連夜トラブル続きじゃ!マジで不良じゃあの娘!」

「あ、この茶菓子うめーっす砂糖たっぷり!」

「てめーは砂糖さえついてりゃ泥でも食うだろ。だが美味いなコレ」

『魔石にまぶしてええかの?』

「きかんかい!!」

 

 【黄金不死鳥】のギルド長、ゴーファ・フェネクスを救助し、色々とあってリーネ達は彼の住居に案内された。流石、大陸一の金融ギルド長というべきか、住まう場所は土地も一等地、広くて大きい。神官で都市民が許される最上の場所だろう。

 そんな一等地の豪華な自宅で、リーネ一行は彼の愚痴を聞く羽目になっていた(真面目に聞いているのはリーネくらいだが)

 

『確かにディズとは交友関係はあるが、愚痴られてもの』

「あやつの友人を名乗る奴なんぞ詐欺師以外一人もおらんかったわ!愚痴らせろ!」

『ボッチ極まっとるの、勇者』

 

 と、言うことらしい。随分ストレスが溜まっているようだ。

 

「でも、最終的には彼女を養子になされたんですよね?」

「強制的にな!!気づけば戸籍にあの娘おったわ!!ホラーじゃ!」

 

 確かにそれはホラーだ。大分無理矢理な話でもある。彼の癇癪も理解できると言えば出来る話だった。が、どうにも、今の状況にウンザリしているとか、そういうわけでもどうやら無いらしい。

 

「まあまあ、ディズがウチに来てくれてから家も賑やかになったじゃあないですか」

 

 そう言って、リーネ達を歓迎してくれた彼の奥さんのソーニャの様子を見る限り、ディズが此処に全くなじめていないだとか、そんなことは無いようだ。

 

「都市民は幾らお金があっても出生制限もありますから、家族が増えるだなんて得ですよ。あの子の周りの環境は大変ですが、あの子自身は良い子ですしね」

「まあそれはそうじゃが……というかソーニャ、お前たっかい茶菓子をぽんぽんだすなコイツラに!絶対菓子の善し悪しとか分からんぞ!!」

「でもディズのお友達なんて初めてじゃないですか、ほほほ」

 

 そう言って嬉しそうにソーニャは笑う。見ず知らずの娘をいきなり押しつけられた者の顔ではない。彼女がディズを信頼している証しだろう。

 歓迎は大変ありがたいが、ゴーファの言うとおり、出た側からモサモサと食い荒らすラビィンに出すのはやめておいた方が良いと思う。

 

『ま、そっちの仕事のお陰でワシらも助かっとるがの。アカネ嬢のびっくりドッキリ変身シリーズ、ここからのパクリじゃろ?』

「【黄金不死鳥】は勇者活動のために活用しているとは聞いていたけど、なるほどね」

「資産目当てで養子として潜り込みとかほぼ詐欺の手口じゃ全く!しかもしょっちゅう持ち出してはぶっ壊して返してくるしのう……!!」

 

 ぶつぶつと彼はひとしきり愚痴ったあと、こっちを伺うようにチラリと視線を向ける。

 

「先ほど、そこの男が「アカネ」と呼んだな。なら、この中にウルとやらは居るのか?」

「彼はいません。私とこのロックが所属してるギルドの長ではありますが」

「俺たちはギルドも違うけどな、あのガキがなんだよ」

 

 ジャインが問うと、しかし、なにやらゴーファは何故か気まずそうだ。言いにくそうに唸って天井を見上げている。するととなりのソーニャが心底楽しそうに笑った。

 

「ほほほ、ディズったら手紙でよくウルって子とアカネって子の事を書いてるから、どんな男の子か気にしてるんですよこの人ったら」

「やーめい!!」

 

 興味津々のソーニャに、ゴーファは叫び、そして溜息をついた。

 

「……ウルとアカネ、バカ娘と【黄金不死鳥】が、やけにややこしい関係になってしまったというのは聞いておる。その事を聞ければ良いと思っただけじゃい」

「なるほど……」

 

 確かに彼らの関係は一言ではとても言い表しがたい。一応リーネも事情は聞いているものの、未だピンときていないのもある。

 逆恨みであってもディズを憎悪してもおかしくないウルとアカネが、彼女に対して全く悪感情を抱いていないのが余計にややこしさに拍車をかけている。

 その点を気にしているようなら、何とか説明もしてあげたい気もする……が、

 

「……折角なら、彼かアカネが居てくれた方が良かったですね」

『すまんの、ワシら”びじねすらいく”な関係での』

 

 此処に居るメンバーはリーネもロックも、割とウル達との付き合いはサッパリとしている。ロックはシズクに次ぐ古い付き合いだが、彼はその性格からか、ウル達に深く踏みこまない。リーネもウルは信頼してるし、ディズのことは尊敬している。だが、あれこれと彼らがいないところで込み入った話を口にするのは違う気がする。少なくとも自分たちの役割ではない。

 

「俺らなんて、言うまでも無いがな」

「ジャインさんはまだウルとはちょくちょく飲むじゃないですか。私なんて他人っすよ」

 

 当然、【白の蟒蛇】の二人は言うまでも無い。なんというか、見事にウルやディズとそれなりの距離感を維持する面子が揃ってしまった。タイミングが悪いとしか言い様がない。

 だが、ゴーファが首を横に振った。

 

「いやいい。直接、ソイツと向き合ったら余計に気まずいわ。そもそもこれは、ワシを助けてくれた貴様らへの礼じゃ。不良娘も、そのウルとやらも関係ない」

 

 そう言って彼は立ち上がり、部屋の奥へと引っ込んでいった。そして暫くしてから何かを手に持って戻り、リーネにそれを差し出した。

 

「術者用の、頑丈な手套を探しとったんじゃったか?これをやろう」

「……これは?」

「【星華の手套】じゃ。不良娘が使う外套と同じ素材。薄く、頑丈で、魔力伝達率が極めて高い、一級品じゃ」

 

 リーネが試しに身につけてみる。一見してそのサイズは只人のそれであったが、彼女が身につけようとした瞬間、瞬時に小人である彼女の手にフィットした。

 言う通り、手袋を纏っていると気づかないほどに薄手で、しかし裂けたり、痛んだりするような不安が殆ど感じない。まるでもう一枚皮膚を纏ったような気分だった。

 

「……素晴らしいですけど、これ、とても高価なのでは?」

「大事に使えよ!!!」

「高いんですね。支払いますよ」

 

 お金ならそれなりに持っている。冒険者としての活躍の取り分はウルから正しく渡して貰ってるし、白王陣でのウーガ整備ではグラドルからキチンと謝礼も貰ってる。

 だが、ゴーファはそれをそのままリーネに押しつけた。

 

「いらんわ。言ったじゃろ。礼じゃこれは」

「ですけど、暴徒を抑えたのは私ではありませんし」

「コレは投資でもある。これから伸びる冒険者に大きく恩を売るのは悪いことでないわ」

 

 ゴーファはそう言ってリーネを見る。

 

「【白王陣のリーネ】、不良娘からも聞いておる。驚くべき魔術の使い手と」

「【勇者】の力と比べれば、まだ、たいしたことはできていません」

「心配するな。ワシの”見立て”じゃ、お主はこれから更に飛躍する」

 

 だから、と彼はリーネの手に触れ、ゴーファは彼女に視線を向ける。その瞳に先ほどまでのけたたましさは無く、子を思う親の思いが込められていた。

 

「精々そこそこの距離から、あの子を助けてやってくれ。これから先、また大仕事があるらしいからのう。あの不良娘」

「……わかりました。私も、ディズ様の助けにはなりたいですし。」

 

 投資という言葉ではとても隠しきれない親としての情に、リーネは頷いた。ディズの価値観、弱きを助け強きを挫く、あまりに真っ当な倫理観が何処で培われたのか、その根幹を見た気がした。

 それと、久しぶりに実家に手紙でも出そうかしら、とそう思った。

 

「えええー!ずりーっす!暴徒やっつけたのジャインとロックと私だったのにー!」

「てめえは殆ど何にもやってねーだろ」

「あーやかましいわ!わかったからこっち来い!!好きな奴もっていけ!!!」

『カカカ!得したのう!人助けしてみるもんじゃ!』

 

 かくして、リーネ達の買い物は思わぬ形で成功することになった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【七天の勇者】()()のディズがゴーファの子となり暫くした、ある日の夜の事。

 

 ――いい加減にせんか!貴様!!そんな身体でまだ出るつもりか!

 

 ゴーファは怒り狂っていた。

 紆余曲折と、彼女の意味の分からない経歴を何とか飲み込み、多額の金を積んでゴーファを黙らせようとしたディズの所業にブチ切れ、その後も何度となくぶつかり、ようやく”娘”としてディズを受け入れたゴーファだったが、今回はそうも行かなかった。

 

 ――大丈夫だよ、いいからそとにはでないでね 

 ――大丈夫なことあるか!せめて怪我を治せ!

 

 彼女は血塗れだった。元々、酷い傷をしてくることがしょっちゅうだった彼女だが、今日ばかりは様子がおかしい。家の中に保管してある魔剣や聖剣の類いを頻繁に持ち出し、そして何度も戻ってくる、そのたびに傷だらけになるのだ。武具も彼女自身も。

 【大罪迷宮プラウディア】に行っているのかとも思ったがどうもそうには見えない。出入りの時間を考えるなら、彼女が怪我をしてるのは()()()()()()()()

 

 だが、不思議と、窓の外を見ても()()()()。何時ものプラウディアの活気溢れる夜の光景があるばかりだ。なのに彼女は何処で怪我をしているのか、わからなかった。

 

 ――良いから休め!これ以上家を血塗れにする事は許さんぞ!

 ――でもこれを乗り越えられないと、勇者は名乗れないんだって

 ――名乗らんでええわいそんなもん!

 

 急ぎ、回復薬とタオルを持ってきたソーニャの前でゴーファはキレた。傷だらけになって戻るたび、心配するソーニャの前で何でも無いという笑顔を浮かべる少女を見るたびに、溜め込んだ我慢も、もう限界だった。

 

 ――お前のような幼子を血みどろの最前線で戦わせてなーにが勇者になれないじゃ!そんな世界の守護者はそれ自体まちがっとるんじゃ!!

 ――まー頭おかしいのはそうだと思うけどねー

 

 でもなあ、と、彼女は笑う。屈託のない笑みだった。

 

 ――私、ゴーファとソーニャのこと好きだし

 ――は!?

 ――生まれてくる妹も楽しみだし【黄金不死鳥】の皆もけっこうすきだし

 

 ソーニャの少し大きくなったお腹と、仕事で来ていた黄金不死鳥のギルド員達がディズを見ておろおろと心配そうに見てくるのを見て、ニッコリと彼女は笑う。

 

 ――だから頑張るよ。皆をまもれるのはうれしいからね

 

 そう言って、再び彼女は外に飛び出していった。ゴーファは止める暇も無い。世界最強の七人、人類の守護者として既に一歩踏み出している彼女の歩みを止めることなど、出来る者は居なかった。

 

 ――……!!晩飯までにちゃんと帰ってくるんじゃぞ!!!

 

 ただ最後、ゴーファが青筋を立てながら叫んだ一言にだけは、一瞬、ディズは歩みを止めてニコニコと手を振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーファは目を覚ました。

 リビングで少し居眠りをしていたらしい。昔の夢を見ていた。昼間、不良娘の話を散々した所為だろう。懐かしい夢だ。だが今も鮮明に覚えている過去の記憶だった。

 

「…………全く」

 

 ゴーファは机に置かれた手紙を一通手に取る。

 

「あの子ったら、中々帰って来ないのに、こういうのは律儀に送ってくるのですから」

「”遺書”なんぞを娘に渡される親の気持ちを全く理解できとらんのだあのバカは」

 

 ゴーファは苦々しい顔でそれを睨んだ。数年に一度、ディズはこうして遺書をゴーファ達に送ってくる。「どうなるかわからないから」と無理矢理押しつけていくのだ。

 捨てるわけにも行かず、結果、ゴーファの執務室にはディズの遺書が溜まっている。

 

「……また、この時期か」

 

 【遺書】の時期は不明だ。1年も経たず送られることもあれば、数年も間を空けることもある。そしてそのタイミングで【勇者ディズ】は大罪都市プラウディアに戻り、自身の死を覚悟する。そのたび、ゴーファ達は心臓を締め付けられるような思いをする羽目になるのだ。

 

 自然、強く娘の遺書を握りしめたゴーファの手をソーニャが優しく包む。彼女は何時も通りおっとりとした、しかし芯の強い目をゴーファに向けた。

 

「きっと大丈夫ですよ。あの子ならちゃんと戻ってきてくれますよ」

「……そうだな」

「ロロンナたちからも今日は学園寮から戻れると連絡がありました。折角なのでディズも今晩帰ってこれるか聞いてみましょう?久々の一家団欒ですよ」

「……あの不良娘がちゃんと帰ってくるかわからんがな」

 

 奔放なる娘に思い悩ませる父親は、ようやく笑みを浮かべるのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋図書館の天魔と鏡

 

 プラウディアには、この世界で最も有名な大図書館がある。

 

 場所は天賢王が住まう【真なるバベル】

 ただしその位置は上階ではなく、下へと続く地下階だ。地下一階から延々と続くバベルの地下階層。その地下階層全てを利用してこの大陸のあらゆる本、魔道書、禁書類を一切余さず貯蔵する大図書館。

 

 【螺旋図書館】と呼ばれる場所がそこにはあった。

 

 無論、場所が場所である。制限はある。プラウディアの都市民でも立ち入れるのは地下1階のみ。無論それだけでも膨大な蔵書量ではあるものの、全体でみればほんの一部に過ぎなかった。

 以降の階層は官位持ちの者に限られる。それでも官位の序列によってはこれまた制限が掛かる。バベルの最下層。一番深い場所まで入る許可が得られるのは、それこそ【天賢王】のみであろう。

 

 故に、此処は知識の墓場と呼ばれることもある。

 

 此処に収められたが最後、二度と人目に晒される事がなくなる事が多々あるからだ。とそう呼ぶ学者らは皮肉げに笑う。勿論、天賢王の膝元でおおっぴらにそう揶揄できる者はいないので、ひっそりと、だが。

 

 閑話休題、さて、そんなとてつもない大図書館であるが、官位持ちであれば別の都市の者でもある程度の利用が許される。故に、

 

「……うーん」

 

 第四位(レーネ)の官位を持つエシェルもまた、此処の利用が許されていた。

 表向きにはされていないが件のウーガ動乱を引き起こしたとされるカーラーレイ一族の生き残り、立ち入りを咎められるかとも思ったが、そんなことは無かった。

 元々の規則上、彼女が閲覧を許される範囲の制限は受けることとなったが、その点はどうこうと無茶を言えるわけも無く、エシェルは許される範囲の蔵書を手に取り、そして、

 

「…………………ううーん……」

 

 困っていた。取り出した幾つもの蔵書の山に埋もれている。

 

「エシェル様。あまり根を詰めてもいけませんよ」

「うん……カルカラ」

 

 共に調べてくれているカルカラに言われて顔を上げ、手を一度止める。

 だが、手を止めたとて、彼女の悩みが解決されるわけではなく、表情は晴れない。彼女が調べているのは、自身の精霊、【鏡と簒奪の精霊・ミラルフィーネ】についてだ。

 

「もう少し、分かると思ったんだけどな……」

 

 【鏡の精霊ミラルフィーネ】

 彼女がカーラーレイ一族から迫害された最たる原因。恐るべき、太陽の光を盗み取る簒奪者。これに対する忌避感をエシェルは既に克服していた。そしてもし今後も、この力を利用する必要があった場合、使用を躊躇うつもりも無かった。

 ”これから待ち受ける試練を考えれば”幾ら準備してもしすぎることは無いだろう。

 だが、心理的な問題を克服したエシェルの前に現れたのは、【邪霊】を扱う上で存在する現実的な問題だった。

 

「何処にも情報が載ってない……」

 

 流石大陸一の大図書館と言うべきか、此処には精霊についての情報も沢山保管してあった。古今東西ありとあらゆる精霊、場合によっては本当に小さく小規模な現象を起こすような精霊の名前まで載ってる図鑑もある。

 が、これがミラルフィーネ、邪霊の事となると途端に極端に情報が少なくなる。邪霊という言葉までは載っていたとしても、その詳細についてはサッパリだ。

 

 当然といえば、当然である。邪霊は、ヒトに信仰され、敬われ、力を増幅させること自体が危険と判断されたから、邪霊となったのだ。知識により信仰が増えれば、その種類が恐怖の類いであっても強くなってしまう。

 情報は規制される。

 

「……もっと高位の神官が入れる場所にあるのか?」

 

 図書館の中心、【螺旋図書館】の中心にある永遠と底へ続く穴へと視線を向ける。無限に続く穴の底。現在彼女が居るのは地下2階だが、果たしてどこまで下に続いているのか、一目では全く分からなかった。

 吸い込まれて、そのまま落ちてしまいそうな気がして、ぞっとしたのでエシェルは身を退いて溜息をついた。

 

「それはどうでしょうね」

「違うのか?」

 

 カルカラの否定に、エシェルは不思議そうに顔を向ける。単純に考えれば、もっと深い所、高位の神官であれば立ち入れる場所になら、邪霊の事についても知識があるように思えた。自分の居る場所は都市民達の立ち入れる場所と殆ど大差が無いからだと。

 

「エシェル様。高位の神官ほど、祈りの力は強いのです。」

「……あー」

 

 思い出したのは、エイスーラとの制御権の争奪戦。

 シズクの言葉に惑わされ、【鏡の精霊ミラルフィーネ】への()()()()()()()()()()からこそ、あの簒奪は成ったのだという事実。確かにそう考えると、高位の神官にこそ、【邪霊】の類いの存在は伏せなければならない。

 神殿の中で鏡が取り外されていたように、精霊との親和性が強いのなら、尚のこと邪霊のことは伏せなければならないのだ。

 

「だからこそエシェル様はカーラーレイ一族から排斥されていたのです。ヘタをすれば、貴方に第一位(シンラ)の祈りの全てが集約してしまうから」

「……うん」

「……嫌なことを思い出させてしまい申し訳ありません。ですが、ご理解ください。基本”アレ”は、高位の神官こそ、遠ざけねばならないものです。」

「下にはないってことか……ならやっぱりここら辺に…?」

 

 エシェルは周囲を見渡す。都市民達や下位の神官達が立ち入る場所。邪霊の特性を考えれば、保管に向くのはむしろここら辺だ。だがカルカラは首を横に振った。

 

「人目に触れるようには置いてもいないでしょう。おそらくは禁書の扱いです」

「んん……」

「そもそもどうして、”アレ”の事を知ろうと?」

 

 カルカラの問いに対して、エシェルは少し悩ましそうな顔をした。

 

「今度の戦い、多分私はウーガを操ることになる。あまり直接は役に立てない……」

 

 ウーガの運用管理能力の証明、実績作り。

 その為に戦いに駆り出される事となった以上、ウーガもまた、今回の戦いでは活用することになる。必然的にエシェルは一つの要となる。で、あれば、彼女が司令塔の外に身体を晒すことはまず無いだろう。弱点を晒す理由は皆無だ。一番安全な場所で彼女はジットしていることになる。

 

「ですが、それは重要な役割です」

「うん。でも、出来ればウーガの操作以外でも出来ること増やしたくて……ウーガの操縦って、本当に出来ること少ないんだもんなあ」

 

 制御術式を持っているからと言って、彼女がウーガに下せる指示の内容は本当に大雑把だ。アレを攻撃しろ。止まれ。動け。あちらに行け。これくらいだ。後は勝手にウーガが判断する。細かな調整はリーネだ。

 リーネ曰く、超巨大なウーガの肉体を制御するにあたって、細かな操作は制御印の使用者への負荷が多くなるための対策と思われる、だとか。

 だが、ジッと結果を待つだけ。正直じれったい。おそらくだがウル達は外に出て戦うのだから。

 

「でも、精霊の力を使えたら、もう少しマシなんじゃ無いかって思うんだ」

「確かに精霊の力なら、ウーガの中からでも出来ることがあるかもしれませんが」

「そうだろ?」

 

 エシェルは自分の戦闘力の低さを自覚している。幾つもの修羅場を潜ったウル達、熟練にして一流の冒険者であるジャイン達、彼らと比べて明らかに自分の動きは鈍い。魔導銃は前よりは使えるようになったが、危機に対して身体が固まってしまうのだ。

 そんな自分の唯一の武器がミラルフィーネだ。

 通常の鍛錬や経験値とは全く別の所にある、異次元の力。ヒトの身では決して届くことが叶わない超常の奇跡。それならばおそらく、修羅場の最前線に首を突っ込もうとしている彼の力になれるはずだと彼女は確信していた。

 その確信を肯定されて、エシェルは嬉しそうにする。しかしカルカラは首を横に振った。

 

「ですが、軽々と”アレ”の力を使うのは止めた方が良いかもしれません」

「な、なんでだ?大分制御できるようになったし、とても強力じゃないか」

 

 攻撃を全て跳ね返す【反射】、術そのものを映し、発動させる【倍加】、そして映したものを奪い取る【簒奪】等々。魔術のように術を刻む必要もなく、魔術では再現不可能な力を手繰り、挙げ句の果てに、長年の研究の結晶であるリーネの【白王陣】すらもそのままに増やす事だって出来る。

 この力は”凶悪”の一言に尽きる。操る事が出来れば間違いなく巨大な戦力になる。

 

「私は貴方が望む事を拒む事はもうしません。ですがその上で言います。”アレ”は、決して軽々と使ってはいけません」

「それは、やはり邪霊だからか…?」

 

 問われる、カルカラはそっと周囲を見渡す。【螺旋図書館】にはヒトは居る。世界一の大図書館だ。利用者は多い。だが、彼女の周りに人気は無い。単純に図書館が広すぎて、ヒトがばらけてエシェル達に視線を向ける者などいなかった。

 それでもカルカラは更に小さく声を抑え、語りかけた。

 

「……貴方は、制御術式を奪取したときのことを覚えていますか?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 カルカラの質問に対して、エシェルは少し言葉に詰まったあと、首を横に振った。

 

「あまり……無我夢中過ぎて、何がどうなったか分からなかった。」

「あの時、”アレ”はその姿を顕現させていました。」

 

 精霊の顕現。祈りの力が結集した際に起こる現象。

 与えられた加護ではなく、精霊そのものが形になる現象。結果としてそれは四元の大精霊である【大地の精霊ウリガンディン】の抵抗をも打ち破る力となった。が、そもそも本来であれば”そんなことあり得ないのだ”。

 

「精霊の顕現は、神殿の中では頻繁に起こります。都市民と神官達、全ての祈りが結集する場所ですから。ですが、”アレ”が顕現したのは、神殿は疎か、都市の外です」

 

 ヒトの気配など全くない、人類生存圏外でミラルフィーネは顕現した。それこそ、四元の精霊程の力を持っていなければ起こりえない奇跡を起こした。

 そして、挙げ句の果て、大地の精霊から勝利を奪った。

 

「……でも、あの時は、エイスーラがシズクに唆されたから」

「エイスーラの意図せぬ助力は大きいでしょう。しかし……」

 

 カルカラは、口を閉じる。

 神官としての修行を収め、技術を磨いたカルカラであっても、邪霊については知らないことが多い。知られないように、あらゆる情報規制が神殿の中でも強いられる。で、なければわざわざエシェルがこうして調べるまでもなく、カルカラが彼女に教えている。

 だから、推測を立てるしかない。ないのだが、正直なところを言うと”あまり良い予感がしない”。

 

「カルカラ?」

「……大丈夫です。エシェル様」

 

 カルカラは強ばった肩を下ろす。自分を心配そうに見上げるエシェルの頭を撫でた。エシェルは少し驚いたようだったが、安心したように頬を緩めた。

 

「……アレは歪です。本来の機能から大きく逸脱している。故に慎重に、それを操る貴方自身を鍛えなければならない」

「私を……?」

「例え精霊の力であっても、易い道はありません」

 

 邪霊が危険であれば、いや、危険だからこそ、尚のこと、既に寵愛者として力を授かったエシェルは自らを律する力を身につけなければならない。カーラーレイが彼女に強いた封じ込めは逆効果だ。既に彼女には力があるのだ。蓋をしようとその事実に変わりは無い。

 手綱を握る術を、そしていざというときに封じるための術を知らなければならない。でなくば下手をすれば、あの歪んだ鏡に彼女は憑き殺される。カルカラはそれを確信していた。

 

 エシェルはそんな彼女を察したのか、安心させるように微笑みかけた。

 

「……なら、私も他の従者達のようにカルカラの基礎訓練を受けた方が良いのか」

「容赦はしませんよ」

 

 エシェルは頷く。

 懸念事項は多い。だが、彼女自身の心はとてもしっかりとしてきたことをカルカラは実感した。その理由があの男であることは少し腹立たしいが、彼女の為、出来ることをするという方針にはなんの影響も無い。

 

 彼女を、幸いな場所へと。

 

 その為に出来ることをすると誓ったのだ。

 

「……あれ?エシェルさん達、こちらにいらっしゃったのですか?」

 

 と、そこに、知った声が聞こえてきた。

 少し動揺するエシェルの前にカルカラは立った。幸いにしていと言うべきか、邪霊に関する書物の一切は見つかっていない。この場に後ろめたいことは何も無い。

 

「奇遇ですね、エンヴィー遊撃部隊副長」

 

 カルカラはエクスタインに対して挨拶を交わす。何故か彼は少し消耗した顔で会釈をする。エシェルもカルカラの背後で会釈した。

 

「少し調べ物をしていたのですが、そちらは何故此処に?」

 

 自分の話を早々に切り上げ、カルカラはエクスタインに話題を振った。別に、彼の話に興味があるわけでは無かったが、単にエシェルに話を合わされるのは面倒だったからだ。

 だが、その振りは失敗だったとすぐに知ることになる。

 

「カハハ、何、俺に対する報告義務だよ。お前達ほど興味をそそられるような情報は一つも無かったがね?」

 

 その男は、彼の背後からぬるりと姿を現した。

 種族特有の眉目秀麗な若々しい姿。だが浮かぶ表情は悪辣で老獪。相手に不快感を与えるようなニタニタとした笑み。何より彼自身が纏う得体の知れなさ。不安を抱かせる気配。

 カルカラは彼と会ったことはないが、彼が誰なのかはすぐに理解した。

 

 【七天】が一人【天魔のグレーレ】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋図書館の天魔と鏡②

 

 螺旋図書館は所持する官位によって入室に制限が掛かる。書籍の保全のため、あるいは貯蔵されている書籍”から”利用者を守るために作られた基本的な規則。

 

 その最も根本のルールを、一切守らない男がいた。

 

 【七天】の【天魔】 グレーレ・グレイン。

 神殿から嫌われ、官位を持たないはずの彼は、我が物顔で【螺旋図書館】を自由に闊歩していた。彼を嫌う神官の何人かがその旨について抗議するが、彼は知らん顔だ。そもそも入場制限がかかるエリアの入り口には、官位持ち以外は立ち入れぬ用、魔術による審査がかけられている筈なのに、彼にはまったくの無意味だった。

 

 ――此処のシステムを更新してるのは俺なのだから、通じるわけがないだろう?

 

 ごもっともな話だった。

 だが、【天賢王】の懐刀たる【七天】と言えど、【七天】であるからこそ、その彼が率先して【天賢王】の定めた規則を破るのはいただけない。

 しかしどんな神官が注意しても、果ては同じ【七天】の【天剣】が警告しても、彼は全く無視して螺旋図書館に入り浸る。結果、一度この螺旋図書館の内部で【七天】の二人が激突する危うすぎる一件も起こり、【天賢王】は対策のため結論を下した。

 

 ――【天魔】を螺旋図書館の管理者とする。

 

 利用するのは兎も角、管理するのは面倒だ。

 という、グレーレの意向を無視して、天賢王はそれを決定した。管理者であれば、その役目を十全に果たすため、【螺旋図書館】の全域に立ち入る許可を与える大義名分が立つからだ。

 膨大な書籍を管理する仕事に手を抜くことも出来ず、嫌々部下達に的確な指示を出すグレーレに【天剣】も溜飲を下げ、【螺旋図書館】には平和が訪れた。

 

 が、それを知らなかったエシェルとカルカラにはそれは吉報ではなく凶報だ。

 

「俺の城にようこそ!最も、押しつけられた城だがね。世話が面倒ったら無い!」

 

 グレーレはニタニタと笑う。

 一見して陽気そうにも見えるこの男に、何故薄気味の悪さを覚えるのか、エシェルには分からなかった。だが、彼の目線に晒されるのが耐えがたく、思わず身体を縮こめてカルカラの後ろに隠れてしまった。

 代わりにカルカラがエシェルを庇うように前に出た。

 

「邪教徒の元僕と、邪霊の愛し子。奇遇だなあ、お茶でもどうだ?」

「お目にかかれて光栄です。【天魔のグレーレ】。ですが、会って早々無礼ですね」

「ん?外れたか?そこのエクスタインの話を聞いた推測だったんだがね。外れていたというのなら謝るよ、カハハ」

 

 これっぽちも悪びれた様子のない謝罪を受ける。無論言うまでも無く彼の指摘は見事的中している。エクスタイン相手には一切その情報は明かしていないはずなのだが、その推測を当てたのはエクスタインの功績か、はたまた話だけで的中させたグレーレの恐ろしさか、判断できなかった。

 どうあれ、長く話しをするのは危険だ。カルカラもそう判断したのだろう。エシェルの手を取り、彼女は一礼した。

 

「要件がないのであればコレで失礼致します」

「おいおい、随分と敵対的じゃ無いか?」

「敵対的もなにも、立場上、貴方方は敵では?」

 

 色んな理由や立場があることを前提にしていも、ウーガに暮らすエシェル達と、ウーガを奪おうとするグレーレは普通に考えれば敵だ。エクスタインとウルは昔なじみと言う理由で親しくしているが、本来であれば楽しく会話する理由なんてのは一ミリも存在していない。

 ところが、グレーレはと言えば、その端正な顔立ちで、きょとんと、間抜けなツラを晒している。

 

「……まさかとは思うのですけど、ウーガの件、あまりピンと来てらっしゃらない?」

「ああ、今プラウディア近郊に来ているらしいな?それが?」

 

 本当にピンと来ていないらしい。エシェルは恐る恐る尋ねる。

 

「……あの、貴方の名代で、エンヴィー騎士団がウーガを接収しにきたのですが」

「ああ!そういえばそうだったな!スッカリ忘れていた!!」

 

 エシェルは思わずエクスタインを見た。

 彼は気まずそうな、あるいは申し訳なさそうな顔をしている。

 

「エンヴィー騎士団遊撃部隊は、独自の判断での接収作業が天魔から任されてる。どの魔術資産に価値と危険を見出すかは、内部の騎士達と、【エンヴィー中央工房】の連中が決めている」

「……要は、当の【天魔】の指示を仰がずに勝手にやってると…?」

「……そうなりますね」

 

 カルカラは度し難いものを見る目でエクスタインを見る。彼女の視線もごもっともと思っているのか、エクスタインも甘んじてその視線は受け止めていた。

 

「まあまあ、そう責め立てやらないで欲しい。仕方の無い奴らだと思うがね」

「呆れきっているだけですが?というか他人事のようにおっしゃってますが貴方が飼っている組織なのでは?」

 

 ウーガそのものの存亡を揺るがすほどに、ウーガをややこしくしてくれた組織のトップが全く関与していなかったという事実は衝撃が過ぎる。あれだけ自信満々にグレーレの名をこれでもかと誇示してきた遊撃部隊隊長のグローリアの気が知れない。

 

「エンヴィーの遊撃部隊は、俺の兵隊だったのは確かだがね。しかしまあ、アレだ」

「アレ?」

「指示をいちいちするのが面倒になってな!」

 

 コイツマジで言ってんのか、と、エシェルは思った。

 

「いやいや、真面目な話だぞコレは?俺も忙しい。日々、様々な研究に勤しんでいる。そして大陸中からその成果を求められている!天賢王の指示でもなければこんな場所の世話などやくものか!」

 

 仮にも天賢王のお膝元である世界一の大図書館を”こんな所”呼ばわり出来るのはこの男くらいだろう。彼はその調子で言葉を続ける。

 

「だというのに、ピンからキリまである魔術具を「やれこれは不要だ」だの「これは確保しろ」だの精査していちいち指示を出していられると思うか!?」

「……じゃあやらなきゃいいのに」

「そうもいかん。俺の叡智で解かれない術式など、あっては不憫だろう?」

 

 エシェルの思わず漏らした苦々しくもごもっともな感想に対して、グレーレはその滅茶苦茶な理論を当然のように言い切った。

 不遜な様子もなく、至極当然の事実であるような顔でそんなことを宣うお陰で、不本意ながらこの男がどういう人間性を有しているのか理解できた。

 自分の事以外何も考えてない

 

「だから研究成果を融通するという餌で、エンヴィー騎士団を動かしてるわけだ。熱心に働いてくれているぞ?50年前だったか、グローリアの阿呆が俺を出し抜こうとした時は少し手を焼いたが、調教してからは俺の優秀な手駒と成ったしな!」

 

 ――七天は【勇者】以外はかなり癖が強いの。

 

 と、リーネが時折宣うことがあったが、その言葉の意味するところが分かった。確かにこれは真っ当では無い。そして必要以上に関わるべきでも無い。

 

「……その、では、コレで失礼します」

 

 再び彼から逃れるようにエシェルが頭を下げて、踵を返そうとした。

 振り返った先に、何故かまたグレーレが居た。

 

「あの、まだ何か…?」

 

 別に向こうだってこっちに要件があるわけでも無いだろうに、何故此処まで絡んでくるのだろう。出来ればこれ以上話していたくもない。エシェルは多分、彼が苦手だ。得意なヒトが居るとも思えないが。

 

「なに。どうもウチの兵隊が迷惑をかけたらしいから、謝罪もかねて少し礼をしてやろうと思ってね。これでも礼儀は護れるタイプなのだよ?俺は」

「結構です。失礼します」

 

 カルカラが短く一礼して今度こそ、エシェルの手を引いてこの場から足早に逃げ出した。エシェルもカルカラの足に合わせて駆ける。早く彼から離れた方が良い――

 

「邪霊にまつわる禁書、欲しくは無いかね?」

 

 ピタリと、エシェルの足が止まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一見して、螺旋構造上にどこまでも続くシンプルな作りにみえる【螺旋図書館】だが、その実、様々な移動ルートが存在している。

 というよりも階段だけで移動するとなると深層の書籍を探す際、結構な山を下り、再び上るような運動量が必要になってしまう。当然そんなことやっていられない。

 ではどのように移動するか

 それこそが上層の【真なるバベル】でも利用されている空間魔術の一種であった。

 

「例えばだけど建物の1階と10階の入り口を繋げる、なんてことも出来るのが空間魔術さ。この【通路】はその間だ」

「……すまないが、何を言ってるのかよくわからない」

「うん、実は僕も分からない。完璧に理解できるのはグレーレ様くらいだよ」

 

 エクスタインの説明を受けながら、エシェルは顔を顰めた。

 今自分が居る場所、【真なるバベル】でもみた真っ白な通路だ。誰も居ないその通路を、グレーレ、エクスタイン、そしてエシェルとカルカラが歩いている。この場所が空間魔術における【通路】であるらしいのだが、聞いたところで何も分かることは無かった。

 

「……それで、これは何処に向かっているのですか」

 

 カルカラは周囲を警戒し、エシェルを守るようにして問いかける。

 邪霊の禁書という餌に釣られることを、カルカラは最後まで反対していたが、しかしやはりどうしても、知識として得られる機会は逃したくないというエシェルの要望に彼女は折れた。決して自身から離れないようにと言う約束の上で、今はグレーレの先導についていっている。

 彼女の問いに、グレーレは「あー…」と声を上げ、答えた。

 

「地下、73階だったかな?丁度ここら辺だ。」

「…………73?」

 

 エシェルは思わず聞き直した。先ほど、エシェル達が居た地下2階だった。この通路もそこまで歩いている訳ではない。そもそも下に下っていった感覚も無い。だのにいつの間にかそこまで降りてしまったらしい。

 空間魔術というものがどういうものか、その一端に触れたようだった。

 

「通常の場所には置けないものだ。”表”の螺旋階段からではどう足掻いてもたどり着けない場所にある……ふむ」

 

 と、グレーレが足を止める。

 

「エクスタイン、彼女らを保護するように」

「はっ……は?」

 

 エクスタインが問い直す間もなく、グレーレが地面を足で踏む。カツンと高い音が響くと共に、エシェル達の立つ場所に”穴が空いた”

 

「……んんん!?」

 

 エシェルが悲鳴をあげ、カルカラが彼女を庇うように動く。そしてエクスタインはその二人を抱えるようにして、3人は揃って落下した。そして間もなくして地面に着地した。というか墜落した。

 

「エシェル様!ご無事ですか!?」

「だ、大丈夫だ……エクスタインが死んでるけど」

「うぐぉぉ…………だ、大丈夫、だよ……!」

 

 グレーレの指示通り、エクスタインは二人を守り、下敷きになって死んでいた。彼は一応敵だが、感謝して合掌した。

 

「さて、ついたぞ諸君。此処がお前達の求める物の”在処”だ」

 

 エクスタインの甲斐甲斐しい献身をすっかり無視して、グレーレはエシェル達に笑いかける。いきなりの落下に対して文句の一つでも言うつもりだったエシェルは、しかし、次の瞬間その言葉を失った。

 

「……此処は……」

 

 螺旋図書館、禁書区画。

 窓も無い、薄暗い書庫。明かりとなるのは地面に天井に幾つか設置してるか細い魔灯の輝きのみ。陳列された棚には当たり前ではあるが、本が敷き詰められている。だが、背表紙になにも名称の刻まれていない無数の本達からは、多様な魔力が放たれている。

 魔本は、決して珍しいものでは無い。だが、此処で収納されている魔本の数々から放たれる魔力の質は、明らかにおかしい。魔術に詳しく無いエシェルにもそれは分かる。

 

 不吉だ。一つ一つが、災いを招き寄せるであろうと確信が持てるくらい、不吉だった。

 そんな代物が、所狭しと並べられるこの場所を図書館であるなどと誰も思わないだろう。

 此処は――――

 

「……迷宮?」

「ほう、正解だ、100点をやろう」

 

 エシェルの呟きに、グレーレは笑う。彼は両手を広げてこの空間を示した。

 

「あらゆる魔導書、あらゆる禁書を集め、忌み嫌い、蓋をするように一カ所に集めたこの禁書区画は、幾つもの魔力媒介を経て、迷宮化している!大罪迷宮における中層に匹敵するだろう!天賢王の足下でこんな暗黒空間が存在するなどと、皮肉じゃあないか!」

 

 彼がそう言う背後から、のそりと、動く影があった。エシェルが小さく悲鳴を上げる。

 小さな頭部、歪に長い二本の角、剥き出しの牙、細く長く不気味な6本の腕と翼。

 

『KIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』

 

 【山羊角ノ悪獣】とも呼ばれる魔物が、警告を告げる間もなくグレーレに飛びかかり、

 

「精々死なないよう、付いてこい。言っておくが俺は自分に降りかかる火の粉を払うだけだから、自分の危機は自分で凌げよ?」

『GAA!!?』

 

 指一本、視線一つも動かさず、彼に触れる寸前で爆散した。血飛沫は周辺に飛び散ったが、不思議と陳列された書物には汚れ一つ付着せず、魔物達は霧散した。

 

「此処は神官の目も、天賢王の目も届かない。()()()()()()()好きに使うと良い」

 

 彼は最後にそう言って、さっさと足を進めてしまった。当然、こんな所ではぐれてしまうわけにも行かず、追いかけないわけには行かない……の、だが

 

「……怪しいヒトに付いていくべきではないといったでしょう。エシェル様」

「ほんとゴメン……」

「……うんまあ、声をかけた僕も悪かったよ。あの人の性格わかってたのになあ…」

 

 さっさと楽しそうに行ってしまったグレーレの背中を見ながら、三人は非常に厄介な事態に巻き込まれたことを悟り、三者三様に後悔した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋図書館の天魔と鏡③

 

 螺旋図書館 地下七十三階 禁忌区画

 

 あまりに唐突に始まったダンジョンアタックに対して、エシェル達は必然的に3人で突発的なパーティを組むことと相成った。スリーマンセルは、ダンジョンアタックにおいてそれほど悪い組み合わせでは無かった。

 ただし、メンバー構成がかなり特殊に傾いていた。

 

「前方から3体魔物が来ている!!【翼ノ悪獣】!速度に気をつけてください!!」

 

 3人の中で最も安定しているのはエクスタインだ。

 騎士団の団員として、正規の鍛錬と技術を積んでいる。【俯瞰】の魔眼も抑えているため視野が広く、近接戦闘も遠距離の魔術戦も可能なオールマイティ。必然的に自分がこのスリーマンセルの中心に成らなければならないことをエクスタインは理解していた。

 

「来る方角を誘導します。【岩石の精霊(ガルディン)】」

 

 次に、岩石の精霊の加護を操るカルカラ。

 迷宮探索という現場に神官の精霊使い、というだけでも相当に特殊ではある。竜由来の迷宮であれば、そもそも精霊の加護は上手く機能しないからだ。この場所が竜由来でなく、岩石の精霊の力を使えるのは不幸中の幸いだった。

 そしてありがたいことに、彼女の官位は最下位(ヌウ)であるが、神官としての技量は卓越していた。地面から石柱を伸ばし、魔物達を一方的にたたき伏せる。更に狭い通路を石の壁で塞ぎ、来る場所を的確に誘導するのだ。魔術師以上に後衛として頼もしい力を発揮していた。

 

 彼女は問題ではない。問題なのは――

 

「エシェル様、今は【反射】だけに集中してください。合図で発動を」

「わ、分かってる…!!」

 

 エシェルだ。ただし、足を引っ張っている訳では無かった。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「今です!」

「……【鏡の精霊(ミラルフィーネ)!】」

 

 合図と共に、彼女は自身の力を解放する。発動した【鏡の精霊】の【反射】の力は、迫り来ていた3体の【翼の悪獣】の前に、力を跳ね返す鏡を生みだした。

 

『GYAAAAAA!!?』

 

 それは、()()()()()。図書館の通路を全て覆い隠すほどに。

 

 爪を立て、狭い通路を飛翔し、真っ直ぐにコチラに飛んできていた【翼ノ悪獣】の目の前に突然現れた鏡と、そこに映る自身が、自分に向かって腕を振り上げ、ふり下ろす姿を目撃する。そして激突した。

 

『G………!!』

 

 大きな壁に激突した、というだけではない。魔物達のその体には明らかに”深い爪の裂傷”が刻まれていた。それが自身の攻撃によるものだと、魔物は理解する事も出来ずにいた。そして、

 

「ッシィ!!」

『GA!!?』

 

 落下した【翼ノ悪獣】達は、エクスタインの剣技で絶命する。

 結果を見ればスムーズな連携だったと言えなくもない。が、問題はやはりエシェルだった。彼女が戦闘経験が浅く、やや連携にぎこちない、と言う点はまだいい。多少のもたつき程度は、エクスタイン一人でもフォロー出来るからだ。問題なのは、

 

「エシェル様!大丈夫ですか!?」

「う、うん。平気だ。全然大丈夫」

 

 カルカラが心配そうに駆けつけるが、エシェルはきょとんとしながらも頷く。それをエクスタインは遠目に見ながらも、驚愕していた。

 彼女は劣っているのではない。”強すぎる”のだ。

 

「二人とも、ご無事ですか」

「ええ……副長さん。分かっていると思いますが」

 

 カルカラの強い警戒の視線にエクスタインは神妙に頷いた。

 

「グレーレさんの言ったとおり、エシェル様は気にせず力を使ってください。僕はこの場であったことを口外する気はありません」

「……本当ですか?」

「我が守護精霊フィーネリアンと我が上司のグレーレに誓いましょう」

 

 エシェル・レーネ・ラーレイの保有する邪霊の件は【ウーガ騒動】の情報をグレーレに説明した際、彼が立てた推論から予想は立っていた。故に驚きはしたが、殊更にそれを利用するつもりも無かった。

 そもそも、この少数での迷宮探索。ろくに装備も準備も整っておいない状況で、不必要な力の抑制など、ただの自殺行為だ。エクスタインとて別に死にたい訳ではない。下手に警戒されても、良いことなんて何も無い。

 

「それに元々、貴女達が此処に巻き込まれたのは僕の所為ですから、責任は果しますよ」

「それは本当にそうなので気張ってくださいね。エシェル様が怪我したら殺しますからね」

「……尽力します」

 

 恐ろしい保護者だった。

 しかし、もっと恐ろしいのは、保護者が守っている当の本人だ。

 

「だ、大丈夫だカルカラ。今度はもっとちゃんとコントロールするから」

 

 エシェル・レーネ・ラーレイ

 鏡の邪霊の使い手である彼女は、自身の保護者の心配を払拭するためか、やる気を示した。その態度自体は殊勝でいじらしくもあった。が、根本的にカルカラが何を懸念しているのか、どうもわかってはいないようだった。

 

「……彼女の力、昔からあれくらいだったんですか?」

「……力を解禁したのはここ最近のことです」

「……それで、アレか」

 

 最初決めた3人1組の陣形をとりながら、密やかにカルカラとエクスタインは言葉を交わす。結果、驚きが更に強まった。

 精霊の力というものが、人知を超える現象を引き起こすのは当然のことであるが、彼女が振るう力は明らかに強い。()()()()

 

 大罪迷宮中層に出現するような魔物達の一切を反射する鏡を通路一杯に生成し、跳ね飛ばす。まさに精霊の加護らしい無茶苦茶な戦い方と言えばそうだが、普通それだけの現実の物理的法則から乖離した力はよっぽどの高位の神官でしか扱えない。

 そして、神殿との回路(パス)が無ければ、その力を当人の祈りの魔力だけで維持しなければならない。振るえば振るうほど、疲労するものだ。実際、今もカルカラは少しだが、疲弊を滲ませている。

 

「……うーん……もう少し……こう、絞って…………絞るってどうやるんだ?」

 

 が、エシェルにその様子はない。ピンピンしている。

 先ほど力を出しすぎたことを反省しているのか、なんとかコントロールしようと虚空に向かって手を突き出しているのは素振りしている。兎に角元気だった。

 

 元はカーラーレイ一族の長女。シンラならあり得るか?しかし――

 

『――――――』

「っと!」

 

 エクスタインは再び剣を構える。図書館の貯蔵されている禁書が動き、そして魔力を生成する。それが本自体の護衛機能なのか、あるいは手に取る者を貶める悪意に満ちた攻撃なのかサッパリ分からなかったが、迷宮と呼ぶに相応しい魔物の出現頻度だった。

 

『KIIIIIIIIIIII!!』

「今度は【一本角兎】の群れ!よくこんな場所を都市の中に作って放置していますね!!」

「だからこそ禁書エリアなんでしょうね!!【魔よ来たれ!雷よ!!】」

 

 足下を凄まじい速度で駆けながら、鋭い角を向けて首や心臓に飛び込んでくる恐るべき魔物達を焼き焦がしながら、エクスタインは吼えた。この手の場所が存在することは知っていたが、思ったよりずっとヤバい場所だった。

 

「と、というかあの【天魔】は何処に行ったんだ!!」

 

 エシェルの悲鳴はごもっともだった。実際、彼ならばこの程度の魔物など一蹴するだけの力を有しているだろう。しかし、【俯瞰】で彼の位置を探ると、

 

「……かなり先に進んで、適当な本を手に取って読んでますね」

「ぶん殴って良いか!?」

「魔物と同じように飛び散って良いなら、良いと思いますよ」

 

 上司は相変わらず自由な男だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「本棚で道がふさがってる……」

「あ、これ一カ所幻影ですね。ほらこうやってえええええ!?」

「エクスタインが落ちた!」

「【岩石の精霊(ガルディン)】」

 

「隠し通路の入り口が即罠は悪質すぎる……」

「カルカラ、とても綺麗な本がある。あ、エクスタインに飛びかかった」

「【岩石の精霊(ガルディン)】」

「エクスタインと本が吹っ飛んだ!!!」

「【擬書】 魔物です」

 

「か、カルカラ、本が、火を噴いている……左右から……」

「しかも、何故か通路が細道で、踏み外すと奈落になっていますね」

「……いやあ、流石に幻影の罠でしょう……え、違う?本当に奈落?図書館に???」

 

「エクスタイン、怪我増えてきたけど、平気か?」

「まあ、そこは前衛の仕事なので気にしないでください。回復薬も常備してますし」

「……【鏡の精霊(ミラルフィーネ)】で、無傷なエクスタインを映したら回復しないかな?」

「それ、鏡の僕に乗っ取られる奴ですやめてください」

 

 

 

「――――此処、本当に図書館か!?」

 

 エシェルの悲鳴のような叫びに、カルカラとエクスタインは無言で肯定した。迷宮探索開始から半刻、迫り来る数々の魔物に罠の数々、迷いを誘発させやすい通路の作り、珍妙な地形。

 迷宮としてはあり得るかもしれないが、此処は一応図書館である。

 本を探しにくいなんていう次元ではない。何を考えてこんなものを作ったのだ。

 

「言っただろう、迷宮化していると。本来の地形すらも歪め、形状を変える。そういった効力を持つ魔本が大量に貯蔵され、その漏れ出した魔力が衝突しているのだ」

「グレーレさん……いつの間に……」

 

 疲労を滲ませる一同の前に、いつの間にかグレーレが再び姿を現していた。彼の周囲には様々な魔物の死骸が積み重なり、その肉体を風化させていたが、当人はまるで気にすることなく適当に備え付けられていた椅子に座り、これまた何処から持ち出してきたのかカップで茶を啜っている。殴りたかった。

 

「まあ、見学する分には悪くない見世物だった。少し保護者が過保護であったがね」

「……」

 

 グレーレはカルカラを見つめるが、カルカラは反応する余裕はなかった。随分と疲労を滲ませているのはエシェルにも流石に分かっている。

 後衛支援に魔物の警戒、更には罠の対処などでも彼女の力は非常に有用だった。そして有用であるが故に、この3人1組の一行で最も負担がかかっているのは彼女だ。

 エクスタインもその点は気にしているようで、彼女をフォローするように立ち回っているが、限界がある。彼もまた、どちらかというとフォローする側だ。

 なんとか助けたいとも思うが、エシェルが無理をすれば余計にカルカラの心身に更なる負荷がかかるのも、長年の彼女との付き合いから分かっていたから、エシェルも自重を忘れなかった。

 だが、できれば早くこの難事を終わらせたい。

 

 そう思っている彼女の心をすかして見たかのように、グレーレはエシェルを見てまたあのニタニタとした笑みを浮かべた。

 

「なに、安心したまえ。間もなくゴールだ。望むものは手には入るだろう」

「本当……?」

「この先だ」

 

 彼についていく。するとドーム状の天井の広間にその道は続いていた。先ほどまでの狭く、圧迫感のある通路とはまた違う、広い空間だった。しかし何故だろうか。身体を締め付けるような圧迫感は未だに拭えない。

 3人は自然と緊張し、姿勢を低くする。

 

「――――ただし」

 

 ただし?

 その言葉の続きを聞くよりも前に、奇妙な風のような音が図書館に響いた。唸るような、蠢くような音だ。なんだ?と、確認する間もなく、先頭に立つエクスタインが叫んだ。

 

「上だ!!」

『ZLIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』

 

 上空から、風の様に聞こえていた魔物の咆吼が降りてくる。巨体。ドーム状の天井一杯に広がる十三本の足。肥大化した腹に浮き出る模様はヒトの頭蓋によく似ていた、そして十つの目と牙が蠢く頭部。

 

「【呪王蜘蛛】だ…!」

「宝というものには門番がつきものだ。さあ頑張るといい!」

 

 封じられた図書の深層に巣くい、書物の光に誘われた虫を喰らう大蜘蛛が、牙を向いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋図書館の天魔と鏡④

 

 【呪王蜘蛛】

 階級は第六級、数メートルに及ぶほどに長い13の足は自在に蠢き、その巨体でありながらも壁も天井も自在に這い回る。獲物を砕く顎は凶悪であり、貫かれた獲物を両断するほどに鋭い。更には消化液を口から吐き出し、鎧をも溶かす。

 だが何よりも凶悪なのは彼女が用いる蜘蛛の糸だ。縄張りとする部屋一面に張り巡らされた蜘蛛の糸は、呪いの術を帯びており、触れるだけでその者の魔力を奪い、弱らせ、ついには指一つ動かせない状態にして捕らえる。

 

 巣から引きずり出してしまいさえすれば、的が大きく動きも鈍重のため、それほどの脅威では無くなる。だが、もしも彼女が待ち構える縄張りに足を踏み入れてしまったならば、銀級であれども不覚を取る。

 自分たちが未熟で、そして少数であったならば、決して踏みこむことなかれ。

 

 女王の可愛い子供の朝食に、志願したいというのなら別だが

 

 

                      【名も無き冒険者達の警句集】より抜粋

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エクスタインは、自らの経験と直感、その場の状況から即座に理解した。

 

『ZYAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 これは死ぬと。

 

「逃げろ!!!」 

 

 エクスタインは前衛として即座に指示を出した。上司のグレーレの命令を完全に無視した指示であったが、死ぬと分かっていて死地に留まる程に彼は上司に盲目ではない。特にグレーレは、こう言った”試し”で必ずしも命を保証してくれるタイプではない。

 ”不幸な事故”が起きたケースを彼は知っている。自分の身は守らなくてはならない。

 だが、

 

「っが!?」

「つまらない真似はするな。エクスタイン」

 

 戻ろうとした矢先、”出口にはじき返された”。

 見れば結界が張られている。誰の仕業か、などと勿論考える必要は無い。

 

「グレーレ!!冗談が過ぎます!!!」

「冗談など嫌いだ。時間の無駄であるからな」

 

 グレーレの笑い声がする。だがどこに居るのかは分からない。俯瞰の魔眼であっても彼の居場所はつかめなかった。不可視の魔術か、あるいはもっと高度の魔術か、どのみち彼が本気で隠れれば見つけられる者など同じ【七天】でもそうはいない。

 つまり戦うしか無い。

 

『ZIIIIIIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAA!!』

「【岩石の精霊(ガルディン)】!!」

 

 呪王蜘蛛が毒液を吹き出す。同時にカルカラが岩石の壁を生み出した。岩の壁は毒液を受け止め、エクスタイン達を守る盾となった。が、

 

「と、溶けてる…!?」

「どういう胃液ですか!!」

 

 ドロドロと形を崩していく石の壁にエシェルは絶句し、カルカラは悲鳴を上げながらその場から離脱する。

 

「足下に気をつけて!蜘蛛の巣を踏んだら魔力が食われます!!」

 

 エクスタインは指示を出しながら雷の魔術で地面を焼き払っていく。だが、これが何処まで効果があるか不明だ。そもそも此処に来るまでも相応に消耗している、こんな垂れ流すように魔術を放ち続ければ魔力が確実に枯渇してしまう。

 

「体力の余裕も無い!短期決戦で行きましょう!!」

 

 というよりも、それしか手段は無い。

 万全の状態で動ける時間は、残り僅かだ。短期決戦に挑まなければ、万に一つの勝ち目も無くなる。エクスタインは天井を見上げる。

 

『ZIIIIII……』

 

 女王は未だ天井にて蠢いていた。動く様子はない。当然だろう。獲物達は地面を這い回るばかりだ。この自分のいる天井までたどり着くための手段もないのなら、わざわざ降りてやる理由など無い。

 屋上から毒液と、呪いの糸をまき散らし、弱らせ、なにもできなくなってから仕留める。彼女の常勝の戦術を変える理由など無い。

 で、あれば不意は打てる。

 

「カルカラさん!合図でお願いします!!エシェルさんは盾を!!」

 

 エクスタインは剣を握りしめ、深く腰を下ろした。その意図を察したのかカルカラは握りこぶしを作って額に当て、残る自らの力を振り絞るようにして祈った。

 

「……こちらももう限界です。これで決めて下さい」

「だ、大丈夫だ!やれる!!」

 

 エクスタインは頷き、【呪王蜘蛛】を凝視する。向こうは向こうでコチラを観察しているのだろうか。十つの目をジッと向けて、まるで石像の様に動きを止めている。

 奇妙な静寂の間、そして次の瞬間に、臀部を下に向け、そして呪いの糸をエクスタインへと向けて放出した。

 

「今です!!」

「【岩石の精霊(ガルディン)】!」

「【鏡の精霊(ミラルフィーネ)】!!」

 

 瞬間、エクスタインの足場が動き、彼を上にのせた石柱が一気に浮上した。同時に、吐き出された蜘蛛の糸の前に鏡が出現し、糸を反射する。

 

『ZYI!?』

 

 呪王蜘蛛が自らの呪いの糸で魔力を奪われることは無い。だが、攻撃を防げるだけでも十分だった。エクスタインは剣を構え、そして前体と腹の間、肉の細くなった場所に狙いを定めた。

 

「我が守護精霊フィーネリアンよ。我が蛮勇を見守りたまえ……!!」

 

 藁にも縋る思いで精霊への祈りを捧げ、そして一気にせり上がる石柱の上で踏みこみ、全霊でもって彼は剣を振るった

 

「ッッシャアア!」

『ZYYYYYYYYAAAAAAAAAA!!??』

 

 【呪王蜘蛛】の肉を引き裂いた、青紫の血が噴き出す。全く予期せぬ反撃に【呪王蜘蛛】は身悶え、その幾つもの足をばたつかせ、そしてバランスを崩した。

 

「落ちる……!」

 

 勝った。彼は一瞬そう思った。あの巨体、大怪我を負った状態で無防備に高所から落下すれば、身体は間違いなく破壊される。と、そう思った。

 

『ZYAAAA!!!!』

 

 呪王蜘蛛が、何も無い空中で、その巨体をピタリと停止させるまでは。

 

「な……!!」

 

 何故、と考えるまでも無い事に気がつく。呪王蜘蛛が何に支えられるかなどわかりきっている。この部屋の、至る所に張り巡らされている、彼女自身の糸だ。

 呪いの蜘蛛の糸は、恐ろしい効力を秘めると同時に、驚くほどに強靭でもあった。その巨体が放り出されても、支えきってしまうほどに。更に、

 

「傷口すらも、塞ぐ…!?」

 

 エクスタインが切りつけた胴からの出血が収まっている。半透明の糸が傷口に重なって、流れ出るのを押さえ込み始めている。エクスタインの決死の一撃は、無慈悲に守られてしまった。

 しかも、空中に、彼女を支えきるほどの蜘蛛の糸が巡らされていた、ということはだ。

 

「僕も……か……!」

 

 一気に力が抜ける。自分の中の魔力が一気に枯渇していくのを感じた。見れば、体中に半透明の糸が纏わり付いている。一気に部屋の中を突っ切ったのだから当然だった。エクスタインは膝をついた。

 身体が動かない。カルカラの力も尽きたのか、足下の石柱が崩れていく。だが、エクスタインは落下しなかった。自分の身体は、既に蜘蛛の巣に捕らえられていたのだ。

 

『ZIIIIIII……』

 

 【呪王蜘蛛】は、傷に暫く悶えていた。そして身体を、自身を傷つけた忌々しい獲物へと向ける。が、獲物が、既に身じろぎも取れず、自分の巣に掛かっているのを確認すると、すぐさま狙いを、足下の残る二匹の獲物に変える。

 女王は油断しない。自分を傷つけた忌々しい敵を今すぐにでも食い殺したい欲求はあるが、何をしてくるかも分からない敵を残して、無力化された獲物に飛びつく油断は起こさない。

 

 驚くほどに賢しく、油断ならない。エクスタインはまだ動く舌で必死に叫んだ。

 

「……!グレーレさん!お願いです!!これ以上は本当に死んでしまう!!救助を!」

 

 返事はない。分かっていた。戦いの最初に告げたように冗談を嫌う。彼はそう言う男だ。

 

「二人とも、逃げてください…!!」

 

 最後にそれだけを必死に叫び、エクスタインは意識を失った

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 地上に居たカルカラ達もまた、窮地だった。

 

「カ、カルカラ!だ、大丈夫か!!」

「……エシェル様」

 

 心配そうなエシェルの声を、カルカラは殆ど聞けていない。魔力の枯渇が起きていた。身体が明らかに重い。蜘蛛の糸に気づかずに触れていたか、あるいは単純に精霊の力を使いすぎたのかも知れない。身体が全く動こうとはしなかった。

 だが、脅威は徐々に迫る。猶予はなかった。

 

「今から、逃げ道を、作ります。安全なところで、隠れていてください。ウル達が、見つけてくれるはず」

 

 そう言って震える手を押さえ、再び両手を組み、祈りを開始する。これ以上、魔力を祈りに捧げ精霊の加護を行使すればおそらくだが命も危うい。しかし、エシェルだけは守らなければ――

 

「やめろ!カルカラ!!もう無理だ!!」

 

 だがその祈りをエシェルが払う。それだけでカルカラはぐらりと身体のバランスを崩して転んだ。やはりもう限界だったのだ。

 

「私が、やる!!」

 

 エシェルはそんなカルカラの身体を支え、上空で牙をならし、狙いを定めている呪王蜘蛛を睨み付けた。両の手を合わせ、握りしめるようにして祈りを捧ぐ。

 

「え、エシェル様……!」

 

 エシェルの周囲に魔力が渦巻く。魔術の類いではない。彼女の祈りに彼女の宿した力が鳴動する。それだけで周囲がざわめいていた。まだ何も彼女は力を発露していないにも関わらず。

 

 やはり、おかしい。こんなこと、あり得ない!

 

 だが、それを止めるほどの体力はカルカラにはなかった。

 

『ZYAAAAAAAAA!!!』

 

 その異常に、呪王蜘蛛も気づいたのだろう。肥大化した腹を向け、呪いの糸を吐き出す。触れるだけで終わる呪いの糸が雨のように大量に降り注ぐ。最早逃げ場などなかった。

 だが、その時は既に、エシェルもまた準備を完了させていた。

 

「【ミラルフィーネ!!】」

 

 叫んだ。

 

 何かがひび割れる音が響き渡った。

 カルカラが意識を失う直前、彼女の目に映ったのは、あの平原でも目撃した黒のドレスを纏った鏡の精霊、それがエシェルに覆い被さる姿だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋図書館の天魔と鏡⑤

 

 ――カルカラ

 ――はい、エシェル様

 

 かつての、カーラーレイ家でのエシェルとの思い出を振り返るとき、カルカラは何時も苦々しい気持ちで胸が一杯になった。無邪気にも自分を頼り縋る彼女の首を、いつでも搔き切る準備をしている自分に嫌気がさしていたからだ。

 しかし最近はそれが少しマシになっている。裏切る必要が無くなって、彼女と和解できたからだろう。勝手な話だと思うし、例えどれだけエシェルが許しても、自分を決して許してはならないと分かっている。

 ただ、昔の彼女との思い出に、汚らわしい想いを抱かずに済むのだけは、良かった。

 

 ――ねえ、見てこれ、ドレスよ

 

 この日はなんだっただろうか。何時も通りカーラーレイの兄弟達に面白半分で石を投げられて逃げ回って、広い広いカーラーレイの屋敷の中の一室に潜り込んだ時だっただろうか。物置の様な部屋だった。

 そこに押し込まれていたドレスは子供用にあつらえた代物だった。恐らくはエシェルの妹達のもので、1度か2度着た後に使わなくなったのだろう。放置されていたそのドレスを、彼女は広げてみせる。

 決して口にはしないが、その目は羨ましそうだ。

 今彼女が着ているボロの服は痛々しい。とてもではないが、都市で最も高位の家の長女が身に纏うようなものでは無い。ドレスなんて、彼女はもう随分と着ていないのだ。

 

 ――エシェル様。着てみましょう

 

 だからカルカラは、彼女の願いを酌むようにそっと提案した。

 

 ――……いいの?

 ――誰も、気づいたりはしませんよ。

 

 部屋は随分と埃っぽい。使用人達も此処は殆ど立ち入らないのだろう。そんなところに押し込まれていた古くさいドレスなんて、彼女が着たところで誰も気づくはずが無かった。

 勿論、カルカラはその事は言わずに、楽しみにしているエシェルが着替えるのを手伝ってやった。彼女のために用意されたものでは勿論無いから、所々サイズが合わなかったが、カルカラはドレスと一緒に放置されていたリボンやアクセサリーでそれらを誤魔化して、綺麗にしてやった。

 

 ――すごい!カルカラ、すごいわ!

 ――お似合いですよ。エシェル様。

 

 エシェルが飛び跳ねて喜ぶのを、カルカラは微笑み賞賛する。この時ばかりはカルカラも心から喜んだ。この大きな屋敷で彼女がこうして大喜びできる一時は、本当に貴重だったからだ。

 エシェルはくるくると回り、踊る。白色のドレスと、身に纏ったアクセサリーがキラキラと反射する。カルカラはそれを微笑み眺め続け――――ふと、気づく。

 

 鏡だ。鏡がある。

 

 この物置には鏡があった。大きな鏡だ。でも不思議だった。カーラーレイの屋敷に鏡なんてものは無い。鏡は邪霊の象徴だ。だからエシェルが生まれるよりも以前から、この屋敷には鏡なんて存在していない。目に付くところに放置しようものなら、それを放置した使用人達の首が飛ぶ。使用人達にすら所持は許されていない。

 

 だというのに、何故こんな所に鏡があるのだろう。

 

 カルカラの疑問を余所に、エシェルは跳んで跳ねて、踊る。陽の光が窓から差し込み、エシェルを輝かせ、鏡に映る彼女に反射する。

 大きな姿見の鏡に映るエシェルは、当たり前だが、彼女と同じように踊る。全く同じ動きで、だが、一点だけ様子が違う。

 

 黒い。彼女は黒いドレスを身に纏っていた。

 

 真っ黒なドレス。顔を覆うベール。薄らと見えるその顔は確かにエシェルだ。身に纏うドレスだけがおかしい。目の錯覚だろうか。

 

 ――ねえ、みてくれた?カルカラ

 ――……ええ、勿論ですよ。エシェルさ……

 

 エシェルがコチラに微笑みかける。一瞬ぼおっとなっていたカルカラは思わず彼女に笑いかけて、そして彼女の真後ろの鏡に、最後に視線が向かった。

 エシェルは此方に向かって微笑みかけている。鏡はその後ろだ。当然、カルカラの視点から鏡に映るのは自分と、エシェルの背中の筈だった。

 

 だが、鏡に映っている黒いドレスを身に纏ったエシェルはコチラを向いている。

 

 カルカラが声も出せずに目を見開く。鏡のエシェルは、本物のエシェルと同じように微笑んでいた。だが、違う、彼女の笑みはあんなにも妖しくは無い。見ているだけで、吸い込まれてしまいそうな目で、こっちを見たりはしない。

 そして鏡の彼女は、本物の彼女を無視して、カルカラに向かって、言った。

 

 ――ちょうだい?

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 螺旋図書館 地下73階奥 元大聖堂

 

「――――っ!!!!」

 

 カルカラは目を覚ました。

 何か、恐ろしい夢を見た気がする。酷い汗をかいていた。大きく息を吐く。埃っぽい場所で寝ていたせいか喉も痛い。水が飲みたかった。

 

「ほお、真っ先に目を覚ましたのはお前だったか」

 

 だが、そんな不快感も、自分を見下ろすようにして観察する【天魔】グレーレを見て吹っ飛んでしまった。彼女は血は一気に沸騰し、跳ねるようして起き上がった。

 

「貴様!!」

「貴様とは無礼な女だ。折角魔力枯渇を起こしていたお前を助けてやったというのに」

 

 最も、そこまで追い詰めた原因も俺であるがな!

 と、グレーレは笑う。カルカラは睨むことを止めなかった。誇張でもなんでもなく、普通に殺されかかって怒らない方がおかしいというものだ。

 

「何故こんな真似をしたのですか!エシェル様は無事なのですか!」

「お前の後ろで寝ているぞ」

 

 言われ、驚き振り返る。するとそこには確かにエシェルが地面に倒れ伏していた。その隣にはエクスタインも寝ている。どうやら3人は綺麗にならんで寝かされていたらしい。

 

「エシェル様!」

「…………ん……」

 

 カルカラが声をかけると、エシェルは少し身悶えするが、しかし起きなかった。だが意識を失っているとかではなく、熟睡しているだけのように見える。怪我も無い。隣のエクスタインも息をしている。全員無事だ。

 

「まあ、運が良かったなあ。特にお前とエクスタインは魔力枯渇で死ぬ寸前だった。精々俺に感謝すると良い」

「……あの呪王蜘蛛も貴方が倒したと?」

 

 絶対に感謝などするものか、と、睨みながらカルカラは確認する。あの時、自分たちは完全に詰んでいた。助かった理由があるとしたら七天のグレーレか、あるいは――

 

「俺が?まさか!そんな真似を何故しなければならない!」

「……では何が」

「見てみろ」

 

 グレーレが自身の背後を指さした。カルカラは身体を起こして、ゆっくりと彼の後ろを確認する。

 

「この呪王蜘蛛は長いこと此処で主をやっていたものだからな。ほぼ受肉していたため、死体は残っている」

「……………………」

 

 そして、戦き、よろめいた。

 

 呪王蜘蛛は死んでいた。だが、その死骸の痕跡はただ事では無かった。

 切断されていた、とかならばまだ納得も行く死に様だろう。だが、これはそうではない。その身体は何故か縦横無尽に”抉り取られていた”。尋常でなく鋭利な爪を持った巨人が、呪王蜘蛛の身体を刮いだような、珍妙なる死骸だった。

 

 当然、何故こんなことになったか、普通ならば分かりようも無いが、カルカラには覚えがあった。

 

 エイスーラとの戦いの折、エシェルが引き起こした鏡の精霊の顕現の時に起こした力。暴走していた精霊が引き起こした【簒奪】の力だ。身体の一部がそっくりそのまま無くなり悶えるエイスーラの姿、それとそっくりだった。つまり

 

「……これを……()()()()()()?」

「ああ、見事なものだったぞ?お前達が一方的に殺されかかった呪王蜘蛛を、見事に蹂躙した。最も、当人は全く覚えてはいないだろうがな」

 

 カルカラが振り返っても、エシェルはやはり眠ったままだ。目を覚ます気配も無い。むにゃむにゃと、コチラの気もしらないようで、何か寝言を呟きながら、笑ってすらいる。

 

「……彼女の力を見るために、こんな真似をしたのですか」

「あの年まで殺されず、自滅もしない邪霊の愛し子など中々お目にかかれない。興味深かったが、想定以上だったぞ。よくぞアレを生かしたな監視役よ」

 

 本心から感心したような物言いに殺意がわいたが、殺そうとしたところで、この男に襲いかかった魔物達と同様に四散するだけだろう。怒りを押さえるのに苦労した。

 

「まあ、そう怒るな。俺も不本意ながら此処の管理者なのだ。それなりの労力を払って保管している禁書をタダでくれてやるわけにもいかんのだよ」

 

 そう言って彼はカルカラに一冊の本を投げて寄越す。表紙も何もかも真っ黒な本だった。触れた瞬間に魔力を帯びているのは分かったので、魔本の類いなのは間違いなかったが、一見してなんの情報も読み取れなかった。

 

「これは……」

「邪霊に付いての知識をまとめた研究書類にして、邪霊そのものの力を利用するための魔導具よ。作成者は邪霊の力を扱えず自滅し死んだがな」

「つまり欠陥品ではないですか」

「過ぎた精霊の力の抑制の機能は保証してやろう。最も、彼女の力を抑えるには不足かもしれんがな!カハハ!」

 

 こんなもんいるか、とグレーレの顔面に投げつけようとも思ったが、確かにコレは今のエシェルには必要なものだった。不本意ながらも、カルカラはそれを手放す訳にはいかなかった。

 そしてもう一つ腹立たしいことに、目の前の男は、カルカラよりも遙かに邪霊に対して理解しているという点。ならば、

 

「報酬、というのなら、もう一ついただいても?」

「ほう?なんだ」

「エシェル様……【鏡の精霊】は、何故ここまで強大なのですか」

 

 この目の前の無残な呪王蜘蛛の死骸で確信に至った。

 やはり、エシェルの力はおかしい。精霊の力がヒトの常識を越えるのは常だが、エシェルのそれは精霊の常識すらも越えている。こんなデタラメな力を、神殿との繋がりもないのに苦も無く発動できるわけがない。

 

 何かあるはずだ。そして、それが何なのかを知らないまま、彼女に力を振るわせ続けるのはあまりにも危険だった。

 

「ふむ?まあ折角だ。答えてやろう……が、理由は複合的だぞ?」

「複合的?」

「【邪霊】の問題と、【鏡の精霊】、【エシェル・レーネ・ラーレイ】の問題が混じり合っている。中々希有な事例だなあ?」

 

 「一つ一つ話してやろう」と、グレーレはコツコツと地面を鳴らしながら古びた大聖堂を闊歩する。一見してそれは魔術の教官の姿にも見えた。

 

「まずは【邪霊】だ。前提知識として貴様は邪霊をどう認識している?」

「神殿に邪悪とされた精霊の総称」

「なんだその配慮したような物言いは?貴様も神官の端くれなら理解しているだろう?」

「……」

「”人類に不都合な精霊の総称”だ!悪だのなんだのと、あくまでも人類側の勝手な都合よ!」

 

 カルカラは沈黙で肯定した。彼の言うことは正しい。

 同時に、何故この男が神殿から蛇蝎の如く嫌われるのか分かった。神殿の中ではタブーとされ、容易に口に出せば天陽騎士に引っ捕らえられるような事を平然と宣うからだ。

 

「”創造者”はこの世界を生み出すとき、真に危険な精霊は廃棄した。精霊達の住まう【星海】から爪弾きにした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 が、しかし、

 

「神の整備は不完全だったなあ。かつての【理想郷時代】から迷宮の出現で世は乱れた。人類全体に余裕がなくなり、新たなる”不都合な精霊”が生まれた。それらが邪霊だ」

 

 神、太陽神、ゼウラディアを”不完全”と断じる不敬を平然と宣ったグレーレは、尚も続ける。

 

「膨張の精霊の例のように、可能であれば思想の矯正も行うが、それも難しい場合は精霊の住処である【星海】から管理者である【天祈】が追放し、神官達にはそれらの精霊への祈りを禁じる」

「……私が知りたいのはエシェル様の件なのですが」

「まあ聞け!折角興が乗ってきたのだ!」

 

 カルカラの抗議をあっさりと退け、グレーレは言葉を続けた。

 

「【星海】から弾かれた邪霊達は、神殿の魔力供給も断たれる。直接祈っても貰えなくなる。必然、弱体化してその果てに【卵】になるか、僅かな信仰者達からの祈りを糧に細々と生きるかになるわけだが――――さて、【鏡の精霊】だ」

 

 じろりと、グレーレは倒れているエシェルへと視線を送る。カルカラは彼女を庇うように間に入った。その姿をグレーレは嗤った。

 

「【鏡の精霊】は通常の邪霊とは異なる。何故か分かるか?」

 

 カルカラへと問う。この男の授業の真似事に応じるのは業腹だったが、しかし答えなければ話は進まないだろう。そして、カルカラは既に答えがわかっていた。

 鏡の精霊の特殊な状況は、誰の目にも明らかだからだ。

 

「……【簒奪】の悪名の件ですね」

「そうとも。優秀な生徒で嬉しいなあ?」

 

 後から付け足された迷信により、歪んでしまった精霊。

 鏡の精霊は特別だとグレーレは言う。

 

「元々鏡の精霊は邪霊ではなかった。当然であるがな?そもそも鏡は単なる無機物だ。それが後から、【簒奪】という悪徳が()()()()()()付け足された希有な事例よ!」

 

 通常であれば、妖しげな迷信が都市に蔓延すればすぐさま()殿()()()()()()。それも神殿の一つの役割だからだ。しかし鏡はその矯正がきかなかった。その神殿自身が、よりにもよって「太陽を盗む」という畏れを強固な恐怖(しんこう)にしてしまったのだから。

 

「しかも鏡は日用品だ。既に広まりすぎていた。通常の邪霊のように”不要”として忘れるにはあまりにも生活に結びついていた。神殿内だけ排除しても、むしろ逆効果だった」

 

 神殿から一掃したとて、都市内に偏在する鏡の存在を、神官達は忘れることも出来ずに畏れ続けた。むしろ遠ざけたことで、実体をぼやけさせ、結果、迷信を加速させた。

 

「カーラーレイ一族から鏡の寵愛者が生まれるのも、ある意味必然だったなあ」

「……なんですって?」

「寵愛者が生まれるより以前から、第一位(シンラ)であるカーラーレイ一族は鏡の事を過剰に恐れたのだろう。恐れ、戦き、嫌悪する。第一位(シンラ)の恐怖(いのり)が結実したのがあの娘よ」

 

 カルカラは、頭の奥に血が上っていくのを感じた。グレーレへの怒りではない。既に自業自得で死に絶えた、カーラーレイ一族に対してのものだ。

 彼らは散々にエシェルを嬲って罵った。些細な不幸が起これば彼女が生きている所為だとわめき散らした。だが、そもそも彼女が鏡の精霊に寵愛されたのは、彼らが過剰に鏡を恐れた結果でしか無い?全て身から出た錆であると?

 

 それでは、あまりにも彼女が不憫だ。

 

「どれだけ神が悪意を奈落に棄てようとも、全てとはいかない。そうして零れた悪意が鏡を不必要に強くした――しかも、()()()()()()()()()()()()()()

「……まだ、なにかあると、いうのですか?」

 

 問うが、グレーレは肩を竦めるのみだった。

 

「カハハ!!すまんなあ、”ソレ”に関しては俺も検証が足りん。確証が無い情報を賢しらに口にする性分ではないのだ」

「貴様……」

 

 あまりに好き放題に舌を回すグレーレに殺意が沸いた。が、当人はまるで悪びれる様子はない。

 

「口が悪いなあ!まあそもそも本来であれば官位を持つお前に敬意を払わなければならないのは俺であるはずだから、悪いのは俺か!!カハハ!!」

「……もう、どうでも良いです」

 

 カルカラは溜息をついて、がっくりと地面にしゃがみ込んだ。

 疲れた。情報として受け止めるにはあまりにも重かった。エシェルのためと分かっていたから耐えられたが、出来れば今聞いた話こそスッカリ忘れてしまいたい気分だった。

 結局、手に入った魔導書以外は、得られたのは不安だけだ。エシェルが無事だったことだけが救いだが、後は早く帰りたかった。

 

「お話、感謝します。それで、私達はどのようにして戻れば?」

「心配せずとも帰してやろう。要件は済んだ」

 

 カツン、とグレーレの足音が響く。するとカルカラ達の周りに白い輝きが集まり、間もなくしてカルカラの視界も白く染まっていく。転移が始まろうとしていた。

 

「最後に聞いておこうか。」

 

 輝きの中、グレーレの声が届く。無視してもいいか、とも思ったが、カルカラは溜息を一つ吐き出して、聞き直した。

 

「何ですか」

「お前自身はどうするのだ?」

 

 光の中、グレーレの視線が真っ直ぐにカルカラを貫いた。全てを見透かしている目だ。あらゆるものを観察し、自身の好奇心という怪物のエサを探す目だった。

 

「その娘、何れは”多くの神官が信じるように”大いなる厄災と成る可能性を秘めている。本人の望む望むまいに関わらず。そして、そこに至れば」

 

 そうすれば、もう、戻らない

 

「【真なる邪霊の愛し子】の誕生よ。その時、お前はどうするつもりだ?」

「彼女が望むのなら、それを手伝いますが、それが何か?」

 

 カルカラは、その好奇心の目を真っ直ぐに見つめ返し、答えた。彼の話の多くに振り回され、混乱を強いられたが、しかしその一点だけは何も変わらない。故に答えに迷うことは無かった。

 彼女の望みを助け、幸せに導く。この身は、その為だけに存在している。

 

 カルカラの答えをどう思ったのか、確認するヒマは無かった。間もなくしてカルカラ達の身体は転移の魔術に飲み込まれ、視界からグレーレの姿はかき消えた。だが、最後に彼の言葉だけが、カルカラの耳に届いた。

 

「では、【陽喰らいの儀】は乗り越えねばなるまいな。存分に俺を楽しませてくれ。」

 

 お断りだ。と、いうカルカラの悪態は虚無に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、地下空間から、エシェルとカルカラは姿を消した。

 残されているのはグレーレと、そしてもう一人

 

「さて……」

 

 グレーレは地面に転がり目を瞑るエクスタインをのぞき込み、そして口を開いた。

 

「起きていただろう。エクスタイン」

「……グレーレさん。あまり危険なことはなさらないでください。」

 

 言われ、エクスタインは身体を起こした。

 顔色は良くない。先の戦いで限界ギリギリまで追い詰められ、更に魔力切れを起こしたのも本当なのだから、当然だった。意識を失っていたのも事実だ。

 ただ目を覚ましたが、カルカラよりも更に先だったというだけの事である。

 

「ウーガがこの先どのようになろうと、彼女たちの存在は必要になる。失うわけには行かないと分かっているんですか?」

「わからんな。あのデカイ使い魔には興味をそそられん訳でもないが、優先度は低い。貴様らが献上するというのなら見てやるが、邪霊の愛し子の方がよほど興味深い」

「お陰でこっちは必死だ」

 

 エクスタインは大きく溜息をつく。その彼の様子を見てグレーレはせせら笑った。

 

「これでエンヴィー中央工房の連中が躓いたとて、お前は嬉しいのだろう?」

「そう簡単じゃ無いって事は理解してほしいものですがね」

「魔術の探求以上に重要とも思えんが」

「上司が部下の仕事への理解がなくて辛いなー!」

「カハハ!!」

 

 自分の組織を飼っている【七天】に対しても、エクスタインは言葉を選ばなかった。グレーレも彼の態度を気にする様子はない。エクスタインの直接の上司であるグローリアがその光景を見れば目をひんむくだろう。

 だが、二人の関係はこのような状態だった。幸か不幸か、出会ったときから妙に馬が合ってしまったのだ。

 

「で、狸寝入りをしてまであの女の話を聞けた成果はあったのか?」

「彼女の話を聞いたのは、エンヴィーとは関係ありませんよ。あくまで個人的好奇心です」

「ほう、真面目くさった男が珍しい。それで、見たいものは見れたのか?」

 

 聞かれると、エクスタインは楽しそうに、少しだけ寂しそうに笑った。

 

「友人の周りに、昔と変わらずおかしな人材が集まっていることは分かりましたかね」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市プラウディア バベル通り

 

「全く……とんだ図書巡りになりました」

 

 カルカラはエシェルを背負いながら、帰路についていた。

 既に夕暮れ時で、都市民達も一日の勤めを果たした太陽に祈りを捧げ、帰路についている。カルカラも彼らと同じように太陽神に祈りを捧げ、プラウディアにとっている宿に向かっていた。

 

 眠っている彼女を運んでいると昔を思い出す。泣き疲れて眠った彼女を良くベッドまで運んでいた。これまた、あまり碌な思い出ではないが、大事な記憶だった。

 

「カルカラ……」

「エシェル様、起きましたか?」

 

 言っている間に、彼女は目を覚ました。カルカラは彼女を降ろして、無事を確認しようとしたものの、エシェルは背中からカルカラの身体を強く抱きしめた。

 

「エシェル様?」

 

 問うが返事は無い。カルカラにしがみつく彼女の力は少し強い。その仕草にも覚えがあった。苦しみに耐えているのだ。そして、そうする理由もカルカラは察した。

 

「……私、危ないのかな」

「……話を聞いていました?」

「最後だけ」

 

 肝心の部分は聞かずに済んだようだ。しかし一番不穏な部分は耳にしてしまったらしい。転移の間際に何故【天魔】があのような質問をしたのか疑問だったが、おそらくエシェルが目を覚ましたことに気づいていたのだろう。

 本当に死ぬほどタチが悪い男だった。

 

「私のやるべき事は変わりません。ずっと貴方の隣りに居るつもりです」

「うん……」

 

 エシェルは背中で頷くのを感じる。だが、やはり辛そうだ。カルカラは言葉を探した。中々に

 

「……ただこれは、あまり根拠の無い話ですが」

「うん?」

 

 イマイチ要領を得ない切り出しに、エシェルが不思議そうにする。それを口にしてるカルカラも、正直これがちゃんとした慰めになっているのかイマイチ自信が無かった。

 ただ、今彼女が一番欲しているものをカルカラは分かっていた。

 

「貴方が大きく道を踏み外したとしても、孤独になることはないと思います」

 

 たった二人で、周りが敵だらけの中をただ食いしばって耐え続けるだけだった時を、彼女は思い出している。自分が周囲にとっての異物になって、排斥されるのが怖いだろう。

 だけど、きっとそうはならない。

 

「……それはどうして?」

「貴方よりもずっと、道を大幅に踏み外して突き進みそうなヒトが周りに沢山居ますから」

「ええ……」

 

 幸か不幸か、今彼女が居る場所は、彼女に負けず劣らずの異端者ばかりだ。もしも彼女が【邪霊の愛し子】そのものになるとしても、そうなる事態になったとき、道を踏み外すのが彼女だけとは全く思えない。

 ”あの男”は、エシェルがもしも足を踏み外して奈落へと落ちたなら、躊躇無く自分も奈落へと飛び降りる。そう言う男だ。

 だからこそ、エシェルは彼に懐いたのだ。

 

「……酷い話だな」

「ええ、全く」

「でもそうか……そうかあ……」

「ええ、そうです」

 

 本当に酷い話だった。だけどそれがなによりも彼女の救いになる。エシェルは最後にもう一度カルカラを抱きしめると、その背中から飛び退いて自分の足で立ち上がった。

 

「カルカラ。もう約束の日まで時間はないけど、少しでも精霊の力を操る練習したい」

「ええ、勿論。貴方の望む通りに。エシェル様」

 

 二人は並び、帰路に就く。その姿は仲の良い姉妹の様だった

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの闖入者

 ~大罪都市プラウディア滞在2日目~

 

 移動要塞都市ウーガがプラウディアに移動する際には些か苦労があった。

 

 本体を重力魔術によって制御しているとはいえ、なにしろその巨体である。一歩進む道を間違えただけで、場合によっては大惨事も起こりかねない。その為に七天のユーリからの誘導などで細心の注意を払いルートを探り、大罪都市プラウディアの都市部から距離を置き、人通りの少ない場所に身を寄せることには成功した。

 それでも結構な距離はある。早い馬車に乗っても数時間だ。近くに寄せすぎると、ウーガの存在が影をつくり、太陽神の信仰の妨げになるという問題もあるため、どうしたって距離を空ける必要があった。

 その為【歩ム者】らも、寝泊まりはプラウディアの宿を借りることにした。プラウディアで所用を済ませた後、いちいち戻るのがあまりにも手間だったからだ。

 

 だが、この日は【歩ム者】の面子は全員ウーガに集結していた。

 そうせざるを得なかった。グラドルのラクレツィアからの要請のためだ。

 

「こちらは住居区画となっています」

「2-3階建て程度か?些か贅沢では無いかね」

「ウーガは移動要塞です。高層化しすぎると安定性に問題が――」

 

 まるで観光案内のようなシズクの解説を横目に見ながら、ウルはウーガの内部を歩き回っていた。ウルからすれば勿論、ウーガの内情など大方把握している。シズクの解説は”来客達”に向けての者だった。

 

 ウーガを”見物したい”というプラウディアからの来訪客の応対。

 その日、ウル達が課せられた仕事はそれだった。

 

「…………キツイ」

「本当のことでも文句言うなガキ」

「キツイはキツイんじゃねえかジャインだって」

 

 その護衛として彼等の移動に合わせて移動するウルと【白の蟒蛇】のジャイン一行だったが、正直言えば苦痛を伴う作業だった。

 

「どんだけ護衛連れてきてんだ客人達……肩書き見たら当然かもだが。」

 

 プラウディアでも老舗、神官向けの高級雑貨を取り扱う【陽香園】、魔法薬を取り扱う魔術師ギルドの最大手である【天からの雫瓶】、生産都市からの食品加工を一手に担う【金剛包丁】等々、プラウディアの都市機能を支える大手ギルドの面々。

 更に第三位から第四位までの精霊に愛された神官達。だが官位以上に彼等は力を保っていた。【運命の精霊・フォーチュン】と呼ばれる運命の禍福を見定める力を保つ精霊の信仰を行う彼等は、ここ数年で急速に拡大する精霊信仰の一派だ。

 

 要は、プラウディアの中でも今現在力を持った連中が集まっているのである。

 

 だからこそ、護衛の数も相応に多くなるのも自然と言えば自然の流れだ。ただ、それが結構な数なのである。神官の護衛として天陽騎士団がつくのはまだわかるが、それ以外にも冒険者ギルドから雇われたらしい傭兵達、更には恐らく彼等が個人的に雇っているらしい私兵達の姿まである。

 

「どんだけウチ警戒されてんだ」

「そりゃそうだろ。見ようによってはただの巨大な魔物だぞウーガ。プラウディアの結界の内側に寄せさせて貰えただけでも結構奇跡だ」

「【天剣】の部下の魔術士にウーガの機能の大半は封じられたがな。許可が出るまで動くことも出来ない。だってーのになんて護衛の数だ」

「死んじゃいないなら怖いは怖いさ」

 

 詰まるところ、彼等からすれば魔物の腹の中に潜り込むような気分であるらしい。

 それだけ警戒するのであれば、いっそ来なければ良いのに、とも思うが。それでも来たくて来たくて仕方が無いから、大量の護衛を引き連れてやって来たというわけだ。そしてそうなると負担が増えるのはウル達である。我が物顔でウーガを練り歩く武装集団を前に、少数の戦力しか持ち合わせていないウル達はどうしても神経が削れてしまう。

 

「なら、気合いの出る話をしてやろうか」

「なんだよ」

「今日の来客達、味方だと思うか?」

 

 ジャインの言葉で、改めて来客達の顔を見る。

 

 ――こういうことを言っては何ですが、来客達には気をつけてください。

 

 ラクレツィアは少々疲れた表情でそう語った。

 いわく、プラウディアの面々の訪問は1度は断ったものの、無理を通されたらしい。大地の精霊の神官の欠落の援助をプラウディアは多く担ったため、特に彼等からの要請は断ることは難しかったらしい。

 グラドルの神官の不足は言わば自滅であり、その埋め合わせを行ったプラウディアの恩に報いなければならないのは当然と言えば当然の事であるのだが、それでもラクレツィアの表情は険しかった。

 

 ――自分たちの権威が陽光の届く全ての場所で通じると思ってる手合い。注意なさい。

 

「…………いいや」

 

 ラクレツィアの言葉を思い返しながら、ウルは訪問客達の顔を見る。

 

「随分と造りに無駄が多いですな」

「建築を指示した者のセンスが伺えますなあ。ええ全く」

「よしましょうよ。あくまでも邪教徒が作り出した代物、らしいのですから。ほほ」

 

 訪問客達は口さがなく好き勝手に色んな事を言っている。

 別に、ウーガの建築様式や、ウーガそのものの後ろ暗さを指摘されたところで、ウルは全く痛くもかゆくもない。何せ作ったのはエイスーラだ。彼のセンスがどうこう言われようと、彼が生前残した後ろ暗さをせせら笑われようと、心の底からどうでも良い。何なら彼らと一緒に嗤ってやっても構わないくらいだ。

 

「ねえ、エシェル殿。そう思いませんか」

「おやおやどうされました。顔色が優れませんが、ハハハ」

「………」

 

 問題は、来客という立場にありながら、彼等に配慮の欠片も見えない事だろうか。

 

 此処のトップはエシェルだ。

 カーラーレイ一族の生き残りの一人であり、先の動乱で様々な傷を負う羽目になった少女である。彼等もラクレツィアに接触し無理を通してここに上がり込んだのだ。その程度の情報は知っているだろう。にもかかわらずの無遠慮さで、あの態度だ。

 シズクとカルカラが二人でエシェルのフォローに回ってるものの、エシェルの顔色は思わしくない。

 

「少なくとも味方ではないわな」

「じゃあ敵だ」

「極端だなおい」

「現在ウーガに、敵が、大量の兵隊を引き連れて此処に上がり込んできているワケだ」

「…………」

 

 ウルは沈黙し、その後、右手に握った竜牙槍を握り直した。

 

「わかってはいたが、改められると気合い入るな畜生」

「絶対碌な事にはならねえぞ。”護衛の対象”を見誤るなよ」

 

 ジャインの言葉を胸に刻むようにウルは頷いた。

 

「なにをするんですか!おやめくださいませ!!」

 

 そして早速悲鳴が響き渡った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 都市型巨大移動要塞ウーガ

 この存在は多くの都市民達にとっては好奇と同時に未知への恐怖と不安が向けられた。未だかつて見たことも無い物に対して、多くのものが抱く感情は警戒心と恐怖だ。変わらぬ毎日の安寧を望む者達にとって、未知と変化は恐ろしいものだ。

 何故なら、彼等には変化に干渉する力が無いからだ。抗する知識も手段も無い者には変化は災害と変わりない。拒絶するか、それもできないなら耐え忍ぶしかできない。

 

 しかし、財ある者、力ある者はその見方が違う。

 

 彼等は未知と変化に対応できる力を持っている。そしてそれがもたらす利益も理解している。そしてウーガは”未知”の中でもとびっきりだ。歴史を紐解いたとて、これほどの巨大な”移動要塞”が存在した記録はなかっただろう。かの魔導機械都市エンヴィーすらもここまでの代物はお目にかかれない。

 それがもたらす利益がどれほどのものか、想像するのも難しい。それだけの可能性が此処には眠っているのだ。

 

 ならば、いち早くそれを得て、そして独占しなければならない

 

 利益とは、奪い合いだ。そして早い者勝ちでもある。グラドルが窮地に陥ったとき、強引にグラドルへの支援を主導したのも全てはこのためだ。エンヴィー騎士団の遊撃部隊が抜け駆けをしようとしたときは少しひやりとしたが、そうなると尚のこと、後れを取るわけにはいかなかった。

 彼等はギラついた目つきでウーガをくまなく探索する。余すこと無くつぶさに情報をかき集め、ウーガがなにができて、なにができないのか。そしてどのようにすれば大きな利益へと繋がるのかをくまなく見て回っていた。

 

「ふうん、内装は悪くないな。」

 

 だからその一環として、名無し達が住み着いている住居の状態を確認するのも当然のことだった。中に暮らしている名無し達が怯えたような表情を浮かべているが、彼等は気にしない。剣を持った護衛者達が彼等を押さえつける。余計な真似をさせることもないから安心だろう。

 【天からの雫瓶】所属、プラウディア北区画店、店長ナカイン・レーネ・スタラーンは、住居の一つに足を踏み入れ、その内装をしげしげと確認して回っていた。

 中に住民とおぼしき名無しがいたが、気にすることはなく踏み入れる。驚いた男が此方に寄ってきたが、護衛達がそれを抑えたので問題ない。

 

「お待ちください!!此処には暮らしている者達が!!」

「ああ、エシェル殿、申し訳ないが彼等を追い出しておいてくれないか。邪魔なんだ」

「こ、この家から出て行けと!?」

「”違う。ウーガからだよ”。何を言ってるんだ君は?」

 

 エシェル・レーネ・ラーレイはギョッとした表情でコチラを見つめる。

 しかし不思議なのはコチラも同じだった。そもそも何故に名無し達をこんな場所に住まわせようとしているのか、自分たちには全く理解できないのだから。

 

「な、何故」

「何故も何も、名無しなど、近くに存在させるだけで百害あって一利も無いだろう?精霊達に祈りを献上する力をまるでもたず祈りを穢す害獣だ。一刻も早く除けるべきだ」

 

 名無し達は精霊とヒトとの繋がりを穢す。

 これをナカインは信じていた。いや、彼だけではない。彼の周りにいる多くの者達。彼と共にウーガへと乗り込んだ者達にとってもそれは常識だ。

 官位持ちの者達と比べるとささやかであるが、精霊達の糧となれる都市民達は兎も角、それ以下の名無し達の存在など彼等にとって目障りだった。冒険者達は非効率なエネルギー源である魔石を運び込み、その当然の対価とでもいうように都市部の貴重な資源を食い荒らしていく。

 

 まさに害獣だ。魔物と言っても差し支えない。

 

 自分たちの「統率者」はそれをハッキリと口にしている。官位もちであり商人として時に名無しの相手もしなければならないナカインには流石にそれを簡単に同意することは出来ないが、しかし内心ではそれを躊躇わずに口にする”彼女”を賞賛していた。

 魔物に襲われる心配も無く、一切の不自由なく精霊達の力を自由に使えた理想郷時代。それを崩壊させた迷宮大乱立を引き寄せ招いたのは”名無し”である。と研究を出す高名なる魔術師達も多くおり、それが正しいとナカイン達は確信している。ありとあらゆる情報が「名無しは不要」という紛れもない事実を彼に伝えてくれる。

 つまるところ、自分たちの新たなる商売の場所となるであろう場所に、勝手に名無し達が住みつかれるなど、言語道断なのだ。

 だというのに、だ。

 

「どうしたんだね?早くしてくれないか」

 

 カーラーレイ一族の生き残りはおかしな顔をしているのか不思議でならなかった。

 

「……エシェル様」

 

 すると、彼女に仕えるもう一人の神官、ヌウの官位を持つ女が近付いてきた。ああ、まごついている主を正しにきたのかとナカインは少し安堵した。こんなことに時間をかけている暇など無いのだから。

 すると、何事かと話していたエシェルは再びナカインへと向き直る。少し苛立ちながらも彼は辛抱強く彼女の答えをまった。そして、

 

「その………それは、出来ません。彼等はウーガの、住民です」

「……………………は?」

 

 そして、予想外の返答が待っていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――姫様。おはようございます。今日は太陽神も良いお顔をなされていますね。

 

 ウーガで暮らす事になった名無し達が自分の事を”姫”などと呼ぶことになったきっかけは、エンヴィーとの審判の後からだった。シズクが状況を心配していた名無しの住民達に結果を伝え、エシェルがウーガの女王になるやもしれないと伝えたのだ。

 

 ――何事も形から入るのがよいですから。

 

 正直最初呼ばれたときビックリしたエシェルだったが、シズクから笑顔でそう返されて反論することは出来なかった。

 現在ウーガに暮らす住民達の多くは、酷く乱暴に言ってしまえば”なし崩し”だ。ウーガ建築作業に従事していた名無し達がそのままウーガで暮らしている。元々グラドルがそう言う契約――勤労代わりに都市の永住権を得るという餌――を交わしていたから、それ自体は正しい権利なのだが、それからしばらくの間混乱が続いた為、名無しとエシェルの関係は曖昧だった。

 雇用関係とは少し違う。そもそも彼等を集め、ウーガに向かわせたのは弟(エイスーラ)だ。エシェルでは無い。エシェルは官位を持っているから、身分の上では彼等よりも上だが、名無し相手に都市の中にある地位を掲げるのは弱いと以前学んだ。

 

 ――名無しらウーガの住民達の庇護者であると示しましょう。

 

 姫様呼びは、それを明確にするための一環だ。

 そして、始めてみると、名無し達は驚くほどアッサリとその呼び方を受け入れた。適当な渾名のような呼び方ではなく、名無しとしてたどたどしくも敬いを示してくれていた。指導したというシズクとカルカラの手腕も勿論あるのだろうが、名無し達も嫌がってるわけではないようだった。

 

 ――姫様は、私達を助けてくださいましたから。

 

 疑問に思っていたエシェルに、名無しの一人がそう言った。

 年老いた只人で、手先は荒れてボロボロだったが、深く深くエシェルに頭を下げていた。

 

 ――他の都市建設は酷かった。でも貴方は我々をヒトとして扱った。そればかりかこんな場所に住まわせて貰うだなんて、感謝の言葉もありません。

 

 ソレは違う。という言葉を飲み込むのに苦労した。

 ウーガ建設時、彼等を使い潰すような真似をしなかったのはそれができる状況じゃなかったからだ。ウーガが使い魔として転生し、そこに住めると分かったとき名無し達を勝手に住まわせていいものか最後まで悩んでいたのはエシェルだった。

 彼等の支配者として立つにはあまりにも未熟な精神性だった。

 自覚すらも無い。あの審判の時なし崩しで決まったような代物なのだから当然だ。

 

 ――おひめさま!みてみて!おはたけでこんなにトルメトとれたの!

 ――ああ、お姫様。ご覧下さい。ここらの建築は綺麗に直せました。立派なもんです!

 ――姫様姫様。ウーガの剥がれた甲羅から加工品が出来たのですがご覧になりますか

 

 だが、こうして敬われれば否応なく、自覚というものは生まれるものだ。

 「形から入る」というシズクの言葉の意味をエシェルは理解した。あれはエシェルに対しても向けられた言葉だったのだ。そしてそれにまんまと乗せられるようではあるものの、確かにエシェルも「そうあろう」と思えたのだ。

 

「その………それは、出来ません。彼等はウーガの、住民です」

 

 だからこそ、今この目の前の来客達の横暴から、名無し達を守らねばならないとエシェルは決めた。

 一時的な退去であればまだ飲んだだろう。だが、ウーガから追い出せ、なんてのは余りに滅茶苦茶だ。いくら相手が官位持ちとはいえグラドルの神官でもない相手のそんな要求を唯々諾々と従ったらウーガが滅茶苦茶になる。

 

 商人達がざわめき始める。

 表情に浮かぶのは困惑、混乱、失望だ。先の騒動で来客達も集まり始めたが、一様にエシェルに対して怪訝な表情を浮かべている。彼等が揃ってそんな顔をすると、エシェル自身が間違ったような気がしてくる。エシェルは不安な表情を堪えた。

 

「事情は聞きました」

 

 すると神官や商人達の間を掻き分けて、一人の女がやって来た。

 年齢は40くらいだろうか。只人の女性だ。来客達の集団にまとまりはなかったが、まとめ役のリーダーとなっていたのは彼女だ。【運命の精霊フォーチュン】の神官、ドローナ・グラン・レイクメアだ。

 彼女は薄らと笑みを浮かべて近付いてきた。エシェルは警戒する。どのような表情を浮かべようとも、悪意のある顔というのはエシェルは敏感に察知できる。彼女の表情はまさにそれだった。

 

「どうやら、誤解があるようですね。エシェル・レーネ・ラーレイ」

「誤解?」

 

 エシェルは確認しながら、チラリと後ろを見る。ジャインがその視線をみて頷く。

 彼はこの家の住民であるタカンタ一家を連れて、来客等の傭兵達に気付かれないようにそっと家を出ようとしていた。更に外では騒ぎを聞きつけてこわごわと様子をうかがう名無し達に白の蟒蛇の面々が声をかけている。上手く誘導してくれることをエシェルは祈った。

 

「私には、あの方が此処の住民達を追い出す要求をしたようにしか聞こえませんでした」

「ああ、それが誤解です」

 

 そういって、ドローナは頬をつり上げて手で仕草をした。

 

「彼がしたのは要求ではなく命令です」

 

 途端に、彼女の左右に控える戦士達がエシェルへと手を伸ばしてきた。強引で、問答無用なその動きにエシェルは息を飲み、

 

「暴力はやめていただきたいのだが」

「何をしてくれるんですか」

 

 ウルとカルカラがその間に割って入った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの闖入者②

「一体何のつもりです?」

「こっちのセリフなんだが、これは何の真似だ?」

 

 ウルはエシェルへと手を伸ばした天陽騎士の手を引っ掴んで尋ねる。

 ドローナを護衛していた天陽騎士は兜で顔を隠しており、表情は見えにくいが、ウルに掴まれた手を即座に払うと、強い視線をウルへと向けてきた。が、腰に据えた剣を引き抜かないあたりまだ理性は残っているらしい。

 

「また誤解があるようですが、これは親切心ですよ」

 

 だが、彼らの主であるドローナが正気である保証はなかった。

 いきなり主であるエシェルに害意を向けたにもかかわらずドローナの表情は自信に満ちあふれている。自分の暴挙に対して自信に満ちあふれているのが逆に恐怖だ。どういう神経をしているのだろうと言う気になる。

 

「仮にもグラドルの末端でありながら、自分たちの立場をまるで理解していないようでしたから、立場を教えてあげようと思ったのです」

「立場?」

「グラドルは、今や我々によって生かされているという事実です。で、あれば、このグラドルも当然自分たちのものである。そうではないですか?」

 

 と、彼女はそう言う。つい先日エンヴィー騎士団遊撃部隊からの主張は「ウーガは自分たちが管理すべきだ」と言ったものだったが、こっちはもっと直接的だ。「ウーガは自分たちのものだ」と言っているのだから。

 

「で、あるにもかかわらずコチラの要請を無視するなどと……ええ、コチラからも問いますが。正気ですか?」

「プラウディアが混乱したグラドルを助けたのは事実です。だけど、真にグラドルを助けたのは、ディズ……七天の勇者です」

 

 エシェルが反論する。

 

「勇者!!ほほ!あんな使い走りがなんだというのです!」

「なっ」

「アレは精霊に捧ぐ祈りの力を持ち合わせていない、七天の末席の威光に縋って官位だけついた半端物。その事実は、貴方の方がソレはよく知ってるので無くって?」

 

 エシェルは言葉を返せずに押し黙る。思い当たる節があったからだろう。

 ウルもエシェルがディズに対してかなり無礼な態度を取っていたことを忘れているわけではない。あれは、プラウディアそのものと敵対するグラドルの親兄弟を模倣した態度だとおもっていたが、どうやらプラウディアの内部でもディズの存在は強くはないようだ。

 実際、今日も彼女は居合わせていない。「顔を出すと確実に悪い方に転がるから」とディズは言っていたが、その意味がようやく実感できた。

 

 だが、言われたままでいるわけにもいかない。カルカラもそう思ったのだろう。エシェルの前に彼女は立った。

 

「だとしたら、早々にグラドルによびかけてウーガを貴方方に明け渡すよう、要請すれば良いのではないですか?」

 

 カルカラは無表情だ。だが、恐らく内心ではエシェルに害意を向けているドローナ一行に怒り狂っている。ウルは爆発しないことを祈った。

 

「【ウーガ】はあくまでもグラドル管理の移動要塞。どれだけ特殊でも今現在その事実に揺らぎは無い。グラドル本国の命令としての指示ならば従いますが、別の国、プラウディアの”ただの”神官の意見に従う義理はありません」

 

 ただの、という単語をやや強めに付け足すと、ドローナは少し表情を歪めるも、しかし未だに勢いを緩めたりはしなかった。

 

「私達が此処に招かれたという事実から察することも出来ないのかしら?ねえエシェルさん。貴方随分と察しと出来が悪い付き人を連れているわね」

「察しと出来が悪くて理解できないので教えていただけますか?何の意図があると」

「ウーガは、既に我々のものであるという事実を、よ!」

 

 彼女が手振りをすると同時に、彼女に付き従う天陽騎士や傭兵達、戦士達が一斉に剣を引き抜いた。カルカラとウルはエシェルを庇うように立つが、刃が突きつけられて動くことが出来なかった。

 この住居外でも騎士達はそうしている。彼女が連れた数十人の傭兵達の凶器と殺意が向けられ、空気は一気に剣呑となった。

 

「何の真似です。正気ですか?」

「不安なら、グラドルに確認を取ったらいかがですか?やめさせてくださいと助けを乞えば良いのですよ」

 

 ドローナはせせら笑う。

 出来はしないだろうというように。ただ、確かにソレは難しい。連絡したところで目の前の武力を物理的に退ける力はグラドルには無い。そもそも彼女たちを武力込みで招き入れることを苦渋の表情でも許可せざるをえなかったのは、ドローナの言葉が少なからず真実を突いていることを示している。

 

 だが、それを理解していたからこそ、コチラも準備はしてきたのだ。

 

「申し訳ありません。現在ウーガでは暴力行為は控えていただけますでしょうか」

 

 小鳥の囀りのような美しい声と共に、いつの間にやら姿を消していたシズクが再び姿を現した。ウルは彼女の準備が終わったことを理解した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「自衛以外の理由で、他者に対して直接的な暴力、ないし間接的な脅迫行為を及ぶことはウーガ国内では禁じられています」

 

 白いローブを身に纏ったシズクは、家を取り囲む兵士達の包囲から抜け出して外に立っていた。住宅街の路地で、やや狭苦しそうに並ぶ戦士達を何処か嘲笑うように優雅にベンチに座り込んで、微笑みを浮かべていた。そしてかわいらしく両の手をあわせる。

 

「これはウーガの法です。申し訳ありません。どうか双方、武器を下ろしてくださいませんか」

 

 そう言うと、嘲笑う声がした。兵士達の間からドローナ達がせせら笑っているのだ。空気をまるで理解できていないかのように笑う少女を前に、ドローナは指を差す。

 

「分かっていないようだから教えてあげるわ。法なんてものは、力が無ければなんの効力も持たないのよ!」

「なるほど、確かに。では示しましょう」

 

 は?と聞き直したドローナに対して、シズクはかつんと靴で地面を鳴らした。

 

『カカカ』

 

 何かが何度も噛み合うような音がした。同時に彼方此方の住居の影から、ゆらりと鎧を身に纏った兵士が一人。姿を現した。無論、即座に護衛を行う戦士達が警戒するように剣を向ける。そこにはたった一人が迫ってきたところでどうにでもなる。という侮りがあった。

 しかし、次第に状況は変化する。

 

『カカカカ』『カカ』『カカカカカッカカカッカ』

 

 何かが鳴るような音が連続して響く。そしてその音と共に鎧を身に纏った兵士達が更に姿を見せる。何体も何体も、際限なく姿を見せるのだ。護衛者達は驚愕を露わにする。彼らとて愚鈍ではない。周りに敵が居ないことや、自分たちと対立するウル達の存在も十分に確認しながらウーガを進んでいた。

 だのにまるで突然、足下から沸いたような大量の戦士達の姿はあまりにも異様だった。

 

「もう一度言います。武器を下ろして貰えますか?」

 

 ドローナが言うところの、明確なまでの”力”を示しながらシズクは問うた。ドローナは目を見開き、とうとうその笑みを崩した。

 

「武器を下ろしていただけますか?」

 

 シズクはもう一度口にする。途端、数十人の護衛者を更に圧倒的な数で上回る謎の兵士達は剣を身がまえた。一瞬たりとも乱れず動くその姿は異様で恐ろしく、そしてこの場の何よりも威圧的だった。

 だが、護衛していた戦士の一人が大声をあげる。

 

「ハッ!読めたぞ魔術で操ってる操り人形か使い魔だな!!ハリボテだ!!」

 

 そして物は試し、というように目の前の兵士一人に斬りかかった。無論、ソレはこれまで以上の暴挙であるが、それを咎める者は誰も居なかった。だが、

 

『カカカ!!』

 

 その瞬間、その剣が跳ねた。護衛者に斬りかかられた兵士が即座に反撃し、武器を弾き飛ばしたのだ。護衛は驚愕に目を見開く。弾け飛んだ剣はくるくると宙を舞い、それをシズクは不意に手を伸ばすような仕草をすると動きは空中で止まり、そのままシズクの手元へ降りていった。

 彼女はそれをそのまま丁寧に、武器を失い呆然となっている護衛者に差し出して微笑む。

 

「続けますか?」

「貴様――――」

 

 そしてその丁寧な対応を侮辱と取ったのだろう。空いた手で、護衛者は目の前にきたシズクへと手を伸ばした。だが、彼女に指先が触れるよりも速く――――

 

「ガッ!?」

「おっと」

「手癖が悪ぃなオイ」

 

 ウルと、そしてジャインの手が、護衛者の腕を引っ掴んだ。

 

「ぎ、ぎやあああ……!!」

 

 銀級のジャインは言うまでも無く、修羅場を潜り続け、相応の魔力を吸収し続けたウルの力もまた、並大抵のものではなくなりつつあった。まして、都市の安全圏に住まう者達の護衛者程度では、相手にもならなかった。

 

「法は力が伴わなければ何の意味も持たない。って話だったよな。ジャイン」

 

 尋常ではない力で摑まれて、身悶える護衛者を尻目に、ウルはのんびりとした調子でジャインに尋ねた。

 

「ああ、言ってたな。そこの女が」

 

 ジャインもまた、同じようにそれに応じる。二人は悲鳴をあげる護衛を投げ捨てると、暴力を命じたドローナへと静かな視線を向けた。びくりと、ドローナと、その周囲の者達は怯えるようにたじろいだ。

 

「なら、力が伴っているなら、従わせても問題は無いんだよな」

 

 ウルは竜牙槍を抜いた。

 

「ああ、勿論、そう言う事だろうさ。何せ当人が言ってたんだからな。偉大なる神官様が嘘なんて言うわけが無い」

 

 ジャインは手斧を肩で担いだ。

 

 そして二人は行進する。一歩一歩。ドローナ達に近付いていく。無論、護衛の者達は二人に警戒を向けるが、怖じけているのが目に見えて分かった。そもそも周囲の兵士達にも気が散って、それどころではないらしい。

 

「あら、ウル様。ジャイン様。いけませんよそんな意地悪を言って」

 

 そしてその状況で、鈴のような声で語りかけるシズクは、天の助けのようにも見えたし、彼等の無様を嘲弄する幼子のようにも見えた。

 

「皆様、ちゃんと話せばわかってくださいますよ。そうですよね。皆様?」

『カカカッカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!!!!』

 

 兵士達のカタカタカタという奇妙な合唱を背に、シズクは妖艶に微笑みかけた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………で、逃げ帰るようにしてウーガから連中は出て行ったと……」

 

 その日の夜、仲間達と共に本日の結果の報告会議をウーガの自宅にて行った。

 武力による脅しは回避、というよりもゴリ押しで跳ね返す事が出来た訳だが、しかし中々に厄介な問題だったのは間違いなかった。しかも、根本的な解決には未だ至っていない。

 

「とりあえずシズクとロックはお疲れさん……しかし、まさか本当に使う羽目になるとは」

「ロック様の”分身の術”。上手くいきましたね」

『シズクの死霊術との合わせ技じゃったがの!カカカ!おもしろかったのう奴らの慌てるツラは!!』

「面白がんなよ骨爺」

『ええじゃろジャイン。お主だってノリノリじゃったろ!カカカ!』

 

 種としては、それほど難しいものでは無かった。

 予め、彼方此方にシズクが死霊術で扱える死霊兵達を形を崩した状態で仕込んでおき見せかけだけの鎧も同時に保管しておく(鎧の大半は殆どが以前ウーガを取り囲んだ天陽騎士達の鎧など、破損して使い物にならなくなったハリボテだった)。いざというとき彼らを一斉に起動させ、同時に一番正面にはロックを配備する。

 以上だ。詰まるところ、「ハッタリだ!」という兵士の指摘は正しかった。尻尾を巻いて逃げ出してくれて助かったと言ったところだ。

 

「全体に魔力を行き渡らせるの苦労したのだから私にも感謝しなさい」

「すまん。ありがとうリーネ」

 

 ちなみに、あの大量の骨の兵士に魔力を届けたのはリーネ主導によるウーガの魔力供給のたまものである。ウーガの機能の大半は封じられたものの、全てではなく、攻撃的な魔術でなければ操作は容易かったようだ。

 

「でも大丈夫なのその”お客様方”。滅茶苦茶怒ってたらしいけど」

「うん……」

 

 エシェルは頭を抱える。確かに彼女の言うとおり、正直言って大分滅茶苦茶な歓迎となってしまった。やむを得ないとはいえ、想定していた対処の中でも下から数えた方が早い最悪具合だ。

 しかし、空気が重くなる中、シズクは頬に手を当ててて応える。

 

「大丈夫だと思いますよ?」

「軽く言うなシズク……」

「というよりも、今回の威圧は絶対に必要なことでした」

 

 シズクがハッキリと言うと、エシェルも顔を上げる。

 

「ウーガが、ウーガそのものを封じられても尚、並ならぬ武力を有していると示さなければ、ああいう方々に直接的な暴力でなし崩しで取られてしまいます」

「でも、そんな無茶苦茶なこと、する……よなあ。今日の様子を見る限り」

「残念ながら、今のグラドルは立場として弱すぎます」

 

 流石に今日どうこうとするつもりは無かったかも知れないが、「強硬な手段を用いれば即座に制圧できる」という情報を彼らに与えれば、恐らく後々碌な事にはならない。ドローナが言っていたとおり、グラドルは今弱い。外部が無理を押しつけたとき、それに抗議するための力が無いなら、押し通される。

 つまりウーガ自身が示さなければならない。無理をすれば痛い目を見ると。

 

「それを今回示せただけでも上々の結果です」

 

 シズクがそう言いきると、本当にそんな気がしてくるから不思議だった。

 

「でも、プラウディア側から抗議とか飛んでこないか?」

「それはラクレツィア様に任せましょう」

 

 シズクは微笑む。ウル達はグラドルで胃を痛めるであろうラクレツィアに同情した。

 

「しかし、まあ、今回は上手くいったが――――」

 

 ウルは溜息をつきながら、天井を見上げ、言葉を漏らす。だが、続きの言葉が喉から零れる事は無かった。

 

「ウル?」

「……いや、なんでもない」

 

 不安そうにみてくるエシェルに対して首を横に振る。空気を切り替えるようにウルは自分の頬を叩いて、視線を戻した。

 

「今は目の前だな。陽喰らいに集中しよう」

 

 こうして、ウーガの闖入者への応対は一先ず、何事もなく終わった。

 

 ――――無理だな

 

 ウルの胸中に過った、ブラックの警句を、ウルは口にする事はしなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルド プラウディア本部にて

 

 ~プラウディア滞在三日目~

 

 大罪都市プラウディア中央域 やや北 冒険者ギルド本部 

 

 イスラリア大陸全土に存在する冒険者ギルド。その総本山がプラウディアに存在する冒険者ギルド本部である。大罪迷宮プラウディアへと続く【天獄への階段】のほど近くに存在する冒険者ギルド本部は、今日も今日とて忙しい。

 

「依頼掲示板(クエストボード)が更新されました。皆様ご確認をお願いします」

「銀級、ケケロニア様に新たなる依頼です。え?この依頼者はいや?そう言わずに…」

「仲間の斡旋依頼だな。良い一行を見繕ってやる。前のとこでは苦労したらしいからな」

「迷宮内の遺物の窃盗疑惑?また?【真偽】の神官を呼ばなければなりませんかね…」

 

 冒険者ギルドの仕事、といっても、迷宮で魔石を掘り返す冒険者達をただ送って、魔石を徴収することだけが仕事では当然ない。彼らはつまるところ【冒険者】という職業の者達全体を育成、援助、場合によっては懲罰を与えるための支援組織なのだ。仕事は多様に分かれ、厄介な場合も多い。

 まして此処は本部。冒険者ギルドの総本山。目の前の対処のみならず、各地の冒険者ギルドから様々な報告や連絡、相談まで送られてくるのだ。とてもではないが、半端な職員ではこの多忙さに圧殺されて、逃げ出す羽目になるだろう

 

 だから、此処で働いている同僚達は凄い。そしてそんな場所で共に働ける自分は誇らしい、と、冒険者ギルド職員、ミミル・ナナルナは思っていた。

 

 彼女は冒険者ギルドが好きだし、そこで働くギルド職員は好きだった。彼らは洗煉されていて、プロフェッショナルだ。バカみたいにいばり散らしてくる上司もいない。同僚も皆出来るヒトばかり。少し劣等感を抱く事もあるけど、負けないように奮起できる。残業だって少ない(無いわけでは無い)。働くにはとても良い環境だと確信する。

 

 だが、此処にやってくる冒険者達のことはそこまで好きでは無かった。

 

 何故って、粗野で、喧しくて、少し傲慢だ。この地が世界の中心のプラウディアだからなのか、何処か言葉の節々に自分自身が世界の中心であるかのような厚かましさが見える。

 しかもトラブルを持ち込んでは、同僚達を困らせるのだ(そういう日は残業がとても長引く)。そしてその事を恥じ入るどころか、「お前達が食っていけてるのは俺たちのお陰だ!」などとこっちに面と向かって抜かす者もいる始末だ(殴ってやろうかと思った)。

 勿論、真面目な冒険者もいるとわかっている。そもそもギルドの運営職員の幾人かは冒険者を引退した者達だし、此処のトップは現役の【黄金級】。それはわかっているし、彼らは立派だ。

 でも、だからこそ「若い芽に機会を与えて、尽力してやりたい」という立派な志を持った彼らの配慮をないがしろにするバカで粗野な冒険者達が嫌いなのだ。

 

 そんな訳で、

 「冒険者ギルドでは働きたいけど、出来れば冒険者と関わり合いになりたくなーい!」

 

 という、勤務五年目にしてちょっと拗らせた感情を抱きつつあった彼女であるが、やはりどうしてもそうはいかない。日々の仕事の中、冒険者とは関わらないわけには行かない。頼むから厄介な地雷案件に当たらないようにと願いながら、今日も彼女は仕事に勤しんだ。

 

 そしてその日、彼女は特大の地雷に直面した

 

「……………ええっと……ですにゃ……」

 

 獣人の訛り声を思わず漏らしながら、ミミルは筆を彷徨わせていた

 

 彼女が今記入しているのは、冒険者達の冒険の成果を記載した報告書(リザルト)である。

 文字を使えない冒険者も多いから、こうした報告書は口答による聞き取りの元、ギルド員が作るのが通例だ。その過程で”抜き取り”等の犯罪が無いか、もっと単純な”虚偽”の報告が無いか確認する、厄介ながらも大事な仕事だ。

 

 仲間全員と口裏合わせ、なんていう手段をとる輩達もいるが、半端な嘘はどう足掻いてもボロが出るものだ。それを見抜くのには彼女も慣れていた。

 だから今回は困った。何せボロがでてこない。いや、ボロが出ないのは良いことなのだ本来は。だが、今回に限っては違う。()()()()()()()()()()()()()()()内容なのだ。

 

「どうかしたのか」

 

 目の前にいる少年、只人の【名無し】の少年は、少し訝しんだ顔でこっちを見ている。ミミルの挙動不審の所為だろう。ちょっと申し訳なかった。

 

 出会い頭の彼の印象は、"冒険者にしては生真面目で大人しそうな男の子"だった。

 

 若い冒険者というのは大抵血気盛んで、英雄願望がやけに強くて(最初の数回の冒険が上手くいきすぎてしまうと特に)高慢ちきになる。そう言う意味では珍しくも殊勝な少年だ。装着しているのは銅の指輪だから実績もあるのだろうに。

 

 コツコツと丁寧に仕事を重ね、ギルドからの信頼を手に入れたのかな?

 

 そう言った堅実な冒険者は面倒がなく嫌いではない。ミミルは今日の仕事が少しは楽になるかも知れないと楽観しながら、彼の経歴を確認した。

 

 そして、それがとんでもない勘違いであると気づいた。

 

「いえ、大丈夫ですよ。ウルさん」

 

 まさか、彼が例の大騒動の中心に居る()()()()()()()だなんて思ってもみていなかったのだ。そしてそんな彼から今聴取した報告書(リザルト)はとんでもないものだった。

 

 ミミルは報告書をもう一度読み上げ始める。

 

「……天陽騎士からの依頼で、大罪都市ラストからグラドル領に移動。その過程で【小迷宮イザ】を攻略、突破」

 

 まあ、ここまでは良い。

 いや、何故に神殿の剣である天陽騎士からの依頼が入っているねんという疑問はあるが、大罪都市ラストからの書類を確認したところ正規の依頼であるらしいのでこれは良い。

 問題はここからだ。

 

「竜災害(ドラゴンハザード)のあった建設予定の都市ウーガを攻略開始。内部の主であった粘魔が模倣したとおぼしき【擬竜】を撃退。その後、ウーガを邪法で利用しようとする邪教徒の目論見を破るため、術に介入。ウーガを簒奪」

「その際【勇者 ディズ・グラン・フェネクス】【白の蟒蛇】【元 天陽騎士 エシェル・レーネ・ラーレイ】の協力がありました。当ギルドの【白王陣の使い手 リーネ・ヌウ・レイライン】の活躍も大きかったのは追記しておいてください」

 

 たたみかける情報の渦の中、ウルの隣りに座るシズクが追加で報告する。

 シズク、この少女はまた変だった。何が変って美しすぎる。女のミミルから見てもあまりにも可愛い。嫉妬の感情すら抱かない。

 女の冒険者は結構居るが、彼女らの多くはろくすっぽ美容に気を遣うことできていない事が多い。だから肌が酷く荒れてたり、傷の跡を晒したりしてる。容姿は整っているのにもったいないと思うことが多い。

 が、この銀色の少女は何なのか。プラウディアで大人気の劇場で働く女優達にもここまでの美人は居なかった。肌も綺麗で髪艶も輝いている。というか光ってる。なんか凄い良い匂いがしそう。した。

 

 話が逸れた。

 

 何故、突然【七天】が出てきたのだ。プラウディアにて暮らす以上、彼女の名前は知らないわけが無い。この地では英雄扱いだ。【勇者】様は大英雄の【天剣】様などと比べればあまり目立たないが、市井の暮らしを脅かすようなトラブルに身体を張って対応してくれて常に気をかけてくれるからミミルは好きだった。

 

 また話が逸れた。ミミルは咳払いして、シズクに視線を向ける。

 

「その……どうしてその外部の皆さんと協力を?経緯を教えて貰えますか?」

「ディズ様とは元々護衛の依頼で契約を結んでいました」

「うらや……他には?」

「カルカラ様は今回のウーガ動乱の鎮圧の依頼者ですね。その後協力関係に、白の蟒蛇は元々都市建設時の護衛の依頼を受けて現地に滞在していました。その後、交渉の末に協力を結びました。詳細は彼らにも直接確認していただければ」

 

 実に淀みない説明だった。

 先に、彼女を外した状態でウルだけに聞いていた話と全く変わりは無い。嘘をついているとは思っていなかったが、正直大分突飛な話であったので確認したかっただけだ。

 

 報告書に再び目を落とす。残念ながら突飛で胡乱な情報は続いていた。

 

「その後、グラドルにて【邪教徒】による邪法で神官の大半が粘魔化する大事件が発生。同時期ウーガの制圧に出ていた()()()()()()()()()()()()()()()()()し、更に【粘魔王】化。脅威度評価第三位であり【魔獣災害】が発生する恐れが高いとして【勇者ディズ】の指示の元、これを討伐……」

 

 シズクを見た。彼女の様子に変化は無い。

 ウルを見た。黙っている。彼もまた変化は無い……が、ここに”何か”があるのだろう。というのはそれなりの冒険者達と面談を続けてきた彼女にはすぐに分かった。

 しかし

 

「ウーガ制圧を行った神官の粘魔化……この辺りについて詳細に伺っても?」

「ウル様からも説明はあったと思いますが、申し訳ありません。”グラドルに口止めされていて私達には詳細に話す権利がありません”」

 

 シズクはそう言って頭を下げる。

 グラドル動乱は大変な事件だった。プラウディアでも他人事でないくらいの。

 冒険者ギルドが派遣した黄金級、【真人創りのクラウラン】の活躍により事件自体は収束したものの、その後の後遺症もまた大きかった。マトモに動かなくなった神殿。混乱する都市民。そしてそれを期に蠢く邪教徒、闇ギルド、人攫い、その他諸々魑魅魍魎。それらを沈静化するためプラウディア冒険者ギルドも勿論支援を行った。

 だから彼女も知っている。この件は表沙汰に出来ない。すべきではない事情がある。

 グラドルが提示した事件の全容、そこに幾つかあった”空白”を、天賢王は追求せず、そして認めた。冒険者ギルドもそれに従った。

 

 だから、こう言われてしまうと、それ以上の追求はミミルにはできない。

 

「分かりました。ですが、もしどうしても自分では対処できない事態に巻き込まれたならその時は、冒険者ギルドを頼ってください。決して、自分だけで抱え込まないように」

「お気遣い心から感謝いたします。そう言っていただけると本当に嬉しいです」

 

 人形のように美しかったシズクは、子供のように表情を綻ばせて笑った。ミミルは顔が少し赤くなった。破壊力の高い笑顔だった。不安だったのだろうか。少しでも安心させてやることが出来たのなら幸いだ。隣のウルも申し訳なさそうに頭を下げる。

 なんというか本当に冒険者らしからぬ少年少女だ。ミミルはそう思った。

 全ての冒険者達が彼らのように殊勝であったならどれだけ自分の仕事が楽か。

 いや、でもこの後これから彼らの冒険の報告を評価しなければならないことを考えるとやっぱり無いな。ないない。彼らと同じような輩が一杯いたら多分熟達した冒険者ギルドの職員達であっても脳みそ破裂して死ぬ。

 

「ええと、その後は使い魔となった【竜吞ウーガ】を操るエシェル・レーネ・ラーレイの仕事を手伝いながら、グラドル領に存在した幾つかの賞金首の魔物を撃破していったと」

「その辺りは、正直、我々の純粋な功績とは言いがたいのですが、冒険者ギルドではどのような評価になるのでしょうか?」

「検討中です」

 

 ミミルは即答した。

 過去の事例で、賞金首を撃破するため移動要塞を活用した合同作戦に参加した冒険者の評価点がひょっとしたら参考になるか?と、思いはするが、少なくとも今すぐどうこうと決められる代物ではない。時間をくれ時間を。

 

「それ以外の部分で、お話聞かせていただけますか?」

 

 その後、一通り、ウーガ奪還からの流れを追い、聞き取れるだけの事情は聞き取れた。

 

 やはりというかなんというか、通常の冒険の流れとはどこまでも逸脱した報告になった。

 大罪都市のある冒険者ギルドに届く冒険者達の報告(リザルト)は、必然的にその都市が管理する【大罪迷宮】の冒険記録になる。同じ場所、同じ迷宮での探索録は、正直あまり見応えが無い。惰性で手頃な魔物だけを狩り、滞在費と生活費を稼ぐに満足した冒険者達の報告など特にそうだ。

 そう言う意味で、彼らの報告はとても面倒ではあるが、新鮮ではあった。

 これを何度も持ってこられるのはご免だけど。

 

「報告確認は以上になります。なにかそちらから確認したいことはありますか?」

 

 するとウル少年が左手を上げる。

 児童教室の生徒のようだなと内心笑いながら「どうぞ」と続きを促した。

 

「催促しているようで申し訳ないのだが、俺たちは銀級になれるのだろうか」

「そうですね……」

 

 ここに至るまでの彼らの実績はどう考えても銅級の枠に収まるレベルではないのは誰の目にも明らかだ。あちこちで「次の銀級候補」なんて噂がまことしやかに囁かれている。

 そんな状態の彼らをいつまでも銅級で放置するのはあまり良くない事だ。実績を上げている者が評価されない現場と見られるのは損しかない。

 だが、やはり早すぎる。若すぎる。実績が少ない、という意見がギルドの【冒険者査定委員】からも指摘があり、それもまた的を射ていた。

 結果、我等が冒険者ギルドのギルド長は折衷案を出した。

 

「これは暫定的な決定ですが――」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 冒険者ギルド1F 受付ホールにて

 

「銀級冒険者昇格”見込み”……か」

 

 ウルは、ミミル査定員から伝えられた言葉を繰り返し、少し微妙な表情になっていた。

 

「銀級としての実績は認めるものの、方々を説得するのに時間が掛かるから”仮”ですか」

 

 シズクもそれに続く。ウルは暫く頭をゆらし、言葉を飲み込むようにして、言った。

 

「おめでとうでいいのかね?」

「仮ですが」

「じゃあ、仮おめでとう」

 

 ウルが手を出すと、シズクは暫くしたあとぱすんとその手に合わせた。

 

「……締まらんが、まあ仮だしこんなもんでいいか」

「本題が、全く終わっていませんからね」

「まあな」

 

 ウル達はまだウーガで拠点を確保するための”試練”を済ませていない。この仮銀級認定を喜ぶにしても、それが済んでからになるだろう。

 

「さて、ディズはまだ用事は済んでいないのかね」

「ギルド長、神鳴女帝、イカザ様に要件があるとおっしゃっていましたね」

「暫く待つか……」

 

 冒険者ギルドのロビーは様々な冒険者達が行き交い、騒がしい。あまりのんびり出来るような場所では無いが、仕方が無い。適当に空いている椅子を探そう。と、ウルが周囲をキョロキョロしていると、シズクがウルの腕を引いた。

 

「ん?」

 

 振り返ると、彼女は喧噪の中、片耳を指で触れて、少し目を瞑っている。音を聞いているのが分かったが、はて、どうしたのか

 

「ウル様。これから絡まれます」

「なんて?」

 

 何言ってるんだこの女、と思ってると、ふと、人の気配がする。ウルが顔を上げる徒、強面の大男達が此方を見て、ニヤつきながら見下ろしている。

 

「よお、【怪鳥殺し】ちょっとツラかせや」

「絡まれました」

「……絡まれたなあクソが」

 

 ウルはその事実を認め、苦々しく悪態をついた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルド プラウディア本部にて②

 

 冒険者ギルド本部5F 冒険者ギルド長 執務室

 冒険者達の頂点の部屋と言っても過言で無いその場所で、部屋の主は客人を迎えていた。

 黒と、金色の入り交じったような長髪の女。顔は若々しいが、表情に浮かぶ貫禄は、見た目の若さ以上の貫禄を発していた。

 

 ヒト呼んで【神鳴女帝】 イカザ・グラン・スパークレイ

 

 冒険者を志す者であれば知らぬ者はいないだろう【黄金級冒険者】の中でも最も有名な人物の一人。現在の冒険者ギルドのギルド長。【雷角鬼猿】を討ち滅ぼし、その角で造った剣を振るい大陸中を駆け抜けていった彼女の冒険は書籍にもなった。子供達にも大人気の物語だった(それを見た当人は少し恥ずかしそうにしていたが)

 そんな彼女は、客人に向かって、手ずからお茶を振る舞っていた。

 

「また、生きて顔を合わせられて、嬉しいよディズ」

「私もだよ。イカザ師匠」

「師匠は止めなさい。師匠は」

 

 彼女が向き合っているのは【七天】の一人、【勇者】ディズだ。 

 自身と同じく、恐るべき戦闘能力を修めた少女を客として迎えていた。

 

「私にとっては師匠だよ。貴方のお陰で幼い頃、死なずに済んだ」

「あの頃から、既にお前は戦い方を身につけていた。私は助言をしただけだ」

「それでも助かったのは助かったさ。もう一人の師匠よりもずっと分かりやすかった」

 

 互い、言葉を交わす二人の間には信頼があった。それは親子の間にあるような親愛の情ではなく、戦場で互い命を預け合った戦士達の間にある信頼の情だ。様々な危険、苦難を乗り越えてきた者同士にしか育まれない独特の絆がそこにはあった。

 

「お前の話を聞きたい。さぞや、大変な目に遭ってきたのだろう」

「私も、イカザ師匠の話は聞きたいね。見込み在りそうな冒険者の話とか」

「中堅どころは育っているんだがなあ……」

 

 二人はそれからたわいも無い話を続けた。互いが別れていた間にあった出来事を語り、笑い合う。そしてカップの中のお茶をスッカリ飲み干した辺りで、不意にイカザがディズに尋ねた。

 

「お前が来たと言うことは、プラウディアか」

 

 その声音は、僅かに緊張が滲んでいた。応じるディズもまた、先ほどまでの和やかな雰囲気を払って、頷く。

 

「うん、プラウディアが動く。なんとか凌がないとね」

 

 イカザは溜息を一つついて、自身の右手を繰り返し動かす。一瞬パチリと、彼女の手の平から小さな火花が飛び散ったのをディズは目撃した。

 

「神殿からもそれとなく忠告はあったから準備をしていたが、ヤレヤレだな」

「まだ、出られる?」

「正直、全盛期の力はもう無い。見た目はまだ若いが、中身はもういい年だよ。出るつもりではあるが、どこまでやれるかな……」

 

 そう言って彼女は少し自嘲する。

 現役時代、稼ぎ続けた魔力が肉体を全盛期に維持し続けているが、立場のある椅子についてから、実戦にて闘う機会がめっきり減ったのはどうしようもなかった。

 魔力による肉体の強化とは別に、命の鍔迫り合いの中で研がれる感覚というものは存在するのだ。全盛期と比べれば、今の自分は見る影も無いだろう。頂点を知るだけに、苦い気分にもなった。

 ディズはそれを気遣ってか、肩を竦める。

 

「まあ、今回に限っては他に援軍が来る。ある程度役には立つと思うよ」

「それは例の、ウチに所属している冒険者のことかな?」

「ご明察……と言っても、流石に分かるか」

 

 この辺りでは一番高い、5階建ての冒険者ギルドの窓から外を眺める。高い城壁の遠く先に、山のように見える竜吞ウーガが鎮座しているのが見える。あれが到着してからというものの、プラウディアの噂はウーガ一色だ。

 それを連れてきた冒険者ギルド所属の冒険者のこともまた、今は都市中の噂である。

 

「彼が巨大な使い魔と一緒に来たのには本当に驚いたよ。長い冒険者人生で初めて見た」

「だろうねえ」

「そこの”妹御”も人生で初めて見たがな」

 

 そう言って彼女は不意に窓外を見ると、金紅の色彩を持った猫が窓際でむにゃむにゃと眠そうにしている。猫の姿を模したアカネは太陽に燦々と照らされて心地よさそうに寝息を立てていた。

 

《うにゃー……》

「書類である程度知っていたが、思ったより遙かに特殊な経歴と運命を抱えているようだ」

「ま、そうでなければ私に目を付けられる不幸にも見舞われなかったと思うよ」

「幸運だったかもしれない」

 

 イカザはディズの自虐を微笑みながら否定する。

 

「彼らに目を付けたのがお前だったからこそ、彼らはまだ運命に抗えている。お前以外が彼女たちの存在に気づいてしまっていたら、もっと容赦なく食われていただろう」

「それは、身内贔屓が過ぎるな、師匠」

「本心だ。お前はもう少し自分を上に見積もれ。世界の守護者」

 

 ディズは答えず、視線も伏せたままだ。仕方ない勇者だった。

 

「さて……折角なら、その噂の冒険者に話を聞きに行くとしよう」

「貴方が直接声をかけたら、悪目立ちしそうだけどね」

「恐らくとっくに悪目立ちしている。忠告も合わせての事だ」

 

 そう言って彼女が立ち上がろうとしたときだ。バタバタとした足音と共に少し忙しないノックの音がした。イカザは眉をひそめ「入れ」と入室を許可した。

 扉から現れたのは審査員のミミルだ。無礼な相手に対して言葉の拳で応対する悪癖があること以外は優秀なギルド事務員だ。そんな彼女がこんな風に慌ててやってくるのは珍しい。

 つまりは面倒ごとだ。

 

「どうした」

「冒険者達が集まって、リンチを起こそうとしています!」

「穏やかじゃなさ過ぎるな。誰が虐められてるんだ」

「例のウル少年です!!」

 

 イカザはディズへと視線を向けた。ほらな?と目配せすると、彼女は両手を挙げた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市プラウディア 冒険者ギルド 訓練所

 世界一の太陽の結界の元、十二分な土地の恩恵を得られるプラウディアにおける冒険者ギルドの敷地面積は広い。当然、訓練所の用意できるグラウンドも恐らく各都市国の冒険者ギルドの中でも最大規模だろう。地下空間でなく地上に開かれ、更にその場所を高所から見学できる観客席まで備え付けられている。

 訓練所というよりも、競技場に近い。実際、【太陽祭】の時などは此処で武闘大会も開かれる事がある。

 無論平時であればヒトが賑わう、と言うことはないのだが、その日は何故か多くの冒険者達が集まり、観客席に詰めかけていた。

 

「見ろ、あいつだろ?ウルってガキ」

「わあ、ちっちゃい。あんな子供だったの?」

「っつーか何の戦いだよコレ」

「決闘だとよ決闘」

「リンチの間違いだろ?ガガーラの奴らだ。アホだね」

 

 広い訓練所には今現在、複数の人物が向き合っていた。

 一方には小柄な少年、昨今噂になっている次の銀級候補と既に名高い若きエース、ウル。黒と白の混じった灰の髪。小柄の只人。目つきの悪い顔つき。正直ぱっと見、そんな輝かしい経歴を持った少年であるようには見えない。彼は木製の模擬剣を片手で握り、眺め、若干顔を顰めている。

 相対するのは銅級冒険者。ガガーラとその一行だ。彼らも各々模擬武器を握りしめながら、ニヤニヤと放射状に広がりウルを囲おうとしていた。自分たちよりもずっと小柄で、弱そうに見える少年に、大の大人が複数人で襲う様子は、どう見たってマトモではない。

 

 何が起きているか、なんてのは説明されるまでもなくすぐに分かる。要は、大活躍している新人が気に入らない、と、昇格出来ずくすぶっている冒険者達が「かわいがり」しようとしているのだ。

 ハッキリ言って、腐ったやり方だった。普段ならば、そんな所業をする彼らに対して諫める冒険者達は幾らでも出る。プラウディアの冒険者ギルドも人口が多いためかピンキリであるが、優秀で真っ当な人格の持ち主は多い。

 

 だが、今回はその自浄作用が働かなかった。

 

 理由は、これまた明確だ。ウルという、新人の実力を測りたいという好奇心が、良心を上回ったためだ。勿論、模擬戦なんかで計れる実力(ステータス)なんてのはたかがしているものの、とっかかりくらいになるだろう。と冒険者達が集まったのがこの観客の状況である。

 

「……全く、この熱心さを別の所に使ってほしいものなのだがな」

「大人気だねえ。ウル」

《にーたんイビられてるん?》

 

 そこに、ミミルから呼ばれて参上したイカザとディズ、そしてディズの肩に乗った猫姿のアカネが顔を出す。冒険者達の内何人かはイカザの方に気づき、頭を下げるが、殆どの冒険者が地上の”決闘”にヤジや声援を送るのに夢中だった。

 

「ディズ様」

「やあ。シズク。君は無事だったんだね」

 

 そこに、美しい少女が顔を出す。イカザは彼女を知っている。ウルと同時期に冒険者になり、そして彼と共に活躍している少女、シズクだ。恐るべき魔術の使い手であり、その風貌と相まって、ウルの活躍の真の立役者であると噂されている。

 彼女は、自身の相棒が

 

《シズクー、にーたんイジめられてる?》

「虐められております」

《かわいそー》

「ええ、可哀想です」

 

 猫の姿をしたアカネに同意し、彼女の肉球をぷにぷにと押すシズクの姿に、焦りや困惑は見られない。随分と冷静だ。そうやって観察するイカザの視線に気づいたのか、シズクは彼女へと視線をやると、一礼した。

 

「初めまして。イカザ・グラン・スパークレイ様。シズクと申します。冒険者ギルドのギルド長にお目見えできて光栄です」

「ああ、初めましてシズク。最も私は君のことを書類で何度も見ているから、初めまして、という気分にはならないが……しかし、冷静だな」

 

 観客席の階下では今にも決闘という名のリンチが始まろうとしている。しかしシズクは一瞥すらせずイカザ達に視線を向けている。噂通り、彼女が真の実力者であり、ウルのことを道具のように扱っているのだろうか?とも一瞬勘ぐったが、どうもそうでも無いらしい。

 イカザの問いに、シズクは微笑み、言った。

 

「相手の実力は不明ですが、ウル様は勝ちますよ」

「ほう」

 

 断言した。それだけ信頼しているのだろう、というのは分かった。そして彼女は続ける。

 

「ただ」

「ただ?」

()()()()()()には、ならないと思います」

 

 その言葉に、猫のアカネは《あー…》と呟いた。

 ディズも心当たりがあるのか、少し苦笑いした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルド プラウディア本部にて③

 

 

 銅級冒険者、ガガールとその一行は冒険者として停滞していた。

 

 明確な理由も原因も存在しない。それがあった方がマシだったろう。彼らの停滞と堕落に理由は無い。ただ純粋に、困難に打ち負け、向上心を失い、鍛錬を疎み、楽に逃げ、下を見て踏みつけ満足する事を覚えただけだ。つまり、そこらへんに幾らでも居るような、経歴だけが長い若い冒険者に管を巻く厄介な冒険者達に過ぎない。

 彼らは今日も魔石を漁り、得た金で安酒を浴びて飲んだくれていた。そんな彼らの前に、瞬く間に彼らの居場所を抜き去っていった噂の新人冒険者が現れたとなれば、ちょっかいをかけにいくのは必然だった。

 

「なあに、俺たちに指導して欲しいのさ。噂のすげえ新人冒険者って聞いたからよ」

 

 そう言って相手が少数の時、数で囲んで訓練所に強制的に連れて行くのが彼らの何時ものやり口である。持て囃され、調子に乗った若い未来のある冒険者を嬲ってボコって、泣きっ面にして敗北させるのだ。相手の自尊心を滅茶苦茶にしてやって悦に浸る。最高の気分だ。

 

 今日の相手は何時もよりも更に若い、子供に見える。だが罪悪感なんて全然沸かなかった。サディスティックな欲望がわき上がる。その子供は武器をじぃっと眺めている。それを見てガガールは笑った。

 

「武器に不満があるのか?悪いねえ。竜牙槍の模擬武器なんて置いてなくてよ」

 

 嘘である。プラウディアの冒険者ギルドだ。竜牙槍は珍しい武器種だが、その型を模した武器が置いていないわけではない。不慣れな武器を彼に押しつけたいだけだ。その木剣は古くて脆い。廃棄予定のゴミ箱に捨てられていたものだ。冒険者の筋力で振るえばすぐにへし折れるだろう。勿論、戦いの最中、折れたところで変えてやるつもりはない。

 

「卑怯なんて事いうんじゃないわよねえ」

「賞金首次々に倒してんだろ?実力を見せてくれよ」

 

 仲間達がゲラゲラと笑ってあおり立てる。

 若い新人冒険者なんてのは大抵、血気盛んで、自意識過剰だ。魔物狩りが順調になるほどに魔力の獲得による身体強化がそれが後押しする。昨日出来なかったことが簡単に今日できるようになるものだから、勘違いするのだ。自分は無敵だと。だから煽りに弱い。

 

 自分から包囲に突っ込ませれば、後はお楽しみだ。ガガールは心中で舌なめずりした。

 

「……一つだけいいか?」

「あ?」

 

 と、そこでようやく、ウルという冒険者は口を開いた。未だ木剣を凝視したまま、彼は言葉を続けた。

 

「あんたらのリーダーって誰だ?」

「あ?俺だがそれがど――」

 

 次の瞬間。目の前に飛んできた木剣が彼の脳天に直撃し、衝撃と共に彼は気を失った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ガガール!?」

 

 彼の仲間であるケイミーは自分たちのリーダーが突然ぶっ倒された光景にぎょっとなった。彼の周りには腐った木剣が破損し砕けてばらまかれた。ウルの位置はまだ遠い。つまり彼はガガールに向かって木剣を投擲したのだ。

 

「やってくれたね!?まだ始めも何も――」

 

 抗議の声を上げようとしたが、次の瞬間ウルは背中を向ける。理解できずにいる内に、ウルはそのまま駆けだした。一瞬、ケイミーは呆気にとられる。

 彼は逃げている。尻尾を巻いて自分たちから。

 

「ふ、ふざけんじゃないよ!!!」

 

 ケイミーは駆けだした。他の3人も同じく怒声を上げて追いかけ出す。追いかけっこが始まった。小柄で、すばしっこいウルは広いグラウンドを自由に逃げ回り、ケイミー達を翻弄した。

 

「ハハハ!おおいケイミー何やってんだ!右だ右!」

「おらおらちゃんと走れ!」

 

 観戦している馬鹿な冒険者達は逃げ回られている自分達をはやし立てる。常日頃から素行の悪い彼らに味方はいない。ケイミーは苛立ちながらも足を速める。重い装備をしている仲間達と比べ、ケイミーの足は速く、間もなくしてウルの背中を捕らえた。

 

「追いかけっこは終わりだよ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()に気づかぬまま、ウルの背中に木剣を叩き込もうとした。だが、その一瞬前に、ウルは振り返り、逆にコチラに腕を伸ばした。

 

「へ?」

 

 手が、ケイミーの首に伸びて、走ってきた勢いを崩して彼女は地面に叩きつけられる。背中を強かに打ち付けた。

 

「っぎゃ!?」

 

 剣を取りこぼす。その剣をウルは拾い、同時に地面に倒れたケイミーに馬乗りになる。逃れようとケイミーは身体を動かすが、そのまま彼の拳が腹に連続で叩き込まれた。ちょうど鎧がやや薄くなっている横っ腹を狙い撃ちで。

 

「ひっぎゃっ!?」

 

 蛙のような声を上げて、彼女は身体から力を抜いた。冒険者を生業にしながらも、長い停滞と堕落で痛みに弱くなっていた。怒りよりも何よりも、痛い思いをしたくないという感情が身体を支配し、抵抗を止める。

 そして、その弛緩の隙を見計らうように、ウルは彼女の身体を強引に立たせると、ぐるりと彼女の背に周り、後ろから再び彼女の首を引っ掴んだ。

 

「な、何!?何!!?」

「動いたらへし折る」

「ひっ」

 

 強い力を込められ、ケイミーは再び力を抜く。ウルは、その彼女の首を掴んだまま、遅れてコチラに近付いてきた男達の前に彼女を突き出す。

 

「て、て、てめえ…!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()、ウルは平然と剣を向けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……えっげつねえ!?!」

「ワハハ!ひでえなアイツ!!最低だわ!!」

「いやー俺は好きだぞあの形振り構わねえの!やっちまえ!!」

 

 観客は盛り上がっていた。元々、この戦いの始まりから正々堂々なんてものは無かったのだ。ウルのダーティプレイを肯定する者は多かった。元より冒険者達の中で正々堂々なんて言葉の縁は遠い。生き残った者勝ちな所がある彼らにとって、この戦いは勝利した者が正義だ。

 卑怯だなんだと叫んでるのは、直接それをやられてる卑怯者達くらいだ。

 

「……彼に仕込んだのはお前か?ディズ」

 

 そして、そんな彼らの戦いを観客席から眺めるイカザは、隣で見物しているディズに質問する。彼女は首を横に振った。

 

「投擲の技術は仕込んだけどね」

《にーたん、もとからあんなんよ》

 

 そういうのは、彼女の膝に猫の姿で腰掛けるアカネだった。

 

《にーたん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。でもいまもっとひどい》

「そうですね。最近は特に、洗練されてきたと思います」

「得る魔片が強力だから身体能力は平均を超えるけど、使いこなせているとも言いがたい……けど――」

 

 実際、イカザの目から見ても、ウルは冒険者としてみれば飛び抜けて優れている訳ではない。ガガール達も長いこと冒険者を続けてきた以上、魔力は得てきているし、それなりの実力もある。何よりこういうかわいがりに彼らは慣れている。5対1で真っ当に戦えば、確実にウルは負ける。

 だが、実際はどうか。ウルは一人を不意打ちで倒し、二人目を周りの仲間と引き剥がして戦闘不能にして、更にその彼女を盾にすることで残る3人を翻弄した。真っ当にやれば、肉盾なんて扱いにくいだけのはずの代物で相手を精神的に追い詰め、一人一人打ち倒していく。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 これは、身体能力とは全く別の分野の力だ。特定の才能(センス)だとか、そういう言葉で片付けるのも難しい。もっと原始的で、総合的な部分だ。彼は――

 

「彼は()()()()()

 

 ディズは的確に、彼の力を言い表した。

 間もなくして、ウルはガガール一行の最後の一人を打ち倒し、勝利を収めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルド プラウディア本部にて④

 

「ぎゃぁあ!」

 

 最後の一人が腕を押さえて悲鳴をあげて崩れ落ちる。それを確認して、ウルは左手で振り回していた女を手放し、木剣を放り捨てた。

 

「ひぃ……」

「……あー……疲れた」

 

 ウルは大きく溜息を吐き出した。

 本当に、無駄に無意味に疲れた。ケンカをふっかけてきた冒険者達は銅級らしいが、戦い方から学ぶところは一つも無かった。あまり真面目に仕事をしていなかったのだろう。動き方は悪いし、集団戦の仕方もお粗末だ。しかも倒しても魔石を落とすわけでも、魔力を食える訳でもなく、つまりなんの利益にもならない相手だった。

 まだ今日は他にも用事があるというのに、さっさと引き上げたい。というのがウルの心からの本音だった……しかし、

 

「いいぞお!!【粘魔王殺し】ぃ!!」

「やりやがったな卑怯者めぇ!ガガールの仇とってやるぞガハハ!!」

「仇なんてよく言うわばーか!やってみてえだけだろてめえ!!」

 

「うーわめんどくせえ……」

 

 いつの間にか集まっていた観客達は、それはもう大いに盛り上がっていた。

 ウルの意思を全く無視して何やら好き勝手に叫びんでいる。中には自分の武器を握りしめ、今にも此処に飛び込んできそうな気配すらする。このままウルが「それじゃあさようなら」と言って立ち去ることを許す気配では全くない。

 

 もう適当な相手に負けて逃げるか。いや、それはそれで面倒になりそうだな。などとウルが色々と考えている。と、

 

「ならば、私の相手をして貰おうか」

 

 と、鋭く響く女の声がした。

 同時に、どんと、グラウンドの中心に何かが落下する。黒と金の女。堂々たるまっすぐな立ち姿。チンピラ達が落とした木剣を握り此方に向かう姿は、威圧感たっぷりで、ウルは反射的に身がまえ距離をとった。

 

「初めましてウル。イカザ・グラン・スパークレイだ。手合わせ願おうか」

 

 冒険者ギルドのトップが立ち塞がった。

 何か俺、悪いことでもしたのだろうか。

 と自分の所業を振り返り、嘆いた。思い当たることは結構あったからだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あら、いつの間にかイカザ様がいません」

《とんでったなー?》

 

 シズクは、つい先ほどまで隣でウル達の戦いを見物していたイカザがグラウンドの中心に移動しているのを見て目を丸くさせた。一瞬だった。かなりの大跳躍だったはずだが、音すらなく彼女は消えていた。

 

「イカザ師匠、気遣ったね」

 

 対して、彼女の移動に気づいていたのであろうディズは、目の前のイカザとウルの対峙を見て感想を述べる。

 

《いじめとちゃうのん?》

「他の冒険者とやり合い始めたら、勝っても負けても際限ないでしょ。でも、彼女の後に続いて出られる冒険者はいないよ」

 

 確かに、先ほどまで騒いでいた観客席はどよめき、同時に新たな歓声をあげている。飛び出そうとしていた冒険者達も同様だ。既に観戦モードに入っている。

 

「それに、イカザ師匠に負けても、ウルの格は落ちたりしない」

「あら、ディズ様。ウル様が勝ったらどうしますか?」

 

 少し悪戯っぽくシズクが尋ねる。だが、ディズは確信に満ちた表情で首を横に振った。

 

「それは、無い」

 

 間もなく、二人は戦闘を開始した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 剣を合わせれば、相手の実力が分かる。

 

 などというどこぞの剣豪が宣う言葉をウルは全くもって信じていなかった。剣をぶつけ合っても手が痛いだけである。何を言ってるんだ頭がおかしいのか、と本気で思っていた。

 

「お前にとって不本意だろうが、良い機会だ。全力で来なさい」

 

 それが間違いだと、今気づく。

 ウルは、ぶつかった木剣から伝わる感覚に背筋が粟立つのを感じていた。眼前に迫る《神鳴女帝》の顔は笑みの形になっているが、その奥底からあふれ出す気配は生存本能を激しく刺激した。それは覚えのある感覚だ。格上相手の拒否反応だ。

 

 腰が引けようとする。筋肉が硬直しようとする。足が逃げようとする。

 

 それらを全て理性で押さえ込むことが出来たのは単純明快に、ウルがそう言った相手との戦いに慣れ親しんでいたからだ。彼の戦いは大体は格上相手だ。身体の機能の全てが及び腰になるのはもう慣れている。

 

「ほう」

 

 ウルの動きを見て、イカザは小さく感嘆の声を上げ、ウルを突き飛ばし距離をとる。そして再び構えをとった。ピンと、一本の線が伸びているような立ち姿だった。頭のてっぺんから爪先に至るまで、一切に淀みが無い。

 綺麗だ

 ただの立ち姿にそんな感想を抱くのは、彼女を除けばディズや、あるいは先のウーガでその彼女とやり合った【天剣】くらいだ。つまるところイカザはそういう相手だ。

 何故そんなのと戦わなければならないのか、と、内心でウルは愚痴る。だが、同時に

 

「まあ……良い機会だわな……ほんと不本意だが」

 

 冒険者のトップと戦わせて貰える機会なんて早々ないのも事実だった。

 ウルは眼帯を取り去る。未来視の魔眼を晒した。

 

「お、魔眼か?」

「自己強化か、相手への束縛系かね?」

「通じるとは思わねえけどがんばれ-!クソガキ-!」

 

 勝手な想像と憶測で観客達が盛り上がる。だが、彼らの中にこれが未来視であると当てる者は一人も居ない。それはそうだろう。これはディズが修羅場の中で強引に仕立て上げた代物だ。魔眼の中でも上位の代物を持っているなどと思う者はいない。

 

 イカザを見る。彼女の先を見て、動く。彼女は疾風の様な速度で再び距離を詰める。ウルは横に飛んだ

 

「ほう?」

 

 ウルが先ほどまで居た場所に剣がふり下ろされる。イカザが驚いたような顔をしていた。

 いかに早かろうが、動きが分かっていれば避けようもある。ここ数ヶ月の訓練で、ウルは徐々に未来視の扱いに慣れつつあった。眼帯自体を外せる日も遠くないと言えるまでに。

 

「フッ!!」

 

 回避直後に姿勢の崩したイカザに突きを繰り出す。基本的な動きだが、鍛錬を幾度となく重ね繰り返した無駄の無い一撃だった。自信はあった。

 

「悪くない」

「っ!?」

 

 その一瞬前に、イカザが地面を蹴りつける。突然、グラウンドの土が舞い上がる。だが、ウルの攻撃が止まる訳ではなく、そのまま土煙の中に突きを繰り出した。

 しかし、手応えは無い。模擬剣は空を切った。目に砂が入り、魔眼が塞がれる。しかも、晴れた土煙の中にイカザはいない。

 

「未来視は強力だが、対処法は幾つもある」

 

 背後から声がする。振り返り様に剣を振るうが、やはり空を切った。ウルは歯噛みする。弄ばれている。

 

「視界に収めなければ意味が無い。魔眼自体が潰されても同様だ。更に情報を処理するのにラグがある」

 

 涙で砂を拭い前を向くと、イカザは再び距離を取っていた。最初の立ち位置と同じだ。どう考えても、自分をいつでもやっつける事は出来ただろうに、それをせずに魔眼の扱い方の指導をするのは、それだけ力量に差がある証だった。

 腹立たしい。そしてありがたい。とても分かりやすく、いかに自分が未熟であるかを教えてくれている。

 

「対処を誤れば逆手にも取られるだろう。格上との近接戦でそれを使うのは勧めない」

「承知した。肝に銘じるよ」

 

 ウルは姿勢を深くして、突きの姿勢で剣を構える。竜牙槍と同じ動きが出来るように。

 

「来なさい」

 

 イカザの言葉と共に、ウルは破裂音のような音と共に地面を蹴り飛び出した。先ほどまでの追いかけっことは明らかに違う、脚力から繰り出される突進だ。

 

「【突貫】」

「【鳴斬り】」

 

 二人は交差する。

 沈黙が訪れる、観客達も全員揃って息を飲み口を噤む。間もなくして、ぐらりとウルの身体は揺れる。木剣を取り落とし、倒れようとした。その身体をイカザは腕を回して支える。

 ウルを支えたまま、彼女は剣を掲げ勝利を宣言する。

 

 冒険者達の熱狂が訓練所を包んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルド プラウディア本部にて⑤

 

 

「…………最近はこういうのないと思ったんだがな」

 

 ウルが目を覚ますと、そこは冒険者ギルドの癒務室だった。ウーガ取得からしばらく、比較的、死力を尽くす大怪我もなく平和に冒険できていたので、意識を失ったのは久しぶりだ。(それでも大体二ヶ月ぶりだが)

 しかし今回は目立って大きな怪我も無い。腕が呪われてたり、おかしな眼帯がついてたりしてもいない。まったくの健康体だ。

 

「うん、今回はラッキーだな」

《にーたん、ラッキーのせんびきひくくなってへん?》

「アカネおはよう」

 

 枕元で猫の姿で呆れ声を上げるアカネの頭を撫でて、ウルは身体を起こす。身体の調子を確認後、ベッドから降りると、シズクやディズもそこにいた。そして、自分を気絶させた相手も

 

「おはよう、シズク。ディズ」

「おはようございます。ウル様」

「もうお昼だけどね」

「んで……どうも、イカザさん」

 

 イカザ・グラン・スパークレイ。ウルをぶっ倒したギルド長はウルの挨拶に応じる。

 

「手荒い歓迎で済まなかった」

「いや、助かった」

 

 ウルもあの時彼女が出てきた意図は理解できていた。お陰様で面倒な熱狂は上手いこと処理しつつも、下手な禍根は残さずに済んだ。最初に絡んできたチンピラ達は逆恨みでもしてくるかもしれないが。

 

「ガガール、お前にちょっかいをかけた連中については厳重注意しておく。プラウディア滞在中は君に絡んではこなくなるはずだ」

 

 と、ウルが懸念していると、ウルの心を読んだようにイカザは付け足した。ウルは頭を下げる。何から何まで至れりつくせりだ。

 

「だが、()()()()()()()()()()()()()()。私の言っていることは分かるな?」

「残念ながらよくわかる」

 

 理解しているつもりだったが、思った以上にウルを取り巻く状況は有名になり、そして向けられる悪意や嫉妬はそれ以上にものになっている。イカザが彼女が支配する冒険者ギルドを抑えたところで、悪意の手の一つが封じられただけ。

 

「冒険者ギルドは、割と平和だったんだけどなあ、いままでは」

 

 仕事を同じとする者であると同時に、情報源である冒険者達には、ウルも自分なりにケアしてきたつもりだった。何度も言葉を交わし、適度に金をばらまき、ヘイトをコントロールしてきた。が、いよいよ付け焼き刃ではどうにもならないくらいウル達は有名になりつつあるらしい。

 

「ですが、プラウディアに来たばかりでいきなり皆と仲良くというわけにはいきません。信頼は積み重ねるもので、近道はありませんよ」

「お前が言うな、と言いたいが、まあそりゃそうだな。」

 

 シズクの言葉に反論の余地は無かった。プラウディアに到着したばかりのウル達がいきなり信頼して貰おうなどと、虫がいい話だ。元からの知り合いがいるのなら話は別なのだが――

 

「ん?」

 

 と、思っていると、癒務室の扉のノック音がした。そして間もなく二人の冒険者達が入室してくる。二人はキョロキョロと周囲を見渡し、そしてウルを見つけると真っ直ぐにやって来た。

 なんだ?と思っていたウルだったが、その顔には見覚えがある。

 

「ニーナです!ウルさん無事です?!」

「シ、シズクさん!?そ、それに勇者様も!!」

「ニーナに、ラーウラか。本当に久しぶりだ」

 

 ニーナ、ラーウラ。あの死霊術師との戦いにおいて途中から協力した冒険者の二人だ。剣士と魔術師の二人だ。随分と懐かしい。

 あの時、彼女らは死霊術師達に捕まっていてろくに装備も無いボロボロだったが、今の彼女はしっかりと冒険者の格好をしている。

 

「はい!久しぶりです!と言っても、五ヶ月ぶりくらいですけど」

「……そんだけだったか?」

「は、はい!ただ、お二人とも本当に色々と大活躍してたみたいで、全然そんな気しないんですけどね!」

「お二人は、あれからプラウディアに移動されたのですね」

「わ、私がどーしても螺旋図書館の近くで働きたくて……名無しで銅級でもないから中にも入れないけど、外見だけでもと!」

「つまりプラウディアで冒険者やり始めてそれなりに長いと」

「は、はい!」

「じゃ、俺たちの良い噂流しといてくれ」

 

 はい?っと。ウルの依頼に二人はならんで首を傾げた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 偶然の戦友の再会に会話が弾む一同を、ディズとアカネは少し距離をとってそれを眺めていた。正確に言うと、彼女たちに正体を明かしていないアカネをそれとなく遠ざけた。

 

《……あたしもおはなししたーい》

「はいはい、我慢我慢」

 

 彼女の正体を知る者はそれなりに増えたが、やはり、喧伝して回るような事では無いのは違いない。現在の彼女の管理者がディズである以上はそこは弁える必要があった。

 アカネを宥めるように頭を撫でてやっていると、ふと、自分と同じく少し距離を空けて、4人の会話を眺めているイカザに視線が向いた。

 

「師匠?」

「ん、ああ。すまない」

「いや、別に何か咎めるつもりはないけど……楽しそうだね?」

 

 イカザはウル達を見て笑っていた。

 彼女にしては珍しい。相手を気遣ったり、社交辞令で見せるものとはまた別の、心からの笑顔だった。指摘されて、彼女は少しだけ照れくさそうにした後、もう一度ウル達の方を見た。

 

「ウルとシズク、二人を取り急ぎ、銅級として認定したのは私の判断だった。あの認定は正直なところ、大分勢いに任せたところが大きかった」

《なげやりー?》

「そこまではいかないが、冒険者という在り方が少々惰性化していたのを感じていた。停滞から抜け出したかったのだ」

 

 イカザが自らの足で大陸中を駆け回り、様々な冒険で活躍した時代は冒険者達も活発だった。勿論イカザがそのトップだったが、彼女以外の冒険者達の活躍の話題、新たな大迷宮の攻略者の出現。景気の良い噂は絶えず、それに負けじと更に多くの冒険者達が一緒になって走り出す。酒を浴びるように飲んだ、黄金時代だ。

 だがそれも最早数十年も前の話だ。彼女も一線を退き、ギルド長に就任し暫くがたって、冒険者達の話題は鈍化した。迷宮の出現から数百年。都市の内政も外交も既に安定化し、それ以上を求められることも少なくなった。冒険者達の需要も落ち着いた。

 イカザ達が駆け抜けた時代を「最後の黄金時代」などと呼ぶ者も少なくない。

 

「何が最後か、とも言いたいが、実際、冒険者達も多くは求めなくなった。同じ迷宮、同じ狩り場、安定した魔物を狩って満足する。ウル達に絡んだガガールもその類いだ」

 

 勿論それを悪と断じる程、イカザは傲慢ではない。多くの冒険者達は名無しで、彼ら彼女らが求めるのは冒険よりも安寧だろう。名無しという立場故に、常に居場所もなく彷徨ってきた彼らがようやく手に入れた場所が此処なのだ。

 死に物狂いで手に入れた安定に居座る者達に、何故そこから新たなる荒波にこぎ出さないのだ!?などと、言えるわけが無い。

 だが、しかし、

 

「もう一花咲かせてみたいと思うのは、良い時代に生まれた者の傲慢だろうか」

《けいきのいーはなしは、あたしもすきよ?》

「嫌いな人なんていないよね」

 

 アカネとディズが同意して、イカザはそうだな。と笑った。

 だからウル達に特例を適用し、銅級に昇格させた。彼らがあまりに、この時代にそぐわないような、()()()()()()()をしていたからだ。

 本来であればそれを咎める立場であるが、思わず、応援したくなってしまったのだ。

 正直、それを決めた後、自分の判断を少し後悔した。導く者としての立場を忘れ、あまりに勝手な欲望のため、若い者達を死地に追いやった自分の判断を恥じた。

 

 だが、イカザのそんな卑小な思いを笑うように、彼らは今や大陸中を賑わせ驚かせる新星の冒険者達だ。勿論相応の無茶をしたのだろう。何時死んでもおかしくない死地に飛び込んだのも間違いない。それを手放しに賞賛する事なんて勿論出来ない。だが、それでも、

 

「彼らが笑っていられるのが嬉しいんだ」

《これからころぶかもよ?》

「勿論。一度も転ばなかったら奇跡だろう」

「道を踏み外すかもね」

「その時は、先達として正さなければならないな」

「わあ、楽しそう」

 

 ディズの言うとおり、楽しい。燃え尽きて尚もまだ燻っていた自分の魂が、彼らの活躍を耳にするたびに大きく音を立てて弾けるのを感じていた。先ほどウルと打ち合った時、それはより強く、明確となった。

 打ち合った時の彼は、当たり前だが、まだまだ実力は足りないところが大きい。あまりに早く積み上げられた実績に、身体が追いついていないのだ。

 しかし、その経験の濃度に見合うだけ、魂の練度は上がっていた。初見で自分と相対しながらも、恐怖を律して向き合える冒険者がどれだけいるだろうか。

 

 彼らの起こす火がどう燃え広がるかは分からない。悪い方に行くかも知れない。だが、その炎が行き着く先を見てみたいと願った

 

 故に

 

「まずは、眼前の災厄の盾となろうか」

 

 今は、すぐ間近に、世を揺るがすほどの恐るべき災禍が迫っている。それと彼らは相対しようとしている。ならば、今の彼らでは決して届かない害意を焼き払うのが、エゴで彼らを自分と同じ場所に引き込もうとした自分の責任だ。

 バチリと、イカザの手から火花が散る。それが執務室で見せたそれより遙かに強く、大きかったのを見て、ディズは微笑むのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代

 

 大罪都市プラウディア 東区画

 

 【天陽結界】の力により、この大陸で最大規模の敷地面積を誇るプラウディア。故に都市内も馬車で移動するのはごく自然の事だった。大量乗員可能の移動馬車も定期的に走っている。

 ウル達もまた、そうしていた。殆ど揺れを感じないダールとスールの引く馬車の中で、ウルは伸びをした。

 

「……えらい時間が掛かってしまった」

 

 冒険者ギルドを尋ねてから数刻後、ようやくウル達は次の目的地に足を向けることが出来た。ただの経過報告を行うだけでまさかここまで時間が掛かるとは思わなかった。

 

《たいへんだったなーにーたん》

「ほんとにな、久々の里帰りが随分と遅くなった」

 

 今日のウルの目的は冒険者ギルドへの報告もあるが、もう一つ、里帰りが目的でもあった。隣でアカネとの会話を聞いていたシズクが首を傾げる。

 

「ウル様はコチラの生まれだったのですか?」

「いや、生まれは知らん。ただ小さい頃、アカネと一緒に一番世話になったのが此処の孤児院だったからな」

《ひっさびさー!》

 

 物心ついた頃一番最初の記憶がプラウディアである事を考えれば、故郷、と呼んでも過言ではないかも知れない。最も、孤児院にずっと居たわけではなく、滞在費を払えず、都市を出たり入ったりを繰り返していたので、プラウディアに居続けていたわけでもないのだが。

 

「まあかなり世話になったからな。プラウディアには久々に来たから、挨拶だけでもしておこうと思っただけだ。別に付き合わなくて良かったんだぞ?二人とも」

 

 つまり冒険者としての用事でもなんでもない、完全に私用と言うことになるわけで、付き合ったところで面白い事があるわけではないのだが、この里帰りに何故かシズクとディズが付き合っている。シズクは首を横に振って微笑みを浮かべた。

 

「ウル様の育った場所に興味があります」

「さいで」

 

 ディズを見ると、彼女も同様に笑って肩を竦めた。

 

「こっちも気にしないで良いよ。()()()()()()()()()()()()()

「ふぅん……?」

 

 その発言は気になったが、深くはウルも追求しなかった。どのみちもうすぐわかるのだから。

 

「随分と”外側”に向かうのですね?」

《そとぎりぎりよ》

「冒険者の遺児、つまり名無し達の孤児院だからな。神官がいるから子供達に関しては滞在費を免除されてるけど、都市の中心じゃ評判悪いから端っこも端っこだ」

 

 どの都市国でもそうだが、中心地の方が需要は高くなる。魔物がやってくるのは防壁の外側からだ。防壁に近付くほどに、恐ろしい目に遭うと考えるのが普通だった。

 プラウディアに関しては、【天陽の結界】で防壁の間際でも危険はかなり少なかった。が、それでもこの国の中心は、高くそびえ立つ【真なるバベル】であり、そこから距離のある防壁付近は、やはりあまり人気が高くない。

 

「ま、それと、()()()()()()()の意向も合ったと思うよ。神殿嫌いだったからね」

《そうだったなー。あいさつにきてたしんかんにかおしかめてたー》

 

 ディズが更にフォローを加え、アカネが同意する。その発言的にも、やはりこれから向かう先を彼女は知っているらしかった。そんなことを話していると、いよいよ防壁が間近に迫り始める。

 

「間もなくです」

 

 馬車を操るジェナから声がする。言うとおり、ウルの記憶にもある景観が馬車の窓に見え始めていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 馬車は、近くの公共の馬車小屋に止めることになった。

 プラウディアの中とはいえ、天賢王の座する【真なるバベル】から最も離れた場所にある

馬小屋だ。寂れていて、整備もあまりされていない。誰も残さず馬車を放置すればトラブルが起こりかねない。ということでジェナが自ら留守番に進み出た。

 

「こうした事が私の役割ですから。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 

 そう言う訳で、ウル達4人は孤児院へと目指し、そして間もなくしてその姿が見えた。

 

「……うっわ、懐かしい」

 

 ウルは猛烈な既視感に目眩のようなものを覚えた。

 プラウディアは世界の中心地だ。その事実に違わず、様々なもの、場所が真新しく変化を遂げる。冒険者ギルドに向かう間に、プラウディアを見て回ったウルは内心で少し困惑していた。何せ自分の見覚えのある場所がどこにもなかったからだ。かろうじて、道の形状に覚えがあるくらいだが、その道も消えたり増えたりして、土地勘が全く働かなかった。

 

 だが、あのボロボロの孤児院に関してだけは、全く、微塵も変化していない。

 

 小汚い上にひび割れた石壁は一部は完全に崩れ、中が覗き見えている。土地を節約するためか他の建築物と同じく建物自体は高い作りだが、恐らくは後から増築されたのだろう。3階だけ明らかに作りが違う。木造の3階はなにやら自重でひしゃげており、石造りの孤児院の上にデカイ木材が廃棄されているように見える。

 孤児院の名が刻まれた看板、と、思われる何かは劣化し掠れ、その上から落書きが施され、それを拭おうとして失敗し更に汚れ、雑色の塊になって捨て置かれている。

 更にその奥には共同墓地が見える。ここら辺の墓地は冒険者達用の無縁墓なども兼ねており、整備もあまりされてない。太陽神の陽光も近くの防壁の影で隠れ、やけに陰気だ。

 

 邪な企みをもった泥棒がいたとしても絶対にここには近付くまい。 

 金目の気配は疎かヒトの気配が無い。

 

「――――いや、懐かしいとか言ったがここまで廃墟だったか?ヒト住んでるかこれ?」

《じいちゃんしんだー?》

「ウル様、烏が凄まじい勢いで鳴いております」

「墓もなんか増えてるね。え?死んだかな?死んでる?」

 

「何をしている貴様ら」

 

 ウルはびくりと驚き、振り返る。

 そこに居たのは黒い老人だ。それが汚れなのか元からそうなのか、真っ黒なローブを羽織った。体つきは昔と同じく枯れ木のようで、少しでも力が加わればへし折れるような印象すら在る。昔は使っていなかったボロボロの杖を持ち歩いている事から、その印象は更に強くなった。記憶よりずっと小さく見えるのは、ウルが大きくなったのか、彼が更に腰を丸くさせてしまったのか分からなかった。

 しかしその眼光だけは、昔と変わらず異様に鋭く、真っ直ぐだ。

 

 孤児院の主である老人、ザインがそこに居た。

 

「――ええと、覚えていないかもしれないのだが」

 

 ウルは言葉を選んだ。何せ十年ほどぶりだ。背丈からなにから、容姿が全く違う。不審者と間違えられても文句は言えない。

 

「何をしていると言っている」

 

 だが、自分のことを説明しようとしたウルを無視して、ザインは杖を突きながら孤児院へと向かう。杖を突く見た目の割に足は軽快で、あっという間にボロボロの孤児院の扉に手をかけたザインは、振り返ってコチラを睨んだ。

 

「突っ立っていないで入るといい。ウル、アカネ、ディズ、そして銀の少女。茶くらいなら出してやる」

 

 それだけ言って、孤児院の中に入っていった。

 

「…………思ったよりぜんっぜんかわってねえな。じいさん」

《ほんとな》

 

 ウルは感心と呆れが入り交じったような感想を漏らしながら、懐かしき借宿への帰宅を果たしたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代②

 

 大罪都市プラウディア”名も無き孤児院”

 

 一応、遙か昔建設された当初には孤児院にも名前があったらしい。が、経年とともに徐々に忘れられ、また、神殿内の土地管理役員以外、その名をあえて呼称する者もおらず、その名は失われた。また、この孤児院に住まう子供達は名無しの冒険者達の遺児である事も多く、結果、”名も無き孤児院”という蔑称が落ち着いてしまったのである。

 神殿、【真なるバベル】の地下の【螺旋図書館】に死蔵されている都市管理の書類の山を漁れば、名前の一つも出てくるかも知れないが、わざわざそれを探すような物好きは存在しない。管理者である神官も無口でそれを口にすることもなく、結局誰も知らずじまいだ。

 

 その孤児院の中でも一層に古びた客間の前で、ウル達は招かれ、茶を出されていた。一同はその出された茶を、何故か訝しげに睨んでいた。その中で、シズクが声を上げる。

 

「ウル様。これはなんでしょう」

「お茶だ」

「極彩色ですね」

「ああ。カラフルで綺麗だろ」

「お茶に対する感想ではありませんね?」

 

 コップの中の液体は、ウルの言うとおりカラフルだった。魔術薬の類いでもここまで派手な色をする事は無いだろう。すると横からディズがウルの説明を付け足した。

 

「シズク、これを飲む時は感性のスイッチを切ってから、鼻をつまんで、一気に飲み干すんだよ?固形物が喉に引っかかったら当たりだね」

「なにが当たるのでしょう」

「虫だね」

「虫」

 

 シズクはお茶の中身を覗こうとしたが、液体は強い粘性を維持しているのか一切の透明性が無かった。ウルとアカネは悲痛な表情で座っている。何事にもあまり動じないディズさえも自らの迂闊さを呪うような苦々しい顔だ。

 

「……まだ客に出してたのか。茶を名乗る謎の液体X」

「コレ出てくるの忘れてた。いや、記憶から消していたかな……?」

《じーちゃんわたしこれきらいー!!》

 

 自分用に小さなカップに用意されていた茶を前に、妖精姿のアカネが我が儘を言った。

 好意で出して貰った物に対する反応として問題なので普段なら注意するところだが、この時ばかりはウルもその意見に同意した。アカネどころか、これを好きだと宣う者はそれこそザイン以外いないだろう。

 対面に座るザインは叫ぶアカネを睨み、言う

 

「我が儘を抜かすな。しっかりとのめ」

《わがままってじげんじゃないのよー!?》

「精霊憑きのお前の体調も整う特別製だ。元気になる」

《なるけどもー!!》

 

 アカネの抗議は全く通じなかった。その隣で、シズクはウルに尋ねる

 

「アカネ様も飲まれるのですか?」

「そもそも、アカネが飲料から魔力を獲得できると調べたのがじいさんでな。飲める奴を煎じている。で、これがアカネにも人体にも効く」

 

 この孤児院に暮らす子供達は、名無しであっても滞在費を免除して貰える。が、治療費などは別である。病気や怪我は割と致命的になりかねないという現実があった。 

 だが、この茶を飲む子供達が病気になることは無かった。一度プラウディアで呪い系の魔術が入り交じった凶悪な感染病が流行し、癒者達が死に物狂いで都市中を駆け回らなければならない事があったのだが、この孤児院は一切無事だった。

 

 恐ろしく、効果覿面の素晴らしい予防薬と言える。

 口の中が地獄になるという欠点を除けば

 

「商家の都市民の子供が、強盗にあって孤児になって流れてきたことがあってな。まあ、甘やかされて育ったらしくてトラブルを起こしまくってた」

「あら」

「そしたら三食これになって一日で大人しくなった。」

「一撃必殺ですね?」

「ああ、必殺だ……」

 

 ウルは大きく溜息をつき、コップを握った。アカネはぎょっとウルを見た。

 

《にーたんしぬよ!?》

「ウル様死ぬのですか?」

「……あれから10年だ。今飲んでみたら平気って事もあるかもしれん」

 

 子供の頃の方が味覚は敏感であり、年を取ると味覚が鈍くなるので薬や酒の苦みが平気になる。と、聞いたことがある。子供の頃恐怖に戦いていた代物が今見てみたらなんだたいしたことないじゃ無いかと、そういう事は起こるかも知れない。いや、そうであってくれ。と、ウルは心中で祈った。

 思い出話に花咲かすにしても目の前のジジイはこれを飲み干さなければテコでも動かないというツラをしている。なら、面倒ごとは早々に済ますべきだ。

 

「………いただきます――――!」

「言い忘れたが、最近新たな薬効のある薬草を追加で煎じている。効果は絶大だ」

 

 ウルがコップを呷ると同時にザインは補足した。ウルは飲み干したポーズで制止し、暫くした後に、そのまま前のめりにテーブルに突っ伏した。

 

「死にましたね?」

《にーたあああん!!?》

「尊い犠牲だったね……」

 

 動かなくなったウルの背中をディズはさすり黙祷した。そして自分の目の前に鎮座する液体に向き合う。

 

「元々凶悪だったのに何故か年々強化されてるんだよねえこの液体X……どうせ強化するなら味の方を強化して欲しいんだけど」

「しているぞ」

 

 ザインの言葉に、ディズは目を見開く。

 

「……本当?」

「ああ。子供達があまりにも喧しいものだったから、どうしても飲めないという子供には味付けしてやっている」

 

 そう言って彼は何やら錬金術で使うようなガラス瓶に詰められた液体をディズの目の前にあるカラフルなお茶にぽたりと垂らした。どれだけ控え目に見てもやってることは妖しげな魔術実験である。

 間もなくして液体から青紫の煙が湧き上がった。

 

「毒ガスですか?」

「流石にそれは無いでしょ」

「安心しろ。10秒後に無害化する」

「本当に毒ガスでしたね?」

 

 シズクは感心したように声を上げた。ディズとアカネは沈痛な表情に戻った。

 

《わたしたちなにをのむん……?》

「わかんないなあ……本当に分からない。神薬(エリクサー)亜種みたいな効能もあるってんで錬金術師が彼に教えを乞うたんだけど、再現できずに帰ってったよ」

「表面上の現象や反応ばかりを見ているから、絶妙な魔草の機微が掴めんのだ奴らは」

「職人技と言う奴ですね?」

「そんな大層なものでは無い。来た奴らの根性がなかったのだ。100杯飲んで諦めた」

「凄く頑張ったのは頑張ったみたいだね……」

 

 シズクが暢気に彼の技術を褒めているが、ディズとアカネの目の前の液体が減ってくれるわけではなかった。煙が収まった液体を前に、ディズはコップを握りしめ、身がまえた。

 

《いくのディズ!?》

「私だって七天の末席だ。命を惜しんでなにが太陽神の代行者か」

「誇りを賭けた戦いですね?」

 

 シズクが感心した声をあげる。ディズもウルと同じく一気に呷った。

 

「ちなみに今回は酸味と甘みと苦味をたした」

《ゲロ?》

 

 ディズは停止した。数秒後、ウルと同じくテーブルに突っ伏した。世界最高の力を持つ天賢王のしもべ、勇者は陥落した。

 

《ディズー!!!》

「死にましたね?」

 

 子供を育むためにある孤児院に死体が増えた。

 残されたアカネはうろうろと、おろおろとディズとウルの間を飛び回る。が、よくみると、めざとく窓の位置をちらちらと確認していた。逃走しようとしているらしい。

 が、それを察してなのかは不明だが、ザインがアカネを睨み、そして言った。

 

「アカネ、お前肥えたな」

《んにゃあ!?》

 

 アカネが飛び跳ねた。

 肥える、などという言葉を、変幻自在に自分の姿を変えられるアカネに対して当てはめるべき言葉であるのかは分からなかったが、アカネの反応は言葉にするなら「何故分かった」である。

 

《わ、わたしかんけいないしー!おっきくもちいさくもなれるのよ!》

「魂が肥えている。正体を知って問題ない者が増えて、甘やかされているな」

 

 これまた図星である。アカネの正体を知る者は今はそこそこ居る。少なくとも【歩ム者】に所属しているギルド員は隠すことも出来ないと言うことで、エシェル含めて全員知っている。

 【白の蟒蛇】やウーガに暮らす【名無し】や【従者】相手には”特殊な使い魔”として一応誤魔化しているが、ジャインはある程度事情を察していることだろう。面倒だから自分から首を突っ込もうとはしないだけだ。

 そんな訳で彼女を認知する者は多くなり、アカネは割とそこそこの人数から可愛がられている。暁の大鷲が来たときなど、【白の蟒蛇】の魔術師部隊の女性達からジュースをごちそうして貰っているところをシズクは目撃している。

 

「魂の贅肉は肉体に影響を及ぼす。今はまだだが、その内動きが鈍くなるぞ」

《うぐぅ!!》

「さっさと飲め、痩せる」

「飲めば痩せるのです?」

「痩せる」

 

 美容に悩む女性を騙す悪徳商人のような文句をザインは真顔でのたまった。アカネはカップを持ちながら震え、そして目を見開くと、一気に小さなカップを呷った。

 

「継続して摂取し、適切に運動を続ければ痩せる」

《…………》

 

 妖精の姿で宙を浮かんでいたアカネは墜落し、形を失って粘魔の様な姿になって机に広がって死んだ。

 

「皆殺しですね?」

「お前も飲め」

「そうですね、いただきます」

 

 シズクは頷き、そのままコップをすっと呷った。一息に飲み干した後、小さく頷いて、納得したように笑みを浮かべた。

 

「これは、大変です」

 

 そして笑顔のまま机に突っ伏して、4人とも死んだ。

 

「大げさな奴らだ」

 

 ザインはそう言って自分にも淹れた茶を飲み干す。そしてそのまま平然と立ち上がると、うち捨てられたコップを回収し、片付けるのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 改めて、名無しの孤児院 客間にて

 

「…………魔力の過剰摂取で慢性的に続いていた成長痛が消えた」

「私も同じですね。全身を巡る魔力の流れも良くなりました」

「……ラストにかき回されてから残ってた痛みが消えた。あらゆる回復薬試したのに」

《からだかるーい……》

 

 蘇生を果たしたウル達は、各々自らの体調の改善に驚愕していた。

 全員の体調はすこぶる良い。ウルなど、先ほど冒険者ギルドでイカザに倒されたときに身体の芯に残った鈍痛すら消えて無くなっている。凄まじき効能だった。

 

「たまに一度飲むだけでは効果はたかが知れている。定期的に飲め」

 

 コップを片付け、戻ってきたザインはしわがれた声でそう言う。実際そうした方が良いだろうというのは今し方体験した回復効果を見れば明らかではあった。が、その場の全員、わかったと頷かないのは、やはり意識が消し飛ぶほどの地獄の味わい故である。

 

「プラウディアに戻る機会、少なくて……」

「ならば煎じ方を教える。プラウディア近郊でなくとも様々な魔草で代用は可能だ」

「……プラウディアの錬金術師でも再現は無理だったんでしょ?」

「長年の薬効の体感と、その経験に基づく選別が足りないだけだ。特にウルとディズ、お前達には幼い頃、薬草の選別技術を仕込んでいる。すぐに身につく」

 

 ウルとディズは沈黙しお通夜の面構えになった。アカネも同様である。

 唯一平然としているシズクは、彼の言葉にふと気づく。

 

「では、此処の孤児院の皆さんは、薬草を探しに?」

「ああ、プラウディア周辺は都市の外でも魔物は出ない。都市外のすぐ近くの林で採取させている。日が沈む前には戻るだろう」

「保護者などはついて行かないのです?」

「年長者がそれを担う。そもそも、いずれは此処を出て、都市の外を放浪していかねばならない名無しの子供らだ。この程度の使い、1人で出来ねば困る」

 

 きっぱりとザインは言い切る。言葉は厳しかったが、子供達の将来を見据えた配慮だった。昔からそこら辺は変わらない。

 

「……都市外で旅してて、なにが食べられて、なにが食べられないか、見分けが付く付かないじゃ命に関わるからな」

 

 ウルは溜息をついて顔を上げる。目の前の、幼少期の育ての親である老人に改めて向き直り、頭を下げた。

 

「まあ、今更だが久しぶりだ。じいさん。元気そうで何よりだ」

「コチラのセリフだ。まさか冒険者になるとはな」

「不本意だよ」

 

 ウルが苦笑いする。ザインはウルの顔を見て察したように溜息をついた。

 

「ならばアカネ関係か。ウガンは死んだか」

「怪我と病気でぽっくり。しかもアカネを担保に借金してそれをディズが買った」

「買ったね」

《かわれたー》

 

 借金の担保に売り飛ばされた妹と兄、買い取った女が同じ椅子に座っている。珍妙な状況であったがザインは眉一つ動かさなかった。

 

「どうせ死体も騎士団に処理されて葬儀もしていないのだろう。共同墓で送ってやる」

「要らないって」

「お前の母親も同じ場所で眠っている。気が向いたら挨拶しておけ」

《かーちゃん?》

「……気が向いたらな」

 

 ザインの言葉にウルは不承不承頷いた。死んだ両親への挨拶を強要しないあたりは、この老人らしいと言えばらしかった。此処に流れ着く子供達は、親から愛情を受けていたとは限らないと理解しているのだ。

 

「それで、他に要件はあるのか」

「うっかりアンタがくたばるか孤児院がくたばるかしちゃいないかって様子見に来ただけだよ。というか此処本当に大丈夫なのか?」

《ちょーぼろぼろよ?》

 

 アカネがウルの言葉に追撃する。実際孤児院のボロボロ加減はウルが此処を出たときよりも増して更に酷くなっている。今ウルがいる客間もどこからか隙間風が漏れているのか若干寒い。今にも崩壊しそうだ。

 

「金なら在る。必要ないから使っていないだけだ」

「嘘つけ」

 

 金があるならもう少しこの幽霊屋敷を何とかするはずだろう。

 と、ウルが即座に否定する。が、

 

「いや、それが嘘でも無いんだよね」

 

 そのウルの言葉に横からディズが否定した。

 

「知ってるのか、ディズ。いや、明らかに何か知ってる感じだったけども」

 

 此処に来てからのディズの言動は、ウルと同じかそれ以上にザインの事を知っている様子だった。ウルも別に、この孤児院に滞在こそしていたがずっとではなかった。途中で離れたこともあったし、10年前プラウディアを出て以降に彼女が入れ違いで此処の世話になり始めた、なんて可能性も確かにある。

 が、後の七天の勇者が孤児院の世話に?という疑問もあった。

 

 ディズは、ウルのそんな疑問に答えるように、ザインへと恭しく礼をした。

 

「お久しぶりです()()。ご壮健でなにより」

「お前とは1年と半年ぶりか。ディズ。相も変わらず未熟な”魔断ち”をふるっているらしいな。鍛錬が足りぬ」

「精進します」

 

 ディズの礼に、ザインは鋭く短く叱責する。ディズはそれに反論することなく頷いた。 

 それを傍で聞いていたウルは、彼らの会話の意味を理解できず暫く硬直していたが、飲み込みきると、大きく首を傾げた。

 

「…………んん?」

 

 【勇者】から()()と呼ばれた育ての親は、ディズの一礼を下らなそうに見つめていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代③

 

 先代、【七天の勇者・ザイン・グラン・グラスロウ】

 

 彼が【勇者】と成った経緯を知る者は少ない。

 ある日突然、その時代の天賢王に見出され、七天の末席である勇者の地位に据えられたのだ。都市民、どころか名無しだった男に。姓も官位も後から与えられたものだ。普通なら暴動ものだ。天賢王の直接の配下。この世界で最も偉大なる戦士の称号だ。特にプラウディアではその地位を多くの神官や魔術師、騎士達が狙い、求めている。

 勿論、そんな風に功名心で得られる地位では無いと分かっていてもだ。

 だからこそ、通常なら問題になるはずだった。

 何処の骨とも分からない、名無しの男が七天に選ばれるなどと。勿論、それが決定された時は騒ぎにもなったが、しかしその騒動はすぐに収まった。

 

 理由は二つ。

 一つは、その座が太陽神の加護の与えられない【勇者】であったこと。

 もう一つは、【()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 様々な権能でもって暴れ狂う竜の眷属達。他の七天すらも引き下がるような敵達を、彼は両断した。【魔断ちの剣】の黒い剣閃が閃くたび、竜の首は幾つも落ちた。【天剣】すらも嫉妬する絶技を彼は振るった。

 文句など、言いようが無かった。「名無しなんぞ」と口憚らない神官すらも、押し黙るほどの戦果を彼は単身で残し続けた。

 

 史上最強の勇者とは、紛れもなく彼のことだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……色々思うことはあるんだが、とりあえず一つ」

「なんだ」

 

 非常にざっくりとした【先代勇者ザイン】の話を聞いたウルはゆっくりと口を開く。元勇者、と言われてもウルには彼が昔世話になった偏屈な老人、以外の印象は無い。今更、彼に対する見方が変わることはないし、彼に対する敬意は揺らがない。

 だが、言いたいことが一つ出来た。

 

「元、とはいえ【七天】の1人だったら自由に出来る金はあるんだろ?」

「あるね。よほどの無茶でない限り、彼から要望があれば神殿は応じるよ」

 

 ディズが解答する。ウルは「だろうな」と頷いて、そして言った。

 

「じゃあこの孤児院直せよ…!」

 

 あちこちの壁がひび割れ、崩壊し、隙間風が寒いこの孤児院をもう少しマシにしたって、バチは当たらないだろう。

 だが、ザインは下らない、というようにウルを一睨みした。

 

「言っただろう。必要ないから使わないだけだと」

「孤児院と知っていた俺でも、見た瞬間の印象は廃墟か幽霊屋敷だったぞ」

《さんかいくずれそうよ?》

「必要に応じて子供らとともに補修している。都市の建築法にも反してはいない」

「法に問題があるだろ最早……」

 

 事故や悲惨な目にあって此処に流れ着いた子供がこの孤児院を目撃したら確実に自分の人生を絶望するだろう。インパクトが強すぎる。

 

「加工、補修の技術を子供らに学ばせる教材になる。子供は学習を嫌うが、自分の住処を良くするためなら必死にもなるからな」

「本当に、就職修行のための場所みたいですね?」

 

 そういえば、ウルは此処に居たときは年齢の問題で、工具類は触らせて貰えなかったが、ウルより少し年上の孤児達は、ぼろい工具と都市外から取ってきた木材を持って何度もこの孤児院を修繕していた気がする。腑に落ちた。

 

「加えて、この景観だからこそ、防げる悪意というものがある」

「……まあ、盗人も近づきはしないだろうけども」

「最も、最近は少々物騒になったがな。コレは護身用だ」

 

 そう言って彼は杖を見せる。護身、と言っても、初見の印象では枯れ木のような老人の握る杖にどれほどの価値があるのかは不明だ。元勇者と言っても、高齢に勝てるわけではなかろうに。

 

「だが、そもそも此処を誰が狙うっていうんだ?」

「闇ギルドの連中だ。この孤児院の土地を寄越せ、だそうだ。此処は確かに神殿から私が利用権を買い取った場所だがな」

「――――いや、なんでだよ」

《こんなとこになにしにくんのよ》

 

 嘘だぁというようにアカネが口を尖らせる。ウルも同意見だ。こんな金目の気配が一ミリたりとも存在しない場所の土地を強請りに、何故に違法ギルド集団が来るというのだ。

 先代勇者のザインを恨んだ奴が出たとか、そういうことなのだろうか。

 

「……」

「……ああ、なるほど」

 

 と、思っていたが、ディズは特に驚きもせず沈黙し、シズクは納得したというように手を叩いた。

 

「何か、思い当たるのか?」

「ウル様。この孤児院は何処にあるでしょう」

「何処って……プラウディアの端だが」

 

 大罪都市プラウディアの東端。高くそびえ立つ防壁が近くにあり、一日の内太陽の光が遮られる時間が多く、都市民からも好まれない場所。更に防壁の中でも最も守りの薄い都市外への出入り口が近くにあるため余計に嫌われている。

 名無しの冒険者の孤児達が多く集う【名も無き孤児院】の立てられている場所としてはこの上なく相応しく思える。そしてあえてこんな場所を狙おうなどと言う物好きは思いつかない。

 シズクはウルの指摘に頷いて、言葉を続けた。

 

「この世界の都市は、外からの交流が乏しく、脅威が多いからこそ、外に隣接する場所や出入り口の価値は低く見積もられているように思えます」

「【天陽結界】で外の脅威が極端に少ないプラウディアですら、そうだものね」

 

 シズクの言葉に、ディズは同意する。

 防壁と広大な結界、それでも尚、外との交流に積極的な都市民は少ない傾向にある。理由は、交流が必要ない造りに都市がなっているからだ。生産都市の食料供給を除けば、ヒトが生存するために必要な機能の多くをプラウディアに限らず多くの都市は自前で有している。

 例え、魔物に囲まれて、身動き一つ取れなくなろうとも生存するための特性である。故に、都市に住まう者達は都市の外への興味を引きにくく、警戒する。それが道理だった。

 

「ところが最近、外から大量の流通、交易が起こる可能性が出てきました」

「……………あー」

 

 ウルは、納得した。

 極めて安全に、かつ、大量の物資と人材の運搬を可能とする圧倒的に巨大な移動要塞。それが二ヶ月ほど前に、突如として出現したのだ。

 都市丸ごと移動する大いなる使い魔、【竜吞ウーガ】が。

 

「ウーガが本格的活用されるとなれば、一度の交易と、その時に動く物資と金は凄まじいことになるよね。で、そうなると、それに便乗したい輩は出てくる」

「最も手っ取り早く確実な方法は、交易の入り口である門周辺の空いている土地を確保することでしょうか」

 

 ウーガが本格的に稼働し、もしも交易が活性化すれば、プラウディアの出入りを行う東西南北の大正門とその周辺は大賑わいになるだろう。少数の名無しの金も持たない放浪者がぽろぽろと流れてくる頃とは段違いな筈だ。

 まだ土地の価値が高騰していない今の間に買い取りたいと思う者がいても不思議ではない。例え、今其処を利用している奴らを追い出しても、そうしたいと思う奴らは絶対にいる。あるいは、神殿の官位を持った神官の中にだってそうしようと目論む連中はいるはずである。

 

「実際、この周辺に商人ギルドの連中が蠢いている。何人か、この土地を持ってる連中から強引に買収していったのも見た」

「……で、じいさんは断ったと」

「だから、闇ギルドが動いている。表だって立ち退きを命じられないからこそ、非正規の手段をとっているのだ。下らん」

 

 ザインは一言で切って捨てた。自分の居る土地がとんでもない高騰を起こす可能性を秘めているという、真っ当な人物でも浮き足立つような話をそう断じるザインはやはり、相変わらずだった。

 ウルは感心するが、後ろめたくもなった。彼がそうなった理由は自分にもあるのだ。【竜吞ウーガ】誕生の責任の一端は自分にある。

 

「迷惑をかけてすまない」

《ごめんなー?》

「下らんと言ったぞ」

 

 その反応も案の定ではあった。

 まあ、ウーガという存在が引き起こした状況にいちいち責任を感じているなんてキリがないのも確かだった。ウーガと、それにまつわる問題で破滅した者も、成功した者も無数にいる。死人だって出ただろうし、なんならウルだって直接それを出した。

 そしてそれらに対してウルが一つ一つ償う気があるかといえば、否だ。全て自分のために、自分のエゴでやったことで、その行動の結果、出た被害は承知の上だ。顔も知らない何処かの誰かの破滅を背負う気は無い。

 とはいえ、育ての親、ザインの事となると完全に身内ごと、これを放置する気はウルにはないのだが、さて、どうするべきか。

 

「あら?」

 

 と、そんなことを思っているとシズクが不思議そうに、客間の扉を眺める。いち早く彼女が反応するのは、彼女が聴覚で異音を聞き取った場合だ。間もなくして、彼女が先んじて聞き取っていたであろう、どたばたとした足音が近付いてくるのが聞こえてきた。

 そして、扉が開かれる。現れたのは7つほどの小さな子供だ。彼は焦った顔で叫んだ。

 

「じいちゃん!!チンピラが襲ってきた」

「噂をしていれば、全くもって下らん」

 

 孤児であろう少年の言葉に、ウル達は驚き、そしてザインは大きく溜息をついて立ち上がるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代④

 

 大罪都市プラウディア郊外、林地帯

 

 通常の都市外、すなわち人類の生存圏外と比較し、プラウディアの周辺に魔物は出現しない。全ては【真なるバベル】からなる【天陽結界】の恩恵である。

 当然、この林地帯にも魔物は出ない。出るのは小さな獣や虫たちくらいだ。実に小規模な生態系の循環が行われている、その場所で

 

「おらぁぁあ!!ガキども、出てこいやあ!!!」

 

 チンピラ達の罵声が響いていた。

 彼らの狙いはあの崩壊寸前の幽霊屋敷のような場所に暮らす孤児達を誘拐し、孤児院の院長を脅してやることである。依頼主の目的は知らない。受け取った前金と、成功後の報酬のために彼らはやっている。

 チョロい仕事だと思った。何せ、攫う相手は大体が名無しの孤児達で、脅す相手は骨と皮しかないような老人である。しかも場所は結界の内とはいえ都市の外だ。騎士団の目も遠い。実に好都合、そう思った。

 

「くっそ!あのガキどもどこいきやがった!!」

「いたぞこっち……!!ってえ!?なんだ!?落とし穴」

「ふざけやがって!!なんでこんなもんあるんだ!!?」

 

 どうやら、様子が違うと気づいたのは、野草を集めてる子供達を捕まえようとナイフをちらつかせて脅そうとしたときだ。子供達は自分たちを見ると逃げ出した。いや、逃げ出す事は普通だ。だから彼らは子供らを囲うように動こうとした。のだが、

 

「散開!!!」

 

 という、騎士団が使うような号令とともに、子供達は一斉に、悲鳴一つあげずに逃げ出したのだ。まるでコチラを幻惑するように、全方角に散って。

 初動での捕縛に失敗したチンピラ達は子供達を追いかける。だが捕まらない。林の地形を熟知していた彼らは実に巧みにチンピラ達を翻弄していた。みつけたと思ったらその先に罠が仕掛けられ、追い詰めたと思ったら猿のように木を上っていく。まるで小馬鹿にされているかのようで、チンピラ達の苛立ちは募るばかりだった。

 

「くそっくそ!おい!話が違うぞてめえ!!」

 

 リーダー格の男は、顔を隠したフードの男を睨み付ける。小さな酒場で飲んだくれていた冒険者紛いの彼らを「楽で稼げる仕事がある」などという胡散臭い文句で誘ったのがこの男である。

 だが、実際に依頼を受けてみればこのざまだ。子供達の動きは、まるで特殊な訓練を仕込まれた兵隊のようだ。トラップも容赦なく、怪我人も出ている。どう考えても前金の端金で割に合う連中ではないと彼は確信した。

 

 そんな抗議に対してフードの漢は深々と溜息をつく。

 

「話が違うのはコチラのセリフだ。まさか”本命”が来る前使いすらこなせないろくでなしとはな……」

「んだとこらぁ!!」

「事実だろう…!?不満に思うなら子供の一人でも捕まえろ!」

 

 徐々にフードの男のボルテージも上がっていく。表情は見えないが、彼も苛立っているらしかった。

 

「おい!!こっちだ!!一人追い詰めた!!!」

 

 そこに仲間からの声がかかる。チンピラ達が声の方へと向かうと、確かに小さな少女が一人、巨大な大木を背に追い詰められていた。罠も警戒したが、何かが仕掛けられている様子もなかった。

 

「……!」

「ックソガキが…てまかけさせやがって――」

「今だ!!!」

 

 チンピラ達が子供を攫おうと集まった瞬間、鋭い号令が再び響いた。ぎょっとチンピラ達が目を見開き周囲を見渡すと、そこには孤児の子供達が周囲の林の上空から、コチラを睨み、そして何かを振りかぶって、そして投げた。

 

「っぎゃ!?」

「石だ!石投げてきやがる!!クソが!!!」

「マジでふざけんじゃねえぞ!!!」

 

 石つぶての雨が降り注ぐ。子供の力で放られるそれは、精々ぶつかりどころが悪くても血が出るくらいのものだったが、痛いは痛い。冒険者として真面目に活動をしてこなかったチンピラ達が怯むに十分だった。

 しかも、気がつけば少女は姿を消していた。囮だったのだ。

 

「どうなってんだこのガキども――」

「まあ、それは俺も同意見だ」

「あ?!」

 

 そしてチンピラのリーダーは背後からやってきたチビに顔面を殴り飛ばされ、意識を失った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………助け必要だったか?これ」

 

 チンピラ達を捕縛しながら、ウルは疑問に思った。此処に到着したとき、孤児の子供達を襲ったらしいチンピラ達は孤児達の罠に嵌められ、身動きできずにボコボコにされていた。ウルがしたことと言えば、最後のトドメをさしたくらいである。

 だが、ザインは首を横に振る。

 

「所詮、付け焼き刃だ。そもそも護身術以上のものを孤児院で子供に教える事は無い」

「護身術ってレベルか?コレ」

「都市の外で必要なレベルの、という注釈が付く。ともあれ良くやってくれた」

「……まあ、その言葉はありがたく受け取っておくよ」

 

 そう言いながら、ウルはチンピラ達を拘束していく。彼の隣ではシズク達も同様に、孤児達の襲撃犯を捕らえていた。

 

「一通り、石を投げられた方達は拘束完了しました」

《ぐーるぐる》

「冒険者、でもないか。指輪も持ってない。迷宮潜りのチンピラかな」

 

 ザインの言っていた闇ギルド、でもない。要は金で雇われて犯罪まがいをやらかすチンピラだったようだ。捕まえたところで、大した情報は得られそうに無かった。

 

「じーちゃーん!」

 

 と、孤児達が集まってきた。ザインは子供達を確認し頷く。全員、無事であるらしい。

 

「へへ!みたかよじーちゃん!俺たちの活躍を」

「幼いトトを逃がしたのは良いが後は攪乱と逃走で済ますべきだったな。判断力が足りん」

 

 誇らしげな孤児達の言葉に対してザインの反応は実に塩だった。ブーイングを起こす子供達に対してザインは何時も通りの仏頂面である。

 

「先代、子供相手なんだからもう少しお手柔らかにしなよ」

「十分に優しい。子供の頃のお前の修行と比べれば」

「私と比べちゃダメだよ絶対」

 

 などと会話している内に、チンピラ達の拘束は完了した。

 

「コイツラは騎士団に突き出すか?」

「コイツラも名無しだ。しかも名無しの孤児相手では、面倒がられるだけだ」

《それもねらい?》

「どうでしょう?当人に聞いてみましょうか?」

 

 シズクはそう言ってちらりと視線を林の奥に向ける。するとそこに、孤児達でもチンピラ達でも無い、全身をローブに覆い隠した男が姿を現した。あからさまに怪しい風体で、この襲撃の関係者、もしくは首謀者なのは間違いなかった。

 使っていた手下達が拘束された。状況としては追い詰められている筈の男が、そのまま逃走せずに姿を現す。それはつまり、まだ何かあると言うことだ。

 

 それを察してウル達も警戒は解かなかった。

 実際、フードの男は、怒りでも怯えでもなく、喜悦に口元を歪めていた。彼はそのまま興奮したように口を開く。

 

「は、はは!役立たずどもと思っていたが、まさか本命をつり出してくれるとは!」

 

 彼の視線は真っ直ぐに枯れ木のような老人であるザインへと向いていた。ザインは驚きもせず、微動だにせず男を睨む。

 

「孤児を攫って、私をおびき寄せるつもりだったか。随分雑なやり方だ」

「黙れ!!さるお方からの命令だ!」

 

 そう言って、フードの男は右手に備え付けられた腕輪を強く握る。腕輪は紫色の妖しげな光を放ち始めた。

 

「貴様らは高貴なるプラウディアには不要だとよ!貴様も孤児達も消えれば、あの小汚い孤児院を続ける理由もなくなるだろうさ!!!」

 

 彼はそう叫んだ瞬間、彼の背後の地面が盛り上がり、そして爆発した。中から現れたのは真っ黒な、人型の、石の塊。

 

『―――――OOOOOOOOOO』

 

 洞窟を吹き抜ける風のような音。ウルにとっては思い出も深い、人造の魔物、人形(ゴーレム)だ。しかも、【黒金】製の対魔物戦闘用の代物だった。

 

「孤児と老人相手に派手なもの持ってきたな……」

 

 とはいえ、流石に今のウルが焦る理由は無かった。人形との戦い方は熟知しているし、今更遅れをとるつもりも無かった。何より今のこの状況は、頼もしすぎる味方がいる。

 

「さるお方、とは誰のことでしょう?」

「多分、金に目が眩んだどこぞの神官だろうね。興味はわかないや。アカネ」

《あーい》

 

 この場には【勇者ディズ】がいる。彼女に頼り切るつもりはないが、彼女がいて人形如きに対してどうこうなるとは全く思えなかった。油断や侮りではなく、戦力比較をした際の純然たる事実だった。

 だから、懸念すべきは孤児達や、ザインに被害が及ばないようにする事であり、ウルやシズクはディズの邪魔をしないように動いた、つもりだった。が、

 

「丁度良い機会だ」

 

 と、当のザインが一人、ディズよりも前に出てしまった。

 

《じーちゃん!?》

「ディズ、貴様の【魔断ち】は完成しておらん。あまりにも未熟だ」

 

 アカネは悲鳴のような声をあげるが、ザインは杖をつきながらディズの前にも出た。ディズもぎょっとするが、彼はまるで気にせず、フードの男の前、人形の射程範囲にその身をさらした。

 

「――――やれええええ!!」

『OOOOOOOOOOOOOO』

 

 フードの男が狂喜し、人形に命令を出した。黒金の人形は腕を大きく振りかぶって、目の前の自分より遙かに小さな老人にむかってその拳をふり下ろさんとした。

 

「【魔断ち】を放つに魔術に頼る時点で論外だ。己が技量を研ぎ澄まし、極めれば――」

 

 瞬間、ザインの姿が消えた。ウルの目にも消えたようにしか見えなかった。彼は気がつけば人形の背後に回っていた。そして彼は古びた杖を握り、踏ん張りも利かない空中で、しかし一切姿勢を揺らがせず――――

 

「……………………は?」

 

 瞬間、黒い剣閃が黒金人形の胴を真っ二つに切り裂いた。

 

 フードの男は、眼前に起きた光景を全く理解できず、口を呆けさせた。気持ちは分かる。ウルも同じ気持ちで、多分同じようなツラになっていたからだ。

 

『――――    』

 

 切断された人形の胴体から、ころりと魔導核が転がり落ちる。それは先の一撃で同じく真っ二つに切り裂かれていた。己の心臓を一撃で切り裂かれた人形は、暴走状態になる事も無く機能を停止させ、崩壊した。

 

「このように、刃も無い棒きれでも【魔断ち】は放つことが出来る。精進しろ」

「…………いや、そうはならないでしょ」

 

 思わず漏れ出たディズの感想に、ザイン以外の全員が同意した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代⑤

 

 プラウディア、【名も無き孤児院】

 

 一連の襲撃騒動からしばらくして、襲撃犯達を騎士団に連行し、ウル達は再び孤児院に戻っていた。子供達が戻り、幽霊屋敷のような孤児院の中が若干の明るさを取り戻す中で、ウルたちは再び客間へと戻っていた。

 

「騎士団には引き渡したが、人形使い含め末端だな。なんの情報にもならん」

 

 巨大なる人形(ゴーレム)をただの杖で真っ二つにするという絶技を披露したザインは、孤児院に戻ってからも特に、態度を変えることは無かった。疲れたりだとか、そう言った様子も見せない。

 

「人形使いが使ってた魔道具も、人形が壊れたと同時に自壊したしな」

「とはいえあの人形も、タダではあるまい。あれが無残に破壊されたとなれば、流石に少しは間を空けるだろう。幾らか、この周りも静かにはなる。ご苦労だったな」

「なんもしちゃいねえけどなあ。俺」

 

 精々冒険者未満のチンピラ達を捕まえて、騎士団に突き出したくらいだ。感謝されるようなことはしていない。はずだが、

 

「なーうるーウルって怪鳥殺しのウル?」

「なあウル!冒険の話してよ!すげえんだろ!?」

「ここの出身ってほんとかよウル-!」

 

 やけに子供に懐かれていた。どうにも、ウルの話題はこの孤児院にまで波及していたらしい。ウル達が、噂になっている冒険者当人であると気づいたときの孤児達の熱狂はとんでもなく、今もウルは子供達に張り付かれて身動きが取れなくなっている。

 

「子供達が喧しい」

「お前もそうだった頃はあるのだ。相手してやれ」

「俺こんなだったか?」

「騒動を起こす頻度を考えればその子らの方がマシだ」

 

 そう言われるとぐうの音もでない。ウルは黙って子供達によじ登られ、髪をひっぱられるに甘んじた。少し離れたところではシズクが孤児達を相手にままごとをしている。彼女の前で子供達は実に大人しい。

 

「さあ皆様、今度はお歌を歌いましょうね」

「はぁーい!」

《いえーい!》

 

 何故かアカネも混じっている。向こうは実に平和で楽しそうだ。こっちは半ば子供達の遊具と化しているというのに。

 

「ひとまず、先代が衰えていなくて安心しましたよ。本当に」

 

 ディズもウルと同じく子供達にのし掛かられ、肩車状態であるのだが、ウルよりはマシな状態だ。ディズの言葉に対して、ザインはやはりいつもの調子で「下らん」と斬り捨てた。

 

「抜かせ。鈍ったわ。おかげで杖が折れかけた」

「折れていないのが十分に驚愕に値するんですけどねえ」

「とっくに前線から退いている者の後塵を拝してるのではない」

「そもそもまだ貴方に今の私の技量、見せてもいないのになんでソレ分かるんです?」

「見れば分かる」

「どうなってるんだこの老人」

 

 ウルも同意見だった。本当に、どうなっているのだろうか。先代勇者という事実だけでもウルは驚愕したのだ。まして彼があれほどの剣技を修めていることなど勿論知らなかった。

 ウルにとって彼は、寡黙で無愛想で、”名無し”の孤児を助ける物好きで、善良な老人だ。それ以上でも以下でも無い。

 

「教えてくれても良かったのに」

「教えて何になるというのだ。勇者の名も、業も、孤児達を育てる役にはたたん。今回のような例外など、早々起こることではない」

「まあ、それはそうなんだが……」

 

 あの凄まじき剣技のほんの僅かでも身につけていれば、ウルの冒険者の人生はもう少し楽になってたのでは?という思いが無いでは無かった。勿論ディズと同じ事がウルに出来るとは思わないのだが、一端でもおこぼれにあずかりたいと思うのは卑しい発想だろうか。

 

「今、どうしてもお前が必要とするならあの技術は教えられるぞ」

「え?マジで?」

 

 ウルはビックリしてディズを見た。彼女は肩を竦めるだけだ

 

「ディズの【魔断】は何度か見てるけど、あれって勇者の専用技術とかじゃないのか?」

「専用という意味ではそうだ。あくまで結果としてそうなっただけだがな」

「結果?」

「勇者以外の【七天】はアレを扱えぬ。()()()()()()()

「どういうことでしょうか?」

 

 いつの間にやら、シズクがウルの隣りにいる。はてと彼女が先ほどまで居た場所を見ると、孤児の子供達はいつの間にか眠っているウルに先ほどまでしがみついていた子供達も同様にだ。

 

「……良く寝かしつけたな。あんな興奮していたのに」

「やっぱり、怖くて、疲れていたみたいです。歌って緊張を解いてあげたらすぐに」

 

 チンピラ達に向き合ったときは果敢で、ザインの剣戟を見たときは興奮し、ウルを知って大騒ぎしていた子供達だったが、やはり子供は子供と言うことらしい。

 

「感謝する。【ウィントールの巫女】」

 

 と、その子供達の様子をチラリと見て、ザインがシズクへとそう告げた。シズクは少し驚きに目を見開く。

 

「――――知っているのですか?」

「ああ、()()()()。精々励め」

「承知しました」

 

 シズクは頭を下げた。短いやり取りだった。その言葉の応対に、ディズは少し興味深そうに目を細めたが、それ以上、二人の間にやり取りは無かった。ザインは再びウルに目を向ける。

 

「【魔断】とは、その業を極め、それ以外の全てを()()()()()()()()にある現象に過ぎぬ。本質的にあれは誰でも出来る。勇者で無くてもな」

「削ぎ、落とす…?」

「故に、他の七天には再現できない。と、いうよりもする必要がない。もとより神の加護を有しているのだ。わざわざ持っているものを削ぐ理由など皆無だ。あるものをただ極めれば、()()()へと至る」

「なるほど……?」

「だが、魔断を鍛えるならばそうはいかぬ。魔術による肉体の強化などを施すだけでも、純粋な【魔断】からは遠のく」

 

 じろりと、ディズを睨むと勘弁して欲しい、と両手を挙げた。

 

「肉体の強化なく、【魔断】の域にいくのは無理だって…!」

「それはお前の一振りの純度が足りないからだ。純粋な力の強さが物を言うなら、お前よりもか細い私の腕で【魔断】を繰り出せる道理はあるまい」

「言うは容易いけども……!」

「生まれながらにして神域にいる【天剣】とお前は違うのだ。切り伏せるという一点だけでも上回れねば、足手まといにすらなれぬぞ」

 

 ディズが追い詰められ、無理だと嘆く姿は本当に珍しい光景だった。だが、彼女がそういうだけの代物、と言うことになるのだろう。ウルには聞いただけではそれをどうするかすらピンとこなかった。困難であると言うことしか分からない。

 

「一点を極め続けよ。という事なのはなんとなくわかったのですが、そうして【魔断】の域に到達すると、どのようなことが起こるのですか?」

「全てを断つ」

 

 シズクの問いに、ザインは一言で解答した。あまりにもシンプルな解答だったが、その言葉の意味するところの真の力をウルはつい先ほど目撃した。武器ですらない、ただの杖で、巨大な人形を一刀両断する姿を。

 

「魔人の皮膚も、古代魔術の障壁も、精霊の加護も、竜の鱗も、その場を支配する理すらも、全てを断ち切る」

「…………」

 

 自然と、ウルは生唾を飲んだ。勿論、ウルにはザインの言うことの本質は理解できなかったが、真っ黒な剣閃がどれほどの力を秘めているか、その一端に触れた気がした。ディズは改めてザインへと頭を下げた。

 

「精進します」

「精々励め。世界の守護者」

 

 ディズは覚悟を決めたらしい。対してウルは

 

「……うーむ……」

 

 情けないが少し及び腰になってしまった。

 元々、彼は武術の面はかなり雑にしてしまっているところがある。毎日の訓練はもっぱら体力作りと、どのような状況下でも十全に身体を動かすための実戦的な動作の反復だ。

 戦いの経験が圧倒的に魔物、それも大幅に常識を越えた魔物に偏っているのが原因なのだろう。生存力優先で、技術や理屈がおざなりになっているのは否めなかった。だが、”黒い剣閃”は、そんな自分の最も欠けている部分が重要であるような気がして、それを習得するイメージがわかない。

 

「確認なのですが、剣以外の技術でも再現は出来るのですか?」

 

 だが、シズクはそうは思わなかったらしい。手を上げて追加で質問する。

 

「可能だ。斬る、突く、叩く、あるいは魔術であっても可能だ。重要なのは純度であって、その手段ではない」

「なるほど……」

 

 そう言って、ウルを見た。彼女は微笑んでいる。

 

「がんばりましょう、ウル様!」

「……わぁかったよ」

 

 死ぬまでに出来たら良いなあ。と、ウルは思った。

 ザインはウルのそんな反応を見て、やれやれ、と立ち上がる。

 

「困難に思うなら別の技術を仕込んでやる」

「別の?」

 

 そう言って、彼は奥に引っ込み、そしてなにやら大きな籠をもって戻ってきた。ウルは眉をひそめ、そしてその籠に詰まっている大量の”野草”を確認し、顔を引きつらせた。

 

「子供らがとってきた魔草薬草毒草だ。選別と”茶”の煎じ方、今日中に仕込んでやる」

「……ワアータスカルゥー…」

 

 悲しいかな、助かるのは事実だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 自らの手で、自分が気を失うレベルの凶悪な味の茶を煎じるという苦行の果て、なんとかザインから「及第点」が出された頃にはとっくに陽が沈んでいた。

 流石は大罪都市プラウディアというべきか、夜中であっても魔灯の輝きで都市は明るかったが、ここから宿まで距離はある。と、考えていると

 

「今日は泊まっていけ」

 

 とザインは一言告げて、ウル達は泊まることになった。

 

「あーリーネか?聞こえてるか?ちょっと別の所で泊まることになったので明日朝で宿に戻る事になった。うん、そうそう……エシェル?うん説明頼む……悪かったって。今度なにかおごるから。ああ、じゃあな」

 

 通信魔術での連絡を終え、ウルは伸びをして周囲を見渡す。

 ひび割れた窓、隙間風の入ってくる壁、不気味な外観、節約のために夜になると極限までおとされて真っ暗な景観。実に懐かしい光景である。

 

「邪教徒のアジトかなんかとしか思えんなコレ……」

《にーたん、これにーたんがかべにあけたあなじゃね?》

「いやまさかそんなの残ってるはずが……」

《ほれここ。けんかでけっとばしたときのやつ。かくしてたの》

「……帰る前に埋めとくかぁ……」

 

 こういう、自分の恥がハッキリと残っているのも故郷というものなのだろうか、とウルは思った。良い思い出だと笑うには少々壁に空いた穴が大きかったが。

 

「まあ、しかし、やっぱり懐かしいな、此処。戦いの前に来れて良かったわ」

《しぬひとみたいよにーたん》

「死ぬかもしれんしなあ」

 

 ウルがそう言うと、アカネは妖精姿でウルの頭まで飛ぶと、べちべちべちと何度も叩いてきた。ウルは黙って受け止める。自分を心配してのことなのは分かっている。

 

《にーたんむちゃばっかだめよ!》

「そりゃお互い様だ。アカネ。お前の方が大冒険してるじゃ無いか」

《わたしはいーの!》

「よくないが」

 

 二人は互いににらみ合う。が、暫くするとアカネの方が先に折れたのか、がっくりと肩を落とした。

 

《ふもうね?》

「そうな。全く」

 

 ウルも溜息をついた。実に不毛だ。互いを心配するが故に罵り合う喧嘩なんてものは。

 

「俺たちは、普通に暮らせりゃそれでいいんだがなあ……」

 

 ジャインのように、都市の中で、安全に暮らせなくたって別に構わないとすら思っている。ただ後顧の憂いなく、おかしな障害も無しに、アカネと一緒に人生を全うすることが叶うならそれでいい。

 その願いは、アカネが【精霊憑き】になった時から叶わない夢なのかも知れない。が、諦めるつもりはウルには無かった。

 

《にーたん、そんでもほんとうにきをつけなあかんよ》

「口ではそう言ったが、死ぬ気なんて全くねえよ。ここまで頑張ってきたんだ。ぽっくり死んでたまるか」

 

 【陽喰らいの儀】がなんにせよ、あるいはこれから先もっと恐るべき試練が待ち受けていようとも、ウルは諦めるつもりは無い。例えそれが明らかに自分の器では到底収まりの付かない難事であろうとも、抗うことを止めるつもりは無い。

 

《……わーかった》

 

 アカネは、そんなウルにふにふにと笑って、さきほどのようにべちべちとするのではなくて、労りと慈しみを込めるようにウルの頭を撫でると、そのままふわりと宙を舞い、ウルから離れた。

 

《ちっちゃいこたちといっしょにねる。みんなまだちっとびびってたから》

「わかったよ。おやすみアカネ」

 

 アカネを見送ると、ウルは欠伸を一つする。

 ウルも眠かった、冒険者ギルドでも一眠り……と言う名の気絶をしたが、今日はやはりいろいろなことが多すぎたのだ。最後の最後、ザインのスパルタ教育が特に効いた。指先がまだ青臭い匂いがするのは気のせいだろうか。

 

 しかし、このまま即座に眠ってしまうのはなんだかもったいない気がした。【名も無き孤児院】の風景がウルにはどうしようもなく懐かしかった。

 放浪者である名無しのウルが、そう感じ取れる場所はかなり貴重だ。

 ウルは音を立てないようにそっと孤児院の中を散歩する。何度も補修された跡があるが、根本的な部分は本当に変わっていない。だというのに全てが小さく見えるのが面白かった。

 

 そうして孤児院を歩いて回っていると、倉庫へと続く地下の階段、狭い物置のようになっている場所から、明かりが漏れていることに気がついた。

 はて?もう子供達は寝ているはずだが?

 と、ウルは興味をそそられ、音を立てないようにそっと扉を開く、と

 

「……ディズ?」

 

 ディズがいた。何処に仕舞ってあったのか古びた剣を片手に、仁王立ちして立っていた。

 しかも何故か全裸で。

 全裸姿のディズを前にウルがすべき事は即座の謝罪か、見なかったことにして即座にその場から離れるかの二択だったのだろう。

 が、ウルはどちらもすることが出来なかった。

 

「…………うわ」

 

 倉庫の中、僅かな明かり、そして部屋の中に保管されていたのであろう古ぼけた鏡の前に、彼女は立っている。衣一つ纏わず、剣を片手に、ジッと自らの姿を睨み、構えている。

 普段、ウルは彼女とともに戦うことは多い。あるいは、訓練の中で彼女に稽古を付けて貰うこともある。彼女が剣を構える姿は何度となく見てきたつもりだった。

 

 だが、ウルはその認識を改める。

 ウルはこれまで一度も、ディズの姿をまともに見れてなどいなかったのだ。

 

「――――――――」

 

 ただ立ち、剣を構えるだけの彼女は、あまりにも美しかった。逃げることも、謝罪することもうっかり忘れてしまうほどに。

 

 肢体を晒し、剣を構える彼女は、ゆっくりと剣を動かしていく。地面を踏みしめる足指から足の裏、脹ら脛、腿、腰、腹、肩から腕、そして手と指先に。全てが正しく動くことをつぶさに観察し、見落としの一つも残さないような丁寧な動きだった。

 一切の力が淀みなく、剣へと繋がる。身体の一部であるように、剣は空を斬る。ゆっくりとした、虫でも止まれるようなほどの速度なのに、その剣先にあった全てのものは全て切り裂かれてしまいそうな気がした。

 

 古ぼけた孤児院の、埃っぽい倉庫の中の、ボロボロの剣が、世界を静かに裂いていた。

 

「…………」

 

 ウルは隠れるのを止めた。部屋の中に入り、扉を閉めて、その場で座り込んだ。

 誰かに見られるのはいやだった。卑しい独占欲だ。この光景を他の誰にも見せたくは無かった。ウルは黙って、彼女の剣舞を独り占めにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院と不愛想な先代⑥

 

 それから、どれだけ時間が経っただろうか。

 時間の経過の感覚が全くない。それを唯一示すのは、彼女の身体から噴き出す汗だろうか。一度たりとも激しい運動はしていない。だが、それでも流れる大量の汗はいかに彼女が集中しているかを示していた。

 そして、その時間は不意に終わった。

 

「……………ふう」

 

 大きく溜息を吐いて、ディズが動きを止めた。剣がからんと手から零れる。同時に彼女の肉体の一部となっていた剣は、何処にでもある、古錆びた剣に戻った。

 

「さて……」

 

 ディズは、噴き出す汗を払い、大きく息を吐き出し、そして部屋に入ってきた闖入者に視線を向け、笑みを浮かべた。

 

「ウル、弁明はあるかい?」

「――――無い。ぶん殴れ」

 

 ウルは殴られた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ほれ、水。浄化魔術もかけてる」

 

 頬にくっきり拳の跡を作ったウルは、外の井戸から酌んできた水をディズにさし出した。汗を拭き取りラフな格好に着替えたディズはそれを受け取り、おかしそうに笑う。

 

「ありがとう。うーん、のぞき魔が紳士的だ」

「全くもって言い訳の余地が無い。俺はのぞきだ」

 

 ウルは開き直った。本当に言い訳の余地は無い。ウルは彼女の全裸をガン見していた。ディズが騎士団に訴えたら普通に捕まるだろう。ウルの冒険はそこで終わる。あまりにも間抜けな最後である。

 が、ディズは笑ってそれを流した。

 

「ま、私もこんな所であんな格好で訓練してたのが悪い。見物料で殴ったけどね」

「これが見物料なら俺はかなり得したよ」

「良い物見れた?」

「ああ。最高だったよ」

 

 ウルは真顔で言い放った。ディズはウルを見て、少しだけ変な顔になった。

 

「ウルって割とそういう事言うけど、問題にならない?」

「問題とは……いやのぞきが問題なのは問題かもだが」

「いや、私もよく分からないんだけど……うーん……」

 

 ディズは頭をゆらしなにやら考えているようだったが、結局答えはでなかったのか肩を竦めた。どうやら、騎士団にウルを突き出すつもりは無いらしい。

 

「そういえば、いきなり泊まると決めたが、ジェナは大丈夫なのか?」

「結構前にジェナから連絡があったよ。ダールとスール達はちゃんと守るから安心してお休みくださいって」

「流石……」

 

 如才ない使用人だった。

 

「しかしなんで、こんな所で訓練をしてたんだ?」

 

 まあ、訓練をすること自体は彼女は何時ものことだ。陽が昇るよりも早くに身体を起こし、日が沈んでも尚ヒマがあれば身体を鍛える事をウルは知っている。だがわざわざこんな場所で、身体を晒してまで訓練に勤しむほど彼女は偏執的な鍛錬ジャンキーでは無い、筈だ。

 するとディズが少し恥ずかしそうにしてちらりと、視線をウルから外した。

 

「此処、珍しく鏡があったからさ」

 

 彼女が見るのは、この部屋にずっと放置されていたであろう全身が映るほどに大きな鏡だ。古ぼけていて、あまり綺麗に映るとは言いがたいが、確かに鏡だった。

 珍しいと言われると確かにそうだった。珍しくなってしまった理由をウルは知っている。

 

「私の立場だと、鏡が置いてある場所に巡り会う事ってあんまり無い。」

「ああ、なるほど。一応官位持ちだものな。ディズ」

「一応ね」

 

 神官であるが故に彼女の周りには鏡を、”太陽の盗人”を警戒する者は多い。鏡自体を嫌悪するものもいることだろう。あるいは気遣って、彼女の周りに鏡を置かないようにと配慮する場合もあるだろう。 

 

「まあ、融通できないことも無いんだけど、私もあちこち移動する立場だから、あまり大きな鏡なんて手に入れても、持ち運びに不便なんだよね」

「で、ここに丁度良い鏡があって、思わずストリップいたいたいたいごめへんて」

 

 両頬をひっぱられたウルは謝罪した。ディズはひとしきり、ウルの頬をひっぱって遊んで満足したのか手放すと、深々と溜息を吐き出した。

 

「ま、正直焦ってたのは認めるよ。あんなの見せられちゃねえ」

 

 彼女のような実力者をして「あんなの」と言うもので、思い当たるのは一つしか無い。

 

「じいさんの【魔断】か?」

「あの域は遠いなあ、って。【勇者】を胸張って名乗るのはまだ先になりそうだ」

 

 確かに、ザインが武器でもなんでもない杖から放った【魔断】は衝撃的だった。ウルからすれば一周回って現実味があまりにも無くて、焦りも嫉妬も抱きようが無かったのだが、なまじ近いところにいたディズにとってそれはそうでは無かったらしい。

 今もまだ表情はどこか暗い。よっぽど気にしているらしい。

 

「一つ良いか」

「ん、なに?」

「なんでそんな苦労してまで勇者なんてしてるんだ、お前は」

 

 彼女が常に命を張って戦っているのはもう散々に理解した。あらゆる局面、困難に対してディズは身体を張り、怪我を負い、苦痛に耐え忍んで戦い抜いている。

 何故に、そこまで努力をするのか、ウルには分からなかった。

 

「んー?それ、君が言う?ウル」

「俺は妹の命の為で、もっと言えばそれは自分のためだ。だから良いんだよ」

「私も同じ、自分のためだよ」

「自分の為ね……」

 

 と、彼女はそう言うが、やはりウルにはどうも納得が出来ず眉をひそめた。

 無論、彼女が言うように、ウルが他人の事をどうこうと言える程まともな感性と動機をしていないのは確かなのだが、だからこそ余計に気になる。こうまでして駆け抜ける彼女の動機はなんなんだろうか、と

 ディズは「そうだね…」と少し考える仕草をした後、自分の髪をかき上げる。金色の美しい髪の下から彼女の耳が姿を見せた。

 只人にしては長く、森人にしては短い耳を。

 

「直接説明はしなかったけど、私が()()()なのはもう知ってるよね。」

「ああ、流石にな」

 

 ディズが直接話す事はなかったが、別に彼女はその事や自分の特徴を隠す様子もなかったので察してはいた。混血児、別種族同士の子供である事実を。

 そして、別にそれ自体、ウルはなんの偏見も持っていない。例え、この世界の常識として、混血児が忌避される忌み子として扱われていようとも、だ。名無しでも混血児は少なかったが、見かけなかったわけではなかったのも一因だった。

 

「ま、混血児の歴史とか、差別については今は置いておこう、私の事情で、重要だったのは混血児の”体質”でね」

「体質?」 

「混血児は、種族ごとの特性が狂うんだ。上手く混じったりしない。()()()()()()

 

 身体的容姿や特徴、種族寿命、魔力容量、指先の器用不器用、感性、その他諸々。

 種族にはそれぞれの種族傾向というものが存在する。勿論、ここから個々人の個性という形で更なる分岐が発生するわけだが、違う種族の血が混じった場合、生まれる子供は”二つの種族のちょうど間”などという都合の良い結果になることは無い。

 要は、バランスが狂うのだ。

 

「そう言った事実から、別種族の結婚は忌避される傾向にあるわけだけど、まあ、歴史は置いておいて、例に漏れず私もバランスがおかしくなっている」

「耳もその一端?」

「そうだね。目立つところに異端の証があるものだから、どこにも馴染めなかった。全体的な容姿もくずれた”同胞”もいるから文句も言えないけどね」

 

 ピンと自分の耳を指先で弾く彼女の仕草は、少し忌々しげだった。

 更に彼女はつらつらと、自身の肉体のバランスの悪さを挙げ連ねていった。

 

 長命の特徴を受け継いでいない。只人のそれと同じ成長速度であると言う事

 魔力の放出量も歪であり昔は魔力の放出がうまくできずに死にかけた事。

 身体が普通よりも頑丈で、下手な怪我くらいならすぐ回復する事。

 

「で、この歪んだ体質に興味を持った連中がいた」

 

 その彼女の言葉に、思い当たる節はウルにはあった。だが、それを尋ねるのにはすこし、躊躇いがあった。癒えているかどうかもわからない彼女の傷を直接触れることになると分かっていたからだ。

 しかし、ここまできて尋ねないわけにも行かなかった。

 

「……誰だ」

「【陽喰らう竜】、で攫われた。何されたか聞く?」

「聞かない」

「賢明だね。私も話して楽しいことじゃないしね」

 

 聞けば、誰にもぶつけようのない怒りがわき上がってくるのは明白だった。何よりも痛めつけられた当人にそれを話させるつもりはウルには無かった。

 

「まあ、兎に角私はひどい目に遭った。それで死にそうになって、先代勇者に助けられた」

 

 【七天の勇者】によって見事アジトは壊滅した。ディズはその時には邪教徒に捕まって数年が経過していた。心身疲れ果て、衰弱していた彼女は勇者に背負われるようにして外に出た。

 そしてその時、彼女は思った。

 

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()

「……なんだって?」

 

 ウルは思わず聞き返した。

 彼女の身体の事を聞いてすぐに察した。彼女は本当に、沢山のひどい目に遭ってきたと。決して比べるものではないが、名無しの放浪者のウルよりもよっぽどその人生は過酷だったはずだ。

 しかも邪教徒に捕まって、もっとひどい目に遭って、ようやくそこから抜け出て思ったことが、「世界が綺麗」?

 

「うん、君の反応は正しいよ。私も自分で正直その感想はどうなんだって思った。邪教徒の洗脳かと疑ったよ」

 

 でも違った。ディズは当時の光景を思い出すように、目を細める。

 

「あそこは、大罪都市ラストから少し南の迷宮跡地を利用した場所でね。外に出たとき丁度、アーパス山脈に太陽が沈んで、手前のソーラ湖に夕暮れの光で輝いていた。周りの木々は紅色に染まって燃えるみたいで――――」

 

 その金色の瞳に刻まれた景観を語る彼女の声は、抑えきれないほどの深い感動が溢れていた。地獄のような境遇の中、更に深い闇の底に落ちて尚、彼女は心からその景観を尊く思ったのだ。

 

「たまらなかったよ。ムカつきもしたね。なんだって私はこんなひどい目に遭ったのに、感動的な気分にならなきゃならないんだって。でもダメだった」

 

 泣いて叫んで唸って、目を逸らしても世界が愛おしかった。自分の受けた痛みがどれだけのものだったかと叫んでも、その事実から逃れることが出来なかった。

 自分という存在は、慈しみを捨てることが出来ない。

 

「で、そんな私を、その時私を助けた先代が、勇者の後継者として育てて、今に至る。以上。だから私がこの世界を守る理由は、本当にそのままなんだよ」

「……この世界が、愛おしい?」

「うん」

 

 世界の守護者は微笑む。

 

「朝昇ってくる太陽の光で輝きだす草原が好き。天高く昇った陽光に照らされて働くヒトが好き。ゆっくりと沈む陽光を遠く眺める山々の獣たちの姿が好き。満点の星々の輝きの中煌めく都市が好き」

「道誤った強者を見ると悲しくなる、正しくあろうと懸命な弱者を見ると嬉しくなる」

「今日までを続けてくれた昨日も、今日から続く明日も愛おしい」

 

 世界の森羅万象を、彼女は愛している。故に。

 

「私の事を気遣って、ずっと辛そうな顔をしてくれてる君も愛おしいよ。ウル」

 

 ディズの手の平がウルの頬に触れる。

 頬から彼女の熱と愛情に触れ、ウルは身体の奥底から熱くなるのを感じた。無償の愛情、ウルにはあまり縁の無かった愛が、ウル自身の心の奥底に染みこんで熱くさせていた。彼女に心酔していった者達はきっと、彼女のこういう所に触れていったのだろう。

 だが、同時にウルは悲しくもなった。

 

「で、お前は、お前自身をちゃんと愛してるのかよ。ディズ」

「一応人並みに自分への愛情はあると思うよ?痛いのも辛いのも嫌だしね」

 

 ただ

 

「守りたいものがあるなら、がんばらないとね」

 

 シズクに似ている。ウルはそう思った。だが、決定的に違う点がある。

 

 シズクが、誰かの意志によって生まれた人工物ならば、彼女は天然だ。天然の聖女だ。

 

 シズクの価値観を誰が、なにが形作ったのかは分からない。だが、それが目指そうとした先にいるのがディズだ。生まれながらにしてそうだった聖女こそが彼女だ。何を言われるでも、強いられるでも、自分を蔑ろにするまでもなく、純粋に自分の周りの全てを愛しく思う金色の聖女。

 

 最も、どちらがどうであれ、どちらも度し難いことには変わりは無い。

 なにが問題って、その二人に何度も命を救われて助けられている事実だ。

 

「まあ、よく分かったよ。」

「そう?それならいいけど――」

「それと、決めたことがある」

 

 ウルは、自身の頬に触れるディズの手を強く握り、彼女を強く睨んだ。

 

「お前にアカネを殺させたりしない」

 

 ディズは目を見開いた。

 その言葉の意味は、ディズの意向に徹底的に抗う敵対宣言だ。だがディズはそのままウルの手に更に手を重ねた。縋るような声で彼女は言う。

 

「ほんとう?」

「ああ、絶対だ」

 

 彼女は圧倒的に強いが、万能ではない。彼女との旅でそれは理解した。

 故にディズは必要であれば命を選ぶ。少数の犠牲を取って、多勢が救われるならそうする。最初、彼女とアカネの扱いの取引をしたとき、強い意志でアカネの分解(さつがい)を提示した理由はそれだ。それで得られる力で更に多くのヒトを救えるなら、彼女はそれを選ぶだろう。

 自らの手で愛しい存在を粉々にするという苦悩に喘ぎながら、命を数で計る傲慢さに吐き気を催しながらも、それでも彼女は絶対にそれを実行する。

 

 それほどまでに彼女の愛は重く深い。

 そんな真似をさせてたまるか。この、優しすぎる女に。

 

「アカネを絶対に守り抜いてみせる。何があろうと最後には絶対にお前から取り戻す」

「そっか……うん、そうかあ」

 

 ディズはそっとウルの頭を抱えるように抱きしめた。

 それは親が子を慈しむようであり、子が親に縋るようでもあった。

 

「ウル、どうか私に打ち勝ってね」

「ああ、安心して打ち破られてくれ。勇者」

 

 二人の敵対宣言は夜の地下室に静かに響いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、朝

 

「飲め」

「朝から地獄だ」

 

 孤児院は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。ザインが生み出したお茶を孤児達含め全員が飲む羽目になったからだ。子供達はなんとか逃れようとして、時にはそっと茶を捨てようとする子供もいたのだが、ザインの恐るべき洞察力によってそれは見破られ

 

「そんなに飲みたいのならもう一杯くれてやろう」

 

 と、二杯目が注がれ無事死亡した。

 最終的に全員が飲み干し、ぶっ倒れた所でウル達は孤児院をおいとますることとなった。孤児達は文字の読み書きや算数の勉学に励むらしい。ウル達の存在は明らかに邪魔だろう。

 

「まあ、世話になった。ザインじいさん」

「寝床を貸しただけだ。たいしたことなどしていない」

『じっちゃん。しぬなよ』

「貴様もな」

 

 孤児院の前で別れの挨拶を交わすが、ザインは何時も通りの無愛想な面構えだ。彼の年齢的に今生の別れかもしれないが応対が何も変わっていない。

 それを言い出すと、ウルとアカネもまた、あまり応対に変化はないのだが。放浪の民として、今生の別れというのは慣れていた。出会いと別れというのは繰り返しで、ふと思いもよらない形で再会するものだと知っているから、この場で仰々しくしたりはしない。また再会できる事を信じるために。

 

「先代、それではまた。次遭うときまでに精進します」

「ザイン様。お世話になりました」

 

 ウル以外の二人も頭を下げる。

 しかし、さて行くかとウル達が振り返る直前「待て」とザインから声がかかった。はて?と思っているとザインはまずディズへと何かを放った。ディズはそれを受け止める。

 

「【星剣】だ。修繕が完了した」

 

 それは鞘に収まった一本の剣だった。

 雑に放り投げられたそれを見た瞬間、ウルは少し息が詰まった。

 

「凄いな」

『かあっちょいい』

 

 実に語彙の少ない感想がウルとアカネから漏れた。もう少し巧みな表現ができれば良かったのだが、言葉で言い表す術がなかった。薄らと朝日に照らされて輝いて見える白く見える様な金色の剣。鞘に収まっていながらもその存在感は圧倒的だ。

 いままでウルが見てきた武具類の中でも、間違いなく頂点に位置する剣だった。

 

「神話クラスの逸品を放り投げないでよ……ありがとう、先代。これで準備は整った」

 

 ディズは呆れつつも、頭を下げる。彼女の腰に備わったそれは、そこに在るべくして在るように収まった。その姿にシズクも感嘆の声をあげた。

 

「頼もしいですね。ディズ様」

「お前にもある」

「あら?」

 

 シズクが不思議そうにすると、彼女にも別のものをザインは放った。シズクはそれを魔術で浮遊させ、受け止める。

 シズクに投げやったそれは、ディズのものと同じく武器だった。しかしその様式はディズの剣と異なる。鞘に収まったそれは曲剣にも見える反り返りを見せた細身の剣に見える。しかしウルはあまり見たことの無い形をしていた。

 

「”空涙の刀”という。使わずに置いていた武具の一つだ。くれてやる」

「私、魔術師ですよ?」

「魔導杖と同じ役割も果たせる。好きに使え。要らぬなら捨てろ」

 

 シズクはふむ、と頷き、刀を鞘から抜き、放る。物質操作の魔術により刀は宙に浮かび、ひゅるんと風に舞う葉っぱのように揺らめき、舞い、空を切る。鞘に収まって尚、引きつけるような力を放っていたディズの【星剣】に比べ、刀の放つ気配は静かだった。だが、決して見劣りはしない美しさがあった。

 間もなく、手に触れるまでもなくぱちりと鞘に収まる。シズクは微笑み、ザインに頭を下げた。

 

「とても良いものですね。ありがとうございます。ザイン様」

「精々励め」

 

 二人は揃って武器を収める。

 どの程度かは不明だが、二人の戦力強化はウルにとっても大変に好ましい事だ。これからのことを考えれば、仲間が強くなることに超したことはない。

 が、それはそれとして、

 

「で、俺らにはないのかよじいさん」

《ふたりだけずるーい》

「お前らにはコレだ」

 

 贔屓はずるい、と適当に強請ってみた。するとザインはウルに何かを押しつけてきた。しかしそれは武器でもなく、小さな手帳だ。はて?と中身を見ると、びっしりと何かが描き込まれている。

 

「……これは?」

「どの地域でも取れる魔草薬草毒草レシピ。毎日飲め」

「……わあ、ありがてえ」

《わたし、でぃずとしごとあるからなー……》

「ディズにも渡しておく。飲め」

「わあ…」

《うへえへーん……》

 

 アカネが情けのない悲鳴のような声をもらした。まあ、確かにありがたいと言えばありがたいが、二人に対して自分が与えられるのは劇物というのはあまりにもあんまりだった。

 

「それと」

 

 しかし、それだけでは終わらなかった。ザインはウルへと近付くと、杖でウルの右腕を指した。

 

「なんだよ」

「見せろ」

 

 言われるまま、右腕を彼の前に持ち上げる。勿論黒睡帯はつけたままだが、その下がどうなっているのか、ザインの鋭い視線の前では隠し通せる気がしなかった。だが、彼は指一つ触れぬまま、ただじっとウルの右腕を見つめ、そして

 

「わかった。もう良い。達者でな」

 

 といって、あっさりと視線をはずした。

 

「……いや、おいちょっとまてじいさん」

「なんだ」

「なんかアドバイスとか貰えるものだと思ったんだが。正直不安でいっぱいなんだよコレに関しては、俺」

 

 情けのない話であるが、本当に怖いのだ。この右腕についてはディズすらも頼れるかわからない。唯一なにか知ってそうなのは、あのブラックである。あの男に縋ったところで、絶対にろくな結果にならないのは目に見えているのでそれもできない。

 なにかザインが知っているというのなら助言が貰えるだけでもありがたいのだが、彼は首を横に振った。

 

「とくに言うことはない」

「泣きそう」

「何故不安がる」

 

 何故も何も、と言おうとしたが、ザインは真顔でそのまま続けた。

 

()()()()()()()()

 

 ザインのその言葉の意味を、ウルは疎かその場に居る全員、理解できなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ザインは帰って行く4人を見送った。アカネなどは長いことフラフラと飛びながらずっとザインの方へと手を振っていた。ザインは応じはしなかったものの、彼女の姿が見えなくなる最後までその場を動くこともしなかった。

 

「死ぬなよ。子供らよ」

 

 4人の姿が見えなくなり、ザインの視線は上へと向く。

 太陽神が昇り始め、青く染まった空、その中に一つ大きな影が存在している。天空を浮遊する巨大な建造物。【真なるバベル】と隣接する巨大な影。この都市が大罪の名を冠する事になった全ての原因。

 

 【天空迷宮プラウディア】を、ザインは静かにただ見据えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市プラウディア 死闘編
陽喰らいの儀/地獄開幕


 

 大罪迷宮プラウディアは天空要塞だ。

 

 通常の迷宮は地下から出でるか、元在る遺跡が変質する。

 だがプラウディアは違う。プラウディアのみが違う。

 太陽神の恩恵、暖かに大地を照らす陽光を損なわせようとするように、天空に浮遊するその迷宮は、プラウディアに住まう誰しもが見る事になる。太陽神に祈りを捧げるとき、必然的に目の端にそれは入るのだ。だが、都市民達の多くはそれを直視しようとはしない。ひたすらに目を逸らそうとする。

 

 恐ろしいから、悍ましいからではない。

 間違えれば、その美しさに心を惹かれてしまいそうになるからだ。

 

 大罪迷宮プラウディアはあまりにも美しかった。そうであると知らなければ、中から魔物が溢れ出る恐ろしい魔窟であるなどと誰も思わないだろう。空の下で、限られた土地をなんとか活用しようと敷き詰められたヒトの住処を嘲笑うように、空に鎮座する超巨大宮殿。それこそ【大罪迷宮プラウディア】である。

 

 この迷宮が出現してから暫く、侵入する手立ては殆ど無かった。

 理由は明白で、たどり着く手段が無かった。

 

 どれだけ高い梯子を組める腕をもった職人でも、雲の上までは伸ばせない。転移の魔術も届かない。当時はそもそも転移の魔術自体がまだ未熟であったのも災いした。

 出現した当時の大罪迷宮プラウディアは、その最奥から溢れる魔物達を間引く手段がなく、常時外へと魔物達が溢れ出る【氾濫】状態だった。大罪都市プラウディアは天空から降り注ぐ大量の魔物達との戦いを強いられる恐るべき戦場であった。

 

 プラウディアが強力な【天陽結界】を生みだしたのは、必要性故だった。

 

 その地獄のような戦争状態をなんとか抑え込むことが出来たのは、3代目【天魔】が考案したプラウディアへの転移術式、【天獄への階段】を発明することができたからだ。

 転移する側の魔力ではなく、転移した先の魔力を活用する事を可能としたこの転移装置によって、【天空迷宮プラウディア】への自由な行き来は可能となった。

 そうしてようやく足を踏み入れることが叶ったプラウディアの魔物達を、冒険者達に七天、騎士団の面々や神官達が全員で協力して、奧へと押しやった。

 

 他の迷宮都市とおなじく、安定と均衡はこうして成ったのだ。

 

 ただし、封じられることをプラウディアは良しとしなかった。執念深く、新たなる攻撃手段を考え出した。

 

 それこそが大罪迷宮プラウディアの()()()。【陽喰らいの儀】である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 時刻は陽が深く沈んだ深夜、大罪迷宮プラウディアにて

 

 迷宮の入り口にて、一人の影があった。

 

「急げ!最早時間はないぞ!!」

 

 【天拳】グロンゾン・セイラ・デュランは激しく叫ぶ。応じるのは彼の部下、天陽騎士の中でも【天拳】直属の部隊である【神僧兵】達である。魔物達蔓延る迷宮のただ中を彼らは駆け回っていた。

 彼らは一人一人が一流の神官であり、精霊の加護と巧みな武術を合わせて戦う一流の戦士でもあった。

 その内の一人、彼らを率いる僧兵長がグロンゾンの前に頭を垂れた。

 

「グロンゾン様。魔物の掃討と、冒険者の誘導完了しました」

「負傷者は」

「数名ほど。後に影響するほどのものではありません」

「未熟者め!全員きちんと癒やすよう!天賢王の祭事を血で汚すことは許さん!!」

「承知しました」

「良し!後はバベルの護衛に努めよ!」

 

 その一言で僧兵達は転移術にて帰還していく。残されたグロンゾンは一人、プラウディアの中を見渡す。部下達が去った今、プラウディアにはグロンゾン以外の気配が無い。

 この時間帯であれば冒険者達の数が減るのは道理だったが、しかしそれでも幾組かの冒険者の一行はみかけるものだった。大陸最大都市プラウディアの名は伊達ではなく、冒険者の人口もまた大陸一だ。

 しかし、今日この日に限っては本当に、全くと言って良いほどヒトの気配がなかった。それは此処だけではなく、中層や、深層も同じだった。

 プラウディアにいる全ての者が退去させられていた。

 

「さて……」

 

 グロンゾンは迷宮を改めて見渡す。

 プラウディアの内装は、外装と変わらずやはり美しかった。だが、どこか歪でもある。ヒトが美しいと感じる様相、それらを片っ端から集めて、無理矢理に繋げて見せたようだった。結果、脳が美しいと感じる一方で、拒絶する。

 此処は、気持ちが悪いと。

 

「見てくれのみ、それらしくなぞったおぞましき魔宮よ……」

 

 グロンゾンが【天拳】の座についてから【陽喰らいの儀】は幾度となく越えてきた。彼はこの迷宮の脅威を十分に理解している。先代の【天拳】がプラウディアに食われた姿をこの目でしかと目撃している。それ故にこの迷宮が自身を美しく取り繕うとする様は胸糞が悪くてたまらなかった。

 様々な迷宮の形がこの世界にはあるが、此処が最も醜悪だと彼は確信している。

 

 が、自分の想いなど今は捨て置こう。まずは使命を果たさねばならない

 両の拳を打ち、戦いに不要な嫌悪を打ち払う。

 

 すると不意に、自分の横に気配が一つ、現れた。グロンゾンは反射的に拳を構える。

 

「【天拳】」

「む、ジースターか」

 

 現れたのは【天衣】ジースター・セイラ・クランフランだ。真っ黒なフードを纏った、不確かな気配を纏った男は、中性的な声音で彼に囁いた。

 

「コチラの仕事は終わった。深層までは大きな障害無く行ける。今のところは」

「”プラウディア”には気づかれなかったか?」

「確かだ。最も、【陽喰らい】が始まればまた様相は大きく変わるだろうが」

「うむ、流石だ」

 

 グロンゾンの真っ直ぐな賞賛に、ジースターは静かに頷くと、入り口広間の隅に移動し、沈黙した。途端に気配が薄れ、そこに居る筈なのに焦点を合わせることが叶わなくなる。

 彼の正体、事情をグロンゾンは深くは知らない。王以外、誰も詳細には知らないだろう。【天賢王】から【天衣】の加護を授かった彼は、そのちから故にあらゆる形に姿を変える力を持つ。それ故に斥候も暗殺も自由自在であり、静かに、確実に、天賢王の害意をなす存在を葬ってきた。

 暗部とも言える職務を全うするためか、歴代の【天衣】は自身の正体を秘匿する。平時において、正体が知られれば報復される恐れがあるからだ。ジースターという名前も本名かは不明だ。姓も適当に付けたものだろう。

 だから、彼の安全を守るためにも、グロンゾンは彼の正体を知らないし、探らない。聞くことも無いだろう。

 

「さて、来たな」

 

 などと考えていると、入り口の転移陣が輝き出す。

 同僚の気配にグロンゾンは振り返った。

 

「……相も変わらず、嫌な場所ですね。()()()のプラウディア」

 

 蒼の獣人の少女、この世界で最も強き剣術の使い手にして天賢王の懐刀

 【天剣】ユーリ・セイラ・ブルースカイ

 

「カハハ!俺は好きだぞ?刻まれた皺を必死に隠そうとする女のようで健気だ!」

 

 端正なる長身の森人、この世界で最も深淵たる魔術の使い手にして世界の推進者

 【天魔】グレーレ・グレイン

 

「森人の貴方が言うと、イヤミが過ぎるからその物言いは止めた方が良いと思うよ」

 

 只人と森人の混血児、史上最も強き力を振るった先代勇者の後継にして【魔断】の使い。

 【勇者】ディズ・グラン・フェネクス

 

「うむ!全員壮健であるな!」

「喧しいなグロンゾン!暴力しか能の無いのはこれだからいかん!」

「貴方も相当やかましいですよ。魔術狂い」

「相性は歴代でも最悪な一行だなあ。戦闘能力はあるんだけど」

「…………」

 

 【天衣】【天拳】合わせて計五名。世界で最も強大なる一行(パーティ)が誕生した。

 その中、眩き鎧に白金と金紅の二本の剣を備えた【勇者】は静かに宣言した。

 

「さて、それじゃあ行こうか」

 

 世界の存亡を賭けた戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「貴方が仕切らないでください【勇者】。一番雑魚なんですから」

「じゃあ、君やる?ユーリ」

「魔術狂いに指示を出すなんて絶対嫌です」

「俺もお前みたいな盲目的な阿呆に指示されるなんてご免だなあ、カハハ!」

「…………」

「よし、消去法だ。グロンゾンお願い」

「不安だ!!!」

 

 ごちんと、拳を鳴らす音が迷宮に響くのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 同時刻、大罪都市プラウディア【真なるバベル】 空中庭園

 

 プラウディアの中心の高き塔、【真なるバベル】を外から眺めてみると、塔には余計な装飾であったり、外へと身体を乗り出すための空間などは一つも見当たらない。ひたすらに高く、天を貫く柱のような形をしているバベルに”庭園”などというものがあるなどと、プラウディアに住まう民ですら思いもしないだろう。

 だが、実際には【バベル】にも庭園は存在する。

 ただしそれは決して、花々を愛で、噴水や匠の芸術作品を眺めるような場所では無い。

 

「この場に集った戦士達に告ぐ!!!!!」

 

 【真なるバベル】の空中庭園。

 それは塔の外装に生み出された半透明の魔術の足場である。頂上まで螺旋状に続く坂と、各地に設置された足場、そして屋上には優に100人を越える人数が自由に動き回れる巨大な広間が出来ている。

 それをもってして庭園と名付けられた場所で鋭い声が響き渡る。声の主は黒と金色の髪をした女剣士。プラウディアでは、否、世界で最も有名な冒険者の一人である【神鳴女帝】イカザ・グラン・スパークレイだ。

 彼女は高見台から眼下を見下ろす。彼女の視界の先には無数の戦士達がいた。

 

 プラウディアが保有する騎士団、天陽騎士団、そして冒険者達、全ての人員から考えると全く多くは無い。だが、此処に居る全員が、選び抜かれた戦士達だった。

 

「この場に立つのは、天賢王の赦しを得て世界の悪性と戦うことを許された者達だ。半端な者は一人としてない!!各々がその自負を持っていることだろう!!初めて此処に来る者は特に、その誇りは強いはずだ!!」

 

 だが、と、彼女は斬り付けるようにして言う。

 

「心しろ!!今日これより、()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 その脅しのような言葉を侮るように受け止める者はこの場には居なかった。誰であろう、冒険者の頂上にいる女からの強い警告を正しく受け止められない者など一人も居なかった。

 

「お前達は地獄を見る!!目の前の仕事すらこなすこと叶わない者もでるだろう!!!この場に立ったことを悔いる羽目になるかもしれない!!」

 

 回避不能の天災を語るように、彼女はこれから起こる試練を告げる。輝かしき黄金級の冒険者であろうとも、それを避けて通れぬとそう言う。

 絶望的な布告にも思えた。だが、それを語る【神鳴女帝】の目に恐れも、悲観も存在しなかった。炎の様な熱と、見るだけで身体が奮い立つような英気こそがあった。

 

「だが諸君らは地獄に抗う覚悟がある!敗北を乗り越える力がある!絶望と向き合う勇気がある!!で、あるからこそかの天賢王は我らを【バベルの守護者】に任じたのだ!!!」

 

 天賢王、その名を聞くだけで、この場の多くの者の背筋が正される。彼らが此処に立つ理由、世界の要にして天賢王の住まう場所。その守護を任じられているという事実を改めて突きつけられ、彼らを奮い立たせる。

 

「王と唯一神に示せ!!我らは竜を前にしても尚、抗いを止めぬ戦士であると!!!」

 

 イカザの咆吼に、その場の戦士達が応じ、怒号のような渦となって場を支配した。これより始まるプラウディアとの”戦争”を前に、士気は最高潮に到達しようとしていた

 

「……流石に堂々としているなあ。イカザさん。天陽騎士相手でも」

「彼女は黄金級で、官位は与えられていますからね」

 

 そして、その演説を、同じく空中庭園にて聞いていたウルとシズクは感心した面持ちで眺めていた。場の高揚に対してウルは冷静だった。しかしイカザの演説を冷めた目で見ているわけではない。

 単に、興奮していられないほどの不安が頭を巡っているだけだった。

 

「場違い感が凄いな」

 

 周りの天陽騎士、騎士団、冒険者ギルド、主に都市を構成する3つの組織からなる混成部隊。其処にならぶ戦士の一人一人が熟練の戦士であり、誰も彼もウルと比べても格上だ。経験も練度も勝てるところは無い。

 そんな所にしれっとした顔で混じるのは少々気まずい。元より、此処に組み込まれること自体特例であったが故に。

 

『カカカ!なあに場違いな戦場に出て無茶をするにもそろそろ慣れてきたじゃろ?』

「慣れたくねえよんなもん」

 

 ロックに悪態をつく。この場にいるのはウル、シズク、ロックの3人だ。

 3人は集った混成部隊の中、冒険者ギルドの集団の片隅に身を寄せて集まっている。勿論全員フル装備であるが、ロックの装いは少し新しくなっていた。

 

「その剣は?」

 

 黒色の大剣を握っている。見るからに不吉を思わせる魔剣の類いだ。見てくれの鎧を外して骨だけの姿でそれを装備すると、まがまがしさの塊になること請け合いである。

 

『ディズの親父から強請っ……貰った』

「何があったんだよこの三日の間に」

『我が主も似たようなもんじゃろ?』

 

 見ると、シズクはシズクでザインから渡された曲剣――【空涙の刀】を構えている。今身に纏っている動作性を重視した魔術士用の戦闘着によく似合っていた。彼女は微笑み答える。

 

「ウル様の育ての親の方からいただきました」

『そっちはそっちで色んな目にあったっぽいのう。ウルは変わらんがな、カカカ!』

「俺は秘蔵の茶の煎れ方を教わったから事が終わったらお前にごちそうしてやるよロック」

『それお主の妹が七転八倒して悶えとった奴じゃろ!!騙されんぞ!!』

 

 間抜けな会話だったが、ある程度肩の力が解れた。心中でロックに礼を言った。

 

「今日まで短かったですが、出来る限りのパワーアップはできたということでしょうか?」

「エシェルもエクスタインと色々あったらしいが……」

『その坊主はどこいったんじゃ?』

「”あっち”、元から雑多な冒険者は兎も角、別の国の騎士団が此処に居るのは具合が悪いだろうってさ」

『道理じゃの。なら、ワシらは3人で動くことになるか』

 

 ウル、シズク、ロックの3人が【歩ム者】として現地に集合したメンバーである。ここの所、かなり多くのメンバーに囲まれていた事もあり、この少数で動くのは心細くもあった。

 

「ですが懐かしい……懐かしい?あら?あまり思い出ありませんね?この面子」

「ロック加入した後、お前は速攻で魔術学園に入っただろ。で、全員再集合の時はリーネが同行だ。殆ど記憶にねえわ」

『カカカ!まあなんとかなるじゃろ!!』

「なるといいがねえ……」

 

 空に聳える迷宮プラウディアをウルは睨む。

 天空迷宮プラウディアは依然として空にある。遙か高く、天空を支配するようにしてそこに在りつづける――訳では無かった。

 

()()()!!!総員準備!!」

 

 イカザの声と共に、戦士達が武器を構える。同時に天空のプラウディアがゆっくりと”動き始める”。あまりに途方も無い質量であるためかその動きは遅く見える、が、その実恐ろしい速度と共に、真っ直ぐに此処にへと!!

 

()()()()()()()()()()!!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀②

 

 

 5日前、竜吞ウーガのプラウディア入国二日前 司令塔 会議室にて

 

「要は、プラウディアの()()()なんだよ。【陽喰らいの儀】は」

 

 ウル一行+αはディズから【陽喰らいの儀】の説明を受けていた。

 果たしてどのような戦いになるのか、どんな対策を取れば良いのか、それが分からないことには功績の立てようがない。と言うことでウル達はディズに説明を求め、ディズはそれを了承した。

 

 ――功績というか、生き残って貰うためにも説明必要だしね?

 ――地獄に行くみてえだな本当に

 

 戦々恐々となっていたウルであるが、伝えられた内容はシンプルなものだった

 

「大罪迷宮グリードでもあっただろ?所謂、迷宮の活性期って奴さ。そのプラウディア版だと思ってくれたらいい」

「なるほど……?」

 

 活性期についてはウルも覚えがある。忘れようが無い。冒険者の指輪を獲得する切っ掛けとなった【宝石人形】が上層に移動したのが活性期だった。魔物の出現頻度などが跳ね上がり、また、深層や中層の魔物達も上層へと上がってくる。

 迂闊には冒険者達も立ち入れない危険な時期だったと言える……が、

 

「いいか?ディズ」

「どうしたの?ウル」

「単純に魔物が活発化するだけなら、脅威であるように思えないが、活性化したとして結果どうなるんだ?」

 

 活性期のグリードは確かに混沌としており、その件でウルは十二分に振り回されたが、しかしそれはあくまでも【討伐祭】といった特殊な行事が重なったことが原因だ。

 グリードでは魔物は活性化したとしても、普段からそこに通う冒険者達だけで十分に押さえ込みには成功していた。魔物が溢れて氾濫するような事態にはなっていなかった。

 全く同じであれば、プラウディアにだって冒険者達は沢山居る。世界一の大都市国だ。グリードに冒険者の数も質も劣る筈がなく、対処できないはずが無い。

 

 で、あれば魔物の活性以外で何かが起こるはずである。それは何か?

 

「うん、一言で言うとね。天空迷宮プラウディアが活性化すると」

「すると?」

()()()()()

 

 ウルは、いや、ウルだけでなくこの場にいる全員が反応を返すのにしばらくの時間を必要とした。シンプル極まる説明だったが、その言葉を理解するのを脳みそが拒んでいた。

 いち早く復帰したのは、シズクだった。彼女はまあ、と手で口を押さえると、改めてディズに尋ねた。

 

「落ちるのですか?」

「うん。落ちる」

「空に浮かぶ迷宮が?」

「そう。落ちる」

「どちらに?」

「天賢王のおわす【真なるバベル】に」

「大変ですね」

「うん、大変なんだ」

 

 本当に大変だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【天陽結界内】

 【大罪都市プラウディア】郊外、未開発地区、北東部

 【竜吞ウーガ 司令塔】

 

 ウーガは現在、プラウディアの都市部からかなり距離を取った未開発区画にて停泊していた。【天陽結界】が通常の【太陽の結界】と比較していかに広大な範囲を護る事が出来たとしても、その全ての範囲を活用するのはこの世界は難しい。

 精霊達の力で持っても無から有を生み出すことは困難だ。そう見えるだけで、必ず制約がある。創り出し、維持するだけの資材の確保が困難なのだ。故に、「現時点で開発するだけの旨味が無い」として放置されている場所がある。

 

 現在竜吞ウーガはそこに停泊していた。

 表向きには、超大規模なウーガを安全に停泊させるため。

 裏向きには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に距離を置いたのだ。

 

「プ、プラウディアが……!」

 

 司令室の玉座に座りながら、エシェルは悲鳴を上げる。本当にとんでもない光景だった。

 

 此処は結界内部とはいえ、大罪都市プラウディアからはかなり距離がある。中心地のバベルだけはよく見えるが、それ以外は都市部の光が仄かに見える程度だ。しかしここからでも、空に鎮座する【天空迷宮プラウディア】はよく見えた。

 空をも覆い尽くす、天陽結界の向こう側に、空に浮かぶ巨大迷宮。

 それが、今、ゆっくりと落ちている。防壁越しにも突き出て見える巨大なる塔【真なるバベル】へと一直線に落下していく。

 

「天賢王の膝元でこんなことが起きていたなんて……!」

「本当、驚きだわ」

「驚いているように見えないけど!?」

「驚いてるわよ。本当にね」

 

 エシェルの隣でリーネも無表情のまま、驚愕する。

 冷静に考えれば天空を浮かぶ迷宮、それ自体が異常な産物である筈なのだが、あまりにも長い年月、プラウディアの上空を牛耳っていたものだから、既にそれが当たり前と思っていた。余所の国にいたリーネすらも「そういうものなのだろう」という認識だったのだ。

 それが、落ちる。世界一人口のある都市の中心地に向かって。

 決して起こってはならない異常事態に、エシェルもリーネも、エシェルと同じくウーガの管理を任された【白の蟒蛇】の魔術師達も全員恐怖を感じていた。

 

「おう、浮き足立ってんじゃねえぞてめえら!」

 

 そこに、鋭い怒声が響き渡る。現実離れした光景に呆然となっていたエシェル達は一瞬で現実に引き戻された。フル武装をしたジャインがラビィンを引き連れてエシェル達を睨み付けている。

 

「俺たちの仕事はまだ先だ!!今からピーピーパニクった挙げ句本番で動けなくなるような間抜け晒すつもりじゃねえだろうな!シャンとしろ!!」

「わ、わかってる!」

 

 エシェルは慌て頷く。カルカラが隣で彼女の肩に触れ、優しく撫でてくれる。少し、心が落ち着くのを感じながら、エシェルはお腹に力を込めて声を上げた。

 

「全員今は待機だ!ただし、合図が来れば一気に戦いになる!!気を抜くな!!」

 

 その言葉に「はい!」と一斉に返事が帰ってきた。この場にいるのは殆どが白の蟒蛇のギルド員達だ。一度はエシェルから離れた彼らが、今はしっかりと自分の言うことを聞いてくれることに少し感動を覚えた。

 とはいえ、別に彼らは自分に心からの忠誠を誓っているわけではない。別に自分は、彼らの信頼を回復させる事は一つもなしてもない。

 だから、ここからだ。エシェルはそう自分に言い聞かせた。

 

「……良し、アンタがウロウロしてたらどうしようも無くなるからな。頼むぞ司令官」

「わ、わかった」

 

 ジャインの言葉にエシェルは頷く。

 かつて、彼に一方的に罵声を浴びせ、我が儘を強いようとしていたエシェルは未だ彼との距離感をつかめずにいて、少し気まずかった。向こうは気にしていないようだが――

 

「それと」

「ひゃあい!」

「何バカみてえな声あげてんだ。良いから聞け」

 

 ジャインは不審そうな顔をしながら、少し声を潜め、そして小さく呟いた。

 

「ブラックは見掛けたか」

「い、いや?ウーガでは見てない。バベルの方じゃ無いのか?」

「……だったら良い」

 

 ブラック、【竜吞ウーガ】がこのとんでもない大戦闘に巻き込まれることになったきっかけである男は、今は司令塔の中にはいない。何時も通りと言うべきか、いつの間にか姿を消していた。

 此処に居ないと言うことはバベルに居るのだろう。と思ったが、ジャインは強く警戒している様子だった。

 

「……その、一応味方なんだろう?」

「敵じゃないだけだ。あんまり期待するな」

 

 それだけ言うとジャインは今度こそ引き上げていく。

 

 なんで本人も居ない場所で声を潜めるのだろう?という疑問はあったが、確かにエシェルも彼は苦手だった。コチラをのぞき込むようなあの目、エシェルとよく目が合っていたような気がするのは気のせいだと思うのだが、それでも少し怖かった。あれは、そう、【天魔のグレーレ】がコチラを見る目に似ていた。

 全てをのぞき込まれて、見透かされているような目――

 

「……うん、やめよう」

 

 エシェルは薄気味の悪さを払うように身震いして、大きく息を吐いた。兎に角今は、迫ろうとする脅威に対処しなければならないのだ。

 そんなエシェルの動揺も当然気にすることなく、プラウディアは落下を続けていた。【遠見の水晶】に映るプラウディアは高度をぐんぐんと下げ、バベルの塔の登頂部分に接近し、そして――――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……なあ、これ本当に見えてないんだなあ。プラウディアの住民には」

 

 ウルは、眼前へと迫りつつあった巨大な建造物への接近に対して、小さく感想を漏らした。暢気な感想、と言うわけではなく、どうしようもなく腰が引けそうになっている身体を押さえ込むため、気を紛らわそうとする一心だった。

 

「ディズ様曰く、【天陽結界】を併用した隠蔽術だそうですね。許可したものしかこの光景は見れません」

 

 プラウディア領全土を覆う【天陽結界】は、他の【太陽の結界】と比べ、規模のみが特別というわけじゃ無い。と、いうのがディズの説明だった。

 【天賢王】は、その結界の中をある程度まで自由に干渉することが可能であるという。景観や音をごまかすことくらいなら容易くやってのけるとも言っていた。許しを与えた者にのみ、真実の世界を見せる事が出来る。

 

『けっこうエグいことするの?王サマ』

「混乱を招き、信仰が揺らぐ事を抑えるためだそうですよ」

『ま、ワシは政治とかは興味ないがの』

 

 ロックがケラケラと笑う間にも、大罪迷宮プラウディアは迫り来る。先ほどまでは全貌が見えていたが、今は既にその正面までしか見えない。近付くにつれて、視界に収まりきらなくなってるのだ。

 

「ま、こんなことになってるって知られたら、ヒトがいなくなっちまうわな……」

 

 ウルはそう呟くが、今はもうロック達に自分の声は届いていないだろう。天空迷宮プラウディアが接近すると共に巻き起こる剛風の音が、小さな会話をかき消してしまっていた。

 プラウディアが更に迫る。間もなく【バベル】に直撃し、この場にいる全ての者達が吹っ飛ばされるか、押しつぶされるかするであろうというその間際に、剛風をも切り裂くような強い声が響いた。

 

「【天陽結界】」

 

 直後、プラウディアの動きが止まった。

 何か、全く見えない壁に阻まれたような、あるいは見えざる手によって押し込まれたように、超巨大な質量の落下はその動きを停止した。

 そうなる手はずであったと分かっていても、眼前に迫っていた迷宮の停止に場の戦士達はどよめきがおこる。そして視線は自然と、それを成した者へと向けられる。

 

「おお!我らが王よ!!偉大なる天陽の神子よ!!!」

 

 天陽騎士の誰かが叫ぶ。続くように天陽騎士達が雄叫びを上げ、更にそれに騎士達や冒険者達が続いた。溢れんばかりの歓声の先に、この大陸で最も偉大なる王がいた

 

 【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス

 

 隣り、彼を補佐する【天祈】スーア・シンラ・プロミネンスを引き連れて、彼はバベルの頂上の玉座に座り、太陽神の紋様の刻まれた金色の杖を握りしめていた。そして彼は、杖でバベルを叩く。二つの高い音が響き渡る。

 

「お、おお、おおおおおおおお…!?」

 

 途端、【大罪迷宮プラウディア】が再び動く。今度は落下ではない。徐々に天空へと押し戻されようとしているのだ。都市全てを覆う天陽の結界が、迷宮そのものを支え、押し返している。

 

 だが、【天空迷宮プラウディア】もまた、それのみで収まるほどの天災ではなかった。

 

「眷属だ!!」

 

 竜の眷属、不気味な、真っ白な翼の生えた赤子の様な姿をした魔物達が姿を現す。

 

『A――――――――KYAKYAKYKYAKYA!!!!』

 

 ニタニタとした笑みを浮かべた竜の眷属達は、迷宮を阻む天陽結界に触れる。触れた瞬間、手の平が焼き焦げ、腕が爛れ、肉体が砕けていく。砕けた部分は即座に回復するがまた焼き焦げる。破壊と再生を繰り返しながら、結界の一部を変容させる。

 【世界を塗り替える】という、恐るべき力でもって、結界の一部を消し去ろうとしているのだ。

 

「…………」

 

 天賢王は不愉快げに顔を顰める。だが、それを止めることは出来ない。彼の今の仕事は莫大な質量の迷宮そのものを天陽結界の外側に押しやることであり、それには彼の全力を注がねばならなかった。

 

「眷属を落とせ!!!」

 

 当然、戦士達も迎撃しているが、眷属は恐ろしく頑強だった。【天陽結界】で肉体は砕かれても、ただの戦士達の攻撃では殆ど傷も付かない。戦士達は天賢王の力の偉大さを思い知ると共に、自身の無力さを思い知った。

 

「穴が空くぞ!!迎撃用意!!」

 

 そして間もなく、眷属達が天陽結界の一部に穴を空けた。それだけで幾多の眷属達は燃え落ちて、更に幾体もの眷属達が笑いながらその身を挟み込むようにして、その大穴を固定した。

 大質量の迷宮が入れるような穴では勿論ない。

 だが、”兵隊”を送り込むには十二分な大きさの穴だった。

 

「魔物が出るぞおおおお!!!」

 

 声が上がる。同時に巨大な宮殿のあちこちから、何かが零れ始める。遠目には小さな黒い点のように見えるそれは、しかし徐々に絶え間なく、大量に溢れ出した。

 滝のように流れる黒い影、その全てが魔物だった。それらはまるで一個の生き物のように蠢きながら真っ直ぐに、バベルへと、その中央に座する王へと向かおうとしていた。

 

 戦士達は身がまえる。【バベル】と王を守るために、彼らはいるのだから。

 

「勇猛なる戦士達よ。我らが王にその力を示しなさい」

 

 【天祈】スーアの高く響く声に、戦士達は再び雄叫びを上げる。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その雄叫びと、魔物達の咆吼が重なり、世界の存亡を賭けた戦いが始まった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀③

 

 再び5日前、竜吞ウーガ

 

「【陽喰らいの儀】で起こる戦いは単純だ。攻勢と防衛に別れた攻防戦だ」

 

 ディズは【陽喰らいの儀】に参加する全ての人物が”秘匿”の魔術契約を結ぶ為の署名をしている中で、説明を続けていた。

 

『ワシもこれかかんといかんカの?骨なんじゃが』

《アタシもいまねこー》

「骨も猫もちゃんと書いてね。用意するの大変だったんだから」

 

 ディズから叱責を受け、ロックとアカネも仕方なく記入を再開する。二人の我が儘を言う気持ちもウルには少し分かった。何せ契約の書類が多い。それだけ重要なのは理解するが、一つ一つ書き込んでいくだけでも結構な労力だった。

 

「攻勢と防衛……プラウディアとバベルに別れて、ということでしょうか?」

 

 そう尋ねるのはいち早く書類の始末を付けたシズクだ。ディズは頷く。

 

「プラウディアには七天の一行が入る。そっちは攻勢側。彼らがプラウディア落下の原因を止めるまでの間、バベルを守るのが防衛側。落下は天賢王が抑える」

「私達は防衛側ですね」

「そうなるね。当然ウーガも防衛になる。シンプルでしょ」

「七天の皆様の為の時間稼ぎの仕事って事になると」

『……タフな戦いになりそうじゃの』

 

 書類を睨むロックが呟く。その声は珍しいくらいに重く鋭かった。

 ディズもそれに頷く。

 

「キツイよ。場合によっては夜も明けるまで戦いは続く。太陽(ゼウラディア)が上れば天賢王の加護も強くなるけど、それでも結局は七天達が原因を抑えるまで終わらない」

 

 つまり、何時終わるかも分からない。七天達が迷宮を攻略してくれることだけを信じて戦い抜く必要があると、そういうことだ。確かにキツイだろう。単純な長期戦以上に、精神力が削られそうだった。

 

「そういえば、その間冒険者はプラウディアには入れないのです?」

「【天獄の階段】、転移術の調整ってことになってるね」

「その、余っている冒険者達に助けて貰えたりはしないのか?」

 

 ウルの提案にディズは首を横に振る。

 

「誰も彼もこの戦いに引き入れるのは難しい。今皆に書いて貰ってる契約書も、準備大変だったんだよ?」

「あくまで大多数の住民には秘密と」

「都市民達に逃げられたら、信仰の基盤が揺らぐ。それに、有象無象を引き入れる問題はもう一つある」

「それは?」

 

 問うと、ディズは少し意地の悪い顔で笑った。

 

「半端な戦力じゃ、なんの役にも立たない」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】空中庭園

 

「”壁”よおおおい!!!」

 

 その号令と共に、前に出たのはプラウディア騎士団だ。プラウディア騎士団特有の真っ白な鎧を身に纏った彼らは、大盾を構え、庭園を外周から更に小さく円を取り、ぐるりと囲んでいた。

 

「限界まで引きつけよ!!!」

 

 プラウディア騎士団、騎士団長ビクトールの声に、騎士達は応じる。

 その間、プラウディアから溢れ出始めた魔物達の数は爆発的に増え始める。

 場所が空中であるからか、魔鳥や悪霊系の類が多い。それ自体、それほど高位の魔物とも言いがたい。1体や2体、いや、この場にいる歴戦の戦士達であるならば、10体以上の群れに襲われたとて、問題なく対処できるだろう

 ただし、それが1()0()0()を越えるともなると、話が変わってくる。

 

「……冗談だろ?」

 

 初めて此処に立つことを許された騎士の一人が小さく呟いた。

 迷宮から溢れ出る魔物達はまるで山崩れのような勢いで、宮殿を模した迷宮から溢れ出始めていた。100や200でも最早利かない。津波のような勢いで魔物達が迫る。先ほどまで眼下に見えていたプラウディアの街並みの全てが、徐々に魔物達の”壁”で見えなくなりつつあった。

 

「事前にいくらか間引いてるんじゃなかったのか!」

()()()()用にはな」

「っつかどう考えても迷宮にあんなに魔物一度にでやしねえだろ!こんなの【氾濫】だ!」

「プラウディアだってバカじゃねえんだ。城攻めの戦力は温存してるに決まってる」

「迷宮が兵站を考えてたってか!?」

「そーだよ、その程度で驚いてたら身が持たねえぞ、新人。そろそろ来るぞ」

 

 同僚の宣告の通り、魔物の壁は間もなく迫った。

 その未知の状況、圧倒的な物量を前に、新人がそれでも一歩も引き下がらなかったのは、周りで一歩も動かずにいる同僚達への意地と、彼自身の胆力によるものだった。

 

「発動せよ!!!」

 

 ビクトール騎士団長の号令と共に、騎士団の大盾から【壁】が起動した。

 刻まれた守りの術式に魔力を注ぐことでなる壁。単体で迷宮の通路を塞ぎ魔物達を堰き止めるためのその技を、騎士達が一斉に発動させ、球体の防壁を生み出す。

 全方位を完全に塞いだ壁が完成した。と、同時に

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その壁に、魔物達が一斉突撃を開始した。

 

「っぐうう!!!?」

 

 魔物達が突撃した瞬間、塔全体が揺れるような轟音が響いた。守りの術式は強力であっても、それを支えるのは騎士達自身である。圧倒的な数の暴力は、歴戦の彼らでもってしても限度はある。故に、

 

「遠距離部隊!!迎撃開始!!!」

 

 支えられなくなるまでに、魔物達の群れを削らなければならない。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 騎士団の防壁は外から内への攻撃は通さず、内から外への攻撃は通す。

 合図と共に、事前、分けられていた遠隔攻撃部隊は、壁にへばりついた魔物の群れへの攻撃を開始した。

 

「【咆吼】」

「【【【炎よ 唄え】】】」

 

 その中にはウルやシズクもいた。

 手持ちの武器や魔術によって担当となったエリアの魔物達を片っ端から攻撃していく。魔物達は面白いくらいの勢いで削り取られていく。破壊の閃光が直撃するたび、ごっそりと魔物の壁に穴が空くのは奇妙な快感すらあった。

 

『カカ、こりゃどこ狙っても当たるの?』

「ああ、技術も要らなくて助かるよ……だが」

 

 だが、削った側から魔物の穴は埋まっていく。騎士団の【防壁】に繰り返し突撃し、その身体を砕きながら押し込もうとしている。自壊し魔石をこぼしながらもそれでも激突を続ける目的はただ一つ。

 

「【――――】」

 

 バベルの中央に座し、プラウディアの落下を未だ止め続けている【天賢王】の殺害に他ならない。この数百、数千の魔物の群れに対しても尚、微動だにせず迷宮を支え続ける天賢王の姿は神々しくもあった。

 そして、その隣のもう一人の七天も――

 

「【|火の精霊(ファーラナン)】【|風の精霊(フィーネリアン)】」

 

 【天祈のスーア】が響く声で呟く。途端。遠方からの攻撃を繰り返していた戦士達が動きを止める。【天祈】の周りには無数の【天陽騎士】が立ち並び、スーアへと両手を重ね跪く。従者達が神官に祈力を捧げているのと同じ事であるとウルは気づいた。

 そして、防壁の中心から二つの”ヒト型”が姿を顕した。

 

「おお……!」

 

 四元の1つ【火】四元の1つ【風】

 

 二つの精霊の顕現はスーアの前で触れ合い、混じり、そして一つになる。入り交じった火と風は、一瞬小さな球体となったかと思うと、次の瞬間爆散した。

 

「うおっ!!?」

 

 ウルは咄嗟に身体を庇うが、凄まじい熱と風を感じながらも、それはウルの身体を撫でるだけで傷一つ負わすことは無かった。そして防壁に阻まれた魔物達の全てを一瞬にして焼き払う。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!??』

 

 一瞬、防壁にへばりついていた魔物の壁が一瞬、消え去った。完全な消失である。

 

「交代!!!第二防壁部隊前へ!!」

 

 その瞬間、防壁を担う騎士達が次の仲間達と入れ替わる。一瞬防壁が解けて消え、だが次の瞬間には新たな防壁が発生する。その壁に、更なる魔物達が突撃を開始する。

 

「第一防壁部隊は補給を受けろ!1回目は慣らしの為早めの交代をしたが、以降は長丁場になるぞ!!気を引き締めろ!!」

「応!!!」

 

 【天祈】天陽騎士、騎士団達の見事な連係と言える。

 ウルは感心しながらも、再び攻撃に戻った。この、防壁を支える遠距離攻撃部隊は冒険者達が主に務める。しかし、先ほどの精霊達の強大な攻撃や騎士団の一斉の連係を思えばいささか散発的が過ぎる気がしないでもなかった。

 

「飛ばしすぎるなよ。遠距離専門にある程度は任せておけ」

 

 と、そんな不安をまるで読んだかのように、不意に背後から声をかけられる。

 

「あら、イカザさん?」

 

 シズクが少し驚いたように声を上げる。冒険者ギルド長のイカザがウル達に笑みを向けていた。絶賛戦闘状態の今の状態でも、ほっとした気分になるのは、彼女の実力の一端を既に知っているからだろうか。

 

「冒険者組は、天陽騎士や、騎士団の連中と比べて装備も戦い方も統一されていない。下手に張り切りすぎてあいつらの連係を崩したら、邪魔にしかならん」

「そう言われると、ますます此処に居る意味が無い気がするのだが」

 

 騎士団の防壁、そして【天祈】と天陽騎士たちの精霊の力、この二つは今のところ完璧な連係であるように思える。ウル達がやっているのはその連係の繋ぎの補助であるが、それをするなら別に冒険者でなくても、騎士団達の魔術師を増量した方が良いのでは無いのか?

 などと余計なことを考える。それを察したのか、彼女はこんこんと、ウルの頭を小突く。

 

「アイツらだけで全ての事が済むならそれでもいい。我々は苦せずして、報酬を手に入れるというだけの話だ」

 

 そう言って、しかし彼女は前を見据える。魔物の壁のその先にあるプラウディアを睨み付ける。

 

「だが、統一された組織では培えない、突出した戦闘力も求められるのだ。この戦いは」

 

 彼女がそう言うと同時に、地響きが響いた。この戦いが始まってから大きな揺れや振動、衝撃は最早慣れっこだったが、この揺れ方はいままでのそれともまた違った。そしてウルには覚えのある揺れ方でもあった。

 周辺の状況を常に確認している観測魔術師が叫ぶ。

 

「中、大型の魔物が庭園の外周に出現しました!!!二十体!!!」

 

 その言葉にイカザはウルを見る。「そらな?」と告げるその目に、ウルは苦々しい顔で頷いた。確かに、この戦いで楽など決してさせて貰えそうに無いらしい。

 イカザはバチリと閃光が弾ける音と共に剣を引き抜き、掲げる。

 

「C隊はそのまま遠距離攻撃を続け、天陽騎士の繋ぎに務めろ!!A,B部隊は私に続け!!スーア様の手を煩わせる間抜けは晒すなよ!!!」

 

 そう言い、そして剣を振り抜く。同時に放たれる雷光の一閃は眼前の防壁の奥の魔物達を根こそぎに焼き払う。その一点に深く、大きな大穴が生まれた。

 

「突撃ぃ!!!!」

 

 彼女の言葉と共に、冒険者部隊はイカザと共にその大穴へと行軍する。

 ウル達もまた、彼女に続く。

 

『カカカ!戦じゃ戦!愉しみじゃの!!』

「元気だなあ骨ジジイ」

「元気すぎる時はウル様のお茶を浸けた魔石をたべて貰いましょうか?」

『やめろぉ!!』

「鎮静薬みたいな扱い止めてくれるか?」

 

 何時も通りの間の抜けた会話を交わしながら、3人は地獄へと突入した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀④

 5日前 竜吞ウーガ

 

「と、此処までは毎回恒例の戦い方になる。何か質問はあるかな?」

 

 会議室の真ん中に設置された巨大な地図。大罪都市プラウディア及び、その上空にある大罪迷宮プラウディアの縮図だった。ディズより、例年の【陽喰らいの儀】の動きの説明を受けたウル達は、それぞれディズからの説明を咀嚼するために沈黙する。

 

「……結界の内側で魔物達を迎撃する、ですか。結界に侵入する前に防げないのですか?」

 

 説明を飲み込んだリーネが意見を口にする。それはこの場にいる全員が思ったことでもある。プラウディアの落下と、その後の結界内の侵入、それを許すというのは恐ろしく思える。何せ、都市の中、人類生存圏内には多数の何も知らない都市民達がいるのだから。

 

「試みたことはある。穴を空けようとする大量の眷属竜達を強引に全力で破壊する策だ。ただ、あまり上手くいったことが無い」

「むう……」

「天陽結界の書き換えを行う眷属達は、恐らく防御に全能を集中させているんだろう。七天ですらも完全な守りに入った竜を討つのは容易じゃない。加えて、結界の外で魔物を抑えようとすると、王への負担があまりにも大きすぎる」

 

 それでもむりやり眷属竜を破壊しようと試みて、阻止できず、穴から魔物達が溢れ出てコチラの防御がおろそかになってしまっては元も子もない。防衛側の目的はあくまで天賢王を守ること。それを見失う訳にはいかなかった。

 結果、眷属竜の結界干渉は半ば無視し、魔物達の襲撃を十全の状態で待ち構える事で王の負担を分散する。それが現在の【陽喰らいの儀】の基本戦略だ。

 

「バベル以外の、例えば居住区を魔物が狙ったりはしないのでしょうか?」

「バベルを起点に二重、三重に結界が敷かれるからそこで堰き止められるし、地上には騎士団が多く配備され万が一に備える……ただ」

「ただ?」

「いままで【陽喰らいの儀】で都市民が襲われたケースない」

 

 それを聞いて、今度はウルが眉をひそめる。

 

「聞く限り、恐ろしい数の魔物が出るんだろ?一回も無いのか?」

「無い。基本的に、全ての魔物が狙うのは【天賢王】と【バベル】のみだ。一時、群れから離れた魔物も、すぐに天賢王のもとへと戻ろうとする」

「相当だな……」

「本当にね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 なにがあろうとも、天賢王を狙おうとする執念の様なものを感じる。ではそれが何者の執念か、と考えるとやはり、大罪竜プラウディアの意思なのだろうか、とウルは思った。

 

「どうしたって、天賢王を止めたいのですね」

「落下中に天賢王を倒せば、迷宮の落下を抑えられる者は居なくなるからね。バベルにプラウディアが落下し、そうすれば……」

「……そうすれば?」

「世界中の【太陽の結界】が消失する」

 

 ディズのその一言で、全員が押し黙る。

 バベルは全ての都市の全ての神殿を繋ぐ要であり、天賢王はバベルから各神殿の神官達に太陽の結界を貸与する。バベルが損なわれれば、結果起こるのは人類生存圏の完全崩壊だ。

 

 事の大きさを改めて実感し、ウルは身震いした。ブラックの策謀で実績稼ぎの場として選ばれたその戦いは紛れもなく、世界存亡を賭けた戦いなのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【バベル空中庭園】 外周部

 

「………!!」

 

 防壁の外へと飛び出したウル達の前に待っていた光景は、結構な地獄だった。空中庭園の輝きが闇夜を裂き、深夜のこの時間帯でも視界は開けている。だが、開けた視界の先に待っているのは”真っ黒”だった

 

『AAAAAAAAAAAAAAA――――――GIIIIIIIIII――』

 

 空を、視界を、魔物の軍隊が覆っている。

 天陽結界の内側を、魔物の群れが覆い尽くしている。狂気である。こんなもの、確かに都市民が目撃していたら悲鳴を上げて逃げ出すに違いなかった。だが、恐ろしいのはそれだけではなかった。

 

「砕けてる…」

 

 魔物達の身体が、崩壊していた。

 防壁の内側ではよく見えなかったが、身体の一部が砕けたり、もげたり、煙を上げながら魔物達は騎士達の防壁へと突撃していく。その先にいる【天賢王】を目指すために

 

 ――【天陽結界】の内側は、【天賢王】の懐だ。侵入を許した王も、魔物達をただでは帰さないさ

 

 ディズの説明をウルは思い出しながら、目的の魔物へと向かっていた。

 当然、魔物達の群れの中に突っ込むウル達冒険者部隊を狙う魔物達は多かったがそれらの内幾つかはウル達に攻撃する前に砕けていった。

 

「いました!【百牙獅子】です!!前方に4体!!」

 

 頭部に幾つもの爪のような牙を冠のようにのばした奇っ怪なる四足獣。五メートルほどの巨大なる【百牙獅子】が立っていた。それも4体。外周からゆっくりと、プラウディア騎士団の防壁に近付こうとしている。

 騎士団の防壁は、天陽の結界の様に、唯一神の加護によって維持されるものでは無い。全て人力だ。当然、圧倒的な力で押されれば、負担が大きいし、場合によっては盾が崩れる。

 故に、そうなる前に直接排除しなければならない。

 

「【黒豹】【白海】は両端!内右は私がやる!!【歩ム者】は内左だ!!」

「応!!」

「行くぞ!!!」

 

 指示と共にウル達と共に来ていた【黒豹の爪】と【白海の船】は左右にばらけた。どちらも銀級の冒険者率いる一行であり、手慣れた動きで戦闘を開始した。

 ウル達も構える。だが、その前にこんと、軽くイカザに頭を叩かれる。

 

「引き際を見誤る程の未熟とは思わないがあえて言っておく。無理と思ったらすぐさま引っ込め。その結果失っても、死ななければ挽回は可能だからな」

「ご忠告、感謝する」

 

 ウルは頷く。言うとおり、本当にどうにもならないなら、引くという選択肢は十分にある。防壁の内側で全員の援助をするのも、貢献としては悪いものではないだろう。

 ただし、それは【実績】からはほど遠い。【ウーガ】というもう一つの戦力を考慮するにしても、ウル達自身の力も示すことが出来ないなら、「管理者の資格在り」として通ることは叶わないだろう。

 ウルには欲がある。ウーガという存在を手中に収めたいという欲が。あそこで得られた安寧、利益、交友、全てが今後の大きな糧となると理解している。幾ら無謀と言えど、賭けるに値するだけの価値が、あそこにはある。

 

 世界の危機、私欲を剥き出しにするなど不謹慎にもほどがあるとも思う。

 だが、欲も剥き出しにせずして、死地で生き残ることなど出来るものか。

 

 故に

 

「出来る限りを尽くし、抗う」

 

 恐怖を押さえ込み、無理矢理に見せた決意の表情をみて、イカザは一度小さく笑って、その後は鋭く、獰猛なる表情でウルの鎧を強く叩いた。

 

「よろしい。ならば後はもう何も言わん。望むものを勝ち取るため、戦え」

 

 同時に、彼女もまた、牙獅子へと跳んでいった。

 

 残る一体の【百牙獅子】はウル達が相手することになる。

 

「百牙獅子、第六級です。サイズによっては更に脅威となる可能性があります」

『カカカ!!いいのう!格上じゃ格上じゃ!!貴様といると本当に飽きぬのうウル!!』

「なんにもよくねえよ!」

 

 ウルは手元から【強靭薬】を二つ取りだし飲み干す。身体が軋む音がするが堪える。使い捨ての耐衝アミュレットも大量に買い込んだ。がむしゃらでも不格好でも構わない。この一夜を乗り越える――!

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「うるせえ!!」

 

 防壁へと向かう【百牙獅子】が、その道行く先の邪魔をするウル達に咆吼をあげる。恐怖を僅かでも和らげるためだった。

 

『ウルよ!どう攻める!?』

「格上相手にやることなんて決まってる!!」

 

 ウルは外付け袋(ポケット)に手を突っ込んで、道具を取り出す。

 

「反撃される前にはめ殺しだ!!」」

 

 劇物に近い香辛料と毒物、麻痺、その他諸々を封入した魔封玉を、牙獅子の頭部へと投げつけた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!???』

「生物系には六級だろうと有効だな香辛料…!」

「ですが、暴れられれば大牙猪などとは比較にならないほど危険です!」

「わかってる!!行くぞロック!!」

『カカカカ!!!』

 

 ウルとロックが飛び出す。突然叩きつけられた劇物に悶え一瞬怯んだ牙獅子は、充血しきった目で、巨大な槍が真っ直ぐに自分の眼前へと飛び込んでくるのを目撃した。が、

 

『GIIIIIIIIIIII!!!』

「んな!?」

 

 牙の鬣が、まるで花がつぼみに戻るように、頭部を覆い隠した。槍が弾かれ、ウルは驚愕する。弾かれた感触は間違いなく、見たとおり硬質の牙であるのに、何故あんな柔らかく変形できるのか、全く意味不明な生物だった。

 

『どけいウル!!』

 

 うしろからロックが迫る。構えるのはあの黒の剣だ。禍々しい気配を放つそれをロックは突き出し吼えた。

 

『【通れやあ!!】』

 

 途端、剣は牙の鬣、それそのものを透き通って貫通し、内部の牙獅子の頭を串刺しにした。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!!?』

『【悪霊剣】、わるうないのうカカカ!!』

 

 世にも希なる実態不確かなる魔剣を握りしめ、ロックは笑う。牙の中で剣に貫かれ、抉られた牙獅子は絶叫をあげ、溜まらず牙を解いた。

 その瞬間、眼前に解放された竜牙槍をウルは向けた。

 

「【咆吼――――」

 

 だが、同時にウル達の頭上に硬質の何かが迫っていることに気づかなかった。あまりに異形である百牙獅子の頭部、それに隠された彼自身の真の牙、極めて長く、鋭く、強靭なる尾が、獲物を前にした蛇のように静かに構えられていた。

 まもなくしてそれは飛び出す。

 

「【大地よ唄え、見えざる手よ】」

 

 故に、そのカバーを後衛のシズクが行う。

 先代、七天の勇者より譲り受けた”名剣”、今やその由来を知る者がいなくなった片刃の刀はその身をさらし、握る者もいないまま宙を舞う。

 

「【【【裂氷付与】】】【【【強化付与】】】【【【回転】】】」

 

 【反響】により幾重に重ねられた付与魔術により、刀は暗く輝く。遙かに鋭く、圧倒的な威力となったその一刀は、ふり下ろされた牙獅子の尾と交差し、激しい音を立てた。

 

『GYAA!?』

「――っ!!?」

 

 一瞬、気づかぬ間に眼前に迫っていた死が、ギリギリで回避された事実をその衝突音で知り、ウルは目を見開く。だが、驚き戸惑いその好機を見過ごすわけには当然いかなかった。

 

「っ!!【咆吼・連射!!】」

 

 【竜牙槍】の【咆吼】を至近から連続で撃ち放つ。凄まじい爆発音が牙獅子の頭部で連続で発生した。宝石人形の核をも砕いたその咆吼は旅の果て、幾つもの巨大な魔物を打ち破るごとにその魔片をウルと共に喰らってきていた。

 その威力はかつてのそれとは比にはならない。まして至近で喰らえば――

 

「――――どう、だ?」

 

 咆吼の反動で後ろに下がりながらも、ウルは結果を確認する。血と肉が焦げたような匂い。牙も幾つか砕けている。その頭部が完全に砕けた【百牙獅子】は、ぐらりとその巨体をゆらし、そして

 

『――――――――――――――――――――!!!!!!!』

 

 頭部も無い、身体のまま、咆哮を上げ、再び姿勢を正した。

 

「…………死なねえんだ。マジか」

『頭ないのにのう』

「どうします?」

「…………どうもこうもない」

 

 ウルは大きく深呼吸をして息を整え、再び身構える。

 

「死ぬまで殺す!」

 

 死闘は続く。だが、この戦いすらも、まだ長い夜の始まりに過ぎなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑤/プラウディア中層にて

 

 

 【大罪迷宮プラウディア】中層

 

 天空の居城。

 長きにわたって世界の守護者【七天】と戦いを続けてきた恐るべき大罪竜の住処。

 その在り方からして特殊な大罪迷宮プラウディアであるが迷宮の作りもまた特殊だった。上層であればまだそれほどの異常は無い。だが中層を越えると迷宮の主、【虚栄】の大罪竜の特色が色濃くなる。

 

 起こるのは空間の()()()()。探索者達は、天空の迷宮という特殊な空間の中で在っても「あり得ない」ものと遭遇する事になる。

 

 例えば 床一面に鋭利な棘が敷き詰められたトラップ地帯。

 例えば 地面もなく、大地の精霊の力が一切働かない、一面に夜空広がる空間。

 例えば 完全な水中、魔物であるかも確かでない未知の巨大な生物と遭遇する部屋。

 

 全て、プラウディアの中で起こる事象の一部だ。

 まったくの備え無しに向かえば即座に一行が全滅するような、初見殺しの空間が突如として降りかかることも珍しくは無い。プラウディアの中層に挑む冒険者達の一行には一人は必ず斥候役か、もしくは魔術師によるマッピング役を最優先に入れるようにしている。

 だが、どれだけ入念な準備をしていたとしても、破滅的な危険を巻き起こす空間に突如として投げ込まれることはある。

 

 例えば――――

 

「ッカハハ!!!!!見ろ!見ろ!マグマだぞ!頭が悪い!!子供が考えた部屋か!?」

 

 例えば 床も階段も何もかも、全てが灼熱の炎へと変わった灼熱空間。

 警戒もへったくれもない、一歩誤って踏みこんだらそのまま死ぬような部屋に、七天達はいた。足場も無いところで、【勇者】と【天魔】はならんで空中に浮かんでいた。勇者はやれやれと汗を拭いながら言う。

 

「騒いでないで何とかして欲しいんだけどね、グレーレ?」

「だがなあ?折角こんな幼稚な殺意をプラウディアから向けられたんだ。もう少し付き合ってやらなければ可哀想では無いか?」

「早くしないと、後で合流したユーリがキレるよ」

「いつもキレているだろう?おっと」

 

 言っている間に地面一杯に広がったマグマの海がごぼごぼと音を立てる。それ自体が気泡を起こした音ではない。揺らぎ、波立ち、そして灼熱の流体をかき分けて何かが飛び出す。

 

『SSSSSSSSYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 灼熱を泳ぎかき分け、獲物を喰らう【灼浴鮫】が飛び出し、そしてディズとグレーレめがけてその巨大な顎を大きく開き突撃した。

 

「【魔断・二重】」

『SSYA――――』

 

 そしてそのまま、ディズの剣で三等に切り開かれ、溶岩の藻屑と化した。

 

「こんな所で消耗もしていられないんだから、急いでよね」

 

 ディズは二本の剣を鞘に収め、溜息をつく。だがディズの小言をグレーレは全く聞いていなかったようで、彼の視線はじっと、彼女が使用していた二本の剣、とりわけ紅と金の入り交じる剣へと向けられていた。

 

「ふむ、勇者。何時もの【星剣】は兎も角として、その紅の武器は」

「言わない。あげない」

 

 グレーレの探るような言葉に対して、ディズは実に容赦の無い拒否の言葉を浴びせた。

 

「もう少し俺と会話しようという気が無いのか貴様?!」

「私弱いから余裕無いんだ。此処を何とかしてくれたら考えるよ」

「ふむ」

 

 問われ、グレーレは首を傾げる。そしてゆらりと浮遊した身体をマグマへと近づけると、爪先をちょこんと、煮えたぎるマグマに触れるようにした。

 

 途端、マグマがその爪先から一気に真っ黒な石の塊に変貌する。その熱が一気に奪われ硬化する。それは彼の爪先から爆発的に周囲に広がり、そして瞬く間に灼熱の空間は何もかも凍り付き、無害化された。

 その空間の中心で、グレーレはわざとらしく肩を竦めて笑ってみせる。

 

「コレで良いか?」

「ワア凄い。じゃあ先に行こっか」

「おいこらまたんか貴様!!」

 

 グレーレの意見を無視してディズは視線を彷徨わせる。先ほど一行を分断させられた空間転移の位置を考えるに、恐らくはこの方角に――

 

「【天剣】」

「あ」

 

 響き渡るその声に、ディズは頭を伏せる。背後のグレーレもこの時ばかりはそれに倣った。そして次の瞬間、身体を低くした二人の頭上で、巨大な破壊の閃きが空間そのものを薙ぎ払った。

 迷宮を迷宮たらしめている壁が根こそぎに破壊される。その破壊はこの階層の大半に届いていたようだった。そしてその奥から、残る七天のメンバーが姿を現した。

 先頭に立つ【天剣のユーリ】は不機嫌そうな面構えでディズ達を睨んでいた。

 

「何を遊んでいるのです。こうしている間も、天賢王はこのプラウディアを支えているというのに」

「うん、同意見だ。見つけてくれてありがとうユーリ」

「ついでに死にかかったがな!カハハ!!」

「この程度で死ぬ【七天】なぞなんの役にも立ちません。死ねばいいのです」

 

 そう言って彼女は背を向ける。グレーレはニヤニヤとそんな彼女を嘲笑っている。実に、仲の良い一行な事だ。ディズは溜息を堪えた。

 

《くうき、さいあくね?》

「君とグロンゾンがいなかったら私、泣いてたよ」

 

 剣の形を模したアカネと小さく言葉を交わしながら、ディズは微笑む。

 アカネのことを、他の七天には話していない。天魔に余計な茶々を入れられてもこまるからというディズの判断だ。

 しかし通常であれば一行の間で、特に戦術が変わるような武器防具の話に秘密があるというのは下策も下策だ。危機的状況であればあるほど一行の間での連係、その為の理解は必須になるからだ。秘密など、決して安易に抱えるものでは無い。

 だが、それはディズだけのことではない。

 この七天のメンバー【天剣】【天魔】【天拳】【天衣】そして【勇者】、この5人の間で黙されてる力をそれぞれ有している(隠し立て自体を嫌いシンプルな戦闘スタイルを好むグロンゾンすら)

 【天魔】がどれほどの魔術や知識に精通しているかなど知る者はいないし、【天衣】に至ってはその正体すら知る者は殆どいない。

 

 一行としては落第としか言い様がない。

 まして現状が世界の危機であるというのに、それを良しとした理由、それは――

 

「来るぞ」

 

 グロンゾンが黄金の籠手を構え、破壊された迷宮の壁の奥を睨む。

 

『SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII』

 

 現れたるは、長大なる蛇の魔物。真っ白赤目、全長数十メートルはあろう巨大蛇。世界を飲み干す程に大きいと恐れられ、【世界蛇】などとかつてのヒトは呼んでいた。

 そんな伝説にでも出てくるような魔物を前に、【七天】の一行はただ構えた。

 

「【魔断】」

「【剣よ】」

「【砕けよ】」

「【自動刺殺術式稼働】」

「【――】」

 

 落第の関係性を放置する理由

 相互理解などという小手先が無くとも、高度な連係程度、彼らには容易いのだ。

 

 

『S――――――――――――』

 

 

 長大なる世界蛇は、ほんの一瞬の反撃すら許されず、消滅した。

 

「さて、先に行くか!下りの階段の位置は分かるか!グレーレ!」

「ここから南に歩いて89メートル先、カハハ!どこぞの剣鬼が迷宮を薙ぎ払ってくれたから散歩しやすいな!この先もこうしてくれよ!」

「疲労するのでご免です。貴方がやりなさい魔術狂い」

「……」

 

 七天の一行は再び進む。プラウディアの奥、深層、この迷宮を活性化させ、迷宮そのものを下へと落とそうとする元凶を押さえ込むために迷い無く突き進む。ただそんな中、【勇者】ディズだけが一瞬だけ足を止め、不意に、視線を足下へと向ける。

 正確にはその先にいるであろう、友人へと向ける。

 

「死なないようにね、ウル」

《だいじょうぶよ。にーたんしぶといわ》

「ん、だよね」

 

 ディズとアカネはそうやって短く言葉を交わすと、再び進み始めた。

 今度こそ迷いは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【バベル空中庭園】 外周部

 

「リーネが、いなくても、なんとか……なるもんだ……」

 

 ウルは肩で息をしながら、なんとか撃破を完了した【百牙獅子】の身体が砕けていくのを確認した。崩れていく百牙獅子の身体は幾つもの裂傷と陥没痕が残されている。これだけの傷を負わせてようやく死んだのだ。

 

「ただ、やっぱり、決定力に、欠くな」

『カカ!だとしたら、トドメはお主の役割になるの?』

「ウル様」

 

 シズクの声にウルは槍を構え振り返る。ロックも同様だ。

 

「まだ来たのか」

 

 魔物達はバベルの中心に殺到しており大半はウル達を素通りだ。とはいえ、突撃の邪魔になる位置にいれば障害物の排除に動く。今し方倒した【百牙獅子】のように。此処は全く安全な場所では無い。気を抜いているヒマなど無かった。

 だが、彼女が指したのは魔物では無かった。茶色髪の小人の冒険者だ。腰に下げた剣から、戦士職、体格上珍しい。だが、此処に立つ以上一流の戦士なのは間違いなかった。

 

「この状況下で気を抜いているとは余裕だな、【粘魔王殺し】」

 

 彼は鋭い目つきでコチラを睨んでいる。敵意、というよりも嫌悪に近い視線だ。

 

「ええと……【白海の細波】の、確かベグードさん」

 

 銀級冒険者の一人、小人でありながら先陣切って魔物を打ち倒す英傑、【緋光のベグード】。イカザから確認した【陽喰らいの儀】を戦う上で選出された冒険者の一人だ。

 ウルの問いに、彼は肯定も否定もしなかった。ウルを無視して彼は言葉を続ける。

 

「他の面子は2体目を狩っている。お前達もすぐに移動しろ。無理なら補給を受けろというのがイカザ”先生”からの伝言だ」

「早い……了解――」

「忠告するが」

 

 ウルの解答を待たず、ベグードは未だ魔物達の血が跳ね返った剣を握り、思わず仰け反るような眼力でもってコチラを睨み付ける。

 

「鉄火場に自分から首突っ込んだ挙げ句、他の者の脚を引っ張ったらその首たたき落とす」

 

 それだけ言って、音も無く彼は消える。彼も自身のターゲットの場所へと移ったらしい。

 ウル達は一瞬沈黙し、そして顔を見合わせる。ロックがはて、前方から迫る魔物を切り開きながら問うた。

 

『なんじゃめっちゃ喧嘩腰じゃったの?誰か恨みでもかったんカ?』

 

 すると、シズクは「そうですね……」と、魔術を連続で放ちつつ、答える。

 

「不相応に出世して無駄に知名度が高いだけで実力が伴わない新人が、世界の命運を賭けるような重大な局面に首突っ込んできたらどう思いますか?しかも実績稼ぎのために」

『ワシなら最悪のタイミングで邪魔になる前に始末するの』

「じゃ、ベグードさんは良心的ってこったな……行くか」

 

 ウルは竜牙槍で魔物をまとめて切り裂きながら、2体目の大型魔物への前進を開始した。不相応であろうとも、煙たがられようとも、地獄への行進は続く。足を止めたところで死ぬだけなのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑥/ウーガの実力

 

 バベル空中庭園での戦闘は続いていた。

 

 絶え間なく続く魔物の大群の襲来

 そして不定期にやってくる多様な大型の襲撃

 一人の冒険者が一生の間に遭遇するよりも多くの魔物達が既に発生し、同時それを”防衛部隊”は撃破し続けていた。それでもまだ、この戦いは序章に過ぎない。

 先が見えない、長期の防衛戦である。当然、その間最大のパフォーマンスを維持し続けるなんて事は出来ない。大罪迷宮プラウディアは命も惜しまず特攻をしかける魔物達を送り出し続けているのだ。それにつきあっていては身が持たない。

 

「っはあ!!くそ!!きっつ!!」

 

 百牙獅子の2体目を撃破した辺りでウル達は一度引き上げる。防壁の内側に戻り、中央の”作戦本部”に入った瞬間倒れ込んだ。格上の魔物相手に平時と違った少人数での戦闘。キツいにも程がある。集中力の消耗は尋常では無かった。

 だが、ここまで死に物狂いでやっても、ウル達の成果が一番少ないのは事実だった。

 

「他の連中は、3体くらい倒してた、か?」

『ベグードとやらは4体目とやりあっとったの』

「半端ないな……」

 

 備えてある回復薬をがぶ飲みしながら、ウルは苦々しい顔で感心する。ベグードの警告の通り、自分たちが一番の足手まといなのは誰の目にも明らかな事実なのだと実感した。

 やはり、思うところが無いわけでは無い。気後れしない方が無茶な話だった。

 

「難しく考える必要はありませんよ、ウル様」

「だがな……」

「私達が参加した”おかげで”今の【百牙獅子】は余剰で二体狩ることが出来たのです。この戦い、参加に条件はありますが、上限があるわけではありません」

 

 ウル達が大きく足を引っ張らない限り、ウル達の参加は戦力の加算でしか無い。

 実にシンプルな考え方だ。それ故に反論の余地も無かった。自分たちの実力がどうであれ、動機がどうであれ、貢献さえ出来ればそれだけこの場にいる全員得するのだ。

 勿論、実際はそう単純な話でもないのだろうが、悪い考え方では無かった。少なくとも今のウルのようにグチグチと考えるよりはずっと。

 

「……そうだな。それくらいのふてぶてしさは、持っておくか」

「ええ、それに――」

 

 と、シズクが言葉を続けようとしたその時だった。

 

「プラウディアが動くぞ!!警戒!!」

 

 プラウディア騎士団の防壁部隊の声が響く。ウル達は振り返りプラウディアに注視した。だが、魔物の大量の群れが視界を塞ぎ、プラウディアの姿すらろくに見えなかった。

 

「ウル様【足跡】を出します」

「音は大丈夫か?けたたましすぎるだろ此処」

「ウーガの襲撃の後、改善しました」

 

 そう言ってシズクは【足跡】片手に【空涙】の刀身を宙へと放る。静かに輝く刀身が鐘のような音を鳴らすと同時に、【足跡】の頁が広がりマッピングを開始する。

 

「おお…!?」

「ほう、面白い魔本だな。どの魔導作家から買ったのだ?」

「んなもん後にしろよ神官様…」

「余裕を持つのも大事なのだよ。君も優雅にいかんか」

 

 周りで休んでいた冒険者、騎士達や天陽騎士たちもシズクの足跡が映しだすプラウディアの図形を見に集まってきた。観測班の言うとおり、プラウディアに変化があった。垂れ流すように魔物を出現させ続けている入り口上空にて、優雅に羽ばたく幾つもの白い翼が見える。

 

「眷属竜、10体!円陣を組みます!」

「【門】を開くぞ!!警戒!!」

 

 10体ほどの眷属竜達が姿を現し、そして落下が停止したプラウディアの上空で円陣を組んだ。空間そのものを塗り替える眷属竜の集結。ウルはハッキリと嫌な予感がした。

 赤子の頭をした竜達が一斉に微笑む。

 ヒトであれば愛らしい笑みだが、それが一糸乱れず一斉に、同一の形に歪むのは悍ましいことこの上なかった。そして眷属竜達が自身が生み出した円陣の内へと、その手に持った槍をかざした。

 円陣が、真っ黒に染まる。夜空の黒よりも更に深い暗黒だ。

 

『――――――AAAAAAAAAAAA』

 

 そしてその闇の中から、湧き出るものがあった。

 巨大な、長い爪がまず伸びる。異様に長く巨大な四肢が次に沸いて出た。最後にのっぺりとした顔のパーツが何もついていない頭部。だが側頭部にはひね曲がったような大きな角が二つついている。

 

「10メートル超、【悪魔】の大型種がでました!!第四級相当です!!しかも複数!!」

 

「悪魔種って……グリード深層の魔物じゃないか?」

「わざわざ別の迷宮の深層から取り寄せたのか?ご苦労なこった」

「冒険者達を一度戻すべきでは?」

 

 シズクの周りの冒険者たちがざわめく。ウルも遭遇したことが無いだけでその名は知っているほど有名な魔物だった。

 

 【悪魔】 

 

 形態は多様に別れており、一概にどういった能力を有しているかは不明なことが多い。ただ、性格は残虐。そして莫大な魔力と、卓越した魔術を手繰るという点は共通していた。

 熟練の銀級の一行がたった一体の悪魔種によって逆に全滅させられたケースもある程に、危険な魔物だ。

 

 それが複数体でた。一気に場に緊張感が走った。

 

「どういうタイプだ!?幻惑系であれば【惑わず】の術で対処可能だぞ!」

 

 天陽騎士が叫ぶ。魔術を操る悪魔達の能力は多様であり、他の魔物のように一概にこれといった特徴があるわけではなかった。どのような真似をしでかすか分かったものでは無い。最もポピュラーなのは幻覚、幻聴の魔術の使い手が多い。そしてその対処の為の装備は用意している。この戦いに参加できる人数は限られる分、装備は潤沢だ。スポンサーが世界の王なのだから。

 だが、

 

「……いやあ、どう考えても、ソッチ系じゃねえだろ?」

 

 冒険者の一人が言う。悪魔の一体が、右手を不意に持ち上げると、天陽結界に空いた魔物達の侵入経路に手の平を向けた。

 

『【A】』

 

 途端、手の平から禍々しき滅光が放たれる。それは先に天陽結界の内部へと侵入していた魔物達の大群の一部を一瞬で消滅させ、そのまま騎士団の防壁へと着弾した。

 

「っうおおお!?」

 

 防壁の中、その中央の補給場所の全員がその衝撃に跪いた。魔術で出来た足場が揺れる。数百もの魔物達に突撃されても尚、揺らがなかった騎士団の防壁が大きく揺れた。

 

「北西の防壁が崩れたぞ!フォローに回れ!!一部侵入してきた魔物は確実に仕留めろ!」

「ゴリラタイプだ!!対処方法がない分一番面倒くせえぞ!!」

 

 おおよそ、考え得る中でも最もこの状況にとって面倒な敵が現れたことを悟った戦士達は慌ただしく動き始める。崩れた状況のフォローに数人が動き、残ったメンバーは対策の為に話し合った。

 

「まだ一体の攻撃でアレだ!今居る5体が一斉に降下して連射し始めたら終わるぞ!!」

「スーア様の力でなんとかならんのか?」

「いや、スーア様には防壁部隊の援護に集中していただきたい。イカザ殿はどうなっている情報班!」

「同時に出現した10体ほどの百牙獅子を対処しています!」

「プラウディアが脅威の強さを判別し始めおったか……早いな」

 

 部隊も立場も何もかもバラバラな面々の間で迅速に言葉が交わされ、情報班はそれらをまとめていく。本部は補給基地 兼 癒療所 兼 作戦会議室でもあった。その全ての情報は指揮官達に渡され、最善と思われる選択が選ばれる。

 

「少しいいだろうか」

 

 そんな中、不意にウルが手を挙げる。険しくも鋭い視線が一斉にウルに向けられる。目線はハッキリと「無駄話だったら殺す」と語っていた。ウルは少し冷や汗をかいた。

 

「どうした坊主」

「試してみて良いか。()()

 

 その短い言葉の意味するところを、その場の全員は理解した。

 事前、ウルが参加すると同時に、彼が持ち込んだ”兵器”の内容は全員が頭に叩き込んでいる。その性能も勿論知っている。だが、

 

「聞いてはいるが、通じるのか?距離も相当だろう」

 

 此処に居る歴戦の戦士達にして、初めてと言って良い超兵器だ。その性能そのものを訝しがるのも無理の無いことだった。だが、ウルの顔つきに迷いは無い。

 

「だから試す。まだ余裕のある今のうちに」

 

 その言葉に反論の余地は無かった。ウルを問いただした騎士は少し考え、そして決意したように頷くと。本部の中央に座するこの作戦の指揮官に顔を向けた。

 

「……ビクトール団長!!」

「何か!!」

「出現した悪魔種に対して、例の冒険者が【竜吞】の使用を求めています」

「許可する!!悪魔種が天陽結界に潜った瞬間叩け!!」

 

 即決だった。騎士はウルに頷く。ウルは気を落ち着けるように溜息をつくと、冒険者の指輪に対して声を発した。

 

「リーネ、エシェル。行けるか」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

【竜吞ウーガ】

 

 ウルの指輪から届いた通信魔術を受け取ったエシェルは身体を少し震わせながらもそれに応じた。

 

「ああ、大丈夫だ……!!」

 

 明らかに自分がガチガチに緊張している事を自覚しながらもエシェルはそれに応じる。両手は汗でびっしょり濡れて気持ち悪かった。まだ何も始まっていないうちからこれではいけないと理解していても、肩の力は抜けないし、吐き気も止まらなかった。

 

「エシェル様。ウーガにも王の隠蔽術は掛かっています。どれだけ暴れてもそれが晒されることはありません」

「分かってる。分かってる。大丈夫だ……」

 

 カルカラの言葉に答えて、何度も深呼吸をした。自分が良くない状況なのは分かっている。焦りと緊張が良い結果に結びつく事なんて無い。自分を律しようとエシェルは必死だった。

 

「どうせこの場でできることなんて少ないのだから、楽にしなさい」

 

 と、そんな彼女にリーネが声をかける。

 彼女は白王陣を敷くときに身に纏うフル装備に、夜空のように美しい”手套”をつけて司令塔の中心に立っていた。遠見の水晶が映すプラウディアと、その上に出現した巨大な悪魔種らを強く見据える。

 

「リーネ」

「安心なさい。例えどれだけ貴方がとんちんかんなミスをしたとしても――」

 

 彼女は杖を強く握りしめ、それを剣のように地面に突き立てる。箒のような杖の穂先が幾多にも別れ、それが彼女を中心に瞬く間に広がっていった。

 

「白王陣は、無敵よ」

「――――ああ」

 

 不敵にそう断じるリーネに、エシェルは頷いた。震えは消えた。狂気すら感じる程に何時も通りな彼女の姿は、エシェルに安心感をもたらした。

 ここ数ヶ月、様々な巨大な魔物達を相手にしてきたときと同じ事をするだけのことなのだ。焦る必要は、無い。

 

「【竜吞ウーガ】【超々遠距離】【白王収束誘導砲】用意!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 2メートル超の巨体 蒼毛の獣人、プラウディア騎士団長ビクトール・ブルースカイ

 

 【竜吞】の使用許可を求められた時の彼の心中は「物は試し」だった。

 そもそも、この【陽喰らいの儀】は場合によっては世界の命運も掛かるほどの一大決戦。その準備には長い時間と、費用と計画、更に訓練が必要となる。特に【天陽結界】の代わりに防壁を務める騎士団の連係の重要性は極めて高い。

 参加者の厳選、そしてその連係のための鍛錬は年単位で行う。

 

 詰まるところ、ここ数ヶ月の間に突然降ってわいたような”代物”を、いきなり作戦に組み込むなど不可能なのだ。

 

 冒険者達が中心となる遊撃部隊の枠ならば、飛び入りの参加として増員する事に不都合は無い。戦える者が増えること自体は望むところだ。

 新進気鋭の冒険者がその枠に更に加わる、というのもまあ良いだろう。期待された新人に鉄火場を経験させるのは過激だが良い刺激になる。

 だが、【竜吞】ほど巨大な代物はどうすれば良いか、判断しかねる。性能は聞いた。その成果も確認している。だが、誕生してからの期間があまりにも浅すぎる。頼りにするにはあまりにも実績が少ない。それを前提とした作戦は結局組めなかった。

 

 だからこその試しだ。

 

 固定砲台としての役割くらいを果たしてくれるだけでも助かるというものだが、最悪狙いがうっかりそれて味方に被害さえ行かなければなんでもよかった。放置するだけで済むからだ。

 【竜吞】の現在位置は【真なるバベル】は疎か、プラウディアからも距離を取っている。そのあまりの巨大さ故に、プラウディアに極端に近接する事も出来ないのだ。【咆吼】は当然その距離からの超長距離砲となる。

 果たして正しく当たるか?という疑問すらあった。

 

「悪魔種が【天陽結界】の穴から侵入を果たします。まもなく空中庭園に降ります!!!」

 

 情報班の連絡を聞きながら、ビクトールは悪魔達の降下を確認する。【天陽結界】の穴はバベルの中心から最も離れた位置に空くよう誘導してある。故に悪魔達の降下場所は庭園の端だ。出来れば、防壁に近付く前に対処を済ませてしまいたいが――――

 

「ウーガの【咆吼】が来る。皆、動かないように頼む」

 

 【歩ム者】のウルの声がした。

 同時に、北東の位置から白い閃光が一瞬光った。

 

 

『AAAAAAAAAAAAA――――――A?』

 

 

 その閃光は一瞬だった。

 その動きを目で追えた者は、この場の戦士達の中でも殆どいなかった。

 卓越した指揮者であり達人でもあるビクトールはかろうじてそれを目で追うことが叶った。光は、降下した何体もの悪魔達の身体を貫いた。しかもその光は何度も”戻って”、縫い合わすようにして悪魔達をズタズタに引き裂いていったのだ。

 

 巨人悪魔が先ほど使った、単に破壊のみを目的とした光熱でもない

 明らかに極めて高度に調整された魔術の破壊だった。

 

『AAA!!!AA!!AAAAAAAAAAAAA!!??!』

 

 縦横無尽の光の蹂躙を前に、悪魔達に為す術など無かった。出現した5体の大型の悪魔達はその身体に幾つもの大穴を空けて、間もなくして崩壊していった。

 

 瞬殺である。その光景を目撃した全ての戦士達は歓声を上げた。

 

「これは、とんでもない援軍であるかもしれん――――が」

 

 ビクトールもまた、感嘆の声を上げる。だが、同時に険しい表情で叫んだ。

 

「【歩ム者】!【竜吞】に警戒させろ!!」

 

 将軍の声色には強い確信があった。彼は幾度となくこの【陽喰らい】を経験している歴戦の猛者だ。【大罪迷宮プラウディア】の動き方、もっと言うとその性根を十分に理解していた。

 執念深く、そして臆病、故に

 

「プラウディアに目を付けられる!!」

 

 脅威と見なす存在を、好きなままに放置させるわけが無いのだ

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘

 

 

 竜吞ウーガに殺到した魔物の群れは、ウーガに張られた魔術障壁に阻まれ、停止した。丁度、現在【真なるバベル】の中心で展開している騎士団の防壁よりも更に強固な壁だ。

 以前の天空からの魔物の襲撃の反省を踏まえ、リーネが改案した障壁はジャインたちがいる位置よりも遙か高いところで魔物達の侵入を阻み、近寄るものを焼き殺している。

 

「うーわ、障壁に虫がたかってるみたいっす」

「遠くだから小さく見えるだけで、一つ一つが魔物だぞ。油断するな。」

「っつって、全然防壁通り抜けれてないじゃないっすか。リーネ凄いっすね」

 

 ラビィンは感心した様に呟く。

 実際、【白王陣】の使い手であるリーネが大した物であるのはそうだった。あのプラウディアの眷属からの襲撃からそれほど時間が無かったにも関わらず、ウーガの防御術式を更新させている

 

 ――ウーガに常時展開してる膨大な量の術式に干渉せずに、防御結界だけ更新してかつ、他で不具合を起こさないなんて曲芸じみている

 ――術式の書き込みだけに異常な情熱を注いだ者にしか出来ない極地、

 ――構築の現場見させて貰ったけどすごいを通り越して怖い。

 

 と、白の蟒蛇の魔術師達が感心と呆れと信仰をごちゃごちゃにさせながら語っていた。銀級ギルドの魔術師として確かな実力を持つ魔術師達をしてそうまで驚愕される以上、リーネの腕は確かな物だろう。

 実際、このまま防壁に阻まれ続けるなら、それに越したことは無い。ジャインたちが楽を出来るだけだ。だが、

 

「……そうも、いかないみたいだね」

 

 エクスタインが目を閉じて、俯瞰の魔眼で状況を確認しながら不吉な言葉を漏らす。

 

「なにが来る?」

「前のウーガ襲撃時、【勇者】が見せてくれたプラウディアの眷属竜だ。魔物の群れをかき分けて一体が魔術の障壁にへばりついた」

 

 ジャインの目にも、その姿が映った。巨大な、気味の悪い赤子の姿をした竜がウーガの遙か高くの障壁にへばりついて、気色の悪い笑みを浮かべている。その両手をゆっくりと防壁に差し込んだ。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHA!!!!』

 

 バチバチと、凄まじい音を立てて障壁が反発する。眷属の両手は真っ黒に焦げていく。だが、眷属はその手を止めずに、そのままぐしゃりと両腕を広げた。

 

「穴が、空く!?」

 

 あまりにも強引に魔術の障壁が開かれた。同時に、その穴に大群の魔物達が一斉に飛び込んできた。

 

「あれ、ずっこくないっすか!?」

 

 眷属竜を指してラビィンがキレながら叫んだ。ジャインも同意見だった。

 魔術防壁はあんな風に物理的に”掻き分けられる”ようには出来ていない。水面の水を手で掻き分けて、谷を作っているようなものだ。無茶苦茶にもほどがある。

 

「でも、眷属の数はアレ一体だ!数に限りが有るらしい!」

「来るぞ!!」

 

 間もなくして降り注ぐようにして魔物達が司令塔に殺到した。

 

「「「【魔力結界!!】」」」

 

 同時、白の蟒蛇の魔術師部隊、及びエンヴィー騎士団の魔術師部隊が同時に結界を展開した。互い不干渉を約束したが、事、この結界に関しては事前に打ち合わせをしていた。

 司令塔全てを覆うような、高度にして複雑な結界が必要不可欠だと分かっていたからだ。

 

 幾重にも張った結界による障壁。いわばこれはバベルで行われてる戦い方のパクリだった。ただし、再現できないことも当然多い。

 

『『『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』』』

「ぐう…!?」

 

 殺到するあまりに大量の魔物達を前に、魔術師達が悲鳴を上げる。魔物達の数があまりに多い。対してコチラの結界は一流の魔術師達が協力した結界であることを差し引いても、その大量の魔物達を支えるには足りていない。

 バベルのように大量の交代要員がいる訳でもない。バベルの戦い方の完全な再現は不可能だ。故に、アレンジが必要だった。

 

「全てを阻もうとするなよ!!絶対に持たない!!一部に穴を空けて誘導しろ!」

 

 ジャインが指示を出す。

 多数の魔術師達が結界の作成に力を合わせた理由は、強度の強化よりも、その構造を弄るためだ。決して入られてはいけない場所の強度は強く、そして対処できる場所に殺到させる為に穴を空ける。

 

 無論、その穴からは魔物達が溢れ出す。故に、それに対処するのがジャイン達の仕事だ。

 

「さしずめ廉価版バベルの塔だ!行くぞ!!」

 

 降り注ぐ魔物達に、ジャインは斧を振り下ろし、叩ききった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エクスタイン率いるエンヴィー騎士団遊撃部隊もまた戦闘を開始した。

 魔物達を切り裂き、叩ききる。結界により数を絞っているが、その数は相当だ。迅速に一体一体を処理していかなければ、あっという間に囲まれてしまう。エクスタインは矢次指示を出していた。

 

「全員!!数の多さに惑わされるな!自分の限界を見極め処理に集中しろ!!」

「承知しました!!」

 

 エクスタインは部下達の返事の元気の良さに内心で少し戸惑った。

 ウーガという存在の見極めの為に、修羅場の最前線で戦う羽目になったというのに、彼らのモチベーションは思ったより高い。遊撃部隊の本来の役割からは大幅に離れているはずなのだが――

 

 ……いや、だからこそか?

 

 騎士団の本来の役割は都市国の治安維持と防衛に在る。

 ”遊撃部隊”と名付けられた自分たちの組織が、その役割から大幅に外れているのは彼らがそもそもエンヴィーから離れた場所にいることからも明らかだ。言わば彼らは【天魔のグレーレ】の私兵部隊に過ぎず、更に言うと彼の権限を私的利用するエンヴィーの支配層の連中を満足させるための尖兵に過ぎない。

 勿論、それが結果としてエンヴィーのためになっている部分があるのは確かだが、詭弁だろう。遊撃部隊に所属する者のモチベーションというものは基本、あまり高くは無い。

 

 ――こんなことをするために騎士団に入ったんじゃ無い

 

 などと叫んで遊撃部隊を抜け、騎士団を辞めたものをエクスタインは知っている。

 そんな彼らにとって、故郷から遠く離れた地であるとはいえ「世界を守護する為の戦い」に参加できるというのは、エクスタインが思ったよりずっと、好意的に受け止める代物であったらしかった。

 

「この後一度、グローリアさんと相談してみるか……」

 

 部下の騎士達のメンタルケアの問題は一先ず置いておこう。

 まずはここを生き残らなければならない。

 

「【雷よ!!】」

 

 短縮魔術を放つ。狙いを定めずとも適当に撃てば当たるような状況だったが、無駄撃ちはしないように心がける。キリが無いし、魔力が絶対に持たない。魔力回復薬(マジックポーション)も今回に備えて大量に用意されているものの、そもそも補充する行為自体が時間の無駄だ。剣も滅茶苦茶に振れば破損はあり得る。

 コレは長期戦。どちらにしても上手く使いこなすことが必須だった。だがふと気づく。

 

「ただ、魔物の質はそれほどでも無い、かな……?」

 

 天空の迷宮から送り出されてきた魔物達だけあって、大抵は翼を持ち飛行している。その点は厄介だが、耐久力はそれほどでもなかった。

 

 出現しているのは鳥類系、だが攻撃方法は近接による脚爪と嘴による突進のみ。焦らなければ脅威ではない。そう思った。

 

「結界で誘導しているとはいえ敵は上空から来る!常に死角を作らないよう――」

 

 だが、そう指揮するエクスタインの背後に一匹の魔物が出現した。”ソレ”は無数の魔物達の影に隠れ、縦横無尽に空中を駆けると、防衛陣を敷く騎士達をまるで嘲笑うようにその隙間を”すり抜けて”、エクスタインへと飛びかかった。

 

『GYAA!?』

「――――っ小さい!!?」

 

 俯瞰の魔眼による視界で、首にとびかかる寸前でその牙を抑え、剣を叩き込んだエクスタインは驚愕する。斬り落とした魔物は小さかった。サイズは拳大ほど。昆虫型の魔物だ。棘のように鋭利な二つの牙がエクスタインの喉を狙っていた。

 

「【首刈リ甲虫】が魔物の群れの中に紛れ込んでいる!!注意しろ!!!」

 

 エクスタインは冷や汗を拭い、脅威の正体を叫んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【首刈リ甲虫】 第七級

 

 森の暗殺者、などと呼ばれる魔物。その性質の悪さはなによりもサイズの小ささだ。

 基本的に拳大、大きくても全長が人の頭を少し下回る。魔力により体格が肥大化する事が多い魔物の中ではかなりの小型のサイズだ。

 だが、その強度は並大抵の魔物を上回る。下手な攻撃は固い装甲で弾き、そもそもかなりの速度で飛び回るものだから攻撃が当たらない。そしてその速度から繰り出される牙の一撃は、無防備な首をきりとばす。首刈リとはよく言ったものだった。

 

 冷静に対処すれば、目に全く負えないほどの速度ではなく、突撃する先に盾で構えてやれば自身の速度の衝撃で自壊する。だが、乱戦状態に不意に現れられ、死角から攻撃されると途端に脅威となる。

 

 主にこの魔物が出現する【大罪迷宮ラスト】の【暗夜の森】エリアでは、様々な木々の影に隠れ冒険者達を襲うことから、単体の脅威度以上の厄介者として忌み嫌われていた。

 

 そう、【大罪迷宮ラスト】の魔物である。

 それが今、プラウディア領にて襲いかかってきていた。

 

「ひ、ひいいい!!!」

 

 グルフィンは悲鳴を上げた。

 魔物達が出現してから、グルフィン達は兎に角、区切られた魔物達に対してのみ攻撃するよう指示を受けていた。同士討ちだけはしないように列に並び、自身の力を放つようにと。

 そしてそれはできた。鍛錬の成果と言うべきか、岩の塊や高熱の蒸気、硬質な糸の拘束に風の刃等々、精霊に与えられた加護の力を繰り出し続けた。

 グルフィンも同様だ。巨大化する自分の腕で、兎に角目の前の魔物達を片っ端からはたき落とした。魔物達の感触は気持ち悪かったが、兎に角そこまでは何とか無かった。

 

 だが、間もなくして出現した恐ろしい虫の魔物が、膨張の加護で生み出された巨大な自分の腕を貫ぬいた事にグルフィンはパニックになった。勿論、巨大化した自分の身体であって、本体はノーダメージだ。だが身体が弾け飛ぶ感触は例えようも無く恐ろしかった。

 

「落ち着きなさい。本当の身体まで吹っ飛びますよ」

「カ、カルカラぁ!もう勘弁してくれぇ!つまみ食いなどもうせんから!!」

「私に赦しを乞うてどうするのです?」

 

 すがりつくグルフィンに対して、カルカラの視線は酷く冷たかった。そして冷静でもある。上空では大量の魔物達が押し寄せ、更にその中に紛れる恐ろしい甲虫の飛行音がぶーんぶーんと聞こえてくるのだ。

 歴戦の戦士達であっても混乱するようなただ中において、カルカラは冷静だった。

 

「言っておきますが、私が貴方を許そうがどうしようが、助かりませんよ」

「塔の中に入らせてくれ!!頼む!!」

「脱出口なんてありませんよ?」

 

 カルカラが真顔で答える。は?!と司令塔の中央の階段を見る。だがそこの入り口は巨大な岩で塞がっていた。びっちりと埋まってヒトが入り込む隙間など当然存在しない。

 

「魔物の襲撃が始まった時点で入り口は塞ぎました。万が一に内部に侵入を果たされればその瞬間ウーガは終わりですからね」

「正気かああ!!」

「無論正気ではありませんが?」

「おま、おま、おまあ!!!?」

 

 言葉を失うグルフィンに、カルカラは不意に岩石の剣を生成し横凪ぎに振るう。同時に甲虫が数匹たたき落とされた。だが、その内の一匹の牙が飛び散り、カルカラの額を斬り付ける。

 

「ひっ!!」

 

 血が噴き出すカルカラに、グルフィンは悲鳴を上げる。だがカルカラその血を拭うこともせず、じっと足下に縋り付くグルフィンを見下ろした。

 

「私は頭がおかしい。貴方の生死にも興味が無い。他の騎士団や冒険者もそうでしょう。ハッキリ言って自分達以外を守る余裕なんてありません」

「…………!!」

「だから、ここには貴方しかいないんですよ」

 

 グルフィンの怯え縮こまる目を見抜くようにして、彼女は強く、ハッキリと断言した。

 

「貴方以外、貴方を守る者はいない。逃げ場もないのです」

「ううううううううあああ」

「助かりたいなら、立ちなさい!!!その力があるのでしょう!!!」

 

 背後から音が迫る激しい羽音。虫の暗殺者の飛来音だ。背後から迫り、真っ直ぐにこっちに迫る音をグルフィンは耳にした。

 彼は慌て、立ち上がる。眼前に迫るその魔物に対して、彼は

 

「ぬううううああああ!!?」

『GYA!?』

 

 【膨張の加護】により巨大化した拳をデタラメに突き出し、たたき落とした。

 

「うわわああ!ぬおおお!!ひいい!!!」

 

 その後も悲鳴を上げながら”神官見習い”達の並ぶ前線に復帰する。自分の身を、命を助けるために必死だった。

 

「壊れるか、奮起するかの二択でしたが、思ったより根気ありましたね?」

「……グリードの教官でももう少しマシだったぞ?」

 

 グルフィンの奮闘に満足げなカルカラに対して、背後でその様子を観察していたジャインは呆れたような声をあげるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑦

 

 【大罪迷宮プラウディア】

 

 七天の一行の迷宮侵入ペースは非常に速かった。事前、迷宮の要所に存在する大型の魔物の掃討を済ませていた事もさることながら、やはり世界最高峰の戦力集団の行軍は凄まじかった。

 通常の冒険者の一行であれば慎重を重ね、苦労して一つ一つ突破していく様々な地形、魔物をまるで小石を跨ぐような気軽さで次々に突破し、そしてついに

 

『AAAA――――』

「なんだ、もう終わりか。所詮は中層の門番か」

 

 【天魔】のグレーレはつまらなそうに溜息をついた。目の前では中層の最深部にて七天達を待ち構えていた巨大なる【百頭蛇】が消滅していく。それぞれが連係するまでも無く、呆気なく消滅してしまい、グレーレはつまらなそうに溜息を吐いた。

 

「このままではあっという間に今回の儀は終わるやもしれんぞ!カハハ!」

「本気でそう言っているのなら、貴方の評価を更に引き下げる必要がありますね」

 

 【天剣】ユーリはつまらなそうにその言葉を一蹴する。彼女の視線はグレーレでも無く、消滅していく百頭蛇でもなく、深層へと続く階段へと注がれていた。

 

「ここからが本番でしょう」

「うむ、その通りよ。全員、キチンと補給を済ませよ」

 

 そう言い、グロンゾンは持ち運んでいた霊薬(エリクサー)をためらいなく飲み干す。それにグレーレ含めた全員が倣った。彼らの表情には先ほどまでの少し緩んだ空気は無かった。グレーレすらも、口元の笑みは消し去っていた。

 

「さて、今回はどのような趣向をしかけてくるやら」

「踏みこんだ瞬間即死のトラップもありうる。ジースター。偵察は可能か?」

 

 問われ、【天衣】のジースターは頷き、指を三つ立てた。その意味を理解しグロンゾンは頷いた。

 

「三分経過後も戻らねば、突入する。頼むぞ」

 

 間もなくしてジースターはその姿をかき消した。ほんの僅かな気配のみが深層への階段へと移動していくのをその場の4人は感じ取った。

 

「さて、今回の深層はどのような趣であろうか」

 

 必然的に短い待機時間となりグロンゾンはどっかりと腰を下ろす。勿論、まだまだ彼は戦うことが出来るし、なんなら数日間眠らず戦い続けることだって出来る程の鍛錬を積んでいる。だが休めるときには休まなければならない。

 深層に一歩踏み入れれば、外に出るまで腰を下ろすような機会は二度とないのだから。

 

「私は【陽喰らい】のプラウディア攻略は2度目ですが、やはりそれほどまでに変わるものなのですね」

 

 最も若いユーリが尋ねる。本人が言うように、彼女は類い希な剣士であると同時に太陽神から【天剣】を授かった無双の戦士であるが、見た目通り経験は浅い。知らないことは多い。

 特に【陽喰らい】は不定期で、場合によっては10年は間が空く。彼女が経験できたのは4年前の一回切りだ。隣でそれを聞く【勇者】も同じだ。プラウディアの攻城戦の経験値は天剣と変わらない。

 

 と、なれば複数回プラウディアの攻略を経験してきた年長者としてアドバイスの一つでも与えてやるのが筋であるのだが、グロンゾンは言葉を濁した。

 

「そうさな。変わる。変わりすぎて、前回の経験と言う奴が役に立ったためしがない」

 

 元々、プラウディアの特性とはそうではある。現実を薄っぺらい虚構に塗り替えて、その場を書き換えてしまう恐るべき虚栄の大罪竜。その力で次々に変貌する迷宮。通常の迷宮でも起こる迷宮の”変異”、それが極端になったのがプラウディアだ。

 中層であればまだ「部屋の中」に変化が留まる。

 だが深層までたどり着くと、最早部屋などという区切りは存在しなくなる。

 

「何が起こるか、誰にも分からん。無限に続く奈落の穴に落ち続けて消えた七天もいるとかいないとか……」

「ああ、いたな」

 

 と、グレーレがグロンゾンの言葉に頷く。

 

「確か貴様の5代前の【天剣】だ。同じ死に様は晒すなよ?今代」

「前衛がロストしたと言うことは、サポーターとしての役割に失敗したと言うことでしょう。貴方が足りなかったということじゃないですか」

 

 ユーリの皮肉げな言葉に対して、グレーレは笑った。

 

()()()()()()()

 

 常に不敵で、あらゆるものに対して嘲笑した希代の魔術師が、自らの実力不足をあっさりと認めた。そしてその言葉に対して、ユーリは笑おうとはしなかった。常に全てを観察対象として見下すような男をもってしても、自身を”足らず”として認める迷宮が、この先に続いているのだ。

 

「さて、三分経ったね」

 

 ディズが小さく呟く。【天衣】は戻らない。つまりは彼が斥候としての役割を失敗したことを意味している。

 その事に全員驚きはしなかった。あるいはそうなる可能性も理解していたからだ。内部の状況を先んじて得られれば大きなアドバンテージだったが、そう容易くは無いだろう。

 

「ジースターならば死んではおるまい。まずは合流を目指すぞ」

「入った瞬間分断させられたらどうする?転移符使う?」

「魔術が使える場所であるとも限らぬ。俺が必ず合図をだす。全員そこに集合してくれ」

 

 全員が頷き、そして揃って深層の入り口に脚を踏み入れる。

 この世界で最も危険とされる場所に、その身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踏み入れたその場所では

 

「…………こう来たか」

《…………ええ》

 

 竜が並んでいた。

 成竜として成長した、この世界で最も強大なる魔物。

 第二級に位置づけられる者 成竜

 

 それが、大量に、ずらりと立ち並び、そして口をぱかりと開いて吐息(ブレス)の準備を進めていた。

 

「戦術の頭が悪い!!!!!!」

 

 ディズが叫ぶと共に、一行のいる場所に力の全てが叩き込まれた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】

 

「っぐう!!?」

「ウル様!!」

 

 ウルは自分の腹が燃えるような感覚に身もだえる。当然、実際に燃えるわけではなく、怪我の痛みをそう感じただけで――

 

「いや、あっつう!?」

 

 ――は、無かった。実際に燃えていた。ウルは慌てて地面に身体を擦り鎮火する。それでも身体も動かせなくなるような激痛は高回復薬を直接身体に浴びせることでなんとか抑えこんだ。

 

「なんなんだコイツは……!?」

『燃えとるのう……?』

 

 ロックも驚愕した様子で眼前の敵に向き合っていた。

 3人の前に立ち塞がっていた魔物は全長は2メートル超のヒト型。正直それほど大きくは無い。獣人の成人などはこれを優に越える体格になることもある。

 問題は、”燃えている”事だ。

 魔術によって発火したとかではない。常時、そのからだが燃えたぎっている、近付くだけで火傷しそうな熱を放ちながら、燃え続けている。しかもその状態で生きている!

 

「魔人種!【大罪迷宮エンヴィー】に出現する【火炎魔人】です!!」

「特性はなんだった?!」

「ずっと燃えてます!」

「すっげえわかりやすいな!あっつ!!!」

 

 シズクの全く情報が増えていない解説に納得しながらウルは叫んだ。

 シンプル故に、凶悪だった。単純に近付かれるだけでも火傷する。殴られようものなら、先ほどのウルのように大ダメージを負う。盾や鎧で防げても、その熱は貫通して身体に大ダメージを負わせてしまう。絶対に近接を許してはいけない類いの敵だ。

 

『………A……GAAA……』

 

 だが、それでもその動きに俊敏さは感じない。先ほども、ウルにダメージを負わせた後も追撃はしてこなかった。冷静に距離を取って、遠距離から攻撃を重ねれば恐らくは倒せる見込みはあった。

 問題は

 

『……多いの?』

 

 数が、多すぎる。

 

 ウル達は囲まれていた。無数の【火炎魔人】達に。大型の魔物の襲撃に対処し、補給に戻ろうとした矢先、空から大量に落下してきたのだ。逃げる間もなく一瞬で包囲されてしまっていた。

 

「【水氷よ唄え、邪悪を退けよ!!】」

 

 シズクが素早く魔術を唱え、結界を張り巡らせる。触れたものを凍て付かせ、動きを封じる氷の結界だ。

 

『なーるほどの。これならあの燃えとる奴らも近づ……』

 

 ロックがその結界に感心し、周囲を見渡す。そして

 

『……いとるぞ!?主よ!!』

『AA……GAAAA……!!』

 

 火炎魔人が、結界に腕を差し込み、凍り付きながらもその壁を破壊していくのを目撃した。魔人の腕は凍り付き、そしてその直後に炎が燃え上がり腕を溶かす。結界の効果を、ごり押しで突破していた。

 

「半端なものではダメですね。ウル様。【咆吼】を」

「熱線だと耐える可能性あるぞコイツラ」

「凍らせた後に打ち込んで砕きます。ロック様は脱出準備を」

 

 シズクが詠唱を開始する。ウルはその隣で竜牙槍を捻り、魔力を凝縮する。ロックは背後でその身を変える。見せかけの鎧は放り捨てた。

 

「【氷水よ唄え、絶対零度をその身に宿せ】」

 

 氷の結界は更に破られる。そしてのろのろとその内側に、【火炎魔人】が侵入を果たした。空気が焼け付き、皮膚から汗が噴き出す。その中心でシズクは静かに【空涙の刀】を操り、一点に向かって振るった。

 

「【零波】」

『AA………――』

 

 彼女が刀を振るった先、【火炎魔人】達はまとめて凍り付いた。複数体の氷の彫像が誕生する。当然、先ほどのように凍り付いた先からまた、その内側の熱を放ち、溶かしつくしてしまうのだろうと言うことは分かっていた。

 

「【咆吼】」

 

 故にウルは間髪を入れずに破壊を叩き込んだ。

 凍り付いた【火炎魔人】らはその破壊の一撃にその身を砕き散らせる。周囲の包囲網の中で一方向に穴が生まれる。その隙を見逃すわけには行かなかった。

 

『おっしゃあ乗れい!!』

 

 小型の車両になったロックが叫び、ウルとシズクは返事もせずにそれにのりこんだ。間もなく発進し、砕けた隙間を一気に駆け抜ける。

 

「よし、これで……!」

 

 脱出した、そう思った。

 だが、不意に、上空から何かの気配がする。それは強い熱さを伴っており、そうなるとこの場で思い当たるのは一つしか無い。

 

『KYAHAKYAHAKYAHA!!!』

 

 眷属竜の笑い声、同時に降り注ぐ火炎魔人達の群れ。それはウル達を囲んでいた数よりも多く、そしてそれは回避する事など不可能な範囲に降り注ぎ――

 

「【細断】」

 

 その前に、幾多に重ねられた剣撃によって火炎魔人の身体が砕けた。

 

「あっつう!!?」

 

 降り注ぐ炎の雨にウルは悲鳴を上げる。だがこれでもマシな方だ。もしあのままであれば炎の雨ではなく、火炎魔人の墜落の直撃を喰らっていた。重量のダメージと、炎の熱でウル達は壊滅していた。

 そして、ウル達を救った男はその細剣を振るい、ウルの背後にすとんと立った。

 

「ベグードさん!?」

「脚を引っ張るなと言ったぞ」

 

 短く、鋭い言葉にウルは背筋を伸ばす。だがそれ以上彼は言及すること無く、その細剣を防壁の方へと差し向けた。

 

「役に立たないなら下がれ。本部も作戦を練っているはずだ。俺達は先生と時間を稼ぐ」

「……了解、ロック」

『うむ!助かったぞ!』

 

 短く礼を言ってウル達は再び走り出した。幸いにしてと言うべきか、先ほどの増援は無い。それでも大量の火炎魔人がうろついており周辺温度は上昇し続けていた。

 

「良い方ですね」

「何かお礼でも考えねえと……」

『此処を生きて残れたらの!』

 

 軽口を叩きながらロックはウル達を乗せて疾走し続けた。だが、背後では炎の化身たちがじりじりと防壁へと近付いてくるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑧/ロックンロールと天への祈り

 

 

「魔人種出現!魔人種出現!!【火炎魔人】だ!!」

 

 情報班の火急の連絡に、バベルの防衛部隊は慌ただしくなった。

 特に冒険者達部隊は 明確に表情を険しくした。彼らは経験から理解していた。極めて厄介な魔物が出現したという事を。

 

()()か!よりにもよって!!」

「しかも出現箇所は多数、空中庭園のほぼ全周囲に出現しています」

「おいおい……」

 

 血が噴き出していた腕に回復薬を乱暴にぶっかけていた冒険者は苦々しい顔を浮かべる。その露骨な反応についていけていないのはプラウディア騎士団の連中だ。彼らの多くは活動拠点をプラウディアから動かさない。故に別都市の魔物の知識は浅い。

 

「そんなに不味いのか?」

 

 騎士の一人が問うと、冒険者は酷くげんなりとした顔をしながら鎧を装着し直す。だが、どうしたものかと頭を悩ませているようだった。

 

「近付くだけで強烈な熱。近接で処理すれば確実にコチラがダメージを喰らう。しかも滅茶苦茶にしぶとい。だがもっと厄介な点がある」

「それは?」

「倒したとしても近くに()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、一瞬その場を沈黙が支配した。厄介という言葉の意味を理解したのだ。火炎魔人を回復させる熱源はいまこの空中庭園の至るところに存在している。

 仲間の【火炎魔人】がいる限り、彼らは復活するのだ。

 

「はあ?ズルではないか?」

「雑な感想が出ましたな神官殿。同意見ではありますが」

「エンヴィーだと火山地帯でコイツラが出現するからほぼ無敵なんだ。ソレと比べりゃマシ……いや、逃げ道がない分どっこいか」

 

 冒険者は額から汗を拭う。冷や汗をかいたのではない。物理的に今、熱いのだ。騎士団の生み出した防壁の中、安全地帯である筈のこの場所に周囲の熱が届き始めている。

 

 そしてこの状況下は、思ったよりも遙かに窮地であるとすぐに悟ることになる。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【真なるバベル】防壁部隊最前線

 

「あっづう……!!」

 

 騎士の一人が悲鳴を上げる。

 プラウディアはイスラリア大陸の中では最も安定した気候であり、ラスト領のようにじっとりとした暑さは存在しない。故に、単純な熱さには慣れていなかった。

 

『A………AA………』

 

 生み出した防壁のすぐ側には火炎魔人達が殺到している。騎士達の防壁は完全に彼らの侵入を防ぎきっている。当然、鉄をも溶かす様な彼らの灼熱の肉体も遮断しきっている。故に騎士達は身体が焼けることは無い。

 が、火炎魔人たちが焼くのは騎士達だけではない。

 場の空間そのものを、彼らは焼くのだ。そしてその熱が騎士達を苦しめていた。

 

「情けないことを抜かすな……と、言いたいが、コレは確かにキツいな」

 

 隣の先輩騎士も同じように唸る。騎士団として全身鎧に身を包んだ彼らであるが、それ故に鎧の中は蒸し風呂の状態だ。多様な環境に応じ肉体を最適に保つための【適応】の魔術が鎧には刻まれている筈なのだが、その魔術効果を貫通している。

 

「頭クラクラしてくるぞ。これ、不味いんじゃ無いのか…!?」

「ああ、不味い。それは分かってる。分かってるが……!」

 

 この場を離れるわけには行かない。下がれば下がるほど火炎魔人達は前に迫ってくる。空中庭園を埋め尽くす火炎魔人達の包囲が狭まれば、今以上の熱が襲いかかるだろう。

 さりとて交代要員を使う訳にもいかない。何せ、つい半刻ほど前に後退したばかりだ。交代のローテーションを崩し、一部の騎士達の負担量を増やせば、崩れる。そうすればやはりお終いだ。

 凌ぐしか無い。が、これは長くは持たない

 

「冒険者達は対処しちゃくれねえのか!」

「してるだろうさ、見ろ」

 

 先輩騎士が不意に上空を顎でしゃくる。新入り騎士が上を見上げる。

 【陽喰らい】が始まってからずっと同じ、星々も見えない真っ暗な空だ。遙か上空では天陽結界に阻まれた大罪迷宮プラウディアが浮かび、その周囲を眷属竜が舞い踊る。見ているだけで気分が悪くなるような光景だった。

 その暗闇の中を、眩く輝く白い閃光が駆け抜けた。

 

「【轟雷】」

 

 【神鳴女帝】が墜ちる。同時に、周辺の【火炎魔人】たちが一瞬で蹴散らされた。

 

「おお!!?」

 

 雷と共に降り墜ちた女帝の姿を騎士は一瞬見る。黒と金色の女はこの状況下にあって目が奪われる程に美しかった。

 そのままイカザは駆け抜けるようにして去って行く。防壁の周辺に集まった火炎魔人達を片っ端から破壊していくようだった。

 

「……そりゃ冒険者どもが心酔するわな」

「見惚れている場合か!全員、回復薬を飲んでおけ!魔人が復活するまでにコンディションを回復させろ!!!」

 

 先輩騎士が矢次指示を出す。言っている間にも粉々になった火炎魔人達の破片はじりじりとまた、一カ所にまとまりつつあった。

 

「本部が対策を考えるまで持たせるぞ!!天賢王の盾としての役目を果たせ!!」

「応!!!」

 

 騎士達は自身を奮い立たせるべく声を上げる。

 だが、火炎魔人達の放つ熱が、彼らの体力を恐ろしい勢いで奪っているのは紛れもない事実だった

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 無論、その事実を騎士団長ビクトールも理解している。

 

 この状況は非常に不味い。何せ本部にもその熱は伝わっている。

 防壁を生み出し、直接火炎魔人達の侵入を防がんとする騎士達の地獄と比べればまだましだが、それでも補給に戻った騎士達も冒険者達も、ろくに身体を休める気にはならなかった。寝転んでいるだけでもどんどんと汗が噴き出し体力が消耗していくのだから。

 

 怪我人の消耗も激しいため一部結界を張り、温調を行う対策もとった。が、常に高温に晒されるこの状況下では魔力の消費が激しい。やはり根本的な解決は必須だった。

 

「イカザ殿が動けている間に対処せねばならんぞ」

「だがどうする。彼女をもってしても火炎魔人どもは相互に干渉し復活している。半端な反撃では無駄に体力を消耗するだけだ」

「で、あれば一度に全てを消滅させるしか無いでしょうな」

「簡単に言ってくれるがな……」

 

 対処方法は確かにそれしかないのはわかる。わかるが、それはまさしく「出来るなら苦労はない」という話である。黄金級のイカザであっても不可能な事を出来る者がいるとしたら、それは――

 

「私が出ます」

 

 その会議の最中、不意に現れたスーアに作戦本部の一同は驚愕した。

 

「スーア様!」

「まとめなさい。還します」

「それは……!」

 

 と、ビクトールが確認する間もなく、たったそれだけを言って、スーアはすたすたとバベルの中央、天賢王の横に戻っていった。神官達も、騎士達も、冒険者達もぽかんと口を開け、彼ないし彼女の言葉を理解することに努めていた。

 ビクトールは咳払いをし、確認する。

 

「火炎魔人達を誘導して一カ所にまとめろと、そういうことだな?」

「恐らく……」

 

 神官の一人が同意する。冒険者の一人が額を掻きながら小さく愚痴った。

 

「……その、何というかもう少し分かりやすく説いてはもらえぬのですかね?」

「貴様不敬だぞ。本当のことでも言ってはならぬ事はあるのだ」

 

 などと、軽口を叩きながらもスーアの提案を元に彼らは作戦を組み立て始める。

 

「火炎魔人はその無敵性と火力に能力を振り切っているためか、動きは極めてトロい。物理的に押し込むだけでも誘導は可能な筈だ。」

「予備の防壁部隊で押し込んでみるか?」

「いや、いつ何処の壁が欠損するか不明だ。この熱だ。交代要員は残しておきたい」

「天陽騎士の部隊を幾人か融通しよう。遠距離からでも奴らを吹っ飛ばす事は出来る」

 

 ビクトールは出てくる意見の内幾つかを却下し、幾つかを再考する。まだ先のことを考える必要もあるため全力は出せない。出来る限り効率よく事を進める必要があった。

 

「だったら、俺たちも手伝う」

 

 と、そこに再び声をかけてきたのは【歩ム者】のウルだった。何やら身体の彼方此方が焦げ臭い匂いがしてるあたり、さきほどまで【火炎魔人】とやりあって逃げてきたらしい。

 

「おう坊主、次はどんなビックリドッキリアイテムを出すんだ?」

「よくわかりましたね」

 

 隣の銀髪の冒険者、シズクが感心したように頷いた。からかうように尋ねた冒険者は眉をひそめた。

 

「え?マジで変なの出すの?」

「変なの出す。今準備してる。それで確認なんだが」

 

 ウルはきょろきょろと周囲を見渡し、そして目当てのものを見つけたのか、騎士団の予備装備を指さして尋ねた。

 

「防壁部隊の【盾】借りて良いか」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 【神鳴女帝】イカザは防壁の外、最前線で未だ戦いを続けていた。

 

「【轟雷】」

 

 薙ぎ払いの一撃によって火炎魔人達を落としていく。火炎魔人は不死身に近い回復力を秘めているが、粉々に砕ききれば、その回復を相当な所まで遅れさせることは可能だ。

 

「全く、年はとりたくないものだな……」

 

 だが、当然そこまで念入りに殺しきるのには体力を使う。既に防壁の外側は灼熱地獄のような温度になっている。僅かに動くだけで噴き出す汗は止められない。まだまだ戦えるが、悠長にしていてはいけない。

 昔は後先など考えずとも気力で駆け抜けるだけの体力があった。だが今は後先が頭に浮かび脚が僅かに鈍るのだ。その事実を老いと理解し、イカザは自嘲気味に笑った。

 

「先生、手伝います」

 

 と、そこに【白海の細波】ベグード達がやってくる。小人の小さな体躯に合わせた細剣ながら、それを振るった瞬間瞬く間にイカザの周囲の火炎魔人が細切れになって砕けていく。イカザの攻撃と比べ、殺し切れている訳ではないが回復には時間が掛かるだろう。

 

「イカザ様!これを!」

「ああ、助かる」

 

 その間にイカザはベグードの部下が渡してきた回復薬を口にして一息つく。そしてベグードに尋ねた。

 

「この状況下の対策法は決まったか」

「一カ所にまとめ、【天祈】様の力で一網打尽にするとのことです」

 

 それを聞くとイカザは困ったように唸った。

 

「スーア様は相変わらずザックリとしている。一カ所にまとめる手はずは?」

「冒険者と騎士団の魔術師部隊の混合編成、それと天陽騎士から【風の加護】と【水の精霊】所持者による混合編成を編成中とのこと」

「大層だが、一体も残してはいけない。我らも動くか」

「ええ…………ん?」

 

 ベグードは首を傾げ、振り返る。イカザも同様に振り返った。おかしな、大きな気配が近付いてきている。魔物とも思ったが、それは防壁側から近付いてきており――

 

『カカカカカカカ-!!!!!』

 

 そして間もなくしてソレはやってきた。

 一言で言うならば巨大な骨の塊。形は馬車のようにも見えるが肝心の馬が見当たらないのに、単独で疾走している巨大な馬車。そして馬の代わりに何故か巨大な”骨の手”が伸びて、しかもその手に騎士団の”盾”を両手で握りしめ、防壁を展開しながら疾走していた。

 

『カーッカカカカ!!!コレ楽しいのう!!!』

「骨だって燃えたら砕けんだから注意しろよ!!」

『AAAA………』

 

 展開する盾の防壁を押しつけられて、火炎魔人達はかき集められていく。丁度塵をちりとりでかき集めるような無茶苦茶なやり方ではあるが、確かに火炎魔人達は強制的に移動させられていた。

 

「ロック!!シズクから連絡!前方左側に取りこぼした奴らがいるっぽい!!」

『おっしゃあいくぞお!!』

 

 その戦車の上にのったウルは彼方此方に指示を出しながら、イカザ達の前を過ぎ去って火炎魔人達を回収に動いていた。

 

「……なんじゃあありゃ」

 

 【白海の細波】の一人が声を漏らした。当然、と言うべきか、その疑問に答えられる者はこの場に一人も居なかった。歴戦にして伝説の冒険者であるイカザであっても、あんな珍妙なる代物を見たことなど一度も無い。

 

「役に立てないなら下がれと言ったのだが……」

 

 ベグードは顔を顰めながら声を漏らす。イカザは笑った。

 

「だから役に立てるように準備して戻ってきたと言う訳か」

「その準備がアレか……」

 

 頭が痛そうなベグードの声に、イカザはさらに笑う。

 

「楽しそうですね、先生……」

「滅茶苦茶やる奴らを見るのは楽しい」

「あんな無茶を若い連中に真似されては困るのです……困るからな?」

 

 ベグードがチラリと後ろを振り返ると、先ほどまで「どのようにしてアレを動かしているのか」と真面目なツラで検討していた部下達は必死に頷いた。ベグードは溜息を吐き出す。

 

「彼らが気に入らないか」

「生き急いで危なっかしい上に目立ちますからね。お子さんが彼らのようになりたいとおっしゃられたらどう思います?」

「ハハ、それは確かに勘弁だ」

 

 イカザは笑い、再び剣を構える。空中庭園は広い。未だウル達が取りこぼした火炎魔人は多い。とても彼らだけでカバーしきれる範囲ではない。

 

「指定ポイントまで燃えカス達を吹っ飛ばそうか」

「お手伝いします」

 

 間もなくして轟音と剣撃音が空中庭園に木霊した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 火炎魔人の誘導作戦は速やかに進んだ。

 精霊達の力で吹っ飛ばし、魔術師達が凍り付かせ、戦士達が破壊し粉みじんにしてまた吹っ飛ばす。のこった残骸や、はぐれた火炎魔人達は珍妙なる骨の戦車がまとめてかっ攫っていった。徐々に熱が収まる。

 他の魔物達の襲撃もあって決して油断は出来ないが防壁部隊はようやく一息がつけた。

 そして、

 

「火炎魔人!南東部に結集しました!」

 

 【新雪の足跡】を確認したシズクが叫ぶ。だが、彼女に言われるまでもなく、作戦本部の中にいる誰にもその結果は目に映っていた。南東部、無数の火炎魔人らが集まり、一個の巨大な炎のように膨れ上がっていた。

 全体の気温の上昇は収まったが、これはこれで恐るべき脅威だ。

 ビクトールは振り返った。

 

「スーア様!!」

 

 天賢王の隣のスーアは小さく頷くと、不意にその場から姿をかき消した。

 転移術。何処へ行ったかはすぐに分かる。立ち上った巨大な火の塊となった火炎魔人達の上空に、白い光が在ったからだ。

 

「【火の精霊(ファーラナン)】【風の精霊(フィーネリアン)】」

 

 大きな声ではない。小さな鈴の音のような声。しかしそれは空中庭園に居る全ての者達の耳に届いた。

 白い光の周りに紅と翠の光が灯る。

 

「【水の精霊(フィーシーレイン)】【土の精霊(ウリガンディン)】」

 

 蒼と橙の光が灯る。

 四つの輝きは白い光を中心に周り、その速度を速め、光輪となった。

 

「【四元、まとまりて、一つに】」

 

 下から立ち上る炎は激しく揺らぐ。上空から現れた脅威を感知したのだろう。火炎魔人達にしては恐ろしい速度で、自身達を足場にするようにして上空に手を伸ばす。白い光を排除せんと蠢いていた。

 だが、時既に遅く

 

「【四克の滅光】」

 

 光輪は、光を解き放った。

 邪悪な魔人達の炎すらも一瞬でかすむ極光は、炎の全てをゆっくりと飲み込み、その端から消し去っていく。静かだった。それは破壊というよりも消滅に近く、その無慈悲で防ぎようのない攻撃に見る者全員、息を呑んだ。

 

 そして間もなくして、光は収まる。同時に、魔人達が居た痕跡もまた跡形もなく消滅しきっていた。

 

「やったぞ!!流石スーア様だ!!」

 

 天陽騎士が叫ぶ。続いて他の戦士達も歓声を上げた。

 無論、状況はまだ終わっていないが、一つの勝利を収めたこと、そして自らと共に居てくれる恐るべき七天の実力を改めて示された事に対する歓声だった。

 

「戦士達よ。立ち向かいなさい。我らにはすべての精霊と、太陽神がついています」

 

 スーアの言葉が再び響く。

 戦士達は再び【天祈】達を讃える歓声を上げようとして――

 

 

『A――――HA』

 

 

 その、白い光が、()()()()()()に飲み込まれるのを目撃した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑨/誘拐

 

 真っ黒い何かは空を流れるように泳いでいた。

 真っ黒い何かは長く、大きく、そして悍ましかった。

 真っ黒い胴にはテラテラと鱗が鈍く輝き、背中にはその悍ましい胴体には見合わない真っ白な翼が幾つも並ぶ。そして大きな口からは鋭い牙と、長ったらしい舌が覗かせていた。

 

『AAAAAAAAAGAYYAYAYAAHHAHAHAAAAA!!!!』

 

 歪な竜が、天空で全てを嘲笑した。

 

「……な!?」

 

 戦士達の息を飲む声がした。それは明らかに色濃い動揺の声だった。

 騎士団長ビクトールは先ほどまで高まっていた士気が崩れたのを敏感に察知した。タイミングが最悪だった。【七天】がその力を強く示したそのタイミングだったのに!

 【天祈のスーア】の力は実質的にも、そして精神的にもこの戦場を維持する要だった。それを狙い撃ちにされた。あるいは火炎魔人もこれを狙ってのことだったのか?

 

 だが、このままにしておくわけにはいかない!

 

「気を確り持てぇ!!」

 

 ビクトールは声を張り上げる。弛緩し死にかけていた空気に徹底的に鞭を叩き入れる。

 

「スーア様はこの程度でやられはしない!!全員腹に力を込めろ!!!此処が踏ん張りどころだ!!救い出すのだ!!!」

「お、おおおお!!!」

 

 その意図を察したのか、戦士達も声を張り上げそれに応じた。

 一先ず、一気に戦線が崩壊する危機は回避できた。だが、根本的には何一つとして解決していない。【天祈】は未だあの巨大な謎の竜に飲み込まれたままだ。プラウディアからの魔物の大群の襲撃が続くこの状況では、スーアを助け出せなければ、遠からず戦線は押しつぶされる。

 

「だが、なんなんだあの竜は……【暴食】?いや、翼は【虚栄】?!」

「プラウディアお得意の【混成竜】だ。質悪いの出てきたな!」

「とりあえず混ぜ合わせたら強くなるってもんでもねえだろ!なんとか抑えて……!?」

 

 身体を休めていた戦士達も武器を構え、戦いの準備を急ぎ始めていた。スーアを失う事だけは避けなければならないと全員理解していた。故に焦ってもいた。

 そして、それ故にその後の竜の動きに、彼らは目を見開く羽目になる。

 

「ま、さか――――!?」

 

 竜は、天空をゆらゆらと動いた後、そのまま不意に()()()()()()()()()()()()

 

「に、げるぞ!?」

 

 逃げる。竜が逃げる。”スーアを腹に抱えたまま”!!

 

「止めろ!!!!!」

 

 ビクトールが叫んだ。

 今回ばかりは勇ましく鼓舞する事もままならなかった。なんとしてもそれだけは避けなければならなかった。

 

 最大戦力の強制戦場離脱など、致命的が過ぎる。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【陽喰らいの儀】における魔物達の行動原理はこの戦いが始まってから一切変化していない。

 

 第一が 【天賢王】の排除

 第二が その障壁となる脅威の排除

 

 実にシンプルだ。しかし、その排除の仕方は必ずしも破壊に限らない。様々な手法でもって防衛軍を苦しめる。それは幾度となく繰り返された【陽喰らいの儀】でハッキリとしていた。

 だが、今回の様な排除手段を用いるケースは流石に初めてだった。

 

 【天祈】を攫って、そのまま逃げ出すなど。

 

「小賢しい真似を!!」

 

 ベグードは苦々しく叫びながらも右目に力を込める。自らの魔眼を開眼させる。

 

「【固着!!】」

 

 言葉の通り、視界に収めた対象の固定化を行う他対象の魔眼だ。彼はそれを空に向ける。絶え間ない訓練の果て、自在に”空間を見定める”事が出来るようになった彼は、”空気”を固定し、階段のようにして宙を自在に駆ける事を可能としていた。

 

「リーダー!!」

「お前達は急ぎ増援を呼べ!!私は足止めする!!」

 

 部下達に矢継ぎ早に指示を出してベグードは空へと跳んだ。

 魔眼の力で固定化した空を駆け抜ける。竜は間近に迫った。悠然と空を泳ぐ竜。スーアを捕らえたままの竜。なんとしても引き留めねば、戦線は崩壊する!

 既に竜は、眷属竜達が空けた【天陽結界】の穴から外に出ようとしていた。無茶でもなんでも此処で止めなければ全てが終わる!

 

「【固着――】」

 

 何処まで可能かは不明だが、固着を試みる。自分より強大な魔力を保有する対象に魔眼は効きづらい。故に、竜本体ではなくその周辺を固定化し、拘束する。

 空間固着による不可視の牢獄は彼の十八番だ。上手く嵌まったと、彼は一瞬確信した――――が

 

『KA――!!』

「なに!?」

 

 確かに、空中で身じろぎ出来なくなっていたはずの黒竜が、次の瞬間、自分の生みだした牢獄から抜け出て暴れ出した。ベグードは自分の魔眼の力が弾き飛ばされたのを理解した。

 

 だが、どうやって?

 

 力業ではない。ベグードの拘束術は、それができぬように、二重三重に複雑に重なるようにしてつくられる。単純な力業で壊せるものではない。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!!』

「なん……!?」

 

 見ると、竜の側面が輝いていた。鱗が反射したのかとも思ったが、それも違う。それはベグードと同じ色の淡黒い輝きと魔力を放っていた。

 つまりところ、アレは魔眼だ。

 

「同種の魔眼による相殺(レジスト)……!?」

 

 竜の側面に、大量の魔眼が横並びについていた。

 その内の一つが、ベグードの魔眼を相殺したのだ。

 

「【強欲】の魔眼か…!」

 

 魔眼の特色は強欲の竜だ。この天を翔る竜は、強欲、暴食、虚飾、三種の特性を内包した混成竜。あまりに邪悪が過ぎた。

 しかもその魔眼とおぼしき目は一つではない。

 で、あれば、魔眼の種類も当然【固着】のみではない。

 

「っ!?」

 

 竜の側面の幾つか、紅色の魔眼が光を放つ。魔眼の種は多様であるが、紅色の場合は、その多くの場合、秘める力は発火だ。ベグードは周辺の温度が爆発的に上昇していくのを肌で感じ取り、即座にその場を飛び退いた。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

 

 嘲笑と共に、空が燃える。夜空に火の海が誕生する。魔眼の効果範囲があまりにも広大だった。先の火炎魔人の炎がマシに見えるような地獄が空に誕生した。

 

「っぐうっ!?!」

 

 回避が、間に合わなかった。片腕が炎に焼ける感覚にベグードは悲鳴を堪える。

 

 範囲が、広すぎる!!離脱が間に合わない!!!

 

 ベグードは死に物狂いで空中を蹴り距離を空けようとする。が、竜は身を翻し、落下するベグードを囲うようにその身を動かし始めた。同時に、身体の側面に連なる魔眼達が再び輝き始める。その全てがベグードを捕らえ――――

 

「目を塞げ!!!」

 

 背後から声が響いた。同時に投げ込まれる魔封玉をみて、ベグードは意図を察し、目を閉じた。

 同時に、魔封玉に封じられた閃光が炸裂し、竜の魔眼をその痛烈な光で封じた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAA!??』

「無茶をしたな」

 

 空中を落下するベグードの身体に回された腕は、見覚えがある。振り返ればイカザが半ば焼け焦げた自分を支え、回収してくれていた。ベグードは溜息を吐き出す。

 

「……焦り、先走りました。」

「いや、助かった。時間稼ぎは成ったぞ」

 

 落下しながら、イカザが空を見上げる。釣られて其方を見ると、閃光に悶える竜の頭上にて膨大な魔力が凝縮しつつあった。その魔力が作る形は実にシンプルだった。

 

 強く、強く、ひたすらに強く握りしめられた、拳。

 

「【天罰覿面】」

 

 天賢王の繰り出す神の鉄拳が、上空を浮かぶ竜を殴りつけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑩/竜吞ウーガの死闘②

 

 天空庭園の外周部でウルは悲鳴を上げていた。

 

「どわあああああああ!!??」

『ぬうああああ!!!地獄じゃ地獄!!!』

 

 天空庭園の外周部では、一切の前触れのない爆発が連続して発生していた。爆発の範囲、威力、そしてタイミング、全て未知数の破壊の嵐が次々に巻き起こり、熱と炎がばらまかれている。ロックンロール号で駆けるウル達はその地獄の嵐のまっただ中にいた。

 

『GYAAAA!?』

『OOOOOOOOOOO!!!』

『KIAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 無論、その爆発は周囲を飛び交っている大量の魔物達も巻き込んでいく。まさに無差別だ。しかしそれを喜ぶことは全く出来ない。魔物達に狙われ攻撃された方がよっぽど読みやすい。

 この連続爆発には規則性は皆無だ。そしてその原因はハッキリとしている。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 上空で暴れ狂う、”混成竜”だ。

 天賢王の生み出した【神の御手】により、文字どおり鉄拳制裁を喰らい、それでも尚しぶとく生き残った竜が、空で滅茶苦茶に暴れているのだ。結果、竜が所持している魔眼が無差別に乱射されている。魔物達もウルも、その巻き添えを食らっているのだ。

 

「とにかくこっから離れろ!!」

『やっとるわ――――ぬ!!?』

「おあ!?」

 

 急ぎ、中央の防壁内部へと戻ろうとする途中、どしんと衝撃が戦車に走る。魔物が上から落下したのかとウルは慌て、外の状態を確認する。すると、

 

「イカザさん!?」

「すまない、乗せてくれ」

 

 空から降りてきたイカザが、戦車に着陸していた。彼女はベグードを抱えるようにしているが、そのベグードは反応が無い。

 

「…………」

 

 顔色が酷く悪い。右腕が焼き爛れている。回復薬がぶちまけられた後はあるが、それでも痛みが引かないのか、悶えているようだった。

 

「無理矢理時間を稼ぐために竜の魔眼に晒されてな。恐らく呪いも喰らった。回復薬では追いつかない。急ぎ戻れるか?」

「ロック、急げ!シズク!ベグードさんの治療!!」

「お任せ下さい!」

『おお、無論よ!!飛ばすぞ!!!』

 

 再びロックは発進する。ベグードと入れ替わるようにして、戦車の外で魔物達の露払いをすべくウルは外に出た。が、焼け落ちて落下していく魔物達を回避するための乱暴な運転であり、落ちないようにしがみつくだけでも精一杯だ。

 

「無理はするな。入れそうならお前も中にいろ」

 

 対照的に、イカザは荒れ狂う戦車の上で仁王立ちしている。乗り慣れているはずの自分よりも遙かに安定とした立ち姿だった。思わずその頼もしさに寄りかかりたくなったが――――

 

「……そう、いう、訳にも、いかない……!」

 

 流石にそれをしてしまうと、戦車の持ち主としての沽券に関わる。ウルは必死にしがみつきながらも、近寄って来る魔物達に竜牙槍を振り回す。無様だろうが何だろうが、出来ることをしなければならない。

 

 そんなウルの姿にイカザは小さく微笑み、ウルと同じく魔物達を雷のような閃光を剣から放ちながら、薙ぎ払い続ける。そうしてロックンロール号は撤退を続けた。

 

『KYAAAAAAAAAAAAAAAAAHAHAHAHAHAHHA』

 

 しかし、そうしている間も気色の悪い笑い声を上げながら、竜は暴れている。先ほど文字どおりの鉄拳制裁を直撃したはずなのに、まだまだ死にそうにはなかった。

 

「クソ喧しい!!!あんなでけえ拳で殴られたのに……!」

「王はプラウディアを支えるのに殆ど力を集中している。黒竜に力を割いたのも、ギリギリだったはずだ」

 

 ウルの心中を読んだように、イカザが状況を説明する。彼女もまた、スーアを攫った黒竜を忌々しげに睨んでいた。

 

「今も黒竜をなんとか抑えてくれてはいるが、あまり負担はかけ続けられない。早くなんとかしなければ……」

「スーア様は自分で逃げられないのだろうか」

 

 見た限り【天祈】は黒竜に一呑みにされていた。少なくとも、咀嚼されて殺された訳ではないだろう。だとすれば、体内で暴れてくれれば何とかなりそうな気もするが、イカザは首を横に振る。

 

「出来るならとっくに、やっているだろう。というよりも、今も抵抗しておられるからこそ、あの竜の暴威がここまでで済んでいると考えた方が良いかもしれん」

「ここまで……これで、か」

 

 至る所で爆発四散を繰り返す地獄のような戦場にウルは顔を強ばらせる。しかしそれならば尚のこと、スーアを取り戻さなければならない。竜がスーアを腹の中で消化してしまう前に。

 

「ウル、ウーガは使えるか?」

「先ほどから連絡しているんだが……」

 

 あの竜が出現した時点でウーガへの連絡は何度も行っていた。だが、向こうからの返事はない。大量の魔物、魔力の乱れで通信魔術事態が上手く通っていない可能性も勿論あるが、向こうでも何かしらの問題が発生している可能性の方が高かった。

 

「ウーガ以外の対応策も本部は今用意しているだろう。が、手数は多いに超した事はない。連絡が付いたら頼む」

「了解……」

 

 ウルは頷きながら、冒険者の指輪を睨んだ。

 

「大丈夫だろうな。ウーガの連中……」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ 司令塔屋上

 

「……不味、すぎる……!!」

 

 ウルの心配した以上に、竜吞ウーガは致命的な危機に陥っていた。

 ジャインは歯を食いしばりながら膝をついている。周りの【白の蟒蛇】もジャインと似たり寄ったりな状態だ。彼の腹心であるラビィンなど地面に倒れ伏している。

 周りを見れば、エンヴィー騎士団の連中や、カルカラ率いる神官見習いも同じような有様だ。だが、彼らもジャイン達も、怪我を負い、傷ついて倒れているのではない。

 

「……………………………すぅー………むにゃ……」

 

 隣のラビィンから聞こえてくる実に心地よさげな寝息に、ジャインはキレそうになった。だが、怒ろうにも、身体が上手く動かない。

 

 竜吞ウーガの面々は、揃って凄まじいまでの”眠気”に襲われていた。

 

 今の時刻は確かに真夜中で、普段ならば眠りについている時間だろう。少しばかりも眠気を覚えなかったと言えば嘘になる。だが、この眠気は明らかに異常だった。魔物達が今も襲いかかり、コチラの命を狙ってきているというのに、スヤスヤと眠りに就くほどまだ体力を使ってはいない!!

 

『GIAAAAAAAAA!!』

「く、っそがあ!!!」

 

 眠りこけているラビィンを狙った魔物達をジャインは叩き割った。だが、狙いがふらつき始めている。下手すると魔物でなくラビィンの頭を叩き割っていた。

 ジャイン達を囲っていた結界は、この異常事態になった瞬間、侵入口を完全に塞いだ。こういった危機があったとき、魔力消費を度外視して完全に防御を固めるよう取り決めていたからだ。

 

「ぐ……うあ……」

 

 しかし、その結界が緩み始めている。術者もこの恐ろしい睡魔に襲われているからだ。複数人で維持し構築していた結界も、今なんとか維持出来ているのは、たった一人だけだ。他は皆倒れている。

 

 何故こんな死屍累々になってるのか?原因はハッキリしている。

 

「……クソが……反則だろ……()()()……!!」

 

 ジャインが上空を見上げる。ウーガの結界に空いた穴から何かが這い出ていた。

 

『…………Z……………E………』

 

 背中に巨大な白い翼が生えている事からプラウディアの眷属竜なのは間違いなかった。だが、その身体は赤子のような姿からはほど遠い。醜く、巨大な青黒い肉塊。腐っているように肉が一部削げている、顔面も爛れ、目も鼻も見えない。翼が無ければ粘魔の亜種か何かとすら思っただろう。

 そして、巨体肉塊の腹――――と、言って良いか分からないが、その下部――――に”巨大な眼球”が一つ、くっついてた。その瞳が輝き、ジャイン達を照らしていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!最悪すぎるわ……!!!」

 

 邪悪なる混成竜の極悪コンボに、ジャインは叫んだ。

 だが当然、叫んだところで手を緩めてくれるような存在ではない。どんどん睡魔が進行していく。このままでは確実に全滅だ。

 全員が眠りこければ、全員死亡と大差ない。

 

「くそ!!リーネ!!”陣”の起動出来ないのか!!リーネ!!」

 

 ジャインはプライドも投げ捨てて、司令塔内に助けを求めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【竜吞ウーガ】 司令室

 

《リーネ…!!……陣を………!!》

「…………う、……ぐ……」

 

 勿論、司令塔の中にいるエシェル達も無事ではなかった。

 エシェルという最大の要がおり、最も守りが厚くなるよう防衛陣を強いた司令塔の内部でも、作業員達は倒れ伏している。エシェルもリーネも、【白の蟒蛇】の魔術師達も、護衛として付いた戦士達も全員一人残らずだ。

 

 眷属竜の魔眼に直接さらされていないにもかかわらず、この有様だ。

 

 原因は分かっていた。司令室はいつの間にか、とても薄らとした浅黒いガスが充満していたのだ。それが、眷属竜から放たれた代物であると気付いた頃にはもう遅い。全員が眠気に襲われ、身動きが取れなくなっていた。

 

「なん……とか、しない……と……!」

 

 事前、この戦いが始まる前、ディズに聞いていた竜が戦場内で引き起こす危険な攻撃の一つ。【怠惰の死煙】。知っていたからこそ対策は十分にしていたはずだった。

 だが、それらの対策を嘲笑うように、たった一体の竜にウーガは全滅し掛かっていた。

 

「だい、じょうぶ……破魔のペンダントも一杯つけた……私は、まだ大丈夫……」

 

 エシェルは必死に状況を言葉にしながら、眠気に抗おうと試みる。が、それでも徐々に意識にもやがかかる。一瞬でも気を抜けばそのまま眠気にもっていかれる

 通信を聞く限り、屋上の状況も同じようなものなのだろう。魔物達の襲撃を凌ぐための要である屋上の全員が眠りこければ、ウーガが本当に全滅する。

 

「なんとか、なんとか……!リーネ!!」

 

 事前、竜達の危険性を聞いてから、緊急時の対策だって用意していた。リーネであればなんとかできる可能性はまだ残っていた。

 だが、問題は

 

「…………」

「頼む、リーネ、起きて!!」

 

 リーネは、先に墜ちていた。

 事前の準備の段階で最も働いていたのは彼女だった。強壮薬などでいくらブーストをかけたとしても、疲労が最も溜まっていたのは彼女だ。痛みに耐えることは出来ても、休もうという身体の働きに抗えなかったのだ。

 

 だが例えリーネが万全の状態でもこれは無理だ。実際、司令塔の中で身体を起こしているのはもう数えるくらいしかいない。エシェルももう限界だった。

 

「なんとか……リーネ……確か……ウルが……」

 

 朦朧とした思考の最中、限界のその一歩手前でエシェルはウルの言葉を思い出していた。リーネの魂にガソリンを注ぐ言葉、うっかり言い放てば確実に周辺まで延焼するので迂闊には口に出来ない禁句、それは――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

「んだとコラアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 リーネは覚醒し、杖で地面をぶん殴った。

 

「【開門・罪科ノ洪水!!!】」

 

 周辺一帯に描かれた白王陣が起動し、吹き上がった水が司令塔を飲み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘③ 決意

 

 事前、ウーガの莫大な魔力貯蔵を利用し、発動直前まで温存していた【白王陣】

 効果は実にシンプルだ。塔全体を対象とした消去魔術《レジスト》である。

 

「っぷはぁあ!?」

 

 ジャインは飲み込まれかかった水に慌てた。塔全体を水が包み込んでいる。一瞬それは新たな魔物か竜の攻撃と勘違いしそうになった。

 だが、違う。これは竜の攻撃ではない。消去魔術の視覚効果だ。この水自体も実体が存在しない。呼吸だって出来る。エシェルからの説明で理解していたはずなのに、自分が思った以上に混乱し、朦朧としていた事に気がついた。

 

 だが、今は意識もハッキリとしている。

 長時間持続する強力な消去魔術がジャイン達に回復をもたらした。故に彼は叫ぶ。

 

「てめえら!!目を覚ませ!!急げ!!」

「んん……おはよ……ジャイン」

「さっさと目え冷ませ堕兎!!!死ぬぞてめえ!!!」

 

 声を張り上げると、ラビィンもパチリと目を覚まして身体を起こした。武器を構えて周囲を見渡し、そして状況を理解する。

 

「……良く死んでなかったすね。私」

「感謝しろよボケ、そんでもって、急ぎ構えろ!!!」

 

 ジャインが叫ぶ。超広域に持続する白王陣の消去魔術。これを最初から発動させずに、ギリギリになるまで温存した理由、温存せざるを得なかった理由。

 

「魔物達が墜ちてくる!!」

 

 この強大な消去魔術は、敵味方の区別がない。

 コチラの結界も全部崩壊するからだ。

 

『KYAAAAAAAAAAAAAAA!!!??』

 

 結界に阻まれていた魔物達が落下する。魔物の雨の様になったそれらにジャイン身がまえ、そして襲い来る魔物達を蹴散らした。だが、

 

「なんか、大半は勝手に落下していきますけど!?」

 

 結界に阻まれていた魔物達の内、その大半がそのままジャイン達のいる屋上に落下するのではなく、そのまま塔の外へと落下していく。別の狙いでもあるのかと思いきや、そのまま地面に落ちて、潰れていくのだ。まるで魔物達の投身自殺である。

 

「消去魔術はまだ続いてる。自力じゃなくて魔術に依存して飛んでた奴らはいきなり翼がもぎ取られたようなもんだ!!」

「っひゃー!すげえじゃないっすか!!一網打尽っすよ!最初からこれしとけば――」

「こっちの魔術師に神官部隊!ついでに魔導機の類いの使い手も使い物にならねえがな!」

「前言撤回っすめんどくさ!!!」

 

 ラビィンは飛び出す。其方の方向には機能不全に陥った神官達がいる。自力での飛行が可能な魔物達に襲われている彼らを助けに向かった。

 ジャインは逆方向、エンヴィー騎士団の方向へと向かった。彼らの多くは魔導機械による魔導銃を中心に動いている。やはり機能不全になっている者も多い。

 

「おい騎士団!!死んでねえだろうな!!」

「……やあ、なんとかね」

 

 周辺の魔物を叩き斬っていると、それを手伝うようにエクスタインが剣を振るった。だが、少し顔色が悪い。見れば彼方此方から血が噴き出していた。

 

「グースカ寝てたのか?」

「そうしていた部下達を守った名誉の傷さ」

 

 彼が笑うと、周囲の彼の部下達は申し訳なさそうに顔を伏せる。一人眠気に抗いながら魔物達の襲撃を凌いでいたらしい。

 最もそれはジャインも同じだ。身体の彼方此方が痛む。さっさと回復したいが、この場所では癒やす事もままならない。だが、この消去魔術は切る訳にもいかない。

 

『  Z………………………………………』

 

 何せ、未だ眷属竜は健在だ。その巨大な眼球をジッとコチラに向けている。

 

「……あれを潰すぞ。せめて魔眼だけでも無効化しないと俺らは全滅だ」

「ドラゴンスレイに関わる羽目になるとはなあ……流石ウルだ」

「ウルの所為だってか?」

「彼、身の丈に合わないトラブルに巻き込まれることに関しては天才的でね」

「そりゃ、天”災”的だな……」

 

 此処を生き延びられたら絶対に文句言ってやろうとジャインは思った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 司令室

 

「あぶ、あぶな、危なかった……!!!」

 

 エシェルは身震いしながら悲鳴を上げた。ギリギリだった。冗談でも何でもなく、一網打尽の危機だったのだ。

 

「どうよ、すごい、でしょ」

「凄い、リーネ凄い」

「そうよ、凄いのよ――――――危なかった…!」

 

 リーネは何時も通り白王陣の自慢をしながらも、しかし恐怖を顔に滲ませていた。彼女は彼女で現状がギリギリだった事は理解しているらしい。深く溜息をついた。

 

「私以外にも、せめて陣の起動だけでも出来るヒト、増やさないと不味いわね……」

「うん……でもこれから、どうする?」

 

 反省も大事だが、今はそれよりも不味い状況にある。何一つ危機は去っていない。消去魔術を継続して発動しているが為に、魔術が使えなくなった今、司令塔も機能不全の状態だ。ウル達からの連絡も聴けないし、ウーガをここから操ることも出来ない。

 エシェルも今の状態ではウーガとのリンクは感じない。ウーガに正しく指示を出すなら、消去魔術を再び止めるしか無い。が、そうすればあの竜の睡眠攻撃に晒されて、終わる。

 つまり、

 

「竜を止めるしかないでしょう」

「……私達だけで?」

「そうなるわね」

「魔術も使わず?」

「どのタイミングでこの消去魔術を解くかという話になるわ。これだって、何時までも使えるわけじゃないのよ。魔力消費が激しいわ」

 

 現在発動している【罪科ノ洪水】、全体消去魔術も本来であれば一回限り、一度発動さえしてしまえば終わりのものだ。それが今も持続しているのは、ウーガが貯蔵できる莫大な魔力を流用して無理矢理維持しているだけに過ぎない。 

 だが、幾ら膨大でも無限ではない。貯蔵量が多いからと行って蓄積速度が増すわけでもない。使い切ってしまえば、今回の戦いでウル達を援助するための魔力は無くなってしまうだろう。そう考えるとあまり猶予はない。

 

「で、でも、そんなの、出来るのか……?」

 

 エシェルは、思わず情けのない声を出してしまった。

 コチラの手札は大幅に削られている。この状況で竜を討つなどという真似が出来るなんて、エシェルには到底思えなかった。

 勿論、事前に竜に襲われる可能性は指摘されていた。また、消去魔術発動後、どういう状況に陥るかも考え、対策も練ってきた。それでも、実際に想定していた最悪に遭遇すると、その絶望感は覚悟の遙か上を行っていた。

 

 この恐怖は、子供の頃、家族に与えられたものとは違う。

 もっと純粋な、生命の危機から来るものだ。それが恐ろしくてたまらない。

 折角、少し、生きることが楽しくなってきたのに、それを失うなんて事――

 

「エシェル」

 

 がしりと、両肩を掴まれてエシェルは思考の迷路から浮上する。自分よりも背丈の小さな小人のリーネは、それでも何故かとても大きく見えた。

 

「出来るかどうかじゃないわ。やるのよエシェル。私達がやるの」

「私達が……」

「立ち向かって、戦って、勝ち取るのよ。その為に私達は此処まで来たのでしょう!」

 

 確かに、そうだった。

 この戦いは、世界の存亡を賭ける戦いという大義がある。だけど別にエシェル達はこの戦いに参加する必要性はなかった筈だ。此処に来たのは、ウーガという場所の持続を望んだ者達の意思で、望んだことなのだ。

 自分の運命を少しでも良くしようとして来たのだ。戦う前から拳を下ろしてどうする。

 

「……分かった。やる……頑張る……!」

「偉いわエシェル。それじゃあまずは」

 

 そう言い、リーネはチラリと窓の外を見る。未だおぞましき腐り果てた眷属竜は空中に鎮座していた。恐ろしい魔眼を此方に向けて、消去魔術の存在も気にせずにずっと【惰眠】の魔術をかけつづけている。

 

「あの竜、たたき落としましょうか」

 

 リーネは杖を強く握り、白王陣を再び叩いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘④ 竜殺し

 

『Z…………………』

 

 大罪迷宮プラウディアが生み出した怪物、混成竜はウーガの上空で浮遊していた。

 竜をベースとして、様々な大罪竜の特性を強引に”貼り付けた”眷属竜に、真っ当な意思は存在しない。魔物が通常の生物たちと違い、歪な形になるのは当然であるが、大抵の魔物は大なり小なり生物の形を模倣する。

 だが、この眷属竜は違う。元より目的のためだけに作り出された混成の竜。しかもそのベースは竜の中でも最も歪な【怠惰】だ。

 

 怠惰の竜は、生物というよりも植物か、もしくは菌類に近い。

 

 と、語ったのは唯一、竜という存在に対して制限のない研究の許された【天魔のグレーレ】だった。彼がどのような研究の果てにその結論に至ったのかは不明だが、その彼の指摘の通り、スロウスの竜に生物的な活動能力は殆ど無い。

 

 身動きもせずジッとして、ガスを拡散し周囲の生物を眠らせ、殺し、腐らせる。

 腐敗した生き物を不死者にして、腐敗のエリアを拡大する。

 故に怠惰種は攻撃性は最も低く、しかし最も危険な竜であると目されている。

 

『…………Z……』

 

 さて、そんな怠惰の竜の特性を大きく引き継いでいたためか、この混成竜に自分の意思という者は殆ど無い。そもそも周辺を腐敗させているという自覚すらない。ただそこに存在しているだけである。

 純正の怠惰種であれば、それでもまだ、幾らかの意思は見せる所だがそれすらない。それは歪なる”混成竜”の弱点だった。目的の事以外、あまり頭が働かない。動かす理由を見つけることが出来ない。

 

『……Z……………』

 

 だから、眼前に迫る消去魔術の水が自分に襲いかかることにすら、無関心だった。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 司令塔 屋上

 

「レイラインか!!!凄まじいな!!隊長は全く節穴だった!!」

 

 エクスタインは、塔を取り巻いていた消去魔術の力が混成竜を巻き取るのを目撃し、感嘆の声を上げた。あらゆる魔力に関わる力を打ち消す消去の力は惰眠の力のみならず、その飛翔能力すら奪っていった。

 

『 Z 』

 

 竜が墜ちる。間もなくして衝撃音と、膨大な粉塵がウーガを包んだ。陽喰らいの為にウーガの中心に用意された広場の何処かに落下しているようだった。

 

「下に居るなら攻撃は出来る!」

「だが、どう近付く?空からの魔眼の力は消えたが、霧が残ってるぞ」

 

 隣でジャインが飛び込んできた鳥形の魔物を叩き斬りながら指摘する。確かに、目をこらすとウーガ全体に薄らとした煙のようなものが未だに充満している。吸った者に眠りと、その果てに死を与え、最後には不死の尖兵に変えてしまう邪悪な眠りの霧だ。

 例え魔眼に晒される事が無くなったとしても、この霧の中に飛び込めば同じ事だ。

 

「レイラインに全部消し去って貰う?」

「それが出来りゃやってんだろ?そもそも今のだって無茶っぽかったしな。見ろ」

 

 ジャインが指さす先は塔の上空だ。先ほどまで水のような形を取った消去魔術が完全にすっぽりと塔を包んでいた。だが、今見ると明らかにその水量が少ない。巨体のジャインの少し上辺りを覆うばかりだ。

 

「消去魔術の”総量”は決まってんだろ。無茶は出来ねえってこった」

 

 恐らくだが、塔を守る分を減らして眷属竜の飛翔を封じる分に使用しているのだ。だがそれも何時まで持つかもわからない。そもそも消去魔術の陣の中心は【司令塔】だ。陣の外から外れるだけでも相当だろう。

 

「なるほど……、やっぱり本体をなんとかするしかないか。それと空気の換気も」

「それなら手はあります」

 

 と、そこにカルカラが会話に参加した。

 彼女は何故か背後でジタバタとするグルフィンの頭を引っ掴んで引っ張っている。明らかに彼女の体格と比べればグルフィンの方が大柄なのだが、抵抗できずに引っ張られている光景が少々シュールだった。

 そのグルフィンはというとなにやら大声で叫んでいた。

 

「ぬおおおお!!水が!!奇跡の水が減っとるぞ!!?」

「やかましいです」

 

 グルフィン、彼も司令塔の屋上に居たためか、眷属竜がもたらした”眠気”の脅威に一度は晒されたのだろう。だがそれにしても彼の怯えようは少々異常だった。

 

「だって知っておるぞ!!【怠惰】の眠りに襲われれば、死ぬまで眠り続けて茸が脳に生えて死んで骨になって一生生き続けるのだろう!?」

「ああ、半端な知識が仇に……」

「第三位《グラン》の家に居た所為か無駄に耳年増で面倒くさいですね」

 

 それよりも、とカルカラはジャインとエクスタインに向きなおる。 

 

「この脂肪の塊は引き続き司令塔の護衛をさせます。それよりも、ウーガの換気なら動かせる人材がいます」

 

 そう言って彼女が後ろから連れてきたのはまだあどけなさの残る幼い少女だった。背丈も低い栗毛の子供。年は10才ほどだろうか。エクスタインは彼女の姿に見覚えがあった。

 

「確か、【風の精霊】の使い手の……」

 

 そう、神官見習いの中での有望株、四元の一つ【風の精霊】の加護を授かった恐るべき少女だ。風の精霊になじみ深いエクスタインは彼女のことを良く覚えていた。

 

「彼女ならば、眠りの霧の中を自在に移動できるはず」

「成るほど……魔眼の脅威さえ無くなれば、風の力で霧はなんとかできるか……だが」

 

 エクスタインは少し躊躇う。何せ相手は幼い少女だ。確かに精霊の力は年齢など関係なく強大な力を与えてくれるが、しかし操る本人が幼いことには変わりない。

 

「だいじょうぶです。やれます」

「彼女を気遣って塔に残そうとも、竜を放置すれば塔丸ごと全滅です」

「……ごもっとも」

 

 反論の余地は無かった。今は動かせる全ての人員を結集しなければならない事態だ。少女の表情は恐怖を押し殺し、やるべき事を見据える目をしている。彼女の方がよほど腹が据わっているらしい。

 

「了解。では塔を護衛できる戦力を最低限残し、竜討伐に向かうとしようか」

 

 エクスタインも腹を決めた。

 

「彼女を中心に一行を組み、あの眷属竜の処理を願いたい。せめて腹にくっついてる魔眼は破壊しなければなりません」

「対竜用の”用意”は全て使うぞ。【勇者】が融通してくれた奴は全部出す。後先は後で考えろ」

 

 全員が慌ただしく動き始める。エクスタインも部下達に指示を出す。慌ただしく動き始める中、ふと、エクスタインは確認しなければならないことを聞きそびれていたことに気付いた。

 

「そういえば、ずっと聞きそびれていたのだけど、彼女の名前は?」

「”ありません”」

「は?」

 

 エクスタインは思わず耳を疑う。だが、カルカラの表情は冗談を言うような顔ではなかった。何処か不愉快げな怒りを滲ませた表情だ。

 

「ありません。恐らく彼女を放逐した家の意向でしょうね。家名を晒さぬように【名無しの呪い】がかけられています」

「……」

「明確な呼び名も封じられます。彼女を固有名詞で呼ぶことは出来ないのです」

 

 エクスタインは一瞬言葉を失う。だがそれは無い話ではなかった。不義の子、望まれぬ子、あるいは神官達からでた犯罪者。彼らを家から追い出す時の多くは彼らの存在を家名から除籍する。別の家名をつける場合もあるが、ソレすらも封じる場合も存在する。

 だが、わざわざ呪術を施すのは相当だった。

 

「グラドルにおける風の精霊の加護を授かりやすい家系、なんてところまで絞れれば何処の誰の所業か、なんて推測はたちますがね。今はどうでも良いことですが」

「…………だね」

 

 確かに、今は重要ではない。胸糞の悪い話だが、まずはこの場で死なないことを考えなければならない。少女が死ぬことで喜ぶ連中の思惑通りになることなど、ソレこそ避けなければならないからだ。

 

「でも、それだとどうするかな。咄嗟になんて呼べば良いか……」

 

 現実的な問題として、少女を呼称するものが全くないというのはそれはそれで困る。特に、これから先、恐るべき鉄火場に首を突っ込むことになるのだ。咄嗟に呼びかける名前がない事で起こるラグは、致命傷になりかねない。

 

「そんなもの、”風の娘”で良いだろう!風の娘で!」

 

 そこに、今だ逃げ出さないようにカルカラに引っ掴まれているグルフィンが口を挟んだ。カルカラは冷たい目で彼を睨み付ける。

 

「また適当に……」

「何を言うか!偉大なる風の精霊の子という事だぞ!成人にも成っていない幼子を放り捨てるような連中の子、というよりもよっぽど良い呼び方だろうが!」

「――――…………ふむ」

 

 思いのほか、真っ当な答えが返ってきて、カルカラは珍しいものをみたといった表情で少し黙った。風の少女はグルフィンの言葉にクスクスと小さく笑う。

 

「ありがとうございます。グルフィン様。わたし、それでいいです」

 

 かくして、”風の少女”と共にウーガの面々は竜殺しに向かうこととなった。

 

 それがどれほど困難な闘いかという事を、真の意味で理解出来ている者はまだいなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プラウディア深層にて/竜吞ウーガの死闘⑤

 

 大罪迷宮プラウディア 深層

 

 この世で最も危険な空間の一つ、そして最も”難解なる場所”としてプラウディアは語られる。プラウディアという力の特性、虚飾、虚栄の力によって自分が立って居る場所すらもあやふやとなるからだ。

 ちゃんと先に進めているのかすらもわからなくなる。気がつけば迷宮の入り口の前に立っていた、などという話もある。

 

 さて、そのような場所において【七天】の一行は

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 難解さとは対極にある、単純極まる”暴”一色の歓迎を受けていた。

 

「走れぃ!!!!」

 

 グロンゾンの号令と共にディズは走る。だが、走っても走っても次々に竜が姿を現す。この空間は広い。果てが見えない程の広さに、幾つも柱が突き立つ。どこまでも続く階段、幾つもの通路に廊下、深い深い地下へと続く螺旋階段。様々な造りが見えるがそのどこも、恐らく何処にも通じていないのだろう。

 そしてそのどこからも竜が出てくる!

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「【魔断】」

「【天剣】」

 

 目の前に出現した炎の竜に【勇者ディズ】と【天剣ユーリ】が剣を振る。黒の斬撃と金色の閃光が竜の首に閃き、そして即座にその首は落ちた。その様を二人は振り返らず駆け抜け、

 

『AAAAAAAAAAAAAAAG』

 

 墜ちた竜の首は、ひっくり返り落下したまま、炎を吐き出した。

 

「っ!」

「油断するでない!!!!」

 

 その竜の頭部を、後からきた【天拳グロンゾン】が金色の拳を叩き込み、吹っ飛ばす。火竜の頭はそのまま何処までも続く上方へと吹っ飛んでいって、見えなくなった。

 首が弾き飛ばされ、残された胴はゆっくりと倒れ込み、

 

『――――――――――――――――』

 

 そのまま、まるで獲物を狙うように巨大な爪をふり下ろした。頭を失った首の断面からは巨大な眼球が一つ生え、七天達を覗いていた。

 

「カハハ!不細工なキメラだなあ!!せめてちゃんと死ね!!」

 

 その胴体を【天魔グレーレ】が徹底的に破壊する。宙へと描かれた陣が竜の身体を抉り、削り、損なわせ、ついには完全に消し去った。

 そして4人は再び駆け出す。足を止めるヒマは無い。止めれば、無限に竜達に囲まれ、

 

「悲惨だなあオイ!ただでさえ竜なんて不細工な生き物だというのに、此処の竜どもはまるで子供の粘土細工だ!!面白半分でくっついていやがる!!カハハ!!!」

「だが、強度と破壊力は本物だ!」

 

 背後から絶え間なく放たれる破壊の吐息を、グロンゾンが拳で弾き飛ばす。勿論、通常であれば拳などで、大量の竜達が放った破壊の吐息を弾けるわけがない。それを彼は金色の手甲を振るうたび起こす暴風のみで弾き飛ばしていた。

 

「そもそもこの無駄に広い場所は何なのですか。一体何のために――」

「”繁殖所”だろうよ?」

「……なんといいました?」

 

 ユーリは咄嗟に聞き直した。あまりにも理解不可能な単語だったためだろう。それはディズも同じだった。

 

「だから、竜の!繁殖所よ!今見ただろ?汚らしい混じった竜の身体を。ああやって幾つもの竜を交わらせて増やしているのさ!不出来なキメラをな!!!」

「……【色欲】か!」

 

 通常、竜は容易くは増えない。どこぞの死霊術師が試みたように、大量の魔力と幾つもの下準備がなければそもそも竜の赤子すら生まれない。成長にも時間が掛かる。

 だが、そういった制限を無視して大量の竜の個体を生むのは【色欲】の特色だ。大罪迷宮の生態を「竜」一色に塗り替えるような悍ましい繁殖力を持ったバケモノが【色欲】だ。

 

 つまりこの無尽蔵の広い空間は、【大罪迷宮ラスト】の再現だ。

 

「……此処で竜達が配合していると?最悪ですね」

 

 ユーリが深い嫌悪を示すと、グレーレはニタニタと笑った。

 

「最悪のヤリ部屋だな!!カハハ!!」

「その下品な口を閉じてください」

「キレるなよ天剣。下品なのは俺じゃない。こんなもん考え出した【虚栄】さ」

 

 喧嘩している場合では無い、と言いたかったが、「最悪」と評したグレーレの言葉にはディズも同意見だった。

 

「空間も無制限の場所で大量に生まれる竜達……か。なら、戦ってもキリがないかな?」

「で、あるな!”活性期”の核を探し、破壊する!それで今宵の儀は終わりだ!」

「ところが、そうもいかんらしいぞ?」

 

 グレーレは小さな丸い魔導機を取り出す。彼の耳元で宙に浮かぶソレからは小さな声が飛び飛び、騒音のように聞こえてくる。その音声を聞いてグレーレは笑う。

 

「外の通信を傍受する限り、どうも今回の【陽喰らい】は彼方此方で”混成竜”が暴れてるらしい。様々な大罪竜の特性を併せて保有した、竜のキメラだ」

「……此処の連中が外に出ている?」

「完成品がな。この竜どもを放置すれば全部外に溢れ出すぞ」

「そんなに早く配合が進むわけじゃないでしょう?」

「竜どもが早漏でなければなあ?」

 

 ユーリが再びグレーレを睨み付けるが、彼は無視した。

 だが、確かにユーリの言うとおり、それほどまでに早く配合が進むとは思えない。どれだけ竜という存在が常識から外れた異常な存在であっても、粘魔のように混じり合い、増幅し、挙げ句にかけ算式に双方の性能が混ざり合うような真似をされてはたまらない。

 というよりも、そんなことが出来るのなら、とっくに人類は全滅している。

 

「問題がある」

 

 と、そこに、影からずるりと黒いローブが姿を現した。三分後に戻ると言っていた【天衣のジースター】が影から出てきたのだ。彼は四つ目を持った竜の首を投げ捨てながら一行に復帰した。

 

「無事であったか。して、問題とは?」

()()()()()()()()()()

 

 その言葉の意味するところを、即座に全員が理解した。

 大罪迷宮の深層では起こりうる現象の一つだったからだ。1日深層に潜ったつもりが、外に出れば1週間進んでいた、なんてこともある。故に彼らは驚かない。律儀な彼が三分立っても戻らなかった理由も判明した。

 だが、この場所と、その現象の相性は一言で言えば最悪だ。

 

「……此処を放置したら、外では一夜にして”完成品の混成竜”が大量に溢れ出すのか」 

「あるいは速攻でプラウディアを討つか。だ」

「この無限に続く深層の中からターゲットを見つけ出すと?」

「今探しているが、現実的ではないなあ、カハハ」

 

 七天が全力を尽くしても尚、どうしたって時間がかかるのは明白だった。

 ではどうするか。

 

「結論はでました」

 

 ユーリは剣を前に構える。目の前には大量の竜が並びコチラに向かっている。背後にも、上にも下にも、無制限の竜の群れだ。それぞれが爛れ、魔眼を放ち、世界を塗り替え、増えながら、全てを飲み込もうとしている。バケモノとしか言いようのない挙動を前にしても彼女は怯まない。

 右手の甲を握りしめ、そして唱える。魔名が輝き彼女を包み、そしてその輝きが広がっていく。

 

「我、七天が一人【天剣】 我が王の困難の全てを無双の剣で引き裂かん」

 

 そして彼女と一行を中心に金色に輝く巨大なる剣が七つ、出現する。膨大な魔力を放つ七つの剣は全方位に広がり、それぞれの方角から迫る竜達を睨み付けると、射出された。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!????』

 

 絶対硬度の竜の鱗すらも寸断する神の剣は、近付く全ての竜達を切断する。あらゆる竜と混ざった大罪の混成竜はその権能を発揮する事すら叶わず一瞬で粉々になっていった。

 

「目に付いた竜は全て殺し、プラウディアを探し出す。それだけのことです」

「脳筋極まる戦術よなあ!!だが楽しそうだ!!」

 

 グレーレがそれに続く。右の手を広げる。途端。彼の眼前には魔力で描かれた術式が刻まれる。そして左手で額を指さし、そこに刻まれた魔名を輝かせた。

 

「我、七天が一人 【天魔】 無尽の魔力により世界を探求せん」

 

 それはまるで膨張するように広がり続け、そして最後には一つの魔法陣と化した。

 

「【廉価版白王陣・連続開門・自動修復】」

 

 そして陣から極大の破壊の光が放たれ、竜達を焼き喰らう。破壊の光を放つ陣は瞬く間に破壊され、即座にその術のバランスを崩壊させていくが、破壊されると同時に陣は修繕されていく。

 ひび割れ、水が溢れ始めたコップの罅を即座に塞ぎ、更に大量に水を注ぐことで維持する様なデタラメなやり方で、グレーレは竜達を薙ぎ払った。

 

「この二人って、相性最悪なのに結論は同じ方角に行くね……」

「結論までバラけてしまっては困るわ」

「……」

 

 しかし、二人の下した結論に残された3人も異存はなかった。

 グロンゾンは金色の拳を構え、ジースターは短剣を身構え、それぞれ竜のいる方角へと跳んだ。

 

「我、七天が一人 【天拳】 神の御手を代行せん」

「【天衣】 誅殺する」

 

 そしてディズは【星剣】を構え、同時に紅金の剣を斜として交差させ、強く息を吐いた。

 

「我、七天の一人【勇者】。さて、長丁場になるよ。覚悟してね、アカネ」

《まかされたー!》

 

 ディズは駆け、跳び、竜達の中へと跳び込んだ。

 厳しい戦いになる。だが、やるしかない。

 

「凶星の海を征き、世の平穏の礎とならん」

 

 自分たち以外が竜を殺すという事がいかに困難な試練であるかを、理解しているから。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【白の蟒蛇】銀級冒険者ジャインは、その冒険者としての活動の中で、幾多の魔物を打ち倒してきた。その魔物達との戦いの中”撤退”を選択した事は一度や二度ではない。

 だが、それらは単純に敗北した、というよりも「戦っても割に合わない」と判断した場合が殆どだ。「倒せはするが、こっちも大きな深手を負うか、再起不能になる。あるいは死ぬ」そう言った場合彼は即座に撤退する。

 だから別に撤退したからと言って、こいつは絶対に倒せない。倒し方が分からない、と思ったことはない。あくまでも安全を優先しただけのことだ。

 

 ――なんか負け犬の言い訳みたいっすね。

 

 などとラビィンは抜かす事もあったが(殴った)、ジャインは自分の洞察力には自信があった。だから撤退の指示を出すとき、躊躇わずにできるのだ。

 

 しかし今回、ジャインは未知の戦いを強いられていた。

 

『…………Z』

 

 どう倒せば良いかも、コチラがどうやられるかも、全く不明な相手との戦いだ。

 

「発射」

 

 ジャインは、指示を出すと同時に、竜が落下した中央の広間に砲撃が飛んでいった。それは巨大で、鋭利な大槍だ。穂先に刻まれた大量の呪術が相手を呪い封じ、そして尾尻に結ばれた鋼紐が相手をその場に縛り付ける。

 陽喰らいに参加すると決まり、プラウディアから融通して貰った幾つかの対竜兵器の一つ【竜殺し】だった。並みの魔物であればその一射で苦悶の後に死に絶える兵器を一〇発以上、連続で射出した。

 

「……どうだ、駄兎」

《んん……効いてる……んすかねえ?》

「適当言ってんじゃねえぞ」

《だってわかんねえっすもん。魔眼怖くてあんまり身体出して見れないし》

「その魔眼は今ので潰れてねえのか」

《んんー……腹が下向いてるんすよ》

 

 ジャインは舌打ちする。自分も確認したいがやはり魔眼に晒される危険は避けたかった。竜の落下した広場の周り、防壁の様に連なった無人の建築物の影に隠れる。

 

 現在竜が落下し、そしてジャイン達が集まっている場所はウーガの中心部だ。

 

 此処は前回の魔物達の襲撃の際破壊され、そしてその修繕の際、改善を加えた場所だ。ウーガ内部の戦いが起こる可能性を考慮し、魔物を誘い込む場所としたのだ。そしてその機能は今十二分に働いていた。

 

『Z………』

 

 落下後、再び浮遊しようともせずに地面に墜ちたままの混成竜はその身を巨大な槍でズタズタに引き裂かれている。大槍もそうだし、それ以外の兵器も此処には充実している。混成竜は最も都合の良い場所に落下してくれたと言える。

 だが、竜はまだ死んでいない。ウーガを満たす霧を、上空から”風の少女”が制御している事からもそれが分かる。全てのものを死の眠りに誘う霧を、未だ竜は吐き出し続けているのだ。

 殺さなければならない。だが、どうやって?

 

 ――竜ともし対峙して、どうにもならなかったら、逃げることだ。ウーガを捨てたって良い。

 

 戦いの前、【勇者】はジャイン達に説明していた。

 

 ――だけど、それは。

 ――そうだね。そう簡単にはいかないだろう。逃げるわけには行かない。竜が出るときというのは、そういう場合が殆どだ。だから抗い方を教える。

 

 そうして彼女は七つの大罪竜、その眷属となる竜達の特性を一つ一つ語っていた。そのどれもが正面から戦えばジャイン達でも抵抗は困難なものばかりであり、聞くたびに気分が悪くなっていった。その中で怠惰の特性も聞いている。

 

「出会い頭の危険性は最も高く、積極性は最も低い……」

 

 怠惰の竜は、その身に宿す大罪の名の通り、自ら進んでヒトを殺そうとしない。周囲を自身の霧と腐敗で満たし、真綿で首を絞めるように殺していくのだという。故に、その手段さえ無効化してしまえば、何とかなる可能性はある。

 

 ――ただし、それでも竜は竜だ。それを忘れてはいけない。

 

「……よし」

 

 方針は決めた。ジャインは冒険者の指輪から通信魔術を飛ばす。

 現在、周囲にいるのは【白の蟒蛇】のメンバーが5人、【エンヴィー騎士団】が5人、最後にカルカラと”風の巫女”が二人だ。

 総数としては少ないが、魔物を引き寄せないようギリギリの調整だった。塔に集まる魔物達をこちらに引き寄せれば竜退治どころではなくなるからだ。現在メンバーは固まらないように”混成竜”を中心にばらけている。そしてこの一帯を”風の巫女”が換気を行うことで維持している。

 

「全員、遠距離からの魔術攻撃を続ける。手段の無い者は設置してある魔導機の起動に移れ。絶対近付くなよ」

《りょーかいっす》

《了解》

《分かりました》

「カルカラは風の巫女を頼むぞ。そいつが死んだら一網打尽――――」

 

 そう、カルカラに忠告を告げようとしたときだった。

 

「っ!?」

 

 脚に激痛が走った。冷や汗が吹き出し、ジャインはギョッと足下を見る。そこには当然自分の脚があって、地面があって、そして、

 

『――――Z………』

 

 悍ましい、()()()()()()が、地面から伸びて、ジャインの脚を貫いていた。

 

「全員!!!!建物の中に入れ!!!!上階に上がれ!!!!」

 

 ジャインは触手を斧で叩き切り、叫んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘⑥

 

 

「ジャインさん!!」

 

 近くの上階で待機していたラビィンと、【白の蟒蛇】の魔術師達は、自分達のリーダーが転がり落ちるように倒れ込んでくるのを目撃した。

 ラビィンは駆け寄り、そして彼の脚を貫く気色の悪い触手を目撃した。

 

「なんすかこの――!」

「素手で触るな!!!」

 

 引き抜こうとするラビィンをジャインが制止する。彼は顔を真っ青にしながらも険しい表情で自分の脚で蠢くそれを睨み付けた。

 

『……Z』

「まだ、生きている」

「――――なるほど?」

 

 それを聞いたラビィンの動きは速かった。ナイフを抜くと、剥き出しになった触手の先端にナイフを叩きつけ、そのまま捻るようにしてジャインの脚から触手を引き抜いた。

 

「っがあああ!!?」

「回復魔術!!!」

 

 ラビィンの指示で即座に魔術師達が動く。ナイフで貫かれても尚蠢き、更にその状態のままラビィンに襲いかかろうとしている触手を睨み付けた。

 

「きもちわりぃんすよ」

 

 そのままナイフを投擲した。地面に突き立ったナイフから、触手は更に蠢いて、形を成す。蜥蜴の様な姿。宙を舞う白い翼。なによりもその頭に付いているのは巨大な魔眼――

 

「させねえっすよ」

『Z』 

 

 その魔眼が見開くよりも早く、ラビィンは別のナイフを取り出し、投げつけ、眼球に叩き込んだ。同時に魔術師達は炎の魔術で焼き払う。そこまでやってようやく触手は焼け、そして動かなくなり、塵と成って消えた。

 その始末を見て、ジャインは溜息をついた。

 

「無茶苦茶しやがる……」

「助かったっしょ?」

「ありがとよ、クソッタレ」

 

 ジャインは治癒された片足で跳躍し、僅かに顔を顰める。単純な傷であれば治癒の魔術は元通りにするが、傷が複雑なほどに完全な回復は難しい。【白の蟒蛇】の魔術師達は一流であり、勿論、治癒の魔術も高度な技術を修めている。

 それでも治りきらなかったのは、あの黒の触手が、ジャインの脚をズタズタに破壊したからだ。放置していれば、それこそ脚そのものを抉り、破壊していただろう。強引にでも引き抜いたラビィンの判断は正しかった。

 

「で、結局なんなんすかあれ」

「地面から生えてきた。多分怠惰の竜の”根”だ」

 

 ラビィン含めた【白の蟒蛇】のメンバーは目を見開く。ジャインの言っている言葉の意味を全員が理解したのだ。

 

「あのクソ竜、落ちた後動かなかったんじゃねえ。地面からウーガに根を張りやがった」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エンヴィー騎士団、エクスタインは通信魔術からのその報告を聞き、顔を顰めた。

 

「……厄介だねそれは」

「隊長!!」

 

 部下の一人が悲鳴を上げる。エクスタインもその理由は分かった。地面からずるずると、黒い触手の様な根っこが蠢きながらせり上がってきているのだ。

 

「総員、すぐに上に上がって――」

 

 エクスはその光景に冷や汗を掻きながらも、しかしまだ冷静ではあった。”竜の根”の動きは遅かった。のろのろと、じわじわとせり上がっているに過ぎない。近寄ればどうなるか分からないが、距離さえ置けば何とかなる。

 と、そうエクスタインは考えた。それが悠長な発想であったとすぐに気付く。

 

『…………z』

 

 根が、蠢く、そしてそれが丸く固まった。

 それを見た瞬間、エクスタインは背筋が凍ったのを感じた。この後なにが起こるのか即座に理解できたからだ。

 

「急げ!!!!」

 

 エクスタインは叫ぶ。同時に丸く固まった根が縦に割れる。中からは巨大な眼球が現れた。魔力の光に輝く、魔眼の光だ。その目が、大量に並んでいた。

 

「【雷!】」

 

 魔眼の輝くと同時に、エクスタインは雷を放った。幾つかの魔眼が焼き切れる。だが、全てではない。魔眼の輝きが極まると同時、エクスタインの周辺が歪み、そして熱と共に膨張する。

 

「副長!!!」

「ッチィ!!!」

 

 エクスタインは跳躍すると同時に周辺が爆発した。焼き焦げた身体を押さえ込みながらエクスタインは上階へと急いだ。

 

「副長!!ご無事ですか!!」

 

 上で待っていた部下達も、エクスタインほどではないが彼方此方焼けていた。避難の指示が少し遅かった、と悔いながらも無事だ、と、そう返そうとして自分の舌が上手く回らない事に気付く。

 

「【惰眠】の魔眼まであったのか、最悪だな……」

 

 眠気を拭うように首を振り、エクスタインは上階へと駆けていく。途中、扉があれば即座に閉めて足止めになるかと試してみたが、やはりどうにもならないらしい。あらゆる場所から根は這い出てエクスタインを追いかけている。粘魔を相手にしているようなものだった。エクスタインは諦めて上へと駆け上がる。

 そうして駆け抜けていく最中、チラリと外の景観が見えた。

 

「っ」

 

 それを見たエクスタインの喉から、おかしな悲鳴が漏れた。

 

『Z』

 

 外の景色は中々に地獄だった。

 混成竜を中心に、あの黒い根が蠢き始めている。晴天時は太陽の光を燦々と受け輝く心地の良い広間であった場所は、闇夜の中蠢く暗黒の塊となっていた。蠢く闇、黒い根の間、テラテラと魔灯の輝きを反射するのは、恐らくは魔眼だ。

 

「積極的じゃないって……これが……!?」

 

 勇者の説明を思い返し、エクスタインは顔を引きつらせる。彼女の話では竜の中では殺意が一番マシという評が怠惰の竜であった筈だ。勿論あれが純正の怠惰の竜とは違うのは分かるが、それにしたってあんまりだ。

 あるいはアレでもまだマシな類いと、そういうことなのだろうか?

 

 どっちにしろ、最早手に負えるものではない。

 

「……潮時、か」

 

 エクスタインは鎧に付いているエンヴィー騎士団の紋章を小さく掻く。別に、その紋章そのものに深い思い入れがあるわけではないが、その紋章をつけるだけの立場を今の自分は背負っている。そしてその責務を果たす場所は此処ではなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ、混成竜落下地点から南東部 高見台

 

「カ、カルカラ様!!」

「落ち着きなさい」

 

 ”風の少女”が慌てるように悲鳴をあげるのを、カルカラが落ち着かせた。

 彼女の緊張は分かる。戦場からやや離れた場所にいる二人には、戦場の状況がよく見えていた。混成竜を中心として黒い根が蠢き、それが拡張し続けているのが見える。

 根、と呼称したが、植物の木の根のような生命力は全く感じない。その闇色が示すように虚ろな虚無がただ蠢いているように思える。

 そんな不吉極まる代物が、竜を中心にせり上がってきている。むしろ風の少女の反応は随分とマシな方だ。グルフィンなどがこれを見たら気を失っていたかも知れない。

 

「貴方は場の空気を浄化することだけに集中してください。それ以外の事は考えないで」

「で、でも」

「貴方は今、高度な作業をぶっつけ本番で行っています。半端な集中力でやれば破綻する」

「…………はい」

 

 少女はカルカラの言葉に納得したのか、静かに両の手を前方に再び広げ、目を閉じる。途端、彼女を中心にウーガの大気に蔓延する黒い霧が消えていく。

 凄まじい。と、カルカラは言葉にせず感嘆する。

 彼女が風の精霊の加護を授かったのは本当につい先日の事だ。精霊の加護の力は強い。鍛錬無しに圧倒的な力を振るえる。だが、その振るうための鍛錬は通常必要だ。どれだけ凄まじい道具を手にしたとしても、その扱い方を覚えなければ何も出来ないのは当然のことである。

 

 それを、彼女はたった数日の間にマスターしている。天稟がある。間違いなく。

 だが、そんな彼女の力があったところで、どうにもならないことはある。

 

「…………予想より、ずっと凶悪ですね……」

 

 カルカラは風の少女に聞こえないように、小さく呟く。

 竜の侵食は収まらない。動きが遅いのは救いだが、あの侵食が進めば、少し離れたこの高見台にまで狙いが行くだろう。果ては司令塔まで来るのも時間の問題だ。まだ、幾つかの竜対策は残っている。だが、通じるかは分からない。

 もう時間が無いことをカルカラは直感していた。もし撤退を考慮するなら今が最後の機会だ。これ以上、この竜相手にまごついていれば脱出の機会を完全に失う。

 

 此処での判断は生死を分ける。そう考えていると首からかけた通信魔具から声が響く。

 

《聞こえていますか。カルカラ殿。こちらエンヴィー騎士団》

「何ですか」

《撤退を進言します。拒否された場合、エンヴィー騎士団は作戦から離脱します》

 

 来たか、とカルカラは驚きもせず納得した。

 事前、決めていた話ではある。彼らの協力はあくまで本来のエンヴィー騎士団遊撃部隊の業務である「危険な魔導具であるウーガの監査」で、今彼らが協力して戦っているのはその監査の為である。監査が困難であり、また、自分たちに危険が及ぶと判断すれば撤退することは決めていた。

 

 故に、その言葉にカルカラは驚きも怒りもしなかった。

 いや、彼らの立場でなくてもその判断は正しい。自分たちも退くべき――

 

《てめえらはそうしろ。こっちは勝手にやる》

 

 だが、その後に続いてきた通信に、カルカラは少し驚く。声の主は【白の蟒蛇】のジャインだ。

 

「まだ、やると?」

《融通して貰った【竜殺し】はまだ使い切っちゃいねえだろ》

 

 ジャインの声は冷静に聞こえた。決して正気でなくなった訳ではないのだろう。だが、カルカラにはその反応はあまりにも意外だった。

 

「むしろ、貴方が真っ先に撤退を進言すると思いましたが」

 

 【ウーガ騒乱】の際、ジャインは真っ先に一抜けした。そしてウーガ内で安定した魔物の狩りを行うことに終始し、ウルが彼を巻き込むまで一切リスクを背負おうとはしなかったのだ。ハッキリ言って予想外だ。

 

《まだ勝機が見えるってだけだ。それに》

「それに?」

《腰引けてるだけじゃどうにもならん”勝負時”ってもんはあるんだよ》

 

 その言葉の意味するところを、カルカラは理解できた。

 彼は彼で自分なりの状況判断からそう言ったのだろうが、カルカラはカルカラで今この時が”勝負時”であると強く思っていたからだ。

 エンヴィー騎士団と違って、自分たちに退路は残っていない。脱出した場合、ウーガという存在そのものを捨てることになる。今回【陽喰らいの儀】に参加したのはグラドルも納得の上であるとは言え、ソレそのものを損失した場合、責任を自分たちが逃れるなどという都合の良い展開は起こらないだろう。

 ここで逃げれば命は助かるかも知れない。だが、それは命だけだ。最低保障になる。

 

 エシェルの幸せを望む場所からは、かけ離れた所に流れてしまう。

 

「では、【白の蟒蛇】を援助します。良いですね?」

 

 まだ、死地に留まる。その事を風の少女にそれを尋ねると、彼女は真っ直ぐに頷いた。

 

「大丈夫です。分かってます」

 

 分かってる。その言葉に含まれた意思をカルカラは感じ取った。彼女は年齢に見合わず非常に聡い子だ。いかにして此処に流れ着いたのか、そして此処を失えばどうなるかしっかりと理解できているのだ。

 

《……エンヴィー騎士団は少し離れた場所で待機します。脱出が必要な際は援助しますので連絡をください》

「ウーガを出なくても良いのですか?」

《仕事と割り切って、すぐ皆さんを見捨てるほど、私も部下達も薄情ではありませんよ。短い間ですが、敵と言って良い我々に良くして貰った恩もありますからね》

 

 では、と通信は切れる。

 カルカラはふう、と溜息をつく。状況は非常に悪いが、最悪ではない。全てを諦めるにはまだまだ早い。それに本心を言えば、諦めて逃げて惰性に生きるのはもうまっぴらご免なのだ。

 故に、これからすべきことをハッキリと宣言する。

 

「では、竜を討ちましょう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘⑦

 

 数日前、竜吞ウーガ、作戦会議室にて

 

「最後に一点、竜と立ち向かうとき、決して忘れてはいけないことがある」

 

 出現するであろう竜の説明を受け、ぐったりと力尽きたウーガの面々に対して、講師であるディズは言葉を続ける。全員もうお腹いっぱい、といった顔であったが、彼女は容赦が無かった。

 

「……なんだよ、まだ聞かないといけねえことあるのかよ」

 

 ジャインがぐったりとしたツラになりながらも尋ねる。正直聞けば聞くほどげんなりするようなとんでもモンスターの話ばかりだが、聞かないわけにはいかなかった。生き残るのに彼も必死だ。

 

「今説明したとおり、竜の大抵は極めて危険だ。常識から大幅に外れた攻撃を仕掛けてくる。一歩間違えなくても、何一つ失敗していなくても、全滅の危険性が高い」

 

 それぞれの属する大罪に沿った多様なる攻撃手段。どれか一つでも喰らえば全てが終わってしまうような悪意の数々。竜に恐怖するのは間違いではない。生存本能に沿った正しい反応だ。

 ただし、

 

「そのスケールから萎縮して、勘違いしてしまう事がある。竜は無敵じゃない。攻撃が通じないわけじゃない。一切通じていない様に見えるなら、それはごまかされてるだけだ」

 

 それは、立ち向かわず逃げる選択をとる者には不要の情報だろう。足かせにもなりかねない話だ。しかしもし、命を懸けることを決め、戦うと決断した者にとっては絶対に心しておかなければならない。

 

「竜だって、殺せば死ぬ。立ち向かうなら、それだけは忘れてはいけない」 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ 混成竜落下地点。

 

「っふうー……」

 

 ジャインは額から流れる汗を拭い、呼吸を整える。

 先ほど、竜の根に貫かれた脚の痛みが続く。ラビィンが強引に引き抜いた際に、爪を突き立てるように周りを傷つけたらしい。回復魔術でも完全には癒えきらなかった。

 無論、あれを放置するわけにも行かなかった。時間も無かった。ラビィンの判断にはジャインも感謝している。だからこの痛みは必要経費だ。

 

 竜の根の侵食は進んでいる。今ジャインは五階建ての建造物の中で四階の窓から中央を覗いているが、既に三階付近まで根が溢れている。

 だが、中央や、それ以外の場所はそうではない。つまりこの根は明らかにジャイン達に狙いを定めているのだ。

 

「ウーガ全体をそうしないのは、それができないからだ。つまり奴の総量にも限度ってもんがある。だが、位置把握は俺を直接攻撃したことから正確……」

 

 得られた情報を口にする。痛みを紛らわすためだが、何よりも竜個体の情報を頭に叩き込むためだ。大雑把な竜の脅威はディズから聞いたが、個体差は大きいことも同じく聞いていた。

 まして、今ジャイン達が対峙しているのは何故か二つの眷属竜の特徴を抱えた混成竜、油断は一切できなかった。

 

《ジャインさん!準備できたっすよ!》

「撃て。一発だけだぞ」

 

 ラビィンからの報告に対しジャインは即座に指示を出した。するとジャインの右隣の建物の屋上から大槍が飛ぶ。大槍は真っ直ぐに広場の中央の真っ黒な竜の身体に着弾した。

 

『Z……』

「…………変化無し、か」 

 

 射出している大槍は【勇者】が融通してくれたものだ。竜に対しても一定の効果が見込める代物であると言っていた。

 

 ――黒炎砂漠で働いてる”ある囚人”の傑作、【竜殺し】を強化した特注品だ。竜が相手でも、殆どの場合は通る。殺しきれるところまではいかないかもだけど。

 

 彼女は安易な気休めは言うまい。つまり”大槍砲”の威力に疑う余地は無い。

 で、あるなら、今竜への攻撃が全く通用していないというのは別の理由があるはずだ。竜という脅威に対する恐怖と偏見を取っ払うと、攻撃が通じない最も単純な理由は――

 

「――ちゃんと攻撃が当たってねえ、だ」

《当たってるっすよ?》

「地面に落ちてから、竜は動かなかった。”根”でこっちを攻撃するためと思ったが…」

 

 それだけではないとしたら。

 例えば、自身の急所、弱点を地面の下に隠しているのだとしたら。

 

「カルカラ、聞こえるか」

《ええ、問題ありません》

「竜の足下――『Z』っちぃ!」

 

 ジャインは手斧を振るう。不意に、竜の根の一部がのたうちながらジャインの喉元に迫っていたのを、叩き切った。

 

「クソが!!」

《大丈夫ですか!?》

「良いから竜の足下を崩せ!!思いっきり砕け!」

 

 ジャインは痛む脚の悲鳴を無視して上階に登る。下からせり上がる”根”達は、魔眼まで備えている。視界に入るだけで大幅にデバフを喰らう。

 だが、根がジャインに狙いを定めて迫ってくること自体は、”狙い通り”でもあった。

 

「ラビィン!!そっちに根は這ってきたか!?」

《まだっす!2階くらいで蠢いているっす!》

「つまり、なにが脅威でなにが脅威でないかを見分けられてる訳じゃあねえ…!」

 

 ヒトの気配がある場所に、手近な所に向かって”根”は迫ってくる。しかしそこに識別は存在しない。竜本体の知性は不明だが、末端の根の行動原理はそれだけだ。故に幾らかの誘導は出来る。

 

「くっそが!!」

 

 屋上に出るとジャインは跳躍し、隣の建物に飛び移った。直後に先ほどまでジャインが居た建物は黒い根に覆い尽くされた。そのままジャインは急ぎ飛び移った先の建物の中に逃げ込む。その建物を覆い尽くした根の塊が魔眼をこちらに向ける前に視界から隠れた。

 

「ぎょろぎょろと魔眼が幾つもついてるが、視覚情報を活用している様子もねえ……魔眼はあくまでも攻撃手段か……!?」

 

 考えるほどに竜の生態は歪に思える。魔物に対してもそう感じること多かったが、この竜に対してはとびっきりだ。強引に二つの竜の特性を足し合わせた結果なのかは不明だが見た目程万能ではない、筈だ。

 

《無事ですか?》

「無事だ!それより竜の下部は!?」

《今、やってます》

 

 ジャインは再び窓から広場を注視する。カルカラの言葉の通り、竜の足下が崩れていく。元々この広場事態、カルカラの【岩石の精霊】の加護によって修繕、補強を行った場所だ。故に崩すことは容易い。

 自然と、まるで地割れでも起こすように、竜の足下は崩れ、割れた。

 

『Z』

 

 普通に考えればその崩落と共に竜の身体は落下するはずだ。

 しかしそうはならなかった。

 竜の身体はその場から不動だった。支える地面の代わり、竜の身体はジャイン達を襲った黒い根が纏わり付き、それが下へ下へと伸びている。根が幾つも束ねて重なり太い大樹のようになっている。

 そして、その太い幹の中心に、巨大な、輝く光があった。

 

「……分かりやすくて助かるわ」

 

 急所はアレだ。その上にある爛れた肉の塊は、捨てられた抜け殻だ。

 そして弱点が明確になったなら、やることは一つだ。

 

「リーネ!!!ぶっかませ!!!」

 

 コチラの最大火力を叩き込む。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 司令塔、屋上

 

「最悪ね」

 

 リーネは司令室の屋上から双眼鏡で状況を確認し、嫌そうな顔をした。

 隣りにいるエシェルも同じく確認をしながら、眉をひそめる。

 

「……あれ、何をしてるんだ?」

 

 ぱっと見、よくわからなかった。竜が、自分の元の身体を捨てて、木のようになっている。奇妙な光景だ。気色が悪いと思うが、それ以上に不思議だ。その意図が全く分からない。

 対してリーネはそれを理解しているのか、溜息をひとつついて、指さした。

 

「あれ、ウーガに乗り移ろうとしてるのよ」

「――――………最悪だっ!!!」

「でしょ?」

 

 本当に、何としても止めなければならない。あのままにしてもしウーガが竜に乗っ取られでもしたら、史上最大にして最悪の竜が誕生してしまう。

 

「私のウーガをあんなバケモノにくれてやる気はないわ」

「お前のじゃないからな???」

「あれなら、また飛び上がるようなことはないでしょう」

 

 リーネは地面を杖で叩く。塔を包んでいた消去魔術の水は徐々に消え去っていく。

 

「消去魔術、解除するわよ。解除と同時に結界と、風の魔術による換気お願い」

「まかせろ。ギルド長を頼むぞ」

「ええ」

 

 【白の蟒蛇】の魔術師達とも連係する。

 

「【速記開始】 エシェル!」

「あ、ああ!【ミラルフィーネ!】」

 

 塔全体と消去魔術が消えたと同時に、リーネが塔の屋上で白王陣を描き始める。

 同時に、”黒い本”を胸元にぎゅっとエシェルは握りしめ、彼女の上空で鏡が出現する。リーネが描く【白王陣】の軌跡を映しだす。鏡の内側に、それと全く同じ術式を描き続ける。

 

「彼女たちの邪魔をさせるな!!魔物達は全て落とせ!!」

 

 周囲では結界に再び群がり始めた魔物達と魔術師・戦士達の戦闘が開始する。状況は最初の状態と比べ、劣勢だ。【惰眠の霧】の排除に魔術師の手が必要になっているからだ。単純に手数が減り、状況は押し込まれ続けている。

 だが、それでも攻撃の手が止まることはなかった。【速記】を用いて尚、時間を要する白王陣の完成に全員が全力を尽くしていた。 

 それは彼女の力が、現状を打破する大きな力と成ると全員が知っていたからだ。

 

「――っ!!よっし!!行くわよ!!【開門!!】」

「【映し返せ!!!】」

「【天火ノ煉弾・二重】」

 

 以前の襲来の際に編み出した二重の白王陣による一撃。偶発的に重なり混じった事で威力を増したその現象の再現。

 

「【白王炎弾】」

 

 司令塔から放たれた強大なる火弾が周囲全てを焼きながら、輝く竜の大樹に直撃した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘⑧

 

 屋上に避難していたジャインの目の前で、竜の大樹に強大な炎が叩き込まれた。

 

 それは白い炎だ。司令塔から光が見えたと思った瞬間、横殴りするように炎が着弾した。おぞましい竜の根でウーガに出現した大樹は、凄まじきその炎弾が着弾すると、凄まじい爆音とともに撓んだ。周囲でそれを見守っていたジャイン達は衝撃で吹っ飛んだ。

 

「っおおお!?」

 

 身構え、姿勢を低くしても尚、その衝撃は凄まじく、ジャインは身体を転がした。背後に簡易の柵がなければそのままどこまでも転がっていただろう

 

「ってえクソ!だがいいぞクソったれ!!」

 

 悪態と賞賛を交互に繰り返しながら、ジャインは再び顔を上げ、混成竜の状態を確認する。真っ白な炎に包まれた大樹、先ほどまで一切身動き一つ取りそうになかった大樹がグラグラと揺らいでいる。高熱で視界が歪んでいるのでなければ、間違いなく大樹は大きくダメージを負っていた。

 その中央にある輝きが悲鳴をあげるように明滅する。更に

 

『Z』

 

 階下から迫っていた黒い根の群れ達が、ジャインを追いかけるのを止め、退いていくのを感じた。それがどういう意味かジャインは理解した。

 

「身を守ろうとしていやがるぞ!!撃てや!!!!」

 

 同時に、屋上で【竜殺し】の発射が始まった。詳細に指示を出さずとも、ジャインの部下達も全員分かっていた。今この時こそが勝負時であると言うことを。温存された呪いの大槍をつがえ、即座に撃ち放った。

 

『Z』

 

 今尚、白い炎に焼かれ続ける竜の大樹に、更に大槍が突き立つ。揺らぎが大きくなる。物静かな竜の代わりに、急所とおぼしき箇所の輝きが一層に激しさと不規則性を増した。

 そして、

 

『Z』

「倒れた――」

 

 竜の大樹が倒れた。カルカラが崩した瓦礫の中に埋もれ、斜めに傾いた。完全に倒れてはいないが、自身を支えられていないのは間違いない。

 だが、死んではいない。未だ輝きは続いている。さらに大量の根が大樹の周りに戻ろうと集まっているのが見える。

 

 勝負所だ

 

 ジャインは冒険者の指輪に向かって叫んだ。

 

「大槍は!!」

《こっちは全部使い切ったっす!!》

「白王陣!!」

《ウーガから魔力補充してるけど時間が掛かる!あと10分は欲しいわ!》

 

 10分、あの大破壊力を10分で打てるのは驚異的だが、今この状況下においてはあまりにも長い時間だった。10分の間に竜が大人しくあの場でじっとしてくれるとは思えない。あの黒い根の全てを防御に回されたら、対処する手段が完全になくなる!!

 

「カルカラ!!俺の居る場所から竜の所まで橋を作れるか!!!」

《は……!?いえ、出来ますが、下には竜の根が蠢いています!すぐに崩れますよ!》

「俺が到達するまで維持できりゃいい!!すぐに――」

 

 言い切る前に、不意にジャインの頬を何かが過った。回避は出来なかった。単なる偶然である。ただ、その過った何かはジャインの柵を打ち砕くまで伸びきった。

 矢?と思ったが、そうではない。それは黒い根だ。竜の大樹からかなりの距離があるジャインの所まで、棘の様にのばした根がここまで届いたのだ。

 

「……!!」

 

 ジャインは寸前で命が助かった事実を確認し安堵し、即座にその安堵を振り払った。まだ助かっていない。今さっきジャインの脳天を貫こうとした根が、残っている。そして根がそこにあると言うことは、

 

『z』

「クソが!!!」

 

 魔眼がその場に発生する。ジャインは斧を振り下ろし、根を叩き切った。だが、コレは時間稼ぎにしかならない!

 ジャインは傍らに置いてあった砲塔から温存していた【竜殺し】を一本引き抜いた。

 

「ラビィン!!気をつけろ!!」

《だい――――でも――――ふたり――!!》

「クソが!!カルカラァ!!今やれ!!!すぐやれ!!」

 

 10分などという時間は無い。それを理解し、ジャインは屋上から跳んだ。背後から魔眼の気配がする。強い眠気がジャインの頭を揺らす。時間は無かった。

 

《無茶苦茶しないでください!!!》

 

 ろくに連係の練習も経験も無い相手に対して大分無茶なことを言っていた自覚はジャインにもあった。だが跳んだ先、細く、今にも崩れそうな岩の橋が出来ていた。ジャインはそこに着地し、駆ける。

 

『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』『z』

 

 足下に広がる大量の黒い根が蠢き始める。その全てが魔眼を作り出そうとしている。ジャインが更に強く地面を蹴りつける。蹴りつけた橋は即座に崩壊し崩れていく。退路は無い。それは分かっている。だから躊躇わずジャインは地面を蹴った。

 

 躊躇うな。ビビるな。脚がすくんだ瞬間、本当に死ぬ。

 

「だらああああああああああ!!!!」

 

 更に跳ぶ。倒れ込んだ竜の大樹に【竜殺し】を構え、落下する。自身の重量と筋力の全てを穂先の一点に凝縮し、そして振り抜いた。

 ずぶりと、黒い根の中に槍が突き立つ。黒い根が呪いの穂先に触れた瞬間溶けていくのを感じた。明滅する光が、更にけたたましい悲鳴のような輝きを増した。

 

『Z――――――』

 

 そのまま、貫いた槍を引っ掴む。着地した先の黒い大樹がジャインの脚を幾つも貫いてきたが、ジャインは無視した。むしろそうして固定された肉体を利用し、ジャインは身体を捻り、ずぶりと突き立った大槍を抉り、そして振り抜いた。

 

「ちぇいあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

『Z         Z  Z』

 

 呪いの大槍に引き裂かれた先から、血のような何かが吹き上がる。断末魔のような悲鳴が聞こえる。だがジャインは油断せず、【竜殺し】を手放しもしなかった。

 自分が限界になるまで切り刻み続ける。その覚悟を持って槍を更に振りかぶり

 

 

『            Z             』

 

 

 肥大化した魔眼が、目の前に沸いて出た事に気付いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 司令室 竜説明会。

 竜は殺せる。そう宣言した【勇者】は、しかし首を横に振った。

 

「ただし、殺すというのは本当に最後の手段だ。もし逃走という手段があるなら、逃げるべきなのは間違いない」

「やっぱり俺たちは竜に勝てないから?」

 

 ジャインは眉をひそめながら問うた。竜の脅威は十二分に理解した。知識もないまま立ち向かうにはあまりにも恐ろしい事も、勇者達の協力、兵器の融通無くしては、戦うことも困難であると言うことも納得した。

 だが、現在竜の脅威をジャイン達は正しく認識し、そしてその為の対策も取っている。様々な魔道具で身を守り、対策を十分に固める手はずは整っている。

 

 勝てるかは分からない。だが、抵抗できないわけではない。

 

 現在のジャインの認識はそんな所だ。自分のこの目算は楽観的でもなければ悲観的でもないという自信があった。長年の冒険者としての経験の蓄積から導き出される感覚だ。

 

「君の言うことは正しい。確かに、ここまで戦力と準備を整えれば無抵抗のままやられる、なんてことは多分無いだろう。そもそもプラウディアの目的は【天賢王】だ。脇道に逸れてまで、強い竜個体を此処に寄越す事も恐らくはない」

 

 でもね、と続けて、勇者はジャインを見る。金色の目がジャインを射貫いた。

 

「竜は怖いよ。本当に、恐ろしいんだ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 不意に、勇者の言葉の意味するところをジャインは心の底から理解できた。だが、どちらにせよ遅すぎた。

 

「――――クソが」

 

 直後、魔眼が生み出した巨大な爆発を前に、ジャインの意識は消し飛んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘⑨ 幸福に曇った眼

 

 混成竜落下地点周辺建造物、屋上

 

「ジャイン!!!!!!」

 

 ジャインが爆発に巻き込まれ吹っ飛ぶという状況を目撃していたラビィンは悲鳴のような声で叫んだ。普段の彼女から想像も出来ないくらいの悲痛な声だった。

 仲間達にも悲鳴の理由はよく分かった。”大樹の中から這い出した”巨大な魔眼から生み出した炎は、先ほどのリーネのそれと比べても遜色ないほどに強く、激しい炎だったからだ。焼かれたジャインの姿も、殆ど影のようにしか見えない勢いで吹き飛ばされた。

 その結果に、最悪を思い浮かべない訳にはいかなかったのだ。

 ラビィンもそう思ったのだろう。だから彼女は今、建物の柵から脚を乗り出してジャインの元へと向かおうとしている。だがそれは不味い。ジャインが吹っ飛んだ以上、【白の蟒蛇】の一行の指揮官は彼女だ。 

 

「まってラビィン!!」

 

 彼女の部下である魔術師が叫ぶと、ラビィンは動きを止める。まだギリギリ理性はあったらしい。だが、ギロリとこちらを睨む視線は本当に危うかった。下手すればコチラを殺しかねないような殺意と余裕の無さが伺えた。

 だから、慎重に言葉を選ぶ。

 

「……落ち着いて。こういうときのために準備したのでしょう。使い捨ての護符も彼は沢山つけている。きっと彼はまだ死んでない。だから、お願い」

「…………」

 

 それはあまりに楽観的な言葉だった。確かに装備は準備している。しかしなにをしようとも、死ぬときは死ぬのが魔物との戦場だ。あらゆる準備、あらゆる鍛錬、あらゆる気構え、それらが一瞬で無に帰すのが、これまでジャイン達が身を置いていた世界なのだ。

 ジャインもラビィンも、そして部下である自分たちもそれを知っていた。いつ無慈悲な”終わり”がやってくるか分からないからこそ、今日必死に戦っていたのだ。

 だから、自分の言葉はあまりに薄っぺらかった。しかし、ラビィンの冷静さを取り戻すのには必要な言葉だった。

 

「……」

 

 何時もへらへらと笑うラビィンの表情には一切の感情がそげ落ちていた。

 普段の彼女の態度は、ギルド内の空気を和らげるためだと知っている。わざとらしくへりくだった言葉も、ジャインとの上下の関係をハッキリと示すためだ。彼女は常にジャインを優先して振る舞っている。故に、今この場で彼を失うとき衝撃は最も大きいのは分かっている。

 

「…………全員、この場から離脱準備、ジャインの安否を確認、生きていれば回収する」

「了解」

「脱出のためエンヴィー騎士団への連絡も忘れないで。最悪ウーガを捨てることになる」

 

 それでも、冷静に指示を出した彼女に魔術師は感謝した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 竜吞ウーガ ジャイン宅

 

 ジャインはその日、自宅の前に狭い庭で作っているささやかな家庭菜園で土をいじり回していた。細かな雑草を除け、害虫を除去し、余計な葉や果実を取ってやる。顔は土まみれだった。

 範囲は狭い。菜園用の種は生産都市の外では貴重だし、種類もそんなに多くはないし、何よりジャインの手が届く範囲にも限界があった。

 

「なあ、土いじりって楽しいか?」

 

 それを手伝わされていたウルは、その隣で汗を拭う。夏至も過ぎそうな頃合いにもかかわらず、その日は日差しが強く、外で作業していると暑かった。魔物と戦うときは散々駆け回っているというのに、もう既にへばったような顔になっていた。

 問いに対して、ジャインは視線を目の前で実った果実から離さずに言う。

 

「やりがいはある」

「俺にはよくわからんわ。土臭いし、虫も沸くし、毎日の世話も面倒だ。土地持ちの神官達の贅沢な趣味って言われてもなあ」

 

 愚痴を垂れる割に作業の手は止めない辺り、ウルは義理堅かった。

 別に、ウルの愚痴なんて無視しても良かったが、ウルの言わんとすることも分からんでもなかった。わざわざ自分で食料なんて作らなくても、今はグラドルからの補給は安定している。食うに困らないだけの食料は与えられているのだ。

 なのに何故、こうして爪先を土で詰まらせて真っ黒にしているのか?

 

「自分で何かを育てるのは……」

「のは?」

「気分が良い」

「わかんねえよ」

 

 一つも具体性のない説明にウルは呆れ声で突っ込む。確かにこの説明はあんまりだ。ジャインは少し考えるように天を仰いだ。

 

「……名無しやってると、やれることは限られる。同じ場所に居られないからな。しかも外は魔物が一杯。自分の身以外の何かを積み上げるなんて事はできない」

「……そりゃそうだが」

 

 何かを育む。加工する。作る。そういった事に対して名無しは必然的に疎くなる。そういう機会が少なくなる。勿論、名無しなりの文化は生まれることあるし、それを否定する訳ではないが、傾向としてみればやはり希で薄弱だ。

 同じ場所に居られない。のんびりと腰を据えているわけにもいかない。そもそも生きていられるかどうかも分からない。そんな様なのだ。名無しの日々はあまりにも忙しなく、厳しかった。

 

 

「だから、作るのは楽しい。腰を据えて、一つ一つ積み上げてても、誰からも蹴飛ばされないのは、ありがたい」

「……まあ、なあ」

 

 その点については、とうとうウルも否定はしなかった。

 ジャインは世話を終え、目の前の果実から跳ねた土を拭ってやると立ち上がった。太陽は眩かった。上を見上げれば自分の自宅がある。寝室ではラビィンがまだ眠っていることだろう。

 リビングでは昨日、ラビィンや【白の蟒蛇】のギルド仲間達と騒いだ飲み会の跡がまだ残っている。身体を洗ったらまずは片付けから始めなければならない。

 面倒だと思う。だが、不思議と悪い気分ではなかった。

 

「得がたいなあ此処は……」

「……そうだな」

 

 ウルもそう返した。

 前代未聞の巨大な使い魔の背中の上、様々な思惑と陰謀の中心、こうしてジャイン達が菜園を楽しむこと自体、奇跡に近い状況であると理解しながらも、どうしても思わずにはいられなかった。

 

「……失いたくはねえなあ」

 

 天から注ぐ太陽神の輝きを眩しそうにジャインは目を細めた。そう呟く彼の声は、一流の、銀級冒険者としてはあまりにも女々しく、未練がましかった。だが、隣でそれを聞いたウルは、その事を指摘することはしなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 現在 竜吞ウーガ

 

「み、あやまった、か……」

 

 ジャインは燃えるような激痛に目を覚まし、しかし身じろぎ一つ取れずにいた。身体に幾つも仕込んだ防護の護符の全てが砕けているのを感じた。フェネクスのギルド長から「とっておきだからな!」と言われていた代物含めて粉々だ。

 【不死鳥の護符】だと言ったがたいしたことない。いや、あるいはまだ生きているのはその護符のお陰であるかも知れない。だが、どっちにしろもう意味は無い。

 

『   Z   』

 

 竜の魔眼が目の前に迫っていた。それから逃れる術がジャインにはもう無い。

 

()()()()()()()()()()()()……」

 

 大樹の中で輝いていたのはこの魔眼なのだろう。ジャインが大樹ごと外からかっさばいていたから、たまらず中から飛び出してきたのだ。そしてジャインはこのザマだ。

 

『         Z          』

 

 魔眼が輝く。ジャインが眠くはならないのは、これが【惰眠】の魔眼ではないからだろう。先ほどと同じ、単純極まる爆発を引き起こす魔眼だ。詳細な種類は不明であるが、どのみちそれがジャインの命を絶ちきることは確実だった。

 

「……だせえ、さいごだ」

 

 引き際を見誤り、欲をかいて死ぬ。新入りの冒険者がしでかすような典型的なミスをやらかした自分に、ジャインは力なく笑った。

 エクスタインから撤退の提案を聞いたとき、どう考えても素直に頷くべきだった。彼が提案したあのタイミングがギリギリの分水嶺であったとジャインは理解していながら、それを拒否してしまった。そしてその果てがこの様だ。

 

 誰にも邪魔されない場所で、幸せでいたいと願ってしまったから――――

 

「…………ふ、ざ、けんなよ」

 

 投げやり気味に思っていたジャインは、しかし途中で怒りがこみあがってくるのを感じた。ただ、幸せになりたいと願い、それを守ろうとしたかった。ジャインの願いは大それたものじゃない。誰しもが当たり前のように願う幸せに過ぎない。

 そんなささやかな願いを、目の前の気持ちの悪い目玉のバケモノは、どのような権利をもって邪魔をしようと言うんだ?!

 

「く」

 

 あれほどの爆発に巻き込まれ、尚も執念深く握りしめていた【竜殺し】をジャインはもう一度握り返す。か細くなっていた呼吸を強くして、最後に残った力を手に凝縮した。

 

「たばれやあああ!!!!!」

 

 投げつける。最後の力を振り絞った一投は真っ直ぐに魔眼へと飛び、そのまま

 

『    Z  』

 

 魔眼に着弾するよりも早く、その周辺の竜の根が、その槍を捕らえ、たたき落とした。魔眼はジャインの前で歪む。それがジャインの様を嘲笑しているのだと気付いて、ジャインは顔をひしゃげて、叫んだ

 

「呪わ、れろ、クソ眼球が!」

「ジャイン!!!」

『    Z 』 

 

 ラビィンの声が聞こえる。こっちに来るな、という指示を出す気力も、時間ももう残されては居なかった。周辺の熱が膨れ上がる。先ほどよりも更に強い爆発が起こる。ジャインは身体の力を抜いた、天を仰いだ。

 そして気がついた。

 

「【ミラルフィーネ!!!】」

「は?」

 

 天から落下する竜吞ウーガの女王の姿。そしてその直後、

 

『       Z        』

 

 魔眼の爆発が再び響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの死闘⑩ 決意すらも無為とする悪意

 

 時は少し遡り、ウーガ司令塔屋上

 

「ジャ、ジャイン!!!」

 

 白王陣の発射から暫く、魔力補充のために動けずにいたエシェルはその状況を確認し、悲鳴をあげた。ジャインが竜の大樹まで迫り、その核と思しきものをズタズタに引き裂いていたのを見て、やった、と歓声を上げた矢先の出来事だった。

 

「リ、リーネ!!ジャインが!!」

「待って!!まだ動けない!!」

 

 咄嗟にリーネに助けを求める。彼女も状況を理解しているのか顔を強く顰めている。だが、動けない。この戦場において恐らく最も大きな戦力は彼女だが、万能というわけではない。先ほど強力な攻撃をしかけたばかりで、即座に魔力は回復は出来ない。白の蟒蛇の魔術師達と共に必死に塔全体の魔力の補充に努めているが、まだ時間が掛かる。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 そもそも、今も尚大量の魔物達にウーガは襲われているのだ。その対処だけでも手一杯だった。ジャインを離れた司令塔から即座に助けに向かえるだけの戦力は、今此処には存在していなかった。

 

「ど、どうしたら……!!カルカラ!カルカラ!!」

 

 通信魔具で呼びかけるが、通じない。混沌としており、マトモに情報も入ってこない。だが、明らかに事態が悪化していることだけは彼女にもわかっていた。

 そしてジャインが死ねばもっと不味くなる事も分かっていた。ウーガの主な戦闘員は【白の蟒蛇】だ。そのギルド長であるジャインが損なわれれば、戦線は恐らく崩壊する。

 だが、そんな彼を助けられる戦力はいない。そして自分にはなにも出来ない。何も――

 

 ――その娘、大いなる厄災と成る可能性を秘めている。

 

 その時、不意に頭を過ったのは【天魔のグレーレ】の言葉だ。

 彼は言っていた。自分のことを指して、いずれは恐ろしいバケモノになると。手に負えない災厄に成り果てると。だがそれは裏を返せば、それだけの力が自分にはあると言うことではないのだろうか?

 

 エシェルは混乱を止め、自分が今握っている”黒の本”を見つめた。

 

 邪霊の事が書かれた禁書。邪霊が引き起こした様々な災厄を記し、同時にその力を利用しようと目論んだ邪教徒が記した書。保管されていた場所も妖しければその中身も筆者も何から何までものの見事な【禁書】であるそれを、まずはカルカラが毒見として目を通した。

 結果、彼女は少し驚いた。本には悪しき企みも記されていたが、精霊に対する向き合い方、その力を振るうときの心構え等々、全てが真っ当だったからだ。

 

 ――もしかしたら、下手な神官達の教えよりも真っ当かも知れません。

 ――カルカラよりも?

 ――私と比較すると断然に教え方は上手いですね。

 

 そして、短期間であるが、彼女は”黒の本”から戦い方を習得した。以前よりも増して、鏡の精霊の加護を扱えるようになっている自信がある。カルカラの前では、自重したが、もっと沢山のことが出来るという確信があった。

 

 だが怖かった。

 

 混乱しているわけでもない。思い上がってるわけでもなければ、窮地に視野が狭くなったわけでもない。純然たる事実として、自分以外にこの状況を打破出来る者がいないのが、恐ろしかった。

 だがもう時間はない。もうすぐジャインが死ぬ。

 

「……………リーネ、お願い。白王陣、急いでね」

「わかって……エシェル?エシェル!?!」

 

 リーネがそれに気づき止めるヒマはなかった。彼女は、自身が生み出した巨大な鏡の中に跳び込む。鏡は彼女を跳ね返さず”飲み込み”そしてそのまま姿を消した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ジャインが竜の魔眼によりトドメを刺されるその直前。

 魔眼とジャインの間、その頭上から突如として出現した鏡を誰も認知しなかった。まして、その鏡の中からエシェルが這い出てくるなどと、誰も思いもしなかっただろう。

 

「【ミラルフィーネ!!!】」

 

 鏡から零れる様に落下したエシェルは、再び鏡の精霊の名を叫ぶ。焼き焦げていたジャインと、自身の周りに鏡が生まれる。あらゆる力を跳ね返す精霊の鏡は、魔眼から放たれた爆撃すらも、その当人に跳ね返した。

 

『Z     Z  Z    』

 

 巨大な眼球が炎に晒され、ひしゃげる。水ぶくれのように膨れ上がり、弾けた。エシェルの数倍ものある眼球がどんどん破砕していく。

 エシェルはやった、とそう思った。魔眼が自滅したのだと。

 

『       Z    』

 

 だが、それだけで竜が討てるなら、ジャインも苦労はしていなかった。

 

「………え?!」

 

 エシェルは目をひん剥いた。崩れて、崩壊しそうになった魔眼が再び形を整え始める。その全身を起き上がらせ、元の形に戻ろうとしているのだ。再生している。

 

「ず、ずるいわよ!!なによそれ!!」

 

 エシェルは叫んだ。子供のケンカのような抗議だった。当然竜の魔眼がそんな抗議を聞くわけもない。更に足下から何から、いつの間に黒い根に全方位が囲まれている。そしてそれらから魔眼が出現した。

 

「ひっ!わっ!【結界!!】」

 

 エシェルは悲鳴を上げ、鏡を生み出した。ジャインと自分を守るようにその全方位に鏡が生まれる。あらゆる攻撃の反射を行う盾だ。下手な結界よりも当然凄まじく強力だ。

 

「……ふっ……ふっ……!」

 

 当然、使用者は相応に消耗する。最初、塔の護りに自分の力を使うことを提案し、カルカラとリーネの二人から即座に却下された理由はこれだ。エシェルの額から汗が噴き出す。

 

「……バカ、てめ、なんで出るんだ、お前が」

 

 背後から、酷い顔をしたジャインが抗議の声をあげる。彼の指摘は正しい。エシェルはウーガの女王で、司令塔が前に出るなんて最悪なのはわかってる。

 だが、それでも、エシェルも少しばかりは抗議したい気にもなった。

 

「お互い様でしょ!!貴方が死んだって大変なことになるのよ!!?」

「お前が死んだら、本当に、終わりなんだよ」

「制御印ならもう複製してグラドルに預けてるわよ!」

「そういう、問題、じゃ……クソ……」

 

 口喧嘩を続ける気力ももう無かったのだろう。ジャインはがくりと気を失った。エシェルは急ぎ、丸焦げになっていた顔と血塗れになっている脚に備えていた高回復薬をかける。これで、多分一命は取り留めた、と思う。だがまだ油断はできなかった。

 

「早く、転移の鏡で、脱出、を……」

 

 くらりと、頭が揺れる。もう鏡の盾の結界の維持に疲れ始めたのだろうか?と、思った。自分の許容を越える力を使いすぎるなと何度も注意されていた。

 だが、気付く。違う。コレは違う。これは、眠気だ!

 

「っは!!?」

『   z   』

 

 気がつけば、鏡の盾の隙間から黒い根が湧き出、そこから魔眼が形成されていた。鏡の盾は完全な密閉ではない。その隙間をこじ開けるように、押し入ってきている!

 

「んん!!!」

『 z  』

 

 力を込め、鏡の隙間を埋める。這い出ていた黒い根は圧力に負け、引きちぎれる。ぼとぼとと千切れた黒い根と魔眼は落下し、しかし、それでもまだ尚蠢いている。ぐにゃぐにゃと形を変えて、更に変化しようとしていた。

 

「【銃!!】」

 

 人差し指を向け、力を込める。指先から鏡の破片が射出され、魔物達を刺し貫く。

 

『   z 』

 

 鏡の精霊の力の使い方としてはあまり賢く無いが、使い勝手は良かった。魔導銃を扱い続けていたお陰だろうか。一度打ち込んでも死なない魔眼達に何度も鏡を打ち込み、完全に動けなくする。

 

『     z    』

「なんでこんな、しつこいの……!」

 

 だが、窮地は続く。強引に鏡は閉じたが、また入り込もうとしている。エシェルが鏡を操り力を込め続けないと割って入ってくる。【転移の鏡】はまだエシェルは集中しないと使えない。このままは身動きが取れない。

 

「ジャイン!ジャイン!お願い!!起きて転移の巻物を使って!!」

 

 ジャインなら転移の巻物を持っている、と、信じて叫ぶ。だが、ジャインは目を覚まさない。身動き一つしなかった。死んでしまったのか?とゾッとするが、それを確かめようにも、少しだって身体を動かせそうになかった。

 

「う、うう………!」

 

 早くも勝手に動いたことを後悔しそうになって、涙が零れ出た。だが込めた力は決して崩さぬよう努めた。なんとか状況を打開しなければならないのは分かっている。だが、どうすれば良いかが分からなかった。

 根本的な経験不足が響いていた。窮地の際の瞬発力はまだ培われていなかった。

 

 外から幾度となく爆発音が響く。鏡は衝撃の全てを反射し、ダメージを無効化するが、衝撃音まではかき消すことはない。鏡の中にいるエシェル達を殺そうという圧倒的な悪意と敵意がエシェルの心をガリガリと削った。

 

「ひ、ひい……カルカラ、カルカラ……ウル……!!」

[なんだ 呼んだか?]

 

 不意に、顔を上げる。ウルが居た。

 灰色髪の只人の少年。少し目つきが悪い小柄の彼が、エシェルに向かって笑い、手を差し伸べている。

 

[ほら、早く逃げるぞ]

「……ああ…………ああ……」

 

 エシェルは泣きそうになりながら手を伸ばす。彼女の心は安堵感に包まれていた。

 否、”強制的に包まされていた”

 

『   z 』 

 

 彼女が必死に倒そうとしていたい竜の根の断片はまだ生きていた。

 身体中を鏡に貫かれ、ズタズタに切り裂かれて尚、半分残った魔眼をぎょろりとエシェルへと向けている。それは”幻覚”の魔眼、対象の望むもの、望む形を相手に見せて、惑わせる悪辣な魔眼によってエシェルは正気を失っていた。

 今尚、プラウディアで戦っているウルが此処に居るはずがない。彼女だってそんなことは当然理解できている。だが、思考にもやがかかり何も考えられない。

 塞いでいた鏡が開かれる。ウルと思った何かを迎え入れる為に。

 

『      Z      』

 

 そして出現した魔眼は、自失状態のエシェルを酷く嘲るようにその目を歪めながら、魔眼を閃かせた。

 





明日の投稿は18時に2話投稿いたします。よろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

かくしてソレは全てを嘲笑う

 

 

「いけない!!!エシェル様!!」

 

 ”風の少女”の力で上空からその様子を眺めていたカルカラは悲鳴を上げる。遠方からなにがどうなっているのか分からないが、ジャインが居た場所にエシェルが何故かいて、エシェルが魔眼の前にその身をさらしている。

 つまり窮地だ。このままでは彼女が死ぬ。カルカラは”風の少女”に急ぎ振り返った。

 

「私への力を解いて!!」

「で、でも!」

「急いで!!貴方はここから離れてウーガの空気の浄化だけは続けてください!!」

 

 風の少女は少し躊躇ったが、頷き、カルカラへの力を解いた。カルカラは当然その場から真っ直ぐに落下する。カルカラは【岩石の精霊】の力で自らの手の内に巨大な石を生み出し、その形を整えた。

 

「【岩の大剣!!】」

 

 巨大なその大剣を振りかぶり、そして躊躇無く、エシェルを今にも焼き殺そうとしている巨大な魔眼にふり下ろした。

 

『Z         Z   』 

 

 巨大な魔眼が崩れる。カルカラはその結果を横目にエシェルを見る。自らが生み出した鏡のシェルターの中にいる彼女は虚ろな目をしていた。カルカラが近寄ってもまるで反応しない。

 

「…………」

「幻覚、混乱の類いか!!!」

 

 カルカラは即座にその症状を見抜き、周囲を見渡す。鏡のシェルターの隅に魔眼の輝きを確認するや、即座に巨大な大岩をたたき落とし、潰した。

 

『z   』

「エシェル様!しっかりなさってください!!」

「……………カ、ルカラ……?」

 

 反応が返ってきた。まだ寝ぼけている様子だが、問題なさそうだ。カルカラは小さく安堵した、が、まだ全く油断出来ない状態なのは間違いなかった。

 奥にはジャインの姿も見える。カルカラは彼も引き寄せ、振り返る。急ぎこの場からでなければ――――

 

『z   』『  z』 『z』『   z   』『z 』『     z    』

「…………!!」

 

 そして振り返った先に竜の根から生まれた大量の魔眼が溢れかえり、こちらに這い寄ってきていることに気がつき、絶句した。数十はあるであろう魔眼達は多様な輝きを溜め始める。

 カルカラは咄嗟に大岩を生み出し魔眼の視界を遮ろうとしたが、間に合わない――

 

「火球撃て!!!!」

 

 そこに、新たな声が響く。魔術の火球が連続で放たれ、魔眼達が焼き砕かれていった。焼き払われた魔眼を踏みしめ、【白の蟒蛇】達が入ってきたのだ。

 

「ジャインは!?」

 

 白の蟒蛇のナンバー2,ラビィンは開口一番に叫んだ。カルカラが横たわっている彼を指すと、彼女はびっくりするくらい素早く彼の元に近付いて、そして彼の生存を確認し深く溜息をついた。

 

「エシェル様が、無茶をしました」

「…………感謝するっすよ。本当に」

 

 非常に短く、はっきりとエシェルに向かって感謝を彼女は告げた。そして即座にナイフを引き抜くと、カルカラへと強く頷いた。

 

「ウーガを出るっす!もう此処はダメっすよ!」

「……やむを得ませんね」

「死んだら終わりっす!急いで!!」

 

 カルカラも朦朧としたエシェルを背負い、鏡のシェルターから飛び出す。なんとか活路を見出し、逃げなければならない。魔眼を蹴散らして、なんとか外へ――

 

『               Z              』

『        Z  』 『       Z 』  『 Z        』

『 Z    』『  Z 』『 Z    』『  Z 』『 Z 』『 Z 』『 Z 』『 Z 』『 Z 』『  Z  』『  Z 』『 Z    』『  Z 』『 Z 』『 Z  』『    Z 』『 Z 』『 Z    』『  Z 』『  Z 』『 Z 』『 Z 』『 Z』『     Z 』『Z』『 Z 』『 Z     』『    Z 』

『               Z              』

 

 

 その考えが、酷く甘い代物であると彼女は即座に思い知る。

 ジャインが破壊を試み、エシェルが反射で焼き払い、カルカラが叩き潰し粉砕した魔眼達。それと同程度か、それ以上の大量の魔眼が出現していた。周囲は”竜の根”で覆われ、右も左も、足下も、天井すらも魔眼がびっちりと埋まっている。

 

「…………こんなの、どうにもならない」

 

 白の蟒蛇の誰かが引きつったうめき声を上げた。

 再び魔眼が輝き始める。カルカラは対抗する隙も手立ても無くその輝きに飲み込まれ――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エシェルは朦朧とした意識の奥底を漂っていた。

 

 自分の周りでなにが起きているのかは理解できている、気がしていた。だけどその事を考えようとするのを無意識に拒んでいた。魔眼により抵抗力を失い、険しい現実に晒されることを本能的に拒んでいた。

 

 ――目を覚まさなくても良いじゃない。目を覚ましても辛い思いをするだけ

 

 いつの間にか現れた幼い頃の自分が言う。顔に一杯傷を付けて、痩せこけて、髪もボロボロで、淀みきった目で語りかける。

 昔は確かにそういう風に思っていた。

 現実はあまりにも辛いことが一杯で、考えるだけで悲しみで胸が潰れた。だからあまり考えずに生きてきた。エシェルは昔のことをあまり思い出す事が出来ない。

 だけど

 

 ――でも、今は、そうでもないのよ

 

 そう、今は、そうでもない。

 大変なことは増えた。とてもではないけど、自分だけではどうにも出来ないことが一杯だ。でも、それを一緒に手伝ってくれるヒトが増えた。一緒に考えて、悩んで、助けてくれる人達が増えたのだ。

 

 だから、目を開けなければならない。

 

「…………」

 

 エシェルは薄らと目を開ける。現実を見る。

 カルカラの背中がまず映った。彼女には昔もこうしてもらった事を覚えている。彼女の背中はとても暖かくて、妹や弟達に打たれた傷が癒やされるようで、好きだった。

 周りにはラビィンや白の蟒蛇の皆がいる。少し前まで彼女たちはあまり好きじゃ無かった。ウーガに異変が起きたとき、どうにもならなくなった自分を真っ先に見捨てたから。

 でも、今はそんなに嫌いでも無い。最終的には彼らとも協力できたし、ちゃんと向き合って話してみると彼らだって悪い人達ではなかった。何より、カルカラと仲直りする切っ掛けを与えてくれた。だから彼らのことも嫌いじゃ無い。

 

 そして今、カルカラも白の蟒蛇の皆も、自分もろとも殺されようとしている。

 

「…………嫌だ」

 

 大量の、竜の魔眼を前にエシェルは小さく声をあげる。

 嫌だった。こんな結末は許容できなかった。だって、ようやく楽しくなってきたところだったのだ。がんじがらめになって動けなくなっていたところを引き上げられて、助けられて、やっと前を向けるようになったばかりだったのだ。

 それが、こんな所で終わってしまうなんて、絶対に、嫌だ。

 

 ――いやなの?

 

 目の前に、再び自分が現れた。

 でも、自分とは少し違った。そのエシェルはエシェルと同じ年で、だけど真っ黒なドレスを身に纏っていた。ベールを被っていて顔は薄らとしか見えない。何か微笑みを浮かべているが、自分はあんな風には笑わない。

 あんな、怖くて、妖艶な笑みは浮かべない。

 

 ――死にたくない?

 

 死にたくない

 

 ――どうして?

 

 だって、もっと幸せになりたいから。

 もっと勉強して、もっと頭が良くなって、もっと強くなったら、そしたら彼と――

 

 ――ほしいの?

 

 ほしい

 

 それを聞いて、黒いドレスのエシェルは笑う。ゲラゲラゲラと楽しげに笑った。エシェルと同じ声で、だけどまるで世界そのものを嘲弄するような強く、響く笑い声だった。

 五月蠅いなあ、とエシェルは顔を顰める。でも耳を塞いでも声は聞こえてくる。

 

 でもそれは当然だった。その嘲笑は、エシェル自身の口から零れている。

 

 ――じゃあ、盗っちゃおうか?

 

 黒いドレスのエシェルは、エシェル自身へと近付いて、自分自身を抱きしめて、嗤った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 カルカラは死を覚悟した。魔眼の輝きは頂点に到達し、多様な悪意と殺意の塊はカルカラ達を一瞬で消し飛ばそうとした――――が、

 

「は?!」

 

 その直前に、彼女の周りに【鏡】が現出した。

 全てを反射する強大なる鏡は結界のように立ち並び、魔眼達の力の全てを反射する。魔眼達は鏡に映った自らの姿に向かって力を放ち、自らを破壊した。

 

『     ZZ  Z      』 

『  Z  Z       』  『     Z   Z  Z   』

 

 奇妙な鳴き声が連続して響く。魔眼達が鏡の向こうで自らが焼かれたことに混乱しているのが分かった。死の直前で命が助かったカルカラは一瞬呆然となって、しかしすぐに振り返った。

 

「エシェル様!目を覚まし――」

 

 そして目撃する。

 エシェルは、いつの間にか姿を変えていた。先ほどまで彼女は精霊の力を扱うための神官のローブを身に纏っていたはずだ。大量の護符を首からぶら下げて少々不格好ですらあったが、全ては彼女の安全のためだった。

 

「――――は」

 

 だが、カルカラの背中から自ら降りたエシェルの姿は、それとは全く違う。

 彼女が身に纏うのは真っ黒なドレスだ。黒いベールが顔を隠している。ドレスに散らばる輝きは、砕かれた鏡の破片だろうか。髪の色も、黒ずんだ赤い髪色が、真っ黒に染まっていた。指先にまで鏡はまとわりつき、それが爪のように禍々しく伸びている。

 

「ミ、【ミラルフィーネ】……?」

 

 エイスーラとの戦いで顕現した【鏡の精霊】をカルカラは思い出す。だが違う

 だって、()()()()()()()()

 エシェルが、ミラルフィーネの姿をしている。ミラルフィーネが、エシェルと重なっている。これでは、これは、これから起こるのは――

 

 

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 

 

 エシェルは嗤った。凄まじい声だった。間近でそれを聞いたカルカラも、ラビィン達も思わず背筋を震わせるほどの声だった。エシェル達を囲い覆い尽くしていた”竜の根”達が激しく揺れ動く。まるで怯えるように、のたうっていた。

 

『    ZZ     』『   Z   Z  』『 Z     』『    ZZ     』『    ZZ  Z     』『      Z 』『Z』『  Z   Z 』『  Z    Z 』

 

 同時に、魔眼達が動く。”混じった”とはいえ怠惰の竜にしてはあまりにも素早く、魔眼達が生成され、それらは全て真っ直ぐにエシェルへと向かった。最大の脅威であると、そう認識するかのように。

 だが、囲まれて尚、エシェルは嗤う。嗤って、嗤って、嘲笑う。

 

「――――嗚呼」

 

 【邪霊の愛し子】は()()()だ。

 祈りを捧げた直後からその力を使える異常な強さに、誰もが勘違いしていた。

 彼女は力を貸し与えられたのではない。

 

 彼女は()()()()()

 

「ちょうだい?」

 

 鏡の精霊ミラルフィーネと入り交じった、新たなる【精霊憑き】が顕現した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂宴

 

「なんだって、ディズはアカネに拘るんだ?そんなに強いのに」

 

 ウルは一度、ディズにこう尋ねてみたことがあった。ディズはその問いに対して、ふむ、と首を傾げる。

 

「彼女への命乞いは聞かないけど?」

「そういうつもりじゃ……いや、そういう気持ちがあるのも否定はしないが、純粋に疑問では在るんだよ。なんでそこまでアカネに拘るんだ?」

 

 だって、ディズはもう十分に強い。彼女からすればまだまだで、彼女の同僚たる七天達と比べたら不足しているところもあるのかもしれないが、それでもやっぱり彼女は強い。

 そして、アカネの力もまた凄いものであるとは思う。だが、なんと言うべきか、ディズならば別にアカネに拘る必要なんてないのではないだろうか、とも思うのだ。ディズならアカネがいなくてもアカネがやることと同じ事が出来るはずだ。

 

「色んな武器にアカネは変身するけど、結局あれはディズが持ってるものだろ?」

 

 確かにその複製を沢山用意する、とまでなればアカネの唯一無二の力ではあるが、似たような魔剣聖剣を大量に用意することは、ディズにも出来るのだ。となると、ディズにとってアカネは「まあ使う分には便利かな」程度のものだ。

 だから彼女は未だアカネの活躍を見ても尚「分解せず生かしておく価値あり」とは認めていない。

 

 それはまあ良い。だが、それなら尚のこと何故彼女に拘るかわからない。

 

「アカネなんて大したことないんだから放置しとけば良いのに」

《んだとこらー!!わたしゃすごいんだぞー!》

「アカネ、兄が頑張って交渉してるんだから黙っててくれ」

 

 ぺしぺしとウルを殴るアカネをみてディズが微笑み、しかし首を横に振る。

 

「いくらかもっともだけどね。だけど、ちょっとウルはアカネを、というか【精霊憑き】を侮りすぎだね」

「というと?」

 

 少し説明しようか。と、ディズは姿勢を正す。ウルもそれに応じた。何故かアカネもウルの隣で空を跳びながら正座のポーズを取った。

 

「【精霊憑き】っていうのは、言うなれば一種の誤作動(エラー)なんだよ」

「誤作動」

「本来あってはならない事象さ。精霊とヒトが混じりあうなんて、理に反している」

《アタシ、そんざいしたらいけんの?》

 

 少しいじけるアカネの頭をごめんごめんと撫でながら、ディズは続ける。

 

「精霊はその力をこの世界で自由に振るうことが出来ない。神の制限が掛かっている。加護という形で人類に力を貸し与えて、それでようやく使えるようになる」

 

 そしてその加護にも制限がある。精霊との親和性の高い者しか、強い加護は与えられない。加護を手に入れて、必要なだけの魔力を注いでようやく精霊の力を人類は自らのものにできるようになる。

 

「ちなみに人類で最も精霊との親和性が高い第一位《シンラ》で一割くらいの力を貸し与えられる、と言われてる」

「一割……?シンラで?」

「そう。そして【精霊憑き】だ。精霊の加護じゃない。精霊が直接人類と混じった状態だ。どういうことか分かる?」

 

 当然ながらそれは”貸与”によって何割かが使えるようになるなどと、そんな次元の話ではない。なにせ、精霊憑きは、精霊そのものなのだから。全ての力が使える。そして人類でもあるが故に、精霊の制限を持たない。

 まさしく、バグだ。存在自体が狂っている。

 

「……でも、アカネは、アカネのままだぞ?精霊がくっついてるっていってもそんな感じじゃない」

《んにゃ?》

「それにそんな強くない。繰り返すが」

《くりかえすのやめーや》

 

 精霊という存在が混じっているというのなら、彼女は元となった精霊が入り交じっているはずだ。しかし彼女はそのまま、ウルの妹だ。

 そして、精霊の力を自在に扱えると言っても、彼女はそれほどまでに強大な力を有しているかと言われると、やはりピンとこない。ウルの知る神官たちの力と比べて遜色ないと言えば凄まじいが、裏を返せば神官たち以上の力をふるっているようには思えない。

 

「【赤錆】が元々信仰対象として弱すぎたというのもあるね。多分、弱り切ったところに彼女と混じったから、自我が溶けて一つになったんだ」

 

 【精霊憑き】の例は少ないが、大体はそうなるのだと彼女は言う。直接精霊に憑かれると言うことは、そうしなければならないほどその精霊の信仰が希薄になり、存在できなくなっていると言うことなのだから。

 

「そして弱いが故に、力はそれほどでもない。たとえ10割の力が使えても」

《そろそろなくで?》

 

 ごめんごめん、と、ウルとディズは二人でアカネの頭を撫でた。

 

「だけどもしも――――」

 

 そしてそうしながら、ぽつりとディズはつぶやいた。

 

「もしも?」

()()()()()()()()()()()()()が、人類と混じって、その力を自在に操れたら」

「……操れたら?」

 

 問うと、ディズは目を瞑り、噛みしめるように言った。

 

「誰の手にも負えない」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラビィンは獣人特有の長い耳をピンとたてていた。

 ヒトと比べて感情が出やすい自分の耳を彼女は嫌っていた。正確に言うと自分の育ての親であるクソどもが嫌って、何度も殴られた。耳を切ろうなどと宣い始めたので訓練を行い、表には絶対に出ないようにと努めたのだ。

 だから、音を拾うときに自分で動かすことはあっても、恐怖の感情では彼女の耳は動かない。死ぬ間際だってピクりともさせない自信が彼女にはあった。

 それが、今崩れた。死でも崩れない不動の耳が恐怖に無様に硬直し、すくみ上がっている。しかもその恐怖は敵にでは無く、味方によって与えられたものだった。

 

「あはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 エシェルは嗤う。先ほどからずっと嗤っている。頭がおかしくなったのだろうか、とも思う。だが、狂気に陥った者特有の破綻した笑いとも、また違った。

 まるで、世のあらゆるものを嘲弄するような、その逆に慈しむような、矛盾した印象を同時に与えてくる。それが気持ちが悪かった。ヒトが受け止めるにはあまりにもその感情は重すぎた。

 

「え、シェル、様」

 

 となりでカルカラが彼女の元へと寄ろうとしたので、強引に腕を引っ張って止める。

 

「何を!」

「馬鹿っ!!死ぬっすよ!!?」

 

 抗議しようとするカルカラを無理矢理に抑える。勿論ラビィンにもエシェルの今の状態がなんなのかは分からない。絶対に近寄ってはならないことだけはハッキリとしていた。

 それほどまでに今の彼女は不吉であり、何よりもその彼女を狙っている明確な悪意が存在している。

 

『         Z           』

 

 竜が、ジッと彼女を見ている。

 最早、竜はラビィン達のことなどどうでも良いのだろう。大量の魔眼が一つもラビィン達には向けられていない。その全てがエシェルへと向いていた。そして

 

『    Z』  『 Z      』『     ZZ  Z 』

 

 連続して爆破が起きた。同時に大量の竜の根がエシェルへと殺到する。槍のような鋭さを伴い至るところから爆破の中にいたエシェルを刺し貫いた。カルカラは声にもならない悲鳴を上げるが、最早その衝撃でラビィン達は近付くことすらままならなかった。

 

「転移の巻物急げ!!!!」

 

 ラビィンが叫ぶ。兎に角此処を逃げなければ死ぬだけだと理解した。魔術師達は慌てて巻物を用意する中、ラビィンだけはエシェルを注視した。彼女から目を逸らすことだけはダメだと、【直感】で理解できていた。

 竜の魔眼の爆発と、大量の根による刺突。通常ならば勿論生きてはいない筈だ。しかし先程から漂っていたあまりにも得体の知れない気配が、全く消えては居なかったから。

 

「あは」

 

 笑い声が響く。

 爆発の粉塵が晴れる。当然のようにエシェルはまだそこに立っていた。身体に幾つもの”竜の根”が突き刺さっているにも関わらず、彼女は平然としている。血すらも流れない。

 

「ちょうだい」

『 Z……    』

 

 プツリ、となにかの音がした。

 気がつけば、竜の魔眼の内、最も大きかった一つの中心に大きな穴が空いていた。しばらくすっぽりと穴は空いたままで、時間経過と共に欠損に気がついたのか、遅れて血が噴き出し崩壊する。

 

「ちょうだい ちょうだい ちょうだい ちょうだい」

 

 魔眼に穴が空く。穴が空く。穴が空く。穴が空く。穴が空く。穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が空く穴が穴が穴が穴が穴が穴が穴が穴が穴が穴が穴穴穴穴穴穴穴穴穴穴穴穴穴穴!!!!!

 

「あはははっはははははははははっはははははっははははははは!!!!!!!」

 

 竜の魔眼達が崩れていく。ズタズタに引き裂かれていく。エシェルが嗤い、その爪を振るたびに、それになぞって触れてもいないのに竜の根がそげ落ちるのだ

 

「伏せろ!!!身体を伏せろ!!!」

 

 ラビィンはカルカラを押さえ込むようにして部下達に声を張り上げる。彼女の削ぎ落としは縦横無尽に振り回されている。明らかにコチラに対して配慮されていない。

 狙いは竜で間違いないが、下手すれば巻き添えで脳天に穴が空く。

 

『Z    ZZ              z   ZZ Z   Z Z Z』

 

 竜の奇妙な鳴き声が連続して響く。疑う余地も無くそれは悲鳴か、断末魔の類いだった。渦中のエシェルは鏡のシェルターから既に飛び降り、竜の根の中で踊り続けている。

 黒いドレスが舞う。鏡が煌めいて、少女は嗤う。そのたびに竜が抉れていく。

 

『ZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!』

 

 竜が、叫んだ。

 引き裂かれ続けた竜の根の残りが蠢く。一カ所にまとまる。少女から逃れるようにかき集まる。竜の根の大樹の先にあった爛れた身体にそれらはまとまり、一つに戻る。

 竜としての形を取り戻したそれは、そのまま翼を翻した。よろよろと彼方此方から腐敗した血を吹き出しながら飛んでいく。

 

 竜が、逃げていく。

 

 否、正確には逃げようとした。

 

『  Z      z  ZZZZZ    Z     !?!?!?!!!!』

 

 飛翔していた竜が動きを止める。正確には空中でピタリと動きを止めた。

 歪な翼を蠢かし、エシェルから背を向けて逃げだそうとしているにも関わらず、何故か竜の身体が空中で捕らえられている。カルカラはその現象に覚えがあった。

 

 いつの間にか、ウーガ中に”蜘蛛の糸”が張り巡らされていた。

 

 螺旋図書館で見た、【呪王蜘蛛】の糸が、瀕死の竜をがんじがらめに捕らえていた。鏡の中から出現していた糸が、結界のようにウーガを覆い尽くしていたのだ。

 

「うふ、あはっははは」

 

 巣の捕らわれた羽虫のように藻掻く竜のザマをエシェルは嗤う。

 嗤って嗤って、そのまま自分の顔を隠すベールに手を入れて、まるで子供がやるようにあかんべーと舌を出して、指の腹で下瞼を押さえた。

 

「【爆散《ブラスト》】――――」

 

 そして見開かれたその【魔眼】で、蜘蛛の糸を引き千切ろうと藻掻き続ける竜を見た。

 

「【固着《ロック》】【裂斬《スレイン》】【幻覚《フラクル》】【発火《フレア》】【爆散《ブラスト》】【幻視《フラス》】【爆散《ブラスト》】【増幅《ブースト》】【爆散《ブラスト》】【発火《フレア》】【増幅《ブースト》】【爆散《ブラスト》】【石化《メディウサ》】【爆散《ブラスト》】【雷火《エレク》】【爆散《ブラスト》】【墜天《グラビ》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【浸食《リューガ》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】【爆散《ブラスト》】――――――」

 

 ――――同時に、彼女の背後から無数の鏡が()()()()()出現する。

 

 鏡は竜を囲う。魔眼を映した鏡は、向かいの鏡の魔眼を反射し、無尽蔵にその輝きが増殖していく。竜の眼が、その元の主を睨み付け、嘲笑う。

 

 

「【鏡花爛眼《マギカスフィア・オーバーフロー》】」

 

『Z―――――――           』 

 

 

 混成竜は、簒奪された自らの魔眼によって、跡形も無く消し飛んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 司令塔、屋上

 

「――――――」

 

 一連の動きを遠見の魔術で確認していたリーネは絶句していた。彼女だけではない。【白の蟒蛇】の魔術師達も揃って言葉を失っている。魔物達の襲撃は今も続いており、緊張状態が続いているはずなのだが、そんなことすら全く気にならない。

 

「……竜、消滅、しました」

「…………そ、うね」

 

 かろうじて状況を説明する魔術師に、リーネはなんとか頷く。だがそれでも結果を飲み込むのに時間を必要とした。

 リーネの本質は魔術師だ。そして魔術は世の理を紐解いて、理解し、そして利用するものだ。彼女が扱う白王陣が例えどれだけ強大であっても、そこには正しい理屈がある。

 だが、エシェルが引き起こしたアレに、理屈など無い。あまりにもデタラメで、あまりにも理不尽だった。危険すぎる。恐ろしすぎる。出来れば白王陣に利用したい。いや、それは兎も角として、まずはなによりも、

 

「エシェル達を助け出さなきゃ!!救護班!!」

 

 リーネのその指示にハッとなって、緊急時の救護部隊が動き出す。竜が倒された以上、一先ずはウーガ内部は安全だろう。竜との戦いの前線に出た全員を助け出さなければ――

 

「……!?」

 

 だが、そんな彼女の指示を尻目に、黒いドレスが舞った。

 

「エシェル!?」

 

 遠見に映るエシェルが宙に浮かぶ。カルカラが何やら彼女に向かって叫んでいるが、エシェルは聞こえている様子はない。そのままふらふらと宙を彷徨った後、不意に空を飛んだ。

 飛翔の魔術でもとても追いつかないほどに速い速度で、ウーガの結界を越え、すっ飛んでいってしまった。

 

「…………あ、あれ、バベルの方角……か?」

 

 誰かがそう言った。リーネもそう思った。彼女が飛んでいった方向は、恐らくプラウディアだ。彼女はプラウディアの、恐らくは【バベル】へと向かった。それが果たしてどういうことかというと、だ。

 

《――――。――――リーネか?やっと通じた!》

「………ウル?」

 

 竜が消えたからだろうか。冒険者の指輪から通信魔術が飛んできた。焦ったようなウルの声に、リーネは少し呆然としながら応じた。

 

《そっちは無事か?!死にそうな奴いないか?!そんでウーガを使えるか?!!》

「…………そうね。一つ一つ行くわ」

 

 深々と溜息をついて、リーネは落ち着きを取り戻すよう努めた。そして解答する。

 

「こっちは、一応無事。魔物はまだ来てるけど、死にそうなヒトも今は居ない。予備の制御権もあるから少し時間もかかるけどウーガも使える、と思う。ただ――」

 

 彼女はエシェルが消えた闇夜の空へと視線を向け、目を細めた。

 

「竜より不味いのが、ソッチ、飛んでいったわ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑪ スーア様救出作戦

 

 時間は前後し、 大罪都市プラウディア【真なるバベル】【癒療室】

 

「……………生き延びた、か」

 

 【白海の細波】ベグードは身体を起こす。痛みは無いが、身体の彼方此方が軋むのは恐らく回復薬の影響だろう。だがなによりも大きな違和感は右腕だ。

 

「よりにもよって利き手か……」

 

 彼の右腕は幾重にも癒やしの術式の刻まれた包帯が巻かれていた。鈍痛がずっと続いている。そして感覚が酷く鈍い。意思通り動かせはするが、精密な剣技を武器とする彼にはキツイ怪我だった。

 普段の彼であれば、この傷を負った時点で前には出ない。自身の剣先がブレた状態で他人の命を背負うなんてご免だった。しかし今は、そんな剣でも無理矢理振り回さなければ、もっと多くの命がこぼれ落ちる現場にいる。

 

「……行けるか」

 

 ベグードは険しい表情のまま、腰に備えたままの細剣を握りしめる。右手の痛みと身体の軋みを押さえ込むようにして、剣を引き抜き、

 

「失礼、ベグードさんの様子を――」

「あ」

 

 不意に現れた【歩ム者】のウルの姿に力が抜け、剣がすっぽ抜けて彼の頭上やや上のテントの柱にベグードの愛剣は突き立った。

 

「…………」

「…………」

 

 馬鹿馬鹿しいが死にかけたウルを余所に、ベグードは突き刺さった剣を引き抜こうとした。が、高い位置に刺さったそれを引き抜くことは困難だった。やむなくウルがそれをそっと引き抜いてベグードに手渡す。

 受け取ったベグードは鞘に収めると、ウルに向き直った。

 

「ノックして入れ」

「ここはテントだパイセン。他に言うことは」

「……悪かった」

「はい」

 

 流石に謝った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「で、戦況はどうなっている?」

 

 ベグードはウルが持ち込んだ携帯食を囓りながら尋ねる。普段彼が口にしている物と比べれば美味かった。神官達も混じる混成軍であるからか、用意されてる食料もちょっと良い物が使われていた。

 元々食欲が細い方で、しかも今は傷が痛むので味が良くて口に含むのに苦痛が少ないのは助かった。これで何時ものぼそぼその食料だと強引に押し流さなければならなかった。

 

「スーア様を喰った竜を巡って攻防が続いている」

「……まだ、あの方は取り返せてはいないか」

「あの竜以外にも2体の混成竜が出た。魔物も大量で、形勢は悪い」

 

 つまり、計三体の混成竜が今バベルを蠢いているということになる。

 悪い情報だ。恐らく大罪迷宮プラウディアが勝負を仕掛けてきている。【天祈】のスーアを首尾良く捕らえたことで、此処が勝負所だとそう思ったらしい。

 此処で僅かでも下がれば、その瞬間戦線が崩壊する。

 

「だから私の様子を見にきたか。復帰できるかの確認だな?」

「ビクトール騎士団長が、無理をさせるが可能ならば頼むと」

「了解」

 

 今少し気絶していれば休めただろうか、などという考えはすぐに捨てる。眠ったまま何が何だか分からないうちに死ぬよりは、戦って死ぬ方がよっぽどマシな死に様だ。

 なにより彼を待つ【白海の細波】の部下達がいる。彼らを放置する気にはならない。

 

「支度してすぐに出る。お前も戻れ、僅かであれ貢献すると良い」

「分かった……それとこれを」

 

 そう言ってウルはカップを差し出した。なんだ?と分からぬままにベグードはそれを受け取り、カップをのぞき込んで、そしてもっと分からなくなった。

 

「…………これはなんだ?」

「お茶だ」

「七色に輝いているが?」

「お茶だ」

「この異臭は?」

「お茶だ」

 

 ベグードはウルを見た。ウルは真顔である。冗談を言っている雰囲気はない。

 

「……これを飲むとどうなるんだ?」

「とてつもなく元気になる。ああ勿論ドラッグの意味合いではなく」

「薬湯の類いか?」

「お茶だ」

 

 何故その点を譲ろうとしないのだろう。

 という疑問はさておき、まあ、流石に世界の命運が掛かるであろう危険な場で、アホみたいな冗談を口にしたりはしないだろう。ベグードは暫く顔を顰めていたが、意を決して一気にカップを呷った。

 

「――――」

 

 そして死んだ。

 

「それじゃあ、俺も戦場に戻るのでパイセンも後から頼む」

 

 その捨て台詞を吐いてウルは去って行った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 真なるバベル 作戦本部

 

「……勝負所だな」

 

 騎士団長ビクトールが小さく唸る。作戦本部に広がるのは【歩ム者】のシズクが展開する魔本。【真なるバベル】を中心とした簡易図。そこには現在ビクトール達が内にいる防壁、そこに群がる大量の魔物達、そして外部で暴れる三つの混成竜が確認できた。

 

 一体は【天祈のスーア】をその腹に捕らえた飛翔する魔眼の黒竜

 二体目、現在【神鳴女帝】が一人で抑えている空中庭園を縦横無尽に駆ける蒼竜

 三体目、神官と魔術師の混合部隊により足止めを行っている愚鈍にして巨大な灰色竜

 

 この三つの竜を押さえ込めなければ、終わる。

 まず、大軍となる魔物達の圧は強くなっている。まだ幾らかは【ウーガ】に逸れている分マシでは在るのだろうが、しかし何時までも抑えられない。【天祈】が完全に封じられているのがあまりにも痛い。

 だからこそ、大罪迷宮プラウディアも残る竜2体を出したのだろう。続けて出さない事を鑑みるに、今はまだ、これ以上の大物の増援は無いだろう。ここで向こうが竜を温存する理由は無い。あと一歩押し込めば天賢王を守る盾は崩壊するのだから。

 

 だが、逆を言えば此処をしのぎさえすれば、勝てる。まさに勝負所だ。

 

「灰色竜が止まりません!予備の魔術師部隊を追加しますか!?」

「ダメだ。まだ終わりが見えていない。此処でローテを崩せん」

 

 プラウディアの七天達からの一報があれば、あるいは【天祈】のスーアの救助が成ればまた話は変わる。だが、

 

「【竜殺し】を使い、竜の足下を狙え。幾らかの阻害にはなる。スーア様の代用となる広域爆散術式はあと何回分残ってる?」

「後5回ほど!それ以降は魔力の充填にしばらくの時間を必要とします!」

「10分後に二回分使用して魔物達を払え。待機中の防壁部隊に準備させろ。場合によっては次の交替は長くなる。強壮薬も配れ。癒療班も待機させろ。王のご様子は?」

「「まだ平気だがすこしきつい」とのことです!」

「あの方は正直にしか言わんからな……了解した。呼びかけた冒険者達は?」

「あちらに」

 

 よし、とビクトールは指定されたテントに入る。中には幾人かの冒険者達が集っている。現在、体力、気力に余裕がある余剰戦力達だ。イカザがいないのは心許ないが、現状防壁を維持する部隊を欠かすことが出来ない以上、自由に動け、尖った戦闘能力を持つ彼らが頼みとなる。

 そしてその中には【白海の細波】のベグードの姿もあった。ビクトールは少し安堵する。癒療室に連れ込まれてから暫く意識を取り戻さなかったから、間に合わないかもと懸念していたのだが、なんとか復帰してくれたらしい。

 

「ベグード、問題ないか?」

「なんとか。少し剣先が鈍るかも知れませんが、仲間に助けて貰います」

 

 その言葉に白海の細波のメンバーも力強く頷く。ビクトールは少し安心したように笑顔を向けた。

 

「顔色も、此処に運ばれるよりもずっとマシになっている」

「…………ええ、まあ」

 

 そう言うと、何故かベグードは酷く複雑な表情をしながら、同じテントにいる【歩ム者】のウルを睨み付けた。ウルは全力で目を逸らしている。なにがあったのかは知らないが、とりあえず元気になったならそれでいい。

 作戦に支障を来す不仲はご免だが、多少のトラブルなら世界の命運の前には些事だ。

 

「では、これよりスーア様救出作戦会議を開始する」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑫

 

 飛翔する魔眼持ちの黒竜

 スーアを腹に抱えた竜。バベルの面々にとって目下の課題だった。これだけはなんとか処理しなければ、後が無いのだ。天祈無しの戦い方も勿論彼等は想定しているが、それがあくまで凌ぐためのものでしか無いのだ。

 

「まずは天陽結界付近の穴でもがいてる竜を引きずり下ろす必要があります」

 

 結界の寸前で漂う竜が、結界の外に出てしまったら、その時点で救出の難度は跳ね上がる。根本的に【陽喰らい】は結界の内部で戦う事を前提とし、天陽結界を起点に多重の補助結界をかけている。結界の外に出るだけで、用意の大半が使えなくなる。その中で竜を対処するのは困難だ。

 まずは逃げられなくする。それが重要だった。

 

「天賢王にこれ以上の負担はかけられない。まずは落とし、神の手の使用を控えて貰う」

「黒竜の討伐は手伝って貰えないと」

「落下するプラウディアを抑えるという大任は、我々の想像以上の負担だ。既に霊薬も10本消費しておられる。これ以上は命に差し障る」

 

 陽喰らいを乗り越えたとして、天賢王に死なれれば負けたようなものである。その方針に全員同意した。

 

「竜殺しを複数使用し、更に消去魔術で飛行魔術を損なわせ、落とす。あの巨体に対して翼は小さい。どう考えても自前の筋力で飛翔しているとは思えん。その後、翼を落とす」

「首尾良く落として、その後は?あの大量の魔眼はどうするのです」

 

 問うのはベグードだ。魔眼にたたき落とされた彼はその警戒の度合いが強い。通常であれば一種程度しかない魔眼が多種大量に身体にあり、しかもそれを連射するのは滅茶苦茶だった。

 

「あるいは魔眼も消去魔術で抑えますか?範囲内ではコチラも大半の魔術防護を失いますが……」

「いや、消去魔術ではなく、魔術による砂塵を起こし”魔眼の視界を潰す”。相手が竜であろうとなんだろうと、魔眼という特性そのものまでは変わらない、筈だ。確定ではないがな」

 

 視界に収めた対象に魔術をかける。

 それが魔眼の根本的な特性だ。そしてそれは相手が竜であっても変化はない。”目”という形をとった以上、その筈だ。

 

「でも、魔術で砂塵を起こすなら、消去の魔眼で消されたりするのでは?」

 

 術者の一人が問う。ビクトールは頷いた。

 

「あれだけの魔眼の数だ。消去の魔眼も無いとは言えまい。だが、砂塵の一部が消され始めたら、魔眼の位置特定は容易だ」

「戦闘部隊がそれを潰すと」

「砂塵……此方の視界はどう確保するのだろう?」

 

 【歩ム者】のウルが問うた。するとこの場における唯一の神官が胸を張った。

 

「作戦参加者には私が信仰の対象、【灯火の精霊】の加護を授けよう。案ずるな」

「灯火」

「太陽神ゼウラディアが休まれる闇夜を裂き、視界を確保する強き力よ。崇めよ」

「とても凄い」

 

 ウルは賞賛した。神官は満足げである。

 

「消去の魔眼を優先的に潰し、その後全ての魔眼を破壊していくと。しかし、当然竜も抵抗するのでは?」

 

 同じく【歩ム者】のシズクが問うた。主にレーダーとして活躍してくれていた彼女だが、今回は彼女も戦闘に参加する。魔本に関しては情報班にそれを預けている。

 

「確かに、大きな抵抗が考えられる。そもそもこの魔眼の破壊の手順も何処で崩れるかは不明だ」

 

 ビクトールは正直に言う。作戦を指示する者としてはあまりにも情けのない話だが、竜を相手に「ここをこうしたらこうなる」といった道理は通じない。道理を前提に作戦を組めば、その道理は破壊され、立て直せなくなる。

 だから基本、竜と戦う場合「失敗した場合の次善策」を幾重にも敷く。しかし今回の場合、それができない。

 

「竜三体の同時対処、その全てに手を回している以上、次善の策を組むのが困難だ」

「ではこの作戦は、ある程度は強引にでも通さなければなりませんね」

「そうなる。無論前提がひっくり返るような代物が出てきたら話は変わるが……その時は改めて指示を出す」

「わかりました」

 

 あまりに心許ない作戦である。という前提の説明だったが、シズクは頷いて下がる。正直ここいらで辞退者がでる事も覚悟していた。だが、彼等は今だ動かず、各々の武器防具を確認している。

 流石に、ここまで来て逃げだすような覚悟の者はこの場にはいないらしい。ありがたいことだった。

 

「魔眼を潰したら、後は竜自体をかっさばいてスーア様を助け出すだけ、と。ちなみに対竜兵器はどれくらい融通出来んだい?」

 

 また別の冒険者が問う。

 

「【竜殺し】は20発ほど、竜落下時点で打ち込む予定だ。戦闘特化の精霊の加護を幾重にも与える。霊薬も一人一つ持って良い」

「大盤振る舞いだな」

「失敗は出来ない」

「だな……」

 

 冒険者は溜息をつく。全くもって、祈りの力が浅い冒険者達に対する対処としては破格の境遇と言える。だが、それでもやりすぎという事は無い。この作戦の成否によって今後の戦況は大きく変わるのだから。

 

 故に、なんであろうとも使える余剰戦力は全て使う。ビクトールはウルを見た。

 

「ウーガへの連絡は」

 

 ウルは首を申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「すまない。魔物の襲撃が来たと連絡が来たあたりからあまり連絡が通じなくなった」

「……いや、使えないならそれはそれでいい。そちらに魔物が分散しているだけでも、大きな助けになっているのは間違いない」

 

 惜しい、とは思う。だが今ビクトールが言った言葉は別に嘘偽りのつもりは無い。プラウディアが戦力を割かなければならないほどの脅威とウーガが認識して貰えたこと自体、大きなアドバンテージに違いなかった。

 無論、それはウーガが無事に襲撃から生き残ることが叶えば、という前提もつくが、そこは今考えても仕方が無い。

 

「では、作戦を開始する。各自の健闘を祈る。」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『んで、ワシらは先回りして竜落下地点の魔物達を潰しておく、カ。まあ安全な場所に回して貰ったの』

 

 天空庭園の輝く足場を疾走しながら、ロックはしみじみと答える。ロックの言うとおり、ウル達の今の役割は先行しての魔物達の撃破、及び竜落下後はその周囲の魔物が邪魔をしないように努めることとなった。安全、と言われれば確かにその通りだ。

 

「ですが重要な役回りです」

 

 シズクは真面目な顔で言う。ウルも頷いた。この役回りにふて腐れるつもりも無い。僅かでも助力をしなければならないギリギリの状況であるとも理解している。

 

「それに、本当に竜と俺たちがやり合わなくて済む保証、全くないからな」

『それもそじゃの……しかし、ウーガとの連絡はまだつかんのかの?』

「つかない。ずっと定期的に通信魔術は使っているんだがな……」

 

 観測部隊にもシズクにも、遠方のウーガの状況はつかめないらしい。何らかの魔術の阻害か、もしくは大規模な魔力が充満している影響か。それだけでもなんらかの異常に直面しているのはハッキリと分かる。

 正直言えばかなり心配だ。ウーガにいる面々の無事も不安であるし、そもそもウル達がこうして戦っているのはウーガを手に入れるためという打算故だ。そのウーガを損なってしまったら全くもって本末転倒だ。

 そう考えるとやはりこんな戦いに引きずり出したブラック巫山戯んなという話になるわけだが、彼の姿も未だに見えない。一体彼は彼で何処で何をしているのやら――

 

「ウル様。そろそろです」

 

 シズクの言葉でウルは視線を上空に向ける。黒い竜が上空やや前で蠢いている。竜の周りには巨大な手が竜の動きを捕らえんとしている。天賢王の力の顕現であるが、

 あれもまた、相当な無茶だと騎士団長ビクトールは言っていた。何しろ現在彼は大罪迷宮プラウディアの落下を押さえ込んでいるのだ。その上で竜を捕らえるというのは、両手で大重量の物体を背負いながら、片足で逃げようとする蛇を捕らえようとしているようなものであるのだとか。

 ウルにはそんな経験が無いので勿論どれだけ大変かは分からないが、長続きしないのだけは分かる。

 

「……うっし、魔物焼くか」

「竜牙槍とロック様のライン、繋げました」

『カッカカ!!では派手にいくかのう!!』

 

 途端、ロックンロール号がぐるりと回転する。ロックの【骨芯変化】を使い、戦車そのものの形を変貌させることで行う離れ業だ。巨大な車体がグルグルと回転しながら、その砲塔である竜牙槍を突き出し、そして解放した。

 

「【旋回咆吼】」

 

 巨大なる光線が全方位に向かって吐き出され、魔物達を次々焼き払っていった。

 

「カカカカ!!爽快じゃの!!火力も全開じゃ!!」

「魔石は喰いたい放題だからな。魔物達の数は馬鹿みたいにいる」

 

 そしてそのロックの蓄積した魔力を、竜牙槍に接続し【咆吼】を消費を度外視で撃ちまくる。中々に狂った戦術だ。ロックから竜牙槍に魔力を注ぐ効率が恐ろしく悪い上、竜牙槍自体の耐久性も問題のため制限はあるものの、ロックの言うとおり魔物が次々に薙ぎ払われる様はある種爽快である。それはつまり、適当に【咆吼】を撃ち放てば魔物に当たる状況であることも示されているのだが、そこは考えないようにした。

 今は兎に角全力で魔物を倒して後続に――

 

「ウル様」

「どしたシズク」

「大変です」

 

 ウルは顔を顰めて振り返った。

 

「……どうした?」

「降りてきます」

「なにが」

「竜が」

『あ、ほんとじゃの』

 

 ウルはロックンロール号の入り口を開け、空を見上げた。黒い竜が真っ直ぐに落ちてきた。ウルの顔が引きつり半笑いみたいになりながら叫んだ。

 

『GYAAHAHAHAHAHAHHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

「回避ぃ!!!!」

 

 間もなく竜が落下し、衝撃音が走った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑬

 

「どうして黒竜が既に落ちている!?」

 

 黒竜討伐作戦、その最初の最初で想定外に見舞われたビクトールは頭が痛い思いをする羽目になった。想定外は覚悟の上のつもりだったが、初手いきなりそれをくらうのは中々に胃にダメージが行く。

 結果だけ見れば竜が落ちたこと自体は良いことだが、それを幸運と捉えるにはあまりにも危険な要素が竜には多すぎた。

 

「飛翔から落とすための消去魔術師部隊、まだ動いていません!」

「では何故落ちたのか!!」

「自分から降りたように思えます!!」

「自分から…!?」

 

 解せなかった。

 黒竜はスーアを捕らえている竜だ。だからこそ必死に逃げようとしていた。その竜が自ら脱出口から目を背け、下に降りてくるなんてありえないように思える。

 が、実際に竜は降りている。そして下で魔物の掃討に従事していた【歩ム者】の側で暴れている。まるで自ら退路を捨てるように。

 

 もしやスーア様が腹の中で死んで、逃げる必要がなくなった?

 

 と一瞬思考が過り、ビクトールは首を振る。そうなれば戦況は最悪に悪くなる。無論、司令官として想定しないわけにはいかないが、それを前提に動くと恐らく士気が持たない。

 それにどのみち、竜は討たねばならないのだ。あの黒竜そのものも。

 

「騎士団長!!【歩ム者】の”変なの”が大変なことになってます!!!」

 

 情報班から酷くとんちんかんな情報が飛んできた。もっと正確にものを言えと怒鳴りたかったが、言わんとしていることは分かった。

 

「ええい!迷っている場合ではないか!!王には【神の御手】の解除を進言!!【竜殺し】用意!!翼を落とせ!!戦闘部隊は急行!!消去魔術部隊も合流しろ!!!急げ!!」

 

 作戦会議中、シズクが言っていたとおりだ。この作戦は多少の無理を通してでも強引に押し通らなければならない。それはつまり、幾つもの想定外が起ころうとも現場での状況判断とアドリブで乗り切る無茶が必要になると言うことだ。

 

 だからこそこの作戦は冒険者がメインなのだ。竜討伐という目的のみを共通として、様々な想定外に各々の判断で対応させるために。

 

「と、いうわけだから助けに行くまでなんとか凌げよ小僧ども!!!」

 

 竜の尻尾に引っ掴まれてブンブンされてる【歩ム者】の”戦車もどき”にビクトールは叫んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者】達の後続として竜落下予定地に向かっていたベグードは、結果として竜自らの墜落と共に吹っ飛び、その尾っぽに振り回されている【歩ム者】を見て目を見開いて驚愕していた。

 

「運、悪すぎか……!?」

 

 竜が降りてくるのもまあ想定外なのは良いとして、何故にアイツらはあんなに訳の分からん代物で動き回っていたのに、竜落下時にその真下にいるのだろう。

 しかも、衝撃の拍子にぶつかったのだか刺さったのだか捕まったのだか不明だが、長い竜の尾の先端に巻き取られ、今ブンブン振り回されている。悲鳴のような声が聞こえるから恐らく中にいるのだろう。頭が痛い。

 

「リーダー!どうします!?」

「予定通りまずは他とも連係し翼を落とす!”竜殺し”発射と同時に動け!!魔術師は砂塵を起こし、灯火の神官殿と連係しろ!!」

「【歩ム者】のアレは!?」

「あの不運な連中は私がどうにかする!!!」

 

 矢継ぎ早に指示をだしてベグードは跳び、剣を握る。

 身体は軋む。しかし起きたときと比べて悪くは無かった。細剣を握りしめる感覚もまだしっかりとしている。回復が終わったのか、解呪が済んだのか、あるいはあの激烈な味覚を脳天に与えるお茶を名乗る謎の液体のお陰か。最後が理由とは信じたくないが、やけに身体の調子は良かった。

 

「礼はしてやる!勝手に死ぬなよ!!」

 

 ベグードは固着させた空を駆ける。同時に地面に落ちた竜の周辺から砂塵が沸き始める。魔眼の視界隠しが発動している。これなら躊躇わず近づける。彼は竜の尾へと一気に空を蹴ろうとした。

 

「……!?」

 

 だが、その寸前でベグードは不意に宙を蹴り、身を翻した。

 頭で考えた動きではない。技能による第六感としての【直感】ともまた少し違う。熟練の冒険者として重ねてきた彼の経験が、彼の身体を勝手に突き動かした。

 そして、彼が進もうとした先で、風のような刃が奔ったことで、その反応は正しかったことを理解した。ベグードは自らの側面から新たに飛ぶ風の刃を睨む。【固着】の魔眼を発動させた。

 そしてその正体を見る。

 

『KIIII!!!』

「【鎌鼬】か!!!」

 

 空を駆ける風を巻き起こし、刃のようにして引き裂く魔物。群れで動き、鳥達や、場合によっては飛行艇なども襲う邪悪なる獣。

 それが竜の周りを飛び交っている。ベグードは固定した狸のような、しかし恐ろしく長い爪と翼を持った【鎌鼬】を切り刻み、即座に冒険者の指輪で通信魔術を起動させた。

 

「本部!【鎌鼬】が出現した!!竜の周りを飛び回ってる!!」

《確かか!?》

「確かだ!つまり”砂塵が消される”!!」

 

 言っている間にも、竜の周りに不可思議な風が巻き起こる。魔術で起きた砂塵を吹っ飛ばす。完璧に拭い去る訳ではない。が、砂と砂の狭間から、竜の魔眼がちらついて見える。

 

「っちぃ!!」

 

 ベグードが最初に吹っ飛ばされた時と比べれば威力は比較的マシだが、再び吹っ飛ばされて眠りこけるのは避けなければならなかった。

 

「魔眼を殺し切れていない。下手には近づけないぞ!!」

《……!了解だ!!近接は控えろ!!竜殺しと魔術師部隊で翼を狙え!!砂塵は緩めるな!!》

 

 騎士団長の指示を聞き、ベグードは更に距離を取る。だが同時に、解せない、というように眉をひそめていた。

 

「これは……いや、だが今は!!」

 

 ベグードは気を取り直し、コチラの首を掻ききろうと迫る鎌鼬に剣を向けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「竜殺しよおおい!!」

 

 備え付けられていた遠距離砲塔、【竜殺し】の射出装置を騎士達が設置し、構える。対竜に特化した殺意の黒槍はその威力はお墨付きだが、それ自体に射出威力の増強などの術式効果は刻まれていない。

 ただ、ひたすらに刺し貫いた相手を殺すための武装だ。故に射出装置は必要であり、また確実に当てるために距離も詰める必要があった。

 そしてその距離を詰めるまでは、何事も無かった。無論、防壁の外をぬけ、竜に近接する過程で多数の魔物達に襲われもしたが、想定の範囲には収まり全ては迎撃されたのだ。

 かくして全ての準備が整い

 

「狙うは翼だ!絶対に二度目の飛翔は許すな!!撃――――」

 

 【竜殺し】が射出される。その寸前だった。

 

『GHYAHYA』

 

 竜が嗤った、気がした。

 

「……!?竜から多数の魔力熱反応を感知!!【咆吼】が来ます!!」

「防御!!!」

 

 指示を出した途端。騎士達が防壁を起動させる。バベルの中心で天賢王を守る巨大なる防壁とはまた形が違う。範囲は小規模だが限られた範囲を守り切るためのシェルタータイプだった。

 同時に、竜の身体から光が放たれる。それらは真っ直ぐにコチラへとは向かわず、まず上空へと打ち上がった。竜の身体から幾つも伸びた光の柱は、そのまま大きく弧を描いた後に、真っ直ぐに、【竜殺し】の部隊の元へと降り注いだ。

 

「っぐう!?」

 

 騎士が衝撃に跪く。だが、防壁は崩れない。彼等とて、防壁の外で竜に襲われる覚悟と備えはしてきている。その程度の衝撃は織り込み済みだった。故に耐えられる。耐えられるの、だが。

 

「……な、がい!何時まで攻撃が続く!?!」 

 

 長時間、竜からの集中攻撃を耐えられる程に、頑強ではない。

 現場を指揮する騎士隊長は驚愕する。竜からの襲撃を受けたことそのものではない。竜からの攻撃が明らかに、こちらに一点集中していたからだ。

 天からの弧を描くような熱線。あれは明らかに狙い以外の場所に阻害されるのを恐れた軌跡だった。絶対に此処に居る自分たちを破壊しようという敵意をハッキリと感じていた。

 

「これは……!」

「隊長!!保ちません!!」

「防壁維持しつつ撤退!!竜殺しは損なうなよ!!!」

 

 撤退を指示する。すごすごと逃げ帰る羽目になるのは情けなかったが、竜殺しだけは失うわけにはいかなかった。だが代わりに一点、得られた情報があった。

 

「ビクトール騎士団長!!()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑭ 打消

 

 【真なるバベル】作戦本部 ビクトールは報告を聞いて額に深い皺を寄せた。

 

「ある程度の失敗は覚悟の上だったが、まさか何もかも上手くいかないとはな……」

 

 こうなってくるといっそ笑える。と思ったが、残念ながらピクリとも顔は動かなかった。

 

 だが、空から何故竜が自分から降りてきたかは理解できた。消去魔術をかけられ上空から落下しダメージを負うリスクを避けるためだ。更に砂塵による魔眼の防御は他の魔物を調達することである程度回避した。そして翼を奪おうとする竜殺しは先んじて潰そうとする。

 

 確かに間違いなく、向こうはコチラの作戦を読んでいる。だが、どうやって?

 

「スパイなどがいるのでしょうか」

「竜は人語を解さない。知性が低いのではなく、根本的に我々と大きくズレている」

 

 竜に対しての読心を試みた者がいたが、そのことごとくは廃人となった。あまりにもヒトとは感性がかけ離れていたためだろう。つまりその逆に竜達もコチラの事を理解は出来ないだろう。

 無論、ヒトと竜を介する何かがあればまた話も変わるだろうが、あるかどうかも分からない物を前提に考えても仕方ない。一先ずは作戦を盗み聞かれるなんていう可能性は低い、で良いはずだ。

 

 だが、それでは何故作戦が読まれるか?

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《たまたま偶然、と言うことは?》

《無い。この動き方はそうでは無い。》

《断言しますね、リーダー》

 

 竜の魔眼射程圏外、砂塵によってギリギリ射程圏外になったその場所で【白海の細波】は未だに鎌鼬と戦っていた。無数に沸いて出ては不可視の風で砂塵を消し飛ばそうとする鎌鼬達をベグードは切り裂いていく。その動きはとても効率的だ。彼等の周りには瞬く間に鎌鼬の死骸が積もり、砕けていく。

 

《魔眼封じの砂塵と、鎌鼬の出現はほぼ同タイミングだった。これを偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎている》

《でも、それならどうやって……』

《だから考えている。些細なことでも分かったら騎士団長に報告忘れるな》

『KI!!?』

 

 ベグードはそう言いながら剣を更に振るう。三体の鎌鼬が同時に細切れになり、砂塵の中、一見して小動物のようにしか見えない小柄な鎌鼬達は首を落として倒れた。

 順調に殺している。だが、それ以上に鎌鼬の数が多い。かなり執拗だ。何が何でも魔眼の視界を潰させまいとしている。魔術師達が力尽きるまでになんとかしなければ――

 

《……魔術師部隊は何処に配備された》

《我々からやや後方に守られている、筈ですが……?》

 

 それを聞くや、ベグードは空を駆けた。竜が降りた理由が落下防止の為の回避であり、その後ことごとくコチラの攻撃を潰してきている。対して砂塵の防御手段は鎌鼬の風による防御に留まった。

 だが、向こうの本来の目的は腹の中のスーアの奪取でありこの場からの逃走だ。

 ならば、砂塵を生む魔術師の部隊、【消去魔術】による飛翔能力の簒奪と落下を可能とする魔術師部隊を放置するわけが無い。

 

「本部!砂塵の魔術師部隊を下がらせ守りを固めさせてください!」

《もう指示をだしている!だがそのまま向かってくれ!!》

「了解!」

 

 つまり何かがあったのだ。

 ベグードは更に跳ぶ。飛び交う魔物達は片っ端から刻みながら近寄ると、魔術師部隊の姿が見えた。騎士達の防壁にて魔物達から身を守っている。だが、その防壁が激しく揺れていた。なんだ?と近寄れば魔物達の影に隠れ、一回り大きな塊が蠢いている。

 黒く、太く長い胴、蛇というよりも巨大な蛭のような生物がのたうちながら、防壁をかみ砕こうとしている。アレは、

 

「【子竜】か!!!」

 

 子竜(ドラゴンパピー)だ。成体とは言いがたい小型の竜が紛れている。しかも一匹や二匹ではない。どこから沸いて出た?!という疑問が頭を過るが、即座に動いた。

 

「【固着!】」

 

 魔眼はまず通った。その点に少し安堵しながらも至近の一匹に剣を叩き込んだ。だが、

 

「固いな……!」

『GYYYYYYYYYAAAAAA!!』

 

 赤子といえど竜は竜。皮膚は硬い。鱗のないぬらぬらとした黒い皮膚をほんの少ししか裂けていない。技量で引き裂ける強度を大幅に超えている。しかも力が強い。見た目と比べ明らかに重量がある。単純に体当たりされるだけでも骨が砕けるだろう。

 だが、小人でありながら前線の戦士として戦ってきたのがベグードだ。困難な強度を持つ敵との戦いは、慣れていた。

 

「腸まで固いか?」

『G!?』

 

 剣を引き抜き、身体の大きさと比べやけに大きな口に剣を突っ込む。当然鋭い牙で腕を食い千切ろうとするが。それを魔眼で固着させ止めた。

 刺し、捻り、引き裂く。子竜は固定されたままビチビチと痙攣し、間もなく動かなくなった。ベグードは返り血を浴びながら、剣を引き抜きそれを拭い感想を漏らした。

 

「”まだ”弱いな、本当に生まれたてか」

 

 だが、竜の成長は異様に早い。時間は駆けられない。ベグードは魔術師達を守る防壁に狂気じみた体当たりを繰り返す子竜を殺すべく急ぎ、同時に通信した。

 

「本部!やはりコチラの動きが全て読まれている!対策が必要だ!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ロックンロール号内部

 

「何故、どうやって竜は私達の動きを読むのでしょう……」

「シズク、考察しているところ悪いが俺たち今絶賛シェイクされて死ぬとこだからな」

 

 ウルはひっくり返った状態で考え込むシズクにひっくり返ったまま突っ込みを入れた。現在二人はロックンロール号の中に身体を押し込めている。

 

「恐らくはしばらくは大丈夫です。竜も、最初は着地の衝撃で暴れていましたが、今は腰を据えています。飛行の障害を潰すまで動くつもりがないのでしょう」

「そりゃ良い情報だが……今度はここからどう脱出するか考えなきゃいけないわけだ」

 

 ウルは身体の彼方此方に出来た青たんやたんこぶをさすりながらしみじみ言った。竜が急降下し強引に着陸した際、ロックンロール号は軽く吹っ飛び、同時に何をどう間違えたのか竜の尾の先の棘にぶっささってしまったのだ。

 

『器っ用~~~に装甲と装甲の隙間に差し込まれとるわ!こら簡単にはぬけんぞ!!』

 

 結果としてウル達はロックンロール号の内部で竜が暴れるに任せて結構な大ダメージを負うはめになってしまった。シズクも割と酷い姿で、額から血も流れている。

 だがあまり気にしている様子もない。じっと考え込んでいる。作戦本部からの通信で大体の事情はウル達も把握していた。それを聞いてから彼女はジッと考えている。そして不意にウルを見た。

 

「ウル様やロック様はどう思いますか?」

「どうって、言われてもなあ……」

『ワシはそういうの苦手じゃ、ウルに任す』

 

 ロックは早々に思考を放棄した。ウルはひっくりかえったまま頭を掻いた。

 

「正直なところを言うと、竜のスケールがデカすぎて、想像力が鈍い。」

 

 竜に作戦を読まれた、と聞いたとき、ウルが思った感想は「竜ならばそういう事も出来るのかも知れない」だった。相手との力量差が大きすぎて、思考が停止しているのだ。相手のスケールが大きすぎて、なんだって出来る気しかしない。

 戦場において良くない考え方だと分かっているが――――

 

「ウル様」

 

 シズクがウルを見る。真剣なまなざしだった。逆さまの状態でも彼女は美しかった。美人というのは逆さまになっても美人なんだなと言う馬鹿な感想が頭に浮かんだ。

 

「竜が、どれだけ常識から外れた生き物であろうとも、彼等は生き物で、殺せば死にます。其処だけは決して揺らぎません」

 

 その点に関してはディズも繰り返していたのは覚えている。竜は死ぬ。必ず殺せると。かなりしつこく念を押していた。その時はまだ、ウルには理由は分からなかった。

 だが、今なら少し分かる。彼女はウル達が”こうなること”を懸念していた。そしてそれをシズクもまた分かっている。

 

「殺せると言うことは、私達と同じ道理の中で生きていると言うことです。ならばこの竜の動きにも必ず理由がある」

「……了解。ちょっと考える」

 

 ウルは逆さまになりながら頷いた。竜と対峙した者が陥る沼にはまりかけていたらしい。なんとか思考をフラットに戻そうとウルは額を揉んだ。

 

 確かにシズクの言うとおりだ。竜は理不尽なバケモノだが、しかしコチラの抵抗が一切通じない強靭無敵な存在であるかといえば、否だ。もしも何も通じないなら、【鎌鼬】のような抵抗手段を用意しない。砂塵の目隠しなど無視してやれば良いのだ。無視せずに妨害した時点で、それはつまり竜もそれを嫌がったと言うことだ。

 

 竜は滅茶苦茶だ。恐ろしく危険だ。しかし一切の道理が通じないわけでもない。

 

「…………」

 

 では、コチラの作戦の全てを読み切る道理とはなんだろう。こちらの作戦そのものを知っていたかのような動き。先読みしていたかのような、あの動きは。

 竜。飛翔の竜。魔眼の竜。作戦の対策の先取り。先読み――

 

「――シズク、パイセンが黒竜の情報話すとき、どうやられたか言ってたよな」

「ええ。同種の魔眼による”打ち消し”が発生し、【固着】が破られたと……」

 

 ウルはそれを聞くと、ロックンロール号の出口の扉を開く。戦車そのものがひっくり返るので出口は足下にある。それを慎重に開いた。

 

「ロック、俺を支えてくれ。落下しないように」

『何じゃよく分からんが、ええぞ』

 

 骨の両腕がウルを支える。ウルはそれに身を預けて、吊り下げられた状態でゆっくりと、自らの眼帯を取り外した。【未来視】の魔眼で、ジッと竜を覗き見る。すると、

 

「…………――」

 

 黒睡帯を通さずに左目の魔眼で世界を見ると、ウルは常に世界がダブって見えた。ろくに制御の出来ていない、扱い切れてもいない未来視の魔眼は常に数秒先の未来を映し、故に通常の視界と重なるとダブって見えて大変に気持ちが悪かった。

 だが、今ウルの視界はそれとは違う。

 世界は確かにダブっている。だがその中心に居るはずの竜の姿が何故か見えない。竜の居る場所だけが欠落している。元々竜の鱗の色が黒いからその所為かとも思ったが、そうではなかった。

 

 竜が居る場所に、何も無い。視認できない。居るはずのものをウルの魔眼が捕らえない。

 

 そして、虚無の中、一点だけ輝くものがあった。魔眼だとすぐに分かる。その魔眼は身じろぎもせずジッと、している。ただその輝きだけはやけに強くて、ウルは思わずその光に目を見張った。その強い光はウルを惹きつけ、そして同時にその目をジリジリと焼いた。

 

「っぐ!?」

『ぬお!?暴れるんじゃ無いわい!』

 

 その熱さに耐えられなくなって、ウルは意識を浮上させる。そして痛みに悶える。ロックが支えてくれなかったらそのまま落ちていただろう。ロックはその手でウルを引っ掴むと戦車の中に放り込んだ。

 

「ウル様!」

「……作戦、本部聞こえるか。分かった。竜が何でこっちを読むか分かった」

 

 ウルはシズクからの治療を受けながら、呻くようにして叫んだ。

 

「【未来視の魔眼】だ!!」

 

 自分の未来視が消去されるのではなく打ち消しあった。同種の魔眼によって。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑮ 変なの

 

「巫山戯るなクソトカゲ!成るほど納得だ!!良くやったウル!!!」

 

 ビクトールは理不尽にキレることと、腑に落ちて納得することと、発見者を褒めることの三つを同時に行った。

 未来視の魔眼。この状況下を考えるに最悪の魔眼が飛び出してきた。

 魔眼の類いについては彼は詳しい。都市の治安を守る騎士団にとって肉体が変質した魔道具とも言える魔眼は、街中に自由に持てる凶器と同義であり厄介なトラブルの種だからだ。故におおよその魔眼の類いを彼は把握している。故に貴重で数が少ない未来視も理解している。

 数秒間先の「非常に精度の高い未来の幻視」だ。

 

「コチラの防御も弱まるがやむを得ん。砂塵から消去魔術に切り替え、完全に魔眼の効力を失わせ……」

「団長?」

「……今から竜を覆う範囲型の消去結界を作成するのに要する時間は?」

 

 問われ、情報班は通信魔具で砂塵をかける魔術師部隊に連絡を取り、そして解答した。

 

「およそ2分で」

「では今から準備を行い、()()()。ただし半数で行い、残り半数は砂塵を行い続けろ。情報班は時間計測及び竜の観察開始。」

 

 ビクトールの指示の真意を理解できた者もそうでない者も、ひとまずは指示通りに動き出す。竜を囲う魔術師達も動き出す。そしておよそ一分が経過した頃。

 

「子竜の大群が黒竜の周りから出現!!魔術師部隊の方へと向かいます!」

「消去魔術停止!!防御陣を展開し一時後退!!!」

 

 ビクトールは即座に指示を出し、魔術師達を下がらせる。すると動き出そうとしていた竜はその動きを止め、再び魔眼と鎌鼬による周囲への攻撃を再開した。

 ビクトールは判明した事実に歯噛みした。

 

「未来視は確定。だが、()()先を読むか……!」

 

 未来視は大抵、数秒先を読むものだ。少なくともヒトが身につける魔眼の類いの限界はその程度だ。そもそもそれ以上長い未来を見たとしても普通は扱えないだろう。二種の視界が離れすぎて、なにが起きているのか理解できない。

 だが、竜は違うらしい。1分先の未来を読み、そして自分が窮地に陥る攻撃を的確に読んできている。

 

「……だが、万能ではない筈だ。未来視の全ての情報を受け取れるなら、今頃黒竜討伐のメンバーは全滅だ……」

 

 万能であれば首尾良くスーアを捕らえた後、上空で【天賢王】に捕らえられる様なこともなく逃げ出していただろう。あるいは今、周囲を囲う冒険者達も動きを先読みして殲滅しているはずだ。

 それができないのは制限があるからだ。

 出来れば慎重に情報を集めてから動きたい。が、

 

「灰の竜!!接近しています!!防壁と接触まであと100メートル!!!」

「時間が無いか…!」

 

 時間が無い。窮地は黒竜だけではない。黒竜だけに戦力を集中させる訳にもいかない。

 ではどうするか、確実性を捨て、強引に動くしか無い。現在の手札の中で、最悪ではない選択肢を選ぶしか無い。条件不明な未来視を条件を明かさぬまま潰す方法。

 それは、それは――

 

「……全く、本当にクソッタレだな」

 

 ビクトールは彼としては珍しく、直球の悪態をついた。

 

「団長?」

「黒竜に再生能力の類いは確認できたか?」

「いえ、在りません。恐ろしく頑丈でありますが、【天賢王】との戦闘時破壊された幾つかの魔眼も再生されないままです」

「では【歩ム者】のウルに連絡を取れ」

 

 彼の声には自身に対する深い失望が込められていた。しかし、彼が採れる選択肢は限られていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ロックンロール号内

 

「……つまり、俺が、未来視の魔眼を破壊しろと?」

『死ぬんじゃないカの?』

《今私は滅茶苦茶を言っていると自覚してる。その上で確認する。行けるか?》

 

 ウルは押し黙る。汗が額から流れるのは何も、熱に痛む自分の魔眼の所為だけではないだろう。現状を理解するが故に掛かるプレッシャーに潰れそうなのだ。

 

 騎士団長、ビクトールの言ってることは確かに正しい。未来視の魔眼を持つウルは竜の魔眼の予知を打ち消す事で、竜の予知を潜り抜けることは可能なはずだ。幸か不幸か、今最も竜の懐に近いのもデカい。

 だが、逃れられるのは予知だけだ。他の感覚器官が死んでいるわけでも無し、竜がウルに気付けば、ウルは虫の様に殺されるだろう。それで終いだ。

 

 無茶苦茶を言っている。だからビクトールも通信越しに渋い声を絞り出しているのだろう。死にに行ってこいというレベルの無茶な指示だと自覚しているらしい。

 

 だが、此処でウルが動けないと、黒竜の退治が遅れる。

 スーアが助け出せない。

 戦況が悪くなる。

 世界が滅ぶ。

 

「………やります」

《……………あらゆる手でそちらを支援する。頼むぞ》

 

 通信は切れた。通信が切れると同時に戦車の中から頭蓋骨が顔を出し、ウルの方へと振り返った。

 

『で、どうする気じゃい?相当な無茶ぶりじゃったが』

「……今考えてる」

『言っておくがの、無理なら無理っていうんじゃぞ?』

「だが、それを言ったら向こうは更に困るだろ?そんで世界の危機だ」

『知ったことじゃないわい。そんなもん指揮官と王サマが考えることじゃ』

 

 ロックはそう言いきる。無礼で無責任な発言だった。しかしそれがウルを気遣っての言葉であると理解できないほど、ウルも察しが悪いわけでは無かった。

 

『世界を救うためにお主はこんな所まで来たのカ?違うじゃろ?』

「…………そーだな。ありがとよ。ロック」

 

 ウルは素直に感謝を告げる。ありがたい指摘だった。

 連続したスケールのデカイ戦いと、突如として跳び込んできた戦況を左右する状況での大任に一瞬目が眩みそうになっていた。自分は、自分のために此処まで来て戦っているのだ。極論世界の命運は二の次だ。それを忘れてはいけない。

 

 まさしくその通りだ。そしてその上で、ウルはまだ退く気は無い。

 

 やけっぱちになっているわけではない。かといって明確な勝算が在るわけでも無い。

 しかしウルとてこの戦いに心血を注ぎ奮闘する者達の努力と覚悟は理解できるのだ。そして、彼等が守ろうとする”世界”なんていうものまではよく分からないが、その世界で生きる者達の事くらいはウルにも分かる。ウルが好ましく思うヒトも、ウルを育ててくれた育ての親も、その世界で生きているのだ。

 それを放り投げるのはご免だった。

 

 しかしそうなると尚のこと、どうするか……

 

「ウル様」

 

 シズクがウルの手を握る。

 

「作戦の時に言いました。()()()、必要ならば使ってください」

「頼りにはしている。だが、シズクが動いても未来視に捕らえられ――」

 

 そこでふと、気がついた。

 

「ウル様?」

『ウル?』

「………不細工なのは今更か」

 

 ウルは覚悟を決めたように竜牙槍を握りしめた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 黒竜周辺、魔眼射程範囲外にて

 

「リーダー!」

 

 部下達の元に、ベグードが空から飛び降りた。

 先ほど魔術師部隊を助けた後とんぼ返りしてきたのだ。これから始まる作戦に備えるためである。

 

「様子は?」

「まだ、動きません……本当に、やれるのでしょうか?」

「……例え、アイツらが脚がすくんだならそれでいい。我々でも動く。準備は忘れるな」

「はい!」

 

 指示を出しながらも、ベグードは不快感を抑えられずに居た。

 彼を苛立たせているのは、これから最も重要な作戦を【陽喰らい】の参加者の中で最も実力と経験の浅い者に、自分らの命運を託す羽目になっている自分の不甲斐なさだ。

 

「……情けない」

 

 部下に聞こえない声で小さく呟く。

 失せろと言った相手に命運を託す羽目になるなど、恥ずかしくて笑えてくる。が、その感情はなんとか押し込める。恥だろうが何だろうが、世界の危機の前には些事だ。乗り切った後、彼等の前で頭を下げるでもなんでも気が済むまですれば良いのだ。

 今は忘れろ。恥など幾らでもかいて良い。此処を乗り切るためならなんだってしてやる。

 そう思っていると、【遠見】で様子をうかがっていた部下が叫んだ。

 

「【歩ム者】動きます!」

「……本当にいくのか」

 

 脚がすくんだならそれでいい。と、部下にベグードが言ったのは本心だ。この状況、ウル少年の双肩に全てを託すのはあまりに酷だ。逃げ出しても、怯えすくんでも文句を言うつもりは無かった。

 だが、それでも彼は動いた。ベグードは言葉にしないが驚き、同時に心底から感心しながら視線を上げ、そして見た。

 

「…………………んん?」

「本部!聞こえますか!本部!!」

 

 そしてベグードは目を疑い、部下達は本部に向かってありのままの状況を叫んだ。

 

「変なのから変なのが出てきました!!」

 

 骨の鎧を身に纏い、右手に禍々しい剣、左手に竜牙槍、そして背中に銀髪の美少女を背負い装着した状態のウルが戦車から姿を現した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑯

 

《…………何故そうなったか聞いて良いか?》

 

 冒険者の指輪から聞こえるビクトールの酷く困惑した声に、ウルは大変申し訳なく思った。だが、これでもシズクを背負い、ロックを装備するという珍妙な姿は、ウルなりにこの限界ギリギリの状況で必死に編み出した策だった。

 

「……推測も混じるんだが、未来視の魔眼の打ち消し合いはその使用者の肉体だけに起こる現象じゃ無いんだ」

《……その根拠は?》

 

 元より【未来視】の数は極めて少ない。その”打ち消し合い”に起こる現象までは流石に彼も把握できていなかった。ウルは言葉を続ける。

 

「未来視をもう一度してみると、見えなかったのは竜だけじゃなかった。竜の周りで風を起こすために飛び交っている【鎌鼬】も”虚ろ”だった」

《未来視の魔眼の保持者だけでなく、”その意思で動かしている物”も見えないと?》

 

 恐らくだが、鎌鼬達は竜が【魅了】の魔眼の類いで操っているのだろう。あるいは元から竜に従うようにデザインされているか、どのみちあの魔物は黒竜の意思通りに動いている。だからウルには鎌鼬の未来も見えない。

 で、あればそれを逆手に取ることも出来る筈だ。

 

「俺の仲間の力を俺の意思で動かせば、未来視には引っかからない」

《……かなり、ギリギリの抜け道だな。上手くいくと思うか?》

「少なくとも、戦車から抜け出した俺以外の仲間も竜は感知していない」

《…………》

 

 推測に希望的観測を交えた考え方だ。

 普段ならばビクトールはそんな不確かな発想からでた作戦なぞ即座に却下する。

 

《念のため確認するがその状態であれば君一人よりも生存率は高いんだな?》

「高い」

《万が一の場合、骨の使い魔は兎も角シズクは死ぬことになる。行けるか?》

「私はウル様と一蓮托生です」

《分かった……未来視の魔眼を破壊しろ。完了後は竜は気にせず撤退しろ。武運を祈る》

 

 通信は切れた。ウルは大きく息をつく。そして前を見据える。視界に広がるのは巨大な黒竜の身体、そしてその周辺の砂塵の壁と、それを破壊する鎌鼬達だ。

 当然、ウルの敵う敵ではない。なんだったら周囲の鎌鼬すらもマトモに戦えばそれなりに苦戦するだろう。しかし、今は別に真正面からマトモにやり合って倒す必要など無い。

 

「……つまるところ、俺の仕事は魔眼の暗殺だな」

 

 隠れ潜み、竜の武器を破壊する。正面きっての力は要らない。必要なのはバレないこと。

 

「ウル様、それではどうしますか?私は貴方の道具なので好きに指示を」

 

 ウルは後ろを見る。シズクはとても良い笑顔でコチラに微笑む。この状態だと顔が近すぎて目の毒だった。

 

「変な物言いやめろ……不可視の魔術をかけてくれ。魔眼に捕らえられないようにな」

『見えない相手なら、魔眼に見られることもないか、なるほどの』

「気休めだがな……目安つけられて適当に焼かれるだけで俺は死ぬ」

 

 シズクに【不可視】、ついでに【無音】の魔術を重ねて貰う。

 そして戦車から這い出て、ゆっくりと地面に降り立った。

 

「………………」

 

 改めて視界に広がる竜の身体はやはりデカイ。完全に壁である。コレよりも更に大きなウーガを知っているが、スケールが大きすぎてウルからすれば大差ない。

 そしてその身体に幾つもの魔眼が並んでいる。このどれか一つでもウルを見定めればその瞬間ウルは終わる。

 

「…………行くぞ」

『うむ、頑張れやウル。やれる限りはしてやるわい』

「ご武運を」

 

 装備した仲間達に励まされながら、ウルは脚を進めた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 人目に付かずにこっそりと移動する。

 所謂スニーキングは、昔はウルもよくやっていた。アカネの事を隠し通すため、人目を避けたり隠れたり、上手くやり過ごす術という物は身につけていたからだ。

 重要なのは静かに、素早く、そしてゆっくりと動くこと。だから慣れていると言えば慣れていた。

 

 ただしその相手が【竜】だったことは、無い。 当然の話だが

 

「……ふっ………ふっ………」

 

 ウルは息を殺しながら地面を蹴り、駆けていた。【不可視】と【無音】により、コチラから何かをしなければ即座に見つかるような状況で無いと判断しての行動だった。後の体力を温存するため全力疾走は出来ないが、飛ばしていた。

 

『軽快じゃの。大丈夫か?』

「時間も無いからな……!」

 

 ジリジリと、自分の魔眼から放たれる熱をウルは味わっていた。単純な力の拮抗ではない、圧倒的に魔力が上の魔眼の力をかき消そうとするために起きている現象だとシズクは推測していた。

 耐えられないほどの熱ではないが、キツイ。定期的なシズクの治癒は必須だった。

 

 目的である未来視の魔眼のある位置は分かっている。竜の頭部先端付近だ。虚ろに見える竜の未来視の中、唯一輝いている場所が其処だった。

 だがそれはつまり、向こうも魔眼をこちらに向ければ、ウルの魔眼の光を目視で確認できると言うことだ。不意にうっかりとこちらに未来視の魔眼を向けただけでアウトだ。魔眼の視線誘導は外のビクトール騎士団長達を信じるしか無い。

 

 ウルは兎に角急ぐ必要がある。慌てず、素早く、でもゆっくりと――

 

『GEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!』

「……っ」

 

 ウルは息を殺す。竜の声とはまた違う、魔物の声が聞こえてきたからだ。当然、警戒すべきは竜だけではない。魔物に見つかってもアウトだ。視覚と音以外から感知するような魔物に遭遇すればアウトだ。

 だが一体どこから。

 

『下じゃ』

 

 ロックの指示でウルは視線を下に向ける。天空庭園に長い胴体を横たえる竜。その胴体の隙間から、何かがもぞもぞと動いていた。それを見て、ウルは産毛が逆立つのを感じた。

 

『GAAAAAAAAAAAA』『GEEEEEEEE!!!』『GAGAAGA!』

「子竜の群れ」

 

 かなりの小型だが、黒竜と同じ色合いの、蛭のような形をした竜が次々に這い出てくる。これはつまり、今この黒竜は、”出産している”。

 ふざけんなこの野郎、という思いを抑える。相手になんて当然しない。先を急ぐ。

 

「ロック、跳ぶぞ。」

『うむ』

 

 脚にロックの骨が集中し、ウルが地面を蹴りだすと共にそれを補助する。魔術は可能な限り控える。隠蔽の魔術以外を使用し、それに気付かれるのを避けるためだった。 

 高く跳び、着地する。止まらずそのまま再び走り出す。

 

「ウル様。前方からはぐれた鎌鼬が一匹接近しています」

「気付いていないなら無視する」

「完全に感知はしていないようですが、恐らく何かしら違和感を覚えています」

 

 ウルはロックの剣を抜いた。腕に骨が纏わり付く。剣を振るうのはウルだ。ロックはその動きを補正するのみ。それを強く意識する。間違ってもロックの意思だけで剣を振ってはいけない。

 

『めんどうじゃの?』

「全く、だ!」

 

 再び跳ぶ。砂塵の中から鎌鼬が確かに一匹竜の内側に流れてきている。中型の獣、翼のように皮膚が広がり、爪が恐ろしく伸びている。風の刃を生み出す爪はフラフラと此方に向いている。まだ何処に向かって良いか分からないといった様子だが……もうすぐ気付く。

 まだ気付かない。

 首を傾げるようにこっちを見ている。

 まだ平気だ。

 まだ。

 まだ。

 気付いた。

 

『KI!?』

 

 交差する寸前に剣を振るう。不格好な姿から振られた剣とは思えない程に鋭い一閃は鎌鼬の首を一刀でたたき落とした。振り返らず、ウルは更に突き進む。

 これで竜に感知された可能性もある。更に急がなければならない。

 

『だが、これはこれでおもしろいの、カカカ』

「面白くねえよクソ」

「右前方に再び鎌鼬。少しずつ気付かれ始めていますね」

「急ぐぞ」

 

 ウルは再び地面を蹴り跳んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑰ ■■■■■■

 

 

 作戦本部

 

「ウルの移動位置とは対角に魔術師達は移動させろ。ただし、一カ所に固まりすぎるな。あくまでも消去による未来視の魔眼の封印は狙い続けろ。」

 

 ビクトールは次々に指示を出す。

 ウルに伝えたとおり、ウルの”未来視破壊”の支援を続行していた。竜が現在、”砂塵”と”消去”を操る魔術師の遊撃部隊を集中して狙っている事から、逆に彼等を囮としていた。結果として現在それは上手く行っている。

 実際、彼等こそが魔眼を封じる為の本命なのだ。脅威に思って貰わなければ困る。

 

「常に消去魔術の脅威を竜に見せつけろ。飛び立てば落ちるというリスクを与えろ」

「【竜殺し】はどうしますか?!今なら撃てます!」

「まだ撃つな。敵の誘導とプレッシャーは魔術師部隊にまかせる。ただし飛び立とうとしたら即撃て」

 

 ビクトールはじわじわと迫る”超巨大”灰色竜の接近に焦る部下達を抑える。最早地響きが間近まで迫っているのをビクトールも感じていた。本当に時間が無い。だが、此処で焦っては本当の勝機を失ってしまう。

 魔眼を潰すのは重要だが、本命ではない。竜そのものの撃破にスーアの救出。この二つが成せなければ結局意味が無い。

 

《こちらベグード、【鎌鼬】の討伐は進んでいるが、数の減り方は鈍い。どこからか、恐らく上空のプラウディアの眷属竜が追加で寄越している。完全な掃討は無理だ。》

「いや、上出来だ。そのまま続けろ。ウルの発言から、【鎌鼬】も竜が操っている事が判明した。ならば効果はある」

《了解、処理を続ける》

 

 数を減らせば、その分だけ竜はまた、新たな【鎌鼬】を魅了し、操らなければならなくなる。竜がしなければならないタスクは可能な限り増やす。この場に縛り付けるため。そしてウルという暗殺者を安全に移動させるために。

 

「ウル、ポイントに到達しました」

「よし……」

 

 情報班の報告にベグードは頷く。しかしまだ喜ばない。ここからが本当の勝負だからだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「よし……」

 

 ウルは焼け付く目で、竜の【未来視】の魔眼の位置を再確認する。

 現在ウルが居る場所は、黒竜の頭部近辺だ。黒竜は頭を大きく持ち上げて、ゆらゆらと揺らしながら周囲を見渡している。獲物を前にした蛇のような動作だが、それが実際には、【未来視の魔眼】で周囲の情報を取得するためであると分かる。

 

 その【未来視の魔眼】はというと、頭部からややずれた位置にあった。ヒトで言うところの首横辺りだろうか。黒竜の魔眼は全てそうだったが、まるで面白半分で埋め込んだような位置の眼球が蠢く姿は不気味だった。

 しかしその魔眼はまだウルを捕らえていない。見向きもしていない。砂塵の外で奮闘している仲間達のお陰だろう。

 

「シズク、ロック、準備を頼む」

「承知しました」

『カッカカ、いよいよじゃの』

 

 シズクが幾つかの強化魔術を唱え始める。ウルは備えていた強壮薬を幾つか飲み干し、ドーピングしていく。当然、こんな強化すぐに途切れて反動が来るが、此処が正念場だと割り切る。

 ロックもウルの身体に更に強く縛り付ける。鎧というよりも、ウルの動きを補正し強める為の強化装備として。

 そして準備完了後、ウルは身構える。しかしすぐには動かなかった。

 

「本部、準備が完了した。これから()()()()に入る。」

《了解》

 

 それは事前に打ち合わせていたことだった。

 

 ――竜の未来視はウルを捕らえない。が、魔眼が破壊される瞬間は捕らえると思われる。

 

 当然と言えば当然の話だ。ウルという存在と、それが引き起こす現象を捕らえることは出来ないとしても、それ以外の機能は正常に働いている。

 で、あれば、”未来視の魔眼が破壊されその先が見えなくなる未来”も当然、情報として獲得するはずのなのだ。そしてそれを確認すれば、即座に竜はその回避に動くだろう。

 故に、まずは待つ。ウル達や他のメンバーが万全の状態を整えてから、更に”1分”待機する。即座に破壊に動けば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そしてその1分後に未来視の魔眼を破壊する。それがビクトールから指示された内容だ。ウルはそれに従い、待機準備に入った。

 入ろうと、した。

 

『GAYAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、その直前、竜が動いた。叫び声を上げ、まるで慌てるように翼を動かし始める。すぐにそれが飛翔する準備だとわかり、ウルは羽ばたいてもいない白い翼から生まれる強風に顔を伏せながらも、しかし口端をつり上げた。

 

「――――1分後に魔眼が潰されたんだな?」

 

 潰される未来が見えたから、竜が回避のため動いた。やはり厄介だが、ウルにとって吉報でもあった。

 何故なら、竜の見た未来で、ウル達は竜の魔眼の破壊に成功したということなのだから。

 

「本部!」

《勝負時だ!!竜殺し構え!!翼への消去魔術も用意!最早予知など気にするな!!》

 

 指示を出し、ウルも同時に動いた。最早コソコソと、ひっそりと隠れる必要は無い。

 ここから先は互い、望む未来を奪い合う為の鍔迫り合いだ。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「出来るって保証をくれてありがとよ!!ロック!!」

『おうとも!!』

 

 竜の咆吼に負けぬ声でウルは叫び、跳ぶ。ロックの骨がロープのように細く長く伸び、竜の肉に突き刺さる。当然、大した傷ではない。だが、飛び立つ竜に自分を結びつけるには十分だ。

 ウルは飛び、暴れる竜の身体に飛び乗った。

 

「完全に飛ぶ前に、目を潰す!シズク!頼む!」

「【大地よ唄え、我等を結べ、かの方へ】」

 

 シズクが魔術を唱え、重力を操りウルの身体を竜に結びつけた。

 安定感は増した。が、魔術部隊の消去魔術がかかったら、その瞬間ウルは落下死する。だがもう余計なことは考えない。ウル達よりずっと実力が上の皆が助けてくれると信じよう。

 

「行くぞ!!!」

 

 ウルは竜の身体を蹴る。大地を蹴るのと同じように竜の身体を蹴りつける。蠢き、暴れ、時として弾き飛ばされるのを必死に堪え、ひたすらに走った。

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 竜の咆吼が響く。流石にこちらに気付いたのだろうか。側面に幾つもある魔眼がぎょろぎょろと蠢く。不可視の魔術でウルは見えないが、完全な隠匿からはほど遠い。間もなくしてウルの周囲で発火、爆発、様々な魔術が放たれ始める。

 だが、もう既に、目的の魔眼は間近まで迫っていた。ウルは自分の魔眼が焼け付く感覚を堪えながら叫ぶ。

 

「シズク!!!いけるか!?」

「はい、この距離なら聞こえるでしょう」

 

 シズクがウルの背中から身体を起こす。片手で振り落とされないようにウルを抱きしめつつも、もう片方の手を握り額に当てる。神官の祈る所作にそれは似ていた。

 

「【■】」

 

 そしてそれを口にした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 対竜術式。

 邪霊の名誉回復のため、唯一神ゼウラディアに奉仕するため、冬の精霊ウィントールの巫女達が編み出した術式。

 その詳しい概要をウルは知らない。彼女はラストの審問会議でその術式自体は明かしたが、どの魔術師にもその再現は不可能だった。「私自身の肉体を起点としているため、他の方では再現は困難であると思います」とシズクが補足していた。

 

 ――実のところ、私自身、上手く作用するか自信が無いのです

 

 竜相手に練習する機会などあるわけが無い。【大罪竜ラスト】の一回も殆どぶっつけ本番だったのだ。

 だから今、背中のシズクにその術式を使ってもらうのは、ウルからすれば「当たれば大きい」程度の認識だった。上手くいけばしめたもの。失敗したらそれはそれとして別の手段を考える。そう思っていた。

 

 

 

「【■■■■■■■■■■■■■■■■■■】」

 

 

 

 だが、響く彼女の声には、ウルの思惑をかき消すような”力”が満ち満ちていた。

 必然的に耳元でその声を聞く事になったウルは、背筋が凍り付くような寒気に襲われていた。早々にこの姿勢で彼女を抱えているのを後悔して、彼女のことを衝動的に手放しそうになった程だ。

 

 なんだ?シズクは何を言ってる?

 

 何も聞き取れない。魔術の詠唱であるのは間違いない。何時も通りメロディーを奏で、魔術を構築する。だが、肝心のその言葉を一つも聞き取れない。

 いや、違う。聞きたくない。理解したくないと脳が拒んでいるのだ。

 何時もの彼女の美しい声をそんな風に思ったのはウルも初めてだった。気持ち悪い。気持ち悪い。早く終わってくれ――

 

『しっかりせい!!ウル!!!』

「っ!!」

 

 ロックの叱責でウルは正気を取り戻す。大きく息を吸い、そして吐き出す。再び竜の身体を蹴る。何も考えるな。思考を止めろ。今はこの槍を竜の魔眼に突き立てることだけを考えろ!!

 そして同時に、シズクの術式が成就する。

 

 

「【凍 ■ ■ ■】」

 

 

 シズクが黒竜を指し、言い放つ。同時に

 

『GAAAAAAAY!?!』

 

 銀の魔法陣が発生する。竜が、動きを止めた。ピタリと停止させた。まるで時でも止まったように、魔眼の破壊から逃れるための全ての抵抗を停止させたのだ。

 竜は驚愕する。ウル達の周囲の魔眼の全てがウル達を、正確にはその背中のシズクを睨む。無機質で、無理矢理とってつけたような魔眼からこれまで感情が読み取れる事は無かったが、今は何を考えているのか分かった。

 

 恐怖と、驚愕だ。

 

 だが、どれだけ睨もうと、魔眼の力は今機能していない。まさしく最大の好機だ。

 

「此処ぉ!!!」

 

 蹴る。跳ぶ。振りかぶり、突き出す。渾身の突貫でウルは突撃した。

 会心の踏み込みだとウルは思った。天地もひっくり返ったような状態で放った突撃ではあったが、少なくとも自分が扱える最大の力を竜牙槍の穂先に全て乗せられた。

 

 魔眼を潰せる、そう思った。

 

「…………――――ああ』

「は?!」

 

 突然、竜の身体から湧き出てきた【天祈のスーア】に竜牙槍をぶん殴られて破壊されるまでは。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑱ 絶望の中にあって尚

 

 【真なるバベル】作戦本部

 

「スーア様発見!!竜の表層から発見できました!!!」

「なに!?」

「けど!!けど……!!!大量の竜の肉がスーア様の身体を覆ってウルを襲って!!」

 

 常に冷静なる報告を心がけよ。そう言い聞かせている情報班は、しかし明らかに混乱していた。顔面蒼白で、泣くような顔で叫んだ。

 

「スーア様が!!()()()()()()()!!!」

 

 ビクトールはその報告に、すぐに返事をしようとして、声が出なくて一歩後ろによろけた。指揮官としての矜持でうずくまることだけは避けたが、出来ることなら地面に倒れ伏してしまいたいような絶望感に襲われていた。

 

「……………最悪の目、を、超えてきた、か」

 

 ビクトールが想定した最悪、それがスーアの死亡だった。スーアが死ねば、戦力は大幅に削り取られる。戦線を維持するのが極めて困難になり、かなりの犠牲者が出る。過去の陽喰らいの儀の中でも相当に危険な状況に陥るであろう、最悪の出目だ。

 

 だが、スーアが、天祈が竜に操られるのは、最悪を凌駕する。過去類を見ない未曽有の地獄だ。

 

 戦線維持が困難になるのではなく、世界が終わる。

 

「灰色竜!!間もなく防壁に到達します!!!危険です!!!!」

 

 ビクトールが横目に見る。全長数十メートルはあろう巨大な灰色の竜が至近に迫る。バベルが揺れる。防壁に接近する。あれが全力で踏みこんでくれば、騎士団の防壁部隊でもどこまで耐えられるか分からない。

 

 戦場を変え、撤退する。

 天賢王を引き連れ、バベルの内部に引き下がり、戦線を下げなければ全てが終わる。

 

 指揮官として様々な指示が頭を巡る。だが、まずは、何よりも先に

 

「ウル!即座に撤退しろ!!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

《撤退しろ!!!!!》

 

 指輪から響く声をウルは聞いていた。

 

「あー………――――あー………――――』

 

 ウルの目の前にはスーアがいる。

 白く小柄な美しい只人の姿をしていたスーアは今、赤黒い竜の肉に身体を食いつかれ、巻き付かれ、ぐったりと動かない。意識があるように思えないような声を漏らしている。

 その周りには精霊の光が明滅を繰り返している。精霊の力だ。酷く不安定で怪しげな動きをしているが、間もなくしてジッと、目の前のウルへと向く。明確な敵意を感じた。

 

『GYAAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』

 

 足下の竜の嘲笑う声がやけに響いた。黒竜はまだ健在だ。未来視の魔眼すら潰れていない。既に飛翔は始まり、竜は徐々に高度を上昇させていた。天陽結界の外に逃げるつもりなのだろう。

 

「………」

 

 そしてウルの竜牙槍は砕けた。スーアが一撫でするだけで粉砕である。長年、などと言えるほどの付き合いではないが、冒険者を始めてからずっとウルを支えていた愛用の武器は粉々になって落ちていった。

 

 絶望、という言葉がこれほどまでにしっくりくる状況は無いだろう。

 

《早くそこから離れろ!!死ぬぞ!!》

 

 通信が響く。ひたすらに繰り返す。通信の向こう側からも何か大きな地響きと破壊音が聞こえてくる。状況は待ったなしなのだろう。だからウルは静かに返答した。

 

()()

《何!?》

 

 ウルは通信は切る。情報を断つのは馬鹿なことだと分かっていたが、ここから先、ほんの少しでも集中力が削がれる事は避けたかった。

 

『死ぬ気カの?』

 

 ロックが言う。ウルはガラクタになった竜牙槍の柄を投げ捨て、ロックの【悪霊剣】を利き手で握り返した。

 

「死にたくないから行く。()()()()()()()()()()()

 

 それを聞くと、ロックは笑った。ロックがウルの全身に纏わり付く。魔銀と骨の鎧がウルを強く強く守った。

 

『勝負所を見極めたっちゅーならもう何も言わん。つきあったるわ、カカ!』

 

 ウルは頷き、深く身構えた。最後に自分もろとも死ぬ可能性が高いシズクに振り返らずに声をかけた。

 

「シズク」

「どうぞ。この命、預けます」

 

 ウルは頷いて、竜の身体を蹴った。

 黒い竜の身体を駆ける。向かう先は当然、眼前で拘束されたスーアだ。

 だが、竜の手に落ちたスーアは、当然反撃に来る。

 

「…………あー』

 

 スーアが指でウルを指さす。すると怪しげに瞬く光の一つから火球が生まれる。一つではなく、幾つも幾つも、天を覆い尽くさんばかりの炎の球は揺らめき、周り、ウルを囲んだ。

 

『GYAHAHAHAHAHAHAHHAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 竜が嗤う。高笑いが響く。無謀にも逃げ時を失した愚か者を嘲笑う。間もなくして空を覆うような炎の球は全てウルへと直進し、爆裂した。竜の身体の上は炎の海になる。ウルはその炎に飲まれ、身体を激しく焼かれ――

 

「――――温いぞ!!!」

『カカカカカ-!!!!』

 

 そのまま、更に深く突撃した。

 ウルと背中のシズクをロックが骨で覆い、守る。焼き焦げた骨は剥げ落ちる。炎から身を守りながら一直線だった。そして爆炎の影に隠れたスーアの眼前まで迫ると剣を振りかぶる。そしてスーアを捕らえる肉根を切り裂いた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?!』

 

 竜が悲鳴を上げる。痛み、と言うよりも驚きだろう。どう見ても、誰が見ても弱々しい、自分の身体をちょろちょろと動き回るだけの虫が反撃してきたのだから。

 魔眼がぎょろぎょろと蠢く。自分の身体の上に立つ虫を見定めるのは苦労があるのだろう。天空で酷く身体をひしゃげて、無理矢理ウルを魔眼の範疇に収めようとする。ウルの上空に長い胴が回り込んでくる。側面に付いた魔眼がウルを睨む。

 

「  ■  」

 

 それをシズクが止める。ほんの一瞬の硬直。即座に竜は動き出す。が、すでに魔眼の視線の先にウルはいない。スーアの背後に回り込み、その足下の肉を刺して、刺して、何度も突き刺す。

 

「  あっ――ああー………あ』

 

 スーアの身体が揺れる。ウルはそれを見て更に強く剣を差し込んでいく。

 竜の咆吼が激しく聞こえる。怒りに満ち満ちて空に木霊する。だが、それでも一切ウルはその手を止めなかった。執拗に同じ場所を、スーアを捕らえる肉を切り裂く。切り裂く。切り裂く。その動きは魔物を討つ冒険者というよりも商品の解体を行う肉屋の作業だった。 

 

「あああ-ーーー――』

 

 スーアが再びウルを指さす。再び彼女の周りの光の内、一つが明滅を開始する。だが、

 

「遅え!!!」

 

 ウルは今さっき切り開いた竜の血肉、その破片を掴むと、怪しげに輝く光に向かって投擲する。光はその瞬間ギョッとしたように激しく輝くと、そのまま不意に離れる。

 精霊は竜嫌いだ。ディズが言っていた。ウルも体験した。竜の血を浴びるだけで、途端に精霊は機能不全に陥る。敵対者として距離を離して相対するなら兎も角、血肉飛び交うこんな場所でスーアを操ろうが、正常に機能するはずが無い。

 

「やっぱ()()()()()()クソトカゲ!!!!!」

 

 ウルは確信をもって叫んだ。

 スーアを、竜はろくに操れていない。巨人が小さな小さな人形を指先でつまんで動かそうと試みているような程度にしか扱えていない。まして精霊の力など、竜が使える訳が無い。精霊達の竜への忌避感をウルはよく知っている。

 

 そもそも本当にスーアを自在に操れるなら、もっと早くコチラを絶望させるのに最適のタイミングはあったのにそうしなかった。

 

 なのに、まるで盾にするようにして未来視の魔眼の前に出したのは――

 

「その場しのぎの悪あがきだ!!!」

 

 そうせざるを得なかっただけに過ぎない。人質を前に晒して危機から逃れようとするなど三下以下だ。その馬脚を露わしたことにも気付かず悦に浸って笑う相手に、尻尾を巻いて逃げてやる道理は無い。

 

「悪あがきならこっちも得意だ!最後まで付き合ってやるよ!!!」

 

 ウルは剣を再びふり下ろし、血飛沫を浴びた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 真なるバベル 中央

 

「…………」

 

 現在、スーアを失い、玉座にて天賢王アルノルドは一人、大罪迷宮プラウディアを支え続けていた。両の手を前に突き出す姿勢をこの戦いが始まってからずっと、一切微動だにせず続けている。何時も通りの無表情だが、額には薄らと汗が浮かんでいる。

 突き出した腕にも血管が浮き出し、小さく血が噴き出している。いかに彼がプラウディアを支えるために努力を続けているか分かろうものだが、彼はそれを顔には全く出さない。問われればそれに答えるが、そうでないならただ黙々と、己の役割に準じていた。

 

「な?面白いだろ?」

 

 そんな彼に語りかける男が一人居た。その玉座の裏側で、地面に座り込み、ニヤニヤと笑うその男。真っ黒な毛並みの、見るだけで威圧感を与えてくる男。【歩ム者】達をこの戦いに誘ったブラックだった。

 彼は背中越しに天賢王へと話しかける。まるで友人に話しかけるように

 

「なんの謂われも無く、ただただ一本線が()()てる。物見遊山で邪教のオモチャを見て回ったら、おもしれーもんを見つけたもんだよ」

「…………そのお前のお気に入り、下手するとこのまま死ぬぞ」

「その時はその時だろ?惜しいとは思うがね。ところで、」

 

 ブラックは立ち上がり、振り返る。血塗れになりながらプラウディアを支える天賢王を見下ろして、やはり楽しそうに笑った。

 

「ソッチは大丈夫か?久々にちょっと死にそうじゃねえか?賢者様」

「そう思うなら手伝ったらどうだ」

「俺が?お前を?冗談だろ?」

 

 ゲラゲラゲラとブラックは笑う。あまりにも不敬な態度だったが、玉座の周囲を守る天陽騎士達は彼の暴挙を気にしない。と言うよりもまるっきり彼の存在そのものに気付いている様子はなかった。

 そして天賢王は天賢王で、ブラックのその態度を気にすることは無かった。

 しかし、その代わり、姿勢を変えぬまま、ブラックへと眼を細めて、小さく呟いた。

 

「残念だ。お前の【提案】に乗ろうと決めた矢先にイスラリアが滅ぶとはな」

「…………ほーん?」

 

 不意にブラックが笑いを止める。しゃがみ、落下するプラウディアを見据える天賢王を興味深そうにのぞき込んだ。

 

「本気かよ?とっくに諦めたと思っていたがな?それともその場しのぎの交渉か?」

「馬の前に人参を吊り下げることを交渉と言うならそうだろうな」

「言うねえ。誰かの悪い影響を受けたか?兄弟」

「だとしたらお前だな」

 

 ブラックはまた笑った。そして立ち上がり大きく伸びをした。

 

「見学しているだけでもヒマだしな。虚飾の作った不細工なオモチャと遊ぶとするかね。給料弾めよ?愚かな賢者様」

「精々働け、賢しい愚王」

 

 そう言って、ブラックはその場から消える。すると周囲の天陽騎士達は不意に目を覚ました様に周囲を見渡す。彼の傷を看護する神官達が慌てて王の周りに再び集い始めた。

 天賢王は気にすること無く、自らの責務の遂行を続けるのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑲ 彼の者

 

 【天空庭園】

 

 【神鳴女帝】イカザは一人、黒竜、灰色竜に次ぐ第三の竜との戦いを続けていた。その姿形は竜、というよりも虫に見える。鎌を持った蟷螂のそれに近い。上半身を持ち上げ鋭い刃の伸びた両腕を構え、残る四つ足で地面を這う。その全長は2メートルほど。

 ハッキリ言って大きくは無い。下手すると通常の魔物と比べても小さいくらいだ。

 だが、そんな小柄な竜に対して、イカザは全神経を集中させていた。本来、他の冒険者達を率いる役割も背負う必要があるのだが、それを完全に放棄して竜に集中している。

 

 そうしなければ、全員死ぬと彼女は理解していた。

 

『――――K』

 

 ギョロギョロと、無機質で大きな目が此方を見る。やはり虫か、あるいは爬虫類のような目玉だった。此方を見ているのか見ていないのかも分からない。生物であればある程度読み取れる呼吸や意思と言った物が皆無だった。

 そしてその状態から

 

「………!!!」

 

 ほぼ一切の拍子無く、刃が飛ぶ。イカザはそれを寸前で回避する。掠った髪が散る。凄腕の土人でも生み出せないような恐るべき切れ味の刃。首でも、腕でも、脚でも、その全てを容易く両断する二本の剣。それがこの竜の武装の全てだった。

 同時にそれだけで、並みの戦士では太刀打ちも出来ぬほどの脅威だった。

 

「…………」

 

 この竜をイカザが確認する前、熟練の冒険者が5人ほどなんの抵抗もなく殺された所を目撃した瞬間、彼女は仲間達に自分から離れるよう指示を出した。

 以後、イカザは一言も言葉を発しない。その全神経を竜に注いでいる。

 

『――――K』

「――――」

 

 目が、再びギョロギョロと動き出す。

 だが、それはフェイクだ。あるいはイカザでは感知できない何かを見ているのかも知れないが、通常の目の動きと同じような情報はそこから読み取れない。視線とは全く関係ない場所に刃が飛ぶこともあるし、あるいは目を動かし続けながら連続で刃を振り回すこともある。

 その全てが即死級の一撃である。

 

「――――!」

『K』

 

 逆に、コチラの攻撃は防がれる。

 イカザの剣は単純な斬撃ではない。魔剣であり、雷の魔力を秘め、対象を焼き切る。金属の盾すらも溶かす熱量がそこには込められている。だが、竜には防がれる。刃が通らない。熱で真っ白に燃えながらも、竜の刃は砕けない。

 

 固く、速く、そして強い。

 

 黒竜や灰色竜がそれぞれに厄介な性質を複合的に保有していたのに対して、この青竜の性質は恐ろしくシンプルだった。だからこそ手に負えない。数で抵抗するという手段が取れない。

 

「…………」

 

 倒す策は存在する。この竜は強さを極めるため、手札を大幅に削っている。故に、青竜が持っていない手札を出し続ければ勝てるのだ。

 例えば超々遠距離からの攻撃。

 例えば超広範囲全てに対する魔術の爆撃。

 例えば毒か、麻痺か、搦め手の類い。

 勝ち筋はある。この竜は強いが、弱点はとても多い。問題となるのは、今すぐそれを用意することができない点。そして今、時間が無いという点。

 

《灰色竜防壁に到達!!!庭園に出ている者は至急急行を願います!!!》

《黒竜が更に高く飛翔しています!!間もなく天陽結界から出ようとしています!!》

 

 イカザの指にはまる黄金級の証である黄金の指輪から、悲鳴のような救援要請が聞こえてくる。イカザは一切竜に意識を外さないまま、頭でその状況を理解していた。

 救援を呼ぶことは困難だ。つまり、竜は自分が殺すしか無い。 

 

「…………――――」

 

 安全策は取れない。無理を通すしか無い。最悪何処かが”欠けた”とて、駆ける足と剣を振るう手が残っているならそれで良し。イカザは腹をくくった。

 

「【神鳴宿し】」

 

 バチリと、彼女の剣が音を鳴らす。同時に迸った雷が、イカザの身体を駆け巡る。一見すれば自爆にも見える保有者を襲った雷は、しかしイカザの姿を変容させる。

 黒と金色の髪も、皮膚も、何もかもが白く燃えるように輝く。それは雷が彼女の表面を巡っているだとか、そう言った次元では無かった。彼女自身が雷そのものとなっていた。

 

『K』

 

 青竜は、それを前にしても変わらない。ただただ無機質に相手の首を落とすべく、両剣を身がまえる。

 少しの間、同時に二体の怪物は動いた。雷鳴のような轟音の一振りと、風切り音すら聞こえない無音の殺戮の二振り。それらは一瞬で交差し、そして結果を残した。

 

『  K――――』

 

 轟音の一振りは、青竜の左腕の刃を断ち切り、同時にその首をたたき落とした。金属よりも頑強だった刃と首は、イカザの一振りで焼き切れ、真っ赤に燃えて溶け落ちていた。

 

「――――」

 

 だが、逆の右腕から振られた竜の剣をイカザは対処できなかった。全身に付与された雷の魔力は刃を胴に到達する前に溶かしきったが、その前に身体を庇った左腕をたたき落としていた。

 血が噴き出す。左手を失った。その事実を確認し、竜が砕けて消えていく結果に満足する。この危険極まる竜を討てた事を思えば、軽い犠牲だった。

 回復薬をぶちまけてひとまずの止血をしながら、イカザは急ぎ視線を巡らせる。今すぐに対処が必要な場所は何処か。

 

 そして彼女は、天賢王の居るべき場所を守る防壁部隊に、灰色竜が突撃をかます様を目撃した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 真なるバベル。作戦本部

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNN』

「防壁部隊!!死守だ!!!」

 

 ビクトールは指示を繰り返しながらも、憎々しげに防壁部隊を踏み潰そうとする超巨大なる竜、灰色の竜を睨み付けていた。

 黒竜は魔眼を駆使した搦め手で冒険者達を翻弄した。青竜は圧倒的な対人能力で最大戦力の一つを完全に抑えてきた。では灰色竜の持つ性質は何か。

 

 巨大、かつ頑強

 

 青竜よりも遙かに増してシンプルな印象を受ける。そして単に大きいだけならそれほどまでの脅威では無かった。特に冒険者などは、自分より遙かに大きな魔物との戦いというものには慣れている。倒し方も理解していたし、その類いの魔物が出たときの備えも万全だった。

 だが、灰色竜にはそのことごとくが通じなかった。もっと言うならば、最初は通じるが、二度とは通じなくなる。”克服される”のだ。

 

「【嫉妬】……いや、【色欲】か……!!?」

 

 燃やせば皮膚は硬くなり、刺せば厚くなる。壊守の魔術で相手を弱めれば頑強の魔術が重ねられる。神官達の力で全身を焼き払っても皮膚を捨てて即座に再生し、竜殺しで脚を貫き縫い合わせれば、新たな脚をはやして古い脚を捨てる。

 

 あらゆる攻撃が、ゆっくりと、確実に対処される。そして進撃を止められない。

 

 防壁の前、天賢王の目前まで手を拱いていた訳ではない。本当に、ただただ、止められなかったのだ。

 此処に居る者達が死力を尽くして維持した戦線を、ごり押しの一点突破で破壊されるのはあまりにも無体な話だった。しかもその脅威は今尚続いている。

 

「うおおお!!!死んでも止めろおおお!!!」

 

 騎士達は雄叫びを上げ、血を滲ませながら盾を握りしめ続ける。

 意思と魔力に応じて強まる盾の防壁が更に輝く。あらゆる魔物の侵攻を退けるであろうその輝きは、しかしゆっくりと、竜の足に踏み潰されようとしている。

 

『OOOOOONNNNNNN』

 

 数十メートルはあろう灰色竜の動きは実にゆっくりだ。そもそも防壁の破壊を目論むような様子は見えない。竜はただただ歩いている。天賢王の方角へとゆっくりと。それだけで騎士達の決死の守りは踏み潰されようとしているのだ。

 

「限界ならば防壁は自立させ逃げろ!戦線を下げろ!!!」

 

 命を賭した騎士達の守りも、竜には障害にすらなっていない。ビクトールは悔しさに歯を食いしばりながらも指示を出す。このままでは無駄死にだ。

 だが、もう間に合わない。竜の無慈悲な進撃に防壁は崩れ、そして――

 

「スペックでごり押しっつーのは見世物としちゃあんまり面白くはねえなあ。単調で」

 

 低く、重い声がする。

 竜の地響きがいつの間にか消えていた。盾ごと防壁が押しつぶされ、ミンチになる寸前だった騎士達が呆然としている。彼等が竜達を抑えたわけではない。彼等もまた呆然と、自分らの上で、竜の足を支える”モノ”を見上げていた。

 

「芸磨いて出直してこいよ、デブ」

 

 男がいた。

 全身真っ黒な男。大柄の獣人、しかし見た目よりもずっと大きく見えるのは気のせいだろうか。毛皮のコートの衣嚢に両手を突っ込んだまま笑うその男は、自分を踏み潰そうとする巨岩のような大足を、顔についた埃を払うかのような軽い動作で、その場から弾き飛ばした。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!???』

「なあんだ。ちゃんとなっさけねえ笑える声出せるんじゃねえか。最初からそうしろよ」

 

 竜の転倒と共に激しい揺れが起こる。真なるバベルそのものが激しく揺れ動く。その振動に作戦本部にいる誰もが身動き一つ取れなくなる中、彼等の視線はただ一点、無様にすっころんだ竜を宙から見下ろしゲラゲラと笑う黒い男に注がれた。

 

「…………王だ」

 

 誰かがぽつりと口にした。それを皮切りに冒険者達、名無し達の中で伝播していく。彼等は熱に浮かされるようにして叫びだした。

 

「王!!」「キング!!」「ブラック!!」「我らが名無しの王よ!!」「あんたが来てくれるなら100人力だ!!!」「居るならさっさと手伝いに来いよクソッタレ!!!」「サボってんじゃねえぞボケェ!!!」

 

 口々に彼を讃える声、あるいは罵声が幾つも重なる。全員が思い思いに彼へと叫び、統一性の無い騒音となった。しかしやがてそれは無数にある彼の名の中からたった一つの”呼び名”に収束する。

 

 

「邪悪なり!!偉大なり!!最悪なる我らが【()()】!!!!」

 

 

 口々に重ねられる自身への歓声と憎悪を聞いて、ブラックは笑った。

 

「観客もお待ちかねだ。出来る限り無様にイケよ?トカゲちゃん」

 

 一方的な蹂躙者から、【魔王】の獲物に一瞬で変わった哀れなる竜の命運は尽きた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀⑳ 蹂躙

 

 灰色竜は愚鈍だった。

 

 灰色の竜に難しく考えるだけの思考能力は与えられていなかった。必要では無かったからだ。与えられた能は莫大な質量と、それを突き動かすだけの力と魔力のみだ。それでもって主人である虚栄から与えられた命令は、ひたすらに蹂躙しろという単純なもの。

 

 だから灰色竜に敵の区別なんてものはつかない。

 

 どんな攻撃でも跳ね返す。なにが迫ろうとも叩き潰す。なにが在ろうとも踏み潰す。

 

 例えそれが、竜の肉をも穿ち殺すことに特化している【竜殺し】に出会ったとしても、灰色竜は気にしない。竜殺しは分厚い肉をも抉るが、しかし、心の臓へは到達しない。無数に肉体に竜殺しが突き刺さっても尚、その単純明快な暴力装置は止まることは無い、

 

 どんな攻撃でも跳ね返す。なにが迫ろうとも叩き潰す。なにが在ろうとも踏み――

 

「【愚星】」

 

 潰す、筈だった。

 足に違和感があった。

 固くは無い。力を込めれば何時ものようにすり潰せると、そう思った。なのに違和感が消えなかった。何かがずっと足下に触れ続けている。それどころか、自分の莫大な力を、質量を、持ち上げようとしている。

 

 いや、違う。コレは違う。

 

 重く、()()()()()()()()()()()()()()()()

 主に与えられた全てが、”台無し”になっていく。主に与えられた筈のものが、絶対に失ってはならないはずの大事なものが、消えて無くなっていく。

 

「どうしたデカブツ、ちゃんと来いよ」

 

 そして黒い男が前に立った。

 真っ黒い男。獣人の男。他の、ここまで灰色竜が踏み潰してきた者達と何も変わらないただのヒトだ。その筈なのに竜はそれと相対した瞬間から嫌悪が止まらなくなった。

 

 灰色竜は愚鈍だ。それは天賢王を踏み潰す。その目的を果たすためだけに生み出された生物だからだ。

 

「来ないなら」

 

 だが、廃されたはずの機能が、竜の内側から蘇る。

 

「こっちから喰っちまーうぞー?」

 

 生き残るための生存本能。

 そこから呼び覚まされる、忌避感が竜を支配した。愚直に進ませ続けていた大木のような足が、最早一歩も進まなくなっていた。目の前の真っ黒な男へと向かって、前進することを魂が拒絶していた。

 

「【愚星混沌】」

 

 真っ黒な男が闇を膨らませる。溢れ出た暗黒は、身じろぎ出来ずにいた竜の身体を足下から飲み込み、その全てを破壊し尽くしていく。

 消える。無くなる。全てが終わる。その恐怖に竜は悲鳴と断末魔の入り交じったような、情けのない声を上げた。

 

「良い声で啼けるじゃあねえかッハハハハアハハハハハハッハハ!!!!!!」

 

 それを魔王は嗤い続ける。惨たらしい蹂躙劇は止まらなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『OOOOOOOOOONNNNNNNNNNNNNNNNNNN!!!!!』

 

 灰色竜の咆吼が響く。

 それまでの地の底から響き威圧するような鳴き声ではない。ひたすら破壊され、蹂躙され、悶え苦しむ断末魔だ。続く血肉が弾けるような音と共に竜が倒れる姿を目撃したイカザは、状況のおおよそを理解した。

 

「魔王がその気になったか」

 

 自身と同じ黄金級のブラック。彼に真っ当な道徳や倫理観、使命感等は期待できない。彼が今回の【陽喰らい】に絡んでいるのは知っていたが、ビクトールも誰も彼を戦力として加えなかったのはその為だ。故に幸運。望外の助けだった。

 故にイカザは、残る力の全てを黒竜に集中できる。

 

「後一発……」

 

 【神鳴宿し】のブーストは長くない。傷も深い。全力を後一撃、放てるかどうかといった所だった。彼女は空で暴れ狂う黒竜を睨む。青竜に集中していた故に黒竜が今どのような状況下にあるのか彼女は理解していない。

 が、あそこで仲間達が戦い、奮闘していることだけは分かっていた。故に

 

「征くか」

 

 彼女は跳んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 黒竜 頭部周辺

 

「だああああああああああ!かってえ!!」

 

 ウルは未だに【七天スーア】の発掘、もとい救出作業を続けていた。

 竜の血肉はひたすらに固く、しかも幾重にもスーアを結んでいる。幾つもスーアを結んでいる肉の拘束の一つを千切るだけでも容易ではなかった。

 全力で剣を叩き下ろし、また全力で叩き下ろす。何度も繰り返してようやく一つちぎり取る。そしてまたそれを繰り返す。手が痛くなってきた。籠手の中がヌルヌルするのは恐らく皮がむけたかマメが潰れたかだ。ウルは痛みを忘れるためにヤケクソ気味に叫んだ。

 

「頑強で助かるなあ!この魔剣は!!!」

『ぜってーこういう使い方じゃないんだがのう!』

「うるせえ畜生!!シズク!竜は?!」

「硬直そろそろ解けます!」

 

 シズクが少し疲労を滲ませながら言う。彼女の”対竜術式”とやらは強力であるが、永続ではない。そうであったなら最高だったが、動きを止める、あるいは鈍らせるのはほんの数秒である。その後再び発動するのに休憩と詠唱、そして発動と時間が掛かる。

 つまり竜はもう動く。そして竜が攻撃に転じればウルは死ぬ。

 

『GAAAAAAAAA!!!!』

「白王符!!!」

 

 リーネから預かっていた最後の切り札を惜しげも無く放り投げる。なんの魔術が込められているものだったかを確認する事もしなかったが、周辺を破壊するモノであるのは間違いない。

 

『GAAAAAAAAA!!!!』

 

 証拠に竜が動いた。ウルが符を投げつけた先にある自身の未来視の魔眼を守る為だ。魔眼は瞬く間に輝き、未来視周辺を爆破する。ウルは爆風に煽られるが、ダメージは負わなかった。

 本来、竜が振り回す魔眼の破壊と比べ、明らかに火力が小さい。当然と言えば当然のことだ。今ウルが居る場所は竜の身体の上で、未来視の魔眼のすぐ近くで、スーアのすぐ側だ。火力を上げすぎればウルは一瞬で殺せるのだろうが、引き換えに魔眼も消し飛ばしてしまっては意味が無い。

 

 上も下も右も左もわからない空の上の竜の身体。ウルも吹っ飛ばされないように必死だが、やりづらいのはウルだけではないらしい。

 

「やること半端だなあ!助かるよクソトカゲ!!」

 

 苦し紛れ、とウルが見抜いたのは間違っていなかった。その確信をもってウルは更に斬り付ける。スーアの身体を縛る肉が丁度半分ほどまで抉れ、その小さな身体がグラグラと揺れ始める。

 順調だった。ここまで邪悪なる黒竜がウルの手の平で踊っていると言っても過言ではないだろう。ここまでウルの思い通りに動いていた――――此処までは

 

「ウル様」

 

 天空を泳ぐ黒竜の身体、魔眼を差し向けるためにウル達の立つ頭頂部付近をぐるぐると蠢いていた下半身を観察していたシズクが小さく呼びかけてきた。

 その声音の緊張から、彼女がこれから言うことのおおよそを理解したウルは、しかしそれでもスーアを発掘し続けた。

 

『とうとう痺れを切らしたカの?』

 

 竜の状況を確認したロックもそう呟く。

 ウルの背中の魔眼の輝きが強くなる。だが、先ほどの白王符で誘導したようなレベルの力ではない。まだ魔眼が発動していないのにウルの背中が焼けるように熱い。ウルの首に幾つも掛かった多種多様な護符類がひび割れ、次々に壊れ始める。

 

 ロックの言うとおり、竜が痺れを切らした。

 ウルと、そしてスーアを消し飛ばすつもりだ。

 

「……まあ、粘れた方か。」

「……あー……』

 

 竜の最優先事項はスーアの排除だ。

 その為に捕らえ、逃げ出した。その上でこうしてスーアを捕らえているところを見ると、”あわよくば”スーアを更に利用し操ろうとしていたのだろう。だから殺そうとしなかった。その周りにちょろちょろする虫(ウル)を殺すのに全力を出せなかった。

 ウルがここまで好き放題出来ていたのは、竜の”あわよくば”があったからに過ぎない。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 だが、それは無くなった。

 

 もういい。殺す。

 

 竜の咆吼がそう語っている。

 

「……シズク、竜の停止出来る?」

「あと一分はください」

「こうなるともう、死ぬしかねえんだよなあ。俺は」

 

 半ば無理矢理自分をハイにしてあらゆるリスクを無視してスーア救出に動いていたウルは、不意に冷静になった。自分にかけていたドーピングは解けた。恐怖と痛みで手が竦むのを恐れて逸らしていた現実に目を向ける。

 所詮、竜の身体を這う小さな虫。その殺意の全てが本気で向けられたら、ウル達は死ぬしか無い。抵抗する手段は無い。そもそもここまで竜の目を逸らすために手札は殆ど全て切った。

 

『逃げるカ?』

「逃げられると思うか?」

 

 竜の視線、殺意は明らかにウル達に集中している。絶対に逃がすまいという敵意を込められている。逃げられはすまい。転移の巻物などを使おうにもその前に消し炭にされる。

 

「つまり――――続行だ」

「ああー……』

 

 ウルは再びスーアに纏わり付く肉を斬り付ける。悲鳴のようなか細い声が大きくなる。既にスーアが竜に操られ、コチラに反撃する事はなくなっていた。恐らく大部分のリンクが切れたからだろう。それを更に続ける。

 

『今度こそ死ぬ気かの?』

「いや、死にたくない。死にたくないが俺にはもうこれ以外手は無い。だから」

 

 そう、この状況でウルが出来る手は本当に限られる。何も出来なくなった者が出来るたった一つの選択肢。それは

 

「他の人に任せる」

「【細断!!!】」

 

 ベグードの斬撃が竜の身体を引き裂いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『GYAAAAAAAAA!?』

 

 竜が天空で身もだえる。

 ベグードの剣撃は正確無比に竜の魔眼の幾つかを破壊していた。竜の魔眼は露骨に周囲の警戒を無視して、自分の頭部付近に居るウルに集中していたのだから、その隙を付くのは容易かった。

 魔眼の一つたりとも警戒し周囲を見渡すこともしなければ、未来視による回避も無かった。ウル達に対してよっぽど腹が煮えたぎっていたのだろう。

 

 しかし、正直竜の気持ちもベグードは分かった。

 

「何を考えてるんだあのバカは!!」

 

 ベグードは思わず叫んでいた。

 竜の未来視の魔眼の破壊を託す事に対しての後ろめたさなど何処かへ吹っ飛んだ。

 騎士団長からの指示を無視した独断専行、更にスーアの直接救出に単独で動き出す命を省みないどころか捨てるような行動。頭のネジがねじ切れているどころではない。

 

 緊張とプレッシャーで頭がおかしくなったのか!?そうであったならまだマシだが――

 

《あーパイセンか。助かったありがとう》

 

 指輪から飛んできた通信魔術に、ベグードは反射的に叫んだ。

 

「今!すぐ!そこから離れろ!!!!!死ぬぞ!!!!」

《断る》

「巫山戯るなバカ!!!」

 

 ベグードと共に風の精霊の加護で空を飛んでいるベグードの部下達は世にも珍しいものを見た。ベグードがここまで声を荒げてブチ切れている所は見たことが無い。

 

《此処が勝負所だ。これを逃がしたら竜は二度とへばりつかせてくれやしないだろう。天祈サマが殺される。そしたら俺たちは死ぬ》

「だったら竜から狙われて生き残る策はあるのか!!?」

《無い》

「な――――」

《なので、申し訳ない。()()()()()

 

 通信が切れた。ベグードはあまりの事だったのか一瞬黙った。そして大きくを息を吸って、そして叫んだ。

 

「こっちに全部投げたぞあのばかあああああああああ!!!!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉑ 狂気の沙汰と目覚め

 

 真なるバベル、作戦本部にて。

 

「任せるっつーのは信頼を築いた相手に投げる言葉だぞ!?」

 

 灰色竜進撃の余波で頭から血を流したビクトールはウルからの通信にベグードと同じく叫んだ。指揮官として恥ずべき反応であるのは間違いないが、しかし叫ばずには居られない。

 ウルのことを、新進気鋭なれど、身の程を弁え献身的な態度を続ける見込みのある冒険者、と考えていた。若い冒険者は軽んじられる事を嫌い、()()をする事も多くて扱いづらかったが彼にはそういった所が一つも無くて感心すらしていたのだ。

 

 が、()()とかそんな次元では無かった。

 頭が、おかしい。気が狂ってる

 しかも、その狂気に付き合わせておいて作戦はこっち任せである。

 

「アイツ連れてきたの何処の誰だ!!」

「今、外で笑いながら竜ぶん殴ってます!!!」

「ああそうだったな!!畜生!!」

 

 彼を連れてきたのは今、防壁のすぐ近くで笑顔で灰色竜をぶん殴っている”魔王”である。なまじ自分たちの命運をギリギリで助けた相手だけに怒りづらい。

 そして、それは()()()()()()()()()()()()

 

「どうします!?彼を無視して作戦を組み直しますか!?」

 

 騎士隊長の一人が叫ぶ。何をどう見たってウルの行動は完全な独断であり指示無視である。彼を見捨てて無視するというのは判断として間違っているわけではない。

 ない、が、しかし――

 

「………………………………続行だ!!!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、ビクトールはウルの作戦続行を支持した。

 

「本気ですか!?」

 

 悲鳴を上げる隊長の言葉ももっともだ。作戦の続行と言うことは、つまるところウルの作戦に乗ると言うことだ。彼等もウルのことを殊更に見下してるわけでも、嫌ってるわけでも無い。本当にただただ単純に、彼は若く経験が浅すぎる。そんな子供に誇張抜きに世界の命運を託すなど正気ではない。

 勿論ビクトールも分かっている。分かっている、が、

 

「戦況を打開する好機は此処しか無い!!」

 

 ウルが勝負所と見定めたこのタイミングは、ビクトールから見ても確かな好機だった。

 彼の経験値の浅さ、若さというフィルターを取っ払うと彼の発言に嘘も混乱も感じない。正しく状況を見定められている。今残る戦力を注ぎ込むのは此処しか無い。

 

 貧弱な手札に世界の全てをベットする、最悪なギャンブルだ。

 

「魔術師部隊!!全て前に出せ!!予知の情報量を増やして対応力を奪え!」

「消去魔術は!?」

「直接は当てるな!!落下すれば外に露出したスーア様もただでは済まない!!」

 

 次々に指示を出しながら、ビクトールは叫んだ。

 

「何としても!!ウルのスーア様救出作業を援護せよ!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「正気の沙汰かビクトール!!!」

 

 ベグードは叫びながらも細剣を振る。竜を斬り付け、破壊する。魔眼の一つを更に潰す。愚痴と怒りを叫び倒しながらも見事に竜の武器を破壊していた。

 

「風と灯火の神官がた!!魔術師部隊!!」

「任されよう!!」

 

 同時に指示を出す。

 竜が暴れる上空までベグード達を運んだ【風の精霊】の神官は自らの加護を操り、風を生み出す。ベグード達に自らの意思で自在に飛ぶ力を与えたその加護は、竜の周りに強い風を巻き起こした。そしてそこに砂塵が再び巻き起こる。

 

「此処は天空庭園の更なる上空だ!大地から離れている以上、土の魔術は効力が薄い!!!魔眼の視線に気をつけろ!!」

 

 だが、見る限り鎌鼬の数は大幅に減っている。竜の支配が解けたのか不明だが、少ない砂塵の力でもまだ余裕があった。

 

「攻めろ!!!絶対にウルとスーア様に攻撃させるな!!!あらゆる手を使い切れ!!」

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 竜の咆吼が響く。上空は更なる騒乱に包まれた。竜の魔眼は更に激しく輝く。爆散、凍結、炎が巻き起こる。考え得るあらゆる現象が竜を中心として巻き起こるまさに地獄絵図だ。

 それでも尚、戦いの意思を一切萎えさせる者がいなかったのは奇跡的と言って良いだろう。繰り返しひっくり返され続ける戦況のただ中にあって彼等は武器を振りかぶり、魔術を放ち、精霊の力を行使し、竜へと立ち向かい続けた。

 だが、それでも限界はある。

 

「ぎゃああ!?!」

 

 一人、また一人と冒険者が空から落ちる。

 当然の結末だとベグードは歯を食いしばる。もう自分たちに残されている体力は本当に少ない。ウルが言った「勝負所」の言葉が頭を過る。言われずとも分かっている、と、ベグードは細剣を幾度も振るい続けた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 竜が吼え猛る。コレで何度目かになるだろう。魔眼が瞬く。

 魔眼は破壊しても尚尽きなかった。長大な黒い身体に、バカみたいに大量の魔眼がつけられているのだ。そしてその一個一個が凶悪である。分かっていた結末だ。

 だから今回の作戦の最終目標もずっと「竜の打倒」ではなく「スーアの救出」だった。其処が限界点であると皆知っていたのだ。

 だが、それでもこんな所で終わるつもりは無い。自身の師のため、慈悲無き世界の滅亡という危機から仲間達の運命を救うためベグードは此処まで来たのだ。それに、何よりも――

 

「あのバカを殴るまで死んでたまるかぁ!!」

「ああ、全くだ」

 

 すると背後から声がした。振り返った先で見たのは真っ白な、見覚えのある閃光だ。ベグードは懐かしいその輝きに思わず笑みをこぼした。

 

「先生!!!」

「【神鳴り】」

 

 【神鳴女帝】イカザ・グラン・スパークレイの雷轟が竜の魔眼を焼き払った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 空中庭園、騎士団の障壁外周部にて

 

「ハッハ!過保護だねえ、雷姫。真面目なアイツらしいが」

 

 天空の凄まじき閃きを見ながら、魔王ブラックは楽しげに笑う。

 

『O          o    』

 

 彼の足下では、先程まで無慈悲に冒険者や騎士達、神官達全てを等しく無慈悲に踏み潰していた灰色竜の姿があった――――正確には、だったものの残骸だ。

 その全身は黒ずみ、最早跡形も無い。残った肉体は微かに吹く風に当たるだけで崩壊していく。チリチリと燃えるように揺らぎ続ける魔王から溢れた”闇”の傍には周囲を飛び交う無数の魔物達すらも近付かない。人類を殺すことを目的として産まれる、悪意に溢れた彼等が、その闇を畏れていた。

 

「ま、それならジジイも手伝ってやろうかね。折角の祭りだ」

 

 アルもようやくやる気になったしな。

 と、そう言って、彼は懐から手の平に収まるような小さな魔導銃と思しきものを取り出した。豆鉄砲で撃ち出すような、オモチャのようにも思えるそれを彼は手の平で回すと、その銃口を竜へと向けた。

 

「【■ ■ ■ ■】」

 

 そして、何事かを呟いた。

 そしてその瞬間、彼の腕が”蠢いた”。異形の腕が、小さな魔導銃を飲み込んで、歪め、変貌させる。間もなくしてそれは、強大なる砲口へと形を変えた。

 同時に、轟音と共に禍々しい真っ黒な光が収束を始めた。何事か、と彼の周囲を遠巻きに囲んでいた戦士達は、間もなく魔王が生み出す黒い光の禍々しさに、背筋を震わせた。

 

 彼等は誰も彼も一流の戦士達だ。

 故に早々に彼等は理解した。

 今、魔王は極めて危険な事をしようとしており、同時に周りを一切配慮していない。

 

「ちょっと待てなんかクッソやべえの撃とうとしてねえかあのスーパーバカ!!!」

「退避退避!!!巻き込まれるぞ!!!」

「は!?まだ周りに滅茶苦茶ヒト居るんだぞ!?」

「あの魔王が周りのこと配慮する訳ねえだろ!!基本アイツ普通に最悪だぞ!!!」

 

 そんな悲鳴と罵詈雑言と共に戦士達は必死に逃げだした。蜘蛛の子を散らすようなその逃走劇を尻目に、ゲラゲラと嗤いながら魔王は黒い竜を銃口で睨み付けた。そして、

 

「【愚星咆吼】」

 

 次の瞬間、雷が降り墜ちるような轟音と共に、全てを飲み込む闇がまっすぐに黒竜の肉体を穿ち貫いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 二つの黄金級冒険者から放たれた必殺の一撃は、黒竜の肉体を一気に削り取った。

 闇が竜の身体を崩壊させ、雷が一気に竜の肉体を焼き払う。間違いなく大打撃だった。

 

『なんじゃああああ!!!?』

「大変です!!!!」

 

 が、当然、その上で今も闘っているウル達はえらいことになっていた。

 竜が悶え、揺れる。重力の魔術で自分を竜に結びつけるのにも限界がある。ロックの身体を変異させたロープと、シズクの重力魔術がなければ、とっくの昔にウルは竜から吹っ飛ばされて、地面に落ちて潰れていただろう。

 

「…………!!!」

 

 だが、今のウルには二人に礼を告げる余裕も無かった。

 竜の恐ろしく固い肉を引き裂くために力を込め続けた両手は血塗れだ。それが籠手の中から出てきた自分の血なのか竜の血なのかも判別付かない。シズクの回復を繰り返しているが、追いついていないのか痛みで感覚がなくなりつつある。

 

 限界。本当に限界だが、それでも剣をふり下ろすのだけは止めなかった。

 

「竜の身体の三分の一程が二方向からの攻撃で消し飛びました!!」

「……死んだ?死んだか?だったら、最高、だが……」

「その砕けた肉体の一部が変化して、子竜になってこっちに来ます!!」

「巫山戯んなよ馬鹿野郎……!!」

 

 ウルはキレた。どういう生命体なのだこの竜は

 分裂、増殖、生殖とは違う【粘魔】に近い性質。【暴食】の特性も持っているのかもしれない。が、その分析が何の役にも立たない

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「竜の”尾”も来ます!!!」

 

 あ、死ぬ。とウルは思った。

 

 仲間達は死に物狂いの支援をしてくれているが、それでも限度というものがある。何処かのタイミングで、”切れ目”が発生するのは分かっていた。そしてその状況で自分が持っている手札は無い。

 死ぬ。虫けらのように死ぬ。当然のことではある。自分のような木っ端が、修羅場の最前線に無防備を晒せばこうなるのは必然だ。

 

 だから仕方ない。仕方――――

 

「無い、訳、あるか……!!!!」

 

 ウルはへし折れかけた自分の心を殴りつけるように叫び、剣を死に物狂いで握りしめる。

 

 何のためにこんな地獄に飛び込んだ!?何のために死地に立った!!

 

 己が望みをつかみ取るためだ。何もつかみ取れぬまま、終われるものか――――

 

 

 

『  鬱     陶    し   い    の  う     』

 

 

 

 そう思った瞬間、背筋が凍るような――――聞き覚えのある声が――――した。

 

「――――は!?」

『【    揺     蕩     い   】』

 

 同時に、右腕が()()()

 動かした、ではない。動いた、だ。ウルの意思ではない。片手が剣を手放して、ぐるりとウルの背後に回る。右手は全く別の生物のように蠢きながら、ウルの背中に迫る子竜と、薙ぎ払うようにして迫る竜の尾を睨み付けた。そして、

 

 

 

『【    狂     え     】』

 

 

 

 おぞましき、魔言を放った。

 

『―――AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!?』

 

 次の瞬間、子竜達が弾け飛んだ。まるで見えない拳が虚空から振り落とされたように、子竜達が弾け飛んだ。同時に巨大な竜の尾までも、弾けた。

 

『なんじゃああああああああ!!!?』

「……………!!!」

 

 ロックも、シズクも動揺している。だが、二人は背後で突然吹っ飛んだ竜達を見るばかりだ。ウルの右腕から――――否、ウルの内側から聞こえてきた悍ましい声を、二人は耳にしていないらしい。

 そして、その声の正体を、ウルは理解していた。今しがた起きた現象が、どのような意味を示しているのかも理解した。

 

 その上で、

 

「――――今は!!どうでも!!いい!!!」

 

 ウルは自由になった右手で再び剣の柄を全力で握りしめた。

 どうでも良い。心底どうでもいい。今重大なのは、死ぬ直前に、好機が生まれたと言うことだ。まだ、死地で足掻くことが出来ると言うことだ。ならば、やることは一つだ。

 

『あー……』

「っつーか!いつ!!まで!!寝てんだ!!!てめえは!!」

 

 ウルは眼前のスーアに向かって叫んだ。最早敬意もクソも無かった。

 世界で最高の戦士とか何とか言われておきながら、早々に攫われているようでは世話が無い。コイツが邪魔にならなければ未来視の魔眼だって破壊できたというのに、なんだってむざむざと利用されているのだ。

 ウルは握りこぶしの代わりに剣の柄を再び握り、痛みに堪えながら、声を振り絞った。

 

「さっさと起きろや役立たずのクソ七天!!!!!!!!」

 

 思う限りの罵声を浴びせ、剣を振りかぶる。背後からは新たに精製された子竜達と、竜の尾が迫り来る。迫る死を前にしてもウルは躊躇わず――――

 

「――――誰が、役立たずですか」

 

 直後、鈴の音が響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉒ 陽は昇り――

 

「【四克の破翼】」

 

 鈴のような声がした。

 同時に、ウルの目の前で四つの光が激しく輝いた。紅と翠、蒼と黄、四色が瞬きそれらが渦巻いて中心の白に集約する。あれほどまでにウルが破壊を試みても僅かずつしか千切ることも出来なかった竜の肉が一気に引き裂かれていく。

 

「……………!」

 

 その間近に居るウルにはとてもではないがその光景をマトモに見ることは出来なかった、まぶしすぎる。直視すれば目が潰れるだろう。輝きは時間経過と共に収まる。だがそれでも輝きは眩かった。

 薄らと目を開くと、四つの輝きを翼のように纏ったスーアが、ウルを無表情に睨んでいた。

 

「怒ってらっしゃいますね?」

『役立たずとか言ったからのう』

「もう知らん」

 

 ウルは投げやり気味に吐き捨てる。

 この世界で最も偉い天賢王の長子にして第一位(シンラ)、世界最大の戦力である七天に対してものすごい暴言を吐いた気がする。するが、ハッキリ言って本心からの言葉である。これでどうこうと言われても知ったことではない。

 スーアはウルをジッと睨みながらも、そのままぽてんと頭を下げた

 

「助けてくれてありがとうございます」

「それは、どうも」

 

 感謝はしてくれているらしい。

 

「役立たずではありません」

 

 気にはしているらしい。

 ウルは色々と考えて、何かフォローをしようとしたが何も思いつかなかった。無理をしすぎた所為か、体中の痛みの所為か、スーアを助けられた安堵の所為か、頭の中がぼんやりとしてまともに思考が働かない。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 そもそも今、ウルが立っているのは竜の上で、今ウルはずり落ちそうになっている。ロックの骨の鎖で身体をつなぎ止めてるが、それを掴む手の力がもう入らない。手を離したら落下して死ぬ。

 

「役に立つなら、証明してくれ。さし当たって、助けてくれ」

「分かりました」

 

 と、スーアが言う。不意にウルの身体に浮遊感が発生した。ウルの身体に纏わり付いているロックも、背中に縛り付けているシズクも同様だ。3人共暖かな力で宙に浮かび、スーアのすぐ側に運ばれた。

 ウル達を側において、スーアは光翼を更に強める。血と竜の肉の汚れが一気に振り払われ、その身体を光が覆った。まるで鎧のように身体に纏わり付いた。ウルはアカネを身に纏ったディズを思い出した。

 先ほどまで曖昧に明滅を繰り返していた精霊の光が、圧倒的な輝きとなって彼女の右手に集約する。

 

「潰します」

 

 それをふり下ろした瞬間、黒竜の首が真っ二つに切り裂かれた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】作戦本部

 

「スーア様回復しました!!!黒竜を破壊しています!!!」

「そ、うか……!!!」

 

 ビクトールは今度は安堵で崩れ落ちそうになる膝を押さえ込みながら、その連絡を受け取った。もし部下達の目が無ければ、机に倒れ込みそうだった。実際部下の何人かはそうしている。まだ作戦は済んでいない事を考えると問題のある態度だが、ビクトールは咎める気にもならなかった。

 スーアが操られたと聞いたときは全員肝が冷えたなんていう次元では無かったのだ。

 

 だが、賭けには勝った。スーアはなんとか取り戻したのだ。

 

『GYAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 灰色竜のものとは別、天空から黒竜のわめき声が響く。空で蠢く黒竜を、ここからでも眩く見える光がなんども穿つのが見えていた。それを見た騎士達が歓声の声を上げるのが聞こえてきた。

 

 青竜はイカザが倒したと連絡が入った。

 灰色竜は今、ブラックが嬲り壊した。

 そして黒竜はスーアが今、引き裂いている。

 

 恐らく今回の最大の脅威、三竜の撃破は成った。後は魔物達を凌ぎさえすれば――――

 

「見ろ!!」

 

 すると騎士の一人が大きな声を上げ、指を指す。その先にあるのは、竜たちの手によって破壊されていた天陽結界だ。大量の魔物達を結界の内部に送り込む忌々しい大穴のある場所だった。

 

「おお……!?」

 

 それが、徐々に、ゆっくりとであるが塞がっていく。あらゆる魔を退ける結界が再び完全な物になろうとしているのだ。それを見て、騎士達は声をあげた。

 

「おおやったぞ!!」

「忌々しい魔物どもざまあみろ!!!」

「王の勝利だ!!」

 

 歓声が沸き上がる。竜の撃退に次ぐ好転の変化に、誰もが喜んだ。明確な勝利の兆しだと誰もが思った。が、

 

「……退いた、だと?」

 

 ビクトールだけは険しい表情をしていた。

 彼の目から見ても確かに状況は好転している。大群とも思える魔物達の圧は竜程ではないにしても間違いなく驚異的だった。それが無くなり、三竜も消えた。そして魔物達の軍勢も増援が無いと来れば、ほぼ勝利とみて間違いなく思える。しかしそれならば何故――

 

「違う」

 

 そこに、魔術でも無いのに場の歓声をかき消すほどに響き渡る声がした。歓喜の声は一瞬で消え去った。誰の言葉かはすぐに理解し、神官達は速やかに跪いた。

 

「戦士達よ。油断するな」

 

 誰であろう天賢王の声だ。遮る者は誰も居ない。

 空中庭園の中央に座していた王は立ち上がっていた。未だ彼は両腕を前に突き出し力を込め続けている。それはプラウディアの落下がまだ止まっていないことを意味している。

 

「七天達から、竜の沈静化を成したという報告はまだ降りてきていない」

 

 そう、あくまでこの空中庭園は”防衛”側だ。真にプラウディアを討つために動いているのは七天達であり、彼等がプラウディアを封じない限りこの戦いは終わらない。つまり

 

「戦いはまだ終わっていない」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 真なるバベル上空

 

 スーアはその全能でもって黒竜を破壊し尽くした。

 事前に二人の黄金級が繰り出した攻撃のダメージがあったとは言え、凶悪な黒竜を一瞬で破壊し尽くす七天の力はやはり偉大で、素晴らしかった。

 しかしその場を生き残った全員の表情は冴えない。彼等もまた、天賢王の忠言を耳にしたからだ。

 

「だけど、だったらなんで結界の穴を?」

 

 ウルはスーアの力に身を委ねながらも疑問を口にする。

 結界の穴は魔物達の重要な通行路だ。アレが無ければ魔物達は結界の中に僅かでも入ることは出来ない。戦力の追加はこれ以上出来なくなったと断言できる。冷静に考えれば、これ以上プラウディアがどうこうできるとは思えない。

 

「――――穴を空けていた眷属達はどうなりました?」

 

 そこに、シズクが問うた。

 全員、顔を上げる。言うとおり、あの薄気味の悪い巨大な赤子の姿が無い。天陽結界に強引に穴を広げ、魔物達や竜を招いたのはあの眷属竜達だ。

 その肝心要の竜達の姿が見えない。どこに――

 

「…………あ」

 

 そんな中、冒険者の一人が気の抜けたような声を出した。場の緊張を崩すような抜けた声だ。咎めるように視線を向けるが、彼はゆっくりと指を指す。その先にあるのは、地平線から覗く輝き、

 

「太陽神だ」

 

 陽が昇り始めていた。眩い陽光が世界を照らし始めていた。

 体中の傷に染み入る光と温もり、そして安堵に涙をこぼす者がいた。先ほどまで彼等の間にあった不気味な沈黙と悪寒の全てが拭われるような感覚があった。どのような事があろうとも、太陽神、唯一神の下であればきっと大丈夫だという安心感が彼等を包み込んでいた。

 ウルもまた、目が焼かれぬよう細めながらも太陽の光の恩恵を受け、安堵していた。まだ戦いが終わっていないとはいえ、太陽が姿を顕せば、天賢王の力は更に強まるという。それならどのような問題が起ころうと安心――――

 

「…………待て」

 

 そこまで考えて、ウルは不意に得体の知れない悪寒を感じた。

 

 ――竜は悪辣だ

 

 ディズが竜の危険性を語るとき、この警告を繰り返し告げていた。耳にタコが出来る程に。ウルはその彼女の警告を律儀に心の奥底に刻みつけていた。

 だからこそだろうか。警鐘が頭の中で響き渡る。今のこの安堵、油断、拠り所、竜が悪辣というのなら、此処を狙わない道理は存在しない。

 

「……!!」

 

 ウルは目が焼かれないように光を少し遮りながらも太陽神を見る。長い夜を越えて姿を顕し始めた唯一神の象徴、世界中に結界を生み出すゼウラディアの御姿そのもの。

 

 その、降り注ぐ太陽の光の手前に、()()()()()()()――――

 

「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!!」

 

 ウルが叫んだ。その場に居る全員、言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。それを叫んだウル自身も、自分の最悪の閃きの意味を理解するのに時間を必要としていた。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

 

 しかし、聞こえてくる眷属竜達の笑い声が、それが真実と告げていた。

 

「…………と、めろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 太陽神の光、それそのものを【書き換えようとする】眷属竜達との最後の死闘が始まる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉓ 最後の死闘

 

 

 この世界における太陽、天に座する炎の塊は唯一神ゼウラディア()()()()である。

 

 唯一神、太陽神ゼウラディア。

 

 朝と共に昇り、天地にその眩き輝きを遍く全てに与える。温もり、生きる気力、身体を巡る英気、その全てを与え一日のヒトの営みを時に優しく、時に厳しく見守って居てくれる。そして一日の終わり、地平線の彼方へと身体を隠し、そして休まれる。

 夜の守りを精霊の輝き、星々に託し、そしてまた翌日に姿を現す。

 

 この世界の一日はこの繰り返しだ。昔から何一つ変わらない、当然の摂理だ。

 

 その摂理が、今破られようとしていた。

 

「……ぐっ」

「王!?」

 

 天賢王が王座の前でかがみ込む。胸を押さえ込むようにして苦しみ始めた。王の身体を治癒していた術者達は悲鳴を上げる。ここまで、プラウディアを支えるべく奮闘していた天賢王だったが、ここまで苦しんでいる姿を彼等は見たことが無かった。

 だが、それでも手は緩めず前に突き出されている。プラウディアを支えるその手は変わらず前を向いていた。だからこそ空に浮かぶ大迷宮はまだ落ちてきてはいない。

 

 だがこれは長くは保たない。その場に居る誰もが確信した。

 

「でもどうして……どうなさったのです……!?」

 

 従者の一人が叫ぶ。怪我の治癒は進めている。癒やす度に大きなダメージを負うためイタチごっこであったが、しかしまだ彼には余裕があるように思えた。今代の天賢王アルノルドは歴代でも最高の太陽神との親和性を繋ぐ者と呼ばれる程の力の持ち主だ。

 既に幾度となく【陽喰らい】を越えている。だからこそここまでの苦しむ様子は従者達にとっても初見であり、故に焦った。

 

 何より原因がつかめない。一体何故?

 

「あ――――ああ………!!!」

 

 すると、従者の一人が叫んだ。周りの者達はギョッとする。天賢王に仕える中でも最も年長者のファリーナだ。常に冷静沈着な彼女が悲鳴のような声を上げたのだ。驚きもするだろう。何があろうとも驚きもしない、そんな印象すらあった彼女が顔を真っ青にして悲鳴を上げている。しかも、今苦しんでいる天賢王から目を逸らして。

 

「どうなされたのです!?」

「ゼ、ゼウラディアが!!!」

 

 激しい動揺と共に彼女が指さす先には地平線の先、昇り始めていた陽光が見える。自分たちを常に見守る唯一の神。その姿がある――――筈だった。

 

「っひ」

 

 悲鳴が出た。唯一神、ゼウラディアの輝き、その端から得体の知れぬ真っ黒な”虚”が浸食し始めていたのだから。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 真なるバベル、作戦本部

 

「残存戦力は!!!」

 

 その異常事態にビクトールもまた気付いていた。ウルの通信は聞いていた。それでもそんな馬鹿な、という感情が頭を過らざるをえなかった。

 

 太陽神を塗り替える?出来るわけが無い!

 

 無根拠な確信。だが、神の膝元で生きるのを当然としていた全ての者達にとってそれは盲点が過ぎた。無意識のうちに、それは出来ないと決めつけていたのだ。だが、実際はこの様だ。

 ビクトールは歯を食いしばって現状を受け入れた。その上で、急がなければならない。

 

「結界の穴が塞がったことで魔物達の数は急速に減っています!!ですが、眷属竜を討てるほどの力を持てる者は…!!」

 

 根本的な問題として、あの眷属竜は容易くは無い。容易いのであれば、そもそも天陽結界に穴を空けようと試みた瞬間排除している。【塗り替える】一点と、自身を守る防御力だけに特化した竜。戦闘能力は皆無で、だがそれ故に厄介極まる嫌われもの。

 長い時間をかければ一体ずつ排除も出来る自信はビクトールにはある。だが今はその時間が最も足りない。必要になるのは、形振り構わない火力だった。

 

「イカザ殿は!?」

「左腕を失った状態で無理をしたらしく意識を失って治療を受けています!!」

「ブラックは!?」

「竜を殴り殺した後、何処かへ消えました!!」

「ああクソ!!」

 

 思わず腰に下げた剣に手が伸びる。

 自分が出た方が早い。そういう確信がある。だが、それはできない。指揮官は自分だ。それを放置して外に飛び出して、また別の問題が発生したとき応じられる者がいなくなればその時点で詰みだ。

 

「現在眷属竜の排除に向かっているスーア様の援助!残存する魔物達は防壁部隊のみで対処する!!苦しいだろうがそれ以上魔物の増援は無い!お前達だけで耐えきってくれ!!」

「応!!」

「それ以外は全て眷属竜に向かえ!!スーア様を中心にして戦い、援助を惜しむな!!どのような手段でも構わない!!竜を討て!!!」

 

 ビクトールは声を張り上げる。唯一神が失われる。その恐怖に足が竦んでいるヒマが全くないことだけが、彼にとっての幸いだった。声が震え、部下達の士気を下げるような真似をせずに済んだのだから。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 真なるバベルより更に上空。天陽結界のギリギリの外れにて。

 

「急ぎます」

「うおおお…!?」

 

 スーアの力によって、ウル達、更に彼の周りにいた生き残った戦士達を運んでいた。風の精霊の力による飛翔であるのは間違いなかったが、速度が凄まじい。にもかかわらず風を切るような感覚が全くない。身体は自由に動かせるが、まさに運ばれているような状態だ。

 楽ではある。だが、楽しい空の旅を満喫している場合では無い。運ばれている中で身体を自由に出来るのなら出来ることはある。

 怪我と体力の回復のために魔法薬を幾つも飲み干す。ついでに特製の”お茶”も一気に飲み干した。

 

「ぐっ……うぇぇまっず……ぉぉぉおぉお後に引くぅ…!!」

『そんなに?そんなにマズいんカ?』

「飲んでみるか?」

『嫌じゃ』

 

 ザイン製のお茶は身震いするほど不味いが気を失っているヒマは無い。手持ちの回復薬類は全部飲みきる。

 

「ウル様、手は大丈夫ですか?」

 

 シズクはウルの左手に触れる。籠手の下のウルの左手は、酷く熱を持っていた。あの極限状況で酷使しすぎた結果だ。多分籠手の下は酷いことになっている。まだ異形化してしまった右手の方が見た目としてはマシな具合である――――一一見すれば。

 どっちにしろ、決して大丈夫だとは言い難い。が、今その事を考えている暇は無かった。一先ず戦えるかどうかという一点だけを考える。

 

「まあ、剣を握ってすっぽ抜けたりはしない、と思う……」

『剣無くしたら弁償して貰うからの、カカカ』

「うっせえ」

『で、ワシはお前の手伝いしつつ動く方が良いカの?』

 

 ロックは依然としてウルの鎧のような姿を維持している。ウルは頷いた。

 

「頼む。バラけるよりは良いだろう」

「私は補助を行いつつ、竜を止めます。問題はどの竜を狙うかですが……」

「私が狙う竜を全員攻撃しなさい」

 

 するとそこにスーアが口を挟む。

 言うまでも無く、スーアはこの集団の最大戦力ではある、そして恐らく最も竜を素早く討てる可能性があるのはスーアのみだ。そして今この場の戦力は少ない。ウル達を含めて十数人ほど。あの黒竜のスーア救出作戦に参加し、そして無事だったメンバーがそのまま流用されている状態だ。

 少数の戦力を更に分けるなど愚行だ。戦力集中というスーアの案は正しい……が、

 

「我々も貴方と同じ竜を狙うと?」

「乱造された”雑種”と違って、【大罪竜】直下の【眷族】はとても固いのです」

 

 ウル達と同じくスーアに運ばれているベグードが確認をする。そしてスーアの解答にしばし悩むように顔を伏せた。ベグードの考えている事はウルにも分かった。故にウルも確認する。

 

「一緒に戦ったら俺たち邪魔になりません?」

 

 あの強大なる黒竜すらも一刀両断し、魔物達も範囲攻撃でまとめて破壊するスーアの力の巻き添えになる懸念があるのだ。正直ウルは、スーアの本気の攻撃を連係して上手く躱す自信は無い。多分、ベグードだってそれは同じだろう。対策があるなら聞いておきたい。

 するとスーアは眷族竜達の方角を見据えたまま、こくりと頷いた。

 

「邪魔しないでください」

「そりゃそうだけども……!」

「邪魔をするのですか?」

「したくなくてもしちゃうっつー話ですが。俺等弱いんで貴方の攻撃に巻き込まれたら死にます。勘弁してください」

 

 かなり投げやりな応対をするウルをベグードが凄い表情で見ている。ウルは無視した。スーアの事を舐め腐っているわけではない。救出時に最大レベルの暴言を吐き散らしたので開き直ってるだけである。

 この程度でぶち切れられるのならどのみちウルはこの戦いが終わったら殺される。

 

 ともあれ、言葉を選ばず大分直接的な警告を告げたウルによって理解が出来たのか、スーアは首をかるく揺らすと、もう一度頷いた。

 

「気をつけます」

「ありがとうございます」

 

 気をつけると言うことは、気をつけるという事だろう!

 正直不安だが、これ以上念を押しても意味があるとも思えない。その言葉を言ってくれただけ満足しよう。

 

「さて……」

 

 そして自分の指輪の通信魔術を起動させる。ウーガへの連絡だ。しばらくの間全く連絡が付かず、そしてウル達も滅茶苦茶な状況で連絡を取るヒマなんて無かった。恐らく今このタイミングが最後の機会だろう。ウルは指輪の先、ウーガへと声を飛ばした。

 

「リーネ、エシェル、聞こえるか」

 

 正直期待半分だった。結構な間通信魔術を続けていたが、ここまで全く反応が無かったからだ。最悪の可能性も頭を過っていた。が、

 

《……!!…――――………ウル?》

「リーネか?やっと通じた……!」

 

 ウルは溜息をついた。一番の懸念、ウーガ側の仲間達の全滅という事態の可能性が消えた。最も世界が滅びそうな訳だが、兎に角今は安心した。

 

「そっちは無事か!?死にそうな奴いないか!?そんでウーガを使えるか?!!」

《…………そうね。一つ一つ行くわ》

 

 通信魔術の向こう側で大きく溜息が聞こえる。そして彼女の言うとおり、ゆっくりと、一つ一つ言葉にしていった。

 

《こっちは無事。死にそうなヒトも今は居ない。少し時間もかかるけどウーガも使える、と思う。ただし――》

「間もなく到着します。総員、戦闘用意」

 

 スーアが指示を出す。周りの戦士達も準備を始める。その準備の最中もリーネの声が聞こえてきた。 

 

《竜より不味いのが、ソッチに飛んでいったわ》

「…………ちょっと待てなんていった!?」

「接敵します。戦闘開始」

 

 ウルが聞き直すその前に、戦いが始まった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉔ 眷属竜

 

 朝が来る。

 

 太陽の目覚め、一日の始まりと共にプラウディアの都市民達は目を覚ます。

 自分たちを守り、生きる場所を与えてくれる太陽神への祈りを捧げる為だ。最も重要で、必須となる儀式だ。神官達は当然のこと、都市民にとっても義務であり、一時的とはいえ都市に仮住まいを置く名無し達であってもそれをしない者は咎められる。

 

 この世界における祈りとは最も重要な労働の一環に他ならない。

 

 殆どの者にとって、それは当たり前だ。朝起きて、顔を洗い、身支度をして、朝食を終え、そして祈る。力を太陽神と神殿に捧げる。当然のことだ。

 プラウディアの都市民の一人、トトルガにとってもそれは50年超続いた日課である。

 朝起きて、身支度を終え、慎ましい食事を終え、祈る。そして作業場に入って一日の作業を始めるのだ。嫁は朝に弱く、祈りを欠かすことこそないが、彼が一通りを終えるまではまだ寝ている。しょうがない女だと彼はしょっちゅう呆れている。

 

 だが、そんな彼女がいる毎日も、太陽神あっての事だというのは疑いようのない事実。

 だから祈る。変わらぬ日々、当たり前の毎日を与えてくれる唯一神への感謝を込めて。

 地平線から昇りくる美しい陽光の眩さに目を細めながら――

 

「…………む?」

 

 その時気がついた。今日の太陽神の御姿は、何やら少し陰りがあるような――

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 当たり前の話ではあるが

 

 遙か彼方、星空の先にいる神の御身、太陽そのものに干渉することは眷族竜には出来はしない。そもそもそれができるなら眷族竜達はとうの昔にそれをやって、世界から太陽神の加護を奪い去り、闇と竜の世界に塗り替えていたことだろう。

 詰まるところ、竜たちがしているのは、太陽の光を遮るための”ひさし”作りである。言葉にすると馬鹿らしい。太陽そのものが失われるわけではないのだから、なんともないように思える。

 だが、そんな児戯のような発想を悪夢に塗り替えるのが竜という存在だった。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAA!!!』

 

 ウルは接近することで、眷族竜達が生み出している物がなんなのかを理解した。竜達は、太陽が昇り、真なるバベルに光が差し込むちょうど手前の所で、大きな大きな円陣を組んでいる。白い翼を異様なまでに長く伸ばす事で数十メートル以上の円陣を生み出し、そして円の端から真っ黒な何かを生み出し、それを広げていく。

 あまりにも不気味な儀式、魔法陣の類いにも見えるが、ウルにはそれよりも別のものに見えていた。

 

「鏡か…?」

 

 真っ黒な鏡を生み出そうとしているように見える。エシェルがウルの頭の中に居たからだろう。翼で出来た巨大な黒い円は鏡に見えた。だが、当然そんなものではない。

 円の端からにじみ出している”黒い虚”はただただ真っ黒な闇だ。当然鏡面などない。光の全てを飲み込んだ暗黒。ウルは遠近感がつかめなくなった。大きいのか小さいのか、遠いのか近いのか分からなくなる。直視しないように努めた。

 

「これが、太陽からの魔力そのものを飲み込んでいます。父の力が大きく削がれている」

「……削がれるとどうなるので?」

「プラウディアが落ちます」

「わあ地獄」

 

 スーアの説明にウルは引きつる。今日で何回目になるか分からない世界の危機だ。つまりこの黒い円もなんとかしなければならない。

 

「リーネ!!戦いが始まった!兎に角ウーガの準備ができ次第咆吼をぶちかましてくれ!!ターゲットはプラウディアからみて東の眷族竜六体!!撃つときだけ合図をくれ!!」

《わかった!けど――》

 

 通信が切れた。周辺の戦士達が魔術を使い始め、通信魔術が乱れたのだ。

 ウルも剣を構える。スーアにただ運ばれていた状態から、自らの意思で飛翔が可能になっていた。魔術で飛ぶ感覚というのは掴むのに苦労すると思われたが、やってみるとなんてことは無い。自分の手足を動かすように身体を飛ばすことが叶った。

 

「私が攻撃するときは、言います」

 

 スーアが言う。つまりこちらは気にせず攻撃しろとそういうことらしい。ありがたいことだった。ウルは真っ直ぐに直近眷族竜へと剣先を向けた

 

『KYAHAHAHAHHAHAHAHAHAHAHHAAA!!!』

 

 眷族竜、数メートルはある歪な赤子のような姿をした白い翼の竜。近くで見るとその不気味さは一層だった。頭が大きすぎる、手足が小さすぎる。腹は中年太りのようにだらしなく膨らみ、歯の無い口が関節を無視して大きく開いて気色の悪い笑い声を吐き出し続ける。

 そしてその小さな手で、真っ黒な、太陽を飲み込む虚を生み出し世界を滅ぼそうとしている。少なくとも剣を振るうことを躊躇う気にはならなかった。

 

「ロック!!行くぞ!!」

『チィアアアア!!!!』

 

 ロックによる筋力強化による一振り。普段のウルとは比べものにならない洗煉された一振りを竜の首にふり下ろす。これで殺せるとは思わない。だが、どのみちダメージを与えなければ意味が無い。

 

『KYAHAHA!!!』

「っなん!?」

『ぬっ!?』

 

 空振った。手応えが無い。当たらなかった。気がつけば竜の姿が別の場所にある。

 

「はやっ!?」

 

 ウルの目では捕らえられない。【未来視】の魔眼はとうに眼帯を取り、常に発動している状態であるが、実際の視界と未来の視界の差異があまりにも大きすぎた。

 ほんの数秒の間に竜が瞬く間に移動を繰り返している。

 

「転移魔術かなんかか!?」

「違う、速いだけだ」

 

 すると、ウルの背後からベグードが声をかける。ベグードの周りには術者達が数人並び立つ。魔術の準備を進めていた。

 

「全方位から攻撃する。お前は反対から攻めろ」

 

 ウルは頷き、大きく旋回する。眷族竜達は動かない。攻撃を避けた以上、ウル達のことは認識しているのだろうが、翼の円陣が崩れる所までは移動しない。

 位置は変えられても、黒い虚からは離れられない。黒い虚を生み出すためなのだろう。ならばウル達がすべきことは、何が何でもその陣形を崩すことだ。

 

「目一杯に伸びた翼の一番細い箇所を狙え!!円陣を破壊しろ!!」

 

 ベグードの合図と共に、幾つもの中級魔術と共に戦士達が突入する、ウルも先ほどと同じく剣を振るった。今度は逃げ道が無い。当たる――――

 

『KYAHAHA!!』

「――――かったあ!?!」

 

 翼には確かに当たった。当たったが、今度は剣が通らない。一切翼に食い込まない。

 スーア救出のときに黒竜の身体を掘り返していた時も、確かに肉質が恐ろしく固くて苦労はした。だが、その時の比ではない。頑強な金属そのものをぶん殴ったような感触が返ってきた。

 

「チィっ!!」

 

 それはウルの対角から攻めたベグードも同様だった。恐るべき技巧によって竜の肉すらも削ぐ細剣が弾かれ、震えている。兎に角固い。デタラメに固い。魔術も全て直撃はしたが、ダメージの一つも負っているようには見えない。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

 

 竜の笑い声がけたたましい。

 しかし攻撃はしてこない。ただただコチラを嘲笑うだけだ。目にも止まらぬスピードも、どんな攻撃も通さない防御力も、それらの全てを眷族竜達は攻撃のためには振るわない。

 ひたすらに、太陽を隠すことだけに集中しているのだ。

 

「守りと【塗り替え】に特化した竜……」

 

 ざっくりとした概要は聞いていたが、その質の悪さを今初めて実感した。恐ろしい竜の力のリソースの大半を一点に集中させる事の脅威は計り知れない。

 だが、攻めあぐねて、手を拱いている場合でもなかった。

 

「諦めるでない!本当に攻撃が通じないのなら、回避する必要性も無いはずだ!!」

 

 一緒に飛んできた神官の一人が叫ぶ。そうだ。と、ウルも納得する。

 竜は無敵ではない。必ず殺せる。無敵に見えるならトリックがある。

 ディズの忠言を頭の中で何度も繰り返す。竜とて生き物だ。この眷族竜が本当に絶対無敵で誰にも防げないなら、そもそもわざわざ天陽結界に穴を空けて守りの堅い天賢王を狙わず、太陽を直接隠せばよかったのだ。

 しなかったのは、いままでは出来なかったか、穴があるかだ!

 

「パイセン!!敵のこの硬度が”全箇所そうなのか”気になる!!」

「【細断・広開】」

 

 ウルが言うが早いかベグードは高速で竜の周りを動きだす。目にもとまらぬ速度で細剣を振り、並みの魔物であれば粉みじんにする剣撃を竜の身体全体に叩き込んだ。凄まじい金属の擦れ合うような音が連続で鳴り響き、ウルは耳が痛くなるのを感じた。

 

『K!?』

 

 そして、その激しい摩擦音の中、一瞬だけ、竜が悲鳴を上げた。

 

「抉った」

 

 竜の身体の一部、翼の付け根部分、その一点をベグードは刺し貫いていた。ほんの僅かだけ、血も零れないほどのわずかさだ。しかし確かに傷つけた。

 

『kYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 竜が再び高速で動く。ベグードの剣は弾かれた。だが確かに見た。

 

「あれが弱点か!?」

「いや、先に魔術を当てたときは傷ついたそぶりも見せなかった」

「”超高速で、狙われた箇所を硬質化している”……?」

 

 ベグードの超高速の攻撃を加えて尚一瞬、ほんの僅かな一カ所のみしか隙を見せないレベルで、必要な場所だけ守りを固めている。

 

 つまり、全身無敵ではない。無敵に見せかけているだけだ。

 

 無論、この調子では殺せない。弱点の箇所を暴いても、与えられるダメージはほんの僅か。これでは時間が足りない。こうしてまごついている間にも確実に黒い虚は広がりつつある。だが、攻撃が通る箇所を晒すことさえ出来れば――

 

「全員もう一度やりなさい」

 

 スーアは背後から光を纏い、指示を出す。彼女の隣ではシズクが小さく詠唱を重ねていた。ウル達は頷く。再び竜を全員で攻める。しかし今度は一点狙いではなく、ダメージを狙わず全体をまんべんなく、一切の隙無く攻撃を繰り返す。

 そしてその状況をウルは未来視の魔眼で確認する。数秒先の、精度の高い情報を獲得する。竜が傷を抉られた事に気がつき、それを隠すよりも早く――――

 

「腹の中心部からやや右!!」

『KYAAAAAAAAAA!!!!』

 

 そして、判明すると同時に、シズクが動く。その細く長い指を竜へと向け、呟いた。

 

「【■■■】」

『K!!?』

「【四克の極剣】」

 

 そしてその腹をスーアが引き裂き、竜を引き裂いた。

 

 眷族竜、残り五体

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉕ 乱入

 

 

 大罪迷宮プラウディア 深層

 

「――――……」

 

 ディズは声を出そうとして、声が出てこないことに気がついた。

 喉が渇いていた。補給をしたのはどれほど前だったか、数時間前か、数日前か。時間の流れが大幅に歪んでいるこの深層内において、ディズの時間の感覚は曖昧になっていた。

 最早どれだけの時間を此処で過ごし、そして剣を振り続けたか、よく分からない。

 そして今も尚剣を振るっている。

 

「【――――】」

『GYAAAAAAAAAAAAAA!!!??』

 

 真っ黒な斬撃が幾重にも閃く。アカネと星剣の二刀流も随分と手に馴染み暫くがたった。連続し続ける修羅場と命の危機に、自分の身体が研ぎ澄まされていくのを感じる。疲労で身体は重いのに、勝手に身体が最適解をとり続けている。

 今、自分はこれまでの人生で一番弱っているが、一番絶好調で、一番成長期だ。

 

《ディズ!ディズ!おみずのまんでいいの!?》

「すごい……ぢょうし、……いいから……あとで」

《んにー!!!しぬぞー!!?》

 

 アカネの抗議に小さく笑いながら、ディズは跳ぶ。広がり続ける螺旋階段を駆け抜ける。途中、襲いかかってきた竜を3匹ほど斬り殺し、更に跳ぶ。そしてその先に

 

「――――」

 

 何も無かった。あるのは何も無い白い空間のみ。他の場所のように神殿の用な様式をとってすらいない。まるで「作るのがめんどうになって放置した」ような有様だ。当然竜の気配も存在しない。

 ディズはそれに納得し、通信魔具に触れた。

 

「R、無し」

《了解!!だがおい勇者、死人みてえな声だぞ!!カハハハハ!!!》

 

 通信先のグレーレは大笑いする。だが向こうの声も何時もとは違う。強引にブーストをかけたような無理矢理なハイテンションだ。調合した薬か何かで無理矢理集中力を維持しているのだろう。

 現状、深層の彼方此方を回っている七天達の中で最も負担が多いのは彼だ。他の仲間達の情報をすべて集約し、無限に広がっているようにすら見える深層空間を探り続けつつも戦っているのだから。

 口は軽い上に悪く、倫理観は破綻しているが自分の仕事は完全にこなす男ではある。しかし無茶は長くは続くまい。外の状況も考えれば、急がなければならない。

 

《残り15カ所だ!しらみつぶし――――っと》

「何」

《王から預かった【無尽】の魔力の流れが悪い、かはは!めんどうだな!!》

 

 ディズはその報告を聞きながら螺旋階段を飛び降りる。天地がひっくりかえったような空間を駆け抜けながらも話を聞く。天賢王から七天に与えられる称号であると共に【神の加護】でもある【天魔】の不具合。無尽に供給される魔力の阻害。

 それはつまり、考えるまでも無く、外で王と神に何かがあったのだ。

 

「私の【天剣】も二本ほど欠けました」

「ユー」

「誰がユーですか」

 

 するとディズの側に天剣のユーリが飛び降りる。無論、天剣を振り回さなくとも彼女は超人だが、欠いた力を補わなければならない。ディズはユーリと併走する。共闘の意図であるというのは言わずとも分かった。

 

「しかし外の騎士団長は何をしているか……!!」

 

 ユーリは怒る。彼女の”立場”を考えればその怒りが向かう先も大体察せられる。外は外で起こる苦闘への理解が無いわけがないのだが、何よりも王が心配なのだろう。

 ディズも不安ではある。最大の守りを固めている天賢王自身になにかしらのトラブルが発生したと言うことは、”外”の戦線が完全に崩壊したか、もしくは既存の守りでは全く防げない未知の攻撃が加えられたかのどちらかだ。そのどっちにしてもいい話ではない。

 しかし、どれだけ考えても、”中”にいる自分たちではどうにもできない。だからそんなことに思考を割くヒマも無い。王の窮地、外の戦いを収束させるために自分たちは動いているのだから。

 

「急ご」

「当然。残る空白はあと僅かだ。【核】を追い詰めますよ」

 

 無限の迷宮を七天が跳んだ。プラウディア攻略も佳境に入ろうとしていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「やったぞ!!!」

 

 歓声が沸き上がる。円陣を組む竜の内、一体が破壊された。ピンと張られた翼はひしゃげ歪み眷族竜は身体を真っ二つにして血を吹き出している。断末魔も聞こえない。

 わざわざ翼でああやって円を作っているのだ。それを崩してしまえば”黒い虚”が作れなくなる、というのは当然の予測だった。実際、”黒い虚”の広がりは収まりつつある。止められた。ウルはそう確信し――

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!』

「うっおお!?」

 

 その、倒した竜の死骸を、周りの竜達が喰い漁り始めたのを見て目を疑う羽目になった。竜達は、まるで烏が獣の死骸に飛びつくような勢いで落下しそうになる自分と同じ眷族竜の身体に飛びつき、その肉を食い尽くした。飲み込んだと言っても良い。

 そして間もなく変化が起こる。

 

「翼が…!?」

 

 残る五体の眷族竜の翼が大きくなった。それだけでなく眷族竜達の身体そのものも大きくなっている。形そのものは歪な赤子のままだが更に一回り、肥大化した。そして大きくなった翼は欠損した竜の穴を埋めるように広がり、再び円を作る。しかも、

 

「……加速、した……!?」

 

 虚の広がりが、速くなっている。最初の六体のときよりも遙かに。

 

「【暴食】の特性か?!」

「いいえ、おそらく最初から”こういう”竜なのでしょう。6体で1つの竜」

 

 スーアがそう補足する。

 つまり、倒せば倒すほどに竜は強くなると、そういう事だ。そしてその上で全ての眷族竜を殺し尽くさなければ意味が無い。しかも敵の虚の完成速度は飛躍的に上昇していく。

 コレは、厳しい。 

 その場にいる全員が思った。そのただ中、スーアはやはり輝きを放ちながらも、安心感を感じられる鈴の音のような声で、戦士達に呼びかける。

 

「これは、速い戦いです」

「……スピード勝負?」

「スピード勝負です」

 

 言い直した。

 

「やることは変わりません。弱点を探して、私が突きます」

「良し、急ぐぞ!!」

 

 ベグードが号令をかけ、再び戦士達が動く。ウルも飛ぶ。順番に行く。次の眷族竜、先ほどよりも一回り大きくなった竜の弱点を――

 

『KYAHAHAHAHAHA!!!』

「っ!?」

 

 その瞬間、ウルの目の前に白い翼が翻った。

 油断があったわけではない。だが、攻撃をしない、守りの竜という認識で殴りかかったウルにとって、その動きは予想外だ。そして白い翼は”書き換える”力がある。

 

 では何を書き換える?まさかこちらそのものを!?

 

 ウルは咄嗟に身体を飛び退き、守りを固める。だが翼の動きはそれよりも素早く動いて、ウルの視界は真っ暗になり、そして――――

 

「――――……………は?」

『おお?』

「…………………」

 

 気がつけばウルは、真なるバベルの()()()()()()()()に突っ立っていた。

 

「……何故、此処に……?」

 

 ビクトールが驚愕した顔で此方を見ている。ウルも、自分の今の状況を理解できずに答えに窮した。遙か遠くに一瞬で移動した。転移させられた。

 これは、コレはつまり――

 

『距離を取られたの?』

「やられた!!!!クソが!!!」

 

 時間稼ぎだ。

 ウルは未だ自分の身体を覆うスーアの力で再び飛ぶ。足下で色んな書類やら何やらが吹っ飛んで悲鳴が上がったが気にしない。後で謝ろう。

 

《ウル!!何だ今のは!?他の連中も次々に飛ばされてくるぞ!!!》

 

 ビクトールから通信魔術が飛んでくる。凄まじい速度で飛びながらも、長く感じられる眷族竜たちまでの距離に歯噛みしながらウルは応じる。

 

「眷族竜に強制的に転移させられた!!!時間稼ぎだ!!!」

《面倒な……!だが丁度良い!!通信魔術の障害で現地の眷族竜の情報が此方に来ていない!!!特性を今説明しろ!補給もだ!!!》

「攻撃性今のところ無し、狙われた箇所の超硬化と書き換え能力!6体1組で一体殺すごとに生き残った他の眷族竜が強くなる!!成長後の眷族竜の能力は未知!!」

《良し!増援に向かった部隊に情報を共有する!お前も急げ!!》

 

 通信が切れた。ウルは更に飛ぶ。真っ黒だった夜が白く色づき始める。朝が来るのだ。しかしこのままあの黒の虚を放置すれば待っているのは破滅の朝だ。

 

《ウル!聞こえる!?》

「リーネか!」

 

 新たな通信魔術からの連絡、そしてその相手にウルは喜ぶ。リーネからの連絡が来た。それの意味するところは一つ。

 

《ウーガの準備は出来たわ!いつでも撃てる!》

「よしそれなら――」

 

 撃て、と言おうとして、少し躊躇う。現場への合図も無しに撃てば巻き込まれるリスクがある。リーネが制御をしているとはいえ、それでもウーガの咆吼の火力は強大だ。余波だけでも喰らおうものなら丸焦げだ。

 

「聞こえるか!シズク!スーア!パイセン!!」

 

 現地で今も戦ってる者達に連絡を飛ばすが反応は無い。ビクトールが言ったとおり、現地は魔術が飛び交いすぎてマトモに連絡が通らなくなっているのだろう。

 連絡が取れない。これではウーガの大咆吼が撃てない。だが遠くから見える”黒い虚”は見ているだけで広がりつつある。本当に一刻の猶予も無いのだ。

 ウルは再びリーネとの通信を再開した。

 

「リーネ!すっっっげえ上手いこと味方に当てずにウーガの咆吼撃てるか?!」

《貴方私のこと凄い都合良い女だと思ってない!?》

 

 リーネはキレた。

 ぐうの音も出ない指摘である。リーネと彼女の手繰る白王陣に頼り切りなのは事実だった。だがそれでも今は彼女の技術に頼るほかない。ウルは必死に通信越しの彼女に頭を下げた。

 

「頼むからなんとかしてくれ。最悪の場合スーア様が上手くなんとかしてくれる、筈だ」

《そうは言ったって……》

「お前とウーガ頼みなんだ。頼む……!」

『なんちゅーかヒモ男が小遣いせびってるようにしかきこえんの』

「うるせえマジで黙れ」

 

 通信魔術越しにうーん……という悩む声が聞こえた。

 

《……発射後、味方がそれに気付いて竜から距離を取るためのラグがあればいい?》

「それでいい。行けるか?」

《誰か巻き込まれたら貴方が責任を取りなさいよ》

「無論」

《一分後に撃つ。でも出来るなら現地に避難を呼びかけ続けて》

「分かった。ありがとうリーネ」

 

 ウルは溜息をついた。これで何とかなる。いや、なんとかなってくれ。

 現場にはウル達よりもずっと経験と実力が上の先輩達、そしてスーアに、ウーガへの理解のあるシズクがいる。ウーガの力に巻き込まれて全滅、なんていう最悪は回避できる、ハズだ。

 勿論、ウルも現地に戻るべく、急いでいた。

 

《それとウル!一番肝心なこと!!ちゃんと聞いて!!》

 

 だから、リーネからそう言われたとき、ウルは内心で悲鳴を上げていた。既に疲労と情報で頭がパンクしそうなんだが、まだヤバい話があるのか?と

 

「やっぱ誰か怪我してそっち危ないのがいるのか?エシェルは――」

 

 可能な限り最悪を想定しながら確認する。そうであってくれるなという願いを込めて。

 だが、そうしてウルが必死に張った精神の予防線は、残念ながら無駄に終わる。

 

《そのエシェルが、そっちに飛んでいっちゃったの!!》

「…………………は?」

 

 代わりに持たされた情報は、もっと意味不明だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「部隊の半数が転移させられています。竜によって居場所を書き換えられているのかと」

 

 シズクは即席の魔術によって散らばってしまった仲間達の位置を確認する。転移させられた仲間達は、幸いにしてプラウディア領から外には出ていない。精々遠くてもウルのようにバベルに飛ばされたくらいの距離だ。

 戦線に復帰できない、というほどでもない。だが時間は掛かる。

 

「私の力は与え続けています。すぐに戻れるでしょう」

 

 スーアが言う。シズクは頷いた。

 

「増援部隊もこちらに来ているみたいです。ソレまでの間になんとか」

 

 シズクはそう言って眷族竜達へと向き直り、

 

「一体でも――――っ!!?」

『KYAHAHA』

 

 眼前へと迫っていた白い翼を剣で受け止めた。咄嗟の動きだった。魔術による援助を行おうと【空涙】を引き抜いた直後だったから反応が出来た。

 

「む」

 

 側に居たスーアが力を振るう。白い翼が叩き切られる。だが弾かれる。硬化を行っていたのだろう。輪を崩すには至らない。そしてそのまま眷族竜達は再び輪の形を取った。太陽の侵食を進めている。

 だが、様子がおかしい。

 

『KYAHAHAHAHAHAHAHAHAHA……!!!』

「……敵意が」

 

 転移から逃れたベグードが呟く。攻撃能力の無い眷族竜。防御に特化しているからこそ恐ろしいその竜達から敵意が立ち上っているのだ。白い翼が逆立っている。輪を維持する事までは放棄していないが、隙あらば刃のように飛んできそうな気配を感じる。

 

 そしてその敵意は真っ直ぐに、シズクへと向かっていた。

 

 最大の戦力であるスーアを無視して。 

 

「まあ」

「シズクは私の後ろにいなさい」

「承知しました」

 

 言われたとおり、するりと彼女はスーアの背後に回る。だが眷族竜達の敵意はスーア越しでも変わらない。あまりにも露骨だった。

 

「竜を停止させる力を警戒したか……?だが……」

 

 だが、悪くない。ベグードは解析をしながらも、そう直感した。敵は防御特化の竜、その竜が強引に攻撃に転じようとしている。焦りなのか何なのかは分からないが、無理をしようとしているのだ。

 故に隙となる。後はどのタイミングでその隙を突くか。

 

「……!!皆様!!」

 

 すると、シズクが叫ぶ。何事か、と反応する間もなく彼女は続けた。

 

「ウーガからの咆吼が――!」

 

 途端、真っ白な、凄まじく大きな熱の柱が飛んできた。その場にいる全員、それに反応することは出来なかった。ただ凄まじい熱が飛んできたようにしか感じない。

 直撃すれば消し炭になっていたであろうその膨大な熱は、しかしその場にいた誰にも、そして眷族竜にも直撃することは無かった。

 【竜吞ウーガ】の大咆吼の熱のエネルギーは眷族竜達の遙か上方で形を変える。超巨大な球体となり留まったのだ。突然出現した光の球体に全員が呆然となった。

 

「来ます!!」

「【大地の精霊(ウリガンディン)】」

 

 反応できたのはウーガの力そのものを知っていたシズクと、そしてスーアだ。スーアが大地の精霊の力で、その場にいる全員に無敵の加護を与えたと同時に、光の球は動いた。まるで爆発するように、幾つもの熱の柱を生み出し、生き物のように蠢きながら眷族竜達に向かって殺到したのだ。

 

『KYAAAAAAAAAAAAA!!!?』

 

 眷族竜達を襲う光の熱線の動きは凄まじかった。纏わり付くように蠢き、硬化により弾かれても再び”戻って”襲いかかる。細分化され、火力こそ少ないが、眷族竜達の動きは大きく崩れる。その内の何体かは硬化が間に合わなかったのか傷を負う程だった。

 

 そして、傷を負ったのなら、弱点を晒したのなら。

 

「【極剣】」

 

 スーアがそれを殺せる。こぼれ落ちた内の2匹を、スーアは叩き切った。

 

『KYAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 そしてその死骸を残る3体が瞬時に喰らい、取り込む。邪魔する暇も無い。

 そして再び巨大化が始まった。

 

「これで、黒い虚の侵食は更に加速する……か」

 

 ベグードは状況の変化を観察しながら苦々しく顔を顰める。そうせざるを得ないとはいえ、まるで敵に手を貸しているような気分だった。実際その側面はあるのだろう。

 この竜がやってることは、敵に殺された同胞の死を喰らう事で、その死の原因を克服する原初的な魔術儀式の類いだ。仲間が死んだ時よりも必ず強くなっていく。

 

『GYAHHAAHAHAHHAAHHAHAAAA!!!』

 

 明らかに、眷族竜は大きく、巨大となる。威圧感も増している。この果てに何が起こるのか考えるだけでも恐ろしかったが、しかし潰していくしか無い。

 

「シズク!!竜の停止のタイミングは見計らえ!!ここまでの個体となると何をしてくるかわかったものでは――――シズク?」

 

 返事のないシズクへとベグードが振り返る。彼女の視線は竜、には向いていなかった。彼女は何故か竜とは真反対の方角に視線をやっている。その先にいたのは。

 

「……な、んだ?」

 

 黒い女がいた。

 

 この状況、この修羅場、世界の危機的な戦場のただ中にあってあまりにも場違いな美しい黒のドレス。ベールで顔は見えないが体つきは女だろう。それが不意に、陽光が黒の虚に喰われ暗いこの空間に突如として沸いて出た。

 

 黒い女は、シズクへと向いて、そして首を傾げて、口を開いた。

 

「ねえ、ちょうだい?」

 

 眷族竜 残り3体

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉖ 三つ巴

 

 太陽を隠す黒い陰

 

 その存在をプラウディアの都市民達は認識し始めていた。都市民達にとって日の出と共に祈りを捧げるのは日課だ。故に発見はあまりにも早く、そして不安は一瞬で伝播してしまった。

 神殿には多くの都市民達が詰めかけ、そして疑問と恐怖を投げかける。

 

「太陽神になにがおきているのですか!?」

「王はご無事なのでしょうか!?」

「お願い致します!!神官様!我らをお守りください!!」

 

 激しい混乱だ。太陽神は彼等の生活を根本から支えてくれる存在である。その不安も当然だろう。本来であればこうした恐怖を押さえ込むために、天陽結界による視界制御は成される。要らぬ不安を抱かせて、祈りが阻害されるのを防ぐ為にだ。

 しかし今は出来ない。何せその制御を司る天賢王自身が窮地に陥っているのだから。

 

「落ち着きなさい!!王は健在よ!!貴様等に不安がられるような方ではないわ!」

 

 真なるバベルの正門にて、都市民達の混乱の対処にあたる羽目になったサウサンは鬱陶しそうに叫ぶ。当然、そのような言葉で都市民達の不満と恐怖は拭えるわけも無く、むしろ声は激しさを増した。たまらずサウサンはその混乱を従者達に押しつけてバベルの中に身体を引っ込めた。

 

「全く、一体何をしているのかしら王は!!これまでの王はこのような失態は犯さなかったのに!!」

 

 彼女も天賢王が現在、世界を守る為の戦いに赴いていることは知っている。だが、具体的にどれほどの窮地にあり、そしてどれほど竜が危険であるかなどと言うことは知りもしなかった。

 今も尚、バベルの上空にて決死の思いで戦士達が血反吐を吐くような思いで戦い、そして王は王で限界を越える辛抱でプラウディアを支える苦労など彼女は知らない。そして知る気も無い。

 彼女は典型的な特権階級の住民で、満ち足りた生活を当然として享受していた。戦いの場、戦場に自分から赴くなど考えもしないだろう。

 

「王が戻られたら、キチンと言ってあげなければならないようね。全く!」

 

 だからこそ、今回の【陽喰らい】も勝利する前提で彼女は考えていた。太陽が陰ったとしても、最終的には勝つと疑っていない。それは信頼から生まれるものではなく、安寧の享受によって想像力が損なわれた結果でしか無い。

 

 今、まさに、この世界が滅ぶ寸前まで追い詰められていることなど、思いもしないのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『GYAHAHAHAHAHA!!!!!』

 

 三体の眷族竜。

 肥大化を更に行い強大化した3体の眷族竜のサイズは最早一〇メートルほどを越えていた。とてつもなく大きい翼の全長を考えればもっと大きい。赤子の形だったその本体は、また形を変えている。具体的には肥え太った。蛙のように醜く変貌を遂げていた。白い翼が美しいだけにその変貌はより気持ちの悪さを増していた。

 竜達はその三カ所を翼を広げ、輪を作り出す。完璧な正円となった翼の円陣から、再び黒い虚の進行が再開された。やはり最初と比べて更に増して速くなっている。

 

 時間は無い。残る3体も速やかに排除しなければならない。その筈だが

 

「ねえ、ちょうだい?」

 

 戦士達は、スーアは、そしてシズクは、現れ出でた黒い女に意識を奪い取られていた。

 本当にあまりに突然出てきたその女は、シズクに話しかけている。言葉の意味は全く分からない。害があるかもわからない。今害にならないのなら無視すべきだと理性では分かっていても、ベグードも彼女へとどうしても視線が向かう。

 まるで本能が彼女から眼を逸らすのを拒むように。

 

「ねえ、私にちょうだい?シズク?」

 

 せがむ。子供のような我が儘。

 世界の危機的状況、この最中に子供の癇癪など最悪の組み合わせでしか無い。しかし口を塞いで黙らせることはできない。彼女が何者であるかは分からなかったが、それができるような存在では無いことだけは誰しもが分かった。

 

 あの黒い女が放つ気配は、あまりにも不吉すぎる。

 

『GYAHAHAHAHAHAHAHAAAA!!!』

 

 そして当然、眷族竜はコチラの戸惑いなど配慮してくれるはずも無かった。黒の虚の広がりは更に加速する。書き換えを行う白い翼は更に大きく広がり続ける。白い羽が虚空を叩き、そこが更に歪む

 何かをまた【書き換え】た。

 そして、その穴から、”無数の竜の頭”が飛び出してきた。

 

「なっ!?」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 大量の竜達、その姿は多種多様で、全く統一性というものがなかった。幾つもの目玉が頭に付いているもの。歪な角が頭にまとわりついている者。目も鼻も何も無く、ただ口だけあるのっぺらぼう。

 雑多に特徴が混じった竜たちが、穴から頭や手を這い出そうとしている。穴自体は小さい。完全に湧き出ることは出来ないだろう。

 

 が、口先を突っ込んで、【咆吼】をかますには十二分だ。

 

「ねえ、ウル、ちょうだい。あなたばっかり、ずるいわ」

 

 そして、沈黙を続けるシズクに苛立つように、黒の女も動く。

 ゆらりと黒いドレスが煌めく。同時にずるり、魔力が輝く。生まれるのは大小様々な意匠の【鏡】だ。一見して、どのような脅威があるのかも不明な奇妙な光景だったが、その鏡を見た冒険者の一人がギョッとなって呟いた。

 

「――――目だ」

 

 目が、鏡の中に在った。

 鏡の内側に幾つもの目が封じられていた。勿論、向かいの景観を映しだしているのでは無い。他の景観は正常に映し返しているのに、その中心に存在しないはずの眼球が映しだされている。

 その眼が、煌煌と輝き始めた。それが魔眼の反応であると、この場の全員が理解した。

 散々、【黒竜】との戦いで見せつけられたものと同じだったから、よく分かった。

 

 眼と口

 

 恐らくこの世で最も危険な眼と口がただ一点へと集中した。

 

「まあ」

 

 即ち、シズクへと。

 

「…………!!!」

 

 ベグードは何か指示を出そうとしたが、声が出なかった。

 状況があまりにも最悪すぎる。そしてベグードの裁量と技量でどうにか出来る範疇を大幅に超えてしまっている。手が全く思いつかない。せめて逃げろと言いたいが、どうやって逃げるのかも見当が付かない。

 

「ふむ…………スーア様」

 

 そのただ中。シズクはとなりのスーアに語りかける。一番危険な状況にありながら彼女は随分と冷静だった。

 

「なんです」

「すみません。しばらくスーア様の攻撃に合わせて停止は出来ません」

「そのようですね」

「攻撃は私が引き寄せます。ですから皆様、スーア様の補助をお願いします」

 

 その言葉はベグード達に向けられたものだった。

 そしてベグードが返事をするよりも速く、彼女は不意にスーアに与えられた飛翔の力を使い下方へと落下した。

 

「あははははははははははははははは!!!!」

『GYHAHAHAHAHAHAHA!!!!』

 

 二つの狂笑がその小さな銀の少女の姿を追い、力を放つ。

 大量の竜達の咆吼、そして魔眼のきらめきによる大爆発。空は火の海になった。

 

 眷族竜残り 依然変わらず3体 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 朝が近い

 にもかかわらず陽光が虚に吞まれ闇に染まった空をシズクは飛んでいた。

 

「とっても大変な事になりましたね」

 

 シズクはちらりと背後を見る。

 後ろから迫るのは黒い女――エシェルと白い翼。次々と空間を歪め竜を呼び起こす窓と、その竜達をも映し取って倍加する恐ろしい鏡の二つ。

 地獄である。この二つから狙われればシズクなど当然、ひとたまりも無いだろう。ろくに抵抗も出来ずに死んでしまう。だが、シズクは慌てる様子はなかった。

 

「1対2ではないですね、これは」

 

 実際は1対1対1だ。

 シズクを狙っているエシェルと眷族竜は協力など全くしていない。たまたま偶然、この二つの存在のターゲットが自分だっただけの話だ。

 

「モテモテですね。私」

 

 そして、それだけであるならば、やりようはある。

 

「【空涙】」

 

 シズクは自分と併走するように浮かび上がる刀に呼びかける。

 魔力増幅装置であり、武器でもあるそれが輝く。シズクはそれを直接手で掴むと、不意に空中で一転し、遠心力を利用するように刀を振るった。

 

「【氷棘・斬花】」

 

 唄が斬撃と混じり、魔術となって飛ぶ。その規模は背後の二体の火力と比べればあまりにも微々たるもので在るが、狙いは正確で真っ直ぐにエシェルへと飛んでいった。

 

「つめたい!」

 

 エシェルが叫ぶ。加減はしたが、すこしばかりの怪我をする事をシズクは覚悟していた。が、どうも全くその心配は無いらしい。氷の斬撃をうけた箇所をエシェルが手で振るうとそこに傷一つ無い。

 だが、怒りを買うには十分であったらしい。彼女は激昂した様子でこっちを睨んだ。

 

「シズク、きらい!!!」

「私は貴方のこと好きですよ。酷い運命に負けず、幸せになろうと頑張れる方ですから」

 

 シズクは微笑む。勿論、今のエシェルにその言葉は届かない。 

 会話自体は出来るから意識が無いわけでは無い。が、邪霊に飲み込まれている。いや、邪霊と一体化したのだろうか。シズクにはこの現象の正体が掴みきれない。あるいはディズがアカネを求めた理由と繋がるのかも知れないが、今は確認しようがない。

 

 今重要なのは、彼女の力が脅威であり、そして”利用できる”と言うことだ。 

 

「きらい!きらい!だいっきらい!!」

 

 顔を隠すヴェールの下からポロポロと涙をこぼしながら、彼女は叫ぶ。

 鏡が更に強く、大きくなる。エシェルの扱える鏡をシズクは知っている。【簒奪】【反射】【倍加】このいずれか。この中で最も脅威なのは【簒奪】だ。問答無用。映し取った対象を一方的に”抉り取って自分のものにする”外法の業。

 正気を失っている彼女からの怒りを買えば、当然つかうのはそれだ。

 

「きらい!!!」

 

 鏡が輝く。簒奪の力が発動する。

 シズクはそれを前にしても尚、冷静だ。エシェルが鏡の精霊の力を扱おうと練習する姿はこの数日確認している。彼女の練習に付き合った事もある。だから簒奪の力がどのタイミングで発動するかは理解している。

 

『GYAAAAAAAAAAA!!?』

 

 だから例えば、発動する寸前で回避して、背後に迫りシズクを書き換えようとした白い翼に簒奪を当てることも可能だった。

 

「よけないで!!」

「嫌ですよ」

 

 鏡の【簒奪】が連続で起こる。シズクはここまで伸ばされた白い翼をなぞるようにして飛び、鏡の簒奪はシズクの動きを追いきれず、その背後の白い翼を穴だらけにしていった。

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!!!?』

「凄いですね。私達では全く、傷一つつけられなかったのに」

 

 此処に揃った一流の冒険者達であってもどうにもならなかった硬度を、何でも無いように切り取っていく。欠けた翼から血が噴き出す。竜が悶え、その傷を【塗り替え】無かったことにしようとする。だが、エシェルが奪う速度の方が速い。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 当然そうなると、竜にとってエシェルは放置できない脅威となる。

 竜の白い翼が今度はエシェルの方へも伸びる。竜の咆吼がシズクとエシェルへと向く。どちらも薙ぎ払い、消滅させようと試みていた。

 

「じゃま、しないで!!!!」

 

 簒奪の鏡が輝く。同時に、エシェルの黒いドレスが蠢いた。背中から何かが突き出し、引き裂く。現れたのは()()()()()だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 色が違うだけのそれが、どのような力を秘めているかなど、考えるまでも無い。

 

「どっかいって!!!」

 

 黒い【書き換え】の翼が【簒奪】の鏡に触れる。鏡の形が変わる。変貌する。本来よりも増して巨大な鏡が生まれる。その力は輝き、そして眼前の全てを簒奪する。

 

『G  』

 

 バツン、と、断ち切れるような音と共に、眷族竜の翼は丸ごと、鏡に食い尽くされた。

 あれほどに騒がしかった空が急に静かになる。ここまで翼をのばした眷族竜の本体はまだ健在であるが、これ以上こちらに翼を伸ばそうとはしてこない。

 片翼であれ翼の大部分を損なわせる脅威にこれ以上力を向けることを拒んだらしかった。

 

「う、うう……ううううううううううううう……!!!

 

 対して、エシェルの翼の輝きは更に激しさを増す。彼女の周囲を舞う鏡も翼の光に影響を受け、形を変え続ける。明らかな力の暴走が起こっていた。強大なる竜の力を、彼女は制御しきれていない。

 

 そして、その苦しむ彼女の隙を突くように、鏡と鏡の隙を縫うように、真っ白な手は彼女へと伸び――――

 

「きらい!!!」

「――――っ」

 

 エシェルへと伸ばそうとしたシズクの手が、鏡によって弾き飛ばされる。弾かれた手の痛みにシズクは少し顔を歪めるが、まだ幸運な方だっただろう。簒奪の力が使われていれば、腕が消し飛んでいた。

 が、しかし、だ。

 

「さて、どうしましょう」

 

 この後、どうするべきだろうか。シズクは困っていた。

 竜を撃退出来たはいいが、その竜を撃退する事が出来るようなとてつもない力を秘めた少女が、敵対状態だ。エシェルは怒りに満ちた眼で此方を見ている。

 虚飾による書き換えられた鏡は、悍ましい輝きを放ち続けている。もしあの輝きが飛んできたら、その瞬間シズクは死ぬ。

 

 彼女が身につけていた【魔本】の気配は確かに在る。

 

 格好は変わっているが、あの黒いドレスは恐らく魔力体だ。身につけていた装備が変わっている訳ではない。ならば、隙を見て本を起動させれば彼女の力を抑えられる――――可能性がある。加えて、彼女は()()()()()。故に、自分の術式がある程度通せる、はずだ。

 だが、その隙が無い。無数の鏡がまるで彼女を護る護衛のように回り続ける。せめて彼女がその動きを止めてくれれば――――

 

「――――ク!シズク!!」

 

 その時だ。聞き覚えのある声がした。

 転移で戦線から強制的に離脱させられたウルの声だ。振り返れば彼がロックと共に此方に向かって文字どおり飛んできていた。

 

「ウル様?」

「シズク!!無事か!?今通信でわけのわからん情報が――――」

『おうおう、待て待てウル!なんかおるぞ!?』

 

 ウルとロック、どちらも無事であるようだ。その二人の様子をみてシズクは微笑んだ。

 

「ウル様!大変都合の良いときに来て下さいました!」

「よくわかんねえがお前に対する心配の気持ちが爆速で消滅したんだが!?」

 

 訝しげな表情で飛んでくるウルを両手でシズクは抱きしめて、そしてそのまま彼の両肩を掴み、ぐるりと、エシェルの方へと振り返った。

 

「エシェル様-!!ウル様ですよー!!!!」

「は!?エシェル!?!」

「ウルだーーーーーーーーーーー♥♥♥♥♥♥」

「『ごっっふぉおお!?!!?』」

 

 エシェルの頭がロックを粉砕してウルの鳩尾に追突した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉗ 地獄の子守

 

「ウールーだーーーーーーーーー♥♥♥♥♥♥♥♥」

 

 果たしてこれはどういう状況でなにがどうなってる???

 

 状況を全く理解できないまま、ウルはひたすらにぐりぐりと頭をくっつけてくるエシェルの頭をなで続けた。何故こんなことをしているかと言えば、彼女の周囲に恐ろしく巨大で禍々しい無数の鏡が凄まじい輝きを放ちながらグルグルと巡りウルを睨んでいるからだ。

 

 エシェルの精神状態が全く分からんが、機嫌損ねたら死ぬ。

 

「もっと撫でて!!!」

「よおーし任せろー…………ロック、鎧が勝手に距離取るな」

 

 頭を撫でるとニッコニコになったエシェルによしよしと頷きながらも、そっと半壊した状態を解除してちょっと距離を取ろうとしているロックをウルは脇で挟んだ。この状況下で逃げられても心底困る。

 

『ワシ、らぶらぶカップルのでぇとのお邪魔虫になりとうないしのう』

「でえとってのはこんな緊張感があるものなのか……!?」

「吊り橋効果じゃの?」

「もう状況的に崖に落ちてる」

 

 吊り橋から落ちるどころか世界が崩壊しようとしているのだ。こんな緊張感がある場面はそうそう無いだろう。お陰でウルはドキドキしっぱなしだ。そろそろ心臓が潰れる。

 

「エシェル、エシェル、お前大丈夫か?」

「ちゅーして!!!」

「ちゅーっすかあ……」

『してやったらどうじゃダーリン』

「絶賛世界崩壊の危機なんだが今」

 

 流石に少し離れた場所で絶賛命を散らす覚悟でパイセン達が闘ってる状況でエシェルと”おたのしみ”するほどの度胸はウルにはない。罪悪感で心が砕ける。

 わしわしと頭を撫でながら、本当にどうしたものかと視線を彷徨わせると、不意にシズクがエシェルの背後に回り込んでいることに気がついた。

 

 シズクはそっと口に人差し指を当て、ウルに黙るように指示する。そしてそのままとても慎重に、音も無く、ゆっくりと手を伸ばす。そして、

 

「■」

 

 対竜術式を起動させ―――――――ようとした。

 

「―――なあに?それ」

 

 次の瞬間、エシェルがぐるりと首を回してシズクを見た。

 ウルは息を飲んだ。先程まであまりにも幼い子供のような言動だったのに、再び豹変した。感情の色を一切感じない。喜びも悲しみも怒りも無い、無彩色の声。臓腑に直接落ちてくるような、重い音。

 背中の黒い翼が獣の尾のように高く伸びて、逆立つ。彼女を抱えているウルは、翼に撫でられて寒気がした。ウルもこれが、あの虚飾の翼なのはわかっている。決して、正気の失った少女の背についていていいものではない。

 

「ねえ、なにをしようとしたの?」

「いいえ、なにも?」

 

 正面から問われるシズクは微笑みを浮かべたままだ。しかしウルは彼女が額にうっすらと汗をかいているのを見た。緊張している。幾多の賞金首と相対してきた彼女が、どのような状態でもどこかに余裕を持ち続けていた彼女が、明らかに余裕がない。

 周囲を旋回していた鏡が、シズクを見定める。彼女がそのまま術を詠唱しようとすれば、その瞬間彼女をまるごと消し去ってしまう鏡が、彼女を中心に回る。シズクは伸ばした指先を、僅かたりとも動かせずにいる。蛇に睨まれた蛙という言葉があまりにもしっくりきた。

 

 だが、ウルには彼女を助けることができない。

 

 エシェルの状態は全く分からないが、彼女が、完全にエシェルでなくなっているわけではないというのは分かっている。そしてそうなると、彼女の精神の重石となっているのは、自分だ。彼女が今、このおぞましい翼を振るわないのも、周囲を旋回する禍々しき鏡から力を放たないのも、自分がいるからだ。驕る訳でもなく事実そうなのだ。

 その自分がこの場からどの方角に動こうとも、バランスが崩れる。そうなれば、彼女が何をしでかすか、予想もできない。そしてそれを止める手段もない。

 だから、この場で動けるのは――

 

『――――カカ』

 

 ロックだけだ。

 ロックはウルの鎧の状態を保ったまま、体の一部を極めて細く、薄い糸のように形を変えて、エシェルを探っている。ウルもシズクもロックも、全員互いに合図をせずとも、今しなければならないことは分かっていた。

 

 精霊の力を抑え込むための魔導書。紆余曲折を経てグレーレから手に入れたというそれを、起動させるためだ。

 

 今のエシェルの姿は、最後に見た彼女の姿からはかけ離れている。が、しかし、あの魔導書を手放してはいないはずなのだ。ウーガを離れる際、彼女が自分の胸元に何重にも縛って、決して落としたりしてしまわないようにと張り切っているのをウルは見た。

 エシェルがこの姿になって正気を失った時、わざわざ今着ている服を脱いでドレスに着替える、なんていうまどろっこしい手段をとったとは思えない。なら、今の黒いドレスの恰好は、ミラルフィーネの力によって引き起こされた現象に過ぎない。

 

 つまり、魔導書はウル達の目に映らなくなっただけで、あるはずなのだ。

 

 と、いうよりもあってくれなければ困る。なければその時点でウル達は詰みだ。

 

 それを、探る。

 

《本部、聞こえるか。増援部隊を絶対に俺の傍に近づけるな。絶対にだ》

 

 声を出さずに、ウルは必死に本部へと連絡を取る。

 絶対に自分たち以外の誰かを近づけるわけにはいかなかった。エシェルの姿を見られるのが不味いというのもあるが、それ以上にこの均衡が崩れるのは不味すぎる。何がきっかけで、エシェルの気が逸れてしまうのかわからない。

 

「ねえ、シズク、あなたの持ってるチカラ、なあに?」

「私の、ですか?」

「それ、ヘンよ?なあに、それ」

 

 エシェルは問う。シズクは、額から流れる汗をぬぐうこともせず、微笑みを浮かべたまま答えた。

 

「私が信奉する精霊の復権の為に、私の同志たちが与えてくれた力―――」

()

 

 カクン、と、エシェルの首が落ちた。

 

「アハハ」

 

 鏡が、力を増す。旋回速度が加速する。鏡そのものが増加する。最早それは牢獄だった。内を映し、外に出ることを許さない邪悪なる牢獄だ。

 

「嘘、嘘、大嘘つき!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 均衡が、崩れた。

 

 シズクを睨み続けていた鏡の輝きが跳ね上がる。鏡の中に、悍ましい瞳が無数に浮き上がる。それが竜の目であることはすぐにわかった。黒竜との戦いで、散々に見せつけられ、命を狙われ続けたものと同種のものだ。彼女が何故そんなものを持っているのかは、今はどうでもいい。

 問題は、魔眼の全てがシズクを睨んでいるということだ。

 

 つまり、シズクが消し飛ぶ。死ぬ。ウルはそれを理解した。故に、

 

「エシェル―――!」

「な――――――――――――んにゃあ!?」

 

 思いっきり、全力で、お望み通りのちゅーをした。

 抱き寄せて、抱きしめて、全力で。決死の思いで愛を注ぐ。半端は出来ない。全身全霊のアイラブユーだ。胸が高鳴るがこれは絶対に興奮からではない。死の間際に迫る緊張感だ。この心臓に氷の針がぶっささりまくったような感覚で恋仲が深まるなどと言い出した奴は本当の馬鹿だなとウルは現実逃避気味に思った。

 

「~~~~~~~♥♥♥♥♥」

 

 幸いにして、エシェルの気は一瞬逸れている。獣人特有の尾がぶんぶん振られている。

 わんわんみたいで可愛いね???とこれまた現実逃避気味に思いながらも、祈った。あとはもう、仲間に頼るほかない。そして―――

 

『カカ!!!見つけたぞ!!!!』

 

 ロックがエシェルの懐から魔導書を取り出し、

 

「【■■■■!!!】」

 

 シズクが即座に対竜術式をその魔導書に叩き込んだ。

 

「―――――――…………」

 

 次の瞬間、かくんと、先程まで興奮状態だったエシェルが身体の動きを止めた。力が抜けて、空中でずり落ちそうになる彼女の身体を慌ててウルは支え、そして顔を覗き見る。

 

「……エシェル?」

「むにゃ……」

『寝たの?』

 

 同時に、彼女の周囲を旋回していた鏡も、彼女の背中から伸びていた翼もまるで幻だったかのように溶けて消えていく。彼女の黒いドレスも溶けて、ウーガで彼女と別れたときの格好に戻っていた。

 

「「…………ふ、ぅぅぅぅうう………!」」

 

 ウルとシズクは、エシェルを挟んで互いに互いを支えるようにして脱力した。互いに汗が酷かった。かつてないレベルの緊張だった。

 

『地獄みたいな子守じゃったのう?』

 

ロックの端的な表現が、あまりにも的を射ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉘ 残り1体

 

「ふ、ぅ………」

 

 地獄の子守を乗り越え、ウルは精神的な疲労感で一気に脱力した。が、それ以上に疲労困憊になっているのはシズクの方だった。意識を失ったエシェルが落下してしまわないように彼女の身体を抱き留めながらも、ふらついていて危うい。慌ててウルはシズクごとエシェルを抱えた。

 

「おいシズク」

「本当に、来てくれて、ありがとうございます……エシェル様は、どうですか?」

 

 様子を見る余裕も無いのだろう。ウルは彼女に代わりエシェルの表情を覗き込む、が

 

「……むにゃ……えへへは…………」

「めっちゃ寝てる。顔色良。なんか笑ってる」

 

 めっちゃ幸せそうだった。この死地でここまで幸せそうに眠れる者は中々いないだろう。ちょっと腹が立ったので頬をかるく摘まんでおいた。

 

「…………()()()()、ですね」

 

 シズクはウルの報告を聞いて、静かに驚愕していた。確かにウルが見たのは彼女の力の一端でしかなかったが、それでもあれだけのちからを振り回しながらも当人はケロっとしてるのは凄まじい。

 

「出来れば、目を覚ました彼女の状態を確認したいです、が……」

《ウル!!聞こえるか!!そっちでなにが起きた!!?》

 

 指輪からの通信魔術が飛んでくる。ビクトールの声だ。脇道にそれたが、現在ウルが向かわなければならないのは此処ではなく、絶賛世界を滅ぼそうとしている眷属竜の討伐だ。

 そして、今、刻一刻と空が暗くなっていく。太陽の光が、あの悍ましい虚に吞まれているのだ。現在進行形で。

 

「……その暇は無いわな」

『おーおー、凄いぞ、向こうの空』

 

 離れた場所で爆発と戦闘音が響く。スーア達が戦闘を続けているのだ。エシェルのことは何とかなったとしても、未だこの世界は滅亡の危機を脱していない。シズクもそれは分かっているのだろう。汗を拭うと、ウルが支えていたエシェルの身体をシズクが抱え直した。

 

「ウル様、エシェル様は私が。」

「シズクは……もう無理か」

「はい。すみません」

 

 シズクが此処で離脱するのは惜しすぎるが、彼女が正直にそう宣告するということは、本当に体力・魔力が尽きたと言うことだ。その状態であの修羅場に首を突っ込んでも足手まといになるか、死ぬだけだ。

 無論、ウルも殆どガス欠寸前だ。寸前だが、まだ少しだけ余力がある。ついで言えば、本部に飛ばされたときに持ってこれた”土産”もある。せめてそれらを使い切ってから離脱するべきだ。

 

「おし、そんじゃあ行く――――…………」

『ん?どしたんじゃ?』

 

 ウルは振り返り、凄まじい光と激しい爆発の起こっている修羅場に向かおうとして、一瞬その動きを止めた、大きく深呼吸をして、そして1度シズクへと振り返って、叫んだ。

 

「――――俺、滅茶苦茶がんばってねえ!!?」

 

 思わず叫んだ。

 

「それはそうです」

『そればっかりは皆認めると思うぞ』

「え、何?!この上まだ世界終焉の修羅場に突っ込むの!!?俺クソ雑魚なのに!!?」

「はい」

『そうなるのう』

「我に返りそう!!!」

 

 エシェルとの修羅場と、そこからの解放で冷静になってしまった。そして冷静に考えるとどう考えても実力が全く足りないウルが突っ込んで良い戦場で無いことに気がついてしまった。

 間違いなく正確で正しい判断だが、今必要なのは正しさではない。頭がおかしくなる必要があった。

 

『落ち着いて落ち着くなウル。早う正気失え』

「酒が欲しい!!」

「ウル様」

 

 それをシズクも理解したのだろう。ウルの傍によると、自分のローブをぐいっとはだけて、そのままウルの頭に片手で触れて――――そのまま一気に自分の谷間にウルの頭部を突っ込んだ。

 世界終焉の貴重な十秒間、絶世の美少女の胸の谷間に頭を突っ込む銅級冒険者という訳の分からない状況がそこにあった。が、必要な行程でもあった。

 キッチリ10秒、そうしたあと、シズクはぱっと手を離して、ウルの顔を見た。

 

「正気、失えましたか?」

 

 顔を上げたウルは溜息を吐いた。そのまま空いた左手で自分の側頭部を思いっきりぶん殴った。震えはなんとか収まった。故に、

 

「バッチリだよ畜生が!!行くぞ人骨ジジイ!!!!!」

『カカカカカ!!!!征くぞ大馬鹿モノ!!!』

 

 ウルと骨は一気に世界終焉の修羅場にすっ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。エシェル様」

 

 そして残されたシズクは、抱きしめたエシェルが落下しないように支える。心地よさそうに眠る彼女の背中をゆっくりと撫でながら、誰にも聞こえないように、小さく囁いた。

 

「ウル様を、あげるわけにはいかないのです。今はまだ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 竜の悲鳴、その叫び声と共に、竜の白い翼が引き千切られるのをスーアは目撃した。

 自分以外の力で、大罪竜直下の眷族竜の身体を一部とは言え破壊した事実に少し驚く。同時に決定的な好機だった。竜は損なった翼の分を形にするために、強引に円を形成しようとしているが、明らかに歪だった。

 速度も遅い。窓の展開速度もグッと下がった。此処で勝負を決めるほか無い。

 

「私の代わり、お願いします」

「承りました、天祈よ」

 

 風の精霊の神官がスーアに応じ、そしてスーアの代わりに周りの戦士達に飛翔の力を授ける。スーアのそれと比べて力は落ちるが、必要な事だった。スーアは自身の力に集中しなければならない。

 

「竜の特性に、これ以上付き合うつもりはありません」

 

 残る3体の眷族竜を食い合わせず、まとめて殺す為だ。

 

「【無限相克】」

 

 スーアは両の手で弧を造り、精霊達の力を凝縮する。

 重ね合わせ、相性の良い力同士を合わせ、食い合わせ続ける。力の循環を一カ所に起こし、増幅し続ける。あらゆる精霊の力を同時に、そして完璧に操るスーアにのみ出来る芸当だった。

 多様な光が幾つも重なり、回転する。凝縮し、強い強い光にする。

 

「時間がかかります。戦士達よ。私を守りなさい」

「了解!!!」

 

 そしてスーアを守るべく、戦士達は彼女の周りを飛び回る。

 とはいえ、戦士達に出来ることはあまりにも少ない。此処に来るまでの間でも精根尽きるほどに戦い続けていたのだ。既に立っているのもやっとの状態だろう。その上相手は眷族が呼び出す大量の竜達。彼等にはどうこうすることは出来ない。

 

「魔術師部隊は結界を張れ!!!戦士達は少しでも【咆吼】の軌道を逸らせ!守るんだ!!」

 

 つまり防衛戦だ。

 奇しくも、【真なるバベル】における基本戦術と同じ事をする羽目になる訳だが、状況は違う。強固な盾をもつ防壁部隊はいない。戦士達の体力ももう無い。魔術師達の魔力も尽きかけていて、敵の攻撃は大量の竜の【咆吼】である。

 

「ぎゃあああああ!!!?」

 

 当然、保たない。

 この防衛は僅かな間しか続かない。一分も保たないだろう。だがその時間を稼ぐために戦士達は決死の覚悟で動いていた。それこそ命をかなぐり捨てる勢いである。

 

「【――――】」

 

 彼等の意思を無駄にしないため、スーアは一人集中を続ける。力の相克はひたすらに加速し続ける。光は激しさを増す。だがまだ足りない。

 眷族竜達を一撃で、一網打尽にしなければならない。まだ、まだ、まだ――

 

「【固ちゃ、くうううう……!!!】」

 

 結界が砕かれる。頭だけで無く、上半身まで這い出始めた竜がスーアを狙うのを、戦士の一人が止める。だが、細剣は砕け、腕を牙で貫かれた。そしてそのまま竜が口を大きく開く。焼き付ける炎が凝縮する。戦士と、その先のスーアを丸ごとに焼き払おうとしているのだ。

 

「さあああせるかあああ!!!!!!」

 

 戦士は叫び、砕けた剣を竜の眼部に突き立てる。しかしそれでも咆吼は止まらない。スーアは動かなかった。間近に迫って尚、集中は途切れなかった。まだ、まだ、まだ

 

 そして、竜の咆吼が間もなく吐き出され――――

 

「穿てぇ!!!」

『GYAAAAAAAAA!???』

 

 その直前に、竜の頭部に真っ黒の呪いの槍、【竜殺し】が突き立った。

 ウルがいた。同時に彼の外部装甲となっていたロックの身体の一部が解ける。その中にはありったけの【竜殺し】が詰め込まれていた。

 

「ウル!!」

「全部使ってやらぁ!!ロック!!!」

『【骨芯変化・餓者六腕!!!】』

 

 抱えた竜殺しの全てを空中に放り投げたウルは、そのままロックに合図を送る。同時に再び鎧の形状が変化し、ウルの背中に無数の骨の腕が出現し、落ちてくる竜殺しを次々に引っ掴んだ。ウル自身もまた、その両腕で竜殺しを引っ掴む。

 

「【魔よ来たれ!!かの者に力を!!!】」

「【戦の精霊(カラストラル)!!!!】」

 

 そのウルの行動の意図を察したのか、周囲の術者と神官がウルに一斉にバフを与える。過ぎた強化(エンチャント)の幾つかは与えられたと同時にウルの器から溢れ、効果が消滅していくが、ほんの一瞬の強化であってもウルは構わなかった。

 どっちみち、この攻撃がウルの最後の全力だ。

 

「『だらぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!」』

 

 竜をも殺す凶悪なる槍が次々に放られる。スーアを狙った竜達に、槍は次々と突き刺さり、その力で竜の肉体を()()()()()()いった。穿った傍から次に落ちてくる竜殺しを引っ掴み、再び投擲する。自らを竜殺しの砲台と化した。

 

『GAAAAAAA!!!!!!』

 

 無論、そのような暴力装置を竜達が許すわけも無い。既にこの空間に無数に出現していた巨大なる【窓】から身体を突き出した竜達は一斉に、ウルへと殺意を向けた。あらゆる悪意に満ちた力が混ぜ合わさった竜達の敵意と殺意が、一斉にウルに飛んでいく。

 

「――――――」

 

 だが、ウルはその場から逃げはしなかった。逃げるだけの力なんてもう残っていない。この場に駆けつけた時点でそうなのだ。そうなることが分かっていたから身体が畏れ、その為に正気をすり潰して此処まで来た。

 避けられない、迫る死を正面から見るのはあまりにも恐ろしい。手足が竦みそうになる。降り落ちる竜殺しを零してまわぬよう、必死だった。

 

 それでも手は決して止めない。

 竜達が、ウルを殺そうとすると言うことは、時間を稼げていると言うことなのだから。

 そして、ウルと、戦士達のその決死の貢献は今果たされる

 

「【無克・極環】」

 

 スーアの力は完成に至った。

 

『GYAHA――――――――――――』

 

 光が溢れる。その場にいる誰もが一瞬で何も見えなくなるような真っ白な光。しかし目が焼けるような感覚も無ければ、衝撃も無かった。温もりに包まれるような感覚だった。

 音も無い。あれほどけたたましかった竜達のうめき声も全く無くなった。そして

 

「おお……!!」

 

 白い光が徐々に収まり、戦士達は目を見開いた。

 あれほどまでにいた竜達の姿は既に無い。そして肝心の眷属竜はと言うと

 

『               』

 

 灰となって崩れるように、ボロボロと崩れ去っていく。三体の眷属竜達が互い、それらの死体を食い合おうとする様子もない。

 これは、つまり、

 

「勝ったぞ!!?」

 

 信じがたい、と言う感情も交じりながらも歓声が沸く。確かに周囲からこれ以上の竜が沸いて出る様子もない。虚の動きも完全に停止した。勝利したと、そう確信して間違いなかった。

 

「うおお!!!スーア様万歳!!万歳だ!!」

 

 スーアを褒め称える歓声で満ちる。あるいは力尽きてフラフラと地面に降りていく戦士達もいる。彼等を慌てて救助に向かう増援部隊の魔術師達なども見えるが、その場の全員が歓喜の声を上げた。

 勝利した。スーアが竜を殺したのだと。

 

 そのただ中で、スーアは一人、小さく呟く

 

「…………………()()()()()()()()()

 

 消えない。何故か、太陽を吞む黒い虚の存在が残り続ける。

 スーアは、静かに姿勢を正す。同時にそっと、周囲の戦士達に大地の守りの加護を与えた。そして”次の変化”を待った。

 

 そして、それは現れた。

 

「――――――――は?」

 

 不意に、黒く巨大な、あまりに巨大な【窓】が現れたのだ。

 

「な」

 

 同時に、その窓から白い翼が現れて、灰となって崩れて、消え去ろうとしていた眷族竜達の死骸を飲み込み、喰らったのだ。

 

「――――――」

 

 誰もが言葉を失う中、窓から姿を現す。

 先ほどまでの眷族竜達と比べて更に巨大なる竜。最早赤子の面影は無い。醜悪極まる歪な怪物、背中の白い翼は巨大で、何もかもを飲み込む程に大きく、多かった。13の白い羽がそれぞれ別の生き物の様に蠢いている。

 

「最初から、最後の1体は安全な場所に置いてあったのですね」

『GYAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!!』

 

 今までで、最も巨大で、強大な、正真正銘最後の眷属竜が姿を現した。

 太陽の光を吞む【虚】が一気に完成へと至る。殆ど真円に近くなったその闇を背に、強大なる翼の竜は更に力を増す。太陽の光から奪った魔力を、そのまま自らの力に変換しているのだ。

 最早、【守り】と【書き換え】にのみ特化した、などという慎ましさは皆無だろう。その翼に触れられるだけで消し飛んでしまうような、正真正銘のバケモノが降誕した。

 

「――――なんつーか、まあ、そりゃ、そうだよな」

 

 その光景を目の当たりにして、ウルは思わずポツリと呟いた。それを聞いた、ウルを護ろうと彼の周囲に結集した戦士達も同意するようにして頷いた。

 

「わざわざ、全てを我々の前に、晒す必要はない訳だ。我が竜でも、そうするわ」

「酷い、ペテンだ。どうせなら、最初から、そうやって、出てこい馬鹿野郎」

「仲間内の殺戮では、意味は無いのでしょうね。全く、興味深い」

「研究しますか?あの世で、ですが」

 

 ベグードが溜息をついてそう言うと、戦士達はケラケラと笑った。ウルも同じだ。

 別に、諦めているわけでも、心折れたわけでも無い。単純に、本当に、もう冗談を言う以外に、自分たちに出来ることが無い。

 彼等は一流の戦士で、だから悟った。もう本当に、コレはどうしようも無いのだと。そして自分たちの方はと言えば、抗おうにも、逃げだそうにも、もう本当に指一本動かない。根性論を振りかざそうにも、その根性を使って此処まで来たのだ。それも尽きたら、本当に後は笑う事しか出来ない。 

 

「よく頑張りました、戦士達よ」

 

 唯一、抵抗できるとしたらスーアのみだ。

 血にまみれ、ボロボロになった戦士達を、自分の背中に隠すように立つスーアを前に、ウルも、戦士達も、自然と両手を合わせて、祈りを捧げた。無論、捧げるだけの魔力すらも残っていない。だが、自然と彼等はそうした。それは自らの無事を祈ったのではない。

 

 あの尊き方が、どうか無事でありますようにと、戦士達はひたすらに祈った。

 

『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!』

 

 その祈りを、竜が嗤う。

 肥大化した手をスーアへと伸ばす。白い翼が世界を書き換える。そして――

 

 

「っせいやあああああああああああああああああああ!!!!!」

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?!!』

 

 

 

 その背後から、【天拳のグロンゾン】は眷族竜を殴りつけた。

 

 眷族竜残り 1体 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽喰らいの儀㉙ 七天

 

 

 大罪迷宮プラウディア深層

 

 天拳のグロンゾンは天魔のグレーレの指示の下、深層の最後の空白地点へと向かっていた。既に他の七天達は可能な限り全ての場所を探し尽くしていた。だが、未だ、現在の大罪迷宮の活性化を引き起こしている核は見つかっていない。コレが最後の未探索エリアだった。

 

 核は必ずしも決まった形であるわけではない。時に物質、時に生物の形を取り、時に術式の形を取る。プラウディアにおいて決まった形状など存在しない。

 故に常に気を尖らせる必要がある。前と全く同じということは絶対に無いのだ。些細な違和感であろうとも見逃すわけにはいかなかった。

 

「むっ!?」

 

 そして到着した空間には、やはり、何も無い。何も存在しない。ただの広間だ。これまでしらみつぶしにしてきた場所と全く同じである。つまり無駄足で、プラウディアの活性化の核を見つけられなかったという事でもある。

 が、グロンゾンは決して表情を曇らせたりはしなかった。絶望しているヒマが無いのはそうだが、何よりもこの場所は”匂った”。

 

「…………ふむ」

 

 長年、竜との戦いを繰り広げてきたグロンゾンが感じ取れる違和感。あらゆるすべてを覆い隠そうとする【虚飾】の大罪竜特有の”誤魔化し”を感じたのだ。

 グロンゾンはゆっくりと歩く。広間の中心に足を進め、そしてぐっと拳を身構えた。

 

「――――っふ」

 

 天賢王からの加護の力が弱まって尚、【天拳】の黄金の輝きは健在だった。

 

「っかあ!!!」

 

 拳を地面へと叩き込む。【破魔】の力が迸り、広間全体を巡る。宮殿の破壊音の中に紛れて、何かがひび割れて砕けていくような音をグロンゾンは耳にした。

 そちらに視線を向ける。空間が裂けている。窓のような空間があり、その中には

 

『GYAHAHAHAHAHA!!!』

 

 眷族竜がいた。

 結界に干渉し、穴を開け、書き換える竜。大罪竜プラウディアの眷族竜だ。その竜が鎮座している。しかし通常個体と比べて違う。あからさまなまでに大きい。

 だが何よりも、【天陽結界】にすら干渉する程の力を秘めた眷族竜を、戦力として温存するならまだしも、隠すようにして何もさせずに放置させておく理由が全く無い。

 つまり、当たりだ。

 

「グレーレ、恐らく今回の”核”を見つけた。眷族竜をそのまま使ったらしい」

《コチラでも確認した!迷宮の活性化の中心点は間違いなくソイツだ!!転移術の準備を進める!出来るならさっさと仕留めろ!!》

 

 グレーレへの通信を切る。グロンゾンは拳を再び構えた。本来なら万全を期したい所だが、天賢王に異常が起こっていることも考慮すると時間をかけている場合ではない。一秒でも速く、この活性化は終わらせる必要がある。

 故に行く。

 

「せいやあああああ!!!!」

 

 地面をただただ強く蹴り、跳ぶ。真っ直ぐに拳を構え、そして眼前の眷族竜の脳天を叩き割るべく、一気に振り抜いた。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』

「ぬう!!!」

 

 竜のわめき声が響く。同時にグロンゾンは跳ね返ってきた感触に顔を顰める。合金でもぶん殴ったかのような感覚だった。いや、合金であればグロンゾンは叩き割れる。兎に角未知の硬度だった。竜は悶えているが、まだその頭はかち割れていない。

 だが、それならば何度も繰り返すだけのことだ。グロンゾンは再び拳を握りしめる。

 

「GIYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」

 

 白い翼が広がる。そして眷族竜の背後にとても巨大な【窓】を作り出し始めた。その意図するところは理解できる。

 つまり、こいつは、逃げようとしているのだ。

 

「逃がすわけがなかろうがあ!!!」

 

 徐々に窓から姿を消そうとする眷族竜へと更に追撃をかけるべく、グロンゾンは拳に全霊を込め、跳んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「っせいやあああああああああああああああああああ!!!!!」

『GAYAYAAAAAAAAA!?!!』

 

 ウルは出現した最後の眷族竜の背後から、突如として出現した【天拳のグロンゾン】が竜を拳で殴り倒すところを見た。ここまであまりに超常的な戦いと現象が繰り広げられていた所に、あまりに直球な暴力による戦いが衝撃的すぎた。

 

「ぬう!!?」

 

 眷族竜の巨大な頭を叩きつけたグロンゾンは驚愕に表情を変える。恐らく大罪迷宮プラウディアから転移によって飛ばされて此処まで来たのだろう。つまりそれがどういうことかというと、

 

「いかん!!」

 

 落ちるのだ。精霊による加護も魔術も使わなければ【七天】でも空からは落ちる。貴重な光景をウルは目にすることになった。

 

「何をしているのです」

 

 スーアが、地面に激突する寸前、彼を拾い上げていなかったら彼は地面にめり込んでいただろう。それでも死んでいるような気はあまりしないのは恐ろしいが。

 

「スーア様か!で、あればやはりここは幻視ではなく外か!!」

「貴方がアレを狙って出てきたと言うことは、アレが核ですか」

 

 七天の二人が情報の交換をしている間に更に、変化が起こる。竜が生み出した窓から更に影が複数出現した。それが何なのか、誰なのか、ウルにはすぐに分かった。

 

「【天剣】」

「【自立破壊術式稼働】」

「【――――】」

 

 プラウディアへと侵入し、その核を討つべく動いていた七天達だ。それぞれウル達では全く及びも付かない圧倒的な力でもって、6体の眷族竜達の死を喰らった巨大なる竜に攻撃を加えていく。砕かれ、切り裂かれ、燃えさかり、貫かれる。だが尚も竜は死なない

 

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 その叫び声だけで、ウル達はもう立てなくなる。ただのわめき声一つで、場の全ての戦士達を屈服させるだけの力があった。

 だが、それに立ち向かう七天達もまた、尋常の者では無い。そしてもう一人、

 

「【魔断】」

『GIIIIIIIIIIIIEEEEEEEEEEEEE!!!?』

 

 黄金が降りてきた。振り切った【魔断】の一振りは竜の身体を幾重にも引き裂き、破壊する。そしてくるりと、丁度ウルの目の前に着地した。

 

「ディズ…………か?」

 

 彼女には違いない、筈なのだが、最後にウルが彼女を見たときの姿と比べ、あまりにも違っていた。具体的には髪が、やたらと伸びていた。綺麗に短く切り揃えられていた筈なのだが、肩を超すくらいまでに伸びて、そしてボッサボサになっている。

 別れたのは数時間前の筈だ。一体何があったのか、聞くのも躊躇うような様相だった。

 

「――――――」

 

 そして彼女は不意に振り返り、ウルをみて、微笑む。

 

「やあ゛ウルよぐいぎのごったね」

「声かっさかさ!!!」

《にーたあん!!!!!》

「ごばああ!!」

 

 そしてアカネが飛んできた。受け身を取る気力も無かったウルは空中でひっくり返った。

 

《ちょーひさしぶり-!!!!!》

「俺にとっては一夜ぶりだが」

《あたしにはちょーひさしぶりだー!!ちょーきつかったんだけどー!!!》

 

 兎に角ひどい目に遭ったらしい。

 こっちもひどい目にあったからお互い様だと言いたかったが、積もる話はあるだろう。しかし今は後だ。

 

「アガネ」

《おわったらちゃんとおみずのむのよ、ディズ》

「ん」

 

 アカネは再び剣に収まる。ディズはウルを見て小さく頷くと、眷族竜へと向き直った。他の七天達も同じようにして、強大なる眷族竜へと各々武器を向けていた。

 彼等の背を見たウル達は、奇妙な安堵に包まれていた。まだ竜は健在で、空は昏くなり、太陽の魔力を奪われようとしているにもかかわらず、だ。

 

 彼等は一流の戦士だ。だから悟った。

 

「出てきた場所にスーア様がおられたのは幸運であったな!!」

「落ちたとしても貴方は死にそうに無いですけどね」

「カハハ!!全く長い一夜だった!!時間の流れの歪みをさっさと研究したいものだ!!」

「…………」

「んじゃ、あとひどふんばりがな」

「王が心配なので、早く終わらせましょう。」

 

 この戦いは、終わったのだ。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 竜がわめき声を上げる。翼が輝き、無数の窓が空間に出現する。窓から無数の竜達が、先程までとは比較にならない程の大量の竜達が出現した。が、

 

「【自立型戦闘術式β型稼働・竜殺し再演】」

「【破邪天拳】」

 

 天魔の真っ黒な術式が無数に飛び回り、矢のように竜に突き刺さり、破壊していく。

 天拳の、敵の悪意のみを一方的に消し去る【消去】の鐘の音を叩き込む。

 

「【星海の祝福】」

「【疑似再現・天祈の星海】」

 

 天祈が精霊の力を司る【星海】へと呼びかけ、精霊の加護を卸し

 天衣がその星海への【窓】を()()()()生み出す。

 

 その二つの力は、二人の戦士に注がれる

 

「合わせなさい、未熟者」

「りょーがい、天才。アガネ」

《うに》

 

 天剣は輝ける黄金の剣を構え、

 勇者は緋色の剣と、星の剣の二本を構え、

 

「【竜断】」

「【魔断】」

 

『A――――――――――          』

 

 三つの閃きから繰り出される絶剣が、竜の身体を切り裂いた。

 

 眷族竜 残り0体

 

 大罪迷宮プラウディア活性化個体排除完了

 

 陽喰らいの儀 阻止達成

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終戦

 

 大罪都市プラウディア 真なるバベル正門前にて

 

「おお!見ろ!!!」

 

 太陽が陰りゆく異常事態。不安に駆られ、真なるバベルへと駆けつけた都市民の内の誰かが声を上げる。彼が指さす先に、昇りつつあった太陽の姿があった。その太陽の端から徐々に侵食していた黒い虚が、見る間に晴れていくのを彼等は目撃した。

 それが何事であるのかを彼等が知る由は無い。

 だが、恐るべき災厄がたった今、消え去ったことだけは誰の目にも明らかだった。

 

《民達よ》

 

 そして天から声が降り注ぐ。それが太陽神の使い、天賢王のものであることはその場にいる全員が理解した。都市民達は跪き祈りを捧げる。

 

《畏れることは無い。たった今、我が僕たる七天と、勇敢なる戦士達の奮闘によって闇は払われた》

 

 脳に響くような王の言葉に、都市民達は感嘆と安堵の声を漏らす。先ほどまでの混乱が一気に拭い去られていった。直接、陰が拭われていく所を目撃したこと以上に、それが王の言葉である事が彼等の不安を払っていた。

 天賢王は彼等にとって太陽神の化身そのものでもある。彼の言葉は神の言葉である。それを疑うこと自体が不敬であり、訝しがるという発想すら彼等には浮かばない。

 

《日々の勤めに戻り、安寧を喜ぶといい。それこそが我らの望みである》

 

 天賢王のお告げが終わった。

 跪いた都市民達は立ち上がり、しかし祈りを捧げ続ける。神殿であるバベルに、七天に、そして誰であろう天賢王に感謝の祈りを捧げた。

 我らが神、我らが王に永久の繁栄あれ、と。

 

「なんとか終わったか……」

「ええ、あの子は無事でしょうか?」

「煮ても焼いてもそう容易くは死ぬものか。あのバカ娘が」

 

 そしてその騒動の様子を見に来ていたディズの義理の両親達。ゴーファ・フェネクスとソーニャ・フェネクスの二人も安堵の溜息をついた。

 二人は、既にディズからなにが起こるのかは大雑把に聞いている。心配しなくてもいいという事も何度も聞かされている。が、それで安心できるような親などいない。朝起きて、この騒動を聞いたときは嫌な汗が出たものだった。

 

「では、あの子が帰ったらお祝いをしないといけませんね」

「この間、里帰りの祝いをしたばかりではないか」

「あら、お祝いなんて何回やっても楽しいじゃないですか。今度はあの子の友達もみいんな招いてみましょう?」

「全く……」

 

 そう言いながらも、ゴーファは彼女の言葉を否定することしなかった。

 

「……………」

 

 そして、その二人とは離れた場所にて、黒衣の老人、孤児院の主であるザインもまた、王の言葉を聞いていた。彼は普段とまるで変わること無く誰と言葉を交わすでも無く、間もなくしてバベルから背を向ける。

 神官達の何人かがザインの姿に気がついた様子だったが、彼等に応じることもしなかった。ただポツリと

 

「幾らかはマシになったか」

 

 と呟いた。

 勿論、その言葉の意味するところと、誰に向けられた物だったのかを理解できる者はいなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 真なるバベル、空中庭園。

 空を見上げると、あれほどまでに差し迫っていた【大罪迷宮プラウディア】は再び浮上していく。恐るべき、迷宮そのものをつかった特攻が阻止されたのだ。天賢王も既に奮闘を止め、怪我の治癒のためにバベルへと戻った。

 戦いは終結した。都市民達を安堵させるための王の言葉で、戦士達の全てにもそれが伝わっていた。

 

「怪我人の治療を急げ!!神薬の使用も許可する!!名無し、神官問わずだ!!!」

 

 だが、【陽喰らいの儀】の阻止が完了したとしても、騎士団長ビクトールの仕事は終わらない。戦いが終わったからといって、怪我人もなにもかもが消え去ってくれるわけではない。平和を取り戻した後、被害者の数を増やすなどあってはならない話だ。

 だからビクトールは忙しい。が、

 

「……………ふぅぅうう………」

 

 合間に、ゆっくりと溜息をついて安堵するくらいの猶予は許されていた。

 

「お疲れ様です、騎士団長」

「ああ……」

 

 部下から差し出された水を飲み干して、彼はもう一度溜息をつく。事が済んだと理解できた瞬間、体中に凄まじい疲れが押し寄せてきていた。どうも気付かない間に長時間力を込め続けていたらしい。椅子に腰掛けてぐったりと身体を預けた。

 

「今回は……今までで一番疲れた……!」

 

 ビクトールは疲労の滲みきった声で言い放った。

 陽喰らいは毎回予想も付かないような展開や敵の出現が起こるのは珍しくは無い。そんなふうに知ったようなことを思っていたが、甘かったらしい。今回のてんやわんやっぷりはとびっきりだ。部下も深々と頷いた。

 

「イレギュラーが多かったですね……」

「敵にも、味方にもな……」

 

 期待の新人、というには些か以上に不安が残る”彼等”が参加してきたときは、それでも制御できるとは思っていた。使えるならそれで良し、使えないなら後方支援に回し無難に過ごして貰おうと思っていたのだ。

 ところが予想外の働きと、予想以上の突拍子のない行動で、思いっきり振り回されてしまった。二倍疲れた。

 

「結果として、被害は少なく済みそうなのは幸いだがな……全く」

「勲章ものですかね?」

「絶賛して褒め称えたい気持ちと、怒鳴りつけたい気持ちとで半々だよ、私は……」

「できれば褒めてやって欲しい。お叱りは私が受けよう」

 

 と、会話の最中に冒険者ギルドのギルド長、イカザが姿を現した。鎧は外され、治療を受けている最中なのだろう。幾重にも治癒符が巻かれた左腕が痛々しい。

 ビクトールは立ち上がり。席へと促した。

 

「無理をなされるなイカザ殿。まだ全く癒えてはいないだろうに」

「癒者らの献身で回復したよ。最後まで戦いに出れなくて済まなかった」

「単騎で竜を1体と半分を焼き切った貴方の活躍無ければもっと死んでいた。感謝こそすれど批難する程恥知らずでは無いよ私は………左腕の方は?」

 

 イカザが軽く肩を動かす。ピクリとも動いてはいない様子だ。

 

「親切な誰かが私の腕は拾ってくれたらしく、なんとかくっつくようだが、元のように自由に動かせるかは分からない」

「そう、か……」

 

 利き手ではないだけ幸運だと言えるかもしれない。だが、それでも片手の自由を失ってこれ以上苛烈な戦場の最前線に出られるか、と言えばビクトールは苦い顔をせざるを得なかった。

 戦士達の損失、大量に消費した消耗品、対竜兵器、どれもバカには出来ないが、今回最も大きな痛手は彼女の負傷だろうと確信した。次回以降、場合によっては彼女無しで戦う必要が出てくるのだから。

 そんなビクトールの不安を読んだのか、イカザは肩を竦めた。

 

「そんなわかりやすく心配しないでくれ」

「む」

 

 ビクトールは口を手で覆う。無礼で未練がましい自分の反応を恥じた。

 

「なに、まだ潔く引き下がるつもりは無い。必要であれば無理をする。だが」

「だが?」

「心配することでも無いとは思っている。思ったよりも若い芽は育っている」

 

 彼女の言葉の意味を理解出来ないわけでは無い。

 今回の戦い、最終局面で奮闘したのはイカザではない。彼女を師として仰いだベグードのような若い戦士であり、そして”例の彼等”でもある。

 勿論、実力はまだまだ足らずなのだろうが、しかし、この先が楽しみなのも確かだった。

 

「貴方の”娘”も」

 

 そう言ってイカザは笑う。

 ビクトールは娘という言葉を聞いた瞬間びくんと身体を震わせた。

 

「あの子に関しては、既に全く私の手には負えないのでな……誰に似たのだか」

「若い頃の貴方の面影は確かにあるな」

「勘弁してほしい……」

 

 【天剣のユーリ】を娘に持つビクトールは戦いが終わった時よりもグッタリとした顔で手を振った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ、司令室

 

「エシェル様は無事なのですか?本当に?怪我も無い?……そう、そう、わかりました」

 

 シズクから届いた通信魔術を聞き終えたカルカラは深い深い安堵の息を漏らし、地面にへたり込み胸をなで下ろした。

 

「…………良かった、本当に」

「ほんとーにね。私が死んじゃう前に見つかって良かったわよ」

 

 その隣でカルカラ以上にリーネはグッタリとした。

 暴走して今すぐに此処を飛び出そうとするカルカラを押さえ込む役割だったのが彼女であったのだが、何せカルカラは只人でリーネは小人である。押さえ込むというよりも、ほぼほぼ飛びついて身体全体で食い止めるような状態だったのでとても疲れた。

 

「とりあえず……何とかなったって事で良いのよね?」

「恐らくは」

 

 魔物の襲撃は収まった。

 ウーガの結界に食いついて破壊していた眷族竜の姿もいつの間にか消えていた。残存する魔物達の襲撃は現在、白の蟒蛇とエンヴィー騎士団が行っているが、特に問題があったという言葉は聞かない。

 ウーガの中心に侵食していた怠惰の混成竜の破壊痕は凄まじいが、表層部に留まっている。直すのには手間は掛かるだろうが、再起不能という訳ではない。

 

 怪我人はとても多い。ジャインだってえらい怪我だったので速やかに司令塔内で用意した救護室に運ばれていった。だが、敵の攻撃の規模を考えれば、奇跡的なまでの被害の少なさと言って良いだろう。

 

「ほんっと疲れた……」

「お疲れ様です」

 

 不意に水が差し出される。見ればエンヴィー騎士団のエクスタインがいた。ありがたく水を受け取り、一息つく。

 

「魔物の掃討は終わった?」

「つつがなく。統制も全く取れていなかったから上手くやれましたよ」

「部外者なのに後始末を任せて悪かったわね」

「部外者として楽をさせて貰いましたからね」

 

 エクスタインは申し訳なさそうに額を掻いた。

 どうやらド修羅場の最中、逃げる準備を進めていたのを気にしているらしい。とはいえリーネはそれを責める気にはならない。というか、彼等の立場で審査対象の案件に首を突っ込みすぎて全滅しましたなどという事が起これば間違いなく大問題になるだろう。

 竜の侵略が強まったとき逃げるとした彼等の判断は間違いなく正しい。今ウーガが無事なのは結果論でしかなかった。実際、無茶をしたジャインは今もベッドの上で意識は戻らずにいるのだから。

 

「申し訳なく思うなら、ウーガの管理能力の審査、ちゃんとして欲しいけど」

 

 そう言うと、エクスタインはにこりと笑みを浮かべて返事をしなかった。

 

「ちょっと」

「僕はただの下っ端、って事は理解して欲しいですね」

「…………そう」 

 

 つまり、まだまだなんの油断も出来ないと、そういうことらしい。 ”わかってはいたが”面倒な事だった。これほどの困難を乗り越えた後なのだから、少しばかり好転してもいいのに。とは思うのだが。

 

「僕で出来る範囲の便宜を図るつもりではありますよ。ですが、世の中の思惑というのは、思った以上に複雑で、面倒だ。事が大きくなるほどに複雑さは増します」

「ウーガの取り巻く状況を複雑化したヒトが言うと説得力が違うわね」

 

 直接的に皮肉るとエクスタインは小さく呻いて顔を伏せた。これくらいの攻撃は許してほしいものだ。折角の勝利に水を差されたのだから。

 そう、勝利したのだ。誰がどのような思惑を巡らせようとも、それだけは揺らがない。自分たちは生き残り、ウーガは健在だ。多大な戦果を挙げ貢献したのだ。此処で後々の不安に顔を曇らせるのはバカだろう。

 

「ま、いいでしょ。互い死ななかったのだから。ありがとうエクスタイン」

「そう言って貰えると助かりますがね。お疲れ様でしたリーネ様」

 

 リーネは司令室の前に出ると、ここまで協力してくれた【白の蟒蛇】やグラドルの魔術師達がリーネを見つめてくる。瞳に映る感情は感動だったり、感謝だったり、あるいは尊敬だったり様々だ。そしてリーネもまた、それらが入り交じった瞳で見つめ返す。

 激闘を乗り越えた仲間同士の信頼の絆が確かにそこにはあった。

 

「私達の勝ちよ!」

 

 リーネが鬨の声を上げると、魔術師達も呼応し、雄叫びを上げるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦士たちの休息

 

 大罪都市プラウディア領内 東部地域

 

「…………むにゃあ?」

 

 エシェルは心地よい揺れを感じて目を覚ました。

 目を覚ましたはいいが、まだまだ眠い。身体中がなぜだか痛くて、とても怠くて、疲れていた。開いた瞼をもう1度閉じようとした。

 

「起きたのか。だったらもうちょっと起きろ」

「うにゃああ!?」

 

 その眼前にウルの顔があって、即座に眠気が吹っ飛んでしまった。

 意識が覚醒すると、自分は地面に横たわっていた。ウルが間近で額に触れているので大分ビックリしてついでに顔が赤くなったが、ウルは気にする様子はなかった。

 

「身体でキツいところは?」

「え、あ、いや、うん、大丈夫!」

 

 と、強がって言うと、ウルは顔を顰めて額を指でぐりぐりと抉ってきた。痛かった。

 

「我慢されても困る。正直に言え」

「……全身がなんだか凄く怠い。多分、魔力枯渇?あんまり、気持ち悪くはないんだけど」

 

 精霊の力を使う練習をしていたときにやらかした失敗と同じ感覚だった。あの時はこれほど酷くは無かったが、同じように身体は怠かった。

 

「魔力回復薬は一応あるが、消耗した身体で飲んでも毒だな。自然回復を待とう。他は?」

「大丈夫……だと、思う」

「本当に?」

「本当だ!」

「……異変があればすぐに言えよ。えらいことになってたからな」

 

 ぽんぽんと、病気をした子供にするように頭を叩くウルの気遣いは嬉しかったが、えらいこと、と言われてもエシェルには分からなかった。

 そう、分からない。記憶に無い。ジャインを助け出そうとして戦場に跳び込んで、その後の記憶が曖昧だ。断片的に何かをしていたような気はするのだが、思い出せない。

 

 分かるのはウルが本当に心配そうな顔をしていて、本当に大変なことになっていたのだという情報だけだった。

 

「……迷惑かけたか?」

「いんや、大戦果だ。ウーガもお前の活躍無きゃ終わってたらしいしな」

「……覚えてない」

 

 褒められても全然喜ぶ気にはならない。思い出そうとしてもなにか、やたらと興奮して暴れ回っていた……ような、気がする、だけだ。とてもまともな状態では無かった。

 そして、心の片隅に残っている、妙な幸福感と、奇妙で理不尽な敵意は――――

 

「シズク、シズクは大丈夫だったのか!?」

「はい。大丈夫ですよ?」

「ほあ!?」

 

 いつの間にかウルとは反対にシズクが座っていた。彼女はニッコリと微笑んで、エシェルの頭を撫でた。

 

「エシェル様のお陰で、窮地を脱することが出来ました。本当にありがとうございます」

「でも、でも、それは……」

「大丈夫ですよ。エシェル様」

 

 そう言いながらシズクは魔術を唱える。

 対象を強制的に眠らせる魔術ではない。興奮を静め、身体に疲労を自覚させ、休ませる癒やしの術だ。唱えている間にエシェルの瞼は再び重くなっていった。

 

「失態を語るなら、私達、皆の責任です。女王である貴方に無茶をさせないといけない状況だったと言うことなのですから」

「…………で……も」

「身体を休めて、心を癒やして、それからまた上手いやり方を考えましょう」

 

 シズクの語りかける声はまるで子守歌のようで、エシェルはそのまま瞼を閉じる。間もなく寝息を立て始めた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……寝たか?」

「寝ましたね」

 

 シズクは彼女の頭をもう一度労るように撫でてやった。ウルも完全に彼女が眠ったのを確認し、シズクへと目をやる。

 

「……で、そんなにヤバかったのか?エシェル」

 

 エシェルの状態をウルはその終わり際しか見ることは無かった。が、とんでもない状態だったのはなんとなく分かっている。通信でカルカラもリーネも大分混乱していたし、眷族竜との戦いで生き残った戦士達の中には眠っているエシェルを戦々恐々といった表情で見る者もいる。

 本当に大変なことになったらしい。そしてそれはシズクも同意見であったらしい。

 

「しばらくは、実戦でミラルフィーネの使用を禁じた方が良いでしょうね」

「言い切るか」

「簒奪し、己のものに換える力。場合によってはウーガよりも凶悪です。扱うにも当人が危険です。魔力枯渇に”なることができた”のは幸いですね」

「……というと」

「簒奪を使いこなせれば、恐らく彼女は()()()()()()()()()()()()()()。疲れ知らずです」

「不味すぎるなそれは……」

 

 エシェルは既に深い眠りについているのか寝返り一つ打たなかった。本当に消耗しきったのだろう。そうしている様子は本当にあどけない少女にしか見えない。

 

「しかし、訓練を止めるわけにはいきません。御する力もなく封印するだけでは、もしものとき大変なことになる」

「御する術は絶対に必要と」

「それが身につくまでは、彼女の力に頼らなければならない状態は避けるべきでしょう」

「正論だな…………んで?お前は?」

 

 ウルは正面のシズクへと訝しげな視線を向ける。シズクは相手の心を解きほぐすような微笑みを絶やさず、ウルへとそれを向けた。

 

「ご安心くださいまし。私は今も健康そのものです」

「…………」

「ウル様?」

「……………………」

「ひょっとして、全く信じていらっしゃいませんか?」

「良く気付いたな」

「一行の中で一番長い付き合いですのに」

「その付き合いの間にお前が適当ぬかした回数数えてみろ」

 

 基本的にウルは彼女の言動を信じていない。特に自分に関しては本当にペラッペラに嘘を言うときがある。酷く軽いノリで自分の身体を斬り捨てることがままある。

 

「対竜術式だかなんだかわからんが、んなもんぽこじゃか発動して「なんともありません」とはなんねえだろうよ」

 

 他の面子が暴れに暴れたので陰に隠れたが、シズクはその裏で献身的に活躍をしていた。得体の知れない術を使ってあらゆる竜の動きを必要に応じて止めていた。エシェルの活躍と同様、シズクの力が無ければもっと酷いことになっていた事だろう。

 ならば、エシェル同様、気に懸けなければならないのは当然だった。

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、本当に大丈夫なのです」

「身体に変調は?おかしな変化とか起こっちゃい無いだろうな」

「見てみます?」

「…………後でな」

 

 ウルは土を払って立ち上がる。ウル達の周りにも眷族竜達と戦った戦士達が横になっている。向こう側には”木と葉”で出来たテントまで立てられていた。ウルはそちらへと視線を向ける。

 

「アカネ達の様子も見てくる……癒者からの検査は受けろよ。内容は教えろ」

「分かりました。でも、ウル様もですよ?」

「あー了解」

 

 ウルは応じて手を振り、テントの方へと歩いて行った。

 何でも無い、という面構えで歩くのにかなり苦労をした。うっかりするとそのままぼてんと倒れ込んでそのまま眠りこける所だった。今歩けているのはシズクに対する意地と、

 

『見抜かれとったの。カカカ』

「アイツをだませるとは思わん」

 

 身体の動きを補助してくれるロックの存在だった。

 

『ワシだって疲れとるんじゃ。介護なんぞもうせんぞ』

「高い酒奢ってやるから勘弁しろ」

『んじゃーその酒でまた飲み会じゃの。付き合えよ小童』

「へいへいクソジジイ」

 

 うっかりするとぶっ倒れそうになる身体を支えて貰いながら、えっちらほっちらとウルは歩く。こんな有様でもウルはリーダーだ。最低でも自分が巻き込んだ仲間達の安全を確認するまでは倒れるわけにはいかなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 加工されたような石柱と柔らかな木々の葉で覆われたテントは、スーアが精霊の力を利用して生み出した簡易の医療室だった。身動も出来ないような状態の者達がいたためにその場で創り出された場所だった。

 流石は精霊の力を操る神官達の頂点、と言うべきだろうか。スーアが生み出した簡易テントは”簡易”などと呼ぶにはあまりにも豪華だった。

 床が敷かれ、壁があって、屋根がある。窓まであって、ベットがならんで、何故か小洒落たテーブルまである。テントと言うよりも小屋で、小屋というよりも家だった。

 実に居心地の良い場所であり、重傷人達を収容しても尚まだベッドに少しばかり余りがある。外で地面に寝転がっている者達も利用したら良いのにと思うがそうする者は少ない。

 

 理由として、重傷人達を気遣ったというのもあるが、もう一つあった。

 

「うむ!よくぞ今回の陽喰らいも全員乗り切ったな!七天も死者が出なかった!上々よ!」

「手放しには喜べませんがね。まさか太陽神に直接仇をなそうとするとは……」

「――――……――――ええ、本当に、疲れました」

 

 用意されている小洒落たテーブルに七天達が集結しているのだから。

 

「……そりゃ、おちつかんわな」

「……無礼な事を言うなよ。」

 

 おっかなびっくり遠目に眺めるウルに対して、近くのベッドで横たわっているベグードがグッタリとした顔で話しかけた。ウルは七天達の視線に入らないようにしながらベグードへと頭を下げた。

 

「今回は色々と助かった。ありがとうパイセン」

「パイセンはやめろ……全く滅茶苦茶だったな。お前等は」

 

 ベグードの右腕は治癒符でぐるぐる巻きになって、身動き一つ取れない状態になっていた。竜の牙が腕に突き刺さり、危険な状態であったらしい。顔色も全くよろしくはない。

 

「色々とご迷惑をかけました」

「本当にな……」

 

 凄まじく恨みがましい視線をベグードが向けてきたのでウルは眼を逸らした。実に無茶苦茶な事を言ったしやった気しかしない。そうして眼を逸らしているとコツンと側頭部に衝撃がはしる。

 無事な方の手の甲で、軽く叩かれたのだと気付いた。前を見るとベグードは薄らと笑っていた。小人の美形の微笑みは絵になった。

 

「ありがとう。お前達のお陰で随分と助かった」

「……どうも」

「二度と無茶振りするなよ」

「……努力します」

「結果を出せ……」

 

 それだけ言うとベグードはぱたんと手を倒してそのまま寝息を立て始めた。限界だったらしい。誰も彼もそうなのだろう。ベッドで眠る者達の殆どは身じろぎもせず眠っている。怪我が重い者などは治療を受けた後は沈静化させて眠っているのだ。

 

 彼等の休息を邪魔したくは無い。できるだけ急いで残る用を済ませたかった。

 

「で、アカネとディズはどこかね……」

『あそこにおるぞ』

「あそこ?」

『ほれ、あそこ』

 

 あそこ。とロックが骨の指先で示す方角には、七天達の集うテーブルである。その机の一角で、机に顔を突っ伏して眠るディズと、その上に乗っかるアカネの姿がある。寝てるのか何なのかわからないが、とりあえずは居た。

 

「……………後で良いかあ」

 

 ウルは後に回そうとした。

 

「ぬ!名無しの小僧!!いやさウル!!!無事であったか!!」

 

 そして天拳に目を付けられた。

 

『見つかったのう?』

「帰って寝てえ……」

『お主の家、竜の襲撃でぐっしゃぐしゃらしいぞ』

「泣きてえ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦士たちの休息②

 

「うむ!よくぞ生き残ったな!ウルよ!見上げた戦士である!!!」

「【七天】の皆様と比べてはとてもたいしたことは……」

「うむ!それは当然のことだ!!己の実力を正しく理解するとは感心だ!」

 

 【天拳】グロンゾンに呼び止められたウルは酒場で面倒くさい先輩に絡まれたような心境で彼等の座るテーブルについた。席に着いているのはウル(+ロック)を除いて四人、【天剣のユーリ】【天拳のグロンゾン】【天祈のスーア】そして【勇者ディズ】である。

 そんなテーブルにただの銅級の冒険者が席に着くのは場違いにも程があった。居心地が悪すぎる。

 出来ればディズとアカネの様子をみてさっさと退散したい。のだが、

 

「……………くー…………」

《………うー………にー………》

 

 完全に寝入っていた。アカネなどまともな形を保っていない。ほぼ粘魔の状態である。眠っていると言うことは死ぬような怪我を負っている訳ではないのだろうが……

 

「勇者め無茶をしたからな!うむ!!加護無しの上でかなりの奮闘であったわ!」

 

 グロンゾンが手放しに褒める。確か彼は勇者ディズの力量に関しては懐疑的であった筈だから、それを考えるとずいぶんの絶賛だった。ユーリも渋々というように頷いた。

 

「先代勇者、ザインのそれと比べるべくもありませんが、最後は小マシには成っていましたよ」

「うかうかとしてはいられんのではないか?ユーリも」

 

 ユーリはグロンゾンを睨み付けた。グロンゾンは豪快に笑った。大罪迷宮プラウディアでの戦いがどのように繰り広げられていたのか想像することしか出来ないが、どうやらディズの株が少し上がったらしかった。

 

「……しかし、どういう戦いだったので?一夜の戦いといった様相ではなかったですが」

 

 ディズの髪が二回り以上に伸びている事からもそれは分かる。よく見ればユーリもそうだ。剃り上げているグロンゾンは変わらないようだが、プラウディアに向かったときと比べて明らかに姿が違う。2,3ヶ月の間を空けて再会したような姿だった。

 

『どれくらいおったんじゃ?あの迷宮に』

「一月か……二月か?」

「二週間くらいでは?」

「うむ!わからん!」

 

 わからんらしい。

 

「おそらくだが、時間の経過がバラついておったな!ハッキリとせんわ!」

「【天魔】は大喜びでしたがね。さっさと研究所に戻っていきましたし。ろくでもない」

「【天衣】もいつの間にか消えておるわ!」

『まとまりぜんぜんないのう』

 

 ロックが実に遠慮無しにその状態を指摘する。ヒヤヒヤするが、七天の連中はまるで気にする様子は見せなかった。

 

「今回のようなケースでも無ければ、まとまることは殆どありませんよ。我々は」

「元々、仲が良いわけでは無いからな!…………ところでウルよ」

「はい」

「……スーア様となんぞあったのか?」

 

 ウルは顔を引きつらせて沈黙する。先程からスーアはウルの方をジッと見つめてきている。これで何も無かったという方が無茶だろう。大体睨んできている理由も分かる。ウルは冷静になろうと努めた。

 

「……いやあ、救出時に少し……言葉が滑りまして」

「役立たずと言われました」

『言ったのう』

 

 沈黙に包まれた。グロンゾンは彼にしては珍しく、目を丸くさせた。ユーリはマジかコイツというツラでウルを見ている。ウルは冷や汗を掻きながら手を挙げた。

 

「精根尽きかけた自分を奮い立たせるために、育ちの悪さの所為で下品な言葉が出てしまっただけで、本当に罵る意図は無かったんです。本当に」

「クソ七天とも言われました」

『言ったのう』

 

 ウルは追撃をかけてくる骨を鎧越しに10回くらい殴った。顔が上がらない。顔を上げた瞬間首が飛ぶかも知れない。冷や汗がぽたぽたと落ちてきた。

 

「それで、どうでした?」

「…………どうとは?」

「私はちゃんと役に立ちましたか?」

 

 ウルは顔を上げる。スーアはウルを真っ直ぐな目で見ていた。色々と言い訳に頭を回していたウルは、考えるのを止めて向き直った。

 

「それは――――ええ、勿論。偉大な七天の名に恥じない、圧倒的な活躍でした」

「暴言を撤回しますか?」

「撤回します。貴方は偉大なる七天の一人だ。敬服します」

 

 そこまで言って、スーアは満足げに胸を反らした。

 

「許します」

「で、あれば我々がこれ以上どうこうと口を出すことはないな!」

「今後は気をつけるように」

「肝に命じます……」

 

 ウルは肩をなで下ろした。竜と対峙したときよりも緊張感があった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「これ以上の魔物達の襲撃の気配もないので、私は王と父の様子を見に戻ります」

「我もそうしよう!ではなウル!!」

「おやすみなさい」

 

 そう言って、ユーリ、グロンゾン、そしてスーアは席を立った。ウルはぐったりしながら手を振って三人を見送ると、大きく項垂れた。

 

「……つっかれた」

『中々面白かったぞ?』

「すり潰してジャインの畑の肥料にするぞジジイ……」

「ジャインがキレそうじゃの。カカカ!」

 

 ロックは笑い、同時に鎧の下からガラガラと骨が落下する。そのまま骨の身体に組み上がり、骨の身体をヒトの形として取り戻していく。

 

『挨拶回りは済んだじゃろ?ワシも自由にさせて貰うぞ。散歩じゃ散歩』

「魔力切れで行き倒れ無い限り勝手にしろって言いたいが、鎧ねーと魔物と間違われるぞ」

『適当に借りるわい』

 

 そう言って彼は立ち上がると、カタカタと歯を鳴らして、ウルに笑いかけて拳を見せた。

 

『無茶苦茶だったが、まあワシらはようやったわ。のう?』

「……そうだな。それは、本当にそうだ。良くやったよ俺たちは」

 

 反省点も、課題も、問題も、色々ある。あるが、今くらいは互いの健闘をたたえるくらいの贅沢は許されるだろう。ウルも拳を握ってロックの拳に合わせた。ロックは満足げにもう一度笑って、そのままテントから出て行った。

 

「さて……」

 

 寝るか、と、言いたかったが、席の隣で未だに机の上に突っ伏して寝入るディズとその上で粘体化してるアカネが目に入る。鎧もそのままで、このまま寝たら確実に身体を痛めるであろうと言うことが目に見えていた。

 

「………しゃーねえか」

 

 ウルは少し悩んだ後、諦めたような声を上げた。アカネを摘まんで自分の頭に乗せると寝入るディズの身体と足を支えて抱きかかえた。

 そして即座に少し後悔する。彼女自身はともかく鎧は結構重い。かなり弱りきった自分の身体には結構こたえた。

 

「……ロックに……手伝って貰えば……よかった……」

 

 格好の悪い泣き言を呟きながら彼女を簡易ベッドまで運ぶ。全然起きる様子のない彼女の身体をなんとか動かして、仰々しい黄金の鎧を取り外して、なんとか上手く横たえることに成功した。ウルは溜息をついた。

 

「……………ぐう……」

『………にゃー………』

「こいつら全然起きねえ……」

 

 妹もディズも、死んだように眠っている。それほどの激闘だったのだろう。積もる話もあるのだが、此処まで完全に眠っていると起こすのは流石に憚られた。

 

「…………お疲れ」

 

 なので一方的な労いの言葉を二人に告げる。ディズの寝顔が少しだけ笑ったように見えたのは気のせいだろうか。

 ウルはそのまま這い入るように隣のベッドに潜り込むと、そのまま意識を失った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 天祈のスーアが生み出した安息所の外。

 そこでも多くの冒険者達が横たわっていた。安息所の外で地面にだらしなく寝転がる者達の多くは、傷は浅く、しかし身体を動かすことも億劫な程に疲労困憊している者達だ。

 汗の湿気で鎧やローブが汚れることも厭わずに彼等は地面に転がる。彼等の中には戦士達を守るための神官達も居たが、彼等もまるで気にすることは無かった。

 

 自分の頭の上にだらしなく放り出された名無しの素足が飛び出そうが、

 自分の外套を枕ががわりに騎士達が寝息を立てようがお構いなしだ。

 逆に神官らが名無しの脚を枕にしてさえもいる。

 

 奇妙な光景だった。そこに身分の差は存在しなかった。死線を共に潜った者同士にしか無い繋がりがあった。例え明日から元の特権階級と支配層、そして都市外の放浪者の関係に戻ろうと、今この時の繋がりは損なわれることは無いだろうと誰しもが根拠も無く確信していた。

 身動きするのも億劫な疲労と、不思議な安堵感が全員を包んでいた。

 

「――――、―――――――――――――」

 

 そのただ中、銀髪の少女は唄っていた。 

 膝元の赤毛の少女を抱えるように抱きしめて奏でるそれは子守歌だろう。

 歌詞の内容を知る者は居なかった。なのに何故それが子守歌なのだろうと思ったのかは分からない。音色があまりに心地よかったからか、赤毛の少女が嬉しそうに眠っているからか、それとも唄う銀髪の少女があまりにも美しかったからか。

 

「――――――、嗚呼」

 

 銀髪の少女は、シズクは、子守歌を奏でながら空を見る。夜空の闇は太陽の輝きで完全に隠れていた。透き通るように蒼い空と白い雲が心地よく疲労を撫でて癒やした。

 先程まで奪われていた黒い闇はもうなく、その輝きを遮る者は誰も居ない。

 

 その太陽に、彼女は両の手を合わせ祈りを捧げる。

 

「神よ。御許しください。どうかお願い致します」

 

 誰にも聞こえないくらい小さく小さく、囁くように祈り、そして許しを乞う。

 

「私は許されなくても良いのです。ですが、どうか、私に託した者達の罪をお許しください。切実なる彼等の願いをお聞き届けください」

 

 合わさる両手が強く握りしめられ、震えている。指を痛めてしまうのではないかというくらいに強固な力が込められていた。

 

「だけどもしも」

 

 そして、彼女は顔を上げる。

 

「もしも、それが許されないのなら――」

 

 視線の先にある太陽を、世界を守護する唯一神を、彼女は見据える。銀色の彼女の瞳にどのような感情が込められているかを見ることは誰にも出来なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賢者と愚者

 

 

 

 真なるバベル。王室。

 

「傷の全ては完治させましたが、どうか安静になさってくださいませ」

「仕事がまだ残っている」

「安静になさってください」

「だが」

「安静になさってください」

「……わかった」

「大罪の竜を退ける大任、本当にお疲れ様で御座いました」

 

 天賢王、アルノルド・シンラ・プロミネンスの治療を行っていたファリーナが深々と頭を下げて部屋を後にする。アルノルド王と彼女は本当に長い付き合いだ。殆どの者が彼に対して平伏するが、彼女だけは全く引き下がらない。

 不敬と指摘する者もいたが、王の健康に関わることであれば、彼女は一切言葉を繕わずに容赦なく指摘する。高齢のため若い癒者を用意する提案をされたこともあったが、自分よりも腕がある者が用意できたらと提案を切って捨てる強情の女である。

 アルノルドも彼女の言葉については言うことを聞いた。

 

「……」

 

 が、今日この日に限ってはそれはできなかった。彼は暫くすると大きなベッドから身体を起こし這い出す。そして不意に部屋の隅へと視線をやった。

 

「ブラック」

「おいおい、かーちゃんの言うこと聞かなくて良いのかい?アルノルドよ」

 

 その部屋の隅から、ゆらりと黒い影が姿を現す。魔王ブラックはケラケラと笑いながらアルノルドをからかうが、彼はまるで応じなかった。

 

「お前のような者がいては安静になどできない」

「嫌われてるねえ」

「好いても嫌ってもいない。あえて言うなら面倒だと思っている」

「おい、傷つくぞ」

 

 そう言いながら彼は部屋の中のやけに大きなテーブルにつく。ブラックも同様だ。王は無表情に、ブラックはニタニタと笑う。

 正反対の表情を浮かべる二人だったが、しかし()()()()()()()()()

 

「首尾は」

「あー上手くいったぜ?ほらよ」

 

 そう言って彼は懐から何かを指で摘まむようにしてアルノルドにソレを見せつける。

 一見してそれは、気色の悪い虫のように見えた。拳大ほどの大きさ。焦げ茶色の身体に細く長い足が一〇本以上くっついてそれらが抵抗するようにぐしゃぐしゃと蠢いている。背中に当たる部分には小さな白い、指のように見える”羽”がある。

 真っ当な感性を持つものなら嫌悪感で眼を逸らすだろうそれを見て、ブラックは笑う。

 

()()()()()()()()()()

 

 その言葉の意味するところを理解できる者は、目の前のアルノルドしかいないだろう。

 世界を蝕む大罪の竜。そしてつい先程、迷宮まるごとに落下して世界を存亡の危機に貶めようとした災禍の根源が、このような”小さな虫に見える何か”であるなどと。

 ましてそれを、天賢王の寝室に持ち込むなどと、誰が想像できるだろう。

 

「いやあ、チョロかったぜ?七天達に思い切り気を取られてたからなあ。危なくなったからってビビってアイツらを”活性源”使って追い出して安心したんだろうさ」

「彼等が”囮”とは思わなかっただろう。私も思わなかったからな」

「上手くいったんだから良いだろ?っと」

 

 パチンと弾けたような音と共に、ブラックは竜を摘まんでいた指を離す。彼の指先は変形していた。しかもそれは指が折れたとか、そういった次元ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『KIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』

 

 身体の半分が悍ましい、あらゆる咆吼にのたうつ魔物に変貌し、もう半分のブラック自身に襲いかかろうとしていた。

 

『――――――――!!!!!』

 

 同時に、こぼれ落ちた大罪竜プラウディアは不可視の力で空を飛び、そのまま真っ直ぐに前進する。眼前にいる人類世界を維持するための長を殺すために。

 しかし、

 

「ッハハ」

「………」

 

 ブラックは、半分になった己を残った左手で抉り殺し。

 アルノルドは、自らに迫る竜を、指先一つ動かさずに黄金色に輝く結界に閉じ込めた。

 

「油断するな。仮にもイスラリアを蝕む大罪だぞ」

「わーるかったって」

 

 ”半分になった”ブラックが笑う。そうしている間に動かなくなった、幾つもの蛇が纏わり付いたような様になったブラックの半分の身体を【黒い何か】が浸食する。灰色の身体に赤い目をした蛇たちはその【黒い何か】に覆われて、動かなくなり、形を変えるとそこには元のブラックが存在していた。

 

「此処でお前が大罪竜に喰われたらそれはそれでおもしれえって思っちゃってよ」

 

 元通りになったブラックは物騒な事をのたまいながらゲラゲラと笑った。アルノルドはピクリとも笑うこと無く、眼前に捕らえ直した大罪竜を眺める。

 

『――――――――!!!!!!』

 

 恐らく、何かしらの抗議の声を上げているのだろう。しかしそれは鳴き声にすらならず、言葉として意味を成すものにはならなかった。そもそもアルノルドはそれを解するつもりも無い。

 ブラックは血塗れになった手を握り、開くと、潰れた指先は既に再生していた。そして彼はアルノルドへと向き直り、問う。

 

「さて、3:7かね?」

「5:5だ。」

「おいおい、仕事したのは俺だぞ?強欲過ぎね?」

「その隙を生み出したのは我々七天と、勇敢なる戦士達だ」

「4:6……」

「5:5」

「4た」

「5:5」

「……わーったよ。意地っ張りなんだから、んもー」

 

 交渉が終わる。同時に大罪竜プラウディアに変化が起こる。

 

 結界の内側で、何かの力が働いたのだろう。竜は悲鳴を上げている、様に見える。声は外には聞こえない。そして暫くすると竜の身体は一瞬ひしゃげ――

 

『――――――      』

 

 ぐちゃりと潰れて、形を失った。

 世界の大罪を司る一端、大罪竜はその形を失われた。

 

 アルノルドとブラックは、その残酷な処刑をただジッと見つめている。大罪竜の潰れた後、血肉混じった真っ黒な液体が残る。それを溜め込んだ結界は不意に形を変える。丸い、二つの形状となったそれらは内側に竜の血を溜め込んで、ブラックとアルノルド、それぞれへの手元へと移動した。

 真っ黒な宝石のように輝くそれをブラックは摘まんで、笑う。いつでも客人を迎えるためか、机に並んでいたワインとグラスを手に取ると、二つ注ぐ。

 

 そして竜の血をその中に落とした。アルノルドも同じようにする。

 

「そんじゃあ、乾杯かね?」

「祝杯には悍ましすぎるがな」

 

 そう言いながらも、アルノルドは差し出されたブラックのグラスに自身のグラスを当てて軽い音を鳴らした。ワインと、竜の血がグラスの中で揺らめく。

 

「この世界の破滅を願って」

「この世界の安寧を願って」

 

 互い、正反対の言葉を口にしながらワインを呷る。ブラックはそれを一息に飲み干し、訝しげに眉をひそめた。

 

「おっと?これ本当にイーブンか?少なくね?」

「下らん誤魔化しはしない。恐らくだが【簒奪の巫女】だ」

「は?」

()()()()辿()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いて、ブラックは初めて驚愕したのか目を見開いた。

 

「は???おいおいおい、あのお嬢ちゃん、確かミラルフィーネを丸ごと吞んでたろ?」

「そうらしいな」

「んで、その上でプラウディアの一部まで喰らったのか?【星海】みたいな外付けタンクもなしに!?【竜化】でも起きなきゃ器、壊れるだろう?!」

「スーア曰く、ピンピンしていたらしい。疲労で倒れてはいるが」

 

 その説明を聞いたブラックは、堪えきれないというようにゲラゲラと笑い始めた。

 

「ウッソだろ!?どんだけ()()()()なんだよ!!!()()()()()()()()()()()!!!」

「皮肉にも、かの血族が崩壊すると同時に、その祈りは結実したらしい」

「回収するか?!」

「保管して貰う。【鍵】は分散した方がリスク管理にもなる」

「その方が面白そうだしな!!ハハハ!!」

 

 ブラックの笑い声が部屋の中に響く。アルノルドは気にすること無く、残るワインをゆっくりと飲み干した。二つのグラスは空になり、既に竜が居たという痕跡は皆無となった。物静かになった部屋で、笑い続けていたブラックはそれにも飽きたか「さて!」とワインをもう一度にぎった。

 

「そんじゃあ飲み会やるかあ!!」

「断る」

「あれえ!?」

「今は朝だ。お前の酒癖は最悪だ。そして私は怪我人だ。寝る」

「仕事の付き合いってもんを大事にしねー奴は出世できねーぞ-!」

「最悪のアルハラ男だ。帰れ」

 

 抗議を上げるブラックを無視してアルノルドはさっさとベッドに潜り込み横たわった。

 

「へーんもういいもーん!!ウルの野郎たたき起こしてつきあわせてやる!!」

 

 そんな言葉を吐き散らしながら、ブラックは窓の外から飛び降りた。アルノルドの寝室は真なるバベルの頂上近くで住宅街の高層建造物が小さく見えるほどに高い場所であるが、死にはしないだろう。

 

 ベッドに潜ったアルノルドは、目を瞑り、静かに思案を巡らしていた。

 

「……賽は投げられた、か」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 かくして

 

 かくして大罪都市プラウディアの長い夜は明けた。

 恐るべき災厄、人類生存圏の全てが崩壊する危機を退けることは叶ったのだ。

 

 血を流し、傷を負い、命を落とす者も居た。だがこの戦いそのものが秘匿されるべき災害であるが故に、彼等の血や傷、そして死が語られることは無い。死んだ者すらも、まずはその事実が伏せられ、時間をずらし、別の理由で死んでしまったことになるのだ。

 

 この世界に住まう者達の多くは決して知ることの無い死闘。だがそれを忘れない者は居る。

 この死闘を生き残った戦士達だ。

 

 彼等は仲間がいかに懸命に戦い抜いたのかを決して忘れない。

 名無しの冒険者達も、都市民である騎士達も、神官である天陽騎士達も、立場を越え共に戦った戦士達の事は忘れない。

 

 だから、この戦いで一際に暴れたウル達の事を彼等は忘れる事はない。

 

 足らぬ実力を補ってあまりある無茶をして、驚かせ、怒らせて、それでも決死の覚悟で戦い、結果を出した。戦士達の心にウルの姿は刻まれただろう。そしてウルの心にも、同じく自分たちを引っ張り、危険を率先して守りし戦士達の姿は刻まれた。

 奇妙で強固な絆が生まれたのだ。そしてそれはウルにとって、お金や武具の類いよりも遙かに大きな財産となった。

 

 【歩ム者】は一つの契機とも言うべき巨大な試練を乗り越え、得がたい物を得た。

 

 そしてその1週間後、ウルは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………落ち着かねえなあ、俺の人生」

 

 牢獄の中に居た。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

【陽喰らいの儀:リザルト】

・陽喰らいの儀 参加報酬:金貨30枚

・陽喰らいの儀 特別報酬:金貨50枚

・対都市超大型使役獣[竜呑ウーガ] 管理能力証明完了

・群魔の魔片(多量)吸収

・混成竜の亜魔片吸収

→魔片一定量到達につき、魔画数増加(ウル、シズク共に3画に到達)

→大幅な余剰魔力を回収したため、更なる画数増加予兆アリ

・右腕、混成竜の血肉蚕食

→色欲の魔魂(破片)修復

→色欲の魂界から独立

・大罪竜プラウディアの眷族竜の魔断片 吸収 

→竜化現象大幅進行

→魔力蓄積製造器官、魂の変異発生、魔画の上限変容開始

・同種の魔眼による打消し合い及び過剰使用により、未来視の魔眼が一時的に使用不可(オーバーヒート)

→魔眼研磨大幅進行、残研鑽年数推定89年

→機能不全に陥る困難に直面したことによる変化の兆し発生。

 

・鏡の寵愛者エシェル 混成竜の褪魔眼数十種獲得

→虚飾の王翼[1翼] 獲得

→本人の無意識下により完全封印中、使い魔によるトランス状態以外での使用不可(現在の所)

 

・霊薬(お茶)の製造方法、及び 魔法薬製造法 習得

・魔銀の鎧大破

・戦車・ロックンロール号 大破

・竜牙槍大破

→天祈のスーアが魔導核の回収および修繕を指示

→真なるバベル魔導兵器開発部門【叡智の祭壇】、修繕に着手。

→修繕即時完了、返却後スーアから追加改善指示

→リテイク

→リテイク

→リテイク

→【叡智の祭壇】所属職員にノイローゼによる休職者発生

→【叡智の祭壇】にて内乱が勃発。

→【天賢王】直轄管理区画【星森】の【神樹】の一部簒奪事件勃発

→【叡智の祭壇】および【魔導の深淵】による部署間闘争に発展

→研究途中だった【白皇鋼】の無断流用事件勃発。【賢炎の鍛冶場】が騒乱に参入

→竜牙槍改善進行、負傷者数定かならず。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【歩むもの】+α ステータス一覧 (プラウディア編終了時点)

※大罪都市プラウディア 死闘編 終了後のステータス一覧となっております。

※その時点までのネタバレ多くございます。読了後にご確認くださいませ。

 

 

ウル

〈魔名〉:(Ⅲ/■)

〈階級〉:銅一級→一時剥奪

〈二ツ名〉:【粘魔王殺し→大連盟反逆罪()()

 

〈武具〉

【竜牙槍(紫華)→大破】

【魔銀の全身鎧→大破】

 

〈技能〉

未来視の魔眼(ラプラスアイ)

→精度の高い未来を予知する(確定ではなく改変が可能)

 魔力量に応じて遠い未来を予知できるようになる(ウルは三秒ほど)

 勇者の祝福により硬度Ⅹへの精錬ルート確定。

→現在魔眼の混成竜との闘いを経て一時的な使用不可の状態。

→変異進行中。

王の殺戮者(ルーラースレイヤー)

→支配者との相対時に身体能力強化

 種族の支配者、群れのリーダー、迷宮階層の番人等も対象

 【禁忌 規定から逸脱→排除指示→失敗→唯一神規定破損】

色欲(ラスト)

→【禁忌 禁忌 禁忌 禁忌 禁忌禁忌禁忌禁忌禁忌禁忌禁忌禁忌】

 【排除セヨ 削除セヨ 方舟から摘出セ『 やか  ま  し   いわ』

 

シズク

〈魔名〉:(Ⅲ/Ⅴ)

〈階級〉:銅一級→銀二級

〈二つ名〉:白銀

〈武具〉

【空涙の刀】

→魔術媒介可能、水氷属性の魔術補助強化

【新雪の足跡】

→魔導書。所有者の感知した空間を自動でマッピングする機能がある。

 シズクはこの効果と自身の超聴覚の能力を併用し、広域レーダーに昇華した。

 魔導書自体もシズクが調整を続けているため、現時点でも一行は重宝している。

 

〈技能〉

【魔術】

→火水土風に加えてその派生属性全てを網羅した状態。

【超聴覚】

→五感強化。集中次第では数百メートル範囲の聴覚情報を獲得可能。

【反響】

→大罪都市ラストの白の系譜が一つ、ラスタニア家が有する【多重化】のアレンジ

 音が反射する空間であれば一つの魔術を反響させ、連続で発動させる。

 また、反響物のない空間であっても魔術で壁を精製することで機能させられる。

【死霊術:ロック】

→何時の時代かも不明な戦士の死霊兵。強固な再生能力と変化能力を有している。

 核となる術式が心臓部に存在しているが、位置の変更は可能なため、破壊は困難。

 自動防衛で最も安全な場所に移動するようにできている。

→【悪霊剣】→非物質と物質の狭間にある剣。

→【骨芯変化:鎧】→魔銀相当の強度

『冬の精霊の巫女/対竜術式』

→『冬の精霊、ウィントールの巫女。ただし精霊の加護は授かっていない』

 『冬の精霊は”太陽を長く隠す”と他の季節と比べ、疎まれていた』

 『その為、その復権のために対竜術式を発明。唯一の若き巫女であるシズクに託した』

→『竜に対して特攻効果のある魔術が発動できる。竜の機能を一時的に【停止】させることが可能』

【■■■■■■■■■■■■】

→■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

ディズ・グラン・フェネクス

〈魔名〉:(Ⅴ/Ⅴ)

〈階級〉:七天

〈二ツ名〉:【勇者】

〈武具〉

【星剣】

【陽神の鎧】

【星華の外套】

赤錆の精霊(アカネ)

→【赤錆の精霊】に取り憑かれた少女。

 肉体を自在に変化する大地の属性と、■■■■■■■■させる機能の二つを有している。

 尚、勇者は危険性から前者のみを使用しており、多様な武具に変化、複製し使用する。

 学習した武具はアカネ単身でも機能させることは可能になっている(精度は落ちる)。

 

〈技能〉

【魔断】

→魔を断つ剣

 先代勇者ザインから継承した剣技。

 本質的には単なる剣術の一つに過ぎず、特筆すべき点も少ない。

 ただし、極限まで”断ち切ること”を突き詰めることで、断つ概念化を引き起こす。

 結果、■■■■■■■■■■■■を破壊することも可能とする。

【魔術】

→治癒を含めた全属性の魔術を使用可能。

【七天の加護】

→無し。歴代の勇者と同様、唯一神の加護の一切を与えられていない。

【■■■■■■■■■■■】

→■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

リーネ・ヌウ・レイライン

〈魔名〉:(Ⅱ/Ⅴ)

〈階級〉:銅四級

〈二ツ名〉:【白王陣の継承者】

〈武具〉

【白王符】

【星華の手袋】

 

〈技能〉

【魔術:白王陣】

→白の系譜であるレイライン一族に伝わる特殊技能。

 精密かつ複雑な術式を特定の手順で編むことで単独で終局魔術を生み出す技法

 通常の魔術以上の複雑な術式構築が可能であり、改変(アレンジ)も幅広い。

 ただし、術式の構築に極めて時間が掛かるという欠陥を抱えている。

【集中】

→白王陣を刻む際にレイライン一族が用いる強化術。術式構築時の精度速度上昇。

 魔術と言うよりも自己暗示による制約と強化。

 途方も無い時間を必要とする白王陣の完成速度を引き上げるためのもの。

 魔術完成までそれ以外の動作に対する強力な制限が掛かる。

【速記】

→リーネが編み出した白王陣のブレイクスルー。

 魔術の改善が煮詰まったのなら、人体を拡張すれば良いじゃない!

 というマッドな発想から生み出された技術。

 糸のように細い魔術媒体に魔力を通し、手先のように自在に操る。

 それを全て使って魔法陣を構築するという無茶を行う。

 通常の魔法陣であれば過剰な速度であり、白王陣に使ってこそ最大の効力を発揮する。

 

 ただし、これ自体は個人の能力に依存するため、リーネは現状に満足していない。

 

エシェル・レーネ・ラーレイ

〈魔名〉:(ⅩⅩⅤ/CXXIV)

〈階級〉:無し

〈二ツ名〉:【鏡の精霊憑き】

〈武具〉

【悪霊の研究書類】

 

〈技能〉

【鏡/簒奪の精霊憑き】

→鏡の精霊との融合化。

 神殿の大失策と、精霊との親和性の極めて高いシンラの融合。

 この二つの状況で組み合わさったイスラリア史上最も危険な生命体が誕生した。

 【精霊憑き】は精霊が弱ったときの自己保全機能で発生するのが殆ど。

 つまるところ非常に信仰の弱い精霊と人類との間に起こる現象である。

 

 恐怖によって強大になった鏡の精霊と人類が融合したのは想定の範囲外である。

 

【魔眼】 

→拘束系魔眼18種

→精神干渉系魔眼29種

→破壊系魔眼78種

→精霊憑き状態でのみ使用可能。

 

【虚飾の王翼】

→【書き換え】【世界への干渉】【禁忌】【現在封印状態】

 

【人造七天製造計画終点個体(ハイエンド)

→かつてプラウディアとの権力闘争に敗れたカーラーレイ一族が考案した人造七天創造計画。

 その終点個体―――の失敗作。

→本来想定された七天に到達する個体が有するであろう能力を()()()()()()()()()()

 従来、想定された能力以上の力を有し、一切の制御が効かなくなる可能性が極めて高い。

→【竜化】等の現象を起こさぬまま■■へと至る可能性のある現状唯一の個体。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠編
牢獄に叩き込まれるまでの一週間


 

 ヒトが集まり社会を成すとき、必ずそこには罪が生まれる。

 

 生まれたヒトは誰しもが善良であると唯一神ゼウラディアは説く。

 だが、時としてヒトは七つの大罪、その悪竜の囁きに誑かされるのだ。彼等は道を迷い、規則を破り――――悪に走る。

 だが当然、そんな彼等を放置することは出来ない。

 今のヒトの世で、安全に生きられる場所は狭いのだ。放置すれば大罪の悪気は満たされてしまう。だからその都市の法と秩序を守る騎士達は、罪を犯した犯罪者達を速やかに捕らえ、牢に入れる。犯した罪を裁き、時として都市の外へと追放する。

 

 都市の中で犯罪が起こったのならこれでいい。

 だが例えば、都市の外で罪を犯した者がいたならば?あるいは、都市を跨いで犯罪を起こす悪党が存在したらどうなるか?

 

 被害を被った都市は当然彼等を捕らえ、裁く権利を主張する。しかしその主張が都市同士でかち合った際、別の争いが発生することを避ける必要がある。

 この世界での都市同士の争いは御法度なのだから。

 どの都市の影響からも独立した”裁きの場”と”収容施設”が必要となったのだ。

 

 【罪焼きの焦牢】と呼ばれる地下牢獄はその為にあった。

 

 イスラリア大陸に存在する”とある一地域”

 絶対にヒトが近付かないその場所の地下空間に広がる収監施設。並ぶ鉄格子と、そこに捕らえられた犯罪者。彼等の多くは容易くは裁くことが叶わない罪を犯し、此処に送られてきた重犯罪者達だ。

 陽の光も差さないこの場所での彼等の肌色は青白く、満足な食料も与えられていないのかやせこけている。だが、その目だけは一様にギラついていた。心身の餓えが目の奥に強く表れていた。

 

 そんな彼等の視線は一点に集中する。その先には、新たなる収監者の姿があった。

 

「…………」

 

 灰色の髪、男、小柄だが只人だ。外から中に入ってきたばかりである筈だが、此処に居る連中と同じくらいに何故か目つきがやたら悪い。仰々しい黒い帯を左目と右腕に巻き付けている。それ以外は自分らと同じ囚人服だったが、その鍛え上げられた体つきから冒険者か、あるいは戦士の類いであると気付く者は気付いただろう。

 

「ガキだ」

「ガキだぞ。森人でもねえ。なにしてあの年でこんなとこまで来たんだ」

「魔術で若作りしただけじゃねえの?ジジイの方がまだ説得力があるぞ」

「おいガキぃ!!なにして人生終わらせちまったんだ!?」

 

「黙れ!!!」

 

 看守の怒声が響く。その怒声に更に囚人達は沸いた。娯楽が少ないこの牢獄の中において、新たに収監される犯罪者、というのは一つのイベントと化していたのだ。懲罰を受けないギリギリの線で彼等は騒ぎ、やって来た新人に罵声を投げつけた。

 

「…………」

 

 一身に罵声を浴びせられた少年は、しかし反応することは無かった。脅すように寸前まで届こうとしていた拳にも反応しない。淡々と、看守の誘導に従った。

 

「入れ」

 

 間もなく指示された場所に到着する。少年はこれまた黙ってその指示に従った。少年が牢の中に入ると、再び重苦しい音と共に扉が施錠される。振り返ると看守の一人、若い男が少年を見て、ニヤリと笑う。

 

「期待の新星がこんな所に来るなんて、哀れなもんだな。何したんだ?」

「さあ」

「おい、ちゃんと答えろ」

「思い当たる節もな……いや……あるにはある……いやめっっちゃある……しかしなあ」

 

 煮え切らない態度の少年に看守はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「まあいいさ。てめえはもうお終いだ。精々残る哀れな余生に絶望するんだな」

 

 そう言って看守も去って行った。

 残された少年、ウルは、自身の牢獄を見渡す。部屋にあるのは汚らわしい簡易トイレと固いベッド。以上である。それ以外は何も無い。愛用の武器も防具も無い。囚人服だ。

 腕を組み、壁に寄りかかる。そして小さく呟いた。

 

「……どうしよう」

 

 ウルは途方に暮れた。

 ただ、途方に暮れるのは割と何時ものことだったので、言葉とは裏腹に全く動揺していない自分にウルは腹が立った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 事は一週間前に遡る。【陽喰らいの儀】から一週間が経過した。ウルにとってその一週間はあっという間の時間だった。

 

 1日目

 

 最初の1日目に関しては記憶がない。ずっと寝ていたからだ。

 

 2日目

 

 寝ていて、目を覚ましたら何故かブラックが葡萄酒を片手に飲み会をやると言い出したので二度寝して、もう一度覚ますと何故かプラウディアの酒場に誘拐されており、強制的に飲み会をする羽目になった。

 陽喰らいの儀で参加した戦士達、しかも神官達すらも多数誘拐されており、結果とてつもない馬鹿騒ぎになった。

 

「お、おま!おまー!!そのワイン!!お前!!!馬鹿野郎!!」

「うっせーな良いんだよ!!酒はのまれるためにあるんだろうが!!!」

「あ!あー!!ああー!!やめろやめぬか!!!せめて私が飲むぅ!」

 

 ブラックがどこからか持ち込んできた葡萄酒が金額にして”金貨十数枚”とかいう値段がつく恐ろしい代物だったことも熱を暴走させた。これで丸一日が潰れた。

 

 3日目 

 

 グラドルのシンラ、ラクレツィアに事後報告。

 陽喰らい完了後、即結果を通信魔術で報告していたが、改めての連絡となった。が、ラクレツィアがとてつもなく忙しいらしく通信魔術で顔を出さず、補佐官の女が応対した。

 

《大任、お疲れ様でした。シンラも喜んでいらっしゃいました》

「いえ……ラクレツィア様はお忙しいのです?」

《少し、ですが必ず改めて皆様に礼を言いたいとおっしゃっていました……そちらもどうか気をつけて》

「無理はされないようお伝えください。それでは」

 

 少々不穏な所はあったが、この時は触れなかった。

 

 4日目から6日目

 

 荒れ果てたウーガの修繕作業、及びウル達の手持ちの破損した武具・防具や戦車・ロックロール号の修繕作業。つまり今回の戦いで喪失した物資類の回復に費やされた。

 が、そう簡単にはいかない。ウーガの怪我人は多く、無茶はさせられない。ウルだって別に完全回復したわけでも無く、ウーガの破損した都市部の回復がまずは優先された。ウルとしては先の戦いでぶっ壊れた竜牙槍の修復も行いたいが、残念ながらそもそも本体の魔導核がどこぞへ吹っ飛んでしまったのでそれもできなかった。

 

「魔導核、折角結構育てたのになあ……」

「空中庭園の片付け作業も進んでいるみたいですし、見つかるかも知れませんよ」

「粉々だったからなあ……スーア様の所為で……」

「なんです?」

「なんでいるんですスーア様」

「…………遊びに来ました?」

「何故疑問符、そんで大丈夫なんですかそれ」

「ちゃんと今日のお仕事は終わらせてきました」

「意外としっかりされてらっしゃる」

「父からも、夕飯までに帰るようにと言われています」

「父からも…………――――天賢王からも???」

 

 何故か、ふらふらとスーアが来て、ウーガを治しに来たので驚く程早くに建造物が回復した。カルカラの建物よりも遙かに増して美しくなっていたりしたから酷く分かりやすかった。

 

 そして7日目

 

 冒険者ギルドから今回の戦いの特別報酬が渡された。そしてそこに合わせて、

 

「ウルさん、及びシズクさんは銀級への昇格が決定となりました。銀級の指輪の用意には暫く時間が掛かりますので一週間後をお待ちください」

 

 と、これが一週間の間に起こった出来事である。

 

 まさしく、嵐の一週間だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして八日目 大罪都市プラウディア中央街 料理店 火牛亭にて

 

「んじゃ、”竜吞ウーガなんとかなりました祝い”と”銀級昇格した祝い”で乾杯」

『テキトーなネーミングじゃのう』

「根本的に雑よね。こういう時って」

「良いではないですか。子供っぽくて好きですよ私」

「わ、私も良いと思うぞ……分かりやすくて」

「好き勝手な罵倒と悲しいフォローありがとよ。ほれ乾杯。」

 

 【歩ム者】の一行は飯屋の個室を借りて祝杯を挙げていた。

 どたばたと忙しい中、何回か色んな相手と食事の席を設けることもあったが、こうして完全に身内だけで食事を取ることは無かったので、改めて行うことに決めていた。

 ウーガの補修も完了し、ようやく一段落ついたのだ。

 

「……私も身内か」

 

 カップを持ちながら小さくエシェルは呟いた。

 

「なんだいやか?俺はもう身内のつもりだったが」

「嫌じゃ無い、すっごく嫌じゃ無い」

 

 エシェルは即答した。ウルは笑う。

 

「良かった良かった乾杯乾杯」

 

 ウルの一言で彼女のカップに次々と他のカップが重なった。エシェルは小さく顔を俯かせた。

 

『ぬ、これ良い酒じゃの』

「此処、良い店だからな。折角大金が入ったんだ。安い店行くのもバカだろ」

「でも料理も美味しいわね。こんな店よく知ってたわね」

「”例の戦い”で知り合った神官さんに教えて貰った。此処のオーナーが生産都市に以前務めていた重役だったんだとよ」

 

 ウル達は出てくる料理に舌鼓を打つ。事前の情報の通り出てくる肉料理はどれも美味しく、柔らかかった。ウルの雑な舌では「なんかすげえ美味い」という酷い感想になるのは大変に申し訳なかった。

 見た目も華やかに盛り付けられた肉料理の数々は次々に消えていった(ロックは肉汁を魔石にまぶし、ソースをかけて食べていた。すげえ美味かったらしい)

 

『しかし、今更ながらディズやアカネはよばんかったんかの?』

 

 食事が中盤にさしかかった当たりでロックが尋ねる。

 確かにこの場に居るのはウル、シズク、ロック、リーネ、そしてエシェルの五人だった。ディズやアカネは呼んでいない。

 

「お声はおかけしたのですが、残念ながら今とても忙しいらしくて……」

「アカネとかすごい残念そうにしてたんだが……」

 

 どうにも陽喰らいの儀の後も暫く自分たち以上にドタバタとしているらしかった。彼女を誘えたのもたまたま偶然プラウディアで居合わせたときだったのだ。

 

 ――お誘い本当に嬉しいけど、うん。ごめん、死ぬほど忙しい

 ――あたしいきたーい!

 ――ダメ

 ――うぎゃあーん!

 

 アカネまで問答無用だった。

 

「まあ、また落ち着いたら誘おう。別に何度も祝っちゃいけないわけでも無し」

「それに、今回は【歩ム者】のお祝いですからね。」

 

 そう、一応今回はウル達のギルド、【歩ム者】のお祝いである。

 ウーガの騒動から一気に協力者が増えて、繋がりは大きくなった。本当なら、白の蟒蛇のジャイン達とも一緒に騒ぎたかったが、その前にまずは【歩ム者】だけでやろうと決めていた。

 ウルは既にジャイン達の事も、半ば身内のように感じてはいるが、しかし【歩ム者】という枠組みも大事にしなければならないのは分かっていた。積もる話もあるのだ。

 

「それで?わざわざこの五人で集まったと言うことは、また何か話し合うの?」

「酒が入った状態で真面目な話するつもりはないが……まあ、多少の方針は決めたいかな」

 

 ウルが肉を噛み切りながらリーネの問いに応じる。わざわざ個室を選んだのだ。身内話をするには向いた場所だった。

 

「と言っても、方針は変わらないでしょう?黄金級になるっていう」

「まあな。ただ銀級昇格が決定して、目標が具体化したので、少し整理したい」

 

 指輪も無い時期から定めていた黄金級という目標は、しかしあまりにも遠すぎた。具体性に欠いたのだ。しかし今は違う。しっかりとした道順を作っておかなければならない時期になりつつある。

 

「でも、銀級昇格すらイレギュラーな形じゃなかった?私達」

「提示された迷宮踏破の条件、ぜんっぜん真っ当にこなしちゃいないしな……」

「ウーガは、迷宮だったけど……真核魔石とかなかったしな……」

 

 冒険者ギルドから教えられた色々なアドバイスがまったくの無に帰した。勢いと流れでここまで到達してしまった。あの時苦労して説明してくれたギルド員の職員には申し訳無い。

 

「とはいえ、黄金級が”流れ”で昇格出来るとも思えん。流石にそんなアホみたいなトラブルが頻発する訳がねえ」

『本当カの?』

「やめろ骨」

 

 ニタニタと不安を煽るロックをウルは指先でガンガンと突いた。

 

「黄金級の条件、大迷宮複数の踏破実績、人類生存圏外の開拓、そして竜討伐だ」

「じゃあ、”竜”に関しては条件クリアって事?」

 

 リーネは問う。確かに陽喰らいの儀の時竜が出現し、そしてその討伐を陽喰らいの戦士達は完了させた。それは即ち竜討伐の実績と言っても過言ではないのかもしれない。

 が、ウルは首を横に振る。

 

「あれは、手伝っただけだからなあ。俺たち単独で竜を討ったわけじゃ……」

 

 とそこまで話して、ウルはエシェルにちらりと視線を向ける。ウーガに襲来した怠惰の混成竜を、エシェルはほぼほぼ単独で討ち滅ぼしたという事実は既に耳にしている。ともすれば彼女が最も黄金級に近いのかもしれない。

 

「?」

 

 だが、ウルの視線に気付いたのかエシェルは不思議そうにする。話の筋に自分が関わってると思いもしていない。

 怠惰の混成竜討伐時、エシェル当人の意識はその時殆ど無く、そもそも邪霊の力を使った討伐実績を冒険者ギルドがどのように認識するかわかったものではない。よって、あれはノーカンと考える方が打倒だろう。

 

「そもそも、竜を討てるだけの実力を身につけるって事であって、たまたま竜が目の前で死にましたので黄金級です。とはならんだろう」

 

 ウルの意見にシズクも頷いた

 

「無理に近道しようとしても、恐らくその後が続かないでしょう」

「なら、当面の目標は、お金を稼いで、大迷宮を踏破って所?」

「そうなるな。ついでに人類生存圏外の大迷宮を狙えば、開拓にもなるかも、だ」

 

 目標は定まった。濃密な時間があっという間に過ぎ去ってしまって少し焦りもするが、ここから先は慌てても仕方が無い時期に来ているのだ。

 稼ぎ、装備を整え、鍛える。

 冒険者の基本に立ち返る必要がある。

 

「ま、こんな所か。細かいことは後で考えよう。酒浸った頭で考えることじゃねーや」

「もう少しでメインディッシュが来るそうです。楽しみですね」

 

 ウル達は話を切り替える。この後メインディッシュが来る。教えてくれた神官曰く「口内で肉が消滅する」という凄まじい肉が来るらしい。実に楽しみだ。

 

「失礼」

 

 そう言っている間に、個室の扉がコンコンとノックされた

 来たか。と、ウルは視線を向けて、そして――――眉をひそめた。

 

「【粘魔王殺し】のウルだな?」

「は?」

 

 なにやら、真っ黒な鎧をした騎士達が、何故かウル達の個室に入り込んできた。どう考えても彼等は店の店員ではない。手に肉も持っていない。持っているのは物騒な剣だ。そして彼等は真っ直ぐにずかずかと入り込み、ウルの両肩をがっしりと掴んだ。

 

「………どちらさんで?」

 

 プラウディアの騎士鎧ではない。こんな禍々しい真っ黒な鎧ではない。何者かは不明であるが、しかしウルにとって友好的な相手でない事は確かだった。

 

「【黒剣騎士】である。大連盟法に基づき貴様を拘束する」

「……メインの肉食ってからでいい?」

「ダメだ」

 

 ダメだった。

 ウルは捕縛された。これが8日目の出来事である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪焼きの焦牢と友との会話

 

 

 【竜吞ウーガ】会議室

 

「どうしてウルが捕まえられなきゃいけないんだ!!どうしてなにもわからない!」

 

 エシェルは怒り心頭と言った表情で叫んでいた。

 ウルが捕縛されてから、【歩ム者】の残されたメンバーもウルの状況を確認するために方々を尋ね確認して回っていた。が、話を聞いて驚く者がいても、事情を知る者は少なかった。勿論ウルの事情を心配し、出来ることがあるなら協力すると言ってくれる者は多く居たが、しかし中々に話が進まず時間だけが経ってしまった。

 ウルからの連絡は勿論ない。エシェルは業を煮やしていた。

 

「エシェル様、落ち着きましょう」

 

 その中、隣に座っていたシズクがゆっくりとした言葉で彼女を抑える。怒り心頭のエシェルはまるでシズクが悪いというように彼女を睨んだ。

 

「でも!」

「ウル様の問題を解決するために色んな方が動いてくださっています。ですがエシェル様が怒鳴り散らしてしまっては、皆様の立場が無いです」

「うっ」

 

 シズクの指摘でエシェルは黙る。実際、シズクとは反対に座るカルカラは酷く申し訳なさそうに顔を伏していた。ウルの報を聞いて一番混乱していたエシェルのため、彼女はこの一週間寝る間も惜しんで事実解明と解決の為に動いていたのだ。

 シズクの言うとおり、ヒステリックに怒鳴るのはあまりに彼女や、他の協力者達にも失礼だった。

 

「……ごめん。冷静じゃなかった」

 

 シズクは微笑み、エシェルの頭を優しく撫でた。そしてそのまま前を向く。

 

「ですが、分かっていることもあります」

「分かったこと……?」

「これだけのヒトが動いても、ウル様の捕縛の理由が見えてこないということです」

 

 それはそうだろう。と、エシェルは思ったが、エシェルの言葉に考え込む者もいた。リーネは口先を尖らせ眉をひそめる。

 

「確かに、仮にも”黒剣”が動いたのに、どうして動いたのか、があやふやなの、変ね」

 

 【黒剣】が動いたと言うことは、つまりウルは()()()()()()()()()()()()()()()と言うことになる。が、肝心要のその情報が全く出てこない。イマイチピンと来ないのだ。

 するとロックがカタカタと手を上げる。

 

『あれじゃないカの?グラドルの王さまぶっ潰したときのアレ』

 

 エシェルがぐっと顔を青くさせた。グラドルの王、エイスーラを殺した件を問われれば、確かに間違いない。つまり自分のトラブルが元でウルが捕まったことになる。それはエシェルにとって耐えがたかった。

 救いを求めるようにシズクを見ると、彼女は言った。

 

「確かにその件で追求される可能性はあります」

「ぐう……」

「エシェル様」

 

 撃沈するエシェルを見てもう一度シズクは彼女の頭を撫でる。

 

「とはいえ、もしそうだったとしても、私達の前にろくに姿を現さなかった【黒剣】が何かを掴んでいたとは思えません。ロクな調査もしていないはずです。」

『そらそうじゃの。っちゅーかグラドルどもとの騒動があった辺りは、ウーガの【超咆吼】で大部分消し飛んでおる。何の証拠が出てくるっちゅーのはなしじゃろ』

 

 ウルの経歴には瑕がある。これは事実だ。が、しかしその証拠を掴んでいる可能性はほぼゼロだ。どれだけ【黒剣騎士団】が優れた調査能力を有していたとしても、あの混沌極まるウーガの戦場から何を掴めるというのか。

 

「つまり、ウル様の捕縛は、正しい根拠や証拠を経て行われたものでは無いはずです」

「誰かにハメられたってこと……?でも何のためにウルを……」

「目的があるとしたら、すぐに思い当たるものがあるでしょ?」

 

 頭を傾けて首を捻るエシェルに対して、リーネは自分の足下を指で指した。

    

「此処、()()()()()()()() 。」

 

 その言葉に、エシェルは眉をつり上げた。

 

「でも、それは!ちゃんと私達証明できたじゃないか!あの地獄で!!!」

 

 エシェルは叫ぶ。そこには強い怒りが篭もっていた。

 陽喰らいの儀の、あの恐ろしい地獄の戦い。何度となく全滅しかけたあの悲惨な戦いを必死に乗り越えたのは、ウーガを護るためだ。そして、ウル達は本当に頑張った。足らない実力で、何度も何度も死にかけながら、結果として世界を救う程の大活躍をしてのけたのだ。

 だというのに、何故ウルがまたひどい目に遭わなければならない!

 そう訴える。エシェルの怒りは確かにもっともだ。此処に居る全員、態度はどうあれ、ウルへの仕打ちに思うところ無い者はいないだろう。

 

「エシェル、今からすっごく嫌な話するわよ」

 

 だが、今回の一件には一つ、大きすぎる落とし穴があるのだ。

 

「……怖いんだけど」

 

 嫌な警告に怖じけるエシェルを無視して、リーネは続ける。

 

「あの天魔裁判って、私達及びグラドルのウーガの管理能力を問うたものだったわよね」

「うん、そうだ。だから私達は頑張って……!」

「だけどあの裁判に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があった?」

「勿論――――――…………」

 

 エシェルはそう口にして、続けようとして、そして気がついた。

 

「…………え゛???」

『そういやなーんもないのう。あの戦いでワシらが証明したのは”管理能力の有無”だけじゃのう。”管理の権利とその保証”が与えられたわけではないわ』

 

 そう、あの天魔裁判は、あくまでも不備の指摘であり、そして陽喰らいの戦いはその指摘への反論だ。以上でも以下でも無い。今後、ウル達がずっとウーガを管理し続ける事を保証してくれるものでも何でも無い。

 

「ウーガを狙う奴らからすれば、伸ばす手を止める理由にならないの」

「――――ペテンだ!!!!!」

 

 エシェルはブチ切れて机をぶっ叩いた。癇癪ではあるが、この場にいる全員の代弁でもあった。誰も彼女を咎める気にはならなかった。あまりにも酷い話だった

 だが、あの【天魔裁判】はあくまでも”彼等”の武器だ。逆に利用されて、相手の武器にされるような愚は犯さない。それはそうなのだ。だが、そうだとしても――――

 

「【遊撃部隊】の連中が死ぬほど嫌われる理由、分かった?」

「アイツら大っ嫌い!!!!!!!!」

「自分の感情をハッキリと出せるから、貴方のこと好きよエシェル」

 

 顔を真っ赤にさせてるエシェルに、リーネは溜息をつきながら告白した。が、なんの慰めにもならなかった。

 

「とはいえ、流石に「はーい裁判でコテンパンにされたけど知った事じゃありませーん!!」なんて抜かしてすぐにまた仕掛けてくるほどの()()()()じゃあ無かったはずなのだけどね……」

「それに、分からないこともあります」

 

 リーネの言葉にシズクが続く。

 

「黒剣騎士団は、つまるところ“国際的な活動をする騎士団”なのですよね?何故、ウーガを巡る争奪戦に関わってくるのでしょう?」

「そりゃ、利用されるだろうさ。アイツラならな」

 

 言葉を続けたのはリーネではなかった。シズクが振り返ると、寝間着姿のジャインが、会議室の入り口に立っていた。少し顔色が白い。隣でラビィンが寄り添っているが、少なくとも一人で立って歩いている様子だった。

 

「ジャイン様。お体は大丈夫ですか?」

「動かねえ方が鈍る」

 

 そう言いながらもジャインは会議室の椅子に座り溜息をつく。竜との戦いから暫く、彼の身体の調子はまだ少し悪かった。完全に回復するまで無茶をすべきでないと癒者に言われているのだが、今は少し無茶を押して此処まで来たようだ。

 それは勿論、ウルの一件で自分の持つ情報を共有するためだ。彼もウルのことは心配してくれているのだ。

 

「【黒剣】のことは知ってる。俺の出身の幽徊都市をぶっ壊したのが連中だ」

「そう言う意味じゃ恩人と言えなくもないっすけどねー……」

 

 ジャインの隣でそう呟くラビィンは、そう言いながらも表情を曇らせていた。その顔には、彼女にしては珍しい嫌悪が滲んでいる。

 

「“国同士を繋げる大連盟の法を護る騎士団”なんだろう?なにが問題なんだ?」

 

 エシェルが問う。リーネも、少し解せないといった表情をしていた。黒剣騎士団は都市の内側を活動拠点にはしていない。故に、リーネもエシェルも、あまり馴染みが無かった。どれほどに歪でも、二人は特権階級の出身者だ。縁が遠い。

 それを理解しているのか、ジャインはその場の全員に語りかけるように、ゆっくりと続けた。

 

「……拠点を悟られないように次々に移動する幽徊都市を、黒剣騎士団の連中はどうやって見つけて、壊滅させたと思う?」

 

 幽徊都市、ジャインの所属していた闇ギルド。各都市をまたにかけて犯罪を代行していた邪悪なる犯罪ギルド。魔物蔓延る都市の外で、器用にも立ち回り、あらゆる都市を翻弄し続けた連中。

 黒剣騎士団が彼等を壊滅させることができた、その理由。

 勿論、()()()()()()()、幽徊都市から離れていたジャイン達の手引きなんてものもあったのかもしれないが、それだけではない。

 

「アイツら、元々幽徊都市のお得意さんだったんすよ」

「……え?」

 

 そもそも、当時子供だったジャイン達が利用できる程度には、彼等の繋がりは深かったのだ。詰まるところ、結論は――――

 

「要は、黒剣騎士団は、腐敗してんだよ」

「腐敗」

「それも割りとがっつり」

「がっつり」

 

 あまりにも酷い話だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

【罪焼きの焦牢】

 

「まあ、黒剣騎士団がロクでも無いって話は聞いていたが……」

 

 都市の中で生まれ、育ち、死ぬ都市民達には馴染みないだろうが、都市の外を放浪する名無し達の間では特に有名な連中だ。特定の国に所属せず、国同士を繋ぐ【大連盟】の法に則り、都市を跨ぎ罪を犯した者、あるいは都市の外で罪を犯す者を裁く者達。

 

 神と精霊に仕えるのが【天陽騎士団】

 都市とその法に仕えるのが【騎士団】

 そして大連盟に仕えるのが【黒剣騎士団】だ

 

 国同士に物理的に距離のあるこの世界で、国同士を結びつけるための大連盟。それを護らせるためには必要な組織だった。大連盟の盟主である天賢王の権力すらも届かない、この世界の監視者とも言える組織。

 

 しかし、それがどれほどまでに正しい理念と必要性によって生み出された組織であろうとも、ヒトが生みだした物であるのなら、不変とはならない。時に善き方へ、時に悪しき方へと流れ、変わり、そして歪んでいく。最初の理念からかけ離れていく。

 無論、より良くなる事もあるだろう。洗練されていく事もあるだろう。

 

 しかし、黒剣騎士団はそうではなかった。

 

 彼等は歪んだ。易い方へと流れた。中立なる法の番人故、王すらも容易には介入はできないという特権を悪用した。彼等こそが、誰も手出しできない、特権者となった。

 彼等は各都市を飛び回り、本来の業務の傍ら、そのフットワークを悪用し、時にへつらい、時に脅迫し、コネクションを更に悪用した。金と権力の二つが彼等を際限なく増長させたのだ。

 

 名無したちにとって彼等は有名だ。

 正義面した魑魅魍魎蔓延る悪党騎士団として。

 

 だから、彼等が明確な証拠も根拠も無しにウルを捕縛するのは、全く不思議では無い。彼等はやりかねない。ウーガを狙う連中と手を組めば、これくらいのことはかましてくるだろう。

 疑問があるとすれば、

 

「やっぱ、なんでこんな性急に仕掛けてきたかだが――――」

「それは勿論、君がバケモノじみた速度で()()をかけたからだよ」

「……来たか」

 

 コツンコツンと、牢獄から足音がする。真っ直ぐにこちらに近付いていた。ウルは鉄格子越しに少しだけ顔をのぞき込み、予想通りの知った顔を見て、溜息をついた。

 

「――――やあ、ウル。怪我はしていないかい?」

「牢獄の中で元気-!なんて抜かす奴がいると思うか?エクス」

 

 エンヴィー騎士団遊撃部隊副長にしてウルの幼馴染み。エクスタイン・ラゴートが普段と変わらない柔和な笑みをとっ捕まったウルに向けてきた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪焼きの焦牢と友との会話②

 

「結局の所さ」

 

 エクスタインは、牢獄の前で地べたに座り込み、かったるそうに牢屋にもたれかかるウルに語りかけた。

 

「今回、こうなったのは、君があまりにも滅茶苦茶すぎたんだよ」

「いきなり罵倒だな」

「賛辞だよ。それも心からのね」

 

 事実、エクスタインにウルを嘲る様子はなかった。この場に彼が現れたと言うことは、つまるところ()()()()()なのは間違いないのだが、彼にウルを見下したり、嘲ったりする様子は皆無だった。

 

「【歩ム者】の能力証明、“例の戦い”への参加を、エンヴィーやプラウディアの、【竜吞ウーガ】を狙っていた連中はあまり気にしてなかった。たかを括っていた」

「俺たちが無様に失敗するだろうって?」

「正解。ま、そもそも陽喰らいの実体を知る者自体少なかったけどね。でも、断片的になら知ってる者が多い。一定の時期に、詳細不明の死傷者が大量に出ていたからね」

 

 だから、裁判の結果を聞いた後も、ウル達は無様に失敗すると彼等は思っていた。どれだけ華々しい結果を出してきても、ウル達は所詮、立ち上げてから数ヶ月かそこらのギルドで、この世界に数多いる銅級冒険者に過ぎない。

 ウーガという未曾有の使い魔の管理能力証明なんて、できるわけが無い。

 あるいは、無理をして、結果壊滅するのが関の山だ。

 だから、【歩ム者】が失敗した後、もしくは壊滅した後に、ウーガの権利を弱ったグラドルから蚕食すれば良い。彼等はそう考えた。

 

「ほら、プラウディアで、いきなりウーガを占拠しようとしてた連中、いたでしょ?」

「ああ、なるほど。つまりあれは、俺たちが失敗する前提で見学しに来てたわけだ」

 

 彼等に強い侮りがあったのも道理だろう。ウル達の失敗を彼等は信じて疑わなかった。

 

「ところが、君たちはかーなーり滅茶苦茶した。間違いなくあの戦いの中心だった」

「買いかぶりにも限度がある」

「謙遜は無視するけど、結果、冒険者ギルド長、イカザさんからの覚えめでたく、銀級になるのが確定した。確定することによって、その噂は一気に世間を駆け巡った」

 

 勿論、ソレまでの段階で既に“見込み”にまでは到達していたのだ。陽喰らいだけが全てでは無い。が、確かに最後の一押しになったのは間違いなかった。

 確かに、ウルもそれに関しては否定するつもりは無い。が――――

 

「それで?それがなんだって言うんだ?」

 

 ウルは問う。

 

()()()だよ。ウル」

 

 エクスタインは肩を竦めて、半ば呆れたような、半ば感心したような表情で笑った。

 

「君にとって、銀級は通過点なのだろうけど、世間一般的に、銀級は英雄の称号だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜吞ウーガ 会議室

 

「ウルがとっ捕まったって!?」

 

 ジャインが黒剣騎士団の本性を明かした辺りで、ディズがアカネと共に会議室に飛び込んできた。

 一息入れるためにお茶でも煎れてこようかと思っていた矢先だった。ディズは鎧姿で、しかも鎧に魔物の返り血と思しき青紫の血液がべったりとくっついている。本当に急いでやって来てくれたのだという事が分かった。大変血なまぐさかった。

 

《にーたんつかまったん!?()()!?》

 

 そしてアカネもまた、血塗れで飛び込んできた。彼女は背後から追いかけてきたジェナに身体を拭われながらも、眉を顰めて実の兄の境遇を嘆いていた。

 

「あの、アカネ様、()()とは?」

《ぜんか3ぱんよ?にーたん》

『あやつグラドルとか関係なくやらかしとるの』

 

 ロックは笑った。リーネは頭痛を覚えた。

 

《けんかばっかしてたからなーこどものころ》

「ああ、子供同士の喧嘩でやりすぎた、みたいな……?」

《あいておとな》

「ウルって昔凄い尖ってたのね……」

『今はより鋭利になっとらんかの?』

 

 否定はしたかった。が、今は置いておこう。

 

「こうなったか……ウルは本当に、人生が落ち着かないな」

「今回の一件、ディズ様は思い当たるところがあるのですか?」

「私も、正直この件に辿りついたのはついさっきだけどね」

 

 ディズは鎧を外してインナー姿でどっかりと椅子に座り込み、疲労を抜くように溜息をはいた。全員が彼女に視線を集めた。膠着した状態での答えを期待していた。

 

「ここ暫く、各地が騒がしくなっていた。”例の戦い”の後の恒例みたいなものなんだけどね」

『嫌な恒例行事じゃのう』

 

 【陽喰らい】は秘匿される一方で、各都市国のトップには周知の事実だ。目下解決しなければならない世界の危機。それ故に、対策のためには莫大な費用がかかる。陽喰らいの儀の折り、大量に消費された【神薬】も、本来であれば一つ動くだけで、神殿が大騒ぎになるような代物なのだ。

 世界を滅ぼさないため、あらゆる勢力が、意識を、金を、プラウディアに集結させる。一丸となって戦う。一丸とならざるを得ないのが【陽喰らい】だ。

 

「それほどの規模の案件だ。当然、後始末も大変なんだよ。こっちの方が大変だって言うヒトもいるほどだ」

 

 この戦いで儲けた者、損した者、身内を失った者、失った上司の椅子に代わりに座って出世した者。あらゆる物事が大きく動くのがこのタイミングだ。当然、その騒がしい動きの中には血なまぐさく、危険な火種がいくつもある。

 ディズとアカネはその解決に大忙しだった。

 

「幾つかの暴動の抑制と、戦いで余った兵器の横流しの阻止、不正人事の抑制等々、まあ、これらはなんとかした」

《わるいやつらばっかよ》

「ただ、その過程で、ウーガにまつわる幾つかの話を聞いた」

「それでこちらに繋がるんですか……」

 

 ディズは続ける。

 

「元々ウーガを手中に収めようって目論んでた輩は多かった。エンヴィーは一番目立ってたけど、彼等だけって事は勿論ない。多くの者達にとってこの場所は、とてつもない金を生み出す経済的な特異点たり得る場所だ」

 

 その彼等が、陽喰らいの儀以降、浮き足立っていたのだとディズは言う。

 

「……それは、もうすぐウーガを手に入れられるって浮かれてたって事なのか?」

「いや、逆」

 

 現状を考えて、尋ねるエシェルに、ディズは笑って首を横に振った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、彼等は焦っていたんだ」

 

 ディズの答えは、まるっきり、今のウーガの現状とは真逆の答えだった。

 現在ウーガの管理者である【歩ム者】のリーダーであるウルは牢獄に入れられた。どうみたってコレはウルが、その"ウーガを狙った連中”に貶められたという事な訳で、残されたエシェル達はコテンパンにされたに等しい。なのに、何故その彼らが焦っていたのか?

 

「なるほど」

 

 しかし、その言葉でシズクは理解したらしい。彼女は自分の指先に着いている指輪、冒険者ギルドから賜った"銀色の指輪”をチラリとみて、頷いた。

 

「私とウル様の銀級昇格がきっかけだったのですね」

「多分ね」

 

 エシェルにはまだよく分からなかった。が、その言葉に対して、

 

「……ああ、そう言う事か」

 

 誰であろう、銀級冒険者のジャインが納得したように頷いた。

 

「……その、なんでウルとシズクが銀級になったら、その連中が焦るんだ?」

「銀級は冒険者の英雄だ。その知名度は市井に及ぶ」

 

 エシェルの問いかけに、ジャインは少しむずがゆそうな表情をしながら答えた。彼も銀級である以上、自分のことを英雄と呼ぶのは気持ち悪いらしい。その彼を指さして、ラビィンは楽しそうにケラケラ笑った。

 

「ジャインさんみてーなコワモテ巨漢のイカつさの塊みてーなオッサンでも、知ってるヒトが見たら黄色い声が上がったりするんすよ?」

「いらん補足すんな。だが間違ってねえ」

 

 ラビィンに向かって拳を振り回しながらも、ジャインは本題へと話を戻す。

 

「冒険者ギルドの銀級ってのはつまるところ、そう言う事だ。有象無象の銅級冒険者とは一線を画す、本物の英雄なんだよ」

「で、でもそれがなんだっていうんだ?」

 

 エシェルは未だに、ジャインの話す言葉の本題が掴めていない。銀級冒険者は、都市民達に英雄視されるような凄い冒険者である。なるほど、それは良い。だが、ウル達がそうなることと、ウルが捕まらなければならないのかが、分からない。

 

「ウーガの管理者に、新進気鋭で有名な新人冒険者がついて、しかもソイツが爆速で銀級に昇格するんだ。世間はどう見ると思う?」

 

 問われて、エシェルは少し考えた、考えて――――

 

「……めちゃくちゃ凄いって思う?」

 

 バカみたいな感想が出てしまった。自分で言ってみて、エシェルは恥ずかしくなった。小さくなって、その姿をみたカルカラがジャインを理不尽に睨むが、ジャインは真面目な顔で頷いた。

 

「大当たりだよ、女王様」

 

 意外にも、彼は賛辞を送った。エシェルはぱちくりとまばたきする。

 

「本来関係なかった世間が、ウーガの管理者であるギルドに注目するようになる。"滅茶苦茶凄い”、つまり"世論”って奴が付くんだよ。本来名無しには縁の遠い代物がな」

 

 世論、大衆からの肯定。ウーガを管理し、支配すべきは【歩ム者】である。という不特定多数からの賛同が得られる。それは、目に見えにくいが、圧倒的な力となる。ジャインの分かりやすい説明に、ディズも頷いた。

 

「そうなるともう、ウーガと【歩ム者】は絶対に、切っても切り離せなくなる。手出しできなくなる。バックのグラドルはおろか天賢王にもそれができなくなる」

『王サマにも、カの?』

「人類の信仰を管理する組織の王だよ?確かに王は強い力を持ってるけど、人類の感情って奴を無視して強権を振るう事は出来ない。神の代行者として、信頼を失うわけにはいかないんだ」

『ほーん、思ったより窮屈じゃのう』

 

 ロックのやや不敬な反応にヒヤヒヤしながらも、エシェルはようやく流れを掴むことができた。ウルが銀級になることが、"連中”にとってどう不味いのかも、理解できた。

 

「此処を狙ってた連中は、どんな手を使ってでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()。出来るだけ性急に、どれだけ恥知らずだろうとも無理矢理に、だ」

「それが、ギルド長の失脚、か……」

 

 勿論、分かったからと言って「じゃあ仕方ないな!」となるわけが無かったのだが。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「君たちは本当にあと一歩のところで勝利しそうだった、って事だよ」

 

 ウルもまた、エクスタインから説明を受けていた。概ね、理解できる内容だった。勿論、「じゃあ仕方ないな!」とはならないのだが。

 

「エンヴィー、プラウディアの一部神官、それにグラドルのカーラーレイの生き残りの連中。彼らはてんでバラバラで、だけど、黒剣を動かしてウルを失脚させるという一点で一致団結したんだ」

「美しい友情だこと」

 

 都市をまたいで、腹黒い悪党達が力を合わせてやることが、名無しの冒険者のガキを牢獄に押し込めることだ。冗談みたいな話である。本当に冗談なら良かったのだが。

 

「と、いうわけで、君が此処に居る理由、理解できた?」

「まだ、分からないことがある」

「どうぞ。叶う限り答えよう」

 

 挙手をすると、エクスタインは両手を広げて質問を促した。教師と生徒のようなやり取りだが此処は牢獄で鉄格子越しのやり取りである。ウルは深く考えないようにしながら、促されたとおり、質問を投げた。

 

「エンヴィー、プラウディア、グラドル、各都市にバラバラに存在していた悪党を誰がまとめたってんだ」

「あ、ソレ僕」

 

 エクスタインは至極あっさりと自分を指さした。ウルは額を揉んだ後、鉄格子から腕を出して、エクスタインの両耳を引っ掴んだ。

 

「このまま引き千切ってやろうかてめえ……」

「痛い痛い痛いごめんごめんごめん」

「ご免で済んだら牢獄は要らねえ……」

 

 しばらくの間、エクスタインの情けない悲鳴が牢獄に響き渡った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪焼きの焦牢と友との会話③

 

 大罪都市プラウディア、【運命の精霊の小神殿】

 

「【黒剣】を動かすために必要なのは、"資金”、"罪”、そして"権威”でございます」

 

 薄暗い部屋の中で、大罪都市エンヴィー騎士団、エクスタイン・ラゴートは跪いた。言うまでも無く、都市民である彼がこうした態度を取るのは、自分より上の権威、即ち神官を相手にする時のみである。

 

「その内、資金は貴方が用意すると?エンヴィーの使い」

 

 彼の前には、神官がいた。40程の年齢の女神官。彼女は跪くエクスタインを、蔑みの混じった眼で見下ろしていた。【運命の精霊】の神官、ドローナは僅かに皺の伸びた頬を歪めて、笑った。

 

「我が国の、中央工房であれば用意するのは容易いです」

「随分と余裕だこと。都市民のクセに、私腹を肥やしているというのは本当なのね?」

 

 ホホホ、と嘲りが響く。徹底して、都市民のエクスタインを見下して、嘲っていた。都市の内部において、その地位の格差に露骨になる者は珍しくは無かったが、しかしここまであからさまな者はあまり多くは無い。

 そして、だからこそ彼女は"この話”に乗ろうとしているのだ。

 

「罪はカーラーレイの生き残りが用意いたします」

「エイスーラにも上手に阿る事が出来なかった連中に、なにが出来るというの?」

「その、大地の寵愛者が残したプラウディア侵攻の計画書を手に入れたとのことです。それを【歩ム者】のギルド長になすり付けます」

「酷い脚本だこと」

 

 彼女の嘲りは強くなった。が、言葉とは裏腹に目に見えて機嫌が良くなっていった。どうやらお気に召したらしい。ウーガというとてつもない遺産を、名無しの冒険者達が手に入れることになるかも知れないという現状が本当に気にくわなかったようだ。

 あるいは、"例の戦い”の前の騒動で、その冒険者達にしてやられたことに恨みでも抱いているのかも知れない。身勝手な恨みだが、しかし今はどうでも良いことだった。エクスタインは今の推測を一切表情に出さずに、続けた。

 

「そして権威には、貴方方の力が必要となるのです」

「我が【運命の精霊】の権威、安くはありませんよ?エンヴィーの」

「無論でございます。ウーガの管理権限を奪還した暁には、貴方方に相応の御礼をご用意させていただきます」

 

 エクスタインの言葉に、ドローナは笑った。歓喜に打ち震えた邪悪な女の声が部屋の中に響き渡った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【罪焼きの焦牢】

 

「と、こんな感じだったね。さて、質問はあるかな?」

 

 エクスタインは自分の行った所業を懇切丁寧に説明した。鉄格子越しでなければ、あるいは鉄格子越しであったとしても、殺されかねないような話であったが、エクスタインは決して、ウルの手が届く範囲から逃げようとはしなかった。

 そしてウルもまた、別にその場でエクスタインをくびり殺すような真似はしなかった。ただ、暫く悩ましそうに頭を掻いて、口を開いた。

 

「……とりあえず、思ったことは一つある」

「うん、どうぞ」

「ほぼ何も聞かされず牢獄に投げ込まれたんだが、俺の今の立場は『容疑者』って事か?」

「そうなるね。カーラーレイ一族の計画書をいきなり全部ウルの仕業にするなんてできっこないからね。あくまでも、関わってたんじゃないか確認するって辺り」

 

 容疑を晴らすための調査を行う――――というお題目で、ウルを拘束したのだ。ウルはそれを理解し、なるほどと頷くと、大きく溜息をついて、叫んだ。

 

「――――同行拒否りゃよかった…!」

「うん。正解。君が初手で拒否していれば、黒剣は君を引っ張れなかった。」

 

 あの時、あの場で、ウルが大人しく黒剣の命令に従ったのは、完全な失策だったのだ。あの時、大連盟法に基づくならば、黒剣にウルの拘束の権限は無い。アレはあくまで任意同行の流れだった。

 無論、言うまでも無く黒剣騎士団はそのような事を懇切丁寧に説明する訳もないのだが、それにしたって、失敗だった。

 

「君って昔から、無茶苦茶なくせに突きつけられると規則に従順なんだよね」

「名無しの気質が染みついてるんだよクソッタレが……」

 

 ウルは呻く。エクスタインは苦笑した。

 

「というより、自分の脛の傷で、仲間を巻き込むの嫌がって従順になる悪癖があるのさ。冒険者ギルドに入って地位を高めたんだ。やりようはいくらでもあったのに」

「そもそもまだ冒険者である自覚すらうっすいんだよ……」

「まあ、君がそうするって分かってたから仕掛けさせたんだけど痛い痛い痛い」

 

 牢屋越しにエクスタインの頭蓋を引っ掴み、力をゆっくり込め始めた。

 

「俺のことよーくわかってくれて嬉しいよクソ野郎。このまま脳天かち割ったろか」

「今の君が言うと洒落にならないやめてやめてやめて」

 

 しばらくの間、エクスタインを鉄格子越しに振り回し、ウルはようやく手放した。暫く痛みに地面に転がるエクスタインを見下ろしながら、もう一度溜息をつく。

 

「で、聞かせろよ。なにがしたいんだお前」

 

 問う。エクスタインはゆっくりと立ちあがった。

 

「俺を嵌めたことはどうでも良い。お前じゃ無くたって、どうやらこうなってたらしいからな。だが、わざわざ顔を出したんだ。言いたいことあるだろ」

 

 ウルの手の届く範囲から、彼は逃げなかった。ハッキリ言って彼の所業は畜生だ。場合によっては殺されたって文句は言えない。そして何故か看守も席を外してる現在、本当に鉄格子越しに、ウルはエクスタインを殺すことも出来るのだ。

 なのにこの男は一切その場から逃げようとはしなかった。

 

 詰まるところコイツは、ウルに殺されても良いと思っているのだ。度し難すぎる事に。

 

 エクスタインは、そんな異常性をおくびにも出さず微笑みを浮かべた。

 

「ウルだって、知ってるだろう?僕は()()()()()()()()()()だ。お飾りの天魔は兎も角、事実上の上司である【中央工房】の命令があれば拒否権はない。古い友人だって売らされる」

「ひっでえ社畜だな」

「ただ、全く何も出来ないわけじゃない」

「あ?」

「方向は決められない。でも、()()()()()()()()()()()()()。」

 

 そう言って、エクスタインは一歩前に進みでた。端正な彼の顔がよく見える。そのウルへと向ける視線に、ウルは奇妙なものを感じた。

 

「色んなヒトと一緒に裏から手を回した。どこかの小規模な牢獄で君を幽閉する案を潰した。君をなんとかこの地獄まで連れてこれた」

 

 既視感があった。

 その目は、ウーガの騒動の時、見たことのある眼だ。あの時、ウル達の前で正体を現した邪教徒、カランの眼だ。全てに絶望し、唯一信じられるものの為だけに駆けることを強いられた、狂信者の眼。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「エクス、お前――――」

()()()()()()()()()()

「……牢獄の中でなにができるって言うんだよ」

「心配しなくても、君が行き着く先は”こんな所じゃない”。此処は、表層で、罪人の中でも都市民向けの、帰るところがある連中の場所なんだ」

 

 薄暗く、巨大なる塔。罪人達が収容され、無数の手が外へと伸びる、この世のどん詰まりのような光景。しかし、此処は【罪焼き焦牢】の本質ではない。

 

「そこは普通の人にとっては、救いのない地獄の底だ。絶望して、首をくくったっておかしくないような場所。死んだ方がマシなこの世で最も忌むべき所」

 

 だけど、と、エクスタインはウルに微笑みかける。

 

「でも、君ならそうじゃない」

「……お前、俺を、なんだと思ってんだ……?」

 

 ウルは少し引いた。普通にちょっと怖かった。エクスタインはそんなウルの反応に苦笑しながらも、応じた。

 

「古い僕の友人。銀級の冒険者。天才でもなんでもない凡人で――――本物の怪物だ」

 

 数年来の友人がとてつもない拗らせ方をしていることにウルはようやく気がついた。遅すぎたが。そしてそのウルのドン引きを感じ取ったのか、ご免ご免とエクスタインは笑い、両手を挙げて背中を向けた。

 そして最後に振り返り、期待を込めた声で、告げた。

 

「ウル、僕も含めて全てを食い千切ってね。君なら出来る」

 

 それだけ言って、エクスタインは去って行った。

 カツンカツンと響く足音が消えて、今度こそ誰も居なくなった後、ウルは牢獄の鉄格子に手をかけると、大きく身体を仰け反らせて、そして叫んだ。

 

「んもーめんっどくせえぇぇぇぇええ………!!」

 

 うるせえボケえ!!という囚人の声が響き渡った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 同刻【竜吞ウーガ】、司令塔にて。

 

「まだ詳細は不明ですが、今回のウル様が何故こうなったかは分かりましたね」

 

 立ち上がり、シズクがディズから聞いた説明をまとめる。

 判明した事実は思った以上に大きく、そして厄介だった。

 

「複数の勢力がウーガを狙い、邪魔なウル様を排除した。ウーガに干渉し易いように」

「でも、つまり、そうなると……」

「そうですね。今後早い内に幾つもの勢力がウーガを乗っ取ろうと動くはずです」

 

 会議室が静かになる。これから待ち受ける困難を理解したのだ。大きな山場を越えた先に、また新たな試練がある、というのは中々に堪える話ではあった。

 だが、暫くすると、全員が顔を上げた。

 

「で、どうするの?」

 

 リーネがシズクに問う。それ以外の全員、決して絶望したり、無気力に襲われたりはしていなかった。彼らは打ちのめされることになれていた。陽喰らいの儀、そしてソレまでの戦いを経て、彼らはタフになっていた。

 ウルに代わり、【歩ム者】のリーダーとなるのは、言うまでも無くシズクだ。彼女は頼もしき仲間達に満面の笑みを浮かべると、すぐに表情を引き締めた。

 

「まずはグラドルのラクレツィア様と連絡を取りましょう。彼女の方でも恐らく今回の件は把握していらっしゃるはず。急ぎウーガ干渉に対する対策を取ります」

「じゃ、じゃあ私が動いた方が良いんだな」

 

 エシェルは立ち上がり、握りこぶしをつくった。シズクは頷く。

 

「そうですね。ですがエシェル様はウル様がいなくなれば唯一無二の支配者です。干渉者が狙うとしたら貴方でしょう。カルカラ様。ジャイン様。どうか注意してあげてください。特にカーラーレイの残党には」

「当然です」

「金を貰う分の仕事はこなしてやるよ」

 

 カルカラは頷き、ジャインは表情は面倒くさそうにしながらも、すぐにラビィンに何事か指示を出して、彼女を走らせた。【白の蟒蛇】全体に指示を出したのだろう。

 

「ディズ様、お忙しい中、大変申し訳ありませんが、先程おっしゃっていたウーガに対して不穏な動きをしていた方々をリストアップして貰えますか?確認しておきたいのです」

「ジェナに用意させるよ。その連中は此方でも牽制しておく」

《まっかせとけー!》

 

 ディズとアカネがそれに応じ、すぐに出て行った。今も仕事中なのだろう。それでも頼もしい限りだった。

 

「リーネ様、ウーガのセキュリティ強度を上げられますか?場合によっては不正な魔術干渉か、あるいは不法侵入者がやってくる可能性もあります」

「結界の術式の強化と書き換えるくらいなら出来るけど……」

 

 リーネはぶつぶつと呟きながら考え込む。このウーガの主柱とも言える彼女の頼もしい姿にシズクは頷き、続けて、

 

「それと、場合によってはグラドルとは別の支配者にトップがすげ替わる可能性があります。備えて、私達以外がウーガに干渉できないよう封印術を組めますか?」

「貴方まで無茶苦茶言わないでくれる!?出来るけど!!!」

「できるんだ……というかそんなことして良いのか?」

「ええ――――秘密ですよ?」

「秘密」

 

 シズクは矢継ぎ早に指示を出す。指示は明瞭であり、故にその指示に誰も不安を覚えることは無かった。ただし一点、問題は残されている。ロックがカタカタと手を上げた。

 

『ほんで、ウルはどうするんじゃい?』

「どうしましょう」

『ウルの奴かわいそうじゃのう?』

 

 冗談です。とシズクは言うが、そのまま少し悩ましげに頬に手を当てた。

 

「ウル様の処遇が、ハッキリしないことには動きづらいのです。【焦牢】について分かる方はいらっしゃいますか?」

 

 その問いに、必然的にジャインへと視線が集まった。ジャインは顔を顰め、頭を掻いた。

 

「……俺が知ってることも限られんぞ。だが、一応は聞いたことがある。名無しの犯罪者崩れの奴らが喋ってたのを聞いた」

 

 自分たちは小悪党だが、それでも絶対に殺しはやらない。

 何故なら、【焦牢】に放り込まれるのだけは、ご免だからだ。彼らはそう言っていた。

 

「あそこは――」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

特殊刑務

 

「明日からお前には特殊刑務についてもらう」

 

 取り調べを行う。と、そう言われ連れてこられた取調室にて、ウルに行われたのは聴取でもなんでもなく、刑罰執行の宣告だった。ウルは一度沈黙し、頭を掻いて、看守の顔を見て確認する。

 

「刑務?」

「二度言わせるな」

「俺は今のところ疑いがあるってだけのはずだが」

「お前に拒否権は無い」

 

 ウルの質問に対して、看守の一人は回答とはとても言いがたい返答を返した。つまりはまともに会話をする気がないと、そういうことなのだろう。

 

「上のヒトを呼んでくれると助かる――――」

 

 一応抵抗として、会話を続けようとした。が、直後に頭の上から衝撃が飛んできた。背後に居た若い方の看守がウルの頭を机に叩きつけた。背後から気配はしたので避けることは出来たが、避けた方が面倒になると分かったのでウルは黙って顔面を机に叩きつられた。

 

「てめーに弁護の機会なんてねーよ。必死に抵抗してんじゃねえぞバカガキ」

「弁護の機会は無いのか」

「終わりだっつっただろ?此処が真っ当な場所だなんて思うなよ?」

 

 随分と力を込めてウルを机に押しつける。ウルは特に痛くはなかったが、姿勢を維持するのが面倒だった。しかしなんとかそのままの姿勢でウルは会話を続ける。ウルに攻撃的なこの男は、淡々としているもう一人の看守よりかは良く喋ってくれそうだ。

 

「刑務は強制か。外部とは連絡は取れないのか」

「許可が降りれば許されるぞ?お前に許可が下りることは無いがな!」

 

 あからさまな言い方だった。エクスタインの言っていたとおり、ウルを此処に押し込めた者達の意図が絡んできているらしい。ウルが余計なことをしないようにという指示でも受けているのだろう。

 しかし、本当に随分と露骨な腐敗だ。

 

「何見てんだよクソガキ」

「いや、無抵抗の子供に暴力を振るって楽しそうだなって思って」

「楽しいね!特に成功したってイキってたバカが此処に落ちるのを見るのは最高だ!」

 

 若い看守は笑う。やけに興奮している。ウルの事を知っているらしい。向こうの看守も反応は薄い。彼もウルのことは知っているのだろう。

 そして彼等は別に【黒剣騎士団】の高い地位に居るとも思えない。末端にもウルのことは知れ渡っている。つまり【黒剣騎士団】は大半がグルという可能性がある。

 酷い腐敗の具合だ。ヤバいところに来た実感が出てきて、ウルは苦笑いが零れた。

 

「なに笑ってんだてめえ」

「いや別に、嫉妬されるとは偉くなったもんだと感心しただけだ」

 

 拳が飛んできた。机に頭を押しつけられた状態でふり下ろされる拳は少し痛かった。

 

「誰が嫉妬したって!?ええ?!言ってみろ!!」

 

 若い看守の顔は真っ赤だった。あまりにもわかりやすい反応でウルは更に笑ってしまって、それが更に看守の激昂を買った。

 

「反撃できると!思うなよ!!俺たちを傷つけた瞬間!!【呪輪】が発動するからな!!」

 

 殴る蹴るをしながらも看守は叫ぶ。蹴りをくらいながら、ウルはなるほど、と、自分の腕に付いた薄汚い鉄腕を見て納得する。何かしら意味があるものとは思っていたが、呪具の類いだったらしい。

 最もウルは反撃するつもりは無い。それほど痛くはないし、そもそもウルの身体を殴ってる看守の手足の方が恐らくは傷ついている。向こうが疲れるのをウルは黙って待っていた。

 すると、

 

「何をしているのです?」

 

 不意に、()()()()が聞こえてきた。

 

「躾だよしーつーけ!邪魔するんじゃ……あ?」

「なるほど。私もそうします」

 

 そう言った瞬間何か凄まじい風が吹いた。

 

「ッッッッひぎゃ!!!!?」

 

 看守の男の悲鳴が響く。同時にべしゃんという壁の激突音と蛙が潰れたみたいな悲鳴が聞こえた。なんだなんだと顔を上げると、向かいの無愛想な看守が目を見開いている。ウルも視線を其方に向けた。

 

「……スーア様?」

 

 そして顔を引きつらせた。

 何故か七天のスーアがそこにいた。

 

「……【天祈】……何故こんな所に」

「ノックはちゃんとしました」

 

 見てみると、鉄製の扉が憐れにも無数の陥没痕と共に粉砕し、キィキィと哀しい断末魔を上げながら揺れている。ノックの跡らしい。ノックとはどういう意味だったのか分からなくなった。

 陽喰らいの時に纏っていた美しい白いローブ姿をしたスーアは儚げで幻想的で、腐敗が充満する取調室にはあまりにも似合わなくて、浮いてる気がした。いや、よく見れば物理的にちょっと浮いてる。

 

「その、何をしに?」

「面会です」

「面会」

 

 スーアは潰れた蛙のようになった看守をまたぎ、もう一人を無視したまま、真っ直ぐにウルへと近付いてくる。ウルの様子を見て、先程看守の暴行で切った口元の血を見ると、首を傾げて指を鳴らした。途端、暖かな光がウルの傷を瞬時に癒やす。

 

「その、助かります」

「どういたしまして。それとこちらをどうぞ」

 

 そういって、スーアは虚空から突如として何かを取り出した。巨大な長物。真っ白な刀身に、細かな術式が刻み込まれ、それが模様の様に美しく瞬いている。刀身を支える柄は木材に見えるが、一切の歪みも加工の跡も見られないそれはシンプルながらも、溜息が零れるような精緻さがあった。

 見た目は巨大な大槍か、斧か、あるいは大剣の類いに見える。だが、それはウルに見覚えのある、馴染みの武器だった。

 

「……竜牙槍?」

「私が壊したそうなので、返しに来ました。魔導核は庭園に落ちていたのを見つけました」

 

 あの陽喰らいで、ウルが失った愛用の武器だった。

 魔導核は同じものであるらしいが、形、刀身に柄が以前のそれとは異なった。毒花怪鳥の素材を使った毒々しい形から、一新している。一新されすぎて、正直元の形がどうだったのかちょっと分からなくなった。

 

「弁償しました」

「……どうもありがとうございます。わざわざこんな臭いところにまで」

「確かに臭いです」

 

 本来であれば、コレは喜んでいい話ではある。幾らウルが物の善し悪しの分からないような無知な名無しであっても、その目で見ればすぐに分かる。間違いなくスーアが差し出してきた竜牙槍はウルの前のものよりも遙かに良い品だ。

 が、問題は、

 

「スーア様、俺の格好分かります?」

「小汚い格好ですね」

「囚人です。一応容疑者扱いらしいですが」

「不敬罪ですか?」

「そうだったら俺はぐうの音もでないですが……この状態で武装したら不味いでしょ?」

 

 囚人が武器を持っていたら普通は取り押さえられる。没収されて終わりだ。預かられるだけならまだマシだが、二度と戻ってこない可能性の方が高い。こんなところで渡されても本当に困るのだ。

 しかしスーアは首を横に振る。

 

「貴方は”特殊刑務”に就くのでしょう?」

「ああ、なんかそう言ってましたね」

「”だったらこれは必要になります。誰にも咎められません”」

 

 ウルは眉をひそめてノビていない看守の方を振り返る。彼は無愛想な面構えのままだったが、ウルの方を見て小さく頷いて見せた。

 

「……俺はこれから何するんだ?」

 

 ウルはますます解せない顔になりながらも振り返り、スーアの手渡してきた竜牙槍を、一先ず受け取った。

 

「軽」

「【白皇鋼】、開発中の特殊な合金の刀身と【星森】に存在する【神樹】柄です」

 

 素材の説明を受けているのだろうが、正直何を言ってるんだかよく分からない。滅茶苦茶凄いというのは分かるのだが、自分のような物の価値も分からない名無し相手に弁償するにはいささか過剰な気がしてならなかった。

 

「よくわかりませんがとりあえずありが――――」

 

 ウルは礼を中断する。軽く握り、振るう。本当に軽い。狭い室内なので動きは制限されるが、それでもその軽い動作で、尋問室の空気を白く輝く刀身が両断していく。ジメジメと、薄暗い尋問室が、瞬時に浄化されていくようだった。

 ウルは、頬が勝手に引きつり始めるのを感じ取った。「とっても良い物」程度だった自分の認識が相当に温い事を察し始めながらも、咆吼の動作を構えてみた。

 

「――――なんか、可動域が……え?どういう……?」

 

 通常、魔導核の魔力を使い稼働する顎、竜牙槍の最大の肝であり、複雑な動作を行うために最も問題視される部分。可動域が明らかにおかしい。そもそも魔力で動く関節部が無い。刀身が宙に浮かび、輝きながら魔力の光で繋がり、【咆吼】の形状を維持している。

 なにがどうしてそうなっているのか全く分からない。

 

「……あの、コレ、凄すぎて、多分俺、整備できないのですが」

「整備です?」

「整備です。いるでしょ」

 

 スーアは不思議そうな顔をした。

 

()()()()()()()()()()()()()

「――――今滅茶苦茶怖くなりました。幾らしたんですかコレ」

「わかりません」

「わかんないかあ……」

 

 恐怖しかなかった。たかが一介の冒険者の武器を弁償するために何を造ったんだ。

 

「ええ、まあ、うん……兎に角、あ、ありがとうござ……」

 

 それでもなんとか礼を告げようとしたその時、ひらりと、竜牙槍の可動部から一枚の紙片が落下した。はて、なんだろうかとウルが首を傾げながらそれを捲ってみてみると――――

 

『スーアサマを誑かした糞野郎に呪いアレ、災いアレ、地獄の底で死に絶えヨ――』

 

 ウルは瞬時に紙片を畳むと、ぐしゃぐしゃに丸め、そのまま投げ捨てて咆吼を撃ち放って紙片を焼き払った。起動から咆吼までの速度は恐ろしくスピーディで一切のラグが無かった。放射後の放熱も一瞬で、即座に元の状態に戻っていた。

 

「どうかしました?」

「――――なんにも。とても素晴らしいものですね。ありがとうございますスーア様」

 

 全ての思考回路を切って、ウルはスーアに礼を告げた。スーアは満足げに胸を反らした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜牙槍を握ったウルの姿に満足したのかスーアは何度か頷く。その姿は子供のようにも見えるが、この場を支配しているのは間違いなくスーアだった。

 スーアはそのまま、ウルを見上げながら言った。

 

「まず謝っておきます」

「は?」

 

 言うや否や、スーアはぺこりと頭を下げた。ウルはギョッとしてすぐにその小さな肩を押し戻す。

 

「やめてください。なんなんですか」

「貴方を私は助けられません」

 

 スーアの表情は変わらない。無表情だ。しかしどこか申し訳なさそうに見えるのは気のせいではないだろう。

 

「此処は数百年前から大連盟の方の中でも不可侵の場所になっている。どれだけ腐敗しようとも、父の力も届かない。"届けさせるわけにはいかない。”」

「その割に好き勝手しておられるように見えますが……」

「躾です」

「さいで」

 

 若い看守のようにひしゃげた蛙になりたくないのでウルはそれ以上の追求は止めた。

 

「そしてもう一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからごめんなさい」

 

 そして語られた二つ目の理由に、ウル眉をひそめた。

 

「……どういう意味なんです?」

「貴方に期待しているということです。だからごめんなさい」

「……結局、俺は何をさせられるんですか?」

 

 ウルは尋ねる。結局、これからウルが何をさせられるのか、何を期待されているのか、何を憐れまれているのか、全く分からないままだ。流石にもうこれ以上、嫌な予感だけが積み上がるのは嫌だった。

 

 ウルの疑問に、スーアは頷いた。

 

「教えます。でもその前に」

 

 そう言って、スーアは再び虚空から何かを取り出した。ウルは一瞬何を出してくるのか警戒したが、そこから取り出したのは武器の類いではなかった。

 

「それ……【黒睡帯】」

「機織りの魔女から取り寄せました」

「幾ら……いや、何も無いっす。」

 

 ウルも装着している【黒睡帯】だ。ウルが魔眼を封じるためのそれと同じだった。模様も同じだ。ただ少しサイズが異なった。それを握ったスーアは、ウルの方へとそっと手を伸ばし、ウルに着け――――ようとしたが、背丈が若干足りずにぷるぷるしだした。

 

「……」

 

 ウルは黙ってそっと屈むと、スーアは満足げに頷いて、ウルが現在装着している眼帯をはずして、新たにスーアが持ってきたものを回して、結んだ。しかしそれは本来の眼帯の役割を果たしてはおらず。

 

「……両目とも、隠すのですか?」

「【黒睡帯】なら視界は塞がってないでしょう?」

「まあ、確かに……」

()()()()()()()()()()()()。が、先に渡しておきます。絶対に外さないでくださいね」

「怖い」

「ついてきなさい」

 

 そのままスーアが部屋を出て歩きだした。ウルは残されたもう一人の看守を見ると、彼は少し苦々しい表情をしながら顎で指した。許可は出たらしい。ウルは軽く会釈してスーアについていく。

 

 ウルが連れてこられた取調室から先へと進む。途中何人かの看守とすれ違い、スーアとウルの姿にギョッとなっていたがだれも二人を止めることは無かった。焦牢の中は複雑だった。昇ったと思ったら下ったり、そうかと思えばやけに長い通路を歩いたりする。

 

 中にいる囚人達に脱走されないようにするためだろうか?

 

 などとウルが考えている内に、風が吹いてきた。外の空気の流れだった。しかしウルは開放感よりも違和感に顔を顰めた。

 何かが焦げ付いたような匂いがする。なにか、燃えようのないものを無理矢理焼いて、ずっと悪い煙を吐き出し続けているような、嫌な匂いだった。

 同時に、徐々に蒸し暑さを感じ始めた。

 

「なんだ……?」

 

 季節は秋、【秋の精霊アウタム】が既に訪れている。にもかかわらず随分と暑い。そして暑いというよりも”熱”かった。まるで巨大な炎が近くで燃えたぎっているかのようだった。

 

「もうすぐです」

 

 通路は終わる。出口が見える。ウルはスーアに続いて外に出た。

 

 そして、その光景を目撃する。

 

「これは………」

 

 大地が燃えていた。

 

 草木の一つも生えないような砂漠で、炎が激しく燃えさかっていた。当然ながらそれはただの炎では無かった。大地を焦がし焼き尽くすその炎は、”真っ黒”に燃えさかっているのだ。

 黒炎は大地を焼き、黒い煙を吐き出して、空を覆い、太陽神を隠していた。

 あまりに異様な黒炎だった。ウルはそれを見ようとして、湧き上がる嫌悪感に思わず眼を逸らしてしまった。あの黒炎を見ることを、肉体が拒絶している。

 スーアが【黒睡帯】を渡してきた理由が、理解できた。

 

 以前、ディズが言っていた、()()()()()()()()()()()()()、アレがそうに違いなかった。

 

 つまるところ、此処は――――

 

「【元・大罪都市ラース領】【黒炎砂漠の攻略】と【灰都ラースの解放】、【黒剣】が罪人達を使ってやらせる事です」

 

 【罪焼きの焦牢】

 【元・大罪都市ラース】の地下空間に建造されたその場所の目的はただ一つ。罪人達の罪を禊ぎ、そして大罪の竜に呪われた大地を解放する事だった。

 

「……本当に面倒くさいことになったな」

 

 ウルはもう一度途方に暮れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の王様

 

 【灰都ラース】

 

 かつて、【大罪都市ラース】と呼ばれた場所である。

 イスラリア大陸南西に存在するその場所は、繁栄していたかつて精霊信仰が最も深い場所と呼ばれていた。驚くべき事に人口の半数以上が神官であり、精霊達を信じ崇め、そしてその授かった力によって様々な栄華を極めた精霊信仰の総本山とも言える場所、だった。

 

 しかし300年前、地下深く、封じられていた大罪竜ラースの黒炎が溢れた。

 

 魂ごと燃やし尽くす呪いの黒炎は、多くの神官達と当時の七天達の命を賭した再封印が成されるまでの間、精霊達の神秘と繁栄の殆どを焼き尽くした。

 

 今現在、残っているのは焼け、砕け、砂漠となった大地。

 黒炎に魂まで焼き尽くされ、不死者よりも悍ましい姿となった【黒炎鬼】達。

 かつての首都から遠く離れたが故に残された廃墟達。それくらいだ。

 

 大罪都市ラースは滅んだのだ。人類の生存圏では無くなった。

 

 しかし、損なえば、取り戻そうとするのがヒトの心だ。

 黒炎を取り除き、鬼達を退けて、かつての美しい精霊の都市国家を取り戻すことを望む神官達はとても多かった。彼等にとってラースは聖地だったのだ。その聖地が竜の呪いに犯されることはあまりにも耐えがたかったのだ。

 

 とはいえ、どれだけ耐えがたかろうが、黒炎を容易くは退ける事は出来ない。

 

 それができるなら苦労はない。もしも無理を通せば、更なる犠牲者が生まれるだろう。黒炎をなんとかラース領に押し止めて、封じるために既に七天の半数を失っていた。それ以上の犠牲はどうしても避けなければならなかった。

 

 そしてそんなときだ。

 最初にそれを閃いたのが何処の誰だったのかも分からないが、気がついたのだ。

 

 ――失ったところで誰の懐も、心も痛まない罪人をつかえばいいのだ

 

 そして当時の黒剣の前身といえる組織を起点にして生み出された場所が【罪焼きの焦牢】であり、罪人達の住まう地獄である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【囚人工房】

 

 地下の”特殊刑務区画”の一角、あらゆる鉱物、魔具を加工するための工房がラースには存在する。滅んで呪いの炎に焼かれ、精霊が生み出す真っ当な資源の全てが灰と砂に変わったラースであるが、しかし代わりに呪物の類いに関しては事欠くことが無くなった。

 そこに在るだけで大半のものは呪われるか、変質を起こす。極めて加工は困難であるが、しかし上手く扱うことが出来ればそれは非常に有能な呪具の類いに化けるのだ。

 

 実は【竜殺し】が此処で産まれたという事実を知る者は少ない。

 

 竜を倒すための切り札が、罪人によって生み出されたなど口が裂けても言えないだろう。この工房は恐るべき価値あるものを生み出し続けていた。

 

 だから、この工房の主であるダヴィネと呼ばれる囚人は、【焦牢】の王だった。

 

 燃えさかるように逆立った茶色の髪と髭、囚人とは到底思えない筋骨隆々の肉体。質素な囚人服の上から幾つも重ねられた宝石類で彩られた装飾品の数々。ぱっと見で、彼を囚人と思う者はいない。そしてその滅茶苦茶な姿を【黒剣】の連中も咎めない。

 彼の生み出す膨大な”作品”は莫大な金を生み、そして【黒剣】達に多大な利益を与えているからだ。名実ともに彼は【焦牢】の王さまなのだ。

 

「――――――」

 

 今日も彼は大鎚を振るう。激しい音が工房に響く。呪いに焼けた黒石を更に焼いて、形を変える。それを邪魔する者が居れば即座に殴られる。殺される者も居て、【黒剣】が黙って死体を黒炎に放ったという噂まで流れる始末だ。

 

 しかしその日は珍しく、彼の集中を破る者が現れた。禿げた小人。こすっからい盗みを各都市で繰り返してとうとうここに放り込まれた男が足早に工房の扉を叩いたのだ。

 

「ボス!大変だ!!

「うるせえええ!!!!」

「ぎぃああ!!?」

 

 ダヴィネは入ってきた小人の頭に木槌をぶん投げた。しこたまに頭をぶつけた男は悲鳴を上げてしゃがみ込む。

 

「てめえのキンキン声は頭に響くんだよボケえ!!ワシの邪魔するんじゃねえど!」

「す、すみやせん!でもボス!!新人が来たそうなんすよ!」

 

 その言葉にはダヴィネ以外に工房で働いていた彼の部下達もピクリと少し反応を示す。

 

 【焦牢】の”新人”には二種類ある。

 

 一つは広大な【焦牢】の”本塔”に素直に収監される犯罪者達だ。彼等の多くは都市民達、もっと言ってしまうと「都市に帰る場所がある者達」だ。彼等には大連盟の法に基づいて、正しい刑務が与えられる。

 そしてもう一方、元から都市の永住権を持たない、あるいは都市から爪弾きにあって、厄介払いのような形で此処に追い出された者。特権階級の者達の都合で此処に押し込まれた者達。つまり、帰る場所の無い者達だ。

 彼等には”特別な刑務”が与えられる。ダヴィネのように。

 

「”こっち”に来るってか!哀れな奴だな!」

 

 ダヴィネがそのぼさぼさの太い眉をゆらして笑う。その目は僅かな好奇に揺れた。牢獄の王であり、職人でもある彼にとって、モノの価値を見出すのは好きな娯楽の一つだ。それがヒトでも石でも、彼にとっては楽しいのだ。

 もっとも、それが屑石だった場合、彼は容赦なく叩き砕いてしまう。

 彼は犯罪者であり、そして平等なる暴君だった。

 

「どんなツラだ!?」

「只人のガキでした!」

「ガキぃ?こんなとこまで追いやられるなんてどんなガキだ?バハハ!!」

 

 そう言って彼は作業を再開する。大量の熱と炎を浴びながら、鎚をふり下ろし、そして叫んだ。

 

「そのガキとやら連れてこい!!役に立つかどうか調べてやる!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【焦牢】の本塔から地下に下り繋がった通路を進むと先に【地下牢エリア】は存在する。

 

 地下牢エリアの面積は本塔のそれよりも遙かに広い。本塔と同等以上の施設が地下空間の全てに詰め込まれており、小型都市と言っても過言ではない

 そして、”特殊刑務”を負った者の活動拠点でもあった。

 

「ダヴィネ。コイツが新たに此処で働くウルだ。指導してやれ」

「言われなくても分かってる!!さっさと帰りな!!下っ端ども!」

 

 地下牢 集会所

 本来、【黒剣】が特殊刑務を請け負った者達のラース攻略の進捗に合わせ指示を出すための場所であった。少なくともこの地下牢エリアを建設した当時はその目論みで建てられていた。が、今や【黒剣】が此処を使用することは殆ど無い。

 結果、既に此処はダヴィネの玉座と変わっていた。

 実際彼が作った彼専用の大きな椅子が集会所の奥に添えられていて、そこにどっかりと座り込み、新人を連れてきた黒剣を追い払う仕草をしてみせる。黒剣はそれに文句一つ言わなかった。どちらが上の立場に居るか、ハッキリとしていた。

 

 そして、その黒剣が連れてきたのが、噂の新人の囚人。ウルという名の少年だった。

 

「……マジでガキじゃねえか……何したんだアイツ…?」

「つかえんのかよ?いらねえ奴よこしやがってクソ黒剣ども」

「っつーかなんでアイツ槍なんて持ってんだ?ダヴィネさん無視して」

 

「黙れてめえら!!!」

 

 ヒソヒソと言葉交わし始める部下達をダヴィネは黙らせる。しかし彼等が好奇心に駆られるのも仕方が無いことではある。ウルという只人の子供はやけに若かった。若すぎた。

 此処に放り込まれる連中は様々な事情があるが、要は「都市には置いておけない」ような連中なのだ。重犯罪者も数知れず、殺人犯だって勿論居る。多くは名無しだが、中には官位を持ちながら政争に敗れてこんな所まで流れ着いた神官までいる。此処はそう言う場所だ。

 

 対してウルは若すぎる。その若さで何をしたらこんな所につくのか見当も付かない。が、

 

「おう、ウルとやら」

「なんだろうか」

 

 ウルは顔を上げ、ダヴィネを見た。目つきは悪いが、表情に恐れや怯えは感じない。自分がこんなところに転げ落ちてしまった後悔も、自分をこんなところに追いやった黒剣騎士団に対する憎悪も。

 自分が奈落の底まで落ちてしまったという自覚が無いのか?それとも理解してこれなのか。後者だったら面白い。そう思いながらダヴィネは言葉を続けた。

 

「ワシャおめえが何をして此処に来たかどーでもいい!興味沸かん!貴様に興味あるのは一点よ!!」

 

 ガンと、ダヴィネは玉座の肘掛けを叩くと、ウルを指さした。

 

「おめーは何の力がある!?」

 

 焦牢の王様による面接が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の王様②

 

 特殊刑務の目的は、【大罪都市ラース】の解放である。

 

 と、謳われているものの、実際の所その目的を信じる囚人はいない。囚人どころか、【黒剣】の連中すらもそれは信じてはいないだろう。

 ラースの滅亡から300年経ったのだ。長命種でもそれなりの年月と感じるだけの時間が経った。只人らにとっては最早伝説の類いであり、それをなんとかしようなどと思う者は居なくなった。

 

 特殊刑務に就く者達は、地下牢から地上に出て、黒炎に焼かれながら、魔物達と対峙し、その素材や鉱石を回収してくるのが仕事だ。無論、それだけで全てが回るわけも無く、特殊刑務を回すために様々な役割があり、そしてその役割によって仕事のキツさは変わる。

 

 その仕事の割り振りは特殊刑務のリーダーであるダヴィネの采配によって決まる。

 

 つまり、彼の面接は最初の関門である。

 

 彼の判断次第では、あっという間に死に目は見える。特殊刑務は罪人を更正させようなどという目的は存在せず、死んだとして、闇に葬られるのみだ。そしてダヴィネは使えないと思った相手は容赦なく捨てる男だ。

 切り捨てられれば、向かう仕事先は地上だ。そうなればお終いだ。

 

「どんな力……」

 

 単純だが曖昧な言葉を投げつけられたウルは少し悩ましそうに首を捻っている。

 

「どんな風にワシの役に立つかを言ってみろということだ!クズ石は要らん!クズなら貴様の仕事は”黒炎狩り”よ!!最悪の仕事だと覚えておけ!!!」

「……なるほど」

 

 声をなげつけながら、ダヴィネはじっと観察する。彼の強力な【観の魔眼】で相手の挙動をつぶさに観察する。嘘や虚勢を彼の魔眼は即座に見抜く。特に此処は犯罪者が送られる場所なのだ。舌の回る者は多い。勿論、ダヴィネをだまくらかしてやろうとする者も存在した。

 ダヴィネはそういったペテンを見抜いて、その愚か者の舌を物理的にひっこぬいてやった。以後、彼を騙そうとする者は殆ど居なくなった。ウルも適当を抜かしたらその瞬間叩きのめしてやるつもりだった。

 が、どうやらウルという少年は嘘を言うつもりは無いらしい。真っ直ぐにコチラを見据えて答え始めた。

 

「とりあえず俺は元冒険者だ。魔物退治は出来る」

「バカが!!魔物を殺すなんて猿でもできらあ!!”ワシの武器”を振り回せる生き物なら犬だって出来る!!てめえ冒険者なら元の階級はなんだ!?」

「捕まった時点で銅の一級」

「ウチにゃ銀級相当の実力者だって居る!!他に技能はねえのならてめえはクズだ!」

 

 【地下牢】にはあらゆる人材が揃っている。加工技術では外の世界でも類を見ないダヴィネを筆頭に鍛治師達が揃っている。調薬を請け負う錬金の類いも扱える者は居る。

 大罪都市ラースにあった太陽の結界はかなり小規模になってしまっているが、残ってはいるので、範囲はかなり限られるが食料の生産だって出来るのだ。

 本当に多くの人材がいる。既に事足りたこの状況でダヴィネに「欲しい」と言わせるような人材が入ってくることは殆ど無い。

 

 ダヴィネがやっているのは圧迫面接だ。まず相手の能力の全てを否定して心を折るのだ。

 

「軽い魔術なら使えるかな。浄化とかの一般的なものに限られるが」

「外じゃ大魔術師だ。なんて呼ばれて崇められて疎まれて此処に捨てられたババアがいるわ!その弟子達も一杯だ!!ちゃちな日用魔術なんざいらねえよ!!」

「知り合いにならった魔法陣の使い方」

「さっきと同じだ阿呆が!!」

「魔導機械の扱いなら心得がある」

「それができねえ奴がウチにいると思ってんのか!?」

「睡眠時間が短い。ヒトの1.5倍くらいは働けるかな」

「だからなんだっつーんじゃ!1.5倍無能がいたところで何の意味がある!!」

 

 少年の一つ一つのアピールをダヴィネは丁寧に潰していった。

 他の囚人達はその面接をニタニタと笑って見ていた。娯楽の少ない【焦牢】におけるそれは悪趣味なショーの一つだった。

 此処に連れてこられた時点で、新人の囚人はよほど勘が鈍く無い限り、此処で彼のお目に適う事が出来なければマズい、と気付くだろう。

 そして最初は自分の一番の得手をアピールして、それが潰されて、段々と短くなっていく長所を並べては潰されていく。同時に顔色が青くなって、そして狼狽していくのだ。それが面白い。自分たちが受けた苦しみを他人が受けるのを安全な場所から眺めるのは楽しい。

 

「魔物の知識かな。魔物図鑑は飽きるほど読み直した。大抵の魔物の知識はある」

「此処の魔物は真っ当では無い!むしろお前は教えを乞わねばならん立場だ!!」

 

 少年はまだ無駄なあがきを続ける。囚人達はニヤニヤと笑い

 

「100メートルくらい先なら直撃できる投擲技術」

「弓の名手だっておるわい!まあ、数は少ないから幾らかの足しにはなるかもしれんが」

 

 笑って

 

「魔眼が使える。流石にこの場で開示したくないので伏せるが、危機感知の類いだ」

「魔眼~~?黒炎にすぐ焼かれて潰されるぞ!!」

「対策はある。それは流石に教える気は無い」

「あん!?【黒睡帯】か!!上物だな!!まあワシも作れるがな!!」

「へえ、凄いな」

 

 笑って

 

「竜牙槍……まあ、これはいいか」

「あん?なんでワシの作品以外が此処にあ……なんだこの金属は!!!」

「研究中の新作合金らしいぞ。詳細は知らん」

「分解させろ!」

「嫌じゃ。そんなこと許したら俺は殺される、不特定多数から」

「はあ!?まあ、良いだろう!!不出来なモンじゃねえ!!所持は許してやる!!」

 

 笑おうとして

 

「詳細を省くが右手が呪われてる。強固な呪い過ぎて、他の呪いに耐性がある」

「はあ?!黒炎の呪いよりも強いってか!?」

「強い」

「竜の炎だぞ!!」

「強い」

「…………言い切りおったな!!面白い!!」

 

 段々笑う者が減って

 

「魔草の知識かな。多分大抵のものは見分けが付く。変異してても問題ない」

「黒炎に焼かれて変異したものも見分けられるってのか?」

「多分いける」

 

 その内、誰も何も言わなくなった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 それから、暫くして、

 

「……なあ、まだ言わなきゃならんのか?疲れてきたんだが」

「なんだ、もう、へばってきたのか?」

「単純に疲れた。」

 

 ウルが軽く根を上げた。言うとおり、確かに疲れている様子だった。それもそうだろう。この面接が始まってから結構な時間が経過した。その間、休まずに自分の長所のアピールを続けていた。そしてその間ネタが尽きなかった。

 

「貴様、むしろ何ならできねーのだ?」

 

 とうとうダヴィネがそれを聞いてしまった。ある意味敗北宣言に近かったが、ウルは特に勝ち誇るでも無く、溜息を吐き出した。

 

「一杯ある。一点特化した才能が無かったからゼネラリストもどきに成らざるを得なかっただけだ。器用貧乏で、正直褒められたもんでもない」

「ハン…………まあ良い!!」

 

 ガン、と、再びダヴィネが肘掛けを叩く。終わりの合図だった。彼の追求を最後まで乗り切る者が出たのは珍しく、他の囚人達は少しざわめいた

 

「魔草の区別と調合が出来るって言ったな!明日から外に出て採取と調合やってみろ!碌なモノが出来なかったらその時点でてめえは"黒炎狩り”だ!」

「狩り……魔物退治がこの現場の最下層の仕事って事で良いのか?」

「当然よ!黒炎対策の装備があっても徐々に身体は焼かれる!うっかり破損したら魂ごと焼かれて鬼になる!!死ぬより悲惨な目に遭いたくなけりゃ精々足掻くんだな!!」

「……まあ、了解……ところで」

「あ?」

 

 ウルは暫く周囲を見渡し、こちらに問うてきた。

 

「此処に来たばかりで何も分からない。できればこの辺りの施設も聞いておきたい。案内して貰えないだろうか」

「自分で調べろ!!」

「効率悪いだろ。別に、出来る奴がいないなら勝手にうろうろさせてもらうが」

「…………」

 

 ダヴィネは暫く考えるようにして唸る。その様子を他の囚人達ははらはらとしていた、ウルというガキのあまりに遠慮の無いもの言いが怖かった。ダヴィネの言動はここまでは豪快な土人のそれに変わりないが、逆鱗に万が一触れるとどうなるかは想像つかない。実際彼を怒らせて脳天を本気でかち割られた者は居るのだから。

 だが、少なくともウルの物言いは逆鱗には触れることは無かったらしい。ダヴィネは不意に待機していた囚人の一人に目をやって、口を開いた。

 

「アナを呼べ!」

「え、いいんですかい?アイツぁ」

「死に損なってんなら最後に役に立って貰うわ!!呼べ!!」

 

 言われ、囚人がそそくさと集会場から出て行く。そして暫くすると彼は戻ってきた。その背後にもう一人を連れて。

 

「ソイツはアナだ!!最低限の知識はあるから案内して貰え!!使えなくなったら捨てちまって構わねえぞ!」

 

 黒に近い、深緑色の髪をした女。至る所に黒睡帯が巻かれていて、年齢ははっきりしなかった。足まで不自由なのか杖をついている。身体中の彼方此方に目を隠している黒い帯と同じものが巻かれていた。

 アナスタシア、と呼ばれる女だった。囚人達の間で彼女のことは”ある意味では”有名だ。そして、それ故にあまり近付く者はいない。ウルの要求を都合の良い厄介払いに利用したのだとすぐに分かった。

 

「よろしく……おねがい……します」

 

 おどおどとした声でウルの方へと近付いてくる。見た目通り、足も悪くしているので動くのも遅い。新人だって、彼女が"役立たず”として押しつけられたのだと悟った事だろう。

 

「よろしく」

 

 だがウルは、気にする様子もなく、そのまま黒睡帯の巻かれていない左手を差し出した。が、アナスタシアが首を横に振ったので引っ込める。

 

「アナ!おめーはそのガキを部屋まで案内しろ!他の奴らは仕事に戻れ!!」

 

 こうしてダヴィネの面接は終わりを告げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ひと時の別れ

 

「…………疲れた」

 

 ウルは、前を行く女には聞こえないくらいの小さな声で疲労の声を漏らした。

 正直言ってキツかった。出来る限り余裕たっぷり、まるで動じない風に次々に自分の特技を披露していったが、割と振り絞った結果である。

 ダヴィネ、と呼ばれたあの土人。看守達すらも顎で使うようなその態度から間違いなく此処のトップであるとわかり、半端な嘘や隠し事は通じないとも察せた。とはいえ、自分の情報を色々と明かす羽目になったのは少し不安だった。

 

「この先の小部屋には、医者が……います。あまり、腕は、良くないですが」

「【本塔】の方にはいないのか?」

「居ますが……私達は拒否されます……呪われてるからって……」

「差別が露骨すぎて笑えるな」

 

 目の前で地下牢の施設を案内するアナスタシア、という女に施設を一つ一つ案内してもらう。この地下には本当になんでもあるらしい。鍛冶工房、錬金工房、医務室、果ては食堂まで存在する。まさに小さな都市だ。

 

「本当に、なんでもあるな」

「特殊刑務に一度就いたら……【本塔】にはいけません。【地下牢】の、地上エリア以外の行動は制限され、ます。だから、独立する為の施設は、全部あります」

「そりゃまたなんで?」

「呪いの、蔓延を防ぐため、です」

「なるほど……」

 

 つまり、隔離と言うことだ。

 本塔と比べ、【黒剣】も全く見なくなってやけに自由度は増した様に感じたが、反面、ますます脱出が困難になったらしかった。ウルが悩ましそうに思っていると、アナスタシアが足を止める。視線を向けると、地下奥の通路、狭い一室が存在した。

 

「此処が、貴方の部屋……です」

「鉄格子とかついてないけど、いいのかね?」

「どうせ、出られません…。【本塔】への通路と、出入り口は頑丈に封鎖されています。地下牢にろくに監視者はいない、けどあそこは、監視は厳重」

「でも、外の仕事もあるって言ってたろ?外には出られるんだろ?」

 

 アナスタシアはふるふると首を横に振った。

 

「地上は、もっと酷い、です。この辺りから出られる場所は殆ど、【黒炎】で、囲まれてます。()へと進むなら兎も角、逃げ場所なんて、無い。無理に脱獄しようとしたヒトは、皆”鬼”になりました」

「……なるほど、出口が無いのは、分かったよ」

 

 鉄格子の無い小部屋を自由に出来る、と言う事実だけをウルは前向きに考えることにした。幸いにして部屋はそれなりに広く、前の住民が用意していたのか家具類も質素であるが揃っていた。生活するには申し分ない。

 

「……で、まあ此処で寝泊まりはするとして、それで?俺は明日からどうすれば良い?」

「ダヴィネさんの、言うこと、聞いて下さい」

「それは良いが……なんというか、ラースの解放が俺たちの仕事って聞いたんだが?」

 

 そう尋ねると、アナスタシアは少しきょとんとして、そして小さく笑った。馬鹿にされているのだろうか、とも思ったがそういう感じでも無かった。なにかを懐かしむような、少し悲しそうな笑みだった。

 

「そんなこと、真面目にするヒト、いませんよ」

「んじゃ、どうやってここから出るんだ?」

「出たヒトは、いません」

「わあ絶望的な情報」

 

 淡々と最悪な情報が増えた。ウルは目眩がした。

 

「ダヴィネさんの与える指示をこなしたら、後は好きが許されます。此処はひどいとこだけど、監視者は少ない。最低限の、自由はある」

「……了解。じゃ、とりあえず明日、魔草の類いが取れる場所、教えてくれると助かる」

 

 地下故に時間の感覚は分かりづらいが、恐らく既に夜だろう。疲労感もある。今すぐどうこうしなければならない作業もないなら休みたかった。何より目の前でフラフラしているアナスタシア自身の体調があまりよろしいとも思えなかった。

 

「では、明日朝。先程いた、集会所で」

 

 アナスタシアはそう言って、ふらふらと去って行った。大丈夫だろうかあの女、と思いつつも、他人の体調を気遣う気力は今のウルには残されては居なかった。

 

「…………つっかれた」

 

 ぐったりとした面持ちでベッドに腰掛ける。すると酷く軋んだ音と共に埃が舞い散って、ウルは咳き込んだ。ウーガの柔らかなベッドが懐かしくなって、ウルは少し泣きそうになった。

 勿論泣いている場合でも無い。ウルは溜息をついて、現状の情報を整理した。整理するほどに絶望的な気分になってきた。

 

「……全く、どうしたもんかねほんと」

《本当に、どういたしましょうか。ウル様》

「そうだなシズク………………シズク?」

 

 ウルは声のした方を振り返る。ウルが座ってるベッドのすぐ隣りに、銀色の小鳥がぴちちと鳴いて、ウルの方を見ていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

《銀級の指輪は特殊な使い魔を生み出すことが出来るというので、試してみました》

 

 銀色の小鳥は、実体のない、魔力で出来た使い魔だった。美しい銀色の鳥は、確かにシズクを彷彿とさせた。

 

「ってー事は、今お前近くに居るのか」

《いいえ。今はまだプラウディア領です》

「その距離で通信できるのは凄いな……」

 

 シズクが生み出した使い魔、というものに触れてみると奇妙な感触が返ってきた。触れられないと思っていたが、不思議な感覚だった。

 

《くすぐったいです》

「そっちにも感覚あるの?」

《距離を伸ばすために意識ごと使い魔に乗せています。良いやり方ではないそうですが》

「何度も出来ないと」

《恐らくですが今回1回限りかと。スーア様に助力を願いました》

 

 スーアがウルの竜牙槍をウーガに届けに来たとき、事情を説明し、助けて貰ったのだという。通常であればラースに存在している黒炎の呪いが、遠距離の魔術の類いのことごとくを破損させるため、使い魔など飛ばすこともままならない。それができているのはスーアの与えた加護のお陰だった。

 

「なるほど、じゃあ、この好機に情報交換と行くかね」

 

 ウルとシズクは互いの情報を出し合う。結果、情報の精度で言えばウルの方が高かった。何せ、ウルを此処に押し込んだ張本人であるエクスからの話だったのだから。

 

《エクスタイン様。ウル様の事をお慕いしているように見えましたのに、意外ですね》

「まあ、むしろそれを大分拗らせた印象だったが……まあ、兎に角、そっちは十分に警戒しててくれ。多分忙しくなる」

《了解しました。コチラでも、ウル様の解放のために動いていきますので……》

「……」

《ウル様?》

 

 シズクに呼びかけられても、ウルは暫く黙ったままだった。そのまま前を、部屋の壁を見つめながら、ウルは少し躊躇いがちに切り出した。

 

「俺が――」

《ダメですよ?》

「何も言っていないのに否定するの止めろ」

《アカネ様を頼むとか、【歩ム者】の面子を頼むとか、そう言うお話でしょう?》

「ヒトの心を読むな」

 

 そこそこの覚悟を決めて話を切り出そうとしただけに、話の腰をたたき折られてウルは顔を顰めた。

 アナスタシアの話ではそもそもここから出られた奴はいないという。そして此処はスーアでも迂闊には手が出せない特殊な、独立した場所でもある。七天でも無理なら、ディズでも無理だろう。コネは期待できない。

 

 要は、ウルはしてやられたのだ。

 

 陽喰らいの儀という試練を乗り越えた事で生まれた弛緩の隙を突かれた。

 どう回避すべきだったかと言われれば、一番最初【黒剣】に連行されそうになったとき、全力で拒否して、形振り構わずディズにでも助けを求めるべきだった。それが最適解であり、それをしなかった時点でウルは失敗した

 

 そしてここから再起する目は非常に薄い。

 少なくともウルを嵌めた連中は、ウルをここから出すつもりは無い。

 

 ならば、保険というか、残された連中をどうにか助けてやりたいと思うのが心情というもの、なのだがシズクはそれをさせるつもりは無いらしい。使い魔でシズクの表情は全くつかめないが、恐らく彼女は何時も通り微笑んでいるだろう。

 

《いけません。ウル様。途中で投げ出しては》

「そうは言うが、こっからどうしろと言うんだ」

《どうにかしてください》

「そっちはぶん投げるのかよ」

 

 勝手なことを言う女だった。だが、考えてみるとシズクはこういう女だ。そして自分もヒトの事をとやかくと言える立場でも無かった。勝手をして、周りを振り回すだけ振り回して、そしてここまで流れ着いてきたのだから。

 

「……期待はするなよ。明日明後日にぱっと出られるような場所じゃあない。ダメそうだなって思ったら俺のことはとっとと見捨てろ」

《何年でもお待ちしています》

「何年もダラダラしてたらアカネが死ぬんだがな……」

 

 ウルは苦笑する。そして肺の中の空気を一度全部吐き出して、大きく吸った。ほこり臭い匂いが鼻をついたが気にしない。

 

「アカネにはこっちは死ぬつもりはないから、そっちも息災でって伝えてくれ」

《はい》

「ディズにも身体労れよって言っといてくれ。アカネのことは加減してくれとも」

《はい》

「ロックは……いいか、アイツは楽しくやってるだろうさ。飲み会の約束はまた今度だ」

《はい》

「リーネも変わらなそうだな。白王陣もっと発展させて俺を助けてくれりゃ助かるな」

《はい》

「エシェルは、心配だが……依存を抜くには良い機会か。焦って無茶だけはさせるなよ」

《はい》

「ジャインとか、白の蟒蛇の連中にも迷惑かけるって言っといてくれ。キレそうだけど」

《はい》

「エクスは見つけ次第ぶっ殺しといてくれ」

《はい》

「シズク」

《はい》

「……俺を嵌めた連中相手に無茶苦茶すんなよ」

《いやです》

「………………自分を労れよ。俺の救出のためにボロボロになったらぶん殴るからな」

《ウル様もそうしてください――――待っています》

 

 ぷつんと、ウルの目の前から使い魔が消えた。使い魔を形成した魔力が霧散する。

 ウルは一人小汚い地下牢の一室に残された。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いつもの事

 

 一ヶ月程前

 夜の闇の中、竜吞ウーガ、ウルの自宅屋上にて。

 

「――――無理だな」

 

 魔王ブラックは、ウルとの対話で投げられた質問「ウーガの保持の可不可」について、アッサリとNOと答えた。言うまでも無くそれはショッキングな解答であるはずなのだが、ウルはそれほど動揺はしなかった。溜息をつき、頭を掻いて、頷いた。

 

「やっぱり無理か」

 

 ウルは驚きも、動揺もしなかった。ただ、納得した。

 ブラックが信用できるかという話でもあるが、嘘は無いだろうとすんなり思えた。ウーガの一件で、この男が適当にだまくらかす理由がそもそも無い。

 

「お前だって分かっちゃいるだろうさ。此処は単純に金になる、だけじゃねえ。自由に、好きなところに、莫大な金を産み出せるスポットを作り出す特異点だ。やりようによっては、俺が裁判で提示した金貨だってあっという間にたまるだろうさ」

 

 裁判でブラックが提示したウーガの売買提案は、それ自体が裁判を動かすためのてこ入れだったが、しかしその金額自体は適当を言っていた訳ではない。あの程度の額は、取り返すことが出来る可能性を、ウーガは有しているのだとブラックは言う。

 

「そして、そんな場所を、権力者達が見逃すはずが無いわなあ?」

 

 今この世界で、権力を、資金を有している者達。王が管理する箱庭の中で、その富を独占して、管理する者達。商人や神官、あるいは冒険者達の中にもそう言った者達は存在している。

 

「この世界、今の仕組みで勝ち組になってる連中にとっちゃ、ここは素晴らしい宝の山であり、一方で脅威だ。自分達が享受している既得権益を、一瞬で踏み潰しかねないからだ」 

 

 ウーガが巨大な影響力を有しているという事は、即ち既存の環境を"吹き飛ばす”力を持っていると言うことだ。当然、元々の環境であぐらをかいていた連中にとってすれば、それは脅威と言えるだろう。

 

「だがな、そう言う連中は、()()()()()()()()()()()()に慣れている」

 

 手すりに寄っかかりながら、ブラックは語る。まるでそういったものを見てきたかのように彼は語っていた。無論、少し前までこの世界の底辺を這いつくばっていたウルには知りようのない世界だ。

 しかし、ブラックの語る言葉には、嫌なくらいの説得力があった。

 

「見定めて、転がして、手元に入るならそれで良し、取り込んで我がものだ。そうでないなら踏み潰す」

 

 足下をうろついていた羽虫を、ブラックは踏み潰す。ぐしゃりとした嫌な音が、静かな夜に響き渡った。

 

「突出した個人が、閃きで生みだした単発の流れなんてのは、すぐに蚕食されるものさ。蓄積された歴史から生まれるドロドロの腐敗には勝てやしない」

 

 ヒトの社会で生きる以上、突出した個は、積み重なった歴史と、その中にいる多数には打ち勝つことは出来ない。どれだけその個人が輝けるものを有していようと、幾千のヒトの中では光も埋もれてしまうからだ。

 

「……まあ、理解したよ」

「だから、ウル坊。もしも、本当に此処を護りたかったら、なあ」

 

 ブラックは一歩前に出た。真っ黒な、獣のような大男が、ウルを見下ろして、

 

()()()()()

 

 そう言って、歯を剥き出しにして、笑った。

 

「全部、全部、ぜぇぇんぶ、喰って、喰って、食い潰しちまえよ。そうする以外ない」

 

 魔王は指をウルの額に刺して、グリグリとねじ込む。鬱陶しいと指を払うが、額の痛みがいつまでも消えなかった。

 

「自分たちは安全で、安心で、あらゆる富を自由に出来ると勘違いしちまった、可哀想な老害達、既得権益を貪る連中を、阿鼻叫喚に突き落としてみろ」

「……なんだそりゃ、お前もって事かよ」

()()()()()()()()?」

 

 そうしたら、

 

「ぜえええったい、たーーーーあああのしいぞお?」

 

 ゲラゲラゲラゲラと魔王は嗤う。

 妖しき魔王の誘いと嘲りは、何時までもウルの耳に残り続けた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【罪焼きの焦牢】の夜が来る。

 陽は沈んでいるかは分からないが、魔灯の燃料を節約するためか、夜は一気に灯りが落ちる。真っ暗な空間で窓も無い為に、夜の地下牢は本当に真っ暗だった。通路を見れば、いくつか灯りが漏れているところがあるので、ひょっとしたら魔灯を個人で保有する者も居るのかも知れないが、現状のウルには知りようが無かった。

 

「…………ふう」

 

 ウルはその闇の中で、静かに足を組んで、瞑想する。

 鍛錬の一種だった。身体の悪い気を魔力ごと吐き出して、身体の調子を整える。体内の魔力を循環し、整える。ディズに教わった”眠り”の派生技だった。

 大きく息を吸って、吐く。魔力を循環させる。現在のウルの身体は、陽喰らいの儀の戦いを経て得た膨大な量の魔力を全く消化しきれずにいる。絶えず痛みが体を襲っている状態だった。少しでも魔力の循環を高めて、体を落ち着かせる必要があった。

 次第に汗が流れ始める。不要物が体を出て行くのを肌で感じ取り、ウルは目を開いた。そして、自分の身体にへばりついたペラペラの囚人服を見て、ため息をついた。

 

「……服とかどうすんだろここ」

 

 全裸でやれば良かった、と思いながら汗でぐしゃぐしゃになった囚人服を脱ぐ。流石に着替えも何も供給されない、と言うことはないと信じたいが、とりあえず明日朝には乾くことを祈った。

 

 素っ裸になった間抜けな姿で、ウルは頭を掻く。

 そして大きく溜息をついて、寝転がった。そして瞑目し、いろいろなことを思い返し、そして思った。

 

「……………アイツら、俺のことなんだと思ってんだ!マジで!」

 

 ウルは自分の汗だくになった囚人服を勢いよく投げ捨てた。いい音がした。

 誰も彼も、何故かウルのことをとてつもないゲテモノか何かだと思っている。尋常で無いパワーを持っていて、その力であらゆる困難を解決できるスーパーマンかなにかだと勘違いしている節がある。それくらいの重すぎる期待がかけられている気がしてならない。

 

「ラース攻略?出来るわけねーだろ……?!正気かアイツら!!」

 

 間違いなく、ウルは凡人だ。誰であろう、自分自身がそれを確信している。ここまでこれたのは幸運だっただけ、と卑下するつもりはないが(運という点に関して言えばむしろとてつもなく悪い気がしなくもないのだが)、それでもやはりそこまで自分が大層な物にはどうしたって思えない。

 ウルの自己認識は未だ、その日の飯代に四苦八苦していたものとそう変わり無いのだ。

 だから、滅茶苦茶な期待をされても、困る。困るのだが――――

 

「…………」

 

 チラリ、とウルは周囲を見渡す。

 ジメジメとした、薄暗い牢獄。ベッドもやはりかび臭い。鉄格子こそ無い。先に入れられた牢屋よりは自由が効きそうな場所であるが、言うまでも無くウーガの自宅と比べれば雲泥の差だ。

 何より、此処には仲間達の姿が無い。命を預け合い、協力し合った、クセが強すぎるが、それでも命を預けるに足りると信じられる連中が、一人も居ない。

 

 ――――待っています。

 

 このままでも良いのか?

 

 無論良くない。

 例え、牢獄にいる間に仲間たちに見捨てられることになろうとも、この場所に居続ける事を妥協する理由にはならない。

 

 ならばどうするか?

 

 抗おう。何時ものように。

 

「……ま、良いさ。久々の身軽な身だ。()()()()()()()()()()()()

 

 責任から解き放たれ、軽くなった肩をグルグルと回しながら、ウルは身体を伸ばした。気楽だ、と思ってはいけないかも知れないが、幾らか自由に振る舞っても、バチは当たるまい。

 

「ボンクラなりに抗ってやるよ……だが、期待するなよ」

 

 こうして、ウルは何時ものように、理不尽に抗うことを決めた。

 

 故に、

 

 この焦牢も、ウルを此処に突き落とした悪党達も、誰も彼も回避不能の嵐に飲み込まれ、吹っ飛ばされる運命が確定したのだが――――無論、この時のウルには知る由も無かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の日常と新人の囚人

 

 朝 ウルは目を覚ました。

 

「…………寝心地最悪だなこのベッド、くせえし」

 

 深眠の技術が無ければ疲れは取れなかったであろうと確信できる寝心地の悪さだ。ウルはウンザリしながら起き上がる。身体がべったりとした汗で覆われていた。風呂でも入りたかったが、残念ながらそんな上等なものは無いらしい。

 

 普段の深眠と比べて、睡眠時間は長くなった。この環境で圧縮はまだ難しいらしい。

 が、それでもまだ早起きな方だ。他の囚人達は眠っている。

 

 だからウルはその間何時ものように運動をした。身体をじっくりと解し、新しくなった竜牙槍の動作を確認した。本来であればそのまま鍛錬に移るのだが、それは今回はやめておいた。食事がマトモに出るのかも分からない状態で激しい運動をしても無意味だからだ。

 代わり、身体の毒を抜き、身体を正常に戻す瞑想に費やして、朝の鍛錬を終わらせる。

 

 しばらくはこのサイクルになりそうだ。と思っていると、廊下から連続して響く鐘の音と共に声が響いた。

 

《起床!!!!》

 

 見ると、廊下に声を伝播する拡声器、のようなものがついている。あそこから声を飛ばしているらしい。アナスタシアは【地下牢】の自由度は高い、と言っていたが、最低限の取り決めはあるようだ。

 ウルは身体を起こし、囚人服に手をかけて、まだ湿ってることに気がついてがっくりと気を落とし、浄化魔術を自分と服にかけて誤魔化した。しかし湿っていて気持ちが悪い。

 

「とりあえず一日の流れを覚えねえとな……あと着替え」

 

 ウルはそうぼやきながら、他の部屋から這い出てきた囚人達の後に続いていった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 囚人達についてきてたどり着いたのは食堂だった。

 

 食堂の場所自体は、昨日アナスタシアから聞いていた。その時は食事の時間も終わりガランとしていたが、朝食の時間は流石にヒトが集まっていた。恐らくは大半の地下牢の囚人達が集まっている。おおよそ100人くらいだろうか。結構な数がいた。それを収容できる食堂というのも中々壮観である。

 が、それ以外にも通常の監獄とは違う所があった。

 

「……給仕係も、囚人がやってんのか」

 

 使われていない皿を取り、囚人達が一列に並ぶ。その先には給仕係と思しき者が、なにやら巨大な寸胴から一杯ずつ囚人の皿にぶちまけていくのが見えていた。その給仕係も囚人なのだ。

 昨日、アナスタシアも言っていたが、そもそも囚人以外、姿を全く見せない。恐らくこの世界の指折りの犯罪者達の巣窟である筈の場所で、治安維持は相当な苦労があるはずなのに、その努力の形跡が無く、しかし維持は出来ているというのはあまりにも奇妙だった。

 とはいえ、まずはメシだ。ウルは囚人達の列に並んだ。食事はシンプルに一品だけらしく、列はどんどんと捌けていって。そしてウルの番となった。

 

「…………」

「……どうも」

 

 給仕係をしている男は、巨体で強面のひげ面の只人だった。汚れないように囚人服の上からエプロンをはおっているがあまりにも似合わなくてシュールだった。そのまま彼は差し出したウルの皿にべしゃりと、寸胴の中にあるものをぶちまける。

 正直、見た目はあまり良くなかった。焦げ茶色の豆に、赤色の何かが混じってる。が、しかし思ったよりも良い匂いもした。

 

「……これは何の料理だろう?」

 

 聞いたところで答えが返ってくるはずも無い、と思いつつも聞いてみる。強面の男はじろりとウルを睨んだ。背後には他の囚人達も待っている。此処で立ち往生したら怒鳴り散らされそうだと思い、ウルはそそくさと列を離れた。

 

「……ポタタ豆のトルメトソース煮込みだよ」

「…………どうも」

 

 背中から強面の男と思しき者の渋い声が聞こえてきたので、ウルは礼を言った。

 

 幾つも並ぶテーブルの中の端も端の、空いている椅子に腰掛けて、ウルは料理を前にする。やはり、見た目そのものはあまりよろしくない。べっちゃりとしていて彩りは最悪だ。

 しかし、香りは良い。ポタタ豆とトルメトも知った食材だ。ならば口に入れて死ぬことはあるまい。と、ウルは覚悟を決めてスプーンで口に運んだ。

 

「……悪くないな」

 

 少なくとも、飢えて死ぬといった間抜けな事態は避けられそうだった。ウルはそのまませっせと食事を口に運びながらも再び周囲を観察した。

 

「まーた朝これかよ。パンが喰いてえ」

「でけえ声で文句言うなよ。ゴザに殴られるぞ……」

「【黒剣】どもがまた絞ってんだろ?騎士団長どのが、また海外旅行にご熱心だからな」

「あのクソデブ、ボスの作品を外で売り払って一財産作ってんだろ?もっと寄越せよクソが」

 

 部屋の隅から彼方此方の囚人達の噂話に耳を立て、目を合わせないように周りを見渡す。入ってきた時と同じように見えるが、全員が同じように、と言われるとそうでも無い。何人かのグループに別れている。そしてその中には

 

「…………」

 

 他の囚人達から露骨に距離を取られている連中もいた。彼等はただ黙々と、目の前の朝食を口に運んでいる。それだけならただの寡黙な連中だが、彼等はアナスタシアがしていたように、体中の彼方此方に、ウルがしているような【黒睡帯】に似た何かを巻き付けている。そしてそのグループに対して他の囚人達は誰も声をかけず、近付かない。幾つも席を空けて、遠巻きにして視線すら向けない。

 

 ――クズなら貴様の仕事は”黒炎狩り”よ!!最悪の仕事だと覚えておけ!!!

 

 ウルも倣うようにすぐに眼を逸らしながらも、なんとなく彼等が何者であるかを理解した。ダヴィネが脅すように口走っていた言葉。彼等がそうなのだろう。

 

「おう、お前か?新人ってのは」

「ん?」

 

 ウルが声をかけられて、振り返る。視線の先には3人の男がいた。一人は小人の中年、出っ歯が目立った。一人は獣人、焦げ茶色の毛並みがボサボサに逆立ってる。最後に只人の大男。頭が禿げあがっていて、ニタニタと笑みを浮かべている。

 

「よーこそ哀れなチビ。なんでこんなとこに流れてきちまったんだ?お前」

 

 ウルは気付かれないように、ほんの僅かに腰を浮かせたまま、答えた。

 

「大罪都市プラウディアに侵略計画を立てた大連盟反逆罪の容疑らしい」

「は?」

「俺も「は?」って感じだが、そうらしいんだから仕方ない。で、容疑のまま此処に放り込まれた。だから哀れなチビっていうあんたの指摘は正しい。」

「おーそうかいそうかい、可哀想になあ!」

 

 ゲラゲラと3人は笑い始めた。どうにもウルの発言は真に受けられていないらしい。実際、ウルだってそれを言われて信じる気にはなれないのだからそれは仕方ない。

 そしてそのまま周りに視線を巡らせる。朝から大声で喚く彼等に対する他の囚人達の反応の様子は、呆れと好奇心だ。

 彼等がこうして新人に絡むのは何時ものことらしい。驚く者は少ない。呆れてばかりだ。そして残りはウルに対して好奇の視線を向けている。声はかけられなかったが、やはりウルの存在は目立っているらしかった。

 彼等に対して、ウルがどう動くか気になっているのだ。

 

「おい。こっち来いよ!分かんねえこと一杯あるだろ?案内してやるぜ?」

「そうだな。お願いする」

 

 ウルは彼の誘導に従って立ち上がり、暗がりに連れて行かれた。

 その時、ごきりと黒睡帯に覆われた右手を鳴らしていた事に3人は気付かなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ】

 

「でも、ウル、大丈夫なんだろうか……?」

 

 【歩ム者】達が慌ただしく動く中、不意にポツリと、エシェルが呟いた。リーネが振り返ると、彼女の表情には不安が浮かんでいる。ウルに依存していた彼女にとっては、辛い状況だろう。

 だが、今の彼女の不安は自分の事ではないだろう。

 

「大丈夫って?」

「だ、だって、ウル、大連盟法に逆らうような犯罪者に囲まれるんだろう?大変なんじゃ…」

 

 彼女の言わんとしている事はわからないでもない。確かに、現在のウルの環境は悲惨だ。心配する彼女の心は正しい、が――

 

「なんというか、まあ、大丈夫じゃ無い?アイツなら」

『まー大丈夫じゃろ、カカカ』

「仲間への配慮が雑!!!」

 

 リーネとロックはエシェルの心配を雑に笑った。心配していないわけではない。わけではないのだが、少なくとも囚人相手にウルが困り果てるイメージが沸かない。全く沸かない。

 

()()()()()()()()()()()。無駄な心配してんなよ。我等が女王」

 

 そして、その二人にジャインも同意見だったらしい。彼は呆れた顔でエシェルを睨んだ。エシェルはムッスリと頬を膨らませた。

 

「なんで言い切れるんだ…」

「だってウル、私ら寄りっすからねー」

 

 ジャインの隣でラビィンも頷く。彼女はウルとはそれほど親しくは無かった記憶があるが、それでも確信しているようだった。

 

「お前に対してはお優しいスーパーダーリンだったかも知れねえがな。実際、()()()()()()気性穏やかなタイプだったが――それでもアイツはこっち側だよ」

「こっちってどっちだ」

「【名無し】側って事っすよ。それも、暴力を寄る辺にするタイプ」

 

 名無しだからといって必ずしも冒険者になるわけではない。都市と都市の間を行き来しながら、流れるように生きる流浪の者達も確かに存在している。むしろそっちの方が多数派だろう。

 だが、ウルはそっちでは無い。圧倒的に、()()()だ。

 

「まして、温い雑魚狩りで小銭稼ぎしてたタイプじゃない。ずっと生死の境を彷徨うような命懸けの戦闘を繰り返した本物の叩き上げだ」

 

 ジャインは、現在牢獄にいるであろう隣人にして友人の顔を思い浮かべ、鼻で笑った。

 

「犯罪者如きにどうこう出来る訳ねーだろ」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「…………」

 

 集会所にて、アナスタシアは一人、昨日の約束通り、ウルのことを待っていた。

 集会所は地下牢の中心地であり、ダヴィネが請け負う仕事をこなすため囚人達が忙しなく動いていた。だが、誰も彼もアナスタシアをみかけるとギョッとなって距離を置く。

 

 彼女のことを知る者は多い。そして現在の彼女の状態も知る者は多かった。

 

「…………」

 

 アナスタシアはその事を気にしたりはしなかった。傷つくことも無い。そう思うほどの感性も今の彼女には残っていない。今はただただ、ダヴィネの指示通り、ウルを案内するために待つばかりだった。

 

「すまない。待たせた」 

 

 そう思っていると、ウルが来た。アナスタシアはゆっくりと身体を起こして顔を向ける。そして少しだけ不思議そうに首を傾げた。

 

「怪我を、してます?血の匂い、します」

「ああ。これか」

 

 彼の囚人服からは血の匂いが漂っていた。しかし、ウルは気にするな、というように頷いた。

 

()()、怪我をしていない」

「……そう、ですか?」

「で、俺の職場に案内して貰って良いか?」

「……………………こちらです」

 

 少し考えていたアナスタシアだったが、思考を止めてウルを案内する事にした。

 彼の背後でよくよく新人達をいたぶって、使いっ走りにしようと目論む小悪党達がウルのやって来た通路の影で蹲って泣いている事には最後まで気付かなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の日常と新人の囚人②

 

 地上に出るにあたり、アナスタシアから幾つかの忠告を受けた。

 

「外に出るとき、注意してください。黒炎には、視線を向けないで。見たらすぐに逸らして。長く見れば、呪われます」

「【黒睡帯】は外さない方が良い?」

「それで視界が、しっかりと、確保できるのなら」

 

 改めてスーアから預かった【黒睡帯】を装着し、周囲を見渡してみるが、特に視界が悪くなることは無かった。以前の眼帯と同様に、殆ど視界を阻害されなかった。違和感がなさすぎて、装着していることを忘れるほどだ。

 

「……見えるの、ですか?ハッキリと?」

「見えるな。普段と変わりない」

「……だとしたら、気をつけてください」

「盗られる?」

「はい」

 

 アナスタシアの他にも、似たような物をつけている者は沢山居る。【黒睡帯】は此処では珍しくない代物ではあるのだが、品の出来は違うらしい。

 

「ダヴィネさんの工房は、凄いですが、乱造された粗悪品も、あります」

「完全に視界が見えるなら、貴重と。了解。忠告感謝する」

 

 ウルの黒睡帯は右腕にも巻かれている。この二つは安全な場所以外では決して外さないようにしようと決めた。

 その他、幾つかの注意点をアナスタシアから受け、そして地上への階段へとすすむ。

 

「地下牢の周辺は、【黒炎鬼】は()()()出ませんが、注意して、ください」

「倒せない?」

「倒せますが、一度炎を浴びれば、呪われます」

「治療法は?」

 

 アナスタシアは首を横に振った。ウルはなるほど、と納得する。

 

「とりあえずは、逃げの一手か」

「鬼の撃退は、黒炎払いが一手に担っています。そうでないなら、近付くべきではない」

「戦闘職は最下層の仕事、と」

 

 アナスタシアから得た情報を頭に入れながら、階段を進んでいく。徐々に気温の高まりを感じる。スーアに外を見せて貰ったときと同じだ。ウルは背中に背負った竜牙槍を軽く握る。いつでも取り出せるように。

 

 そして、外に出る。【地下牢】その地上部分だ。

 

「…………熱いな」

 

 【本塔】から外を見たときは、遠くから眺めるばかりだったが今は違う。黒炎が燃えさかる砂漠の中心。黒炎が吐き出す熱は想像以上だった。少なくとも地下牢の出口周辺には黒炎は存在していないにもかかわらず、熱い。ジッとしてるだけで汗が噴き出す。

 

「装備が、ないなら、無理はしてはいけません。何も無しで動き回ったら、すぐに倒れる」

「装備を手に入れる方法は?」

「ダヴィネさん」

「あの王さまが全ての命綱と」

 

 少なくとも今は、彼に言われた仕事は必ずこなす必要があると言うことのようだ。

 

「こちらです」

 

 ウルはアナスタシアについていく。砂漠の砂に脚を取られる。配給された靴が足首の上まで覆うようになっていた理由が分かったが、それでも慣れるのには苦労しそうだった。

 視界の彼方此方には倒壊した高層建築物が見える。滅んだラースの建築物の数々だろう。この辺りは、かつての大罪都市ラースではなく、その衛星都市であったらしいのだが、どのみち見る影は無かった。

 かつては精霊信仰の聖地と言われていた、という話もウルには昔話だ。

 

 見てみると、全てが砂地のようになっているわけではなかった。かつては多くのヒトや馬車が行き交っていたであろう大通りの残滓のような石道を進み、途中で逸れて、倒壊した建造物の間を進み、そしてボロボロになった階段を上っていく。すると、不意に開けた場所に出た。

 

「……おお」

「……ここなら、まだ、魔草も取れる、かもしれないです」

 

 その場所は、ひょっとしたら元は公園だったのかも知れない。かなり広い場所だった。そしてそこにはちらちらと多様な植物が生息しているのが見えた。肌で感じる黒炎の熱の強さも弱い。此処は避暑地なのだろう。

 中にはウルが知った植物も幾つかある。ダヴィネの言うように色や形が違うものも沢山在ったが、ザインから受けた知識で確認できる範囲だった。ウルは一先ず安堵する。

 

「ちなみに、いつくらいに戻れば?」

「決まりは、無いですが、陽が沈むまでに、ダヴィネさんに、報告した方がいいです」

「理由は?」

「夕食後は、あの人は仕事しません。お酒飲んでます。仕事の報告しても、殴られます」

「酒あんの此処!?」

「ダヴィネさんが、好きなので、黒剣に、仕入れさせてます」

「まさに王様だな……」

 

 ウルは半ば呆れながらも採取を開始した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【廃聖女】アナスタシア

 

 彼女にとって、ウルという少年の第一の印象は、地獄に落ちた事を理解できていない、可哀想な子供だった。

 囚人達の大半は、此処に来た瞬間深く絶望する。自分はもう、帰ることが出来ない所まで来てしまったのだと理解して、絶望して、淀み腐った目をするようになる。

 だが、ウルという少年は違った。目つきは元からかあまり良くないが、その目の奥には強い意思があった。この期に及んで尚、まだまだ絶望に身を浸していない輝きがあったのだ。

 

 きっとそれは、無知と慢心だ。アナスタシアはそう思った。

 

「……ここなら、まだ、魔草も取れる、かもしれないです」

 

 そんな愚かしい少年を、自分の狩り場に案内してしまったのは気の迷いだろう。

 

 もっと適当な場所はある。植物は自生しているが黒炎の魔物も出る。黒炎そのものも近いような危険な場所。そういう所を教えて、自分は去ってしまえば良かった。

 普通は、こんなことはしない。囚人達は協力なんてしない。利用し合う事はあっても、基本的に助け合いなんて無いのだ。罪人咎人追放者、此処の住民の心は淀み腐って、黒炎で煤けている。善意を誰もが喰いものにしてる。

 

 なのにこうした。

 

 子供といっていい年齢の少年に絆されたのか。それとも彼が懐かしい、ラース解放などという目標を口にしたからか。あるいは自分の中の聖女の残滓がまだ残っていたからなのか。

 

「…………どちらでも、よいです」

 

 どうせもう後が無いなら、彼にこの場所を譲っても構わないだろう。

 アナスタシアはゆっくりと近くの岩場に腰をかける。疲れていた。最近は身体を動かすのにも一苦労があった。まるで老女のようだった。

 

 ――昔の【黒炎】の傷が広がってる。もう長くはねえ

 

 灰都ラースに住み込んでいる医者は既にアナスタシアの症状に見切りを付けていた。

 そうだろうな、と、アナスタシアは特に驚かなかった。医者の腕はそんなによくないが、その診察は正確なところだろう。

 彼女は自分の命が、魂が摩耗していることに自覚的だった。最近、眠りが深い。悪夢ばかり見るのに、その眠りから起き上がることが出来ないのだ。

 【黒炎】が、自分の身体に纏わり付いた呪いの炎が、魂を薪に燃えているのだ。

 

 その内に何も感じなくなって、そして最後は燃え尽きて、呪いそのものになる。

 

 分かっている。だから誰も彼女には近付かなくなった。昔は良いように自分を嬲って悦んでいた男達も遠巻きに見るばかりだ。それすらも、彼女は気にしなくなってしまった。別に、どうだって良いのだ。

 だから、最後にこの自分の安全な採取場を、少年に教えることが出来たのは、ひょっとしたら最後に【運命の精霊】が授けてくれた、償いの場なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、彼女は目を瞑った。

 

 黒睡帯で隠して、瞼で目を更に閉じても、瞼の裏には【黒炎】があった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 何時もの黒い炎の夢、そしてその中から現れる憤怒の悪竜

 

 逃れたくても、目を覚ましたくても絶対に出来ない悪夢に何度も焼かれ、苦しんで、そうしてアナスタシアは目を覚ました。

 

「…………ん」

 

 顔を上げる。深い眠りだった。最近はいつもこんな感じだった。眠りばかり深くなる。それが黒炎の末期症状だった。

 食べられる野草集めが今彼女が出来る唯一の仕事だったが、今日はソレすらもやらなかった。こうなると、その内食事も出されなくなるだろうと予想できたが、それも、あまり辛いとも思えなかった。

 

 しかし、此処は何処だろう。と、顔を上げると、少年の背中が見えた。彼はアナスタシアが起きたことに気がついたのか振り返る。

 

「目を覚ましたのか。ずっと寝てたからそのまま死ぬかと思ったぞ」

 

 此処は、昨日案内した彼の部屋らしい。つまり、彼が運んできてくれたのだ。

 それは、ありがたいことであったが、しかし彼女は首を横に振った。

 

「……あの、私に、あまり触れない方、が良いですよ。黒炎の呪いが」

「帯で巻かれたところは触れないようにしたが、しかし接触で感染するのか?黒炎」

「……”発火”する前の状態なら、可能性はかなり低い、です」

「じゃあいいか」

 

 アッサリとそう返される。もうこちらに興味を無くしたのか前を向いて何やら作業を続けた。彼の横には採取した薬草魔草の類いが集められて、種類ごとに小さな小皿のようなものに別けられていた。

 いや、それだけではない。昨日は何も無い部屋だったのに、気がつけば幾つも物が増えていた。すり鉢、ぼろい鍋、熱の魔法陣の類、魔法薬用のガラス瓶まであった。

 何事に対しても心が動かなくなっていたアナスタシアだったが、少しばかり驚いた。

 

「……道具はどこから?」

「”親切な奴ら”が譲ってくれたよ」

 

 ウルはアナスタシアの方を向かずに言い放つ。

 勿論、此処に”親切な奴ら”なんて存在しない。此処は牢獄で、犯罪者と追放者の集まりだ。彼等は自分と違って、子供にだって容赦はしないだろう。真っ先に食い物にするはずだ。ほぼ一日目で、道具類が揃ってるのはおかしかった。

 

「また持ってきてくれるって言ってよ。ありがたいことだ。」

「そんな、こと……」

「ガキィ!どこにいやがる!!!」

 

 と、言ってる間に、通路の奥から声が聞こえてくる。荒っぽい囚人達の声だった。それも複数人。ガンガンと音を鳴らしているから、なにか道具のような物を持ってきているのだろう。

 

「あ、あの……」

「ああ、来たのか。」

 

 ウルは、そう言うと、近付いてくるであろう囚人達の方角へと視線を向けないまま、足下のロープをぐいっと引いた。すると、

 

「ぎゃあ!!!?」

「いで、いでえ!!?げほ!!がへえ!?」

 

 複数の悲鳴が響いた。声と音だけだが、恐らく男達が地面に転がって悶え苦しんでいる。アナスタシアは原因であろうウルに尋ねた。

 

「……なにを、したのです」

「たいしたもんじゃない。あそこで自生していた野草の中に、軽い辛草も幾つかあったから、粉にして、詰め込んで、通路に仕掛けて、今炸裂させただけ」

「…………何故、仕掛けたのです?」

「襲撃があったら大変だからだなあ」

 

 何故、襲撃があると思ったのだろう。と、思っていると、ウルのトラップをくぐりぬけたのか、男が目を真っ赤にして鼻水と涙を垂れ流しながらやって来た。

 

「クソガキぃ!!なんて真似しやが――」

「【咆吼】」

「ぎゃあああああああ!!!?」

 

 爆発音がした。ウルがいつの間にか竜牙槍を持って通路にぶっぱなした。アナスタシアは流石に言葉を失った。竜牙槍を少年が持ち込んできたのは知っていたが、それを平然と、一瞬の躊躇も無くヒトに向けてぶっ放す者は流石にこの焦牢の中にもにいない。

 

「本当に変形時のラグがほぼねえや。とんでもないもんくれたもんだ」

 

 ウルは立ち上がると、手に持っていたすり鉢をアナスタシアの方へと放った。戸惑うアナスタシアにウルは申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げた。

 

「済まない、ソレ少しの間擦っておいてくれないか。それ、継続してないと汁が固まってダメになるんだ」

「……いいですけど、貴方は、どうするんです?」

「へし折ってくる」

「何を?」

「心」

 

 そうして、アナスタシアがすり鉢をすりおろしている間、囚人の男達の悲鳴と絶叫がずっと響き続けた。

 アナスタシアは思った。

 少なくともウルは、可哀想な子供、ではないらしいと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の日常と新人の囚人③

 

 【罪焼きの焦牢】 地下牢工房

 

「回復薬2つに強壮薬2つ……こんだけか!?」

「変異した魔草の効能を確認しながらだったからな。いきなり最高効率を求めないでくれ」

 

 形がバラバラな魔法瓶に詰められた完成品をダヴィネの前に並べていたウルは、早速ケチをつけられていた。とはいえ、彼の言うことは分からないでも無い。一日で生産できる量としてはあまりにもささやかなものだった。

 しかし、ろくに道具も用意されない状態、どのような植物が自生しているかもわからない状態から生産までこぎ着けたのは上等だろう。

 ウルは引け目を顔に出さないように毅然とした態度で言葉を続けた。

 

「生産を安定させるならもう少し時間をくれ」

 

 そう言ってる間にダヴィネは回復薬をじろじろと睨み付けると、ぐいと一呑みした。自分でも確認したが、何入ってるかも分からない代物に対して躊躇無いなとウルは呆れた。

 

「作業が安定してきたら幾つ生産できる?」

「とりあえずは日に回復と強壮が5つずつ。あとは資材と人員次第かな」

 

 無理すれば8つずつくらいは作れそうだが、5つとした。8つずつだと恐らくそれにかかりっきりになる。他にもやりたいこと、調べたい事は多い。そう考えると5つが限界だった。

 

「…………」

 

 ダヴィネはウルをじぃっと睨む。土人の目は小さな目だったが、その眼光はやけに強かった。そして彼は一歩ウルに詰め寄って

 

「7つだ。7つずつ用意しろ」

「5つって言ったが」

「7つだ!!!」

 

 ガンと、ダヴィネが鎚で近くに転がっていた兜をぶん殴る。兜はその衝撃でひしゃげた。鍛治師として有能であり、焦牢の王様であるという情報は理解したが、どうやら力もあるらしい。ウルはわざとらしく大きく溜息をついた。

 

「……分かった。代わりにアナスタシアを助手にくれ」

「ああ!?」

「黒炎の呪いの末期患者だったか?昨日のアイツの様子見るに、もうろくに仕事だって出来ないんだろ?だったら俺にくれても良いだろ」

 

 するとゲラゲラとダヴィネの隣の小人の男が笑う。表情には悪意が満ちていた。

 

「なんだあおめえ?あんな使()()()()()()死に損ないが気に入ったのかぁ?」

「ああ。気に入った。胸も結構あるしな。慰みに丁度良い」

 

 ウルは真顔で返した。面白半分にウルの事を動揺させて、傷つけてやろうと目論んでいたと思われる小人は、ウルがまるで動じないことにつまらなそうにした。相手を動揺させたところで、ウルの方は別に面白くも無かった。

 

「なあ、いいか?」

 

 ウルはダヴィネに視線を向け続けた。ダヴィネは笑った。

 

「良いだろう。あんなクズ石が良いならくれてやる!だが7つだぞ!!7つだ!!」

「わかったよ。後、薬詰める瓶は必要経費として貰わないと困る」

「そこら辺に使わなくなった瓶類なら山ほどある!勝手に持ってけ!」

 

 言われたとおり、形の歪な魔法瓶をがちゃがちゃとウルは拾い集めた。何のために作られた失敗作なのかは不明だし、数も不揃いだが贅沢は言えない。ウルは持てるだけ回収することにした。

 

「それと、報酬……と言って良いのか?それはどうなるんだ?そもそももらえるものなのか?」

 

 するとダヴィネが「クウ!」と叫んだ。するとどこから来たのだろうか。真っ黒な色の髪の長耳、森人の女が姿を現した。髪の色が通常の森人とは違って見えたが、それ以外は普通の森人と同じ美形。そして真っ黒なローブを身に纏っている。

 ウルに対して微笑みかけると、そのまま何かを手渡した。それは、コインだった。ただし、本物の通貨の類いではなく。

 

「【ダヴィネコイン】だ!薬一本につき1枚くれてやらあ!!!」

「あんた自分のこと好きだな……」

 

 コインにはダヴィネの顔が刻まれていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「地下牢用の通貨です。それで、この地下牢、は取引が行われています」

 

 自分の小部屋に戻ったウルは、早速アナスタシアのこれからの境遇を話した。

 自分のあずかり知らないところで自分の境遇が決まったことに、アナスタシアは特に驚きもしなかった。興味が無い、といった様子だ。それは黒炎の影響なのか彼女自身の性格なのかわかりにくかったが、嫌がられないならまあ何でも良かった。

 

 そしてそのまま夕食の時刻になったらしいので、朝と同じ豆煮込みを貪りながら、ダヴィネから預かったコインの説明を聞く。

 

「どんな取引?」

「食事量を、増やしたり、も出来ます。仕事を手伝わせたり、ダヴィネさんに道具作成を依頼したりも、できます。囚人同士でも、取引があります」

 

 彼女はゆっくりと視線を横に向ける。彼女の隣で獣人の大男が歩いて行く。彼の手元の皿に乗った豆の煮込みの量はウル達の二倍は多かった。ウルはなるほどと頷く。

 

「しかし働かなくても飯が食えなくなるわけじゃ無いよな?配給にコインは使わないし」

 

 アナスタシアは首を横に振る。

 

「ダヴィネさんに、役に立たないと思われたら、無くなります」

「無くなる」

「彼にたてつく人は、囚人全員に、排除されます。食事もでません。部屋も荒らされます。懲罰部隊を、ダヴィネさんは率いてる」

「すげえ統率力だな……」

 

 つまり”ダヴィネコイン”はあくまでも飴であり、鞭は別にある。ウルは一番最初に彼の追求を逃れたから幸いにしてその目はあわなかったが、本来は一番最初にその鞭の部分を叩き込まれるのかも知れない。

 

「……しかし、このコインって、取引用の通貨としてちゃんと成立するのか?」

「……どういう?」

「こんな場所だろ?こんなもんあったら、盗んだり、強奪したりが起こりそうなもんだ。それがまかり通ってしまったら、もう滅茶苦茶になるだろ?」

 

 するとアナスタシアはウルが眺めるコインを一枚指さした。ウルは意味がよく分からないまま、彼女にコインを手渡す。すると彼女はそれを握る。そして暫くして手の平を開いた。そこにコインはない。

 手品か?

 と、思って不意にウルの手元を見ると、そこに手渡したコインがあった。ウルは流石にぎょっとした。

 

「【双方の同意外での所持者の移動を禁ず】。そういう付与魔術が、かけられてます。無理矢理同意させても、意味ないです」

「……外の通貨より上等では?」

 

 ウルは驚いた。外の通貨にはそこまで高度な魔術は組み込まれていない。金目当ての強盗事件は良く起こっていた事だ。

 

「数が少ないから、出来ること、です。後はダヴィネさんの、趣味」

「趣味て」

「森人の、クウが、牢獄のコインを管理してます」

「とりあえず必要な物ってことは分かったよ」

 

 ウルはコインを軽く指で弾き、キャッチするとそのままポケットに突っ込んだ。

 現在のウルの目的は、この牢獄からの脱出である。

 その手段が正当な方法になるのか、不正な方法になるか、あるいは外のシズク達の介入によってのものになるのかもまだ分からない。外部の介入は上手くいく保証は全くない以上、ウルは自分でこの状況をなんとかするしかない。

 

 しかしその為には準備が必要だ。

 ウルは自分の現状を甘くみるような真似はしていない。

 

 呪われた大地、ラースの攻略を困難にしているのは【黒炎】であり、それを吐き出したのは【大罪竜ラース】だ。その竜という存在をウルは理解している。【陽喰らい】の経験はウルに竜の脅威という情報を刻み込んだ。

 その竜の呪いが色濃く残るこの砂漠でどのような活動を行うにしても、半端な準備で動くことは絶対に避けなければならない。

 脱出の為動くにしても、まずは足場を固めなければならない。

 この地下牢でのしっかりとした足場を。

 

「アナスタシア。アンタは俺の部下になった。手伝って貰うぞ」

「私で良いなら、構いませんが、出来ることは、少ないですよ?」

「”だから”アンタでいいんだ」

 

 仲間と引き剥がされ、たった一人になったウルが今一番必要としているのは協力者の存在である。ウルは自分の能力を見誤ったりはしていない。自分は凡人である。だから自分の不足を補う協力者は必須となる。それも迅速に。

 

 しかし此処は牢獄で、犯罪者の巣窟だ。周りに居る奴は脛に傷を持つ者ばかり。

 

 信用など、最も縁が遠い場所だろう。相手を選ぶ必要がある。

 では彼女は?

 身体が弱そうだ。気力が無い。悪事を目論んで、こちらをだまくらかそうといった発想を考えるようにはとてもみえない。ダヴィネが「クズ石」呼ばわりして、他の連中も蔑んでいる。仲間の繋がりも無いのだろう。つまり「都合が良い」。

 弱った相手を見てそういう発想に至るのは悪党だな。とウルは自分を蔑んだが、しかし形振りを構っても居られなかった。

 

「……ダヴィネさんが、そう言ったなら、私はそれでいいです」

 

 アナスタシアは頷いた。ウルは心の中でほっと安堵する。

 さて、これからやらなければならないのは牢獄内での地盤作り。その為に何をすべきか。幸いにしてこの地下牢でどのようにして下地を作れば良いかは、実に分かりやすかった。

 

「まずは、人手と、コインをかき集めるだけかき集めるか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女窯の魔女

 

 【罪焼きの焦牢・地下牢】における権力構造は実にシンプルだ。

 

 【鍛冶王ダヴィネ】という天才が全てを牛耳っている。気が向きさえすれば望む物を望むままに生み出し、地下牢の内と外に恐るべき影響力を持つ。【黒剣】は彼を失うことを強く恐れるが故に、彼が外に出る事を徹底的に阻止しようとするが、結果として【黒剣】は彼の言いなりだ。

 

 紛れもない【焦牢】の王である。

 彼がトップで、彼に従わない者はいない。居てもすぐにいなくなる。そう言う場所だ。

 

 しかし彼の”下”は単純かというと、少々複雑だ。

 トップがダヴィネである以上、地下牢で力を持つ者は彼に近しい者達と言うことになる。ダヴィネに気に入られる者こそが力を集め、「コイン」を得る。それができたグループはおよそ3つ。

 

 ダヴィネの焦牢の治安そのものと、通貨であるコインを管理する【焦烏】

 ダヴィネの生み出す”作品”に彼の望む【付与】を与える、【魔女釜】

 ダヴィネが”作品”を作り出す上で必要となる素材を集める【探鉱隊】 

 

 そしてそれらの下に、黒炎に呪われるリスクが最も高い【黒炎払い】がある

 

 地下牢の環境を理解した囚人達は自然と、この四つのグループのいずれかに所属する。

 当然、囚人達は上位のいずれか3つのグループに所属することを望むが、多くの技能を求められる上位の3グループは弾かれることが多い。と、なると最も忌み嫌われる【黒炎払い】になるか、あるいはその3グループのいずれかに媚びへつらって、使いぱしりになることでなんとか逃れようとするかのいずれかとなる。

 

 【焦牢】の地下囚人、ペリィは後者だった。

 

 彼が媚びて使いぱしりになっている相手は、【魔女釜】のいけ好かないリーダーだった。魔女という呼称が相応しい女だ。性格も最悪で、此処に放り込まれた理由も自分と敵対した魔術ギルドに禁術を使い、一般都市民をも巻き込む惨事を引き起こしたからだ。全くもって、ろくでもない。(勿論、ペリィだって此処に来た理由はろくでもないが、それは今は良いだろう)

 

 さて、彼をこき使う魔女の今回の命令はこうだ。

 

 ――若い子供、きっと頑丈だろう?使いたいからウチに連れておいで。

 

 何に使う気か、なんてことは考えたくもない。

 技術も何も無いのに【魔女釜】に招かれて、疑問にも思わずほいほいと彼女の元へとやってきた間抜けが、翌日悲惨な姿になって黒炎に放り投げられるといった事があったとまことしやかに囁かれているがそれは本当だ。ペリィがそう誘導したからだ。

 

 兎に角、仕事だ。あの魔女から役立たずと見なされれば、今度ひどい目に遭うのは自分だ。それか、【黒炎払い】に回されるか。どっちにしろ最悪だった。

 

「適当に言いくるめりゃ良いさ……何時ものことだ」

 

 【罪焼きの焦牢】は外の情報が殆ど入ってこない。

 滅んだラース領に隣接している為に他の領と物理的に距離がある。契約した通商人と月に二回ほど取引を行うが、情報の鮮度は当然悪い。つまりウルという新人の情報をペリィは勿論、持ち合わせていなかった。

 

 結果、彼はウルという子供を侮った。

 冒険者をしていたらしいが、子供は子供だと。

 

 その判断が愚かしいかと言えばそうではない。子供の冒険者は珍しくは無いが、強い子供の冒険者なんて殆どいない。その子供が此処に流れ込んでくるのは珍しいが、頻度が低いというだけでいないわけではない。

 神官達の不義の子が適当な罪を擦られて送られることもあるのだ。多少の物珍しさくらいで彼等は騒いだりしない。

 竜牙槍と、黒睡帯を持っていたのは気になったが、まあ、此処に入れられる前に噂を聞いてこれくらいの準備をしてくる奴はいるだろう。実際、看守達に賄賂を送り、ガチガチに装備固めてこの地下牢にやって来たバカもいたものだ(早々に黒炎に焼かれて死んだが)

 

 兎に角、相手は子供だ。無知で愚かで、丁度思い上がりが激しい年頃の子供。

 

 騙すのは容易い。彼は元は詐欺師だ。相手をだまくらかすことには慣れている。

 まずは適当なバカどもをけしかける。

 良い感じに傷ついたところで助けてやる。さも、地下牢のイロハを知ってる頼りがいのある男として彼に助言をくれてやる。そして最後に口利きと言って魔女の下に自分から向かうように仕向ければ良い。騙されたと知る頃には、自分から魔女の【契約】を結んで何処にも逃げられなくなった哀れな実験体の完成だ。

 

 何時もの彼の手口だ。だから楽勝だと、彼はそう思っていた。

 

「…………何、やってんだぁ?」

 

 その日の朝食時、早速チンピラ達をけしかけたペリィは、先輩面で自分がけしかけた喧嘩を仲裁しに向かおうとした。が、残念ながらそれは不発に終わった。

 

「……………ごげえ」

「……いでえ、いでえ」

「なん…なにしやがるこのガ――ごべん!?」

 

 子供の前に、3人のチンピラ達が沈んでいたからだ。

 不意打ちに囲んでタコ殴りにしろと指示を出したはずだ。彼等は冒険者まがいで、それなりに腕は立つ。幾ら子供も冒険者をやっていたからといっても、数の暴力を前にすれば大抵は負けるものだ。

 

 だが結果を見ると、そうはならなかった。子供はでかい槍を背負っているが、それを使ってる様子もない。素手の喧嘩で彼らは負けたのだ。

 

「何って、喧嘩だ。こういう場所だし、珍しくもないだろう?」

「あ、ああ、そ、そう……」

 

 ウルという子供は、コチラを睨み付けるような目つきで問うてきて、少しビビったペリィは思わず頷こうとした。が、気を取り直す。予定は変わったがやることは変わってない。先輩面でアドバイスをするのだ!

 

「いや、気をつけた方が良い。この牢獄にゃ【焦烏】っつー治安維持の監視役がいる。そいつらに目を付けられたら大変だぜぇ?」

「なるほど、気をつけよう。アドバイス助かる」

「なあに、気にすることはないさぁ。新人が来たから困ってると思ってな」

「へえ、親切なことだな」

 

 和やかに会話が続く。表面上は。

 ペリィはずっと嫌な予感がしていた。詐欺師をしていたから、相手がコチラをどう思っているかはなんとなく察せるのだ。相手が緊張していたらすぐ分かる。その緊張を上手いこと解きほぐしてやると、容易く相手はコチラの手の平で転がる。

 ではこのウルという子供はどうかというと、確かに緊張している。だが、恐れから生まれる緊張とそれは違った。肌を切り刻んで引き裂くような緊張感は敵を見たときに向けるものだった。

 

 だがけしかけたチンピラたちは既に再起不能だ。

 ならば、この場に居る彼の敵とは――

 

「ところで、聞いて良いか?」

「あ、ああ、どうし――」

「この場所、動線から完全に外れた場所なんだが、アンタどうやって俺たちの事に気付いたんだ?」

 

 ウルと、倒れ込んだチンピラ達のいる場所は、地下牢の道の曲がり角にあるどん詰まりだ。本来は集会場に続く道が崩落でふさがっている。行き止まりなのだ。

 勿論、此処を通りかかった理由は、彼を貶める為だ。それを口にするわけには行かず、

 

「それは――――」

 

 ペリィは答えに屈し、直後、目の前のウルが黒睡帯で覆われている拳を強く強く握りしめるのを見て慌てて言葉を捻り出した。

 

「そこに転がってるバカどもが仕事場にいつまで経ってもきやがらねえから!!探してたんだぁ!!!」

 

 魔女の使いぱしりになっている彼等だが、普段、命令されていないときは仕事が無い訳じゃ無い。雑用はある。嘘は言っていない。

 

「ああ、なんだ。そうだったのか」

 

 パッと、ウルは拳を解いて、申し訳なさそうな顔で頭を掻いた。ペリィは冷や汗を背中にかきながらなんとか笑みを返した。が、それ以上はペリィは言葉を続けられなかった。ウルは用が済んだと言うように去って行く。その去り際に小さく呟いた。

 

「アンタがけしかけたのかと思ったよ」

 

 その声音の冷たさに、ペリィは身震いした。振り返ると彼はいなくなっていた。

 やって来たのは、少なくとも、”ただのガキ”ではないとペリィは学んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 新人、ウルがやって来てから数日が経過した。

 

 ペリィの状況は思わしくない。

 初日、ペリィの指示でウルを襲撃し、返り討ちにあった連中が腸を煮えさせて、その日のうちにウルに再襲撃を仕掛けた。そしてそれも失敗した。

 結果、チンピラどもの心が折れた。ウルに関わりたくないと泣き言を抜かした。

 

「あのイカレ野郎とは二度と関わらねえ!!絶対にだ!!!」

 

 誰もが一目で竦むような強面のチンピラリーダーが泣きっ面でそう喚いてペリィの指示を拒否したことで、動かせる兵隊がいなくなった。ペリィと彼等の間に主従関係は無い。ペリィは頭が回るから彼等を指示する側に回っていただけで、真っ向から拒否されればそれを咎めることはできない。

 だが、そうなるとペリィには手が無い。

 彼は困っていた。詐欺師としての経験など無くたって分かる。ウルというガキは完全にこちらを敵と見なしている。自分は詐欺を働いたが、天才的な詐術の持ち主ではない。出会い頭にコチラの正体を見抜くような警戒心の高い相手をだまくらかすスキルはない。

 

 しかしこのままでは魔女の矛先が此方に向かう。性悪の魔女が「ガキの代わりをしろ」と言ってきたら自分は破滅だ――

 

「なあ」

「んな!?」

 

 食堂の隅でずっと頭を抱えて悩んでいたペリィは、声をかけられてびくりと身体を起こした。そして顔を上げた先にウルが居たことで更に驚く。

 ウルは、隣りに【廃聖女】を連れて、夕食を貪りながらコチラを見ていた。ペリィは困惑し、恐怖する。チンピラ達が何か漏らして、コチラにも報復に来たのではないかと疑った。

 

「なあ、あんたって【魔女釜】の連中に仕えてるんだったな?」

 

 息がひゅっと漏れた。バレている。彼はそのまま逃げようと腰を浮かせたが、その前にウルは言葉を続けた。

 

「アンタが望むなら、魔女のところに顔を出して()()()()いい」

 

 だが、続けて出た言葉にペリィは身体の動きを止める。困惑していた。言葉の意味が理解できずに、分かりやすく怪しげな表情をウルに向けてしまった。詐欺師と名乗るには実に滑稽な姿だっただろう。コチラの感情が相手にモロバレだった。

 

「ど、どういうつもりだぁ……」

「言葉のままだが?あんた魔女とやらの指示で俺を連れてくるように言われたんだろ?そうして”やっても”良い」

「……………なにが望みだよぉ」

「ヒマなとき力仕事手伝ってくれよ。安心しろ。大した作業じゃないから」

「…………」

 

 ペリィは黙る。それぐらいならいいか、と思ってしまった。だが、本当に良いのか?という疑問も沸く。目の前の甘い餌に安易に飛びつくのは自分がいままで騙してきた相手と同じ反応だ。このウルという子供の事を未だ計りかねているというのに――

 

「嫌なら良いが。俺としても危険な奴と関わるリスク、背負いたいわけでも無し」

「っ待ってくれぇ!!」

 

 席を立とうとしたウルをペリィは呼び止める。

 

 結果、彼はウルの条件を吞んだ。一日の作業の中で、彼の指示したとおりに荷物を運ぶ作業が追加された。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下牢【魔女釜】

 魔女、グラージャにとって、新人の来訪は最初、全くと言って良いほど気にかけてなかった。新人を寄越しに来いと下っ端に指示を出したのも、気紛れだ。人体実験の相手を彼女は事欠いた事なんてないし、そもそも人体実験なんてものを必要とする研究なぞ、彼女はしていない。

 相手を脅すとき、あるいは愚かしくもダヴィネや自分に反抗的な相手に対する拷問目的の人体実験なら何度もしたことがある。

 

 だから、その新人が自分からこちらに来たときは少し驚いた。

 

 魔女の噂は一日でもこの地下牢に居ればすぐに耳に入っただろう。なのに全く恐れ知らずに真っ直ぐに尋ねてきたのだ。うっかり良い様に使われたチンピラへの仕置きを忘れてしまう程度には、グラージャは目の前の子供に興味がそそられた。

 

「さあ、飲みな。お茶だよ」

「いただきます」

 

 魔女が差し出す飲み物を、ウルという子供は躊躇なく一呑みした。普通、ビビリ散らして警戒するものだが、ひょっとしたら単なるバカなのかもしれないと思ったが、それはそれで面白かったのでグラージャはこの場で指摘するのは止めた。

 

「それで、何の用なんだい?」

「それはこっちのセリフなんだが?アンタが俺を呼んだとチンピラたちから聞いた」

「そうだったかね?ヒャヒャヒャ!!」

 

 グラージャは笑う。勿論覚えている。

 

「だが、用はあるんだろう?あのチンピラを使ってこっちに接触しに来たんだ」

「……まあな。【魔女釜】ってとこを見てみたいとは思っていた。話もしてみたかった」

 

 あっさりと、ウルは答える。観察をする限り、適当を言ってるようには見えない。バカ正直なだけか、それとも、それを心がけることが処世術なのか。グラージャは会話を続けた。

 

「それで?どう思ったね?」

「凄いと思った」

「馬鹿な感想だね」

「実際そう思ったからな」

 

 確かに、此処が巨大な牢獄の中の施設である、などと、知らない者が見れば思いもしないだろう。中央に存在する巨大釜、それを管理するための多様な魔導具類の数々。正確な【付与術】を刻印するための圧縮機。外の世界の錬金工房であってもここまでのものが揃っている場所は希も希だ。

 

「ダヴィネの仕事さ。あの男に気に入られればこうなる」

「羨ましいものだ」

「何ならアンタもうちで働くかい?」

「それはまだ遠慮しておく」

 

 ウルはこれまた正直に答えた。グラージャはまたヒャヒャヒャと笑う。変な子供だった。馬鹿正直な者は珍しくないが地下牢では珍しい。此処に流れ着いてしまった経緯が全くつかめない。

 

「ただ、疑問がある。俺はダヴィネに魔法薬の製造を頼まれた。此処じゃ作らないのか?」

「此処で魔法薬ぅ?バカ言うんじゃ無いよ。」

「バカな事なのか?」

「はぁーん?さてはあんた、魔術、魔法と名が付けば魔術師は何でも出来ると思ってる手合いかい?」

 

 するとウルは黙った。図星らしい。

 

「この場所は良くも悪くもダヴィネ専用の工房さ!その為だけに特化している!!魔草学!薬草学の入り込む余地はないよ!充満する魔力の圧が強すぎてすぐ変異しちまう!」

「なるほど……じゃあ、魔法薬を作る奴はいままでいなかったのか?」

「いたよ」

「いた」

 

 ウルは即座に理解したのか渋い顔になった。

 

「去年だったかに、うっかり採取中に【黒炎】に焼かれたらしいねえ。死体は見つからなかったから、今も外を燃えながらうろうろしてるんじゃないかね?」

「空いた椅子に上手く納まったって事か……」

「よかったねえ?まあアンタも同じように燃えちまうかもしれないけどねえ!ヒャヒャ!」

 

 魔草、野草の採取と魔法薬の生成というとまだ【黒炎払い】と比べればマシに思えるが、そもそもこのラースで外に出ること自体リスクなのだ。

 【焦烏】も【魔女釜】も【探鉱隊】も外には出ない。彼等の活動は地下で完結している。それこそが此処で生き残る術なのだから。

 

「……地上に出るリスク回避か」

「精々頑張るんだねえ。それで、あんたの見学会はこれで終わりかい?」

 

 グラージャは立ち上がって、じっとウルを見る。魔女の眼球は大きく、ウルの顔をすっかり映しだした。

 

「あんたが欲した情報はくれてやった。対価はいただきたいねえ」

「そっちの要件か。だが、言っておくが、あまり能はないぞ俺は」

「だが、冒険者もどきのチンピラどもを叩きのめす程度には能があるんだろ?」

「…………」

「なに、簡単さ。腕に覚えがあるんなら難しいことじゃない」

 

 反論はなかった。グラージャは笑い、そして言った。

 

「【探鉱隊】のリーダー、フライタンを殺してきちゃくれないかねえ?」

 

 ウルの目を覗き見る彼女の瞳は、酷く淀んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女窯の魔女②

 

 

 【探鉱隊】 フライタン

 

 ダヴィネと同じく土人で男。地下牢の更に地下に広がる鉱山窟を掘り進む【探鉱隊】のリーダーだ。ダヴィネが武具防具道具類、あらゆる物を生み出す際の原材料を掘り出すのが彼の仕事だ。

 大罪都市ラースは、元は精霊の力が溢れ、結果あらゆる資源に満ちていた。それは鉱物資源も同様である。が、黒炎は大地を焦がした。炎は地表に留まったが、その呪いの影響は地層深くまで歪に歪め、変容させた。

 

 フライタンはその呪われし探鉱を掘り当てる熟練の探鉱夫だ。

 

 ダヴィネのように天才的なセンスの類いではなく経験値から紡がれる洞察力だ。大地を理解し、隊を導き、鉱脈を発見していく。ダヴィネがいかな天才であろうとも、その素材が無ければ何も生み出すことは出来ないだろう。この地下牢において彼は必要不可欠な人材だった。

 

「……よりにもよって、その男を殺せ、と?」

「そうさ!ヒャヒャヒャ!」

 

 そのフライタンの情報を耳に入れながら、ウルは顔を顰めた。情報収集とコネクションの確保を目的に【魔女釜】に顔を出してみたのだが、やはりというか、酷く物騒な話がいきなり叩きつけられた。

 

「理由を伺っても?」

「気に入らないからさ!!【探鉱隊】の連中がね!!」

 

 魔女は叫ぶ。

 グラージャという名の只人の老婆は先程まで浮かべていた笑みを拭い去って、まるでウルがそのフライタンであるかのようにコチラを睨んだ。痩けた顔に目玉がやけに大きく見えた。

「あの土人の不細工どもめが!自分こそが一等にこの地下牢で優れていると本気で思っていやがる!魔術の”ま”も理解しちゃいねえくせに私らの仕事にケチをつけるのさ!!呪い殺してやりたい!!」

 

 口憚らず、大声で喚く。【魔女釜】には彼女以外にも働く部下達が居るのにお構いなしだ。ウルはちらりと周りの連中の反応を伺う。魔女の部下達に彼女を咎めようという表情の者はいなかった。中には小さく頷いている者まで居る。

 この対立は本格的だ。ウルはそれを理解した。

 

「だからそのトップのフライタンって男が邪魔だと?」

「でも私ら【魔女釜】ももう随分と此処に長い。地下牢は閉鎖的だ。下手な真似しようとするだけですぅーぐ誰かがチクっちまう。だけど、新人のアンタなら動機は少ないだろう?」

「少ないから、暗殺者にはうってつけ?」

「ああ、そうさ。フライタンはガキには優しい。アンタならきっと懐まで潜り込んで、あの不細工の首を掻ききってやれるさ!!!」

 

 大分ゲスい目論みをベラベラと、なんの後ろめたさも無く語る姿はいっそ清々しかった。眼前で浴びせられるにはキツイ話だったが、とりあえずウルは最後まで聞くことにした。

 

「勿論、アンタが仕事を終わらせたら、アンタの事は私達が守ってやるとも!!!魔女釜の支援を受けたら、アンタはこの地獄で地上よりも楽な暮らしが出来るよ?どおーだい?」

「……そうだな」

 

 ウルは少し、悩むように一呼吸空ける。が、答えはもう決まっている。

 

「断る」

「おや、どうしてだい?いい話だと思うんだがねえ」

「どこら辺がいい話なのかわからんが、入ってきたばかりで、この閉鎖空間で殺人犯す方が遙かにリスクだろ」

 

 ウルはこの数日、情報を仕入れるために彼方此方歩き回ったが、一度見た顔と何度もすれ違った。この地下牢は小型の都市ほどに大きな空間ではあるが、グラージャの言うとおり、同時に酷く閉鎖的だ。

 人の流動が少ない。此処は通常の牢獄と比べ随分と自由にうごけるが、それでも此処は牢獄なのだ。出られないし、あまり入っても来ない。空気は淀む。関係性は停滞する。

 

 その中で殺人などという破壊を行えばどうなるか。

 

 【魔女釜】に庇われようと、恐らくウルはこの地下牢の中で生きるのが酷く困難になる。此処が犯罪者の巣窟だろうと、一定の秩序がこの中にはあると分かった。そして秩序の中で外れる者は排除される。

 そして、そう考えると、予想も付く。

 

「よしんば、暗殺が上手くいったとて、アンタ俺を庇う気なんてないだろ?」

「口約束が不安なら契約魔術なら作ってやるよ?」

「アンタが作ったモノで?何の保証になるんだそれ」

「ヒャヒャヒャ!!」

 

 魔女は笑った。否定はしなかった。つまりそういうことだ。

 規則を破ったモノを庇って、もろともにくたばるくらいなら、約束を反故にしたほうが話は早いし、なんならその暗殺者を始末した方がもっと話は早い。

 

「なあんだ。これに乗るような馬鹿だったら面白かったのにねえ?」

「いるのかよ、そんな迂闊な奴」

「いたよお?此処は馬鹿な外れどもが集まる牢獄だよ?愚か者の集まりなのさ」

 

 魔女は笑い、そして、ウルを指さした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「………」

 

 ウルは沈黙した。彼女の言葉をそれ以上何を追求したとしてもやぶ蛇になる気しかしなかった。魔女もそれ以上語るつもりはないらしい。ウルが押し黙ったのを面白そうに見るだけだ。

 

「……暗殺依頼の件は誰にも言わない。出来れば良好な関係でいたいからな」

「そうしてくれると助かるねえ」

 

 暫くして、ウルが吐き出した言葉に魔女は頷いた。

 とても厄介な老婆であるのは間違いないらしい。出来るなら今後関わり合いになりたくは無いが、恐らくはそうも行かないだろう。此処は狭い牢獄なのだから、必然的に関わってくる。それに、

 

「ソッチの要求を断った代わりと言ってはなんだが、簡単な取引をしないか?」

「おや?」

 

 少し意外そうにする魔女の前で、ウルは”ダヴィネコイン”を数枚、机の上に並べる。

 

「企みとかはないさ。ただ、あんたの所で使う触媒の幾つかを融通して欲しいってだけだ。此処にあるって聞いたんでな」

「ふぅん?なにが欲しいんだ?」

「白鐘虫の死骸」

 

 ああ、と魔女は少し意外そうな顔をしながらも部下に目配せする。しばらくすると籠一杯に詰まった拳大の芋虫。の、ミイラが積まれていた。一見すると枯れた木の葉の様にも見える。

 

「触媒として使った後、その絞りかすだよ。こんなモノが欲しいのかい?」

「ああ。幾らだ?」

「コイン3つで良いよ。どうせゴミだしねえ。金に変わるなら私らは丸儲けさ」

 

 笑う彼女に、ウルはそのまま黙ってコインを差し出した。魔女はコインを軽く改めると、そのまま部下に指示を出して、死骸の籠をウルに手渡す。ウルは受け取った死骸をじっと確認し、頷いた。

 

「取引成立だ。また定期的に買いに来るよ」

「へえ、その死骸で何作るつもりなんだい?」

 

 ウルは振り返る。その表情には何故か、苦々しい表情が浮かんでいた。

 

「お茶」

 

 流石に、ウルのその言葉の意味はグラージャも理解できなかったようだ。

 彼女は魔女らしからぬきょとんとした顔をしていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下牢。ウルの自室。

 

 地下牢到着から数日が経過し、ウルの自室の物は増え続けていた。元々狭い部屋であったが、既に物が溢れかえりはじめてごちゃごちゃとしだしている。隣の部屋が空き部屋なのを良いことに其方にまで物が広がりつつあった。

 

「…………出来たか」

 

 幾つかの魔草の根と葉、虫の死骸を粉にして、炙り乾かす。完全に乾燥させ、粉にしたそれに熱湯をかけて生み出した、奇妙な色に輝く液体をみて、ウルは小さく呟いた。

 隣で、彼を手伝っていたアナスタシアは、一体なんの薬品を生み出したのだろうと、思っていた。すると彼はその液体を握り、そしてアナスタシアを見た。

 

「出来たぞ」

「……ええ」

「飲め」

「……ええ?」

 

 アナスタシアは少し驚いた。しかし彼女の返事を無視してウルはすっと不細工な硝子のカップに注がれた謎の液体を差し出した。漂う匂いにアナスタシアはうっとなった。感情があまり動かなくなった筈だったのだが、凄まじい嫌悪感が身体から湧き上がる。コレは止めておけと本能が忌避している。

 

「……あの、飲むの、ですか?」

「ああ」

「どうして?」

「身体に良い」

「嘘でしょう……?」

 

 思わず声が出た。

 根拠は無いがコレが身体に良いのは絶対嘘だと思った。だって今もなにかボコボコと音を立てて泡を吹いて、悪臭を漂わせている。人体が強制的に拒否反応を起こす匂いだ。

 飲みたくない。死んでも良いとすら思ってたけどこれを飲むのは凄くいやだ。口に含むという行為自体が冒涜だ。

 が、ウルはじいっとこっちを見続ける。飲むまでその視線を外す気は無いぞ。と言うように。

 

「…………」

「…………」

 

 ここ数日、彼は自分によくしてくれているのは分かる。

 勿論、裏切るリスクの低い便利な人員としての期待もしているのだろう。彼女が出来る範囲での仕事を、彼は過不足無く与えてくる。それでも彼は、少なくともほかの囚人達の彼女への扱いを思えば、随分とマシな扱いをしてくれていたの確かだ。

 そう考えると、この”お茶”と呼んでる謎の液体が彼女に害あるものでは無い、筈だ。

 

「よ、ほぉ、ぉぉし……」

「すげえ声震えてる」

 

 滅茶苦茶間抜けなかけ声をあげながら、アナスタシアは謎の液体を一息に飲み干した。

 

「…………」

 

 そして彼女は停止する。何も言葉は出なかった。

 

 味覚だけでヒトは意識をふっとばす事が可能なんだなあ……?

 

 という驚愕の事実を理解しながら、そのまま倒れた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 アナスタシアは眠るとき、何時も【黒炎】の夢を見る。自分の身体が黒い炎に焼かれ、蝕まれ、そして炎そのものになる悪夢だ。ずっと熱くて逃れたいのに、自分が【黒炎】そのものになるから逃れようが無い。そして最後には竜が出てきて自分を完全に焼き尽くして食い尽くす。それまではいつまで経っても目を覚ますことも出来ない、最悪の悪夢だった。

 

 だが、その日の夢は少し違う。

 

 竜が出た。だが竜が何故かコチラを焼き尽くそうとはせずに揺らぎ続ける。まるで炎のようにだ。【黒炎】も同様に、ゆらゆらと彼女を炙り、焼くが、しかし彼女を飲み込もうとまではしない。

 何をしているのだろう、と彼女は思い、そしてその竜と炎の動きが何かに似ていることに気がついた。

 

 悶え苦しんでいる

 

「……………っは」

 

 アナスタシアは目を覚ました。

 周りを見ると、ウルの部屋でそのまま寝ていたらしい。自分はベッドで寝かされていた。そして【黒睡帯】以外の服が脱がされていた事に気がつく。寝ている間に好きにされたのだろうかと思ったが、そうではなかった。

 

「う、わ」

 

 眠っていたベッドがぐっしょりと濡れている。どうやら寝ている間に随分と大量の汗をかいたらしい。だが、不思議と身体はそこまで濡れていなかった。理由はすぐに分かった。自分の寝ているベッドの隣で、ウルが眠っていた。

 

「…………くかー……」

 

 寝息を立てて眠る彼の手には、比較的小綺麗なタオルが握られていて、その隣には清潔な水もあった。寝ている間に服を脱がしてくれて、汗を拭って、水を飲ませてくれていたらしい。

 看病されたのだ。アナスタシアにとってそれは随分久しぶりの事で、暫くそれを理解するのに時間がかかった。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 眠っているウルの額を撫でて、アナスタシアは久しぶりに小さく笑った。そして身体を起こして、そして、気がつく。

 

「……身体の痛みが、少し、引いてる」

 

 杖を使わずに立ち上がることが出来たのは数年ぶりの事だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

探鉱隊の土人達

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監12日目

 

『AAAAAA……』

 

 黒炎鬼、と呼ばれる魔物が居る。黒焦げて真っ黒になった身体、二本の脚で立ち、両手を振り回し、地下牢の地上部を徘徊する魔物。

 

 魔物、と称するが、それがヒトの成れの果てであることは誰の目にも明らかだ。

 

 その呼称は、迷宮から溢れた黒炎を押さえ込むために戦う戦士達の苦肉の策だった。友人、家族、恋人、老若男女あらゆる全てが黒々と燃え続け、襲い来る。それらを破壊しなければならない戦士達が、僅かでも自分の心を慰めるための言葉だった。

 

 アレは魔物だ。アレは鬼だと。そう言い聞かせなければ、戦えなかったのだ。

 

『AAAAAA……』

 

 その日も、黒炎鬼は地上を彷徨っている。

 それは最早、元は男だったのか女だったのかもわからない。黒い炎の塊が揺らぎ、うごめきながら歩き続ける。ただの不死者であれば、満たされない餓えを求め彷徨うという行動に、生き物としての残滓が垣間見える。だが、黒炎鬼はそれが無い。本当にただただ炎を広げるために移動するのだ。黒炎の薪を探し続けているのだ。

 

『AAAAAA……』

 

 鬼はラースの大通りから僅かに逸れて、廃墟となった建物に身体をこすりつけるように歩き続ける。そして細い脇道へと逸れて、そのままそちらに脚を進め、

 

「【咆吼・穿孔】」

『A………』

 

 その先で、ウルの竜牙槍の咆吼に打ち抜かれた。

 

「……………採取所の近くで殺すわけには行かねえな……コレ」

 

 【黒睡帯】で両目を守りながらウルは小さく呟く。自分の生み出した結果に顔を顰めた。

 ウルの視線の先には確かに黒炎鬼の死体がある。だが、死体は砕けても、その身体を燃やし続けていた黒い炎はその場に留まり続けていた。

 

 消える気配が無い。恐ろしいことだった。

 

 残った死体の場所はヒトが近づける場所では無くなるのだ。確実に少しずつ、ヒトが生きていける場所を削るための邪悪なる呪いそのものに、ヒトがなってしまうのだから。

 

「……はぐれが一体だからよかったものの」

 

 これが10体、20体と増えていけばどうなるか。倒すほどに戦う場所が無くなる。誘導するにしても限度がある。そうなればどうにもならない。

 しかし、本当に除去手段がないとすると、ラースはあっという間に黒炎に飲み込まれる気がする。が、そうは成っていない。すくなくとも【焦牢】の地表部には炎は殆ど見当たらない。

 と、言うことは何かしら対策があると言うことだろうか?と考える。地下に戻ったらアナスタシアに聞いてみることにした。

 

「……しかし、やっぱ地上は危険だな」

 

 【黒睡帯】を外さず、慎重に黒炎を迂回しながら、ウルは小さくぼやく。

 安全にぬくぬくと、ただただ地下での生活の安全強度を高めたい訳ではないが、しかし不必要なリスクは可能な限り避けなければならないのは事実だった。黒炎は特に、一度失敗すれば回復が非常に困難な呪いの塊だ。慎重に越したことは無い。そうなると

 

「地下栽培か……」

 

 見込みが無いわけでは無い。此処は黒炎から沸いた煙が太陽を常にある程度覆い隠している。太陽神の恩恵が極端に少ないのだ。 ラースの地表は常に薄暗い状況であり、にもかかわらず植物は自生している。恐らくだが環境に合わせて殆どの植物が光の代わりに魔力を喰って育つ魔草化し、光の少ない大地に適応している。

 ならば地下でも、他の条件さえ整えば植物は枯れずに自生出来る可能性が高い。

 

「道具、場所、土、世話役、魔草なら魔力?……病気、害虫対策?虫とか出るのか此処?」

 

 小さくぶつぶつと対策を考えながら、ウルは帰路についた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下牢 ウルの自室にて

 

「はい、一応地下に、菜園区画は、あります」

「本当になんでもあんなここ。牢獄じゃ無くて天国だった?」

「天国、ここまで、薄暗く、ないです」

 

 アナスタシアから情報を仕入れたウルは半ば呆れ、半ば感心した。

 アナスタシアは現在、動かない片手の代わりに残る手で石材を加工したローラーで魔草をすり潰していた。ダヴィネから仕入れたものだが、身体が不自由なアナスタシアの作業効率を上げてくれて重宝した。

 ウルは完成した回復薬と強壮薬に栓をして並べる。

 七つ。ダヴィネに要求された分は用意できた。が、時間はもう既に夕食時を回って深夜だ。ダヴィネにこれを提出するのは明日の朝だろう。どうしても時間がかかってしまう。

 作業効率は幾らか向上している。道具もバージョンアップを続け、何よりウルもこの作業に慣れつつある、が、限度というものはある。

 

 出来れば、特に他の囚人達も活動している日中に動ける時間を増やしたい。深夜になると魔灯の灯りも消える。ウルがいくら睡眠時間を圧縮し、深夜に活動できるとしても、真っ暗闇で誰も彼も寝ていては、出来ることにも限度があった。

 

 効率化を進めたい。削れる時間があるとすれば、現在の採取所に移動する移動時間だ。

 

 周囲の黒炎鬼を警戒し、場合によっては排除し、回り道をしてなんとかたどり着いて、そこからまた周囲を警戒しながら採取を続ける。そして戻る。これだけで大変な時間と体力を消費している。あまりにも効率が悪い。

 地下牢でそれができるなら、大幅に作業は向上するだろう。既に地下栽培の環境があるというのなら、それを利用しないのは嘘だった。

 

 だが、アナスタシアは少し難しい顔をした。

 

「ただ、場所を借りるのは、難しい、かも、しれないです」

「なにゆえ?」

 

 アナスタシアはローラーを転がす手を止めて、囁くような声で言う

 

「あそこは、【探鉱隊】の管轄、です」

「へえ、そいつはまあ……意外というか、なんでなんだ?」

 

 探鉱部隊と、地下栽培がイマイチ結びつかなかった。

 

「地下栽培ですから、場所を取ります。広い場所が」

「ああ、だから地下掘り返してる【探鉱隊】が場所を用意できると」

「空間を、広げるとき、崩れないように、彼等の力が必須です。特に、地下牢は複雑に、広がりすぎたので、彼等以外、手が付けられない」

 

 ダヴィネは物作りにおいて天才的だったが、地下牢がこれほどまでに広く、大きく、そして複雑化したのは探鉱隊の貢献が大きい。【探鉱隊】以外、ダヴィネでも把握していないような空間を彼等は知っているともっぱらの噂だ。

 

「なんつーか、ソレ聞くと、そのまま地下掘り返してラース領の外に出ちまいそうだな」

「それはできねえよぉ」

 

 と、そこに別の声がした。見るとペリィが部屋に大きなベッドをひいひいと言いながら運んできていた。忌々しげにそれをウルの今暮らす部屋の隣の部屋に押し込むと、彼は息を吐き出す。

 

「畜生、疲れたぁ……」

「ありがとよ。助かった。お茶いるか?」

「絶対アレはのまねえぇ!!!」

 

 ペリィはそう叫んで後ずさったので、大げさだなと言おうとして、大げさでも無いなとウルは考え直した。一度だけ彼に飲ませたことがあるのだが、しっかりとトラウマになったらしい。毎日飲んでいるウルとアナスタシアをバケモノを見るように見てくる。

 

「で、地下から脱出が出来ないって?」

「それだけはしないように【黒剣】とダヴィネが契約魔術を結んでんだよぉ」

「へえ、よく結んだな、あの唯我独尊みたいなジジイが」

 

 此処に来てから一週間と少し経過して、ダヴィネとは幾度かのやりとりをした。得た感想は自分の意にそぐわない事は一切やらない暴君である。この地下牢の中で、彼の望むとおりに成らないことなど一つも無い。一つとして存在することを許さないような、そんな男だ。

 例え相手が、自分たちを牢屋に押し込んだ【黒剣】相手だろうと絶対に彼は引くことは無いだろう。【黒剣】の言うことを素直に聞くのは意外だ。

 

「ダヴィネさんは、外に出ることに興味は無いのです。だから、それは許した、んです」

「代わりにたんまりと黒剣から色々な資材をせしめたらしいがぁ……それ以外にも理由はあるらしい」

「それ以外?」

「俺も噂で聞いたくらいだ。知りたきゃ【探鉱隊】にきけよぉ」

 

 ペリィは疲れた身体を休め終えたのか腰を何度か叩きながら立ち上がる。ウルは彼へとコインを二枚放った。

 

「ほい。駄賃」

「…………いいのかよぉ」

「もっと俺のとこで働いてくれるならもっと出すよ」

「………………………考えておくよぉ」

 

 短くそう言って、ペリィは去って行った。ウルは振り返り、運ばれたベッドを見る。ウルのベッドはすでにある。つまりこれは、

 

「お前のベッドが来たな。今後は隣で寝泊まりするでいいのか?」

 

 アナスタシアはゆっくり頷いた。

 

「此処に来るの、少し大変なので、移動が無くなるなら、」

「此処って地下牢の端だしなあ。水場近いし、便利なとこもあるけど……それよか男女関係の懸念とかねえの?」

「呪いまみれの、女の身体が、欲しいなら、どうぞ」

 

 アナスタシアが自分の身体に触れて、小さく笑う。ウルは鼻を鳴らした。

 

「似合わんから無理すんな」

「酷い、です」

「挑発ってーのは自信満々ですっつーツラでできなきゃ痛いだけだよ」

 

 バッサリと斬り捨てられて結構ショックを受けているアナスタシアに、ウルは笑う。出会った頃と比べて、少しは余裕が出てきているらしい。”お茶”の影響か、少しは身体の調子がマシとも言っている。

 

「これからよろしくな。お隣さん、兼、同僚」

 

 ウルが右手を差し出す。黒睡帯に覆われた右手だ。竜に呪われたその手の詳細を彼女は知らない。普通は忌避されるから握手の時は左手を出すように心がけていたが、今はわざと右手を出した。彼女の両手がどちらも呪われているからだ。

 アナスタシアも同じく【黒睡帯】で覆われた右手を差し出して、握手を交わす。呪われた手を強く握ると、彼女は少しだけ嬉しそうに頬を緩めた。

 

「で、話は戻すが、地下栽培は【探鉱隊】が牛耳ってて、そして利用するのが難しい?」

「はい……」

「理由は?」

 

 問うと、アナスタシアは少し悩ましそうな表情で両手を組んで、言った。

 

「あそこは、土人だけで固まる、鉱山夫の集団です。つまり」

「つまり」

「……………とても、とても、とても排他的です」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

探鉱隊の土人達②

 

 【探鉱隊】 フライタンが、作業の最中に”ソレ”を発見したのは夕刻頃だった。

 

「【黒炎】、此処まで焼いたか……」

 

 フライタンはその小さな目が隠れるくらいにボサボサの眉を揺らす。髭と眉で顔の表情が隠れるためか、酷く表情は分かりづらいものの、その声音は苦々しげだった。

 

「ここは優秀だったんだがな……」

 

 彼が睨む先には、その日彼が掘り進めていた坑道がある。が、その終端部分がおかしい。魔灯に照らされた道の先が真っ黒に淀み始めているのだ。近付けば何か、熱まで感じるだろう。

 ラースに、そして【焦牢】に暮らすものならば自然と、その現象に【黒炎】を想起するだろう。そして事実そうだ。【黒炎】の熱が地下に降りてきているのだ。

 このまま続けば熱と共に、呪いが溢れ出す。黒炎が地下を浸食するのだ。

 

「フライタン!どうする!!」

「崩し、道を潰す。誰も近寄らせるな」

 

 部下に指示を出し、フライタンはその場から去って行く。

 

「坑道の一つを失ったか……新たに増やさねばな」

 

 探鉱隊が探る地下坑道は地下牢の更に地下から広がっている。地下牢部分の崩落の危険、地盤の強度などから掘り進める場所は慎重に選ばなければならないのは当然として、このラース領には別の問題も存在する。

 まさしく、今フライタンが遭遇した【黒炎】がそうだ。地上を焼いた【黒炎】が、徐々に地下まで降りてくるのだ。最初は土が黒ずんで見える程度で、単なる土の顔色が変わっただけに見えるが、それが熱を放ち始め、やがて呪いを含む。果てには【黒炎】と転じる。

 

 地下の事情を知らない者達が「地下にはラース領から抜け出す秘密の道がある」などと噂をする者が居るが、愚かしい話だ。ダヴィネと【黒剣】の契約もあるが、それ以前に、この黒炎がこの地下牢をぐるりと囲っている。地下に鉄格子は無い。【黒炎】こそが巨大なる牢獄なのだ。 

 

「流石に厳しくなってきた……か」

 

 フライタンが本格的にこの地下を掘り始めてから数十年が経過している。手を尽くし、叶う限りの鉱石を掘り返している。そしてその限界が近い。この地下坑道は枯れつつあった。

 【探鉱隊】の全員、それを感じ取りつつある。結果、殺気立ち始めている。顔には出すなと、そう言って聞かせているが、何分、此処の連中はあまり頭がよろしくない。その内この事態はバレるだろう。そしてそうなると厄介なことになる。

 

 【魔女釜】の連中はここぞとばかりに調子に乗るだろう。が、それはまあいい。だが、【焦烏】どもはあること無いことをダヴィネに囁くに決まっている。そうすると厄介だ。

 

 鉱物資源の安定した供給が止まると知れば、きっと彼は激怒する。暴れ狂う。大鎚をふりまわし、触れる者全てを砕いて回るだろう。落ち着かせるまでの間に恐らく何人かの頭が弾け飛ぶだろう。悲惨なことになるのは避けたかった。

 が、あの阿呆が泣こうが喚こうが叫ぼうが、穴だらけの地下が回復するわけでもなし。

 

「………【黒炎払い】に、何処まで期待が出来るか……」

 

 解決手段が無いわけではない。が、それが容易いならば、とっくに解決しているだろう。フライタンは溜息と共に汗を拭い、リフトに乗り、地下牢への帰路についた。

 

 しばらくは、ダヴィネに渡す鉱物の量は絞って、誤魔化すか。

 

 そんなことを思っていると、なにやら地下鉱山の出口、【探鉱隊】の休憩所から騒ぎの声が聞こえてきた。

 

 また喧嘩でもおっぱじめたのか?

 

 と、疑問に思い、フライタンは顔を顰める、此処の作業員達は勿論囚人ばかりだ。どこか線がキレてるような奴らばかりで、しかも頭が悪い。そこにこの状況だ。喧嘩の頻度も随分と高くなっている。それを諫めるのにまた苦労があるのだ。

 今日は誰と誰がやらかしたのか。そんな風に思いながら扉を開き、

 

「消え失せろ細っチョロい”禿げ猿”が!!!!」

 

 何故か、只人の子供相手にキレ散らかしてる部下達を目の当たりにした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 フライタンが、只人の来客が”噂”の新人であると気付いたのは、馬鹿な部下達の暴走をなんとか沈めて、落ち着かせた後になってからだった。坑道の一つが潰れた矢先に、疲れる案件にウンザリとしていた彼だが、更に疲れる予感に大分ウンザリしていた。

 

「……てめえがとんでもなく阿呆らしいから説明しておいてやるが、此処は俺たちの仕事場だ。余所モンが勝手に踏み入ったら、殴り殺されても文句は言えねえ」

「ああ、よく理解できた」

 

 顔に幾つかの殴られた痕跡を残しながら新人、ウルは頷いた。大分しこたまに殴り飛ばされた筈だが、割と平然としたツラをしている。ちなみに、彼の周りには未だに殺気だった土人の部下達が彼を恐ろしい表情で睨み付けている。

 彼等には殺人を犯した者もいる。何の冗談でも無く、殺人が起こっても不思議で無い状況なのだが、少年に緊張感は無い。変なのが来たものだった。

 

「…………んで、ウチの地下農園を使わせて欲しいってか」

「ダメだろうか」

 

 ウルは尋ねた。

 瞬間、その場から怒号が響いた。フライタン以外の全ての土人が叫んでいた。全員が各々好き勝手にウルを罵り、混じり合って一つも言葉として成立しなかった。兎に角怒りが充満していた。時々ウルの前に工具が脅すように叩きつけられる。ウルの頭にそれがふり下ろされなかったのは、フライタンが抑えているからだろう。そうでなかったら此処は血の海だ。

 その最中でも特に表情を震わせもしないウルの度胸は少し異常だった。

 

「ダメだ」

「理由は?」

「今聞いたとおりだ。コイツラがそれを認めねえ」

 

 フライタンからすれえば、掘り尽くした後の空間の再利用くらい勝手にすれば良いと思う。実際、現在の【焦牢】の地下空間の一部も、再利用によって出来た所はある。

 コチラの仕事を邪魔しないというのなら、勝手にしたら良い。フライタンはそう思う。だが、彼の部下達はそう思わない。

 

「フライタン!コイツもう黒炎の薪にしちまおう!!」

「止めろ馬鹿どもが」

「だがよお!!」

 

 部下達は基本、フライタンには忠実だ。だが彼等はバカなのだ。しかも血が上りやすい。一度血が上れば、制御は困難だ。聞く耳が無い相手に命令を下すことは出来ない。

 

「俺ぁダヴィネに此処を任されて、コイツラを率いている。その責任がある。おめえを招いて、無用な混乱を招いて、何のメリットがあるんだ?」

「使用料がいるならコインを払うが?」

「金の問題じゃねえ。困ってるわけでもねえ」

 

 実際、フライタンは随分とコインを溜め込んでいる。貯めようとして貯めたわけではない。単に使い道が無いだけだった。精々、酒と肴を買って飲むくらいで、彼は無趣味だった。不要な火種をつくってまでコインを求めちゃいない。ウルが渡してくる少額のコインと引き換えに、自分の職場を荒らされるメリットが彼にはない。

 

「じゃあ、どうすれば使わせて貰えるんだ」

「…………おめえはなんだってそうまでして地下菜園を使いたいんだ?」

 

 フライタンは尋ねる。

 そもそも、地下菜園、なんてのはフライタン達にとっては本来の鉱物探索と比べれば副業も良いところだった。

 

「ダヴィネに頼まれて魔法薬を作ってる。」

「なんだてめえ、魔術師か」

「いや。その真似事だよ。品質もイマイチなものしか出来ない。で、量を作るために魔草の菜園をしたい。地上にいちいち出るのは手間だし、リスクがある」

「てめえの部屋でやれ。なんなら空いてる部屋でも使えば良い。」

 

 この地下牢は、ダヴィネの支配、そして【焦烏】らで一定の秩序を保っているが、それ以外は実に自由だ。眠る位置すら決まっていない。【黒剣】達は【本塔】の秩序だけに満足して、呪いが蔓延するこちらは完全に放置している。

 空いてる部屋も多い。勝手にその部屋でも使って、自由にすれば良いのだ。

 

「面積が限られる。あまり部屋を占領しすぎて、囚人達の目に付くのも避けたい。出来るなら、広い範囲を使いたい」

「…………なんでそんなに、稼ぎたいんだてめえ?」

 

 フライタンは更に尋ねる。はて?と、質問の意図を読めず、ウルは不思議そうにした。

 

「幾らか狭かろうが、部屋でやれることは在るだろうよ。それなのにわざわざこんな所に顔出すリスク冒してまで、生産拡大しようとしている意図が読めない」

「それを答えたら、貸してもらえるのか?」

「答えろ」

 

 無視して、問いただすと、ウルは腕を組んで嘆息した。

 

「コインを稼いで、地盤を整えて、やりたいことがある」

「この地下牢で成り上がりたいってか?」

 

 考えそうな話ではある。実際新人で少し頭の回る奴の中でそうしようとする者は多い。大抵は途中で挫折するか、【焦烏】【魔女釜】【探鉱隊】のいずれかに取り込まれるが。

 だが、ウルは首を横に振った。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 次の瞬間、湧き上がったのは罵声ではなく、嘲笑だった。取り囲んだ土人達はゲラゲラと笑っている。腹を抱え、目の前の哀れなガキを指さして、大声で嗤い続けた。

 フライタンは笑わなかったが、正直部下達に同意だった。

 

「バカか。出来るわけがねえだろ。あの”哀れな聖女”に影響されたか?」

「アナスタシアの事か?」

「アイツもそうだった。ラースを解放するってやって使命に燃えてやって来て、自分が騙されて此処に捨てられたことにも最初、気付かなかった女だ」

 

 アナスタシアの事は結構有名だ。

 かつて彼女があんな呪いまみれになる前は、使命に燃え、奮闘し、ラースを解放しようと本気で思っていた――――まったく空気の読めていない哀れな女だったからだ。彼女の言葉を殆どの者は聞き流し、影で嘲笑し、挙げ句、失敗した。

 失意に飲まれ、黒炎に飲まれて心身の全てを砕かれたのがあの女だ。

 【廃聖女】などという惨い渾名は誰がつけたのか知らないが、ぴったりだった。

 

 大笑いしている部下の一人、ガンダがウルの頭をがしりと掴む。

 

「あれか?あの女を抱いているときに頼まれたのか?私の代わりにラースを救済してくださいとか、ケツ振りながら媚びられてその気になっちゃったか?ハハハハ!!!」

 

 そう言って頭をグルグル振り回して、机に叩きつけた。

 いや、そうしようとした。

 

「あれ?」

 

 不意に彼の身体は消えていて、

 

「ごえ!?」

「彼女は関係ない。此処に行くの止めとけと忠告してくれたしな」

 

 直後、ガンダの背後から出現したウルが、彼の頭を代わりに机に叩きつけていた。

 少なくともその場に居る誰の目にもその動きは見えなかった。その程度には、彼の身体能力はこの場に居る誰よりも高いことを示していた。

 

「てめえ!!このガキぃ!!」

「最初無遠慮に立ち入ったのは謝罪したし、そっちも俺の友人を侮辱したことを謝罪して貰えると助かるんだがな」

 

 頭を叩きつけられたガンダは抵抗するように暴れるが、まるで頭の位置はビクとも動かなかった。他の部下達も彼を解放しようとウルに殴りかかるが、不意にウルの手元でギラリと光る物があって、動きを止めた。

 首にナイフを当てて、ウルは小さく呟く。

 

「さんざ脅されたから、流石に自衛の武装くらいは持ってきたよ」

「てめえ……」

「俺も実際彼女のことは殆ど何も知らない。これから仲良くしていこうと決めたところでな。で、そうなると余計に、暴言を聞かぬ振りは出来なくてな」

 

 仲良くしようぜってヘラヘラ笑って、裏で陰口叩かれてるの無視するような奴が親交を深められるわけ無いだろ?

 ウルはそう言って。ナイフをガンダに寄せて、言う。

 

「謝ってくれるか?」

「誰が!」

 

 次の瞬間、ウルのナイフが机に派手な音と共に、叩きつけられた。ガンダが机にのせた手のすぐ側、指を掠めるような所にナイフが突き刺さる。その場の全員が息を飲んだ。ガンダは身体を震わせる。

 熱狂していた場の空気が一気に絶対零度まで落ちた。その空気をウルが完全に掌握した。

 引き抜かれたナイフをもう一度ウルはガンダに近づける。

 

「謝ってくれるか?」

「…………!」

 

 ガンダは顔を青くして、冷や汗を流しはじめた。ウルの2度目の要求は「次は無い」と言外にハッキリと告げていた。

 しかし何も言わない。彼にもプライドがある。只人相手に、仲間達の前で謝罪など絶対に出来ないだろう。

 対してウルの表情に変化はない。淡々とただ目の前の案件を処理することに意識を集中している。途中で腰が引けるような事は絶対に無いだろう。

 つまり、このままだと、行き着くところまで行ってしまう。フライタンは手を上げた。

 

「そのバカに代わって謝罪する。お前の仲間に無礼を言って済まなかった」

「フ、フライタン!!」

 

 ガンダが何か言おうとしたが、フライタンは無視した。ウルは、酷く感情が乏しい目をフライタンへと向けた。フライタンは背筋につめたい物が流れるのを感じた。少年の目からは本当に、何の揺らぎも見えなかった。ただ決断の意思だけが凝縮し固まっていた。

 どういう経験を積めばその若さでこんな目が出来るようになるのだろうか。

 彼は静かに、フライタンに告げる。

 

「俺は彼に謝罪して欲しい」

「勘弁してやってくれ。ソイツにも立場がある。只人で、子供のお前に謝ったとなれば、もう明日から此処で働くことすら出来なくなっちまう」

「アンタは良いのか?」

「俺のプライドは、土人の仲間を守り抜く事だ。頭一つ下げて仲間守れるならそうするさ」

 

 そう言ってフライタンは立ち上がり、机に両手を当てて頭を下げた。

 

「だからそのバカを離してやってくれ。口が悪くて下品だが、悪い奴でもないんだ」

「………………………………………………分かった」

 

 たっぷりと沈黙した後に、そっとウルはガンダを押さえつけた手を離し、ナイフをしまった。ガンダは解放され、ウルは再び無防備に座ったが、流石にその彼に攻撃しようという輩は存在しなかった。先程と比べ少し遠巻きに彼を囲うだけだ。

 

 一先ずは、元の状況に戻った。そしてウルは緊張を解くように大きく息を吐き出した。

 

「で、一応俺の目的を明かしたわけだが、貸してもらえるのか?」

「………よく、この空気で交渉に話を戻そうと思うな。お前」

「その為に来たからな。脅すなんて慣れないことして、手ぶらで帰るのも馬鹿らしい」

 

 慣れない、という言葉に部下達はウルを凝視した。フライタンはノーコメントを貫いた。

 彼がやって来たとき変な奴が来たと思ったが、想像よりも遙かに変なのが来たらしい。ダヴィネならなにか利用することも考えるかも知れないが、フライタンからすれば扱いに困るだけだった。

 

「俺たちの仕事場の周辺は貸さない。だが……」

 

 正直さっさと追い返したい。が、この得体の知れない子供との間に禍根を残すのは避けたかった。更に言うと、彼が【魔女釜】や【焦烏】の連中に使われるのも避けたかった。

 

「…………てめえが今居るのは地下牢の北端か」

「ああ、そこら辺だな。」

「その下、ろくな鉱脈も無くて放棄された坑道を、お前のとこに繋げても良い」

「本当か?」

「此処との道は塞がせて貰うがな」

 

 少し驚いたようにウルは反応する。目を丸くするその姿はまんま、小さな子供と大差なかった。なんともアンバランスな少年だった。

 

「コインは100枚。補強は済んでるから手間はかからんがそれくらいは用意して貰う」

「今は少し足りないが準備はしておく。前金で30枚出しておく」

 

 じゃらじゃらとウルは机に袋ごとにコイン置いた。まだ彼が此処に来てからそんなに日が経っていない筈なのに、順調に稼いでいるようだ。少なくともコイン払いを怠るような真似はしないだろう。

 

「それともう一つ。俺の依頼を受けろ。報酬は別途用意する。」

「依頼?」

 

 ウルは首を傾げる。フライタンは溜息をついた。

 

「お前はダヴィネと直接取引しているな?」

「ああ、魔法薬はアイツに直接渡している」

「だったら、アイツに近づけるだろ」

「近付くったって、殆ど会話らしい会話なんてしないぞ?」

「それでいい。どういう雰囲気だったか俺に伝えろ」

 

 ウルは解せない。といった表情だ。少しは説明しないといけないだろう。フライタンは憂鬱げに額に皺を寄せる。全くもって愉快な話では無かった。

 

「俺は今ダヴィネの阿呆に近づけない。絶縁状態だ。他の土人達にも警戒してて、ろくに奴ぁ口を利かねえ。」

「だから、俺に探って欲しいと?言っておくが諜報の心得なんてないぞ」

「そんな大したモン期待してねえよ。様子を伝えるだけで良い。ダヴィネと……」

 

 次の言葉を告げるとき、フライタンは自分の感情を抑え込むのに苦労した。恐らくウルの目にも、酷く憎々しげに見えたことだろう。だが構わず、フライタンは告げた。

 

「【焦烏】の様子を俺たちに教えてくれ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王様と焦烏の狐

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監15日目

 

「…………広いな」

 

 ウル用の地下菜園として【探鉱隊】に用意してくれた場所にウルは感心する。ウルとアナスタシアが寝泊まりする部屋から出てすぐに、開通した通路から梯子で降りた先に、広い空間が誕生していた。崩れないように柱も立てられていて頑丈だ。空気が溜まるような様子もない。

 既にあった場所を再利用しただけとはいえ、たった数日での完成だ。【探鉱隊】の腕は確からしかった。

 

「問題は、ここで魔草が育つかどうかだが……」

「心得が、あるのですか?」

 

 隣で、アナスタシアが尋ねてくる。身体の彼方此方が不自由な彼女はここまで降りてくるのにも時間がかかった。ここで彼女に作業させるのは避けた方が良いなと思いつつも、ウルは彼女の質問に答える。

 

「友人に一通り仕込まれたが、ありゃ普通の野菜類だったからなあ」

 

 太陽神の力によって育つ通常の植物と、魔力によって育つ魔草は育て方も違うだろう。勿論、役に立つところもあるだろうが、違うところは山ほど出てくることだろう。恐らくは暫く上手くはいかない。

 

「トライ&エラーだな。普段の採取は地上で続けつつ、実験していくしかない。幸い、今使ってる奴らはそんなに育つのは遅くない」

「…………ウルくんは、休めるのですか?」

「問題ない。今は鍛錬も抑えてるしな」

 

 ウルは肩を回す。身体の内側、奥の方からズキリと痛みが走る。先の戦いで吸収した魔力の断片が、未だ身体を変え続けているのだろう。

 ザイン直伝のお茶を飲むことで、ある程度魔力吸収は促進される、と、調合法を仕込まれたときに説明を受けたが、それを毎日飲んでいても痛みが続いた。やはり【陽喰らい】の戦いで得た傷と魔力は尋常では無かったらしい。

 幸か不幸か、強制的にこんな所に放り込まれた為に、即次の戦いへ、とはならない状況だ(別に望んでいるわけでは無いが)。それを利用しウルは今、毎日の鍛錬の時間を身体の調整に費やした。お陰で大分身体は動きやすくなっている……ような気がする。

 地下空間では思い切り身体を動かすことも難しい。本調子でないのに迂闊に外に出るのも憚られる為、イマイチ自分の身体の調子が掴みづらかった。

 

「……ま、今はいいさ。兎に角準備するか。虫除けやら病避けやら、簡易結界の準備……シズクとリーネ、どうやってたっけな……」

「私、少し、結界魔術なら、扱えます」

「助かる。今のうちにやれるだけやろう。どうせ明日は休みだ」

 

 ウルがそう言うと、アナスタシアは少し不安そうにウルを見た。

 

「大丈夫、ですか?ダヴィネさんと、会食なんて」

「さあな。どう警戒していいのかも分からん」

 

 今日の魔法薬の納品をしたその場で、ダヴィネから明日の夕食、メシを喰わせてやるから来いと命じられたのだ。勿論ウルに拒否権は無かった。

 

「精々機嫌を損ねないようにするが……なんかアイツの事で分かることあるか?」

「……地下牢の、王さまです。自分の指示に、従わないヒトは、許しません。意見するヒトも、嫌いです」

「だから、【探鉱隊】との関係が今は悪いと」

 

 探鉱隊の休憩所でフライタンから聞いた話を思い返す。

 

 彼曰く、元々ダヴィネは探鉱隊の一員に過ぎず、更に言えばただの一介の囚人でしかなかったらしい。しかし、元々持ち合わせていた才覚が見出され、急速に彼は地下牢で権力を手にし始めた。

 

 だが、その結果、元の仲間たちとの間に溝が生まれた。

 ダヴィネの才能を見出し、その溝を作り出したのが【焦烏】だとフライタンは言っていた。

 

 その件を説明するフライタンも、そして彼の部下達も、実に忌々しげだった。それ以降毎日、ダヴィネの情報を彼に密やかに伝えて、報酬でコインを得ている。

 正直、ボロい儲けである。手間は全くかかっていないからだ。情報が全く増えない日々が続けば流石に打ち切られるかも知れないという懸念はあった為、一応積極的に情報は仕入れてはいるが。

 

 と言うわけで、今回のダヴィネの誘いは良い機会と言えば良い機会だった。

 

「ま、精々美味い飯と情報をとってくるさ」

「ウルくん。気をつけて、ください」

「勿論、ダヴィネにキレられないようにはするさ」

「それだけじゃ、なくて、【焦烏】にも」

 

 ウルは振り返る。アナスタシアは不安げだ。

 

「あのヒト達は、私達と、違いますから」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【焦烏】は地下牢の治安維持を司る部隊であり、実のところ囚人でも無い。【黒剣】達の中から選ばれた者達が地下牢の監視を行う為に配備される。

 つまり【看守】だ。

 が、黒炎の呪いが蔓延する地下牢で、呪いと接触する機会のある地下牢で働きたがる者など当然少ない。地下牢自体隔離されており、中に入れば看守だろうと容易くは出られない。そんな場所に好んで行きたがる奴らはいないだろう。

 

 地下牢の中でも最も疎まれる仕事が【黒炎払い】であるなら、【焦烏】は【黒剣】の中で最も疎まれる仕事だった。

 

 当然、彼等のモチベーションは最悪だ。多くが職務を怠り、囚人達の好き勝手もいちいち咎めるようなことも無い。現在の地下牢のフリーダムな有様の根底には、看守達の職務怠慢が大きい。

 

 が、しかし、現在の地下牢は、随分とマシだった。

 

 原因は二つ。一つはダヴィネの統治の安定化。

 もう一つは、まとまりの無かった看守達を一つにまとめ、【焦烏】という組織に再編した彼等のリーダー、森人のクウの存在だった。

 

 【罪焼きの焦牢・地下牢】 ダヴィネの部屋

 

「さあすげえだろう!!飲め!!喰え!!バハハ!!」

「本当に凄くてビビっている」

 

 メシを用意している。と言われて幾らかの期待はしていたが、巨大な机に広げられた料理の数々はウルの想像を遙かに超えていて、普通に驚いた。

 【焦牢】の食事が朝と夕方の二食で、一品のみ、シンプル極まる造りであるから育ち盛りのウルにはいささか辛いものがあった。

 だが、現在ウルの前に並ぶのは大量の肉野菜だ。

 口にしてみると肉類からは肉汁が溢れ、野菜も鮮野菜だ。此処が既に滅んだ都市国ラースである事を考えると、どうやってここまで仕入れているのか疑問だ。

 

「黒剣どもにたあんと仕入れるように言っておいたからな!!まだまだあるぞ!!」

「看守が使いっ走りだなまるで」

「当然だ!!俺に逆らえる奴なんぞいねえ!!」

 

 ダヴィネはワイン瓶をグラスに注がずに飲み干している。多分そのワインも良い値段がするのだろう。もったいない飲み方に思えるが、ウルには酒の知識が無いので咎める気にはならなかった。分厚い牛の肉に肉汁とソースをからめて食べるとまあ美味かった。

 

「よく食べるじゃねえか!!良いぞもっと喰え!」

「ありがたいね。普段の食事は不味くないが量が寂しい」

「コインを払えば量も種類も増えるぞ!!喰いたきゃ稼げ!!」

「そうするよ」

 

 ウルは遠慮せず、次々に肉を口に運び、ダヴィネを喜ばせた。

 人体というものは通常、”食い溜め”というのが出来ないらしいが、しかし魔力で強化し、超人へと至ったならばそれは可能だ!と叫んでいたのは”陽喰らい”で共に戦った冒険者の一人だっただろうか。彼の言うように出来るかは分からなかったが、とりあえず無理せず食べられる内には食べ続けた。

 

「それで、今日の要件は何なんだ?」

 

 そしてダヴィネに良い感じに酒が回り始めた頃合いを見計らい、ウルは口を開いた。ダヴィネはワインボトルを呷る手を少し止める。

 

「単に俺に豪華な食事を奢るだけが目的なら、大変ありがたく頂くだけだが。」

「……ああ」

 

 酒を止め、ダヴィネは顔を上げる。酒が回り、顔が随分と赤いが、しかし目はまだ正気のままだった。彼は鋭い目つきでウルを睨む。

 

「最近、フライタンのとこに出入りしているらしいなあ?」

「魔草を育てたくてな。地下鉱山の使わなくなった場所を借りられるよう交渉した」

 

 ウルは素直に答え、一部を伏せた。嘘は全く言っていない。実際、ダヴィネの様子の報告は、進捗状況の確認のついででしかない。早々勘づかれないと思った。

 が、ダヴィネは剣呑なまなざしを変えない。

 

「俺のことを探れって言われてんだろ」

「世間話のついでに、どんな様子か聞かれることはあったな。問題だったのか?」

 

 ウルは逆に尋ねる。大げさに反応することも無かった。大体、聞かれることは想像ついていた。フライタンからも「この取引はすぐに勘づかれる」と事前に言われていたからだ。

 この地下牢に彼の目の届かない所は存在しない。

 

 ウルとダヴィネは暫く沈黙し続けた。だが、暫くするとダヴィネは笑い出した。

 

「ケッ!!フライタンの馬鹿野郎めが!!てめえ如きに()()されるこたねえんだよ!!」

 

 心配、という言葉にウルは少し驚いたが、黙った。ダヴィネは恐らく自分の口走った言葉に気付いていない。酒で舌が滑ったのだろう。彼はそのままウルを指さす。

 

「あの馬鹿どもなんぞどうでもいい!だがウル!!てめえは随分と彼方此方で暴れてるらしいな!!ええ!?」

「暴れた記憶はないが、色々コイン稼ぎに精は出してるつもりだよ」

「いいぞお!俺ぁ景気の良い奴は好きだ!!もっと稼いでみろ!!」

「ああ、アンタの作った商品はもっと欲しいしな」

 

 ウルがそう言うと、ダヴィネが更に大きく笑う。

 

「俺の作品が気に入ったのか!?」

「ああ、正直驚いた。アンタが作った家具やら道具やら。一つ一つの出来がとんでもない。外なら金貨幾つにもなるだろうさ」

 

 これは世辞でもなんでもなかった。彼の作り出す商品はどれもこれも、凄まじく出来が良い。精巧で、頑丈だ。似たような外の商品には見られなかったような細やかな仕掛けも幾つもある。 

 商品の出来不出来にばらつきこそあれど、彼以上の腕をもつ職人をウルは外で見たことが無かった。

 

「前アンタから買った小さなナイフも、かなり乱暴に使っても折れるどころか刃こぼれ一つ無しだった。間違いなく、アンタは天才だよ」

「んなこたぁわかりきってんだよ!!!」

 

 ダヴィネはそう言って更に酒を呷った。随分と機嫌が良さそうである。

 

「よおし!もっと酒に肉をもってこい!おい!クウ!!クウ!!」

 

 ダヴィネが吼える。すると奥から黒髪の森人、クウが姿を見せた。彼女は微笑み、ダヴィネに酒を持ってくる。ダヴィネは笑った。

 

「よし、お前も飲め!!クウ!!俺達に付き合え!」

「貴方が望むなら」

 

 クウはそう言ってダヴィネに微笑みかけ、グラスに酒を注ぐ。そしてそのやり取りを観察していたウルの方を見て、ニッコリと、微笑みを浮かべた。

 端正な顔立ちの彼女が向ける笑みは、当然美しかったが、ウルは少し寒気も感じた。

 

 少し、シズクを思い出す微笑みだったからだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから暫くして、

 

「………ンガァー……」

 

 ダヴィネは大きな寝息を立てて眠り始める。どう見たって、酒の飲み過ぎだった。土人は酒の許容量は多いとは聞いていたが、顔が真っ赤だ。机にのっかる彼の頭の隣には幾つも酒瓶が空いてるのだからさもありなんだった。

 

「誰か、ダヴィネを寝室へ」

 

 クウがぽんぽんと手を叩くと、彼女と同じ黒いローブを纏った者達がそっとダヴィネに触れ、その巨体を魔術で浮かせ、慎重に連れ出していった。彼だか彼女だかは分からないが、アレも【焦烏】なのだろうか。つまり囚人ではなく看守なのだろうが、全くそんな気配は感じなかった。

 本塔のように騎士鎧を着ていないからだろうか。一言たりとも喋らずクウの言うことに従う姿は少し不気味でもあった。

 

「ボウヤは、お酒が強いのね」

「酒の精霊に嫌われてるんだよ」

 

 ウルもワイングラスを既に何杯も空けているが、あまり顔色は変わらない。実際酔いにくい体質ではあるが、今酔う気が全くしないのは、目の前の森人の女の妖気にも似た何かに当てられて肝が冷えているからだろうか。

 

「警戒している?」

「しているな」

 

 クウは、いつの間にかウルの隣りに座っていた。真っ黒な髪の森人。そして、森人特有の異様に整った容姿。強い緋色の紅が弧を描く。森人を見た時は大抵、精巧な彫刻を見たような「綺麗だ」という感想が沸くものだが、この女は違う。

 一言で言えば妖艶だ。そしてこの女はそれを分かっている。

 

「酷いわ。まだ会ったばかりなのよ?仲良くしてほしいのだけど」

「……アンタ本当に【黒剣騎士団】に所属しているんだよな」

「あら、そこから?」

「組織に収まるタイプには見えない。崩壊させるタイプには見えるが」

 

 クウはクスクスと笑った。耳をくすぐるような笑い方で、心地よくて、故に薄ら寒い気分になった。相手を悦ばせる笑い方を彼女はわざと選んでいるのだ。

 

「これでも私、黒剣に務めてからは随分と長いのよ?鞍替えとかしたことが無い」

「あんた幾つだよ」

「あら、女の子にそんなこときいたらいけないわよ。ボウヤ」

「子」

「いけずね」

 

 子供のようにクウは頬を膨らませた。長命種がいい年して、とも思わない。先程まで妖艶に見えていたのに急に幼くも見える。ウルは揺さぶられた違和感を飲み干すためにワインを呷った。

 

「正直、地下牢だと殆どあんたらを見ないんだが、結局何をしてるんだよ、【焦烏】は」

 

 このまま話し続けても、恐らくは翻弄されて終わるだろう。会話から情報を引き出すようなトークスキルは自分には無い。ウルはさっさと本題に入ることにした。

 

「ダヴィネが、大げさな見張りは嫌いって言うから、気を遣ってるのよ?」

 

 不意に彼女が右手を掲げる、テーブルに灯る魔灯に彼女の手が照らされると、当然机には影が差す。”その影が不意に蠢きだした”。影から出てきた”もう一つの影”は生き物のように、形を変える。しばらくするとそのまま再び影に戻った。

 

「……魔術か」

「影と、使い魔の同化。囚人達にも仕込んでるから、悪いことをしてたら、ね?」

「…………」 

「あら、心配しなくても大丈夫よ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……なるほど」

 

 地下牢があまりに自由であり、挙げ句ナイフのような凶器の取引すらも行われているにも関わらず秩序が保たれている理由がまた一つ、判明した。【焦烏】の管理は、下手すると【本塔】よりも遙かに厳重だ。

 ウルの情報がダヴィネに殆ど筒抜けだったのも、彼女から情報を得たからだろう。隠し事は殆ど出来ないのだとウルは理解した。

 しかし、疑問もある。

 

「俺はアンタに接触した覚えが無い。何時付けた」

「さあ、何時でしょう?」

 

 魔術は万能だが制約もある。看守という立場であろうと、接触もせずに相手の影に魔術を仕掛けるなんて出来るだろうか?という疑問。しかしクウはその種までは明かすつもりは無いらしい。ウルは溜息をついた。

 

「でも、その影の監視のこと話して良かったのか」

「知ってる人はみーんな知ってるもの」

「よくみんな黙って受け入れるもんだ」

「鉄格子に閉じ込められるよりはいいでしょ?」

 

 どうだろうか、とウルは顔を顰める。目に見える鉄格子と、ずっと背中から自分の一挙手一投足を見張られる恐怖。甲乙付けがたくうんざりするものだ。出来るならどちらも御免被りたい。

 

「どうしても嫌なら、貴方のだけは外してあげてもいいのよ?」

「それ、何人に同じ事言ってんだ?」

 

 ウルが真顔で返すと、クウは小首を傾げた。

 

「さあ、何人目だったかしら?」

「どうせ、ダヴィネにもそう言ってるんだろ。外してるかどうか疑わしいがな」

 

 そう言うと、彼女はいけずと笑う。だが、否定はしなかった。

 ウルは理解した。ダヴィネは王だ。王座に付くだけの力がある。だが、彼をそこに押し上げて、そして実質的に焦牢を支配しているのは彼女だろう。

 地下牢があまりにも異常な環境であったために失念していたが、当然のことと言えば当然のことだ。看守は囚人を支配するものだ。 

 

「ダヴィネを王様みたいに崇めて、働かせて、アイツの作る精巧な魔具や武具を売り払って金を得るか。随分な悪党じゃ無いか。【黒剣騎士団】」

「そうねえ。本当、悪い人達と思うわ」

 

 クウは笑った。

 

「騎士団長さんなんて、しょっちゅう遊びに出てるから、ね。此処に居る時間よりも、お外で女の子達と遊んでる時間の方が長いのと違うかしら?酷い人達」

「ラース解放の目標が、形骸化する訳だ」

 

 無理矢理それを強いられる囚人達に目標が定着しないのは当然だが、その尻を叩く看守もろくにやる気が無いなら、目標など達成不可能だろう。アナスタシアが「出たヒトが居ない」と言った理由も分かった。 

 

「でも、私はまだ、願っているのよ」

 

 だがクウは、少しげんなりとしていたウルに囁く。

 その声色は強く、瞳は真っ直ぐにウルを見る。先程までのこちらをけらけらとからかうようなものではなく、強い意志が込められていた。

 

「かつての大罪都市、【灰都ラース】の奥の奥、最奥に封じることしか出来なかった【憤怒の残火】を払い、ラースを解放したい。【焦烏】の間で連々と続く宿願を叶えたい。」 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王様と焦烏の狐②

 

 

 灰都ラース

 失われた精霊都市。全てが黒炎にまみれ焼き尽くされた都市を当時の七天達は駆け抜けて、命を賭して黒竜を封じた。が、その”残火”は残った。今なお焼き払われた都市を黒い炎は焼き続けている。

 竜そのものは封じられたにも関わらずだ。

 その理由は、地表に未だ核が残っているからだ。と、()()()()()()

 

「言われている?」

「分からないの。誰にも。当時の七天はもうボロボロで、封印だけで手一杯。封印後、黒炎は消えるって言われてたけど、消えなかった。でももう、それ以上ラースをどうにかする戦力は残っていなかった」

 

 結果、ラース領から黒炎が広がらない限り、罪人達を使う以外は静観するに留まった。

 七天が回復した現代でもそれは変わらない。黒炎がラース領に留まる分には何の問題もない。あえてやぶ蛇な真似をして七天を損なうリスクの方が高いという判断となった。

 

 だから核のようなものがある、という推定になる。

 黒剣の間ではそれは【憤怒の残火】と呼んでいる。

 

「それを払えたらきっとラースは元に戻る。それをずっと待ってる。だからダヴィネには期待しているの」

「期待?」

「貴方も言っていたけど、彼、天才なの。多分後にも先にも出ないくらいの天才。【竜殺し】を生み出したのも彼。」

 

 【竜殺し】はウルも覚えている。

 どんな攻撃でも無意味に思えるくらいに無茶苦茶な強さだった竜に対して、間違いなく一定の効果を発揮した武器だった。秀逸だったのは、それを誰が使おうとも、あの中で最も戦闘能力で劣っていたウルであっても、一定の効果が認められたことだ。

 勿論それでも、効果があるに留まって、それだけではどうにもならなかったが、しかし「竜相手でも確実な効果が見込める武器」というのがあるかないかでは全く話が違う。

 それを作ったのがダヴィネなら、間接的にウルは彼に救われているという事になる。

 

「ダヴィネが台頭してから、黒炎払いの効率も跳ね上がった。信じられないかも知れないけど、今一番、期待が持てるの」

「だからアンタ、【探鉱隊】からダヴィネを引き剥がしたのか?」

「あそこは彼の才能を伸ばすのに向いていなかったから」

 

 しれっと彼女は言う。フライタンが【焦烏】に対して忌々しげな反応を見せていた理由が分かった。あれほど身内を大事に思っている男にとって【焦烏】は、というよりもこの女は身内との中を引き裂いた犯人だ。

 

「……だが、ダヴィネ一人に期待するのは重すぎないか?」

「でも、ボウヤも来たでしょう?」 

 

 クウがウルを見る。ウルは眉をひそめた。

 

「俺は凡人だぞ?」

「さすがにそれはないんじゃないかしら?【巨人殺しのウル】」

「なんだそりゃ」

「今のボウヤの呼び名。”格上殺しのウル”とかも言われてるわね。最も、今は悪評が広がってるけど。都市を滅ぼそうとした犯罪者だって」

「ああ、既成事実にしようとしてるのか」

 

 ウルは納得した。

 現在ウルが此処に捕らえられている理由は容疑に過ぎない。かなり乱暴なやり口でもあった。当然、冒険者ギルドなどは抗議するだろう。また、ウル自身が英雄視されつつあった事も考えると世間の声を黙らせる必要がある。事前、そういった悪評を広く流すのは、ウルを貶めた連中の立場を考えると必須だ。

 ウルはげんなりとした気分になる。残された仲間達はさぞ苦労していることだろうと。

 

「言っておくが、仲間と機会に恵まれただけで、俺の実力はたいしたこと無いぞ」

「そうはみえないけれど」

「そりゃとんだ節穴だ」

「それに、実力よりも重要なものを貴方は持ってる」

 

 そう言って、クウはウルの胸を指さした。

 

「貴方には意思がある。此処を出てやろうという強い”決断力”がある」

「少なからず、誰だって持ってるだろ」

「此処に居るヒト達は持ってないわ。失ってしまったの」

 

クウは笑う。彼女の目には薄らとした諦観があった。

 

「【魔女釜】もそう。【探鉱隊】も、勿論私達【焦烏】もそう。ダヴィネもそうよ。そもそも此処に来る人達は、殆どが、最初此処に来るときから諦めてるのよ」

 

 でも、貴方は違う。とクウはウルへとゆっくりと手を伸ばす。

 

「ボウヤは諦めていない。外の仲間達に期待する訳でもない。自分で現状をどうにかしてやろうと藻掻いている。そういうことが出来る意思を持てるヒト、稀少よ。外でも此処でも」

「やる気でどうにかなるなら苦労はないんじゃ無いか?」

「でも、ボウヤはやる気でしょう?期待しているのよ。とっても」

 

 クウはウルの頬を撫でて、そのまま喉に這わせ、囚人服に手をかけようとしたところで、ウルはそれをそっと払った。クウは傷ついた、というように悲しそうな顔をした。

 

「いけず」

「あんたの望みは分かったよ。目的が一致している間は互いに協力出来そうでありがたいね」

 

 ウルは立ち上がった。片手には余った料理が詰め合わせでまとめられている。それを見てクウはくすくすと笑った。

 

「聖女ちゃんにお土産?ああいう子の方が好みなんだ」

「アンタよりは毒気がなさそうだからな」

「あら、それはどうかしら」

 

 そう言うクウの目からは、隠しきれない悪意が溢れていた。

 

「あの子、連れてきた部下達をたっくさん殺しちゃった、悪女よ?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【運命の聖女アナスタシア】

 

 彼女がそう呼ばれていたのは10年ほど前までの事。

 

 天陽結界に覆われたプラウディア領に存在する一都市、【衛星都市セイン】の最下位(ヌウ)の家の娘として生まれた只人の少女であり、それ自体なんら特別なものでもない、筈だった。

 

 だが力を授かることそれ自体が困難である【運命の精霊・フォーチュン】の寵愛者となった時、その運命は変容した。

 

 運命を司り、運勢を観る深翠の魔眼。【運命の聖眼】の力は、商家でもあった彼女の家に大いなる富と幸福を与えた。そして過ぎたその幸運が目にとまり、神殿に祭り上げられることとなった。

 

 唯一神ゼウラディアの寵愛を受けし者、【聖女】として。

 

 運命の力は、あまりにも強かった。

 使い方を誤らなければ、周囲を莫大な富と幸福に導くことを容易とする。その力が目覚めた時、必ずそこには莫大な金と信仰が集まる。だからこそ多くの神官はその力を求め、しかし得られなかった。

 その寵愛者である。いち早く気付いた神官達は、彼女を囲い込んだ。

 

 物心ついた頃くらいの幼い年で彼女は両親から引き離され、そして聖女としての人生を定められた。家族や友人達との交流よりも先に、彼女は運命の精霊の神官としての力の扱い方を覚えさせられた。

 聖女としての振る舞いを指導され、誤りがあれば強くそれを窘められた。教養を身につけ、伝説上の聖女に決して見劣りしないよう完璧な姿を求められ続けた。

 

 彼女はそれに応じ、努力を続け、まさしく完璧なる聖女となった。

 

 その力故に、目立たぬようにと表向きには伏せられたが、多くの迷える者達を、彼女は救い続けた。その力を行使し、誤った道を止めさせて、正しき選択を教え続けた。

 

 その時にはすっかり彼女は、自身が選ばれし聖女であるという確信を持っていた。

 

 運命の精霊に選ばれた事実、周囲の信仰と賛美、そして自ら培い続けた努力。

 確信を得ない方が間違いだろう。彼女は心身共に聖女だった。自らの力で多くの者達を救い、助け、そして導くのだと信じて疑わなかった。

 

 それが傲慢な思い上がりだったと知るまでは。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 アナスタシアは祈りを捧げていた。

 身体の痛みが少し減り、ウルの手伝いを終えた後、彼女は残った僅かな時間を全て祈りに捧げていた。それは彼女が物心ついてからずっと続けてきた習慣で、一日たりとも欠かしたことは無い。呪いで身体を壊して以降も、それだけは欠かさなかった。

 それどころか以前よりも増して、彼女の祈りは苛烈となった。

 

「彼等に安寧を……どうか、僅かでも救いを………慈悲を……」

 

 深く、強く、乞い続ける。鬼気迫る表情だった。未だ、呪いに蝕まれた身体の痛みは残る。そうしているだけでも辛いだろうに、彼女は構わずそれを続けた。

 

 ――――お前の所為だ!!!

 

 そう言って黒い炎に飲まれた仲間達が今も彼女の目には焼き付いていた。

 

「戻った」

 

 すると不意に、部屋にウルが戻ってきた。アナスタシアは急ぎ身体を起こす。地面にへばりつくようにして祈る姿を彼に見せたくはなかった。彼は心配するだろうから。

 

「ああ、お帰り、なさい」

「起きてたのか。丁度いいや」

 

 そういって机にことんと何かを置く。何だろうと見てみると、牢獄ではあまり見ないような料理が詰め込まれていた。フォークまで並んでいる。

 

「貰ってきた。俺はもう腹一杯だから食ってくれ」

「でも、私は」

「食い切れないなら良いよ。適当に処理しておくから」

 

 元々、あまり食が太い方ではない。牢獄内の通常の食事はそれほど多くないが彼女には十分だ。その夕食を済ませているから既にほどほどに膨れていた。

 だが、彼の好意を無下にするのもなんだったので、少しずつ口にする。やはりというべきか、味自体はこの地下牢にしては手が込んでいて、美味しかった。

 

「ありがとう、ございます」

「別に良い。こっちは謝らないといけない事もあるからな」

「あや、まる?」

「あんたの過去の話を聞いた。」

 

 ぴたりと、アナスタシアは食べるのを止める。

 ぐっと、今口に入れたものが戻りそうになった。内容にかかわらず、昔の話を想起した瞬間、身体は条件反射でこうなる。少し震えるようにウルを見ると、彼は少し申し訳なさそうに彼女に近付いた。

 

「別の日にすりゃよかった。すまん」

「いえ……へいき、です」

 

 そう言ってアナスタシアはウルへと目線を向ける。

 少し、恐れるように尋ねた。

 

「軽蔑、しますか」

「別に。薄らと事情は伝え聞いていたしな」

 

 アナスタシアの事は地下牢では有名だ。閉鎖的であり、ヒトの変化も殆ど無いこの場所で彼女の事情を知る者は多い。今回のような機会が無くても何れ彼が自分のことを知ることになるのは当然だった。

 それでもこんなにもショックを受けるのは、知って欲しくないと願う自分の浅ましさ故だろうか。

 

 だが、結局は彼にバレた。ならば言わなければならない事がある。

 

「私の力、もう、使えません。私の目は、もう見えない」

「それも聞いた」

 

 ウルは、アナスタシアの覆い隠された目にそっと触れ、痛ましそうに顔を顰めた。アナスタシアの左目にはかつて【運命の聖眼】があった。

 

 今は無い。彼女が自分で、抉って潰したから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女が聖女だったころ

 

 

 地下牢、消灯の時間、魔灯の輝きが減り薄暗くなったその場所で、ウルはダヴィネから購入したランプを一つつける。照らされた部屋で、アナスタシアは小さく俯いて、座り続けていた。

 

「【運命の聖眼】は、相手を良き方へと導く力でした」

「良き、方?」

「幾つもの、選択肢が、あったとき、最善の道が、視覚で分かるのです」

 

 誤った方に向かおうとする者は黒く淀み、正しければ白く輝く。

 なるほど、それは確かに分かりやすく強力だとウルは納得する。

 人生に案内板なんて存在しない。自分の人生にあれこれと指示を出す者は居たとしても、その者が正しい保証なんて無い。選ぶにしろ、委ねるにしろ、諦めるにしろ、自分が決めなければならない。そして選んだ先でしか自分の選択の成否は分からない。その取り返しは決して付かないだろう。

 だが、彼女のそれは、確実な成功が約束される案内板(ガイド)だ。それを望む者がいるのも分かる。ウルだって、彼女の事情を知らずその話を聞いたら、求めようとしたかもしれない。

 なにせつい先日、判断を誤ってこんな所に放り込まれたばかりなのだから。

 

「………だが、そうなると少し、解せない事がある」

「はい……”どうして、私が、此処にいるか、ですよね”」

 

 アナスタシアが頷く。そしてそのまま頭を下げ続けた。

 

「……こっちから掘り返して悪かったが、古い傷をわざわざ俺に明かす必要無いんだぞ」

 

 彼女の過去を聞いた。そう言ったウルに対して、彼女は自分の口からその全てを明らかにすることを望んだ。だが、ウルの目から見ても彼女にはその行為、明らかに負担であるように見えた。

 今の彼女の顔色は普段よりも更に悪い。

 元より彼女は酷く弱っている。不必要に負担を増やすのは避けたかった。

 

「いいえ」

 

 だが、アナスタシアからはハッキリとした否定の声が聞こえた。彼女は顔を上げる。表情は重く苦しそうであるが、しかし鬼気迫るような意思があった。

 

「どうか、聞いて下さい」

「…………なら、続けてくれ」

 

 ウルは促す。彼女は過去を告白する。罪を告解する罪人のように。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア領内 西南部【衛星都市セイン】 神殿内にて

 

「この人達は……?」

 

 運命の聖女アナスタシア。

 彼女が何時ものように運命の施しを望む者達に与え、幸福への導きを終えた後のことだ。「最後にもう一組、貴方の導きが必要な者達がいます」といって連れてこられた者達を前に、アナスタシアは問うた。

 従者の中で、最も古くから彼女に仕え、そして支えてきたドローナが前に出て、彼女の問いに答えた。

 

「彼等は今度、【黒炎砂漠】、【灰都ラース】の解放に向かう戦士達です」

「ラース……」

 

 聖女としての道を歩んでから、彼女は多くの歴史を学んだ。大罪都市ラースの滅亡と、その後の顛末も彼女は知っていた。罪人達を使い黒炎を払おうとして、未だにそれが成し遂げることが叶っていないことを彼女は知っていた。

 

「ラースの解放は、近しい場所にあるセインにとって他人事ではありません。黒炎を打ち払うための特別部隊が編成されたのです」

「私は聞いていません」

「申し訳ありません。アナスタシア様。現在のラースは一種の禁忌、聖女である貴方の耳に入れるわけにはいきませんでしたので」

 

 ドローナは頭を下げる。だが、彼女の謝罪もアナスタシアの目には入らなかった。先程から彼女の視線は、目の前の”特別部隊”とやらに向けられていた。どうしたって目を離すことが出来なかった。

 

 だって、彼等の運命は、一人残らず真っ黒だ。

 

 あそこまでのどす黒い運命を彼女は見たことがない。運命眼で見てしまうと、一人一人の顔すらも判別がつかないくらいの”真っ黒な運命”に覆われている。見ているだけで気持ちが悪くなってしまうくらいだった。

 

「彼等の運命が見えましたか?」

 

 ドローナが囁く。アナスタシアは頷いた。

 

「ドローナ、遠征を中止してください。彼等は失敗してしまいます」

 

 戦士達に聞こえぬように、小さく囁いた。確信を持って言った。彼等は失敗する。考え得る限り最悪の形で、彼等は全滅することがハッキリとしていた。聖女として、導き手として、それを見過ごすわけには行かなかった。

 

 だが、ドローナは首を横に振る。

 

「それはできません」

「何故!?」

「このために多くの金と物資が集められました。アナスタシア様の一存だけでそれを中断することが困難なくらいに」

「金のために彼等に死ねと!?」

「彼等自身、その為に集っているのです。彼等の事情は様々ですが、火急大金を必要とする者達は多く居ます。解放遠征が中断となれば、破滅する者も」

「…………!」

 

 アナスタシアは息を飲んだ。

 彼女は運命を読む。彼等の運命を読み解き、なんとか別の道を説こうとした。だが、驚くほどに今の彼等に他に続く道が見えなかった。か細く、なんとかその先を辿ろうにもすぐに立ち消えてしまう。こんなことは初めてだった。

 

 彼等は死ぬしかないという事実は、彼女の心を深く傷つけた。

 

 聖女であれと望まれた彼女が、救えない相手が居るという事実は彼女の築かれた自尊心を傷つける。どうにか出来ないのかと俯いた。

 

「アナスタシア様。お願いがあるのです」

「……なんですか」

「どうか、彼等と共にラースに向かい、彼等を導いてはいただけませんでしょうか」

「それは――――」

 

 返答に屈したアナスタシアに、ドローナは跪き、そして涙を流し叫んだ。

 

「分かっているのです!彼等の先がいかに困難であるか!あなた様の目ならばより克明にそれを感じ取ったことでしょう!ですが彼等をただただ殺してしまうのは、あまりにも……!!」

「ドローナ……」

「ですが貴方と共にあればきっと彼等は最悪の運命から逃れることが出来る!!あの忌まわしき黒の炎を打ち払う事が出来る!!聖女アナスタシア!運命のアナスタシア!貴方ならば!!」

 

 繰り返し叫ぶ彼女の言葉は、アナスタシアの使命感を呼び起こすには十分だった。

 自信もあった。黒炎を払う。数百年出来なかったラースの解放を自らが成す。それができるだけの力があるのだという確信は彼女の中に深く根付いていた。

 

 この力は、誰もが成し得ない困難を払う為にある。

 

 そう教え込まれていた彼女にとって、【灰都ラース】はあまりにもうってつけだった。自分の力はその為にあったのだと、そう考えるとあまりにもしっくりときた。

 

 それが、あまりにも”誰かにとって”都合が良い話だと。そう思うにはあまりにも彼女の経験値は不足していた。鳥籠の聖女は、静かに頷く。

 

「時間をください。ですが、彼等をむざむざと殺させるような事はしないと約束します」

「おお、聖女様…!!」

 

 ドローナ含め、従者達は彼女の前に跪き、感涙し、笑みを浮かべる。

 

 その笑みに嘲笑が混じっていたなどと、その時の彼女が気付くことは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「逆、だったんです」

「逆?」

 

 地下牢の一室にて、アナスタシアの告解をウルは聞いた。彼女の言葉はゆっくりとしていたが、ウルは辛抱強く彼女の言葉を聞き続けた。

 

「彼等が、ラースへと向かうから、私は彼等に、同行しました。でも違った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それは」

「棄てられたのは、私だった」

 

 アナスタシアは笑う。引きつった、痛々しい笑みは、彼女の心の傷を顕していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女が聖女だったころ②

 

 結論から言うと、ラース解放は上手くいかなかった。

 

 アナスタシアの運命を読み解く力は強大だ。相手を問わず、正解へと導く案内役(ガイド)の力は戦いの場においても強く効果を発揮する。が、しかし、戦場で戦士達の士気を維持し、目まぐるしい状況変化に逐次指示を出す指揮官としての能力はまったくの別だ。

 

 無論、遠征部隊――【黒炎払い】の隊長は別にいた。

 しかし、アナスタシアの指示との衝突は避けられず、上手くはいかなかった。

 

 悪しき運命が目に見えているアナスタシアと、現場で目に見えるものだけを判断する戦士達。この二種の命令は酷く戦士達を困惑させた。神殿では彼女の発言力は絶対であり、指示通りに従わない者はいなかっただけに、アナスタシアは辛かった。

 その先に向かえば死ぬ。と、そう言って誰も指示に従ってくれない。死に行く者を止める事が出来ないのはあまりに苦痛だった。

 

 だが、そもそも死ぬ運命を変えるのはあまりにも困難だ。

 ラースには死の運命が多すぎる。

 

 ラース解放のため、存在すると言われている【憤怒の残火】を追い求め、【黒炎砂漠】を進む程に、黒炎の火力は跳ね上がる。熱は体力を奪い、その昏い炎は目を焼いて、心身を焦がした。

 なんとか協力をとりつけたダヴィネの【黒睡帯】を装備しても、限界というものはある。

 先に進む程に死の脅威が間近へと迫る。そのたびにアナスタシアは回避を叫び、それに振り回されて戦士達は右往左往した。結果、ミスや失敗、行進の頓挫も起こり、隊長と衝突し、戦士達は摩耗し続けた。何人もの戦士が死を避けられずに死んでいった。

 そのたびにアナスタシアは自分の無力を嘆いたが、戦士らの目は冷ややかだった。

 

「お前の所為だ!!!」

 

 そして、何度目かの解放作戦の最中

 黒炎砂漠のただ中、戦士の一人がアナスタシアへと叫んだ。

 

 彼は身体の一部を黒炎に焼かれ、呪われ、絶望し、そして怒り狂っていた。その怒りの全てはアナスタシアへと向けられていた。あまりの怒りに周りの戦士達は彼を止めることも出来なかった。

 

「お前なんだよ!お前がいなけりゃ、俺たちはこんな所に来なかったんだ!!!」

「な、なにを……!」

 

 あまりにも明確な敵意に、アナスタシアは酷く困惑した。コレまで感謝や尊敬の視線を向けられる事は多くあったが、ここまで明確な敵意を向けられる経験は彼女の人生になかったからだ。

 ここまで幾つかの衝突が起こったときも、彼女はどこかたかを括っていた所があった。

 

 だって、彼等のために自分はこんな所に脚を運んであげたのだから。と、

 

 だから理解できない。そんな恩知らずの態度を向けられる理不尽を彼女は経験したことが無かった。だが、激昂した戦士は言葉を続ける。

 

「俺たちはお前の道連れでこんな所に連れてこられたんだよ!!お前が行くって言わなきゃ俺たちはこんな所に来る必要無かったんだ!」

「そ、それは、違うわ!貴方たちが無謀な戦いに赴くと言ったから、私が!!」

 

 あまりに理不尽な物言いに、アナスタシアも反論する。彼女からすれば言いがかりも甚だしい。そんな風に言われる筋合いは無かった。自分の覚悟や責任感の全てに唾をかけられたみたいで、彼女は彼女で激昂した。

 

 しかしその一方で冷静な彼女が心の内にいて、囁く。

 どうして、彼以外の戦士達も、自分をあんなにも冷たい目で見てくるのだろう。

 

「本当におめでたいなアンタは。まだ気付いて無かったのかよ!!」

 

 呪われた戦士は、アナスタシアの言葉にせせら笑った。

 

「ラースの解放遠征計画がなんでいきなり組まれたと思ってんだ?今日までずっと放置してた癖にいきなりだ!理由は!?金にもならねえことをセインの神官どもがやるわけねえだろ!!」

 

 衛星都市セインの神殿の”強突く張り”をアナスタシアは知ることは無かった。

 常に自分に向かって笑みを浮かべる従者達、神官達がその裏で彼女という運命の力を望む者達から金をせしめ、搾り取り、そして私腹を肥やしていたことなど知る由も無かった。

 

「だったら、なんで……」

「アンタを棄てるためだよ!!!」

 

 戦士は黒く呪われた指を真っ直ぐにアナスタシアに突きつける。彼女は目を見開いた。

 

「邪魔になったのさ!!アンタの力は十分すぎるくらいの幸運をセインの神官どもにもたらしたが、度が過ぎた!!歪な幸運は歪な不幸を生んだ!!セインでどんだけのヒトに理不尽な失脚と破綻が起こったかアンタ知ってるか!?」

 

 アナスタシアは知らなかった。

 運命の精霊の力を使った運命の操作は相手を幸運にする。だが、過ぎた運命の操作は、しわ寄せを起こす。巻き込まれるのはそれ以外の誰かだ。運命の聖女とそれに”たかる”者達、彼女らを中心とした幸福の渦は、周囲を破壊し続けた。

 

 やり過ぎたのだ。セイン以外の都市国からもその状況は咎められ始めた。

 

 セインの神官達もそれに気がついた。その対策を考え、そしてすぐに思いついた。

 なんてことはない。それは普段からしていることの延長だ。セインからほど近いラース領の【焦牢】と協力して、今まで行っていた”不要な人材の廃棄”を行う。

 運命の聖女を相手に。

 しかし、そうなるとお膳立てが必要だ。流石に、いままで聖女と崇めていた相手をいきなりポイ捨てするのは問題になる。既に他の都市国からも見咎められ始めている状況でそれは不味い。

 

 なら、お膳立てを用意しよう。”廃棄”が”聖なる遠征”となるように。

 

 その為の人材はある。自分たちが失脚させ、いいなりになるしかない哀れな者達を山ほどに、神官達は抱えていた。

 

「お前を棄てる為に俺たちが用意された!!お前の所為なんだよ!!」

「そんな、こと……」

「だったら【黒剣】どもに聞いてみるか!?今すぐここから出してくれって!!!奴らは鼻で笑うだろうがな!!もう俺たちはここから出ることもできねえんだよ!!!」

 

 アナスタシアは、何か反論しようとした。だが言葉は出てこなかった。

 心臓が痛いくらいに鳴っていた。戦士の言葉を妄言だと、笑ってやることが出来なかった。狂乱の戦士の言葉は、いままで見ないようにしてきたものを強引に、叩きつけるように見せつけた。

 過去の記憶、ドローナ達の笑みが思い浮かぶ。従者や神官達の笑みが、その裏に隠れた嘲笑がハッキリと見えた。彼女はそれに気付かないほどに愚かでは無かった。

 ただ、気付くのがあまりにも遅かった。

 

「お前の所為だ!!お前の……!!」

 

 戦士の手が迫った。呪われた真っ黒に焦げた手、亡者のものと大差ないその手が迫る。アナスタシアは動けなかった。避けることも払うことも出来ず、黒い手は真っ直ぐに彼女の胸を突いて、そして

 

「あ」

 

 小さな声を上げて、ふらりと彼女の身体は揺れた。彼女の後ろにはつい先程、焼き尽くされて今なお黒々と燃え続ける、狂乱の戦士の友がいた。真っ黒な身体の彼の炎に、彼女は巻き込まれた。

 

「ああ、ああ!!!あああああ!!!!!!!」

 

 悲鳴を上げる。手を伸ばす。戦士達は此方を見ている。

 侮蔑と恐怖、憤怒と嫌悪の視線。助けようという意思はそこには一つも存在しなかった。

 

「あ――――――」

 

 自分は間違えた。

 聖女でもなんでもない、大人に利用された馬鹿な子供だったのだ。

 アナスタシアはそう理解して、自嘲して、黒い炎に飲み込まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……それで?その後は?」

 

 アナスタシアの、過去を聞いたウルは尋ねると、アナスタシアは首を横に振った。

 

「後はもう、何も無いです。私は、何も、出来なくなった」

 

 身体が呪われて、マトモに動く事も出来なくなった彼女は、【黒炎払い】に付き合う事も出来なくなった。しかし、身体がもし動かせたとしても、彼女は何もする気にはならなかっただろう。

 更に追い打ちをかけるように救いがなかったのは、彼女を黒炎に突き落とした戦士が、自らの所業に絶望し、自殺した事だろうか。アナスタシアは、彼に謝罪する事すら、出来なかったのだ。

 

 地獄に地獄が重なって、真っ黒な運命を見るのがもう耐えられず、彼女は運命の目を抉った。

 

 次第、呪いが広がって、近付く者すら居なくなって、彼女は一人地下牢で徘徊する呪いの末期患者の一人となった。ずるずると地下牢を這い回り、僅かな仕事で食いつなぐ彼女に対する嘲笑すらもそのうち消えて、ただの風景になった。

 

「以上、です」

 

 今の時間はもうとっくに深夜だろう。長く話していた気がする。黒炎の呪いが喉も蝕んで、喋るのも遅くなっていたから、随分と時間をとってしまった。しかしその間、ウルは黙って彼女の話を聞き続けてくれていた。

 それがありがたくて、申し訳なくて、アナスタシアは小さく頭を下げた。

 

「嫌な話、つき合わせて、ごめんなさい」

「別に、話を聞くくらいなんともない」

 

 それはないだろう。とアナスタシアは思った。ウルの表情に変化はないが、辛そうだ。

 彼は良い子だと理解している。何気ない所作で、常にこちらを気遣ってくれている。露悪的な事を言うが、優しさを隠し切れていない。そんな少年に聞かせるにはあまりにも耳障りの悪い話だった。

 申し訳ないと思う。だが、それでも喋らずには居られなかった。

 自分の罪を、愚かしさを、誰かに告白せずにはいられなかった。自分の愚行を、誰かに伝えずにはいられなかった。

 

「私の、懺悔に、付き合わせて、ごめんなさい」

「構わないって言った。悪く思うなら謝るのを止めろ」

 

 アナスタシアは頷いて、そうした。だけどまだ伝えなければならないことがあった。

 

「ウルくん、私、貴方を手伝い、たいの」

「既に色々と仕事はして貰ってるが」

「そうじゃ、なくて、お礼をしたい」

「話を聞いたお礼?」

 

 アナスタシアは首を横に振った。

 

「貴方は、私を、ヒトとして、扱ってくれているから」

 

 崇めるべき聖女でもなければ、愚かしい女でもなく、憐れましい廃人でもない。

 ただアナスタシアという一個人として見て、接して、話してくれている。

 当たり前のことだったが、彼女が運命の精霊に愛されてからというものの、本当にそうしてくれるヒトは居なかった。そうしてくれたのは彼が初めてなのかも知れない。だから、こんな風に自分の過去を彼に明かしてしまったのだろうか。

 つまり、彼に甘えたのだ。でもそれだけではダメだ。だから

 

「仕事じゃなくて、貴方にちゃんと、協力したいって、思ってます。それを言いたくて」

「……無理して欲しいわけじゃ無いが」

「分かって、ます。出来る範囲で、貴方を手伝う。ダメですか?」

 

 それを聞いて、ウルは小さく溜息をついて、こちらを睨んだ。

 

「俺の目的、分かってるか」

「ラースの、解放」

 

 ウルは頷いた。

 

「【焦烏】の監視がある以上脱走は無理。俺の容疑は容易くは晴れないだろう。外の仲間の助けを待ってたら何年かかるかもわからん。俺自身動くしかない」

 

 【焦牢】の【地下牢】で唯一の刑務が【ラースの解放】である。

 ダヴィネが取り仕切って様々な仕事を囚人達に与えているが、結局はそこに収束する。形骸化し、誰もが本格的に取りかかっていないが、囚人達がやるべき唯一無二の業務がソレであり、それが成されない限り誰一人外に出ることは出来ない。

 裏を返せば、ラースを解放できれば、【黒剣騎士団】は対応せざるを得ない。刑務を終えた者は解放されなければならない。

 

「その為に俺は動く。アンタにとっちゃ最悪の思い出に挑む。良いのか」

「はい」

 

 アナスタシアは頷いた。

 

「ラース解放の、一助になれるなら、尚のこと、です。少しでも、償いたいから」

「……償いとか、そういう自罰的な物言い止めて欲しいんだがね」

「でも」

「でもじゃない。悪いのはアンタを嵌めた連中であって、アンタじゃない」

 

 ウルからの強い怒りを感じ取って、アナスタシアはまた小さく笑った。

 本当に優しい子供だった。自分の過去に強く怒りを示してくれる彼の態度は、あまりにも真っ直ぐで、みているだけで涙が出そうだった。

 それでも自分を罰し、呪う事は止めないだろう。これはもう魂にまで染みついた己の罪だ。拭うことは出来ないし、そうするつもりもない。残された少ない命の限りを償いに徹すると彼女自身が決めていた。

 だけど今後は彼の前ではそれを出さないでおこうと決めた。

 

「ありがとう、ウルくん。大丈夫、です」

 

 ウルは疑わしげな目で此方を見る。だが諦めたのか溜息をついた。そして小さく呟く。

 

「ま、あんたの話を聞いたお陰で楽しみが一つ増えた」

「楽し、み?」

 

 自分の鬱々とした話に喜びの要素なんて一つもないように思えた。

 だが彼は歯を剥き出しに、獰猛に笑った。

 

「俺やアンタを嵌めた奴らが、ラースが解放されたと聞いたらどんな馬鹿ヅラ下げるか、見物だって話だ」

「それは――――」

 

 無理だ。とか、楽観的すぎる。とか、いろいろな否定の言葉が頭の中に浮かんでは消えていった。そして彼の言葉を少しだけ想像して、アナスタシアは笑った。

 多分生まれて初めて、少しだけ悪い顔で、笑った。

 

「それは、とても、楽しそうですね」

「だろ?」

 

 こうして、ウルとアナスタシアは、主従関係でもなく、同僚でもなく、正しく仲間となった。

 どうしようもない地獄の底に棄てられた聖女が、生まれて初めて得た、仲間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

駆けよ牢獄積もれやコイン

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監18日目

 

「…………」

「…………」

 

 

 無視しても良かったが、現在ペリィは彼等から簡単な力仕事を請け負ってる立場で、そのお通夜のような空気を前に無視する訳にもいかなかった。

 

「……なに、どうしたんだお前等ぁ」

「地下栽培が上手くいかねえんだよ……」

 

 ウルが顔を上げる。ああ、とペリィは納得する。そういえばそんなことをやるとは言っていた。正直最初それを聞いたときは、「出来たら良いな!」みたいな夢物語でも語っているものと思っていたが、まさか本当に場所の確保まで持って行くとは思わなかった。

 が、そこで少し挫折しているらしい。

 

「まさか、芽すら、出ないとは、思わなかった、です」

「魔草は光が無くても育つ筈なんだがなあ……やっぱ全然勝手が違うか」

 

 アナスタシアとウルは顔を突き合わせて首を捻る。ペリィは呆れて言った。

 

「お前等……ちゃんと魔灯は沢山吊したのかよぉ?」

「「魔灯」」

「そりゃ育たねえよぉ……この辺りの地面の魔力なんて知れてるぞ?」

 

 魔草は太陽の光の代わりに魔力で育つ植物の大まかな分類だ。

 勿論、そこから更に多様な分類に分かれることとなるが、魔力を喰らうという一点は共通している。つまり魔力の供給が重要になるわけだが、その為の方法として最も効率が良いのが【魔灯】による魔力の放射だ。

 

 元々は単なる植物だった物が変異したのが魔草だ。光を取り込む機能が残っている場合が多い。そこで魔力によって光を生み出す魔灯を利用する事で効率よく魔力を吸収させる。

 このやり方であれば魔力効率も良い。地中に魔石を砕いて撒くようなやり方も無いでは無いが、魔力が霧散してしまう事もある。

 

「っつーか多分、【探鉱隊】の地下菜園でもやってんだろぉ。見なかったかぁ?」

「場所を借りる際にトラブって一歩でも探鉱隊の方に近寄ると土人達が警戒態勢に入るので暫く距離取ってる」

「何やったんだよお前ぇ……」

「ですが、ペリィさん、詳しい、ですね」

「え、ああ、まあ、おうよぉ。昔取った杵柄ってやつでなぁ……」

 

 ペリィは目を逸らす。

 実はこの知識は昔、特殊な魔草から手に入る“違法な薬物”で儲けてやろうとした時に身につけた知識であるのだが、この件に関してはまだ【黒剣】に知られていない。うっかり口を滑らせたら不味いとペリィは冷や汗をかいた。(尚、その薬の一件は邪教徒が絡むヤバすぎる案件であると気付いた為、騎士団に情報をたれ込んで破綻させ、自分だけ逃げ出した)

 と、彼が昔のことに思いを馳せていると、不意にウルがペリィの肩に手を置いた。

 

「地下菜園任せた」

「は?まて、嫌だぞぉ!【魔女釜】の仕事だってあるんだからなぁ!!」

「菜園から取れた魔法薬で売れた分の3割のコインは渡すよ」

「3……!」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監26日目

 

「地下菜園のおかげで回復薬、強壮薬は安定してきた。が、もう少し儲けが欲しいな」

 

 魔法薬の生成をしているウルが、ガラス瓶を睨み付けながらそう呟いているのをペリィは聞いていた。

 ウル達、魔法薬生成チームは順調に機能しつつあった。地下菜園をペリィが担うようになってからは順調だ。ウル達が要求してくる魔草類、紅刃草や黒青花といったものも地下で採取出来るようになっている。

 当然、取れる量も頻度も無尽蔵ではないが、地上で【黒炎鬼】の襲来を恐れながらちまちまと採取するよりもずっと効率が良い。実際ペリィの懐に入るコインの量は日に日に多くなっていって彼としてはホクホクだ。

 

 しかし、まだ足りないとウルは言う。ペリィは呆れた。

 

「コインそんなに集めて何すんだよぉ……」

「色々。というか、むしろなんで他の奴らはコインを稼ごうとしないのか不思議だ」

「あー?……そりゃ、アレだよぉ。やる気がねえんだよ皆ぁ」

 

 食事代も部屋代も必要ない地下牢ではコインを貯めること自体そんなに難しくない。

 ダヴィネの言うことを真面目に聞いて、辛抱強くあれば一定量は集められるだろう。どれだけみそっかすな仕事であっても、ダヴィネはコインを支払わない、と言うことはしない男だ。頑張れば必ず一定は支払われる。

 が、頑張って集めたところで、この地下牢から出られる訳ではない。

 

「要は、目標がねえなら使い道もねえんだよぉ。ダヴィネが仕入れる嗜好品買って楽しむくらいかぁ?でも指示された内容以上に頑張って働いて稼いでまで欲しいかってーと、微妙だしよぉ」

 

 コインは囚人達を働かせる報酬として機能こそしているものの、必要以上の勤労を自主的に行わせるほどには機能していない。良くも悪くも小規模にまとまっているのだ。

 それを聞いて、ウルは納得したように頷いた。

 

「【焦烏】に聞いた通りか……ライバルが少ないのは都合が良いな」

「儲けるのは止めるつもりねえと。言っとくが俺もこれ以上は仕事増やさねえぞぉ…」

 

 今ウルに説明したとおり、もう十分なのだ。これ以上儲けたところで、ペリィには使い道が無い。酒は増えた。メシも増えた。女囚を買うことだって出来る(男女ともに、身体を売ってコインを稼ぐ者は珍しくない)。もうそれ以上は望まない。

 元々、詐欺を働いて簡単に儲けようとして失敗して此処に放り込まれたのだ。これ以上の失敗はご免だ。

 

「俺もアンタにこれ以上無理を言う気は無いが……さてどうするかな」

「給仕班と、交渉するのは、どうでしょう」

 

 すると、ウルの隣で魔草をすり潰していたアナスタシアが声をかける。

 ウルに囁くように言う彼女の姿は、妙に色っぽくてペリィはすこしぞくりとした。勘違い聖女として侮蔑され、廃聖女と呼ばれて弄ばれて、呪われた病人と遠巻きにされた彼女だったが、何故か最近また少し元気を取り戻している。

 顔色も良くなっていて、特にウルと話すときほんのりと嬉しそうで、それが少し色っぽい。本来ならこんな場所に落ちるはずもない女が持つ気品なのだろうか。しかし手を出せば多分ウルに殺されるので、絶対にそれだけはしないように心がけていた。

 

「給仕班……でも、あいつらって探鉱隊の地下菜園使ってんだろ」

「そもそも、探鉱隊は地下菜園に、あまり力、入れてない、です。ダヴィネさんの命令で、やってるだけ」

「ああ……あいつら、プライドたっけえからなぁ……」

 

 探鉱隊の連中は基本的に、鉱石を掘り返す仕事に誇りを持っている。この地下牢を支えているのは自分たちであるという自尊心がとても強い。それ以外の仕事なんて基本的にやりたがらない。

 彼等が保有している地下菜園もポタタ豆が取れる黒鈴草と呼ばれる魔草一種のみだ。それも殆ど放置すれば勝手に育って苦労が無いからと言う理由である。

 

 つまり狙い目と言えば、狙い目だ。しかし、

 

「そもそも何売るってんだよ。地下菜園もう目一杯使ってるぞ」

 

 現在、ウル達が使っている地下菜園はその全ての場所に魔草を植えているわけではない。が、あれは別に余らせているわけでもなんでもない。魔力の補充やらなにやらを考えて休ませている土地を用意しているだけだ。

 

 しかしアナスタシアは首をゆるゆると横に振って、差し出した。それは。

 

「………こいつは」

「………紫水茸かぁ」

 

 紫色に輝く、ぶよぶよとしたキノコだ。かなり大きい。結構有名な代物だった。まず目立つ。大きい。夜には中に膨らんだ魔力が輝く。切り取って暫くするとあっという間にしぼんでしまうが、しかし旨みが同時に凝縮するのかスープに入れるといい出汁が出る。

 匂いが独特で嫌いなものも居るが、食用だ。

 

「でも、茸って種目多くて見分けるの大変とかじゃなかったか?」

「毒性の有無は魔術で一発だろ。給仕班なら心得もあるだろうし……だが」

 

 ペリィは訝しげにそれを持ってきたアナスタシアを睨んだ。

 

「……こんなもん、どっから取ってきたんだぁ?」

「地下菜園で、不足した魔草を少し、取ってたら」

「取ってたらぁ?」

「天井から」

「天井ぉ……!」

 

 ペリィは顔を青くさせ、急ぎ自分の仕事場である地下菜園に降りて、見上げて、悲鳴を上げた。がら空きだった天井部が紫水茸に埋め尽くされる地獄絵図だったらしい。

 

 その後、光量を調整し、探鉱隊と交渉し天井部に茸の菌床を上手く設置することで収穫物が増えた。給仕係との交渉の結果一度の収穫でコイン30枚程となり、日々の食事が少しだけ豪華になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

駆けよ牢獄積もれやコイン②

 

 

「噂聞いたか?」

「噂?」

「新しく入ったガキだよ。ウルって奴」

「ああ、あのチビか。ソイツが?」

「最近なんかコイン溜め込んでいるらしいぞ」

「あ?あのチビが何できるってんだよ」

「実はさる商家の妾腹の息子で商才があったとか」

「うそくせえ」

「で、しかもあのパッパラパーのアナスタシアを侍らせてる」

「へえ、あんなのが好みなのかよ。ひでえ趣味してるガキだな」

「まあただ荒稼ぎしてんのは事実だとよ」

「……へえ」

「…………もらいにいかねえか?」

「バカ、コインの強奪は不可能だろ」

「同意の上なら良いんだろ?脅してなだめすかしゃちょれえって。こんな背のガキだぞ?」

「そんなガキからコイン奪うってか」

「やらねえのかよ?」

「やるに決まってる。弱い者虐めは大好きだ」

「最低だなお前、ハハハ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監30日目

 

「虐めは好きじゃないんだよ、俺は」

 

 ペリィはウルが小さくそう愚痴るのを聞いた。

 彼の目の前には五人ほどの囚人達が居る。彼等は一様に顔に酷い傷を作りながら全裸で地べたに正座している。ウルは右手に握りしめた竜牙槍をガラガラと地面に擦らせながら彼等の前をゆっくりと往復した。

 

「自分より弱い相手を嬲っても、何の経験の糧にもならないし、その割に時間がかかる」

 

 何故こうなったかと言えば、一言で言えば襲撃があったからだ。

 コインを荒稼ぎしていた新人のウルは、どうしたって目立っていた。地下牢は広くて狭い。その中で少しでも能力の際立った者はすぐに目立つ。そして目立てば、狙われる。

 【焦烏】そして【ダヴィネコイン】の付与魔術の効力で最低限の秩序こそ保たれているが、それは最低限で、囚人同士の喧嘩なんてものを咎める看守はここには殆どいないのだ。死人が出るような事でも起きない限り、【焦烏】も咎めたりはしない。

 

 だからこうなるのは自然の流れだった。五人ほどの強面の男達が突如として魔法薬の調合を行うウルの自室にやってきた。

 

「しかも恨みを買うだろ?そうなると後に引く。禍根を断つのがまた面倒でさ」

 

 そしてこうなった。

 竜牙槍が地面に叩きつけられ、ウルにボコボコにされた囚人達はびくりと反応する。

 彼等は自分よりも二回りは小さい彼に叩きのめされて、力関係を理解していた。彼等の中には元、冒険者まがいの者もいたが、数の暴力を質で上回られていた。

 一度間接的とはいえウルとやりあったペリィは理解していた。

 ウルは強い。少なくとも魔力で得た超人的な力にかまけてろくに鍛錬もなにもせず、呆けてる冒険者”まがい”と比べては雲泥の差がある。

 

「なあ、どうすれば良いと思う」

 

 不意に、ウルは目の前の男に尋ねた。一番ガタイの良い、彼等のリーダー格だ。彼は額から血を流しながらも、怒りに燃える目でウルを睨んだ。

 

「……舐めてんじゃねえぞガキィ!!!」

 

 不意に男が立ち上がり拳を振りかざした。

 が

 その拳が届くよりも早く、ウルの拳はチンピラの腹に突き刺さった。

 

「お゛……」

「やっぱ面白くないな」

 

 ウルの暴力は始まった。

 ペリィは目を逸らしたが、肉を打つ音が連続して響き、強面の囚人の女のような悲鳴も続いた。周りの囚人達からも戦くような声がもれたが全て激しい暴力の音にかき消される。

 

「待ちやがれ!!こっちを見ろ!!」

「……ぅ」

 

 と、そこに新たな声が響いた。ペリィは驚き振り返ると、恐らく襲撃者達の仲間と思われる男がいた。まだいたのかという驚きはあったが、それよりも彼が安全のために別部屋に移動させていたアナスタシアの髪を引っ掴んで引っ張ってきたのが問題だった。

 つまりは、人質だ。

 

「この女――――が!?」

 

 だが、男が何かを言うよりも早く、ウルが投擲したナイフが男の頬を掠め飛んだ。ナイフはそのまま彼の背後の壁に突き立つ。

 ウルはそのままゆらりと立ち上がった。ペリィは背筋が冷たくなった。ウルがまとう殺意が明らかに強くなった。

 

「その女を離せ」

「ひっは……へへ、……ふ、ふざけんなよ。てめえが動くな!何か下手なことをしたらこの女がどうなるか分かってんだろうな!!」

「何かしたらお前を殺す」

 

 ずるりと、竜牙槍をウルは揺らした。獣が尻尾をゆらして獲物を睨むように。

 ペリィはその囚人に今すぐにアナスタシアを離すようにと強く祈った。明らかに取り返しの付かない事をしているのに気付けと念じた。短い付き合いであるが、ペリィはウルがどういう性格なのかを理解し始めていた。

 このガキは、やると決めたらやる。

 

「こっちに、来るんじゃ、ねええ!!!」

 

 近付くウルを恐れたのだろう。アナスタシアへと向けていたナイフをウルの方へと向けた。そしてその瞬間。

 

「――――あ」

 

 一瞬で距離を詰めたウルの拳が、最後の襲撃者の顔面にめり込んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「なあ、俺ちゃんと怖かったか?」

「はあぁ?」

 

 囚人達から「謝罪金」として渡された数十枚のコインを数えながら尋ねるウルに、ペリィは眉をひそめた。何を言ってるんだという気持ちで一杯だった。

 

「殺し屋にしか見えなかったぞぉ…」

「そりゃ良かった。またアナスタシアを人質とられても面倒だったからな」 

 

 ウルは膝元で眠りについているアナスタシアの頭を撫でた。先の騒動で緊張し、体力を使ったのか、襲撃犯達が帰った後すぐに彼女は眠った。仕事は少しでも手伝おうとウルの横に座っていたがそのままウルの膝を枕にしている。

 

 女を侍らせて、金の数を数える姿は実に良いご身分であるが、当人の表情は曇っている。

 

「相手をビビらせるのは難しいな。暴力振るう以外やり方がわからん」

「暴力以外なにがあるってんだよぉ……」

「外に言葉だけで相手を誑かして弄んで自在にコントロールする女がいてな」

「どんなバケモノだよぉ……」

 

 そんな会話をしながらその日は解散となった。

 翌日、ウルという少年が実は都市転覆を目論む武装組織の戦士であるという噂が流れているのを彼は聞いたが、修正はしないことにした。

 

 臨時収入 コイン28枚

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

駆けよ牢獄積もれやコイン③

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監33日目

 

「ダヴィネ。魔法薬の質が上がったので値段上げてくれ」

「ああ!?本当だろうなあ?!」

「【魔女釜】から幾つか質の良い触媒を購入できた。コレなら俺でも小マシなのが出来る」

「………………良いだろう。コイン2枚に上げてやる!」

 

 魔法薬販売価格上昇 1枚 → 2枚

 日毎の魔法薬販売額 14枚 → 28枚

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監35日目

 

「フライタン。ウチの地下菜園の拡張工事を頼む」

「……また広げるのか。あんまこれ以上無理に広げる無茶は出来ねえぞ」

「大した範囲じゃない。ちょっとした地下倉庫が欲しいだけだ」

「……今度は何する気だ」

「紫水茸が出来たって言ったろ。あれ、放置すると毒性を含むらしいんだが、上手くやると酒に化けるんだと。ちょっと実験」

「酒造りもやると……お前、何時寝てるんだ?」

「企業秘密」

 

 【秘紫酒】製造開始

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監37日目

 

「クウ、囚人達の中でいくらかマシな人材教えてくれ。何処にも深く所属していないので」

「難しい事言うわねえ。めぼしい人材は大抵、ダヴィネが真っ先に目を付けて適当な所属に振っちゃうから、貴方みたいに独立したところに居られるヒト珍しいのよ?」

「技能は求めてない。よく動いて、コインが貰えるなら文句を言わない奴だ」

「それが難しいって話なのだけれど……ああでも、丁度居たわね」

「どんなんだ?」

「【黒炎払い】のリタイア組。もう外に出たくないって引きこもってる」

「引きこもり……」

「ダヴィネが罰で食事を抜いてもお構いなしよ。外に出るなら死んだ方がマシだって。地下の肉体労働ってだけで喜んで引き受けるんじゃないかしら」

「いいね」

 

 元【黒炎払い】3名確保。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監50日目

 

「……あいつ、ウルが来てからどれくらいだっけぇ?」

「そう、ですね。今日で、確か一ヶ月と半分くらい、です」

 

 アナスタシアの答えに、ペリィは酷く奇妙な顔をした。

 地下牢の一角、小さな部屋から始まったウルの魔法薬製造所は現在、ヒトの出入りが激しくなっていた。ウルがどこからか確保してきた人材達が集まり、ウルの指示の下に魔法薬製造のための下ごしらえや、地下菜園の作業に動いている。そして彼等が生み出す魔法薬や食材をダヴィネ達や給仕班達、時に【魔女釜】や【探鉱隊】まで求めてやってくる。恐らく今、一番地下牢で騒がしい場所が此処だろう。

 なし崩しでウルに従っていたはずのペリィも、いつの間にやらウルと共に指示を出す側の人間になっている。どうやら自分はすでに「ウル一派」の幹部の一人になっていた、らしい。

 魔女釜の連中からも仕事を任されることがなくなり、代わりに魔女釜の窓口として自分が機能し始めていた。

 今の自分の境遇に文句は無い。何時、魔女釜から切られて【黒炎払い】として働かされるかもも分からない状況を考えれば、今は天国と言っても良い。最も、自分の境遇に甘んじ、適当にサボったりすると即座にウルが見抜いてくるから油断できるわけではないが。

 

 しかし、この状況になるまでがあっという間過ぎて目が回るのも事実だった。

 

「生き急ぎすぎじゃねえのアイツ……」

 

 このメンバーの中で最も忙しなく動いているのは間違いなくウルだ。

 彼は誰よりも早く、本当に早く目を覚ます。そして魔法薬の準備を進め、地下菜園や酒造倉庫の状況を確認する。日中は地下牢の彼方此方に顔を出して挨拶して回る。恐らく既にペリィよりもウルの方が地下牢で顔が広くなりつつある。そしてそのコネを活用し様々な需要をインプットし、それを活用して更にコイン集めに精を出すのだ。

 その過程で失敗したことも多く在る。近くでそれに付き合わされて、失敗したところを間近で見ていたペリィにはそれが分かっている。しかし、それでも彼は全くめげることもしなかった。

 そして、そういう試行錯誤を続け、結果この状況だ。

 

 生き急ぎすぎという感想も全く過言ではない。

 

「外で、仲間が、待ってると、言ってました」

「そんなのとっくに見捨てられてるに決まってんだろ。バカかよぉ」

「かもしれない、けど、急がない、理由には、ならないと、言ってました」

「………そうかよぉ」

 

 ペリィは額に皺を寄せた。

 胸奥から奇妙な苛立ちが湧き上がっていた。焦燥感と言っても良い。随分と久しく忘れていた気分だった。灼熱のような意思に当てられて、何もしていない自分がどうしようも無い奴に思えてくるのだ。

 そしてそれを自覚した瞬間、ペリィは小さく噴き出した。自分ももういい年だというのに、しかもこんな場所に押し込められたというのに、まだこんな感情が自分の中に眠っていたことに驚いたのだ。

 

「まあいいさぁ。そんで、そんな生き急いだ我らが長はなにしてらっしゃるんで?」

「外、です」

「外ぉ?わざわざ何のために」

 

 地下菜園が上手く回り始めた今、危険な地上に出る理由が分からなかった。

 

「修行、だそうです」

「修行ぉ…」

 

 やっぱアイツバカなのかも知れないとペリィは思った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下牢地上部

 

「…………」

 

 ウルは一人、地表で竜牙槍を握り、たたずんでいた。

 周囲には敵はいない。魔物、黒炎鬼の姿も無かった。その状況下で、ウルは両目を【黒睡帯】で覆い隠していた。牢獄の外を出歩くなら必須の装備だった。必要最低限のものだけを身にまとい、ウルは肩を回し、そして前を見据えた。

 

「ふっ……」

 

 竜牙槍を握りしめて、槍を振る。

 踏みこんで、突く。身体を捻り、薙ぐ。跳んで、叩く。踏みこんで、振り上げる。自分の身長よりも大きな巨大なる大槍を、その全身を用いて振り回す。

 魔力痛が減り始めてからは、少しずつ地下で鍛錬も進めていた。が、いかに恐ろしく広い地下牢とはいえ、竜牙槍を振り回せる場所は少なかった。その場で振り回すことくらいはできなくもないが、ウルの()()()()()()()で全力を出すとなると、あまりにも手狭だった。

 

「………」

 

 前へと歩く。走る。地面を蹴りつける。

 間もなく視界は一気に狭まる。前方に迫る廃墟と化した高層建築物を前に更に加速する。一瞬にして距離が狭まった建物を前に、ウルはぐんと地面を蹴って、そのまま跳んだ。

 反り立つ壁を蹴る。蹴って蹴って、そのまま建物の壁を駆け上がる。一瞬で登り切り、ウルはそのまま空中に身を投げた。奇妙な浮遊感を感じながら、ウルはそのまま空中で竜牙槍を握り、そして一点にその穂先を向けた。

 

「【咆吼】」

 

 白皇鉱の竜牙槍は変形する。使い手の意思を即座に汲み取り、その狙いに合わせて変形し、光熱を発射する。その光熱が向かう先には、遠く、はぐれて沸いていた黒炎鬼だ。徘徊していたその黒炎鬼は、突如上空から降り注いだ光熱に焼かれ、黒い炎だけを残し砕け散った。

 

「うん」

 

 それを確認し、姿勢を正し、地上に落下する。

 黒い炎に水分の全てを吸われて、砂漠と化した地面が高くから降りてきたウルを受け止める。大量の土煙が一気に湧き上がり、辺り一帯の視界が一瞬ゼロになった。

 

 間もなく土煙も晴れて、ウルは、

 

「……俺はバカか」

 

 砂まみれになってかなり後悔していた。

 身体の砂を払い、ついでに竜牙槍の稼働も確認する。砂が噛んで動作不良を起こす可能性があった。駆動する魔道機には最悪の環境だ。しかし、動かしてみればまるで何の不具合も見せない。改めてこの新型の竜牙槍を与えてくれたスーアに感謝した。

 

「………まあ、よし」

 

 ウルは手を強く握る。身体に痛みは無い。【陽喰らい】からこっち、ずっと身体に続いていた身体の痛み、魔力の吸収に伴った成長痛が完全に治まっていた。

 

 喰った魔力が馴染んだ。そう感じた。

 

 一ヶ月の間、地下牢内での自分の地盤を固めると同時に、現在の自分の身体を馴染ませることにウルは集中していた。そして、それが成った。

 同時に、地下牢での自分の足場も固まった。必要なものが、必要なときに手に入るだけの基盤を創り出すことに成功した。

 

「んじゃ、やるか」

 

 自分の準備は整った。そして()()()()()()()()()得るべく、ウルは地下牢へと戻っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎払い

 

 【黒炎払い】の前身は、【運命の聖女アナスタシア】の護衛部隊だった。

 

 ラース解放を目的としていた戦士達。その実はアナスタシアをただ廃棄するための運び役であった戦士達は、アナスタシアが運命眼を喪い、彼女自身が再起不能になった時点でその本来の役割を終えた。

 だが、アナスタシアと共に棄てられた彼等も、既に戻る場所は無い。生きるために、仕えるべき主をアナスタシアからダヴィネに変えた。元々存在していた地下牢の戦闘部隊と合流、というよりも吸収し、現在【黒炎払い】が成立した。

 

 そんな彼等の役割はラースの解放、ではない。

 

 現実味のない目標はとうに彼等も棄てている。彼等の目的は【焦牢】の地下牢周辺に迫る【黒炎鬼】等の排除と、黒炎そのものの処理である。

 

 黒炎鬼は【灰都ラース】から確実に迫ってくる。彼等の処理は、手順を誤らなければ決して難しくは無い。が、残った【黒炎】の処理は少し手間だ。放置すればどんどん地上で動ける範囲は無くなる。そしてその炎はやがて地下をも焼いていく。

 目に付いた炎は除かねばならない。ではそれはどうするか。

 

「【竜殺し】を打ち込め」

 

 全身を【黒睡帯】で覆った【黒炎払い】の隊長、ボルドーはしわがれた声で部下に命じる。彼等がもつのは真っ黒な大槍であり、それこそが黒炎を殺す唯一の手段だった。

 

 部下達は恐る恐るというように不吉な黒い槍を炎へと近づける。情けないへっぴり腰だったが、咎めることはできなかった。それくらいの慎重さは必要なのだ。

 

「……う、うわあ……」

 

 その作業を任された新人は、【竜殺し】が黒炎を殺す光景に悲鳴のような声を上げる。

 黒炎は槍が炎の中に投じられると同時に、まるで槍を避けるようにして揺らめく。だが、次第に吸い込まれるように槍に収束し、そして最後には跡形も無く消え去った。

 

 制作者のダヴィネ曰く、それは殺すというよりも喰らうと言った方が正確らしい。

 

 貫いた対象の魔力を喰らい砕く槍、果たしてどのような仕組みなのかは彼らには分からなかった。だが効果が覿面なのは事実だ。

 コレが無い時代の手法はもっと原始的で、焼かれた炎を地面ごとに抉って、運び出さなければならなかったらしい。とてもではないがやっていられなかっただろう。その点はダヴィネに感謝したかった。

 

「くそ!くそ!もう嫌だよ!勘弁してくれよ!!」

 

 が、全く役に立たない新人を補充として寄越すのは本当にどうにかならないだろうか。

 たった一つの黒炎を潰したくらいでわめき散らしだす新人の囚人に対して、ボルドーは低い声で窘めた。

 

「黒睡帯を正しく着けているのであろう。簡単に呪われたりなどせんわ」

「うるせえ!!お前等の中にももう何人も呪われてる奴いるんだってな!近寄るな!」

「ほう、ならば一人でこれをするか?好きにして貰っても構わないぞ、俺は。」

 

 そう言うと、新人はあからさまに動揺した。

 ダヴィネの命令は絶対だ。彼が【黒炎払い】として働けと命じるならそうするしかない。そしてその彼の命令に逆らえば食事もマトモに出やしない。早々に生きるのを諦めたくは無いのなら、此処で働いていくしか無いのだ。

 

「ふ、ふざけんなよクソどもが!!てめえ等みたいには絶対にならねえからな!!」

 

 だが、それを理解できるほど、今回寄越された新人の頭は良くなかったらしい。

 そんな風に捨て台詞を吐いて、握っていた竜殺しを手放してそのまま逃げ出した。地下牢に戻ったらしい。どうせ戻ったところで、帰る場所など無いというのに、哀れなことだ。

 

「隊長……どうします?」

「放っておけ。【焦烏】が結果をダヴィネに教えているころだ。すぐに逃げられぬと気付くだろう」

 

 自分の立場を理解しておめおめと此処に戻ってくるか、あるいは地下で仕事を探してダヴィネに認められる為に藻掻くかは彼の選択次第だが、厳しいところだろう。そもそも地下に役割が無いと判断したからダヴィネがこちらに寄越してきたのだ。

 

 

「帰還する――――いや、戦闘準備だ」

 

 ボルドーはそう言って【竜殺し】を引き抜く。彼の部下達も同様に槍を構える。

 彼等が居る場所は地下牢の地上部、かつて衛星都市だった都市部の外周部だ。既に都市を囲む外壁と【太陽の結界】は存在せず無防備な有様である。当然、魔物、黒炎の呪いを運ぶ“鬼たち”の襲撃は起こる。

 

『AAAAA………』

 

 黒炎に焼き焦がれ砂漠と化した不毛の大地。

 黒炎砂漠の砂塵の奥から黒い炎が揺らめき、こちらに近付いてくる気配が複数確認できた。ゆらゆらと不安定に蠢きながらも、それらは真っ直ぐにこちらに近付いてきている。

 黒い炎に飲み込まれ、憤怒の竜の末端と化した魔物達。【黒炎鬼】だ。

 探索魔術によって探りを入れた術者が小さく囁いた。

 

「黒炎鬼、2、いや3体。内2体は獣型。残るはヒト型です」

「獣から殺す」

 

 ボルドーが言うや否や、弓矢を構えた戦士が二人進み出て獣へと放つ。その射撃は素早く、そして的確だ。遠く、蠢くようにいた子犬のような形をした真っ黒な獣は即座にその胴体を射貫かれ、身震いして沈んだ。

 黒炎を知らぬ者からすれば惨い仕打ちのように見えただろう。だが、ボルドー率いる一行には強い緊張が走っていた。彼等は自分たちが射殺した筈の黒い者を睨み続ける。

 

 そして、転がった黒い獣2体の内、1体の炎が突如として大きく燃え上がった。

 

「活性化した!」

「魔術部隊!」

 

 獣から湧き上がった炎は轟々と燃え続け、一気に数メートル規模の大火に変貌を遂げた。周囲でゆっくりとこちらに近付いていたヒト型の黒炎鬼達は、その炎に巻き込まれ、身体の彼方此方に黒い炎を燃え広がらせる。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 鬼達が叫ぶ。黒い炎が増大すると共に、彼等の肉体が膨張する。只人の成人と変わらない程度の体躯が3メートル超の巨体と変わり、頭から二本の長く大きな角が伸びる。

 

 黒炎鬼は黒い炎の火力によってその力を膨張させる。

 だからこそ尚のこと、黒炎を放置することは出来ない。

 

「【砂塵よ!】」

 

 術者が地面を叩き、唱える。

 ボルドー達の近くの砂塵が揺れ動く。一瞬盛り上がり、そして大質量の砂塵が一気に巨大化した黒炎鬼の元へと突撃した。

 

『AAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 巨体化した黒炎鬼は、迫る砂塵の波にも構わずに突撃してくる。黒炎鬼の目的は黒炎の延焼であり、その目的の為、生きた者に貪欲に向かってくる。現在の鬼の目標は当然、ボルドー達だ。そこに生物的な思考は無い。

 だから、砂塵の壁にも一直線に向かって、そして飲み込まれる。

 

『AAAAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 大量の砂に押しつぶされる。容易には身じろぎ一つとれなくなるまでに。

 だが、それでも黒炎鬼は完全には動けなくなっている訳では無かった。鬼は、身体の大半を土に埋もれさせながらも、そのまま両腕を振り回し、砂を掻き分け、吹き飛ばす。そして僅かずつでも前へと進む。

 それは、何が何でも、ボルドー達を焼くために。恐ろしいまでの執念だった。だが、

 

「沈むが良い」

『A――――』

 

 動けないのならば、狙うは容易い。

 ボルドーが投擲した竜殺しが、鬼の頭部を直撃し、粉砕した。間もなく彼を取り巻いていた黒炎は竜殺しに吸い込まれ、そして消失する。

 その結果を見て、ボルドーは小さく溜息をついた。

 

「損害報告。だれも黒炎に焼かれてはいないな」

 

 その問いに全員応じる。ボルドーは良しと、小さく頷いた。

 ”活性化”が起きて尚安全に狩れたのは幸運と言えた。それに巻き込まれ巨大化した鬼がヒト型一体のみであったのも。コレがもっと数がいれば、あるいは、活性化に飲まれたのが獣型であったなら、容易くは無かっただろう。今日は楽だった。

 

「矢と槍を回収し、帰投する。矢は回収困難であれば諦めるぞ」

 

 短い指示と共に、本日の巡廻は終わりを迎えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 人手が足りない。

 

 ボルドーが今ずっと頭を悩ませている問題だった。

 【黒炎払い】の人数が少ないか、と言えば否だ。地下牢の中での仕事が見つけられなかったろくでなし達が此処には常に補充される。下手をすれば、現在【焦牢】に存在している勢力の中で、【黒剣】らを除けば最も数が多い。

 

 だが、数に対して質が全く伴わない。

 

 当たり前のことではあるが、彼等は別に元から戦士というわけではない。地下牢の住民の大半は犯罪を犯した囚人だ。それも、各都市から爪弾きにされたような連中か、厄介な事情をかかえて送り込まれてきた排斥者達である。

 彼等の多くに戦いの心得などあるわけがなく、マシな者がいたとしても、黒炎の呪いに腰が引けてやはり使い物にならない。

 呪いが恐ろしいのは間違いなく、怖がるなとも言いづらいのは確かである。が、しかし黒炎鬼どころか、それが残した【黒炎】にすらろくに向き合えないようでは本当にどうしようもない。そんな役立たずをとりあえずと言う風に送ってこられても困るのだ。

 

「……また、ダヴィネに言ってやらねばならぬか」

 

 彼はそう言って地下牢への階段を進み中へと入った。

 

「うわ、出た。払い達だ。」

「近寄るなよ。呪いが移るぞ……」

 

 途端、囚人達が道を空ける。好き勝手な事を言いながらも彼等は一切こちらに近寄ろうとはしてこない。視線に籠もるのは侮蔑と嫌悪だ。【黒炎払い】であればこの視線は常だが、うっとうしさは変わらない。

 

「馬鹿どもが。誰が此処を守ってやっていると思ってんだ……」

「放っておけ」

 

 ボルドーと彼の直近の戦士達は【黒炎払い】の中でも選りすぐりだ。ダヴィネが追加で送ってくる木っ端達とはワケが違う。故にプライドもある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。と言い聞かせている分、他の連中が黒炎払いを見下しているように、黒炎払いも他の連中を見下している。この相互の溝は埋まらない。あえて埋める理由もないが。

 そう思いながら、彼は【黒炎払い】の集会所に戻った。

 

「ボルドー隊長」

 

 そして入った矢先に、黒炎払いの隊員の一人が彼に駆け寄ってきた。隊長と自分を呼ぶのはかつての討伐隊の一員の者だ。その古参の女術者が珍しく困惑した様子でいる。

 ボルドーは装備を脱ぎながら問うた。

 

「どうしたというのだ」

「それが……」

 

 そういって、彼女はチラリと部屋の奥へと視線を向けた。その先には他の黒炎払い達も集まり、そして一点に視線を集めていた。その先に居るのは一人の少年だ。

 そう、少年である。現在地下牢で少年と呼べる年齢の囚人は一人だけだ。現在の地下牢で最も話題を集めているその男は、ボルドーへと近づき、そして手を差し出した。

 

「ダヴィネからの命令で此処の新人になったウルだ。これからよろしく頼む」

 

 灰色髪の只人の少年を前に、ボルドーは眉をひそめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎払い②

 

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監51日目

 

「【黒炎払い】に入りたいだあ!?」

 

 自分の城である地下牢工房の中で、ダヴィネは吼えた。

 彼の目の前には【魔法薬製造班】のウルがいる。灰色の、小柄な只人の少年。しかし今最も地下を賑わせている少年は、静かにダヴィネを見据えていた。

 

「ああ、下っ端の新人でもいいから【黒炎払い】になりたい」

「ダメだ!!」

 

 ダヴィネが鎚で激しくテーブルを叩いた。激しい音が工房内に響き渡り、その後工房の中は静まりかえる。中にはダヴィネを手伝うための部下達も居るのだが、彼等は一切の物音を立てぬようにと気を使っていた。

 長らく彼の手伝いをしていた部下達は、自分の主であるダヴィネの機嫌はすぐに察せる。今の彼の機嫌は、最悪だ。下手なことを言おうものなら、彼の握る鎚が頭にふり下ろされる。

 

「理由を聞いても?」

 

 その彼に対して全く動じずに質問をするウル少年の胆力も大概だった。ダヴィネは顔を真っ赤にさせて恐ろしい形相でウルを睨んでいる。

 

「いいか!!てめえは此処に収容された時点で俺の所有物なんだよ!!此処は俺の城だ!俺の城で、俺の物が!!勝手に動くことは許さねえ!」

「別に俺はアンタの為に働かない訳じゃ無い。【黒炎払い】で働きたいってだけだ」

「何故今の安定した地位を棄てる!!」

 

 確かにそれはこの場の全員が気になるところではあった。

 

 【魔法薬班】と、現在ウル達は呼ばれている。

 新人、ウルが中心となって生み出されたグループだ。元はグループというわけでもなく、単に少し多芸だったウルがダヴィネに命じられ、少量の魔法薬を作っているだけのものだった。

 正直、作れる回復薬や強壮薬も大した質ではなく、精々ダヴィネの命令の下で細々と働きコインを掠めるだけの人材の一人に落ち着く、と、誰もが思った。

 

 ところがウルはその予想に反して働いた。驚くほどに精力的に。

 

 地下牢のあらゆる勢力の元に顔を出し、時に殴られ、時に失敗をしながらも全くくじけること無く、動き続けた。地下牢での自分の場所を確保し、使用できる範囲を広げ、出来ることを増やし、道具を更新し、仲間を増やした。それらの作業を短期間の間に全てこなし、そして今もそれを続けている。

 【魔女釜】【探鉱隊】【焦烏】といった連中と比べ規模こそ小さいが、彼等全員とも繋がりを持っているという面白い立場に居る。現在の地下牢に不足していた部分を埋め、かつ全ての勢力とも繋がりを得た小勢力。

 運もあるだろうが、上手いことやったもんだと感心や嫉妬を買っていた。

 

 だが、だからこそウルの提案は、意味が分からない。

 

「てめえは地下牢の中じゃ上手いことやれていた!なのに何故それを棄てる!?何故あえてこの地下牢で一番クソッタレな【黒炎払い】になろうってんだ!?」

「”一番クソッタレ”。そりゃ嘘だろダヴィネ」

 

 怒り狂うダヴィネに対して、ウルは指摘する。彼の言葉を否定するのは彼が怒り狂っているとき一番やってはいけないことの一つだ。ウルの頭が割れる。と、その場の誰もが口にせずに思った。

 

「…………」

 

 が、意外なことに、ダヴィネは黙った。ウルを睨むが、鎚は握りしめたままだ。

 ウルは言葉を続ける。

 

「アンタは血が上りやすいが頭は回る。だったら【黒炎払い】を軽視する訳がない」

「……………」

「ウチに手伝いに来ている元黒炎払いに聞いた。今、人手不足の質不足で悩んでるんだろう。俺なら多少の助けには成ってやれるかも知れない」

 

 ダヴィネは黙る。ウルの指摘が全て正しく、反論の余地が無いからだ。

 

 ダヴィネは【黒炎払い】を軽視はしていない。

 彼等はその特性、【黒炎】に常に晒されるリスクを背負い、時としてその呪いに身体を毒される為に差別と軽蔑の対象となる。どうしたって地下牢内でのヒエラルキーが下がるのは避けられない。だが、彼等がいなければ外の、黒炎鬼の対処はままならない。

 探鉱隊にしろ魔女釜にしろ、彼等はダヴィネの作品作りの要ではある。そしてダヴィネの作品は金にはなるが、地下牢の安全の保証にはなり得ない。助けには成るが、実際に地下牢の安全を確保してるのは【黒炎払い】の連中だ。

 

 呪いのリスクを飲み込んで、最前を戦う戦士達。彼等を軽視するなど愚か者だ。 

 

「だけど、その愚か者が地下には多すぎた。だから、表向きは黒炎払いを蔑みつつ、裏で支援したんだろ?表は荒らさず、裏で必要な助力はする。出来た王さまじゃ無いかダヴィネ」

「……何故気付いた」

「俺があんたに渡してるの、回復薬と強壮薬だぞ?冷静に考えて、そんなもん地下の何処に流すんだよ。【黒炎払い】くらいだろ」

 

 元々、ウルという少年が作れるといった魔法薬は完全に冒険者御用達の基礎薬だった。ダヴィネと【黒炎払い】には都合が良い話だったのだが、それが求められた時点で気付ける要素は十分にあったのだ。

 ダヴィネは舌打ちして、彼の向かいの椅子に座り、ウルを睨んだ。

 

「確かにお前の言うとおりだ、俺は【黒炎払い】どもを安く見積もっちゃいねえ。お前が作った魔法薬もアイツらに回してるし、コインも十分支払ってる。アイツらがこの地下牢を支える基盤だからだ。」

 

 だが、と区切り、そしてウルを指さす。

 

「お前みたいに別の能力がある奴をわざわざ向かわせるメリットが俺にゃねえんだよ!あっちは頭の悪い馬鹿どもをやっときゃいいんだ!」

「俺のことを高く見積もってくれて悪いが、正直そこまでたいしたことはしてねえよ」

 

 ウルは首を横に振る。

 

「魔法薬生成も素人仕事だしな。手順も単純。作成を安定化させるための環境作りに今日まで力を入れて、完成した。もう俺がいなくたって回るようになった」

 

 魔法薬作りなら、もうアナの方が上手いんじゃ無いか?

 そう言ってウルは笑う。ダヴィネは更に顔を顰める。だが、既に彼は怒っていない。彼の表情にあるのはただただ疑問だ。

 

「……そうまでして、なんでお前は【黒炎払い】になろうってんだ?」

 

 結局の所、そこに行き着く。

 そしてその問いに、ウルは真顔で答えた。当たり前のことを言うように。

 

「ラースの【黒炎】をなんとかしない限り、刑務は終わらないんだろ?」

 

 地下牢の、いや、もっといってしまえば【焦牢】が存在する理由そのものがそれだ。それが達成されない限り、誰も外に出ることは叶わない。だからこの地下牢は都合の良い人材の廃棄場になっている。

 達成不可能な課題。故に誰もが諦めて、地下牢で安全に過ごす事で妥協している。

 だから、

 

「やってくれる奴がいないなら仕方ない。仕方ないから、やろう」

 

 ウルはそう言った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【黒炎払い】 地下拠点

 

 黒炎払いの地下拠点は地下牢の中でも南端に存在する。

 中央の施設へのアクセスは非常に悪い。理由はやはり、外で戦い黒炎に呪われた者達が忌み嫌われているというのがある。わざわざ自分から此処に来るものはいない。

 地下牢でも最も人通りが少ない静かな場所で、黒炎払いと、その新人を名乗るウルとの面談は行われていた。

 

「……つまりお前はラースを解放するなんていう馬鹿げた目標をやろうというのだな?」

「そうなる。とはいえ、黒炎との戦い方も知らないから、まずは学ぼうとしている」

 

 ボルドーはウルを睨む。此処に来た事情を彼は全て説明した。その説明した内容に、いい加減な嘘偽りは無いように思える。受け答えもちゃんと出来ていて、彼が適当言って良からぬ企みをしようとか、そういうつもりは無いのは確かだった。

 だが、つまりそうなると彼は“ラース解放”を本気で考えていると言うことになる。その方がよっぽど狂気の沙汰だった。

 

 そしてそうなるとどうしたって【黒炎払い】の彼等は、否応なく一人の人物が頭をよぎる。ボルドーはその名を告げる。

 

「……アナスタシアに何か吹き込まれたのか」

 

 【衛星都市セイン】の運命の聖女アナスタシア。愚かしくも悪辣な陰謀に気付かず、ラース解放を目標に掲げて多くのものを道連れにして棄てられた少女。

 その名を告げた瞬間、その際に共に此処に棄てられた経験を持つ戦士達は身を固くする。組んだ腕をぎゅっと掴むのが目端に見えた。理解は出来る。ボルドーはその時の討伐隊の副隊長でもあったからだ。

 もしも彼女が未だ当時の唆された大義を棄てきれず、見所のある少年にそれを吹き込んで唆したとしたら、そういう妄想をかき立てられずには居られないのだろう。

 だが、ウルは首を横に振った。

 

「いや、彼女からはむしろかなり強めに止められた。無理はすべきではないと」

「そうか」

「自分は此処に合わす顔が無い、とも言っていたよ」

「そうか……」

 

 ボルドーは小さく溜息をついた。

 当時から既に10年が経過した。少なくとも直接的に、【黒炎払い】で彼女に対して恨み言を口にするような輩は少ない。時が経って殆どの者の感情は風化した。そもそもそんな恨みは逆恨みに等しく、憎むべきは、自分らと彼女を利用するだけ利用して棄てた連中だというのも理解できている。

 だが当時、彼女が黒い炎に飲まれたその後も【黒炎払い】は拗れに拗れたのだ。その際に出来た組織の傷は未だに癒えぬ程に。今でも彼女の事に触れるだけで、血が噴き出す程の傷が【黒炎払い】には残っている。

 だから、確認せざるを得なかった。

 

「俺は俺の目標のため、ラース解放を目指すに過ぎない。無茶苦茶をする気は無い。不可能と悟れば別の手段を考えるだけだ。だけどまずは黒炎との戦い方を学びたいと思ったから此処に居る」

「黒炎払いは人材不足である。特に、鬼達と戦える者は酷く少ない。お前は元冒険者であると聞いている。入ってくれるというならば助かるのは確かだ」

 

 だが、とボルドーは言葉を切って、ウルを見る。

 

「覚悟をしておくことだ。正しい戦い方を学ばなければ、お前の命は一瞬にして黒炎の薪となって焼失すると」

「勉強は望むところだよ」

 

 ウルは頷く。こうして、新人ウルの研修が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎払いの仕事

 

 憤怒の竜、大罪竜ラースの生み出した黒炎に触れた者は全てが黒炎鬼となる。

 黒炎鬼が死んだ場所には黒炎が残り、新たなる鬼を産む。

 そうして黒い炎は時間をかけ、ラース領全土に広がり続けた。

 

 憤怒の竜そのものを封じても尚、炎は収まりを見せずに残り続けた。ラース解放という大目標を掲げる一方で、じわじわと広がり続ける呪いの炎への処置もまた、イスラリア大陸に住まう全てのものにとっての問題だった。

 

「【焦牢】が建てられたとき表向きはラースの解放などと言ってはいたが、実質は黒炎鬼の拡大の抑止が一番の目的だったのだ」

「でもラース領って広いだろ。黒炎の拡大の防止なんて出来るのか」

「鬼と成った者の動きは魔物以上に機械的だ。生物の多い場所に一直線に向かう」

「焦牢の囚人は囮か」

「絶対ではないがな。故に監視塔が幾つか設置されている」

 

 ボルドーは新人となったウルに対して説明を行う。

 現在ボルドー一行は黒炎払いの見回り点検を行っている。地下牢の出入り口周辺を探っている。万が一にでも地下牢に侵入されれば大惨事となるからだ。

 

「近寄られるのが嫌なら、入り口周辺に防壁とかはつくらないのか」

「意味が無い。太陽の結界でもない防壁など、僅かな時間稼ぎにもなりはしない。小高い障壁は焼いて砕いてくる」

「なるほど」

 

 一行の内、ウルは最後方で【竜殺し】を幾つも背負いながらついてくる。【黒炎払い】の新入りの仕事は荷物運びとなる。ウルはそれに対して文句は一切言わなかったので一先ずボルドーは安心した。

 【竜殺し】そのものを嫌悪し恐れる者や、あるいは荷物運びという下っ端の作業に文句を垂れる者も多い。目に見えて分かりやすい看守もいない牢獄で、囚人達に勤勉な態度を求める方が間違っていると言えば間違ってはいるのだが、もう少し何とかならないだろうかというのが率いる立場のボルドーの感想だ。

 

 その点、ウルは良い。何故こんな子供が此処に押し込まれたのか理解できないくらいには従順だ。

 

「隊長、黒炎鬼がでました」

 

 探知魔術で常に周囲を探る術者が小さく囁く。ボルドーは頷いた。

 

「ウルよ。繰り返すが間違っても黒睡帯を外して鬼を見るなよ」

「外さないようにはしている」

「良し。レイ」

 

 すると前に弓兵が出て、矢をつがえ、術者が指示を出した地点を睨む。ウルはその様子を見て邪魔をしないように小さく囁いた。

 

「……矢も【竜殺し】製?」

「先端だけだ。邪魔をするんじゃないぞ」

「了解」

 

 言っている間に、レイと呼ばれた女弓師は矢を放つ。鋭く風を切る音と共に目に止まらぬ速度で矢は飛び、そして直後に廃墟となった建物の影からずるりと姿を顕した黒炎鬼の頭部に着弾した。

 

『A』

 

 鬼は、何一つすること無く地面に沈んだ。ウルはそれを見て感嘆の声を上げる。

 

「凄いな」

「油断するな。まだ続くぞ」

 

 ボルドーの指摘通り、人型の黒炎鬼は次々に沸いて出た。ヒトの形を保ち、二足歩行で移動してきているが、意思があるようには思えない。中には炎に焼かれなかった金属製の剣のようなものを握っているものもいる。

 

「……武器まで振るうのか?黒炎鬼」

「生前の習慣が残ってる場合は、その再現を試みる鬼もいる。最も、体が欠損していたりして、まともに扱えているのをほとんど見たことは無いがな」

 

 そうボルドーが説明している間にも、レイは次々に矢を放ち、鬼たちを射抜いていく。決して傍まで近づけない。呪いの対処としては最適解だろう。見ている間に、最後の一体も仕留め切ってしまった。

 

「終わった、か?」

「まだだ」

 

 ウルの言葉を、ボルドーが諫める。その警告に従い、ウルもその場から動かず倒れた黒炎鬼を睨み続ける。すると、鬼が倒れた場所に残った炎が不意に一際に大きく燃え広がった。

 

「……あれは?」

「活性化だ。複数の鬼が存在するとき、時折起こる。そして、連鎖反応が起こる」

 

 すると、何処かから別の鬼が後から姿を現した。その鬼はゆらゆらと、灯りに寄せられる虫のように黒い炎に吸い寄せられ、そして”大きく”なった。

 

『AAAAAAAAAAAAA!!!!!』

「うお……!?」

「炎が強くなると、鬼も強大化する。炎の強さが目安だ」

 

 肥大化した鬼が吼えながらも一気に接近する。ウルは反射的に自分の獲物である竜牙槍を引き抜いたが、ボルドーが制止をかけた。前に立つレイは慌てること無く次弾の矢を3つ同時に番えると、恐ろしいうめき声を放ちながら近付く鬼に一気に放った。

 

『AAAA!!!?』

 

 矢は、頭部に着弾し、更に両足を貫き串刺しにした。ボルドーはそれを確認しウルが運んできた【竜殺し】を掴むと、一気に投擲する。

 

『AA   』

 

 【竜殺し】は胴を刺し貫いて、地面に縫い付けた。そして竜殺しは鬼の黒い炎を食らいつくし、そして全てを終息させた。

 

「鬼には基本的に近接戦闘は行わない。遠距離で始末を付けるよう立ち回れ」

「近付かれた場合は?」

「無論、可能な限り距離を取るよう試みる。が、鬼の中には明らかに速度が異常な者も居る。不可能であれば戦うしか無い。だから装備は決して解くな」

 

 ボルドーはウルを見る。彼の装備は新人にしては明確に充実していた。ダヴィネ製の黒睡帯製のローブを纏い、両手足に目にもそれを巻いている。地下でコインを稼いでいたとは聞いているので、その時得たコインでダヴィネから購入したらしい。

 

「……随分と装備を固めたな」

「ビビってるからな」

「まあ、良い。舐めてかかられるよりはコチラもやりやすい」

 

 前から居るメンバーより装備が固められている事に要らぬ反感が起こる可能性も無いでは無いが、それでもやはり、舐めて適当をやられるよりはマシだった。

 

「投擲技術があると言っていたな。次はお前がやって見せろ」

「了解」

 

 巡回を再開した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【黒炎払い】地上拠点

 

 地下牢と比べ、地上はあらゆる場所に危険が潜んでいる。

 黒炎鬼は遠方からでも生命の気配を感じその方角へと真っ直ぐに向かってくる。隠蔽の結界を用いたところでも意味は無い。

 だが、対策を施す事で”比較的”安全の確保は可能である。

 

 例えば高層建造物の屋上近辺。地上から遠く離れた場所。

 

 昇ってこれる場所を絞って、あえてそこを空けて先々で罠を仕掛ける。そうすることで黒炎鬼の行動を誘導し、確実に仕留める。【黒炎払い】はこうした安全地帯を幾つか用意しており、見回りの途中途中でそこで身体を休めていた。

 

 今日は既に地下牢地上部の見回りは一通り終わり、後は帰還するだけだ。ただし戻る間も油断は出来ないため、万全を期すための休息だった。

 

「黒炎鬼に目は無い。魔力を感知してこっちを察する。範囲自体は狭いけど、察知した瞬間行動力は跳ね上がる」

「魔力……なら、裏を取っても気付かれる?」

「壁越しでも気付かれる。不意を突かれたら距離を取って。距離が離れれば黒炎鬼は探索状態に戻って、遠く感じる魔力へとゆっくりと近付いていく。」

「なるほど……」

 

 その拠点でウルは引き続き、黒炎鬼の指導を受けていた。

 

 現在はボルドーに変わって弓兵のレイが彼に対して説明している。休憩中ウルに投げられた質問に淡々と彼女は答えていた。彼女も衛星都市セインからの”遠征組”で古株だった。黒炎鬼への知識は折り紙付きだ。

 ラース解放という、黒炎払いにとってやや刺激的な目標を掲げるウルに対しても偏見なく接してくれている。

 

「……熱心なことだな。何しに来たんだか。アイツ」

 

 だが、彼に対して未だ警戒を解かない者も居る。

 ボルドーは自分の横で小さく愚痴ったガザに視線を向けると、小さく窘めた。

 

「新人が、戦い方を熱心に学ぶ分には問題あるまい。勤勉さは美徳だ」

 

 今日一日、ウルの動きを見る限り「従順で優秀な新人」という評価で落ち着いている。言うことはよく聞くし、学ぶ。理解力もある。黒炎の除去も恐れこそするがビビリ腰になる様子もない。接近した黒炎鬼に対しても逃げ出さず【竜殺し】を直撃させた。

 初日は文句の付け所が無かった。それはガザも認めるところではあるはずだろう。しかし彼は不満げだ。

 

「……そりゃそうですが、隊長。アイツ本気であんなこと言ったと思いますか?」

「ラース解放の件か?」

 

 獣人のガザもまた”遠征組”の一人だ。

 現在、【黒炎払い】の中で当時の遠征組の生き残りは20人ほど。此処に来た当時と比べればその数は五分の一程で随分と減ったが、しかし生き残った面々は精鋭だとボルドーは自負している。

 10年間、黒炎鬼と戦い続ける過酷な環境で研がれ続けた。常にある死の呪いと隣り合わせの戦いは彼等を恐るべきエキスパートに昇華した。

 

「解放なんて、出来るわけがねえ。適当言いやがって。」

 

 が、だからこそ、もの知らぬ新人の大言に不審さや嫌悪感を示す者が出るのは、もうどうしようも無いことだった。

 

「奴は現実を理解できないバカか、俺たちを騙して利用しようとしているかのどっちかだ」

「利用。彼がどうするつもりだというのだ」

「俺たちの武力を利用して、地下牢の新たな王さまになろうとか」

 

 ボルドーはその答えに、珍しく口端をつり上げて小さく笑った。面白い妄想だった。

 ガザは傷ついたというようにボルドーを睨んだ。

 

「隊長!」

「それはあるまいよ。ウルは地下牢の彼方此方に顔を出しているらしい。ならば此処が【黒剣】が支配していると知っている筈であろう」

 

 結局、自分たちは囚人なのだという事を理解できないほど彼の頭は悪くは無いだろう。そういった状況判断が出来ないようでは、地下牢で瞬く間に一勢力を作り上げるような事は出来ないはずだ。

 

「だとしたら、バカなんだバカ。敵がどんな奴か理解できてない大馬鹿だ」

「具体的に、俺はどうバカなんだ?」

「ああ!?」

 

 と、気がつくと、ウルが目の前でガザの前に座っていた。レイへの質問は終わったらしい。彼は先程まで自分を罵倒していたガザに対して怒りを向けるでも無く興味深げに彼に視線を向けている。

 

「ラースの解放が何故不可能だと思うのか、教えて欲しい。興味がある」

「知るかよ勝手に調べろよバカ!!」

「アンタから教えて欲しいな。先輩」

「うっせえよバーカバカバーカ!!!」

 

 実に語彙の無い罵倒である。ウルは実に涼しげだ。年齢はガザの方がよっぽど上だろうに、と、ボルドーは溜息を吐いた。そしてガザの肩を叩いた。

 

「ガザ、防壁の外を見せてやれ。此処の屋上からなら見れるだろう」

「ええ?!俺が!?」

「そうすれば少なくとも、ラース解放の困難の意味を理解できるだろう」

 

 二人の会話を理解できていないウルは、しかしそれでもよろしく頼むと頭を下げた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……これは」

 

 拠点の屋上からそれを見たウルは小さく呟く。表情は僅かに眉をひそめる。流石に、先程までの余裕綽々といった表情では無かった。共に来たボルドーは頷いてみせる。

 

「お前は冒険者だったらしいが、なら分かるだろう」

「……迷宮?」

「そうだ」

 

 地下牢の地上部、その外周部の外に広がる【黒炎砂漠】の大地は歪んでいた。

 山よりも大きな砂丘がある。などというのはまだマシだろう。壁の様に反り立って道を狭め、時に獣の爪や牙のように、まるで植物が生えてくるように大地から伸びて、地面をのたうっては道を阻む。

 空の色は【焦牢】の周囲より増して更に薄暗い。今はまだ太陽神は昇っている筈なのに、彼方此方から立ち上る黒炎から沸く黒い煙がより色濃く、空を覆い隠して光を阻んでいる。灯りが無ければ先が見通せないくらいに薄暗い。

 

『………AA』

 

 そして歪な砂漠の道を黒炎鬼が闊歩している。

 

「恐らくだが、【大罪迷宮ラース】が地表に出てきたのだ。この砂漠が大罪迷宮そのものと一体化している」

「……そりゃ攻略も困難だな」

「迷宮自体は、まだ易しい方だよ。問題はそっちじゃねえ」

 

 そう言ってウルの隣でガザが忌々しげに指さす。

 その方角にはかつての【大罪都市ラース】の中心地が存在する。イスラリア大陸で最も精霊の力が繁栄した聖地の方角だ。しかし、その方角にはラースの姿が見えない。

 

 

「………なんだ、ありゃ」

「【番兵】だ」

 

 灰都ラースから少し離れた先にある小高い砂丘の上から、そちらを眺めるウルの視界に映ったのは、遙か遠くにいながらもハッキリと目に映る”巨大な人型”の姿。数十メートルはあろう巨大な体、その全身から燃えさかる黒炎、そして頭部に伸びる真っ直ぐな一つ大角。

 

 【黒炎人形】と呼ばれる番人は、旧ラースの前でその巨躯を晒していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎払いの仕事②

「我々がここに放り込まれた頃はラース解放を目指した。それが欺瞞に満ちた目標であり、真意が悪意に満ちたものであったとしても、それができなければ永遠にこの砂漠に閉じ込められるとあっては、目指さざるを得なかった。」

 

 拠点の屋上から見える不気味なその景色を背景に、ボルドーはかつての話をする。ウルは黙ってそれを聞いているが、表情は冴えなかった。あの天をも衝くような巨人を見ては仕方の無いことだろう。 

 ボルドーは話を進めた。

 

「解放の目標は、全ての黒炎の源と思われる、【核】の探索だ」

 

 ラースの解放を目指す上で必要だったのは、現在もラース領全体を焼く【黒炎】の元凶探しだ。全ての核となるもの、大罪竜ラースが残したと言われる【核】の排除。

 その存在を探す上で避けては通れないのは勿論、旧大罪都市、灰都ラースだ。

 大罪竜ラースが今なお封じられている黒炎の全ての始まりの場所。だが、ラースには容易には立ち入ることが出来なかった。

 

「一つは今ここからでも見える砂漠の迷宮だ。形が定期的に、大規模に変貌する。しかも、何処まで進んでも似たり寄ったりで、目印が付けづらく方向感覚が狂いやすい」

「聞く限り相当タチが悪いな。迷わなかったのか?」

「【運命の聖女】がいた」

 

 ボルドーが言うと、ガザが苦笑いを浮かべる。

 

「今来た道をすぐに戻ろうだとか。同じ場所をぐるぐる回るだとか、わけわかんねえ指示ばっかりだったけどな」

「しかし、そのお陰で助かった。彼女の指示に従わなかった者は殆どが脱落した」

「じゃあ今は厳しい?」

「ダヴィネ製の特別な円規(コンパス)がある。無論、彼女ほどの精度ではないが」

「ダヴィネ様様だな」

 

 しかし、ダヴィネと協力関係が築けていなかった当時はアナスタシア頼みであり、自分だけが見える結果を先読みして出すアナスタシアの指示は、様々な面で戦士たちを翻弄した。時として指示の結果、意図せぬ形で仲間達が失われもしたのだ。

 アナスタシアの指示の所為で死んだ!

 と、そういった疑心も生まれて、混乱は増長した。いかに彼女の力が本当にすさまじいものであっても、それを妄信するのはあまりにも困難だった。

 ボルドーとて、当時は口に出さなかったが彼女の力を疑問視していた。こうして、彼女の力の成果を認めることが出来たのは、彼女と距離を置き、時間と共に感情の整理がついてからだ。

 

「とはいえ、迷宮そのものはそれほどまでに性悪ではなかった。迷宮自体は抜けられた……が、その先にもっと巨大な試練が待ち受けていた」

「【番兵】?」

「そうだ。この迷宮には幾つもの【番兵】と、番兵を退けなければ消し去ることのできない【黒炎の壁】があるのだ。それに我々は敗れた」

 

 【黒炎砂漠】という迷宮は、関門である番兵を必ず打ち倒さなければ先に進めない構造となっていた。どれだけ回り道しようともあの【黒炎の壁】が立ち塞がるのだ。先への道を黒炎の壁が完璧に区切ってしまっていたのだ。

 かつて【黒炎払い】一行は番兵達の何体かは退けた。しかし一体を倒すごとに消耗し、疲れ、兵力を失い、最後には敗北した。あの巨大な【番兵】を前に、力尽きたのだ。

 

「でも隊長!成果が無いわけじゃ無かったでしょう!!」

「成果?」

 

 堪えきれず、というようにガザが叫び、ウルが問うた。ガザは胸を反らし言う。

 

「10年前は此処の地下牢はもっと狭かった!!今地下で色んな施設を増やして自給自足の真似事が出来てるのは、俺等が【番兵】を倒して、【黒炎の壁】を消し去ったからだ!!」

 

 確かに、当時の【黒炎払い】が何一つ成し遂げること叶わずに敗北したかといえばそうではなかった。その成果をまるで無かったように語るのは、当時の戦いで命を落とした彼の仲間への侮辱だろう。

 ウルにその成果を低く見られるのは我慢ならなかったらしい。ガザは握りこぶしをつくって叫んだ。

 

「なるほど。結果はちゃんと残していたわけだ」

「とうっぜんだ!地下牢の住民どもは俺たちのお陰で今暮らしが楽になってるって自覚がたりねえんだ!!」

「だが出来たのはそこまでだった」

 

 だが、今はウルに現実を見させるために説明をしている。ボルドーはガザを落ち着かせるために口を挟んだ。

 

「やってくる黒炎鬼達の群れに力を削がれ、番兵に打ちのめされて戦線は崩壊した」

 

 そしてその果てに不満の爆発が起こり、アナスタシアは黒炎に焼かれた。

 彼女の力を失ったことで、遠征部隊は完全に頓挫したのだ。

 

「現在の勢力は当時と比べれば半分以下だ。アナスタシアの運命の加護も存在しない。そして何よりも“時間が無い”」

 

 そう言ってボルドーは自身の腕を捲り、ウルの前に差し出す。ウルはそれを見て顔を顰めた。ボルドーの腕の一部が黒ずんでいた。それは肌のシミとかではない。その部分がまるで喪失してしまったかのように真っ黒だ。

 

「【黒炎】の呪いか」

「少なからず、我々は呪いを受けている。喰らわぬようにと細心の注意を払ったつもりでも、戦い続ければ無傷というわけにはいかない」

「お前だって此処に居たらそうなるぜ?怖じ気づいたなら逃げ出せよ」

 

 ガザがからかうように言うが、彼の身体にもその呪いがあるだろう。【黒炎払い】の初期から居る者でこのように呪われていない者は殆どいない。これまで上手く立ち回った者達でも全員がこうだ。もうあと何年もすれば、初期の黒炎払いの面子は全滅する。

 

「以上が、攻略が困難な理由だ。理解できたか?」

「ああ。出来た。ありがとう」

「だったら、今後はバカな事を言うんじゃねえぞ」

「それは断る」

 

 は?とガザが口を開けるが、ウルは気にすること無くそのまま防壁の外の【黒炎砂漠】の迷宮を睨み、観察を続けた。小さくぶつぶつと「再生、呪い、時間」と言った言葉を繰り返している。それはとても諦めて絶望している顔では無かった。今得られた情報を整理し、対策を練っている者の顔だ。

 ガザは心底から呆れて、声を漏らした。

 

「……ほんとのバカかよコイツ」

「かもしれん」

 

 割と絶望的な情報を突き付けたつもりだった。特に、自分たちが後数年もしたら全滅するなどという情報はかなり致命的だと思っているのだが、それでも全然くじける様子がない。

 理解力が無いのか、もしくは全てを理解した上で諦めていないのか。後者だとすれば、それはやはりバカだと言うことになる。

 

「だが……」

 

 と、ボルドーがその愚か者を見る目は侮蔑のそれとは違う事にガザは気付かなかった。

 

「おいバカ、いい加減に戻るぞ!!」

 

 そんなボルドーの心中を知らず、ガザはじっと【番兵】を睨むウルの肩を乱暴に引っ掴んだ。そして彼を引っ張ろうとした。

 

「――――」

「は?」

 

 それよりも早く、ウルがガザの頭をひっつかんで、地面に叩きつけた。流石にボルドーもぎょっとする。だが、その直後に全てを理解した。

 

「何しやが!!?」

 

 そのまま彼は、自分が装備していた竜牙槍を一気に横薙ぐ。その切っ先にいたのは、

 

『AAAAAAAA     』

 

 ()()()()()()()()()()。それをウルは両断した。

 

「【黒炎鳥】だ!!戦闘準備!!!」

 

 ボルドーは叫んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《【黒炎鳥】だ!!戦闘準備!!!》

 

 拠点の中で休憩をしていた黒炎払い達は、突如として飛んできた通信魔術に動き出した。地上拠点が襲われるのは、別に珍しい話ではない。此処は都市の中ではない。地下牢の中でも無い。気休め程度の払いの結界が張られているだけの場所だ。

 だから襲撃には慣れている。だが、先を行くレイの表情は晴れない。

 

「【黒炎鳥】、最悪」

 

 生物や魔物を問わず、黒炎に飲み込まれれば黒炎鬼に変貌する。そしてその形態は黒炎に焼かれる前の姿に依存する。ヒトが焼かれればヒトの形、獣の類いが焼かれれば獣の形。

 ならば、空を飛ぶ鳥形の黒炎鬼が出てもなんら不思議なことではない。

 

 そして黒炎鬼達の中でも、飛行型はタチが悪い。

 

 機動力が異様に高い。地上からの攻撃はろくに届かない。呪いの炎が空高くからまき散らされる。炎の量自体は少ないが、それ故に見えづらく、気が付けば呪いが身体を焼く。巨大な鬼を打ち倒してきた黒炎払いの仲間が、あの小さな鳥に焼き尽くされたところを彼女は何度も見てきた。

 

 適切な対処法は存在しない。傘のように結界を広げても黒炎は結界を焼く。

 故に必要なのは速攻だ。レイは屋上への扉を開けた。

 

「ボルドー!」

「レイか」

 

 ボルドーは、以外と冷静な様子だった。怪我を負っている様子もない。近くにはガザも座り込んでいる。レイは一先ず安堵し、そのまま彼の元に近づき【竜殺しの矢】を番えた。

 

「鳥は」

 

 問うと、ボルドーは顎で指す。その先には鳥はいなかった。代わりに“新人”が一人立っている。彼は一人両足を広げて、彼の獲物である竜牙槍を構えた。

 

「【顎・拡散】」

 

 途端、竜牙槍の白い刀身部が分離する。柄を起点にして、刃が複数に分裂し、等間隔の場所に位置をとる。同時に砲口部の魔導核が鳴動し、光を収束させ、そして放たれた。

 

「【咆吼・拡散追尾】」

 

 熱光は分裂した刀身部に触れると、そこで軌道を分裂させて、拡散していく。空を舞う影、【黒炎鳥】達へと一気に飛びかかった。まさに生き物のように、群れで獲物を喰らう狼のように広がり、囲むようにして鳥達を貫いていく。

 

『AAAA  AAAA   A AA!』

「――――あれ、本当に竜牙槍?」

 

 いつも冷静なレイも、この時ばかりは呆気にとられた。

 竜牙槍はマイナーな武装だが彼女にも知識はある。だから咆吼の性能も勿論知っている。単純な熱破壊の術式を前方に打ち出す大砲だ。魔導核の成長と共にその熱線の制御は()()()()自由が効くことも知っている。

 

 が、限度がある。あの挙動は絶対に真っ当なものでは無い。

 どういう武器を持ち込んできたのだあの少年は。

 

『AAAAAAAAAAAAA』

「……!」

 

 しかし、咆吼の猛攻に晒されても尚、一部の黒鳥はまだしぶとく生き残っていた。レイは即座に番えていた矢で残っていた黒炎鳥を射貫き、落とす。だが、漏らしがある。

 

「ボルドー、ガザ」

「あ、ああ!!」

「うむ」

 

 だから二人に呼びかけ、前衛を託す。彼等は即座にレイを囲んだ。そして自分以外の面子も次々に集まり、同じように陣形を組み始める。

 

「結界を重ねろ!!黒炎で焼かれた部分は張り直せ!!」

 

 戦闘準備は整った。黒炎鳥との戦いで相手に戦場を焼かれる前に体制が整うのはまれで、幸運だ。あるいはそれは新人のお陰だろうか。ともあれ 順調に排除は進んだ。

 ここまでは。だが、黒炎払いはこれだけでは仕事は終わらない。

 

「来る」

 

 活性化が起こる。

 鳥達の死骸の黒炎は一気に燃え上がる。残る一羽に纏わり付いた。巨大化した黒炎鳥はその翼を大きく広げ、そして悍ましい呪いの声で喚いた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!「【咆吼】」AAAAA!?』

 

 そこに、ウルが咆吼を連射した。

 

「……容赦ない」

 

 竜牙槍の熱光は呪いの黒炎そのものを消し去ることは出来ない。が、黒炎の薪となる肉体は貫ける。情け容赦の無い熱光が連続で撃ち出され繰り返し破壊する。

 ウルは黒炎鳥を近づけるつもりは全くないらしい。それ自体は良い判断ではある。が、問題もある。ボルドーがそれを見て叫ぶ。

 

「ウル!気をつけろ!高い場所では炎が散る!」

 

 肉体を破壊するほどに、消えぬ炎は散っていく。まだ鳥は真上にいないから此処には届かないが、近付かれた状態で同じ事をすると被害が広がってしまう。

 

「なるほど」

 

 ウルは納得し、竜牙槍の顎を戻す。槍の形状となったそれを再び捻る。

 

「【顎延長】」

 

 槍が伸びる。元より大きな槍だったそれが更に延長する。それを握ってウルは跳んだ。

 

「ばっ!!?」

 

 ガザが叫ぶよりもウルは早かった。

 ウルに翼の大部分を破壊され、宙で悶える黒炎鳥へと近づき、そして竜牙槍を実に乱雑に振りかぶった。

 

「落ちろ」

『A !?』

 

 ごぎりと、鈍い音がした。

 伸びたウルの竜牙槍が鳥の頭部に叩き込まれた。鳥は更に悶え、飛翔能力を失い間もなく落下する。レイ達が居る屋上のすぐ側の大通りに鳥は墜落した。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!』

「っ竜殺し用意!!!」

 

 目まぐるしい状況に最も早く対応したのはボルドーだった。

 用意した竜殺しを握り、複数人が下の通路に落下した黒炎鳥に投擲する。幾本もの槍が、地面の下で悶える鳥の腹や頭部、翼を貫き、地面に縫い付けた。

 

『A、AA       』

 

 間もなくして黒炎鳥は、その動きを停止させた。残された炎も、鳥を貫き続ける竜殺しによって飲み込まれ、焼失する。

 勝利は成った。同時に、【黒炎払い】達の視線は全て黒炎鳥をたたき落としたウルの方へと向かう。空から降りてきたウルは、延長した竜牙槍を戻すと、頭を掻いた。

 

「…………今の戦い方死ぬほどあぶなっかしいな。止めておこう」

「最初からすんじゃねえバカ!!」

 

 ぱこんとガザが彼の頭を叩く。そしてそのままウルの肩をバンバンと叩いて笑った。

 

「やるじゃねえか!!すげえぞバカ!!!」

 

 実にアッサリと手の平を返してウルを褒め称えるガザにレイは呆れた。

 だが、良き働きを偏見抜きに褒められる彼の単純さは、美徳でもあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 と、このような経緯を経て、ウルは【黒炎払い】の一員としてやっていくことになった。

 

 自ら志願し【黒炎払い】となった変わり者のウルを訝しがる者はガザ以外にも多く居たが、入って間もなくの押しつけられる様々な細かで大量の雑用の類い(清掃作業に荷物運び、黒睡帯の洗濯に武具類の管理等々)に対してウルは一切手を抜かなかった。そして戦いになれば怖じ気ても逃げず、指示通り慎重に戦い、結果を残した。彼のその姿に最初の“妄言”に警戒していた者達もすぐに彼を認めていった。

 此処は牢獄。そして黒炎払いは最下層の仕事。マトモに使い物になる人材は貴重だと誰もが知っている。その貴重な人材に対して、【黒炎払い】の面々が歓迎的になるのは当然だった。ウルに問われるまま、様々な知識を彼らは与えていった。

 

 そして、彼が黒炎払いに所属して、更に一ヶ月が経過した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リスタート

 

 【歩ム者・ウル】 地下牢収監85日目

 

 【黒炎砂漠・4層目】

 

 10年前、聖女アナスタシアと【黒炎払い】達が突破に挑み、そして破れた最後の階層である第4層目。迷宮の構造そのものは複雑ではない。山のような巨大な砂丘や永遠と続くような坂道、要所に発生する蟻地獄に、要所で発生する【黒炎鬼】達。

 少なくとも突如として迷宮の構造が変貌する事は無い。地形の変動は起こるものの、場所は屋外だ。遠方に見える【焦牢】の本塔等、不動の景観を起点に動けば迷うことも少ない。

 

 つまるところ、迷宮としての【黒炎砂漠】は比較的大人しい部類なのだ。

 

 侵入者にあからさまな悪意を向け、初見殺しのような殺意の高い罠をしかけ、貶める。迷宮そのものが侵入者を殺しにかかるような、そんな類いの迷宮では無い。勿論、困難は存在する。迷いもする。だが、やり直しは効くし、試行錯誤を繰り返せば前には進めるだろう。

 しかし、それでも10年前、アナスタシア達はこの迷宮突破が出来なかった。

 

 その理由は、4層の奥地にて未だ存在している。

 

「……おい、バカ何やってんだよ」

「ああ、ガザか。こんなとこまでどうしたんだ?」

「そりゃこっちのセリフだ。何してんだてめえ」

 

 望遠鏡を片手に握りながら4層の砂漠にウルはいた。砂丘の頂上からじっと遠くを睨み付けている。そんな彼に、ガザは声をかけた。

 

「黒睡帯を付けっぱなしで望遠鏡見るの違和感が凄いな。冒険者の指輪没収されなきゃ遠見の魔術使えたんだが……」

「そういうことじゃねえよ。何してんだって言ってんだ」

「【番兵】の観察」

 

 ウルの視線の先にあったのは、【黒炎砂漠】を大きく区切る黒炎の壁、そしてその壁を守る【番兵】の姿だった。砂丘を下っていった先にある広く広大な広間のようになった場所にそれはいた。

 

『AAA………』

 

 人形(ゴーレム)の【番兵】とでも言えば良いのだろうか。二足歩行のそれは広間を黒炎の壁沿いにゆっくりと歩行を続けている。他の【黒炎鬼】のようにただただ自分以外の薪木を探し彷徨うようなことはしない。砂漠を区切る黒炎の壁の前から動こうとしないのだ。

 【番兵】の種類は多様だが、その特徴は共通だ。彼等は砂漠の奥地、旧大罪都市ラースへの道を阻むための【黒炎の壁】を守る者。邪悪なる呪いを守る戦士にして、その炎の壁を維持するための核そのもの。

 

「アレの攻略法を考えてる」

「やっぱりかよバーカ。時間の無駄やってんじゃねえよ。さっさと帰るぞ」

「定期の巡廻は終わってる。好きにしていいだろ」

 

 ウルという少年がこうして【黒炎砂漠】の探索に向かうのは【黒炎払い】としての仕事をキッチリとこなした後のことだ。地下牢の地上部、太陽の結界が届かない範囲に出現する【黒炎鬼】の排除。それについて彼の仕事に手抜かりは無い。一ヶ月目にして既にベテランの風格のようなものすらあった。

 ただし、仕事が終わった後は必ず彼は砂漠の遠征へと出向く。誰も案内もしない場所に一人出向き、帰ってくる。ハッキリ言って危険な行為だ。

 

「お前が使える奴だって事は認めてやる。だからこそ無駄なことは辞めろって言ってんだよ。仲間が無駄死になんて笑えねえ」

「仲間と認めてくれてありがとう」

「都合の良い所だけ拾ってんじゃねえぞ!っつーか一人で迷宮突っ込むなよ正気か!」

「【魔女釜】に気配隠しの魔術かけて貰って、戦闘は全力で避けてる。安全ルートは他の【黒炎払い】から聞いた。無茶はしてない」

「どおりで見つけづらいと思ったわ、バカ!」

 

 彼が此処に居ることに気づけたのは、この砂丘が番兵を観察する為に最適なところで、鳥系の黒炎鬼以外の愚鈍な移動速度では中々登っては来れない場所だと知っていたからだ。そしてなによりも、ガザ達【黒炎払い】があの番兵を発見し観察していた場所だったからだ。

 あの番兵こそガザ達が10年前遠征し、そして無残な敗北を喫する事になった相手でもあった。忌々しい番兵の姿を見てガザの顔は曇った。

 

「ああ、くそ見たくねえモン見ちまった……」

「アイツに負けたって聞いたな」

「ああそーだよ!前の隊長もアイツに焼かれて死んで鬼になった!最悪だ畜生!」

「そんなに強いのか」

「たいしたことねえよあんな奴!!」

「どっちだわからん」

 

 ウルが突っ込むと、ガザは喉からうなり声を上げながら座り込んだ。

 

「……当時の【黒炎払い】のチームワークは最悪だった。どいつもこいつも、行きたくもなかった場所につれてこられたって思ってたからだ」

 

 思い返すだけでも、最悪の空気だったとガザは思う。

 誰も彼も表情は重く沈んでいた。その時既に何人か、黒炎に身体を焼かれ呪いが進行していたのも災いしたのだろう。だが何よりも当時の隊長も最悪だった。

 運命の聖女アナスタシアに対する露骨な嫌悪を隠そうともしなかったために、不必要な対立構造を生んでしまった。それに上手く立ち回るには当時のアナスタシアは幼かったのが更に災いした。

 碌な統制もなにも無い状態で【番兵】に衝突し、そして破滅を迎えたのだ。

 

「要は、自滅したと」

「ぶん殴るぞ!!!」

「俺の指摘が間違いだったならそうしたらいい」

 

 憎まれ口を叩くウルだったが、ガザは殴らなかった。殴れなかった。ウルの指摘は残念なことに一つも反論の余地も無く正しかったからだ。

 

「……まあ、そうだよ。だがな、あの【番兵】が厄介なのは確かなんだよ」

「具体的には?」

 

 ガザは当時の経験を思い返しながら言葉にする。

 番兵が常に纏っている【黒炎】は勿論厄介だった。あれが身体の動きに合わせて揺らぐだけでも、積極的な攻撃が潰されるからだ。だがそれだけでは無かった。

 単純な巨体と質量から繰り出される様々な攻撃も凶悪だ。炎に焼かれるよりも早く身体が叩き潰されてミンチになった者も多数いた。また、魔術に対する耐性もかなり高かった記憶がある。多少の傷は黒炎の壁を使って再生までしてくる。だが何よりも厄介なのは、

 

「戦っている最中、あの広間の地下から【土竜蛇】の黒炎鬼が出てきたんだよ……。戦ってる最中に足下を狙ってくる」

「……それは、最悪だな」

「アナスタシアはあの広間一面が悪い運命に覆われてるって言ってたか……だが結局突入して、酷い事になった」

 

 何時何処で自分の足下に穴が空き、黒炎まみれの土竜蛇に飲み込まれてしまうかと気が気でなくなってしまった戦士達はろくに【番兵】に向き合う事もできなくなり、ボロボロになったのだ。

 全員の戦う気力が一気に萎え果てて、そしてアナスタシアは黒炎に呪われて、今に至った。思い出すだけでもうんざりするような酷い負け様だ。

 

「……ったく、なんで俺がこんな説明……っつーか聞いてんのかよお前」

「聞いてる」

 

 ウルはガザにそっぽをむきながら、広間の観察に戻っていた。彼は望遠鏡を覗き込みながら、悩ましげに声を漏らした。

 

「【番兵】は壁から動かないんだな。だが土竜蛇はどうだ?」

「知らねえよ。試す余裕は無かった」

「【番兵】の移動範囲の外から【土竜蛇】への攻撃を試みれば安全に始末できないか」

「……そりゃ、出来るかも知れないが、番兵の移動範囲なんてしらねえぞ。あの巨体だ。リーチも相当だろう」

「ある程度移動範囲を確認してからになるか。ガザ」

「あ?」

 

 返事をする間もなく、ウルは望遠鏡をガザへと放った。それを受け取る間にウルはガザから背を向けて、そのまま広間へと視線を向ける。

 

「【番兵】の反応する範囲を確認するからそっちで観察しておいてくれ。動き出した瞬間すぐに教えてくれ。速攻で逃げる」

「っておいコラまてや!!」

 

 砂丘から広場の前まで滑り降りようとしたウルをガザは慌てて止める。ウルは立ち止まると不思議そうな顔で振り返った。

 

「てめ、バカ!俺が何のために思い出したくもない事説明したと思ってんだ!?」

「【番兵】の情報を教えてくれるため?」

「ちげーよ!てめーに絶望的な情報を教えてやるためだよ!何やる気出してんだ!?」

 

 問うと、ウルは更に不思議そうな顔になった。そして答える。

 

「何故だ。むしろ希望的な情報しか無かったぞ」

「あ?」

「敵の攻撃手段が分かっている。敗因も大分ハッキリしていた。対策は幾らでも練れる」

「それは……だけど、一人だったら危ねえんだっつの!一歩間違えれば死ぬ相手なのはかわらねえんだからな!?」

「なら手伝ってくれ」

「なんで俺が!」

 

 そこまで言って、ウルは再び前を向いて砂丘から飛び降りて滑り落ちていく。今度はガザが止めるヒマも無かった。

 

「おい!」

「手伝わないなら、邪魔はしてくれるな」

 

 ウルはそう言って、広間へと向かった。ガザは虚空へと伸ばした手を握りしめて、強く何度も頭を掻きむしった。

 

「ああああああ!!!!クソッタレ!!なんてムカつくガキだ!!!」

 

 叫ぶだけ叫んで、投げつけられた望遠鏡を握りしめてそのまま身体を地面につける。番兵の反応を一切見落とさないように。そして叫んだ。

 

「おい!無理に近付くんじゃねえぞ!!番兵や土竜蛇以外にも黒炎鬼出るんだからな!」

 

 叫ぶと、遠く見えるウルは此方に向けて親指をたてて見せた。

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略()()

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リスタート②

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開1日目

 

「やっぱり土竜蛇は広間の外に誘導できる。番兵の領域外で地面を刺激させればいい」

「……昔もう少し慎重にやってりゃあ……」

「当時コイツラが潜んでたと知らなかったんだから仕方ない。だが補充されるのか?」

「地下迷宮みてえにぽこじゃかは沸かねえ。少なくとも倒した傍から沸いて出てくるようなことは今までなかった」

「じゃ、今日は土竜蛇削るだけ削るか。やってくる」

「待てバカ!一人で行くな俺も行く!あぶなっかしいんだよお前の動き!!」

「頼む」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開2日目

 

「昨日今日で黒炎の土竜蛇は削れた……か?」

「50匹は殺したか?……てかこんなに残ってやがったのかよ嘘だろ」

「そりゃこの数に襲われながらあの番兵とやりあったら戦線崩壊するな」

「クソッタレ……だが、結局あの巨人はどうする気だ?」

「正面から馬鹿正直にやるのは流石にバカだな。敵は喰らったら終わりの黒炎なんて使ってるんだから」

「じゃ、どうすんだよ」

「色々試すか」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開3日目

 

「広間の範囲は半円形、砂漠を区切る黒炎の壁の間近で巨人は徘徊。広間に一歩でも脚を踏み入れれば巨人は反応する。だが逆を言えば入り込まなければ良い」

「で、その竜牙槍の咆吼かよ……」

「何か言いたげだな?」

「やったらいいじゃねえか。試してみろよ」

「【咆吼】…………………む」

「な?」

「弾かれたな……?【黒金製】か」

「燃えさかる黒炎で分かりづらいがな。魔術の通りが異常に悪い。遠距離攻撃が通じない」

「まあ、流石に試すわな。昔のあんたらも」

「で、諦めて近接して土竜蛇に襲われてごちゃって終わりだ」

「今は土竜蛇から襲われるリスクは低い……が」

「巨人は単体でも普通に強いからな!無策で戦うもんじゃねえ!」

「ごもっとも」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開4日目

 

「咆吼×、魔術×、投石△、やっぱ物質的な攻撃の方がマシか」

「黒炎壁が近くにあるからしょっぱいダメージはすぐに回復する!クソが!」

「背中の黒炎の壁が魔力供給か。暴走させて魔力切れなんて無理そうだな」

「魔導核の位置はハッキリしてんだ。腹んなかだ」

「確定なのか?」

「アナスタシアだ」

「運命の聖眼ってやつか。じゃあそれは信頼するか……だが、嫌な場所だな」

「一番オーソドックスで、一番守りが堅い。しかもその位置も黒炎は燃え移ってる」

「黒炎黒炎黒炎……か」

「手っ取り早く消火できりゃいいんだが、それができるのは【竜殺し】だけだ」

「ダヴィネの切り札か。試したか?」

「製造にも手間がかかる貴重品だ!下手うってロスったら大損害だ!勝てる見込みのねえ奴に隊長もダヴィネも許可なんてしねえって!」

「ふうむ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開5日目

 

「大罪竜の呪いの血ぃ?」

「竜殺しがどういう代物かわからねえけど、これも効果あるかなって」

「……んなもんどっから取ってきたよ」

「企業秘密。まあいいだろ。試してみよう。槍の先端になすって……」

「……なんか見た目しょぼくねえ?汚くねえ?」

「投げる」

「…………お前、よくあんなとこまで飛ばせるなあ……」

「当たった」

「当たったなあ」

「刺さった」

「刺さったなあ」

「……………黒炎の炎上状態に変化無し」

「ねえなあ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開7日目

 

「うーわ、コソコソしてると思ったらお前らまじで何してんだよ?」

「今更番兵退治とかバカだろバカ」

「う、うっせえな!茶化しに来たんなら帰れよバカゲイツ!ウルもなんか言ってやれ!」

「なんだちょうどいいじゃないか。2人だと意見が煮詰まって困ってたんだ。意見くれよ」

「はぁー?なんで俺らがそんなことしなきゃならね「参加者特典、コイン、酒、飯大盛りチケット、ダヴィネから仕入れた嗜好品複数」……まあ、ちょっとくらいなら」

「ついでにお茶もついてくる」

「それはいらねえ」

「身体にいいんだぞ」

「いらねえ」

「カラフルだぞ」

「それのどこがアピールポイントになると思ってんだお前は!?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開10日目

 

「レイ。ウルとガザをみなかったか」

「隊長」

 

 黒炎払いの本拠地にて、射手のレイはボルドーの問いにはてと本拠地を見回した。確かに彼の言うとおり、あの男ども二人の姿は見かけない。最近よく二人でつるんでいる所はよくみるが、今日は一度も見ていない。

 

「昼からの巡回は奴らだ。逃げるような奴らではないが、忘れている可能性はありうる」

「……探してきます」

「済まないが頼むぞ」

 

 やれやれ、と、レイは溜息をついて立ち上がる。

 とりあえずは思い当たる場所に彼女は向かった。二人はこそこそと、【黒炎払い】の他の連中から見つからないようにしているが、【超聴覚】の技能を持った彼女には筒抜けだ。

 本拠地を出て、殆ど使われていない階段を昇っていく。この地下牢で地上にほど近い場所は忌み嫌われている。いつ黒炎鬼がやってくるか分からない。と恐れられているのだ。しかし裏を返せば人目から隠れるなら絶好の場所と言えた。

 

「…………だから……で」

「そう…………いける……」

 

 地上にほど近い廊下を進んでいくと、徐々に複数人の声が聞こえてくる。レイは溜息をついて、誰も使っていない地下の一室の扉をノックもせずに立ち入った。

 

「何しているの」

「おあああ!!?」

「ああ、レイか」

 

 ガザが喧しい声を上げ、ウルは特に驚きもせずに彼女を迎えた。

 レイの目に飛び込んできたのは、ウルとガザだけではない、今日は巡回が休みだったはずの何人もの【黒炎払い】達だ。

 ウルとガザ、2人だけだと思っていたが、思っていた以上にウルは黒炎払いに影響を与えていたらしい。

 そして、彼らがたむろしてるのは、使われなくなっていた地下牢の一室だ。使用者もいない空き部屋に、机やら何やらがいつの間にか運び込まれている。なぜか酒や小説のような趣向品まである。そしてそれだけではなく、

 

「……なにこれ、【番兵】の情報?」

「第4層のな」

 

 壁に描かれているのは巨大な黒炎の人形、【番兵】の絵(子供の落書きのような絵だった)とそこに幾つもの情報が書き込まれている。

 

 人形の大きさ

 広間における行動の範囲

 攻撃の仕方、範囲

 身体に【黒炎】がまとわりついている場所と注意点。

 戦場となる広間に最初から存在している黒い炎の場所まで

 通常の黒炎鬼の性質との差異まで兎に角あらゆる情報を事細かに

 

 ウルが【黒炎払い】に参加しだしてからまださほど日が経っていない。にもかかわらずここまで情報を集めきっているのは驚異的だった。勿論、そこで気まずそうにしているガザ含めた黒炎払い達も情報提供を手伝ったのだろうが。

 

「…………冗談だと思っていたが、まさか本気なの?」

「冗談?」

「ラース解放という妄言」

 

 ウルは不思議そうな顔になった。

 

「冗談だとしたらつまらないな」

「…………ガザ」

 

 レイは矛先をガザへとむけた。ガザは気まずそうだ。

 

「貴方、「新人が馬鹿してるようなら俺が説教して止めてやる」って言ってた」

「あ、いや、ちが、そのつもりだったんだけどよお!!」 

「まんまと乗せられてるんじゃない」

「まあそう言ってやるなよ。ガザのやつバカなんだよ」

「まんまと一緒に乗せられてるあんたらも同類よ」

 

 スッパリと切り捨てると、ガザはしおしおと耳を倒して落ち込み、他の連中も気まずそうに頭を掻いた。

 やはり最初、ガザに任せたのは間違いだった。彼は昔からこうだ。あまり頭が良くなくて、簡単に誰かに乗せられてしまう。その挙げ句にこんな所まで来てしまったのだから笑えない。(勿論、自分もヒトのことを言えたものではないが)

 

「無理言っていないで、さっさと見回りの仕事をなさい。今日は貴方たちの担当よ」

「無理じゃ無いぞ」

 

 そこにウルが口を挟む。レイは無表情に彼を睨んだ。

 

「貴方が威勢良いのは認める。実力があるのも。でも英雄のように傑出しているわけでもなし、私達と同じくらいの熟練者が一人増えたところで【番兵】はどうにも――」

「脚だ」

「え?」

 

 レイの言葉を最後まで聞く前に、ウルは言葉を重ねた。言っている言葉の意味が理解できずに困惑する彼女に、ウルは自分が描いた(不細工な)番兵の絵図の前に立って、その脚を白墨で囲った。

 

「アイツのいる広場の地面は驚くほどに柔らかかった。【土竜蛇】が潜り込んで潜んでいられるほど、全く踏みしめられていなかった。あんな巨体な人形が居るのに」

「そーそー!そうなんだよ!俺が見つけたんだぜ!!」

 

 自慢げなガザをレイが一睨みすると彼は再び黙った。

 ので、レイは再びウルへと視線を向ける。

 

「……それで?」

「恐らくだが自身の巨体を支えるための重力魔術を発動させている。自分の重さで自壊したり、地面に埋もれたりしないためだ。つまり」

 

 そのまま人形の絵の下半身と上半身を区切るようにして線を引いた。砂の海に埋もれて動けなくなった巨大人形の姿を。

 

「一瞬でも消去魔術を叩き込めれば、人形は地面に埋もれる」

「…………」

「動けなくなりさえすれば、遠距離から攻撃し放題だ。……ま、そこまで上手くいくかは知らんが、試す価値は無いか?」

 

 レイは少し沈黙した。 

 ぐうの音も出ない。と言うわけではない、冷静な立場から文句を言おうと思えば幾らだって言える。いや、そもそも彼の意見は決して、思いつかなかったわけじゃ無い。ボルドー含め、自分たちだって、そういった対策を一度も考えなかったわけじゃ無いのだ。

 

 だけど、実行には移さなかった。

 10年前の、あまりにも無惨な敗北が、自分たちから踏み出す勇気を奪い去った。

 

 なのに、この少年は躊躇わずにそれを進言する。

 物知らずが。と、怒鳴りつけたい。

 知らないからそんなことが言えるのだ。と貶したい。

 なのに、声が出てこない。ウルの眼の中にある煌煌とした炎が、レイを黙らせた。

 例えば此処で、彼の意見に対して重箱の隅を突くように欠点を指摘したとして、彼はそれを反省と糧にするだけだ。そして全ての問題が解消できなかったとしても彼は進むだろう。そう確信させる炎が、レイをあてた。

 

 眩しくて、辛い。

 

 10年前の【黒炎払い】の敗退とアナスタシアの脱落はあまりにも手痛い記憶だった。実家と険悪な関係で捨てられるように此処に来たレイにとって、「ラース解放」などという欺瞞に満ちた大義は心底馬鹿らしくて、やる気になれなかった。

 やる気になれなかった結果、周りで多くが死んだ。騙されたとも気付かずに。ただただ献身的にコチラを助けようとしてくれた哀れな聖女が呪われて、喋るのも苦労するような廃人になった。

 

 自分がもう少しでも頑張っていれば違ったのだろうか?

 それ以来、そんなどうしようもないような後悔が何をしてても胸を刺す。

 

 今はそんな後悔から目を逸らす毎日だ。アレは無理だ。私達には無理だったのだと言い訳を重ねて、自分を苛む自分の声からなんとか逃れようとした。

 

 なのに、ウルはその後悔を真っ直ぐに突きつけてくる。

 あの番兵は倒せると、断言してくる。

 ”かつて”を恐れて足を止めている自分たちの怠慢を突きつけられるようで――

 

「大丈夫か?」

「え?」

「いや、随分としんどそうな顔をしていたから」

 

 ウルが彼女を覗き込む。心配そうな表情だ。此方の気持ちも知らないで。

 隣のガザは、そんなウルの肩を掴む。彼はレイと同じ、痛みをこらえる顔をしていた。だが、それでもレイへと向き直り、言った。

 

「な、なあ、レイ」

「何」

「……その、手伝ってくんねえかな……って」

「私、貴方たちを探すように言われたんだけど」

「仕事は行くって!今行く!ただその後でいいからさ!!」

「何故?」

 

 問うと、ガザは「え?」と阿呆な顔をした後うんうんと唸った。恐らくは何も考えずにものを言って、その後言葉を考えているのだ。何時もは苛立つが、今日は気にもならなかった。黙って彼の言葉を待った。

 それを隣で聞くウルもまた、一歩下がって彼の言葉を黙って待った。やがてガザは顔を上げる。

 

「多分、多分だけど。良いと思うんだ」

「良い?」

「俺たちはさ。コイツを手伝った方が良いと思うんだ……………俺たちのために」

 

 言ってることは滅茶苦茶だ。

 しかしその日レイは初めて、ガザの言葉に反論することが出来なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リスタート③

 

 【黒炎砂漠・第四層】 攻略再開12日目

 

 【地下牢・魔女釜の本拠地】

 

「消去魔術の巻物(スクロール)をつくってほしぃ?」

 

 【魔女釜】のリーダー、グラージャはウルを睨む。ウルはだされたお茶を啜りながら頷いた。

 

「出来れば複数用意して欲しい」

「簡単に抜かすんじゃないよ全く。」

「難しいのか」

 

 グラージャは深々と溜息を吐き出す。刻まれた皺の奥から覗く目は、あからさまに目の前の客のことを小馬鹿にしていた。

 

「【消去】っていうのがどれほど高等な術か理解してないね?」

「高度なのか?」

「そりゃそうさ。あらゆる術を打ち消す効果を持つ“術”だよ?全く同じ魔術効果がぶつかり合ってかき消えるってのとはワケが違う!!」

 

 制御は繊細、一歩間違えれば自分自身の効果をかき消して、そのまま崩壊してしまう可能性がかなり高い、とても高度な魔術であるとグラージャは語る。

 ウルはなるほどと頷きつつ、その【消去魔術】をも操る技術を持っている外の仲間達に今更ながら感心した。しかし今は目の前に集中する。

 

「……つまり、難しいと?」

「出来るさね!私達をなんだと思ってんだい!?」

「出来るのかよ」

「地下牢じゃあ私達くらいだろうねえ、出来るのは!」

 

 じゃあ今の説明は何の時間だったんだ、とウルは思っていると、グラージャはニヤリと笑った。そして指でわっかを作る。

 

「そんな、大変な苦労を私らにさせようってんだ。安くないって話さ!」

「……なるほど」

 

 要は値段交渉の前振りだったようだ。彼女は骨の様な指先を蠢かせながら笑う。

 

「【消去の巻物】作ってやろうじゃあないか!だがコイン十や二十では効かないよ!一つに付き数百枚は覚悟してもらおうじゃあないか」

「随分と高いな」

「安いくらいさ!!外だって消去魔術の巻物なんて貴重品さ!!それが此処のオモチャみたいなコインで買えるんだよ!?ヒャッヒャッヒャ!」

 

 グラージャは笑った。確かに魔術の巻物はその内容によっては金貨数枚は簡単にとんでしまうようなものもある。使い捨てであっても使用者の素養やタイミングを問わずに発動できる魔術というのはそれだけ利便性が高いのだ。

 恐らく彼女は大分ふっかけている。しかし、消去魔術が高度で、そして彼女たちしか作れないのも嘘じゃないだろう。だからこそ彼女はこんなにも強気なのだ。そう考えると断るのは難しい、が、

 

「もう少し安くして欲しいな。グラージャ」

「へえ?」

 

 素直に頷くわけにも行かない。

 地下牢におけるウルの稼ぎは多い。魔法薬製造施設で様々な薬を卸し、それ以外でも様々なものを造り、加工し、情報を交換してコインをかき集め蓄えている。最近では【黒炎払い】の仕事でもコインは得られている。

 しかしそれらのコインは全て、「ラース解放」という目標のためにある。その全てを一気に消費するわけにも行かない。安く済ませられる所はそうしなければならない。

 

「安くして欲しいっていうなら、それに見合うだけのメリットがあるんだろうねえ?」

 

 その為に、まずは目の前の恐ろしい老婆を説き伏せなければならなかった。

 

「……俺は消去魔術で【番兵】の攻略を目指している」

「噂には聞いていたけど、本気で「ラース解放」を目指してるって?正気じゃあないね」

「そしてこれは、あんたらにも利がある話の筈だ」

「はあ?」

 

 グラージャは目を見開いた。

 痩けた顔の中で目立って大きく見えた眼球が更に大きく見えた。

 

「まさかラース解放されたら私らも助かるからとか、そんな馬鹿なことを抜かすんじゃないだろうねえ?夢物語よりも底の浅い妄想を交渉に使うんじゃあないよ!」

 

 グラージャは叫ぶ。ボサボサの白髪が生き物のように蠢いて見えるのは気のせいだろうか。そのまま目の前の相手を食い殺すバケモノにも見えた。ウルは怖気づかぬよう息を吐きだした。

 

「ごもっともだが、もう少し現実味のある話なんだ、これは」

「はあ?」

「ラース解放の為障壁になるのは【番兵】の存在だ。彼等が旧ラースへの道を阻んで邪魔をする」

「知ってるさそんなことは。運命の聖女ご一行が無残に返り討ちにあったからねえ」

 

 アナスタシアがウルと共に居ることを知ってるだろうに、彼女は挑発的に言う。ウルは気にせず会話を続けた。

 

「だが【番兵】が引き起こす問題はそれだけじゃない。アイツらが生み出す【黒炎の壁】はラース領全体を区切って、狭くしている。その弊害がある」

「……ほぉ?」

「あんたも知ってるだろう。()()()()()()()

 

 グラージャに問う。彼女は先程までの剣幕などどこへやら、楽しそうに笑った。

 

「ああ、そうだねえ。【黒炎】はこのラース領を大幅に区切っている。だから、【探鉱隊】の地下鉱山の場所も制限を受けている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()る」

「……やっぱ知ってたか。【探鉱隊】は秘密にしてたんだがな」

「盗み聞きは【焦烏】どもだけの専売特許じゃあないのさあ」

 

 グラージャは笑う。

 【魔女釜】にだけは知られまいとしていたフライタンがこれを聞けば苦々しい顔になることだろう。ウルもこの情報を聞いたのはたまたまだ。紫水茸の酒を試飲してもらった土人の連中がうっかりと漏らしたのだ。

 

「地下は広いが、無制限じゃないし、無節操にも広げられない。この地下牢の周辺一帯の拡張性はもう無い」

「ざまあないねえ!ひゃひゃひゃ!!」

「だが、そうなるとアンタも困るだろ?」

 

 ピタリと、グラージャは笑うのを止めた。感情をかき消して、ウルを静かに睨む。ウルは彼女の顔色には反応せずに言葉を続けた。

 

「どれだけあんたらが内心で【探鉱隊】の土人達を敵対視しようとも、地下牢は閉鎖的で狭い。ある種の相互協力によって成立している。地下鉱山の資源がいきなり途絶えたら、待ってるのは破綻だ」

「鉱物は【黒剣騎士団】に用意して貰えばいいだろう?あいつらなんていらないさ!」

「ダヴィネが【黒剣騎士団】、つまり【焦烏】に更に依存する事になるな」

 

 魔女は黙った。不満な表情が見えて分かりやすい。

 

「楽しくないねえ、それは」

「そもそも滅んだラース領は他の都市からの物資の行き来が滅茶苦茶悪い。ダヴィネが必要な分を手に入れるのも難しい。だからこそ【探鉱隊】なんてものができたわけだろう」

 

 つまり、地下牢において地下鉱山は必須のものだ。その枯渇から来る悪影響は否応なく地下牢全体に波及する。険悪な関係である【魔女釜】も確実に他人事ではないだろう。

 間違いなく最も窮地になるのは【探鉱隊】だが、苦しむ彼等を指さして笑って自分達も巻き添えを喰らうのはあまりにも間抜けな話だ。

 

「アンタの言うことは正しいかもね?だがそれがアンタの無謀な挑戦とどう繋がる?」

「ああ、それが本題だ」

 

 ウルは頷く。

 

「ラース解放はまだ現実的じゃない。だが“番兵を一体撃退する”ならどうだ?」

「……【黒炎払い】どもをやる気にさせたのかい?」

「少しはな。まだ説得の途中だ」

 

 【番兵】を倒しさえすれば、少なくともその【番兵】が守っていた黒炎の壁が焼失する。炎の壁が消えれば、人類の生存圏が拡張する。当然それは地下も同じ事だろう。

 少なくとも当座の地下鉱山枯渇の危機は回避できる可能性がある。

 

「なら、すればいいじゃないか。私らには関係ないことだね」

 

 グラージャは、それに対して鼻で笑った。確かに言うとおり、【地下鉱山】の危機をウルが救ったところで、【魔女釜】の者達には全く関係が無い。勝手に窮地になり、そして勝手に救われるだけである。

 

「いや、関係がある」

 

 だが、ウルは首を横に振った。

 

「はあ?」

「【探鉱隊】がでかい顔してるのが気に入らないんだったな?」

「ああ……」

 

 最初、彼が此処を尋ねてきたときに言った話だ。あの時はグラージャがウルを煽る為にいった言葉だったが、別にそれは彼女の虚言というわけではない。事実、【探鉱隊】の土人は【魔女窯】の連中に対して敵対的だ。口憚らず悪口を言っているのをウルは何度も見てきた。

 

「この前なんて、道を歩いてただけで「魔術師が地下鉱山を穢してる!」なんて抜かして喚き散らしやがったからねえ!!ああ腹が立つ!!」

 

 グラージャは苛立つように叫ぶ。

 するとウルは頷いて、少し小さな声で囁いた。

 

「俺等がアンタらと協力して【番兵】を撃退したら、俺とアンタらは“探鉱隊を救ってやった”ことになるな」

 

 ウルの言った言葉の意味に、グラージャは最初訝しげにし、そして最後はニヤリと笑った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【黒炎払い ガザの秘密基地】

 

「……お前、どっから持ってきたんだこの巻物の山」

「粗悪品も多いが。だが消去魔術の巻物含めてそこそこ安く買えた」

「【魔女釜】から?良く買えたな。強請ったのか?」

「外の仲間の真似事だよ。慣れないことした……」

 

 大量に積まれた巻物の山を前にガザが戦く。【魔女釜】が寄越したそれらは、しかし半分くらいはあまり期待できる物では無い。本命は三本だけ購入できた消去魔術の巻物だ。

 消去魔術が極めて高度で、作成にも苦労するのは事実であるらしい。だからあくまでも三本のみを安く仕入れたくらいだ。番兵を上手く撃退出来た際に上手く喧伝するようという条件付きで。

 

「それで、挑むの?」

 

 同じく巻物を眺めたレイが尋ねる。だがウルは首を横に振った。

 

「絶対に、協力して貰わないといけない奴がいる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出口求め彷徨う憤怒

 

 ボルドーにとって、“運命の聖女”は悍ましき仇敵だった。

 

 もっと言うなら、運命の聖女を独占した者ども、こそがボルドーにとって憎むべき敵だった。聖女の力を独占し、自らに都合の良い運命だけを選び、他の悪しき運命を全て、自分以外の誰かに押しつけてきた外道達。

 衛星都市セインの天陽騎士だったボルドーは彼等をなんとか正そうとした。精霊の力を悪用した外道働きなど、神殿の醜聞でしかない。神殿と精霊の剣として、法と都市の番人である騎士団とも協力し彼等を止めようとした。

 

 だが失敗した。

 

 何もかも上手くいかなかった。ある時は事故に遭い、ある時は協力者が暗殺され、ある時は不正の現場が忽然と隠された。証拠を見つけたと思ってもそれはすぐに無為となった。まさしく運命に操られるかのように、自分たちにとって不都合な事が次々に起こった。

 

 そして、気がつけばボルドーは失脚し、罪をなすり付けられていた。

 

 運命の精霊の悪用、それによる騎士団や天陽騎士の謀殺が罪の内容だ。

 その罪状を嘲笑う表情で突きつけてきたドローナの顔を、ボルドーは生涯忘れないだろう。【黒炎払い】の部下達の前では冷静に振る舞っているが、当時の事を思い出すだけでボルドーは発狂しそうになる。

 

 だから、聖女と共に此処に捨てられたとき、せめて聖女は殺してやろうと思った。

 

 疑いもせずあの外道どもに利用されて踊らされて、沢山の仲間達を貶めて来た全ての元凶。挙げ句の果てに外道達に使い捨てにされた聖女を殺す。それこそがドローナ達の目論見であろうと言うことが理解できていても、ボルドーの憎悪はあまりにも根深かった。

 

 ――皆様を助けます。なんとしてでも

 

 対面した聖女は幼かった。

 化粧をして、いかにも神々しい美しい衣装を身に纏っていても、拭えぬ幼さがあった。共に死地に向かうことに恐怖し、騙されたことにも気付かないほど無知で、そうなってしまったとしてやむを得ないほどに、子供だった。

 

 ボルドーは彼女を憎悪していた。怒り狂っていた。

 しかし騙されただけの哀れな子供にそれを叩きつけられる程、彼は歪でも無かった

 

 出会い頭、彼は柄まで伸びた手を止めた。彼女を斬り殺すことを止めた。

 憎悪と怒り、正しさと良心、それらが全て中途半端に宙ぶらりんになって、彼は全てを諦めた。恨みを晴らすことも、正しきに向かうことも諦めて、ただ目の前をこなすことに終始する生きた屍と化した。

 その後ラースで、【黒炎払い】が崩壊しても、聖女が呪われても、彼は何もしなかった。ただただ、副隊長として隊長の後を継ぎ、淡々と自分の責務をこなすに留まり続けた。

 

 だが、彼の内側には未だ、燃えたぎるような怒りが残っていた。

 

「俺を手伝え、ボルドー」

 

 そして転機は訪れた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【黒炎払い】本拠地。

 

「……ウルか」

 

 ボルドーは一人、本拠地で自分の武具の整備をしていた。それは毎日の習慣だ。天陽騎士団のときから使っていた騎士剣は、しかし今は殆ど使わない。メインの武器は【竜殺し】だからだ。それでも機械的に彼は整備を続けていた。 

 その最中だ。ウルがやって来たのは。

 

「なんと言った?」

「俺を手伝えと言った。ボルドー-。4層の【番兵】を殺すぞ」

「馬鹿を言うな」

 

 ボルドーは手を止めて、ゆっくりと彼の言葉を否定した。

 

「なにが馬鹿なんだ」

「お前の言ったことがだ。【番兵】を殺す?何の意味がある」

 

 ボルドーは椅子に座ったまま彼に向き直った、椅子に座ってもそれほど彼は大きくは感じない。ただの子供のように見える。

 

「黒炎の呪いがどれほど恐ろしいか、おぞましいかをお前はこの数日で理解したはずだ。防ぐ手段は限られ、一度喰らえば拭うことも出来ない悪意の塊。」

「何度も聞いた。ガザとレイに死ぬほど言われた。」

「ならば、何故やる」

「此処を出るため」

「何故出る」

 

 ボルドーは問う。

 

「外に待っているという仲間のためか?お前を貶めたという外の悪党どもへの復讐か?哀れなる廃聖女アナスタシアへの哀れみか?自分ならば出来るという奢り故か?」

「違うな」

 

 威圧的なボルドーの問いに対してウルは動じることは無かった。地上では常に黒睡帯で隠される彼の目を見ると、静かな目をしていた。優しい眼ではない。静かで、強固で、明瞭な、意思の炎があった。しかるべき時に、全てを焼き尽くすために、力を蓄えていた。

 

「俺が、俺のためにやると決めただけだ」

「…………若いな。とても真似できん」

 

 ボルドーは目を細める。あまりにもまぶしい無鉄砲っぷりだった。数十年前の若い自分でも持っていなかったような輝きだ。

 

「悪いが俺に、お前の無茶に付き合うだけの気力もやる気も残っていない。無茶をするなら一人でするのだな」

 

 勘弁してくれ。と、そう言うようにボルドーは腰掛けに深く寄りかかる。それだけで身体が軋み、痛む。黒炎の呪いとは関係なく、単純に彼の身体は老い衰えていた。こんな老いぼれた男を誘うなど、無駄なことを――

 

「ぬかせよボルドー」

「……何?」

 

 ――そう口にするよりも早く、ウルはボルドーを強い眼光で睨みつけた。

 

「そんなつもりないだろお前」

「何を根拠に抜かしているのだ。新人が」

 

 ボルドーは少し苛立つ。ウルの確信に満ちた表情が少し腹が立った。彼が【黒炎払い】に所属してまだ一ヶ月も経過していない。ガザとはよく絡んでいるようだが、ボルドーとは数える程しか喋っていない。

 そのウルが一体ボルドーの何を知っているというのか。

 

「根拠はある」

「何?」

 

 彼は確信したように言う。

 

「アンタの仲間が、【黒炎払い】という組織そのものがその証拠だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルにとって【黒炎払い】という組織の存在は望外の幸運だった。

 

 「ラース解放」という荒唐無稽と思えるような目標を立てたのは、ソレ以外の手が無かったからだ。外にいる仲間達が自分を助け出してくれることを祈る方が、まだよっぽど現実的だろう。だが、客観的に考えると、そのルートはそう簡単ではない。

 で、あれば、地下で自分が出来ることは全てしなければならない。そういう確信があったからこそ、この目標を立てた。

 

 しかし、厳しいとは思っていた。冒険者として培ってきた濃厚な経験から得た洞察力が、楽観的なウルの希望を否定し続けていた。竜が残した呪いの炎を掻い潜って迷宮攻略など困難の極みだ。何の手立ても無く立ち向かえる相手ではない、と。

 だから【黒炎払い】に属する前に入念な準備を進めていたのだ。最悪、自分一人で困難に立ち向かわなければならないと思ったからだ。

 

 だが――

 

「【黒炎払い】に入って驚いたよ。ダヴィネの様子から、幾らか頼りになる集団だとは思っていたが、想像以上だった」

 

 黒炎の対処法、処理の仕方

 黒炎鬼の生態、その討伐方法、注意点について

 装備の充実、細やかな管理に整備

 地上部の拠点作成にそこに安全に到達するためにルート作成

 【黒炎払い】内部での組織的な統制、鍛錬、弱兵とそうでない者の区分と役割分担

 

 それら全てが高度にまとまっていた。ダヴィネが人員補充で送った下っ端達はたいしたことが無い者も多かったが、それでも長く此処でやっていた連中は相応のモノになっていた。

 そして、アナスタシアと共に此処に送られ、今日まで生き残った連中は、黒炎のエキスパートと言えるだけの技術と経験を身につけていた。それは並大抵のことではない。

 アナスタシアから聞いた限り、【黒炎払い】は政争に負けてアナスタシアを廃棄するために用意された人身御供のようなものだ。集団としてのまとまりなど期待できる筈もない。10年の間に崩壊してしまったとしてもおかしくは無かったはずだ。

 だが、そうはならなかった。それどころか研鑽と経験を積み続けた。

 

「少なくとも、なにもかも諦めた奴が出来る所業じゃない。並ならぬ執念が必要な筈だ」

「…………」

「率いたのはアンタだボルド-」

 

 枯れ木のように細い、髭もボサボサに伸びた年老いた戦士。しかしその彼が此処までの困難を成した。その執念がどこから来たのかはウルには掴みかねた。ただ、これだけはハッキリとしている。

 

「やる気あるんだろ。だったら手伝ってくれボルドー」

「…………俺が未練がましいのは認めよう」

 

 と、ボルドーは立ち上がる。ウルと比べても更に一回り大きなボルドーはとても年寄りに見えない。その体つきも分厚い。鍛え上げられているものだと分かる。その彼が立ち上がり見下ろしてくると圧が凄まじかった。

 

「だが、ここまで積み上げたもの、お前の無謀に貸してやれと?」

 

 先程までの、年老いた、疲れ果てた男の振る舞いから様子が変わったのをウルは感じ取った。まるで魔物と相対したときのような用心深い視線が、皺の奥からウルを射貫いてくる。

 

「この数日でお前の能力はおおよそ理解した。遠近共に対応した優秀な冒険者ではあるのだろう。判断力もあるし慎重でもある。なによりも黒炎に逃げ出さない覚悟がある」

 

 だが、と彼は切る。

 

「銀級には届かない程度だ。我々の中でも突出しているわけでもない。お前は“そこそこ優秀な戦士”でしかない。」

「ごもっとも。俺も自分はその程度だと思ってる」

「俺の10年の妄執を、そんなお前に託して良いのか?」

 

 10年、と言う言葉は重かった。

 

「俺たちが、どれだけ惨めだったか分かるか?」

 

 ウルは返事をしなかった。だがボルドーは続ける。淡々と。黒炎鬼を冷徹に討つ指示を出す歴戦の隊長と変わらないように見える。

 表面上だけは。皺の刻まれた顔の奧に覗く感情は混沌としていた

 

「私欲しか考えないクズどもに負けて、なすすべ無く仲間達も殺されて、その罪を擦られて、無知蒙昧どもから石を投げつけられて、犯罪者どもの掃きだめに捨てられた」

 

 ガザもレイも、話している最中であっても【焦牢】の外で会った者達とは違った陰が時折覗かせるのをウルは知っていた。だが、こうしてそれを語るボルドーの陰は他の者達のそれと比べてもとびきりに、濃い。

 

「聖女に恨みをぶつけようともしたが、半端な良心がそれを拒んだ。聖女が壊れる様を救いも殺しせず、結果、俺が何をする間もなく彼女は終わった」

 

 ボルドーは笑う。喉から零れるように嘲笑う。アナスタシアへと向けたものでは無いだろう。誰であろう自分自身に向けた嘲笑だった。

 

「そんな無様な有様で、尚も憎悪は消えなかった。出口を失った憤怒が俺を焼いた。その苦しさから逃れるように【黒炎払い】を研ぎ続けた」

 

 何処に向ければ良いか、どう使えば良いかも分からない不完全燃焼の凝縮。 

 【黒炎払い】という集団の本質を、ウルはようやく理解できた。

 奇しくも彼等を焼いた【黒炎】と同じ、呪いと怒りの炎そのものだ。だが、焼くべきものを焼くことも出来ず、燃え尽きる機会すら失い彷徨う炎だ。そしてそれは今も燻っている。

 

「お前はそんな俺たちを使うという。その資格と覚悟があるのか」

 

 ウルの両肩を掴み問うボルドーは、その象徴だった。

 憎悪揺らめく目を向けられて、問われている。彼の意図をウルは理解した。

 ウルを脅してるわけでもない。ウルを正そうとする意味も無い。これは確認だった。使い途を失った力の行き先を問うている。自分ではもう先に進むことの出来なくなってしまった真っ黒な力の塊が、出口を求めている。

 

 お前がその答えなのか。

 お前が、ひたすらに耐え忍び、待ち続けた転機なのかと問うている。

 

 誘導は容易い、とウルは感じた。

 

 彼等には時間も無い。黒炎の呪いは彼等をも焼いている。ボルドーの妄念によって形作られたこの集団は後数年もすれば崩壊する。何処にたどり着くことも無く燃え尽きる事だけは、彼も避けたいはずだから。

 

 ――”黒炎払い”の皆が此処に居るのは、全部、私の所為、なんです。

 ――だから毎晩祈ってるのか?

 ――ボロボロでも、運命の寵愛は、あるから、少しでも、良い運命に、向かえるように

 

 しかし、ウルは彼等を都合良く使うつもりはなかった。故に、

 

「資格は知らん。示せるのは覚悟だけだ。俺にはそれくらいしか無いからな」

 

 故に、ただ真っ直ぐに、彼の目を見て応えた。

 

「ならばそれを見せろ。俺たちを使え」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

攻略十三日目

 

「…………さて、行くか」

「ああ」

 

 ウルとボルドー率いる【黒炎払い】は第四層障壁前、【黒炎人形】に対峙した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠第四層 黒炎人形戦

 

 【第四層】 【番兵・黒炎人形】

 

 その特性は通常の人形(ゴーレム)と変化はない。 

 魔導核と呼ばれる心臓部と、頭部の命令術式という二つの急所を持った作り物の魔物。術式は単純に”守護”を命じているのか、黒炎の壁の前を常に行ったり来たりを繰り返すばかりだ。

 

『AAAA……』

 

 黒炎人形は小さく声を漏らす。その様は黒炎鬼達のその動きと変わりない様に見える。が、小さく呻きながらもうろつき回る様は、実のところこの人形が黒炎に吞まれるよりも前から変わりは無かった。

 元はラース領で魔術師の手で生み出された守護人形であり、それが黒炎に吞まれてそのまま呪いの配下となったことを知る者は既にいない。ラースに居た者の大半は黒炎に焼かれて死んでしまったからだ。

 

 主を失った黒炎の人形は、かつての動きをただ模倣しながら、侵入者が来るのを待つ。

 数百年と繰り返した動きは、しかしその日変化があった。

 

『A』

 

 人形の足下に、不意に矢が飛んできたのだ。

 矢は、人形の硬質な黒金の皮膚を貫くこともなかった。人形はその攻撃と表して良いかも分からない攻撃の意図を理解できない。ヒトの形を模しているだけで、彼に複雑な思考能力は無い。彼の目的は守護である。侵入者を排除することにある。

 

 故に矢の意図はつかめない。だが、矢を撃った者がいることには気がついた。

 侵入者が来たのだ。

 

『AAA……』

 

 人形は動き出す。放たれた矢の方角には、自分が守護する広場に侵入したヒトの姿があった。数は一人だけだ。しかしそれでも人形はその方角に向かう。獣なら持ち合わせるような警戒心など人形は持ち合わせていない。

 普段なら、広場に侵入者がいるだけで騒がしくなるはずの【土竜蛇】達の姿が無いことも、彼は気にしない。ただ自分の役目を果たすためだけに彼は動いていた。

 

『AAA』

 

 黒炎が揺らめく拳が握りこまれて、そして ゆっくりとした動作で振りかぶられる。射手からは距離がまだある。だが、長大な大きさの人形の拳はこの距離からでも侵入者を粉砕することは可能だった。

 あるいは届かずとも、柔らかな地面を叩きつければ砂は津波のように周囲に溢れて、侵入者を押しつぶすだろう。この広間で侵入者を効率よく排除する方法を人形は熟知していた。

 第三層が破られてからの十年前、繰り返した攻撃を再び人形は行う。

 

「今だ!!消去魔術起動!!」

 

 が、対する侵入者は十年前と同じでは無かった。

 

『AA』

 

 ぐらりと、人形の身体が揺れた。足下で魔術の輝きが光る。消去の魔術が生み出した力が、人形の足下で巡らされていた重力魔術の力を一瞬奪い去った。

 本来、二足歩行などあり得ないほどの巨体、質量を支えるための重力魔術が半端に拭い去られる。起こるのはバランスの崩壊、そして突如として重量を増した人形を支えきれなくなった広場の砂の陥没だ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAA……』

 

 黒炎人形のうめき声と共に、人形の身体は砂煙を上げながら広間の中心で埋もれた。

 広間の視界は舞い上がった砂で完全に潰れる。人形の虚ろな眼球は視覚能力を有してはいない。故に視界が見えなくなっても問題は無かった。が、身体が動かない。

 

『AAAA』

 

 足が地面を掻く。だがその側から新たな砂が流れ込み、足元の隙間を埋めてしまう。手で砂を掻くが、とっかかりもない。そもそも腕の力だけでは大質量の身体を引っ張り上げることは出来ない。

 元々、この人形は豊かだった頃のラースの時代に生み出されたモノだ。当時はこの場所も砂地ではない。砂地への対応能力は低い。たまたまこの個体は重力制御を備えていたために生き残り、黒炎鬼になっただけで、彼の仲間達は今もこの大量の砂の下に埋もれていた。

 

 そして今、彼もまたその仲間になろうとしている。

 

『AAAAAA!!』

 

 人形は自己保全の為にそれに抗う。消去魔術で消し去れた重力魔術の術式を再び起動する。大質量の自らを浮き上がらせるために力を込めた。

 

 だが、それをしかけた侵入者達はそれを黙って待っているわけもない。

 

「今だ!!かかれぇ!!!!」

 

 【黒炎払い】のボルドーが叫ぶと共に、広間の周辺から姿を現した戦士達が一斉に大砲を撃ち出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「制御術式がある頭は狙うな!!!黒炎人形が暴走したら致命的だ!!!腹を狙え!!」

 

 ボルドーの咆吼と共に、一斉に人形の腹部が爆発する。

 表皮が黒金製の人形故に魔術の通りが悪い。その人形の対策に用意した大砲は古い兵器だった。何ら魔術の施しもない火薬を使った破壊の筒。しかし効果はあった。

 

「撃て撃て撃てぇ!!!動かれたら死ぬぞお!!!」

 

 ボルドーの指示に応じてガザも叫ぶ。それに応じて”黒炎払い”の下っ端達も次々に弾を込めては打ち込む。【黒炎払い】の4層の番兵前までの同行に同意した者は少なかった。ボルドーを信奉する仲間達以外は本当に少数だ。いくらかモノになった10人ほど。累計30人ほどが【衝突】が起こらぬよう距離を取りながら、人形を囲み、ひたすらに攻撃を繰り返す。

 

 一方的だった。人形は全く動けないままに爆発と共に身体を激しく揺らす。爆発の合間に、身体の破片のようなものが飛び散る。

 

 このまま倒せるのではないか?

 

 という予感が戦場を包みつつあった。

 だが、ボルドーの表情は一切変わらない。弛緩もせず、それどころか人形を睨む表情は険しさを増していく。彼だけで無く、彼と共に10年を過ごした戦士達は全員そうだった。 

 彼等は知っていた。この程度で済むのであれば、自分たちは10年前失敗していなかった。

 

《周囲から【黒炎鬼】が来たぞ!!》

「来たか。地下からは?」

《来て、ない!恐らくだが…!》

 

 通信越しの術者は不安げだ。砂の大地を自在に泳ぐ土竜蛇の姿を補足するのは困難だ。広範囲を探るため、未熟な術者も駆り出して大地を探っている。正確性は期待は出来ないだろう。

 だが、そのリスクは無視した。元々、地下牢の環境を考慮すれば、これほどの資材と人員を用意できただけでも奇跡的だった。これ以上の万全を望むのは無理がある。

 そして此処で勝てなければ二度はないだろう。士気も資材も尽きて、補充できなくなる。

 

「巻物で結界を発動させろ!」

 

 広間の更に広範囲に結界が発動する。これまた強い結界術ではない。しかも広間を囲う【黒炎払い】達を更に囲う結界とも成れば広大だ。黒炎鬼達の足止めには殆どならない。

 【魔女釜】が寄越した巻物を使ってギリギリ維持できるかだろう。だが、それでもタイムリミットは少ない。その間に決着を付けなければ――

 

「黒炎人形の腹部が割れました!!」

 

 その最中、爆発音の狭間にバキリと、何かが砕けるような音がした。ボルドーは覗き見ると、報告の通り、黒炎鬼の腹は僅かであるが罅割れていた。内部から核が僅かに姿を現しているのをボルドーは見る。

 黒炎を纏おうと人形は人形、あの核さえ破壊すれば機能は停止する。

 

「破壊された部分を狙って――」

 

 ボルドーは即座に部下達にそれを命じる。だが、しかし、

 

『A――――』

 

 人形が動いた

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「か、活性化するぞ!!!!」

「他の黒炎鬼が死んでいないのにか!」

 

 途端、人形の身体が纏う黒い炎が一気に膨れ上がった。爆発でも起きたかのように肩や腕で揺らめく炎は火力を増し、頭部の角が伸びていく。同時に、身体の半分を埋めていた砂が、一気に吹っ飛んだ。言葉のどおり、人形を拘束していた全ての砂塵が周囲へと弾き飛ばされたのだ。

 

「重力魔術の出力も上がったか……!」

 

 広間の外周まで飛んできた砂塵に咳き込みながら、ボルドーは苦々しく呟く。拘束していた砂が吹っ飛んだ。それはつまり、人形が自由になると言うことだ。

 

『AAA  AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 黒炎人形は叫ぶ。自由になった両足で地面を踏みしめて、まるで【暴走】状態にでもなったかのようなケダモノのような咆吼を轟かせた。

 

「ひ、ひい、ひい!!!」

 

 同時に、【黒炎払い】らの士気が露骨に下がったのをボルドーは感じ取った。当然、といえば当然のことだ。彼等を此処に無理矢理引っ張り出せたのは、安全な【番兵】の狩り方が用意できたという一点に尽きる。それと長年のボルドーの信頼を使ってようやく、ここまで引っ張ってきたのだ。

 その安全という幻想が崩壊した。隊員達の士気は下がるのも当然だ。新人達は元より10年前の仲間らも、過去のトラウマが刺激されれば腕も鈍る。

 

 だが、ボルドーは落ち着いていた。何故なら此処までも想定の範囲内だったからだ。

 手元に通信魔具を寄せ、そしてしわがれた声でささやく

 

「まあ、こうなるだろうよ。ではやってみろ。ウル」

《りょーかい》

 

 通信魔具の先、ウルが応えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠第四層 黒炎人形戦②

 

 黒炎人形討伐作戦前 【黒炎払い】本拠地にて

 

「【黒炎払い】の大半の連中は既に燃え尽きている。現状を改善するつもりも無し。ましてやラース解放など全く、目指すつもりも無い」

「まあ、そりゃそうだろうな」

「黒炎払いという仕事自体、確かに危険だが慣れさえすれば、事故はかなりの確率で防げる。報酬も良いのだ。」

 

 特に遠征組にとって、10年という年月が長かったのも災いした。黒炎への対処が安定してからの日々が長すぎた。日常となった毎日を、ある日突然捨てて困難に挑むのは苦痛だろう。

 

「だがお前は、お前の都合でそんな彼等全員を引っ張り出そうとしている。希望者に限り、などという可愛らしい要望をするつもりは無いのだろう?」

「そうだな。半端は出来ない」

 

 ウルの判断は正しい、とボルドーも思う。戦力の出し惜しみは出来る相手ではない。【黒炎砂漠】は迷宮であるが故に、人数が多く固まれば魔物の襲撃を招くものの、上手くバラけて行軍すれば、魔物の襲撃を起こさず、番兵の広間に包囲網を敷くくらいのことは出来る。それは10年前に実証済みだ。

 そして、そこまでやっても勝てなかったのだ。現在の手数は当時よりも少ない。だというのに、更に戦力を減らす理由は皆無だ。

 

「今に納得している者達を、お前は死地へと連れて行こうとしている。殆どの者は納得などしないであろう。俺が声をかけたとしてもギリギリだ」

「ああ」

「覚悟を見せるとお前は言った。ならばその覚悟で全員を納得させろ」

 

 ボルドーの条件は、ウルにとっても必須条件である。もしも今後もラースの攻略を続けるというのなら。【黒炎払い】を真の意味で此方の目的に引き込めなければ、話にならない。ウルは頷いた。

 

「今回の戦闘では一人たりとも死亡者は出せない。被害が出た瞬間、それで引き上げだ。理由は分かるな?」

「現状の士気じゃ、一人でも欠けた時点でお終いだろうな。それはわかるよ。それで?」

 

 ボルドーはウルを指さす。

 

「最も死ぬ確率の高い危険な仕事をお前が担え。それが条件だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《ウル、攻撃までは望むまい。“囮として”時間を稼げ》

「りょーかい」

 

 ウルはボルドーからの通信を切り、前を見る。

 ウルが現在居るのは広間の真正面。砂漠化により身を守るための手立てが一つも無い場所にウルは立っている。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 そして目の前には【活性化】した黒炎人形がいる。

 【暴走】した人形はウルも身に覚えがありまくるが、しかし活性化はまた少し様子が違って見えた。暴走と比べて、人形としての形を留めている。獣のように四足歩行をしだしたりはしない。単純に出力が上がったような印象だ。そしてなによりも全身から立ち上る黒い炎が激しさを増している。

 手強いだろう。ウルは確信した。しかも1ミスも許されない相手だ。

 

 この人形に包囲網を突破させないための囮を、ウルが担う。

 

「……やーりあいたくねえ……」

「だから言っただろうが、バカ」

 

 咄嗟に漏れた弱音に、隣りに立ったガザが思い切りウルを罵った。

 

「言っただろうが!ここでやっぱ辞めるって言っても隊長は怒らねえぜ!」

「いや、やる」

「……お前って本当頭おかしいよな」

「それに付き合う貴方も大概だけど」

 

 そしてガザの背後からレイが口を挟む。

 

「お前だってそーじゃん!」

「私はあくまでも後衛支援。不味くなったら逃げる。それでいいのよね、ウル」

「十分だ。行くぞガザ」

「うるせえ命令するなバカ」

 

 二人は前へと跳んだ。同時に

 

「AAAA………!!」

 

 黒炎人形が、至近の冒険者に気づく。周囲の砲撃も脅威であるが、自己保全は人形の優先度の中では低い。最も優先すべき使命は侵入者の迎撃である。

 だから、誘導は容易い。囮が死ぬかもしれないリスクを無視すれば。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「散開!!」

 

 ウルが叫ぶ。同時にガザとウルは別れて跳んだ。あまりに巨大な拳がふり下ろされる、

 大地が震える。だが、それで終わりではない。

 

「黒炎が来るぞ!!」

 

 腕で燃えさかっていた【黒炎】が、衝撃でまき散らされる。巻き起こる風によって飛び散る炎は爆弾だ。【黒睡帯】は全身に巻き付けているが、黒い炎に対する完全な防御を約束してはくれない。ウルもガザも回避に専念した。

 

《撃てぇ!》

 

 その間もボルドーの指示による砲撃は続く。

 だが、砲撃の頻度は必然的に落ちた。人形が動き出したことで狙いが定めづらくなっている。大砲を持ち運んだ場所の足場も悪い。方角をずらすだけでも一苦労だ。加えて、ウルとガザに万が一にでも当てるわけには行かない。タイミングは見計らう必要があった。

 こうなることは織り込み済みだ。10年前の戦いの詳細をガザ達がうんざりするまでウルは掘り下げた。あらゆる状況を想定し、対策も練った。故に動揺も少ない。だが、

 

「地獄だぁ!!」

 

 端的に戦場の状況をウルは言葉にした。

 戦場で黒い炎は至る所で燃えさかっている。まだウル達が駆けるだけの範囲は残されているが、時間をかければこの黒い炎は戦場全体を覆い尽くした黒炎の海に変わるだろう。そうなったら戦うこともままならない。そこまで至らなくても、黒い炎の猛烈な熱が、体力をみるみる奪っていく。呪いなど関係なくだ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 そしてその黒い炎を糧に人形は回復し、強化される。

 

「回復兼バフ兼デバフ兼即死トラップ!?てんこ盛りだな!!!」

 

 その性質は理解はしていた。小型の黒炎鬼との戦いで体感もした。だがこの番兵が撒き散らす黒炎の量と質は、次元が違う。囮として逃げ回るだけでは、確実に行き詰まる!

 

「顎延長」

『AAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 拳が再び来る。ウルへと大雑把に狙いを定めた拳が落ちてくる。ウルは横に跳んで寸でで躱す。身体を捻る。

 淀みない動作だった。一日も休むこと無く重ねた動作だ。竜牙槍の重量と自身の体重。その全てを不安定な砂場の足場を踏みしめることで伝え、そしてそれを回すことで更に強く、早くする。

 

「【輪、閃!!】」

 

 そして歯を食いしばり、万力を込めて、ふり下ろされた拳へと放つ。

 

『AAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 拳は、激しい音を立て、僅かに砕け、そして吹っ飛んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おおお!!?」

 

 歓声が沸いた。ウルの一打が。人形の手を打ち、そして弾き飛ばしたのを周囲を囲む戦士達は目撃し、感嘆した。大木よりも大きな巨大な腕が、激しい破損音と共に、吹っ飛ばされる姿は爽快ですらあった。

 当然それは、彼等を率いるボルドーも見ている。彼もまた僅かに目を見開き、素直に驚いた。

 

「想像以上だな……」

 

 この数日、ウルの能力のおおよそをボルドーは把握していた。

 度胸はある、頭も回る。冷静さもある。咄嗟の反応はやや未熟。そして、魔力で強化した筈の身体能力の扱い方は更に未熟だった。単純に冒険者として戦ってきた経験そのものの年数が浅いのだろう。常人離れした身体能力を、元の常人としての感覚が引っ張っている。

 

 銀級に至っていない、と、ウルの能力を指した理由はそれだ。

 

 これを馴染ませるには絶え間ない鍛錬と、なによりも時間が居る。超人じみた自分の身体能力を“当然のことなのだ”と肉体が受け入れるには時間が必要なのだ。

 

 その時間がウルには欠落していた。本当に、よっぽど急激な成長をし続けたのだろう。

 

 それはウルも理解していたのだろう。彼は【黒炎払い】の活動の最中も訓練は欠かさなかった。その訓練の内容はもっぱら、自分の力がどの程度有り、どう動かせば良いかを計り続けるものだった。

 

 そして、実際彼が全力を出してみると、想定をとてつもなく上回っていた。

 

《なんだあのバカ力!!すげえ!!!》

 

 ガザが叫ぶ。

 黒炎人形の身体が揺らぐ。重力術式で身体のバランスを常に整えている巨体。だが、裏を返せば重力術式なしでは立っていることもままならない程、無理をして成立させた人型なのだ。

 突然の反撃に、人形は動きをモタつかせている。紛れもない、好機だ。

 

「今だ!!全力で腹を狙え!!」

 

 ボルドーは叫ぶ。人形の腹に、砲弾の爆発が直撃した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠第四層 黒炎人形戦③

 

「凄い」

 

 レイもまた、戦場の状況を見て感嘆の声をあげる。

 レイも戦場で長らく魔物達を打ち倒してきた戦士だ。魔物達から打ち倒すことで魔力を得て、超人めいた身体能力を持っている。だが、彼のソレは少々次元が違った。

 魔力による身体の成長曲線は基本、最初が最も強く、以降はなだらかになっていく。魔力吸収が進むごとに、倒す魔物との魔力総量の差異がなくなり、吸収効率が下がるからだ。要は強くなって、更に強い魔物と戦い続けるような頭のおかしい選択を取らなければ、成長し続けることは出来ない。リスクケアをしようとすると、絶対に成長は何処かで止まる。

 

 だが、ウルの強さは絶対に、リスクを前に躊躇した者のソレではない。

 強敵と戦い続けて、更なる強敵を倒し続ける選択を取ったものの強さだ。

 

「っっだあら!!」

『AAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 跳んで、叫んで、そして槍を振る。そのたびに、人形の身体が僅かにブレる。そしてそこに連続して爆撃が飛んでいく。空を貫くような巨人が、10年前自分たちを追い散らした【番兵】が追い込まれている。

 

 まさか、まさか勝てる?

 

 レイは自分が今そんなことを考えていることに気がついた。戦場にまで出ておいて、ここまでのお膳立てと準備をしていながら、【番兵】を倒すというイメージを一ミリたりとも描けていなかったことに、この時気がついた。

 

《レイ!何やってんだ!!矢ぁ撃て!!核狙え!!》

「っ分かってる」

 

 ガザの馬鹿でかい声でレイは集中を取り戻す。魔導核を狙い撃つ。矢には【発破】の魔術が込められている。人形の【黒金】の表皮に直撃してもまるで傷にはならないが、核に直撃するなら話は別だ。 

 そして人形もそれを理解しているのか、ひび割れた身体の奧にある自分の心臓を狙い撃つ矢を嫌って守る動作に入る。そうやって余計な動作をさせるだけでも、至近で戦うウルやガザの攻撃を逸らすに大きな効果があった。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 人形が暴れる。足下の、小さな小さな侵入者達を排除すべく両足を踏み鳴らし、腕を振り回し、炎をまき散らす。滅茶苦茶な攻撃だが、それでも触れれば致命傷の呪いの炎だ。レイはかつてそれに焼かれた仲間達を思い出して身震いした。

 

「こ、の!!」

「だああああぶねえ!!」

 

 しかし、ウルもガザも動き回る。ウルはその強大な身体能力で回避し、ガザは十年間鍛え培ってきた技術でもって黒炎を躱し、時に【竜殺し】でそれを打ち消して戦場を広く保っている。

 人形を狙う砲撃は今も続く。周辺からこちらに近付く黒炎鬼達はまだ結界で封じることが叶っている。これは、この状況は――――

 

「…………ガザ」

《ああ?!なんだよこっちも忙しいんだぞ!!》

「私達……勝てるの?」

《ああ!?》

 

 レイが思わず漏らした問いに、ガザは疑問の声をあげ、そして少しして、何時も通りの大きな声で叫んだ。

 

《ったりめえだ!!俺たちは勝つために此処にきたんだよ!!!》

「…………そうね」

 

 レイは再び矢を放つ。その一射は今までよりも増して正確に黒炎を切り裂き、飛んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ガザもまた、己の役目を果たすべく戦いを続けていた。

 片手に【竜殺し】を握りしめながら、戦場を駆け回っていた。

 

「っだああ!バカ!!あんま滅茶苦茶動くんじゃねえ!!サポート大変だろうが!!」

《すまん、上手く動けていない!》

 

 この戦いにおけるガザの役目はウルのサポートだ。

 だが想定ではあくまでも「ウルがヘマしたとき、助けてやる」程度のものだった。

 まさか、ここまで徹底してサポートに回らなければいけなくなるとは思わなかった。

 

「だあぁら!!」

『AAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 ウルが攻撃する度、人形の身体は弾け、一部が破損する。黒炎人形の腕は既に幾つも亀裂が走っていた。だが、同時に黒炎が飛び散る量は加速する。身体が崩れる度に、その破片が新たな黒炎の種となって戦場を浸食するのだ。

 

「っちぃ!!」

 

 ガザはそれをかき消して回っていた。

 ウルの動きは激しい。予想も付かない方角にすっ飛んでいく。そのすっ飛んでいった方角に万が一黒い炎があればその瞬間、彼はお終いだ。そんな間抜けな最後が起こらないように彼はウルの激しい動きに必死に先回りしていた。

 

 なんとも涙ぐましい努力である。完全な下働きだ。

 

 しかしガザは全く気にすることは無かった。滅茶苦茶に動き回るウルを犬みたいに追いかけ続けるのも、彼が戦うための場所を必死に用意して回るのも、一つたりとも苦ではなかった。

 【黒炎人形】を倒すことが出来るなら、なんだって構わない。

 

「ウル!お前から見て右後ろの黒炎は大体払った!!そっちに移動しろ!!」

《助かる!》

 

 ウルは後ろに下がる。人形はそれを追う。そのたびに身体の彼方此方から破片が落下していく。そのたびに黒い炎が飛び散った。放置すればあっという間に場を埋め尽くしてしまう黒い炎をガザは苦々しく思い、同時にそれを払える【竜殺し】の強さを実感した。

 

 そうだ。勝てる。勝てる要素は既に揃っていたのだ。

 

 ウルの力は確かに予想以上のものだ。だけどもしも彼がいなかったとしても、きっと戦い方はあった。ダヴィネと協力して武器を授かって、知識と技術を集めて、【番兵】一体を倒せるくらいの力は、既に【黒炎払い】は蓄えていたのだ。

 それをしなかったのは、ビビっていたからだ。昔の大敗を、自分たちの失態を怖がって、足を止めていたからだ。

 

「ダサ過ぎる……!」

 

 その事実から目を逸らすために、来ていきなり無茶苦茶を言ったウルに当たり散らした。彼の言葉を全部バカにして、自分の正当性を主張しようとした。なにもせず、呪いが徐々に身体を蝕んでゆっくりとした自殺をしている自分たちが正しいんだと言おうとした。

 

 ダサすぎて死にたくなる話だ。

 

 だけど結局ウルは全く諦めず、自分は彼をいつの間にか手伝ってて、そしてあっという間にレイやボルドー、他の仲間達まで引っ張り出した。

 そして今、話題に上げることすら避けてきたような【番兵】との再戦に挑んでいる。

 ガザがずっと出来なかったこと、やらなきゃいけなかったことをウルがやった。

 

 妬ましいと思った。眩しいとも。だけど、それ以上に嬉しかった。

 

「そうだ!!倒す!!倒せるんだコイツを!俺たちは!!もっと先に行ける!!」

 

 ガザは叫ぶ。

 倒す。倒せる。倒して、勝つ。そして証明する。

 俺たちは負け犬ではないのだと。

 

「番兵どもを全員ぶっ倒して!!そして最奥のラースまで行って!平和を取り戻す!!!」

 

 かつて、彼が此処に誘われたときに言われた言葉。

 それを口にしたとき、他の皆はガザをバカにして大笑いした。そんな言葉で騙される大間抜け、見たことがないと嘲笑われた。以降、一度も口にしたことの無かった目標を、ガザは今度こそ大声で叫んだ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 同時に、黒炎人形が悲鳴のような咆吼を上げる。もともと入っていた腹のひび割れが激しくなり、大きく砕けて落ちる。その先に、丸く大きな黒い塊が露出した。魔導核。人形の心臓が完全に露出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「っぐう、ぉお……!?」

 

 ウルは自分の肉体の制御に全神経を集中していた。

 あの【陽喰らい】を越えて、自分の肉体に不相応の魔力が蓄えられていたのは自覚していた。その制御のために魔力が馴染むまでキチンと身体を休ませたのも正しい判断だったと思う。そして、【黒炎払い】の活動で、自分がどれだけ成長したのかを自覚した――――筈だった。

 だが、認識を誤っていた。安全が確保されている場所で使う力と、窮地に際して引き出される力は全く違った。自分の取り込んだ魔力量を甘く見積もりすぎていた為に、力の把握に失敗していたのだ。

 

 正直最悪だった。よりにもよって本番でその事に気付くなど。

 

 だが、戦いが始まってしまった以上やるしかない。やり直しなんて出来ない。ウルは溢れる力をなんとか黒炎人形に叩きつけることに全神経を集中し続けた。ガザがフォローに回り続けてくれなかったら、黒炎に身体ごと突っ込んでいてもおかしくは無かっただろう。

 

「魔、導核……!!」

 

 そして、なんとか此処まで来た。晒された心臓、それを破壊すれば勝てるところまでこぎつけた。心臓部を護るための黒炎人形の腕はボロボロだ。後は周囲の砲撃で狙いを定め、打ち抜きさえすればそれで勝てる――――

 

『AAAAAA!!!』

 

 だが、それは、人形自身も理解してたのだろう。

 人形の黒い炎が更に激しさを増した。それが死の間際の炎の激しさであるとウルは理解した。同時に、人形の身体が激しい異音を立てながらめきめきと動いた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「身体が……!?」

 

 割れる。集中して狙われ、破損だらけになった腰回りが激しい音と共に割れていく。ヒトと同じ可動域を持ったはずのソレが、あり得ない角度で曲がって、関節部が砕けて自損を続ける。

 そして身体が真っ二つにへし折れた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 そして、上半身だけになって落下した人形は、そのボロボロの両腕で地面をかきながら真っ直ぐに突撃した。侵入者のウルとガザに向かって。魔導核を引きずりながら。

 

「滅茶苦茶だ!!!暴走したのか!?」

 

 ガザが目を見開いて叫ぶ。

 だが、これは暴走ではない。人形としての使命をただ果たすためだけの本来の活動の果ての姿だ。かつて、宝石人形の頭を破壊し、暴走を引き起こしたウルは、暴走状態がまだマシな状態だったのだと理解した。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 侵入者の排除、その命令を実行する。

 その為だけに自壊すら恐れず蠢く人形のなんと恐ろしいことか。

 

「さっさと死に腐れよ……!!!」

 

 ウルは竜牙槍を突き立てて、背中に背負った【竜殺し】を引き抜いた。

 ガザと一緒に渡された一本ずつ。【番兵】と戦うと言ったとき、ダヴィネがその紛失を恐れて二本しか貸し出さなかったそれを、ボルドーはウルとガザに一本ずつ預けた。

 それを使う。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「喧しい!!」

 

 恐ろしい咆吼と、凄まじい速度で接近する壊れた人形の上半身。虚ろな口から溢れ出る黒い炎はどこまでも呪わしい。接近すると壁のように思える重量が全速力でこちらに接近してくる。その全てでウルという存在を挽きつぶそうとしている。

 普通なら、対峙するだけで足がすくむような光景だ。だが、

 

「でけえのに追い回されて殺されかけるのにはもう慣れてんだ――――よ!!!」

 

 脚部に力を集中し、一気に横へと跳ぶ。砂煙を上げながら、人形の側面に飛び出す。巨大な重量の人形は、ウルの動きについてこれない。急所である魔導核を、ウルの視界に晒した。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 莫大な黒炎を、砂煙を、人形はまき散らし続けるその状態で、制御の効かない身体で核を狙うのは困難に思えた――――が、投擲という一点ならば、現在の有り余りすぎる力の状態でも、狙い撃てる自信があった。

 何せ、「我が一族の誇りを背負ってしょーもないミスをするなんて絶対許さない」と、恐ろしい形相をした白王狂いの戦友と共に、スパルタな鍛錬を積んできたのだから。

 

「【疑似――――】

 

 その応用が今、生きる。

 制御の効かない力を足に込め、一気に踏み込み、力を移動させ、腰を回し、肩を回し、手の指先まで伝え、放つ。

 

「【―――白王突貫ッ!!!】」

 

 竜殺しの黒槍は一直線に放たれ、此方を振り返ろうとした人形の腕を穿ち、そのまま真っ直ぐに胴へと至り、そして魔導核へと着弾した。

 

『A      』

 

 人形の咆吼が止まった。砕けかけていた身体が更に崩壊し、ひび割れていた腕が落下する。全てを保ち、形としていた魔力の核が砕かれた、人形そのものの形が砕けて行く。

 極めて重い【黒金】を維持するための重力魔術が一気に解け、莫大な重量が砂の海に落ちて、砂煙が巻き起こり、一帯の視界が一気に潰れた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地獄の底にあって尚、君は眩いと狂信者は笑った

 

「なんだあ!?!!」

「どうなった!!!あのガキ死んだのか!?」

「…………!!」

 

 周囲の包囲網を維持していた黒炎払い達も混乱していた。周囲から出現していた黒炎鬼達の対処をようやく終えた最中の砂の大爆発だ。恐慌状態に陥り、誰も動けなくなっていた。

 

「周囲に沸いた黒炎鬼は始末している!全員落ち着け!!」

 

 そんな中、ボルドーだけが冷静に指示を出していた。魔術師達に命令を出し、砂塵を払う為の風の魔術を発動させた。砂塵が徐々に晴れ、視界がひらけ始める。そして、

 

「……壁が」

 

 彼らは見た。

 黒炎人形が背にしていた黒炎の壁、ラース全土を区切っていた境界線が消えていくのが見えた。壁が消えた先に、新たなる砂漠の迷宮が現れる。

 その先の奥地には再び、あの黒い炎の壁があるのだろう。此処はまだ、ゴールでも何でも無い。少なくとも、此処へと自分たちを導いたウルにとってはそうだった。

 しかし、他の【黒炎払い】にとってはそうではなかった。

 

「……まじか」

 

 誰かがポツリと呟いた。信じられない、というように。

 少しずつ、声を上げるものが出てきている。戸惑いの声の方が多かった。目の前の勝利に喜ぶには、10年の年月は長すぎた。

 

「――――うっべえ……砂で溺れ死ぬかと思った……」

 

 だが、そんな彼らをここまで連れてきたウルが、砂埃の中からピンピンとした姿で這い出た瞬間、彼らの反応は大きく変わった。

 

「ガキだ!」

「ウルだ……!」

「生きてるぞ!!」

 

 驚き、どよめき、しかし全員がウルに視線を集中させていた。

 今日ここに来た者の大半が”番兵討伐作戦”には半信半疑で、ボルドーの号令があってようやく重い腰を上げた者が殆どだ。中には囮を引き受けるという新人の悲惨な死に様を見に来た悪趣味な者も居た。だがそう言った悪感情は吹っ飛んでいた。

 

 ボルドーはそんな部下達の反応を見て、そのままウルへと視線を移した。

 

「――――」

 

 ウルと目が合った。目と目が交差したからといって、もちろん、視線だけで会話できるほど通じ合っているわけでは無かった。だが、事この場においてはボルドーがウルに何を求めているのか伝わったらしい。

 ウルは一瞬、苦々しい表情を浮かべながらも、それを隠す。そのまま【竜殺し】に射貫かれ、黒炎を失った人形の死骸の上に飛び乗ると、白く美しい【竜牙槍】を空へと掲げ、そして叫んだ。

 

「勝ったぞ!!!!」 

 

 ウルの声は強く、そして大きく響き渡った。

 

 耳にした者は脳が震えるような感覚を味わった。10年前の遠征の時も勝利はあった。だが、それは自身の境遇を呪い、恨めしさと不協和が目と耳を塞いだ。そしてその果ての敗北は彼等に深いトラウマを植え付けた。

 

 それが、砕かれた。

 

 そして彼は、その槍を前へと向ける。

 

「このまま行くぞ!!俺たちは!!!」

 

 穂先にあるのは先程まであった黒炎の向こう側。新たなる迷宮と、そしてその先に鎮座して居るであろう番兵達。だがウルが示すのはそれよりも更に先だろう。

 黒い炎の奥地にある、旧大罪都市。

 

「【灰都ラース】を解放する!!!」

 

 【黒炎払い】達から歓声が巻き起こった。

 どれだけ本人が否定しようとも、紛れもない英雄の誕生を、歓声で迎えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その日の夕刻 地下牢 ウルの自室にて。

 

「………」

 

 アナスタシアは一人、じっと座り身体を壁に預けていた。

 眠気はまだない。以前まではこの時間になると抗いがたい眠気が襲い、目を瞑れば即座に意識を落とし、悪夢に苛まれるのを繰り返していた。今はその眠気も少ない。

 やはり、ウルの“お茶”を飲んでから身体の調子は良い。眠りを苦痛に感じる事が少なくなるだけでも、身体にかかる負担は大きく減っていた。

 だが、それでも今の彼女の表情は晴れない。不安げに、所在なく両の手を合わせて静かに祈っていた。そして、

 

「戻った。疲れた」

「…………! おかえり、なさい。ウルくん」

 

 ウルが戻ってきて、彼女は立ち上がった。そして少し恥ずかしくなった。あまりにも露骨に不安と安堵が顔に出てしまっていたからだ。しかしそれでも、大げさで無いような地獄へと彼は向かったのだ。

 

「心配かけた」

 

 ウルはグッタリ言って、そのまま自分のベッドに倒れ込んだ。

 

「怪我は、呪われたりは?」

「今のところ無事だ。まあ今後どうなるかは分からないが……」

「……」

「気をつけるから死にそうな顔はやめてくれ。悪かったから」

 

 ウルは謝った。アナスタシアはようやく安堵して溜息をついた。

 

「それで、どうなり、ました?」

「誰も死んでないし呪われてもいない。勝ったよ」

「…………!」

 

 極めて端的なウルの言葉に、アナスタシアは息を飲んだ。10年前の大敗で【黒炎払い】達は大きな傷を心身に負っていたが、しかしそれはアナスタシアも同じだった。

 

 そのトラウマが倒された。此処に来てまだ間もないウルの主導によって。

 

 アナスタシアは今、自分がどんな表情で居るのか全く分からなかった。怒りや悲しみ、憎悪、疑問、あらゆる負の感情が内側で渦巻いて臓腑を突いているのを感じている。

 もう燃え尽きたと想っていた自分の心の奥底から溢れてくる感情が、アナスタシア自身をかき乱した。だが、それでも、一言真っ先に浮かんだ言葉があった。

 

「……良かった」

 

 ウルが無事で良かった。

 黒炎払いの皆が無事で良かった。

 あの恐ろしい番兵を討ち、あそこで散った皆の無念が晴らせて良かった。

 

 心からそう思えた。

 

「ウル、くん。ありがとう、ございます」

「アンタの為にやったわけじゃ無い。感謝なんてしなくて良い」

「それでも」

 

 アナスタシアは、ウルの手を強く握り、そして深々と頭を下げた。

 

「愚かな、私が、巻き込んだヒト達を、導いてくれて、ありがとう」

 

 優しいウルは、アナスタシアがこんなふうにする事を嫌がるだろう。ソレは分かっていても言わずにはいられない。此処に来てから10年間、大敗を喫してからの10年間、アナスタシアの心に深々と突き刺さって苛み続けていた棘の一つが、抜かれた気がしたのだ。

 それでも深く傷跡は残り続ける。癒えることも無いだろう。それでも、感謝せずには居られなかった。

 

「……一応言っておくが」

 

 すると暫く、恐らくアナスタシアの気が済むまで、沈黙を続けていたウルがゆっくりと口を開いた。アナスタシアの両肩に触れ、身体を起こし、【黒睡帯】の下で醜く潰れた目を見通すようにしながら、ウルは優しく語りかけた。 

 

「【黒炎払い】でお前を悪く言う奴はいなかったぞ。気にしてる奴は多かったがな」

「それは――」

「それとなく尋ねたが、お前一人に責任全部被せるような奴はいなかった」

 

 アナスタシアは返事をしようとして、何か反論をしようとして、息が詰まった。

 

 彼女のことを悪く言うヒトがいないのはそうだろう。

 だって遠征時、滅茶苦茶な自分の命令に反感を持った者は皆死んだのだ。真っ黒な運命に向かうことを止められなかった。生き残ったのは、彼女の言うことがどれだけおかしくても従順に従ってくれたヒト達だけなのだ。

 だから、自分のことを悪く言う者がいないのは当たり前だ。自分のことを呪った者達は、黒い炎に飲まれて、鬼となって、今もアナスタシアの心を苛んでいる。

 だけど、それでも、ウルの言葉はアナスタシアの心に触れた。今の言葉が、僅かでも自分の心を癒やそうとしてくれたものだとわかったから。

 

「ウルくんは、私が欲しい言葉を、くれるのですね」

 

 アナスタシアは小さく呟いて、微笑んだ。ウルは首を横に振った。

 

「そんなつもりは無いが」

「じゃあ、天然の、タラシ、ですね」

「タラシ止めろそれは流石に不本意だ」

 

 やたら必死なウルの反応が面白くて、アナスタシアは笑った。久しぶりに声を出して笑った。地下牢に来て、呪われて、こんな風に暖かな気持ちで笑うことになるとは思わなかった。潰れた瞳からぽろぽろと涙が流れて、黒睡帯を濡らした。

 

「ごめん、なさい。ふふ、面白い」

「俺は面白くない。アイツだけで十分だわそっちの系の渾名」

「アイツ。ウルくんが、何時も言ってる、外の、仲間ですか?」

「……今も仲間やってくれてるかわからんがな」

 

 ウルは溜息をついて天井を仰ぎ見る。

 

「無茶苦茶やってねえだろうなあ。シズク……」

 

 彼の呟きは夜の地下牢の中で消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃

 

 シズクは――――

 

「許してくれ……許してくれ!!!許してくれ!!!シズク!!!」

「まあ、フロウト様、いけませんよ。そんな風に泣いてしまっては」

「違う!!私はあやつらに脅されたんだ!!本当はやりたくなかったんだよ!!」

「嗚呼、嗚呼、勿論分かっておりますよ?」

「シズク………!!!」

「辛かったのでしょう。第二位としての重責、都市民派の中央工房との調整にずっと胃を痛めておられたのでしょう?」

「うう……!!!」

「だというのに、皆、誰も貴方の苦労を理解しない――――でも、私は分かります」

「君だけだ……!!許してくれ……!!私は!貴方に、償わなければ……!!」

「嬉しいです。フロウト様。どうか私たちを、お助け下さいまし」

 

 無茶苦茶していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間章 その頃彼らは
誰でもできる!!会議の腐らせ方のススメ 上 著:シズク


 

 大罪都市プラウディア近郊。

 

 竜吞ウーガ司令塔内 執務室にて。

 

「…………むう」

 

 エシェル・レーネ・ラーレイは小さく唸った。

 彼女の目の前には幾つもの書類が重ねられている。竜吞ウーガの女王として現在君臨している彼女が目を通さなければならない書類は多い。だから書類仕事は何時ものことで、流石にこの一月以上の間に徐々に書類の処理には慣れつつあった。

 問題だったのは、

 

「大罪都市プラウディアの第三位の神官スフィンからシズク宛の会食の誘い、大罪都市グラドル第三位の神官ジョウゴからシズク宛の訪問の催促。大罪都市エンヴィーの工房長パイロンからシズクへのただのラブレター……」

 

 一枚一枚を手に取って、静かに彼女は頭を抱えた。

 

「シズクへの手紙が多すぎる……!」

「彼女は現在、竜吞ウーガの外交窓口だからね」

 

 それを手伝うリーネは丁寧に補足する。たしかにそうだ。それはそうなのだが、

 

「それはそうだけど多過ぎだろ!こいつとか1週間前だぞ彼女と会食したの!というかシズクへのラブレターとかこっちに送ってくるなバカなのか!!!」

「わあ、凄い熱烈ね。ちょっとこっちに見せないで。キツイから」

「やだあ!私コレ読むのやだあ!」

 

 エシェルは泣いた。リーネは少し遠い目になった。

 

「……アレよね。ウルがどれだけシズクのストッパーになってたかって話よね」

 

 ウルがいなくなってから、必然的に【歩ム者】の代理リーダーはシズクになった。勿論、ウーガの管理責任者はエシェルであるが、ギルドとしてのリーダーは彼女だ。そうなるとやはりどうしても、彼女の行動を咎められる者はいなくなった。

 結果、こうなった。

 エシェルは情念渦巻く手紙に埋もれて泣いた。

 

「ウルぅぅ……早く戻ってきてえ……」

「泣いてる場合じゃ無いわよ。本当にあの子、このままだと全都市の神官籠絡しかねないわよ……」

 

 ひぃんとエシェルは泣くが、しばらくすると顔をうつ伏せたまま、ポツリと呟いた。

 

「……、やっぱ、シズク、怒ってるのかな」

 

 ウルの捕縛騒動については、【歩ム者】の面々は少なからず怒りを覚えていた。あまりにも理不尽な(そうされるだけの謂われが無いとは言わないものの)仕打ちだったのだ。命を預け合うような仲間相手にそんな真似をされて、穏やかでいられるはずが無い。

 そしてシズクは、面子の中では一番落ち着いている――――様に見えた。少なくともウルに代わって出す指示は的確で、ウルをすぐさま助けにいこうともしない辺り、冷徹ですらあった。

 しかし、それ以降の彼女の動きの積極性には、ウルが居るときの彼女には見られないような何かが見える。とても分かりづらいが、普段ならば彼女が持ち合わせていた「容赦」というものが欠片も感じられない。一つ一つの行動に躊躇がない。

 

 ウルがいないから自由に振る舞っている、というのとは、それはまた違う、気がする。

 

「怒ってるでしょ。当人は自覚無いようだけど」

「自覚、無いの?」

「ウルが言ってたわ。シズク、他者の感情の機微はすぐに察するのに、自分自身の内面に対しては鈍いって」

 

 自分に対して無頓着、ということなのだろう。ハッキリ言えば、それは良くないことだ。蔑ろにしているという事なのだから。

 ウルが彼女の暴走に対して口喧しかった理由も分かる。道徳的な側面以上に、彼女が彼女自身を気遣わない状態をなんとかしたかったのだ。

 

 そして彼がいない現状、彼の代わりに自分たちがなんとかしなければならないわけだが、それは上手くいっていない。

 

「あの子、彼方此方飛び回っているし、それにこっちはこっちで……ね?」

 

 リーネはチラリと執務室の隣りにある、会議室の方角に視線を向けた。すると、

 

「だから!!何故話を混ぜ返すのだ貴様は!!!」

 

 会議室から罵声が響き渡った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ウーガの管理者、【歩ム者】のリーダーであるウルの“大連盟法違反容疑”は各都市を巡り、伝播した。同時に、その彼らに恐るべき兵器であり、前代未聞の使い魔でもある移動要塞を任せたことに対するグラドルへの批難が各都市で一斉に湧き上がった。

 

 まるで、見計らったかのように、だ。

 

 作為的なものを感じざるを得ないが、それでも、グラドルにはそれに反論する力は無かった。ラクレツィアは相当うまく立ち回って批判をつぶしたが、それでもプラウディアやエンヴィーからの介入を防ぎきることは出来なかった。

 

 そして、そうなってしまうと、グラドルは弱い。

 やはりどうしたって、先の神殿の大混乱が尾を引いている。未だ回復には遠い。電光石火のように介入してきたエンヴィーの中央工房に、プラウディアの運命の神殿の神官ら、彼らの独壇場になる――――はずだった。

 

「あれほどの巨大な移動要塞です。治安維持の関係上、騎士団としても話に噛ませて貰わねば困ります」

 

 と、何故か各都市の騎士団が声を上げ始め、

 

「あのルートは通商ギルドの通り道です。当然我々にも決定権はあるかと」

 

 商人ギルドまで介入を開始し、

 

「すまぬのう、ウーガが通るルートはかつてプラウディアの空からの侵略を護った偉大なる神官様の墓があるのじゃ……別のルートにできませぬかのう?」

 

 運命の神殿とは別の神官達まで何故か首を突っ込んできて、

 

「冒険者ギルドの所属員に容疑がかかったとなれば、我々も原因の究明をする義務がある」

 

 と、()()()冒険者ギルドまで口を挟んできた。

 

 確かにグラドルは弱っていた。そこに更に追い打ちでウルの捕縛騒動があり、ボロボロになっていた。それ故に、別の勢力の介入を許した。

 が、しかし、これを仕掛けた者達の思惑に反して、あるいは、思惑通りに()()()()()結果、自分たち以外の組織の介入も、グラドルは許した。

 

 そして、その結果が、ウーガの会議室の惨状である。

 

「だーかーらー!何故そんな勝手に話を進めるのですか!!!」

「後からやって来て何様だ!?このウーガはエンヴィー中央工房が――――」

「ッッハアアアアア?!!後から?!よっくいいますね天魔のおこぼれ狙いのハイエナ!」

「ハイエ……貴様ぁ!!それこそどの口が言うのだ!!」

「まあ、まあ、落ち着きましょうよ。それよりもこのルートならいかがです?」

「待ちなさい!何故わざわざ運命の小神殿の無い衛星都市を通るのですか!」

「各都市の影響を配慮した結果ですが?」

「巫山戯るな!!そこの貴方も神官なら何か言ってやったらどうなのですか!!」

「うう!!うう、そんな難しい事を言わんでおくれ!!!ワシはただ、英雄達の弔いを…」

「何をしに来たんだこの老害が!誰だこの役立たずを呼んだのは!!!」

 

 爆発的にトップの増えたウーガの方針は、一向にして決まらなくなった。立場も身分も資金も、何もかも違う連中が一緒くたになっているのだ。そう簡単に決まるはずも無い。誰かが譲り、融通を利かせようとしても、別の誰かがそこに口を挟む。

 船頭多くして船山登り、

 会議は踊る。されど進まず。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……もういい、今日はここまでだ!」

 

 そして今日も今日とてまるっきり話が進むこと無く、会議室からウンザリとした表情の各勢力の代表者達が出てきた。表情はあからさまな疲労を浮かべており、様子を見に来たエシェル達に怒りに満ちた視線をギロリと向ける。

 エシェルは出来る限り表情を出さぬよう、静かに一礼した。ウーガの支配者として気品のある立ち振る舞いだったが、それが彼らの機嫌を更に損ねたらしい。

 

「次の会議の時はあの役立たずどもを呼ばないで欲しいですな…!!」

 

 運命の神殿の使者である初老の男は忌々しげに罵声を浴びせる。官位だけなら確か第四位(レーネ)で、エシェルと同格であるのだが、あからさまな上からの物言いだった。それに対してもエシェルは反感を顔に出すようなことはしなかった。ただただ時間を無為に過ごした事に対して苛立つ彼らを見送った。

 

 多くの者達が去った後、会議室に残ったのは片手で数えるほどだ。

 

「だからワシとしては、やはり死者達の弔いを無視するのはいかんともしがたいとおもうのだがなあ……」

「しかしそれでは話は進みませぬぞ!いい加減にしてもらいたいですなご老体!」

「だがのう……」

 

 年老いた神官に、若く血気盛んな騎士達に、商人ギルド、後は冒険者ギルドの一員くらいだろう。彼らは他の連中がウンザリして出て行っても尚、堂々巡りの討論とも言い難い討論を続けていた。

 恐ろしいことに各都市の代表者達が集い、会議をし始めてから数時間、ずっと今の会話を続けている。出て行った代表者達が疲労困憊でブチ切れるのもやむを得ない事だろう。ウーガは現在プラウディア近郊に停泊しているが、そこまで移動する労力も時間もただではないのだ。それだけ苦労して、集まって、無為に時間を過ごすのだからたまらない。

 通信魔具を使おうという案も既に出ているが、使うのに条件が多いそれを拒否する者も多く「通信魔具を使うかどうかの議論」が勃発し更に無駄な時間が増えた。

 

 まさに、地獄の会議である。

 

 そんな、ただひたすらに無為な時間を今なお過ごし続ける彼らの傍に、補佐に回っていたカルカラが近付いていく。既に何杯も飲み干されたカップを片付けながら、彼らの傍まで近づき、

 

「他の方々はお帰りになられましたよ」

 

 そう、小さく呟いた。

 すると、その途端、

 

「ふむ」

「ああ、やっとか」

「今回は彼らも根性をみせましたな」

 

 ()()()()()()()()()()、ピタリと無駄な議論を止めた。

 会議中ずっと、顔をひしゃげさせながら「墓が墓が」と同じ事を繰り返していた老いた神官など、シャキリと顔を上げてゆるゆると肩を回す余裕まであるほどだ。カップを下げるカルカラに対してもにこやかに笑みを浮かべて見せていた。

 

「おお、済まぬなカルカラ殿」

「いいえ……()()()()()()()を押しつけてしまい申し訳ありません」

 

 カルカラが申し訳なさそうに頭を下げるが、老いた神官は笑い首を横に振った。

 

「なあに、気にすることはないとも。なあ同士らよ」

「ええ。最初“シズクから指示を受けたときは”上手くやれるか心配でしたが」

「最近は、いかに無為な会話を繰り広げるのかが楽しくなってきましたわ」

 

 先程まで、口喧しく言い争いをしていた彼らは仲良く笑い合う。

 奇妙な光景だった。彼らには一見して何の繋がりも見えない。身分も立場も年齢も、何もかもが違う。事実、()()()彼らにはどのような繋がりも存在しなかった。先に出ていった権力者達も、彼らが裏で結託しているなどと思いもしていなかっただろう。

 だが、彼らには確かな繋がりが存在していた。決して表沙汰には出来ない、徹底的に秘匿された繋がりが。

 

「なにせ、()()()()で共に闘った同士の窮地。この程度の苦労、なんともないとも」

 

 彼らは全員、陽喰らいの儀でウルと共に闘った戦士達だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰でもできる!!会議の腐らせ方のススメ 中 著:シズク

 

 今回の一件をしかけてきた連中の干渉をいかに回避するか?

 

 ウルというリーダーを失い、更にその事で多くの批難を浴びることになった【歩ム者】にとって、ウーガを狙う勢力からの干渉を回避するというのは困難を極めた。言うまでも無くグラドルは弱っており、そして【歩ム者】もまた立場を失いつつあったからだ。

 七天の勇者、ディズに頼むのも難しかった。彼女は超法的な権限を有してはいるが、立場がある。その彼女がウーガの一件で干渉をしすぎれば、むしろより厄介な状態に拗れていくのは目に見えていた。精々情報提供が関の山だろう。

 

 やはり、どうしても難しい、どうしたものかとエシェル達がうんうんと頭を悩ませていたとき、シズクがアッサリと提案した。

 

 ――――では逆に、干渉を増やしましょうか。

 

 結果、こうなった。

 

 シズクはグラドルのラクレツィアと何事か言葉を交わし、少しの間ウーガを離れた。そして数日も経たぬうちに一気にグラドルへの干渉が激増した。彼らは口を揃えて、ウーガへの正当な管理の権利を叫び、グラドル側もそれに対して応じた。

 

 ()()()()()()()()()

 

 無論、運命の神殿や中央工房からの批判も上がったが、干渉を断つというのならば、彼らからの干渉も断たねばならず、結果、苦渋の黙認を強いられた。

 

 そして、物の見事にウーガへの干渉は()()した。

 干渉の遮断では無く停滞である。何一つとして話は進まなくなった。

 たった一つの物事を決めるために、三つも四つも新たなる議論が発生する。

 

 ――――皆様の意見が可能な限り平等になるよう、規則を設けましょう。

 

 そうなるようにシズクがルールをつくった。

 美しい笑顔で、誰しもが暖かな気持ちになるような優しい言葉で、参加者が真面目に議論を進めようとすればするほど精神が踏みにじられ、崩壊を引き起こす拷問器具のような会議のルールを生みだした。

 

 ――――絶対に私はあの会議に参加しません。時間に対する冒涜です。

 

 やり口のあまりの性質の悪さに、ラクレツィアは通信魔道具越しにそう宣言した。彼女もシズクに協力したはずなのだが、明らかにドン引きしていた。意気揚々と会議に参加しにきた運命の神殿の連中や中央工房の連中が土気色の顔でゾンビのように会議室から這い出てくるようになって、エシェル達もその言葉の意味と、シズクの邪悪なやり口を理解した。引いた。

 

「いやあ、本気で議論に参加していたらと思うと寒気がしますなあ、はっはっは」

「イヤイヤ全く。しかし、仕掛ける側としてやるとなると、中々これが面白い」

「相手がいけ好かねえ奴らだと余計にな!」

 

 そしてそんな地獄を中心となって創り出したのが、陽喰らいの戦士達である。

 彼らは世界存亡の戦いに挑むことを王から許された一流の戦士達である。それはつまるところ、各ギルド、各騎士団、各神殿においての一定以上の影響力を有していることを示している。

 陽喰らいの儀を経て、彼らと得たコネクションを、シズクは思う存分有効利用していた。この繋がりが表向きには一切秘匿になっているが故に「裏で結託している」と誰にも悟られないのも強烈なメリットとなっていた。

 

 長きにわたって神殿に勤めてきた神官と、幾つもの迷宮を踏破してきたたたき上げの冒険者、全く別々の立場にいて、しかも交友関係など皆無であったはずなのに、強い友情で結ばれていて、結託しているなどと、誰にも分からないだろう。

 

 ただ、問題は。

 

「……その、本当に良いのかな……こんな事に協力させて」

 

 会議が終わった後、ゴミが散らばった会議室を片付けながら、エシェルはこわごわと呟いた。彼女の視線の先には老いた神官が一人居るが、彼の官位は第二位(レーネ)である。既に神殿での政治活動は引退しているものの、それでも強い影響力を持っている男だ。しかも、密かに【陽喰らいの儀】で命を賭して闘っている生粋の戦士でもある。

 名実ともに偉大なるヒトである。

 そして彼と談笑する者達も、立場身分違えど、同じようなものだ。そんな彼らに対して恃む事なのか?というエシェルの疑問ももっともといえばもっともだった。

 

「いやいやいや、心配することはないぞ?」

 

 だが、そんなエシェルの不安を和らげるように、当の老いた神官は優しげな眼でエシェルに話しかけた。彼女の呟きが聞こえていたらしい。

 

「で、ですが……」

「……シズクが無茶を言ったのでは無いですか?」

 

 口ごもるエシェルに代わり、カルカラが尋ねる。

 シズクについては、カルカラも苦い思い出がある。自業自得である事は重々承知しているが、それでも今もカルカラはシズクが苦手だ。ある意味エシェル以上に、シズクへの懸念はある。

 だが、神官は「いやいやいや」と首を横に振った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「感謝、ですか……?」

 

 あまりの予想外の言葉に、目を丸くさせると、彼の周囲の戦士達も同意した。

 

「うむうむ。感謝だとも。なあ?」

「ああ、そーだな。感謝だよ。感謝している」

「そうですなあ」

 

 彼らは次々と頷く。だが、しかしカルカラは奇妙なものを感じていた。

 顔には笑みを浮かべ、朗らかに笑い合いながらも、見ていてまるで暖かな気持ちにはならなかった。むしろ何か、冷たいものが流れ込んでくる。照明は十分なはずなのに、会議室が妙に薄暗く感じる。同じくソレを感じ取ったのか、エシェルがそっとカルカラの腕をつかんだ。隣のリーネもまた、自然と圧されるように一歩後ろに下がった。

 

「いやあ、全く、シズク嬢のお陰だ。彼女のお陰で――――」

 

 カルカラは理解した。コレは――――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 殺意だ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一ヶ月ほど前のこと。

 

「して、我々を呼びつけた理由は何かな?シズク嬢」

 

 大罪都市プラウディアの一角。経年による劣化のため取り壊しが決まり、住民達の立ち退きが決まった建造物の一角にて、とある集まりが行われていた。

 

 【素晴らしき葡萄酒を楽しむ紳士淑女等の集い】

 

 という、名目でシズクによって集められた彼らは、しかし、とてもではないがそんな雰囲気では無かった。年齢、性別、身分、全くもってバラバラな彼らではあるが、しかし唯一「極めて優秀な戦士達」であるという共通点だけがあった。

 無論、それはそうだろう。彼らは表沙汰にはしていないが、今回の【陽喰らい】で闘って、生き残った紛れもない一流の戦士達だ。とてもではないが、ちょっとした葡萄酒を楽しんであつまるサークルのような面子ではない。

 

「皆様、よくぞお集まりいただきました。感謝いたします」

 

 そしてその彼らを集めたシズクに対して、向けられる視線は決して穏やかでは無かった。むしろ懐疑の様なものまで混じっている。

 そもそも、陽喰らいが終わった後、その参加者を別の案件で一カ所に集めるという行い自体が、あまり良きものでは無い、折角必死に隠した隠蔽が暴かれる可能性があるからだ。それだけでも、彼女に対する印象を悪くしている者はこの中にもいる。

 

「まず先に言っておくかのう。シズク嬢。ワシらはお主に協力すること自体はやぶさかでは無い。が、ウル少年を自分の権限を逸脱して助け出すことはできん」

 

 真っ先にそう口にしたのは老いた神官の男だった。彼は鋭い眼光をシズクに向ける。

 

「あの少年、ウルが卑劣な真似で捕まったのは承知しておる。しかしウーガの一件はあくまでも表の騒動。裏の縁で繋がる我々がおおっぴらに介入しすぎるのは好ましくない」

 

 その神官の言葉に同意するように、集まった戦士達は頷いた。

 

()()()()が表沙汰になる可能性は避けたいの。分かるでしょ?」

「出来る範囲での支援なら、惜しむつもりは無い。だが、節度は護らねばならない」

「今回も被害ゼロとは言えない。多くが死に、繋げて、今がある」

「ウルがあんなひでえとこにおしこめられてんのは、胸糞わっるいけど、俺たちがそう思ってること自体、表に出来ねえ。あの戦いはそういう戦いだ」

 

 彼らの価値観、思想、立場はそれぞれ異なる。

 しかし、【陽喰らいの儀】を経験した戦士達は一つだけ共通した価値観が芽生える。

 

 あの戦いを、地獄を、決して無駄にしてはならない。

 

 そんな強い強い信念が生まれるのだ。それほどまでにあの戦いは地獄で、その地獄の最前線で世界を護るために戦い抜き、散っていった盟友達の犠牲を無駄にすることだけは、出来ない。

 

 それは共通の価値観で、信念だった。

 

 現在、シズクに対して警戒している者が多いのも、それが理由だ。

 いかに、不運で不幸で最悪だったとしても、もしも彼女が、あの戦いで得た縁を自分たちのためだけに利用するというのなら、それは受け入れることできない。どれだけ、彼ら個々人が、ウルに対して感謝していようともだ。

 下手な繋がりが露出して「何かあるのでは?」なんて風に思われるだけでも、彼らは嫌なのだ。実際にはバレるリスクが殆ど無かったとしても、心情的に耐えられない。

 

「勿論、承知しております。私も、あの戦いで散っていった方々の思いを踏みにじるような所業は、したくはありません」

 

 そして、彼らの心中を、シズクは理解していた。彼らから向けられる警戒を、微笑みで受け流しながら、言葉を続ける。

 

「そうか、それなら――――」

「そして、むしろだからこそ、皆様に伝えねばならないことがあるのです」

「……それは?」

 

 続きを促され、シズクは続ける。美しい鈴の音のような声で、その場に揃った全ての戦士達の耳に響くような声で、語り始めた。

 

()()()()()()()

「速い?」

「ウル様を貶めた連中の動きが、あまりにも速すぎたのです」

 

 ウルが黒剣騎士団に捕縛されたのは、【陽喰らいの儀】からたったの一週間の出来事である。ソレは確かに、彼女の言うとおり、あまりにも速すぎた。シズクであっても咄嗟に応じることが出来ないほどの電光石火だった。

 これをしかけたエクスタインがあまりにも手回しが上手すぎた、といえばそうなのかもしれないが、しかしそれだけでは説明が付かない。

 

「冒険者ギルドがウル様の銀級昇格を決定するよりも、更に速く、彼らは動いていた」

「……つまり?」

「どう考えても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 無論、エクスタインが関わっている以上、彼が有する情報が敵側に齎されたのは当然の事で、自然の流れに思える。そしてその情報を、恐らく彼らはかなり詳細に聞き出したのだろう。ウルが銀級に昇格することが確定したと、確信できるまで。

 ソレは分かる――――が、

 

「それがどうし――――」

 

 そう言おうとして、神官が眉をひそめた。

 

「――――………」

「……………」

 

 彼だけで無く、その場にいる全員が、沈黙した。同時に、空気が冷えた。彼らの意思を、感情を反映するように、部屋の薄暗さが一層に強くなる。

 

「ウル様を貶めた者達は」

 

 シズクは、その空気の中で語り続ける。

 

「自分たちが、無数の、気高き戦士達の屍の上に今の平穏があることを知りながら」

 

 やはり、どこまでも響く鈴の音で、彼らの心を揺らし、

 

「死んでいった戦士達が命を賭けて背中を押し、地獄を戦い抜いたウル様を貶めたのです」

 

 陽喰らいを生き延びた戦士達の、決して触れてはならぬ逆鱗をくすぐった。

 

「放置して良いと、思いますか?このような、邪悪の所業を」

 

 シズクは微笑みを浮かべた。

 殺意満ちる空間の中であって尚、彼女は美しかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ばぎん、という何かが砕け散る音がウーガの会議室で響いた。

 エシェルはびくりと驚いて、音の方へと視線を向ける。老いた神官の手の中で、カルカラが新たに用意したカップが粉々に砕け散っていた。

 

「おお、すまんなあ。割ってしまった」

 

 湯気の立つ紅茶で手を濡らしながらも、神官の老人はにこやかに笑った。しかしエシェルは怖かった。しわくちゃの老人神官は笑ってる。声も穏やかだ。それなのに眼が一切笑っていない。彼の身体中から刃のような気配が迸っている。

 いや、彼だけではない。シズクが集めた陽喰らいの戦士達全員から、彼と同じものが迸っている。先程まで、なんとも和やかに談笑していたはずなのに。

 

 正直、滅茶苦茶怖かった。ちょっと泣いた。

 

「うむうむ、弁償代だ。取っておいておくれ」

 

 そういって神官はエシェルに向かって大きな布袋を差し出した。はてなんだろう?と覗いてみて、エシェルは顔を引きつらせた。

 

「こ、ここ、これ……」

 

 膨大な量の金貨が敷き詰められていた。誰がどう考えても神官の割ったカップ一つに必要な金額ではない。エシェルが思わず取りこぼして机に落ちるとドガシャンという重量感のある音がした。

 

「おお、少し多めにしておるが、うむ、気にすることは無いぞ?」

 

 そう言って彼はエシェルの肩を優しくぽんと叩き、まるで自分の孫に語りかけるような調子で、言った。

 

「お小遣いというやつじゃ。役立てておくれ?シズク嬢によろしくな?」

 

 お小遣いというにはあまりにも重々しいその袋を必死に掴みながら、エシェルは笑顔を浮かべようとしたが顔が引きつった。本当に超怖かった。

 

「さて、行くか、皆々」

 

 老人が立ちあがる。それに呼応して、他の戦士達もよっこらしょと腰を上げた。

 

「そうですな」

「さて行くかあ……――――――――殺す」

 

 誰かが言った。

 

「ああ、殺す」

「絶対に殺す」

 

 それに呼応するように、誰かが続いた。

 殺意が充満していく。全員笑っていた。歯を剥き出しにして、口を大きく開いて。最早戦場で、魔物達に向けられるものよりも遙かに濃密に満ちた殺意が会議室に溢れかえる。

 

「行かんぞ、諸君。先走っては」

 

 そんな中、一番穏やかな声の――――そして最も殺意の高い神官が――――手を上げて彼らに語りかける。神殿を訪ねた迷える子羊たちを導くような優しげな声で、

 

「一人二人殺して、逃げられては意味が無いではないか」

 

 火に油を注いだ。

 その言葉に全員が笑った。部屋が震える。エシェルはカルカラにしがみついた。リーネは顔を引きつらせて一歩後ろに引いた。

 

「ああ、そうでしたな。流石神官殿は博識だ」

「全くだ。頼もしいぜ」

「ウルの奴には悪いが、多少時間をかけてでも確実にいこう。一匹たりとも残してはならぬのだ。このような、恥知らずの汚物を」

「身内にいたとして、絶対に殺さねばならぬな」

「無論、無論。むしろ尚のこと許せぬよ。親だろうが子供だろうが殺してくれる」

 

「さあ征こう盟友らよ――――鏖殺だ」

 

 シズクの煽動により、紛れもない狂戦士(バーサーカー)となった戦士達は、禍々しい殺意を漲らせながら、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

「…………こっっっっっっっっっっっっっっっっわ」

「はやぐ帰ってぎでぐれ゛えええ、ウルぅぅぅぅ………!!!」

 

 残された部屋で、リーネはドン引きし、エシェルはガチ泣きした。

 

「……なんといいますか、同情はしますが、恨むならシズクを恨んでください」

 

 その光景を少し距離を置いて眺めていた【白海の細波】のベグードは、同情半分、呆れ半分の声色でエシェル達にそう告げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰でもできる!!会議の腐らせ方のススメ 下 著:シズク

 

 

「とても恐ろしく見えたかも知れませんが、彼らも冷静さを完全に失ってるわけではないのです」

 

 【白海の細波】のベグードもまた、【素晴らしき葡萄酒を楽しむ紳士淑女等の集い】に参加していた。といっても、彼らとは一歩距離を置いた立ち位置にいるため、ありがたいことに比較的冷静な会話が可能だった。

 

「そ、そうなのか?」

「当然ですよ、エシェル様。過剰に殺意に満ち満ちているのは否定しませんが」

 

 とても信じられない、といった風なエシェルの言葉にベグードは肩を竦めた。シズクの言葉一つで、自分を完全に見失ってしまうほど、彼らは未熟ではないと、彼は断言した。

 

「ただ……シズクの言葉が、()()をついたのは否定できません」

「逆鱗……」

 

 カルカラに差し出されたカップを口に付け、ベグードは淡々と語る。それは、しかし自分の心を落ち着かせようとしているようにも見えた。

 

「“あの戦い”の戦士達の死は、名誉すら奪われる。イスラリアに住まう人類のために死んだのだと言うことを、誰にも知られること無く、事故死として処理される」

 

 それは、勿論エシェル達も知っている。陽喰らいの儀の戦いに参加することを決めたとき、そう説明はちゃんと受けていた。その時は【陽喰らいの儀】が外に漏れて、信仰が崩れてしまうのを防ぐためなのだという理屈をそのまま信じた。

 そしてその理解に間違いはない。決して間違ってるわけではない。

 

「無論それを、皆が承知した。彼らは自分の家族にすら、お前達を守るために死んだのだと、告げる権利を放棄した」

 

 ただし、戦いを終えた者達にとって、その誓いの()()は大きく異なってくる。

 

「だから、彼らの名誉を知るのは我々だけです。戦いに参加した我々のみ。それは、貴方方にも分かるでしょう」

 

 ベグードの言葉に、エシェルも、リーネも、カルカラも頷いた。

 この場にはいないが、ジャイン達【白の蟒蛇】の面子も、ベグードの言葉の意味するところは分かるだろう。あの戦いは苦しかった。厳しかった。地獄だった。この場の全員が一人も欠けなかったのは、本当に皆が皆、死に物狂いで勝ち取った結果だったが、幸運もあった。

 

 だがバベルの方では、欠けた者は出た。少なからずの量の死者が。

 ウーガに負けず劣らずの地獄だっただろう事は想像に難くない。

 それを、その努力を、覚悟を、誰にも伝えられないのは、本当に厳しい話だ。

 

「それを――――その誓いを」

 

 ベグードは、組んでいた自分の腕を、強く掴んだ。ミシリと、音が鳴る。先程の戦士達と同様の、怒りと悲しみが彼の内から溢れる。溢れ出ないのは、彼が自重してくれた結果だろう。

 

「盗み見て、知らぬ振りをして踏みにじるなど、許されない」

 

 知らないならば、ソレは仕方が無い事だ。

 散っていった者達を、何も知らずに「間の抜けた連中だ」と嘲るものがいても、戦士達は目くじらを立てることは無い。そういった嘲りが飛び交うことも承知の上で戦ったのだ。そんな憎まれ口を叩く者も丸ごと護るために戦士達は前線に立ったのだから。

 

 だが、知っていて、それを踏みにじるのなら、話は違う。

 

 エシェルにも、ソレは理解できた。確かに、絶対に許されて良いことではない。

 ウルが銀級に至る理由を冒険者ギルドに公表しないのも、その誓いのためだ。もしも彼の活躍をもっと世間に喧伝できたなら、きっと黒剣はもっと動きにくくなっていた事だろう。でもそれは出来なかったし、ウルもしなかった。

 

 その彼の誠実さを、好都合と利用するのは、邪悪を通り越して醜悪だ。

 

「そういうわけで、少なくとも、彼らの行いを「やらせている」などと気に病む必要はありません。勝手にやっていることです。勿論、私も含めて――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それはどういう……?」

 

 理解できず、エシェルは問うと、ベグードは複雑そうに顔を歪めた。

 

「シズクが裏から手を回して、我々以外の勢力に干渉しています。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………仲たがいさせるために?」

「この調子なら後一月もすれば、我々が猿芝居などしなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰であろう、ウーガへの干渉を目論んだ連中自身の手によって、会議の地獄は形作られ、継続される。そうなるように、シズクは場を整えている。慈母のように微笑みながら、全員を地獄に追いやっていく。

 

「……………」

「……………」

「……………」

 

 エシェルもリーネもカルカラも黙った。ベグードと同じ、恐怖とも嫌悪ともつかない表情を浮かべながら。

 

「……一応お尋ねしておきますが」

「……うん」

「……彼女を抑えられるヒトはいるのですか?」

「……………ウルが、そうだったんだ」

「…………………………………………………………………そう、です、か」

 

 ベグードは片手で顔を覆い、沈痛な表情で押し黙った。エシェル達も同じ表情をした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 【竜吞ウーガ】執務室

 

 ――――色々と複雑になりましたが、ウルの奴を助けたいというのは我々の共通の認識です。その点についてはブレるつもりは誰にもありません。どうかご安心を。

 

 それだけを告げ、ベグードもまた会議室を去っていった。戦士たちの見送りをカルカラに任せて、自分の執務室に戻ったエシェルは、

 

「ツ、ツカレタ……」

 

 がっくりと机に顔をへばりつかせて、脱力した。机には未だにシズクに対する様々な手紙が散らばっていたが、気にもならなかった。

 

「本当にね……とんでもない火の付け方したものよ。シズク」

 

 リーネも少しグッタリとしながら呟く。

 無論、この件で最も悪いのは、火が付くような所業をした連中であるのは分かりきっているものの、火の付け方が強烈すぎた。下手すると此方まで当てられかねない煽り方だ。余計に疲れる。

 頼もしいが、恐ろしい。

 

「……なんていうか、此処を狙った連中、とんでもない地雷に首突っ込んだんだな」

 

 ウーガがとてつもない利益を生む場所だというのはわかるが、それを得る引き換えに抱えるにはあまりにも大きすぎるリスクだ。少なくともエシェルなら、あんな恐ろしい戦士達の逆鱗を傷つけてまで金を稼ぎたいとは全く思わない。死にたくないからだ。

 

「そうね……ただ、欠片も同情する気にはならないけど」

「――――それは、私もそう」

 

 リーネの言葉に、エシェルは小さく額に皺を寄せながら、頷く。

 彼らのように、強烈な義憤に駆られる訳ではないが、しかしエシェルにとってウルという大事なヒトを理不尽に奪われたのは事実である。エシェルだって、とてつもなく怒っている。エシェルだけじゃ無くて、きっとリーネだって怒っているだろう。

 

 同情する気には全くならない。そんなに火遊びがしたいなら、好きなだけ遊べば良いのだ。その炎が自分を焼き尽くすと理解できるまで。

 

「でも、私達は冷静でいなきゃだめよ、エシェル」

 

 そんな、グルグルとした熱がエシェルを飲み込もうとした時、その心中を察したのかリーネが酷く冷静な言葉で彼女を制した。

 

「リーネ……」

「ウルがいなくて、シズクだってロックと外を出回ってる。だとすると、【歩ム者】の中心は私達よ。その私達が、頭に血を上らせたら、話にならないわ」

「うん……」

「腹立つのは分かるけどね。敵は多いけど、味方も多いわ。落ち着いてやれることをやりましょう」

 

 淡々としたリーネの言葉に、エシェルも心を落ち着かせる。自分よりも年下の筈の彼女の言葉は本当に頼もしくて、すぐに心乱される自分が少し恥ずかしかった。それでも、そんな彼女と友人であることの喜びの方が勝った。

 

「うん、ありがとうリーネ、私、頑張――――」

 

 頑張る、と、言おうとした瞬間、執務室の扉が開かれた。カルカラが戻ってきたのかと思ったがそうではなく、ラビィンが何故か戦闘装備を身に纏い、挨拶もなく叫んだ。

 

「リーネ、大変っす!ウーガ機関部に侵入者きたっすよ!魔術師多いから多分ウーガの構築術式パクリに来た奴らっす!」

「――――へえ、それってつまり白王陣の叡智を掠め取りに来たって事ね?殺すわ」

「リーネ???」

 

 いきなり友人が先程の戦士達を上回る殺意を纏い始めて、エシェルは引いた。ちょっと距離を取ろうとした瞬間、リーネの小さな手が、仰け反っていたエシェルの襟をがっしりと掴んで恐ろしい勢いで引っ張った。

 

「来なさいエシェル。丁度攻性術式の新構築を考えてたの。貴方と力を合わせて鏖殺よ」

「十秒前になんて言ってたか思い出してリーネぇええ!!!」

 

 その後、侵入者達(と、エシェル)の阿鼻叫喚が響き渡った。

 

 この悲鳴は、ウルがいなくなり、立場が不安定になったウーガを防衛するためのリーネとエシェルの日常となっていくのだが、この時のエシェルには知る由もなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白銀と蒼剣と骨

 

 

 天賢王の膝元にあるプラウディアには広大な土地が在る。

 

 故に、他の都市のように、限られた土地の多くの施設を圧縮する必要がない。利便性の観点から都市の形を取るが、他の都市と比べれば贅沢な土地の使われ方をしている箇所も珍しく無い。公園などの憩いの場や、娯楽施設などの潤沢さもプラウディア独自のモノだ。

 そして精霊信仰に関しても、他の都市国のように神殿一カ所に全ての精霊信仰をまとめて、収める必要は無い。バベルの塔が他都市における神殿の役割を担う一方で、それ以外でも様々な場所で、それぞれの精霊の性質に合わせて祈りを捧ぐ【小神殿】が幾つも存在しているのだ。

 

 故に、運命の精霊、フォーチュンの小神殿もプラウディアには存在している。

 

「我々の運命が良き方へと流れゆくことを祈りましょう。運命の使いへ祈りを」

 

 運命の小神殿は、その恩恵を授かろうとする都市民達で今日も賑わっていた。

 精霊信仰にも人気の格差はある。精霊の持つ性質は様々で、世界がつつがなく巡る為にはどれも欠かすことの出来ない力である、という建て前はあれど、やはりヒトというものは即物的な加護を与えてくれるモノに対して縋ろうとしてしまう。

 そしてその中でも【運命の精霊】の力は実に、都市民好みだ。 

 司るのは運命である。幸運を呼び寄せ、不運を退ける力。風火水土といった四元の力は実に偉大ではあるが、偉大すぎるが故に遠く、対して運不運は身近で、親しみやすくもあった。結果多くの参拝客が祈りを捧げ、その加護を得ようと縋るのだ。

 

 運命の精霊は極めて気難しく、例え神官であっても祈りを力と出来るモノは希であったとしても、自分では抗えない運命の嵐を前に、縋り付いてしがみつく為の大樹を求めるモノだ。それは自然の流れだった。

 

「………!!」

「………………慈悲を……どうか、慈悲を……」

「…………ひぃ……」

 

 しかし、ここで祈る信者達の様子は、異様だった。

 それは、高位の存在である精霊に対する畏敬とはまた違った。恐るべき為政者に対して、慈悲を乞うかのような必死さだ。何かに怯え、竦み、救いを求めるように祈り続ける。

 

 理由は存在する。

 

 彼らが必死になる理由は、「祈れば幸せになれる」という期待からではなく「祈らねば不幸になる」という恐怖からだ。

 そしてその恐怖は迷信では無く、現実だ。

 この神殿で祈りを辞めたモノには、不幸がふり落ちる。

 衛星都市セインから移設される形でこの神殿が建造された当初、【運命】という目に見えない力を疑わしく思い、それを公言していたものが少なからずいた。しかし彼らの多くは、狙い澄ましたかのような不幸が幾つも重なり、失脚した。

 

 運命の精霊の力を悪用したのだ。という指摘もあったが、運不運は目に見えない。結局は疑惑の範疇に留まった。

 

 敵対したものは不幸になる。

 

 この禍々しくも陰湿な盾が、追及の手を否応なく緩めるのだ。どれだけ高潔な人物であっても、自分や、自分の家族が不幸になるのは耐えがたい。

 

 そして今宵もまた、悪徳の華は咲く。

 

「どうかお願い致します。ドローナ様。運命の加護をお与えください」

 

 運命の神官ドローナ・グラン・レイクメアは目の前で深々と頭を垂れる都市民へと笑みを浮かべる。

 そこは運命の神殿の中でも通常の来訪客が足を踏み入れることのない来賓の間だった。小規模とはいえ神殿の内部でありながら、やや薄暗い密室だ。窓も無く、扉も一つ。基本的に窓のない密室は太陽神ゼウラディアの目から隠れようとする事から望ましくない造りと言われれているが、そんな部屋が何故か運命の神殿に存在していた。

 そしてそんな部屋で、都市民が神官に頭を垂れるのだ。そこには拭いようのない悪徳の気配があった。しかしそれを咎めるモノはいない。

 

「あらあら、ガスタン殿。貴方は確か以前、我々を詐欺師呼ばわりしていたと思うのですが、一体どのような心変わりなのです?」

「どうかお許しください…!私が誤っておりました…!!」

 

 ガスタンと呼ばれた男は深々と平伏する。年はドローナと比べ少し上だろうか。ある小規模の商人ギルドとしてプラウディアでそれなりに成功を収めていた彼は、以前までは相応の自尊心を纏っていた。

 しかし今、ドローナの前で縮こまり、顔を伏す彼からはそのような気配は微塵も感じない。あるのは恐怖心だ。

 

「これ以上はもう、耐える事も叶いません……!どうかお許しを……!」

 

 ガスタンのギルド、彼の人生と共にあった彼にとっての宝であるソレが今、破産の危機に遭った。何故そうなったかと言えば、それは”様々な不幸に見舞われたから”だ。

 運送していた商品の事故、扱っていた商品の突然の暴落、店員の身内の不幸。そしてそれらに付随して起こった「運命の精霊に嫌われた」というレッテル。

 抗いようが無かった。彼が築いてきたモノは全て、砂の城だったとでもいうように、彼の築いた全てが、大きな運命に吹き飛ばされようとしていたのだ。

 

「あら、まるで私達の所為と言わんばかりではないですか。失礼なことですね」

 

 そう言いながらも、ドローナは目の前で頭を垂れる男の哀れな姿への嘲笑を隠しきれてはいなかった。濃い化粧でも隠しきれない頬の皺が歪に歪んだ。

 

「まあ、とはいえ、貴方に並ならぬ不幸が降りかかったというのなら、その不運から身を守るための術は勿論、私達には御座いますとも?何せ運命の聖堂ですからね。此処は」

「おお、それでは!」

「ただし、特別な恩恵には、特別な対価が必要となりますがね?」

 

 その言葉を聞いて、ガスタンは表情を崩す。悲痛な表情の中に、苦々しい怒りが染みだしていた。強く顔を伏せて、ドローナの前に晒さないように懸命になるが、その姿すらも滑稽だというように彼女は笑みを強くした。

 

「……これを」

 

 そう言って彼は綺麗な布袋で包まれたものを懐からだし、差し出す。彼女がそれを受け取り、中を見ると、そこには幾つもの金貨が詰め込まれていた。決して少ない量ではない。それを見てドローナは一瞬、露骨に瞳を欲に輝かせた後、それを自身の手元へとやり、いかにも尊大な態度で手を上げた。

 

「素晴らしい。貴方の不運もこれで、晴らされることでしょう」

「……ありがとうございます。ドローナ様」

「最初からこのようにしておけば、要らぬ不幸も起こらなかったやも知れませんが……ええ、ええ、貴方が賢明であったことが、何よりの幸いでしたね」

 

 彼女はそう言って笑う。ガスタンの右手は一瞬強く握られたが、次の瞬間には解かれた。それを屈服の証と見て、ドローナはその嘲笑をより深くした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「言われたとおり、金は向こうの要求通り渡してきたぞ。これでいいんだな?」

 

 運命の小神殿。そこから幾らかの距離が離れた裏通り。先程まで運命の小神殿でドローナに平伏していたガスタンは溜息をつきながらそう言った。

 怯え、竦み、そして怒りを堪えて平伏していた彼であったが、今現在の彼の表情に先程まで彼が浮かべていた恐れと怒りは存在していなかった。やや疲弊しながらも、そこには余裕と警戒心があった。

 

「例の……その、()()()()も確かに入れた。見られても、ゴミとしかおもわんだろうさ。仕事はこなした……だが」

 

 そういって彼は前を見る。一見して都市民の一般人と変わらぬ衣服を身に纏った少女がそこにはいた。しかしその容姿は異様に整っており、後ろで束ねられた銀髪は風に揺れきらめいて見えた。

 その美しい少女に、ガスタンはやや視線を奪われるようにしながら、今度こそ心の底から、縋るような声で尋ねた。

 

「だが、本当になんとかしてくれるっていうのか?()()さんよ」

 

 銀色の少女は微笑みを返す。

 

「ええ、勿論。貴方の努力、決して無駄にはしません」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白銀と蒼剣と骨②

 

 

 大罪都市プラウディア 天陽騎士団本部 

 

 偉大なる太陽神ゼウラディアの代行人、天賢王の膝元で天賢王の守護に当たる天陽騎士団。神殿内における様々な秩序を維持し、時としてその内側の過ちを正し、外敵を討つ事を目的とした神殿の剣こそが天陽騎士団であるわけだが、特に此処プラウディアにおいてはその役割は重く、大きい。

 プラウディアの神殿に仕えると言うことは、天賢王に仕えることに他ならない。

 しかも彼らのトップは王の懐刀である、天剣が務めているのだ。否応なく彼らに求められるモノは多くなる。それを自覚し、日夜鍛錬に励み、神殿の秩序を守ることに従事する精鋭達の集まり。

 

 故に彼らにあやまちを犯すモノなど一人もいない――――と、なるなら苦労はない。

 

「運命の小神殿周辺で発生した“事故”は以上となります」

「やはり、多いですね。どう考えても」

 

 広いプラウディアに点在する小神殿の管理を担う【守護隊】隊長騎士、トルーマンの話を聞きながら、ユーリは溜息をついた。トルーマンは深々と頭を下げ、深く額に皺を寄せている。

 

「申し訳ありませんユーリ様。その多くの”事故”について、事件性に繋がるだけの証拠は未だ、見つかっていません」

 

 神殿内における秩序を守り、不正を正す役割を担うのが天陽騎士。

 故に、ユーリの耳にも運命の小神殿に渦巻いている黒い影を把握していた。

 

 曰く、運命の小神殿は都市民達を脅している。

 曰く、運命の小神殿は精霊の力を私的に利用している。

 曰く、運命の小神殿は以前、衛星都市で運命の精霊の愛し子を謀殺した。

 

 どれも問題だ。天陽騎士が動くに足るだけのものである。しかし、実際に調査を開始しても、確たる証拠は現状見つかっていない。

 彼らは慎重で、狡猾だった。神官にありがちな、精霊の力のみに頼り傍若無人に振る舞うような間抜けはさらしていない。プラウディアの幾つもの大ギルドと繋がり、結びつき、そしてそのコネクションを活用し、上手く、その身を隠し続けていた。

 

「調査してすぐに何もかも判明するとは思っていません、顔を上げなさい。」

「はっ……」

 

 2メートル超の巨体の獣人の彼に対して、年齢も年若いユーリは彼の身体の2分の1ほどしかない。見た目は子供と大人だろう。しかしその立場は逆だった。ユーリは落ち着きを払っており、提示された「事件一覧」に目を通し続けている。

 

「ユーリ様、スーア様は動けぬのでしょうか?あの方であれば……」

 

 その彼女に、トルーマンが提言する。

 天祈のスーア、あらゆる精霊に精通する最強の神官であれば、精霊を神官達がどのように扱っているのかを見抜くことも出来るのではないか。そう考えるのは自然だ。

 しかしユーリは即座に首を横に振った。

 

「あの方は万能ではありません。その力の大半を、大罪迷宮の挙動の監視に充てています。これ以上の負担をかけるわけにはいかない」

 

 スーアが現在請け負っている仕事は大きい。

 都市の奥深く。迷宮の底。本来ならば精霊の力が通らなくなる大罪迷宮最深層の大罪竜達の動向を監視する役割を担っている。こればかりは、スーア以外に担うことは出来ない。それでも、濃密な竜の気配で精霊の力は完全には届かない。その無理を通すため、その監視に力のリソースの大半を充てている。

 

 必要以上にスーアの力に頼る事は出来ない。それで大罪竜への監視を怠れば本末転倒だ。

 

 だからこそ、出来ることは此方でやる。それができなくてなにが天陽騎士か。

 

「全容を把握するには10年前、運命の小神殿に神官ドローナが着任した日よりも更に遡って行く必要があるかも知れませんね。」

「10年以上前ですか……それは……」

「少しばかり時間と人員を割いても構いません。余さず調べていってください。」

 

 トルーマンは少しの間逡巡したようだったが「承知しました」と深々と頭を下げ、そのままこの場所から去って行った。彼が扉から出て行った後、ユーリは視線を書類から、今し方トルーマンが出て行った扉へと移して、小さく呟いた。

 

「さて、上手くいくでしょうか」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 天陽騎士団団長、ユーリの部屋から外へと出たトルーマンは暫く廊下を闊歩した後、本当に小さな声で呟いた。

 

「調査で済ますなど、温い命令だな。やはり、小娘か」

 

 彼の口元には明確な嘲りがあった。

 

 ――ドローナ様から警戒を促されていたがなんてことはない。

 

 彼もまた、運命の小神殿に取り込まれていた。

 10年前、衛星都市国セインからプラウディアへと移り、小神殿を建てたドローナ率いる運命の神官達は狡猾だった。彼らは強い味方を着実に増やしていた。そしてそれは彼らを裁く立場にあるはずの天陽騎士にも及んでいた。

 運命の神官達が自由に動き回り、その証拠が見つからないのも当然である。それを内側から裁く立場に居るはずの天陽騎士が彼らの味方なのだから。

 無論、その手は都市国そのものの法の番人であるプラウディア騎士団にも及んでいる。この問題は非常に大きく、そして根深かった。

 

 ――あのような子供をお飾りと言えどトップに据えるなど、王も随分と血迷ったものだ。

 

 トルーマンはあまりにも不敬と言える言葉を心中で吐き出す。

 自身の上官であるユーリのみならず、王に対しての侮りでもあった。が、しかし、ユーリという幼い少女が、巨大な組織のトップに立つ事、それ自体歪と言えばそうだった。

 ユーリ自身は有能である。個人が収める武勇は言わずもがな、判断力もある。組織の秩序に対してむやみな正義と権威を振りかざさないだけの理性もある。

 だが、それでも子供は子供だ。自分よりも二回りも下の子供相手に深々と頭を下げて、その命令に服従すること、それ自体に不満を抱き、不和を生む要因になってしまうのは避けられない。

 彼女をこの天陽騎士団のトップに据えた天賢王はその事を分かっていない。トルーマンのみならずそう思い、不満に思っているモノは少なくは無かった。

 

 最も、そうであるから悪徳を行うこと、見過ごすことの免罪符になど決してなることも無い訳だが――――トルーマンはその事実を都合良く無視した。

 

「この分なら放置しても問題なさそうだ。王の御子も動けないならば、恐れるに足らない」

 

 そうひとりごちて、やや気の抜けた歩調で彼は歩き出した。

 

 故に気付かなかった。

 

『カカカ』

 

 小さな小さな骨の音が、彼の歩みにつきまとっていることに。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 夕刻

 天剣のユーリは天陽騎士団本部を出て、プラウディアの南東区画へと歩を進めていた。

 騎士団長としての責務を済ませた後、王の依頼が無い日はそのまま鍛錬に勤しみ、自身を研ぎ澄ますことがいつもの日常だったが、今日の彼女は鍛錬所に足を向けることはなかった。

 

 格好も、普段の天陽騎士の鎧を脱いでいる。官位持ちの少女としてのきらびやかな衣装も身につけていない。地味な色をして、皺の寄った古着をしたただの都市民の娘にしか見えない(尤も、愛らしくも凜々しい顔立ちと、空の色のような蒼髪は尚も目立ったが)

 

 常にヒトの出入り激しい大通りをするすると抜けて、途中道を外れる。

 

 大通りから外れ、高層建築物の隙間を幾つも抜けていくと徐々に薄暗くなっていく。基本的に都市民達は陽光の差し込まない場所を嫌う。故に人気も比例するように減っていった。彼女はその中を進んでいく。

 そして一際に薄暗く、古びた建造物へと足を踏み入れる。

 かつては利用されていたのだろう。造りはプラウディアによくある高層建築物となんらかわりはなかった。が、今はヒトの気配が全くない。窓はひび割れ、調度品は放置され埃を被っている。

 通常であれば、土地の限られる都市国の中で、必要でなくなった建物が放置されると言うことはありえない。土地は神殿が正確に管理し運用しているし、土地を与えられた神官らも、その価値の重大さは理解しているからだ。

 

 しかしこの場所は使われていない。

 理由は単純で、この場所を所有しているのはユーリ自身だからだ。

 

 かつて邪教徒が使い、多くの忌まわしき術を使用していたため、それらが無力化されるまで放置されている。そんな噂が伝えられているため、誰もこの場所には近付かない。噂を広めたのもユーリだった。

 誰も、此処に近づけさせないためだ。

 彼女は建物を登っていく。周囲はいかにも埃が積もり、放置されているように見えるが、彼女が通る足下には埃が積もっている様子はない。出入りが全くない場所であればそうはならないだろう。利用しているモノが居る証拠だった。

 彼女は一つ一つ階段を上る。頂上近くにたどり着いたとき、不意に周囲の様相が変わる。荒れた様子は消える。備え付けの魔灯が通路を仄かに照らしている。明らかなヒトの気配がある。ユーリはその道を進んだ。

 

『カカカ』

 

 不意に、なにか打ち鳴る音がした。 

 彼女の足下に小さな白いモノが蠢いていた。人形のように思えるそれは、しかしよくみればヒトの人骨の形をとっていた。場合によっては悲鳴がでるような恐ろしい光景だったが、それだけでは済まない。

 

『カカカ』『カカカ『カカカ』『カカカカカカカカカカカカ』

 

 骨が、どこからともなく次々に現れるのだ。彼女と同じように通路を行くモノ。その逆にすれ違って去って行くモノ。様々な骨の人形達が通路をひしめいている。しかしユーリは一切その光景を気にすることもなくずかずかと歩みを進める。そして一つの部屋の前で足を止めた。

 

「失礼」

 

 このような異常な空間であっても、律儀に彼女はノックと共に扉を開けた。

 部屋の中は更に奇妙だ。本棚が立ち並び幾つもの書籍がそこに収められている。それだけでなく床や机にも様々な書類が積み重ねられていた。その書類の中には通常は持ち出しも禁じられている天陽騎士団の書類もあった。

 

『カカカ!』

 

 そして、外にいた大量の骨のヒトガタは数を増していた。壁や床。天井に至るまで人骨を模したそれは所狭しと動き回っている。虫などが苦手なヒトがいれば卒倒するような光景だろう。

 ユーリは、しかし気にせず部屋の中へと踏み入れる。途中、一体か二体かの人骨を踏み砕いてしまったがそれも気にしない。彼女が過ぎ去った後、砕けた骨はカタカタと音を鳴らして元の形に復元し、また移動を開始していた。

 

『おう、()()。まーたきたのカの?』

 

 そして部屋の中央で、この異様な光景の中心人物が姿を現した。

 歩ム者、死霊兵ロックは一人優雅にテーブルの上で遊戯本を片手にテーブルゲームに興じていた。それをみたユーリは眉をひそめる。

 

「何を暢気に遊んでいるのですか」

『ちゃあんと仕事はしとるぞ?カカカ』

 

 骨は笑う。同時に彼の背中から伸びた幾つもの”追加の腕”が蠢いていた。奇妙な腕だった。ヒトの形を模してはいない。虫のような関節をしていた。その腕は部屋の四方へと伸びていた。

 そして腕の先で、部屋の屋上からつり下がる”銀の糸”を支えていた。

 

「……随分と、異形となりましたね。よく自由に動かせる」

『コツを掴むと簡単じゃぞ?ヒトの形だと出来ないことをするのは楽しいしの!カカ!』

 

 ロックは平然と笑う。

 だが、死霊兵と呼ばれる存在はそもそも彼のように軽快に笑うような事もできないのが普通だ。意思の大半を失っていたり、あるいは精神の均衡が崩れて発狂していたりもする。魂を貶める悍ましい行いだからこそ、死霊術というのは場所によっては禁忌とされる。

 しかし彼は平然としている。その上、生身の頃とはかけ離れた形になってもそれを自在に操っている。彼を生みだした邪教徒がよほどやり手だったのか、あるいは彼の魂が元々規格外の強靭さを持っていたのか、彼が生前の記憶を完全に損失したことが上手く働いたのか、それは分からない。

 

「それで、貴方の主はいますか?」

 

 が、その疑問をユーリは一先ず脇に置いた。今の彼女の目的とは無関係だ。

 

『おるぞー。ずっと奧で”聞き耳”を立てておる』

「そうですか。では」

『おー。作業終わったら模擬戦でもせんカ?新技試してみたいんじゃ』

「忙しいので」

 

 ユーリが素っ気なく応じるとロックはぶーぶーと抗議の声をあげた。

 ユーリの剣技に興味がそそられたらしく、ロックはことあるごとにこちらを剣の打ち合いに誘いに来る。異形の戦士との模擬戦は、それはそれで悪くない鍛錬になるが、しかしそれもまた今の目的とは関係ない。彼女はロックの抗議を無視して部屋の奥へと足を進める。

 

 部屋の奥では、先程ロックが支えていた銀の糸が集結していた。蜘蛛の巣の様に張り巡らされた糸が彼方此方から伸びている。よく見ればそれは開け放たれた窓を通して部屋の外まで伸びているのだ。

 そして、それらの糸の中心には 

 

()()

 

 無数の銀の糸を身体にまとわせ目を閉じている銀の少女がいた。

 光に照らされるとわずかに輝くその糸を、ドレスのように身にまとう少女は芸術的に思えるほどに美しかった。

 

「ああ。蒼剣様。いらっしゃいませ」

 

 目を開くと、彼女は微笑んだ。

 

「挨拶はいいです。それよりも、上手く使えていますか。その【銀糸】は」

 

 するとシズクは笑って、そのまま剣へと伸びた糸の一つに触れ、その細く長い指で軽く弾いた。すると、

 

《――――道理を知らぬ無能な王が小娘を騎士団のトップに据えたときは腹が煮えたが、しかし都合良く踊ってくれるなら話は変わる。精々その小ぶりな尻を振っていてもらおうじゃないか!ハハハ!》

「……」

「まあ」

「糸を通じて、トルーマンの脳漿を炸裂させる事は出来ますか?」

「ばいおれんすでございますね?」

 

 残念ながら出来ないらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白銀と蒼剣と骨③

 

 

 およそ一月前

 

「黒剣騎士団とそれを利用する者達との黒い繋がりは長く問題視されていました」

 

 大罪都市プラウディア、天陽騎士団団長、天剣のユーリの執務室にシズクは居た。

 竜吞ウーガとそれにまつわる干渉問題の対処を一通り終えたシズクは、改めて今回のウル捕縛の案件の解決に動いた。無論、真っ先に彼女が尋ねたのは【勇者ディズ】だ。

 

 世界最高の戦力で第三位、天賢王との繋がりも深い彼女をまず頼らない理由が全く無かった。彼女は彼女で、此方への協力には前向きだった。

 

 ――黒剣と、それにまつわる連中に関しては私よりも、彼女を尋ねた方が良いかな。

 

 そして、彼女が顔を通してくれたのが天剣のユーリだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ディズの案内でやって来た邪霊の巫女と対峙したユーリが最初に思った感想は「地獄のように忙しいのに何を厄介な案件を連れてきてんだあの凡婦」だった

 

 彼女にとって、【歩ム者】のシズクは“胡散臭い女”だった。

 

 調査をしても、その輪郭が見えない女。疑わしく思えるが、その根拠を掴ませない、蜃気楼のような女。正直言って、許されるなら、理屈も何もかも捨て去ってとっとと首を刈り取った方が後腐れ無い気がしてならない。

 

 とはいえ、流石にそれはできない。自分は法を守るべき番人側だ。

 

 そして彼女にばかり気にかけてる場合ではない。七天としての仕事は山ほどある。

 ()()()()

 だから部下に調査を任せ、彼女は彼女で忙しくしていた――――だというのに、何故その女をコッチに寄越すのか。過労死させる気かあの女。

 

「今、ユーリが対処してる案件、彼女なら、多分かなりの力になってくれるよ。ただし、気をつけてね」

 

 ディズはそう言って笑っていたが、自分の手が回らないから厄介ごとを押しつけただけじゃ無いだろうな、と、溜息をついた。

 

「お疲れですか?」

 

 来客用の椅子に座り、微笑み首を傾げるシズクに、しばしユーリは眼をつむり、1度ゆっくりと深呼吸した後、向き直った。

 

「貴方の所為でね……まあ、良いでしょう。黒剣の件でしたね」

「はい」

「では、まずは現状の問題を改めましょうか」

 

 ユーリは思考を切り替える。ここでぐだぐだとあの女への不満で頭を巡らせる方が、時間の無駄だ。

 

「各地の神殿、特に衛星都市の神殿から不明瞭な金銭の流れがあったという報告が何件かあります。疑惑と言うよりもほぼ間違いなく、黒剣騎士団は大連盟法の守護者でありながら、それに背いている」

 

 黒剣の黒い噂は後を絶たない。天賢王に連なる国を結びつける大連盟法こそが彼等の剣であり盾だが、その悪用を繰り返していると誰もが知っている。不都合な人材、政敵、あるいは不義の子等々を、大金を積まれればそれを行い始末を付ける。悪辣な姥捨て山と呼ぶ者もいる程だ。

 

「【歩ム者】のギルド長が捕まったのもその流れでしょう」

「で、あれば、黒剣を咎めることは出来ないのですか?」

 

 やってることは金を請け負って暗殺を行う闇ギルドと大差ない。一部でのみそれが行われていたとしても、大問題になるだろうと普通は思う。

 にもかかわらずそれが放置され続けている。その理由は何故か。

 

「書面上は騎士団の一種に過ぎません。故に、彼等を咎める法も道理も存在しています。“本来であれば”」

「本来」

 

 繰り返すと、ユーリは頷いた。

 

「現在【黒剣】の存在は不可侵となっている。彼等の是正を()()()()()が多すぎるために」

 

 誰かが黒剣の不正を指摘しても、誰かが聞こえないフリをする。

 誰かが黒剣の査察に向かっても、現地員が見ぬフリをする。

 誰かが黒剣そのものの問題を議題に上げても、何一つ決まること無く会議は踊る。

 

「どのようなやり方であっても、誰かが邪魔をするのです。それは天陽騎士団の内からも発生します。あるいは私営ギルドから」

「それだけ、仄暗い繋がりがあるのですね」

「神殿全体の怠慢と腐敗です」

 

 ユーリは苦々しい表情で溜息をついた。

 勿論それは現在天陽騎士団のトップとして君臨するユーリの責任でもある。だがしかし蓄積された歴史としがらみを解きほぐすのは困難を極めるだろう。

 

「ですが、ユーリ様はその困難を成し遂げたいのですね?」

「……今日まではやむなく放置してきましたが、事情が変わりました。後顧の憂いの全ては今の間に全て断たねばなりません」

「では、協力できる、というわけですね」

「ええ――――無論、貴方が役に立つのであれば、ですが」

 

 ユーリはじろりとシズクを見つめた、

 

「ウーガにまつわる問題解決のため()()()()()()()()()()()。貴方の意思は理解しました。が、役に立たないのなら意味はありません」

 

 彼女と面会する前、シズクの現在の能力も、【陽喰らい】での実績も把握している。眷属竜に対しても効果のある【対竜術式】とやらは確かに興味深い。()()を考えれば不可欠だろう。その点については彼女に協力してもらうのは良しとする。

 問題は、黒剣についてだ。彼女がどう役に立つのか不明だ。

 冒険者ギルドが彼女に銀級を与えた以上、戦闘能力はお墨付きだろう。だが、黒剣との戦いは恐らく、()()()()()()()が必要になってくる。

 

 彼女にその方面の技能があるのか――――

 

「一点だけ確認しておきたいのです」

 

 すると、シズクはまるで此方の心を読んだかのように微笑みを浮かべ、問うてきた。

 

「……なんですか?」

「今の世界に蔓延る悪徳を払う……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 ユーリは、ひやりとしたものを喉元に感じた。自然と、腰元に手が伸びる。騎士剣は今は腰元に無い。その事が、心許なくなるような得体の知れない気配が、目の前の少女から放たれている。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 シズクは改めて問いかけてくる。ユーリは自分にまとわりついていた悪い気を払う。戦に挑むときと同様に気を張り巡らせて、少女を睨んだ。

 

「そんなわけが無いでしょう」

 

 ユーリは白銀の少女の提案を切って捨てた。

 

「私は秩序の番人です。無秩序の抗争を許可するわけが無い」

 

 既存のルールから外れたやり方を全て否定するわけではない。

 イスラリア大陸に長い年月、幅を利かせていた悪党達とやりあうのだ。時には此方もルールの外の選択の必要性も出てくるのだろう。だが、何事にも限度という物がある。

 “何でもアリ”の果てに待っているのは、際限無い泥沼の抗争だ。秩序を取り戻そうという方針からはほど遠い結果が待っている。全くもって望むところでは無い。

 

 故に、ユーリはハッキリと断言した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――良かった」

 

 その言葉を告げた瞬間、シズクは笑みを強くした。妖艶に、囁くように、鈴のような音で、楽しそうに笑い声をあげた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()安心致しました――――とっても」

 

 ――――ただし、気をつけてね。

 

 ディズがシズクをユーリに寄越したとき、彼女が言っていた言葉をユーリは思い出した。

あの時は、部外者を協力者として招くことに対する注意を促したのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。 

 

 だけどもう少し詳細に注意を促しておけあの凡才。

 

 言葉の足りていなかった同僚への怒りと、迂闊すぎた自分自身への怒りと、目の前の得体の知れぬ怪物に対する怒りで、ユーリは深く額に皺を寄せた。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そして現在

 

「どうされました?蒼剣様」

 

 過去を振り返って、ユーリは改めて深々と溜息を吐き出した。

 

「……今、自分の判断を後悔しているところです」

「まあ。何か至らぬところが御座いましたか?」

「逆です」

 

 シズクとテーブルでお茶を飲みながら、ユーリは彼女を睨み付ける。

 

 胡散臭さの塊だとは思っていたし、今でもユーリはそう思っている。彼女が協力者となることを許可したのは、その正体を間近で見極めるためだというのもある――――あるのだが、しかしその判断が正しかったのか、疑わしくなってきた。

 

「貴方のお陰で、イスラリアに蔓延っていた暗部に光を照らす事ができました。それも一切気取られることも無く。過去ここまで調査が進んだことは無かったでしょう」

 

 彼女に与えたのは【音拾いの銀糸】だ。

 大罪迷宮プラウディアから獲得できた遺物の一種で、天陽騎士団が保管していて倉庫に眠らせていたものだ。魔力で紡がれる無尽蔵の糸を生み出す糸車の形をした代物で、それによって生み出された糸は“糸の先の音を拾う”という力を宿す。

 

 効果自体は実に慎ましいものであり、魔力の糸を紡ぐのも繊細な技術を必要とし、使おうとするとどうしても盗聴の類いの悪用に発想が向かってしまうため、誰も使い手がいなかった。

 それを彼女に与えた途端、こうなった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ええ、全く」

 

 銀糸と、超聴覚、そして彼女が操る死霊兵の組み合わせは、極悪だった。

 どこまでも小さな小型の死霊兵に変化、分裂し、それらが銀糸を誘導し、各所に張り巡らせる。その先で悪党達の密談を、彼女は全て盗み聞き、情報を獲得する。銀糸が本来か細い、極めて少量の魔力で成立する遺物であったのも、秘匿性に一役買った。

 

 そして彼女自身の魔性が、その全てを凶化した。

 

 最早、彼女が情報を手中に出来ない場所は無い。

 

「それもこれもユーリ様のおかげです。ありがとうございます」

 

 謙遜するようにシズクは微笑む。バカ言うなと首を刎ねたくなった。

 

 そもそも【銀糸】はそれほど希少性の高い遺物ではない。現代の技術があれば再現可能だ。つまり彼女は、“ユーリが協力しなくとも、同様のことが出来るのだ”。

 その点を考えれば、手元で監視できるのは不幸中の幸いと言えるかも知れない。ディズがこの女を寄越しに来た理由もハッキリした。

 

 ()()()()()()()()()()()()。そう言う事なのだ。

 

 この状況に、狼狽えて、手綱だけは決して手放してはならない。

 せめて、腐敗した悪党どもを一掃するまでは。始末するにしても、その後だ。

 

「黒剣と、各小神殿の証拠も幾つか掴みました。無論、そのまま使えるものではないですが、貴方のギルド長の処遇を動かすのに有利に出来るのでは?」

「いいえ、残念ですが、現状、事を大きく動かすのは難しいでしょう」

 

 彼女の本来の目的であるギルド長ウルの待遇改善から突いてみるが、シズクは酷く冷静に首を横に振った。

 

「この状況で、黒剣とそれに連なる方々とやりあっても、消耗戦となるでしょう。しかもそこまでやってもウル様が外に出られる保証がない。私が思った以上に、彼らの繋がりはイスラリアの深いところまである」

「でしょうね」

 

 もしも、根が浅いなら、もっと早い段階で、なんならユーリが天剣に就任するよりも早く解決できたはずだ。迷宮による大混乱と、その際に発生した幾つもの歪みと隙間に浸透した悪徳は、容易くは根絶することは出来ない。

 

「ウル様を助け出したいのは山々ですが、急いて、潰されては意味がありません。今はまだ、静かな戦いが必要でしょう――――ただ」

 

 そう言いながら、幾つかの書類、現在シズクが退治している悪党達の情報の紙を指先でつまみながら、彼女は囁いた。

 

「根深さは兎も角、彼らの横の繋がりは思ったよりも浅い。利用し合うだけの関係。ウル様を貶めた同盟も急造の不確かなもの」

 

 そのまま銀の糸の一つをピンと鳴らす。すると背後で未だにボードゲームを続けていたロックの目の前の駒がひとりでに動き出し、パタパタと倒れていく。ロックの悲鳴をBGMに、シズクは続けた。

 

「もしかしたら、ケンカしてしまうかも知れませんね」

「…………」

 

 連続で銀の糸が揺れる。その度に駒が揺れ、震えて、倒れていく。

 

「ケンカして、仲違いして、怪我をしてしまうかもしれません」

 

 シズクが語っているうちに、ロックの駒が次々と倒れていく。 

 

「傷から病を患って、伝染してしまうかもしれません」

 

 ぎゃあという情けのない死霊兵の悲鳴が聞こえ、彼は盤上に顔を伏せて沈んだ。

 

「表向き栄華と勝利を誇っていても、土台が腐っていくことは、あるかも知れません」

 

 片手間に使い魔とのゲームを済ませたシズクは、ユーリに微笑みかける。

 

「もしそうなったら、とても、悲しいですね?蒼剣様」

 

 ――――やっぱ今すぐ首を刎ねた方がいいかもしれないこの女。

 

 ユーリが真剣にその事を考え始めた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後、今後の打ち合わせを幾つか重ねて、その日はお開きになった。

 この場所はあくまで隠れ家で、あまり長いこと滞在しても居られない。下手に目を付けられても困るのだ。馬鹿馬鹿しくとも偽名を使っているのだって、万が一にでも悪党どもに情報が漏洩することを避けるためだった。

 

「では、私は天陽騎士団の宿舎に戻ります」

「ええ、私も片付けてから引き上げます。また次の会合で」

 

 シズクは頷き、虚空に向かって指を振ると、蜘蛛の糸のように張り巡らされていた銀の糸が解けて消えていく。残された資材も小型の死霊兵達が片付けていく。瞬く間に、住民の痕跡が皆無の空き部屋に戻っていった。

 本当にそつがない。それがどのような相手でも、その優れたる部分を認めてしまう自分の心働きを苦々しく思いながらも、ユーリは部屋を去ろうとした。

 

「ああ、ユーリ様」

 

 が、その前に声をかけられた。

 

「なんです?」

「実は一つ、懸案事項がありまして」

 

 シズクの表情は珍しく――――といっても、そこまで彼女と何度も顔を合わせたわけではないが――――僅かに焦燥した表情をしていた。困難な問題に対して解決の糸口を見いだせない、学者のような顔である。

 

「コレに関しては、私も対処のしようがありません。出来る限り迅速に動く他ない、というのは分かっているのですが……」

「なんなのです?」

 

 この女もこんな顔するのか。

 と、へんな関心を覚えながらも、尋ねる。現在、協力関係にある以上、彼女の問題は自分の問題でもある。この怪物のような少女が「懸案事項」と抜かすなら、尋常ではあるまいとユーリは少し身構えた。

 

「このペースで行くと、間に合わないかも知れません」

「間に合わない?だから何の話です?」

 

 要領を得ない説明に問い直すと、シズクは真剣な表情で頷いた。

 

()()()()()

 

 その言葉でようやく何が言いたいのかを理解できて「ああ」とユーリは相づちを打った。少し安堵を覚えた。

 彼女にしては珍しく、“至極真っ当な懸念”だったからだ。

 

「貴方の所のギルド長が、焦牢の生活に耐えられなくなると、そういう懸念ですか。確かにおっしゃることは理解できますが、あそこにも最低限秩序はあります。あの戦いを乗り越えるだけの能力があれば――――」

「いえ、そう言う事ではありません」

 

 話の腰を折られて、ユーリは眉をひそめた。

 

「なら何が問題だというのですか?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――は?」

 

 素で声が出た。何を言ってるんだコイツという感情で一杯だった。

 

「勿論、焦牢の環境によっては、ウル様でも身動きできないということはあり得ますし、その場合ですと逆に何の問題も起こらないのですが」

 

 そんなユーリの反応を無視して、シズクは続ける。彼女と協力関係になって以来、最も真剣な表情で。まるで、最大の問題であるというように。

 

「ウル様がもしも順調に攻略を進めていた場合、それ自体は大変喜ばしいのですが、此方の準備が整うよりも遙かに速く事態が動き、敵味方双方が大きく混乱してしまう可能性が――――」

「待って、ちょっと待ちなさい」

 

 流石にユーリが待ったをかけた。

 

「どうされました?」

 

 シズクは不思議そうに首を傾げる。何故ユーリが戸惑っているのかわからない、といった表情である。ユーリはますます訝しんだ。

 

「…………貴方は尋常ではない速度で、イスラリアの暗部に光を当てています」

「はい」

 

 ユーリは確認する。シズクは頷いた。

 

「このペースで行けば2年……いえ、下手すると1年で、計画は実行に移されるでしょう」

「はい」

 

 ユーリは確認する。シズクは頷いた。

 

「貴方の所のギルド長は、私の目から見て、凡庸な少年でした。秀でた才は見当たらない」

「はい。正しい認識だと思います」

 

 ユーリは確認する。シズクは頷いた。

 

「……その上で、貴方が暗部を完全に掌握するよりも、貴方のギルド長が300年間誰一人として攻略できなかった禁忌区域、黒炎砂漠を攻略する方が速いかも、と?」

()()

 

 ユーリは確認する。シズクは頷いた。

 

「ウル様は万能でも非凡でもありません。彼でもどうしようもないことはあるでしょう。黒炎に呪われて、死んでしまう可能性も否定はしません―――考えたくは、ありませんが」

 

 ほんの一瞬、シズクはどこか虚ろな、そして痛みに耐えるような表情を浮かべた。が、すぐに元の真剣な表情へと戻った。

 

「ただ、もしも、そうでないなら――――彼が彼のためにすべての環境を整えることが出来たならば」

 

 と、そう言って、彼女はユーリに目を合わせて、断言した。

 

「ウル様は、数百年成し得なかった憤怒の大罪の超克へと、足を踏み入れるでしょう」

 

 狂信者の目でもなく、仲間の贔屓目でもなく、ただただ現実に存在する問題を直視した者の目で、彼女は断言した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

計画と奔走する者たち

 

 シズクとユーリの秘密裏の会合から数日後

 

 大罪都市プラウディア領外周 【大迷宮ナル】

 

「【魔断】」

 

 ディズの一振りが大迷宮の真核魔石を守っていた主、厳めしい大角を振りかざした狂牛の首を断ち切った。だがそれでも尚、首から下の肉体は激しく蠢く。首の断面から激しく血を吹き出しながら、それでも尚身体は真っ直ぐにディズを轢き殺そうともがいていた。

 

「【天剣】」

 

 だが、それよりも早く、もう一人の七天であるユーリの金色の剣がその身体を更に二つに切り裂いた。正面から二つに切り裂かれた身体は、立ち続けることも適わなくなって砕け、そして崩壊する。

 大迷宮ナルの攻略は成った。

 

「ふう、しつこかった」

「魔断のキレ、少しはマシになったみたいですね」

 

 溜息をつくディズに、ユーリは小さく指摘する。ディズは笑った。

 

「今回の陽喰らいは良い経験になったね」

「誰よりも弱いのだから精々努力を怠らないことですね」

《ちょーえらそー》

「励ましてくれてるんだよ。可愛いでしょ?」

「都合が良いことを言うの止めなさい」

 

 ディズがクスクス笑うのをユーリは耳を強く立てて止める。ディズは肩を竦め、アカネの形を解いた。「眠っててね」と小さく囁いて、自分の外套に溶け込ませる。

 これで迷宮の中はディズとユーリの二人きりだ。

 

「それで、わざわざ自分一人でも攻略可能な迷宮に私を連れてきた理由は何かな?」

「此処なら邪魔は入りませんから」

 

 主を失ったが真核魔石は未だディズ達の居る部屋の中央に鎮座している。迷宮の機能そのものはまだ失われておらず、魔力は充満している。精霊の力を有した神官でも、容易に聞き耳は立てられないだろう。

 

「天陽騎士団の君の自室だって対策はしてるだろうに」

「身内にも聞かせたくないことがあります」

「お父さんとか?」

「あのヒト最近やたら口うるさくなって鬱陶しいです」

「可哀想」

 

 ビクトール騎士団長への小さな同情を口にしながらも、ディズは「さて」と話を切った。主がいないとはいえ、此処は迷宮、のんびりダラダラとしていい場所でもない。ユーリもそれに応じて頷いた。

 

「貴方はシズクについて調べましたか?」

「彼女が気になる?……って、まあ、気になるか。そりゃ」

「当たり前でしょう。なんなんですかあの生物は」

 

 ユーリの洞察力がなくともハッキリしている。アレは異常だ。

 天才的な魔術の技術だとか、死霊術の圧倒的な操作能力だとか。そういう才能(センス)など本当にどうでも良くなるくらいの異端だ。

 才能という一点で比較するなら、むしろユーリの方が上だ。驕りでも無く、ただ事実としてそうだ。もし、直接彼女と戦闘で対峙すれば、【天剣】を抜くこと無く、ユーリは彼女を斬殺出来る。ユーリは戦闘において真に天賦の才を持っている。

 

 だが、では実際に彼女を殺せるかといえば、殺せない。

 

 既に、彼女は今回の協力を機に、“王の計画”に食い込みつつある。ユーリ自身、彼女を強く警戒していた筈なのに、気がつけば中枢にまで彼女は滑り込もうとしている。防ごうにも、彼女がもたらす情報を、利益を堰き止めることが出来ない。

 

 あまりにも、彼女は有益すぎた。その存在がどれだけ得体が知れずとも。

 まるで、毒と知っても尚、口にすることを止められない花の蜜のように。

 

「それでも、見て見ぬ振りして放置するわけにもいきません」

「ごもっとも、君の情報と大差ないと思うけど、摺り合わせしようか」

 

 ディズとユーリの二人はシズクの情報を提示し合った。

 

 その結果は事前にディズが言ったとおりだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その起こりはおよそ数百年以上前とされている。

 グラドル領とスロウス領の境目にある人類生存圏外でありながら魔物の出現数が極端に少ない空白地帯に存在する【冬の精霊ウィントール】の神殿。【邪霊】と見なされたが故に都市の内には信仰の神殿を作れず、辺境の地に追いやられ、それでも尚祈ることを止めなかった者達の集い。

 邪霊としての汚名を濯ぎ、そして”太陽を眠らせる”といった誤った信仰を正すべく彼らは努力した。

 そして、その対策の一環として生まれたのが「対竜研究」だった。ウィントールの巫女として竜を討ち、その正しさを証明する。その結果、大衆の冬の精霊に対する偏見を取り除き、正しい信仰を与えることで歪な信仰を取り払う。そう言った狙いがあった。

 

「と、ここまでかな」

「冬の小神殿への調査は?」

「王の謁見後、向かわせたよ。結論は『不審な点は無し』だ」

「肝心の対竜術式は?」

「術式の開発は秘密裏に行われていたため、表の連中は関与していないらしい。シズクの事すら、詳細には知らないって。研究者の所在も不明」

「……ウルも証言していた、迷宮の真核魔石を起点に転移したと言う話は?」

「記録では、古い転移術にそういう手法があったのは確かだよ。ウィントールの小神殿があると思しき場所は、魔物の出現は少ないけど人里からかなり遠い陸の孤島だ。近くの都市国にたどり着くには、6‐7級の魔物がうようよするような道しかない。なるほど、転移によって無理をして移動したという線は()()()()()()

「……………………」

「すっっっごく煮え切らない顔だね。まあ、言いたいことは分かるよ。ユーリ」

 

 歯に挟まり続ける何かを吐き捨てるようにして、ユーリは言った。

 

「胡散臭い……!」

「だね。全部が全部胡散臭い。でも全部、“否定し切れない”範疇に留まっている。どれもこれも、突いても埃は出てこなかった。彼女を疑わしいと思うのは、私達の勘でしかない」

 

 怪しいところがないのが怪しい、などというのはあまりにも愚かな物言いだ。それは分かっている。ただの勘にどこまでも時間を費やすわけにはいかないのも事実だ。時間は有限で、自分の身は一つなのだから。調査だけなら、他の者にもできる。

 とはいえ、不満というか、言いたいことはある。

 

「彼女と言い、そのギルド長といい、【歩ム者】というのは潜在的脅威の集まりか何かなのですか……?」

「うん?ウル?」

 

 ポツリと漏らしたユーリの呟きに、ディズは首を傾げる。ユーリは自分の失言に眉をひそめた後、溜息をついた。

 

「……貴方にも一応聞いておきますが、【歩ム者】のギルド長が、ラースを攻略出来ると思いますか?」

 

 そんなわけあるか。という感情を隠さずにユーリは尋ねた。

 すると、

 

「―――あー……」

 

 ディズは、曖昧な表情で口を開けた。

 ユーリは、眉を強く顰めた。

 

「ちょっと待ちなさいなんですかその反応」

 

 ユーリが本気で訝しんだ声をあげたので、ディズは慌てて両手を振る。

 

「あ、いや、うん。まさか。()()()()()()()

「……()はあると思ってるんですか、貴方」

 

 ディズは自分の口に手を当てた。明らかに自分の失言を自覚したらしい。

 

「……うん、思ってるね。私はそう思っているらしい」

 

 ユーリは驚愕した。

 彼女はディズのことを弱いと確信しているが、一方で戦士として一流の域にあることを認めている。判断力もある。異才に塗れた七天の中で、凡庸で、神の加護も持たぬが故に、市井の者達の視点を誰よりも理解している。

 ユーリはディズを弱者と見ているが、見くびってはいない。

 そのディズが、とてつもなく血迷ったことを口にしたのだ。耳も疑いたくなる。

          

「……シズクは、ええ。まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ですが」

「そうだね。彼には謂われは無いよ。ソレは保証する。彼の過去と出自には、何一つとして彼を特別たらしめる要素は存在しなかった。アカネを預かったとき、一緒に調べた」

 

 唯一、彼に特異な点があるとすれば、妹だろう。しかし彼女のことを、彼は全くもって扱いきれていなかった。そもそも彼は妹を踏み台に何かを得ようとか、何かに成ろうとする気は皆無だった。彼女がその本領を発揮し始めたのは、ディズの手元に来てからだ。

 

 彼にとって妹は、冒険者に身を置く羽目になる切っ掛けにしかならなかった。

 

 先代勇者の孤児院出身、というのも弱い。そもそも彼の孤児院出の名無しはウル以外にも一杯いる。そしてウルとアカネがその孤児院にいた時間は、他の孤児達よりも短いときた。それだけで大罪迷宮を攻略できるなら、先代勇者の孤児院は大英雄まみれだ。

 

 ウルを特別たらしめているものはない。

 

「なら、彼にはなにがあると?」

「わかんない」

「斬りますよ」

「ごめん、本当に分からない。何なんだろうね。彼」

 

 ディズは。自分の咄嗟に口に出てしまった言葉に本気で戸惑っているらしい。

 

「才能も、一芸も、経験も無い。自他共にそれは認めるところだよ」

「なら何だと?」

「あえて言うなら、精神力かなあ……」

「根性論で竜が殺せますか」

「うん、だから、ただの精神力じゃない」

 

 自分の中に在る、得体の知れない確信を、なんとか言語化するように、ゆっくりと、ささやくようにして、ディズはそれを口にした。

 

()()()()()()

 

 無理矢理言語化されたその言葉の異様さに、ユーリは眉を顰めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………なんというか、迷宮攻略よりも疲れました」

「ごめんね?」

「首とばしますよ」

 

 冗談めかして笑うディズを睨み付けながらも、ユーリは溜息をついた。

 本当に、無駄に疲れた。迷宮攻略よりも疲労が溜まった。が、これ以上気にしても仕方が無いのは事実だ。どれだけ【歩ム者】のナンバー1,2が得体が知れなかろうが、今は味方側に居る。

 敵では無く、味方に集中を削がれて躓くなど、あまりにも愚行がすぎる。

 

 切り替えるしかない。胸のもやもやを振り払うようにユーリは首を振った。

 

「それで、話はこれで終わり?違うよね?」

「ええ、勿論」

 

 そう言って、ユーリはディズに改めて向き直った。

 

「王が我々に語った、【理想郷計画】について――――」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

計画と奔走する者たち②

 

 ディズの【星華の外套】に身体を溶け込ます感覚は風呂に入る時に似ている、とアカネは思った。

 そもそも元の身体がヒトのそれであった時期が物心がつく前に終わったものだから、果たしてどこまで自分の感覚とヒトの感覚が似ているかもわからないが、ただ兎に角心地が良い。頭のてっぺんから足の先まで全てが気持ちの良い暖かなものに浸るような気持ちになる。

 ウーガのお風呂に浸かったときもこんな感じだ。それよりは熱くなくて、なのに身体の芯まで暖かいのが広がっていく。

 

 ――にーたんらも精霊になったらええのにかわいそうになー

 

 なんてことを思いながらも、彼女は意識を浮上させる。ディズが呼んでいるのだろう。星華の外套からゆっくりと身体を起こすと、既にディズは外に出ていた。

 周りにはユーリもいない。プラウディア領の中で魔物もいない。夜空には星々の瞬きがあり、小さな虫や小鳥の鳴き声が聞こえるばかりで喧噪の音は無い。つまり平和だ。

 

《おはなしおわったー?》

「うん、終わったね」

《んじゃーつぎはどこにかちこむん?》

「私、そんなしょっちゅう彼方此方殴りにいってる?」

《うん》

 

 そんなしょっちゅうかち込んでいる。

 

 前は邪教徒と繋がっているプラウディアの地下街に潜んでいた非合法薬物集団を人知れず壊滅させていたし、その前はエンヴィー、プラウディア間に広がりつつあった複合迷宮の主を倒し真核魔石を奪取することで迷宮の拡大を防いでいた。今日も今日とてユーリと大迷宮を攻略しているし、本当にしょっちゅう殴っている。

 

《まえよりはましだけどなー》

「陽喰らいの直後はきつかったねえ」

《まーつきあったげるけどさー》

「……」

《……》

「アカネ」

《んー?》

「ウルのこと心配かな?」

 

 ディズは問うた。アカネはその問いに対してはて、と首を捻り、そして呟いた。

 

《しんぱいすぎてもうわからんくなった》

「わからなくなっちゃったかあ……」

《にーたんはらんばんじょうすぎる》

「他人事みたいに言っちゃうけどそうだねえ……」

 

 ディズが小さな妖精の姿をしたアカネの頭を撫でる。

 むにむにとくすぐったくて笑ってしまった。だけど心の内にはウルへの不安や懸念がずっと残っている。ディズに預けられてからウルと離れることは多くなったが、しかしここまで長時間別れることになるのは初めてだ。しかも、何時彼が戻ってこれるかも分からない。

 

《ディズはなんとかできんの?”こくえんさばく”》

「神殿が全ての神官の立ち入りを禁じている。七天含めてね。私でも動けない。大罪迷宮ラースの氾濫と、大罪都市ラースの喪失は、神殿にとっては本当にトラウマなんだよ」

 

 当時の神殿はとんでもない大混乱に陥ったらしい。と、ディズは言う。七天を失う程の損失を出しながら、それでなんとか大罪竜ラースを討つことが叶った。

 しかし精霊信仰の聖地とされていたラースを失った事でイスラリアの民は激しく動揺し、全体の信仰が大きく損なわれ、精霊達の力も落ち、しかもラースからの難民達の対処も問題となった。その挙げ句その期に乗ぜよと邪教徒達が暴れ出すまさに暗黒時代だ。

 

 当時、大罪竜ラースとの戦闘の余波で黒炎の呪いに満たされたラース領を復興させるのでは無く、封印することになったのも、全くその余力が無かったからに他ならない。ソレは戦力的にも、精神的にもそうだった。

 

「だから、私達は下手すると、一般人よりもあそこに近付くのは難しいんだ」

《んまーわたしもディズしんでほしないから、それはそれでいーけど》

「ありがとう。嬉しいよ――――」

《どした?》

「ウル救出以外で、何かして欲しいことあるかな?」

 

 ディズはアカネを撫でて微笑んだ。

 それが、自分を気遣ってのものなのか、あるいはウルを助けにはいけない事や自分に対しての罪悪感の発露からなのか、分からなかった。

 

《ないよ!》

 

 分からなかったから、キッパリと思ったことを言った。ディズは苦笑した。

 

「ないかあ」

《わたしなー、にーたんとかディズとか、みんながげんきならそれでいーいのよ。》

「そっかあ……私も入れてくれてありがとうね」

 

 また撫でられたのでアカネはふにふにと笑った。

 

「でも、それなら、もうひと頑張りしないとね」

《またおしごとー?》

「ん。これから“陽喰らいよりもずっと大変かも知れない”。その前に出来ることをしなきゃね」

《にーたんもどってくるまでにすませような》

「ん。そだね」

 

 所有者と所有物、いずれ殺すかもしれない者と殺されるかもしれない者、命を預け合う相棒同士、奇妙なる関係の二人は手を合わせた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市、プラウディア、螺旋図書館、地下128階

 一般の都市民は当然のこと、神官すらも立ち入ること許されない最奥。管理者であるグレーレからの直接の許可無ければ、王であっても足を踏み入れることは出来ないその場所には、触れるだけで死に至る呪いの書物や、邪教徒達によって生み出されたおぞましき実験の記録、あるいは“一般には触れさせられぬ闇の歴史書”なんてものまで保管されていた。

 

「んー?」

 

 そして、その場所で書物を手に取り、首を傾げているのは、誰だろう天祈のスーアだった。小柄なスーアの頭よりもずっと大きな本を机に広げ、それをじっと見つめている。

 見つめる書物は、呪物の類いでは無かったが、至る所が焼き爛れ、その大半が読み解くことが出来なかった。彼方此方に真っ黒に焼け焦げた痕跡から、なんの力も残されていないのに、その跡を見るだけで悍ましい気分になるのは、それが憤怒の竜の【黒炎】の跡だからだろうか。完全に呪いが除去されても尚、見る者の心をかき乱す力は残されていた。

 

 その本を見ながら、スーアは困った声をあげる。

 

「やはり、大半が焼き切れていますね?」

 

 大罪都市ラース崩壊、大罪迷宮ラースの氾濫とその鎮圧にまつわる騒動についての情報は、今殆ど残っていない。当時の混乱は凄まじく、詳細を知る者の殆どが黒炎に焼かれてしまったのだ。

 奇跡的に難を逃れたとしても、混乱のため、正確な情報を残せる者は少なかった。当時の神殿に、忌まわしき記憶の全てを消し去ろうとする神官もいたために、残っているのはこれくらいだ。このボロボロの、しかも忌まわしき記録をわざわざ取りだして読み解こうとする者は今の時代存在しない。

 

「んー」

 

 それを、スーアはなんとか読み解こうとした。が、やはり難しかった。

 【修繕の精霊リピア】の力もこの本には通らない。この本の筆者が黒炎の呪いを発症し、最後、鬼として燃えながらこの本を抱きしめて死んだらしく、数百年経って尚残り続けるその呪いの気配を精霊が嫌うのだ。

 

 そんな忌まわしき本をスーアが読み解こうとしている理由。それは――――

 

「スーア」

 

 不意に、スーアの背後から、金色の王が現れた。スーアは特に驚く様子もなく、振り返る。

 

「父上」

 

 何時も通りの人形のように、スーアの表情は動かない。だが、その声音は少しだけ柔らかくなっていることに、親しい者なら気がつくだろう。当然、スーアの父である天賢王であるアルノルドはその事に気がついた。

 

「何をしている」

「ラースを調べています」

「気になるか」

「はい。当時のことで分からないことが、とても多いので――――」

「何故気になる」

 

 問われると、スーアは首を傾げ、少しの間停止した。スーアは精霊との完全な交信を可能とするが故に、通常のヒトと比べて感覚が異なる。ただの会話にも、時間がかかる時がある。アルノルド王はその間じっと、次の言葉を待った。

 

「彼を、地獄に追いやったからでしょうか」

 

 暫くして、スーアはそう言った。彼、とは誰なのか。アルノルドは問うまでも無く分かっていた。

 

「ラースの一件はお前の責ではない。私が決めたことだ」

「手伝いました」

「いいや、お前が知ったのは、全てが決まった後のことだ」

 

 アルノルドの指摘に対しても、スーアの表情は変わらない。その雰囲気も、少し固くなったままだ。一見すると非常に分かりづらいが、スーアは意地っ張りなところはあった。アルノルドもそれは理解していた。故に、まるで我が儘を言う子に言い聞かせるように、ゆっくりと、言葉を続ける。

 

「お前は既に、()()()()()()で彼を助けている」

「異常の兆候のある大罪竜の監視と、七天の派遣は、【天祈】として当然の責務です」

「役割であるから、感謝されてはならないわけではない。批難されなければならないわけでもないのだ」

 

 つい最近の、大罪竜ラストの突如の深層への移動も感知したのはスーアだ。そう考えれば、借りがある、と言えなくも無い。無論、その事をスーアがひけらかすことはない。彼に伝えることもしないだろう。

 それでもそれをスーアに伝えたのは、王の不器用な気遣いだった。

 スーアは心身を休ませなければならない。ただでさえ、普段から【天祈】の担う仕事の量は多いのだから。

 

「疲れているだろう。もう休みなさい」

 

 頭を撫でる。少しだけ熱っぽい。瞼が僅かに重くなっていた。

 

「いいえ」

「寝なさい」

「……おやすみなさい。父上」

 

 強く言い聞かせると、スーアは引き下がる。休むことも重要な使命だ。体調管理を怠って、その結果この世界を危機に陥らせる訳にもいかないことを理解している。身体が輝くと、次の瞬間スーアはその場から姿を消した。

 転移によるバベルの移動は、従者達がビックリするからやめなさいと言っているのだが、今日は許そう。と、やや我が子に対して甘い事をアルノルド王は思った。そして、

 

「――――ラース」

 

 スーアが広げていたラースの歴史書に触れ、それを封じるように本を閉じた。その表情には、先程までの分かりづらくとも明確な愛情はなく、険しさがあった。

 

「……あの子に罪は無い。恨むならば私を恨め。【歩ム者】」

 

 誰もいない螺旋図書館の深層で、一人呟く彼の言葉は、普段、彼の臣下や民達に向ける声と比べると、遙かに重々しい。イスラリアの全てを背負う事をになっている男の決断が、空間を震えさせた。

 

「だが、それでも――――」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

かつてと今の主従関係

 

 【竜吞ウーガ】

 

 ウルの自宅にて

 

「…………」

 

 【歩ム者】のメンバーが何度も揃って食事を取っていた机の上で、今は一人、エシェルは座り込んでいた。寂しくなったその場所の、名残を求めて、今も度々エシェルは時間があれば、ウルの家を訪ねていた。

 勿論、ウルがこの家を利用していた時間はそれほど多くは無かった。それでも、あの心を許せるヒト達が、ずっと自分の周りにいてくれるあの時間は、エシェルにとってはあまりにも眩くて尊かった。

 

 あの時間をもう一度、取り戻す。

 

 その思いで彼女は今も闘っている。だが、それでも心が苦しくなるときはある。そういうときは、ウルの家に潜り込む。

 

 例えば、自分を見捨てたカーラーレイ一族の生き残りからの手紙を読まなくてはならない今のようなタイミングでも、彼女はそうした。

 

「…………」

 

 カルカラや、リーネから代わりに読んでおくと言われたが、ソレは拒否した。

 

 内容は、一言で言えば、カーラーレイ一族の生き残りからの助けの要請だった。

 

 現在カーラーレイ一族は、ラクレツィア率いる現政権によって追いやられ、窮地にある。長きにわたってグラドルの繁栄に貢献してきたカーラーレイ一族に対して非道な仕打ちである。という旨の長々とした不満。

 そして、それ故に一族の生き残りであるエシェルが自分たちを助けるべきだという上から目線の命令。自分たちをウーガに住まわせろ。それどころか、自分たちこそがウーガを支配してしかるべきだ。今すぐ今ウーガに住んでいる不敬な名無しどもを追い出せという陳情が、長々と綴られていた。

 

「………ふぅー……」

 

 エシェルは、一切表情を動かさぬまま、淡々と読み進めた。

 そして最後の最後まで、一つたりとも有益な情報がなく、そしてエシェル個人に対する記述が一文たりとも無いことを確認すると、その手紙を折りたたんだ。折りたたんで折りたたんで、丸めて、そのまま放り捨てた。

 

「【発火】」

 

 鏡に取り込んだ魔眼によって、手紙を焼き払い跡形も無く消し去った。

 自分が暴走時に取り込んだ竜の魔眼は、平常時は魔力の消耗があまりに激しく、威力も安定せず、戦闘でマトモに使えるものではない。だが、手紙一つを跡形も無く消し去る事くらいは出来た。

 体力や魔力の消耗だとか、危険性だとかを気にする精神的な余裕はエシェルには残っていなかった。

 

「次からは、読まずに燃やそう……」

 

 苦々しい声で、エシェルは呟き、机に倒れ伏した。

 カーラーレイ一族が今回のウルを巡る騒動に加担したのは知っている。ウーガに干渉した連中は「表向きは」このウーガ争奪戦の勝者に与した筈だ。にもかかわらず、カーラーレイの生き残りがこんな手紙を送ってきた理由は、容易に想像が付く。

 

 カーラーレイの生き残りは、利用されるだけされて、捨てられたのだ。

 

 それはそうだろう。と、エシェルは思う。

 

 当主も次期当主もその周囲も誰も彼も、自業自得で死に絶えた一族の、その末端の連中を、多少手伝ったからと言って優遇してやる理由が全く思いつかない。ウーガに対して卑劣な真似をしてきた連中が、死にかけた小悪党に、温情を与える可能性なんてあるわけがない。

 

 そして見捨てられて、どうしようもなくなって、とうとう自分達が唾をはきかけたエシェル達に助けを求めたのだ――――恥知らずにも限度という物がある。

 

 無論、こんな要請に耳を傾ける気なんて欠片もない。

 

 だけど、こんな醜態を自分の血縁関係者が晒していると思うと、臓腑が冷えて、痛くなって、気分がどこまでも落ち込んだ。それでもこんなものを、リーネやカルカラに晒すよりはまだマシだった。 

 

「………私の目の届かないところで、聞こえないところで、勝手に滅んでくれ」

 

 心の底からそう願った。そして恐らく遠からずそうなるだろう。カルカラもラクレツィアもそれは断言していた。最早、カーラーレイ一族に残された道は滅亡以外ない。

 エシェルは顔を上げた。

 今日の仕事は大体終わっている。どうせこの手紙を読んだ後は仕事をする気力が残らないと分かっていたから、全部先に済ませた。後は自由時間だ。

 

「……ウルの家、片付けよう……いつでも帰ってこれるように」

 

 無論、今日明日、いきなり彼が戻ってくる訳もないが、ヒトの手の入らなくなった家はすぐに駄目になると聞いたことがある。天祈のスーアが、ウーガ再建時何かしらの祝福をかけていたから、そう簡単に駄目になるとは思わないが、それでも多分、気が紛れる。

 

 カルカラには為政者のすることではないと怒られるかも知れないけれど……

 

 そう思いながらも、物置から箒を取り出して、エシェルは外に出た。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 主(と、エシェルは認識している)であるウルを失ったウーガは、それでも今は平和な日々が続いていた。

 勿論、やらなければならない事は大きく増えた。それでも、あれだけの事件が起きてなお、誰かが追い出されたりだとか、見知らぬ住民達が大挙して押し寄せたりだとか、そういった異変が起こらないのは、エシェル達の努力と、シズクの暗躍のたまものと言えるだろう。

 

 今日も今日とて名無し達はウーガの管理や、ウーガからとれる副産物の採取で忙しくしている。街道では、カルカラに背後から罵声を浴びせられて、グルフィン達神官見習いが汗水を垂らしながら走っている。最近グルフィンがほんのり痩せてきたのは気のせいではないだろう。

 

 そんなわけで、外では見慣れた光景が広がっていたが、ウルの家の中庭に、見慣れない巨体が存在していた。

 

「……何してるんだ、ジャイン」

「女王か」

 

 中庭に、何故かジャインがいた。

 訝しみながら様子をうかがうと、ウルの家の中庭に作られた小さな菜園の雑草を抜いているらしかった。本当に何をしているのだろうこの男。

 

「折角作った菜園が放置されるのももったいないから世話をしている」

「……そういえば、ウルを熱心に誘ってたな」

「無理強いはしてねえよ」

 

 本当か?と疑わしくなったが、突っ込むほどの話でもなかったので、それ以上は掘り下げなかった。一先ず黙って箒を持って、周囲を掃いていく。その間ジャインも黙々と菜園の世話をし続けた。沈黙が続く。微妙に気まずい時間が流れた。

 

「え、ええ、と、本日はお日柄も良く……?」

 

 とうとう耐えきれずに、エシェルが口を開くと、ジャインが呆れた顔になった。

 

「話題がねえからって、その出だしはどうよ女王……」

「うっさい!女王呼ばわりする割に敬意ってものが本当にないな!?」

 

 自分でもコレはないな。と思ってたので恥ずかしくなってエシェルは箒を激しく振った。

 

()()()()()()()。それともやっぱり前言撤回するか?」

「……いい。そんなの、何の意味も無い」

 

 エシェルがウーガの管理者、女王になると決まったとき、ジャインと白の蟒蛇はエシェルに対して改めて忠誠を誓おうとした。契約上、立場上必要な礼儀だからだ、と。

 

 しかしそれをエシェルは拒否した。

 

 ちゃんと心から敬意を払おうと思える為政者になれるまでは、今まで通りで良いと、エシェル自身が言ったのだ。

 勿論、そういう風に強いること自体、ワガママでしかないのは分かっている。が、それでもウーガの騒動でジャイン達に呆れられるほどの醜態をさらしたのに、ウル達に助けられたからまた外面だけ服従を強いるというのは、何か違う気がしたのだ。

 

「だからお前には、あの戦いで助けられたっていうデカすぎる借りがあるっつってんだろ」

「だって、私、あの時のこと最初の方しか覚えてないし……」

「本当に面倒くせえ性格してんなオイ……」

 

 ジャインは呆れた顔で肩を竦めた。敬意を払うと言っているジャインと、首を横に振るエシェル。奇妙な関係だった。

 

「難儀なこったな。偉ぶって中身の伴わない神官なんて山ほどいるのに」

「悪いか」

「バカで向上心もないトップよりは良いさ」

 

 そういって、また暫く沈黙が続いた。ただ、先程のひたすらに気まずい空気よりは、幾らかマシになった。既に彼には醜態をこれでもかと山ほど晒していて、今更気負う意味が全くないことに気がついたのだ。

 

「……身体は、大丈夫なのか?」

 

 エシェルはジャインの足を見る。

 【陽喰らいの儀】の時、竜に貫かれた彼の脚の傷の根は思ったよりも深かった。意識を取り戻し、立ち上がれるようになってからも、彼は何度も熱を出して苦しんだ。完全に回復したのはつい最近である。

 

「まあ、なんとかな。まだ、少し違和感あるが」

「……竜の傷って怖いな」

「全くだ。叶うなら、もう荒事はご免願いたいね」

 

 ウーガにいる限り、無理かもだがな。と彼は苦笑した。

 確かに、ウーガは最早、イスラリア大陸の混乱の中心といっても過言ではない。否応なく、今後もウーガには様々なトラブルが巻き起こるだろう。

 というよりも、現在進行形でそういった荒事は起こっている。エシェルもリーネも、そして勿論、ウーガの警護を担っている【白の蟒蛇】もそのトラブルに日々対処しているような状態だ。

 

 だから、彼の望みと、今の場所は遠いように思える。

 

「……良いのか。此処はまた暫くは荒事ばっかりだぞ」

「かまわねえよ」

 

 ジャインは即答した。意外に思えたが、ジャインはそのまま続ける。

 

「俺たちの、【白の蟒蛇】の望みは()()だ。だけどそれは、物理的に安全だったら得られるものじゃねえって気がついた」

「……うん」

 

 なんとなく、ジャインが言ってることは分かった。

 

 エシェルにも、これまで安心できる場所というものはなかった。実家のカーラーレイ家は論外だ。天陽騎士の宿舎では、暴力を振るってくる身内こそいなかったが、それでも、全く自分の居場所だとは思えなかった。彼女は酷く浮いていたし、誰からも相手にされなかった。カーラーレイの血を目当てに、勘違いしてすり寄ってくる従者もいたが、エシェルが殆ど勘当されているも同然と知ると、時間の無駄だったと去っていった。

 

 だからウーガは、彼女にとって初めて“安心”できる場所だった。

 

 世界が滅ぶような戦いに巻き込まれて、今も幾つもの火種を抱えた修羅場の最前線のような場所でも、それでも安心できるのは此処しかない。此処だけが、彼女を受け入れてくれた。だから、“安心”は此処にある。

 ジャインとは、経緯も事情も違う。だけど多分考えは同じだと、そう思った。

 

「それを理解してねえから、中途半端に腹がくくれなかった。だから逃げられずに、死にかけた」

「覚悟が決まらなかったから、逃げられなかった?」

「“もし、ここから逃げることになったとしても必ず取り返す”。そういう覚悟が出来なかった。もう2度と同じ事はしねえ」

 

 菜園を弄りながらもそう言うジャインの横顔には強い決意があった。戦士としての腹のくくり方を、どこまで参考にしたら良いのかはわからなかったが、それでも見習うべき所は見習おうとエシェルはそう思った。

 

「ま、その為にも結局、ウルを取り戻さなきゃならんわけだが……とっかかりは?」

「シズクがほんとーに滅茶苦茶動いてる。ウルを牢獄から連れ出すのは、まだ難しい」

 

 シズクから進捗情報はちょくちょく手紙で送られてきているが、やはりまだまだ、根回しは必要なようだ。

 極端な話、ウルを牢獄から無理矢理連れ出す。という手法をとるなら、出来ないわけではない。恐らくシズクの今の影響力と合わせれば、それもできる筈だ。だが、その選択をとると、かなりの被害が出る上、後が全く続かない。牢獄から出られただけで、ウルの名誉が回復するか怪しいし、当然冒険者としての復帰は困難だ。彼の望みである、妹を買い戻すという目的にも大きく制限が掛かるだろう。ラクレツィアも、【歩ム者】をウーガに居させることはできなくなるだろう。

 

 それでは意味が無い。牢獄にウルが入れられている状況と変化しない。むしろ後退だ。

 完全な勝利を目指さなければならない。欲張りでもなんでもなく、それができなければならないのがこの戦いなのだ。

 

「……エクスタインの奴と接触できれば、もう少し情報も集まるかもしれないんだが……」

「ああ、実行犯な。そうは見えなかったがねえ……」

 

 【焦牢】のウルと接触したシズク経由で、エクスタインが実行犯であるという事実は皆、知っている。それが当人の望みであったかは兎も角として、事実ではある。

 ウルに対しての異様な執着があった、という話も聞いている。どうせなら直接接触し情報を得られれば、と思ったが、彼とは接触できていない。

 

「エンヴィー騎士団遊撃部隊自体が、とんと音沙汰無くなったしな」

「何処で何してるんだろう、あの男……」

 

 流れではあったが一緒に迷宮を冒険したこともあったエクスタインの柔和な笑みを思い出しながら、エシェルは推定敵に思いを巡らせた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エンヴィー領【生産都市ワイアイ】

 

 生産都市、人類生存圏に住まう全ての人類の食料を一手に担う専用都市。【太陽の結界】により守られた土地は限られる。その限られた土地で領内の人類の存続に足るだけの食料を生み出し続けるため、【生産都市】には技術の粋が寄せられる。

 

 四元の精霊を操れる神官達、進歩しつづける魔術、多様な魔導機。

 

 その全てでもって食料を安定化させる。【生産都市】は人類の叡智の最先端となると共に、限られた人材しか立ち入ることすら許されない聖域ともなっている。

 それ故に、立ち入った話をするにはうってつけの場所でもあった。

 

 その場所にて。

 

「仕事が遅い。一体何をしているんだ?エクス」

「申し訳ありません。ヘイルダーさん」

 

 エクスタインは中央工房、経営部門長ヘイルダー・グラッチャに頭を下げていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灼けた者たち

 

 

 大罪都市エンヴィー中央工房、経営部門長ヘイルダー・グラッチャは大罪都市エンヴィー中央工房の長、その一人息子だ。溺愛され、それに見合うだけの傲慢さを身につけた男。

 

 しかしその傲慢さを咎められない程度には有能な男でもあった。

 

 やり口は強引で、汚い手も平然と行う。後ろ暗い繋がりを幾つも持っているともっぱらの噂だが、確かに彼の手腕でエンヴィーにおける中央工房の発言力は飛躍的に高まった。

 

 こうして、生産都市の広い広い食堂、生み出されたばかりの新鮮な食材達をその場で味わえる生産都市で最も豪華な場所で、秘密のパーティを行える程度には力が有った。

 

「おお、この肉の柔らかいこと、流石ですなあ」

「家畜の餌から違うのです。以前開発された魔導機の働きで品質が安定向上しました」

「ほう、流石ですな。神官どもの曖昧な奇跡ではこうはならない」

 

 様々なヒトが集まり、目の前の食事に舌鼓を打っている。彼等は全員、ヘイルダーに付き従う都市民たちである。大罪都市エンヴィーの神官と都市民との間に空いた溝は大きいとはいえ、通常おおっぴらに神官達に悪態をつくことは憚られる。

 だが、この場では誰もそれを咎めたりはしない。それができること自体が、ヘイルダーの力の証明ともなっていた。

 

 だが今はヘイルダーも彼等を気に懸けたりはしなかった。

 

 今の彼の執着は別にある。

 

「いつになったらウーガを手中に収められるんだ?黒剣まで使ったんだぞ?」

「申し訳ありません」

 

 今のヘイルダーが狙うのは、今最も注目を集めている【竜吞ウーガ】に他ならない。

 

 突如として出現した【巨大移動要塞都市 竜吞ウーガ】

 その存在は彼にとっても見過ごせない代物だった。現在のイスラリアで正常に機能すれば、ヒトと金を無限に集める特異点。それをヘイルダーは欲してた。

 

 欲しい。どうしても欲しい。

 

 大罪都市エンヴィーの都市民と神官の決裂は想像よりも深刻だ。通常ひっくり返る事の無い神官と都市民の関係性をグレーレが引っかき回し続けた結果、歪となっているのだ。

 

 だがそれは逆転ではない。()()()()()()()()だけだ。

 

 大罪都市エンヴィーの中で、神殿と中央工房での権力争いはずっと続き、停滞していた。

 だから、ウーガは欲しい。どうしても欲しかった

 

 その為の障害があるなら、黒剣を使う程度には。

 

「申し訳ありません申し訳ありませんってさあ。私はべつに、お前の謝ってる姿なんて見たくはないんだよ。結果を出せよ結果を」

 

 だからこそ、ヘイルダーは実行役であるエクスタインに怒りをぶつけている。

 ウーガの支配は、難航していた。

 管理を担うギルドのギルド長を貶め、残るは残党と、弱り切ったグラドルのみ。どう考えても支配は容易だと思っていたのに、何故か話が中々進まない。複数の勢力がまるで便乗するようにウーガの運用議会に参加し始め、遅々として話が進まなくなった。

 一歩話が進んだかと思えば、三歩後ろに戻るような状況が続いている。ヘイルダーの苛立ちは当然と言えば当然だった。そしてその怒りは、都合良く殴れる相手にぶつけるのが彼の日課だ。

 

「お前も大概使えないな」

「お許しを。残されたウルの仲間達も侮りがたいものでして――――」

 

 と、エクスが口にした瞬間、彼の頭の上から葡萄酒がぶちまけられた。ヘイルダーが手に持ったそれを投げつけてきたのだ。騎士鎧を酒で汚しながら、エクスタインが顔を上げると、ヘイルダーは加虐的な笑みを深めていた。

 

「あんな雑魚の、能なしの、名無しの仲間に何ビビってんだお前。本当、無能は嫌だね」

「失礼しました」

 

 エクスタインは再び頭を下げる。ヘイルダーはその姿を見て満足げだが、笑みがやや引きつっていた。派手に瓶が割れて、周囲の都市民達の視線を集める中、まるで気にすることもせず、彼は身体を震えさせる。

 

「だが、ハハ。ざまあみろだ。ボクの勝ちだ……!!」

 

 彼のその異常な歓喜は、彼の過去を知る者にしか分からないだろう。

 幼少時代、ウルとヘイルダーの関係を知る者はこの場には殆どいない。ヘイルダーを除けば、今し方彼に騎士鎧を汚されたエクスタインのみが、二人の間の確執を知っている。

 

 だから、彼の狂喜を、エクスタインは理解している。

 

「ウル!ウルめ!今度こそボクの勝ちだ!!!呪われた砂漠で灰になってろ!!ハハ!!アハハハ!!!!」

 

 狂乱し、笑い続けるヘイルダーを、エクスタインは眼を細めて眺め続けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エクスタインは生産都市の通路を歩く。

 先程、彼がいた食堂は彩り良く飾り付けられ華やかだったが、対称的に廊下はあまりにも無機質だ。白色の石造りの廊下。照明も飾り気の無い魔灯が道を照らすのみ。ヒトが暮らす上で求めるような温かみには随分と欠いた造りだった。

 しかしこれこそが生産都市の基本的な構造だ。先程の食堂はあくまでも外部の来賓を迎えるためのものでしかない。生産都市では無駄は可能な限り排除されている。

 その廊下を彼は迷い無く歩き続ける。幾つかの岐路を曲がり、階段を上るとそこには職員の休憩所なのか、広間に出た。

 既に陽が沈む時間帯、元々生産都市の職員自体が少ないこともあいまって、ガランとしていた――――1カ所を除いて。

 

「酷い格好だな。エクスタイン」

「やあ、ブラックさん」

 

 中央の机に、名無しの大英雄、ブラックが座っていた。

 

 机にはどこからか持ち込んだのか酒とツマミが並んでいる。勝手におっぱじめていたらしい彼はツマミを口にしながら、酒で汚れたエクスタインを見て笑う。

 

「虐められちゃったか?可哀想にな。仕返ししてやろうか?」

「結構です。貴方の仕返しは洒落にならない」

 

 エクスタインは溜息をついて、自分に浄化の魔術をかける。汚れが消える。まだ頭は濡れていたが気にするほどではないだろう。彼はそのままブラックの対面の椅子に座った。

 

「しかし貴方、どうやって此処に来たんですか?セキュリティはかなり強固でしょうに」

「俺、この都市の管理者とマブダチだし」

「…………」

「お?なんだ?その顔。文句あっか?女装すっか?」

「やめてくださいやめてください」

 

 下らない話をしながらもブラックはエクスタインから視線を外さない。その視線にあるのは明確な好奇心だ。

 

「どうしました?」

「いや、変な奴だなって思っただけだよ」

「変って」

「なんでわざわざ、あんなしょーもない奴らに頭下げるんだってな」

 

 しょうもない、と彼が言うのは勿論、今生産都市に来ている都市民の連中だろう。

 神の庭である大罪都市で、神が決めた序列に反して自分たちが頂点に立つと思い上がった者達。長く続いた権力闘争の末、自分たちが偉大であるという虚栄と、生まれ持った力を保つ神官達への嫉妬が入り交じり、歪みきった者達。

 名無しという最下層の立場でありながら自由に世界を弄ぶブラックからすれば確かに彼等は滑稽の極みだろうとは思う。が、自分は彼のような超越者ではない。

 

「立場が弱いですからね、僕は。上手く立ち回るしかないんですよ」

「上手く、ねえ。ウルを嵌めたのもその一環ってか」

 

 と、そう言うとエクスタインは小さく噴き出した。そして少しだけ目を細め、目の前の黒い男を睨み付ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「まあなあ。()()()()()()()

 

 ブラックはゲラゲラと笑った。

 

「彼が目障りだったのですか?」

「いやいやまさか。あそこまで見ていて面白いガキは中々いねーよ」

「では何故?」

「保険」

 

 その言葉の意味をエクスタインは理解できなかった。だが、ブラックもそれ以上は語るつもりはないらしい。飲み干したグラスに新たな酒瓶を空け濯ぐ。琥珀色の酒が並々にグラスに満たされる。

 そしてもう一つグラスを酒で満たすと、それをエクスタインへと差し出した。

 

「お前が本気になりゃ、アイツらなんてどうとでも出来ると思うんだがねえ?」

「そんな大層なものじゃありませんよ。部下たちにも愛想を尽かされました」

「ああ、遊撃部隊に離職者大量に出たんだっけ?曲がりなりにも陽喰らいの参加者に、同じ戦士を裏切らせようとしたらそうならあな。同情してやるよ」

「ありがとうございます」

 

 エクスタインはグラスを受け取り、苦笑する。

 

「それで、自分と話すためにわざわざ此処に?」

「いや、美味い酒が出来たって聞いたから来た。お前の話はその肴」

「本当に大概なヒトだな……」

 

 適当に誤魔化して済まそうか。とも思いもしたが、ブラックの表情を見て考えを改めた。ブラックの目は先程から好奇の色しか映らない。半端な野望も、悪意も、打算もない。

 

 ただただ純粋に、心の底からエクスタインの人生を面白がって質問している。

 

 最悪である。だが、最悪すぎて、取り繕う必要性も感じなかった。

 こんな生き物に外面をよく接してなんになるのか。

 そんな、一周回った清々しさを感じながら、エクスタインは自身の人当たりの良い柔和な笑みを崩す。彼の顔に浮かんだのは、どこかやさぐれて、淀んだ目と、皮肉めいた笑みだ。

 

「……昔、都市民は名無しの連中と比べれば恵まれていると言われたことがあります。毎日食事の心配もない。帰る場所がある。安全に眠れるベッドもある。幸福だと」

 

 それを言ってきたのは、冒険者の一人だったと思う。赤らんだ顔をしていたから酔っていたのだろう。その頃エクスタインは見習い騎士で、都市内を巡回中に絡んできたのだ。正直それを言った彼自身、深く考えての発言では無かったのだろう。エクスタインも無茶な真似はせず、彼をやんわりと窘めて、仲間達のところへと返した。

 バカが済まなかったと謝罪する他の冒険者達に手を振りながら、しかしエクスタインはその胸中で彼に言われたことが棘となって残り続けた。

 

「僕は幸福で、彼らに比べ恵まれていると思わなければならないのですかね」

「思春期のガキみてえな悩み、くっそおもしれえ」

 

 ブラックはひゃひゃひゃ!と、エクスタインを指さして笑った。本当に彼は此方を肴にするつもりらしい、美味そうにグラスを呷るとそのまま笑いながら自分を見つめる。

 

「何処の誰だろうと、どれだけ恵まれていようと、ソイツにはソイツの地獄ってもんがあるものさ。自分や他人を殺したくなるほどの地獄はどんな場所にも常在してる」

 

 で、なければこの世界の特権階級である神官達の間にトラブルなんて起こるわけが無い。その酔った冒険者の理屈で言えば、神官達は世界で一番恵まれていて幸福で、幸せなのだから、過ちを犯す必要性が無いはずだ。

 無論、そんなことは無い。貧しく飢えた名無し達が生きる為に犯罪に走るようなケースと比べれば数は少ないだろうが、彼らには彼らの中で問題や歪みが有り、地獄がある。

 

「そんなに不安なら俺が保証してやるよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ブラックは言う。まるでエクスタインを優しく崖から突き落とすように。

 

「ありがとうございます。でも、正直、僕の話なんてどうでも良いんですよ」

 

 しかしそんな彼の言葉を、エクスタインは軽く流した。

 

「へえ?」

「僕の話なんて、本当にどうでもいい。それよりも――――」

「本当に好きだねえお前も」

 

 少し呆れながら、新しく瓶を空けて、グラスを紅い酒で満たしながら、ブラックは言った。

 

「ウルはお前の期待通り、滅茶苦茶やって、元気に黒炎砂漠を猛進中だよ」

「――――――」

 

 それを聞いた瞬間、エクスタインは手で顔を覆い、顔を伏せた。

 自らの狂喜をこらえるため、必死になって身体を押さえ込んだ。その為に、身体はブルブルと震えた。ヘイルダーと同じように。

 

 ブラックはそれを眺めて、美味そうに酒を呷った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二人の誓い

 

 

 ―――様、どうぞ、こちらにいらっしゃいませ

 

 優しく、そして懐かしいその声に、シズクはそれが夢であると早々に悟った。

 幼い頃の夢だった。自分の身体は小さい。細くて、そして弱々しい。そこに白くて眩くて暖かな腕がこちらに伸びて、自分をゆっくりと抱きしめる。

 肌に触れる温もりがたまらなく心地よくて、シズクはその抱擁を黙って受け止めた。

 

 白い部屋、白い服、白い女、白い男達、白い子供達

 

 昔の思い出は白ばかりだ。色彩がまるでない。温かみをまるで感じない無機質な記憶。その中で唯一温もりを覚えるのは友と、彼女のことだけだ。

 

 ――今日は唄にしましょうか。ええ、皆さまの好きな唄ですよ。

 

 白い世界に唄が響く。彼女の唄は決して美しいものではなかったが、優しかった。シズクは彼女の唄が好きだった。彼女の腕の中で、彼女の唄を聞くのが何よりも好きだった。

 

 一生こうしていたい。

 

 幼い自分は、毎日そんなことを願っていた。 

 浅はかな願いだった。

 己の役割も知らず、彼女の役割も知らず、安穏を享受する幼い子供だ。

 それがどれほどの高望みであったかを、知りもしなかったのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪都市グラドル 宿屋 【酒友の憩い場】にて

 

「…………ああ、」

 

 シズクは身体を起こして目を覚ました。

 目を覚ますと同時に、息が詰まるほどの痛みが押し寄せてきたが、どこからやって来た痛みなのか分からなかった。夢の事だと思うが、どのような夢を見ていたのか、思い出すことは出来なかった。

 その内に自然と痛みは消えた。

 そういうこともあるだろうと、シズクはベッドから身体を這い出すと服を着替え始めた。

 

『カカカ、起きたカの。主よ』

「あら」

 

 と、何時から居たのだろう。部屋の隅、骸骨の戦士姿のロックが声をかけてきた。

 傍から見ると、着替え中の女性の寝室に入り込む魔物の絵図だったが、慣れたものだ。シズクは彼に笑いかける。しばらくは斥候用に小型の身体で動いて貰っていたから、大きな身体の彼は久しぶりだ。

 

「ロック様。私、どれほど寝ていましたか?」

『30分ほどカの』

「十分ですね」

 

 【瞑想】による深眠は彼女の活動時間を大幅に伸ばしている。日中は休み無く働き、そして夜は僅かな睡眠の後、魔術師としての鍛錬と術の開発に費やしていた。

 

『とはいえ、これ。何度もやって身体悪くならんのカの?』

「ディズ様からは、最低でも3日に1回は普通に寝ないといけないと言われていますね」

『今日で何回連続じゃ?』

「10日」

 

 すると、ロックが不意に彼女へと近付くと、一瞬で抱きかかえ、ぽーんと彼女の身体をベッドへと放り投げてしまった。

 

『寝よ』

「ダメですか?」

『ダメじゃのう。リーネから無茶をしたら寝させろと言われとる』

「ですが」

『身体の疲れを引きずって非効率な鍛錬をおこなって、身体壊したら目もあてられんわい。一歩進んで五歩下がりたいんカの?』

 

 実に、ぐうの音も出ない正論だった。シズクは少し口を開いて、そのまま閉じて、そのまま布団に潜り込んだ。

 

「休みますね」

『それがよかろう』

 

 シズクは身体の力を抜く。身体の魔力を普段の深眠よりも更にゆっくりと循環させる。睡眠の圧縮は出来ないが、質の良い睡眠にはなる。間もなくして心地の良い睡魔が徐々に身体を包み込み始める。良い眠りの兆候だった。

 間もなく、今度は夢も見ないような深い眠りに就くだろうとシズクは自覚した。だから、その前に、

 

「ロック様、すみません。最近は貴方にも無理ばかりさせています」

『カカ!どうした主よ!らしからぬ事をいうではないカ!』

 

 カタカタカタとロックは笑う。実に彼らしい反応にシズクは小さく笑った。

 

「【貴方の望む主となる】。そういう契約を貴方としましたが、最近は貴方にスパイの真似事ばかりさせて、少し不安になりました」

『なるほどの。こりゃ確かに疲れたまっとるわい。だが安心しろよ主』

 

 ロックは笑い、シズクを覗き込む。人体の頭蓋骨は一見してとても恐ろしげであったが、一方で奇妙な愛嬌があった。骨に宿る彼自身の魂の人柄から発せられる愛嬌だった。

 

『ワシは今人生をさいっこうに楽しんでおるからの?』

「そうですか?」

『そうじゃとも、カッカカ!!たまらんわい!お主が与えてくれたこの第二の人生のなんと飽きのない事よ!』

 

 とうの昔に滅んだ古びた砦で、正気を失った狂人に無理矢理異形の怪物として自由意志も封じられて、使い捨ての戦士として戦い続ける。

 何の面白みもない奴隷のような生活、と、当時は絶望していたものだった。

 ところが、彼女に拾われてからの人生はあまりにも激動だ。元の主に反旗を翻し、巨大な怪鳥と戦い、挙げ句自分自身を巨大な戦車に変化する。かと思えば巨大な飛竜と戦い、魔窟と化した都市に突入し、変貌した都市の王に突撃までかました。

 そして陽喰らいである。世界の頂点とも言える剣士との邂逅に、普段とは二回りも違う魔物達との激闘。竜の襲撃とその戦い。

 

 そしてその果てに仲間が捕まって、その救助に今奔走している。

 

『飽きなさすぎるわ!心配せずともお主は最高の主じゃよ!シズク』

「楽しんで貰えてなにより、と言いたいですが、落ち着きませんね私達」

『本当にの!ワシ的には全然アリじゃが!』

 

 ロックは快楽主義者だ。楽しければ良いという、適当な考えをしてる自覚がある。

 生前の記憶など全く思い出せないが、きっと生きていた頃もこんな風に、適当な性格だったのだろう。苦境も、慌ただしさも彼にとっては娯楽だ。必死になっている仲間達には悪いと思いつつも、こればかりは性分だから仕方が無い。

 とはいえ、だ。情を理解しないワケでは無い。ウルを助けたいというのも本心だし、その為に奔走し、少々疲労が溜まる自分の主を心配するのも本心だ。故に、

 

『じゃからの、()()()よ。お主に感謝しておるから一つだけ言っておいてやろう』

「なんでしょう」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()う』

「……」

『じゃから、安心して全力を振るうと良い。どれだけ悪たれと罵られようと気にするな』

 

 そう言うと、シズクは笑った。

 

「私にブレーキをかけたいのか、ブレーキを外したいのか、わかりませんね?」

『ウルには怒られそうじゃがの!カカカ!』

 

 だが、本心だ。

 ロックはシズクに感謝している。彼女が居なければこの第二の人生は無かった。今居る友人達とも出会えず、狂人にたたき起こされた疲労にウンザリしながら消えるだけだっただろう。

 だから、それを変えてくれた彼女の味方となることは、もうとっくの昔に決めている。使い魔とその主という契約とは関係なく、心から彼女の味方であり続けると。彼女がどのような善行をしようとも、悪党に落ちようとも、そうしようと彼は彼女と己自身に誓っていた。

 

『じゃから安心して眠っておくといいわ。なあに、その間に、すぺしゃるな情報をげっとしてきてやるからの、カカカ!』

 

 ロックは笑うと、シズクも笑った。だが何かを言う前に彼女の瞼はゆっくりと落ちる。やはり限界だったのだろう。間もなく寝息を立てて眠り始めた。

 ロックはその姿に満足し、立ち上がる。音を立てぬように窓を開ける。夜風が部屋に優しく入り込んだ。ロックはその先に手を伸ばす。するとカラカラと小さく音を立てて、彼の身体から小さな骨がこぼれ落ちていく。

 

『カカカカ』

 

 小さな骨は、形を変える。鳥や鼠の形を模した骨。魔物というにも微弱な、使い魔の模造品。しかしそれらを自在に操る程度には、彼の力は強くなっていた。

 

『夜を征けよ眷族ども。主の眠りを妨げる者どもの腹をかっさばいて探ってやれ』

 

 小さな骨の尖兵達は窓から外へと飛び出した。

 太陽神の沈んだ夜の世界は彼等の領分だ。咎めるものもいない都市の中を魑魅魍魎は誰にも気付かれず、縦横無尽に駆けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カカカカカ』

『あ、やっぱ骨の鳥は無理あったカの?』

 

 地面でパタパタとスカスカの翼を動かす眷族に、ロックは頭を掻いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 このようにして、【歩ム者】は、ウルという主を失いながらも、静かに、しかし確実に状況を推し進めていた。

 

 その間、世間では、ウルという少年が数ヶ月の間に起こした様々な冒険と、最後に逮捕されたという情報は良い意味でも悪い意味でも大きく話題になったが、次第に別の話題に吞まれていって、ゆっくりと彼のことを世間は忘れていった。

 

 そして、ウルが都市襲撃容疑で捕縛されてから、およそ半年が経過した。

 

 

 

 

 

 

 【黒炎砂漠 第八層】

 

「…………さて」

 

 外の世界の様々な思惑、混乱を知る由もないウルは呪われた砂漠のただ中で佇んでいた。前を見据えるのは黒炎を纏った番兵だ。歪に歪んだ砂漠の迷宮の中央に蠢く番兵をウルはじっと観察する。

 

「……あれで4体目だっけ?」

「5体目だよバカ。黒炎に頭焼かれたかよ」

「まだ平気だよガザ。ボルドーは?」

「配置についてる」

「よし、行くか」

 

 かけ声と共に、ウルは獣人の友と共に番兵へと突撃した。

 

 ウルは【黒炎払い】と共に、【黒炎砂漠】を突き進んでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠 憤怒超越編
黒剣騎士団団長の憂鬱


 

 黒剣騎士団本拠地 【罪焼きの焦牢】

 

 大罪都市ラースが滅んだ現在、都市は存在しないこの場所において、太陽神ゼウラディアがもたらす人類最大の守りである【太陽の結界】は本来であれば存在しない。

 しかし、国際犯罪者を収容する施設が魔物に襲われては本末転倒である。故に【天賢王】から特別に加護が与えられている。【焦牢】を覆うだけの小さな結界だ。

 それを維持するための祈りの力は【本塔】の囚人達の祈りの力である。彼等の刑務は多様だが、祈りの時間は相当に割かれている。本塔の多くは都市民もしくは元神官達であり、精霊達への祈りの力は強い。【焦牢】を維持するのは彼等の役割だった。

 

 が、残念ながら囚人達のみで小規模とはいえ太陽の結界を維持するには力があまりにも不足していた。神官達の数も少ない。結果、黒炎鬼の襲撃を退けるために【黒炎払い】達が出回らなければならないほどだ。

 此処は安全からはほど遠い場所だ。それは間違いなかった。

 

「全く、何故私がこんな所に戻ってこなければならないのだ!」

 

 だが、それを誰であろうこの場所のトップである黒剣騎士団騎士団長が言ってしまうのははたしてどうなのだろうか。というのはそれを聞いた騎士達の率直な感想だった。

 肥え太った腹を揺らし、ドスドスと鎧も身につけずに歩く只人の中年男性。騎士団長ビーカン。引き締まったところが一つも見受けられない彼を、騎士団の団長であると一目で理解できる者は居ないだろう。

 

「ですが団長、目を通していただかなければならない案件が溜まっていまして」

「そんなものそっちで処理しろ!そんなことも判断出来ないのか!?私は忙しいんだ!」

 

 何ヶ月もエンヴィーの衛星都市にバカンスに行っていた男のなにが忙しいんだか。とは誰も言わなかった。言ったところで彼がキレ散らかすだけで何一つ得はない。

 

「お前達の仕事はダヴィネの機嫌を損なわないことだ!それ以外何も期待しとらん!」

 

 囚人のご機嫌取りが仕事。そんなことを断言してしまうあたり、彼の部下達への配慮というものは欠片も残っては居なかった。恐らくは自分が此処の主という自覚すらもないのだろう。そしてそんな態度であったとしてもこの牢獄は回っていた。

 それはこの場所で彼が必要ではない証拠だった。

 

「あら、騎士団長。お帰りなさい」

「おお!クウ!出迎えてくれたのか!?」

 

 先程まで不機嫌だった男が急に顔をデレデレと歪める。

 地下牢の囚人達を管理する【焦烏】の管理者であるクウが、今ビーカンが向かっていた騎士団長の一室から姿を現していたのだ。彼の執務室に勝手に立ち入ったこと、本来であれば問題ともなりそうなものだが、ビーカンはまるで気にした様子もない。

 

「代わり、仕事に目を通しておきましたわ。手間にはならないでしょう」

「おお!流石クウだ!!全く馬鹿どもとは違う!」

 

 そう言って部下達を罵る。騎士達は忌々しげにクウを見るが、彼女は知らぬ顔だ。

 彼女こそが【焦牢】の女王である。

 彼女に逆らえる者は誰も居ない。咎める者は誰も居ない。

 今日も何時も通り、彼女の望むとおりに書類にサインを書くだけ書いて、彼はまた此処を離れるだろう、最早この光景も恒例行事と化していた。万事彼女の望むとおり、物事は運ぶのだ。

 と、騎士達も思っていた。が、しかし、その日は少し違った。

 

「ああ、でも騎士団長。ごめんなさい、一つだけ耳に入れないといけないことが」

「む、なんだというのだ。またダヴィネが癇癪を起こしたのか?」

 

 ビーカンは顔を顰める。

 放蕩にふける彼であっても、【地下牢】がダヴィネという天才に依存していることは理解している。彼が生み出した作品や発明は外に流れ、膨大な金となって戻ってくる。特に彼が生み出した【竜殺し】が産んだ金は莫大だ。大罪都市プラウディアから流れてくる金は大いに【焦牢】とビーカンの懐を潤した。

 

 だからこそ、他の囚人はどうなろうとも彼だけは気を遣わなければならない。

 が、とはいえだ。

 

「奴がどれだけの癇癪を起こそうと、地下牢からは出ることはできまい。そういう契約だ。奴がどれだけの囚人を殴り殺そうとも構う事でもないだろう?」

 

 ダヴィネが癇癪を起こしたところで、滅多なことでは問題にならない。そうならないように、誰であろうクウがダヴィネを契約魔術でがんじがらめにしたのだ。自分から外には出られないように、脱獄しようとも思わないようにと彼を魅惑に縛り付けた。

 だからこそ、ビーカンも平気で何度も旅行、もとい出張を繰り返せるのだ。彼がいなくても問題が起こらないだけのシステムが牢獄で既に完成している。

 

 だからもしもあるとすれば

 

「……もしや病気になったとかではないだろうな?あるいは黒炎の呪いに――」

「いいえ、そうではないわ」

 

 クウは首を横に振る。ビーカンは安堵の溜息をついた。

 この地で最も警戒すべき案件は、勿論【黒炎】の呪いだ。1度呪われれば完治する事は無く徐々に肉体に広がり、最後には死に至る悍ましい呪い。ダヴィネにはそれにかからぬよう、クウにも見張らせているが、完全な保証はない。だからビーカンも此処に長居はしたがらないのだ。

 だが、そう言う事ではないとすると――――

 

「……だったらなんだ?ラースが解放されない限り、奴は地下牢から出る事はできないんだ。何も心配することはないだろう」

 

 地下牢に押し込まれた者達に刑期など存在しない。ラース解放という不可能ごとが達成されるその日まで彼等は幽閉される。それは無期限の幽閉と同義だ。

 一度入ってしまえば、二度と出られない監獄なのだ。何の心配も無い、その筈だ。

 

 その筈だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。ビーカン騎士団長」

「…………………は?」

 

 ビーカンは、楽しそうに言う彼女の言葉が理解できずにおかしな声をもらした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【地下牢】 魔法薬製造所

 

「次の方、どうぞ」

 

 此処の主であるアナスタシアはそう言って、来客に小さく微笑みかける。

 【廃聖女】と呼ばれていた女が現在取り仕切っている魔法薬製造所は今日も賑わっていた。既に魔法薬製造所はダヴィネに薬を卸すための小規模な製造所ではなかった。地下牢の中の幾つもの組織と連係し、様々な魔法薬や嗜好品を生み出す地下牢の重要組織だ。

 

 怪我をしたときの回復薬、体力が落ちたときの滋養強壮、酒類、様々な薬品類を取り扱うこの場所の噂は地下牢で徐々に広まり、利用者は増えていった。

 しかし賑わう理由は此処の利便性だけではない。

 

「さあ、どうぞ。身体に、気をつけて、ください」

 

 アナスタシアはゆっくりと、一人一人に求める薬を手渡して、コインを受け取る。

 その所作は、地下牢の囚人とは思えないほどに丁寧で、品があった。元より彼女は神殿で生まれ育った神官であり、多くの者から崇め奉られた聖女だった。此処に居る者達の大半は名無しの犯罪者達で、立ち振る舞いに気品を感じる者はまず珍しい。

 彼女が此処に来たときは煙たがられ、そして呪いが広まった後は放置された。結果、彼女は地下牢では有名であったものの、彼女自身の気質を知るものは殆どいなかった。

 

 だが、こうして落ち着いていると、彼女の所作の美しさは際立った。

 

 黒い帯を全身に巻いて呪いと共に身体を隠しているが、呪われていない部分は逆に無防備だ。地下暮らしのため真っ白な肌が見える。女性らしい体つきは帯の上からもハッキリとしていた。ほっそりとした指先からコインを拾う所作には思わず目を奪われる。

 彼女を目当てとして此処に通う囚人達の姿もちらほらでるほどに。

 

 随分と勝手な話だと、彼女を手伝う菜園管理者のペリィは鼻で笑う。

 

 彼女が呪いで死にかけていた時、誰も助けなかったくせに、少し元気になった途端また群がるなどなんという都合の良いケダモノ達だろうか。

 と、そうは言うが自分だって勿論、彼等を嗤える立場にはいない。死にかけていた彼女を誰も助けはしなかった。今更彼女に都合良く、すり寄る資格を持っている奴はこの牢獄にはいない。

 

 あいつ以外は。

 

「さあ、どうぞ。次の方」

 

 デレデレと彼女の微笑みに照れる囚人達も、最低限その事は弁えている。法を破り誰からも嫌われ追い出された犯罪者の集まりだが、最低限の恥くらいは知っているのだ。滅多に、彼女に“よからぬこと”をしでかそうとする輩はいない。

 

 そう、滅多なことでは。

 

「へえ、アンタか。捨てられた聖女ってぇーのは」

 

 のっそりと、巨躯の男が列を無視して前に進みでた。 

 じっとりとした目で彼女の身体を見下ろすその囚人をペリィはあまり見た覚えが無かった。つまり恐らくは新しい囚人で、此処のルールをあまり知らない男だ。見るからに暴力に慣れ親しんだ様子の彼は、無防備でいる彼女の腕をがしりと掴んだ。

 

「あの、痛い、です」

「つまんねえことしてねえで、こっちで俺と話しようぜ。なあ。呪いまみれの身体ってえーのにも興味あんだよ俺わあ」

 

 にたりと笑う。怖い物など何も無い、というようだった。

 此処に来るとき、最低限の知識は教え込まれていた筈で、黒炎の呪いのことも聞いているはずだ。にも関わらずこの態度、外では本当によほど好き放題してきたのだろう。表情からは自信と傲慢さがにじみ出ていた。

 他の囚人達は彼から速やかに距離を取っていく。だが、それは彼を恐れてのことでは無い。この後何が起こるのか、彼等は理解していた。理解できていないのはアナスタシアに乱暴しようとしている大男だけだ。

 

「クソ監獄に放り込まれたときはどうしてやろうかと思ったが、女はいるし、看守もいない。いいとこじゃねえかあ!なあ聖女様、俺と楽しいこと「さーどっこいしょ」っごぱ!?」

 

 そしてその傲慢の報いを受けるのはペリィの想像の数倍早かった。

 大男の頭に蹴りが着弾する。灰色髪の少年の跳び蹴りが見事に大男の頭を打った。彼は吹っ飛び、アナスタシアを手放して地面にすっとんで、激しく身体を転がし壁に直撃した。

 

「ペリィ。あいつなんだ」

 

 倒れたアナスタシアを抱え起こす灰色の少年、ウルは尋ねる。ペリィは溜息をつきながらもそれに答えた。

 

「多分新人だよぉ」

「新人ならお前がなんとかしてくれ。しんどいんだよこっち」

「無茶言うなよぉ、俺は頭脳担当なんだよぉ」

「じゃあ頭脳担当らしくなんとか丸め込めよ」

「あんまり頭悪そうでぇ、言葉通じるか不安だったんだよぉ」

「確かに」

 

 ウルは同意した。すると大男がふらふらと身体を起こして起き上がる。彼は激昂していた。顔が真っ赤になっていて実に分かりやすい。

 

「ガキィ!!なにし「そい」ぐぇ!?てめ「ほい」むぎぃ!こ「そい」ぎや!!ま「よいしょ」ひぎあぁあああああああああ!!!」

 

 一方的な暴力が始まった。

 囚人達は遠巻きにそれを見ては顔を顰め、あるいは顔を覆い隠して見ないようにしている。此処に居る連中の何人かはウルによる暴力を経験した者も居る。だから、あの大男のように、アナスタシアに乱暴を働こうという者は一人だっていない。

 彼等は実に痛ましい表情でその暴力ラッシュを眺めていた。

 

「ウルくん。お帰り、なさい」

「はい、ただいま」

 

 魔法薬製造所のボス、ウルはアナスタシアに何時も通りのんびり返事を返した。彼の手に血塗れの大男の頭が引っ掴まれている件について触れる者は誰一人いなかった。

 代わりに、彼に向けられる視線の多くは、歓喜や羨望だ。

 

「おお、戻ったのかよ【黒炎払い】のエース様!」

「まーた”砂漠”から色んな遺物拾ってきたんだろ!!景気良いね!!」

「おこぼれ俺たちにも寄越してくれよ!!」

 

「訳の分からんものは一杯拾ったよ。ダヴィネに預けたんだからそっちで聞いてこいよ」

 

 囚人達の汚い歓声をウルは雑に聞き流した。

 だが、【黒炎払い】という、かつて存在自体が敬遠されていたその戦士を前にした囚人達の反応が現在のウルと、そして【黒炎払い】達の境遇を如実に顕していた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔法薬製造所、元は単なるウルの使っていた少しだけ広い一室だったその場所も改築は進んでいた。【探鉱隊】に依頼して、大幅な拡張をしたのだ。他の勢力達のそれと比べれば控えめであるが、少なくとも魔法薬製造のための小規模な工房が収まっても尚、複数人が過ごすに余裕のある部屋に変わっていた。

 

「ああ、疲れた……やっぱきっついな8層目は」

 

 ウルは椅子に座り込み、深々と溜息をついた。彼の前にアナスタシアは水を差し出す。

 

「お疲れ様、です、ウルくん。やはり、大変ですか」

「そーだな……【番兵】までは見えた」

「へぇ【番兵】がやべーのかぁ?」

 

 彼女の隣でペリィが問うた。ウルは首を捻る。

 

「立地が最悪だ。回避する場所がないからへたすりゃ一瞬で全滅する」

「…………無茶は」

「する気は無い。喰らったら終わりだからな。だがどうするかなあ……」

 

 ウルは頭を掻いた。

 だが、ペリィが見る限り、彼に困り果て絶望している様子はなかった。困っているのは確かだが、その困難に対して慣れている様子だ。そして実際にそうなのだ。

 今日まで、彼が困難に直面し、頭を抱えるところは何度も見てきたが、そのまま足を止めてうなだれる事は一度たりともなかった。無謀に飛び出すような事はせず、慎重に、しかし確実に一歩一歩進む。そう言う男だ。

 

 だからまあ、今回の困難もなんとかするのだろう。と、ペリィはなんとなくそう思った。この半年で、ウルへの奇妙な信頼はペリィの中にも根付いていた。

 が、ウルにトラブルが絶えない、という信頼もまた強かった。すんなり事は進むまいという確信がペリィにはあった。

 

「ウルという男は此処に居るか!?」

 

 すると、外から地下牢では珍しい鎧の金属音と共に複数の足音が響き出す。何事かと顔を出すと、そこには【黒剣騎士】達がずかずかとまっすぐこちらに近付いてきていた。

 

「騎士団長ビーカン様がお呼びだ!すぐに出頭しろ」

 

 ペリィは振り返りウルを見ると、ウルは心底げんなりした表情をしていた。この表情も、この半年の間に割とよく見てきた顔だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒剣騎士団団長の憂鬱②

 

 

 【地下牢・黒炎払い】本拠地

 

「あの8層の番兵の位置、どうする?」 

「ウルも言っていたが立地が最悪だ。隠れる場所もねえ一本道」

「魔術で障壁を作るしか……」

「黒炎だぞ。速攻で砕かれて俺たちゃ全滅だ」

 

 本拠地の黒炎払いの戦士達は騒がしかった。

 彼等の議論の焦点は勿論、現在彼等が攻略している途中である【黒炎砂漠】の8層目に出現した【番兵】の存在である。蜥蜴のような形をした獣型の【番兵】。硬質な鱗に大量の黒炎の吐息、一見して見受けられる情報だけでもその脅威が分かる。

 

 だが何よりも厄介なのその地形だろう。

 

 番兵の居る場所に向かう為には、隆起した細い砂山の道を進む必要がある。その先に【番兵】が黒い壁の前を陣どっているわけだが、その細道の真正面に陣どっているのだ。隠れる場所はおろか、回避するような道幅も存在しない。細道を少しでも外れれば、崖のような砂の斜面で遙か下まで滑落する。下は【黒炎】が燃えたぎる。落ちればただではすまない。

 困難極まる戦闘を余儀なくされ、黒炎払いの面々の議論は混迷していた。

 

 だが、こうした会話が行われること自体、半年前は考えられなかったとガザは思った。

 

「どうしたガザ、議論に参加もせず」

「隊長」

 

 黒炎払い隊長のボルドーがガザの隣に座る。髭面の只人であり今日まで自分たちを守り続けてくれた男。彼もまた随分とはつらつとしている。表だってはしゃぐようなヒトではないが、10年以上も顔を突き合わせていれば気力が充実しているかどうかくらいはわかるものだ。

 

「……前までは、黒炎砂漠の攻略にこんな活気づくなんて考えられなかったなって」

 

 するとボルドーは肩を小さくふるわせた。どうしたのだろうと思ってみると、彼は笑いを堪えていた。

 

「お前がそれを言うか」

「いや、まあ自分でも分かってますって!やめてくださいよ!」

「すまん」

 

 ウルが来たときに最も愚痴をたらして彼を罵ったのはガザだった。

 そして、現在もっとも攻略に積極的で、ウルと共に最前線で戦っているのも彼だった。そもそも、4層目の【番兵】の時、一番最初にウルに協力したのも彼である。それを考えると何を他人事のように言ってるのかと言いたくもなる。

 ウルと共に自分たちの空気を変えたきっかけそのものなのだから。

 だが、ガザ自身は全くそんなこと思ってもいないらしい。つまらなそうな顔でぐびりと水筒の水を一口飲みながら小さく漏らした。

 

「俺はアイツに乗せられただけですよ。アイツの思惑通り。ムカつく」

 

 憎たらしげに語るが、それは照れ隠しだろうと言うことはボルドーにもわかる。

 4層突破以降、様々な意味で黒炎払いの状況は変わった。4層目の黒炎の壁は消え去り、活動範囲は広がった。黒炎の壁が消えたことで、地上の迷宮化は弱まり、活動範囲は大幅に広がった。

 結果、埋没していたかつての【ラース】の遺産が砂漠の中から発掘されはじめたのだ。かつて、精霊達の加護によって繁栄したラースの遺産、その大半は既に使い物にならなくなっていたが、中には宝石類の数々や貴重な魔道具の類いも見つかり、それらを持ち帰ることで地下牢はお祭り騒ぎになった。

 

 無論、筋としてはそれらは黒剣騎士団に接収されてしかるべきものなのだろうが、めぼしいものは当然の権利のようにダヴィネが抱え、零れ落ちたものが地下牢の住民達の恩恵としてもたらされたのだ。

 

 囚人達の【黒炎払い】そのものの見方がかわったのもその頃からだろう。前までは黒炎の呪いを恐れ、近付かれる事も無かったほどに嫌われていたものだったが、声をかけられたり、時に攻略がどう進んでいるのかといった雑談が投げられることもあった。

 

 黒炎払いの面子の意識も高まった。攻略に積極的になり、鍛錬にも精を出し始めた。

 

 迷宮の攻略に積極的になったと言うことは、その分リスクも跳ね上がったと言うことに他ならない。実際、新たに呪われてしまった者も増えた。だがそれでも、今こうして全員が一丸となって攻略に挑む状況を「悪い」という者は一人も居ないだろう。

 

 それを、あんな新人の少年にもたらされたという事実を素直に受け入れるのは難しいだろう。

 

「奴に言わせれば、元々我々にはこれだけの力はあったのだという事だがな」

「そういう謙虚さがムカつきません?!「大したことないっすよ」みてえのが!」

 

 ボルドーはガザのあまりにも似ていないモノマネに軽く笑う。だが、ウルの指摘は事実だろう。

 自分たちにはそれだけの力はあった。ダヴィネとの協力関係、【竜殺し】の開発と増産体制。黒炎の対処法のノウハウの蓄積と経験の積み重ね。機は熟していたのだ。ウルは起爆剤だったが、決して、ウルだけの実力で全てが上手くいったわけではない。

 

 だが、だからこそ、黒炎払いの面々は、ウルに感謝している。

 機を逃して、熟れすぎて腐り落ちる前に、その真価を発揮させてくれたことを。

 

 口にせずとも全員が、そう思っていた。とはいえ、それを直接口にするには、やや年を重ねすぎたな、とボルドーは苦笑した。そしてそのまま、本拠地を見渡した。

 

「その傲慢な少年は何処へ行った?」 

「魔法薬製造の家に帰るって行ってましたよ……またあの”お茶”もってくんのかな」

「露骨に嫌そうだな」

「だってくせえんすよ!?あれ飲んだ後丸一日鼻が効かなかったんすから……」

 

 そんな風に二人が会話をする最中だった。

 ドアが叩かれ、そして少し慌ただしくレイが中に入ってきた。常に冷静沈着な彼女にしては珍しく、表情には明らかな焦りが浮かんでいる。

 ガザの隣り、ボルドーは殆ど反射的に立ち上がった。それにレイも気付く。

 

「ボルドー隊長」

「どうしたというのだ。レイ」 

 

 問うと、レイはガザにちらりと視線を向けた後、少し離れた場所で新たなる【番兵】の対策の議論を続ける他の【黒炎払い】の面々から少し距離を離すようにガザ達へと近寄り、そして小さく呟いた。

 

「【黒剣】の団長が今帰ってきたらしい」

「あの放蕩馬鹿がか。珍しい事もあるな」

「……それで、ウルが尋問を受けてるらしいの」

「………………は?」

 

 その場の三人は全員顔を見合わせた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【焦牢、本塔】 尋問室にて

 

「あーつまりだ。自分の本分を弁えないといかんということだ。分かるか?」

 

 現在のウルにとって時間というものは酷く貴重だ。

 元々、勇者ディズと妹の約束が3年である。その三分の一が既に過ぎ去った。そして、1年もの年月をかけて、今、ウルが居るのは牢獄の中である。取引開始時よりも後退していると言えなくもない。一刻も早く状況を改善しなければ、という焦りがウルの中にはあった。

 だからできるだけ時間を無駄にしたくない。

 

「お前の役割はあくまで、外で行った罪の償いである!英雄の真似事で浮かれて持ち上げられることではないのだ!ん?そうだろう?」

 

 そんなわけで、この怠惰で肥え太った騎士団長という、威厳の欠片も無い風体の男の長々とした説教を聞いている時間は、ハッキリ言えば苦痛だった。

 

「おい!聞いているのか!」

「聞いている」

 

 ウルは億劫になりながら返事をした。顔には幾つもの殴打の跡が出来ている。勿論看守達にしこたまに打たれた跡である。一応、尋問の体を保ちたいのか拷問用の武器類が持ち込まれてないのは幸いだった。

 

「それで、つまりは、囚人は囚人らしく余計なことをするな。ラースの探索は辞めろと」

「そ、んなことは言っていない!馬鹿なことを言うな!!」

 

 ビーカンが吼える。顔には汗が浮かんでいる。

 先程からウルに対して説教、というにはいささか要領を得ないダラダラとした会話を続けているだけで、騎士団長殿は疲れてきているらしい。仮にも騎士団の団長という立場でそれはどうなのだろうか。

 

「【黒剣騎士団】の理念を考えれば確かにお前の行動は正しい。だが先走るなというのだ。無理をして、なんになるのだ!数百年、ラースは取り戻すことが出来なかった魔境なのだぞ!」

 

 本当に、会話が要領を得ない。何が言いたいのか全くピンとこない。

 しかしその理由を、ウルは何となく察せた。

 

 焦牢建設時に掲げられたお題目は、ラースの復興だ。それを考えるとウル達の現在の行動は決して間違っていない。まさしくラースを開放するためにウル達は行動しているのだから。

 しかしこの肥えた男は、見た目でもわかる通り、現在の黒剣の腐敗と超法的特権から生まれる利益を啜っているタイプだ。現状を維持したいのだろう。

 

 建前と本音。この二つの間でこの騎士団長はフラフラとしている。

 今回の黒炎砂漠解放の快進撃の一端を担っているウルを止めるべきか、放置すべきか、決断できていない。

 自分の中でも全く何も決められていないまま、自分の立場が揺らぐのが恐ろしくて、不安を紛らわすためにウルを嬲っているのだ。

 

 ――――ああ、マジで時間の無駄だなコレ。

 

 ウルは様子見からとっととここから出る方向に思考をシフトした。

 

「分かっているか!?」

「分かった。聞いている。了解した。従おう」

 

 あまり話を聞いていなかったウルは適当に了承の言葉を並べたが、殴られた。どうやら向こうは向こうでウルの言葉を全く聞いていないらしい。兎に角痛めつけて、脅しをかけて、そしてコチラの意思を挫こうという魂胆だ。

 

 しかし、さて、どうするか。

 

 ウルは頭を殴られながら考える。きっと彼等はこれを暫く続けるのだろう。完全にウルが消耗しきって、何一つ物も言えなくなるまで水も与えず、死ぬギリギリまで弱らせて、罵声を浴びせ暴力を振るい精神を参らせるつもりだ。

 その迂遠な拷問を耐え抜く自信はあるかと言えば、ある。ウルは暴力に慣れていた。体力の消耗を温存する術もあった。短期間で睡眠を確保する手段もある。自分が弱った振りをして、相手を満足させればいい。

 

 だが、それでは恐らく数日は此処で拘束される。今は一日でも無駄にはしたくない。そうなると上手く此処を出なければならない。

 

 【焦烏】のクウはこの状況を知っているだろうか?

 

 ウルはちらっと自分の影を見る。

 知っているだろうとウルは推察する。彼女はラースの解放を目指していると口にしていたが、しかし立場上はビーカンの部下だ。彼を咎めたりはできなかったのかもしれない。あるいは、この程度の障害は自分で乗り越えろという事なのか。

 助けを期待して殴られ続けるのもバカらしいか。と、ウルはクウの援助には見切りをつけた。

 

「いいかね。我々には多くの協力者もいる。あまり勝手はしないことだ。場合によっては、外の君の仲間達にも被害が及ぶ事になるぞ?」

 

 殴打痕を増やしたウルを見て、ビーカンはいくらか余裕を取り戻したらしい。自慢げにウルを脅しにかかっていた。

 

「協力者ね」

 

 ウルはそれに応じ、応える。

 

「グラドルのエイスーラとかか?」

 

 その瞬間、ビーカンの表情が露骨に固まった。

 

「ああ失礼、アイツはもう消えたんだったな」

 

 あからさまにビーカンは表情を曇らせたのに対して、ウルは冷めきった目で彼を睨んだ。

 

「他にどんな後ろ盾が居るんだったか?カーラーレイの残党ども?エンヴィーの連中?それともプラウディアの悪党達か?」

「な……!」

 

 次々と並べて、ビーカンは更に表情を動揺させる。今並べた情報は、幼馴染みがベラベラと喋っていった内容をそのまま使っただけなのだが、随分とビーカンの表情は顔色が面白いことになった。

 ウルはよくよく、シズクが他人の顔色をオモチャのようにする事を忠告していたが、他人のことをとやかくは言えないなと反省した。

 が、今は仕方ない。ウルは少しだけ前に近付いて、動揺するビーカンに囁く。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

「ど、どういう意味だ……!?ここにいるお前に何ができる!」

「俺の仲間が、俺の指示なしに何もできないと思ってるなら、随分とおめでたい考えだ」

「お、脅す気か!?」

 

 ビーカンは激昂した。が、ウルは彼の表情を洞察する。余裕の全くない表情だ。自分の焦りや不安を、怒ることで何とか誤魔化そうとしている。ウーガの騒動でエシェルが振舞っていた態度と似ている。

 仮にも騎士団団長としての態度と考えると苦笑するが、しかし、理解できる反応でもあった。【黒剣騎士団】は周辺の都市の協力に大きく依存している。生産能力は皆無で、近くに都市も無い滅んだ大罪国の領の隅っこという立地なのだ。周りが助けてくれなければどうにもならない。

 

 不正腐敗という関係以上に、後ろ盾は重要なのだ。大連盟からは、本来の役割を果たすための支援は受けているだろう。しかしそれ以上の享楽と特権を得るためには、後ろ盾は必須だ。

 つまり、急所だ。

 

「ビーカン騎士団長殿。俺は別にアンタと敵対したいわけじゃないんだ」

「な、なにを」

「黒剣騎士団の大義と、俺たちの目的は一緒だ。俺たちは仲良くなれる。そうだろう?」

 

 淡々とそう言いながらも、ビーカンの顔色はみるみる悪くなっていった。

 ウルが放つ気配が、彼を威圧していた。彼だけでなく、この場にいる看守全員が、少しずつ気圧されていく。

 彼らはようやく、自分たちが良いように殴っていた相手が、自分たちの手に負える相手ではないことに気が付きつつあった。

 悪名高き黒剣騎士団といっても、囚人をいたぶることしかしてこなくて、肝心の黒炎鬼との戦いを囚人たちに押し付けている。騎士たちの質はそれほどのものではない。クウのような卓越した実力者もいるにはいるが、少なくともビーカンが引き連れているような者たちの中にはいなかった。

 

 まして、数々の死線を潜り抜けて、尋常ではない経験を重ねたウルの放つ圧に、抗えるものはこの場にはいない。【呪腕】という拘束具があることも、彼らはすっかり忘れつつあった。もし覚えていて、使ったとしても、彼らの震えは止まることはなかっただろう。

 

「こちらの要求は一つだ。守るというのならアンタらは味方だ。そうでないなら()だ」

 

 敵、という言葉に込められた、強烈なまでの殺意に、ビーカンは硬直する。

 そして、その隙を突くように、ウルの手がビーカンの肩を掴む。怪我を負うほどの力は込めてはいないが、強く、しっかりと、彼を抑え込んだ。

 決して、逃がさぬように。

 この場において、看守と囚人の立場が逆転した。

 

「俺たちの、邪魔を、するな」

 

 耳元でささやいたその言葉に、ビーカンは垂れた頬を震えさせた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

揺れる牢獄と王様

 

 翌日、黒炎払い本拠地

 

「おはようさん」

 

 ごく普通に朝一に本拠地に顔を出したウルを前に、【黒炎払い】の一同はギョッとした表情でウルを出迎えた。ガザなどは目をひんむいてウルの肩を掴み、逆にウルを驚かせた。

 

「おおどうした?」

「どうしたじゃねえよ馬鹿!!お前大丈夫だったのか!?」

「黒剣に尋問を受けたと聞いた」

 

 彼の背後でレイも顔を出す。ウルの顔には、見れば幾つもの打撲痕が薄らと残っていた。【黒炎砂漠】での探索ではつかなかった傷だ。【黒剣騎士団】の連中の仕業だとすぐに察してレイは顔を顰めた。

 

「その傷」

「治療は終わってるよ。大した傷じゃなかったがな」 

 

 ウルは傷跡を指で掻く。傷跡は乾いていて、確かに治っていた。ウルは肩を竦めるとそのまま部屋の中央に座すボルドーの前に座った。

 

「三日は拘束されると思ったが、良くぞここまで早くビーカンから逃がれたな」

「適当にあることないこと喋ってたら、勝手にビビりだしたんだよ。ラッキーだったよ」

 

 後ろめたい事が多い奴は大変だな、と笑うウルはやや得体が知れなかった。が、彼が大概なのはこの半年でおおよそボルドーも理解していた。いちいち驚いていても仕方が無いことも。故にその点は流した。

 

「ただ、お出かけしていた騎士団長が戻って早々に拘束してくるとは思わなかったな」

「ラースの攻略が進んだことによほど驚いたのだろう。なにせ10年ぶりだ」

「攻略が進んだことに怒り狂うってのはまた、ひでえ話だな全く」

「この場所から得られる蜜で、奴は肥えすぎたのだ」

「確かに太ってたよ」

 

 ボルドーは小さく笑った。だが、その笑みはすぐに拭い去られる。

 

「あまり、悠長にもできないかもしれんな」

「今回は一時しのぎしただけで、またいらんちょっかい仕掛けてきそうだ」

 

 ウルはボルドーに同意する。が、それに納得できなかったのかガザが口を挟んだ。

 

「だけどよお、ラース攻略は黒剣の成果って事にならないか?」

「自分たちの成果だと高らかに宣言するには、あまりにも後ろ暗く、敵を作りすぎている。よしんば全てが上手くいったとしても、ラース解放という刑務が完了した後、我々をどうするか決めあぐねるだろう」

 

 新たな刑務を用意するのか。それともラース解放自体を無かったことにするのか。しかしそもそもがラース解放を目的として送り込まれた聖女アナスタシアの部隊だった【黒炎払い】のような、複数の共謀から罪無く此処に放り込まれた連中への建前を失った場合どうするのか?

 考えられるだけでも多数の問題が一気に吹き出す。当然、黒剣騎士団は壊滅的な混乱に見舞われるだろう。

 

「でも妨害ってなにする気だよ。あのデブ。なにができるんだよ」

「騎士団で、看守で、囚人の管理者よ」

 

 レイがガザの物言いに呆れていう。だがガザは反論した。

 

「だって、アイツら所詮ダヴィネの言いなりじゃねえか!」

「そのダヴィネが私達の言いなりなワケじゃない」

 

 そして黒剣とダヴィネのパワーバランスは必ずしも一方的ではない。ある程度は対等だ。ダヴィネはラース解放について、積極的な訳ではない。協力はしてくれるがあくまでも取引の上で応じてくれているだけだ。

 ダヴィネからすれば黒炎砂漠の攻略は、地下牢が活気づくだけで必須ではない。現状ある程度地下探鉱の拡張性が確保された今「これ以上は必要ない」と考え、【黒剣】らの要望に応じてウル達との取引を止めたりしたら、それだけで大幅な停滞を余儀なくされる。

 

「……不味いじゃん!?」

「だからその話をしているんだって……」

 

 ガザの反応にレイはもう一度呆れた。しかし確かに不味いは不味いのだ。

 

 今の【黒炎払い】達はウルを中心としてラース攻略に一丸となっている。

 アナスタシアと同行した元々の【黒炎払い】だけでなく、元々は単なる犯罪者で、黒炎払いに連れてこられた者達まで、熱に当てられたようにラース攻略に注力している。

 【黒炎払い】という元々の立場の低さ、かつての大敗、劣等感、罪悪感、様々な燻りに点いた炎は巨大な渦となって、全員を目標へと邁進させている。

 

 この勢いに水を差されるわけにはいかなかった。

 

「色々根回ししないと不味いって事だよな……面倒な話だ」

 

 ウルは頭を掻いて立ち上がる。

 

「ボルドー。アンタ今動けるか?」

「構わないが、なんだ」

「ダヴィネの所に顔出す。8層攻略の兵器の打診ついでに挨拶してくる」

「……確かに、俺も行った方が話は通しやすいか。良いだろう」

「レイ、5層あたりに作る中継拠点の話進めといてくれ」

「分かった」

「ガザ」

「おう、なんだ!」

「俺の部屋で”お茶”の製造完了したから持ってきておいてくれ。後で全員で飲むぞ」

「…………………おおおう……まあかせろお…!」

 

 露骨に顔を青くさせたガザの肩を叩いて、ウルはボルドーと共に去って行った。

 

「ダヴィネに挨拶って、あいつ、マメだよなあ……」

「彼が此処まで全員引っ張ったのはそれができたからでしょ。貴方も自分の仕事なさい」

「あれくせえんだよお……」

 

 悲鳴を上げるガザの頭をレイはひっぱたいた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 およそ70年ほど前、幼き頃、ダヴィネは酷く気弱な男だった。

 

 炭鉱夫を生業とした一族に生まれてきた彼は、当然、両親から同じ仕事につくよう求められた。だが、彼は、致命的に探鉱という職場に対する適性を持たなかった。

 掘って、掘って、掘って、組んで、組んで、組んで

 太陽の差さない地下で、ひたすらに掘り進んで、鉱物を探し当てて、それを取り出していく毎日の繰り返し。ダヴィネはそれが苦手だった。土人としての強靭な肉体がある故に、そう言った肉体労働には適している筈なのだが、どうにも噛み合わない。薄暗い場所を掘り進む事が苦手で、舞う粉塵が嫌いだった。作業を続けるほどにミスは多くなり、失敗し、周りに迷惑をかけては殴られた。

 

 両親はそんな彼を強く罵った。

 

 両親にとっては、長く先祖から受け継いだ仕事にやる気を見せないダヴィネが酷く出来損ないに見えたのだろう。彼等の価値観は狭かった。それができなければ他に生きる道は無いと言うように彼を叱りつけた。

 そんな風に言われて育った彼に自信など、備わるはずもない。彼は酷く気弱で、陰気な人格に育っていった。

 友人もいなかった。鉱山に住まう土人の価値観は誰も似たようなものだ。仲間意識が強いが、一度そこから少しでも外れてしまう者に対しては冷徹だ。彼は孤独で、出てくるクズ石を磨いたり、細工をしたりする事くらいしか趣味は無かった。

 だが、唯一自分に対して冷たい目線を向けたりもしない。罵声を浴びせたりもしないフライタンに対してのみ、心を開いていた。

 

 ダヴィネ、お前は器用で、石を理解している。此処の仕事以外の方が良いかもしれん。

 

 だが、ある日、兄がそう言った。

 それはダヴィネにとってショックだった。だってそれは、ここから出て行けとそう言っているようにしか聞こえなかったからだ。生まれてからずっと暮らしていた巨大なる魔鉱山の麓にある人類生存圏外の採掘集落、その外の世界など彼は知らない。それなのにいきなり外に投げ出されたら絶対に生きてはいけない。

 死ねとそう言っているようなものだ。

 その日ダヴィネは始めて兄と大喧嘩をした。その時から兄、フライタンは他の土人の仲間達からも慕われていたものだから、当然ダヴィネが全て悪いとして周りは彼を罵った。激しい叱責の最中、ダヴィネとフライタンの間には大きな亀裂が生まれた。

 

 そして、その一月後、集落の長が鉱物の数を誤魔化し余所に流していた事実が発覚した。

 

 それだけならば、まだマシだっただろう。長が責任を負うだけで済むのだから。しかし土人の集団は内の結束はあまりにも強かった。

 

 ――危険な外で働く俺たちの取り分があまりにも少ないのが悪い!

 

 そんな長の言葉に全員が同意し、そして取り締まりにきた騎士団との抗争になった。結果、長含む多くの者達が死に、生き残った者は捕まり【焦牢】へと下る事となる。

 その中にはダヴィネやその兄の姿もあった。

 

 ダヴィネが【焦牢】にやってきた経緯はこのような流れであった。

 

 長の誤魔化しも、その後の反乱も殆ど関わらなかったダヴィネからすれば、ソレは完全なとばっちりと言えるのだが、しかし彼はそれほど苦痛には思わなかった。味方の殆どいない里での暮らしは彼にとってどこにも逃げられない牢獄のようなもので、正直大差なかった。

 いや、それどころか、集落の頃と比べれば気分的には楽だった。当時は地下牢に地下探鉱なんて存在していなかった。もっぱら土人達は力仕事を任されて、様々な仕事を任された。それが彼には楽しかったのだ。

 

 ――あら、貴方。とっても器用なのね。

 

 その最中だった。【焦烏】のクウと出会ったのは。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 現在 地下牢工房

 

「黒炎払いの装備の更新だあ?!」

「全員ではないが遠征メンバーの装備をな。もう少しマシなのにしたい」

「コインは!」

「無論、ある」

 

 ボルドーとダヴィネの取引をウルは傍目で眺める。

 ボルドーが持ち出したコインは結構な大金だ。現在、【黒炎払い】の稼ぐコインの量は相当な物になっている。理由は幾つかあるが、やはり番兵を倒し迷宮の先に進めたのが大きかった。

 数百年前の災厄の際、プラウディアに次ぐ偉大なる繁栄の都市とされていたラースは、その繁栄を焼かれ、滅び去った。しかし焼け残ったものは残っていた。黒炎にも焼かれず、しかし誰にも回収されることも無く砂に埋もれた数々の遺産。それを回収できたのだ。

 【黒炎払い】達は効率よくそれらを回収し、そしてダヴィネに渡してコインに換金した。今や【黒炎払い】達はトレジャーハンターの側面も持ち合わせていた。

 それを目当てで黒炎払いに成ろうとする囚人が多く現れ、その対処と管理にボルドーが駆け回る羽目になったのだが、今は置いておこう。

 

 ともあれ、今の黒炎払いという集団は結構な金持ちだ。装備の一括更新は可能だった。

 

 故に、取引は問題無いはずなのだが、ダヴィネの表情はやや冴えない。

 

「どうした?」

「…………」

 

 ダヴィネはじろりと視線を此方に向け、そして小さく呟いた。

 

「調子に乗ってるんじゃねえだろうなあ?お前等」

 

 猜疑心に満ちたその目を見て、ボルドーは眉間に皺を寄せる。これは定期的に発生するダヴィネの癇癪だ。しかし焦りはしなかった。彼は時々こうなるとボルドーは知っている。

 

「なんのことかわからぬな。ダヴィネ。もう少し分かりやすく説明しろ」

「とぼけんじゃねえ!!てめえら!!最近態度がでけえんじゃねえのか!?」

 

 なるほどな。と、ボルドーは頷いた。そしてウルをチラリと見て、頷く。

 

「確かに、最近の【黒炎砂漠】攻略は快進撃と言っても良いだろう。だが、その勝利は常にお前が生み出した【竜殺し】を筆頭とした様々な装備があってこそだ」

「ダヴィネの武器無しだったら、多分出だしの4層目の時点で俺等は全滅だったしな」

「うむ。最前線でその事を理解できない戦士はおらぬよ。」

「そりゃ末端の戦士は勘違いしてるかも知れないが、そいつらにも言い聞かせるよ」

「ダヴィネ無しでは地下牢は成り立たん。覆しようのない事実だこれは」

 

 ウルとボルドーは二人揃って言葉を並べる。ダヴィネが何かをいうよりも前にたたみかけるような言葉を受け、ダヴィネは暫く口をパクパクさせたが、暫くするとうなり声を上げて顔を伏せた。

 

「……そんなら、いいんだよ」

 

 落ち着いたらしい。ボルドーは小さく安堵の息をつく。

 なんというべきか、ダヴィネは時々こんな風になる。圧倒的な王さまなのに、急に挙動不審になるのだ。正直言えば奇妙だった。ボルドーから見ても、いや誰から見たとしても、ダヴィネの持つ才覚はとびっきりだ。彼の生み出す作品や、開発する兵器類はなにもかも精巧で、強力だ。

 だのにそれだけのものを生み出せる力を持ちながら、ヒステリックで不安定なのだ。

 

 もう少しどっかりと王さまをして貰った方がやりやすい。

 

 が、贅沢も言えるものではない。此処は特殊ではあるが牢獄だ。その住民が心身に傷があるのは当然だ。完璧な人格者の王など高望みもいい所だろう。ボルドーは話を切り替えて、ひとまずの目的を果たすことにした。

 

「今度、戦士達を連れてくる。採寸して鎧の調整などを――」

「ダヴィネさん!!!」

 

 そう思っていると、横槍が入った。

 禿げた小人の男。牢獄内の情報屋きどりで、ダヴィネの周りをちょろちょろとする事でおこぼれにあずかっている男だ。露骨にダヴィネは不機嫌になった。

 

「商談中に入ってくるんじゃねえ!!」

「す、すみやせん!ですけどダヴィネさん!大変なんです!!」

 

 小人は汗を流しながらヘラヘラと笑い、そして何時も通り、情報をダヴィネへとぶちまけた。

 

「【探鉱隊】と【魔女釜】で戦争起きたんでさあ!」

 

 ダヴィネはその言葉に目を見開いて、困惑を表した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

揺れる牢獄と王様②

 

 

 事の経緯は【黒炎払い】と無関係の話では無かった。

 

 元より土人中心の【探鉱隊】と、魔術師が集う【魔女釜】は不仲な関係にあった。地下鉱山を掘り進める土人達にとって、魔術は基本的に嫌悪の対象なのだ。魔術は精霊のもたらす恵みを、自分の都合でねじ曲げようとする外法、などという迷信が根強く探鉱夫達の間に残っていて、だから本来の鉱山作業では表だって魔術師が立ち入ることすら嫌われていた。(そうは言っても、一部魔道具類などは使うのだが)

 だが、此処は牢獄だ。囚人達の隔離など出来るはずもない。どうしたって接触は避けられず、そのたびに少なからずのトラブルが発生していた。

 

 しかし、大きな問題にまでは発展しなかった。

 

 根本的に【魔女釜】が【探鉱隊】より弱かったからだ。ダヴィネ自身も土人であり、彼に直接、彼のための鉱物を持ち運ぶ【探鉱隊】は影響力は大きく、【魔女釜】は大きく出られなかった。だから、大きな争いになることは無かった。【魔女釜】が耐え忍ぶことでそれが抑えられたのだ。

 が、しかし、最近になってその状況が変わった。【魔女釜】が支援した【黒炎払い】の快進撃だ。現在地下牢で【黒炎払い】の影響力が強まったが、同時に【魔女釜】の影響力も変わった。

 

 要は【魔女釜】が、我慢する理由が無くなった。つまり――

 

「食堂で【探鉱隊】の連中が魔女釜に難癖付けたら、【魔女釜】が魔術で反撃して、そんでもってかなりでっけえいざこざになりやして!下手すりゃ死人がでますぜ!」

 

 いままでの不満が、爆発したのだ。

 

「そりゃ相当だな……」

 

 ウルは眉をひそめる。

 犯罪者しかいない牢獄。目立った看守もいないようなこの空間であっても、人殺しはめったなことではでない。【焦烏】の暗躍と、ダヴィネの支配によって、最低限の秩序は保たれていた。どれだけ相手が憎かろうが、この二つの抑止力を無視してまで問題を起こそうとするものはいなかった。

 その抑えが効かない。それだけでもその危うさがわかる。

 

「ダヴィネ、どうす……」

 

 ボルドーはダヴィネに伺おうとして、そして口を止める。ウルもダヴィネを見た。

 

「……………」

 

 ダヴィネは、固まっていた。とても指示を出せる状況のようには思えない。

 パニックになっている?

 元々、決して優秀な指導者というわけではなかったが、ここまで明確に機能不全に陥る姿は見たことがなかった。そして、こうなった原因は、すぐに思い当たった。

 

「……【探鉱隊】が絡んでるからか?」

 

 ウルがボルドーに囁く。ボルドーは「多分な」と頭痛を覚えたような顔で頷いた。

 

「ダヴィネは此処の実質トップになってから、元いた【土人】のグループ、つまり【探鉱隊】を拒絶している。数十年も前の事で、俺も詳細には知らぬのだが」

「拒絶か」

 

 ダヴィネは少なくとも【探鉱隊】というグループをこの地下牢の中で利用していた。優遇していると言っても良いだろう。一方で接触は拒んでいるという関係を維持していた。

 

 考えるまでもなく、歪だ。距離は置きたいが、離れがたい。そんな矛盾した感情が見える。

 

 とはいえ、このまま停止されていては困る。なんとか回復して貰わなければ。と、ウルが立ち上がり彼に呼びかけようとしたとき、不意に彼の影が動いた。

 

「放置しておけばいいんじゃあないかしら?」

 

 黒い影が囁く。そして同時に形を取る。真っ黒いローブを着た美しい女の森人。

 【焦烏】のクウが姿を見せたのだ。

 

「お、おお!?クウ!?」

「ダヴィネ。御免なさい。少し地下の廊下が騒がしくて、影を通ってきたわ」

 

 硬直が解け、驚くダヴィネにクウはそっと微笑みかける。その移動自体は別に彼にとっても珍しいものでは無かったらしい。ダヴィネは多少落ち着きを取り戻すと、そのまま彼女へと向き直った。

 

「よし!クウ!ケンカしている馬鹿どもを止めてこい!お前の仕事だ!」

 

 確かに、牢獄内の秩序を保つのは看守であるクウ達の仕事だ。言ってることは正しい。だが、クウは彼の命令に対して頷いたりはせず、ニコニコと微笑むばかりだった。

 

「今言ったわ。放っておけばいいんじゃないかしら?」

「ああ!?」

 

 ダヴィネが声を荒げる。だがクウは聞こえなかったように言葉を続けた。

 

「あの二つの勢力はちょっと問題だったのよ。【魔女釜】は私の影の監視を外そうとするし、【探鉱隊】は、ダヴィネに対してかなり厚かましい。」

 

 クウは淡々と問題を述べる。既にウル達の耳にも、少し離れた場所から悲鳴と罵声、轟音が響いている。大乱闘が起きているのだ。だが、クウに焦る様子は全くない。

 

「ダヴィネは替えが効かないけれど、あのヒト達は替えが効くもの。むしろ、もう少し大人しくなってくれた方がありがたいわ。丁度良いガス抜きにもなるし」

「聞こえてくる騒乱の規模だと、下手すりゃ死人が出るぞ」

「グラージャか、フライタンあたりが死んだら、多分もっとやりやすくなるわよ?」

 

 クウはそう言い放った。

 ウルは「正気か」と反論しようとして、不意にクウが目を細めてダヴィネを見ていることに気がついた。ダヴィネは、特にフライタンという言葉に動揺し、しかしそれでも何かクウに反論するでも無く、沈黙を続けている。

 

「ねえ、貴方はどう思う?ウル」

 

 クウは笑う。ウルは額に皺を寄せた後、ダヴィネへと視線を向けた。

 

「ダヴィネ」

「……なんだ」

 

 露骨に声に覇気の無いダヴィネに、ウルは出来うる限り柔らかな声で言葉を続ける。

 

「【焦烏】が動かないなら【黒炎払い】に制圧を命じろ」

「……あ?」

 

 どういうことだ、というようにダヴィネはボサボサの眉をひそめる。ウルの隣でボルドーもやや訝しげだ。ウルは内心ですまんとボルドーに謝罪しつつも会話を続けた。

 

「クウの言ってることがいくらか合理的なのかもしれんが、アンタが嫌ならそれを止める権利はアンタにはある。此処の王さまはアンタだ」

「……俺は別に、嫌だなんて言っていない」

「【探鉱隊】の連中は嫌いなんだろうが、気にしてるんだろう。死なれたら寝覚めが悪いんじゃないのか」

「…………」

「別に、その事をとやかく言うつもりもない。アンタはただ命じればそれでいい。こっちは戦闘の専門家だ。問題なく終わる。どうだ?」 

 

 その提案に、ダヴィネは返事はしなかった。しかし、首を横に振る事も無く、ただ小さく頷いてみせるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【探鉱隊】本拠地

 

「と、言うわけで、お前のとこの馬鹿どもを鎮圧したわけだが、文句あるかフライタン」

「ないな」

 

 ウルの宣言通り、暴動の鎮圧はすぐに終わった。

 事の始まりを聞けば「相手が先にコチラの悪口を言った」といった子供のケンカじみたものだったらしいのだが、しかしやりあうのは大人達である。魔女釜が魔術を振るい、土人達がその力で机や椅子を投げつけ叩きつける。結構な地獄絵図だった。

 しかし、魔女釜にしても探鉱隊にしても、所詮は戦闘能力を有した集団ではない。外に出て危険な【黒炎鬼】らと戦う戦士達からすれば、それはやはり子供のケンカに等しかった。ボルドー率いた戦士達が主要人物を殴って拘束し、食堂の大乱闘は即座に終結した。

 そして現在、ウルは土人の【探鉱隊】へと拘束された元暴徒達を連れ訪れている。彼等は一様に顔に打撲痕や血を流しているが、流石に治療までは管轄外だ。

 ちなみに【魔女釜】の方へはボルドー達が向かっている。こちらは土人を刺激しないよう、ウル一人だ。

 

「その馬鹿どもには後で説教をしておく」

 

 それを見て、フライタンは深々と溜息をついた。彼が乱闘に参加していなかったことを考えると突発的に起こったもので間違いないらしい。彼も参加していたらいよいよ暴力だけでは決着が付かなかったところなので安心した。

 

「そうしてくれ。本塔の黒剣どもがやってきたらもっと最悪だった」

「黒炎砂漠の攻略が邪魔されるからか?」

「あんたらだって困るだろ?」

 

 ウルが指摘するがフライタンは表情を変えない。見た目ではとても分かりづらい男だ。だがしかし、この地下探鉱の拡張性が飛躍的に向上したのは、黒炎砂漠の攻略が進んだからなのは間違いない。地上部の黒炎の範囲が損なわれ、活動範囲が大幅に広がった。

 だからこそ、彼等からしても、地下牢で無用な騒ぎは起こすべきではない筈、なのだが。

 

「うるせえクソッタレ!!魔女の手先がよお!」

「アイツらがでかい顔し始めたのもてめえ等の所為だ!!」

 

 暴徒達が喧しかった。

 ウルは彼等を無視してフライタンを見るが、彼は彼で少しだけ困ったように溜息を吐き出すばかりだ。

 

「制御できないのか」

「している。その馬鹿どもが人死にを出さなかったのがその証拠だ」

「おい」

「分かっている。だがこっちの状況も慮ってくれ」

 

 フライタンの言い方は本当に苦々しげだった。

 ウルはフライタンのことは比較的、話の分かる男だと理解している。少なくとも彼は他の探鉱隊の面々のように頭は固くない。種族や、職場の区分けに捕らわれるようなことはしていない。

 だが、彼だけではやはり難しい。何よりも。

 

「いいからとっととダヴィネの馬鹿を出しやがれ!!!」

「……そのバカどもを部屋に放り込んでおけ。五月蠅くて話にならん」

 

 彼等は、地下牢の王であるダヴィネの身内であるという考えが根底にある。

 ダヴィネ自身の様子を鑑みるに、ダヴィネ自身は【探鉱隊】との繋がりをどこか疎ましく思っているように思える。だが、暴徒達の様子を見るに、彼の意思など知ったことではないらしい。

 仲間意識が根強いのに、仲間とする相手の意思を無視しているというのは奇妙なものだった。特に帰属意識の薄いウルにはこういった思考回路に陥る者達が居ることは知っていても、上手く寄り添えなかった。

 

「……ダヴィネに間接的にでも話を付けて貰った方がいいか?」

「やめておけ。碌な事にならん」

 

 だが、フライタンは即座に首を横に振りハッキリと述べた。

 

「アイツラの中で、ダヴィネは未だ数十年前の”不出来なダヴィネ坊”で止まってる。そしてダヴィネ側も根本的に変わっていない」

「あんた等の昔話はしらないが、今の状態を無視して話進められたら碌な事にならんか」

「それが分かってるから、ダヴィネも拒絶している。正しい判断だ」

 

 フライタンは言い切る。

 物静かな男だが、ダヴィネに対しては深い労りの心が見える。兄弟である、という情報は流石にウルも聞いている。二人がどのような関係にあるのかは知らないが、少なくとも、フライタンからダヴィネに対しては未だ、思うところは大きいらしい。

 

「じゃあどうやったら抑えられる?」

「無理だ」

「おい」

 

 ウルが突っ込むが、フライタンは真顔だ。

 

「事実困難だ。あいつらは変化を嫌い、変わらずを望む。分かるか?」

「……今が最大のストレスだと?」

「お前が引き起こす変化は、ウチの集団にとって脅威で、毒だ」

「…………」

 

 それを言われると、返す言葉もない。ウルはこの地下牢という空間で好き放題動いている自覚はある。自分の望みを叶えるため、地下牢の生活を営む様々な場所に土足で踏み入っていった。結果の是非を問わず、それ自体を嫌うと言われたら難しい。何せ、今更それを止めることも出来ないのだから。

 

「……可能な限り時間は稼いでやる」

 

 沈黙したウルに、フライタンは小さく呟いた。

 

「良いのか?」

「馬鹿どもも、道理も分からん獣じゃない。繰り返し言ってやれば、堪えることも覚えるだろう。【魔女釜】を抑えるのは任せるぞ」 

 

 ウルは頷いた。フライタンは立ち上がる。連れて行かれた暴徒達に話をしに行くのだろう。だがその去り際、振り返らずに彼は言った。

 

「精々急げ。思うよりも猶予は無いぞ」

「……アンタは俺たちを応援してくれる、でいいのか?」

「…………」

 

 ウルの問いに、フライタンはしばらくは応えなかった。少し躊躇うようですらもあった。だが、最後に本当に小さな声で、彼は言った。

 

「……ダヴィネのバカを、ここから連れ出してやってくれ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

揺れる牢獄と王様③

 

 

 地下牢での内乱は収まりを見せたが、以降もウルは根回しを続けた。

 地下牢の中で出来た知人達に声をかけ、様子を確認し、時に誘導を行う。地下牢は【黒炎砂漠】を攻略する上では不可欠の拠点だ。この場所が少しでもぐらつけば砂漠の攻略が大幅に遠のくことをウルは理解していた。

 全てが終わった頃には夜もふけていた。ウルは自室の魔法薬製造所へと足を運び、その途中で不意に足を止めた。

 

 魔灯で照らされた廊下の先に、黒い女がいた。

 

「上手くいったかしら?」

「自分の仕事を放棄して、なにがしたいんだアンタは」

 

 影から姿を現した【焦烏】のクウに問いかける。暴動の時、看守でありながら積極性に欠けていた彼女の態度を問いただすと、彼女は小さく薄らと微笑みを浮かべた。

 

「感謝して欲しいわね。ダヴィネと貴方たちの結びつきを強くしたのよ?」

「【焦烏】はダヴィネから距離を取ると?」

「少しはね。その分貴方達をダヴィネは戦力として頼るでしょう?」

 

 そうすれば、ダヴィネは【黒炎払い】を重用せざるを得なくなる。【黒剣】がウル達を疎ましく思おうとも、ダヴィネを誘導してウル達を排除する、といった手が使いづらくなる。

 なるほど、確かにこれはウル達からすれば望ましい展開ではあった。しかし、ウルの表情はあまり冴えない。

 

「あら、ご不満?」

「この流れを起こすために、わざわざ暴動を引き起こすような女だからな」

 

 そう言うと、クウはニッコリと微笑みを浮かべた。シズクがエシェルに指導していたような、表情を誤魔化すときのツラ構えである。ウルは自分の指摘が当たったことを知った。

 

「よく分かったわね」

「悪口を言われたという双方の言動が噛み合わなかった。嘘を言った様子もない。誰かの介入だとしたら思い当たるのはアンタだけだ」

 

 ウルがそう言うと、クウはクスクスと笑う。今度は誤魔化すような笑いではなく、本当に面白いものをみたような零れるような笑いだった。

 

「ほんっと、冒険者らしからぬわね。スパイとかの方が向いてるのでなくって?」

「冗談だろ」

「まあでも、ほら、ちゃんと効果的だったでしょう?」

 

 確かに効果的だった。【黒剣騎士団】が今後ウル達の邪魔をしてくる危険性を大幅に削ることには成立した。勿論彼等はウル達囚人を管理する側である以上、強攻策を取られれば油断は出来ないが、ダヴィネを半ば味方に引きずり込んでいるのは大きい。

 だが、クウは本来であれば【黒剣騎士団】サイドであるはずなのだ。にもかかわらず彼女がこうしてコチラの味方をしてくれると言うことは――

 

「……つまり、あんた、本当に【黒炎砂漠】の攻略を目指してんだな」

「言わなかったかしら?」

 

 確かに言っていた。

 彼女自身から放たれる毒気が強すぎて信じることは全く出来なかったが。

 

「だったら、俺が騎士団長に連れて行かれるのも止めて欲しかったがな」

「後からバレて詰めで台無しにされるより、早い方が良いでしょ?」

「じゃあ騎士団長を誘導したのもアンタって事か」

 

 全くもって油断ならない女だった。味方ではあるが、何もかもを彼女の前で明かすのは愚策だろう。ウルは止めていた足を動かして、自室へと向かった。

 

「もうお帰り?」

「影から見てたなら知ってるだろう。今日はもう疲れ果ててんだよ」

 

 ウルはそう言うと、クウの身体は再び影の中に溶けて消えた。まるで最初から何処にもいなかったかのように。その代わり、彼女の声だけがあたりに反響するようにしてウルの耳に届いた。

 

「暴動誘発の件、ダヴィネには黙っていてね。共犯者さん?」

「……問いたださなきゃ良かった」

 

 己の迂闊さに舌打ちするが、その時にはクウの声も気配も完全に消えて無くなっていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 

 

 

 

 自室に戻ると、アナスタシアはゆったりとした動作で出迎えた。

 黒剣騎士団に連れて行かれて、戻ってきたときは酷く取り乱していたが、今は問題ないらしい。黒睡帯で隠れた顔の隙間から、小さな微笑みを見せていた。

 

「ウル、くん。お帰り、なさい」

「うん、戻った」

 

 挨拶をして、ウルは少し脱力する。同時に自分の疲れを自覚した。疲労感が両肩にずっしりとのしかかるのを感じた。そのままベッドに倒れ込むと、暫く黙った。アナスタシアは黙ってその疲労からくる沈黙を受け入れた。

 暫くして、ウルはゆるゆると口を開いた。

 

「疲れた」

「平気、ですか?」

「大丈夫ではないが、仕方ない」

 

 ぼやきながらも、今日あったことを振り返る。今日は黒炎砂漠の探索に向かわなかったはずなのに、やけに疲れた。

 

「……分かっていたつもりだったが、ダヴィネはリーダー気質じゃないな」

「そう、ですか?」

「天才的な一芸でごり押ししてただけで、そもそも本人がそれを望んでいない」

 

 自分がやりたいことだけをやりたい、やりたくないことには関わりたくない。そういう感情を隠そうともしないという時点で彼はリーダーに向いていない。

 そんな彼がこうなったのは、偏に彼が鍛治屋ないし発明家として天才的だったが故だろう。それが生み出す莫大な利益が彼を一強にした。彼自身も抗えない流れのままに。

 しかし、現状はそれが難しくなった。

 

「状況変化に対応できなくなってる……まあ、俺らの所為なんだが」

「悪いことでは、無いはず、です」

「……そうかな」

 

 ウルは身体を回転させて、天井を見上げる。形骸化しているとはいえ、囚人を閉じ込めるための地下牢。見栄えなど良いはずもないが、地面を掘り返して作られた牢獄の天井は味気なかった。

 

「今はまだ誰も死んでないが、多分遠からずそうはいかなくなる。俺が、死に追いやる」

 

 ウルが来るまでの地下牢は停滞していた。毎日同じ事をひたすらに繰り返していた。それは緩慢な死と言えるだろうが、安定していたとも言える。

 ウルは、それを別に悪だなんて思わない。死ぬのは怖い。リスクを負って無茶をしても、その責任は誰も被ってはくれないのだ。先延ばしがしたい。

 だから、そんな地下牢の日々を破壊したのは決して正義なんかではない。何の大義もそこにはない。全てはウルの勝手の為だ。

 自分の目的のためだけに、続く毎日を破壊したのだ。

 

「この先、俺の勝手でヒトが死ぬ」

「………それは」

 

 アナスタシアは言葉を探す。だけど、

 

「そうかも、しれません。でも」

「でも?」

「貴方の勝手に、乗っかるのは、そのヒトの、勝手です」

「……まあ、な」

 

 他人の行動に命を預けたなら、その責任は他人に命を預けた当人の物だ。当たり前の話である。だからといって、状況を煽ったウルの責任が軽くなるわけではないのだが、少し気持ちは軽くなった。

 

「私も、自分の勝手で、貴方を、手伝ってる。だから、気にしないで」

 

 そう言って、アナスタシアはウルの右手に触れてそっとしなだれかかる。彼女は触れる事と触れられる事を好んだ。呪いの身が他人に拒絶されて久しく、故にこそ人肌が恋しいのだろう。ウルはそのまま彼女の頭に腕を回して、そっと抱きしめて目を瞑った。疲労が心地よい眠りを誘った。

 

 本格的にまどろむ前に、ウルは自分の”勝手”を想った。

 そしてそれに振り回した妹と、その彼女を攫ったディズを想った。

 

 無茶はしていないだろうか。いや、してはいるだろう。なにせ勇者のお供だ。ハチャメチャな旅路について回るだけでも一苦労だろう。しかし言葉遣いが舌足らずなだけで、十分に彼女は大人だ。ウルなどよりもよっぽど、気が回る。寂しがり屋なのは玉に瑕だが、ディズと仲良くやっている事を願う。

 ディズはディズできっと自分の身体を痛め付けてまで、平穏を守っているのだろう。ある意味、アカネ以上に危うい少女だ。同郷と聞いて驚きはしたが、彼女とも奇妙な付き合いになった。沢山頼って、迷惑もかけた気がする。彼女との関係は一言では言い表せない程複雑だが、故に深い縁で結ばれているのをウルは感じている。

 今も外で戦っているであろう二人の無事を祈る。

 

 次に、仲間達の事を想う。シズク、ロック、リーネ、エシェルを想う。

 

 既に彼等と別れて半年だ。妹は兎も角、仲間達との付き合いは短い。下手しなくてもこの地下牢で過ごした日々の方が長くなってしまった。にもかかわらず、彼等の事を明瞭に思い返すことが出来るのは、仲間達との日々があまりにも濃厚すぎたが故だろうか。

 

 思い返すと、本当にバラバラな仲間達だったと思う。

 

 出自も目的もなにもかもバラバラだった。何故に空中分解せずにひとまとまりになれたのか正直不思議でならない。全員勝手で、本当に自分の目的のことしか考えていなかった。なのに、それが一方向に向かっていたのだ。

 

 あまりにも大変だったが、心地の良い時間だったと思う。

 

 そしてそれが損なわれて、奪われた。取り戻したいとウルは今も願っているが、それは難しいかも知れない。実は外では、仲間達はとっくにウルに見切りを付けているのかもしれない。あるいは、何かの事故で、死んでしまっているかも知れない。

 

 ここから得られる情報は少ない。悪いことを想像すればいくらでも思いつく。

 

 しかし、それでもここから出ようという気持ちはなくならない。自分の勝手の為に、地下牢全体を巻き込んで荒らすことに一切の躊躇が生まれない。振り返って改めても、何も変わらない。

 何処までも自分は我の塊だ。地下牢に落ちても何も変わらない。

 きっと死ぬまでそうなのだろう。どうにもならない。ならば、

 

「……やるか」

 

 恐怖も、未来への躊躇いも、罪の意識も、全て吞んで前へと進もう。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【黒炎砂漠】 第八層 

 

『AAAAAAA……』

 

 左右が奈落となる細い砂の橋、その奧に【黒炎蜥蜴】は鎮座する。

 生物のように餌を食う必要も無い。眠ることも無い。呪わしい暗黒の炎が身体を焼き続ける限り、その命は尽きることはない。【黒炎蜥蜴】はちろちろと舌を伸ばしながら、ただただ前を睨み付ける。侵入者がやって来たその時に、その全てを焼き払うために。

 

 その橋の向こう側に、ウル達【黒炎払い】は構えていた。

 

「行くぞ」

 

 隊長であるボルドーの号令に、ウル含めた戦士達は頷く。

 

 第八層目の【番兵・黒炎蜥蜴】との戦いが始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠第八層 黒炎蜥蜴戦

 

 

 【黒炎蜥蜴】との戦いは、まずそこにたどり着くだけでも困難な戦いだった。

 

 まず前提として【人形】との戦いで使った“大砲”を用いることはできない。単純に運搬が困難だ。4層目の人形戦は10年間の停滞の間に変動する迷宮の安全な移動ルートを用意できたからこそ使用できた、文字どおりの“飛び道具”だった。

 5層目以降の階層は未知であり、単純な攻略にも困難がつきまとった。8層目の番兵の所までたどり着くことが出来るのはウルやガザ、レイを除くと精鋭部隊の一握りだ。総勢10人にも満たない。

 当然、大量の兵器による包囲など不可能である(そもそも地下牢の倉庫に放置されていた大砲群自体、一度の使用で大分ガタが来た)

 

 攻略が完了した5層と7層に中継地点を用意し、資材を運び続ける。

 

 その間にも通常の黒炎鬼は襲い来る。それらの処理もし続けなければならない。ダヴィネの技術と魔女釜の魔術を併用した”結界術式”がなければセーフゾーンの確保すらままならなかった事を考えると、“比較的大人しい迷宮”といっても、完全攻略となるとその難度は高い。

 

 そしてなんとか現状の万全を用意して【黒炎蜥蜴】の前に立ったとしても、そこまでが準備段階で、これからが本番なのだ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 【黒炎蜥蜴】が鳴く。同時に、口内に溜め込んだ黒色の炎が渦を巻いて、そして吐き出される。強力な熱と、呪いを孕んだ黒炎が狭い道を一杯に広がっていく。

 

「退避!!!」

 

 ボルドーの声で即座にウル達は”橋”から距離を取った。自然には生まれる筈もない流砂の橋は黒炎で埋め尽くされて、蜥蜴が炎を吐き出し切った後も暫く橋を燃やしていた。薪のない状態であっても橋は暫く呪いが満たされる。迂闊に足を踏み入れれば呪いに殺されてしまうだろう。

 

「くそ!やっぱり少し近付くだけでもまき散らしやがる!!」

「わかってはいたことだ」

 

 苛立ち喚く戦士達をボルドーが落ち着かせる。

 【壁】を守る【黒炎蜥蜴】の元にたどり着くための流砂の一本橋。左右に広がる底の見えない奈落。最悪の立地条件だった。相手には一方的に攻撃する手段があり、逆にこちらには遠距離からの有効な攻撃の手札がほぼ無い。

 

「竜殺しを投げつければ効くかもだが……」

「改めて見ても、遠いな。ウルや俺であっても、有効打になるか怪しい」

 

 流砂の橋は長い。この橋の向かい側から相手のところまで投擲を行えば、威力は減衰する。ヘタすれば蜥蜴には気付かれるだろう。それで打ち落とされて【竜殺し】を奈落へと落として失っては目も当てられない。

 ダヴィネがいくらか協力的になり、現在【黒炎払い】が迷宮攻略時に利用できる竜殺しの本数は最大10本だ。4層攻略時は2本だったことを考えれば多くはなったが、むやみに消費できるものでもないし、失ってすぐに補充できるものでも無い。一本作るのに、ダヴィネは一ヶ月前後の時間を必要とするらしい。そんなものをぽんぽんと消費することは出来ない。

 マトモに戦うには橋を渡るしか無く、しかしそうすれば即座に黒い炎に薙ぎ払われるのがオチである。状況は困難極まった。

 

 だからこそ、対策を練ってきた。

 

 たどり着くだけでも一苦労な場所までウル達は今日まで何度も足を運び、そしてそのたびに情報を集め、様々な対策を考えてきた。失敗は既に重ねている。今日は結果を出す日だ。

 

「……でもよお、ウル。本当に“コレ”使うのか?」

「なんだ。怖じけたのか?」

「バッカ!!ちげえよ!!ちげえけど………」

「現状、俺と併走出来る足があるのはガザだけだ。頼むぞ」

「バカヤロウ!!!任せろよ!!!」

 

 ガザの背後でレイが小さく「単純」と呟いたが、ガザには聞こえなかったらしい。ウルがダヴィネに依頼し用意させた”ソレ”をガシリと握りしめた。ウルも同じく握る。

 

「およそ三分後に黒炎が安定化する。そこからが勝負だな」

 

 ボルドーの言葉にウルとガザは頷いた。

 

「戦場に立てば、撤退は困難だ。今日で奴を殺す。全員腹をくくれ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【番兵・黒炎蜥蜴】には生物としてのまともな思考回路は存在しない。

 

 他の【黒炎鬼】達とその特徴に変化は無く、”薪”となる対象を黒炎で焼き尽くし自分の同類を増やす事、そして黒炎の壁の守護者であり核でもある【番兵】としての役割を守る事以外に行動原理は存在していない。

 まともな生き物のような学習能力も当然存在しない。ただただ機械的に、近付いた”薪”を焼こうとするばかりだ。

 

 だから、橋の向こう側から現れたソレに対しても、【黒炎蜥蜴】は機械的に対応した。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 自らをも焼き続ける黒い炎を腹の中で凝縮し、そして吐き出す。

 暗黒の炎は狭い一本道を再び埋め尽くし、橋に近付いたそれも飲み込んだ。薪の気配も己の熱と呪いに全て飲み込まれ、感知できなくなる。故に【黒炎蜥蜴】はピタリとその動きを止める。

 勝利の確信だとか、そういう類いのものでは無い。ただただ機械的に、対象を見失ったから動きを止めたのだ。再び薪の気配が現れるまで、蜥蜴はそうする。

 だから【黒炎蜥蜴】は待機して、待機して、待機して――

 

「っしゃあああああああおらあああああああああああああ!!!!!」

 

 その炎の橋を突っ切って来た”鉄塊”を叩きつけられた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?!!』

 

 黒炎蜥蜴のわめき声を聞きながら鉄塊、もとい【黒炎喰いの大盾】を握ったウルとガザは手応えを感じて、叫んだ。

 

「っしゃおら!!!大当たりだコラ!!!どうなってっかわかんねえけど!!!」

「調子乗って奈落に落ちるなよ!!!」

 

 黒炎を喰らう槍が作れるなら盾も可能ではないか?

 

 ダヴィネに問うたその質問の答えは「NO」だった。技術的に何故困難であるかの説明はウル達は完全に理解する事はできなかったが、要約すると「黒炎を喰らって砕く力を広げることは出来ない」との事だった。

 【竜殺し】を槍や矢の形にするのには理由がある。竜殺しの力を一点に集中するためなのだ。それを面状に広げることは出来ない。というのがダヴィネの説明だった。

 

 だが、そうするとどうするか。黒炎蜥蜴と戦うには、まず蜥蜴の居る戦場に足を踏みこまなければ話にならない。その為の【黒炎の吐息】はなんとしても防がなければならない。橋を焼く黒炎を浄化しなければならない。

 

 ――黒炎に対して物理的な障壁は効果が無い訳ではない。

 極めて頑強な盾なら”多少は”保つ。

 

 議論の最中、ボルドーから提案があった。そして出来たのが【黒炎喰いの大盾】である。名前はいかにも勇ましいが、その実体は冗談みたいな造りをしている。

 

 魔術弾きの黒金の大盾に、何本も【竜殺し】が突き出ているのだ。 

 

 その冗談めいた大盾をウルとガザが一つずつ握り、橋に突き立てて一気に黒炎を掻き分けてゴリゴリに直進するのが今回の作戦である。原案を口にしたとき、見事に「正気かコイツは」という顔でウルは他のメンバーに睨まれた。実際ウルもまともな発想では無いとは思った。

 これを思いついたのは、ロックンロール号の事が頭にあったからである。移動できる巨大な装甲の超簡易人力版だ。実戦の前にガザと何度も平地で練習し、視界不良の問題をレイの通信魔具による指示で安定させ、練習で黒炎鬼達を相手に盾の耐久度と“漏れ”が起こらないかの確認を続け、そして今日実戦に投入した。

 

「何かされる前に一気に叩き潰すぞ!ガザ!!!」

「ああ!やってやる!!」

 

 ウルとガザは叫ぶ。

 出来る限りの想定と準備はした。だがここから先、【黒炎蜥蜴】との近接戦は初めての状況だ。どうしても予想しきれない事が多い。そしてその状況に遭遇した際、ウル達に撤退する選択肢は無い。

 逃げるには”砂塵の橋”を再び渡る必要がある。当然盾を構えなければ背中から吐息で焼かれる。だが後退の時はもう盾が保たない。既に1度真正面から黒炎を受けている。後退の時保ってくれるという考えは甘い想定だろう。

 

 だから撤退は無い。大盾も使い切って、ここで一気に殺す。

 ウルはその覚悟をもって大盾を握りしめ、そして真っ直ぐに蜥蜴に叩きつけた。

 

「だあらああ!!!」

『AAAAAA!!』

 

 強い打撃音と、槍が突き刺さる音がする。脳天を叩きつけられ、同時に突き出た竜殺しが【黒炎蜥蜴】の身体に突き刺さる。その恐ろしい感触をウルは噛みしめ、更に全力で幾度も踏み込み、盾を押し込んだ。

 

「死・に・腐・れぇえ!!!」

 

 竜殺しが何度も黒炎蜥蜴に突き刺さる。通常の黒炎鬼であれば、竜殺しが直撃するだけで身体で炎上する【黒炎】は喰われ、やがて弱り死ぬ。

 しかし、相手は【番兵】であり、その耐久は桁違いだった。ウルもそれは理解している。

 

『AAAAAAAAAA!!!!』

「っぐ!!?」

 

 だから、反撃を喰らうことも、覚悟はしていた。

 

 横殴りに突如、打撃が飛んできた。それが【黒炎蜥蜴】の尻尾であった事に気付いたのは殴られた後からだ。大盾に視界が奪われていた状態で、突如真横から飛んできたその攻撃はウルに直撃し、盾を手放して吹っ飛ばされ

 

「ウル!!」

「―――――ッ!!っ死んでない落ちてない!!平気だ!」

 

 慌てるガザの声に急ぎ状況を説明する。横殴りにされた腕と腹が強く痛んだが、折れてはいない。動かせた。黒炎は尾っぽにもついていたが、全身の【黒睡帯】が守ってくれたらしい。

 つまり、まだ戦える。ならば

 

「こっからだクソ蜥蜴が!」

 

 背負った【竜牙槍】と【竜殺し】を握り、大盾が顔面に突き刺さっている黒炎蜥蜴へと跳んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎砂漠第八層 黒炎蜥蜴戦②

 

「レイ、お前は後方の術者等を率いて後方支援に注力しろ」

「了解」

 

 レイとボルドーもまたウル達の後に続いて砂塵の橋を渡りきっていた。ボルドーはウル達と共に蜥蜴を直接狙い、同時に動きを抑制することに努める。対してレイと3人程の魔術師部隊は黒炎蜥蜴から少し距離を取った。

 だが、黒炎蜥蜴が橋の向かい側で陣どっていた広間はそれほど広くない。蜥蜴が吐息を吐き出せば、瞬く間に広間は黒炎に埋まってしまうだろう。距離を取ることにどれほどの意味があるか、分からなかった。

 

「ボルドー隊長達に当てないように注意。威力は気にしなくて言い。蜥蜴の注意が少しでも散漫するように」

「了解」

「【黒炎の壁】が近いが視線はやるな。黒睡帯越しでも下手すれば飲まれるわ」

 

 必要なだけの指示を言い放ち、レイは即座に矢を放つ。竜殺しの矢はまだ使わない。数が貴重だ。通常の矢では【黒炎蜥蜴】の表皮すらも貫けないが、レイは正確な射撃で眼球等を狙い撃つ。

 

「暴れてるわね」

 

 蜥蜴の姿は惨いことになっている。顔面や首に幾つもの穴が空いてそこから血の様に黒い炎が噴き出している。ウルとガザの大盾による打撃と刺突が有効に作用している。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 だが、それでもまだ死なない。まだ生きている。蜥蜴の身体の黒炎は、ただ侵入者を待ち続けていた時よりも遙かに激しく燃えさかっている。

 

「凍結付与」

「了解!」

 

 指示を出し、矢に魔術を付与してもらい、放つ。蜥蜴の両足を硬め、動きを阻害する。ウル達への被害を僅かでも減らすことを心がけた。

 

「レイ!行けるぞ!!」

「あの糞爬虫類!!ボコボコだ!!」

 

 早くも術者達が盛り上がる。確かに順調だ――――今のところは。

 想定外の事態は起こっていない。が、簡単な相手でないことは此処に居る全員が知っている。術者達のそれは恐怖を和らげる為の空元気に近いだろう。

 だからレイも、軽く諫める為に彼等へと振り向き、

 

「警戒を――――」

『 A A』

 

 そして、その術者の背後から、黒炎鬼が迫っていることに気がついた。

 

「――――ふ!」

「うおお!?」

 

 レイの判断は恐ろしく早かった。番え、放とうとした矢を術者達の背後に速射した。魔術師達はぎょっとなって屈み込んで、そして彼女の意図と、自分達の状況を理解して顔色を変えた。

 

『AAAAAAAAAAAA………』

「どこから来たコイツラ……!?」

 

 気がつけば、術者の背後から複数の【黒炎鬼】達が出現していた。形はヒト型。動きは緩慢であるが、その一体一体が呪いの炎を纏い厄介である事には変わりない。

 だが、術者達の言うとおり、疑念が残る。レイ達が陣どったのは奈落の際だ。滑り落ちないように多少距離は取ったが、後ろから回ってこようにも、背後には奈落しか――

 

「まさか……」

 

 レイは視線を自分たちが背を向けていた奈落へと向ける。底も見えない砂漠に生まれた奈落、その崖縁から、黒い炎が燃えさかる腕が伸びて、新たな黒炎鬼が”這い上がって”くるのをレイは目撃した。

 

「隊長!!奈落から鬼達が昇ってくる!!」

 

 レイは叫んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「“手下ども”は見当たらなかったから、少しは期待していたのだがな」

 

 ボルドーは舌打ちした。

 複数の敵との混戦は黒炎鬼との戦いで避けなければならない状況の一つだ。黒炎に触れるだけでこちらには致命的なダメージと成りうる。一体に集中することが難しい乱戦で痛い目を見ると言うことは10年前、人形と土竜蛇の混戦で思い知らされている。

 

 だから、【黒炎蜥蜴】のみの状況という物には期待していたし、もしもそうでなかった場合の準備も決して欠かすことはしていない。

 

「レイ!!鬼達をウル達の元へと寄せるな!!俺は雑魚の処理を優先する!」

「了解」

「頼んだ隊長!」

 

 指示を出し、ボルドーは急ぎ、這い寄ってくる黒炎鬼達の前へと移動した。まだぱっと見で数は少ない。だが、砂で出来た崖下から迫ってくる気配は明らかに多い。

 ヒト型は獣型と違って動きは緩慢だ。しかしその器用な手足を使って何処まで追ってくる。そこが厄介だと理解はしていたつもりだったが、まさかこんな奈落の底から迫ってくるというのは流石に予想外だった。

 

「……感心してる場合では無いな」

 

 ボルドーは握りしめた竜殺しを構える。

 

『AAAAAA』

 

 単なるヒト型の黒炎鬼ならば、勿論ボルドーは単独でも殺しきれる。

 だが、完全に殺しきれなければ場合によっては活性化が起こる。そうすれば此処に残った黒炎鬼達全員が強化される。そうすれば目も当てられない。下手すれば、あの【黒炎蜥蜴】すらも強化される可能性があるのだ。そうすれば全滅必須だ。

 ではどうするか?ボルドーが考えた手は単純だった。

 

「もう一度はじめから登り直すが良い……!!」

 

 ボルドーは渾身の力を込め、足下の砂海を穂先で叩きつけ、そして叫んだ。

 

「【爆流!!!】」

 

 万力を込めたボルドーの一撃は足下の地面を大量にすくい上げ、波のように砂を巻き起こし、迫る黒炎鬼をまとめて飲み込んだ。

 

『AAAAAAAAAA………!!』

 

 ヒト型の鬼達の動きは活性状態で無ければ緩慢だ。爆発した砂の流れに巻き込まれ、次々と押し返され、そしてそのまま自分たちがいままで昇ってきた奈落の底へと落ちていった。落下で死にさえしなければ活性化も起こらないだろう。死んでいない以上再び昇ってくる可能性はあるが、時間稼ぎにはなる。

 

 だが、所詮は時間稼ぎだ。こうしている間にも別の黒炎鬼達は昇ってきている。それらの対処を全てボルドーやレイ達で行うのは不可能に近い。

 

「ウル!!ガザ!!急げ!!」

 

 短期決戦しかない。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「分かってる、が……!」

 

 黒炎蜥蜴のわめき声を聞きながら、ウルは歯を食いしばっていた。【竜殺し】で蜥蜴の足を貫き地面と縫い合わせ、血飛沫を浴びながらウルは必死だった。気を抜けば力に振り回されて、そのまま奈落に落下しかねない。

 

『AAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 【黒炎蜥蜴】の武器はそれほど多く無い、呪いの炎の吐息には溜めに時間がかかる。砂塵の大橋を飲み干す程の黒炎は十二分に溜める事が出来なければ使えない。

 

 だから残るコイツの武器は数メートル以上はある巨体から繰り出される鞭のようにしなってすっ飛んでくる黒炎を纏った尻尾“だけ”だ。

 

「十分脅威じゃクソが!!!」

 

 誰に向けるでも無くウルは叫んだ。

 レイ達からの支援も減っている。奈落から沸いて出た黒炎鬼達の数が増えているのだろう。時間が経つごとにジリ貧になっているのは間違いなかった。

 

「でぇえええりゃああ!!!!」

『AAAAAA!!?』

 

 暴れる黒炎蜥蜴の横っ面に、大盾を握ったガザの一撃が直撃する。繰り返し距離を取り、全力で叩きつけられるガザの一撃は黒炎蜥蜴の身体を都度揺らし、そのたび黒炎蜥蜴の動きは止まる。

 

「はっはー!!!いいなあ大盾!!気に入った!!!!」

 

 ガザが吼えた。どうも即席で作った武器だったが、彼との相性は良かったらしい。頼もしいことだった。このまま蜥蜴の息の根も止めて欲しい。だが、まだ黒炎蜥蜴は死ぬ様子は見えない。

 

『AAAAAAAAAA!!!!』

「うお!?」

 

 体中を穴だらけにして、血を吹き出しながら、大蜥蜴は身体の向きを変える。足下のウルを無視して、向いた先はガザの方角だ。黒炎蜥蜴もまた、先程から助走をつけては凄まじい体当たりを繰り替えすガザにターゲットが移ったらしい。

 黒炎蜥蜴の尾が、自身を焼く炎のように揺らめき、しなる。

 ウルは脅威を感じ、叫んだ。

 

「来るぞ!!」

「任せ――――――!!?」

 

 瞬間、空気が弾けたような音がした。ウルは息を飲む。

 先程とは、尻尾の速度の次元が違う。強化されたウルの身体能力、動体視力でも全く追い切れない速度だった。ガザが握っていた大盾ごと、その尻尾に吹っ飛ばされたのを見た。

 

「ガザ!!!」

 

 ウルは叫ぶ。ガザの身体は容赦なく転がる。

 そのまま”黒炎の壁”へとすっ飛んでいって、そのまま丸焼きになって死ぬパターンは方角的に避けられた。が、もう一つの最悪のパターン、奈落の崖底へと彼の身体は文字どおり飛んでいった。何処かに身体を引っかける暇すら無く、ガザは奈落へと放り出され――

 

「なにやってるの!!」

 

 レイが叫ぶと同時に矢を射出した。矢は、落下する寸前のガザの身体を掠めるように飛び、同時に尾尻についた輝く光の線がガザに巻き付いてそれを捕らえた。尾尻に付与された【捕縛】の魔術がガザの身体を捕らえたのだ。

 奈落の間近で戦う以上、落下の危険性は常に考慮されていた。その為の準備もしていた。だが、しかし、

 

「っぐう!!?」

 

 崖下へと落ちるガザの落下エネルギーを支える捕縛の術で繋がった術者は、杖にかかる重量に呻く。光の線で繋がった触媒である魔術の杖が激しく軋む。もう少しでへし折れていたのかも知れなかった。

 ガザは奈落の底へと落ちる途中でつり下がった。てこの原理で勢いよく砂塵の崖に身体をぶつけたのを術者は感じ取ったことだろう。だが、迷宮化した影響で奇妙な形で砂は固まっているが砂は砂だ。身体の何処かが折れても、死ぬほどの衝撃は無い筈だった。

 それよりも、問題になるのは。

 

「ガザ!!不味いぞ!!さっさと起きろ!!隊長!!」

「俺が守る!!お前は支えておけ!!」

 

 術者とボルドーの焦燥した声で叫ぶ。ウルにもその理由は分かる。

 崖下から鬼達は昇ってきている。現在進行形だ。つまり、今も無数の黒炎鬼達が崖にへばりついているのだ。そんな場所にガザが叩きつけられている。早く動かなければ死ぬ。

 しかし、術者の声にガザが応じない。返事も無い。先程の一撃だ。最悪死んでいる可能性もあった。だが、だからといって見殺しには出来ない。

 

 そして、その窮地に対して、黒炎蜥蜴が加減する事は無い。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 血塗れの穴だらけとなった頭を動かして、黒炎蜥蜴は身体をレイ達の方角へと向ける。そして大きく口を開けた。その動作をウルは知っている。黒炎を溜め込み、撃ち出す準備をしている。

 

「クソ!!!」

 

 ウルは軋む身体を無視して起き上がり、【黒炎蜥蜴】の前へと駆ける。凄まじい熱を感じる。既に黒炎は黒炎蜥蜴の口の中で凝縮を続けていた。放たれれば、この一帯が呪いの火の海に変わるだろう力が集まっていた。

 

「……………!!」

 

 その呪いの圧に、ウルは一瞬躊躇を覚えそうになった。触れるだけで、命に関わるような呪いの塊だ。その前に身体を突っ込んだらどうなるか?そんな保身が脳裏を過った。

 

「なぁめんな!!!!」

 

 だが、それを飲み込むように歯を食いしばる。ウルは知っている。経験している。切迫した修羅場において、保身から来る躊躇は、致命的な隙に繋がると何度となく理解している。その経験が躊躇おうとしていたウルの足を突き動かした。

 

「そんなに呪いが好きなら……!」

 

 竜殺しを右手で握る。既に大罪竜に呪われたその腕で【竜殺し】を握り、黒炎渦巻く蜥蜴の大口へと振りかぶり、

 

「しゃぶってろ!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!?』

 

 叩き込んだ。

 ウルは右腕が口内に溜め込まれた呪いの炎で焼かれるのを感じた。火で焼かれる感触よりも尚悍ましい呪いの蝕むような感覚はウルを震えさせたが、しかし槍を手放すことだけはしなかった。

 口の中に【竜殺し】を叩き込まれ、身もだえる黒炎蜥蜴は、しかしまだ死んでいない。まだ六つの手足をばたつかせ、抵抗しようとしている。

 

 殺す

 

 ウルは決意と共に左手で竜牙槍を強く握る。竜殺しを突き刺したままに、竜牙槍を振りかぶって、黒炎蜥蜴の脳天へと一気に叩き込んだ。

 

『A   GA A!  ?!!!』

 

 珍妙な断末魔が黒炎蜥蜴の喉から聞こえてくるのをウルは耳にしながら、ぐらりと身体を揺らした。右腕に激痛が走る。それ以外でも全身が痛かった。力が抜け、意識を保つこともままならない。

 ガザがどうなったか。他の鬼達の対処は可能か。様々な懸念が一瞬頭に浮かび上がるがすぐに溶けて消えて行く。ウルは足下の砂の海で頭から倒れ込んで、そして意識を失った。

 

 

 

『良い  ように  使って    くれるな?   ウ ル』

 

 

 

 最後に一瞬、最悪に耳障りな声を聞いた気がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

星海での再会

 

「……………あ?」

 

 ウルが目を覚ますと、奇妙な空間にいた。

 まずもって自分は地面に立っていない。地面が無い。そこは上も下も右も左も無い。奇妙な浮遊感が全身を包んでいる。周囲の景観は一面の星空だ。真っ黒な空間を無数の輝きが瞬いている。

 綺麗だなあ、と、ウルは思った。同時にコレは夢だろうかとも思った。あまりにも現実味がなさ過ぎたのだ。だが夢にしてはやけに意識が晴れている。頭の中がどこもぼんやりはしていなかった。さて、コレはどういう状況だろうか。

 

『ずいぶんな  ツラを  して     いる   な?  ウ   ル』

 

 そして、その次の瞬間どこかのんびりと構えていたウルは全身の毛が逆立つような悪寒に襲われて即座に振り返った。若干幼く聞こえるが、覚えのある声だった。出来ることなら2度と聞くことがない事を祈る声色だった。

 

『おお  おお  怯えて  いる  な。  小気味  良いな』

 

 真っ白なヒトの形をした何か。

 幼く、そして美しい少女のようにも見えるそれは、ウルに怖気と緊張を強いた。頭部から伸びた角の禍々しさと、口端から零れる牙が、人外であると告げている。そしてそれはほんの数ヶ月前に、迷宮の深層にて目撃した姿だった。そしてウルに多大なる呪いをもたらした存在でもある。

 

「……………………【大罪竜ラスト】」

 

 世界最強の邪竜の一体がウルの目の前に居た。

 

『陽喰らい 以来か?   久しい  な。  最も   私は   ずっとそばに  いたわけだが』

 

 ウルは咄嗟に自分の右腕に触れる。

 摩訶不思議空間でウルは服を纏ってはいなかった。当然、竜に呪われた右腕も晒されている事になるのだが、見れば右腕は数ヶ月前の、呪われる前の真っ当な姿だった。爪先が歪に伸びて、鱗が生え、歪に歪んだりなどしていない。

 

 右腕を呪い歪めた源が目の前に居るのだから当然と言えば当然か。

 

「…………で?何か用か」

 

 ウルは色々と考えを巡らせた後、諦めて直接、尋ねた。

 武器が無い。防具も無い。此処がどこだかも分かっていないそんな状態で大罪竜を前になにができるとも思えない。諦めて、腹をくくる以外の選択肢はなかった。最も、武器や防具が万全だったとしても、何かができる気はしなかったが。

 せめてみっともなく狼狽えないようにするのが精一杯だった。

 

『用   という  わけでも ない。 そも 私をたたき起こしたのは   お前だ』

「俺が……?」

『憤怒を  大量に 喰わせた    だろう?不味くて   飛び起きたわ』

「………………ああ」

 

 ウルはその時ようやく、今自分が此処に来る直前の状況が思い出せた。

 黒炎蜥蜴を倒すため、吐き出される寸前に黒炎の吐息に【竜殺し】を叩き込んだのだ。黒睡帯もその拍子に焼き払ってしまった。今思い返すととんでもない無茶である。普通ならあのまま右腕どころか、自身が呪いで殺されていてもおかしくない………

 

「……いや、まじで俺死んだか?此処は太陽神のお膝元か?」

『 ア ホ    か』

「竜にアホって言われるのは貴重な体験だな」

 

 恐らく歴史を振り返っても例が無いであろう体験をしながら、ウルは首を傾げる。

 

「じゃあ、ここは何処だ」

『此処は  【星  海】   よ』

「ほしうみ……」

『天祈  管理  する  精霊の  リンク   ■■■■■■よ」

 

 一瞬、ラストの声が聞き取りづらくなりウルが眉をひそめると、ラストもまた、自分の声がひしゃげたように聞こえた事に、クスクスと、可愛らしく笑った。

 

『ハハ  ハハ  ハ  この場では  私も   制限がかかるか  』

「何言ってんだか分からん」

『   だ   ろう   な    せいぜい   悩め』

 

 悩め、と言われたところで、全く理解の及ばない状況で何を考えろというのだろう。とウルは思った。今彼が出来るのは、目の前の危険極まる存在に質問を投げかけるだけだ。

 

「……で?俺は殺されるのか?これから」

『   なぜ?   ころさねばならんのだ  私が』

「だって、あんた大罪竜ラストだろ。むしろ俺を殺さない理由の方が無くない?」

『………    それも  そうか』

 

 余計なことを言ったかも知れない。とウルは後悔した。

 

『冗談   だ』

「全然笑えない。何も面白くない」

『殺す   ぞ』

「すんませんした」

 

 ウルは平謝りした。竜も面白くないと言われたら傷つくらしい。新しい発見だった。

 

『“この私”は  既に   おまえの   一部。 お前を殺せば 私も   死ぬ』

「なるほど、良い情報だ」

『お前が   力を私に  喰わせ続ければ   その内お前を乗っ取れるがな』 

「なるほど、最悪な情報だ」

 

 ウルは内心で悲鳴を上げた。

 ウルの一喜一憂を見る度に、大罪竜ラストと思しき少女っぽい何かは面白そうに笑う。その反応はオモチャを放り投げて面白おかしくひしゃげる姿を見て爆笑する幼児のそれである。ウルはオモチャだった。このまま飽きられて捨てられないことだけを祈った。

 

『まあ  安心しろ   その気もない   今の私は  怠惰な  気分だ』

「……色欲の大罪竜なのに?」

『本体との   リンクも  うしなわれたから   な  』

 

 ん?とその言葉にウルは疑問を覚えた、だがラストはそれ以上応える気は無いらしい。ウルに近付くと、不意に右腕に触れた。ラストの身体が溶けて消える。同時に、ウルの右腕が再び歪な呪いの竜の手に変貌した。

 

『  精々  もがけ   終わりは   近いぞ』

 

 言葉の意味を問う間もなく、ウルの意識は急速に落ちていった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………む」

 

 ウルは目を覚ますと、そこは既に慣れ親しんだ地下牢の小汚い天井であることに気がついた。その場所には覚えがあった。地下牢に存在する唯一の癒務室だ。確か小人の癒者――を名乗る胡散臭い老人の酷く雑な治療を受けられる場所で、あのジジイの治療を受けるより放置した方が絶対に寿命が縮まないともっぱらの噂になっていた。

 

 何故そんな場所で眠っていたかと言えば、それは勿論、自分が死にかけていたからだろう。黒炎蜥蜴との死闘をウルはハッキリと思い出していた。自分が相当な無茶をしたことも。そして右腕が呪いの炎に焼かれたことも――――

 

「…………」

 

 ウルはやや恐る恐る自分の右腕を見る。すっぱりと自分の右腕が切断されて無くなっている可能性も考えたが、ウルの右腕は変わらずそこにあった。“残念ながら”。

 黒睡帯も焼き焦げたにもかかわらず、呪われた右腕は依然健在だ。他の黒炎払いの身体の様に、一部が黒ずんで呪われている様子も全くない。そしてそれは一つの事実を示すものだった。

 ウルの右腕は、黒炎の呪いが効かない。

 正直その可能性は考えていたのだが「おっしゃ試してみよう」で呪われたら笑えなかったため試すことも出来なかった。しかし図らずも証明されてしまった。

 だが、この特性を活用しようという気にはウルはならなかった。

 

 ――お前が   力を私に  喰わせ続ければ   その内お前を乗っ取れるがな

 

 ぞわっとした寒気に襲われた。

 眠っているときに見た夢、あれが何だったのかウルには分からない。しかも細部の記憶がまどろみの中で溶けて消えていく。覚えているのは一点だけだ。

 この右腕は、都合の良いものでは無い。断じて。

 

「血の採取くらいなら許してくれっかな……?」

 

 少なくともあまり乱雑には扱うまいとウルは決めた。とりあえず何か新しい黒睡帯を持って、封じなければならない。元の帯は蜥蜴に焼かれてしまった。ラウターラ学園長のものと比べれば質も落ちるかもだが、無いよりはマシだ。

 

「お!!おい!ウル!!起きたのか!?」

 

 と、暫く右腕を見つめていると、騒がしい声がした。ウルは視線を向けると、隣のベッドでガザが身体を起こしている。どうやら彼も一緒に運ばれてきたらしい。

 

「死んで無くて良かったよ。ガザ」

「あったりめえだ!死んでたまるかよバカ!」

「言っておくが、マジでお前死ぬ直前だったんだからな…」

「わ、わーるかったよ……」

 

 黒炎蜥蜴に恐ろしい勢いで尻尾を叩きつけられ、吹っ飛んで、落下死する寸前だった。死なずに済んだのは、ボルドーとレイのお陰だろう。

 

「っつーかおめーだって滅茶苦茶したらしいじゃねえか!ヒトのこといえんのかよ!」

「……ま、そりゃそうだ。悪かったよ……で、どういう状況何だ今?」

 

 感覚的に結構長い間、恐らく数日はウルは眠り続けていたと思われる。黒炎蜥蜴は殺した。つまり8層目の攻略は完了したのだ。その後どうなったか。

 

「ああ……それがなあ……」

「……言いにくそうだが、なんだ?」

 

 まさか、誰か死んだのか?と思ったが、どうもそんな様子ではない。彼の表情は一言で言ってしまえば「説明がむつかしい」といった状態である。

 どういうこった?と思っていると、彼は溜息をついた。

 

「……そのなんだ、色々あった。らしいんだ。俺も寝ててよくわかんないんだ」

「訳分からん。とりあえず端的に言ってみろ端的に」

「ああ……とりあえず、とりあえずな」

 

 ガザはそう言って、頭を掻きながら言葉を絞り出した。

 

()()()()()()()()()()()

「…………端的すぎない?」

 

 ウルはガザと同じ顔になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたか

 

 黒炎蜥蜴との戦いでガザは焦牢に帰還後、3日ほど眠り続け、ウルに至っては5日ほど懇々と眠り続けたらしい。そしてその間に、様々な事が起こった。

 

 切っ掛けとなったのは、8層目の番兵が撃破され、黒炎の壁が消え去ったことにある。

 

 この半年の間に立て続けに番兵を撃破してきた【黒炎払い】にとって、8層目の番兵はそれほど特別な相手、というわけではなかった。勿論地形の困難さ含めて非常に厄介な敵ではあったが、この番兵を倒したことで何かが得られると見込んでいたわけでは無かったのだ。

 

 自分たちが思ったよりもずっと黒炎砂漠を攻略していたことに気付いていなかった。

 

 絶え間なく続く黒い炎と、変貌する地形が距離感を失わせていたのだ。だが、8層目の黒い炎が消えて無くなったとき、不意に彼らの前に広がった光景は予想しないものだった。

 

「…………これは」

 

 ウルとガザの治療を指示していたボルドーは、番兵の撃破と共に消滅していく黒炎の壁と、その先に見え始めた景観に呆然と呟いた。彼以外の黒炎払いの面々も同じようにその光景を見つめ続けた。

 炎が消える。そしてその先から見え始めたのは崩れ去った防壁だった。それは大きく、その先の大地を覆い隠すようにして存在していた。恐らくはかつてはもっと完璧に、その内側を守るために存在していたのだろう。今は見る影も無い。

 だが巨大な防壁が姿を現したと言うことは、その先には都市が存在している。

 

 そして、崩れた防壁の先に見えたのは、やはり廃墟であったが、他の砂漠で見られたようなかろうじて形が確認できるようなものではない。それどころか大部分がまだ形を残していたのだ。

 それは美しい都市だったのであろうことが容易に想像が付いた。それを目撃した者は此処が【黒炎砂漠】であることを一瞬忘れるほどだ。

 

「…………此処って、【灰都】なんじゃないのか?」

 

 誰かが言った。

 小さなざわめきは大きくなる。まさか、という否定の声もちらほらと聞こえてくるが、しかし目の前に広がる都市の光景に徐々にそういった声はしぼんでいった。

 大罪都市ラース。かつてのプラウディアに次ぐ大国。大罪竜の氾濫によって滅び去り、そして現在旧ラース領の土地の全体を今なお焼く黒い炎の核があるとされる場所。

 

 つまり、ゴールだ。

 【黒炎払い】がずっと目指していた場所だ。

 【灰都ラース】 失われた大罪都市

 

 防壁ならばまだその端に手が届いたくらいだろうか。しかし端であったとしてもゴールはゴールだ。

 ボルドー達【黒炎払い】達は10年間の雌伏の時を経て、とうとうその長い戦いの終わりに手をかけようとしていた事にこの時始めて気がついたのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 無論、そのままラースへと足を踏み入れることは出来なかった。

 

 ほんの入り口辺りで様子をみるくらいはしたものの、ボルドー達は黒炎蜥蜴との戦いで疲弊しすぎていた。

 戦いそのものに参加していなかった戦士も残っている為、余力はまだいくらか残っているが、その体力は【焦牢】へ帰還するために必要な余力だ。

 魔力で強化された脚力でもって最短距離で突き進んでもなお丸一日の時間を必要とする。その間も当然、黒炎鬼との戦いも発生する。帰ることも出来なくなるような事故は絶対に避けなければならない。ボルドーは逸る【黒炎払い】の仲間達を強く説得し、なんとか帰還した。

 ウルとガザが動けない状態で彼らを運びながら帰路につく道程はやはり困難が多く、ボルドーの判断は正しかったと言えた。

 

 そうして【焦牢】に戻ってきたわけなのだが、ボルドー達の勝利と、そしてその先にあった廃墟と化した大罪都市ラースの噂は瞬く間に地下牢内に伝播した。

 

「どのような混乱が起こるかもわからない。むやみに言いふらしたりするな」

 

 とは、ボルドーも指示は出していたが、人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、そもそも探索の結果は必ずダヴィネに報告するのが義務だったため、秘密にするのは不可能だった。

 結果、地下牢はお祭り騒ぎになった。

 

「ラース!?ラースまで来たってのか!?」

「え?じゃあそこで”黒炎の原因”って奴を潰せば俺等ここからでられんの?」

「原因がある“かもしれない”ってだけだろ。そんな上手いこといくかよ」

 

 様々な憶測が飛び交い、状況は混乱していた。ケンカにまで発展した場合もあり慌ただしかった。ダヴィネがケンカを引き起こした連中を根こそぎに懲罰房に叩き込むよう指示したことでなんとか収まりを見せたものの、浮き足だった状態は続いた。

 

「さっさとなんとかしろ!!!」

 

 という、実に雑なダヴィネの指示を受け、ボルドー達【黒炎払い】はラースの調査遠征に向かわざるを得なかった。

 

 ボルドーは部下達と共に黒炎払いの本拠地で遠征の準備を進めた。地下牢に戻って間もなくのとんぼ返りであり、普段であれば疲労の顔も見せるものなのだろうが、彼らの士気は高かった。浮かれていると言っても良い。

 あの防壁の先に何があるのか。もし黒炎の元凶があったとして、それを破壊できればラースは救われ、そして自分たちは刑務を終えて地下牢から脱出できるのか。

 そう言った期待が目に見えて分かる。彼らの手綱を締めるのは苦労しそうだとボルドーは溜息をついた。

 

「隊長」

 

 そんなとき、彼と同じく準備を進めていたレイが話しかけてきた。

 

「ガザもウルもまだ動けません。ガザは一応目を覚ましましたが…」

「やむを得まい。あくまでも調査だ。この地下牢の浮かれ具合は幾らか正確な情報を持ち込まなければ収まらん」

 

 勿論万全を期すなら、ウル達が回復するのを出来れば待ちたかった。特にウルは、彼自身が隠していた異形の右腕が何故に黒炎の呪いに焼かれずに無事なままでいられたのか、聞いておきたかった。

 が、ガザは兎も角ウルが何時起きるのかは正直読めない。藪医者曰く怪我も治癒され、病気の様子もないからその内起きるだろう、と笑っていたが全く当てにならない。そして彼の目覚めを待って何日も黒炎払い達が地下牢でダラダラと過ごしていたら、恐らく辛抱のない囚人達が独断で黒炎砂漠へと突入しかねない。

 勿論、何の備えも訓練も知識もない彼らが、【黒炎払い】達が苦労してたどり着いた砂漠の奥地のラースまでたどり着けるわけも無いが、途中の中継地点など、自分たちが苦労して用意したルートを無断で荒らされるのは最悪だ。

 

「最低限、なにがいるのか、どうなっているのか。核がありそうなのか。そこらへんの情報を集めれば幾らか落ち着くだろう」

「……隊長」

「なんだ」

「砂漠を焼く黒炎の元凶……あそこにあると思いますか」

 

 レイは問う。ボルドーが振り返ると、レイの表情はやや歪だった。不安なような、期待に浮かれているような、あるいはその期待を諦めようとしているような、そんな表情だ。いつも沈着冷静な彼女であるが、とてもではないが冷静ではいられないらしい。

 それはボルドーも同じだ。正直今の自分がどのような心中にあり、どのようなことを思っているのか自分自身でも分からなくなっている。リーダーとしての責務が彼に冷静な判断を下し続けているが、それがなくなれば彼女と似たような顔つきになっていただろう。

 だから今もリーダーとして、部下の不安を和らげるために言葉を作った。

 

「それを調べるのだ。だが、もし無かったとしてもやることは変わらん。黒炎砂漠の隅々まで、探し尽くすだけのことだ。」

「ほう、流石は“元”衛星都市セイン天陽騎士団の隊長だな。」

 

 そこに不意に、全く別の声が飛んできた。

 

「……ビーカンか」

「囚人如きが呼び捨てるなよ、ボルドー。懲罰房に突っ込まれたいか?」

「俺は犯罪者になった覚えはないがな」

 

 黒剣騎士団の騎士団長ビーカンが姿を現した。

 ハッキリ言ってかなりの異様な光景である。そもそもこの騎士団長という肩書きすら名ばかりで、しょっちゅう焦牢の外で遊び倒しているような男だ。そんな男が、ましてや”黒炎の呪いが移る”という根も葉もない噂で隔離されたこの地下牢に足を踏みこむなど異常事態と言って良い。

 しかも、部下の黒剣騎士達をぞろぞろと引き連れている。黒炎払いの部下達はぎょっとして警戒するが、しかし彼らは一応看守に当たる者達だ。形骸化し、日常においては姿すら現さない連中だろうと、滅多なことはできない。

 

「それで、一体何のようだ?客としてきたなら茶でも振る舞ってやろうか」

「冗談ではない。こんな所の物など誰が口にするか汚らわしい」

 

 どうやら、地下牢への偏見を改めたりだとか、そういった事はないらしかった。となると尚のこと、良い予感はしない。ボルドーはビーカンの昔を知っている。彼は昔、衛星都市セインの騎士団に所属していた。昔から怠惰な割に自分を賢しいと考え、そして不正をやらかしてこんな場所に飛ばされた男だ。

 そんな彼がわざわざこんな場所まで降りてきた。絶対に碌な事は言わないだろう。

 

「………あの小僧はいるか?」

 

 ビーカンはキョロキョロと周囲を見渡す。小僧。ということはウルだろう。尋問の時、一悶着あったと言うことは聞いてはいるが、ビクビクと怯えるようにウルを探すビーカンの様子は少し滑稽だった。

 

「医務室で寝ている。それがなにか?」

 

 それを聞いた瞬間、ビーカンは安堵の溜息をついた。どうせウルが倒れた事を聞いた上で此処に足を踏み入れただろうに、随分なビビりようだ。ウルは一体何をしたのだろう。

 

「大罪都市ラースへとたどり着いたらしいな。ええ?」

「それがどうした」

「私がそれを手伝ってやろうというのだ」

 

 ビーカンのたるんだ頬が揺れ、浅ましく口は歪んだ。

 やはり、碌な事を言わない。ボルドーは言葉にせずにそう嘆いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたか②

 

「……それって」

「ああ、黒剣騎士団の野郎ども。俺たちの成果を横取るつもりだったらしい」

 

 地下牢の騒動は、いくら隔離して放置していたとはいえ本塔にいる【黒剣騎士団】の連中にもすぐに聞こえたようだ。そして当然騎士団長のビーカンにも。そして様々な思惑を巡らせた後、思いついたのが【成果の簒奪】だった。

 ウルに脅しをかけて、攻略を止めようとした。が、脅迫にはならなかった。ならばと次に彼らがとった手はそれだったらしい。

 

「ふざけやがって!俺がその時起きてたらあのビーカンの弛んだ頬ぶん殴ってやった!!」

「お前が動け無くて良かったよガザ。そんでどうなった?」

 

 まさかボルドーは反発してぶん殴ったりはすまいが、【黒剣騎士団】らのやり口があまりにも一方的で腹立たしいものだったのは言うまでもないことだ。

 ウルは【黒炎払い】達が此処に来た経緯と【黒炎払い】を存続させ続けた努力の一端を知っている。その彼らの長年の結実がラースへの到達だ。

 それを、いままで”呪われそうだから”などという理由で看守としての役割も殆ど放棄して隔離し、挙げ句成果が出そうになったらそれをかっ攫うなどと、ガザでなくても不快感は強烈だろう。

 

「前あったときは、攻略されても困るって態度だったんだがな……」

 

 以前の脂汗を垂れ流したビーカンの顔をウルは思い出す。

 とはいえ、ラースまで到達し、攻略完了まったなし、となれば前言を翻してその功績をかっ攫おうという心働きは想像できる。無論、心底浅ましいとは思うが。

 

 だが、ガザは少々不満げに口を尖らす。

 

「でもよ。隊長はあっさりアイツらをラースに案内するって決めちまったらしいんだ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【地下牢・黒炎払い本拠地】

 

「隊長!俺たちは反対です!!なんであんな馬鹿どもを連れていかなきゃならないんだ!」

 

 【黒炎払い】の面々は憤怒の表情で叫んでいた。

 その表情の理由は勿論、急に出張ってきた【黒剣騎士団】の面々に対する不快感だ。一応、黒剣騎士団は牢獄における看守であり、黒炎払いの面々は(一部罪無く投獄されたとはいえ)囚人だ。そう考えると、看守である彼らの命令に従わない選択肢は無いはずなのだが、その点においてもやはり地下牢という空間は特殊だった。

 此処に入れられたときにつけられた【呪輪】と【焦烏】の監視の二つでかろうじて秩序が保たれているが、特に黒炎払いなど武器も持っているのだ。乱闘騒ぎが発生したとしても不思議では無かった。

 

「従わなければ、【呪輪】を発動させる事も厭うまい。従わない選択肢はない」

 

 しかしボルドーは一見して冷静だった。自身の腕、そして他の仲間達の腕にも付けられた呪具を振る。【焦烏】以外殆ど看守が姿を見せない為に使われることは殆ど無いが、これは様々な制約を課せ、破った者に痛みを与える拘束具兼拷問具だ。

 此処に居る者達は体感した者が少ないから自覚は無いだろうが、あれは容易に耐えられるものでも無いのだ。ボルドーはここから部下を出すように抗議した際、散々に味わわされた。

 これがある限り根本的に看守が上で囚人が下という立場が逆転することはない。

 ウルが恐ろしく上手くビーカンを脅しつけたらしいが、例外だろう。

 

 だから、ボルドーの判断は正しい。が、それでも納得できないと言った表情の者が多数いた。故に、ボルドーは小さく溜息をつき、そして囁くように言った。

 

「お前達、【黒炎砂漠】の攻略がこれで終わると思うか?」

「え?」

 

 問われ、全員が口を閉じる。少し考えるように表情を変える。

 

「長い間、俺たちは黒炎鬼達との戦いを続けてきた。黒炎砂漠を見続けてきた。本格的な探索はウルがやってきてからの事だが、あの砂漠のことは俺たちの方が知っている」

 

 黒炎鬼との長きにわたる戦い、知識では無く、経験として染みつかせたボルドー達の黒炎鬼への理解は深い。

 黒炎鬼は特性はそれほど複雑では無い。似たような特性を有した魔物達だってこの砂漠の外には存在しているだろう。しかし、彼らは確信している。鬼達は悍ましいと。

 

 機械的で、なのに執念深い。ひたすらに

 生きてもいない。不死者でも無い。ただ、薪を探すための装置の群れ。

 ただの魔物よりもよっぽどに悍ましい、竜の呪いの運び手達。

 

 どれだけこの半年の間に快進撃を続けていたとしても、【黒炎鬼】達を侮っていない。

 

「その上で問う。【黒炎砂漠】が攻略完了したと思うか」

 

 ボルドーの問いかけに、全員重苦しい表情で首を横に振った。

 

「ビーカンは俺たちの戦果を掠め取ってやろう、という気らしい。通用すると思うか。あの地獄で」

 

 全員が首を横に振った。

 ボルドーはそれを見て頷く。

 

「黒剣騎士団が出てくるというのなら都合が良い。奴らが出張りたいというのなら、好きにさせようではないか」

 

 ボルドーは淡々と無表情にそう言った。その言葉に込められていた悪意は、彼の仲間達にだけ僅かに感じ取れるほど静かなものだった。

 だが確かに色濃く、それはあった。不満を漏らしていた黒炎払いの戦士達が沈黙するほど強烈に。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【黒炎砂漠】へと向かう【黒剣騎士団】の面子は10人規模程の数だった。

 中にはクウ率いる【焦烏】の魔術師達、黒剣騎士団の中でも実力ある戦士達、そしてビーカン自身だ。騎士団長のビーカンが自ら赴いた事実には皆驚いたが、ボルドーは「手柄を誰にも奪われたくなかったのだろう。奪おうとする者はそう考える」と密かに指摘していた。

 

「しかし、お前も来るんだな。クウ」

「ええ、ボルドー隊長。騎士団長から是非ともと」

 

 そして彼らの中には【焦烏】のクウの姿もあった。黒炎の対策の為にボルドー達と同じく黒睡帯を体中に巻き付けていながらも、その姿は無駄な色香があった。

 言うまでも無く、ボルドーは彼女のことを知っている。抜け目のない、地下牢の監視者だ。影の魔術の使い手で、巧みに地下牢の囚人達をコントロール下に置いていた森人。ボルドーなど、1度地下牢に入った後、せめて部下達だけでもここから出してやろうと足掻いたが、それを封じ込めたのが彼女だ。

 

 詰まるところ、かつての敵である。今現在も味方とは言いがたい。

 が、流石に今回は少々同情を誘わない事も無かった。

 

「あのバカのお守りに砂漠の行軍か。精々苦労すると良い」

「あら、酷いこというのね。団長に失礼だわ」

「思ってもいないことを抜かすな」

 

 ボルドーが斬り捨てるとクウはくすりと笑った。

 

「言っておくが、道程の大半は攻略済みとは言え迷宮の行進だ。俺たちも余裕は無い。何も出来ないバカのお守りなどご免だ。そちらの力の出し惜しみは辞めて貰うぞ」

「勿論、ぬかりなく。安心してくださいな」

 

 途中でトチって黒炎に焼かれてくれたほうが良いのだがな。とは口にしなかった。

 

 ともあれ、そうなると迷宮に挑む人数としては多くなる。

 【黒炎砂漠】自体特殊で、出現する【黒炎鬼】は魔物の中でさらに特殊だが、ヒトが集まりすぎれば魔物を引き寄せる、と言う特性は変化無い。ましてや、この彼らの遠征に【黒炎払い】達も同行するのだから更に人数は膨れ上がる。

 

 やむなく黒炎払いの面子を幾らか絞り、更に行軍の編成を上手く別け、距離を空けることで衝突にも対応した。

 

 そうして彼らは廃都となったラースへと向かう事になった訳だが、その道程も結構な苦労があった。クウ達【焦烏】は兎も角、【黒剣騎士団】達はロクに戦おうとはしない。彼らも最低限実力はあるはずなのだが、道中に出てくる【黒炎鬼】達には近付こうとすらしないのだ。少しでも呪われるのは怖いらしかった。

 ビーカンなど、出てくるたびに醜い悲鳴を上げながらクウやボルドーに喚き散らした。

 

「さっさと殺せ!!私の側に近寄らせるな!!!」

 

 ダヴィネから買い取った【黒睡帯】を全身にグルグルまきにした珍妙なミイラがすごむ様は実に滑稽だった。

 そんなザマでの行軍は相当な労力と時間を必要としたが、攻略完了した黒炎砂漠の攻略ルートが開拓されていたことによりなんとか進むことは叶った。

 

 そして

 

「おお!!ここが!!!」

 

 汗だくになり、途中までずっとわめき声と悪態をつきつづけていたビーカンが急に元気になって叫ぶ。【黒炎払い】達が命懸けで苦労してたどり着いたその場所に、再び舞い戻っていた。                       

 この間は僅か3日ほどである。黒炎払い達だけであればもっと早くにすんだであろう事は間違いなかったが、一先ずは無事だった。

 

「さあゆくぞ!私に続け!!!」

 

 先程まで隊列の最後尾で【黒炎払い】の囚人らが砂漠物資を運搬する為の手引きの荷車の上でふんぞり返っていた彼は意気揚々と前に出た。囚人達はおろか、黒剣騎士団すらも呆れた様子だったが誰も文句は言わなかった。

 こうして彼らは数百年封印されたかつての精霊大国、灰都ラースに足を踏み入れた。

 

 かつて無い災厄が待ち受けているなど、勿論この時彼らは想像もしていなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたか③

 

 【大罪都市ラース】はかつて精霊の力による栄華を極めた大国だった。

 

 魔術のような制限のない精霊の御業、加護の力による恩恵を享受してきた。【焦牢】の地下鉱山で多様な鉱物が採取できるのも、かつてのラースが大地の精霊の力を活用し、地脈を活発化させてきた為だ。その残滓故か、地下栽培でも実りは多い。

 だが、そんな【焦牢】すらもラース領の端だ。

 

 であれば当然、ラース領の中心、大罪都市ラースにはそれ以上の豊かさが眠っているのは当然だった。数百年前の大罪迷宮の氾濫により滅び去り、当時の七天達が捨て身で封じて以降誰一人立ち入ることの無かったその場所は、かつての繁栄をそのまま抱え続けていた。

 

「おお!!素晴らしい!!ははは!!なんということか!!!」

 

 ビーカンは廃墟に眠っていた貴金属の数々をかき集めて叫んだ。

 冗談でも何でも無く、灰都ラースは宝の山だった。数百年間誰一人として立ち入ることもなかったその場所には、かつて黒炎に焼き尽くされた人々が墓まで持ち込むことが叶わなかった様々な遺産が手つかずのままだった。

 生物の生存を拒む死の砂漠が、そういった様々な無機物を保護し続けていたのだろう。宝石類の数々が砂埃の下で煌めき続けていた。それをビーカンは片っ端からかき集めていた。

 

 元々彼は、ラース解放の功績を黒炎払い達から掠め取るために此処に来ていた筈なのだが、目の前の美しい品々に実に呆気なく目を奪われてしまった。目的なども忘れて彼は黒剣の部下達を使って廃墟漁りに勤しみ始めた。

 

「隊長、これ以上は帰路の障害になりかねません!」

 

 部下が悲鳴を上げる。ビーカンが運ぶよう指示していた幾つもの美術品の壺をかかえて悲鳴を上げている。しかしビーカンは「バカが!」と部下の抗議を一蹴した。

 

「そこに荷車があるだろう!!乗せろ!!」

「それは迷宮探索用の物資運搬用です!」

「捨てれば良いだろう!!邪魔だ!!魔物などちっとも出てこないでは無いか!!」

 

 あまりにビーカンの物言いは乱暴だったが、しかしその指摘は一部正しかった。ラースに到達し、内部を探索して暫く、黒炎鬼たちの姿は一体も見掛けていない。まだ攻略済みの黒炎砂漠の道中の方がよっぽど危険だっただろう。

 灰都ラースには危険がまるで見えない。黒炎鬼の気配も、魔物の気配も、生き物の気配も何も無い。驚くべき事に砂漠の至る所に立ち上っていた【黒炎】すらも無い。静寂に包まれていた。

 その安全を異常と捕らえ、【黒炎払い】達は警戒して調査を続けているようだが、ビーカンにとってはあまりにも滑稽な姿だった。誰も居ない。何も無い場所を槍の穂先で突きながら及び腰で進んでいるのだ。笑いたくもなる。

 

「いいか!ここにあるものは全て私のものだ!!一つも残すのは許さんぞ!!!」

 

 ビーカンは声を張り上げた。恐らく彼の人生で最も力強く部下達に檄を飛ばしていた。

 部下達のウンザリとした表情にも目もくれない。彼の目には目の前の金銀財宝と、この先に彼に待ち受ける栄光しか映ってはいない。

 彼は浮かれていた。浮かれ果てていた。

 

 勝った!勝った!!勝った!!!俺は人生の勝利者となった!!!

 

 元々、ボルドーと同じ【衛星都市セイン】の天陽騎士団内における幹部だった彼が此処に流れてきた経緯はそれほど複雑でもなければ悲劇的でも無い。多額の不正がバレて、しかし高い官位と多額の賠償金を支払うことで【焦牢】に送られることを回避し、そこの管理者となったのだ。

 捕まって黒炎の対処に回されるよりもよっぽど幸運な結果だった筈だが、彼はそれに絶望し、自分の人生の不幸を嘆いた。自分がしてきた悪行はすっかり忘れて、とことん自分を哀れんで、放蕩に走った。

 

 ところが、此処に来てチャンスが沸いて出た。

 

 【灰都ラースの解放者】という偉業を達成する好機。

 最初攻略を勝手に始めたと聞いたときは腹立たしく思ったし、余計なことをされて今現在の権益が損なわれるのを恐れてウルを脅そうとした。だが、本当にラースを解放出来るというのなら話は全く違う。

 数百年間行われなかった偉業を成し遂げるともなれば、彼の立場は変わるだろう。彼の故郷であるセインで自分を追い出したクズどもも平伏するしか無い。

 

 楽しみだ。ああ楽しみだ!!あの馬鹿どもが吠え面をかく姿を想像するだけで胸が躍る!

 

 その為にも、彼は片っ端から資産をかき集めた。返り咲き、その後の人生も謳歌するためには兎に角金が必要だった。ラース領が解放されれば、最悪地下牢は機能が失われる。ダヴィネの【竜殺し】を含めた兵器の売買による権益は失われる可能性が高い。で、あれば、別口の収入が必要になるのだ。そういった計画性だけは彼も持ち合わせていた。

 そんな状態であったから、彼の側近である筈のクウが姿を見せていないことにしばらくは気付かなかった。廃墟のラースを探索して回って、金目の物を片っ端から詰め込みまくって、いよいよ身動きが取りづらくなりどうしたものかと悩んでいた頃、ようやくクウが姿を現した。

 

「ビーカン騎士団長」

「クウ!なにをしているのだ!お前も手伝わぬか!!」

「まあ、沢山お宝を見つけられたのですね」

 

 クウは笑う。しかし彼女はその宝に興味は無いらしかった。ちらりとも視線を向けずにビーカンへと近付くと、囁くように彼に語りかけた。

 

「団長、お耳に入れたいことが」

「なんだ。私は今忙しい――」

「【残火】をみつけましたわ」

 

 ビーカンはギョッとした表情で目を見開いて彼女をみる。彼女は何時も通り、美しい微笑みを浮かべていた。

 

「【憤怒の残火】、この砂漠を焼き続ける黒炎の元凶をみつけましたわ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 灰都ラース北東区画

 

「あ、あれが……」

 

 ビーカンが怯えたような声でソレを見上げた。

 それは大きく、巨大なる”黒い球体”だった。直径は十数メートルはあろうそれが、灰都ラースの中心地、元は大罪迷宮ラースが存在した場所に鎮座していた。大地の力を無視しているのか、地上から僅かに浮き上がっても居る。

 ビーカンらが居る北東部の廃墟からでもそれがよく見えた。

 遮る建造物は存在しなかった。あの黒い球体を中心として周囲はまるで爆心地のように一切合切が砂塵と化していた。

 

「間違いありませんわ。あれこそが残火です」

「あ、あんな、よく分からないものがか……?」

 

 黒炎砂漠に出張ってからというものの、奇妙な物や歪な地形は山ほど見たが、あれほどまでに珍妙なものは見たことが無かった。光の何もかもを飲み込むような真っ黒な、まるで世界に空いた穴のように見える。

 しかし、間違いなくそこに存在していた。そこにはとてつもない”圧”があった。

 砂漠の彼方此方で黒炎が燃えさかるところを見てきたが、そのどれもあの奇妙な球体の存在感には及ばない。

 

「紛れもない異常だが、あれが全ての黒炎の核であるという根拠はなんだ。クウ」

 

 慄くビーカンの隣でボルドーが尋ねる。勝手に取り仕切るなと普段であれば叫んでいたが、ビーカンもそれは気になっていた。ラースは数百年、黒炎の壁に閉じられ続けてきたのだ。”残り火”なる情報も、いつからかまことしやかに囁かれていた噂であって、誰も確かめようのない仮説でしか無かった。

 何を持って彼女は確信しているのか?

 

「あら、それは簡単です」

 

 すると、クウはさらりと応えた。何でも無い、というように

 

「だって私、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、その場にいる全員がぎょっとなった。ボルドーは勿論、ビーカンすらも驚愕した。

 

「馬鹿な……いや、長命の森人なら、そうか。それはあり得るのか」

「私は聞いていないぞ!そんな話!!」

「言いませんでしたからね」

 

 長命種である森人ならば、300年前くらいであればまだ生きている。500年以上は生きると言われているのが彼らなのだ。確かにあり得る話ではあった。

 しかし、いままで誰もその話は聞いたことがなかった。少なくともビーカンは聞いていない。それをずっと秘密にしていた彼女のことが腹立たしくなった。

 だが、それでも今は重要じゃない。

 

「300年前、あれが迷宮から出現し、辺りを焼き尽くしました。ラースそのものは当時の七天の皆様が決死の覚悟で戦いに赴き、封じることに成功しましたが、あの残火だけは消し去ることが出来なかった。当時は【黒炎】そのものを殺す手段が無かったのです」

 

 重要なのは、彼女の言葉の信憑性が増したという事実だ。

 ビーカンは黒い球体を改めて見る。空に空いた不気味な穴。何者をも飲み込むような悍ましいそれは、彼にとって栄光への架け橋でもあった。

 

「ですが今の我々にはあれを殺す力がある。」

 

 クウが不意に手を挙げると、彼女の足下の影からずるりと真っ黒い槍が生えてきた。それは勿論、唯一黒炎に対抗できる武装【竜殺し】だ。彼女はそれをそのままビーカンへと差し出した。

 ソレの意味するところは明白だった。

 

「し、しかし、危険は、危険なのではないだろうな!?」

 

 とはいえ、即座に飛び出すほどにビーカンは向こう見ずというわけでも無かった。彼は臆病者で、死にたいわけでは無かった。英雄として崇められたいが、リスクはこれっぽちも背負いたくも無かったのだ。

 

「少しでも危ういなら私はいかないぞ!!!」

 

 そんな彼の心中を察してか、クウは口元を抑えてクスクスと笑う。そして言った。

 

「では、ボルドー隊長にお任せしましょうか。彼ならばきっとやってくれますから」

 

 そういって彼へと振り返ったのだ。それを見て、ビーカンは頭に血が上った。

 

「ソレはダメだ!」

「あら、どうして?」

「ソイツがあの残火を破壊すれば、ソイツがラースの解放者になってしまうではないか!」

 

 寄越せ!と、ボルドーに手渡されようとしていた竜殺しを奪い取る。そして彼は自分の周りの護衛達に叫んだ。

 

「お前達ついてこい!!私がラースの救世主となるのだ!!!」

 

 そう言って彼はクレーターのようになった坂をくだり、【憤怒の残火】へと駆けていく。その場に残されたのはクウと、そしてボルドーのみだ。

 

「…………貴様」

 

 ボルドーは小さく呟いて、クウを見た。だが、クウは肩を竦めて笑うばかりだ。

 

「貴方だって、こうするつもりだったんでしょう?」

「…………」

「さて、どうなるかしら。ビーカン団長」

 

 彼女は笑う。彼の前で見せる優しげな表情からはかけ離れたその悪意に満ちた笑みをボルドーは横目に見て、しかしそれを咎めることは最後までしなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「これが……」

 

 ビーカンは【憤怒の残火】を前にして、息を飲んだ。間近で見ると、異様極まる黒の球体の圧力はより一層だった。距離感が全くつかめない。大きすぎて今自分が近いのか離れているのかも分からなかった。 

 だが、砂漠の彼方此方に存在していた黒炎と同じように、それ以上に、強い熱を放っているのを肌身で感じ取った。大量に身体に身につけたダヴィネ製の対火の護符があっても尚燃えるように熱いのだ。

 だが、近付かなければこの残り火を消し去ることは出来ない。ビーカンは部下達に先行させ、一歩一歩近付いていった。そして。

 

「うお!?」

 

 前を行く部下の一人が驚きの声を上げる。部下が一人突然、何かにぶつかったように弾かれたのだ。同じく前を行く他の者も同様に首を傾げながら前に手を突き出すと、そこには不可視の壁があった。

 

「膨大な魔力が壁のようになって侵入を阻んでいます!原始的な結界です!!」

「ならばさっさとそれを解かぬか!!」

「魔力量があまりに強すぎます!!熟達した魔術師が複数人で解かなければ……」

「だったら【焦烏】の連中を呼べ!!早く解かせろ!こんな所長居はしたくないのだ!!」

 

 ビーカンの指示に慌ただしく部下が動きだす。

 モタつく彼らにビーカンは苛立つ。今言ったとおり、彼は一刻も早くこんな場所から逃れたかった。元々の彼の臆病な気質もあるが、何よりも此処に居たくないのだ。

 黒い球体、“残火”は別に害を与えてきているわけではない。近付いたところで、身体が焼けたり、呪われたりもしていない。なのに、兎に角不思議と落ち着かなかった。巨人を前に、なんなら素っ裸で無防備でいるような、そんな間抜けを自分が晒しているような気分がしてたまらなかった。

 

 早く!こんなことは終わらせる!帰って、英雄となるのだ!!

 

 彼の心はそれだけで一杯だ。だから、二つの事に気付かなかった。

 一つは、英雄の賞賛には試練の超克が不可欠であるという事実。

 そしてもう一つは、彼らの遙か高く上空に、“その試練”がやって来ていると言うこと。

 

『――――――――――――――――!!!』

「…………なんだ、なにか――」

 

 ビーカンの耳は何かの声をとらえた。しかしそれが何なのか理解できず周囲を見渡すが、部下達も同じように周りを見渡すだけだ。誰も気付かない。彼らだけで無く、遠目から見守っていたボルドーすらも、その接近には気付かなかった。

 

 “ソレ”が居る場所はあまりにも高すぎた。

 

 【黒炎】の吐き出す煙で薄暗い空の果てから、その煙よりも更に真っ黒な”ソレ”は、まさに目にも止まらない速度で

 

「え?」

 

 ビーカンは上を見上げた。そして彼は目撃した

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 黒い炎を身に纏った、恐るべき巨大な鳥の姿を。

 

「あ  」

 

 そして彼はそのまま黒い炎に焼かれて、悲鳴を上げる間もなく、一瞬で黒炎の薪となって、鬼としての肉体すら残す事も出来ずに消滅した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたか④ クロノトリ

 

 

「団長!?!!なんだ!?なんだ!!!」

 

 突如とした魔物の襲撃、そして無様であっても指揮官である騎士団長が突如灰燼となった異常事態は、黒剣騎士達を驚愕させるに十分な破壊力があった。一体なにが起きたのか、現場と間近であった彼らには予想も付かなかった。

 ビーカン団長の真上から、突如として三メートルくらいの黒い炎が突撃し、彼を一瞬で焼き払った。それが巨大な鳥の姿をしていたと認識出来た者は居なかった。それを目視で確認するには距離が近すぎた。

 分かっているのは団長が死んだこと。そして恐らく敵が襲撃してきたこと。

 

《【竜殺し】を放ちなさい》

 

 不意に、彼らの足下から声がした。それはクウの声だ。黒剣騎士達の影にも彼女は自らの使い魔を仕込み、迷宮を探索する際は分断された部隊を的確に指揮していた。

 元々【黒剣騎士団】達を指示し動かしていたのはビーカンではなく彼女だった。故にビーカンの焼死は衝撃であったが、しかし彼らの指揮系統に混乱は生じなかった。

 

「投擲しろ!!」

 

 黒剣騎士達が竜殺しを投げる。

 ビーカンと違い、選出された彼らは騎士としての鍛錬は行ってきた。腐敗した黒剣騎士団の中でも実務部隊の者達だ。時として都市国の外で暴れるような犯罪者達を相手にする事もあるくらいだ。少なくとも竜殺しを投げつけるだけの技術は持ち合わせている。

 

 故に、突如舞い降りた巨大なる黒い炎、黒い炎を纏った巨鳥に槍を投げつけることにも成功した。炎の揺らめきと実体の区別が見分けづらく幾つかは外れたものの、残る竜殺しは全て巨大な鳥に直撃した。

 

『AAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 巨大な鳥はうめき声を上げる。

 間違いなく強力な魔物だったが、大きさ自体は魔物にしては平均を上回る程度だった。炎の揺らめきが大きく見せているだけで、それが無くなればもっと小さいかも知れない。だがそれ以上に魔物それ自体が放つ圧力があまりにも違った。炎の揺らめきのその奧で見える瞳が、騎士達を竦ませるほどだった。

 

 だが、だからこそ今が好機だった。その凶鳥は今、飛翔という自分の武器を捨てて、ビーカンを殺すためだけに下に降りてきたのだ。

 

《飛び立たせないで。団長の犠牲を無駄にしてはいけないわ》

 

 指示のままに、黒剣騎士団は竜殺しを投げつける。

 相手がどれほどの脅威であっても、どれだけの強さだろうと、【黒炎】を纏っている以上、【竜殺し】は有効だ。

 

「何もさせるなあ!!!殺せえ!!!」

 

 間もなく竜殺しそのものが尽きれば矢と魔術を放ち続けた。一切の間断なく攻撃を続けた。それだけの備えが用意されていた。影から次々と武器や矢弾の補充が行われた。

 【焦烏】のクウによる隙の無い的確な指示と補充は、黒剣騎士団達を圧倒的な戦力へと一時的に押し上げていた。

 【黒炎払い】達では実行困難な、数と物量による一方的な殲滅がそこにはあった。

 

 そして、

 

『AAAAAAA………        』

 

 黒炎の巨大鳥は倒れ伏した。その場で歓声が沸いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……凄まじいな」

 

 その光景を【黒剣騎士団】の包囲の外から待機して眺めていたボルドーは、黒剣騎士団達の恐るべき物量攻撃と、それを一切乱れなく指揮したクウの手腕に素直な賞賛を口にした。

 事実、それは素晴らしい連係だった。凄まじい攻撃だった。戦闘というものは、単純に物量があれば勝てるというものではない。戦士や、物資が増えれば増えるだけ、それを淀みなく扱うには的確な指揮が必要となる

 

 それをクウは一人でやってのけた。

 

 地下牢で影の魔術による諜報活動の能力ばかりに気を取られていたが、彼女の能力はそれ以上に油断ならないものであるらしい。ボルドーは自分の隣で微笑むクウへの見方を改めた。彼女は決して、権益を啜ることを目的とした妖女というだけではないらしい。

 そして、彼女の指揮の下、黒剣騎士団は勝利した。たった一人の犠牲――それも手痛くない犠牲――で、あの謎の巨鳥を一瞬の反撃も無く撃破出来たのだ。快勝と言っても良いだろう。

 

「…………まさか」

 

 だが、その勝利を導いたクウは、何時もの妖しげな笑みを伏せ、竜殺しが大量に突き刺さって、血に塗れて絶命した巨鳥を睨み続けている。

 

「どうした?」

「――――昔、大罪都市ラースには、神獣がいたの」

「……なに?」

 

 突然クウが話し出す。何の話だというボルドーの疑問をよそに、クウは会話を続けた。強く眉を顰める。予期せぬ事が起きてしまったかのように。

 

「精霊による栄華と繁栄を極めていたラースは、その力でもって、一体の強大な使い魔を産みだそうとしたの。【竜吞ウーガ】とはまた別の方法でね」

「ウーガ…?」

 

 外の情報を持たないボルドーには“ウーガ”という名称には一つもピンとこなかった。だが、それも無視してクウは更に言葉を重ねる。

 

「四元の精霊達の力を集めて、束ねて、調和させた。そして生み出したの。賢く、優しく、そして強い。あらゆる外敵を焼き払う――――そして何より」

 

 不意に、視界の端の異変にボルドーは視線を前へと戻す。血塗れになって死亡した魔の鳥。身じろぎせず、力の源となる黒い炎も徐々に消え失せようとしていた。が、その最中、不意に黒い炎の揺らめきが僅かに強くなった。

 ボルドーは経験からそのほんの僅かな変異の兆候を敏感に感じ取り、そして叫んだ。

 

「お前達!そこから離れろ!!!」

「何よりも凄まじかったのは、死んで尚、()()()()()()()()()()()()」 

 

 黒剣騎士団達はボルドーの声に何事かと驚き、しかし条件反射の様に一歩下がった。そしてその直後

 

『         A          』

 

 巨鳥の死体が奇妙な絶叫とともに爆発した。

 否、爆発のように見えたのは黒い炎の活性化だった。 小型の黒炎鬼達のそれとは比較にならない規模の、それこそその間近にある【憤怒の残火】にも劣らないほどの巨大な炎の塊は、迂闊にも近付いていた黒剣騎士達を何人か巻き込んで焼き払った。

 

「っが!?」

「ぎゃあああああああああああああ!!!!?」

「あああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』

 

 幾人かは、その余波に巻き込まれ、一瞬で黒炎鬼に変貌した。

 その恐ろしい光景に悲鳴を上げる、包囲が崩れ、黒剣騎士達に混乱が巻き起こる。空を仰ぐように溜息をついた

 

「《油断しないように》って、ちゃんと言ってたのに。馬鹿な子達ね」

「おい!?早く撤退指示をだせ!このままだと」

「残念ながらもう遅いわね……まさか、あの時からずっと生き続けていたなんて」

 

 クウは活性化し燃え上がる黒炎を指さす。

 死亡後の黒炎の活性化は、その薪となった黒炎鬼そのものが再び蘇る代物ではない。あくまでもその周囲の鬼達の黒炎を強くするものだ。

 

『AAAAAA……』

 

 その筈なのだが、今回のそれは様子が違う。周囲で、鬼となった黒剣騎士達は活性化しない。こちらに襲いかかろうともしない。むしろ逆に、巨鳥の死体が生み出した巨大な黒い炎へと足を進め、跳び込んでいった。自らの身体を炎を焼べるための薪にするように。その異様な光景にボルドーと共にその光景を目撃した【黒炎払い】達は思わず後ずさった。10年間【黒炎砂漠】で戦い続けた彼らであっても、そんな異様な光景は見たことが無かった。

 活性化した【黒炎】は更に巨大となり、そして

 

 

『         A  AAA  AAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 

 中から、再び黒い炎を纏った巨大な鳥が姿を現した。

 

 回復!?

 と、一瞬ボルドーは思ったが即座にそれを否定する。回復ではない。何故なら黒剣騎士団達の攻撃は、間違いなくあの巨鳥の息の根を止めていたからだ。全身くまなく竜殺しは突き刺さり、鬼としての機能を停止させていた。

 だから違う。最早傷も無い。サイズも一回り大きい。何もかも違う個体。あれは――

 

「ラースは、自分たちが生み出した強大なる使い魔に名を付けたの。幾度となく死んでも尚、自らの炎の中で再誕する最強の使い魔」

 

 名を不死鳥。

 

 そして、その不死鳥が黒い炎に呪われて、墜ちた姿がアレなのだ

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 【黒炎不死鳥】と言うべきそれは、大地をも震撼させる恐ろしい声を上げ、自らの再誕を示すのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたか⑤ 別離、一方その頃

 

 【黒炎不死鳥】の復活で致命的だったのは、黒剣騎士団の包囲が崩れたことだった。

 

『A  AA  AAA……』

「うあ……わあああ、あああ!!」

「いやだあ!!!助けてくれぇ!!」

 

 不死鳥復活前の活性化で黒炎に飲まれた、黒炎鬼となった仲間達を前に騎士団は恐慌状態に陥っていた。

 ビーカンが一瞬で飲まれたときはまだマシだった。彼自身が鬼になる間もなく灰燼になったこと、なによりもあまりにも一瞬の出来事だったため、騎士団が恐怖を感じている暇が無かったからだ。

 しかし、今回は違う。勝利したと勘違いし、浮かれ、高揚した所に叩きつけられた恐怖は、彼らの士気を一気に崩壊させてしまった。何よりも仲間が鬼になった姿を間近で目撃してしまったのが何よりも最悪だ。

 

「あいつらはもう使い物にならんな……」

 

 逃げ始める黒剣騎士団の様子を見て、ボルドーは苦々しくその状態を評した。

 ボルドーが黒炎払いを率いるとき最も注意するのが仲間の黒炎鬼化だ。単純に味方が減り、敵が増えるというだけの話ではない。それが発生した瞬間、味方の士気は致命的なレベルで低下するのだ。場合によっては再起不能になるまでに。

 

 最初から敵だった相手には剣を振るえる。

 だが、味方だった者に剣を振るえる者は希だ。

 

 この半年、黒炎払いは快進撃を続けていた。

 死者もゼロの圧倒的な快勝の連続。「何故最初からそうしなかった?」と言われたこともあった。だが、その認識は間違いだ。そもそもこの黒炎砂漠では「快勝でなければならない」のだ。

 一人でも死者を出せば、その味方が鬼となる可能性が極めて高い。

 そして、もしもそうなってしまったら、現場の士気は致命的なレベルで下がる。どれだけ快勝していても、そのたった一度の失敗でマイナスにまで到達する。そうなればもう立ちあがれない。

 

 この砂漠はそういう戦いを強いられる。

 そしてそれが今起こってしまった。

 

「う……」

「ま、不味いぞ……!?」

 

 部下の黒炎払い達からも怖じ気を感じ取る。10年前を知る彼等にとってもあの現象はまさにトラウマだ。ひたすらに自衛に努めていた間にも犠牲者が出なかったわけではないが、安全を確保された状況と今とでは全く別だ。

 ボルドーはこの遠征が大失敗に終わったことを悟った。ボルドーはクウへと視線をやった。

 

「撤退する。文句は無いな」

「ええ、勿論。ただ……」

 

 そう言ってクウはちらりと、黒剣騎士団達が逃げていく背後で、凄まじい黒炎をまき散らしながら吼え猛る不死鳥を見た。不死鳥は騎士団達を次々と焼き払い、鬼にしていきながら、やがて逃げた先に居たボルドー達に目を向けた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「アレから、逃げられるなら、だけど」

「【竜殺し】用意!!!」

 

 ボルドーは鋭い声で叫んだ。混乱した状況で硬直していた黒炎払い達が隊長の声に意識を引き戻される。敵がどのような姿形であろうとも、相手は黒炎鬼であり、その立ち向かい方を彼らは知っている。精神的な動揺がどれほどあろうとも、経験を積んだ肉体は乱れない。

 

「倒すことは考えるな!【竜殺し】は自衛のみに使うことを許可する!敵の感知能力と感知範囲を下がり速やかに撤退するぞ!!!レイは後方の待機部隊にこのことを伝えろ!」

「了解!!!」

「騎士団どもも鬼化している!空ばかり見上げて足下の警戒を怠るな!!」

 

 指示と同時に黒炎払い達は動きはじめる。ボルドーは不死鳥を睨む。

 

「苦労して此処までたどりついたのだ!!!こんなところで死ぬんじゃないぞ!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 間もなく黒炎不死鳥も動き出した。巨大な翼を羽ばたかせると共に、周囲に黒い炎がまき散らされる。単純な特性は黒炎鳥にも似ているがその規模があまりにも違う。しかも奴は空を飛ぶ。機動力が異常だ。下手すればいつまでも感知範囲から逃げられないこともあるかもしれない。

 

 被害無しで逃げられるか?!

 

 最悪の場合、囮となってあのバケモノを惹きつける必要があるとボルドーは覚悟した。

 

「【影結び】」

『AAAAA!!?』

 

 だが、直後にクウが不意に足下の自分の影へと手の平を伸ばす。

 ボルドーが何事かと目を見開くと、途端、空へと飛び立とうとした不死鳥の身体が停止した。不死鳥の足下の影から、真っ黒い手の形をした何かが不死鳥の身体を掴み、捕らえたのだ。

 

「クウ!!」

「急いで撤退することを勧めるわ。長くは保たないから」

 

 そう言うクウの表情には冷や汗が浮かんでいた。実際、不死鳥も自分を掴む影を鬱陶しそうに振り払おうと暴れている。そのたびに影は歪な音を立て始めていた。ボルドーは彼女の意図を理解し、撤退を再度指示する。

 

「急ぐぞ!!」

「ああ、そうだボルドー」

 

 最後に振り返ると、クウは依然としてその場に留まっていた。早く逃げろと伝えるつもりだったが、彼女は動かない。手の平を自分の影から離さない。そうしなければあの拘束術は使えないらしい。

 だが、それは詰まるところ、彼女は殿を務めるということだ。最後に振り返ったとき、クウは何時も通り、妖しげな表情で語った。

 

「ウルに、私の仇をよろしくと伝えておいてね」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 同時に不死鳥の声が響いた。黒炎の嵐がやって来る。それに一瞬で飲み込まれる彼女を見たボルドーは今度こそ前を向き、部下達と共に全力で後退した。

 背後では不死鳥の背筋の凍るような鳴き声と、黒剣騎士団達の悲鳴だけが聞こえてきた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【地下牢・黒炎払い本部】

 

「以上が、【灰都ラース】で起こった状況だ」

「…………」

 

 身体が回復し、起き上がることが出来るようになったウルは、改めてラースで起こった状況を帰還したボルドー達に確認した。彼らが戻ってきたのはウルが目を覚ました直前だったらしく、彼らもまた随分と疲弊していた。

 聞いた内容としては、事前にガザに聞いていたものと殆ど変わりは無い。最後のクウの遺言じみた言葉以外は。

 

「クウは結局戻らずか。なんで俺に託すんだか……」

 

 ウルは溜息をついた。ただでさえ一気に変化した状況を理解するのに必死だというのに、また重たいものを託されてしまった。が、彼女のお陰で最も重要な戦力であるボルドー達が無傷で帰還したのだから、蔑ろにもしづらかった。

 

「……んで、黒剣騎士団達は壊滅と」

「ビーカンの阿呆が、自分の仲間や信頼できる相手をつれて出て、そしてそいつらと一緒に丸ごと燃えたからな。しかも黒剣を実質切り盛りしていたクウも消えた。指揮統制が崩壊している」

 

 此処では本塔の情報が入ってくる事は少ないため、一体どのような有様になっているか不明だ。しかし、本塔と地下牢を唯一繋ぐ通路の向こうから聞こえてくる騒乱と罵声、混乱の声はずっと響いている。どのような悲惨な状態になっているか想像もつかない。

 

「なんつーかクウは兎も角、ろくに【焦牢】に顔出さない役立たずだと思ってたけど、居る意味は一応あったんだなあ……ビーカン」

「組織という集まりである以上はな」

 

 ガザの変に感心したような言葉にボルドーは同意する。ビーカンの焼失は正直言ってウル達の心境になんら変化や驚きを与えることは無かったし、なんならスッキリしたと言っても良いくらいだ。だが、その結果もたらされる混乱は他人事では無かった。

 

「……で、そうなるとやっぱ【地下牢】の状態も酷いのか?」

 

 ウルは癒務室から【黒炎払い】の本拠地まで直行で来ていた。黒炎の呪いを可能な限りまとめて隔離する目的上、癒務室と【黒炎払い本拠地】はほど近い。ほぼ直通だった。故に地下牢の様相というのはウルはまだ殆ど目撃していない。できれば、アナスタシア達の無事は確認しておきたかった。

 ボルドーが首を横に振った。

 

「すまんが、地下牢に関しては、俺たちも殆ど状態は確認していない」

「まあ、バカみたいな喧嘩は起こってないみたいだけど」

 

 確かに、今の地下牢は静かだ。地下空間故に音は良く響く。誰かが騒ぎを起こせばすぐに何処でなにが起こっているか分かるものだ。今は何も聞こえない。

 とはいえ、それが何の保証になるわけでもない。直接確認に行くか、と、ウルが立ち上がった時だった。

 

「おお、ウル、此処に居たのかよぉ」

「っと、ペリィか?」

 

 ウルの職場、魔法薬製造所で働くペリィが黒炎払いの本拠地に姿を現した。ペリィはウルの姿を見てほっと肩をなで下ろした。

 

「癒務室の爺が「アイツはもう行っちまった」とか紛らわしい言い方したからビビったぁ」

「ああ、済まん。だが丁度良いや。ペリィ」

 

 地下牢の状況を知るにはうってつけの相手だった。ウルは尋ねた。

 

「今地下牢はどうなってる?混乱してるか?アナは無事か?」

「あーんー………そうだなぁ」

 

 するとペリィは少々困ったような顔になった。少しウルを不安にさせたが、少なくととも悲劇に口を噤んでいるとかそう言った様子ではない。どう説明するべきか悩んでいる様子だ。そしてやがて頭をかき回すと、

 

「あー説明面倒くせぇや。ウルもお前等も一緒に来いよぉ。直接見せてやるよぉ」

「いや、何をだよ」

「地下牢の現状だよぉ」

 

 そう言うペリィの表情は困惑に満ち満ちていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 黒炎払いと共に地下牢の様子を見るために飛び出したウルだったが、正直を言えばそこまで驚くようなことは起こるまい、とたかを括っていた。

 そもそもウルが地下牢を離れたのは黒炎砂漠8層目の攻略を行う遠征のために此処を発ってから。そして黒炎蜥蜴の吐息に飲まれて【焦牢】に戻ってからも意識を失い続けた数日間である。

 8層目の行き来のための時間を含めるとだいたい約十日だ。勿論その間に黒剣騎士団壊滅というビッグイベントが起こったのは起こったのだが、かといってそう簡単に同レベルの異変がホイホイ起こってたまるか――――という、甘い見積もりをウルはしていた。

 

 そしてその甘い考え方をウルは即座に自覚した。

 

「……やけに静かだな」

「今って日暮れ時だろ?仕事終わってる奴ら多いんじゃねえのか?」

 

 ウルとガザがキョロキョロと周囲を見渡す。地下牢内は静かだった。静かすぎた。何時もの囚人達の雑多な声がどこからも聞こえない。特にここ半年、【黒炎払い】達の活躍により地下牢の活気と荒れ具合は以前よりも更に増していた。囚人達が集まる時間帯になれば自然とどこからか喧嘩の声が聞こえていたくらいである。

 それがない。まるで地下牢が無人になってしまったかのようだ。

 

「今は集会場にいるからなぁ。皆」

「集会場?ダヴィネがまた無茶を言っているのか?」

 

 ボルドーが問う。確かに、いくらかカリスマが落ちているとはいえ、現在の地下牢の囚人達全員を自由に動かせるような力を持つのはダヴィネくらいだ。彼の顔が頭に浮かぶのは当然の流れだった。

 しかしペリィは首を横にふる。

 

「ちげぇんだよなぁ。まあ見たら分かるよぉ」

 

 ボルドーが訝しがるが、しかし、間もなくその集会場へとたどり着く。ペリィは答えを口にしないまま扉に手をかけて、1度振り返った。

 

「静かになぁ」

 

 は?と全員が疑問に思っている間に扉が開け放たれる。そしてその先の集会場を前にして、先の疑問の答えと、更なる疑問が待っていた。

 

「……………どういう状況だコレ」

 

 ウルは小さく囁いた。

 

「………………」

 

 ウル達の目の前には囚人達が集まっていた。彼らは全員、声も出さず、音も立てず、両の手を合わせて静かに沈黙し続けていた。その状況はウルも見覚えがある。

 神殿での祈りの儀式だ。精霊達に祈りを捧げ、力を溜めて、その力を神官達が活用するための都市民の義務。それ自体は、この世界ではありふれた光景の一つだ。

 問題は、此処が地下牢で、彼らが囚人達であるという点である。当然、今日までの地下牢でウルはこんな風に囚人達が地下牢で祈りの儀式を行う姿など見たことが無い。地下牢では祈りの力が弱い名無しが多数派な上、そもそも祈ったところでその力を使う対象がいない。焦牢に備わる小規模の太陽の結界の維持は本塔の連中が行っているらしいし、結局祈りを捧ぐ理由がなかった。

 

 だが、彼らは今は祈っている。それも嫌々という様子ではない。慣れていない者も多いからか、不細工な姿勢の者も多かったが、それでも真剣だった。異様に思えるほどに。

 

「……あれ、見て」

 

 しかも、レイが囁き指さす先には、【探鉱隊】所属の土人達の姿があった。それだけではない。【魔女釜】の魔術師達も、【地下工房】のダヴィネの部下達も、地下牢に暮らすあらゆる勢力がこの場所に集まり、そして喧嘩もせずに一心に祈っているのだ。

 

「……いや、どうなってんだよこれ」

 

 ガザは不気味そうだ。他の黒炎払いのメンバーも同様だった。しかしそんな中、ボルドーだけが恐れとは別の表情を浮かべていた。

 

「……まさか」

 

 そして同時に、ウルもまたこの状況に心当たりが一つあった。ウルは前へと行くペリィに尋ねた。

 

「おい、ペリィ。“あいつ”何処だ」

「こっちだよぉ」

 

 ペリィは頷いて、囚人達の祈りを邪魔しないように回り込むようにして集会場を進んでいった。ウルは黙ってそれについていく。途中、グラージャやフライタンといった者達まで彼らに並び祈りを捧げているところをみてウルは驚いたが、今は無視した。

 

 そして、集会場の奧の玉座にたどり着く。そこにはダヴィネが腰掛けて――――居なかった。ダヴィネは玉座の隣りで、他の囚人達と同じように祈りを捧げている。そして彼の代わりに玉座に座っているのは、

 

「ああ、ウル、くん。目が覚めて、良かった」

 

 廃聖女アナスタシアが心の底から安堵した様子で、微笑みをうかべていた。 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたかⅡ 彼女の決意

 ――分かっていたつもりだったが、ダヴィネはリーダー気質じゃないな

 

 そうだろうな。とウルのぼやきを聞いたとき、アナスタシアは思った。

 アナスタシアも地下牢に暮らし始めてから長い。おおよそ、ダヴィネという男を理解していた。天才でありながら臆病者。アンバランスで、その弱さを激昂で誤魔化そうとする。彼はそう言う男だ。

 

 鍛冶師としての能力と指導力は別物

 

 【黒炎】に汚染されていない浄化水、【魔女釜】で扱う大釜を含めた魔道具の数々、【探鉱隊】の発掘道具、【焦烏】の魔術師達が扱う影魔術の補助具や、勿論【黒炎払い】の竜殺しも、何もかも全てダヴィネの作品だった。

 彼が鎚を振るい始める前は、この地下牢の生活はもっと酷かったらしい。不潔で病人が多く、黒炎の呪いも蔓延し、それらを呪いを恐れるが故に看守達は近付くこともせずに放置し続けた。

 現在の、歪ながらも真っ当な生活を営むに至ったのは間違いなくダヴィネの力あってのものだ。だからこそ彼は救世主で、英雄で、王さまだ。

 しかし今はそれに陰りが生まれている。一芸で全てを賄うにも限度がある。

 

 アナスタシアはダヴィネに不満はない。

 

 呪われて、失意に沈んだアナスタシアに対してダヴィネは優遇はしなかったが、冷遇もしなかった。恐らく扱いかねたのだろう。適当な雑務を与えて放置された。だがその扱いは彼女にとってありがたかった。呪いによってゆっくりと弱っていく日々は、彼女にとって穏やかな時間でもあった。

 もしも呪われた後も、聖女として扱われていたら彼女は完全に砕けてしまっていただろう。傷が深くならずに済んだのは彼のお陰だ。

 

 だから、彼に不満は無い。だけどダヴィネの支配が機能しなくなって、地下牢が混乱をきたすのは困る。ウルの戦いに差し障りが出てくるのは避けたかった。

 

「――――――」

 

 医務室にて、ウルは眠っている。

 八層の攻略は完了した。しかしウルは無事、帰ってきたとは言い難い。番兵との戦いで、無茶をしたらしい。黒炎に呪われている様子はないが、そうなってもおかしくはなかった危険な戦いだったらしい。

 もしも、彼が呪われて、鬼になってしまったら。

 そう考えると、アナスタシアは心臓が凍り付くような気分になった。

 

 目立った怪我はない。目を覚ますだろうと言われても、とても喜ぶ気にはならなかった。

 

 灰都ラースは見つかったという話もアナスタシアは聞いている。もしかしたら、"刑務”は終わるかもしれないという噂が地下牢を駆け巡って、浮かれている。しかしアナスタシアはその噂に対して否定的だ。

 

 彼女もまた、ボルドーと共に10年前の黒炎砂漠の攻略に挑み、破れた当事者だ。

 故に知っている。決して、黒炎砂漠は温くは無いのだということを。だから、ウルが目を覚ました時には全てが解決している。そんな楽観視は彼女は出来ない。つまり彼はまた死地に赴くのだ。

 死ぬよりも恐ろしいことになるかもしれない場所に彼が赴くのを、ただ、黙って見送るのはもう耐えられなかった。それに、

 

「……時間も、あまり、ないから」

 

 ウルの頭を撫でた自分の右手をそっとみる。【黒睡帯】をゆっくりと外すと、呪いにまみれた右手が姿を現した。黒ずんだ皮膚は、以前のようにじくじくとした痛みを伴わない。しかし代わりに、乾いて、炭のように固まっている。

 傷ついた皮膚が癒えて古い皮膚が固まった、というものでもない。強く動かせば、そのまま指先が砕け散るのをがアナスタシアには容易に想像できた。

 ウルが与えてくれた“お茶”を口にしてから、身体は楽になった。驚くほどに身体は軽くなった。悪夢も見なくなった。しかしそれは、自分の身体を蝕んだ呪いの炎が弱まっただけで、呪いによって今日まで蝕まれ続けズタズタに引き裂かれた身体までを癒やしてくれるわけでは無かった。

 アナスタシアは呪いに致命的なまでに蝕まれた末期患者だった。その身体が魔法のように癒えるような奇跡は起こらない。

 だから、

 

「貴方のため、私も、出来ることを、しますね?」

 

 眠るウルの手に触れて、頬にあてる。その温もりに感謝する。

 アナスタシアは自身の残る命をウルのために費やすことに決めていた。残る時間が少ないのなら、最期はこんな自分に救いを与えてくれた彼のために使う。

 ずっと、誰かの為に使わされてきた。

 だから最期は、自分の意思で、自分のやりたいことをする。

 そしてその為の力を彼女は持っている。

 

「【フォーチュン】」

 

 小さく彼女は囁いた。途端、翠の輝きを放つ蛇が彼女の前に姿を現した。【運命の精霊・フォーチュン】の顕現であり、高位の神官の前にも滅多に姿を顕さず力も与えない精霊が、薄暗い地下牢に降臨した。

 それはアナスタシアが未だ、運命の精霊の寵愛者であることを示している。

 【運命眼】をなくそうと、その愛は揺らがなかった。

 

 だから、それを今まで、使わなかったのは、アナスタシアの問題だ。

 

「――――――」

 

 アナスタシアは、その姿を見た瞬間、硬直した。

 十年前は、ずっと当然のように傍に居た精霊だった。そして、自分と、多くの者達を破滅へと導いた力だった。勿論、精霊に罪は無い。それを不用意に、考えもせず、悪意のある者達のいうままに使った自分に責任がある。

 その罪と責任が、アナスタシアの心を痛めつけた。臓腑が冷たくなって、痙攣する。冷や汗が零れて、胃液がのぼってきて、弱った身体で力なくそれを吐き出した。彼女にとっての最大のトラウマだった。自分の間違いと向かいあうのはあまりにも苦痛だった。

 ウルの事を手伝うと、そう言いながらも、この力に手を出せなかったのはその為だ。彼と、黒炎払いの彼らが命を賭けて戦っているのに、なんとも卑劣な話だった。

 

 嗚呼、でも、それでも。

 

「――――愛されていると知りながら、貴方の力を避けて申し訳ありません」

 

 震える声で、アナスタシアは向き直る。運命の精霊はアナスタシアの様子に戸惑うことはしない。静かに彼女の言葉を聞いていた。

 

《――――》

「貴方と向き合うのが、怖かった。それが、彼の、力になると、わかっていていても」

 

 アナスタシアは深々と頭を下げる。翠の蛇は何も言わない。その瞳は本物の蛇と同じように無機質に見える。だが音も無く翠の蛇は呪いまみれの彼女の身体へと近付くと、そっと労るように触れた。

 精霊はヒトとは違う。しかしその親愛や労りは伝わってくる。

 

「どうか、力を」

 

 自身の罪を知り、聖眼をえぐってから今日まで一度も彼女は運命の力を使うことはしなかった。しかし1度たりとも、精霊への祈りを欠かしたことはなかった。

 10年間捧げ続け、そして一度も使わなかった。寵愛者故か、当人の才能か、神殿という器を必要とせず彼女は祈りの魔力を蓄え続けることが出来た。

 

 その全ての力を、今から使う。

 

《――――》

 

 翠の蛇は輝き、丸くなる。小さく、丸く、形になる。翡翠の宝石にも見えるそれは、黒睡帯に隠された、盲いた瞳のある部分に触れた。アナスタシアが帯を外すと、損なわれた彼女の左目には翡翠色の瞳があった。

 

 かつて、彼女の元から失われた運命の聖眼がそこにはあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ダヴィネさん!またケンカだ!!」

「ダヴィネさん。魔女釜の連中が付与魔術まだ出来ていないって…」

「ダヴィネさん!」

 

「うるせえ!!いちいち俺のとこに馬鹿騒ぎ連れてくるんじゃねえ!!」

 

 中央工房にはトラブルが度々舞い込んでいた。

 先日あった【魔女釜】と【探鉱隊】のトラブルとて、小規模に済んだ方だった。今や地下牢は連日連夜のトラブル地獄だった。

 【黒炎払い】達の活躍で、囚人達の血の気が更に増しているのだ。

 地下牢に送られ、黒炎の呪いに晒されると言う恐怖。それらの恐怖がこれまでの地下牢の囚人達を縛り続けていた。それは彼らの心に影を落とし、上手く作用していたのだ。彼らは怯え、竦み、不用意な他人との接触を避けた。見知らぬ相手に接触して、黒炎に呪われるのが怖かったのだ。

 だが、その恐怖が薄れた。黒炎払いが砂漠の攻略を進めるごとに、彼らの中の恐怖は拭われていった。黒炎の呪いが曖昧で対処不可能な恐怖から、対処を誤らなければ向き合うことが可能な問題に意識が塗り変わっていた。

 

 勿論、彼らに実力が身についたわけでも、知識が身についたわけでもないのだが、集団の熱気と慢心というものは、良くも悪くも際限が無かった。

 

 彼らは活発化し続けた。そうなると、元々の地下牢に存在した問題が噴き出してくる。監視者の不在、男女も分けず、武具防具の類いを持ち込んだ無法地帯。単に呪われた者達だけを押し込める隔離するためだけの空間が、制御できなくなりつつあった。

 

 そして、それらをコントロールするだけのスキルが、ダヴィネにはない。

 

「ああ、畜生畜生めんどうくせえ!なんで俺が!!」

 

 ダヴィネが苛立ちながら頭を掻きむしる。

 ダヴィネは困っていた。黒炎払い達の快進撃、それ自体は彼にとっても望ましい。彼らに提供している自分の武具類の強さの証明になっていたからだ。彼らが解放した新たなる地域から持ち込んでくる数百年前の遺物は面白いオモチャだった。創作意欲がグングンと増していく。だから彼らに文句は無い。

 

 無いのだが、そうなると自分の能力が問われてくる。

 

 地下牢の王として長く君臨してきたダヴィネだったが、支配者の方面で彼が有している能力は少ない。自身の天才性と物理的な恐怖による恫喝だけだ。細かな調整は【焦烏】のクウがやってきていたし、ダヴィネとしてはそもそも地下牢の政治なんて興味は無かった。彼は自分の鎚が思うままに振るえればそれで良かったのだから。王さまという立場はあくまで副産物に過ぎなかった。

 しかし今はその自分の立場が、彼の自由を奪っている。ダヴィネは苦悩していた。

 

「最近はクゥの奴も働きやがらねえしクソがよぉ……」

 

 悪態をつきながらも、ダヴィネは弱っていた。元々彼はあまり器用なタイプではない。次々と起こる変化に即時応対し、やり方を変えられるような男では無かった。

 助けが欲しかった。それを考える度に彼の頭には兄であるフライタンの顔が浮かび、首を振ってそれを払った。

 

「どうせアイツだって俺のこたぁ見捨てたんだ!!今更だ!!」

 

 自分に言い聞かせるようにわめいて、ダヴィネはテーブルに転がる酒を飲み干した。高いらしいがダヴィネには酒の味なんてよく分からない。高い酒を自由に飲める自分の立場に気分はいくらかよくなるが、今はまるで彼の気持ちを慰めてはくれなかった。

 

 わかっている。助けがいる。それも【黒炎払い】のような武力集団ではなく、もっと的確にこの地下牢をまとめてくれるリーダーが必要なのだ。だがそんな都合の良い者は――

 

「ダヴィネ、さん」

「おわあ!?」

 

 そんなとき不意に、囁くような小さく声をかけられ、ダヴィネは驚いた。

 振り返ると、すぐ側に杖を突いて、黒睡帯を体中に巻き付けた女が、ダヴィネのいる中央工房を尋ねてきていた。

 

「な、なんだよ。てめえか。なんのようだ……」

 

 【廃聖女アナスタシア】だ。

 勿論ダヴィネは彼女のことを知っている。勘違いして此処にやって来て、勝手に潰れて廃人になったバカな女だ。適当に雑務を任せて放置していただけで、彼女に思うところは少なかった。

 最近、あのウルと一緒に色々とやってるようだが、ダヴィネはそれほど興味はなかった。少なくとも物理的に暴れる能力のない彼女はダヴィネの障害にはならなかった。

 

「お……いや、ワシぁ忙しいんだよ!黒睡帯が足りないなら後にしろ!!」

「ダヴィネ、さん」

 

 再びアナスタシアは囁く。不思議なことに、彼女の声は小さくて、途切れ途切れであるはずなのに、その声はどこまでも良く響いた。ダヴィネはその言葉を遮る事が出来なかった。

 アナスタシアは美しかった。呪われ、衰え、ひび割れ、脆い。その儚い姿が、彼女が元々聖女だった頃とは別の、妖しさと、美しさを与えていた。

 そして酒に赤らんで疲弊していたダヴィネの額を、彼女はそっと撫でる。

 

「私に、貴方の、手伝いを、させてください」

 

 アナスタシアは慈愛の笑みを浮かべた。黒睡帯から零れた翡翠の瞳が彼の目を射貫いた。

 その微笑む姿は地下牢の中であっても尚眩い、聖女そのものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたかⅡ② 運命の聖女

 

 地下牢、集会所

 

 地下牢では、探鉱隊と魔女釜の争いは慢性的に続いていたものの、待機として残った【黒炎払い】が睨みを利かせることで、派手な抗争はなんとか収まっていた。しかし彼ら以外でも、地下牢はトラブルが絶えない状態だった。

 

 ダヴィネというリーダーの機能が死に始めていたのだ。

 

 ダヴィネが目の前に居る数人に怒鳴り散らしたとて、それほどの影響力は無い。地下牢は広い。彼の目が届かない範囲はあまりに多い。その事に地下牢の住民達は気付いてしまっていた。

 恐怖と暴力のみの支配は、それが薄れたときに崩壊する。【焦烏】による監視も存在している筈なのだが、何時タガが外れるかわかったものではなかった。

 

「だーかーらー!俺たちも外で遺物漁りに行こうってんだよ!!」

 

 現在、集会所で起こっている騒動も、支配の緩みが生んだ暴走だった。

 地下牢の囚人達の一部がダヴィネのいない集会場で叫んでいる。彼らは囚人服の上からボロい黒睡帯を身につけ、武器を片手に猛っていた。

 

 彼らの主張はこうだ。

 【黒炎払い】達とダヴィネが解放されていく【黒炎砂漠】から出土する【遺物】類の独占は悪であり、地下牢を支える自分たちにもそれを獲得する権利があるのだ。

 と、そう言うことらしい。

 本来であれば【黒炎払い】達の仕事は危険で地下牢で最も忌み嫌われる仕事であり、【黒炎払い】は自分たちの仕事を独占していたのではなく、単に他の連中から押しつけられたに過ぎなかった。彼らの主張はなんとも勝手な話だったが、困ったことに賛同する者は多い。

 

「おおそうだ!!」

「あいつらばっか良い思いしやがって!!!」

 

 他人の得を横目に眺めて黙っていられる者は少ない。

 

 自分も!と功を焦る者は多かった。しかも彼らの中に【魔女釜】や【探鉱隊】も入り交じっているから尚、手に負えない。彼らは彼らで【黒炎払い】に反感を持ちつつ、【魔女釜】や【探鉱隊】同士でも対立している。

 こんなまとまりのない集団が地上に出て、【黒炎砂漠】に飛び出せばどのような結末を向かえるか、想像するまでもないことだろう。しかし、彼らを止める者は――

 

「いけません、よ」

 

 一人だけいた。

 その小さな声は罵声の飛び交う集会場の中であっても、やけに響いて皆の耳に届いた。視線が自然と、暴走した囚人達の視線が一点に向かう。【黒睡帯】まみれの女、地下牢におけるある意味での有名人。【廃聖女】アナスタシアだ。

 

「外に出ない、方が良い。きっと酷いことに、なるから」

 

 よたよたと、杖をつきながら近付いてくる彼女には力を感じない。そうやって歩くだけでも相当に苦労がありそうだった。風が吹くだけで倒れてしまいそうなくらいに脆い彼女を前に、暴走した囚人達はせせら笑った。リーダー格の一人が握った剣の腹を、彼女の頬に当てた。

 

「なんだよ廃聖女様?お得意の運命でも見てくれたってのか?」

 

 彼女の事情を知る者は多い。彼女が失敗し、そしてこんな酷い有様になった事を知る者もまた多い。だから彼らは彼女を軽視していた。地下牢には名無しが多く、精霊の恩恵を受けた経験が少ないこともまたその軽視を増長させた。

 彼女が、類い希な精霊の寵愛を受けた聖女であるという理解は彼らにはない。

 

「ええ。そう、ですね」

 

 アナスタシアは頷く。そして不意に黒睡帯が外れて露出した左目を――――確か、焼かれて潰れている筈の左目を開いた。翡翠の瞳、その美しさにまず全員が息を飲んだ。

 

「【雫見】」

 

 その瞳から、涙がこぼれる。雫は地面に落ち、光の波紋を立てて、広がった。

 そして怪訝な顔をする囚人の剣に、そっと指先で触れた。

 途端、古びた彼の剣はぽきりとその真ん中からへし折れた。

 

「……………あ?」

「その剣の命運は、既に、尽きてました。そんなもの、握って外に出たら、死にますよ」

 

 カランと、剣の先端が落下して地面に転がった。呆然とする囚人を素通りして、アナスタシアはそれ以外の囚人達の側へとそっと近付いていく。手を伸ばして、竦んで動けなくなっている囚人の顔に触れた。

 

「ああ、貴方は、とても、よくない」

「え」

「身体の、半分から上が、真っ黒。黒い炎に、焼かれてしまう」

「ひっ」

 

 囚人が悲鳴を上げて後ろに下がる。するとアナスタシアは別の者へと手を伸ばす。まるで不死者のようにゆらゆらと近付く。不思議と囚人達は一歩も動けなかった。

 

「その黒睡帯は、もう力がない。ただの布きれです」

「え」

「貴方も、良くない。肘から先に、未来を、感じない」

「う……」

 

 一言一言、彼女が告げる度に囚人達の狂ったような熱気が拭われていった。代わりに訪れたのは顔の真横に矢玉が過ぎ去っていったような恐怖と、それを回避できた脱力だ。

 アナスタシアの言葉は、一つ一つに力があった。デタラメだと一蹴する事は誰にも出来なかった。病人のようにふらふらの身体で、彼らが握るお粗末な武具類の欠損を次々に証明していくのだ。否定のしようが無かった。

 

 やがて、暴走していた囚人達の心を全て丁寧にへし折ったあと、彼女は壇上に一人上がった。暴走していた囚人達と、それを見に来た野次馬達に向かって。

 

「皆様。どうか、おちついて、ください。今、うごいても、良い運命は、やってこない」

「……じゃあどうしろってんだよ!!」

 

 一番最初に、真っ先に剣と一緒に心をへし折られた囚人が叫んだ。

 

「このままラース解放されちまったら、地下牢は終わりだ!それで外に出られる連中はいいさ!!だけど普通の犯罪者だった俺たちは……」

 

 その先は言葉にしなかったが、彼は不安なのだろう。

 この地下牢は特殊で、自由だ。通常の監獄とは違う場所で、黒炎の呪いを封じ込めるための隔離所だ。しかし囚人によってはここに居心地の良さを覚える者もいる。外に出さえしなければ呪われる心配はない。魔物の襲来も滅多なことでは起こらない安全な場所。

 特に名無し達は、魔物の襲来を怯える必要も無いこの場所に、必要以上の愛着を覚えていても不思議では無かった。そしてそれが失われる事を畏れて、地下牢という形が失われてしまう前に自分の居場所を確保しようとしたのかも知れない。

 

 結果、選んだ選択肢は本末転倒甚だしかったが、その心の働きは分かる。

 

 だからアナスタシアは彼を否定せず、静かに微笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、ですよ」

 

 混乱する彼の頬に触れて。頭を撫でて、そしてゆっくりと抱きしめた。呪われたところで触れぬよう気遣って、しかしその内囚人の方が呪いも厭わずに彼女の身体を抱きしめた。

 

「私が、貴方たちを、導きます。良き方へと、共に向かいましょう」

 

 その宣言に、囚人達は自然と両手を合わせはじめた。彼らが囚人であろうとも、名無しであろうとも、生きていく上で根本的に染みついた習慣が、自然と彼らに祈りを捧げさせた。目の前の聖女に救いを求め、平伏したのだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 かくして、一つの暴動は鎮圧された。

 

 それも、いままでのようにダヴィネや【焦烏】らが力で押しつぶす形で無理矢理解散させたわけではない。言葉によって、自分たちの意思でその場を離れたのだ。

 押さえ込もうとすれば反発が起こる。より強く、より激しくなる。押さえつけず、中から解きほぐした事実は大きい。容易くも無い。その難行をアナスタシアは一人でやってのけた。彼女は地下牢の廊下をゆっくりと歩く。彼女の側には同じ場所で働くペリィが彼女を支えていた。

 

 アナスタシアの顔色は囚人達の前に立っていたときと比べて少し青い。汗もかいている。

 

「あんま無茶すんなよぉ」

 

 ペリィは彼女の身体を支えながら言う。半年ほどの付き合いで、彼女の身体は無茶ができないことは知っている。体力も少ない。あんな風に一人、大立ち回りを演じれば、あっという間に疲れ果てることはわかっていた。

 しかし彼女はあの場で一人立つ事を決めていた。

 

「誰かに、支えられていては、格好が、つかないですから」

 

 アナスタシアは人の上に立つ時の在り方を理解していた。彼女は10年以上前、聖女として神殿に君臨していた。それは周りの者達に崇め奉られた結果のお飾りの聖女であったが、それでもその時の経験と知識は彼女の中に未だ存在していた。

 ヒトの上に立って、ヒトの心を魅了し、従える技術が彼女にはあるのだ。恐らくこの地下牢において、もっとも支配者としての能力をもっているのは彼女だった。

 

「グラージャ、さん。フライタン、さん。これで、いいですか?」

 

 地下牢の隅、誰も立ち入らない空き部屋を覗くと、そこに【魔女釜】のリーダーであるグラージャと、【探鉱隊】のリーダーであるフライタンが並んでアナスタシアを出迎えた。

 

「ああ、よくやってくれたね。聖女様」

「……助かった」 

 

 【魔女釜】と【探鉱隊】、二つの対立した組織のリーダーはアナスタシアに礼を告げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年が寝ている間に何が起きたかⅡ③ 迫る脅威

 

 

 同じ部屋に居座っているフライタンとグラージャであるが、実は親しい関係であったとか、そういった事実は無い。依然としてグラージャは土人達全体を毛嫌いしているし、フライタンは兎も角、彼の部下達は魔術師達を見下している。

 

 が、しかし、現在の浮ついた地下牢の状況そのものについては、両者は共通して問題視していた。【黒炎払い】の活躍に浮かれているのは囚人全体だ。【魔女釜】も【探鉱隊】もそれは同じで例外は無い。二人の率いる部下達にも、先程の馬鹿騒ぎに参加した者も、あるいはこれから参加しそうな者もいたのだ。

 

 二人のリーダーは少なくともその浮ついた空気に乗せられる程に考え無しでは無かった。だから理解している。この空気を放置したら、事故が起こると。ダヴィネと同じく二人とも、【黒炎払い】という集団の実力を決して軽視などしてはいなかった。

 

 現在の快進撃はウルという起爆剤と、ダヴィネの【竜殺し】、そして【黒炎払い】の10年間蓄積させ続けた力が完全に噛み合ったことによるものであって、碌な武装も知識も持たない素人が飛び出してどうにかなる状況ではない。

 

 そして、ロクに制御の効いていない熱狂から生まれる事故程、被害は大きくなる。それも、熱にアてられなかった者達までも巻き込むほどの大事故だ。【魔女釜】も【探鉱隊】もそれは避けたかった。

 そして二人が頭を悩ませていたまさにそのタイミングで、アナスタシアが囁いたのだ。

 

 自分ならば、この状況を抑えることが可能だと。

 

「ヒャッヒャヒャ!まさかこの期に及んで、聖女様がご光臨とは思わなんだね!」

 

 グラージャは笑う。フライタンも口にはしないが同意見だろう。それを隣で聞いているペリィだって同じだ。そもそも彼女がこの地下牢にやって来た当初、既に彼女は聖女らしくはなかったのだ。状況に怯え、戸惑い、上手く説明できずに場をかき乱して混乱させていた。

 あの時の彼女は悪い大人に騙されて、良いように利用されて、捨てられた哀れな子供そのものだった。

 だが今の彼女は違う。自分の武器を全て把握し、それを使うことを覚えた怖い女だ。

 

「では、約束通り、お願いします」

「ダヴィネの代わりに地下牢を収めるから、アンタに協力しろ。だったな」

「ウルに、だろう?愛しのダンナ様に貢がせようってんだ」

 

 フライタンとグラージャの問いにアナスタシアはまるで恥じらうこともなく頷いた。

 

「おねがい、します。ウルくんを、手伝って、ください」

 

 制御が効かなくなり、混沌とし始めた地下牢の統制、そして分断している地下牢内部の組織からの協力のとりつけ、アナスタシアはその全てを一気に手中に収めようとしていた。

 ペリィは言葉にせず少しビビっていた。事前に、「運命の精霊の力を使う」という説明は聞いていたが、ここまで呆気なく、自分の望み通りに物事を動かすことが出来るのだろうかと怖くなったのだ。

 

「コレが【運命の精霊】の力ってやつかね?こわいねえ」

 

 対してグラージャは幾らか余裕がある。

 ペリィに支えられてなんとか、といった具合のアナスタシアを嘲っているようにも見えた。元々ペリィの上司であった彼女のことをペリィはある程度理解している。卓越した魔術師であるが故に、精霊の力は侮りこそしないものの、自らがそれに劣るなどとは思っていないのだろう。

 

「その力さえあれば、本塔の連中も出し抜いて、全員脱走だって出来るんじゃ無いかね?」

「残念、ながら、そこまで都合は、よくないのです」

「おやまあ、残念だねえ」

 

 まあ、出来るわけが無いだろうけど、と思ってて言っただろうに、グラージャは楽しそうだ。その嘲りを見抜いたからだろうか。アナスタシアは翡翠の瞳を見開いて、優しくグラージャに語りかけた。

 

「でも、貴方が、今、少し腰を、痛めているのは、わかります」

「っ!?」

「今日、何かの術を、試しているのですか?辞めた方が、いいですよ。失敗するから」

「………」

 

 グラージャは押し黙り、距離を取った。

 アナスタシアの言い方は曖昧だ。正確な未来を完全に読み取ることは出来ない。だがそれでも、自分が秘めていることを盗み見されるのは愉快ではないだろう。一つ二つどころではない企みを抱えているような老女であれば尚のことだ。

 こういった側面もあって、アナスタシアは崇められる一方で、畏れられもしたのだ。

 と、そこでフライタンが咳払いする。

 

「どのような力だろうと構わない。だが、()()()()()()()()()()()()()()()?」

「しばらく、は」

「ならいい」

 

 フライタンは少し安堵した様子だ。それを見てグラージャは幾らか調子を取り戻そうとするかのように強めに嘲笑った。

 

「お兄ちゃんは過保護だねえ!そういう過干渉が拗らせを加速させたんでないのかね?」

「…………」

 

 フライタンは睨み付けるが、しかし反論はしなかった。代わりに剣呑な空気が場を包む。やっぱり二人の相性は全くよろしくはなかった。二人とも、この地下牢では古参の部類だ。長い年月の間発生した対立は容易くは埋まらないのは当然だ。だが、

 

「喧嘩しても、良いですけど、約束は、守ってください、ね」

 

 アナスタシアはそれを一言告げると、二人は渋い顔をしながらもそれにしたがった。その時点で、この場における力関係は明確だった。傍から見るペリィからすると少々愉快な光景ではある。二回りどころではない程年下のアナスタシアに従う、二大組織のボス達の光景は。(怖いのでその事を絶対に口にしないが)

 

「確認するけど、ほんっとうに私達にも利益があることなんだろうねえ?“黒炎払いの攻略を支援する”ってのは!」

「運命は、曖昧で、読み辛い。言語化もしにくい。ですが――――」

 

 グラージャが吐き捨てる様に問う。アナスタシアは迷い無く頷いた。

 

「断言、します。間違い、ありません」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下牢、魔法薬製造所

 

「ほれ、これでいいかよぉ」

「ありがとう、ございます。ペリィさん」

「かまわねえよぉ」

 

 アナスタシアは自身を運んできてくれたペリィに礼を言って、ベッドに倒れ込んだ。彼女が疲れ果てていることをペリィも理解していた。なんだかんだと彼女とも半年の付き合いだ。もう休ませてやるべきなのだ。

 

「なあ、きいてもいいかぁ」

 

 ただ、どうしても聞いておきたいことがあった。

 

「なんです、か」

「あいつらに言ったこと、本当なのかよぉ。利益があるって」

 

 【黒炎払い】への協力が【魔女釜】や【探鉱隊】の利益となる。

 そう断じた彼女の言葉が、いささかペリィには信じがたかった。なにしろその詳細は明かさなかったし、何よりもウルにとって都合があまりにも良すぎるからだ。運命の精霊の力を掲げて、相手を都合良く動かそうとしているのでは無いかという疑問が浮かんでいたのだ。実際、グラージャもフライタンもその点は疑ってかかっていた節がある。

 勿論、それが嘘だったとして、彼女を責める気は無い。ペリィは今や心情含めてこの“魔法薬製造チーム”の一員で、この場所を裏切るつもりは無い。ただ実際の所どうなのだろう、と気になったのだ。

 

 するとアナスタシアは頷いた。

 

「確かに、少し都合よく言いすぎたかも知れません」

 

 ああ、やっぱり。とペリィは笑おうとした。だが、アナスタシアのとても真剣な表情で、ヘラヘラと笑う事が出来なかった。

 

()()()()()()()()()()

 

 ペリィは生唾を飲んだ。

 運命の精霊の力を解禁した、と聞いたとき、正直ペリィには一見して普段の彼女との違いが分からなかった。弱々しいし、何時倒れてもおかしくないほどの貧弱さは何も変わっていなかったからだ。

 しかし、今は違う。見えない先を見通す力を持つ者の、超越的な確信は、彼女に今までにはない凄味を与えていた。ペリィに畏敬の念を抱かせた。囚人達が彼女に平伏した感覚がなんとなく分かった。

 

「……じゃあ、なんなんだぁ?」

 

 問うと、彼女はそっと両の手を重ねて小さく俯いた。それは祈る所作というよりも、自身がこれから口にする言葉を畏れているかのようだった。

 

「黒炎払いの、皆さんを、助けないと、災厄が訪れる」

「災厄」

「真っ黒な、死が、来る」

 

 場の空気が凍り付いた。人気も音もない。沈黙が耳に痛かった。

 

「……ウル達が何かをなんとかしねえと地下牢に来るのかぁ?その、死が」

「いいえ」

 

 更にアナスタシアは否定を重ねる。不吉な気配は更に高まる。ペリィは最早押し黙った。彼女の言葉の続きを聞きたいとも思わなかった。しかし彼が拒否しようとしても、アナスタシアは最早言葉を止めることは無かった。

 彼女は言った。運命の精霊を再び受け入れて、その直後に悟った未来の一端を。

 

「黒炎払いの皆が、上手くやれなければ、もっと、酷いことになる」

 

 グラージャ達を前にした時以上に強く、彼女は断定した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そして現在 地下牢の集会場

 

「以上が、現在の、地下牢の、状態です」

 

 地下牢での祈りの儀式が終わり、一旦囚人達は解散となった。

 正直傍目には異常に見えた状況だったが、祈りが終わってしまえば囚人達は何時も通りだ。やれやれ終わったとかったるそうに肩を回しながら雑談を交わしている。

 彼らは別に誰かに強いられたり、あるいは奇妙な術にかかっていたりだとかそう言ったわけでは無かった。ただ自主的に、自らの意思でアナスタシアへと祈りを捧げたのだ。

 

「この場所は、簡易の、神殿となりました。祈りを、蓄積します」

「分かるのか……?神殿の作り方」

「これでも、高位の、聖女でした、から。勿論、完璧とは、言い難いですが」

「名無しばかりだと、祈りの魔力は溜まりにくいんだろ?」

「効率は、悪いですが、無いよりは、ずっといいです」

 

 そう言って、彼女は再び【運命の聖眼】、翡翠の瞳を見開いた。

 

「【雫見】」

 

 不意に、彼女の瞳から涙が零れる。魔力に満ちたその雫が頬を伝って地面に零れる。水面で波がはねるようにして周囲へと魔力が拡散していった。ウルが知る精霊の力はどれも激しいものだったが、それと比べると本当に静かなものだった。

 しかし、それから得られる結果は決して大人しいものではなかった。

 

「フライタン、さん」

 

 アナスタシアは不意に顔を上げ、ウル達の背後で待機していたフライタンへと顔を向ける。フライタンは身体を起こすと、彼女元へと近付く。

 

「引き続き、南へと、地下探鉱を、進めてください。」

「鉱脈は今のところ影も形も見えない。それでもか?」

「はい」

「……分かった」

 

 フライタンは頷いて、その場を後にする。次にアナスタシアは部屋の隅で隠れるようにしていたグラージャへと視線を向けた。

 

「グラージャ、さん」

「はいはいなんだい小娘。次はどんな無茶を言うんだい?」

「【石壁】の、巻物を、50本ほど」

「本当に無茶を言うね!!?」

「必要に、なります。お願いします。できるだけ、急いで」

「ちゃーんと見返りは用意するんだよ!?全く……!」

 

 そう行って愚痴りながらも、グラージャもまた彼女に従った。そして最後に

 

「ダヴィネ、さん」

「…………おう」

 

 ダヴィネもまた、彼女の前に立った。彼女の指示を確認するために。

 

「強い、強い、【竜殺し】を」

「俺の作品は全部強い!!!」

「それを、全て、越えて、ください」

「ああ!?」

「今の、貴方なら、出来ます。新たな【竜殺し】を、造って、ください」

 

 ダヴィネは押し黙り、そしてその後に彼女に背を向けて歩き出した。地下工房の自身の職場へと向かったのだろう。彼女の命令に背くことはしなかった。地下牢に居る組織が全員、彼女に従っていた。

 ウルは半ば呆れ、半ば感心して声を漏らした。

 

「よくもまあダヴィネまで……」

「当然だ。彼女ならば、それくらい出来る」

 

 そのウルの疑問に答えたのはボルドーだった。やや険しい表情でありながら、アナスタシアを見つめた。

 

「【運命の精霊】の巫女であれば、人心の掌握など容易い。相手の未来の全てを握るに等しいからだ」

「未来……」

「相手の望み、願い、あるいは危機。それらを全て言い当て、道筋を教えることが出来る力だ。この小規模の集団など、容易に支配出来る」

 

 そう言いながら、ボルドーはアナスタシアの前へと立つ。集会場の玉座に座るアナスタシアは盲いた状態でも、彼の気配に気付いたのだろう。少し顔を上げた。

 

「アナスタシア様」

 

 そしてゆっくりとボルドーは彼女の前に跪いた。ボルドーだけではない。ウル以外の【黒炎払い】達は揃って、彼女の前に跪いた。

 

「長く、貴女を避けて来て申し訳ありませんでした」

「いいえ、私の方こそ、貴方たちと、向き合うことを、避けました」

 

 アナスタシアは玉座から降りると、地面に座って、彼の肩に触れて顔を起こさせる。

 

「私の過ちに、貴方たちを巻き込んだ。その罪と向き合うのが、怖かった」

 

 アナスタシアのその言葉に、ボルドーは顔を深く顰める。そこには怒りがあり、悲しみがあり、嫌悪があった。様々な情念が彼の表情に浮かび彼の顔に刻まれた。それらは何一つ、克服されてなどいない。そしてそれはアナスタシアも同じだ。

 互い傷を抱え、未だ癒えず、しかし向き合うことを選んだ。

 

「その償いを、させてください」

「我々も、果たせなかった使命を今度こそ果たしましょう」

 

 10年前、無残に破れた騎士と聖女はこの日、改めて契約を結んだ。

 

「すまんな。お前達。勝手に決めた」

 

 ボルドーは振り返り、【黒炎払い】の部下達に視線を向ける。かつて10年前、自分と共に此処に閉じ込められた仲間達を見る。しかしガザやレイ、他の仲間等も彼に対して不満を向けることはしなかった。複雑そうに、感情を飲み干そうと努力が必要なようであったが、それでも彼の選択を真っ向から反対する者は居なかった。

 

「……いや、隊長。その……なんというか、良かったです」

「もうちょっと具体的に言えないの…?」

「うるせえな畜生!」

 

 ガザの乏しい語彙をレイが茶化し、そして小さく笑いが起きた。ウルはその光景を見て安堵し、感心する。アナスタシアから聞く限り、彼らがかつて負った傷は決して容易く癒えるものでは無く、事実今も彼らは苦しんでいて、それでも受け入れることを選んだのだ。

 少々歪な形だが、アナスタシアを中心に現在地下牢が一つにまとまりつつある。

 後は全戦力でもって、黒炎不死鳥を討つだけ。そういうお膳立てが整えられている。

 

 が、それはそれとして、

 

「アナ」

「はい、ウルくん」

 

 顔を上げたアナスタシアの頬を、ウルはムニムニと引っ張った。

 

「無茶すんな」

「ウル君が、いいまふ?」

「本当だわ。返す言葉もない」

 

 ウルは手を離した。アナスタシアは楽しそうに、クスクスと笑った。

 ウルはそのまま、彼女の黒睡帯を手でずらして、彼女の顔を覗き込んだ。アナスタシアは、されるがままにウルを見つめ返す。潰れた右目と、深い翠の左目を見た。

 

 自暴自棄になった者の目ではなかった。

 

 自分の事を蔑ろにする者の目でもなかった。

 

 自分の選択を理解し、前進することを選んだ者の目だった。命の限りを、ひたすらに進むことを選んだ者の目だ。己を、主と定めた者にのみ宿す意志の光がそこにあった。

 ならば、かけるべき言葉は一つだ。

 

「――――ありがとうアナ、助かった」

 

 ウルは、まっすぐに感謝を述べた。

 想像はつく。彼女がここまで急速に地下牢をまとめようとした理由なんてのは。半年間一緒にいて、濃い付き合いをしてきたのだ。わからないわけがない。

 彼女を諦めはしない。決して。

 しかし、いま彼女を突き動かしているものを否定もしない。それはきっと、ウルと同じものだ。だから彼女を労り、そして感謝を述べることを選んだ。

 

 アナスタシアもまた、ウルの心中を察したのだろう。小さく微笑んで、ウルの手に触れた。

 

「いいの、ウル、くん。これくらいしか、できないから、わたし」

「これくらい、というにはえらく規模がでかいがな」

 

 ウルが悪戦苦闘していた地下牢の完全掌握である。恐るべき手腕だった。運命の精霊の力、というものをウルもまた、見くびっていたのかもしれない。かつて、都市国一つを丸ごと掌握していた力というのはこれほど凄まじいものなのだ。

 

「お陰で、十全に準備が出来そうだ。不死鳥とやらはヤバそうだが、時間をかけて準備をして――――」

「ウル、くん」

 

 と、アナが不意に言葉を遮る。ウルが不思議そうにすると、彼女は少し難しそうな顔をしていた。そして躊躇いがちに”それ”を口にする。

 

「時間をかけるのは、難しいかも、しれない」

「それは――――?」

 

 アナスタシアの言葉を確認しようとした、その時だった。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 閉鎖された地下空間にすら届くような、禍々しい鳴き声が地上から響き渡った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終わりの始まり

 

 【灰都ラース】からの敗走後

 

 【焦牢】の本塔は酷い混乱に包まれていた。何せ名目上のトップである騎士団長ビーカンと、そして実質的なトップだったクウが両者とも、消息不明になったのだから。

 灰都ラース発見という浮かれたニュースから一転しての事態である。末端の騎士達は自分の組織の首から上が突如根こそぎに無くなった事実に狼狽し、そして黒剣の幹部達は自身の資産が失われる事を恐れて逃げ出し、あるいはビーカンが溜め込んでいた私腹を奪おうと画策し、他の同僚と争い、同士討ちになるという無様を晒すこともあった。

 

「おいこら騎士団ども!!何騒いでんだバカがよ!!」

「ビーカンのバカが死んだんだろ!?ここから出せ!!」

 

 そして、本塔の囚人達にもその混乱状態が伝播していた。

 黒炎の呪いから逃れることが出来た囚人達は、それでも囚人という立場に変わりは無い。自由を奪われ、その刑務の大半を長時間の祈りに捧げられる彼らの生活はそれはそれで苦痛があり、不満が溜まる。それがこの機に爆発していた。そしてそれを制御する者も今の黒剣騎士団にはいない。

 

 まさに最悪の混乱状態にあった。そして、それ故に問題に気付かなかった。

 

 黒炎の対策を地下牢に一任しておきながら本塔が存在していることの意味。都市の外で人類が生きていくための、極めて小規模ながらも存在していた【太陽の結界】を維持するための場所が機能不全に陥った時、どのような事態が起こるのか?その事に誰も気付かなかった。あるいは気付いてとしても、自分の役割ではないと無視していた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その怠慢のツケは、空からやって来た。

 

「なんだ!?なんだよ!?」

 

 先程まで、大声で喚き散らしていた囚人達は、耳にするだけで背筋が凍り付くような鳴き声に悲鳴を上げ、怯え竦んだ。だがそれは黒剣騎士達も同様だ。本塔は【黒炎鬼】の襲撃は滅多にない。ラースを救うという名目上、常に【黒炎鬼】との戦いを強いられる地下牢と違い、彼らは完全に太陽の結界に守られ続けている為に【黒炎鬼】への知識も経験も無い。

 

 だが、それに対して覚えのある者も中には居た。

 

「う、うわ、うわあああ!!!来る!!!来るぞ!!!」

 

 それは、ビーカンと共に【灰都ラース】へと向かい、そして悲惨な敗走で戻ってきた連中だった。少し前に、ボロボロな姿で戻ってきてからずっと医務室で引きこもり続けていた。彼は、その耳に届いた”鳴き声”に表情を青くさせ、耳を塞いで蹲った。

 

「不死鳥が来るぞ!!」

 

 灰都ラースにおいて、逃げ出した彼らを散々追い回し、そして次々に焼き払い、新たなる鬼として変貌させた呪われた霊鳥、【黒炎不死鳥】の鳴き声であると彼らは気付いた。

 

 そして気付くのが遅すぎた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ああ、此処だ

 

 かつてラースが全盛の時より存在していた死と再生の霊鳥は焦牢の上空を旋回していた。煤けた薄暗い空を飛び回る呪いの霊鳥は、砂の海にぽつんと突き出た塔、【罪焼きの焦牢】を見つめていた。

 

 此処に、アレに近付いた者がいる。

 

 不死鳥は【灰都ラース】へと侵入してきた黒剣騎士団と黒炎払いの事をずっと追跡していた。しかも、恐るべき事に途中、砂漠の中を潰走する彼らにいつでも襲いかかる事はできたのに、それをしなかった。相手の”巣”を暴き出すために、あえて殺さずに泳がせたのだ。

 決して彼らに気付かれぬよう、気配を殺し、追跡を続けた。

 

 熟練の戦士である黒炎払いの面々もそれには気付かなかった。

 

 【灰都ラース】を出た瞬間、不死鳥は襲いかかってこなくなった。彼らはそれを【番兵】と同じ習性を不死鳥が持っており、限られた範囲でのみ活動するものであると勘違いしたのだ。そもそもひたすらに薪を求める反応以外の全てを損なった【黒炎鬼】に知性なんてものがあるなんて、想像だにしていなかったのだ。

 だが、不死鳥には知性があり、そして定められた活動範囲など存在しない。ラースに不死鳥が留まっていたのは、単に“アレ”を守ると決めていたからに過ぎない。だが別に専守防衛に務めているわけでも無く、攻勢に出る事も不死鳥には出来るのだ。

 攻めるなら、敵の大本を潰さなければならない。だから泳がせた。

 

 そして見つけた。【焦牢】そしてその周囲を覆う半透明の強力な結界を。

 

『AAA……』

 

 不死鳥はまずは 無防備に結界へと近付いた。しかし次の瞬間、不死鳥の身体は激しい光と音と共に弾き飛ばされた。

 

『………A?A???』

 

 黒炎の不死鳥は不思議に思った。この結界を不死鳥は知っている。

 彼方の記憶、ラースにまだ多くのヒトが生きていたとき、この結界はラースの広い範囲を覆っていた。魔を退ける強く広大なその結界の内側で、ラースの民達は平穏に過ごしていたのだ。勿論、不死鳥自身もその結界の内に居たし、自由に結界の内と外を出入りする事だって出来ていた。

 

 だのに今は弾かれる。まるで拒絶されているかのように。自分が魔の者であるように。

 

『AA………』

 

 不思議だ。そして困った。邪魔だ。これではあの外敵達を排除することが出来ない。どうしよう、と思いながら結界を見つめる不死の鳥は不意に気がついた。

 

 この結界は、弱い。

 

 かつてのラースを覆っていた結界と比べてみればあまりにも貧弱だ。規模も大きな建物一つを覆い隠すくらいしかなくて、その上、更に弱々しい。先程不死鳥が結界にぶつかった時の衝撃だけで、既に揺らごうとしている。

 

 ああ、なんだ。これなら破れる。

 

『AAA』

 

 不死鳥はその身を震わせた。身体に灯った黒い炎が沸き立つ。遠目にまだ鳥の形だったそれが、真っ黒で、とてつもなく大きな炎の塊のようになった。空に浮かぶそれを真っ黒な太陽と思う者もいただろう。だがそれは遍く大地を照らし恩恵を与える恵みの光ではない。

 見た者の瞳を悉く灼いて呪い、鬼とする凶星だ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 不死鳥が叫び、舞い、そして降下する。真っ黒な炎の塊はその時既に揺らいでいた結界へと直撃した。あらゆる魔を退けるこの世で最も強固な結界は、弱り、不安定な状態であっても尚不死鳥の突撃に僅かに耐えた。

 莫大な魔力の衝突で軋み、激しい音と光を放ちながらも数秒持ちこたえたのは、間違いなく結界それ自体の強さに依るものだったのは間違いなかった。

 

 だが、それでも数秒だ。結界は次の瞬間には軋み、たわんで、そして砕け散った。

 

 結界を失えば、その先にあるのは人類が容易には生きられない生存圏の外で、ぽつんと身を晒す小さな塔が一つだけ。中にいる大量の囚人達も、黒剣騎士団達も中にいて、何処かに逃げる隙、抵抗の為に武器と鎧を身構える暇も無い。

 

 そして不死鳥の無慈悲なる体当たりは未だ火力を衰えさせることも無かった。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 【黒炎の陽】が塔に直撃した。

 中の大量の囚人達も、騎士達も根こそぎに焼き払う火柱が砂漠で爆発した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【焦牢・地下牢】

 

「――――!?」

 

 突如、天井から響いた轟音にウルは驚愕した。咄嗟に近くにいたアナスタシアを庇うこと以外何も出来なかった。地下牢そのものが崩れてしまうのではないかと思うほどの凄まじい振動だった。

 

「なんだあ!?どうしたあ!!」

「上だ!!地上で何か落ちたぞ!!?」

「通風口に近付くな!!すげえ熱気が来るぞ!!!」

「【魔女釜】呼べ!風の魔術で空気を浄化させろ!!」

 

 囚人達が大声で叫ぶ声が集会場の外から聞こえてくる。同時に室内の温度が一気に高まった。蒸し焼きになるほどではないが、閉鎖された空間で在るためか、それとも空気が溜まるのを避けるために作られた地下牢の通風口の構造故か、まるで蒸し風呂のような気温になった。

 

「なんだ!?なにが起きた!!」

 

 ボルドーも混乱している。全員、現在どういう状況に陥っているのか掴めていなかった。ウルも情報を集めるため、集会場の外に移動しようとした。だが、その前に腕を引かれる。

 

「ウル、くん」

 

 アナスタシアが手を引いていた。顔色は青く、そして鬼気迫った表情だった。

 

「アナ?」

「地上への、通路を、塞いで」

「地上?あそこは元々……」

「急い、で!」

 

 次の瞬間ウルは飛び出した。

 アナスタシアの頼みの意図をウルは全く把握出来ていなかったが、鬼気迫る彼女の指示に従わなければ大変なことになることだけはハッキリしていた。

 

「ガザ!来てくれ!!」

「お!?おお!!わかった!!!」

 

 考えるよりも行動なガザへと呼びかけて、二人で地下牢内をかける。集会所の外も混乱は発生していた。全員、なにが起きているのか理解できず、騒ぎ、悲鳴と怒声をあげている。そしてウル達が向かう先、封鎖されている地上への通路にも囚人達が殺到していた。

 

「おいこら黒剣ども!!どうなってんだ!!」

「爆発でも起こしたのかよ!?教えろよ!」

 

 ガンガンと巨大な合金の扉を叩き続けている。

 あの扉は、黒炎の呪いが外に出てくることを防ぎ地下牢の中に隔離するために作り出された頑強極まる扉だ。魔術による仕込みがあり、地上側から開かなければ決して開くことはない一方通行だ。

 だから彼らがどれだけ扉を叩いても、その扉が開くことはない。本来ならば。

 

「……お!?」

 

 だが、開かない筈の扉が激しく軋んだ音と共に開かれていった。扉を叩き続けていた囚人達も、まさか本当に開かれるとは思わず、少し驚いて後ろに下がっていく。

 

「……!!」

 

 そして遠目にそれを見たウルは、全身の産毛が逆立つような感覚に陥った。

 

「おいおい、なんだってんだよ。黒剣――――?」

 

 囚人の一人が開かれた扉を覗き見て、地上側から地下へと扉を開けたであろう黒剣騎士団を確認しようとした。滅多に此処に降りてこない看守達であっても、一応彼らは地下牢の秩序側である。この混沌とした状況を僅かでも元に戻してくれる期待を囚人達は寄せていた。

 

『   A    』

 

 その判断が誤りであると気付いた頃には、扉を覗き込んだ囚人はその身を黒い炎に焼かれて薪になった。

 

「ひぎゃああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「なあ!?」

「なんだよ!?なにが!!」

 

「そこをどけえええええええええええええ!!!」

 

 ウルは叫ぶ。同時に右腕を握りしめた。呪わしい、異形の右腕。黒炎の呪いすらも喰らう、しかし決して安易に使ってはならないモノ。しかし武器も持たずに居るこの状況下、扉から溢れ、そして囚人に伝染し始めた黒炎を止めるのは今しか出来ない。

 

 ここで抑えなければ、地下牢が完全に崩壊する。

 

「っだぁああらああ!!!」

 

 徒手空拳の技術はウルにはない。だから目一杯、力任せに、燃えさかり、他の獲物を探そうとし始めた囚人と騎士を、上から殴りつけた。

 

『AAAAAAAA……』

 

 武器無しとは言え、魔力で強化された筋力を凝縮させた一撃は、囚人と騎士の身体を一気に扉の奥へと押し込んだ。咄嗟の一撃にしては悪くない威力だった。呪いの炎に触れた拳は痛みが走ったが、呪いが燃え広がっていく様子はなかった。

 

『AAA……』

 

 だが、全くもって油断出来る状況ではない。燃えた囚人ごと押し返した騎士が転がる通路の先から、他の黒炎に飲まれた騎士達が姿を見せていた。歩みは遅いがゆっくりと、確実に、この地下牢へと近付いていく。

 

「扉を閉めろ!!!」

「おおお!!!」

 

 ガザは即座に動き、扉を一気に閉め、そしてそのまま押さえ込んだ。直後ガンガンと、扉の向こうから、黒炎の騎士達が扉へとぶつかる音がした。執拗に何度も何度も扉を叩くのだ。

 ガザは万力を込めて扉を閉め続ける。黒炎の熱で徐々に合金の扉に熱が籠もり、彼の手を焼き始めるが、それでも決して扉は離さなかった。

 

 ウルは倒れて、呆然としている囚人達に叫んだ。

 

「扉を閉鎖するための道具!!何でも良いから持ってこい!!此処が破られたら俺たちは死ぬぞ!!!」

 

 ウルの言葉に囚人達ははっとなって、そして慌てて動き出した。ウルもガザの隣で扉を押さえつけ、手が焼ける感覚に悶えながら、苦々しく叫んだ。

 

「こりゃ確かに、時間なんてかけてらんねえな……!」

 

 【焦牢】の本塔、地上部は完全に壊滅したことをウルは悟った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒炎払いの最後の戦い

 

「ボルドー。地上への通路を【石壁】の巻物で閉鎖完了したぞ」

「隊長!こっちも終わりました!あと色んな資材の持ち出し最低限は!」

「地下牢には黒炎鬼は見掛けてません。今はまだ」

「よし……」

 

 ボルドーはウルや部下達の報告を確認し、振り返る。

 彼の目の前にはグラージャ、フライタンといった地下牢の主要人物に加えて、アナスタシアが彼の背後にちょこんと座っている。しかも自分たちがいるのは地下牢の集会所ではなく、そこから距離が離れた【探鉱隊】が掘り進めていた【地下炭鉱】の最南端だ。

 改めて現状を見直すと、随分と奇妙な状況になってしまった。たった半年前は全く想像もつかなかっただろう。しかし今は、そんな感慨にふけっている暇はまるでなかった。

 

「それでは対策会議を始める」

 

 ボルドーが宣言する。全員の表情には緊張があった。

 当然だろう。現在の状況は間違いなく、【罪焼きの焦牢】史上最大最悪の危機的状況だ。危機とは言うが、既に

 

「地上は確認できたか?どうなっていた」

 

 ボルドーは問うと、ウルとガザが頷いた。

 

「封鎖する前に地上部から本塔の様子を見たけど……影も形も無かった。大半は崩壊して、しかも黒炎が火柱みたいになっていた。ひでえ光景だったよ」

「しかも、黒剣のバカどもが黒炎鬼になってやがった!最悪だ!」

「では、黒剣騎士団は壊滅か……」

「なんとか抜け道を通って逃げてこれた奴もいるにはいるが、本当に数えられる程度だ。自業自得……っつーには悲惨だ」

 

 ビーカンやクウを失った以上、遅かれ早かれ何らかの形で組織としての体は崩壊するか縮小するか、といった想像はしていたものの、まさかこんな悲惨な終わり方を迎えるとは思いもしなかった。

 

「これをやらかしたらしい、不死鳥の姿は無かった。多分、地上をあらかた焼き払って、帰っちまったんじゃねえかな」

「地下に気付かなかった、か。不幸中の幸いだな……」

 

 生き残りは、地下牢にいた連中だけだ。地上から爪弾きにされて、悍ましいと忌避されて隔離されていた地下牢の住民達が生き残れたのは、なんとも皮肉だった。

 

「此処が隔離空間だったのが不幸中の幸いだな……閉鎖箇所は少なくて済んだ」

「それでももう元の地下牢施設は大半が使えないよ!あんなに熱くなっちゃ術の研究もできやしない!!」

「ウチの魔法薬製造所もな」

 

 グラージャが忌々しげに呟き、それにウルも同意した。

 地上、本塔の崩壊に伴い、地下牢の温度も急激に上昇していた。黒炎の熱の影響だろう。地下牢には最低限の温調を行うための魔術が仕込まれてはいたものの、それでは追いつかないほどの気温上昇が巻き起こっていた。とても長居できないと生き残った囚人達総勢で避難してきたのが【探鉱隊】の地下探鉱である。

 この際、【探鉱隊】の面子は住民達が大量に此処に流れてくることを渋ったが、フライタンはそれを抑えた。

 

「此処に避難させず、地下牢の住民が黒炎に飲まれた場合、ほぼ確実に地下探鉱に鬼が溢れることになるが良いのか?」

 

 というド正論に全員が沈黙し、受け入れた。いくら身内で固まっている彼らとて、そんなことを言っている場合ではないということは理解できていた。

 

「大きな通路は塞いだが、通風口なんかで地上部と繋がってる場所は幾つもある。熱どころか黒炎が届いたって何ら不思議じゃあないからな」

「だがそれは地下探鉱も同じだ。ハッキリ言って此処も安全とは言いがたいぞ」

「分かっている」

 

 フライタンの指摘に頷く。そう、今や【焦牢】のどこにも安全な場所は無くなってしまった。何せ本塔が失われたのだ。つまり、魔物を退けるための【太陽の結界】も無くなった。今この場所は、人類が生存できない人類生存圏外で無防備に集まる哀れな烏合の衆に等しい。

 早々に判断を下さなければ、最悪の事態はすぐさま訪れるだろう。

 

「これから、どうするか、だ」

「どうするもこうするも、逃げるしかないんじゃないのかよぉ?」

 

 ウルの部下であるペリィが挙手する。そして彼の言葉にこの場に集まっている何人もの囚人達が同意するように頷いた。

 

「呪われるなんてご免だ!!はやいとこ外に出ようぜ!!!」

「そうだよ!!何ちんたら話してやがる!!」

「元々【黒炎払い】が余計なことしたからこんなことになったんじゃねえのかよ!?」

 

 ざわめきが大きくなる。きっかけとなってしまったペリィは「やっちまった」と、顔に皺を寄せた。

 しかしこの混乱は必然だ。彼らが粗暴な囚人達でなかったとしても、善良な都市民であったとしても、似たような混乱は起こっていただろう。

 ただ、集団性のパニックについてはボルドーは不安視していない。何故なら――

 

「うるせえぞおめえら!!!」

 

 まず、ダヴィネが大声で吼えた。彼のリーダーとしての素養が疑われ、地下牢は一時混乱していたが、それでも彼は数十年、地下牢で君臨し続けていた王さまである事実に変わりは無い。彼の威圧に、大半の囚人は条件反射で口を閉ざす。

 しかし、彼には今まで、ここから続ける言葉が無かった。威圧するばかりで、それ以上に小器用な真似が出来ないからこそ、彼の統治は揺らいでいた。

 しかし今は違う。ダヴィネはやや不満げに鼻をならしながら、視線をボルドーの背後にいる彼女へと向けた。

 

「……アナスタシアに聞いてみろ」

 

 囚人達の視線がアナスタシアに集まる。

 完全な丸投げだが、悪く無かった。ダヴィネが囚人達を締め、そしてアナスタシアが導くという役割分担が完成していた。この土壇場の窮地で、地下牢の支配は盤石なものとなっていたのだ。

 

「アナスタシア!そうだ!あんたなら分かるんだろう!?」

「っつーかアンタは地上がどうなるかとかも分からなかったのかよ!!」

「私達を助けて!!」

 

 囚人達の混乱は完全には収まっていない。しかしアナスタシアは慌てず、静かに手をあげて、残る彼らの混乱を収めた。囚人達が彼女の所作に応えて、全員が沈黙するまで言葉を発さず、場の空気を掌握した。

 彼女は慣れている。救いを求めて縋り付いてくる者達をまとめることに関しては、特に。

 

「まず先に、一つ。地上の、崩壊に、ついて。私には、本塔が崩壊する事は、分かりませんでした。地上の誰とも、接触、しなかったから」

 

 アナスタシアの運命を読み取る力は強大だが、万能ではない。見も触れもしていない相手の運命を見取ることなど不可能だし、見られたとしても全てが分かるわけでもない。ましてや地上と地下とが隔離された場所で、地上の崩壊を予期できなかったのかと言われればできなかっただろう。

 アナスタシアはその事実を包み隠さずに説明した。囚人達の中にはやや、失望したような表情を浮かべる者もいた。

 

「ですが、“目の前”に居る、皆様の運命は、分かります。」

 

 そしてその不安を拭うように言葉を続け、翡翠の瞳を開いた。再び囚人達の視線が向くのを確認しながら、アナスタシアはさらに言葉を続けた。

 

「まず、逃げるという、選択肢は、望ましくない。コレは運命を見ずとも、明らかです」

「な、なんでだよ!」

「本塔を通らず、地上からラース領の外へ、向かうルートは少ない。しかも、あったとして、先の本塔の崩壊で、失われてる可能性が、高い」

 

 どれだけ形骸化していようと、元々の【焦牢】の目的は囚人を懲罰する為の牢獄だ。で、あれば、当然、黒炎鬼を追い払うための地上部から、そのままラース領の外に出られないよう封鎖は成されている。防壁で囲い、地形を利用し、囚人が逃げ出さないように作られている。万が一にでも黒炎の呪いが外部に漏れることを防ぐためだ。

 本塔が壊れようと、それらは健在だろう。あるいはもっと悪くなっている可能性もある。

 

「だったら!本塔を通っていけば良いだろう!」

 

 するとアナスタシアはそれを叫んだ囚人へと目を向けた。

 

「本塔に残った、黒剣の騎士も、収監されていた、大量の囚人達も、全員が鬼になっています。そこを抜けようとすれば、死にます。少なくとも、貴方は死ぬ」

「うっ」

「それに、後ろで、お友達と、一緒に本塔を抜けようとしてる、小人の貴方も」

 

 囚人達の集まりの中、奧で小人の囚人達が一斉に肩を跳ねさせた。逃げようとしていたのは図星だったらしい。

 

「で、でもそれならどうすりゃ良いんだ!此処に居たって絶対に!」

「ええ、地下牢も、長くは、保たないでしょう。そもそも、食料の供給は、地上にも依存している。黒炎鬼以外の、魔物が来る危険もある」

 

 誰の目にも。地下牢の崩壊が秒読みの段階であることは明らかだった。故に、恐怖は伝播し、同時にアナスタシアへと救いを求める視線が集中した。

 

「方法は、一つ」

 

 アナスタシアはボルドーへと指さした。ボルドーはその意図を察して、恭しく跪き、頭を垂れた。

 

「全ての、黒炎の根源、”残火”を、断つしか、ない。お願いします。ボルドー」

「承知いたしました。運命の姫よ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 アナスタシアの宣告と共に、避難所である地下探鉱では急ピッチに作業が進んだ。

 

 アナスタシアから提示された唯一助かる道に向かい、全員が一丸とならざるを得なかった。普段どれだけ粗暴でいい加減な囚人であったとしても、命がかかっているともなれば必死にもなるだろう。

 安全に黒炎払いが出発するため、地下探鉱の南の方角へのトンネル作成のための掘削作業がフライタンの指示の下進み、彼らに様々な武器や魔導具支援を行うためダヴィネやグラージャが、地下牢の放置された様々な資材を地下探鉱に運び込み、全力で制作に勤しんだ。残る囚人達は全員彼らの手伝いに駆け回る。

 

 地下牢に残っていた食料は分け合った。前線に立つ者には率先して渡された。

 

 幾度か喧嘩も起こったが、アナスタシアが率先して自身への配給を他の者に渡す事で争いは収まり、そして彼女への信奉はさらに強まった。限られた食料をやりくりし、出来うる限りの時間を稼ぎ続けた。 

 恐らく、【焦牢】が誕生して数百年の間で最も囚人達が協力し合った瞬間だっただろう。

 

 そして三日後

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 地下探鉱 南端

 

「【黒炎払い】の戦士が15名、【魔女釜】の術者が5名。そんでそこに追加一名……か」

「ああ、地下探鉱の案内は頼むフライタン」

 

 【探鉱隊】のフライタンはボルドーに対して小さく頷いた。

 

「アナスタシアの指示で【灰都ラース】の方角への地下道と地上への道は出来ている。少なくとも、【本塔】の黒炎からは逃れられるはずだ」

「ラースまで直通できれば、消耗は押さえられたんだがな」

「無茶いうんじゃねえぞ小僧!魔物がいる地域の地下通路を作る事がどれだけ大変か分かってんのか!!」

「すまん。口を滑らせた」

 

 少し零れた愚痴に対して、フライタンの部下の土人達が抗議の声を上げる。ウルは非礼を詫びた。地下牢で働いていた土人達は現在、相当なストレスを抱えている。あまり、迂闊なことを言うべきでは無い。

 

 とはいえ、不安が溜まっているのは彼らに限らない。他の地下牢の住民達も限界だろう。元の地下牢は既に何体かの黒炎鬼が侵入してはそれを退治するような瀬戸際で、食料の制限も厳しくなりつつある。三日の準備期間は限界ギリギリの日数だった。これ以上は延ばしても消耗の方が大きくなる。

 

「あいっかわらず鬱陶しいね土人どもは」

 

 土人達にそんな言葉を浴びせるグラージャや、彼女の部下である魔女釜の術者達も苛立っているのは同じだろう。この三日間、地下牢の勢力同士が仲良くなる都合の良い展開には当然ならなかった。アナスタシアが上手く仕事を別けて、誤魔化しきったに過ぎない。

 内乱が発生して全滅、なんていう最悪の事態も起こりえた状況下でもなんとか問題解決に邁進出来たのは、実際に迫る命の危機への危機感と、

 

「やめろっつってんだろクソどもが!!!」

「皆さん、おちついて、ください」

 

 ダヴィネと、そしてアナスタシアによる二人の統治によるものだった。

 ボルドーは地下牢の支配者である二人を守護するようにしてやってきた部下達の姿を見て、目を細める。

 

「全員、準備完了したか」

 

 問うと、アナスタシアの隣りでウルは頷いた。

 

「お陰さんで良い装備になったよ。仕上げの為に地下工房に潜り込んで採寸して作業するのは手間だったけどな。」

 

 そう言って自身が身につけた鎧の着心地を確かめていた。

 漆黒をベースに、白銀の模様が入った鎧だった。一見してもその鎧の精密さは芸術的だった。ウルを含む【黒炎払い】の面々は全員、統一されたその鎧を纏っている。

 

「【黒睡帯】の対呪性とウルの持ってきた竜牙槍の合金を真似て作った!!外の最高級鎧すらも凌駕する!!最高傑作だ!!」

「視界は兎も角、四肢を守る帯は外付けだとどうしても外れることがあったからな。流石だ」

「はっ!当然だ!」

「なら“例の竜殺し”も?」

 

 尋ねると、ウルは自分の背中に背負う真っ黒な槍を軽く小突いてみせる。ボルドーは頷いた。最後の準備も恙なく終わったらしい。ボルドーが安堵の溜息をついていると、ウルと同じく装備を改めたガザがやや不安げな表情でボルドーを見ていた。

 

「どうした」

「その、隊長は装備更新しなくて良かったんです?」

「造れる数量の限りもあるのだろう。俺は指揮官だ。前線の連中の分だけでいい」

「でも……」

「気にするな。それよりも、お前も今回の役割は重大だ。気を引き締めろ」

 

 ボルドーはそう言って、地下探鉱に運び込まれた小さな荷車に視線をやる。灰都ラースへと向かう際の必要物資が詰め込まれたその荷車の中心には、申し訳程度に小さなマットが一つだけ敷かれていた。

 そこには誰であろうアナスタシアが座る。今回の遠征には彼女自身もついてくるのだ。

 

「まあ、乗り心地わりぃかもだが、ちゃんと運んでやるよ!!」

「ありがとう、ガザ、さん」

 

 運送役のガザが快活に笑い、アナスタシアは小さく頷いて応じた。

 運命の流れは刻一刻と変化する。その為現場に直接赴き、危機を伝えると彼女は決断した。その事を誰も反対はしなかった。彼女の力がいかに強力であるかも理解していた。

 

 あらゆる手を尽くして総力で挑まねばならないのだという理解が彼らの中にあったのだ。

 

 だからこそ、この三日間で出来る手は出し切った。考え得る作戦は全て考えた。起こりうる事態も考えつくした。当然全てに対応は出来ない。完璧にはほど遠い。しかしそれでもやる。やらなければならない。

 

 全ては、黒炎の大本を断ちきるためだ。

 

「大本を断つか……」

 

 ボルドーは誰にも聞かれないよう、小さく呟いた。

 

 10年前、彼の故郷セインでも同じ事は言われた。当時は政治の敗北による島流しでしかなく、その欺瞞に満ちた命令を思い出す度に辛酸をなめるような思いになる。

 

 しかし、今は違う。そこには奇妙な高揚感と、不思議なまでの心の静寂があった。

 

 勝利を確信しているわけではない。いやむしろ、事が上手くいく可能性はかなり低いだろうと、冷静に見積もっている自分がいる。

 しかしそれでも、少しも心が揺らがないのは、覚悟がきまっているからだ。昨日今日の話ではない。10年前大敗を喫してから今日までの間ずっと、時間をかけて培われてきたものが、彼の心を落ち着けていた。

 

「お前達」

 

 その場に居る全員が顔を上げた。10年前とでは面子が随分減ったし、変わった。ガザやレイのように当時からボルドーについてきてくれた者もいれば、その後から入ってきて、なんとか今日まで食らいついてきた者もいる。

 何よりも、自分たちの背中を蹴り飛ばして、こんな地獄まで連れてきてくれた少年もいる。

 自分が見捨てて、紆余曲折の果てに再び絆を結んだ聖女がいる。

 出自も種族も何もかも異なり、まして【焦牢】の囚人というこの世で最も忌み嫌われる場所に身を置きながらも、それでも彼らは自分と共に、死ぬかもしれない戦いに挑むのだ。

 

 感謝したかった。しかしまだなにも終わってはいない。

 だからボルドーは【黒炎払い】の統率者として、シンプルな言葉を選んだ。

 

「勝つぞ」

 

 その決意に、全員が頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱

 

 【灰都ラース】は静けさに包まれていた

 

 数日前、黒炎の壁が破られ、数百年ぶりにその姿を現し、そして不死鳥の騒動が起こってからの数日間、ラースは静寂を保っていた。不死鳥が焼き、黒炎鬼となった哀れなる黒剣騎士団の連中も、新たな薪を求めてラースを出て、よたよたと【焦牢】の方角へと向かっていった。動く者は少ない。

 

『――――』

 

 その遙か上空に、ただ一羽の不死鳥がいるのみだ。

 不死鳥は、【焦牢】の本塔を焼き払い、見える範囲で動く者全てが真っ黒に焼き払われたのを確認し、満足してから再び【灰都ラース】に戻っていた。この不死鳥には知性があり、外敵の存在を探知し、時にそれを排除するためにラースを離れ攻撃を仕掛けることがある。が、ここが巣であるかのように、ラースには必ず戻ってくる。

 不死鳥にとって、この場所こそが帰る場所で、守らなければならない場所だ。中心に揺らぐあの巨大なる黒球、アレに近付く者は、なんとしても排除しなければ――

 

『――――……………?』

 

 だから何時も通り守護のため、空から気配を探っていると、気がつく。

 何かが近付いている。【黒炎砂漠】から迷い込んだ獣か魔物か?とも思ったがどうにもそうではない。

 

『…………AA』

 

 不死鳥は少し考えてから、降下を開始した。

 飛翔能力を考えれば、地上に降りるのはあまりよい手では無い。空は不死鳥の庭で、自由な場所だ。そして地上を這う者達には決して手の届かない世界である。その場所からなら不死鳥は一方的な攻撃が出来るのだ。

 しかし不死鳥は変なところで慎重だった。不用意に、そして無差別に、それが何かも分からない物を攻撃するのはイヤだった。アレに近付く者ならば兎も角、ただの獣であったなら、適当に追い払ってやった方が良いとさえ思っていた。

 

 だから不死鳥は近付く。それが何かを確認するために。

 

 その気配は灰都ラースの北門跡から 侵入していた。動きは遅い。ゆっくりとしている。随分と悠長な動きだ。此処に不死鳥が居ると知っているなら、そしてそれが敵ならば、のんびりはしないだろう。羽ばたきとと共に生じる炎に焼かれたくはないだろうから。

 

 ではなにが近付いてきたのだろう?

 

 不死鳥は慎重にソレへと近づく。ラースの中心へと真っ直ぐ向かうそれは、小さかった。角張っていた。車輪がついていた。頭があった。角も生えている。コレは、コレは――

 

『…………………A?』

 

 不死鳥は首を傾げて、困った。これはなにか全く分からなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 二日前、地下探鉱、【黒炎払い仮拠点】にて

 

「黒炎不死鳥は倒す必要は無いと思う」

 

 断片的に集まった情報を元に、ウルは作戦を提案していた。

 その場には、不死鳥の討伐に向かう面子が揃っていた。黒炎払い全員ではない。遠征に向かえるだけの実力者は限られる為だ。残されるメンバーは地下牢の護衛に集中していた。

 今現在も時間経過と共に地下牢の彼方此方のほころびから、黒炎鬼が侵入を試みようと動いている。それらの対策と討伐に人員は必須だった。

 此処に居るメンバーはその仕事からは外されている。本番前に疲労しては元も子もないからだ。彼らは今、どのようにしてあの不死のバケモノを討つか、という点に集中していた。

 

 いたのだが、その矢先にウルが提案したのは「倒さなくて良い」だった。

 

「いやなんでだよ!倒さなきゃ不味いだろ?!」

「何故不味い?」

「何故って………あれ?」

 

 ガザが解答に迷い、代わりにレイが答えた。

 

「不死鳥は【番兵】じゃ無い。ラース領全体を区切ってしまう【黒炎の壁】はもう残っていない。倒す必然性は存在してない。」

「殺してしまうと、不死鳥は莫大なエネルギーを放出しながら再誕(リボーン)する。爆弾の爆発と大差ない。殺す方が危険だ」

 

 レイの説明に、ガザはぽんと手を打った。

 

「そっか!じゃ楽勝じゃん!?無視すりゃいいんだから!!」

「それが楽じゃ無いから作戦考えてるのでしょうが」

 

 レイは溜息をついた。ボルドーも彼女に続ける。

 

「初遭遇時の不死鳥の挙動を見るに、あの“残火”を守るために動いているのは間違いない。“残火”が我々の最終目標である以上、接敵は必然だろう」

 

 初接敵時の不死鳥との戦いをウルは間接的に聞いているが、クウが指揮した黒剣騎士団達の攻撃手段は決して間違っていたとは思えなかった。大量の人員と物量、そして竜殺しによるごり押し戦術。

 黒剣騎士団が健在で、ビーカンが大量の竜殺しを温存していたからこそ出来た戦いだろう。そして恐らく、現存する黒炎払いに同等以上の攻撃が出来るとは思えない。もし出来たとしても不死鳥を殺せるかは分からない。殺しても、それらの傷を無かったことにして復活するのだから。

 ならば取るべき作戦は、

 

()()()()()()()()

「…………それって、もっと難しいんじゃ」

「珍しいわね、ガザ。正解よ」

 

 ガザの指摘にレイが感心した。

 

「そもそも私達、不死鳥の情報すらロクに持ってるわけじゃ無いのよ。どういう挙動をしてくるかも分からない相手を捕まえるなんて出来るの?」

「観察する時間も、今回は無いしな」

 

 黒炎の大本を断たず、もたもたと時間をかけてしまえば間違いなく地下牢が崩壊する。黒炎鬼に襲われるか、それとは別に大量の魔物達に襲われるか。【太陽の結界】が失われた今、地下牢の防衛はあまりにも脆い。

 此処の住民達は犯罪を犯した囚人達であるが、現在彼らは不死鳥の撃破のために全力でウル達を支援してくれている。その彼らを見殺しにしていい理屈は、何処にも見つからなかった。それは【黒炎払い】の共通認識だった。

 ぶっつけ本番になるのはどうにも避けられなかった。

 

 だが、無策、というわけではなかった。

 

「だから、私が、運命を、見ます」

 

 部屋に同室していたアナスタシアが手を上げた。

 

「この場所から、作戦の可不可、禍福、皆さんの生存可能状況を」

「……この場所からでも、分かるって言うのか?」

 

 ウルは驚いた。10年前、当時の【黒炎払い】の前身が壊滅してしまったとき、アナスタシアの運命の力を彼らは上手く使いこなすことが出来なかったことは聞いている。故に、扱いづらい力なのだというザックリとした認識がウルの中にはあったが、

 現場にも立たず、この場から情報を集められるというのは、とてつもない。

 

「ただ、あくまでも、その作戦をとったとき、皆さんが、最初、どうなるか、だけです。以降は、その時、直接見ないと、わかりません」

 

 運命というのは流動的で、都度変化するものであるらしい。最初、どのように動くかを決めれば、その結果はある程度まで読み取ることは出来る。が、その先は分からない。

 

「そして、何故良くて、何故駄目なのか、私には、説明できない、です」

「うん?」

「なんとなく、良い。とか、なんとなく、悪い。とかしか、分からないのです」

「ああ……」

 

 と、これには当時を知る黒炎払い全員がやや苦い顔をして俯いた。全員心底に嫌な思い出を思い返している顔をしていた。

 

「それでは、作戦を、考えて、ください。私が可不可を、判定します」

「……わかった」

 

 ボルドーは頷き、そして特に当時を知らないウルや他の面子に向かって言った。

 

「覚悟しておけ。キツいぞ」

 

 こうして、不死鳥にどのような手札があるかも分からない状態での暗中模索の作戦会議が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、作戦決行、前夜

 作戦の全てが決まった後、ウル達は憔悴しきって机に顔を突っ伏す羽目になり、同時に理解する。

 

「………死ぬリスクが無いってんなら……直接現地で調べた方がずっとマシだな」

 

 答えは疎か、問いの内容すら殆ど伏せ字の問題の答えを考えては×を付けられ、何故×なのか、何故正しいのかわからない状態で考え直すという行程は、精神が削られることをウルは学んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 現在、【灰都ラース】にて

 

「………荷車使った囮作戦は駄目で、荷車の頭に珍妙な牛の模型を付けたらOK」

「何故牛だったのか未だに分からぬ……何故牛……」

 

 ウルとボルドーはラースに残った廃墟の屋上から、遠見の双眼鏡で自分たちが必死に導き出した作戦の成果を観察していた。不可視の結界で自分を隠す事が出来ただけでも

 荷車を改造し、魔術により自立させ、ラースの中央の”残火”へと近づけていく馬車に対して、上空から飛来してきた不死鳥は接近した。そしてその後それを機械的に破壊する、訳ではなく、それを観察し始めたのだ。

 

『A……A?』

 

 黒炎を身に纏った不死鳥は不思議そうな顔をして、珍妙な牛頭の作り物がくっついた馬車を睨んで、時折動きを確かめるようにツンツンと嘴で突いてる。その姿は魔物でも無い、ただの獣と変わりが無かった。奇妙な愛嬌すらあった。

 

「通常の黒炎鬼と比べ、知性があるから、珍妙であるほどに気を逸らすことが出来ると……」

「ダヴィネにアレを作らせるのには苦労したがな」

「すんげえ嫌そうだったもんな……」

 

 目的も何もあったもんじゃないその牛の模型(振動に合わせて首が揺れる)を作ったときのダヴィネの憤怒の表情は中々見応えがあった。アナスタシアからの願いが無ければ決して首を縦には振らなかっただろう。

 

 しかし、なんとかなった。そして、苦労した成果はあった。

 

「んじゃ、行くかね。そろそろ起こるぞ」

 

 ウルは立ちあがる。ボルドーも同様にそうした。

 

『A……』

 

 不死鳥が馬車へと更に近付く。自身の肉体に籠もる熱、常に燃えさかる黒炎の身体が、周囲に伝播する。近付くだけで草木も焼けるような高熱が、荷車まで伝播して、その中に詰め込まれた大量の火薬にまで伝達した。

 

 間もなくして、模型付きの馬車は炸裂した。

 

『AAAAAAAAA!?』

「今だ!!かかれえええええええええええ!!!」

 

 ボルドーの命令と共に、周囲に準備していた黒炎払い達は一斉に動き出した

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱② 運命を見るという難事

 

 不死鳥捕縛作戦前、対策会議にて

 

「もう駄目だあ~~~~~~!!!!」

「ガザが逃げた!!」

「捕まえろ!!!アレでも黒炎鬼との戦闘経験が一番多いんだ!!逃がすな!」

「許してくれええ!俺コレ苦手なんだあ!!」

 

 捕縛作戦対策会議は混迷を極めていた。

 無理もない。既にこの作戦会議は丸一日経過している。地下牢の他の住民達は今必死に迫る黒炎鬼対策に動いている。だが、こちらは遅々として話が進んでいない。

 

「魔術ででっかい岩をつくって押しつぶすとか!?」

「駄目、です。死にます」

「氷漬けだ!!黒炎ごと凍らせちまおう!」

「駄目、です。死にます」

「竜殺しで檻を作るとか!?」

「駄目、です。死にます」

 

 ヤケクソ気味に次々に提案される案は、全てアナスタシアに切って捨てられた。情け容赦の無い一刀両断である。

 

「ヤケにならないで。適当言っても却下されるだけよ」

「でもよお……」

「地上への誘導案と囮からの火薬の爆撃は「悪くない」とこまでいったでしょう。運命の神官への問いは前提を省略しても融通を利かせてはくれないわ」

 

 レイが指摘する。

 彼女も運命の聖女で繁栄した【セイン】の出身者だ。”運命の聖女”への質問の仕方は最低限理解している。その厄介さも分かっていた。特にこういう、情報が少ない状態で答えだけを求める場合の運命の精霊への問いかけは極めて厄介だ。

 

 アナスタシアは質問者から、その選択を取った際の運命を読み取り答えを伝えている。だが、それは対象者の運命の説明であって「作戦の成否」ではない。聞きたい質問に対して正確な答えをくれているわけではない。

 つまり、ふわっとしている。ふわっとしているところから情報を逆算するのは辛い。

 

「まずは地上へと誘導して囮を使って攻撃して、竜殺しの檻に閉じ込める!」

「駄目、です。死にます」

「まずは地上へと誘導して囮を使って攻撃して、竜殺しで串刺しに!!!!」

「駄目、です。死にます」

「なんで駄目なんだあああ!!!」

 

 また一人ノイローゼが出てしまった。

 アナスタシアに危害を加える前にレイは外に引っ張り出して頭を冷やさせる。

 

「竜殺しがありゃ何でも出来る、なんてのは考えない方が良いかもな……」

 

 ウルが額を揉みながら指摘する。レイも頷く。

 

「使うのは私達。檻にする、なんてのも、その形にするのに竜殺し以外の部品が必要」

「ダヴィネの話を聞く限り、【竜殺し】の形状を槍の形以外に変更するのは難しいらしいしな。刺し貫く使い方以外を無理矢理やろうとしても、歪むだけだ。」

「だったら竜殺しだけで縫い止めるとか!」

「それはいままでの質問で駄目と分かってる」

「なんで駄目なんだよ!竜殺しは効いたんだろ!?」

「それが分かっているならもう少し、話は進展してる」

 

 ガザの悲鳴をレイは淡々と否定した。その間もウルは黙って口元を抑えて考え込む。そして不意に他のメンバーと同じくやや疲弊した様子のボルドーへと視線を向けた。

 

「ボルドー。確認したいんだが、【黒炎】はあらゆるものを焼くって認識でいいのか?」

「ん?ああ。そうだな。ダヴィネ製の【竜殺し】以外の物質で、あの黒炎を消滅、ないし防ぎきったことはない。最初は防げても、徐々に焼き焦げ、砕けて砂になる」

 

 【黒炎砂漠】が出来た経緯がそれだ。豊かだった大地に芽吹いたあらゆる生物、作られ続けた優美な人工物、それら一切合切全てが焼けて、砕けて、砂になったのだ。

 

「例外なく、全てが焼かれた。【黒炎】はこの世界で最も凶悪な物質の一つだろう」

「……いや」

 

 その説明を受けてウルはやや、確信を持った表情で顔をあげた。

 

「全部じゃ無いぞボルドー」

「なに?」

「黒炎は全てを焼いちゃいない。全てを灰燼にするなら、()()()()()()()()()()?」

 

 その場に要る黒炎払い全員が顔を上げた。ウルは確信をもった表情で言葉を続ける。

 

「【黒炎】の火力は全てを焼くわけじゃ無い。”焼き残し”がある。」

「砂漠の“砂”か」

「いままでだってそうしてきたじゃないか。通常の黒炎鬼との戦いでも、番兵との戦いでも、砂漠の”砂”を俺たちは【黒炎鬼】の拘束に使ってきた」

「……そうだったな。加工にはひどく不向きで、防壁にも使えない代物だが、魔術で一時的な壁にしたことは何度もあった」

 

 【黒炎】は物質を砂に還せても、砂そのものは焼けない

 言われてみれば確かにそうだ。活性化した【黒炎鬼】への対処で、砂を巻き起こして相手の足を奪うのは常套手段だ。【番兵】だった黒炎人形相手にだって、相手の重力制御を奪うことで相手を地面に埋めてやった。

 【黒炎払い】は言葉にせずとも分かっていたのだ。

 分かっていた事だったのに、【黒炎不死鳥】にそれを活用しようという案が中々出なかったのは、【不死鳥】という存在の特殊性と凶悪性がノイズになっていたためだ。通じないと、そう無意識に断じてしまっていた。

 実際、“倒す”ことを考えるなら困難な手だ。しかし、捕縛するだけなら――

 

 ウルは確信を持った表情でアナスタシアへと向き合う。運命の精霊の力を宿し、集中した状態にある彼女は静かにウルの言葉を待った。

 

「囮で不死鳥を地上へと誘導した後、砂漠の砂を用いて不死鳥を埋め、拘束する」

「それは――」

 

 ウルの言葉に、アナスタシアは即座の否定を返さなかった。

 その場の全員が固唾を飲んでその答えを待った。そして、

 

「良い、感じ。とても、良い感じ、なんだけど、別案も、見てみたい、です」

「別案!?」

「明日までに、お願い、ね?」

「納期きつい!!」

 

 ウルが壊れた。レイは彼を連れて外に出た。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして現在

 

「不死鳥の動きが止まったぞ!!魔術師部隊!!それ以外は巻物用意!」

 

 ボルドーの指示のもと、不死鳥の様子を遠くから伺っていた黒炎払い達が一斉に動き出す。魔術師部隊は予め決められていた術の詠唱を開始し、それ以外は【魔女釜】に作らせた巻物を一斉に広げる。

 

「【砂塵よ!!】」

 

 魔術の内容は極めてシンプルだ。そして【黒炎払い】にとっては非常になじみ深い。

 地面の、大量の砂を巻き起こし、相手へと叩きつける。相手に身じろぎを取れなくする何時ものやり方。その大規模版だ。巻物による同種の魔術をも併用した莫大な砂塵攻撃だ。

 

『AAAAAAA!!』

 

 不死鳥は動かない。動けない。不死鳥の身体には幾つもの小さく鋭利な刃、竜殺しの呪いが付与されている鏃が突き刺さっている。囮の荷車に火薬と共に搭載されていたそれが、不死鳥の身体を貫いて、そして身体の自由を奪っていた。

 そこにめがけて殺到した大量の砂は、一気に不死鳥の身体を飲み込んだ。

 

『――――――――――!!』

「や、やった!!」

「待て、油断するな!!目を離すなよ!!!」

 

 歓声はすぐに諫められる。特に熟練の黒炎払いの視線は険しい。

 黒炎鬼は油断ならない危険な魔物ではあるが、薪を探して燃やす、という目的に対して機械的に動く特性故に、誘導は容易かった。

 だが、不死鳥には意思がある。知性がある。“珍妙な囮に誘導される”。という動きを見せた時点でソレは確定となった。

 だからこそ、油断は出来ない。予想もつかない行動を取る可能性がある。

 

「術者は砂の操作を継続させろ!砂を固めて、押しつけて、不死鳥の身動きを封じるんだ!!だが圧をかけ過ぎて殺すなよ!復活時の炎で砂が吹っ飛ばされる!!」

 

 ボルドーは次々に指示を出す。

 魔術師達は砂を動かす。万が一にでも地中に潜られるリスクを避けるため、地面から切り離し、不死鳥を捕らえた砂の塊を宙へと浮かせ、圧を均等にかけることで球体に形を保った。空中に、砂で出来た不死鳥の牢獄が生まれた。

 時折抵抗するように蠢く事から、中に不死鳥が要るのは間違いなかった。そしてこの状態であれば、どこから何をしてくるか、見ているだけで即座に分かった。

 

「……行けているか?巫女よ、どうだ?」

 

 ボルドーは問う。彼の背後にはガザに護られたアナスタシアが、【運命の聖眼】を見開いて”場の運命”というものを読み取っていた。彼女がその瞳から何を読み取っているのかは誰にも分からなかったが、負担はあるのだろう。額に浮かぶ汗は、黒炎の熱のためだけではないだろう。

 

「皆さんから、黒い気配が、消えてません。まだ、油断しないで」

「なにが来る?」

「――――――う、しろから、きます!?」

 

 後ろ?

 と、ボルドーは振り返る。例の”残火”の中心は殆ど何も無い更地だが、その広間の更に外周には、【灰都ラース】の様々な都市の残骸が残っている。その影に隠れ、都市に残っていた黒炎鬼がやってくるのかと警戒を強めた。

 だが、違った。ボルドー達のずっと後ろで、動いていたそれは――

 

「…………な」

 

 廃墟となった建物、古く、崩壊し、それでも数百年の時を経ても尚形を保ち続けていた高層建築物、その瓦礫や、巨大な屋根、多数の残骸、”それらが全て浮上していた”。状況を理解しきれず、ボルドーは一瞬絶句し、そして即座に立て直した。

 

「術者を守れ!!!“不死鳥の魔術”が飛んでくるぞ!!!」

 

 砂の球体に封じられた状態での、不死鳥の攻撃が飛んできた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱③

 

「なん、だこりゃあ!!?」

 

 黒炎払いの中でも比較的、所属してから日の浅い囚人の一人が悲鳴を上げた。雨あられのように降り注ぐ都市の残骸は、まともな狙いを付けることも無く落下し、周囲を破壊した。そしてその破壊した残骸がまた浮き上がり、重力に従い降り注ぐのだ。

 

「魔術だ!恐らく単純な【物質操作】!」

「なにが魔術使ってるってんだよ!?」

「そりゃ不死鳥だろ!!」

「アイツ魔物だろ!?」

「知性が高いって結論が出てただろ!」

 

 否定しようとするその男を、仲間の囚人が切って捨てる。

 魔術、魔力による現象の干渉技術は何も人類の特権ではない。知性が高い魔物であればそれを扱うというのは常識だ。グリードの【悪魔種】等は人類の技術よりもより高度にそれを扱うと有名だ。

 不死鳥もそれを手繰る能力を有していた。それだけの話と言えばそうだった。

 

「でも魔力は!?黒炎鬼なら魔力は黒炎の薪になってるはずだろ!?」

「そこまでは知るか!!事実向こうは使ってんだ!考えても仕方ねえだろ」

「くそ!でもこのザマでどうするんだよ!!魔術師達を守るなんて無理だぞ!」

 

 現在、不死鳥を封じるために10人ほどの魔術師達が一斉に大地の砂を操って不死鳥に押しつけ、強引にその動きを封印している。彼らを守り抜くために向かってくる瓦礫を弾き飛ばそうと必死だが、こんな無茶はそう長くは持たないことは誰の目にも明らかだった。

 魔術師達の一人でも瓦礫に叩き潰されたらその瞬間、不死鳥の封印は解かれる。その瞬間全滅だ。

 

「んなこたぁわかってんだよ!!だから事前に決めていたんだろうが!!」

 

 瓦礫の雨を掻い潜り、動ける戦士達は懐から新たな巻物を取り出し、そして叫んだ。

 

「プランBだ!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 狭い 暗い 痛い

 

 不死鳥は困っていた。

 なんだかよく分からない。よくよく観察してもサッパリ分からない、牛みたいな何かを追い回していたら、突然爆発した。爆発しただけならまあ良いが、身体に何か一杯突き刺さって痛かった。その後大量の砂に押しつぶされて身動きが取れなくなった。

 一体なにがどうなったのか、というのは考えるまでも無い。敵の襲撃だ。先日の事を考えれば、再びアレに接触しようとしている何者かが現れたのだろう。

 

 つまりあの、牛みたいな何かは罠だったのだ!!!

 

 不死鳥は悲しくなったが、嘆いてばかりもいられない。自らの役目を果たさなければならない。不死鳥は自らの魔力を解き放ち、そして魔術を操った。

 不死鳥は非常に賢いが、魔術は単純なものしか使えない。魔術は苦手だった。不死鳥の魔力はあまりにも膨大で、細かな操作をしようとしても、術式が壊れるのだ。精霊の力を結集させて生み出された不死鳥は、本質的には精霊に近く、精霊の力を模倣する為に生まれた魔術という力は、不死鳥の枠には収まりがたかった。

 でも物質操作は得意だ。単純だからだ。多少の齟齬が在ろうとも、魔力という力の塊で物質を動かすだけなら、繊細な操作は必要なかった。

 

 ――ふしちょうさまは、すごいのですね!

 

 ずっと前、そんな風に言って幼い子供が喜んでくれたのを不死鳥は覚えている。 

 思い出して、少し嬉しくて、少し悲しくなった。だからあの時以上の力を此処で振るおうと、不死鳥は砂の牢獄の中、真っ暗な闇のなかで、自身を封じ込める敵達に瓦礫を振り回した。

 

 砕けろ 燃えろ 消えて失せよ

 

 無尽の魔力を不死鳥は振り回し続ける。さながらそれは嵐のようだった。全てを破壊し尽くすまで不死鳥は収まらない。そして、

 

『A?』

 

 不意に、牢獄がひび割れた。足下から光が漏れる。牢獄が壊れ始めた。恐らく、自分の力によって、外の卑怯者達が倒されたのだ。不死鳥は納得し、そしてその光の方角へと魔力を込めた。

 先程まで、万全の力で封じられていた砂の牢が、不死鳥の魔力によって砕け、ひらかれていく。よほどの大質量の砂を押しつけてきていたのだろう。しかしそれも徐々に開かれていった。

 亀裂が徐々に開かれて、光が漏れ出す。その方角に不死鳥は一気に飛び出した。

 そして――

 

『A!?』

 

 その瞬間、飛び出した先で、大量の弓矢が不死鳥の身体を刺し貫いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「今、です」

 

 アナスタシアの指示と同時に、レイ率いる弓矢部隊が一斉に矢を放った。

 

「竜殺しの矢は使うな!!万が一にでも死なれたら、【再誕】される!!魔術阻害にのみ務めろ!!」

 

 不死鳥の死と再生のプロセスを目撃したボルドーが加えるように指示を出す。

 不死鳥の蘇りの流れをボルドーは正確に認識していた。傷が癒えるでも無く、元に戻るでも無い、再誕という現象。傷も、消耗も、欠損も封印も、何もかも無かったことになるそれをさせるわけには行かなかった。

 

「魔術部隊の周囲に石壁の巻物による防壁を作れ!!瓦礫の【物質操作】は黒炎ではない!!防ぐことは容易だ!!魔術部隊は砂の牢獄の再構築を急げ!!」

 

 ボルドーは矢継ぎ早に指示を出す。同時に振り返り、待機していた【魔女釜】のグラージャ達へと視線を向けて、叫んだ。

 

「【魔女釜】、グラージャ達はどうしている!?」

「既に【残火】へと移動しています!!防壁の解除を試みているかと!!」

「勝手に……!」

 

 ボルドーは舌打ちをした。

 【黒剣騎士団】が足止めを喰らった【残火】の障壁の解除に、優れた魔術師を必要としていたことはボルドーも遠目で見て確認していた。だからこそ【魔女釜】の魔術師に今回の遠征協力を依頼し、リーダーであるグラージャ自身の同行も飲んだのだ。

 少数の人員を借りるなら兎も角、魔女釜のリーダー自身が同行するともなれば、指揮系統が混乱すると思ったが、案の定だ。グラージャはあまりコチラの言うことを聞く気が無い。

 しかし、それでも彼女の同行を許したのは、彼女が魔術師としては地下牢で最も優秀であり、不死鳥以上に正体もはっきりとしない残火の解放に彼女の知識と力が必要になることは明らかだったからだ。

 だから、命令無視も発生する前提でボルドーは心づもりをしていた。

 

「ウル!ガザ!先行している【魔女釜】の護衛に向かえ。魔女釜が【残火】を囲う障壁を解除した後、可能であれば【残火】を破壊しろ!!」

「了解!!」

「“異常があれば”即座に伝えろ!いいな!!」

 

 ウル達は動く。

 【不死鳥】と【残火】、どちらも人類が数百年相対したことの無い未知でありながらそれだけに集中できないというのは手痛い事だったが、やむを得なかった。元々、相当の無理を通してこの戦いに挑んでいる。あらゆる不測の事態を飲み干すだけの覚悟は必要だった。

 

「ボルドー、さん。土の牢獄、上部が、崩れて、きています」

「承知した!!魔術部隊!!土牢の上部の崩壊を防げ!!不死鳥になにもさせるなよ!!」

 

 瀬戸際の攻防は続く。

 しかし彼らは諦めず戦いを続けた。その果てに勝利があると信じて。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱④

 

 ――残火の破壊の協力をして欲しい

 

 【魔女釜】グラージャがボルドーからその提案を受けたとき、千載一遇の好機を得た事実に彼女は打ち震えた。

 勿論それは僅かも表に出すことはしなかった。いかにも面倒くさそうな表情を保って、ついでに様々な優遇も約束させた。だが、内心ではまるで新しい玩具を買ってもらった幼児のように狂喜乱舞していた。

 

 来た!来た来た来た!!!とうとう好機がめぐって来たねえ!!

 

 魔女釜、グラージャが地下牢に来たのは数十年前だ。元は希代の魔術師と謳われた天才だった。しかしその才能と引き換えに倫理観を失っていた彼女は傲慢を覚え、自らの意思にそぐわない相手には残酷にもなった。果てに、危険な魔術を扱い都市民に死者を出した事による自業自得で此処に投獄されるに至った訳だが、此処に流れ着いたのは半ば彼女自身の意思でもあった。

 

 【黒炎砂漠】、現在も禁忌とされ、近付くことも許されない呪わしい大地。

 

 彼女は此処に可能性を見ていた。ビーカンのように、砂の下に埋もれた煌めく金銀財宝に目が眩んだ訳ではない。彼女が目を奪われたのは、直視することすらままならない【黒炎】の呪いそのものだ。

 

 直視するだけで目が焼かれ、呪われ、身体が蝕まれる。

 最後には黒炎の薪となって、新たなる薪を探す悪意の塊のような力。

 だが、何よりも素晴らしいのはその持続性だ。

 

 威力だけなら、もっと強大な力はいくらでもある。一瞬で、対象を文字どおり跡形もなくすことも出来る魔術も、あるいはその一帯の生物を毒によって残さずさんざ苦しめて殺す魔術だって存在する。グラージャはそういった魔術をよく知っている(そして使った)

 だが、数百年持続し続ける程の禍々しい呪いは知らない。

 そこには未知と可能性があった。かつて彼女の力や研究を認めず、真っ当な検討をする事も無く否定した無能どもを延々と呪い続けるだけの力が此処にはあるのだ。

 その大本に、触れる機会を与えてくれるとボルドーは言う。ラースへの道が開けたと聞いたとき、どうやって潜り込んでやろうかと画策していた彼女にとって、まさしく願っても無い好機だった。

 

「ヒャッヒャヒャ!!!すーばらしいねえ!!」

 

 故に【残火】を前に彼女は狂喜した。それは想像よりも遙かな未知と力の塊だった。

 前回コレの破壊を試みたビーカンは、ろくに近づくことも出来ずに不死鳥に焼かれたというが、近づけたとてどうにもならなかっただろう。純粋で膨大な魔力が球体を渦巻いている。まずはそれを慎重に解かなければ話にならない。そうすることでようやく、お目当ての宝にたどり着くのだ。

 

「グ、グラージャ!!防壁が強すぎる!!失敗すれば反動で呪われますよ!!?」

「だったら死ぬ気でやりな!!できなきゃ反動で本当に死ぬだけだよ!!」

 

 部下達の尻を叩きながら、グラージャは眼前の奇妙な黒球を観察し続ける。【黒睡帯】などを外して直接眼に収めたい衝動を必死に押さえ込みながらも、その力の根源を見つめ続けた。

 巨大な黒い球体。その巨大なサイズでも本来ならば収まることはあり得ないほどの圧倒的な魔力の凝縮量。真っ黒な塊に見えるのは、魔力が圧縮されすぎて、光の魔力をねじ曲げて吸収しているからだ。

 

 全ての黒炎の源、というのは間違いない。

 だが、それならばやはりこれは――

 

「グラージャ!!勝手に動くな!!」

「……ああ、なんだ、ウルかい。邪魔するんじゃあ無いよ」

 

 不死鳥の捕縛が進んだのか、ウル達がこちらにやってくる。グラージャは舌打ちした。ハッキリ言って邪魔だった。この場の危険性は理解している。護衛である彼らの力も必要になる事はあるだろう。それでもグラージャにとっては今の彼らは明確な敵だった。

 そしてそれは向こうも同じだろう。

 ウルの表情にはハッキリとした警戒が、こちらに向けられているのが見えていた。

 

「慌ただしいねえ?ウル。そんなに状況が悪いのかい?」

「悪い。だからさっさと剥がして欲しいんだがな?」

「こっちだって必死なんだ!急いで欲しかったら邪魔するんじゃないよ!!」

 

 そう言うと、ウル達は黙る。だが、じりとこちらとの距離を僅かに詰めてきた。視線も、護衛でありながら外ではなく内へと向いている。その理由は分かる。だからグラージャはウルではなく、もう一方の間抜けへと視線を向けた。

 

「おや、ガザ、随分と警戒してるじゃあないか。そんなにも残火が怖いのかい?」

「…………」

「ヒャッヒャ!!バカのくせに黙るじゃないか!!何も喋るなとでも言われたかい?!」

「うっせえよ!」

 

 ガザが苛立ちながら言う。だが、グラージャは尚も続けた。

 

「それとも運命の聖女に言われたのかい?()()()()()()()()()()!」

 

 途端、今度こそガザは沈黙した。ウルも同じだ。それは不都合を言い当てられて押し黙ったのではない。ただ、彼らの思考が戦う者のそれに変わっただけのことだ。敵対者を前にした戦士の緊張感だ。

 

 だが、彼らは動けない。グラージャもそうだ。この状況は拮抗している。

 

 彼らにとってグラージャは、この【残火】の障壁を消し去れる熟達の魔術師であり、替えの効かない人材だ。【黒炎払い】の中にも魔術師はいるが、これほどの膨大な魔力の障壁をひっぺがすことが出来るほどの繊細な術士は存在していない。

 対してグラージャ達も、直接の戦闘になれば恐らくウル達には敵わない。多くの流れが味方したとはいえ、数百年開かれなかったラースへの道をこじ開けた戦士達だ。元々グラージャ達は研究職。【魔女釜】の魔術師は有能だが、戦闘能力を有する者は極めて少ない。

 

 故に、互いに邪魔することは出来ない。

 あまりにも危うい均衡がこの協力関係を生んでいた。しかし、いずれは確実に破綻する。黒炎払いとは目的が違うからだ。彼らは黒炎を地表から消し去るのを目的としているが、グラージャの目的は()()

 

「障壁が剥がれます!!」

 

 と、その瞬間、部下の一人が叫んだ。その時ばかりはグラージャも、ウルもガザも一瞬、意識を【残火】へと向けざるを得なかった。真っ黒な球体、膨大な魔力によって守り続けられていたそれが、魔力の壁の除去によってその中身をゆっくりとさらしていく。

 その先に見えるのは――――

 

「――――………()()だって?」

 

 ウルが思わず声を発していた。その声音は、冗談を笑うように少し上擦っていた。

 

「なにが、残り火だ。これは、これは……!!」

 

 魔力障壁によって剥がされた先。黒い球体のようにもみえた何か。それが今ハッキリと、グラージャ達の前に姿を現した。巨大で、長大。黒く、禍々しい鱗。砂漠を徘徊するどの鬼達よりも歪で大きな角。獲物を食い千切る為だけの牙に、閉じられた大きな一つ目。

 

「【()()()()()()】、()()()()()!」

 

 かつて、この世で最も美しいとされた都市国を滅ぼした全ての元凶、世界最大の悪竜の一つ、大罪竜ラースが眠りについていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 勿論ウルは【大罪竜ラース】をそれまで見たことなどあるわけが無かった。

 

 数百年前に現出し、七天によって封じられた大罪竜である。ウルは疎か、この地上でその存在を知ったことがある者は今の時代には殆どいないだろう。ウルがそれでも確信を持って断言できたのは、同格の存在をウルは知っているからだ。

 変容している自身の右腕を強く握りながら、ウルは一歩後ずさる。隣のガザも自身が握る大盾を強く握り、それに身を隠すようにしながら叫んだ。

 

「な、なんじゃこりゃ……!?」

「おや、知らなかったのかい?いや、想像していなかったのかい?」

 

 そしてその二人を見て、ウル達よりも間近でその恐るべき大罪竜を見るグラージャはニタニタと笑う。彼女とて、宙に浮かぶ竜の身体から放たれる膨大な魔力にあてられたのか顔色は悪いが、それ以上に表情には狂喜が浮かんでいた。

 

「大罪竜は居なくて代わりに”残火”がある、なんて都合の良い話在るわけ無いだろう!?大罪竜ラースを封じた!?大罪迷宮が地上に溢れたのに何処に封じたっていうんだい!」

「それは……」

「【黒炎】の元凶はラースさ!封印した場所は地上以外にない!!それが真相さ!!」

 

 【残火】の話を聞いたときウルが覚えた印象は「都合が良い」だった。

 大罪竜を封じた。しかし黒炎が消えなかった。だから他に元凶がある。”残火”などというものがあって、それさえ消せば黒炎は全て消える。と言う話。 

 推測の上に、希望的観測を重ねている。黒炎が消えなかったのは、ラース以外に原因があるはずであり、それさえなんとかすればこの砂漠の炎は全て消える――――筈だ。いや、そうであってくれ。という。縋るような思い。

 

 それが蔓延し、定着していた。

 

 ウルが【焦牢】に来た当時、ラースの攻略をまだ全員が目指していなかった頃ですらも、この考えは全員の頭にあったのだ。

 

 その理由も分かる。絶望しないためだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などという絶望から、目を逸らすためだ。そしてウルはその自分を騙すための嘘を、指摘することはしなかった。もし本当にラースそのものが全ての黒炎の発生源であるとしても、そこまでたどり着けなければ何の意味が無い。あえて士気を下げるような真似はしなかった。

 

 しかし、その実際を目の当たりにすると冷や汗が出る。

 

 そして自分の中にも「ひょっとしたら大罪竜とは別の元凶があるのかもしれない」などという甘い見積もりが存在していたことにも気がついた。ウルもまた、ここまで歩む為の足が萎えてしまわないよう、知らず自分を騙していたのだ。

 そしてその期待が容赦なく砕かれる。

 

「ヒャッヒャヒャ!!!素晴らしい!!やはりあったね!大罪竜!その“遺骸”よ」

 

 無駄にテンションが高いのはグラージャだけだ。彼女はガザや、彼女の部下までもその恐るべき竜の圧に戦く中、一歩一歩近付いていった。

 

「何をする気だ。グラージャ」

 

 不味い、とウルは思った。

 彼女が暴走する可能性はアナスタシアから聞いていた。

 【残火】の障壁にたどり着くためには彼女の力が必要であると同時に、彼女が“離反”するという運命は避けようのないものであると、彼女は言っていたからだ。【残火】が【大罪竜】そのものだったという事実まではわからなかったが、どっちみち不味い。

 こんなモノを利用しようなどという発想は、確実に最悪を招く。

 

「何を、だって?決まっているだろう!!”使う”のさあ!!死して尚、大罪の貯蔵庫として存在しているこの悪竜を!!」

「んなこと出来る訳……」

「出来るさあ!なにしろ”穿孔王国の魔王”だってやってるじゃあないか!」

 

 ウルは再び目を見開く。此処で、その名前を聞くはめになるとは思っていなかった。

 魔王ブラック。

 彼が、大罪竜スロウスの生み出した腐敗をエネルギーとして取り出す手段を開発したと言っていたのは覚えている。正直本当かと疑わしく思ったが、事情に幾らか詳しいジャイン等は真面目な顔でその冗談を肯定していた。

 事実なのだろう。つまりそれは前例があると言うことだ。

 

「だとして、アンタが出来るってのか!?それを!!」

「出来るさあ!!私を誰だと思ってる!?」

 

 グラージャが地面を杖で強く叩く。途端、ぐらりと地面が揺れた。ウルは驚き膝をつく。グラージャの仕業であるのは間違いないが、それが何の魔術かも分からない。

 そもそも彼女は研究職の魔術師で、戦闘用の魔術は使えないはずだ。彼女が得意とするのは対象に魔術効果を与える【付与】魔術――――付与?

 

「大地に、付与魔術を、かけたのか!?」

 

 グラージャは哄笑する。自らの力を誇示する様に両手を広げると、砂漠の砂が彼女の動きに合わせて流動し、大罪竜へと殺到した。

 

「白の末裔!!【霊与】のグラージャさあ!!」

 

 リーネと同じく白の魔女の弟子、その末裔である彼女は吼え猛った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱⑤ 堕ちた白

 

 大罪都市ラスト。その興りに現れた【白の魔女】

 

 その力を受け継いだ弟子達は白の末裔と呼ばれる。ウルの仲間であるリーネもその一人である。しかし彼女は、全能に近い魔術を有していた白の魔女の力の一端を継承したに過ぎない。

 【白の魔女】が弟子達に与え、継承された魔術は他にもある。それらは長い時をかけて研鑽され、時に変化しながらも後世に引き継がれていった。

 

 グラージャが扱う【霊与】も白の魔術の一つ。

 

 その魔術の効力は、【白王陣】のように複雑かつ特殊で扱いづらいものとは異なり、極めてシンプルだ。それもその筈で、そもそもイスラリア全土で現在使用されている付与(エンチャント)の魔術の源流こそが【霊与】であるからだ。

 そもそも、【霊与】の術式を継承する前は付与の概念は広まってはいなかった。存在こそしていたが、あまりにも汎用性が低すぎた。

 

 だが【霊与】はそれを変えた。

 

 簡易で、素早く、そして持続する。武具防具の強化、人体の強化。戦闘のみならず、日用雑貨に都市構築の際のインフラに至るまで、あらゆる所に活用が可能なその力は、まさに天の与えた力と言えた。

 その圧倒的な汎用性で、その魔術を継承したテルテイン一族は瞬く間に繁栄し――――そして驚くほどの勢いで衰退した。汎用性が高すぎたその術は、あっという間に血族以外の者達に解体されて、そして解き明かされてしまった。独占していた利益は失われ、彼らの特別な魔術は、あっという間に世間の誰もが扱える一般魔術にまで落ちぶれてしまった。

 特殊で、扱いづらすぎるがために落ちぶれたレイライン一族とはまた逆の凋落を喫する羽目となったのだ。

 

 それ以降、【白の末裔】らは自身の術の秘匿性に一層の注意を払うこととなった。

 

 さて、術が優秀すぎたが故に没落を喫するという不本意な憂き目にあったテルテイン一族であるが、しかしその血は続いていた。【白の末裔】の異名を失い、官位を失って、下野に下って尚彼らはしぶとく生き続けた。

 付与の魔術の源流としての確かな技術と知識で魔術ギルドを結成し、彼らはしぶとく力を身につけていった。しかしそれは決して、レイライン一族のように再び世に自分らの力を示さんとするような前向きな理由ではなかった。

 

 あらゆるものを掠め取られた彼らに残されたのは、世の中に対する憎悪だ。

 

 その結晶こそが、グラージャ・テルテインである。

 付与の魔術について極め尽くした魔女は先祖代々から知識と共に教えられた憎悪を魂まで身につけて、そして今、その憎悪の全てを開花させる為の手段を手に入れようとしていた。

 

 あらゆる付与術を与えても尚、溢れることのない巨大なる器。

 

 大罪竜の遺骸を。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ヒャッヒャヒャヒャ!!!!」

 

 グラージャは笑う。グラージャが大地に与えた付与の魔術が大地を揺らし、蠢かせる。【黒炎払い】の魔術師達が扱うような単純な砂を動かす魔術とは違う。まさに生物のように、砂の大地は蠢いていた。

 ガザはその砂に飲み込まれ、溺れまいと必死になりながら叫んだ。

 

「あのクソババア!!こんなことできるんだったら最初から手伝えよ!!不死鳥の捕縛とかよお!!」

「ギリギリまで隠してたんだろ!!狸ババアが!!」

 

 ウルはそれに叫んで返した。そして生きた“砂蛇”ともいうべきそれに乗って【大罪竜ラース】へと向かうグラージャを睨み、叫んだ。

 

「あのババアを止めるぞ!!断言しても良いが碌な事にならん!!」

「だけど!止めてどうする!?不死鳥を止めるには、【残火】を壊さなきゃなんだろ?!」

 

 しかし、その【残火】は大罪竜そのものだった。

 破壊する、とは言ったが、しかしこれはどうこうできる代物なのか?と言われるとウルも言葉に詰まった。ウル達から少し離れた場所で、【黒炎払い】達の不死鳥を抑えこむための激闘は続いている。

 向こうも相当な綱渡りだ。黒炎払いが一歩間違えて全滅すれば、なし崩しでウル達も死ぬだろう。

 

《ウル、くん。聞こえ、ますか》

「アナか!!現状は――」

《わかって、ます》

 

 話が早かった。通信魔具越しに、彼女もいくらか焦ってはいるのだろう。普段よりも口調も少し早かった。

 

《残火、ラースから、運命が、見とれません》

「運命が……」

《恐らく、アレは、ただの死体です。生きてはいない――――()()()は》

 

 遺骸、と、グラージャも確かに口にしていた。

 遺骸、死体。物言わず、動きもしない。ただの死体。それが何故わざわざ封印されているのか。そしてそれが何故これほどの力と威圧を放っているのか。様々な疑問が頭を過るが、彼女がそうであるというのなら、それは信じよう。

 

「破壊は出来ると?」

《でき、ます。でも……》

「いや、大丈夫だ。破壊できるなら、良い。それだけ分かれば良い」

《……気を、つけて》

 

 続けて、何かを言おうとして、口ごもった彼女を制止する。

 恐らく、碌な運命が見えては来なかったのだろう。ウルもそう思う。大罪竜の遺骸はどのような形であっても、手を出すべきではない禁忌なのは誰の目にも明らかだった。アナスタシアの運命の力が無くたって分かる。

 だが、それでも止めなければならない。逃げ帰ろうにも地下牢も崩壊寸前。退路は無い。

 此処で勝つしかない。

 

「だが、その前に!」

「っひ……!?」

 

 ウルはじろりと、魔女釜の他の術士を睨む。ウルが距離を詰めると魔術師の女は慌て、両手を振った。

 

「ゆ、ゆ、許して!私しらなかっご!?」

 

 それ以上、何かを喋らせる前に、ウルは蹴りを叩き込んだ。彼女の身体は吹っ飛んで、ゴロゴロと砂の海に転がった。痛そうに呻いているから死んではいないだろう。加減もした。

 

「容赦ねえなあウル!」

「危険因子の排除と避難誘導だよ!そっちは!?」

「終わった!」

 

 ガザの方も魔女釜の術者達を追い散らすことは出来たらしい。魔女釜の魔術師達はまさしく尻尾を巻いてこの場から逃げ出していく。その様子を見るに、グラージャの今回の暴走を彼女たちはしらなかったらしい。

 つまり、少なくとも魔女釜の敵はグラージャだけだ。しかしそれでも、かつてないほど混沌とした戦場となっているのは間違いないのだが。

 

「ガザ、気合い入れろ!!!不死鳥捕縛と並行した魔女&竜殺しだ!!」

「もうちょっとなんとかなんなかったのか畜生!!」

 

 ガザが悪態をつきながらも盾を構え、ウルと共にグラージャへと向く。

 ラースの解放を賭けた戦いは、混沌極まるものへと転がり落ちていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ヒャーッヒャヒャヒャヒャ!!!」

 

 魔女の哄笑が砂漠に響く。ウルはそれを耳にしながら彼女が生み出した”砂蛇”の上を駆けていた。足場にするには不向きだったが、この砂蛇の他、グラージャとラースの遺骸に近付く為の足場が無い。

 砂蛇は獣のように激しく動き、時折のたうつ。本当に生きているかのようだった。

 だが、本当に生きている訳ではない。グラージャがいかに優れた魔術師であったとしても、ただの砂の山を、生きた使い魔に変貌させるだなんて事が出来るはずも無い。

 ウルは魔術にあまり詳しくは無いが、魔術というものが万能では無いことは知っている。万能であるのなら、リーネは白王陣の研究にあれほど苦心したりはしないだろう。彼女ができないなら他のどんな魔術師もできない。

 

「だったらコイツはあくまでも、グラージャが操って動かしてるだけだ!」

 

 自ら敵を感知しているわけでも無く、動物的に危機を察して逃れる様に動けるわけでも無い、ただの動く砂の像だ。

 ならば、これ自体はそれほどの脅威ではない。

 ウルはグラージャへの射線が通ったタイミングで竜牙槍を身構えると、真っ直ぐにラースの遺骸へと向かうグラージャへと砲口を向けた。

 

「【咆吼】」

「させないよお!!!」

 

 だが、次の瞬間、ウルの前に多数の砂蛇が殺到し、射線を塞いだ。ウルは舌打ちをしながらもそのまま熱光をぶちかます。所詮、砂のかたまりでしかなかった砂蛇は次々と砕け散るが、その一つ一つが僅かであれグラージャへと光が届くまでの時間を稼いでいた。

 そして、その全てが砕ききるその前に、グラージャの姿は射線から消えていた。

 更に上へ。憤怒の竜のすぐ側へと。

 

「ヒャヒャヒャ!!レディに向かって危ないモン向けるじゃあないか!?」

「なにがレディだ年考えろ!!!」

「あたしゃピッチピチの93才だあよ!!」

「想像以上にいい年だな!?隠居しろや!!!」

「やあなこったねえ!!!!」

 

 グラージャが再び杖を振るう。土蛇が再び生成される。それも幾つも。

 土蛇の火力は無い。黒炎鬼のようにそれ自体が呪いを纏ってもいない。精々強くぶつかってくるくらいだ。脅威は低いが、しかし復活速度が速すぎる。破壊してもほぼ一瞬で回復されてしまう。

 復活した5体の砂蛇はぐるんと形を成して再びまっすぐにウルへと向かってきた。

 

「だあぁあらしゃああ!!!」

 

 その直後、ガザが大盾で持ってその砂蛇の体当たりに真正面から突撃する。砂蛇は結構な大きさで、質量で、その数体分の体当たりに真正面からぶつかるのは自殺行為に思えた。が、その突進で先に砕けたのは砂蛇だ

 

「だらあ!みたか!!」

「頼もしい……が」

 

 ガザが勝ち誇る、よりも早く、再び土蛇の再生は始まった。ガザは顔を深々と顰めた。

 

「キリがねえ!時間もねえぞ!!」

 

 まだ地べたでぐだぐだと戦っているウル達に対して、グラージャはするすると、上に上がっていく。強大なる憤怒の竜の真正面にまでその身体を寄せていた。

 

「そもそもあのババア、竜の死体に何する気なんだ!?」

「碌な事じゃないのだけは確かだな……急ぐか」

 

 間違いなく言えるのは、彼女が大罪竜の死体を破壊して黒炎を消滅させる気など欠片も無いという事だ。それはつまり、今限界ギリギリで持ちこたえている地下牢が確実に崩壊すると言うことであり、アナスタシア含めて既に黒炎に呪われて、徐々に身体が蝕まれている連中も死ぬと言うことでもある。

 戦場においてこれほど自在に魔術を操れる程の技術を持ちながら、今日までそれを隠して危険を【黒炎払い】達に押しつけていた狡猾な老婆が、今死にかけの連中を気遣ってくれる可能性など皆無だろう。

 ならば排除する他ない。

 

「ガザ!盾を上に向けろ!」 

「あ!?わかった!!」

 

 ウルの言葉を、察してはいないままに彼は言うとおり盾を空へと掲げた。その大盾の上にウルは飛び乗る。その瞬間、ガザはウルの意図を察したのか盾の影でニヤリと笑った。

 

「いくぞ!!」

「合わせろよ!!1,2のぉ――!!!」

 

 ヒトが掲げた大盾という不安定な足場の上で、ウルは器用にも両足を限界まで広げ、そして屈む。同時に、ガザはその全身を使い、抜群の安定感でウルを支えたまま、深く身体を地面へと落とし、そして身体を跳ね上がらせた。

 

「3!!!」

 

 ウルは自らの限界を超え跳躍した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「素晴らしいねえ!!!」

 

 グラージャは眼前に鎮座する巨大なる憤怒の竜の遺骸を震えるような声で賞賛した。

 間近で見るほどに、憤怒の竜の圧力は凄まじい。並みのものであれば、腰を抜かして逃げ出すであろうその圧を前にしても尚、彼女は全く怖じける事は無かった。

 本能的な肉体の忌避も、詰まるところ目の前に存在するソレの偉大さの証明に過ぎない。それを、今から手に入れようというのだ。興奮は当然だった。

 

「これほどの器だ!我が一族の憎悪なんて、簡単に受け止めてくれるんだろうねえ!!」

 

 【霊与】と呼ばれる、白の魔女からもたらされた付与魔術の源流。

 既に世界中に知れ渡り、その大半を解析され陳腐化してしまったその付与(エンチャント)の魔術は、しかし何もかもがつまびらかになってしまったわけではなかった。テルテイン一族が最後まで他の者達に伝え教える事を渋った術式が存在していた。

 それを末裔たるグラージャは教えられている。

 

 否、正確に言えば、生まれたときから知っている。

 秘匿されていた【霊与】の深奥とは、【魂の継承】である。

 

 技術を、知識を、感情を、あらゆる全てを次代に【付与】する事で、伝えるべき全てを託すための秘術。お人好しだったテルテイン一族はこの技術だけは決して他の者達に伝えることはしなかった。

 理由は、それが危険であると理解していたからだ。

 知識の完全なる伝授を可能とするものの、下手をすれば相手の魂と混じって破綻しかねないような恐ろしい魔術。その危険性を理解していたからこそ、テルテインはそれを外部には決して漏らさなかった。自分たちでも扱うのは控えようともしていた。

 

 しかし、その後、人の良い彼らは外部の者達の手によって地位も名誉も知識も全てが簒奪された。没落した彼らはその禁を解いた。

 継承すべきは知識ではなく、自分たちの知識の全部をかっ攫って貶めた連中への怒り。自分たちに感謝もせずのうのうと力をつかってる世界中の全ての人類に対する嫌悪。

 脈々と正確に、一切褪せる事無く継がれ続けたその思いを、グラージャは結集させる。

 

「【魂与】」

 

 杖先に集まった魔力の塊は、自身の知識と、憎悪が詰まった付与魔術だ。

 それを与える先は、何であろう、大罪竜の遺骸である。

 

「ヒャッヒャヒャ!!!器が残ってるなんてねえ!さいっこうについてるさ!」

 

 黒炎の元凶が残っているのは、彼方此方に燃えさかる黒炎を見ても明らかではあったものの、まさかここまで完璧な大罪竜が、しかも死体として残っているというのは、幸運極まった。

 死体というのはただの物質だ。そしてその物質に付与する事など彼女には極めて容易い。

 

「さあー!大罪竜!!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「――――!!」

「……ん?」

 

 すると不意に、声がした。またあの小童達が足下でちょろちょろと暴れているのかと疎ましそうにグラージャは視線を足下へと向ける。すると、

 

「やっぱろくな目論みじゃあ、ねえなあ!!」

 

 下から、ウルが一気にグラージャよりも高くへと飛び上がった。

 グラージャは目を見開き、驚く。が、同時に反応も早かった。

 

「ッヒャヒャ!!身動きも出来ない空に飛び出してなにがしたいんだい!?」

 

 憎悪と共に、数百年の知識と技術を継承し続けてきたグラージャは、只人で、90以上の高齢でありながらも恐るべき反応速度を持ち合わせていた。大罪竜への【付与】を中断し、即座に再び足下の砂蛇を叩く。その砂蛇を伝って足下の地面へと伸びた彼女の【付与】魔術は、新たな土蛇を生みだし、そして幾本も操る。

 

「たたき落とされて死になぁ!!」

 

 グラージャの咆吼と共に土蛇が蠢き、ウルへと殺到する。

 だが、ウルは慌てる様子もなかった。空中で、器用にも身体を捻り、そして勢いよく右腕を振るった。同時に、何かを此方に向かって投擲する。

 

「ぬ!?」

 

 グラージャはそれに応じて砂蛇をウルとの射線の盾とした。

 が、ウルが投擲した何かは砂蛇の身体から大きく上に逸れた。当然それはグラージャにも当たらない。しかし落下したそれはぐるりと砂蛇の身体へと回り、先端の鋭利な刃が砂蛇の肉体に突き立った。

 

「何!?」

 

 そのままウルの身体は動く。ウルが投げたもの、鉤爪状のソレには細く頑強なヒモが結びつけられていた。ウルはソレを引っ張り、自らの身体を砂蛇に一気に引き寄せたのだ。

 

「ダヴィネのオモチャかい!!」

「作品って言ってやれよ、キレるぞダヴィネ」

 

 砂蛇の殺到を掻い潜り、接近するウルにグラージャは初めて顔を顰める。黒炎砂漠を切り開くために最前線で戦い続けてきた戦士相手の近接戦闘は、いかにグラージャが熟達した魔術師であっても分が悪い。

 そしてウル自身のグラージャを見る目には、明確で、確固たる殺意が宿っていた。グラージャとウルは幾度も言葉を交わし、時に協力もしあった。知らない仲ではない。だが、それでもウルはグラージャを殺すだろう。一切の躊躇も無く。彼の目がそれを語っていた。

 だが、この期に及んで引くつもりなど彼女にはなかった。

 

「邪魔をするんじゃあないよ!!」

「邪魔はてめえだグラージャ!!!」

 

 二人は叫ぶ。グラージャはウルをたたき落として殺そうとして、ウルはその槍でグラージャを抉り殺そうとした。二人は接近し、そして――――

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

「「何!?」」

 

 その二人の前に、黒炎不死鳥が跳び込んできた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱⑥ 混戦

 

 

「よし!!不死鳥を徹底的に押し込めろ!!そのまま動かすな!!」

 

 ボルドー率いる黒炎払いの不死鳥捕縛作戦は上手くいっていた。

 不死鳥の凶悪な黒炎の攻撃は健在である一方で、初手で不死鳥を地上に引きずり倒すことが出来た時点で、不死鳥の動きは黒炎払い達の準備と経験を越えるようなことはなかった。凶悪な黒炎の攻撃、魔術による物質操作、莫大な力を伴った単純極まる体当たり。それらの攻撃を黒炎払いは知っていたし、備えていたし、何よりもアナスタシアからの予告がある。

 

「B部隊の、運命が、悪いです。攻撃が、来ます!」

「障壁用意!!」

 

 ボルドーと共に建物の屋上から状況を眺めるアナスタシアが的確に運命を読み取り、指示を出す。悪しき運命であればそれを回避し、良き運命であれば其方に動く。練度高まった黒炎払いと運命の聖女の連係は最高に噛み合っていた。

 

 いける。ボルドーは強い手応えを感じた。

 

 少なくとも、不死鳥の動きは全て、手の平の上にある。不死の特性がある以上、この戦いを終わらせることは出来ないからこその現状維持だが、押さえ込む一点に集中するならば、まだこれは続けられる。部下達の戦意の高さ、ありったけを持ち寄って用意した物資の余力、それらからボルドーは確信した。

 だから、問題となるのはコチラの戦いではなく、向こうだ。

 

「ガザ!ウル!そちらの戦況はどうか!!」

《――――――!!!》

「駄目か……!」

 

 【残火】から放たれる魔力で阻害されているのか、あるいはウル達にこちらへ連絡するだけの余力が存在していないのか、先程から【残火】側からの連絡が途絶えている。

 状況は把握している。

 アナスタシアから密かに予告された通り、【魔女釜】のグラージャがコチラを裏切った。しかし魔力障壁そのものは剥がれており、現在【残火】――――もとい【大罪竜ラース】が剥き出しになっている。そしてあれを破壊すれば、黒炎は消滅する。といったところまで状況は動いている。

 

 こっちは比較的順調だが、向こうは混沌の極みだ。

 どのように転ぶのか分かったものでは無いが、それでも【残火】の障壁はグラージャ達熟練の術者でなければどうにもならず、それ以外の魔術師の人材は先のビーカンの無謀な特攻に巻き込まれてしまった。

 不安定は元より承知の上だ。全てが完璧にお膳立てされた戦いなんて、この地下牢に来てから一度も無かったのだ。

 

「隊長、私達もガザ達の応援に向かいますか」

 

 余力が残っているレイがボルドーに提案する。

 ボルドーは一瞬考え、しかし首を横に振った。

 

「不死鳥はまだまだ余力がある。油断するな」

 

 そう言うとレイは頷き、持ち場へと戻った。

 実際、不死鳥の底はまだ見えていない。ボルドー達が本領を発揮させずに嵌め続けているということではあるのだが、裏を返せば、もしもその本領を1度でも発揮されてしまえばこの拮抗は一瞬で崩れるだろう

 不安定で小規模だったとはいえ、太陽の結界ごと、【焦牢】の本塔を破壊し尽くしたのだ。決して、油断の出来るような相手ではない。そもそも、こちらは不死鳥がどのような生態であるかすら、まともに解明もできてはいないのだから。

 

「C隊、後ろに、少し下がって。そこが、安全」

 

 頼みの綱はアナスタシアだ。

 だが、彼女に全てを託すわけにも行かないことをボルドーは知っている。

 

「A隊は、――――!?」

 

 突然、アナスタシアが顔色を青くさせて身体を蹲らせた。ボルドーは目を見開いて彼女の元へと近付く。

 

「どうされたか!」

「何か、が、起き、ます!」

「何かとは!?」

 

 問うが、アナスタシアは首を横に振る。

 懸念していた事態が起こったことをボルドーは悟る。彼女は周りの運命を読み取る。少し先でなにが起こるかを察知する。しかし、一帯でまとめて運命の変動が起こった場合、彼女は情報を処理できない。いかに運命の愛し子といえど、当人はただのヒトなのだ。視界いっぱい、全身いっぱいに情報を浴びせられればオーバーフローを起こす。そうすれば彼女の運命の先読みは麻痺を起こす。

 

「全員構えろ!!“災害”が起こるぞ!!」

 

 しかし、コレもボルドー達は知っている。10年前、彼女頼みにして寄りかかった結果、酷い事故が起こった。とうに経験済みだ。彼女の力は頼りになっても、依存してはいけないのだ。

 

「不死鳥以外、周辺や足下に至るまで注意しろ!何が起こるか!予想も付かん!!」

 

 ボルドーの指示に部下達が即座に対応する。決して不死鳥の封から目を離さぬままに。その時点で土牢による拘束は完璧だった。が、アナスタシアの予告通り変化が起こる。

 

「何か、手応えが……?」

 

 土牢を維持していた術者の一人がまず真っ先にその奇妙な感覚に気がついた。砂漠の砂をさらって、動かし続ける彼らは、常に不死鳥の抵抗を最も強く受ける者達だ。故に、ボルドーの指示には即座に対応出来るように身構えていた。

 

 しかし、不意に土牢からの抵抗が、消えたのだ。

 

 その情報は瞬く間にボルドーへと渡った。彼もまた、その情報に訝しみ、しかし即座に一つ、最悪の可能性に気がついた。

 

「……!!土牢を拡張させろ!!!」

 

 その言葉に術者達が動く。

 そしてその言葉の意味するところを全員把握している。土牢の大きさは術者の負担と強度の関係上、限界は事前に調べていた。限界のギリギリだったそれを更に拡張する場合は、懸念すべき事態が起こった場合だ。

 

 即ち、不死鳥が死んだ場合だ。

 

「なん、だ!?」

 

 そして全員が見守る最中、土牢が変化する。術者がその大きさを広げるよりも早く、内部からまるでしみ出すように、黒い炎が溢れ始めたのだ。砂漠の土の牢獄は炎に焼かれることはない。ただ隙間から溢れ出しているだけだ。

 しかしその量が、尋常ではない。炎はあっという間に土牢全体を包み込んで、巨大な、黒い、炎の塊に変貌を遂げた。そして

 

『――――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 その炎の中から、不死鳥が再誕する。

 

「っ!!!土牢の再構築を急げ!!」

 

 土から漏れ出た大量の黒炎を利用し、死と再生による脱出を行おうとしている!?

 想像していない動きにボルドー達の対応は遅れた。その間に不死鳥は一気に飛び立つ。内部の土牢が崩れて不死鳥の身体に襲いかかるよりも早く、不死鳥の身体は外に飛び出した。

 

「あれは…!?」

 

 飛び出した不死鳥の身体は、異様な状態だった。

 

 その首に、剣が突き立っている。

 

 無論、それはボルドー達の仕業ではない。不死鳥が死に、周囲を巻き込み復活する。イレギュラーが起こりかねない爆発を抑えるべく、細心の注意を払っていた。殺さず、拘束するよう心がけていたはずだ。で、あれば、あの剣はどこから出てきたか?それが何故不死鳥の首に突き立っているのか?

 答えは――――

 

「――――自害か!?」

 

 不死鳥が、自ら死に、その再生エネルギーを牢の破壊に利用した。

 そんなことも出来る!?

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 自ら生み出した剣で命を絶った不死鳥は、そのエネルギーを爆発させる。

 同時に、物質操作の魔術が嵐のようになって周囲を巻き込む。ボルドー達は退避を余儀なくされた。そしてその中には、

 

『a aaaaaaa……』

 

 何体かの黒炎鬼らを巻き込んでいた。鬼たちは、瓦礫の山と同じように振り回されて、そして燃え盛る不死鳥の元へと吹き飛ばされる。そうやって自らの手元へと寄せた薪を不死鳥は食らい、再生を完全なものとする。

 

「ま、ずい……!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 再誕した不死鳥は、自らの首に突き立てた剣を咥え、叫ぶ。

 

「来ます!!!」

「防御態勢!!!」

 

 黒炎払いの包囲陣に、不死鳥の大剣がふり下ろされる。

 黒炎と共に大剣が放つ一撃は、まるで爆発したような衝撃を周囲に叩き込み、ボルドー達の包囲を吹き飛ばした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【残火・大罪竜ラース】周辺

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 ウルとグラージャが衝突する寸前、まるで割って入るように不死鳥は突撃した。その口に咥えている巨大な大剣にウルは目を見開き、その剣が放つ威圧感に震えた。

 

「ヒャヒャヒャ!!不味いねえこりゃあ!!」

 

 グラージャも同じ事を思ったらしい。彼女は土蛇を操り逃れ、ウルも同じく土蛇を蹴り付けてその場から離れた。

 

『AAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 不死鳥の斬撃がウル達の間際を掠める。距離をとったにも関わらず、その熱で身体が焼けていくのが分かった。ダヴィネの鎧でなかったら、余波だけで真っ黒焦げになっただろう。

 

「っ…!!」

 

 吹っ飛んで、バランスを崩しウルは落下する。黒炎に炙られなかっただけマシだったが、このまま落ちれば体中の骨がへし折れて死ぬ――

 

「ウル!!!」

 

 だが、直後に地面に叩きつけられるよりも早く、ガザがウルの身体を受け止めた。が、ガザもその衝撃を受け止めきる事はできなかったらしく、二人揃ってそのまま地面に叩きつけられ、転がった。

 

「ッゲホ!!ガ………うへえ、死ぬかと、思った」

「俺は、心臓が止まるとこだったよバカヤロウ!!」

「悪かったよガザ……」

 

 体中が痛いが、少なくとも何処かがへし折れてたりはしなかったらしい。痛みを堪えて身体を起こすと、不死鳥は未だ上空を旋回している。周囲に土蛇が蠢いていることから、恐らくだがグラージャと戦闘を続けているらしい。

 

「何がどうしてどうなった……不死鳥の捕縛は失敗か」

「アッチは、無事なのかよ……!?」

「通信魔術は……?」

 

 携帯鞄から回復薬を取り出し口にしながら尋ねるが、ガザは首を横に振った。最悪の可能性が即座に頭に浮かんだが、ウルはそれを口にはしなかった。今言っても仕方ないからだ。

 呼吸を整え、ウルは状況を見る。不死鳥とグラージャは暴れている。撤退も考えたが、最悪の最悪を引いていた場合、黒炎払い全員が敵に回っている可能性がある。何も考えずに其方に逃げたらそこでお終いだ。

 此処で勝負を決めるしかない。

 

「…………不死鳥は邪魔だが、グラージャの敵でもあるのは好都合だ。」

「どうするんだよ!?」

「今の間に、竜を破壊する」

 

 ウルは背中に背負った真っ黒な槍を引き抜いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ヒャヒャヒャ!!鬱陶しいねえ!!鳥如きが!!!」

 

 不死鳥は困っていた。

 枯れ木のような老婆が、地面をまるで生き物のように動かしながら彼方コチラへと移動して翻弄してくるのだ。見た目はどう考えても年老いているというのに、恐ろしくその動きが俊敏で、不死鳥の反応は遅れていた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 【灼炎剣】を振るう。そのたびに空気は唸って炎が爆散する。

 【炎の精霊】の聖遺物。不死鳥が生み出されるとき、核として取り込まれたもの。

 だが、あまりにも威力が強すぎて、巻き上がる炎で視界が悪くなるのが玉に瑕だ。それでも大抵の敵は一撃振るうだけで焼き払う事ができたのだが、この老婆はどうやら違う。

 的確にコチラの動きを躱し、余波から身を上手く隠す。自分の炎では焼き切る事の出来ない大地を利用しているのも相性が悪かった。

 

「ああああ全く!!邪魔なんだよじゃーまあ!!」

 

 元気である。とても元気だ。それどころかブチ切れながらこちらに罵声を浴びせている。不死鳥は少々ビックリしていた。ヒトというのはあれくらい枯れ木になったら歩くのも苦労するはずだというのに、この元気の良さはなんだろうか。

 しかし、少なくとも、こちらに近付いては来れないらしい。生き物のように蠢く地面に乗りながら、遠巻きにコチラを眺めるばかりだ。不死鳥が”コレ”の前に立ち塞がることで、あの妖しげな魔術を使わせることは避けられる。

 

 そう、近付かせるわけには行かなかった。それだけは避けなければならない。何者であろうとも、どんな相手だろうとも、”コレ”に近付かせてはいけない。相手の命を奪うことになろうとも、そうしなければならない。

 

 そうしてくれと、託されたのだから。

 

 だが、それならどうするべきか。いっそのこと、全体をまとめて一気に破壊するのも手段の一つか――――

 

『A?』

 

 だが、不意に不死鳥は気付く。

 足下から、禍々しい気配が溢れ出ていることに。死の概念はなく、再生する不死鳥であっても尚、悍ましく感じるその気配。不死鳥は知っている。1度それに無残にも殺されたことがある。それと同じ気配がした。

 

 同じ気配。だが、濃度が違う。

 

 高くを飛ぶ不死鳥が、即座にそれと気付くほどの真っ黒な気配が溢れ出ていた。触れた者を全て呪う黒炎すらも、ここまで邪悪な気配を放つことはしないだろう。あれほど騒がしかった老婆すらも、目を見開いて地面を睨んだ。

 

「……あれが、新型かい」

 

 地面には、あの時吹っ飛ばした小さな子供がいた。彼は右手に真っ黒な槍を、相手をただただ食い殺すために存在する歪な刃がついた槍を構えていた。

 

「【竜殺し・弐式】」

 

 対処しなければならない対象が変わったことを悟り、少年のもとへと極大の剣を構えて、飛んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰都ラースの大騒乱⑦ 二式、そして――

 

 灰都ラースへの最終遠征前 【地下牢・地下工房】にて

 

「警告しておく」

 

 【黒炎払い】装備の最終調整を行うため、ダヴィネと共に放棄された地下工房へと再び足を踏み入れた【黒炎払い】の面々にダヴィネは語る。

 ウル達の鎧を整えた彼は残る最後の一仕事。”強い竜殺し”の製造にとりかかっていた。

 

「警告?」

「コイツを使うときの注意点だ」

 

 地上の黒炎の影響だろう。他の場所と同じく地下工房もまた酷く暑い。じっとしているだけでも熱が籠もってくる。その最中、ダヴィネはじっと、釜の炎の前から動かず、更なる熱を浴びながらも平然と鎚を振るい続けていた。

 彼が鍛えるのは、アナスタシアから要望された新たなる【竜殺し】だ。通常のソレと比べ一回りも大きく、当然のように禍々しい。しかし、

 

「……綺麗だな」

 

 ウルはシンプルな感想を述べた。

 新たなる竜殺しは恐ろしくて、美しかった。ダヴィネの生み出す作品の多くはそうだ。無駄の一切を削ぎきり、その役目を果たすための力を極限まで高めた果てに生まれる機能美がそこにはあった。

 

「……こいつさえありゃ不死鳥も倒せるのか?」

 

 ガザはそれに手を伸ばそうとするが、ダヴィネは不意にそれを持ち上げて遠ざける。訝しがるガザをダヴィネは睨んだ。

 

「直接触れるな」

「……そんなやべえもんなのか?」

 

 慌ててガザは手を引っ込める。見ればダヴィネも厚手の作業用手袋を身につけている。少なくともまともな武器の扱いとは違った。

 

「【黒渦星】と呼ばれる鉱石がある。竜殺しの素材はそれだ」

「作り方なんて聞かされたってわかんねえぞ?」

「黙って聞け、殺すぞ」

 

 ダヴィネが何時もと違い、静かに凄む。ガザは黙った。

 現在の地下牢の状況を考えれば、此処でぐだぐだとのんびりしている暇はないのだが、しかしダヴィネにこの期に及んでへそを曲げられても困る。彼が不死鳥討伐における最大の要であるのは疑いようがないのだから。

 

「ソイツを見つけたのは昔の魔術師だ。生物でないにもかかわらず、【黒渦星】は相当量の魔力を注いでも、オーバーフローを起こさない謎の物質だった」

 

 昔の術者はそれを発見したとき、狂喜したらしい。

 【黒渦星】は小型であるにも関わらず、莫大な魔力を保管できる。つまりそれは最強の魔力保管庫になりうるのだ。つまるところ、【神殿】の機能を個人が携帯できるに等しい。この原理を解明できれば革命が起こると確信した。

 

「……でも、そんな鉱石知らない。そんな素晴らしいものなら、有名なんじゃ?」

「今じゃ禁忌扱いだからだ。直接鉱石を漁る土人らの間じゃ今でも有名だが」

 

 指摘したレイが顔を顰める。禁忌、つまりその夢の鉱石には落とし穴があったのだ。

 

「魔力貯蔵庫として活用しようとした魔術師たちのギルドが、ある日突然()()()()

「しょ、消滅……って」

「限界量を確認しようと与え続けた魔力を、【黒渦星】は吸収し続けた。が、ある一定の量に到達すると、その魔力を今度は一気に放出し、爆発させた。周囲もろとも巻き込んでな」

 

 ガザはその説明を聞いて暫く眉をひそめていたが、その引き起こされた現象にようやく思い当たり、そして悲鳴を上げた。

 

「完全に爆弾じゃねーか!!!」

「そうだ。そいつが【黒渦星】の正体だ」

 

 許容量不明。どの程度魔力をため込んでるかも不明。通常時も周囲の魔力を微量に吸収し続けて、予期せず爆発する代物。

 とてもではないが、まともには運用しようという発想が浮かばない。禁忌扱いも道理だった。鉱山などでそれを発見したら、速やかに退避することが推奨される。魔力がどの程度溜まっているか、初見では判別も出来ないからだ。

 

「……んなもん、よく武器に転用できたな?」

「俺が天才だからだ!!!」

「いや、もうそこを疑う奴はいねえよ。アンタは天才だ。だが具体的にどうやって?」

 

 自慢げに鼻を鳴らすダヴィネに呆れながらも、ウルは続きを促した。

 

「魔力を介さず、一定の熱と衝撃を【黒渦星】に与えると、吸収と放出を調整できるようになる。調整の機微は俺にしかわからんがな!」

「……あー、なるほど。奪った力を使うのか」

 

 その調整の方法は理解できないが、竜殺しがどうやって竜にすら通じる破壊力を有しているのかは理解できた。

 相手の力を奪い、その力が回復されるよりも早く、即座に破壊に転用する。魔力がこの世界に満たされた力そのものであり、竜たちの強さもそれに依存する。ならば、それを奪い、奪った部分を即座に破壊すれば、砕けるのは道理だ。

 

「黒炎を相手にする場合は、吸収と拡散に比率を調整している。竜殺しって一言に言っても、性能には違いがある……で、その調整を極限まで拡散でなく、破壊に寄せたのがコイツだ」

 

 改めて、ダヴィネが新型の竜殺しを差し出した。しかし、今度はガザも容易には手を取らない。普段武器として使っているシロモノが、決して粗雑に扱っていいものでないことに、彼でも気が付けたらしい。まして、その新型ともなれば――

 

「やばそう」

「コイツに使われてる【黒渦星】の純度なら魔力許容量は相当だ。早々爆発する事は無いが、念のため黒睡帯で封じておけ。んで、これはお前が使え、ウル」

 

 そう言ってその恐ろしい大槍をダヴィネはウルへと差し出した。正直、お断りしたい気持ちがなくもなかったが、念のため尋ねた。

 

「何故俺?」

「解放すれば、魔力だけじゃなくて、物質すらも砕いて飲み込もうとする。扱うには使い手の物質強度が必要だ。お前の右腕なら耐えられるかもしれないって話だ」

「かも、かよ」

「あたりめえだ!!時間がねえんだよ!!本来ならもっともっと日数をかけて調整しなきゃならねえもんを突貫で完成させたんだぞ!!死にたくねえならやめとくんだな!!」

 

 ウルはその言葉に少し目を閉じて、俯く。

 

「正直、この腕を良いように利用すると碌な事にならないのは間違いないんだがな」

 

 そう言いつつも、ウルは【竜殺し・二式】を受け取った。

 

「しなかったことを悔いるのはご免だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【竜殺し・弐式】封印解放」

 

 ウルは言葉と共に【二式】の柄を強く握った。瞬間、竜殺しの外周を、その力を封じるために幾重にも巻かれていた【黒睡帯】が弾け飛んだ。次の瞬間、竜殺しの本来の力が発揮され、ウルは竜殺しをにぎる右手から伝わる悍ましい感覚に顔を引きつらせた。

 

「ぐぅ……!」

「ウル!!」

「こっちはいい……!不死鳥が来るぞ!」

 

 心配するガザを振り払うようにウルは返した。心配されたとしてもどうにもならない。

 魔力を喰らう、とは言っていたが、コレはそんな次元ではない。今ウルの右手には痛みが走っていた。小さな虫が皮膚から徐々に肉を食い千切ってくるかのようなうな痛みだ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 そして、その脅威を不死鳥は敏感に察したのだろう。こっちへと一気に落下してくる。早々に【二式】を竜へと投擲しようと考えていたウルは舌打ちした。

 

「ババアと一緒に遊んでろよこのヤキトリが!!!」

 

 ガザがその前に立ち塞がり、大盾を構える。間もなく不死鳥の突撃を受け止めた。

 

「おおおおおおおおおおお!!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 不死鳥の突撃を、ガザは押さえる。不死鳥の身体から溢れる炎を【黒喰らいの鎧】は全て防ぎきっていた。不死鳥自身の身体は小さく、受け止めきれない程の突撃ではない。

 

『AAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、当然それだけでは終わらない。不死鳥は再び空へと羽ばたくと、翼を広げる。【黒炎】が集中し巨大なる炎の塊となる。辺り一帯を焼き払うだけの火力が一点に集中した。ガザは、それでもウルの前から動こうとはしなかった。彼が退けば、不死鳥は一気にウルへと突撃すると理解していたのだ。

 だから、代わりにウルが動いた。

 

「好き勝手するんじゃ――――ねえ!!!」

 

 【二式】を放る。竜へと投げるべきか最後まで悩んだが、放った後ウルもガザも焼き尽くされて死ぬのでは意味が無い。不死鳥へと放った二式は一直線に不死鳥へと向かった。そして

 

『――――A 』

 

 パン、と、奇妙な音と共に不死鳥の頭部を消し去った。

 

「……はあ!?」

「一、撃……!」

 

 自身が放った【二式】の凶悪さにウルは絶句した。

 不死鳥の肉体はぐらりとウルとガザの前から落ちる。黒炎は再び燃えさかり始める。恐らくは復活をしようとしている。再誕は間もなくだろう。死なずの不死鳥を殺しきることは出来ない。が、それにしてもあまりにも強すぎた。

 

「うっかり落とす事も出来ねえ…!」

「絶対俺の方に向けんなよウル!?」

 

 ガザの悲鳴のような頼みを無視してウルは括り付けたワイヤーロープを一気に手繰り、再び【二式】を手元に戻す。だが、見れば括っていたロープも崩れかけていることに気がついた。握っていても危険だが、こうしてロープ越しに振り回しても早々にあらぬ方向へと飛んでしまう。

 身体も道具も何もかも、長い時間は掛けられない。ならば

 

「速攻で、竜を破壊する……!!!」

 

 即座にウルは二式を握り、上空に浮かぶラースの遺骸に投げつけた。先程よりも更に早く、真っ直ぐに竜へと向かい、

 

「させないよお!!!」

 

 グラージャの砂蛇がその前に立ち塞がった。

 

「グラージャ…!!だがなあ!!」

 

 ウルはワイヤーを握り、引く。【二式】の軌道は変わり弧を描くようにして周り、砂蛇の胴へと叩きつけられ、その身体を両断した。頭部に乗っていたグラージャは身体のバランスを崩し、ぐらりと空中に投げ出された。

 

「ぬあぁ!?」

「邪魔だあ!!!」

 

 そのままウルはもう一槍の自分の武装、【竜牙槍】を構え、同時に柄を捻り咆吼を発射した。微塵の躊躇もなく放たれた破壊の滅光は年老いた老婆の肉体を捕らえ、そのまま一気にその身体を焼ききる。

 

「――――ヒャヒャヒャ」

「……!?」

     

 そして次の瞬間、グラージャの身体は()()()()()()()()()()()

 ウルは最初それが、自身の【咆吼】によってグラージャの身体が破壊されたものだと思ったが、すぐに違うと気付いた。凶悪極まる敵ばかりを相手にしてきたが故の経験則が告げていた。手応えがない、と。

 

 身代わりだ。ならば本体は!?

 

「ウル!!」

 

 ガザが叫ぶ。ウルが振り返る。彼が指さす先、砕け散る砂蛇の影に隠れて、細く、小さな砂蛇がもう一人のグラージャを運んでいた。彼女は既に大罪竜の遺骸の目の前まで迫っていた。

 

「グラージャ!!!!」

「ヒャヒャヒャ!!!遅かったねえ!!!」

 

 再び竜牙槍を構えようとするが、既にグラージャは間もなく彼女の手は竜に触れる。ウルは舌打ちしながらもその光景を見つめた。そして――

 

 

 

「ああ、それはさせてあげられないの。ごめんなさいグラージャ」

「ヒャ――――?」

 

 

 

 次の瞬間、グラージャの首が刎ね飛んだ。

 

「――――――は?」

 

 グラージャの老いぼれた身体から血が噴き出す。

 枯れ木のような身体だったが、それでも中にはあれだけ血液が詰まっていたのだな。なんていう、感想をぼんやり抱きながら、彼女の身体が崩れる砂蛇から落下して、陥没した砂漠の砂の海にぼどんと落ちるのをウルとガザは見た。

 

 そして竜の前に残ったのは、”グラージャの影から”彼女の首を刈り取った当人だけ。

 

「……クウか」

「あら、ウル。数日ぶりね」

 

 【焦烏】のクウは微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何故かつての神殿はここを禁域としたか 上

 

 ビーカン率いる先行部隊と同行した【焦烏】のクウが黒炎に焼かれて姿を消した。

 

 その話を聞いたときのウルの感想は端的に言ってしまうと「嘘くせえ」の一言だった。

 

「あら、ウル。貴方驚いていないのね。私が生きていたことに」

「嘘くせえと思ってた女がやっぱ生きてたって事に何の驚きがあんだよ」

「酷いわね。ちゃんと遺言まで残したのに」

「あのとってつけたような仇云々の言葉の何処に感情移入する余地があんだ?」

 

 ウルは上空からゆっくりと地上へと降りてくるクウへと言葉を交わしながらも、警戒を強めていた。彼女に言ったとおり、ウルはクウが死んだことそれ自体を疑いにかかってはいた。だが、当然ながら彼女が一体何を狙っているのかまでは見抜けているわけではない。

 

 死んだことにしてラースに残り、不死鳥の目を逃れ、此処に居座る理由。

 碌な事ではないのは間違いない

 

「……ガザ、クウの実力って知ってるか?」

「影を使った魔術がすげえってくらいしか……」

「俺も似たようなもんだわ」

 

 ガザと小声で情報を交換するが、ロクな情報は手に入らなかった。

 元々彼女は看守の立場で、ウル達に対して距離を取っていた。ダヴィネに対してはべったりとしていたが、それでも彼女はきっと、彼に自身の手札を明かすような真似はしていなかっただろう。

 用心深く、慎重な女。実力も未知数。グラージャも厄介だが、コチラも油断できない。

 

「で、アンタはなにがしたいんだ。【残火】を消し去りたいなら協力するが?」

「あら、イヤよ。そんなの。」

「ラースを解放したいだのなんだの抜かしてただろうが」

「ええ、そうね。ラースを解放したいの。()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女のその物言いに訝しがりながら、ウルは右手で【二式】を握る。痛みは走るが、我慢するしかない。まだ封じることは出来ない。【竜牙槍】の方はまだ十分魔力が残っている。左手で強く握った。

 

「最初から、これが狙いだったと?」

「ええ、苦労したわ。昔、うまくやれたとおもったのに、失敗して、逃げだしたら、あんな障壁まで生まれてしまった。スタート地点に戻るのに数百年もかかるだなんて」

「同情してやろうか、クソババア」

「あら、女性に対する言葉遣いがなってないわね?」

 

 女扱いしてるだけましだろ、とウルは吐き捨てる。そのまま彼女を睨み、言った。

 

「その物言い、お前、かつてのラースの崩壊に関わってるだろ?」

 

 300年前、大罪迷宮ラースが氾濫を起こし、精霊の都だったラースを無惨な灰都に変えてしまった一件、当時現場にいたことをボルドーに漏らしていたことをウルも聞いている。だが、彼女の発言はどう考えても、現場にいただけ、ではないだろう。

 

「当たらずも遠からずね?」

 

 ウルの指摘に、クウは笑う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 次の瞬間、黒炎から復活した不死鳥がクウへと飛びかかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――ごめんなさい、フィーネ

 

 黒炎不死鳥のかつての記憶。最も古い記憶の一つ。幾度となく生まれ直しても尚鮮明に残った記憶の一つ。忘れようがない。自らを生みだした当時の七天、【天祈】の言葉だ。母の言葉を忘れることはない。

 

 ――貴方を残すことを許して。貴方に託すことを許して。

 

 不死鳥は困った。母が悲しそうな顔をしていたからだ。そして苦しそうな顔をしていたからだ。彼女の身体は多くが黒ずみ、呪われていた。不死鳥の聖なる炎であっても癒やす事が叶わない、悪竜の呪いの炎に彼女は苦しんでいた。

 幾度となく自身の聖なる炎を彼女へとこすりつけて、癒やそうとしても彼女の呪いは消え去らない。フィーネと呼ばれた不死鳥は悲しく鳴いた。それを見た彼女は切なそうに、何度も不死鳥の頭を撫でる。

 

 ――優しいフィーネ。私達の身勝手で生み出されてしまった可愛い子。どうかお願い。

 

 彼女は苦しみながら、それでも決してフィーネの前でそれを顔には出さなかった。フィーネを悲しませないように。そして、これから自分が口にする呪いを押しつける後ろめたさを隠すために。

 

 ――大罪竜の遺骸を封じて。誰にも利用させてはならない。

 

 それでも彼女は、口にせずにはいられなかった。自分たちが愛した大罪都市ラース。美しく、笑顔に溢れた幸いの都市の全てが真っ黒な炎に染まって、何もかもが薪を求める鬼になってしまった全ての元凶を呪わずには居られなかった。

 

 ――あの、悪魔を、殺して。

 

 彼女の背後で、黒い森人の女が笑っていたのをフィーネは見た。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 見つけた。フィーネは思った。

 先日の襲撃の折りも確かに見掛けたとは思った。だが、ハッキリと確認しないまま黒炎に飲まれて消えて、確証が持てなかった。だが、今、確信している。

 

 黒い魔女だ。ラースを滅ぼした女が数百年の時を超えて姿を見せた!

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 不死鳥フィーネは叫んだ。長き時の果て、聖なる炎は呪われ爛れ、真っ黒に染まっても尚その力と意思は褪せはしていなかった。託された願いを一時として忘れていなかった。その願いを果たすべく、フィーネは叫ぶ。

 大罪都市を滅ぼした悪しき魔女、クウを殺すために。

 

「驚いた。貴方、呪いを身にまとっていても、本当に意識がまだしっかりあるのね。フィーネ」

 

 黒い魔女はそんな風に言いながら笑う。フィーネが生み出した黒炎が雪崩のように迫るが、直撃するよりも早く足下の影に沈み、消えた。

 

「貴方がずーっと、ラースを封じて離れない所為で、干渉することも出来なかった。いい加減邪魔なのだけど、消えてくれない?」

『A!?』

 

 不意に、フィーネの足下から無数の“影の手”が伸びてくる。飛翔する不死鳥の身体をひっつかんで、地面に叩きつける。不死鳥は炎でそれを焼き払うが、無尽蔵に影の手は出現を繰り返す。

 やはり、黒の魔女は強い。火力では当然フィーネの方が上だが、巧みさにおいては向こうが上だ。だが負けるわけにはいかなかった。

 

「ねえ?ウル。協力しない?この不死鳥を討つの」

「断るが?」

「あら、残念」

 

 黒の魔女とは別の二人は、不死鳥には襲いかかってこない。それならそれでもいい。フィーネの優先は黒の魔女だ。最優先で殺さなければならない。

 彼女は、最悪だ。ラース全てを滅ぼした罪深さ以上に、彼女はこの世界に在ってはならない。

 

「一応聞いて良いか?お前なにがしたいんだ?この大罪竜の遺骸を使って」

「あら、簡単よ?数百年前の続きをやるの」

 

 クウは笑う。両腕を広げ、自分の影を広げて、巨人の様に形を変える。真っ黒なヒト型となり、起立するその影を従えて、彼女は言い切った。

 

「イスラリアを、焼き尽くす」

 

 ()()()()()は世界の破滅を宣言する。

 

 数百年前と何ら変わらない言葉だった。ああ、やはり、どれだけ時が経とうとも、なんら変わりない。この黒い女は、絶対に、何があろうとも滅ぼさなければならない。フィーネはそう決断した。

 

「……妖しい女と思っていたが、正直ここまでとち狂ってたってのは予想外だったな」

 

 そしてそれは、少年も同じ感想だったらしい。不吉なる黒い大槍と、白の大槍を構え、クウを睨み付ける。そして彼が動くと同時に

 

「構え!!!」

 

 周囲から、多くのヒトが姿を現し、弓矢や魔術を構え、クウを取り囲んだ。

 先程、フィーネを妨害し続けてきた戦士達だ。しかし今はフィーネを狙おうとはしていない。全ての敵意と殺意はクウへと集中していた。だからフィーネも彼らを邪魔したりはしない。

 

「あら、生きていたの?ボルドー」

「こっちのセリフだと言いたいが、正直そんな気はしていたぞ。クウ」

「ウルといい貴方といい、酷いわね」

 

 大げさに傷ついた、とリアクションする彼女だが、この場の誰一人武器を下ろす者はいなかった。目の前の彼女が、油断ならぬ危険人物であることは全員の共通認識だった。

 

「ウルの通信魔具から話は聞いている。イスラリアを滅ぼす?本気か?」

「ええ。勿論」

「……ならば、何が何でも止めなければならないな」

 

 殺意と敵意の濃度が更に高まる。彼女を守るように周囲をうごめく影は、確かに高度な魔力を秘めている。暴れれば脅威になるだろう。しかし、フィーネならあの影ごと、黒い魔女を焼く自信はあるし、周りを囲む戦士達が一斉に攻撃すれば、反撃の隙も与えないだろう。

 

「仕方ないわね」

 

 と、そう思っていると、不意に彼女は両手を上げて、影を消し去った。他に魔術を展開する様子もない。勿論、フィーネを含めたその場の全員武器を下ろすことも油断することもしなかった。だが、突拍子もない武装解除は否応なく意識に隙間を与えた。

 

 それを貪るように、クウは笑う。

 

()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()

「撃て!!!」

 

 即座に戦士の指揮者が攻撃の指示を出したのは、彼が優秀な証拠だろう。それに応じ、全ての戦士達が全攻撃をクウへと集中し、放った。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 フィーネも突撃する。途中、戦士達の攻撃の幾つかが流れ弾でぶつかったが構いはしなかった。黒い魔女を破壊する。それさえ達成できるなら、後はなんだって構わない。

 魔術が幾つも着弾し、砂漠の砂が舞い上がる。不死鳥はその優れたる目でその中で蠢く対象へと、自らが生みだした炎の剣を叩きつけ――――

 

『A――――!?』

 

 る、よりも早く、不死鳥の肉体は真っ二つに両断された

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 黒い、運命が、消えない。

 

 アナスタシアは強い焦りを感じていた。

 運命の精霊の寵愛によって現在のアナスタシアは運命の聖眼だけでなく、全身でもって周囲の運命を知覚する。そして感じ取った運命を色で識別する。“幸い”は運命の精霊の身体と同じ深い緑で、“悪しき”は黒だ。

 その黒が、消えない。不死鳥の土牢の脱出、反撃は凌いだ。事前のアナスタシアの警告と対策が上手くいった。何人かが破壊時の衝撃で怪我を負ったが死ぬほどではない。

 だけど、その反撃を凌いだのに、まだ消えない。あまりにも色濃く、黒い運命が辺りを渦巻いている。

 

「ボル、ドーさん」

「分かっています。しかし……」

 

 その事実は既にボルドーにも伝えている。だが彼も、困惑していた。その死の運命の正体がつかめない。先程までは不死鳥だった。だが今はその不死鳥が何の因果かコチラの味方になっている。少なくとも攻撃を仕掛けてこようとはしてこない。

 

 不死鳥ではない。そもそも不死鳥の色は黒ではない。

 身を纏う呪いがノイズになっていたが、不死鳥は“幸い”の運命を纏っている。

 接触してはっきりした。()()()()()()()()()

 

 ならば、この荒れ狂う黒は、クウが原因だろう。

 

 しかし、彼女が何をしようとしているのかをアナスタシアは掴めなかった。これほどの濃い黒の運命だ。抵抗しようのない、災害級の危機であるのは間違いないが、それを彼女が引き起こすとは思えない。

 【黒炎払い】の面々は熟練の戦士だ。一人一人が経験豊富で、このラースに至るまでに幾つもの危機を乗り越えてきた。手数も多い。脅威に対して抵抗する為の手段は持ち合わせているはずなのだ。

 

 だが、黒い運命は変わらない。つまりこの先の未来に、彼らの手札は通用しない。

 

 何故?どうして?

 アナスタシアは必死にそれを探っていた。運命をただ感じ取るだけでは意味が無いことを彼女はもう悟っている。運命はあくまでも情報の切っ掛けで、そこから答えを導き出さなければ意味は無いのだ。

 

「撃て!!!」

 

 ボルドーの指示でクウは一斉攻撃を受ける。

 その最中もアナスタシアはずっと考えていた。彼女の情報は通信魔具からボルドーを経由し、アナスタシアに届いていた。かつて大罪都市ラースを滅ぼした元凶であると彼女自身が明かしている。世界を滅ぼすことを目的としている邪教徒。

 

 目的の理由は分からない。彼女の人格も掴めない。

 

 情報が少ない。数百年前に何があったかなんて、殆どが伝えられていないのだ。大罪竜が出現し、ラースが滅び、七天を含めた幾人もの戦士達がラースを封じるために決死の戦いを強いられ、そして七天の半数を失って――――

 

 

 

 

 

 

 

        () () () () () () () () () ? 

 

 

 

 

 

 

 

「…………――――――っあ!あああああ゛あ゛!!!ボ、ルドーさんッ!!!!」

 

 頭を過った“最悪”に、アナスタシアは悲鳴のような声で叫んだ。真横にて指揮をとるボルドーへと視線をやる。

 

「…………………がっ」

 

 そして彼が、影から突然現れた黒炎鬼に身体を貫かれたのを目撃した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何故かつての神殿はここを禁域としたか 下

 

 レイは、ボルドーが腹から刃を生やしながら、血を吐いて倒れるのを目撃した。

 

「え」

『aaa』

 

 突然、彼の影から出現した黒炎鬼が持っているのは短い短剣だ。それでボルドーは貫かれて、自分の血海の中に沈んだ。

 黒炎鬼が?短剣で?相手を刺した?

 

「あ……」

 

 そして、ボルドーのすぐ側にいたアナスタシアは動けずに居た。元より彼女は瀕死の身体だ。このラースに来ること自体、相当な無理をしている。

 目の前の脅威、黒い炎と黒い外套を纏った鬼を相手に立ち向かうことなどできない。

 

「アナスタシア!!!」

 

 故に、動けぬ彼女の背後から、彼女を守るためレイが弓を放った。竜殺しの力が宿った矢。弱い黒炎鬼であればこれを打ち込むだけでも仕留めることが可能な威力を秘めたそれを、レイは至近で速射した。

 レイは直撃を確信した。相手がどのような達人であろうとも回避できない会心の一撃だった。

 

『a』

「は!?」

 

 それを、黒衣の黒炎鬼は短剣の一振りで弾き飛ばした。

 至近で打ち込まれた風よりも速く飛ぶ矢を、一振りで。

 

「――――!!」

 

 レイは即座に、この目の前の鬼が、異質であることを理解した。

 幾多の黒炎鬼、幾多の番兵。そして不死鳥。それら全てと比べても尚、この鬼は異様だ。故に、アナスタシアの服を引っ張り、強引に抱える。

 

「ボルドー、さんが!」

「駄目!!」

 

 血の海に倒れたボルドーを助けたいのは、当然レイも一緒だ。が、彼の前にあの異質な黒炎鬼が居る。それを前にして、掻い潜ってボルドーを助け出すことが出来る気がしない。

 逃げて、ひきつけて、ボルドーから引き離すのが精一杯。だからレイはアナスタシアを引っ張って逃げ出した。

 

「何!!何なんだ!!」

 

 ボルドーの影から突如出てきた。恐らくクウの奇襲攻撃だ。それは分かる。だが、あの黒炎鬼はなんだ?あんな、あそこまで卓越した動きをする【黒炎鬼】はこの10年間戦い続ける中、見たことがなかった。

 

「あれ、は…………!?」

 

 肩に抱き抱えたアナスタシアが何かを口にしようとして、息を飲む。彼女は背後を見ていた。レイもは以後から迫る異様な圧力に振り返ざるをえなかった。そして見た。

 

『【aa】【aa】【aaaaaa】』

 

 幾重もの短剣が黒炎鬼の身体から突き出てきた。その身を焼く黒炎が纏わり付いた禍々しいその短剣を細く長い指でつかみ取る。そして姿勢を深くし、構え、振りかぶった。

 

『a』

「あ、ぅぅああああああ!!!」

 

 黒い炎を纏った流星が全方位へと飛び交った。レイは自らの背中が焼かれる感覚を味わいながら必死に逃げ回り、叫んだ。

 

「全員!!避難しろ!!隠れるんだ!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「なん――――だ!?」

 

 不死鳥が真っ二つに切り裂かれた光景をウルは目撃した。

 まず真っ先に思ったのはクウの反撃だ。しかし、影を操る彼女の魔術とはあまりに攻撃の仕方が違う。そもそも、不死鳥をあんな風に両断出来るだけの力があるなら、最初から振るっているはずだ。

 だから彼女の攻撃ではない。少なくとも、彼女自身の技ではない。

 だが、それならなんだ?

 

「ウ、ル……!!」

「ガザ……?」

 

 ガザの声に彼を見ると、ガザはいままで見たこの無い程の恐怖に満ちた表情を浮かべてた。冷や汗を掻いて、耳を立て、そして明確な怯えを見せている。らしくない、と言えたが、その表情の意味はウルにも分かる。

 ウル自身も、先程から悪寒が止まらない。不死鳥を前にしたときすら感じなかった、猛烈な悪寒だ。ウルの本能が氷の刃となって臓腑を刺していた。痛い程の恐怖があった。

 だが、まだ耐えなければならない。敵の正体を見極めないまま逃げ回るのは愚策も愚策だ。最低でも、不死鳥を両断した何かの正体を探るまでは。ウルは不死鳥の死体の炎から現れる影に目をこらした。

 

「あれは……」

 

 その立ち姿は小さかった。番兵のような巨体からほど遠い。不死鳥よりも更に小さな、ヒト型の黒炎鬼。【焦牢】の周囲などでもみかけるような、ただの黒炎鬼と変わりない姿。

 

 違う点は、全身鎧を身に纏っていて、その体躯よりも更に大きな大剣を握ってること。特徴とも言える角は兜を突き出て生えているが、見た目ではその顔は見えない。

 

「……武器を握った黒炎鬼……」

「生前、よほどに染みついた行動なら、鬼になっても肉体がそれを再現する」

 

 10年前の敗北時、【黒炎鬼】になった仲間の一人が剣を振るっていたとガザは言う。

 

「そう、あることじゃない。動き方もデタラメだったりする。そもそも装備だってその内朽ちるしな………でも、だけど……!」

 

 大剣を担ぐようにして近付いてくる【黒炎鬼】は、ウル達の姿を確認したのか、不意に動きを停止させた。担いでいた大剣をゆっくりと下ろすと、まだ遠く距離のあるウル達の方角に身体を向け、姿勢を低くした。

 

「“アレ”は……なんだ!!?」

『a』

 

 そして、【黒炎鬼】は一瞬、ウル達の眼前に迫っていた。

 

「――――――!?」

『aaaa』

 

 ウルは絶句する。油断していた訳ではなかった。武器も構え、万全の姿勢でいたつもりだった。しかし大剣の【黒炎鬼】は既に懐まで迫っていた。全身鎧を纏って、身の丈ほどもあるような大剣を持ちながら、目にも止まらない速度で移動したのだ。

 そして、その剣を既に振るう姿勢にいた。回避しようがないほど速く。

 

「ウル!!!」

 

 動けなかったウルに代わり、ガザが前に出ていた。大盾をもった前衛職としての殆ど反射的な動きでウルの前に立ち塞がった彼は、殆ど体当たりするような姿勢でぶつかった。

 そして

 

『aa』

「な、ああ!?」

 

 ガザの構えた大盾は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに留まらずガザ自身の身体をも引き裂いた。

 

「ぐ……」

「ガザ……!?」

 

 ガザの背中越しに飛び散る血と、両断された大盾を見てウルは絶句した。

 彼が使っていた大盾は、ダヴィネがこの最終決戦のために用意した特注だ。竜殺しの性能は有していないが、黒炎蜥蜴の突撃すらも正面から耐えるとダヴィネは断言していた。彼は自分の作品に嘘偽りは言わない。事実それだけの強度があった。

 それが、斬られた。まるで枯れ木を両断するように容易く。

 

『aaa』

 

 知性を持たない、黒炎鬼の一振りで。

 

「お、おおおおおおおおおおお!!!」

 

 恐怖と驚愕で硬直していた身体を声を上げることでたたき起こし、そして竜牙槍を持ち上げ、そのまま【咆吼】を放った。倒れたガザが焼ける事を配慮する暇もなかった。兎に角一刻も早くこの黒炎鬼を排除しなければならない。

 

『aa』

 

 だが、大剣の黒炎鬼は【咆吼】を斬った。

 

「――――は?」

 

 そう、斬ったのだ。真正面に構えた大剣に【咆吼】は二股に分かれて鬼を避けて着弾した。巨大な大剣が閃光の真正面から両断して左右に切り分けていく。そんな風にはならんだろう。とウルは言いたかったが、事実そうなっていた。

 

『aaa』

 

 流石にその衝撃全てをいなすことは出来ずに後退していくが、しかし、本体に破壊の光は当たらない。竜牙槍がエネルギーを放出しきった後、黒炎鬼が平然と身体を起こすのを見て、ウルは顔を引きつらせて笑った。

 

「冗談だろ……」

 

 冗談であって欲しかった。冗談のような存在が過ぎた。

 完全武装の状態で砂漠を目にも止まらぬ速度で移動し、天才が生み出した合金の大盾を両断し、物質ですらない破壊の光を切り裂く。そんなこと、できてたまるか。

 

 だが、それを実行している。ウルの中で一つの推測が像を結んだ。

 

 想像もしたくない推測だったが、目の前のあまりにも超人めいた動きが「そうだ」とウルに伝えてくる。ヒト離れした身体能力。圧倒的な戦闘能力。かつて、この【灰都ラース】で失われた人類最強戦力。

 

 【天賢王】の配下、最強の僕【七天】 ()()【黒()()()()】!!!

 

『aaaa』

 

 黒炎鬼の大剣使い、恐らくはかつての【天剣】は再び大剣を構える。その構えと圧をウルは知っている。プラウディアで見た【天剣】と同じだった。ウルは反射的に身構えるが、身体の力が抜けているのを感じた。

 意思とは反して、肉体が目の前の状況を拒絶して、投げ出している。勝てるわけがないという、正論が彼の身体を腰砕けにしてしまっていた。しっかりしろと心の中で言い聞かせてもまるで言うことを聞かない。

 

『aaaaaaa』

「クソ………!」

 

 【天剣】が姿勢を深くする。また、かき消えるような速度で跳んでくる。先程守ってくれたガザは今砂に埋もれて沈んでいる。ウルは強引に手に力を込めて、【二式】を前に突き出す。デタラメに振って、牽制になるのを祈るしかない。

 

『a』

 

 【天剣】が更に一段、踏みこむ。圧が一段強くなる。ウルは恐怖で肺から呼吸が漏れるのを感じた。だが、それでも槍を落とすことだけはウルはしなかった。そして、

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その直後、不死鳥が再び復活した。

 自らの黒炎の中から、既に今日三回目ともなる再生により復活した不死の鳥は、そのまま真っ直ぐに自らを両断した【天剣】へと突撃する。完全に背後から襲いかかる形となり、【天剣】は流石にその身を怯ませ、爆発するような火力と共に吹っ飛んだ。

 

「不死鳥……!」

『AAAAAAAA!!!!』

 

 そして、驚き固まるウルに対して、不死鳥は鋭く鳴いた。当然、鳴き声の意味は分からなかったが、その意図は察することが出来た。

 

 さっさと逃げろ、だ。

 

「す、まん!助かった!!」

 

 通じるかも分からなかったがウルは礼を言うと、血塗れになったガザを担いで一目散に逃げ出した。逃げ出したウルの背中越しに不死鳥の激しい声と、【天剣】の剣技が暫く響き続け、やがて止まった。

 背中から圧が迫るよりも速く、ウルはラースの廃墟の中に飛び込んだ。そして血塗れになってるガザに回復薬を振りかけながら、振り絞るような声で呟いた。

 

「どうする……どうすればいい……!?!!」

 

 窮地に答えを求めたところで、応じてくれる者は何時も通り居るはずも無い。

 答えを出せるのは、ウル自身しかいなかった。

 

 




 黒炎砂漠、最深層、灰都ラース

 【最悪の遺物】

 黒炎七天戦、開始


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦

 

 

 【焦牢・地下牢】

 

「北部通路から鬼が溢れてきているぞ!!塞げえ!!」

 

 地下牢の状況は悪化の一途を辿っていた。

 黒炎の影響範囲は地上から地下へと時間をかけて伝達する。焼き払われた地上の大火災によって、地下牢で活動できる範囲は瞬く間に狭まっていた。既に地下牢の内部にまで黒炎は灯り始めていた。地下探鉱に全員が逃げ出す以外なかった。

 地上の救助も当てには出来ず、逃げる出口も少ない。それでも、地下牢にいるよりはマシだと外に飛び出した囚人は何人かいたが、彼らの半数は身体を焼かれ、呪われ、泣きながら戻ってきた。どこもかしこも黒炎と鬼まみれで、逃げられる場所など何処にも無かった。

 

 つまり、耐えるしかない。【黒炎払い】が【残火】を消し去るのを。

 

「もう無理だ!無理だよ畜生!!」

 

 しかし、それを耐えるだけの意思も、戦力も、地下牢には殆ど残されていなかった

 所詮、各都市から爪弾きにされた犯罪者達の集まりだ。【黒炎払い】が戦力をかき集めるための三日の間、意思が統一されていたのはアナスタシアのカリスマで強引にまとめ上げていたにすぎない。それだって、そう長くは保たなかっただろう。まして彼女を欠いた地下牢など、即座に崩れるのはわかりきっていた。

 食料だって残り僅かだ。地下探鉱はそもそも居住スペースとしても不向きだ。囚人達の士気は著しく落ち続けた。

 

「畜生!こんなことならアイツらに食料なんて融通しなきゃよかった!」

「うるせえ、済んだ事ギャーギャー喚くんじゃねえよ。手ぇ動かせよ」

「何必死こいてんだよ!俺たちゃもう終わりだ!!」

 

 やけっぱちになって騒ぎ出す者の割合も増え続けた。だが、彼らがどれだけ絶望を喚いても、逃げ道がないのは事実だった。その絶望が彼らの混乱を更に増長させた。

 

「可能な限り南へと拡張を続けろ。この先なら黒炎は少ない」

「わぁったフライタン!!」

 

 唯一、地下牢の中で混乱が少ないのは、指導者の健在な【探鉱隊】だ。フライタンの指揮の下、彼らは地下探鉱を掘り進め、少しでも拡張を続けて時間稼ぎに従事している。

 しかし、この統率は決して素晴らしいものでは無いことをフライタンは知っている。彼らはフライタンを、かつて彼らが捕まったきっかけとなった違法鉱山の頃から彼らを率いていたフライタン一族の血筋に対して盲信しているからに過ぎない。

 

 リーダーが言うのだから間違いは無いだろう。という盲従が昔から彼らにはあった。

 

 勿論、現状を考えればその盲従はプラスに働いている。それがなくては、【探鉱隊】までも混乱をきたして、地下牢はそうそうに全滅していたのは間違いない。

 だけどそれも限界だと言うことをフライタンは理解していた。誰に盲従するでもなく自身で判断する彼にはハッキリと限界が見えていた。もうすぐ、終わりは来る。心身の限界点はもう間もなくだ。そうすれば地下牢は終わりだ。

 

 元々、無茶な作戦だったのだ。本当は不死鳥に焼き尽くされた時、その末路は決定していたと言える。【黒炎払い】達を万全の状態で送り出せただけでも上々だ。これ以上はもう無理だ。

 

 だから地下探鉱の奧、臨時で用意されたダヴィネの部屋へと一人顔を出した。

 

「ダヴィネ」

「邪魔するんじゃねえ」

 

 ダヴィネは一人、鎚を振るっていた。

 地下工房で持ち寄った様々な道具類を持ち込んで。窯代わりの魔導窯を強引に作り出し、それでも鎚を振るい続ける。現在少数でもまだ、黒炎の浸食に抵抗し続ける囚人達のために彼はほぼほぼ休むことなく鎚を振るい続けていた。

 らしい姿だとフライタンは思った。傲慢な暴君は王さまとして君臨するために彼が無理矢理身につけた立ち振る舞いの一つだ。元々職人気質で、他がおろそかになってしまうほどに一点集中するのが彼の気質だった。その結果、探鉱での共同作業では失敗が多かった。

 

 やはり、彼にはこういうことが元々向いている。フライタンは改めて思った。だが、彼は彼で探鉱隊の部下達とは別の意味で周りに視線が向かっていない。それもわかっていた。

 

「失せろフライタン。俺は集中してんだ」

「聞け、ダヴィネ」

 

 ギロリと睨むダヴィネを無視してフライタンは言葉を続ける。

 

「お前、一人でここから逃げろ」

「……あ?」

 

 ダヴィネは強く顔を顰め、フライタンを睨んだ。フライタンは気にせず続ける。

 

「地上の外に【黒炎払い】が作った迷宮探索用の中継地点がある。そこへ逃げろ。お前一人分の食料なら数日分は残ってる」

 

 どさりと保存鞄をダヴィネの前に放るとダヴィネは目を見開く。

 

「……こんなもん、どこから」

「崩落が起こった際、凌ぐための備えだよ」

 

 それほど用心深いのは【探鉱隊】でも彼くらいだったが、この期に及んでは役に立った。だが、何人分も残っている訳ではない。地下牢の生き残った住民分など残るわけもない。だからフライタンはダヴィネにそれを渡した。

 

「それで凌いで、黒炎払いが解決するか、他の国が【焦牢】の異常の解決に来てくれるのを待て。そして後は自由に――――」

「勝手に決めんな」

 

 だが、フライタンが全てを言い切るよりもはやく、ダヴィネは彼の言葉を斬り捨てた。立ち上がり、フライタンの前に立つ彼の表情には明確な怒りが込められていた。

 

「ダヴィネ」

「てめえはずっと前からそうだ。勝手に決めやがって!俺のためみたいなツラしやがって!鬱陶しいんだよ!!!」

 

 ダヴィネはそう言って今しがた彼が完成させた”作品”を起こす。大砲のような砲口、唸りを上げる魔導核に先端に付いた禍々しい【竜牙槍】。しかしその全てが巨大で、規格外だった。

 

「俺はイヤだからな!!頭固くて鬱陶しいタコだろうがなんだろうが、てめえや、てめえの部下達が鬼になって呻いているのをみるのは!!」

 

 扉を叩き開き、ズンズンと先に進む。彼の視線の先には幾つものバリケードを突破し、こちらに近付こうとしている黒炎鬼達が見えた。彼らに向かってダヴィネは自らの竜牙槍を向け、そして叫ぶ。

 

「俺は俺がやりたいことをやってんだ!!勝手に決めつけて!哀れむんじゃねえ!!!」

 

 地下牢に【咆吼】が響き渡る。地下牢はギリギリで持ちこたえ続けていた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 

 

 

 

 

 【灰都ラース】 北東部 旧神殿跡地

 

「もう無理だ!畜生!!」

 

 一方で、灰都ラースの戦況も最悪極まっていた。

 【黒炎払い】は事前に、万が一の時の避難所を灰都ラースにも用意していた。灰都ラースは広く、建物も多かった。不死鳥が反応する【残火】から外れさえすれば都合の良い場所はいくらでもあったのだ。不死鳥との戦いで危機的状況になってバラバラになったとき、その場所に集まるよう打ち合わせしていた。

 その、避難所として決めていたラースの旧神殿で、【黒炎払い】は絶望に項垂れていた。

 

「畜生、畜生……なんだってんだありゃあ!反則だ!」

「声がでけえよ。アレに気付かれたら終わりだぞ…!?」

 

 彼らが話題にするのは勿論、例の【黒炎鬼】である。

 

「うう……」

「………炎……が…」

 

 あの二体の【黒炎鬼】に追い回され、万全に近かった【黒炎払い】は半壊した。当然、抵抗はした。叶う限りの手を尽くして攻撃し、足止めしをしようとした。だが、何もかも通じなかった。全員尻尾を巻いて逃げ出す以外無かった。

 

 幸運にも、と言うべきか、この避難所までは未だ黒炎鬼は追っては来なかった。だが、いつまた襲撃してくるか、この場の誰も分からなかった。問題はまだある。

 

「隊長もやられちまった……ガザも、レイも……」

「まだ死んじゃいない……不吉なことを言うな」

「だがよお……」

 

 ボルドーは最初の奇襲でやられた。真っ先に指揮官を狙い撃たれたという最悪に続いて、古参でボルドーに替わって指揮が可能なガザとレイも、今は、攻撃を食らっている。とくにガザは酷かった。

 

「…………」

 

 真正面から胴を大きく切り裂かれたのだ。ウルが即座に回復薬を用いたが、それでも彼は目覚めない。レイはまだ意識はあるが、しかし彼女も顔色は最悪だ。

 

「私は、平気」

「だけど、無茶は……」

「気休めは、良い。ガザや、他の連中をお願い」

 

 治癒術を使おうとした魔術師を退ける。

 彼女の背中は【黒炎鬼】の奇妙な魔具によって幾つも刃物が突き立った。傷自体は癒えたが、タチの悪いことに黒炎が纏わり付いていたのか、呪いの範囲が大きく広がっていた。治癒術は通じない。長くは保たない。遠からず死ぬだろう。

 本当に最悪の状況だ。士気など保てるはずもなかった。

 

「……逃げよう。もう無理だ」

 

 誰かが提案する。当然と言えば当然の発想だった。しかし即座に首を横に振る者が出た。

 

「何処に逃げるってんだ。地下牢だってもう崩壊寸前だぞ」

「他の国が助けに来てくれるかもしれねえだろ!」

「此処に駆けつけるだけでも何日かかるんだか。それに、黒炎を警戒するなら俺ならまず近付かねえ。何のために【焦牢】が隔離されてると思ってる」

 

 既にこの話は何度となくしている。困難だと判断したからこそ、今彼らはこうして無理を押して全てに決着を付けるための賭に出たのだ。今更、帰るなど選択肢としては論外だ。そんなこと、この場にいる全員分かっているはずだった。

 

「だけど、だったら、もう……」

 

 それでも、縋らずにはいられないのは、それほど彼らが絶望してるからだ。

 指揮官が失われ、残された無事な戦闘員は黒炎払いが5名ほど。はぐれた魔女釜の魔術師が1人。それ以外は怪我人ばかりだ。万全の状態でもなんら抵抗することも出来ずに敗れたというのに、この戦力で一体何が出来るというのだろうか。

 

「……来るべきじゃなかった。こんな所」

「おい、よせ……」

「だってそうだろ!!これならまだ地下牢でずっと雑魚狩ってたときの方がマシだった!」

 

 黒炎の呪いに喰われ、右腕が真っ黒に染まった一人、戦士が叫ぶ。

 それは決して言ってはならない言葉だった。曲がりなりにも、彼らは今日まで自分たちの意思でここまでたどり着いた。犠牲も被害も出る可能性を理解しても尚、前に進み続けた。それを今更悔いるのは、此処までの努力の全てを否定するようなものだ。

 それでも言わずには居られない。彼は叫び、そして恨みがましい視線を全ての出発点である少年へと向けた。

 

「聞いてんのかよウル!!全部お前の所為だ!!」

 

 自然と、意識ある者全員の視線がウルへと向かった。彼に対して憎悪や怒りを向ける者もいた。それが八つ当たりと知っていてもぶつけようのない感情を処理できずにいる者が多すぎた。

 そうでないものでも、答えを求めるように縋る者も多かった。この、どうにもならない現状で、答えを求めて、ウルへと縋るような目を向けた。

 

 幾多に渦巻く感情を向けられたウルは、不意に顔を上げ、答えた。

 

「……ん?ああ。すまん聞いてなかった」

 

 その、あまりにもすっとぼけた回答に、全員が虚を突かれた。憤怒を向けていた戦士も目を点にした。

 

「て、てめえ!?」

「だからすまんて。考え事をしていた。なあ、覚えているか?」

「覚えて……?」

 

 戸惑う男にウルが更に続けた。巫山戯た様子はなく、真剣な表情で。

 

「クウが、消える前に言っていた事だ」

「なに……?」

「俺もその時緊張してて、しかも直後に混乱した所為で記憶が朧気だ」

 

 言われて、その場の全員が考え出す。どうすれば良いか分からず彷徨っていたその場の全員は、突然投げられた問いに対して素直に思考を割く事が出来た。しかし中々答えが出てこない。この場の全員ウルと同様、あの時は緊張し、何時クウに攻撃を仕掛けるかだけに意識を集中させていたのだ。

 

「…………コレは、使いたく、なかった、のだけど、仕方ない」

 

 答えたのは、身体を休めていたアナスタシアだった。疲労のためか顔色が悪い彼女は、たどたどしくもハッキリとクウの言葉を再現した。ウルは平手を叩いた。

 

「……ああ、そうだったな。遠かったろうに、良く聞こえたな」

「目の代わり、耳が、よくな、ったから」

「頼もしいよ……そうだったな。確かにそうだ。それなら」

 

 ウルはゆっくりと立ちあがり、その場の中心に立ち、視線を集めた。

 

「疑問だ。何故使()()()()()()()()んだ?」

「それ、は……」

「断言できる。“あの黒炎鬼”は最強だ。なのになんで使うのを渋った?」

 

 ウル自身、そう口にしながら考え続けているのか指先で頭を掻く。そのまま浮かんだ考えを口にしていく。

 

「あの竜の遺骸を使って悪巧みするのがクウの目的だ。流石にそこは嘘じゃあないだろうさ。その為に地下牢で色々と活動して、働きかけて、数百年間攻略の為に時間をかけていた」

 

 地下牢に秩序を与え、ダヴィネの才能を見出して、彼に竜殺しを作らせた。ウルが来てからは協力して、地下牢全体が【黒炎砂漠】の攻略に向かうように誘導した。

 随分と遠回りなやり方だ。執念深いと言えばそうだが、効率が悪いとも言える。何せ彼女の手札には最強のジョーカーがあるのだから。

 

「使えるなら、あの無敵の黒炎鬼を使っちまえばよかったんだ。番兵だってあいつらに殺させて、さっさと【黒炎砂漠】を攻略しちまえば良かった。でもしなかった」

「……出来なかったから?」

「なんでできなかったんだ?なんでだ?」

 

 それはクウが見せたあからさまな非合理だった。その非合理が必ずしも隙と繋がるかは分からなかったが、この絶望的状況だ。なんとしても隙を見出さなければならなかった。

 すると、ぐったりと寝転び身体を倒していたレイが顔を上げる。

 

「逃げてるとき、気付いた。あの黒炎鬼、逃げてる最中、急に動きが鈍くなった」

「鈍く……?」

「恐らく、感知範囲の外に出た」

 

 黒炎鬼達に視覚能力などは無い。肉体の部位の大半は焼き爛れているからだ。

 魔力を、もっといえば、魔力を溜め込むための器、魂を感知していると言われている。その感知範囲はそれほど広くない。感知範囲の内側に居れば壁越しだろうと気付くが、範囲の外なら遠目に見えていても気付かない。

 黒炎払いなら一番最初に散々教えられる、黒炎鬼の特徴だ。それが起こった。

 

「……【番兵】はそんなこと無かったよな?」

 

 先程ウルにつっかかっていた男も、既に先程までの怒りなど忘れて思考に没頭しながら疑問を口にする。ウルは頷いた。

 

「アイツらは感知範囲が黒炎の壁の周囲全体だったからな。役目故だろうけど」

「……そう言う特徴もない。つまり、あの黒炎鬼はメチャ強いけど、“ただの黒炎鬼”?」

 

 砂漠でうろうろと徘徊し、何の考えもなく真っ直ぐに襲ってくる黒炎鬼達と変わらない。だからこうしてウル達が避難所に逃げ込む事が出来たし、此処に隠れているのに襲撃してこない。

 クウが番兵相手に使わなかったのも道理だ。黒炎鬼は既に燃えている薪に炎を移そうとしない。

 

「……クウが使うのを渋ったのは、そういうことか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――あら、バレちゃった」

 

 瞬間、その場の全員が動いた。特にウルは竜牙槍を即座に引き抜くと、声のする方角に一切躊躇わずに咆吼を撃ち放った。

 

「怖いわね」

 

 真っ黒な闇が蠢き、咆吼を喰らう。

 

「戦えそうにない奴全員逃げろ!他の避難所へ行け!戦う意思のある奴は残れ!」

 

 ウルが鋭く指示を出す。慌ただしく怪我人達は動き出す。意識のない連中も抱えるようにしてそれぞれが騒動に合わせて逃げていく。残ったのは、レイ含めた戦闘員が数人と――

 

「アナ。お前は……」

「最期まで、いさせて?」

 

 ウルの隣でアナスタシアは囁く。ウルは少し皺を寄せたが、しかし頷いた。

 

「仲良しねえ」

 

 そして土煙を払うようにしてクウが姿を現した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦②

 

「提案なのだけど」

 

 黒い森人のクウは、ボロボロになった神殿跡地の、祭壇の前に姿を現した。

 一応、この神殿は避難所とする過程で簡易の結界を敷いている。にもかかわらず彼女はその内側に現れた。神出鬼没で、何処にでも自由に姿を現すことが出来るように思える。

 だが、そうではないはずだ。と、ウルは静かに推測した。

 何処にでも自由に移動できるなら、やはり彼女は数百年も時間をかけ地下牢で活動する理由など皆無だった筈だ。

 

「提案?何の?」

 

 ウルはそれを見抜く為にも、彼女の会話に乗った。クウは地下牢で見せたときと何ら変わらない、妖しげな笑みを浮かべて返す。

 

「【ラース】の破壊を諦めて、引き返してくれない?追ったりはしないわよ」

「なんだそりゃ」

 

 ウルは眉をひそめた。

 

「そりゃつまり、【黒炎】も、その呪いも放置しろって事だろ?」

「此処で戦うよりはずっとマシな結末を提案しただけのことよ?」

「ご親切な提案をどうも。涙が出るね」

 

 【黒炎払い】の面々は、大なり小なり黒炎に呪われている。

 死に至るほどの呪いではない者も多いが、しかし確実に進行している。遠からず死ぬだろうとボルドーは言っていた。しかも先の離脱時に更に多くのものが黒炎に飲まれ、呪いは広がった。此処で引いても死ぬしかない。

 よしんば呪いで死ななかったとして、何処に戻れというのだろう。【焦牢】はもう崩壊寸前だ。結局彼女は死ねとしか言っていない。論外だった。

 

「でも、だったら戦うというの?あの最強と、貴方たちが?」

「最強」

「ねえ、ウル。貴方はもう気付いてるんでしょう?彼らが何か」

 

 問われて、ウルは沈黙するが、まだ察してはいない他の戦士達がウルのほうを見た。アナスタシアは沈黙し少し俯いている。彼女は悟っていたらしい。しかしウルと同じく黙っていた。理由は恐らく、ウルと同じだろう。それをクウは言葉にした。

 

「天賢王の忠実なる下僕、300年前、大罪竜ラースを封じるために、その命を賭けて戦い、そして死に、呪われた七天達に、貴方たちが勝てる?」

「な……!?」

 

 レイら黒炎払いらは驚愕し、後ずさる。当然の反応だった。故にウルは言葉にしなかった。彼らだって七天の名は知っているだろう。その威光も実力も。それらが敵に回るなど、それだけで萎縮しかねない。

 そんな最悪の情報をこぼしながら、萎縮した黒炎払いの戦士達を嘲笑うようにクウは言葉を続けた。

 

「ねえ?勝てるわけもない相手に無謀に挑んで、命を散らすくらいなら、残り僅かな寿命を大事にした方が良いと思わない?さっきも言ったけど、引くなら追わないわよ」 

 

 戦士達の怯えを突くような言葉だった。彼女は結局、どっちみち死ぬ事に変わりない、という無慈悲な言葉をなげつけているのだが、優しく聞こえてくるほどその口調は柔らかだった。元より、崩壊寸前だった面々は特に、動揺が激しい。

 しかし、そんな中、中心にいるウルだけはずっと沈黙を続けていた。クウは、ウルにも視線を向ける。

 

「ウル。貴方からもちゃんと言ってあげたら――――」

「――――ふ」

 

 しかし、彼女が全てを言い切る前に、ウルは、小さく息を吐くような声を漏らす。

 

 

 

「ふ、ふふふはははははははははははははははははははははははははは!!!」

 

 

 

 そしてそのまま、大きく口を開けて、嗤った。黒炎払い達はぎょっとした。正面に居るクウすらも、彼の奇行めいた爆笑に絶句していた。彼のとなりに居るアナスタシアすらも、目を丸くさせていた。

 ウルはそんな奇異な者を見る視線を一身に受けながらも、それでも笑うのを止めなかった。ひとしきり笑いに笑って、軽く咳き込んで、ようやく落ち着いたというように溜息を大きく吐き出した。

 

「はぁー――――すまん。笑ってしまった」

「…………なにが面白いの?」

「お前がだよ」

 

 ウルはクウを指して言う。

 クウは解せないという顔をするが、ウルは続ける。

 

「正直お前が此処に来たとき、終わったと思ったよ。お前に、俺の想像もし得ないような手札が残されていたら、その時点で厳しかったからな」

 

 数百年前から暗躍していた恐るべき森人。卓越した影の魔術の使い手。当然、ウルは警戒せざるを得なかった。彼女に、ウル達には明かしていないような恐ろしい切り札がまだ残っているなら、壊滅する他なかったからだ。

 格上相手であろうとも、既知の敵ならがむしゃらに追いすがることもできるが、未知の初見殺しは格下が相手でも死ぬ可能性がある。だから怖かった。

 

「だが話を聞いてみれば、なんだそりゃ」

 

 そう言うウルのクウを見る目は、あからさまに嘲っていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どんだけ自信ないんだ」

 

 クウの表情から笑みが消える。動揺を、隠すことができていなかった。ウルは更に一歩詰め寄る。

 同時に、身体で隠して仲間に指でサインを送っていた。だが、クウは気付く様子もない。

 

「要は、こっちの推察は全部図星だったわけだ。だから慌てて姿をさらして脅しにかかった。メッキが剥がれきる前に」

「――――」

 

 不意に、クウが指を上げる。正確には上げようとした。だが、それよりも速くウルは自身の足下、影に向かって【竜殺し】を突き立てた。

 

「っく!?」

 

 ばちんという、激しい音と共にウルの足下から現出しようとしていた影の魔術が弾け飛ぶ。クウは驚いたように自身の指先を押さえる。ぽたりと指先から零れた血が祭壇を濡らした。

 

「……で、今度は慌てて口封じか。お前の底は知れたな。クウ」

 

 凶悪な力を秘めた二式を握る右手には痛みが走ったが、ウルはそれを一切表情には出さなかった。ただただ、クウの感情を逆撫でるように嘲りの表情を浮かべ続ける。

 

「何考えてんだかわからん女と思ってたが、なんだ、喋ってみると可愛いじゃないか」

「この――」

「やれ!!!」

 

 そして直後、ウルの指示で、背後から魔封玉や矢弾が一気に射出された。

 

「ッ!?」

 

 完全に不意を打たれ、幾つかの攻撃を掠めながらクウは後退する。自らの足下、その影にずるりと沈んでいく。

 

「そう来るよな!!」

 

 だが、クウが身体を沈みきるよりも速く、ウルは新たなる魔封玉を投げつけた。正確に投擲されたそれは、彼女の頭上で内部に込められた魔術を炸裂させる。

 中身は単純極まるものだ。事前、黒炎払い全員が各々手渡されていた常備品の一つ。遠方にはぐれた場合、仲間に合図を送るための簡易の――――”閃光玉”

 

「っな!?」

 

 沈みかけていたクウの身体が弾かれる。

 影の魔術は、影が存在する場所で初めて成立する。常に薄暗い地下牢や、【黒炎】の吐き出す煙で常に薄暗い黒炎砂漠であれば、その力は有効だろう。しかし、光を直接当てれば影は消えて失せる。少なくとも、魔術を維持できるだけの影の強さは保てない。

 

「なんて子――――!?」

 

 クウは驚き、そして目を見開く。距離があったウルが、既に眼前まで迫って、大きく手を広げてクウの首を掴んできた。

 

「っが!?」

 

 地面に叩きつけられる。ウルは左手でクウの首を押さえ、そして右手は竜殺しを振りかぶっていた。クウは、間近でウルと目が合った。先程まで、表情豊かにクウをからかい、嘲笑っていた筈の彼の目からは、既に感情が消え去っていた。残った感情はただ一つ。

 

 殺す

 

 言葉よりも明瞭に、目が語っていた。

 

「ひゅっ」

 

 へし折るような勢いで首を握られ、呪文の詠唱も出来ず、言葉もでないクウの喉から空気が漏れたのは本能からの恐怖そのものだろう。だから、彼女は即座に地面を叩いた。閃光玉の光は一瞬で、もう消えている。自身の影をウルが槍でクウの心臓を貫くよりも速くに叩いた。

 そして、直後に”爆発”が起こった。

 

「…………!?」

 

 ウルは弾かれる。魔術を使えないように喉を潰すつもりだったが、無論、魔術の発動手段は一つではない。元々、彼女は詠唱する様子は殆ど無かった。気休め程度の対策だったが、やはり失敗だった。だが、それよりも気になることがある。

 今のは影の魔術ではなかった。

 

「……ぐっ」

 

 詠唱の隙も無く、なのに、弾かれたウルの身体の彼方此方が切り裂かれる程の高威力。黒喰らいの鎧の一部が裂けて砕けている。鎧がなければ輪切りにでもなっていた可能性があった。

 クウの魔術ではない。なら、これは、

 

「っげほ…………切り、札……用意していないと、思うの?」

 

 クウの声が反響する。恐らく今度こそ影の中に逃げた。そしてクウが居た場所に立っていたのは、別の存在。真っ黒なローブを纏い、太陽を模した杖を握り、大きな角をフードの影から伸ばした、黒炎鬼

 

『…………aaa』

 

 三体目の、七天の黒炎鬼――――

 

「撤退!!感知範囲外まで一気に距離を取れ!!!」

 

 ウルの判断は恐ろしく速かった。そして、それを受ける黒炎払いの面々の動きにも最早淀みは無い。先程まで混乱し、絶望し、八つ当たりまでしていた彼らだったが、彼らは今完全に統率が出来ていた。

 ウルを中心として、完全にまとまっていた。

 

「…………真っ先に消すべき相手、間違えたかしら……」

 

 影に消えたクウの呟きが、立ち去ったウル達の背中へと小さく届いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「避難先は南の大通りの建造物の屋上だ!!影が差さないところに移動しろ!!」

 

 神殿を脱出してからの黒炎払いらの動きにも乱れはなかった。

 避難所が更に襲撃をされたときの別の避難経路も彼らは頭に叩き込んでいる。ラースで戦うと決めたとき、事前に灰都ラースの地形を詳細に伝えていたのが幸いした。

 しかし、そんな中アナスタシアを抱えたウルだけが、ルートを外れた。

 

「おい!?何処へ行く!」

「ラースを破壊してくる。あのバケモノを止める方法はそれしかない」

 

 彼を呼び止めた黒炎払いは驚愕するが、ウルは気にしなかった。抱え、運ぶようにして移動させていたアナスタシアに尋ねる。

 

「アナスタシア!道案内を頼む!七天に遭遇しないルートを教えてくれ!」

「だい、じょうぶ。いける。ウルくん」

「待て!お前等だけで行く気か!!」

 

 問いに対して、ウルは即頷く。

 アナスタシアに腕を回して身体を固定してもらい、ロープで縛る。武器を持ったまま動けるようにと、ウルは既に単独で動く準備を進めていた。

 

「黒炎鬼の感知にひっかかる可能性がある。多人数は逆に不利だ。アナスタシアで運命を見て最短を行く」

「だが……」

「心配してくれるなら、黒炎鬼達を上手く誘導してくれ」

 

 現在、砂漠を徘徊する黒炎鬼は合計で三体。どれも決して、ウル達の敵う相手ではない。しかし、現在判明した情報を整理して考えるならば、やりようはある。戦わず、誘導するやり方はある。

 黒炎払い達は10年間、その戦いを積み重ねてきたのだから。

 

「任せて」

 

 すると、ウルの言葉にレイが頷いた。やはり顔色は悪い。言葉数も普段よりも更に少ない。あきらかにコンディションは最悪なのだろう。しかしそれでも瞳から闘志は消えていなかった。

 

「七天だろうとなんだろうと、ただの黒炎鬼なら、誘導するくらいはできる」

 

 その言葉に、他の黒炎払い達もはっきりと頷いた。いくらかの虚勢もあった。しかし、少なくとも、たった二人で地獄に行くことを決めた相手に弱音を吐くほど、弱くはなかった。

 

「間違っても直接やり合うのはやめろよ」

「そっちこそ。死なないで」

「気を、付けて」

 

 こうして黒炎払いは二手に分かれ、行動を開始する。窮地にいても尚彼らは戦うことを選んだ。

 

 そしてその決断は、幾人かの終わりを決定的なものとした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦③ 迫る終わり

 

 黒炎鬼の活動範囲は広く、しかし狭い。

 

 矛盾をしているようだがこの表現で間違っていない。黒炎鬼達は手近に、新たなる薪、もとい獲物が見つからない場合は徘徊状態になる。のろのろとゆっくりとした動作で動き回る。しかしその方角の進んだ先には必ず新たなる薪がある。

 焦牢の周囲に絶えず黒炎鬼がやって来ていた理由はそれだ。遙か離れた場所であっても、黒炎鬼はゆっくりと、絶えず歩みを止めることなく、ラース領で唯一ヒトの営みの気配が残る焦牢を狙い続けるのだ。

 

 感知能力は高い。

 が、獲物を見定め、活発化するのは距離を詰めてからの事だ。

 だから、誘導するときはその距離感を決して誤らないことが重要になる。

 

「……ベイト、ゲイツ、ローブの黒炎鬼がそっちを感知した。移動して」

《了解した。北の通りを進む》

「急ぎすぎないで。影にも気をつけて」

 

 高所から灰都ラースを眺めるレイは、仲間達に指示を出す。旧神殿で遭遇した真っ黒なローブの黒炎鬼、クウ曰く七天の黒炎鬼の一体。それはゆらりとした足取りで近付いてきていた。

 通常の黒炎鬼と同じように、身体の彼方此方が黒い炎で燃え、顔の隠れたローブから角が覗いている。身体はローブで被い、その一部が炎に焼け千切れている。そして右手には魔術の杖だ。

 

「……あれが七天なら、【天魔】かしら」

 

 魔術を扱う黒炎鬼、というのは想像がしづらい。

 そもそも魔力を薪にして黒い炎は燃えていると言われているのだ。実際、魔術を扱う黒炎鬼なんてのは不死鳥くらいしか居なかったし、あの不死鳥は例外だ。

 黒炎鬼は魔術を使えないはずだ。体内の魔力は全て黒い炎として燃えるからだ。10年間戦ってきて、生前の模倣として武器を振り回す者はいても、魔術を扱う者はいなかったからコレは確定でいい。

 

 しかしアレは周囲を爆発させた。体内に魔力が無いのに。

 

 魔力が枯渇した状態でも扱える魔術は存在している。大気中の魔力を取り込むことなく操る術があるのだ。世界一の魔術師と言っても過言でない七天ならばそれくらいの芸当は可能か――――?

 

「………っ」

 

 レイは思考の最中、背中の痛みで中断を余儀なくされた。

 痛みは激しさを増している。黒炎の呪いが恐ろしい勢いで広がっているのが感じられた。

 

「ああ……全く」

 

 なんでこんな事をしているのだろう。という疑問が不意に頭を過る。

 家族に捨てられて、国に捨てられて、自分も聖女を見捨てて、10年も前にとっくになにもかも諦めて、そして今呪いで命の危機に瀕しながらもそれでも戦ってる。

 

 半年前の自分に現状を伝えたら、さぞ困惑する事だろう。

 

「でも、それでも……」

 

レイは足下で倒れる仲間達と、その中で寝転がるガザを見る。

 

 ――コイツを手伝った方が良いと思うんだ 俺たちのために

 

 四層目の番兵を倒すとき、彼が言った言葉を思い出す。あの言葉を切っ掛けに、レイはウルの戦いに手を貸すことになっていった。あの時は、なんで彼のそんな言葉に乗せられてしまったのか、自分でも分からなかった。

 でも、今ならその答えが分かる。

 

 なんでこんなことをしているのか?

 

 本当は、ずっとこうしたかったからだ。

 

 きっと、他の皆もそうだろうと思う。自分たちは諦めていた。過酷で、困難な運命に対して拳を振りかぶる前から下ろしていた。無理だから、仕方ないんだと。

 だけど、諦めるなんて、普通は嫌なものだ。苦々しい未練を、自分は大人で冷静だからと、そんな言い訳を繰り返して無理矢理飲み下して、見なかったことにするのは苦痛だ。

 でも、そうするしかなかった。悪辣な者達の悪意を前に蹲るしかなかった。

 

 それをウルはしなかった。微塵も諦めなかった。地下牢という閉鎖された空間で虎視眈々と牙を研いで、周りを全部巻き込んで、今も尚戦っている。

 

 断言できる。彼は愚かだ。死にたがりな上、それで周りをも巻き込んでいる。既に死んでいる者もいる。これからも死ぬ。自分も死ぬだろう。愚行に相応しい結末だ。

 

 でも、こうしたかったのだ。

 

 負け犬になるならせめて、戦って負けたかったのだ。何もしないうちに、何も出来ないまま負け犬にだけはなりたくなどなかった。利口になどなりたくなかった。自分を捨てた家族に、聖女を利用した悪党どもに、唾を吐きかけて拳を叩きつけてやりたかったのだ。

 自分はこんなに辛かったのだと、苦しんだのだと、思い知らせてやりたかったのだ。

 諦めて諦めてこんな所に流れ着いて、死ぬ最後まで諦めるなんて、ご免だ。

 

「…………ふ…ぅ」

 

 レイは目を開く。どうやら一瞬眠っていたらしい。

 呪いが強くなっている。魂をも蝕む眠りが濃く、容赦なく肉体を襲う。次第に悪夢と共に眠り続け、最後には黒炎に魂まで焼かれる顛末をレイは知っている。

 でも、今のは悪い夢ではなかった。不思議と気分が良くなった。携帯していたウル製のお茶をぐいと飲み干す。凄まじい苦みと共に意識がハッキリとした。

 

 まだ、やれる。

 

《レイ!大丈夫かレイ!》

「平気」

 

 通信魔具の仲間達の声に応じて、再びレイは七天の観察に移る。その動作を少しでも見落とさないように集中する。

 

「ボルドー隊長を刺した黒炎鬼は見当たらない。気をつけて」

 

 指示を出しながら、彼女はチラリと、傍らで寝るガザを見て、通信魔具で聞こえないような小さな声で呟く。

 

「貴方だって、諦めるのは嫌なら、はやく起きて」

 

 彼女の言葉にガザは未だ応じず、意識を失ったままだった。

 だが意識を失っても離さなかった両断された大盾の取っ手を握る手が、強くなった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「次の通りを右に、その後直進して、建物を、飛び越えて」

「了解」

 

 ウルとアナスタシアは灰都ラースを直進していた。灰都ラースの中心地から神殿まではそれほど離れていたわけではなかったが、かなり遠回りをして進んでいた。七天の黒炎鬼の警戒のためか、あるいは別の危機があるのか、それを指示するアナスタシア自身にもわからなかったが、それにウルは素直に従った。

 間もなくして、再び大罪竜ラースが見える地点までたどり着いた。

 

「…………あれは」

 

 そこでウルは、出来るなら見たくなかった者を確認する。宙で丸まるようにして浮かぶ大罪竜ラースの遺骸。つい先程までウル達が戦っていたその場所の近く、その下で動く影があった。

 真っ黒な鎧を身に纏った影、巨大な大剣を引きずるようにして徘徊するそれは、間違いなく、ガザを一刀で切り伏せた黒炎鬼だ。恐らくは【天剣】である。

 

「……一番引きたくない奴を引いたな」

 

 七天の黒炎鬼達は恐ろしい戦闘能力を有しているが、同時に、生前と比べ幾つもの制限がかかっているのは間違いなかった。

 魔力の有無もそうだし、彼らが今している装備にしたって、遠目にも明らかに古い。クウは彼らを丸ごと影の中に保管する事は出来ても、装備の更新などはしてやることは出来なかったのだろう。

 

 つまり武具防具の更新はない。道具は使えば消耗する。

 

 しかし天剣は、恐らくだが、あの巨大な剣を振り回すばかりで、消耗品などは使わないだろう。魔術も使わない。純粋な身体能力のみで戦うなら、さすがに【神の加護】はなかろうが、黒炎鬼化したことによる劣化部分は少ない。

 恐らく、一番厄介な相手だ。それが、ラースの前に陣どっている。

 

「……遠くからぶん投げるか……?」

 

 ウルは【二式】をチラリと見る。

 ウルは自身の身体能力を把握している。全力で投げれば、恐らく黒炎鬼が感知するよりも遠くからラースへと届かせることは出来る。だがその提案に対してアナスタシアは首を横に振った。

 

「無理か」

「失敗、する。絶対に」

「まあ、なんとなくそんな気はしていた」

 

 竜殺しが凶悪な力を秘めていることは間違いないが、先端をぷすりとさせばそれであの巨大な竜の遺骸が破壊させられる事が出来る、と考えるのはあまりにも都合が良すぎる。

 一見して数十メートルはあろうかと言うほどの巨大な黒い竜だ。生きて、動いている様子がないだけで、これほどの巨大な形を容易く壊せるとは思えない。そして破壊できる可能性のある唯一の武器をロストするリスクは避けたい。

 

 加えて、恐らくクウもこの状況を観察している。

 

「……というか、クウが姿をみせてねえな。俺たちにチャチャ入れる暇はあったのに」

「多分、あれが、原因だと、思う」

 

 アナスタシアが不意に空を指さす。ウルも其方に視線をやると、空に真っ黒な炎を纏った不死鳥が旋回していた。ウルは念のためアナスタシアと共に、身を伏せて観察を続けていると、不死鳥はしばらくそうして空を舞い、そして一気に落下した。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 その向かう先は、やはりラースの近くを徘徊する黒炎鬼だ。天剣だった残骸は、空から落下してくる不死鳥を感知したのか、大剣を構え、そして一気に動いた。

 

『aaa』

『AAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 黒炎を纏う者同士の戦いが始まる。やはりというべきか、戦闘力は天剣の方が上だったが、先に一撃で両断された記憶が不死鳥には残っているのだろう。空を常に滑空し、時折地上に落下するようにして攻撃を繰り返す。天剣は攻めあぐねているようだった。

 不死鳥の傷はそれでも見る間に多くなっていくが、しかし死んだとしても不死鳥はまた蘇る。天剣は天剣で不死鳥の黒炎ではダメージを負わない。

 決着のつきようのない戦いだった。

 

「あの戦いが続いてる所為で、クウが干渉できないって訳か」

「……あるいは、既に、中にいるかも、しれない」

「だとしたら最悪だな。時間がない」

 

 アナスタシアは宙に浮かぶラースを見る。

 巨大な黒い竜、ラースは何も語らない。遺骸でしかないのだから当然だ。だが遠目にも見えるその大きさは、下手な建造物よりも更に大きい。中にクウが潜み、悪巧みをしている可能性は確かに考えられる。

 

「どのみち長引けば、ガザやレイ達がもたない」

 

 黒炎に焼かれた仲間達の状態を、ウルは甘く見積もってはいない。ウルの側に居るアナスタシアと同じか、それ以上に焼かれた者達もいた。その状態でも尚、囮として動いてくれているが、何時まで持つか不明だ。丸一日などとても持たない。

 別働隊が全滅すれば、彼らが引きつけている七天はこちらに向かうだろう。ウルが狙われれば、正直太刀打ち出来ない。別働隊の仲間達より上手く誘導することも出来ない。

 

「……行くしかないか」

 

 不死鳥と天剣の戦いの隙を突いて、ラースに近付き、その遺骸を破壊する事で黒炎を消し去る。そうすれば、黒炎払いやアナスタシアの呪いも消える。現在窮地に陥っている地下牢の連中も助かる、可能性がある。

 随分と都合の良い話だ。そう簡単にはならないという予感はしている。

 しかし、行くしかない。

 

「アナは此処で隠れてろ。悪いが背負ってたら邪魔だ」

「はい……」

「……もう少し、安全な場所を探したかったが」

「もう、そんなところない。だから、大丈夫」

 

 ウルは一瞬は顔をしかめた後、アナスタシアをゆっくりと地面に下ろす。アナスタシアはグッタリとしていた。顔色も殆ど真っ白で、血の気はない。ただでさえ弱った身体で迷宮を突っ切る強行軍だ。もう限界だというのが目に見えて分かった。

 だが、顔色が悪い理由はそれだけではない。

 

「ウル、くん」

「分かってる」

 

 ウルを見つめる、彼女のあまりに心配そうな表情からおおよそ、彼女の感じ取っている運命がどのようなものなのか想像はつく。そしてその回避を彼女が口にしないのは、回避方法が見当たらないからだ。

 彼女の力が選択の善し悪しを見定める力を持っていたとしても、どの選択肢でも結果が同じなら意味は無い。恐らくはそういうことだ。

 だが、それなら尚のこと、何もせずに終わるつもりはない。

 

「やれるだけのことはやってやる。こういう状況は慣れてるからな」

「気を付けて……それと」

「ん?」

 

 アナスタシアは微笑みを浮かべた。此処まで無理をして、疲れ果てた表情で、それでも尚、美しい笑みだった。

 

「貴方の炎は、私達を、救ってくれた。本当に、ありがとう」

「……」

 

 ウルは、上手くは答えられなかった。

 感謝されるような謂われはない。彼女たちを死地へと導いたのは自分だ。あの時、ウルの所為だと叫んだ仲間達の言葉は間違ってなどいない。この地獄の有様を作っておいて、感謝を告げられても、うまく応じられなかった。

 アナスタシアは、そんなウルの姿が面白かったのか、小さく微笑んだ。そして、

 

「行ってきて」

「……わかった。ラースを壊したら、とっとと地下牢に戻るとするか」

「そうしたら、パーティでも、しましょうね」

「牢獄でパーティか。そりゃ良いな」

 

 ウルは笑った。そしてそのまま飛び出した。彼女へと振り返ることはせず真っ直ぐに、自らが戦うべき困難へと進んでいった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……頑張ってね。ウル君」

 

 アナスタシアは小さく呟いた。ウルにはその言葉は聞こえなかった。

 アナスタシアの目に、ウルの運命が見える。彼の運命は、苛烈だった。まさしく激しい炎のように渦巻いて、燃え上がり、唸りを上げて蠢く。全容すらも掴めない混沌に、ウルは自ら飛び込んでいくのだ。

 

 でも、良かった。彼を巻き込まずに、済んだ。

 

 ウルは勘違いをしていた。自分が死ぬと彼は覚悟していたようだったが、明確な死の運命をまだ彼は纏っていない。真っ黒な死の気配は確かに彼の側にあるが、それ以外にも様々な運命の炎が彼の周りを渦巻いて均衡を生んでいる。どうなるかはアナスタシアにも掴みきれない状態だった。

 明確だったのは、自分の死だ。

 そしてそれは逃れることのできないほどハッキリしたものだった。それにウルを僅かでも巻き込みたくはなかったから、彼には伝えなかった。きっと知れば、ウルは自分のためにこの場に留まっていただろうから。

 

『aaa……aa……』

 

 黒い死が、近付いてくる。

 強い疲労と、呪いの末期症状で意識が朦朧とする中、ゆっくりと、確実に近付いてくるその死は、見覚えのある姿をしていた。古い黒炎払いの鎧、全身に巻かれた黒睡帯は焼き爛れて地面を引きずっている。胸元から真っ黒な炎を吐き出し、頭部から禍々しい角が伸びていた。

 

『aaaあああ………聖、じょ、よ』

 

 惨たらしい姿をした、黒炎払いの隊長、ボルドーがそこにいた。

 

「嗚呼……」

 

 自分に、これほど相応しい最後はないだろう。アナスタシアは微笑みを浮かべた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦④ 願い

 

 大罪竜ラースの遺骸を破壊する。

 

 その、あまりにも常識離れした目標に対して、ウルは意外な程に冷静な心境でいた。つかみ所の無い切り立つ崖を前に動けなくなるような事は起きなかった。

 何故ならウルは既に知っている。竜は殺せるという事実を。

 竜がどれほど伝説上のバケモノだろうと、恐ろしい力を秘めた脅威だろうと殺せる。対処できず抵抗することも敵わない天災ではなく、危険で脅威極まる害獣の類いであると、ウルは先のプラウディアの戦いで学んだのだ。

 

 まして、破壊すべきは生きた竜ではなく、死んだ竜の死体だ。

 

 やってやれないことはない。という確信がウルにはあった。

 だが、当然困難は存在している。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

『aaaaaaaaaaaaaaa』

 

 黒炎不死鳥と黒炎天剣、二つの脅威が立ち塞がる。

 どちらか一方でもウル一人では対処できない脅威が、二つならんでいるともなれば本来は絶望だろう。仲間と別れてウル一人では為す術もない。しかしこの二体は現在進行形で互いに争い、殺し合いを続けている。少なくとも現在ウルに見向きもしていない。

 

 ならば

 

「シカトして本命をぶっ壊す……!」

 

 ウルは駆ける。不死鳥と天剣が相争う現場を可能な限り迂回し、ラースへと接近していった。

 

「………!!」

 

 宙に浮かぶラースの遺骸。

 それに近付くほどに、ウルは身の毛がよだつような感覚に襲われていた。ただの死体が宙を浮かぶなどあり得ない訳で、ラースの遺骸が未だ不可思議な力を有しているのは間違いなかったが、間近に接近するとそれがハッキリとした。

 

 単純な魔力ではない。それ自体が放つ圧が、ウルの身体にのし掛かる。

 

 大罪竜ラストと相対したときの思い出したくもない記憶をウルは思い出していた。

 

「コレは死体、コレは死体、コレは死体…!」

 

 くどいくらいに自分に言い聞かせながら、ウルは跳躍した。

 宙に浮かぶラースの頂上までひとっ飛び、と言うわけには行かなかった。ラースはあまりにも大きすぎて、高くを飛んでいた。だからどこか、引っかかるところに飛びついてよじ登って行ければ良いと、そう思ってウルは跳んだ。

 そこで奇妙な浮遊感に襲われた。

 

「なんだ……?!」

 

 プラウディアで天祈のスーアがウル達にかけた飛翔の加護に少し似ていた。内臓が浮き上がってくるような感覚でウルは少し気分が悪くなったが、次第にそれは収まった。代わりにラースの方角に身体が引っ張られる。

 

「うおっ!?」

 

 そしてウルは、ラースの身体に”落下”した。 

 頭から突っ込むような状況になり、ウルは顔面で竜の気持ちの悪い鱗に触れる羽目になった。妙なぬめりがあって固い感触で、ウルは少しげんなりしながら、同時に疑問に思った。

 

「なにが、どうなった……?」

 

 状況を理解しきれず、なんとか自分の身体を立たせる。そうすることで自分の状況を理解できた。どうやら”竜の遺骸がウルを引っ張っている”。地面の方角と、ウルが立っている方角が明らかにずれているのだ。

 

「……大罪迷宮ラストの深層に似てるな」

 

 だがあの時は大地そのものが歪んでいただけで、ウルは真っ直ぐに下に降りていた。だが此処ではウル自身が竜に引っ張られている。全く同じではないのだろう。リーネが居れば詳しくこの状況を解説してくれていたかも知れないが、此処に居ない者の解説を期待しても仕方が無い。

 

「さて、じゃあ試すとする、か!」

 

 ウルは竜殺しを早速足下に突き刺した。意味があるかは不明だったが可能な限りの渾身の力を込めて、突き刺した。結果

 

「…………意味なし」

 

 竜の遺骸に変化は見られない。ウルが突き刺した箇所は二式の影響で深く抉れてはいるものの、血すら噴き出す様子は見られない。

 これだけで一気に竜の遺骸が崩壊する結果をちょっとばかり期待したウルはがっかりした。が、予想もしていた。そう容易く話が済むなら、竜殺しを投擲するという提案をアナスタシアは是としていたはずだ。

 

 ただ刺すだけでは駄目?刺す場所が悪い?核のようなものがある?

 

「何かに引っ張られている。何かに……」

 

 竜の生態などウルは詳しくない。ましてや大罪竜の身体の仕組みなどこの世でも知る者は殆どいないだろう。ハッキリとしているのは竜の遺骸の中心に何かがあるという事実だ。その何かがウルを引っ張り寄せて、竜自身をも宙に浮かせている。

 

 ならば、それを破壊すれば良い?

 竜の中心にそれがある?

 

「……」

 

 足下の竜の遺骸を改めて観察する。漆黒の長大な憤怒の竜。その身体を丸めて球体の形を取って、眠るように死んでいる。それは鳥が自分の巣で卵を温めている姿にも見えた。

 

「……そこか」

 

 竜が守るようにして死んでいるその中心。

 根拠はなくやや安易だが、間違っているとも思わない。ここまで非常に複雑な状況下に置かれ続けてきたのだ。最後くらい単純だって構わないはずだ。

 

「さっさと黒炎払ってアナも――――」

 

 僅かに潜り込める竜の身体の隙間から、中心部へと降りようとウルは歩き始め――――そして不意に、背中から凄まじい怖気を感じ取った。

 

『aaaa』

「っ!!!」

 

 振り返り様にウルは竜殺しを構えた。

 途端にそこにいつの間にか忍び寄っていた天剣から大剣が叩き込まれる。ウルは全身の力を込めて、押し切られないように必死に受け流した。

 

「……っらああ!!!」

 

 大剣の一撃を振り払い、即座にウルは後ろに大きく跳ぶ。二式の頑丈さに感謝した。真っ当な武器であれば初撃でガザの大盾よろしく叩き割られていた。

 

『aa』

 

 【黒炎天剣】は急ぎ追っては来なかった。

 ゆったりとした動作で自身の握る大剣を構え直す。黒炎天剣に真っ当な知性など残ってはおらず、この動作の一つ一つも、あくまで肉体の記憶を模倣しているに過ぎない。

 

「だのに、格好いいなクソ……」

 

 ウルは冷や汗をかきながらも、その立ち姿にシンプルな賞賛を送った。

 一つ一つの動作が、あまりにも洗練されている。過去の記憶の模倣というにはあまりにも美しい。正面、中段に剣を向け構えるその姿は基礎中の基礎ながら、全ての剣士が模範にすべき隙の無さだった。

 

 何故天剣が此処に来ている?不死鳥はどうなった?

 

 ウルがチラリと視線を上に、天地がひっくり返って先程までウルが立っていた地面に視線をやる。そこには既に何度か見覚えのある黒い炎がまた燃えさかっていた。どうやら再び不死鳥は死に様を晒しているらしい。

 

 たのむもうちょっと頑張ってくれ不死鳥サマ。

 

 と思わないでもなかったが、元々不死鳥と天剣の戦闘能力の格差はハッキリしていた。不死鳥の不死性でなんとか状況をイーブンに持って行けていただけの事なのだ。助けてもらった恩もある。罵る気にもならなかった。

 

 不死鳥は完全な味方だ。

 

 先の戦闘で、不死鳥がヒトに近い知性を持ち合わせている確信は得た。更に、クウを敵視し、クウと敵対するコチラを助けようという意思も見えた。復活さえすれば、また七天の足止めをしてくれるかもしれない。

 

 ただし、復活するまでの間にコチラの命が保つか、という大問題があるわけだが。

 

「距離を――――」

『a』

 

 天剣が動く。ウルも動いた。全身鎧の巨体が、目にもとまらぬ速度で飛んでくる。ウルはそれに合わせ槍を振るう。交差はほんの一瞬だった。しかしその瞬間5、6度の剣と槍の衝突が起こる。尋常ならざる剣技が繰り返され、一際に激しい音と共に二人の距離は再び開く。

 

「――――はっ………!!はっ……!」

『………』

 

 兜を身にまとった黒炎天剣の表情は不明だ。しかし、もしも正気が残っていたなら、少なからず驚いていただろう。今の一瞬で、ウルの首が飛ばなかったという事実に。

 

「鬼が、なめ、んなよ……こちとら前まで毎日、人骨相手に槍振ってんだ……!!!」

 

 強がる言葉で自分を奮い立たせながらも、ウルは確信した。

 

 次はない。

 

 何よりも鋭く、果てしなく重く、救いようが無いほど速い。

 プラウディアでギルド長とやり合ったときでもここまでの圧力は感じなかった。

 ロックとの鍛錬の日々の成果で、反応するまではできたが、幸運と偶然に依るところが大きすぎる。こんな極限の集中力は確実に何処かで切れる。そうなればお終いだ。

 

 絶対にまともにやりあってはいけない。

 

「何処まで通じるかね!」

 

 ウルは小瓶を放り投げた。

 放ったそれには深紫色の粉が詰め込まれていた。黒炎払いの戦士達は誰もが所持している極めてシンプルなアイテムの一つだ。

 魔石を砕き、粉としたもの。 

 魔力感知を行う黒炎鬼に対する目くらましにはなる。一時しのぎに過ぎないが、雑魚相手に使うならば有効な手段の一つだ――――雑魚相手なら

 

『aa』

 

 天剣は、軽く大剣を振るうだけで魔力の粉を全て黒い炎で焼いてしまった。

 

 大した足止めにもなりゃしない!

 

 ウルはその結果を確認しながら、竜牙槍を捻り咆吼を速射する。魔力の滅光を周囲にまき散らし、僅かでも足止めを狙いつつ、そのまま背後に跳んだ。

 複雑に絡み合った大罪竜の身体の、その奥へと一気に降下する。

 

 直接やり合うことが難しいなら、やっぱり根を断つしかない!

 

 天剣の気配を背後から感じ取りながら、ウルは急いだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……もう来たのね」

 

 大罪竜の遺骸、その内部に居たクウは、侵入者の気配を感じ取っていた。

 アナスタシアの、クウが既に内部に潜んでいるという予想は当たっていた。彼女は、グラージャ達がラースの魔力障壁を解いた直後から、誰よりも速く内部への干渉を開始していた。

 

 影の魔術を使った転移と移動、そして格納は彼女の影の魔術の真骨頂だ。

 

 制限はあるが、凶悪だ。それを使って彼女は灰都ラースを自由に移動していた。ボルドーの影に七天を仕込んで、避けようのない一撃を食らわせることも出来た。ウル達に対して降伏を呼びかけもしていた(最も、それはあまり有効ではなかったが)

 

「……全ての七天達も使ってしまったし、窮地ね」

 

 300年前のラース討伐戦で、黒炎に命を落とした七天達を回収できたのは幸運だった。鬼として転じるその直前だったからこそ、彼女は襲われずに済んだのだ。取り出すのは一瞬だが、格納には時間がかかる。七天のような危険な存在は、1度取り出してしまえば、2度とは戻せないだろう。まさしく切り札だった。

 

 その三体を早々に切らざるを得なかったのは彼女にとって間違いなく痛手だ。

 

 制御の効かない七天は、彼女を殺す可能性もある。クウでも、黒炎の七天達には勝てないだろう。逃げる自信はあるが、この場から彼女は逃げるわけにはいかない。

 

「もう、あと少し」

 

 彼女は空を仰ぐようにして手を伸ばす。

 その先には、奇妙な物体があった。例えるならば”巨大な植物”といった方が良いだろうか。しかしあまりにもそれは異様だった。中心へと幾つも伸びた

 赤く、黒く脈動する塊。血管のような幹。幾つも連なって重なって大樹の様に伸び、そして空間の中心で巨大な“赤紫色の実”を付けている。

 その”実”は脈動を繰り返しながらも急速に、その圧を強めていった。

 

「ラース。どうかお願い。お願いだから――」

 

 それを見上げる彼女は、懇願するように祈るのだった。

 

「【イスラリア】を焼き払って」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑤ 最悪の目

 

「なんだこりゃ……?!」

 

 ラースの遺骸へと落下したウルは、その落下時間の長さに違和感を覚えた。周囲に伸びる長大な竜の身体に次々と乗り移りながら落ち続けるものの、ここまで内部が広いのはおかしい。

 真ん中に引き寄せられているのに、中心部が遠い。空間が歪んでいる?

 

「どっちみち、急がねえと……」

 

 背中からはやはり依然として、凄まじい圧迫感が続いている。天剣は追ってきてる。

 竜の遺骸が秘めた魔力で惑わされている事を少しは期待したが、意味が無かったらしい。そもそも黒炎鬼なら、その原因であるラースの魔力に反応しないと言うことなのだろうか。

 

「……あれか!?」

 

 不意に足下から光が漏れてきた。赤紫に色の不気味な輝きだ。直感的にそれを中心部と理解したウルは、そのまま真っ直ぐに飛び降りた。

 

「飛び込んだ瞬間、死なないだろうな……!」

 

 アナスタシアという指針もなく、ほぼ無策の突貫である事実に苦笑いしながらも、徐々に身体が光に包まれる。焼けるほどではなかったがその空間は熱を持ち、まさしく生き物の腹の中のような温もりがあって、寒気がした。

 生き物の亡骸、その中心にあっていい熱ではなかった。

 

「っと」

 

 中に飛び込んだ瞬間、再び上下が反転し、先程まで上だった方向が再び下に変わった。ウルは今度は慌てずに身体を捻って着地する。そしてウルは顔を上げて目の前の景色を確認し、一瞬言葉を失った。

 

「――――どうなってんだ」

 

 ウルの視界に空間が広がっていた。

 一言で言うならば巨大な、球形のドームだろうか。ウルが立っている地面、竜の身体がぐるっと、弧を描くような形でその球形の空間を形作っている。どう考えても外見には、そんな空間を作れるだけの体積は存在していなかった。

 そして、その中央、ウルから見て上の空間には赤紫色に脈動する球体が存在していた。幾つもの血管、のようなものが纏わり付いている。この一帯を照らす光源はアレだろう。そして、この空間の、延いては大罪竜ラースの中心だ。

 

「死ぬほど分かりやすくて助かるよ」

 

 ウルは竜殺しを構えた。

 あれが核だ。この空間を維持しているものの正体だ。ならば、破壊するしか無い。

 

「そういう物騒なの、しまってくれないかし――」

「【咆吼】」

 

 そして直後、後方から聞こえてきた声にウルは即座に竜牙槍を発射した。滅光は声の主、クウへと真っ直ぐに向かう。

 

「あぶな……!?」

 

 ウルはそのまま奇妙に歪む地面を蹴り、攻撃を回避したクウの元へと一気に飛び込み、竜殺しを叩き込む。

 彼女も、その攻撃は予想していたのだろう。足下の影が伸びて、形を変えて、一気にウルから距離を取った。ウルは小さく舌打ちをし構え直す。

 

「貴方って、ヒトの話聞かないタイプ?」 

「ヒトの話を聞くのは割と好きだぞ。お前は殺すが」

 

 敵は殺す。そしてクウは敵だ。実にシンプルな状況だ。ウルの行動に迷いはなかった。

 竜牙槍を再び捻る。咆吼をクウへと発射する。天剣を相手に、そしてクウを相手に連続して発射した竜殺しが熱で焼け付くのを感じる。恐らく暫くは撃てまい。最後の一撃は真っ直ぐにクウへと向かった。

 

「ああ、もう!」

 

 クウは再び回避行動を取る。瞬時に影に隠れる。遮蔽物も全く見当たらないこの空間であれば、彼女の影の魔術も使用が困難になるかと思っていたが、のたうつ竜の身体、その絡みついた身体と身体の隙間に生じる影を彼女は利用しているらしい。この場所は彼女の独壇場と言える。

 だが、だとして、ウルは彼女の時間稼ぎに付き合うつもりもなかった。そのまま跳躍する。向かう先は当然、中心部の核と思しき何かに対してだ。

 

「止めなさい!!」

 

 クウが叫ぶ。同時にウルの足下、ウル自身の影から幾つもの。真っ黒な触手が伸びてきた。グラージャが使っていた砂蛇よりも更に速度は速い。しかも、影の触手から何かが溢れ出そうとしていた。

 

『aaaaaaa……』

「っ」

 

 黒炎鬼だ。しかし、ウルは一瞬警戒したが、それは新たなる七天ではなかった。見覚えのある黒い騎士鎧。恐らく先行し、挙げ句に全滅した黒剣騎士団の連中だ。彼らもまた、クウによってある程度回収されていたらしい。再度の訪問時、灰都が静かだった理由が分かった。

 

『aaaaaaaa』

 

 影の触手から自在に出現し、そしてウルに接近する。確かに彼らは脅威だ。しかし、この状況下で新たなる七天を出さないのなら、もう彼女に七天のストックは存在していない。

 

「【二式・黒弧】」

 

 竜殺しの力を解放し、空中でウルはそれを振るう。使い手すらも砕く程の破砕の力が黒色の軌跡となって影の魔術を蹂躙する。黒炎鬼達はその軌跡に触れただけで黒炎と共に肉体を抉り取られ、地面に落下していった。

 二式の火力は既に、並みの黒炎鬼に対しては薙ぐだけで破壊するまでに強くなっていた。クウはそれを見て、苛立ちを強めたのか、叫んだ。

 

「お願いよウル!お願いだから私の邪魔をしないで!」

「邪魔をせず、イスラリアを滅ぼさせろと?」

()()()()()()!!!」

 

 その発言はあまりにも破滅的だった。この大陸を、世界を、滅ぼさせろと彼女は懇願している。狂人の戯言と言えばソレまでだったが、彼女のその声には震えるまでの懇願と、意思があった。

 

「貴方はこの世界がどれほど歪で、凶悪なのか理解している!?この世界が――!!」

 

 彼女は叫びながらも、凄まじい速度で影を操る。森人として、長命種として。純粋に積み重ね続けた技術の粋がそこにはあった。ウルが動く先を読むように、生き物のように影は蠢き、中心へと向かおうとするウルを打ち付けて、地面に叩きつける。

 

「っぐ……」

 

 竜の遺骸の地面に蹲りながら、ウルは身体の痛みに呻く。

 単純な、実力の差は明確だった。天剣とウルとの間には隔絶した力の差が存在したが、ウルとクウの間にもまた、容易くは埋めがたい技術の差がある。正面からやり合えばこの通りだ。

 

「この世界が!神が!どれだけ最悪なのか、貴方は分かってるの!?」

 

 地面に倒れ伏したウルに問う。ウルは痛みを抜くために大きく息を吐き出しながらゆっくりと身体を起き上がらせ、再び二本の槍を構え直す。クウは顔を顰めた。

 

「狂人の戯れ言なんて聞く耳無しってことかしら?」

()()?」

 

 それは、彼女にとって意外な返事だったのだろう。クウは動きを止めた。

 ウルは続ける。

 

「お前の主張の意味は、理解できなかったが、必死さは理解できた」

「……」

「お前の世界への不信が、お前の頭の中だけで成立してる妄想なのか、的を射た真実なのか判断できない。が、お前が私欲でなく、何かのために必死なのは伝わった」

 

 全身の痛み。震えがクウに見えぬよう、ウルは槍を更に強く握った。痛みを逃すべく数度、大きく息を吸って、吐く。腹に力を集める。グリードの訓練所で教わった基礎的な呼吸術を使って、身体の調子を僅かでも取り戻す。

 

「自分以外の何かのために必死になって、世界を滅ぼそうとするなんてすごいもんだ」

「馬鹿にしているの?」

「まさか」

 

 クウとの対話時、彼女を挑発するために浮かべていた嘲笑うような顔を、ウルはもう見せなかった。クウを真剣な表情で見つめ返してくる。

 

「敬意を表すよ。誰かのため、何かのためなんて、俺には出来ないことだからな」

「……だとして、私の言ったこと、考えてくれるのかしら?」

「ああ」

 

 ウルは頷いて、そしてゆっくりと姿勢を低くして、構えた。いままでの中でも最も色濃く、強い、殺意と共に言葉を吐き出した。

 

「お前を殺して、ラースを破壊した後に、ちゃんと考えるよ」

 

 例え彼女が何者で 何を願い どのような使命を帯びていたとしても

 今此処でやるべき事に何一つとして変わりない。

 

 ウルの殺意は、言外にそれを伝えていた。クウは圧されるように一歩下がる。何度か呼吸を繰り返した。端麗な顔に深く皺を寄せて、そして言った。

 

「私、貴方のこと、苦手だわ」

「そうかい。残念だ――――な」

 

 ウルは駆ける。引き絞り、放たれた矢の如く一直線に、竜殺しを突き出して突撃する。遠目に彼の姿は鎧の色も相まって、真っ黒な流星にも見えただろう。それでもって眼前に立ち塞がる影を貫き、消し飛ばし、尚も前へと突き進む。

 

「【影よ!!波打ち、震えよ!!!】」

 

 クウも叫ぶ。それまで使うこともなかった詠唱を使ってでも術の強度を高めた。彼女の魔術に火力は無い。そこに強引に上乗せしてでも、ウルを仕留めにかかった。

 だが、ウルは止まらなかった。影を刺し貫き、切り裂いて、叩きつける。鋭敏にクウの魔術を察し、その出始めで叩く。技術の練度ではクウは間違いなくウルの上に立っていた。だが事、命を賭した戦いという一点で、ウルはクウを圧倒していた。

 

 数百年の年月の中でも、クウが命を賭して戦う事になった機会は片手で数えるほどだ。

 冒険者になって1年と少し、ウルが命を賭して戦う機会は数えきれぬほどにあった。

 

 その差がこの場においてハッキリと出ていた。

 自分の命を賭してでも全力で、目の前の敵を排除する。その為の力の引き出し方がクウには欠落していた。故にウルは彼女の眼前へと迫っても、それを止めることは出来なかった。

 

「――――」

 

 ウルは地を這うよりも低い姿勢で身体を捻り、力を凝縮する。槍の切っ先に全ての力が集約する。それを一点、クウの首へと叩き込むべく振り抜いた。

 

 クウは自らの死を直感し、硬直した。

 ウルは自らの殺意の達成を確信し、尚も力を振り抜いた。

 

『aaa』

 

 そして、その二人の間に、足下、竜の遺骸の隙間から天剣が飛び出した。

 

「――――!?」

「え!?」

 

 それはウルは疎か、クウすらも意図したものでは無かった。黒炎の七天達は既にクウのコントロールを外れている。今の彼らは自由に徘徊し、そして近くの物を自動で襲うだけの特殊な魔物の一種に過ぎない。クウからしても、自らが襲う可能性を秘めた危険な彼らは可能な限り近づけたくはなかったのが本音だ。ウルの指摘した通り、自身も殺されるリスクがあるからだ。

 

 だから意図したものでは無い。

 

 黒炎七天が飛び込んできたのはただの事故で、そしてその事故がウルにとって最悪の方角に転がった。ほんの僅か、天剣が飛び出した場所は、ウルに近かった。それだけで、天剣の狙うターゲットは決まってしまった。

 

『aa』

 

 神速の大剣が振るわれる。クウへと集中しロクに防御の姿勢を取ることが出来なかった。ダヴィネが彼のためにあつらえた鎧ごと、大剣は黒炎を巻き上げながら全てを引き裂き、ウルは血と黒炎を噴き出しながら切り裂かれる。

 

「が――――」

 

 ウルの身体は馬車にでも轢かれたような勢いで地面に転がった。直後に何かを言葉にしようとしたものの、形になる事も無く、ウルは動かなくなった。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 灰都ラース、外周部

 

「…………なにが、起きたんだ、よ」

 

 黒炎払いの戦士達もまた、どん底の窮地から更なる最悪へと転がっていた。

 

 黒炎七天、凶悪極まるそれらの敵に対して、彼らは決して直接的に戦いはしなかった。そもそも戦おうにも、戦えるだけの戦力は残されていなかった。ウルからの助言もあり、絶対に交戦だけは避け続けた。

 レイの指示の元、感知圏内を慎重に見定め、その外で黒炎七天らを誘導するに止めつづけた。それは間違いなく順調に行っていた。

 

『【aa・aaaaa】』

 

 だが、突如、本当に一切の前触れも無く、天魔と思しき鬼は動いた。魔術の詠唱らしきものが開始されたと気付いたときには全てが遅かった。天魔を中心に発生した爆発は辺りの建造物を一瞬で薙ぎ払い、消し飛ばした。

 

「なあ!?」

 

 距離を取っていた黒炎払い達もまた、その爆発に飲み込まれた。幾つかの建造物が盾になって、彼らが直接黒炎であぶられるような事態は避けられたが、代わりにその瓦礫が彼らの頭上に落下していった。

 

「………ぐ、あ……」

「くそ!ゲイツ!!畜生なんでだ!!俺たちは上手くやってたろ!レイ!!」

 

 黒炎払いの戦士の一人が必死に叫ぶ。通信魔具越しのレイは、あからさまな動揺と共に、小さく囁いた。

 

《…………鳥よ》

「は!?不死鳥がやったのか!?今の!!」

《いえ……ただの、野生の鳥》

 

 レイの言葉が理解できずに、戦士らは沈黙した。それを察したのだろう。レイは続けた。しかし彼女の声もまた、あからさまに動揺していた。そこには理不尽な状況に対するぶつけようのない怒りも込められていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………は?」

 

 黒炎鬼となった生物に知性は無い。元の生物が保有していた知性や記憶なども無い。

 そして黒炎鬼は無差別だ。兎に角、間近にあった生物を問答無用で黒炎の薪にする。

 

 その現象が、今起こった。

 

 黒炎鬼となった七天が、かつて世界の頂点の魔術師としての力の全てを発揮して、ただの野生の鳥を黒炎で焼き払った。

 黒炎払い達は自分たちのミスでもなんでもなく、ただそれに巻き込まれただけだ。

 

「……ふ」

 

 黒炎払いの戦士の一人は、喉を震わせた。

 

「ふざ、けんな、ふざけんなふざけんな……!!なんだあそりゃあ……!!」

 

 それはその場にいる全ての黒炎払いの達の代弁だった。

 

 ボルドーと共に黒炎払いに流れ着いた彼らは、多くの理不尽を経験してきた。その時の境遇すらも彼らからすれば理不尽極まるもので、以降も多くの不運や困難に打ちのめされ続けてきた。

 だが、その中でコレはとびっきりに、あんまりだ。

 

「今日まで死に物狂いでやって来たんだぞ俺たちは!最後くらい!いい目に転がれよ!!」

 

 血と涙が入り交じるようなその声を、しかし魂無き鬼が聞くことはなかった。

 

『aaaa』

 

 天魔だった残骸はゆっくりと近付いてくる。

 瓦礫で動けなくなった黒炎払い達に向かって、彼らの魂を焼き尽くして、新たなる薪にするために。そしてそれを止める手段は、彼らにはもう無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らには、無かった。

 

「さて、行きましょうか」

『カカカ!!地獄じゃの!!!』

「本当にね。なんとか事が終わる前にたどりつけたけど」

《にーたんだものねえ》

 

 天の賽子がいかに最悪の目を出そうとも、その結果に抗う権利はヒトの手に残されている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑥ 竜吞ウーガの女王様

 

 【焦牢・地下探鉱】

 

 ダヴィネが生みだした数々の兵器、そして彼自身の猛攻。彼の怒りに触発され戦い続けた地下牢の住民達。だが、しかし、とうとう限界が来ようとしていた。

 

「くそ!!くそ!!もう魔封玉ものこってねえ!!」

「倉庫の中ひっくり返せ!!こうなったらもう椅子でもなんでもいい!道を塞げえ!」

 

 武器も防具も道具も、食料も人員も何もかも、限界はとうに越えていた。

 

 出来ることはもう、本当に残っていない。黒炎払い達の為に用意した地上への脱出路はまだ残っているものの、そこに逃げ込んだとしても先が無いことは誰もが分かっていた。黒炎砂漠は迷宮だ。そこに無防備に身体を晒すなど、死ぬ以外に無い。

 

 つまるところ、どんづまりだった。最早万策が尽きたと言うほか無い。

 アナスタシアに運命を覗き見てもらう必要もないだろう。濃厚なまでの死の気配が、地下探鉱全体を包んでいたことだろう。

 

「北側の道がまた崩れたぞ!!押し返せ!!」

「クソッタレの黒剣どもの顔面なぐりつけてやれえ!!!」

 

 だが、奇妙なことに、と言うべきだろう。地下探鉱の囚人達の士気は、この期に及んで高い状態を維持していた。後もない。備蓄もない。終わりも見えない。本当に何も無い状態でも、彼らは防衛の手を全く緩めない。理由は一つだ。

 

「ふぅー……!どけえ!!クソどもがァ!!!」

 

 地下牢の王、ダヴィネが獅子奮迅の大暴れをしているからだ。

 元々、優れた王ではなかった。その才覚と暴力で周りの不満を無理矢理押さえつけていただけの、ろくでもないリーダーだ。人心を掌握し、上手く周りをコントロールするといった政治力が彼には決定的に欠落していた。

 だが、この最悪の火事場において、憤怒した彼の猛攻は、囚人達の萎えきっていた心に火を灯した。

 

 どうせ死ぬ。こんな最悪の場所に追いやられて、最後は惨めに死ぬ。

 

 でも、それならせめて、最後は理不尽に抗って死んでやる。

 

 ダヴィネ、そして彼の兄弟であるフライタン率いる探鉱隊、遠征隊の留守を預かる黒炎払いに魔女窯、なんとか生き延びて地下探鉱に逃げ込んできた黒剣騎士団に焦烏の面々も、全員が、最早死に物狂いで目の前を理不尽に抗っていた。

 

「なんだってこんなことになっちまったんだかなぁ…!」

 

 地下牢にウルが落ちてから、奇妙な経緯の末に彼に雇われることとなり、魔法薬製造所で働いていたペリィもまた、その一員だった。泣き言を言いながら、必死に彼は怪我人達の治療を行っていた。だが、治療と行っても回復薬はとうに尽きていた。

 黒炎払いの皆が出るときに彼らに配給した分で、既にありったけだったのだ。新たに発生した怪我人達には乱雑に止血を行うが、黒炎の呪いまでは止められなかった。

 

 それでも怪我人は次々やってくる。中にはその状態で死ぬ者もいる。地獄の地下探鉱の中でも最悪の地獄がこの場所だとペリィは確信した

 

「此処は野戦病院かよぉ!此処はぁ!」

「実際そうじゃろ!口じゃなくててぇ動かせ!!」

「うっせえ藪医者ぁ!」

 

 地下牢の小人の藪医者も必死だ。

 何の役にも立たない。看られるとむしろ体調が悪化する、などなど散々な言われようだったが、こうして働き始めるとやはり、ペリィよりは手際が良かった。それでも怪我人の増える速度には敵わない。地下探鉱の中でもそれなりに広い空間ではあるが、しかしその内、この場所は怪我をした囚人とその遺体で溢れ帰ってしまう気がしてならなかった。

 

「お前のボスが戻るまで凌ぐんじゃろ!しっかりせえ!!」

「そんなことぉ……!」

 

 出来るわけがない。

 と、言おうとして、ペリィは自らの口を強引に閉じた。

 黒炎払い達の遠征、その成功を期待する者は、正直言ってこの地下牢にはもう殆ど残っていない。ある意味全員が悟っている。自分たちはここで死ぬんだと分かっている。今、戦ってる奴らが、それでもギリギリ戦線を保てているのは、命惜しさのなくなった囚人達の決死さ故だろう。

 

 だけど、それでも遠征の皆が失敗するなどとは口が裂けてもペリィは言えなかった。

 

 遠征の中心になっていたのはウルとアナスタシア。ペリィの同僚だ。二人とペリィは特別仲が良かったわけじゃなかったが、悪かった訳でもない。良く食事は一緒にしたし、時に下らない冗談を言い合いもした。言い争いもして、迷惑をかけられたこともあった。

 

 彼らを友人だったとペリィは思わない。でも仲間だったと思ってる。

 

 焦牢に流れ着く以前から、彼は一度も仲間と呼べる者が出来た事なんて無かった。大抵は騙しだまされ、利用するだけの間柄だ。背中を向ければ何時刺されるか分かった物じゃない。そして実際刺されて、今彼は此処に居る。

 だから、彼らとの関係が心地よかった。無防備を晒しても、咎められない関係が嬉しかった。故に、彼らの勝利を願わずには居られない。

 

 自分が助かりたいからじゃない。ウルとアナスタシア。二人が無事でいて欲しいのだ。 

 

「うわあ!コイツ、コイツ黒炎鬼になりかけてんぞ!?」

 

 しかし、地下探鉱が本当にもう、どうにもならないところまで来ているのは目の逸らしようのない現実だった。収容所の悲鳴が強くなる。呪いが強まって鬼になった者が出た。この収容所はもうお終いだ。

 でももう、此処を出ても、地下探鉱は全部同じような状況だ。逃げる場所なんて無い。

 

「負けんじゃねえぞ、ウル、アナ……」

 

 ペリィは仲間達の無事を祈った。

 打てる手を使い尽くした彼が最後に出来る祈りだった。

 

 そして、その次の瞬間、凄まじい音が 地下探鉱全体を揺らした。

 

「な、んだあ!?」

 

 全てを諦めかけていたペリィも、その周りの囚人達も、その騒音に驚愕し、同時に警戒した。彼らが居る場所は地下だ。崩落を畏れるのは当然のことだった。

 しかし、崩落の音、と言うには少し様子が違っている。

 何が起こったのか、地下牢の誰にも分からなかった。

 

 それが彼らにとっての福音であるなどと、理解できた者は一人も居なかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガと呼ばれる存在がある。

 

 大罪都市グラドルの衛星都市から生まれた恐るべき災厄。邪教徒達が生みだした恐るべき生物兵器にして、今現在大罪都市三国の共有衛星都市という奇妙な形でその存在が認められた超巨星級使い魔。

 

 その存在が今、プラウディアとエンヴィー間の通常の行路から北西に外れ、旧大罪都市ラース領へと到達していた。都市間の移動においては移動要塞であったとしてもトラブルは尽きない。ルートの変更、期日の調整は日常茶飯事だ。

 

 ただし、今回はトラブルの類いではない。

 

 それら全ては、“女王”によって命じられた進路だ。かつてのラース領、黒炎砂漠の解放を目的として建造され、囚人達を収容しそれを利用することを目的とした【罪焼きの焦牢】の崩壊。その人命救助の為に急行する事を彼女が決めた。

 

 かつて大罪都市グラドルを支配していたカーラーレイ一族の生き残り。

 

 そして現在、竜吞ウーガを支配する唯一無二の女。

 

 【竜吞女王エシェル】の指示によって。

 

「旧ラース領、距離にして500メートル圏内に到達しました。射程圏内です」

「地表部は全滅状態です」

「黒炎の呪いを遮断するため【黒睡幕】の魔術をウーガ全体に展開します」

「結構。リーネ。お願いします」

「ええ」

 

 竜吞ウーガ司令室

 観測部隊の魔術師達からの情報を、女王の側近である神官カルカラが統括する。既に幾度も重ねられた指示系統だ。ウーガの細かな情報の管理と指示は全て彼女と、彼女を補佐するもう一人の側近神官、【白王使いのリーネ】によって行われていた。

 カルカラが束ね、リーネがウーガを動かす。二人のコンビネーションによりウーガは管理されていた。この二人無ければ、ウーガは動かすこともままならないだろう。

 そして、その二人に唯一命令を下す権利を持つ者が、この司令塔の玉座に座る女王だ。

 

「女王。もう間もなく準備が完了します」

 

 カルカラの言葉に、竜吞女王エシェルは頷く。

 紅毛の獣人の彼女は、戦装飾の施されたドレスを身に纏い、瞑目していた。やがて目を開くと、自らの側近二人へと静かに声をかける。

 

「――――カルカラ、リーネ」

「何でしょう。女王様」

「何?女王」

 

 エシェルは僅かに沈黙する。そしてふぅ、と小さく息を吐いて、言った。

 

「……竜吞女王ってなに!?」

 

 女王は叫んだ。

 

「知らないわよ」

 

 リーネが即答した。

 

「急に呼ばれるようになったんだけど何故!?何ソレ!?」

「だから私知らないって。これからそう呼んでくださいって言われたの」

「誰に!?」

「シズク」

「シズクゥゥウウ!!!」

 

 エシェルは顔を両手で被って叫んだ。赤毛の耳がピンと立っている。大分恥ずかしかったらしい。彼女の狂態に対して司令塔の魔術師達も、側近である二人も特に気にしたそぶりは見せなかった。ウーガを運用し始めてから半年以上が経過したが、彼女の感情が爆発したのはもう1度や2度ではないので慣れている。

 

「エシェル様、残念ですがこの呼び名、既に外の国では定着しています」

「なんで!?」

「シズクが外交上の貴方の呼称でずっと使っていたらしいので」

「シズクゥゥゥウウウウウ!!!!」

「良いじゃない女王(笑)、格好いいじゃない」

「リーネ今絶対馬鹿にしてる!馬鹿にしてる!!」

 

「準備完了しました」

 

 魔術師部隊の声に、エシェルはピタリと狂態を止める。カルカラやリーネも彼女に構うのはすぐに止めた。エシェルは何度か呼吸を整えるように深呼吸を繰り返すと、水晶に映った崩落寸前の【焦牢】を見定める。

 

「地表部にはもう、本当に誰も居ないんだな?」

「地下牢の空間に生体反応はありますが、地表部は皆無です」

「うん……よし……リーネ!」

 

 エシェルの呼びかけに、リーネは不敵に微笑む。

 

「承知しました。我らが女王様」

 

 そしてそのまま司令室の中心で杖をたてる。途端に彼女の杖の穂先から、光が奔り、部屋全体を伝い、塔を駆け巡り、その果てにウーガ全体に自らの力を流した。煌煌とした魔力の輝きの中で、エシェルは凛とした声で指示を出した。

 

「【重力咆吼】発射!地表に存在する黒炎を識別し、地表ごとひっぺがせ!!」

 

 直後、地響きのような声が響く。

 主の命により、超巨星級の使い魔たるウーガが声を上げた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 焦牢 地下探鉱

 

「なんだ!?なんだよ!?どうなってやがる!?」

 

 ダヴィネが驚愕に目を見開く。彼の眼前で起こった現象はあまりにも常識から外れていた。彼のみならず、その場にいた全員が、目の前で起こった現象がなんなのか、理解できずにいた。

 

『aaaaa…』

「……う、浮いてる」

 

 地下探鉱に侵入してきていた黒炎鬼達が、浮き上がっていく。いや、黒炎鬼だけではない。地殻深くに掘り進められていた地下炭鉱が”めくれ上がって”いく。

 

「空が……!?」

 

 探鉱の天井も、まるごと砕けて、剥がれて、持ち上がる。舞い散る細かな岩石や土煙すらもそれごと上へと上がっていって、囚人や黒剣騎士達の目に映るのは薄暗く間違いなく、外の空だ。

 空には恐らく本塔の残骸などだろうか。黒炎を纏った様々な瓦礫の山が、空を飛んでいた。鬼達もそれに巻き込まれて飛んでいる。

 

 精霊の奇跡であってもこのような現象は起こるまい。あまりのその異様な光景に、先程まで命を賭して戦っていた囚人達は全員、ただただ呆然とする他なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑦ 絶望を押し返す者たち

 

「畜生……!」

 

 瓦礫に埋もれた黒炎払いの戦士の一人、ベイトは瓦礫に身体を潰されて、身動きも取れずに悔しさを滲ませる。彼らの視界には既にコチラを捕らえた天魔が姿を覗かせていた。

 

『【aaa】』

 

 天魔は杖を掲げる。あるいは詠唱の真似ごとを。

 生前の猿真似にすぎないそれが、曲がりなりにも歴戦の戦士である自分たちを一方的に蹂躙する理不尽に、彼らは涙を飲んだ。最早逃れようがない――

 

『カカカカカカカカカカカカカカ!!!!』

 

 その時だ。

 奇妙な音がした。固いもの同士がぶつかり合うような音だ。周囲の廃墟が崩落した音と思ったが、どうにもそれは何かの笑い声のように聞こえてならなかった。

 

『カーカッカカカカカ-!!!!』

 

 そして不意にソレは飛び出した。

 

「死、霊兵!?」

 

 人骨の形をした生物が、飛び出してきたのだ。

 死霊兵、生物の死骸を魂が操り動かす事で生まれる不吉な魔物。虚な眼孔を晒すその骨は、自らの身体を鎧のように歪め戦士のようななりをして、何故か天魔へと襲いかかった。

 

『aaaaaaaa』

『カカカカカ!!!!』

 

 滅び、砂と灰に飲まれた国の中心で黒炎の鬼と、死霊の戦士がぶつかる。

 地獄のような光景だった。だがしかし、それは元からそうだっただろうか。そう思うと変な笑いが零れてしまった。

 

『カッカカ!!おう坊主ども!!瓦礫から出られそうカの!?』

「へあ?!」

 

 だから、その地獄絵図を生みだしてる人骨が、こちらに話しかけてきたときは更なる驚愕に目を見開く羽目になった。まず骨が喋っている時点で何かがおかしい。しかもやけに親しげである。

 

『動けるならさっさと逃げんカ!ワシみたいになりたいなら別じゃがの!』

「お、おおお…!?わかった!!」

 

 数瞬経って、それが助けに来てくれた救援者のセリフであるとようやく認識できたベイトは理性を取り戻す。自分の間近で埋もれた仲間の上にのっかかる瓦礫をなんとか押しのけて、彼をその場から引きずり出す。

 

「……ぐ、……いっでえよ……」

「ゲイツ……よかった死んでねえ……いやよかねえか……」

 

 見れば仲間の両足はぐしゃぐしゃになっていた。回復薬ももう手持ちにはない。黒炎鬼にはならないかも知れないが、このままだと普通に死ぬ。

 

「くそ……なんとか止血を」

「大丈夫ですか?」

 

 そこに、澄んだ鈴の音のように美しい声が聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、更に別の知らない者がそこに居た。白銀の、美しい女。地下牢の住民では無い。こんな美しい女が地下牢にいたら絶対に気付く。だとすると本塔の住民があの災害をまぬがれて逃げてきたかとも思ったが、なんでこんな所にいるのだろう。

 

「【【【水よ唄え】】】」

 

 彼女は、詠唱を唱える。ぐしゃぐしゃに傷ついたゲイツが光に包まれ、歪に破壊された両足が回復していく。骨の形まで元に戻る所からかなり高度な魔術であることが分かる。光が収まると、顔色が良くなった仲間の姿がそこにあった。

 

「血は失ったまま。全ては回復していません。どうか休ませてあげてください」

「あ、ああ……っていうか、あんたら何なんだ……?」

 

 僅かな安堵が冷静さを取り戻させた。結局目の前の連中が何者なのかわからぬままだった。敵ではないのは間違いないが、なにが目的でこんな場所に居るのか分からなかった。

 すると白銀の女は微笑みを浮かべた。

 

「皆様は、【焦牢】のウル様の仲間の方々ですよね?」

「……は?ウル!?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 灰都ラース 廃墟の黒炎払い避難所

 

「増援……?どこから?誰が…!?」

 

 突如やってきたその情報に、レイは困惑した。

 天魔の爆発で最早これまでと覚悟していた。それを考えればまさに天の助けとも言うべきタイミングだ。しかし何処の誰が、こんな呪われた悍ましい場所に来て、犯罪者とされている囚人達を助けに来てくれるのか分からなかった。

 彼女は疲弊し、突然の助けに混乱した。故に背後から音も無く迫る影に気付かなかった。

 

「兎に角、今の間に皆を――――」

『aa』

 

 音も無く迫っていた天衣は、気付けばその短剣を彼女の首にふり下ろしていた。

 

 が、その直前に、大柄な男の身体が割って入った。

 

「……に、げろ……!レイ!」

「ガザ!?」

 

 短剣は、ガザの太い腕で防がれた。だが血が噴き出す。しかも短剣は黒炎にまみれていた。ガザは激痛に悶えながらも、背後のレイを守るように一歩もそこから引かなかった。

 

「おらあ!!」

『aaa』

 

 力任せに天衣に殴りかかる。突き立てたナイフを手放して、天衣は軽やかに跳躍しその場を離れた。優雅な動きだった。とても知性無き鬼の動作には見えない。

 しかし間違いなく、既にあの天衣はこちらを射程圏内に捕らえ、薪にすべく動いてる。ガザは腕に突き刺さったナイフを引き抜きながら、叫んだ。

 

「レイ!早く!」 

「逃げてももう、意味なんて無いわよ」

 

 レイは、震える声で弓を手に取った。自然と抜けていく力をなんとか込め直し、身構える。レイの身体ももうボロボロなのだ。今更距離を取っても、あの素早い動きから、重傷人二人が逃げ切れるとも思えなかった。

 だとしたら、自分たちがすべき役割は

 

「アレが、逃げてる仲間達を狙う前に、足止めする」

 

 ガザが何か言おうと振り返り、彼女の青白い顔色と滲む汗を見て、彼女の体調を悟ったのか、強く顔を顰めた。そして視線をすぐに天衣へと戻した。

 

「……わかった。一緒に死んでくれレイ」

「バカと一緒の最後ね」

「不本意かよ」

「いいえ?」

 

 二人は軽口を叩いて、そして腹をくくった。

 天衣は再び両手に短剣を握る。踊るように身体をゆらし、そして消えるような速度で迫る。次の瞬間レイは自分とガザの首が飛ぶことを覚悟した。

 

「ああ、天衣か。運が良いのか悪いのか」

 

 だがその覚悟を吹っ飛ばすように、金紅の剣がその間を閃いた。

 

「え!?」

「なん、だ!?」

『aaaaa』

 

 なにが起こったのか二人には分からなかった。

 だが、迫っていた天衣はその紅色の一撃で大きく後退した。黒いフードが切り刻まれている。それが先の一撃でついた傷だと気付いた。そしてその傷をつけた乱入者がレイとガザの間に立つ。

 

「間に合った、というには被害が甚大だね。生き残りがいるだけ御の字か」

 

 それは、透き通るような金色の鎧を身に纏い、緋色の帯で目を覆った少女だった。二本の剣を装備した彼女は、レイとガザを守るように天衣に向き合う。そしてこちらに視線を向けないまま、不意に話しかけてきた。

 

「ねえ、そちら二人とも、それに他の怪我人達も、暫く保つかな?」

「え?あ、ああ……まだ、大丈夫さ。そう簡単に、くたばりやしねえ」

 

 ガザが強がるように声を言い放つ。嘘つけ死にかけてるだろと言いたかったが、今、目の前に居る恐らく自分たちを助けに来てくれた相手を、邪魔することだけはしたくないというのなら、それはレイも同じだった。彼女に向かって強く頷く。

 

「私達は、大丈夫」

「無茶はしないでね」

 

 コチラの意図を酌んでくれたのか、彼女は優しくそう言うと、回復薬を数本こちらに放る。そしてそのまま一人で天衣に向かって歩いて行く。レイは慌てて注意を叫んだ。

 

「気をつけて!尋常でなく強い!マトモにやり合える相手じゃない!!」

「ん、よーく知ってる。同僚だからね。いや、先輩かな?」

 

 なんだって?と聞こうとしたが、その前に黒炎七天は動き出した。先程よりも更に俊敏に、つかみ所の無い速度で揺らぎ、蠢いて、目の前の少女を刈り取ろうとする。

 

「行くよ。アカネ。黒炎に焼かれないようにね」

《んにーさっそくむちゃぶりー》

「王に大分無茶を言って来ちゃったからね。失敗はできない」

 

 対して少女はその場を動かず、二本の剣を深く構え、言った。

 

「七天の勇者ディズ。黒炎に飲まれた同胞の無念、此処で晴らさせてもらう」

 

 自らをそう名乗った彼女は、金色の光となって駆けていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「さて」

 

 戦場を見わたせる廃墟となった塔の頂上で、シズクは戦況を把握する。【黒睡帯】で目を覆うが、視界を使ってはいない。彼女が取得している情報は音だ。

 

《カカカ!!派手に征くぞ-!!!》

《遠距離主体でいこうか。アカネ》

《うにー!!》

 

 この灰都ラースの彼方此方で起こった戦闘をシズクは掌握している。右手に繋がる【銀糸】が、灰都に張り巡らされている。全ての音を拾っていた。負傷者がいれば助け、戦況が不利になっていれば手を貸すために。

 

 そして何よりも、脅威となる七天以外の黒炎鬼達を処理するために。

 

『aaaaaaaaaaaaaa……』

「黒剣騎士の皆様でしょうか」

 

 シズクの立つ建築物の周囲には、黒炎鬼達が集結していた。鬼達が身につけている装備は、黒い鎧。それ以外の姿の鬼達もいる。ヒトがあつまったことで、外に散っていた者達が集まりつつあった。

 灰都ラースと、焦牢で起こった出来事の詳細までは、彼女は把握していない、が、悲惨な事があったのだけは分かった。

 

『aaaaaaaaaaa……』

「憤怒の呪い。苦しいのでしょう。出来るなら、救って差し上げたいのですが……」

 

 そう言いながら、シズクは彼らを十分に引き寄せて、不意に地面を蹴る。ふわりと彼女は宙に浮いた。自在に空を駆ける高度な浮遊の魔術を既に彼女は修めている。そして、

 

「貴方たちを終わらせることしか出来ないのです」

 

 指先まで纏わり付いた銀糸を指で弾く。その指先まで

 

「【風よ謳え、響き、砕け】」

『a――――――』

 

 次の瞬間、音が反響し、彼女の足下にあった建物が一気にボロボロと砕けていく。数百年支え続け、老朽化した柱が、シズクの起こした音によって崩壊を開始した。シズクへと迫っていた黒炎鬼達を巻き込んで、落下していく。

 

 そして、そのまま、指を空へと向ける。

 

 ラース一帯を彼女は把握し、そしてすぐに“ソレ”には気がついた。灰都ラースに最初に足を踏み入れた黒剣騎士団達の大敗走の副産物。不死鳥を殺すとき、クウが使用した大量の竜殺し。

 

 それがシズクの手によって回収され、宙へと浮き上がり、振り注ぐ。

 

「【物質流転】」

 

 落下し、それでも尚蠢き、薪を求めんとしていた鬼達は、竜殺しによって次々と貫かれる。黒い炎は消し去られ、鬼達は苦しむような動作をするが、次第に、動きを止めていく。

 

「――――どうか、私は許さなくともよいですから、彼らをお許しください」

 

 シズクは、悲しげな表情で小さく祈りを捧げる。

 そしてそのまま、視線を灰都ラースの中心地へと向ける。距離があるここからでも見える大罪竜ラース、その遺骸。

 そして、随分と顔を合わせていない自分達のリーダーが、あそこに居ることを、シズクは悟っていた。だが、しかし、此処を離れるわけにはいかない。

 

『aaaaaaaa……』

「……現存する全ての呪いが集まりつつあるのですね」

 

 あちこちから呪いの声が響く。油断できる状況では全くない。

 現状の地獄、ウルが牢獄のなかで築き上げた仲間たちの全滅という最悪だけは回避しなければならない。ウルはきっとそれを願う。

 だからシズクは、ウルがどれほど心配であっても、彼の願いを実行する。

 

「どうか、ご無事に、乗り越えてください。ウル様」

 

 シズクは囁くように祈った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑧ 生き抜くということ

 

 

 【大罪竜ラース中心部 大罪制御器官管理区画】

 

「はっ………はっ……」

 

 クウは、全神経を集中させて、自らの身体を影の中に隠していた。

 彼女が扱う影の魔術は一見して強力に見える。あらゆるものを運び、隠し、移動させ、時に形を成して暴れさせる。何より精霊の奇跡に等しい転移の魔術を個人で成立させているのだから。

 しかし、当然ながら強い力には制限や危険がつきまとう。

 彼女の影の中には彼女が選び、格納したモノ以外は存在できない。外の世界では当然のようにある様々な物質が存在しない。故に物資の保存には向くが、一方で生物が中にいるには全く向かない。

 

 クウは自在に自らの影に潜り、転移している様に見せかけているが、それは容易な事ではない。影に潜む度彼女は、生命の危機に瀕している。自身の身体を影で一回り覆い、維持し、そして沈む。それを維持するだけでも頭がねじ切れそうになる。誤って解いてしまえばその瞬間、自分の身体が影の中で潰れて、自滅するだろう。

 ラースに来てからはそれを連発していた。神経が焼き切れそうだった。しかし今は、それを解くわけにはいかない。影に潜み続けなければならない。

 

『aaa……』

 

 黒炎天剣が、すぐ側にいる。

 うめき声をあげながら、その場を動かないのは、恐らく至近でウルとクウ、その二人を同時に確認したからだ。最も近かったウルを斬り付け、次にクウを狙おうとして、彼女を見失ったのだ。今はそれを探している。その様子を、クウは天剣の影の中からじっと観察し続けていた。

 

『aaa』

 

 そしてやがて、諦めたのだろう。天剣は動き出す。自分が斬り、なぎ倒したウルの方角だ。恐らくまだ彼は死んでいないのだろう。完全に黒炎の薪とするために移動し始めたのだ。クウはホッとしながら、ゆっくりと、間違ってもウルと天剣の距離を見誤らないようにして影から抜け出した。

 

「……運が回ってきたって事かしら。あるいは彼の運が悪いのか」

 

 幸運だった。と言うほか無い。もし天剣との距離が、ウルよりも自分が近かったらその場で全て終わっていた。ウルの方角へと天剣が動いた瞬間彼女は影に潜み、そしてその場を凌ぎきった。

 

 別に、それを卑怯とも不本意とも彼女は思わない。そんなことに興味は無かった。

 彼女にとって重要なのは、イスラリアを消し飛ばせるかどうかという一点のみ。

 

「【心臓】の臨界点までもう少し……」

 

 球状のドームの中心、赤紫の核の脈動に彼女は口端をつり上げる。

 もうすぐ全てが終わる。自身の長い旅路にゴールが見えてきたのだ。そうすればやっと、やっと――――

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、感慨にふける彼女の耳に届いたのは、聞き慣れた、不愉快な鳴き声だった。

 

「フィーネ……こんな所までくるの?」

 

 クウは上を見上げる。真っ黒な炎を身に纏った怪鳥。黒炎不死鳥が、竜の身体の隙間から這い出すようにしてこちらにやってきている。渦巻く竜の身体の隙間から頭だけ突き出た姿は滑稽だったし、何度殺されようとも同じ攻撃を繰り返す姿は愚鈍と言ってもいい。

 不死鳥という、伝承の生き物にあるまじき泥臭さだ。クウとしてももうウンザリだった。

 

「悪いのだけど、もう邪魔しないで…!」

『AAAAAAAAAAAA!?』

 

 まだ、身体が挟まって上手く動けずにいる不死鳥の翼を竜殺しで叩き切る。竜殺しの貯蔵は彼女の影のなかにまだあった。黒炎に呪われた不死鳥の肉体であっても、一部を傷つけるくらい彼女でも出来る。

 不死鳥が厄介で、そして黒炎払い達に対処させるよう誘導せざるを得なかったのはその不死性だろう。片手間で相手できる存在ではない。やるべき事がある彼女にとって目の上のタンコブだ。

 だから、ウルとまとめて処理しよう。

 

「【影よ】」

 

 痛みに悶える不死鳥の身体を影で捕らえたクウは、そのまままるで影ごと背負い投げるように、不死鳥をウルが吹っ飛んだ方角に投げつけた。それはまさに、天剣が今歩みを進めている方角だ。

 ウルという薪を前に、新たなる薪の候補を投げつけて、クウは薄らと笑った。

 

「仲良く殺されてくださいな」

 

 不死鳥の襲撃は鬱陶しいが、幸運でもあった。

 天剣がウルを殺した後、こちらに襲いかかるリスクは低くなる。不死鳥は死なない。そして不死鳥は呪いを纏っていても、黒炎鬼ではない。故に黒炎鬼の攻撃対象だ。永遠に殺されるデコイ代わりになる。

 クウにはまだ仕事が残っている。イスラリアを滅ぼすべく、最後の仕事のため彼女は不死鳥とウルに背中を向け、【大罪竜の心臓】へと手を伸ばして、笑った。

 

「さあ、もうあと少し――――」

『aaaa』

 

 不意に後ろから、黒炎天剣のうめき声が聞こえてきた。ウルか不死鳥か、あるいは両方かを斬り殺したのだろうか。クウは気にしなかった。目の前の核にだけ彼女は集中し続けていた。

 

『aaa,aaaaaaaaaaaa,aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』

「――――…………え?」

 

 しかし、あまりに長く続いたそのうめき声に振り返らざるを得なかった。

 そして彼女は見た。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』

 

 黒炎天剣、その胴体から竜殺しの槍が一本、突き出ているのを。

 

「…………は?」

 

 その光景の意味を、クウは最初全く理解が出来なかった。理解を脳が拒んだ。

 それが、ウルの仕業ではないかと考えた。しかし見れば、ウルはまだ遠く地面に転がっている。彼のまわりは真っ赤に染まっていて、間違いなく死に瀕している。何かできるとはとても思えない。不死鳥も同様だ。二つの翼が切り裂かれたことに悶えている。そもそもどちらも天剣からはまだ距離があって、近付いてすらいない。

 

 なら、天剣の身体を竜殺しで刺し貫いたのは、何?

 

 奇妙な現象はまだ続く。胴体を刺し貫かれた天剣は、しかし抵抗する様子がない。肉体が損壊し、黒炎が竜殺しによって喰われて悶えてはいても、それに対して抵抗する様子が、何故か無い。

 

『aaaaaaaaaa……』

 

 天剣が暴れる。蠢く。そして、染みついた条件反射だろうか。距離を置いて膝をつく。その先に居たのは、竜殺しで天剣を刺し貫いたのは――――

 

「………ボル、ドー?」

『aaaa――――おお、クう、元キそウで何ヨりだ……』

 

 黒炎鬼を示す角が伸びた、黒炎払いの隊長たるボルドーが、クウを見つめ、獰猛に笑った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『aaaあああ………聖、じょ、よ』

 

 黒炎払い隊長、鬼となったボルドーを前に、アナスタシアは自分の終わりを覚悟した。

 自分が巻き込んで、自分の所為で苦しんで、自分の所為でこんな無残な姿になったヒト相手に終わるなら、これほど相応しい最後はないだろう。濃密なまでの死の運命の気配に、彼女は全てを受け入れる覚悟でいた。

 

『どウやラ、そちらモ、もう後が、ないらしいな』

「………え?」

 

 ところが、その彼の口から発せられた声は、理性的なもので、彼女は目を見開いた。もう一度彼の姿を見る。彼の身体は黒い炎が燃え上がり、胸には穴が空いている。身体に巻き付けられた黒睡帯は焼き爛れ、頭には角が伸びかかっている。

 完全に黒炎鬼の姿だ。しかし、黒睡帯が焼き爛れ覗く彼の瞳は、真っ直ぐこっちを見ていた。黒炎鬼に視界など無い。目が合うと言うことは、鬼ではない。

 

「……ボルドー、隊長、意識が、あるのですか?」

『aa……まだ、完全に、鬼ではないのだろう。時間の、問題だろうが、な』

 

 ぐぐぐ、と喉を鳴らす。笑ったのだろうか。くぐもった声だった。

 時間の問題。そうだろうと思った。体力を消耗した今のアナスタシアよりも更に増して、今のボルドーの身体は悲惨だ。そんな彼の姿も自分の所為だと思うと、アナスタシアは悲しくなった。

 

 だが、そんなアナスタシアをみて、ボルドーは笑った。

 

『嘆、くナ。聖女、俺は、悪い気分じゃあ、ないんだ』

「え?」

 

 ボルドーは自らの両手を見る。黒炎が燃え移った両手を見て、彼は歯を剥き出しにして笑った。

 

『元より、俺の中には、憤怒が渦巻いていた。だから、この身に、なっても、なにも変わらン。むしろ。スッキリしタ』

 

 黒炎は憤怒の竜の呪いだ。炎に焼かれた者は、発狂するような怒りに魂を焼き切られて最後を迎える。だが、ボルドーは違った。元から彼は狂っていた。薄皮一枚のところで理性を保たせていたにすぎない。隊長という責務の皮の下で、彼はとっくにおかしくなっていた。

 

『隊長などと、賢しらにしていたのが馬鹿馬鹿しイ。俺は元からこんなザマだ。』

 

 だから、彼は黒炎鬼になりかかっても尚、自分を保っている。それほどまでの狂気をずっと、抱えて生きてきたのだ。

 

『お前は、ドうだ。聖女…?』

「わ、たし?」

『オレは、コレから、己の憤怒を、晴らシに行く。付き合うカ?』

 

 その問いに対して、彼女は即答した。

 

「――――共に、征きます」

『死ヌぞ』

 

 そうだろうな、と、アナスタシアは思った

 自分の身体が、状況が、運命の流れが、何もかもそう告げている。

 そして、自分の命に未練がないわけではない。地下牢の中での、彼や、ペリィと一緒に試行錯誤する日々は、まばゆかった。楽しかった。ずっと皆と過ごせれば、どれだけ幸せだろうと、そう思った。

 

 でも、それでも、

 

「いいえ。死にに、いくのでは、ありません」

 

 死にに行くのではない。死ぬ為に行くのではない。

 

「生きて、最後まで生き抜くために、私たちは、いくのです」

『嗚呼―――――その通りだナ』

 

 その言葉に、ボルドーは奇妙な声で笑った。苦しげで、それでも、本当に、心から愉快そうな声だった。

 

『全ク、生き抜くというのハ、なんト、困難なのだろうな……!』

「ええ、本当に――――でも、それでも」

 

 それでも、二人は先へと進む。

 

 生きて、戦うために。彼のように。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑨ かくして彼女は人生を謳う

 

 不死鳥フィーネにとって、ヒトとの関わりはもう縁無きものだと思った。

 ラースの崩壊時、自らの主である天祈の願いを託された後、大罪竜ラースの遺骸に近付く者は問答無用で破壊してきた。

 そこに一切の容赦などなかった。問答もなかった。

 惨い事だった。フィーネは元々優しい不死鳥だ。それが黒炎の呪いがこびりつくほどの死と破壊、殺戮を繰り返した。そして数百年を守り続けた。後悔はしないが、悲しかった。

 

 だから、ヒトとの関わりは諦めていた。筈だった。

 

 ――俺達を手伝エ、不死鳥よ

 

 しかしまさか、ヒトですらない、黒炎鬼になりかかった存在にそんな提案をされるとは思いもしなかった。

 鬼へとなりかかった男と、それに背負われた死にかけの女、奇妙な二人組は、天剣に破壊され、なんとか再生していた不死鳥に語り掛けてきた。

 

 ――お前だけでハ、アレには勝てぬ。手伝え。

 

 確かに、不死鳥では、あの鬼には勝てない。

 どれだけ遠距離から炎を叩きつけようとも切り裂く。大剣を叩きつけようとも、剣を真正面から砕いて破壊する。近付けば、もう抵抗しようがない。首を切られ、翼を折られ、腹を引き裂かれた。

 黒い女、アレを止めなければならないのに、自分だけではどうにもできない。

 

 ――力を寄越セ

 

 その言葉に不死鳥は少し迷ってから頷いた。そして―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『寄越せェエ!!!不死鳥オオおおおオオおおおお!!!』

 

 大罪竜ラースの中心地にて、黒炎鬼が叫ぶ。不死鳥はその声に応じた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 不死鳥の炎の加護が零れ出す。

 聖炎を付与し、相手を守る不死鳥の力は、しかし今は呪いの炎を相手に宿し焼き付くす。が、しかし、対象とするのは黒炎鬼となりかかった男だ。その身は呪いにまみれている。故に黒炎そのものが糧となる。

 その身に伸びた角が、鬼の角、竜の角が歪に歪み、伸びる。

 

『砕けよぉ!!天剣んんんんんんん!!!!!』

 

 鬼が鬼へと憤怒を叫んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「な……!?」

 

 クウは、目の前で起こった光景のあまりの意味のわからなさに目を見開いた。

 まず、ボルドーが生きていた。いや、あれを生きていると言って良いのか分からない。天衣によって腹を貫かれて、黒炎に呪われて、炎が噴き出している。間違いなく鬼になっている。頭に歪な角が伸びているのだ。

 それが、何故か同じ黒炎鬼の天剣を襲ってる。しかも、不死鳥に強化されて。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaa!!』

 

 天剣に竜殺しが突き刺さっている。ウルの持つ特別製とは違う筈だが、黒炎鬼に対しては間違いなく特攻だ。しかし、それでも相手は天剣。ならば急所を抉られようと、真正面から叩きのめす事が出来る筈だ。あんな愚直な突進攻撃など、一振りで両断する。

 

 なのに、何故

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』

「どうして無抵抗に……!?」

 

 天剣は、ロクに抵抗する様子が見えなかった。

 黒炎鬼に急所の概念もない。心臓を貫かれようと身体は動かせる。それなのに、目の前の敵に対して攻撃しようとしない。これは――――

 

『侮ったナあ!!クウ!!!』

 

 ボルドーは叫ぶ。黒炎払いの隊長として何時も物静かだった彼からは想像もつかないほどの狂気に満ち満ちていた。目の前の天剣を蹴りつける。尋常ならざる力で天剣の身体は吹っ飛んだ。やはり、無抵抗のままに。

 

『数百年経って呆けタか!!()()()()()()()()()()()()()!!!』

「な……!?」

 

 当然、と言えば当然の話だ。

 黒炎鬼は黒炎鬼同士の共食いをしない。既に燃えている薪に興味を持たない。認識できない。感知しない。だから、目の前で攻撃をしかけてこようとも、反応できない。

 今のボルドーは不死鳥のように呪いを纏った生者ではない!燃やすための薪など殆ど残っていない!鬼は目のまえに何があるのかを感知できない!

 

『黒炎鬼に飲まれた七天は、俺にとっテただの案山子よ!!!』

 

 すさまじい力で、ボルドーは天剣の体を蹴り飛ばす。天剣は無抵抗にクウの背後まで吹き飛ばされていった。

 

「【影よ!!!】」

 

 クウは慌てるように、影を動かした。切り札である天剣が使いものにならない。ならば自身で打ち倒すしか無い。そして相手がボルドーならば、彼女は殺しきる自信があった。魔術の技術は極めているし、ボルドーが自身の脅威になるとは思えない。

 

 更に言えば、彼のあの状況は絶対に長続きする筈がない。

 

 恐らく黒炎鬼になる直前も直前、本当の瀬戸際でギリギリ意識を保たせているにすぎない。意識が保っているだけでも異常だが、それ以上の奇跡が起こる筈もない。時間を稼ぎさえすればそれだけで勝手に燃え尽きる、筈なのだ。

 

『温いわぁ!!!!』

 

 だが、ボルドーは止まらない。不死鳥の加護により燃えさかる黒炎は力を増し、恐ろしい勢いでボルドーの身体を奔り、彼が振るう槍から放たれる。生き物の様に黒炎はクウの影の魔術を焼き払う。

 

 まさか、この期に及んで黒炎鬼が敵になるなんて!!

 

 黒炎鬼を利用する立場だった彼女が、その鬼に逆襲されている事実に歯噛みした。そして、幾ら彼女が利用しようとも、彼女が邪教徒と呼ばれる立場にいようとも、彼女自身が生者である以上、黒炎の呪いは恐るべき危険を秘めている。焼かれれば、癒やすことも出来ずに憤怒に飲まれて発狂する。

 

「燃え尽きる直前の蝋燭が!!」

 

 だが、それはボルドーとて同じ筈だ。

 あんな滅茶苦茶な黒炎のブースト、長続きするはずがない。それさえ凌げば、後は勝手に燃え尽きる。鬼としての肉体すら燃え尽きて、黒炎そのものになってボルドーは終わる。

 

 だったら、相手にする必要なんて無いはずだ。

 

 クウは自身の影に再び身を沈める。魔力の消耗が激しいが、四の五のと言っていられない。この場を凌ぐことが最優先だった。影に凌いで、勝手に彼が燃え尽きて、その後に【心臓】の操作を再開する――

 

『ほウ、悠長だな』

 

 そう思っていた彼女に、ボルドーの声が聞こえてくる。嘲るような声で、彼はクウと、そして”彼女の背後”を睨んだ。

 

()()()()()()()()()()()。どれだけ腸が腐っていても、お前は生者だぞ?』

 

 その言葉に、クウは眉を潜める。

 先程ボルドーが凄まじい力で蹴り飛ばし、後方に吹っ飛んでいった天剣。死に損ないのウルの側から引き離されて、蹴り飛ばされて、今現在その天剣と最も近い距離にいるのは――――自分だ。

 

「――――は?!」

『aaaaaaaaaaaaaaa』

 

 振り返れば、天剣が既に大剣を振りかぶり、振り下ろしていた。

 

「―――――っっ!?!」

 

 回避も出来ず、クウの身体を剣が切り裂く。幾つも重ねて装備していた守りの護符も、呪い避けの符も、一瞬で切り裂かれ、焼かれていく。

 

「っぐ、ああ!」

 

 血塗れになりながらも、彼女はそれでも必死の形相で影に逃げ込んだ。

 

 状況は加速していく。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 不死鳥フィーネはゆっくりと腰を下ろした。そして背中に背負ったもう一人を地面へと下ろした。

 

「……ありが、とう。守って、くれて」

 

 アナスタシアは疲労で震えそうな声で、不死鳥に礼を言った。

 道中、不死鳥はボルドーとアナスタシアを守り、この中央へとたどり着き、クウに狙われて落下して、吹き飛ばされても、アナスタシアの身体を離さなかった。既にロクに身体に力の入らないアナスタシアが振り落とされぬよう、そして自身の黒炎に焼かれてしまわぬように、ずっと守ってくれていたのだ。

 ボルドーは不死鳥に協力を要請したとき、細やかな指示は出さなかった。ただ自分を手伝って、遺骸の中心部へと運べと命じただけだ。だからアナスタシアを不死鳥が守ろうとしたのは、不死鳥自身の意思だ。

 

『AAA……』

 

 不死鳥が鳴く。言ってる意味が分からない。だが優しい気がした。

 やはり、理性は残されているのだろう。とアナスタシアは理解する。この大罪竜ラースの遺骸が悪用されぬよう、ずっと守り続けていた。そして、不死鳥がそうしなければならなかった意味も今なら理解できる。

 中心で脈動する赤紫色の何か。恐らく、黒炎の全ての中心であろうと思われるそれを、アナスタシアは体中で感じている。

 

 視力無く運命のみを見取る【運命の聖眼】が機能しない。

 視野一杯に、恐ろしい運命の脈動が溢れている。

 死の闇と、絶望の紅。それらが絶えず混じり、流れ込んでくる。それも膨大な量だ。

 

 此処に留まってはいけない。アナスタシアは血塗れになっているウルの身体に触れた。

 

「ウル、くん」

「…………ア、ナか……」

 

 返事はあった。だが、息も絶え絶えだった。身体を起こすことも出来ず、ウルは顔だけを彼女へと向けた。

 

「回復薬、は」

「ガザに、全部使っちまった。ミスった、な……」

 

 一本くらい取っておけば良かった、とウルは力なく笑った。彼の身体はダヴィネ自慢の兜を砕かれ、鎧をも貫通して深く身体を斬り付けられている。血塗れで、黒炎に焼け、呪われてもいた。致命傷だと誰の目にも明らかだ。

 ウルにもハッキリと分かったのだろう。ウルはアナスタシアへとハッキリと告げた。

 

「アナ、ここから、逃げろ」

「逃げる」

「クウが、何する気か知らんが、ここよか、マシだろさ……」

 

 ウルはそう言って、無理に口端をつり上げて、笑って見せた。手の平でウルの頬に触れるアナスタシアに、伝わるように。それが、今彼が出来るこちらに対する精一杯の思いやりであると彼女には分かった。

 アナスタシアは小さく俯いた。

 

「――――それが、今、貴方が、やりたいこと、なんです?」

「そー、だよ」

 

 死の間際に、自分の仲間を気遣って助けること。それがエゴだと彼は言う。

 望むまま、望むように彼は生きている。そして今、目の前の自分が無事でいることが、彼の望みの全てなのだと、そう言ってくれた。

 彼には外で、待っている妹が居るといつか言っていた。奇妙な縁で結ばれた仲間達もいるのだと。今、彼がただアナスタシアの無事を願うのは、彼らに手を伸ばすことができないからだとアナスタシアには分かってる。

 それをわかっていても、今、ただ自分一人に、彼の願いが向けられたことが嬉しかった。

 

「後で、俺も、逃げる、か、ら――――」

 

 そういって、彼は不意に意識を失った。呼吸も浅い。心臓の鼓動も小さい。多分このままだと彼は死ぬだろうと、すぐに分かった。

 

 でもそれは自分だって同じことだ。

 

「ああ、……』

 

 ずっと抑え込まれていた呪いが、激しさを増していく。全身の呪いの跡が熱を持ち始めていた。今日まで奇跡的に抑え込まれていた呪いが、一斉に暴れ狂い始める。

 呪いの根源に近づいたからだろう。【発火】が起ころうとしている。尽きかけた命を薪に、新たな呪いを産み出そうとしている。

 

 しかし、アナスタシアは歯を食いしばった。

 

「……あげない」

 

 自分の声が、怒りに満ちていることに、アナスタシアは驚いた。

 

「絶対に、絶対に、絶対に……あげない……!」

 

 最後まで生きるために、前に進むためにここまできた。

 もうこの命、一欠片も、呪いなんてものに食わせてやる余地はない。

 

「私の命の使い道は、私が決める……!呪いなんかに、くれてやるものか……!!!」

 

 己を奮い立たせるように叫びながら、アナスタシアは自らの【運命の聖眼】に触れる。

 実体のない、魔力の塊であるそれは、不意に彼女の焼き爛れた瞳から外れる。翡翠の魔力の塊となったそれを、彼女は指先で触れ、叫んだ。

 

「【我が、運命の、全てを此処に!!!】」

 

 呪いが手を伸ばすよりも早く、悍ましき竜の呪いの手で焼き尽くされるよりも前に、薪となるはずだった命の全てを自らの聖眼に集める。己の魂、一滴残らず、全て。

 

「私の全て、貴方に、預けます。どうか、生き抜いて」

 

 もう言葉は交わせない。別れではあるけれど、それでも共に在ることはできる。

 

 自身の命の注がれた翡翠の瞳を咥え、ウルへと口づけて彼へと注いだ。運命の聖女が十年間溜め込んだ膨大な魔力と、彼女の命の灯の全てがウルの身体へと溶け込んで満ちていく。

 

 間に合った。

 

 同時に、彼女の身体はくてん、と、力が抜けていく。ウルの身体に覆い被さるようにして彼女は倒れ込んだ。生命の全てを譲渡し、抜け殻となった彼女の身体は、灰のように真っ白になって、黒炎の砂漠の砂と同じように、砕けていく。

 

 自分の為に、貴方を利用してごめんなさい。 

 

 そんなふうに謝ろうとした。しかし、口からこぼれたのは別の言葉だ。

 

「好きです。愛しています。嬉しかった。楽しかった――――さようなら」

 

 やりたいことを全部した。無縁と思ってた恋もして、言いたいことを全部言った。

 

 なんて、素晴らしい人生だったんだろう。

 

 アナスタシアは満足して笑った。そして星屑のように煌めいて、消えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

精神性の怪物 上

 

 【星海】

 

『ああ  これで  終い   か   』

 

 悍ましき白の少女の姿、大罪竜ラストの断片は、つまらなそうにその結果を受け入れた。

 大罪竜の目の前には、ウルがいた。肉体を両断しかねないような深い傷を負い、血を流し倒れる哀れな少年の姿。今にも死にそうな、というよりも今まさに死に絶えようとしている少年の姿。

 それは当然、彼の実体ではない。彼の身体は今も灰都ラースの遺骸の中にある。ここにあるのは魂の像でしかない。ラストの魂はウルと繋がるが故に、ラストが潜り込んだ星海に彼の身体が顕現している。

 そしてその繋がりも今まさに、終わろうとしている。見ている内に、ウルの魂は解けて端から砕けていく。同時に、ラストの断片の身体もそうなろうとしてた。

 

『少しは   暇つぶしには   なったが   最後は   呆気ない  』 

 

 ラストの断片にも、ラスト本体の記憶は存在している。

 迷宮の奥底にあった大罪竜もまた、断片自身であり、断片もまた大罪竜本体だ。そこに区別も違いも無い。故に記憶がある。記憶の中の少年の姿は、哀れで、貧弱で、無力で、しかし苛烈だった。

 

 多少は、面白いことになるかという期待があった。

 

 実際、あの()()()の【憤怒】の元へとたどり着けたのは、中々、見応えのある見世物と言えなくも無かった。が、それも終いだ。まあ、この程度か、と、ラストは溜息をひとつついて、そのまま崩壊に身を委ねていた。

 

「いやいや、まだわっかんねえんじゃねえか?」

 

 だが、そこに、彼女の声でもウルの声でも無い、第三者の声が聞こえてきた。

 ラストは、眉をひそめ、振り返る。静かな夜と星空に満たされた美しい世界で、その声の主は一人真っ黒な闇で身体を被っていた。

 

『……  スロウス   』

「ブラックって呼んでくれよ。あんなねぼすけと一緒にしてほしかねえな」

 

 魔王、ブラックはケラケラと笑いながら修正した。ラストは心底不愉快だといった表情を隠さぬまま、ブラックをにらんだ。

 

『何を  しに  来た』

「ソイツの見物」

『趣味が   悪いな。 もうすぐ   きえる  相手を   か』

 

 そいつ、とブラックが指すウルはまさにいま、消えようとしている。これを見物しに来たというのであれば、まさしく最悪の趣味だろう。断片と言えど、大罪竜からそう罵られる者はそうはいないだろうが。

 

「いやいや、だからまーだわっかんねえって。なあ?“兄弟”」

 

 兄弟、とそう呼んで彼は振り返る。彼の視線の先にはもう一人の影があった。それを見た瞬間、ラストはぎょっと表情を歪め、眉をひそめた。

 

『 天   賢    王   』

「ラストの破片。“回収し損ねたモノ”がこんな所にいるとは」

 

 天賢王。イスラリア大陸の中で最も偉大なりし賢王がそこにはいた。超越者めいた黄金の王と漆黒の魔王は二人並ぶ。その二人を前にすると、世界の破滅を願う竜であっても、今まさに消えようとしている魂では、圧で負けていた。

 

『支配者と   破壊者が   肩を並べるか    世も  末だ』

 

 皮肉を言ったところで、天賢王は一切表情を変えず、そしてブラックはニタニタと笑うばかりだ。ラストからすれば不愉快な時間だった。皮肉の一つでもこぼす気にもなった。

 

『コレが 壊れたラースを  喰らう  期待でも  したか? 黒炎に近づけぬ臆病者』

「そうだな」

 

 皮肉に対して、天賢王は真顔で頷いた。小手先の軽口など、この世界の王には何一つとして通じない。皮肉だと理解しているかも怪しかった。

 

「万一にでも新たに七天が黒炎に飲まれれば、収拾がつかなくなる。かつての王達もそれを恐れた」

『それで   咎人を差し向けるか   下らぬ』

「提案者は私ではないがな」

「俺だって、面白そうだからちょっと誘導しただけで、1度だってソイツにやれとは言ってねえよ。黒幕扱いするのは勘弁して欲しいぜ」

 

 王の指摘に、ブラックは口先を尖らせる。場所がこんなところでさえ無ければ、悪友同士の下らない雑談にしか見えないだろう。

 

『もう  いい   勝手に  やっていろ 』

「つれないねえ?それで、お前はこのまま消える気かい?」

『そう  思っていた  が   お前らを見て  気が変わった』

 

 そう言って、ラストは、崩れようとしているウルの魂に手を伸ばす。

 

『終わりかけの  器だが   支配すれば   多少は持つだろう』

 

 ラストは他の大罪竜達と比べれば不真面目だ。気弱でも真面目な【虚栄】や、【強欲】のような事はしない。故に、此処で消えて無くなろうとも、構わないとすら思っていた。

 

「いいように  つかってくれたおかげで   繋がりは強固となった  干渉も容易だ」

 

 だが、【色欲】は本質的には性悪だ。

 

『こいつを使い   イスラリアを   壊してやろう   嗚呼   ウルの仲間を  殺してやるのも   一興よなあ?』

 

 ラストは嗤いながら、崩れかけていくウルの魂に手を伸ばす。死にかけの肉体。死にかけの魂。造作もなく支配できると、ラストは確信していた。

 

 だがしかし、そんな色欲の確信を嘲笑うような、ブラックの笑い声が星海に響いた。

 

「まだわかんねえって言ってんだろ――――()()()()?」

『     え? 』

 

 次の瞬間、小さな少女の姿を模したラストの首に、逆に手が伸びた。

 

『   が   !!   !??』

 

 ラストは驚き、目を見開く。意味が分からず、激しく混乱した。そして自分の首を掴んでいる相手が、先程まで消えかけていたウルであるという事実を理解するのに更に時間が必要だった。

 

「ラスト」

 

 星海という、この世で最も静寂な世界において、その声はあまりにも荒々しく、禍々しかった。人類の大悪を担う竜すらも飲み込むほどに。

 

『触れ  るな  !!』

 

 ラストは反射的に、ウルを砕こうと力を振るった。彼が死ぬと自分も死ぬ。それを理解していながらも、そうせざるをえなかった。大罪の竜よりも以前に、生物という枠組みにあるが故に備わった本能が、目の前の怪物を拒絶した。

 

「【混沌掌握(アナスタシア)】」

『  な  に?  !!?』

 

 だが、払おうとした手が突然動かなくなった。ラストの眼前で、ウルの両の瞳が魔眼の輝きを放っていた。“昏い翡翠の光”、運命を、混沌を支配する凶眼がラストを掌握した。

 身じろぎ一つ取れなくなったラストの身体をウルは抱き寄せて、そして小さく囁いた。

 

「寄越せ、全部」

 

 何かが自分の身体に食い込んだ。

 歯だ。

 自分の首が、魂が、ウルに食い千切られている。得体の知れぬ快楽が訪れる。揺らし、狂わせ、支配する自分の権能が逆流している。

 それが意味することは明確だ。

 

 喰われる。

 

 奪われる。

 

 支配される。

 

『あり   えぬ   !    ?? 』

「それがあっちまうんだよなあ」

 

 狼狽え、混乱する大罪の竜の悲鳴を楽しげに聞きながら、ブラックはその疑問に応じた。ラストに、ブラックの解説を聞き取る余裕など皆無だろう。それでもブラックは続ける。

 

「此処は魂の世界。肉体がどれだけ強かろうが、類い希な祝福(ギフト)があろうが、関係ない」

「力を再現できても、魂が圧されれば意味は無い」

 

 アルノルドも、ブラックの言葉に同意した。二人は淡々と、色欲の大罪竜が致命的に見誤ったという事実を告げた。ブラックは、救いを求めるように視線を彷徨わせたラストと目を合わせて、その有様を嘲った。

 

「無駄にダラダラ生きて膿んだ魂じゃあ、その怪物には勝てねえよ――――可哀想にな?」

 

 拒絶することも出来ずに支配される。ラストは少女のような悲鳴をあげた。

 

「な?悪くないだろアイツ」

「……」

 

 その惨たらしい陵辱を、支配者と破壊者は傍観し続けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 燃えるように熱い。地獄のように痛い。

 

 天剣によって自身を切り裂かれたクウは、黒炎の呪いの凶悪なダメージに悶えていた。痛みと熱が、自分を焼く。声も無く地面をのたうってしまいたかった。

 

 でも、それができなかったのは、彼女の中に在った使命故だ。

 

「【影よ!!】」

 

 影の魔術で波を作る。天剣を乗せて、位置をずらす。

 自分を破壊する攻撃に対しては黒炎鬼は敏感に反応するが、ただの移動に対しては鈍いと彼女は知っている。数百年の知識が生きていた。

 

『器用ナものだな。貴様も黒炎払イになればヨかったのに…!』

「っ……!!」

 

 だが、それと入れ替わるようにボルドーが急襲をしかけてきた。クウは影の魔術で牽制し、弾くが、ボルドーは真正面から力尽くで、影の魔術を破壊する。彼らしからぬ荒々しさだったのは、それも呪いの影響だろうか。

 

「大丈夫な、の…!?その竜殺し、貴方自身も殺しかねないんじゃなくって…!?」

『自分の手下ノ攻撃で今死にかかってル貴様がそれを言ウか?』

 

 全く、同意見だとクウは心中で思った。

 ボルドーの動揺を誘うことは、どうやら難しいらしい。自分と同じように、もう彼は自分がどうなろうとも構わないと本気で思っている。そして時間も無い。不死鳥の加護だけでもボルドーは手が付けられないのに、不死鳥自身がもうすぐ回復する。そうなれば天剣を誘導する余裕すら、無くなる。

 もう、時間も無い。

 

 だったら、仕方が無い。

 

「【起動】」

 

 クウは、【竜の心臓】へと手を伸ばし、仕掛けを動かした。

 

『――――!?』

 

 その次の瞬間、心臓の脈動が激しさを増した。

 否、最早脈動とは違うだろう。不規則な揺れと連続した振動。そしてこの空間の中心である赤紫の核に灯る黒炎。それらの異常を前にボルドーは目を見開き、そしてクウを睨んだ。

 

『何を、シた?』

「本当は、もっと、大罪を溜め込んでから起動させたかったんだけど、仕方、ない。仕方ないから今、()()()()()()()()()()

 

 大罪竜の遺骸に残されていた機能を停止させることでクウはエネルギーを凝縮させていた。限界を超えれば自然と爆発し、イスラリア大陸全土を破壊する事が出来るように仕向けていた。

 しかし、それはどうやら難しいらしい。少なくとも、その全てが完了するまで自分が生き残ることは出来ないようだ。

 だったら仕方が無い。仕方が無いから、今やろう。

 

「イスラリア全土は無理でも、3分の1くらいは消し去る事はできるかしら…!」

『狂っているナ。俺が言えた立場ではないが…!』

「必死なのよ、私、も!」

 

 そしてクウ自身も影を纏う。

 傷を影で強引に塞ぎ、触手のようにのばした影を空間の彼方此方に無数に伸ばす。鎧のように身体を覆い尽くし、触手に繋げる事で自らを固定した。背から這いる影は獣の尾のように揺らめきながら彼女を固定し、彼女を守るように動く。

 

 影で形作った巨大な九つの尾。妖艶なる黒狐が此処に顕現した。

 

 禍々しいそれを見ても、ボルドーはやはり、動じる様子はない。此処まで至るのに、あらゆる怪物を目撃してきた彼ならそういう反応になるだろう。知っていた。

 だが、これならどうだろうか。

 

「【壱号から九号まで全解放】」

 

 影が蠢きだす。それはクウがこの数百年間、溜め込み続けてきた武装の全てだった。

 

 武器、兵器、魔道具、魔剣、毒に宝珠、魔石、魔物、黒炎鬼、当然竜殺しに至るまで。

 

 彼女が遮二無二かき集め続けた全てだ。この時のため、役に立つかも分からず、先も見えず、それでも何かの一助となればと願い続けた全てが影の中から溢れ出ていた。

 宝の山にも見えるかも知れない。しかしそれらは全て、目の前の外敵を滅ぼすための殺意が込められていた。

 

『――――よくモまあ、ここまで集めたものだな』

 

 ボルドーは眉をひそめる。ようやく、ほんの僅かではあるものの、動揺させることは出来たらしい。だけど、それでも彼が引いて、諦めたりはしてくれないのだろう。だから

 

「貴方が燃え尽きるまで、心臓が破裂するまで、時間稼ぎさせてもらうわ」

 

 ぐるりと、【影尾】の一つで核を被う。万が一にでも、爆発を阻止させないために。

 勿論、そんな風にすれば、自分も逃げるのが困難になるのは分かっているが、そうなることをクウは厭わなかった。

 

『一緒ニ、死ぬ気か?』

「それくらいの覚悟は、私にもあるから」

『なら、もう何も言ワぬ――――死ね』

 

 ボルドーが跳ぶ。核へと伸びる幾つもの血管に飛び乗って、真っ直ぐに迫る。

 

「墜ちろォ!!!」

 

 影からの一斉放火が行われた。それらは無節操に、貪欲に集め続けた武装の数々だ。雷、炎、冷気や純粋な魔力光まで、様々な破壊の光が混在していた。唯一一貫してるのは、その破壊力は尋常ではないという一点だ。

 

『ぬゥ!!!?』

「【五尾・竜牙槍・弐拾連】」

 

 竜牙槍の咆吼が連続して放たれる。光が収束しボルドーが居るであろう位置を次々と砲撃した。ボルドーの悲鳴ももう聞こえない。それでも彼女は一切手を止めなかった

 

「【参尾・聖邪大剣】」

 

 あらゆる魔剣を集めて束ねて、露出したそれを凝縮し、振りかぶる。矢をつがえるように力を貯め続ける。放った瞬間、全ての敵を両断するために。

 

「……っぐ」

 

 しかし、同時に、恐ろしい勢いで自分の命が摩耗していくのをクウは感じていた。

 霊薬類も、勿論彼女は保管している。【八尾】から絶えず送られる癒やしが彼女の身体を強引に癒やし、強化し、奮い立たせる。だがそれ以上に天剣から刻まれた傷から浸食する呪いは癒えることはない。それがなくとも、こんな滅茶苦茶な戦い方は彼女の領分ではないのだ。

 しかし、今この瞬間だけ持ちさえすれば良いのだ。この瞬間さえ――――

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「フィーネ!!もう邪魔を!!」

 

 不意に横から、回復した不死鳥が飛びかかる。くどい。しつこい。クウは苛立ちながら【壱尾】を振るう。魔を捕らえる影の牢獄、大量の黒炎鬼が溢れ出るそれを、不死鳥へと叩きつける。

 

「しないで!」 

『AAAAAAAAA!?』

 

 影から鬼達が溢れる。黒炎鬼にとって不死鳥はいまだ燃え尽きぬ薪だ。不死鳥へとびかかる鬼達を尻目に、参尾が振りかぶり終わる。ボルドーの姿を確認する。凄まじい速度で核へと一直線に向かっている。

 殺す

 尾を放とうとした瞬間、身体に凄まじい痛みが走った。だが、構うものか――――

 

「消えなさい!!!」

 

 幾重もの魔剣聖剣の力が同時に放たれ、輝きが凝縮し真っ白な光と変わる。竜の胎の内側で溢れる光は全てを包み隠し、見えなくしていった。

 

 

「【混沌掌握】」

「――――!?」

 

 

 だが、それが放たれる直前に、彼女の身体が一瞬、固まった。

 魔術による拘束の類い。しかし、あらゆる魔法薬でブーストのかかった彼女の身体であっても、その拘束を即座に解くことは出来ない。だが、それよりもなによりも、この拘束を仕掛けてきたのは――――

 

「【顎・轟化】」

 

 クウの位置よりも高くに跳び、竜牙槍を振りかぶる真っ黒な影。

 半壊した鎧、露出した身体、それを覆い尽くす竜の身体。ひしゃげた兜の奧、引き千切れた黒睡帯の奧、輝く昏い翡翠の魔眼。自分の動きを捕らえて、今も尚拘束するのはあの光だ。

 だが、その魔の輝きよりもずっと恐ろしいのは――

 

「――――貴方!本当に!!何なの?!!!」

 

 一切の揺らぎも淀みも無く、コチラへと向けられた殺意。

 

「知るか」

 

 クウの絶望的な悲鳴に、ウルは素っ気なく答え、彼女が守る心臓を思い切り殴りつけた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

精神性の怪物 下

 

 300年前の【天衣】は軽業と無尽の暗器を得手とする戦士だったと言い伝えられている。

 

 多種多様な武器の数々に精通し、自在に使いこなす彼女は対人、対魔双方においても圧倒的な強さを誇り、当時の天賢王の懐刀として有名だった。能力のみならず、精神面でも王に近くラースの崩壊の折り、彼女を喪った事に当時の天賢王は心を病み、早くに次代に賢者の称号を引き継ぎ隠居したなどという噂も立つがその真偽は定かでは無い。

 閑話休題。

 今、ハッキリとしているのは、かつての天衣が熟達した武器の使い手だったという事と、そして現在の彼女は、その能力の半分も発揮できていないという点だ。

 

『aaa……!』

 

 【黒炎天衣】の腕の一つを引き裂いた七天の勇者、ディズは呟いた。

 

「や、やった……」

 

 息絶え絶えながらも見ていたガザは、それを見て感嘆の声を上げていた。

 大怪我を負って、心身共に疲労困憊の彼の目には、最早双方の動きを目で追うことは出来ない。天衣は縦横無尽に駆け回り、黒炎が纏わり付いた投擲武器を次々に放り投げる。狙う位置も的確で、速くて、とても多い。

 正直、最悪の組み合わせだと思っていた。

 だが、そんな理不尽な攻撃を勇者は見事、くぐり抜け、回避し、弾いて、そしてとうとう攻撃を届かせた。そこに仕掛けや工夫はなかった。真っ向から攻め、そして順当に圧倒したのだ。

 

「七天って、本当に凄いのね……」

 

 となりでレイも同じように感心した声を絞り出す。

 敵に回したと理解したとき、あれほど絶望的だったが、味方に回るとこれほど頼もしい存在はいないだろう。二人は死を覚悟するほどの絶望的な窮地から、突如助かった事実に心から安堵し、抗いようが無い脱力を感じていた。

 しかし、当の勇者ディズはいまだ、臨戦態勢を解くことは無かった。右腕を切り裂かれ、バランスが悪くなった黒炎天衣は、グラグラと身体を揺らしながらもそれでもまだ勇者ディズへと敵意を向けていた。

 

「一応確認するけど、黒炎鬼ってのは意識はないんだよね」

「その、はずです。相手に炎を移すため、生前の動きをなぞってるだけ」

「確かに、細かな戦術もへったくれも無い、攻撃なんだ、けど……」

《なんかいやー》

「……ん、リスクは踏むけど、急いで完全に動けなくしようか」

 

 どこからか聞こえてきたもう一人の声に応じて、勇者は姿勢を低くして飛び出す。片腕を失っている天衣はそれに応じて動き出すが、身体のバランスが悪いからか、明らかに動きが鈍かった。

 ガザもレイも終わったと思った。だが、しかし、

 

『a――――』

 

 不意に、天衣の身体が蠢いた。

 

『aaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「――――」

 

 勇者は空中で一気に反転して距離を置いた。

 天衣の黒炎が一気に巻き上がる。先程まで、表皮を舐めるように焦がしていた炎が、一気にその全身を燃え上がらせる。先程勇者に両断された腕の切断部からも炎が噴き出し、火炎砲のように黒炎を噴き出し始めた。

 

「か、活性化!?」

 

 その現象に、ガザは思い当たる節はあった。

 通常の黒炎鬼を破壊した際、発生した黒炎に周りの鬼達があてられて、強化される現象だ。黒炎七天が通常の黒炎鬼と特徴を同じとするなら、確かにその後延焼は起こりうる。

 だが、避難してきたこの廃墟の屋上に、他に黒炎鬼達の姿なんて――

 

「……アレ、みて」

 

 するとレイが驚愕に満ちた表情で指さす。その先にあったのは、ラースのどの場所からでもハッキリと見える黒く、巨大な球体。【残火】、大罪竜ラースの遺骸だった。

 それがどうしたと言うんだ?と、ガザも振り返り、そしてそれをみた。ひたすら沈黙を続けていたその黒い塊は、ガザがグラージャとやり合ってたときと比べて明確な変化を起こしていた。

 真っ黒なその巨体が、揺らめいている。蜃気楼のようにも見える。だが、それは蜃気楼でも無ければ、実体がぼやけているわけでも無い。

 

 それは燃えていた。

 

 残火と呼ばれていたそれが、その名に反するように巨大な黒い炎の塊の様になっていた。

 

「お、おいおいおい……!!あ、あそこ、ウル、向かったんだよな!?」

《んえー!?にーたんまるやきぃ!?》

 

 先程から聞こえてきた少女の声が素っ頓狂な悲鳴をあげた。どこから聞こえてくるんだというガザの疑問を余所に、どうどうと勇者は自分の握る紅色の剣を振った。 

 

「そう単純な話でも無いよ。見る限り、空間自体が歪んでいるからね」

《でもやばない?!あっちもこっちも!》

「ヤバいね。」

 

 ヤバい。と、言って勇者が指す先には、天衣がいた。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 活性化による黒炎が巻き上がり、収束する。短剣の姿に収束した黒炎が黒炎天衣の周りで形成され続ける。その構えは獣のように低くなり、片手を地面には這わせ、そしてもう片方の手で黒炎が燃えさかった短剣を握りしめる。 

 つい先程までは最低限、戦い方にヒトとしての名残が残っていたが、今現在のその姿は完全に獣のそれだ。

 

「……ウルが黒炎の呪いを追い詰めたって事かな。断末魔、あるいは必死の抵抗か」

《にーたんたすけにいく?》

「初志貫徹。目の前の脅威を叩こうか。あらゆる意味で、外に一歩でも出して良い存在じゃない」

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 黒炎鬼の咆吼と共に黒炎が舞い跳ぶ。勇者は躊躇わず前へと突っ込んでいった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ロックは、自らの身体の大半が砕け散る衝撃を真正面から味わっていた。

 

『カカ、カカカ……』

 

 強力な術式の刻まれた骨の身体は即座に再生する。

 元より狂乱の死霊術師の手で生み出されたその身体は、主であるシズクの成長と、死霊兵としての自身の成長により飛躍的な性能の向上を見せていた。並大抵の破壊であれば、傷を負っても、砕けて形を崩す前に即座に回復するほどに。

 どのような攻撃を受けようとも、動作の中断が起こらない身体。死霊兵としての戦い方が身に付きつつあった。

 

「……どうなってんだあの死霊兵」

「あんな魔物と戦いたくねえ……」

「え?あれウルの仲間なの?本当なんなんアイツ……」

 

『好き勝手言われとるの、ワシ』

 

 遠くに避難した黒炎払いにドン引きされてるが、まあ気にするまい。

 

《ロック様。黒炎に焼かれていませんか?》

『おー主よ。なんとか防ぐことは適ったようじゃよ。カカカ』

《魂をも焼く黒炎。私達生身だけでなく、ロック様にも特効です。お気を付けて》

『わーっとる安心せい……しかし、なにがどうなったんじゃ?ありゃあ』

 

 ロックは、自らを砕いた敵、【黒炎天魔】を睨み付ける。

 

『AAAAAAAAAA……!』

 

 天魔の様子は明らかに先程までとは違っていた。身体から燃えさかる黒炎の総量が明らかに多い。うめき声のような声も変わっている。だが、何よりも明確なまでの、骨身で感じ取れる圧力が跳ね上がった。

 すでに死んでいる、呪いの操り人形のような存在が放って良い圧力ではなかった。

 

『【AAA】』

『ぬ!』

 

 天魔が自身の杖をコチラへと差し向ける。途端、天魔の身体を焼く黒炎が蠢いた。ロックは危機を感じ取り、再生した両足でもって横に跳ぶ。そして間もなく、杖から吐き出された真っ黒な閃光がロックが居た場所を一瞬で焼き切った。

 ウルが使う竜牙槍の咆吼に似ていたが、”溜め”も無い即座の砲撃であり、そしてその威力はウルの咆吼よりも数倍凄まじかった。

 

『黒炎鬼って魔力は無いんじゃろ!!?なんじゃああのインチキ!!』

《恐らくですが、周囲の力を流用する術に長けているのでしょう。燃えたぎる黒炎の総量が増して、威力も跳ね上がっています》

『っかー!!ずっこいのー!!!』

 

 ロックが叫んでいる間にも、背後から極太の黒炎の破壊が連続する。僅かな間を置いて連続し、しかも全く休みがない。巨大な大砲を玉込めなしにぶっぱなしつづけているのと変わりない。滅茶苦茶な反則技だった。

 

《大丈夫ですよ。ロック様》

 

 だが、通信先のシズクは落ち着きをはらっていた。周囲の廃墟を飛び越えて、駆け続けるロックへと、囁くようにして彼女は告げた。

 

《今の貴方は、負けず劣らず、ズルいです》

『――――カカカ、まあの?』

 

 ロックは笑う。幾つかの瓦礫を飛び越えて、接近した先は大罪都市ラースの外周部だ。活性化しようとも、その性質上薪となる魂のある方角へ向かう性質から逃れられない天魔は、結果、ロックの目の前に姿を現した。

 ロックは振り返り、そして言う。

 

『構えやあ!!』

 

 その瞬間、砂漠の砂塵に飲まれることで隠れていた戦車”達”が姿を現した。

 それらは形の大半をロックと同じ骨で構築している。そしてその頭部には巨大な砲塔が伸びており、真っ直ぐに天魔へと向けられていた。一糸乱れず。

 

『撃てぇい!!カカカ!!!』

 

 ロックが笑う。砲撃音が重なり、一つの巨大な爆撃音となって天魔に叩き込まれる。

 戦車達が吐き出した巨大な砲弾の雨は炎の塊となり、天魔を包む。ロックはその結果を笑って眺める。 

 

『AAAAA』

 

 だが、その炎の渦の中から、黒い炎の閃光が再び閃いた。自らを襲った戦車の方角へと正確に放たれたそれは、幾つかの戦車をそのまま薙ぎ払う。ロックは、砲撃を返してきた方角へと視線を向ける。

 炎が黒炎に飲まれてかき消える。姿を見せた天魔の周囲には、薄らとした灰色の壁が出来ていた。結界の類いを、黒炎で生みだしたのだ。

 

『さっすが腐っても焼き焦げても七天じゃのう?」

 

 だが、そんなやりたい放題を見せつけてくるなら尚のこと、遠慮する理由が無くなった。

 

『強力な結界じゃが、……その中では避けれまい?』

『――――AA!?』

 

 不意に、天魔が生みだした黒炎の結界、その内側で天魔の身体に、剣が突き刺さっていた。天魔は微弱な魔力を感知し、黒炎鬼の性質に従い足下を睨む。骨の腕が地面から伸びて、天魔の身体に古びた剣を突き立てていた。

 

『カカカカカカカカカ!!!』

 

 頭蓋が笑う。黒炎天魔は自らの本能に従い、目の前の骨を焼こうと動いた。だが、

 

『カカカ!『カカ『カカカカカ『カカカカッカカカカカカカ!!!』

 

 天魔の足下から、骨が次々に湧き出てくる。それぞれの手には剣や槍を携えて、中には竜殺しをにぎるものまでいる。彼らは一斉に天魔を刺し貫く。

 砲撃の炎に紛れ、地面に潜った死霊兵が、結界の内側から姿を現した。

 

『AAAAAAAAAAA!!!』

 

 天魔の叫びと共に再び周囲に爆発が起こる。周囲の骨達は蹴散らされ、焼き焦げて、消し炭になっていく。だが、天魔に突き刺さった様々な剣や槍は確実に、天魔の動作を阻害し続けていた。

 

『剣は楽しいが、”こういうの”も嫌いではないからのう、ワシ』

 

 それをたった一人で引き起こしているロックは笑った。

 

『精々やりあってもらおうかの。”300年前の”最強殿』

 

 カタカタカタと骨の笑い声の合唱が天魔の周囲を包み込む。どちらが呪いでどちらが悪か。知らぬ者にはまるで分からない呪いと死霊の戦いが始まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 別れは、死は、必ず起こるものだ。

 

 放浪の旅のなかで、ウルはそれを幾度となく目にして、体験して、知っている。

 

 ウルは目覚めたとき、何がどうなったのか理解できていなかった。

 ハッキリしているのは、アナスタシアが自分に全てを預けた事。彼女が消えたことだ。

 

「さよならだ、アナスタシア。俺も楽しかった、――――――」

 

 だから、それがどれだけ耐えがたくとも、ウルは彼女にちゃんと、別れを告げた。

 

 半年間の付き合いだ。只人の一生でみてもそれは随分と短い。しかし濃厚な半年だった。

 ウルとしても彼女とは信頼関係を結びやすいからと関わり、彼女もまた不自由な自分を助けてくれるウルを頼ったに過ぎない。それでも多くの言葉を交わしたし、時に笑った。互い温もりを求めて、苦難を耐えることもあった。ペリィとも一緒になって失敗した酒樽を前に唸りながら、不味い酒を一緒に飲んだこともあった。

 

 不本意極まる形で投じられた地下牢だったが、楽しい日々だった。

 

 だから彼女が、自分の全てを自分に託して消えたことを、ウルは批難しない。それは彼女の選択で、彼女の願いで、エゴだ。彼女はしたいことをしたのだ。彼女の最後の自由で、尊厳だ。ウルに、それを批難する権利は一切無い。

 

 だから、今胸をズタズタに引き裂いている痛みと、

 切り裂かれ、呪いに侵された痛みすらもまるで気にならない自分自身への憤怒、

 その二つから湧き出る暴力衝動を槍に込めるのは八つ当たりだと理解している。

 

 血管の様に続く竜の胴に着地すると同時に、その力を一気に”核”へとふり下ろした。

 

「く だ け ろ」

 

 激しくしなり、叩きつけられた竜牙槍が、核を激しく軋ませる。

 この空間の核、それを覆い尽くす真っ黒い影、クウが生みだした結界を激しく揺らす。手応えはある。が、砕けきってはいない。影の内側から漏れる赤紫の光は慌ただしく明滅を繰り返している。

 

 壊す。砕く。此処で決着を付ける。

 

「ウ、ルゥゥウウウウウウ!!」

「一緒に砕け散れよ駄狐ェエ!!!」

 

 言葉と共に、最早影もかすむほどの光を放つ魔剣聖剣が渦巻く参尾がウルへと飛びかかる。ウルはもう一本の大槍、【二式】を引き抜き、構えた。

 

 竜殺しを掴む右腕は、黒睡帯が裂けて、露出していた。その姿は、更に変貌を遂げていた。よりハッキリと、竜のソレへと形を変えていた。あらゆる呪いを弾き、無効化する鱗に、全てを引き裂く爪、一切を砕く力、白い右腕。

 

 しかし、最早ウルはその右腕に違和感も、忌避感も持ってはいない。

 これは紛れもなく己の腕だ。その確信と共に言葉を紡ぐ。 

 

「【()()()】」

 

 迫り来るクウの尾、蓄えられた魔具が出鱈目に起動し、撒き散らす破壊の尾を睨み、そのまま一気に竜殺しを振り抜いた。

 

「【()()!!!】」

 

 次の瞬間、クウが振り回した黒い尾は、()()()()()、そしてバラバラになって吹き飛んだ。

 

「――――――――――は?」

 

 クウは、驚愕のあまり引きつった声をあげた。

 ウルが振り上げた二式が黒い軌跡と共に、狐の尾を弾く。尾が放っていた莫大な量の破壊の光、魔術、その他全て、何もかも、まとめて吹き飛ばした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これは【竜殺し】の特性ではない。

 ダヴィネがウルに与えた【二式】は強力無比だが、物理的な現象を超越した破壊を引き起こすような、冗談のような真似は出来ない。

 一切の例外なく、万象を惑わす力。それは――――

 

「た――――大罪の、権能を、使った……!??」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()!!!

 

「ち、違う!!!そんなはずが無い!!!貴方にはそんなことできない!!!」

「知るか、よ!!!」

 

 混乱するクウを尻目に、そのまま再び巨大な核へと二式を叩き込む。影がひび割れ、軋む。その先の核に届く。

 

 何かが軋む音がした。

 

 何かの断末魔にも似た激しい音、影に隠れた核が激しく脈動を繰り返す。死の間際の痙攣にも似たものだとウルは理解した。ならば、あともう一撃――

 

『ウル!!!!』

「っ!」

 

 だが、その直後、聞き覚えのある声に応じてウルはその場から離れた。直後、ウルの居た場所に斬撃が飛ぶ。異常な切れ味。切断部から吹き上がる黒炎。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAA……』

「天剣……活性化したのか……」

 

 ウルを一方的に斬り殺しかけた時よりも、更に激しさを増した【黒炎天剣】が、大剣を握り、こちらを睨んでいる。クウは、上手く天剣の居る位置から距離を置いている。ヘイトを誘導されたらしい。

 ウルは深呼吸をして、前を向く。そして自分に声をかけた男、現在不死鳥に乗りウルの近くを飛ぶボルドーに語りかけた。

 

「助かったよ、隊長。不死鳥も」

『お前が死んでは、黒炎を殺せない』

『AAA』

 

 ボルドーと不死鳥は応じる。仲の良いことだった。そしてこの場では頼もしい。だが、だからこそ確認しなければならないことが一つあった。ウルは天剣と、そしてクウの影尾から目を逸らさぬまま、尋ねた。

 

「――――アナを連れてきたのはアンタか?」

『ああ、ダが彼女の意思だ』

「当たり前だ。そんなことはわかってる」

 

 ボルドーの答えに、ウルは応じ、それでも、と、ため息をついた。

 

「だが、まあ、一発ぐらい殴らせろ」

『そのアト、俺の始末をつけてくれるナラ、かまわない』

「……竜殺して、呪いを消し去ったあと、それでもどうにもならないならそうしてやるよ」

『あリがたイ』

 

 ボルドーは笑う。承知の上だというのなら、ウルはもうそれ以上何も言うことはしなかった。竜牙槍と竜殺しを構え、前を向く。

 

「終わらせるぞ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【最悪の遺物】戦⑩ 風

 

 ウルにとって【未来視の魔眼】は酷く扱いづらい代物だった。

 

 大罪迷宮ラストの際は、土壇場で獲得せざるを得なかった。が、正直な感想を述べるなら、視界に収めるだけで恩恵に与れる【必中の魔眼】の方がウルにとってよっぽど扱いやすかった。(必中の魔眼を使えたのは1回だけだった上、無意識での使用だったが)

 

 戦闘中に得られる情報量の多さに、身体がついていかなかったのだ。

 

 だが、今、アナスタシアに、その命と共に力を与えられ、魔眼は更に変容した。黒炎の呪いも恐れず、ウルはその魔眼の力を起動させる。

 

「【混沌掌握】」

『AAA!!!』

 

 迫る黒炎天剣の動きを、ウルは捕らえ、そして封じる。

 相手の未来を読み取る。

 運命を識る。

 二つの近しい性質を持っていた魔眼は、混じり、重なって、新たなる魔眼へと昇華した。視界に捕らえた全てを、強制的に掌握する魔眼へと成り果てた。

 愚鈍な自分にとって使い易い。シンプル極まる凶眼だ。

 

 アナスタシアにウルは感謝しながら、叫んだ。

 

「ボルドー!」

『オオオ!!!』

『AAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 拘束した天剣に、不死鳥とボルドーが突撃する。天剣は反応することが出来ない。半ば以上、黒炎鬼そのものとなっているボルドーと不死鳥ならば、天剣を押さえ込める。

 その間に、クウが庇う核を破壊し尽くす。

 

 だが無論、クウもまた、ウルの脅威は理解していた。

 

 

「【弐尾・魔導凝縮、四尾・魔力活性】」

 

 クウの声が響く。ウルは即座に跳ぶと、その場が魔術によって爆散する。足場としていた竜の身体の一部が引きちぎれる。竜の遺骸、この空間で暴れれば、どのような作用が齎されるか分かったものではないにも関わらず、全くの躊躇が無かった。

 

「【六尾・黒炎狂華!!】」

 

 クウは一切加減しない。躊躇がない。恐らく事前に封じていたのであろう、尾から吐き出された黒炎の呪いが自分自身を焼こうとも躊躇わず、ウルを核へと近づけまいとしていた。

 

「【狂え!!!】」

 

 ウルは己へと降りかかる黒炎を弾く。

 周囲に降り注ぐ炎は弾き飛ばし、眼前に迫る炎は魔眼でその存在ごと停止させる。

 ウルに近づける攻撃は存在しなかった。一見して無敵であるように思えるが、周囲の黒炎の熱と呪いは、ウルを徐々に、確実に焼いていた。

 

「良いのかしら!?魔眼を晒して黒炎を見続ければ、呪われるわよ!!」

 

 天剣から受けた傷が痛むのか、クウが震える声を押し殺すように叫ぶ。

 彼女の指摘は正しい。ウルは今、黒睡帯もロクにしていない。黒炎への守りはほぼゼロだ。直接触れることも、見ることも危険な黒炎のただ中に、無防備な身体を晒している。

 

 だが、そんなこと言われるまでも無く分かっている。

 

「呪いに焼かれるより速く、元凶をぶっ壊して呪いを消し去りゃ良いんだろ?」

 

 それができないなら、そもそもこっちはお終いだ。天剣に負ったダメージは大きい。アナスタシアの献身はウルを死の淵から引き上げたが、全ての呪いが魔法のように消え去ったわけでもなんでもない。これを消し去る手段は元凶を断つ以外無い。

 

「本当に心臓を潰せば呪いは消えるのかしら!?ただの願望じゃない――――」

「必死だなあ、クウ!!」

 

 ウルは再び跳んだ。クウへと一気に接近した。

 

「【聖邪大剣!!!】」

「邪魔だ!!!」」

 

 尾の一つ、出鱈目に剣が束ねられた尾を更に弾き、砕く。更に驚愕に顔を歪めるクウへと二式を振りかぶり、一直線にふり下ろした。

 

「【九尾!!!】」

「【狂え――――ッ!?」

 

 弾き飛ばした、瞬間にウルは解けて落下してきた剣に身体を引き裂かれた。クウの影尾が崩壊した瞬間、その身に蓄えていた刃が一気に落下してきたのだ。大小様々な魔剣が力を放ちながら降り注ぎ、ウルの身体を貫いて、焼き、凍てつかせる。

 こちらの権能の力を読んで、即座に攻撃手段を変えてきていた。

 

「ぐ、ぅ、ぅぅううううう……!!」

 

 だが、攻撃を許したのはクウも同じだった。

 刃の雨に紛れて振るわれたウルの竜殺しを回避しきれず、彼女の身をかすめていた。それだけで、彼女の身体は大きくえぐれ、ぼだぼだと大量の血をこぼし始めた。

 

「い……てえ、な、この、クソ女……!」

「お互い、様、でしょ……!!」

 

 殺し合いの最中にほんの僅かに生まれた奇妙な拮抗。結果、クウの顔を間近で見たウルは、その表情があまりの必死なことに気付き、顔を歪めた。

 

「そんな、必死になって、世界を、滅ぼしたい、訳だ…!」

「――――そう、よ……!!!」

 

 問いに、クウはウルを睨み、口から血をぼたぼたとこぼしながら叫んだ。怒りと憎悪に満ちた目だった。それはウルへと向けられたものでは無い。ウルを通して、世界の全てに向けられるような、深い激情だった。

 

「このためなら、なんだってしてきたの…!貴方にだって、何でもしてあげるわよ…!!だから!!お願いだから!!!」

 

 クウを被う影が膨れ上がる。膨張にウルは顔をしかめ、竜牙槍を引き抜き、跳ぶ。ウルが離れても尚構うこと無く、彼女は叫んだ。

 

「イスラリア諸共、消えて無くなって!!!」

 

 竜殺しが影から射出される。ウルはそれを弾きながらも落下していった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『AAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

『見えぬ相手を、見ぬまま殺スか…!!』

 

 ボルドーは活性化した天剣の猛攻に傷を負っていた。鬼となった身体からは血に代わり、黒炎が漏れ出てくる。そこに痛みは無いが、損失すれば補う手は存在しない。ボルドーに不死鳥が常に与えてくれる活性も、癒やす力は無いらしい。

 

『AAA……』

 

 天剣が構える。視線の先はボルドーではなく、対角に挟んだ不死鳥を向いている。間違いなくボルドーを天剣は認識できていない。黒炎鬼としての感知能力からボルドーは外れている、筈なのだ。

 

『ッカア!!!』

『AAAAAA!!!』

 

 しかし、不死鳥とボルドーが同時に攻撃を仕掛ける瞬間、天剣は動く。瞳に、その軌跡が浮かぶ程に美しい剣閃は、容赦なく不死鳥を刻み、ボルドーの身体をも同時に引き裂く。

 

 何を、感知している…!?

 

 最初は不死鳥の攻撃に巻き込まれただけかと思った。だから不死鳥から降りて、バラバラに攻撃を仕掛けた。それでもボルドーの竜殺しは天剣に届かない。寸前で剣がコチラの攻撃を弾き、切り刻んでくる。

 

 明らかに、対応し始めている。

 

 狙いは完全でも無い。やはり、ボルドー自身を捕らえているわけではない、筈なのだ。だが、近づけない。

 

 残された僅かな魂、薪を感知したか?

 自己保存の本能故か?活性化の影響か?

 あるいはボルドーも知りようが無い、黒炎鬼となった七天の特性か?

 まさか、殺意などと言うまいな!?

 

 的外れかも知れない。あるいは逆に全てが当てはまっている可能性もある。予想は付かなかった。そしてそれを考察し、見抜く時間などもう残ってはいない。

 

『………g……ぐぅぅう……!』

 

 ボルドー自身の魂が限界寸前なのだ。どれだけの狂気じみた精神状態でそれを保とうと、燃えれば、やがて尽きるのが定だ。例外など存在しない。そしてボルドーが完全な鬼となれば、ウルと不死鳥の敵へと変わる。

 その前に、この戦いと、手前の命に決着を付けなければならない。

 

『AAAAAAAAA……』

 

 しかし、天剣は放置できない。この場で、この存在に対処できるのは己だけだ。不死鳥でも大した足止めにはならない。

 

『――――なラば、やるか』

 

 ボルドーは竜殺しを両手で握り、腹をくくった。

 対面の不死鳥を見る。ボルドーの視線に、不死鳥は知性のある瞳で睨み返した。意図は通じたらしい。そのままその場を離脱するように飛んでいく。殺し合いを続けた敵同士であったにも関わらず、奇妙なくらいに不死鳥とボルドーの意思疎通は完璧だった。

 

 機会さえあったならば、もっと心通わせて見たかったものだ。

 

 最早叶わない事を思いながら、ボルドーは再び踏み出す。

 

『AAAAAAA!!!』

 

 今度は不死鳥も動いていない。にもかかわらず天剣は明らかに、ボルドーの動きに応じて動き出した。やはり感知している。それもより鋭く、速く、正確になっている。

 しかし、それでもまだ僅かに遅い。不死鳥やウルと相対する時と比べ、ボルドーに対する反応はほんの僅かに遅れている。だから、その懐にボルドーが飛び込むことを、天剣は許した。

 ボルドーは更に強く地面を蹴る。薄れて、消滅しかける意識を奮い立たせ、この最後の攻撃に全神経を集中させ、叫んだ。

 

『覚悟ぉぉおおおおおおお――――』

『AAA』

 

 天剣の大剣が滑るように動き、ボルドーの胴を切り裂いた。身体は真っ二つに両断される。腸から下が崩れて、黒炎が噴き出した。

 紛れもない、致命の一撃だった。

 

『ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』

 

 それでも尚、残されたボルドーの身体は天剣の首へと竜殺しを届けた。

 

『AAAAAAAAA!!!』

「しぃぃぃにさらせぇえええええええ!!!!」

 

 最早、技も何も無い。ボルドー自身の身体に残った力と意思の全てを搾り取って生まれた渾身の力で、天剣の身体を貫く。数百年前の古びた鎧を竜殺しで刺し貫き、その炎を食らい尽くす。

 

『――――――が』

 

 その結果を見届ける前に、ボルドーの上半身が放り出される。掠れかけていた意識が更に白く塗りつぶされる。全てを使い切り、終わるのだという自覚があった。

 

 あれほど己の身を焼いていた憤怒すらも遠い。

 

 だが、不思議と、悪い気分では無かった。

 

 鬱屈とした憎悪と己に対するふがいなさを、たぎらせ続け、もだえ苦しんでいたときとは違う。ボルドーは確かに駆けたのだ。信頼できる仲間達とともに。

 

 動機がどれほど黒く、淀んだ怒りによって突き動かされたものであったとしても、

 誰の目から見ても顔をしかめるような、怨嗟をたぎらせていたとしても、

 黒炎の狂気すらも届かぬ激情を渦巻かせようとも、

 

 それでも駆けたのだ。半年の間、彼は前へと進んだ。長い年月の停滞を振り払うように、もうとっくの昔に重くなってしまった足腰を奮い立たせて、彼は盟友らと共に駆け抜けた。

 

 すでに呪いは胸にない。

 彼の胸中には風が吹いていた。

 全ての力を出し尽くして、たどり着いた丘からの、果ての風だった。

 

『――――ああ、良いな」

 

 ボルドーはそう囁いて、目を瞑り、その苛烈なる生涯を終えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『AAAAAAAAAAAA!!!』

 

 不死鳥、フィーネは飛んだ。

 ほんの短い間だけ共に戦った戦士は死んだ。彼は何事かを口にして、殆どろくに伝えることもなく逝ってしまった。だけど、彼がしてくれた事と、彼が託そうとした事は不死鳥には伝わっていた。それを成すために不死鳥は飛んだ。天剣は、自分を貫いた槍を引き抜けずに藻掻いている。好機は今しかない。

 

「イスラリア諸共、消えて無くなって!!!」

 

 黒い女が叫んで、もう一人の戦士が傷だらけになって落ちてくる。

 不死鳥は飛ぶ角度を調整し、彼の身体を受け止める。戦士は自身の身体が今どうなっているか理解できずに混乱し身体を起こすことでようやく自分の存在に気付いた。

 

「不死鳥!ボルドーは……!!」

 

 何かを尋ねようとして、黙る。不死鳥が何かを伝えようとするまでも無く察したらしい。彼は上空のクウへと改めて視線を向け、叫んだ。

 

「頼む!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 不死鳥は叫び、羽ばたいた。

 

「【九尾乱華!!!!!】」

 

 黒い女が叫ぶと同時に空間一杯に剣が溢れ、魔術が炸裂した。

 数百年間、彼女が溜め込み続けた全てが溢れ出て、その全てが不死鳥と戦士を殺そうとしている。回避する余地などなかった。不死鳥は身体を貫かれ、焼かれ、切り刻まれる。呪われて、破壊される。

 不死鳥はその不死性は凄まじいが、痛みを知らないわけでは無い。絶え間ない激痛の雨に不死鳥は悶え苦しみ、しかしそれでも羽ばたくことだけは止めなかった。

 

 決して、背中の戦士に攻撃が届かぬよう、守り切った。

 

「フィィイイイイイイネ!!!」

 

 黒い女が叫ぶ。

 懐かしい呼び名だった。最早自分のその名前を呼ぶのは彼女だけだ。かつて、自分の産みの親である天祈の友で、彼女と共に不死鳥を生みだした者。フィーネの片親。そして今、世界の大敵となって滅ぼそうとしている憎悪の魔女。

 大罪迷宮を溢れさせる片棒を担がされた天祈の最後の願いを叶えるべく、不死鳥は全身から血を吹き出しながらも黒い魔女へと飛びこんだ。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAA――――!!!!』

 

 黒い槍が不死鳥の首を幾つも刺し貫く。幾度となくフィーネを襲った死が再び訪れる。意識を失って、フィーネは落下する。だが、戦士を届けるその役割だけは、最後に果たした。

 不死鳥の背中を蹴って、戦士は跳んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルは不死鳥の背中を蹴り、跳んだ。

 クウは目の前に居る。九尾の力の全てを振り回し、魔力の全てを解放し、その力を振り回してる。それは、一個人の魔術師が振るえる力の限界量を明らかに超えていた。

 彼女が熟練の魔術師であるのは疑いようも無い。だが、七天のような特別な訳でもない、優れた魔術師“程度”の彼女にこんな力は普通は振るえない。

 限界を超えて、命を燃やしているのだ。そうでなければこれほどまでの力は出まい。

 

 だが、だとしても、殺す。

 

「ウル!!!」

 

 影尾が盾のように舞い、槍のように突き出される。幾つもの影の槍がウルの身体を貫かんと伸びた。それを不死鳥が焼き払い、守る。

 

 二式の力で影尾は砕けていくが、しかしそれよりもウルの身体がズタズタに引き裂かれる方が早い。

 

「【二式解放!!!】」

 

 ウルは竜殺しの力を込める。全てを砕く竜殺しが鳴く。周囲の全てを砕いて喰らい、影尾を破壊し尽くす。砕けた影尾の先、驚愕に満ちた表情をしたクウの姿をウルはその魔眼で捕らえた。

 

「【混沌掌握(アナスタシア)】」

「っが!!」

 

 彼女と、彼女に繋がる影尾が固まり、停止する。

 その僅かな隙を見て、竜殺しと竜牙槍、二つの槍を振りかぶり、捻って、砕け散る影尾を蹴りつけ、駆ける。彼女が魔眼の拘束を破壊し、影尾を伸ばすよりも更に速く、ウルは彼女の懐に飛び込んだ。

 

「――――――――!!」

 

 彼女が何かを叫ぶよりも速く、ウルの二つの槍がクウと、彼女の背中にある尾を両断した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「超克が始まる」

 

 星の海を漂いながら、天賢王は祈るように囁いた。

 

「300年前戦士達が果たせなかった。大罪の超克、その続きだ」

 

 魔王は呪うように笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 憤怒の超克

 

 

「――――なんだ」

 

 ウルは自らの手に感じた猛烈な違和感に気付く。

 クウは切り裂いた。ラースの核を包み守ろうとしていた彼女の尾ごと、両断した手応えはあった。しかしその先、彼女が守ろうとしていた核と思しきものに触れた瞬間、猛烈な抵抗感があった。

 至極当然ながら、いままでの経験に大罪竜の身体の中心部にあるなんだかよくわからない物体を斬った経験などない。全てが未知だ。しかし、その手応えは明らかに破壊を達成したときの感触では無かった。

 

 まるで、巨大な猛獣の尾を、踏み抜いてしまったような――

 

「――――!!」

 

 そして、ウルの目の前の赤紫の核が、突如黒炎に包まれる。ウルは弾かれるようにして跳び、距離を取り、そして核を睨んだ。

 黒炎に包まれた臓器のような形をした核は、燃え続ける。だが次第に炎は収まっていった。否、正確に言うならば、それは内側に”吸収”されていった。

 

 そして、卵が割れて中が零れるように、”それ”は姿を現した。

 

 

『嗚呼………』

 

 

 黒い、ヒトガタ。

 

 黒く、長い髪。

 中性的な容姿、只人のようにも、森人の様にも見える細身。

 黒炎鬼達と同じ、禍々しい二つの角を頭部に生やしている。しかしそれは、呪われ、焼き爛れ、生きた屍となった黒炎鬼とは根本的に異なる。あの角は、元からあったものだ。鬼達のそれは、アレの模倣にすぎない。

 

 黒炎鬼の全ての元となっているのが、あの角だ。

 

「大、罪竜ラース……!!」

 

 外からウルが見ていたものはただのガワに過ぎなかった。蛇の抜け殻のようなものにすぎない。その中心にあったコレこそが、まさしくそのものだ。かつて300年前、戦士達が立ち向かい、しかし封じることしか出来なかった災厄が此処にある。

 

『嗚呼――――』

 

 ラースは口を開く。がっぽりと、まるで顎が外れてしまったかのような大きく。

 そしてその大口から、真っ黒な液体が溢れかえり、垂れ流される。吐瀉物のようにもみえるそれは、凄まじい熱を放ちながら、下へと落ちて、凄まじい勢いで広がっていく。爆発的な勢いで熱は跳ね上がった。

 ウルは汗が噴き出すのを感じた。しかしそれは熱のためではない。

 

『憤怒ヨ』

 

 ラースは、声を放つ。その様でどこから声を作っているのだろうか。なまじ元は端正なヒトの形を保っていたためか、一層にそれは不気味だった。

 

『憤怒ヨ、憤怒ヨ、憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒ヨヨヨヨヨヨヨヨ満タサレ満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満満タサレレレレレレレレレレヨヨヨヨヨヨヨオオオオオオオ!!!!!』

 

 壊れてる

 ウルは理解した。ラースは壊れている。

 恐らく、かつて300年前、命を決して戦った七天達は、ラースを殺しきれなかっただけで、その寸前まで役割を果たしたのだ。破壊の寸前で、それがかなわず封印した。だからラースは今日まで動くことも出来ずにいたのだ。

 それが、今、窮地を前に動き出した。しかしなんの修繕も果たされてはいない。壊れたままだ。壊れたまま、憤怒の呪いを吐き散らしている。おそらくこの呪いは遠からず、ラースの外郭を焼き、砂漠を焼き、イスラリア全土に及ぶ。

 

 紛れもなく、この世界で最も危険な存在の一つだ。

 

「――――だとしても」

 

 ウルは再び前傾姿勢を取った

 

「ここが何処で、お前が何者で、この世界がどうなろうとも」

 

 【二式】を握りしめた右手を掲げ、ウルは主である己に宣言する。

 

「俺がやることは一つたりとも変わりはしない……!!」

 

 自らが支配した魂に呼びかける。色欲の竜の力の全てを我が物とする。

 

「【其は死生の流転謳う白の姫華】」

 

 ウルの右腕が蠢いた。

 それ自体がウルとは別の生き物のように、蠢く。かつてウルの身体をズタズタに貫いた白蔓がウル自身の肉体から零れ、真っ黒な竜殺しを浸食していく。白が漆黒に絡み、歪め、変容させる。

 

「【万象狂わせ一切を穿て】」

 

 瞬く間に、白と黒の入り交じる、悍ましい魔槍の一振りに、竜殺しは変貌を遂げた。

 

「【白姫華・黒狂槍(ラスト・グレイ)】」

『オオオオオオ!!!!』

 

 ラースは途端、ギョロリとウルへと身体を向けた。黒い、炎の液体が生物の様に揺らぎ、蠢く。周囲の空気を焼き尽くしながら呪いが全方角にまき散らされる。黒い液体に触れるまでも無く、近付くだけで身体は呪われ焼き爛れるであろう熱量だった。

 

「【竜牙槍・白鋼終牙】」

 

 竜牙槍の刀身が別たれ、ウルの鎧に重なる。だがしかしそれは、主の身を守る為ではなく、眼前の敵を貫くため。ウル自身を、一切を貫くための一本の槍と成す為のもの。

 

 脳裏に描くは金色の友と、緋色の妹。

 

「穿つ……!!!!」

 

 穿つ。穿つ。穿つ。

 恐怖を棄て、躊躇いを棄て、保身を棄てる。

 穿ち、殺す。ただその為の一振りの槍と成る。

 

 即ち

 

「【魔穿】」

 

 音すらも置き去りにするかの如く速度で、憤怒の竜の肉体を穿つために、ウルは突貫した

 

「――――――――ッッッ!!!」

 

 空間が破裂するような音が響き、エネルギーの奔流が、竜の遺骸の中を灼く。

 

『AAアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』

 

 だが、それでもまだ、竜の身体にその穂先は届かない。

 

 竜の肉体の手前で、不可視の壁に阻まれる。

 竜の権能でも、魔術の類いでもない。極めて純粋な魔力と呪いの壁が、槍の突撃を阻んでいる。なんの技もなく、ただそれだけで防がれる。

 

「っぅぅううううがあああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 足りない、足りない、足りない!

 

 実力が足りない!才能が足りない!経験が足りない!何もかもが不足している!

 

 分かっている。知っている。ディズの真似事など、全く出来てはいない。己が特別な存在であるなどという勘違いを、ウルはしていない。

 自分の実力はその程度だ。あの、全てを切り裂く漆黒の斬撃を、見よう見まねで再構築(アレンジ)できるような天才性を有してはいない。大罪の竜を強引に支配し、七天の祝福を上乗せして、運命の聖女の命まで預かって、そこまでやっても尚、届かないまがい物。

 純粋な黒にも白にも至れぬ半端物。

 

 だが、それがなんだというのだ。

 

 己がやると決めたのだ。進むと決めたのだ!誰に言われたわけでも無い、己が!!

 それが歪であろうとも、最終的に届かぬ事があろうとも――――

 

「関、係、無い……!!!」

 

 一歩進む。槍を掴む腕が裂け、血が噴き出す。穂先が魔力の壁を砕く。

 

 一歩進む。食いしばりすぎて歯が欠けたのか、血が噴き出す。槍が更に先へと進む。

 

 一歩進む。黒炎で身体が灼ける。槍が竜の心臓部に突き刺さる。

 

『GAアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 竜の灼熱の黒血が溢れ出す。飛び散った返り血がウルの身体を焼いた。だがそれでもウルは怯まない。更に先へ、更に前へ。その竜の心臓を穿つ。その為だけに自らの肉体を機能させる。

 

「【混沌よ!!狂い、廻れ!!!】」

 

 死地の中、救われた聖女の力。窮地の中、竜を支配し喰らった力。

 どちらも躊躇いなくウルは使う。自分にはあまりにも過ぎた力だと言うことは理解している。それでも全てを使う。使いこなせないというのなら、使い続けるだけのことだ。

 黒血が揺れる。弾ける。ウルを呪おうとした熱があらぬ方向へと弾け続ける。己を殺す運命を掴み、狂わせ、弾く。道理を無視した世の理を超越した力だった。

 

 だが、それでも尚、ラースは壊れない。

 

『ラストォォォオオオオオオオオオオ!!!』

「喋れるならちゃんと喋れ、よ!!!」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 ラースの大口が開く、呪いの黒水が溢れる。ウルは即座に左手を上げた。ウルを護るように在った竜牙槍の刀身が一気に形を槍と変え、顎を開く。今日に至るまでウルと共に死地にあり、無数の強敵を殺し続けた魔導核が、光を放つ。

 

「【咆吼!!!!】」

『オオオオオボガガガガアアア嗚呼嗚呼嗚呼アアアアア――――――』

 

 黒血と咆吼の光が激突し、弾ける。二つの熱がぶつかり合い、空間を満たす。それでも尚、自らの魔眼の力を使うため、ひたすらにウルは前を見据え続けた。

 そして、

 

『――――――痛いの』

 

 その狭間で、何かが聞こえた。

 

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『痛いの、苦しいの、熱いの』

 

 その声は、子供のような声だった。か細く、疲れ果てて、それでも拭いきれぬ程の―――

 

『どうして――――どうして?どうして!!!』

 

 憤怒が、あった。

 

『もう、終わりなのに、終わったはずなのに、終わらないの』

 

 救いを求め、それでも誰も手を差し伸べてはくれず、その理不尽に嘆き、怒る子供の声。

 

『私を、ちゃんと、壊して』

「――――ああ、大丈夫だ。任せろ」

 

 優しい声が、自然と、ウルの喉からこぼれ落ちた。聞こえてきたその声があまりにも怒りに満ちて、苦しげで、耐えがたくて、それを和らげたいと自然と思えた。

 

『――――――』

 

 声は聞こえない。その主の姿も見えない。ただ、小さく息を飲むのが聞こえた気がした。

 

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAあああああ!!!』

「――――――ッ!?」

 

 黒血と咆吼の激突の光が落ち着く。視界が晴れる。

 先程聞こえてきた声が幻聴だったのか判別する手段が無い。ただ、目の前の黒血の奔流が、ほんの少しだけ、弱まった気がした。

 分からない。気のせいかも知れない。あまりにも絶望的な状況下で、思考が逃避して勘違いしているだけかも知れない。

 

 それでも構わない。

 

 震え、進むのを躊躇いそうになる自分の足が、一歩でも進む理由が出来たなら、それでいい。

 

「――――っが、……ぐ、……ぅぅうう……!!!」

 

 更に一歩、進む。既に竜殺しはラースの身体の半ばまで食い込み、砕きつつあった。ラースの身体はひび割れていく。しかし、砕けた身体から更に黒血は漏れでていく。その全てをウルは狂わせ、避けるが、魔力はもう底を尽きかけていた。

 どれほど超越的な権能を持っていようと、使うのは己なのだ。限界は近い。

 

 あと少し、あと一押しなのに――――

 

『………A A A』

 

 その時、背後から声が聞こえた。この灰都で嫌という程に聞いた、呪わしい、鬼の声。

 

 黒炎天剣の、呪いの声。

 

 ウルは、自分の死を直感した。振り返り応戦する力など何処にも残ってはいない。ボロボロの鎧が音を鳴らし、深く踏みこむのを音で感じ、ウルは自分の身体が真っ二つに分かたれるのを覚悟した。

 

 

 

「【  天  剣  】」

 

 

 

 しかし、次の瞬間、天の剣は、ウルを掠めることも無く、憤怒の竜の身体を両断した。

 

『がががががががががががガガガがが阿阿ああ嗚呼!!!?』

「っは!?」

 

 近接状態だったウルとラースの間を縫うような神業で、天剣はラースのみを引き裂いた。ウルは、倒れ込み、そのまま落下する天剣を見る。ボルドーが突き立てた竜殺しが未だ身体を貫き、黒炎が消えかかった天剣が落ちていくのを見た。

 

『――――――」

 

 交差の一瞬、古びた兜の下、口元が小さく笑って見えたのは、きっと気のせいだ。

 

 それでも

 

「ありがとう、我等が七天よ」

 

 ウルは敬意を告げた。

 そして残された渾身の力を右手に込めると、引き裂かれ、別れかかったラースの身体へと、竜殺しを全身全霊でもって押し込んだ。

 

「――――があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

『      ア    』

 

 崩壊は、決定的なものとなった。

 竜殺しは、ラースの身体を粉砕し、両断した。何処までも続く穴のように開いたラースの口が引きちぎれて爛れ落ちていく。ヒトの形を保つ力が損なわれ、肉体が溶けていく。

 

「――――」

 

 ウルが足場にしていた竜の形をしたラースの遺骸も同様に崩れた。長く燃え続け灰となって砕けるように、竜の身体はバラバラになった。足場を失い、そのまま落下していく。

 

 終わった

 

 それを理解し、脱力感につつまれながら、落下に身を委ねた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

別れと再会

 

 三〇〇年前、ラースを焼いた黒い太陽が焼け落ちる。

 

 灰都ラースの中心地に三〇〇年間、ずっと残り続けていた大罪竜ラースの遺骸が砕けて落ちていく。その躯を浮遊させていた不可視の力も消えて、落ちて、砕けていく。決死の思いで、死を覚悟してラースへと足を踏み入れた黒炎払い達はその光景を呆然とした面持ちで眺めていた。

 

「黒炎が……」

 

 同時に、ラースの遺骸を包んでいた黒炎も消えていく。

 黒炎が自然と消滅していく事は無い。竜殺しで黒炎それ自体を消し去らない限り、延々と消えない。それが、まるで焚き物を失ったただの炎のように、揺らいで、弱って、消滅していく。

 

 同時に、黒炎払い達は自分たちの身体から、長らく苦しめられてきた呪いの痛みが和らいでいくの感じた。黒炎七天達によって傷ついた者達の身体は特に顕著であり、真っ黒に焦げ落ちていた腕や足、身体が薄れて、消える。

 

 紛れもなく、大罪竜を克服し、その呪いが消えた証だった。

 

 しかし黒炎払い達は歓声をあげることはなかった。10年間の耐え忍ぶ戦いと、ウルが来てからの半年の激闘、そしてこの数日の嵐のような状況の変化と、そして最後の死闘に心がついていってはくれなかった。

 大罪の克服、長い歴史の中、一度も果たすことが出来なかった偉業の一端を担ったのだという実感も無いまま、囚人達は呆然と、大罪竜ラースが崩壊していく様子を眺めていた。

 

「終わった、か」

 

 状況の収束を正確に理解していたのは、むしろ外部から来た救援者達の方だった。

 

『AAA………―――― 』

 

 勇者ディズは、相対していた天衣が急速に力を失い、黒炎と共に肉体が崩壊していく姿を眺め、状況が収束した事を理解した。念のためと剣は構え続けるが、崩れていく天衣が二度と起き上がることは無いだろう。数百年の時を経て、ようやく地に還ろうとしている。

 

「お疲れ様でした。大先輩。どうかゆっくりお休みください」

《おやすみなー》

 

 最早魂も残ってはいないのだろうが、遙か前に、人々を護るために命を賭して戦った戦士にディズとアカネは敬意を示した。

 

《おう、勇者よ。ソッチも終わったカの?》

 

 すると通信魔具から連絡が入る。同時並行で戦っていたロックの声にディズは応じた。

 

「と、言うことはそっちも終わったのかな?」

《まあのう。もう少しやりあってみたかったが、ま、しゃーないわ。ワシらはこの戦いの部外者だしの!》

「なら、部外者としてやることやろうか。救援を急ごう」

 

 通信を切ると振り返る。ガザとレイは、やはり呆然とした表情で屋上から見える大罪竜ラースが崩落していく様子を眺めていた。ディズはできるだけ優しく、二人に声をかける。

 

「二人とも、無事かな?」

「あ、ああ……大丈夫だ。です。な、なんか、呪いも消えたっぽい、っす」

「何その口調」

 

 ディズが七天と知っての反応か、ガザはややおかしな言動になり、それをレイが笑った。二人とも激しく消耗しているが、先程と比べ顔色は良い。やはり黒炎の呪いが消えた影響らしかった。

 

「本格的な怪我の治療もしたいけど、此処は戦いで荒れちゃったし、他にヒトを集めて問題ない、安全な場所を知らないかな?」

「事前に決めていた避難所なら、あります。戦えない奴らも今集まってる、筈」

「ならそこで全員集めようか。君たちの傷もそこで癒やそう。足下に気をつけて」

《こっちよー》

 

 そう言ってアカネは猫の姿となって崩落しかけている廃墟の屋上から二人を誘導していく。ディズは最後に一度、大罪竜ラースの残骸を見つめ、目を細めた。

 

「ラース()墜ちたか。いよいよだね」

 

 その表情は勝利による達成の喜びではなかった。

 次の試練を前に覚悟を決める戦士の顔がそこにはあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 失敗した。

 

 影の魔女、クウは影から自らの身体を這い出して、引きずるようにして逃げていた。影から這い出すのは上半身のみだ。そこから下はウルに切り裂かれ、無残な有様に成り果てていた。影から体を出せば出血で死ぬ。這いずるようにしか動けなかった。

 

 数百年もかけて、ずっと頑張ってきたのに、それでも失敗した

 

 そんな有様でも、彼女は地面を這って進む。

 文字どおり半分死に体の有様でも彼女は必死にその場から離脱しようとしていた。表情は苦痛と絶望にまみれて、失敗に対する救いようのない後悔があるのに、それでもその場から逃げようとすることをやめなかった。

 我が身かわいさで、死にたくないからというわけではない。今も、死の安寧よりもよっぽどに苦しみに満ちている。命を手放せば楽だっただろう。それでもそれはできなかった。

 

 諦められない。だって――――

 

 彼方此方で呪いが解かれ、解放されていく黒炎払い達とは対称的に、苦悩と絶望と、それすらも塗りつぶす激情を糧に、彼女は必死にラースの廃墟の小道を這って進む。そして――

 

「あ――――」

 

 不意に、顔を上げた先に、女はいた。

 

 煌めくような銀の髪、星屑のような銀の瞳、美しい容姿、そして握られた冷たい刃。

 

 地下牢を支配していた時も、正体を現して黒炎払いと相対した時も決して見せることは無かった、驚きに満ちた表情を彼女は浮かべた。地獄のような苦しみからこの一時だけ解放されたように、彼女は脱力した。

 

「――――――」

 

 

 そして、廃墟の路地で刃が閃いて、真っ赤な鮮血が飛び散った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪竜ラース、その残骸

 黒炎が消え去って、不可視の力で浮き上がることも無くなって、全てが崩れ墜ちてしまうと、その残骸の山は灰都ラースの中央に鎮座していたときと比べて随分と小さくなってしまった。

 まるで生きているかのように黒くなめらかな艶すらあった竜の遺骸は、干物のようにしなびて、触れれば灰の様に砕けてしまう。その形を維持していた何かが完全に失われたのだと、誰の目にも明らかだった。

 そんな残骸の山の頂上が、不意に動く、残骸そのものが動き出した様にも見えた。が、不意にその山から突き出たのは、周りで崩壊した竜の残骸とは全く別の、白い腕だった。

 

「――――……死ぬかと、思った……」

 

 ウルだった。

 残骸の山から這い出たウルは、ぐったりと膝をついて、なんどか深呼吸を繰り返す。ラースの遺骸の中は驚くほどの巨大な空間だった筈なのに、ラースを破壊した途端、空間が圧縮されたかのように周囲の竜の身体が一気に押し寄せてきた。

 あのまま圧し潰されて死ぬかと思ったが、出られたのは運が良かったのともう一つ

 

『…………AA』

 

 不死鳥が、ウルの身体を守ってくれたからだ。

 残骸から一緒に這い出てきた不死鳥は、力なく鳴いた。見れば明らかに、不死鳥の身体を被っている炎がその威力を弱めていた。根源を絶ったからだろう。すでに黒炎はその身にない。それに伴って不死鳥の身体も随分と小さくなって見えた。

 

「助かったよ、不死鳥。ありがとうな」

 

 ウルは、不死鳥の頭に触れた。

 黒炎を身に纏い、呪いを纏ってからは決して、誰にも触れられることのなかった不死鳥を、労るように優しく撫でた。

 

『――――――』

 

 不死鳥は目を細めて、心地よさそうにしたあと、鳴く仕草をした。しかし声にはならなかった。代わり、嘴が優しくウルの手に触れると、そのまま更に小さくなって、ウルの手の中に収まるような小さな炎になって、温もりをウルに残して姿を消した。

 これまでのように、再生することは無かった。

 

「おやすみ、フィーネ」

 

 疲れて、眠りたくなったのだろう。

 

 ほんの短い間だったが、命を預けた相手の心中をなんとなく、ウルは察した。

 

「……さて」

 

 そして、ウルはそのままもう一度、残骸を掘り返し始めた。

 疲労感と傷の痛みが体中を包む。気を抜けば意識を失いそうになるが、それでも掘り返すのは止めなかった。やがてウルの武装である竜牙槍や竜殺し。更にはクウが溜め込んでいたであろう様々な魔道具や武具の残骸までも姿を見せるが、ウルはそれらを無視して更に残骸を掻き分ける。

 そしてやがて、目当ての者を発見した。

 

「……見つけたぞ、ボルドー」

 

 黒炎払いの隊長、ウルの上司であるボルドーが顔を見せた。

 不死鳥の反応を見て想像はしていたが、やはりもう、生きては居なかった。上半身から下が見つからないのは、天剣との死闘の結果だろう。

 死んだボルドーの顔は眠るように穏やかだった。寡黙で、しかしその内には憤怒を滾らせ、最後には憎むべき黒炎の鬼そのものとなってでも戦い続けた彼の最後の表情にしてはあまりにも満足げで、ウルは少し脱力した。そして拳を作ると、灰のようになって崩れかけていたボルドーの額をそっと叩く。

 

「疲れてるから、これで勘弁してやる……」

 

 それだけ告げて、ウルはボルドーの隣で寝転がった。

 天剣に派手に切られて、その後クウにも何カ所も穴を空けられた。呪いこそ消えたが重傷だ。不死鳥の与えてくれたぬくもりが無ければそのまま死んでしまっていたかもしれない。今も身体が死ぬほど痛い。

 だけど、その痛みがまるで他人事のようだった。

 胸を満たす寂しさが、身体の痛みをずっと上回っていた。

 

「じゃあな、ボルドー。アンタの執念に助けられたよ」

 

 別れと感謝を告げ、ウルは目を閉じた。

 眠れそうに無かった。しかし、怒濤のような戦いと別れを受け止めるために、休む必要があった。心身が闇を求めていた。だからしばらくの間そうして、永劫別れた友らを想った。

 

「――――ウル様」

 

 そして、目を開く。

 視界の先には半年ぶりの顔があった。銀色の少女。半年前と変わらない、腹立たしいくらいに美しい仲間の姿。変化があるとすれば少し髪が伸びたくらいだろうか。本当に久しぶりな筈なのに、不思議と全く、懐かしくは感じなかった。

 ただ、寂しさと悲しさが少しだけ薄らいだ。そして、その途端、体中の痛みがハッキリとしてきて、その事にウルは笑った。

 

「シズク。悪いんだけど死ぬほど痛いんで、傷、治してくれ」

「ええ、勿論。ウル様」

 

 昨日までもずっと一緒だったかのように、特別でも何でも無い言葉を二人は交わした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地獄の果てにあるものは

 

 【罪焼きの焦牢・()()

 

 地下牢という巨大なる黒炎の呪いの隔離施設。呪いの全てに蓋をして見なかったことにするための天井が完膚なきまでに”ひっぺがされて”地下牢としての体裁を成さなくなったその場所で、救援活動は行われていた。

 

「重傷人はウーガ内の癒療所にて治療を行うっすよー、十分な資材が揃ってるから、慌てずに移動してくださいっすー」

 

 竜吞ウーガなる超巨大移動要塞と、そこからやってきたウーガの住民達。彼らによって生き残りの住民達は治療を受けている。

 黒炎が消え去った後も怪我や呪いの後遺症で苦しむ者が大量で、放置していれば大量の死者が出かねない状況下だったのだが、ウーガから来た支援者達は、囚人達に対しても偏見無く、救助を行い続けた。

 

 そして、その過程で、灰都ラースが解放された事を知った。

 幾人かの犠牲の上で。

 

 その結果に対して、大げさな歓声は起こらなかった。自分たちをむしばんでいた呪いが消えたことで、おおよそ察していたからだ。

 彼らは、事の終わりに安堵し、そして静かに悲しんだ。

 

 犠牲者の中に、聖女がいた事を知って、うずくまり、泣く男もいた。

 犠牲者の中に、黒炎払いの勇猛な隊長がいた事を知って、嘆く戦士達もいた。

 

 救助に来たウーガの住民達は、彼らの悲しみを、痛みを受け入れる時間を決して邪魔はしなかった。ただただ懸命に、彼らの命を拾い続けた。

 囚人達は、ウーガのそんな静かな献身に感謝した。彼らの大半は犯罪者であったが、それでも、恩を仇で返して、ウーガの住民に危害を加えようなどと考える者は一人もいなかった。

 

「……まあ、つまり、俺たちは助かったって事かよ」

「そうらしい」

 

 そんな中、ダヴィネとフライタンは二人地べたに座り込み、話していた。

 

 二人の内、ダヴィネは彼方此方に包帯が巻かれている。仲間達の指示を出す立場だったフライタンは兎も角、自前で用意した武器を振り回したダヴィネが負った怪我は多かった。黒炎の呪いで身体を焼きもしたが、しかし、死に至る前に黒炎そのものが消え去ってくれた。

 呪いが傷つけた身体や魂は癒えるまで時間がかかる。だが安静にすれば回復するだろうと治癒してくれた術士は言っていた。

 

「灰都ラースに向かった連中は、ボルドーもグラージャもクウも死んだらしい」

「そうか……」

 

 地下牢の連中だって、戻ってこなかった奴も多い。鬼となっていたとき、魂が焼き尽くされて、炎が消えたと同時に死んでしまう者もいた。だから

 

「運が良かったってことかよ。俺たちは」

「違うな」

 

 ダヴィネの力ない言葉を、フライタンが力強く否定した。ダヴィネは少し驚く。別に、大したことを言ったつもりでは無かった。なのにフライタンがそこまで強く否定してくるのには驚いた。

 

「俺たちが生き延びたのは、お前が頑張ったからだ」

「ああ?」

「お前が頑張ったからだ」

 

 二度、繰り返した。ダヴィネは奇妙なものを見る目でフライタンを睨んだ。するとフライタンは無表情のまま暫く黙る。その仕草にダヴィネは見覚えがある。この地下牢に送り込まれる前、時々フライタンがしていた仕草だった。考え込んで、言葉を探すときの仕草だった。

 だからダヴィネは黙って兄の言葉を待った。彼は口が上手くないのだ。そして彼は頷くと、またダヴィネへと顔を向けた。

 

「お前は俺が考えるよりも強かった」

「……」

「地下牢での支配の仕方は正直不細工すぎてどうかと思ったが……」

「おいコラ」

「自分の顔刻まれたコインを通貨だとか言い出したときは本当にどうかと思ったが……」

「ぶん殴るぞコラ!」

「お前は自分で考えて、選んで、失敗して、立ち上がれる男だった。何時までも意気地の無い子供のように思っていたのは俺だったな」

 

 地下牢に探鉱隊が揃って送り込まれるより前、周りから小馬鹿にされていたダヴィネを見て、フライタンは彼が一人では何も出来ない子供だと思っていた。彼に元いた探鉱を離れるように言ったのも、彼にとってはその方が良いとフライタンが決めたからだ。彼を見下す両親や仲間達は、自分も含めて彼の害だと思い込んでいた。

 地下牢に来てから、彼がその才覚を発揮し、王さまになったのも、クウが彼を唆して、操っているに決まっていると思った。それは遠からず当たってはいたものの、別にそこに彼自身の意思が存在しない訳でもなかった。クウという存在と協力して地下牢を支配したのは彼の意思だ。彼が望むままに鎚を振るうために自分で決めたことだ。

 誰よりもダヴィネを子供の様に見て、見下していたのは自分だった。そして自分の考えた道先が、ダヴィネにとって最適だと傲慢にも思い込んでいたのだ。

 彼に必要だったのは、彼にかけるべき言葉はそういうものではなかった。

 

「お前を見損なっていた。すまなかった」

「……は」

 

 ダヴィネは暫く何も言わなかった。口元をひんまげて、なにか堪えるように俯く。数秒間そうして顔を上げたときには、地下牢の王さまとして振る舞っていた彼の、傲慢だが力強い笑みが戻っていた。

 

「わかりゃいいんだよ!わかりゃ!!今度から気をつけやがれ!!バカ兄貴が!!」

「そうだな。そうする」

「そもそも俺はもう50才以上だぞ!!いつまでガキ扱いしてんだっての!!」

「70才越えるまでは土人は子供だろう」

「そういうのが古いんだよ!!マジで!!」

 

 ダヴィネは叫び、フライタンは淡々と返した。傍目には口げんかにも見えるやり取りだったが、しかし彼らにとっては久方ぶりの、兄弟のやり取りだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ 司令塔内。

 

「じゃ、じゃあウルも無事だったんだな?!」

《ええ。五体満足……と、言って良いかは分かりませんが、ご無事ですよ》

「じゃあ話とか!」

《所用があるっていって、少し出かけていますのでまた後で》

「んん……!」

 

 エシェルはがっくりと頭を下げる。

 彼とは半年間顔を見合わせてもいない。彼の言葉を全く聞いていない。だから楽しみにしていたのだが、残念ながらお預けとなった。

 

 でも、無事、生きている。それだけでも本当に嬉しくて、涙が出そうだった。

 

「良かった。と、言いたいですが、まだ完全解決ではありませんね」

 

 と、カルカラが指摘すると、エシェルはため息をついた。

 

「交易ルート、完全に外れちゃったしな……多少の融通は効くけど、限度がある」

「崩壊した焦牢の人命救助、という題目でしたが、ほとんど許可なく来てしまいましたからね」

「絶対今、あちこちで問題吹き出てるう……」

 

 待ち受けているであろう大量の仕事を考えると、エシェルは頭と胃が痛くなった。

 

「選択の余地はなかったけどね。全部の準備、ギッリギリだったし」

 

 しかし、リーネが言うとおり、これはほとんど選択の余地がなかった。

 焦牢の崩壊という一報をシズクが掴んだ瞬間、エシェルはほとんど条件反射の速度で焦牢の救援に向かうことを決めた。為政者として、あまり冷静な判断とは言いがたかったが、それでも彼女の決断速度がなければ、今、焦牢で助け出されている囚人達は助からなかったし、灰都ラースのウル達もどうなっていたかはわからない。だからこそ、シズクもエシェルの決断に賛同したし、勇者ディズもそれに乗っかった。

 

 そう、選択の余地はなかった。

 

 だから後悔してもどうしようもないことだ。どうしようもないのだが――

 

「ウルの動きが、早すぎる……もう少し根回しできたら……!」

「我らがギルド長、本当にどうなってるのかしらね」

 

 自分たちのギルド長に言いたいことはあるっちゃある。

 具体的には「本当にどうなってんだお前」という、身も蓋もない不満が。

 

「ちょっと距離置くと、はっきりわかるわね。アイツやっぱおかしいわよ」

「本当にもう心臓止まりそうだった……!」

「まあ、それを言い出すと、我らが参謀もそうなのですが」

 

 銀色の少女の微笑みが頭をよぎり、再びエシェルは頭を抱える。なぜに敵よりも味方に振り回されているのかさっぱりわからなかった。しかし、しかしだ。

 

「大変だったけど、ギリギリだったけど、()()()()()()()()()()。それは喜びましょう?」

 

 リーネの慰めに、頷く。そして前を見据え、女王として、配下の者達に命じた。

 

「好き勝手してくれた連中を、叩きのめすぞ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地獄の果てにあるものは②

 

 

「結果としてみれば、お前の思惑通りという訳か」

 

 大罪竜ラースを巡る成り行きを見守っていた天賢王は、静かに目を見開く。

 彼はまだ星の海にたゆたっており、そしてその彼の向かいにはブラックが笑っている。

 

「だーからタマタマだって。神殿が手を出せずにいる場所に面白そうな奴を突っ込んでみただけだってーの」

「耳が痛いな」

 

 黒炎に対する恐怖の信仰はあまりにも強かった。300年経過し、竜殺しという特攻兵器が生まれても尚、焦牢に託すべきだという意見が主流だった。天賢王はそれらの意見を無視することは出来ない。彼らの恐怖と畏れを無視すれば、【天賢王】という概念そのものへの信仰が揺らぐことが目に見えているからだ。

 つまるところ、本当に手出しのしづらい場所ではあったのだ。黒炎鬼達の実際の脅威度以上に、目の上のたんこぶだった――――“特に、これから先の彼らの計画を考えれば”

 

 そして、その懸念は解消された。

 

 奇跡と言って過言ではない偉業を、たった一人の少年をきっかけに成し遂げたのだ。

 

「……これでラースも墜ちた。ウルはラースを保管したか?」

「間違いねーだろ。鍵としては十分取り込んだんじゃねえの?」

「ならば良い。嘆願するとしよう。聞いてくれるかは、わからないが」

「俺の方に靡くかもしれねえぜ?」

「そうなれば、彼はともかく、お前は殺さねばならんな」

 

 天賢王は特に悪びれるでも無く、凄むでもなく、当然、と言うような顔で断言した。ブラックは嬉しそうに笑う。

 

「さて、祭りの始まりだ。あとにはひけねえぜ?っつって、引いたってもう死ぬしかないからなあ?」

「世界を砕くか、救うか」

「良いねえ。滾ってきた」

 

 そう言って獰猛に笑うと、ブラックがその場で一転する。同時に彼の姿は星海から薄れ、かき消えていった。天賢王が黙って見送る中、彼はまるで友人にそうするように手を振って笑った。

 

「んじゃ、まーたな。急げよ?じゃねえとこっちで勝手に全部始めちゃうぜ?」

「お前の好きにはさせない。魔王」

「よく言うぜ共犯者」

 

 そう言って彼はかき消えた。残された天賢王は一人、星海にたゆたい、そして小さく呟いた。

 

「決戦は、強欲の大罪都市か」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……あそこ、かな」

 

 ウルは、灰都ラースの北西端、砂と灰を踏み越えた先の丘へと足をかけていた。

 

「おい、ウル、はえーよもう少しゆっくり歩け」

「黒炎の呪い、もう身体には残ってないんだろ。ガザ」

「死にかけてたんだぞ俺もおめーも」

「それを言い出すと、此処に居る全員そうだけどね」

 

 そう言ってガザの隣でレイが振り返る先には、今回のラース解放の際に結集した黒炎払いの面々が集まっていた。此処にたどり着いた時の人数を考えると随分と減った。怪我で動けずにいる者も居るが、戦いの中で永遠に欠けてしまった者もいる。

 少なくとも、ウルの代わりに先陣を切って皆を導いたボルドーや、ウルの隣で此処まで来てくれたアナスタシアはもういない。

 

「っつーか、俺たちこれからどうなるんだろーなー。晴れて自由の身?」

「俺たち一応、犯罪者って扱いになってんじゃ無かったか?」

「実際囚人出の奴もいるし、そう簡単じゃないだろ。つかお前もそうだろ」

「でも黒剣騎士団も壊滅だろ?どうする気なんだろうね。お偉いさん」

 

 数が欠け空いた隙間を埋めるように、黒炎払いの戦士達は言葉を互いに交わし合いながら、ウルへとついてきた。動ける奴は残らずである。ウルは苦笑した。

 

「別に、ただの見回りだし、良いんだぞ、休んでて」

「どーせじっとしてたって暇なんだよ。体調はここ10年で一番良いしな!」

 

 ガザは腕を持ち上げてにっかりと笑う。確かに彼の顔色は良かった。黒炎払いの戦士達は誰も彼も、ウルが焦牢にたどり着いた時点で黒炎の呪いに少なからず侵されていた。彼らの身体から呪いは取り払われた。気分は随分と良いだろう。

 ただ、そうやって元気そうに振る舞うのは、寂しさを紛らわすためだろう。そう感じたが、ウルは指摘しなかった。そのまま丘を登る。

 そして頂上へとたどり着き、その先に広がる光景を前にした。

 

「…………ついた」

 

 ――――灰都ラースにはなにが残っているだろうか?

 

 この話題は、黒炎払いの面々のみならず、焦牢の囚人達の間で繰り返し交わされてきた話題の一つだった。灰都ラース。大罪都市ラース。かつて精霊の力により大繁栄を築いたその都市に、なにが残されているのかという、想像。

 

 何一つ残されてはいないだろうと誰かが言った。

 大繁栄時代の金銀財宝が残されているのだと誰かが笑った。

 恐ろしい大罪竜の黒炎が燃えさかり続けているのだと誰かが恐怖した。

 

 そんな風に想像を繰り返すばかりで、どれも根拠無い妄想に過ぎず、適当なところで話題が霧散するばかりだった。たどり着くことなどできはしないゴールの想像を膨らますのも空しくて、適当なところで話題は切り上げられた。

 

 しかし、一つだけ、これだけは存在すると確信されていたものがあった。それが――

 

「海だ」

 

 灰都ラースは、イスラリア大陸の北西端に位置する場所に存在していた。

 だから、ラースにたどり着けばきっと海は見れる。それだけは確実だと皆が言っていた。海と、その先にあるイスラリア大陸の終わり、世界の端が見れるのだと。

 

 その端の光景がウル達の前に広がっていた。

 

「……」

 

 砂と灰の地面にウルは腰掛ける。後ろの仲間達もそうした。

 太陽神はその日の仕事を終えて沈みかけていた。黒炎の元凶が消え去って、それが生み出す煙も一斉に消え去って、澄み切った空が、赤く、美しく染まっていた。波打つ海の水が陽光に煌めいて眩かった。

 

 囚人達が幾度となく想像した光景がそこにはあった。

 

「…………ああ」

 

 ガザが喉を震わして、声を漏らした。振り返らずとも彼が泣いているとウルには分かった。彼だけで無く、隣りにいるレイもそうだろう。それ以外のひげ面で強面の戦士達が何人も、すすり泣くような声をあげていた。

 

 悲しいから、と言うわけではないだろう。きっとそんな単純な感情だけではない。

 

 戦って戦って戦って戦って、その果てに挫折した。どれだけそれが苦渋の選択であっても、諦めるしかなくて膝を折った。それからずっとずっと、自分を誤魔化し続ける日々を繰り返してきた。仕方の無いことだと自分に言い聞かせ続けてきた。

 そして今日、永劫にたどりつけないと思っていたゴールにたどり着いたのだ。涙など、いくらでも零れてくるだろう。

 

 ウルには、それほどの感傷は無い。

 

 この半年間は、休まる時間など一時もないような濃厚な時間だった。此処にたどり着いた感動も、達成感も確かにある。それでも、心の器から溢れて押さえが効かなくなるほどじゃない。

 

 故に、昏翠の目から流れてくる涙は、ウルのものではない。

 

 アナスタシアの涙だ。だからそれを、拭うことも止めることもしなかった。

 

「綺麗だ」

 

 ウルは囁いて、泣きじゃくって蹲る仲間達と共に、何時までも美しい海を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 かくして、世界最大の禁忌区域が解放された。

 

 その情報は瞬く間に世界中を駆け巡り、凄まじい衝撃となって震撼させ、それを導いたとされるウルの名は、激しい混乱と熱狂を呼ぶ事となる。かつて新進気鋭の冒険者として名を馳せた時以上に、焦牢に貶められてからなすり付けられた悪名など消し去る勢いで。

 しかしウル自身は、少なくとも今はそんなこと知る由も無く、一つの長い旅を終えた仲間達と共に、最奥にあった美しい秘宝を眺め、その身体を休めるのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【迷宮・黒炎砂漠攻略:リザルト】

・攻略報酬:未定

・黒炎鬼の魔片 番兵の魔片 吸収

・竜殺し[二式] 取得

・黒睡鋼の鎧 取得

・希代の天才鍛治士、ダヴィネ加入

 

天賢王勅命(ゼウラディアクエスト)大罪竜憤怒のラース戦:リザルト】

・大罪竜ラストの魂支配、調伏完了 

 →情報なし 現象種別不明

 →竜化大幅進行

 →魔名の上限値大幅上昇

 →■■の創造権限取得。

 →【色欲の権能権限委譲】【死と生の流転謳う白の姫華】 

 →『死   ね ッ  ッッ!!!』

 

・大罪竜ラース超克完遂 憤怒の魂を獲得

 →大罪竜ラースの魂保管

 →魂保管量一定量到達、経路(パス)からの■■■■の開門情報を部分取得

・一部の魔魂片支配、調伏完了 休眠開始

 →情報なし 現象種別不明

 →『ありがとう』

 

・運命の聖女アナスタシアによる魂の譲渡発生

 →運命の聖眼付与

 →未来視の魔眼と融合、研磨必要年数大幅超過

 →最高硬度の魔眼に昇華【混沌掌握(アナスタシア)

 →効果:視界の運命の掌握、支配、強制

 →現存する最高硬度到達。

 

・不死鳥の魔皇片 委譲

 →技能:再生能力(リジェネ)獲得

 →ダメージが致命傷であるほどに回復量増大。

 

・魔片一定量到達により、魔画数増加3画→4画

 →魔片、過剰吸収により、更に魔画数増加4画→5画

 →魔片、超過剰吸収により、更に魔画数増加5画→■画

・潜在的【方舟】影響能力一定数到達

 →■■■■、感知

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ウル様。大変申し訳ないのですが、今すぐ仲間の皆様を連れてきてください」

「なんで?」

「超・電光石火で全てを終わらせますのでご準備を。ウーガとは別の足を使います」

「なんて?」

「準備不足分は、速度で補います。大体ウル様の所為なので頑張ってください」

「なんで???」

 

 シズクはむにむにとウルの頬を引っ張った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間章 清算と帰還
崩壊は突然に


 

 

 イスラリア大陸中の国々の全てを繋ぐ【大連盟】

 

 大罪都市プラウディアを盟主国として、イスラリア大陸中の全ての国々を繋げたその連盟は、迷宮によって世界の多くが分かれてからも、長く世界の秩序を保ってきた枠組みの一つだ。

 勿論、物理的に国同士が離される以上、統治は完璧にはほど遠い。隙は多く、穴もある。邪な考えの者達に利用され、問題も多く起こったし、現在進行形で起こっている。黒剣の問題など最たる例だろう。

 

 それでも、この仕組みはギリギリの瀬戸際で維持できている。

 奮闘、と言って良いだろう。

 

 前シンラのカーラーレイ一族の“しでかし未遂”はとてつもない事件であったが、過去を振り返れば同等規模の事件は何度も起こっている。それでも尚、【大連盟】は壊れていないのだから、大奮闘だ。

 少なくともグラドルの現シンラ、ラクレツィアはそう思っている。

 

 そして、それを可能としたのは神殿の力であり、

 太陽の結界の加護であり、

 魔術師達がその技術を結集させて生みだした【通信魔具】の力だろう。

 

 遙か彼方に言葉と意思を、感情を飛ばす事が適う技術は、砕け散ってバラバラになりかけた世界をギリギリでつなぎ止めた。太陽の結界のような圧倒的な力と比べれば目立たない。それでも、この手の平に収まるような小さな水晶は、世界の平穏を今なお維持する重要なアイテムだ。

 

《ウーガの状況、いい加減なんとかならんのかね?》

《遅々として運用の話が進んでいないじゃあないか!どれだけ無能なのだ!》

 

 その素晴らしいアイテムを使ってまでして届けられるモノが、遙か遠くに居る相手からの愚痴と罵声というのは、この魔具を開発した開発者達の努力を蔑ろにしてしまっているのでは無いだろうか。と、ラクレツィアは内心で思った。

 現在ラクレツィアはグラドルの神殿内で、ウーガを管理するプラウディア、エンヴィーとの三カ国会議を行っていた。ウーガを三国で管理する、と決まったときから定期的に開催されている報告会だ。

 

 しかし実体は、遅々として進まないウーガの運用に対する愚痴大会だ。

 

《挙げ句の果てに、無断で交易ルートを外れるとは……全く。》

《やはり、どれだけ技術があるといっても、例のギルドに運用を任すこと自体間違いだったのではないのかね?》

 

 通信先の相手は二国の外交担当の神官だ。確かどちらも第三位(グラン)だったか。一応ラクレツィアの方が官位は上の筈だが、随分と態度が上からで舐めきっている。

 文句の一つも言いたいが、現在のグラドルの立場ではそれも難しい、神官の大量の欠落を補うため、各大罪都市に協力してもらい、なんとか【生産都市】を維持しているのが現状だ。彼らはグラドルの上からものを言う立場にある。

 

《やはり年を重ねると頭が固くなるものなのかね。全く、これではグラドルの先は暗いな》

 

 の、だが、まあ、なんというか、全部ぶん投げて中指立ててやりたい衝動が彼女にも無いわけでは無かった。

 

「報告が入り次第連絡をします。情報の確認に全力を尽くしますのでどうかご安心を」

 

 とはいえ、それをしてしまえば今日までの苦労が台無しである。彼女は堪えた。

 

 それに、今回ばかりは、こちらにも非がある。

 

 【焦牢】に起こった詳細不明の異変。監視塔からの報告に対して、ウーガが独断で救助の為に移動してしまったのだ。そしてその許可を聞く前に、ウーガは独断で動いてしまった。

 尤も、許可を出す、という話になると、3国の判断を仰ぐこととなり、決断を下すだけでも数日を必要としただろうし、その結果「不許可」となるのは目に見えていた。そのことを予期した上での独断なのだろうが……結果として、ラクレツィアがその尻拭いをする羽目になっていた。

 

《本件で運送の遅れで生じた損失の補填は、何処の誰が責任を負ってくれるのだね?》

《ウーガは巨大である分、1度の作業で必要とされる費用は尋常でない。ましてやそれがキャンセルされたとなれば……勿論、ラクレツィア様には言わずともわかって貰えるでしょうが》

「ええ、勿論」

 

 普段、制御権を持つコチラから主導権を奪い取ろうと躍起になるくせに、トラブルが発生した際は即座にこちらに責任を押しつけようとする二枚舌には感心した。

 

「ラクレツィア様!!大変です!!」

 

 と、その時、会議室の扉が激しい音と共に開け放たれた。

 

《……部下の躾けもできないのかね?グラドルは》

《都合が悪い話題をわざと打ち切らせようって言うんじゃ無いだろうね?》

 

 ラクレツィアは眉をひそめた。通信魔具による外交とはいえ、重要な会議であることには変わりは無い。会議室には基本的に完了するまで立ち入ることが無いように部下達にも命じている。ラクレツィアの直近の部下にそれを弁えない者は居ない。

 

「失礼しました……一体何事ですか、全く」

 

 と、言うことは、その命を破ってでも報告しなければならない案件が現れたと言うことだ。ラクレツィアはやや警戒を強めながらも、部下が面白い顔色をしながらも持ってきた書類を手に取り、それに目を通した。

 そして目を見開き、しばし絶句した。

 

《……ラクレツィア様?》

《どうしたのかね》

 

 ラクレツィアの緊張が向こうにも伝わったのだろう。通信魔具越しに探るような声が伝わってきた。正直、情報を向こうに筒抜けにしてしまったのはラクレツィアのミスだったが、しかしコレばかりは仕方が無い。どのみち、すぐにでも向こうにも情報は届くだろう。

 ラクレツィアは小さく息を吐き出すと、目の前の書類の情報を読み上げた。

 

「……ウーガからの連絡が届きました。ウーガは無事であるとのことです」

《ほう、やっとかね》

《だったら、急ぎ元の行路に戻り交易を再開してもらいたいのだが?》

「それと」

 

 二カ国の外交官がまた何か好き勝手に何かをいいそうになるのを先んじて、ラクレツィアは続ける。

 

「騎士団の本拠地、【罪焼きの焦牢】が壊滅しました」

《……壊滅?》

《なん……》

「それともう一つ。黒剣騎士団がほぼ全滅したとのことです」

《――――》

 

 そのラクレツィアの説明に対して、帰ってきたのは沈黙だ。

 彼女は一言一句、意味の通らない言葉を発していたわけでは無かった。そして通信魔具越しの外交官達も、決して頭の回らないような連中ではない。いかに嫌みったらしい事を口にしようと、個人としては有能な部類だろう。

 その彼らが、ラクレツィアの言葉を理解するのに時間を必要とした。数秒経ち、数十秒経ち、そしてようやく一言

 

()()()()()()()()()()()

 

 と、いう言葉を苦労して吐き出すのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 運命の神官ドローナ・グラン・レイクメアは何時も通りの心地の良い朝を迎えた。

 

 官位持ちであるが故に許される広い部屋を潤沢に使った豪奢なベッドは彼女を包み込み、心地の良い眠りを尚も誘う。別にそのまま眠っていても誰も咎めるものもいない。その事実にほくそ笑みながら、彼女は身体を起こした。

 

「おはようございます。ドローナ様。身支度をさせていただきます」

 

 待機していた幼い少年のような従者が自身の身支度を進める。その少年も彼女の好みで使っている従者の一人だ。かつては従者として働いていた彼女にとって、誰かを従わせ、自分を世話させるのは一つの娯楽で、快楽だった。

 

 どうせなら、あの女を従わせてみたかったけれど。

 

 ふと不意に、頭の中に過ったのはかつて、彼女が従っていた運命の巫女だ。随分と懐かしい、最近は思い出すことすら無かった女のことだ。

 自分より官位が低く、なのに、運命の精霊の寵愛を受けて周りから持ち上げられていた少女。ドローナにとっては目の上のたんこぶで、邪魔者だった。そんな彼女に従者として仕えなければならないのはあまりにも屈辱だった。

 

 だから、利用するだけ利用することを思いついた。

 

 悪徳の為に彼女を利用して、最後に彼女ごと捨てることを閃いたのだ。

 

 そしてそれは上手くいった。皮肉にも彼女自身の運命の力がドローナに最善の道を与え、運命の巫女に最悪の道を作ったのだ。あの時は本当に、心の底から愉快でたまらなかった。自分が周りを巻き添えに地獄への道を作っているとも知らず善いことをしたと笑っている巫女の顔を見たときは笑いを堪えるのに必死だった。

 

 そして彼女は失われ、彼女の椅子を押しのけて今自分は此処に居る。堪えきれぬ優越感に笑い声が零れて、無礼にも従者が少し怯えた様子だったが、罰するのはやめてやろう。今日の自分最高に気分が良いのだから。

 

「今日は誰かに幸運を恵んであげようかしら」

 

 そう言って、今日も運命の巫女の仕事、というものをこなそうと腰を上げたときだった。

 

「ドローナ様!!」

 

 突如扉が開かれ、慌ただしく自分の取り巻き達が入ってきた。

 そのあまりの乱暴な乱入にドローナは顰めた。勿論、彼女の部屋にそのような乱入を認めた事は無い。

 

「一体何事ですか!!無礼な!」

 

 先程までの機嫌の良さは何処へやら、怒鳴りつけるような勢いで彼女は叫んだ。しかし取り巻き達の慌てふためきようはドローナの怒声に対してもまるで変わることはなかった。汗を流し、困惑し、救いを求めているようだった。

 流石に、その様子を見るとただ事ではないと察することは出来た。

 しかし、何に対してそんなに慌てているのかが読めない。運命の精霊の威光という強力な後ろ盾を持つ彼女たちは、様々な場所に繋がりを創り、盤石のコネクションを形成してきた。何事かが起きたとしても、あるいは何事かを”起こしたとしても”、無かったことにする事くらい、できるのだ。

 

「例の中小の商人ギルドが訴えでも起こしましたか?それか――」

 

 トラブルの火種に思い当たるところは、ある。沢山ある。多くの問題を握り潰して、弱者達を踏みつけにして、傲慢を通しているのが彼女たちだ。そしてそれらのトラブルを押し通す手段を彼女たちは握っている。

 

「最悪の場合、黒剣騎士団を使いなさい。その為の手段はあるのでしょう?」

「その、その黒剣騎士団が――――壊滅したのです」

 

 部下のその言葉を、理解するのにドローナは暫く時間を必要とした。口をぽかんと開けた間抜け面を晒して、心中をそのまま言葉にして吐き出した。

 

「は?………………はあ?!」

 

 壊滅。壊滅!?

 あまりにも唐突、かつ耳慣れない単語に彼女は混乱を引き起こした。言葉の意味が理解できなかった。それはあまりにも突然の事の様に思えた。焦牢とは定期的に連絡を取っているが、あそこの長であるビーカンは先月も視察という名目で酒池肉林に赴き、気をよくしていた。ここ数年の態度と何一つ変わりなく。

 

 それなのに、その彼が率いる組織が何故なんの前触れも無く壊滅する?

 

 焦牢のある旧ラース領と、プラウディアとの間には距離があり、都市外には魔物と迷宮が無数にある。必然的に情報の精度も頻度も悪くなるのは確かだ。しかしそれにしたってコレは――――

 

「それと、もう一つ」

「なんなのです……まだあると?」

 

 既に、飲み込むに時間が必要な情報を押しつけられたのに、まだ続けるのかという怒りが沸くが、聞かないわけにはいかなかった。従者の一人もかなり困惑した様子で、汗をだらだらとたらしながら、手元に握られた報告書に目を通し、読み上げる。

 

「……旧ラース領の黒炎が、現在次々に消滅していっているのが確認できたそうです」

「……どういうことです?」

 

 その説明の意味を、ドローナは理解するのに時間がかかった。異常であることは明確だ。数百年残り続けてきた呪いの炎、その砂漠に異変が起こっているのだという事は理解していた。

 だが、ソレの意味するところ、そしてそれがどういう影響を及ぼすかまでは思考が回らない。想像するのを頭が拒否していた。

 

「恐らくですが……こ、黒炎砂漠が攻略され、黒炎が消滅したのだと思われます」

 

 自身の栄華と安寧が歪にひび割れていく悪寒に、彼女は思考を停止していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

崩壊は突然に②

 

 

 

 何故こんなことになっている?

 

 大罪都市エンヴィー中央工房、経営部門長ヘイルダー・グラッチャは混乱の中にいた。

 

「黒剣の壊滅……ビーカンのバカは何を失敗した……!?」

 

 黒剣騎士団とエンヴィー中央工房の繋がりは深い。

 中央工房と神殿との政争が始まってから、中央工房は黒剣騎士団との繋がりを強固なものとした。邪魔者を始末する上で、この上なく都合の良い“公的機関”であるのもそうだが、なによりも、中央工房と敵対関係にある神殿にとって、黒剣騎士団――――ラースの黒炎は忌避すべき存在であったのも都合が良かった。

 無論、裏では神殿もあの場所を利用しているものもいるだろう。が、それでも神と精霊に仕える身でありながら、竜の残した呪い、黒炎を都合の良いゴミ捨て場として利用しようなどという厚かましさを持てる神官は中々いない。

 その点、ヘイルダー達にはない。彼らは何の忌避感もなく、黒剣騎士団と蜜月の関係になり、様々な()()を行うことで、()()してもらってきた。そしてその関係を、多方面に利用してきた。

 今回の【歩ム者】の一件もその一つだ。

 

 紛れもない、蜜月の関係だった。

 多くの金と、ヒトと、秘密を、数え切れないほどに行き来させた。

 どれだけ薄汚く、悍ましい関係であっても、強固な絆と表現して差し支えないだろう。

 

 しかしそれはつまり、どちらか一方が崩れた瞬間、確実に巻き込まれることを意味している。

 黒剣だけが消滅するというならそれでいいだろう。あと腐れなく、一切の証拠も残さず消え去ってくれるなら、むしろ好都合と言えるだろう。だが、絶対にそんな都合の良い展開は起こらないのは皆わかっている。

 

 黒剣の壊滅は、証拠の隠滅を自ら図った上での逃亡ではない。誰がどう見たって、致命的な事故ないし自滅だ。ほぼ確実に、自分たちにまでその影響はとんでくる。しかもタチが悪い事に、それがどれほどまでの影響になるか、誰にも分らない。混乱は必至だった。

 

「ヘイルダーさん!!【天からの雫瓶】からご連絡が!急ぎ取り次いでほしいと!」

「【風見蝶】からもです!」

「ヘイルダーさん!!どうにかしてください!!」

 

 中央工房と同じく、黒剣とのつながりの強かった者たちは誰もかれも、混乱の渦中に放り込まれていた。その情報は流石にヘイルダーの耳にも入っている。何せ通信魔具で至る所から、我が身の可愛い連中が、ヘイルダーに連絡を飛ばしてきているからだ。

 

 自分たちは大丈夫なんだろうな!?と

 

「その上、黒炎砂漠が攻略……!?馬鹿な……」

 

 当然ヘイルダーも、この混沌の全容を把握できていない。

 出来るはずもない。

 前例はない。ヘイルダーに限らず、このイスラリアに住まう全ての民にとって前代未聞の事態だ。黒炎砂漠の攻略などという、ありえない事態、予期すらしていなかった。数百年間、ずっとそこにあったものが、ある日前触れもなく消えてなくなるなどと、想像できるわけがない。

 

 ハッキリとわかっているのは一点だけだ。

 この混沌とした事態で、致命的に、出遅れているということだ。

 

 これが完全なただの事故ならまだいいだろう。不運としか言いようがないが、それでも挽回のしようはある。が、しかし、これが何者かの策謀が、意図が混じるというのなら、最悪だ。

 

 せめて、情報を掴まなければならない。せめて、黒炎砂漠をだれが攻略したかを、一刻も早く―――――

 

 悪寒に追われるように、エンヴィー騎士団遊撃部隊宿舎へと足を踏み入れた。

 

「エクスタイン!!エクスタインは何処だ!!!」

 

 彼は叫びながら扉を開けると、遊撃部隊の騎士達はギョッとなってヘイルダーを見る。だが有象無象の視線などヘイルダーにはどうでもよかった。血走ったような目で周囲を見渡し、そして奧で事務作業を行っていたであろう遊撃部隊隊長のグローリアが目に付いた。

 

「何事です!勝手に立ち入らないでもらいた――」

「エクスタインを今すぐ呼べ!!」

 

 聞く耳を全く持たないといったヘイルダーの態度に、グローリアは眉をひそめ、森人の特徴である長耳をぴくりと揺らした。ヘイルダーの態度があまりにも無礼で乱暴だったが、それ故だろうか。彼女は怒りを抑え冷静な態度となった。

 

「……彼なら随分前から休職届を出して休んでいます。騎士団にも顔を出していません」

「だったら今すぐ呼び出せ!!!時間がないんだ!!」

 

 無茶苦茶な、と、グローリアは迷惑そうな表情を隠さなかった。

 彼女は遊撃部隊、即ちプラウディアにいる天魔のグレーレの信奉者であり、その忠誠心はエンヴィーの権力者に向けられてはいない。今無茶苦茶を彼女に喚き散らすヘイルダーは闖入者以外の何者でも無かった。

 

「貴様――――!!」

 

 その態度が気に入らなかったのだろうか。ヘイルダーは平手を上げた。周りの騎士達が止めようと動くよりも速く、彼はそれをふり下ろそうとして。

 

「ああ、ヘイルダーさん。落ち着いてください」

 

 それを、不意に現れたエクスタインが止めた。

 

「なっ!?」

「エクスタイン……貴方何時から」

 

 ヘイルダーもグローリアも驚き、目を見開くなか、彼は本当に何でもないというように肩を竦めた。凜々しい彼のその態度は変わらないが、他の騎士達も驚愕している。この半年間、彼はロクに騎士団に姿を現さなかった。その行方すらも掴めていなかったのだ。

 

「エクスタイン!お前なにをしていたんだ!!」

 

 その周囲の驚愕にも気付くこと無く、ヘイルダーは怒りにみちた声で彼の手を振り払う。この半年の間もヘイルダーはエクスタインと幾度も接触して、彼を使っていた。ヘイルダーにとってエクスタインは幼少期からずっと使っていた都合の良い駒の一つだ。

 少なくとも彼はそう思っていた。

 

「ガルーダを出せ!!今すぐ黒炎砂漠の状況を――」

「ああ、ご安心を。既に情報は仕入れていますよ」

「何……?」

 

 驚愕するヘイルダーにエクスタインは肩を竦める。余裕ぶったその態度はヘイルダーを更に苛立たせるが、彼は気にせず会話を続けた。

 

「というよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。恐らく、どこからか誰かが意図的にながした情報だと思われますが――」

「だから、それがどんな情報だと聞いているんだ!!」

 

 苛立つように、エクスタインの首を掴む。首を絞めるような勢いだった。エクスタインはそれでも笑みを浮かべたまま――――――とは、少し違う。

 彼は笑っている。

 だが、幼いころからずっと見てきた、外面だけそう見せかけたような、薄っぺらい笑いとは違う。その端正な顔が引き裂かれるような狂笑が、彼の顔に浮かんでいる。

 思わずヘイルダーはぎょっと手を離した。エクスタインは何でもないように肩をすくめると、そのまま口を開く。

 

「ウルですよ」

「――――ウ、ル……!!?」

 

 ヘイルダーは目を見開く。

 エクスタインはそんな彼の動揺を憐れむように、慰めるように、優しく言葉をつづけた。

 

「私と貴方が愚かしくも貶めた、【灰の英雄ウル】が、黒炎砂漠と灰都ラースを解放したんです」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その情報の広まり方はあまりにも速く、そして歯止めが利かなかった。

 

「ラース解放!!ラース解放!!灰都ラース解放!!!!」

「恐るべき黒炎の呪いにまみれた禁忌の砂漠が開放された!!」

「数百年間残り続けた大罪竜の災厄が払われたぞ!!!」

 

 その吉報は大連盟連なる各都市に一瞬で流れ、そして爆発的に伝播していく。あらゆる報道機関に等しく伝達され、それが瞬く間に一般都市民へとなだれ込んだ。

 耳にした都市民達は驚愕し、そして熱狂した。

 彼らにとってすれば、灰都ラースは名前だけは知っているかのような、とっくの昔に滅び去った伝説の大罪都市だ。黒炎というおぞましすぎる呪いを封じるためにろくな情報も与えられておらず、結果、想像の中で畏怖だけが膨らみ続けていた。

 

 それが、打ち破られた。解放されたのだ。

 

 日々大きな変化の無い都市民達にとって、あまりにも魅力的で輝かしい吉報だった。どこもかしこもお祭り騒ぎとなったのだ。

 

 各都市国が噂に翻弄される最中、盟主国であるプラウディアの第一位(シンラ)、天賢王が動いた。彼は都市民達の前で大々的に、つい先日までイスラリアに深い傷を残し続けていた黒炎が消え去ったのを公表した。

 そしてその偉業を成し遂げたのが、半年前【大連盟法反逆容疑】をかけられていたウルであることを宣言し、彼がその疑惑を晴らしたと認めた。

 そして、その【灰の英雄ウル】の偉業を讃える凱旋を、数日後に行うことを決定した。

 

 王は、熱狂を押さえることはしなかった。炎に油を注いだのだ。それも盛大に。

 

 こうして、いよいよもって、誰の手にも、この熱狂は歯止めが効かなくなった。

 イスラリアに蔓延る悪党たちが、何一つとして事態を把握することも出来ぬままに、全てが決定してしまった。彼らの多くは、これが「攻撃」であることをこの時点で悟った。どれだけ敵の正体が見えずとも、間違いなく、この流れには意図が存在していると、否応なく理解させられていた。

 

 しかし、それでも彼らはまだ、楽観している部分があった。それは、彼らが致命的に間が抜けているから――――ではない。そうではない。

 それは、彼らの経験則からくる楽観だった。

 彼らは知っている。自分たちには多くのつながりがある。それは長い年月をかけて、イスラリアの地下に蔓延った悪徳のつながりだ。幾重にも繋がり、結びついている。時に表側の、一見すれば善意の仕組みや組織すらも絡めとって肥大化し続けたこのつながりは、例え何が起ころうとも、どのような事態になろうとも、決して全てが断ち切られるはずがない。そういった確信だ。

 

 そんなこと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、あるわけがない、そういう確信。

 

 しかし、悲しいかな、()()()()()()()()()()()()()()

 

 黒炎砂漠攻略という前代未聞の事態に対して、彼らはいまだにそのスケールを理解できていなかった。脳が全く持って、受け付けてはくれなかった。

 

「それでは皆様、お願いいたしますね」

 

 その致命的な隙を、白銀が見逃す筈もなく――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪党どもが夢の後

 【赤色天狗】と【青水鶏】

 

 その二つのギルドは、長らく共栄関係にあった。

 

 長い間築き上げられた癒着と腐敗の共存関係だった。

 醜くとも、彼らの間には確かな絆があった。二つのギルドは仲良く過ちに手を染め、弱く正しい者達を利用し地獄に追いやって、その生き血をすするように金を搾取し続けた。

 

 彼らは上手くやっていた。やってきていた、筈だった。

 

 その歯車が狂い始めたのは何時からだっただろうか。

 運命を弄ぶ神官ドローナに従い、更に進んで悪徳に手を染め始めてからだろうか。

 竜吞のウーガ、あの前代未聞の使い魔を手中におさめようとしてからだろうか。

 

 それとも、あの銀色が、鈴の音の声で、共犯者の裏切りを密かに告げてからだろうか。

 

 口論が多くなった。秘め事が増えて、疑心が増えた。

 そして、その果てに、

 

「【赤色天狗】のクソどもをぶち殺せ!!!」

「【青水鶏】だ!あいつら攻めて来やがった!!返り討ちだ!!!」

 

 今、人死にが出かねないような大戦争に発展した。

 

 誰が、どう考えても異常だった。

 

 何せ二つのギルドは()()()()()()

 

 冒険者のように戦いを生業としているわけではない。魔術を修めている者もいるが、それは戦いのためのものでは無い。彼らの大半は冒険者を生業とするような名無し達を見下し、魔物達との殺し合いに明け暮れるような者達を“穢れている”と嘲っていた。

 

 そんな彼らが、何故か殺し合っている。

 誰一人、戦いの心得を持つ者はいないにもかかわらず。

 

 異常としか言いようが無い。しかし抗争に参加している誰もが、それを疑問には思わなかった。当然のように彼らは慣れない武器を握りしめ、振り回されて、自分が逆に怪我をしてしまう。それでも全くのお構いなしだ。

 

 ギルド長同士も殴り合いを続けていた。 

 

 子供の頃すら殴り合いの経験の無い彼らが、不細工に拳を振り回して、突き飛ばし、藻掻いている。傍目にはあまりにも滑稽な様でも、必死だった。

 

 それでも、そうしなければならなかった。何故なら、何故なら、何故なら――――?

 

「――――何故、俺たちこんなこと、やってんだ……?」

 

 不意に、顔に青タンを作った【赤色天狗】のギルド長の喉から、疑問が零れた。

 

「なんだと?」

 

 額を切ったのか、顔が血まみれになった【青水鶏】のギルド長がうなり声を上げながら問い返す。

 

「だって、おかしいじゃ、ないか。なんでお前達と、……潰し合ってる……?」

「決まってるだろ!!それは、お前が……!!!…………お前が?」

 

 理由はあったはずなのだ。此処までのことが起こるだけの、理由が。

 しかし、何故かそれらはどれも形にならなかった。まるで悪夢のように、言葉にしようとした端から、解けて消えていく。此処で目の前の相手をやっつけてしまわなければならないという、病的なまでの確信はあるのに、そこに至るまでの過程がすっぽりと抜けている。

 

 おかしい。絶対におかしい。この状況は異常だ。その事だけはハッキリしていた。

 

 ――――さあ、続きを

 

 だが、しかし、足が止まる寸前に、耳元で美しい鈴の音が響く。

 

「――――まあ、いい。おまえらを地上から消し去った後に考えてやる」

「――――ああ、そうだな。そうしよう」

 

 彼らは、地獄を再開した。

 

 後に、奇妙なこのプラウディアの二大ギルドの大抗争は泥沼の共倒れで終結した。“奇跡的に死人は出なかったが”、怪我人は多く、多くの逮捕者を出した。

 抗争の原因を究明するために、双方のギルドは調査が入り、その結果、大連盟法に触れる数々の違法行為が明らかとなり、ギルドは解体された。

 

 後に、逮捕されなかった者達は、口を揃えて

 

「皆が皆、得体のしれない悪い“ナニカ”に、化かされたようだった」

 

 と、当時を思い返して、呟いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ギルド【黒六蝋】は、傭兵稼業を生業としていた。

 名無しのギルド長を中心に、その同胞達に幾つもの仕事を派遣する傭兵ギルド。

 

 しかしその本質は、人身売買に他ならなかった。

 

 この世界において、ヒトという商品は、高い価値がある。

 

 子供でも、魔物を殺し続ければ、超人になる。常軌を逸した力を得る。誰でも例外なくそうだ。名無しだろうが、都市民だろうが、神官だろうがそうだ。しかし、だからそういう能力は求められないかと言われればそんなことは無い。

 誰だって、魔物と殺し合うのは恐ろしい。危険と隣り合わせの戦いを、幾度となく繰り返さなければ超人へとは至れない。命を失うかもしれない殺し合いを、そんなことはしなくたって生きられる都市民達は選ばない。金で、それが買えるなら、当然そうする。

 

 だから、彼らにそういった商品を売りつけるそのギルドの需要は存在した

 

 彼らは効率よく商品を仕入れていた。

 切羽詰まっている者達。金のためならなんだってするような者達を集めては、商品へと変えていく。商品へと仕上げる過程で、彼らが死ぬようなことになったとしても、勿論ソレは「冒険者の不注意」だ。

 

 とはいえ、流石にそのやり口のあくどさに、咎める声も存在した。

 人権を無視した邪悪な脱法行為。許されがたい蛮行だと。

 しかし、彼らへの追及の手は、決して最後までは届かなかった。彼らはその悪行を罰せられることは無かった。彼らは上手く立ち回った。様々なギルドと繋がり、金銭のやり取りで繋がり、お目こぼしをしてもらうように裏から手を回した。当然、都市の特権階級の者達にも繋がり、都市の永住権すら獲得していた。

 

 盤石だった。

 彼らを咎められる者は何処にも無かった。

 その筈だった。

 

「いいか!!容赦をするな!!コイツラは全員大連盟法の重犯罪者だ!!」

 

 しかしその繁栄と安寧は突如として崩れ去った。

 

 予兆はなかった。彼らとて、自分たちが後ろめたい事をしていることは分かっている。自分たちを咎め、追求する者達が現れればすぐに気がつくようにアンテナは張り巡らせていた。少なくとも彼らが張っていたアンテナは、どこにも引っかかることは無かった。

 

「待て貴様等!どのような権利――――で!?」

 

 一切の予兆も無く、騎士団は【黒六蝋】のギルドハウスの前に現れ、門番を務めていた大男を一切の問答無く叩きのめした。

 此方がどのような権利を、正当性を主張してもまるで聞く耳を持たない。彼らは暴力的であった。一切の躊躇が無かった。殺しこそないが、それ以外の何もかもを使って邪魔する相手を叩きのめし続けた。

 

 異常だった。

 

 この時代、子供でも圧倒的な暴力を有することが可能な世界において、秩序の守護者である騎士団には確かに暴力装置としての機能は求められる。

 

 しかしそれはあくまでも必要な場合に限りだ。

 

 不必要に彼らは力をひけらかさない。彼らの主立った武装が大盾なのもその証だ。

 

「全員叩きのめせ!!!」

「一人も逃がすな!!!」

「油断もするなよ!!死なない程度に行動不能にしろ!」

 

 だから、騎士達が一人残らず暴意に満ち満ちているのは誰がどう考えても異常だ。彼らの目は据わっている。まるで自分たちが許されざる罪人であるような目で見てくる。

 濡れ衣も甚だしい――――訳ではない。彼らは確かに外道を行っていた。密やかに、真っ当なギルドのフリをして、邪悪の所業を行い続けた。それらの所業の全てが明らかになれば、誰しもが眉を顰め、侮蔑の視線を向けるのは確かだ。

 

 だが、証拠は残っていないはずだ。

 いや、例え証拠があったとしても、容易には踏みこむことが出来ないコネクションを彼らは構築していた。それなのに何故――――

 

「此処にもいるぞ!!捕らえろ!!」

「ッ!?」

 

 扉が開かれる。【黒六蝋】のギルド長は目を見開いた。

 騎士達がなだれ込んでくる。騎士鎧に兜をしていても伝わる殺意に満ち満ちた騎士達が接近するや否や、何か言うよりも速く、盾を叩きつけられた。

 

「ぐえあ!?」

 

 目の前に星が散った。痛みと衝撃で視界が白くなり、地面に倒れる。その隙に一気に腕を組まれて、地面に拘束された。

 

「おい、動くな!」

「2,3発殴っとけ。抵抗する気も失せるだろ」

 

 指示もあまりにも無茶苦茶だ。騎士団ではなく、闇ギルドの襲撃でもあったと言われた方がまだ真実味があった。

 

「おいおい、こら、落ち着け」

 

 そんな中、比較的冷静な声が聞こえてきた。

 騎士達の殺意が緩む。騎士隊長の鎧を纏った女が姿を現した。彼女は殺意に満ち満ちた騎士達の中で、一人、冷静な声をあげて、傍にしゃがみ込み、拘束していた騎士達を退けた。

 

「馬鹿。チンピラが殴り込みやってんじゃないのよ?全く」

 

 そう言って微笑みを浮かべる。

 

「ああ、申し訳ありません。ウチの連中が乱暴して」

「っぐ……く…っそが……」

 

 腕の痛みに脂汗を流しながら、荒く呼吸を繰り返した。多少は冷静さを取り戻す。そして、痛みは怒りに変わっていく。

 彼は都市の暗部に君臨する権力者だ。それ故の傲慢さを彼は有している。怒りのままに彼は叫んだ。

 

「き、貴様等……こんなことをしてただで済むと思ってるのか……?」

 

 怒りと混乱で震える声で、問うなら。普段なら、彼が怒りを見せつければそれだけで平伏する者達ばかりだったが、この日は違う。目の前の女騎士隊長は、何一つとして気圧される事も無く、にこやかに微笑みながら近付いた。

 

「大変申し訳ない。ただ、その前に一点、確認したいことがありまして」

「は?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 最初、彼女が何を言っているのか、理解できなかった。質問の意味が分からない、というよりも、何故この状況でそんなことを聞くのかが分からなかった。だが、

 

「あ、ああ?あの命知らずどもが魔物どもと殺し合う戦いだろ?それが――――」

 

 頷いた瞬間だった。腹部に、拳が突き刺さった。誰であろう、一番冷静そうにみえた女が、拳を腹に叩き込んだのだ。

 

「ごえ!!!?」

「なんだ知ってるんじゃあないか。余計な気遣いをしてしまったわ」

 

 騎士隊長の声は、やはり静かだった。しかしその声には、温度がなかった。まるで家畜の屠殺を担う職人であるかのような冷淡さで、彼女は淡々と目の前の男を殴りつける。

 

「お、お、おまご!?」

「畜生が口を利くなよ」

 

 騎士の所業とはとても言い難い暴行を繰り返す。彼女の部下達も、その暴挙を淡々と見守り続ける。その異様な私刑(リンチ)を受けながら、最後まで一つたりとも理解できぬまま、彼は気を失った。

 

「他にも残党はいます、隊長」

「゛白銀”殿のご希望だ。殺しはご法度だ。そうでないならどうでも良い。全部潰せ。一匹たりとも残すな」

 

 隊長は即答する。陽喰らいを戦い抜いた熟練の戦士達は、その一言で散開していく。隊長に指示されなかったとしても、誰一人逃すつもりは彼らになかった。

 

「恥知らずの外道どもを地上に残すな」

 

 その日、各都市で、【黒六蝋】と、それに与していた複数のギルドが地上から消え去った。あまりにも迅速かつ、暴力的な逮捕劇だったが、不思議とその事が問題になることは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その神官は聖者として多くの都市民達から讃えられてきた。

 魔物たちに襲われ、親兄弟を失った者たちに多くを施し、孤児院を建設した。貧困にあえぐ多くの者たちに施しを与えた。高位の神官でありながら、下々の者への慈悲を忘れない、偉大なる神官であると誰もが言った。

 

 だが、その裏で、彼はイスラリアの暗部を牛耳る邪悪だった。

 

 善意の施しとはとんだ笑い話で、そもそも貧困層が多く生まれたのは、彼や、彼の周囲の組織が、本来貧しい者たちに行き届くはずの金を接収していたからにほかならない。元栓を絞り、利益を独占する。その挙句に、聖人ヅラで自分にとってのはした金をくれてやるのだ。紛れもない、邪悪の所業だ。

 だが、それは彼個人の所業ではない。長い年月、幾人もの悪党たちの企みを経由して生まれた、金の流れの仕組みそのものだった。正常に市民たちの生活を守るために機能しているいくつかの法をも絡めて利用しているのだから、性質が悪かった。誰も手が出せなくなり、どこまでも肥大化し続けていた。

 

 魔物が出現し、迷宮が大地に蔓延り、竜が飛び交う。【理想郷時代】の崩壊の隙間に生まれた、イスラリアの病巣であり、裏の歴史そのものだ。

 

 だから、その年月が彼を勘違いさせた。自分は、この仕組みは、必要悪であると過信させた。自分たちがいるからこそ、イスラリアの安寧はあるのだと。あるいは、偉大なりし天賢王すらも、下に見るほどに、彼の欲望と慢心は肥大化し続けた。

 しかしその慢心のツケは、炎と共にやってきた。

 

 そこは、神官である彼の保有する神殿だった。

 

 高位の神官として、自らの役割、神と精霊への祈りを捧ぐ義務をよりよく果たすために建設した神殿。しかしその実態は、自らの悪行を人目にさらさずに行うための悪徳の館だった。彼はこの場所に自らの身内を招き、人目憚らず贅の限りをむさぼり続けていた。都市民たちや名無し達の命を吸った金貨を使って、この世の贅を満喫し続けた。

 その神殿が今、燃えている。

 

「ひ、ひいいいいいい!!!」

「ああ!!ダメだダメだ!!これが燃えたら!!!」

 

 奇妙な炎だった。

 白く、強大な炎は屋敷全体に燃え広がっている。しかし炎は、そこにいる者たちを焼くことはなかった。炎は屋敷の至る所にある調度品や金銭、長きにわたる悪行により積み上げた物だけを焼き続けた。浄化の炎というべきそれが、周囲に燃え広がり続ける。彼らが積み上げ続けたものが、何もかも灼けて、なくなっていく。

 

「バカが!!なんてことをするのだお前は!!!」

 

 その光景に絶望し、泣き叫び、駆け回る者たち。その混沌の只中で、神官は、目の前の男に向かって叫んでいた。

 それは、彼よりも更に老いた神官だった。枯れ木のように老い衰えた老人。高位の神官のローブを身にまとっているが、しかし、それ以外に飾り気は全くない。悪徳と贅の限りを尽くした男とはあまりにも対照的だった。

 彼の事はよく知っている。実直な男だ。物わかりの悪い男だ。どれだけこちらが誘っても、決して悪徳に身を染めなかった。清廉潔白。自分とはあまりにも対照的な本物の偉人。だからこそ、その男を差し置いて、自分が聖人と褒め称えられるのは小気味よかったが、そのような優越感など今は吹っ飛んだ。

 

「このような性急な真似をしてどういうつもりだ!?自分の愚行の意味が分かっているのか!!?」

 

 この男が、自分たちの悪行を咎めに来たことは理解している。彼は、流石に自らの所業が咎められるべきことであることくらいは、自覚はある。しかしその上で、誰にも自分たちを咎める事は出来ない。そういう仕組みが、コネが、彼の後ろ盾だ。そういった後ろ盾を無視して彼を咎めれば、どのようなことが起こるのか皆分かっているから、見て見ぬふりをする。歴代の天賢王すらもそうしてきたのだ。

 

「わかっておるとも?これは必要な滅却だ」

 

 だというのに、この男はその愚行を行った。

 

「このような事をすれば、だれもが黙っていないぞ!!?」

「誰がだ?」

「誰……が」  

「もう、残ってはおらぬよ。虱つぶしだ。長らく闇の中を賢しく泳ぎ切ったお主なら、分かるだろう?()()()()()()()()()()()()()

「………バカ、な」

 

 ありえない。

 言葉の意味は理解できる。確かに、此処に襲撃をかけるなら、全ての根回しは済ませるだろう。そうでなければ、自分たちは逃げおおせる。自分たちと繋がる全てが鳴子となり、相互に守りあうように出来ているのだ。

 一つでも音が鳴れば、他の全ては闇に潜り、声を潜めて、時を待ち、世間が忘れたころにしれっと名前を変えて別の組織として再生する。長い歴史の中で、腐敗を断とうと誰かが動くたびに、そうやって生き延びてきた。

 

 だが、そのつながりを、鳴子を、全て潰した?全て!?どういう速度だ!?

 

 彼は用心深い。自分たちと繋がりある共犯者たちの動向は常に把握している。異常があればすぐに動けるよう、常にアンテナを張り巡らせていたのだ。ほんの数日前まで、彼の周囲には何一つとして異常は起こっていなかった。

 

 まさか、まさかすべて謀られたと?そんな常軌を逸した所業がありうるのか???

 

 だが、だが、だとしても!!

 

「こんなことをすればおまえは失脚する!確実にだ!これまでの地位のすべてを捨てることになるんだぞ!!?」

 

 この男の所業が、あまりにも極端な凶行である事実に変わりはない。

 確実に、この後彼は別の者達から糾弾される。それは必然だ。政治争いとは足の引っ張り合いで、蹴落とし合いでもある。自分の配下でなくとも、彼を目の上のたんこぶだと思う者は絶対にいる。この暴挙を好機と捉えることだろう。

 

「そうまでして!やるべきことか?!これが!!!」

「無論」

「何のために!?」

「友のために」

「友ぉ!?」

 

 その答えのあまりの陳腐さに絶叫した。傷をなめ合うことしかできない哀れなる名無しがそれを語るならまだいいだろう。管理されている事実を知らずにのうのうと生きる都市民でもいい。

 だが、世界を、人類をコントロールする役目を担う神官の発言と思うと目眩がする。自分よりも更に年を重ねた神官が、それを抜かすのだから呆れてものも――――

 

「貴様、陽喰らいの儀の後、名無しのギルドを潰して、その事業を簒奪したのう?戦いの果て、ギルド員の大半が失われて、弱っているところを都合よく」

「…………は?」

 

 突然、語り始めた内容を理解できず、彼は耳を疑った。

 

「だからなんだというのだ!!?神官として、下らぬ木っ端どもに使われてる無駄な金を回収しただけだ!!」

「――――ほう」

 

 カツン、と、杖の音が響く。

 

「あの戦いで、若い冒険者達と話をしてのう」

 

 額から、汗がこぼれた。緊張からかとも思ったが、違った。

 

「まあ、なんというか、年代も生き方も違う。まるで話題は噛み合わんでな?しかしなんでであろうなあ。話してみるとなんとも楽しくてのう」

 

 部屋が熱くなっている。周囲で燃え上がっている炎とは違う、皮膚が痛くなるような苛烈な熱が、放たれている。

 

「短い間で会ったが、彼らとは友達になったのだ。うむ。間違いなく友だった」

 

 それほどまでの熱が、目の前の、杖をついた老人から放たれる。

 

「その友らは、あの戦いで、ワシを守って、死んでしまった。自分の家族がいる世界を護るために、と。こんな先の短い老い耄れに後を託して」

 

 ミシリと、握りしめた杖をつかむ。柄を抜くようにして、白く輝く刃が出現した。剣に炎が纏わり付く。

 

「それで、なんと言ったかな?」

 

 周囲を焼き払いながら、老兵は、こちらを見つめ、静かに問うた。

 

「――――我が友の死を木っ端と抜かしたか?小僧」

 

 ようやく、男は、自分が歴戦の戦士の逆鱗を踏みにじったことに気がついた。

 

「ひ」

「【火の精霊(ファーラナン)】」

 

 四元の精霊の中でも最も太陽に近く、最も苛烈なる精霊の力を宿した老戦士は、炎を巻き起こす。阿鼻叫喚のただ中で、告げる。

 

「【白銀】殿の約束を違えるが、仕方あるまい。血塗れた仕事は老いぼれが担おう」

 

 もはや、逃げることもままならず腰を抜かした、イスラリアの闇に君臨し続けた男に、告げる。

 

「灰も残さず消え失せよ」

 

 醜悪なる悪行も、醜い断末魔の声も、そのすべてが聖なる炎に焼き払われた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋

 

 大罪都市プラウディア専用移動要塞 空鯨ホルーン

 

 空を優雅に泳ぐ霊獣。魔を退けるでなく、魔から隠れるでも無く、眠らせることで安寧を約束するプラウディアの移動要塞。極めて静かに、空を自在に移動することが出来るその鯨は、今日もまた、運び手としての役割を果たしていた。

 その体に吊り下げた船に客達を乗せ、大空を泳いでいた。エンヴィーが扱うガルーダと違い、高さも低いし、速度もそれほどだ。しかしガルーダと違い、相応の時間と、必要なだけの金銭を払えば、一般人でも利用できる優雅な空の旅は多くの者に親しまれていた。

 都市を巡り、泳ぎ続けるホルーンはプラウディアにとって名物であり、日常の光景の一つだ。プラウディアの外から来るものにとってそれは珍しい姿だが、プラウディアに住まうものにとっては日常を約束してくれる聖獣であり、あって当然の景観だった。

 

 その筈なのだが、その日、移動要塞用の港には、ホルーンを出迎える都市民達で溢れかえっていた。

 

 普段ならば集まることの無い人数が集まった理由は一つ。

 今回ホルーンが運んだモノが、現在、イスラリア中を賑わす人物だったからだ。

 

「ホルーンだ」

「アレに乗ってるの?」

「人が集まりすぎて全然見えねえ……」

 

 天陽結界により確保されたホルーン用の広い港、それを一望できる一般用の待機通路の都市民達はざわめきながら、降りてきたホルーンを見つめている。やがて吊り下げられた船に、橋が渡される。そして、

 

「出てくるぞ……」

 

 ざわめきが大きくなった。

 

 【灰の英雄ウル】が姿を現したのだ。

 

 ウル。その名前がプラウディアに広まったのは二度目である。

 

 一度目は半年以上前、竜吞ウーガが生まれた時……ではなく、その少し後。ウーガを利用した国家転覆を試みた容疑で捕まった時である。今を賑わす新進気鋭の冒険者、として市井でそこそこの噂になる程度だった彼がこの時一躍有名になった――――無論、悪い意味で。

 

 一介の冒険者が国家転覆を狙うなどという話は、正直なことを言えば荒唐無稽も甚だしい話ではある。通常であれば都市民達も半信半疑に思ったことだろう。

 しかし一方で、ウーガという前代未聞の移動要塞の出現、そこに加えてグラドルの神殿で発生した大惨事が現実味を持たせ、更に、疑惑であるはずのその情報を真実であるかのように流布する幾つかの勢力存在が疑惑を補強した。

 あくまで疑惑だったはずが、事実であるように広まり、彼は大半の都市民達から批難され、あるいは面白がって取り上げ、スキャンダルという名の娯楽として散々に消費された後に、すっかりと忘れられた。

 

 そして半年後、誰もかれも話題にすらあげなくなったころ、ラース解放が起こったのである。

 

 彼の無罪を訴えていた者達がどんな顔になったか

 彼の有罪を訴えていた者達がどんな顔になったか

 それを想像するのが無関係だった者達の新たなる娯楽になった。

 

「アレだ!!」

「おい!見えないぞ!」

「小さくない?子供みたい」

「じゃなくて子供なんだよ!確か15、6だろ!?」

「…………っつーか、すげえな」

「ああ……やべえ」

 

 ホルーンから現れた英雄ウルの様相は、一言で言い表すならば満身創痍だった。

 

 白の紋様の刻まれた、光を吞むような黒の全身鎧。鎧と同じ、二色の色を規準とした二つの大槍が背中に背負われている。だが、見学者たちの目に映るのは、その鎧にある巨大な傷跡だ。獣の牙か、巨大な大剣で切り裂かれたような大きな破損痕、何か凄まじい熱で焼かれ歪んだ痕跡。激闘の痕跡が素人の目でも理解できるほどはっきりとあった。

 顔は、厳めしい兜を被っているが為にハッキリとはしない。だがだからこそ余計に都市民達の想像は膨らんだ。想像の余地が、彼らの中の熱をより膨らませるのだ。

 

 彼の左右には女性が二人

 

 片側は白いローブの少女だ。腰に剣を構えていることから彼と同じく冒険者であろうというのは間違いないが、それ以外の情報は少なかった。だがしかし、白銀の髪と、美しい容姿の少女がウルに従うようにして歩いている。それだけで、現金なもので、ウルに対する評価は上がった。

 

 そして彼女とは逆位置には黄金の鎧を身に纏った少女がいる。そちらはプラウディアの都市民にとってはなじみ深い少女だ。勇者ディズ、他の七天と比べれば目立つところ少ないが、紛れもない英雄である。その彼女は、今日に限ってはまるでウルの従者であるように歩みを進めている。

 

 二人の美しき少女達を従える英雄。その姿はあまりにも絵になった。

 

 そしてその3人の背後から、ウルと同じく黒鎧を身に纏った戦士達が姿を現す。彼らの鎧も彼方此方に傷や破損の跡があった。ウルと同じく激戦をくぐり抜けたであろうと言うことが誰の目にも明らかだった。

 

 彼らは成し遂げたのだ。

 

 その確信は歓声へと変わり、彼らに浴びせられた。疑惑、不名誉、嘲笑、それら全てが無かったことになったかのように、無責任な賞賛を浴びせ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや、ヒト多、怖……」

「ウル様、歩幅はもう少し大きく、肩を上げて、胸を張ってください」

「とても細かい」

「というか、プラウディアどころか、あらゆる都市国でウル達のこと広まってるんだけど」

「協力者と共に、広めました」

「君かぁ……」

「っつーか鎧とか装備ボロボロなんだけどイイのかよこれ。俺とか大盾割れてんだけど」

「戦いの分からない者にもわかりやすい証拠は必要なのです。そそります」

「そそるのかあ……」

《かぶとしてよかったん? かおみえんよ?》

「ええ。勝手に妄想してもらいましょう。その方が恐らく、都合が良い」

《なーるほどなー……》

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 太陽に最も近い場所

 偉大なりし天賢王のおわす場所、【真なるバベル】。

 イスラリアを支える全ての要であり、象徴ともいえる場所を、英雄達は見上げていた。

 

「久しぶり……って気もしねえなあ」

 

 【灰の英雄ウル】の訪問は二度目だ。

 

 一度目は竜吞ウーガ誕生の報告と、【陽喰らいの儀】参加の嘆願だった。その際は、【歩ム者】一行は、言ってしまえばイレギュラーな“ゲスト”に過ぎなかった。本来の訪問の予定を無視した事も考えれば、“無礼な”という単語まで頭についただろう。

 しかし今回は違う。バベルの塔の大通りにも都市民達は集まっている。彼らの視線は全て、英雄達に向かっている。今回は、彼らこそが主役だった。

 

「……物見遊山の全員がこっち見てるのこっわ」

「ウル様、どうか冷静に」

「どう考えても黒炎鬼達の方が怖いと思うよ?」

《しぬことはないで、にーたん》

「そのはずなんだがなあ……」

 

 別に、都会慣れを全くしていないかと言われれば流石にそんなことは無い。そもそも短い間だったが、プラウディアで暮らしたこともあるのだ。

 ただ、あふれかえるほどの人数が、全員こっちを見ている光景というは、すさまじい圧力がある。

 

「な、なあ、なあ。俺、大丈夫かな。変な格好してねえかな?」

「落ち着きなさい馬鹿。そもそもボロボロよ。見栄えなんて気にしてどうするの」

「このボロックソの鎧のままでいいのは助かるよな……下手に取り繕わなくてすむ」

「俺とか、普通に犯罪者なんだけど、入っていいんかねえ……」

「アンタは騙されて罪なすられただけだろ、へーきへーき……多分」

 

 黒炎払いの面々も、うろたえまくっていた。

 何も事態を把握しないままにここに連れてこられたのもそうだが、彼らも大半は名無しで、しかも犯罪者だった者もいる。真なるバベルに踏み入るなんて、全く縁の無かった者達ばかりだ。そういった反応も当然だった。シズクがかなり細かく声を飛ばして、彼らの挙動を補正して回っていた。

 そうこうしている間に、バベルの塔の門が開く。

 門の先からウル達を出迎えてきたのは――――

 

「天祈のスーア様に、天剣のユーリ様……」

 

 七天の二人だった。

 その二人が姿を見せた瞬間、周囲のざわめきは大きくなった。二人はウルの方へとまっすぐに向かってくる。ウルは動きには出さないが少し身構えた。特にユーリが以前、敵意をむき出しにしていたのをウルは覚えている。スーアに対しては言わずもがな。

 

 今回は何を言われるんだろうか。と、やや警戒していた。

 が、しかし

 

「お待ちしておりました。超克者の皆様」

「ご足労いただき、感謝いたします」

 

 二人は、並ぶと同時にウル達へと向かい、一礼をとった。

 

「ちょ」

「不甲斐なき我ら七天が畏れ、手出しすることもかなわなかった黒炎の呪い。それを払った皆様に敬意と感謝を」

「ここにたどり着くことかなわなかった方々にも、感謝を申し上げます」

 

 ウルの動揺を無視して、二人は続ける。顔を上げたユーリの表情に、最初に出会ったときのようなウルに対する嫌悪や不審は無かった。ただ静かな、ウルと、黒炎払い達に対する敬意があって、それが余計にウルを焦らせた。

 

「おい、ディズ」

「うん、私からも」

 

 ディズによびかけると、ディズもまた、ウルに対して一歩距離を取り、二人の七天に並んで丁寧に一礼する。周囲の都市民達の小さな動揺と、歓声が大きくなった。ウルは苦い顔になった。

 

「……二人を止めてくれっていおうとしたんだが」

「私たちの義務を代わりに果たしてくれたのです。感謝は当然ですよ?」

 

 スーアが不思議そうに言う。ユーリもそれに対して当然、というように頷いた。

 

「もちろん、言葉だけでは無く、謝礼も用意するつもりです――――規模が大きくなりすぎて、謝礼金を渡して終わりというわけにはいきませんが――――少なくとも、貴方が居心地悪くする必要は全くありません。それだけのことを、皆様は成しました」

「……それでも、勘弁してくれませんか。居心地が悪すぎる」

 

 ウルは、珍しく強い口調ではっきりと、相手の行いを拒絶した。

 七天、今日までずっと自分たちの世界を支え続けてくれていた最大の功労者達に、頭を下げられるのは耐えられない。

 そして、その拒絶の意味と、ウル自身の感情を理解してくれたのか、ユーリは眉を軽くひそめる。珍しいものを見るような顔つきだ。

 

「……本当に、名無しらしからぬ高潔さですね。もう少し偉そうにしても誰も咎めたりはしませんよ」

「それでも勘弁してほしい」

 

 ウルの言葉に、背後の黒炎払い達もこくこくと頷いた。居心地が悪いのはウルだけではない。ユーリは小さく息をついて振り返る。

 

「どうぞこちらへ。王がお待ちです」

 

 そう言って、いつもの調子に戻るように、颯爽とバベルへと戻っていった。その姿に、ディズは小さく微笑み肩をすくめると、彼女と同じようにバベルへと先導していく。

 ウルは安堵のため息をついた。そして顔を上げると――――なぜか目の前にスーアがいて、軽く宙を浮くと、ウルの兜をぽんぽんと叩いた。

 

「なんでしょう」

「無事でよかったです」

 

 幽霊か何かで無いかと確かめているようだった。ウルは苦笑した。そして、言わねばならないことを告げた。

 

「貴方の授けてくださった槍のおかげで、何度も命を拾いました」

「そうですか?」

「ええ。感謝します。ありがとう、スーア様」

 

 ウルはそう言って、膝をついて頭を下げた。スーアは宙に浮いたまま、しばし考えるように首をかしげた。

 

「お礼と、謝罪を言うべきは、私ですが、そうですか」

 

 しばし考え込んだあと、ほんのわずかに表情を綻ばせた。

 

「よかった」

 

 それだけ言って、スーアはバベルへと戻っていく。少しだけ上機嫌に。

 

 さて、そんなやりとりを遠目に見た都市民達は、灰の英雄と麗しき天賢王の御子との関係に想像をかき立てられ、噂話が流れ、そこから転じて、明らかにウルをモデルにしたようなロマンスの演劇ができたりできなかったりするのだが、これは別の話。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋② 悪徳の温床

 

 

 真なるバベル 謁見の間

 

 唯一無二の王を拝むことの適う唯一の場所。大罪都市プラウディアの遙か高く。

 天空の城の、その更に高くにある玉座を前に、英雄ウルは跪いていた。

 

「よくぞ来た。【超克者】」

 

 彼の前に座るのは、偉大なりし【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス。

 彼の隣にはその御子である【天祈】スーア・シンラ・プロミネンス。

 更に【天剣】のユーリ・セイラ・ブルースカイ

 世界で最も強い権限を持つ二人を前に、ウルに勇者ディズ、それに彼が率いた戦士達はひたすらに頭を下げた。彼らがプラウディアを通った際に起こった都市民達の歓声は此処では聞こえては来ない。あるのはひたすらな神聖な静寂だ。

 緊迫感が場を支配していた。しかしそれは罰す為のものでは無い。

 

「大罪を越えた証しを王の前へ」

 

 天祈のスーアがウルに告げる。

 言葉に従うように、ウルは右手の籠手を外す。自身の腕を晒す。その瞬間、周囲の神官達からどよめきが起こった。只人の腕とは思えない白の右腕。その一部だけが別の生命体のものと接ぎ変わったかのような様相だったが、歪なところ無く良く馴染んでいた。

 

「【名を示せ】」

 

 その右腕を掲げ、ウルは小さく唱える

 それは単純な【解析】の魔術だ。対象の魔名を示し、その力を明かすためのものである。それをウルは自らに使い、その魂に刻まれた軌跡を顕にした。

 

「【姿を現せ】」

 

 それを、隣に立つディズが大きく広げる。その場にいる全員にそれが見えるように。

 

「おお……!!」

 

 再び神官達から声が漏れる。今度のそれは感嘆の声だ。

 ウルの手に示された魔名は、通常のそれではあり得ない輝きと、カタチをとっていた。ウル自身を示す白く輝く魔名。その魔名の周囲に、憤怒を示す大罪の魔名が顕現した。

 

「証しは示されました。彼の大罪の超克を認めます」

「大義だった。300年前の七天達が成せなかった偉業をよくぞ果たした」

「光栄です――――ですが」

 

 王の言葉にウルは再び頭を小さく下げる。そして顔を上げた。

 

「300年前の七天達の命を賭した献身。そして、10年以上前から呪いに打ち勝つべく努力を重ねた黒炎払い達。隊長のボルドー、運命の巫女アナスタシア、此処にはいない多くの仲間達の力あってこそです。私はその助けを行ったに過ぎません」

 

 そう言って、彼は振り返る。謁見の間にいる全ての神官達にも視線をやる。

 

「何よりも、悍ましき憤怒の呪いをラースに止め続けた我らが神、ゼウラディア。そしてその神に仕えし皆様の尽力があってのことでしょう」

 

 そう言って深々と一礼した。神官達が再びざわめいた。ウルの態度は、学も無ければ、なんの精霊に愛されることもない名無しの少年とは思えぬほど、謙虚さに満ちていた。

 

「ならば、その全ての者達にも告げよう」

 

 そう言って王は玉座から立ちあがると、ウルの背後で彼と同じように平伏す黒炎払いの戦士達全員に届き、響く声で告げた。

 

「諸君等は偉業を成し遂げた。見事だ。心より感謝しよう」

 

 王が玉座から立ちあがり、少し前まで罪人と呼ばれていた者達を讃える。あり得ない事だった。それほどの偉業を成し遂げたのだ。その事実が、その場にいる高位の神官達全てに示された。

 罪焼きの焦牢の戦士達。どのような経緯でそこに収監されたかは兎も角、今現在罪人とされている彼らをこのバベルへと招くことそれ自体、忌避する神官達は居た。

 だがウル自身が証を示し、驕り高ぶる所一つも無い態度で、自分たち神官に対しても敬意を示した。それにより彼らの価値観の中にある名無し、罪人への嫌悪感と、特権階級である事の傲慢さがかき消された。

 偉業をなした少年と戦士達に、賞賛と敬意を示すことが出来なければ、自らを貶めることとなると、彼らは理解していた。惜しみなく、彼らはウルへと賛辞を送った。

 

 それ故に――――

 

「お待ちください!!!」

 

 それに待ったをかけようとする者がどのように思われるかは明らかだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ドローナは、自身に突き刺さる視線の冷たさを感じた。

 

 自分が此処にたどり着くまでが、あまりにも遅すぎたことを悟った。

 否

 ドローナが遅かったのではない。英雄ウルを巡る話の展開があまりにも速すぎたのだ。

 黒剣騎士団と焦牢の壊滅、黒炎砂漠とその先にある灰都ラースを巡る顛末。それらを導いたウルの存在。一連の騒動を受けたプラウディアの動き。

 これら全てがあまりにも速すぎた。通常の事案であれば、ドローナにはそれを知り、介入する猶予というものはあった。彼女自身が培ってきたコネクションと資金で、最低限自分を守るためのセーフティを敷いて、最悪逃げ出すことだって出来たのだ。

 

 だが今回は全く、それができなかった。一部の情報を掴めた頃には既に、ウルはプラウディアに姿を現し、王への謁見を果たしていた。

 

 間違いなく、この状況をコントロールしている者がいる。

 自然発生で、こんな馬鹿げた速度で事が動くなんてありえない。

 

 だが、それが何者かの影すら、ドローナは掴めなかった。情報戦において、彼女は大敗を喫していた。当然、このような状況で、事の中心地へと飛び込むのは愚策でしか無い。それでも彼女はそうせざるを得なかった。

 

「黒炎払い、彼らの大罪迷宮攻略認定に異議を唱えます!!」

 

 何故なら、本件は彼女とあまりにも関わり深い一件だったからだ。

 

「ドローナ……あの女……!」

 

 黒炎払い。かつて衛星都市セインにいた者達のざわめくような声が聞こえてくる。

 というよりも、それは明確な殺意だった。何人か、震えるような声をあげて此方を睨む。それを隣りの仲間が押さえ込み、なんとか堪えているような状況だ。

 当然だろうとドローナは理解している。彼らを地獄の底に貶めたのは誰であろう自分なのだから。そう言う反応にもなる。此処までドローナに着いてきた従者達などは露骨に尻込みし始めている。

 だがドローナは彼らを完全に無視した。見上げる先にいるのは玉座の前に立つ天賢王だ。

 

「王よ!!どうか考えを改めください!!!このような罪人達に名誉を授けるべきではありません!!!」

 

 雰囲気が一転してざわめきが激しくなった。

 黒炎払い達だけではない。周囲の神官からの敵意も激しくなっていくのをドローナは感じ取った。彼女とて馬鹿ではない。現在自分が完全なアウェイに居ることくらいとっくに感じている。

 

 だが引くわけには行かなかった。

 

 黒炎払い達。そしてウル。彼らを英雄にするわけには行かないからだ。もしそれを認めてしまえば、その瞬間、彼らを貶めたドローナの正当性が損なわれる。ありとあらゆる手段で彼らを貶めて、地獄へと突き落とした事実が跳ね返ってくる。それだけは避けなければならなかった。

 

「運命の精霊の神官ドローナ」

 

 王の声が響く。声量は大きくないのに、頭からのし掛かるような強い声だ。ドローナは平伏し、冷や汗を掻いた。

 

「確かに彼らは罪人だ。その点は正しい。黒炎払い。彼らの記録を見る限り、10年前衛星都市セインで発生した様々な不正事件の嫌疑にかけられ、焦牢に投獄されていると知っている」

「ええ、ええそうですとも!ですから!」

「だが一方で、それらが”何者か”によって押しつけられた冤罪だったのではないかという指摘があった」

 

 だろうなと、ドローナは思った。この場に黒炎払い達がいるのだ。彼らから王に訴えるのは当然のことだ。予想していたからドローナは冷静だった。

 

「罪人達の言い分など信じるべきでは――」

「いや、彼らではない」

 

 は?と、思わず声にならずに疑問符が口の中で沸いた。王は続けた。

 

「衛星都市セインの神官及び都市民達」

 

 王は続ける。

 

「更にプラウディア在住の商人ギルドの面々。冒険者ギルド。神官、騎士団」

 

 王は続ける。

 

「その他各所から冒険者ウル及び、10年前の黒炎払いにかけられた嫌疑、その他神殿内での活動に不正があったのではないかという訴えが寄せられた。()()()()()()()()()

 

 ひゅっ、と、ドローナは息を飲んで目を見開いた。

 状況が理解できずに居ると、不意に参列していた神官達の間から何人かが前に出る。幾人かの神官達の間に、冒険者ギルドのギルド長であるイカザが姿を現した。彼女だけではない。プラウディア騎士団長のビクトール。官位を持たぬ商人ギルドの面々。その他多数の彼女の敵が、この謁見の間に集結していた。

 

 謀られた

 

 ねばついた冷や汗を垂れ流しながら、ドローナはそれを理解した。

 

「それともう一点、こちらは正直、立場上、好ましくない事態であるのだが、目を背けるわけにもいかぬ」

「何を」

「計画の前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。スーア」

 

 そう呼ばれ、美しき、賢者の御子が階段から降りてきた。

 

 不味い。

 

 ドローナはそう思った。

 油断だった。あらゆる精霊に愛される者、スーアのいるバベルにはドローナは近づかない。彼女に限らず、あらゆるすね傷の抱える者達は、決してここには近づかない。

 

 一切の隠し立てを許さぬ無法の眼に、晒されないために。

 

 だが、ここに飛び込んでしまった時点で、飛び込むように、仕向けられた時点で――

 

「神官ドローナ、精霊の力を使いなさい」

「……!」

 

 気がつけば、目の前にスーアがいる。瞳は隠されているはずなのに、全てが見抜かれてしまったような感覚に、ドローナは硬直する。

 

「運命の力を授かったのでしょう。力を我が前に示しなさい」

「きょ、今日は……運命の精霊は…………気まぐれで」

「【星海】の管理者たる私の前です。何の問題もない。さあ」

 

 ドローナは動かない。動けない。()()()()()()()()

 だって――――

 

「精霊の力を授かるには幾つもの条件があります」

 

 声一つ発せないドローナに変わるように、銀色の少女が、良く響く声で語り始める。ドローナにも、ほかの神官にも聞こえるような、澄んだ鈴の声だった。

 

「努力と強い祈りによって授かる可能性は上がっても、必ずしも、精霊が力を与えてくれるとは限らない」

 

 加護を授かることができなかったり、あるいはその血筋の傾向とは全く別の――邪霊の加護を――授かってしまう事もある。そうしたとき、特に精霊との繋がりを重視する家は、その子供を追い出したり、いなかったことにしたりする。我が子を、ヒトとも思わずに切り捨てるその所業は、問題視されていた。

 

 とはいえ、それはもちろん、極端なやり方だ。

 

 全ての神官の家が「精霊に愛されなかったから」という理由で我が子を捨てるほど、尖った思想を持っている訳が無い。そんなのはよっぽど病的に血と精霊の繋がりを重視していない限り起こらない。

 

 血のつながった我が子の道行きが、良くあってほしいと願うのは人情というものだ。

 

 しかし、精霊の加護を授かることができなかったと周囲に知られば、責められる。あるい政治闘争で不利になる。それもまた事実。

 

 だから、賢しい回避の仕方が生まれた。馬鹿馬鹿しいほど至極単純な不正が、蔓延した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――――っ」

 

 それは、神殿内で古くから、慢性的に蔓延っていた一つの不正だ。

 

 精霊の力を授かることはできた。

 しかし、それほどに強い精霊の力では無く、都市の貢献は難しい。

 で、あればやむを得ない。別の形で都市の貢献に従事し、神に仕える。

 

 と、偽る。嘘をつく。

 

 精霊の数は膨大で、その全てを完全に神殿が把握できるわけも無い。力を授けるのは精霊であっても、それを認めるのはヒトなのだ。金銭のやりとり、縁故の情、不正が入り込む余白があった。長い年月をかけて、取り返しのつかない不正の温床と化した。

 

「天祈の前に姿を見せない。定期的な確認の制度が存在しない。嘘をつく。嘘をつく事ができる。不特定多数がそれを暗黙の内に了承している。典型的ですね」

 

 ユーリは苦々しくも、納得したようにため息をついた。

 不正とは、腐敗とは、そういうものだ。明らかな間違いを、問題を、指摘しない。わかっていて、見なかったふりをする。指摘した者の方が間違いであるかのように非難される。そうして、本来まかり通るはずの無い嘘が通るようになる。

 

 しかしこれは本来、つつましい嘘でもあった。

 

 何せ、持っていない力をあると嘘を吹くのだ。実際に力を使えと言われれば、誤魔化しが効かない。どれだけそれが暗黙の了解であろうとも、この偽りを背負った者は肩身を小さくしなければならない。ばれぬように、神殿の表には出ぬように、密やかに生きていくのが普通だ。

 そうするからこそ、この嘘は見過ごされてきた。

 

 普通そうなのだ。

 

 だから、まさか、だ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう盲信してしまったと」

 

 往々にして、嘘というのはその規模が大きいほど、存外に気づかれずに見過ごされる。

 そこまで愚かしい大馬鹿者、居るわけが無い。という盲点が生まれる。

 

「運命の精霊の力が、傍目には酷くわかりづらいものだったというのも、この一役買いましたね。なるほど、闇ギルドで人為的に相手を貶めても、確かに不幸は訪れる」

 

 だから彼女の周りには不幸ばかりが生まれる。本来の運命の精霊のように、良き方へと導くことは無い。そんなことはできないから。

 

「実際に精霊の力を授かってないなら、黒剣騎士団との繋がりを得るのにもためらいはない、と……竜を畏れ、精霊に嫌われるかもしれないなんて心配とは無縁ですね」

 

 銀髪の少女の言葉に続けながらも、天剣のユーリはすでに彼女の剣を抜いている。こちらに対して向ける視線は、すでに神官に対してのものでは無い。

 

「彼女に精霊の力を操る才能はなかった。しかし、悪徳を重ねる才能と、罪から逃れる嗅覚と、悪運を持っていた。運命に愛されていたというのは、あながち間違いでは無かったかもですね?」

 

 銀髪の少女は微笑む。そう、確かにそういう意味で、ドローナは運命に愛されていた。

 

 しかし、その運命もとうとう尽きる。今、まさに。

 

 全ての悪徳がつまびらかにされたとドローナは理解した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋③ 宣告

 

「っひ!?」

 

 彼女の部下達。悪徳を理解していながら、ドローナにつきまとい、付き従うことで甘い汁を啜ってきた連中が慌てて逃げはじめた。馬鹿な連中だとドローナは内心で思った。この状況で逃げられる訳がない。謁見の間の外では天剣のユーリが率いる天陽騎士団が控えているに違いない。

 

 コレが誰の罠かしらないが、その周到さは狂ってる。

 

 ラースの解放、そんなもの想定出来るものでは無い。黒剣騎士団と深く繋がっていたドローナすらも、全く想定できなかった事態なのだ。

 だとしたら、これはもっと前から、準備を整えられていたものだ。静かに、入念に、決して誰にも気取られず、仕組まれたことなのだ。

 

 ドローナにはどうにか出来るような相手ではない。

 日々を謀略と共に生きてきた彼女にはそれが分かった。故に

 

「……ああ。残念。もう少し甘い汁をすすれると思ったのですけどね」

 

 ドローナは開き直って、へらりと笑った。

 

「それは、認めると言うことか?」

「ええ。はい。そうです。王さま。私が全てやりました。ええ」

 

 天賢王の追求に対してもドローナは素直に応じた。両手を挙げて降参、とでもいうようにポーズを取る。その巫山戯た態度に証人として名乗り出た連中や黒炎払いの者達は困惑と、怒りを顕わにしているのが見えたが、やはりドローナは気にした様子はなかった。

 

「かつて黒炎払い達を貶めたのも、それ以降運命の精霊の力を授かったと偽ったのも、その嘘を使って永く多くのヒトを騙したのも、本当ですよ」

「何故、そのようなことをした?」

「何故って……」

 

 問われると、ドローナは表情を変えた。老いを隠すためにいささか厚く塗られていた化粧がひび割れるような、歪な形になった。

 

「だって、ズルいじゃ無いですか。精霊に選ばれただけのクズどもばっか、美味しい思いして」

 

 偽りの神官ドローナは醜いカタチに顔を歪ませた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ドローナ・グラン・レイクメアは、精霊に選ばれた事が無い。

 官位は持っている。精霊と繋がりやすい血がその内にある。だが、選ばれたことは一度も無い。精霊の力がその身に宿り、超常の力が身に宿ったことは一度も無い。

 努力をしてこなかったわけではなかった。一心不乱に祈りを捧げた。どのような木っ端の精霊であろうとも構わなかった。どんな精霊でも良いから、選んで欲しかった。

 

 しかし選ばれなかった。彼女は誰にも選ばれなかった。

 

 ――そういうこともある

 

 神官見習いを育てる指導官は、いつまで経っても精霊を宿せない彼女に対して、叱るでも、励ますでも無く、慰めるようにそう言った。

 

 ――官位の血は、祈力を約束こそするが、精霊の加護までは確約してはくれない

 ――神官とは、まっこと、選ばれし者がなる者。

 ――其方の祈力があれば、従者として大成出来るだろう

 

 相手は第四位の神官で、精霊に選ばれていた。上から目線の発言だと思った。選ばれたことのある者に、自分の惨めな気持ちは分からないだろうと。

 

 妬ましかった。惨めだった。

 

 無為に神殿で年を重ねた自分よりも、若く、才能も溢れる者達が次々と精霊に選ばれていく姿を横目に見ることの日々がどれほどの屈辱だったか。その挙げ句、その研鑽の日々が「まあそういうこともあるから仕方が無い」などという陳腐な慰めで片付けられたことで、彼女の自尊心はズタズタに引き裂かれた。

 こうして彼女は神官の道を諦めて、神官に仕える従者になった。実家からは疎ましく思われて、逃げるように別の都市国へと逃げて、適当に目に付いた神殿に従者として転がり込んだ。

 

 それでも、この時の彼女はまだマシだった。少なくとも完全に壊れてはいなかった。

 

 運命の聖女アナスタシア。なんの努力も無く、ただ愛されることで全てのものから崇められる力を得た少女を前にするまでは。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ねえ、だって、おかしいじゃない?私、あんなに頑張ったのに!努力したのに!!なんの努力も頑張りもしていない小娘が!!崇められるなんて!!そんな女になんで私が仕えてやらなきゃいけないの!!?」

 

 彼女が此処まで悍ましい感情を晒すようになってしまった経緯をこの場の殆どの者は知らない。だが、奇妙なまでにハッキリと、彼女がどのように壊れたのか、その場にいた誰にも容易に想像が付いた。

 

「だから壊してあげたのよ!!奪ってあげたの!!!最高だったわ!!あの小娘がだまされたとも知らずに最底辺に墜ちていったのは!!呪いにまみれて廃人になって、しかも最後は死んだんですって!?アハハハハ!!良い様!!」

 

 彼女の内にある感情は、誰の心の内にも存在していたからだ。不愉快な共感、そして忌避感が彼女への嫌悪となっていく。理解はしても、寄り添う者はこの場には誰も居なかった。彼女の有り様はあまりにも、汚かった。

 王の前、謁見の間で晒すにはあまりにも醜い嫉妬の感情だった。

 

「巫山戯ないで」

 

 狂笑を続けるドローナに、黒炎払いのレイが立ちあがる。常に冷静な弓手である彼女のその顔には、ドローナの狂気に負けず劣らずに憎悪があった。

 

「相手の方が恵まれているなら、何をしても良いなんて理屈、通るわけが無いでしょう…!いい年して幼児レベルの癇癪を振りかざさないで!!!」

 

 レイのその直球の罵倒に、しかしドローナは壊れた笑みを返すばかりだ。まるで何も聞こえていないかのような態度に、レイは更に苛立った。

 

「挙げ句の果てに、沢山のヒトも巻き込んで傷つけて!!彼女を言い訳に使うんじゃ無い!!アンタはただのクズだ!!」

「だから、私がやったって言ってるじゃない?私はもう破滅するんだから、キャンキャン喚いたって意味ないわよお?」

 

 ドローナはゲラゲラと笑って、そしてレイを見てわざとらしく嘲りに口を歪めた。

 

「ああ、それとも10年間牢獄で無為に年くって辛かったのかしら?あははかわいそお!」

 

 頭が痛くなるような言葉だった。

 レイでなくとも、黒炎払いでなくとも、胸糞の悪さで反吐が出るような気分になった。破滅を察した女が振りかざさす悪意が刃となって無差別にこの場に居る全てのものを傷つけていた。

 謁見の間は剣呑な殺意と雰囲気に満ちていた。彼女の悪意を正面から受けたレイなどは、今すぐにでも飛び出して、彼女をくびりころしそうになっているのは明らかだった。

 

「ガザ、レイを押さえていてくれ」

 

 それを止めたのは、ウルだった。

 彼の言葉にハッとなったガザは、隣のレイの両肩を掴む。そしてウルはそのまま玉座へと続く階段から降りてゆく。ウルの道を空けるように黒炎払い達は分かれ、ドローナへと彼を導いた。

 

「あら、貴方ウーガを偶然たまたま手に入れたと思ったら、今度はラースを解放した英雄なんて、ほんっとおおに”運が”良いのねえ?羨ましいわあ!」

 

 ドローナの罵倒の対象はウルへと移った。

 英雄ウルにとって、ドローナは自分を恐ろしい牢獄へと誘った敵の一人だが、彼女にとってもウルは今自らを破滅へと導こうとしている怨敵である。その悪意に熱が入った。

 

「ねえ!どうやったらそんなラッキーになれるの!?実力も血筋も持たないゴミクズみたいな名無しが英雄になる方法、私にも教えて――――」

「”私”のことを覚えていますか?ドローナ」

 

 だが、対称的に、ウルの反応は静かだった。

 彼女に罵声を浴びせられても、怒りも悲しみも示さない。淡々と、彼女へと語りかける。その声に、口調にドローナは違和感を覚えた。

 

「ねえ、ドローナ。私のことが、わかりますか?」

「なにを――――」

 

 ウルは不意に、兜を外した。

 白と黒の混じった灰の髪。鎧の厳めしさに対して幼さすら感じる少年の顔。だが、なによりも、ドローナは目を奪われたのは彼の目だ。

 少し昏いが、あまりに鮮やかな翠の目。それに彼女は見覚えがあった。忘れるはずも無い。彼女の脳裏には未だにその色は焼き付いて離れない

 

 ――ドローナ。みじゅくな私を、いつも助けてくれてありがとう

 

 彼女が貶めて破滅させた、聖女の瞳

 

「――――へ?」

「私がわかりますか?私の声が聞こえていますか?」

 

 一歩一歩。ウルは近付く。ドローナは身動きが取れなかった。まるで金縛りにでも合ったかのように指一本、動かすことが出来なかった。目の前にまで、翠の瞳が近付いてくる。目を逸らして、目をつぶってしまいたくても、瞼すら動かなかった。

 

「ねえ、ドローナ――――私の憤怒が分かりますか」

 

 ウルの言葉は、しゃべり方は少年のものから変わっていた。ゆっくりとして、丁寧で聞き取りやすい、洗練された女のそれだ。ドローナは知っている。幼い頃、彼女にそれを教え込んだのはドローナだ。

 

「貴方を信じていたのに。貴方を姉のように慕っていたのに。どうして?ドローナ」

 

 徐々に深く、粘り気を纏った声がウルから発せられる。ドローナは呼吸をしようとして、出来なくなった。肺が痙攣して上手く動かない。苦しい。動けない。どれだけ藻掻き暴れようと身体に命令しても、逃げることは出来なかった。

 ウルの瞳、聖女アナスタシアの瞳から。

 

「――――【()()()()()()()()()()()()】」

 

 ウルは、そう言ってドローナを指さした。

 

「【呪い有り】」

 

 告げる。

 

「【災禍有り】」

 

 告げる。

 

「【患い有り】」

 

 告げる。

 

「【貴方のこの先の道行きに地獄有り】」

 

 告げる。その度に、少年の瞳、昏翠の輝きは強くなる。

 

「【貴方に幸いは訪れない。貴方が犯し、呪い、穢した全てが貴方の魂を傷つける】」

 

 ドローナの視界は暗くなる。周りの何も見えなくなり始めた。真っ黒な意識の中で、しかし昏翠の瞳だけがずっと彼女を睨み続ける。咎め続ける。息が出来ない苦しみよりも、絶望的な恐怖で彼女の意識は遠くなった。

 

「【大罪に穢れた魂が悔恨の光を得る日まで、惨苦の運命に溺れなさい。従者ドローナ】」

 

 かつての主の宣告を最後に聞きながら、ドローナは泡を吹いて意識を失った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋④ 

 

 都市民達は羨ましい。ただ祈るだけで、生きることが保証されるのだから。

 

 こんなセリフは名無しの冒険者や、商人達からなんども耳にしたことのある定番の愚痴だった。そしてその愚痴や不満は、決して的外れなものではないと、エクスタインは知っている。

 そう話す彼らの多くは冒険者達や商人らの中に、酷い怪我を負ってる者は多かった。指の一部が欠けていたり、顔に惨い傷跡が残っていたりだ。外で魔物達に襲われたのだと言う。別に珍しいことではないというように。

 商売道具の武具類は摩耗して、それでも何度も整えて、磨いて、大事に大事に使っているのが傍目に観察するだけでよく分かった。研ぐ余地も残っていないような剣を我が身以上に扱っている戦士のことをエクスタインは印象深く覚えている。

 それほどの苦労を重ねているにもかかわらず、彼らの格好の多くはみすぼらしい。汚らわしいとすら言っても良い。都市民達は名無しと分かると彼らには近付かない。遠目に見て嘲笑うばかりだ。彼らは都市に滞在するだけの費用を稼ぐだけでも手一杯で、それが適わなかった場合は都市を出なければならないか、都市が定めた過酷な労役に駆り出される場合もある。

 間違いなく、彼らの多くは、生まれの体質、精霊との繋がりの薄さそれのみが理由で都市民達であれば背負わなくて良い苦労を背負っている。都市民達が羨ましい。彼らがそういうのは理解できる。

 

 だから名無し達に「貴方たちが羨ましい」などと

 そんな恥知らずで無神経な事をエクスタインは口にしない。

 

 エクスタインの父は、中央工房で働く職人の一人だ。

 各都市に売る魔道機械の生産工場に勤務する男だ。別に、特に優れた能力があるわけでも無い。昔は独立していて、腕は立つ職人だったらしいのだが、中央工房に自身のギルドも技術も何もかも、強引に接収されてからは全くやる気を損なってしまったらしい。エクスタインが見る彼の背中はしょぼくれていて、疲れ果てていた。

 母親はそんな彼に見切りを付けたのか、家に寄りつくことはなくなった。たまに戻っては来るが、父親との会話をエクスタインは見たことが無い。余所の若い男と話しているのを見たよ。と、全くもって親切な近所のオバサマが彼に教えてくれた事があったが、興味は無かった。

 祖母が一人居るが、中央工房との闘争にやぶれてすっかり落ちぶれた父親を見るのが悲しすぎたのか、彼がそうなってから、ぼおっとすることが多くなってしまった。家に戻って、放置され汚れてしまった祖母を綺麗にしてやるのが、幼かった頃のエクスタインの仕事だった。父親は、彼はそうしているのに、一人家で酒を飲んで興味もない様子だった。

 

 彼の家庭は終わっていた。 

 では交友関係はどうだったかと言えば、さて此方もろくでもない。

 

 ――みんな見ろよ、マケイヌが二足歩行であるいてるぞ。ちゃんと四つん這いにならなきゃだめじゃないか

 

 そう言って殴られて、転かされて、蹴られた事は珍しくなかった。

 中央工房は大罪都市エンヴィーのほぼ全域を支配している。全ての都市民の職人達は、あるいは職人に限らずとも、中央工房の関係者と言っても良い。それがどういうことかというと、幼少期からヒエラルキーが決定してしまっていると言うことだ。

 それは神殿の官位以上に露骨だった。

 神殿の官位は、王が定めた制度であるが故に役割がハッキリとしていて、故に必要以上の差別は存在しない。あるのは区別と、役割の分断だ。無用な諍い、暴力によるマウントなど、とる必要が無いのだ。

 だが、都市民の間にそんな正しい区分は存在しない。ことさら、中央工房内における上下関係は曖昧で、陰湿だった。そしてタチが悪いことに伝統でもあった。親の地位が、権力が、子供のヒエラルキーに直結する。親が偉い立場なら子供の世界でも偉くて、親が弱い立場なら子供の世界でも弱い。

 

 だから、エクスタインの立場は一言で言って最悪だった。彼は弱者だった。

 

 幼少期、都市民なら誰もが入る学習塾で、彼は虐められていた。と、言うよりも奴隷のような扱いだった。気の向くままに暴力を振るわれ、いたぶられて、面白半分で心身を傷つけられた。

 彼らのあまりの残虐さに、何故このような真似を笑いながら出来るのか不思議でならなかったが、恐らく彼らにとって自分はヒトではなかったのだろうというのが、今思い返してわかる結論だ。彼らにとって自分は、何をしたところ心の咎めることの無い人形か何かとかわらないのだ。

 

 そんなわけで、彼にとって大罪都市エンヴィーは地獄と言うほか無かった。

 

 救いは無かった。幼い頃既に彼はこの世界に絶望して、その瞳は淀みきっていた。何もかも諦めていた。いっそ死んでしまった方が良いかもしれない。そんな風に思う日も珍しくは無かった。

 だからその日も、殴られて、蹴られて、服を剥がされる。いつもの日常だった。 その内大通りに投げ出されて笑われるかも知れない。誰も助けてくれやしないいつも通りの日常。

 

 その筈だった。

 

 ――ウル

 ――アカネだよー

 

 その地獄を、より鮮烈な暴力で平然と砕いた兄妹の姿は、今もエクスタインの瞼に強烈なまでに焼き付いていた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪都市プラウディア 真なるバベル凱旋式

 

 突如乱入し、あらんかぎりの醜態をさらした挙げ句に気を失ったドローナは天陽騎士達に確保され、凱旋式は終わりを迎えた。

 プラウディアでそれなりの力を保有していた運命の神官捕縛、そして彼女にまつわる大量の不正腐敗。関連していた者達の一斉逮捕。それらがウルの凱旋式の熱狂の裏で行われ、速やかに処理が進んでいった。

 プラウディアやその周辺の衛星都市に根深く蔓延っていた腐敗の温床を根こそぎに焼き払うべく、お祭り騒ぎの裏で、尋常ならざる速度で捕縛は進行していた。

 

「……やれやれ」

 

 バベルに存在するとても大きな来賓室のソファーに、ウルはだらしなく腰をかけて深々と溜息をついた。疲労している理由は明確である。凱旋式で死ぬほど緊張した上、そこに闖入者の相手までさせられたからだ。

 

「おい、大丈夫か!ウル」

 

 すると、ガザが心配そうに駆け寄り、その少し後ろからレイも近付いてくる。

 

「レイ、アンタはもう大丈夫なのか」

「……心配、かけた」

 

 レイは頷く。ドローナのあまりにも酷い言葉の数々に随分と心を痛めていたようだったが、その様子を見るといくらか持ち直しているらしい。

 

「それよりも貴方……大丈夫なの?」

「平気だよ。しっかしひっでえ女だったな。とんでもねえや」

 

 ウルがそう応じると、レイは酷く不審げな顔でウルを見る。顔を近づけて、まるで何処かに異常があるかのように観察してきた。

 

「どしたよ?」

「さっきのは……?」

 

 問われ、彼女が言いたいことが理解できた。「あのセリフか」と、ウルは納得する。

 

「アナと地下牢で、もし牢屋から出たら、嵌めてきた連中に何言ってやるか、決めてたんだよ。アイツの代わりの伝言だ」

「……迫真すぎねえ?」

 

 ガザはウルの顔をムニムニと引っ張った。

 

「やめい」

「いや、だってよお……」

「アイツが乗り移ったように見えたかよ」

 

 ガザはこくこくと頷いた。ガザだけでなく、隣のレイまで頷きだす。レイまでそう言うのだから、よっぽど迫真だったらしい。ウルとしては本当に、地下牢で失敗作の酒で飲み会をしていた時、ペリィや彼女と笑いながら決めたセリフをそのまま言っただけなのだが、傍から見れば全然そうは見えなかったようだ。

 

「……ま、別にいいか」

 

 自分の中に彼女の残滓が残っているのだとしたら、それは別に不愉快な事ではなかったので、ウルはそのまま受け入れた。

 

「でも、じゃあ、運命云々ってのは?」

「出鱈目」

 

 ウルは自身の目に触れる。昏翠の瞳は、ウル自身の魔眼とアナスタシアの聖眼が入り交じり、別種に変貌を遂げている。相手の運命を見取る力を有していない。

 

「さんざ運命の力を利用して好きにしてたヤツなんだ。さぞや”効く”だろうと思ってな」

 

 あそこまで効果覿面とは思わなかったけどな。と、ウルは笑った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………でたらめか」

 

 そして、そんなウルの会話を少し距離をとって聞いていたディズは、小さく呟いた。

 

《むに?ちがうん?》

 

 アカネが首をかしげる。ディズは肩をすくめた。

 

「ウルの今の魔眼は、人類の殆どが到達できていない最高硬度だ」

 

 その効力は、相手を運命レベルで掌握し、その動きを封じる凶眼。

 ウルはその対象を拘束する為に利用しているが、はっきり言ってそれは全く上手な使い方ではない。ウルが使い慣れていないためだろう。

 

 あの魔眼の本質はそうではない。

 

 瞳に映した対象の運命を、支配する力だ。有する魔力密度が高ければ、ある程度抵抗は可能であろう、が、そういった抵抗を持たない者が、()()()()()()()()()()()()()()が、モロにその力を受ければ――――

 

()()()()()()()()()

 

 ウルが――――アナスタシアが――――告げたように、彼女は地獄を見るだろう。

 幸いなど一切訪れることの無い、地獄を。

 

《でも、しょーがないわよ?》

「アカネ?」

 

 複雑な表情のデイズに対して、アカネはその内心を読んだようにつげた。

 いつもの幼い表情とは違う。冷たい、あるいは達観した目つきだった。

 

《“かいこんのひかりをえるまで”よ。はんせいすればいいのよ》

「……うん」

《それもできないなら、しかたがないわ》

 

 アカネは優しい。しかし、すべてに対して慈悲深いわけではない。過ちを犯して、多くのヒトを傷つけて、それでもなお反省もできないような者に、彼女は慈悲を与えない。見た目より、口調よりも、彼女の中身はずっと大人だった。

 

《だから、きにしなくていいのよ?》

「ん、ありがとう、アカネ。ウルの所へいっておいで」

 

 此方の事を気にしての事だったのだろう。ディズは微笑み彼女をなでると、ふにふに、と笑ったあと、気が済んだのか、ひらりと空中で一転して、そのままウルへと突撃した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

《おりゃあー!にーたん元気だったかー!!》

「ごっぱあ!?アカネか!」

 

 ウルは顔面に突撃をかましてきた妹をいつものように引き剥がした。アカネはニコニコと楽しそうに笑う。プラウディアにたどり着くまであまりに慌ただしく、ろくに再会の挨拶もできなかった。

 

「いつも通りめちゃくちゃ死にかけたよ妹。久しぶりだ」

 

 しかし、こうしてちゃんと顔を合わせると、大人びて――――

 

《んもー!!いつものことねってなるのだめなのよ!!》

「返す言葉もない」

 

 る、訳でもなかった。

 ぷんすこぷんと怒る妹は半年前と変わりない。愛らしい妹だ。

 

《おめめのいろもかわっとるしー、みぎてもますますへんになっとるしー!》

「……くちゃい?」

 

 ウルは恐る恐る右手を上げる。黒睡帯を巻いて、外に晒さぬよう隠している右手を前に、アカネは近づくと、少し不思議そうに首を傾げた。

 

《ありゃ?くちゃないな?》

「なんでかしらんが、それは良かった。もっと臭いって言われたら心臓止まってたわ」

《よろいはくちゃいで?》

「死んだ」

 

 黒炎砂漠攻略からずっと装着していたから仕方ないといえば仕方ない。見学してくる都市民達に示すために、汚れに対しての浄化魔術も使っていなかったのも祟った。死んでうなだれるウルにシズクがそっと浄化魔術をかけて汚れを払ってくれた。

 

「……ま、アカネは元気そうで何より。半年じゃそんなに変わらないか」

「いや、君が言う?」

 

 と、ディズもやってきた。彼女は呆れたような、感心したような表情で、ウルの顔をのぞき込む。

 

「まさか、本当に、ラースを破壊するとはね……しかもこの速度で」

「お膳立ては整ってたよ。俺はおいしいところもらっただけだ」

 

 ウルがそう言うと、なぜか背後からガザが無言で頭を指でつつき始めた。

 ディズは苦笑する。

 

「謙遜も限度を超えるとただの嫌みだよ?」

「悪かったよ……正直、何一つピンと来ていないんだ」

「此処まで大騒ぎが起きても……?」

「心底困ったことに」

 

 ウルの目標はラースに残っていた黒炎を消し去ることで、その目標もウルが出来る唯一の焦牢を脱出する手段だったからだ。途中で、仲間の呪いを払うためという別の理由も増えはしたが、始まりは得られるか分からない恩赦を得るために砂漠を突っ切っただけだ。

 

「超克とかも意味が分からん。あれってなんだったんだ」

「んー……」

 

 問いかけに対してディズは答えなかった。ウルの右手をそっと握って確かめるように触れるばかりだった。少しこそばゆかった。

 

「遠からず説明はあると思うけど、気にしなくても良いよ……今は」

「不穏……」

「こればっかりはもう本当にどうしようもないから諦めて」

「そっかあ……」

 

 ディズがそう言うという事は不可避なのだろう。ウルは諦めて、考えないようにした。最後にシズクを見る。

 

「結局、俺を焦牢に突っ込んだ連中ってのは、今回の騒動で何とかなったのか?」

「少なくともプラウディアの方面は。多くの方々と協力しましたから」

「お礼、みんなに言っておかないとなあ……」

 

 ウルがこうなってから、多数の協力者がウルの状況の改善に手を貸してくれたことはシズクから聞いていた。”陽喰らいの儀”で一緒に戦った様々なヒト達が手を貸してくれたと言うことも。

 結果として、ウルと黒炎払い達が自力で焦牢の外に出てきたのは間違いないが、その後の扱いが「たまたま黒炎の元凶を消し去ることが出来ただけの罪人」でなく「陰謀により牢獄に入れられていた英雄」として扱われたのはシズクと、彼らの尽力があってのことだろう。

 一段落が済んだら頭を下げて回らなければならないだろうなとウルはぼんやり想像した。

 

「黒剣騎士団と焦牢の仕組みを悪用した腐敗はおおよそ、摘発できるかと」

「つまり……いろいろな諸々が解決はした?」

 

 ウルは期待を込めて尋ねた。シズクはニッコリと微笑みを返した。

 

「していません」

「何故」

「そりゃ勿論、エンヴィー側の連中はまだ残ってるからね」

 

 そう言ったのは、ウルでもシズクでも無く、他の皆でも黒炎払いの面々でも無かった。来賓室の扉の前に何時のまにか、一人の青年が立っていた。柔和な笑みを浮かべた見覚えのある美形の男は、ウルに向かって爽やかに手を振った。

 

「や、ウル。久しぶり。元気してた?」

「……すっげえ友達みたいなノリで来るじゃん。お前」

 

 エクスタインがいた。ふらりと遊びに来た友人のような面構えに、ウルは脱力した。

 

「おい、ウル、アイツ誰だよ」

「幼馴染み。古い友人。俺が焦牢に落ちた時彼方此方に手を回した実行犯」

 

 ガザの質問に対してウルは素直に全てを答えた。ガザは、ウルの言葉の軽さと情報のギャップにフリーズした。そして、

 

「敵じゃね!?」

「そうだな」

「シャンとしろよ敵だろ!?」

「なんかもう疲れて頭回らん」

 

 ガザに肩を揺すられるが、ウルは疲れていた。大勢の前で仰々しい言葉を噛まない様に喋るのだけでも結構しんどかった。慣れない為か魔物と殺し合いをするよりよっぽど疲れた。それでなくとも黒炎砂漠突破の強行軍の疲労感が今も抜けきっていない。脳の動きが極限まで鈍かった。

 レイとガザは慌てて身構えるが、二人とも武器は持っていない。バベルの塔に入ったとき、武装の類いは全て没収されている。だが、エクスタインは慌てず両手を上げた。

 

「慌てなくて良いよ。ここに身を晒した時点で、僕もう何も出来ないし」

「何もって……」

「ほら」

 

 そう言ってエクスタインは背後を指さす。すると彼の背中からはいつの間にか人骨の死霊兵がまとわりついてその首筋に剣を突きつけていた。反対側の彼の首元には、緋色の刃が今すぐにでも彼の首をかっきろうとしている。ディズがアカネを長大な剣にして構えていた。

 ロックにディズにアカネが、エクスタインの首根っこを掴んでいた。

 

『カカカ。ええ度胸してるの女装男』

「酒の席の痴態を言いふらすのは止めてよロック。それに酷いなアカネ。幼馴染みに」

《にーたんいじめんならおやでもぶっとばすよ?》

「ウルの妹だなあ……」

 

 何故かエクスタインは嬉しそうにしながらも、本当に抵抗する様子はなかった。両手を挙げたまま、ウルの前のソファーに座った。

 

「それで、なんの要件だ?」

「アカネに僕なんかを殺させたくないし、単刀直入に言おうか。」

 

 エクスタインはのんびりと、その日の天気を語るように穏やかな口調でそれを口にした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「………ん?」

 

 真正面からそれを聞いたウルはそれを全く理解できずに暫く思考を停止させた。ウルのみならず、ディズやアカネ、ガザやレイ、黒炎払いの面々も全員、エクスタインのその発言に反応が出来なかった。

 そしてそのウル達の動揺に対してまるで配慮する様子もなく、エクスタインはさらに続ける。

 

「前々からあった中央工房と神殿の対立だ。元々、限界ギリギリだったところに、あちこちに火がついて、一気に爆発しちゃった。流石にまだ死人は出ないと思うけど、魔導機械が発達してる分、派手だよね」

「まて、ちょっと待て……」

 

 ウルは手を上げて停止を促すと、エクスタインは素直に黙る。ウルは恐る恐る訪ねた。

 

「……俺が原因で?」

「はは、まさか。きっかけではあったけど、原因では無いよ」

「じゃあなにが原因だよ」

「うん、僕」

「お前かあ……」

 

 ウルは頭痛を覚えた。

 

「立場上、自分の国の火種には詳しかったからね。ちょっとあちこちで火をつけた」

『なにしとんじゃあお前さん』

「故郷、軽く滅ぼしておこうかなって思って」

「狂気」

 

 昔のエクスタインは頭がいいが、そこまで自発的に問題を起こすような性格では無かったはずなのだが、なにが原因でここまで頭がぶち切れてるのだと、ウルは本気で訝しんだ。

 エクスタインはそんなウルの様子に微笑む。

 

「といっても、長引くことは無いよ。君の一件で、どう考えても中央工房が不利だ。四方八方からボコボコにされて終結する。……うん、そのはずだったんだけど」

 

 少し歯切れの悪くなったエクスタインに、ウルは猛烈にいやな予感がした。

 

「んだよ」

「ちょっと一気に追い詰められすぎたんだろうね。中央工房のトップが、【竜吞ウーガ】を内乱鎮圧に利用しようと、【ガルーダ】でウーガに向かってね」

 

 僕は途中で中央工房で保管されていた転移術式をパクって、プラウディアに駆け込んだのが現状。と、そこまで一息で説明し、至極真面目な顔で頷いた。

 

「つまり、ウーガがピンチだ。ウル」

《にーたん、エクスぶんなぐっていい?》

「いいぞ」

 

 アカネはエクスタインをぶん殴った。思い切り拳が顔面にめり込み、鼻血が噴き出していたが知ったことでは無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋⑤

 

 

 大罪都市エンヴィーにおける暴動の発生。

 

 突拍子も無く聞こえるそれは、しかし決して兆しが無かったわけでは無かった。エンヴィー内における都市民と神殿の決裂は誰の目で見ても明らかだったのだから。

 

 都市民、中央工房の面々は精霊の力への依存、脱却を高らかに謳い、

 神官、神殿の面子はそんな彼らを恩知らずの不敬者と罵った。

 

 魔道機械の発展国。七天のグレーレが介入した事で飛躍と言って良いほどの発展を見せたこの国において、その対立関係は日毎に増していた。大罪都市ラストのように、白の魔女の技術の継承と精霊の適正の融合が成されている訳でもなく、技術の発展が進むほどに乖離は激しくなっていった。

 無論、それでも、大半の都市民達は精霊達を信仰している。太陽の結界が彼らを守っている事実は何ら変わりない。都市維持に必要な要部分の多くは、未だ精霊の力に依存していることには変わりない。

 

 それを両方とも分かっているから、決定的な決裂は無かった。

 だが、ウーガの出現でバランスは崩れた。

 

 一切を精霊に依存しない超巨大移動要塞。限られた範囲で有りながら都市としての居住機能も備えた素晴らしい魔獣。その管理権を中央工房が得たのだ――――それが形式上だけのものであっても。 

 最初は半信半疑、ウーガの存在自体に懐疑的だった者も多かったが、その強大な力や能力、そしてそれらがもたらすであろう莫大な利益が明らかになるにつれて、中央工房への支持率は跳ね上がった。

 精霊からの脱却など現実味が無いと罵っていた連中も、押し黙らざるを得なかった。ウーガへの移住権は何時販売されるのだという問いかけが次々にやってくるほどだ。邪教徒が生みだした使い魔に安易に飛びつくのは危険だと窘める神官達は臆病者と罵られた。

 

 ウーガの管理権は、エンヴィー中央工房にとっての絶頂期を与えたのだ。

 

 わずか半年の間だけ。

 

「なんで、こうなった!!」

 

 ヘイルダーは額に汗を浮かべ、苛立たしそうに叫んでいた。彼はガルーダの中にいた。エンヴィー騎士団に強引にガルーダを飛ばさせて、全速力でウーガへと移動していた。

 額からは血が流れている。理由は、大罪都市エンヴィーで先日から勃発している暴動によるものだ。あるいは内乱と言っても良いかもしれない。

 

 切っ掛けは、【灰の英雄ウル】のラース解放である。

 

 本来ならそれは素晴らしい吉報である。名無しであれ、都市民であれ、神官であれ、諸手を挙げて歓喜してしかるべき話だ。何せ、イスラリア大陸の一部を呪い、禁忌としていた場所が人類の手に取り戻されたのだから。

 

 しかし、大罪都市エンヴィーではその吉報が激しい混乱を引き起こした。何故なら彼らはその大英雄から、彼の管理していた【竜吞ウーガ】を奪った張本人なのだから。

 

 彼が国家転覆を目論んだ咎人であり、恐るべき罪人であるから、その彼からウーガを取り戻した。ウルが犯した悪行は数知れない

 

 と中央工房は都市民に向かって断じていた。大罪都市エンヴィーはウーガの管理権を獲得する際、それまでのウーガの管理体制にどれほどの問題があったかを並べ立て、その全ての原因が大罪都市グラドルと冒険者ウルにあったと公言していた。

 

 グラドルから強引にウーガの管理権を奪った正当性を得るためだった。

 

 そのために念入りに悪評をなすった。彼が焦牢から二度と出ては来れまいと確信していたからだ。彼らにとってウルはどれだけの大悪党にしたところで、なんの反論も返してくることの無いサンドバッグだったのだ。

 

 ()()()()()()()

 彼は英雄として帰還した。

 しかもその英雄を、天賢王は認めた。その罪を全て誤りだったと宣言した。

 そしてその瞬間、中央工房が掲げていた正当性は、あまりにも悲惨な崩壊を開始した。

 

 ――ヘイルダー殿!!どうか顔をだしてください!!

 ――事態を説明してくれ!全て嘘だったのか!!!

 ――ちゃんと説明しろ卑怯者――――!

 

 その報を、ヘイルダーの所属する中央工房()()の、エンヴィー中の住民達は即座に知った。同時に、中央工房がこれまで秘密裏にしてきた多数の不正や問題を証拠付きでばらまかれた。

 

 大暴動は必然だった。もはや誰にも止められない災禍と化して、エンヴィーを焼き尽くした。

 

「巫山戯るなクソ……誰のお陰で今日まで富を享受出来たと思ってる…!!」

 

 ヘイルダーは歯ぎしりしながらうめく。だが、どれだけ怒りや不満を口にしても、自分達がイスラリア中から讃えられている英雄を薄汚く汚そうとした咎人であるというレッテルはもはや剥ぎようが無かった。

 政治でどうこうできる領域をすでに逸脱している。

 もっと圧倒的な、暴力による逆転以外、手は無かった。

 

「速く!もっと飛ばせ!!!」

「こ、これ以上は…!」

 

 ガルーダを操縦するエンヴィー騎士団遊撃部隊を罵りながら、ヘイルダーは焦燥の中にいた。彼が最後に見た光景は逃げ出した中央工房の彼方此方から煙があがった無残な姿だ。都市民達の暴走は明らかだった。

 ヘイルダーを睨む彼らの目は、血走り、歯を剥き出しにして、狂気に満ち満ちていた。

 

「竜吞ウーガが見えました!」

 

 報告を聞き、ヘイルダーは顔を上げる。

 遠見の水晶には黒炎の消え去ったラース領の砂漠に座するウーガが映っていた。現在のエンヴィーが混乱のただ中に居る全ての元凶であると同時に、現在のエンヴィーの混乱を一気に消し飛ばすだけの力を持った強大な兵器だ。

 渦中の中心、竜吞ウーガ、その力で、大罪都市エンヴィーで現在巻き起こってる騒乱を一時的に押さえ込む。都市すらも消し飛ばすほどの咆哮を目の当たりにすれば、数を頼みに騒ぐことしかできない都市民達は沈黙を余儀なくされるはずだ。

 

 窮地において閃いた策はあまりにも暴力的で、極端だった。

 

 しかしそうする他ないと彼は確信していた。

 そしてその予感は当たっていた。

 

 少なくとも、現在エンヴィーで起こっている暴動は、無難な所に落ち着いたとしてもヘイルダーは破滅する。間違いなく本件の責任を取らされる。自分は既に破滅の直前まで追い詰められている。そのことを彼は、激昂のただ中にあって冷静に理解していた。

 

「ガルーダをウーガへと直接下ろせ!!」

「正気ですか!?ウーガには結界があります!!この質量で接近すれば双方が危険です!!できま――」

「やれ!!」

 

 操縦桿を握っていたエンヴィー騎士はギョッとする。側に寄った彼が魔導銃を握り、突きつけてきたのだ。その砲口の大きさや、仰々しく露出した魔導核は明らかに護身用の可愛らしいシロモノではない。対魔物戦闘が想定された代物だ。

 その場に居る騎士達は全員、臨戦体制に入った。中央工房の実質的なトップだろうとなんだろうと、そこまでの暴挙を見過ごすほど彼らも愚かでは無かった。

 その場を緊迫感が包み込んだ。

 ヘイルダーの目つきは血走り、何をしでかすか分かったような状態ではなかった。

 

「……ウーガへと通達なさい。脅す形になりますが、結界を解除してもらいましょう」

 

 だが、そこに遊撃部隊隊長のグローリアが声を発した。彼女は冷静な声で、司令席から狂気を振りかざすヘイルダーを見下ろした。

 

「なんの準備も無く強引に降り立てば、墜落の危険まであります。それは望ましくないでしょう?」

「……………良いだろう。だが急げよ!!!」

 

 ヘイルダーは銃を下ろさぬまま叫ぶ。グローリアは小さく溜息をつきながら、騎士達に指示をだしていった。

 そして、しばらくの後、ウーガの結界は解除され、ガルーダはウーガに直接乗り付けるという無茶をしながらも、なんとか着陸を成功させた。当然、着陸港など無い為、ウーガの建造物のいくつかや、ガルーダ自身もいくつか破損したが、ヘイルダーの知ったことでは無かった。

 

「ウル……!!!待っていろ……お前に!!お前には……!!」

 

 ヘイルダーは繰り返す。憎悪と怒りにまみれた表情で、しかし何故かその瞳は爛々と輝いて見えた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ、司令塔

 

「女王エシェル!!此処に居るか!!」

 

 そんなけたたましい声とともに、司令室の扉は開け放たれた。

 竜吞に対して全ての指令を送り出す、ウーガの頭脳とも呼ぶべきその場所にヘイルダーと彼に雇われた私兵達が一気になだれ込んだ。ヘイルダー含め、全員が武器を持ち、剣呑な雰囲気を漂わせている。

 にも関わらず、その侵入を受けたウーガの司令塔の作業員達は平静だった。武器を持ち込んだ彼らに対して視線を向け、立ちあがるが、怯え竦んだりする様子はない。 

 

「――――どうしたんだ。ヘイルダー・グラッチャ」

 

 そして、司令室の中央に、このウーガの女王であるエシェル・レーネ・ラーレイは座っていた。自身の隣りにカルカラという神官を常に侍らせている紅髪の獣人。ヘイルダーがウーガの管理権限をグラドルから簒奪した当時は、小娘にしか見えなかった。

 だが今、余裕のないヘイルダーに対して、彼女は酷く落ち着いている。【竜吞女王】などという滑稽な呼び名に真実味を持たせていた。それがヘイルダーを更に苛立たせた。

 だが、今は彼女に苛立っている暇など無いのだ

 

「今すぐウーガを出せ!!大罪都市エンヴィーへと向かわせろ!」

 

 ウーガの力を使って、エンヴィーの混乱を()()。急がなければならないのだから――

 

「出来ない」

「は?」

「状況は理解している。目的は、内乱状態のエンヴィーをウーガの力で制圧する事か?」

 

 エシェルは尚も態度を崩さない。司令室の玉座の上から、全てを理解しているかのような彼女の態度に、ヘイルダーは更にはらわたが煮えくり返る。

 

「大罪都市エンヴィー内における暴動はたしかに大事だ。だけど状況は混沌としていて、複雑だ。双方に言い分があるだろう状況で、一方の意見を通すためにウーガを動かして、その力を背景に鎮圧すれば確実に後に引く。」

 

 これが少人数による主張と破壊活動であるなら、動く大義はあっただろう。しかし現状エンヴィーに起こっているのは内乱だ。双方に言い分の在る状態で起こった対立であり、そこに介入するリスクは高い。

 魔獣災害に見舞われたと判断できた焦牢の状況とは全く違う。エンヴィーのみならず複数の都市国の管理下にあるウーガは迂闊には動くわけには行かない状況である。

 まさしく、正論だった。そんなことは流石のヘイルダーもわかっている。しかし、それで「じゃあ仕方が無いな」と引き下がるわけには当然いかなかった。

 

「雇い主だぞこっちは!!!」

「現在私達が仕えてるのは主に大罪都市グラドル、プラウディア、エンヴィーの3都市であり、お前はその窓口の一つに過ぎない」

 

 それに、と、不意に彼女の目が細くなる。その視線に込められているのは嫌悪と敵意だ。

 

「私達のリーダーを貶めて、私達を利用しようとして、失敗して国が荒れた。そんな無様の尻拭いを私達がしてやる道理が見当たらない」

 

 それは、ウーガの住民達全ての、偽らざる本音だった。この半年間、強引に管理権限を奪ってきた大罪都市エンヴィーからは無茶に振り回された。貶められたウルの名を更に踏みつけてきた。

 心情的にも、ヘイルダーの無茶を聞いてやる理由が全くない。

 

「……復讐というワケか?ええ!?」

「自業自得で破滅した相手を追い払うことを、復讐と呼ぶなんて初めて聞いた」

 

 痙攣させるように顔を引きつらせるヘイルダーの言葉をエシェルは切って捨てた。

 エシェルの完全な決裂の宣言とともに、場は一気に緊張に包まれた。ヘイルダーが忙しなく、背後の私兵部隊に視線を送る。彼らの持つ武器は中央工房で作られた兵器の数々だ。都市防衛のために魔物に対して向けるような代物で有り、ヒトにそれを向ければ確実な惨事を招くものだった。

 それを構えるようにとヘイルダーは指示を出そうとした。だが、

 

「迂闊なことするのは止めとけよ。ガキ」

「うお!?」

「なんだてめ、っが!?」

 

 不意に声がして、次の瞬間彼の私兵団は瞬く間に捕縛された。

 

「貴様……!?」

「エンヴィーに帰って大人しくしてろよ。此処で暴れるよかマシな結末だろうさ」

 

 私兵達を捕らえたのは、ウーガの守護防衛を担う【白の蟒蛇】の戦士達であり、ヘイルダーの前にそのリーダーである巨体の大男、ジャインが姿を現した。自分の手駒を封じられ、憎々しげに睨み付けてくるヘイルダーにジャインは素っ気なく応じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋⑥ 最も強いのは

 

 幼少期、ヘイルダー・グラッチャが自身の人生に充実を覚えた事は無かった。

 

 大罪都市エンヴィーという閉じられた社会で、彼は所謂”勝ち組”だったのは違いない。天魔のグレーレが介入してから飛躍的にその規模を拡大し、エンヴィー全体を支配していたギルド【中央工房】ギルド長の一人息子。

 物心つくかつくまいかといった時期から、彼にはエンヴィーにいる大半の者達は平伏していた。自分と同じ子供は疎か、自分よりも遙かに背の高い大人達も、厳めしい土人も恐ろしい獣人も賢しい小人も誰も彼も、自分の前ではひたすらに頭を低く媚びへつらっていた。

 

 彼が幼少期から常に見てきたのは支配者の光景である。

 

 当時、ギルド長だった父はそう言った光景を目にしたとき、常々浮かれるように、誇らしそうにそれを見下ろしていた。彼は激しい政治闘争の末、敵だった連中を軒並み破滅させることでその地位に就いたと自慢げにヘイルダーに語っていた。誰もが平伏するその光景は苦労を重ねて手に入れた絶景だったのだろう。

 

 ヘイルダーにとっては違う。彼にとってそれは苦労して勝ち取ったものでは無い。物心ついたときから当然の様にあった光景だ。

 

 最初からそこにあるものに価値を見いだすのは難しい。彼にとって自分以外の誰かを踏みつけて、いたぶるのは当たり前の事だし、何も面白いことは無かった。中央工房における最下層の子供をさんざいたぶるのは少しばかりは気が晴れるが、それくらいだ。

 ならば新しいことを。より素晴らしいことを。

 そう思ったとしても、大罪都市エンヴィーという場所では限られる。目新しい事なんてそうそう起こらない。移動要塞ガルーダが外から新しいモノを運んできても、恵まれた場所に居る彼にとってそれらは、彼が期待するような目新しさからはほど遠かった。その殆どが既知のものか、小手先だけ変えたようなモノにしか見えなかった。

 

 なんてつまらない、恵まれた人生。

 

 彼は自分の幸運と不幸を嘆きながら、中央工房の子供を虐める毎日だ。子供達を殴って、その子供が自分の親に助けを求めて、自分の顔を見て平伏し、自分の子供を怒鳴りつける。つまらない人生の中で彼が苦労して思いついた娯楽の一つがこれだった。

 何時その悪意が自分に向けられるのか、そんな風に怯える取り巻き達を嘲りながら、ここの所彼はずっとそうしていた。

 

「……なあ、なんでこいつら、こんなことしてんだ?」

 

 だが、そんな彼の平和で退屈な日常は崩された。

 彼が望むように劇的に、彼が望まぬほど無様に。

 

「……知らない。そうするのが楽しいんだって」

「へー、しゅみと頭わるいんだなー」

 

 ヘイルダーは地面に倒れていた。汚らしい裏路地で、顔面を地面に擦りつけ、鼻血を垂れ流しながら倒れていた。彼の周りには彼の取り巻き達も居る。ヘイルダーと同様に打ちのめされていた。全員に武器を持たせた筈だが、鼻から血を流しながらうんうんと唸っていた。

 そしてヘイルダーの背中を椅子にして、小さな子供が座っている。自分を叩きのめして、踏みつけにしているのだ。

 最初出会ったときは仮面のようなもので顔を隠していたが、格好の小汚さから間違いなく都市民の最下層か、もしくは都市に潜り込んだ名無しだった。つまり、ヘイルダーにとって木っ端のような存在である。そんな彼らが、自分の上に乗っている。踏みつけている。普段自分が他の子供達や大人達相手にそうしているみたいに。

 

《いっかいなぐったらちかづいてこんくなるんだけど、またきたなー?》

「ヘイルダー、ここらのボスだから、きっとまた来るよ…」

《えーめんどーい》

「もっとなぐったらビビって手を出さなくなるかな?」

 

 ヘイルダーの内側から、ぐつぐつと何かが燃えたぎるのを感じた。生まれて初めての経験だった。快不快にかかわらず、常に凪いでいた彼の心に初めて訪れた嵐だった。身体がバラバラになって千切れてしまいそうになるほどの憎悪だった。

 その衝動のまま、ヘイルダーは叫んだ。

 

「ううああああああああああああ!!!」

「うおっ」

 

 吼え叫んで、自分の上に乗っていた子供をふり下ろす。驚いて飛び退いた少年を、ヘイルダーは目撃する。先日遭遇していきなり殴りかかってきた時と違って、仮面はしていなかった。しまったな、という風に彼は腕で顔を隠す。

 やはり名無しの子供だ。世界で一番立場が弱いと言っても過言ではない故に、自分の正体を隠そうとしてる。都市を追い出されるかも知れないからだ。

 しかし、ヘイルダーにその気はなかった。クソつまらない大人達に彼のことを伝えて、彼をこの都市から追い立てるなんて真似、してたまるか!

 

「お前、お前、なんていうんだ…?」

「…………ウルだが」

「ウル、ウルだな……!!!覚えたぞ!!ウル!!!」

 

 ヘイルダーは怒りに酔い、屈辱に酔い、そして興奮に酔った。彼の人生で初めての経験だった。目の前の、どうしようも無いくらいに明確な敵の顔を、ヘイルダーは頭の中に焼き付けた。

 

「僕はヘイルダーだ!!覚えてろ!!お前のことをぐちゃぐちゃにしてやるからな!!!」

 

 こうして、ウルがエンヴィーを出て行くまでの間、彼と彼の取り巻きと、ウルとウルに味方する子供達の戦争が始まった。中央工房に存在していた兵器までが最終的に飛び出すほどの長く激しい戦争であり、一時は騒然となった。

 

 しかし、それを大人達が介入し止めることは出来なかった。

 

 中心であるヘイルダーによってそれは止められたからだ。ヘイルダーは戦争に熱狂し、暴走し、悪意をまき散らしながら、ウルと共に長い戦いの日々を続けた。

 

 あまりにも物騒で、色鮮やかなほど鮮烈な青春の日々だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 さて、面倒くせえなオイ。

 

 大罪都市エンヴィーからやって来た珍客の兵隊達を部下達で押さえながら、ジャインは心中で愚知った。主犯であるヘイルダーはまだ捕らえられていないが、不用意に彼に迫ることはしなかった。ヘイルダーが片手に握る魔導銃をジャインは視界に捉えていた。

 彼の私兵らの武器と比べれば大層な大きさではないが、破壊力はそれ以上だろうと洞察する。ヘイルダー自身はとてもではないが鍛えているような体つきではない。取り押さえること自体は容易だ。ただ、迂闊に司令室の出入り口付近にたむろっていた彼の私兵達と比べて、ヘイルダーとはやや距離があった。

 

 ガルーダが恐ろしい勢いで接近した時点で、司令室への避難の指示は当然出した。

 

 防衛部隊である、白の蟒蛇のメンツだけで彼らの迎撃に当たるのは当然の流れだった。

 そしてその場合、エンヴィーの連中との問答無用の戦闘になるのは明白だった。遅れをとることは無いとジャインは確信していたが、それでも確実に、ウーガ内部に大きな被害が出るのは想像がついた。

 

 多少の被害を飲んでも、人的被害を避ける作戦だった。の、だが

 

 ――ガルーダはウーガの内部に招く。司令塔を囮に、ガルーダから奴らを引きずり出す。

 

 だが、女王エシェルは許可しなかった。

 自分たちを囮にしてでも、まずは連中を引きずり出す事を選んだ。しかしそれを、ワガママと切って捨てるわけにもいかなかったのは、彼女の案にも一定の理があったからだ。

 

 ――ガルーダという手札が奴らにある以上、まずは離す。

 

 ウーガは前代未聞の超兵器だが、しかし、ガルーダもまた、天魔のグレーレの手によって生み出されたすさまじい兵器なのだ。入港自体を拒否し、早々に真正面からぶつかって、ガルーダの力を使われれば、大きな被害は避けようが無いのは明らかだった。

 

 そして彼女の案を、非戦闘員であるはずの、ウーガの住民や、ウーガを制御する術者達まで支持した。ジャインも、最終的にはそれを飲んだ。

 ウーガの住民全員に共通して、「これ以上、好き勝手にさせてたまるか」という怒りがあったのだ。このウーガ上で戦争状態になって破壊されるなんてもってのほかだと。

 

 ――ま、そうなると、一番胃が痛くなる貧乏くじは俺なんだがな。

 

 と、苦々しく内心で思いながらも、彼は冷静にヘイルダーに語りかける。

 

「これは煽りじゃねえ。エンヴィーに戻れや。狙いはわかるがどう考えても血迷いすぎだろ」

 

 連中の狙いはわかっている。通信魔術で飛んできた。エンヴィーの内乱をウーガで鎮めようとしているのは理解していた。が、それはやはり大分血迷っている。

 

 人類生存圏を脅威にさらすのは、大連盟法の中でもとびっきりの重犯罪だ。

 

 死罪すらもあり得る。いくら連中が大連盟法の番人である黒剣とつながっていたとしても、その黒剣は壊滅している。そうすると、もう彼らを守る者は誰も居ないのだ。その状態でそんな所業をすれば、例え暴動が収まったとしても、その後、彼らが助かる見込みはゼロだ。

 

「今、何事も無かったと立ち去るなら、こっちもとやかく言うつもりはねえよ」

 

 だらだらと言葉を続けながら、ジャインは視線を動かさないまま周囲を把握し、部下達に僅かな合図で支持を出す。特に、グラドルから来ている術者達は戦闘能力はない。彼らの護衛は最優先だ。

 

 そして、我らが竜吞女王に関しては――――

 

「その厄介な物をまずは置け。どう考えても、使い慣れてねえだろ――――」

「だ、ま――――!!」

 

 不意に、ヘイルダーが動く。先ほどまで、ふらふらとどこに向けられるかわからなかった銃口が、こちらへと向いた。ジャイン「よし」と小さく頷く。

 

「ほいっす」 

 

 同時に、ジャインの背後に隠れていたラビィンは即座にナイフを放った。ナイフはくるりと宙で一転し、見事にヘイルダーの手に突き立った。

 

「っが!?」

 

 引き金に指がかかるよりも早く、ごとんと地面に落下する。数秒遅れて、自分の手の有様に気づいたヘイルダーは手を押さえて叫んだ。

 

「ぎああああああああああ!!?」

「押さえろ!」

 

 ジャインの命令で、白の蟒蛇が一斉に動く。

 実に、一切の淀みの無い動きだった。一線を退いても、彼らは一流だ。戦闘に置いては素人の相手に、後れをとるはずも無かった。

 

 問題があったとすれば――

 

「【機構解放!!】」

 

 この男が、天魔のグレーレが気まぐれにつくった()()()を有していたことだ。

 

「っんな!?」

「伏せろっす!!!」

 

 ヘイルダーの身体から禍々しい光に包まれる。

 衝撃音と破壊音が司令室に響き渡り、同時になにか、得体の知れないものがヘイルダーの体から飛び出した。

 

「ぐ、ううううおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 鎧のように全身を包み、そして身体が膨らんでいく。数メートル超の機械でできた獣のような姿に瞬く間に変貌を遂げる。その頭部にはヘイルダーの頭が小さく乗っていた。

 

「【魔導鎧】よ!!僕に従えェ!!!」

 

 滑稽にも見えたが、威圧感は本物だった。ジャインも見たことも聞いた事も無いような魔導兵器。紛れもなく、天魔のグレーレの生み出した代物に違いなかった。

 

「全員伏せろ!!!」

 

 ジャインが叫ぶと同時に、機械の手足はまるで蛇のようになめらかに蠢き、振り回される。司令室の一部を破壊し、術式の破損を知らす高音の警報音がけたたましく鳴り響いた。

 すでに周囲に配備させた白の蟒蛇の仲間達が、非戦闘員を次々に逃がしていく。

 

「――――――」

 

 だが、中央の司令席についていたエシェルは逃げられない。彼女のそばにずっといるカルカラは、彼女をかばうように前に出るが、

 

「は、ハハハハハァ!!さあ、女王!!僕に、従ええぇ!!」

 

 ヘイルダーが、彼女一人でどうこうできできるような存在で無くなっているのは明らかだった。彼の目は酷く血走って、口端から泡が出ている。彼が纏う兵器が、なにかろくでもない影響を与えているらしい。

 放置すれば自滅するかもしれないが、それよりも、振り上げた拳を女王へと向かって振り下ろす方が早いだろう。

 

 が、ジャインは焦りはしなかった。

 

 どちらかと言えば、周囲の魔術師達を狙われる方が危険だった。彼らの多くは技術者、研究者であり戦闘経験は浅い。一番命の危険があった。

 エシェルの心配をジャインはしていない。 この無茶な誘導作戦を許可したのもそれが理由だ。何故なら――――

 

「……練習してきたんだ」

「ああ!?」

 

 この竜吞ウーガにおいて、最も力が強いのは、彼女だからだ。

 

「ウルが居なくなってから、暴走しないように、沢山、練習した」

 

 次の瞬間、ヘイルダーの機械の腕が、一瞬で消滅した。

 

「――――――な」

 

 黒の魔導書が別れ、そのページが周囲に飛散する。それは使用者の力を高める強化術では無く、使用者の力を抑え込むための“拘束術”だ。

 

「【ミラルフィーネ・リストラクション】」

 

 その中央で、黒衣のドレスを身に纏ったエシェルが、バランスを崩し膝をつくヘイルダーを冷め切った目で見下ろしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋⑦ 怪物

 

鏡の精霊を制御する。

 

 竜吞ウーガの代表としての責務を負う一方で、エシェルの最大の課題がそれだった。

 

 ――魔導書でかなり制限をかけることになったとしても、制御できるようにならなければなりません。それができなければ、実践で力を使うことは絶対にダメです。

 

 珍しく、シズクからかなり強めの口調ではっきりと断言された。しかもリーネもカルカラも完全に同意した為、反論の余地はなかった。陽喰らいの時の暴走は、エシェルはなんだかふわふわと楽しかったような記憶しかないが、本当によっぽどやらかしたらしい。

 とはいえエシェルも、暴走で仲間達を巻き込むのは絶対にごめんだったので、鍛錬することに関しては文句は無かった。

 

 地道に、ひたすらコツコツと、“邪霊の研究書類”を併用し、自身の力を御する術を身につけるべく鍛錬を続けた。最初はかなり危うかったが、カルカラは辛抱強く自分の訓練に付き合ってくれた(その間神官見習いの訓練が少し楽になったので何故か彼らからあがめられたりもした)。そして――

 

「――――ああ、もうお前に勝てるやつはウチにはいないな」

 

 ウーガ訓練所で、ジャインは素直に降伏を宣言した。

 周囲に鏡を展開し、結界のようにしていたエシェルはぱちくりと瞬きする。

 

「え、え?だってまだ、なにも……」

「今の攻撃はウチが出せる最大火力だよ。それも、対象を誘導して、罠にかけて、ようやく発動できる代物だ」

 

 彼女の周囲には【白の蟒蛇】の魔術師達が並んでいる。全員冒険者ギルドから指輪をもらっている一流の術者達だ。その全員が力を合わせて発動させた【多段発展魔術】。単純な火力という点に関しては【白の蟒蛇】が用いることができる正真正銘最大の火力だ。

 実践でも使える機会はそうそう無いだろう、とんでもないコストの大砲。それを――――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「で、でも……」

 

 そう言われても、正直ピンとこない。

 意識せずとも常時展開可能な“守りの鏡”がどの程度の強度を保てるかの実験をしていただけなのだ。徐々に威力を上げて、限界がくればエシェル自身が白旗をあげる予定となっていたはずなのだが、先に白旗をあげたのはジャイン達の方だった。

 

「自覚ねえのかよ。だったらはっきり言ってやる」

 

 無力感に打ちのめされている部下達に片付けを指示しながらも、ジャインはこちらを見下ろす。彼の目には侮りも、恐怖もなかった。ただただまっすぐにこちらを見つめてくる。

 

「お前が最強、ウーガの最大戦力だ。今後はこっちもそれを前提に動く。否応なく、そうしなけりゃならねえ。自覚しろ、我らが女王」

 

 最大の護衛対象が、最強ってのも複雑だがな。とジャインは苦笑した。

 

 エシェルは、それでもやはり複雑な心境であったが、彼の言葉に頷いた。

 自覚しなければならないような存在に、自分はすでに成っているのだと、理解した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そして、現在

 

「ば、かなあ!!?」

 

 ヘイルダー・グラッチャは、何一つ抵抗できぬまま、巨大となった自らの身体がバラバラに分解されていく感覚を味わっていた。

 

「【鏡鳥】」

 

 女王エシェルが手のひらを広げ、“何か”を放つ。光を反射させながら煌めく小さな“何か”は、風を切りながら宙を飛び回る。ヘイルダーの周囲を飛び回るたびに、彼の身体は削れて消えていく。

 

 魔導鎧は決して、見かけだけのハッタリでは無い。

 ろくな鍛錬をしていない、魔力の吸収強化ができていない一般人であろうとも、武装人形を一方的に破壊できるような力を得る凶悪無比な魔導兵器だ。それもグレーレが作り出した試作品。

 

 それが、何一つ、攻撃行動すら起こす暇も無く、無残に削り取られていく。しかも、

 

「動くなよ。死なれると面倒くさいからな」

 

 死なぬよう、加減をされて。

 魔導の鎧が悲鳴を上げる。破損部分を修繕しようと、再生しようとうごめく。機械とはとても思えない異様な挙動としぶとさは間違いなく、恐ろしい兵器と言えた。しかし、彼女の前では何一つとして役に立たなかった。

 

「クソ!!くっそ!!!」

 

 そのことは、流石に朦朧としていたヘイルダーも理解していた。

 黒衣を纏った目の前の女王が、その名に偽りの無い“竜吞みの怪物”であることを、ようやく理解した。彼は魔導鎧に備えついていた通信魔具を起動し、叫んだ。

 

「ガルゥウウウダ!!!攻撃準備をしろ!!」

 

 空を飛翔する移動要塞ガルーダには当然兵器を搭載している。

 遙か上空から一方的に敵を焼き払うための砲口が搭載されている。現在、ウーガの結界内部にいるガルーダならば、なるほど確かに、ウーガの司令塔を一瞬で消し飛ばすほどの攻撃を放つことは叶うだろう。

 

「急げ!!さっさとしろ!!」

 

 言うまでも無く、司令塔にいるヘイルダーも巻き添えにしかねない指示だが、今の彼にその冷静な判断ができる訳では無かった。とにかく、目の前の恐るべき脅威から逃れようと必死だったのだ。

 

 だが、しかし

 

《――――できません》

 

 通信魔具の向こうから聞こえてくる声は、無慈悲だった。

 

「ふざけるな!!逆らうのか!」

《ふざけてるのは貴方ですし、逆らうのは当然です。私の主はグレーレただ一人》

 

 狂乱するヘイルダー以上の苛立ちを辛うじて押さえるような声をグローリアが発する。ヘイルダーは、自身の権限を使ったあらんかぎりの脅迫を彼女にぶつけようと口を開くが、それよりも早く、

 

《ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「な…………に?!」

《そこに窓がないのですか?直接見た方が早いでしょう》

 

 ヘイルダーはその言葉に、酷い異音をたてる機械の身体を引きずりながら、司令室の窓へと駆け寄った。その間、慈悲なのかなんなのか、女王は攻撃を加えてはこなかった。

 そして、彼は見た。

 

「……………………は?」

 

 巨大なる機械の怪鳥ガルーダ、その体中が

 美しく、おぞましい、“真っ白な魔法陣”によって覆い尽くされ、封じられているのを。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【移動要塞ガルーダ】

 

「通信、終わった?」

「ええ、慈悲に感謝します――――レイライン、様」

 

 グローリアは深々と、ため息をつきながら、自分たちの操るガルーダを“制圧した”魔女、レイラインに苦々しい表情で礼を言った。

 不本意なウーガへの突入だったとはいえ、立場上敵にあたるウーガの魔術師に礼を言わなければならない理由は単純明快だ。今、ヘイルダーと通信を行ったのは、ただただ、彼女の慈悲でしかなかったからだ。

 

「あっそ。まあどうでもいいけど」

 

 リーネ・ヌウ・レイライン。

 

 彼女がどのようにしてガルーダに侵入したのか、どのようにして制圧したのか。

 それはグローリア達が居る環境の有様を見れば、誰にも明らかだった。壁や天井、机に地面に、ありとあらゆる場所に、細く、長く、煌めく“無数の糸”のようなものが蠢いている。それは至るところにあり、そしてガルーダの術式操作を行うためのあらゆる場所を制圧していた。

 

 ガルーダの至るところに存在するはずの制御術式が、その上から新たなる魔法陣で上書きされている。恐ろしく精緻で、強靱な、【白王陣】によって。

 

「存外、あっけないわね。こんなものかしら」

 

 そしてその異常な空間の中心に、レイラインの末裔は“在った”。立っては居ない。宙に浮かんでいる。自分の身長ほどもある彼女の杖は、穂先が別たれて、本来の長さを大幅に超える糸を紡ぎ、ガルーダ全体に浸食していた。

 その杖に腰掛けて、彼女はこちらを見下ろしている。その彼女の髪もまた、杖と同じように解かれ、白く輝きながら、周囲に無制限に広がり、杖の穂先と合流していた。

 彼女の頬にも、周囲に描かれた白王陣の末端が描かれているのが見えた。服の下に隠れているが、おそらく彼女の身体にも、【白王陣】は描かれているだろう。

 

 半年前に行っていた、自身の髪を解いて、術式を描く穂先とする技を、更に発展させている――――らしい。らしい、というのは、もはやグローリアには彼女の所業を解析することが出来なかったからだ。

 

 単身で、移動要塞を制圧するというのは、最早、魔術といっていいのか?

 

 そんな、恐怖ともつかない驚愕をなんとか押さえる中、レイラインはつまらなそうにこちらを見る。

 

「ねえ、もしかして、わざと捕まった?」

「は?」

「天才グレーレの移動要塞が、殴られる大義名分をわざわざ抱えてやってきてくれたから期待したのだけどね。自分の力量のほどがはかれるかもって」

 

 問われ、グローリアは歯を食いしばりながら、なんとか戦くのを堪えた。

 

「ガルーダもグレーレのもの。わざとくれてやるような真似。するわけがないでしょう」

 

 そう、どれだけあのヘイルダーの暴走が全ての原因であろうとも、ガルーダがグレーレの英知によって生み出されたものであるという事実は何一つ変わりない。で、あるならばなおのこと、あのヘイルダーの破滅に、ガルーダを巻き込むわけにはいかないのは当然だ。

 

 だから、このような形で一方的に制圧されたのは、本当にただただ、彼女の浸食に一切抵抗できなかっただけだ。本当に身も蓋もない話なのだ。待機中に、浸食に気がついたときには最早9割以上の【封印】が完了した。最早誰の手にも取り返しようのないところまで、権限は奪われていた。

 

「そう?だったら、天魔のグレーレの代行が出来るって、少しは証明できたかしらね?」

 

 レイラインは笑う。彼女の言葉の意味をグローリアは理解している。“天魔裁判”の折り、彼女の逆鱗に触れたことを流石にグローリアも忘れていない。その意趣返しというにはあまりにも派手な真似だが、しかし反論の余地もなかった。

 だから、せめて精一杯、グローリアは表情を皮肉にゆがめた。

 

「ええ、確かに、確認できましたよ。そんな悍ましい怪物のような有様になることで、貴方はグレーレの影に僅かに縋ることが出来るのだと」

「隊長っ!!」

 

 部下達が悲鳴のような声を叫ぶ。

 

 それは彼女に対する心配の声だ。今は、以前の裁判の時とは違う。

 

 脅されたとはいえ、グローリア達がウーガに対してとてつもない横暴を働いたのは紛れもない事実だ。ウーガが自分たちの管理下にある、などという大義名分はもう失われている。

 つまるところ、侵入者であり、捕虜となった自分たちの生殺与奪はレイラインが握りしめている。彼女には、自分たちを「ウーガの罪無き住民達の命を危険に晒した危険因子」として排除することが出来る。

 物理的にも、法的にも、何ら問題なく執行できる。

 

 現在、彼女がそうしないのは、単なる気まぐれか、慈悲なのだ。そして――

 

「――――へえ」

 

 不意に、グローリアの周囲の“穂先”が蠢いた。ぎゅるりと彼女身体を取り囲み、まるで大蛇のような巨大な力で、グローリアを引っ張り上げた。そしてレイラインの前に、彼女を引っ張り出す。

 

「私が、怪物に、見える?」

「誰が、どう見ても怪物でしょう……!」

 

 本当に、それはそうだ。この場に居る全員がそれには同意した。しかし、それが怪物の怒りを買ってしまえば、どうなるかわかったものでは無かった。

 レイラインは、グローリアをじっと見つめる。必死に抑えようとするが、それでもあまりにも恐ろしく、声を震わせるグローリアを観察し続けた。そして

 

「そう――――良かった」

「っきゃ!?」

 

 不意に、グローリアを投げ捨てた。落下した彼女は部下達にかばわれ、支えられたが、すでにレイラインはグローリアへの興味を失っていた。

 

「ようやく、少しはヒトを辞めることが出来たのね」

 

 彼女は空を見上げるように虚空へと視線を向ける。その視線はどこも結んではいなかった。ただ恍惚とした、妖艶な表情を浮かべ、そして祈るようにささやいた。

 

「嗚呼、白の魔女様。おばあちゃん。私はまた一歩、輝ける白へと近づきました……!」

「……………………」

 

 グローリアは、決めた。部下達もそうした。

 

 臓腑も冷え切るような恐怖によって、決断した。

 

 二度と、彼女の内なる信仰を汚す真似だけはすまい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰の英雄の凱旋⑧ 再会

 

 

「なん……なんだ……!」

 

 司令塔の窓から見える光景。無数の魔法陣によって完全に機能を失っているガルーダの姿を前に、ヘイルダーは戦いた。あまりに異様な光景だった。しかし間違いなく、ガルーダが墜ちた。ウーガの連中の仕業によって。

 

「ここは、この場所は、化け物達の巣窟か……!」

 

 ヘイルダーは思わずそんな感想を漏らした。すると、

 

「ありゃ?気づいていなかったんすか?」

 

 それを近づいて来た獣人の女が、ぱちくりと不思議そうに首をかしげた。隣に居る巨漢の男も頷く。

 

「アンタの言うとおり、ここは化け物の巣窟だよ。イスラリア大陸を見回してもトップクラスの魔境だ」

 

 半ば呆れたような、哀れむような眼で、巨漢の男はこちらに近づいてくる。すでに機械の鎧もボロボロになって、動作することすら困難になりつつあるヘイルダーに向かって、手斧を構えた。

 元々、戦闘の心得などないヘイルダーはびくりと身体を震わせる。

 

「金ほしさに、何も知らず、あのイカレ野郎に手を出したのが間違いだったな――――」

「――――はあ?」

 

 が、次の瞬間、がちりと、何かの歯車が回った。

 

「知らない?知らないだと?」

 

 巨漢の男が訝しんだ表情をする。だが、ヘイルダーの興奮と怒りは止まらなかった。激しい異音を奏でながらも、機械の鎧が再起動を果たす。

 

「知ってるに、決まってるだろう!!」

 

 彼は懐から、“予備”の魔導鎧を起動する。

 圧縮され、封印されていた魔導機械が更に膨れ上がる。彼の身体を更に何重にも大きく、肥大化させる。最早この天井に届くほどの高さまで膨れ上がらせた。

 

「おいおいおい……」

「ぜってえ、使い方違うっすよこれ……」

 

 指摘は正しい。

 予備の魔導鎧はあくまでも予備だ。機能不全になったり、紛失したときに使う言葉通りの予備品だ。間違っても、重ねて使うような代物では無い。

 事実、先ほどよりも魔導鎧の異音は激しさを増していく。至る所から火花が散る。胸の中央で明滅する魔導核が二つ並ぶが、光がぶつかりあって、異様な輝きは際限なく増していく。誰の目から見ても危険極まるのは明らかだ。

 

「ああ、そうか!!やっぱりウルはおかしいんだな!!当たり前だ!!そうに決まってる!!そうでなければならない!!!」

 

 しかし、ヘイルダーは全く気にしない。

 自分の命の危機など、心の底からどうでも良かった。すでに彼の頭の中からはエンヴィーの暴動の件すらも消し飛んでいる。彼の頭にあるのは、彼の最大の優先事項はたった一つだ。

 

「今度こそ!!!アイツを!!僕がぶっ倒すんだ!!!」

 

 かつて、幼い頃の彼の、最大の野望を叫んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 肥大化したヘイルダーを前に、ラビィンは心底呆れた声で呟いた。

 

「――――アイツ、馬鹿なんすかね?」

 

 その言葉に、ジャインは額を揉みながら唸る。

 

「間違いなく本物の馬鹿だよ……ラビィン、あのチカチカ光ってんの何だと思う」

 

 ヘイルダーの魔導鎧の中心で、二つの魔導核が激しい光を放ちながら明滅している。どう見たって、それは正常な動作では無かった。規則性も全くない。明らかな異常を雄弁に語るその姿を見て、ラビィンは淡々と言った。

 

「爆発するんじゃないっすかね」

「超、大馬鹿野郎に修正するわ馬鹿野郎……」

 

 【直感】持ちのラビィンが言うのであれば、それはもう確定だ。

 つまりどうにかしなければならない。ぶっちゃけ、勝手に爆発するだけなら、全員をここから逃げ出させて、一人で死んでもらえばいいだけの話なのだが、流石にそれをすると後々響く。いかに破滅寸前とはいえ、現在の中央工房のトップ、しかも死因は爆発四散である。

 

「本当に、勘弁しろ畜生!おい、全員階下に降りろ!!避難だ!」

 

 部下に指示をだしながら、ジャインはうめく。

 許可無く不法侵入し、器物を損壊し、挙げ句に自爆しようとしている。大した大罪都市エンヴィーの代表者である。死んでくれと思うが死なれても困る。

 この半年間、ウーガ内部は平和だった。

 シズクを中心としたゴダゴダは確かにあったが、ウーガの護衛という見地からすると本当に、平穏と言っても過言では無かった(といっても、ウーガへの侵入者は後を絶たなかったが、それでもマシな部類だった)。

 

 しかし、ウルが帰ってきた途端これである。どうなってんだアイツは。

 

「そんなにウルに会いたいのか?」

 

 そしててんやわんやの大騒動の最中、エシェルはヘイルダーの前に立った。

 

「ウル……!!!」

 

 エシェルを前にしても、すでにヘイルダーは彼女へと視線を向けない。血走った眼で、ぎょろぎょろと周囲を見渡す。ここに居ないはずの男を捜していた。

 エシェルはため息をつく。

 

「正直、本当にお前のことは嫌いだが、そこだけは同意見だ」

 

 そう言って、両手を重ねて、前に突き出す。

 

「だから、会わせてやる」

「――――あ?」

 

 彼女の周囲を漂っていた魔導書が光を放ち始める。

 

「ずっとずっと訓練していた最終手段だ。結局、間に合わなかったけど、ようやく使える」

 

 魔導書が廻る。強すぎる力を放とうとするエシェルを、なんとか抑え込むために。エシェル自身、自らの内側からこぼれそうになる“衝動”を抑え込もうと、表情をしかめた。

 そして、彼女の目の前に、巨大な鏡が出現する。

 

「【会鏡】」

 

 2メートル超はあるだろう黒紫色の美しい鏡は、ヘイルダーの眼前に姿を現した。しかし、その鏡は今のヘイルダーの恐ろしい姿を映したりはしなかった。その鏡に映っていたのは彼ではなく――

 

「――――へえ、マジでこんなことできるんだ。凄いなエシェル」

 

 遠く、プラウディアにいる筈のウルの姿だった。

 

「ウ」

 

 ヘイルダーは驚愕した。同時に、機械の鎧が放っていた光が激しさを増す。四方八方に伸びた手足の全てが、鏡に映る彼へと集中していた。鏡の中に居るウルは、不意に鏡面へと手を伸ばすと、指先から外へと這い出してくる。

 水面からゆっくりと身体を浮上させるように、鏡の向こう側からこちら側へと。

 そして、完全に竜吞ウーガへと身体を【転移】させたウルは周囲を見渡す。そして異形と化したヘイルダーをみて、一瞬顔をしかめ、ため息を吐き出した後、一言呟いた。

 

「で、()()()()?」

 

 ウルは()()を踏み抜いた。

 

「ウ、ルゥウゥゥウゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!」

 

 異形が動く。彼がギリギリで保っていた理性は消え去った。憎悪が脳の全てを支配し、穴という穴から液体を垂れ流してぐしゃぐしゃになった顔でウルへと、自身の鎧の凶器の全てを向けた。

 

「【揺蕩え】」

 

 そしてその全てが突然、在らぬ方角へとすっ飛んで、破壊された。

 

「え」

「冗談だよ」

 

 砕け散った鎧の残骸の雨の中、ウルが笑った。幼少期と変わらない、不敵な、憎たらしさの塊のような笑みだった。

 

「流石に印象深すぎて忘れてねえよ。久しぶりだなヘイル」

「ウ――」

「んじゃ、死ね」

 

 そして、間抜けを晒したヘイルダーの顎に、ウルの拳が叩き込まれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

良い日

 

 

 大罪都市エンヴィーで激しく巻き起こった子供戦争はある日突然終わりを迎えた。

 

 理由は単純で、中心となっていたウルの都市滞在期間が過ぎたからだ。

 

 彼と妹は都市を出た。ルールを平然と跨いで通るような男に思えて、彼は規則に対しては従順だった。ルールの隙を突く様なことはしても、正面から破って踏み荒らすような事はしなかった。

 

 酷く呆気なく、鮮烈な日々は終わった。

 

 そしてその翌日から、大罪都市エンヴィーは彼がくる前と何ら変わらない日々に戻った。表面上は栄華を謳いながら、薄皮一枚下で陰惨で生臭い、閉鎖的な社会が続いた。大人も子供も、まるであの日々が無かったかのように振る舞った。

 大人たちがそうするのは分かりやすかった。彼らにとってあの騒乱の日々は悪夢といって差し支えない。早いとこ忘れてしまいたい。元の日常に戻ろうと、何もなかったようにふるまうのは、大人たちの防衛本能だ。

 

 子供たちも同じようにしたが、それは大人達のソレとは少し意味合いが違った。

 

 勿論、嵐のような日々に恐怖した子供も居て、大人達と同じようにただそれを忘れるために無かったこととして振る舞っていた者も居た。しかし一方で、嵐のような日々を宝物のように思っている者も、いた。

 

 彼らにとって、諍いの日々はまぎれもない青春だった。大事に胸の奥にしまい込む奇妙な宝物に等しかった。

 汚すことは出来なかった。心の奥底にそっとしまい込んで、誰にも触れられまいとする心が、彼らを日常に戻した。

 

 エクスタインにとってもそれは同じだった。

 彼にとっても、あの嵐の日々は、鬱屈とした人生の中で唯一の輝きだった。

 

 やがて時間が過ぎた。

 

 エクスタインも年を重ねた。大人になった、というにはまだ若すぎたが、幼い日の幻想を冷めた目で見られるくらいの年にはなった。今もウル達と共にあった幼い頃の戦いは色鮮やかに思い出せる。だけど、成長した今は、その心地よさに水を差すような声が自分の内から湧き上がってくる。

 

 どれだけその過去が美しくても、エンヴィーを取り巻く世界は変わらなかった、と。

 

 大罪都市エンヴィーの彼の周りの世界は相も変わらず最悪だった。何一つ変わりはなかった。空気は淀み続け、腐敗していた。そしてその空気に、いつの間にか自分も染まっていた。父親と同じ、色褪せた目をするようになっていた。

 

 自分は特別じゃなかった。この世界は変わらない。

 

 そんな寂しい悟りを得ながら、彼は騎士団に入った。父親と同じ中央工房に入らなかったのはせめてもの抵抗だった。

 騎士団の中でも一番自由度が高い遊撃部隊に入って、それでもエンヴィーという国からの影響は大きくて、彼方此方にこき使われながら毎日を過ごしていた。若くして副長に出世したが、遊撃部隊を影響下に収めたいヘイルダーの意向であって自分の実力で無いことを彼は知っていた。自分の能力に見切りを付け、エンヴィーという社会に組み込まれて出られない自分を諦めた。

 

「――――、――」

「――――――――」

「――――、――――――」

 

 街の喧騒が五月蠅い。

 変わらぬ日常だ。それを悪いとも良いともエクスタインは思わない。本当に、ただただ興味が薄かった。何一つとして変わらぬ、その光景に感情が動くことはもう――

 

「なあ、聞いたかあの噂」

「噂って、まーた冒険者の話かよ。名無し達の話好きだねおまえも」

「いや、聞けよすっげえ冒険者が出たんだって!」

「前も言ってたじゃんおまえそれ」

「今回は違うんだって!すげえんだよ!ウルって冒険者がさあ――――っ!?」

 

 次の瞬間、エクスタインは友人達と楽しげに噂話をしている都市民達の前に立っていた。都市民達からすれば、突如、騎士が目の前に詰め寄ってくるのは恐怖だろう。しかしそんな彼らのおびえを無視するように、エクスタインは噂話に興じていた男に手を伸ばした。

 

「き、騎士さん、ど、どうしたんで!?」

「今、なんて?」

「ぐ、ちょ、ちょっと!?」

「ウルといった?」

 

 鍛えられた体で、思い切り掴んだものだから、都市民は痛みにもだえる。慌てて周りの友人達がエクスを揺するので、手を離した。しかし、エクスタインの目は未だに噂話好きの都市民に注がれ続けている。

 

「ウルが、なんだって?」

「……い、いや。だから、そのウルって冒険者が、最近、すげえって」

「すごい」

「そ、そうなんすよ。なんか、賞金首めっちゃ倒して、めっちゃ出世してる……って……」

 

 説明しているうちに、都市民達が顔を引きつらせ始める。得体の知れないものを見るような顔でエクスを見てくる。何事だろうと思っていると、自分の顔がゆがんでいることに気がついた。

 両目からはボタボタと涙がこぼれ、口はゆがみきり、笑みに変わって、痙攣している。あまりに不気味な有様に、都市民達はおびえ、背を向けて、逃げ出した。

 だが、エクスタインはもはや彼らの事なんてどうでもよかった。

 

 ウル。

 ウルが再び姿を現した。

 それも、かつてよりも遙かに鮮烈に目映く。

 

 エクスタインは震えて、哄笑した。周囲の民達がぎょっと驚き、距離を取り始めるが何一つ気にならない。

 

 間違いではなかった。

 あの輝かしい日々は、嘘ではなかったのだ。

 今なお彼は、黄金のごとく、まばゆいのだ。

 

 その事実に彼は震えて、泣きながら、笑った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 螺旋図書館、グレーレの工房にて。

 

「まあ、彼の名を再び聞いたのはこんな経緯でしたね。面白かったですか?グレーレ」

「それなりに、だなあ?だが、今はお前の方が面白いぞ?どうした優男」

 

 天魔のグレーレは自身の部下にして協力者であるエクスタインを眺めながら、嗤う。転移の術でグレーレの下へと逃げ込んできた彼の格好はなかなかに悲惨だ。ボコボコに殴られた跡と、潰れた鼻。ついでに、阿呆のような厚化粧で顔が落書きされている。

 凜々しい騎士様として評判の面構えが全くの台無しである。エクスタインは肩をすくめる。

 

「主にアカネから罰を。殺されないだけ、温情も温情ですがね」

「カハハ!殺されても良いと思ってる狂信者を殺しても罰にはなるまい?話を聞く限り、その妹御は学がないだけで賢いのだろう?」

「ええ、僕よりもよっぽど」

 

 ウルの代わりに殴ったのも、そこら辺を見越してだろう。

 本当に、賢い少女だった。彼女のそういう所はエクスタインも好いている。そう考えると彼女からの罰も、エクスタインには罰にならないのだが、流石にそれは言わないでおいた。

 

「それで、僕の動機の続きでしたか?説明します?」

「いや、結構。大体理解した――――お前は根っからの狂信者だ」

 

 グレーレは目の前のグラスを煽る。アルコールでは無く、ただの水だ。彼は味のついた飲み物が嫌いだった。そのまま彼は楽しそうにこちらを見つめる。

 

「最初は、お前がウルを贄に、故郷を焼き払う事を目的にしたのだと思っていたがな」

「まさか」

 

 グレーレの言葉に、エクスタインは笑う。まさしく冗談のような話だった。

 

「確かに、僕にとってエンヴィーは彼との一時以外、ろくな思い出の無い場所です。が、全てに絶望的になるほどじゃなかった。僕は能力に恵まれていた」

 

 いくらエクスタインの環境が鬱屈としていたとはいえ、それで国全体を恨み呪い、破滅を願う程、彼は自暴自棄になってはいなかった。

 幸いにして、彼自身は容姿に恵まれ、ついで能力もある程度優秀だった。歪なツテがあったとはいえ、それでも騎士団の一部隊の副官を務め続ける事ができる位には、彼には能力があった。

 

 絶望し、心折れるには、彼は恵まれていた。

 

「何もかも見えなくなって、全てを巻き込んで破滅するほどではなかったですよ――――ただ」

「ただ?」

 

 エクスタインは感情の無い声で、小さく呟いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いた瞬間、グレーレは破顔した。

 

「カハハハハハハ!度しがたいな!!邪教徒でもなかなかみないわ!ここまで振り切れているのは!」

 

 そう、ウルに害をなそうという動きがあるのなら話は別だ。

 

 ウーガという前代未聞の移動要塞を手にしたウルという冒険者。巨大な利益を生むウーガを得る上で邪魔者となる彼を排除しようという動きが中央工房にあると察知するや否や、エクスタインは密やかに行動を開始した。

 彼にとって、生ぬるい地獄を与えるエンヴィーと、ウルとで、どちらを優先するかなど、天秤にかけるのも馬鹿馬鹿しいほどに自明だった。

 

 エクスタインは一切の躊躇無く、自分の故郷を火にくべた。

 

「そのきっかけの為に、あの哀れなる英雄が活躍できる地獄に突き落としたと?流石に、黒炎を払うと確信するのは盲信が過ぎないか?」

「払ったでしょう?」

「確かに!冗談のような話だ!!」

「最も、彼が出られなかったとしても、エンヴィーと中央工房は壊しましたがね」

 

 火をつけるのは、酷く容易だった。中央工房の酷い勘違いを利用すれば。

 

「現在は疎か、この先500年魔術を研究したとて、魔術が精霊に追いつくことはない。貴方の言葉を真摯に受け止められる者が少なかった」

「偉大にして愚かな創造主に追いつくのは厄介だ――――お前以外にそれを説明しても理解を拒んだがな」

「僕には都合良かったですが」

 

 グレーレの力によって、エンヴィー中央工房は飛躍した。

 結果、工房のみならず、都市民たち全体が浮き足だった。精霊の力から脱却する時は近いのではないかと。しかし、その未来はそこまで近くはない。誰であろう、グレーレ本人が、精霊の力とそれに依存するシステムの脱却にはほど遠いと見抜いていたし、公言すらしていた。

 

 その言葉を見て見ぬふりした時点で、中央工房の破綻は必然だった。

 

 エクスタインの所業は、それを早めたに過ぎない。

 

「これで中央工房の権威は失墜。責任の所在をぶつけるためにぐだぐだの大喧嘩、まあ、鎮火したところで、二度とウーガに手は出せないだろうな。気が済んだか?」

「安心しましたよ。とはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「意図しなかったとはいえ、自分が膨れ上がらせたものを自分で崩すというのはなかなか面白かったな!グローリアには貧乏くじを引かせたのは悪かったがな!」

「悪いと思ってないでしょうに……まあ、彼女も嫌だとは思ってはいないでしょうが。貴方の指示なら」

 

 今回の一件、国中に火をつけて、中央工房を失墜させるという所業は、何もエクスタイン単独で行ったのでは無い。協力者がいた。

 目の前の男、天魔のグレーレ。中央工房が肥大化した最大の原因である男だ。

 

「貴方なら、もっと直接的に中央工房を壊せそうなものですけどね」

「いかんぞ?そんな事をすれば、いくら勝手気ままな俺の所業といったところで、七天という権威の失墜はまぬがれん。自滅してもらわねばならんのだ」

「厄介ですね、この世界は」

「そう出来ている。だが、これで、エンヴィーの支配は統一された上で弱体化した。プラウディアの意向は素通りだろう」

 

 これで、大罪迷宮エンヴィーを自分がため込んだ膨大なリソースを消費してでも攻略するという意向も通るだろう。と、グレーレは笑った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()。神殿は喜ぶでしょうね?しかし貴方は良いのですか?」

「何がだ?」

「神殿に対して弱みを見せることになりますよ?方々から後ろ指指されるでしょうし」

 

 そういうと、「なんだくだらん」と、グレーレは鼻で笑った。

 

「勘違いしているようだが、()()()殿()()()()()()()()()()()()()

 

 無論、自分の欲望のためだがな?

 と、精霊信仰をコケにする言動を繰り返し、あらゆる神殿の神官から嫌われているグレーレは、真顔でそういった。

 

「俺より、お前の方は良いのか?俺の研究成果を使うだけとはいえ、下手しなくとも死ぬ修羅場だぞ?」

「彼を地獄に突き落としたのに、我が身かわいさで尻込みするなんて、許されないでしょう?」

「カハハ!!無用な心配だったな狂信者!!ではゆくか!」

 

 グレーレが指を鳴らす。部屋が輝きを放ち始める。転移の術式だ。エクスタインは光に身を委ねながらも、遠くの友を思った。

 

「じゃあね。ウル、アカネ。()()()()()()また会おう――――うん、また会えそうだね?」

 

 次の瞬間、部屋の主と従者は姿を消した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「こいつ死んだ?死んだっすか?」

「いや生きてるよ……なんでこいつあんな狂乱してたのに爽やかな顔になってんだ?」

「知りませんよ。それより息の根を止めときませんか?二度とエシェル様の害になれぬよう」

「落ち着け狂信者」

 

 司令室はドタバタとしていた。完全に気を失い倒れたヘイルダーを保護、拘束して一件落着とはいかない。外で鎮座するガルーダ含めて、エンヴィーと連絡を取り、対応すべく、ジャイン達やカルカラは忙しなく動いていた。

 

 そして、それを尻目に、竜吞ウーガ、司令塔 バルコニーにて。

 

「……で、帰ってきたわけだが……」

 

 ウルは、ウーガで最も高い建造物である司令塔の上から眺められる景観を一望していた。約半年ぶりともなる景観で有り、一応カタチとしては現在のウルの拠点としている都市の景色である。

 感慨深く思ってしかるべき光景である筈なのだが、彼の表情は優れない。というのも

 

「エシェル。エシェルさん。重いんだが」

「…………う゛ー……」

「やべえな何言ってるのかわかんねえ」

 

 エシェルが抱きついてきて離れない。

 女性に抱きつかれて嫌な気分になるのも無礼な話だが、彼女の抱きつき方は女性のそれでは無い。瞬発力と行動力がありあまった幼児のそれである。両腕両足を使って全力でウルをホールドしている。色気もへったくれも無い。

 

「ずっと貴方のこと心配してたのよ。しかもアレに襲われた直後。感情が整理しきれないんでしょ」

 

 と、そう補足するのはリーネだ。彼女ともまともに顔を合わすのは半年ぶりだ。

 が、しかし、彼女の様子も少し、というか大分おかしい。具体的に言うと、バルコニーのベンチの上で、彼女はぶっ倒れている。

 

「リーネは何してんだよ」

「ちょっと、自分で実験したら、魔力枯渇しただけよ」

「さいで」

「ああ、でも悪くなかったわ。後もう少し、継続時間を向上できれば、ふ、ふふ、フハハハハハハハ」

「こっわ」

 

 顔色真っ青でぶっ倒れたまま、高笑いする女の姿は普通に怖かった。

 

「で、エシェルさんはどうにかならんのか」

「貴方がここに寄らずプラウディアに直行したって聞いたとき大荒れしたんだから、少しくらい我慢しなさいな」

「う゛-!!!」

「そうだそうだって言ってるわね」

「いつの間に翻訳技術を……?」

 

 驚愕しながらも、なんとか彼女を少しだけ引き剥がして、よっこらしょと寝転がるリーネの隣に座り込み、息をつく。僅かな風が吹いて、ウルの頬を撫でた。黒炎砂漠の乾いた風でも無く、プラウディアの人々の熱気の混じったものとも違う。

 ウーガの防壁の内側で、風の精霊が巡るようにして吹かせる、特有の風だった。そこに懐かしさを覚えた。

 

「で、懐かしい我が家への帰還。想うところでもあるのかしら?」

「ぶっちゃけ牢獄入れられてからの日々の方が長くてあっちにも愛着できちまってだな」

「う゛-!!!!」

「う゛ーですって」

「翻訳機能が死んでる」

 

 ウルは呆れながら、ボタボタ涙を流すエシェルの頭をなでる。

 

「大変だったんだな。悪かった」

「……でんでん…………だいへんじゃ、ながっだあ!!」

「そうおっしゃってますが、翻訳係殿」

「あなたの方が大変だったのに、大変だったって言いたくないんですって」

「愛いやつだこと」

 

 ウルはぐしゃぐしゃとエシェルの頭をなでた。

 バルコニーの柵にもたれて空を見上げる。良い天気だった。本当に、死ぬほど慌ただしい一日だったが、しかしこれを告げるには良い日だとウルは納得した。

 

「二人ともただいま」

 

 その言葉に、仲間達は笑顔で返した。




次話より少々番外章開始します!ウーガ入手直後の時系列です!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝編 ある日の彼ら彼女らの日常または非日常 [時系列ウーガ編直後]
バベルの塔の日常 スーアの髪形を巡る珍騒動


 

 偉大なりし天賢王のおわす場所、【大罪都市プラウディア】

 

 太陽に最も近い場所、【バベルの塔】

 

 迷宮が至る所に張り巡らされ、魔が跋扈するこの時代において、太陽の結界の要であり世界を文字通り支える偉大なる塔。その中では神官や従者達が日々、業務に勤しんでいる。

 神官の業務の実態を知らない都市民達の中には「ひたすらに精霊に祈りを捧ぐだけの楽な仕事」「精霊達のご機嫌伺い」などと揶揄する者もいるが、当然そんなことはない。

 

 精霊の力も各分野にわかれるが故に、管理部門は多く分かれている。

 それぞれの力と、使い手の管理。その派遣、成果の確認。市井の精霊に対する信仰の度合いの確認、邪霊信仰への対処、太陽の結界の状態確認などなど、精霊に関わることだけでもこれだけあるし、まだまだ存在している。それらを管理するのは重労働だ。

 

 その業務に努める神官や従者達は日々、忙しなく業務に従事している。

 無論、重労働だ。故にだろうか、心身に癒やしを求める者も少なくはない。

 

 水の精霊の加護による癒やしの力を求める者もいる。

 あるいは、貴重な休暇に街に出て、新作の菓子を求めてさまよう者もいる。

 あるいは――――

 

「ああ、今日のスーア様はポニーテールですね」

「水の系譜の皆様の仕事でしょうか。りりしいですな」

「おや、今日はツインテール」

「気まぐれな風の系譜の精霊様でしょうか――――レアですな。ありがたや」

「前日、確定演出がありましたからな」

「確定演出」

「スーア様の髪が不定期にチカチカと光り始めるのです」

「覚えておきましょう。しかし記録水晶に残せませんかね」

「おやめなさい。不敬ですよ」

「おっと……確かに配慮が足りませんでした」

「絵画にしておきましょう」

「絵画」

 

 天賢王の長子、スーア・シンラ・プロミネンスの姿を観察する事に求める者もいる。

 

 あらゆる精霊の管理を担う【天祈のスーア】は、その特性故にあらゆる精霊との交信を行っている。視界を塞ぎ、情報を絞らなければならないほどの無数の精霊達が、スーアを取り巻いていた。

 

 そして、その精霊達の中には、スーアの髪型で遊ぶ者が何体か存在している。

 

 スーアは割とものぐさだ。

 普段から常に精霊達と交信を続けているからだろうか。常人と大きく感性が異なる。そのためか、自分の格好に頓着がない。前など寝起き、寝間着のまま外に出てきて神官達や従者達に慌てて止められた事もある。

 それ以来、自分の身支度を、その日気の向いた精霊様達にやってもらうようになった。故に、スーアの格好は精霊の気分次第で変わる。髪型も同様だ。

 

 スーアの髪型は日々変わる。魔力で髪の毛を長く伸びているように見せることだってできるらしい。本当に多様な髪型のスーアが日々確認できる。いつからか、その日の髪型で運勢が決まる、なんていう冗談みたいな噂話がバベルで生まれた。

 

 従者や神官達は日々、スーアの髪型を観察しては、喜んだり、祈ったりしている。

 

 やや不敬といえなくもないが、しかし日々多忙を極める彼らを思えば、そういった密やかな楽しみを奪うのも憚れるとして、その風習は神殿内の秩序を重んじる【天剣】も見逃していた。

 そんなわけで、これといって誰かが被害を被るわけでもない、バベルの塔の中だけに存在する密やかで平和な楽しみだった訳なのだが――――

 

「――――おはようございます」

 

 その日は、そんなことを言っている場合でもなくなってしまった。

 

「…………おお…………本日は、お日柄も、よく」

 

 従者達や神官は、【祈祷の場】に姿を現したスーアにいつも通り一礼をしようとして、少し固まった。

 彼らの視線はスーアの、頭に向かって集中している。彼らの視線に気づかぬスーアはそのまま神殿へと向かっていったが、全員、スーアの後ろ姿に視線を集中させていた。

 その理由は

 

「……高い」

「まるで、バベルの塔のように高いですな……」

 

 スーアの髪型が、まるで山のように高く盛り上がっていた。

 髪型を盛り上げるという技術は確かに存在しているし、都市民達の女性や、あるいはスーア自身も時折、そういった髪型で出てくることはあるにはあった。が、しかし、限度というものがある。

 あまりにも盛りすぎていた。だって、スーアの頭身を明らかに超えている。

 

 全員、絶句するしかない。日々スーアの髪型を観察する“同好会”の面々すらも、言葉を失うしかなかった。

 

「あの髪型、間違いない……!」

 

 が、その中でも一人、先代の天祈の時から務めている老いた神官が、震える声で叫んだ。周囲の従者達は驚愕し、振り返る。

 

「知っておられるのですか、神官殿!?」

「うむ、アレは間違いない。【美の精霊フローディア】様の仕事じゃ!!」

「美……!いえ、確かに美しい、美しいのですが…………」

 

 美しい。確かに美しい。スーアのつややかで美しい白い髪が、見事に結われている。周囲の煌びやかさを主張しつつも、決してスーア自身の端正な顔立ちに影を落とすようなまねをしないのは、匠の技の一言に尽きるだろう。

 

 尽きる。の、だが 

 

「派手すぎ……!いえ、スーア様を否定する意図はないのですがしかし」

 

 髪型が、あまりにも派手すぎた。

 何せ、すれ違った神官達、従者達は否応なく視線が釘付けになる。目を見開いて絶句して、言葉を失っている。その美しさを飲み込むのには数秒か数十秒かの時間が必要だったし、飲み込んだ後も否応なく視線がそちらに誘導される。

 

 これでは仕事にならない。

 

「フローディア様は凝り性でな、場合によっては一週間はあの髪型のままじゃ」

 

 しかも絶望的な情報がもたらされた。

 

「……三日後に、都市民を集めた神殿の教えを説く演説会があります」

「あの髪型で出られるのですか……」

 

 これはいけない。どれだけスーアが素晴らしい演説をしても絶対に髪型しか印象に残らなくなってしまう。なんとかしなければならないが、スーアにそれを指摘するのはややためらわれた。

 決して、下々の進言を無碍にするようなヒトではないのだが――――

 

「今日は、面白い髪型になりました」

 

 今の髪型を、スーアがちょっと気に入ってしまっている。無表情だがうれしそうだ。

 これを指摘するのはためらわれた。誰か、誰でもいいからさりげなくそれを口にできる者がいれば――――

 

「――スーア」

 

 そんなことを思っていると、まるで彼らの祈りが通じたかのように、偉大なる天賢王にしてスーアの父であるアルノルド・シンラ・プロミネンスが姿を見せた。彼はスーアのそばに近づく。

 

「父上」

「その髪型は――――」

 

 王!

 

 と、その場にいる全員の期待が、彼に無言のまま向けられた。

 

「よく似合っているな」

「それはよかったです」

 

 ――終わった。

 

 そのまま絶望が場を支配した。王が気に入ってしまったらもうダメである。

 

「ですが、派手すぎて、都市民達の前で演説をするには向かないでしょうね」

 

 そして、二人の会話に対して、王の従者ファリーナは静かに指摘した。

 王とスーアはファリーナの言葉に首をかしげ、

 

「そうか」

「そうですか」

 

 頷いた。スーアは虚空に視線を向けると、チカチカとしたいくつかの光が、スーアの髪を解き始める。

 

「少し加減してもらいましょう」

「その方がよいだろう」

「ファリーナは賢いですね」

「全くだ」

「恐れ入ります」

 

 そう言って、3人はいつも通りの仕事に戻っていった。

 残された神官と従者達は、一切反応を表に出さないまま、大きく安堵のため息をついた。そして、王に仕える従者ファリーナへの強い尊敬を覚えたのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 こうして、三日後の演説会まで、スーアの髪型は落ち着きを取り戻すこととなった(それでもやや派手だったが)

 しかし当日、皆の前に姿を現したスーアの格好が、スーアの身の丈を倍にするほどにとてつもなく派手な衣服を精霊に用意された事で従者と神官達の心中が阿鼻叫喚となってしまったのはまた別の話である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの日常 好物と花

 

「ウーガってなにが好きなのかなあ」

 

 ある日のこと

 片付ける仕事を終わらせたエシェルがぽつりとつぶやいた。

 

「どうしたのよ。エシェル」

 

 その隣で、いつも通り白王陣の研究に勤しんでいたリーネは、友人の突然のつぶやきに視線を向けずに訪ねた。

 

「いや、なんていうか、その。いつも何気なく乗せてもらってるけど、ウーガって生き物なんだろう?好みとか、あるかもしれないじゃないか」

 

 竜吞ウーガ。

 カーラーレイ一族によって生み出された前代未聞の巨大使い魔。そのあまりのスケールの大きさに思わず忘れがちになるが、一応、ウーガは使い魔のカテゴリになる。近くで見ると山のようにしか見えないが、離れてみれば、それは巨大な大亀の形に似ている。目も鼻も口も足もある。

 ならば、何か好みでもあるのでは?というエシェルの思考はそこまで突飛でもない。

 だが、

 

「ウーガに意思なんてほとんどないわよ」

 

 その問いに、リーネは素っ気なく答えた。

 

「そうなの?」

「だって、考えてもみなさい。ウーガがもっと生物的な意思があったらどうなる?」

「どうって」

「おなかすいたなーとか、眠いなーとか、そんな風に思った瞬間、勝手に動き出されたら、とてもじゃないけど使い魔として使い物にならないでしょ?」

「それは、そうか……」

 

 使い魔とは、魔術師が扱うための生物の形をした道具だ。

 勝手気ままに動いて、野生を謳歌するような使い魔は道具として欠陥だ。とてもではないが使い物にならない。

 

「だから、作成時は使い魔の自我はかなり押さえ込まれるのが基本。好みなんて発露する事すらほとんど無いわよ」

「ロックは?」

「アレを基準に考えないで。あんなもん例外も例外よ。ウーガすら目じゃないわよ……というか、突然どうしたの」

 

 逆に問われると、エシェルはむぅ、と口をとがらせる。

 

「いつも、頑張ってくれてるから、お礼とかしたいかなあって」

 

 道具に対して何を言ってるんだか。

 とは、さすがにリーネも言わなかった。そういった心働きは理解できる。どうあれ、生き物の形をしているのだ。どれだけ熟練の魔術師だって、道具である自分の使い魔に対して愛着を持ってしまう者はいるものだ。自分の実家もそうだった。名前をつけてしまったりもするものだ。

 そもそも、生物でもない無機物にだって、愛着を覚えたりするのだから、自分たちの生活を文字通り支えてくれるウーガに思い入れが強くなるのは自然だ。

 

「ウーガで暮らしてる皆も、やっぱりウーガのこと、好きになってるみたいで……」

「なるほど…………とはいえ、好きなもの、ねえ」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その日、ウーガの進路は定めたルートからわずかに外れた。

 元々、人類の生存圏外の旅路は想定外の連続だ。今まで使用していた航路が崩壊していたり、あるいは新たなるルートが自然と生まれたりもする。そのため、移動ルートの期日は大きく余裕をもっておくのは当然で、期日にさえ間に合うなら、ある程度の自由は許されている。

 

 こうして、ウーガが進んだ先にあるのは、エンヴィー領に存在する火山地帯だ。

 

 エンヴィー領は大罪迷宮エンヴィーの影響で地形が不安定だ。不意に地の底から火が噴き出すような異変が起こる。その変動が頻発する、通常であれば名無しの旅人も商人達も通らないようなルートをウーガは進んでいた。ウーガであれば、その危険地帯も問題なく進めた。そしてその先にあったのは――

 

「あれって」

「【溶王岩】火の魔力が凝縮した石」

 

 火山からこぼれ落ちたと思われる、火を噴き出す石だった。一応魔石の一種であるのだが、当然、これを人類が有効利用するには厄介すぎた。しかし、ウーガであれば、取り込むことはできる。

 

「……あれが好物?」

「ま、味覚はないはずだけどね。ただ、心地よいとは感じるんじゃない?」

 

 ウーガの構造について誰よりも詳しいリーネはそういった。

 ウーガは周囲の環境に合わせて、体温を調整する。自分自身の身を守ると同時に、背中に住まう生物たちを守るためだ。そしてそれには魔力を消費する。エネルギーを使うのだ。

 裏を返すと、ウーガという生物は温度を維持するためのエネルギーを常に求めていると言うことでもある。そのためのエネルギー源は、身体が求めているはずだ。

 

「そのためにこんな暑い場所にきちゃったら本末転倒かもしれないけど――っと」

 

 司令室の中で、ウーガの様子を見ていたリーネは、水晶の中でウーガが目の前の火を噴く石を喰らい始めるのを目撃した。エシェルが制御術式を使い、ウーガに食べさせている。

 そして、そのままむむむ、と目をつむり集中し始める。

 使い魔として、繋がりのあるエシェルにはなんとなく、ウーガの状況は伝達される。疲労や、体調の善し悪しも、ある程度はわかるのだ。そして今のウーガはというと

 

「なんというか、ふ、ふわーっと、気分がよい?」

「探すの苦労した割りに、雑ね」

 

 とはいえ、悪い方向ではないらしい。

 結局その日は、ウーガが目の前の火の海をペロリと平らげるまで待機する事となった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして次の日

 

 変化は訪れた。

 

「花だ……」

 

 ウーガの居住エリアに、たくさんの花が咲いていたのだ。美しい白い花が、わずかな隙を見つけて咲き誇っていた。奇妙なもので、ジャイン宅をはじめとする小規模の農園エリアには咲かず、公園や、わずかな路面の隙間に狙いを定めるようにして花は咲いていた。

 

 住民達はその光景に驚き、そして感嘆の声をあげる。

 もとより、ウーガはこの世のものとは思えないような場所だ。名無しにとって楽園に等しいような安全地帯であるのは確かだった。しかし、本当にこの光景は楽園のようだった。

 

「あら、これ、【白蝶花】じゃない」

 

 そして、その花を一つ摘んだリーネは、住民達の感嘆とは別に、感心したような声をあげた。

 

「珍しいのか?」

「そこまでは。ただ、咲く地域が限られていて、回復薬の原料にもなるから、結構需要があるのよ」

 

 要は、薬効のある花なのだ。様々な用途で使われる便利な植物だ。そのまま摘んで、お茶として煎じても喜ばれる(やや高価だが)

 

「咲いている時間はそんなに長くないから、摘むだけ摘むのが吉ね」

「でも何で急に……」

 

 エシェルは首をかしげる。

 これまで、ウーガを運用してきたが、このような現象が起こったことは今まで一度もなかった。もちろんウーガはまだまだ未知の部分が多い。元々そういう性質を有していたというなら、その可能性ももちろんあるのだが――――

 

「お礼なんじゃない?」

 

 だが、そんなエシェルの疑問に、リーネは小さく笑った。

 お礼。昨日の火の石を食べさせてくれたお礼。前後の状況を考えると、しっくりこないでもない…………が、

 

「ちょっと、都合良く考えすぎなんじゃ……?」

「いいんじゃない?それで」

 

 使い魔は、ヒトの都合で生み出されるものだ。自分たちのエゴで作り出されたもの。だったら、エゴの通り、都合良く考えたって、罰は当たるまい。

 

「そっかあ……うん、そうだな」

 

 エシェルもまた、小さく笑って、目の前に広がる美しい花畑の光景を、眺め続けた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後日。

 

「……なあ、リーネ」

「なによ」

「咲いてるな」

「咲いてるわね」

 

 二人は、ウーガの外壁上部からウーガの頭頂部を眺めていた。

 二人の視線の先には、ウーガの頭がある。小高い山のようにすらみえるその頭は、いつもなら体毛も一つもない、ごつごつとした部分が見えるだけなのだが――――その日は少し、否、大分様子が違った。

 

 具体的には、花が咲いていた。

 それも、凄まじく巨大な、紫色の美しい花が。

 

「…………あれ、なに?あれも【白蝶花】?」

「正確には、その亜種ね」

「……珍しいのか?」

「超、激レアね。何せ神薬の原料にもなるような、極めて珍しい花よ。小さな花一つで、金貨に代わるわ」

「……ヘェースッゴーイ……」

「だから、ひとたびアレがたくさん咲いている花畑があると分かったら、その場所は密猟者たちの戦場になったりするわね。何せ金貨がみっしり咲いてるようなものだもの」

「…………」

「…………」

「……マズクナイ?」

「白の蟒蛇にいますぐ連絡しましょうか。ぜっっっったいトラブルが起こるわよ」

 

 ウーガの頭頂部に神薬の貴重な原料となる【紫蝶花】の超巨大版がでかでかと咲き誇った結果、それを狙った密猟者達との激闘を演じる羽目になるのだが、これはまた別のお話。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの日常② チキチキ★白王陣クイズ

 

 

 【竜吞ウーガ】にて

 

 ある日、ウルとリーネが事務業務に従事していた時のこと。

 

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

 

 カリカリカリカリと机に向き合い続ける。文字を書いているのはリーネであり、文字が汚いウルはもっぱら印鑑を押し続けていた。現在、グラドルに出向しているエシェルに代わって、ウルとリーネが作業を続けていた。

 続けていたのだが、長時間ひたすら同じ作業を繰り返していたためか、空気が濁っていた。二人の目も濁っていた。

 

 そして、そのうち、不意にリーネが顔を上げた。

 

「――――――」

「……リーネ?どした」

「白王陣クイーズ!!」

 

 そして、彼女は壊れた。

 

「……突然どうした?頭おかしくなったか?」

「フッフーと言いなさい」

「なんて?」

「言いなさい」

「疲れてんのか?マジで大丈夫か?ちょっと休むか?」

「言いなさい」

「………………」

「………………」

「………………」

「白王陣クイーズ!!」

「ふっふー」

 

 言った。

 

「さあ、本日も始まりました、白王陣の知識を高めるために行われるクイズ大会。参加者は【歩ム者】ギルド長ウル選手です」

「いつの間にか参加者になってる。怖い」

「さあ、第一問」

「ゴリゴリ話が進む」

「三代目白王陣の当主はケイグレイ・ヌウ・レイラインでーすーがー」

「まてや」

「なによ」

「「でーすーが」って前提語るな。前提を知らんぞ俺は」

「知らない?」

「知らねえよ」

「本当に?」

「知らんて………………いや、確かにケイグレイっておっさんの名前は知ってるけど」

「5代目は?」

「確かルーラウだろ」

「2代目」

「ゲイナー」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「でーすーがー」

「いつの間に俺はレイライン一族の知識をすり込まれていた……?」

「寝てる間に耳元でささやき続けていた甲斐があったわね」

「犯罪」

「安心なさい、エシェルにも同じ事をしているから」

「安心できる要素どこだ」

「義務教育よ」

「悪質な洗脳だ」

「さて、改めて第一問」

「聞かねえぞ。仕事しろ」

「三代目白王陣の当主ケイグレイには愛人がいました。どんな種族だったでしょうか?」

「だから仕事しろって」

「1,粘魔。2,竜。3,邪教徒。4,人形」

「…………ちょっと気になる問題をお出しするのやめろ!」

「制限時間10秒」

「ちょっと待てよ。え?マジでその中に答えあるの?」

「残り5秒」

「………いやしかし、神官が……んん……」

「さあ答えをどうぞ」

「………………3番?」

「ぶー、正解は4番でしたー」

「無機物……!」

「いくらレイラインが一番低い地位でも、魔物や竜、邪教徒に与するわけないでしょ」

「結果、自分の祖先が無機物を愛人にしていた事実をさらしたんだが大丈夫か???」

「白王陣を活用した、高度な人形だったらしいわ。死んだ恋人を再現したんですって」

「それ、俺が聞いていい話か?」

「本妻にバレて、最後は人形と嫁が力を合わせてケイグレイをボコボコにしたんですって」

「俺は今何を聞かせられてんの?」

「100年近く動いていた人形は、最後、奥さんとケイグレイと同じ、レイライン一族の墓標に納められたんですって」

「これはいい話なの?」

「その後、人形の秘密を探ろうとした墓荒らしとの激闘開始」

「急に雲行きが怪しくなった」

「最終的に墓荒らし達の拠点を当時のレイライン一族の合作白王陣で消し炭にしたわ」

「やべえ話だった」

「めでたしめでたし」

「全部いい話になる魔法の言葉じゃねえぞ。めでたしめでたし」

「ウル選手、残念ながら一問目で敗退です。次回は頑張ってほしいものですね」

「次はねえ」

「それではまた会いましょう。さようならー」

「さようならー」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「…………仕事すっか」

「そうね」

 

 二人は仕事に戻った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神官見習いたちの日常

 

 

 

 神官見習達の朝は早い。

 

「さっさと起きなさい無駄飯食らいども!」

 

 今日も今日とて、鬼教官であるカルカラの指導の下、ひいひいと悲鳴の声をあげながら神官見習達は起床する。カルカラ教官が彼らを鍛え始めてからそれなりの月日が経過したはずなのだが、未だに彼らが慣れる様子はなかった。

 元々は、大罪都市グラドルの中でもとびっきりの落伍者達だ。骨の髄まで自堕落が染みついた彼らの性根は一朝一夕では直らない。今でも時折サボろうと画策する者まで出てくるのだから筋金入りだ。

 

 しかし、そんな彼らの中でも、元気よくカルカラに従う者もいた。

 

「みんな、一緒に頑張りましょう」

 

 風の少女。

 不義の子、名前を奪われ、捨てられた哀れなる少女。

 おそらくグラドルで捨てられた神官見習いの中でも、最も悲惨な境遇の彼女は、しかし彼らの中でも最も元気だった。情けない声でうめく大人達を引っ張るようにして、彼女は今日もカルカラの指導について行く。

 カルカラも、彼女に対してはそれほどにスパルタな行いはすることはしないのだが、彼女自身が望んで精霊の操り方を学んでいた。

 

 四原の大精霊を操る彼女は、神官としても極めて優秀だ。

 

 【風の精霊フィーネリアン】から力を授かった彼女は様々な力を使える。

 自在に空を飛ぶこともできる。風の力を使って空気を浄化する。風を刃のようにして飛ばして、遠距離の物質を切り裂くことも、風で圧を作り、周囲を制圧することもできる。

 

 つまり、風にまつわることであるなら、彼女はほとんど何でもできる。

 

 これで、まだ加護を授かってから間もなくだというのだから驚きだった。紛れもない天賦の才能を持つ彼女は、それでも驕ることもせず、ほかの同僚達――――というにはいささか年が離れていたが――――を励ましていた。

 

「もう少し……ゆっくりいこう風の娘よ……」

「あの子は本当に元気だ……俺はまだ眠いよ」

「んもお……しょうがない」

 

 神官見習達は不真面目でサボり魔だ。しかし、彼ら彼女らは風の少女に対しては一定の親愛を感じていた。相手が子供であるから、とか、そういうわけではない。

 

「アノータさん。頑張りましたね。風、必要ですか?」

「あ、ああ、…………ありがとう、風の娘」

「コラノルさん、最近少し、勇ましくなられましたね。筋肉がついてきましたか?」

「そ、そ、そうなんだ…………!!最近、ちょっと、身体が、丈夫になってきて」

 

 彼女は、家族からも忌み嫌われていた神官見習い達を、決して落伍者を見るような目では見なかった。一人一人に声をかけて、励ましていった。

 

 誰から見ても、神官見習い達は落伍者だ。

 

 嘘をつく。不平不満を言う。誰に対しても悪態をつくし、傲慢だ。特権階級の立場すら失った彼らは、どれだけ精霊の力を手に入れたとしても、厄介者だった。彼ら自身も、それを自覚していたことだろう。それが余計に、彼らの心をこじらせていた。どうしたって、彼らは心を卑屈にさせていった。

 

 だからこそ、彼女の純粋なコミュニケーションは、彼らの心に染み入ったのかもしれない。彼女をきっかけにして、全員が徐々に徐々に、心をほどいていった。

 

 カルカラもまた、風の少女の振る舞いについては一切止めることはしなかった。

 

 カルカラはエシェルの狂信者だが、彼女のためにとがむしゃらに神官見習達をいたぶることをよしとしているわけではない。飴も与えなければ壊れてしまう。さすがにそれはわきまえている(最初は思い切り荒療治を行ったが)

 それを彼女が担ってくれるのはまさに渡りに船だった。

 

「風の子ちゃん……」

「はい、シャルガさん」

「私、私……どうしよう……」

「はい」

「手紙、送ったのに、精霊様の加護が使えるようになったって……」

「はい」

「家族みんな、全然……返事……」

「大丈夫です。あなたが頑張ってるって、私たち、知ってます」

 

 遙かに年下の自分に泣きつく者がいても、風の少女は受け止めた。こうして、少しずつ、少しずつ、彼らを立ち上がらせていった。

 

 いびつではあった。

 

 真っ当に生きてきた者達からすれば、子供に大人がすがりつくなんて、と、眉をひそめるような光景かもしれない。

 それでも、はぐれ者達のあつまりのウーガに、彼らのいびつさを咎めようとする者はいなかった。

 

「ひぃー………ひーぃー……」

 

 そして、最も官位が高く、もっとも自堕落に生きてきたグルフィンもまた、なんとか立ち上がろうともがく者の一人だ(当人の意思に関わらず)。少なくとも、異常なまでに肥え太り、身動きが全くとれなくなった肉体をどうにか改善しようともがいていた。

 

 だからこそカルカラは、彼には特に入念に肉体のトレーニングを課していた。のだが、

 

「……じぬ」

 

 まあ当然、一朝一夕で長年祟った怠惰は改善しない。

 今日もまた、彼は汗まみれの身体で地面に倒れ伏した。こひゅーこひゅーと汗をかく。ランニングの中で、彼は一番遅くて、いつも最下位だ。それでも風の少女は彼がランニングが終わるのをいつも待っていた。

 

「グルフィン様、お疲れ様です」

 

 そういって、いつもそよ風を彼に与えるのだ。

 グルフィンは、風を浴びてもひぃひぃと声を荒げ、息絶え絶えに小さく感謝の言葉を継げると、そのままうなりながらうめく。

 

「ワシは、頑張ったぞ!!」

「とてもすごいです」

「すごい頑張った!明日は休んでもいいだろう!?あるいは食事をもっと増やせ!」

「それはダメです」

「なぜだぁ!」

「衛星都市に立ち寄っての補給は来週です。来週まで我慢です」

「ぐぅ…………前回の時、もっと買い込んでおけばよいものを」

「我慢した分、来週はいっぱい食べましょう」

「…………むう」

 

 風の少女はニコニコという。普通ならこの後、グルフィンはグチグチと文句を垂れ流し続けるのだが、最近、風の少女が微笑みを浮かべてそう励ますと、なかなか次の文句は出てこなくなっていた。

 彼もまた、少しずつ落ちてきた体重とともに、心の面でも少しずつ変化が訪れていた。

 

「……おぬしも、文句を言ってもよいのだぞ?」

 

 故にだろうか。その日は不意に、グルフィンは風の少女にそう尋ねた。

 確かに彼女はここに来てから、ほとんど文句を言ったりはしなかった。ウーガ騒乱の時はさすがに不安を抱えていたが、それ以降は全くだ。

 常に周りを気遣い、声をかける。慰めて、施す。

 

 聖女のようだと誰かが言う。シズクのようだと誰かが言う。

 

 だが、彼女の幼さで、聖女のように振る舞うのは、それはそれでいびつだ。それは皆わかっている。だからカルカラも、定期的に彼女には声をかけている。問題はないか。疲れてはいないか、と。

 

 でも、グルフィンがそう言うのは初めてだった。

 だから風の少女は少し驚いた顔をした後、顔をほころばせた。

 

「大丈夫です」

「だがのう……」

「私、幸せなんです」

「幸せだと!?こんな汗まみれになることがか?!」

 

 グルフィンは叫ぶ。

 彼の基準からすれば、これはとてもではないが幸せからはほど遠い。毎日したくない訓練をして、したくない仕事を押しつけられる。これのどこに幸せを感じる要素があるのかと、本気で彼女の頭を疑った。

 

 しかし、彼女は首を横に振って、笑う。

 

「だって、皆、私とお話ししてくれます」

「……む?」

「私と話して、愚痴をこぼしたり、悩みを言ってくれたりします。名無しの、子供達とも仲良くなれました。私と、ちゃんと目を合わせてくれています」

「――――」

 

 その言葉の意味を察せぬほど、グルフィンは愚かではなかったのだろう。彼は顔色を変えて、目を見開いて少女を見た。

 

「私、幸せです。私が、ここにいるってわかるから」

 

 で、あれば、前、彼女がいたところでは、彼女は自分のことを誰からも認知されなかったのだろう。想像はつく。【名無しの呪い】なんていう術を施されて、名前を呼ぶことすら禁じられた少女。以前の彼女は、彼女の存在自体を認めなかった連中のいる場所で過ごしていたのだ。

 

 だから、今幸せなのだと彼女は言う。だが、それは、そんなものは――――

 

「…………違うぞ!」

 

 こらえきれぬ、というようにグルフィンは叫ぶ。

 風の少女は目をぱちぱちとさせている間に、グルフィンは彼女を指さした。

 

「よいか!もっと幸せなことがあるのだぞ!!」

「そうなのですか?」

「自分の大好物を山ほど口にできる!煌びやかな音楽や演劇!!まだまだある!!」

「すごいです」

「こんなのは全然幸せではない!おぬしはもっと幸せを知るべきだ!」

「とても楽しみです」

 

 地団駄を踏むようなグルフィンの叫びに、ぱちぱちと手をたたく風の少女の振る舞いは、大人と子供が逆転してしまったかのようだった。

 しかし、それでもグルフィンは必死だった。彼自身も、なぜこんなに叫んでいるのか理解できなかったが、それでも叫ばずにはいられなかった。

 

「いずれカルカラの訓練も終わらせる!そうすればどれだけおぬしが世間知らずなのか教えてくれるからな!」

 

 はい、と風の少女は本当にうれしそうにニコニコ笑う。そして、

 

「では、早くカルカラ様に満足していただけるよう、頑張りましょうね?」

 

 そういった瞬間、グルフィンは先ほどまでの勇ましさどこへやら、がくりと膝を折ってうめいた。

 

「も、もおちょっと楽にならんかなあ……」

 

 しかし、次の日からグルフィンは気持ち、頑張って手足を大きく動かして走るようになった。それを見て、風の少女はうれしそうに彼について行くのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある主従の経緯

 

 その日、勇者ディズは七天としての仕事ではなく、黄金不死鳥のギルド長代理としての仕事の為、事務作業を行っていた。黄金不死鳥が担当するエリア一帯に金銭の貸し出しを行っている顧客との取引状態の確認、その手続きを担当のギルド員がつつがなく行えているかどうか。間違いが起こっていないかの監査作業だ。

 

 七天という大任の傍ら、金貸しギルドを兼業するなんていかがなものか、とほかの神官が咎めてくることもあるのだが、金貸しというのはなかなかどうして市井の情報を仕入れるのに役に立つ。

 

 何せお金だ。この世界に生きるなら誰だって必要としているものだ。

 

 この金の流れは、数字以上の情報をもたらしてくれる。

 

 誰が金を必要としているか。誰が金に余裕があるのか。

 どこから出て、どこに流れ、どこに集まっているのか。何に使われようとしているのか。

 そういった情報は精霊の力を管理する神殿ではなかなか得がたい。

 

 武具防具の収集という役割以外にも、黄金不死鳥が勇者ディズにもたらしてくれる恩恵は大きい。不穏な動きや、よどみがあれば、いち早く駆けつけることができるのだ。

 だからこそ、彼女は黄金不死鳥の仕事をないがしろにはしない。

 

 本日の彼女は朝からずっと真面目に、書類とのにらめっこに明け暮れていた。

 

 その結果、

 

《ジェナーひーまー》

「アカネ様。ひなびた猫のようなお姿になっていますね」

 

 精霊憑きの少女、アカネはディズの付き人であるジェナに悲しげな不満をこぼした。

 

「最近、ディズ様はデスクワークばかりですからね」

《うーにー、ひーまー》

 

 アカネはディズと取引をしている。

 自分が彼女にとって「おやくだち」なところをキチンと示すことができれば、兄であるウルとの取引とは別に、自分の“解体”を止めてくれるという取引だ。それは今現在も継続している。

 であれば事務作業においても、何かできることがあれば、ディズにとっての「おやくだち」ポイントは稼げるのではないか。と、アカネも考えたことは一応あった。……あったのだが、残念ながらそう簡単にはいかなかった。

 

《わたしやれることなーい》

 

 理由は単純で、どうしようもない。

 ディズとジェナの仕事に、アカネが全くこれっぽっちもついてこれないのだ。

 

 アカネだって文字の読み書きはできる。数字の足し引きはやや苦手であるが、時間をかければできないではない。学の浅い名無しの子供であることを考えると、むしろかなり知識のある方だといえる。ウルが最低限、そこら辺の手ほどきはしていたからだ。

 

 が、しかし、その程度では、ディズとジェナの事務処理についてこれない。

 

 アカネが一枚の書類を全部通して読み終えるまでの間に、2-30枚くらいの書類を彼女たちは完了させる。しかも、読み終えたからと言っても仕事が終わるわけでもなし、それをどうすればいいか、答えるのは結局二人になる。

 もちろん、仕事を慣れるどころか覚えてもいない少女にそれを求めるのは無茶もいいとこだし、できないなら覚えればいいという話なのだが……そこまでの労力を割いてでもアカネが事務処理能力を身につけた方がいいかと言えばそうでもない。

 

 ――私だってこっちは本業じゃないし、君にそこまで求めないよ?

 

 と、ディズはそう言って、アカネに無理に仕事を与える事はなかった。

 

 結果、暇になった。ジェナはしょぼくれた猫のアカネの頭を撫でながら尋ねた。

 

「お外に出て遊びに行かれますか?」

《わたしディズのもんだしなー。かってにでるのはなー》

「妙なところで律儀なのは、お兄様似でしょうか」

 

 幼い子供のように振る舞う一方で、彼女は律儀だ。ヒト扱いされず、売られたというのに、彼女は決してふてくされたような態度はとらなかった。

 自分がどういう扱いを受けたのか理解できていないのかとも、最初出会ったとき思ったが、どうやら、彼女はそういうのとも違うらしい。幼い子供のようでいて――――いや、実際幼い子供ではあるのだが――――彼女は精神的に成熟している面がある。

 

 彼女の事をディズからの手紙で知ったときは不憫な(ディズにとってもアカネにとってもという意味で)境遇だとは思ったが、悲劇の少女のような態度も取らず、自分にとっての加害者であるはずのディズとも仲良くするほどタフな彼女を、ジェナも好感を持っていた。

 

 とはいえ、いま彼女の遊び相手をするのは少し難しい。

 

「私ももう少ししたら、また別件で仕事があるのです」

 

 今はちょうど、仕事と仕事の間の隙間にアカネの相手をしてあげられるが、もう少ししたらまた、ジェナも仕事に出払わなければならない。今日は不死鳥のギルド員も少ない。遊び相手のいない彼女を放置するのはやや不憫だが――

 

《むーん……じゃあ、ジェナのおはなしして?》

「私のですか?」

 

 アカネの要求に、ジェナは不思議そうな顔をした。

 

「私ごときに、面白い話は何もありませんよ?ディズ様に付き従う信奉者の影のメイドでしかありません」

《おもしろさのかたまりやで?》

 

 塊らしい。

 まあそれで、持て余している彼女のヒマが潰れるなら、それもいいだろう。自分の身の上話なら、次の仕事までの時間で事足りる。何よりアカネをディズは大事にしている。なら、自分も彼女のことを尊重するのが道理だ。

 アカネはキラキラと興味深そうな表情でこちらを見つめてきた。

 

《なんでディズすきになったん?》

「彼女に救われました。」

《ゆうしゃのおしごと?》

「ええ」

《たすけられたん?》

「いいえ、逆です。私は彼女に捕まりました」

《あれま》

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ジェナはとある闇ギルドの一員だった。

 といっても、別に彼女は望んで悪行に手を染めていたわけではない。

 彼女は名無しで、両親に売られて、とある違法薬物を取り扱う闇ギルドの雑務をこなす奴隷だった。

 

 彼女と同じ時期に買われた奴隷達は皆死んだ。

 雑に扱われて、雑に死んだ。

 

 生き残ったのは彼女だけだ。といっても、何か特別な理由があったというわけではない。彼女が比較的、容姿に優れていて、能力に優れていたから、うまく生き残ることができただけだ。

 彼女は優秀だった。いかに犯罪者の集まりのギルドであろうとも、組織という体を保つためにはやらなければならない雑務は無数にある。それを彼女は次々と任されて、それを次々にこなしていくうちに、気がつけばギルドのボスからも重宝されるようになっていた。

 

 ジェナにとって、それはどうでもいいことだった

 

 彼女の周囲にはくだらない連中ばかりがいた。自分の環境を疎み、努力を嫌い、想像力に欠けていた。この国の闇を牛耳るだのなんだのと根拠のない自信に満ちあふれていて、その割に一向に行動には移さない。言い訳を繰り返す。

 

 くだらない。くだらない。くだらない。

 

 そして、そんな彼らに支配される自分も、くだらない。

 

 ジェナは諦めていた。自分はきっと、このどうしようもない連中にずっと使われ続けるのだと。気まぐれに殺されないことを祈り続ける日々は、続くのだと。そうやさぐれて、思考することもやめて、薄汚れたドブ色の世界を見つめ続けていた。

 

「七天が一人、勇者。プラウディアに蔓延る悪徳の一端を断たせてもらう」

 

 だから、そんな世界が突如、金色の閃きによって一切合切が焼かれたときの衝撃は、計り知れないものだった。

 

 それは本当に突然で、何の前触れもなかった。

 

 ギルドに現れたのはたった一人の少女だ。金色の髪をした美しい少女が、突如ギルドの正面から侵入してきた。あまりにも堂々とした姿に、その姿を見たギルド員は彼女のことを新しい奴隷か何かと勘違いしたほどだ。

 

 しかし、次の瞬間に、彼女は嵐のようになって、次々とギルド員をなぎ払った。

 

 一人切り伏せ、二人打ち倒し、5人を魔術で制圧する。偉大なる天賢王から派遣された戦士であると理解した頃には、もう何もかも手遅れで、ギルドは壊滅状態に陥った。

 ギルドの多くを管理していたジェナには、この闇ギルドが砂上の楼閣であることは理解していた。が、しかし、だからといってここまであっけなく崩壊させられるとは思ってもみなかった。

 それ故に、その嵐を連れてきた黄金の少女にジェナは魅入られていた。

 

「やあ、初めまして。君がこの組織のボスかな?」

 

 少なくとも、その金色の少女に剣を突き立てられてもなお、見つめることをやめられない程度には、その姿に魅了されていた。

 

「ボス、ですか?」

「うん、状況的に、君しかいないんだけど、どうかな?」

 

 彼女のその姿から目を離すまいとしながらも、投げられた質問を疑問に思った。ボス?ボスと彼女は言ったか?奴隷である自分に対して?

 

「私はただの雑務をこなす奴隷です」

「おや、君がこの組織を管理していると思ったんだけど?」

 

 少女は不思議そうに首をかしげる。その所作も愛らしかったが、やはり勘違いだ。

 

「奴隷です。昔ここで買われてから、ずっとこき使われていました」

 

 ふむ、と少女はジェナの首を見る。確かにそこには相手を従えさせる呪いの首輪がついていた。たしか悪名高き【焦牢】と同じ性質のものであるらしいと、彼女を従えている男が自慢げに語っていた。結局その力を見ることはジェナは一度もなかった為、本当かどうか定かではない。

 そのまま少女はキョロキョロと周囲を見渡す。ここはジェナにあてがわれた執務室だった。私物も全くない書類の山だ。見回したところで面白いものなんて何もないと思うのだが――――

 

「人事管理は君が?」

「そうですね」

 

 ジェナは頷いた。

 

「帳簿、お金の管理も君だよね」

「そうですね」

 

 ジェナは頷いた。

 

「薬物取引も君の管轄だ。ついでに言えば、集めた資金運用も君」

「そうですね」

 

 ジェナは頷いた。

 

「うん、やっぱり君がこの組織のボスだ」

「ボスならほかにいますよ」

「この下の階で、肥えた男の事?彼なら恨まれていたのか、私がたどり着くよりも早く、仲間達に惨殺されていたよ」

 

 かわいそう。と、少女は悲しそうにそういった。

 死んだ。と、彼女は言う。

 長い間、ずっとジェナを支配して、道具のようにこき使ってきた男が死んだ。多少胸がすくかとも思ってみたが、しかしその情報を聞いても全くどうでもいいと自分が感じていることに気がついた。

 

 本当に、どうでもいい。目の前の少女の事と比べれば、あんな塵芥の事など。

 

「言われたことを、ずっとし続けていただけです。拒否権はありませんでしたから」

「なるほど。指示されたことをこなし続けるだけで、組織にとっての最大の要となってしまったと。本当に優秀な人材らしいね、君は」

「過大評価です」

「ふむ?」

「ワタシはゴミですよ。あなたとは違う。あなたのように、輝かしくない」

 

 ジェナの目には、()()()()()()()()()()()

 その当人の立ち振る舞いを見れば、その者がどれほど優れているか、優れていないか。すぐにわかるのだ。人事を任せられるようになるのも道理だ。それがいわゆる【観の魔眼】と呼ばれるものらしい。

 正直言えば、疎ましいと思ったことしかなかった。

 底辺を生きてきた彼女の目には、醜い者ばかりが映っていた。自分のことばかり考えて、ただただ楽をしようと、ごまかそうとする者ばかり。見ているだけで、その汚れが自分に移るような気がして、吐き気がしたものだ。

 

 だけど、今は違う。自分の眼に彼女は感謝していた。

 これほどまでの美しさを、輝きを、目に焼き付けることができたのだから。

 

「さて、と」

 

 不意に、少女は剣を振るう。ジェナの首に剣閃はとんだ。一瞬、首を落としてもらえるのかと思ったがそうではない。彼女の首にずっと纏わり付いていた忌々しい呪物が、彼女の剣に切り裂かれて、砕けたのだ。

 落下した首輪を少女は拾い上げ、頷く。

 

「間違いなくこれは服従の呪具。だとすれば、君に責任はない。もちろん、一番このギルドの内情を知っているから、色々と聞かなければならないことはあるけど」

「はい」

「君は自由だ。その能力があればどこでだって仕事はできるだろう。何がしたい?必要ならどこかに紹介してあげてもいい」

 

 問われる。

 包み込むような優しさが半分、こちらに対する好奇心が半分。聖女と、純粋な子供が入り交じるような不思議な目線を真正面から受け、ジェナは決断した。

 

「貴方の奴隷になります」

「即答」

「貴方の輝きを間近で見せてください。それができないなら死にます」

「怖い」

 

 仕えるべき主にドン引きされながらも、ジェナの就職先が決まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「このような流れでした。つまらないでしょう?」

《げきやばだったが?》

「あら」

 

 アカネはドン引きしていた。本当にたいした話ではないはずなのだが、

 

「若気の至りです。自分のいた狭い世界しかものを知らなかったが為に、視野が狭くなって、自暴自棄になっていた。恥ずかしいことです」

 

 自分と、自分の周囲の本当に狭い範囲の世界を見て、全てを知ったような気になってしまっていたのだ。しかも、自分の目で見える限りの、表面的な輝きに踊らされていたのだから、どうしようもなく未熟だった。

 

「今はもう、綺麗だから、汚いからと安易に見切りをつけることはやめました」

《おちついたん?》

「ディズ様もまばゆさの中に弱さや脆さもある。時として弱り、心くすませることもある。ですがそれもまた美しさなのだと気づくことができました」

《やべーほうにしかいがひろがっとる》

「表面上の美しさばかりにとらわれる幼い自分から成長できて、本当によかったです」

《のーこめーんと》

 

 アカネはバッテンマークをつくり、会話を終了させた。

 どうやら調子に乗りすぎてしまったらしい。反省である。主であるディズの話となると、なかなかに抑制が効かなくなってしまうのが困ったところだった。

 

《まー、あれな?いっしょにディズのおてつだい、がんばろっか?》

「ええ。一緒にディズ様の様々な表情を間近で観察できるように努力しましょう」

《それはしらん》

 

 やはりドン引きされてしまった。

 なので、アカネのおかげでディズ様の表情が多種多様に綻んだり晴れたり、喜んだり悲しんだりしているので心から感謝しています、と告げるのだけは、やめておくことにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白の蟒蛇の戦士の回想

 

 その男は、【白の蟒蛇】に所属している戦士だった。

 

 古株、と言っても良いだろう。流石に設立当時から一緒だったラビィンほどでは無いが、ジャインともずいぶん長い付き合いだ。冒険者としての年数は更に長い。驕るつもりは無いが、ベテランだという自覚はあるし、ジャインに頼られている自負もある。

 

 彼が以前のギルドを辞めて、白の蟒蛇に所属する事の経緯は、ありきたりだ。

 ただただ、ソリが合わなくなって辞めたのだ。

 

 その理由もまあ、どこででも聞いたことがあるような、ありきたりな話だ。仕事の配分が偏り、モチベーションに格差が生まれ、ギルド長の贔屓がゆがみを生んだ。ギルド全体がぐだぐだになったので抜けた。(しばらくした後、そのギルドは解散になったらしい)

 さて、これからどうするか。いっそ自分でギルドを立ち上げてやろうか。といったところで、白の蟒蛇のリーダー、ジャインに誘われた。 

 

 白の蟒蛇はそのときすでに結構名を上げていたが、冒険者ギルドを通してオファーがあった時は、正直言って複雑だった。

 

 当時は自分も若かった。ギルドは辞めたがフリーになったことで逆に心は軽くなった。冒険者家業は辞めるつもりも毛頭無く、油が乗り始めていた自覚もあった。

 そんなとき、自分以上に名を上げてる連中から(しかも自分よりは若い)誘われるというのは、「どうだみたか!」という喜びと「生意気な野郎だ!」という反骨心がごちゃごちゃに入り交じっていた。

 しかも女連れでブイブイ言わせているというのだから「この野郎」がちょっと勝った。

 

 今なら言えるが嫉妬があった。

 

 だから、誘われて彼の顔を見に行ったときは、冷やかし半分でもあった。場合によっては「俺を下につけたきゃ決闘で勝ってからにしろ」なんてノリだった気がする。

 そして、

 

「フリーになったと聞いたから誘った。アンタを手放すなんて馬鹿な連中だ」

 

 そう語る、白の蟒蛇リーダーの面構えを見た時、冷やかす気持ちが失せた。

 

 彼の誘い文句にときめいたから、ではない。

 彼の連れている女、ラビィンに一目惚れしたから、ではもちろんない。

 彼の隣に立つ、強い警戒心を持った男の目を恐れて、でもない。

 

 本当に、ただただ、彼の凄惨な目が、痛々しかった。

 

 ある日、突然わいて出た凄腕の冒険者3人組。

 なるほど、それを聞いたとき、きっと“何か”をしてきたのだろうという予想はしていた。ただただ「一芸」を持っていればどうこうなるような世界では無いのはもうとっくに分かっていた。新人が瞬く間に成り上がるというならそれは「下地となる何かをすでに持っている」のは間違いなかった。(そうでないなら奇跡的に運が良いか、あるいは絶望的に運が悪いかの二択だ)

 

 だから、何かを経験してこの世界に来たというのは分かっていた。わかっていた、が

 

 ここまで、痛々しく傷つき、淀んだ眼をした奴を、彼は見たことが無かった。

 

 誰一人他人を信用してない眼だ。傷つけられ、苦しみ続け、その道の果てで、苦しみから逃れるため、荒野を行くことを決めた目だった。

 自分が恵まれていると思ったことは無い。名無しで、苦境の中で努力し続けてきたというのが自慢の一つだった。

 だが、それも、彼ほどでは無い。

 それが、一目見ただけで分かるほど、彼の放つ淀みと凄みは、肌で感じられた。

 

「……少数精鋭とは聞いちゃいたが、本当に少ないな、メンツ」

「色々と誘っちゃいるが、なかなか頷く奴が少ない」

 

 だろうな。彼は苦笑いした。

 彼の顔を見て「一緒にやろう!」と思える奴は絶対に少ない。その景気の良さに誘われて近づく奴はいたとしても、すぐに諦めるだろう。甘い蜜だと思ってやってくるような温い連中ほど、彼の顔を見ただけで距離をとろうとするはずだ。

 

「……このギルドの目標は?」

「安住の地を得る」

「土地を買うのかよ。名無しが? 正気か?」

「それくらいしなきゃ、俺たちは“安心”できない」

 

 聞けば、やっぱり地獄だ。名無しが立てる目標としては、トップクラスの難易度だ。

 誰がどう考えたって、地獄が待っている。

 どう考えたって、彼と一緒に行くのは、楽な道ではない。

 

 そして、それを「面白い」と思ったのは、やっぱり若さだった。

 

「――――まずそのハリネズミみてえな面構えを辞めるところからだな」

「は? ジャイン兄、デブだよ? とげとげしてない」

「お前はしゃべるなっつったろバカラビィン……」

「いいじゃんジョン兄」

 

「良いさバカ兄妹ども。俺が冒険者の処世術ってえのを教えてやる」

 

 自分で成り上がるよりも「やりがい」のありそうな仕事を見つけた。思わず口角がつり上がったのを今でも覚えている。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして、月日は流れた

 少しずつ仲間が増えた。彼も徐々に自分の過度な険しさを削り、不器用ながらも統率者としての威厳を身につけていった。冒険者としても成長を続け、とうとう銀級の冒険者、一流の冒険者としてジャインは成り上がった。

 

 だが、それが順調かと言えばそうでは無い。

 

 苦難も山ほどあった。名無し達が自分たちだけの土地を得るという目標は、あまりにも高く、重かった。楽や安定とは無縁の戦いを続けるのだ。当然離反者も出た。問題も出た。闇ギルドまがいの行動が内部で出て、大量の離反者まで出た。最早ここまでか、と心折れかかったこともあった。

 

 だが、しかし、まさか、

 

「っしゃああああああああおらあぁ!!! ざまあみさらせ骨野郎が!!!」

『ッカアアアアアアアア!!!?』

 

「…………まさか、こうなるとはな」

 

 その果てに、人骨とのアームレスリング雄叫びを上げるジャインを見ることになるのは、流石に予想外が過ぎた。

 

 定期の竜吞ウーガの物資補給日。

 その日の恒例となった食事処での飲み会の折、誰が一番腕力があるか、などというバカな疑問を投げかけたバカがいて、それに乗ったバカが出て、最終的にこうなった。

 最終的に筋肉も何も無い死霊兵と我らがギルド長の一騎打ちという珍妙な戦いは、ギルド長の勝利で決着がついた。あちこちからは雄叫びと悲鳴が湧き上がった。

 

「っしゃあああ!! 流石我らがギルド長だ!!」

「うっそだろ!? なんで魔力を筋力代わりにしてる死霊兵に腕力で勝てるんだ!?」

「総取りだ!!! ジャインさん最強じゃあ!!」

 

「おいバカどもあんま騒ぐなよー……聞いちゃいねえ」

 

 諫めるが、騒ぎは収まる様子は無い。

 ウーガに自分たちの騒ぎを疎ましく思うような都市民はいないので、気は楽だが、しかしあまり気が抜けすぎると、都市に降りたときに引きずるのが怖い。

 今度諫めないとな、と思いつつも、彼らの浮かれ具合は理解出来る。

 

 安全安心とはとても言いがたい場所ではあるが、しかしそれでも、自分たちの居場所だと言える土地を、手に入れたのだから。

 

「……こうなることがわかってたのか? ラビィン」

 

 自分と同じように少し距離を開けたテーブルから、ぴぃぴぃとやかましく指笛を鳴らすラビィンに訪ねる。彼女は「ん?」と首をかしげた

 

「え、いきなり話しかけられても何のこっちゃさっぱりっすよ?酔ってるんすか?」

「その通りだ。酔っている」

 

 どうやら自分もそこそこ浮かれているらしい。気持ちよくなっていた。自分よりも若い女に酔いを指摘されるのは少し恥ずかしいが、どうせ宴の場だ。そのまま会話を続けた。

 

「ジャインがウルの案に乗ると決めたとき、こうなると分かっていたのか?」

「直感は未来予知じゃないってしってんでしょー」

 

 直感という技能は、希少性が高い。無数に存在する冒険者の中でも、それを発現する者はほとんどいない。何せ、本来人類が保有する五感や身体能力とは別の第六感を得るのだ。

 視力や聴力といった、すでに存在する身体の器官が新たな力を獲得するのとはまったく訳が違う。

 加えて言えば、本当にその技能が発現しているかどうかも分かりづらいのだ。直感だと思いきや、ただの運と勘違いだった、なんて話は良くある事だ。

 

 だから、幾度となく“勘”で白の蟒蛇を窮地から救ってきた事で、その力を証明したラビィンの判断は、否応なく重視される。今回もそのパターンだと思っていたが――

 

「特にウーガの時は、いろんな連中の思惑がぐっちゃぐちゃにこんがらがってたっすからねー。最終的には完全に出たとこしょーぶだったっすよ?」

「よくそれで、ジャインの判断を支持したな」

「一緒に死んだって良いって思ってただけっすよ?」

 

 ラビィンは真顔だった。昔を思わすような感情のこもらない眼つきだった。しかし、それもすぐに綻んだ。彼女は楽しそうに笑った。

 

「そんな酔狂がこんなにいたのは、予想外だったっすけどね?」

 

 酒場には多くの者が居た。ウーガを建設していた名無し達以外、白の蟒蛇のメンツも集結していた。ジョンの裏切りで生涯の別れとなったメンツも多かったが、それでも、歓声が沸くくらいの人数は、ちゃんと残っていた。

 彼らは皆、ジャインの人生をかけたような大賭けにのった連中ばかりだ。自分も含め。

 

 もちろん、彼らが全員、ウルの前代未聞の作戦に勝機を見いだした訳がない。

 

 だとすれば、彼らが勝機を見たのは、信頼に足ると思ったのは、

 

「割と、お前らは好かれていたと言うことだよ」

 

 そこで汗だくになりながらも、ギルド員達に讃えられて、苦笑を浮かべるジャインを、信じるに足ると思ったからだ。

 かつて、誰も信じるまいとしていた、やさぐれた子供はもうそこにはいなかった。

 

「っつっても、裏切られちゃったっすけどね? 昔からの幼なじみにだって」

「全員から好かれ続けられるなんてのは、子供の考えだ」

 

 水を差すような、あるいは少し恥ずかしがるようなラビィンの言葉を鼻で笑う。失敗もあるだろう。間違いだってするだろう。それでもその果てで、人徳を得られたのなら、素直に誇れば良いのだ。

 するとラビィンは立ち上がり、こちらの顔をのぞき込む。なんだどうしたと眉をひそめると、彼女は笑った。

 

 いつものヘラヘラとした笑みでも、昔の殺意に満ちた冷笑でもない、子供のような、朗らかな笑みだった。

 

「でも、アンタがついてきてくれたのは、良かった」

「そうか」

「ジャイン兄もそう思ってるよ」

「そうか」

 

 それだけ言って、ラビィンはジャインの下に駆け寄って、きゃいきゃいと馬鹿な事を言って騒ぎ始めて、ぶっ倒れて悔しがるロックをつつきながら、ジャインを呆れさせていた。

 それを眺めながら、残っていた酒を一気に煽った。

 

 旨い酒だな。と、改めて思った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇者と護衛は骨を駆る

 

 ある日のウーガの停泊日

 

『ウル、乗るカ?』

「そうするか」

 

 ドライブする事になった。秒で決まった。

 

「で、何処走る?大通り?」

『最近ヒトが多くなってきたしのう。事故ったら事じゃ』

「んじゃ、外だな。外で走るか。武装しよう」

『外で走るの好きじゃのー』

「普通に嫌いだが。危ないし。道ガッタガタの地獄だ。車輪改善してマシになったが」

『自覚しとらんのー』

 

 ウルは身体を動かしやすい軽装の鎧で身を包む。頭を守る兜を装着し、外に出るならと竜牙槍まで背中に背負う。

 ロックはロックで、自らを構成する部品と自分とを組み合わせる。戦車のロックンロール号とは別の、車輪と名無しのダッカン達に作ってもらった金属パーツを幾つかつなげて、自走する馬車に自分をくみ上げる。

 

 双方、慣れたものだった。

 魔力を補給するためのウーガの停泊日、時間があるとき、ウルとロックは良く走っていた。馬よりも早く走るロックと変形して、思いっきり駆け回るのだ。

 

 以前はぐずるエシェルの気を紛らわせるために一緒に乗っていたが、今ではすっかりウルの方が気に入ってしまっていた。ロックが誘ってくればそのまま乗るし、時にウルから誘うこともある。もっぱらドライブは休日の娯楽と化した。

 

「で、今日はどの方角行く?」

『ウーガから南の方角に川があったし、そっち見に行かんカ?』

「川っていうか、激流って感じだったけどなあ……ん?」

 

 と、二人でウーガの最後尾、搬入口へと近づいていくと、そこに見知った顔がいた。美しい黄金の少女、この世界の守護者である勇者ディズが、やや悩ましい表情で馬車の前に立っていた。

 

「どした?ディズ。アカネは?」

 

 質問を投げると、こちらに気づいたのか、彼女は肩をすくめた。

 

「アカネはウーガでお留守番。私はここから隣の都市に用事がある……んだーけーど」

『けど?』

「馬車が逝った」

 

 そう言って、ちらりと馬車の方を見ると、ジェナが馬車の下からするりと身体を出して、首を横に振った。その手には馬車の車輪を固定するための軸とおぼしきものが握られていた……が、

 

「うわ」

『こりゃひっどいの、完全に逝っとる』

 

 中心部から、へし折れて砕けていた。

 ディズの馬車は十分に金をかけられた高級仕様だ。使われてる部品も決して安物などではないだろう。が、それが思いっきりである。何か、すさまじい力がかかったかのように。

 

「無茶させすぎたかな……」

「どんな無茶…………あ、いや、分かった。大体分かった」

 

 ちらりと、馬車につながれている馬たち。ダールとスールを見て、大体察した。というよりも思い出した。この二頭の馬たちは全然普通ではないのをウルはすでに体感している。あの強行軍をしょっちゅうしていたら、どれだけ金をつぎ込んだ馬車だろうと、持たないだろう。

 

「ダールとスールもお疲れだから休ませるにはちょうどいいんだけど……ちょっと急ぎでね。【飛翔】で行こうかなって」

 

 何を言わずとも、ジェナはディズに外套をかけて、テキパキと準備を進めている。ディズは身体を伸びして、ストレッチを始めていた。

 極めて高度な飛翔の魔術を彼女は修めている。ある程度の距離であれば、彼女は自在に移動できるだろう。しかしそれを使わず、何故馬車を利用するのかといえば、それが大変だからに他ならない。

 ただでさえ、ほぼ休む暇の無い激務の彼女が、更に苦労を重ねようとしている。ウルとロックは顔を見合わせた。そして、

 

『へい、お嬢さん、乗っていくカ?』

「一緒にドライブにいかないか。隣の都市まで」

 

 小芝居と共に二人はサムズアップした。

 

「良いの?」

「そりゃもちろん」

『この状況で知らん顔もできんじゃろ?それに、ほれ、アレじゃ』

 

 カタカタと、車両状態となったロックはどこから出しているかも分からない笑い声を漏らした。

 

『護衛対象が都市の外に出るんじゃから、守ってやらんとな!』

 

 その言葉に、ウルとディズは顔を見合わせた。そして、

 

「「…………そういえばそうだった」」

『どっちも忘れとるのう』

 

 状況が激動過ぎた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ディズとウル、二人が乗り込むと、ロックの車体は少し手狭だったが、なんとか収まった。その分ロックが形状を変化させ車体に窓を開けた分、流れてくる風が心地よかった。

 

「うーんらっくだなー。揺れも少ないし」

『カッカカ!車輪もこだわったからのー!』

「ダッカンさんとかに無茶言いまくってるからな……今度報酬払わねえと」

「ただ流石にちょっと狭いな。ウル、そっち寄って良い?」

「恥じらいを持て勇者」

『乳繰り合うならよそでやれい!』

 

 会話しながらも、ロックの車輪が大地を駆っていく。無論、ウーガとは違い舗装された路面ではない。時に何かを踏みつけたり、急な坂で速度が上がったり、あるいは浮遊感と共に小さくジャンプしたりと、どうしたって荒っぽい運転になるが、それでも乗り込んでいる二人も、ロック自身も気にすることは無かった。

 何せ、荒っぽさでいえば、今日に至るまでの道中の方がよっぽどだ。

 

「でもウルがこういうの好きなのは、意外といえば意外だね」

「どうかね。爽快であるのはそうだが」

 

 ウルも正直、自分自身でここまでロックと一緒に走るのにハマるとは思ってはいなかった。都市の外に出ることだって、元々はまったく好きでは無かったはずなのだが、自分で自分の感性が疑問だった。

 首をかしげながら、自分の内面に向き合ってみる。そして導き出された答えはというと、

 

「……アレだな。昔散々苦労させられた都市の外の旅の苦痛が一瞬で走破できることに対して仄暗い復讐心が満たされてだな」

「風を切る感覚からはかけ離れた湿っぽさの塊のような感想」

『もう少し楽しい事言わんかい!?』

「我ながらどうかとは思っている」

 

 思った以上に、じめっとした感情が出てきた事にウルは自分でちょっと引いた。長年、ずっと苦労させられてきた反動というべきなのかもしれない。

 

「…………まあ、良いだろうが別に、どう感じてどう楽しもうが俺の勝手だ」

『そりゃ道理じゃの』

「ねえ、それよりもっととばしてみてよ」

『勇者殿はあらっぽいのう?』

「きゃーこわーい!ってのやってみたい」

「何の本を読んで影響されたんだ」

『絶対おぬし、ワシよりも早く飛べるじゃろ』

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 都市と都市の間を移動するときの名無しの旅路は過酷だ。

 

 当然ながら都市の外に、魔物達から自分たちを守ってくれる結界なんてものは存在していない。魔物達から身を挺して守ってくれる騎士達も存在しない。素晴らしい精霊様の力を与えてくれる神官様達だってもちろんいない。

 

 自分たちで身を隠すしかない。必死に、懸命に、息を潜めて。

 

 その為の工夫は様々だ。先人達の知恵、安全なルートの構築。様々な守りの護符に、精霊への信仰、魔物を寄せ付けぬ為の人数の調整、【移動要塞】、【止まり木】等々。本当にあらゆる対策が存在する。

 

 そしてそれらの対策を、都市の外に出る名無し達はあらん限り全てを利用する。

 

 それだけ必死なのだ。

 そして、それでも、それだけやっても、それらはささやかな抵抗だ。真なる魔を前にして、必死の抵抗などあまりにもささやかだ。嵐を前にして、ヒトが築き上げた防壁など、あっという間に崩れ去る。

 

『GGAAAAAAAAAAANNNNN』

「ひ、ひい………!!」

「お、お父さん……!」

 

 ちょうど、今の自分達のように。

 

 今回の仕事は悪い仕事では無かった。

 都市から都市への貨物運搬の仕事だ。プラウディア領からグラドル領へと領をまたぐので、やや距離はあったが、しかし安全なルートは確保されていた。何度もその道は通っていた。報酬の前払いも良い。荷物の量も少なくて、つまるところ良い仕事だった――――表向きには。

 

『GAOOOOOOOOOOOOOOOONNNN!!』

 

 ところが、安全なルートにて、【人狼】と呼ばれる種類の魔物と遭遇してしまったのだ。3メートル超の巨体、鋭い爪と牙。何よりも厄介なのは、一個体でも十二分に凶悪であるにもかかわらず、集団で襲ってくるというたちの悪さ。

 

 魔物を引きつけすぎぬようにと、数の利に頼めない外の旅路において、厄介極まる魔物だった。

 

 無論、近づかれるまでの間に、対策は試みた。その姿を発見した時点で、姿をくらます魔術を幾つも使った。にも関わらず、まるで何かを嗅ぎ分けるようにして追いかけてきた。

 運搬していた荷物の中に、巧妙に、怪しげな【魔薬】の類いが紛れ込まされていたと気づいた時には全てが遅かった。

 

 匂いが漏れていたのか、魔力が漏れていたのか、理由は不明だ。だが人狼が真っ先に自分たちの荷物を襲い、割れた薬瓶の液体を浴びることで興奮する人狼達の姿を見た時点で、自分が「仕事選びをミスった」というどうしようもない事実に気がついた。

 

 だが、時すでに遅し、という奴だった。

 もう少しで、長期間都市に滞在する費用が貯まる。そうすれば、娘に都市の中で仕事を見つけさせてやれるかもしれないという、はやる気持ちが、結果娘をも危険にさらした。

 

 慎重さを失った自分のミス…………と、言いたいが、しかしそれよりも怒りが勝った。

 

 決して、決してそこまで欲張ったわけでは無かった。

 確かに報酬は良かったが、それでも適正を大きく超えるような、見るからに怪しいような仕事に飛びついたわけでも無かった。少なくとも、都市の中で仕事をするような大商人が一日に稼ぐ報酬と比べれば、慎ましいはずだ。

 

 つまりそれは、その程度の金で、死ぬかもしれない危険な仕事を背負わされたのだ。

 

 「ふざけんな畜生が」と思うのも当然だろう。彼は泣き震える娘を必死にかばいながらも、この世の全てに悪態をはいた。旅に出る前に必死に祈りを捧げていた神と精霊達に対しても、役立たずが馬鹿野郎!と怒鳴り散らした。

 

 どれだけ精霊や神が偉かろうが、娘を助けてくれなきゃ木偶の坊と変わりやしない。

 

 しかし、どれだけ世を呪おうとも、娘をかばおうとも、彼に出来ることはもう何も無く、魔法薬に酔った人狼達の爪が、一直線に二人に振り下ろされ――――

 

『カーッカッカッカッカッカ!!っしゃあああおらああ!!!!』

『GGYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!?』

「ほおわあああああああ!?!」

 

 その直前に、謎の人骨馬車が人狼を轢き殺した。

 唖然としていると、更にその珍妙な人骨馬車から二人の人影が飛び降りてくる。一人は灰色の髪の少年で、もう一人は黄金色の美しい少女だった。二人は飛び降りると、自分たちをかばうように前後について、槍と剣を構えた。

 

「いや、まさかこのだだ広い平原でヒトに遭遇するとは。しかも大ピンチ」

「どう足掻いてもヒーローだな、ディズ」

「君も頑張ってよ?護衛、兼、未来の英雄」

「努力するよ、勇者様」

 

 何一つ事態を把握できない間に、二人は気軽に会話を続けつつ、双方前方の人狼達を前に身構える。なんだなんだと事態を把握しきれないうちに――――

 

『おう、ワシもちゃんと混ぜろよ?』

「きゃああ!?!」

 

 砕け散った人骨馬車が、ひとりでに再生していく。散らばった人骨が気がつけば自分たちの周囲を囲い、檻のように、あるいは自分たちを守るための結界のように形を変える。更にその周囲から、凶悪な面構えの死霊兵達が、剣を握り立ち上がってくる。

 

「おう、好き勝手暴れろや人骨。止めねえから」

『カッカッカ!!ええのう!!しかしまあ、』

 

 そしてその死霊兵達のウチの一人が、チラリとこちらを見て、楽しげに笑った。

 

『カカカ、おぬしら、運がええの?』

 

 どうやら、そうらしい。

 彼は神と精霊達に対する悪態の全てを撤回し、娘と共に全力で感謝の祈りを捧げるのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

銀色の休日

 

 ある日の【竜吞ウーガ】にて

 

「シズクが好きな事って何かなあ」

 

 その日、ウーガの主であるエシェルはなにげなく呟いた。

 独り言のような言葉であるが、彼女がそんな風に口にするのは、誰かに話を聞いてほしいときだ。だからやれやれと、ため息をつきながら、リーネは研究書類から目を離し、顔を上げた。

 

「今度はなによ」

「ちょっと、お礼というか、ねぎらいがしたくってぇ……」

「シズクに?何でいきなりそんなこと思いついちゃったのよ」

 

 本当にいきなりだ。

 仲間同士、ねぎらうことはいけないことだ。なんて事を言うつもりはリーネにはないし、ねぎらいたいというのなら好きにすればいい。と思うのだが、

 

「そんなの、身構える事?」

「……だって、シズクにいっぱい仕事してもらってるから」

「確かにね。対人面で特に、彼女じゃないとどうにもならない仕事全部回してるわね」

「厄介ごと、いっぱい押しつけてしまってるかなって……」

 

 エシェルのシズクに対する罪悪感が今回の突拍子のない提案の原動力らしい。とはいえ、そういう意味では、彼女の世話になっているのはリーネも同じではある。

 

「それで、どうするの?」

 

 リーネは書類を片付けた。まあ仕方があるまい、と、彼女の提案に本格的に乗ることにした。が、エシェルは困った顔をしている。

 

「シズクが何が好きなのか、わかる?」

「何って…………」

 

 そう言われると、全然ぱっと思いつかない。

 

「…………そういえば、シズクって自分の好み、表に出さないわよね」

「食べ物とかも、なんでもおいしいって食べるし」

「だったら、お菓子でも喜んでくれるんじゃないの?」

「で、でもせっかくなら一番好きなものあげたいじゃないか」

「殊勝な心がけといいたいけど、だったら直接聞きなさいよ」

「……さりげなく、好きなお菓子聞いたら、なんでも好きですって」

「一番困る回答ね」

 

 こんな思い悩むことでは無いと思うのだが、と思いつつも、しかし相手は()()シズクである。なかなかどうして、すんなり事が進まない予感に、リーネはため息をついた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 翌日。

 

「休暇、ですか」

 

 シズクを前に、エシェルは頷いた。

 

「うん。今日は色々と仕事の量が少ないから、シズクを休ませてあげようって」

「休み、私よりも、ほかの皆様の方が……」

 

 やはりシズクは食い下がろうとする。基本的に、ウーガにおいて自分の仕事が終われば、すぐさま誰かの仕事の手伝いに向かうか、あるいは訓練を行うような恐ろしく勤勉な彼女だ。そういうのは想像していた。

 しかし今日は働きづめでは困るのだ。

 

「別に、私たちだって休まないとは言っていないわよ。これくらいだったら、私とエシェルでささっと済ませるわよ。必要だったらウルも呼ぶしね」

「自由に休んできてくれ」

「自由」

「身体を鍛えるとか、勉強するとかも、今日はなしで、羽を伸ばしてくれ」

「…………わかりました」

 

 作戦は至ってシンプルだ。

 シズクに時間を与えて、やりたいことをやらせてみるのだ。考えてみれば、本当に彼女が自分の意思で自由に過ごしているところを、見たことが無い。本を読んでるところは確かに何度かあるが、それもほとんどは魔術の学習といった自己研鑽のためだったりする。 

 本当の意味で自由を与えて、好みを探ろうという魂胆だった。

 

「これならシズクがやりたいことわかるかも!」

「……というか、もうこれがお礼ってことでいいんじゃない?」

「……あ、あれ?」

「いやまあ、いいけれども。私もシズクのことは気になるしね」

 

 ウルの最古参の仲間で、謎の多い少女。邪霊の巫女。圧倒的な魔性の美を振りまき、そしてその美しさを最大限に利用し老若男女問わずに惑わす天災のような少女。だというのに、ギルドの要として、周囲との協調性を保てているのだから、本当に特異な少女。

 

 興味が無いと言えばもちろん嘘になる。

 ので、エシェルに便乗してリーネも彼女を観察することにしたの、だが、

 

「……」

「……」

 

 シズクと別れてから、秒で残りの仕事に始末をつけたエシェルとリーネは、そのままシズクの追跡を開始した。追跡自体はうまくいった。彼女は指令塔からそう離れていない場所ですぐに見つかった。

 

 大通りを進んだ先にある、憩いの場、公園に彼女はいた。

 そこまではよかった。そこまでは順調だった。の、だが、

 

「……シズク、あれ、なにしてるんだろう?」

「公園でぼーっとしてるようにしかみえないけど?」

 

 そこからつまずいた。

 公園にベンチに座ったシズクに変化がない。日光の当たりやすいベンチに座ったシズクは、言われたとおり本を読んだり、魔術の練習をしたりすることも無く、ぼおっとベンチに座っている。

 

「遊びに来てる名無しの子供達をみてるんじゃない?」

「それだけ?」

「そうね」

 

 本当にそれだけである。

 それ以外、何もしていない。本当にじっとしている。彼女自身の美しさも相まって、まるで綺麗な彫像のようにも見えてくるくらい、じっとしている。寝ているのだろかとも思ったが、一応眼は開けているらしい。

 

「……ねえ、いやな予感してきたんだけど」

「も、もー少しだけ様子、見よう!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……あれは?」

「多分、神官見習い達のランニングを眺めてるわね」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………あれは?」

「多分、公園の花に飛んできた蝶を見てる」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………あれは?」

「転んだ子供のけがを治してるわね……あ、ベンチに戻った」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 彼女を観察し続けたリーネとエシェルが得られた情報は以上である。

 リーネは天を仰ぎ、エシェルは膝をついた。

 

「老後か……!」

「何もわからない!!!」

 

 びっくりするくらい、シズクは活動性に欠けていた。

 普段の彼女はむしろ活動的な方である。休む暇も無いと言わんばかりに毎日何か仕事をするか、訓練をするかを続けている。もちろん、黄金級に至るという目標を考えれば、日々の努力は当然なのだが、それを取り払うとここまでゆったりとした生活を送りはじめるとは思ってもみなかった。

 

「あれがシズクの素……ってことなの、かなあ……」

 

 あらゆる男をたぶらかし、翻弄する彼女の意外な一面を知ることはできた。それは一つの成果といえなくもない……が、

 

「……で、結局、シズクの好みは?」

「わかんにゃい……」

「にゃいじゃないわよ全く……」

 

 結局、二人は話し合い、また公園でのんびりするなら、足が冷えぬようにと今度少し質のよいブランケットを贈ることとなった。

 シズクには大変喜んでもらえたので、それでよしとした。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『カッカカカ!今日はワシの勝ち抜きじゃあい!!』

「きったねえぞ人骨!!自分の分身作るとか反則だ!!」

『自分の機能を全部使って悪いカ!次の飲み会おごれや若造どもめが!!』

 

 という、人骨の勝利宣言と白の蟒蛇達のブーイングを最後に、その日の訓練は終わった。

 ウルはヘトヘトになりながら、そして敗北感を味わいながら帰路についていた。今日は白の蟒蛇も交えた合同訓練であり、種目はタイマンの模擬戦闘だったが――――ウルはしっかりと最下位だった。

 

「混戦ならまだましなんだがなあ……」

 

 実践に近い、何でもありの戦いならウルは割と得意だ。自分の実力不足を、うまくごまかせるからだ。そういう戦い方は幼い頃からやってきた。

 だが、一対一だとどうしたって、経験不足が重くのしかかる。

 ある程度までは小細工をやれないこともないが、限度がある。本当に技量が問われる場面だと、ごまかしようも無くウルは未熟だった。経験と反復によって培われる技がないのだ。

 

 対して、ロックや、ジャインを筆頭とする白の蟒蛇の戦士達はそうではない。

 

 当たり前だが、白の蟒蛇の戦士達は全員一流だ。しかも彼らは、金稼ぎをするためにリスクを飲み込んで危険地帯を戦い抜くことを選び、それ故に経験も技術も桁違いだ。

 経験の濃度についてはウルは全く負けていないが、しかしあまりにもウルの経験の偏りは酷い。対人戦闘となると、本当に経験が浅かった。結果、ボコられた。

 

 ――その経験不足を埋めるための訓練だろうが。いちいち嘆いてんじゃねえよ。

 

 普段口の悪いジャインがぶっきらぼうに慰めてくれたのはありがたかった、が、それでも最下位は最下位だ。おかげであの人骨に酒をおごらねばならなくなった。

 

 こうなりゃ今度の交易でめっちゃ変な酒買ってやろうか。

 

 なんて思いながら家へと戻る途中、帰り道の途中にある公園で、珍しいものを見た。

 

「シズク」

 

 夕暮れ時、ベンチにじっと座るシズクの姿だ。戦闘訓練も仕事もしていない彼女の姿は大変珍しい。何かトラブルでも起きたのかとも思ったが――

 

「あら、こんにちわ。ウル様」

 

 彼女の様子を見る限り、そうでは無いらしい。ウルはシズクの隣に座った。

 

「今日は、機嫌がいいな」

「そうですか?」

「ああ。楽しそうだ。なにかあったのか」

 

 シズクはいつも通りの微笑みを浮かべている。が、普段の表情と比べて、ほんの少しだけ柔らかな雰囲気をまとっている。当人も自覚は無いだろうが、少しだけ緩んでいる。

 ウルの言葉に、シズクは少しだけ考えるように沈黙した後、口を開いた。

 

「休日をいただきました」

「へえ」

「だから、皆様を眺めていました」

「楽しそうだな」

「はい」

「よかったな」

「はい」

 

 シズクは公園から自分たちの家へと帰って行くウーガの住民達を眺め続けた。ウルはシズクの隣で、彼女の本当に楽しそうな表情を、眼を細めながら眺めた。

 

 胸に刺さっていた敗北感は、気がつけばすっかり消えて、無くなっていた。

 




というわけで番外日常編でございました!
次話より時系列が戻ります!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

激動する世界編
穿孔王国スロウス―――最後の日


 

 

 穿孔王国スロウス。

 

 この国の実体を知る者は少ない。スロウス領周辺の環境の過酷さ、不死者達の巣窟となっている死の荒野を突破し、スロウスに到達できる者が少ない故だ。

 

 だから、様々な憶測が流れる。

 

 名無しの者にとっての楽園と謳う者もいる。天賢王からも精霊達からも見放された地獄であると言う者もいる。実は一人の生者も存在していない死の国だと言う者もいる。王国が存在する大穴に1度落ちれば2度と地上に帰ることは適わないのだと言う者もいる。

 

 それらの噂の半分くらいは嘘だと、七天の一人、【天衣】のジースターは理解していた。

 

 まずここは名無しの楽園では無い。都市部は名無しに対して厳しいルールを設けているが、最低限、安全の保障は用意している。明確に都市の外に出られない理由がちゃんとあるなら、金銭が無くとも滞在を延長する特例処置も与えられる。

 対してスロウスは、名無しに排他的でこそないが、保証なんてものは存在していない。弱ければ喰われる。弱者である事の多い名無しにとって此処は通常の都市部よりよっぽど苛烈だろう。何もせず口を開けて食べ物が放られるのを待ってるような輩は一瞬で喰われる。

 王や、精霊に見放されている、というのは大部分が正しいが、間違いもある。精霊は確かに存在しない。スロウスのガスを利用した燃焼物の気配を精霊が嫌うためだ。故に、神官もここには滅多なことでは近づかない。精霊に与えられた加護が機能不全に陥るような場所にわざわざ自分から向かう神官はいないだろう。

 

 ただ、天賢王はスロウスの存在を認めている。

 彼はこの場所の存在と、魔王ブラックの管理を認めているのだ。

 

 生者が存在しない。というのはとんだ笑い話だ。その噂を面白がって、酒場で酔った酔っぱらい達が「俺たちゃ死人だ」と歌っていたのを耳にしたことがある。

 

 1度落ちれば2度と出られないなら、自分は七天の仕事は出来ないだろう。当然普通に地上に戻る手段はある。ただし、地上に出た後、再び不死者の荒野を突っ切って、別の国に移動するだけの気力と能力を持った者が非常に少ないから、必然的に外に出る者が少なくなると言うだけの話だ。

 

 ジースターはスロウスの実情を詳細に理解していた。

 

 何せ今、彼はスロウスにいる。

 

 かつて、イスラリア全土を腐らせようとした大罪竜スロウスが生んだ大穴、その底に恐れ知らずにも建国された唯一無二の都市国。陽光の一つも差し込まず、にもかかわらず魔光の輝きで常に照らされた眠らぬ穿孔王国。

 建造物には統一性が全くない。他の都市国のように建造時点で全てが計算された四角四面な建造物が等間隔に乱立するような事もない。各々が好きに建て、好きに増築し、そして他の建造物を浸食する。そうやって生まれる歪みを、魔術で押さえようとするため、更に奇天烈さは増していく。歪み、たわみ、傾いた建物群。

 

 醜い光景だと思う者もいる。

 退廃的な美があるとぬかす者もいる。

 懐かしい故郷だと抜かす者も、まあいるだろう。

 

 そんな穿孔王国スロウスは今――――

 

「退避いいいいいいいいい!!!逃げろおおおおお!!!」

 

 なんというか、滅亡しかけていた。

 

「お!?おわああああ!!!死ぬ死ぬ死ぬうう!!!」

「ぎゃあああああああああああああ!!!?」

「馬鹿野郎なんでこんなことになんだあああああ!!!」

 

 穿孔王国を住処として決めた住民達。

 ならず者の冒険者達なんて眼では無いくらいの無鉄砲達が阿鼻叫喚の悲鳴を上げながら、逃げ惑う中には寝間着、下着姿で逃げ惑う連中までいるのだから、その混乱っぷりは分かるだろう。

 その理由は明確だ。あまりにもはっきりとしている。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 黒く、巨大な、鱗の無い竜の出現である。

 

 竜は元より決まった形のない生物だ。植物のようであったり、呪いの炎を纏っていたり、あるいはそもそも生物上では死んでいたり、魔物という生物の分類から外れた者達の中でも更に一際異常な仕組みを備えている。

 

『GGGGGGGGG――――』

 

 だが、今スロウスにあふれかえっている竜達には、形すら無かった。

 見れば、竜は、一応世間が想像しうる竜としての形を保っているが、かろうじてだ。頭はグラグラと揺れた、かと思ったらほんとうにそのまま首がもげて落下する。落下した竜の頭が変形し、小型の竜に変わった、かと思ったらその形が溶けて、地面に広がり、増殖を続ける。そしてその周辺一帯を“溶かして、食い荒らす”。

 

 粘魔のように、決まった形を持たず、そして全てを食らいつくす。

 

 これはまさしく、()()()()()()()()()()()

 すなわち、現在穿孔王国スロウスは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グラドル領は、魔物の出現、迷宮が少ない場所といわれている。

 その理由をハッキリとさせないまま、以前のグラドルの支配者は際限なく都市の拡張を続けていた。魔物が少ないという恩恵を使って、名無し達を奴隷のように酷使した。

 

 しかしその迷宮の出現数の少ない最大の理由を、プラウディアは把握していた。

 

 その理由とは、小中規模の迷宮は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グラドルは、際限なく拡張し続ける迷宮だ。色欲の大罪迷宮のように、生命の流転を繰り返しながら爆発的に拡張することは無かった。ただ少しずつ少しずつ、手頃な迷宮から食らい、そして一体化していく事を繰り返す。

 結果として魔物の出現速度は低下していた。しかしそれは、脅威が減っていった訳では無い。食らった迷宮を、グラドルは全て蚕食し、そしてそのエネルギーの全てを自分と自分の眷属竜たちに与え続けた。

 

 グラドル領の者達も、まさか自分たちの住まう土地が、グラドルの肉体によって支えられているなどと知ったら、恐怖したに違いなかった。最も穏やかな土地、とグラドルを評する者もいたが、その実態は、いつどのタイミングで、大罪竜グラドルが気まぐれで地表の全てを食い荒らすかも分からないような、狂気の土地である。

 

 さて、そんなグラドルの、それも眷属竜の類いがなにゆえにこんな所にいるのか。ジースターは知らない。少なくとも今日呼びつけられたらこの有様だった。知るよしも無い。が、一方でなんとなく想像はついた。

 

 絶対あの魔王の仕業だ。

 

『GGGGG』

「ひ、ひい、ひいいいい!!!?」

 

 目の前で、あられもない格好をした女が悲鳴を上げながら転んだ。足下にみるみるうちに黒い液体が満たされていく。後数秒もすれば彼女の身体は黒い液体に飲み込まれ、吸収されて、骨すらも残らないだろう。

 

 ジースターはため息をついて、自分の外套を握った。

 

 すると外套が輝き、力となる。七天に与えられた太陽神の加護の一つ。自在に形を変える無形の加護。あらゆる力を――――七天の加護すらも――――再現するその力を、ジースターは自らの両手に纏わせた。

 

「【疑似再現:破邪天拳】」

 

 美しい鐘の音が響く。と、同時に、女を食らわんとした無形の竜が一気に弾き飛ばされる。魔力によって維持されていた竜の肉体が解けて、形を維持できずに吹き飛んでいく。ただでさえ、身体を液体のような単純な形に変形させていたのだ。そのもつれをなくすだけで、竜は身体が消し飛ぶ。

 最も、竜の強固な繋がりを砕くほどの【消去(レジスト)】を敵を対象に一方的に行えるのは、【天拳】くらいだろうが。

 

「やはり、使い勝手は天拳が一番だな」

 

 ジースターはうんうん、と納得する。

 七天の力を再現できる天衣の力を操るジースターは、実感としてほかの加護の使い勝手を理解している。体感で天拳は最も使いやすく、強力だ。シンプルさで言えば、天剣も近いが、しかし天剣の場合は使い手のセンスがモロに出る。せいぜい目の前の敵に絶対両断の剣をたたき込むくらいしかできない。

 

 ――天衣の力の再現は時としてオリジナルを凌駕する

 

 などという話を、加護を授かるときに天賢王から伺っていたが、ジースターにはそこまでの再現は出来ない。自分は非才の身だ。ユーリのような怪物ではない。と誰に向けてかも分からない言い訳をジースターは頭の中で呟いた。

 

「たす、助けてくれてありがとう!!!おじさ、おじさま!!」

 

 そうしていくウチに、どうやら自分に助けられたと気づいた女がこっちにかけよってきて、抱きついてきた。汗と香水の匂いが入り交じり、やや不快だったが、流石にかわいそうだったので顔に出すのはやめておいた。この異常事態だ。汗くらいかくだろう。

 

「良いからさっさと逃げろ。向こうの広場ならまだ浸食は無い」

 

 ぽんぽん、と彼女の背中を叩きながら引き剥がし、冷静にジースターは誘導する。向こうの広間は、魔導機使いの魔術師達が集まっていた。おそらくスロウスの燃料を使った魔導機の結界を発動させるのだろう。と、なればいくらグラドルの竜を相手にしても、しばらくは持つはずだ。

 だが、そう言うと女は泣きそうな顔になった。

 

「私一人で!?おじさまも来てよ!」

「泣き言を言うな」

「一緒にきてくれたらイイコトしたげるからあ!!」

 

 必死である。気持ちも分かる。が、ジースターはきっぱりと首を横に振った。

 

「俺には嫁がいる。子供もだ。諦めろ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 それでも執念深くこちらにすがりつく女に、守りの魔術の加護を重ねてかけて、そのまま背中を押して別れた。チラチラと振り返ってきたが、流石に黒い竜の濁流を割って入るように進んでいくジースターの後を追う勇気は無かったらしい。彼女は必死に走って逃げた。

 

 よしよし、と、ジースターは安堵する。こっちについてきてもらっても困る。どう考えたって、自分と一緒に居た方が死ぬ確率が高いのだ。こんな場所にいるとはいえ、まだまだ若く、先のありそうな女に目の前で死なれると気分が悪い。

 

 そんな風に考えながらも、ジースターは天拳を鳴らしながら先に進んだ。そして、

 

「…………変わらず、趣味が悪い」

 

 目的地にたどり着いた。

 

 穿孔王国スロウスの中心地。

 すなわち、魔王ブラックの住まう場所(大抵、あの男は留守にしてるが)

 

 黒の王城――――【魔王城】である。

 

 穿孔王国スロウスの中心であるその魔王城の外見は、一言で言うならば、悪趣味だ。通常の都市国の中心である神殿の造形は、やはり都市国に見合うだけの立派な造りをしている。が、大罪を押さえる役目を担った神殿で強欲さや傲慢さが面にでるのは望ましくないとされ、どの神殿の外見も神聖で厳かだが、必要以上の華美は押さえられている。

 

 ところが、この魔王城にはそういった配慮は微塵も無い。

 

 巨大で、派手で、自己主張が激しい。威圧的で見る者を怯えさせる。城主の趣味か思いつきか、通常の都市国ではありえない魔物達を模した様々な石像が建ち並んでいる。足を踏み入れる者を歓迎しようという配慮が微塵も無い急勾配の階段を上った先に、禍々しい巨大な正門が姿を現す。神殿の様式とは正反対の造りが魔王城のありようだ。

 

 城の主の性格がにじみ出ている。

 

 ジースターはそうぼやきながらも先に進み――

 

「逃げろおぉーーーー!!!!」

 

 直後、魔王城が爆発四散した。

 

 家族よ。お父さん、仕事頑張るけど死ぬかもしれん。

 

 ジースターは遠い目になりながら、思った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穿孔王国スロウス―――最後の日②

 

 

 穿孔王国の魔王城。

 

 イスラリアのどのような場所で会っても、似たような建物を見ることはまず無いだろう。神殿の目的は神と精霊を崇め、奉ることにある。そこに住まう神官達を崇めるのは、目的が異なる。かつての歴史を引きずり続けていたグラドルすらも、最低限、神と精霊を崇める体裁は整えていた。

 

 魔王城。王のための城。王を崇める城。

 

 そんなものは、イスラリアでもここにしかありはしない。

 

「退避退避退避ぃ!!」

「壁に触るな!どこが竜になってるかわかんねえぞ!!?」

「地下に行くな!!もう粘魔でいっぱいだぁ!」

 

 その魔王城が、滅びかけていた。魔王城に住まう住民達。恐ろしき、魔王の配下達、この土地、この場所でしか存在することも許されないような邪悪なる彼らは、阿鼻叫喚の有様で逃げ惑っていた。

 

 その理由は一つだ。

 

「何やらかしてくれよんじゃあの超絶バカアホ魔王!!!」

 

 魔王ブラックが、やらかしたのだ。

 

 いつも通り、あるいはいつも以上に。

 

 ――ちょっと面白いことおもいついたからやってみようぜ?

 

 という、最悪に軽いノリでめちゃくちゃをやらかし出すのは、いつもの魔王といえばそうではある。そのたびにスロウスは大騒ぎになるし、スロウスの住民も悪ノリが過ぎて、いつの間にか魔王ブラックの思いつき=危険なお祭り、なんていう思想が定着しつつあった。

 

 しかし、今回のはとびっきりである。洒落になってない。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!』

 

 ()()()()()()()()()()()()()黒い液体、暴食の竜の眷属である粘魔達の進行はすさまじかった。何せ処理がしづらい、というよりも()()()()()()。一見ただの粘魔と変わりないように見えて、その増殖スピードが桁違いだ。

 完全に竜を焼き払った、と確信しても、ほんの一滴、竜の身体の一部が残っているだけで、それが周囲を無限に食い荒らし元の身体以上のサイズに豹変している。

 しかも、その膨張に際限はない。

 

「いかん死ぬぅ!!?」

 

 また一人、魔王城の住民が粘魔に吞まれようとしていた。

 老いた小人だった。魔王城の研究者である白衣を泥まみれにさせながら彼はどたばたと走り回るが、まったく追いつけない。走っている地面も壁も何もかもが全て竜の泥に変貌していく、全てが、喰われていくのだ。

 

 食らうというよりも、最早同化に近い。

 

 魔王城でブラックが築き上げてきた何もかもが、不定形の怪物に変わっていく。そしてその男も――――

 

「【天剣・削鋸】」

 

 だが、男の首に届くよりも早く、突然出現した光の“丸鋸”が、彼の周囲にあった黒い粘液を根こそぎに抉り、削った。

 

「おあああああああああ!!?」

「喧しいぞ、ゲイラー」

 

 そう言いながら、男の首根っこをひっつかんで自分の後ろに下げさせる。ゲイラーと呼ばれた男は、自分を救った者の顔を見て、目を見開き、歓声を上げた。

 

「ジ、ジースター!!?助かった!!」

「助かってないぞ。下がれ」

 

 男の賞賛を無視して、ジースターは目の前の状況の変化に舌打ちする。天剣で空間をまるごとそぎ落とし、粘魔を抉り、散らし続ける事で粘魔の浸食は収まって――――いなかった。

 ゲイラーを今にも食らおうとした竜は、地面まるごと砕いたが、代わりに壁や天井に暴食の浸食は進行した。最早魔王城の一部は【暴食の竜】そのものとなっていた。あと数分もすれば、間違いなく城がまるごと竜になってしまう。

 

『GAGGGGGGGGGGGG!!!』

「早くも成体になりつつあるのか…………しかも」

 

 ジースターは気づく。この粘魔の竜たちは、ただ、膨張し続けているだけではない。

 得体の知れぬ、甘い匂いが、粘魔の竜から漂っている。その匂いは覚えがある。何故ならそれは、穿孔王国スロウスの至る所から漂っている匂いだからだ。

 

 大罪竜スロウスの腐敗物の匂い。万物を腐らせる腐敗臭が、竜達から漂っている。

 

『GGGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

「………あの大馬鹿、スロウスの腐敗資源、魔王城に保管してたな?」

 

 それを、グラドルが食らったのだ。結果、スロウスの性質を獲得してしまっている。

 

 無限に膨張し、無限に腐らせる。

 

 考え得るだけで最悪のコンボである。プラウディアだって、そんな危険な合成竜は生み出そうとはしていなかった。絶対に手に負えなくなるとわかっていたからだろう。

 

 それを生み出す環境をうかつにも放置している魔王の危機意識は竜以下だった。

 

「魔王の尻拭いとは、最悪の仕事だ」

 

 そう、ため息をつきながらジースターは天衣を広げる。一見して外套のようなサイズだったものが、爆発的な速度で広がり続ける。使い手の意思と共に形を変える天衣は、魔王城を覆うような規模で展開し続けた。

 

 そして、広がりきった天衣に自らの意思を乗せる。

 

「【疑似再現:無尽の魔力――音響きの石壁――66個】&【破邪天拳】」

 

 天魔の魔力により【石壁】の魔術を再現し、そこに破邪天拳の音を重ねて反響させる。

 

 大陸の大穴に生まれた穿孔王国スロウスに、美しい鐘の音が一気に響き渡る。味方や、弱者を害することも無く、ただ、悪意をもたらす者だけを誅する聖なる鐘は、悍ましき腐敗と膨張の竜の身体を一気に破壊する。

 

『GGG   GGG    G        』

 

 膨張も腐敗も、超常的な魔力によって維持している。ならば、天拳はやはり有効だった。

 

 やはり、使い勝手は最高だな。

 

 グロンゾンが七天の筆頭である理由も分かろうというものだ。当人の圧倒的な戦闘力も合わせると、無双に近い強さとなる。敵は一方的に、魔力に由来するあらゆる攻撃が打ち消され、一方でグロンゾンは天拳の強化を受けて一方的な暴力をたたき込めるのだから、反則と言っても良い。

 

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()惜しいのだが――――

 

「ふう!たすかった!うむ!流石七天だ!!いつもは忌々しいがこういうときは頼りに――――おおうふ!?」

 

 なにやらヘラヘラと笑うゲイラーの首根っこをジースターは掴む。

 

「お前の賞賛はいらないな。それよりも、だ」

「な、なんだ?く、ぐるじいぞ!」

 

 老人相手に乱暴な、とは思わない。このゲイラーという男、魔王ブラックの元で働く魔術師の一人で、有能な男ではあるのだが、当然こんな場所に居る時点でろくでなしの類いである。危険な実験を繰り返しどこにもいられなくなった結果、魔王に拾われてここの研究者をやっている。

 つまり、あっぱらぱーの魔王の無茶振りにノリノリで応える筆頭である。配慮の必要性は皆無だ。

 

「あのバカ魔王はどこに居る。そして何をしたんだ」

「まて、落ち着け、魔王様を心配しているのは分かるが……」

「あの怪物が死ぬか。心配なのは大陸だ」

 

 ジースターは粘魔の竜ごと吹っ飛んだ魔王城の大穴から城下のスロウスの町並みを見る。あちこちから炎が吹き上がり、未だに悲鳴が響き渡っている。先ほどのジースターの一撃で、荒れ狂っていた粘魔らはなんとか消し飛ばした。が、早くも再び、あの音が届かなかった場所から再び黒い液体が噴き出しつつあった。

 

 ほんの一滴だけでも残せば、それが再び貪食を開始する。

 

 きりが無い、なんて次元では無い。このままだと確実にスロウスは全滅する。そしてそれだけで済めば“まだマシ”だ。

 

「このままだと、スロウスが再び禁忌領域に成り下がるぞ。スロウスで済むかも怪しい」

 

 無限腐敗と無限膨張だ。本当に、冗談でも何でも無く、スロウスを一瞬で食らいつくし、イスラリアをも浸食し、その果てを超えて全てを飲み込みかねない。とてつもなく不味い。一切の誇張抜きに世界崩壊の危機である。

 本当に、魔王が何を考えているのかまったく理解できない。あるいはこれ自体が狙いの可能性もあるが――――いや、たぶんあまり考えずに行動しただけだ。絶対そうだ。急ぎあの男の顔面をしばき倒そう。

 

「で、何をした」

「う、うむ、うむうむ……」

「さっさと言え。どうせろくでもないこととは理解している」

 

 もごもごと口を動かすゲイラーを揺する。どうせろくでもない答えが待っているのは分かりきっている。今更驚きも嘆きもするものか、と、ゲイラーの答えをまった。

 そして、ゲイラーも覚悟を決めたのか、大きくため息をつくと、顔を上げた。そして、

 

「魔王様がの?「【暴食】そろそろ喰わなきゃいけねえんだけど、ごたついてるグラドルにいちいち許可とって大罪迷宮を上層から数十日かけて潜るのチョーめんどくせーよなー。深層までのショートカットつくって?」とおっしゃったのじゃ!!!」

 

 ――――家に帰りたい。

 

 ジースターは心底そう思った

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 スロウスは名無し達の楽園だ。というのは嘘偽りだ。

 

 しかし一方で、魔術研究者の楽園ではある。

 

 ここには神官の目も、精霊達の目も無い。この世の禁忌を咎め、ルールを強いる者がいない。外の世界で白い目で見られるような研究だろうと、周囲が危険な禁忌に触れようと、咎める者はいない。

 

 誰であろう。魔王ブラックが禁忌に触れまくるのだから、それはそうだ。

 

 だから魔術師達の楽園で――――そして地獄でもある。

 「ここでこそ自分の力を発揮できる!」と、喜び勇んできた者は、大抵はすぐに絶望する。禁忌とは、それがどのように質の悪いものであっても、“守ること”を目的としているのが普通だ。どれだけ利己的な理由で誕生したものであってもだ。

 

 それが一切存在しない場所がどういうことなのかを、すぐに思い知る。

 思い知る頃には、その命を落とすことも多いのだが。

 今回もそのパターンだった。

 

「大罪迷宮の、最深層に、転移の通り道……なんだ、国まるごとの自殺か?これは」

「仕方在るまい!魔王様たっての頼みじゃ!!」

「いいように言うな。どう考えてもノリと勢いだろあの魔王」

 

 ジースターは魔王城の研究所に足を踏み入れていた。

 その広い研究室のど真ん中に、巨大な魔道機械が凄まじい光と熱を放ちながら起動している。異様な魔導機械だった。一部見覚えのある機構があるが、おそらく大罪都市エンヴィーの技術が組み込まれている。あそこから流れてくる研究者もここにはいる。

 

「……これを作った技師は?」

「起動時に竜に吞まれた」

「跡形も無いか…………制御できる者がいないなら今すぐ停止させろ」

「いかんぞ、魔王様がまだグラドル側にいるんじゃ!!」

「良い情報を聞いた。今すぐぶっ壊そう」

「やめんかあ!!」

 

 ゲイラーにひっつかまれて、ジースターはため息をついた。

 

 本当の本当に、正気の沙汰では無いのだ。

 迷宮へのショートカット、転移通路の存在自体は確かにある。そうでなければ、ありとあらゆる迷宮が一番上から順々に降りていかなければならない。が、それは空間が安定した“スポット”が有った場合であり、何処にでも自由にいけるものでは無い。当然、繋げた先の安全も、魔物出現に対する何かしらの封印措置も、用意できなければ話にならない。

 

 繋げた先の安全すら一切確保せず、大罪迷宮の最深層に繋げる。

 凶行以外の何物でも無い。

 繋げると言うことは、向こうからもやってこれるという事なのだから。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 今のように。

 

「【破邪天拳】」

「素晴らしい!!ジースター!この調子で頼むぞ!!」

「いつまでこの見張りをすれば良いと?」

「約束の時間まであと10時間!」

「その間にスロウスを餌場に世界最大の脅威が誕生するな」

 

 絶望である。本当に、やむなく機械を破壊する必要性はあるかもしれない。この状況で、魔王に離脱されるのは確かに痛手だが――――

 

「……む」

 

 喋っていると、不意に転移装置がバチバチと鳴動を始めた。身構えるが、転移装置が正常起動したことによって起こる光らしい。そしてこちら側から転移先へと移動する者は居ない。つまりこれは、

 

「おお!魔王様!!信じておりましたぞ!!!」

 

 ゲイラーや他の研究者達が歓声を上げる。そのなか、ジースターは静かに身構え、迫り来るものに備えた。そして、

 

『  G   G                    』

「ぎあああああああああああああああああああ!!!?」

 

 黒い液体が、門からあふれかえった。それも、今までの比ではないほど大量だ。この広い研究室を即座に埋め尽くす量の粘魔だ。

 

 ジースターは命の危機を直感した。

 

 グラドルの竜は大半が不定型だ。故に、区別はつかない。だから脅威を見分けるなら“量”だ。どれほどの体積まで膨張しているかで、その竜の強さを見極める。そして、今なお門から流れ続けるこの粘魔の量は、どう考えても成体を超えている。

 

 まさか、“大本”が来たか?

 

 その場合、暴食などする必要も無く、こちらに来るだけでスロウスが粘魔で埋め尽くされる。ジースターは逃げ出したい衝動を堪えながらも、身構える。

 天祈を通じてこの脅威はすでにプラウディアに伝わっているだろう。ならば時間稼ぎをしなければ――――

 

「【破邪――――」

 

 だが、彼の覚悟は無駄に終わった。

 

「ぎゃぁあああああああああああ!!!…………あ?」

 

 液体に完全に飲み込まれ、悲鳴を上げるゲイラーは、しかし自分がいつまでも粘魔の身体に溶かされて消えない事に気がついた。彼だけで無く、彼の同僚達も同じだ。ただただ、黒い液体に身体が飲み込まれて、服が汚れるだけだ。

 

 当然、竜が手心を加えてくれるわけも無い。ならばこの竜は、

 

「――――死んでる」

 

 竜の死体が流れ込んできているのだ。

 無論、それでも膨大な量だ。放置すれば魔王城は沈没しかねない。しかしジースターは脱力しながらため息をついて、ぼやいた。

 

「なるほど、悪いものを食べたか」

「だぁぁぁああれが悪いものだってぇええ?!ジースタァ!!」

 

 次の瞬間、液体の中央から声と共に何かが飛び出した。混乱を引き裂くような禍々しい声と、身体から噴き出す黒い光、粘魔の竜を“台無し”にする力を放ち続ける禍々しいその男の元気そうな姿に、ジースターはため息をついた。

 

「【天剣】」

 

 そのまま転移の門を断ち切る。激しい火花が散ると共に門が閉じる。液体の流入は止まった。研究者の何人かは「ああ!」と嘆きの悲鳴をあげるが、竜の死体で溺れ死ぬなどという悍ましい最後を迎えるよりはずっとマシだろう。

 

「魔王様!!ご無事でしたか!!!」

 

 そしてゲイラーはといえば、だれよりも素早く、帰還した自らの主の元へと近づいていった。

 

「転移装置は成功したのですかな!?」

「いーや大失敗。時空の狭間に飲まれて体感10年くらい迷子になって6回くらい死んだわ俺。しかも敵も使いたい放題。二度と作らない方が良いな!!」

 

 そしてがっくりと膝をついた。

 そんな彼を無視して、魔王はジースターへと近づき、そして楽しそうに笑った。

 

「よお、()()()()()()()()?遊びに来たのかい?」

「仕事だ。無事の帰還を残念に思うよ。魔王」

 

 いつものやりとりをしながら、ジースターは楽しそうな魔王を冷めた目つきで睨んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穿孔王国スロウス―――最後の日③

 

 

 穿孔王国スロウスの広場にはスロウスの住民達が集まっていた。

 

 スロウスに住まう住民は様々だ。種族が、というだけの問題では無い。こんなろくでもない場所に流れ込んで、逃げ出すこともせずにここに居座ることを選んだ、筋金入りのはぐれ者達の集まり。通常の都市以上に、性別も種族も年齢も目的も何もかもバラバラだった。

 

 そんなバラバラな彼らが一カ所にあつまり、

 

「も、もうダメだぁ……!」

 

 そして絶望している。

 

『GGGGGGGGGGGGGG……』

 

 スロウスの魔導技師達が生み出した結界の周囲には、大量の粘魔の竜達が蠢いた。

 強力な燃料を使い生み出された結界に触れるたび、粘魔の竜たちはその身体を弾き飛ばされ、砕けていく。だが、そのたびに別の形に変わっていく。結界の内側から術者の何人かが攻撃を加えるが、それも通じているのか通じていないのかわかったものではない。

 

 ろくに撃退することも出来ず、もたついている間に敵はみるみる増幅していく。

 自分たちが住んでいた家も、なにもかもが醜い化け物に変わっていく。

 まさに悪夢だった。そして、それだけでは終わらない。

 

「っひ!?」

 

 結界の内側に居た者が悲鳴を上げた。その視線は周囲でうごめき増殖し続ける竜達に向いては居ない。その視線は、自分たちの足下に向いていた。

 

『        G   』

「う、うわああああああああああ!?」

 

 彼らの足下、地面が、喰われ始めたのだ。

 グラドルの竜が、大地だけは喰わない道理などなかった。万物を食らい尽くし、そのものと化す。ただ、目に見える範囲だけを阻むだけでは、足りなかったのだ。

 だが、それが分かっていたところでどうにもならない。

 

「ま、不味いぞ!!逃げろ!!?」

「何処に逃げるんだよぉ!?」

 

 踏みしめている大地が消えて無くなることに備えられる者なんていない。

 皆がうろたえ、しかし逃げ出すこともままならない。彼らは絶望の内に、暴食の竜たちにその命を食い潰されようとしていた。

 

 しかし、

 

「【愚星混沌】」

 

 次の瞬間、今にもあふれ出そうとしていた粘魔の全てが闇に飲み込まれた。炎のように揺らぎながら、しかし熱を持たず、温度をまったく感じない冷たい闇が、粘魔を覆い尽くす。次の瞬間、何もかもが崩れていく。

 

『  G                 』

 

 竜が形を保てなくなっていく、のではない。粘液の竜という形そのものが、崩壊していく。グズグズとした、何の意味も持たない灰のような有様になって、最後は風に吹かれて散っていく。そしてその現象はここだけでは無い。スロウスの全域に発生していた。至る所から出現し、膨張を繰り返していた竜達が、消えていく。

 

 悍ましいとしか言いようのない暴虐を、しかし、スロウスの住民達は知っていた。

 

「あっけねえな?ま、根元が消えちまったらこんなもんか」

 

 何もかも嘲るような声と共に、崩れて消えていく粘魔の向こう側から、黒い男が近づいてくる。その姿に気づいた住民達が次々に、声を上げ始めた。

 

「魔王」

「魔王様だ!!」

「おお……!!」

 

「よお、生きてたか、運が良いねえ?路傍の石ころども」

 

 自身の国民に魔王は笑いかける。それに対して国民達は一瞬押し黙り、そして、

 

「――――てめえ今度は何しやがったんだごらぁ!!」

「思いつきでアホしてどや顔するんじゃねえボケェ!!!」

「ツケ払えボケ魔王!!!」

 

 石を一斉に投げつけた。

 

「あれえ、ここは歓声に沸くとこじゃね?」

「純粋に人望がカスだな」

 

 石やらゴミやらなにやらを投げつけられて首をかしげる魔王を盾にするようにしながら、ジースターは呆れた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 かくして、穿孔王国スロウスは平和を取り戻し――――ては、いなかった。

 大罪迷宮グラドルの侵攻はあまりにも莫大な被害をもたらした。ありとあらゆる物質を食い荒らし、ヒトすらも容赦なく食い殺し続けた悍ましき粘魔の竜のもたらした損害は、都市の維持限界をあっけなく超えた。

 

 成り立ちからしてむちゃくちゃな穿孔王国を維持していたのは、スロウスの腐敗資源だ。

 

 しかし、その資源を“活用”する為には、多くの人材や技術、施設や知識が必要だった。それらが根こそぎに消えて無くなったのだ。本当にどうしようもなくなった。

 

 穿孔王国は、あっけなく滅亡した。

 

「やー、滅んだなー俺の王国。あっけねー」

 

 その惨状を前に、ブラックはケラケラと楽しそうに笑った。なんとか生き残った酒瓶を口にくわえながら、廃墟となった穿孔王国の建物から無事なものを取り出そうとしている国民達を肴にしている。

 正真正銘のロクデナシである。と、どこぞの民家から発掘した椅子に座り込みながら、ジースターは呆れていた。先の国民達の反応も道理である。事実、彼は思いつきで自分の国を滅ぼしたのだ。死人だって多く出た。あの場で殺されたって文句も言えない所業である。

 

 が、しかし、

 

「おーい魔王。そこ邪魔だからどけよ」

「魔王様ーここのがれき邪魔だから消して-」

「おっさん、腹減ったんだけど、なんかねえの?お菓子とか」

 

「おーおーうっせえうっせえ。自分の国を失った哀れな王様をちゃんと慰めろ雑魚ども」

 

 この男は、奇妙なことに、敬われてはいないが、慕われてはいた。

 これが彼のカリスマなのか、あるいは元々この国の国民もロクデナシで、奇妙な具合にバランスがとれてしまっているのかは分からなかった。

 

「ひでえ国民どもだ。そう思わねえ?ジースター」

 

 わらわらと集まってくる国民達を散らしながら、こちらに話しかけてくる。一通りのけが人の治療を終えたジースターはため息を吐き出した。

 

「そう思うなら、彼らを手伝ったらどうなんだ?」

「いやだよめんどくせえ。どうせあらかた無事なもの回収できたら、プラウディアにいくしな。敵の国の国民になる奴らになんで手心加えなきゃならねえんだっての」

 

 スロウスの国民たちは犯罪者か、そうでなくともはぐれ者の集団だ。国が滅んで逃げ出したからといって、逃げる先がない、という者も多い。

 しかし、彼らはすでに、プラウディアに逃げる事が決まっている。もちろん、それに従うつもりもないものもいるが、そう望む者は、そこに逃げることが許されている。誰であろう、天賢王アルノルドから。

 

「王とは確約済みか。スロウスの崩壊も予定通りと」

「アルには言うなよお?国に被害が出るかもって約束取り付けたが、国まるごと眷属竜の囮にしたっつったらキレられる」

「だろうな。最悪の王様だ」

「だが、おかげで大戦果って奴だよ」

「この有様でか」

 

 ジースターが見上げると、無残な魔王城の姿が見える。どれだけ悪趣味でも、相応の威圧を放っていた建造物が見るも無惨だ。城も、城下も、何もかもが崩壊している。

 魔王が黄金級として名を馳せてから数十年、築いた何もかもを消耗して尚、ブラックは「大戦果」と平然と笑っている。

 

「国一個犠牲で、大罪竜討てたんだぜ?“切札”に被害が及ぶ事も無く、手に入ったしなっと」

 

 そういってブラックが懐から何かを取り出した。ジースターはそれを眺めて、眉をひそめる。奇妙な黒くて丸い水晶のようだったが、何故か異様な圧力を放っていた。

 

「……それは?」

「グラドルの【心臓】」

 

 さらりとブラックは告げる。

 

「こんな小ささなのか?!」

「そーだよ。グラドル領全域まで膨張しといて、本体がコレだからな」

「なんとまあ……」

 

 呆れるほどに最悪だった。グラドルの攻略を天賢王が完全にブラックに投げた理由も理解できる。これは真っ当なやり方ではとても攻略出来ない。

 どれだけむちゃくちゃなやり方であろうとも、この男でなければどうにもならない。

 

「グラドル超克完了っと」

 

 まるであめ玉のように、グラドルの心臓を口に放り込み、また一つ、イスラリア大陸最大の脅威が消えたことに、この場で気がついているのはジースターだけだろう。

 

「スロウス、プラウディア、ラスト、ラース、グラドル……」

「エンヴィーはグレーレの奴が財産全部消費して、なんとかしてくれんだろうさ。エクスの奴は死んでるかもしれねえけどな」

「残るはグリード……か」

 

 イスラリア最大レベルの驚異の一つが攻略出来た。にもかかわらず、ジースターの表情はまったく晴れなかった。対照的にブラックは実に楽しそうに笑みを深める。

 

「必然的に【最強】が残った。さてさて、勝てるかね?」

「できなければ、王も、お前も、竜も世界も共倒れだ」

「かくして世界は闇に包まれました。と、そうならないよう頑張ろうじゃ無いかジースター」

「憂鬱だ。本当に帰りたい」

 

 ジースターの嘆きは、滅んだ王国の喧噪の中に消えていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名も無き孤児院の老人と剣

 

 

 

 

 大罪都市プラウディア 名も無き孤児院 中庭

 

「…………見せろ」

 

 孤児院の主であるザイン、真っ黒なローブを纏った枯れ木のような老体の彼は、その身にそぐわない鋭い眼光と共にそう言った。

 彼の眼前には此処で暮らす孤児の少年が一人居た。手にはかなりボロボロになった木剣が握られており、彼の目の前には木剣よりも遙かにボロボロにくだけた案山子が突っ立っている。

 少年はその案山子に対して正面から構えている。当然相手は物言わず、反撃もしかける事もない案山子であるのだが、まるで魔物と退治しているかのように表情は真剣そのものだ。

 

「やぁああー!!!」

 

 そして雄叫びを上げ、剣を振り上げ、案山子へとふり下ろす。高く強い音が鳴った。

 その剣筋を、武力を生業とする冒険者や、騎士団の騎士達が見れば驚く事だろう。それは驚くほどに真っ直ぐで、身体の動かし方も無駄がない。武術の心得のある者から指導を受けなければ身につかないものだからだ。

 棒状の者を振り回すだけなら小鬼でもできる。剣術を学ぶ機会の少ない名無しであっても、武器を振り回すことは出来るのだ。しかしそれはどうしても我流となり、歪が生まれ、隙が出来る。

 身体もしっかりと出来ていない子供が、その身体にあった正しい姿勢を身につけるのは、当人の辛抱強い努力と、それを支える優秀な指導者の二つの要素が必要となる。それを満たすのは都市の中で暮らす都市民であっても容易でない。

 まして、名無しの孤児達が暮らす恐ろしくおんぼろな孤児院で、それを体現する子供が居るのだから、見るものによってはそれはあり得ない光景だった。しかしこの孤児院ではこの光景は毎日繰り返されている日常に過ぎなかった。

 

「や!!はあ!!」

 

 少年は幾度となく剣を振り、老人はそれを見る。やがて全ての型を終えたのか、少年は小さく呼吸を繰り返し、ザインを見た。

 

「どうだじーちゃん!!いけんだろ!!」

 

 問われると、ザインは暫し考えるように目を瞑ると、杖を1度地面につき、口を開いた。

 

「攻撃と攻撃の合間、隙が大きい」

「う」

「徐々に構えが雑になり大ぶりになる。攻撃に意識が行き過ぎだ」

「ぐ」

「息が上がるのが速い。体力が全く足りてない」

「ぐへえ……」

 

 容赦ない言葉攻めで、意気揚々だった少年は打ちのめされて膝を突いた。その様を見てザインは溜息をついた。

 

「だが、及第点か。狩り組への同行を許す」

「ま、マジか!やった!!」

「ただし暫くは武器は携帯のみ。見て学べ」

 

 ザインが行っているのは、少年に対する冒険者になるための手解きだった。

 少年は名無しだ。”名も無き孤児院”では15になるまでは名無しであっても都市滞在費用が免除されるが15になったら都市に滞在費を納めなければならなくなる。それまでの間に生きていくための術を学ぶ必要がある。ザインが教えてるのはそれだ。

 武術以外にも文字の読み書きに算術、最低限生きていく上で必要なものはこの孤児院で習得できる。時として貧しい都市民の子供までやってくるくらいには、学び舎として充実していた(見た目に反して)

 なので、冒険者、と言う選択肢は正直なところ余り利口な選択ではない。冒険者よりは稼ぎが少ないが、名無しであっても命のやり取りとは無縁の仕事はプラウディアには存在している。ザインならそちらへと導いてやることも出来るのだ。

 ところが最近、冒険者を希望する孤児が多い。というのも、

 

「わかったよ!なー、じーちゃん!!」

「なんだ」

「俺冒険者になれるかな!!」

「努力を忘れず、勇敢さと臆病さを忘れなければ、生計を立てることはできるだろう」

「じゃあさ!ウルみたいになれっかな!?」

「やめておけろくでもない」

 

 ザインは何時もの調子で即答した。

 冒険者の志願者が増えている理由はこれである。【灰の英雄】、ウルの名が孤児達のみならずプラウディアを、あるいはもっと広くイスラリア全土を熱気に包んでいる。それに当てられた子供が増えたのだ。

 この少年は元々、冒険者志望であり、その為の訓練を積んでいたのだが、ウルの話題を聞いてからというものの、その熱が更に加速した。やや危うい程に。

 

「でも、ウルって此処の出身なんだろ!?だったら俺も!!」

「ヤツに冒険者の手解きを仕込んだ事は無い。」

「え、マジで!?」

 

 ザインがウルに仕込んだのは道徳であって武術ではない。最低限の都市の外で生き抜くための知恵の仕込みくらいはおこなったが、そもそも彼が強く希望し積極的に学ぼうとしていたのは読み書き算術の方だ。

 彼は冒険者になどなる気はさらさら無かった。

 

「此処の出身者であるから特別になれるなどという思い上がりは早々に捨てることだ。下らないところで転ぶことになるぞ」

「うーん……でも、じゃあどうやったらウルみたいになれんだ?」

「なろうと思ってなれるものでは無い。なろうと思うものですらない」

 

 そう言うザインの表情は、何時もの無愛想な表情の彼が、更に硬い顔をしていた。少年も珍しいものを見たというように目を丸くさせている。その彼の表情に気付いたのか、ザインはすぐに表情を戻すと、何時もの調子で杖で地面を叩いた。

 

「時間だ。片して、野草を採取してこい。お前が引率しろ」

「ちぇー。わーったよ」

「文句があるなら茶の量を増やすぞ」

 

 そう付け加えると、少年は風よりも速い速度で木剣を片して立ち去っていった。

 よっぽど茶が嫌いらしい。ザインはそのまま振り返り、庭先へと視線を向ける。少年が立ち去ったあとは誰も居ない。古びた案山子が立ち、今にも倒れそうな痩せ細った庭木が頼りなく風で揺れるのみだ。

 しかし彼は視線を逸らさず、声をかける。

 

「それで、引退した老いぼれに何用だ。天剣」

「…………気付いていたのですか」

 

 不意に、枯れ木の影から少女が顔を出す。

 蒼髪の獣人。幼き少女、しかしこの世界で最も苛烈なる剣を持った七天の一人、天剣のユーリが顔を出す。彼女はやや不満げに眉をひそめていた。

 

「先代勇者、気付かぬほどに耄碌していたのなら、用はなかったのですが」

「失敗したな。無視すべきであった」

 

 更に不機嫌な表情が濃くなる。しかしザインが気にする様子はない。そしてユーリも、いちいち彼の物言いに反応してはキリが無いと思ったのか、深々と溜息を吐く。

 そして本題を口にした。

 

「天賢王からの言づてです」

「断る」

 

 即座の返事だった。

 

「王の言葉です」

()()()()()()()()()()()()()()()だろう。断る。既に引退した老い耄れに頼るな」

 

 王に対する無礼の一切を許さない彼女であるが、ザインの言葉に対して彼女が何も言えなかったのは、彼の指摘が全て事実だったからだ。彼女が王に頼まれた言づてを、ザインは正確に理解し、その上で断った。

 無論、世界で最も偉大なる王の言葉を断るなど、通常であれば不敬極まる、どころか、処刑されてもおかしくは無い。そんなことが言えるのはザインくらいだろう。

 七天の中でも最強の勇者。太陽神と王からの加護を賜らずして無双の強さを秘めた勇者。彼は何者に対しても、膝をついてひれ伏す事はしない。する必要が無い。

 

「…………」

 

 その態度は、ユーリにとっては耐えがたい無礼である。が、彼女は剣を引き抜かなかった。王を信じ敬う。その為に彼女は力を使う。詰まるところ、力が通らない相手に、その傲慢は通してはならないというのが彼女の理念だ。

 いずれ、ザインを超えるほどの力を得ることを誓いながらも、彼女は言葉を続けた。

 

「貴方の弟子は、確かに小マシにはなりました。それは認めます。ですが」

「【超克】の戦いの途中で倒れると?力のみを見る若者らしい発想だ」

 

 杖をついて、ザインは中庭に転がる案山子を見る。此処で、子供達に剣術の鍛錬の役目をかっていた案山子だった。幾度も直されては打ち倒されるを繰り返した、歴史のあるかかしだった。

 そしてこの案山子に、ディズも剣を振るった事がある。ユーリもだ。

 

「貧弱であるが故に、何度へし折られても立ちあがる。泥にまみれようと、自らの内にある信念は潰えない。技術以外、伝えることは何も無い。今代は弱いが、()()だ。俺とは違う」

 

 ザインはハッキリとそう言った。

 そして、説得が不可能であることをユーリは悟ったのだろう。彼女は首を横に振ると、そのまま背を向け、立ち去ろうとした。

 

「待て」

「……何か?」

 

 にべもなく拒否してきたのに何のようだ。と、あからさまに不機嫌そうにユーリは振り返る。ザインは彼女の射殺すような目つきも気にすること無く、言葉を続けた

 

「既に【色欲】は終わったのだろう」

 

 ザインがそう言った瞬間、ユーリは先ほどよりも更に増して、驚いた。言うまでも無くそれは、絶対に誰にも明かすことの出来ない情報だったからだ。神殿内部の神官すらも、決して知ることが許されない情報だ。

 その秘匿を、彼は当然のように把握していた。

 

「【憤怒】はウルが喰らった。【暴食】は魔王が。【嫉妬】は間もなく。残るは【強欲】」

「……どこから」

「お前達、七天が行っている大事業の協力者は、何も“彼女”だけではない。」

 

 その言葉に、ユーリは顔を顰めた。それを無視してザインは言葉を続ける。

 

「お前はこの戦いが何か、理解しているのか」

 

 ユーリは身体の動きを止めた。沈黙を通そうとした。だがしかし微塵も動かず自身をみつめるザインの視線に折れたのか、首を横に振った。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう聞いています」

「なるほど」

 

 ザインは頷いた。素っ気ない応対に、ユーリは眉をひそめた。

 

「……それが何か?間違っていると?」

 

 問いに対して、ザインは首を横に振る。

 

「否、()()()。故に言っておく」

「何を」

「助言だ」

 

 ザインは杖をつきながら、ユーリを睨む。

 

「お前の双肩には否応なく、数多の命運がかかる事となる。迷うなよ」

「言われるまでも――――いえ」

 

 そう言いかけて、口を閉じると、ユーリは小さく頭を下げた。

 

「ご忠告感謝します。先代勇者。我が師よ」

「老い耄れに若者が頭を下げるな。さっさと行け」

 

 言うだけ言って、ザインは満足したのか、廃墟のような姿をした孤児院へと戻っていった。その姿をユーリは見届け、そして帰って行った。2度と振り返ることはしなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒険者ギルドの悩める金と銀

大罪都市プラウディア、冒険者ギルド本部、総会議室。

 

「では、本日はここまでとする」

 

 冒険者ギルド、ギルド長であるイカザの言葉で、部屋に設置されていた通信魔具の水晶が一斉に光を落とす。長時間行われていた“臨時会議”はなんとか決着となった。

 

「…………ふう」

 

 イカザはため息をついた。

 幾人もの違う思想の者達の意見をすり合わせる作業は、この立場になってからというものの何度もやってきた。慣れてきたはずなのだが、しかし今回は否応なく疲れがたまった。

 

 何せ、イカザ含めて、誰一人経験の無い未曾有の事態なのだから。

 

「お疲れ様です。先生」

 

 疲労に顔をしかめていると、横から琥珀色の紅茶が差し出された。イカザは微笑む。

 

「ベグード。すまないな。銀級にお茶くみなどさせてしまった」

「好きでしていることです。それよりも、大変でしたね」

 

 ベグードはしみじみと言った表情でそういう。イカザと同じく会議に参加していたが故に、理解していた。今回の会議の混沌っぷりを。

 

「大前提として、大前提を疑う者が出る始末だったからな。長引いた」

「正直、疑うしかない気持ちは分かりますよ」

「私もだよ」

 

 現役の銀級と、一線を退いたとはいえ黄金級であり、冒険者ギルドのトップがそんな風に苦笑いを浮かべる理由はたった一つだ。

 

 最近冒険者として復帰した()()冒険者の()()昇格問題である。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 冒険者ウルが、大連盟法反逆容疑でつかまった時、冒険者ギルドは騒然となった。

 

 当然ではある。なにせ、その時期、まさに世間全体を揺るがしていた移動要塞【竜吞ウーガ】を邪教徒の手から奪い取った冒険者がとっつかまったのだ。

 世間は大騒ぎしたし、必然的に冒険者ギルドに批判も集中した。

 

 イカザ含めた一部の冒険者は彼を擁護し、何かの間違いであると抵抗しようとしたが、流石に批判の勢いが強すぎた。“事情”を知らない冒険者達からの意見もあり、やむなく「指輪の一時的な剥奪および様子見」という判断を吞むこととなった。

 

 「完全な剥奪」としなかった当時の判断に、ギルドの内外では批判が起こった。

 「身内贔屓」「かつての黄金も墜ちた」と直接的にイカザを批判する声もあった。

 

 現在それらの評価が一転して「周囲の意見に流されず真実を見据えたリーダー」などいう賞賛が浴びせられる事に、「好き放題だな」と苦笑いが浮かんだものだった。

 

 そして現在、

 

「各都市のギルド長の最終判断待ちだが、おそらく彼の昇格は決まりだな。その後、昇格の式典の準備含め、数ヶ月はかかるだろう」

「そうでしょうね」

 

 イカザの言葉に、ベグードは特に驚くことも無く頷いた。

 

「何か意見があるのなら聞くぞ。何せ銅から金など、前代未聞が過ぎる」

「ありませんよ」

 

 肩をすくめる。表情と仕草は投げやり、というよりも、お手上げといった様子だった。

 

()に昇格するという話なら、私は口出ししていました。経験が足りない。時間と、回数をもっと重ねてからにした方が良いと。あるいは、既存の銀級にしばらくつけて仕事はさせるべきだと」

 

 銀級冒険者になると言うことは、それだけの責務が問われる仕事が回されることを意味している。冒険者がこの世界に求められる仕事は大きくなった。求められる能力も、なにもかも銅級とは違う。それを経験の浅い冒険者にいきなり回すのはあまりにも酷であると ベグードは理解している。

 若者の出世を妬んでいる。などと非難されることがあっても、ベグードは急激な昇格には、口出しできるときは必ず口を出す。

 

 ただし、それはあくまでも自分の理解の及ぶ範囲においてだ。

 

「黄金は、()()()()()()()()()()()()と言うことを理解しています」

「そうだな」

 

 黄金級冒険者、イカザは頷いた。昔を思い出すように、眼を細めて。

 

「黄金は、根本的に、目指すものでは無い。目標を定めて、進むものでは無い」

 

 銀級であれば、現実的だ。確かに大迷宮の踏破など、困難は多いが、それでも地続きの目標だ。絶え間ない努力、勇気と臆病のどちらも捨てずに選ぶ決断、そして幸運。それらが満たされるとき、銀級への道は正しく開かれる。

 

 しかし、黄金は目指したところでどうにもならない。

 

 黄金への道など無い。橋など無い。あるのは断崖絶壁だ。

 

「その断崖絶壁を飛び降りて、生き延びるような“何かしらの怪物”が到達する場所だ」

「先生もそうでしたか?」

「さあな。今思い返せば、何故あんな無茶が出来たのだろうという事は幾つもしてきたが」

 

 そんな風に「何故あんな事が出来たのか」と考えてしまう時点で、自分はやはり一線を退いたと言える。怪我の影響がどうというよりも、精神が丸くなってしまった。

 僅かでも疑問を抱けば死ぬような場所が黄金級だ。

 

 そしてその点において言えば、間違いなくあの少年は黄金級の素養を秘めている。

 

 世間から捨てられて、イスラリアの最も忌むべき場所から半年で駆け上がるなどと、運がどうとか、実力がどうとか、才能がどうとか、そんなものだけではどうにもならない。

 ベグードが「自分では計れない」としたのは正しい判断だと言える。しかし――――

 

「彼はどうなるでしょう?」

「心配か?」

「心配したところで、どうこうできませんが」

 

 黄金級昇格後の進路。というのはなかなか難しい。

 銀級なら、ある程度の既定路線がある。ベグードが提案したように、既存の銀級冒険者の依頼に同行しつつ、自分がこれから立つ仕事を覚え、糧とし、その後は自立する。

 あるいは、その経歴をひっさげて、騎士団の指導教官として引き抜かれる者もいる。冒険者ギルドとしてはやや痛いが、しかし最初からそれを目指す者は多い(さりとて、最初から引退を目標にして銀級に至れる者はなかなか多くは無いが)

 

 が、しかし、黄金級にそういった“既定路線”は存在しない。

 そもそも前例が少なすぎる。決まったルートというのは存在しない。

 

「はっきりとしているのは、()()()()()()()()()()()()()()()

「……黒炎砂漠の解放だけでも、一生にあるかないかの大事です。これ以上何かが?」

「私にも分からない。これは“勘”だ。」

「勘……」

「今はどこもかしこも浮き足立ってる。何が起きても、おかしくない。」

 

 イカザの指摘に、ベグードは眉間にしわを寄せる。 

 浮き足立つ。その言葉の意味は分かる。ウルの凱旋から、世間を取り巻く熱気のようなものは尋常では無かった。誰であろう、天賢王がその熱を後押しした。

 黒炎砂漠解放からの王の動きの速さは、意図したものであるのは明らかだった。七天達の動きも慌ただしい。

 

 何かが起きようとしている。冒険者ギルドに対しても公然と説明できないような何かが。それも、その流れにウルを巻き込む形で。

 

「備えます」

 

 ベグードは腰に備えた細剣の柄を強く握り、頷いた。イカザも同様に頷く。

 

「こちらもそうしよう――――しかし今は」

 

 そう言って、イカザは少しだけ肩の力を抜いて、微笑んだ。

 

「若き冒険者の無事な帰還と、偉業の達成を祝おう」

「――――確かに、それはそうですね」

 

 ベグードもつられて笑った。

 どれだけ異常な流れであろうとも、どれだけ先に激動の運命が待っていようとも、新たなる黄金級の誕生は、祝うべき事であることには違い無いのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市グラドルの嵐、そして一方その頃

 

 

 【灰の英雄の凱旋】

 

 この一報を受けたときの大罪都市グラドルは「えらいことになった」の一言だ。

 

 元々、【歩ム者】のギルド長の大連盟法反逆容疑の折り、グラドル側は苦境に立たされた。大連盟に仇をなす危険人物を雇っていたことを糾弾された。

 

 もちろん、グラドルからすれば寝耳に水だ。

 

 そんなことは知らなかった!

 いくらなんでも、あまりにも根拠が無く突拍子もなさ過ぎる!!

 むしろ自分たちも被害者だ!

 

 そんな風に反論したかった(実際そう反論した者もいた)が、結局は責任者として糾弾された。そうして立場が弱くなった方が“多くの者達”にとって都合が良かったからだろう。グラドル側も当然そのことに気づいてはいたが、指摘することはできなかった。

 グラドル側が【歩ム者】側に立っていたのは、つまるところ消極的な理由だ。

 いつの間にかその立場に追いやられて、まとめて殴られていただけの事だった。

 

「やはり、名無しの冒険者などを雇ったのが間違いだったのでは?!」

「我々に選択の余地はなかっただろうが……いつまで掘り返すのだその件を」

「しかしラクレツィア殿には責任を……」

「では貴君が代わるかね?あの女傑以外誰がこの有様を乗り切れるというのだ」

 

 必然的にラクレツィアの配下もグダグダになった――――が、あまりにも追い詰められすぎたが故に、彼らはバラバラになることはなかった。

 ここまで疲弊してボロボロになったグラドルの舵取りなんていう貧乏くじを引いた面々は、最低限の常識と、良識と、責任と、そして国への愛着を持っていた。そんな彼らを率いて、ラクレツィアはなんとか奮闘した。

 

「しかし……いつまでも出来ることではありません」

「ええ、分かっています。ラクレツィア様。ですが、今少し、堪えてくださいませ」

 

 数ヶ月前、ラクレツィアは“協力者”ともこの件で会話していた。

 

「貴方の手腕で、状況を恐ろしく長引かせることが出来たのは認めます。が、これはあくまでも時間稼ぎ。それは分かっているでしょう?」

「ええ」

 

 白銀の少女は微笑みを浮かべる。

 実際、彼女の“遅延作戦”によって、チェックメイト寸前だったウーガと、それを管理するグラドルは恐ろしい粘りを発揮したのは事実ではある。が、限度がある。いくら引き延ばそうとも、本質的な問題が解決しているわけでは無い。策謀によって彼らや自分たちが拭いがたい瑕疵がつけられたのは事実なのだ。

 

「もう1年も持ちません。この先打開策が無ければ――」

「反撃作戦は、現在蒼剣様と相談中です。必ず間に合わせるのでご安心を……ただ」

「ただ?」

 

 白銀にしては珍しく、やや言葉を濁すようなそぶりをする。珍しいものだと思いながらも、続きの言葉を促した。

 

「もしかしたら、もうあと、数ヶ月で、事態は好転するかもしれません」

「好転?」

「それも劇的に」

「たった数ヶ月で。この最悪の状態が魔法のように好転するのなら、見てみたいものですね」

 

 それを最初聞いたとき、ラクレツィアは冷笑した。そんな都合の良い展開そうそうに起こってたまるか、と。

 そして数ヶ月後、

 

「ラクレツィア様!!!黒炎砂漠の黒炎が全て消え去りました!!」

「待ちなさい。黒剣の壊滅という話……ではなく?」

「加えて【歩ム者】のギルド長であるウルがそれを成したと言うことです!!!」

「は???いえ、だからちょっと待ちなさい」

「天賢王アルノルド様は彼の功績を認めて凱旋パレードを行うことを決定しました!!!」

「待って」

「3日後です!!!!!」

「馬鹿野郎」

 

 好転した。

 それもちょっと、理解と反応が追いつかないくらいには爆発的に

 

 そしてそこから先は嵐であった。白銀からの協力要請の下、寝る間も惜しんでラクレツィア達は状況の応対に追われた。が、文句も言えない。これが最大にして最高の好機であるのは誰の目にも明らかだ。故に必死になって駆け抜けた。

 そして、全てが終わった頃には、グラドルは「英雄ウルを擁護し続けた慧眼の大国」と評判になっていた――――全くもって、いつの間にか、だが。

 例えて言うなら、爆発が起こって、必死に駆け回っていて、気がついたら敵が粉みじんに砕けていたような有様である。

 

 まあ、兎に角、そんなわけで、なんとかグラドルは首の皮一枚でつながったのだった。

 そして現在、

 

「以前よりも、もっと忙しくなるのはどういうことなのかしら……」

「不良品でも、社会を維持するための歯車の多くが抜け落ちたのは事実ですから」

 

 自身の執務室で、山のように積まれた書類を前にしたラクレツィアの嘆きを、ウーガから出向に出ていたカルカラは淡々と指摘した。

 

 彼女は正しい。

 

 今回の一件で、イスラリアという大陸に蔓延っていた多くの闇を払うことが出来たのは事実だった。が、しかし、そうして払われた者達の全てが、何一つとして社会に貢献できていなかったのかと言われれば、そんな都合の良いことが在るはずも無かった。

 彼らは不正を働く一方で、世の維持のために必要な仕事も与えられていた。例えその仕事を利用して多くの悪徳を重ねていたとしても、そこが空白になれば、機構は動かなくなる。

 

 グラドルで、カーラーレイ一族が滅亡したときと同じだ。

 あるいはあの時以上だろうか。今回は大陸全土で同じ事が起こったのだから。

 

 そして、この規模の粛正を行った以上、空白を埋め、再び機構を正常に戻すのは参加した者達の義務だった。社会が動かなくなって「これなら前の方が良かった!!」などという言葉を民の口から零させるわけにはいかないのだから。

 しかしまあ、これが死ぬほど忙しい。

 

「いい年をしたおばさんに、厳しい世の中ですこと」

「鬼教官殿ともあろうお方が、ずいぶんとお優しい」

「あら、今では貴方がウーガの鬼教官だと聞いていますよ」

「ラクレツィア様の薫陶のたまものです」

 

 かつて、ラクレツィアが神官の指導教官だった頃、カルカラはその生徒だった。

 当時、神官としての技術を教えるラクレツィアの指導は大変に厳しいことで有名で、当時の神官見習い達が泣いて逃げ出す事もよくあった。カルカラが現在ウーガで神官見習い達を指導しているのも、当時の経験を参考にしてのものだった。

 

 そんなわけで、二人は知己の関係だ。竜吞ウーガが本格的に稼働し、ラクレツィアがシンラとして働き始めてから、再び何度も顔を合わせるようになった。

 

「ウーガはどうです?」

「こちらと比べれば、穏やかですよ。無風と言っても良い」

「でしょうね。禁忌領域解放の大英雄。政治的には最早爆弾に近いもの。うかつに触ったら、火傷じゃすまないわ」

「早々に、天賢王が彼を囲ってしまいましたしね…………なんにせよ」

 

 カルカラは、肩の力を抜いて、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「エシェル様の周りが、穏やかなのは、良かった」

「……そう。それはなによりね」

 

 カルカラが神官見習いだった当時、ラクレツィアは彼女の事を心配していた。

 

 神官見習いの頃から、彼女はなにか暗いものを抱えていた。当時、すでにカーラーレイ一族に仕えていたので、そこで何かトラブルに巻き込まれていたのはラクレツィアも分かっていた。おそらくそれが、カーラーレイ一族の長女に関わることであるという事も。

 しかし、当時カーラーレイ一族は完全に神殿内を支配していた。ラクレツィアも踏み込むことは出来ず、そのことが心に刺さっていた。

 

 しかし今の彼女には当時の昏い部分は見当たらない。憑き物が落ちたようだった。そのことにラクレツィアは安堵していた。

 

「彼女の穏やかな一時を潰す者は何者であれ潰しますが」

 

 ……やや、行き過ぎている気がしないでも無いが、まあ、良いだろう。

 

「なら、一時の平穏が壊れてしまわぬよう、やれることをやりましょうか」

「エシェル様のためならば、私も全力を尽くします。ラクレツィア教官」

「努力に期待するわ。生徒カルカラ」

 

 元教官と元生徒は、目の前の書類の山をやっつける仕事を再開した。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラース解放が世界に激震を走らせてから一月。 

 

 ラースの解放によって浮かれる世間の裏で、世界は動き始めていた。

 

 しかし、それを未だに民達は知らず、未だ、禁忌領ラースの解放を祝い、それを成し遂げた英雄を讃えていた。常に魔に晒されているこの世界に、輝かしい未来が開けつつあるのだと疑わなかった。

 

 その期待の中心にして、英雄と讃えられているウルは――――

 

「…………」

 

 ウーガの内部に存在する小さな小川の前に座り込んでいた。

 

 今日は快晴だった。黒炎砂漠に居たときは、至る所から燃えさかった黒炎の熱の所為で気付きようがなかったが、今は冬の終わりの時期にさしかかっていたらしい。風は少し肌寒いが陽光は暖かい。そんな季節だ。

 美しい小川と、整備された草原。とても巨大な使い魔であるウーガの背中とは思えないその場所にウルはいた。そしてウルの傍らにはエシェルがいた。

 

「…………くぅ……」

 

 彼女は寝息を立てて眠っている。ウルの膝を枕にしている。

 単純に疲れているのだろう。焦牢の救助作業、囚人達の治療、そして地下牢の解放と寝泊まりする場所の決定、様々なことをなんとか整理し終えて、ようやく一息付けたのだ。ウルは寝かせてやることにした。

 

「……」

 

 その間、ウルは小さな釣り竿を握っている。どうやら驚くべき事にこの小川には魚が生息しているらしい。独自の生態系を整えたのだとリーネは言っていた。部分的な生産都市化をどうこうと説明していたが、説明してもらってもウルには理解は難しかった。

 とりあえず魚釣りを試しているのだが、今のところ一匹たりとも釣れる様子はない。

 

「ウル様」

「……あー、シズクか」

 

 不意に、声をかけられてウルは、身体を起こす。シズクが微笑みかけていた。

 最近、彼女は彼女で忙しそうにしている。事情を聞いて手伝おうかと思ったが「暫くは休んでおいて下さいませ」とやんわり断られてしまった。

 しかし、今のシズクは少し時間があるらしい。小さなバッグを片手に、緩やかなワンピースを纏った彼女はこの平穏そのもののようなウーガの光景にはよく似合っていた。

 

「エシェル様は?」

「寝てる」

「ウル様が牢獄にいる間、あまりちゃんと眠れていなかったようでしたので良かったです」

「そうかあ……」

 

 エシェルの頭を撫でると、彼女はこそばゆそうに少し笑った。

 

「釣れますか?」

「微塵も。本当に魚居るのここ」

「ジャイン様は時々、夕飯を取りに来られますね」

「へえー……岩ぶん殴って魚とるのは得意なんだけどなあ……」

「リーネ様が怒るので駄目ですね」

「駄目かあ……」

 

 ウルの隣りに座ったシズクは、小さなバッグの中からサンドイッチを取り出し。ウルへと手渡した。ウルはそのまま受け取り口にする。

 

「美味しいですか?」

「肉と草が美味い」

「良かったです」

 

 あまりにも雑な感想に対して、シズクは笑った。

 ウルはそのまま空を見る。陽光は天高く登っていた。眩いその光を一身に浴びて、ウルは小さく呟いた。

 

「平和だなあ……」

「そうですねえ」

 

 灰都ラースの解放を終えてから早一ヶ月。

 

 平和だった。少なくとも、ウルとウルの周りに限っては。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し

 

 【灰の英雄の凱旋】において、もちろん主役となるのはウルだった。

 

 彼は今回のラース解放の立役者であり、皆を率いた英雄だった。黒炎払いを率いていた組織の隊長はボルドーであり、それはウルも、他の黒炎払いも譲らないところではある。が、今回の一件を導いたのはウルだ。それもまた、全員が認めるところだった。

 

 だから今回の主役はウルだ。

 しかし一方で、黒炎払いの面々も、注目を集めるのは避けられなかった。

 

 ウルがたった一人で黒炎砂漠の全てをなんとか出来る訳もない。彼を手助けし、英雄へと押し上げた仲間達にも否応なく注目が集まった。しかも彼らの中には、元天陽騎士であったり、あるいは犯罪者であった者達もいるのだから、ウル以上に好奇の目線が集まった。

 彼らの冤罪は取り下げ、罪に対しては恩赦を与えるというのが天賢王の判断だが、それでも簡単に、何もかも無かったことにすることは出来ない。

 

 そして、そんな彼らの過去を掘り返そうとする輩の気配が増え始めた。

 

 ウルが英雄として祭り上げられた結果、彼に様々な感情を向ける者が出てきた。それは大多数が良い方面であるが、中には悪感情を向ける者がいる。そして、そういう者達にとって、黒炎払いの戦士達は、目に見えてわかりやすい()()だ。叩けば絶対埃が出る彼らを狙う者は多くなった。

 そして、それに対して、

 

()()()()に、難癖をつけられるのだけはゴメンだ」

 

 というのが、黒炎払い達の共通認識だった。故に対策が必要だった。

 

「兎に角、大きなギルドに入るなりなんなりしないとダメね。今の私たちは【黒炎払い】ですらない。“元”って言葉が頭につく」

「そっか!無職だもんな俺ら!」

「おバカ……」

 

 何せ、もう黒炎は存在しないのだ。大罪竜ラースの遺骸は破壊され、竜がこの地上に残した呪いは消えて無くなった。黒炎を払う必要はもう無い。

 

 ようは、自分たちは今どこにも所属していない宙ぶらりんだ。それは不味い。

 

 黒剣騎士団は真っ当な管理者とはとても言いがたかったが、一方で自分たちを結果的に外部の者達から守ってくれていたのは事実だった。

 彼らの代わりを探す必要があった。(勿論、彼らよりもマシな、という条件込みで)

 

 進路は二つ。

 

 一つは、【灰都ラース復興特別支援ギルド】だ。

 黒炎が払われた以上、ラース復興のための最大の障害が払われた。滅び去った砂漠を元の美しい都市国に戻そうという意見が各地から出るのは必然だ。しかし当然それには人員が必要で、その人員として焦牢の生き残り達が採用されている。

 彼らの多くは犯罪者だ。恩赦を与えられたとはいえ、それを危険視する声も多かったが、黒炎を払う代わりの新たな刑務としては自然の流れだった。監視付きで、彼らの多くは今も焦牢の解体作業や、復興作業に従事している。

 

「黒炎と隣り合わせの今までの労働と比べれば天国だ!」

 

 と、割と従順に作業をしているようだ。

 その復興作業に参加するというのが一つの進路だ。この組織の管理は天剣が承っている。彼女が直接派遣した天陽騎士達は、罪人達の監視をする一方で、彼らに悪意を向ける者達に対しても決して手を抜くことは無いだろう。信頼できる組織だった。

 実際、何人かの“元”黒炎払い達はこちらで働くことを望んだ。ラースという土地そのものにも愛着を持っている者が多かったのだ。

 

 そしてもう一つは――――

 

「――――俺さあ」

「何」

 

 ガザとレイは並んで立っていた。

 

 灰都ラースでの戦いから一月たった。英雄凱旋の時は無理をしたが、元々二人は傷を負っていた為、その治療が必要だった。凱旋が終わった後、そのままプラウディアの癒院で身体を休め、ようやく恐ろしい黒炎七天から受けた傷の治療も完了した。

 そして現在、

 

「ウルに、外で()()()()()()()()使()()()を管理してる仲間がいるって聞いてたんだよ」

「ああ、私も聞いた」

 

 ガザはその大きな口をぽかんと開けている。あまりにも間抜けな面構えだから、普段ならレイも口を閉じろと注意をするところだが、今日ばかりはその小言はなかった。

 レイも、口は開けないだけで、同じ気分だったからだ。

 

「正直、本当かよお、って思ってたんだけど」

「まあ、気持ちはわかる」

「ウルがめちゃくちゃなやつってのはわかったけどさあ。でも、移動要塞をギルドが保有するっておかしいだろってさあ」

「そうね」

 

 二人は、治療を終えた後、もう一つの進路へと向かっていた。

 【灰都ラース復興特別支援ギルド】とは違う、もう一つの進路、灰の英雄、ウルの勧誘を受けて向かった先。現在【焦牢】近郊に停泊している“ソレ”。【歩ム者】が管理している移動要塞。

 

「――――でっっっっっっっっっっっか」

「語彙のかけらも無い感想。同意見だけど」

 

 山のように巨大な【竜吞ウーガ】のスケールを目の当たりにして、驚愕していた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「よう、来たのか二人とも。身体の調子は大丈夫か?」

 

 スロープのようになった竜吞ウーガの尻尾を登った先で、ウルが出迎えてくれた事にガザは安堵した。プラウディアで凱旋式を行ったときかそれ以上に、場違いな気がしてなかなか気が気ではなかった。

 

「あ、ああ……もう大丈夫、なんだけど」

「ならよかった。案内するよ……っていっても、俺もまだ慣れてないんだけどな」

 

 そのままウルの先導のもと、ウーガ内部に歩みを進めていったがガザ達だが、中の光景は外の巨大さに負けず劣らずのすさまじさだった。

 

「まーじーでー都市が中にあるな…………」

「黒炎砂漠で、これ以上異様なものは見ることは無いと思ったのだけど」

 

 山の如く、巨大な大亀に似た使い魔の背に広がる美しい都市の光景。

 本当に、夢のような景観だった。死後に、太陽神の膝元にたどり着いた後に招かれる楽園と言われても信じられた。

 

「二人はウーガの防衛……まあ、都市の騎士団の代わりをやってる【白の蟒蛇】ってギルドに入ってもらうことになる。向こうにも話は通してある。他の黒炎払いの希望者は、先に加わってる」

「【白の蟒蛇】、焦牢に入る前……冒険者ギルドの出世頭って噂……どこかで聞いたかしら」

「ギルド長はぶっきらぼうだけど信頼できる男だ。安心してくれ」

「おう……っつーかおい!ウル!!」

 

 と、説明している間にウルの肩をがしりと掴んだ。

 

「なんじゃい」

「あったまおかしいだろ!?なにがどうなってこんなもん管理することになったんだ!!」

「本当に」

 

 レイも同意した。

 

「全くだ」

 

 ウルも同意した。

 

「おいコラ!?」

「俺も正直わっかんねえんだもん。ようやく慣れてきたかなってあたりで牢獄突っ込まれたしさあ」

「でも。ここを手に入れたのお前だって聞いたぞ!?どうやったってんだよ!?」

「成り行き」

「うっそだろ……?!」

「…………でもそういえば、ラース解放も成り行きだったわね。貴方」

 

 そういえばそうだった。この男はあくまでもラース解放は、焦牢から出るための手段であって、目的では無い。必要だからやっただけで、ただその結果、英雄になっただけなのだ。字面にするとすさまじさが尋常では無いが、そうなのだ。

 

「……何か前世でとんでもない罪を犯した?」

「最近俺もマジでそれを信じ始めている」

「単にこの世の終わりみたいに運が悪いだけじゃね?」

「みっともなく泣きわめくぞ」

 

 ウルは睨んだ。どうやら割と自分の運のなさを気にしてはいるらしい。

 

「……まあ、知っての通り、俺も長く留守していたから、ここの詳細は俺以外に聞いてくれ。っつーわけで行くか」

「何処に」

「トップの所」

 

 ウーガのトップ。それは流石にガザも事前に情報を仕入れている。ポンと手を叩いた。

 

「ああ、竜吞女王エシェル!」

「いきなり緊張するわね。女王様、どんなお方なの?ウル」

「わんわん」

 

 仕入れた情報の精度に自信がなくなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し② 女王様の謁見

 

 竜吞ウーガ、司令塔。

 

 この超巨大な使い魔の頭脳部分にして玉座。

 都市国の中心である神殿とは似て非なる塔の頂上に、女王の姿はあった。

 

「ウルから話を聞いている。ガザとレイだな」

 

 玉座に座る彼女は、昏い赤毛の獣人だった。美しいドレスを身に纏っているが、小柄で年齢も若く、威厳という点ではやや物足りない。

 

「優秀な戦士達だと聞いている。ここはトラブルも多い。期待している」

 

 しかし、見た目と若さに対して、その言葉遣いは堂々としていた。それはおそらく経験によるものだと分かった。繰り返し問題に直面し、その度に真剣に向き合ってきた者が持つ精神の余裕だった。

 それだけで、彼女はお飾りのトップではないのだと分かる。レイとしては安心できた。ただ、問題は――――

 

「【白の蟒蛇】には、すでに何人かの黒炎払いの戦士も加入している。彼らと合流して、仕事の流れを覚えてくれ」

「承知しました……ところで一つ良いでしょうか?」

「なんだろう」

 

 その女王が、がっしりと、ウルに抱きついて離れないところである。尻尾もなんだかぶんぶん動いてる。あまりにも異様な姿だが、何故か周囲で司令室の管理作業を行っている魔術師達は一切そこの光景に反応を示さない。

 

「…………」

 

 抱きつかれてるウルも何も言わない。全てを諦めている顔をしている。

 

「……その、ウルとの関係は?」

 

 踏み込んだ。

 すると女王エシェルは真面目な顔で頷いた。

 

「所有物だ」

「所有物……ああ、ウルは貴方のものと」

「私がウルの所有物だ」

 

 レイはウルに視線を向けた。ウルは目を背けつつ、手を上げた。

 

「……」

「誤解…………いや誤解じゃねえな。なあんも誤解じゃないわ。うん。一応そういう契約になってる」

 

 なにか釈明しようとしたが、途中でウルは全部諦めた。つまり今の彼女の発言は全部真実ということである。焦牢でもかなり大概な所業をしていたが、どうやら焦牢に来る前から大分やらかしてきたらしい。

 否応なくレイは大分冷たい視線をウルに向けることになる。が、すると、それを察したのか女王エシェルが手を上げた。

 

「安心してくれ」

「何がでしょう」

「私以外にも所有物になってる女がいる」

 

 レイはウルを見た。ウルは目をそらした。

 

「色々あったんだよ……」

「どう考えても「色々」で済ませられるもんじゃねえと思うんだが?」

 

 ガザの発言は、珍しく、そしてこの上なく的を射ていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 こうして、女王との謁見はひとまず完了した。

 

 正直言って、真っ当な謁見だったかは相当怪しかったが、女王のウルに対する態度以外は万事つつがなく話は進んだ。経歴に傷の多いガザやレイ、それに他の元黒炎払いの面々に対しても、偏見や差別なく接してくれることを公言してくれた。

 それは自分たちを信頼して、というよりも、ウルを信頼して、ということなのだろうというのは分かった。だからこそ、彼に感謝すべきなのは確かなのだが――

 

「……それにしたって、もうすこしなんとかならなかったの」

「ならなかった」

「ならなかったかあ……」

 

 ウルは即答した。ならなかったらしい。

 彼が、あの若さで【焦牢】にたたき込まれた時点で、あまり真っ当では無い紆余曲折があったのはレイも察してはいた。自分たちだってそうなのだ。あそこにわざわざ押し込まれるような連中は、よっぽどのへまをしたか、厄介ごとに巻き込まれたかなのだから。

 とはいえ、ここまで特殊な経歴の持ち主はそうはいまい。

 

「……なあウル、もう一人の所有物ってのは」

「シズクだよ」

「あーあの超絶美人の……すげえな」

「やめろ、畏怖の視線を向けてくるな。っつーかあの女に迂闊に近づくなよ」

「んでだよ?」

「喰われる」

「喰われるの?!」

 

 それだけの経験をして、ガザとあんな風に馬鹿な話しが出来るのは、大物と言うことなのだろうか。これを英雄の器と言って良いのかは相当怪しいが。

 

「もう面倒くさいから今度、酒の席で話聞かせろよ」

 

 道すがらに色々と聞き出そうとしたガザもとうとう諦めたらしい。

 

「そうね。無限に話題が出てきそう」

 

 確かにこれはもう、軽い雑談で聴取出来るような過去ではないだろう。焦牢に居たときもこういった話はしないでもなかったが、余裕は無かった。

 

 ウルに、ではなく、自分たちに。

 

「飲み会ね。だったらペリィのところだな。今日にでも顔を出すか」

 

 するとウルは笑ってそういった。その名前はレイも覚えがある。

 

「ああ、あのケチな詐欺師?彼もこっち来てるの?」

 

 焦牢でウルや“彼女”と一緒につるんでいた仲間だ。あまり真っ当な接触ではなかったが、結果としてウルに取り込まれて、仲間になってしまったというのは聞いている。

 レイやガザと直接接する事はほぼなかったのであまり面識は無かったのだが――――

 

「ここで酒場開いてんだよ。元々の懲役年数と恩赦で罪は清算されたらしいけど、ちゃんと働いて、だまし取った金を全部返すんだとよ」

「へえ?」

「ラースの決戦前に、アナにアドバイスもらってたらしい。そうするってさ」

「そう……」

 

 彼女の名前を聞いた瞬間、心臓が強く鳴り、痛んだ。彼女が、自らの意思で生き抜いたということは、ウルから聞いている。ボルドー隊長と同じように。だから、罪悪感を抱くのは失礼だし、ただただ悲嘆にくれるのも違うというのは分かっている。それでも痛みはどうしたって起こった。

 振り返ると、痛みの伴う過去はレイには多い。レイだけでなく、ガザにもある。他の仲間達にも。

 この傷は、焦牢で活動していた時は、癒えることはなかった。現在進行形でその渦中にいたのだ。癒えるはずもない。だから、焦牢で、ウルの話を深く掘り下げるようなことは、誰もしてこなかった。

 

 相手から過去を聞き出すと言うことは、自分の過去を話すと言うことでもあるからだ。

 

 灰都ラースを攻略する前は、とてもではないが、耐えられなかった。口にするだけで傷口から血が噴き出すのは分かり切っていた。

 だけど、全てが終わった今は、傷は少しずつ癒えてきている。勿論、新しい傷も増えてしまったが、それでも、過去と正面から向き合える程度には、回復しつつあった。

 

 酒の席で、傷を持つ者同士が、酔いと共に、彼女の思い出を話すのは良いかもしれない。そう思えること自体がその証拠だった。

 

「なあなあ、それよりも気になる奴がいんだけど」

 

 既にここに来ているらしい黒炎払いの面々も呼ぼうか、と思っていると、ガザがのんきな声を上げた。彼も薄情では無い。むしろレイ以上に失った者達の事を悼んでいた。それでもこうして元気でいるのは、タフなのかバカなのか。どちらにせよ、その態度に救われる部分はあった。

 

「どした」

「ほら、“王様”はどうなったんだ?」

「ああ、ダヴィネなら――――」

 

 と、ウルが説明しようとした時だった。通りに建設された真新しい建物。巨大な工房とおぼしき場所から、なんだか聞き覚えのある怒鳴り声が響いた。

 

「だぁかぁらぁ!!無茶苦茶言うんじゃねえぞ小娘!!」

 

 そしてその怒鳴り声に対して、まったく物怖じしない少女の声が返ってきた。

 

「やかましいわね。天才名乗るならこの程度の依頼たやすくこなしてみせなさいよ」

 

 二人の言い争いを聞きながら、ウルは頷いた。

 

「無茶ぶりされてる」

「ヘンな奴しかいねえの?ここ」

「もう否定しない」

 

 えらいところに入ってしまったのかもしれないとレイは思った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し③ 天才鍛冶師と珍客

 

 焦牢が崩壊してからしばらくした後、ダヴィネはしばらくの間は崩壊した焦牢で生活を続けていた。自分の愛用の工具類の回収や、それ以外でも崩壊した焦牢の解体作業をしている連中の為に道具をこさえてやる必要があったからだ。

 そして、ある程度落ち着いて、さてこの後どうするか、と考え始めた頃

 

「行くところが無いなら、ウチに来ないか。働く場所なら用意できる」

 

 移動要塞ウーガで近くにやってきていたウルに、ダヴィネは勧誘された。

 

「俺を評価するって事か」

「もう何度も言ってる。アンタはずば抜けた天才だ。それを認めない奴は本物のバカだよ。んで、そのアンタがフリーになるのに誘わないのは、ギルド長として間抜けが過ぎてな」

 

 ウルは頭を掻きながらそういう。

 自分の事を軽んじてはいないウルの言葉にひとまずは満足する。だが、まだ気になるところもある。

 

「熱烈な勧誘じゃねえか。まだ何かする気なのか」

 

 ダヴィネも既に、ウルがとてつもない偉業を成し遂げたというのは知っている。彼が、既に外では英雄扱いだと言うことも。つまり、うまく立ち回れば、いくらでも金を手に入れる事が出来るはずなのだ。

 なのにわざわざ自分を誘う理由は読めなかった。

 

「さあ。このまま行けば、俺の目的は達成しそうなんだが…………備えはしたい」

「備えだあ?」

「ト ラ ブ ル の 備 え」

 

 その言葉の重々しさに、ダヴィネはちょっと引いた。

 

「……まあ、お前はそうした方が良いと思う」

「理解してくれてありがたいよ。辛い」

 

 とりあえず、とりあえず彼が自分を本当に必要としているということは理解できた。ちょうどあらかた、この焦牢の解体作業で必要な道具の手配は完了したところだったので、ちょうど良いタイミングだった。

 

「言っておくが、とりあえず確保だけして放置、なんて雑な扱い認めねえからな!」

「心配するな、アンタの力を必要とする奴はいくらでもいる場所だ」

 

 こうして、前代未聞の移動要塞ウーガに、ダヴィネの工房が生まれる事となった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ワシの仕事場だ!!最高の場所を用意しろ!!」

 

 と、言うダヴィネの要望に対して、ウル達は即座に応じた。

 大通りの一等地、一番立派な建物がダヴィネの職場となった。ついでに看板にはでかでかと自分の顔を掲示させた。(ダヴィネが自分で作った)

 引っ越しを手伝ってくれた兄からは「自己顕示欲が酷すぎる」と呆れられたが、気にしなかった。コレまでと違って、まったく新しい場所で、しかも既に多くの者達が働いている場所に、自分のような天才が乗り込むのだ。絶対に齟齬が生まれると彼は警戒していた。

 

 後からやってきてでかい顔を、と文句を言ってくる奴は全員黙らせる!!

 

 と、それくらいの意気込みでいたのだ。

 が、しかし、

 

「おお!あんたが噂の天才鍛冶師か!!凄まじい腕だって聞いたぞ!!」

 

 ウーガで鍛冶仕事を既に任されていたというダッカンという男は、ダヴィネの工房を訪ねると、とても好意的に接してくれた。

 

「……おう、お前がダッカンか。言っておくがなあ」

「俺よりも腕が良いんだろう?!作品見りゃわかる!頼もしい限りだ!!ハッハッハ!!」

 

 バシバシと叩きながら、返事をする。彼の部下、とおぼしき者達もこちらを見る視線は好意的だった。なんというか、こういう職人の仕事場は、自分の領域を荒らしてくる輩に対しては排他的だと思っていたのだが(実際ダヴィネはそういうタイプだった)、全然そういった雰囲気は無かった。

 

「で、何のようだよ……」

「アンタを手伝って欲しいと頼まれとる!邪魔にはならんからここで働かせてくれや!」

「ああ?!言っておくが俺の技は盗ませねえからな!!」

「俺みたいな年寄りにお前さんの技は盗めねえよ!!安心しな!!」

 

 そんなこんなであっけなく、ダヴィネの工房は人手も確保完了し、稼働開始した。

 

 働き始めると、ダヴィネの仕事に対して多くの者達が感心し、好意的にその技を受け入れてくれた。その反応一つ一つが、ダヴィネにとって新鮮でもあった。

 鉱山にいた頃は、理解と関心なんてほど遠かった。物作りに手を出した自分を土人の仲間達は嫌悪した。蛇蝎の如く嫌った。自分たちの生業以外のモノに手を出すなんてとんでもない!と。

 地下牢の時は、クウの手によってあっという間に王様に仕立て上げられて、それ以降自分に向けられる感情の多くが畏怖だった。自分を必要として崇める一方で、いつ頭をかち割られるかという恐怖を向けられていた(度々癇癪を起こしていたのだから自業自得だったが)

 

 鉱山と地下牢、二つの閉鎖的な空間にしか居たことの無かったダヴィネにとって、ダッカン達から向けられる、シンプルな賞賛と敬意は未知の体験で、心地よかった。

 

 兄が、フライタンが外に自分を出そうとした意味が、少し分かった気がした。

 

 そして、同僚達とは別に、ウーガでの仕事もなかなかに楽しかった。

 

 ウルの言うとおり、仕事は次々に舞い込んだ。

 ウーガは過渡期だ。あらゆる仕事、あらゆる作業のトライアンドエラーが絶えず行われている。この前例の無い巨大な移動要塞で、どういった道具を使って、どういう風に働けば効率が良いか。それを皆、探り探りやっている。

 試して、失敗して、新しいやり方を導入する。その度に新しい道具を求める。それも、他の都市国で使われるようなものとは全く別の道具だ。

 

 つまり、ダヴィネの天才性を最も発揮しやすい職場と言うことでもあった。

 

「おらぁ!!新しい荷車と高所作業用の滑車だ!!使え雑魚ども!!」

「何でも作れるなアンタ!?」

「うっはー!!すげえ!!マジで軽い!!助かる!!」

「おっしゃああ!!働くぞてめえら!!」

 

 自分の道具を手にした働き盛り達が、大喜びで駆けだしていくのはなんとも心地がよいものだった。

 

 ここは、悪くない。そう思えた。

 

 ダヴィネの新生活は順調だった。

 なんだかんだと忙しい日々の中で、やりがいをダヴィネは感じ始めていた。

 そんなある日。

 

「ここにとてつもない腕を持った鍛冶師がいるって聞いたのだけど?」

 

 クソヤバ女がやってきた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し④ 天才鍛冶師と珍客Ⅱ

 

「腕を増やしたいのよ。できればあと4本」

 

 橙色の髪の小人の開口一番でダヴィネの脳裏に星空が広がった。

 

「人体拡張、延長の魔術は成功したんだけど、想像以上に心身の負担が大きかった」

 

 ダヴィネは黙って彼女の話を聞いた。

 というか返事するタイミングが無かった。そもそも何を言ってるのかわからん。

 

「細かな作業は私自身がやるしかないけど、ルーティンを組める部分は自動作成できないかと考えたの。そこでこれ」

 

 ダヴィネが一切返事する前に、彼女は机に何かしらの設計図を広げた。それは人形の腕部品の様にも見えたが、指先がやや異なる。指の数がやたら多い上、その先端がペン先のように鋭く、長く伸びていた。

 

「人形の命令術式の白王陣は3代目が完成させている。ソフトは出来ているから、後はハードが必要なの。ソレを作って」

 

 そこまで全て言い切った後に、彼女は頷いて、ダヴィネを見つめた。

 

「理解してもらえたかしら」

「何にもわかんねえよ!?」

 

 ようやくダヴィネは声を出した。そしてキレた。

 

「何で分からないのよ」

「わかんねえよ!何言ってんだおめえ!狂ってんのか!?」

 

 分かるわけが無かった。

 焦牢にいた時も無茶な依頼はあるにはあった。何せ特殊な環境だ。【竜殺し】だってそもそも通常の魔物相手では過剰とも言える殺傷力を持つ武器であったし、そうでなくとも、地上にある呪いの炎や、空を覆う黒煙が常時存在する土地で、ヒトが生活を維持するための環境を維持するための道具作りというのはどうしたって尖った依頼になった。(時折、ビーカンの顧客を喜ばせるための賄賂を作らされたときはキレた)

 

 だが、目の前の小人の依頼は本当に何を言っているのか分からない。

 失った腕の代わりの義手が欲しいなら分かる。

 “追加で腕が欲しい”は流石に聞いたことがないというか、普通に狂ってる。

 

「そもそも腕増やして何する気なんだよ?」

「は?魔術の、白王陣の研究だけど?」

「じゃあやっぱマッドじゃねえか!!!」

「そうだけど」

「怖!!!」

 

 否定どころか肯定してきた。恐怖である。

 

「っつーかそもそも俺ぁ人形技師じゃあねえ!!腕だろうが人形なんて作った事ねえ!」

「なんだ、専門外なの?作れないなら最初から言いなさいよ」

「出来るに決まってんだろ舐めてんのかてめえ!?」

「出来るんだ……」

「当たり前だ!!なんだったらこの設計図よりも5割増し良い物作れるわ!!!」

「――――へえ、凄いわね」

 

 そう、出来る。ダヴィネは出来てしまう。

 物作り、“創造する”という一点において、ダヴィネは本物の天才だ。

 例え一切知識の無いものであっても、ある程度カタチを教えられれば、そこにどのような理屈があり、思想があり、意図があるのかの大半を読み取れる。そしてそれを再現し、その果てに応用(アレンジ)までしてしまえる化物だ。

 

 伊達に、物作りの一点で、長年牢獄で君臨してきた訳では無い。

 

 人形についても専門外というのは本当だ。しかし、この小人は、【人形義手】とでもいうべきものの詳細な設計図を持ってきている。

 ならば、作れる。

 

 が、しかしだ。

 

「俺ぁ都合よく使われるのが嫌いなんだ!「よくわかんねえけどたぶんできるだろ?」みてえなノリで仕事持ってくるんじゃねえ!!」

 

 別に、ダヴィネはウーガでも王様のように振る舞いたい訳では無い。

 というか、統治者としての責任を負うのは二度とゴメンだった。自分が“ああいうの”にとことん向かないのは、焦牢の危機の時によく分かった。

 

 が、侮られるのは別だ。

 

 支配する気がなかろうが、侮られるのはよくない。矜持の問題では無く、現実的な問題として、侮られるのはろくな結果につながらない。不細工なやり方であっても、長い間支配者として君臨してきた時に得た経験から、ダヴィネはそれをよく知っている。 

 

 モノを作る職人は特に“そう”なりやすい。

 時に、横暴と思われようと、威圧する必要は出てくる。

 ダヴィネが焦牢に暴君のように振る舞っていたのは、実利的な理由があったのだ。

 

「仕事を受けるかどうかの選択権は俺にある!勘違いするんじゃねえぞ!どうしてもって思うなら態度改めて出直してこい!!」

 

 ばしりとダヴィネは小人の小娘に言い切った。

 

 別に、どうしても断りたい訳ではない。むしろ、この小人が持ってきた人形義手は、ダヴィネのこれまでの経験でも見たことがない技術が幾つも取り込まれていて、興味深かった。が、それを表に出してしまうと、やはり下に見られかねない。

 

 下手には出ない。

 これは彼なりの交渉術だった。

 

「そう、わかったわ――――」

 

 だが、ダヴィネは気づいていなかった。

 目の前の小人の目つきが、極上の獲物を前にした獣のソレになっている事に。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 小人の少女はそう言って、心の底から申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「――――あ゛?」

「専門でも無い、()()()()()()()()()()()、無茶を言うなんて確かに横暴だったわ。恥ずかしい事をしてごめんなさいね」

「…………」

「貴方よりも腕のあるヒトを探してみるわ。ごめんなさい」

 

 それはもう本当に、あからさますぎる挑発であった。

 挑発であることを隠すことすらしていなかった。明らかにケンカを売られているのだ。実際、ダヴィネの近くで仕事をしていたダッカンなどは顔を引きつらせた。

 

 普通、小人は土人にケンカなんて売らない。 

 

 力の差があまりにも違う。例え土人が子供で、小人が大人だろうと、ケンカをすれば小人が負けるのだ。それくらい、種族としての身体能力に違いがある。そんなのはこの世界の常識である。

 それを承知の上で、犯罪者の王様なんて危うい立場にいたダヴィネに、真正面からケンカを売ったのだ。

 胆力がある。という次元では無い。イカれている。

 

「………………!!」

 

 ダヴィネは、手に持った金槌を目の前の小人に振り下ろし――――はしなかった。

 顔を真っ赤にさせながらも、一ミリたりとも暴力の為に腕を振り上げようとはしなかった。何せこの挑発を向けてきた少女は、この世界の常識を一つたりとも知らない間抜けではない。一歩間違えれば自分が即座に殺される事を全て承知で、ケンカを売っている。

 ここで、暴力を振るうのは、その挑発に完全に敗北したことを意味している。

 

 故に、

 

「やってやろうじゃねえかこの野郎!!!!!!」

 

 ダヴィネは乗せられた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 竜吞ウーガ中央広場

 

「というわけで、ダヴィネに義手作成を依頼できたわ」

「新しい仲間と和やかに交流して依頼するって択は無かったのかお前には」

「天才って聞いてたけど本当に凄いわねあの男。あの義手設計図、今でも再現困難って言われてる曰く付きよ。それをアレンジまで出来るなんて…………ふふほほほほほほほほ」

「笑い方」

「素晴らしいスカウトだったわギルド長。貴方のおかげで私の野望がまた一つ発展したわ」

「顔、顔、わっっっるい魔女になってるから」

 

 ウーガを管理する上での最も重要な役割を果たしている魔術師。白王陣使いのリーネとウルとの会話を傍から聞いていたレイは理解した。

 

「ダヴィネ相手にいきなりケンカ売ったの、あの子……」

「脳みそぶち切れてんのかな?」

 

 とりあえずウルの仲間に真っ当な者は一人も居ないということを。

 

 一応自分たちは無数の陰謀によって牢獄に放り込まれたという特殊すぎる経歴を持っているはずなのだが、ここの連中と比べたら大分まともな気がしてきた。

 すると、ひとしきりウルとの会話を終えたのか、リーネはこちらに視線を向けてきた。

 

「というわけで、初めましてガザ、レイ。リーネ・ヌウ・レイラインよ。」

 

 どういうわけだ。と言いたかったが、レイとガザはとりあえずそのことは顔に出さずに握手に応じた。ヌウ、ということは官位持ちだ。さて、どう向き合おうか、とも思ったが、ソレよりも早く向こうが訪ねてきた。

 

「そちらが元天陽騎士というのは聞いているけど、官位持ちなのかしら」

「……あー、といっても焦牢に突っ込まれた時点でな。どうせ実家も俺らの事なんて忘れてるだろうしなあ」

 

 ガザとレイは元天陽騎士。つまり、一応実家は官位持ちの神官ということになる。のだが、正直言って、焦牢にたたき込まれた時点で(そしてその後、実家が自分たちを助けようという動きを一切起こさなかった時点で)、ほとんど勘当されたようなものだった。

 現在はウルに巻き込まれるカタチで英雄のような扱いを受けているが、レイの実家がレイにコンタクトをとろうとはしてこない。ということはつまり、そういう事だ。ガザも同じだろう。

 

「ただのガザとレイでいい。敬語が必要ならそうします」

「なら、こちらもリーネで良いわ。ウーガに居る連中は大抵、そんな感じよ」

「居心地良いわね」

 

 焦牢での生活も長かった。今更真っ当な地位の差による関係に気を遣い続けなければならないというのは、正直馴染む気がしなかった。勿論、何もかも無礼講というわけにはいかないだろうから「おっしゃ楽出来る!」という顔でいるガザには注意は必要だろうが。

 

「さて後は……シズクとロック辺りか。顔は一度合わせてるけど改めて…………で、どこにいるか分かるか?」

「今の時間なら訓練所じゃない?白の蟒蛇と一緒に鍛錬していると思うわ」

「ああ、ジャインの所は最後って思ってたから、ちょうど良いな」

「今日はディズ様やアカネ様もいると思うわ」

「了解」

 

 次の行き先が決まったらしい。ウルは目配せして再び歩き出した。レイはガザと共にリーネに会釈し、再び彼について回る。すると去り際に、リーネが声をかけてきた。

 

「気をつけてね――――死なないように」

「え、死ぬの?」

「油断したら」

 

 レイとガザは顔を見合わせた後に、身構えた。

 この場所に限っては、冗談ではあるまい。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し⑤ ウーガの戦闘訓練【地獄篇】

 

 

 ベイトは元黒炎払いの一人で、あの決戦の時、灰都に直接赴いた歴戦の戦士だった。長いこと、最前線で黒炎鬼達と戦い続けて、いくらかの呪いを食らっても尚、引かずに最前線に立っていた男だった。勿論、散々な目にも遭ったし、泣き言だって吐いたが、それでも結局最後まで逃げるような事はしなかった。

 

 だからまあ、【白の蟒蛇】の戦士として加入したとき、自信はあった。

 勿論、銀級冒険者達を侮っていた訳では無い。自分の実力を驕った訳でもない。

 それでも、雇ってくる連中から「足らない」と思われるつもりは無かった。

 

 たぶん、それは自分と同じようにウーガにやってきた元黒炎払いの面々も同じだ。望まぬ地獄の底で戦い続けて、徹底的に揉まれたのだ。「見せてやる!!」という意気込みを抱かずにはいられなかった。

 

「私達もあまり頻繁には此処にこられないから、今日はガッツリやるよ。気合い入れてね」

《やったんでー!》

「本当にありがたいです。ディズ様。アカネ様。総力戦で参りましょう」

『カカカカ!!無茶苦茶な事になりそうじゃの?』

 

 その結果

 

「うーわ勇者と組むってマジすか。帰っていいっすか?」

「ダメだ。お前ら、死ぬ気でいくぞ。そうじゃないと死ぬからな」

 

 割と地獄見る羽目になった。

 

「それでは対竜想定の訓練を開始しましょうか」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 訓練というのは実戦を想定しなければ意味が無い。

 

 この世界においては特にそうだ。何せ敵対する存在の多くは魔物なのだ。ヒトとはまったく違う、得体の知れない、想像すらできないような機能をもった生物との戦いになる。

 

 だというのに、ヒト同士で剣を振り回して、その経験を実戦でどこまで信頼して良いのかは怪しいところだ。

 

 だから、特に魔物との戦いがメインとなる戦闘集団の訓練というのは、創意工夫というのが必要になる。当たり前だが魔物を連れてきて殴る訳にはいかない。(ソレを本当にやってるギルドもいるが、事故を起こしたりしてる)迷宮で実践訓練という手もあるが、迷宮はどんな達人であっても油断はできない。都度動きや戦い方を補正していく、というのが出来ないのが少し痛い。

 

 だから、よくやるやり方としては、魔力を吸収し、高い能力を身につけた者が魔物側として行う戦闘訓練だ。

 

 魔力を吸収し続ければ、超人になる。ヒトの枠を大幅に超える。本来の機能を超えた異能を手に入れる。その力でももって、魔物として戦うのだ。多数対少数の、ポピュラーな訓練の一つである。

 

 黒炎払い達の中でも、新人相手によくやった。そして逃げられたりもした。

 

 自分たちがこれから戦わなければならない相手を想像して、怖じけてしまうのだ。それを「まったく情けない」というのは、自分がまだ新人だった頃の感性を忘れてしまったが故の感想だとは分かっていても、悪態をつかずにはいられなかった。

 

「元黒炎払いの皆、動きが良いね。伊達に禁忌領域で戦い続けてない」

「ええ、そのような方々が仲間になってくれるなんて頼もしい事この上ないです。負けぬよう、もっと強くならなければなりませんね」

 

 ベイトは久しぶりに、新人だった頃の気持ちを思いだしていた。普通に逃げたい。

 

 ベイトの前にいるのは金色と銀色だ。

 美しい二人の少女達は並び立ち、自分たち【白の蟒蛇】と対峙している。

 

 金色の方は現役の七天の一人、【勇者】だ。何故にそんな大物がここに来ているのだとか疑問は山ほどあるが、今はそんな疑問はどうでも良い。そんなことを疑問にしている余裕などこちらには欠片もない。

 

「【魔よ来たれり】」

「どわあああああああああ!?!」

 

 先ほどから彼女は恐ろしく短い詠唱で、発展魔術(セカンド)を発動させまくっている。竜の咆哮を想定しているというが、素直に地獄だ。何が恐ろしいって異様に狙いが正確なのだ。

 逃げても逃げても、まるで先回りするようにして、魔術が飛んでくる。そしてその原因もハッキリとしている。

 

「【【【【水よ、唄い奏でよ】】】】」」

 

 彼女の前で、重ねるように魔術を発動させているシズクという白銀の少女だ。

 いくつかの障害物が設置された空間内で、彼女が扱う銀色の糸が無数に張り巡らされている。そこから常時、音を拾い、こちらの位置情報を把握し、それを勇者に反映させ続けている。

 

 つまり、安全地域が一切存在しない。地獄だ。

 

「バカバカ!!!バカヤロウ!!!死ぬわ!!!」

 

 ベイトは思わず叫んだ。すると、耳元でささやくような声が聞こえてくる。

 

《死なないように頑張ります。ご安心ください》

「だあああ!!?もう場所ばれてるぅ!!!」

「安心っつった?!安心っつったかあの女!?どうなってんだ此処の倫理観は!」

 

 近くにいたゲイツが悲鳴を上げながら声のした方角に剣を振るうが、当然そこにシズクの姿は無い。あるのはひらひらと舞う、切断された銀の糸だ。

 切り払い、焼き払えば銀の糸はあっという間に消失する。ただし、即座に張り直されるのでキリがない。本当の本当にタチが悪かった。

 

「【魔よ】」

「ぎゃああああああああああ!!!?」

 

 そして、糸に気をとられていると、また頭上から魔術が振り落ちる。

 

「くっそ!!?マジで勘弁しろ畜生!!何が安心だ!!?」

「あの女の「安心」は「命だけは取らない」の意だ」

 

 悲鳴と泣き言を上げながらベイトが膝をついてると、横から新たなる自分たちのトップとなったジャインが声をかけてきた。流石、というべきか、自分たちよりは余裕がある。手斧を担ぎながら、姿勢を低く、いつでも飛び出せる姿勢でいた。

 

「……命以外は?」

「後遺症が残る怪我はさせられないっすよー……マージで狙い定めたみたいに加減するんすよね。怖」

 

 その彼の背後から、彼の腹心であるラビィンが苦笑いを見せる。自分たちよりも此処が長い二人がこの表情だ。新人の自分たち相手に加減してくれるという可能性は無くなった。

 つまり、この地獄をなんとかするには、やるしかない。

 

「分かってると思うが、シズクはまだ隙がある。勇者はどうしようもないが背後に控えて魔術連発してくるだけだ。シズクを落とす」

「やれんのかよ」

「真正面からガチればお前らだけでも勝機はあるさ。それができないように立ち回ってる上、今回は格上想定のため下駄も履いてる」

 

 今回の訓練所の環境を用意する上で、全てがシズクに有利になるように形作られている。だからこそ勇者に並び立って無茶苦茶が出来ているが、まだ勇者と比較すれば隙が見え――――なくも無い。

 

「勇者の攻撃はこっちが引きつける。やれるか新人」

 

 問われ、一瞬回答を躊躇った。が、しかし、此処で怖じ気づくのは男が廃った。隣のゲイツに視線をやり、頷いた。

 

「ったりめえだ!こちとら地獄帰りだ!!」

「良いね」

 

 ジャインはニヤリと笑うと、ラビィンと共に先に飛び出す。勇者の魔術の乱舞がジャインめがけて飛んでいく。ソレを確認してベイト達も飛び出した。勇者は攻撃を一カ所にしか向けない。実際はもっと幅広く攻撃も出来るのだろうが、今回の訓練ではそう決まっている。

 

「【【【炎よ】】】」

 

 だから残るはシズクの攻撃だが、なるほど確かにこちらはまだ凌ぎきれない訳では無い。重なるようにして全方角から発動する魔術は紛れもなく脅威ではあるが、ダヴィネ製の鎧を身に纏い、守りの魔術を重ねて一気に駆け抜ければ、くぐり抜けられない訳では無い。

 足を止めればそれまでだが、足を止めなければ良いだけのこと。

 

「食らったら終わりの【黒炎】と比べりゃなんてことぉ!!!」

 

 叫び、障害物を蹴り、跳ぶ。剣を振りかぶり、高所をとり、こちらを見下ろすシズクへと一気に振り抜いた。

 

「――――素晴らしい。では第二段階です」

 

 が、しかし、その刃は、彼女の足下から出現した死霊兵に防がれた。

 

「なん……!?」

『カカカカカカカカカ!!良いのう!流石は歴戦の猛者じゃのう』

 

 死霊兵がこちらを賞賛しながらも、剣をはじく。剣そのものを遠くに弾かれそうになったことにベイトは驚愕した。ただの死霊兵の力でも、技でも無い。達人と相対したときの戦技の類いだ。

 

『さてさて、こっちにとっても訓練じゃから、加減はせぬぞ?』

 

 しかも、それが、無数に出現している。訓練所の至る所から、シズクを守ったものと同じ死霊兵が出現する――――そして、挙げ句の果てに。

 

『妹御!!』

《いくでーじーちゃん!!》

 

 出現したその死霊兵の頭上から、緋色の粘魔のようなものが降り注ぐ。ウルの妹だとか、禁忌の存在だとかなんとか話は断片的に聞いているが、今はそんなことはどうでも良い。

 

『《骨芯変化・緋緋剛兵》』

 

 問題なのは、達人のような技を持つ死霊兵が、緋色の鎧を纏いパワーアップしたという、割と本当にどうしようもない事実だ。

 

『《カカカカカカカッッカカッカカカカカカカカカ!!!!》』

「地獄だぁ畜生があああああああ!!!!」

 

 ベイトは悲鳴をあげながら、地獄の訓練を再開した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………ガザ、レイ、参加するか?」

 

 それを傍からみていたガザとレイは、ウルの問いに首を横に振った。

 

 初日に首を突っ込む地獄では無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し⑥ ウーガの戦闘訓練【地獄篇】Ⅱ

 

 

「おーし、今日は終わりだあ!自分らで散らかしたところ片付けるぞお!!」

 

 こうして、地獄のようなこの日の訓練は終わった。全員ボロボロとなっているが、それでもジャインの号令と共にテキパキと動き始める。最低限の余力は残しているらしい。

 良し良しと、ジャインはその様子を遠目に観察しながら、放り出されていた武具をまとめていた。

 

「どうよ。黒炎払いの連中」

 

 その最中、ウルが訪ねてきた。観察していたらしい。ジャインはニヤリと笑った。

 

「良いな」

「即答か」

「度胸もあるし実力もある。だが何よりも兵隊としての動きが身についてる」

 

 冒険者家業をしていると、どうしてもその動きは個人プレイに特化し出す。

 迷宮での戦いが元より少人数であることもそうだし、連携をとろうにも、肉体の機能そのものが個々人で違ってきてしまうのも大きい。連携をとろうにもとれない。

 

 だがその点、元黒炎払い達の動きは違った。

 

 彼らもまた、長い戦いの最中で、身体の機能がそれぞれ違ってきているのは確かだった。差異も発生している。しかし、その違いを補ってあまりある連携能力を彼らは身につけていた。

 

 足らずを補い、長所を高め合う。そういう高度な連携だ。

 

 それはどうしたって、正規の訓練を受ける機会が少ない冒険者では、なかなか身につけることができないものだ。継続した高度な指導と鍛錬から生まれるものだった。

 

「あいつらを先導してたって男は、相当だな。大罪都市の騎士団でもここまで仕上げてる所はなかなかねえよ」

「だろうな」

「俺も学ぶところが多いくらいだ。話してみたかったもんだ……っと、悪いな」

 

 と、そこまで話して、ウルから少し離れて立っている二人に気がついて、ジャインは言葉を止めた。今日来る予定の元黒炎払いの戦士達だとすぐに分かった。

 彼らを指導していた男が死んだ。というのはウルから聞いている。一月経過したが、それでも別れというのは簡単には癒えないことをジャインは知っていた。

 

「良いんだ。隊長達が褒められるのは嬉しい」

 

 だが、獣人の男は首を横に振る。隣の女も同様だ。

 その表情は誇らしげで、やはり慕われていたのだなと分かった。ジャインは武具類を片すと、手の泥と汗を拭い、二人に向かって差し出した。

 

「ガザとレイだな。これからよろしく頼む」

「ええ」

「おう」

「しばらくは下についてもらうが、人手も増えた。お前らにも隊長役を任せるかもしれん。期待する」

 

 その言葉に、二人は怖じけることもなく頷いた。

 

 やはり、良いな。

 

 人材は得がたく、そして育てるのにも金と時間がかかる財産だ。即戦力になりうる人材がやってきてくれたことに対する喜びと、自分の役割の重さをかみしめて、ジャインは力強く笑った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「上手くいきそうか」

 

 元黒炎払いの仲間達の進路先として白の蟒蛇をジャインに提案したときは、押しつける形になってしまったかと少し心配もした。最初は【歩ム者】に入ってもらうことも考えたが、自分たちがあまりにも特殊なギルドとなってしまったため、真っ当な就職先とはとても言いがたかった為の提案だった。

 

 この様子だと、悪いことにはならないだろう――――そう思って安堵していると、

 

《にーたん!!!》

「ごっぱ、アカネかー」

 

 妹が直撃した。最早慣れたものだったので顔面で受け止めた。

 

「やあ、ウル」

「ようディズ、そっちも元気そうで何より。最近よく来てくれるな」

 

 引き剥がして、よしよしと頭を撫でながらもディズに手を上げる。この一月の間、彼女は割と頻繁に此方に来てくれていた。

 アカネにも頻繁に会えるし、此方の訓練にも付き合ってくれるので大変にありがたいが、忙しいだろうに大丈夫だろうかと少し心配にもなる。

 

「色々あって、少し時間に余裕が出来たからね。あと、エシェルの転移術もある」

「ああ、なるほど」

 

 ウルも利用させてもらったエシェルの転移の術。アレをディズも利用しているらしい。あまりにも露骨に巨大な鏡故に、人前で早々晒せるものではないが、そうした偏見を取っ払えば利便性の塊だ。

 

「なかなかとてつもないよ、彼女。あそこまで自在に移動出来るのはスーア様くらいだ」

「勇者様」

 

 そんな雑談をしていると、レイとガザがディズに気づいたのかやってきた。その目には敬意と感謝がある。ラースでの決戦の時、二人の危機をディズが救ったのは聞いていた。二人はディズの前で跪いて頭を下げようとするのをディズは首を横に振って止めた。

 

「怪我の方は?」

「勇者様のおかげで、今は回復しました」

「あのときは本当に助かった。助かりました」

「感謝はいいさ。本来の七天の責務を押しつけたのは此方だしね」

 

 そう言ってディズは肩をすくめる。彼女はその立場であっても、尚自分たちを助けようとギリギリで来てくれたのだから、そう卑屈になる事も無いだろう、とは思いもするのだが、その点は彼女は譲るつもりはないらしい。

 

「しかし、わざわざ空いた時間でウチを訓練なんて良いのか?」

「お礼って訳でも無いけど……備えかな」

「いちいち不穏」

「ゴメンね?私も自分の訓練もう少し続けるけど、ウルもやる?」

 

 ディズは問う。

 さてどうするか、とウルは悩む。ラースからの帰還後、ウルは無理な運動はせずに回復に努めていた。流石に傷の治療は完了したが、それでも身体の芯に痛みは残り続けていたのだ。

 流石にそろそろ痛みも収まり始めていたが、そもそも――――

 

「ウル様は、もう参加しなくとも良いかもしれませんよ?」

「シズク」

 

 悩んでいると、シズクもやってきた。彼女の周囲では死霊兵たちがカタカタと音をならしながら訓練所の片付けを行っている。その中でも一際に背丈の高いロックがカタカタと笑った。

 

『ま、確かに、聞いておる話じゃ、もうおぬし、目的達成しそうらしいしの?』

 

 そう、まだまだ状況としては未定だが、ウルはもしかしたら“目的”を達成するかもしれない。そうすると、ウルとしては最早冒険者として活動する理由も無くなる。

 つまり、槍を握って戦う必要も無くなるかもしれない。訓練の意味も、無くなるかもしれない。鍛錬に時間を割く意味もあるか、怪しいのだ。

 

「ウル様はもう、ゆっくりしても、誰からも咎められないはずです」

 

 だから、シズクも微笑みながらも首を横に振ってそう言い切る。

 その方が正しいと、断じるように。

 

「まあ、そうなんだが――――……」

 

 しかし、彼女の表情の、美しい白銀の瞳のその奥に、何かがちらついた。

 それは一言では説明しがたい感情だった。おそらく彼女自身も、ソレに気がついていない感情の坩堝だ。一目見てその全てを感じ取れるような超能力をウルは持っていない。が、

 

「…………やるか。久々だけど」

 

 そこに、寂しさが入り交じっていたと感じたのは、驕りだろうか。

 それでもウルはそう決めた。シズクはパチパチと瞬きして、首をかしげた。

 

「そう、ですか?」

「律儀」

『まーそういうやっちゃのう』

《にーたんそういうとこよ?》

 

 うるせえ畜生。と呻きながら、ウルは鍛錬用の槍を握りしめた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 数刻後、

 

「身体の動かし方ぜんぜん慣れねえ……!」

「大丈夫ですか?ウル様」

「うーん、まーた身体の動かし方バラバラになっちゃったねえ。無理も無いけど」

《にーたんからだギックシャクの人形みたいだったで?》

『カッカッカ!どのみちリハビリした方がよさげじゃの?』

 

 ウルは泥にまみれて地面につっぷしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

焦牢の住民達のお引越し⑦ 弔いの酒

 

 ――やりなおし、たい?そう、ですか。……いいえ?それは、素晴らしい、願いです。

 

 ――過ちは、無かったことに、出来ません。赦しも、必ず得られるものでも、ない。

 

 ――それを承知で、改めるのは、険しく、苦しく、それでも、先へと続く唯一の道

 

 ――私も、間違えました。だから、一緒に、頑張りましょう。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ・ペリィの酒場】

 

 焦牢での彼女の言葉をペリィは頭の中で思い出す

 

 思い出したからと言って、もう泣き崩れたりはしないけれど、とても悲しい気持ちになった。それでも、日々の中で、思い出すことを忘れたりはしない。決して色あせてしまわないように、歪めたりしてしまわないように、思い返しては、そっと心の箱にしまいこむ。

 

 自分の人生はコレまで、ろくなものでは無くて、ありきたりだった。

 焦牢にいた囚人達と大して変わりはしない。

 

 生まれが悪くて、環境が悪くて、ケチな犯罪に手を出す以外生きる手段を知らなくて、繰り返していくうちに多くのヒトを傷つけて、最後にはヘマをしてあんなところまでやってきた。自業自得でしかなかった。

 ヤバい薬や、殺しには手を出さなかったが、別にそれは良心が咎めてだとか、そういうのではなかった。ただただ、報復が怖くて、手が出せなかっただけだ。

 

 自他共に認めるケチな小悪党だ。

 そんな自分があの地獄の底で彼と彼女の仲間になったのは、運が良かっただけだ。

 

 そう、自分は幸運だったのだ。

 

 ろくでもない人生だと誰もが指を指してくるような事ばかりあった。でも、きっと自分は幸運だ。ペリィはそう確信していた。そう信じられるだけのものを、与えられた。

 運命の聖女が、幸いを届けてくれた。

 だから、最後に彼女が与えてくれた助言を、決してないがしろにしないとペリィは誓う。正しく、前へと進むために、今日も彼は気合いを入れて、最初の来客に備えた。

 そして――――

 

「へい、いらっしゃ――――お前かよぉ……」

「客に対する態度かおい」

 

 本日、最初の客となったウルに対して、ペリィは苦笑いを零した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ちょっと気合い入れてたのによぉ」

「気合い入れたところでそこまでかわらんだろ。雇われ店長」

「うるせえよぉ」

 

 ペリィが開店してから何度も通いつつあるウルは、いつものカウンター席に座るとぐったりと顔をつけて、ため息を吐き出した。

 

「ああ、づかれた……」

「なんでくたびてれんだあ?」

 

 牢獄を出て、しばらくの間、のんびり隠居生活みたいな生活リズムだったはずなのだが、今日の彼はグダグダだ。顔に泥までついている。

 

「ちょっとな、痛みも無くなってきたし、しばらくはリハビリだなあ……」

 

 どうやらまた、忙しくしはじめるらしい。ペリィからすれば、ウルは忙しくしている方が見慣れているので、いつもの調子に戻ったなと安心しないでもない(無論、本人は不本意だと思うので口にはしないが)

 

「そっちの景気は?」

「ぼちぼち。食堂の連中の話じゃ、前ほどじゃねえらしいけどよぉ」

「前?」

「俺とお前がまだ牢獄にいた時」

「…………あー、他国からの干渉があった頃か」

 

 ペリィもウルも、焦牢の中で必死になって駆け回っていた頃、此方は此方で慌ただしい状況下にあったらしい、というのをペリィは人づてに聞いている。黒炎砂漠の戦いとはまた別種の、激しい攻防戦だったらしいとも。

 勿論それはこのウーガという場所にとっては嵐であったが、全てにおいてマイナスだけをもたらしたというわけではなかったようだ。

 

「荒れたけど、来訪者自体は今より多かったらしくてなぁ」

「何がどう災い転じるか、わからねえもんだな」

「それは、本当になぁ……」

 

 しみじみとペリィが呟く中、ウルは此方の心中を知ってか知らずか、立てかけてあったメニューを手に取ってパラパラと開き、眺め始めた。

 

「で、疲れて腹も減ってんだけど、なんかメニュー増えてねえの」

「ラース近郊じゃ、増えようがねえだろぉ。人手もまだ全然ねえんだ。つまみも簡単なのしかねえよぉ」

「つってなんか増えて、る…………」

 

 そして彼は、メニューの最後のページを開き、奇妙な顔になった。

 どうやら見つけたらしい。

 

「お前、これ」

 

 ウルは奇妙な表情のまま、メニューを開いて、此方に向けてくる。今はまだ寂しいメニュー一覧の中で、そこは比較的充実している酒のページだ。そこの一番下に、ペリィの汚い文字で小さく新たに書き足されている商品がある。

 

「地下牢で奇跡的に残ってたのを回収したんだよぉ」

 

 そこには「茸酒」と、そう書かれていた。

 

 不死鳥によって焼き払われ、ウーガによって地表部分をまるごとひっぺがされて、完全に崩壊した罪焼きの焦牢。その残骸を片付けている最中、奇跡的にサルベージ出来たのだ。幸運にも、不死鳥の黒炎も、黒炎鬼達の襲撃もくぐり抜けて、無事な状態で保管されていたらしい。

 ソレを折角なら、と、ペリィがラースからここまで引き上げてきたのだ。しかし、

 

「素人の作った酒もどきなんて、誰が飲むんだよ」

「良いだろぉ、誰も飲まねえなら俺らが飲めばいいんだよぉ」

「俺もかよ」

「飲むだろぉ?」

 

 ペリィは棚から紫色の瓶を取り出した。たっぷり満たされた茸酒を見て、ウルは呆れ顔になりながらも「わかったよ」と、カウンターの中に入ると、棚からカップを取り出す。

 並べられた3つのカップに、ペリィは順序よく酒を注いだ。そのままそれぞれカップをとって、残り一つのカップに軽くぶつけた後、口にする。

 

 そして、

 

「「――――まっっっず!!」」

 

 二人は同時に顔をしかめて、その不味さにうめいた。

 

「ハハハ!!ひっでえ!まっずいなぁ!こんなにまずかったかぁ!?」

「舌触り悪いし、臭みは独特なのにいつまでも残りやがる!まっずい!!っくく、最悪だ」

「これでも酔えるからありがたがってたんだもんなぁ」

 

 その味のひどさは知っていたはずなのだが、外に出て、あっという間に舌が肥えてしまったらしい。飲めるだけ、酔えるだけありがたいと囚人達と一緒に喜んでいたのが懐かしい。とてもではないが、楽しめるものではなかった。臭いに癖がありすぎるので料理にも使えまい。

 

「おいふざけんなよ。これあとどれだけ残ってんだ」

「樽3つ分」

「バカヤロウ。誰が飲むんだそんな大量に。作ったの何処の誰だよ」

「俺達3人だよぉ」

 

 そういえばそうだったな!!と、ウルはやけくそ気味に叫んだ。

 さて、どうしたものか。本当に勢いで全部運び込んでしまったが、ここまで不味いとは思っていなかった。大分思い出補正があったらしい。今現在も、店の小さな倉庫をかなり圧迫し続けている酒樽三つがいつまでも居座り続けられると困るのだが――――

 

「おっしゃあ!来たぞウル!」

「料理は出なさそうだけど……酒の種類は多そうね」

「ペリィしかいねえもん。つまみなんてコラ豆の塩振りくれえじゃねえの?」

 

 なんてことを言っていると、カモ――――もとい、元黒炎払いの面々がやってきた。どうやら待ち合わせていたらしい。ウルに視線を向けると、彼は肩をすくめて、彼らの方向き直った。

 

「ちょうど良いタイミングで来たな。ほら、一緒に飲もうぜ」

「って茸酒じゃん!?外に出て何でわざわざんなもん飲んでんだよ!?」

「うるせえいいから飲め。弔い酒だ」

 

 こうして、誰もが不味い不味いと呻きながら酒を呷る奇妙な飲み会が開催された。全くもって不評だった茸酒は、その後しばらくしてすっかり売り切れた。

 しかしその後も不思議と茸酒をほしがる者達が後を断たず、結果、ペリィの酒場のメニューの最後に、茸酒が名物として載ることとなる。

 

 口にするだけで誰もが顔をしかめる、しかし、飲んだものには小さな幸運が運ばれてくるという優しいジンクス付きの名物として、店のメニューにいつまでも残り続けることとなるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常 彼の価値観

 

 竜吞ウーガがラース領に腰を据えてから一ヶ月が経過した。この間、ずっとウルがのんびりゆったりと暇を持て余していたかと言えばそうではない。

 むしろ最初の数日は疲弊した身体に鞭を打たねばならないほどに忙しかった。

 ラース解放から殆ど間を置かずして行われた凱旋式もそうだが、その後もウルはしばらく慌ただしかった。

 

 というのも、焦牢の住民達とウーガとの橋渡しが必要だったのだ。

 

 生き残った焦牢の囚人達からすれば竜吞ウーガはまったくの未知の存在であり、ウーガからしても焦牢の囚人達は国際的犯罪者の集団であると言うことしか分かっていない。未知の災害という人命救助の題目があったときは、否応なく双方が協力し合えたが、それが落ち着いた後は、どうしたって簡単にはいかない。

 

 本来であれば窓口となる黒剣騎士団が壊滅した。双方の橋渡しが出来るのは、どちらにも理解があるウルしかいなかったのだ。

 

 エシェルとリーネの力でラース領にとんぼ返りしたウルは、そのまま休むことも無く双方の連絡係に没頭した。

 

 ダヴィネに状況を説明し、生き残った囚人達の統率を依頼しつつ、プラウディアからやってくるであろう人道支援部隊が到着するまでの間、現場の維持に奔走した。

 黒炎の呪いは消え去ったが怪我人も多い。彼らの収監と治療を何処で行うか。何処が安全か。黒炎の呪いが消え去った今、外は安全か。魔物の襲撃の心配はどうなのか。

 ウーガが保有する能力、地下牢の人員、出来ること、出来ないこと、リスクその他諸々。どこかで破綻が起こる前にやらなければならない事は本当に多かった。

 

 勿論、シズクやディズが多くの補助をしてくれて、おかげでなんとか乗り切ることが出来たが、全くもって、忙しかった。ゆっくり出来るようになったのはここ数日ようやくだ。

 

 半年ぶりに仲間達と再会できたというのに、なかなか腰を据えて会話も出来なかった。

 

「……なんで、落ち着いたから仲間との交流を計ろうとした訳なんだが」

「……で、それでなんで私なワケ?」

 

 リーネは自身の研究室兼、自室に尋ねてきたウルに対して非常に面倒くさそうな顔を向けた。いつも縛っている橙色の髪がボサボサに下ろされていて、顔も寝ぼけている。今は昼時だが、どうやら眠りこけていたらしい。

 

「シズクとエシェルとはもう何度も話はしたし……お休み中だったか?」

「人命救助用の重力魔術の微調整、今のラース領という環境に合わせたウーガの体調管理、今後のスケジュールに、あとダヴィネとの打ち合わせ、私も忙しくてあまり眠れてなかったのよ」

「一部自業自得があるけどすんませんでした」

「じゃあお茶入れてきて」

 

 家主であるリーネに指示を出されて、ウルはリーネの家の中を物色する羽目になった。かなり荒れ放題で、触れない方が良いシロモノも幾つか転がっていたがなるべく視線を向けないようにしながら捜索を続ける。未使用の茶葉を発見した。埃を被っていたポットを洗い茶を煎れて机に運んだ。

 その時不意に、リーネが此方に視線を向けていたことに気付いた。

 

「どした?」

「元気そうで何よりって思っただけよ」

「2,3回死にかけたけどな」

 

 現在ウルの胴体には天剣に与えられた傷が深く刻まれている。治癒術でも完治しきれない裂傷痕であり、それを見たときエシェルは一度卒倒した。これでも、黒炎の呪いが解けたぶんだけ大分マシだったのだが。

 

「いつものことじゃない」

「返す言葉もねえなあ……」

「まあ、死ななくて良かったわ。それは本当」

 

 リーネは小さく笑った。ウルも頷く。

 

「心配かけて済まなかった」

「貴方の所為じゃないでしょ。【歩ム者】っていうギルド全体に向けられた敵意を一人で受け止めてくれたんだから、感謝こそすれ怒ってなんていないわ」

 

 すっぱりとリーネは言い切る。

 

「私達を守ってくれてありがとう、ウル。貴方が動くまで助け出せなくて御免なさいね」

「どういたしまして。ただ、謝る必要は無い。シズクやエシェルには散々謝られた」

「そ。ならやめておくわ」

 

 そう言うと、彼女はすぐにいつもの調子に戻った。

 淡泊な態度だが、彼女のその反応はウルは嫌いでは無かった。半年間顔を見合わせていなかったが、そこら辺は変わりない。技術や能力はウルも随分変わったし、向こうもそうだろうが、その点は安心できた。

 

「半年間の間、ウーガはどんな調子だった?」

「白王陣の研究についてなら幾らでも話せるけど?」

「それ以外でお願いしたい」

 

 リーネは露骨に不機嫌そうな顔をしたがウルは目を逸らした。

 

「ま、色々あったといえばあったけど、こっちの戦いって「変えさせない」戦いだったわけじゃない?大きな変化は無いなら、それが戦果といえるわね」

「なるほど」

「むしろ貴方が戻ってきてからの方が変化は多かったわ」

 

 ウルが戻ってから、焦牢の人材が此方に流れ込み、それに合わせてウーガも変化を強いられた。ヒトが一気に増えた分、いくつかの施設を新しくカルカラが増設しているのも見ている。確かにそうだろう。

 

「あと、ウーガ内で連係は取れるようになったかしら。白の蟒蛇ともすっかり共同体みたいに馴染んじゃったし……ただ」

「ただ?」

 

 と、リーネがやや額に皺を寄せる。どうした?と思っていると、不意に家の扉が開け放たれた。何事だろうかと視線を向けると、

 

「へーい、リーネ!ジャインさんが作ったリリの実パイ盗んできたから一緒に食べよっす!あれ!?なんでウルがいるんすか!浮気っすか!?愛人宅訪問!?」

「え!?浮気!?浮気なの!!?」

「喧しいのが勝手に上がり込むようになったのよ」

 

 エシェルと、白の蟒蛇のラビィンが部屋に入ってきて早々に喧しくなった。リーネの不機嫌そうな顔にウルは苦笑いした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「へえー、【焦牢】そんな頭おかしくなってたんすねえ。いやー私捕まらなくてよかったっすわー」

「それを本当に捕まったヒトの前でいうもんじゃないわよ……?」

「まあいいじゃないっすか。助かったんだから!ワハハ!!」

 

 ウルの半年間、焦牢の生活についてラビィンに説明したところ、彼女は実に直球な感想を述べた。エシェルの言うとおりウルに対する配慮の欠片も無い感想だったが、ウルは気にすることは無かった。笑い話として流せないほど、地下牢の日々を苦々しく思ってはいないからだ。 

 

「つーかリーネ、まーたメシ適当にしてないっすか?またつくるっすか?」

「貴方の作るご飯、繊細さの欠片も無いから嫌」

「だからって携帯食ばっかくってたら顎砕けるっすよ?」

 

 意外だったのは、ラビィンがリーネとも仲良くなっていることである。性格的には正直、噛み合いそうに無い印象しかなかったのだが。

 

「だって、リーネ色々知ってて便利なんすもん」

「ヒトのこと辞書扱いするのはやめてちょうだい」

 

 この調子である。とはいえリーネも本気で疎ましがっているわけではないらしい。ウルがいない間にある程度の友好関係が進んでいるようで何よりだった。

 

「リーネがいないと本当にやっていけなかったからな。ウーガ……」

 

 しみじみと言うのはエシェルだ。

 

「プラウディアとエンヴィーからの無茶ぶりが酷かったって言ってたな。大変だった?」

 

 そう言うと、エシェルは無言で立ち上がると、ウルの背後に回り込み、がばりと首に腕を回してうなった。

 

「どっちかっていうとシズクの方がえらいことだった……!」

「首締まる締まる」

「まあ、シズクのおかげでかなり干渉を防いだのは事実なんだけどね」

「もういっそある程度干渉させた方が楽な気がしたう゛-!!」

「鼻出てる鼻」

 

 思い出すだけで泣き顔になるエシェルの顔をぬぐって、ついで頭を撫でるとすぐにニコニコの笑顔になった。安い報酬で喜ぶようになってしまった彼女に不安を覚えたが、暫くすると今度は何故か徐々に顔を顰め始めた。

 

「どした」

 

 コロコロ表情の変わるの面白いな、と思いつつも、ウルは尋ねた。

 

「……私達の話よりもウルの話もっと聞きたい」

「牢獄内の様子は話したろ」

「……それ以外は?」

「以外とは」

 

 酷く要領をえない会話にウルが首を傾げるが、その横からラビィンが野次馬根性丸出しのニタニタ顔で口を挟んできた。

 

「イイヒトってことっすよー!!シズクや女王がいない間、別の女作ったすか!!?」

「いたが死んだ」

 

 次の瞬間、少女三人衆は沈黙し、ウルをそっちのけで顔を寄せて会話を始めた。

 

「……え、コレは浮気って事で良いの?」

「まさかマジで牢獄でも女タラしてるとは思わなかったんすけど、どうすんすかコレ」

「知らないわよ。アンタの所為でしょうがこの空気……」

 

「別に、ヒソヒソ喋らなくても良いぞ。アイツとはもう別れは済ませた。ラースの果てに墓も建てたしな」

 

 ボルドーやアナスタシア、死んだ黒炎払いや他の囚人達、あの戦いで死んでいった者達の墓は、あの美しい世界の果てが見える場所にちゃんと建てて、別れも済ませた。

 思い返すと今も悲しい。ずっと忘れることはないだろう。しかし、しかしそういう別れは常に起こりうるとウルは既に理解している。だからいちいちくよくよすることも無かった。

 そんなウルの反応を見て、何故かラビィンが眉をひそめてこっちを見てきた。

 

「……ウルって、もしかしてなんすけど」

「なんだ?」

「……浮気って概念理解してます?」

「知ってるに決まってるだろ」

「そりゃそっすよねえ!ハハハ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ウルが答えると、ラビィンはスッと真顔になり、2人の元に戻って話し始めた。

 

「間違いねえっす。アレ、()()()()()()っす」

「…………何、まさか都市内よりも都市外の常識が基準になってんのあの男」

「よくわかるっすねー」

「冗談で言ったんだけど……」

「時々いるんすよ。都市の外の方が滞在時間長くてそうなっちゃう奴」

「だらしない神官が妾を囲うとか言うのとはまた違うの…?!」

「もっと実利的なヤツっす…!」

「幼少期どういう生活してたのアイツ……」

 

「なんだ?ウーガでも守った方が良いのか?それならそうするが」

 

 ウルは首を傾げた。問題になるというのならそれに従う方が良いのだろうかと。

 するとリーネもエシェルもラビィンも、やや複雑そうな表情でうなり声を上げて、何かを悩み始めている。そして暫くヒソヒソと話あい、そしてラビィンが勢いよく振り返って指を立てた。

 

「保留!!!」

 

 保留になった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ほんじゃ、またくるっすねー」

 

 その後、ひとしきりラビィンはおしゃべりを続け、片付けているんだか散らかしているんだかわからないが、リーネの部屋を掃除した後に、去っていた。

 

「嵐のような女だった……」

 

 さて、この後どうするか。ゆっくりと互いにいなかった時期のすりあわせをするような空気でも無くなってしまったし、自分も一度引き上げるか。と、ウルが立ち上がろうとしたとき、不意に裾が引っ張られた。

 

「なあウル……」

 

 見ればエシェルがウルの服を掴んでいる。

 

「どうした」

「どんな女性だったんだ?」

 

 どんな女性か。

 勿論、この場でその言葉が当てはまるのは一人しかいない。

 

「それは…………」

 

 どう説明したものか、と、エシェルの方を見ると――――彼女は悲しそうな顔をした。

 しかしそれは嫉妬や、いつもの癇癪の表情とは違った。静かに痛みを堪えるような、そして此方を労るような、優しい表情をしていた。どうしたのだろう、と思ったが、すぐに察した。

 

 彼女は、自分を労って、悲しんでいる。

 

 エシェルは感情豊かで、癇癪を起こす。しかしそれはつまるところ、情緒が深く、相手に共感する能力に優れているということでもある。かつては、あまりに悲惨な環境が、その彼女の長所を見えなくしていた。

 しかし今、誰かを喪い傷を負った相手を、自身の損得など一切度外視して、助けたいと思えるくらいに、彼女は成長していた。

 

「話くらい聞くわよ」

 

 そして、それに同意するようにリーネも頷いた。

 ウルは肩の力を抜いて、笑った。耐えられない訳じゃ無い。別れは幼い頃から多く経験している。堪えて、受け止めるやり方は学んで、身につけている。

 

「いい女だったよ」

 

 それでも、悲しくならないわけじゃない。

 だから、二人の仲間の優しさに感謝しながら、ポツポツと思い出を話し始めた。

 自身の傷を癒やすために。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常② 文字教室と太った先生

 

 世話になったヒトへの挨拶回り

 

 なんて事を考え始めると、困ったことに該当者が多すぎることにウルは気付く。

 

 聞けば、ウルがとっ捕まってる間、本当に多くのヒトがウルの逮捕に対して動いてくれていたのだという。ラース解放の恩赦として、ウルや、焦牢にいた仲間達は現在ウーガでなんの問題も無く生活できている。だが、それは、ウルが捕まっていた間、ウルの味方になってくれていた者達の尽力あってのものだというのは理解していた。

 

 そういうわけでお礼を言っていかなければならないのだが、当然、一人一人に直接頭を下げるのは些か難しい。特に、精力的にウルの処遇に抗議してくれていたという“例の戦い”の協力者達はイスラリア大陸中に存在しており、いちいち出向いていてはどれだけ時間がかかるか分かったものでは無い。ウーガを使っても同様だ。

 エシェルの鏡、プラウディアからウーガまでも一瞬で繋げた【鏡】を使うことも考えてみたが、エシェルはその提案に首を横に振った。

 

「【会鏡】は、私と縁が深い相手の場所にしか繋げられないんだ」

「世界中何処の誰のもとでも転移出来るわけでもない、と」

「迷宮の外と中とかも無理だ。無理に使うと安定しない。ウルの身体が転移中に真っ二つになったらどうしようかと思った」

「俺、あの時なにげに命の危機だったのかよ」

 

 結局直接出向くのは難しいと言う結論に至った。

 結果、手紙を彼方此方に送ろう、という実に無難な結論に落ち着いた。が、しかしそうすると新たなる問題が発生することになる。

 

「俺、手紙なんて書いたこと無い」

 

 手紙を運ぶ立場になった事は多い。

 頻繁に都市間の移動を強いられる名無しである為、都市間の手紙や荷物の運搬は名無し達がよくやる仕事の一つだ。やり取りが頻繁な衛星都市間を行き来する際は山のような手紙を背負っていたこともあった。

 が、自分で書いたことは殆ど無い。やり取りする相手など居ないし、紙もインクもペンも、名無しにとっては無駄な費用で無用の長物だ。

 そんなわけでウルには手紙を送った経験など無い。別にそのことがコレまで問題になることなど無かったわけなのだが、しかしまともな手紙の書き方を知らぬまま、不用意に送りつけるのは危険だとカルカラは判断した。

 

「今回の一件はあらゆる立場の方々が助けてくださいました。場合によっては高位の神官の方も。そういった方にどんな手紙を送るつもりです?」

「助けようとしてくれてありがとうございました。私は元気です。敬具」

「それ送りつけたら最早事故ですよ」

「事故」

 

 早急な教育が必要だった。カルカラは教育者を選出し、ウルに手紙の書き方を学ぶように指示を出した。その教育者というのは――

 

「何故私がこんなことを!!」

「よろしく、グルフィン様」

 

 元、グラドルの放蕩従者、現ウーガの神官の一人、グルフィン・グラン・スーサンだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 傲慢、怠惰、飽食、巨大な腹の中には大罪が詰まっている。

 大罪都市グラドルの神殿ではそのように揶揄されて指さされ、それに耳を塞いで聞こえないふりをしてたグルフィンだったが、ウーガに流れ着いてからの彼の生活は怠惰や飽食からはあまりにもほど遠い毎日を送る羽目になっていた。

 

 ――急ぎなさい。走りなさい。殺しますよ

 

 カルカラに毎日告げられる殺意に満ちた鞭叩きで、彼の蓄えた脂肪の幾等かは筋肉になった。それまで来ていた服がブカブカになって、特注の服が存在しないからと都市民でも着ないようなボロの服を身に纏う羽目になった。

 百歩譲って神官の訓練をするのは良いとして、走り回るのは絶対違うという抗議は無言の殺意でかき消された。此処ではグラドルに居たときに通じた彼の権威をマトモに受け取る者は居ない。ピーピーと悲鳴を上げながら彼は毎日を走り回った。

 

 そしてそんな日々に些か慣れ始めると、彼に待っていたのは休みで無く新たなる仕事だ。

 

 ――神官としての地位も力もあるなら、責務も果たしなさい。当然でしょ

 

 恩恵は何処へ行った!?

 と、抗議したものの、今日まで散々享受してきたでしょうとこれまた一蹴され、彼は身につけた神官の力を活用する手段の研究にも駆り出されることになった。

 ウーガの全てを管理する白王陣の魔女、リーネからは特に無茶ぶりを告げられることが多く、そのたびにひぃひぃと悲鳴を上げる毎日だ。

 

 忙しく、叱咤が毎日のようにとんでくる。グラドルにいた頃とは比べものにならない目の回る毎日を彼は必死に過ごしていた。

 

「そしてその挙げ句にコレだ!何故名無しの小僧にモノを教えねばならぬのだ!!」

「今、手が空いていてウーガで最も教養があるのが貴方だからです」

 

 グルフィンの抗議を、カルカラは一言で切って捨てた。

 

「手紙くらい、誰かに代筆させればそれで済むだろうに!」

「その場しのぎは出来るでしょうが、今後の彼の立場を考えると、最低限の書面での作法は身につけておくにこしたことはないのです。」

「だが、しかし、今日だって私は馬車馬の如く走らされて……」

「まだ何か?」

 

 グルフィンは何か言いたげだったが、カルカラの恐ろしい眼光に反論出来ずに撃沈した。そしてそのまま彼女から眼を逸らすように既に席に着いていたウルへと向き直ると、ウルを指さしてグルフィンは凄んだ。

 

「……良いだろう。小僧!さっさと終わらせるぞ!!!」

「どうぞよろしく」

 

 こうしてグルフィンのお手紙教室は始まった……ワケだが、残念ながら彼の望むように、さっさと終わる、などと言うことは起こらなかった。

 当然と言えば当然だが、ウルに手紙の心得は一切無く、更に言えば筆記の技術も「最低限のことは出来る」に留まっていた。

 

「……なんだこのみみずがのたうったような絵は!?」

「俺の名前なんだが」

 

 手紙教室というものが文字の練習から始めなければならないと気付いたとき、グルフィンは結構絶望した。やむなく文字を一から順に教え始めると、その指導がどこからか漏れ聞こえたのか、翌日、名無しの子供達が集まってきた。

 

「神官様に文字の読み書きを教えて貰えると聞いてきたんだけども、ウチの子もおねがいできますでしょうか……?」

 

 それを聞いたグルフィンは目をひん剥いて首をブンブンと横に振った。

 

「まて!巫山戯るな!!ウルの小僧だけで手一杯なのだぞ!他の子供なんぞに教えていられるか!!!」

「私も幾らか手伝いましょう。彼らが文字の読み書き数の足し引きが出来るようになれば、後々大きな財産になる。頑張りますよ」

「何故私がこんなことを!?」

「や り ま す よ」

「…………はい」

 

 結果、名無し達の子供達にもソレを教える羽目になった。

 

 数が増えると、教え方にも工夫が必要になる。文字の練習に紙をいちいち消費するわけにも行かず、何度も筆記の練習が出来る黒板をカルカラが岩の精霊の力で用意し、グルフィンはそれを拡張し大きな黒板の前で文字を書き込み、それを手元の黒板で練習させた。

 子供達の中に白の蟒蛇の戦士達、それに風の少女まで混じり始めたが、その頃にはグルフィンはその事に文句を言う気力も無くなっていた。

 

 そうして、そんな日々がだいたい二週間と少し経過した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「せんせえ、さよーならー」

 

 先生、とグルフィンを呼ぶ名無し達が手を振ってその日も別れを告げる。

 グルフィンはそれに対して死んだ目で応じながらぶらぶらと手を振り、子供達の姿が見えなくなると同時に机に突っ伏して倒れた。

 

「何故、私が、こんなことを……」

「大変だなグルフィン様」

 

 その様に、ウルはいささか同情したように声をかけると、彼は勢いよく身体を起こして憤怒の表情でウルを指さした。

 

「お前がもー少しまともな字がかけていれば此処までの苦労にはならんかったんだぞ!!」

「すんません。いやほんと」

 

 現在教室にウルが居残ってる理由は、グルフィンに同情の言葉をかけてあげるためではない。単純にウルの字が一番汚いので居残り授業を受ける羽目になっているからである。

 現在。教室で一番文字が汚いのはウルである。最近字を習い始めたばかりの名無しの子供達にも劣る。一応理由はある。

 

「違和感はないんだが、細かい作業が少し苦手でな」

 

 彼の利き手である右手が異形化し、文字を書き取りするのがやや困難な為だ。ラース解放の際、異形による歪みは幾らか収まったが、それでも左手とは若干カタチが違う。武器を振り回すのには問題ないが、文字を書き取るレベルの繊細な動作には不向きだった。

 

 おまけに、彼の身体能力が爆発的に向上し、その力がまだ馴染んでいない。結果、文字がより汚くなった。

 

 それでもなんとかグルフィンの指導の下、文字は細かく修正し、必要な相手に対して手紙は送ることは出来たが、それでもまだ文字を習うため彼の授業は受けている。

 

「一刻も早く帰れ!!忙しいんだ私は!!」

「一応、ラースとのゴタゴタは落ち着いてきているのだが、やっぱりまだ忙しい?」

「訓練訓練実験実験その上教室だ!!もうウンザリだ!!わたしを過労死させる気か!?」

 

 それは大げさな言い方だった。

 元々のグルフィンの怠惰な日々と比べれば確かにそれは忙しいが、カルカラとて相手を死なせてしまうほど過度な負荷を加えるつもりは既になかった。初めの頃のスパルタと比べれば、精霊からの加護を授かった現在は幾らかペースを落としている。

 休みは与えられている。神官としての仕事をこなす分の報酬も与えられている。なんだかんだといって、彼と同じく神官見習いの落ちこぼれ従者達は徐々にこの生活に順応しつつあった。

 それでも、グルフィンからすれば未だそれは地獄の日々に等しかった。

 

「何故私がこんな事を……小汚い名無しの子供にモノを教えるなど……高貴なモノの仕事では………」

「いままで当たり前だった生活がいきなり崩れることには同情するが……」

 

 ウルはやや動きの硬い右手で筆記の練習を続けながら、不意に尋ねる。

 

「アンタの言うところの以前までの高貴なる生活ってのはそんなに良かったのか?」

「当然だ!!!」

 

 グルフィンが身体を勢いよく起こした。

 

「グラドルの日々がどれほど素晴らしかったか!!此処の貧相な食事とは比べものにならない豪勢な食事の数々美酒に美女!!!」

「凄いな。他には?」

「他には――――」

 

 と、そこまで言って、グルフィンはピタリと動きを止めた。暫く何か考えるようにしていたが、その続きはちっとも出てくることはなかった。グルフィンは暫く視線を彷徨わせた後、少し焦ったようにウルへと振り返った。

 

「……違うからな」

「何も言っていないが」

 

 ウルは特に嘲りもせずそう返すが、彼にはそう思えなかったらしい。自身に言い聞かせるように彼は叫んだ。

 

「私は幸せだったんだ!!あのままが良かったんだ!!!此処での生活は最悪だ!決して、決して――――」

 

 決して、かつての日々がただただ浪費したばかりで、それ以外彼に何も残していってくれなかった。などと言うことは無い、筈だ。

 そして今、毎日鍛錬を重ね、少しずつ精霊の力を操れるようになってきた事や、その力を応用し様々な形でウーガという都市を豊かにしていく事。教室を開いて、子供達に先生と呼ばれて感謝される事。それらが、かつての飽食の日々と遜色ないほどの充実を感じさせてくれるだなんてこと、在るわけが無い。

 彼は自身にそう言って聞かせた。言い聞かせないと、今の自分の価値観が崩壊しそうで、だからこそグルフィンは必死だった。

 

「別に、俺はアンタの昔を否定するつもりは無いって」

 

 混乱した様子のグルフィンに対して、ウルはやはり冷静な反応だった。字を練習する手は休めること無く、会話を続けた。

 

「自分の好きな食べ物を好きなだけ食べる。結構な幸せじゃないか。俺は名無しで、貧しい経験も山ほどしてきたから心底思うよ。沢山食べられるのは素晴らしいことだ」

「そ、そうだ!羨ましいだろう!」

「本当にな」

 

 グルフィンに同意し、ウルは更に言葉を続ける。

 

「グラドルって、生産都市が優れていたんだろ?だから調理の技術もとびっきりと聞いていたけど本当なのか?行ったことはあったが高い飯屋には縁が無かった」

「勿論だ!腹が膨れれば良いなどと抜かすヤツもいるが論外だ!!食にも文化や創意工夫というモノが存在しているのだ!」

「そんで、ウーガで今生産を試みてる食材も、その加工も、グルフィン様が口出ししてるって言うじゃないか。昔の経験と知識、役に立ってるんじゃないか」

「そうだとも!!この私の舌無しでウーガの食糧事情は向上など出来ない!!」

 

 グルフィンはウルの言葉に吼えながらも、少し心が軽くなるのを感じていた。

 かつての彼の日々、ただただ美味しいモノを食べて、追求して、口喧しく批評する日々は誰からも認められはしなかった。血の繋がった家族からすらも煙たがられた。果てはウーガの騒動に放り込まれて、捨てられたのだ。

 彼の過去を認めるモノは誰も居なかった。誰であろう。グルフィン自身、それほど肯定的な気持ちにはなれなかったのだ。

 それが不意に認められてグルフィンは少しだけ、嬉しくなった。

 ウルは彼の様子を見て、自身の頬を掻いて、言った。

 

「昔が今に役立てているなら、今を無理に蔑む必要も無いんじゃないか?」

「…………それは」

 

 グルフィンは少し黙る。しかし先程のように混乱する様子はなかった。

 

「贅沢な日々と比べれば不足してるところは一杯あるだろうけど、代わりに得るものもあったんだろう。それはそれでいいじゃないか」

「……む……むむ」

 

 グルフィンは俯いて唸る。大分考えてるのかでかい頭が唸った。そして顔を上げる。

 

「だが、私は腹一杯食べたいのだ!!!此処の食事はあまりにすくない!!貧しい!」

「食べるのめっちゃ好きだなアンタ。じゃあそれができるようにすれば良いだろ」

 

 再びグルフィンは固まって、目を見開いた。なんのけなしといった風なウルは、グルフィンのその大げさな反応に逆に驚く。

 

「……出来るのか?」

「さあ」

「おい」

「わからんもの。俺、最近ウーガに戻ってきたばかりだし」

 

 実際、ウルがこのウーガに戻ってきたのは半年ぶりのことで、結果、ウーガの環境の変化には驚かされた。

 今現在のウーガは、リーネとカルカラが計画を進めているらしい、【一部生産都市化計画】なるものの成果なのか、彼方此方に植物の姿が見える。ヒトの出入りも多くなり、明らかに発展を続けている。ウルには此処でなにができるかは分からないが、可能性はとても大きく感じられた。

 

「グラドルに居た時レベルの食事はまだ難しいだろうけど、生産都市としての運用も今考えていて、アンタがそれ手伝ってるんだろ?アンタが頑張ればいいじゃないか」

「私が……?」

「アンタがそうしたいなら、そうなるな」

 

 そう言うとグルフィンは再び悩み出した。ウルは声をかけるのを止めて、文字の練習に戻る。しばらくして、多少マシになったであろう自身の文字に満足して、伸びをすると、不意に教室の外の人影に気がついた。

 

「どちらさん?」

「あ、あの、失礼します。グルフィン様」

「む……“フウ”か。どうした」

 

 見覚えのある少女が顔を出した。

 ウルは直接はあまり交流してこなかったが、カルカラが神官として育成していた従者達の一人だ。4大精霊の一体である風の精霊の加護を授かった才気溢れる巫女だったはずで在る。だが、記憶によれば確か彼女は……

 

「【名無しの呪い】ってのがあったんじゃなかったか?名前、呼べるようになったのか」

「……フウは呪いを回避するためのギリギリの渾名だ。息を吐くようにして呼ぶのだ」

 

 風の子、呼び名はそこまで不評ではなかったが、しかし少し長かった。その為にわざわざ改善したのだという。「ややこしい呪いの所為で!」と、グルフィンが不機嫌そうな顔でそう言うと、フウと呼ばれた少女はクスクスと笑った。

 

「私、どちらの名前も好きです。グルフィン様がつけてくださいましたから」

 

 そう言うと、グルフィンは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。実に分かりやすい照れ隠しで、ウルは小さく笑いながらも、フウと呼ばれるようになった少女へと向き直った。

 

「それで、どうしたんだ?」

「実は先程、生産区画で取れた食料の試験をしていまして……」

 

 彼女は手元から何かを取り出した。ふんわりとした甘い香りがする。彼女の手元に焼き菓子が広げられていた。ややカタチが崩れているが、中々に良い焼き目が付いていて、美味しそうだった。

 

「焼き菓子を作ってみたんです。よろしければどうぞ」

 

 美味そうだな。素直に思ったが、あれほど食い意地を見せていたグルフィン自身が何故か複雑そうな表情でその焼き菓子を睨んでいた。

 

「カ、カルカラには、余計な間食は禁じられている……」

 

 理由が判明した。どんだけカルカラ怖いんだ。と呆れたが、その言葉にフウは小さく微笑んで、人差し指を口元に当てた。

 

「はい、だから、内緒です」

「ひ、秘密……」

「だったら良いじゃないか。俺も共犯になるよ」

 

 そう言ってウルは先んじてグルフィンの前で焼き菓子に手を伸ばした。あっ!と叫ぶ彼の前でこれ見よがしに口元にそれを放った。

 

「お、甘さ控え目で美味い。焼きたての菓子の香りって最高だな」

「ま、またんか!私も喰うぞ!」

 

 そのままもう一個、という風に手を伸ばすと、グルフィンも慌てたように手を伸ばした。その様子をフウは嬉しそうに見つめる。夕焼けの差し込む教室の中、3人は甘く香る罪の味に舌鼓を打った。

 

 そして翌日、しっかりと間食したことがばれたグルフィンはフウと共に普段よりも多くウーガの外周を走り回される羽目になった。(当然、ウルも一緒に)

 

 だが、グルフィンはその日、フウの隣で泣き言を一度も口にすることは無かったのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常③ 勇者と聖者と凡人と

 

 

 竜吞ウーガ、【ダヴィネの工房】

 ウーガでは比較的新しい建築物でありながら、既にウーガの中心のように賑わっていた。

 

 元々、ウーガに住まう名無し達の中には物作りの仕事に覚えのある者達は結構な数存在していた。元々、都市作りのために働いていた者達なのだから当然と言えば当然だった。(それが竜吞ウーガ建造のカモフラージュだったとしても)

 しかし、彼らの職場はしっかりと決まってはいなかった。建物そのものが、ウーガの環境整備に合わせて新しく作り替えられたり、撤去されたりしているのだ。カルカラ率いる神官達の力によって、その建造自体は非常にスムーズに行えるのだが、結果として、なかなか腰を据える場所が決まらなかった。

 しかしダヴィネの工房を建造することに決まり、ならばいっそ、彼の職場に今バラバラになっている職人達の仕事場をまとめてしまおうと決まった。

 

 結果、ウーガの建造物の中でもかなりの大きさを誇る工房となった。ダヴィネも自分の仕事場が大きくなることには文句もなくご満悦だった。(あまり大きくしすぎて影響力が大きくなりすぎるとエンヴィーの二の舞になりかねないからと、ある程度は押さえられたが)

 そんなわけで、広く大きく働きやすい仕事場で、彼と彼の仲間達は今日も鎚を握り、武具や道具類達を生み出し、整備をしている。

 

「…………」

 

 そんな中、トップであるダヴィネは一人、奥の自分の仕事場に引き籠もり、真剣な面持ちで、自らが仕上げた剣を握りしめ、にらみつけていた。

 その表情は、とても真剣だ。元々彼は自分の仕事に対して手を抜くことを知らない男ではあるものの、今日の彼の集中力は普段の比では無かった。邪魔をすれば殺される。そんな殺意にも似た気迫が満ち満ちていた。ソレを理解して、彼の同僚達は一人たりとも彼のそばには近づかない。

 

 彼の側にいるのは一人だけ。依頼人である七天が一人【勇者】だけだ。

 

「――――よし」

 

 そして不意に、彼は緊張を解いた。そしてそれをそのまま、ずっと彼の仕事を眺めていた勇者に柄を差し出す。

 

「ほらよ、完璧だ。見てみろ」

「うん」

 

 勇者ディズは受け取ると、そのままゆっくりまっすぐ前へと身構えた。流石に室内で振り回す真似はしなかったが、ただ、構えるだけでその場の空気が変わった。遠目にその様子を見学していた者達も、自然と背筋が伸びるような、静謐な空気が場を支配した。

 

「素晴らしい」

 

 ディズはその剣の状態に満足したのか、そのままダヴィネへと向き直り、頷いた。

 

「流石だね。これを整備できるヒトは本当に少ないんだ。この場所で貴方に頼めるのは本当にありがたいよ、ダヴィネ」

「あったりめえだ!!俺に出来ねえと思ったか!!!すげえだろ!!」

「まさに天才の仕事だよ。助かった」

 

 手放しの賛辞にダヴィネは満足げに鼻を鳴らした。そのまま彼に報酬の金貨の包んだ袋を手渡すとそのまましばらく、剣を構えて、動作を確認していた。その様子を、今度はダヴィネの方が見物する番だった。

 

 絶え間ない鍛錬で無駄をそぎ落とし、鍛え抜くことで輝く美しさが動作に宿っていた。

 

 彼は【観の眼】を持っている。ものやヒトの善し悪しを見極める魔眼だ。そんな彼の視点から見る彼女のまぶしさは異常だった。思わずくらみそうになる程だった。

 そして、彼女と同等に目映く見えるのが、彼女の握る【星剣】だ。

 

「――――その【星剣】ってのはなんなんだ?」

 

 一通りのチェックを彼女が終えた後、ダヴィネは尋ねた。

 

「気になる?ってそれはそうか」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先ほどまで星剣を整備していたのは誰であろうダヴィネだ。結果として剣の構造は深く理解していた。刃に柄、剣の構造は通常のものとなんら変わりは無い。刃はかなり希少で珍しい【宙金】という代物で出来ているが、知識としてはダヴィネは把握している。整備するのに問題は無かった。

 特殊だったのは、刃の中心に刻まれていた魔術の術式だ――――いや、正確には、魔術の術式なのかも怪しい、かなり古く、読み取るのも困難な魔言が刻まれていた。

 

 そこには手を加えないように。

 

 とはディズも指示を出していた。勿論、依頼者から受けた指示を違えるつもりはダヴィネにはなかったが、そもそも手を加えることは出来なかった。その魔言の刻まれた部分は、“変化を拒絶している”。

 

「柄や刃は、なんども修繕を繰り返した跡があった。使い手に合わせて調整して、新しい技術を取り込んで、何度も何度も直した跡だ。だが、()()だけはねえ。なんなんだ?」

 

 異様ではあった。どれだけ周りを新しくしても、一部だけを古いままに残せば、そこから歪が起こったり、劣化したりするのが道理だ。しかしこの剣はそうはなっていない。

 

 むしろ、その部分の周囲だけは微塵も劣化していない。

 

 確かに、劣化しない素材というものはこの世界にある。希少で、極めて高価であるが、破損や劣化に応じて自ら修正する性質を宿すことは出来る。

 だが、コレはそういうものでもない印象だ。()()()()()()()()()

 ダヴィネすら理屈が分からない、全くの未知の技術だ。だから腹が立つ。

 

「神から、加護の代わりに授かった剣、らしいんだけど、詳細は不明でね。迷宮大乱立の時に、文献が紛失してしまったんだって」

「っつーことは、少なくとも迷宮が出るよりも以前の代物ってか?」

「そうなるね」

 

 年代物。迷宮から出土する遺物の類い。当時の大混乱の時代を超えて尚、一度も紛失されずに受け継がれ続けている武具という事になる。そこに執念を感じざるをえなかった。

 

「【星剣】は万能武装だ。使い手に常時、守りと攻撃の加護を与え続け、心身を高い基準で守り続ける。使い手に向けられた攻性魔術は、発展魔術(セカンド)クラスなら自動で【消去】する。勿論純粋な武器としても一流…………神の加護を授かることが出来ない【勇者】が、代わりに授かる武具だ」

「それが、その魔言に込められた力ってことか?」

「そうだね………ただその対価なのか、変な性質があってね?」

 

 と、ディズはなにか複雑な表情を浮かべた。ダヴィネは眉をひそめる。

 

「なんだよ、言えよ」

「この剣は、使()()()()()()

「ッハ!ベタベタな魔剣の類いだなぁ!」

 

 保有している魔力量、力量を判別し、それに応じて機能を解放する。武具が使い手を選ぶ。なんてのはよくある話だ。別に珍しくも無い。もったいぶった割に出てきたありきたりな情報にダヴィネは笑った。

 

「ところが、ちょっと選定の基準が奇妙でね」

 

 が、ディズの表情は変わらない。そのまま言葉を続ける。

 

()()()()()()()()()

「………………」

「ああ、ほら、そういう顔になる」

 

 ダヴィネの胡散臭そうな表情に、ディズは苦笑した。

 

「ああ?なんだ?つまりあれか?めちゃくちゃ心が清らかぁーな奴しか使えねえってか?」

「そうなるね。基準を満たさないと、さっき上げた機能の大半が封じられる」

「……」

「……」

 

 双方は沈黙した。そしてしばらくして、ダヴィネは堪えきれないといわんばかりに叫んだ。

 

「ばっかじゃねえの?!」

「うん、正直同意見。そもそも正しいの基準って何って話だしね…………私よりもずっと善いヒトが使えなかったりする。やたら厳しい上に、基準が謎」

 

 善性、なんてのは時代や場所、個々人の価値観によって変化するもので、絶対的な基準なんてものは存在しない。で、あれば【星剣】の選定基準は、【星剣】の価値観によって選ばれるということになる。

 ダヴィネの反応はごもっともだった。

 

「で、鍛錬を積んで、この剣の定めた合格基準を満たした者が、剣を使える。勇者になる」

「七天の下っ端になれるってか?」

「そ、とはいえ他の七天は天賢王や、先代からの選定で在ることを考えると、ワンチャンあるって考えるヒトもいるんだよねえ」

「バハハハ!「ワンチャン」なんて考える奴が聖者かあ?!」

「だーよーね-」

 

 実際、功名や力を求めて星剣の選定に挑んだ者が、星剣に選ばれる事例は皆無だった。歴史の中で【星剣】に選ばれた勇者達が、その時代で基準となっていた善悪の価値観から外れる者を排出したことがない事を考えると、ある程度は信頼におけるものではあるらしい。

 

「ただ、その厳しい基準をクリアして【星剣】を手にしたとしても、やっぱり他の神の加護を直接賜った同僚には及ばないんだよね」

「だから他の武器で補うってか」

「そ。そういう意味では貴方の【竜殺し】は本当に頼もしいよ。人造武器で、ここまで明確に竜に対して有効と言える武器はこれまでなかった」

「当然だ!!!」

 

 ダヴィネは腕を組み誇らしげに胸を反らした。

 

 実際、竜殺しという新兵器は対竜戦では凄まじい力をもたらした。

 

 竜殺しが存在する前は、竜に対抗する手段は特異な実力者を除けば、七天以外もたなかった。天賢王がもたらす太陽神の加護、その力を振るうことでしか竜は殲滅できない。兵士達が出来るのは守ることのみで、一度形勢が不利になれば、反撃は厳しい。

 

 陽喰らいの儀でも、迷宮への侵攻と防衛に割く七天の数は元々半々くらいだった

 そうでなければ、防衛側があっという間に崩れてしまうからだ。

 

 しかし竜殺しが生まれて、それが配備されるようになってから、陽喰らいの儀の戦闘効率は飛躍的に向上した。勿論、竜そのものは依然として脅威で、竜殺しをもってしても翻弄されることは多くある。

 が、しかし、竜殺しを持った一兵士が竜にとって「油断ならぬ戦力」として認識されるようになったのは間違いなかった。結果、戦場の盤面を人類側に優位に進められるようになったのだ。

 

 先の戦いでも、竜殺しなしでは恐ろしい被害が出ていたのは間違いない。

 

 ダヴィネは紛れもない傑物にして、革命者だ。

 

「だからこそ、プラウディアにも来て欲しかったんだけどね」

「やなこったな!神官どもに囲まれて仕事するなんて冗談じゃねえ!!」

 

 ディズの言葉に、ダヴィネはうなり声を上げた。顔を顰めて警戒する様子は不機嫌な犬のようだなとディズは少し面白くなったが、顔には出さなかった。

 

「俺は此処で働くってもう決めたんだ!!」

「此処が気に入ったんだねえ」

 

 ディズが嬉しそうに言うと、むっとダヴィネが顔をしかめる。

 

「……別に、悪くはねえってだけだ」

 

 ダヴィネは、酷くわかりやすい男だった。その事実に、ディズは優しく微笑む。年齢的にはずっと年上であるはずなのに、実家の弟や妹達のことを思い出していた。

 

「隠すことも無いじゃないか、此処は良いところだよ」

 

 ディズは視線を工房の中へと、そしてその先に開けた大通りの中を行き交う人々を見る。彼らは活気にあふれている。様々な種族、立場、地位の者達が混在し、それでも歩みを続けている。

 勿論、これだけのヒトがいるのだ。万事上手くいくわけが無い。時に不協和音も奏でながら、それでも決して、進む事を止めない。

 その光景を、ディズは目映そうに眼を細め、見つめる。

 

「いろんな悪意に傷つけられたヒト達が、それでも支え合って、抗って、戦って、一つのものを築こうといしている」

「…………」

「輝かしくて、愛おしいよ――――――だからこそ」

 

 そう言って、ディズは拳を強く握り、額に当てた。祈るように、誓うように。

 そしてその動作を終えると、すぐにダヴィネに向き直り、微笑む。もういつもの彼女に戻っていた。

 

「さて、ありがとう。ダヴィネ。また仕事を頼むかもしれないけどよろしくね」

「構わねえが、あんまり無茶すんなよ」

「心配?ありがとう」

 

 違う、と、ダヴィネはうなり、そしてディズの星剣を指さした。

 

「自分の仕事の心配だ!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その剣!そうなんどもぶっこわしかけるんじゃねえぞ!!」

「はっはっは、努力するよ――――できる限り」

 

 そんな風に笑って、ディズは工房を後にした。そしてやれやれと剣を腰に装着すると伸びをして、次の目的地へと向かった。

 

「さーて、ウルのリハビリは大丈夫かなっと」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ・訓練所】

 

「いっだい……」

「大丈夫じゃなかったかあ」

 

 ウルは死にかけた虫のようになっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常④ 勇者と聖者と凡人とⅡ

 

 黒炎砂漠の攻略を経て、ウルの身体能力は飛躍的に向上した。

 

 元々、彼の成長曲線は通常の冒険者達のソレと比べてもかなり極端な伸び方をしていた。次から次へ、強敵から強敵へ、戦いを繰り返していたが為に、彼の能力の伸び方には停滞が無かった。

 

 が、今回はこれまでの成長よりも更に極端だ。文字通り彼の能力は飛躍した。

 

 勿論、そのこと自体は別に悪いことでは無い。もし今後、戦いに身を置くことが無くなろうが、いつひっくり返るかも分からないような混沌としたイスラリアの大地に生きていく上で、強い力を有しているということは決して邪魔にはならない。

 

 問題は、あまりにも飛躍しすぎて、まるで意識がついて来ていないことにあった。

 

『ほんじゃあ、ぱわーあっぷしすぎててんで使い物にならなくなったウルをなんとか回復させたろう訓練はじめるぞー』

《わー》

「わー」

 

 そんなわけで、今日も今日とて、ウルは自己鍛錬に勤しむ事となる。ここしばらくの間のウルの日課となりつつあったが、今日は協力者がいる。

 やる気なさそうに手を上げるロックと、ウルの隣でパチパチと拍手するアカネだ。

 

『で、結局どうなんじゃい身体の調子は』

「カス」

《たんてきね?》

 

 隠す意味も無いので正直にウルは述べた。

 

「いや、まあ、間違いなく身体能力は向上してるんだ。それは間違いないんだが……」

『要は、馬力が跳ね上がりすぎて、コントロールが効いておらんのじゃろ?いつも通り』

「そうだな、いつも通り」

《いつものことがだいぶアレ》

「そうな」

 

 頷いたが、アカネがめちゃくちゃじとぉっとした目つきでこっちを見つめてきたのでウルは目をそらした。

 

『ほんならまあ、いつも通りリハビリすりゃいいんじゃないんかの?』

「そう思ったんだが……」

 

 ロックの指摘に腰を上げたウルは、訓練の為に立てかけてある模擬槍を握りしめ、身構える。幾度となく繰り返し、身につけた突貫の姿勢だ。ウルはそのまま以前と同じように全力で力を込め、一気に駆けだし――――

 

「――――ごうな゛る。いづもよりひどい」

『そんな格好で真面目くさった顔されてもものう……』

《しんだむしのまね?》

「にーちゃん泣くぞ」

 

 コントロールを失って地面を這う事になった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「で、そんな格好になったと」

 

 そしてそのタイミングで、ウル達の様子を見に来たディズがやってきて、ウルの無様な有様を見て苦笑することとなった。ウルは起き上がるのも面倒になって、地面に転がったままうなだれた。

 

「ちょっとコントロールの効かなさが今までの比じゃなくてだな……」

『よう日常生活送れるな?』

「日常の動作は、結局普段通りの力を出せば良いだけだからな」

 

 文字を書いたり、食器を使い食事をしたりするときに全力の力を使うわけが無い。この感覚は魔力を吸収して超人的な力を得る前から変わりないので、破綻するわけでは無かった。(それでも時々事故るが)

 

《おてがみのじも、すこしじょうずになったものね?》

「グルフィン先生からはまーだミミズがのたくってるって言われるがな……で、問題は戦闘で、全力を出そうとすると、こうなる」

 

 こう、と、ウルは自分の無様な有様を指さした。ディズはウルのその無様な姿を指先でつつきながら「なるほど」と納得した。

 

「“全力”の場合、自分の意識と、実際に引き出せる力の差異が大きすぎるんだね」

「多分、そんな感じ」

「意識の問題かな。今の自分の全力がどの程度かを認識できれば、多少はマシになるはず」

『多少のう』

 

 ぶっ倒れているウルを立たせながら、ディズは肩をすくめる。

 

「いきなりまったく性能の違う新しい身体に乗り換えているようなものだからね、今のウルって。一朝一夕で乗りこなせるわけが無いよ」

 

 なるほどな、と、ウルは立ち上がり伸びをする。

 ラースの時でも、陽喰らいの戦いで得た魔力を馴染ませ吸収するのに酷く時間がかかったのだ。今回の戦いで“打ち倒した存在”を考えれば、それ以上の苦労があるのは当然の話だった。

 

「……まあ、今はとりあえず、最低限動ければいいんだ」

「やるだけやってみようか。ロック、アカネ、協力してね」

『そりゃ構わんが、なにすんじゃい?』

《まえみたいな、がったいこうげき?》

「当たらずも遠からずかな」

 

 英雄と、骨と、精霊憑きはそろって首をかしげた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……なんかどえらいことになってるけど」

『カッカッカ!3人合体じゃの?』

《おもしろーい》

 

 そして、ディズの考案した案によって、3人は“合体”した。

 文字通りである。陽喰らいの戦いの時、ウルが未来視の魔眼の対策として半ば苦し紛れに考案したロックの人骨鎧をウルが纏い、更にその上からアカネが全身を覆い被さることで二重の鎧となっている。正直少し重いというか、息苦しい気がする。

 

「つまるところ、意識が戦闘モードになった時の力が出すぎるっていうのが問題な訳だから、力をまずは抑え込んでみようか」

「ロックとアカネは鎧というよりも拘束具か」

 

 現状、身体を動かしても精々「何かが纏わり付いてて動きにくい」程度だが、ロックとアカネが全力でウルの動きを阻害すれば、いくらとてつもない力を有したウルであっても制約はかかるだろう。

 

「そ。上限を抑え込む。その状態で全力を出して、少しずつ拘束を解いていけば、全力の出し方に慣れるはずだよ…………多分」

「多分て」

「流石に君レベルで無茶苦茶極端な魔力吸収をしたヒト見たこと無いんだ私も」

 

 ディズに苦笑された。返す言葉も無かったので、ウルは目をそらした。

 ひとまず、準備は完了した。探り探りとはいえ、ディズの理屈に間違いがあるようにも思えなかった。ので、ロックとアカネを纏ったまま、改めて身構える。

 

「……まあ、試してみるか。とりあえず全力出してみる」

『おう!やってみいウル!!』

《おっしゃあこいやあ!!!》

 

 二人の頼もしい返事に頷き、ウルは全力で地面を蹴りつけ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおう……」

『…………かか』

《えらいこっちゃ……》

 

 そのまま3人まとめて地面に転がり、遙か遠くにあったはずの訓練所の壁に激突して停止した。

 遠くから、ディズが駆け寄りながら叫んでいる。

 

「今のウルの全力って、本当に洒落にならないから、拘束側も油断しちゃダメだよ-!」

《さきにいって-!?》

「ゴメ-ン!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常⑤ 隣人のおせっかい

 

 

 竜吞ウーガの自宅。というものにウルはそれほど深く思い入れがあったわけではない。

 

 ウーガに滞在していたのはほんの数ヶ月のことで、ようやく馴染んできたかなと言ったところでいきなり地下牢送りにされてしまったからだ。エシェル達にも口にしたが、地下牢の滞在時間の方が長かったためか、ウーガの自宅が自分のものだという意識が根付ききってはいなかった。

 

 だから正直、家に戻ったところで何も感じることは無いだろうな、とそう思っていた。

 

 だが、地下牢に放り込まれる直前と殆ど変わらない内装を見た瞬間、郷愁のようなものがウルの中で沸いてきた。戻ってきたのだと、帰ってきたのだとそう思えたのだ。

 それは未知の感覚だった。帰る場所なんてこれまでなかった。次から次への放浪の旅が彼にとっての当然で、だから自分の場所なんて今まで得たことが無かった。

 

 だから、長く留守にした後、帰る喜びは初めてで、なんだか嬉しかった。

 

「……現金なもんだ、まったく」

 

 柔らかなベッドの上で目を覚ました瞬間見える天井にも、懐かしさを覚える自分の頭を嗤いながらも、ウルは起き上がった。心地の良い朝、とは、残念ながらいかない。全身が痛い。魔力による成長痛および、此処連日の“リハビリ”の疲労が身体に残っていた。

 

「はえーとこなれんとなあ…………っと」

「にゃぁ…………」

「当たり前みたいに潜り込んどる」

 

 剥がれかかっている毛布を潜り込んできていたエシェルにかけてやりながら、ウルは伸びをした。流石にそろそろ注意をした方が良いような気もするが、ウルの家が埃をかぶらず現状維持できていたのは、ウーガの留守を預かっていた彼女やリーネの努力あってのものであることを考えると、なかなか言いにくかった。(その結果、彼女らの私物がいつの間にか家に並んでいたりした) 

 

 まあ、今度で良いか。と、思いながら窓のカーテンを開き、外を眺める、と、

 

「…………ん?」

 

 自分の家の庭先で、菜園の世話をしている大男の背中が目に入った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 自分の庭園の世話をする大男の心当たりなんてウルには一人しか居なかった。

 

「じゃあなにか?俺がいない間ずっと庭先の庭園の世話してくれてたと?」

「ああ」

「感謝したい所だが若干怖いわ」

「お前の女どもが甲斐甲斐しく家の世話してくれることには文句言わねえくせに」

「自分より二回りでかい男の甲斐甲斐しさは圧が強いんだよ」

 

 燦々とした日光を浴びながら、庭先に引っ張り出した椅子に腰掛けだらりと身体を預けながら、隣の庭で菜園を弄ってるジャインを眺めていた。手伝おうかとも思ったが「休んでろガキ」と一蹴されたので近くで見物するに留まった。

 

「もう流石に怪我は回復したぞ。訓練所で見ただろ」

「魔力吸収ろくにできず力加減ガッタガタの奴に庭あらされたくねえ」

「俺の庭なんだが」

「うるせえ。さっさと慣れろ」

 

 投げつけられたのは、グリードの訓練所で見たような鍛錬用のボールだった。

 

 迷宮駆け出しの新人の冒険者が初めての魔物退治の後、獲得した魔力によって得た力の感覚を馴染ませるために握らせる代物である。まさか今更必要になるとは――――と思おうとしたが、考えてみればこの手の道具に頼らないタイミングというのが無かった。自分の冒険者稼業は常に自己認識と実際の肉体強度のアンバランスに悩まされっぱなしである。

 素直にボールを握りしめる練習を開始した。

 

「訓練はしてるんだろうが、取り急ぎ、せめて最低限動けるようになっとけ」

「含みのある言い方だが、なにかあるのか」

「すぐに分かる。お前ほどじゃあねえがこっちもトラブルまみれだったっつーこった」

「こわ」

 

 こっちが何事も無いわけが無かったのは分かっているが、直接的に言われると恐怖である。リハビリの量をもう少し増やす事をウルは決めた。

 それからしばらく、二人とも無言だったが、不意にジャインが目の前の農作物から目をそらさずに、口を開いた。

 

「……ま、無事で何よりだったよ」

「心配かけて悪かった。ウーガを守ってくれて助かったよ」

「自分の家くらい自分で守る」

「だなあ、俺は大分離れてしまったが」

「お前のせいじゃないだろ。畜生どもの仕業だ。因果応報で軒並み消し飛んだが」

「らしいなあ」

 

 ウルはなんでもないように頷くと、ジャインは不審げにウルを見た。

 

「……全然興味なさそうだなお前」

「トップの連中は、どっちも俺自身が始末はつけたしな」

 

 プラウディアのドローナに、エンヴィーのヘイルダー。

 それぞれに対して報復は一先ず完了した。受けた仕打ち――――ほぼほぼ無期幽閉ないし死刑――――を思えば、温いと言えなくも無いが、ウルとしてはそれで一区切りはついていた。

 エクスタインは結局取り逃がしたが、アカネがアカネパンチをぶちこんでいたので、ひとまず良しとした。(再会できたら自分も一発殴るつもりだが)

 

「残る連中は()()()()の皆が始末付けてくれたし、これ以上はいいかなって」

「俺なら、いままでの努力を取り上げられ、身に覚えの無い汚名を被らされて死地に放り込まれたら、徹底的に報復するまで腹の虫が治まらんがな」

「自衛の為にも、その方が正しいんだろうけどな」

 

 自分の身を守る為、自分の手で敵を滅ぼす。というジャインの思想は理解できるし、なんならウルの行動基準の一つでもある。別にそれは否定しない。

 

 だというのに必要以上の怒りが自分の中から沸いてこないことが不思議だ。

 

 ウルは別に自分の事を聖人と思っていない。むごい仕打ちには怒りを覚える。なのにここまで自分が平静なままなのはやや不思議だった。空を仰ぎ見て、自分の内面を覗き込み、そして一つ結論を得た。

 

「……焦牢の日々が、悪いもんじゃ無かったからなあ」

「無実の罪で牢屋に入れられた日々が悪くなかったって?」

「困ったことにな。得がたい出会いもあった」

 

 勿論、ウルが牢獄に入れられたのは悪意と策謀によるものだった。しかしその結果、ウルはあの場所でしか出会えない者達と巡り会い、縁で結ばれた。全てが良い出会いでは無かったが、貴重な経験だった。

 だから「あんな場所に放り込みやがって!」という負の感情がなかなか動かないのだ。

 

「まあ、黒炎払いの連中がかなりの掘り出し物だったのは認めるがよ」

「それ以外でもな。なんだかんだ、そういう点は運が良いよ、俺は」

「そう言えるのは大物だよ。流石、黄金級(仮」

「おうごんきゅう」

 

 その言葉をウルは繰り返し、そして、やや遠い目になりながら、ジャインに問うた。

 

「……すんなりいくと思う?」

「…………」

「おい黙るな」

「じゃあ聞くな」

 

 そして沈黙する。しばらくするとウルはボールを手放して、ジャインの隣にしゃがみ込んだ。

 

「……やっぱ出来るとこだけ手伝うわ」

「そうかよ」

「何も考えずに済むって点では良いな。土いじり」

「そうだろ」

 

 その後、しばらく汗と土にまみれた二人は、起きてきたエシェルと一緒にちょうど開いていた大浴場でひとっ風呂浴びてさっぱりして、ペリィのところで一杯やってから帰った。

 深くは考えないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういや結局、リハビリの調子はどうなんだよお前」

「カスがそこそこ動けるカスにランクアップした」

「ランクアップかそれ?」

「ウルは頑張ってるぞ!」

「全肯定女王はあんま参考にならねえ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなるウーガの日常⑥ 勇者と聖者と凡人とⅢ

 

 元、【罪焼きの焦牢】跡地。

 

 数百年続いた罪を焼く牢獄は既に跡形も無い。残された残骸と、不毛なる砂漠が残るばかりだった。結果として、何一つさえぎるものなくなった大地の上で、灰色の少年と金色の少女が相対していた。

 

「ほんじゃいくぞ」

「いつでもどうぞ」

 

 灰色の少年、ウルはやや緊張した面持ちで身構え、一方で金色の少女であるディズはリラックスした表情だった。

 

 ウルのリハビリ鍛錬を開始してから数日が経過した。

 

 現在のウルの身体能力を考えると、ウーガの訓練所では狭すぎるのでは?

 

 ということで焦牢の廃墟を使っての鍛錬に切り替え、ウルは「全力」の力の引き出し方をここ数日間練習していた。その成果、ロックとアカネの補助なしでも、力を出した瞬間バランスを崩して地面を転がり回るような不細工な事にはならなくなりつつあった。

 

 ――――なら最後、模擬戦闘で感覚を掴もうか。

 

 ということで、ウルは勇者と対峙することになった。

 

「…………」

 

 模擬戦闘とはいえ対人だ。今のウルの力では相手を木っ端微塵にしてしまうのではないか、という恐怖はどう抗おうともつきまとう。その点を払拭するための対峙でもあった。

 

「いーくー、か!!」

 

 ウルが地面を蹴る。途端に膨大な力が地面にたたき込まれる。砂の大地がまるで柱のような激しい土煙を起こす。ディズの視界いっぱいに土煙が立ちこもり、彼女の視界を塞いだ。

 そしてその土煙を一瞬で穿つように、ウルが槍を構えて飛び出してくる。

 

 速い。

 

 ディズは声に出さぬまま、感嘆し、そのまま最低限の動作で回避する。すぐ側で豪速の巨岩がたたきつけられたかのような衝撃が音と共にやってくる。振り返り、剣を構えると、しばらくしてから反転したウルが飛び出してくる。

 

 やはり細かな動作の連携がかなり鈍くなっている、が――――

 

「――――っ!!」

 

 竜牙槍の刃を使う要領で、ウルが振り下ろしてきた槍をディズは受け止め、その強さに顔を引きつらせる。模擬剣は多重に守りの魔術による付与を行ったはずだが、軋み、今にも砕けそうになる。受け止めるディズも、集中しなければ即座に叩き潰されてしまいかねなかった。

 

 凄まじい……!

 

 やはり、ウルの現在の力はとてつもない。七天のディズの視座であっても異常だった。

 

 ラースを破壊したときの詳細を彼からは聞いていた。

 

 最終的に、ラース超克の場にて生き残ったのは自分だけだったと。ならば、なるほど、ラースが有していた魔力の大半を彼が引き受けた事になる。超強化も道理だ。

 

 しかし、人類の魔力吸収量には限界がある。

 

 人類の魂という器の容量だ。魔名で言うところの五画。それを超えることは出来ない。生物としての成長の限界点だ。勿論、そもそもそんな場所に到達する事が出来る者が極めて希であり、それ故に「限界がある」なんていう事実すら、ほとんど知れ渡っていない。

 

 だが、おそらく今の彼は、それを超えている。

 

 力の引き出し方が分かっていない今の状態ですらも、この力だ。魔力が完全に馴染めば、更に伸びる。そうすればおそらく、真正面から受け止めることすらも出来なくなる。

 

「だが、まだ――――」

「っとお!?」

 

 正面から受けとめたが故に起きたつばぜり合いの拮抗を、一気に崩す。上段から槍を振り下ろしていたウルは、突如としてバランスを崩して、地面に槍をたたきつけた。再び土煙が舞う。

 

 いや、事故は起きないけど、これはこれで問題だね?

 

 砂の雨を全身に浴びて苦笑しながらも、ディズはウルの隙を見逃さず、即座に動いた。

 

「よっと」

「っが?!」

 

 槍を即座に弾き、腕を掴み、ひねり、地面にたたきつける。一瞬で身動き一つとれなくなったウルはうなり声を上げながら、此方を見上げてきた。

 

「ラース以前と比べても、まだまだ反応が鈍くて荒いね、続けようか」

「……おねげえします」

 

 苦々しげなウルの表情を見て、ディズは微笑む。末席とはいえ七天と相対して、どうしようもないと諦めて笑うのではなく、悔しいと思えるのは良い傾向だった。

 

 今の自分がどれほど理不尽な怪物であるかの自覚が出てきている。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「惨敗だあ……」

「まあ、最後の方は悪くなかったよ」

「涼しい顔で言われてもなあ」

「砂まみれの顔だけどね」

 

 ディズとの模擬戦を終え、一方的にボコボコにされた結果にウルは地面に転がりながらため息をついた。こうなる結果は分かりきってはいたが、しかし悔しいものは悔しかった。

 そして、その一方で、ようやくじわじわとした実感がわいてきた。

 

「……とんでもねえな」

 

 ディズと相対して、ぼんやりと分かっていた自分の力を明確に実感し、ウルは恐怖した。

 黒炎砂漠を攻略する前の時点でも、ウルは自分の力の強さを扱いあぐねていた。その全てを掌握するのに四苦八苦して、掌握しきったのは黒炎砂漠攻略の終盤だった。

 

 そして現在、その力を更に超える力がウルに宿っている。

 

 地面を蹴れば一瞬で遙か彼方まで距離が潰れる。力を込め、槍を振るえば巨岩もあっけなく打ち砕ける。(当然模擬槍も砕けるが)。下級の魔物程度であれば、最早小細工すら必要としていない。正面から全力でぶつかるだけで砕け散る。

 

 未だ、力の全てを引き出せずにいて尚この有様だ。

 

 己は怪物となった。ウルはそれを理解して、身震いした。

 

「……こ~~~わ」

「力を自覚した上で、恐怖を感じるなら良い傾向だよ」

 

 地面に寝転がりながらぼやくウルの側で、ディズは屈み込んで微笑んだ。

 

「超人化することで得る万能感は、どれだけ熟練の戦士であっても惑わされるからね」

「魔物退治家業の基本中の基本、だな。グリードの師匠に散々指導されたよ」

 

 万能感に酔い、驕り、そして自分を見誤った瞬間、冒険者は死ぬ。

 

 今も鮮明に思い出せるグリードの訓練所にて、散々にたたき込まれた教訓だ。ウルも骨の髄までそれがしみこんでいる。魔力を吸収して強くなる度に、あの暴君のような師匠にボコボコに殴られ続けたのだから。

 

「おかげさまで、今日まで生き延びたよ」

 

 恐ろしい師匠を思い出しながら、立ち上がり、身体を伸びする。過剰極まる力によってずっとこわばった身体が、多少は柔らかくなった気がした。

 

「最低限は整ったかな?」

「まだ全然小回りが効かないけどなあ…………さて」

「ん?」

 

 そのまま、ディズから少し距離をとった。

 

「ちょっと実験」

 

 そう呟いて、槍を構える。

 先ほどまでの、肉体のコントロールを失わないことだけに注力していた意識を切り替える。心の奥底まで刻まれた経験を呼び起こす。あの黒炎の地獄の最深層で遭遇した狂乱の黒竜の姿を思い出す。

 あの時の集中力。一切を放り捨てて、一点を貫く閃きを再現する。

 穿つ

 以外の全ての機能を捨てて、一撃を解き放つ――――

 

「【魔――――】」

「ストップ」

 

 が、飛び出す直前、ぐるんとウルの首に腕がまきついて、強制的に動きが中断された。ディズが飛び出して、ウルの動作を止めたのだ。

 

「っと」

()()を今使うのはやめておこう」

 

 ウルが何を試そうとしたのかを、予備動作だけで彼女は察したようだった。

 

「……試すの、まずかった?」

「リスクがある技じゃ無いけど、今の身体の状態で練習して、変な癖がつくと不味い」

 

 彼女の警告の通り、素直にウルは力を抜いて集中を解く。そのウルの姿を見て安堵のため息をついた。そしてそのまま、ウルから距離をとって、上から下までを観察するようにして眺めていった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?ラース超克の時?」

「不格好で、不完全で、酷いもんだったが……」

「でも、()()()()()()()()()()?なら、その感覚は大事にした方が良い」

「了解」

 

 頷き、肩の力を解くと同時に、疲労感が一気に身体に押し寄せて、座り込んだ。

 “魔を穿つ槍”、その技を再現しようと身構え、集中しただけで恐ろしく体力を消耗したらしい。放ってすらいないのに、そんな有様では、使いこなすのはほど遠いだろう。

 そんな風に思っていると、不意にディズが目の前に座り込んだ。

 

「なんじゃい」

「疑っていたわけじゃ無いけれど、君は本当に、ラースを討ったんだね」

「最後の一押しを担当しただけだって――――」

 

 思わず、謙遜を口にしかけたが、それを言い切るよりも早く、ディズの指先がウルの口を塞いだ。彼女はそのままウルに微笑みかけた。

 

「改めて、賞賛を。君は凄いよ」

 

 ディズは、真正面からウルの眼を見てそう告げた。

 輝ける黄金の瞳に込められた一切の濁りの無い祝福を、目を反らさずに受け止めるのはウルでも苦労した。あまりにも綺麗だった。

 

「あと少しで、私は君に完全に負かされる。楽しみだよ」

「それは――――」

 

 と、ウルが言葉を返そうとしたときだった。

 

『おう、イチャついとるところ悪いがちょいときとくれ』

 

 ウル達と一緒に此方に降りてきていたロックが声をかけてきた。

 

「どうした骨」

「アカネと一緒に焦牢跡地を探索してたよね?彼女は?」

『その妹御が酔っ払った』

「「なんて?」」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【罪焼きの焦牢】は長い歴史のある場所だ。

 ラースの崩壊から今日に至るまで、ずっと都市の外で残り続けていた奇跡の建物であり、歴史のある建造物だった。

 が、それは不死鳥の一撃によって文字通り焼け焦げ、ウーガの重力魔術によって地表が吹っ飛び、廃墟となってしまった。

 

 地表で燃えさかっていた黒炎も消え去り、生き残った囚人達による撤去作業も済んで、人気もガランとなったその廃墟を、アカネはロックを引き連れて探索していた。

 

《あははははー!》

 

 ら、こうなった。

 

「どうしてこうなった?」

 

 ウルは乗っかりながらぺしょんぺしょんと、彼の頭を楽器にして遊んでいるアカネを指さして尋ねた。ウルと一緒の時、彼女は割と浮かれる方だが、今日はいつもの比では無い。というか明らかに様子がおかしい。

 

『探索しとった妹御が、食堂ではしゃぎすぎて放置されとった酒瓶に頭から突っ込んだの』

「料理酒か……飲んじゃいないだろうが」

「酒気に酔ったかな。アカネ、大丈夫?」

《にゃはあはあははは!》

「大丈夫じゃないなあ」

 

 アカネの形状も普段と違う。液状の物体のように揺らいでいる。普段、周囲から不必要に目を引かないように猫や犬、動物の姿になるか小型の妖精の姿だ。

 しかし、今は殆ど普通の少女の姿である。その状態でウルにしがみついている。そしてうろんな目つきのまま、自分を心配そうに撫でてくるディズに焦点を合わせた。

 

《あー!でぃずだー!》

「ディズだよー」

 

 ディズを見つけると、アカネがビックリしたように声を上げた。ここまで一緒に来たはずなのだが、頭からすっ飛んでいるらしい。液体から魔力を吸収する彼女は、液体に影響をかなり受けやすい。

 そのまま猿のようにぴょんとディズに乗り移ると、そのままウルにしたようにディズの頬をぺちぺちと叩いた。

 

《ディズもなー!いつもなー!むちゃばっか!!》

「ほんとにね。ごめんね」

 

 アカネに謝りながら、ディズは彼女を抱き上げる。嬉しそうに声を上げながら、そのままディズの頬をむにむにとひっぱって遊び始めた。

 

《どーしてむちゃばっかするかなー!いいとしごろなのになー!》

「そう言う言葉何処で覚えてくるかにゃ君……ああ、父か」

《おとーたんおかーたんいるんでしょー!あんないいひとだったのにー》

「そうだねえ。私にはもったいないくらいの素敵な人達だよ」

 

 ディズはアカネと共にプラウディアのフェネクス家に一度帰宅している。アカネはフェネクス家の皆々に随分とかわいがられて、喜んでいた。自分よりよっぽど、あの家の子供らしく見えたのは内緒である。

 

《だのになー。むちゃばっか!》

「ほんとにごめんね?」

《あやまってばっか!にーたんもよ!》

「ごめんて」

《あやまってばっか!!》

 

 アカネはぷんすこだった。ディズは赤子をあやすようにゆらゆらと揺らし、リズム良く背中を叩いていく。徐々にトーンダウンしていった。

 

《ほんま、もーちょいー……じぶん、だいじに……》

 

 次第、こくりと船をこぎ始めるのを見計らって、するりとディズは彼女に指をあてて、魔術を唱えた。

 

「【浄化】」

《…………くぴー……》

「寝た。生身だったころの再現かな」

 

 赤らんだ彼女の身体が普段の金紅色に戻る。同時にアカネは眠りに就いたらしい。ディズはアカネの額を撫でた後、彼女を包んでいた星屑の外套に手を当てる。外套は輝き、アカネの身体をその内に隠した。

 

「ふう……」

『カッカッカ!言われたのう?ウルよ』

「めたくそに怒られたな」

「愛情さ」

 

 ディズが微笑みそう言うと、ロックが真っ白な骨の歯をニヤリと歪めた。

 

『おうおう、他人事のように言うのう?お主にもじゃろ?分からん訳ではあるまい』

「――――そう……だね」

 

 少し躊躇いながらも、ディズも頷いた。

 アカネに親愛が向けられているのは分かっている。それは暖かくて、少し痛い。そんな風に感じるのは自業自得なので、決して口にはしないが。

 

「――――まあ、私はもうすぐアカネとは別れることになるから」

『ほおん、こやつが黄金級とやらになるからかの?』

「指を指すな指を……」

 

 ロックの問いに、ディズは頷く。もうすぐ、ウルはディズとの契約、妹の売買契約を果たすだろう。そうすれば、アカネが価値証明の為に自分について回る理由もなくなるのだ。

 

「まだ、黄金級になるってだけで、私から買い取れたわけじゃ無いけど、遠からずでしょ」

「アカネの設定価格が金貨1000枚か」

「当時、冒険者ですらない君には果てしない金額だったけど、今の君ならかなり現実的だ」

 

 しかしウルは何やら複雑そうに首をかしげた。

 

「っつって、今の俺の報酬ってどうなってんだ……?」

「私の護衛の報酬は流石にもう大分長いこと宙ぶらりんになってるけど……」

『ウーガの管理費は主が管理しておるぞ?』

 

 その疑問に、ロックが応じる。アカネが割ってしまった瓶のガラス片を丁寧に拾いつつも、言葉を続けた。

 

『グラドルのラクレツィア殿と何度もやりとりして、結構な額もぎとっとるぞ?ちゃあんと、ギルド長のお主にその分の報酬も行くように割り振って、保管しておる』

 

 お主が牢獄にいっとる間の分もな?

 と、そう笑った。内助の功を体現するシズクの献身に、ウルは苦笑した。

 

「なら、かなりの額が貯まってるだろうね。金貨1000枚は射程圏内のはずだ。支払い終われば、アカネはもう、私についてくる必要は無くなる。兄妹水入らずだ」

「……」

『……』

 

 すると、何故か二人は微妙な顔をしてディズを見つめた。

 

「どしたの?」

『……まま、ええじゃろ』

「自由になった後、アカネがどうするかは俺が決めることじゃないしな」

 

 ディズが二人の言葉の意図をつかめきれずにいると、不意に、食堂の奧、地下牢の奥から物音と、ドタバタとした足音が聞こえてきた。何事だろうと視線を向けると、土人達が飛び出してきた。

 ウルは顔を上げる。先頭を行くリーダーの男に見覚えがあるらしい。

 

「フライタン?どうしたんだ」

「ウルかっ!それに勇者殿…………に、死霊兵?」

『おう、ウルの仲間じゃ。よろしくの?』

「……」

「やめろ、こっちに奇異なものを見る目を向けるな」

 

 地下牢で土人を率いていたリーダーのフライタンが慌てた様子でやってきたのだ。次いで彼の部下達も汗を流しながらどたばたと入ってくる。中には血を流している者も居た。

 やや不穏な空気にディズは前に出る。

 

「どうしたんだい」

「地下牢側の撤去作業が終わったんで、我々が使っていた地下鉱道の様子を確認して回っていたんです……が」

「が?」

「黒炎が消えた影響か、他の領から潜り込んできたと思しき大量の【丸岩虫】が……」

 

 と、フライタンが言ってる間に、背後から何かが激しく接触し、破壊しながら近付いてくる音がした。ディズは腰に備えた剣を引き抜き、笑顔で振り返った。

 

「ウル、ロック。手伝って」

「ろくな武器ねえぞ俺」

『んじゃ、ワシが武器になったるわ!!暴れるぞ!!カッカッカ!!!』

 

 その後、食堂に溢れかえった巨大で分厚い皮膚を持った3メートル超の虫の魔物達相手にウルとディズとロックは凄まじい攻防を繰り広げる羽目になった。

 

 その後、以前も既に【探鉱隊】相手にやらかしていたらしいウルが、「ラースを解放したウルは、死霊兵を身に纏い戦う死霊術師(ネクロマンサー)でもあった」と土人達から畏怖を込めて語られているのをディズは耳にしたが、ウルには言わないでおくことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日

 

 竜吞ウーガの司令塔。

 

 その様式は神殿に似ているが、その本質はまったく異なる。そこは神と精霊を紡ぐための儀式の場所ではなく、ヒトが自らの意思を示し、使い魔へと命令を下すための文字通り“司令塔”だ。

 その玉座に座る事となったのは、元々衛星都市ウーガ建設の管理者としての任についていたエシェルだ。現在の彼女は、ウーガに君臨する女王として様々な指示を下し、責任を負っている。

 

 当然ながら、その若さで、一切の前例の無い“移動要塞型都市国”なんていう代物の管理の全てを担う事なんて不可能だ。グラドルの現在のシンラであるラクレツィアを中心に、多くの者達が彼女に協力し、支えることで現状を維持している。

 

 それでも、女王は彼女だ。

 そうであるとラクレツィアも認めている。

 そして彼女自身もそうであろうと努力している。

 

 その過程にどれほどの失敗があろうとも、どれほどの無様を晒そうとも、彼女は女王だと誰もが認めている。いや、認めていっている。女王となる。その道程に彼女はいた。

 

 そして今、彼女は――――

 

「ここに来るのも久しぶりだなあ。いやまあ、転移で直接来てはいるんだが」

「うん」

「エシェルにこうされるのもなあ」

「うん」

 

 司令室の玉座で犬になっていた。

 飼い主もとい、彼女に慕われるウルは、されるがままに抱きつかれた状態で、周囲を見渡す。司令室にはまだ自分たち以外の人影がないのは幸いだった(もっとも、人影があろうとも彼女は最早気にしなくなりつつあるのだが)

 

「依存、てんで抜けなかったかあ……」

 

 不本意な形でウーガから牢獄へとたたき込まれたウルであったが、エシェルのウルに対する依存がある程度収まれば、と期待していた。が、どうやらその目論見は残念な結果で終わったらしい。むしろヒトの目も憚らなくなりつつあった。

 

 するとエシェルはパッと顔を上げて、ウルを見た。そして、

 

「頑張った!!」

「ああ」

「でも!色々!あったんだ!!」

「察するわ」

「う゛-!!」

 

 おかわりがはいったのでウルは諦めて彼女の背中をぽんぽんと叩いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「色々、様変わりしてるしな」

 

 しばらくしてから、エシェルも落ち着きを取り戻し(それでもがっちりとウルの腕をホールドしていたが)、ウルは改めて司令室の中を歩き回った。エシェルの力でウーガに戻った時も司令室には直接乗り込んでいたが、落ち着いて周囲を見渡すのは久しぶりだった。

 そうして見て回ると、当然ながら様変わりしているものが多くあった。

 というか、大分散らかっていた。

 

「運用している内に、色々と。各々、必要だと思うものを持ち込んでこんなことに」

「あー、そうなるよな。地下牢でも覚えあるわ。俺も」

「整理するぞ!!って皆で片付けもしたんだけど、すぐに何故かまた散らかる」

「綺麗にしても、普段使いするものってすぐに出っぱなしになるなあ」

 

 司令室には様々な情報が飛び込んでくる。貯蔵した魔石から魔力を取り出し運用する機関部や、遠見の水晶から得られる視覚情報、ウーガ周辺の環境情報に、ウーガ内で活動する人員の状況等々。

 それらの情報が自動で収集され、それに合わせて自動で処理が実行される、訳がない。情報を得たとしても、その情報をまとめ、活用するのは自分たちだ。

 

 つまるところ、全ての情報が集約する司令室は否応なくとっちらかる。

 

 此処は塵一つない荘厳なる玉座として設計されたらしいのが、部屋の造りからも感じ取れるが、そこに筆記具やら魔具やらなにやらがごちゃごちゃと並んでいては、荘厳さも台無しである。

 ウルとしては、そちらの方が親しみを覚えるで気にはならないのだが、どういったものかわからないものが幾つもあった。

 

「アレは?」

「この先巡る都市のスケジュール表。ウーガ次第で日程も前後するから絶対じゃないけど」

「これは?」

「暁の大鷲から仕入れた記録水晶だ!結構凄いぞ!記録しておきたい映像を複数保存できる!!ラストで作られたんだって!」

「へえ、凄いな…………で、これは?」

「ああ、それは殲滅対象の闇ギルド一覧だ」

 

 急に禍々しいものが出てきた。

 ウルはエシェルを二度見した。エシェルは複雑そうな表情をした。

 

「ウルが居なくなってから、つけいる隙だって思った闇ギルドがいくつか出てきて……」

「そりゃまあ、悪かったってのは置いといて……それで?」

「最初は、まあ、下っ端連中ばっかりだったんだ。だけどだんだん、規模も数も増えてきてぇ……」

 

 タチ悪いことに、それらは時間経過で落ち着いていく事は全くなかった。

 元よりウーガの知名度は誕生時点で尋常では無かったのだ。そして、即座にその価値を見抜き、ウルを貶めた連中以外にも、ウーガに目をつけた者達は当然のようにいた。

 

 しかし、彼らの多くは、エンヴィーやプラウディアの悪党達と違い「見」を選んだ。

 

 当たり前と言えば当たり前だ。ウーガを手中に収めんとした連中が選んだ速攻の一手は、誰もが選べるような手段ではない。コストもリスクもある。ウーガの価値そのものも不確かだったのだから。もしもウーガが大きな問題を抱えていた場合、都市規模で巨大な不良品を抱えることになるのだ。

 見に回る方が遙かに賢明だ。

 

 そして、時間経過と共に、ウーガの持つ潜在的な価値が本物であると理解して、そういった連中が一気に動き出した。

 

「で、最終的に、6つくらいの大きな闇ギルドが、ウチを狙ってきたんだ」

「えらいこっちゃ」

 

 自分が留守中に、どれだけ彼女らがトラブルと闘ってきたのか、その一端だった。ウルは感謝するようにエシェルの頭を撫でた。エシェルは嬉しそうに笑った後、更に説明を続けた。

 

「それでこのうちの一つの組織は滅んだ」

「滅んだ」

 

 滅んだらしい。

 エシェル曰く、そのギルドはプラウディアを中心にして蔓延っていた闇ギルドの一角だったらしい。プラウディアの中で堂々と正当ギルドの看板を打ち立てておきながら、裏では悪徳に手を染め、真っ当な者達を引き返せない暗黒に引きずり込む、紛れもない犯罪ギルドだ。

 

 そんな邪悪なギルドがなにゆえに滅んだか。

 

「その……詳細は不明なんだが」

「うん」

「天剣のユーリ様の下で暗躍する謎の銀髪エージェント【S】がギルド内部を混乱させて、内乱状態を引き起こして壊滅させたらしいんだ……!!」

「…………」

「…………」

 

 ウルは天を仰いで、しばらく沈黙した。エシェルもそうした。

 そして、

 

「――――何者なんだろうな。謎の銀髪エージェント【S】」

「うん、何者なんだろうな……!」

 

 流すことにした。

 

「で、1つ組織が滅んだと。残り5つ?」

「あ、5つのウチもう1つも滅んだ」

「闇ギルドで流行ってるのか?滅ぶの」

 

 日常生活ではほとんど聞くことも無いはずの「滅び」が連呼されて、ウルも感覚が狂い始めていた。

 

「大丈夫だ!!こっちは【S】じゃない!!」

「かつてないご安心の言葉をいただいたが、じゃあなんで?」

「うん、【S】じゃなくて【R】の方だ!!」

「察した」

 

 おおよその顛末が想像出来たが、ひとまず続きを促した。

 

「典型的な犯罪ギルドの一種だったんだが」

「うん」

「謎の白王陣使い【R】が……侵入してきた下っ端連中に「こんなくっそめんどくさい魔法陣誰がほしがるかばーか」って馬鹿にされて……」

「されて?」

「滅んだ」

「自明だ」

 

 何一つとして想像の範疇から外に出なかった。自明だった。

 

「…………」

「…………」

「ほれ」

「う゛ー!!」

 

 ウルが両腕を広げると、エシェルは抱きついてきた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「まあ、つまり残り4組織か」

「た、ただ、ウルも帰ってきたし、もう大丈夫、だと、思う!!」

「全然大丈夫に思ってなさそう」

 

 エシェルをわしわしと撫でながら、ひとまずウルは目下ウーガが争っている四組織を眺める。書面で見る限り、やはりどれもこれも危険な連中だった。出来れば関わりあいになりたくないし、グラドルや、プラウディアで対処できたらそれが一番なのだが―――― 

 

「あら、お熱いわね」

 

 なんてことを思っていると、司令室の扉から声がした。ウルは少し苦い表情を浮かべながらも振り返った。

 

「よお【R】、何の用だよ」

 

 リーネ、もとい【R】は何故か武装状態で姿を表した。表情がとても禍々しい。この時点で何か色々と察したのかエシェルはウルに強くしがみついた。

 

「来るわよ」

「来る」

「ウーガと白王陣の英知をかすめようとする盗人ども」

「わあ」

 

 驚きは無かった。彼女の殺意を見れば大体察した。

 

「いくわよ、【U】&【E】」

「いつの間にかコードネームがついてる」

「【S】はもう下準備に動いてる。早くしないと手遅れになるわよ」

「手遅れになるって、侵入者側がって意味だよな」

「そうよ」

「そうかあ……」

 

 とりあえず武装を急ぐことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日②

 

 情報は、時に黄金よりも尚眩く、時に路傍の石よりも色褪せる。

 

 情報ほど、変動の激しい商品は存在しないだろう。

 【飴色の山猫】のギルド長、ドートルはそれを理解していた。

 

 彼のギルドは物理的な規模でいえば小さい。大罪都市エンヴィーの衛星都市の一角、都市民用の高層建築物の一つに居を構えている。表向きは商人ギルドとしてエンヴィーには通している。

 通常の商売であれば、こんな小さな事務所一つでは商売は成り立たない。商品の仕入れの為の倉庫や、販売のための商店、物資の流通の為の馬車等、必要な物も場所も多い。にもかかわらず、使える土地は限られる。

 

 だから、商人達は、いかにして物資の流通を効率化させるかに日夜頭を悩ませている。ものの売り買い見極めよりも重要だと言う者もいる程だ。

 

 その点においては、ドートルの扱う商品、すなわち「情報」は、通常の商品と比べれば場所をとることはほとんど無い。記録する為の紙すらも場合によっては必要としない。扱いは極めて難しいが上等な商品と言える。

 

 ドートルはそれを扱っている。

 つまるところ、【飴色の山猫】は情報屋だ。

 そして【飴色の山猫】は、法に背く闇ギルドでもあった。

 

 結局、顧客がもっとも望むのは「他の誰も知らない、他者を出し抜ける情報」なのだ。

 

 「この情報は誰も知りませんよ」と嘘をついて相手を騙す手口もあるが、それは詐欺だ。もし詐欺でなく、真の情報仕入れ、売り、信頼を勝ち取ろうとするなら、そこには否応なくリスクが伴う。法に触れることもあるだろう。皮肉なことに、【飴色の山猫】が闇ギルドになったのは仕事と商品に真摯であろうとしたが故だった。

 

 ドートルは別にそうなってしまったことに対して後悔はない。

 彼は「名無し」だ。法は都市民達や神官を守っても自分たちは守らない。

 

 勿論、法の全てをくだらないと一蹴するほど短絡的では無かったが、(というよりもそこまで浅慮では情報は扱えない)必要であれば違法な駆け引きをすることに対しての躊躇も無かった。

 

 とはいえ、今回ばかりはしくじった、と痛感せざるを得なかった。

 

「ミクリナ。依頼だ」

「はい」

 

 ドートルは自身の手駒の一人、現地調査員であるミクリナに声をかける。

 獣人の自分に対して二回りは小さい小人の女、端正な容姿であるが不思議とその印象は薄い。年齢もパッと見ではまるでハッキリとはしない。ふと目を離せば見失ってしまいそうな気配の薄さだった。

 それらは間者としての卓越とした能力を示している。ドートルはその事実に満足する。ドートルの保有するギルド員の中でも最も優れた能力を有している。決して騒ぎ立てず、そこにいたという痕跡すら残さず、対象に気付かれないままに必要な情報のみを抜き去るのだ。

 彼女ならば、という期待。彼女を失うやもしれないというリスクへの懸念。

 その二つの感情が自身の心をジリジリと焼く感覚に、ドートルは苦く思った。それほどまでに、これから彼女に託す依頼の難度は高いのだ。

 

「例の調査依頼でしょうか」

「……流石にわかるか」

「今、あそこに関わらない仕事など存在しないでしょうから。」

 

 実に理解の早い彼女に感謝しながら、ドートルは頷く。

 

「そうだ。【竜吞ウーガ】。その現地調査だ」

「……単なる内部調査であれば容易です。しかしそうではないのでしょうね」

「先方が望んでいるのは、竜吞ウーガ、“その核”の情報だ」

 

 ミクリナは沈黙する。

 使い魔の核ともなれば、それは根幹だ。どのようにしてその使い魔が構築され、今尚維持されているのかの詳細である。ソレを望むということは「新たにウーガを作り出すことが出来るほどの精度の情報」を望んでいると言うことに他ならない。

 しかもウーガが現在、複数の大罪都市国の管理に置かれている以上、国家機密に分類される秘中の秘となっている。

 

 無茶だ。あまりにも無茶苦茶過ぎる。それはドートルにもミクリナにもわかっていた。

 

「念のため聞きますが、断ることは?」

 

 ドートルは首を横に振る。

 極めて慎重に、臆病に育ててきた【飴色の山猫】というギルドは大きくなった。太い顧客からの信頼を得てた。

 しかしその結果、断ち切ることの困難な繋がりも生まれてしまった。望めば、ドートル達を都市から追い出すことも出来る有権者達との危険なコネクション。彼らからの取引に応じ、彼らの秘密を握り、それを表沙汰にしないという暗黙の了解の元、彼らからの安全を買っていた。

 

 が、その顧客が破滅の危機を迎えると、その安全はリスクに代わる。

 

 破滅の危機を迎えた「顧客」は、ドートル達を脅しにかかった。自分たちが破滅するリスクも構わず、「望む情報を手に入れなければ、まとめて破滅してやるぞ」と言ってきたのだ。解体寸前となった中央工房の残党達である。

 

「中央工房のきな臭さは察していたつもりだったがな……」

 

 先の【灰の英雄】の凱旋の流れから間断なく発生した中央工房の崩壊は、ドートルでも感知できないほど圧倒的な速度で行われた。情報屋でありながら、その情報の一端すら掴む暇も無く行われた嵐は、一瞬にして彼らを窮地に追いやった。

 情報屋としてはこの上ない屈辱だ。築き上げたプライドもズタズタとなった。それでも、自分はギルドの長であり、配下の部下もいる以上、彼らを守らなければならない。

 

「主星国エンヴィーで起きた突発的な内乱は落ち着いた。暴力沙汰は鳴りをひそめた。しかしエンヴィ-は今でも大荒れの状態だ」

「荒れ狂う嵐の中で、生き残ろうと必死というわけですか」

「我々も同じだ」

 

 つまり、選択肢は無いと言うことだ。ミクリナはそれを承知したのか、諦めたのか、渡された資料に即座に目を通すと、発火の魔術で書類を焼き払った。

 

「出発はいつ頃ですか?」

「ラース領復興作業の資源補給に、エンヴィーの衛星都市に停泊する。その際に侵入しろ」

「承知しました」

「灰の英雄にも十分注意を。理解していると思っているが……」

「竜殺し相手に直接やり合うつもりはありません。」

「それともう一つ。注意して欲しい事象がある」

 

 ミクリナは眉をひそめる。その警戒は正しい。

 書面で渡せる情報は既に渡した。にもかかわらず口から説明するのは、書面に残すには不確かな情報か、書面にも残せない程の重要な情報かのどちらかだ。そして、今回の情報はその両方にあたるものだ。

 

「なんでしょう」

「ウーガには【糸使い】が存在している可能性が浮上した」

 

 その瞬間、ミクリナの顔色が変わった。

 糸使い。それは半年ほど前からプラウディアを中心に暗躍を開始した謎の存在だった。現在、プラウディアの天陽騎士団団長、天剣のユーリが行っている不正腐敗の一斉摘発。それを裏で手を引いている……と、()()()()()()()だ。

 噂ではある。根拠は無い。「武力のみが自慢の置物」などと陰口をたたかれることもあった天剣が突如として、あまりにも苛烈かつ、的確に、神殿の内外に蔓延っていた腐敗を崩しにかかってきたものだから、何者かが裏で糸を引いているのではないかと、そういう噂が生まれたのだ。

 

 勿論、最初は根拠の無いでたらめだと思われた。

 だが、次第にそれが実在するのではないかと言う推測が広がった。

 

 天剣のユーリの動きと、彼女自身の情報網があまりにも強すぎたのだ。彼女を中心に蜘蛛の糸が至る所に張り巡らされているかのように、ありとあらゆる情報が筒抜けになっていた。どれほど入念に地下深く隠された秘匿も、気がつけば陽の下に晒されるのだ。

 

 天剣の側に何者かの協力者が存在する。

 しかし、その姿形はどこにも見あたらない。

 

 必ず存在する。存在しなければおかしいのにその痕跡がどうしたって発見できないのだ。やはり噂は噂で実在しないのか、あるいは恐ろしいほどに狡猾で慎重な何者かなのか、どちらせよ極めて厄介な存在であることには違いなかった。

 

 それが、ウーガにいる可能性がある。ミクリナの瞳は鋭くなった。

 

「確定ではない。だが、注意してくれ。糸に絡み取られ、喰われてしまわぬよう」

「最善を尽くしましょう」

 

 飴色の山猫史上、最も困難で不確かな任務に対して、ミクリナはそれでも普段通りの振る舞いで、任務を承諾するのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 グラドル衛星都市の地下居住区画の一室にて

 

「今宵、我らの秘匿を取り返す」

 

 太陽神の目の届かぬ地下深くで、彼ら【血の探求者】と呼ばれる闇ギルドの面々は集っていた。フードを深くかぶった彼らの全てが魔術師だ。【血の探求者】は魔術師のギルドであり、同時に、禁忌の研究を繰り返していた闇のギルドだ。

 

 魔術師というのは、探求を続けていく内にどうしても一つの思想にぶつかる。

 

 すなわち、現在の神と精霊の支配に対する疑問だ。

 

 ヒトの手に、我らの手に、世界を取り戻す。

 

 そういう思想が――幼稚な思想が――一度だって頭をもたげなかった魔術師はいないだろう。勿論、それが浅慮である事はすぐに思い知る。制約の多い魔術の限界点は、真摯に魔術を学んでいればすぐに気がつく。それがない精霊に追いつくことは不可能だし、それを無理に追い求めれば、破滅が待っている。それこそ、エンヴィーの中央工房のような破滅が、だ。

 

 しかしソレが分かっていても研究を止められなかった者達はいる。

 

 その為に禁忌とされるあらゆる術法に手を染めてでも、探求を望む者もいる。

 

 【血の探求者】はそういった者達の受け皿だった。

 つまるところこの組織はそういった「探究心は高いが無謀で危険な魔術師」を吸収するための組織だった。そういった者達が自然と引きつけられ、引きずり込まれるようにこの組織は形作られ、そういった者達を捉えるための網をイスラリア中に張り巡らせていた。

 

 このギルドを生み出した設計者の邪悪さがにじみでいる。

 そして、その設計者が、今、彼らを血眼にする最大の要因となっていた。

 

「我らがギルド長、ヨーグの秘奥を回収するのだ」

 

 彼らのギルド長は、邪教徒ヨーグであった。

 【血の探求者】は邪教徒の集まりではない、が、一方で邪教徒達の企みに加担することは多かった。自分たちの禁忌の魔術を利用する上で、邪教徒達の活動は都合が良かった。互いが互いを利用する。そういった仕組みを【台無しのヨーグ】が創ったのだ。

 

 ――――将来イスラリアを支える有能な魔術師達が「台無し」になったら、面白いでしょう?

 

 そんな事を当人は平然と自分のギルド員にのたまいもしていたが、それでも彼女に対する敬意を向ける者は少なくなかった。それほど彼女の魔術は卓越していたのだ。

 

 もしかしたら本当に、神と精霊の支配を脱却できるかもしれない。

 

 そう思わされるくらいには。

 しかし、その期待は結局、水泡に帰した。

 彼女の傑作である【都市侵攻型移動要塞】は神と精霊の管理下に墜ちて、彼らに利用されることになった。それは、彼らにとって許しがたい事実だった。

 

「なんとしても取り戻さなければならない。ウーガは我々のものだ」

「その通りだ!よりにもよって、勇者の手中に収まるなどと、許されぬ……!」

「神と精霊達に這いつくばることしか出来ぬ者達がアレに触れる資格などない!!!」

 

 彼らは怒りに打ち震えていた。

 当然ではあった。既に、【竜吞ウーガ】と【血の探求者】達の争いは数ヶ月に及んでいる。そしてそのたびに彼らは返り討ちに遭い続けた。怒りと憎悪は煮えたぎり続け、既に敵対は不可逆のものとなっていた。

 

「竜吞女王……あの盗人め……!!」

「白の魔女もだ……!ことごとく邪魔をしおって」

 

 そして目下、彼らが怒りを向けているのは、現在の竜吞ウーガの女王であるエシェル・レーネ・ラーレイ。そしてその配下リーネ・ヌウ・レイラインだ。

 この二人は、配下である【白の蟒蛇】たちと共に、ウーガに侵入してくるあらゆる者達を迎撃し続けた。多様な悪意を、欲望を、邪悪を、情け容赦なく蹴散らしてきた。

 

 勿論、彼らも例外では無い。

 

 最初は遠距離からの干渉であったはずなのに、気がつけば場所を特定され、騎士団が詰めかける。あらゆる偽装が失敗に終わり、隠れ蓑としているアジトは次々と潰された。

 彼らは追い詰められ、そして屈辱の選択を飲まざるを得なくなった。

 

「ウーガが予定地まで移動した時点で作戦を実行する。良いな」

 

 現場に、直接乗り込むという強行だ。

 あまりにも屈辱的な選択だった。魔術による干渉では敵わないと、白旗をあげているようなものなのだから。しかし、ソレは分かっていても、そうせざるをえなかった。そうせざるをえないくらいには、彼らは追い詰められていた。

 

「邪霊の巫女はまだいい……レイラインはなんなんだ!?」

「アレがラストでくすぶっていた一族の末裔!?ありえん!」

「ヨーグ様の秘法を盗み見たのだ!!そうに決まっている!!」

 

 が、一方で彼らの士気は際限なく高まってもいた。

 彼らにとって、ヨーグは自分たちの長であると共に、信奉の対象でもあった。神や精霊への祈りを捨てた彼らは、結果、ヨーグを信仰の依り代としたのだ。そして、自分たちの思惑のことごとくを潰す【歩ム者】達が、自分たちの信仰と英知を奪い取った大罪人となりかわっていた。

 

 滑稽だ。

 

 その光景を遠目から眺めていた【血の探求者】の一人であるルキデウスは冷めた目で、彼らの狂乱を眺めていた。【血の探求者】の中でも、ヨーグに対する信仰心を欠片も持たなかった彼は、結果として今日まで生き延びた。

 

 応報だ。聖戦だ。と、鼻息を荒くしている連中に乗せられなかったのが功を奏した。

 

 勿論、そういった彼の態度は良く思われず、今の事態になるよりも以前から、【血の探求者】達からのつまはじきの扱いを受けていたが、別にそんなことは彼にとってどうでも良かった。

 

 彼が興味あるのは、真に魔術の探求である。

 

 それも、ヨーグがそそのかしていたような、破滅へと至る道筋ではない。“魔術の限界点とその克服”を知るために、彼はこの闇ギルドに身を置いていた。ヨーグの人格が壊滅的であっても、深淵の知識を有していたのは間違いなかったのだ。

 だが彼女はもういない。七天の勇者に討たれ、螺旋図書館の更に地下深く、【罪焼の焦牢】よりもなお昏い牢獄に投獄され、二度と外に出ることは無いという。

 

 だからもう此処には用はない、筈だった。

 だが、彼が立ち去ろうとしたその時、新たなる深淵と遭遇することとなる。

 

「竜吞女王への【切札】は用意できた。後はどうぶつけるかだが……」

「やはりレイラインを押さえるしかあるまい!奴が無事でいる限り、ウーガは要塞だ!」

「まて、【白銀姫】はどうする?」

「魔術の防衛面においてはレイラインほどの脅威ではない!まずは奴だ!その上で竜吞女王を討つ!」

 

 そう、レイラインだ。

 大罪都市ラストで没落していた白の末裔の一つ。複雑怪奇な魔法陣を操る一族。極めて扱いが困難な魔術であり、誰もが「使えない」と見切りをつける中で、ひたすらに研鑽を続け得た異常な一族、その()()()

 以前から興味自体はあった。実用性においては壊滅的なのは明らかだったが、膨大な量の術式を、一切破綻させずに積み上げて、単身では本来不可能な終局魔術へと至る行程は、ある意味不可能を可能としていると言ってもよかった。

 

 ソレをなせる技術は、興味がある。魔術の限界を超えるマスターキーたり得るからだ。

 

 そして、ウーガの騒動を経て、おそらくブレイクスルーを迎えた。白王陣は躍進している。ウーガとの相性が良い、というだけではない。何かきっかけがあって、決定的な成長を遂げたのだ。

 

 もしかしたら、今騒いでいる連中が言っているように、ヨーグの秘法に触れたが為かもしれない。あるいはまったく関係がないかもしれない。だがルキデウスにとってそれは心の底からどちらでも良かった。

 

 ただ知りたい。レイラインが、本当に魔術の深淵に触れているのなら、学びたい。そう思うのは魔術師の性だ。探求者の本能だ。その探究心も忘れて報復に夢中になっている連中は、魔術師では無い。

 

 なるほど、最後まであの女は「台無し」だったな?

 

 そんな風に感心し、同時に自分も彼女の影響を受けていないかと少し警戒しつつも、襲撃作戦の準備を進めた。勿論、それは彼らの作戦に協力するためでは無く、自分の探究心を満たすためだった。

 

 レイライン。ハッタリであってくれるなよ?

 

 自然と口端がつり上がる。それは加虐心故でも、復讐心故でもない。ただひたすら、子供のような期待と好奇心から生まれる笑みであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日③

 

 窃盗団。というのはこの世界にも存在している。

 

 相手が大事にしているモノを奪い、自分の利益とする者達。自ら何かを生み出すことも無い者達。誰からも忌み嫌われる簒奪者達。

 そして、そういった窃盗を行う集団の多くは名無し達である事が多い。今日生きていくための金も無く、飢えて死ぬしか無いのなら、過ちに走る事は当然起こりうる。滞在費を得るために、都市民達を狙い強盗を繰り返すような者達もいる。無論、全員が「やむを得ず」なんていう訳では無い。中には心底悪徳に染まり、不必要な過ちを繰り返す者もいる。

 名無し達が都市で忌み嫌われる事が多いのは、「事実として脅威であるから」という側面もある。

 

 ともかく、窃盗という犯罪を行う者の多くは「名無し」である事が多い。

 

「さあ、次のターゲットは竜吞ウーガだ!」

 

 だが、多いということは、例外が無いわけでは無い。

 

 エンヴィー領の衛星都市に【至宝の守護者】と呼ばれる若者達のギルドがある。

 

 男女含めて7名。世にも珍しい、名無しではなく官位持ちの若者達で結集された窃盗団だった。それも、決して最下位のヌウの集まり、というわけでも無い。彼らの中には高位官位の者までいる。彼らは少なくとも今日までの間に飢えを経験したことは一度も無かった。

 

 にもかかわらず彼らは窃盗などと言う悪行に身を染めている。何故か。

 

「へえーとうとうあそこを狙うのか!!」

「一度行ってみたかったの!なかなか交易路がこっちにこないんだもの!」

「楽しみだなあ!なあリーダー!仕事終わったらちょっと遊んでも良い?」

 

 そもそも彼らは、自分たちが悪行をしていると思ってはいないのだ。

 【至宝の守護者】と自ら名乗っているのだ。彼らにとって窃盗とは、価値ある財産を保護することに他ならない。価値のあるモノを、価値のある自分たちの手で守る事。それが彼らの主目的だ。

 始まりは些細なもので、とある商家のパーティに招かれたとき、価値あるアンティークがおざなりに扱われているのを見たときが始まりだ。【至宝の守護者】のギルド長のカルターンはなまじモノを見る目と知識があったが故に、その所業が許せなかった。

 

 だから盗んだ。価値も分からない者の手にあるよりも、その方が正しいと思ったからだ。

 無論、そんなものは言い訳にも満たない戯れ言だ。しかし彼はソレを信じた。そして困ったことに、彼の仲間達も彼を信じた。

 大変困ったことに、彼には少なからず、カリスマがあったのだ。

 容姿に優れ、常に自信にあふれていて、決断力がある。若者達が好ましく思う要素の全てを彼は持ち合わせていた。

 

「っつーか、結局何を狙うんだよ。まあ金はたんまりありそうだけど」

「お、お金なんて、取っちゃったらダメだよガイリ」

「わかってるって!お前は小心者だなルース!で、あそこなにがあんだよリーダー!」

 

 仲間達に問われて、カルターンはにやりと笑う。仲間達は彼のその仕草だけで、好奇心をそそられた。今日まで彼の言葉に、乗せられて、わくわくしなかった事は無かった。

 

「【白銀の至宝】さ」

 

 そして、彼がターゲットの名を口にした。

 しかし、その場の誰も、その名前にピンとこなかった。此処にいる誰も彼も、官位の家の子供で、価値ある物の知識を有している。しかし誰も思い当たるという顔をした者はいなかった。

 

「なあにそれ?宝石?」

「違うな。ヒトさ」

 

 問われ、カルターンは即答する。その瞬間、驚きの声が上がった。

 今日まで窃盗団として多くのものを盗んできたが、しかし流石に人物を盗んだことはなかった。驚きと、僅かな怖じ気が仲間達に広がっていた。しかし、それを見抜いてか、カルターンは堂々と話し始める。

 

「ウーガの奥深くで捕らえられていて、竜吞ウーガで奴隷みたいに働かされているらしい!ヒトなのに、精霊のような力を使えて、あらゆる場所の音を拾い集められるんだ!」

 

 彼の知るこの情報は市井で広がっていた噂話の一つだった。

 【竜吞ウーガ】世間を今なお騒がし、あらゆる物資と金銭を集積する前代未聞の移動要塞。真っ当なやり方では成立するはずも無いその移動要塞が、破綻もせず今も維持できている理由。その理由は、【白銀の至宝】と呼ばれる少女の存在そのものに他ならない。

 

 彼女は、ウーガを支配する【歩ム者】というギルドに捕らえられ、酷使されている。

 

 そんな噂話。根も葉もない噂。とも言い難い。ウーガに立ち寄った来訪者達の中でも時折、白銀の少女の目撃情報はある。その美しい容姿にもかかわらず、地味なローブを身に纏い、ひっそりと影に隠れるように周囲を見渡している女の姿。

 

 白銀の少女は実在する。ならば噂話は本当だ。彼の思考は短絡的にその結論に至った。

 

「かわいそう!」

「だろう?僕たちが保護してあげよう!!」

「いいね!私たちの仲間に入れてあげましょう!!」

 

 そして、彼らの仲間達も同様だった。

 結局の所、彼らは道を誤ってしまっただけの子供だった。善悪の判別をただせぬまま生きてきた子供だ。自分たちの所業の意味を理解していない。何せ、今いる自分たちの隠れ家を出れば、戻るのは自分たちの家で、そこには暖かいベッドも食事も家族も待っている。

 

 遊び感覚、というよりも、完全に遊びなのだ。

 

 それを許す地位、知識、財産、()()()()()()()

 それが全て、彼らの手元にあったこと。誰も止められる者がいなかった事が、何よりの彼らの不幸であった。

 

「でも、もし何かの間違いだったら?」

「そのときは――――」

 

 一人、少しだけ不安そうに声を上げる。それに対してカルターンは少しだけ迷ったような声をだすが、すぐさまにやりと笑った。

 

「ウーガで遊ぼうじゃ無いか」

「賛成だ!!!」

 

 無邪気に彼らは笑い合う。自らの行いに一点の曇りも無いと信じて。

 自分たちの所業が、人身誘拐であることをこれっぽっちも理解しないまま、彼らは進む。

 その先の奈落に誰一人気づかぬまま、足取りを軽くさせていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 闇ギルドとは、都市に住まう者達が守るべき法から逸脱した犯罪ギルドの呼称である。

 

 とはいえ勿論、違法と一言でいっても、その種類は様々だ。実にありがちな不正腐敗脱法犯罪に手を染めるギルドもあれば、「それは違法だったのか?」なんていうほどくだらない所業で闇ギルドと判別される組織もある。当人達もまったく気づかない内に法に背いていて「闇ギルドになっていた」なんていう間抜けなケースまで存在している。

 

 闇、という言葉の与える印象ほど、誰も彼も邪悪なる犯罪組織であるとは言い難い。

 なんだ蓋を開けてみればくだらない、そう言って鼻で笑う者は多い。

 実態なんてそんなものだと、知った口をきく者もいる。

 

 が、しかし一方で、表沙汰には決して出来ない“真の暗部”もまた、この世界には存在している。日々を生きる民達が気取る事など決してできないほど静かに、地下深くに潜行し、活動を続けている、暗黒のギルドが。

 

 闇ギルド、【黒羊】もその一つだ。

 

 通常のギルドのように、表だってどのような職業の集いであるかを提示する事は勿論無い。そもそも“彼”がどのようなあつまりであるかを知る者はほとんどいない。知っているのは“彼”の顧客である一握りの者達だけだ。

 

 ここまで念入りに姿形を隠している“彼”の生業は、【暗殺】だった。

 

 依頼されたターゲットの命を奪い去る事。それが彼の仕事だった。相手を選ばず、手段も選ばず、その命を奪い去る。紛れもない、暗黒の生業だった。時に大商人ギルドのトップを、時に大手の金貸しギルドの会計係を、時に同じく闇ギルドで薬物を捌いていた主犯格全員を、“彼”は手にかけてきた。

 

 そして、“彼”が驚異なのは、精霊の加護を持った神官、強靱な騎士、勇猛な冒険者が相手であっても、その仕事を完遂してきた事にある。

 

 どれほどの達人であっても、常時臨戦態勢でいるわけがない。生きて生活をしていく以上、油断するときというのは必ずある。彼らはその隙を縫うように狙い、そして音も無く始末し、なんでもないように帰還する。

 誰もがイメージする、まさに闇のギルドだ。

 

 そして、その日もまた、“彼”に依頼は舞い込んだ。

 

 法から逸脱した存在である“彼”は当然、特定のギルドハウスなど持たない。利用するのは都市の内部の各所にある”盲点”だ。その日は、都市民が利用する人気の酒場。喧噪溢れる店奧の、人の視線が通らないテーブルの一角。

 それは意図して生まれたモノではない死角だった。客は疎か店員すら、声をかけなければ視線すらやらない薄暗い、寂れたテーブル。秘密の会話をするにはもってこいの場所だ。

 その店のテーブルについているのは二人。テーブルにはそれらしく酒と料理が並び、飲み食いされている。二人の男は赤らんだ表情で談笑しており、全くもって周囲の景観と溶け込んでいた。

 そこに後ろ暗い雰囲気は微塵も無い。そして自分たちの装いと纏う空気が、周囲の酒場に完全に溶け込んだ辺りで、不意に男の一人が笑みを浮かべたまま、懐から紙を一通差し出した。

 

「依頼だ」

 

 もう一方の男は無言で紙を広げると、一瞬目を通すとそれを握った。再び手を広げると紙切れは灰のように砕けて、次の瞬間には塵と成って霧散する。跡形も無くなった。

 

「期限は2ヶ月だ。それまでに()()を頼む」

 

 それだけを言うと、男はたち上がり、店員に頼んで会計を済ませて去って行った。

 残されたもう一方、“彼”は一人酒を飲み、食事を続ける。偽装の一種にすぎないが、どのような後ろ暗い仕事をしようとも、食事を取らなければ死ぬのだ。腹を満たす必要はあった。作業的に、やや濃い味付けの肉を食い千切りながらそれを酒で流し込むと、彼は今回の”納品”の対象となった相手を思い返し、誰にも聞き取れないくらい小さな声を口の中に転がした。

 

「……【銀の君】か」

 

 数日後、彼は至極正当な手順を踏んで、衛星都市から出立する。向かう先はエンヴィー領内の都市に現在停泊する超巨大移動要塞、ウーガだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 幾多の思惑と、無数の悪意。それらが竜吞ウーガへと向けられる。 

 彼らにどのような意図、思惑が在ろうとも、その一つでも成就すれば、ウーガが大きな混乱に見舞われるのは間違いなかった。

 

「おーし今日は北東部の甲羅の採取作業だ-!!高所作業だ気をつけろ-!!」

「今日の重力術式の数値少し異常じゃない?後で脚部チェックしなきゃ……」

「工房から作業防具一式きたぞー!!!ちゃんと全員装備しろよ-!」

「ヒトの出入り激しいし、マニュアル欲しいなあ……カルカラさんに相談するかあ」

 

 しかし、そんなことは露知らず、今日も竜吞ウーガの住民達は平穏で慌ただしい日々を続けていた。現在、イスラリア大陸で最も活気あふれる場所と言っても過言ではないこの場所で、誰もが汗水をかきながら日々を過ごしている。

 

「今日も皆様元気ですね」

 

 その光景を、とある一室からシズクは見下ろして、微笑んでいた。輝かしく、眩い光を見るように目を細め、そしてすぐに視線をそらし部屋の中へと戻っていく。

 ウーガの一画にある彼女のための部屋は、薄暗く、異様だった。無数の書類と、幾つもの通信水晶、そして至る所に張り巡らされた銀の糸。無数の音を拾う銀の糸がざわめき、音を鳴らす。何か得体の知れぬ者が潜んでいるようで、本当に気味が悪かった。

 

 そんな部屋で、シズクは手慣れた様子で一つの水晶を起動させる。

 

「――――確認しました。ええ、確かに、千客万来ですね」

 

 通信先の水晶の声が聞こえてくる。淡々として、鋭利な刃物のように鋭いその声に、シズクは微笑みながら応じる。

 

「勿論、油断はしないよういたします。そちらもどうかお気をつけて、蒼剣様」

 

 そういって、通信魔具の起動を解除した。そしてもう一度、薄暗い部屋の中で、唯一差し込む窓からの光を見つめて、両手を合わせた。

 

「ウーガの今日が平穏に終わるよう、努力しましょう」

 

 シズクは静かに祈り、そう宣言した。

 

 故にその日、4つの闇のギルドは滅び去る。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日④

 

 【血の探求者】が直接ウーガに乗り込む上で、最初にして最大の関門は、ウーガの護衛を任されている銀級ギルド【白の蟒蛇】だった。ギルド長である銀級冒険者、ジャインを筆頭とした、戦闘経験豊富な熟練の冒険者集団。

 ターゲットを見定めると、まるで一尾の蛇のように連携し、ターゲットを取り囲み、傷つけ、弱らせ、最後には跡形も残すこと無くまる吞む。

 

 【血の探求者】が追い詰められるまで、ウーガに直接手を出さなかった理由だ。

 

 どれだけ外道に手を染めようとも、あくまで研究者である彼らが熟練の戦闘集団である【白の蟒蛇】らと真正面からやり合える可能性は酷く低い。

 だが勿論、彼らもそんな事は承知だ。理解はしている。

 

「【暗黒よ来たれ、血の標を辿り、酔い狂え】」

 

 彼らは戦闘を生業とする魔術師ではない。が、一方で彼らは一流の魔術師ではある。どれほどの外道を行い、邪悪へと至り、魔術師としての矜持すらも台無しにされても、それでもその腕そのものは確かなのだ。

 

 その彼らが使う魔術は、禁忌の一つ。

 都市では使用を禁忌とされている【魔物招き】の魔術。

 血の気配、ヒトの気配を高めることで、周囲の魔物を一気に招き寄せる魔術。

 

 本来であれば、これは都市防衛に利用された。都市を狙おうとする魔物達を狙う場所に誘導し、一気に叩く。上手く使えば、かなり有効な手立てだった。だが、その有用性が高まると同時に悪用する者が否応なく増えた。

 商人ギルドのキャラバンを魔物達に襲わせて、その死骸から金銭を奪い取る等という邪悪極まる盗賊団が蔓延し、神殿も魔術そのものを封じるという強行をとらざるを得なかった。

 現在では都市防衛を担う騎士団の魔術師が許可を得て初めて身につけることが出来る代物だが、勿論彼らはそんな法など気にすることは無い。

 

 今、彼らが使う【魔物招き】は、更に凶悪だ。

 

 一度使えば、彼らにも制御できない階級の魔物達が一気にやってくる。扱いを間違えれば自分たちが狙われかねないような代物だ。法に背く事を恐れなくとも、扱いには十分に注意しなければならない。

 だが今、招き寄せられた魔物達を相手にするのは自分たちでは無い。魔物達の向かう先は現在、交易の為停泊中のウーガであり、ソレを護衛する【白の蟒蛇】だ。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「魔物だ!!戦闘準備!!!」

 

 予定通り、集まってきた魔物達を彼らは相手にする。通常稼働時、魔物を引き寄せない竜吞ウーガが、唯一危険なのは停泊時だ。ウーガに住まう住民達の気配は巨大なるウーガの気配に覆い隠され、魔物の目から隠すことが叶うが、そこに乗り込むまでは別だ。

 故に護衛がつく。結界を張り巡らせ、万全の体制で対処する。魔物達は次々に討たれる。

 

 だが、問題ない。そうなることは分かっていた。

 それなりの月日、抗争を繰り返したことで、白の蟒蛇の弱点は分かっている。

 

 極めて練度の高い冒険者集団。しかし、人数自体はそれほど多くは無い。

 ウーガ騒動の時、離反があったことは彼らも知っている。ヨーグから聞いていた。そうでなくとも、彼らレベルの熟練の戦士は、そう何人もいるわけが無い。

 

 だから数で攻める。彼らの意識を外に散らす。ウーガの内部の警備を手薄にする。

 

「さて、全員準備は良いな」

 

 全員は頷く。再び彼らは魔術を操る。

 使うのは影の魔術。暗黒に潜み、物理的な空間を超越する影の魔術。通常の転移の魔術のように一瞬にして全く別の場所に移動することは出来ないが、一方で、影の広がる範囲であれば、物質を超越して移動できる。邪教徒の一人が作り出した術の一つ。勿論、これもまた禁忌の術だ。

 影を潜っている間、心身を激しく消耗し、下手をうてば影の中で圧死するような危険な魔術だからだ。しかし彼らは使用に躊躇しない。

 

「事前の使い魔の偵察通りならば、この時間帯、レイラインは機関部にいる。向かうぞ」

 

 彼らの足下に影が広がり、次の瞬間彼らは沈み込み、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「転移確認っすねー」

「良いの?見過ごして」

「よかねーっすけど、被害を最小限に、が今回のオーダーっすからねー」

「まあ、此方の戦闘も油断できるものじゃあないけれど」

「頼りにするっすよー新人」

「努力するわ。先輩」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 竜吞ウーガ内部、倉庫区画

 

「……ふう」

 

 飴色の山猫、ミクリナは竜吞ウーガの内部に侵入していた。

 現在エンヴィー領の衛星都市に停泊しているウーガに商人、ではなく【商品】として彼女は侵入した。繋がりのある商人の協力の元、ウーガに運び込まれた物資の中に紛れ込んだ小さな小さな箱の中に自身を収容したのだ。

 無論通常であれば人体が潜り込めるようなスペースでは無い。が、彼女は自身の身体をまるで折りたたむようにして小さくなることが出来た。魔術の一切絡まない、体術の一種だ。多くの侵入をその能力でもって成し遂げてきた。

 

 だが、それでも本来ならば、見つかるはずなのだ。

 

 ウーガの検査には魔術も用いられる。彼女のような技能を持っていなくとも、貨物に紛れ込んで侵入を計ろうとした者はいた。対策のために生物非生物を見分ける術を仕掛けるようになった。

 

 にもかかわらず、彼女はその術をくぐり抜けた。彼女が持つ【異能】によって。

 

 小さな箱の中からずるりと抜け出した彼女は、そのまま倉庫を抜け出し、人目から隠れるようにして移動する。向かう先は人通りの多い居住区ではなく、ウーガの核の情報が眠っているとおぼしき機関部だ。

 

 想像以上に警備の数が少ない。何か慌ただしく、侵入口へと【白の蟒蛇】が走って行く様子が見える。理由は不明だ。好都合と言えば好都合だが、イレギュラーが発生している可能性もあった。出来れば情報を把握しておきたいが、残念ながらそこまでの余裕は無い。

 ミクリナは自らの目的を優先した。事前、確認しておいた機関部への入り口を確認する。施錠はされていないが、やはり魔術のセキュリティが多重にかけられていた。

 

 司令塔を除けば、此処がウーガの最重要区画。この厳重さも当然か。

 

 納得しながらも、彼女はそのまま平然と、扉に手をかける。物理的な施錠は、愛用の“小道具”で解錠する。【警報】の魔術は――――やはり、彼女には反応しなかった。

 

 ミクリナは、【消去体質】と呼ばれる身体だった。

 

 そのものズバリ、自分の肉体に対するあらゆる魔術干渉を【消去(レジスト)】する。物理現象に変換されてしまった魔術までは打ち消すことは出来ないが、彼女自身に干渉する類いの魔術や魔眼、結界の類いは一切通じない。自分の魔力の全てを使い、常時周囲の魔術を打ち消し続ける。これは一切制御が効かない。

 

 この力は、先天的に身につけたものでは無い。

 

 幼い頃、邪教徒達に捕らえられたとき、実験中の術式を身体に埋め込まれた結果、発現した能力。使用者は魔術が使えなくなる上、精霊の力までは打ち消せないという散々な結果に終わり、失敗作として廃棄された。

 

 全くもって、不愉快な話だった。

 今も尚、彼女のトラウマであり、現在進行形で疵を残している。

 

 魔術を使えなくなったことで、どれほど自分の人生が難しくなったか。

 幼い子供だって、練習をすれば魔術を扱える世界なのだ。そんな中、自分だけが一部の機能を使えない。しかも以前は使えたものが使えなくなる。というのはあまりにも苦しかった。周囲の、出来ない者に対しての落伍者を見る目も、哀れみの目も最悪だ。

 

 しかし今はその体質を利用させてもらう。

 この体質を素晴らしいと賞賛してくれたギルド長、ドートルのためにも

 

 そう思いながらも、彼女はなんなくウーガ機関部への侵入を成功させた。目的を果たすべく、彼女は音も無く、ウーガの深層へと潜っていった。

 

「…………?」

 

 一瞬、耳元で、美しい鈴の音が聞こえた気がしたが、周囲を見渡しても何も無い。違和感を振り払うように、彼女はそのまま先に進んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑤

 

 

「すっげえ場所だなあ……」

「流石に見たことないわ、こんな場所」

「うーわ、アレ本当に全員名無し達なの?大丈夫なのかな」

 

 【至宝の守護者】、カルターン一行もまた、ウーガに乗り込んでいた。

 乗り込む手段は正規の手順だ。たまたまエンヴィー領近郊にウーガが来ていたため、見物客として問題なく彼らは乗船が許可された。

 勿論、此処とは全く別の都市部にウーガが停泊していたとしても、問題なく乗り込むための手立てを彼らは有していたが、使う必要は無かった。親に頼めば問題なく、ウーガに乗り込むまでの手続きを用意してくれる程度には生まれに恵まれており、そして放任もされていた。

 

「おお、衛星都市タルバの皆様ですな。どうぞ此方」

「ああ、ご苦労」

 

 ウーガの来賓用の宿へと案内してくれるという老人に荷物を預け、彼の牽く馬車にのってカルターン達はウーガ内を移動する。窓の外から見えるウーガの光景はやはり物珍しいものが多い。

 通常の都市と、その成り立ちからして違うのだ。建造物もその特性に合わせて形を変えていて、その姿がまた面白くもあった。

 しかし、彼らの目的は見物ではない。カルターンは馬車の窓を開け、御者として乗り込む先ほどの老人に話しかけた。

 

「やあ、聞いておきたいんだが」

「なんでございましょう」

 

 馬車を操るため、老人は視線は前へと向いたままだったが、応じた。

 

「とても綺麗な、銀髪の女の子を見たんだ。珍しい髪色だった。知らないか?」

 

 【白銀の至宝】という少女の情報を仕入れることだ。

 すると老人は、なにか小さく唸るような声を上げた。やや不愉快そうな声だった。

 

「ああ、シズクですな」

「シズク」

「見目は麗しいですが、決して皆様のような方が関わるような者ではございません」

 

 老人は断言する。明言こそしなかったが、そこには隠しきれない、嫌悪の感情があふれ出ていた。事前に仕入れていた情報の信憑性が増したことに、カルターンは自信を深めた。振り返れば、仲間達も確信したように頷いていた。

 

「ちょっと気になることがある。彼女と話したいんだ」

「それは……」

「今、彼女はどこにいるんだ」

 

 少し迷ったように声をさまよわせる老人に、カルターンは強く命じる。言うことを聞かない者に強いるのは、生まれてから今日まで息を吸うように彼がしてきたことだった。

 やがて老人は困ったように言った。

 

「会うことは難しいでしょう。あやつめは、竜吞女王の命で、機関部で働いております」

「機関部」

「許可の無い方は、例え皆様でも、立ち入りを禁じられております。あやつも許可無く外に出ることは許されておらぬのです。どうかご勘弁を……」

「……良いだろう」

 

 前を向いたまま、深々と老人は頭を下げる。

 先ほどと比べるとなんとも声が弱々しい。流石に哀れだったので、カルターンもこれ以上彼から追求するのはやめておいてあげることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………カカカ』

 

 何か、カチカチと鳴るような音がどこからか聞こえてきたが、おそらくは気のせいだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ、来賓用宿泊施設【大亀舟】スイートルームにて

 

「さて、準備はいいな」

 

 七名の【至宝の守護者】達は、カルターンの借りている一室に集まっていた。

 それも、浴室に。

 流石にスイートルームだけあって、専用の浴室も備え付けられていた。彼らにはこの場所が必要だった。勿論、湯あそびをするためでは無い。彼らの姿も、此方に来たときの余所行きの格好から、身体に密着する黒い生地のスーツ。身体を動かしやすい“守護者の格好”に変わっていた。

 

 姿は統一した方がかっこいい。

 

 なんていう、これまた遊び感覚でカルターン達が用意した衣装だったが、財をかけただけあって、決してその性能は馬鹿に出来たものでは無かった。

 その上で、彼らは各々、奇妙な装飾を身につけていた。煌びやかな宝珠のついた首飾りや耳飾り、腕輪、どれもこれも黒を基準にしたスーツと比べると浮いていたが、しかし何故かどれもコレも、異様な存在感を放っていた。

 

 そして、カルータンは全員の姿を確認し、手を掲げる。その指先には、仲間達と同じ存在感を放つ指輪がはめられていた。黒と、蒼色の入り交じった宝珠の嵌められた指輪だ。無論、単なる装飾の類いではない。そして単なる魔道具の類いでもなかった。

 

 それは精霊から授かる聖遺物だ。精霊の奇跡をカタチにした代物だ。

 

 水の精霊フィーシーレインの聖遺物。名を【水路の王鍵】

 

 その力は恐るべきものであり、全く別々の場所にある液体の、その水面同士を繋げ、移動する力を所有者に与えるのだ。言わば、条件のある転移術である。

 遊び半分の窃盗を繰り返す彼らが、それでも今まで誰にも咎められずに今日まで続けられた最大の理由。彼らの家でそれぞれ保管されていた強力無比な聖遺物の悪用だ。

 

 いうまでもなく、そういった品々を犯罪に利用するのは重罪だ。

 

 天陽騎士達に叩き殺されても文句は言えないような重罪。しかし彼らは怖い物知らずだった。カルターンの仲間達に恐怖は無い。今日までカルターンについていって、上手くやれないことはなかった。今回も上手くやれる。そんな盲信だけがあった。

 一方、カルターンの心を占めているのは、確信と好奇心、それとこれから満たされる自尊心への期待だ。

 

 想像通り、銀髪の少女が此処で虐げられているのは間違いない。

 

 どれほど自分は感謝されるだろう。そんな期待と共に、彼は指輪の力を解放する。

 

「【繋げよ、我らを運べ】」

 

 その魔言を唱えると、浴槽にためられた水が発光する。間もなく彼らはその光に飲み込まれ、そして、その場から跡形も無く姿を消した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 数日前、闇ギルド【黒羊】は竜吞ウーガに正規の手段で来訪した。

 

 その日の“彼”はエンヴィー領にて活動する商人の一人だ。プラウディアから依頼された必要な商品を運び込むための商人であり、その経歴に一切の嘘偽りは存在していなかった。

 幾つかの魔術を通した質疑に対しても彼は正直に解答し、検査をくぐり抜けた。警戒する必要は全く無かった。彼は一切嘘偽りを口にしては居なかったのだから。持ち物の確認もされたが、勿論問題は無かった。不審な物など何も持ち込んではいなかったからだ。

 

 ウーガに到着してからの数日間も、彼は自身の身分通りの仕事をこなした。荷物を運搬し、ウーガの従業員達に幾つか依頼し、倉庫に格納されるのを確認した。外部の来客用の宿泊施設にて寝泊まりした。食事は食堂で行い、時間があるときは認められた範囲に限って見学をして回った。

 勿論、ただの物珍しい場所に商売しに来た商人として、当たり前のように観光気分で見物して回った。

 

「あら、お客様?綺麗な場所でしょう?此処は」

「ええ、本当に。仕事とは言え、全く役得ですよ」

 

 名無しの住民に声をかけられても穏やかに挨拶を返して、その後世間話をいくつかした。ウーガの外の様子についてだとか、当たり障りの無い話だったが、喜んでもらえたらしい。その住民から、今日はウーガ自慢の大浴場が開いている事を教えてもらった。仕事帰りにその大浴場を利用した。

 夕食も食堂で済ませる。最近、ウーガの生産区画でとれたという食材をふんだんに用いられた料理が出てきて、口にしてみると大変な美味だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ええ、ええ、分かっております。ご心労、察します」

「無傷、というのは難しいかもしれませんが――――」

「まあ。では、そのようにいたします」

「勿論、蒼剣様にはばれないように。それでは」

 

 シズクは、薄暗い一室に取り付けられた通信魔具を切った。得られた情報を整理するように一度目をつむると、側で転がっていた盤上遊戯の駒を手に取った。

 

「【血の探求者】」

 

 こつんと、ローブをかぶった術者の駒を盤上に乗せる

 

「【飴色の山猫】」

 

 こつんと、獣人の斥候の駒を盤上に乗せる。

 

「【至宝の守護者】」

 

 こつんと、若い盗人の駒を盤上に乗せる。

 三つの駒は、それぞれの駒に向かい合うように並べられた。

 

「問題は――――流石ですね」

 

 頭が羊の形をした、禍々しい意匠の駒は盤の外に転がした。

 

「誰も損なうことなく、今日が平穏であることを祈りましょう」

 

 シズクは駒達を、ただ静かに見下ろす。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑥

 

 竜吞ウーガ、機関部

 

「……凄い」

 

 扉から中に入ったミクリナは、目の前に広がる光景を端的に評した。

 ミクリナが最初にいた場所、ウーガの地表部は、文字通り表層部に過ぎないと言うことは分かっていたつもりだった。だが、実際それを目の当たりにすると、圧倒された。

 

 機関部。ウーガという存在を維持するための臓器とも言えるその場所は、人工建造物で構築された巨大空間だった。ウーガ表層部の都市の一階層下に、もう一つ、地下に石と鋼で出来た都市が存在しているような光景だ。 

 地表では防壁の上から注いでいた太陽の光は無い。代わりに至る所に設置された魔灯の光と、魔導機の駆動光。それらがミクリナの歩く鋼格子の通路を照らし続けている。

 地表部から入ってきた為か、今ミクリナがいる場所は地下空間でもかなりの高所だ。格子の穴から見える地表部は遠い。落ちれば悲惨だろう。

 

 とはいえ、モタモタもしていられない

 

 自分の侵入を察知され、騒がれている印象は今のところないが、いつそうなるかは分からない。自分の【消去体質】は自分の身体を透明にはしてくれない。肉眼で見られれば、不審者だとばれる。此処で働く作業員の服でも見つかれば良いが、贅沢も言ってはいられまい。

 

 向かう先はウーガの核本体――――ではなく、その状態の観察を行う記録装置とその保管室。これほどの規模となれば、常時監視し、異常があればすぐに伝達するための場所が必ずあるはずだ。その情報を奪う。

 

 ミクリナは奈落にかけられた橋のような通路を進む。時折通路の柵を飛び越え、別の通路に音も無く飛び乗りながら、迷いなく進んでいく。

 ウーガの地下空間の情報は、ミクリナも有していない。此処は秘匿中の秘匿だ。管理は厳重にしているのだろう。外部に情報を漏らすことは無かった。が、しかし、ミクリナは今までの経験から、こういった管理施設のどの場所にどのような施設があるのか推測を立てることが出来る。

 

 此処は迷宮ではないのだ。

 

 ヒトが生きて、管理するために存在する空間だ。その場所をわざと複雑怪奇にする理由は無い。普段使いする者の利便性を考えると、“合理性”が必ず絡む。その“合理”を読み解けば、自ずと目的地は見えてくる。

 

 ウーガの中にも確かに合理性はある。それでも相当に複雑であるのは間違いなかったが。

 

「……まるで生産都市の中ね」

 

 ミクリナは生産都市の内部にも侵入したことがある。

 選ばれし都市民や神官のみが立ち入る事を許された空間。現在の人類を支える要の一つであり、英知の集結点。それと同等か、それ以上の技術が此処で使われているように見える。ミクリナは気を引き締める。生産都市は彼女が侵入してきた場所の中でも最も警備が強固で、危険な場所だったからだ。

 

 あそこだ

 

 地下空間の中央付近まで進むと、地下空間を支える柱に敷設されるように建造された建物が見えた。建造物の形状、周囲の魔術術式、そして経験から導き出される勘が、目的地であることを示している。ミクリナは再び音も無く近づくと、窓から部屋の中の様子をのぞき見た。

 

 ――――誰も、いない?

 

 部屋の中には、誰もいなかった。

 部屋の様子を見る限り、監視室の類いであるのは間違いなかった。いくつかの遠見の水晶や、記録帳が立てかけられた本棚も見える。間違いなくその筈だ。

 

 なのに、誰もいない。元から地下空間に人気は無かったが――――これは、

 

 少しの間逡巡し、ミクリナは意を決して扉を開けた。鍵もかかっていない。セキュリティの魔術もかかっていない。そして人気もやはり無い。監視室は無人だった。

 

 単なる不用心?それとも罠?

 

 再び迷いが生まれそうになる思考を一度切る。この状況下で迷うのは、単なるロスだ。もし罠ならとっくに自分は手のひらの上なのだ。で、あれば考えても仕方が無い。やるべき事は素早く今の仕事を終わらせる事だ。

 

 痕跡が残らぬよう、本棚の書籍の全てを速やかに引き出し、目を通す。自分にとって必要な情報を探す。ウーガの情報、それらの詳細を見つけ出せば、そこから逆算して、ウーガの構築術式を読み解ける。

 

「…………あった――――」

 

 目的のページとおぼしき部分に指をかけ、開く。

 そこに書かれていたのは、たったの一文だった。

 

 

 

               〔貴方は誰ですか?〕

 

 

 

「――――!!」

 

 総毛立つような恐怖と共に、ミクリナは手にしていた書類を即座に元に戻すと、1秒でも惜しむように外に飛び出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【竜吞ウーガ】機関部の一角

 

「っく……!!がは!!!」

 

 影から抜け出した瞬間、【血の探求者】達は悍ましい感覚に身震いした。

 音も光も無く、何一つとして自分を保証してくれるもののない闇の空間での移動は、心身を破壊する。一度使うだけでもこの有様だ。二回目の脱出の時以外の使用はもう出来なかった。

 

 邪教徒の中にはコレを自在に操っている者もいたというが、並大抵の精神では無い。やはり奴らはイカれているのだと、影の魔術を一度使い、気が狂いかけた男が吐き捨てていた。

 

 しかし、それだけのリスクを冒し、なんとかウーガの秘匿中の秘匿、機関部に潜り込むことが出来た。

 

 ウーガという()()()()の内側に潜り込むことに成功した。

 

 あらゆる魔物を寄せ付けぬ山のような巨体や、防壁のように周囲に伸びた甲羅、目の前の一切を焼き払う咆哮等は、表面上の脅威に過ぎない。魔術の深淵に触れられない者達が読み取れる、底の浅い情報だ。

 

 目に見えぬ部分、魔術防衛という見地において、ウーガは難攻不落の要塞なのだ。

 

 一見すれば、外部からの干渉は容易に見える。外部からウーガの魔術障壁に干渉し、本来の命令とは異なる命令を与え、操ることができるように、見える。しかしその手触りで「上手くいった」とより深く侵入した先で、罠が待っている。 

 干渉してきた者達を捕らえ、拷問し、その情報の全てを吐き出させ、ラインをたぐり寄せ遠く離れていたはずの干渉の元にまで反撃を行う、邪悪にして凶悪な守り。

 それらの罠を決死の覚悟でくぐり抜けても、その先に待っているのはあの圧倒的に理不尽で、極まった【白王陣】の壁だ。

 

遠隔の魔術でウーガに干渉しようとした者達は誰一人として成功しなかった。

 

 だからこそ、こうして直接乗り込むなどという暴挙を働く羽目になっている。

 

 外部からは干渉は困難だ。だが、内側であれば、いくつかの困難な障壁をショートカット出来る。あのおぞましい白王の障壁も――――

 

「――――来たな」

 

 だが、次の瞬間、ルキデウスが冷静な声で言った。他の血の探求者達はぎょっと身を固くさせる。見れば、彼の視線の先に、何か白く細い、煌めくような細い糸のようなものが、機関部の通路から伸びてきていた。

 

「いくら何でも速すぎる……!?」

「まさか!?罠か!!」

「レイラインだ!!あの魔女が来る!!」

 

 その名に、全員が恐怖に身を固くした。レイラインは怨敵であるが、一方で今日までことごとく、自分たちを迎撃してきた強敵だ。油断ならない相手。陣を構築する隙を与えてしまえば、途端に手がつけられなくなる驚異だった。

 

 彼らの狙いは、暗殺だった。

 真正面から対峙すれば手がつけられないともう既に散々思い知らされた。

 

 だが、こちらが来ることを分かっていて、待ち構えていたとしたら。最悪を意味している。対処不能の怪物が、迫ってきているのと同じだ。

 

「俺が引きつけよう」

 

 全員が硬直する中、ルキデウスが前に出た。

 普段、まったく仲間内に馴染もうとしなかった彼の献身的な態度に、全員が驚きの視線を向けた。

 

「ルキデウス!出来るのか!?」

「さあな。だが、折角用意したソレを無駄にすることはあるまい?」

 

 そう言って、彼は今回のリーダーとなる男に視線をやる。正確には、彼の懐に今も厳重にしまわれている【切り札】へと。

 

「竜吞女王封じの秘策、【竜血】。無為にしたくないなら、急ぐんだな」

 

 レイラインと竜吞女王。

 その内の女王に対する切り札。精霊の力を剥ぎ取るための竜血。邪霊に対してどこまで有効であるかの判別は不可能だったが、使う価値のあるものだった。少なくとも、苦労して手に入れたソレを、無為に散らすのはあまりにも馬鹿馬鹿しかった。

 リーダーの男は頷き、言った。

 

「頼むぞ」

 

 そういって、残る全員がレイラインの気配から遠ざかるようにして走って行った。

 

「邪魔者は去ったか」

 

 ルキデウスは彼らが去って行くのを一瞥もしなかった。興味が無かった。彼の興味は一点、目の前の光景に向けられている。

 徐々に徐々に、通路をひしめく糸の数は増殖していく。魔力で出来た繊細な糸。一つ一つが使い手の意思によって蠢く触手のような代物。膨大な数のそれがゆっくりと、確実にルキデウスを取り囲む。まるで一つの生物のように。

 

「美しい……」

 

 ルキデウスは、自然と自分の口角がつり上がっていくのを感じた。

 

 そして、本命が、やってくる。無数の白い触手の発生源。精緻で尚美しい白王の陣を背負い、目が焼けるような輝きを放ち続ける小人の少女。自らの秘奥を奪おうとする盗賊に無慈悲な殺意を向ける、竜吞ウーガの守護者。 

 

「【我が英知を盗む不届き者は、貴方?】」

 

 リーネ・ヌウ・レイラインがやってきた。

 

「そうだ」

 

 その問いかけに、ルキデウスは頷き、そして、シンプルな魔導杖を構えると、狂笑した。

 

「その英知の一端に触れさせろ!!レイライン!!」

「【嫌よ、いやらしいわね】」

 

 その叫びと共に、絶望的な魔術戦が開始した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑦

 

 

 【水路の王鍵】が真に優れたる部分は、使用時の所有者への保護能力にある。

 

 水場なら何処でも移動できる。とは言うが、当然移動先にどのような危機があるか分かったものでは無い。転移した先に恐るべき魔物や、危険があったとき、そのまま死んでしまう可能性だってある。実際の転移術でもそういった事故は起こりうる。

 

 が、【水路の王鍵】にその心配は無い。

 

 能力を発動させれば、使用者と、その周囲を強靱な水の守りで守護し、保護してくれる。本来の機能である転移の術とはまったく別の、副産物の効力に過ぎないが、これがまた強力なのだ。もちろん、ずっと使えるわけではないが、転移先の安全を確認するまでの猶予は十分に用意されている。

 

 まさに、精霊の与えたもうた奇跡の道具にふさわしい、素晴らしい性能だった。

 しかし、言うまでも無く、聖遺物も道具だ。使い手次第ではどうにでも転ぶ。

 盗みを働こうとする悪党の手に渡れば、どれだけ偉大なる聖遺物も、悪辣な小道具に代わる。

 

「侵入成功……かな?」

「ここ何処?うすぐらあい」

「下水じゃ無いだけマシだけど、ウーガにあった川の終着点?」

 

 【至宝の守護者】一同がたどり着いたのは、ウーガ機関部の下層部だった。滝のように上部から水が流れ、蓄えられた水槽の中だ。ウーガの上層で確認できた川の到達部分と思われた。

 

 周囲を見れば、職員が利用するための通路もある。周囲の気温も正常で、使用者の脅威に“水の守り”が反応している様子も無い。カルターンは慣れた様子で指輪の力を切った。

 宝珠の輝きから見るに、まだまだ力は使える。水の守りの力も、その後の転移も、十分に可能だ。ウーガという場所に乗り込んでからの侵入作戦は正しかった。と、彼は笑った。

 

「よし、とりあえず探してみようか。皆、準備はいいね」

 

 カルターンが呼びかけると。全員が各々の【聖遺物】を手にする。そのどれもが強力であり、あらゆる魔術をも凌駕する奇跡を秘めている。

 盗みを繰り返す内に、彼らの力は増大し、そして慢心も増大させていった。万能感と無敵感が彼らの心を支配していた。今回も失敗するはずが無いと、根拠も無く確信していった。

 

「で、でも大丈夫なのか?」

 

 しかしそんな中、一人、ずっと表情の暗かった少年がか細い声を上げた。【至宝の守護者】の中でも最も気弱で、小太りの少年だった。

 

「ルース」

「だって、今回は、その、ヒトなんだろ?もしかしたら、間違いの可能性も……」

 

 彼の言うことは正しい。今回は今までと比べて例外なのは確かだった。この場にいる全員、不安を覚えないわけでは無かった。

 

「いつものことでしょ?どんなとこでも、私たちは上手くやってきた。本当ビビり」

 

 しかしそんな彼の警告は、勝ち気なレナミリアによって一蹴される。彼の不安は、高揚した彼ら彼女らを止めることはなかった。「萎えること言うなよ」と、そんな淀んだ空気がルースに向けられて、彼は小さくなった。

 

「まあ、皆落ち着けって」

 

 そんな中、カルターンは冷静に、笑いながら両手を挙げて割って入る。淀んだ空気を払う。若く、かなり危ういが、こういった空気の淀みを即座に見抜き、払う才能を彼は持ち合わせていた。

 そのまま、小さくなっているルースの肩を叩く。

 

「不安は分かるけどね、流石に今此処で言ってもしょうがないだろ?ルース。どうしても不満なら、それこそ彼女の様子を確認しに行けば良いんだよ。問題なければ放置すれば良い。そうだろ?」

「カルターン……」

「それに、“今回の情報をもってきたのは君だろ”?ルース」

 

 そう言われて、ルースはうつむいて黙る。しかし最後には何かを決意したような表情で、顔を上げた。

 

「…………わかった。行くよ」

「え?ルース居残りじゃないの?私、見て回りたかったのに」

 

 レナミリアが不満な声を上げた。侵入作戦の時は、待機組と潜入組の二手に別れて動くのが【至宝の守護者】の決まりだ。不測の事態に備えるために。ルースはいつも待機組を希望していた。その彼が実行組に回るなら、誰かが待機組に回る必要がある。

 そしてその場合、所有している聖遺物のバランス的に、残るのはレナミリアになる。彼女は口先を尖らせて不満げだった。

 

「まあ、たまには譲りなよ。いつも出てるだろ?……それじゃあいこうか」

 

 そうして、彼らは意気揚々と、外へと飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、残された待機組は、彼らを見送った後、だらんとその場に腰掛けた。

 

「あーあー、つまんない。折角こんな面白いところにこれたのに」

 

 待機組、潜入組にトラブルがあったときの対応チーム、とは言っているものの、彼らが必要になるような事態はコレまでの所、殆ど起きたことが無かった。

 聖遺物の力はそれほどまでに偉大なのだ。彼らのような素人を、凄腕の盗人集団に変えてしまうほどに、強力だった。彼らは警戒心を忘れてしまった。

 

「……やっぱ、俺たちもちょっと見にいかないか?」

「良いね。“全然人気ないし”、少しくらい離れたって――――」

 

 だから、そんな気の抜けた会話まで飛び出るくらいに、彼らは慢心していた。故に、

 

「楽しそうだな。クソガキども」

「え?」

 

 背後から、音も気配もなく近づいていた男の声に、彼らは気づかず、そのまま衝撃と共に意識を失った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 全て、見抜かれている。

 ミクリナは潜入の失敗を確信した。

 

 先ほどの異様な伝言。勿論アレが自分に向けられた言葉であるかは分からない。ひょっとしたら何かのいたずらを、たまたま自分が発見してしまったなんていう可能性も無いわけではないが、確信があった。

 あの文面を見た瞬間、全身に奔った直感が、自分の失敗を告げていた。

 ミクリナは優秀だったが、これまで一度も失敗してこなかったわけではない。命の危機に直面したのも一度や二度ではない。その経験が告げている。「今すぐに逃げ出せ」と。

 先ほどとは別のルートで出口を探す。道に迷いはなかった。が、その時点で、別の異常に気づく。

 

 人気が少ない……ではなくて、存在していない…!?

 

 此処が重要施設である事は間違いない。高度な技術が導入されている場所なのも分かる。が、しかし、それでもヒトの手は必要なはずだ。これほどの巨大施設の管理の一切をヒトの手を介さずに行えるほどの技術を人類は未だ手にしていない。

 

 にもかかわらず、人気がない。避難させられている?ならば、当然脅威とは自分だ!

 

 脱出を急がなければならない。ウーガの秘匿を盗み読もうとした自分に、ウーガの管理者達が容赦をする事はまず無いだろう。例え、情報を何も手にしていないと訴えたとしても、何の弁明にもなりはしない。

 

 良くて一生監禁。悪ければ死刑だ。

 ウーガという場所を守り維持するためだ。それくらいはやったって、おかしくない。

 

 だから、早く、早く早く!!と、自身を急かすようにミクリナは広大なウーガを進む。カンカンカンという自分の足音が人気の無い空間でやけに反響した。おそらくこの先に出口が見える筈――――

 

「――――こっちだ!!急げ!!二手に分かれろ!」

「やはり罠だったか!?他に追ってきている者はいるか!?」

「まて、前を見ろ!」

 

「――――!?」

 

 だが、不意に、前方から複数人の声が響いてきた。

 だがそれは、どう聞いてもウーガで働く労働者達の声ではない。絶対に違う。不測の事態に混乱し、焦っている者の声だった。ウーガに所属しているなら、こんな声は出さない。これは敵陣に乗り込んだ者達が発する焦りだ。

 

 ならば、これは同業者の類いの声?

 自分の侵入タイミングと重なった!?そんなことあるか!?

 

「なんだあの女!?」

「関係ない!!排除しろ!!」

 

 そして、向こうは向こうで結論を下したらしい。魔術師とおぼしき者達が此方に魔具を向けてくる。途端、何かの魔術干渉が起こる。硬化か、束縛か、だが、あるいは物質操作で奈落にたたき落とそうとしたのか。

 

「っ!」

「何?!」

 

 しかし、それらの干渉は彼女には通じない。自動で肉体が【消去】する。自分たちの魔術が一切通じなかった事実に驚愕する彼らを尻目に、ミクリナは今来た道を逆走した。

 さて、向こうも「面倒だ」と思って、追うのを諦めてくれれば幸いなのだが――――

 

「待て!逃がすな!!」

「此方の場所を仲間に伝えられる前に消せ!」

 

「ああ、もう……!」

 

 残念ながら、そう都合良くもいかないらしい。幾つもの魔術の干渉を【消去】しながら、彼女は必死の逃走を開始した。本当の本当の本当に、とてつもなく厄介な事になってしまったことに歯がみしながら。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑧

 

「あの女は何なんだ!?魔術が通じなかった!!【歩ム者】の新入りか!?」

「最悪だ!!もう既に侵入がばれている!」

「一度撤退するか!?」

 

 レイラインの迎撃に感づき、逃げ出した【血の探求者】は、軽くパニックに陥っていった。元々、こうして直接乗り込むこと自体、彼らにとっては専門外の作業なのだ。彼らは元より戦士ではない。想定外が起これば容易に崩れる。

 

「落ち着け!作戦に変更は無い!どのみちレイラインは押さえねばならなかったんだ!」

 

 が、とはいえ、それでもここまで追い詰められて、腹をくくってここまで来たのだ。彼らも覚悟はしていた。リーダー格の男が声を張り、混乱していた面々の統率を取り戻す。

 

「女王を捕らえ、制御術式を奪い、ウーガの核に干渉しコントロール権を奪う!!」

 

 それが主目的だ。そこはブレてはいけない。彼らの混乱は徐々に収まる。それを確認して、リーダーの男は頷いた。

 

「さっきの女の追跡に人数を割いたが、我々は上層を目指――――」

 

 が、しかし、だ。

 

「――――予定通りか」

「【S】の指示だからな」

 

 声がした。

 振り返り、そして全員がぎょっとする。そこにいたのは、誰であろう、自分たちのターゲットとなる人物と、そして絶対に相対にしてはならない者、この二人が並び立っていたのだから。

 

「女王……!」

「灰の英雄もいるぞ!」

 

 竜吞の女王を示すドレスを纏った昏緋の髪の少女。

 黒の合金に白の意匠の入った鎧を纏った灰髪の少年。

 

 女王と灰の英雄。紛れもない、竜吞ウーガの2トップだ。

 

 ざわめきと混乱は大きくなる。この想定外の好機と窮地、どちらを優先すべきか、全員が一瞬迷った。竜吞女王の能力は、これまでの間接的な攻防戦である程度把握していたが、(派遣した使い魔や傭兵の類いがことごとく彼女に叩き潰された)灰の英雄は未知数だ。

 何を仕掛けてくるか、分からない――――が、

 

「好都合だ……!!」

 

 リーダーは好機と捉えた。

 勿論、灰の英雄を侮ったわけではない。実戦経験こそ浅いが、彼もそこまで危機感がぼけているわけではない。好機なのは間違いなかった。【竜吞女王】の側に【灰の英雄】がいる。ならば、此処で引いたとしても、確実に彼女にたどり着く前に【灰の英雄】が困難として立ち塞がる。ならば、いまここで並び立っているこの状況は、最初で最後の好機だ!

 

「砲撃用意!!!」

 

 その合図と共に、彼らは一斉に魔術を構える。

 彼らの本業は研究者だ。直接現地でやり合う事を生業とはしていない。が、しかし、魔術については彼らは専門家で、一流だった。どれだけ道をはずそうと、禁忌に手を染めようと、彼らが波の魔術師とは一線を画する能力を有しているのは紛れもない事実だった。

 

「【発展魔術(セカンド)・多重発動!!!】」

 

 多数の一流魔術師によって瞬く間に構築された発展魔術が一斉に稼働し、一気に灰の英雄と女王へと襲いかかる。躊躇は無かった。場合によっては制御術式の損失も考えられたが、それでも躊躇いは無い。制御術式の予備は確実に向こうも用意している筈だ。ソレよりも此処で躊躇って、火力を落とすような愚行をすべきではないとリーダーは考えた。

 

 彼の判断は、正しい。経験の浅い戦闘において、彼の判断力は極めて優れていたといえるだろ。問題があったとすれば――――

 

「【揺蕩え】」

「【奪え】」

 

 正しかろうが、本当にどうしようもない相手にはまったく通用しないという、救いようのない現実にあった。

 

「…………は?」

 

 【血の探求者】達は呆然となった。

 自分たちの全力の魔術、あるいはこの機関部の一部が巻き添えになることも覚悟して放ったほどの強力な発展魔術。それが彼らに直撃する瞬間、何故か空中で“ふわり”と停止し、そして次の瞬間鏡に飲み込まれ、消えた。

 

 竜吞女王が鏡の精霊の加護を持っていることは知っている。

 灰の英雄が竜を殺した怪物であることも知っている。

 

 が、ソレは知識としての話だ。目の前であまりにも超常的な、魔術的法則を無視した所業をされると、魔術の研究に生涯を費やしてきた彼らの脳は否応なく機能を停止する。

 

「あっけない」

 

 竜吞女王は冷め切った目つきで此方を見つめる。「これで終わり?」と言わんばかりの表情に見えた。無論、屈辱であるが、その屈辱がリーダーの男を正気に戻した。

 落ち着け、まだ好機は続いている。

 今の攻撃で倒せるとは思ってはいない。隙が生まれればと思っただけだ。【竜血】は有している。まだ――――

 

「エシェル――――」

「――――そうだな。」

 

 が、彼のその心中を察したかのように、灰の英雄が女王に声をかけた。

 

「一切の反撃は許さない。どんな切り札も使わせない。蹂躙する」

 

 次の瞬間、黒い魔本が光を放ち、鎖のように女王を縛る。同時に、纏うドレスが黒く染まった。宙には鏡が更に出現し、悍ましく、禍々しい竜の瞳がぎろりと侵入者達を睨みつける。

 

「それがいい」

 

 灰の英雄は白と黒、二本の槍を構える。黒の槍は、まるで生物であるかのように唸り声のような音を立てて空間を引き裂き、白の槍は中央に納まっている魔導核が激しい光を放ち、稲光のような輝きで空気を焼いた。

 

 最早、ヒトでなくなった二体の怪物が、一切の油断なく、此方を潰さんとしている。

 

 リーダーの男は察した。戦闘の経験が浅くとも否応なく察すことができた。

 

「――――退け!!!」

 

 これはもう、どうにもならない、と。

 先ほど、謎の女を追った仲間達の後を追従するように、【血の探求者】は逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばコレまでの敵、ろくでもない奴らばかりだった!」

「だよな」

「あいつらも絶対何か切り札持ってる!!」

「だろうな」

「一切の反撃を許さず潰そう!何かされても怖いし!!!」

「そうだな。で、逃げたら追わなくていいと」

「私が此処にいるって分かったら、もうアイツらはここから逃げないって」

「なるほど」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 同時刻、【至宝の守護者】の潜入組も、異常に気がついていた。

 

 最初は聖遺物【光喰らいの首飾り】で姿を隠していた。が、まったく人気の無い周囲の状況だったので、起動を解いた。聖遺物も無限に使えるわけではないからだ。

 しかし、姿を隠さずとも人気は無い。彼らは誰からも見咎められる事も無く堂々と機関部を直進していた。その最中、突然、激しい騒音が上層の方から聞こえてきたのだ。

 最初は、自分たちが見つかったのか!?と慌て、再び聖遺物を起動させようとした。

 が、しかし、どうもその様子は無い。少なくとも自分たちの周りに警備員達の姿は見当たらない。そして、その代わりに、

 

「なんだ、あれ?」

 

 一人が気がついた。上層の通路に複数の人影がある。そしてやはり、ウーガの職員ではない。格好からして明らかに、地表部で働いていた者達とは違う。

 

「追われてる?」

「誰だよ?まさか【白銀の至宝】?」

「で、でも髪色とか、違うよ」

 

 見れば、一人の女が、複数のローブを纏った男達に追われているような構図だった。見ようによっては多勢に無勢のような状況で、女が窮地に陥っているように見える。

 とはいえ、ぶっちゃけた話、(自分たちはいったん棚に上げて)どちらも怪しい人物らには変わりない。静観する方が正しいように思えるが……

 

「――――ん?」

 

 そのときだ、追われている女の方が此方に一瞬視線を向けた。気づかれた?と思っていると、声が聞こえてきた。

 

「助けて!!!」

 

 それは必死の懇願だった。その声にカルターンの中の自尊心が燃え上がった。仲間達に視線を向けて、彼はにっこりと笑みを浮かべた

 

「よし!助けに行こう!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「助けて!!」

 

 その声が響いた瞬間、ミクリナはぞっとした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてその声によって、下の階層にいた自分とは別口の侵入者達が此方に向かってきている。身体を飛翔させ、瞬く間に此方に接近してきている。

 

 魔術の詠唱を使っている様子も無い。

 魔導具であれば起こる、起動準備のラグも全くない。

 にもかかわらず、飛翔という強力な力を使っている。

 

 魔具――――いや、まさか、聖遺物!?

 

 思い当たる節はある。事前に渡されたウーガ周辺を調査したとき引っかかっていた。聖遺物を大量に装備し、それを悪用する問題児の集団、【至宝の守護者】。

 彼らが此方に来ているとしたら、不味い。【消去体質】は精霊の力までは打ち消せない。抵抗できない。出来れば一度たりとも接触したくない相手だが、意気揚々と味方面でこっちにやってきている。

 

 この状況を作り出しているどこかの誰かの性格は最悪だな!!?

 

 ミクリナは歯ぎしりしながらも、背後の魔術師、下方の聖遺物から逃れるべく、前進した。竜吞ウーガ機関部の中心へと。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑨

 

「むー!!うぐー!!?」

 

 【至宝の守護者】の待機組の一人、レナミリアは目を覚ますと同時に、自分が完全に拘束され、身動き一つとれない状況になっていることに気がつき、パニックになった。

 手足を必死に動かして、声を張り上げようとするが、まったく身動きできないし、声はくぐもったうめき声にしかならない。視線をさまよわせると、仲間達も同様に捕まっている。一カ所に乱雑に纏められていた。

 

 捕まった!?聖遺物は?!

 

 探そうとしたが、見つからない。身につけて、絶対に外さないようにしていたのに、あっけなく奪われた。そして、その聖遺物を奪った犯人は、自分たちを縛り付け、距離を開けて此方を観察していた。

 

「おっと、目が覚めたらしいぞ」

「はっ、かわいい顔してるねえ、盗人の癖に」

「おうおう、おびえてるぞ。被害者はこっちだってのになあ?」

 

 彼らは、全員強面の男達だった。

 顔や身体に傷があって、禍々しい剣を油断なく構えて、此方を睨んでいた。レナミリアは息を吞んで、おびえた。聖遺物は彼女や仲間達に万能感を与えてくれた。何だって出来ると勘違いさせてきた。それを喪えば、無力な子供がそこにいるだけだ。

 

 当然、これまでもこうなるリスクはあったのだ。しかし幸運にも、そして不幸にも、今日まで彼らは無事だった。それが今の事態を招いたのだ。

 

「で、こいつらどうするんだ?」

「聖遺物もこいつらも、親元にお返しだろ。ま、()()()は、こちら預かりになるらしいがな」

「流石」

 

 今度は、聖遺物を自分の子供にパクられるなんて間抜けはしないようにって釘を刺してな。と、リーダーと思われる男は笑う。縦にも横にも大きな大男だった。筋骨隆々で、笑っている姿も恐ろしかった。

 

「天陽騎士には?」

「言わない約束なんだと」

「…………ふうん」

「不満げだな」

「そりゃそうだろ。どうせ馬鹿またやるぞ、こんな馬鹿な奴ら」

 

「んむ……!?」

 

 そう言って、こっちをにらみつけるのは獣人の男だ。やたらと鋭利なトゲのついた大盾をドスンと鳴らして、鋭い目を向けてくる。レナミリアはまたおびえた。怖かった。

 その不審と嫌悪の視線を向けられている理由が、自分たちにあることを、彼女はまだ自覚できてはいなかった。

 

「お前が言うな……って言いたいけど、確かにガザよりも遙かに馬鹿だよな」

「どうすんだよリーダー」

 

 問われると、大男はくだらなそうに肩をすくめた。

 

「身じろぎできないガキを私刑にかけるってか?」

 

 その言葉で、獣人の男が少し力を抜いたのが見えた。レナミリアは安堵するが――――

 

「――――ただ、俺はな」

 

 リーダーの大男は、此方を見て、その大きな口を歪めて、笑った。

 

「親の金にあぐらかいて馬鹿してる馬鹿なガキって嫌いなんだわ」

 

「気が合うな、隊長!」

「俺も嫌いだわ!!ぶち殺したくなる!!」

「優しくしてやろうって気が全く起こらねえよなあ!!」

 

 男達はゲラゲラゲラと下品に大笑いした。狭い部屋の中で笑い声が響き渡った。レナミリアは震えて、泣いた。近くで拘束されていた仲間達も既に目を覚ましたのか、震えて、泣いている。

 

 取り返しのつかないことをしたのだ。

 

 ようやく、彼女達はソレを理解した。

 

「家に帰るまで時間はあるんだ。それまでたっぷり働いてもらおうじゃあないか」

 

 大男がしゃがみ込み、ニヤリと笑う。この先、自分たちに待ち受けているであろう未来を想像して、猿轡は涙とよだれでぐしゃぐしゃにぬれてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、働くって何させるんだよ、ボス」

「これまでの窃盗分の無償労働。ウーガにどんだけ仕事あると思ってんだ」

「一生働いても足りねえでしょうよ」

「っつーか、ぜってえ使い物にならねえぞ。こんなアホガキ」

「荷運びくらいできるだろ。泣くまで働かせてやる」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 力ある言葉に魔力を込めて放ち、現象を引き起こす。

 

 魔術の発動で最もポピュラーなのは、口頭による魔言の詠唱だ。

 

 理由は単純で、口が利ければ誰でも使えて、単純で、汎用性が高いからだ。長い研究の末、どの魔言を選べばどの現象を引き起こせるかは既に研究が進んだ。相応の魔力を取り込めるようになれば、子供だって使える。

 

 だから、誰もが使う。誰もが使うから、技術は発展する。より汎用性は増す。

 詠唱の魔術を誰もが利用するようになったのはソレが理由だ。

 しかし、これで勘違いする者もいる。

 

 詠唱による魔術現象が”もっとも優秀な魔術発動の手段であるという勘違い”。それ以外の手法は下であるという勘違い。

 

 口頭の魔術現象は、全ての中で優れているのでは無く、現時点で、汎用性が高いだけだ。より高度な魔術現象を引き起こす為の術が生まれれば、あっという間に口頭魔術は廃れるだろう。

 

「く、はははははは……!!」

 

 その、転換の可能性、その一端をルキデウスは目撃している。

 

「怪物がぁ……!」

 

 汗を垂れ流しながら、眼前の怪物レイラインと相対する。無数の魔道具を使い、あらゆる攻撃を試すが、その全ては結果として無為に帰した。何一つして目に見える成果を彼女にも、この場にも、残すことは出来なかった。 

 戦況は“心の底から喜ばしいことに”圧倒的に不利だった。

 

「【嬉しそうね、気持ち悪い】」

 

 吐き出す息、言葉、その全てが魔言の如く響いている。それほどまでに彼女の内側には力が満ちている。白王の力で満たされている。しかも、それらの力を使って新たなる陣を構築し続けている。

 彼女が操る穂先が、新たなる力の発生源を作り出している。しかも周囲の魔力を奪い、自分だけの力として取り込むおまけ付きだ。

 

 本当に、手に負えない怪物だ。どう考えても魔術師の常識、能力から逸脱している。

 

「その英知、どう磨いた?まさか本当にヨーグの秘奥を盗んだわけでもあるまい」

「【優しき緋色の精霊様から与えられた天恵よ】」

「羨ましい事だなあ!!」

 

 ルキデウスは叫びながら、懐から無数の魔石を砕き、魔力で満たす。同時に地面を杖で叩く。今日のために準備してきた術式を展開する。

 

「【闇よ来たれり!!その虚ろなる顎を開き、雷を放て!!!】」

 

 奈落の空間にため込み続けていた風の魔力を解放する。相互に反応し合い、ため込み続けていたエネルギーを眼前に解放する。手間も時間も大量にかかるが、擬似的な終局魔術の再現を可能とする。

 

「貴様の目的は防衛だ!!!終局魔術(サード)の無差別砲撃を前に全てを守れるか!?」

 

 今にも炸裂寸前の魔術を維持するために食いしばった歯を、笑みに変える。現状自分が再現可能な最大の火力。機関部でコレを放てば間違いなく痛手だろう。

 

 何処までやれる? 

 否、どうせなら、完全にやってみせてくれ……!!

 

 そんな狂気めいた期待を込めて、レイラインを睨んだ。眩く輝く彼女は、ルキデウスが生み出した暗黒と、その奥で今にも吐き出されそうな雷を前にも動じない。そのまま彼女は、自身の魔女服の外套を取り払った。

 

「【創造の機手】」

 

 美しい文様の刻まれた、二本の白い義手が現れた。

 自身の腕と合わせ計4本の腕を構え、完全なる異形へと変わったレイラインは微笑む。同時に、義手が凄まじい速度で指を動かしはじめ、周囲に蠢く白の糸と、魔法陣の数が加速を開始した。

 

「【本当に、素晴らしいわ、ダヴィネ。連れてきてくれたウルにも感謝しなきゃ】」

「――――ハ、ハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 レイラインの微笑みに、ルキデウスは狂い笑う。その喜びの絶叫と共に、雷の魔術は解き放たれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【黒羊】の“彼”はその日も真面目に労働に勤務していた。

 持ち運んだ商品をウーガに売り渡し、残った商品は次の都市に運ぶ契約を取り付ける。その日の仕事は午前中に終わったため、早めに食事を済ませた。そのままウーガの公園辺りを散策に向かうと、ウーガで知り合いになった男が、手持ち無沙汰な表情で呆然とベンチに座っているのをみかけた。

 

「おや、どうされました?」

「ああ、どうも」

 

 挨拶をすると、男は「恥ずかしいところを」少し困った表情で頭を掻いた。

 

「いや、今日は機関部の調整で、急遽仕事が休みになってね」

「なるほど。急に空いた時間どう過ごせばいいかわからなくなったと」

「いやあ、恥ずかしい。ウーガに来てから慌ただしくも仕事が充実していまして」

 

 男は楽しそうに頭を掻いた。なるほど、ウーガの日々は良いものであるようだ。と、“彼”は納得して頷く。そのまま懐に手を入れる。

 男は首をかしげていると、彼が取り出したのは―――

 

「どうですか?一局」

 

 ―――小型の、盤上遊戯だった。

 男はニヤリと笑った。

 

「なるほど、お付き合いしましょう」

 

 それからしばらく、二人は暖かな光の差し込む公園で、ゲームを楽しんだ。

 

 ちなみに負けたのは“彼”だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑩

 

 

「此処が()()()()()()()()()()()、ですか」

「そうよ。一見してそうはみえないでしょうけど、見て」

「――――ああ、なるほど……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「上手く使いましょう」

「また悪いこと考えてるの?シズク」

「危険なヒト達を安全に無力化できるように――――」

「ああなるほど。処刑場ね」

「処刑場」

「処刑場でしょ?」

「いえ、違います。説得が出来ない危険な侵入者の皆様を誘導して、物理的に処理するための――――」

「……」

「……」

「処刑場でしょ?」

「処刑場でしたね?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウーガ機関部、中心部。

 

「まさか……!アレが?!」

 

 巨大な球体のドームの内部に、まるで導かれるようにして到着したミクリナが、真っ先に目撃したのは、ドームの上部に浮かぶ巨大な物質。美しく輝く巨大な水晶体。魔石にも似ているが、違う。

 ソレがなんなのか、ミクリナは理解した。

 

「ウーガの核!?」

 

 超巨大なる使い魔、竜吞ウーガを維持するための要にして心臓が目の前にある。その事をミクリナは訝しんだ。自分はここまで、明らかに何者かの意思によって導かれた。最早それは疑いようがない。

 だが、何故、侵入者である自分を、ウーガの中心部へと導く!?

 

「はは!!追ってみれば、なんと好都合な!!」

 

 そして背後から、自分を追ってきた術者達が迫ってきた。先ほどまでは数人だったが、方針でも変えたのか、あの場にいた全員が此処に来ている。

 やはり、導かれている。だが、彼らにはミクリナのような“気づき”は無かったらしい。代わりに、ドームの中心にて浮かぶ核を目撃し、歓喜していた。

 

「ヨーグ様の秘奥!このまま奪われるくらいなら!!直接破壊してくれる!!!」

 

 ――――ヨーグ!?

 

 聞き捨てならぬその名前を聞いて、ミクリナは目を見開く。が、しかし、彼らは既にミクリナから意識を外し、頭上の核に集中していた。一斉に詠唱を唱え、強力な発展魔術(セカンド)を放ち、核へと向けた。

 

 なんてこと!!

 

 ウーガの崩壊、その可能性が頭によぎり、ミクリナは通路の柵にしがみついた。

 が、しかし

 

「――――なに?!」

 

 次の瞬間、起こったのは誰にとっても想定外の出来事だ。核へと向かった巨大な炎球は、しかし、核にぶつかること無く、“すり抜けた”。まるで、実態の無い幻影にぶつかったかのように。そして、向かい側のドームの壁に着弾する。壁は丸焦げ、いくつかの損傷を負ったが、それ以外特に何の変化も起こらなかった。

 

「これは実態ではない!単なる幻影!?」

「ウーガ全体の情報を、核の形状で反映している、だけ!?」

 

 魔術の知識が自分たちよりも深い彼らは、今起きた現象を解析し始めていた。だが、ミクリナからすれば今の彼らの解析情報はどうでも良かった。それよりも、聞きたいことが――――

 

「止めろ悪党ども!!」

 

 と、そんなことを考えていると、更に新たなる侵入者がやってきた。若い少年少女の集団。先ほど見かけた、黒いスーツを身に纏った、聖遺物を操る子供達。彼らはミクリナ、ではなく、魔術師達に向かい、その凶悪な精霊の力を一斉に解き放った。

 

「なん!?」

「魔術、ではない!!聖遺物か!?」

 

 属性を一切問わない強力無比な力が、一斉に魔術師達に襲いかかった。

 先ほどの発展魔術を見るに、彼らは皆、一流の魔術師であるのは間違いない。常に守りの術を周囲に展開しているのを確認した。並みの魔術であれば、彼らに傷一つつけることはできだろう。

 

「っがあああ!!?」

「ふざ、ふざけるな!?護符が全部消し飛んだぞ!!」

 

 だが、それでも一瞬にして、彼らは窮地に陥っていた。

 当然の結果だ。【至宝の守護者】たちが持つ聖遺物はどれもこれも一級品だ。都市によっては秘宝として祀るような代物ばかり。素人の子供すらも一瞬で怪物に変えてしまうような品々を、一気に、一切の躊躇なく、振り回している。

 子供が、砂場で足元の虫を悪戯に殺戮するかのような気軽さで、術者たちは潰れていく。残酷な光景だった。

 

「おい使う気か!?」

 

 が、しかし、彼らは彼らで、無抵抗に踏み潰されるつもりはないらしい。

 

「このままでは全滅だぞ!!どうせ女王には通じない!!ならば此処で!!」

 

 そう言って、真っ黒な液体と、赤黒い魔言の刻まれた瓶を彼らの方へと放った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そのタイミングと前後して、【至宝の守護者】達にも異常事態が起こっていた。

 

「なん……!?」

 

 女のヒトを追い回していた怪しげなローブの男達、彼らに攻撃を加えたその直後。突然、自分たちの身体が重くなったのだ。カルターンは最初、ローブの男達の反撃かとも思った。が、しかし、違う。この力、“大地の精霊の力”には覚えがある。

 【天地の王腕】、そしてソレを使うのは――――

 

「ルース!?どうしたんだ!?」

 

 ルースだった。小太りの彼が、何故か自分たちに向かって力を放っている。そのことに気がついた仲間達も驚きに目を見開き、怒鳴った。

 

「馬鹿!!なにしてんだ!!」

「頭おかしくなったのかよ!?」

 

 怒鳴られれば、いつも表情をこわばらせて怯え竦む。それがルースという少年だった。しかし、今日は違う。怒鳴られた瞬間、彼は表情を変えた。しかしそれは怯えでは無かった。

 

「五月蠅い!!イカれてるのはカルターンの方だ!!」

 

 それは憤怒の表情だった。吐き出されたその声は、普段のおずおずとしたものとは比較にならない声量で、周囲の怒鳴り声を吹き飛ばした。いつものようにルースを押さえつけようとした仲間達は驚愕する。カルターンも驚き、声が出なかった。

 

「精霊様からの授かり物を無断で使う!それだけだって許されなかったのに!!」

 

 ルースは怒りに震えている。丸い頬をブルブルと震わせている。握った拳は真っ赤になって、血管が浮き出ていた。

 

「盗みに使う?!他の聖遺物を盗む!?しょっ正気じゃあない!!」

 

 彼は【至宝の守護者】の中でも、最も信仰深かった。盗み出された聖遺物を誰よりも丁重に扱い、そして普段は気弱なのに、聖遺物をないがしろに扱うことだけは許さなかった。

 それはカルターンも知っていた。が、見くびっていた。

 

「それをもてはやしている皆もだ!!!」

 

 彼の信仰と、怒りを。

 

「お、落ち着けよ、ルース!そ、そんなの後で――」

「言ったんだ……!」

 

 なんとかなだめようとするが、ルースはまったく止まらなかった。その腕輪、【天地の王腕】の光に触れながら、彼は叫んだ。

 

「言ったんだ!シズク()が!!皆を止めてくれるって!!」

「っっぎゃ!?」

 

 重力の力が更に激しさを増した。頭上から直接ぶん殴られたかのような衝撃に、【至宝の探求者】達は一斉に、気を失った。

 そしてその直後、ローブの男達が放った瓶が空中で禍々しい光を放ち、炸裂する。赤黒い血の雨が降り注ぎ、【至宝の守護者】を守っていたありとあらゆる聖遺物の輝きの全てが一気に消滅した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「無力化だ!!」

 

 聖遺物を操る子供達の力を一気に奪い去った。その結果に【血の探求者】達は安堵した。強大無比な聖遺物の力を、加減などまったくできないであろう子供達に振り回されるのはあまりにも危険だった。

 精霊の力に魔術のような法則性は期待できない。100回試行して、100回同じ現象が起こるとは限らないのだ。下手な抵抗をすれば、どのような【奇跡】が起こるか分かったものではなかった。

 冗談抜きに、全滅の危機だった。その回避が出来たことに彼らは安心した。

 

「後は――――っが?!」

 

 そして、その隙を縫うようにして、小さな影が彼らを急襲した。

 

「なっ!?」

「き、きさ!?ごえ!?」

 

 その小さな体躯、俊敏性で次々に男達は倒れていく。繰り返すが、彼らは術者で、研究者だ。近接戦闘に対する心得なんてものはまったく持ち合わせていない。体躯の小さな小人であろうと、鍛え抜かれた武術を持つ者を相手に、抵抗するのは容易ではなかった。

 

 それでも、魔術の抵抗を試みない訳では無かった。が、しかし、その魔術は全て打ち消される。まるで常に、その小人自身に消去の魔術がかかっているかのように――――

 

「しょ、【消去体質】……!?」

「まさかおま!?」

 

 言っている間に、次々に男達は倒される。最後に残ったリーダーも、気がつけば地面に引き倒される。見上げれば小人の女が、静かに此方を見下ろしていた。

 誰だ?!何故だ!?

 そんな疑問を口にするよりも速く、女は問うてきた。

 

「ヨーグを知っているか」

「わ、我らが師――――ごぎゃ!?」

 

 次の瞬間、リーダーの顔面に小さな拳が叩き込まれ、撃沈した。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ああ、最悪……!」

 

 ローブの男達を全員、一瞬にして伸したミクリナは、荒い息を整え、がくりと膝をつき、顔を伏せた。魔術師相手に特攻して無茶をした疲労感と、それ以上の自己嫌悪で倒れ込みたくなった。

 

 諜報が頭に血を上らせるなんて!!

 

 実験で、ミクリナに【消去体質】を施した邪教徒、ヨーグの名を聞いた瞬間、怒りで判断力が鈍った。昔自分を捕らえた元凶、自分の人生を台無しにしてくれた最悪の女の笑い声は今でも覚えている。

 彼女はとっくに【勇者】によって捕まり、決着はついた。過去とはもう決別したと、自分でもそう思っていたはずなのに、未だ深い傷として残っていたらしい。

 

 本当に最悪だ。と、呼吸を必死に整えて、なんとか立ち上がろうとしたした。が、

 

『カカ、さて、おとなしくしてもらえるカの?主が呼んでおる』

 

 次の瞬間、喉元に背後から刃が突きつけられた。振り返ると、何故か御者の恰好をした老人が、剣をこちらに突き付けている。一見して細く老いぼれた姿に見える、が、その立ち姿は間違いなく一流の戦士のものだ。油断も無い。

 詰みだ。それをミクリナは理解した。

 

「非は、全て此方にあるということは承知の上で――――」

『カ?』

 

 ミクリナは両手を挙げると、深々とため息をついて、目の前の老人を睨んだ。

 

「――――私も、()()()()言いたいことがあるわ。貴方の主に」

『めーっちゃおこっとるの?気持ちは分かるが』

 

 カタカタカタと、老人は奇妙な笑い方をした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――良かった」

 

 薄暗い部屋の中で、シズクは立ち上がる。彼女の前に並んでいた三つの駒は、互いにぶつかり合うようにして共倒れしていた。

 残された駒は、盤外に転がる一つのみ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑪

 

 レイラインとルキデウス

 機関部上層部での魔術戦も決着がついていた。

 

「【終わりかしら?】」

「…………そう、だな。終わりだ」

 

 結果としてみれば、対峙する二人の周辺には何一つとして破壊痕は残されていなかった。つい先ほどまで、天災でも起こったかのように轟音と雷鳴が鳴り響き続けていたにもかかわらず、その一切の形跡が残されてはいなかった。

 即ちソレは、防衛側であるレイラインが、完全勝利したことを意味している。ルキデウスの最大の攻撃は、完全に抑え込まれた。そして、ソレが意味することはただ一つ。

 

「【盗人は地獄行きが決まりだけど、命乞いでもする?それともまだ切り札がある?】」

 

 バチバチと、白王の陣は輝きを増しながら、その全てが此方を睨んでいる。全方位を取り囲むようにして、だ。もし今から影に逃げこもうとしても、即座に焼き払われるだろう。

 身命を賭して行われる魔術の研究。それを盗み見ようなどとする者は、古来から死刑と相場は決まっている。研究者にとっての研究の成果とはそれほど重いのだ。その上澄みだけを啜り取ろうとするような相手に対して容赦をする理由など皆無だ。ルキデウスが彼女の立場であっても間違いなくそうする。

 だから、まさに今、ルキデウスは絶体絶命の窮地である。彼女の言うとおり、命乞いでもした方がいい状態ではある。だが、

 

「……そうだな、切り札は、ある」

「【へえ?】」

 

 そう、ルキデウスには一応まだ手は残されていた。切り札というにはあまりにも心許ないし、上手くいく保証は欠片も無いが、それでも試すだけの価値はあった。

 最後の最後、一発逆転の一縷の可能性の一手、それは――――

 

「――――――どうか、貴方の弟子にしてください。偉大なるレイライン」

「【……は?」

 

 魔道具の全てを投げ捨て、膝をつき、頭を下げた全力の土下座を前に、レイラインは変な顔になった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 竜吞ウーガ中枢、内蔵核投影装置。

 

 竜吞ウーガ機関部の中央に位置するこの部屋は、ウーガの【核】を保管している場所のようにもみえるが、実態はウーガ全情報を核の形に反映する部屋だった。

 現在のウーガに【核】という弱点は無い。元々は存在したが、リーネが解体し、その機能を分配した。複数の悪意から狙われる可能性の高いウーガに、明確な弱点があることを危惧したためだ。

 ウーガの状態を核の形に反映し、投影する部屋。だからこの場所は重要であるが、一方で最も安全な場所でもある。此処で破壊活動が行われたところで、何一つとしてウーガそのものに疵が残ることは無いのだから

 

 その巨大ドームにて

 

「う、うう……」

 

 ルースは疲れ果てていた。

 そもそも彼は攻撃的な性格では無い。外を出歩くより、家の中で精霊達への感謝を捧げて、本を読むのが好きな子供だ。誰かを害するなんて、想像するだけで恐ろしい。

 そんな彼だから、盗賊団などと、全く望んではいなかった。精霊様達への不敬なんてものではない。断固として拒絶したかったが、同世代の仲間達から外れるのも、自信満々のリーダー、カルターンの意見に反論することも出来なかった。彼は消極的な罪人だった。

 

 仲間達を止めたくても、どうしたらいいのか分からなくて、毎日泣いては親に心配されて、途方に暮れていた。そんなときだ。“彼女”と出会ったのは。

 

 そうして、“彼女”に導かれるままに、ルースは仲間達に凶刃を振るった。

 

「うう…………うう…………!」

 

 だけど、それが正しかったのか、分からない。

 汚らわしい血にまみれて、周囲の仲間達はピクリとも動かない。死んではいないはずだが、そのあまりにも凄惨な光景は彼を傷つける。血まみれで、白目をむいて気を失っているカルターン達が、自分の事を責めているようで恐ろしかった。

 

 でも、でも、それでも、彼らを放置は出来なかった。精霊様の威光を汚すような真似を、これ以上は――――

 

「【【【浄化】】】」

 

 その時、鈴のような声が響く。血にまみれていたルース達が、仄かな優しい光に包まれて、汚れを落としていく。彼らが有していた聖遺物も本来の輝きを取り戻していった。それは単なる浄化の魔術に過ぎないが、ルースには救いの光に見えた。

 

「シズク、様……」

 

 で、あれば、それを施した白銀の彼女は、救いの聖女に見えるのは当然だった。

 

「ぼく、僕……」

 

 ふらふらと、彼女の元に近づき、なんとか言葉を紡ごうとするが、声が出てこない。恐怖で心臓がわしづかみにされたようだった。何が怖いのかも、分からなくなっていた。

 

「怖いのですね」

 

 しかし、そんなルースの心を理解しているかのように、白銀の至宝、シズクは優しくルースに語りかけた。

 

「友達を裏切って、傷つけて、正しいことだと分かっていても、怖くてたまらない」

 

 本当に、何もかもを見透かすように彼女は語る。ルースの、得体の知れない恐怖を一つ一つ言語にして、解きほぐす。いつの間にか、震えは納まっていた。

 

「でも、安心してください。貴方のその優しさが、皆を最悪に墜ちる前に止めたのです」

 

 そっと、彼女は彼の頭を抱きしめる。自然と、ルースの眼から涙がこぼれた。

 

「誇ってください。大丈夫。後は私と、貴方の父上が、正しい方向へと導きます」

「あり、ありがとう、ございます」

 

 ルースは泣き崩れた。体中の水分が全部抜けきってしまうくらいに泣き続けた。それを彼女は黙って受け止めてくれた。

 

 それからようやく落ち着いて、いろんなヒトがこの部屋にやってきた。カルターン達も連れて行き、ルースもそれに同行する。これから酷いことをされるんだ!と叫んで泣いている待機組の仲間もいたが、ルースは怖くなかった。

 罰は受けなければならないだろう。泣いてしまうくらい、苦しい事もあるだろう。でも、精霊様の聖遺物を盗みに入る以上の、悍ましい行いはそうそう無いと確信していたからだ。

 

 本当に、良かった。これ以上、悪いことにならなくて本当に良かった。

 

 そう安堵しながら、ルースは最後にもう一度、シズクへと視線を向け、心の中で感謝の言葉を告げた。灰色の少年の前で、何故か彼女が恐ろしくよどみなくなめらかな動作で、正座の姿勢に移行していのは、恐らく見間違いだろう。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「さて」

「はい」

 

 ウルは腕を組み、シズクは正座していた。ウルはため息をついてしゃがみ込むと、彼女の頬をむにむにと掴んだ。

 

「企ては良いが出来れば伝えろ。あと何か言う前から開幕正座はやめい」

「あい」

 

 ウルはしばしそうしたあと、頬から手を離してた。側にいたエシェルも若干怒りながらも、彼女を引っ張って、立ち上がらせた。

 

「助かった。ありがとうな」

「でも、私たちだってシズクを手伝えるんだからな!もっと頼ってくれ!」

 

 結局、今回の騒動も彼女が上手く立ち回ったのだろう。捕まった連中の内、若い盗賊集団の連中の一人と、彼女が話しているのを見た。泣きながら何度も頭を下げているところを見ると、色々と裏から手を回して、被害が最小限に済むように立ち回ったのだというのは容易に想像がつく。

 実際、今回ウーガの人員が無茶をしなければならなかった場面はほぼ無かった。リーネは少し厄介な相手にもぶつかったらしいが、無事であると言うことは既に聞いている。

 

 万事上手くいった、といっても良い。ならばシズクの功績だ。改めてウルは礼を言った。

 

「はい」

 

 対して、シズクは短く答えて、微笑んだ。ウルはその様子に一瞬眉を潜めたが、

 

「上手くいって良かったです」

「本当に!!」

「ドキドキいたしました」

「それは嘘だぁ!」

 

 そのまま肩の力を抜くように、エシェルと話し始めたので、ひとまず保留とした。

 ドームの中は、ウル達が入ったときはなかなかの死屍累々っぷりだったが、速やかに片付けが進んでいる。気絶した者達、今回のウーガにやってきた不法侵入者達は全員、白の蟒蛇により拘束され、次々に連行されていった。

 

『おう、少しええかの?主よ』

「はい。大丈夫ですよ」

 

 その最中、ロックが此方に声をかけてきた。彼によって連行されていた小人の女は、やや疲れた様子ではあったが他の連中と比べて意識はハッキリとしていた。そして、エシェルにひっつかれているシズクを前にして、強く眉をひそめた。

 

「貴方が【糸使い】……」

「何のことでしょう?ミクリナ様」

 

 シズクは微笑む。対してミクリナと呼ばれた女は、更に眉間のしわを強くさせた。が、気を取り直すように深くため息をついて、顔をあげた。

 

「……まあ、いい。取引があるの」

「【飴色の山猫】様の件ですね。既にドートル様と交渉を開始しています」

 

 そしてそのまま、うなり声を上げて顔を伏せる。アップダウンが激しかったが、多分全部シズクが悪かった。そのまましばらく彼女は「最初から……?」「ドートル黙ってたな……?」ブツブツと呟いていたが、最後は、やけくそ気味に笑った。

 

「なんというかもう、全て諦めたわ。交渉はドートルに任せる」

「良いご連絡が出来るよう、頑張りますね?」

「………よろしく頼むわ」

 

 皮肉なのか真面目に言っているのか不明なシズクの言葉に応じて、ミクリナはロックに合図を送り、他の連中と同じように機関室から連行されていく。しかしその直前、ウルをチラリと見て、小さく声をかけてきた。

 

「灰の英雄。貴方が彼女の主なの?」

「そうなってる」

「大変ね……」

 

 諜報活動のプロらしい女から心底同情されるという貴重な経験が出来た。

 あまり嬉しくは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 全ての事が終わり、ウーガ機関部の外へと出た頃には、時間はすっかり日暮れ時となっていた。ウーガの防壁からは既に太陽神の姿はすっかり隠れて、魔灯が点灯し始めていた。

 外部の魔物騒動も始末はついたと報告で聞いている。

 少なくとも、今回のウーガ不法侵入騒動は万事解決といって良いだろう。ウルは大きく伸びをした。ペリィのところで一杯やるか、なんて事を考えていると、

 

「ああ、そうだ。ウル様」

 

 シズクが声をかけてきた。

 

「なんじゃい」

「私と一緒に寝てください」

「え゛っ!?」

 

 エシェルは驚愕の声を上げ、

 

「いいぞ」

「うんっ!?」

 

 ウルは即答した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑫

 

 “彼”は仕事を続けた。

 

 エンヴィー衛星都市から既に移動し、ウーガはプラウディアを経由する形でラース領へと戻る航路を通っていた。移動中、ウーガはなんのトラブルも起こらなかった。魔物の襲撃は当然のことながら、魔術の力なのか揺れなども一切起こらない。周囲の景観も、ウーガ自身の甲羅で出来た防壁が塞いでいるためか、外の景色が見れるところは少なくて、本当に移動しているかもわからないくらいだった。

 

 防壁が在るためか、ウーガの日中はやや短い。

 だが、外と比べて少し狭くて丸い空から太陽神が光を注ぐ光景は、例えようのない不思議な美しさがあった。

 

「周りは変化が無く、揺れもしないのに、気がつけば別の都市です。凄いものです」

「ははは、皆そうおっしゃられますよ」

 

 仕事の最中、少し親しくなった高齢の小人が楽しそうにそう言った。

 ひとしきり雑談をした後、再び彼は仕事に戻った。

 

 彼はその日も恙なく仕事を終える。日が沈み、ウーガ内が魔灯で照らされるようになった辺りで同業者達から来客用の酒場へと誘われたが、明日朝は少し早い仕事が入っているからと申し訳なさそうに彼は断りを入れた。

 

 そして自身の部屋に戻ると、部屋を片付ける。元々持ち込まれた私物は異様なほど少なかったが、その小さな小物類を一つ一つ片付ける。あっという間に部屋は最初、彼が立ち入る前と変わりない状態に戻っていた。

 

 塵一つ、髪の毛一本、彼がいたことを示す痕跡は残っていなかった。

 

 丁寧な掃除を続けた結果、太陽神は既に隠れ、星空が顔を出す。すっかり夜も更けた。既に外もヒトの気配は少ない。それを確認すると彼は部屋の外に出た。

 

「やあ、夜の散歩かい?」

「ええ、もうすぐ都市に降りなければならないから、最後に一回りしようかなと」

「そうかい。気をつけてねえ」

 

 宿の番をしている老人に挨拶をして、彼は夜の街へ出た。

 

「…………」

 

 魔灯に照らされた夜の街並を眺めながら、彼は目を細める。

 

 彼の視界は、静かに街の詳細を捉えた。魔眼の類いでは無く、視力の高さと、彼自身の極めて高い注意深さが、ウーガの異常を暴いた。

 

 極めて繊細に、要所といえる場所に張り巡らされた【銀糸】を見つける。

 

 探査、感知系の魔術だろう。恐ろしくか細く、魔力量も殆ど無い。触れただけで何もかも見抜かれてしまうほどの強い力は持たない筈だ。住民達はこの糸に気づかずに生活しているが、彼らには糸が殆ど纏わり付いていない。1,2本身体に触れたところで何の意味も無い。

 だがもしも“一定の邪な目的”に沿ってウーガで動こうとすると、途端に糸は体中に絡みつく。そうなるように、糸は張り巡らされている。

 

 緻密に計算されて糸は編まれている。恐ろしい事だった。

 

 彼はそのまま歩き出す。宿の番にそう告げたように、散歩の足取りで歩き出す。次第に多くなる糸の密度を、彼は自然な動作で回避していった。魔術は使わなかった。使えば、放たれた魔力を感知して、銀の糸は一斉に主に知らせるだろう。周囲に気取られないようにか細い魔術を使ったとて、糸の方が魔力密度は弱い。糸よりも強い魔術の風に吹かれれば、やはりあっという間に音が鳴る。

 

 本当に、タチが悪いな。

 

 そう思いながらも、ひたすらに歩く。周囲を見渡しながらふらふらと、見物客のように歩きながら、次第に、ある民家にたどり着く。上手く隠されているが、此処がウーガで糸が最も多い場所だ。

 

 誘導、デコイの類いではない。

 竜吞女王や白王、このウーガの要人の居所でもない。

 上手く隠されているが、間違いなく此処は全ての糸の“起点”だ。

 

 彼は周囲にヒトがいないことを確認し、そのまま扉に手をかける。鍵は勿論かけられていたが、彼は瞬く間にそれを解錠して中に入った。他人の民家の中に入ると、彼はキッチンに足を踏み入れ、そこで使われていたナイフを手に取った。

 切れ味を確認し、満足するとそのまま階段を音も無く上がっていく。真新しい建物だからだろうか、軋むような音はなかったが、それでも彼の気配のなさは異様だった。

 

 3階の寝室の扉に手をかけ、中に入る。その間、やはり糸には一つも触れなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 小さな魔灯で灯された部屋の中で、同じベッドで二人が寝ている。一人は灰色髪の少年で、一人は白銀の少女。少女は少年を抱きしめるように眠っていた。

 少年の方は【灰の英雄】だ。勿論彼は知っている。ウーガで過ごしている間、何度か見かけたこともある。軽く会釈したこともあった。【銀の君】と恋仲なのだろうか。

 

 と、そんなことを考えつつも、彼は歩みを止めない。まっすぐにベッドへと向かうと、一瞬の躊躇いも無く、彼らの持ち物であるナイフを少女の首に突き立て――――

 

「――――っ!!」

 

 ――――る、事は無かった。

 灰色の英雄は、ベッドの下に潜ませていた短剣で、“彼”の凶刃を弾いた。

 

「マジか……ぜんっぜん気配がねえ」

「気をつけてください、ウル様。彼は他の皆さんとは次元が違います」

 

 二人が即座に起き上がり、臨戦態勢に入った。

 困った。ばれていたらしい。しかし、情報を漏らしたつもりは無かった。そもそも完全にばれていたなら、もっと早い段階で、確実に自分は捕らえられていただろう。

 

 「自分か灰の英雄が狙われている」という“あたり”をつけて、待ち構えたのか。

 

 ならば、まだやりようはあるか。と、“彼”は即座に手に持ったナイフを投擲し、部屋の灯していた魔灯を破壊した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【混沌――――っ」

 

 魔灯を破壊された事で視界が潰れ、ウルは暗殺者を見失った。魔眼の発動を潰された。圧倒的に強力無比なウルの魔眼の唯一の弱点。全ての魔眼共通の性質、対象が視界に入らなければ発動不可能という急所を突かれた。

 対応の仕方が、異常に速い。

 

「彼は“格上殺し”に恐ろしくなれています。気をつけ――――ぐ」

 

 闇の中、眼が慣れるよりも速く、シズクの警告が途中でくぐもる。

 窓の外、僅かにだけこぼれる星光が部屋の中に差し込む。近くにいるシズクの白い首に、金属の鎖が纏わり付いているのがかすかに見えた。

 

「シズク!」

「…………ロ、ック、さま」

『カ!!!』

 

 すると、彼女の胸元から白い刃が刎ね、彼女の首元の鎖を断ち切る。小型の死霊兵が小さな剣を握り、彼女を守っていた。

 はじけた鎖がウルの手元に転がる。それは魔灯をつるしていた鎖だった。ウルは寒気を覚えた。先ほどのナイフも、この鎖も、特殊な道具でも何でも無い。ウルの家の、家具やら家財だ。

 何の特別製でもない代物で、闇の中恐ろしく手際よく、殺しにかかってくる。

 しかも、シズクとウルが背中合わせで周囲を見渡しているが、見当たらない。広いわけでもない部屋の中なのに、闇に紛れると言っても限度があるはずなのに、見つからない。音で周囲をサーチできるシズクすらも、まだ敵の位置を伝えてこないのだから、音自体を消している。

 これは、この敵は――――

 

「……ガチのマジの達人だな……」

「暗殺者の黄金級と思ってください」

「地獄かよ」

 

 超人的な身体能力は得た。

 怪物との戦いの経験も繰り返し、得た。

 並大抵の冒険者よりも遙かに高い実力は、間違いなく獲得した。

 だが、対人戦闘経験は浅い。それを埋めるだけの“年季”もウル達にはない。

 

 この敵は、それを極限まで研ぎ澄ましている敵だ。単純に相性が悪い。

 

 最悪、部屋全部破壊してでも、色欲の権能、無差別にぶっぱなすか?

 という、乱暴な解決策が頭をよぎる。

 だが、ウルがそれを決断するよりも速く、

 

『カカ、主よ』

「ええ、間に合いましたね」

 

 小さなロックがシズクに合図を送る。と、同時に部屋の窓をこんこんと叩く音が聞こえてきた。

 

「なん……使い魔?」

 

 部屋の窓を叩くのは四枚の翼を持った使い魔の類いだった。それは器用に窓を開くと、そのまままっすぐ、ベッドの上のシズクへと飛んできた。足首にくくられた手紙を彼女へと渡すと、あっという間に飛び去っていく。

 受け取った手紙をシズクは開くと、部屋の闇へと向かってそれを差し出した。

 

「どうぞ」

 

 すると、しばらくすると薄暗い闇から、ぬるりと、まるで先ほどまで存在していなかったかのように唐突に、侵入してきた暗殺者の姿が現れた。彼は、此方を襲ってくるでも無く、差し出されたシズクの手紙を受け取り、目を通すと、そのまま紙を握りしめて、灰のようにして消し去った。そして、

 

()()()()()()()

「はい」

 

 シズクの返事に頷くと、部屋の椅子に腰掛けて、足を組んだ。先ほどまでの痛いほどの沈黙と、温度を感じない殺意が満ち満ちていた部屋の雰囲気が、あっという間に霧散していく。目の前にいる男は、本当になんでもない、只人の男にしか見えなくなった。なんだったら、家の主であるウルよりもくつろいでいるようにすら見える。

 

 いや、それよりも、だ。

 

「どゆこと?」

 

 この急変をどう認識すれば良いのか分からず、シズクをみると、彼女は頷いた。

 

「彼に依頼したギルドと、彼を管理している上位ギルドを壊滅させて、私が彼の新しい依頼人になりました」

「わあ」

「皆様の協力あってですが、大変でした」

「でしょうね」

 

 絶対にさらっと言うことではない。というかそれは本当なのかと疑いたくなる。が、少なくとも当の暗殺者はそれを受け入れている。彼は冷静沈着な態度で、シズクに問いかけた。

 

「それで、新しい依頼の内容は?」

「え、暗殺依頼しなきゃならんの?」

「暗殺ギルドを名乗った覚えは無いな。ただの何でも屋だ」

「うっそお」

 

 お前のような何でも屋がいるか。と言いたかったが、彼は真面目な顔である。本気で何でも屋のつもりらしい。

 

「では、部屋の掃除をして頂けますか?」

「承った。箒はあるか」

『カカ、ぞうきんもあるぞ?』

 

 数分後、ウルは自分たちを殺しにかかってきた相手が真面目な顔で、箒とちりとりで散らばった魔灯のガラス片を清掃し、ぞうきんで埃を拭き取り、さっくりと帰る光景を目の当たりにすることとなった。

 途中で考えるのも面倒になり、ウルは寝た。そのうちシズクが抱きしめてきたが、もう何も気にすること無くそのまま寝入った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 こうして、四つの闇ギルドがたった一日に襲撃をかけてくるという大騒動は、ウーガの住民の大多数が全く感知することもなく収束した。最終的に、ウーガと敵対した4つの闇ギルドは解体され、その形跡は跡形も無くなった。

 

 が、何もかも消えて無くなった訳では無かった。

 

 後日、ウーガの外部の、情報収集を専門とする“新規ギルド”との提携が生まれたり、

 リーネ率いるウーガ管理部門に、熟練の魔術師が新人として新たに配属されたり、

 ウーガの管理用の補助として、“強力無比な聖遺物”がいくつか加わったり、

 少しの期間、若い少年少女達がひいひいと泣き言を言いながらウーガを馬車馬の如く駆け回ったり、

 大罪都市グラドルに、凄腕の戦士がラクレツィアの護衛として配備されたり、

 

 そんなこんなで、様々な形の変化が生まれたのだが、その経緯の詳細を知る者はごく少数だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明くる日、諸々の片付けが済んだ後、ウルの自宅にて

 

「――――つまるところ、これまでもこんな風に、ウーガを守ってくれていたわけだ」

「皆様の協力あってのことです」

 

 自室にて、ウルは向かいに座るシズクへと酒を注ぐと、彼女は微笑みを返した。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑬

 

「エシェル様は?」

「カルカラのところで寝ると」

「まあ、来ていただいてもよかったのに」

「今日はシズクのねぎらいだから!だとさ」

 

 テーブルにはいくつもの料理が広げられていた。

 

 冒険者達が好むような、量を重視したようなものではなく、幾つもの味が楽しめるように、幾つもの料理が皿に盛り付けられていて、好きに楽しめるようになっている。酒瓶も並べられ、エールは魔術で冷やされている。

 万全の体制の飲み会だった。ウルはそのまま彼女のコップにエールを注ぐと、自身にも注いで、ぶつけた。

 

「とりあえずお疲れ」

 

 そう言って口にする。よく冷えてて美味しかった。シズクも口にすると、それでも遠慮がちに微笑みを浮かべた。

 

「大変だったのは皆様です」

「満場一致で、今回の最大の功労者はお前だよ」

 

 確かに現地で動いたのはウル達だったが、結局の所今回の極めてややこしい盤面を完全にコントロール仕切ったのは彼女だった。もしもそれぞれの問題を真正面から馬鹿正直に対処しようとすれば、多かれ少なかれ被害が発生していたか、逃がしていたかもしれない。

 回りくどかろうが、手段が悪辣だろうが、彼女の出した結果以上のものを出せる者はこの場にはいない。間違いなく彼女がMVPだ。その為の軽い酒宴である。

 

「色々用意してもらったけど、何が食べたい」

「何でもおいしいと思いま――――」

「そうかい」

 

 大体想像していたとおりの答えが返ってきたので、ウルはそのまま皿にいくつかの料理を取って、そのまま彼女に渡した。受け取った彼女はにこやかに礼を告げようとしたが、皿に乗っている料理を見て「あら」と、小さく声をあげた。

 

「グリードで食べたことがありましたね。揚げロナス」

「そうだな。つって、当時は金が無かったから、腹にたまるものばっか喰ってたが」

 

 きつい訓練と、迷宮潜りの毎日をなんとか乗り切ろうとしていた日々の中で、店長がおまけとして用意してくれた料理だった。いつも遠慮する彼女が、少し多めに口にしていたのをウルは覚えていた。

 

「こちらはラストの串焼きでしたでしょうか。炙りかたが絶品でしたね」

「アモチ焼き流行ってたからかしらんが、串焼きが美味かったよな」

 

 あの厄介極まる怪鳥をやっつけた後の飲み会で、怪鳥撃破記念だなんだと店が盛り上がって用意してくれたクク鳥の串焼きだった。くにくにとして柔らかな食感とタレが美味しくて、普段、それほど肉を食べないシズクも何本も食べていた。

 

「これは……、ああ、思い出しました、仮都市で、名無しの皆様が作ってくれたスープ?」

「ネネンさん達が持ってた謎スパイス入れると辛いけどめちゃ美味くなるんだよな」

 

 ウーガの混乱時、「頑張ってくれているから!」と、身内にしか普段は出さないという特別なスープを仮都市の皆がごちそうしてくれたのだ。あの時はまだずっとトゲトゲとしていたエシェルも、スープを飲んだ時はほっとした顔になっていた。

 シズクも、めずらしくおかわりしていた。ウルもそうした。

 

 それ以外の料理も大体、旅の中でシズクが気に入っていたものが並んでいた。そのことにシズクも気づいたのだろう。少しだけ困ったような表情を浮かべた。

 

「ウル様」

「はやく喰おう、冷めるぞ」

「それでも、ありがとうございます、ウル様」

「再現してくれた食堂の皆に言ってくれ。俺は頼んだだけだよ」

 

 その後、しばらく食事をしながら、これまでの旅を二人で振り返った。各地の名物や思い出の料理と共に話す思い出話は、おもったよりも話が弾むのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「しかし、暗殺ねえ……こえーもんだ」

 

 いくつかの皿を空けて、酒もすすんだ辺りで、ウルはぽつりと今日を振り返った。同じく、少しだけ赤らんだ顔をしたシズクも頷いた。

 

「肉体的には強くなりましたが、不意を打たれることはありますからね」

「まあな」

 

 黒炎砂漠の一件で、ウルは間違いなく超人化した。最早そこに遠慮も謙遜もする気は無いし、してはならない。だが、しかしそれでも、自分以上の強敵が相手以外では死なないかと言われれば、当然そんなわけが無い。

 別に、皮膚や筋肉が金剛のように堅くなっている訳では無い。眠りこけている最中、ナイフが首や心臓に突き刺されば、死ぬだろう。【黒羊】もまさしくソレを狙っていた。

 一切の音も気配も無く、自分が最も緩んでいる寝室に侵入し、躊躇無くナイフを振り下ろす。“彼”は間違いなくウルよりも肉体的強度は弱い。なのに今でも思い出すと寒気が背中に奔った。

 

「ですが、ウル様が狙われていなくて良かったです」

「俺からすれば全然良くないわ。ヒヤヒヤした」

 

 一緒のベッドに潜り込むとき、十中八九、今回狙われているのは自分です。と、シズクに宣言された時は苦い顔になった。彼女からすればウルを安心させるために吐いた言葉だったのかもしれないが、下手はうてぬと緊張した。

 しかも、万が一の際に此方を守るためなのか、思い切り抱きついてきて、更に無駄に緊張した。

 

「肌身で抱きついてしまい申し訳ありません」

 

 シズクは余裕たっぷりにそういった。こんにゃろとウルは苦笑いした。

 だが、ソレとは別に

 

「…………気になったんだが」

「ウル様?」

 

 ウルは立ち上がると、そのまま彼女の側に近づいた。彼女の服の襟に指をかけると、ボタンを外してめくる。

 

「“コレ”どうしたお前」

 

 彼女の肌、心臓の上の辺り、()()()()()()()()()()。治療が進んでいるのだろう。既に消えかかっているが、しかし消える前は、かなりの重傷を負ったのが想像できるほどの大きな痕跡だ。

 彼女とベッドに潜り込んだとき、この跡に気がついた。こんなおおきな傷跡は、ウルが黒炎砂漠に行く前は無かったはずだ。ならば、ウルがいない間に何かがあったのだろう。

 

 しかしそのことを彼女からは聞いていない。リーネやエシェルも、こんなことがあったなら絶対にウルに伝えているはずだが、言っていないことを考えると多分彼女たちも知らない。シズクは彼女らにも隠している。

 ロックは、まあ、あの男は、知っていてもシズクがしゃべらない限りは絶対に口にはしないだろうが――――

 

「――――で、何があったんだ?」

「今度、お話しいたします」

「…………」

 

 ウルがめちゃくちゃに顔をしかめたのをみて、シズクはクスクス笑った。

 

「でも、ウル様もとんでもない傷跡残ってますよね」

「いらん弱味残っちまったな畜生」

 

 彼女など比では無いくらいのとんでもない大傷が身体に残ってしまっている以上、ウルには文句が言えなかった。いらん反撃の隙を作ってしまったと、手を離して、彼女の服の乱れを整えた。

 

「お互い色々ありましたね――――ああ」

 

 そうしていると、不意にシズクはウルの顔に触れた。頬を撫でるようにして、ウルの瞳の周囲を、細い指でなぞる。昏翠の瞳が、シズクの白銀の瞳を見返していた。

 

「綺麗な眼」

「そうだな」

「アナスタシア様。お会いしたかった」

「本当に、そうだな」

 

 シズクと出会っていたら、話が合っただろうか。それとも逆か。そんな「もしも」を考えるのは少し悲しくて、楽しかった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それからもしばらく、のんびりとした二人の飲み会は続いた。

 

「良い感じに酔ったな」

「美味しかったです」

 

 たくさん並んだ皿も綺麗に片付いて、酒瓶も何本も空いた辺りで、良い感じに酔いが回った。シズクも心地よさそうにふわふわと微笑んでいる。少しだけまぶたがおちて、眠たげだった。

 

「ほれ水」

 

 水差しから水を渡すと、こくりこくりと飲み干して、それでもまぶたは上がらない。窓の外は真っ暗で、良い時間帯だった。

 

「寝るか?」

「……もう少し」

 

 ゆるゆるとシズクは首を横に振るが、やはり限界に見えた。

 テーブルの皿を全てキッチンに片付けて、酒瓶をしまい、部屋に戻るとシズクは舟をこぎ始めていた。

 

「やっぱ寝ろ」

 

 眠気を妨げてしまわないようゆっくりと抱き上げると、ベッドに運ぶ。ゆっくりとベッドに彼女を横たえて、1階で寝るかとウルが立ち上がろうとしたとき、裾を引かれた。

 待って、と、そう言うようにシズクが引っ張っていた。

 ウルは再びしゃがみ込み、彼女の視線にもどした。

 

「どうした」

「ウーガは、要塞になりました。そうなるように、皆様が、頑張りました」

「ああ」

 

 やはり酔いが大分回っているのか、脈絡の無い話だったが、ウルは頷いた。

 

「世界の全てよりも、此処は安全です」

「うん」

「だから、大丈夫です」

 

 大丈夫。

 その言葉とは裏腹に、彼女の表情はあまりにも不安げだった。潤んでいる瞳は酔い故か、それとも別なのか、わからなかった。ゆっくりとシズクの腕がウルの首に回って、おずおずと抱きしめられた。

 

「……やっぱり、またなんかあるんだなあ」

「はい」

「落ち着かねえなあ人生」

「ごめんなさい」

「ああ」

「ごめんなさい」

「良いよ」

 

 ウルは笑って、彼女が落ち着いて眠りに落ちるまで、ずっとそばにいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

来訪者

 

 

 イスラリア諸共、消えて無くなって!

 

 かつてのラースを滅ぼし、焦牢の囚人であるウル達を壊滅寸前まで追いつめた魔女。クウの言葉を、ウルは思い返していた。

 彼女は邪教徒だ。それは間違いない。この世界を、イスラリアそのものを滅ぼそうと目論んだのだ。唯一神ゼウラディアに刃向かう反逆者に違いなかった。

 だが一方で、それまでウルが見てきた、漠然と世界を憎み、憎悪し悪意をまき散らす連中と彼女は違ったように思えた。世界に対する憎悪は彼女も持っていたように見えたが、それでも彼女はとても必死に、何かを成そうとしていた。

 

 お前を殺して、ラースを破壊した後に、ちゃんと考えるよ。

 

 彼女と対峙した時誓ったとおり、ウルは考えていた。実際、彼女の言葉や必死さを狂人の妄言だと斬り捨てるのは難しかった。勿論、だからって彼女に同調して邪教徒になるつもりはないが、一方で今のウルはこの世界に踏み入り過ぎてしまっていた。

 

 ウーガ、陽喰らい、ラース、大罪竜、超克。

 

 一つでも一生分の災厄たり得るような地獄を連続で乗り越えた。それらは、この世界の支配者や破壊者の意図が深く関わっているものばかりだ。ウルはそれに深く関わってしまっている。

 

 だから、”知ってそうなヤツ”に話を聞きたくて、ウルは今自身のまどろみの中を藻掻くようにして、手を伸ばしていた。

 

「おい何処だ?」

 

 問う。

 居ないはずが無い。明確な繋がりをウルは感じている。暖かな暗闇の中ウルは動いていた。最初はこれをやろうとしても上手く出来なかった。眠りながら覚醒するという奇妙な真似をする必要があった。ディズに何度か手解きをしてもらい、最近になってようやく、これができるようになったが、未だに”会話”には至らない。

 暫くすると本当に眠りについてしまうのだ。すっかり熟睡し、心地の良い朝を迎える事になるが、それでは意味がない。まだ、自分の意識が溶ける前に動く必要があった。

 

 ――闇の中を探す必要はない、筈だよ。深層空間に物理的な距離は存在しないからね

 

 推測混じりだけどね、と、ディズはそう言っていた。

 前例の無いことなのだろう。彼女にも分からないことは多いはずだ。だからウルも探りながらやるしかなかった。

 

 距離は関係ない。探る必要も無い。すぐ側に居る。

 

 何も身につけていない虚空の中で、ウルは自分の右手を見る。異形に変貌していない普通の右腕だ。コレが普通だと、ウルは思っていた。実際十数年の短い年月の間、コレが普通だった。

 しかし、今のウルはこうではない。右腕がヒトの形を保っていたのはかつての姿であって今の姿ではない。あの異形は、異物ではない。ウルそのものだ。

 

「ラスト」

 

 声をかける。闇の中が僅かに揺らいだ。ウルはそちらへと手を伸ばす。

 感触があった。だが、次の瞬間声が響く

 

『触れ  る な  不埒 者』

 

 次の瞬間意識が途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……駄目か」

 

 ウルはまどろみから目を覚まし、頭を掻いた。

 そのまま自分の右腕を見る。真っ白な右手は既に黒睡帯は巻かれていない。ディズにも確認したが「恐らく意味が無い」という結論に至ったので剥き出しの状態だ。

 ブラックが言っていた竜化の進行が後戻りも出来ないレベルまで進んだと言うことだろう。そして、別にそれ自体は構わない。

 

 ただ、出来ればラストと接触をして、聞けることをきいてみたかったのだが、今回も失敗だった。ウルは溜息を吐き出して、身体を起こす。すると。

 

「うにゃぁあ……」

 

 素っ裸のエシェルがウルの身体から滑り落ちておかしな声をあげた。

 

「エシェル、起きろ」

「んやああらああ………」

 

 肩の力が抜けるレベルの間抜けな声に、ウルは脱力した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルが焦牢からの帰還を果たしてから、エシェルの気の抜け方が尋常で無くなっていた。正直大丈夫なんだろうかという疑問がつきまとうのだが、過剰に心配をかけたのもウルだったので、強くは言えなかった。

 

 ――身内以外ではちゃんと猫がかぶれているようですから、大丈夫だと思いますよ?

 

 シズクはそう言うが全裸でヒトの身体にしがみついて離れない女は大丈夫かと言えば多分大丈夫ではない気がする。

 

「もうしがみつくなとは言わんから服を着ろ」

「やあら」

「幼児かお前は」

 

 あるいは妖怪か魔物の類いか、と言うと多分泣くのでそれは言わなかった。

 仕方なし、無理矢理服を着せ、半ば引きずるように階段を降りる。腹は減っていた。昨日は新たにウルに接触を望む複数の勢力に手紙を送るため、またグルフィン指導のもと手紙を何十通も書くのに苦労をして、疲労困憊状態で眠りに就いたので酷く腹が減っていた。

 ウルの家は半ばギルドハウスだ。ひょっとしたら下に降りたら誰かしらいて、朝食の準備をしてくれているかも知れないという期待もするが、背中にいる女は下着姿である。なんとかそれだけは着せられたが殆ど半裸だ。酷い。

 

「誰かに見られたらどーする気だその格好」

「シズクとか、リーネに見られてもいいもーん」

「カルカラに見られたら?」

「……いいもーん」

「怠惰極まったな」

 

 確実に後から怒られる。が、そこまでどうしても半裸でしがみつきたいというのならもう知らん。ウルはそのまま自宅のリビングへの扉を開けた。

 

「良き朝だな。もう昼だが」

 

 リビングには天賢王がいた。

 

「………………」

「………………」

 

 ウルは一度扉を閉めて額を揉んだ。

 今つい先程目の前に広がった光景が全く理解が出来なかった。寝起きの直後とは言え意識はハッキリとしているはずなのに、一ミリたりとも脳みそに情報が入っていこうとしなかった。実はまだ夢の中にいるのではないかという疑問が脳を過った。

 過ったので、やむなくもう一度、ウルは扉を開いて覗き込んだ。

 

「おはようございます。半裸ですね」

 

 天賢王の隣りに天祈がいた。

 

 背中のエシェルが絹を裂くような悲鳴を上げた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ウル」

「なんだリーネ」

「帰りたい」

「俺もだ」

「貴方の家よ此処は」

「泊めてくれ」

「嫌よ」

 

 リーネからの囁くような抗議を、ウルは聞き流した。先程、ウーガの管理調整の為の連絡にやって来たのだが、彼女にはそのまま此処に居て貰った。帰ってしまうと非常に困る。

 ウルの自宅のリビングは現在異様な緊張感に包まれていた。理由は明白である。リビング中央に存在するテーブルに、絶対に此処に居てはいけない存在がいるからだ。

 

「香りが良いな。ウーガ産の茶葉だったか」

「生産都市としての機能は確かに有しているようです」

 

 このイスラリアにおいて最も神に近しい者の象徴である法衣を身に纏った黄金の男、【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス。そしてこの世界で最も精霊達に愛された白のヒト、天賢王の嫡子、【天祈】スーア・シンラ・プロミネンスが二人ならんでそこに居るのだ。

 

 この世で最も偉大なる王とその御子が、この狭く、生活感が溢れるリビングに結集しているのだ。コレが悪夢で無くてなんだろうか。ウルは先々日にひらかれた骨と白の蟒蛇と元焦牢住民の狂乱的な飲み会の時にまき散らされた汚れが残っていないだろうかと戦々恐々になっていた。

 

「あともう一つ」

「なんだよ」

「エシェルどうしたの」

 

 ウルがチラリと自分の横を見ると、エシェルは真っ直ぐな姿勢で椅子に座りながらも、目は死んでいた。明らかに焦点が合っていない。格好だけは何故か竜呑女王に相応しい神官の制服を纏っているものの、ヤバい空気を放っている。

 

「イスラリア史上類を見ない恥を晒したので触れてやるな」

「怖……絶対に触れないわ」

 

 恥についてはウルもどっこいだが、ウルは自身の感受性を切り離した。いちいちこの状況に驚いたり悲しんだりしていたら心を病む。そしてこの状況をただただ黙ってみているわけにもいかなかった。

 ウルは腹をくくり、可能な限りゆっくりと、王へと視線を向けて尋ねた。

 

「あの、王よ。何故このような場所に」

「待て」

 

 だが、問いかけは即座に止められた。王は此方を見る。怒っている様子もない。平静な態度そのものだが、何気ない仕草の一つ一つに圧があり、ウルは背中に汗をかいた。

 

「は……」 

「要となる者らがまだ来ていない。しばし待て」

「……承知致しました」

 

 こんな場所であっても威厳の溢れる王の言葉に、ウルは平伏する以外無かった。この家のホストは一応自分であるはずだが、それを言い出せばこの世界のホストがアルノルド王である。なんの文句も言えるはずも無い。

 ひたすら沈黙を続ける中、玄関の鈴が鳴り来訪者を告げる。

 

『カカ、ウルよ。エンヴィーから面白い酒が届いたぞ……なんじゃ地獄かここ?』

「座るといい」

 

 まずロックがやって来て、そのまま着席し

 

「やあウル、瞑想による対話上手くいった……何故此処におられるのです。王」

《じごくかー?》

「座ると良い」

 

 ディズとアカネがやって来て、そのまま着席した。そして最後に

 

「ウル様ー。手紙を送った皆様からの返事が……まあ。大変ですね」

「座ると良い」

 

 シズクがやって来て、彼女も座った。

 ウル達【歩ム者】と、【七天】の内の三人、そしてアカネ。全員を収めてもまだ少しの余裕のあるリビングの収容限界に、ウルは現実逃避気味に感心した。

 

「……これで、全員ですか?」

「あと一人だ」

 

 言っていると、何度目かになる来訪者を告げるベルが鳴った。玄関から現れたのは、見覚えのある真っ黒な男だった。

 

「ちーっすウル、遊びに来ました-。アルのバカもう来てるかー?」

「来ている」

「遅いですよ。魔王」

「わりーわりー。朝起きたら昼近くだったんだよ。ふしぎなことがあるものだな!」

 

「とりあえず全部お前が悪いって事はよく分かった」

 

 ブラックを前に、ウルはこの地獄の元凶について察した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼

 

 

「集まったか。それでは話そう」

 

 天賢王アルノルドは静かに告げる。大人数となり、手狭となったリビングに置ける彼の言葉はやけに脳に響いて、心臓が圧迫されるような気がした。無論、文句など言いようが無かったのだが。

 

「おーいアル。お前の声、狭い場所だとキンキン魂ゆらしてうぜえからボリューム落とせよ」

「そうしよう」

 

 そのケチを、ブラックは容赦なく告げるのでウルは他人事ながら生きた心地がしなかった。せめてそんなやりとりは自分の家以外でしてくれ。

 

「改めてお尋ねいたしますが、王よ。何故此方に」

 

 その疑問を察してか、彼に近しい立場である勇者ディズが尋ねる。この場に居る半分以上は思っている疑問である、尋ねてくれるのは大変ありがたかった。

 

「王としての責務も残っているはずですが」

「安心なさい。勇者」

 

 するとスーアが顔を上げる。眼を隠しても尚麗しい天上の御子は、ゆっくりと頷いた。

 

「お忍びです」

「お忍び……」

「もう少ししたら帰ります」

 

 友達の家かここは?というツッコミが口の中から零れでるのをウルは必死に堪えた。ディズも同じだったのだろう。顔を手で覆い考え込むように沈黙した。

 

「此処に来た理由は、私から依頼があるからだ」

「……それは、【歩ム者】に、ということですか?」

「そうなる」

 

 天賢王はブラックの指摘に対して律儀に応対しているのか、先程と比べてややボリュームを落とした声でウルの問いに応じる。依頼(クエスト)、それ自体は別におかしな話ではない。冒険者として名を馳せれば、冒険者ギルドを介さず、直接依頼を持ち込まれることもあるというのは説明を受けていた。

 が、まさか天賢王からの直接の依頼を受けることになるのは予想できるはずもなかった。

 

「王よ。それはまさか」

 

 しかも、それをきいたディズが深く眉をひそめた辺り、普通の依頼ではないのも間違いなかった。

 アルノルドは黄金の瞳を細めて告げる。

 

「【大罪の超克】。イスラリアから迷宮と魔を一掃する作戦に協力してもらいたい」

 

 大罪の超克。その言葉を聞いた瞬間ウルの変異した右手に鈍い痛みが走った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 600年前の迷宮大乱立

 

 地の底から出現した迷宮、開かれた魔の大口から解き放たれた異形達。後に【魔物】とよばれる存在の出現により世界は破滅と混沌の中に揺れた。ヒトは無数の魔物達に襲われ、住まう土地を追われ、全滅の窮地にあった。

 それを救い、限られた土地にヒトの住まえる都市を生みだしたのが神殿である。これはイスラリア大陸が今の世界の形として収まるまでの過程として多く語られている。

 

 だが、では、それ以前の世界の形はどうだったのだろうか。

 

 混沌と絶望のただ中で、それらの記録の多くは損なわれてしまった。魔物達の襲撃によって、存在していた都市の大部分は破壊され、焼き払われ、魔物達の胃袋に飲み込まれてしまったのだ。語り継ぐ者もすくなかった。

 当時の栄光の時代、一切の魔物に狙われることもない、安寧の時代を語ると、否応なく今の時代と比べてしまう。太陽神の庇護が無ければ、一歩も外に出ることが適わない。そんな閉じた世界で、かつての栄光を語るのは難しかった。これからさき、この時代を生きなければならない子供達に対して残酷な仕打ちだった。

 

 だから“かつて”の記録は僅かだ。しかし、確かにその時代は存在していた。

 

 迷宮も無く、魔物もいない。目に映る全ての土地はヒトの支配する場所であり、その全てを活用することが出来た世界。精霊達の力は遍く大地の全てを満たし、その加護によって誰一人飢えることも無ければ、病むことも無い。充足と共に命を全うできる輝かしい世界。

 

 【理想郷時代】と呼ばれるその時は確かにあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……そんな時代を、取り戻すと?」

 

 ウルは問うた。天賢王は静かに頷く。

 理想郷時代。王の口から語られたその言葉は、ウルの胸中に重く突き立った。生まれたときから世界の形は“こう”だったウルは、想像したことすら無いはずの世界の形が、驚くほどに色鮮やかに胸中に顕れたのだ。

 

 それが本当に素晴らしいものだったのだと、確信させる程の力が彼の言葉にはあった。

 

 名無しであるが故に精霊の力の強さに対しては理解が未だ浅い部分があるものの、魔物の脅威については都市の内側で守られる都市民たちよりもよっぽど深く理解できている。その魔物の脅威が無くなるのならどれほど良いだろうかというのは、常に思うことだ。夜眠るときにも安心できずに、震えながら、必死に太陽神が登ってくるのを待つ時間は本当に堪えるのだ。

 

 間違いなく、素晴らしいことの筈だ。それは疑いようはない。だが、疑問もある。

 

「……幾つか、分からないことが御座います。お伺いしてもよろしいでしょうか」

「わかっている。その為に来たのだ」

「ありがとうございます」

 

 ウルは慎重に頭を下げた。他の面子は何も言わない。表情は様々だ。驚愕に目を見開く者も居る。知っていたように平静のまま、ウルの問いを待つ者も居る。ひたすら面白そうに笑う者も居る。

 なんにせよ、ウルの質問をまっているようだったので、ウルはそのまま続けた。

 

「まずそれは、どのようにして成すのでしょうか?大罪の超克とおっしゃっていましたが」

「言葉の通りだ。大罪の象徴、竜を越える」

 

 天賢王アルノルドは隣りに居る自身の子、スーアに視線をやる。スーアは頷くと、テーブルを指先でかるく叩いた。

 途端、テーブルに魔術で描かれた半透明の文字が出現した。ウルはそれらに見覚えがあった。対象の軌跡を示す形、魔名だ。しかもただの魔名ではない。

 

「これは……大罪竜の魔名?」

「そうだ。このうち一つはお前も知っているだろう」

 

 ウルからみて左奥の位置、テーブルをイスラリア大陸としてみるなら北西部の魔名がゆらめいた。無論、知っている。先のプラウディアでの凱旋時、ウルは自身の魔名にそれが宿っているのを見ている。

 

「この地上に存在する七つの大罪迷宮。これらは地上に存在する無数の迷宮達の大本だ。そして大罪迷宮の元凶が大罪竜」

「……だとすれば、大罪竜を全て討てば、迷宮は全て消える?そこから出でる魔物も?」

 

 そう問うが、アルノルド王は首を横に振る。

 

「そう、単純ではない。もしもそれで迷宮が消えるのであれば、例えばラース領の迷宮の全ては消えて無くなり、魔物は出現しなくなるはずだ。だが実際はどうだ」

 

 王はそう言って、ディズを見た。ディズは頷くと、それに応じる。

 

「残念ながら、私が滞在する間も魔物は出現しました。大罪迷宮そのものは地上に溢れることで姿を消しましたが、既に幾つかの廃墟や洞窟が新たなる迷宮化の兆候を示していました」

 

 地下牢跡地で大量に出現した魔物をウルはディズとロックとでやっつけた。

 確かにあそこはラース領だ。ならばあの虫の魔物達はラース領で出現した魔物だ。フライタン達がいた地下鉱だけではなく、地上部のラース領の再開拓にもユーリが派遣した天陽騎士達の守りは必須だった。魔物達は今も地上部で活動する元囚人達を襲おうとしてくる。

 

 ラースから魔物の脅威は消え去っていない。

 

 現在は天賢王の許可を得て、新たに太陽の結界を敷くための準備を最優先で行っている状態である。

 

 迷宮の全ての元凶が大罪竜である筈なのに、迷宮から生まれる魔物が消えていない。

 それは何故か?

 

「単純な話だ」

 

 同時にスーアは再びテーブルを叩いた。再び魔名が揺れ動く。

 

「迷宮の全ての元凶は大罪竜である。だが、大罪竜にも全ての元凶が存在しているのだ」

 

 大罪竜を示す七つの魔名が光を放つ。揺らめきながら形を変え、その端から一本の線を延ばしていく。七つの魔名はそれぞれから、テーブルの中心の一点に集まっていく。その線はいびつに歪み、姿形を変え、そして一つの魔名として姿を現した。

 

「かつては太陽神ゼウラディアと肩を並べるだけの力を持ちながらも、今は偉大なる御神に仇成す者。地の底、奈落の果てに封じられた、全ての竜と魔と迷宮の元凶」

 

 魔名が形を成す。それを見て、ウルは眉をひそめた。胸の奥底に奇妙なさざ波が立つのを感じた。見ているだけで不安がかき立てられるような、目を逸らしたくなるような薄気味の悪い気分になるのだ。

 七つの竜の魔名よりも更に大きく、歪な形をした魔名を指して、王は言う。

 

「【邪神】。これを討たねば、理想郷は訪れない」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼②

 

 

 邪神、その言葉にエシェルは覚えがあった。

 

 それは今自分たちがいる竜吞ウーガを生みだそうとした実の弟、エイスーラが従えていた邪教徒が口にしていた言葉だ。従者として仮神殿に潜り込んでいた男、カラン・ヌウ・フィネル。紛れもない官位持ちの家でありながら、邪教に身を染めた彼は、捕まった後尋問を受けていた。

 エシェルは一度だけその尋問の場に立ち会った事があった。

 エイスーラの野心は理解できる。想像がついた。果てなく、自分の願いや望みを次々と貪食し続ける彼のことだ。その果てに天賢王への反逆に至ったとしても、なんら不思議なことは無かった。

 だが、そのエイスーラが使っていた邪教徒が何故、このようなことをしたのかは理解が出来なかった。それが知りたかったので、尋問を行っていたディズに協力してもらい、彼の話を聞こうとした。

 

 ――ゼウラディアの下僕どもめ!!

 

 結論から言えば、その試みは無駄だった。

 捕まったカランは明らかに正気を失っていた。彼のことは余り詳しくは知らないが、少なくとも仮神殿の内部で、このような発狂を起こしているところを見たことは無かった。ウル達も、従者の皮を被っていた彼は、真っ当な、気安い男に見えたと言っていた。

 

 ――呪われよ!!災いにまみれて死に腐れ!!

 

 しかし、彼女が訪ねてきたときにはこの有様だ。勿論、ディズが乱暴な拷問などをして正気でなくなったわけでもない。自分の本性を上手く隠していたのかなんなのかは分からないが、まともな情報は聞き出せそうになかった。

 直接的に、話を聞こうなんて思わない方が良い。というディズの助言に従い、エシェルはウーガ内部の牢獄を後にした。だが、その去る間際に、彼は言ったのだ。

 

 ――我等が真なる神の力にいずれ平伏すがいい!!

 

 ゼウラディアと違う存在。唯一とされるゼウラディアとは別の神。邪教徒達が信じ敬うもう一柱。邪神と呼ばれる存在を彼らは確かに口にしていた。

 エシェルはそれを聞いたとき、ありもしない妄想と思っていた、が――――

 

「邪教徒達の信じる神は、本当に存在するのですか?」

 

 思わずエシェルは質問した。王の言葉を疑うような質問だと口にしてから気がついて怖くなったが、アルノルド王は気にすることは無かった。「当然の疑問だ」と彼は頷く。

 

「例えば、大罪竜プラウディアは前回の陽喰らいで超克を完了している」

「なっ」

「にもかかわらず、大罪迷宮プラウディアそのものは消えていない。迷宮の根源が竜ではないが故だ」

 

 大罪迷宮プラウディア、天空でバベルの塔を見下ろすおぞましい迷宮。此処にいる全員を地獄に突き落とした【陽喰らい】の元凶。それが消えて無くなったという話は確かに聞かない。もしも本当に消えて無くなれば、大騒ぎだろう。ウーガにもすぐに情報は届くはずだ。

 

「でも、じゃあ。また【陽喰らい】も……起こる?」

「起こるだろう。490年前、今よりも状況が整わず苦しかった【陽喰らい】を終わらせるためにプラウディアの討伐作戦が行われた」

 

 当時は、圧倒的な破壊力を誇る兵器【竜殺し】が無かった。【陽喰らい】の攻略の為の手引書(マニュアル)も無かった。全員が探り探り、死に物狂いでやっていた。今を、遙かに超える地獄だった。山ほど死人が出る、紛れもない地獄だった。

 

 このままでは耐えられない。そう理解し、竜の討伐が行われ、なんとかソレを成功させた、5天が死に絶えて、なおもなんとか竜を落とした。バベルが倒れ、イスラリア中の都市が全て滅亡する寸前で、なんとか人類は生き延びた。

 

 しかし、それから38年の後に、プラウディアの竜は復活した。 

 

「復活……」

 

 その言葉に、一番戸惑いを見せているのは、誰であろうエシェルの隣にいるウルだった。気持ちは分かる。大罪竜ラースと直接対峙したのは彼だ。その時の恐怖を彼は知っている。自分たちよりも遙かに「復活」という事実は重いだろう。

 だが、そんなウルの様子を見て、魔王ブラックはケラケラと笑った。

 

「安心しろ。お前が喰らったラースは早々に無為にはならねえよ。実際、俺がやったスロウスも同じだろう?」

「アンタは確か50年前か。確かに」

「プラウディアは特別なのさ。重要な“侵略兵器”だからな。本体が超絶貧弱なのは、復活しやすくするためのコスト削減だ」

 

 邪神側も必死こいて復活させたって訳さ。と、彼は笑う。その言葉に王も頷いた。

 

「プラウディアの空中迷宮が消えなかった事から、復活は予期されていた。故に、空白期間、徹底的に戦力を強化できたのは幸いだった。なんとか戦線を「不利」から「拮抗」へと持ち込むことが出来た」

「当時に存在していた冒険者ギルド()()()にテコ入れをして、今の形に整えたのも、その間です。当時、神官と天陽騎士達のみで行われていた戦いを、あらゆる分野の超人達を結集する決戦へと切り替えました」

 

 スーアが補足する。

 陽喰らいという、表には出せなかった歴史の裏だ。冒険者ギルドという存在が急激に力をつけた理由が今語られていた。興味深くはあったが、今は置いておこう。

 

「じゃ、じゃあ。大罪竜を討っても、意味なんてないんですか?」

 

 エシェルは問う。彼と、彼の焦牢の仲間達の努力が無駄だったのか?と問うのは痛みが伴ったし、怒りも伴った。そんなむごい話があるか!という子供めいた怒りを王に向けるのはとんでもない事のように思えたが、本心だった。

 そして、そんな幼稚な思考を見抜いているのか、あるいは最初からか。王は此方に対して穏やかに首を横に振った。

 

「いや、違う。むしろ、大罪竜は討たねば()()()()()()

「時代をずらして、散発的に討っても意味は無い。という話です。復活する前に、超克者という鍵を喪う前に、全ての大罪竜を討つ。それが肝要。そうしなければ、門は開かない」

 

 門、というスーアの言葉を理解できずに首をひねっていると、ソレを察してか、再びスーアがまた、テーブルを指で叩く。テーブルの魔名が動く。3次元の立体的な位置取りになる。7つの魔名が宙に浮かび、対して邪神を示す魔名はテーブルのそこに張り付いていた。

 

「邪神への“門”を開き、イスラリアへの干渉を完全に断ち切る。“双方を完全に切り離し互いに干渉できなくする”。それが我々の最終目標だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その場の全員が沈黙した。

 元より彼の説明に理解のあるディズやスーアは兎も角、ウル達からするとあまりにも話のスケールがかけ離れすぎていて、理解が及んでいない。正直、想像もしづらかった。

 

『邪神、のう?それはそもそもどこにおるんじゃ?』

 

 そんな中、真っ先に質問したのは誰であろうロックだった。カタカタと身体を鳴らしながら、不思議そうに頭を掻いている。

 

『なんじゃかんじゃ、ワシらはこのイスラリアをぐるぐるとまわっとる。流石に隅々とまでは言わんが、まあ、要所は回ったじゃろ?しかし邪神なんてどこにもおらんかったぞ?』

 

 確かに、その疑問ももっともだ

 太陽神は宙にいる。今も自分たちを眩く照らし続けてくれている。それは分かる。が、一方で邪神はどこにいるのか、見当もつかない。いずこかの未発見の迷宮の底で眠っているという可能性もないではないが――――

 

「地の底さ」

 

 応じたのはブラックだった

 

「ああ、言っとくけどウチ……穿孔王国じゃねえよ?もっと下だ」

 

 ブラックが足下を指さす。自然とエシェルもそちらへと視線を向けた。無論、そこにあるのはウルの家の床だ。しかしブラックの指さす先はそれよりも更に奥の奥、ずっと果ての果てを示しているようだった。

 

「ヒトの悪感情を廃棄するための廃棄場――――【魔界】だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼③

 

 

「魔界……」

 

 それは、【陽喰らい】と同様、あるいはそれ以上に秘匿化された情報なのだろうという事をリーネは理解した。全く耳になじみのない言葉だった。そしてそれらの情報を一つ一つ、聞き逃しがないよう注意を払った。

 最終的にウルがどのような決断をとるかも不明だったが、この話を聞いた後、何もかも忘れて元の日常に戻るという選択肢は無いという事だけはハッキリとしていた。

 天賢王が直接出向いて、これを説明している時点で、恐らく彼は此方を逃がす気が無い。このイスラリアという世界が彼の庇護下にある以上、ウル達には逃れる術も無いだろう。不可避の災害を前にするように、備え、身がまえる必要があった。

 例え、王が紛れもない善性であっても、あるいは善性であるなら尚、我欲の悪党よりも遙かに鮮烈となりうる。善人は、時に守護すべき者達のために、躊躇しない。リーネが敬意を払っている勇者ディズのように。

 備えなければならなかった。例え敬愛すべき王が相手であっても。

 

「魔界、邪神、ではそこにどのように向かい、そしてどう討つのですか?」

 

 その為にも、情報は可能な限り集めよう。リーネは質問した。アルノルド王は彼女の問いに頷く。

 

「ここまで説明したが、まずは全ての大罪竜を討つ必要がある。器を破壊し、魂という鍵を取り込む。自らが竜の魂の器に代わり、魔界への鍵を得る」

「鍵は何処で使うのですか?魔界への道は?」

「【大罪迷宮】だ」

 

 小さくざわめきが起こったが、リーネはあまり驚かなかった。此処までの話である程度推測できていた。

 

「魔界とイスラリア。二つの世界はつながっている。その結びつきこそが大罪迷宮だ。中小規模の迷宮はその派生でしかない」

「迷宮と魔をなくす。その繋がりを断つと」

「だが、普通に大罪迷宮の最深層に向かっても、魔界には行けない。門は閉じられている」

「その為の鍵が、竜の魂だと」

「そうだ」

 

 未知の情報も多かったが、王の説明はそれほど複雑では無かった。七つの大罪竜を討ち倒し、大罪迷宮という名の通路をたどって、魔界へとたどり着く。そこにいる邪神を討つことで、その繋がりを断つ。

 迷宮攻略及び、最深部の“主”の討伐依頼。

 

 シンプルではある。複雑ではない。冒険者が良く受ける依頼と大差ないだろう。

 

 問題は、その難易度が常軌を逸している事にあるが――――今はそれも良いだろう。可能かどうかといった点は問題ではない。王は今、出来るという前提で話を進めている。その点を今論じても意味が無い。

 

 引き続き手当たり次第、探れるところを探ろう。リーネはそう決めた。

 

「……我々の同意にかかわらず、この計画は既に進行中なのですよね?」

「そうだ」

「進捗を伺っても?」

「スーア」

 

 王の言葉に、スーアが頷いて、リーネへと向き直る。

 

 スーアと面と向かって直接会話するのはリーネは今回が初めてだったが、見た目の印象は“ヒトの形をした美しいナニカだった”。美しさで言えばシズクもひけを取らないが、彼女の女性としての魅力を突き詰めたようなものとは、また次元が異なった。

 

 職人が生み出した瑕疵一つ無い人形のような美しさ。

 

 しかし、今は関係の無いことだ。スーアの説明にリーネは意識を戻した。

 

「先ほど、王も言っていましたが、既に先の陽喰らいでプラウディアの竜は墜ちています。スロウスは50年前に魔王が」

 

 こんこん、と机が叩かれ、机の上の大罪竜の魔名が二つ消える。

 

「ラースはウル達が頑張りました」

「まあうん、頑張った」

 

 ややゆるぅい表現と共に、ラースの魔名も消えた

 

「更に、大罪竜グラドルは、魔王が自国の滅亡と引き換えに滅ぼしました」

「うん、滅んだ」

「何してんじゃあ魔王。っつーかなんでグラドルの竜でスロウスが……」

 

 大分アレな話を聞いた気がしたし、ウルは魔王を睨んだが、今はスルーした。大罪竜グラドルの魔名も机の上から消えた。

 

「そして大罪竜ラスト、こちらの討伐も成功しました。我ら七天と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――」

「――――ん?」

 

 リーネは眉をひそめた。ウルも同様だ。流石にスルー出来なかった。全員の視線が自分に集まったのを理解したのか、ロックは肩をすくめてカタカタ笑った。シズクは口元を手で押さえて、控え目に笑った。

 

「まあ」

「まあじゃない」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『カカカ、ばれてもたのう?』

 

 ロックはカタカタと骨を鳴らす。

 彼女の使い魔であり、常に彼女と行動を共にしているロックは当然、彼女のこれまでの軌跡を知っていた。ウーガの守りをリーネとエシェルに託している間、外交としてイスラリア中を飛び回る最中、秘密裏にもう一つの依頼を受けていた。

 

「彼女の対竜術式の有用性は陽喰らいの儀で証明された。眷属竜相手にでも通用する力を遊ばせておく訳にはいかなかった。」

 

 アルノルド王がシズクを見つめる。シズクは微笑んだ。

 ユーリとの契約を通じて、シズクはスーアや天賢王と協定を結んでいた。ウルの一件で【歩ム者】達を秘密裏に、全面的にバックアップするのと引き換えに、七天達に協力する契約だ。

 主であるシズクは今回の一件、ウルの待遇の一端に、エンヴィーやプラウディアの悪党達以外の意図――――つまり、王と魔王の意図が紛れ込んでいた事にも気がついていたが、その点は目をつむった上での協定だった。

 

 ――――つつくと、()()()()()()ややこしい事になります。触れるのは止めましょう

 

 シズクはそう言っていたので、ロックも追求せずに同意した。ロックとて、政治にはそこまで興味があるわけではないが、彼女が言わんとしていることは理解できていた。

 ウルがいなかったあの時の状況で、【歩ム者】が王達と敵対して得るものは何一つとしてなかった。そもそも、全てが王たちの陰謀によって進んだわけではない。あらゆる意図が絡み合い、混じり合った結果、ウルの投獄という結果に導かれたのだ。その状況で「誰それの所為だ」という責任追及を始めると、確実に何一つ話が進まなくなる。

 王たちにとってもそこは同意見だったのだろう。ウルを貶めた邪悪の所業を全て誘導したわけでも無いだろうし、その悪党達を排除しなければならないと考えているのも本心だった。ウルを救い出したいというのも。故に協定を結んだ。

 前に話を進めるために、蓋をして、土をかぶせた。

 

 ――――ウル様には、全てが済んだ後、私の罪を告白して、裁いてもらいます

 

 シズクはそう言っていたので、ロックから言うことは何も無かった。もっとも、あの友であれば――――と、思考がそれたので、こんこんと頭蓋を叩く。意識を目の前に戻した。

 

『ま、そんなわけで、ワシも主と一緒に竜討伐に行ったのう。まー言うて、ほぼほぼ七天達の影に隠れての支援作業に徹しておったがの?』

「な、何かとんでもないことをしてるのは知ってたけど、た、大罪竜討伐……!」

『カカカ!すまんすまん!!』

 

 エシェルの驚愕と嘆きに、ロックはカタカタと笑う。

 実際、こればかりは身内の彼女らにすらも、話すのは許されなかった。王たちの方も、この一件で完全に話が通じているのは七天達と、極めて一部の神官のみであるという。秘密主義も甚だしいが、まあ、こればかりは本当に仕方が無い。

 

『なにせまさに、世界をひっくり返すような話であったからの?』

 

 軽々と口にして、どこからか漏れれば、それだけで確実に混沌をまき散らすのはロックでも分かった。世界を救うなんてのは、世界を滅ぼすのと影響度で言えば大差ない。情報の徹底した管理は必須だった。シズクはおろか、一応使い魔扱いのロックにすらも、厳重に【血の契約書】とやらを書かされたくらいだ。かなり慎重だった。

 

『いっちゃったなー』

「まあ、隠し続けられる話じゃ無いからね。此処にいる皆には」

 

 同じく、情報を秘匿する側だったディズとアカネも肩をすくめた。

 

「まあ、二人とも知ってたか。いや、そりゃそうか」

「ごめんね?良い気分じゃあ無かったけど、こればかりはおいそれと口にできなかった」

《ごめんなー?》

「別に、責めたいわけじゃ無いし、構わないが――」

 

 と、ウルは視線をシズクへと向ける。

 

「良く無事だった……訳じゃねえか。()()()()()()

「アレです」

 

 ウルは言葉を濁し、シズクもそれにならった。僅かにシズクが胸元をかばうように動いたので、ウルも“あの痕”を知ったのだと理解し、ロックもそれには何も言わなかった。リーネは兎も角、エシェルはめちゃくちゃ心配してしまうだろう。

 

「……まあ、死んでないだけ、良かったよ、マジで」

「ロック様も言ったとおり、私たちは背後で支援に回っていました。危険だったのは七天の皆様です」

「と言っているが?アカネ、ディズ」

「あら、信頼ありませんね?」

『ま、仕方ないの?主よ』

 

 ウルは視線をアカネとディズへ向けた。ロックはカタカタと笑った。「適当言ってんじゃねえだろうなこの女」と、そういう確認だ。事、自身の安否についての信頼はシズクは全く無い。自業自得であるが。

 そして、その質問にディズは頷いた。

 

「少なくとも彼女“は”間違いなく無事だったよ」

「は」

『無茶した男がおったからのう』

 

 ディズは苦々しげだ。いつも超然とした表情をしている王もまた、その支配者としての態度を僅かに崩して、額にしわを寄せていた。

 

「この戦いで、【天拳】は大きな傷を負った。命は助かったが、最前線への復帰は難しいだろう」

 

 七天の中でも最も安定度が高く、強靱な力を持つ男の損失を王は語った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼④

 

 【真なるバベル・転移の間】

 

 天祈のスーアは各地の大罪迷宮の異常を感知した際には、戦士達を転移させる。が、長距離の転移の術は、例えあらゆる精霊の力を扱える【天祈】であっても制約が多い。その為の補助を行うのがこの部屋だ。

 多くの魔導機や術式で転移を安定化させる。また、向かった先から戻るための“目印”でもある。緊急時、迷宮の深層から帰還するための重要な拠点だ。

 

 その場所は今、騒然となっていた。

 大罪迷宮ラストに向かった戦士達、【色欲の超克】に向かった戦士達が戻ってくるからだ。本件について情報共有を許された術者達は騒然となった。部屋の中心には【天祈】のスーアが待機し、更に部屋の奥では誰だろう【天賢王】までも備えていた。

 

「転移術来ます!!」

「わかりました」

 

 術者が叫ぶ。同時に、天祈のスーアが頷き、全身を輝かせる。部屋の中央の魔法陣が輝き、そして光の中から、戦いへと向かった戦士達がその姿を見せた。

 

 姿を現した戦士達は、一言で言えば、死屍累々だった。

 

「――――うむ、戻っだ!!」

 

 そう、いつものように明るく声をあげたのはグロンゾンだ。

 彼は右手に血まみれになったディズやシズクを抱え、背中にはユーリを背負っていた。3人とも意識があるようには思えない。更に彼の足下には、彼の部下である戦士達が倒れ伏している。

 

 誰一人として無事では無い。そしてそれはグロンゾンも同様だった。

 

「っひ」

「い、癒療班急げぇ!!!」

 

 グロンゾンの左腕は、無くなっていた。

 切断部からは血が噴き出している。それ以外の場所も傷だらけの血まみれだ。今も立っていられるのは、彼の身体を支えるように纏わり付いている死霊兵の支えあっての事だろう。

 誰がどう見ても、今すぐにでも死にかねないほどの重傷だ。待機していた治癒術士たちは慌てて動き出した。スーアもまた、彼の治療に動く。

 

「王よ……!」

 

 そんな中、グロンゾンは前へ一歩動いた。「動かないでくれ!!」と、治癒術者達は悲鳴を上げるが、彼は止まらない。周囲を自分の血で汚すこともいとわず、待機していた王の前に立つ。

 

「【色欲】の超克、我らで成しました。しかし」

 

 朦朧とした意識のまま、彼は真っ青な顔で笑みを浮かべた。

 

「少し、休ませて、頂く――――」

 

 そのまま、ぐらりと倒れ込む寸前、立ち上がった王によって支えられた。彼の血で服が汚れることもいとわず、王はグロンゾンを労るようにして、頷いた。

 

「見事だグロンゾン。誇らしく思う」

「――――」

 

 グロンゾンがその言葉を聞き届けたのかは分からなかった。ただ彼は、満足げな表情のまま、気を失っていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「代役は探すが、彼に並ぶ者はいない。厳しい状況だ」

「ま、しょーがねえわな。火蓋を切った時点で、互いのリソースが尽きる前に相手を殺しきれるかの戦いだ。此処に至って一人しか欠けてないのはラッキーだろよ」

「そうだな、と頷ける立場に私はいない」

 

 王は淡々と振り返りながらも、やはり僅かに憂鬱そうではあった。

 ウルにはグロンゾンの実力や、七天における立場というのを理解し切れてはいなかった。ディズからは「頼りになる男」であると聞いていたくらいだ。しかし王のその態度を見る限り、やはり中心的な人物であったらしい。

 そんな男が戦力的に欠けたというのは確かに痛い。が、今は考えても仕方が無い。ウルは思考を切り替えた。

 

「色欲は、ひとまず討つことが出来たと」

 

 ウルが確認すると、スーアは頷き、再び机を叩く。また一つ、魔名が消えた。残る魔名は二つ。嫉妬と強欲だ。

 

「嫉妬は現在、グレーレが対処に当たっている。彼が中央工房を利用して生み出してきた数百年分の兵器の全てを消費して対処に当たっている」

「中央工房……」

 

 再び、なじみのある言葉を聞いた。それも、あまり良い印象の無い名前だ。なにせウーガの住民にとって、中央工房はつい最近まで敵だったギルドの名前だ。

 

「あの場所は奴の知的好奇心によって生まれ、発展したが、大罪迷宮攻略は元々の目的の一つでもある」

「迷宮攻略、ですか?魔導機の研究製造ギルドが?」

「神殿に成り代わる。と言う目的を掲げる以上、迷宮を制圧できるという実績作りは避けては通れない。その野心を利用させてもらった形だ」

 

 本当に、イスラリア中に存在するあらゆる要素を総動員しているのだとウルは理解した。使えるものは手当たり次第だ。あるいはそれくらいなりふり構わなければ話にならないと言うことなのだろうか。

 

「グレーレはやれると言った。ならばやるだろう。奴は仕事でいい加減な事は言わない」

「まだわかりませんが、上手くいった場合、残りは……」

「【強欲】だ。その攻略と、魔界侵攻の協力依頼、と言うことになる」

 

 大罪都市グリード、大罪迷宮グリード。

 ウルとシズクにとって思い出深いスタート時点。それがゴールでもあると王は言った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「確認しますが、魔界とこの世界の繋がりを断った後、我々は帰還できるのですか?」

「必ず戻れるよう、とりはかろう。不安であれば、同行は門を開くまでで良い」

「万事上手くいった場合、イスラリアへの影響は?マイナス方面で」

「いくつか考えられるが、冒険者業の喪失、都市部住民の優位性の喪失、精霊への信仰量の減少。更にそこから無数の問題が派生するだろう」

 

 その後も、主にリーネを中心に今回の依頼の詳細が詰められていった。

 ウルはウルで、王の回答をなんとか頭の中にたたき込んでいた。恐らく全てを正確に理解は出来ていないだろう。恐らくリーネから改めてどういう事なのか確認しなければならないだろうが、兎に角今は情報を集めなければならなかった。

 

『報酬はどうするんじゃい?』

 

 そんな中、不意にロックが手を上げた。

 

『我が主がお主らに協力したのは、ウルの救出と、主自身の目標故じゃ。【歩ム者】に改めて依頼するなら、報酬は新たに必要になるのがスジじゃあないかの?』

「道理だな」

 

 大分ぶっきらぼうな言い方だったが、王は頷いた。そして、

 

()()()()()()()()()

『おう、むーっちゃ王様っぽいこといいだしたのお……カカ!?』

 

 机の真ん中で突き立っていたフォークをロックに投げつけながら、ウルはアルノルド王に向き直った。

 

「望むもの、とは?」

「例えば、グラドルと交渉、対価を渡し竜吞ウーガの完全な独立を命じることも出来る」

 

 エシェルに視線を向ける。エシェルは目を見開いて驚いた。

 

「あるいは、白王陣研究の大々的な支援」

 

 リーネも普段の冷静な態度を解いて、驚いたようにディズへと視線を向けた。

 

「邪霊認定された精霊の名誉回復」

 

 シズクの態度は変わらない。既に彼女はその条件を知っている。

 

「そして、精霊憑きの少女の人権獲得も勿論可能だ。」

 

 ウルは眉をひそめ、ディズの方へと、正確には彼女の手元に居るアカネへと目を向けた。アカネは妖精の姿のまま、ウルの視線を受けて少し悩ましそうに首を傾けていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼⑤

 王の口にした内容はまさしく「望むものだった」

 【歩ム者】は黄金級冒険者になるという大目標を掲げているが、それはあくまでも全員の目的を達成する上で必要だからという理由故だ。その目的は各々で異なる。それらの目的を王は提示していた。ディズからそこら辺の事情は聞いていたのだろう。

 

 その依頼報酬は素晴らしいものだと言えるだろう。

 だが――――

 

『ほむ?足りるカの?』

 

 ロックが首をかしげる。王の提示した報酬に文句をつけるその言動にウルは顔を引きつらせた。

 

「ロック」

『まあ、聞かぬか』

 

 だが、ロックは譲らなかった。いつもの巫山戯た様子は無い。それならば、とウルは引き下がった。

 ロックはアルノルド王へと一歩も引き下がらず、カタカタカタと口を開く。

 

『だってのう?ワシらちょー順調じゃろ?』

 

 しゃべり始めたロックの口調は巫山戯ていたが、しかし王へと語りかける彼の声音は真剣そのものだった。

 

『金、名誉、人材、力、武器、全てが集まっておる。のう?主と、ウル達の努力じゃ』

 

 それは事実ではある。

 ウルの帰還から、今日までの間、恐ろしい勢いでウーガとそれを取り巻く状況は成長を続けた。主立った敵対組織は消し飛んだ。残党として残っていた複数の闇ギルドも、シズクの手によって一掃された。「阻む者は誰もいない」という状況下で、爆発的な躍進を続けている。

 ウルの黄金級だって、最早秒読みだ。シズクのこの世界への貢献度も、順調に重ねている。白王陣の力の証明も、十二分に広まっている。表向きだけではなく、闇ギルドの界隈ですらも、彼女の力はお墨付きだ。

 そしてウーガの管理、コレに関しても、現在グラドルの管理下からウーガは外れつつあった。ウル達の影響力が高まった結果、グラドルとの関係が単純な主従関係とは言い難くなったためだ。あえてグラドルと対立して、決別するような手段をとるまでもなく、双方の同意の上で、管理権限を委譲する流れは起こりうると、シズクは言っていた。

 そして、アカネの人権。なるほど、彼女がヒトとして認められれば、モノのように売り出される心配はもう無くなるかも知れない。もしかしたら、神殿に祝福されて、誰か好いたヒトと結婚することも認められるかも知れない――――が、それを本人が望んでいるかは分からない。少なくとも今の彼女の認識は、

 

《じんけんもらったら、わたしもジュースかってええん?》

 

 この程度だ。勿論、段々と理解して、やはりヒトとして認められたいと彼女は願うかも知れないが、それならそのとき、それをまた目指せば良い。

 そう、必要であれば、その目的のために動くだけの力も、財産も、権力も、全てウル達は得ているのだ。王に、今更与えられるまでも無く。

 

『今、王様が提示した報酬、どうしても必要カの?』

 

 その事実を、ロックは真正面から突いた。

 

「ま、そうだわな」

 

 そしてそのロックの疑問に、ブラックが同意した。ケラケラと嘲るように、王を見つめる。

 

「時間はかかろうが、多分こいつらは自力で全部手に入れられるぜ?超絶有能な参謀がいるしなあ」

 

 おそらくはシズクのことなのだろうが、彼女は反応せず、いつの間にか家の中にいたジェナが用意してくれていた茶を口にしている。

 

「大罪竜討伐なんていう、全滅のリスクを背負ってまで、報酬を望むかね?」

「――――そうだな。やはり必要か。やりたくはなかったが――――」

 

 そして、王は魔王の指摘に、少し、憂鬱そうに頷いた。

 

「今からお前達を脅迫する」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「きょうは……!?」

 

 王の淡々とした態度からはかけ離れたあまりに物騒な言葉に場はざわめいた。アルノルド王側であるディズすらも、僅かに顔をしかめている。

 

「脅迫する」

 

 そんな中、アルノルド王は本当に冷静だった。というか、冷静が過ぎた。脅迫を宣言しているにもかかわらず淡泊すぎた。

 

『脅迫って宣言してからやるもんじゃないとおもうじゃがの?』

「器用さの欠片も無い男だからなあ」

 

 そんなアルノルド王の態度に、魔王ブラックはケラケラと笑い、立ち上がる。注がれたカップの茶を一息で飲み干す。明らかに席を立つ動作だった。

 

「おい、魔王」

 

 いきなり押しかけて雑に茶々入れるだけ入れて何処へ行くんだ。と、言いたかった。(残られても、それはそれで困るのだが)しかし、魔王は肩をすくめて笑い、そのまま何故か天祈のスーアの襟首を掴んで引っ張り上げた。

 

「俺にも“情け”ってもんがあるんだ。ま、付き合ってやれや」

「なにをするのです。魔王」

「それ以上の無礼をされると貴方の手を切り落とさざるを得ないんだけど?」

《むーにー》

 

 いつの間にか、ディズはアカネを剣にして、腰を僅かにあげている。ヒトの家のリビングで魔王と勇者の戦闘発生とか地獄でしか無いので本気で止めて欲しかった。しかし魔王に険は無い。「ちょっと外に出回るだけだよ」と笑った。

 

「心配なら勇者も付き合えよ。ジジイはガキに菓子を奢ってやりたくなるお年頃なんだよ」

「いやです」

「ウーガで出店やってるんだと。氷菓子売ってるらしいぞ」

「いやです」

 

 スーアは吊り下げられながらふくれ面だった。機嫌を損ねた子供を餌で釣ろうとする保護者の構図に見えなくもないが、実態はあまりに物騒だった。

 我が子が釣り上げられている状況に対して、アルノルド王はまっすぐにスーアを見つめ、小さく頷いた。

 

「行ってきなさい」

「……仕方がありません」

 

 それでスーアは折れた。むっすりと不満げであったが、魔王は気にすること無くそのままスーアを掴んで席を立つ。

 

「んじゃ、遊んでくるわ。妹もなんか食べるかい?」

《じゅーす!》

「勇者、頼む」

「……王の命令とあらば。ジェナ、後で報告お願いね」

「お任せを」

 

 こうして、魔王に天祈、勇者に妹が退席した。ジェナはいるが、実質【歩ム者】とアルノルド王のタイマン状態になってしまった事実に、ウルは冷や汗を掻いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「さて、では()()から話そう」

 

 いくつかのカップが片付けられたテーブルで、改めてアルノルド王は頷いた。脅迫する、と、宣言していたが、やはり彼の態度は淡々としていて、とてもこれから悪行をしようというようには見えなかった。

 

「前提、ですか?」

「何故【理想郷計画】を立ち上げたのか、分かるか」

 

 何故、と、改めて問われると、答えづらかった。

 

「……世界に平穏を取り戻すため?」

 

 魔と迷宮をこの世界から一掃する。

 この目標には明確な大義がある。

 確かに、この世界には、迷宮の攻略や、魔物達を殺す事によって糧を得ている者達はいる。それこそウル達もそういう風に稼いできた。魔物殺しこそが生きがいだ、なんて事を抜かす者だっている。

 だが、それでも、そんな者達であったとしても、王の目標を否定することは出来ないだろう。それほどまでに、魔物達、竜、迷宮がこの世界にもたらしてきた被害は甚大だ。

 

 かつての世界では、太陽の結界は存在しなかった。見渡す限りの大地がヒトの物だった。

 

 そして今、その影は跡形も無い。それが意味するところは、それだけの範囲が、“そこに住んでいた人類の悉くが、魔によって滅ぼされた”ことを意味している。

 迷宮大乱立時代以前の世界のことをウルは知らないが、その迷宮大乱立時代の始まりの時代は知っている。神殿で開かれる子供向けの学習教室などで、必ず歴史として学ばされる。当時がどれほど悲惨だったか。どれほど犠牲を伴って、滅亡の直前で踏みとどまったかを。

 

 それを知っているから、迷宮があった方が良い、だなんてことはとてもではないが思えない。魔物の被害、竜の被害、呪い、それらが無くなるのなら、それに越したことは無いのだ。

 そして、だからこそ、王が改まって「何故」と問うのか、ピンと来なかった。

 

「確かに大義がある。だが、それ以上に逼迫した理由が存在する」

「逼迫……?」

 

 天賢王の言葉が理解できずにいるウル達の前で、不意に王は自分の着ている王衣に指をかけた。そのあわせを外し、自身の身体をウル達の前に晒していく。

 そして、ウルは深く顔をしかめた。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 偉大なる天賢王の身体には、深く、悍ましい傷の跡が無数に存在していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の依頼⑥

 

 晒された王の身体を見た全員、息を吞んだ。

 ウルも咄嗟に声が出なかった。自分の身体も、決して綺麗なものではなく、今日までの戦いで、治癒術でも消えないような痕跡が多く残っている。だが、これほどではない。

 焼き爛れ、抉れ、砕けた痕。彼が晒した身体で無事な部分は全くなかった。若々しく、綺麗に見えるのは顔だけだ。それが余計に彼の身体の異様さを浮き彫りにしていた。

 

「そ、それは……陽喰らい、の?」

 

 エシェルは恐る恐る訪ねる。アルノルド王の身体の傷が伝わっているかのような、痛みに堪えるような表情だった。その彼女を気遣ったのか、アルノルド王は自分の身体をすぐに隠した。

 

「一部はそうだ。しかし主には違う」

「主には……?」

 

 その言い回しを疑問に思っていると、リーネがぎょっと立ち上がり、王を見つめた。

 

「――――まさか、【太陽の結界】のフィードバックを受けてるのですか?!」

「【太陽の結界】って……」

 

 言うまでも無く、あらゆる都市を守る強靱な結界だ。今現在も人類を守護している強大な力。あらゆる魔の侵攻を抑え込む、太陽の最大の加護だ。

 

「精霊の加護だって、行使するなら起点となる神官に負荷がかかる。だけどあれほどの規模の結界、個人で担えるものじゃないって皆思ってた。だから奇跡って言葉で雑に片付けるヒトが多かったんだけど――――」

「すまん。簡潔に」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 極めて簡潔に告げられた事実に、ウルは王を見た。イスラリアに存在する人類生存圏に存在する全ての太陽の結界。それらの維持負担を支払っている?

 ウルは魔術に詳しくは無い。だが、それが並大抵の負担ではないのは明らかだ。自分よりも遙かに魔術に詳しいリーネが、恐ろしく、痛ましいものを見る顔で、王を見つめている事からそれがわかる。

 

「心配するな。確かに神の加護を行使するのはヒトの意思、王が担わねばならない。だがその維持負担はバベルの塔が殆どを担っている。故に」

 

 アルノルド王は頷いた。

 

「少しずつだ」

「す、こし……」

 

 リーネは顔を手で覆い、首を横に振った。そのまま二の句が継げられず、椅子に座り込んだ。それを気遣ってなのか、王は特に気にするそぶりも見せずに言葉を続けた。

 

「これは代々受け継いできた王の責務であり、当然の痛みでもある。しかし」

「……限界が、来たと?」

 

 アルノルド王は頷いた。

 

「魔物達の脅威が増している。竜とは関係ない、通常の魔物ですらも、悪辣さが加速している。結界にかかる負担も、加速している」

「人類側の技術も、力も発展してきているはずです」

「そうだな。だが、それでなんとか維持できたのは拮抗までだ。この先、魔物達の脅威が収まる保証も、我々が強くなり続けられる保証も無い」

 

 ダヴィネの【竜殺し】を筆頭に、確かに人類は強力な力を開発し、強化し続けている。しかしそれでようやく拮抗を維持している。王の懸念は分かる。人類が全力で、血反吐を吐きながら全力疾走をして、ようやくなんとか戦線を維持している。

 いつ崩れても、おかしくない。

 

「今代はまだ堪えきれるだろう。しかし、次にはもう――――」

 

 この場にいないスーアの姿が否応なく頭をよぎった、その小さな身体に、今の王の身体に刻まれている惨たらしい傷が背負わされることを想像するだけで、どうしようもなく胸くそが悪くなった。

 

「――――この痛みを、私の代で終わらせなければならない」

「その為に、大罪竜討伐に動いたと」

「そうだ。均衡は崩れた。賽は投げられた。現在の人類のリソース全てを賭けて、竜の全てを討つ殲滅戦だ。魔王ブラックも協力体制にいる。この戦いの後、元の拮抗状態には戻れない」

 

 そう、既に王の言うとおり、賽は投げられている。

 ウルのラース攻略は兎も角、それ以外の七大罪の竜の討伐は既に進行している。あらゆるリソースを使い、時に国をまるごと生け贄に捧げ、時に七天の一人を脱落させても尚、進められている。

 均衡は崩れている。人類が勝つか、魔が勝つかの火蓋は切られている。

 

「つまり、脅迫とは」

「お前達が手伝わないなら、人類が滅ぶ可能性が跳ね上がる」

『なるほどの?紛れもない、脅迫だのうコレは』

 

 ロックの言葉は正しい。

 ウル達は自覚させられた。この世界が瀬戸際であること。そして知ってしまった以上、最早逃げる事は出来ない。その重みが両肩にのしかかるのを感じて、ウルは顔をしかめた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 淡々と、王の説明、もとい脅迫は続いた。

 

「特に、ラースの超克者である灰の英雄は唯一の“ラースの鍵”となる。是が非でも協力してもらわねばならない。拒否された場合、強引な手段をとることになる」

 

 王の視線は、ハッキリとウルを見つめた。

 ラースの超克者。凱旋式の時に確かにそれは告げられた。だが、そこまで重々しい意味があるとは思いもしなかった。

 

「強引、具体的には?」

「拘束し、連れて行く」

『ガッツリ脅迫きたの?』

 

 直球だった。それを当人に直接言うのはどうなんだろうかと思わないでもない。が、

 

「すまないが、必死だ」

 

 本当に必死なのだろう。

 王の言動、歯に衣をまるで着せない直接的な物言いといい、彼はこの手の交渉ごとに慣れていない。にもかかわらずその不慣れなやり方をしている。信仰の揺らぎの問題もあって、情報を伏せなければならず、必然的に王自身が交渉しなければならないという問題もあるのだろうが、それでも当人が言うように必死なのだ。

 なんというか、ここまでやりづらい交渉は初めてだった。シズクも、今回の交渉についてはずっと沈黙を貫いてる。で、あれば、ウルが話を進めるしか無い。

 

「……しかし、無理矢理連れて行くのは、望ましくは無いはずですよね」

「そうだな」

 

 何せ、今までの話を整理するなら、大罪迷宮の最深層までたどり着かなければならないという話になる。にもかかわらず、その地獄の底に、望んでもいない者を連れて行くのは誰がどう考えてもデメリットだ。しかもその対象は黄金級の冒険者(仮)である。

 そんな相手を見張りながら、無理矢理連れて行く。どう考えても破綻が見えている。少なくともウルが王の立場であれば、そんなやり方絶対に取らない。迷宮探索においてこれほどまでに厄介なお荷物はないだろう。

 

「故に、それは最終手段だ。しかし、此方の用意できる報酬では、納得させることができないというのなら――――」

「なら?」

「懇願しかない」

 

 王は立ち上がった。そのまま全員の前に立つ。

 

「今を生きる者達と、この先生まれる者達の為に、命を賭けてくれ」

 

 そしてそのままゆっくりと、頭を下げ――――

 

「どうか、頼――――」

「やめてくれ!!!」

 

 ウルはたまらず叫んだ。叫ばずにはいられなかった。ウルは苦々しい表情で、怒りすら滲ませていた。

 

「……、あんた、最悪だ。アルノルド王……」

「そうだな、分かっている。自覚している」

 

 王に対しての無礼な言葉遣い、なんて事を考える余裕もなかった。必死に王を止めて、そのあとぐったりと倒れ込むように肩を落とした。

 

「…………貴方に、頭を下げさせる訳には、いかない」

 

 悍ましいほどの傷を背負い、それでも尚、イスラリアに住まう全ての民達の為に命を賭けている王に、頭を下げさせるなんていう真似をさせられなかった。とてもでは無いが、耐えられなかった。()()()()()()()()()()()()()()()

 ウルだけでなく、他全員も同様だった。

 

「……ギルド全体で、一度話をさせてもらっても?」

「分かった」

 

 その言葉を振り絞るのが限界だった。

 




追いついたので明日以降1話投稿になります!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

各々の消化と選択

 

「待たせた、スーア。話は終わった」

「待ちました」

「すまない」

 

 その後、外を連れ出されていたスーアも戻り、緊急依頼(クエスト)の説明は一区切りとなった。スーアは何やら魔王に買い与えられたのか、ウーガで観光客用に販売している菓子やら何やらを手に持っていたが、むっすりとしていて、王の下にすぐに飛んでいった。(文字通り)

 ずいぶんと心配していたらしい。その理由も今のウル達には察することが出来た。

 

「っつーか魔王は?」

「面白そうな賭博所が出来てたから遊びに行くって」

「何しにきたんじゃアイツは」

 

 と、そんなやりとりも経て、王とスーアはひとまず帰還することとなった。

 先ほどまでの、世界の行く末に関わるようなとてつもなく重い会議を考えると至極あっさりで、まだまだ、詰めなければならない部分もあるにはあるのだが、二人の責務を考えると止むなしだった。

 そもそもウル達も、今得られた情報を整理する時間は必須だった。

 

「朝から時間を取らせた。やりとりが必要であれば勇者に伝えてくれ」

「勇者は此方で引き続き待機をお願いします」

「承知しました」

「それと…………いえ、これは次回にお伝えします」

「? わかりました」

 

 最後にそんなやりとりをして、二人は光に包まれ、転移した。

 残されたウル達は、光が消え、二人が去って行くのを最後まで見届けた後に――――

 

「――――つ、かれた……!!」

 

 がくりと、机に倒れ伏した。

 本当に、死ぬほど疲れた。とんでもないモーニングとなってしまった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「それじゃあ色々と話し合いたい――――が、今得た情報を消化しきる前に話し合ってもろくな事にならない。ので、一度解散」

 

 王達が去った後、ウルの宣言で、【歩ム者】一同もひとまず解散となった。実際、彼の宣言はエシェルにとってもありがたかったし、皆もそうだろうが、簡単に受け止められる情報ではなかった。

 相談して、整理したかった。とはいえ、誰にでも今の話を出来るわけではない。スーアから事前に制約をかけられた。情報を共有できるのは身内のみ、話した相手にも影響する強い縛りだ。

 

 故にエシェルが相談できるのは必然的に一人に絞られた。

 

「……また、大変なことになりましたね。エシェル様」

「本当に、そうなんだ……」

 

 エシェルから説明を受けたカルカラは、複雑な表情を浮かべていた。怒りやら心配やら、不安やらなにやらが全てごたまぜになって、酷いしかめ面になってしまった。

 なんというか、そんな表情にさせて申し訳ないと思うと共に、そこまで此方を想ってくれていることが、エシェルは少しだけ嬉しかった。

 

「その……カルカラは、どう思う?」

「私は、貴方の望む事を支持するだけです……ですが」

 

 そう言って、少しだけ躊躇うように沈黙し、そして向かいに座るエシェルの手を強く握った。

 

「心配です。とても」

 

 カルカラはそのまま続ける。

 

「【超克者】、エシェル様もその一人なのですか?」

「そう、らしいんだ。陽喰らいの時のアレで……あくまで“予備の鍵”らしいんだけど」

「予備であるなら、貴方は矢面に立たなくて良いはずです」

「うん」

「貴方はウーガの女王です。その要人が、命を危険に晒すなんてナンセンスだ」

「うん」

 

 淡々と、しかし、次第に早口になりながらカルカラは言葉を重ねた。どうしてそんな風に焦るのか、どうして、説得する風に言うのか、理由は分かる。此方の心情を理解してくれていることに、エシェルは感謝した。

 

「でも」

 

 だから、その心遣いに誠意を持って答えるように、エシェルは彼女の手を握り返した。

 

「私はウーガの女王だけど、同時に、この世界の最高戦力の一人なんだ。多分」

 

 それは、紛れもない事実だ。誰であろうカルカラも、最早認めざるを得ないのか、沈黙した。

 そう、エシェルはウーガはおろか、世界でも類を見ないほどの戦闘能力と特殊能力を有しているという事実を、カルカラは知っている。彼女の訓練に付き合ってきたカルカラには、どうしようもなく理解できてしまっている。幾重にも制約を重ねて、尚も凄まじい。

 

「だから、私が行くのと行かないのとで、戦況は大分違ってしまう。それで、私が行かなくて、負けてしまったら……」

 

 迷宮探索においても、なるほど確かに彼女の力は有効だろう。

 精霊は竜を嫌うと言うが、そもそも彼女は竜の魔眼を取り込んですらいるし、それを自在にも使えている。おそらくはその制限すらないのだろう。どこまでも規格外の戦闘能力を持った彼女であれば、大罪迷宮の深層であっても、大きな力となれるハズだ。矢面に立たないとしても、例えば、食料や消耗品類を大量に鏡の中に収容するだけでも、圧倒的なアドバンテージを攻略一行に与えられる。

 

 ウーガの管理者という以上に、替えがきかない。

 分かる。理屈では分かる。

 だが、それでも、

 

「……あなたに代わる力を持ってるヒトだって、この世界にはいるはずだ」

「でも、そういうヒトは、きっと別の役割も担っている。王が言っていた。これは総力戦だって。余らせる人材はいない」

 

 そしてもし、いたとしても、エシェルたちの抱えた情報を安易に渡すわけにもいかない。

 ウルたちは既に【陽喰らい】や【黒炎砂漠】を経て、この世界の深淵に足を踏み入れていたからこそ、情報を飲み込めた。だが、理解の浅いものが、この情報を飲み込んで冷静でいられるかは怪しい。協力してくれるどころか、暴露してしまう恐れもあるのだから。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 信仰、信頼を力に代えるというプロセスが、情報の伝達、共有をがちがちに縛り付けるのだ。ゆえに大っぴらに、協力者を集めるのも難しい。

 王の苦労の一端を、エシェルは感じ取っていた。

 

「……王は、惨い事をしますね。私たちを無理矢理当事者にしてしまった」

 

 カルカラは苦々しく、そう言った。

 言葉には明確なまでの、王に対する怒りがあった。天賢王でなければ、もっと直接的な罵倒が口から出ていたかもしれない。実際、それくらい彼のしたことは残酷だ。

 

「そうだな。酷いヒトだ。でも……」

 

 彼は勝手に、自分たちの逃げ道を断ってしまった。例え、戦いに赴くことを拒否したとしても、本当の意味で知らぬフリをすることは出来ない。

 でも、それでも――――

 

「感謝も、している」

 

 エシェルはハッキリとそう言った。

 

「私はカルカラが好きだし、ウルが好きだし、皆好きだ。皆のいるこの場所も好きだ」

「エシェル様」

「私の知らないところで、戦いが起こって、此処が壊れてしまったら、耐えられない」

 

 自分の関われないところでどんどん状況が動いて、何一つできないままに事態が悪い方向に転がり続ける。その恐怖をエシェルは知っている。覚えている。ウーガの騒動の時、上も下も右も左も、何も分からないまま藻掻くのは本当に辛く苦しかった。

 

「王の言葉の全てを鵜呑みにしていいかはわからないけど――――だったら尚のこと」

 

 ウルがあの時、手を差し伸べてくれなかったら、比喩でも何でも無く、溺れて死んでいた。だから強く思う。もう二度とゴメンだと。

 

「何が起きるのか、ちゃんと知って、動ける場所にいたい」

 

 カルカラの眼を見てハッキリとそう告げる彼女の中に、かつての誰かに縋り付くことも難しかった少女の姿は無かった。

 

「カルカラ、私が離れている間、此処を守ってくれ」

「――――お任せください。エシェル様」

 

 主の願いを守る。それを誓い、カルカラは恭しく頭を下げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

各々の消化と選択②

 

 ウーガ、食堂にて。

 

 昼食前、ウーガの労働者達が詰めかけるまえの食堂はヒトの出入りも少なく、少し身体を休めるにはちょうど良いスポットだった。その場所の一角にて、

 

「リーネ、大丈夫かい?」

「……ええ、大丈夫、です。少し、ショックだったものですから」

 

 勇者ディズと、リーネは席について身体を休めていた。

 主に疲労していたのはリーネの方だ。普段、自分の研究についてはどこまでも貪欲で、無理矢理休ませなければ眠ることすら忘れかねないほどに活力にあふれていた彼女は、今日ばかりは、くたびれ果てていた。

 

「気持ちはわかるよ」

 

 そう、ディズには彼女の気持ちは分かる。

 王の話を、彼女のように魔術の理解深い者が聞けば、こうもなる。

 

「王は……」

 

 しばらく椅子に身体を預けていた彼女は、大きくため息をつくと、そのまま意を決したようにディズに向き直った。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 その質問を予期していたディズは首を横に降った。

 

「正直に言おう。分からない」

「分からない……」

「陽喰らいの儀、太陽の結界の負荷。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 イスラリア大陸に存在する全ての都市部の【太陽の結界】。人類生存の要。

 だが、結界と言うことは、それの本質が魔術であれ、精霊の加護であれ、あるいは神の加護であったとしても、“行使者”は必ず存在するのは道理だ。当然それは偉大なる天賢王ということになる。そこまでは誰もが想像し、理解できる範疇だ。

 

 だが「それをどうやって維持しているのか?」という問題を突き詰めると、曖昧になる。

 

 魔力は大陸中の【祈り】を蓄えた神殿から使えばいい。維持する為のエネルギーは問題ないだろう。が、しかし、それだけで済む問題ではない。魔術の行使にしろ、加護の行使にしろ、行使者には絶対、負荷がかかる。

 回避するための手段も確かに存在はしている。白王陣などはわかりやすい。陣に可能な限りの術式を組み込むことで、陣そのものに術者の代わりを担ってもらう。勿論、それだってノーリスクでは無い。陣を完成させる為に術者に負荷がかかるし魔力も消費する。陣を描くキャンバスそのものに対しても魔力消耗が起こる。

 

 つまるところ、ノーリスクはあり得ない。絶対に。しわ寄せが行く。

 

 特に、行使者への負荷は、どれだけの“誤魔化し”をしようとしても、無理が出る。リーネが白王陣の使用後にぶっ倒れかけるのもそれだ。今はそれをうまく“いなす”研究を続けているが、それでもしわ寄せを完全に消し去ろうとは思わない。出来ないからだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あれだけの規模、あれだけの数の【太陽の結界】を、維持している。ありえないのだ。

 だから、【太陽の結界】は神の業で、奇跡で、王は偉大だ。そういう“思考停止”が起こる。思考停止しなければ、あり得ない現実に向き合わなければならないからだ。

 

 だが現実は、王もまたこの世界の法則から抜け出ていない。都合の良い奇跡など無い。

 

「バベルで結界の維持や負荷の大部分を軽減しても、それでも行使者は王だ。維持するための消耗や、ダメージを負ったときの衝撃、それらは王に向かう」

 

 通常の結界と同様の現象は、実際に起こっている。この世界に存在する全ての結界の負荷を、王が一人、背負っている。ならばソレは、最早想像を絶するほどの負担となっているはずだ。

 リーネが二の句が継げなくなった理由はコレだ。王が今現在もどれほど傷ついているのか、一流の魔術師として、その一端を理解してしまったが故だ。

 

「なら……どうやって、彼は今も平然として……」

「“根性”かな。本当に、私たちにとっては情けない話ではあるのだけどね」

 

 精神論なんて本当に冗談みたいな話ではあるが、しかし、もう納得のいく説明を用意するならそれくらいしかない。冷静に考えれば、意識を保つのも怪しいような痛みと負荷が全身を襲っているはずで、実際そうなっている。彼の身体にはその傷が刻まれている。

 なのに彼は平然としている。 

 超然とした、偉大なる天賢王。人類の信頼と、信仰を集める象徴としての役割を果たしている。 

 

「無茶苦茶……」

「本当に」

 

 この世界は王の威光によって、瀬戸際で守られている。その事実を改めて思い知らされ、打ちのめされた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「それで、どうする?」

 

 此方を気遣ってくれたのだろうか。少し間を空けてから、勇者ディズはリーネへと質問した。どうする?という言葉の意味は勿論分かる。王の提案を受けるかどうかだ。

 選択肢が無い。ように聞こえていたが、しかしリーネについては他のメンツと比べれば比較的、選択に余裕があった。

 

「君の今の力なら、間違いなく、大罪迷宮攻略の力となる。それは保証する。一方で君は、ウルやエシェルとは違う。超克者では無い。必ず行かなければならないわけではない」

 

 リーネは、ウルやエシェルのような要ではない。

 ディズが保証してくれたように、迷宮探索に向かえば間違いなく力にはなれるだろう。その確信はある。だが、活躍できるからといって、恐らくこの世界で最も危険な修羅場に首を突っ込む覚悟はあるのかと、問うてきている。

 

 ソレは理解した。故に、

 

「行きます」

 

 リーネは即答した。

 

「君の目的、白王陣の力の周知は既に成功している。それでも尚?」

 

 リーネの現在の目的を十分に理解した上で、ディズは更に問うてくる。ありがたいことだった。それでもリーネは首を横に振った。

 

「私の目的は、白の魔女様の御業を、偉大さを伝えること。そして、白の魔女様の偉大さとは、力そのものではなく、その力をもって、多くを救った事」

 

 精霊の信仰が支配するこの世界で、尚も白の魔女がラストで認められている理由は、彼女が数百年経っても尚、色褪せぬほどの偉業を成して、多くを救ったからだ。白の魔女の力の偉大さに、勘違いしてしまう者も多い。彼女の本質はその技術ではない。

 

「王の惨状を知って、保身に逃げれば、私は白王の誇りを未来永劫失うこととなる」

 

 リーネはコレまでの活動で、その業の偉大さを世間に認めさせることは出来た。ソレは間違いない。だが、世界の危機を前に、我が身かわいさに逃げ出すのは許されない。誰であろう自分自身が絶対に許さない。

 

 白王と、先祖の誇りを胸に抱き生きる。既にもう、そう決めているのだ。

 

 リーネのその目を見て、ディズは納得したように頷いた。

 

「君のようなヒトと共に戦えるのは、頼もしいよ」

「私もです。勇者ディズ」

 

 二人は握手を交わした。それは以前までのような一方的な敬意では無く、互い助け合える仲間としての握手だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「おーい、今日の日替わりなんだった?」

「グラブタの揚げものだと」

「お、いいね。皆の分の席確保しておくわ」

 

 そうこうとしている内に、徐々に食堂でヒトが集まり始めていた。がっつりと話を続けて、もうお昼時だった。ディズとリーネは目配せして、来客達に席を譲った。そのまま食事を取ってもよかったが、もう少し話を続けたかったからだ。

 

「そういえば、シズクはもう既に、皆様を手伝っていたのですね」

「陽喰らいで、対竜術式の有効性も示していたからね。眷属竜にも有効な能力を示す彼女の力を、遊ばせておく余裕は無かったってのは大きい」

 

 それが例え、得体の知れないものであろうとも。

 という言葉を、ディズは付け足さないようにした。が、しかし、流石にある程度は察したのだろう。リーネは眉をひそめる。

 

「……彼女に懸念が?」

「いや、大丈夫。ゴメンね?仲間を疑うようなことを態度をとって」

「まあ、彼女は、ええ、身内相手でも油断できないですから」

「ソレは確かに」

 

 小さく笑い合う。だが、ディズの心中のもやはまだ晴れてはいなかった。

 シズクの素性は、ウルがいない間に、何度も改めた。結果としてやはり、昏いところはみつからなかった。冒険者として活動する以前の足跡は驚くほど薄い。しかしユーリと協力し、今日まで献身的に王の計画を後押ししてくれたのは紛れもない事実で、ラース騒動でも指揮を執り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その功績はケチの付け所が無い。だが、彼女のことを考えると、記憶がよぎる。

 

 ――――ディズ様、神に仇なす者、邪教徒を討ちました。

 

 ザインから預かった刀を血に染めて、彼女は立っていた。

 

 ――――悲しいですが、必要な事。

 

 使命のためなら、命を奪うことに躊躇いは無い。最早懐かしく感じる、カナンの砦攻略にて、彼女が宣言したとおりだった。

 

 ――――赦されない者です。生かすわけにはいきません。

 

 白銀の髪と、緋色の血、邪教徒の首、それらを前に、彼女は無感情に立っていた。その姿に、不吉さを感じたのは、自分の色眼鏡か、あるいは経験からの直感か、判断出来なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

各々の消化と選択③

 ウル宅。

 

 朝の騒動を経て、各々相談のために散っていったが、家の主であるウルは当然、そのまま家に残った。外に出て気晴らしに行くのも考えたが、そうする気力もなかなか沸いてこなかった。

 

「……ふう」

「大丈夫ですか?ウル様」

《つっかれてんなー》

 

 ウルと共に残ったシズクに背中を撫でられて、アカネにペシペシと鼻を叩かれる。アカネの攻撃はこそばゆいが、振り払う気にもならなかった。

 

「そーだな。疲れた」

 

 王の話は、想像以上に体力を消耗した。自分でもなんだか分からないくらいに、ウルは疲れ果てていた。

 

『カッカッカ!ため息ばっかついておると、老人みたいじゃぞ』

「喧しいわ骨」

 

 そんな有様をロックは笑う。彼は別に、ウルのようにダメージを負っている様子は無かった。いつも通りかんらかんらと妙に小気味よい音を立てて笑うばかりだ。試しに、と、ウルは顔を上げた。

 

「どう思う。ロック。今回の件」

『特に何もないの』

「まあ、そうだわな。お前は」

 

 全くもって、想像通りの答えだった。

 彼にとって、今の余生は全てが娯楽だ。おぞましき竜達と戦うことも、賭場で遊んで金を失い笑うのも、彼にとっては等しい。全力で挑み、謳歌する。それが彼のポリシーで、全てだ。

 だからブレない。頼もしくもある。が、今は参考にならなかった。そんなウルの心中を察してか、ロックは肩をすくめる。

 

『ま、ワシからお主らに言える事があるとしたら、己を見失うなってこっちゃの』

「ふむ」

『世界がどーこうと言われて、浮き足立ってもろくなことにならんぞ』

 

 王からの依頼は、確かにあまりにスケールが大きい話だった。

 一切の誇張でもなんでもなく、世界の滅びと、その救済の話だ。しかし、それを受け、どうするかを考えるのはウル達個人の問題だ。なるほどそこは見誤るべきではない。

 

「とはいえ、結局選択肢は無さそうだが……」

 

 アルノルド王はウルに対してかなり直接的な脅迫を口にしていた。ラースの超克をウル単身で行ったが為に、ウルは替えの効かない鍵であり、故に必ず来てもらわなければならないと。

 そう考えると、今こうして悩んでいること自体が時間の無駄だ。それは理屈では分かっているつもりだった。それでも、もやもやとした何かは未だにウルの中から消え去らない。

 

 座り心地が悪い。姿勢が定まっていない。そんな気分だった。

 

「交渉の仕方によっては、ウル様の安全は確保できるはずですよ」

 

 そんなウルを気遣ってか、シズクは新しく煎れたお茶をウルに差し出しながら、微笑みを浮かべた。

 

「大罪竜ラスト超克時の私たちのように、後方支援に徹するという手もあるはず」

『確かにあの時はワシら、大分楽させてもらってたものな?“最後以外は”』

「グリードの探索では、動ける全ての七天の皆様が集結される筈です。無理にウル様が出張らずとも良い筈です。同行のみなら、と、アルノルド王に交渉してはいかがでしょう」

 

 シズクの発言はもっともではあった。王の話を聞く限り、彼がウルに望んでいるのは超克者としての鍵の役割のみだ。今のウルの能力ならば、七天の足下に追いすがることも可能かもしれないが、わざわざそれをする必要性は皆無だ。彼女の言うことも一理ある。

 ある、のだが、

 

「…………んん」

「しっくりきませんか?」

「なんだろうな……なんというか」

 

 うまく自分の心中を言語化できずにいると、うなだれるウルの頭にのっていたアカネが、ケラケラと笑った。

 

《あんぜんなとこいたって、どーせ、にーたんとびだすわよ?》

「…………あー」

『流石妹御じゃの?』

 

 その指摘が、びっくりするくらい思い当たって、ウルは唸った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「結局、行かない選択肢は無く、行くなら戦うハメになると」

 

 アカネによってあっさり指摘された事実によって、ますますウルの選択肢は狭まった。というか、最早無いに等しい。そう考えるとますますグダグダと考えるのは時間の無駄なのだが、それでもウルの心中は晴れない。

 

 だが、その理由は少し分かってきた。要は、目的の欠落だ。

 

 これまでは、アカネを救うという己のエゴに沿ってやってきた。焦牢に居るときも、究極的にはそうだ。どれだけその道が困難でも、自分の中でやるべき事が明確だったから、迷うことは無かった。

 

 だが、今は、既にアカネの救済が秒読みとなっている。

 

 というよりも、王が言っていたとおり、グリードの超克に同行する条件に、アカネの人権を報酬にするだけで良い。王も拒否はしないだろうし、ディズだって納得するはずだ。アカネにまつわる問題の解決は、過信でも盲信でも無く、現実だ。

 

 つまるところ、次の目標が定まってない。

 

 ゴールに突っ立って、呆然としているのが今のウルだ。そして、目の前に王の依頼という名の災害が迫っている。それに対するウルの今の姿勢は「どう凌ぐか」という半端な状態だ。その自分の姿勢が、ウルには気持ち悪かった。

 

 分かっているのだ。「凌ぐ」などという姿勢でいては、確実に死ぬ。大罪竜とはそういう存在だとウルは思い知っている。

 

『っかー!全く、若いもんが暗いところばっか見よるの』

 

 と、そんな状態を呆れてか、単に見飽きたか、ロックがカタカタと叫びだした。

 

「世界の滅亡間際っていわれてんだぞ。明るいところどこよ」

『何でも好きなものをくれてやろうガハハ!って王様いっとったじゃろう?』

《ガハハってたか?》

 

 近いことは言っておったわい!とロックは叫び、行儀悪く椅子に足をかけて、拳を突き上げた。

 

『もっと欲望に忠実にならんカ!王の依頼達成の暁にはもうやりたい放題じゃぞ!』

「やりたい放題ねえ。好きなものたくさん食べれるとか?」

『しょっっっぼいのう欲望!もっとこう、ないんか!?」

 

 そうは言われても、贅沢からは無縁の日々を大分長いこと過ごしてきた所為で、本当にイメージが沸かなかった。飢えること無く食事が出来て、ふかふかのベッドで眠れる生活で大分満足してしまうあたり、ウルは安上がりだった。

 神官見習いのグルフィンの方がこういうのは得意かもしれない。

 

《あたし、ジュースのプールつくりたーい!》

 

 と、ロックの話に乗ったのか、アカネは楽しそうに手を上げた。

 

『おー!いいのう!最高にアホっぽくて最高じゃ!!!全身ベタベタじゃ!!ならワシは魔石のプールかの?!』

《とびこんだらあたまうってしなへん?》

『死んで死霊兵になったら魔石食べ放題じゃな!!』

 

 巨大な水槽に貯められた膨大な魔石を貪る大量の死霊兵達を想像した。普通に地獄絵図だった。

 

《えほんのとしょかーん!!》

『おうおうええのう!!国中の美女並べて酒池肉林とか…………は、良いか、お主は』

「まて、どういう意味だ」

《にーたんがおんなのこはべらせたら、じごくになりそうよ?》

『一人一人が厄災抱えてきそうじゃ。悪いことは言わん。やめておけ』

「勝手に話進めて勝手に哀れんで勝手に忠告すんの止めろ」

 

 その後も、ロックとアカネが二人で笑いながら提案する子供のような夢の話を、ウルは半ば呆れ、半ば笑いながら聞き続けた。結局、しっくりくるようなものはなかったが、いつの間にか、全身にへばりつくようなけだるさは無くなっていた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『おっしゃあ!最強デンジャラスプールの設置位置見積もってくるわ!ゆくぞ妹御!』

《いえーい!!》

 

 「王様の報酬でどれだけアホな事をするか会議」を続けた二人は、興が乗ったのかそう言った。テンションの跳ね上がりっぷりに大丈夫かこいつらと心配していたウルを察してか「同行しますね」とシズクが微笑む。

 

「さて……」

 

 結果、ウルは一人残された。

 正直言ってありがたくはあった。整理する必要があるとは感じていたからだ。

 明日は仲間達ともう一度話し合いだ。その話を纏めて、白の蟒蛇のジャイン達とも話し合う必要がある。それなのに自分が半端な有様でいては不味いだろう。ちゃんと整理しておかなければならない。が、その前に、

 

「……なんか、腹に入れるか」

 

 陽はとうに昇っている。アカネ達のおかげで緊張が解けたのか、麻痺していた胃袋が空腹を訴えていた。腹をさすりながら、ウルはキッチンへと足を向けた。なにか残っていれば良いのだが――――

 

「よお、ウル坊」

 

 そのキッチンの窓から乗り出すように、魔王が待ち受けていた。

 ウルは天を仰いだ。真新しい綺麗な天井が見えた。

 

「――――なにやって……いやマジで何してんだお前」

 

 しかも魔王は何故か半裸だった。

 

「なあに、名誉の負傷って奴だよ」

 

 魔王は何故か凜々しい顔で頷いている。が、ウルはこの手の態度に見覚えがある。ロックが時々やる仕草だ。この男が王との会談をほっぽりだして賭博場に遊びに行ったのを知っている。故に、尋ねた。

 

「残金いくらだ」

「すっかんぴん」

「失せろ敗残兵」

 

 ウルは窓を閉じて、魔王を閉め出した。

 

「ひでえ!!」

「うるせえ帰れ負け犬!」

「ワンワンワオーン!!」

「プライドってもんがねえのか畜生!!」

 

 侵入を果たそうとする黒い不審者とそれを防ごうとする家主の攻防は、侵入者側が大人げなく窓硝子を割ろうとしだすまで続いた。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「いやあ、お前の家に俺の着替え(勝手に)置いといて良かった!!持つべき者は友達だな!」

「どのようなご要件でしょうか?」

「友達が受付嬢みたいな応対してくる!」

「友達じゃないからな。で、なんなんだ、はよいえ」

 

 結局根負けして、邪悪なる侵入者を家に招き入れる羽目になった事実に後悔を覚えながらも、要件を尋ねた。が、

 

「まあ待て待て、こんな話酒とツマミ用意しなきゃダメだろ……お、良い酒あるじゃん。グラドル産か」

「マジで帰れよお前……」

 

 此方の問いをさっくりと無視して酒をあさる魔王に、ウルは本気で後悔し始めた。この状態から、本気で飲み会をおっぱじめて、のんだくれにのんだくれた挙げ句、なんの情報も落とすことなく帰りかねない。

 相手が情報を求めていると察したら、嫌がらせのために自分の損得と手持ちの情報を暖炉に投げ込みだす男である。平時であれば本気で相手にしたくない。

 が、今回は、興が乗ったのかなんなのか、適当な酒とつまみを探し当てると、ウルと向かい合って椅子に座った。

 

「よしよし、お前も飲め。ジジイのオゴリだぞ」

「俺の酒だよ……昼間から酒か」

「そうそう酔わねえっつったろ?ほれ乾杯乾杯。故郷を失った哀れなる我が国民達に」

「ああ、滅んだんだったよな。アンタの国」

「そうそう、50年目にして崩壊さ。うっけるー!」

「ウケんな」

 

 雑にグラスをぶつけられ、口を潤して、塩辛い干し肉にかみついた。塩味は濃かったが、空きっ腹には良く効いた。とりあえず魔王の存在を完全に無視して口を動かすことに集中し、最後に口の中の油を酒で洗い流すと、前を見た。

 

「んで?本当に何のようだ。()()()()()()()()()()()

 

 王の体調の話の時、スーアを気遣うように席を外して、そのまま会議から離席したが、この男はそこまで気遣いの出来るお優しい男ではない。王のように、全員の前で堂々と話せないような“わるだくみ”があるのだ。

 魔王は早々にグラスを空け、新たに朱色の酒を注ぎ直しながら、笑った。

 

「提案しにきたのさ」

「提案?」

 

 ウルが眉をひそめる。魔王は何のけなしにソレを言った。

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもしシズク?いますぐ天剣のユーリ様呼んでくれ」

「お前ばっか!天剣とかいっちばん話通じねえじゃん!やーめーろーよー!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔王の密談

 

「んもう、意地悪だなあ、ウル坊は」

「こちとら疲れてんだよ。たたみ掛けんな」

 

 その内、指輪を直接破壊しようと怪しげな闇をあふれ出し始めた魔王を見て、救援を呼ぶことを諦めたウルはぐったりとした顔になった。王の話だけでも大分キャパシティが一杯一杯だったのに、同規模にややこしい話を持ってこられたら頭がおかしくなる。

 

「嫌なことはまとめて済ませた方が良いぞ」

「自分で言うな自分で」

「ま、()()()()()()()()()()()()()同情するがね」

 

 ゲラゲラゲラと魔王は笑った。ウルは眉をひそめる。

 

「見てきたように言うな……」

「想像つくからな。お前らみたいな、()()()()()()()()()を持ってる奴らは、アルには勝てない。この世界に、アイツに“借り”が無い奴なんていない」

「……」

「そいつの嘆願を見て見ぬ振りできるのは、よほどの恥知らずだけさ」

 

 それは、確かにその通りだった。

 王の交渉はあまりにも不格好だった。最初から自分の手札を晒し、それだけならばまだしも、自分の弱点、弱味すらも明かしてしまった。交渉術としては落第点だ。しかし、歩ム者は誰も彼に太刀打ち出来なかった。シズクがおとなしかった、というのも抜きにして、誰一人立ち向かうことが出来なかった。王のもたらした情報の真偽がどうだとか、自分の利益がどうだとか、そういった下心は容赦なく叩き潰された。

 

 ただただ、王の放つ「正しさ」に殴りつけられた。

 

 彼の背負う重大なる責務に、自分たちが守られているという事実が、反撃の一切を許さなかった。あまりにも理不尽だった。ウルが疲れ果てた理由の一端はソレだ。

 

 魔王の言っていることは分かる。が、しかし、

 

「その男を裏切れって提案してくる恥知らずがいるんだが」

「なにぃ!?どこだ!俺がとっちめてやる!!」

「鏡を見ろ」

「うーむ、とてつもなくダンディな男が映っているな」

「死ね」

 

 適当な皮肉を言う気力もなく直球で罵倒すると、魔王はやはり笑った。本当にこやつ、こっちを揶揄って遊びにきただけなんじゃなかろうかとウルは思い始めた。

 

「おいおい言っておくが、俺の方も真面目な話だぜ?重要な話でもある」

「だったらさっさと言え」

 

 しょうがないなあ、と、魔王は笑った。そして不意に巫山戯散らした雰囲気を消し去り、此方を見つめてくる。本番が始まったことを悟り、ウルは顔には出さず、気を引き締めた。

 

「そもそもだ。邪神を討った後、この世界はどうなると思う?」

「理想的な世界が待ってるんだろ?」

「本当にそうかね?」

 

 問う。ウルは沈黙する。

 王の語ったかつての理想の世界は、確かに素晴らしいものだと思う。迷宮が無い。魔物もいない。狭い都市国の内側に引きこもる必要もなくなる、今よりずっと良くなる世界。

 しかし、それは絶対の幸福を約束するものでは無いと言うことを、ウルもそれは直感的に理解していた。

 

「魔物も迷宮も無くなれば、都市を区切る防壁も結界も無くなるだろう。大地にはヒトが溢れ、手が加えられる。精霊の力でもって瞬く間に開拓が進むだろう」

 

 生産都市のように、狭い土地に技術の粋を結集する必要もなくなる。イスラリア大陸の広い大地、その全てに精霊の力が行き届くのだ。ウルはウーガで育てられているような畑が、大地一面に広がる光景を幻視した。

 

「だが、そんな完全なる理想郷が生まれた後、名無しの扱いはどうなるかね?」

「…………」

 

 ブラックの問いに、ウルは沈黙する。答えが分からなかった訳ではない。むしろ分かりやすすぎて、沈黙せざるを得なかった。

 

「理想の世界で名無しの立場が向上すると思うか?名無しは、精霊の全盛期の世界においてまったくの役立たずだ。精霊を操ることも、神官達に力を捧げることもできやしない」

 

 今の世界の形でも、名無しの存在理由はやや乏しい。迷宮を潜り、魔石を漁り、都市同士を移動することで擬似的な物流の血管としての役割を果たす。それでもって存在を許されている。だが、都市の檻が崩れ、迷宮も失われれば、その二つの役割も消失する。

 

「その先に起こるのは、役立たずの無能に対する暴虐と差別と支配だ」

「待て」

 

 ウルは手を上げた。

 

「ウーガの審問の時、アンタ言ったよな。精霊信仰を抱えるのは危機に対する生存本能だと。理想郷世界に脅威が無いなら、精霊信仰の弱体化には繋がらないのか」

「そりゃ無理だね。イスラリア中の土地を確保できるなら、危機感という負の感情に依らずとも、それ以上の豊穣を約束できる。ビビらせる必要なんてなくなるのさ」

「…………そうなるか」

「まあ、慢性的な幸福はいずれ飽くが、それは大分遠い話だろうさ」

 

 ブラックの反論に、口を挟む隙は無かった。ウルは少し苦い表情を浮かべて沈黙した。

 

「あまりショックを受けてねえって事は、想像ついてたか?」

「まあ、な」

 

 王やディズの前では流石にその事を指摘するなどできなかったが、そうなる可能性は早い内に想像がついた。十何年間、名無しとして生きてきたのだ。自分たちの立場の弱さなんてものは、骨身に染みている。

 

「だが、すぐさまそうなるわけじゃあないだろ?」

「まあな。今の為政者の殆どはアル含めて理性的だ。邪な連中の大部分は天剣の嬢ちゃんと【銀の君】が排除した。草の根もかき分けて、徹底的にな」

 

 ウルが居ない間に、シズクと天剣のユーリ、そして【陽喰らい】の戦士達の暗躍によって、イスラリア中の根深いところに巣くっていた暗部が一掃されたというのは話に聞いている。

 必要なことだから、という話は聞いていたが、それはウルを救出する一端であると共に、【理想郷計画】を進めるための準備でもあったようだ。

 

「優秀な連中は、俺たちが考えるような問題にも勿論気づいている。弱者の排斥なんて望んじゃいまいよ。ありとあらゆる政策を考えるはずだ。多分お前が想像するよりは、名無しにも生きやすい世界にはなると思うぜ?“最初は”」

 

 ウルには政治のことは分からない。理解が浅い。

 だが、今のグラドルを統治するラクレツィアや、必死に仲間達と連携して、努力を続けているエシェルは見ているし、知っている。誰よりも重い責任を背負ったアルノルド王も。悪いことにはならない。ならないように努力してくれるだろうというのは分かる。理解できている。

 だが、

 

「それでも“優劣”は、どうしようもないほどに、争いを生む。どれだけ優れた政治家でも抑えきれないほどのな」

 

 一方で、()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実もまた、どうしようもなく理解してしまっている。

 

「……“違い”は嫌いじゃ無いんだがな。俺」

「俺もだよ。面白い奴は見ていて飽きない。ウチの国もそうだったしな?だが、精霊との親和性はちっと()()()()()()?」

 

 精霊との親和性が薄い、無い。というのはあまりにも大きい。故にこそ魔術という技術はあるし、精霊に追いつかんとする狂人は身内にいる。だが、そこまで到達できるのは極めて限られている。(まあ、彼女ならば、世界中の人類に白王陣を普及するくらいは言いかねないが)

 

「精霊との親和性の“優劣”は、“違い”という言葉で片付けるには重すぎる。()()()()()()()()()()()()()

 

 “違い”すらも、克服できないのが多い人類が、優劣を超えられる筈が無い。ブラックはそう言って嘲った。

 

「楽しそうだな」

「困らんからな。俺個人は」

「きっちりクソ野郎だこと」

 

 この男の最悪性は、今更な話ではあった。詰めたところでなにもならない。

 

「さて、必然的に諍いは起こる。しかも"最悪な事に、これは一方的な形にはならない”。何せ、精霊よりは遙かに貧弱だが、魔物退治で磨かれた武器はあるんだからな」

 

 まるで見てきたかのように、魔王は饒舌に語り続ける。アルノルド王の話を聞いた時と同じように鮮明に、ウルにはその情景がイメージできた。

 魔物退治、竜退治に使っていた武器を、神官達に向けるイメージが、出来てしまった。

 

「そして、その争いに、間違いなくウーガは巻き込まれる。此処は目立ちすぎて、そして、有効すぎる。挙げ句の果てに、トップは名無しの英雄ときたもんだ」

「ちょい待て、為政者達の能力が限界を迎えて、完全に破綻するまでだろ?俺たち生きて――――」

「る、ぞ。何十年後か、何百年後か、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔王は真顔で断言した。只人の平均寿命は50から長くとも80だ。過酷な環境を生きる名無し達は下手するともっと短い。そんなことは常識だ。だが、魔王は全く冗談を言ってるような表情は浮かべなかった。

 

「種族によってある程度寿命はバラつくが、そもそもお前達は魔力によって肉体の枠が大幅に強化された。生物としての枠組みから外れている。寿命は遠いぞ」

「アンタみたいに?」

 

 穿孔王国スロウス成立の経緯を考えると、この男は既に相当な年齢であるはずなのに、その様子は全く見えない。通常の獣人としての人種の寿命を大幅に超過しているのは間違いなかった。

 

「お前もな、ウル。それにその右腕、もうどうしようも無いくらいに同化したみたいじゃないか」

 

 指摘され、ウルは右手を握る。異形の右手は既に違和感無くウルの身に馴染んでいた。これがなくとも、現在のウルの身体能力は冒険者を始める前の頃と比べると圧倒的に向上している。数多くの修羅場をくぐり抜け、強敵を打ち倒す度にその魔力を吸収したウルの肉体は超人と言っても差し支えがないレベルまで成長した。

 真っ当に死ねるか?と言われたら、自信は無かった。

 

「名無しとそれ以外の争いが激化したとき、事故でもなきゃお前達は存命だ。“幸福の飽き”のような遠い未来の話じゃ無くて、避けようのないくらい今の話さ」

「……」

「なあ、皆のリーダーくん。お前はちゃんとこの問題は考えておかなきゃならない。それを回避したいなら尚のことだ」

 

 ウルはギルド長だ。柄でなくとも、多くの者達の“灯火”となる立場にある。そしてギルド長という立場にいるのなら、足下だけを見て、道があると安心して満足してはいられない。

 正しく、先を見なければいけない。自分の後ろに続く仲間達を、奈落の底へと案内するなんて、長としては落第だ。

 腹立たしいほどに、魔王の言葉はごもっともだった。

 

「折角の大団円のその後、遠くない未来、英雄ご一行は最悪な末路を迎えました。ってーのは、あんまりだと思わないか?なあ?」

「……だから、そうならないように王を裏切るって?」

 

 ブラックは獰猛に笑った。

 ウルは酒の注がれたグラスを呷ったが、酔いもしなければ味もしなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔王の密談②

 

「ま、裏切るっつったって、今すぐって話じゃあない。途中までアルとは協力するって手はずにはなってんだ。アルはそれも承知の上だ」

「魔王は協力しているとは、そりゃ言っていたけども」

 

 世界破滅の危機とはいえ、全員が都合良く一丸になって戦う、と言うことは出来ないらしい。とはいえ、それはそうだろうとウルは納得していた。

 窮地がヒトをまとめ上げるのなら、黒炎砂漠攻略の時、ギリギリまで大乱闘する羽目になっていない。【陽喰らい】の一致団結は割と奇跡に近い。

 

「で、そうなると何処で裏切るっていうんだ。っつーか、んなもん今俺に話しても良いのかよ」

「心配するな。アルにはお前を裏切り勧誘するって伝えてる」

「うそだろ……」

「俺たちマブだからな」

 

 天賢王と魔王がどういう関係なのかさっぱり分からなかった。

 裏切ると予告する魔王も魔王だが、それを受け入れる天賢王も天賢王だ。そうしなければならないほど切羽詰まっていると言うことなのか、魔王の策を上から潰せると言うことなのか、想像しか出来ない話だったので、とりあえず考えないようにした。

 

()()()()()()()()()()。そこまでは俺も絶対に裏切らない」

「……保証は?アンタに血の契約なんて通じないんだろ?」

「んなもんなくたって大丈夫だよ」

 

 信用できるか、と言おうとしたが、魔王は真顔だった。それまでの巫山戯た態度の一切を捨てて、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう断言した。

 

「……強いのか」

「大罪竜最強だよ」

 

 最強。魔の頂点ともいうべき大罪竜の、更に頂点。正直、イメージがわかなかった。計り知れなさすぎた。

 

「……何が強いんだ?どんな能力を」

「ああ。ラースの黒炎みたいなのを想像したか?アイツはアイツで特殊だからなあ」

 

 見ただけで、その対象を焼き尽くす悍ましい黒炎。豊かな大地を死の砂漠へと変えてしまった呪いの塊。今も思い出すだけで身震いするような

 

「ま、安心しろよ。そんなクソギミックはねえよ。グリードには。主立った能力は魔眼だし。見ただけで即死するようなものも……あるにはあるが、消去(レジスト)可能だろ。グレーレに、お前のとこのレイラインでもな」

 

 まあ、死の呪いなんて“返し”されたら終わりの諸刃、迂闊に振るうほど間抜けじゃあないがな。と、魔王は鼻で笑った。

 

「じゃあ、どういう……」

 

 ウルは訝しむ。が、その態度を見た瞬間、魔王はなにか理解したかのように笑った。

 

「はっはーん、さてはクソゲーみたいな戦いやり過ぎて、疑心暗鬼になっちゃったな?性悪畜生ギミック満載なんじゃねえかってさ」

 

 図星だった。

 今日まで、ウルが戦ってきた魔物や竜、大体が悪辣だった。一筋縄ではいかないような能力を有していて、それを必死にくぐり抜けても新しい問題が直面し、とどめを刺したと思ったら妙な形で復活する。そういう敵ばかりだったのだ。

 最強、と言われれば必然的に、そっちの懸念をしてしまうのはどうしようもなかった。

 

「安心しろ。そういうんじゃねえ。魔眼にしたって、通常のソレと性質は変わらないしな。視界を潰す。光を閉ざす。同種の魔眼で打ち消す。全部通る」

 

 ウルも魔眼の所有者だ。故にその強さも弱さも理解している。視界に入れるだけでその対象を魔術の効果範囲に収める事が可能な力だ。

 

「……それでも、最強」

「そう――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、どんな厄介な呪いや能力を有していると言われるよりも、威圧感があった。

 

「部下の眷属竜達もバカつええし、戦術もやらしいし、お前の師匠の【紅蓮拳王】が、眷属の一匹落としたが、大金星だぜありゃ」

 

 大罪都市グリードにいる師、あの常にやる気を見せない無精髭の男の顔が頭をよぎる。心の中で感謝を告げようとしたが、そうしたら気味悪がられそうなのでやめておいた。

 

「とはいえ、そっから更に油断しなくなりやがった。自分のテリトリーから全く出ない。やる気ねえ色欲や雑な嫉妬とは比較にならねえ」

「やたら詳しいな」

 

 魔王ならばなんだって知っているだろう――――と、片付けても良いが、妙に魔王の発言は実感がこもっていた。なにやらしゃべってる間、遠い目をしている。

 

「やりあったからな、昔一回。まあ【紅蓮拳王】がやりあう前だが」

「は?」

「いや、俺も昔は若かった。楽勝だろ-!とか思いながら特攻かましてさ」

「結果は」

「泣かされて、死に物狂いで逃げ帰った」

「急に頼もしくなくなってきた」

「泣いちゃうぞ?」

「みっともないから止めてくれ」

 

 ウルが真顔で切って捨てると魔王はシクシク泣いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「っつーわけで、グリードは全員で倒す。これは大前提」

「そこで全滅したら笑えるな」

「はっはっは、普通に可能性あるからな。【天拳】落ちたの馬鹿いてえ」

 

 口は笑っているが、魔王の目は笑っていなかった。本気でその可能性を危惧している。前提の戦いから、相当レベルの修羅場になるのは確定らしい。ウルは既に頭が痛かった。

 

「……全滅はもう、考えても仕方ないとして、それで?その後のプランは?」

 

 一端棚に上げるにはでかすぎる問題だが、そうしなければ話が進展しない。ウルは尋ねた。

 

()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()

「ろくでもねえ。聞かなきゃ良かった」

 

 そして速攻で尋ねたことを後悔した。本気でろくでもなかった。

 この世界に住まう者にとってすれば、太陽神は、在って当然の存在であり、この世界に住まう全ての人類を守護する神だ。ソレは最早、水や空気のように、失えば確実に死んでしまうに等しい。もしもこの場に神官などが

 この場に神官――――いや、一般的な都市民がいたとしても、魔王の発言を聞けばあまりの不敬さに怒り狂って血管ちぎれて死ぬのではないだろうかというくらいの暴言である。神の恩恵薄い名無しのウルですらも、一瞬言葉が出ないほどなのだ。

 

 そんな、今ある常識そのものをひっくり返すような話を続けなければ話にならないのだから、

 

「言うて、面白半分とか、反逆心だけでやるんじゃないぜ?ちゃんと理屈がある」

 

 嘘くせえ、と言い返したかったが、続きを待った。

 

「難しい話じゃねえ。要は今の精霊の管理体制を砕くのさ。今、【天祈】が管理しているが、太陽神には【星海】という精霊を管理する機能がある」

 

 【星海】

 おぼろげな記憶の中で、聞いたことがあるような単語だった。チラリと右手を見てみるが、特に痛みなどの反応を示すことは無かった。

 

「そんな【星海】を砕けば、今のように人類は精霊とコンタクトできなくなる」

 

 そうだな。それこそ【寵愛者】レベルの親和性じゃなきゃ無理じゃないか?と、魔王は指摘した。それはつまり、大半の神官達が、精霊の加護を授かれなくなることを意味する。

 

「……つまり、あんたの計画ってのは」

「神官達の大半を、都市民レベルまで引きずり下ろす」

 

 皆で幸せになろうじゃあ無いか?そう言って、魔王は悪辣に笑った。

 

「……いや待て、そもそも邪神なんてどうやって利用するんだよ」

 

 さらっと魔王が口にしたし、当然のように言うものだから、出来るような気がしているが、冷静に考えると大分おかしな事を言っている。邪神が太陽神と同等の存在であるなら、利用なんて、軽々しく出来るはずがない。

 

「お前はもうそれをやってるだろ」

「竜化?」

「【権能の支配】だ。竜は邪神の端末だ。その一部を俺たちは支配している。コイツは単なる超克者とは一線を画する現象だ」

 

 もう、自分の能力として使えてるんだろ?と魔王はウルの右手を見る。

 確かに、既にウルは【色欲】の権能を自由自在に使えている。魔力は勿論消耗するが、しかし、それ以外に一切のリスクは無い。手や足を動かす延長上に、色欲の権能がある。

 

「端末が支配できるなら、本体にも同じ事が出来る。違うか?」

「暴論がすぎねえ?」

「おいおい、大罪竜の権能を支配してるのは現実的なのか?ん?」

「……」

 

 そう言われると、返す言葉はなかった。大罪竜自体、元々は災害の類いに等しい代物だった筈なのだ。しかし今はそれが当然のように我が物となっている。勿論、だから神にも同じ事が出来るというのはやはり暴論に思える…………が、

 

「それでも失敗したら?」

「その時はその時だな?最悪、【星海】に干渉さえ出来ればいいからな。状況に応じて臨機応変にってな?」

「いい加減な……」

 

 頭痛がしてきた。だが、ブラックは指を揺らして、楽しそうに笑った。

 

「悪だくみのコツってやつを教えてやろう」

「いらん」

()()()()()()()()()()。幾つものプランを同時並行で走らせるのがコツだ。状況に応じて別のプランに乗り替えながら、混沌をかき回すのさ」

 

 何十年と悪党を続けてきた男の助言に、この上ない説得力を感じて、ウルは顔をしかめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔王の密談③

 

「ま、こんな感じかな?アルのやり方よりは先を見据えてるだろ?」

「「わあすごーい!」とはならねえわ。絶対、大混乱起こるだろ」

「当たり前だろ?めちゃくちゃ死人も出る。火種が小さい内に全部に火をつけるんだからな」

「論外じゃねえか」

 

 そう切り捨てようとするが、その瞬間、ブラックは噴き出した。そして完全に此方を嘲笑しながら指を指す。

 

「お前ひょっとして「誰も彼も傷つかない結果」ってのを期待したか?ウル坊、そりゃ絶対無理だぜ?」

「絶対」

「前提として、この世界は()()()()()()だ」

 

 容赦の無い断言と、宣告だった。更に魔王は続ける。

 

「どう足掻いても無理だ。今日まで保てていたのは、歴々の天賢王がむりやり歯を食いしばって支えていただけだ。それも限界が来たら、後は崩壊するだけだ」

 

 崖っぷちの瀬戸際にギリギリ踏みとどまっている自分たちをウルは想像する。

 なるほど、確かに怪我は負っていない。病にもなっていないから、これから先も大丈夫な気がしてくる。だが、足場の“支え”はボロボロと崩れ、砕け、もう間もなく滑落する。

 そんなイメージが生々しくウルの頭をよぎった。

 

「だから、仕組み自体変えければならない。が、どうしたって痛みが伴う。」

 

 生活の変化、環境の変化、ありとあらゆる変化には、コスト、労力が伴うことはウルも知っている。名無しである以上、変化は絶えず身の回りに起こっていたからだ。 

 しかし、それに慣れていない者もいる。

 

「「今のままがいい!何も変わりたくない!」って連中は山ほどいる。ま、そりゃそうなんだがな。今が切羽詰まってたとしても、変化ってのは誰だって怖いもんだ」

 

 その変化が、上手くいく保証なんてまるで無いものなら、余計にそうだ。苦労を伴い、変化した結果、以前よりも悪くなるなんてことはままある。それを知る者ならば、余計に恐れるだろう。

 

「そうするしかないとしても、そういう連中の願望を切り捨てることになるわけだ。ついて行けない奴は出てくるだろう。死人も山ほど出る」

 

 万事上手くいっても、そうなる。

 魔王は断じた。自らの所業も、王の所業も、そうなると言い切る。

 強い言葉だった。無責任に言い放った言葉では無かった。自分の選んだ行動の結末を予期し、血にまみれた部分を既に覚悟している者の顔だった。

 それは今のウルは持たない視座からの言葉だった。

 

「この先はどうしたってそうなる。忘れんなよ?」

 

 その忠告は、想像より遙かに、ウルの心中に突き刺さった。

 

「……。………、………最後に聞いて良いか?」

「なんだ?スリーサイズか?」

「死ね」

 

 巫山戯た態度を切って捨てて、ウルは真っ黒な魔王に問うた。

 

「……なんでアンタ、こんなことがしたいんだ?」

 

 天賢王なら、まだ理由は分かる。

 この世界に住まう民達を守らなければならないという強烈な責任感だ。先の会話の端々に、彼の使命感は見えた。それがなければ、あれほどまでの傷と痛みを背負うことは出来ないだろう。

 だが、目の前のこの男の事は読めない。スロウスの王になったのだって、何かしらの義務感があっての事とはとても思えない。面白半分だった可能性もある。

 

「なんでって……なあ?面白そうだろ?」

「聞いた俺がバカだったよ。お帰りは彼方になります」

「あーおいおい待て待て待てってーあーやめろ!そのコート金貨30枚!」

 

 勝手にヒトの家の棚に突っ込まれていたコートを外にぶん投げてやろうとしたが、阻まれた。ウルは舌打ちして椅子に戻る。

 

「……アンタの言うとおり、王の理想郷にはいずれ問題も出てくるんだろう。だけど、それでもアンタなら生きていける筈だろう?何故こんなことをする」

 

 今既に英雄という評価を受けているウルから見ても、ブラックは超人だ。ウーガを買い取ろうとする恐ろしい資産、大罪竜を単独で撃破する凄まじい実力、世界の秘密にも熟知し、アルノルド王と対等な立場で対話をしている。

 その彼が、アルノルド王の「理想郷」で上手くやれない訳がない。

 彼ならば、その新しい世界で確実に、自分の居場所を作り出すことが出来るだろう。例え彼が精霊の力を授かれなかろうとも、その程度のハンデなど気にもとめないくらいの能力があるのだから。

 なのに、あえて王のプランを蹴る理由が見えない。

 

「何言ってんだいウル坊。俺一人が上手くやったとして、そこになんの意味があるんだ?」

 

 ブラックは大げさに首を振り、嘆かわしそうに瞳を指で拭った。ややイラッときたが口を挟まず彼の続きの言葉を待った。

 

「力なき名無し達が、神官や都市民達に迫害され、本当に奴隷のように生きていく世界になると知りながら、それを見過ごすなんて事できないねえ。これでも博愛主義者なんだぜ俺は」

「すまんが、笑いどころが何処か説明しながら喋って貰えるか?」

「辛辣だねえ?本気だぜ?」

「本気って」

「本気だよ」

 

 ウルはブラックの顔を見る。彼はウルを見返していた。その顔にいつもの巫山戯た笑みは一つも浮かんでは居なかった。真っ黒なブラックの瞳が底の見えない闇のように渦巻いて、ウルを捉えるようだった。ウルはそれに飲まれないように自然と歯を食いしばっていた。

 

「なあ、ウル坊よ。なんで【名無し】が精霊と繋がれないか、わかるか?」

「何故……?生まれ持った適正ってやつじゃないのか」

「当たらずとも遠からずだな。確かに都市民の中には時折、精霊からの寵愛を得る者もいる。逆に官位持ちでも、上手く精霊と繋がれない落伍者もでる。生命の設計図にエラーは生まれるもんだ」

 

 だが、

 

「名無しから精霊の寵愛者が出ることは無い」

 

 ブラックはそう断じた。ウルは記憶を思い返す。

 確かにブラックが言うように、精霊の力を扱える都市民が時折姿を現すと言う話を聞いたことはあっても、精霊の力を扱える名無しなんていう例外は聞いたことがなかった。「精霊に愛されその力を扱える!」などと吹かす者は時折いたが、大抵は邪な企みを目論んだ詐欺師の類いだった。

 

「……確かにそれは聞いたことがないが」

「事実、無い。例外は無い。名無しと神官もしくは都市民の混血児が精霊と繋がりを得ることは無いではないが、その場合の繋がりは酷く薄弱だ。これにも例外は無い。故に高位の官位の家は名無しと交わることを厳格に禁じている。都市民すらも、忌避している」

 

 コレがどういうことか分かるか?とブラックはウルに問うた。

 

 ウルは勿論、答えを知らない。彼の解答を待った。ブラックは両手で指を立てた。

 

「只人、小人、獣人や森人土人、そういった種族とは違う――――」

 

 右手は二つ、左手は一つ。子供が指遊びをするように、その二つを重ねてぶつけあわせた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ――近付くな汚らわしい!!

 

 幼少期、何処かの都市で、ウルは偶然、都市の街中で遭遇した神官にそのように罵られた事がある。その時何故、都市民の住居区画に神官がやって来ていたのかは分からない。住居区画の家々を訪問して回っていたので、精霊の加護を都市民に授ける巡廻か何かが行われていたのかも知れない。

 神官とウルとアカネが接触したのは偶然だ。名無し向けの小銭稼ぎのドブさらいをしていたとき、運悪く巡廻していた神官達に接触したのだ。結果、都市民の高齢者相手に優しげな笑みを浮かべていた彼らの表情は一気に悪鬼をみるそれへと豹変を遂げた。

 

 ――早く失せよ!精霊達の聖庭たる都市の内にお前達の居場所など存在しない!

 

 そういう神官達と、それに同調する都市民たちのウルとアカネを見る目は驚くほどに凍て付いていた。無論、ウル達は彼らに危害を加えてい無い。ドブ臭い匂いを漂わせていたが、それだけだ。にも関わらずあの敵意の強さは印象的だった。

 別に、それに深く傷つくようなことはなかった。名無しが都市の内側で悪意を向けられる事なんてのは何ら珍しくなかったからだ。その出来事も、良くある日常の一コマとしてウルの記憶のなかに埋没していった。

 

 だが、ブラックの言葉に、再びその記憶が蘇った。

 ウル達を侮蔑でも嫌悪でも無く、敵として見るようなあの視線が。

 

「なんだ、衝撃的な情報過ぎてビビっちまったか?」

「……いや、妙にしっくりきたよ」

 

 その回答にブラックはややつまらなそうだったが、実際、ウルはそれほどまで衝撃を受けていなかった。情報それ自体は世界の常識が揺らぐような話だったように思えるし、ブラックは嘘もついていないだろう。だが、それでもここまでウルが冷静なのは、心の何処かでそれを理解していたからだ。

 

「なるほど確かに、【名無し】たちと【都市民】や【神官】との関係は、そんな感じだ。名無し達は無理矢理しがみついてるだけで、根本的に都市国のなかに適合出来ていない」

 

 名無し達は今も、安全な都市国の中で少しでも長く滞在するために、仕事を探し出して生きようと藻掻いている。死と隣り合わせの冒険者稼業も大半の者にとってはその一環に過ぎない。

 基本的に都市国は都市民と神官達が自分たちのために創った箱庭だ。名無し達の為の場所では無い。そう言った客観的事実も、名無し達は彼らとは別の生き物であるというブラックの言葉を補強した。

 

「でもなんで人類が二種に分かれてる」

()()()()

「事故?」

「創世の折りの事故さ。カミサマも万能じゃあないってな」

 

 不敬極まる言葉が連続で飛び出すが、最早それについては考えないことにした。それを言い出すと最早不敬なんて次元ではない。

 

「自分とは別の生命体の足下に這いつくばるなんて嫌なもんだ。そんな思いを、同胞達にさせたくないって思うのはおかしいことじゃないだろ?」

 

 魔王はそう言い切った。それはもっともらしい言葉には聞こえた。名無しとそれ以外が別の生物であるなら、先に話した“優劣”の意味がより凶悪な意味となる。自分たちよりも優れた別の生物たちに支配、迫害される。それに抵抗する。

 なるほど、世界に反旗を翻す動機としては十分に思える。納得できる者もいるだろう。

 が、しかし、

 

「ブラック」

「なんだよ」

「嘘くせえ」

「あれえ?!」

 

 魔王はずっこけた。

 

「俺は嘘なんて言ってねえぞ!?」

「【名無し】に関してはそうかもな」

 

 ウル自身の経験からも、それは嘘とは思えなかった。現実味があった。が、しかし、

 

「お前が【名無し】の皆のために、は無いだろ」

 

 ブラックは露骨に目を逸らした。

 

「名無しの命どころか、自分の国民の命だって究極的にどうでもいいみたいな態度とってる男が、もっともらしい大義なんて掲げても信頼できるかよ」

「くそ!反論しようとしたが正論だ!!」

「本音を言え、目的は」

 

 ウルが詰めると、ブラックはしばらくふてくされたような態度をとっていたが、不意に止めて、ウルを見た。いつも浮かべるヘラヘラとした笑みはそこには無かった。

 

「気持ち悪いだろ?」

 

 感情の浮かばない、奈落のような顔がそこにはあった。

 

「狭苦しい箱庭で、神の描いた絵図から出ないように縛られてる。不出来極まるこの舟を死ぬ気で直して、完成させるのがアルの計画だ。だがなあ?」

 

 ツマミとして机に出されていた焼き菓子を一つつまむと、彼は指先でゆっくりと、焼き菓子を潰していった。粉々になって、原型が無くなるまで、ゆっくりと、確実に。

 

「ぶっ壊した方が、後腐れ無い」

「…………それが目的か」

「狭い、息苦しい。鬱陶しい。その挙げ句、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「その贄が血反吐を吐きながら、()()()()()()()全員の幸いを祈っても、この有様だ。なんだこの出来損ない。()()()()()()

 

 ウルは寒気を感じた。戦いの最中、悍ましい魔物達から向けられる殺意とはまた違う。自分以外の一切を飲み込んで、噛み砕く暗黒の意思が魔王から放たれていた。紛れもなく、イスラリアにおいて君臨し続けた傑物にして怪物であると、ウルは改めて理解した。

 

「んじゃ、しょうがねえわな――――ぶち壊すしかない」

 

 そう断じるブラックは、紛れもなく禍々しい魔王そのものだった。

 

 そして魔王は立ち上がった。言いたいことを一方的に言って、清清とした表情が腹が立ったが止める気にもならなかった。

 

「ああ、そうだ。ウル坊、忘れんなよ」

「何をだ」

 

 問う。ブラックは扉に足をかけながら笑う。闇夜を背にして黒い魔王は口端を大きく開いて笑っていた。

 

「真に安寧が欲しいなら、神はお前の敵だ」

 

 指がウルの心臓を指す。自身の言葉を指先に乗せるように、彼は告げた。

 

「そして、神は不可侵の存在じゃあ無い――――()()()()()

 

 それだけ言って、魔王は夜の闇に消えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

各々の消化と選択④

 今日もまた、ウーガの一日は終わる。

 

 最低限の魔灯が点り、せわしなく働いていたウーガの労働者達も帰路につく。表情に疲労を滲ませて、表情に充実を満たしながら、あるいは失敗を思い出して沈むのを仲間達に慰められながら、自分たちの家に帰っていく。

 

 そんな彼らを窓から眺めながら、結局今日はロクに外に出ることも無かったウルは一人、飲みさしの酒が残ったままのグラスを口にすることもなくだらだらとぶら下げながら、悩ましい表情を続けていた。

 

「………さて、どうすっかね」

 

 答えは決めなければならない。

 短期的であれ長期的であれ、新たなる目標地点を定めねばならない。

 それは分かっているのだが――――

 

「いきなり世界と言われてもな……!」

 

 ちょっと前まで、ただの凡人だった男にいきなり世界の救済だの破壊だの告げられても想像力を働かせるのが難しい。目の前の事。手の届く範囲だけでやってきた者に、いきなり為政者の視座を求めてくるなと言いたい。

 言いたいが、最早是非もなしな状況なのは確かだった。さて、どうするか――――

 

「ん」

 

 と、そう思っていると、家の扉からノックの音が聞こえてきた。時間帯を配慮してなのか、控えめなノック音で大体誰か察した。「どうぞ」と声をかけると、ゆっくりと扉が開く。

 

「ウル様」

 

 シズクがやってきた。ちょうど良かった。と、声に出さずに思いながら、彼女を椅子に座るように促して、自分も傍に座った。

 

「よお、そっちはどうだった。ロックは兎も角アカネは」

「心配しておりました」

「まあ、あんな話聞いたらな」

「いえ、ウル様の事を。無茶をしてしまわないだろうかと」

「出来た妹だぁ……」

 

 実に、良く出来た妹だった。今回の一件は、とんでもない災難だったが、アカネの無事が確定となる、その一点については唯一の喜ばしい要素だった。

 

 もっとも、彼女は自由になった後は――――

 

 と、まあ、それは置いておこう。今重要なのは目の前の女についてだ。

 

「シズクはもう既に協力関係だったんだよな」

 

 今回の王との会議中、彼女はずっとおとなしかった。理由は分かる。

 

「はい、ウル様の救出作戦の折りに、協定を結びました。勝手に申し訳ありません」

 

 自分自身が既に当事者だったからだ。その自分が口出しするのはダメだと思ったのだろう。変なところで義理堅い女だった。

 

「それは良い」

 

 元より、【歩ム者】は軍隊のように統一された組織ではない。

 各々が自分の目的のため互いを利用するような集団だった。奇跡的に、というべきか、全員の仲間意識や結びつきは強く感じるが、それでも本質的にはそういう集まりなのだ。目的のため、それぞれが独自行動を取ることを規制したりはしていない。

 組織としては未成熟も良いところではあるが、こういうとき、無駄に争うことは無い。

 

「邪霊の復権、そこに関しては、俺が口出しできるところじゃない」

「はい。ですから、ウル様」

「ん?」

 

 彼女は立ち上がり、自分の側に座り込んで、ウルの手を握った。

 

「ウル様、本当に、無理に戦う必要は無いのですよ?」

 

 改めて、彼女はそう伝えてきた。

 

「私も大罪竜の脅威は知りました」

 

 そう言って、ウルの手をつかみ、自分の胸元に触れさせる。その位置が何かは分かる。彼女の身体に合った大きな傷跡、ラストの騒動の時、負った傷跡だ。

 同時に彼女はウルの身体に触れた。ラースの騒動の時、身体が真っ二つになりかけたほどの大きな裂傷の跡をなぞる。どちらも、命に関わる戦いの軌跡だった。

 

「付き添い、なんていう曖昧な姿勢で向かい合ったら、タダでは済みません」

 

 どうやら彼女も、今のウルの状態の問題点は理解しているらしかった。故に不安なのだろう。優しげな表情の眼の奥に、不安が揺らいでいるのが見えた。

 申し訳なく思うと同時に、その気遣いをありがたくも感じた。恐るべき驚異、世界救済という使命に対して、逃げたって構わないと真正面から言ってくれるのはありがたかった。

 だが、だからこそ、確認しておかなければならない事がある。

 

「お前は今回ガチで戦うつもりなんだろ?」

 

 逆にウルが問うた。シズクは、少し迷いながらも、頷いた。

 

「色欲の時と比べて、更に力はつきましたから。全力で支援させて頂こうとは思います。皆様が竜を討てねば、全てがおしまいですから」

 

 その答えに、そうだろうなと納得した。彼女ならそうするだろうと想像出来た。

 同時に、此処にいないエシェルやリーネの答えも、なんとなく想像がついた。今日までの濃密な日々が、強固な絆となっていた。王の提示した依頼に対して何を考え、どうしようとするのか、分かる。

 

 遠からず、皆、死地へと赴くこととなる。

 

 そして、その時、自分だけ安全圏にいるのか?そう思い、改めてシズクを見た。此方を見つめて、聖女の如く慈悲深く、一方で幼い子供のように不安な表情を抱えた少女が、死に瀕する地獄に赴くところを想像した。

 

 ――――我によって荒野を拓き、徳によって道を得よ。

 

「お前が死にかけてる時、安全な場所からそれを眺めるのは、楽しくないな」

 

 カチリ、と何かがハマった。

 

「うん、そうだな。嫌だわ、俺が」

 

 スッと、腑に落ちた。

 嫌だ。

 自分が嫌だ。

 己が嫌だから行動する。

 世界と向き合うあらゆる者達が、その責務から逃げずに戦う状況を見ぬ振りをするのも、

 そこに仲間達が向かい、血反吐を吐きながら戦うのを安全圏から眺め続けるのも、

 

 どちらも、お断りだ。

 

 ならば、抗う。立ち向かう。拳を固めて振り上げる。

 これから先、起こるのも「いつもの事」だ。そう認識できた。次の瞬間、ずっと残っていた座り心地の悪さが少し解消された。胸のつかえが僅かにとれた。

 勿論、ソレで全て割り切って動けるほどウルは単純な性格はしていないが、この先、やらなければならないことは明確になった。

 

「よし、一つ解決。…………なんだ、その顔」

 

 ウルは大きく息を吐いて、顔を上げると、何故かシズクは聖女面を崩して微妙な顔をしていた。いつもスラスラと美しい言葉を吐き出すくせに、何か言おうと口の中をもごもとさせているばかりで、らしくなかった。

 

「……ウル様は本当に、アレですね」

「アレとは」

 

 問うが、返事はなく、かわりにウルの頬をむにむにと引っ張った。なにをする、と、抗議しようとしたが、その前にシズクは手を離して、顔を寄せて口づけた。

 

「――――どうか、死なないで」

「こちらこそ」

 

 本当に弱々しく微笑む彼女に応じながら、ウルは一つ確信を得た。この、恐ろしくも美しく、強く弱々しい少女から目を離すべきではないという確信を。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 翌日、【歩ム者】達は再び集合し、昨日の情報の整理を行った。

 

 もっとも、どのような方針で行くかについては既におおよそ、結論は出ていた。

 結局の所、天賢王からの直接の依頼を断れる筈も無いのだから。

 その後、グラドル含む各方面への連絡を行うと、どうやら既に王から通達があったらしく、スムーズに事は進んだ。ウーガが担っていた運搬業務を、他の都市国が有する移動要塞が代行する手続きまで済まされていた。

 

 既に逃す気が無いのだという王からのプレッシャーをひしひしと感じながらも、移動要塞ウーガの進路は決定する。

 

 大罪都市エンヴィーから南の方角、歩ム者というギルドが結成されるよりも更に前、ウルとシズクが手を組み、冒険者としての活動を始めた始まりの大罪都市、グリードへとウーガはその巨大な歩みを進めるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やるべきこと

 

 竜吞ウーガ

 ダヴィネの工房にて

 

「出来たぞ。新型だ」

「ああ」

 

 竜吞ウーガ新施の鍛冶場にて、ダヴィネに手渡された黒の大槍、【竜殺し】をウルは受けとった。そして受け取った直後、手に違和感を覚えた。

 

「……剥き身なのに、二式みたいに握っただけで削り取られるような感覚がないな」

「そもそもお前にあの時渡した二式は、急かされて造った未完成品だ!使用者の負担も全く考えられてねえ!」

 

 あんなものを渡すのは不本意だった。とダヴィネは唸る。

 つまり今渡された【参式】は不備を解決した完成品、という事になるらしい。確かに一見した形状に変化はない。余計な装飾の一切無い、相手を刺し貫いて滅ぼすことに特化した一振りであるが、大槍から放たれる竜殺し特有の異様な威圧感は、二式の上だ。

 喰らい、破壊する呪い殺しの大槍。やはり危険物ではあるが、今後を考えると頼もしい代物だった。

 

「わかっちゃいるだろうが、威力は更に増している。適当に振り回して手を滑らせたら、自分の身体が抉り取られて死ぬからな」

「……グリードにたどり着くまでに可能な限り練習するよ」

 

 ダヴィネの忠告にウルは素直に頷く。身の丈に合わない不相応な武器を振り回して自滅など、格好悪いことこの上ない話だった。ダヴィネはそんなウルの表情に、僅かに額に皺を寄せた。

 

「ん、どうした?」

「ラースの後、今度はグリードかよ、落ち着かねえ奴って思っただけだよ」

「正直返す言葉もねえなあ」

 

 不可抗力とは言え、あまりにも慌ただしい自身の人生をウルは噛みしめていた。

 冒険者になった直後は、アカネをディズに連れて行かれて、3年という期限に追いつくために死に物狂いで駆け回ったのは確かだった。しかし、結果としてみれば、定められた期限の半分ほどの期間でゴール目前に到着し、しかも新たな問題に直面している。

 どうしてこうなった!?と思わないでも無いが、困ったことにこれまでの道程で不明な事は一つもなかった。全部ウルの意思と選択の結果なのである。言い訳のしようも無かった。

 

「今度はなにをどう生き急ぐのかまでは知らんが、わざわざこの俺がここで仕事してやってんだ!早々にくたばったらただじゃおかねえからな!」

「俺も、アンタほどの人材抱え落ちするのは不本意だよ。肝に命じるさ」

 

 ダヴィネの工房が誕生してから、ウーガの活動の効率は一気に向上した。

 勿論、今まで、あちこちから道具や工具類を仕入れ、使ってきた。が、しかし、ウーガの、ウーガによる、ウーガのための道具というのはなかなか揃わない。都市国で生み出される道具は都市国のためのものだからだ。

 ダヴィネの登場と彼の開発は、全てがウーガで生きる、ウーガの民達を思って造られていた。彼は粗暴で傲慢な王様だが、事道具作りに関しては驚くほどに献身的だった。

 

 本当に、頼もしい。内心で感謝しながらウルは残りの依頼も告げた。

 

「他のメンバーの装備の更新も頼む。やれることはしておきたい」

 

 ダヴィネは露骨に顔を顰めた。

 

「どした」

「テメーの仲間めんっどくっせんだよ!」

「あー……」

 

 思い当たる節しかなかった。

 

「愛人の銀髪に、骨ヤロウ、激ヤバ白王陣狂いに、愛人その2の女王様。なんもかも統一性なさ過ぎて死ぬほど面倒くせえ!」

「後勇者、ディズも頼む。アイツも新調したい装備があるらしい」

「めんどくせえ!」

 

 今度上手い酒を持っていくからと、なんとかダヴィネをなだめて、ウルは工房を後にした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜吞ウーガ守護隊鍛錬所

 

「連係訓練終わり!!休憩に入れ!!」

 

 守護隊隊長、白の蟒蛇のジャインのかけ声で、隊員の面々はぐったりと腰をつける。

 元黒炎払いの面々も参加し、いよいよ層が厚くなってきた反面、味方同士の連携はまだ未熟な面もある。故に新旧のメンツの能力の確認とすり合わせ、相性の良し悪しの確認など、やらなければならないことは多くあった。

 

 その指示を出すジャイン自身も勿論、忙しい。新しいメンツの顔や名前は当然ながら、能力や性格を覚えて、どう使うかを考えなければならない。いよいよもって部隊を分けていくのも検討しなければならなかった。

 

 が、しかし充実もしていた。悪くはない忙しさだった。

 

「順調そうだな」

「なんならお前もやってくか?」

 

 そんな様子を、工房帰りの英雄ウルが見に来ていた。試しに訓練に誘ってみると、彼は顔をしかめる。

 

「英雄様の化けの皮が剥がれそうだから、人目のつかないところで訓練するよ」

「心配すんな。此処の奴ら、お前の事頭のネジブチ切れたガキとしか思ってねえから」

 

 ジャインは笑う。中々の暴言だったが返す言葉も無かったのか、ウルは沈黙した。

 

「んで、そっちはあの天才鍛冶師のとこ寄ってたってことは、〝例の依頼”ってやつの準備か?」

 

 ウルは頷く。彼の手には包装された状態の槍があった。

 天才鍛冶師ダヴィネの腕の良さは、ジャインたちもすでに体感していた。彼の作り出す武具防具はどれもこれも、ジャインが今までやってきた冒険者家業の中でも随一のものばかりだった。

 そんな彼のところにウルが向かった理由は、それくらいしか思いつかない。

 

「やれるだけのことはやろうと思ってな。ただ、どこまでやっても足りる気がしない」

「同意見だな。天賢王からの直接の依頼なんて、俺も想像がつかん」

 

 ジャインも既に、偉大なる天賢王の依頼があったことはウルから聞いている。(互いのため、詳細は伏せてもらったが)

 銀級、一流冒険者と言えるジャインでも、経験があるのは精々高位の神官からの依頼だ。世界で最も偉大なる王からの直接依頼など、経験している冒険者は早々いないだろう。

 まさしく未知の依頼(クエスト)である。

 故にジャインが出来る助言も少ない。精々、ウルもわかっている通り、やり過ぎることは無いというくらいだ。

 

「グリードについたら、留守は頼む」

「は!お前らが帰ってこなきゃ、まんまとウーガは俺たちのものだな」

「実際そうなるかもな。で、そうなると、ウーガの全責任が押し寄せてくるわけだ」

「……忙しさで過労死しそうだな。マジで勘弁しろ」

 

 二人は顔を引きつらせて苦笑いした。互い、肩の力が少し抜けたのを感じた。

 

「死ぬなよ」

「努力する」

 

 年も、生き方も違う二人であったが、そこに友情のようなものは確かにあった。迫る、未知のトラブルに対しても、互いにならば任せられるという、信頼があった。ジャインがウーガに来てから得られた、代えがたい財産の一つだった。

 勿論そんなこと、彼はウルに言うつもりは無いが――――

 

「おうウル!何してんだ!お前もこっち来いよ!」

「よう、ガザ、レイ……と、なにやってんだペリィ」

「新作の試飲会だよぉ。」

 

 見ると、疲れ果ててる黒炎払いの面々に、酒場の店主が何やらカップを配っていた。汗だくの連中のためにわざわざカップが氷の魔術で冷やされているが、カップの中の飲み物が、やけに毒々しい。

 

「まーた変なもの造ったなお前……ザララクの実のジュース……?」

「まあ、変なハーブは入ってないけど……」

「酸っぱくて飲みやすいっすけど、なんか飲んだ後のえぐみひっでえっすね?」

「うるせえよぉ。ウルのお茶よりはマシだろぉ」

「「「そりゃそうだ」」」

「俺も同意見だが傷つくぞ」

 

 ウルの抗議に、全員が笑った。

 悪くない空気だった。やはり、得がたい場所だ。ジャインは改めてそう思った。そして、故にこそ、この先に起こるであろうトラブルに対処するため、出来ることは全てしなければならない。そう改めて感じた。

 そして、ウルも同じ事を思ったのだろう。

 

「――――やれることは、全部やらないとな」

 

 彼は、自らの異形と化した右手を睨み付けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色は嗤い、怒は眠る

 薄暗い暗闇。

 無意識と意識の狭間の中にウルは再び潜っていた。自身の内側の底の底にウルは立ち、闇の中を睨み続けていた。 視線を向け、見渡してもそこには何も無い。

 

「おい」

 

 声をかける。反応はない。手を伸ばしても、今度は手応えすら無い。更に奥へと潜ったのかも知れない。これ以上自分の奥底に潜ろうとすると、恐らくウルはそのまま眠りに落ちる確信があった。

 

 つまり、こっちに引きずり出す必要があった。ウルは意識を集中した。

 

「【竜殺し】」

 

 虚空から、黒輝く鮮烈な大槍が姿を現した。ダヴィネが用意した新型の竜殺し。本物ではない。イメージに過ぎない。だが此処はウルの内側だ。ウルがそれを本物と思えば、それは本物と変わらない力を持つ。

 ウルは出現した槍を左手で握りしめる。視線の先にあるのは自分の右手だ。白い、異形の右手。以前のように、元の真っ当なヒトの手に戻ったりはしていない。完全に肉体に馴染んで、支配できていると言うことなのだろうか。

 それをにらみつけて、ウルは軽く息を吐く。そのまま左手で握った竜殺しを一直線に右手にふり下ろし――――

 

『や  め  よ !  』

 

 その直前、怒鳴り声が響いた。ウルは即座に手を止め、同時に右手を闇の中へと鋭くのばした。そして掴んだソレを一気に闇の奥から引っ張り出す。

 

『き   さ  ま』

「よお、ラスト。元気だったか?」

 

 大罪竜ラストとウルは再び向き合った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪竜

 負の側面の、世界の根幹。

 その一端を担う大罪竜ラストから、情報を聞き出したいとはウルも常々思ってはいた。その考えは天賢王と魔王の話を聞いてから加速した。自分がこれから巻き込まれようとしている状況に対して、未知の要素が多すぎた。

 

 事情があるのだろう。王が全てを語っているとは思わない。伏せている事があるはずだ。

 魔王に関しては言わずもがな、信頼できるはずも無い。

 

 そして、この二人は手を組んでいる。つまり同じ陣営だ。情報の成否とは別に、どうしても偏りがある。別の視点の情報が必要だった。

 

「逃げ、んなよ……!ここまで潜るのも面倒なんだ…!」

『……   ……   !!』

 

 竜の角を持った悍ましいヒトガタの大罪竜の首を掴んだまま、ウルは想像上の竜殺しを更に強くにぎった。竜殺しで自身を刺そうとしたとき、大罪竜ラストはあからさまに拒絶を示した。で、あれば、このイメージの槍は実際のそれに近い力を有している、筈だった。

 

 同時に、()()()()()()()()()()()()()()、此処では出来るはずなのだ。

 

「分かれろ…!」

 

 竜殺しが歪に揺れる。形状が変化する。縄のように、鞭のように歪んでウルが掴んだラストに襲いかかった。一瞬にしてラストの身体を縛り付け、固定する。捕縛が完了したのを確認しウルは、グッタリと息を吐いた。

 

「くっそ疲れる……寝落ちしそうだ」

『き  さ ま』

「こっちは話を聞きたいだけなんだ。頼むから逃げないでくれ」

 

 朦朧としそうになる意識をなんとか引き戻し、ウルはようやくラストを正面から見つめた。ただ、それだけのために相当な苦労があった。何でも出来る世界、とは到底思えない。自分の立ち位置すらも曖昧なのだ。踏み外した瞬間、夢の奈落へと一直線に落ちて、気が付けば朝だ。常に集中を強いられた。

 気を抜かぬよう、ウルは腹に力を込めて、ラストに向き直る。

 

「聞きたいことがある……んだが、なんだ?形変わったか」

 

 落ち着いた状態で彼女に視線を落とすと、以前彼女を見たときと比べやや姿形が変わっていることにウルは気がついた。以前はもっと身体の形がのっぺりとして「ただ、ヒトの形を寄せただけの生物」といった印象が強かった。

 だが、今は以前よりかは幾ばくか、ヒトとしてパーツが詳細になっている。よりヒトらしくなっている。その結果、幼い幼女を縛り付けるという、大分怪しい絵図になってしまっているが、そこは考えないようにする。

 

『貴様の   所為だ ヒトの   魂に  降されるとは    腹立た  しい 』

「同情した方が良いか?」

 

 と、ウルが口にした瞬間、ウルの頬を掠めるように、熱線がラストの瞳から射出された。何もかも引き裂くような禍々しい光が遙か後方の闇まで駆け抜けていくのを。ウルは呆然と見送った。頬が焼けた痛みが後から追ってやって来た。

 

『殺す  ぞ』

「すみませんでした」

 

 見た目が変わろうが、いくらか殊勝になろうが、目から怪光線ぶっ放すこの竜が何処までも油断ならない存在に違いなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『それで  何を  聞くと   言うのだ?』

 

 気がつけば、何も無い暗黒の空間の様相は姿を変えていた。

 

 机が出現し、椅子が出現し、必要かどうか定かではないが燭台が出現し、灯りとなって炎が揺らめいた。奇妙な壁が仕切りのようになって、部屋らしきものかたどっている。ラストは自身が生みだした玉座に腰掛けて、足を組んでふんぞり返っている、竜殺しに縛られた状態で尚、態度は大きかった。

 

「世界の構造について」

 

 対面の椅子に座り、ウルは質問をぶつけた。

 

「まず……お前達大罪竜は、邪神の配下って事で良いのか?」

『殺す  ぞ』

「待て、怒りポイントが分からん」

 

 いきなりラストの眼光が再びピカりそうだったのでウルは慌てた。竜の逆鱗が果たしてどこにあるのか全く掴めない。それを探るためにこうして話を聞き出そうとしているのだから当然と言えば当然だった。

 ウルはラストの怒りが収まるのを少し待った後、再び慎重に言葉を選び、問い直した。

 

「邪神から竜は生まれた?」

『………  そう  だ』

 

 ラストは頷く。

 

「だが、邪神の部下ではない?」

『産みの親が   必ずしも  絶対の存在か?』

「……それは違うな」

 

 竜の逆鱗と、それの言わんとするところがようやく少し掴めた。大罪竜は邪神の意図によって生み出されたが、少なくともラストは邪神を嫌っている。自分を生み出した存在に対する、明確な憎悪がある。

 不覚にも少しばかり、ラストに共感を覚えたのは顔には出さないようにした。

 

「じゃあ、アンタは邪神の意図に沿ってるわけではないと?大罪迷宮ラストが世界を侵食するのは?」

『 機構(システム)だ。   我の意思と  関係なく  迷宮は動く   』

 

 不愉快極まるがな。と、竜は唸った。

 

『神と神の争い   その兵隊達が相争う   その構図に変わりは無い  結局  我の本体もその枠からは出られなんだ』

「色欲本体は既に滅んだらしいからな」

『らしい   な    既に 我は  本体とは  別たれたが』

 

 ラストは平然と言った。

 しかし、自身の本体の死滅については、先程のようにあからさまに怒りをまき散らす様なこともしなかった。自身の死は、ラストにとって割とどうでもいいことらしい。

 竜の独特の感性をなんとか飲み干しながら、更に話を突き詰める。

 

「……そもそも神とはなんだ?」

 

 神、唯一神、太陽神、それに対なす邪神。

 太陽神は絶対の存在であると、生まれたときからそう教えられてきた。都市の内側に長居することを許されない放浪の民であったとしても、その教えは染みついている。この世界の思想の根幹だ。それを疑ったことは無い。自身が踏みしめる地面が存在しないのではないかと疑う者はいない。

 だが、今それが崩れてきている。神は、少なくともウルが生まれてから今日までの間ずっと教えられていたとおりの、莫大で、絶対な存在ではない。

 

 では、果たして神とは何か。

 

 そんなウルの内心を、信仰の揺らぎを見取ったのだろうか。ラストはここにきて始めて楽しそうにウルを見ていた。酷く嘲っていた。

 

『 想像は  ついている  だろう?』

「………」

『出来ていないなら  お前の  最悪を  想像しろ   その下を行くぞ』

 

 ウルは顔を顰めて、沈黙した。それ以上の追求は出来なかった。コレまで歩んできて培ってきた価値観の根幹が砂のように崩れていく感覚を、堪えるのが精一杯だった。

 ウルの沈黙に、ラストはその無様を笑った。闇の中、ひしゃげたような大罪竜の笑い声だけがしばしの間木霊し続けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色は嗤い、怒は眠る②

 

 竜吞ウーガ ウルの寝室にて

 

《にーたんへーきかな?》

 

 アカネは、ベッドに横たわった自身の兄の寝顔を覗き込んだ。外から見たウルの表情は特に何ら、変わり在るように見えない。身体を微動だもせず、深く深く眠っている様に見えていた。

 

「さて、どうかな」

 

 しかしそれは眠っているのではなく瞑想に近い状態だった。それを導いたディズは、ウルの頭を自身の膝に乗せながら、アカネの問いに答えた。

 

「自身の中の大罪竜との対話なんてのは、当たり前だけど前例がほぼ無い。正直どうなるかわからない。瞑想状態の維持くらいはできるけど」

《ディズもいっしょにもぐれん?》

 

 問いに、ディズは悩ましそうに唸る。

 

「私は一度ウルの魂と接触をしているから、多分ウルの中には潜れる……けど、多分私の気配を察したら、ラストは出てこない」

《きらわれてるなあ》

「好かれる可能性皆無だからね」

 

 ディズはウルの額に触れながら、ウルの耳元に口を寄せ、囁く。

 

「気をしっかり持ってね、ウル。君は既に色欲を支配しているんだ。気圧されないで」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルは自身の精神の内側でなんとか意識を持ち直していた。

 何かに勇気づけられたような気がした。ウルの瞑想状態の補助をしてくれるディズのおかげかもしれない。ウルはそれに感謝しながら首を振る。身体にまとわりつこうとしていた暖かな闇を振り払った。

 まだこの空間から追い出されるわけにもいかない。色々と聞けていない部分が多すぎる。

 

「星海ってなんだ」

『神の  用意した精霊の  巣穴  貴様らにとっての  導』

「もう少し具体的に」

『知  ら ん』

「王の計画をどう思う」

『興味   ない な 』

「魔界ってのはどんな場所なんだ?」

『言わ  ぬ    そもそも  そこまで  知らぬ』

「魔王の悪巧みについて」

『どうでも   よい』

 

 やべえ心くじけそう、とウルは思った。

 

「何故あの時、シズクを狙った」

『我らに 干渉する力があるから   だろう ? 詳しくは  知ら  ぬ』

「流石に知らん事は無いだろ」

『事実   知らぬ   我は  既に本体の色欲から  完全に別たれた  本体の経験や知識は  断片的だ   」

「思いのほか役に立たねえな」

 

 怪光線が再び奔ったので横っ飛びで回避した。不本意ながら段々慣れてきた。

 

「お前の力の使い方は?」

『死ね』

「お前、真面目に答える気無いだろ」

『無い   な』

 

 なんというか、想像を遙かに超えて協力的では無かった。

 ディズは曰く、既に色欲の権能を自在に操れる以上、色欲の魂を我が物としている……筈!と、かなり悩ましそうな表情で言っていたが、全然ラストとの関係が支配関係とは思えなかった。あるいはそういう風に自分が感じているだけで、もっとウルから干渉できることはあるのだろうか。

 こればかりは、ディズに頼る訳にもいかない。手探りでやるしかなかった。

 

「お前は既に俺のものだ」

 

 ウルは、色欲を捕縛する黒槍を更に強く握りしめる。玉座に座るラストを縛る槍の一つが、鋭い刃となってその喉元に伸びた。だが、それでもラストは表情を変えない。

 

『脅すか  殺したって  構わぬ――――』

 

 刃が喉を掠めるように伸び、玉座の背に突き刺さる。それでもラストは微動だにしなかった。此方を嘲るように見下ろすだけだ。

 

「……まあ、通じないわな」

 

 ウルはため息を吐き出して、そのまま竜殺しを手放した。

 そもそもこの空間で殺したりなんだりしたところでどれほどの影響を与えられるかも分からない。そしてもしも本当に現実と変わらないようなダメージを受けるとしても、ラストが気にするようにも思えなかった。

 竜の感性はヒトと違う。そこをまず理解しなければ話にならない。

 

「お前、なにがしたいんだよ。願望とかねえのか」

『なにも』

「なにもって……」

 

 ウルは眉をひそめてラストの顔を見た。ラストの表情は、先程のように怒りや嘲りと言った感情は拭い去られていた。虚ろな絶望がっそこにあった。

 

『なにもない   心底   どうでもいい   』

 

 幼い少女のような形をしていたラストが、急に年老いた老婆の様に見えたのは気のせいではないだろう。

 

『勝手に生み出し  勝手に利用し  勝手に排斥し  食い潰す』

 

『放置したと思えば   掘り返し   利用し   また捨てる』

 

『うんざりだ  なにもかも  死に腐れ』

 

 言葉に重みがあるのなら、ウルは潰れていたかもしれない。それくらい、ラストの言葉には絶望が込められていた。それを茶化す気にも、指摘する気にもなれず、ウルは黙ってその嘆きを聞いた。

 が、そんな態度すら気に食わなかったのか、ラストは憎悪に満ちた声をあげた。

 

『哀れむ か』

「嫌なら声に出さなければ良い。悲鳴は相手に訴える為にある」

『……』

「心配しなくても、お前の絶望に軽々しく理解を示すつもりはねえよ」

 

 易い理解や共感は、時に相手を傷つける。

 この色欲の竜は、どう考えても自分とは違う生物で、違う生き方をして、違う時間を過ごしている。違うものなのだ。その点をはき違えて歩み寄れば、恐らくこの竜は自分の消滅すら厭わず、此方を殺してくる。

 

 そして、一つ分かったことがある。というよりもウル自身の反省点だ。

 

「……好きなものはあるか?」

『は?』

 

 ラストは心底怪訝な表情を浮かべたが、ウルは真面目だ。

 

 大罪竜ラストから情報を聞き出す。

 

 必要なことなのは間違いないし、それは戦いのようなものだとウルは思っていた。しかし、その考え方は間違っていたと気がついた。相手から話を聞くのは対話であり、そこには一定の敬意と、交流が必要だ。

 嫌いな相手に、ペラペラと口が回る奴はあまりいない。そんな当然の事実に、ウルは改めて気がついた。

 

「相手の好みを聞くのは、コミュニケーションの基本だろう」

「……」

「おい、心底度しがたいって眼で見てくるな。傷つく」

 

 竜の価値観から見ても大分イカれた応対だったらしい。此方を見るラストの視線は痛かった。世界で最も邪悪なる竜から狂人扱いされるのはなかなか傷つくが、ウルはもう開き直った。

 

「で、好きなものは?」

「ヒトの快楽  情欲   我の糧となる』

「お前を抱けってか?」

『やってみるか?』

 

 首を倒して、目を細め、足を開いて、ラストは笑う。ヒトとしての形をただなぞっただけの体つきが、嫌に生々しく思えた。変貌した竜殺しに縛られた身体が余計にくっきりとその凹凸をウルに示した。

 腹の下を鷲づかみにされるような感覚にウルはぞっとした。目の前の、ヒトからはかけ離れた存在に自分が欲情していることに気がつく。

 色欲の力だろう。ウルは此処に落ちる前、ディズに言われたとおり呼吸を整える。此処は心の内側なのだ。肉欲など存在しない。その事実を改める。

 目を開いたときには、ウルは落ち着きを取り戻していた。

 

「……頭おかしくなって死にそうだ。遠慮しておく」

 

 そう返すと、ラストは不愉快そうに顔を顰め、舌打ちした。

 

『ヘタレが  ならば現実で   女を貪れ』

「どれくらいよそれ」

『100 万   人』

「枯死するなぁ……」

『ああ  死ね』

 

 ラストは斬り捨てる。まあ、現時点で好感度最悪の相手との交流がスムーズに進むはずも無いのだが、取り付く島もなかった。

 

「っつーか、それって飯とかそういう話だろうが。そうじゃなくて――――」

『おはな』

 

 ん?とその時、別の方向から声がした。振り返るが、そこには誰もいなかった。が、足下で何かが引っ張ってくる。

 

「は?」

 

 下を見ると、背丈のとても小さな、黒いヒトガタがいた。ラストとどこか似通った、形だけヒトのものに整えた姿のその子供は、ウルの裾を掴みながら、玉座に座るラストを指さして、言った。 

 

『ラスト、おはな、すき』

『ラース !!』

 

 ラストは鬱陶しそうに、憤怒の竜の名を叫んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

色は嗤い、怒は眠る③

 

 突然出現した第三者にウルは混乱した。

 混乱している最中も、ラストの叫んだ言葉が頭の中で反響した。

 

「らーす…………ラース!?」

 

 ラース、憤怒の大罪竜ラース。確かにその名をラストは口にした。

 それは間違いない。が、しかし、だ。

 

「これが!?」

 

 ウルはほぼほぼ幼子と大差ないレベルの小柄なラースを掲げてラストへと問うた。ほぼほぼ幼児のような姿をした、髪も肌も真っ黒な子供を高い高いしているような状況になった。ラストはぶらんと掲げられて足をパタパタとさせているラースを見て、頭痛を堪えるように顔をしかめた。

 

『災禍の竜を   雑に掲げるな   腹立たしい』

『…………』

『お前は  お前で   なにを  されるがままに   なっている  泣き虫め』

 

 ラストに詰められるが、ラースは特に返事は無かった。その内ぶらんとされるがままにウルに持ち上げられるままになった。その仕草がますますもって竜というよりも子供のソレであった。

 ラストはラストで幼くなっているが、こっちは更にだ。

 

「いや、だってお前……なにがあったんだよ」

 

 ウルの記憶にあるラースは、あの遺骸の中で出現した、黒いの灼熱の血を吐き出しながら狂乱するヒトガタの姿だ。今でも思い返すだけで寒気を覚えるような狂態だった。それがなにがどうしてこうなったのか?

 

『…………   破損箇所の  大部分が  パージされ   修復状態になった』

「なんて?」

 

 単語は分かるが、結局なにを言っているのか分からない。ラストは心底面倒くさそうな顔をして、イライラと歯ぎしりしながらも言葉をつづけた。

 

『だが、   我のような  完全な   継承機能は  元よりない   』

「あー……つまり?」

『生まれ  なおした   ような   ものだ』

 

 やはりさっぱり分からなかったが、たぶんさらに疑問を投げつけたら怪光線が飛んでくるのでウルはやめた。ラスト以上に幼くなったということなのだろうか。と、なんとか解釈しながら、抱えたラースを此方に向けてみる。やはり身体の各パーツはやや曖昧だ。子供のような大人のような、男のような女のような、ハッキリとしない。

 あの、ラースの遺骸の中で見た、悍ましいヒトガタの面影がかけらもなかった。

 

『…………あー』

「なんだ」

 

 ラースはラースで、されるがままに掲げられた状態でじっとこちらを見つめてきた。何か言うことでもあるのだろうか。と、そのまま待っていると。

 

『なまえ』

「ウルだが」

『うる』

「そうだ」

『うる、うる…………』

 

 応じる。質問したラースはその答えに対して、特に大きく反応を示すわけでもなかった。ウルの名前を幾度か繰り返していたが、そのうち

 

『…………――』

「おいっ!?」

 

 かくんと、突然全ての力が抜けたようにがくりと頭が倒れた。何かの異常か!?と、咄嗟に顔をのぞき見るが、ラースに主だった変化はなかった。ただ、口をぽかんと開いていた。そして、

 

『――――すぅ』

 

 そのまま寝息を立て始めていた。

 

「寝たが……!?」

『我に   言うな  』 

 

 ラストは心底面倒くさそうにそう言った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『ラースは 今は休眠 状態だ   だが、  貴様が喧しいので  起きてきたのだ』

「早寝したらパパとママの声が聞こえてさみしくなって起きちゃった幼児的なアレ?」

『おぞましい   例えを   するな  』

 

 寝落ちしたラースは現在、虚空から出現したベッドの中で横たわり、眠りについている。やはり身体の構築する部品は曖昧であるものの、その仕草は眠る姿は幼い子供のものと大差なかった。それを横たえたウルは、なかなかに複雑な表情でそれを見つめる。

 

「……こんなのが、ラースを焼いたのか」

 

 かつて存在した栄華の大地。ラース領。イスラリアでプラウディアに次いで繁栄したという、精霊の信仰が最も豊かだった自然豊かな土地。それらを跡形も無く呪い殺し、跡形もない砂漠の海に変えて、今日までずっと世界を焼き続けた呪いの黒炎の元凶そのもの。

 さらに言うならば、焦牢でウルの仲間達に、彼女の命、そしてウル自信まで蝕んだ全ての源だ。

 そんな、恐ろしい元凶は、今、ウルの前で無防備に、子供のように寝こけている。

 

『恨む  か ? 今なら  晴らせる  ぞ?』

 

 そんなウルを、嘲り、嘲弄するようにラストが問う。ウルの内側にずっといたのだから、ラストとて、ウルの状況はある程度把握しているのだろう。ウルの憤怒を擽るような言い方だった。

 

「……好き好んで呪いを振りまくような邪悪なら、怒りもぶつけたかもな」

 

 思うところ無いかと言われれば嘘になる。

 だが、あの時の、苦しみの中で藻掻き、助けを求める声をウルは聞いた。あれが幻聴でも無いのなら、ラースはただただ地上の災厄をまき散らすだけの呪いの竜とは別の側面があるのだろう。その背景をなにも知らぬうちに、拳を握り固める事が出来るほど、ウルは単純では無かった。

 

『…………』

 

 少なくとも、何か、とてつもなく重く苦しい鎖から解放されたように、穏やかに眠り続けるラースをたたき起こそうという気にもならなかった。

 

『ヘタレ  が』

「まったく、返す言葉もねーよ……っと」

 

 そんなことをしている内に、不意にウルは身体が軽くなっていくのを感じた。まるで水面のそこから引き上げられるような感覚で「時間切れ」になったのだと理解した。

 

「そろそろ起きるわ」

『さっさと失せよ』

 

 結局、当初の目的はあまり果たせなかった。その点は手伝ってくれたディズには大変申し訳ない。が、この竜達が「敵」では無く、憎かろうが、罪深かろうが、今後、どう足掻こうとも長く付き合う事となる「同居人」であると知れたのだけは、前進と言えた。

 意識が浮上する寸前、最後にベッドで眠るラースと、竜殺しから解放され玉座にふんぞり返り続けるラストへと軽く手を振った。

 

「じゃーな。次は土産でも持ってくるさ」

『なら  次ぎ来るまでに勇者でも啼かせろ   嗤ってやる』

「無茶言うな下ネタクソババア」

 

 最後に思わず暴言を言い放った瞬間、ラストが座っていた玉座がすっ飛んできて、ウルの意識は途絶えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「いてえなクソババア!!!」

 

 ウルはベッドから飛び起きた。

 

「うわ!?」

《どしたー!?》

 

 身体を起こすと、すぐ側でウルを抱えていたディズと、ウルの胸をベッドにしていたアカネが驚き飛び上がった。ウルは周囲を見渡し、今自分が自室に居ることに気がついた。

 

「ウル、大丈夫?夢の中で殺されたりした?」

《にーたんいじめられたか?》

「いや、大丈夫だ……多分」

 

 顔面がひしゃげるような勢いで家具が顔面に叩き込まれた筈なのだが痛くもなければ顔も潰れても居なかった。安堵すると、そのままラストとの接触を手伝ってくれたディズを見た。

 

「どうしたの?ウル。ラストと接触できた?」

「出来た。出来たんだが………」

 

 むにむにとウルの頬をつつくアカネを撫でながら、ウルはディズに尋ねた。

 

「ディズ、ホラー小説とか興味ある?」

「本当になんの話???」

 

 とりあえず悲鳴を上げさせるのは試みてみることにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天祈のお仕事、もしくは鏡の女王の狂乱

 

 

 ウルが朝、目を覚ますと、自分の寝ていたベッドに天祈のスーアが眠っていた。

 

「――――くぅ」

「……………………神よ」

 

 ウルは神へと嘆いた。しかし何一つ状況は好転しなかった。

 天祈のスーアは依然としてベッドで寝ている。すよすよと、心地よさそうに眠っている。ついでに言うとウルは半裸だ。つまり状況は最悪である。何の試練だコレは。

 当然ながら、ウルはスーアに何かしら“おいた”をした記憶は無い。皆無だ。断言できる。昨日は酒を入れてなかったので確信がある。そしてスーアと昨日接触した記憶も無い。王と対談の後、スーアは王と共に帰還したはずだ。

 つまりこのスーアはいつの間にか自分のベッドに潜り込んで眠っていただけである。

 なんでだ畜生。

 

「いや、落ち着け、とりあえず服だ、服を着よう」

 

 ウルは何一つとしてスーアに手を出していない。神に誓ってそうだ。が、しかし、この状況を他人が見たら果たしてどう捉えるかは分かったものでは無かった。最悪、いらん邪推をしかねない。というかする。

 ウルという存在は現在治外法権だ。前代未聞の英雄という箔がついてしまった為に「何だってやりかねない」という悪い信頼がついてしまっていた。実際、勇者とベッドで一夜を共にしただとか、実は天祈と()()()であるだとか、竜呑の女王をたぶらかしているだとか、そういう噂が流れている(一部真実が紛れはいるが)。それを加速させるような状況は避けねばならない。

 スーアを起こさないように(起きたら多分今よりややこしくなる)身体を起こして、音を立てず、なんとか自分の着替えの納まった棚へとウルは慎重に手を伸ばし――――

 

「ウル?起きてる、ちょっと見て欲しいものが――――」

 

 その寝室の扉をリーネが開け放った。

 

「…………」

「…………」

 

 リーネは無言になり、半裸のウルを見て、次にベッドのスーアを見た。そして、

 

「あんた、とうとう……」

「お待ちあれ」

 

 本当に待って欲しかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 現在、ウーガの進路は大罪都市グリードである。

 大罪都市エンヴィーの衛星都市で補給を終え、アーパス山脈を西から回り込むようにして歩みを進めている。通常であれば西からのルートは、途中、存在する【魔炎迷宮】地帯が道を塞ぐ。迷宮からあふれる炎が大地を絶えず焼き尽くすその一帯は、移動ルートとしてはあまりにも厳しい。誰も足を踏み入れられない。

 が、そういった困難なルートもウーガであれば容易に踏み越えられる。強靱なるウーガの足が、炎で焼かれることは無い。【竜吞ウーガ】がいかに革命的であるかがよく分かる一例だった。

 

 そんなわけで、大罪迷宮グリードへの進路は順調だった。

 

 が、対して住民達は珍妙なる試練にぶつかっていた。竜吞ウーガ地下 2層目。ウーガ守護隊の訓練施設にて。その場には、ウル達【歩ム者】とディズ、アカネが揃っていた。(といっても、ロックは「おもんなそうじゃから体動かしとくわ!カカカ!」と適当に、そこらで訓練していた白の蟒蛇の戦士達とどつきあっている)

 

「で、今日はどのようなご用件だったので。遊びに来たとか言わないでしょうね」

 

 ウルは、いつの間にか自分の寝室に潜り込んでいたスーアに問うた。しばらくの間、寝起きでぼぉーっとしていたスーアは、(その所為でリーネへの説明にかなりの時間を必要とした)ウルの問いに対してゆるゆると頷いて、応じた。

 

「それもあります」

「友達かな?」

「アカネとは友達になりました」

《なったよー!》

 

 ウルと同じく目の前の状況に大分悩ましい表情をしていたディズの頭に乗っていたアカネが元気よく返事した。ぴょんと飛び出すと、そのままスーアの周囲を楽しそうに飛び回った。スーアも表情はあまり変わらないが、なんだか楽しそうに見える。

 微笑ましい光景と言えなくもない。一方が王の御子で、もう一方が神殿に禁忌とされた忌み子であるという事実から目を反らせば。

 

「アカネは社交的だなあ……で、改めてご用件は?」

 

 ディズが改めて問う。流石に、本当に遊びに来たわけではあるまい。スーアも頷いた。

 

「【鍵】の状態を確認しにきました」

 

 鍵、この状況で鍵と言うと、勿論普通の扉の鍵ではないだろう。

 

「私と、ウル?」

「はい」

 

 エシェルが手を上げ、スーアは頷いた。

 鍵、【魔界】への鍵。大罪竜の魂の確認。それは確かに必要で、ウル達にはどうしたら良いか分からない問題だった。魂は魔力の貯蔵器官である。というのは知識として知っているが、それ以上の理解は無い。

 

「そもそも、鍵と言われてもよく分からないんだが……私たちは、もう持ってる?」

「魔物を倒せば魔力は回収できるでしょう。それと同じ」

 

 魔物を殺す。魔力を魂が吸収し、肉体が強くなる。この世界で、魔物との戦いを生業をする者達ならば当然の常識。ウル達も当然、知っていることではある。だが、そうなると

 

「でもそうなると、竜の魂も吸収されてしまうのでは?」

 

 リーネが手を上げて、問うた。竜も、そのプロセスをたどるとすると、自然とそうなるように思える。だが、スーアは首を横に振った。

 

「いえ、竜の魂は()()()()()()()。いくらかの余剰分は【超克者】に吸収されますが、その大半は崩れず、残ります」

「なるほど……」

 

 つまり、その残った魂が、魔界への鍵と言うことになる。少し理解できてきた。次に手を上げたのはエシェルだった。

 

「でも、竜なんてとんでもない存在の魂、その、なんというか……あふれたりしてしまわないのでしょうか……?」

 

 魂から、あふれる。

 奇妙な表現であるが、なんとなく言わんとしていることは理解できた。竜という強大な存在の、その魂を、まるまま吸収して、器に蓄える。簡単にできるとは思えなかった。

 

「そうですね。ですから、そもそも、魂の器を十二分に強化できていない者は、超克者たり得ません」

 

 例えば、ただ、大罪竜の超克時に、傍に居ただけでその魂を受け止めることは出来ないのだとスーアは言う。

 

「我々七天は、人類の限界までの強化は行っています。ラストの超克者となったディズは問題ありません」

 

 ディズへとスーアが視線を向けると、彼女は頷いた。そして次にウルとエシェルを見る。

 

「ですが、貴方たちは、そうした準備を整えた訳では無い。イレギュラーに近いのです。なので点検に来ました」

 

 確かに、それはその通りだ。七天達は恐らく、計画の進捗にかかわらず準備はしていたのだろう。が、ウルもエシェルも、別に竜の超克を目的に今まで戦ってきた訳では無い。特にエシェルは、半ば偶然そうなったに過ぎない。本人がまるでケロっとしているが、ふとした拍子にえらいことになる可能性は十分にあるのだ。何せ竜の魂なのだから。

 

「まあ、専門家に見てもらった方が頼もしいわな」

「よ、よろしくお願いします!」

「まかせなさい」

 

 スーアは自信満々に頷いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「よくわかりませんでした」

「おいコラ」

 

 ウルは暴言を吐いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天祈のお仕事、もしくは鏡の女王の狂乱②

 

「ウルは良い意味でよくわかりません。エシェルは悪い意味でよく分かりません」

「怖い」

 

 スーアのざっくりとした寸評を聞いて、エシェルは怯えてシズクに抱きついて、よしよしと慰められている。「言い方」と思わんでも無かったが、スーアにそこら辺の繊細な気遣いを期待するのも無駄なので兎に角続きを待った。

 

「まず、ウルですが」

 

 スーアが此方に顔を向けた。帯に隠された眼が、此方を見透かすように見つめている気がした。

 

「貴方には憤怒の竜の魂の他、色欲の魂もある」

「ああ、そうだな」

 

 そこまでは理解している。スーアが来る以前から、何度か接触は繰り返している。(尤も、半分以上は接触すると同時に弾き飛ばされると言ったことを繰り返しているが)

 

「色欲は竜の破壊による魂の吸収を経ていません」

「そうすると問題が?」

 

 確かに、憤怒は兎も角、色欲の魂がウルに潜り込んだのは、半ば事故、半ば悪意だ。色欲の大罪竜に接触したときに受けたあの“白蔓”がウルの肉体に潜り込み、そこに潜んでいた魂が覚醒したという経緯である。

 

「【超克】、即ち、打倒による屈服を行われなかった魂は、全くコントロール出来ない異物です。封じなければどうなるか分かったものでは無い」

 

 ディズは頷く。彼女がウルの異形と化した右手を見てすぐ、“機織りの魔女”に頼んで作ってもらった【黒睡帯】で封印を施した。その判断はやはり正しかったのだ。

 しかし、今のウルは【黒睡帯】で封印していない。むき出しの状態で、何の問題も無い、どころか、色欲の有する権能を自分の手足の延長のように使いこなせるようになっている。

 

「その魂が、今はとても落ち着いています――――下手すれば通常の超克者の保有する魂よりも遙かに」

「つまり?」

「なんだかよく分かりませんが、色欲は完全に貴方に屈服してます」

「なんだかよく分からないのかあ……」

 

 安心していいんだか悪いんだかよく分からない評価を頂いた。

 

「竜の魂は数百年間の経年によって肥大化しています。それを、物理的な打倒を経ず、精神でどう屈服させる事が出来たのか本当になぞです」

「なんでだろうなあ……」

 

 なにも分からずウルが呆けた声をあげると、何故かエシェルをよしよしと慰めているシズクからの視線が妙に痛くなった。多分気のせいだ。

 

「そして憤怒もかなり落ち着いています。大罪竜二つの魂が、私が調整せずとも納まっている。恐らくですが、貴方の魂の容量が大きく拡張されているものと思われます」

「大丈夫なのそれ」

「安定はしています。大丈夫です――――多分」

「そう祈るよ……切実に」

 

 なるほど、確かに「なんだかよくわからん」である。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウルをなんとも言えぬ表情にするだけして、寸評を終わらせたスーアは、次にエシェルの方へと視線をやった。

 

「そしてエシェルですが」

「は、はい……」

 

 何か恐ろしい病があることを告げられるのではないか、と、そんな風に怖々とした表情でエシェルは頷く。

 

「貴方は、大罪竜プラウディアの魂の一部を簒奪しています」

「あ、あんまり覚えていないのですが……」

 

 【陽喰らいの儀】の時のエシェルの暴走状態は、当人の記憶は殆ど残っていない。

 ウル達からすればむしろ忘れる方が難しいくらいのヤバい状態ではあった。確かにあの状態の彼女であれば、竜の力の一部を奪うくらい、仕出かしかねない危険性があった。

 しかし、スーアは不思議そうな顔をしている。

 

「貴方の内には確かにプラウディアがある、筈なのですが…………」

 

 そのまま、ふよふよと、エシェルの前に近寄ると、彼女の頬をむにむにと引っ張った?

 

「なんというか、隠れてしまっています」

「はふれて……?」

「プラウディアは臆病なのです。恐らく自らの力を封印して、隠れてます」

 

 また、わかりやすいようでわかりにくい表現だった。

 

「ミラルフィーネの簒奪の力の収容と、カーラーレイ一族の末裔としての膨大な魂の許容量、この二つが複雑に絡み合っていて、とても読み取りづらいのです」

「わかりやすくいうと」

「ごちゃごちゃしすぎてます」

 

 ウルは、今日までエシェルが簒奪していったいろいろなものが、エシェルの中で全く整頓されずにとっちらかっている光景を想像した。そのガラクタの山の中に、プラウディアの竜の魂が、紛れ込んで隠れてしまっているイメージ。

 それがどういうことかというと、

 

「なに、汚部屋状態って事?」

「う゛ー……」

 

 リーネの表現はあまりに容赦がなかったが、恐らく的確だった。エシェルはうなった。

 

「なんとかしなければなりません。自ら力を封じたのであれば、どの拍子で出てくるか分からない。コントロール下に収めなければ」

「……どうやって?」

 

 汚部屋という表現が的確だったとしても、部屋の中を清掃するように魂を掃除するのは難しいだろう。ウルとて、今なんとか自分の内側の竜達と接触を試みているが、四苦八苦だ。片付けなんて出来るとは思えなかった。

 

「幾つかやり方はありますが、時間がかかります。ですが今は時間が無い」

 

 なので、と、スーアはエシェルを指さして、頷いた。

 

「むりやりひきずりだします」

 

 自信満々に、そう言った。

 

「めちゃくちゃ嫌な予感がしてきたんだが大丈夫だと思うか?」

「リーネ様、訓練所の防御術式の出力を上げられますか?極限まで。あ、もしもしジャイン様?地上部の警備をお願いします。振動が起こる可能性がありますが、ウーガ機関部の整備のためと告知してください。カルカラ様。司令塔へ移動を、万が一の時はすぐに指示が出せるように」

 

 シズクが穏やかな微笑みを浮かべたまま、テキパキとあちこちに指示を出し始めた。不安が増した。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 無理矢理引きずり出す。

 

 スーアのその宣言で、訓練所は急激に慌ただしくなった。

 その場に残っていた白の蟒蛇の戦士達はその場から避難した。彼らにはそのまま、訓練所の封鎖を依頼した。残ったのは【歩ム者】のメンツのみ。そしてシズクとリーネを中心に、最初から敷かれている訓練所の防御術式の厳重な強化が行われた。

 元より、この訓練所の防御術式の強度は極めて高い。この場所はリーネも使うため、終局魔術(サード)も耐えられるように設計されている。それを更に強化する。

 

 それほどまでに、“エシェルの全力”、というのは覚悟を決めなければならない。

 

「魔本無しかあ……!」

 

 そのことを、エシェル自身も理解していた。常に携帯するようにしていた黒の魔本を口惜しそうに見つめていた。

 

「そんなに厳しいのか?」

「厳しい!!」

 

 ウルの問いに彼女は即答する。

 

「力自体は、使えないことは無いんだ。最初は……ただ」

 

 ウルがいなくなった間も、魔本を使用した訓練と同時に、「唯一品の道具に依存しすぎるのは良くない」とそれを用いない訓練も続けていたらしい。が、それらの訓練の結果はどれも散々だったとエシェルは嘆く。

 

「全力を引き出そうとすると、すっごい勢いで衝動に飲み込まれて、意識がとびそうになる。慌てて中断してなんにも進まない」

「精霊の構造はヒトとは違います。否応無く精神が飲まれてしまいます」

 

 そのエシェルの説明を、スーアが補足する。スーアはスーアで、先ほどから幾つかの精霊と交信しているのか、眩い光がその周囲を照らしていた。

 

「が、今はそれが必要です。というよりも、魔本が邪魔なのです」

 

 グレーレからもらった禍々しい気配を放つ黒い魔本を指さす。邪魔、と言われてエシェルはややショックを受けていたが、スーアは気にせず続けた。

 

「それは、出力に大幅な制限を与えるものです。根元からせき止めて、一気に力が溢れてしまわないようにしている。優秀な魔本ではありますが、禁書として封じられた理由もある」

 

 確かに、その本が精霊の制御に対して極めて優秀なだけであるなら、螺旋図書館の地下深くに封印する必要性なんて無かったはずだ。グルフィン達、神官見習いらの訓練を見てもわかるが、精霊の力の制御は常に難しい。

 神殿なら需要は山ほどあるはずなのに、封じられていた。その理由は、

 

「力を抑えるほど、せき止められた力は溜まり続け、いずれ限界を迎えます」

「とてつもない欠陥品では?」

「これの前回の所有者は、その限界を迎えて、都市まるごと滅ぼしかけました」

「なんてもの寄越すんだあの天魔ァ!」

 

 要は、川の流れをせき止めていた壁が崩れて、ため込んでいたものが一気に放出されるようなものなのだ。なるほど、確かにそれは危険極まる。うっすらとエシェルも自覚はしていたようだが、そんなものに依存していては、いずれ大変なことになってしまう。

 

「グレーレもそれは理解していたのでしょう。ですから私に“調整”を依頼してきました。依頼の報酬は【歩ム者】に渡しておきます」

「うにゃああ……!」

「なんというか本当に、頭飛んでるんだか、義理堅いんだか分からん男だ」

 

 ウルは天魔のグレーレとは全くと言って良いほど関わっていない。のでエシェルやカルカラからの伝聞からしか聞いたことは無いが、本当に色々と癖の強い男ではあるようだ。そんな男の所に行ったっぽいあの幼なじみは大丈夫なんだろうか、と思わないでもなかった。

 

「基本的には定められた規則は守る男ではあるよ?しょっちゅう抜け道を使うけどね……さて、シズク、リーネ、大丈夫?」

 

 一方、彼をよく知るディズは苦笑し、怒りの矛先を絶妙に奪われ悶えるエシェルを慰めるように肩を叩きながら、周囲に目線を向けた。

 先ほどからずっと訓練所の強化を続けていたシズクとリーネは頷く。

 

「なんとか、と言ったところでしょうか?」

「白王陣は完璧……と、言いたいけど、エシェルの暴走をどこまで抑えられるかは不明ね」

「うう……ありがとう。リーネ」

「あら、感謝なんていいわよ。こんな都合の良い実験に巻き込んでくれてありがとうエシェル。私嬉しいわ」

「感謝して損したぁ!」

 

 どこまで押さえ込めるかは兎も角、いつも通りではあるらしい。その点は頼もしい。

 

「私とリーネ様は結界の維持と支援に努めます。ウル様、ディズ様、ロック様、アカネ様、そしてスーア様、万が一の際の抑えをお願いします」

 

 形としてはシズクとリーネが後衛で、それ以外のメンツが前衛という、割とちょうど良いバランスにはなった。前線に七天が二人も居るのは大分豪華なメンツではあるので頼もしくはあったが、エシェルの全力がそれくらいの準備が必要な相手なのだと思うとなかなか覚悟が必要だった。

 

「まあ、やるだけやってみるが……」

「微力は尽くすよ。アカネ」

《まっかせとけー!だいじょーぶよエシェル!》

『カッカッカ!楽しそうじゃの!!!』

 

 それぞれの励ましの言葉を受けて、エシェルはゆっくりと後ろに下がる。万が一が無いようにと、全員から距離を取った。

 

「私が基本的に抑えます。安心しなさい、エシェル」

「お、お願いします……では」

 

 最後、スーアの言葉に頷いて、彼女は胸元に両手を合わせて、意識を集中し始めた。カルカラと一緒に訓練を始めてから身につけた、精霊に力を捧ぐ祈りの所作。精霊憑きの彼女の力は神官の加護とは全くの別物になるのだが、集中のルーティンとして身につけていた。

 普段であれば、そのまま魔本が周囲に展開するのだが、今回それは無しだ。それでも順調に、彼女の姿は黒い喪服のようなドレスに変貌していった――――が

 

「…………なんか、ちょっと――――」

 

 ウルは、何か気配を感じていた。

 異能としての直感ではなく、経験則から導き出される直感。

 エシェルの周囲に取り巻く力の異様なまでの高まり、魔本という制御弁無しであればこういうものなのか、と一瞬思いもしたが、やはり明らかに力の高まり方が尋常では無い。

 

 あれ、コレ不味くない?

 

 と、一瞬思った。同時に

 

「あ、ダメかもしれません」

 

 スーアの、とてつもなく不穏な独り言がウル達の耳に届いた。同時に、スーアが即座に両手を前に掲げ、陽喰らいの時にも見せた凄まじい光の凝縮を前方に展開し――――

 

「――――――――――アハ」

「あ」

 

 嗤い声が響き、同時に、莫大な力の奔流……というよりも爆発が起こる。 

 そして、スーアが吹っ飛んだ。文字通り。

 

《スーアとんでったなー?》

「おおっとあああ!!?」

 

 アカネがのんきにそれを表現し、ディズが悲鳴を上げてスーアを回収する。その間も力の爆発は継続し、リーネが用意した結界によって抑え込まれるが、軋むような凄まじい音が、地下空間の訓練所全体を揺らした。結界そのものが限界よりも、この広い空間そのものが先に限界を迎えそうな勢いだった。

 そして、その中心には、

 

「アハ、ウフフフフ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 真っ黒なドレスを纏い、ベールを被り、妖艶に、邪悪に狂笑するエシェル―――ミラルフィーネの姿があった。

 

『のう、ワシ、めっちゃ頭良いから分かるんじゃが』

「ほう、なんだよ」

 

 ロックはぼそりとつぶやき、ウルは応じた。

 

『これ、めっちゃヤバいと思うんじゃが』

「おっと天才登場」

 

 二人は巫山戯て、笑いあった。

 あるいは笑うしか無いと言える。

 

「――――ねえ、ちょうだい?」

「『やなこった」』

 

 凶悪なる鏡の女王の要望に、ウルとロックは槍と剣で応じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天祈のお仕事、もしくは鏡の女王の狂乱③

 

 

 ウーガ地上部にて、白の蟒蛇たちは忙しなく動いていた。

 住民達の不安を煽るような焦りは表には出さないようにしながらも、何が起こっても問題ないように、至る所に白の蟒蛇の戦士達は配備された。その流れに淀みは無い。流れるような防衛の陣形がとられた。

 ただし、今回は外部からの敵では無い。内から起こるトラブルの対処である。

 

「ジャインさーん、配備終わったっすー」

「ご苦労」

 

 ラビィンからの報告を聞いて、ジャインは頷く。ひとまずシズクからの連絡を受けての対応は完了した。相変わらず、急な依頼が多い女だったが、彼女の命令は大体的確なので、ケチはつけられなかった。

 

「しっかし……だいじょぶっすかね?」

「どうかね」

 

 ラビィンの不安そうな表情に対して、ジャインは肩をすくめた。

 

「現実的な話として、アイツらは既に俺たちよりも上の領域にいる。俺らの常識からじゃなんもわからん」

 

 経験や知識、ギルドの連携等でウル達に負けるつもりはないが、個々人の能力については【歩ム者】達は常識外の能力を有している。そして、その中でも一番の常識外と言っても過言ではない女王の全力を引き出すというのだから、ジャインには何の保証もしてやれなかった。

 

「あっちゅーまに抜かれて悔しいっすかね?」

「んなに若くもねえよ。もう、俺たちに計り知れないってだけ――――」

 

 と、軽い雑談をした、その時だった。

 地下から、地響きのような轟音が鳴り響いたのは。

 

「……やっぱダメっすかね?」

「あらゆる意味で一筋縄でいく女じゃあないわな。混乱してる住民いたら落ち着かせんぞ」

「うーっす」

 

 ウーガの日常を守る要の彼らは、今日も今日とて駆け回っていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウルが力を手にしたことで、驕りを覚えなかったかと言えば、それは嘘になる。

 自分自身のコントロールはどちらかといえば出来ている方だと思うが、それでもやはり、過ぎた力を得た事による慢心は、容易には飲み込めなかった。

 何せ、まだまだ身体のコントロールは効かない所多いとはいえ、事実として、強くなったのだ。これは覆しようのない現実だ。

 

『おう、ウルよ、大丈夫かの』

「まあ、なんとかな……」

 

 そして現在、その慢心はすっかり飲み干せた。

 ウルは訓練所の中で倒れ込んでいた。ボロカスである。慢心など否応なく消し飛んだ。ウルの隣でロックは座り込んでるが、彼もまあまあズタボロだ。少しずつ再生しているが、一部消し飛んでいる。

 

 訓練所の様相も変わっていた。先ほどまでは平坦でなにも無かった地面の至る所が隆起し、壁の様に突き出ている。といっても此方に関しては異常では無い。あらゆる戦闘状況を想定するために、必要に応じて仕掛けられている大地の魔術が稼働するようになっているだけだ。

 問題は、その影に隠れなければどうにもならない現状にある。

 

「で、どうする、あれ」

『どうすっかのう、あれ……』

 

 アレ、と二人が呼ぶのものは、隆起した地面に身体を隠すことも無く、堂々と空中を浮遊しながら、フラフラと移動している。そして、楽しそうに嗤い、叫んでいる。

 

「ねえ、ウル、ウル!あーそーんーでー!!」

 

 エシェル、暴走状態。

 あるいはミラルフィーネ状態と言うべきか。そんな今の彼女は荒れ狂っていた。実に楽しそうである。景気よく力を振り回して、ウル達をボロカスにして、現在の状況に至った。

 なんというかまあ、本当にどうしようもなかった。

 

「あらゆる遠距離攻撃は喰われる。じゃあ近接攻撃だといけるのかっつーと別に変わりない。ドレスに纏わり付いた鏡の破片が全部簒奪の効果持ち。攻撃速度は光並……」

『まあワシらもヒトのこと言えんが、ばっけもんじゃのー』

 

 エシェルのスペックを一つ一つ確認すると、なんというか本気でとんでもない生命体だった。ウル達も全員それぞれに異端の能力を手にしてはいるものの、やはりエシェルは飛び抜けている。

 

「とはいえ放置もできねえ。うっかり飽きて外に出たら訓練じゃなくて災害になる」

『我らが女王がウーガで大暴れは洒落にならんの!』

 

 しゃーない。というように、ロックはかけた自分の肉体を即時再生させる。同時に剣を構えると、自身の骨の足に手で触れた。

 

『【骨芯強化】』

 

 ロックの肉体が変貌する。骨がまるで筋肉のように纏わり付き、一回り大きくなる。みしりと地面を爪のように伸びた骨が食らいつき、そのまま蹴った。

 

『カッ』

 

 ウルもそれに合わせて飛び出す。エシェルはまだ此方に気がついていないのか、キョロキョロと周囲を見渡している、様に見える。一見して隙だらけ――――に、見える。が、

 

「――――みぃぃいいいいいいいいいいつけたああ!アハハ!!」

『ッカアアア!??』

 

 エシェルへと跳び、剣を振りかぶっていたロックが突如爆発した。彼女の周囲を守っていた鏡の中の魔眼がロックを捕らえたのだ。彼女が簒奪した竜の魔眼のこの上なく厄介なところは、その秘めた力そのものもそうだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、

 

『流石にもう慣れてきたわぁ!!!【骨芯分化】!!』

 

 粉々に吹っ飛ばされたロックの身体が、更に別たれる。砕けた彼の身体が更に変化し、別の形態、小さな動物の形に変わる。犬のようになったそれらの骨は、一斉に動きだした。

 

『走れや犬ども』

「わんわん!!」

 

 動き出した骨の死霊兵達をみて、エシェルは楽しそうだった。以前顕現した時と比べて、今の彼女はかなり“遊び”に思考が寄っているらしいという事をありがたく思いながら、ウルは骨の犬たちに紛れながら、一気にエシェルへと近づいた。

 地面を蹴り、跳ぶ。一気に彼女へと接近した。同時に、向かいからもう二つの人影が出現した。

 

「ディズ」

「合わせて」

《いくでーにーたん!!》

 

 別の方角からやってきたディズとアカネの声に頷き、ウルは彼女と合わせて槍を振った。エシェル本人に、ではなく、彼女の周囲を守るように旋回を続けていた巨大な鏡。それを正面からでは無く、額の部分を殴りつけて、物理的に吹き飛ばす。

 

「そらよ!!」

「あれ?」

 

 周囲に出現していた骨の犬に視線を奪われていたエシェルは驚くが、その隙に、ディズの背後に控えていたスーアが一気に飛び出した。無数の精霊の輝きを一気に振るい、放つ。

 

「【大地の精霊(ウリガンディン)水の精霊(フィーシーレイン)】」

「む――――?」

 

 岩で硬め、その上で凍てつき封じる。

 一瞬にして、エシェルの姿は覆い隠され、彼女の足下にたむろしていた骨の犬たちを砕き散らして、激しい音と共に地面に落下した。

 驚くべき早業の封印だった。

 ディズ曰く、スーアは精霊憑きは兎も角、精霊の暴走状態を収める役割もあるのだという。こういう事態は専門家なのだ。故に頼もしい。

 

 の、だが、

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハッハハ!!!!」

《あかんかったな?》

 

 次の瞬間、スーアの施した封印は一瞬にして砕け散った。内側から光が漏れたのが見えたと思ったら、氷も岩も紙切れのように引き裂かれてしまった。

 

「むぅ……」

 

 スーアも不満げだ。自分の封印があっけなく打ち破られた事が気に食わないらしい。が、今はスーアの機嫌を気にしている場合でも無い。

 

「どうしたもんかねこれ」

『あれじゃ、お前さんの魔眼で拘束するとかは?』

「鏡相手にか」

『あ~~~そりゃいかんの。相性最悪じゃ』

「基本、強敵相手に妨害(デバフ)系はよろしくないんだけどね」

 

 相手に仕掛ける妨害は強ければ強いほど、それが返されたときのリスクは跳ね上がる。エシェルのようにわかりやす過ぎる反射という能力を持っていなかったとしても、呪い返しの術の一つや二つくらい、身につけているものらしい。

 折角授かった強大な魔眼なのだ。もっと多様な使い方を身につけなければならない――――というのは、今は置いておくとして、

 

「じゃあ、どうする。動き封じるのは難しいが、訓練で怪我させるのはバカだぞ」

『良し!ウル!作戦を思いついたぞ!!』

「言ってみろ」

 

 ロックのなんだか楽しそうな声音に、若干嫌な予感がしたが、聞いてみた。

 

『ラブラブ作戦じゃ!!』

「聞かなきゃ良かった」

 

 本当に聞かなきゃ良かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天祈のお仕事、もしくは鏡の女王の狂乱④

 

 やってしまったあ……!

 

 暗闇の中を彷徨いながら、エシェルは自らの失態を悟り、後悔した。

 ここのところ、最早お守り代わりのようになっていた【魔本】、ソレ抜きのミラルフィーネの運用に不安はあったが、少しは自信もあった。魔本を用いれば、今や殆ど手足のように、ミラルフィーネの力を引き出すことが出来ていたからだ。訓練も、一日も欠かさずにやってきて、自信もついていた。

 今なら、もう少し上手く使えるのでは?

 という、自分に対する期待があったのだ。が、しかし、

 

 ダメだったあああ……!!

 

 ダメだった。びっくりするくらい一瞬で飲み込まれた。

 これまでのように、危ない!と引き返すことも出来ないくらい一瞬で飲まれた。スーアが言っていたように、せき止めていた分の力が一気に噴き出したような感覚だった。引き返しようが無かった。

 とはいえ、陽喰らいの時の様に、意識が完全に消し飛んでなにも分からなくなっているわけではない。実際、今、エシェルは意識がある…………と、言って良いのか分からないが、目は覚めている。今居る闇の中は、自分の“中”だという自覚がある。“外”に出ているのは、ミラルフィーネだ。

 

 つまり、外に出なければならない。主導権を取り戻さなければならない。

 

 なんとなく、分かる。訓練の成果なのかはわからないが、この自分の内側で、自分はまだ、自分の意識の手綱を完全には手放していない。糸のように絡みついたその意識を、手放すまいとしながら、必死にたぐり寄せて、自分の意識を引っ張り上げる。

 と、そんな風に藻掻いていると、不意に、身体が軽くなった。“何か”に、外のミラルフィーネが気を取られているらしい。

 

 今だ!そう強く思い、エシェルは一気に自分の意識を闇から引きずり上げた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「んん……!!」

 

 現実の、自分の肉体の瞼が動く。隙間から光が眼を射して少し眩い。身体の感覚が確かにある。此処はあの、よく分からない闇の中ではない。ウーガの訓練所だ。

 主導権を取り戻した!と、エシェルは一気に眼を見開いた。

 

「お、正気に戻った?」

 

 そして自分がウルに思い切り抱きついて噛みついている状態にあることに気がついた。

 

「んにゃああああああ!!?」

「あ、ダメになった」

 

 びっくりした拍子にエシェルの意識は再び闇に落下した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ロックのラブラブ()作戦は実にシンプルだった。

 ウルを囮にした誘導、つまり陽喰らいの時のまんまの再現だった。

 んなもん上手く行ってたまるかぼけぇと言いたかったが、割と途中まで上手く行ってしまったのだからなんとも言えない気分になった。(結果、ウルは歯形まみれになった)

 

「むーーーぅううううう!じゃーーまー!!!」

 

 ミラルフィーネ状態のエシェルは、自分自身がウルを突き飛ばしたにもかかわらず、そのことに対して不満げだ。恐らくだが、一瞬だけエシェルが浮上し、また引っ込んだのだろう。割とミラルフィーネとエシェルの変化はわかりやすかった。

 が、しかし結局戻ってしまっては意味が無い。もう一度試すか――――

 

「ウル、らぶらぶ作戦はダメです」

「ラブラブ言わせて済みませんスーア様。で、何故」

 

 スーアにこんなアホアホな単語を言わせたことに罪悪感を覚えながらも、訪ねる。

 

「そもそも、彼女の奥に隠れたプラウディアを引きずり出すのが今回の作戦です」

「ただ落ち着かせても仕方ないと」

 

 確かに、エシェルの意識が戻ると同時に、彼女のミラルフィーネの力は落ち着きを見せていた。最善は、エシェルの意識が残った状態でミラルフィーネの力を全力で引き出せる状態だったのだが、現状、それは困難であるらしい。

 

「今のまま、全力を出してもらう必要があるって事だよ、ね!」

《うにゃあ!!》

 

 不意に飛んでくる竜の魔眼の熱光線をアカネで弾き飛ばしながら、ディズが補足する。現状、大分混沌としているが、結局目的は変わらない。エシェルの中にあるプラウディアの魂を引きずり出す。それをスーアに調整してもらう。という流れだ。

 全力、つまり方向としては「宥める」ではなく「煽る」だ。攻撃させなければならない。より危険度が増した。

 

『主出すかの?』

 

 チラリとロックが外周部で、この場所の被害を外に出すまいと見張っているシズクをみた。彼女も此方の視線に気づいたのか手を振ってくる。確かにシズクに対しては、陽喰らいの時のようにミラルフィーネも攻撃的な意識を向けてくる可能性はある。が、

 

「シズクは刺激が強すぎる。止めておこう」

 

 そもそもリーネと共に結界の維持に努めている彼女を内側に引き込んで、更にそこからリスクの高い挑発をするのは、あまりに危険だ。あの危険な状態のエシェルに対する周辺への対策をリーネ一人に任せるのはよろしくない。(リーネは喜びそうだが)

 すると、スーアが自信満々……っぽくみえる様子で頷いた。

 

「ではかるい挑発しましょう」

「軽い」

 

 ウルは激しい不安を覚えた、「軽く」という繊細な調整をスーアが出来る気があんまりしなかった。試しにディズへと視線を向けると、彼女は彼女でなんとも言えない不安そうな顔をしている。不穏さが加速した。

 

「ウル、あっちむいてください」

「はい?」

 

 指を指された方にウルは顔を向けた。そして、

 

「えい」

 

 むにと、何か柔らかいものが頬にぶつかった。

 

「かるい挑発です」

「軽くねえ」

 

 今、何かとてつもなくヤバい事をされた気がする。

 なにをされたのか何一つ分からないが――――分からないが!!!とてつもなくヤバいことをされた気がする。ソレと同時に、何か向こうで凄まじい力の奔流が始まった。

 

『お、ぶち切れたの?』

「なんだ、地獄か?」

 

 ロックが感心した声をあげ、ウルは気が遠くなった。地獄だ。

 

《スーアったらだいたんね!》

「大人ですから」

 

 アカネに褒められて、スーアは誇らしげである。だが地獄だ。

 

「ウル、なにも見なかったことにするから、【スーア様親衛隊】の皆からは隠し通してね」

「死ぬほど胡乱な名称が出てきたんだがなにそれ」

「プラウディア本部は特に過激だから」

「支部あんの?」

 

 ディズの警告と共に伝えられたかなりどうでも良い情報を頭から追い払いながら、ミラルフィーネから今にも解き放たれそうな力の奔流にウルは備えた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 不味いが過ぎる……!!!

 

 闇の中にいたエシェルは表のミラルフィーネの怒りがいきなり頂点に到達した事実に頭を抱えていた。

 なんとなく、どういう状況なのかは理解している。多分、もの凄くくだらないことでミラルフィーネの怒りゲージは頂点に到達したのだと言うことは分かっている。それは不味い。とても不味い。何せ今向こうには天祈のスーア様がいる。

 この心底アホっぽい憤怒の所為で尊き方を傷つけたなんて話になったら頭を抱える以外にない。

 

「ミラルフィーネ!止めろ!」

 

 が、声をかけても反応はない。

 声が届かない……というのとも違う印象だった。そもそも今の自分はミラルフィーネと対話が成り立っていない様な気がする。この場所からどれだけ訴えても意味が無いのだ。

 では、どうするか。

 今回の作戦の目的はそもそも自分の中から隠れてしまった【プラウディアの魂】を見つけ出して、スーアに診てもらうことだ。それがあるから、ウル達は微妙な手加減を強いられている。その目的を達成さえすればいい。

 

 此処は内側だ。なら、ここにプラウディアの魂がある?

 

「むう……」

 

 エシェルは闇の中を睨む。

 此処は多分、ウルが最近ずっとやっている瞑想と同じだ。自分の魂の内側の空間なのだ。ウルはその場で、自分の中の竜達と対話しているのだという。

 

 ならば、自分も同じ事が出来る筈なのだが、プラウディアの影も形も無い。

 

 少なくとも今日に至るまで、プラウディアが自分に接触、干渉してきた記憶はない。それ自体は正直安心していた。竜からの干渉なんて碌でもないし恐ろしい。干渉が無いなら、それに越したことは無い、と思ってた。

 

 でも、もしかして、向こうも同じ事を思っていた?

 

 ――プラウディアは臆病なのです

 

 スーアが言っていた。

 プラウディアは臆病で、怖がりだと。世界で最も恐ろしい竜のくせに?という疑問もよぎったが、そういえば、先ほどの王との対談の時、魔王ブラックも「本体は超貧弱」だと言っていた。

 能力に対して、弱い?だから臆病で、ずっと隠れてる?

 思考している間に、動きがあった。ぐるりと、闇の中が攪拌されるような感覚の後、引っ張り出されるように外へと力が流れていく。多分、ミラルフィーネが収容されている力を使おうとしている。

 いよいよもって時間が無い。さっさと止め『キィー!!?』るか、プラウディアを見つけ出さなければ…………

 

「きぃ……?」

 

 変な声がした。思わず声のした方、自分の身体へと視線を下ろした。

 そこに、なんか変なのがへばりついていた。

 ヒトガタではあったが、小さい。なんというか、造形はアカネに似ている。背中には虫の羽の代わりに、竜の翼のようなものが伸びた妖精。本体は自分の顔に少し似ているきがしないでもない。

 妖精の形をした大罪竜プラウディアが自分の身体にしがみついていた。

 

「どああああああああああああ!!?」

『キイイイイイイイイイ!!?!』

 

 エシェルは心底びっくりして、思わず自分にへばりついたプラウディアをぶん投げた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 一方その頃、外ではミラルフィーネ状態のエシェルが荒れ狂っていた。

 

「ずーるーいーーーーーーーー!!!!!!!!!」

 

 スーアの「かるい挑発」を受けての反応なのだろうが、エシェルはとてつもなく怒っていた。彼女の周囲の鏡が激しく鳴動し、更に増殖を繰り返す。紛れもない全力を此方にたたき込もうとしている。

 予定通り、と、言えなくも無いが、その矢面に立つ側としてはたまらない。というか、死にかねない。

 

『おう、どうするんじゃいアレ』

「知らん」

『ちゅうしたれやダーリン』

「ちゅうしにいくまえに消し炭になるわ」

 

 本当に消し炭になる。

 鏡の奥からは無数の竜の魔眼がぎょろぎょろと此方をにらみつけている。それだけならばまだしも、更に巨大な鏡が彼女の背中から出現した。しかもそこに、酷く見覚えのある、精緻で美しい魔法陣が展開しているのだから本当に洒落にならない。

 

「っつーかどう見ても白王陣じゃねえかなにしてんだあリーネ!!!」

 

 外周のリーネをウルが睨むと、彼女はどこから持ち込んできたのか椅子に座り、興味深そうな表情でメモを取っていた。

 

「陣を維持したまま、魔力を消費せず凍結保存する方法を研究してたのよ。エシェル以外では再現性皆無だったから残念だったけど、こうしてみると悪くない景観ね」

「ちょっと満足そうにしてるんじゃねえ!!」

 

 この状況下で研究をおっぱじめるんじゃ無いと言いたかったが、今はそっちを気にしている場合でも無かった。エネルギーの奔流が収束する。つまり爆発が近い。

 

「来る――――!?」

 

 ウルは身構えた。が、しかし、変化はまだ続いていた。

 

「んん……!!」

 

 ずるりと、向かいにいるエシェルの背中から何かが飛び出した。黒い翼。未だ記憶に印象深い、陽喰らいの儀の時、あのおぞましい眷属竜達が太陽を隠すのに使っていた、書き換えの翼。

 プラウディアの【虚飾の権能】、その一端。

 

「出ました。勇者」

「アカネ」

《よっしゃあ!》

 

 そして、その瞬間を見計らうように、スーアとディズ、そしてアカネが同時に動いた。

 スーアは両手を合わせ、精霊の加護を展開し、無数の強化をディズに与えた。同時にディズはアカネを右手に備える。アカネは形態を変化させた。

 

「【劣化創造:封星剣&宙の弓】」

 

 一つは黒く、禍々しい短剣。そしてもう一方は夜の星空のような色をした美しい大弓。その弓に短剣をつがえ、引き、即座に放った。

 

「んんああああ!?」

 

 翼を剣が穿つ。エシェルは痛みは無いようだが、驚き、僅かに鏡の中の術式の発動を遅らせた。黒い翼はバダバダと、藻掻くように蠢いたが、しかし徐々に黒い短剣に力を奪われていく。

 そして、その隙を貫くように、スーアが飛び出した。無数の鏡から放たれる竜の魔眼、その破壊の輝きを凄まじい速度で掻い潜りながら、一気にエシェルへと距離を詰める。そのもがき蠢く翼へと手を伸ばした。

 

「【天祈・星邪封印】」

 

 無数の輝きが翼に重なる。それでもしばらくの間、翼はもがき続けていたが、次第に動きを止める。最後は光の粒子のようになって、解けて彼女の背中から消えた。

 

「むーう……!!」

 

 しかし、その状況下でも尚、エシェル自身は健在だった。自分の背中から消えた翼、それを封じたスーアをにらみ、ぐるりとターゲットを変える。だが、ソレよりも速く、

 

「ロック!!」

『おお!!!』

 

 ウルとロックが突っ込んだ。ロックは先にゆき、自身の肉体を砕き、分かれる。同時にウルは、その分かたれたロックの身体を核として現れる無数の死霊兵達を自らの【魔眼】で見つめ、そして力を放った。

 

「【混沌よ!!標となれ!!!】」

「【骨芯分化・百鬼夜行!!!】」

 

 昏翠の力によって莫大な強化を与えられた死霊兵達が一斉に飛び出し、一気に

 

『カカカカカッッカカッカカカカカカカカカカ!!!!』

「んにゃあああああああああ!!!?」

 

 エシェルの悲鳴が響いたが、それすらも一瞬で覆い隠して埋め尽くすほどの大量の死霊兵が一斉に飛びかかり、彼女を封じる。巨大なひとかたまりの骨の塊になって、ドスンと地面に転がった。

 それでもしばらくガタガタとその状態で暴れ、蠢いていたが、徐々に音は小さくなる。動かなくなると同時に、ひとかたまりになった死霊兵達が徐々に解け、最後に、

 

「…………ぷっはああああ…………!!」

 

 元の状態に戻ったエシェルが、ぐったりとため息をついて、這い出てきたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天祈のお仕事、もしくは鏡の女王の狂乱⑤

 竜吞ウーガ、ペリィの酒場にて。

 

 ウーガには様々なヒトが来訪する分、その客層も多様だ。この酒場はどちらかというと現地住民向けの場所だが、それでも時折、よく分からない客がやってくる。

 それらに対応するのも勿論ペリィの仕事だ。とはいえ、元々名無しのロクデナシ。高い地位のヒト相手の丁寧な接客というのはまだまだ勉強中だ。流石に、滅多なことでは来ないのだが、時折ふらりと、神官の制服を纏った老人やらがやってきたりするから肝が冷える。(気の優しそうなヒトに見えたがちょっとなんだかちょっと怖かった)

 

 とはいえ、そんな日々も徐々に慣れてきた――――と思っていた頃だった。

 

「なあ、ウルよぉ」

「なんだペリィ」

 

 常連客のウルと一緒に、ヤバいのが来た。

 

「その子…………いや、そのヒト…………その……御方……さぁ」

 

 綿毛のようなふわふわの白い髪に、何故か両目を隠した金色の刺繍の入った黒帯、明らかな高位神官の制服に、ただ者ではないオーラ、更に言うと、時々ちょっと浮いてる。新作の氷菓子をもむもむと食べるとなぜかしらないがちょっと光る。

 

 こんな特殊すぎる人物への心当たりは一人しかいない。が、

 

「親戚の子だ」

「親戚の子です」

「親戚の子かぁ……!!!」

 

 ウルも当人もそう言ったので、ペリィは引きつる顔で全力で頷いて、業務に戻った。なにも考えないことにした。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「おいしいです」

「そいつは良かった」

 

 エシェルの鍛錬が一段落ついた後、「少しおなかがすいた」というスーアの要望に応えてウル達は酒場へとやってきた。食堂も考えたが、この時間はあまりにも来客が多すぎるので、此方を選んだ。(ペリィには申し訳ないが)

 

「さて」

 

 ペリィにしては珍しい、実にシンプルで良作な氷菓子を食べ終わった後、顔を上げる。テーブルについているのはウル、エシェル、それとディズとアカネだった。残るメンツはなかなかに荒れ果てた訓練所の整備を行っている。

 

「エシェル、貴方には今回は封印措置を施しました」

「封印」

「やはり、もともと封印状態ではありましたが、改めて」

 

 ディズとアカネ、そしてスーアの手によって、エシェルの背中から伸びた竜の翼は粒子となって消えた。封印をしたことによって、魔力体を維持できずに消滅したが、大本の力は未だにエシェルの中にあるらしい。

 

「少なくとも、プラウディアの魂が貴方に影響を与えることは出来ません」

「……まあ、なんというかほっといてもなにもしそうにない感じだったけど」

 

 エシェルは何かを思い出すようにして虚空を見つめる。ひょっとしたらウルがラストたちに接触していたように、“中”で何かがあったのかもしれないが、今は置いておこう。

 

「そして、封印を解かない限り、虚飾の力もつかえない筈です」

「虚飾……ウルみたいには出来ないって事ですか」

「そもそも、大罪竜の魂を取り込んだからって、本来はその権能が使える様になるわけでは無いんだけどね」

 

 スーアの説明に、ディズが補足した。エシェルは意外そうな表情になった。

 

「そうなのですか?」

「え、そうなの?」

「……いや、なんでウルが不思議そうにするんだ。ウルはあんだけ便利に使ってたじゃ無いか」

 

 そう、エシェルが意外に思った理由はウルだった。

 現在ウルは色欲の権能を自由自在に――――というにはまだまだ練習不足ではあるが、少なくとも何の制約も無しに使用できている。使ったことで、心身が削れるようなデメリットを被る事も無く、魔力を消費しても回復する。彼が現在怪物のような戦闘能力を有することになった一因でもある。

 

「そもそもウルは、あの力をどうやって使ってるんだ?」

「……勢い。おい、ヒトをそんな顔で見るな」

《にーたんったらいきおいでいきてるからなあ》

「しょうがないだろ、本当にそうなんだ」

 

 歩くことを意識せずに出来るように、手で何かを掴むと言うことを当然のように出来るように、色欲の権能を当たり前のようにウルは使えた。こればかりは本当に説明しづらい。使えると思ったから使えたのだ。

 だが、コレは本来であればおかしい。と、ディズは言う。

 

「例えばだけど、魔物を倒しても魔物の能力は得られない。わかるよね?」

「ああ、そりゃそうだ」

 

 宝石人形を倒しても、皮膚は硬化したりしない。死霊兵を倒しても骨を操れるようにならない。怪鳥を倒したところで、空を飛べるようにはならない。だったら、竜を殺したって、それは同じだ。至極当然の話ではある。

 

「いくらか倒した魔物やその状況によって影響はあれど、魔力による強化は、自分の肉体の延長上の変化だからね」

 

 魔力を吸収して得られる異能と呼ばれる様な力も、基本そうだ。

 【超聴覚】や【魔眼】といった五感の強化はまさしく肉体の延長上といえる能力だ。【直感】【霊感】といった第六感も、あくまでヒトの持っている機能の成長、延長線上のものであるという推測が立てられている。結局、どれだけ魔力が伸びても、ヒトという機能の範疇からは外れない。

 竜を倒したからといって、竜の機能が、突然身体に精製されるなんてことはありえない。

 

「竜化現象が原因だとは思いますが……ウルはヘンです」

《にいたんへんかあ……》

「兄ちゃん泣くぞ」

 

 スーアとアカネの二人からヘンと言われるのはなかなか精神に来た。

 

「でも、私、確か、使ってたんだよな?虚飾……」

「ああ、それは俺も見た。」

 

 その翼の詳細は恐らく少しの間直接やり合ったシズクの方が詳しいかも知れないが、あの黒い翼は間違いなく竜の力だった。触れるだけで伝わってくる悍ましい感覚は、間違いなくソレだった。

 

「貴方は貴方で特殊ですが、まだ説明はつきます。【簒奪】の力を貴方は有している」

 

 相手の力を奪い、我が物とする性質。

 邪霊として忌み嫌われる恐ろしい力。これが竜にも作用してしまった。ウルはかなり特殊な例ではあるが、一方でエシェルもまた、かなり特殊な例なのだ。

 

「竜の放つ気配にも嫌悪無く、竜の魔眼も使えてしまっている。ならば権能を司る魂すらも使えてしまうかもしれない……ですが、やはり、未調整の魂をそのまま利用するのは危険です」

 

 その為の今回の封印措置だ。色々と複雑な事情が絡んでしまったが、ひとまずは納得がいった。エシェルはスーアに頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。虚飾とか以前に、魔本無しでミラルフィーネを制御できないとダメですね」

「とはいえ、もう時間もありません。魔本のガス抜きと調整も出来ました。グリードの探索であれば、魔本を使っても問題無いと思います」

「エシェルの力があれば、相当探索は有利に出来る。安心して」

 

 今回の封印措置は、魔本の調整の意味合いもあったということのようだ。七天二人に保証され、エシェルは少し嬉しそうにした。実際、彼女の力が迷宮の中でも使えれば、利便性と応用に富む。恐ろしく役立つだろう。

 

「大罪迷宮グリードは、厳しい戦いになります」

 

 改めて、というように、スーアはウルとエシェル、二人の鍵を前にして、スーアは姿勢を正した。

 

「父を助けてください。どうかお願いします」

 

 そう言って、美しい所作で一礼を取った。立場上出来る最大限の敬意を前に、ウルとエシェルは真摯に受け止めて、頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、それと、ディズ」

「はい?」

「貴方、七天クビです」

 

 それと勇者は七天クビになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無職勇者と灰の介護人

 竜吞ウーガ、来賓用宿、最上階ロイヤルルーム。

 ウーガを訪ねる来訪者には貴賓も当然多い、先日の天賢王とその御子はいくらなんでも例外とはいえ、そうでなくとも、高位の神官が訪ねてくることはままある。そんな彼らに対しての客間の用意も当然あった。

 ウーガの居住区画で利用できる土地面積は限られている。多くの建物は都市国の者と比べてもやや手狭であるが、ロイヤルルームは宿屋の敷地面積を贅沢に活用していた。選ばれし者のみが利用できるその一室の扉の前に、ウルは立っていた。

 

「……さて、アカネー」

 

 部屋をノックすると、しばらくした後、激しい音とともに扉は開け放たれた。中から緋色の妖精が飛び出し、ウルに飛びつく。ウルは慣れた顔でそれを顔面で受け止めた。

 

《にーたんおっはー》

「ごふ、おはおは…………で、だ」

《うん》

 

 ウルは部屋の中に入りながら、訪ねた。

 

「…………どうよ」

《しんだ》

 

 極まって端的な妹の評にそぐわぬ、部屋の惨状がウルの視界に広がっていた。

 部屋は荒れていた、というほどではないが、なんというかいろんなものが、使われて、そのままになっていた。開けば開きっぱなし、使えば使いっぱなし。兎に角あらゆるものが雑に放置されている。

 無論、雑な利用者ならばこのくらいの適当な利用の仕方はままある話ではあるのだが、少なくとも今この部屋を借りている主にしてはあまりにも悲惨だった。

 

「【星剣】……これはそのままなのか」

 

 彼女の武器や防具もそのまま置いてあった。流石にそれらは乱雑に放置されてる事は無かったが、普段彼女は忙しくともほぼ常時、フル装備で動いていたので、完全に外された状態で保管されているのは新鮮だった。

 

 そしてその主は、部屋の奥の巨大なベッドで横たわり、来訪者のウルに気がつくと、ゆるゆると顔をあげた。

 

「お、おはよぉ……ウル……」

「無残が過ぎる」

 

 ほぼ下着姿のディズが寝癖まみれで顔を出した。ウルは頭を抱えた。

 

「つーかジェナは?」

 

 基本的に表には一切出ようとせず、常に陰からディズを支える女が、この惨状を完全に放置しているのはどういうことなのだろう、と、思っていると、アカネは複雑そうな顔をし始めた。

 

《ジェナな》

 

 そしてそのままぴっと部屋の隅を指さした。

 

「…………!………………!!」

《レアなディズみれたってよろこんどる》

「そういやアレだったわこの女」

 

 部屋の隅でなんかちょっと震えながら悶えてる従者に頭痛を覚えながら、ひとまず、ディズをベッドから引きずり出す作業をウルは敢行した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「いや、ひさしぶりに、まともにねようとしたんだ」

 

 ベッドからなんとか引きずり出し、服を着せたが、それでもディズは少しぼうっとしていた。いつもの精彩さは見る影もないが、ウルはそれを指摘するのはやめておいた。

 

「そしたらねすぎた」

「どれくらい?」

《13じかん》

「水を飲め」

 

 備え付きの水差しから水を差しだした。流石ロイヤリティというべきか、魔術にてよく冷やされていたそれを、ディズはこくこくと飲み干した。言われるがままである。

 

「しっかりしろ。リーネには見せられんぞ」

「うん、皆の前ではシャンとする。するんだけど……」

 

 すべての水を飲み干して、少しマシな、それでも少しぼおっとした顔つきで、彼女はうなずいた。

 

「ゴメン。なかなかどうして、難しいね、()()って」

 

 スーアから告げられた「クビ」の一言。

 正確には“謹慎”というシンプルな辞令だった。大分一方的な通告だったが、理由として【黒炎砂漠】での独断専行を挙げられると、ディズにも反論の余地はなく、その彼女の仲間を助けられたウルにも文句はつけられなかった。

 結果、現在彼女は七天業務が禁止され、その権限も凍結状態にある。

 

《つまりむしょくね?》

「やめい。黄金不死鳥の仕事もあるんだろう」

《さいきん、ゴーファがディズきづかってしごととりあげた》

「……でも無職はやめておけ」

 

 アカネの情け容赦ない指摘にウルはデコピンし、ディズは苦笑した。その様子を見るに、そこまで堪えている様子には見えない。そもそもスーアの命令にも納得はしている様子だった。

 ここまでいきなり身持ちを崩すとは思えない。では何が原因かというと

 

「……あれか、本当に休み方がわからんと」

「わかんない」

 

 わかんなかった。これはこれで重傷だった。

 

「というか、休日無しってわけじゃ無かっただろう今までも、流石に」

 

 どれだけ七天が重要な業務であり、世界を守るために必要な作業であろうとも、休みというのは必要だ。ヒトは身体を休ませなければ死ぬようにできている。世界を支えるような重責を背負うならなおのこと、休暇の重要性を理解していないはずがないのだが……

 

「うん、ただ、今までのはこう……本当に身体を休ませるための休息でね」

「休息が、タスクの一環になってたと」

《にーたんみてこれ》

 

 と、アカネが引っ張ってきたのは、なにやら高そうなお香やらなにやらが詰まったケースだった。なんだこれ、とウルが理解できずにいると、アカネが困った顔でうなずいた。

 

《ディズ、おやすみのじかんは、これをぜんぶつかってひたすらねるの》

「冬眠か?」

 

 とりあえず、勇者が休暇の取り方が死ぬほどへたくそだという事実が判明した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「うん、心配かけてごめんねウル。明日には元に戻るよ」

 

 水を飲ませ、軽く食事を済ませ、(そういった用意はジェナが済ませていた。本当に、必要な部分に関しては如才なかった)いくらか回復したディズは苦笑する。元に戻る。と宣言した以上、彼女は上っ面は元に戻るだろう。彼女はそういう女だ。別にそのこと自体はよいことだが――――この彼女の有様を見て放置するのはアレだった。

 というか、少しはまともな休日の過ごし方を経験させた方がいい。ウルとて、のんびりとした休日なんて経験はそこまで多くはないが、彼女ほどではない。

 

「結局、今は暇なんだよな。めずらしく」

「そだね。鍛錬は続けてるけど、暇だ。そう言ってもいいよ」

 

 なるほど、とうなずいて、ウルは立ち上がった。

 

「俺も今日は時間がある。一緒に外に出ないか」

 

 現在ウーガはグリード領に入り、近場の衛星都市にて停泊中である。入国手続きも、ウルとディズならば多少の無理は通るだろう。そう思っての誘いだったが、ディズはまだ少し、ピンと来ていないようだった。

 

「外?」

「そ、余所の都市を少し歩き回らないか?」

「警備巡回でもするの?」

「……思い出してきた。そういやラストでもこんな有様だった」

 

 誰かと遊ぶ、という経験が壊滅的であったということをウルは思い出していた。

 

《ディズってきほん、はこいりおじょうさまよ?》

「物騒な箱入りお嬢様もいたもんだ……ジェナ」

「はい、ウル様」

 

 ウルが呼びかけると、いつの間にか復活していたジェナが即座にウルのそばにやってきた。そのままウルはまだ若干よれよれのディズを指さした。

 

「外出コーデにしてしまえ」

「了解でございます」

「いつの間にか主従関係出来てな――――」

 

 次の瞬間、ディズはジェナに浚われるようにして、部屋着をはぎ取られて着せ替え人形と化した。その有様からは視線をやらないようにしながら、ウルは伸びをして立ち上がった。

 

「んじゃ、デートいくかあ……」

《あたしもいくー!》

「両手に花ですね、羨ましい」

「子連れと介護ともいうがな」

 

 甘酸っぱさとは無縁のデートとなりそうだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無職勇者と灰の介護人②

 

 グリード領、衛星都市国トリアはグリード領西部に存在する小国だ。

 

 通常の【島喰亀】の進路からはやや外れた位置にあるため、グリード領内でも目立たない地味な都市国――――だったのは昔の話だった。

 契機となったのは、大罪都市エンヴィーで移動要塞ガルーダの運用が本格化してからだ。【魔炎迷宮】を容易にくぐり抜けられる移動要塞ガルーダと、それを活用するエンヴィー領にとって、大罪都市グリードとエンヴィーの間にあるこの国は、非常に都合のよい中継地点となった。

 エンヴィーの様々な魔導機械が流れ込み、魔炎迷宮の熱エネルギーまでも活用できるようになり、それを使った温泉街まで発展し、最終的には都市丸ごと巨大な温泉国と化した。

 

 つまるところ、よい安息地となっていた。

 

 ウルたち以外にもウーガの住民は交代で休みを取って、トリアに足を運んで、その湯に身体を休めたり、多様な土産物に心躍らせたりしていた。(もちろん、トリアの住民にとってのウーガも同じく物珍しさの塊ではあったのだが)

 

 そんな中、ウル、アカネ、ディズもまた、その観光国に足を伸ばして、のんびりと歩き回っていた。

 

《きれいね?》

「そうだな。つっても、よくわからんが」

 

 土産屋にならぶ皿を見て、ウルと、彼の懐に隠れたアカネは首を傾げる。こういった陶器の類いは、当たり前であるが荒い旅を続けなければならない名無し達向けの土産ものではなく、安全な移動要塞での旅を約束された者達向けだ。

 魔物から逃げた拍子に割れてしまうようなものの扱いをウルはしたことがない。(名無しに託される運搬業でもこういった品は頼まれない)ので、知識は全くない。

 

「ああ、良い焼き色だね。トリアの陶器は人気があるんだよ」

「へーえ」

《ほえー》

 

 その二人の疑問に答えるように、ディズが答えた。

 ジェナに用意された余所行きの真っ白なドレスは、動きやすいようにやや足が出ていて少し派手だが、官位の家のお嬢様にしか見えなかった。彼女の金色の髪との色合わせも良く映えていて、さすがはジェナが選んだ一品と言えた。

 

「此処の波模様が特徴。ここの色彩が鮮やかなのは良く出来てる証拠」

「鮮やかなのかそうでないのかも、俺もには比較してみないと分からんな」

「当人の感性だって重要さ。巡り合わせってものもあるからね。でも、うん、これはよい仕事だよ。買っても良いんじゃないかな」

 

 そんな見目も麗しい彼女が、朗々と自分の商品をたたえてくれるものだから、店主の頑固そうな男は心なしかうれしそうだった。そして彼女の寸評を聞いて、客や、ほかの職人達の視線まで集まり始めたので、ウルは適当なところで彼女を連れて店を出た。(自宅兼、ギルドハウス用に、ディズアカネ含む全員分のカップは買っておいた)

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 温泉大国と名乗るとおり、衛星都市国トリアの最大の名物は温泉である。

 ッ地下深くから溢れる天然の温泉は、利用者の心身を休める様々な効能をもたらす。肩こり腰痛、筋肉痛、関節痛、消化器不全、冷え性、火傷、切り、虚弱児童に皮膚病、傷健康増進その他諸々。

 やや盛りすぎている気がしないでも無いが、ともあれ実際、身体に浸かれば、癒やしを与えてくれるのは紛れもない事実だった。

 

「……心地良いね」

 

 ディズはため息をつきながら、身体を湯に揺蕩わせた。

 ウーガの湯屋と比べると、ややぬるめだが、それ故にいつまでも入っていられるような心地の良さがあった。うっかりすると、このまま寝入ってしまいそうだった。

 心身ともにほぐれるという感覚は、ディズはまだ慣れない。身体を休めていても、常に次のことを考えている日々だったからだ。勿論、現状の世界の危機を考えると、そんなふう気楽に構えてはいけないのだと分かっているのだが、責務から一時外れた自分が、勝手に世界の行く末に思考を巡らせて肩に力を入れるのも、間違っていると感じる。

 

 だから、不慣れであっても、ちゃんと心身を休めなければならない

 

 そう考えるディズはどこまでも真面目だった。

 

《おはだつるつるなる?》

 

 ディズの、真面目すぎるが故にやや歪な心境を悟ってなのか、アカネがぱしゃぱしゃと泳いでくる。今はヒト型に近い。時間帯の影響か、周囲に客が少なかったため、少女の様な姿をとれば、大分誤魔化しが効いたので、自由にさせた。

 

「アカネもなるかもしれないねえ。ほら」

 

 ディズがアカネの緋色の皮膚に触れる。温泉に触れた部分が仄かに輝いていた。

 

「この温泉、魔力も含まれているからね。アカネも吸収しやすい」

《おー》

 

 輝く自分の身体が面白いのか、アカネは歓声をあげると、そのままくるくると回る。光が瞬く。彼女の周りが美しい光に包まれた。通常のヒトでは起こりえない現象。精霊と入り交じった存在である証明だ。

 

《んふふ、おもろーい!》

 

 そんな、自分を決定的に真っ当な道筋から外してしまった力を、アカネはただただ面白がって、笑った。あらためて、強い子だなとディズは声に出さずに思う。

 

「楽しい?」

《ディズもいっしょだからよ?》

「そっか」

《む》

 

 と、突然アカネが身体を湯に沈める。おとなしくする。新しい客が来たのだろう。彼女は条件反射で自分の姿を隠す。最早身体に染みついた動きだった。次第に客達が、ディズ達の居る場所とは別の湯船へと向かったのを見て、アカネはため息をつく仕草をした。

 

「アカネ、大丈夫だよ。」

《あぶなかったぜぇ》

「何のものまね?」

《まえよんだえほんのわるやく》

 

 変な絵本を読んでるらしい。ウルに怒られるかも知れない。と思いつつも、ディズはアカネの頭を撫でた。そしてそのまま、不意に声が零れた。

 

「ごめんね」

 

 あらためて、様々な不自由を抱えている少女だ。その不自由さすら楽しんでいるほどに、彼女は強いが、それでもだから問題ない、とは言えない。何せ、その不自由さを利用して、手元に置いて利用しているのは自分なのだ。

 普段であれば、罪悪感を使命感が押しつぶす。だが、それが取り払われた今、ただただ、彼女に対する申し訳なさが浮き上がってきた。

 

《つまんねーこというなよ》

 

 しかし、そんなディズの、珍しくも意気地の無い言葉を、アカネは笑って返した。

 

《わたしとディズのなかじゃん?》

「……なんというか、君は本当にウルの妹だねえ」

《そらそーよ!》

 

 誇らしげに笑う彼女を、ディズはゆっくりと抱きしめた。

 

「ありがとう」

 

 なるほど、自分の弱いところと向き合える。

 休みというのは、悪くはない。ディズはそう思えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから暫く、温泉を楽しんだ後、ディズとアカネは風呂屋を出る。

 温まった身体に心地の良い風を感じながら待っていると、間もなくウルも外に出てきた。

 

「やあウル、どうだった――――どうしたの?」

 

 そして、彼が顔面に奇妙な跡を付けているのを目撃した。湯あたりにしては珍妙な痕跡だった。ウルは顔をしかめて、ため息を吐いた。

 

「……どうも、地下からくみ上げてる温泉から灼熱蛸が紛れ込んで入ってきてだな」

「ああ……粘魔と同じ手口か。太陽の結界、そういう隙間から潜られると弱いんだよね……」

「その場にいた冒険者一同と死闘を繰り広げましたとさ」

《にーたんなんでそんなついてないの》

「泣く」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無職勇者と灰の介護人③

 

 

 温泉で、ゆっくりとした一時――――には、ウルは残念ながらならなかったが――――を、楽しんだ後、さらに一通りいろんな土産店舗を巡った後、ウル達は茶屋に入った。いろいろ、見覚えのない商品名が並んでいたので、ひとまず「イチオシ!」とシンプルに書かれた茶と菓子を頼んだ。

 

「なんつーか、かなり甘いな」

《あたしすきよ?あまあま》

「トリアの流行だね。最近エンヴィーの生産都市から流れてきた茶葉を使ってる。苦手かな?やめておく?」

「まあ、飲めるよ。苦手で残すって発想はない」

《おかねだしてるしなー》

「ああ、そうだね。そうだったね」

 

 一緒に出された甘さが控えめな茶菓子を口にしながら、茶をすすると、確かに相性はよく、楽しめた。正直言えば、こうした店に足を運ぶ経験自体、ウルもアカネも浅かった。当たり前だが金がかかる。足を運ぶ余裕なんて1年前までは絶無だった。

 今、金に関して圧倒的な余裕が出てきてもなお、少しそわそわとした居心地の悪さを覚えるのは、貧乏性が抜けていない証拠だった。

 

「このジュースも試してみなよ。果実が沢山使われてて、アカネはきっと好きだよ」

《たーのむー!》

「飛び出すなアカネ。ちゃんと頼むから」

 

 一方で、ディズは全くそんなことはなかった。休日の経験が浅いとはいっても、様々な仕事の過程で、あらゆる都市国を巡り、つきあいで色々な名産を口にする機会も多い彼女の知識は、ウルやアカネよりも圧倒的に上だ。

 

「まあ、わかっちゃいたが、教えるつもりが教えられるなあ」

 

 リードするつもりがされてしまう。男としては、というとやや考え方が古いかもしれないが、情けない話ではあった。だが、そんなウルの心中を察してか、ディズもクスクスと笑った。

 

「いや、こうして連れ出してくれて、助かってるよ?私も」

「そうか?」

「うん、こう、特に目的地も無くぶらぶらするって、私一人だと絶対やらないし」

 

 確かにそうだろう。その点はウルも同じで、「ぶらぶら」はなかなか経験したことが無かった。金銭的な、あるいは時間的な都合がつかなくて、そんなことをしている余裕が無かった。時間の浪費は、それ自体が、贅沢なのだ。

 実際、もう少ししたら再び嵐がやってくる。今の、隙間のような凪の合間を、3人でただただ過ごすのはやはり贅沢だ。しかし、悪い時間では無かった。

 

「でも、やっぱり少し――――」

 

 その時だった。店外の大通りから、幾人かの悲鳴と、野次馬達のざわめきが聞こえてきた。何か騒ぎがあったのだろうか。と、ウルが思うや否や、ディズはすっくと立ち上がる。その表情は、先ほどまでの優しげなものとも、朝一のぼんやりとしたものとも違う、鋭い、勇者の表情だ。

 だが、そのまま、外に出ることはしなかった。

 

《ディーズ》

「分かってる。大丈夫だよ。今の立場で動くのはよくない」

 

 現在の彼女には、七天のようにどの都市国だろうと好き勝手に動ける権限はない。その状況で、下手にトラブルに介入すると、ややこしいことになりかねない。勿論、彼女であれば上手くやるだろうが、それでも、無理はすべきではない。それを彼女は理解している。

 とはいえ、少し座り心地がわるそうではあった。

 

「気に……は、まあならないわけがないわな」

「まあ、ね。こればっかりは性分かな。過干渉は良くないけど」

 

 根っからの聖者。誰かの幸せを願わずにはいられない女。彼女のことはウルも尊敬している。アカネの件で拗れた事になっても尚、そう思える程度に彼女は気高い。だが、

 

「お前が、紛れもない傑物であることは認めるし、お前にしか出来ないことがあるのも認めるがね」

「うん」

「でも、お前がいなきゃ回らない世界ってのは――――」

 

 ――――なんだこの出来損ない。舐めてるのか?

 

 不意に、脳裏に魔王の囁き声が反響して、ぞっと寒気がした。今、深く考えるべきではない。そう直感し、首を振るって声を追い出す。

 

《にーたん?》

 

 魔術よりも、ずっと呪いだな、あの男の言葉は。

 

 心配そうにするアカネの頭を笑って撫でながら、ウルはいつの間にかかいていた冷や汗を拭った。アカネと同じように、此方の顔色を見るディズに、何でも無いというように軽く手を振った。

 

「まあ、お前以外でも、仕事が出来る奴はいるだろう」

「うん、観光地なら、騎士団もトラブルにも慣れてるだろうしね…………っと」

 

 ディズが外を見ると店外で、騎士団達が何やら喚いている男女を捕らえていた。ざわめきからひったくりの類いであったという声が聞こえてくる。一件落着、と言って良いだろう。

 ウルは安心して前を向いたが、ディズは未だに視線をそちらに向けていた。彼女の視線は捕まった男、では無く、被害にあったと思しき少女がいた。よほど恐ろしかったのか、真っ青な顔になって、泣くことも出来ずに震える少女を見て、拳を強く握りしめるディズの顔は、どうしようもなく勇者の姿だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎ、太陽神の休む時間となった。

 ウル達もまた、ウーガへの帰路につきながら、心地の良い疲労感に包まれていた。途中で温泉に入ったり、奇妙な見世物を皆で見たり、最初から最後までノープランで、効率良くとは言い難かったが――――

 

「ありがとう、ウル、楽しめたよ」

「良いさ。折角の貴重な休みだ。寝っぱなしは悲しいだろ」

《あたしもつまらーん》

「ゴメンね、アカネ」

 

 二人が楽しそうだったので、良しとした。 これがスーアの告げた「謹慎」によって得られたものなら、感謝もしたいが、しかし疑問ある。

 

「……しかし、謹慎はいつ解けるんだ?流石に、グリード探索の時は解けるんだろ?」

「どうかな」

 

 ディズは苦笑する。

 

「元々、私は他の七天の皆ほどの力にはなれない。グロンゾンが一時脱落して、回復はグリード攻略には間に合わない。残る鍵はユーリと私だ」

 

 シズクは、あくまで補助であったため、鍵となるほどの魂の回収をしていなかったらしい。王とスーアが言うところの【色欲の鍵】は二人。

 

「そして、ユーリが前に出るなら、多分私は補助に回る。下手すると待機だ。鍵の両方を失うわけには行かないだろうからね。今回のタイミングで謹慎をスーア様が言い渡したのは、そういう理由もあるかもしれない」

 

 ディズは僅かに、何かを堪えるようにそう言った。

 彼女の言うことは、確かに間違いではない。グリードが恐るべき強敵であり、七天が新たに損なわれる可能性が十二分にある以上、鍵を分け、一つを安全な場所へ置く。

 正しい判断。なるほど、確かにそういう選択は取られる可能性は高い。ディズもそれに対して、思うところあれど納得はしているようだ。

 

 が、ウルは、軽く頭を掻いて、そして何かを決断するようにため息を吐いて、言った。

 

「だったら、謹慎中ウチのギルドに来ないか」

「ん?」

《え》

 

 ディズとアカネが首を傾げた。

 

「七天として謹慎なら、俺たちのギルドから参加すればいいんじゃ無いかって話。七天として謹慎で動けなくても、ウチのギルド員としては動けるだろ?」

《ちょーへりくつ》

「屁理屈だよ。でもアルノルド王はあまり俺らに強くは言えない筈だ」

 

 何せ、ウル達のギルドは外部の協力者だ。アルノルド王は自身の責務を半ば脅迫につかってまでウル達を引っ張り出したが、一方で、此方の関係をこれ以上損ねる事は出来ない。

 ただでさえやや危うい協力関係を持ち込んだのだ。これ以上の無理な干渉をして敵対関係になれば、今回の戦いそのものが頓挫しかねない。

 

《かけもちってええのん?》

「いいんじゃねえの?元々ディズ、黄金不死鳥とかけもちしてただろ?」

「それはまあ、そうだけど………良いの?

「正直、無茶する抜け道用意するのもどうかとは思ったんだが……」

 

 スーアがこのタイミングで謹慎を言い渡したのには意図があるはずなのだ。そこに抜け道を与えてしまうのは、“正しくは無い”。それは分かる。が、

 

「本当の修羅場になったら、待機だろうとなんだろうと、どのみちお前、飛び出すだろ」

《それはそう》

「否定はしづらい」

 

 窃盗被害にあった少女の顔を見るだけで、“あんな顔”をするような女なのだ。世界の危機、仲間達の窮地を前に、辛抱する、なんてことが出来るわけが無い。良くも悪くも、彼女は聖者だった。その点では信頼がある。

 だったら最初から、自分たちの身内として動いてもらった方が、変に後方待機するよりは動きやすいし、万が一の時はウルも彼女を助けやすい。

 

「実際、コレがほんっとうにダメなら、向こうから忠告が入るだろう。無いなら良いんじゃねえの」

《ざっつー》

「最終的に何の意味も無いかも知れないが、動くとき、躊躇わない理由が一つ増える分には良いんじゃねえのってくらいの話だよ。お守り代わりくらいに思っとけ」

 

 ギルド長として、単純に即戦力の大型新人が入ってラッキーだしな。とウルはケラケラ笑った。ディズはそれでもしばらく悩ましそうな顔をしていたが、最後には肩の力をふっと抜いて、手を差し出した。

 

「よろしくしていいかい?ギルド長」

「よろしく新人」

《わたしもよ!》

「よろしく新人兼妹よ」

 

 その手を取って、ウルは握手を返した。

 こうして、本当の本当に紆余曲折の果て、家族を奪った簒奪者であり、世界の守護者であり、友人でもある勇者ディズが【歩ム者】の仲間となった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪都市グリード 帰還編
帰還


 

 大罪都市国グリード

 

 イスラリア大陸南東部に位置する大罪迷宮を有する大罪都市。

 中心となる大罪迷宮グリードの他、大中小様々な迷宮が群生するように存在し続けている

 

 また、大罪迷宮を封じている大罪都市の外にも、複数の中小規模の迷宮が存在し、新たなる迷宮も定期的に誕生し、それらの奥地にある【真核魔石】を巡り様々な冒険者達が今日も幾つもの迷宮に挑み、時に勝利し、時に死ぬ。欲望と野望の集う地。

 

 穿孔王国スロウスが名無し達の楽園と評されることはあったが、対して此処は冒険者達の楽園だ。迷宮から取れる。魔石、真核魔石に魔物達の落下物、迷宮の発掘物等々、毎日のように新しい情報や物資が流れ込み、それを中心に活気立つのがグリードの特徴だ。

 

 しかしその日は、毎日のように新しい何かを求め、それを見つけてきたグリードの住民達ですらも見たことの無い物が姿を見せたのだ。遙か彼方から近付いてきていたソレを住民達が認知してから数日の間に徐々にその輪郭は大きく巨大になっていく。

 それは一見すると山が動いているようにも見えた。

 6足の巨獣。多くの瞳。禍々しい大口に、大山のようにせり立つ背。地を這うようにして進んできているのは間違いないが、地を這うというよりも大地そのものが動いてきているように見えた。

 

 その正体をグリードの住民は知っている。神殿から直々の通達があったのだ。

 

 【竜吞ウーガ】 邪教徒によって生み出され、しかし戦いの果てに神の手中に収まった超巨大移動要塞。その存在を前にグリードの住民はどよめき戦き――――などはしなかった。

 彼らの多くは刺激に飢えていた。彼らは祭りが好きで、異変が好きだった。そんな彼らにとってウーガはまさしくうってつけの「異変」で「新しき」だった。あの巨大なる、未知の生物が運んでくる何かがきっと自分たちを驚きと喜びに満ちた変化をもたらしてくれるのだという期待で、ウーガがたどり着く前の日から連日連夜酒場では盛り上がりの宴が開かれるほどだ。

 

 しかし、そんなお祭り騒ぎに一切乗ることの無い”少数派”も当然グリードには存在していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 冒険者ギルド、大罪都市グリード支部、【訓練所】

 

「ああ、暇だ。平和だ。最高だ」

 

 冒険者ギルド所属、指導教官グレン。

 彼は訓練所施設、3F、教官事務室の机に身体を投げ出し、自堕落に惰眠を貪っていた。

 やはり言うまでも無く、昼寝は彼の仕事では無い。冒険者の訓練官である彼の仕事は新人らを最低限死なないように訓練を施す事である。

 しかし彼はその仕事についていない。サボリだ。ただし今日に限ってはサボリになってしまった原因は彼だけの所為ではない。訓練所に通うべき新人の冒険者、彼らがのきなみボイコットをしたのだ。

 その理由も知っている。ずっとグリードに近付いていた竜吞ウーガが今日、いよいよ都市外に用意されている移動用採用の港へと到着したのだ。もっともそのサイズはグリード周辺を巡廻する島喰い亀と比較しても尚規格外で合ったため、更に距離離れた場所にて神官達緊急で配備した場所となるわけだが、それが見える位置までグリードの住民達が集まっているのだ。

 グレンの生徒達も勿論例外ではない。結果、現在グレンは自分の授業をすっぽかされて、大変に暇な状況になっている。

 

「じゃーしょーがねえよなあ。生徒にサボられて寂しいなあ俺もなあ」

 

 だが、その状況をグレンはまったく、これっぽちも辛いとは思っていない。

 

 だらける口実が出来たのだ。元々この訓練所の教官という、なんの金にもならないようなボランティアにやりがいを感じたことはなかった。だからサボれるならサボる。なんの罪悪感も無く仕事がなくなるというのはなんと素晴らしいことだろうと彼はだらしなく笑った。

 そうだ。部屋奥に転がしてた無駄に高けえ葡萄酒があった気がする。つまみでも買って家で飲むか。

 

「こんなグリードの一大事ですら人生を無駄に消耗に出来るのは天才的ね。グレン」

 

 そこに来訪者が現れた。ギルドの受付嬢ロッズを見て、グレンはやはり何時も通りげんなりとした表情を返した。

 

「んだよロッズ。今日は俺の所為じゃねえぞ。訓練生が軒並みボイコットしただけだ」

「人望がゴミ過ぎることをそんな誇らしげに話されてもね」

 

 ロッズは呆れて溜息をついた。そのまま何時も通り、いらん仕事をなげつけてくるかとグレンは身がまえたが、ロッズはその日は珍しく、追撃するように仕事を投げつけることは無かった。

 

「弟子の凱旋だって言うのに、こんなところでダラダラしてて良い訳?見に行かないの?」

 

 代わりに少し楽しそうに、からかうようにそう尋ねる。だが、彼女の期待に反してグレンは酷く呆けたような表情で首を傾げた。

 

「で……し?」

「嘘でしょ?ウルよウル。【灰の英雄ウル】。貴方、指導したでしょうが」

 

 そう言われても、グレンは驚くほどにピンと来ていなかった。しかし暫くそうした後ぽんと両手を叩いて声をあげた。

 

「あー、あの頭おかしいガキか。1年前くらい?まだ生きてのか。へー」

「……本当嘘でしょ?ここの所連日連夜その事で大騒ぎじゃ無い」

「知らん」

「貴方。誰も立ち入らない隠れ迷宮の奥地にでも暮らしてるの?」

「マギカかよ。ちゃあんとグリードの一等地に家持ってるわ。殆ど帰ってないけど」

 

 宝の持ち腐れ過ぎる。とロッズは頭を痛そうにした。

 

「なんだっけ?ラスト辺りででけー鳥倒してなかったっけ?」

「情報が古すぎる」

「しょうがねえだろあんま興味なかったんだから」

「【灰の英雄】の軌跡なんて、今や何処の街あるいてたって吟遊詩人が歌ってるのよ?」

「俺、街に出るときは酒とメシの事しか考えてねえし」

 

 想像以上の浮世離れっぷりにロッズは頭を抱えた。

 

「向こうは今、英雄扱いなんだから、おかしな態度取って問題おこさないでよ?」

「一応俺も黄金級なんだがね」

 

 どうやら彼女はその忠告に来たらしい。冒険者ギルドの受付はただただ、来客達の応対をするだけで済むような仕事では無いらしい。

 

「ご苦労なこった。なあ。お前も気をつけろよ?()()

 

 だからグレンはロッズの背後で姿を見せていた男にそう呼びかける。ロッズが「は?」と振り返ると、部屋の入り口に、特にそこらの都市民となんら変わりないような格好をした少年が突っ立っていた。

 右手の異形と両目の昏翠の瞳が特徴的である以外、どこまでも普通の只人の少年にしか見えない彼は、その後ろに恐ろしく綺麗な銀の少女を連れて、グレンの言葉にやや呆れ顔で応じた。

 

「アンタは相変わらずすぎて安心するよ。師匠」

「お久しぶりです。グレン様」

 

 こうしてウルとシズクは一年と半年ほどぶりに自身の冒険者としての出発点とも言える場所に帰ってきたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

授与式

 

 

 黄金級授与式。

 

 黄金級という冒険者の称号には「冒険者」という肩書きを大幅に超えるほどの価値が与えられる。都市内における幾つもの特権に加えて、【神殿】からも官位持ち相当の権限まで与えられるのだ。

 

 最早、冒険者ギルドという箱に収まるようなものでは無い。

 銀級すらも都市国の英雄だ。ならば黄金級は世界の英雄であり怪物だ。

 

 ともなれば、授与式も当然、相応の格というものを用意しなければならなくなる。冒険者ギルドの奥に用意された講堂。普段であれば、ギルド員の総会や、あるいは銀級の指輪の授与式などが行われるその場所は、普段とは様変わりしていた。

 

 古びた場所は徹底的に補修され、それでも見える老朽化した箇所は格調高い紅色のカーテンで覆い隠す。燭台が幾つも点され、テーブルや椅子も一新されていた。広さはあるが、決して真新しくもないはずのその場所は、神殿の儀式の場以上の優美な姿に変わっていた。

 そんな、普段とは全く違う講堂には、多くの冒険者ギルド員達が出そろっていた。彼らのみならず、グリードの魔術ギルド並び各商人ギルドの要職、騎士団の騎士達、その果てには神殿の神官達まで揃っている。おおよそ、グリードという都市国を形作る上で不可欠なすべての者達が揃っていた。

 だが、彼ら今回の主役ではない。彼らはあくまでも観客だ。

 

 講堂の壇上には、冒険者ギルドグリード支部の長ジーロウがいた。

 だが、彼はあくまで控えに立つのみだ。この場のトップである彼を退け、壇上に立つ者は当然、一人しかいなかった。

 全冒険者ギルドのトップ、イカザ・シンラ・スパークレイ。

 かつての伝説であり、今なお美しい冒険者の頂点である女は、現関時代の装備を身につけ、悠然とした表情で壇上から、今日の主役を見下ろしていた。

 

()()冒険者、ウル。前へ」

「はい」

 

 その言葉で、灰色髪の少年が壇上へと上がった。

 黒と白の、機能美あふれた美しい鎧姿の少年が、観客すべての目に晒される。少年は若かった。同じく出席している少年のギルド員達を除けば、この場にいるすべての者達よりも若かった。その年で、その若さで、“偉業”をなしたという事実に、誰もが驚いていた。すでに天賢王が直々にその功績をたたえているとこの場にいる全員知っているが、それでもあまりにも常識外だった。

 

「【禁忌区域】【黒炎砂漠】攻略の功績を讃え、ここに【黄金級冒険者】の称号を与える」

 

 だが、イカザはハッキリと、彼の実績を口に出した。

 

「不本意にも送り込まれた場所で、おぞましい呪いを前にして、恐怖を飲み、前へと進み、その果ての星を掴んだ」

 

 彼は一度、無数の陰謀によってその名を貶められている。無数の悪意が、彼の名を意図的に傷つけ、それをすべての民の総意にしようと目論んだ。冒険者の最終的な総意は、擁護と静観だったが、その悪意の流れに便乗してしまった者も中にはいる。そうした者達はやや、ばつが悪そうではあった。

 だが、等の少年はそのようなこと、気にするそぶりも見せず、ただイカザを見つめている。彼女もそれに応じてうなずいた。

 

「見事なる()()だった。これからの活躍に期待する」

 

 その言葉とともに、黄金級冒険者であるウルへと、彼女は黄金の指輪を差し出した。少年はそれを受け取り、左手の中指に装着すると、振り返り、観客すべてに見えるようにそれを掲げた。

 小さなどよめきと、賛辞がわき上がる。

 

 新たなる黄金級、英雄の誕生を彼らは祝福した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 冒険者ギルドグリード支部、来賓室。

 

「という訳で、お疲れ様だ。ウル」

「お疲れ様です」

「どうも。緊張しました」

 

 黄金級の指輪授与式を経て、晴れて黄金級冒険者となったウルは、安堵のため息をついた。そのウルを気遣ってか、シズクはほほえみながらお茶を差し出す。その二人の様子を見てグリード支部長のジーロウはほほえましそうに笑った。

 

「君らに銅級を授けた時を思い出すよ」

「1年ほど前はお世話になりました、ジーロウ様」

「本当に」

 

 銅級冒険者になった時、ウルとシズクに冒険者としての手解きをしてくれたのがジーロウだった。今はその時とは全く違うが、彼は懐かしそうだった。

 

「まさか、こんなにも早く、こんなにもすさまじい結果を持って戻ってくるとは思わなかったな」

「それはまあ、俺もまさかここまで慌ただしいことになるとは思ってもみなかった、です」

「その割に平然としていたな」

「死なないので」

「なるほど確かに」

 

 そう言って彼は愉快そうに笑った。ウルとしてはまじめに話したつもりだったのだが、何がツボだったのかよくわからなかった。

 

「それに、わざわざご足労ありがとうございます。イカザさん」

 

 ウルはイカザにも礼を言った。

 本来、黄金級の授与式となれば、場所は大罪都市プラウディアになるのが通例だ。流石に黄金級の授与はそうそう無いにしても、ギルド内での式典などでも一番備えのある場所だった。

 が、今回はわざわざグリードが選ばれた。勿論それは大罪迷宮グリードに“用”のあるウル達の事情を酌んでのことだった。

 

「なに、王の命とあらばだ。……別の問題も、ありそうだしな」

「ふむ?」

 

 ジーロウは興味深そうに彼女へと視線を向けるが、イカザは肩をすくめるだけだった。その仕草で、おおよその事情の“重さ”を感じ取ったのか、ジーロウはそれ以上は追求しなかった。

 さて、と、話を切り替えるようにイカザはウルに向き直る。彼女の視線はウルの指にはまった黄金の指輪に向けられていた。

 

「黄金級の指輪の用途は事前に説明したとおり、銅の時とそれほど代わりはしない。が、幾つかの【裏技】はある。悪用はして、剥奪騒動になんてならないようにな」

「黄金級の剥奪騒動なんてあるのか?」

 

 ウルが不思議そうに訪ねると、ジーロウは苦々しそうに笑った。

 

「お前の師が、黄金級授与式の欠席をかましたときなど、な……」

「まあ」

「あいつマジで無茶苦茶だな……」

 

 ジーロウの遠くなった目が、当時の苦労を訴えるようだった。

 

「後は、冒険者ギルドが社会的地位を獲得し始めたばかりの頃か。今より遙かに荒くれ者ばかりでな。実力ある一方で、荒くれ者の総大将なんていう困った存在が黄金級になったりしたのだ」

「あー……なるほど」

「歴史書などでも載っていましたね?」

 

 冒険者ギルドの黎明期。今の形となった直後の、一番活気にあふれ、一番慌ただしかった時期だ。スーアの言葉を借りるなら、魔物達に対抗すべくてこ入れが入った時期ともいう。確かにそんな風に、あらゆる思惑とともに大きく成り立ちが変わる時期ならば、いろんな者達がいてもおかしくなかった。 

 

「最終的に、当時の【天拳】殿と殴り合って、意気投合して丸くなって落ち着いたらしいのだがな」

「とてつもない」

「伝説上の神話と大差ないな。そしてウル、お前はその一員となったんだ」

「うへあ……全然自覚ねえ」

 

 イカザから改めて言われると、苦々しい気分になった。他人から語られる伝説になったなどと、背筋が痒くなる。自分のこれまでの過程を矮小化するつもりはないが、それでも自分が英雄だ何だと言われると座り心地が悪くなるのは変わらなかった。

 そんなウルの心中を察したのか、隣に座るシズクはニッコリとほほえんだ。

 

「ウル様はそのままで良いと思いますよ?」

「……そうかねえ」

「なに、あまり緊張する事はない」

 

 ウルを励ますように、イカザもニヤリと笑って見せた。

 

「何せ、あのグレンと魔王だって黄金級やってるんだからな」

「……なんか、問題なくやっていける気がモリモリ沸いてきた」

「反面教師が過ぎますね?」

 

 無駄なところで心強さをもたらしてくれる師匠だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄

 

 

 冒険者ギルドグリード支部 訓練所

 

 黄金級の授与式の後、黄金級冒険者としての諸々の説明を受けるため、ウルはシズクと共にイカザ達の話を聞きに行っていた。その間、時間が空いたエシェル達は、訓練所で時間を潰すことになった。

 

 ウル達のスタート地点にはエシェルも興味があった。

 

 エシェルは、ある程度冒険者としてやれるようになってからのウル達しかしらない。だから彼女にとってウルはずっと、頼りになる存在だった。勿論、何もかも完全無欠というわけではなかったが、つまるところ彼は最初から“先輩”だった。

 しかし、誰もがそうだが、最初からそうだったわけがないのだ。

 最初の、始まりの頃の彼を鍛え上げたグリードの訓練所、その主である黄金級冒険者グレンがどんな人物であるのか、興味津々だった――――の、だが、

 

「ヒトってさ……」

「なに」

 

 エシェルが、呆然とした声を上げると、隣のリーネが、同じくやや呆けた声で返した。

 

「飛ぶんだな……」

「飛んでるわね」

『あ、落ちたのう?』

 

 ヒトが、飛んでいた。

 飛翔魔術や、精霊の加護を使って飛んでいるというわけではない。その飛び方は、言うなれば全速力で走っている馬車に正面からぶつかった衝撃で吹っ飛ばされてるという意味での“飛ぶ”だった。

 

「ひいあ!?」

「ごげえああ!!」

「ひっひっひぃいいいい!!」

 

 性別種族様々な冒険者見習い達が、全員平等に、等しく飛んで、落ちていく。あまりに現実離れしすぎて、何かしらの見世物か何かと脳みそが錯覚し始めていた。

 

「黄金級冒険者の凱旋式なんててめえらとは一切縁のない場所に遊びに行くんだから、さぞかし自信があるんだろうなと思ったんだがなあ……」

 

 そして、その交通事故のような光景を引き起こしているが、ぼさぼさの無精ひげの男だった。一応、ウル達の師匠に当たると当人達からもいわれているその男は、死屍累々担った光景を前にして、至極かったるそうにため息をはいた。

 

「なんだ、つまり俺にボコられて殺されたかったわけだ。それならさっさと言えよ。ちゃんと息の根を止めてやるから」

 

 より一層強くなった阿鼻叫喚を前に、エシェルは顔を覆った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「おし休憩。ちゃんと片付けとけよ雑魚ども」

 

 そう言って、グレンはぴくりとも動かなくなった冒険者見習い達に向かってそう告げて、グラウンドを去って行った。残された見習達はそれからしばらくしても立ち上がる気配はなく、ちょっと震えたりしているがたぶんあれは泣いていた。

 

「懐かしい光景だなあ」

《あったなー……こういうの》

 

 その光景を見て、一緒に見学していたディズとアカネがつぶやく。

 ――――【歩ム者】に一時加入することになったから。

 という、実に雑なウルの説明によって、ウル達一行に加入すると最初エシェルが聞いたときは、上手くやっていけるのか少し心配になった。

 何せ勇者だし、自分は割と最初のほう、無礼千万な態度をとってしまっていたからだ。

 しかし、そんなのはまるで杞憂だったようで、ごくごく自然に、彼女達は馴染んでいた。

 

「そういえば、ディズ様にアカネ様は、ご存じなのでしたか」

「ちょこちょこ様子見に来てたからねえ。ウルもよく飛んでたよ」

《しゅーちゅーてきにねらわれて、シズクといっしょにとんでったで》

 

 二人が言っているように、そもそもウル達があんな風に交通事故に遭うよりも前からのつきあいであったことを考えると当然でもあった。単純なつきあいの長さでいえば、アカネは言わずもがな、ディズも古参といえるのだ。

 

「……まあ、ルーツというか、あの二人のタフさの源流は分かったわね」

「源流で良いのかなあ……」

「彼の模擬戦は、肉体を鍛える意味での訓練じゃないからねえ」

 

 ディズの補足に、エシェルは首を傾げた。

 

「違うの?」

『訓練というよりも、根性のたたき直しじゃの』

 

 ロックがカタカタと骨をならしながら口にする。

 

『あんな風に一方的な暴力たたき込まれて、何かしら強くなると思うカ?そんなら迷宮に潜って、小鬼どもをぶっ殺しとった方が魔力の足しにはなるじゃろ?』

「効果的だけどね。特に駆け出しの冒険者にとっては」

「まあの」

 

 ロックも納得しているようだったが、エシェルはいまいちピンと来なかった。するとリーネが、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて、こちらを指さした。

 

「いきなり実践だと、貴方みたいに、縮こまったりしちゃうヒトが出るって事」

「……う」

 

 ウル達に上から無理矢理命令して、無理矢理同行して、最悪の無様を晒したことをエシェルは思い出して、顔を覆った。思い出したくもない思い出が過ぎて、掘り返さないようにしていたが、記憶をさかのぼると酷いが過ぎた。

 

「どれだけ素晴らしい素質を持ってるヒトでも、最初は素人だよ」

 

 そんなエシェルの様子を気遣ってか、ディズは優しく微笑んだ。

 

「いきなり修羅場に投げ込まれたら誰だって萎縮する。そのまま死んだら、素質もなにも無い」

 

 エシェルの時のように、周囲にフォローしてくれるヒトがいるとも限らない。そうすれば、そのたった一回の失敗で全てが台無しだ。実践に「大失敗で死んでしまったからもう一回」なんてものはない。

 だから、ここで失敗させる。その為の模擬戦だ。

 

『だーいぶ乱暴じゃがの。これで心折れるやつもおるんでないか?』

 

 というか、実際に心折れてる者がいる。べそべそと泣きながら、ふらふらと訓練所の外へと逃げ出している者がいるが、あれは戻ってくることはないだろうという気がする。

 

「ま、それならそれってたぶん彼は思ってるんじゃないかな」

「噂に違わぬ暴虐なる師匠様ね……それで、その弟子は?そろそろ戻らないの?」

 

 そんなことを話していると、不意に訓練所の出入り口が騒がしくなった。なんだろう、と思っていると、自分たちの待ち人、ウルの姿が見えた。良かった!とエシェルはパッと喜んだが、なんだか少しだけ様子が違う。

 彼の横には、短く髪の切りそろえた、若い剣士の姿があった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 時間は少しさかのぼって

 

「いきなり押しかけて申し訳ないです!ボク、銅級のハロルと言います!!」

 

 一通りの説明が終わり、ウルとシズクは来賓室から退席した。さて、訓練所で待っているという仲間達と合流するか、と思っていたところに、その冒険者はやってきた。

 自称の通り、冒険者の格好をしている。銅級というが、だいぶ若かった。髪は短く切りそろえられているが、女の只人だ。その彼女が、活気と、挑戦心にあふれたきらきらした目でこちらを見つめてくる。大体いつもやさぐれてるか、身の丈に合わぬギャンブルに立ち向かうためにぎらぎらした顔つきになってたウルにはややまぶしかった。

 

「ああ、ええと、どうも始めまして――――」

「ボクと手合わせ願いますか!!」

「なんて?」

 

 思わずシズクを見ると、彼女は彼女で「まあ」と少し驚いた顔で、ウルに向かって微笑むばかりだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄②

 

 グリード訓練所 グラウンド

 

「まさか、また此処に立つことになるとは……」

 

 グリード訓練所のグラウンドに立ったウルは、奇妙な懐かしさにおそわれていた。ここにいたのはたったの1ヶ月ほどの短い時間ではあったが、様々な思い出があった。

 

 具体的には

 ゲボが出なくなるまでグラウンドを走り回されて死にかけたり、

 グレンに顔面に拳をたたき込まれて死にかけたり

 武器の振り方を太陽神が隠れても尚続けさせられて死にかけたり、

 魔物の座学テストで失敗した為に、魔物図鑑を読み上げながら走って死にかけたり、

 色々あった。

 

「…………すげえな。マジでろくな思い出がねえ」

 

 どれもこれも、思い出すだけで胃から喉に酸っぱいものがこみあがってくる。普通に肉体が拒絶反応を起こしている。ただのトラウマである。思い出さなきゃ良かった。

 

「よろしくお願いします、先輩!」

 

 そして、ウルと対峙するのはハロルという若い冒険者だった。

 「手合わせ!」

 と、彼女が言ったのは、つまるところ、ウルと模擬戦をしたいのだと、そういうことだった。一瞬、「なぜに俺と?」と、本気で疑問に思ってしまったが、冷静に考えると、ウルは現在黄金級で、英雄で、冒険者達からのあこがれの存在という立場にいるのだ。腕試し、挑戦をされる立場に自分がいるのだ。恐ろしいことに。

 

「先輩……うーん」

 

 残念ながらウルにはまるで、その自覚はないのだが。なんなら先輩と呼ばれる事にすら、違和感がすごい。未だ自分は新人なのではと思っている節すらある。そんなウルの戸惑いを見て、ハロルは首を傾げた。

 

「先輩、だと無礼でした!?ウル様、とかの方が……」

「いや、勘弁だ。余計に居心地が悪い」

 

 シズクから呼ばれるのには慣れたが、他の者からそんな風によばれたら、全身がむずがゆくなって死んでしまう。というか周りからそんな風に呼ばれたら普通に怖い。

 そうやって必死に首を横に振ると、ハロルはクスクスと笑った。

 

「なんか面白いか?」

「いや酒場で、年季を傘に絡んでくるヒト達とは全然違うなって」

「あー……」

 

 ハロルはその若さで銅級の冒険者として認められている。そしてそれはコツコツと時間と実績を積み重ねて得たものではなく、ウルと同じような“ショートカット”をしたのはなんとなく、想像がつく。それくらい一目でわかるほどに、彼女は才気に溢れ、挑戦心に満ちている。

 才能に溢れる若人、となると、嫉妬の対象にもされるだろうというのは想像ついた。

 

「先輩はどうでした?」

「そんなもん気にする暇が一瞬も無かった」

「カッコいいですね……!」

「マジで勘弁してくれ」

 

 苦労話のつもりが普通に尊敬されそうになったので手を振って、槍を構えた。式典の為、竜牙槍は備えているが、流石に使わない。向こうも模擬槍を構えて、そして心底楽しそうに、軽快なステップを踏んで、笑った。

 

「胸を借ります!」

 

 並みの冒険者よりも遙かに速い速度で、彼女は跳んだ。

 

「まあ、これも制御の練習か」

 

 ウルはそれに応じて、槍を構えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「またウルが女の子を引き連れている…」

「いつものことではないでしょうか?」

「銅級のハロル…?あー……【閃光のハロル】?聞いたことあるわ」

『かっちょええ異名じゃのう?』

「最近グリードで頭角を現してきた冒険者だね。単身で上層に出現した【三首蛇】を討ったって噂だね。剣と魔術どっちもつかえるオールマイティ」

《おーちょーはやいな?》

「ん。才能のある冒険者だって噂になってるね。新たな銀級に昇格する日も近いってさ」

「……つまり、すごくまっとうな冒険者だってことだな!!」

「我々、真っ当ではないですものね?」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 黄金級、【灰の英雄】

 式典で、彼を遠目にパッと見たとき、ハロルの中に、彼への疑いが無かったかと言われれば嘘になる。見た目や所作に、ただ者ではないというオーラを彼はちっともまとっていなかった。ヒトが多すぎてそもそもよく見えなかったというのもあるが、“前人未踏の奇跡の偉業を成し遂げた大英雄”というとてつもなく華々しい経歴を考えると、ピンと来なかった。

 ピンと来なかったから、無礼を承知で彼のところに直接押しかけた。ハロルの決断からの行動力はずば抜けて高かった。(結果、空気を読めないと失笑される事も多々あったが、彼女は気にしなかった)

 

 そして、彼と直接言葉を交わして、「違う」と、彼女は漠然と理解した。

 

 確かに一見すると、普通の少年に見える。自分と年もそんなに変わらない。自分の勢いに戸惑いを見せるところも普通。だけどなにか、“何かが違った”。“新星”と期待されるハロルの【直感】がそう囁いていた。

 強いとか、経験豊富だとか、才能があるだとか、そういう自分の物差しでは計れない得体の知れないものが、彼の内側から放たれている。それを確かめずにはいられなくて、彼女は即座に「手合わせ」をお願いしてしまった。

 

「凄い!!」

 

 そして、戦いを始めて、英雄の一端にハロルは触れた。

 幾度かの剣と槍の交差で、ハロルは即座に見抜いた。きっと彼は、ヒトとあまりやり合った経験はない。冒険者を生業にしていた者にはありがちな、経験の偏りがあると。

 それに対して自分は、実のところ対人経験が豊富だ。幼い頃からグリードの騎士団に潜り込んで、騎士達と一緒に訓練を繰り返していたからだ。

 

 ならば、その強みを押しつけよう。彼女はそう決断し、得意の速攻で剣を振るう。その小回りの良さと、スピードを全力で生かす。狙うのは彼の槍だ。

 当たり前だが、彼の肉体がどれだけの能力を秘めていようと、握っているのは何の変哲もない模擬戦闘用の槍でしかない。たたき落とすのも壊すのも、物理的に可能なはずだ。

 そう思い、二本の剣で絡め取ろうとした。が、

 

「おっと」

「…………っ!!」

 

 それを、彼は単純な力のみで、ふりほどき、彼女を弾き飛ばした。

 

 いや、そうなるのはおかしいですよ???

 

 力が込められないように、敵の握る武器のバランスを崩して弾く技である筈なのに、それを真正面から力尽くではじき返されるというのはどういう現象なのか。ハロルは一瞬、星空が脳裏に浮かんだが、気を取り直した。

 懲りずに再び突撃し、今度はフェイントを入れながら、手首や肩、足など、動作の起点となる場所を狙い撃つ。

 

「そらよっと」

 

 が、それを狙い、接近するよりも速く、槍が横薙ぎに振るわれた。

 最初ハロルはその行動の意図が読めなかった。どう考えてもハロルとの距離は槍の刀身の外にいたし、牽制にしては乱暴が過ぎた。だが、

 

「――――!?」

 

 暴風が起きた。流石に吹き飛ばされるほどの威力では無かったが、ハロルの身体のバランスが一瞬崩れる程度には強い風が、その一振りで放たれた。

 ぐらりと崩れた足を立て直すのに、慌てて後ろに跳んで距離を取ろうとすると、そこに狙いを定めたように、ウルは槍を身構えていた。

 

「【突貫】」

「ッ!!!」

 

 突撃が来る、と、理解して必死に横に跳ぶ。

 先に反応できたはずなのに、回避がギリギリになる。単純極まる一直線の突撃なのに、その余波だけで身体がちぎれそうな感覚にハロルは悶えた。

 

 ああ、コレは違う。

 小手先の技だけではどうにもならないくらいの差がある。

 徹底的に手加減されて、この様だ。

 

「おう!ハロル!やれやれー!」

「英雄様に一矢報いてやれ!」

「一撃入れろ!!」

 

 いつの間にか集まりつつあった観客達の好き勝手な歓声も気にならない。目の前の状況に意識を集中し続けた。

 灰の英雄も、此方への力加減になれてきたのか、徐々に攻撃速度が上がっていく。段々と、此方ではどうにもならないような、暴力の押しつけ方を身につけてきている。

 ハロルはさらに笑みを深める。厳しい。楽しい。そしてまだまだ底が知れない。彼と会話したとき、彼から感じ取った「違い」を、まだこれっぽちも引き出せていない。

 

 もっと、もっともっと!そうすれば、自分もいずれは、彼のいる場所まで――――

 

「おうこら、なにやってんだボケ」

 

 その矢先、強烈なゲンコツが、ハロルの頭に振り落とされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄③

 

 

 ハロルに情け容赦なく振り下ろされた拳を見て、ウルは酷く懐かしい気持ちになった。

 

 そうそう、相手が女子供でもまるで情け容赦のない男だったよこの教官は。

 

 痛烈にしばらく地面に転がり悶えていたハロルだったが、自分を一撃でのした相手がグレンであることに気がついた瞬間、勢いよく顔を上げて、なぜか目を輝かせた。

 

「グレン師匠!!!」

「あーうぜー。っつーかなんでまだ来てんだよお前、銅級持ってるのに」

「師匠から学ぶことはまだまだあります!!」

「ねえよ。帰れ」

 

 ぴょいんと飛びつかれたグレンは、心底うっとうしそうな顔をする。どうやらこのやりとりは割と何時ものことのようだ。しかし、

 

「……懐かれてるな?師匠」

「訓練時さんざんしばき倒してもなぜか懐いてきたんだよこのドマゾ」

 

 曰く、冒険者見習いの時からすでにすさまじい才覚を見せていたハロルは、早々に冒険者ギルドから「新たなる新星」として見いだされていたらしい。良い銀級冒険者あたりを見繕い、大切に育てようとしていたのだが、なぜか彼女はグレンのことを気に入ってしまったらしい。

 「何をどう考えても指導員としてはろくでもないからやめておけ」という周囲の忠告を無視して、誰であろうグレン自身からの警告すらも無視して、グレンの訓練所に何度も通い、しまいには銅級冒険者の資格を得ても尚、彼の元に通っているらしい。

 

「うーわ変わった趣向してんな新人」

「はい!」

 

 ウルは普通に引いたが、ハロルはまっすぐにうなずいた。強い新人だった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ところでウルさんも師匠ってことは、兄弟子なんですね!?兄弟子って呼びます!」

「弟子をとった覚えがねえわ、そんでもってだ……」

 

 しばらくの間絡んできたハロルをうっとうしそうにひっぺがえすと、グレンはウルを睨みつけた。

()()()()()()でグラウンド占拠するんじゃねえ。帰れ」

 

 そういって、ウルを心底うっとうしい外注でも見るかのような顔で見下ろしてくる。黄金級授与式の前に一瞬顔を合わせただけで、随分と久しぶりの再会なはずなのだが、本当にみじんも変わりない態度のグレンに妙な安心感を覚えた。

 しかし、その彼の言葉を聞いて、ハロルは少し不満げだ。

 

「くだらない、ですか?ボクはとても楽しかったのですが…!」

 

 先ほど、かなり充実した表情をしていたハロルにすれば「無駄」という評価は不満であったらしい。ハロルのその反応に、グレンは鼻で笑った。

 

「お前にゃ言ってねえよハロル。お前にとっちゃ、まあある程度は有益だろうさ。害の方が多いがな」

「害?」

「勘違いしちまうリスクがでけえって話だ。おいウル」

 

 そして彼は再びこちらを面倒くさそうににらみつける。

 

「んだよ、師匠殿」

「何()()なことしてんだ?お前は」

 

 再び、無駄の一言だ。ウルは首を傾げた。

 

「真面目に訓練したんだがな。吸収した魔力なじませるために、力加減を覚えようと――」

「こんな低次元のままごとで、お前の身体の魔力が馴染むわけがねえだろ」

「低次……」

 

 ハロルはさらにショックを受けて凹んでいたが、グレンは無視した。

 

「お前がやってんのは、翼があるのに使わず、ぽてぽてと地面を歩いてる鳥と変わんねえ。俺がいつお前に「訓練の時は力を押さえろ」なんて教えた?」

「……いや、だが」

 

 グレンの言わんとすることは、確かに分からないでもない。確かに、ハロルと戦うとき、幾つもの制限を自分に課したのはウルは否定しない。だが、それでも、力を抑制し、コントロールをすること自体は間違っていないと思うのだが――――

 

「まあ、たかだか1年そこらでヒト辞めた所為で、自覚が追いつかねえのはわかるがね」

 

 と、そう思っていると、こちらの不満を察したのか、グレンは深々とため息をついた。

 

「ったく、しょうがねえな……()()()()()()()

 

 ウルはその言葉を聞いた瞬間、ぞっとした。

 

 この男はよく面倒くさがる。かったるいと、呻きがちだ。実際にものぐさなのかと最初は勘違いするのだが、この男のしごきを1ヶ月耐え抜いたウルは理解していた。この男が面倒くさがるというのは、つまるところ「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」という意味なのだ。「面倒くさいからやりたくない、やらない」という意味ではない。この男は本質的な部分で律儀だ。

 そして、今、その彼の労働意欲の向かっている先は――――

 

「よし、構えろ」

「ちょっとまてグレ――――」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 訓練所の主、ウル達の師匠というグレンがウルの模擬戦を止めたのをみて、エシェルは「これで終わりか」と、少し肩の力を抜いていた。

 グレンの話はウルからも、シズクからも聞いていた。新人冒険者の訓練教官で、恐ろしくめちゃくちゃな男であったという話を聞いていたが、思ったよりもまともな対応をしていたことに彼女はほっとしていた。

 

 していた。のだが、しばらくのやりとりの後、グレンが地面を足で強く踏んだ瞬間、事態は一変した。状況の変化、とかではなく、文字通り、()()()()()()()()()()()()

 

「――――んん!!??」

 

 遠目に、それほど力を込めた様にも見えない足踏みをした瞬間、まるで地震でも起こったかのように地面が揺れた。訓練所全体が激しい音とともに振動し、冒険者ギルドのギルド員が何事だ!?というように窓を開けて周囲を見渡した。

 

「っきゃあ!?」

 

 そして、先ほどまでウルと一緒に模擬戦闘を繰り返していたハロルが、エシェル達のすぐ側まで転がってきた。文字通り、ゴロゴロゴロと地面を転がり、壁に激突して身もだえていた。爆発に巻き込まれたような有様だった。

 

「あ、コレは不味いね。リーネ手伝って」

「!?はい!」

 

 側で見学していたディズとリーネが慌ただしく動き出す。即座に訓練所の周囲に、魔方陣が展開し、結界が作り出される。何一つとして事態の変化について行けないエシェルは目を回すばかりだった。

 

「え、なにどういう…………!?」

 

 何一つ理解できぬまま、さらに目の前の光景に変貌が起こる。

 地面が隆起し、浮き上がる。結界の内側で、無数の岩石が浮遊を開始していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 なんだ、どういう現象だ?!

 

 周囲の地面の天変地異を結界の中で目撃したウルもまた、当然のように混乱していた。だが、すぐにそんなことを考えている場合ではないと言うことに気がついた。

 

「黄金級相手の訓練なんて初めてだ。加減の仕方なんて分からんから全力でいくが」

 

 現象を引き起こしたと思われるグレン自身から、すさまじい気配が放たれていた。

 

 少なくとも訓練所で追いかけ回されてグラウンドを駆け回っていた時も、怒鳴り散らして訓練生をボコボコにしている時も、決してまとわなかったような、未知の気配だった。

 触れるだけで寒気がするような、鮮烈なまでの闘気が、ウル一人に向けて放たれている。

 

「死ぬなよ?まあ殺す気でやるが」

「――――っ!!!」

 

 ウルは即座に背負っていた竜牙槍を引き抜き、構えた。だが、正しく構えるよりも早く、1年前と全く同じだが全く違う、師の拳が振り抜かれた。

 

 岩盤を砕くかのような強烈は破壊音が、新人冒険者ひしめく訓練所に響き渡った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄④

 

 あ、死ぬわ、これ。

 

 グレンから放たれた拳の一撃を真正面から受けようとしたウルの感想はコレだった。

 死ぬ、確実に死ぬ。師弟関係だったからだとか、ここが都市の中であるだとか、ついさっき黄金級の式典が終わったばかりだとか、その他一切の「加減する事情」を何一つ考慮していない一撃である事が即座に分かった。

 脳が命の危機を感じ取ったのか、動きがスローモーションに見えていた。いわゆる走馬燈の類いである事をウルは理解した。これまで幾度となく死地で命の瀬戸際で経験してきた感覚と全く同じだった。

 故に、戸惑いはなかった。

 

「――――」

 

 竜牙槍を盾のように斜に構え、拳をいなし、同時に衝撃に備えて身体の力を抜く。着弾すると同時に力の方向に足を蹴り、地面を転がりながら衝撃を流し、頃合いを見て起き上がる。

 そして、そのまま即座に竜牙槍を前へと構え直した。

 

「おお、まだマシな反応になってるな?」

 

 まだ、危機は去っていない。

 再び地面が砕けるような爆音が響く。グレンが地面を蹴り砕き、接近する音だ。その音とほぼ同タイミングでグレンの拳が再びウルの目の前に飛んできた。

 籠手も何も装着していない素手の拳。

 しかしその全ての一撃からやはり死を直感する。

 

「待っ!!グレン!!!」

「それで敵が待つのか?」

 

 思わずウルは叫ぶが、グレンはまるで攻撃の手を緩めなかった。竜牙槍にグレンの拳が直撃するたびに、拳と槍が衝突したとは到底思えないような甲高い音が響く。一撃一撃を決死の思いで捌きながら、ウルは悲鳴を上げた。

 

「ちょっ!!まっ!!本気かぁ!?」

「そう言ってる。しゃべってねえで、全部使え。使わなきゃ――」

 

 再びグレンが地面を踏みならす。ぐらりとウルのバランスが崩れた。

 だけではない。

 全身に、強烈な力がかかった。上から降り注ぐような、巨大な手のひらで覆い被さって押しつけるような力が、ウルの身体を拘束する。言うまでも無くそれもまた、グレンの仕業だった。なにを仕掛けてきているのか、理解する間もなく、跪く。

 上を見上げれば、微塵の容赦も無く、グレンが拳を振り上げて、ウルの脳天を叩き割ろうとしているのが見えた。

 

「殺すぞ」

「……!!」

 

 なるほど、本当に殺す気らしい。

 ウルは軋む腕を強引に動かして、竜牙槍の矛先をグレンへと向け、そのまま魔導核を稼働させた。白い刃は即座にその顎を開き、グレンへと向かい閃光を放つ。

 

「【咆哮!!!】」

 

 至近から対魔物を想定された竜牙槍の【咆哮】を、それも此処までのウルの激戦にずっと付き合い続け、魔力を喰らい成長し続けた魔導核の咆哮を、至近距離でヒト相手にぶちこむのはどう考えても狂気の沙汰であったが、ウルに躊躇は無かった。

 

 どうせ死ぬわけがないという確信があった。

 

「ぬりぃ!!」

 

 が、流石に()()()()()()()()()というのは想像の斜め上をいった。

 

「ええ……???」

 

 咆哮はグレンの拳に弾かれて、上空の結界に着弾した。恐らくディズとリーネが張ったのであろう、内側から外へと力を逃がさない為の牢獄のような結界は正しく機能を果たしたが、衝撃で再び訓練所内は揺れた。

 どよめきも起こったが、その声は咆哮の衝撃に対してのものではなく、間違いなくグレン自身に対して向けられている。ウルも同じ気持ちだったからよくわかった。

 

「あ?なに馬鹿面さげてんだてめえ」

「どういう理屈で今【咆哮】弾いた……?」

 

 黒炎天剣はウルの竜牙槍の咆哮を剣で引き裂いていた。

 あれはあれでどう考えても頭がおかしい所業ではあるのだが、一応あれは呪いの炎を纏った大剣をつかい、咆哮を真正面から砕いたという理屈がつかないでもない。(理屈がつくというだけでどう考えても常識外であるという点は置いておく)

 が、この目の前の男は素手で光線を弾いた。いくらなんでもおかしい。

 

 確実に、トリックがある。先ほどから地面を揺らし、空中に岩石を浮かせ、ウルを拘束する。これは――――()()()()()()()()()()()――――まさか、

 

「そういやお前、知らねえんだったか」

 

 そう言って、面倒くさそうにグレンは、人差し指を伸ばすと、ウルの目の前で薙ぐようにして指を横に切った。すると、その軌跡に細かな文字が、魔言が、()()が浮かび上がった。

 よく見れば、グレンの身体や、拳も僅かに光り輝いている。【強化(エンチャント)】によって守られている証拠だった。

 これは、つまり、

 

()()()()()()()()()()

「「「「うっっっっっっっっそだああ!!!?」」」」

「お、何だ?文句あっか?全員死ぬかー???」

 

 ウルも、結界の外で見学していた新人冒険者も、ハロルも、窓の外からこの様子を眺めていた冒険者ギルドのギルド員も、誰も彼も一斉に叫んだ。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「存外、知らない者が多いのだよなあ」

「前線を退いた後は、ほとんど本気を出すことはなかったですからなあ」

 

 二人の戦いを外から眺めていたイカザは、驚愕にどよめくギルド員の面々に笑った。その隣で、グリード支部の長、ジーロウも苦笑する。

 【紅蓮拳王】。火と、大地の魔術の達人にして傑物。

 そのあまりに卓越した魔術の技量故に、あらゆる魔術ギルドからも強く勧誘されていたがその悉くを蹴り飛ばして、自らの憎悪のためにその心血を注いだ復讐者。訓練教官となってからはすっかり魔術を人前にさらす事はなくなったが、未だにその技量はさび付いていないようだった。

 

「しかし、どんな魔術ギルドから懇願されようと、ロクに力を振るわなかったクセに、弟子にはあっけなく晒すのですから、全く……」

「律儀な男だ。だが、ちょうど良い」

 

 そう言って、イカザはグレンと対面するウルへと視線を向けた。未だ、自らの能力の成長を御し切れていない彼を、見守るような声で、ささやいた。

 

「この先の修羅場へと首を突っ込むその前に、枷の全てを外しきれ。ウル」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔術師。

 そうグレンが名乗った瞬間は、流石に何の冗談だと笑いたくなった。

 

「【大地よ焼け墜ちろ】」

 

 だが、そう詠唱を唱え、宙に浮かぶ無数の岩石が灼熱の炎を纏ってウルへと向かって勢いよく落ちていく光景を前にしては、信じるほか無かった。

 彼は一流を超える魔術師で、その技量でもってウルをぶち殺そうとしている。

 

「天、変、地異かッ!!!!」

 

 グリードの訓練所が瞬く間に地獄の光景と早変わりした事実にウルは悲鳴を上げながら、竜牙槍を掲げる。刀身が分かたれ、無数の刃が盾のようにウルの周辺を囲い、衝撃と熱を弾き飛ばす。そのままウルは必死に足を動かした。

 岩石の落下の衝撃で、グラウンドの地形は更に変貌を遂げ、最早最初、ハロルとやり合っていた頃の光景は欠片も残っていない。空から落下し、突き刺さった小山のようになった岩石の影に隠れ、ウルはグレンの影を必死に探した。が、しかし、

 

「ほれ、まだ常識が頭に残ってる」

「――――ッがあ!?」

 

 次の瞬間、ウルが隠れていた岩石そのものが、一気に砕けて、その岩石がウルの身体を殴りつけた。打撃の痛みと、岩石に残った熱の熱さでウルは呻く。

 

「もう、“此処”まで来ると地形ごときじゃ盾にもならねえって理解しろ」

 

 だが、それでも情け容赦なく、砕け散った岩石の影からグレンが飛び出し、こぶしを振りかぶる。それに呼応するように、再び地面が揺れ動き、岩石がその矛先をウルへと向けるように揺れ動いた。

 ウルは自分の身体にのしかかった岩を除けようと動くが、一手動きが遅れた。そのまま岩石はウルへと向かい直進し、

 

「【【【氷よ唄い、奔り、引き裂け】】】」

 

 その岩石はウルの手前で、空中に張られた無数の【銀糸】に引き裂かれ、氷付けになって粉みじんに砕け散った。バラバラに砕けた岩石をみて、ウルは誰が手を貸したのか理解した。深くため息をつくと、そのまま自分の身体にのしかかる巨大な岩石を一気に蹴り飛ばした。

 

「おっと、お前まで参戦か」

「この場では、お久しぶりですね。グレン様」

 

 ウルを守るようにシズクが立っていた。ウルも起き上がると、彼女の前に立つ。

 前衛は、後衛を守る為にある。というのはグレンから教わった基本中の基本だった。

 

「ウル様、全力で参りましょう。さもなければ死にます」

「まあ、それはもう、1年前にさんざん思い知ったよなあ……!」

 

 懐かしき構図になったことに苦笑しながら、ウルは師匠をぶちのめすべく飛び出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄⑤

 

 

『カカカ!主、頑張れよ-!』

「良いの?ロック、見てるだけで」

 

 結界の外から声援を送るロックに、その結界を維持するリーネは少し意外そうに声をかける。こういう鉄火場は、好んで混じりたがりそうなものなのだが。特に、シズクを主とあおいでいる以上、大義もあるのだ。

 

『あのとんでもとやりおうてみたかったがのう?とはいえ、野暮な真似はせんわ!』

 

 しかし、ロックはニタリと笑い、凄まじい圧を放つ訓練所の主を見つめた。

 

『無茶苦茶な師に二人仲良くボコられたという話は散々聞いたからの!超えてやれ主よ』

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ハロルは初めて、師であるグレンの本気というものを目の当たりにして驚愕していた。

 

 師匠、こんな力を隠していたなんて!ずるい!!

 

 と憤ってもいた。

 彼が魔術を使えると言うことすらも初めて聞いたし、なんなら自分の周りの新人はおろか、他の冒険者ギルド員にすらもあまり知られていない事実であったようだが、それにしたって少しくらい教えてくれたって良いじゃないか!とそう思った。(勿論、ハロルがもしグレンに魔術の技量があると知れば、教えて使って戦って!と口やかましくなるのは目に見えていたのだが)

 

 そして、グレンの魔術の腕は、本当にとんでもなかった。

 

 大地が揺れて、砕けて、炎が吹き上がり、火の海に変える。

 

 恐らく発展魔術(セカンド)規模の魔術だが、引き起こされる破壊範囲は終局魔術(サード)に等しい。極めて効果的に、幾つもの魔術を重ねて繋げて、その威力を爆発的に高めている。

 

 それは、研究を主とする魔術師では身につかない技能だ。

 

 戦場で実戦をひたすらに繰り返し続けた魔術師が操る業の妙だった。

 

 ただ敵を殲滅するためだけに磨かれた殺意だった。

 

 どれほどの研鑽と狂気を経て、その魔術が生み出されたのか。そしてその魔術をつかい、どれほどおぞましい死闘を繰り返してきたのか。その一端が垣間見えて、ハロルは感動で涙が零れたので、慌てて拭った。

 やはり凄い!

 銅級の冒険者となった後も、グレンにつきまとっていたのは、彼以上の実力者は、きっとどこを探しても早々に現れないと直感的に理解していたからだ。そして自分の直感は正しかったことが証明された。

 

 だけど、だけど相手もすごい!

 

 一方で、それに相対する銀色の少女も凄まじい。

 勿論知っている。【白銀の君】銀級冒険者のシズクだ。【歩ム者】の参謀で、天剣のユーリ様の直属の部下であるだとか、実は英雄ウルの陰の支配者なのだという様々な噂を持った女性。そのあまりに浮き世離れした美しさ故に、嘘か誠かわからない噂を山ほど持った女のヒトだった。

 その噂のあまりの妖しさに、ハロルは彼女が妙齢の大人の女性だと勝手に勘違いしていたが、今彼女の目の前で戦うのは、ウルと同様に、自分とそこまで年齢の変わらない少女だった。

 

「【【【氷よ唄え】】】」

 

 なのに、彼女の魔術もまた、洗練されている。

 術の詠唱は恐ろしく早く、そしてどのような技術を使っているのかは不明だが、幾重にも重なり、同時に無数の氷棘が展開する。しかも、どこからか張り巡らされた銀の糸全てが、その魔術の全ての起点となる。

 

 精緻、正確、その上悪辣!

 

 ハロルは端的に彼女の技を見抜き、その強さを理解した。

 彼女もまた凄い。流石に、グレン師匠のような分厚い年季による重みのようなものは感じないが、それを補ってあまりある才覚に溢れている。そして、そこに驕りも見せていない。一切の油断なく、それを研ぎ澄ませた者のもつ境地だった。

 

 果てない研鑽、輝けるような才能。どちらもハロルには目映かった。

 

 烏滸がましいかもしれない。でも、憧れる事だけはやめられない。どれだけ年月がかかっても、いずれそこに至る!そんな大志を抱いて、ハロルは目の前の美しい光景を目に焼きつけようと前のめりになった。

 

「【狂え】」

 

 そう思った矢先、ハロルが見てきた様々な美しいもの全てが、“ひっくり返った”。

 

「――――は?」

 

 流石のハロルも言葉を失い、絶句した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 どこまで本気でやればいい?全力!?普通に殺し合いに成りかねないぞ!?

 

 魔眼は!?というかこの戦いのルールは!?っつーか終着点(ゴール)は何処だ?!

 

 こんな場所で権能なんて使ったら騒ぎになるのでは?!

 

 グレンからいきなり死闘をしかけられてから、ウルの思考はしばらくの間ぐるぐると回っていた。いきなり顔見知りから殺し合いを仕掛けられて、即座にパッと覚悟が決まるほどウルは頭がキマってない。ウルは()()()()()真っ当な常識人なのだ。

 迷宮の中でもなんでもない都市の中で、それも敵でもない相手に、いきなり無茶苦茶をしろと言われてもためらうのは当然だった。

 だった、の、だが

 

「………――――めんどくせえ」

 

 なんというか、全部、面倒くさくなった。

 

 そもそも、グレンはどう考えても手加減なんてしていない。つまり命の危機だ。今戦っているウルとシズク、どちらも死にかねない状況を前にして、常識的な配慮をしてその命は助かるのか?

 

 否だ。ならやることをやるしかない。それも全て。

 

「【狂え】」

 

 ウルは竜の権能を発動させた。シズクに迫り、ウルを焼き殺そうとしていた無数の岩石が次の瞬間が、ぐるりとその指向性を失って、とち狂ったように墜落し、あるいは空に向かって吹っ飛んで結界に突き刺さった。

 

「【竜牙槍・解放】」

 

 次いで、竜牙槍を起動させる。スーアから賜った異形の武器。それを見るとき、自分には不相応な代物ではないかという、後ろめたさのようなものを感じないでもなかった。

 が、今、それを全て捨てた。ほんの僅かにウルの心中に刺さっていたトゲは消えて無くなった。そんなもの、最早どうでも良い。

 

「【白鬼魔槍】」

 

 竜牙槍の刀身を変化させる。より鋭く、より攻撃的に、相手を引き裂いて、焼き殺すことに注力した禍々しき形状だった。その刃を、一応は自分の恩人であるグレンへと向ける。

 

「【魔よ猛狂え、炎鬼と成りて我が拳に宿れ】」

 

 グレンもそれに応じた。その身に宿っていた光の強化(エンチャント)が変容する。猛々しい炎が鎧のように纏わり付く。それはただ、炎熱を纏ったというだけではなく、その宿った主の力を、まさしく炎のように燃え上がらせた。 

 結界の内側の温度を爆発的に跳ね上げながら、グレンは笑った。

 

「そうそう、そう言うのだよ。雑魚相手の手加減なんてのは、引退した後に覚えろ」

「アンタみたいにってか」

「冒険者は成長すると同時に、真っ当なヒトじゃ無くなる。紛れもない()()となる」

 

 それは当然として受け入れて初めて、力を使いこなせる。

 それは、この訓練所でもさんざん学ばされた、基礎の一つだ。魔力を獲得し、ヒトから離れていく肉体を制御し、慢心しないために、グレンから徹底的に教え込まれる基本。

 

「だが、お前はもう()()なんだよ。ヒトの真似なんてすんなバケモノ」

「ヒトのこと言えた姿かバケモノ」

 

 ウルが手にした武具も、異能も、あまりに特異で、常識外で、反則的だった。だから、ウルは妙に距離を置こうとしてしまっていた。必要なタイミングで“使おう”としてしまっていた。だから、ハロルとの模擬戦でも、「制御の練習」なんて発想が浮かんだのだ。

 

 武器、切り札、あるいは便利な道具。そういう認識があったからだ。

 

 だが、そうではない。そういう認識ではいけない。

 もっともっと、手足の延長のように、息を吸うように、動かさなければならない。

 師の言いたいことを、ウルは理解した。理解したが――

 

「……それを気づかせるためだけに殺しあいは雑すぎねえ?」

「口で説明するの面倒くせえ。お前覚え悪いし」

「死ねクソ師匠」

「百年はええよ雑魚弟子」

 

 ウルは身構え、魔眼を輝かせた。もはやその使用の一切に躊躇はない。背中から無数の強化を与えるシズクの支援を受けながら、ウルは宣告した。

 

「【混沌よ、狂い啼け】」

「【紅蓮拳】」

 

 狂った無数の岩石と炎が結界内で連鎖的に爆発を起こした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あー……なるほど、これは、確かに“勘違い”だった」

 

 その光景を前に、先ほどのまでの激闘すら塗りつぶすかのような地獄絵図を前に、ハロルは非常に珍しく、至極冷めた声で頷いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ハロルは才気溢れる若者で、猪突猛進ではあるが思慮深くもあった。

 故に即座に理解した。

 目の前の景観は、自分の立っている場所からは地続きではない。

 

 これは、全てをまかりまちがえたヒトが、墜ちる場所だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なつかしき学び舎と勃発する地獄⑥

 

 チリチリと脳が焼けるような感覚に、ウルは顔をゆがませた。

 

 命の危機、窮地、絶望的な死の気配が掠める。そこに高揚感が湧き出てくる。どれだけ冷静であろうとしても抗いがたい、死の狭間で脳を駆ける血液の奔流。生きようとするが故に本能が与える倒錯した興奮が、ウルは心底嫌いだった。

 喜びという感情は、もっと平和的に得たいのだ。こんな地獄の底でしか得られないような麻薬めいた幸福感に酔いしれるなどゴメンだ。

 

 まして都市の中で師と殴り合ってそれを感じるなんて、大分人生を間違っている。

 

「っらああ!!」

「すっとろいぞおらぁあ!!」

 

 が、しかし、死ぬのだからやむを得まい。ウルは一切の加減を止めた。

 竜牙槍の刃を容赦なく、素手のグレンに振り下ろす。真っ当に考えれば、とてつもない非道にも思えるが、最早そんなことは微塵も考えない。実際、グレンはその素手で竜牙槍の刃を弾き飛ばすのだから、躊躇しても仕方が無い。

 

「やっぱどこが魔術師だてめえ!?」

「やかましいわ!!強化した拳で殴った方がはええんだよ!!」

「脳筋エセ魔術師!!!」

「だったら勝ってみろ貧弱戦士が!!」

 

 無茶苦茶を言いやがる。と、思いながら、クビを掻き切り、眼を突き、腸を引き裂かんと斜に振り下ろす。その全てにグレンは即座に応対した。その隙を縫うように、頭をかち割らんと蹴りを振り回し、拳をたたき込んでくる。

 リーチの差をものともしない体捌きにウルは歯を食いしばる。繰り出された蹴りを受け止めると、その反動でグレンは距離を取る。

 距離は不味い、と、ウルは竜牙槍と矛先をグレンへと向けた。

 

「【紅蓮よ、吞み干せ】」

「【混沌掌握、螺旋と化せ】」

 

 距離を空けたグレンが放つ灼熱の炎を消し飛ばすために、咆哮を打ち出す。大罪竜の超克を経て更に成長した魔導核の咆哮は、グレンの炎すらも飲み込んで拡大し、グラウンドの地面を抉り、掘り起こし、吹き飛ばす。うっかり打ち間違えれば冒険者ギルドを破壊しかねなかったが、幸いにして、周囲を覆う結界が、それを防いだ。

 

 頼りがいのある仲間がいて嬉しいなあ!!!

 

 と、やけくそ気味にディズとリーネの二人に感謝を告げながら、咆哮を更に振り回す。熱光の螺旋にグレンを巻き込み、轢き殺す為。

 

「おらぁ!!!」

 

 グレンの姿を捉え、なぎ払うようにして光線を振り回す。が、次の瞬間、グレンの姿はかき消えた。陽炎のように、消えて無くなる。幻影!!と、気づいた時にはもう遅かった。後衛でウルの支援に回ったシズクの、更に後ろに回られていた。

 

「後衛は守れっつったよなあ!!」

「覚えてらぁ!!!」

 

 そこにウルが割って入る。灼熱の炎がたたき込まれ、ウルの身体を焼く。魔術の炎は蛇のようにウルへと伸びる。その首に巻き付き、焼き、絞め殺そうとする。

 

「【狂い、爆ぜよ】」

 

 それを、たった一言でウルは消し飛ばす。

 

「【【【氷よ】】】」

 

 そしてその隙を狙うように、シズクが結界の内側で、張り巡らせた無数の銀の糸から、シズクの声が反響して響く。膨大な量の【氷棘】が出現し、一斉にグレンに突撃した。グレンは詠唱も唱えず、その場でぐるんと身体を回し、一瞬にしてそれらを蒸発させた。

 だが、

 

「ほお?」

 

 グレンが放った熱によって溶けた氷棘は一気に蒸気となって周囲を包み込む。そしてそれを予期していたのか、ウルは即座に一瞬で結界内を埋め尽くす蒸気の中に潜り込み、距離を取った。

 

「【混沌よ、集え】」

「【水よ唄え、凍てつけ】」

 

 蒸気をウルが集め、シズクがそれを即座に再び凍てつかせる。合図らしい合図など一つも無いままに行われる、極めて高度な連携だった。氷塊となり、飲まれたグレンは、その中で尚、笑う。再び彼の周りの炎が、周囲の氷を消し飛ばそうとした。

 

「【揺蕩い】」

 

 だが、ソレよりもウルの方が早い。異形の右手を構え、力を込め、

 

「【狂え!!!】」

 

 握りつぶす。その瞬間、氷が一瞬で凝縮し、激しい音とともに砕け散った。その場で見学していた冒険者達全員が背筋を震わせた。氷の圧縮と共に、グレンがぐしゃぐしゃに圧死する姿を想像し、悲鳴を上げる者もいた。

 が、しかし

 

「引退相手に二人がかりとは大人げねーなクソ」

 

 その砕け散った氷の中から、ぼん、と拳を突き出して、平然と出てきたグレンは、しかしやる気を失い、そのままぐでんと砕けた氷の山をベッドに寝転び―――

 

「――――はいはい、まけまけー。つっかれた」

 

 なんともまあ、間の抜けた声で、敗北を宣言した。

 二人がかりとは言え、1年の時を経て、師匠越えを果たしたウルとシズクは、深々とため息をついて、疲労感と達成感を味わった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あーしんど、だりー……引退した奴にやらせんなよこんなこと」

「頼んでねえ……と言いたいが、まあ、助かったよ」

 

 最早原型すら残っていないグラウンドの中で、面倒くさそうに座り込むグレンを前に、ウルは苦笑いを浮かべる。

 感謝すべきなのは間違いないとは思うのだが、なんというか、本当にやり方が雑である。新人相手でなくとも雑なのだから、もうこれはこの男の性分だろう。

 

「グレン様、すこし顔を上げてもらえますか?首周りを治します」

 

 二人とも怪我をしていたが、比較的無事なシズクが治療に回っていた。おとなしく座り込みながら、ウルはグレンを睨んだ。

 

「アンタ、本当に引退してんのか?嘘だろ」

「全くさび付いておりませんでしたね?」

 

 2対1とはいえ楽勝だったという気が全くしない。黄金級であることは分かっていたが、本当にめちゃくちゃだった。ウルの知る魔術師の概念がガラガラと崩壊するような感覚に陥った。

 

「毎日雑魚どもをしばきまわしたからなあ」

「新人いびってたら魔術の腕上がるのは驚愕だよ」

「師匠ぉー!」

 

 んなわけあるかいと突っ込みを入れたかったが、ソレよりも速く、声がすっ飛んできた。新人冒険者のハロルが、グレンに向かって元気よく飛びついてきた。

 

「んだよ」

 

 グレンが心底面倒くさそうに睨むと、彼女は立ち上がる。そしてウルとグレンを交互に見ると、心から申し訳なさそうな顔をして、ばっと頭を下げた。

 

「勘違いでした!!!ウルさんもごめんなさい!!」

「なにに謝られてるのかわからんの怖いんだが、何に対するごめんなさい?」

「二度とウルさんみたいな化け物になれるかもとか思いません!!!」

「罵倒されたんだが???」

 

 めちゃくちゃ無礼な事を言われた。が、それを問いただすよりも速く、更に別の方角からウルに向かって突撃をかます者達が居た。

 

「ウルゥー!!!」

《にーたん!!》

「おごほぉ」

 

 脇腹にエシェルが直撃し、顔面にアカネが直撃した。ウルは横殴りにぶっ倒れた。

 

「ウル死んじゃうか殺しちゃうとおもっだああ~~~~~~~!!!!」

「マジでいらん心配かけてすまん」

《にーたんにみんなひいとったで》

「悲しみ」

 

 見れば、冒険者ギルドの窓や、周囲の見物客のウルを見る目は大分アレであった。さもありなん、グレンと繰り広げていた戦いはどう考えても常識なんてどこぞにすっとんだ所業であった。ウルも1年前なら普通にドン引きしていた事だろう。

 ややいたたまれない気持ちになっていると、ディズとリーネ、ロックも周囲の結界を解いて、手を振ってやってきた。

 

「今度から地獄繰り広げるなら声かけてね?ウル。大変だから」

「フォロー本当に済まないが助かった、ディズ」

「私としては良いデータが取れて嬉しかったけど」

「お前はブレんな」

『カッカッカ!次はワシとやろう!全力勝負じゃ!』

「嫌じゃい」

 

 わいわいと、仲間達が集まりながら、ウルの所業をつつき始めた。悪いのは大体目の前の師匠だろうが、と言いたくもなったが、最終的に便乗することになったので否定もしがたい。

 そっちもなんか言え、と、グレンに視線をやると、彼は彼で、此方を観察するような顔つきで見つめてきていた。

 

「ふうん」

「んだよ」

 

 訪ねると、グレンは鼻を鳴らす。そして短く

 

「ま、上出来だ」

 

 それだけを言ったのだった。




予約投稿が昨日抜けておったので2話投稿です!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

隠れ家と再会

 

 大罪都市グリード西部地区。

 

 【欲深き者の隠れ家】

 

 行軍通りから少し離れた場所に存在する酒場の一つ。

 出される料理も酒も質はよく、値段は手頃。故に、駆け出しの冒険者達がよく利用するし、それなりに成功を収めた冒険者達も、やはり引き続き利用する活気の溢れた店だ。店主が元冒険者であるため、理解が深く、時に進退に悩める冒険者達の助言をよく聞いていた。

 

 多くの冒険者達から「親父」と親しまれている店主の男は、その日もいつも通り、一見無愛想な顔で、冒険者達を出迎え、仕事を続けていた。何一つとして変わらない、いつも通りの冒険者達の憩いの場。しかしその実、普段と違うことがあった。

 店主が見事なポーカーフェイスで隠していたが、店の2階奥のテーブル、人目のつきにくいその場所に、とある客がやってきていた。

 

 店主としては、以前と同じように対応してやりたかったのだが、「流石に迷惑がかかりそうだ」と言うことで人目のつかない場所に自分たちで移動した。

 

 流石に客からの配慮を無碍にするのも憚られたので、店主は彼らの気遣いを受け入れた。代わりに、以前から彼らが好んで頼んでいた「日替わりランチ(おそらく、値段が一番手頃だったという理由なのだろうが)」でも持って行ってやるか、そう思いながら、彼はいつも通りの仕事に従事していた。

 

 そして、店の二階では

 

「ラース領解放ねえ。へーすごいじゃーん。ほーんどうでも良い」

「一応あんたから経緯語れって言われたから説明したんだが、くそざつな反応」

「グレン様らしいですねえ」

 

 自身が冒険者になる為の基礎的な訓練をしてくれた師匠、恩人であるグレンに対してこれまでのざっくばらんな経緯を説明したウルは、想像した以上の適当な応対に苦笑いがこぼれた。

 積もる話もあるだろうから。と、気遣ってくれた仲間達にも申し訳なさが凄かった。

 

「酒の肴になると思ったんだがなあ、案の定無茶苦茶なことしかしてなくて一周回ってつまらんわ。金返せ」

「奢れって言って此処連れてきたよな。師匠殿」

「0からはなにも取り出せませんよ?」

「あーうっせうっせ。口ばっかうまくなりやがってよおクソガキども」

 

 真っ黒な麦酒をごびごびと飲み干しながらくだを巻く。酒の相手として実に最悪な部類であるが、ウルもシズクも特に気にしては居なかった。彼と同じ酒の席につけばこのような様になることは知っていた。

 だいたい一年越えの再会で、そもそも彼に冒険者としての指導を受けたのはたった一ヶ月ほどの実に短い期間だったが、彼の人となりはおおよそ理解できていた。粗野でサボリ魔で大雑把に見えて、まじめな世話焼きである。口でどう言おうが、この再会が喜ばしい事だと言うことは互いに理解していた。

 何時死ぬかもわからない死線を幾つもくぐり抜けて、こうして再会を果たせたのだから。

 

「そっちはどうなんだよグレン。教官生活で面白い話でもなかったのか」

「ない」

「即答で御座いますね?」

「あのハロルってのは?」

「ドマゾ」

「情報量」

「まあ、希によくいる天才だよ。銅級に5ヶ月くらいで昇格してヤバい奴が出たって噂になってる。それなのに何故か俺の所に来るからあらゆる冒険者から奇異な目で見られてるってだけだ」

「さもありなん」

 

 当人のかったるそうな言い草とは真逆のアクの強い話は続いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「で、お前こっちわざわざ戻ってきてなにすんだよ」

 

 これで何杯目になるのか。ジョッキを空け、少し赤らんだ顔で尋ねる。

 

「大罪迷宮グリード攻略」

「神殿と共同で行う、大がかりな攻略となるかと思います」

「おーおード派手なこった。精々頑張るこったな」

 

 グレンはゲラゲラと笑う。他人事のように笑うが、実際ウルの挑戦は、グレンにとっては他人事だ。彼との関係は元教え子と元師匠であり、それ以上の関係ではない。

 彼の素っ気なさにウルは文句は無い。そもそも彼の配慮を求めていたわけではないのだから。

 

「で、だ。アンタに聞きたいことがある」

「大罪迷宮グリードの情報が知りてえと?」

 

 実に話が早かった。シズクがウルの言葉を引き継いだ。

 

「グレン様は大罪迷宮グリードの深層にて、竜の討伐を行ったとのことですね。その情報を知っておきたいのです。何せ、情報が少ないですから」

 

 だろうな。とグレンは頷く。

 

「今のグリードに深層で活動してる冒険者はいねえ。最大で中層20階辺りか」

 

 グリードは冒険者の活動は活発だ。【討伐祭】なんてお祭りを行うことからもそれはわかる。だが、大罪迷宮グリードそのものの攻略となるとやや話が異なる。

 冒険者達、特に銀級まで至るほどの実力をつけた冒険者ほどその活動が慎重になる。自分の身の丈を弁えるからだ。無謀な挑戦などせず、リスクを犯さず、自分たちがもっとも稼げる狩り場での活動に終始する。

 魔の総本山、竜が蠢き、大罪竜が眠る【深層】へとわざわざ足を踏み入れるような者は現れない。冒険者ギルドに残っている情報も驚くほどに乏しい。

 

 深層の情報はほぼ未知だ。

 そこで竜を討ち、黄金へと至ったグレンの情報がウル達には必要だった。

 例えその情報が、グレンにとって苦い過去の記憶であったとしても。

 

 さて、と、ウルがグレンの顔色をうかがうと、グレンは特に何か思うところみせるでもなく、ジョッキを空にして肩を竦めた。

 

「構わねえよ」

「良いのですか?」

 

 快い返事だったが、シズクはそう確認する。その理由もウルは分かっている。彼が黄金級になった際、仲間や家族を失っている事を彼自身から聞いている。話すのは苦痛も混じるだろうと想像できた。

 だがグレンは特に気にする様子もなかった。

 

「当時のことはとうに折り合い付けてる。今更気遣われたってなーんにも嬉しかねえわ」

「さいで」

 

 で、あれば遠慮する事も無いだろう。グレンは塩味の炒り豆を幾つか口に放り込みボリボリと音を立てながら話し始めた。

 

「お前らももう、調べは付いてるかもしれんが、大罪迷宮グリードの竜は【魔眼】の竜だ。俺たちの()()()()()()()()を殺すまでに幾つかの竜を殺してきたが、手ごわい奴は必ず魔眼を持っていた」

「魔眼……」

 

 魔眼の竜。それはウルにとっても印象深い存在だった。

 陽喰らいの時に遭遇した黒の合成竜。あれは純粋な竜とはまた別の存在であるらしいが、しかしその魔眼の脅威にさらされた記憶をウルは決して忘れてはいない。忘れようがなかった。

 あのスーアを浚い、操った黒竜すらも、本家の強欲の竜ではなく、入り交じったが故にやや劣化していると聞いたときは絶句したものだ。そんな怪物とこれからウルは戦わなければならない。

 

「しかも場所は迷宮の深層、竜の本拠地だ。魔力切れを起こすこと無く、その魔眼で視野に映る全ての対象に対して魔術を放ち続ける。一体でも竜が居ればその階層は地獄と化した」

「対処法は?」

「魔眼所持者相手と変わらんよ。視野を潰す。魔眼自体を破壊する。消去。使えるものは全部使ったな」

 

 それもまた陽喰らいでウル達が使った戦術と変わりは無かった。陽喰らい時は多くの神官、魔術師、冒険者達の協力によってそれを成した。勿論、抵抗されたし、全ての策が上手く通ったわけではなかった、それでも彼らの協力がなければもっと死人が出ていたのは疑いようがなかった。

 しかし、”陽喰らい”とグレンの竜討伐とでは決定的に違う点がある。

 

「……ですが」

「そうだな。俺は仲間を大半失った。嫁も死んだ。相当な被害が出た。」

「……聞く限り、対策は間違っているようには思えなかったが?」

「そうだな。だが、”単純に手数が足りなくなった”」

 

 陽喰らいと決定的に違う点。それは単純明確だ。()()()()()

 陽喰らいは迷宮から魔物達が溢れ、その襲撃を凌ぐ防衛戦だった。だが、今回は迷宮に此方から攻めるのだ。中に侵入できる人数は限られる。

 陽喰らいの時のようにありったけの人材と物資をフル活用するような戦い方は出来ない。極めて限られた人員で、魔眼の猛威を凌ぎ続けなければならない。

 

 ウルはここに至るまで幾つかの竜と接敵した。壊れかけていたとはいえ、大罪竜すらも打ち倒した。だが、それらとは全く別次元の問題と脅威が待ち受けて居るであろう事は想像に難くなかった。

 

 今回は、“迷宮攻略”なのだ。無論、例外ばかりだろうが、その違いは大きい。

 

 ウルもシズクも沈黙する。天賢王達がどのように動いてくれるかはわからないが、自分たちでなんの対策も用意しないというのはあまりにも危険だろう。事態を想定し、備える必要があった。

 

「んだ、お通夜みたいな顔しやがって、英雄どもが。もっと「まあ俺らならラクショーだがなーゲハハハハ」くらい言えや」

「それ、死ぬ奴が言うやつじゃねえか」

「んなこたねえよ。この前、ウチにやってきてイキり散らしてた新人も似たようなこと言ってたけど、死んでねえよ」

「死ぬ以外ではどうなったんです?」

「調子こいて余所の店で俺の悪口言い散らしてたらハロルにボッコボコにされて泣いて土下座ったらしい」

「尊厳が死んでる」

 

 とりとめのない雑談は続いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

隠れ家と再会②

 

 

 師との酒の席は続いていた。

 ありがたいことに店主が以前来たときにウル達が好んでいた料理を持ってきてくれたので、ありがたく口にする。グレンは引き続き、奢りのタダ酒を容赦なく飲んでいた。

 

「しかし、ラース解放なんて紛れもない英雄をやったんだ。黄金級にもなって、満足しときゃいいのになあ」

「本当にごもっともだが、色々事情もある」

「は!今度は“世界でも救う気か”?」

 

 グレンの言葉は冗談のように軽かったが、あまりにも正鵠を射ていたため、ウルは言葉に詰まった。グレンはその様を見て笑う。

 

「想像つくだろ。お前には妹って事情があったんだろうが、そんな動機がなかろうが黄金級っつーのは“冒険者のゴール”だぞ?」

 

 ゴールにたどり着いても尚、やらなければならない事、という話になると、もはや世界をどうこうするという話に必然的になる。そのグレンの推測を聞いてなるほど、と、ウルは納得した。同時に、何というか改めて、とんでもない場所にやってきてしまったと頭が痛くなった。

 

「俺みたいに世界なんてほっときゃいいのに」

「ということは、グレン様にもそういう話が来たのですか?」

「だいぶ前からな…………あー、嫌なやつ思い出した」

 

 グレンがそう言ってしかめ面になり、再び酒をあおり始めた。正直、気になる話ではあるが、つっこむと拳が飛んできそうなので黙っておいた。

 

「……まあ、正直うなずけるところもあるんだが」

 

 ――この地に理想郷時代を取り戻す

 

 王が目指し、導こうとする世界の行く末。

 

 ――邪神を使って、太陽神を砕く

 

 あるいは魔王が目指す、世界の果て。

 

 どちらも、ウルにとっては脅威ではある。が、一方で自分事として未だに消化し切れていないのは事実だ。彼らの行いを「勝手にやっていろ」と貶す気はない。むしろ、この件を他人事のように感じているのは、ウル自身の危機感の無さが原因だ。

 自分ではどうしようもないことだから、任せるしかない。という、庶民的な感覚がまだ拭えていないのだ――――とっくに、どうしようもないことなんて殆ど無くなっているにも関わらず。

 だから、グレンの言葉は正直、心情的に頷けるところはある…………が、

 

「昔、アンタに言われて、言ったとおりだよ」

 

 ウルは言った。

 

「俺は俺のために行動する。地獄に首を突っ込んで、そのまま首が刎ね飛んだって後悔はしない」

 

 少なくとも、仲間達の窮地を、黙って見過ごすつもりはない。その一点だけはぶれるつもりはウルにはなかった。

 

「あーそうかい。だったら良いんじゃねえのか」

 

 そのウルの言葉に、グレンは肩をすくめるとバリバリと皿ごと豆を口に流し込み、酒で飲み干した。

 

「力不足で死ぬことはあっても足下が見えなくなってすっころぶようなヘマはしねえだろうさ。精々死に物狂いで足掻いて死ねよ」

「お前は塩分取り過ぎて死にそうだがなグレン」

「うるせえオカンかてめえ」

 

 空になった皿が飛んできたのでウルは受け止めた。本当に、鋭いんだか雑なんだか分からない男である。あるいはどちらでもあるのか、兎に角いつも通りだった。

 そうこうしている間に、テーブルの皿が空き始めた。やや腹も満たされているが、追加で注文するかどうかとウルが考えていると、1階から声が聞こえてきた。

 

「――――いるって本当!?」

「親父さーん!教えてよ!?」

「――――じゃね?!」

 

 どたばたという騒がしい声と共に、おそらく迷宮帰りの冒険者達が二階に上がってきた。その彼らの顔を見て、ウルは思わず笑ってしまった。

 

「ウル!!!」

「ウルだ!はっは!マジでいやがる!」

「シズクさん!!相変わらず美しい!」

「げえ!?グレンまでいる!!」

「全然変わって…………いやだいぶ変わったな!?」

 

「うーわ懐かし」

「皆様、本当に変わりありませんね」

 

 1年前、ウルとシズクが駆け出しの時、【欲深き者の隠れ家】を利用していた際によく一緒に食事をとり、酒を飲んでいた冒険者達が集まってきた。たった1ヶ月ほどの短い間であったはずなのだが、彼らの顔を見ただけでウルは何故だか無性に嬉しかった。

 期間は短かったが、過酷な駆け出しの一ヶ月、彼らとの付き合いは唯一の癒やしで、楽しかったのだ。

 

「何でこんな安酒場にいるんだよ英雄様!!もっと高いところ行けるんだろ!?」

「良いだろジャック。ここの飯、美味いんだ」

「そりゃそうだ!!ここの親父の料理は最高だ!!」

「ダンジ様、元気そうでなによりです。本当によかった」

「シズクさんにまた再会するのを夢見て死にものぐるいで生き延びましたぁ!!」

「っつーかてめえなんでここにいるんだよ、ランニングどうしたおいこら」

「あ、ああ、許して教官、あ、オアーーーー!?」

「いやー!俺はお前らが出世するって思ってたゼ!」

「いや、どんな予言者だよ。誰が想像つくんだよこんな無軌道な出世」

「うふふふははは!二人とも元気でよかったわあ!!」

「何でアンタはすでに泥酔してんだ、ナナ」

 

 どうやら、新たに料理と酒を頼む必要があるらしい、なんてことを思いながらも、懐かしき面々との再会を、ウル達は満喫した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「嗚呼~~アルコールに浸った脳みそで浴びる夜風は最高だなあ~~!」

「あんだけ飲んどいてよく元気だなアンタ」

「浄化魔術をかけましょうか?」

 

 それから、たっぷりと宴を終えて、解散となった。

 当たり前ではあるが、ウルにも他の連中にも明日の予定というものがある。完全に酒浸りになって明日に響くのは避けねばならなかった。(といっても、明らかに過剰なアルコール摂取を行った者が結構いたが)

 

「しかし、よくあんなに飲めたなグレン……」

「タダ酒なら無限に飲めるぞ」

「奢るなんて言わなきゃ良かった……」

「それで?お前等は明日これからどうするんだ?」

 

 シズクは少し考え込むように指を頬に当てる。

 

「ひとまず、グリードで世話になった皆様に挨拶して回ろうかと思います」

「まあ、今日で結構な連中と顔合わせできちまったけどな」

「うーわ、くそつまんねえ予定だこと」

「お前の自堕落な生活と比べればマシだろ」

「うるせえな、俺は俺で新人いびりに忙しいんだ」

 

 言動だけ聞くと実にアレな教官である。酒場での様子を見るに、ハロルのような例外を除けば相変わらず、あらゆる冒険者達から恐れおののかれているらしいが、いつかパワハラで問題にならんのだろうかと少し心配になった。

 

「全くいい大人がそのような様では行かんぞ!しゃんとせんか!」

 

 と、そんなことを考えていると、背後から声がした。

 振り返ると、まず巨大な胸板が目に入った。神官の法衣を身に纏っている。鍛え上げられた胴体に太い首、剃り上げられた頭。厳めしくも優しさを感じさせる顔。

 だが、それよりもハッキリとした”異様”がその男の身体にはあった。

 

「うっげ……」

「まあ、グロンゾン様。お久しぶりで御座います」

「おお、銀の乙女よ!久しいな!お主のお陰でなんとか命拾ったわ!」

 

 左腕を失っても尚、威風堂々たる姿をした天拳のグロンゾンがそこにいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 色欲の超克

 

 

 ウルが黒炎砂漠の解放を成し遂げる前の事。

 

 【大罪迷宮ラスト】最深層にて

 

「は……は………はぁ………」

 

 七天の一人、天剣のユーリは地獄のただ中にいた。

 

 彼女は消耗していた。傷ついてもいた。天陽騎士団団長としての眩い鎧が血にまみれていた。眩き天剣も彼女の血に穢れていた。普段の彼女の太刀筋とその強さ、魔物達や邪教徒達の血を僅かたりとも浴びることの無い姿を指して戦姫と讃えられる彼女が見る影も無かった。

 

 だが、それは彼女の仲間も同じ事だった。

 

「……ユーリ。大丈夫?」

 

 天剣の隣りに立つ勇者ディズも、疲労の極地にあった。緋色の剣を杖代わりによろよろと、なんとか立ちあがってるような有様だ。

 

「貴方に、心配される事は、ありません。加護はないのだから、引っ込んでて、ください」

「そうも、いかない、かな」

 

 二人が見据える先、大罪迷宮ラストの最深層。空間そのものが歪み、樹齢が幾らかなのかも定かでないような大樹が出鱈目に乱立している。そしてその間を縫うようにして、真っ白な魔が姿を見せていた。

 

『ハ   ハハ』『 ハハハ ハハハ!』『アハハアハハハハ』『アハハハ』

 

 ヒトの形を模しただけの真っ白な竜達が至るところから姿を現し、嘲りを奏でていた。それら全てが大罪竜ラストの眷族――――ではない。それらは全て大罪竜ラストそのものなのだ。全てが本物だ。

 

「……()()()()()()()()()()()。いえ、此方が本家でしたね」

 

 大罪迷宮プラウディアで行われた無尽蔵の合成竜の”繁殖施設”。天魔のグレーレ曰く、あれは色欲の特性を利用したものだと言っていた。だとすれば、それよりも苛烈になるのは至極当然と言えた。

 だが、ものには限度という物がある。深層の更に奥、最深層に眠るラストの本領は、想像の遙か先を行く出鱈目さだった。

 

「【天剣轟斬】」

 

 ユーリが輝ける剣を振るう。一切を切り刻み、抵抗を許さぬ無双の剣。天賢王から賜った太陽神の加護、この地上で最も強い剣だ。それを束ね、重ね破壊の渦のようになったそれを容赦なく振るう。

 だが、竜達の嘲りは消えない。

 

『【【【【揺蕩え】】】】』

 

 天剣の力が砕ける。力そのものが消え去ることはないが、その力の方向が、竜達がその呪言を唱えた途端に狂うのだ。元より膨大な力をもった天剣の力が、その膨大さ故にバランスを失った瞬間、砕け散る。

 

「全員、一切の遜色なく、色欲の権能を持っている……!」

「反則だねえコレ。()()()は、温存してた、わけだ」

「グロンゾンの【天拳】の破魔の力があればまだましなのですが……」

「落ちちゃったからねえ彼」

 

 現在此処には3人の七天がいる。【勇者】、【天剣】、そして【天拳】だ。

 天拳のグロンゾンは一行から離脱している。道中で露払いの役割を担っていた彼の部下達が迷宮の変異の際、闇に飲まれたのを救出するために別行動を取ったのだ。

 

「最悪のタイミング……!」

「仕方ないさ。大罪竜との接敵前だった。色欲の分断作戦だと気付くのが遅すぎたね」

 

 色欲の大罪竜は此方の侵攻作戦、天賢王の理想郷計画を既に予期していたと言うことらしい。まさしく万全の体制で迎撃を受けてしまった。

 状況は最悪だ。だが、例えそうであったとしても、それを嘆いて尻込みしているわけにもいかない。最悪を真正面から叩き斬るくらいの覚悟なしに、この戦いを乗り切る事は不可能だった。

 少なくとも勇者ディズはそれを理解していた。ユーリよりも尚ボロボロの状態でも闘志を途切れさせず、前を見ていた。

 

「アカネ、まだいける?」

《き、きぼちわるーい……》

「竜の気配に酔ったか。前よりも深い場所だもんね。休んでて」

《ごめーん……》

「良いさ。動けるようになったら言ってね」

 

 緋色の精霊憑きを外套に収め、もう一本の剣を抜く。金色の大剣。星屑のような輝きが散った星剣を握り、それを掲げた。

 

「【星剣よ。星々の輝きを我が身に】」

 

 剣の輝きが彼女の身体へと伝播する。熱と光、輝きを纏った彼女が立った。不覚にもそれを美しいと思ったユーリは、首を横に振った。そんなことを考えてる場合ではない。

 彼女の内心を知る由も無いディズは、そのまま背後へと呼びかける。

 

「ディズ、貴方……」

「道中までなら、私の【魔断】の方が相性が良い――――シズク」

「はい」

 

 ディズとユーリ、二人の更に後ろから、シズクが前に出る。対竜術式としての能力、その力を見込まれ協力し、後方からの支援に徹していた彼女であるが、ディズの呼びかけに応じた。

 彼女も理解していた。この状況下においては最早後方であっても安全な場所は無いのだと言うことに。

 

「手伝って貰えるかな」

「勿論です。これくらいしか、私に出来ることはありません」

 

 頷くと共に小さく彼女は唄う。音に合わせて術式が彼女を中心に展開する。竜の動き、その力、あらゆる力を【停止】させる力だ。ここに至るまで幾度となく七天達を助けてきた力が、その本領を発揮しようとしていた。

 

「どうか、竜へとたどり着いてくださいませ。その為この命を賭けさせていただきます」

「ん。ユーリは私達の後ろについてきてね。奥地に大本が存在する筈だ。そこまで届ける」

「…………良いでしょう」

 

 ディズの意図するところは理解できる。

 

 本体、大本、即ち今この周囲に蠢いている”若い個体”ではなく、その奥地に存在する【心臓】を有する最古参の色欲竜。それを討ち滅ぼすことができなければ、ジリ貧になる。無論、この周囲に蠢く大罪竜の”幼体”も何れは自身を生み出す苗床となりうるが、優先度が違う。

 体力を使い果たす前に真っ先に、敵が増える元凶を討ち滅ぼさなければならない。

 その最後の役割を託すというなら、答えないわけには行かなかった。

 

「背中は任せなさい。骨は拾ってあげます」

「了解」

 

『アハハハハ  ハッハハハハ  ハハ    ハハハハハハ!!!!!』

 

 竜が動く。

 此方の攻撃の意思を読み取ったのだろう。攻撃に移る、その出鼻を挫くべく蠢いた。相手を食い千切る為の白翼が蠢く。肉を穿ち、精神を叩き潰して喰い殺す最悪の竜の力。それがまさしく無数に際限なく向かってくる地獄だった。

 

「【魔断・無間】」

「【■■■■■■■】」

 

 そのただ中、ディズは剣を構え、シズクは唄った。それにユーリが続く。

 黒い閃きが竜の首を断ち切り、その翼をもぎ取る。あらゆる力を歪とする色欲の力で持っても、その黒い閃きは歪めることも叶わなかった。だが、それでも尚色欲の大罪竜達は突撃を続ける。無限とも言える数の竜達をひたすらにディズは切って切って切り刻む。

 その剣先が僅かにそれ、懐へと飛び込もうとする竜も居たが、その先に展開していた銀の術式が竜を捉える。術式に触れた瞬間、あるいは彼女の唄を聞いた瞬間、竜達はその動きを停止させる。まるで魂が抜けた抜け殻のように、人形のように、深層の闇の底へと落下していく。

 

「お、おおおおおおおおおおおおお……!!」

 

 刻む、断ち切る、破壊し、止めて、落とす。

 

 そのままま迷宮の深層、奥深くへと突き進んでいく。

 闇はより深くなる。迷宮の奥地へと進むほどに、竜の気配は濃くなる。此処に至ると最早精霊の力は使えない。七天の内、天賢王を除いてもっとも強大かつ万能の力を誇るスーアがこの場にいないのはその為だ。

 ひたすらに殺し続ける。途中、ユーリの頬に血が跳ねた。ディズの血だ。

 攻撃されたわけではない。ただ、この無茶苦茶な連撃で彼女自身の肉体が破壊されている。シズクが絶え間なくディズを治癒し続けているが、それも長くは続かないだろう。

 

「……!!」

 

 天剣の力に手が伸びそうになる。ひたすら、身を削り続ける彼女の背中に隠れるのはあまりにも屈辱で、苦痛だった。

 だが耐えなければならない。なんのために彼女が自分の身を削っているのか分からなくなる。ユーリはひたすらに意識を集中し続けていた。極限まで極まった自らの力で、過つ事なくターゲットを狙い撃つために。

 

 やがて竜の襲撃は途絶える。歪な大樹の森を抜ける。開けた空間に飛びだした。ユーリは目の前に広がる光景に息を飲んだ。

 

『――――――――アアアアアアアア――――――ハハハハハハハハハハハ      ハハハハハハハハ!!!よく   来たなあ!!!!哀れなる   舟の   下僕 が!!!!」

 

 数十メートルを優に超える、闇に突如出現した巨大な大樹が、嗤った。 

 

 自らを産み、自らを育て、自らを増やし続け竜に堕とす。繁栄と堕落の災禍

 

 【色欲の大罪竜】がその姿を見せた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 色欲の超克②

 

 大罪迷宮ラスト 最深層

 

 この世界で最も巨大なる迷宮の一つ。その最も深く。

 地上の森林を媒介とした”地表型”の迷宮で在る筈のその場所の最奥は、ほんの一筋の光すらも届かない闇そのものだった。で、在るにもかかわらずディズやユーリの視界にはハッキリと、この場に居る主の姿が目に映った。

 

 真っ白な、大樹を模した悪竜。視界の端から端までその全てを壁のように自らで満たす程の巨体。その中央がひび割れるようにして開き、

 大罪竜ラスト

 

『嗚呼   嗚呼  嗚呼  嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼  嗚呼嗚呼嗚   呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚     呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!!ハハ  ハハハハハ   ハハハハハハハハハ!!!!!!』 

 

 ラストは嘆き、嗤う。

 その声の一つ一つが脳を揺らす精神攻撃だ。僅かでも気を緩ませればそれだけで意識を持って行かれて、脱出のしようのない酩酊状態に押しつぶされて精神が圧死する。ユーリは歯を食いしばってそれに耐えた。

 

『アハハハ!!『ハ『アハハハハハ!』ハハ!!!『アハハハ!!』』』 

 

 だが同時に、大樹のようなラストを取り囲むようにして存在していた、それと存在を同じくするヒトガタのラスト達も接近してきた。此処へとたどり着くときと同じく、あるいはそれを越えるような数と勢いで。

 最早視界は大罪竜ラストで一杯だ。その全てが空間を揺らし、破滅へと導こうと誘おうとしてくる。

 

「【■■■■■■■■■】」

 

 それをシズクが押さえ込んでいる。

 対竜術式。停止の魔術は最早結界のように七天達を囲っていた。色欲の精神干渉の全てを弾く様は圧倒的な力に思える。彼女が今回の色欲討伐に同行すると決まったとき、最初その能力を訝しんでいたユーリは自らの過ちを認めた。

 だが、同時に、その彼女の力は無尽蔵でも無く、絶対的でも無いと言うことも理解した。

 

「…………!!」

 

 シズクが声も無くうめき声を上げる。

 口端から血を零し、身体の至る所に裂傷が生まれている。竜の攻撃は届いていない。術式の無理な展開と、限界を超えた詠唱の継続が彼女自身を傷つけている。ディズと同じ状況だ。いや、彼女よりも更に酷い。

 シズクの顔色は悪い、を通り越して土気色だ。生気をまるで感じない。このまま限界を迎えて死んでもおかしくないようにすら思えた。

 グレーレが彼女の術式の解析を進めているが、未だ詳細はつかめていない。だが、これは寿命を削るような真似をしているのでは――――?

 

「――――私の、事は、気にしないでください」

 

 だがユーリがそう思っていると不意に、シズクが顔を上げた。余裕など全くないであろうに、口は小さく微笑みを浮かべていた。

 

「どうか前へ……」

「――――言われるまでもありません」

 

 応じて、前を見た。視界はヒトガタのラスト達に覆われていたが、彼女の目はその奥、ラスト達を産んだ大樹を睨んでいた。最早シズクを振り返ることはしなかった。

 

「一気に、行こうか。」

 

 僅かな間休み、呼吸を整えていたディズも応じる。同時に、星屑の外套からアカネが這い出て、ディズの手に触れた。

 

《ディズ……》

「アカネ。大丈夫?」

《んん……まだ、きぼちわるいけど……シズクしにそうだし、やる》

「ん、ありがとう。行こうか」

 

 左手で彼女に触れる。アカネは緋色の剣となり、更にそこから輝きを強めた。

 

「【赤錆の権能・劣化創造開始】」

 

 緋色の剣が変異を開始する。一見して見えた質量を遙かに超える膨大な変異をみて、ユーリも身がまえる。既に此方も準備は整っていた。

 

「【竜殺し・赤錆・流星】」

 

 膨大な量の竜殺しが出現し、シズクの術式の結界を内側から破るようにして一気に射出された。

 

『アア!!『亜亜嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!』『アアアアアアアアア!!!』

 

 黒と緋色の竜殺しの大槍がまるで豪雨のように降り注ぎながら、先々に存在する大罪竜ラストを穿つ。貫かれたラストの身体は、緋色のおどろおどろしい傷が体中を覆い、最後には砕けて落ちていく。

 錆びて、落ちていく。アカネの精霊としての力が通っている。模倣した竜殺しの力も相まって、間違いなく効果的だ。だが、

 

《う、……うう……うううああああ……!!》

 

 それを産みだしているアカネが、長くは保たない。混じりとはいえ彼女は精霊だ。相対しているのは精霊が最も拒絶する竜の、その大本だ。だからこそディズも短期決戦だと言ったのだ。

 ユーリは天剣を握った。血が噴き出すほどに強く。

 

「【魔断・竜薙!!!】」

 

 ディズは星剣と竜殺しを同時に振るう。その破壊の衝撃にラストが散る。ラストの破片が赤錆に飲まれ、白と赤の花弁のように散っていく。そして視界が晴れ、目の前には大木のような大罪竜ラストが見えた。

 

「ユーリ!!!」

 

 ディズの声と同時にユーリは飛ぶ。

 

「【揺蕩え】揺蕩え】揺【揺蕩え】【蕩【揺蕩え】え】え】え】え】え】え】え】」

「小癪!!!」

 

 竜殺しで食い千切っても尚、健在な無数のラストがユーリのちからを狂わそうと喚いてくる。それをユーリは意志の強さと強引な力で押さえ込んだ。力の方向を狂わせる色欲の権能。それは自身に余計な力が混じっている証拠だった。

 余計な力が入っているから。ただ太陽神の怨敵を斬り殺すという一点に集中できていないから、そこをつけ込まれているのだ。

 ユーリは自身の心身を極限まで研ぎ澄ました。ただ斬ること、それのみに意識を集中した。自身をここまで導き、傷ついた者達への負い目すらも今は忘れよう。

 

 ただ斬り捨てる。かの勇者の如く――――

 

「【天剣・竜断!!!!】」

 

 黒と金色の入り交じる一撃が振るわれる。

 その斬光は光よりも早く、眩かった。世界を区切る壁のように直立した大樹の壁は、その光の一撃を受け、ひび割れ、砕けていく。洞窟の奥から風が抜けてきたような不気味な音が反響する。大罪竜の断末魔だとユーリは理解した。

 手応えは、確かにあった――――だが、これは

 

『お前は勇者になることはできない』

 

 それは、自身の師の言葉だった。

 遙か昔、幼い頃、星剣に自身が選ばれなかったとき、容赦なく師である先代ザインに浴びせられた一言だった。自分とは違う、星剣本来の輝きをその手に収めた自分の幼なじみ、凡庸なれど輝かしい金色の少女を尻目に、ザインは断じた。

 

『お前には聖者の才が無い。お前は「温い!!!!」

 

 その過去の幻影を、ユーリは一切の躊躇無く一刀両断した

 幼き頃の傷を掘り返し、嬲る。精神を痛めつけたところを溶かす。陰湿なる仕草は色欲の大罪らしいが、そんな過去はとうの昔に超えている!

 巨大なる大樹は眼前だ。ユーリは虚空を蹴り、一気にその剣を振り抜く――――

 

『ユーリ、いっしょにがんばろうね』

「――――――っ」

 

 ――――寸前、目の前に現れた金色の少女の幻影を前に、ほんのわずか、剣筋がズレた。

 ひたすらに色欲の大罪竜が重ね続けてきた【揺らし】の結実。精神を狂わせ、たわませる力の結実。最悪の幻影が、最悪のタイミングで彼女の前に顕現した。

 

『ハハハ』

 

 そして、それは致命的な隙へと繋がった。

 天剣の一振りは大罪竜ラストを間違いなく両断した。

 だが、砕け散り、崩壊していく大樹は、ユーリが細断するよりもさらに細かく分解していく。細かい塵のような一つ一つが変化し、形を変え、それが――――

 

『hahahaha『hahhahah『h『ahahahah『ahah『ahahahahh『a『a『ha『hahhahhaha!!』

 

 新たなる、色欲へと変貌する!!!

 色欲の大罪竜の心臓を、断てていない。寸前で逃げられた。

 一撃で決める。そう決めていた彼女は無謀を晒していた。竜の全てを停めるシズクとも距離がある。そしてもう、そこに戻るのは間に合わない。

 

 死ぬ。

 

 ユーリはそれを理解した。同時に、ならばと、天剣を振るう手に力がこもった。このまま死ぬくらいならば、残る命の全てを賭けて竜の残る命を削りきる。

 

 過去を揺らされた屈辱を抱いたまま死んでたまるか!

 

 その決意が彼女の殺意に火をくべた。

 

「【天――――!!】」

「【破邪天拳!!!!】」

 

 だが、それよりも早く。そんな彼女の憎悪を払うように鐘の音が響いた。

 全ての邪を払いのける鐘の音。味方を守り、敵と定められた者の力のみを問答無用で奪い去る、理不尽極まる聖なる力だ。

 

「済まぬ!!遅れたわ!!!」

 

 天拳のグロンゾンが身体中から血を流しながらも堂々たる姿で闇の中、輝いていた。両拳の黄金の籠手が、更に光の強さを強く増していた。そのままの勢いで彼は落下し、瞬く間にディズの隣を過ぎ去ると、殺到していた大罪竜ラストの大群を前に拳を突き出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 邪を払う鐘の音が連続して響く。

 

 暴力の手段としてはあまりに原始的。グロンゾン・セイラ・ディランの戦い方はあまりにも単純で、一切の小細工を使わなかった。だが、相対したとき、最も戦い難いとされるのは誰であろう彼である。

 ただ殴る。ひたすら殴る。殴ることで拳が鳴り、その音で相手の魔術効果を払い、防御を失った身体を更に殴る。言わば消去魔術の一方的な押しつけだ。

 ラストの脳天を貫き、砕いて、潰す。そのたびに祝福の鐘は鳴る。惨たらしい残酷な戦い方に相反して美しく鳴り続ける鐘は悪趣味ですらあった。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!?』

 

 無数の、小型の色欲など、鐘の音だけで消し飛んでいくのだから、本当にえげつない。

 

 何処までいっても無骨な暴力装置。だが構うまいとグロンゾンは強く笑う。

 

 己の役割は天賢王の代行者として魔を砕く事。ソレのみだ。その為にどれだけ血にまみれようとも構いはしなかった。

 

「グロンゾン!!貴方の部下は!?」

 

 天拳の破邪の力でラストの力から解かれたユーリが尋ねる。グロンゾンは拳を止めずにそれに応じた。

 

「死んだ!!残念だ!!!」

 

 悪辣な大罪竜の罠だった。

 死んだ部下達の死体に“触翼”を潜り込ませ、助けを求めるように動かして、奥の狭間で此方を謀殺しようと仕掛けてきたのだ。太陽神の拳でもって死体を葬った。悲しくはあったが、グロンゾンも部下達も、此処に至るまでに既に死ぬ覚悟は決めていた。躊躇いはしなかった。

 そして今も、グロンゾは自身の命を費やすことに躊躇をしなかった。

 

 拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。

 

 竜達の頭蓋を砕き、臓物をぶちまけるごとに、自分自身の腕の肉が裂け、骨が砕けていく。ヒトの形に留まろうともラスト達は竜そのものだ。内在する質量はヒトのそれとはかけ離れている。一つ砕くだけでも全力を尽くす必要があった。反動も大きい。

 だがそれでも拳を振るうのを決して止めはしなかった。

 

 大罪竜ラスト、その心臓、この全てのラストを生み出す元凶を打ち砕くまでは―――

 

「――――いました」

 

 少し離れた場所から、闇の中であっても鮮明にシズクの声が響く。すっと指さす先はディズが破壊した大樹の先。どこまでも闇と、無数にあるヒトガタのラストの姿しか無い。他と何も変わらない様に見える虚空を彼女は指し、確信ある声で断言した。

 

『嗚呼   やはり   殺しておく   べきであった   か』

 

 同時に、地を揺らすような竜の声がした。

 真っ白な触翼が無数に這い出る。獣よりも早く、それらはシズクへと伸びた。肉に潜り込んで操るような生ぬるいものでは無い。先端は獣の牙のように禍々しく伸び、ただただ目の前の対象を刺し貫いて引き千切ることだけを目的としていた。

 

「【魔断】」

 

 故にそれをディズはそれを一刀で切り伏せ。

 

「【天拳】」

「【天剣】」

 

 グロンゾンとユーリはシズクの示した先へと突入した。

 

『嗚嗚呼嗚呼嗚呼『嗚呼嗚呼嗚呼嗚『呼『嗚『呼『嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼呼』』』』』

 

 グロンゾン達へと集うラストの総量があからさまに増量した。先程までの、此方を嘲弄して心身の体力を削り取ろうとする悪意ではなく、必死さを強く感じる。ならばシズクの言うことは正しいのだろう。

 同時に、ラストの”心臓”は逃げることができない場所に居る。あるいは”そういう形”をしているのだ。だから盾を増やしている。

 

「頃合いよなあ!!!」

 

 グロンゾンは左手を掲げた。意識を集中した。

 王から賜った天賢王の加護を拳に凝縮する。魔を滅する力。全てを消し去るその力をただ一点に。その果ての結末を理解して尚彼はそうした。

 

「グロンゾン!!」

「構うなユーリ!!【破邪天拳!!!】」

 

 今までにも更にまして高らかに、鐘の音が鳴り響く。敵対する魔の全てを問答無用でかき消す光が竜達の肉を破壊し尽くす。突き進み、最深層の闇のその先をグロンゾンは見た。

 そしてそこにあった。大樹と化したラストの更に奥。奇妙な、茸の形にすら見える肉塊。全ての大罪竜ラストを産みだした元凶、ラストの【心臓】。

 

「くぅぅだけちれええぇええええいい!!!!!」

『侮るなああ   あ    あ   あああ  あああああああああ!!!!』

 

 心臓が吼えた。蠢き、歪み、触翼を全方位に広げる。否、最早それは茸から伸びる菌糸などとでも呼ぶべきなのだろうか。ラストとは、あるいはそういうもので合ったのかも知れない。だがそれは最早考えるべき事ではない。

 

「っかあああああ!!!!!」

 

 破邪の力を更に込める。触翼を触れるよりも早く、その聖なる力によって砕ききる。瞬く間にグロンゾンの左腕に致命的な、不可逆の破壊が進んでいく。霊薬をもってしても2度と再生は叶わぬであろう崩壊の痛みを感じながらも尚、グロンゾンは加速した。

 

 心臓が間近に迫る。焼けるような程の熱を孕んだ巨大な肉の塊を前に、グロンゾンは拳を振り上げ、そして下ろした。一撃は心臓へと届くよりも前に轟音を立てる。魔術の障壁。否、それよりももっと純粋な膨大な魔力、ただそれだけによる障壁だ。

 

「【破!邪!天!拳!!!!】」

 

 砕けかけた左腕を、更に叩き込む。グロンゾンの生涯で最も高らかに天拳の鐘の音が鳴り響き。

 大罪竜ラストの心臓を覆う魔力障壁は消え去った。

 そしてその背後からは、彼を信じ、ひたすらに力を溜めた天剣が控えていた。

 

「【天剣・竜断】」

 

 二度目の渾身の一振りは、違わず竜の心臓を引き裂いた。

 

 太陽神の勅命は成った。

 

 

 

 

 

 

 

 筈だった

 

『   アハハ   』

「なっ」

 

 闇の中、凶刃が閃く。グロンゾンの左腕が宙を飛んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 色欲の超克③

 

 

 心臓を断った。

 

 天剣の使い手であるユーリはそれを確信した。敵の命数を断ち切る感覚を彼女は掴んでいた。例えそれが魔物であれ、竜であれ、断ったのであれば彼女にはそれがわかる。

 確かに大罪の竜を断ったのだ。では、グロンゾンの左腕を断ち切ったこの翼触は――――

 

「グロンゾン!!!」

「気に、するな!!!だが……!!」

「速く【神薬】を飲んでください!!」

 

 大量の血をこぼすグロンゾンは、それでも戦意を衰えさせはしなかった。が、しかし、どれだけ彼がとてつもない益荒男であったとしても、ヒトである以上血を失えば死ぬ。ユーリは叫びながら、周囲を見渡した。

 

 自分が両断した一体は、確かに滅した。木くずのように細かく別たれた訳では無い。間違いなく、その命を断った。だが、他の増殖した【色欲】は消滅していない。

 

 まさか、全ての色欲が完全に独立している!?

 

 いや、そうではない筈だ。というよりも、そうであったならば、色欲はあまりにも無敵過ぎる。そして、ここまで戦った色欲の戦い方は、そこまでの無法の力を有した者の戦い方ではなかった。隠すべき急所を、弱点を持っている者の戦い方だ。

 シズクの指摘が間違いでないなら、心臓は断った。で、あれば――――

 

「――――まさか」

『ハハハハ    ハハハハ  ハハハハハハハ!!!!』

 

 最悪の予感が頭を過る。その予感を後押しするように、禍々しい嗤い声が響き渡る。闇の奥、心臓の身体だった白い大樹の残骸から、複数の色欲が姿を現した。

 だが、他の個体とは明らかに放つ気配が違う。身体の形も成長を遂げている。約2メートルほどの体軀のヒトガタ。雌雄もバラバラの四つの個体。コレは、こいつらは、

 

「心臓が、()()……!?」

 

 背後に控えるシズクが、震えるような声で言った。

 

 色欲の急所は、一つではない。

 

『子は   成長する    ものであろう?』

 

 短く髪らしきものを切りそろえた、雄型の個体は七天達を嘲るように言った。

 

『  心臓の機能として  成長するのには 流石に   時間がかかったがなあ?』

 

 長く伸びた髪を束ねた、雌型の個体はわざとらしくため息をついて苦労を訴えた。

 

『子育てというのは  難儀よのお  まったく  ()()  手がかかるなあ   』

 

 同じ形をした、雌雄どちらともつかぬ2個体は、互いを抱きしめ、互いを嘲り、互いを慈しんだ。それに呼応するように、色欲の子供達が一斉に嗤いだす。ゲラゲラゲラと、複数の笑い声が反響する。

 

『さて  さて   どうするか?』

『七天など    こわい  こわい   我は   隠れよう』

 

 一体が戯けるように身を震わせた。

 

『 我は   孕み  我を   愛でよう  』

『おおそうだなあ     ()()()()()()()()    ()()()()()()     ()() ()()()()()  ()()()  ()()()()()()()()

 二体が母のように、胎を撫でながら、慈しむように言った。

 

『    ではその間  我は   敵を  殺そう   』

 

 一体が父のように、勇ましく、おぞましく、牙を剥き出しにして嗤った。

 

『嗚呼   嗚呼   育児というものは   協力せねばならぬからなあ?  』

『おお   全くだ  』

『ハハハハ』

『ハハハハ  ハハハハ     ハハ!!』

『ハハ    ハ『ハハハ     ハハ    ハハハハハ『ハハハハ          ハハハハハハハハハハハ『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ『ハ『ハハ『ハハハハハハハハ『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!』

 

 嘲りの大合唱を前に、ユーリは心をかき回されぬように努めながらも、現状が窮地であるという事実をただ悟った。大罪竜の討伐。わかりきっていたことではあるが、これはただ一体を相手取るだけでも不可能に近い難事なのだ。

 

 だが、諦めるわけにはいかない。

 そして現状は()()()()()()()()()()()()()()

 

 それを理解しているから、ユーリはひたすらに残された力の全てを溜め、僅かでも削がれぬように努めた。

 

「いや、貴様らはここで滅する」

 

 そして、血にまみれたグロンゾンがよく通る声を発した。動き出そうとしていた色欲は、興味深そうに、死にかけているグロンゾンを見る。

 

『ほ   う ?』

『  どう   やって   だ?  死に損ない  』

 

 余裕と、油断をユーリは感じ取った。

 あまりに邪悪な能力を有している【色欲】だが、やはり本質的に“戦士”ではない。いくら状況が優位であっても、敵を前にしても油断するし、戦い方は雑だ。そして今は大量の数の利を持つ者特有の、緩みがある。

 無論、それでも尚最悪の脅威で、七天達であろうとも太刀打ち困難な怪物であるのには変わりない。だが、だからこそ、そのほんの僅かに垣間見せる隙を、決して見逃してはならない。

 

「うむ、まさしく死に損ないだ!!だが、死に損ないにもできることがあるのだぞ?!」

 

 グロンゾンは大声で宣告する。その間、一切の仕草も合図も出していない。だが分かる。この死地で、極限まで研がれた神経が、彼の意図を受け止める。ユーリの背後にいるディズ達も、きっとそうだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そういって、グロンゾンは、残された方の手を掲げた。金色の籠手。太陽神の加護、その実態は武具では無い。圧倒的な【消去】の力の塊である。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「【破邪天拳・葬鐘】」

 

 闇の中に落下したグロンゾンのもう片方の腕、そこに装着されたもう一つの天拳が、その力を一気に解放し、莫大なまでの鐘の音を迷宮の深層に響き渡らせた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そのすさまじい鐘の音――――というよりも、もはや音の大爆発をまともに喰らった色欲()は、その大部分が一気に砕け散った。肉体を構築している全てが粉みじんに砕かれて、魔力に還元されていく。

 それは最早【消去(レジスト)】なんていう言葉で片付けられる現象では無かった。あまりにも一方的で無慈悲な、殺戮の鐘だった。

 

『がああああ    『 ああ   『  あああああああ!!!?』

 

 ()()()の砕け散る音を聞きながらも、心臓はその崩壊に耐えていた。砕け散っているのは生まれてまだ成長しきっていない弱い個体のみだ。心臓を有するほどの個体であれば、崩壊仕切ることは無い――――

 

 だが、それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「屈辱を返しますよ」

 

 天剣の声が響く。恐ろしく研ぎ澄まされたや殺意が懐まで迫っていた。色欲は寒気を覚えながらも、即座に自らの権能を放った。

 

『【   揺  蕩 え  !!!』

 

 あらゆるを揺らす権能は、間違いなく色欲から放たれた。しかし、その力は、放った側から()()()()()()

 

『な   に   !?』

『鐘の    音――――っが!?」

 

 そして、驚愕と隙を縫うように、二体の心臓が、輝く刃によって両断された。

 

「ふたぁつ……!!」

『 【狂い    砕けよ!!!   !!】』

 

 権能を、鐘でもかき消されぬほどに強く重ね、天剣を弾き飛ばす。その強力な力の衝突によって、両腕をへし曲げられ、血しぶきを伴って吹き飛びながらも、天剣は顔を笑みにゆがめ続けた。

 だが、危機は去っていない。未だに、鐘の音は継続して響き渡っている。その力は、こちらの権能を一方的に消し去り、その上で七天達を強化し続けている。

 

 厄介な!!!

 

 天拳が厄介極まることが分かっていたからこそ、最初の作戦で天拳を引きはがしたのだが、想像よりも遙かに不愉快な事態になったことに色欲は唸る。

 

 やむを得ぬ。深層から離れ、隠れ、潜もう。

 

 深層の上、上層に出ると、必然的に太陽の結界の圧が強くなる。今のように増えるのは難しくなるかもしれないが、時間はこちらの味方だ。心臓が新たな自分を孕めば、再び味方は生産される。だが、向こうの傷は容易くは回復しまい。時間がたてば老いるし、死ぬ。どれだけ魔力が強化されようが、不老不死とはなるまい。輪廻を繰り返す自分とは違う。

 

 逃げよう。隠れよう。そうしよう。

 

「【心臓】が逃げます!!停止させるので時間を稼いでください!!!」

 

 だが、そうしようとした矢先、不愉快極まる鈴の音の声が、色欲達の耳を打った。

 

『貴様あ    あ  あああああ!!!!!』

 

 逃げる。だが、その前に、あの不愉快な白銀だけは殺し尽くさなければならない。

 崩壊しかけた色欲の残りたちが一斉に殺到する。腕が千切れたもの、足が崩れていくもの、最早首だけになったものまで、全員が白銀を殺すべく動いた。魔性の権能は鐘の音でかき消されるならばと、爪と牙で、その細い喉を掻っ切らんととびかかった。

 

『【骨芯変化】』

 

 だが、その刃が、白銀の喉を切り裂く寸前、彼女の体から突き出た無数の白い、骨の槍が崩壊しかけていた色欲たちの体を一挙に貫いた。

 

『カッカカカ、ずぅーっと主の護衛をする他なかったのは退屈じゃったが―――』

 

 貫いた槍が形を変え、一体の死霊兵へと変貌する。未だ、体が崩れかけてもなお、白銀を殺そうとうごめく色欲の断片たちを、その剣で一気に両断した。

 

『役割は果たせたカ、の!!!』

「ええ、感謝しますロック様。そして、ああ、隙を見せてくれて、よかった」

 

 そして、砕けていく色欲たちの姿を見て、白銀は嫋やかなほほえみを浮かべた。

 

「慎重さに、欠けましたね。流石に、全ての心臓に干渉するなんて無法は出来ません」

 

 謀られた。ただの出まかせで、心臓を逃がさぬため、引き寄せる囮だ。

 だがそれに気づいたときにはもう遅かった。

 

「【劣化創造・緋皇極剣】【星剣よ、破邪を纏え】」

 

 緋と蒼、二つの剣を構えた勇者が、彼女の背後から現れた。

 

『き   さ―――― 』

「凶星よ、闇に帰せ」

 

 双剣の輝きが闇を引き裂き、更に一体の心臓が両断される。残り1つの心臓へと、勇者が二つの刃を閃かせながら、切っ先を向ける。

 

『【揺蕩い  狂い  果てよ   !!!】』

 

 もはや、なりふりなど構ってはいられなかった。色欲たちの大合唱が、一気に空間を満たした、いまだ響き続ける破邪の鐘の音と、すべてを狂わせる邪なる声。この二つがぶつかり合い、重なって、とてつもない不協和音と化して、周囲を破壊した。

 

「っが…!!」

「ディズ様!!!」

 

 勇者も、その力の斥力に弾き飛ばされ、崩壊する迷宮に押しつぶされる。白銀も同様だ。だがもはや、残された一つの心臓はそれらにとどめを刺そうとは思わなかった。そんな余裕はなかった。

 

 逃げる、生き残る。そしてまた繫栄する。

 

 定められた本能に従うように、色欲は奈落の闇から逃れるように空へと手を伸ばす。空の光、輝きへと手を伸ばした―――が、それは外の光、忌々しい太陽の輝きではなく、

 

「【破邪天拳】」

 

 眼前に迫るのは巨漢。隻腕を失っても尚猛々しく、血にまみれても尚勇ましい、【天拳のグロンゾン】が残された右手、金色に輝く【天拳】の光だった。

 

「っちぇええええええええええええええええい!!!!!」

『おのれ  え え え え  ええええええ     !!!      』  

 

 こうして、残された最後の心臓は、天の拳によって粉みじんに粉砕された。

 

 天賢王勅命《ゼウラディアクエスト》、色欲の超克は成った

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そして現在、大罪都市グリード

 

「と、まあ、このような経緯で左腕が吹っ飛んでしまったわけだ!皆の奮闘がなければ死んでいた!!全く情けない限りだ!!」

「話のノリ軽いっすね。グロンゾン殿」

 

 ”元”天拳グロンゾンの説明を受けたウルはやや呆れた顔で、彼の話を聞いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天拳の願い

 

「いやあ、全く、本当によくぞ生きて帰ったなあ!銀の乙女!お主など深層に潜り始めて最初の方でいきなりぶっさされておったからな!」

「ええ、本当に、しかも呪いの類いがたっぷり込められておりましたので、全然【神薬】も効かなくって」 

「ロックが傷を直接塞がねば出血多量で死んでおったな!」

「まあ、最終的に、深層が一部崩落して巻き込まれて、皆様そんな感じになられましたね」

 

「そんな朗らかに話すことかコレ?」

 

 はっはっは、と笑う二人にウルが突っ込んだ。まあ兎も角、わかりきってはいたものの、地獄の死闘であったらしい。

 

「しかし、どうして今日はここに?」

「うむ、実は暫く昏倒していてな。目を覚ましたのはつい最近でな。リハビリしてようやく動けるようになったのだ。なので銀の乙女にお礼をとな」

 

 うむうむ、とグロンゾンは軽快に頷く。数ヶ月間昏睡状態で生死を彷徨っていたという事実をこんな簡単に聞いて良いものか判断に困った。考えても見れば凱旋式でプラウディアを尋ねた折も、彼の姿は見なかったのは眠っていたのだろう。

 そしてその事を知っていたのであろうシズクは彼の言葉に苦笑を浮かべていた。

 

「お礼と言うならばよっぽど、私の方こそ助けていただいたのですが」

「我が民を助けるのは当然のことだ!だがその逆は当然ではない!助かったぞ!」

「超強い」

 

 彼と言葉を交わした回数は少ないが、だいたい彼の人となりは理解できた。それほど単純明快なヒトだった。押しはとても強く強引で喧しいが、強者であり権力者であることへの責務に忠実だ。

 だから、不愉快に感じることは無かった。が、やはり圧は強い。

 

「しかし、シズクへの礼の為にわざわざグリードまで?」

「うむ、要件はもう一つ。古馴染みに挨拶をしにな」

 

 と、そういうとグロンゾンはウル達から視線を外す。目を向けるのは、こちらから距離を取り、関わるまいというツラをしていたグレンだった。

 

「久しいなあ!グレンよ!!」

「ドチラサマデシタッケー」

 

 とりあえず自分の師の演技がゴミクズであるとウルは知った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「お二人はどのような関係だったのですか?」

「他人」

戦友(とも)よ!!」

 

 シズクの質問に対する回答は早速矛盾した。グレンは死ぬほど嫌そうな顔をしているが、グロンゾンはそんな彼の拒絶を慣れた顔で受け止めていた。

 

「共に死線を幾度となくくぐり抜けた仲でな!!幾度となく命を助け合ったのだ…!」

「と、グロンゾン殿が言ってるが」

「コイツの無茶苦茶になんど命を脅かされたか思い出したくもねえ」

 

 双方の認識に相当なズレがあるらしい。

 豪快に笑うグロンゾンと死ぬほど陰鬱そうな顔で顔をひしゃげているグレンとでは陽と陰である。よく肩を並べて戦う機会などがあったものだった、と思わなくもないが、考えてみると、魔術師であるグレンと、近接戦闘を主体とするグロンゾンの相性はよさげだった。

 しかしどういう機会があって、七天と冒険者が巡り会ったのだろうか。

 

「私たちのようなこともあったのかもしれません」

「ああ、なるほど」

 

 グレンは己の竜への報復のために黄金級までに上り詰めた冒険者である。だが、その実力があれば、ウル達のように”陽喰らい”の要請を受けることもあるだろう。彼が積極的にあんな厄介ごとに首を突っ込むとも思えないが、ウルのように不可避の状況に巻き込まれる可能性は大いにあった。

 やや同情的な気分になったが、グレンの不細工な不機嫌ヅラを見ているとその気分も失せた。肩に手をかけようとするグロンゾンの手を払いのけると、顔を顰めたままうなり声をあげる。

 

「で、なんのよーだよ。グロンゾン。いっとくが俺は忙しいんだからな」

「さっきまでヒトの宴会で酒飲みまくってた男のセリフか?今の」

「お酒を嗜むのに忙しいと言う意味かも知れません」

「おうこらうっせーぞコラ外野コラ」

 

「うむ。実はな」

 

 そう言って、彼は右手の拳を握る。すると仄かに彼の右手が輝いた。魔名の顕現だった。しかしそれは通常の、一般の冒険者達のものとは形が異なる。七天達にのみ与えられる特別な魔名。天賢王から授かった特別な加護の魔名だった。

 グロンゾンはそれを示し、そしてグレンへと顔を向けた。

 

「お主に【天拳】を託そうと思って――――ぬ?」

 

 その瞬間、グレンがグロンゾンの視界から消滅していた。

 文字どおりである。一瞬の間に、グレンがその場から消えていなくなっていた。ウルは絶句し、シズクは視線をやったが、彼女もやや驚きながら首を横に振った。

 

「音すらも聞こえませんでした」

「……目で追えなかった」

 

 厄介ごとの押しつけ回避のバックれ技術に最強の冒険者としての技能の一端を垣間見せられてもイマイチ尊敬しづらかった。

 残されたグロンゾンは、あまりに一目散なグレンの逃走に対して愉快そうに笑った。特に怒った様子はない。何処かこの結果を予想しているようでもあった。

 

「実力は健在。遊ばせるには惜しいなやはり」

「というか、大丈夫ですか。グロンゾン殿。天拳の譲渡って」

 

 ウルは尋ねる。

 今日に至るまでやたらめったら、七天達と関わり深い日々を過ごしてきたウルだ。その象徴とも言える王の加護の譲渡ともなれば、無関心ではいられなかった。ましてや自分の師――それも感謝も尊敬もしているとはいえ大分アレな男――にそれが与えられるともなれば、大丈夫なのだろうかと疑問がよぎる。

 無礼な問いであったのかもしれなかったが、グロンゾンは気にする様子はなかった。

 

「奴は黄金級。つまり第三位の官位持ち。かつ実力者だ。資格はある」

「それは……」

 

 ウルは黙る。シズクもだ。やや無理やりな理屈があって、少し答えづらい。ウルとシズクの反応にグロンゾンは分かっている。というように苦笑した。

 

「だが今は、多少の無理を通してでも奴には手を貸して欲しいのだ。理由は分かるだろう」

 

 それは言われるまでも無く分かる。王から伝えられた理想郷計画の事だろう。王の忠臣である彼ならば当然、その話は詳細に知っているはずだ。

 

「出来れば、我が自ら王の力になりたかったのだがな。正直、まだ回復しきれていないのだ」

 

 そういうグロンゾンの表情は心底までに口惜しそうだった。

 左腕を失うほどの全力を賭けて、計画の一端である大罪竜ラストを討ったのだ。それほどの貢献を成したのなら、十分に満足したって誰も責めはしないだろうに、それでも彼は心底己を不甲斐ないというように責めていた。

 王の忠臣と言うほか無い。自分の脱落の穴埋めを少しでもしたいという彼の願いも必要性も理解できた。

 

「流石に最前線で戦うまでは望まぬ、もう少し話をしてみるとするか。」

「聞きますかね、師匠殿」

「お主もあやつに師事したなら知っておろう。奴は楽したがりの乱暴者だが、義理堅く真面目だ――――それと、二人とも」

 

 グロンゾンはウルとシズクの前に立った。正面に立つとどうしようもないくらいに見下ろされる事になるほどに体格差があったが、グロンゾンは膝を曲げて視線を合わせた。

 精悍であるが優しげで、そして少し悲しげな彼の目が、ウルとシズクを捉えた。

 

「王を頼む。あの方は、とても分かりづらいが、思慮深く、優しいヒトなのだ」

 

 己がそれをできない悔しさを隠さず、それだけを告げると、グロンゾンは堂々と手を振って、二人に別れを告げて去って行った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……疲労感の残る飲み会だった」

 

 ウルは深々と溜息をついた。

 一応最初の目的であるグレンへの挨拶と情報収集を終えたワケなのだが、得られた情報の重さもさることながら、その後の情報もとてつもなく濃かった。若干目眩を感じるのはアルコールのためだけではないだろう。

 

「挨拶回り、行きますか?」

「今日はいいや……」

 

 グレンの指摘を受けて、と言うわけではないが、この後更に真面目にグリードを回る気には少しなれなかった。幸いにしてまだ少し、時間的な猶予はまだあるのだ。少しのんびりしたって、絶対にバチはあたらない。

 情報を飲み込んで、整理して、思考にまとめるためにも休憩は必要だった。

 

「……グレンの言ってた賭場見に行ってみるか」

「でもウル様、ウル様の運、ゴミではありませんか?」

「泣くぞ。確かに勝ったこと無いけど」

 

 こうして、ウルとシズクはグリードを遊んで回ることになった。結果、賭場でウルが秒で資金を尽かせ、シズクが大勝ちし、胴元にイカサマを疑われ、逆に賭場のイカサマを見抜く大立ち回りを演じることになるのだが、それはまた別の話である

大立ち回りを演じることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔術の探究者たち

 

 

 魔術ギルドは魔術を学び、伝え、保護し、導くための大連盟公認の大ギルドである。

 

 が、しかし同じ魔術ギルドであっても、その場所、その土地によってそのギルドの教えや導き方の傾向は変わる。魔術ギルドに求められる能力も変わってくるのだからそれは当然だろう。

 例えば大罪都市グラドルでは、特に需要が高いのは食料の生産、品種改良の類い。大罪都市エンヴィーなら魔道機械の術式構築だろう。

 そして、大罪都市グリードは冒険者の活動が最も活発な大罪都市と言われている。で、あればこのギルドで求められるのは迷宮の内部でも利用可能な対魔戦闘を想定したような攻勢魔術の類いが多い。迷宮探索が大陸で最も活発なグリードでは、その一分野に限っては最も魔術の発達に積極的な大罪都市ラストと比べても遜色ないどころか上回ることもあるほどだ。

 

「――――と、このように、白王陣の構築、その下準備は行われます」

 

 故に、迷宮での攻略利用とは対極に位置する白王陣の技術は未知の領域で有り、そして知らないと言うことは学ぶだけの価値があると言うことでもある。

 魔術ギルド大罪都市グリード支部にてゲリラ的に行われた白王陣の研究発表を聞いた魔術師一同は、講義を行っていた【ウーガの守護神】とも呼ばれるリーネに幾つもの質問をぶつけた。詳細で熱心な質問の一つ一つにリーネは回答し、幾つもの応答の後、熱意冷めやまぬといった具合で講義終了の時間となった。

 

「……一の魔術にここまでの術式を込めるか。どういう執念だ……?」

「研究職というよりもこれは最早職人の類いでは……?」

「いや、しかしこの下地の構築技術は参考に……」

 

 グリードの魔術師達は幾つもの感想を口々にしながらも教室を出て行った。全員、満足げというよりも疑問や不満、あるいは怒り、多種多様な苦悶の表情を浮かべていた。しかしそれらには熱が籠もっている。

 そんな彼らの表情からも良い講義だったのだと支部長マージィも理解した。講師役を買って出たリーネに近付いてゆく。少し疲れた様子のリーネもこちらに気がついたようだ。

 

「マージィさん」

「リーネさん。本日は急な依頼に応じてくださり、本当にありがとうございます。大変よい講義でした」

「若輩の身で、どれだけ皆さんの力になれるか心配でしたが」

「ご謙遜を。あの竜吞ウーガの管理を一手に担えるものはウチにもいませんよ」

「仲間達の協力あってのことです」

 

 マージィの言葉にもリーネは実に落ち着き払った様子で応対していた。

 小人という種族も相まって若いを通り越して幼い子供のようにみえるが、その応対の冷静さ一つとっても見た目とは乖離していた。しかし彼女は今や、この大陸で最も注目を浴びる魔術師の一人だ。

 竜吞ウーガが出現した際、多くの魔術師達は世間のようにただ仰天しただけではなく、どのようにしてあんな巨大なる使い魔を維持しているのか、こぞって調べようとした。どう考えても既存の技術では、あのような巨体を無理なく持続させることなんて不可能だったからだ。

 

 遠からず、自己崩壊を起こすと、とある若い魔術師が断言した。

 自己保存のために冬眠する機能でもあるのだろうか、と老いた魔術師が推測した。

 おぞましい、邪教徒の技術が使われているのだと、信心深い魔術師が戦いた。

 

 しかし、そういった様々な推測は、どれも外れることとなる。ウーガは何の問題も無く、イスラリア大陸を闊歩している。勿論時折休眠状態になることはあるが、それでも短期間だ。それは使い魔の魔力の充足と、代謝が恐ろしく上手く機能していることを示していた。

 次第、魔術師達の注目は、ウーガそのものよりも、それを管理している術者へと集まった。大罪都市ラストでくすぶっていたという、レイライン一族の末裔へと。

 そして、そんな彼女がグリードを訪ねるという話を聞きつけたならば、講義を依頼するのは魔術師ギルドグリード支部の長としては当然の責務だった。

 

「白王陣の秘奥については教えることが出来ませんが、表層的な技術部分でよければ」

 

 幸い、冒険者ギルドへのツテもあったため、その経由で彼女と連絡を取り、最終的に合意してもらい、今日に至った。

 興味深い話が聞けて、マージィとしては大変に喜ばしい結果だった。が、一方で少し負い目もある。

 

「教えてもらってばかりでは申し訳ない。何か、参照したい文献などはあるかな?講義でも、可能な限り融通しよう」

 

 勿論、報酬を支払いはしたが、それでも彼女の英知、研鑽の成果を一方的に受け止めてしまうのは申し訳なかった。魔術師にとっての研究は、比喩でも何でも無く命よりも重い。勿論彼女もそのことを了承し、要の部分は決して明かしはしなかったが、その断片をつまびらかにするだけでも、とてつもないことだった。 

 金や物以外でも、此方も見合うだけのものを返さなければ、無礼というものだ。

 

「ありがたい話なのですが、私もこれからグリードで別の仕事がありますので」

「ふむ……なるほど」

 

 仕事の内容については触れないようにした。黄金級となった【灰の英雄】とその一行がわざわざプラウディアではなくグリードでその授与式を行った理由、何かあるのだろうと言うことは察しがつく。仮にも大ギルドの支部長である自分でも、情報が届かないような大変な事案が。

 あえて伏せられている情報を無理につついて暴くような迂闊さはマージィにはなかった。では代わりに、というように、彼は指を立てた。

 

「これは提案なのですが――」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市グリード 【行軍通り・カルミの茶屋】にて

 

「と、いうわけで、講義の報酬として幾つかの魔道具をもらったわ。ありがたい事ね」

「け……っこうごっついな。大丈夫なのか?」

 

 店の一角のテーブルで広げられた魔道具一式を前に、エシェルはちょっと引いていた。別に、違法な物品でも無いはずだが、周囲をきょろきょろと見渡して目立っていないだろうかと確認している姿は女王というよりも小動物だった。

 

「爆発したりはしないわよ。ほら、さっさとしまいなさいな」

 

 言われて、エシェルはコクコクとうなずきながら、自身の【鏡】の力で、魔術ギルドから獲得した物資を片っ端から収納していく。改めて、無茶苦茶な能力だった。【拡張鞄】のような物資を収容する魔道具はもちろん存在はしているが、ここまで何でもありで問答無用とはいくまい。

 グリードの攻略において、彼女が一つの要となるのは間違いなかった。

 

「今回の報酬、いくらか足しになればいいのだけど」

 

 しかし、そんな無茶苦茶なエシェルがいたとしても、今回の攻略が未知で、困難であることには変わりない。取得した魔道具達はどれもグリード支部で眠っていた一級品ばかりであるが、どこまで役立つことができるかは不明だ。

 

「前の騒動で手に入った“アレ”はだめなのか?」

 

 エシェルが尋ねる。やや言葉を濁しているが、それが何を指しているかは分かった。

 

「私たちが行くの、迷宮よ。おそらく機能不全になるわ」

「あ、そか」

 

 例の闇ギルドとの闘争の果てに、シズクが交渉してウーガ管理預かりとなった幾つかの強大な聖遺物。どれもこれも強い力を発揮するが、少なくともグリード攻略には使えない。聖遺物も、神官の加護も、どれもこれも迷宮には使えないのだ。

 だからおそらく、今回の探索で天祈のスーア様も深層に潜ることはできないだろう。

 

「貴方と、アカネ様は例外ね。アカネ様は若干気持ち悪くなってたみたいだけど…………興味深いわ」

「怖い、目怖い」

 

 エシェルがおびえたので、仕方なく店員に氷菓子を頼むと、機嫌を取り戻しニコニコとしだした。本当に、年上であるはずなのに妹みたいになってきたなと、リーネは友人の姿を面白そうに眺めた。

 

「でも、大ギルドで講義する先生だなんて、すごいな、リーネ」

「どう凄いのか分かってないでしょ」

「そ、そうだけどぉ……」

 

 図星をつかれて唸るエシェルに苦笑しながら、リーネは肩をすくめた。

 

「まあ、単発の講義ってだけじゃなくなるかもしれないけどね」

「うん?」

「魔術ギルドの顧問として勧誘を受けたの。長期契約のね」

 

 そのリーネの説明に最初エシェルはピンと来てはいなかった。が、しばらくすると思い当たったのか、目をぱちくりとさせて驚きの声を上げる。

 

「教室をするって事か?白王陣の?」

「白王陣は門外不出。レイライン一族から出すわけにも行かない秘匿技術だけど、公表可能な魔法陣の分野に限っても教えを請いたい魔術師は多そうだからって」

「……つまり、いい話、ってことでいいんだよな」

「魔術ギルドからの特別待遇だもの。間違いなく良い条件よ」

 

 巨大なギルドで自身の教室を開くと言うことは、弟子を取ると言うことでもある。そこから優秀な魔術師を輩出すれば大きな影響力を得ることにも繋がるだろう。

 そしてその場所として大連盟の公的ギルドの魔術ギルドなら最適といってもいい。ラストのラウターラ魔術学園を除くならば最高の環境だ。

 

「成果は出し続けなければいけないのでしょうから、別の大変さはあるでしょうけど、魔術師としては誉れと言って良いかしら」

「……そうか」

 

 それを聞いて、エシェルは少し黙る。その様を見てリーネはまた笑った。

 

「一応言っておくけど、教室を請け負っても、ウーガから降りる気は無いわよ、私」

「本当っ!?」

「そりゃそうでしょ。あそこほど【白王陣】の研究に最適の場所ないもの」

「やっぱ研究の為か!!」

「当然でしょ」

「でも嬉しい!」

「貴方って、本当に好意を隠さないわよね……」

 

「カハハ、仲の良いことだなあ?全く!」

 

 そこに突然、やや癖のある男の笑い声が飛び込んできた。

 リーネは眉をひそめ、エシェルはなにか強く警戒するように席を立つと、逃げるようにリーネの背後に回り込んで、凄い表情でその男をにらみつける。

 金色の髪、森人特有の長い耳に、端正な容姿――――で、あるはずなのに、その顔の3分の1ほどに、“何かに焼かれた跡”のようなものがクッキリと残っている。だが、それでもその姿は、リーネも覚えがある。

 

「俺も、その英知を講義してほしいなあ?レイライン殿?」

 

 天魔のグレーレが実に楽しそうに、リーネ達の前に姿を現した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 嫉妬の超克

 

「天魔のグレーレ……」

 

 七天の一角にしてイスラリア大陸最大にして最高の魔術師、天魔との接触は、リーネにとって初めてだった。しかしそんな気はしなかった。これまで、何度となく間接的な接触があったからだ。

 本当に、初めて会った気がしない。そしてリーネの彼に対する感情は当然悪かった。これまでの接触の悉くが碌なものではなかったのだから当然ではある。

 だが、最悪、とまではいかなかった。むしろ好奇心の方が勝っている。

 リーネも一端の魔術師として今日まで研究と修練に明け暮れていた。故に、彼が今日まで生み出し続けてきた様々な研究の成果を知っている。惜しげも無く公表されたそれらの知識を、リーネも参考にしているし、そのたびに彼の研究の素晴らしさに感嘆した。

 どれだけ人格に難があろうと、彼が魔術の世界における天才であり、その進歩を圧倒的に押し上げる役割を担っていたのは疑いようもない。

 

 そんな男が当然のように自分と同じテーブルに(勝手に)座っているというのは、なかなか複雑な気分だった。

 

「お初にお目にかかるなあ?白王のレイライン」

「私のことを知ってるの?」

「無論、無論、魔術界隈の情報(ニュース)で知らぬ事などないなあ」

「光栄ですこと……エシェル?」

 

 ふと、後ろを見ると、引き続きエシェルがリーネの後ろに隠れるようにしながら、グレーレをにらみつけていた。直接接触がなかったリーネと違い、エシェルは彼と接触している。そして、割と碌でもない目に合わされたというのは聞いていたが、よっぽど堪えたようだ。心底信用しないという顔でグレーレに唸り声を上げていた。

 

「う゛ー……」

「おいおい、睨むなミラルフィーネ。天祈様を寄越したのだ。助かっただろう?」

「助かったけど!!お前は嫌いだ!!」

「おお、ここまで面と向かって嫌悪を向けられたのは初めてだな?……いや、割とあるか?」

 

 グレーレは楽しそうに笑いながら、顔に残った火傷の跡を指で掻く。

 

「その傷……」

 

 ただの傷でないのは明らかだった。単なる火傷であるなら、グレーレほどの術者がその傷跡を残す意味なんて無い。そのグレーレでも癒やしきれないほどの傷、現在【歩ム者】が関わることになった大事業を考えれば、すぐに推測が立った。

 

「お察しの通り、嫉妬の超克の傷だな?無駄に目立つのだが、消し去るのも困難だった。おかげでグローリアが卒倒しかけたなあ」

 

 誰だったか?と一瞬ど忘れして、暫くして、天魔裁判で無礼をしてくれた女だったと思い出した。屈辱はしっかりと返したので、すっかり頭から抜け落ちていた。

 まあ、彼女のことは今どうでも良い。リーネは目の前の魔術の怪物に意識を集中した。

 

「貴方も【超克者】になったの?」

「死にかけたがな。おまけに財産のほぼ全てを使いつぶした!しかも中央工房の件でエンヴィーの神殿に賠償金まで支払う羽目になった!おかげですっかり財が尽きた!」

 

 故に、と、彼はニィっと笑い、言った。

 

「飯をおごってくれ!」

「嘘でしょ……???」

 

 天魔のグレーレに食事を奢るという希少だが嬉しくもない経験を、リーネとエシェルは積むこととなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮エンヴィー 最深層

 

 大罪迷宮の深層は、どれもこれも、この世の終わり、地獄の光景にふさわしい空間が広がっている。通常の迷宮であっても、最深層というのは多くが威圧的で、悪辣で、侵入者を殺しにかかってくる。大罪竜の住まう奥地であれば、邪悪さが増すのは必然と言える。

 しかし、その中でもエンヴィーは殊更に地獄の光景が広がっている。それもヒトが想像するようなこの世の終わりの終わり、終末の光景が顕現している。

 

 それは一言で言い表すなら火の海の地獄。

 

 大罪都市国エンヴィーはギンガン山脈の上に立っている。エンヴィーの迷宮は基本的には炎と間近だ。地形であったり、魔物であったり、どこに行こうとも炎の魔力が荒れ狂う。ギンガン山脈が蓄えているエネルギーが、そこかしこの魔物や迷宮に影響を与えているのだと、冒険者達は口にする。実際層であると誰もが信じていた。

 

 が、しかし、実際はギンガン山脈のエネルギーはとっくの昔に“食い尽くされていることを知る者は少ない”。まして、今、エンヴィーの至る所の迷宮に影響を及ぼす熱が、たった一体の竜から放たれるエネルギーに影響を受けたものであるなどとは、だれも思ってもいなかった。

 

 ただ一人、いち早くエンヴィーの迷宮の真相に気づいた傑物、天魔のグレーレを除いて。

 

「さて、地獄だなあ?どう思う、エクスタイン」

 

 灼熱に包まれた深層は、最早迷宮の体裁を保っては居なかった。

 基本的に、どのような形状であれ、地下へ地下へ、奥へ奥へと進むようになっているはずなのだが、大罪迷宮エンヴィーのその奥には最早、階層の概念はなかった。すべてが焼けて、砕けて消えている。ひたすらにある奈落へと進んだ先、恐らく偶然に発生した周囲の熱を遮断する岩陰に立った天魔のグレーレは、隣に立つエクスタインに笑いかける。

 

《これまで()()()()の上で平然と生きていたのが信じがたいですよ、正直》

 

 彼の姿は異様だった。そもそもヒトの形をしていない。巨大なる【魔導鎧】で全身を包んでいる。中央工房にも流していた魔導鎧の、その完成品。それも今回のエンヴィー探索のために用意した特注品だ。周囲を満たす炎の魔力、その熱を吸収することで搭乗者へのダメージを塞ぎ、熱をエネルギーとして変換し、稼働する。

 エンヴィー探索においてこれほどまでに有効な鎧はないだろう。少なくとも、コレがなければエクスタインは即座に脱水症状を起こすよりも速く焼け死んでいた。(グレーレは何故か鎧も無しに平然と立っているが)

 

 その二人の視線は、岩陰からのぞき見える、奈落の底に向いていた。

 

 太陽神にすら届きそうなほどのまばゆさを放つ、灼熱の竜。

 その長大な肉体を火口の底でうねらせながら眠る、【大罪竜エンヴィー】がそこにいた。

 

《……なんなんですかね、あれ?》

「見たとおりだ。この山脈全てのエネルギーを奪い去った邪悪な竜よ」

《それはわかりますが……》

 

 正直、エクスタインとしては、あれを生物としてカウントして良いかわからなかった。巨大な炎の魔術を放ち、それがうねるとき、生物のように見えることがある。今、奈落で見えている竜は、まさにそのうねる炎そのものだ。常に放出し続ける灼熱が、鎧越しであっても、エクスタインに冷や汗をかかせた。

 

《それに、仲間……眷属竜でしたか?それは》

 

 例外はあるものの、大罪竜には、基本的に、自分の魂を別けた部下の竜がいるというのは事前に聞いていた。が、ここにたどり着くまでの間にその仲間の竜には一度も遭遇しなかった。少し上の深層ではまだ遭遇した、【魔人種】の類いも、ここには全くいない。それもまた異様だった。

 

「いないだろうなあ?」

《何故》

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グレーレのシンプル極まる解析に、エクスタインは顔を引きつらせた。

 

《……冗談でしょ?》

「事実だ。色欲のように、自らを眷属竜として別ける事も出来ぬ。比較対象があれば敵であれ味方でアレ際限なく燃え上がり、上回り、それらを焼き尽くす。そういう性質なのだ」

 

 つまり、この最深層にいる敵は大罪竜エンヴィーのみだ。

 ただし、あの竜相手には数の利すらも無意味だろうとグレーレは言う。

 

「敵対者が増えるほど、比較対象が増えるほど、竜の火力は跳ねあがる」

《なんというか、竜退治と言うよりも、天災を打倒するみたいな話に思えてきたのですが……?》

 

 竜達のもたらす被害を災害、天災と称することはあるが、それでもそれらは例えられるだけで、実体がある。しかし、この山脈の地下に眠る竜は、まさに現象そのものに思える。倒そうと思って倒せるのか、分からなかった。

 

「なんだ今更気がついたのか?大罪竜討伐とはそういうものだ。お前の旧友がやってのけたのはまさにソレだ」

《うーん、改めて彼には1万回殺されても仕方ないなあ》

「なに、良い情報もあるぞ?恐らくだがエンヴィーは既に真っ当な知性が無い。エネルギーのため込みすぎだ。自身の炎に、知性が焼き切れている」

《それは、良い情報……なんですかね?》

「ああ、今観察する限り、知性は疎か肉体まで崩壊しかけていて、遠からず爆発してエンヴィー領が消し飛ぶ可能性が出てきたという情報よりは、好材料だろう?」

《今地獄みたいな話が聞こえてきたんですが?!》

 

 エクスタインは思わず叫んだが、そのときには既にグレーレはその場には居なかった。岩陰から飛び降りて、まっすぐに、灼熱の竜へと向かっていく。大罪竜もまた、接近する存在に気がつく。知性は無い。だが、自らを比較し、更に己を焼く為の対象が近づいてきたことを理解し、機械的に、その身体を持ち上げ、吼えた。

 

『A――――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!』

「さあて、楽しい楽しい現地実験の時間だ!!互いに簡単に死んでしまわないように頑張って殺し合おうじゃあ無いか!!!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 嫉妬の超克②

 

 グレーレは長年、自分が支配する大罪都市国エンヴィーの足下で蠢く嫉妬の竜を観察し続けてきた。

 

 魔術師であり、研究者であり、探求者でもある彼が、世界最大の邪悪にして、負の真実に最も近い存在である大罪の竜を観察しないわけがなかった。出来ることならば、生きたままその肉体を見聞し、解体したいとすら思っていた。

 

 だが、今日まで、直接的な調査には踏み切れていなかった。

 

 理由は単純明快だ。本当に、どうしようもないまでの実力不足。それまでのグレーレの研究の成果では、嫉妬の竜の火力を凌ぎきることが出来ず、近づくことも困難であったという、本当にそれだけの話だった。

 

『A――――――――――――!!』

「カハハ!!たまらんなあ!!そう思うだろエクスタイン!!」

《それに答える余裕が全くないんですが!》

 

 だが、今は違う。

 断片的な情報から、嫉妬の特性を考察し、研究に研究を重ねた。エンヴィーと直接対峙したのはグレーレも今回は初めてではあるが、灼熱の竜は彼にとっては旧知の間柄に等しかった。「やあ、やっと会えたな友よ!」と抱きしめたい気分だった。

 もっとも、その親友が、今から自分達を殺しにかかるのだが。

 

 大罪竜エンヴィーがその口を大きく開く。攻撃が来る。

 

『AAAAAAAAAAAAAA---!!!!!!』

「カハハ!来るぞ!!!絶対に防御しようなどと考えるなよ!!」

《わかってます!!【幻影術式起動!!】》

 

 炎蜥蜴が吐き出すような、なまっちょろい炎の吐息ではない。口を開いた瞬間、爆発するような光が放たれ、その光がターゲットを焼き尽くす。しかもこの光は防御不可能ときている。

 そう、ただの防護術式は通じない。何せ、相対する存在があれば、必ずその性質を上回る火力を【白炎】が獲得するのだ。強靱なる守りの壁にぶちあたれば、その壁が溶けて無くなるまで火力が跳ね上がる。封印し、力を抑え込もうとしても同様に、抑えきれなくなるまで火力が上がる。とにもかくにも、際限なく火力は上がり続ける。

 

 脳筋、なんて次元ではない。最強最悪のパワープレイだ。

 

《回避ぃ!!》

 

 エクスタインの魔導鎧がグレーレと自身を模した無数の幻影を作り出す。単なる視覚偽装ではない。ほぼ実体を伴ったその幻影は、全方位に拡散し、嫉妬の【白炎】の狙いを散らす。それでも攻撃範囲が莫大で、大半は纏めてなぎ払われるが、回避の余地は生まれた。

 

 希少すぎる時間の猶予だ。この間に速攻を決める。

 

 時間的な猶予は皆無だ。グレーレを護る術式も、徐々に崩壊を開始している。周辺の気温が上がり続けている。この空間そのものが、嫉妬の性質を有している可能性がある。

 

「さあ、実験だ!」

 

 グレーレが虚空からバラバラと、魔導人形(ゴーレム)を展開する。手のひらサイズにとどまるそれらの人形が無数に、大量に、雨のように降り注ぎ、奈落の底でうねる嫉妬の大罪竜へと取り付いていく。

 

「【自律制御術式駆動】」

 

 ここ何十年もの間のグレーレの研究していた術式。危機に応じて、自らの構築術式を更新し続ける、自己進化型の魔導術式。それ、即ち、“嫉妬の権能の再演術式だ”。あの怪物、ユーリの剣を正面から受け止めることが叶った時点で、グレーレは自らの研究が完成へと至ったことを悟った。

 いま、嫉妬の竜に降り落ちた小型人形は、その全てが、嫉妬の術式を孕んでいる。それがどういう現象を引き起こすか。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAA----------AAA!!!?』

「互いの尾を食いあうウロボロス!無限の象徴!だが、普通尾を喰いあえば、最後は消滅するよなあ!?」

 

 嫉妬のエネルギー上昇には、上限がある。

 どれだけの権能を有していようと、どれほど非現実的な力があろうとも、机上ではなく、この世界に物理的に存在しているならば、不可能な事はある。権能に限界がなかろうと、環境には限界がある。至極当たり前の話だ。熱を維持する空気や、権能を維持する魔力は無限ではない。嫉妬のエネルギー上昇を無限に支えるだけの基盤が、この世界には無い。

 

「【OOOOOOOO――――――     】」

 

 人形が取り付いた竜の身体が、一瞬、凄まじい発光を起こし、次の瞬間には砕け散っていく。大量に降り注いだ人形は、結果としてその全てが竜特攻の爆弾となって、エンヴィーの身体を破壊した。

 

《凄い!!とてつもないですね!》

「カハハ!!素晴らしいだろう!!一体金貨100枚だ!!」

《とてつもないですね!?!》

 

 エクスタインは驚愕する。今、この男が乗っている魔導鎧は更に上の桁を行く事実を口にしたら、操作を誤りそうなので黙っておいた。

 なにせ、大前提としてこの迷宮の温度に耐えうるだけの耐久性が必要なのだ。その素材費だけで恐ろしい勢いで金が消し飛んだ。ついでに、中央工房が今日までため込んでいた大量の希少素材も全て消し飛んだ。

 歪な形ではあるが、エンヴィーという国がこれまで蓄積し続けてきたものを全て吐き出す総力戦と言える。なかなか痛快な事だった。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「やはり反撃も単純な咆哮ばかりだ。まあ、それが一番凶悪なのだが――――?!」

 

 グレーレが言葉を中断する。周囲が震える。迷宮そのものが、ギンガン山脈全体が揺れ動く。ギンガン山脈の揺れとは、それ即ち、大罪竜エンヴィーの変動そのものに他ならない。

 エンヴィーが動く。それを理解した瞬間、グレーレは自らの周囲に展開する自立術式を更に重ねて展開した。そしてそれが彼の命を救った。 

 

『AAAAAAAAAAAAAAA――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!』

 

 

 光が白炎が一帯の全てを包む。

 一切の防御も許さぬ白炎の大爆発は、グレーレの半身を焼いた。

 

「――――っが」

 

 死ぬ。と言うよりも死んだ。生命活動に必要な臓器の大半が焼かれたことをグレーレは直感した。呼吸も出来ない。身体を動かすこともままならない。

 だが、当人の意思を介さずとも、機能するのが自立型術式の最も優れたる部分だ。

 体内に事前に仕込んでいた無数の蘇生術式が、周囲の破壊を感知した瞬間機能する。蘇生に必要な莫大な魔力を【天魔】の無尽の魔力供給を流用することで、全てをまかなう。一瞬の死の後、グレーレは即座に蘇生した。

 

「――――ごえ……!――――――ッハハハ!!全方位、咆哮か!いや、最早ただの爆発だなあ!!!」

 

 臓器が破壊され、それが再生する。その凄まじく悍ましい感覚に、グレーレは血反吐を吐きながら顔を歪め、笑った。希少極まる臨死体験だ。命の瀬戸際、鍔迫り合いに喜びを見いだすような狂戦士ではないが、しかし、こうも未体験の経験と、それに伴う実験が出来るのは、喜びがわき上がってくる。

 

《グレーレ!!!》

「太陽神の再現かあ!?不敬だなぁあ!!他人の事は言えぬが!!!!」

《しゃべると死にますよ!?》

「喜ばしいのだ!!“何せお前が無事なのだからなぁ”!!」

 

 グレーレと同じく、今の咆哮を喰らったにもかかわらず、エクスタインの使う魔導鎧は無事だった。己が生み出した鎧が、あの壊滅的な光を前にしても尚、耐えきったのを観察できたのは幸いだった。

 【白炎】に正面から耐えきったのであれば、打ち勝てる。

 

「【対・大罪竜決殺兵器ガネイシャ】の最終機構起動!!いけエクスタイン!!」

《この操縦席滅茶苦茶熱いんですけど!!?》

「おっと、まだ改善の余地があるか。あとでレポートにまとめておいてくれ」

《死んでいなければ!!!》

 

 エクスタインのやけくそ気味な声と共に、魔導鎧ガネイシャは動き出す。

 中央工房の馬鹿息子にくれてやったものとは出来の次元も、サイズも違った。巨大なる人形を彷彿とされるヒトガタ。しかしその実体は5つの魔導核と1つの真核魔石を使って、自立術式を常時稼働させ続ける最終兵器だ。

 

《“相克状態”の装甲一部パージ!!!》

 

 更に、白炎と“喰らい合い”になった鎧を剥がして捨てる機能も持つ。不足した装甲は、自立術式が新たに生み出し、自分の子となる自立術式を添付する。それが再び白炎を防ぐ。

 あまりにも生物的な機能を有した、奇っ怪なる最終兵器が、灼熱の大罪竜に突貫した。

 

『A――――――――――――――――――!!!!!』

《ぐ………うぅううううううううおおおおおおおおおおおお!!!!》

 

 無論、言うまでも無く、【白炎】そのものの嫉妬に近づけば、いかに徹底的な対策を積んだ【ガネイシャ】でも厳しい。装甲が次々とはがれるが、その全てが即座に灰に還る事は無かった。その僅かな猶予時間をフル活用して、人形達が破壊した大罪竜エンヴィーの身体に、さらに巨大なこぶしをたたきつけ、破損箇所を広げていく。

 

 ダメージが広がれば、場合によっては、本当に崩壊を起こしてエンヴィー領が消し飛ぶ可能性もあるが――――まあ、その時はその時だなあ?

 

《ウルに、殺されるまでは、死ねないなあ…………!!!》

「うむうむ、気持ち悪くて元気だなあ!?さあて、こちらも出し惜しみはナシといこう」

 

 自国が跡形も無くなる可能性を前にも尚、グレーレは笑い、指を鳴らす。

 途端、彼の周囲に新たなる術式が出現した。

 それは普段から彼が作り出す魔言の術式とはややその様相が異なった。平面的な形状ではない。優れた職人の手で生み出された宝石のような、正八面体の術式が3つ並び、そのうちの二つが魔力の光を放ちながら回転を開始する。

 

「【大罪権能再演術式駆動開始】【色欲】【虚飾】」

 

 術式が激しい音を立てる。

 天魔のグレーレの叡智の結晶、その術の詳細を知る者は彼以外にはいない。だが、術式が奏でる不協和音は、自壊していく破滅の音だと理解できた。彼が産みだした精密なる魔術術式は自損を厭わず、尚も輝きを強くする。

 

「そして【対竜術式(仮)駆動】」

 

 そして最後の一つが輝き始める。先の二つと同じく廻り、その音は他の術式と比べて濁った不協和音は奏でなかった。高く澄んだ、鈴のような音色。しかし代わりに、自壊速度は他三つの比ではない。

 それを見てグレーレは興味深そうに眉をひそめ、そしてさらに好奇心に溢れた笑みで、笑った。

 

『AAAA――――――――――――――――――!!!』

「さあ、最終実験だ!!親友よ!!共に真理へと至ろうじゃあないか!!!」

 

 哄笑と共に、大罪迷宮エンヴィー最深層は強大なる光と破壊の音に包まれた。

 

 そしてその果てに、天賢王勅命(ゼウラディアクエスト)、嫉妬の超克は成った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして、現在。

 

「まあ、そんな有様だったな……ふむ?なかなか美味いな?良い味付けだ」

「食事の味なんて全く興味ないタイプだと思ってたけど」

「料理は好きだぞ?学術的だ」

 

 帰還した天魔のグレーレは、実に何でも無い様子で、自分より数百歳年下の少女達におごらさせた食事に舌鼓をうっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔術の探究者たち②

 

 

 

「まあ、エクスタインのやつが死なずにすんだってのは良かったけど」

「なんだ、アレの心配をしていたのか?お前達を裏切ったのだろう?」

「私もアカネ様みたいに顔面殴りたかったってだけ」

「私もだ!」

「モテモテだなあ、あの優男」

 

 この世界で最も偉大なる魔術師、天魔のグレーレとの食事は続いた。といっても、一方的にグレーレが、奢りであることに負い目も遠慮も無く食事をとっているだけだが。(意外なことに、グレーレは割とよく食べた)

 その合間合間に語られた嫉妬の大罪竜の超克は、正直食事の席で語られるような内容とはとても思えなかったが、しかし未だ大罪の竜と直接的な接触を経験したことの無いリーネとエシェルにとって、参考になる話でもあった。

 

 大罪の竜が、理不尽極まった災禍であると、よく理解できた。

 

 しかし、そんな大罪の竜に一度殺されるような目に遭ったグレーレはというと、引き続き遠慮無く頼んだステーキを(何故か茶屋なのにステーキがメニューにあった)を楽しそうにナイフで引き裂いていた。

 

「アイツの頑張りのおかげで、嫉妬で試したいことは大体試せた。後は最後のお楽しみというやつだ」

「強欲……」

 

 これから、自分達が挑むことになる大罪竜の名をリーネはつぶやいた。

 勿論、言うまでも無く、侮るつもりは無かった。竜がどれほど恐ろしいかは、【陽喰らい】で思い知ったのだ。まして、それの親玉が相手ともなれば、と、覚悟はしていた。

 だが、グレーレから実に客観的で、恐ろしく詳細な嫉妬の竜との戦いを語られると、やはりまだ、どこか認識に甘えがあったのだと思い知らされる。天災、天変地異、そんな最早とらえどころも無いような人類の“敵対現象”と、対峙しなければならないのだ。

 よくぞウルは、それを打倒できたなと改めて思う。

 だが、そんなリーネの表情に対して、グレーレは笑った。

 

「楽しみだろう?この戦いに勝利すれば、前人未踏の世界が広がるのだぞ?」

 

 話を聞く限り、一度戦いのさなかに死んでいるにも関わらず、グレーレはまるでブレてはいなかった。

 

「未踏って……魔界のこと?」

「それだけではない。その後に起こるあらゆる事象が、前人未踏だ。最早コレまでの常識など何の役にも立たないような、真の混沌が起こる」

 

 「ああ、楽しみだ」と、そう言って彼は笑った。リーネはあきれ、そしてエシェルは少し怒るような表情になる。そして咎めるようにグレーレをにらんだ。

 

「王は、死にそうな思いでやってるのに……」

「お前は善良だなあ、女王。だが、もう少し気楽に構えろ」

 

 ステーキを綺麗に食べ尽くして満足したのか、食器を皿に預けると、グレーレは肩をすくめた。

 

「一応言っておくが、王にあらゆる負荷をかけるこの世界は、俺にとってもあまり愉快な形ではないぞ?だからこそ、バベルの調整を行ったしな?」

 

 意外な情報が飛び出てきた。エシェルもリーネも目を丸くする。

 

「負荷軽減を、貴方が?」

 

 先の天賢王からの依頼を聞いたとき、話は聞いていた。王のいたたましい傷、その負荷を少しでも軽減するために、バベルの塔がそういう機能を有しているのだと。だが、まさか、その調整をグレーレがやっているとは思わなかった。

 いや、冷静に考えれば、バベルのような秘中の秘であり、世界を支える根幹のような設備だ。その調整を担える者など、本当に限られる。天魔のグレーレならば適任と言える。だが、それでもやはり意外だ。 

 王の為に、なんて考えて行動する男には見えなかった。

 

「歴々の王が民の前で堂々と振る舞うのに、影で血反吐を吐くのがあまりに痛々しくてなあ?」

 

 そう言って笑うグレーレは、一見して王達の運命を嘲っているようにも見えた。だが、彼のその表情は、どこか遠くを見つめ、そして少し、寂しそうだった。

 彼は森人だ。普通の種族より長い時を生きる。そして極まって有能な魔術師でもある。それがどういうことか――――

 

「歴代の王達を、見届けてきたのですか」

「長命種の宿命よな。ソラウラスやミルフィリア、カリアーナ、王達は誰も彼も優しくて、そして短かった」

 

 そう言って挙げられた名前は、確かに歴代の王達の名だった。その名前を呼ぶときのグレーレの声音に、僅かな親しみが込められていたのは、聞き間違いでは無いだろう。

 

「俺とて、ここに参加を決めた時点で、やるべき事は理解しているとも。それをないがしろにしようなどとは思わない。だが、自分の楽しみを見いだす余裕くらいは、持つべきだなあ?」

「むう……」

「滅私が過ぎると、苦しむのは周りだ。分かるだろう?」

 

 確かに彼の言うことは正しかった。自分の事なんてまるで気にかけず、周りにばかり気遣う者は、正直言って痛々しい。【歩ム者】にそういう傾向のあるのがいるのだから殊更にそう思う。

 だが、しかし、リーネは眼を細めてグレーレを見つめた。

 

「そうは言って、貴方、自分が楽しみたいだけでしょ」

「カハハ!ばれたか!」

 

 ケラケラケラと彼は笑った。エシェルは度しがたいものを見る目で目の前の怪人を睨む。リーネはあまり驚かなかった。この男の性質は大体理解できた。ヒトらしい情は持ち合わせているが、一方で一番大事なのは自分の研究なのだ。

 自分もそうだから、よくわかった。

 

「レイライン、特にお前には特に期待しているぞ?」

「何故」

「魔術師という立場で、精霊と竜の権能飛び交う人外魔境に足を踏み入れて、尚研究者としての戦意を失わない者は希少だからなあ?」

 

 確かに、【陽喰らい】以降、魔術という限界と、それを大きく超える怪物達の存在を目の当たりにする機会はやたらと増えた。今まさに隣にいるエシェルなんかもその一人だ。

 魔術を学んでいると、最初は慢心する。魔術は万能なのだと。

 だが学びを進めるほどに、その万能感は薄れる。極めるほどに、その限界は見えてくる。リーネは魔術を研ぎ続け、その限界が見えつつあった。それは彼女の英知が魔術の限界点に到達しつつある証拠だった。

 しかし、それでも、リーネは学び、研鑽し、白王陣の糧とする意欲を全く衰えさせてはいなかった。限界を知って尚、それを超え、先へと進まんとする意欲に満ち満ちていた。

 

「この世界が滅ぶような天災も、糧として見るがいい」

「言われるまでもないわよ」

 

 即答すると、グレーレは心底満足そうに笑い、立ち上がる。言うだけ言って、もう用が済んだらしい。そのまま去って行くのかと思いきや、彼はリーネ達の前で、テーブルに何かをのせた。

 

「これは」

「奢りの対価だ。換金は難しいが、役には立つかも知れんぞ?」

 

 それは、立方体の魔導具だった。きわめて精緻なパズルのように組み込まれた部品が、一種の芸術作品のように美しく収まっていた。リーネが慎重に持ち上げると、グレーレは特にその説明をすることも無く、立ち上がり、いつも通りの挑発的な笑みを浮かべた。

 

「レイライン、ミラルフィーネ、どちらの研鑽の成果も楽しみにしている。ではな」

 

 そう言って、光と共にその場から転移によって消え去った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「…………ふぅー……」

 

 そして、グレーレが去って行った個室にて、エシェルはぐったりとテーブルに顔をつけた。だらしがない、と言いたいが、リーネも同じようにしたい気分だった。椅子にぐったりと背中を預けて、天井を眺めた。

 

「七天って、誰も彼も濃い……」

「そうね……」

 

 何せ、今なお世界を支えている王とその配下達なのだ。濃いのは当然、それくらいのアクの強さが無ければ、多分胃を痛めて死んでしまう。

 

「というかアイツ結局何しに来たんだ!まさか本当にご飯奢ってもらいに来たのか!?」

「可能性はあるわね」

「う゛ー……」

「ま、助言のつもりなんじゃない?「期待している」、嘘じゃなさそうだしね」

 

 昼食の代金代わりに置いていった魔道具を眺める。既存の魔術儀式と最新の魔導機が見事に融合しており、改めてみても精緻な代物だった。未だに効力は不明で、それを解き明かせるかどうか含めて、あからさまな挑発で腹は立つが、彼に奢った食事代よりも遙かに高価な代物なのは間違いなかった。

 そういったものをこちらによこしてきている時点で、リーネ達に興味はあるのだろう。それこそ、遊び半分であるかもしれないが。

 

「それ、どうするんだ……?」

「さあ?ああ言っていた以上、役に立たない置物って事は無いでしょうけど」

 

 しまっておいて、と、エシェルに渡して、リーネは伸びをする。

 軽い休憩のつもりだったが、とんでもない話を聞かされてしまったものだ。七天というのはヒトの休みをつぶすのが好きなのか?と、呆れる一方で、身体の奥底から、なにか、たぎるような感覚に

 

 ――――レイライン、お前には特に期待しているぞ?

 

「やってやるわよ」

 

 世界最高峰の魔術師の挑発だ。まんまと乗ってやろうじゃ無いか。

 リーネはそう決意し、その小さな手を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、リーネぇ……これそのまま鏡に突っ込んで大丈夫なのかなあ……」

「大丈夫でしょ、多分」

「私の鏡が荒れてるのリーネの所為なのでは……?」

「気のせいよ、多分」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七天と元七天

 

 

 大罪都市グリード神殿の長 ヴィクラー・シンラ・グランツァー

 

 大罪都市グリードにおける彼の統治は一言で言うならば”無難”である。

 コレと言って目立った政策を行うわけでも無く、精霊の力を使い大事業を行うわけでも無い。彼自身、火の精霊ファーラナンの加護を得ているワケだが、別にその力で持って目立った実績を上げた事も無かった。

 火の精霊の力は他の四源と比較しても攻撃に特化した精霊である。事、魔獣災害の類いが発生した際にはその力が振るわれる……と思いきや、【太陽の結界】により魔物の侵攻の大半は防がれる。特に現天賢王アルノルドの太陽の結界は歴代のそれと比較しても明らかに強力であり、3級相当の魔物を相手にしても防ぎきる程だ。

 そして1度防いでしまえば、後は報酬を目当てにした冒険者達が群れとなって魔物達を一方的に攻撃してしまい、撃退してしまうのがこの都市の防衛の実情である。

 

 詰まるところ現シンラの目立った仕事は少ない。

 

 彼に遠い者は彼のことをお飾りだと罵る者も多い。

 故に、彼が政治的なバランスにとても優れた男であると知る者は少ない。

 迷宮の出現頻度が高く、名無しの出入りと滞在率が非常に多く、冒険者達の影響力が極めて高いこの土地で「無難」と呼ばれるレベルで平穏な日々が過ごせているのは彼の手腕あってのことだった。

 彼がいなければ、あるいは神殿と都市民の間で内乱を引き起こしてしまった哀れなる大罪都市エンヴィーのようなトラブルが、冒険者と神殿の間で発生したかもしれないのだ。

 その功績をもう少し誇ってもよかろうものだが、彼は特に気にすることも無く、都市を一望できるベランダにて昼休憩の茶菓子を楽しんでいた。若い頃は彼も神殿から抜け出して都市部で都市民達に混じり、享楽を満喫したこともあったが、今は外の活気を遠くから感じられるだけでも十分になってしまった。

 自分も年を取った、とヴィクラーは溜息をつく。だが今日はそんな風に感慨にふけっている暇はあまりない。何故なら今日は来客が来ているからだ。

 それも、とびっきりの来客が。

 

「……さて、今日はどのようなご用件ですかな。スーア様」

 

 少女のようにも少年のようにも見える子供。不可視の精霊達がヒトとしての形をとったかのような浮世離れした姿。最強の神官であるスーアが神殿を訪ねてきたのだ。しかもまったくのアポ無しで。

 最初応対をした従者はスーアを迷い込んだ子供と勘違いして追い返そうとしたのだから流石のヴィクラーも肝が潰れそうになった。

 

「このお菓子は美味しいですね。ヴィクラー」

「衛星都市アルトで最近流行の揚げ菓子だそうです。食べ過ぎにはご注意を」

 

 そしてそんな此方の気苦労もしらず、もそもそと口に入れ始めるスーアにヴィクラーはやんわりと注意する。サクサクとした外見と中に詰められた果肉がとても甘くて食べやすいが、その食べやすさにだまされて食べ過ぎると胸焼けしてしまう。ついでに太る。にもかかわらず罪深いほど美味しいので大罪菓子などとよばれていたりもする。

 まあもっとも、この特別なヒトにそのような懸念は不要であるかも知れないが。

 

「最近、良い茶葉が生産都市で作られたのですが、いかがですか?」

「もらいます」

 

 まったくの遠慮なしにスーアは頷く、ヴィクラーが従者に視線をやると、彼は普段と比べやや固い表情ながらも頷いて、速やかにベランダから退出した。人気は無くなった。次いで言うなら、従者は此方の意図を汲んで人払いをかけた。暫くは此処に誰かがやってくることは無いだろう。

 

「……さて、人払いも済みました。それで、本日はどのようなご用件で?」

 

 ヴィクラーは小さく咳払いをして、スーアに向き直った。

 

「せっかちですね」

「王に託された責務を果たすのに、必死なのです。どうかお許しを」

 

 殆ど丸一日を仕事に圧迫される中、唯一の休みである昼休みを割いてなんとか時間を作った自分の気持ちを汲んで欲しかった。最近は息子達もようやく使い物になりつつあるが、それでもまだまだ自分は忙しいのだから。

 そんなこっちの思いを悟ってなのか、スーアは頷くと、話し始めた。

 

「ヴィクラー。この世界をどう思いますか」

 

 ヴィクラーは眉をひそめる。質問の意図を計りかねた。相手はこの世界を管理する側で有り、迂闊なことは言えない。と思う一方、あらゆる精霊の加護を身につけ、ほぼ万能といってもいいような力を持つスーアを相手にして、薄っぺらい誤魔化しなど何の意味も無いことをヴィクラーは悟った。

 

「太陽神の代行者たる王の目の届く限り、この世界は平和です。しかし険しい平和かと」

 

 で、あれば嘘偽り無く答えるべきだろうと、率直な感想をヴィクラーは述べた。

 

「正直ですね」

「事実ですから」

 

 この世界は“比較的”平和だとヴィクラーは思う。

 名無しは飢え、都市民は管理され、神官達は権謀術数に明け暮れている。それでも尚、この世界は安定はしている。決して豊かでは無い。自由でも無い。努力を欠かせば滑落する狭い都市の内側に人類は押し込まれている。

 険しく、酷く危うい平穏だ。それがヴィクラーの感想だった。

 

「では、この平和が続いて欲しいですか?」

「孫達が、せめて独り立ち出来るようになるまでは維持してほしいですな」

 

 この世界は完璧ではないし、その世界に住まう全員を幸せにすることはヴィクラーには出来ないが、せめて自分の身内くらいは幸せになって欲しいし、その為の努力も彼はしていくつもりだ。その為の土台が崩れてしまうのは勿論、彼にとっては困る。全く、望ましくはなかった。

 

「だとすれば、まずは謝っておきます」

「その謝罪は、あまり良い予感は致しませんなあ……」

 

 同じシンラとはいえ、王の後継者であるスーアの謝罪など、受け取るのも恐ろしかった。だがスーアは気にせず続ける。

 

「王の意思により、遠からず嵐が起こり、この世界の形は変わります」

「……良い方にですか?」

「わかりません」

 

 それでは困る。と、言いたかったが、スーアとて好き好んでこのような解答をするわけではないのだろう。自分が第一位《シンラ》としてグリードを治めてからというものの、天賢王からの命に応じることは少なからずあった。あまりにも凡人の自分たちとは視点が違うからか、常人の感性から外れたような言動をする事は知っていた。

 だが、それらが悪戯に自分たちを苦しめる悪意からのもので在ることは無かった。ヴィクラーは良くも悪くも王を信用していた。

 

「ここ十数年、王からの指示で各都市の備蓄量は大幅に見直されました。防衛設備も増築され、各都市がそれぞれ、独立して活動することが可能となりました。……その事と関わりが?」

 

 問う。否定は来なかった。つまりはそう言う事だろう。

 

「嵐に備えろ。来たときは備えでもって凌げと言うことですね」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヴィクラーは目を見開く。

 

「……恐ろしいことを平然とおっしゃる」

「そうですか?」

「ええ、そうです」

 

 この世界の都市国は基本的にその全てが大連盟によって繋がっている。それはつまり、全ての都市国が、天賢王の加護と統治によって守られていると言うことだ。半年前のグラドルのように、その事実を不服に想う者も要るには居るのだろうが、しかし大半の都市国とそこに住まう住民達はその事実を受け入れている。

 突然、独立するなどという話になれば混乱は必至だ。実際自分も今大いに混乱している。事前、それに備えさせられていたと言うことに気付かなかったほどに、想像すらしていなかったのだ。

 

「無論、そうはならない可能性もあります。私にもこの先の未来は読み切れません」

「……貴女でそうなのであれば、誰にも読むことはままならないでしょうな」

「ですから、もしものときはどうかお願いします。王の助けになるように」

 

 そうまでされずとも、スーアの願い、王の命令を拒否する権利をヴィクラーは勿論持ち合わせてはいない。ヴィクラーは恭しく頭を下げた。

 

「必ずやその命、果たしましょう……ただ、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか?」

「なんでしょう」

「王の意向はわかりましたが、その事をスーア様はどのようにお考えなのでしょう」

 

 その質問のウチに、好奇心めいたものが無かったかと言われれば否定はしがたかった。しかし、確認もしておきたかった。世界の仕組みが変わるほどの事が起こるのだという一方で、その情報の殆どが伏せられているのだ。問題ない範囲で知れることは知っておきたかった。

 王の子、王位継承者、そして彼と同じくする七天の一人。その所感を聞いておきたかった。情報が少しでも得られるならばという苦肉の策でもあった。

 

 しかし、そんなヴィクラーの望みに反して、と言うべきだろうか。スーアは少し不思議そうな顔をして、言った。

 

「叶うなら、父の願いを汲みたいと想っています」

「……」

「どうしました?」

「いえ……」

 

 新たにいろいろな言葉が湧き上がってきた。が、一先ず何か言葉を述べるなら。

 

「……あまりに親孝行な御言葉で、天賢王が羨ましくなりました」

「そうなのですか」

「最近、孫にじいじちくちくでいやと罵られましてな」

「かわいそうです」

 

 部下達の陰口よりもよっぽど堪えたのは秘密だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市グリード神殿前

 多くの参拝者が尋ねる正門前をぐるっと回った先にある裏口のすぐ側に、天剣のユーリは静かに腕を組み、事が終わるのを待っていた。やがて不意に場の魔力がかき回されるのを感じてユーリは顔を上げる。

 裏口の扉から音も無く、スーアが姿を見せた。魔力が乱れたのは、彼女の周囲に常に居る精霊達の仕業だった。ユーリは彼女の元へとすぐさま参じた。

 

「終わりました」

「お疲れ様です。スーア様」

 

 ユーリはそう告げると、そのまま彼女を先導する。

 神殿を抜けて、大通りを歩いて行く。スーアの容姿もユーリの姿もやや派手で、よく目立つはずであるのに、不思議と二人は都市民達の注目を集める事は無かった。スーアを常に守る精霊達が気を利かせたのだろう。この程度のことは、スーアがあえて指示を出さずとも、自然と精霊達は行ってくれるのだ。(時々サボって騒ぎになるが)

 

「ユーリ。わざわざ護衛について貰う必要はありませんよ」

「流石にそういうわけにもいきません、どうかお許しください」

 

 王位継承者を放置するわけにはいきません。と、ユーリは真面目にそう言って、その後少し苦笑した。

 

「放っておくと彼方此方の出店でふらふらと色んなものを口にしようとしてしまいますから。スーア様は」

「ユーリは真面目ですね」

 

 スーアは無表情のままにそう言う。あるいはスーアが普通のヒトの子供であったならば、口先を尖らせて不満気にしていたかもしれない。精霊との交流、会話が多く表情による意思伝達が必要で無いことが多かったスーアは、結果として表情の変化が乏しかったが、内面は見た目よりずっと豊かな感受性を持っていた。

 そんなスーアが、今は王の代行に勤しんでいる。

 

 その事実が何を意味するのか、ユーリは察し、僅かに手を握った。

 

「負担をかけます、ユーリ」

「いえ」

 

 此方の不安を察してしまわれたのか、と、一瞬ユーリは焦った。だが、スーアが話し始めたのは別のことだった。

 

「グロンゾンも治療中、ディズも一時的に七天の座からはおりました。貴女には負担が多くなってしまったこと、申し訳なく思います」

「グロンゾンは、あの窮地で、見事我々を守ってくれました。彼のことは誇りに思います……ですが、ディズは何故?」

 

 彼女が七天から外されたという話はユーリも聞いている。流石に、完全に彼女が七天の勇者の席から外されるとはユーリも思っていない。おそらく一時的な処置であるのだろうが、しかし何故そうなったのかは知らされていなかった。

 無論、王とスーアの決定に異議はない。が、突然無茶苦茶な理不尽を強いるようなヒト達ではないという信頼もある。それ故に解せなかった。

 

「それは」

 

 と、スーアが続けて説明しようとした矢先だった。

 不意に、妙に通りの都市民達が騒がしくなった。スーアと自分のことはおそらく認識していないだろうが、自然とユーリはスーアをかばうように動いた。

 やはり、ざわめきは自分達に向けられたものでは無かった。騒動の中心は、自分達の進む少し先だった。「酔っ払いだよ」といった声が聞こえてくる。やってきた騎士団も特に慌てる様子も無いことから、ただのトラブルか、とユーリは納得した。

 

「あれ、ユーリ?」

《あ、スーアだ》

「……何をしているのですか貴女は」

 

 が、何故か、その騒動の中心に、見覚えのある金髪、もとい元七天がいたので、ユーリは呆れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七天と元七天② / 開幕

「いやあ、騎士団に任せようとしたんだけど、魔剣を持ってたからちょっとね」

 

 目立たぬよう、場所を移動した後ディズから話を聞いたユーリは呆れた。

 結局、彼女のいつも通りだったからだ。

 

「七天の権限をもっていないのに、やり過ぎると貴方が捕まりますよ」

 

 釘を刺すようにそう言うと、返事がない。訝しみ、彼女を見ると思いの外ガックリと肩を落としている。なんというか、想像以上にスーアから七天を外されたことが堪えていたらしい。

 

「鬱陶しい。いちいち凹むのは止めなさい」

 

 ユーリは更に呆れ顔になってディズを叱咤した。

 

「立ち場がどうなろうと、やることを変えるような女ではないでしょうが、貴方は」

「……ん、そうだね」

《そーよ、それににーたんとこにはいってるんだから》

 

 緋色の猫の形となった赤錆の精霊憑き、アカネもまた、ディズを励ました。七天を止めても尚、ディズと共にいるらしい、というのは今は置いておく。それよりも気になったのは、

 

「【歩ム者】、加入したのですか?」

「聞いています。彼らのギルド員としてなら、私達は干渉できません」

 

 スーアが頷いた。ユーリは眉をひそめる。

 

「良いの、ですか?」

 

 【歩ム者】と王が契約を結び、今回の大罪迷宮グリードの攻略に協力してもらうという話になったことはユーリも既に聞いている。そのギルドにディズが加入したと言うことは、結局彼女もグリードの探索に参加してしまうと言うことになるのでは?

 

「立場をわきまえるなら」

 

 スーアはそう言って、ディズの前に近づく。七天の時からそうしたように、ディズはスーアの前で跪き、視線を合わせた。

 

「グリードでは、貴方は【七天】ではなく、【歩ム者】。忘れないように」

「……承知いたしました」

 

 そして恭しく礼をして、彼女の言葉に頷くのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「彼女を休業させた理由ですが」

「はい」

 

 ディズとアカネと分かれた後、スーアは中断された話の続きを口にし始めた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはかまわないのですが」

 

 だろうな、とはユーリも思った。あの女の聖人性はユーリが一番知っている。幼い頃から彼女のことは見てきた。鈍くさく、才能の欠片もないが、誰かの苦悩に共感し、困難から誰よりも率先して立ち上がれる女。星剣に選ばれるにふさわしい少女。

 だが、それ故の危うさは、確かにあった。

 

「グリードとの戦いの窮地で、彼女が七天という立場にいると、すこし、命を“捨てすぎる”」

「それが“見えた”と」

 

 スーアは頷いた。無数の精霊による精度の高い予知がそう告げているというのなら、確かにそうなりうるのだろう。その事はユーリの腑にも落ちた。

 自分が最も、七天で弱いと理解しているが故に、やらかしかねない。腹立たしいことに、彼女は確かにそういうことをする。

 万能ではない身で、命を選ばざるを得ないことに苦悩し続ける女だ。あの、親しくしている赤錆の少女すらも、必要であれば血涙を流しながら使いつぶすことも厭わないだろう。その自分が天秤の片側に乗ることになれば、向かいの皿が重要であると悟ったならば、ためらいなく自分を切り捨てる。

 

 心底不愉快な事に、彼女はそれをする。

 

「安易に自己犠牲に走るような者ではないですが、そうせざるを得ない窮地に陥る可能性、道筋はグリードには無数に存在している」

「はい」

「ですが我々は、簡単に欠けるわけにはいかないのです。わかりますね」

「はい」

 

 スーアの言葉に、ユーリはディズがしたように跪いて、頭を下げる。目の前にいるのは幼く、感情豊かで愛らしい、王の御子では無かった。次代、世界を背負うことになる偉大なるヒトだった。

 

「私は、特性上、最深層には向かえない。ですから、ユーリ」

 

 下げられた頭を、スーアがそっと触れる。そして祈るように、頼んだ。

 

「頼みます、“最強の七天”」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 竜吞ウーガがグリードに到着してから一週間後

 

 【大罪迷宮グリード・中層・第二十九階層】

 

 大罪迷宮グリード、その深層へと至る入り口。

 かつて、黄金級の冒険者グレンと彼率いる一行がこの場所を陣どり続けていた番兵を打ち倒す事で確保することに成功した非常に数の少ない転移可能な安全領域(セーフエリア)

 迷宮内でも安全確保された希少な場所であるはずだが、上層の安全領域のように冒険者達がたむろしている様子はなかった。経路は確保されている為此処への転移は通常よりも容易であり、中層を主に活動としている銀級の冒険者達であれば時に此処を利用することもある。

 需要はある。なのに人気は全くない。此処の利用者も、他の安全領域のように、資材を持ち込んで、休憩施設などを建築するような真似もしていない。

 

 ここに来た誰もが思うのだ。

 下の階層、深層へと続く巨大な階段。

 そこから流れてくる、背筋も凍るような悍ましい気配を感じれば、誰もが思う。

 

 ここに長くは居たくない、と

 

「到着っと」

 

 その場所に、ウル達【歩ム者】は姿を見せた。

 

「深層前まで直通とは便利なもんだ」

「グレン様に感謝ですね。黄金級と認められた功績の一つかと」

『カカカカ!あのやさぐれ魔術師、やるもんじゃのう!!』

「ここまでの経路確保も彼の仕事かしら」

「うう……でんいきもぢわるい……」

「転移術が使えるのに、転移に慣れないのは難儀だね、エシェル」

《せなかさすったげよかー?》

 

 冒険者ギルドと都市グリードが共同管理する転移陣から移動してきたのは、ウル、シズク、ロックにリーネ、エシェルにディズ、アカネと【歩ム者】全員だ。ウーガの管理を考えれば、少しは残した方が良いのでは、という意見も出るには出たが、誰も残ろうとはしなかった。

 一蓮托生という思いが全員の中にあった。どのみち、この戦いが上手く行かなければ、世界は崖っぷちから転げ落ちる。出し惜しみは出来なかった。

 

 幸いにして、残されたウーガを託す信頼に足る者達に、【歩ム者】は恵まれていた。

 

「っと」

 

 そして転移先の安全領域の中央では既に何人かが集まっていた。普段であれば、塵一つ残らぬほどに物静かな空間だが、今は神殿の、従者の格好の者達が忙しく動いて、様々な資材を運んでいた。

 そして、その中央に、太陽の如く眩い存在感を放つ男が立っていた。ウル達は傍まで近づくと、そのまま跪いた。

 

「申し訳ありません。遅れました」

「構わない」

 

 天賢王アルノルドは首を横に振った。

 

 今回の攻略においては、王も共に向かう。

 

 その話を聞いたときは、正直「本気か?」と思わないでもなかった。先の話を聞く限り、この世界の全てを護るための要こそが彼なのだ。その彼が、恐らくこの世界で最も危険な場所に足を踏み入れるのだ。誰がどう考えたって危険だとしか思えない。が、「万が一があった場合、待機しているスーアが王として役割を代行する」と言われれば何も言えなかった。

 要は、ウル達同様、出し惜しみなど出来る戦いではないのだろう。それほどまでの賭けに出なければならないほど、追い詰められているという証拠でもあった。

 

 【陽喰らい】のバベルの塔同様、この場所が人類生存を賭けた戦いの最前線なのだ。その威圧感に飲まれないよう、ウルは大きく深呼吸した。アルノルド王の横には【天剣】のユーリがいるが、他の七天の姿は見当たらなかった。

 

「他の七天の方々は?」

「【天魔】と【天衣】は先に深層の偵察に出ている。【天祈】は遅れてくるが、待機だ。【天拳】は……」

 

 と、彼はそう言って、一角を指さした。その一角には従者達に混じって、冒険者ギルドの制服を纏った者達が何人かいた。そしてそこには

 

「来たか、ウル」

「イカザさん?」

 

 冒険者ギルド、ギルド長のイカザがいた。黄金級の授与式以来であったが、今の彼女は授与式の時のような、見栄えを重視した鎧ではなく、陽喰らいの時にも纏っていたような、実用を重視した戦鎧の姿だった。剣も二本、きっちりと備えている。

 

「イカザさんも攻略に?」

「いや、私は待機部隊だ。万が一の時、救助部隊(サルベージ)は必須だからな。今回潜るメンツを考えると、こちらにも手は抜けない」

 

 迷宮の探索時、自力での脱出が困難になった際にでる救助隊。確かに冷静に考えるとこれほどの規模の迷宮攻略となると、その手の協力者の存在は必須だ。

 イカザ以外にも複数の冒険者達がその場に集っていた。見れば、誰も彼も、銀の指輪を手にしている。陽喰らいの時、見かけた顔もあった。(ウルの顔を見ると、目立たぬよう軽く手を振ってくれた)

 ずいぶんと豪華な待機組だった。が、理由も分かる。

 

「なるほど、深層に救助に向かえるヒトは限られるのか」

「出来れば、クラウラン殿にも来てもらいたかったが」

 

 【真人創りのクラウラン】

 黄金級冒険者の一人。冒険者と言っても、少し、否、かなり特殊な能力を有してい人材であるという話しは聞いている。グラドルの騒動やディズ経由で少し話はきいたことがあったが、なかなか直接の接触はこれまでなかった。

 

「彼には、七天が一カ所に集まるこの状況で問題が起こらぬよう、イスラリア全土の警戒に回ってもらっています」

 

 すると、話を聞いていたのか、天剣のユーリが更に補足した。「不甲斐ないことですが」と、やや苦々しい表情を浮かべながら。

 

「残された騎士達だけではどうしても対処困難なトラブルが起きたとき、彼にはフォローに回ってもらいます。なので留守の心配はありません」

「だから、安心して潜れ。万が一の時は()()()と一緒に必ず助けにいく」

 

 コイツ?と首をかしげると、イカザは自分の背後を顎でしゃくる。見れば、周りは忙しくなく働いているのに、一人だけ死ぬほどふてくされた顔で寝転がっている男がいた。

 

「…………何してんの師匠殿」

「あー畜生まじでめんどくせえ……」

 

 訓練所の主、ウル達の師匠であるグレンがそこにいた。

 しかも、その右手に“金色の籠手”を付けて。

 どうやら結局、最終的にグロンゾンからきっちりと押しつけられたらしい【天拳()()】のグレンは、死ぬほどふてくされた顔で顔をしかめていた。

 

「言っておくが、ぜえっったい俺は仕事しねえからな……」

「ブチギレ一歩手前だな」

 

 ウルは雑にグレンの様子を評した。

 本気で嫌そうである。訓練所の仕事だって本気で面倒くさがる様な男なのだからそれもそうだろう。しかし、そんな彼が一緒に戦いに来てくれること自体、ウルも内心ではありがたく、心強くもあった。(とはいえ、今それを口にしたら確実にぶち切れるだろうと想像がついたので、何も言わなかった)

 

「つまり、待機組はイカザさん達と、天祈のスーア様?」

「そうなる。と、来られたか」

 

 転移術が起動する。スーアも姿を現した。ちょこちょことウーガに遊びに来ていたときのような、動きやすいローブ姿ではなく、美しい第一位(シンラ)を示すローブ姿だった。転移時の金色の光の中から出てくるその姿は幻想的で、とてもウーガの時のやや抜けたところのある姿と同一人物とは思えなかった。

 スーアの登場と同時に従者達は祈りを捧げ始める。それに応じる姿は、何処からどう見ても尊き方の御子たる姿だ。

 ただ、一瞬ウル達を見たとき、小さく会釈したときは、ウーガに居たときのスーアと変わらなく見えたのは、少し烏滸がましいだろうか。

 

「これで全員か」

 

 こうして、偵察に向かった二人を除いて、全ての七天が揃ったと言うことになる。あと、この場に揃っていない者がいるとすれば――――

 

「よう。皆々、元気そうだなあ」

 

 地の底から響くような声と共に

 

「遅いぞ、魔王」

「悪い悪い、グリードの賭博場激アツでさあ」

 

 ゲラゲラといつも通りの悪ふざけが過ぎる物言いをしながらも、彼の纏う気配は何時もとは違った。近寄るだけで飲み込まれそうな禍々しい気配が放たれている。スーアや王の纏うソレとは対極の気配に、従者達は畏れるように距離を取った。

 そんな周囲の反応を気にすることもなく、ブラックは大股でウルへと近づくと、心底楽しそうに、歯を剥き出しにして、笑った。

 

「そんじゃあ、世界を滅茶苦茶にしにいこうじゃないか。ウル坊」

 

 かくして、イスラリア大陸が長い年月をかけて培い、選りすぐりの人類の英傑達がグリードに結集した。太陽神の剣たる七天と、黄金の指輪を持つ戦士達。恐らく迷宮が出現し、この世が混迷を極めて以来、最大にして最高の戦力が結集したと言っても過言ではないだろう。

 ヒトだけでなく、武具も、技術も、英知も、一切の手抜かりは無い。

 

 紛れもない、人類の総力でもって、強欲の超克へと彼らは挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――嗚呼、来ましたか。残念。もっと、準備がしたかったのですが』

 

 しかし、それでも尚、

 

『然し、贅沢も言えません。百点満点なんて、ねらうものではありませんし』

 

 彼らは地獄を見る事となる。

 

『1000年の螺旋の果て、全ての終わりを始めましょう』

 

 魔性の瞳は星のように瞬き、笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大罪迷宮グリード 六輝死域編
深層


 

 大罪迷宮グリードの深層の特性は、上層、中層と大差はない。

 

 一見して人工的な建造物のような作り、通路自体が薄暗く発光し道先を照らし続けている。迷宮の構造は常に一定の変化を続けており、日を跨がずして変貌する事もままある。そういった特性は全く変化はしていない

 だが、「特性は」という話であり、中層に慣れた冒険者が、その勢いのままに深層へと足を進めると手ひどい洗礼を浴びるはめになる。

 

 特性は中層とも変わらない。違うのは”規模”だ。

 

 中層までの大罪迷宮グリードは、大小まばらな幾つもの部屋と、それを繋げる通路、そして下層へと続く階段と、迷宮自体のランダム性を除けばシンプルな構造だ。そのシンプルかつオーソドックスな作りこそが、大罪迷宮グリードが冒険者に好まれる理由でもあった。

 つまり、二次元的な構造なのだ。前後左右、いずれかの方角から出現する魔物達に気を払い、警戒する必要があるのだ。時折天井にへばりつくような奇襲を仕掛けてくる魔物もいるにはいるが、多くはない。

 無論、全てが画一でそうなっているわけではない。中層の一部に存在する【宝石地帯】のようなイレギュラーなエリアが生成されることもあるが、基本的に同じだ。

 

 シンプルでわかりやすい。出てくる魔物も油断できる類いではないが、しかし、長年潜り続けてきた冒険者達は、その迷宮でどう戦えば良いか、そのノウハウが蓄積されていた。 

 

 では深層はどうなるかというと、迷宮の構造が「3次元的」になる。

 

 果てしなく底に抜けたような大穴が開き、内部が複雑化した多段構造の建造物が彼方此方に乱立する。しかも必ずしもその建物が真っ当な入り口ないし出口を用意してるとも限らない。グルグルと無限に続くような螺旋階段で下り続き、しかも下りきった先に次の階層への出口など存在せずどん詰まりな事もある。

 子供の粘土細工のような巫山戯たオブジェが建ち並び続け、距離感覚を徹底的に惑わせる。挙げ句の果てにその状態で迷宮構造がランダムに変化するのだ。中層ではまだギリギリ可能だったマッピングも殆ど通用しなくなる。 

 

 そしてその間にも当たり前のように魔物は出現し続ける。

 

 長く細い橋を渡っている間に奈落から這い出るように冒険者を狙い、幾層にも続く建造物の窓から落下してくるように飛びかかってくる。前後左右に加えて上下からも、まさしく全方位から魔物達が襲いかかってくるのだ。

 そんな様々な苦難を乗り越えた先で(運が良ければ)次の階層へと進める階段を発見できる。だが、言うまでも無く、先に進んでも安全領域(セーフエリア)が都合良く出現する可能性は低い。

 銀級冒険者で、深層に挑んだ者達の多くはそこまでたどり着いた時こう思った。

 

 「備えがあまりにも足りない」と

 

 彼らは熟練であるが故にすぐに悟るのだ。深層に至り、攻略するためにかかるコストが爆発的に跳ね上がったのだという事実を。ただただ二次元的に、魔物に対して警戒を払えばよかった中層と比較して、あまりにも警戒しなければならない方角が増えすぎた。

 

 突然三次元的な迷宮へと変貌し、それまで培ってきたノウハウをいきなり捨てさせられる。右も左も分からず彷徨う冒険者達に対して、魔物達は自分の庭のように、複雑怪奇な迷宮を駆け回り、自在に奇襲を仕掛けてくる。

 

 襲撃に耐え、散々に迷い、途中迷宮の変異にまで巻き込まれ、ようやく1層を攻略する。

 その頃にはもう、次の階層に進む気力なんて残されてはいない。

 

 上層は約十階層、中層は二十九階層まで続いた。では深層は?紅蓮拳王が到達した最長記録が三十九階層目までである。そこは最深層ではなくまだ先がある。より深く、より複雑化するのが想像に難くない。その先へと進むことが可能だろうか?

 

 銀級へと至った冒険者の多くは懸命で判断力も正確だ。

 その正確な判断力故に、彼らは正しく深層の脅威を推し量り、心折られるのだ。

 

 それでも、未踏の大迷宮踏破の名誉を望んで先を進んだ者達も居るが、そう言った連中はそのまま帰らなかった。

 

 以上が、黄金級の冒険者、深層にて竜を討った【紅蓮拳王】の後に続いてグリードの深層へと向かう者が全く現れない理由である。

 

 無論、未だ誰も到達者のいない世界一の巨大迷宮だ。自分の腕では抱えきれないほどの大成を求め挑むのならばそれもまた良いだろう。

 だが、もしも両腕で抱え込めるだけの成功に満足できるのなら、足を止めることだ。深層へと挑む権利を手にした時点で、その夢は叶っているのだから。

 

 

                   書:黄金級へと挑んだ愚者の警文より抜粋

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮グリード地下三十一階層、深層にて

 

「………ひっろ」

 

 ウルは小さく呟いた。

 ウルが立つその場所は大罪迷宮グリードが産みだした数十メートルはあろう巨大な塔、その頂上だった。奇妙なことに塔の上には何も無い。そこへとたどり着くための階段も無ければ梯子も無い。塔というよりも円柱に近いような代物だ。

 そんな頂上からウルは眼下のグリード深層の光景を眺めていた。まるで巨大な地下洞窟に出現した地下都市のような無数の建造物が乱立し、広がっている。下手すれば地上の大罪都市グリードにあるどの建物よりも、高く、大きな建造物が散見された。しかし一方でそれらの建物は何処か歪だった。本来あるべき場所に出入り口がなかったり、まるで途中ですっかりと作るのを忘れてしまったかのようにぽっかりと、建物の一部に大穴が綺麗に空いていたり、あるいは建造物のその上から全く別の建造物が伸びていたり。

 

 いびつ 奇妙 不安定

 

 グリード深層に足を踏み入れてから常にそれらの感覚がウルの感性を支配していた。直接的な魔術的な効能とはまた別のその感覚がゆっくりと確実にウルを蝕み、不快にさせた。このような場所一刻も早く抜け出したいと願うのは本心だった。

 

《ウル、聞こえるかい?十秒後に閃光玉を打ち上げる。見えたらすぐ移動して》

「りょーかい……休憩終わりかあ」

《さぼんなよにーたん》

「迷宮変動に巻き込まれた不可抗力だよ、許せ妹」

 

 だが、どれだけそう願おうとも、それが叶わない状況に今ウルは居る。

 通信魔具からの勇者と妹の声にウルは身体を起こし、竜牙槍を引き抜く。完全に破損し、スーアの手に渡り、その後ダヴィネの改修を経たその大槍は、彼自身の鎧と同じく白の刀身に黒い鋼が入り交じっていた。【破星】の鉱石を混ぜ込み、竜殺しの力を纏うようになったその大槍を構えると、ウルは姿勢を深くした。

 

 間もなく、ウルの視界に閃光が瞬く。

 

 魔封玉による持続する光玉の信号は、想像よりずっと遠くで輝いていた。危うく見逃しかねないほど、距離の所為でその輝きは微かなものだった。

 輝ける光をめざし、ウルは跳ぶ。同時に視界の先を魔眼で捉えた。

 

「【混沌掌握】」

 

 空間が歪む。ウルが掌握することでその場所は一切の他の運命の干渉を受けなくなり、固まる。何ものも干渉できない足場となる。それを足場にウルは空を駆けていく。

 先輩の銀級冒険者、ベグードの技の模倣だった。スムーズに繰り出すにはまだまだ鍛錬が必要になるが、移動時複雑な地形を無視するには便利な技として重宝していた。

 ただし、やはり付け焼き刃ではあった。故に咄嗟の時には即座に対応は出来ない。

 例えば、

 

『GYEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!』

 

 空を覆うレベルの巨大な翼を広げた魔鳥が出現しウルめがけて飛びかかり、

 

「【天剣】」

 

 次の瞬間その巨大な怪鳥が【天剣】のユーリに真っ二つに切り刻まれ血の雨が降り注ぎ

 

『GYAGYAGYAGYA!!!』

 

 そのはらわたから、おおよそ二メートルほどの、粘液を纏った青白い肌の大蛇の如く長い胴体を持った芋虫が牙を剥き出しにしながら血の雨と共にウルめがけて落下して来たとしても、ウルは器用にそれを回避するのは困難だった。

 

「ひっでえな!!?」

 

 まさしく地獄である。故に、地獄なりの対応が必要となる。

 

「【狂え!!】」

 

 ウルめがけて落下を始めた芋虫は、途端に何の前触れもなく、怪鳥以上に無残な形で肉体をバラバラにして弾け飛んだ。

 緋色と青の血液が雨となって降り注ぐのをウルは固定させた空間を蹴って回避する。魔物達の血液に毒が含まれていないとは限らなかった為避けざるを得なかった。

 深層に踏み入れてから幾つかの魔物達と戦ったが、その誰も彼も、邪悪で不愉快で、悪意に満ちていた。回避できるものであれば決して指一本触れてはならなかった。

 

 血の雨の一帯から抜け出すと。不意に頭と背中に衝撃が来た。

 振り返ると何故か小振りの尻がウルの頭に乗っていた。

 

「のたのたとしないでください」

「何故俺を椅子にしてらっしゃる?」

 

 天剣がウルの頭を椅子にして載っていた。

 

「無駄に体力消費したくないのです。急ぎなさい」

「この姿勢の方がつかれません?」

「急ぎなさい」

「へい」

 

 あの魔鳥の襲撃からは助けられたので文句も言えなかった。

 更に空を駆ける。ユーリを振り落とす心配をほんの少ししたが、少しだけ視線をむけると全くもって、乗り心地の酷く悪いであろう此方の肩と背中に器用に足をかけているので気にする必要はないらしい。全力で空を蹴った。

 

 途中、視界の端で乱立した塔の幾つかがまとめて倒壊した。魔術が幾つかの連続した光を放ちながら飛び交っているところをみると恐らくは天魔があそこで戦っているのだろう。更にその反対では、巨人、背の翼を見るに悪魔種の類いが餓者髑髏とがっぷりと四つ組みになっている。ロックがこの階層で出現した巨大悪魔と戦っている。決着はまだ付かないらしい。番兵でも無いから、動きを封じるだけでも上々だった。

 ウル達とは別々の場所での戦い。だがどちらも気にしている暇もない。ウルは無視して前へと進む。

 

「到っ着!」

 

 閃光が光った場所へと近づき、着地する。背後で軽やかにユーリは飛び降りた。

 顔を上げる。視線の先にはディズにシズク、そしてエシェルがいた。

 正確に言うならば、四方八方、至る所から出現し、築かれた陣地を包囲する大量極まる悪魔種の大群の猛攻を迎撃する3人が見つかった。

 

「どこもかしこも地獄か?」

「てつだってぇウルゥ!!」

「そりゃ勿論――――」

 

 ウルとユーリが再び槍と剣を構えた。何処から切り崩すべきか考えていると、

 

「【眠り 爛れ 腐り 墜ちろ】」

『GAAAAAAAAAAAA――――――……』

 

 そこに、禍々しい魔言が悪魔達に降りかかった。

 悪魔達は、まるで命じられるまま、ぱたぱたと抵抗もなく地面に倒れ伏していく。眠ったように見えるが、次第に異臭を漂わせ始め、肉が崩れていく。瞬く間に腐敗していくそれらを見てウルは眉を顰めた。

 

「こんなとこでぐだぐだしてる場合じゃねえぞウル坊」

 

 ブラックが笑っていた。そのまま彼は広げた手の平を閉じると、”黒い影”が腐敗していく悪魔達を飲み込み、消え去った。跡形も無くなったようにその場から消滅したのだ。

 味方であれば、頼もしい限りだとウルは溜息をつくと、場に残ったディズへと視線を向けた。

 

「次の階層の階段は?」

「【天衣】が当たりをつけてたんだけど、さっきの迷宮変動があったから探索し直し」

「王さまは?」

「リーネ様の結界の内側に。無事です」

「つまり探索続行か……ロックが消耗する前にやらなきゃな……」

 

 たった一階層を攻略するだけでも随分な苦労だった。しかもこれが先に進むごとに悪化の一途を辿っているのだから気分も重くなる。

 

「王を待たせるわけにもいきません。急ぎますよ」

 

 そんなウルの弱気を察したのか、ユーリは鋭くウルに檄を飛ばした。

 

「了解……シズク、音によるマッピングを頼む。エシェルはシズクの守り。ディズ、アカネと一緒に天魔殿の支援を頼む。俺はロックの支援に行く」

「ウル坊。俺は-?」

 

 矢次早に指示を出すと、ブラックが問うてきた。ウルは口をひしゃげた。

 

「俺の言うこと聞く気あんの?」

「ない」

 

 ウルは中指をたてて、移動を再開した。

 

 大罪迷宮グリードの探索、及び大罪竜グリードの討伐作戦は、想定したとおり、非常に過酷で、困難を極めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十一階層

 

 大罪迷宮グリード突入前 29階層安全領域にて

 

「では、これより大罪迷宮グリードの探索、大罪竜グリード討伐。更に魔界の邪神制圧の任務。最終調整を始めます」

 

 場を取り仕切るのは天剣のユーリだった。天陽騎士団の鎧が恐らく世界一似合う女。蒼髪の獣人の剣神、一見するとウルとも変わらないような少女にしか見えないが、その内から放たれる英気は場の誰よりも鋭かった。

 

「よろしいですか。王よ」

「私のことは気にするな。戦闘指揮は任せる」

 

 王に確認を取り、改めてユーリは全員を見渡す。その視線の鋭さは自分たちが彼女の敵なのではないかと錯覚するほどだが、その緊張感も当然だろう。これから本当に、世界の命運を賭けた戦いに出るのだから。

 

「迷宮探索に出るメンツは先に告げたとおり、【天祈】のスーア様を除いた七天と【歩ム者】です。残るメンツはこの場所での待機、万が一の救助策戦をお願いします。」

 

 【歩ム者】からは

 

 【灰の英雄】ウル

 【白銀乙女】シズク

 【死霊騎士】ロック

 【白王の使い手】リーネ

 【竜吞女王】エシェル

 そして追加で

 【元・勇者】ディズ

 【赤錆の精霊憑き】アカネ

 

 【七天】からは

 

 【天剣】のユーリ・セイラ・ブルースカイ

 【天魔】のグレーレ・グレイン

 【天衣】のジースター

 【天賢王】のアルノルド・シンラ・プロミネンス

 

 そして、

 

 【魔王】ブラック

 

 また、神殿からは幾人かの従者と護衛の騎士達が同行する。これが迷宮攻略組である。また、攻略の設営の為、何人かの従者達が同行するが、戦闘要員としては期待できない。

 そして待機組は

 

 【神鳴】イカザ・グラン・スパークレイ

 【紅蓮拳王】グレン

 【天祈】のスーア・シンラ・プロミネンス

 

 となる。

 

「ええー、ずりいぞグレン坊。俺もサボりてー」

「おい、このろくでなしのクソヤロウ連れて行くのかウル。正気か。死ぬぞ」

「それは割と俺もそう思う。」

 

 グレンから真顔で忠告を受けたし、心底同意見だが、魔王の戦闘能力を余らせる理由がなかった。【強欲】を討つまでは共闘するという彼の約束を信じるほかない。

 そしてそれ以外、何人かの口の堅い銀級冒険者達も待機組として集まってくれた。その中には

 

「来てもらえて心強いよ。パイセン」

「パイセンは止めろ、全く……」

 

 【白海の細波】、陽喰らいの時、世話になった銀級冒険者、ベグードの姿もあった。

 

「既に先を行かれた身だ。口やかましい事を言うつもりはないが……黄金の指輪を穢す所業はしてくれるなよ」

「背中を護ってくれるなら、精一杯やる」

 

 良し、というようにベグードは拳でウルの鎧をゴンゴンと強く叩いた。無駄に入っていた緊張がやや解けた。

 

「さて、迷宮攻略ですが、ハッキリ言いますが、秘策はありません」

「いきなり絶望的な情報だこと」

「カハハ!魔術的な抜け道があるなら、俺よりも前に、そこの紅蓮拳王がなんとかしてるしなあ?」

 

 天魔のグレーレがニヤニヤと笑いながらグレンを見る。グレンは心底面倒くさそうに、グレーレの視線を無視した。

 

()()()()精霊の力も、深層では大幅な制限がかかる。結局都合の良いショートカットはない」

「ズルすると酷い目に遭うしなあ。具体的には国が滅んだりするし」

 

 魔王ブラックがしみじみと語る。何があったのかは知らないが、まあ、ろくなことにはならなかったらしい。

 

「そもそも此処までの戦力を結集させた以上、半端な奇策を用いたところで、強みを削ることになるでしょう」

 

 ユーリの声は鋭く、強く、まっすぐに、待機組含めたその場の全員を鼓舞する。魔術的な要素もなく、ただ語るだけで全員の士気を高めるそれは、彼女の持って生まれた指揮官としての才能でもあった。

 

「全力をもって強欲の超克を目指します――――それと、ディズ」

 

 そういって、最後にユーリはディズを見た。

 

「七天ではなくとも、才能が無くとも、貴方の実力が無くなるわけでもない。道中、他の主戦力が疲弊しないよう、露払いなさい」

 

 かなり挑発的な言い方だったが、ディズはむしろ喜ぶように強く頷いた。

 

「勿論、全力を尽くす」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その宣言の通り、と言うべきだろうか。

 

「【魔断・二重】」

 

 勇者ディズの戦い方は凄まじいものとなっていた。

 星剣と緋剣の二本を握り、勇者は目の前の敵をひたすらに両断する。数メートル超はあろう悪魔が作り出す炎の海を切り裂いて、悪魔の首を断ちきっていく。二体の大型巨人が血を吹き出しながら地面に倒れていくのを尻目に、彼女は前進を続けた。

 

「ジースター。この先で間違いない?」

「再び迷宮の変動が起こりさえしなければ」

「急いだ方が良いね」

 

 元同僚の天衣のジースターの言葉に頷いて、ディズは更に前へと跳んだ。ウルはそれに置いていかれないように必死だった。勇者という称号を剥奪されていながらも、彼女のその輝きに一切の陰りは見当たらなかった。

 当然と言えば当然である。元々彼女は他の七天達のように、太陽神から加護を授かっていたわけではない。七天を辞めさせられたところで、彼女が損なうのは超法的活動の特権であって、彼女が培った能力はそこに依存していないのだ。

 

 ディズはそれでも自分の能力は他の七天と比べ足らないと事あるごとに言ってはいたが、ウルにはそうは思えなかった。他の七天達の圧倒的な力をみても尚、彼女の戦い方は鮮烈で、美しく思える。

 

「若い者が、無茶をするものだ。少しくらい手を抜いても良いのに」

 

 だが不意に隣から聞こえてきた否定的な声に、ウルは顔を向けた。そこには現在の階層を捜索し、次の階層への階段を発見した【天衣】のジースターがウルと併走する形でディズの後に続いていた。

 

「あー、ジースターさん?」

「ジースターで良い。それで何か用か?」

「何か、と言うわけではないのですが……」

 

 殆ど言葉を交わしたことの無い、仲間の間でも面識の少ない相手に対してどういう距離を取れば良いか分からず、ウルは少し困った。特に、天衣のジースターは大罪迷宮ラストの深層で一瞬顔を見合わせた時以来だ。

 そして、そもそも【天衣】のジースターについてはウルは殆ど知識が無い。末席とされている勇者ディズよりも更に増して、彼の情報は表向きに広まっては居なかった。彼がどういう人物か、ウルには全くわからなかった。

 

 とはいえ、これから否応なく命を預け合う関係だ。よく分からないから、と距離を取る訳にはいかない。ウルは横からディズを狙う巨大な獣を竜牙槍で撃ち抜きながら、訪ねた。

 

「ジースターは、何故この戦いに?」

「仕事だ」

 

 ジースターは実に淡々と答えた。なんというか、使命感というか、そういったものを聞けるかと思ったが、想像以上に淡泊な答えが返ってきてしまった。

 

「王からの契約で報酬は約束されている。ならばやるべきことはやるだけだ」

「なる、ほど」

「他の連中のように、使命感を持っていないのが意外か」

「それはまあ。とはいえ、別に偏見はないですが」

 

 対価を得られるからこそ、ヒトは働くのだ。だからこそ王も【歩ム者】に対して苦心しながらも報酬を用意しようとしてくれていた。ディズやユーリのような気高さがなくたって、結果を出せるなら問題は無い

 

 同時に、ウルとしては少し気楽になった。

 

 ユーリやグロンゾン、ディズのような英傑でもなく、グレーレのような奇人でもない。淡々とした仕事人。ウルはこのタイプの人種は嫌いでは無かった。必要以上の付き合いを求めてこない分、距離感を見誤らなければ単純に互いが楽だからだ。

 

「ちなみに報酬は何に?答えづらいのならいいのだが」

 

 足下が揺れ、地響きと共に爪が飛び出してくる。巨大で奇妙な土竜のような魔物を前に、ウルはジースターと共に跳び、尋ねた。ジースターは自分の外套を変容させ、光の槍のようなものを投げつけながら応じた。

 

「家族につかう」

「なる、ほど……所帯持ち?」

「子供が3人いる。全員嫁の連れ子だが」

「わーお」

 

 ウルはややリアクションに困った。一見して無愛想極まる顔をしているが、どうやら少しややこしい家族事情を抱えているらしい。

 

「一番下の子がやや難病で、コネクションも多くが必要だったんだ」

「切実」

「今回の報酬で目処が付きそうなので安心した。生きて帰れるか分からないが」

「で、あれば、何が何でも生きて帰らなければ不味いだろう」

「そう思うだろう。俺が死なないように頑張ってくれ」

「……ひょっとして、同情を誘ってる?」

 

 ジースターは真顔で頷いた。なんというか思ったよりも愉快な人物であるらしい。

 

「……まあ、互いに死なないよう頑張りましょう」

「そうしよう。さし当たっては」

 

 そういって、ジースターは再び外套を変容させ、前を向く。先へと進んでいたディズが動きを止めていた。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

「【石人形】……いや、【都市人形】っていったほうが良いかなこれ」

 

 彼女の目の前の建造物が、まとめて蠢き出す。高層建築物が重なって胴や手足と変わる。塔が首となり、神殿を模した建造物が頭の役割を果たしている。

 この階層そのものが人形(ゴーレム)となったかのような、巨体が姿を現した。

 

「元勇者を助けねばならないか。【模倣天剣】」

「わーでっけえなあ畜生!!」

 

 奇妙な交流を進めながらも、激闘は続く。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十一階層②

 

 言うまでも無いことですが。

 と、迷宮グリードの探索始める前、ユーリはそう前置きして話し始めた。

 

 ――我等が天賢王の守りは可能な限り確保しなければなりません。

 

 その意見に文句がある者は居なかった。グレーレすらも一切文句を言わなかった。

 天賢王は、本来であれば迷宮に連れて行くこと自体、大問題になりかねないほどイスラリアにおいては重要な存在だ。万が一にでも彼の身に何かあれば、世界を理想郷に導くどころか、その逆に世界の危機である。

 

 しかし、今回の大罪竜討伐において、彼の戦力温存は困難であるという。

 

 その彼と、彼を世話する幾人かの従者達の安全を確保する手段として、グレーレは幾重もの魔術的守護を施した。が、勿論、多様な守り手は多い方が良い。と言うことで、リーネの白王陣も護衛に回るように、ユーリは指示した。

 

 ――精霊の力に依らぬ術式による強固な結界が必要です。出来ますか?

 

 天剣のユーリにそれを問われたとき、リーネは強く頷いた。

 無論、言うまでもなく王の守りを担うという責務は重大だ。王の身体に傷一つ付けるだけで責任を問われるだろう。だが、それ以上にそれだけの期待を白王陣にかけられた事実に彼女は内心で震えた。気合いも入った。

 

「【速記開始】」

 

 既に幾度となく繰り返し、彼女の白王陣の筆記速度は最早、一般的な魔法陣の作成速度すらも上回っていた。幾重にも分かれた杖の穂先が縦横無尽に迷宮を切り刻み、術式を刻印していく姿を王の従者達は目を見開きながら見守っていた。

 

「【開門・白王絶界】」

 

 間もなくして刻まれた強大な白王陣は、魔物達の感知から逃れ、襲撃を弾き、迷宮の変動すらも押さえ込む強固な結界を産みだした。

 魔力の消費に関しても、迷宮そのものの魔力を喰らうために消費は度外視できる。やはり、白王陣は迷宮探索においても強大だとリーネは汗を拭いながら自分の仕事に少し満足した。

 

 無論、まだまだ課題はある。

 

 もしも魔術ギルドの話を受けて教室を開くとなれば、全く別の問題が出てくる。

 白王陣の速記は、自分の死に物狂いの努力と、アカネによるブレイクスルーによって完成へと至ったが、それを他の全てのヒトが等しく真似れるわけではない。実際、ウーガにおいても、彼女の速記技術の教えを請いたいと言う者は居たが、基礎中の基礎を教える段階で殆どの者が挫折した。

 白王陣の偉大さを広めるにはやはり時間がかかる。悩ましい問題だった。

 

 だが、今に限ってはそれよりも悩ましい問題が存在していた。

 

「…………」

「…………」

 

 今回の探索においての役割は迷宮の脅威から王を守ることである。

 つまりリーネは王と二人きりになるワケだ。いや勿論従者達もいるのだが、彼らは自分たちが出来ないような雑務で忙しいのか、あまり王の周囲には長居しない。

 護衛につく天陽騎士達も、鎧兜を被ってるせいで表情も分からないし、無言だ。結果、白王陣の維持と管理で動かないリーネと王は二人きりの状況になっていた。

 

「…………」

「…………」

 

 気まずい。というよりも緊張する。

 相手は偉大なる王である。その認識は、以前までの漠然とした認識よりも、より強固なものへと変わった。彼の背負ったものを理解できたからだ。

 それに加えて、仮にも自分は官位持ちの長だ。幼い頃から七天や神官、そして王の偉大さは教えられてきた。本来であれば許可在るまで顔を伏せて平伏し続けなければならないような相手である。

 だが、その緊張に、心地よさも混じっていた。

 

「レイラインの」

「はい」

 

 不意に、アルノルド王から声をかけられた。駆け寄り、膝を突こうとするが、その前にアルノルド王は手で遮った。

 

「迷宮の内部だ。形式は省略で良い」

「はい。ありがとうございます」

「……」

「……」

 

 そして再び沈黙である。先ほどまでの緊張とは別の汗が出た。普通に気まずい。

 

「……王よ。どうかなされましたか」

「ああ……」

 

 沈黙。

 王は少し考えるように首を傾げていた。金色の獅子のように雄々しく美しい男がそうしてやや不思議そうな顔をしているのは無駄に絵になった。うっとりと眺めていたいというよりも、まばゆすぎて目を細めてしまいそうになるような類いの輝かしさだった。

 しかし、何というか、その仕草には覚えがあった。具体的に言うと、天祈のスーアが、割とぽややんとしているときの仕草である。

 

 大丈夫だろうか、と思ったが、しばらくすると思考がまとまったのか、彼は頷いた。

 

「白王陣の守護、助かる」

「いえ、当然のことです」

「ああ……」

 

 沈黙が再び入った。困った。

 

「その……今回の一件、機会を与えてくださったこと、感謝します」

「迷惑だと思ったが」

「無論、一方的に振り回されたと感じないわけではありませんが……」

 

 リーネは少し開き直った。遠慮せず思うままに喋ることにした。相手が何処の誰だろうと、今は迷宮探索のまっただ中、命を預け合う者同士だ。半端に遠慮して距離を取る方が後々危機を招く。

 

「確かに本件に対する拒否権は無いようなものでしたが、紙一重でなんとか保っている世界の現状を考えれば、貴方にも選択肢は無かったと思います」

「……」

「この世界を救うという重責、それを共に背負う機会を与えてくださったこと、感謝します」

 

 ウルの仲間になってからと言うもの、幾つもの危機と、悪意に遭遇した。それらは取るに足らないような物は一つも存在しなかった。一歩間違えれば、沢山のヒトが死んでいたって何もおかしくないような災禍があった。それを瀬戸際で必死に押さえ込もうとして、瀬戸際で踏ん張っているのがこのイスラリアという世界だ。

 

 ウル達との旅は、それをあらためて理解するための旅でもあった。

 

 神官の家として、その事実は最低限理解できていると思っていた。だが、そんなことは全くなかった。自分は知らなかった。それを思い知った旅だった。だから、王の選択をリーネは理解する。

 立場上、肯定することは出来ないが、理解する事は出来る。

 

「少なくとも私は、だからこそ、ここにいます」

「そうか」

 

 王の返答は酷く簡素なものだった。ただほんの少し、彼の表情がやわらかになった。

 そして再び、しばしの間沈黙が流れた。遠くではウル達が必死で戦っているのだろう。魔術の炸裂音と共に轟音が響く。最も危険な迷宮の深層に居るとは思えない程に、白王陣に守られたこの場所は静かだった。

 

「……一つよろしいですか?」

「なんだ」

「王は何故この世界を救おうと?偉大なる王の責務というのはわかるのですが」

「私個人の意思、と言うことか?」

「ええ」

 

 アルノルド王。天賢王という肩書き。彼自身が望む世界救済。それらの装飾があまりにも大きく、そして重すぎるが故に、彼自身の事をリーネは未だ掴みかねていた。唯一神の化身にして代行者、超越者と謳われる彼であるが、人格が無いわけでは無いだろう。

 命を預け合う相手であるなら、知っておきたかった。

 

 再び、暫く沈黙が起こる。迷宮の変動に合わせリーネは白王陣の調整を行い、変動を押さえ込むように努めた。眼下の巨大な都市部を模した迷宮のその奥地では数十メートルはあろう巨大な人形が起き上がっている。それでも尚、此処は静かだった。王の纏う空気がそうさせるのかも知れないとリーネは思った。

 

「……幼い頃、この世界を私は美しいと思っていた」

「はい」

「だが違った」

「違った?」

 

 思わず王の顔を見る。王の表情に変化は無い。燃えるように眩く、その瞳はどこまでも見通しているように見える。発するだけで相手を平伏させるその声で、彼は告げた。

 

「この世界は醜い」

 

 リーネは一瞬震えた。自分を咎められたかのような気がしたからだ。だが、王は勿論、そのような意味合いで言っているわけでは無かった。

 むしろ、それは自身を咎めるかのような声色であると、リーネは気付いた。

 

「呪いがあり、憎悪があり、差別があり、死があり、争いがあり、罪がある。幼い自分には、そんな当然を理解できなかった」

 

 淡々と、王は自身の不明を咎めていた。それは違う。と、リーネは口を挟むことも出来なかった。彼が見ているもの。彼が怒りを感じているものが分からなかったからだ。

 

「幼い夢を、真にする。そう言う意味で私は救いようが無いほどに身勝手だ」

「それは――――」

《リーネ!!リーネ聞こえる!?》

 

 だが不意に、凄まじい悲鳴が通信魔具から響き会話は中断となった。

 リーネはやや頭痛を覚えながら通信魔具を手に取る。誰の悲鳴か、などと考える必要も無い。最近はもう耳に馴染んできた、エシェルのものだ。

 

「どうしたのよ、エシェル!!」

《人形!!都市人形やばい!!全然核に攻撃届かない!!》

「支援が欲しいのね。なにが良いの」

《強いの!!!》

「なるほど広域破壊。天雷でいいか」

 

 言っている間に、白王陣の結界の前に、エシェルの転移の鏡が出現した。リーネは再び杖を握る。高価な魔力回復薬を一瓶豪快に飲み干すと、そのまま魔力を杖へと注ぎ始めた。

 

「言っておくけど、発射のタイミングはそちらに合わせられても、狙うのは貴方よ?ちゃんと狙い、定められる?」

《ん゛-!!!》

「無理ね。ウルに足止め頼めるかしら……」

「動きを止めれば良いのか?」

 

 すると隣からアルノルドが立ち上がり、問うてきた。リーネは返答に少し迷ったが、頷いた。

 

「はい。あの都市人形を一時的に抑えられればそれで」

「【神の御手】」

 

 次の瞬間、遙か遠くで暴れる都市人形の目の前に、半透明の、巨大な輝ける【手】が出現した。それは手刀のように形を変えると、そのまま振りかぶり、そして一気に目の前の都市人形へと叩きつけた。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!?』

「これでいいか?」

 

 地鳴りのような人形の悲鳴を背景に王が尋ねる。リーネは深々と頭を下げた。

 

「感謝いたします王よ。後は此方にお任せを」

 

 リーネは白王陣の展開を開始した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

「死んじゃう死んじゃう死んじゃう!!!」

 

 地響きのような咆吼。階層全てが崩れてしまいそうな程の振動を前に、エシェルは悲鳴を上げていた。

 だがそれでも咄嗟の判断で、ミラルフィーネの力で自分の身体を浮かせ、そして守ることが出来ていたのは鍛錬の賜物だろう。それができなければ激しい揺れで脚を取られ、瓦礫に押しつぶされて死んでしまっていたのは間違いなかった。

 

 ただし、それを回避できたとして、危機的状況に変化は無い。

 

「んんん……!!」

 

 エシェルが見上げると、上から階段や、塔や、建造物が、雨のように降ってきた。先程王の手で叩きのめされた都市人形の身体の表面が崩れてきていた。ただそれだけでも、天地がひっくりかったかのような光景が広がるのだから酷い有様だった。

 

「【褪魔眼・爆破!!!】」

 

 瞳に触れ、簒奪した竜の魔眼を解放し、消し飛ばす。

 だが瓦礫はまだ続く。エシェルは焦りつつあった。リーネは恐らく既に白王陣を書き込み始めている。早く人形を視界に捉えなければ――――

 

「エシェル様」

「し、シズク!!」

 

 自分で焼いた火の瓦礫に視界を遮られる最中、シズクがそれを払うように風を起こしながら来てくれて、エシェルは安堵した。が、やはり周囲は荒れ狂っている。都市人形がまだ身体を動かそうとしているのだろう。それだけでも都市が砕けて、周囲に大量の破壊をまき散らし続けている。巨大、というのはそれだけで厄介だった。

 

「リーネ様の状態は分かってます。エシェル様、上に行けますか?」

「う゛う゛-!」

「隙が無いのですね。わかりました」

 

 そう言うと、シズクは自身が使う刀を抜き、そしてそれを高く放った。美しい白銀の刃は幾つもの瓦礫を弾き飛ばしながら、空中でピタリと動きを止める。剣は回る。白銀の輝きが広がる。波紋のように光は広がり、輪となって、そして大きな光の円形を空に産みだす。

 

「【氷鏡】」

 

 それは空中に生み出された氷の鏡だ。

 そしてエシェル達の居る場所からそれを見上げると、その先に強大な都市人形が未だ、身体を地面に倒し、起き上がろうと藻掻いているのが見えた。シズクが生み出した氷の鏡にそれが映っていた。

 

「いけますか?」

「い、ける!!」

 

 シズクの意図を理解し、エシェルは手を掲げた。鏡が二つ生まれる。一つはエシェルの手元に、そしてもう一つはシズクが産みだした氷の鏡を補強するように。

 

「【会鏡】」

《【開門】》

 

 同時に、リーネの声が響いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 迷宮の意思によって生み出された都市人形は、その身体を起こそうと藻掻いていた。

 しかし上手くはいかない。迷宮は自らを産みだしたが、その身体を上手く動かすための地形までは用意してはくれなかった。あまりに膨大な質量を伴って生まれた都市人形は、その身体を維持するだけで手一杯で、1度地面に倒れてしまえば身体を起き上がらせるのも困難だった。

 だが、その姿勢からでも人形は全力で藻掻いた。子供の駄々のような動作一つでも、莫大な破壊を周囲にもたらすことを人形は知っていた。それでもって周囲を破壊し尽くす。

 その全ては侵入者を排除するためだった。

 人形としての使命、刻まれた術式の命令が全てだ。生命の滅亡。その為に人形はどれだけ無様だろうと、この場に居る全ての人類を破壊するために暴れ続ける。

 

『OOOOOO――――』

 

 しかし、不意にその視界の先に、光が映った。白銀の円形。光を放つ美しいその物体を前に、人形は動きを一瞬止める。美しさに見とれて、と言うわけではない。人形の生存本能が警告していた。その未知が、自分に危機をもたらすことを悟っていた。

 だが、それに気づき、反応するには全てが遅い。

 

「【天雷ノ裁キ・白王陣】」

「【OOOOOOOOOOO!?】」

 

 人形の感知機能が焼き切れるような濃度の魔力が溢れ、同時に人形の身体を構成する都市の大部分が突如、熱と破壊によって砕かれる。動かしていた手足と粉砕された胴の大部分が焼け落ち、自身の心臓である魔導核が露出したのを人形は理解した。

 自己保全は人形の機能の一つだ。自分が保てなければ術式に刻まれた使命を果たせない。その本能に従い、人形は自らの身体を守り覆おうとする。

 

 だが、自らの使命をこの人形が果たすことは、最早無かった。

 

「【魔断】」

「【竜断】」

 

 二つの剣閃によって、人形の命運は断ち切られた。

 

 大罪迷宮深層 三十一階層、攻略完了

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十三階層

 

 

 大罪迷宮グリード突入前、 【欲深き者の隠れ家】にて。

 

「大罪迷宮グリードで最も面倒くさかったことぉ?」

 

 ウル達に大罪迷宮グリードの情報を教授していたグレンは、ウルとシズクのその質問に対して呆れたような顔になった。確認するまでもないような質問だったからだ。

 

「そりゃいうまでもねえわ。竜だよ」

 

 無論、そういう解答が帰ってくるのは2人とも分かっていた。大罪迷宮において最も脅威となるのは竜そのものだ。が、しかし今回確認したいのはそう言う事ではない。

 

「それ以外ならば?」

 

 竜以外の脅威を2人は知りたかった。これまでウル達が挑んだ迷宮の多くが特殊で、通常のそれとは異なる場合が殆どだったが、多種多様な”悪質さ”というものを持っていた。

 魔物の種類。迷宮の形状。あるいはそれ以外か。竜のみに意識を集中していては大罪竜にたどり着くまでにすっころぶ事をわかっていた。

 

 その意図を察してか、グレンは腕を組み、記憶を遡るようにして考え出した。そしてしばらくの後、コンと、テーブルを指で叩いた。

 

「魔物なら、一番面倒くさかったのは【悪魔】かね。賢しく、多様で、しぶとく、数も多い」

「悪魔、ですか……」

 

 悪魔は、ウルもシズクも”陽喰らい”の戦いの時に目撃している。ただしその時は味方側にも大量の実力者と、なによりもスーアの存在があって、直接その脅威と対峙したわけではない。具体的にどう恐ろしいか、まだ実感は出来ていなかった。強靭、卓越した魔術、そういった情報はあるが、それだけだ。

 そんな反応を察して、グレンは意地悪く笑った。

 

「小鬼がいるだろ。あれらが頭良くなって、筋力も上がって、魔術も滅茶苦茶上手くなると想像して見ろ」

「…………」

 

 急激に、その脅威が明確になった。

 小鬼は単体ではまるで脅威ではないが、小賢しく、悪辣で、数で襲いかかってくるのが恐ろしい。冒険者として生きていくなら必ず1度は対峙する羽目になる。どこであろうこのグリードの大罪迷宮で、ウル達も散々連中とは戦ってきた。

 その小鬼の超強力版、となれば、なるほど確かに厄介極まる。

 

「対処法は?」

「一切相手にしないか、()()()()かのどちらかだ」

 

 実に、両極端な選択肢だった。グレンは続ける。

 

「完全に無視できるならそれはアリだ。相手にしてたってキリがねえ。」

 

 これからウル達が挑む場所が大罪迷宮の深層であったとして、迷宮の性質が大きく変わるわけではない。倒した先から、迷宮が新たな魔物達を産みだす。幾ら倒したところで、暫くすれば敵は復活するのだ。確かに、半端に相手をしたところで意味なんて無かった。

 故に、回避できるならした方が良い。だが――

 

「避けられないなら、半端はするな。一気に、一方的に、その階層まるごと破壊する勢いで消し飛ばす。賢しさなんてもんが発揮される前にな」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮、三十三階層目

 

「カハハ!まるで土竜蛇だなあ、なんて様だ!」

「あまり大きい声ださないでくれ、天魔殿。此処だと響きすぎる」

 

 ウルは同行者である天魔のグレーレの笑い声を苦々しい声で咎めた。

 

 大罪迷宮グリード深層は広大で、異様だ。

 一見すると巨大な都市国の形を模したような街並みを生み出すが、それは必ずしもヒトが住まうことを想定したような、真っ当な造りからはほど遠い。

 三十二階層は巨大な滝から溢れる水が至る所に浸水した水上迷宮であった。一体どこから水が溢れ、そしてどこへ流れていくのかまったくの不明だった。全員が溺れる前に、ロックとアカネ、それとリーネの白王陣によって耐水性能を有したトンネルを建造するという荒技でもって、なんとかくぐり抜けることに成功した。

 

 そして三十三階層である。

 

 どのような場所かと言えば、一言で言うならば”蟻の巣”だ。幾つもの細く長い通路が縦横無尽に伸びて、その先に幾つもの小部屋が存在する。そしてそこには悪魔達が必ずたむろしていた。

 ある意味、最も迷宮らしい迷宮の構造だった。ただしその規模は他階層と同じく、極めて広く、そして厄介だ。悪魔達は至る所に存在し、回避が難しい。

 

 シズクの反響によるマッピングによって迷宮地形のおおよそを確認した一同は、対策を話し合い、結果、「少数による探索及び迷宮の破壊工作」という作戦に至った。

 

 その実行係にウルとグレーレの2人が選ばれた。正確に言えば、グレーレ1人が実行係であり、ウルは彼が途中無駄に消耗しないようにするための護衛係である。

 そして今、幾つかある通路の中でも殊更に狭く細い通風口のような通路をグレーレと2人で這いずりながら進んでいる。何故こんな道を通るかと言えば、此処が最も目的地に安全にたどり着けるルートだったからだ。

 

「声の大きさなど!消音の結界くらい張ってある。当然だろう?!」

「貴方の声が俺の頭に響く」

 

 しかしこの狭い空間をこの胡散臭い男と共に進むのは結構な疲労感を伴った。

 

「おいおい、なんだその敬意の無さは?ん?もっと敬っても良いぞ?」

「エシェルから貴方の話は沢山聞いた」

「邪霊の愛し子か!俺の叡智と気遣いがいかに素晴らしかったという話か?」

「貴方のおかげで5回くらい死にかかったって話と怨嗟のうめき声をたっぷり」 

 

 時に匍匐前進もしなければならないような通路を進みながら、ウルはエシェルの泣きっ面を思い出す。ヒートアップしていく彼女の訴えをウルは山ほど聞いたので、グレーレへの警戒レベルは十分に高かった。

 こいつの所にエクスタインが転がり込んで、挙げ句に一緒にエンヴィーまで討伐させられたと聞いているが、大丈夫だったんだろうか、酷い目に遭ってないだろうか。だとしたらざまあみろ。なんて事をウルは思った。

 

「カハハ、言っておくがあの女王については俺も大分慎重に扱ってるのだぞ?何せ希少な個体だからな!」

「精霊憑きだから?」

 

 精霊憑きがいかに希少であるか、ディズから説明は受けている。精霊から分け与えられた力の加護ではなく、()()()()を宿した者達。ヒトには到底不可能で、精霊には絶対に許されない力を、自由自在に振る舞うことができる怪物達。

 ディズも重視しているのだ。グレーレもそうするのは自然に思えた。しかし彼は首を横に振る。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前の女王は」

「希少……?」

「ああ、知らぬのか。無理もないなあ」

 

 言っていることが分からず、ウルは困惑すると、グレーレは更に楽しそうに笑う。周囲の探索をすすめ、這いずりながらも、彼は饒舌に語り始めた。

 

「精霊憑きが発見されると、その存在ごと抹消されることが多い。何故か分かるか?」

「憑いた精霊が、邪霊の類いであることが多いから、精霊がヒトと混じるなんて事実は許されないから」

 

 これもディズや、もっと言えばザインから聞いた説明でもあった。そういった理由で忌避する者が多いと。実際これらの説明は納得できるところは多かったし、変に疑う理由もなかった。

 しかしグレーレは、にたにたと楽しそうに笑った。

 

「正しいが、別の問題もある。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言って、グレーレは振り返り、ウルを指さした。

 

「精霊憑きは、()()()()()()()()()()()()()()()()ん」

「……は?」

 

 流石に、ウルもグレーレの言っている言葉の意味が理解できずに、困惑した。

 ここまでさんざん、【名無し】は精霊との親和性は皆無であると言うことが教えられた。それが世間の常識でもあったし、なんならブラックからも改めて、決定的な情報を伝えられたからだ。

 で、あれば、精霊と一体化する現象が、名無しにしか起こらないとはどういう意味か?

 

「そもそも、精霊、という存在を取り込むにはヒトの魂では容量が足りない」

 

 その疑問へ答えるように、グレーレは更に朗々と、楽しそうに言葉を続けた。

 

「高位の神官でも足りぬ。到底納まりきらない。魔力を吸収して、魂を強化したとしても、容量そのものは変化しない。魂の容量増加は、とてつもなく困難なのだ」

「……」

「双方同意の上での魂そのものの“譲渡”、あるいは数百年規模の交配による品種改良くらいか?ヒトができる方法なんて不細工なものよ」

 

 譲渡、という言葉に、ウルは彼女が思い浮かんだが、今は置いておいた。脇の洞穴に潜んでいた悪魔種を音も無く消し飛ばしながら、グレーレは問うてくる。

 

「それほど困難であるにもかかわらず、どうやって精霊憑きが起こるか、分かるか?あるいは、どのような手段で起こしているか」

 

 分かるわけあるか。と、言いたかったが、グレーレの目は此方を試すようだった。少なくとも、絶対に出ない答えに悩む姿を見て嗤おうという風では無かった。

 つまり、ウルの中に答えがある。コレまで経験した中に。最も身近な、アカネの姿を思い浮かべる。グレーレの言葉を信じるなら、例外なのはエシェルだ。つまりアカネは“真っ当な精霊憑き”なのだ。あの、到底ヒトからかけ離れた姿が、正常。

 そして逆に、一見すれば何一つ特殊なところを持たないエシェルは真っ当ではない。例外だという。つまり――――

 

「…………()()()()()()()()()()?」

「正解だ」

 

 ちゃんと頭の回るやつは好きだぞ、と、グレーレは心底楽しそうに笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十三階層②

 

 

 精霊がヒトを変える。

 

 アカネの肉体に起こった変化。到底ヒトからかけ離れた身体。精霊憑きという現象そのものがあまりにも特異すぎて、そういうものなのだと勝手に思っていた。だが、アレが、必要な処置であったというのなら話は変わる。

 

「太陽神ゼウラディアとその眷属に許された権能……いや、権利か?自身が消滅の危機に瀕した際、可能な限り自己を保存するために身体を保存させるのだ」

 

 その手法の一つが、【精霊の卵】であるとグレーレは言う。アレは、自らの機能を停止させ、消耗を極限まで落とすことで、崩壊を防ぐための形態の一つだ。

 しかしそれでは活動は出来ない。活動が出来なければ存在を維持しているとは言い難い。そこで、適当な器をさがし、それを自分が活動するための容器として選ぶ――――が、コレは滅多なことでは上手くいかない。何故なら、精霊を収めるほどの器はそうそう存在しないからだ。

 

 ではどうするか。器の形を変えるのだ。

 

「ただし、ゼウラディアの命令によって、精霊は、直接的に“ヒトに干渉できない”。分かるか?」

 

 器を変えるのは、干渉と言えるだろう。ウルは眉を顰める。一つの結論が出た。やや不愉快な結論が。

 

「…………名無しは()()じゃないと」

「正解」

 

 ブラックが言っていた情報と、グレーレの情報が合致した。

 精霊にとって、名無しはヒトではない。だから変えられる。アカネのように、最早ヒトの形から大きく外れた、形容しがたい何かになるまで、改竄を許される。

 

「そしてこの結果、厄介な問題が起こる。精霊そのものとの同化などという、神官にも出来ないことを、精霊から嫌われている名無し達は出来てしまう」

「…………なるほど。そりゃ消されるわ」

 

 ようやく、精霊憑きがいかに厄介で、希少な存在であるかを理解した。神殿では到底、表だった取り扱いが出来ないような存在なのだ。ディズがアカネのことを「モノ」として扱ったが、それは大分温情ある取り扱いだったのだという事実に、苦い顔になる。

 存在しなかったことにする方がよっぽど賢明だ。

 

「だが、そうなるとエシェルは?」

「だから言っただろう?希少個体だと」

『   A    A――――   』

 

 上の洞穴から、此方を待ち構えるように待機していた悪魔種に、ウルは竜殺しをたたき込む。黒槍をたたき込まれた悪魔種は、一瞬にして砕け散り、粉砕した。

 

「アレは官位持ちの出。当然精霊に肉体の変容をさせられてはいない。何一つ変化もないまま、ミラルフィーネを吞んだ。それのみならず、竜の眼も、挙げ句の果てに大罪竜の魂まで吞み干した」

 

 ソレでけろっとしているのだから、たまらない。と、グレーレは実に楽しそうに笑う。

 

「例外中の例外だな。カーラーレイ一族の品種改良でも、あそこまでの個体は目指してはいなかっただろうに。突然変異なのだろう」

「だとして、彼女は大丈夫なのか?」

 

 ウルは問う。

 別に、エシェルが常軌を逸した怪物であろうとも、ウルとしては何一つとして構わない。常識外の存在なんてのは、アカネでもう慣れたし、ウルだってもう既にその仲間入りだ。【歩ム者】に常識的な範疇にとどまっている者などいない。

 だから、問題が無いならそれでいい。問題があるなら対処する。それだけの事だった。

 

 そのウルの割り切りをどう思ったのか、グレーレはもう一度楽しそうに笑った。

 

「まあ、今のところは単なる()()()()よ。それ以上でも以下でもない。“その上で何と成るか”だが、まあそこは「お楽しみに」と言う奴だ」

「変なもの喰わないようにって言っておくよ」

 

 ミラルフィーネとプラウディア、この二つだけでも天賢王とその御子が直接訪ねてくるような大事だというのに、これ以上の何かが起こると、多分エシェルが精神的にパンクする。できる限り、何もないことを祈るしかない。

 しかし―――

 

「おや、どうした?まだ言いたいことがありそうな顔だな?」

 

 ウルの苦々しい顔を見て、グレーレは楽しそうに問うた。

 当然ある。聞かなくとも良いが、確認せずにはいられないことがある。

 

「精霊は、器の形を変える能力があると」

「そうだな」

「…………()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グレーレは実に楽しそうに笑った。

 

「理解の早い生徒に教えるのは楽しいなあ?まあ、お前の身に起こった現象は、そう単純でも無いが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なら」

「そう、急くな」

 

 グレーレは笑った。

 

「世界が必死に隠しているものを、焦って暴くものではない。まずは目の前の世界の危機を、凌ごうでは無いか。なあ?」

 

 そう肩をすくめて、そして前をしゃくった。

 

「そら、地獄が広がっているぞ!」

 

 ウルの視界に広がるのは、恐らくこの三十三層目の一番奥だ。

 シズクの探査によるマッピングでは、次の階層への階段が在るのは間違いなくこの場所だ。しかしそれ故、と言うべきか、最も強固なる守りに固められていた。

 ウルの視界に広がるのはこの階層では他にない天井まで数十メートルはあろう巨大な大部屋であり、ウル達が覗いているその場所は、その大部屋に幾つか存在している窓のような出入り口の一つだった。この部屋に繋がる道は全てウル達の居る方角に集中しており、向かい側の下層へと続く階段の在る方角に直通する道は一つも見つかっていない。

 その窓から覗きこめる大部屋、その正面には部屋の中央を真っ二つに区切ってしまうような巨大な防壁が鎮座していた。神官が生み出す防壁に似ていて、継ぎ目や瑕疵の類いが一切無い一枚岩がせり立ち、その上に幾多もの魔物達――――悪魔種が立ち並んでいた。

 

『――――』

 

 距離があるためか掴みづらいが、おおよそ三メートルほどの体躯の悪魔が等間隔に数十体並んでいる。顔はヒトのように目鼻口は無く、代わり中央に赤黒い水晶のようなものが埋め込まれている。瞳の役割を果たしているのかギョロギョロと蠢いて見えた。

 手と足は異様に長く、背中には焼き爛れて骨組みだけ残ったような翼がある。とても飛翔能力を有しているようには思えないが、アレで飛ぶのだとグレンから聞いている。

 防壁の外にも悪魔達は居る。彼らは美しさすら感じるほど乱れなく並び、迷宮の広間を巡廻していた。周囲を忙しなく見渡し、侵入者を警戒している。上空にも、それはいた。まさしくあの骨組みだけの翼を羽ばたかせて辺りを見渡している。遠くの迷宮の隙間からそれを眺めているウル達だが、もしもグレーレが結界を張っていなければ瞬く間に気付かれていただろう。

 

 休みも、油断もせず、侵入者を待ち構え、迎撃する。その為だけに彼らはいた。

 

「……まるで都市防衛の騎士団だ」

「まさしく、その模倣であろうな。騎士団よりもより機械的で、より強固だろうが」

 

 ヒトであれば、休まねばならないし交替することもある。気が緩み、怠けることもあるだろう。どれだけ強固な騎士らであってもそれは変わりない。それが一切無いのだから、

 

「……迷宮から溢れたら、地獄だな」

 

 ウルはゾッとした気分になった。守りにおいてもこうなのだ。攻めにおいても、悪魔種達は完璧な連係と、緩み無い猛攻を仕掛けることとなるだろう。ヒトの組織を模倣し、それ以上の練度と連係、そして死すらも畏れずに攻めるのだ。

 まともにぶつかれば、人類では絶対に勝てない。その事実が容易に想像できてしまった。

 

「歴史上その危機は何度かあったぞ。お前も知る【神鳴】が阻止したこともある」

「王が今の世界を危惧した理由も分かるわ。危ういもんだ」

「無論、我等の戦力であっても打倒は可能だろう……が、此処はゴールではなく、道中。やはりいちいち消耗などしていられぬなあ」

 

 故に、と、彼は懐から何かを取り出す。

 ウルからみて、それは魔術を封入し炸裂させる魔封玉のように見えた。しかし、ウルの知るソレと比べてサイズが明らかに一回り大きく、そしてその周囲に刻まれてる術式の量と細かさの桁が違った。執念、と言う言葉が相応しいようなレベルで、一切の余白を術式で埋め尽くしている。

 

「……その、見るからに危険で怪しいブツは?」

 

 圧を感じたウルはやや顔を遠ざけるように仰け反り尋ねた。グレーレはウルの素直な反応に実に楽しそうに笑った。

 

「慧眼だな。危険で怪しいブツそのものだ。これは」

「……んなモン使うの?」

「混戦時は到底使えぬ代物だが、此処でなら後始末の心配も無く、巻き込む味方もいない。まさに使い時というものだそーれ」

「あーあー」

 

 ウルの懸念を余所に、グレーレは実に呆気なく、そのブツを放り投げてしまった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 悪魔達はいち早く、放り込まれたその物体を感知した。

 

『――――――AA』

 

 感知は瞬時であった。

 この大部屋には悪魔達が敷いた感知結界が張り巡らされている。彼らは鋭敏にそれらを察知し、そしてその感知は術者のみならず、その場にいる全ての悪魔達に伝播する。彼らは軍隊でありながら一個の生命体のように動くことが出来た。通信魔術により彼ら全員は繋がり、情報のやり取りは瞬時に行われるのだ。

 ヒトの軍隊であればそれはできない。常時精神を他者と繋げ続ければ、自他の境界線が曖昧になり精神に異常を起こすからだ。そのリスクを悪魔達は警戒する必要もない。

 

『【A】』

 

 彼らは瞬時に行動を開始した。防壁の悪魔達は更に守護結界を全員が張り巡らせ、侵入者の攻撃を拒む。地上部隊は迎撃魔術に備え、そして空中を飛ぶ悪魔達は放り込まれた物体の直接的な破壊に向かった。

 

『【A】【A】【A】』

 

 詠唱を圧縮し、魔術を生み出す。生み出された雷や氷結、炎の矢は何れも中級魔術の威力を越えていた。それらでもって突如放り込まれた謎の物体へと狙いをさだめ、躊躇無く放った。

 無論、それが罠の危険性もある。破壊された瞬間起動する爆弾のリスクも在る。その結果、直接攻撃した者達が破壊される危険性も存在する。だがそれでも一切、悪魔達に躊躇いは無い。

 もし罠だとして、そしてその結果、悪魔達の一部が損耗したとしても、彼らにはなんの問題もないのだから。階下へと進む入り口を守るための悪魔達の数は十分にあり、彼らは守りを徹底的に固めている。攻撃する自分たちが損なわれても、代わりの悪魔は再び迷宮が産みだしてくれるだろう。

 ある種、自己犠牲の権化でもあった。

 とてつもなく強くなった小鬼、などと評されることもあるが、自己保身と自己快楽ばかりが頭にある小鬼達とはその本質が異なる。彼らには、生物が本来持ち合わせていなければならないはずの自己愛すらも、欠片も存在していないのだから。

 

 あるのは、自身達の創造者を長く生存させるという、昆虫のような機械的な意思のみ。

 

 故に、その迎撃に対する躊躇の無さは彼らに取って当然のことであり、しかし、それ故に彼らは致命的な結果を招く羽目となった。

 

 放り込まれたソレは、まさしく悪魔達が懸念したとおり爆弾の類いだった。それは正しい。防壁の奥へとソレが飛び込んでくる前に即座に迎撃するという選択もまた間違いでは無かった。

 見誤ったところがあるとすれば、それは威力であった。

 

『A――――――』

 

 幾多の魔術の衝突による光、異常の輝きが放たれた。それは迎撃した物体、それ自体が放つ輝きに違いなかった。守護の役目を任された悪魔達は防壁の結界をより強固とした。同時に、その光の間近に晒された同胞達がどのようにして死んでいくかをつぶさに観察しようとした。

 同胞達の死、それ自体はどうでもいい。だが、その死に様から危機を読み取り、悪魔という群れが生き残るための術を見計ろうとしたのだ。

 

 そしてその努力はなんの成果ももたらされずに終わる。

 

 同胞達を瞬く間に飲み込んだ”白い光”は瞬く間に、遠く居る防壁の自分たちも飲み込んだのだ。凄まじい熱量と共に押し寄せたその光は、数十人の強固なる結界を紙くずのように焼き散らし、使い手も飲み込み、防壁も破壊し尽くした。

 彼らが賢しくも懸命に組み立て、模倣した強固なる守りは、その努力そのものを嘲るように灰燼へと帰したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンヴィーから拝借した【白炎】だ!竜吞女王のように盗めはしないが、封じていたものを投げつけるくらいなら俺にも出来る!カハハ!」

「……で、この後どうやって先進むんだ?」

「心配せずとも【黒炎】と違い、後には残らん!半日ほどすれば全てを灰にして炎も消え去るであろうよ!それまでは近付くだけでも死ぬが」

「アンタは兎も角エクスタインよく生きてたなマジで」

 

 大罪迷宮深層 三十三階層、攻略完了



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十八層 毒竜

 

 

 深層の先を進むほどに、迷宮の複雑さと、その殺意は増していった。上層の迷宮、その単純明快な二次元構造を生ぬるく思えるほどに、悪意に満ちた作りが続いていく。

 シズクとグレーレのマッピング作業によって、侵入と同時にその階層の構造は殆ど明らかになるが、一方で、侵入した瞬間に、殺意が襲いかかってくることも決して珍しくは無かった。

 

 大罪迷宮グリード、第三十八層はまさにその構造だった。

 

「まーとはいえウル坊の奴速攻で死ぬとはなあ。成仏しろよ」

『死んどらん死んどらん殺すな殺すな』

 

 三十八層

 深く深く何処までも続く斜面の道。身体が傾くような急勾配の迷宮廻廊を死霊兵のロックと魔王ブラックが滑るようにして進んでいた。途中、出現する魔物達をロックは切り裂き、ブラックは黒い闇で飲み込むように喰らい続ける。

 現在、この階層を突き進んでいるのは2人――――だけではなく

 

《んにゃあ、ロックーうっしろー》

『おお、すまんの妹御』

 

 アカネの、計3人である。アカネは常にロックの身体に纏わり付いて、ロックの死角から襲いかかってくるような悪魔種や魔物の類いを自らを灼熱の剣に変容し焼き殺し続けていた。

 この階層に侵入しているのはこの三人だけである。大罪迷宮の深層を進むにはあまりにも心許ない人数であるが、ちゃんと理由はある。

 

『階層全体に毒とはのう。ここまでくると何でもありじゃわ』

 

 三十八層目の突入を始めた瞬間、先行していたウルが一切の前触れ無く倒れたのだ。

 あまりに唐突かつ、前触れのない昏倒に驚愕し、しかしそれを間近で見たシズクは即座に状況を理解し、「毒です!」と周囲に注意を促し、その直後に彼女もまた倒れた。それ以外の者達も三十八層に入る直前だった面々も次々に倒れた。

 

 天賢王一行の半数以上が倒れる、壊滅状態と相成っているのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「呼吸すら、止めていたのに…!」

 

 ユーリはウルの様に意識を失い昏倒するような事にはならずに済んだ。が、身体中に痛みが走り身動きが取れないらしく、苦々しい表情で呻いている。

 ウルやシズク、エシェルに至っては意識がもう無い。リーネの白王陣によって常に回復術を施しているにもかかわらず、意識の回復には至らない。リーネはウル達が目を覚まさない現状を苦悶の顔で睨んでいた。

 

「癒やしきれないなんて……」

「貴方の白王陣の中では明らかに痛みが軽減しています。続けてください」

「継続と改善は続けます」

 

 ユーリの言葉にリーネは頷き、白王陣の維持と、そのアップデートを続けていた。その場で新しい白王陣を作り替えるつもりであるらしい。ユーリはけったいなものをみるような顔になり、グレーレは興味深そうではあったが、今はウルから摂取した血液を注視していた。

 

「単純な毒物の類いでは無いですなあ」

「ではなんだ」

 

 アルノルド王は問う。多人数による【衝突】を避けるため、最後方に位置するグループにいたアルノルド王には幸いにして毒は届かなかった。結果、王は現在動けなくなっている者達の代わりに精力的に雑務に勤しみ、動けなくなってる者達を別の意味で恐怖させる事となっているのだが、一先ずそれは置いておこう。

 王の問いに、グレーレは指を慣らす。術が発動し、どこからともなく水が出現し、レンズのように形を取った。そしてそれは瓶に入れられたウルの血液を拡大し、映しだす。

 王は珍しく、やや強ばった表情になった。その血液に、おぞましい、悪意に満ちた形状を取った魔物の姿があったからだ。

 

「超小型の魔物の類いが体内に侵入しているのでしょう。内部から肉体を破壊する」

「……護符も通じない?」

 

 王がちらりと倒れてる一人、ディズを見る。彼女もまた毒に犯され、意識はまだあるようだが、身動きが出来ずに寝転がっている。寒気も感じるということで、アカネが保温性の高い毛布のような形となって寝転がる全員に覆い被さっていた。

 その彼女の胸元にはスーア特製の護符が下げられている。彼女のみならず全員がだ。毒のみならず、あらゆる悪意ある攻撃から身を守る聖遺物級の代物であるのだが、それでも悉くが倒れた。

 

「通じぬ訳ではないでしょうな。無ければ恐らく全員死んでいるかと」

「対策は?」

「目に映らぬほどの小型の魔物、それ自体は決して強くは無いでしょう。しかし数は無数で、しかも自己増殖までする。ただ、感染を抑えるだけなら……」

 

 グレーレはリーネの方をチラリと見る。杖の穂先を細かに変形させ、踊らせるようにして白王陣の形状を次々と作り替えていく。ここに至るまでに盗み見たのだろう。グレーレの使う“3次元術式”まで貪欲に取り込み始めているのを見て、グレーレはニタリと楽しそうに笑った。

 

「彼女の力でなんとかなりましょう。その間に魔物そのものを消し去らねばならない」

「可能なのか」

「此処までの小型でありながら、スーア様の護符の守りを回避しようと動いている。精密な動きを、こんな小型な魔物が自立行動で行っているとも思えない」

「本体が操り、動かしていると」

 

 自分の身体から切り離した分身を自分の手先のように操る魔物。というのは決して珍しくは無い。今回の場合は、その規模と精度があまりにも常識外れだっただけの事だ。

 

「つまり、下の階層を問題なく探索できる者が必要と」

『で、あればワシの出番カの?』

 

 そこで手を上げたのは死霊兵のロックである。

 シズクの使い魔として、シズクとウルが倒れたときも二人のとなりにいたが、ロックは未だピンピンと身体を動かしている。毒をくらい、身体が動けなくなっている様子も全くない。生物ではなく、魔物に近いために、毒のターゲットにならずにすんでいるらしい

 

『要は毒ばらまいてる阿呆をぶった切ってやりゃ良いんじゃろ?』

「ここに至るまでに其方が腕利きと言うことは理解しているが、一人では不安だ」

『ワシも不安じゃが、他に動ける奴おるか?王さまは出ちゃあかんじゃろ?』

「いる」

 

 そう言うと、アルノルド王は不意に輝く手を生みだした。手は、勢いよく倒れた毒の被害者の所へと飛んでいくと、そのまま約一名の身体を引っ掴んで放り投げた。

 

「あー畜生!やめろよアル!!」

「やはり狸寝入りだったか」

 

 ブラックだった。王に引っ張り出されたブラックは渋々と行った様子で立ちあがる。彼も確か、ウル達のいた先行部隊に同行していたはずで、三十八層の毒に晒されているはずなのだが、全くもってピンピンとしている。顔色も全く悪くは無かった。

 

「お前が毒に苦しむわけが無い」

「言うて無効化したって痛えもんは痛えんだからな?嫌いなんだよこの手のタイプ」

「あと一人は必要か」

「聞けってオイコラ」

 

 全くもってやる気がなさそうな態度であるが、しかし戦力という意味で彼以上は望めないだろう。これで二人目だ。そして、王はもう一度毒の被害者達に視線を移した。正確に言うと、彼らを甲斐甲斐しく世話をしている金紅色の不定形の精霊を視界に映した。

 

「赤錆の精霊」

《むに?あたし?》

「二人に同行してもらいたい」

《んー、まだここならそこまできもちわるくないし……ええよー》

 

 かくして、死霊兵、魔王、そして精霊憑きの珍妙なる突貫一行が完成した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 こうして三人は猛毒で満たされた三十八階層の踏破を目指すこととなった。

 シズクを欠いているとはいえ、グレーレのみの探査でもある程度正確な地形把握は成功していた。三十八層はひたすらに下へと下り進んでいく多段構造だ。殆ど飛び降りるようにしてどんどんと下へと下っていった先に、ウル達を苦しめている元凶が居るらしい。

 

 ――毒を上方の全域に撒く為なのだろうが、まるで火山の火口だな

 

 とは、探査を終えたグレーレの感想だった。結果、三人はひたすらに斜面を滑り落ちるように下ることとなった。周囲の魔物達を削りながら。 

 

《しかしあれなー》

『あれ?』

《へんなオッサンとへんなジジイときょうりょくするのむりげーでは?》

「おー、なかなか生意気だなー、流石にウル坊の妹」

『変なのしかおらんのお』

 

 果たしてこの三人がどこまでの連係を保てるかは微妙なところだ。というのがロックの素直な感想だ。相性が悪いだとか、仲が悪いだとかそう言う次元ではなく、もっと単純に命を預け合う修羅場において連携を取った経験値が余りにも少ない。

 

『GYAAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、当然と言うべきか、迷宮は此方の事情を配慮などしてはくれない。虫のような羽と牙のような両顎を持った魔物達が、ロック達の侵入以降矢継ぎ早に襲いかかってきていた。

 

《しゃくえん》

『【骨芯強化】』

「【愚星】」

 

 そしてそれらを、ロック達は柵も何も無く薙ぎ払うようにして先へと進んでいた。

 

「ま、俺たちに付け焼き刃の連係なんていらんだろ。俺に、精霊憑きに、魔改造された死霊兵。グッドスタッフ詰め合わせだ」

『まーそうじゃの?』

 

 ざわざわと、黒い闇を身体中に纏わせながら笑うブラックに、ロックも同意した。

 世界最大級の迷宮に対して、やや舐め腐った態度ではあったが、しかし、この三人の有する力はあまりにも統一性が無く、特殊だ。半端に呼吸を合わせたほうが結果として足を引っ張る。

 で、あれば全員が好き放題に力を振り回した方がマシ、と言う考えは間違いでは無かった。

 

《でもさー、わたしらもそうだけど、“ここ”もなんかへんよ?》

『確かにの。なんじゃろな?生々しいとでも言うべきか』

 

 すると妖精の姿で周囲を旋回し、探索していたアカネが訝しげな声をあげる。彼女の言わんとするところはロックにもわかっていた。実際、この階層は此処までの階層と比べて明らかに迷宮の構造が違う。

 他の階層もまたいびつで奇妙な構造であったが、“ヒトの都市建造物を真似る”。という一点においては統一性があった。天地がひっくり返ったような形になっていたとしても、様式に統一性があったのだ。

 しかし此処は違う。明らかに違う。斜めに傾いた地面はまるで生物の内臓、その肉壁のように生々しく、蠢いている。毒の影響だろうか。空気も淀んでいる。ブラックなどは時々ウンザリとした顔で鼻をつまんだりもしているから、ロックには分からないが恐らく悪臭もしているのだろう。

 

「上層から中層までの階層は、効率厨のグリードの仕事だからな?」

《こーりつちゅう?》

「不必要な魔力消費を抑えるため、徹底して無駄を排除した結果、都市に似たんだよ。温存した魔力を全部、深層に回している」

《うえー》

『カカカ、こっわいのう?』

 

 大罪竜グリードが最も手強い、という情報はロックも聞いていた。が、しかし、その手強いという言葉の意味は、単純な力の強さを示すだけではないらしい。迷宮の構造自体にまで手を加えて、自分の力に変えようとする貪欲さは、おそらく他の竜には見られない特色だ。

 

「この階層も、グレンの攻略時には無かっただろうな。新造……いや、実験か?この精度ならまだ実用段階じゃあねえかな……?」

 

 ぶつぶつとブラックはつぶやく。普段の悪ふざけの塊のような姿に反して、今の彼は研究職の魔術師のようでもあった。が、しかし、ロックには彼の言ってることが半分も理解できない。故に、

 

『ま、つまるところ、奥にいる元凶ぶっとばしゃええんじゃろ?』

《やっちまおーぜ!》

 

 アカネも同じ結論に至ったらしい。実に脳筋な二人の結論に、少し考えるようにしていたブラックはニヤリと笑った。

 

「そういうこった。まあ、毒の元凶は眷族の類いじゃあねえだろうな。それほど年も取っちゃいない。……そんでもって、おそらく性格はマジメだ」

《まじめだとどうなるん?》

 

 アカネが問う。ブラックは笑って奈落の底を指さした。

 

「毒の効かない侵入者を放置することはまずねえな」

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!!!』

 

 そして奈落の闇から、無数とも言える蟲の魔物達が飛び出してきた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層三十八層 毒竜②

 

 大罪竜グリードに生み出されたその竜に名は無い。

 

 そもそも大罪迷宮グリードに存在する竜に名前など無い。名を有するのは最深層に住まう強欲の竜のみだ。その他の竜は全て、大罪の竜達により生まれ、それぞれの末端としてその力を振るう。

 “その竜”が生み出された目的は“侵攻”だった。

 太陽の結界すらも通り抜けてしまえるような超小型の末端を自在に操る新型の竜であり、その竜の力でもって地上の都市侵略を目指していた。

 地上都市を守る太陽の結界は一見して、地上の外にその守りは向けられている様に見える。そして事実として都市外の魔物達の侵攻から都市民達を守っている。

 だが、大罪都市に張られている太陽の結界はやや役割が異なる。都市という形と都市民達の信仰の祈り、それらを糧に太陽の結界がその力を集中させているのは都市の外ではなく地下。迷宮の奥、竜達に対してだ。

 

 太陽の結界は竜達を地下深くに押しとどめる。大罪竜達を含めた圧倒的な力を持つ深層の魔物達が、都市の外に飛び出していかない原因がこれだ。力を持つ存在ほど、深層に押し込まれる。そういう仕組みになっている。

 

 だが、何時までも押さえ込まれているわけには行かない。それが大罪竜グリードの方針だ。グリードは真面目だった。グリード領が他の領と比べ多数の迷宮が誕生しているのも、その気質が現れていると言えた。

 全ては地上への侵攻を果たすため。あらゆる“試み”が生まれていたのだ。

 その為に生み出された力の一端がこの“毒竜”だ。自分では身じろぎも出来ないような巨大な頭。幾百もの自分の分体を生み出すための巨大な腹。飛翔するためではなく、分体らを指揮して動かすための翼。まるで精緻な硝子細工のように輝く巨大な二つの眼球。

 悍ましい虫の竜。

 

『GGGGGG』

 

 だが、生み出された竜には欠陥があった。

 問題点はシンプルだ。無数の分体、目に見えぬほどの小型の竜達を遠距離から自在に操ることは困難だった。遠く行くほどにその制御は外れる。深層から、地上へと到達するほど離れれば、分体たちはその制御を外れ、極めて脆弱な、ただの魔物達に墜ちる。

 中層の一角で、冒険者達に【毒階層】などと呼ばれ恐れ戦かれている迷宮地帯が存在するが、それが地上侵攻を目指した末端達の成れの果てであるなどという事実を人類は知りもしないだろう。

 それでもなんとか地上へと誘導したとしても、その頃には、人体の防疫システムにすら殺されてしまうほど、貧弱な存在になってしまう。コレでは意味が無い。

 

 結局この計画は頓挫した。毒竜は地上侵攻の尖兵から、極めて凶悪な深層の守り手、番兵としての役割へ従事することとなった。深層を訪ねてくる冒険者など此処数十年現れていない、などという事実は気にすることも無く、毒竜はその日もひたすらにその階層の守りを硬め続けていた。

 

 だが、珍しいこともあるもので、その日は侵入者が来た。

 

 それも、とびっきりに危険な侵入者が。

 

 凄まじい勢いで、瞬く間に深層の階層を突き進む侵入者達。

 纏う、濃厚なまでの太陽の気配。その尖兵、などという次元ではない。ソレそのものが地上から降りてきている。侵入者達からは決して感知できない大罪迷宮に備わった感知機能が最大限の警報を鳴らし、危機を伝えていた。脅威が迫り、主である大罪竜を狙っていると。

 毒竜にもその警告は伝わった。

 が、だとしても、その戦い方に何か変化があるワケでは無かった。毒竜は作り手の強欲竜と似ていた。己の責務に対して忠実だった。故にその緊急事態に直面しても尚、己のやり方に一切の変化を起こさない。

 

 侵入者は超小型の分体で身体の内側から引き裂き破壊する。

 それができないなら、大型の分体でもって引き裂き破壊する。

 

 それのみだ。それしか与えられた機能は無い。故に迷わない。今この階層に侵入してきた、毒を受け付けない三体の侵入者を相手にしてもその通りの対応を取った。侮りでもなく慢心でも無く、ただそれしかやり方を知らないのだ。

 

「脅威に対しても対応を変えない真面目さは、一周回って慢心だわな」

 

 そんな毒竜を魔王は嗤った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 毒竜をどのようにして攻略するか?  

 

 絶え間なく襲いかかってくる尖兵の竜達を片っ端から破壊しながら、三人はそのままの状態で話し合う。自分たちが立っている場所がまさしく毒竜のいる領域の射程範囲であり、コレより先に進むと更なる猛攻に晒されるデッドゾーンとなることを理解していた。

 だが、打ち合わせを始めた直後、ブラックは鼻で笑った。

 

 ――連携もクソもない。ただ単に強いだけの駒が集まったら何するかなんて決まってる

 

 なにするん?と、アカネは問うた。ブラックはニッカリと笑い、断言した。

 

 ――ゴリ押し。

 

 楽しそうじゃの。とロックはカタカタと笑い、作戦とも言いがたい作戦が決定した。

 

『【骨芯分化】』

 

 そしてまずロックは増え、

 

「【愚星】」

 

 その死霊兵達にブラックは闇を纏わせ、

 

《【あかさびけんのう】》

 

 その死霊兵達に、アカネが炎の剣を与えた。

 

「蹂躙開始」

 

 ブラックの宣言通り、蹂躙が開始された。

 

『『『カカカカカカカカカカカ!!!!!』』』

 

 死霊兵達は激しく骨をカチ鳴らしながら、炎の剣を掲げて闇の中へと突撃を果たす。握る炎の精霊の聖遺物を模した剣は死霊兵達の骨身を激しく焼き、砕く。次第に骨が黒ずみ灰の如く砕けていくが、そうなれば逆の手で柄を掴み、尚突撃した。

 

『GG!?』『GGGGGGGGG!!!』『G――――!!』

 

 そして次々と襲い来る竜達と激突する。

 闇の鎧は竜達の刃のように相手を引き裂く鉤爪を吸収するが、尚も骨の身体はあまりにも脆い。だが、死霊兵達は自身の身体が砕けても尚一切動きを止めない。身体が崩壊する寸前の有様で蟲のような竜に飛びつき、後続の死霊兵達に隙を作る。後から続く死霊兵達はその身体ごと、炎の剣を幾つも刺し貫いて、竜らを焼き殺す。

 

 あまりに無法な戦い方だった。死すら厭わぬ兵達が、何もかもを喰らう鎧と、相手を瞬時に灰燼へと帰す炎の剣を振り回し、遮二無二突撃するのだ。おぞましい肉壁と毒と、飛び交う殺戮蟲竜。そんな地獄のような有様だった階層が、更なる地獄に塗り変わった。

 まさしく雪崩のように突き進むその最中、ブラックは嗤った。

 

「いーーーーいいいねえ!こういうので良いんだよこういうので!!」

『たのしそうじゃのー!』

「おめーらもたのしいだろお!?」

『楽しいのう!カカカカカカカ!!』

《アハハハハ!!いけいけごーごー!!!》

 

 そんな地獄のただ中を、人外三人衆は楽しそうに笑った。

 炎の波は進む。慎重さなど欠片も無い。罠も、伏兵も、あるいは迷宮そのものの悪辣なる仕掛けすらも、全てが炎と闇に飲まれて消えていった。そして間もなくして、奈落の果てにたどり着く。

 

『――――――GGGGG』

「居たぞ。毒竜だ」

 

 ブラックが指す先に、それはいた。肉壁の闇の底に、見るからに歪で醜悪な形をした蟲のバケモノ。毒竜と呼ばれる者がいた。翼は透き通って見えるほどに薄く、しかしその胴体は数メートルはあろうほどに肥大化していた。

 

《あれ、うごけるん?》

『あんな肥えてちゃあ無理じゃろうな……じゃが、ありゃあ――――』

 

 不意に、死霊兵の軍団の一部で爆発が起こる。毒竜の兵達との戦いでは決して起こらなかった破壊の渦である。現在此方に襲いかかってきている蟲たちの姿を見るに、先程までと変化しているわけではない。戦い方も、超高速で飛来して引き裂くのみだ。

 

 ならば、仕掛けてきているのは間違いなく毒竜本体だ。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』

 

 翼をならしている。だが、それ以上に目立つのはその頭部についた巨大な二つの目だ。幾つもの細かな目が重なって出来た複眼がぎょろぎょろと蠢き、輝いている。ロックはそれが何を意味しているか察した。

 あの複眼、一つ一つが【魔眼】だ。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!!』

 

 毒竜が叫び、同時に魔眼が炸裂する。

 爆発、炎、氷結、石化。ありとあらゆる魔術現象を竜が1体で引き起こす。自壊しようとも前進を続けていた死霊兵の軍団の動きが止まる。毒竜の魔眼の無差別な破壊と蹂躙によって勢いが損なわれたのだ。

 

「ま、そりゃ【強欲】が産んだ竜だ。本体にゃあ魔眼くらい授けてるわな」

 

 だが、それをみても尚ブラックは楽しげで、一切の余裕を崩すことはなかった。

 

『手伝うカの?』

「いーらね。お前等は邪魔な蟲ども焼いとけや」

《ばーべーきゅー!》

 

 ブラックは毒竜へと向かって跳んだ。

 炎の剣と、毒竜の魔眼の破壊によって激しく照らされた奈落の底の中であっても尚昏い。闇の星のようだった。

 

「【愚星・流星】」

 

 纏う闇は強くなる。魔眼の力も、アカネの生み出す炎の剣すらも飲み込んで何処までも広がる。あらゆる力を飲み込んで食い殺す問答無用の力は、その勢いのまま墜ちていく。真っ直ぐに、毒竜へと向かって。

 

 毒竜は、恐らく最後のその時まで何かしらの抵抗を試みたのだろう。真面目に、決められたとおり、絶望することも無く。しかしそんな最後の抵抗すらも真っ黒い闇に包まれ、何一つ見えなくなった。

 

『G――――』

 

 最後、短い断末魔が闇の中から聞こえてきた。それが毒竜が地上に残した最後の痕跡だった。その断末魔を聞く者は、誰も居なかった。

 

 ただ一つの存在を除いて。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『よく頑張りましたね。良い子。ゆっくりお休みなさい』

 

 我が子の断末魔を、邪悪なる強欲の竜は聞き届け、別れを告げた。

 

『なるほど、魔王の坊やも来たのですね。ああ、全く、本気なのですね。アルノルド』

 

 大罪迷宮深層 三十八階層、攻略完了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進潜

 

 四十階層は部屋全体が一個のトラップとして完成した大部屋だった。

 足を踏み入れた瞬間、地の底が抜け、幾多の魔眼を有した子竜がその力を発動させ、侵入者への迎撃を開始した。王一行は一瞬にして破壊の渦に飲み込まれたが、しかし、それを予期していた天魔と、エシェルの鏡の精霊の力によって、その全ての破壊の渦は、子竜達へと返っていった。

 

「虚飾のと比べると、やや遊びに欠けるなあ」

「迷宮に遊び心なんていらない!!」

 

 大罪迷宮深層 四十階層、攻略完了

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 四十三階層は無限にすら思える広大なる迷宮都市だった。

 三十一層目の都市人形が出現した時と似ているが更に広い。しかも悪質な事に、シズクとグレーレの探査魔術に対して、障害が発生した。天衣曰く、都市内のあらゆる場所に魔術による感知を阻害するジャミングが仕掛けられているのだという。

 

「対策方法は?」

「残念ながら無いですなあ。こればかりは一つ一つ、阻害装置を破壊するほかない」

 

 結果として此処の階層で2週間ほどの時間をかける事となった。

 全員で手分けして、一つ一つの阻害装置を探し、破壊する。そのたびにシズクとグレーレは周辺を探索し、下層への階段を探すと行った作業を繰り返し続けた。途中、番兵達や竜達を天剣とディズとアカネが対処しながら、最終的に北端に存在していた小さな神殿を模した建造物――――の地下に複雑怪奇に巡らされていた地下墓地のその奥の奥に次の階層への階段が存在しているのを天衣が発見した。

 

 大罪迷宮深層 四十三階層、攻略完了

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 四十五階層目に王の従者と護衛の騎士たちが離脱した。

 

 幾度目なる竜達の襲撃の際に、王の身を守るためにその身を盾として、1人が重傷を負い、その他も負傷した。完全な治療には至らなかった。恐らくはこの迷宮自体が呪いの発生源となっているため、迷宮の主である大罪竜を討たねばならないというのがリーネの見立てだった。続けて治療を行う指示を王が出すよりも早く、重傷を負った従者はそれを拒否した。

 

「貴重な神薬を私如きに消費するわけにはいきません」

「だが」

「すでに我らは足手まといになりつつあります。ここまでです」

 

 凶悪極まる迷宮の攻撃に、護衛の騎士たちも従者たちも、限界まで削られていた。ここまで、王たち一行の消耗を限界まで抑えようと努力してくれていたが、これ以上は限界だった。以降、彼らが逆に負担になる可能性が高い、というのは、だれの目にも明らかだった。

 

「最後までお付き合いできないのは無念でありますが……皆様。王をお願いいたします」

 

 深い傷と癒えぬ呪いを負い、死人のような顔色になった老女の従者は、それでも尚気品ある美しい所作で深く頭を下げて、後を託した。護衛の騎士達を含めて、彼らは階層の狭間、比較的安全な場所で救助部隊《サルベージ》を待つことが決定した。

 

《あなた方の攻略ルートをたどり、救助に向かわせます。ですが、そこより先は竜の気配が強すぎる。通信も届かなくなる可能性が高い。どうかご注意ください》

 

 安全領域からの連絡が届く。実際、それ以降、どれほど強固な魔道具でもっても、向こうへと連絡を取ることが困難となった。

 

 大罪迷宮深層 四十五階層、攻略完了

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 四十七階層

 アカネが一時的にダウンした。

 

《……うー、ぼええ……》

 

 竜の気配が濃密になった事による弊害、であるらしい。

 勿論、ウルには竜の匂いなんていうものは感じ取ることは出来ない。ただなんとなく空気がやや濁ったような気がしたくらいだ。他の者達も同様だ。そして、

 

「だ、大丈夫か?アカネ」

 

 そのアカネの背中をさする、エシェルもなんともなかった。

 

「同じ精霊憑きでも違いが出るのかな?」

「元々彼女は、竜の目や翼も吸収できたからなあ……」

『なんかあれじゃの。自分の体臭に気がついていないヒトみたいな感じかの?』

「その表現やめろぉ!」

 

 数日間の足止めの末、リーネとグレーレが共同で、竜の気配避けの護符を完成させ、アカネの体調を回復させ、先に進むことが出来た。

 

 大罪迷宮深層 四十七階層、攻略完了

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪迷宮深層 四十九階層、攻略完了

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪迷宮深層 五十三階層、攻略完了

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮グリード五十五階層

 

「やむを得ないとはいえ、ファリーナ達が離脱してしまったのが痛いですね」

 

 天剣のユーリは頭痛を堪えるような表情でそう呟きながら、自分が担当している炊事の鍋を睨み付けながら溜息を吐いた。

 ファリーナとは、途中で離脱した王の従者の名であり、彼女がいる間は、このような迷宮探索の途中途中、迷宮内での野営が必要なときには率先して様々な雑務をこなしてくれていた。

 彼女たちが離脱した現在は、代わりを別の者が果たさなければならないのは言うまでも無い事であるのだが、深層の迷宮探索を終えた後の野営の準備というのはなかなかどうして、疲労が残る。

 

 調理などの作業は問題ない。というよりも、調理済みの料理をエシェルが幾つも鏡の中に丸ごと納めているため、鮮度も落ちず、手間もない。しかし流石に何もかもというわけにはいかない。

 

「従者の皆様、私達の手の届かない所を常に先回りしてくださっていましたからね」

「エシェルの力と魔道具で色々準備ができるとは言え、限界があるしね。迷宮の中だと」

 

 そんなユーリの苛立ちを察してか、シズクとディズがフォローに回っていた。

 

 この五十五階層の攻略は半ば完了していた。体力と精神力は共に充実しており、まだ先に進むことも出来たのだが、五十五階層が他の階層と比較して変動も少ない大都市型で安定していたため、ここで一泊する事となった。

 

 既に、大罪迷宮グリードの深層を潜り始めてから結構な日数が経過していた。途中途中、恐ろしい規模の大都市型の階層が出現するか、厄介な魔物や竜の出現に時間がとられてしまっていた。

 食料にはまだまだ余裕がある。準備は万全だ。しかし場合によってはこの先、いままで以上の足止めと停滞を喰らう可能性もある。在庫の管理と、今後を見据えたチョイスは必須だった。

 

「というか、全体的に味が濃いんですよ……料理のチョイスをしたのは?」

「私も協力しましたが、主にエシェル様とウル様でした」

「ああ、竜吞女王は灰の英雄に従順でしょうから、つまり彼の好みに寄ってると」

 

 好きなものばかり選ぶほど彼も阿呆ではないだろうが、どうしたって味の基準がウルの価値基準によってしまうのは避けられない。

 

「彼、旅の経験が多いから、塩分を自然と多めにとるんだよね」

「今はちょうど良いのでは?」

「飽きるのが早いんです。調味料を貸してください」

 

 シズクに手渡されたそれを幾つか鍋に適量足して、熱源の術式の上でかき混ぜる。鍋の中のスープの香りが少し変わったのを確認し、ユーリは盛り付けを開始した。

 

「ユーリ様は、料理もできるのですね?」

「天陽騎士代表ですから、野営の心得くらいはあります……後は」

「後は?」

 

 一瞬、ユーリは言葉に詰まったが、諦めたようにため息をはいた。

 

「前勇者、ザインに仕込まれました」

「私たち二人とも、子供の頃ザインに色々仕込まれてるんだ」

 

 あら、とディズを見ると、彼女も楽しそうに、懐かしむように笑った。

 

「お二人は昔からの付き合いなのです?」

「師が同じ、というだけです。忌々しい思い出です」

「だいぶ長いこと一緒だったねえ。良い思い出だよ」

 

 二人は仲良く、正反対のことを口にした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回顧 流転

 ユーリ・ブルースカイは物心ついた頃から次代の天剣としてその技を磨いていた。

 

 しかし、この時期から既に次代の天剣として認められていたかというとそうではない。

 

 七天は天賢王が認めない限りはその加護が与えられない。王の意思と判断が第一となる。が、その全ての選出を王が行うにはあまりにも負担が掛かりすぎる。故に多くの場合は先代の七天が引退時に新たな候補者を選び出すのが恒例である。

 故に、その権威を維持するために、自身の血縁から候補者を選ぶことも多い。が、例えどのような候補者であろうとも、その能力、才覚が認められなければ、王から太陽神の加護は決して与えられない。先代の血縁者であろうが優遇措置など一切存在しない。ある時突然、代々続いてきた七天の家系とは全く別の者が七天に選ばれることもある。

 

 そして、先代の天剣はブルースカイの血筋の者ではない。

 

 つまるところ、ユーリは天剣の加護の()()()となるべく育てられたのだ。

 

「お前の父は剣才がなかった。だがお前は違う。再び我等に神の剣を取り戻せ」

 

 かつて、自分たちのものだった神の剣、何者をも切り裂く無双の天剣。

 その管理者でありながら堕落し、王からはその権利を奪われた一族。妄念に捕らわれ続けてきた祖父はユーリを鞭で引っぱたきながらも繰り返しそう呟いた。父はそれを見る度に烈火の如く怒り、ユーリを彼らから引き剥がすのだが、しかし騎士団の団長としての責務はあまりにも多く、常にユーリを見守り続けるわけにもいかなかった。母も味方ではあるが病気で、あまり無茶をさせるわけにも行かなかった。心労をかけたくもなかったから、ユーリは彼女に縋るのは早々に止めていた。

 ブルースカイの血縁者の多くは、早々に恐るべき剣才を発揮していたユーリに対して多大なる期待をかけていた。彼女ならば。新たなる天剣となれるという期待だ。ひたすらに彼らは彼女ではなく、彼女の振るう剣筋の美しさに酔いしれていた。

 

「君の父に頼まれたんだ。剣の修行のため、という名目で1度ここから離れないか?」

 

 そう提案してきたのは先代の天剣だった。

 皮肉なもので、父親の次にユーリを気に掛けていたのは、誰であろう当時の天剣だった。父とも親しい間柄である彼は、立場上ブルースカイ家に近付けばどんな危険があるかも分からないので滅多なことで顔は出さないが、それでも時折り隙を見てユーリに接触しては気遣ってくれていた。

 

「私の子供は皆、学者志望でね。もし天剣の次代の候補者を王に尋ねられたら、君を推すつもりだ。と言うよりも既に王にそう言ってる。……君とビクトール以外は全く、この話を信じてくれないんだけどね」

 

 全くもって、空回りをし続けている祖父達が滑稽でならなかった。

 

 結局、天剣のその提案に頷いて、祖父達の多大なる反対と罵声をなんとかいなして、ユーリは修行に出ることになった。と言って、プラウディア領の中なので、それほど離れるわけでもない。ブルースカイ家の本家がある衛星都市から大罪都市プラウディアへと彼女は向かった。

 

「何故あの人達が反対していたか?これから連れて行く先が、【勇者】の家だからかな」

 

 勇者。その名はユーリも知っている。

 七天の中でも最も地位の低い者達の称号だ。何故なら、代々勇者には神からの加護の一切が与えられないからだ。

 

 一切を引き裂く天剣

 邪を打ち払う天拳

 無尽を与える天魔

 変幻自在の天衣

 全ての精霊と交わる天祈

 そして神の代行者にしてその叡智を授かる天賢

 

 七天達にはそれぞれ、精霊の加護をも凌駕する神の加護が与えられる。が、勇者にはそれは無い。故に口さがない者などは、勇者を「ハズレ」と評する者まで居る。危険な責務ばかり与えられて、なんの対価も与えられないハズレであると。

 そんな勇者のところに、天剣が連れて行く。なるほどそれは確かにあの祖父達は猛反発することだろう。大方、「自分らが育てた天剣の簒奪者にハズレの七天を押しつけるつもりなのだ」とでも勘違いしたのかも知れない。

 

「勇者の後継者はもういるらしいんだけどね。残念ながら話はきいてもらえなかったよ」

 

 同じ事を思っていたらしい。

 天剣のこまったようなぼやきを聞いたユーリは珍しく小さく笑った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 そこそこの長い馬車の旅の果て、たどり着いた先で、ユーリは少し驚いた。

 というのも、あんまりにもその場所が小汚く恐ろしくボロボロの廃墟のような孤児院だったから。祖父達の狼狽を信じるわけではないが、その有様は流石に連れてきた天剣に不審な眼差しを送らざるをえなかった。

 

「……うん、まあ君の気持ちも心底分かる。ただ、君は此処に住むわけじゃ無い。勇者候補と同じく別の住まいが用意されるはず。……ああ、いや、君らのためと言うよりも、孤児達に不必要な刺激を起こさせないため、らしい」

 

 ただ今日はこっちに彼はいるはずだから、挨拶にね。と、二人で馬車を降りた。

 少し待っていて欲しいと言われて、一人孤児院の外で待機していたユーリは周囲を見渡す。孤児院は一見した恐ろしいオンボロさに相反して、意外なことに清潔さは保たれていることに気付いた。ちらほらと見える孤児達も、格好はボロであるが、顔色は良い。元気満々に走り回っている。

 

 見た目の印象に反して悪い場所では無いらしい。と言うことを彼女は理解した。

 

 剣才だけでなく、洞察力においても彼女は優れていた。表面上の善し悪しでなく、本質を見抜く力があった。彼女はそのまま少し、周囲を見渡しながら歩みを進めていた。

 すると不意に、カンカンと、木を打つ音が耳に聞こえてきた。彼女にとってなじみ深い音だ。剣の鍛錬をする音だとすぐに理解した。ユーリはそちらへと歩みを進めた。

 

 孤児院の裏庭だろうか。やはり建物と同じくおんぼろなその場所で、ボロボロの木偶人形を前に木剣を振るう一人の少女が目に映った。

 

 少し褪せた金色の髪の少女。只人に見えるが、やや耳が高い。混血児だろうかというのをすぐにユーリは見抜いた。プラウディアでは生きるのに苦労しそうな、自分と同じ年くらいの少女が汗を流しながら、一心不乱に剣を振るっていた。

 

 ユーリは一目で理解した。彼女には剣才が無い。

 

 剣の握り方、振り方。重心の動かしかた。どれ一つとってもうまくやれていない。ずっと剣を振り続けていられる所を見るに、稽古を始めてからそれなりの時間が経っているのは想像はつく。が、彼女のレベルの剣術は、ユーリが初めて剣を握って間もなくしてあっという間に過ぎ去ったようなレベルだった。

 

 見る価値の無い物。そう思った。

 彼女から学び取れるものは一つとして存在していないと。

 

 だが、不思議と視線がそちらに向いた。他にすることが無いからか、無意識の間にその剣振り稽古を目で追っていた。

 そして、気がつく。彼女の剣はどうしようもなく未熟で、不格好なものだったが、しかし少しずつ、ほんの少しずつ良くなっていってることに。

 惰性で剣を振っていないのだろう。剣振り一つにも真剣な姿勢であるからこそ出来るゆっくりとした成長だった。それを実感する度に、彼女は花のように笑って、更に剣を熱心に振るっていった。

 

 天賦の才能を持つユーリには、そんな成長の喜びは一度も得たことがなかった。

 

 剣を握って行うこと全て、彼女にとってはまさしく児戯に等しい。なんだって彼女には出来たのだ。屈強なる騎士達が数年をかけて編み出した奥義は、彼女にとって1日もあれば容易に再現が出来るものだった。

 その剣才を、彼女は神の賜り物だと考えていた。祖父達の思想に染まったわけではないが、自分は天剣という加護を授かり、その力でもって神に仕える。その役割のために生まれてきたのだと。

 

 だから、神の代行者である王を崇拝し、彼に仕えることを目標としていた。

 

 だからその少女の牛歩のような歩みと、そこに喜びを見出す姿はユーリにとってどこまでも違う世界で、どうしようもなく――――苛立った。

 

「なんですか。その剣、とてつもなくヘタクソですね」

「ん?だあれ、キミ?」

 

 気がつくとユーリは地面に転がったもう一つの木剣を握りしめ、彼女の前に立っていた。

 

 その後、現在の勇者であるザインが自分たちを眺めていることにも気付かず、ユーリは一方的に金髪の少女、ディズをボコり、ディズはボコられながらも楽しそうにユーリに向かって剣を振り続けた。

 

 勇者と天剣 二人の邂逅はこの時だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 そして現在

 

「昔から、貴方の剣は不細工でした」

「昔から、君の剣は美しかったね」

「仲良しですね」

「そうだよ」

「違います」

 

 シズクの言葉に、ディズは肯定し、ユーリは否定した。

 

「幼い頃から戦い方も何もかも、不細工過ぎるのですよ。お陰でどれだけ苦労したか」

「私が何度転んでも付き合ってくれたからね。本当に助かったよ」

 

 ユーリが悪態をつく度に、ディズはそれを好意的に解釈して返した。このやり取りもわりと長いこと続けてきている。ユーリとしては照れ隠しでも何でも無く正直な感想を述べているだけなのだが、それに対してニコニコと笑うシズクが妙に腹立った。

 

「言っておきますが、この先の迷宮において、私が貴方達を一方的に助けるつもりはありませんよ。必要であれば斬り捨てます」

 

 ユーリは改めて告げた。

 理想郷計画。

 王が決行すると決めたその計画を、ユーリは真剣に受け止め、そして肯定していた。七天として、神殿の盾と剣の長として世界中の神殿を巡っていたユーリもまた、この世界の危うさには気がついていた。王のことを彼女は信奉する一方で、盲信はしていない。神の奇跡を授かっても尚、この世界は危うい綱渡りを続けているのが現状だ。

 王が倒れてしまうよりも前に、なんとかしなければならない。ならば、自分はやるべきだろう。と、彼女は確信していた。この身の過剰なまでのこの剣才は、その為にあるとすら思えた。どれほど鍛え上げようとも我が物という実感すらわかないギフテッドへの折り合いが、ようやく付けられる気がした。

 

「ん。それは分かってるよ。私もそうするよ」

「ええ。ユーリ様の助けとなれるよう、全力を尽くします」

「……そうですか」

 

 馬鹿馬鹿しい忠告をしてしまった、と、ユーリは自嘲した。言うまでも無い。彼女ら二人とも、こんな場所に首を突っ込んで、その程度の覚悟が出来ていないわけが無いのだ。

 大罪迷宮深層に足を踏み入れ、尚正気で居られるには、戦闘力や経験値、才能とはまた別の適正が必要になる。彼女らにも、【歩ム者】のウル達にもそれはちゃんとあるのだ。こんな奈落の底まで下ってきて、尚そんなことを聞くだなんて馬鹿馬鹿しい事だった。

 

「……王に食事を運んできます」

「私も行こうか?」

「子供の使いですか?結構です」

 

 そう言って、ユーリは必要な分のスープを皿によそって立ちあがった。すぐそばの天幕へと足を運ぶ。食事を用意するさなかも、王の傍を離れまいと、全員が意識を向けていた。人手が減っているさなかも、王の防衛は欠かしていない―――とはいえ、あまり気を張りすぎるのもよくなかった。まだこの先も長い戦いが続くのなら、気をとがらせすぎれば、疲れ果てて、それが隙になってしまう。

 故に、ユーリは少し肩の力を抜くように、天幕へと足を踏み入れる。

 

「お休み中失礼致します。王よ。食事を――」

 

 外から声をかけ、そして扉を潜る。

 

「持ってき」

 

 その瞬間、濃厚な血の匂いが鼻孔を覆い、ユーリはほんの一瞬、思考を停止させた。

 

『――――――嗚呼』

 

 拠点の中でも最も固く、厳重に守られた天幕の中央に、金色の王が倒れている。血に塗れている。王の天幕の中心で、彼は血の海に沈み、その側に影があった。

 

()()な難易度で慣れを与え』

 

 一言で言えば、それは三メートル超の巨大な女――――の、ような姿をした()()()

 

 両腕両足は異様に長く、しかも関節が二つある。肌は青白い。口からは昆虫のような牙が覗いている。遠目に髪のようにみえたそれは、髪ではなく竜の細く長い蟲たちだった。

 指は片手で十はある。その全てがどんな魔剣よりも鋭く禍々しく伸びていて、一部が王の鮮血を浴びたのか血にまみれている。

 瞳は虹色か、あるいはそれ以上の多様な色で輝いていた。蟲のような複眼。魔眼とはまた違う、異様なる悍ましい輝きが、強制的に目を奪った。

 

『数を減らしつつ、無意識下に適度な疲労と、慢心を与えて』

 

 ドレスのように見えるのは、変質した皮膚か、羽だろうか。美しいドレスのようにも見える足下のスカートからは尾が伸びて、血の海に沈んだ王の首へとぐるりと伸びていた。

 そして、女自身から発せられる、どうしようもないくらいに濃厚なまでの負の気配。ここに至るまでに幾度となく遭遇した竜達では到底及ばぬほどの、圧倒的な竜の”匂い”。

 

 それら全ての情報を、ユーリは一目で読み取った。

 

 理解すると同時に彼女は天剣を虚空から取り出し、即座に振り抜いた。王が間近にいても尚、躊躇するわけには行かなかった。一切の加減無く、彼女は剣を振り抜き、王の首をへし折ろうとする”尾っぽ”を引き裂く。

 

『そうして、必死の思いで結界に潜って、痛みに我慢して、本当に、後少しで、首を落とすことが出来ましたのに――――惜しかったですね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分の尾を断たれ、王の身体を落としても尚、竜は動じる様子は無く、

 

『まあ、しかし、ですが、ええ、全てが思い描いた、とおり行くわけも無し』

 

 直後、彼女の剣速よりも尚早く、ユーリの懐へと迫り、

 

『生存競争を始めましょう』

 

 【大罪竜グリード】は、両手合わせた二十の刃を振るった。

 

 天賢王勅命(ゼウラディアクエスト)・最難関任務 強欲の超克戦開始

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

急襲と混沌

 時は遡り、ウル及び七天一行出発前

 

 大罪迷宮グリード29階層、安全領域にて

 

「コレは黒蛇樹と呼ばれる木を加工して作り出された笛です」

 

 探索が始まる前、天剣のユーリはウル達の前で今回持ち込む道具類の打ち合わせをした。今回はスポンサーが天賢王そのヒトである為に、普段は見慣れないような高価で希少なアイテムも持ち込むため知識を共有する必要があった。

 

 その中でも最も特殊な役割を担ったのがユーリが皆の前で見せた真っ黒な笛だった

 

 皆の前でユーリがそれを吹くと、独特な笛の音が響いた。

 正直言って、その音色に楽器としての美しさは皆無だった。音は大きく、独特で、刺激的で、少し不愉快だった。否応なく警戒を促される音だった。

 

「念のため、確認しますが聞き覚えのある者は?」

 

 ウル達は首を横に振った。他の従者や冒険者達、天陽騎士達も同じだった。首を横に振っていないのは七天達だけだ。その結果にユーリは「でしょうね」と頷いた。

 

「これは今のところ七天の間でしか使用していません。原料そのものが少し希少な上で、加工がやや困難ですから」

 

 曰く、スロウス領に棲息している代物であるらしい。魔王ブラックの協力によって十分な量が入手できたとユーリはやや忌々しげに説明して、魔王を面白がらせた。

 

「そしてもう一点、コレには特殊な性質がある」

 

 そう言って、ユーリは手に持った笛を、地面に叩きつけた。勢いよく投げつけられた笛はパキンとひび割れ、そして次の瞬間、先ほどユーリが吹いた時と同じか、それ以上の音量の音色を響きわたらせた。

 

「これは……」

「壊れたときも、この笛は鳴る」

「つまり、鳴子と」

「ええ、音は良く響きます。階層を超えることは無理ですが、同じ階層なら聞こえる筈」

 

 緊急時の合図として、確かに優れていた。

 

「ただし、通常時の合図ではこれは使いません、光魔術や通信魔術で連絡を取ります」

「ではどのタイミングで?」

()()()()()()()()()、あるいは――――」

 

 シズクの問いに、ユーリは即座に答え、少し目を細めた。

 

「――――あるいは、笛ごと持ち主が破壊された時の音だと心得なさい」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪迷宮グリード 五十五階層

 

 連続して続いた迷宮階層の突破で積み重なった疲労を抜くため、ウルは体力の回復に集中していた。瞑想も併用した睡眠は極めて効率良く身体の疲労を抜いてくれるが、完璧ではない。ウルの技術不足というよりも、睡眠方法の限界だ。どれだけ効率良く眠ろうと、深層の戦いはやはり厳しい。

 それに加えて、かなり深くまで潜っても尚、ゴールが見えないというのも疲労感に拍車をかけている。

 

 ――大罪竜グリードがいる最深層はハッキリとはしません。他の大罪竜と違い、グリードは常に迷宮の構造を大きく動かして、自身の位置を外部から読み取りづらくしている。

 

 というのがユーリの説明だった。

 既にグレンの到達している深層の踏破地点を大きく上回っている。だが、大罪竜は疎か、グレンが接触した眷属竜すらも影も形もない。迷宮の構造を変えて、部下共々奥深くまで引っ込んでいる可能性が高かった。

 

 とはいえ、先の見えぬ緊張で余計に疲れるのは馬鹿馬鹿しい。

 今は兎に角、少しでも回復を、とウルは天幕の中で身体を休め続けていた。

 

 だが、“例の鳴子”が鳴り響いた瞬間、ウルの意識は即座に覚醒レベルに到達した。

 

「――――ッ!!」

 

 頭は混乱し、寝ぼけている。しかし身体は条件反射のように手元の竜牙槍と竜殺しをたぐり寄せ、臨戦態勢に入った。鎧は休憩時も常に身につけている。

 即座に天幕から飛び出し、周囲を確認する。眠る必要の無い男を捜し、急ぎ声をかけた。既に彼は現場に向かい、剣を構えて駆けていた。

 

「ロック!!」

『襲撃じゃ!!』

「どこから!」

『王の天幕!!』

「最悪だ畜生!」

 

 ウルは叫びながら、そちらへと視線を向ける。

 王の天幕、この迷宮内に生み出された白王陣の中でも最も強力な守りを敷かれた場所、幾多の術式が刻まれ、一切の侵入を拒む簡易の城塞の様になっているはずのその場所が、崩れていた。

 

 ウルもロックの後に続いて駆ける。と、崩れた天幕から光の剣が飛び出した。

 

「ユーリか!?」

 

 天幕が切り捨てられ、二つの影が飛び出す。一方は完全な臨戦態勢になった天剣であり、もう一方は――――

 

「――――っ……!」

 

 ウルは皮膚が粟立ち、筋肉が麻痺するのを感じた。

 辛うじてヒトに見えなくもないシルエットをしているが、細部のパーツはヒトとはまるで違った。虫の様な関節に刃のような指、衣服のように纏った羽、異様に引き寄せられる魔眼、全てがヒトからはかけ離れ、異形としては完成していた。

 それを“アレ”と確信する根拠は見た目には存在しなかった。だが、ウルの感覚が、経験が、アレがそうだと告げていた。それも、あの砂漠で討った“壊れかけ”ではない、紛れもない本物だ。

 

「強欲の大罪竜……!」

 

 この迷宮における最大の脅威が、奇襲を仕掛けてきた。しかも王を直接狙って。

 最悪の事態だった。

 だが、一方でウルに動揺はあっても、硬直してしまうような事は無かった。王と共に、迷宮を潜ると決めたとき、ある程度の覚悟は決めていたからだ。それは王自身もそうであったし、それを護る七天達も同じだった。故に、大罪竜と相対するユーリも、表情に憤怒を浮かべながらも、一方で冷静だった。

 

 ほんの一瞬、自分の足下に視線を向ける。そしてそのまま、

 

「――――手伝え!」

「了解」

 

 間違いなくそれはウルの指名だった。名前も呼ばなかったが、何故かそう確信した。実際、ロックは王のいる天幕へと既に向かっている。この深層の中にあって、高度な連携と意思疎通を強制的に強いられる状況が、確かな経験となっていた。

 是非も無し。ウルは跳んだ。

 この世で最も危険で、凶悪な竜へと。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『さーていつも通りの地獄じゃ!王様は生きておるかのう!?』

 

 ロックは急ぎ、王の天幕へと駆ける。

 ほぼほぼ元の形もなく、簡易の柱も倒れている。その下敷きになって王が潰れてやしないかという気にもなったが、近くまでいくとその心配が無いことに気がついた。

 

「ロック様!」

『おう、主よ!先に来ておったカ!』

 

 既に現場にはシズクやディズ達が揃っていた。彼女らの背後では、血の海に伏した王と、その前で、いつも以上に顔を強く笑みに歪めたグレーレの姿があった。彼は無数の術式を使い、王の傷を癒やしている。

 

『神薬は使わんのカ!?』

「カハハ!!悪辣にも竜の血が呪いのようにへばりついておる!精霊の力を宿す神薬の妨害だろう!徹底しているなあ!!」

「王の容態は!?」

「死にかけだ!だが、死なせてたまるか!!なあレイラインよ!!」

「当然……!!」

 

 グレーレの横で、既にリーネは白王陣を起動させていた。その表情には激しい怒りが浮かんでいる。恐らく、竜にではなく、自分自身への怒りだ。

 

「王の守りを抜かれるなんて……!!挙げ句殺されてたまるか!!!」

 

 ぶち切れている。ならば任せても問題はないだろう。

 

『ならばわしらも加勢かの?』

「いや、そうも行かないらしい」

 

 と、そういうのは、突然虚空から姿を現した天衣だった。周囲を偵察に回っていたらしい彼は、苦々しい表情で、野営地の周囲を睨む。

 

「囲まれている」

『AAAAAAR――――――!!!!』

 

 奇妙な咆哮が響く。骨身のロックにも即座に感じ取れるほどの圧、魔物達の頂点、竜の気配が周囲から溢れかえっていた。

 

「なんだ……!?」

 

 ディズが剣を構え、睨む視線の先で、迷宮の形状が変わっていく。迷宮そのものの変動だ。それ自体は、珍しくもない。ロック達がこの迷宮に潜ってからも定期的に起こっていた。が、しかし、今回起こったそれは今までロック達が経験した物の比ではない。

 野営地を囲い込み、守るように建造されていた建物達が、瞬く間に沈み込んでいく。 あっという間にロック達は野ざらしの、無防備な空間に放り出された。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「迷宮は大罪竜の腹の中みたいなもの――――とはいうが、ここまでやれるか」

 

 その変動の様子を、崩れゆく建物の中に紛れたブラックが観察していた。

 

「徹底しているねえ。怖い怖い」

 

 そう言いながら、彼は自らが生み出した闇の中に沈んでいく。

 

「さて、壊滅必至の前哨戦だ。腹をくくれよ、アル、ウル坊」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜

 

 

 ―――前提として、もしも奇襲を警戒する場合、狙われるのは私だ。

 

 二十九層の安全領域にて、王は事前にリーネ達にそう告げていた。

 

 ―――無論、回避のために備える。防ぐことが出来たならそれに越したことはない。

 ―――だが、迷宮は竜の腹の中、アドバンテージは向こうにある。おそらく防げない。

 ―――そして回避できなかった場合、狙われるのは私だ。

 ―――故に、その前提で準備を進める。

 

 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 リーネからすれば勿論、この提案は屈辱の極みであったが、しかしその必要性には同意せざるを得なかった。アルノルド王が言っているように、迷宮は、言うなれば敵の領域であり、工房であり、城なのだ。どれだけその場所に完璧な守りを敷いたところで、抜け道を用意する手段はおそらく無数にある。その全てを、迷宮を下っていった先々で全てに備えられるかと言われれば、無理なのだ。天魔のグレーレであってもそれは無理だ。

 

「屈辱だよなあ、レイライン。その分の怒りの全てをたたき込もうではないか!」

「当然」

 

 だから、備えた。

 侵入を防ぐ為の守りだけで無く、王自身の命を守り、そして寸前で蘇生するためのあらゆる術を、王の身体にたたき込んだ。ちょっとアルノルド王が「防げないはちょっと言い過ぎた」と無表情で後悔するくらいにガッチガチに守りを固めた。

 

 その成果、というべきだろうか。王は大罪竜に直接暗殺されるという危機に瀕しても尚、死ななかった。正確には、死の淵からよみがえった。

 

「ッガハ!?」

 

 血を吐き、悶える王の姿にリーネはひとまず安堵した。少なくとも呼吸はしている。

 

「事前に仕込んでいた蘇生術が効いたなあ?!流石に殺した後もう一度殺す暇までは無かったわけだ!!」

「太陽の結界、消えてないと良いけど!!」

「揺らぐことはあるかもしれんが、なあに連帯責任というやつだ!!王に全て任せきりでもいかんだろう!カハハ!!」

 

 冗談なのか本気なのか分からない言葉を吐きながら、グレーレは尚も治療を続ける。リーネは立ち上がった。これ以上の治療はグレーレに任せよう。自分も、やるべき事はやらなければならない。

 

「迷宮の変動、および、()()……!?」

 

 迷宮が変わり、周囲から建造物が消えて無くなった。野ざらしにされ、更に周囲から水の流れる音が聞こえてくる。水攻めだ。それがすぐに理解できた。先ほど聞こえてきた竜の声を考慮すると、無関係ではあるまい。

 事前に検討されていたとおり、向こうは迷宮の地形をたっぷりと、十全に利用する気だ。その点も、他の大罪の竜達とは明らかに違う。

 マジメで堅実。それ故に最も強く、最も性質の悪い最強の竜。だが、だからこそ

 

「こっちだって準備はしてきたわよ……!行くわよ皆」

「うん!【ミラルフィーネ!!】」

《まっかせろー!ディズ!いくでー!》

「了解、【赤錆の権能】」

「【銀糸よ、唄を届けよ】」

 

 まずエシェルが鏡によって封じられてきた大量の“資材”を取り出す。その場に突然出現する山のような金属、魔銀やバベルの塔で研究された合金類の山だ。それがリーネの周囲に降り注ぐ。同時に、リーネは王の天幕の下部に用意されていた白王陣を稼働させる。

 

「迷宮は維持費の魔力が使い放題で助かるわね――――【開門・神樹創造・白王陣】」

「【劣化創造・魔金の合金】」

「【銀糸結界】」

 

 取り出されたあらゆる資材、迷宮の大地、自在に変容するアカネに、その全てにまとわりついて調整を行う銀の糸。それら全てを白王陣が囲い、喰らい、渦巻いて形となる。野ざらしになった迷宮の中心に、巨大な要塞が突如として出現した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『あら、あら、あら』

 

 そんな風に、ウル達の前で、大罪の竜グリードは驚きの声をあげていた。空中を揺らぐように浮遊するグリードの眼下に、巨大な要塞が出現していた。予定通り、リーネを中心にして、迷宮の中であっても「自分達の安全領域(セーフエリア)」を確保する事に成功したらしい事にウルは顔には出さずに安堵した。

 

『ご立派ですね。私の迷宮に、要塞を作り出すなんて勝手なヒト達――――あら、怖い』

「【天剣】」

「【混沌よ、導となれ】」

 

 続けて言葉を投げかけるグリードに、ユーリは果敢にも攻める。ウルもそれを追うように魔眼による支援を続けた。王達の周囲の安全がひとまず確保できた以上、目の前の驚異に集中せざるを得ない。

 おそらく、既に一番命の危機に瀕しているのは王では無くなった。この場で最も危険な状況下にあるのは、ユーリと自分だ。

 

『要塞に、逃げ込まなくても良いのですか?』

 

 見た目の、どこか優雅さすら感じられるような振る舞いでありながら、強欲の竜の動きは恐ろしく素早かった。一切を問答無用で両断するユーリの剣戟を寸前で回避しながらも、平然と質問を更になげかける。

 

「――――貴方を斬り殺した後、そうしますよ」

 

 ユーリが応じながら剣を振るう。刃のような指で、器用に天剣を弾き飛ばすと、グリードは軽やかに距離をとった。そして――――

 

『――――――ッハ』

 

 おぞましい、竜の嗤い声が、あたりに響き渡った。鳴子として使った笛の音よりも遙かにおぞましく、何の魔術も込められていないはずなのに、空間を揺らした。ウルは冷や汗が吹き出るのが止められなかった。ユーリはそれを正面から受け止めているが、輝ける天剣を握る手に、力がこもっていた。

 

『――――たったの、二人で?』

 

 それは、此方に対する侮りでは無かった。

 むしろそれは、“此方の侮り”を咎める声だった。自らの存在に対して、未だ、戦いとして成立しているという気でいるユーリに対する、ハッキリとした嘲笑であり、自身の優位の確信だった。

 そして、その確信は、正しい。ユーリもウルも理解している。自分達の役目は、時間稼ぎで、捨て駒だと。

 

『時間稼ぎ、出来ると良いですね?』

 

 それすらも見抜くように、強欲の竜は嗤い、右手の甲を此方に差し向ける。昆虫のような硬質の皮膚が中央から割れ、ぎょろりとした竜の目が、そこから出現して、ウル達を睨み――――

 

「回避――――!!」

 

 すさまじい爆発が空中で花開いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【一夜城】外周部

 

「酷い有様だ」

『すさまじい量じゃのう?』

 

 ロックは天衣のジースターと共に、リーネが作り出した一夜城の外周を睨んでいた。

 既に迷宮の様相は、最初に此処を訪ねたときとは全く変わっていた。リーネが作り出した要塞以外の周囲の地面は全て水に沈み込んでいる。巨大な湖の中心部に、ぽつんと建造物が一つだけ顔を出しているような有様だ。

 

『どんな竜が生み出しとるんじゃ?こんな水』

 

 迷宮にいくら魔力が満ちていようと、完全にやりたい放題というわけでは無いはずだ。にもかかわらず、地形を完全に変貌させるほどの水を作り出すというのはやや道理に反していた。

 最も、竜はそういうものだと言われればそうなのだが――――

 

「いや……違うな」

 

 だが、ジースターは首を横に振り、天衣をつかみ、剣とした。ロックもそうする。要塞全体が激しく揺れ始める。ロックは最初、水の中から何かが出現するのかと身構えた。

 だが、違う。この揺れは、“要塞を取り囲む、全ての水が引き起こしている”!

 

『AAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!』

「この大量の水全てが、竜だ」

『ッカーーー!!?無茶苦茶じゃの!?』

 

 莫大な質量を抱えた水竜が、一夜城をまるごと沈めんと襲いかかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜②

 

 全てが水の竜、という状況を前にして、ロックは否応なく戸惑った。

 

『AAAAAARRRRRRRRRR!!!』

『いや、これどうすりゃええんじゃい!?』

 

 吼え猛り、襲いかかってくる水の竜にロックは剣を振るった。が、しかし手応えが薄い。まるで水面に向かって剣を振り下ろしたような感覚。血肉を切り裂いて、ダメージを与えた感触では全くなかった。

 ただの水、切り裂かれる皮膚も肉も血も骨もない。当然、剣を振られても何の痛みも感じない。だというのに

 

『AAAAAAAAAAA!!!!』

『ッカ!?』

 

 逆に、水の竜の突撃は、牙は、此方に通るのだ。ロックが回避した矢先、要塞の一部が水の竜の牙に噛み砕かれる。特殊な鋼で出来ている筈の壁が、容赦なく抉れる。

 

『理不尽じゃの!!!』

「全くだ。【破邪天――――】む」

 

 ロックの傍の水際に同じく立った天衣は、金色の籠手を水中にたたき込む。が、しかしその直後に眉を顰めた。

 

『どうしたカの?』

「天拳は、音の届く範囲なら通る。水中なら尚、音は通りやすい」

 

 強靱な消去の効果を一方的に相手にたたき込む凶悪なる一打。ここに至るまでも何度もその力を発揮しているので効果は折り紙付きだ。しかし、水竜は変化が無い。否、正確には

 

『AA      ――――RRRR!!!』

『一瞬崩れて、再生しておる……!?』

「実体が無い……ともまた違うか?だが、いくら崩しても一瞬では意味が無い」

『実体のある部分を探せと言うことカの!?』

「そうなるな……だが」

 

 実体が水の竜では無く、攻撃が出来る部位。粘魔の類いがもつような核、それを探す。ロックは当然の思考の転換を行った。だが、ジースターは悩ましそうに眉を顰め、そしてぽつりと呟いた。

 

「…………問題は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『…………おっそろしいこというの』

 

 ジースターの悍ましい推測を、ロックは笑い飛ばすことは出来なかった。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 そして無数の、数十を超える水竜が一斉に要塞を取り囲んだ。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「かなり直接的な包囲網だね!ここから逃がすつもりはないらしい!」

 

 ロック達と同じく、要塞の外から状況を確認したディズは、自らの置かれている状況がかなり危機的であることを察した。周囲は完全に湖で、そしておそらくそれらの全ては竜だ。完全に包囲されたのと同じ事である。

 迷宮は敵の領域で、自分達は攻める側だ。いくらかの不利は覚悟していたが、想像以上にしっかりと、自分達の優位を使ってきた。

 そして、待ち構えて、準備をしてきたということは――――

 

「水竜はロック様とジースター様が下に!」

「なら、私たちはウルに続こう……と、言いたいけど」

 

 シズクに応じようとした瞬間、ほほをそよ風のような微かな風が吹いた。しかし、その瞬間、ディズは首が落ちるかと錯覚するような寒気を感じ、その直感に従って動いた。

 

「【魔断】」

《うにい!!!》

 

 アカネと共に、虚空に向かって剣を振るう。傍目には何もない空間に対して緋色の剣を振るったようにしか見えなかっただろう。しかし、次の瞬間、金属と金属が激突したかのような、不快な轟音が響き渡った。

 

「―――まあ、そりゃ、一体だけじゃあないよね」

「【音よ】」

 

 シズクが何も言わず、そのまま指をはじく。既に巡らされていた銀の糸が、彼女の爪先で跳ねて、反響する。その音の情報を聞き届けて、シズクはすっと上空を見上げた。

 

「いました!」

 

 それは、本当に目をこらさなければ見えないほどに小さかった。アカネが好み、変化する妖精の姿に似ていた。ただし、その頭部にある小さな瞳は四つ、全てが美しい青緑、竜の翼を持った愛らしい化け物が、宙を舞い、嗤っていた。

 

『kyahahahahahahahahahahahahahhahahahahhahahahahahahhahaha!!!!』

「小さい……、け、ど!!」

 

 再び轟音が響く、不可視のカマイタチが連続して、雨のように降り注ぐ。サイズなど、全く関係ない、凶悪極まる攻撃だった。

 

「【魔断!!】」

「【銀糸よ重なりて金剛となれ!!】」

 

 間断はほぼ無く、雨のように降り注ぐ。その降り注ぐ刃はやはり、その実体が見えない。だが間違いなく鋭く、強く、しかも大きかった。深層へとたどり着けるほどの実力者でなければ、何一つ理解できぬまま、バラバラの肉片になって血の海に沈んでいただろう。幸か不幸か、途中で従者達が離脱したのは幸運だったと言える。

 

「っぐ……!!」

 

 いつ途切れる!?と、一瞬、好転をディズは期待したが、即座にその期待を捨てる。この不可視の斬撃の雨は途切れまい。此処は迷宮で、敵の陣地だ。此方も可能な限りの蓄えを用意してきたが、敵はそれ以上の筈だ。

 他の大罪の竜の様な、怪物であるが故のある種の大雑把さは、あの強欲の竜とその配下達には全く期待できない。ならば、体力が尽きるなんていう、そんな都合の良い期待はすべきではない。

 

 だが、そうなると、外に出ているディズとシズクはなぶり殺しになる。

 しかも、それはディズ達だけでは無く――――

 

「要塞も狙っていますね……!」

 

 リーネ達がこしらえた急造の要塞にも降り注いだ。無数の資材によって頑強な防壁を有する要塞であるが、風の刃が直撃するたび、凄まじい斬撃跡が刻み込まれる。

 莫大な資材、そして白王陣の力、人類の英知を重ねて創り出された要塞であるが、無慈悲な事に、竜相手では心許ないというのはどうしようもない現実だった。

 全くもって、竜は理不尽だった。ヒトがどれだけ武具で身を固めようとも、綿菓子のように噛み千切ってくる。

 

 だが、そんなことは分かっている。分かっていてここまで来たのだ。

 

「反撃する」

「はい、【銀糸よ、束なり、結界と成れ】」

 

 銀糸が更に無数に広がり、結界の様にディズとシズクを囲うように、結界と成った。長くは持たない代物であるが、その僅かな時間で十分だった。

 不可視の斬撃、一切の休み無く繰り出される攻撃と攻撃の間のほんの僅かな隙を突くようにして、二人は一気にその場から飛び出す。ディズは空を駆ける。シズクは宙を舞った。

 既に自在に空を駆けるための高度な飛翔の術をシズクは使いこなしている事に感心する。色欲の時から既に当然のように身につけているが、通常であればそれも、果てしない研鑽を必要とするものだ。

 彼女はやはり天才なのだ。その彼女が味方であることを、ディズは心強く思う。

 

『ahaahaahaahaahaahaahaahaahaahaahaahaahaaha!!!!!』

 

 問題があるとすれば、その彼女の才覚すらも、無為に帰す可能性があるのが、竜という災害である点だ。

 

「死闘だな。行こうかシズク、アカネ」

「力を尽くします」

《やったんでえ!!》

 

 ディズとシズク、そしてアカネは宙を駆ける。風の竜の領域へと、勇敢さをもって突撃した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一夜城内部。

 

「いきなりヤバくなりすぎだ!!!?」

 

 エシェルは悲鳴を上げる。

 本当に、数分前までは、皆で疲弊した身体を休めて休憩していたはずなのだ。それがいきなり、どうしてここまでの地獄になる!!?

 と、叫びたかったが、一方でエシェルの心中は妙に冷静でもあった。

 地獄に慣れてきた。というのもある。そして、こんな風に突然状況がひっくり返るのも、当然だろうという納得もあった。此処は迷宮で、敵の陣地で、相手は竜なのだから。

 そして、それに備えてきたのだ。

 

「準備はしたんだ!!【ミラルフィー――――】」

 

 鏡を周囲に展開する。要塞の中からでも、彼女の力ならば自在に振る舞うことが可能だった。転移の応用で、安全圏から遠隔で攻撃に支援も行う、凶悪な戦術――――だった。

 

「――――――っが!?」

 

 外部とつなげた鏡から、水の刃がエシェルを貫いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜③

 

 

 リーネはいつものように鏡を展開し、支援と攻撃に移ろうとしたエシェルから突如として鮮血が飛び散るのを目撃した。彼女の味方であるはずの鏡から、半透明の、液状の刃が、エシェルの首を切り裂いたのだ。

 

「っ!?」

 

 要塞の維持修復を行っていたリーネは中断し、エシェルに駆け寄る。既に彼女は自身が展開した鏡を再び閉じて、血まみれになりながらも、駆け寄るリーネに向かって頷こうとしていた。

 

「だい、丈夫……!!」

「じゃ、ない!!」

「ふぎゃ!?」

 

 立ち上がろうとするエシェルをリーネはぶん殴るように押し倒して、治癒を開始した。幸いにして、常備していた守りの加護が働いたのか、致命傷は避けられたようだが、決して浅い傷ではない。ひとまずはこれ以上の出血が起こらないように傷口をふさいだ。

 だが、それはあくまで一時的な処置だ。問題は別にある。

 

「読んでいた……!?いや、待ち構えていたの!?」

 

 エシェルの鏡、二つの鏡をつなげ、転移の力を発揮する【会鏡】を通した攻撃。

 理屈としては理解できる。なるほど、確かにエシェルの転移の術は通常のそれと比べてもやや特殊だ。言うなれば二つの出入り口とトンネルを空間に創り出すのだ。そしてその回廊は一方通行ではない。逆側からの侵入も可能ではあるだろう。

 

 理屈としては、正しい。

 だが、正しいからと言って、その鏡が出現した瞬間、それを狙ってくるか!?

 

「なるほどなぁ、最初から鏡の精霊に狙いを定めていたわけか……!」

 

 そこに、背後から今なお天賢王の治療を続けているグレーレからの楽しそうな声が響いてきた。この状況で!と腹もたったが、一方で彼は単身で、恐ろしい集中力でもって王の治癒に当たっていた。その献身を否定することも、その治療の邪魔をすることも出来なかった。

 

 グレーレは一切手を止めず、話を続ける。

 

「ここに来るまでに、彼女が要の一つであることを読み取ったらしい!!!」

「全て見られていたと……」

 

 無論、その可能性は考慮していた。とはいえ、此処までの行程で、戦力を出し惜しみ出来る状況では無かったので、対策のしようは無かったし、ここまで徹底的に、此方の弱点を突くような真似を竜がしてくるとは思ってもみなかった。

 

「王と共に、拠点の内側に逃げ込めたのは不幸中の幸いだが、下手に外と繋げると、そこをまた狙われるぞ!」

 

 と、なると、下手に外につなげず、内側からの支援にとどまった方が良い、ということになる。勿論、その場合、攻撃や支援にラグが生まれる。それはもう飲むほかない―――

 

「いや、良、い……!」

 

 しかし、リーネが考えている内に、エシェルが再び立ち上がった。やや先ほどより顔色が悪いのは、塞いだ傷の痛みがまだ残っているからだろう。治療は完璧に行ったが、治療時の痛みは簡単には拭えない。

 それでも彼女は立ち上がった。

 

「大丈夫、だ!!」

 

 そう言って再び力を展開し出す。

 

「エシェル!」

「私の道具の転移は戦場の要だ!!手を休ませていたら、戦線が崩壊する!!!」

 

 鏡が展開した矢先から、再び敵の攻撃も再開される。水の刃は容赦なくエシェルを抉る。血にまみれながらも、エシェルは決して鏡を解かなかった。鏡で周囲を確認し、必要に応じて神薬や武装を次々に送り込む。

 

「皆、命を賭けている!!自分だけ怖がっていられない!」

「カハハハハハハ!!!良い度胸だなあ!!!気に入った!!!」

 

 グレーレは心底楽しそうに大笑いした。そしてそのまま指を鳴らす。彼の周囲に浮遊していた自動展開する術式が、そのままリーネの前に二つ、移動した。

 

「これは?!」

「貸してやろう。おっと、専門外だったか?手解きが必要かな?」

「上等!!」

 

 グレーレの露骨な挑発をリーネは切って捨て、目の前で浮遊する自動術式を指先で薙いだ。その瞬間、使用者の権限がリーネに移る。稼働を開始した術式は激しく術式を自ら改変し始め、エシェルの周囲を展開しながら、敵の攻撃を待ち構える。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAARRRRRR――――――G』

「そこお!」

 

 エシェルが展開した鏡を逆流し、襲いかかってくる水竜を、即座に弾きとばす。攻撃を中断した水竜はそれでもしつこく付けねらってくるが、動きを止めた水竜はエシェルが簒奪の力でもって千切り、吸収する。

 護衛の形は成立した。が、これがいつまで持つかは分からない。故に、

 

「リーネ!!!」

「ええ!!」

 

 今、この守りが有効に働いている間に、やるべき事を全てなさねばならない。リーネは白王陣を展開した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一夜城、下層外周。

 

『これはもう、災害と戦っているようなものじゃの!?』

 

 数十の水竜に囲まれたロックは悲鳴を上げながら駆け回る。最早、どの方角を向いても存在する無数の水流が、次々とロックに向かって牙をたたき込んでくる。要塞を揺らし、砕き、さらに水流で飲み込もうとする。

 まさに地獄の光景だった。

 

『おう、ジースター!!平気か!?』

《平気ではないな。大変にしんどい。帰りたい》

「お主に帰られたら終わるのう!」

《だな。仕事をしよう》

 

 通信魔術から聞こえてくる彼の声は、何時ものように平坦であったが、若干疲弊していた。それはまあ、そうだろう。魔力さえあれば疲労からは縁の遠い自分であっても、精神面の消耗は避けられない。

 何せ、よけるばかりで反撃がままならないのだから。今はロックがおとりになり、ジースターが己の気配を消して水中に潜り、核を探っている状況だ。なのだが、

 

『そんで核はあったカの!?』

《見当たらない》

『ッカ~~~めんどっくさいのう!』

 

 結果は、あまり振るわない。ロックは忌々しそうに叫びながら、上空から落下してくる水竜を更に回避する。【骨芯分化】による増強はしない。この状況で多少数を増やしても、数の利では向こうが上では、意味がない。

 【天魔】による無尽の魔力支援によって、ロックが力尽きることはまずないが、増やし、操れる死霊兵の数には限界があるのだ。一方で向こうには限界がまるで見えない。

 

《例外で無ければ、この水竜も魔眼によって作り出されている筈だ》

『どっかに魔眼があるって事カの?』

《だが、此方からは確認できない。上手く隠れているか、とても見つけづらいか、本当に実体が無いのか、あるいは全てが的外れなのか……》

 

 本当は実体も普通にあるのかもしれない。ひっそりと、迷宮の隅っこから魔眼が自分の身体を操っているのかもしれない。だが、ただでさえ、水面下には先ほどまで都市らしきなにかの形を模していた迷宮の残骸が、荒れ狂う水竜の力によって瓦礫となって渦巻いている。それらの中に紛れ込まれたら、とてもでは無いが探すことなど困難だ。

 つくづく、此処は敵の本拠地なのだという事を思い知らされる。少なくとも周辺の環境に、自分達にとって有利に働く材料が転がっている可能性は低い。

 

《やはり、つついて、反応を確認したい》

『半端では、のれんに腕押しじゃぞ?』

《そうだな、だから――――来た》

 

 言っている間に、ロックの眼前に再び鏡が浮き上がる。コレは先ほども見た。だが、それにロック達が応じるよりも速く、水竜が即座に侵入を許してしまった。混沌とした状況で即座に反応するのは困難だったとはいえ、エシェルをむざむざと狙われるのは、紛れもない失態だった。

 だが、二度目は許さない。

 

《ロック!》

『わかっとるわ!!!骨芯変化ァ!!!』

 

 再び鏡へと殺到する水竜を、巨大化した剣でたたき切る。一瞬にして水竜は何事も無かったかのように再生するが、それならば再生する傍からたたっ切れば良いだけのことだ。

 無論、全てをはじくことは出来ない。だが、鏡を再び開いたと言うことは、向こうも対策をとったと言うことだ。それを信じる。

 

《ロック!ジースター!水際から離れて!》

『おうさ!任せる!!』

《了解》

 

 通信魔具からのリーネの声に、二人は応じる。ジースターが水中から飛び出した直後、水竜に殺到された鏡が一瞬凄まじい光を放ち、そして次の瞬間、とてつもなく巨大な、炎の岩石をその内側から転移させた。

 

《【開門・白王陣】》

 

 迷宮の巨大な空間全ての温度を一瞬で上昇させる、巨大なる隕石が湖の中心に着弾した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜④ 技

 

 五十五階層、上空。 

 

 ディズ、シズク、そしてアカネの三者と風の眷属竜との戦いもまた続いていた。

 

『ahahahahahahahahahahahahahahahahaha!!!!』

 

 風の眷属竜は、単純に厄介極まった。遠距離からほぼ途切れること無く繰り出され続けてきた不可視の斬撃は、接近した後も何一つとしてその速度を変えることは無かった。途切れなく、絶え間なく、しかも、

 

「此方にも飛んできます!!」

「方向は自在か……!」

 

 連携しようと距離を離れたシズクとディズ、双方に刃は飛んできた。そこに一切の違いは無かった。少なくとも、あの小さな小さな風の竜にとって、ヒトをズタズタに両断する刃を創り出すことは、何の負担にもならないらしい。実に楽しげに嗤いながら、飛び回る。

 更にそれに加えて。

 

「【魔断】」

「【大地よ唄え、縛れ】」

《んにい!!》

 

『kihihihihhahhahahahahahahhahahahahahahaa!!!!』

 

 攻撃が、単純に当たらない。風竜のサイズはヒトの拳ほどだ。それに向かって、剣を振り下ろし、攻撃するのは、純粋に困難だ。魔術を重ね、攻撃の範囲を広げようにも、敵の攻撃はやはり間断なく、力を蓄える隙がなかなか生まれない。

 嫌らしい部分を煮詰めたような厄介竜だった。しかも――――

 

「性質悪いな。単純に小さいっていうのは」

「重力の魔術による拘束も、あまり意味を成していません」

「対竜術式は?」

「仕掛けようと試みていますが、起動前に即座に視界から外れます」

「しっかり対策済みと、……!?」

 

 一瞬でも、間をとろうとすれば、次の瞬間それを狙い撃つように、風の竜は攻撃のリズムを変化させて、特攻を仕掛けてくる。今まさに、ディズの首を掻き斬ろうと、風の刃を全身に纏って突進を仕掛けてきたように。

 

「アカネ!!!」

《んにいい!!!》

「【銀糸よ束なれ】」

 

『kyahahahahaha――――――aaa!?』

 

 捕らえ、叩き斬る。仕掛けてきた風竜に罠を仕掛ける。

 既に準備を重ねていたアカネとシズクが風の竜の身体にきわめて細い糸を巻き付ける。まるで罠漁にでもかかったかのように混乱する風の竜に、躊躇無くディズは星剣を振り下ろした。

 

『【aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!】』

 

 しかし、剣が振り下ろされるよりも更に尚速く、風竜の魔眼が輝き、風の爆発が起こった。ディズは星剣がはじき返され、シズクとアカネの混成の拘束も引きちぎられる。シズクは頬からこぼれた血を拭いながら、此方を嘲弄するように飛翔を再開した風竜を困ったように見つめていた。

 

「……早い」

 

 そう、本当に素早い。攻撃の速度も、反応も、反撃も、本体の動きも、何もかもが速すぎて、そのテンポに此方が追いつけていない。ディズも忌々しそうに彼女の言葉に同意した。

 

「魔眼は“最速の魔術”だからね…………とはいえこまねいてもいられない」

 

 三者がいる空中とはまた、少し離れた場所で、先ほどから連続した破壊音が響いて、此方まで伝わっている。下でやりあってるロック達でもないならば、その音の発生源は、

 

《にーたん》

 

 ウルと、ユーリだ。現在、大罪竜とやりあってる。それを放置するのはあまりにも、まずかった。

 

「ユーリなら、なんとか凌げるかもだけど……!!」

 

 ウルも、ユーリも、既にこの世界における最高峰の戦闘能力を有しているのは間違いない。だが、その最高峰の力を持ってしても、最悪の魔性である大罪の竜の相手は容易ではない。まして、たった二人でそれを相手取るのは、危ういが過ぎる。

 

 なんとしても、急ぎ、支援に向かわなければならない。だが、その為には目の前の風竜をなんとしても討たねばならない。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 五十五階層、上空。シズク達とは別の上空にて。

 

「っが……!!」

 

 ディズが懸念していたとおり、ウルは至極当然のように死にかかっていた。はっきり言って、戦いにもなってもいなかった。先ほどからウルは、色欲の権能で攻撃をゆがめ、回避をし続けている。

 それはつまり、ほぼ一方的に、グリードからの攻撃でなぶり殺しのような有様になっていると言うことだった。

 

『ラストったら、すっかり支配されてしまったのですね。まあ、そういう、少し迂闊なところが、あの子の可愛いところなのですけれど』

 

 ウルを釘付けにしながら、連続して魔眼の力をたたき込み続ける大罪竜グリードは、やれやれと、困ったように首を傾げる。その仕草はやや、自分のやんちゃな子供に対して愚痴をこぼす母親のようであり、故に気色が悪かった。

 実際、そんな風に口にしながらも、一切ウルに対する攻撃は手を緩めない。徐々に徐々に、ウルを追い詰めていく。そして、放ち続けている魔眼は――――

 

「光の、魔眼!」

『ええ、綺麗でしょう?育て上げるのに、苦労いたしました』

 

 目がつぶれるような輝きと共に、全てを一瞬で焼き尽くす、光を放つ魔眼だった。そこに下手な小細工など無かった。ただただ、睨んだ対象を一瞬で焼き尽くす、圧倒的な力が込められた魔眼だった。

 ただでさえ、魔眼は速い。そこに加えて、光の如く速度で的を射貫き、即座に収束する光の魔眼は恐ろしい相性だった。ウルは石化の魔眼でも喰らったかのように、あっという間に身動きがとれなくなった。

 

 だが、それでいい。ウルはこの場において囮なのだ。攻勢に動けるのは

 

「【天剣】」

 

 ユーリだ。彼女は絶え間なく打ち出される光の魔眼をくぐり抜け、時として、驚くべき事に、光の灼熱を剣で切り裂き、跳ね返しながら、一気にグリードとの距離を詰めた。

 そして間もなく懐に潜り込む。グリードの手の甲、その魔眼の視界から外れて、一気に剣を振り抜き――――

 

『速いですね。素晴らしいです――――――ヒトにしては』

「っが!」

 

 次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な!?」

 

 顎に蹴りをたたき込まれたユーリは、揺らがず、即座に反撃の剣を振るう。グリードの手、魔眼を切り落とすための動作だった。しかし、グリードはそれにも即座に応じた。身体をひねり、廻り、剣を回避する。その回転の動作を利用し、両指の刃でユーリを引き裂きにかかる。

 

「【天剣!!】」

「【混沌掌握!!】」

 

 その斬撃を、ユーリは天剣で守り、ウルはそこに魔眼の力を注いだ。強化されたユーリの剣は、間違いなく、グリードの攻撃を防いだ。しかし、

 

『【光螺閃閃】』

「――――――ッ!」

 

 振り上げた両指の、手の甲から、隙無く放たれた魔眼の力に、ユーリは直撃した。

 ウルは竜牙槍による咆哮を速射し、同時に即座にユーリの確保に動いた。落下する寸前に彼女を受け止める。寸前で、魔眼の攻撃を天剣で回避したのか、まだ彼女には意識があった。

 

「無事か」

「……、ええ、神薬、を」

 

 言われるよりも速く、エシェルから送られてくる神薬を彼女に飲ませる。彼女の回復を守るようにしながら、ウルは大罪竜グリードを信じられない思いで見上げた。グリードが先ほど見せた攻防。あれは――――

 

()()()……!?」

 

 あれは、間違いなく“技”だった。修練の果てに身につく洗練された動きが、大罪竜グリードの動作の中にあった。

 

『ええ。だって、竜って、時間があるんですもの』

 

 グリードはニッコリとほほえみを浮かべる。その間、グリードは自身の手の甲、自身の魔眼を刃のような爪先でなぞっていた。まだ攻撃は仕掛けてこない。充填《リチャージ》が必要なのだと情報を、ウルは頭にたたき込んだ。

 

『単純に力を蓄えたり、かわいい眷属を育てる以外でも、出来ることはありますよね?』

 

 ユーリは既に回復しつつあるが、まだウルの腕の中からは動かない。代わりにウルの腕をほんの一瞬、強く握る。意図を理解したウルは、背負った竜殺しを強く握った。

 

『流石に、竜のフィジカルを前提とした格闘術は、人類の知識にもなくて大変でしたけど、ええ、矢張り、時間はありましたので――――』

「っ!!」

 

 グリードが一気に迫る。ウルはユーリを手放す。即座に起き上がったユーリは天剣を振り抜き、ウルは竜殺しを突き出した。左右、迫ったグリードを挟み込むような連携だった。咄嗟の動きとしては上出来な動作だった。

 

『研ぎ澄ましました。【魔竜殺法】とでも呼びましょうか…………』

 

 しかし、それも、グリードの両指が、あっさりと塞いだ。全てを両断する天剣に、一切を飲み干して砕く竜殺し。そのどちらも、まるでその刀身を器用に、挟み込むようにしてつかみ取る。

 

『いえ、ちょっと()()()()()()()。かわいくない。やめておきましょう』

 

 クスクスと、少し面白そうに笑って、グリードは両指を振るう。大した力を込められたようにも見えなかったにもかかわらず、ウルとユーリはまとめて上空に振り上げられ、そして、

 

『【光螺閃閃】』

 

 起動した光の魔眼によって、灼熱の渦にたたき込まれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑤ やりたい放題

 

 ロックは実際に目で見て全てを判断しているわけではない。

 

 当然の話ではある。彼に肉眼はない。彼が見ているのは全体の魔力のカタチであり、大気中に漂う魔力の変化だ。シズクが行う音の反響を利用したソナーにも近いが、それよりも更に鮮明に、ロックは周囲の状況を関知している。

 

『AAAAAAAAARRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 その、優れたる感知能力でもって、ロックは白王陣がたたき込まれた水竜達の変化をつぶさに観察していた。一瞬たりとも見逃すまいとして、その変貌を観た。膨大な質量を持ちながら、実体を持たない。粘魔とも似て非なるその希有な特性を持つ水竜の真相に迫った。

 

『…………なるほどの?』

 

 そして、その真相の断片に、彼は気がついた。

 

《簡潔に》

 

 攻撃を受けても尚、続く水竜達の猛攻を凌ぐジースターから即座に通信が来た。ロックは自らが感知した情報をそっくりそのまま、全体の通信に伝達した。

 

『“水竜の魔眼は一つではない!!この水の中全てが異常に小さな魔眼で出来ておる”!」

 

 リーネの莫大な破壊の魔術が出現したとき、ロックは水竜全体が、巨大なる炎の岩石を回避するように蠢いたのを観た。その時は全体で一つの生物のようにも見えたが、違う。無数の気配が水中にて蠢いていた。直接的な危機に対して、潜むことが出来ずに沸いて出た膨大な数の、小さな小さな魔眼が、逃げ惑い、その後再びつながるのを視た。

 

「互いが互いを見て!!繋がり!!そして巨大な水となり、竜に化けとるんじゃ!!』

《なるほど》

 

 説明を聞いたジースターは納得したように頷いた。特にコレと言った反論は無かった。ジースターの推測とも合致したのだろう。そして、

 

『…………』

《…………》

『つまり……割とどうしようもないということじゃの!?』

《地獄だな》

 

 そう、この情報から得られる速攻の打開策は、ない。

 敵が、この水のどこかに潜んで、隠れているのではなく、この水そのものが、核であり本体であるという事実は知れたが、量があまりにも膨大だ。しかも、まとめて一気に攻撃しようとすると、先ほどのリーネの攻撃に対応したように、回避する。

 

 質量は膨大なくせに、大ざっぱではない。性質が悪かった。

 

《――――だが、回避したという情報は、収穫だ》

 

 ジースターは、切り替えるように息をついた。

 

《回避しなければならないと言うことは、喰らうと不味いと言うことだ》

 

 つまり、このあまりにつかみ所の無い水竜は、絶対無敵の存在ではない。先ほどからのロックの攻撃に対しても、まるで効果が無かったわけでは無いのだ。おそらく、異様に細かく魔眼同士が別たれていたため、剣等で捉えることが出来ず、回避されていただけなのだ。

 で、あるならば、

 

《捉え、まとめて、吹き飛ばす【天衣模倣:天魔接続】》

 

 ジースターを中心に、膨大な魔力が集い始める。

 

『どうする気じゃ?!』

「奇々怪々だが、水の性質を有しているというのは紛れもない事実だろう。ならば、全体をまとめて凍り付かせる。逃げられなくすれば良い」

『なるほど、ごり押しじゃの!!……じゃが』

 

 その意図をロックは理解した。しかし、それと同時に、

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRR!!!!!』

 

 水竜達が一気にその数を増産させた。最早、足下の湖全てが水竜の形状に変化し、それらが全て、ジースターへとその顎を開けていた。

 

『反応クッソはっやいの!!?』

《済まないが、護ってくれ》

 

 ジースターの救援要請にロックは納得する。何せ、ほぼ湖のような範囲の水竜を凍り付かせようというのだ。天魔の力を模倣すると言っても、ジースター自身があのグレーレのような大魔術師になったわけでもない。

 一瞬で全てを凍り付かせることなんて出来ないのだろう。ならば、守るが自分の役目だ。

 

『やらいでか!!!頼む!!!エシェル!!!』

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一夜城内部

 

「分かってる!【ミラルフィーネ!!!】」

 

 ロックの通信を受けて、エシェルは新たに鏡による転移術を起動させる。その瞬間、一切の間を置かず、鏡から風と水の竜達の猛攻が始まるが、グレーレの支援によって護衛に回る自動術式がその侵入を拒んだ。

 だが、完璧ではない。徐々に水竜もこちらの防御を学び始めている。自動術式の守りを回避するように、回り込むような動きが増えてきた。エシェルは悲鳴がこぼれそうになる。

 本当に、怖い。陽喰らいの儀の頃よりずっと自分は強くなったが、あのときよりも遙かに、眼前に迫るような死がエシェルの首筋を撫でていた。

 しかし、それでも負けるわけには行かなかった。この場所に立ち向かうと決めたのは、誰であろう自分自身なのだから。

 

「5番から7番!!転送!!」

 

 外の空間につなげた転移の鏡、【会鏡】へと、【封鏡】を送り込む。自分自身で取り込んだものを選別し、封じた代物だ。この地獄で、どのような脅威が待ち受けているかを想定し、あらゆる物資を種別に分けて突っ込んである。

 今、ロックに送り込んだのは――――

 

「ダヴィネの兵器セットだ!ロック、受け取れ!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ―――お前ら、俺のことマジでなんだと思ってんだ???

 

 戦いに赴く前、大罪迷宮グリードに行くことが決定した後、【歩ム者】一同は天才鍛冶師、ダヴィネの元に通い詰めることとなった。間違いなく死線へと飛び込むことになる以上、ダヴィネの腕がどうしたって必要だった。

 の、だが、あまりにも色々と注文をつけすぎた所為で、ダヴィネはしょっちゅうキレていた。特にかなりの頻度で難解極まる注文をつけるリーネと、面白がって好き放題言うロックに対しては、ダヴィネはだいぶぶち切れていた。

 

 ―――とりあえずやりたい放題注文すりゃいいって話じゃねえんだぞボケェ!?

 ―――できんのカの?

 ―――できらぁ!!!

 

 が、出来た。

 【歩ム者】がつけたあらゆる無茶ぶり注文に対して、彼は完璧な仕事をやり遂げたのだ。

 あの男は本当に、正真正銘の大天才であった。

 

『【骨芯変化!!!】』

 

 ロックはエシェルが送ってきた鏡から落下してきた物資の全てを変貌させた骨で拾い集め、更に自身の身体を変化させる。骨には無数の合金による障壁がまとわりつく。手足が四つずつ増量し、その手全てに二メートル超の巨大な竜殺しが握られた。

 

『カカカ!!!ええのう!!最高じゃああの天才は!!!』

 

 そして腹には、その巨大化した体躯にも見合うほどの竜牙槍が顎を開き、魔導核を渦巻かせる。四足の機械兵器。人形(ゴーレム)とは似て非なる怪物。生物の死体と、機械の融合体。

 

『そっちだってやりたい放題なんじゃ!!こっちだってやることやらせてもらうわい!カッカカカ!!』

 

 そのおぞましき様相をみて、それが死霊兵であるなどと誰一人として思わないだろう。その邪悪さが、ロックは心底気に入っていた。

 

『【顎・連結開放!!!】』

 

 巨大なる竜殺し、それらがすべて、ケダモノの顎のように大きく開かれる。獣の咆哮の代わりに、内蔵された巨大な魔導核が唸り声をあげる。膨大なエネルギーが凝縮し、可動部が変形し、それぞれの竜牙槍と連なって、一つの巨大な大砲へと変わる。放出された光熱をまるで刃のように振り回しながら、巨大なる死霊兵は、ジースターを狙おうとした水竜をなぎ倒す。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』 

『【竜牙咆哮剣!!!】なんてのお!!カッカッカカッカカカカカカカカカ!!!!!』

 

 大罪迷宮の深層にて出現した巨大兵器は、この地獄を楽しむように哄笑した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑥ 加速

 一夜城内部。

 外部での激闘を余所に、一夜城では“凌ぐ”戦いが続いていた。

 アルノルド王の治療と、三方向にて発生している戦闘への支援。その際に受ける竜達からの侵入の猛攻、破損する要塞への修繕。兎に角、守る戦いだ。バベルの塔での戦いと少し似ていた。

 ただし、バベルの塔、【陽喰らい】の戦いと比べると、人手はあまりにも少ない。深層にたどり着くことが可能な人材はあまりにも限られるのだ。そしてそうなると、必然的に一人一人にかかる負荷は跳ね上がる。

 

「っは…………っは…………っぐ……!」

 

 特に、エシェルにかかる負荷の量は、明らかに増大していた。

 水竜の攻撃量は加速の一途を辿っていた。グレーレの支援も合わせて、リーネは彼女を守るべく奮闘を続けていたが、完璧とはいかない。自らの周囲に転移の鏡を展開する以上、どうしても完全に守り切るなんていう事ができなかった。

 だが、現状、遠距離物資支援なんて真似が出来るほどの自在な転移術を使えるのは彼女だけだった。天魔のグレーレとて、ここまで自由自在な真似は出来ないだろう。

 だから、彼女に任せるのは正解だ。正解なのだが―――

 

「…………なんというか」

「リーネ?」

 

 だが、その状況下にあって、エシェルと並び、この状況下での要となっているリーネはぽつりとつぶやいた。

 

「腹が立ってきたわ」

「リーネ???」

 

 彼女の内側から溢れ始めた鬼気にエシェルは顔を引きつらせるが、リーネは無視した。外套を外し、背中に装着していた装備を晒す。白王陣の英知と、ダヴィネの卓越した技術の粋をかき集めて完成した凶悪なる兵器。

 

「【創造の機手・決戦形態】」

 

 背から伸びた六腕が、それぞれにその指先を動かし始める。リーネの意識を介さずに蠢く自動操縦が解禁された。

 

「エシェル、巨大門開いて」

「危ないぞ!?」

 

 先ほどから、グレーレの術式が敵の猛攻を防いでいるが、それでも結構ギリギリだ。実際、エシェルも敵の攻撃の全てから守って貰っているわけではない。今も黒いドレスのあちこちから血をにじませている。そしてそれは、あくまでも彼女ができる限り、門を狭め、狙いを自分だけに集中させているからだ。

 これ以上の門を開けば、当然敵の攻撃が更に広がる。エシェルだけでは無くリーネも危険だし、下手すれば治療を行っているグレーレと、王の命まで危険になる。

 それは間違いない。が、

 

「全部防いでやるわよ。防いでる間に貴女は竜達を片っ端から食い千切って、奪い取りなさい、外部への支援、敵の力のそぎ落とし、こちらの防衛、全部纏めてやるわよ」

 

 リーネは獰猛に、鏡越しの敵をにらみつけた。その姿は英知を探求する魔術師と言うよりも、相対する敵を必ず殲滅する事を誓った戦士のそれであった。

 

「こっちを狙いたいっていうなら、狙わせてあげようじゃない。罠漁よ」

「囮の餌が私たちのぉ!?というか王が狙われちゃうぞ!?」

「そんなもん、あそこの大天才様がなんとかしてくれるわよ」

「カハハ!!!とてつもない無茶ぶりだなあ!?だが合理的だ!!」

 

 突然無茶ぶりをされた天魔は大笑いするが、リーネの狂気に同意した。

 

「備蓄は間違いなく敵が上!凌ぐだけではどうにもならん!相手の手札を削る手は、多少の無茶をしてでも先んじて打たねばならん!」

「そういうことよ。エシェル。やれ」

「なんで魔術師達の方が戦闘意欲高いんだぁ!!!」

 

 エシェルは悲鳴を上げながらも、巨大な鏡を展開する。当然、というように、即座に鏡の向こう側から、水竜と、風竜の殺意が向けられた。

 

「あんた達が殺したくてたまらない王様は此処にいるわよ。殺せるものなら殺してみろ」

「ぶちぎれてるぅ!!」

 

 瀬戸際でのイニシアチブの奪い合い。その攻防は激化していく

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その戦況の変化、まるでその場にいる全ての敵達を挑発するように出現した巨大な鏡に、ディズ達はおおよその意図を察した。

 

『ahahahahahahahahhaahhaaaaaaaaaaaaaa!!!!』

 

 巨大な鏡を前に、妖精のような姿をした風竜は、嗤いながらも、しかしどこか苛立つように攻撃を仕掛け始めた。結果として、シズクとディズへと容赦なく降り注いでいた攻撃の乱舞が、ある程度緩和した。

 いくら何でも、手数が無尽蔵にある、というわけではないらしい。

 

「無茶するなあエシェル!リーネ!」

「でも、助かります!」

「ん、あれだけ鏡に警戒しているんだ。絶対に無視は出来ない」

 

 シズクの言葉に、ディズも頷いた。

 要塞の内部まで危機を招くという選択ではある。が、正直、その程度のリスクは飲み干せないと、戦えない。この戦場に安全な場所はなく、たとえ王であっても、この場では戦士の一人だ。王を欠くことは出来ないが、一方で、王であるからと特別な待遇で守っている場合でもない。そんなことをしたら、間違いなくこの悪辣な竜達はその歪を狙い撃つだろう。

 全員で等しく死力を尽くす。それはこの戦いを始める前に王が定めた基本方針だ。

 

「アカネ!!」

《うい!》

 

 だから、ディズもその覚悟に応えねばならない。緋色の剣となったアカネに力を込める。なんとしても、目の前の脅威を打倒しなければならない。

 

「【赤錆の権能:灼火の糸】」

 

 ディズの握る緋色の剣がほどける。目を凝らさねばならないほど細くなった緋色のアカネが瞬く間に周囲に拡散する。それは広範囲を自在に飛び回る風の竜よりも更に広範囲に分散した。

 

「【銀糸よ】」

 

 広がった緋の糸、そしてシズクが銀の糸を接続する。銀と緋、二つの糸が絡み合い、縦横無尽に駆け回り、小さな小さな風の竜を取り囲む、鳥かごのように変貌した。

 

『ahahahahhaa――――aaa?』

 

 自身が包囲されているという事実に、その時点で風の竜は気がついた。が、しかし、既にその時にはもう遅かった。

 

「【【【焔獄】】】」

 

 緋色の糸から放たれる灼熱と、その反響によって、一気に空は火の海に包まれた。

 

『aaaaaaaaaaa!!!????』

 

 先ほどから意気揚々と上空を飛び回りっていた風の竜も、流石にその炎の牢獄からは逃れることは出来なかったようだ。凄まじい勢いで風の刃を至る所に振りまき、自分を囲い込む灼熱の糸を断ち切ろうともがいているが、上手くは行っていない。その美しい翼や、愛らしい体躯が焼け焦げ、竜は悲鳴を上げた。

 好機。

 ディズは一気に空を駆ける。光熱を放つ緋の糸に触れぬよう、最短を跳び、風竜を剣の射程圏内に捕らえた。

 

「【魔断――――」

 

 そして、黒の斬撃でもって小さな風竜の首を切り落とそうとした――――しかし、

 

「っか?!」

 

 突然、身体を焼く光熱に打ち落とされた。一切反応も出来ずに、ディズは撃墜された。激しい熱と痛みに歯を食いしばりながら、自分のダメージを確認する。致命的ではない。神薬を飲めばまだ戦える。だが、しかし、

 

「狙撃……!!」

 

 超遠距離からの、身構える事すらも出来ないほどの、まさに光速の狙撃。

 コレが出来るのはこの場では一体しかいない。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『ああ、ようやく、少し、マシになってきました』

 

 ユーリは、大罪の竜グリードが、自分のみならず、他の戦場に手出しさせてしまった現状に歯噛みした。悔しさや、大罪の竜への怒り故にではない。現状がどれほど苦境であるかを理解したが故のものだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

『アルノルドったら、自分自身を囮にして、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦況は敵側に傾いていた。

 大罪の竜相手だ。たったの二人相手では必然の流れだと、最初は納得していた。今の自分の役目は、王が回復するまでのものであるとユーリも割り切っていたつもりだった。

 だが、この戦況の傾きは、単純な戦力格差によるものでは無かった。

 明らかに、グリードの能力が、向上し続けている。いや、正確に言うならば、

 

『酷い男、でも、ええ、これなら、まだ、少しはマシに動けるでしょうか?』

 

 王の暗殺。白王陣と天魔の強力無比な守りを強引にすり抜けて、王自身の呪い返しによって深く刻まれた傷が、回復してきているのだ。

 つまり、ここまでの大罪竜グリードは、()()()調()()()()()()

 

『【願い 焦がれよ 渇望の星】』

 

 光の魔眼が、大きく見開く。しかし今度は高熱を外部にまき散らすことはしなかった。膨大な光熱は、そのままグリードの周囲にまとわりつく。まるで鎧のように、あるいは刃のように身体を覆い尽くした。

 近寄るだけで、一切を焼き切る光の塊。不敬にもそれは太陽神の御姿に似ていた。

 

 地獄は、これからなのだ。ユーリはそれを理解し、深く深く、息を吐き出し、自分のやや後方に位置をとるウルへと呼びかけた。

 

「今後、可能な限り、一瞬も私から目を離さないでください」

「恋人みたいな台詞だあ……」

「ぶちのめしますよ」

「生還できたら好きなだけしてくれよ」

 

 冗談めかした返事がかえって来た。が、ウルも現状がどれほどの窮地であるかを理解しているのだろう。声に動揺が出ないように必至に押さえ込んでいるのが感じられた。

 だが、まだ、強がれるというのなら良いだろう。この先、待ち受けている地獄を前に、完全に腰が引けてしまうよりは遙かにましだ。

 

「【天剣・纏】」

 

 天剣を創り出す。万物を切り裂く光の剣は無数に浮かび上がり、同時に彼女の身体を鎧のように覆い尽くした。小柄な体躯だった彼女が、金色の剣で覆われ、一回り大きく見えた。

 

「【混沌よ、標となりて、かの者を導け】」

 

 その彼女に、背後からのウルの魔眼による強化が入る。最高硬度の魔眼の強化。おそらくこの地上で最も強力な身体強化を得て、高揚感が身体を包む。

 しかし、その心中は冷え切っている。眼前の灼熱から放たれる殺意を前にすれば、最高の強化すらもささやかに思えてしまう。

 

 だが、それでも、だ。

 

「我が王の困難の全てを無双の剣で引き裂かん」

 

 ユーリはためらわず、前へと駆けた。己が使命を果たすために。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑦ 崖

 

『グリード と   戦う?』

 

 大罪竜グリードとの決戦の前、僅かでも情報を集めようと、再び自分の“内”に潜ったウルは、ラストとの交流を進めていた。流石に、自分の身内を裏切るような情報提供をしてもらえるとは思ってもみなかったし、あったとしたら罠の可能性も考えなければならないのだが、それでも藁にすがるような思い出の質問だった。

 

『かわい   そうに』

 

 ラストからその結果、帰ってきた返答は、まあ、想像した通りのものだった。ゲラゲラゲラと、心底此方を嘲笑し、大変にご機嫌だったが、何の情報にもならない。

 

「そう思うなら、哀れみが欲しいね」

『  ない  』

「無慈悲だ」

 

 ガックリとウルはうなだれると、『違 う』と、ラストは、鼻で笑った。

 

『そもそも  奴は  戦闘に特化した   権能など、持たぬ』

 

 そう言いながら、ウルの隣ですよすよと眠りに落ちている大罪竜ラースを指さす。

 

『苛烈なる嫉妬   邪悪なる憤怒   それらと比較すれば  ささやかよ 』

「まあ、そういう話は聞いたが……」

『我のように  直接的に  相手を殺さぬ   ささやかな  権能』

「それはない」

 

 ビームが飛んできたので避けた。

 魔王ブラックからの情報で、グリードがそれほど特殊な性能を持たないという話は既に聞いていた。尤も、魔王からの情報をどこまで信じれば良いのか、という話ではあるし、大罪の竜からの情報でも同様ではあった。

 しかし信じないことには話は進まない。ウルは続きを聞いた。

 

『宝珠を育てて  焦がして    その輝きを引き出すのみ』

 

 宝珠、魔眼。

 やはり、魔眼の力に特化した竜、ということなのだろう。やはり、特別なことはない。魔眼という脅威は既にウルは既知のものだ。しかし――――

 

『それでも   強いのだ   対策など    とりようがない』

「……やっぱり、よくわからないな。具体的に、どういう風に強いんだよ」

 

 ラストは心底面倒くさそうにため息をつく。となると、もう話は終わりか、と、ウルは諦めかけたが、今日は気が乗ったのか、あるいはウルが恐怖するのが楽しいのか不明だったが、会話は続いた。

 

『崖を  想像しろ   目の前にそびえる  巨大な崖   前人未到の  とてつもない崖  お前ならどう登る』

「そりゃあ……足をかけられそうな場所を探したり、道具を用意したり、崖そのものに手を加えたりするな。壊して、登りやすくする」

『だろうな   困難に立ち向かうための  妥当な方針だ』

「崖が、お前たちだと?」

 

 ラストはうなずいた。

 そして、それでは、グリードはどうするか。『奴はな』とラストは嗤った。

 

『足のかけやすい出っ張りを一個一個   手作業ですべて削り  崩れやすい部分を虱潰しに探し出し   これまた一つ一つ補強し   登ってくる連中のため     トゲを仕込み    ネズミ返しを作り  その後崖の上から一斉砲撃を開始する』

「…………」

『こういう    途方もなく   地道で   かったるくて   面倒な作業を   ()()()()()()()    そういうヤツだ』

 

 ウルは無言になった。無理解故ではなく、ひどく、その強さに具体性が出てきたが故に。

 そのウルの沈黙を、ラストは楽しそうに嗤って眺めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪竜グリードの言葉と、その姿の変容、そしてユーリの緊張。

 否応なくウルも「ここからが本番なのだ」ということを理解はしていた。ユーリが前線に出て、自分が支援に回るからといって、油断などする気は全くなかった。僅かもユーリから目を離さぬようにしながら、武装を改めて構え直――――

 

『さて』

 

 ――――す、よりも、大罪竜グリードがウルの懐に割って入る方が速かった。

 

「ッが!?」

 

 鎧の隙間、間接に爪の刃が突き刺さる。卓越した鍛冶師によって研がれたかのような恐ろしい爪の剣は、ダヴィネの鎧の守られていない部分を性格に狙い切り裂いた。

 

『魔眼は最速の魔性』

 

 反撃で、槍を振るった先にあったのは光の残像であり、もうその場にはいなかった。ウルを見下ろすように上空を陣取った大罪竜グリードは、己にまとわりつく光の帯を手繰る。

 光の帯はぐるりと繋がって、グリードの背に浮かぶ。瞳孔が描かれ、巨大な瞳のカタチを描いた光は、眼下の全てを見下ろした。

 

『瞳に映せば、光の速度で対象を砕ける。ならば、』

「【揺蕩え!!!】」

 

 光の魔眼が輝く。ウルは色欲の権能でもってそれを歪め、弾き飛ばす――――――が、それはと止まらなかった。間断無く、という次元では無かった。最早それは延々と続く【咆哮】に等しかった。

 

『光の速度で魔術を完了させれば、次も、その次も、瞬く間すら与えず放てますよね』

「んなアホ、な!!?」

 

 理屈としては、分からないでも無い。

 確かに魔眼はそういう性質を有している。通常の魔術のように、術式の詠唱も、魔法陣の展開も必要としない。ただ見るだけで良い。つまり速い。ならば、術の終わりに再び「観る」ならば、その対象に連続して魔術を発動させることも出来るだろう。

 だが、そんなものは机上の空論だ。魔眼だって魔力は消費するし、魔眼そのものの使用時の負担もある。肉体が使いすぎれば疲労するのと同様で、無限に使う事なんてできないはずだ。

 そう、普通は無い。

 

『あまり、やりすぎると、()()疲れてしまうのですけどね。年でしょうか?』

 

 だが、相手はヒトでなく、竜であり、最大の魔性なのだ。

 魔王ブラックや、大罪竜ラストが断言した「最強」の意味が、徐々に実感を伴ってウルは理解しつつあった。

 なるほどコレは確かに最強で、最悪だ。

 単純にただただ強すぎる上に、その強さに欠片もとっかかりが無い。

 

「っっ!!」

 

 権能を強引に維持しつつ、ウルは懐の魔封球を放った。魔術の閉じられた、極めて基礎的な魔道具の一種。封じられたのは土の魔術。放たれた瞬間、膨大な量の砂塵が一気に迷宮内部に拡散した。

 魔眼封じ。極めて基礎的な手法の一つ。視野の封印。有効な手段の一つではある。

 

『あら、フフ、ウフフフフ。可愛らしい』

 

 確かに魔眼の猛攻は崩れた。ほんの一瞬、僅かな間だけだ。しかし、ソレは本当に一瞬だ。光の渦が土煙を一瞬で蹴散らして、ウルとグリードとの射線をあっという間に空けてしまう。そのまま、一切手を緩めること無く、グリードはウルを見下ろし、光の魔眼で睨み付けた。

 

『それ、通じると思ってます?』

「……いいや、知ってたさ」

 

 ウルはグリードを見る。正確にはグリードの背後に移動した天剣のユーリを見続ける。彼女に言われたとおり、叶う限り、決して彼女から目を離さなかった。砂塵で自らの視野を潰しても尚、天の剣で輝く彼女の姿を追い続けた。

 

「【天剣・轟】」

『あら』

 

 グリードの保つ魔眼にも並ぶそのウルの魔眼により、強化され続けた。ユーリの剣が、魔眼の輝きすらも超える速度でグリードの首にたたき込まれた――――――

 

『―――だから、それ、通じると思ってます?』

「―――ッ!?」

「……うそだろ」

 

 迫った天剣を、()()()()()()()()()()()に対して、「知ってた」なんて強がりを言う余裕は、流石のウルも残されては居なかった。

 

「……いや、本当に、どうやって」

『練習しましたから。白刃取り。暇だったので』

「冗談だろ……」

 

 ウルと会話している間にユーリが更に剣を振るう。絶対切断の神から賜ったその剣を切断部に、グリードは一切触れない。全てを捌く。紛れもない達人の所作であり、ヒトの生きる年月では到底届かない、達人の業だった。

 

『【光螺閃閃・無間】』

 

 再び起こる無限の光の爆発に、ウルとユーリは等しくたたき込まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「不味い、ユーリもウルも、死ぬ」

 

 光の渦が巻き起こる上空から少し離れた場所で、その様子を確認したディズは、苦々しい声を漏らした。

 大変に不味い。グリードの脅威は分かっていたつもりだった。その為の覚悟も準備もしてきたつもりだったが、その備えを超えてきている。しかもそれは、悪辣な手段ではなく、ただただ圧倒的な暴力によってだ。

 放置は出来ない。この戦いにおけるあちこちの戦場がなんとか拮抗状態に保てているのは、なんとかウルとユーリが大罪竜グリードを引き寄せているからだ。

 

 グリードが二人を殺し、戦場から解き放たれた瞬間、全ての戦場が瓦解し崩壊する。

 

「救助に……!!」

 

 シズクは叫ぶ。ディズも分かっている。なんとしても助力しなければならない。だが、

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』

「速……!!」

 

 風の竜の速度が跳ね上がっている。先ほどのような、嘲弄とした動きは既に無い。焼き焦げた翼と身体を晒して、忌々しげに的を両断するための刃を振るい続ける。

 本体、大罪竜グリードと比較すればまだ、速度には遊びがある。だが、それでも圧倒的に速かった。少なくとも、まともに凌ぎきれるような速度ではないほどには。

 

「危機感が遊びを無くしたか……!」

 

 遊びが潰れ、容赦が無くなった。だが悪いことではない。戦いにおける遊びは、余裕の表れだ。それが無くなったのなら、それを乗り越えれば攻略が可能だ。その事実が逆に此方に余裕をもたらす。

 

 問題はどのタイミングで、どう切り込むか、だが。

 

《わたしがやるのよ!!!》

「アカネ!?」

 

 緋色の剣が変化する。風の竜と同じ、妖精の様な姿となる。ディズは驚き、シズクも目を見開いた。精霊に近く、大罪の竜の気配により弱り、無数の術式でなんとか凌いでいるのが今の彼女の状態だ。

 その彼女に、この凶暴なる風の竜を託す?

 ディズは最悪を予期し、言葉に迷った。しかし、

 

《いくのよ!!》

 

 相棒とも言えるまでに、死線を共にくぐった彼女の言葉に、決断した。シズクへと目配せし、二人はその場を離脱し、光の渦が巻き起こる方へと急いだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑧ 手加減

 

 

 大罪竜グリードとの激闘は続いていた。

 戦い、というよりも、ひたすらに一方的にかまされる攻撃を、しのぎ続ける戦いである。

 

「――――――」

 

 もうユーリは殆ど、ウルに指示や、連携の合図を送ってはこない。最前線で、大罪の竜グリードを相手どって戦っている。最早その剣技は奇跡といっても良い領域に到達していた。グリードの爪と、その合間に挟まれる一撃で必殺となりうる光の魔眼。その全てを凌ぎ続けている。

 魔眼の強化のため、彼女を見続けているウルには分かる。間違いなく彼女は人類の中でも最高クラスだ。彼女がいなければ、大罪竜グリードは、あっという間に自由になって、今、散らばるように戦わざるを得ない各戦場を蹂躙し、要塞を粉々に砕いてしまっていただろう。

 

「――――ッ!!!ああ――――!!!」

 

 だが、このままでは、ユーリは長続きはしない。

 徐々に彼女の被弾は多くなる。傷が増える。血が流れる。なのに、神薬を飲む暇すら、彼女にはないのだ。それを文字通り見守るしかないウルは焦れていた。このままでは不味いのは分かっている。介入しなければ、彼女は遠からず死ぬ。

 しかし、下手に動けば、彼女の邪魔になる。半端に攻撃を仕掛けて、ユーリから目を離せば、その隙を突いてグリードがユーリを殺しかねない。無数の被弾を受けても尚、ユーリがまだ剣の冴えを衰えさせていないのは、ウルの支援があるからなのだ。

 

《ウル!!戦況は!?》

 

 そのタイミングで、エシェルからの通信が来た。ウルはきわめて端的に状況を告げた。

 

「死ぬ」

《分かった!!!》

 

 分かったらしい。流石というか、随分と彼女も修羅場なれしているらしい。そしてウルの手元に、虚空から小さな小さな鏡が出現した。

 

《大罪竜の前では、流石に大きな門は開けないけど!》

「助――――っ」

 

 助かった。と、感謝を告げようとした。しかし次の瞬間、光熱がウルの手元の鏡に飛び込むようにして射出された。ウルは竜殺しでその熱光を受け止め、ぞっとした。

 

『惜しい』

「閉じろ」

 

 ウルは指示を出して、即座に鏡が消えた。ユーリとの激闘をしている最中にも、グリードは鏡を通して、要塞の内部を狙ったのだ。

 

「めざといにも、程がある」

『強欲なる魔眼の竜ですもの。めざとく、貪欲に行かなくては、()()()ないでしょう?』

 

 ユーリの頬を引き裂き、腕を貫いて、血の流れた爪を払うようにしながら、グリードは微笑む。視野が広い。魔眼の竜だから、というだけは説明がつかない。いくら視界が多かろうが、それを処理する脳が無ければ意味が無い。

 目の前のユーリの猛攻を掻い潜り、尚もこの戦場全体に視野を広げ、要所に介入してくる竜の頭脳が異常なのだ。だが――――――

 

「そうかい、だったら」

 

 だとしても、気後れて、引き下がることだけは、出来ない。先ほど、エシェルが寸前で手渡してきた魔封球をウルは放る。自分の背中で起動させる。一切の説明は無かったが、それがどのような内容であるかは、説明が無くともすぐに分かった。

 

「目ぇ、潰れちまえ」

 

 次の瞬間、鮮烈な光がウルの背中で炸裂した。火力は無い。ただ、視野を潰すためだけの光の爆発だ。

 

『あら――――――』

 

 どこまで、コレが通じるかは分からない。そもそもグリードは光の魔眼を自在に操っているのだ。今更光による目潰しなんて意味があるのか?そんな疑問が頭を過る。が、それらの疑問は全て捨てる。

 無駄な事を考えるな。

 凡人たる自分に、出来る事なんて本当に限られている。

 ならば、その限られた事を、全力で使い尽くせ。

 

 固定した空間に力を込める。己でも御しきれるか怪しい力の塊。それをただまっすぐ、前へ、前方へと使い切る事だけに全神経を集中させる。それ以外、何も考えない。引き絞った弓矢の如く、一気にウルは自らを射出した。

 

「【魔、穿!!!】」

 

 ユーリの背後から、彼女を巻き込む程の速度で、一気にグリードに突貫する。ユーリを避けるといった発想は捨て去った。その類いの機微は全て彼女に任せた。中途半端な気遣いは、邪魔でしか無い。

 

「――――――ッ」

 

 幸いにして、ウルの攻撃を寸前で、ユーリは回避する。ほんの一瞬の目配せの後、彼女はグリードの射程から距離を取る。乱暴極まるが、戦闘のスイッチは成功した。そのままウルは突貫を続ける。

 

「【狂えええええええええ!!!!】」

 

 ユーリがグリード相手に繰り広げていた超絶技巧と比べて、ウルのそれはあまりにも粗野で、面白みが無かった。ただひたすら、まっすぐに、万力を込めてグリードの身体を貫き、色欲の権能でグリードの攻撃をはじき返すのみだ。 

 単調さを凶悪無比な権能で強引にごまかす。そうするしか無い。小細工は通じない。グリードもその間、一切攻撃の手を緩めない。光の魔眼による攻撃の乱舞は、色欲によって弾かれ、迷宮という空間全体を破壊し続けている。気を緩めた瞬間、この攻撃の全てがウルに飛んでくるのだ。

 

『技が無いです、ね……!?』

「んなもん最初からねえよ!!!!」

 

 黒の竜殺し、ダヴィネの最高傑作がグリードの腹を僅かに抉る。

 魔力を奪い、その力で破壊する。凶悪なるその槍でも、僅かしか抉れていない事実にウルは顔を引きつらせる。魔力密度がどうとか言う問題では無く、本当に純粋に、肉体的な強度が異常なのか!?

 

「なんで、こんな堅い……!?」

『筋トレしました』

「ふっざけんな!!?」

 

 理不尽極まる。しかしその理不尽への怒りも早々にウルは捨てた。考えるな。考えたってどうにもならないのだから。

 

『強引なのも、嫌いではないですけど……』

 

 色欲の権能、その反発に抵抗するように、徐々にグリードの爪が、ウルの身体に近づいてくる。権能は、しかしいつまでもは続かない。色欲の権能そのものがどれほど使い勝手が良く、無敵でも、使うウルの体力も魔力も、底はあるのだ。

 

『計画性の無いヒトって、私、苦手なんですよね』

「そりゃ、悪かったなあ……!」

 

 後先、あまり考えてなかっただろう?

 という、事実を言い当てられて、ウルは苦笑いを浮かべた。図星である。この状況の後、どうするかをウルは何も考えていなかった。考えていたら、足が止まると分かっていたから、考えないようにした。

 そのツケはすぐに来た。まるで抱きしめるように全方位からやってくる刃を防ぐ手は無く、ウルは自分の身体がゆっくりと、バラバラに引き裂かれる未来図を予感した。

 

「【魔断!!!】」

「【銀糸よ!!!】」

『あら』

 

 しかし、幸いにもその未来は回避できた。

 片側から迫る刃を、ディズの星剣が弾き飛ばし、もう片方を銀の糸が絡み取る。その両方からの攻撃をグリードは文字通り片手間に返すが、その隙にウルはグリードの腹に蹴りを入れ、その反動でグリードから距離を取った。

 

「…………ッッ!!!ぶっはああ……!!」

 

 ほぼつまりかけていた息を一気に吐き出し、一気に吸い込む。汗が噴き出し、涙が零れた。こんな死闘を、ユーリは単身でウルの倍以上の時間稼いでいたのかと思うと震えた。

 

「ウル様!!」

「マジ、で、助かる……」

 

 なんとか、深呼吸を繰り返して、体力を回復させる。まだ戦いは終わっていない。ユーリが回復するまで、今度はシズクとディズの二人と協力しなければならない。

 そう、二人と。ウルはディズが緋色の剣を握っていないことに気がついた。

 

「アカネは」

「――――――ごめん、風の竜を任せている」

 

 端的な説明だった。風の竜を、たった一人の妹が請け負う。その言葉の意味を咀嚼し、ウルはもう一度ため息をついた。そして、

 

「了解。まあ、大丈夫だろう」

 

 至極冷静に、ウルは頷いた。ディズはなにかを言いたげだったが、ウルは頷いて返す。

 

「大丈夫だよ。アカネは」

 

 ディズは死闘を何度も彼女とくぐり抜けているのだろう。彼女のことはよく知っているはずだが、一方でウルもよくアカネのことは知っている。あの無邪気で愛らしい、ウルの妹は、

 

「存外、怖いぞ」

 

 決して、それだけの少女ではない。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaa……』

 

 風の竜は、自分を追い詰めていた二人の女達が、この場から離脱したのを見届けた。追おうとはしなかった。追撃もしなかった。自分を焼いた女達が厄介で、油断ならない敵であることを風の竜は思い知った。

 その厄介な敵が、わざわざ自分の前から離れてくれるというなら望ましい。

 まして、「母」の懐に飛び込んでくれるなら尚、望ましい。

 アレらは強いが、我らが母、強欲には決して敵うまいという確信が竜にはあった。

 

 故に、風の竜は焦りはしない。目の前の、都合良く単身となった()()に意識を集中する。

 

《うーにー……》

 

 ソレは去って行った女達の退路を守るように立ちふさがっていた。

 ソレは、ヒトであるのか、精霊であるのか曖昧だった。

 ソレは弱っていた。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……ahahahaaha』

 

 風の竜は嗤った。

 理解したのだ。想像が付いた。ソレは、おそらく精霊にまつわる“ナニカ”であるのだろうと。それ故に、竜の気配が充満するこの場所で、酷く弱っている。そして弱っているが故に、この場では最も力がない。だから、自分を犠牲にして、他を生かそうとしているのだ。

 

 知っている。分かっている。ヒトの習性、というやつだ。

 大罪の竜、彼らの母は、忌々しい太陽の結界に深く縛られている。地上に這い出る事を許されぬように、深く深く地の底に押し込められている。が、眷属竜達は違う。母である強欲よりも少し弱い為に、ある程度までなら、上に上がることが出来るのだ。

 故に、この風の眷属竜も、不用意に深層に足を踏み入れた冒険者達を何人も殺してきた。意気揚々と、自分達は強いのだと哀れにも勘違いした者達を嬲り、仲間を助けようと必死に殿を努めようとした哀れな囮を飛び越えて、逃げ出す連中をなぶり殺して、絶望の内にいる囮を嘲ったこともある。

 

 あれは楽しい。深層に来る冒険者は滅多にいないが、楽しいのだ。

 相手の望み、願い、希望、それらを奪い手のひらで転がして、砕く瞬間というものは。

 戦うのがあまりにも楽しすぎて、楽しみすぎた結果、死に果てた「紅」と自分は違う。そんな間抜は犯さない。わざわざ強い敵に挑むリスクは犯さない。狙うのは弱いやつ。安全圏から、自分がなぶり殺しに出来るやつだ。

 

 その相手は、今、目の前にいる。だから、風の竜は赤錆を容赦なく両断しようとした。

 

《たのしそうね?》

 

 しようと、した。

 その結果は、ふるわなかった。数百年生きたような大木すらも一瞬で両断するはずの風竜の不可視の刃は、小さな小さな緋色の少女の身体を確かに捉えた。その確信はある。にもかかわらず、何故か彼女の身体には傷一つつかなかった。

 

『aaaaaaaa……?』

《わたしは、たのしくないの》

 

 疑問と共に、何か、じわじわとした冷たいものが、足下からわき上がってくるのを風の竜は感じていた。それは、久しく忘れていたもの。弱者を嬲り殺す。その役割を自分に定義したが為に、久しく感じていなかったもの。

 

《ここ、きもちわるいし、いまもしんどいし、にーたんしにかけだし、ディズもつらそうだし、みんなたいへんだし》

 

 生物としての本能、警告、生命の危機感。

 

《だから――――》

 

 ずるりと、自分に似た、幼い、妖精のような少女の姿が変貌する。一回り、身体が成長していた。模した髪が長く伸び、少女の肢体を伝う。妖しさが増した彼女の、その身体全体から放たれる気配は、風の竜が放つ魔性よりも更にまして、おぞましかった。

 

《“てかげん”できないから、かくごしてね》

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑨ 兆し

「さて、ユーリは……!?」

 

 ディズとシズクに一時的にグリードの相手を任せたウルは、急ぎ、ユーリの下へと向かった。限界ギリギリでスイッチしたが、どう考えても、長持ちする状態では無かった。

 

「いた!ユーリ!!」

 

 迷宮の壁、グリードが暴れて出来た大穴の影に隠れるようにして潜んでるユーリを発見し、ウルは駆け寄った。

 

「無事か!!」

「そう、みえ、ますか……?」

「いいや全く」

 

 血まみれで、至る所が黒焦げているユーリの言葉に、ウルは顔をしかめながら【神薬】を渡すと、彼女はゆっくりとそれを口に含んで、息を吐いた。みるみるうちに傷は癒やされていくが、それでも血と傷、破壊の痕跡は痛々しく残った。

 

「グリード、は?」

「ディズと、シズクが相手して、待て待て待て」

 

 彼女はそのまま立ち上がり、ふらふらと外に出ようとしたので、ウルは慌てて彼女を引き留めた。

 

「無理だ無理無理無理」

「離せ」

「本当に死ぬぞ!」

 

 ウルが強引に引っ張り、そのまま引き戻す。神薬がいくらとてつもない快復力を有していても、消耗しきった体力を即座に回復しきるほど万能ではない。ウルに力で負けるような状態では、外に出れば死ぬ。グリードと相対する前にその眷属に殺される。

 

「アレは、私以外、対処出来ない」

「だから、アンタが落ちたら詰むんだよ。あと数十秒待ってくれ。エシェルにも追加の装備を頼むから」

 

 本当に、彼女は間違いなく、この戦いの要だ。真正面からグリードと相対して尚、死なずに対処可能な人材などそうそういないのだ。

 

「焦れるが、ばたつくな。シズクとディズに託して、万全になってからだ」

 

 それは自分に言い聞かせるためでもあった。上空で起こっている激闘は激しい。ディズとシズクがいつ死んでしまうか、ヒヤヒヤものだった。

 

「…………」

 

 ユーリもまた、自分が焦っていた事に気がついたのか、目を閉じ、集中して自分の体力の回復に努めていた。その様子を確認し安堵すると、改めてエシェルに連絡をとる。事前、用意していたユーリ用の武装の追加を送ってもらう。

 

「あの」

「ん?」

 

 破損した彼女の鎧を外し、新たな鎧をつけなおしてやっている最中、不意にユーリが声をあげた。

 

「攻撃のスイッチは、悪く、なかった」

「ああ……上手く行って良かったよ、本当。奇跡だよ」

 

 破れかぶれ一歩手前の、がむしゃらな特攻だったので、正直褒められても微妙な気持ちになるのだが、ひとまずは賞賛を受け取る。

 

「私が、死にかけたら、また、やれ」

「努力するわ。本当、なんとか……上手くいかなかったらすまん」

「そのときは、二人とも、死ぬだけだ」

「地獄ぅ……」

 

 その地獄に、もう間もなく再び突っ込まなければならない事実に、ウルは頭が痛くなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 風の竜は、自らを囲うようにして得体の知れぬ気配が広がったのを感じ取った。

 それは緋色の糸であり、先ほど、風の竜を相手に取り囲んだ鳥かごに似ていた。しかしそれならまだ、風の竜ならば耐えられる筈だった。灼熱は、痛くて熱くて嫌だが、死ぬことは無い。

 

 伝わってくる魔力の出力、それ自体は弱い。精霊としては端くれも端くれだ。

 

 母である強欲の竜が作り出したこの身体は、木っ端精霊程度の力くらいなら、どうとでもなる。

 

『kyahahahahahahahahahahahahaha!!!!』

 

 だから、構わず、風の刃をたたみ掛けた。

 母のように、光の速度で魔術を発動し続けるような真似は出来ないが、母を除けば最速の竜だ。その自身の強みでもって、紅色の少女をズタズタに引き裂こうと刃を放つ。

 

 先ほど攻撃通じなかったのは、きっと何かの間違いだ。そう思いながらも、不安をかき消すように全力で、攻撃をたたき込んだ―――――が、

 

《うに》

 

 刃はやはり効かない。否、より正確に言うならば、彼女に触れた瞬間、風の刃の悉くが、その力が、()()()()()

 

《【ついのきざし】》

 

 風の竜は、少女と混じった精霊の力が何であるかを、ある程度までは理解していた。

 “金属の腐敗”の印である【赤錆】。ポピュラーな現象の精霊。【勇者】が自在に少女の姿形を変えていたのは、その性質から、“金属”の部分を強引に使っていたのだろう。そこまでは理解していた。

 

 だが、風すらも“解いて”しまうこの力は―――――

 

『aaaaaaa…………aaaaa!?』

 

 そして、竜は不意に気がつく。自分の身体に、まるで痣のような痕が残っている。

 それが敵の攻撃であると気づいた瞬間の風の竜の判断は速かった。即座にその痕が確認できた腕を切り落として、破壊する。紛れもない即断即決だ。

 

 風の竜は最適解を選んだ。だから、問題があったとすれば、

 

《【ひろがりて】》

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!?!』

 

 少女の性質が、()()()()()事。

 

 痣は、増え続ける。空から“その原因”が、風の精霊にも回避できぬほどの量、降り注いできたために。

 緋色の糸、風の竜を取り囲むように結ばれたその糸から、ぱらぱらと雨のように、紅色の欠片が降り注ぐ。その欠片が振り落ちた場所は、急激に色褪せて、力を失い、朽ち果てていく。そしてそれが、みるみるうちに拡大する。

 迷宮の壁も、地面も、竜も、何もかも、一切の見境無く。

 

《【ばんしょう の おわりへと いざなって】》

 

 言うまでも無く、錆びるという概念は、信仰の対象としてはあまりにも弱い。誰だって、劣化を好ましく思う者なんていない。【星海】からもつまはじきにされて、鏡の精霊のように、極端な畏れを集めることも出来ずに、【卵】となって自己を保存することしか出来なくなるくらいまでに弱った。

 

 しかし、名無しの少女を器として変えることで再誕した

 

 そして、赤錆の精霊は、状況の改善を求めた。それは精霊としての本能。自己保存のための必要処置だ。勿論、自分の定義を変えることは出来ない。創造主の意向に反することは出来ない。

 

 だからその代わり、自身の側面を強めた。

 "劣化”という側面を、より強固なものとして、畏れの信仰を掠める事にした。

 勇者が使っていた創造とは対極の力、劣化の果てに起こるもの。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、精霊として生み出されなかったモノ

 

『aaaaaaaaaaaaaaaa!!!!????』

 

 【滅び】の概念。

 

 風の竜が悲鳴を上げる。周囲の糸から放たれる粉のような光が、風の精霊に纏わり付いた。それはじわじわと、美しい竜の翼を、愛らしい身体を、浸食して、朽ちさせていく。風の刃を振るい、それを吹き飛ばそうとしても、纏わり付いて離れない。

 

《ごめんね?》

 

 赤錆の少女の、悲しげな謝罪も、風の竜の悲惨な断末魔にかき消されて、聞こえなくなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 要塞外周部。

 

『ッカアーー!!?無茶苦茶じゃあ!!!』

 

 死霊兵ロックと水竜との激闘は続いていた。

 水竜は現在、要塞を狙ってはいない。その全てが一斉に、巨大な終局魔術の準備を始めたジースターに向かっていた。自分を消滅させる可能性を排除するために、その力を一気に引き出していた。

 

『AAAAAAAAAAAGGGGRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!』

『最早なりふりもないのう!なんじゃあこの形状!』

 

 胴長の竜のカタチをかろうじて模していた水竜は、既にその形態を捨てていた。周囲の水が全て一斉に変貌し、形をとり、一体の巨大な怪物に変わっていた。

 数十を超える巨大な腕に、無秩序に伸びた足。腕から伸びた竜の身体、更に中央にはとてつもなく大きな口が、獲物をかみ砕かんと蠢いている。

 

 近しい生物を当てはめることは不可能な、形容しがたい怪物が出現していた。

 

『――――じゃが、形振りかまわないのはこっちの得意分野じゃい!』

 

 その怪物に向かって、同じく形容しがたい怪物のようになったロックが飛びかかる。

 その両腕の竜牙槍から光を放ち、灼熱の光を放出し、ジースターを狙う無数の腕を一気になで切りにした。

 

『ッカア!!!!』

 

 水の性質を有している。腕が蒸発し、消滅する。が、油断は全く出来ない。水という性質を有しているならば、蒸気と化しても尚、滅しきれている可能性は低いのだ。

 

『――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 ロックの予想通りとなった。霧散しそうになった蒸気は、一瞬輝くと、その場で即座に結びつき、再び水となった。ロックを包囲すると、一斉に水の刃が全方位から、ロックに襲いかかった。

 

『っぜぇええええええいいいいいいい!!』

 

 全方位に向かって、ロックは竜牙槍の咆哮を射出する。のみならず、無数の腕から、エシェルによって補充された【白王札】を一気に放り投げる。一枚一枚、苦心してリーネが作り上げたそれを、一切躊躇無く使い切る。

 竜牙槍の熱光に 水の包囲や消し飛ぶ。が、その次の瞬間、ロックは足下から凄まじい力が凝縮していくのを感知した。巨大な怪物の口の中に無数の魔眼が集まっていた。それらが強固に結びつき、たった一つの巨大ば魔眼へと形を変えた。その魔眼がロックを睨み、更に彼の向こう側のジースターを睨み付けている。

 纏めて消し飛ばすつもりだ。ロックはソレを理解した。

 

『【骨芯変化ァ!!!】』

『AAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRR!!!!!』

 

 装甲の合金を全面に押し出し、巨大なる鎧を前に展開する。同時に魔眼が輝きを一際強くさせ、その力を解き放った。

 それは上空で今も時折此方を狙い打つような、光熱ではなかった。ソレとは対局の、一切を停止させ得る、絶対零度の光だった。ロックは自身の前方に展開した装甲が一瞬にして凍り付き、砕け散るのを目撃し、哄笑した。

 

『無茶苦茶じゃのう!!!カカカカッカカカカカカ!!!』

 

 手持ちの竜牙槍の魔導核の全てを全力稼働させる。その放熱でもって完全に凍り付くのを回避する。だが、長くは持たない。速くも幾つもの魔導核が悲鳴を上げて、砕け始めている。だが、まだだ。まだ――――!

 

《ロック!!!》

 

 その限界状態の最中、ジースターからのきわめて短い通信が聞こえた。ただの呼びかけだったが、そこに込められた意味をロックは即座に理解した。

 

『応!!!』

 

 凍り付き、使い物にならなくなった装甲と武装を捨て、それを無事な竜牙槍で打ち抜き、爆破する。一瞬、冷却の光が散らされる。そしてその隙をつくように、背後のジースターが動いた。

 

《【天魔接続:魔よ来たりて狂い吼えよ】》

 

 たっぷりと時間をかけて作り出された終局魔術。無尽蔵の天魔の魔力によって溜め込まれたその熱量は、先ほど水竜が放った絶対零度の光を凌駕していた。躊躇無く、ジースターはそれを解き放つ。

 

《【極火の咆哮――――――!?】》

 

 その瞬間、解き放たれた灼熱の炎は、“ゆがんだ”。

 

《なに!?》

『なんじゃあ!?』

 

 その現象は、ロックにもジースターにも理解できないものだった。魔術の光が、まるで何か、吸い込まれて、引っ張られるようにゆがんだのだ。水竜に直撃するはずだったその熱量は、水竜をかすめることも無く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ジースターの渾身の一撃をすっかりと飲み干した闇は、徐々に鮮明になる。それは生物らしい形をしていなかった。どちらかというと人工物に近い。幾何学のカタチが幾つも連なって出来た鉱物のようであった。唯一、その中心についた魔眼だけが、それが生命であり、竜であることを示していた。

 

『kkkkkkkkkkkkkkarrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr……』

《……三体目か》

『おいおい、勘弁せいよ……!?』

 

 それが、地の力を持った第三の眷属竜であると理解したジースターとロックは、うめき声をあげ――――

 

「【愚星】」

 

 その竜が放つ闇よりも更に黒い暗黒が、背後から、竜を一気にたたき潰した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三竜⑩ 敗北

 

 

「はっは!大当たりだ!気分が良いねえ?隠れて敵の伏せ札をぶち抜くのは!!!」

 

 即座に戦線から離脱し、姿を隠していた魔王は、自らが瞬殺した土の眷属竜の死骸をグズグズに破損させ、哄笑していた。その様を、下から見上げていたロックはあきれ顔になった。

 

『たんのしそうじゃの~あの魔王。しばいてええカ?』

「手伝おう。後でな」

 

 ジースターの魔術は空振りに終わったが、その結果土竜を引きずり出して、魔王が土の竜をほぼなにもさせぬまま落とすことに成功させたと考えれば、悪い結果ではなかった。問題は、要塞を取り囲む水竜がまだ健在な点だが……

 

『――――――』

 

 しかし、その水竜は何故か今は少しおとなしい。幸い、というべきなのかもしれないが、やや不気味だった。ロックは警戒し身構えていると、上空では状況が動いていた。

 

『あら、ブラック坊や。お久しぶりですね』

「俺を坊や呼ばわりしてくれるのはお前だけだよ。グリードおばあちゃん?」

 

 グリードが、魔王と接触した。

 グリードの後方では、ディズとシズクが距離を置いている。グリードに追撃をかけないのは、そうすれば死ぬからだろう。現状、グリードと正面からやりあっていけるのはユーリだけだった。

 会話をして、ユーリが回復する時間をくれるというのなら、それに越したことはない。

 

『また、ズルをしようとしたのですね、ブラック』

 

 その此方の魂胆を見抜いているのか、それすらもどうでもいいのか、グリードはブラックに向かって言葉をなげかけた。

 

『貴方、とても賢いから、なんでも出来てしまうのでしょうけれど、大抵の試行錯誤を飛び越えて、結果をつかみ取ってしまうのでしょうけど』

 

 言い方はどこか、口うるさい母親のようだったが、無論、グリードがそんな生やさしい存在であるわけもない。ブラックも、既に哄笑を止めて、眉をひそめた。意図を読み切れない。というのが伝わった。

 ロック達も同じだ。この会話の狙いは――――

 

『そういう、ズルばかりしていると、痛い眼見るって、言いませんでしたか?』

「――――マジか」

 

 そして、その変化に真っ先に気がついたのは、やはりというべきか、ブラックだった。彼は自分の傍でぼろぼろに砕け続けていた土の竜の残骸に対して、即座にもう一度ど闇を放った。が、

 

『―――――k』

 

 それは土竜、最後の力だったのだろう。その鉱石のような肉体が一瞬輝くと、一気にはじけ飛び、魔王の身体を弾き飛ばした。そして、残された残骸は、通常の重力に従って落下していく。

 その瓦礫の中に、先の土竜の力と同じ力に守られて、落下していくものがあった。それは―――

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 救助部隊は集結し、連絡があったポイントに集まっていた。

 幸いにして、迷宮の規模は広大であったもののの、事前に本隊が攻略を進めたルートをなぞる分には楽にここまで到着することは出来た。迷宮そのものの変動が起こった場所もあり、魔物の手強さはそのままな為、容易ではないのは間違いなかったが、待機部隊の実力さえあれば、対処は可能だった。

 

「申し訳ありません、イカザ殿」

 

 救助を待っていた従者の一人、ファリーナはイカザ達に頭を下げる。表情には強い疲労をにじませていたが、全員無事であるらしい。部隊の足下に展開していた【白王陣】、レイラインの置き土産が正しく作用していたいようだ。

 

「皆がご無事で良かった。治療完了後、急ぎ、安全領域まで案内をします」

 

 イカザの言葉にファリーナはうなずき、その後小さく顔をしかめ、うつむいた。

 

「どうされた」

「……口惜しいのです。どこまで王の助けとなれたのか」

 

 その嘆きは、他の全ての救助された者達も同様らしい。全員、疲労困憊でありながら、やりきれない悔いのようなものを表情に浮かべていた。

 

「迷宮の探索というものは、想像を遙かに超えて、神経を削ります」

 

 そんな彼らに対して、イカザは優しく、ゆっくりと言葉を重ねた。

 

「強欲は悪辣と聞く。自分たちと接敵するまで、徹底的に心身を削りに来たはず」

 

 実際、ここに来るまでの間、攻略されてきた迷宮の階層はどれもこれも、悪辣で邪悪だった。先行した本隊が、どれほどの苦労を重ねて攻略を進めたのか、イカザにはすぐに理解できた。

 そして、そうした苦闘の中、此処に残った彼らは限界まで尽くしたはずだ。むしろ、戦力となる彼ら以上に全力で事に当たったはずだ。

 戦闘では、力になることが出来ない。ならば、それ以外の全てで、僅かでも彼らが休めるようにと。それこそ命がけで。

 そうでなければ、深層に同行などと、出来ないはずなのだ。

 

「その中で、貴方がたの助けは間違いなく、一助となったはず。誇ってください」

「ありがとうございます……」

 

 どこまで、その言葉が慰めとなったのかはわからないが、それを聞き終えたファリーナは、少し落ち着いて見えた。彼女はそのまま、頭を下げて、懇願するように囁いた。

 

「どうか、王を――――!?」

 

 しかし、彼女の言葉が終わるよりも速く、その場でとてつもない振動が走った。迷宮の変動か!?と、イカザは警戒したが、ソレは違った。その衝撃は、振動は、もっと地下深く、遙か深層で起こっている。

 それが、意味するところを、イカザは即座に察した。そして

 

「――――――」

「グレン!?」

 

 同じく、それを察したのだろう。グレンは一人、その場から抜け、深層へと続く会談へと飛び降りていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ディズは最初、その現象が何を意味しているのか理解しきれなかった。

 

 土竜が、最後の悪あがきで自滅し、ブラックがその自爆に巻き込まれた。力の爆発と、その際にまき散らされた瓦礫の山で視界は塞がれた。爆発には巻き込まれて入るが、ブラックは無事だ。傷も負っている様子も無い。最後尾の悪あがきは不発に終わった。

 

 筈だった。だが、心臓を突くような悪寒が晴れない。

 

 そして同時に、遙か上空で、同じような輝きの爆発が起こった。その場所をディズはすぐに察した。アカネと、風の竜が暴れていた場所だ。つまり、風の竜も討たれたのだ。

 

 アカネがやったのか!

 

 それを確認するよりも速く、その上空から、風の竜の肢体、黒ずんだ身体が落下していく。恐らくアカネ我使ったのであろう“力”影響を受けたのだ。影響がある内は、近づく事も出来ないため、眺めることしか出来なかった。

 だから、気づくのが遅れた、風の竜の遺骸、その頭部にある【魔眼】が、【赤錆】の滅びから逃れ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「いけない!!!」

 

 シズクの、恐ろしく焦った声に、ディズは正気に叩き戻された。そして同時に彼女と共に飛び出した。その輝きが、何を意味しているのか、なにもわからない。理解できていない。危機を叫んだシズクだって同じだろう。

 

 それでも、今落下している魔眼を自由にさせてはいけないと、そう感じたのだ。

 

 落ちきる前に、魔眼を破壊する。がむしゃらにそうしようとした。だが

 

『あら、だめよ』

 

 光熱が降り注ぐ。グリードの光熱は全方位に、まるで雨のように降り注ぎ、その場にいる戦士全ての動きを封じた。ただの足止めであるはずなのに、油断すればそのまま殺される破壊力を有していた。守りを固めるだけで精一杯だった。

 そして、その光に隠れるようにして、魔眼は落ちる。

 

『AAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRR――――――』

 

 水竜の、泉の中へと。

 

「まさか……!!」

 

 そして、その瞬間、ディズは直感的に理解した。

 

()()()()()()()()()()!?」

「プラウディアの……!?」

 

 ディズは人伝に聞き、シズクは体感していた。

 大罪竜プラウディアの眷属竜。異形の赤子のような姿をしたそれらが、死した同胞を喰らいあい、強化を繰り返した現象を。それを、今此処で再現しているというのならば――――

 

『あら、開発者は私ですよ?正確なオリジンは【嫉妬】ですが』

 

 そして、それを肯定するように、グリードは微笑みを浮かべた。

 

『プラウディアにせがまれて、教えたのですけど……ええ』

 

 二つの魔眼が落下した湖は、輝く。激しい光と共に、一階層全てをまるまる飲み込むほどの膨大な水が全てが浮き上がり、同時に一瞬で圧縮した。

 

『あの子、あんまり上手では無かったですね?』

 

 そして、まるで、大きな卵がかえるように、その光の凝縮は砕け、その中身が姿を現した。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 それは、莫大な光と、空気を焼くような熱と、音を放っていた。バチバチと、光が跳ねるたびに、その熱が空間を焼き、周囲に伝わった。存在するだけで、そこに在るだけで全てを焼き尽くすようなエネルギーが、何故か生物としてカタチになっていた。

 あまりに理不尽なその存在に、ディズは眉をひそめた。

 

「雷の、竜……!?」

『強者との命の奪い合い、その敗北の果ての進化』

 

 その竜を、まるで撫でるようにして、大罪の竜グリードはどんな名剣よりも鋭い指先で雷をなぞった。バチリバチリと、両指の剣すらも焼き尽くさんばかりの熱に、彼女は満足そうに笑った。

 

()()()()()()()、ええ、上手くいきましたね……さて、いい加減、目障りですね』

 

 そして、その鋭い眼光は、自身の懐に居座る侵入者の城へと向けられる。

 

『――――焼け、【金】』

 

 天を割るかのようなおどおろおどろしい産声と共に、雷の竜は天賢王が体を癒している一夜城にむかって落雷した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三羅

 

 

 出現した雷の竜は、あまりにも膨大な質量を持っていた。

 

 この階層の全てを覆い尽くすような水の竜が転じたのだから、その物量は当然と言えなくも無かったが、迷宮上空を覆うほどの竜が、雷の如く熱量を常時放出しているのは圧巻の一言に尽きた。要塞の中から、その様子を観察していたエシェルもまた、その竜の有する魔力量に圧倒され、同時に理解した。

 

 この竜は、先ほどまでの水や、風の竜たちのそれとは別格だ。

 

 先ほどまでの攻撃は、リーネが随時修繕を掛けていた。王と、自分を守っているこの要塞が崩壊してしまわないように、常に破損箇所を修繕し続けるという無茶をしていた。

 だが、コレは無理だ。この竜がなにかをすれば、その瞬間要塞は崩壊する―――!

 

『GRRRRRRRRRRRRRRRR………――――――』

 

 そして、その最悪の想定の通りに、雷の竜は動いた。

 そこには一切の躊躇も、遊びも無かった。強欲の竜と、その眷属達にはとことんまでに、怪物としての余裕も、強者としての油断も存在しなかった。

 相手が弱者であれなんであれ、叩き潰す選択を選ぶ。

 

『――――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 咆哮と共に、雷が落ちる。エシェルはリーネに視線を向ける。彼女も頷き、自らに刻んだ白王陣を展開した。

 

「【ミラルフィーネ!!!】」

「【白王開門!!】」

 

 降り注ぐ雷を、鏡の大盾で反射する。防ぎきれなかった残る雷をリーネの力で凌ぎきる。

 

「っぐぅ!!?」

 

 だが、守りは完璧とは言い難かった。要塞の内部はあっという間に凄まじい熱がこもり、汗が噴き出した。壁から焼け焦げたような異臭が漂う。リーネの修繕が追いついていなかった。

 そうなることは分かっていた。要塞が一瞬で崩壊して、まるごと焼死しなかっただけ、上出来だった。なんとか、次の攻撃が来るまでの間に雷の竜を――――――

 

『あら、おもったよりかわいらしい子。初めまして』

 

 しかし、背後から聞こえてきた深淵から響くその声に、エシェルは震えた。直接は初めて聞く声だったが、それが何者の声かは否応なく理解できてしまった。今の一撃で出来た要塞の破損、リーネとグレーレが創り出した強固な防壁に生まれた亀裂。

 そこから侵入してきたのは、

 

「強欲――――」

『そしてさようなら――――――あら』

 

 凶刃が、即座にエシェルを貫く。よりも速く、彼女の周囲に光が展開した。小規模の、小型の魔方陣、この要塞が完成した直後、真っ先にリーネが敷いた対策。この戦いの要ともなるエシェルの守りを固める結界だ。 

 

「【っぐ……!!!】」

 

 その結界を稼働させたリーネは、既に自らに【白王降臨】を起動させていた。無数の杖の穂先が、グリードの禍々しい爪によってえぐれ、砕けていく部分の修繕をはかっている。

 

『驚きましたね。魔法陣?』

 

 その姿を見て、大罪竜グリードは目を細めて、驚くような仕草をした。

 

『現在進行形で編んでるのですか?描くのが、とても速いのですね――――魔法陣にしては』

「【むかつく……わ、ね!!!】」

 

 その露骨な挑発に、リーネは顔をゆがめるが、それ以上のことは出来ない。レイライン一族が長い年月の間つなぎ続け、更新し続けた白王の英知が押し込まれていた。光の速度で完結する最硬の魔眼と、ただただ純粋なまでの竜の剛力によって。

 これほどまでの屈辱はない! 

 リーネは怒りに顔をゆがめ、目端から涙をこぼした。しかしなおも、杖を握る力は一切緩めることはしなかった。

 

「カハハ!!最速と最遅のつばぜり合いか!!見る分には愉快だ!!」

 

 そこに、背後から天魔が飛び出した。無数の術式を周囲に浮かべ、肉体への強化をはたしたグレーレは、術者でありながら戦士よりも速く、エシェルとリーネを纏めてくびり殺そうとしていたグリードの身体を蹴り飛ばした。

 

『あら』

「グレーレ!」

「代われ!すぐに塞げよ!!」

 

 短い言葉だったが、その意味はすぐに分かった。エシェルに目配せし、リーネは王の下に駆けた。バトンタッチするように、リーネは杖を握り、王の治療を開始した。

 

「さて、不法侵入者にはご退去願おうか!!!」

 

 同時に、グレーレは再び術式を起動させる。グリードは警戒し身構えるが、それは攻撃の魔術では無かった。肉体的強度も、魔術的強度も何の意味ももたらさない。それ故にグリードは反応が遅れ、その隙にグレーレはそれを起動させた。

 

「【転移!!】」

 

 二人の姿はその場からかき消えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 天魔のグレーレが転移先として選んだのは、同じ迷宮階層の、その端だ。

 迷宮が機能を失っていない限り、転移の術は階層をまたいで使用することは出来ない。安全領域のような空間が安定した場所で無ければ、次元の中で迷子になるならまだ良いが、そもそも転移自体が不発になる可能性もある。

 強欲の竜を時空迷子にしてしまうという策も、事前の打ち合わせで検討されもしたが、そもそも迷宮の主である強欲の竜に、迷宮の特性を生かした戦術がどこまで通じるか怪しかったために却下された。ひとまず、王と鏡の精霊憑きからこの怪物を引きはがすのが、合理的に考えたグレーレの最善手だった。

 

『捨て身の転移、存外、仲間想いですね、【天魔】』

「っカ……ハハ!」

 

 問題があるとすれば、この手をとった場合、確実に自分が落ちるということである。

 最速の魔眼は、グレーレが転移を発動するよりも速く、グレーレ自身の身体を穿った。血を口からこぼしながら、グレーレは苦笑した。

 

「全く、徹底しているなぁ……?とことん魔術師という駒を、機能不全にする」

『後方支援から潰すのは基本でしょう?狙わない手はないですね』

「カハハ、本当に遊びというものがない!怪物らしく超然としていろ!」

『玉座でぼうっとしているの、暇なんですもの――――【光螺閃閃】』

 

 困り顔で首を傾げながらも、そのまま魔眼で此方を睨む強欲の竜に、グレーレは笑う。王がこの強欲竜を最後に回さなければならなかった理由はコレである。本当に、どうしようもないくらいに、遊びがない。

 このまま、自分という駒は落ちる。

 だが、()()()()()()()()()。そして――――

 

「――――良い位置だぜ、グレーレ」

 

 厄介なる魔王の射線に、誘導出来たのは、出来る最後の仕事としては悪くはなかった。だがグリードも魔王には気づいていたのだろう。即座にその場から離脱しようと動いた。

 その前に、無数の拘束術式をグレーレは展開する。

 

「カハハ、おいおい、もっとのんびりとして―――ッカハ!?」

『あら、いやですよ』

 

 その術式を、一瞬にして分解し、砕く。本当にこの竜は最悪なことに、魔術に精通していた。そのまま一瞬でグレーレの身体を引き裂き、更に振り返り、闇の星を纏った魔王に輝ける、最高硬度の魔眼を閃かせた。

 

「【愚星咆哮】」

『【光螺閃閃】』

 

 光と闇が衝突し、周囲の全てを飲み込み砕いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 赤錆の権能を使うと、とてつもなくつかれると言うことは分かっていた。強力無比な反面、あまりにも消耗が激しい。劣化創造よりも遙かに疲れ果てるのは「それが本来の機能を逸脱していてるからだ」とディズが言っていた。

 一回使えばぶっ倒れるような力で、なんとか風の竜を討てたので安心したが、その後、アカネは想定の通り、ぶっ倒れていた。

 しかし、此処は修羅場。眠っていて良いわけがない。

 使命感が、アカネを無意識の底から浮上させた。

 

《…………むう》

「やあ、アカネ」

 

 アカネが目を開くと、目の前には金色の少女、ディズの姿があった。彼女の顔を見て、アカネは少し嬉しくなったが、同時に悲しくもなった。

 

《わたし、しっぱいした?》

 

 友人の優れない顔から、未だにこの戦場は好転していないのだと察せてしまったのだ。しかし、ディズはそのまま首を横に振り、優しく微笑みを浮かべて頭を撫でた。

 

「いいや、十分によくやってくれた。君のお陰だ」

《むに……》

 

 気遣いだろう。というのは分かる。だが、悔しくもあった。アカネにとっての目標は、ディズの代えがたい相棒となることだ。彼女に勝利する為の契約条件がそれなのだ。

 

「ちょっと休んでて」

《うー……》

 

 だから、一方的に気遣われてしまうのは、対等じゃない。ソレが悔しかった。しかし、悔しいからと無理をするのは、余計にダメだとアカネは知っている。だからアカネは促されるまま、ディズの外套の中に溶け込んだ。

 

《また、よんでね》

「勿論」

 

 だが、それはただただ、疲れ果てて、安息に沈むためでは無かった。身体を癒やして、復帰するための補給だと、彼女は強く自らに言い聞かせながら、眠りについた。

 

「……さて」

 

 彼女が眠るのを確認し、安堵の息をついてから、ディズは再び上空を見上げる。隣のシズクも同じようにする。

 

「どうしましょう」

「どうしようか」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRRR!!』

 

 雷の竜の脅威は未だに続く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三羅②

 

 水竜は極小の魔眼同士が連なった、実体無き巨躯による物量で攻めてきた

 風竜はその小柄を生かして、天空から魔眼で全域を睨み、鋭敏にこちらを責め立てた。

 土竜は魔王の暗殺によって真価を発揮出来なかったが、重力を手繰ったのだろう。

 

 それらの魔眼が入り交じった雷の竜は、その3種の特性を有していなかった。

 

 実体があり、重力を操らず、風の刃を振り回さない。少なくとも、3つの魔眼の特性をそのまままるっと足し重ねたような性能にはならなかったらしい。が、

 

『GAAAAAAAAAARRRRRRRRRRR!!』

 

「…………!!!」

「どうにも、なりません……!!」

 

 脅威は、より増していた。

 要塞を守るエシェルの鏡、ディズとシズクはその陰に隠れる他なかった。あらゆる防御、あらゆる加護、結界が、あの莫大な熱量の前では全てが消し炭になる。一切の守りが通用しない。

 

「“停止”は!?」

「干渉する前に、熱量で焼かれます。悉く、対策されてます」

 

 シズクの竜への干渉も同様だ。本当に、どうしようもないくらいのエネルギーだった。ただただ膨大なエネルギーだけで攻守をどちらもまかなう様は、天魔のグレーレが超克した嫉妬の竜の特性にも似ていた。

 そう、嫉妬の竜にも似ているならば、その弱点も同じはずだ。

 

「こんなエネルギー、どう考えても、自分を保ち続けられるわけがない……!」

「だろうな」

 

 と、そこに、先ほどまで要塞の下部で水の竜と対峙していたジースターも、ディズ達と同じく鏡の陰に避難しに来た。ロックも同様である。

 

『おう、二人とも、無事で良かったわ!カカカ』

「ロック様も」

『いやあ、目の前で雷が爆発したものでな!死にかけたわ!』

 

 巨大人形のような姿のまま、要塞をよじ登る。幾つかの武装や装甲が焼け焦げているが、健在のようだ。戦力が増えたことは喜ばしい。

 

『GGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRRR!!!!』

 

 とはいえ、それでも先ほどから良いように、落雷をたたき込み続ける雷竜の対処が出来ないというのが現状ではある、先ほどの推測が正しいならば、放置さえしていれば、そのうち雷竜は自壊し出す可能性はある。が、

 

「自壊したとして、この【儀式】はまだ、終わっていない」

「だよねえ……」

 

 最悪な事に、雷竜の破滅は、好転の材料足りえない。

 

「もう一つ、あれほどのエネルギーです。自壊時、コントロールを失えば、この階層を丸ごと巻き込んで消し飛ぶかもしれません」

『性格わっるいのう!!』

 

 シズクの考察も、おそらく正しい。

 本当に、なにからなにまで最悪な敵だった。この魔性の頂点の視座を持ちながら、此方を殺し尽くすことに一切の手抜かりが無い。その点が色欲とは決定的に違っていた。

 死ぬほどたちが悪い。

 下手な手を打てばその隙を狙い、殺される。その場にいる全員、それを理解した。

 

《私がやる》

 

 その停滞を打ち破るように、鏡の女王の宣告が、通信魔具に届いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 要塞の外に出たエシェルは、既にその身にミラルフィーネの力を纏っていた。しかし、その表情は優れない。苦々しい顔で雷の竜を睨んでいた。

 

 引きずり出された……!

 

 この状況がどういうことなのか、エシェル自身もよく分かっている。

 引きずり出されたのだ。

 グレーレが大罪竜グリードを外に追い出した。残されたのはエシェルと王、そしてリーネだ。その状況下において、エシェルが外部の支援をしてる隙を狙われれば、リーネはエシェルを守れない。

 遠隔から魔眼を使い、周囲を索敵しながら支援するというやり方は、あまりにも隙が大きかった。此処までもそれを悉く狙い撃たれたのだ。この後もそれが無い保証は全くない。

 

 遠隔支援が出来ない。ならば要塞の中では自分は死に駒だ。

 

 王一人ならば、直接治療するリーネが彼を守れる。彼女には負担を強いるが、自分という戦力を、ただの護衛として回すのは非効率が過ぎる。そして、この戦場にそんな雑な戦力の余らせ方をする余裕は全くない。

 誘導されていると理解している。だが、それならば。

 

「戦場に私を出したこと、後悔させる……!!」

 

 なにもかも、思惑通りにさせるわけにはいかない。ハッキリと理解できた。大罪竜グリードには中途半端な小細工も、防衛策も、なにもかも通用しない。そんな怪物を倒す手段は、たった一つだ。

 

 本当に、純粋に、相手の地力を上回る以外に、方法は無い!

 

 エシェルは鏡の力を解放する。周囲を浮かび、自身を御する魔本が激しく振動をし始める。

 

「【ミラルフィーネ……!】」

 

 予感がしている。

 

 段々と、自分の中のミラルフィーネが強くなっている。魔本の制御、楔がちぎれかかっている。スーアが調整を施してくれたと言っていたが、それだけではもう、制御が利かなく成りつつある。

 

 強くなっている。

 この状況で全力を出せば、また制御が利かなくなるかも知れない。

 だが、それでも、

 

「何も出来ずに、皆が死んでしまうより、ずっとマシだ……!!!」

 

 その叫びと共に、エシェルの周囲に膨大な数の鏡と、竜の魔眼が出現する。それだけではなく、先ほどから要塞に襲いかかっていた無数の水竜の魔眼や、風の竜の刃すらも、彼女は取り込み、我が物としていた。

 それらを全て、雷の竜へと向け、そしてたたき込む。

 

「【鏡花爛眼!!!】」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 怪物同士の激突が始まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「エシェルが出たか……!」

 

 その様子を陰から確認したディズは、彼女が出ざるを得なくなった状況のおおよそを把握した。リーネが出ていない以上、王の治療はまだ進んでいるはずだ。それを信じる他ない。この瀬戸際の状況において、安全な場所で引きこもって自分という駒を殺すのでは無く、最前線に出て生かす決意をした彼女の覚悟をディズは尊重した。

 

 そして、彼女が雷の竜とやりあうその少し前、ディズ達のすぐ傍に鏡が出現し、ダヴィネ製の武装や、魔道具の数々を無造作に吐き出していった。

 意図は理解できる。

 安全な場所から道具や武具を支援する事がもう出来なくなるから、最後に持てる限りのものは渡しておこうという事なのだろう。

 

「さて、動かないとね」

「エシェル様の支援ですね。あの雷をなんとかしなければ、我々は壊滅します」

『グリードはええんか?』

「魔王と暴れている。前半、さんざん楽したんだ。働いて貰おう」

「問題はどう切り込むかだけど……」

 

 悩ましいところではある。

 ここにいる全員、個々人がかなりの戦力を有するグッドスタッフの集まりだ。やろうと思えばやれることは多いが、一方でユーリやエシェルのような、突出した戦闘力を有しているわけではない。

 平時なら、それでも十分打開が可能な力はあるのだが、此処は平時では無く、そして敵はまともではない。半端に外に出ては、むしろエシェルの邪魔になりかねない。現在、雷の竜と相対している彼女は、おそらく凄まじい集中力で、なんとかミラルフィーネの制御を成そうとしているのだ。その邪魔をするわけには行かなかった。

 

「俺が行こう」

 

 その状況で、ジースターは手を挙げた。

 

「行けるの?」

「大分無茶をすることになる。ロック殿にも手伝って貰いたいが……」

『カカカ!かまわんぞ!無茶は大好きじゃ!』

「では私は、ロック様の支援と強化に回ります」

「助かる」

 

 テキパキと状況が続く。ディズもまた、エシェルから送られてきた武装の選別を行いながらも、ジースターへと声をかけた。

 

「それなら私は貴方の後から続くけど……大丈夫?」

「正直、キツい仕事だが……」

 

 ジースターは深々とため息を吐きながらも、上空で戦うエシェルを見つめ、目を細めた。

 

「娘と同じくらいの年の子供だけに、命を張らせるわけにも行かない」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三羅③

 

 雷の竜、大蛇の如く長く悍ましい竜の頭部についた三つの魔眼。それがエシェルを睨み付ける。そしてその睨み付けるという行程を経た時点でその攻撃は完了する。

 

『GRRRRRRRRRRRRRR!!!!』

「っぐうううううう!!」

 

 雷が、睨んだ対象を焼き尽くす。

 だから、エシェルの戦略は鏡による守りを固める。鏡に三つの魔眼を写し、その視線自体を返す。呪い返しのように、「対象を見る」という相手の行程を跳ね返す。

 だが、そこまでやっても、どこまでやっても、全ての攻撃を返せるわけでは無かった。雷の竜はその巨体の割に素早く、俊敏に回り込む。鏡の防壁の隙間を縫うようにして狙い撃ってくる。

 既にエシェルの彼方此方が焼け始めていた。まさしく光の速さで、肉体が打ち抜かれる。

 だからといって亀の様に引きこもっているなんて出来ない。

 守ったところで、意味は無い。攻める。攻撃して、竜を落とす!!!

 

「【鏡花爛眼!】」

『GAAAAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 強欲の竜達と同じく、魔眼により睨み、砕く。

 エシェルの攻撃も決して、雷の猛攻と負けず劣らずの破壊力を有していた。合成竜の魔眼は一つ一つは弱いが、数がある。彼女が魔眼の力を一斉に解き放つ度に、上空は火の海に変わる。膨大な魔眼の力が一斉に竜を焼くのだ。雷と炎が上空を埋め尽くすその光景は地獄と言って差し支えなかった。

 

 やはりこの竜に実体は存在する!破壊できる!

 

 その地獄を作り出し続けるエシェルは、確かな手応えを感じていた。

 竜にダメージは入っている。水の竜のように、実体無き身体で翻弄してくることは無い。雷のエネルギーが肉体を覆い、それが盾のようになって覆い隠しているが、それでも本体は存在している。

 肉体が雷そのものだとか、そういう理不尽を超えた無茶苦茶はしてこない!

 なら、その雷ごと纏めて焼き尽くせば、倒せる!!

 

 そんな発想に至り、そしてそれを実行可能な彼女も、竜に負けず劣らず理不尽だった。

 

 黒のドレスは舞い、鏡は飛翔し、雷が花を咲かせ、竜が吼える。

 そして双方の魔眼がぶつかり合う。

 紛れもない、地獄の光景がそこにはあった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「…………ここに、首を突っ込むのか……」

 

 その、空の地獄絵図を眺め、天衣のジースターは憂鬱げにうめき声をあげた。空は今、雷と火の海だ。消滅した水の竜の影響故か、激しく巻き起こる火と雷の激突故か、暗雲のようなものまで漂い始めている。

 この階層自体も、最早揺れない事の方が珍しい有様だった。

 

『早速後悔しておるの?』

「これでも七天の中では大分常識人な部類でな。それでこの地獄に首を突っ込むのはなかなかな、精神に来る」

 

 そんなジースターの表情に、隣で先ほどから更に一回り大きく巨人のようになったロックが笑う。幾つもの人骨が形を変えて完成した巨腕をゆっくりと動かし、動作を確認しながら、カタカタと楽しそうに笑った。

 

『カカ、だとすれば、それでもこの状況でやる気になるのは尚狂っとるの』

「だと良いが」

 

 本当に、多少なりとも狂っていなければ、この地獄では戦えない。僅かでも常識を捨てなければ、飛び込んで良い光景ではない。

 

『さて、主、行けるカの?』

「可能な限り強化はいたしました…………大分ゴツくなってしまいましたが」

 

 自身の使い魔の状況を見て、シズクは悩ましそうに首をかしげた。

 現在のロックの状態は、彼女が言うように凄まじい。エシェルが戦闘状況に入る前に渡してきた無数の資材や魔導具の類いを、全て取り込み、全てを起動させている。最早死霊兵と呼称すべきかも怪しいようなゲテモノの巨人が生まれていた。

 

「うーん、想像以上に頭の悪い作戦になってきたね」

「それくらいでなければ、最強最悪の竜との戦いにはならない」

 

 ディズも苦笑する。今回支援に回るのはシズクとディズだ。この二人の支援ならば、まあ間違いはあるまい。問題があるとするならば、ロックの耐久性で有り、なによりもジースター自身がどこまで耐えられるかという点に尽きる。

 

「では、ゆくか―――――【天衣模倣・疑似再現・()()】」

 

 ジースターは覚悟を決め、ロックの背中に乗る。そしてそのまま力を展開した。模倣する先として選ぶ力は、最大にして最強、我らが王の力であった。 

 

『ぬ、う!!!』

 

 死霊の巨人が、まさに太陽の光のような熱と力に包み込まれる。その凄まじい圧力にロックはうめき声をあげる。痛みこそないが、その力の圧力に圧倒されているらしい。

 当然だ。使い手たるジースターにもこれはキツイのだ。維持するだけでも精一杯で、それ以外は何も出来なくなる。だからロックという名のその力を動かすための動力を必要としたのだ。

 

「天賢は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()!王以外、補助なしでは到底扱えない!圧死するなよ!!」

『お主もなあ!!ゆくぞ!!』

 

 そう言って、ロックは跳んだ。その衝撃だけで要塞が揺れる。ジースターを背中に乗せ、ロックはその巨体でありながら、空を跳んだ。外付けで装着した無数の魔導核が一斉に起動し、通常であれば即座にバラバラに空中分解しかねない肉体を、強引に守り、固める。

 

「【骨芯強化】」

「【星剣よ】」

 

 更に背中から、二人の支援を受け、その力でもって光の巨人は雷の竜へと一直線に跳んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「熱、くない!!!」

 

 手の指先や頬、膝、彼方此方に走る焼ける痛みをエシェルは無視した。【神薬】は無限ではない。痛い熱いといちいち使っていったらあっという間に在庫は尽きる。

 辛抱だ!!

 そう自分に言い聞かせ、雷の竜と相対する。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「このおお!!!」

 

 そのこちらの怯みを竜はその魔眼で付け狙う。その目の狙いは徐々に鋭く、正確になってきた。鏡を正面に、盾として構えようとすると、それを避け、エシェルの周囲の空間を焼こうと狙い撃ってくるのだ。その熱の余波で、徐々にエシェルを削ろうとしてくる。

 その巨大さ、派手さに反して、こちらの嫌がることを学習し、すぐに反映してくる。

 悪辣な!!!

 その怒りが、エシェルの制御を眩ませる。内側から衝動があふれ出る。先のウーガで起こったミラルフィーネの現象がまた引き起こされるのを避けるため、エシェルは必死に自分の衝動を抑え込んだ。

 暴走させるわけにはいかない。あの状態になったら、自分がどうなるか、誰を攻撃するかすら分からないのだ。

 だが、あるいは―――――

 

 と、そう思考を巡らせていた時だった。

 

「っ!?なんだ!」

 

 眼下からの衝撃音と共に、エシェルは凄まじい光の塊が、一直線に雷の竜へと向かっていくのを目撃した。最初はそれは、シズク達の新しい魔術による砲撃かとも思ったが、それは違った。

 

『カカカカカカカカ!!!』

 

 奇妙なる友の声の、聞き慣れた笑い声と共に、その巨人は姿を現した。

 エシェルが「もうどうせ渡せなくなるから」とありったけ取り出しておいた様々な武器資材その大半を搭載し、混沌とした有様になりながらも、なんとか形として保たれている、死霊の友の姿がそこにあった。

 

「なん……!?ロックか!?」

『おう!エシェル!!!加勢じゃあ!!!』

 

 雷鳴に負けぬよう、凄まじく声を張り上げながら、巨人は一直線に拳を握りしめると、まっすぐに、竜の頭部に拳を振り上げ、たたき込む。

 

「【骨・芯・剛・拳!!!】

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!?』

 

 雷鳴にも劣らぬ、巨大質量の衝突音が、迷宮の深層に木霊した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三羅④ 視る

 

 

『あら、凄いですね、とてつもない無茶苦茶』 

 

 強欲の竜は、自身の生み出した眷属竜が生まれて初めての悲鳴をあげた事に驚き、それを巨大なこぶしで殴りつけた巨人をみて、更に驚いた。

 実に、デタラメだ。此方は丁寧に慎重に、一つ一つを積み上げてなんとか雷の竜へと至ったというのに、彼らは本当に、無茶苦茶な飛躍の仕方をする。

 ソレが美しくも恐ろしい。だからこそ、出来れば早々に始末をつけたかったのだが、なかなか思い通りにはいかないものだ。天賢王を暗殺出来なかったのも、大失敗だ。

 迷宮という、いわば自分の腹の中に招き入れて、尚不意を突けず、しかも逆に呪いもたっぷりくらって大幅に戦力を落とされた。自分自身を囮にした最悪のトラップにまんまとひっかかる自分の凡庸さに、グリードは、悲しくなる。

 

 そう、自分は凡庸だ。

 

 嫉妬のような鮮烈も

 色欲のような繁栄も

 怠惰のような安らぎも

 虚飾のような華美も

 暴食のような豊かさも

 憤怒のような慈悲も

 

 何も持たない、凡庸極まる哀れなる竜。

 持った権能は「視て、焦がす」というただ一つの能しかなく、魔眼のみであればヒトが容易に再現可能な代物で、超越的な力からほど遠い。果たしてコレで、どうやって役割を果たせば良いのか、グリードは大体いつも困っている。

 

 まあ、ええ、それでも、やれることをコツコツとやらなければいけませんね?堅実さは大事ですから。

 

「ぐ……」

 

 そう思い、前を向くと、天魔が死にかけていて、強欲は驚いた。

 まだ死んでいない。

 

『凄いですね。腹を焼いたはずですが。それではさようなら』

 

 驚いたので、即座に光の魔眼をたたき込んだ。蘇生による回復が出来ると思ったから、念入りに百発くらいの熱光を瞬間的にたたき込んだ。すると、グレーレが焼かれる直前、その前に真っ黒な闇が光を飲み込む。グリードは目を細めた。

 

『仲間思いですね?ブラック』

「お前相手に下手に駒減らせねえんだわ、グリード」

 

 魔王ブラック。数十年前だったかに一度、此方に“暗殺”を仕掛けてきた悪い男だ。その時はまだ、可愛げはあったが、今はその温さはなくなっている。迷宮探索中もゲラゲラと笑っているようで、目はまるで笑っていなかった。しかも【怠惰】に加えて、【暴食】まで下してしまっている。紛れもない、イスラリアにおける“特異点”といえるだろう。

 他の強者達に加えて、こんな怪物まで相手しなければならないなんて、本当に大変だ。

 

『厄介な力ですね』

「お前相手にも有効で嬉しいよ」

『全く、いろんなズルいヒト達がいっぱいで、大変です』

 

 そう、大変なのだ。大変なのは分かっていたから、ちゃんと準備はしていた。

 あの禍々しい闇を引き裂いて、食い千切る光の魔眼。

 

『【光螺閃閃】』

 

 それが輝いた瞬間、魔王は目を見開いてその場から飛び出した。

 勘もいい。

 光の魔眼の速度は紛れもない最高速だ。起動した瞬間、見た対象を焼き貫く。魔王の放つ闇、一切を“台無し”にしてしまうあの力であっても、力の減衰が起こる前に魔王の身体を貫くことが出来る。そうデザインされていた。

 

 以前の魔王の接触時、良いように暴れてくれたので反省し、自分の魔眼を鍛え直したのだ。

 

「最高硬度……!おいおいよくこんなもん育てたな?!」

『頑張りました、ウフフ』

 

 褒められるのは嬉しい。

 魔眼は、育てるのは大変なのだ。

 見ただけで、視覚に入れた対象を魔術的な効果を与える最高速の魔術。しかし鍛えるために必要な年月は最長だ。死地において、強者を打ち倒す事を経る試練の儀や、魂の譲渡による昇華のような“飛躍”は、強欲の竜という立場では望めない。だから必要なのはひたすらに地道な研磨だった。

 そんな試行錯誤の果てに生まれた魔眼だ。努力の成果が実り、結果を出すことのなんと喜ばしいことだろう!

 

『ええ、だから、精一杯使ってあげないといけませんね』

「っだあ!?!!」

 

 微笑みながら魔眼の力を振るう。

 回避は出来ていない。魔王を含めて、この場に立っている戦士達は誰も彼も一流ではあるのだろうが、人体で、血肉をもって行動している以上、どう足掻いたって光よりも速く動く事なんてできない。強欲の視野から逃れることは出来ない。。

 だが、それでも致命傷を避け続ける魔王は流石だった。正確には致命傷を負いながら、そのダメージを“台無し”にしていく。理不尽な現象であった。自分とは違う、理を大きく超越した力を自由に振るえる敵達が羨ましい。

 彼以外の敵達も、様々な方法でこちらの攻撃から命を守ってくる。装備が良いのだろうか。本当にいろんな意味で、人類の手札の豊富さには呆れるやら、感心するやらだ。

 

「頭を消し飛ばしたら、流石に死ぬかしら――――あら」

 

 そう思っていると、空から光の剣が降りてきた。

 グリードは拳を握り、光の剣の腹を叩いてはじき飛ばした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……っ!!」

 

 ユーリは自らの不意打ちが失敗したことに歯噛みした。

 ウルの強引なスイッチ、そこからのディズとシズクの支援によって、最低限の猶予は得た。神薬を服用し、なんとか魔眼によって焼き尽くされ、竜の爪に切り裂かれた身体を回復させるまでには至った。

 そして、魔王を囮として、隙を突いて、完全に首を断ちにいった。

 にもかかわらず、その攻撃は魔眼すら使わず、体術ではじき飛ばされた。その攻防に、ユーリは違和感を覚えた。確かに、強欲の竜の体術は驚異的だったが、今のはあまりにも―――

 

『もう復活。神薬ってずるいですよね。あっという間に、回復して―――』

 

 しかし、驚いて、戸惑っている暇は無かった。強欲竜は動く。ユーリは即座に連続で剣を振るう。【天剣】、物理、魔力、どちらの障壁も一切関係なく一方的に両断する、最強の切断武器。例え、相手が強欲の竜であっても、それは有効の筈だ。

 

 だのに、強欲の竜の天剣は届かない。

 

『速い、鋭い、怖い。本当に、卓越した使い手ですね。ええ』

 

 剣はいなされる。絶対両断の力の宿った刃の部分には一切触れず、その腹をまるで撫でるようにしながら、軌跡をずらす。それはまさに達人の技術だった。しかし、それだけでは説明がつかない。

 こちらの良い動作、放つ技、その軌跡全てを、読み解かれている。

 何年、否、何十年も共に鍛錬を交わした旧知の間柄で在るような異様な錯覚に、ユーリはおぞましさを感じた。自分に対しての、それほどまでの理解がなければ、こんな身体の動き方は出来ない、はずなのだ!

 

『ですが、貴方の動きはもう、()()、学びました』

「視……!」

 

 ユーリは天剣を展開する。六つの剣を空中に展開する。それぞれを分割し、その全てが別の角度から竜の身体を引き裂くために飛びかかる。

 

『フフ、ウフフ、アハハ』

 

 だが、竜は舞う。

 蹴り、刃をひらめかせ、魔眼と共に剣を回避する。時には死角から飛びかかる刃を足場にして宙を回り、刃を振るって残る刃を蹴散らす。回避だけでも圧倒的だが、さらにその隙を縫って、魔眼が此方を狙い、閃くのだ。

 

「っが!?」

『速くて、鋭くて、強くて、圧倒的で、そしてわかりやすい』

 

 視る、視る!?

 大罪の竜、その本質をユーリは垣間見た。だが、それを考えている暇は無い。光の魔眼によって焼かれる激痛をこらえながらも、剣を振るう。魔眼に距離は意味が無い。距離を取られても攻撃の手段はあるが、敵の方がアドバンテージは圧倒的に大きくなる。なんとしても食らいつかねばならなかった。

 

『元気ですね?どうしてそこまで頑張るのです?』

 

 だが、その光の剣は、砕けつづける。砕けていく最強の剣の向こう側で、竜の嘲りは響く。

 

『もしかして、天賢王か、天祈におだてられてしまいました?“貴方最強です”って。本気にしてしまいました?』

 

 まるで何もかも見透かすように、竜の声は木霊する。最悪の魔性の冠にそぐわぬ悪辣な声は、容赦なくユーリの耳を打った。

 

『可哀想、ふふ、ウフフ!天剣は、攻撃以外の脳のない、もっとも弱い権能ですよ?』

 

 障壁が崩れる。だが、その向こうには強欲の竜の姿は無かった。

 憚られた、と、そう理解した時には、背後から放たれようとしていた魔眼の光量は、最早強欲の竜の姿すらも覆い隠すほどとなっていた。

 

『私と同じ。かわいそうですね?』

 

 そう囁いて、光が放たれる。ユーリは自分の背中に大穴が空くことを覚悟した。

 

「えらく、おしゃべり、だな!!」

 

 その背中を守るように、ウルが庇い、光をはじき飛ばした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 あっつううううううう!!?

 

 間断の一切無い光の魔眼をウルは再びはじき飛ばす。

 既にこの攻防も何度目かになるが、まるで慣れる気がしなかった。権能は発動し続けなければ防ぐことはままならない上、いなしたりすることも出来ない。

 

「強欲、ってのは、舌が、回りすぎるってのが、罪なのか!!?」

 

 気を紛らわせるために、ウルは叫ぶ。返事が来るとはおもっていなかった。自分を奮い立たせるためには何だって良かった。

 

「随分と!浅い罪だな!!」

『辛辣ですね。悲しくなってしまいます』

 

 だが、意外にも返事は来た。背後から襲ってくる魔王の咆哮を華麗に回避しながらも、彼女は楽しそうに笑った。

 

『喋るの、好きなんです。体力も魔力も消耗せず、言葉で相手の動揺を誘うの、とてつもなくコスパが良くないですか?』

「合理主義ィ!?」

『なので、もっとおしゃべりしましょうか。ええ。その前に死んでくれるともっと助かるのですけれど』

 

 そういって、彼女は光を放ったまま、舌を出した。子供のように、あかんべえと口を開く。一瞬その意図をウルは理解できなかったが、その口の闇の中から光るソレを前に、ウルは顔を引きつらせた。

 

『【赤】』

 

 何も知らない人々が夢想する竜の如く、大罪の竜グリードは口から灼熱の炎をはき出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三羅⑤ 降臨

『少し火傷しまひた』

 

 灼熱を口から吐き出したグリードは、べろりと長い舌をだして、少し悲しそうにうめいた。火傷をして、口がいたい。いくら自分が魔眼の使い手とはいえ、流石に口から不意を打って魔眼を発動するのは少し無理があった。

 竜の再生力で、回復はするのでもう痛みはないが、しかし一方で、グリードは今の攻撃に対しては不満だった。自傷してしまったことは置いておくにしても―――

 

『ふむ、やはり、育成が足りませんね。仕方が無いことですが』

 

 炎属性の魔眼を有する【紅】は、既に倒されてしまった竜だ。その核となった()最高硬度の火の魔眼も丹念に破壊され、回収は不可能だった。やむなく新たに魔眼を育てたが、とてもでは無いが本体を創り出すことは出来ず、なんとか用意できたのは魔眼のみ。それも大分劣化している。

 威力も、他の属性竜達と比べて落ちてる。このように、

 

「っぜぇい!!!」

『貴方一人落とせない。悲しいです』

 

 直接炎をたたき込んでも、灰色の少年一人落とせないどころか、反撃を許す程度の威力しか出せない―――とはいえ、流石にこれは、少年の方を褒めるべきだろうか。

 

「―――!!」

『神薬……いえ、自動回復(リジェネ)ですか、それに―――』

 

 焼け焦げた彼の身体が、ゆっくりとであるが回復していく。神薬を飲む暇なんて無かったはずだ。ならば彼自身の、固有の異能だ。他の面々と比べて酷く戦術が単調であるのでやや脅威としては下に視ていたが、伊達にこんなところまで一緒にたどり着いてはいないらしい。

 そして、此方を睨み付け、捕らえようとする昏翠の魔眼。おそらく、【紅】よりも更に上、自分の持つ、二つの魔眼と同格の最高硬度の魔眼。

 

『七天以外にも、こんなおかしな子が来るなんて、困りましたね―――む』

 

 強欲の性質故だろうか。じっくりと少年を視てしまったのが、災いした。仕留めようと動く前に、少年は不意にその場から距離をとって離れる。それに反応するよりも前に

 

『っしゃあああああああおらあああああああああああああ!!!!』

 

 生まれたばかりの雷の竜が、その胴体をひっつかまれて、巨人に振り回されてグリードに向かって叩きつけられた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『カアアアアアアッカッッカッカ!!!気分がええのう!!!』

 

 シズク、ディズ、そしてジースター。三者の全力の支援を受けて圧倒的な力を身に纏った巨人が、雷の竜の身体をひっつかみ、振り回す。その光景を見たエシェルは、魔眼による遠距離攻撃の手は緩めずにはいたものの、唖然としていた。

 

「だいじょうぶなのかああ!?!」

『おらああ!!泣き言いわんと手伝わんかあああ!!!』

「やってる!!!」

 

 ロックは竜の身体を振り回す。当然、竜の身体にまとわりつく雷は、直接それをつかんでいるロックの身体を焼き砕くし、空から降り注ぐ雷鳴はロックを直接狙い撃つ。

 

『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRR!!!?』

 

 だが、ロックはそれでも一切、手を離さなかった。エシェルが創り出した鏡を足場に両足を踏ん張って、竜を背負い投げる。地面に叩きつけ、壁で削り、天井を砕いた。途中、幾度か一夜城を掠めていたのはご愛敬だろう。

 

『カッカッッカ!!!!おらあ泣いて叫んでおかあちゃんよばんカあ!!!』

「完全に、悪者だな……!だがこのまま……!!」

 

 ロックの背で、直接彼に力を下ろしているジースターは苦しげだが、それでも耐えていた。決して手は緩めず、巨体となったロックの身体は更に加速した。

 

『っせええええええええええええええええええええええええい!!!!』

 

 そして、最早その巨人の体躯、雷の竜の胴体から見比べれば、随分と小さく見える大罪竜グリードへと、その竜をまるで武器にでもするかのような勢いで、直撃させた。

 酷いが過ぎる!けどやった!!!

 倒せた、とは思えない。だけどいくらかのダメージは!そうエシェルは期待した――――が、しかし、

 

『あら、泣いてばかりで情けない。そんな風に育てたつもりはありませんよ』

 

 強欲竜の優しげな声が、エシェルの臓腑を冷えさせた。

 

『GRRRRRRRRR……』

『ぬ、ぅ……!?』

 

 ソレがどういう現象なのか、グリードは、自分の元へと叩きつけられた雷の竜の鼻先を、抱きしめていた。それだけでぴたりと、先ほどまで幼児に与えた玩具のように振り回された雷の竜はその動きをぴたりと止める。振り回していたロックも、その硬直状態に戸惑っていたが、変化させることが出来ずにいた。

 エシェルの魔眼の砲撃だって、続いている。ダメージが通っていないわけじゃない。雷の竜の身体は崩れている。なのに竜は動かない。自分の身体の崩壊よりも、グリードの言葉の方が大事だというように。

 

『ええ、そう。よい子。さあ、頑張って』

 

 天剣を捌き、竜牙の咆哮を弾き、魔王を追い回して、その状況で尚優しげに強欲の竜は微笑む。その雷の竜の頭をよしよしと撫でて、口づけする。そしてそのまま口からは、緋色の魔眼を差し出した。

 

『赤は、相克できないので不完全ですが、ええ』

 

 緋色の魔眼は、雷の竜へと溶け込んだ。

 

『不完全は、許容出来なければ強くなれませんからね。最初から完全というのも、面白みに欠けますし』

 

『GRRRRRRRRRRRRR――――――VAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

『良い子』

 

 雷の竜は転変する。灼熱の雷は、更に激しく渦巻く力の塊となって、そのエネルギーを一気に周囲へと放出した。

 

『【四極】』

 

 四つの属性が入り交じり、相克し、そして極限へと至った力は、最早逃げ場のない完全なる爆発となって、その階層全体を包み込んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 完全に更地となった迷宮の中心で、大罪竜グリードは自身が創り出した眷属竜を興味深げに眺めていた。

 

『VA』

『ふむ……意外に、小さくなりましたね?こういうものでしょうか』

 

 四極の竜は、可愛らしく鳴いた。存外に、小さくなった。風の竜よりは流石に大きいが、強欲の竜よりも少し小さいほどで、少し可愛らしくもある。

 

『目指したところには遠いですが、いくらかの不格好さも、悪くはないですね。そう思いません?』

 

 そう問うて、振り返る。その瞬間、瓦礫が跳ねる。

 戦いは終わってはいない。いくらかの駒は更に落とせたかもしれないが、全てに決着がついたなんて慢心を、当然強欲の竜は犯さない。

 

「【愚星咆哮】」

「【咆哮】」

 

『VAA』

 

 白の竜牙槍と、邪悪なる闇の銃口。二つの咆哮からの砲撃を、四極の竜は受け止める。天祈の力を再現した光は、しっかりとその攻撃から強欲の竜を守った。灰色の少年の竜牙槍は兎も角、魔王の攻撃も一時であれ、受け止められているのは幸いである――――アレの性質上、完全とはいかないだろうが。

 そして、更にもう一方から向けられる殺意を、グリードは既に理解していた。

 

『粘りますね』

 

 背後からたたき込まれた光の剣に対して、最早グリードは振り返る事もしなかった。四極の竜が魔王を押さえている間に、光の魔眼を再び起動させる。

 

『ですが、貴方は、ええ。もういいです――――っと』

「【狂、え!!!!】」

 

 光の魔眼の起動が色欲にはじかれる。流石に、色欲の権能は無視が出来ない。光は強いが取り扱いは危険だ。うっかり間違えると自分を両断してしまう。 

 そしてその隙に、灰色の少年は、もうボロボロになっている天剣の前に守るように立ちふさがった。

 

『必死、恋仲でした?』

 

 返事は無かった。もうその余裕もないのだろう。血にまみれた少年は、死にものぐるいで此方を睨んでいた。おそらくもう一押しで、優勢の天秤は更に傾き、戦況は崩壊する。此方に勝利は転がり込む。

 それは分かっていても、強欲の竜は何一つ油断しない。

 理解していた。まだこの戦いは、何一つ終わっていない。なぜなら――――

 

『VA?』

 

 四極の竜が、驚き、声を上げる。強欲の竜もその変化を理解した。先ほどの衝撃で崩壊した敵側の要塞、その残骸の山から、何かとてつもない力が吹き上がっていくのを。これまで敵側が起こした様々なデタラメを遙かに上回る力が出現したのを。

 

『間に合いませんでしたか。()()()()、きっちりされてしまいましたね。偉そうに言って、恥ずかしい』

 

 強欲の竜はため息をついた。敵の無茶苦茶なあがきは、結果に結びついてしまった。

 敵の粘り勝ち、といったところだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『【天賢】――――ああ、しかも』

 

 光の巨人。人類が許される最大の力。だがそれだけではなかった。

 巨人の背に浮かぶ、精緻で美しい紋様。魔眼の竜が思わず見ほれるような、魔方陣を、巨神は背負っていた。

 

「【天魔接続・無尽・白王降臨】」

 

 天賢王アルノルドが、白王の力を降臨させ―――

 

「【天罰覿面】」

 

 その巨神の拳を一挙に此方にたたき込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四極 彼がいなければならなかった理由

 

 

《この言葉を誰かが聞いていると言うことは、俺はもうこの世にはいないだろう》

 

 リーネの周囲を旋回するように浮遊する魔導具は、あの茶屋で渡されたものであり、そこから吐き出されるのは、遺書だった。あまりにも殊勝に、真剣に吐き出された天魔の声は、途中でその事に飽きたのか《ふむ?》と呆けた声を発した。魔導具はそれを再現するように傾いた。

 

《んー、まあ?そうならぬように努力はするつもりではあるのだが、本当にそうなりそうなのが困りものだなあ?》

 

 グローリアが発狂して後追い自殺しそうでアレなので、生き残る努力はする!と、軽い感じで彼は付け足した。

 

《白炎のダメージの回復はまだ出来ていない。僅かずつ治療していったが、間に合わなかった。まあ色々と誤魔化すが、割と弱っている。強欲の眼には通じぬだろうなあ?》

 

 ケラケラケラと、楽しそうに自分の敗北、もしくは死を語る。無論、ただの音声ではその表情は分からないが、心底楽しい顔をしているのだろうなというのは想像がついた。

 

《故に、俺は自分を捨て駒にするつもりなので置き土産を残す。上手く使うと良い―――ま、俺以外の誰かが生き残っていればだがな?》

「【ほんっとうに大概よねあの大賢者……!】」

 

 先の敵側の攻撃によって完全に崩壊した要塞の内部。崩れた瓦礫の山の中で、グレーレの自立魔導機に守られたリーネは顔を歪め、笑う。既に彼女の前に王の姿はない。崩壊の最中、グレーレから受け継いだ仕事を完全にこなしたリーネは疲労困憊になりながらも、決死の思いで立ち上がった。

 グレーレから預かった仕事は、まだ終わってはいない。

 

《【天魔】の()()、上手く行ったらレポートをよろしくな》

「【一千枚でもくれてやるわよ!!】」

 

 魔導機から送られてくる無尽の魔力を受け、リーネは叫んだ。速度に次ぐ、白王陣のもう一つの問題点、莫大なる魔力消費による燃費の悪さ。それが解消されたならば、怖いものは最早ない。

 

「王よ、お願いいたします!!!」

 

 偉大なるアルノルド王に付与した白王陣にさらなる魔力を込めるべく、リーネは叫んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 崩壊した迷宮に突如出現した光の巨人――――否、巨神を前に、大罪竜グリードは驚いていた。

 

『あら、コレは凄い』

 

 と、いうよりも、シンプルに感嘆していた。

 【天賢】は太陽の結界の維持という重大な役割を担う反面、攻撃手段はシンプルだ。【太陽神】という、信仰の結晶をその場に顕現すること。ただし、その力は大抵は一部のみだ。拳であったり、脚だったり、身体のパーツを部分的に出現させるに過ぎない。

 だが、今、グリードの前に神の肉体は完全に顕現した。

 しかも、それだけであるならまだしも、大幅な強化(バフ)を受けている。

 

『強化込みとはいえ、歴代の王達でも、ここまで力を引き出せたのは――――ぐ!?!』

「【天罰覿面】」

 

 評している間に、拳は飛んできた。その巨体にも関わらず、あまりにもその速度は速かった。反動で迷宮の壁がかち割れる。

 天の賢、と名付けられているにもかかわらず、あまりにも直接的な暴力に、グリードは身構えることも出来ずにそのまま壁にたたきつぶされた。

 

『っが……!!』

「【天罰覿面】」

 

 更に、左の拳がたたき込まれる。無論、先ほどともなんら変わらぬ破壊力だった。骨が砕ける。肉が引きちぎれる。世の名剣魔剣よりも尚研ぎ澄ませていた指刀が全てへし折れる。肉体の再生は可能だろうが、指の方は難しいだろう。頑張って研いだのに、残念だった。

 だが、嘆いてばかりもいられない。グリードは手の甲を巨神に向け―――

 

「【光―――】」

「【天罰覿面】」

 

 放った魔眼は突き出された掌底に弾き飛ばされ、そのままグリードの身体ははじけ飛ぶ。

 更に攻撃は続く。壁に叩きつけられたグリードの身体を、光の巨神が引っつかむと、迷宮の壁へと押しつけるようにして引きずり倒し始めた。グリードの身体よりも先に、迷宮全体がえぐれ始める。そして、無造作に神の手はグリードを放り投げた。

 ズタボロに削り取られたグリードは無防備に放り投げられる。激痛に悶え、姿勢を整えようとした彼女は、その投げられた先に、新たなる神の拳を創り出して、身構えるアルノルドの姿を見た。

 

「【天罰覿面】」

『貴方、それしか、技、無いの、ですか?』

「無い」

 

 アルノルドは即答し、宙へと放り投げられたグリードに手刀をたたき込み、地面にたたき落とした。はじけ飛ぶ。平地となった迷宮の地面にクレーターが発生する。

 その結果、物理的な距離が開く。ようやく一連のラッシュが終わったかと思ったが、その安堵よりも早く、グリードの視界が目映く輝いた。

 

「【天罰覿面】」

 

 上空で神の瞳が顕現する。輝ける瞳は、そのまま熱光を放ち、落下したグリードを追撃した。衝撃でひび割れた地面の底が抜け、塞いでいた地下空間への穴が空く。全身を焼かれる痛みに堪えながら、グリードは地下深くへと落ちていった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「やーっとアルが起きたか。ったく。このまま終わるかと思ったわ!」

 

 迷宮が揺れ動き、変動していく最中、ブラックはやれやれとため息を吐いた。

 アルノルドが起きない限り、この戦場はどうあがいてもグリードに優位だった。ハッキリ言って、戦いようが無い。とっかかりもない、メタ読みの攻略法が絶無の、文字通りの最強の竜。

 それを打倒するには、こざかしい策では無意味なのだ。

 とっかかりの一切無い巨大なる崖、それを超えるには、それ以上の力しかない。

 だからこそ、アルノルドは他の七天に任せることも出来ずにここに来たわけで、その彼が早々に落とされかけたのには本当に冷や汗がでた。

 

 だが、目を覚ました。時間稼ぎと治療、その二つの仕事を残されたメンツは完璧に果たしたらしい。ならば、

 

「俺もちゃーんとやらねえとなあ?【愚星混沌】」

 

 ずるりと、虚空から闇が溢れ、魔王にまとわりつく。アルノルドの姿とは対局の暗黒を纏い、落下していくグリードを追いかける。すると途中、やたらと目映く輝くアルノルドが、魔王の傍に合流した。

 

「遅れた」

「本当にな、寝ぼすけめ……っていうかなんか目映くね?お前」

「ああ」

 

 アルノルドの姿はやたらとぴかぴかと輝いていた。天賢の力だけでは無く、恐らくその背に刻まれた、レイラインの魔法陣の力であろうというのは間違いないが、それをみて、アルノルドは納得したように頷いた。

 

「神の威光だ」

「物理的な話だったんだぁそれぇ……ま、良いか」

 

 大分とぼけた言動をしている。が、つまり、本調子らしい。ブラックは納得した。

 

「これでギリッギリ五分だ。さて、どう転ぶかね」

「勝たねばならない」

「マジメだねえ、アルは。負けるのも楽しまなきゃ、ギャンブルは続かねえぜ?」

「賭け事は好かない、な」

 

 アルノルドが身構える、拳を振るう。ブラックも同様にまとわりつく闇を盾のように展開した。奈落へと落下していく強欲の竜からの遠距離狙撃がとんできた。早くも体勢を整えたらしい。本当に、可愛げが欠片もない最強だとブラックは笑った。

 相克が進んだ四極の竜は未だに健在であり、此方の戦力も順調に削られ続けている。本当にどちらに転ぶか、どちらが破綻するかもわからない状況。その焦燥感と高揚感を魔王は楽しんだ。

 

「はっは!良い地獄だ!お前も楽しめよ!ウル坊!!」

 

 ここにはいない()()に呼びかけながら、魔王はやたらと目映い相棒と共に、奈落へと落下していく。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『VA』

「楽しめるわけねえだろ、くそ魔王……!」

 

 遠ざかる彼の言葉を耳にしながら、ウルは絶望的な声と共に、四極の竜と相対していた

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四極② 翼と瞳

 

『VA』

 

 四極の竜、と呼称された小型の竜は、というよりも鳥に見えた。

 金属のように身体には鱗も羽も無く滑らかだ。光の加減か、魔力の影響か、何色にも見えた。最早生物としても疑わしい存在が、宙を浮いている。

 そのシルエットは鳥に近かったが、翼は無かった。正確には、翼が在る場所に、槍の穂先のような刃が、無数に重なって立体化したような奇妙な物体が二つ、本体から分離して浮遊している。

 そして、目も鼻も口も無い頭部には、巨大な水晶が一つ、これまた翼と同じように頭部から少し分離して、浮遊し、空中で鎮座していた。それが、この奇妙極まる竜の【魔眼】であると理解するのは、困難だった。

 

 理解に、思考を回す余裕は、全くなかった。

 

「っぐ……!!」

 

 竜と相対したウルは、()()()()()()右腕を抑え込みながら、激痛に悶えた。

 

 鎧を貫通して、質の何かが駆け抜けていった。それが、竜から分離して、弾け飛んできた翼であることに気いたが、気づいたところでどうにもならなかった。

 

 速く、予兆も、音も無い……!?

 

 ウルの腕を引きちぎった刃が、戻ってくる。やはり音も無く、軌道も、どんな武器や、獣のそれとも違った。切れ味は恐ろしく、ダヴィネの鎧すらも、まるで紙切れのように切り裂いていった。

 また来る!

 刃の動きに合わせて、必死に横へと跳んだ。だが、その動きをまるで予知していたかのように、そのまま翼がその軌道を変更させた。

 

「っがあ!?」

 

 足が容赦なく抉られる。ウルは耐えきれず、膝をつき、今の一瞬の攻防で起こった理不尽に絶句した。

 飛翔する翼は音も無く超高速で飛び回る上、全く動きがつかめない。なんとか必死にその攻撃を回避しても、その動作を見切って対応してくる……???

 

「こんなの、どう、にも……!?」

 

 そのどうしようもない敵の情報を飲み込むよりも早く、新たな翼がやってくる。狙いは頭か、腹か。どちらにせよ。防ぐ体力が残っていない。色欲の権能をグリード相手に使いすぎた。このまま死ぬ―――

 

「【天剣!!!】」

 

 金色の刃が走る。

 向かってきた翼の刃がはじけ飛んだ。ウルの背後からユーリが、同じように身体の彼方此方を抉られながらも、守りをこちらに割いてくれたのだ。だが、彼女にももう余裕は無い。それは彼女自身も理解していたらしい。

 

「支援!」

「……!!」

 

 短い指示と共に、ユーリが前をゆく。ウルは再び魔眼で彼女に強化をかけ、後に続いた。

 血が失われて、動けなくなる前に、好機を見いださねばならない。この竜は早い内に抑えなければ、一瞬にして、音も無く、此方を皆殺しにする。その確信を二人を突き動かした。

 

 焦りと言わざるを得なかった。しかしそれでも動かざるをえなかった。

 

 そして、その焦りに準じた結末が、二人に訪れた。

 

「【天―――】」

 

 向かってくる凶悪な翼を、ユーリは正しく捕らえていた。だが、刃は翼を切断することは叶わなかった。刃に翼が触れるよりも早く、()()()()()()()()()

 切断されて、ではない。翼そのものの形が自在に別れたのだ。彼女の刃を回避し、そのままユーリを穿つために。

 

 ―――貴方の動きは、学べました。

 

 グリードの宣言が反響する。

 

「―――――」

 

 血しぶきが飛んだ。鍛え抜かれたユーリの右腕が引きちぎれた。ウルは声にもならない悲鳴を上げて、ぐらりと倒れようとした彼女へと、左腕を伸ばした。

 

『VA』

 

 その左腕をも、竜は狙い撃ち、穿ち、はじけ飛んだ。

 胴が穿たれなかったのは幸運だったのか、それともユーリのダメージに動揺したが為に動作がブレ、それが竜の予測を外したのか、判別はつかなかった。

 

 どのみち、それを考える余裕などウルには無かった。天賢王とグリードの戦いで、迷宮の中心部に出来た奈落へと、姿勢を崩した二人はそのまままとめて落下していった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 二人の身体が抉れ、落下したその状況を、ディズとシズクは竜を挟んだ逆の位置から目撃していた。

 

「ユーリ!!」

「ウル様!!」

 

 腕が飛んだ。しかもそれは綺麗に両断されたとか、そういうのではない。あの無数の刃の塊で出来たかのような邪悪さの塊のような翼によって骨ごとはじけ飛んだのだ。

 あのダメージは不味すぎる。最悪、そのまま二人とも死ぬような傷だった。今すぐにでも助けに、奈落へと向かわなければならなかった。だが―――

 

 ()()()()()()

 

 最早言葉では表現しがたい輝きで満ちた四極の竜、その頭部野代わりに浮遊し、水晶のような輝きを放ち続ける魔眼が、ウルもユーリとは対極にいる自分たちをも見定めている。こちらに向けられた猛攻も、何一つとして油断できるものでは無い。一歩間違えるだけで同じ状況だ。

 魔眼は、“視覚”も有している。魔術を宿しているとはいえ、瞳は瞳なのだから、それは当たり前の事だ。警戒すべきは、あって当たり前の機能ではなく、魔術の方だとディズも思っていた。

 だが、コレは違う。そうではないとディズは、この場にいる全員は、思い知った。

 

 視て

 焦がれて

 それを望み

 我が物とする。

 

 その性質こそが強欲の竜の本質で、脅威だ。

 その瞳の、洞察力。観察力こそが、強欲の竜の最も恐るべき特色だ。

 しかも性質が悪いことに、その事に気がついたところでどうにもならない。

 

「兎に角、二人、を!?」

 

 助けなければ、そう言おうとしたシズクの身体が削れた。ローブから血が滴る。流血は少なくは無かった。ディズも同様に、抉れていく。

 強すぎる。速すぎる。その上で、この翼による遠距離攻撃は―――

 

『VA―――――――――』

 

 ―――本命の為の、牽制に過ぎない。

 四極の竜の魔眼は輝き続ける。その輝きの強さは、先ほどまで上空を満たしていた雷の竜の雷鳴すらも及ばない。奈落へと落下していった本体である強欲の竜のそれすらも超過した強い輝きが周囲に満ち満ちていく。

 あの魔眼の力が放たれれば、この一帯が消し飛ぶ。

 だが、止めようとそちらに気を逸らせば、翼に切り裂かれてシズクもろとも死ぬ。

 ウルとユーリを引き裂いた残る二つの翼は、再び旋回を完了させ、ウル達もろとも殺そうと降りてくる。

 

 死ぬ。

 

 ディズはそれを直感した。

 しかし、ただで死ぬわけにはいかなかった。潔く諦めるには、背負うものが多い。それらから目を離すつもりは彼女には無い。

 【星剣】を握りしめ、せめて魔眼の爆発だけはとどめるべく、駆けた。

 途中、翼が降りてきて、肉体が引き裂かれようとも、せめてあの魔眼だけは―――

 

「【破邪天拳】」

 

 だが、駆け出す寸前に彼女の耳に聞こえてきたのは、強力無比なる清浄の鐘の音だった。その場の全員を刺し貫こうとしていた刃の翼が、その瞬間はじけ飛んだ。コントロールを失ったようにはじけ飛んで地面や壁に突きささった。

 

 天拳による一方的な魔力阻害、消去の力。

 だが、グロンゾン、ではない。

 

 彼は既に先の戦いで一時的に脱落している。命を張りすぎた。傷の呪いを解いて、全てを回復させる時間の猶予は絶対にない。

 鐘の発生源へと視線をやると、そこに居たのはやはり、あの巨大な体軀の豪傑ではなかった。代わりにいたのは、金色の籠手、【天拳】を装着した無精ひげの男。最早迷宮としての跡形も無い廃墟のような悲惨な空間を見下ろし、睨みつけている。

 

『VA』

 

 その視線の先にある四極の竜も、上空を見上げるような動作をとる。見た目には分かりづらい。が、殺意の密度が落ちた。それが分かった。

 

「ディズ、様……!」

 

 しシズクが、血まみれになりながら、竜へと指を指す。その意図を即座に理解し、ディズは駆ける。再び翼が起動を再開する。

 

「【灼炎浄化】」

 

 だが、即座に鐘の音は落ちてくる。炎と共に弾け、翼の動作は阻害される。ディズを掠める。それでも尚無傷とはいかなかったが。致死へと至るほどの傷ではない。

 

「【魔断!!】」

『VA―――!』

 

 魔眼を狙った黒の斬撃を、竜はやはり見切り、回避の動作を取ろうとした。が、途中でそれが鈍くなる。背後からの、シズクの【対竜術式】を喰らったのだろう。刃が魔眼に直撃する。

 凝縮されていた光が弾ける。その爆発だけでも、ディズの身体ははじけ飛んだ。

 

「っっ!!」

『―――――VA』

 

 まだ、竜は落ちない。魔眼に幾つかの亀裂が入るが、再びよどみない動作で翼を自分の周囲に旋回させる。明らかに警戒度が上がった。自在の攻撃では無く、守りへと使う事を選んだ。

 良い傾向で、悪い傾向だ。ウルとユーリが死んでいなければ、追い打ちはされない。その代わり、この場における死地の濃度が格段に跳ね上がった。

 

 瀬戸際の戦いは続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四極③ 憎悪

 ―――頼む、グレン、お前しかおらんのだ。あの地獄に立ち向かえる勇士は。

 

 剃り上げた頭を深々と下げながら、グロンゾンは懇願した。

 

 ―――お前にはもう、理由が無いのは分かっている。全てがどうでも良いのだということも。だが、頼む

 

 仮にも官位持ちの、それも今は一時席を外しているとはいえ太陽神の戦士がやるべき所行では無かった。まして、自分のような、一線を退いた酔っ払い相手に見せて良い姿では無かった。

 そして無論、そんな姿を見たからとて、グレンが感傷にくれる事は無かった。たとえ、かつての同郷の懇願であったとしても、今の彼にはどうでも良いことだった。

 

 ―――我らが友を焼いた紅の竜、その元凶に、挑まねば成らぬのだ―――あの子達も。

 

 なるほど、確かにグレンの仇、それを生み出したのが大罪の竜であるのは知っている。だが、子の罪が親にもある、なんてことをグレンは考えない。仇は紅の竜。ただ一体だ。

 

 だが、結局最後、グレンは彼の願いを聞き入れた。

 

 弟子達が殺されたら、さぞかし酒が不味くなるだろうという、身勝手で自分本位な理由故に。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……ほんっと、めんどくせえ」

 

 金色の籠手を握り、グレンは心底面倒くさそうな顔で眼下を見下ろしていた。想像していたとおりの、あるいは想像していた以上の地獄がそこにはあった。

 誰一人として無事な者はいない。というかつい今さっき、自分の弟子の一人が致死レベルのダメージを追って奈落に落ちた。が、助けに向かおうとすれば、あのよくわからない竜のよくわからない翼に引き裂かれて、血みどろの肉塊になって終わる。

 旧友から渡された―――と、いうよりも強引に押しつけられた武器を、グレンは鳴らした。

 

「【破邪天拳】」

 

 預かったその権能を振るう。そしてその衝撃にグレンは眉をひそめた。

 破邪の鐘。一方的に相手の魔術効果を消し去る強力無比な神の権能。だが、そんな強大な兵器だ。振るうだけで、その音の衝撃が身体を揺らしてくる。

 これは容易には使えない。あまりにも繰り返し使い続ければ、そのうち装着している身体が砕け散る。その性質を高めようとするほどに、自分に威力が返ってくる。

 

「なんつーもん預けるんだあの禿……」

 

 しかも、相手は雑魚ではない。グレンの眼下で鬱陶しい光を放っているあの竜はどう考えても大罪竜の眷属か、それ以上の力を有しているのだろう。そんなものを相手に自分の身を案じて威力を調整しようものなら、それはそれで死にかねない。

 心底、かったるい。

 本当に、心からそう思う。なんだって気まぐれを起こして単身で降りてきてしまったのかと後悔するばかりだ。

 だが一方で、彼自身も腹立たしいことに、その身の奥にある、くすぶり続けていた何かが、再び炎の如く揺らめいたのを感じていた。それは最早、自分自身の感情ではどうにもならない、グレンという生物に宿った習性に近い。血肉に宿った、あらがいがたい本能。

 

 竜という存在そのものに対する、灼熱のような、憎悪と殺意

 

 こうなることを見越して、グロンゾンがグレンをここにやったのだとしたら、あの男は相当な悪党だな?と、そう思いながら、その金色の籠手で握り拳を作ると、そのまままっすぐに落下し、その勢いのまま一直線に、禍々しい輝きを放つ竜へとその拳を叩き下ろした。

 

『VA』

 

 振り下ろされた拳は、竜に着弾することは無かった。強力無比な魔力障壁が何重にも発生し、グレンと竜の間でその侵攻を阻んだ。しかし、その間にも金色の鐘は鳴り響き続ける。無数の障壁は、その音が響くたびに、一枚一枚が砕けて散っていく。

 

「よう、久しいな紅色……!」

 

 入り交じり、変貌し続ける竜の魔眼の中に、僅かに懐かしい色が混じっているのをみて、グレンは笑った、地上で、教え子達の前でも、同僚達の前でも、ウル達の前でも一度たりとも晒さなかった。凄まじい笑みだった。

 

「お前はもう殺してるんだ。さっさと――――」

 

 更に、左の拳を振りかぶる。光が集約する。紅蓮焔が彼の左拳にまとわりつく。

 怨敵を殺す。その為だけに積み重ね、鍛え上げられた拳が今宵、再びその緋色を叩き潰す為に輝きを放つ。

 

「失せろやぁ!!」

『VA!?』

 

 拳が振り下ろされる。障壁が砕け、竜がその拳をたたき込まれて、弾け飛ぶ。 

 即座に竜は空中でその姿勢を正すが、その背後にはディズの姿があった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 突然現れた救援、黄金級のグレンの存在をディズは視認した。意図はどうあれ、それは支援だろう。救助部隊が、その戦力を更に別けて、この修羅場に突っ込んだというのは通常であれば、好ましくないかもしれないが、今はその判断に感謝した。

 この戦場は壊滅寸前だ。情けないことに、救助は今まさに必要なタイミングだった。

 弾け飛んできた四極の竜に、ディズは剣を振るう。

 

「【魔断】」

 

 剣速は十二分に出ているのを感じた。この死闘の果てで、未だに剣の速度を衰えさせること無く振るうことが出来ているのは上出来と言えた。

 

『VAA』

 

 問題は、その上出来、といえる範囲では、この竜を捉えることは難しい。

 

「速い」

 

 当然ではあるが、自在に、超速で飛び回る竜の翼がこの竜の一部であるならば、この竜自身がそれと同等の速度で飛び回ることが出来ない訳がなかった。魔断の黒い剣閃が躱される。その寸前で回避される。

 やはり、視られて、此方の動きを奪われている。敵に剣を見せすぎた。

 だが、だからといって戦い方を付け焼き刃で変えることは出来ない。今以上の戦い方をディズは知らない。ただでさえ、現状は全力で手一杯なのだ。

 

「【雷火】」

『VAVA』

 

 発展魔術は、最早何の予備動作も無くはじかれる。あの四極には常に障壁が展開している。膨大な魔力が作り出す障壁だ。半端な攻撃では意味が無く、そして極まった攻撃を前にすると、回避する。しかも、攻撃が直撃しても耐久性は高い。

 

 本当に、尋常の敵ではない。しかも、時間が無い。

 

 ウルとユーリが落下してどれほどが経った?あの傷は致命傷では?グリードと相対している王と魔王の状態は?瓦礫に埋もれてしまった天衣、ロック、それにリーネ、エシェルもどうなった?彼らを飛翔する翼が狙ってしまったら何処までしのげる――――

 

 ―――あまりにも未熟だ。

 

 その、思考の混乱が、想起した師の一言で、静寂を取り戻した。

 

「―――そうだね。そうだった」

 

 背負うものがあるのはいい。それをディズは肯定する。守るべき者、愛おしいものが増えるのは、彼女にとって喜ばしい。

 だけど、それは背負うものだ。剣に乗せて、無理矢理振り回すものでは無い。

 余計な不純物があまりにも多すぎる。それを振るうにはあまりにも、ごちゃごちゃとしすぎている。それが剣を鈍らせる。判断を遅れさせる。

 

「我、勇者。七天に在らずとも、世の礎足らんとする者」

 

 呼吸を整えるように、星剣を構え直す。その不可思議なる刀身の輝きは、それまで以上に高まった。光が星空の如く輝いて、ディズのみならず、周囲の皆へと力を分け与える。彼女自身の意思を反映するように。

 

「凶星を断ち、人々の幸いを守らん」

『VAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 目映き力と共に彼女は跳ぶ。

 凶竜はさらなる輝きでもってそれを迎撃した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死のはざまにて

 

 闇の底、無意識の奥にウルは墜ちていた。

 ここの所、何度も自分の中にいる色欲と憤怒との接触を計っていた為か、自分がその中にいることをウルは自覚していた。しかし、今回は自分の意思で潜ったのではない。ただ、死にかけて此所に転んだだけだ。

 だから、身体が動かない。

 声も発することが出来ない。

 身体から、熱がどんどんこぼれ落ちているのだけは分かる。

 このままだと死ぬ。という漠然とした事実が心を凍らせる。それでも、動かない。

 

『うる』

 

 声がした。酷く幼い声が。闇の中で身じろぎ出来ずにいるウルの頭を撫でた。

 

『しにかけ?』

 

 肯定しようとするが、身体はやはり動かない。返事をすることすら出来ない。何もかも億劫で、何をすることも出来ずにいた。そのウルの頭を、小さな手はもう一度、揺さぶるようにして触れる。

 

『ねる?』

 

 いいや

 声にはならなかったが、身体も動かすことは出来なかったが、それだけは無い。何もかもハッキリとしない無意識のただ中であっても、このまどろみの内側で沈み込む事だけはしない。

 自分の内側にある衝動、燃えさかる炎、苛烈なる我。それを見てみぬ振りをして、ねむりこけるわけにはいかなかった。

 

『そう』

 

 そんなウルの意思を、幼い声の主は読み取ったのかはわからなかった。しかし、納得したように頷くと、ウルの左腕、失われて、熱を零し続ける左腕があった部分に、ゆっくりと触れる。

 

『―――――――』

 

 美しい鳥の声が聞こえた気がした

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「―――っは!!!?」

 

 ウルは、奈落の底の、瓦礫の山の中で目を覚ました。そして早速混乱した。自分が居る場所が分からなかった。しかし、体中に走った激痛が、自分は未だに戦場のただ中にいることを伝えてくれた。

 徐々に、記憶が蘇ってくる。先の激闘の末に、何が起こったのか。あの凶悪極まる四極の竜を相手にして、どのようなダメージを負って、この奈落、下の階層まで落ちてしまったのかを。

 あの高さから落ちてしまえばタダでは済むまい。そのまま死んでもおかしくなかった。だが、見ると、周囲に輝く光の剣が幾つも刺さっている。ウルの寝転がっている周囲にもだ。恐らくユーリが、地面に叩きつけられる直前、その衝撃を緩めるべく、天剣を展開してくれたようだった。

 そして、自分が左腕を吹っ飛ばされたことを思い出して、ぞっと寒気がした。

 

「う、で……!?」

 

 反射的に右腕で左腕を触れる。そう、触れることが出来た。確かに自分の左腕がある。回復したのか?とも思った。自分がここの所、異様に傷の治りが早いことはウルも気がついている。

 だが、いくらなんでも、あの竜の翼で、腕まるごと吹っ飛んだのに、その傷が回復して、挙げ句に新しい腕が生えるとも考えづらかった。

 見ると、今のウルの左腕は異様にその皮膚が黒かった。獣の様に真っ黒だ。爪は異様に伸びて、奇妙な鱗もうっすらと生えている。ちょうど、ウルの異形となった白い右腕にどこか似通っていた。それ故に、それが何の要因によるものなのか、ウルにはすぐ理解できた。

 

「ラースか……」

 

 大罪竜ラースの呪い、あるいは祝福が、ウルの命をつなぎ止めた。

 右腕に次いで左腕まで異形化してしまったことは、嘆くべきことだったのかもしれないが、意外なほど、ウルはその事実をあっさりと受け入れていた。

 

「後、だ、それよりも……!」

 

 そう、ソレよりも今は、気にしなければならないものがある。ウルの腕が消し飛んだのがなんの夢でもまぼろしでもないとするならば、ウルと共に落下した―――

 

「ユーリ……!!」

 

 自分のすぐ傍で、血の海に沈んでいるユーリを発見して、悲鳴を上げた。すぐさま彼女の下にかけよると、足下がぬれた。彼女の血だった。その血の量にさらなる最悪を想像し、ウルは彼女の傍へと急いだ。

 

「ユーリ!!」

「―――――」

 

 声をかけても、彼女はピクリとも動かない。顔色は死人で、しかも右腕がなかった。そこから血がこぼれ続けている。

 

 死

 

 ウルは反射的に直感した。考えたくなくとも、思考に強制的にその単語が脳裏を過った。それほどまでに濃厚な血の匂いだった。ウルが幼い頃から経験してきた、終わりを迎える者達と同じ気配だった。

 

 小さく、呼吸はしている。だけど、それももう止まる。そうすれば死ぬ。

 

「神薬!」

 

 常備していたそれを、急ぎ彼女に飲ませる。無理矢理顎をあげて、流し込む。だが飲ませようとした先から神薬は彼女の口からこぼれた。ちゃんと飲んでいるかもあやしかった。

 そもそも臓器が正常に機能しているかも怪しい。

 

「失礼……!」

 

 鎧を剥ぎ取り、彼女の肢体を晒す。先に身体、吹っ飛んだ腕を治すのが先だった。その間に、口に含ませた【神薬】が彼女を死の淵に留まらせてくれる事を祈った。

 だが、晒された彼女の身体を見て、ウルは更に絶句した。

 

「……!飲めるわけねえよな、クソ!」

 

 悲惨が過ぎた、無事な場所が全く見当たらないほど、光の魔眼による火傷と、裂傷だらけだ。腕の切断が一番ダメージは大きいが、それ以外の場所も、放置していて良い有様ではない。

 焼けた喉、身体、ふっとんだ右腕に神薬を塗布し、癒えたタイミングを見計らい改めて経口で神薬を染み渡らせる。流石、というべきか、神薬は瞬く間に彼女の傷をいやした。王の時とは違い、悪意に満ちた呪いが傷に上乗せされていなかったのは幸いだった。

 

「飲んでくれ……!」

 

 最後の一本の神薬を含ませる、零れたのを指でひらい、押し込んで、直接嚥下させる。最高の神薬は彼女の身体の内側に溶け込んで、僅かに輝き、その癒やしの力で彼女の身体を内側から回復させた。

 呼吸が安定し始める。その事に安堵し、やっとため息を吐き出したウルは、自分の今いる場所にようやく意識を向けることが出来た。

 

「……地下か」

 

 先ほど、復活した天賢王の大暴れで空いた大穴。迷宮のさらなる地下階層。

 迷宮は、確か物理的に次の階層とつながっているわけでは無いはずだった。と言うことはここは五十五階層のままなのだろう。上に登れば、また仲間達の所に再会できるかもしれないが、四極の竜もいる可能性がある。

 戦っているなら助けなければならないが、一方で助けも必要だった。ユーリはまだ目を覚まさない。一命を取り留めただけで、命がつきかけたのだ。それが瞬く間に回復してしまうほど、神薬は万能ではない。

 

「エシェルに回収、も、無理か……どうする……」

 

 通信魔具もろくに届かない。あるいは通信の向こう側も無事ではない可能性もある。

 やはり、どちらにせよ、速く戦場に戻らなければならなかった。幸い、竜牙槍も竜殺しも近くにあった。後は、なんとか彼女を―――

 

「―――…………ああ」

「っと!?」

 

 ひとまずはユーリを動かして、移動しようとした時だった。強い力で腕を握られた。意識を取り戻したのか、とも思ったが、彼女の表情はおかしかった。

 

「ユーリ、おい!」

「わから、ないの」

 

 彼女は泣いていた。ボロボロと涙を流して、ウルの手にすがりついて、子供のように泣いていた。痛みで?とも思ったがそうでもない。視線が彷徨っている。ウルを認識しているのかも怪しかった。朦朧としている。

 

「わから、ない。どうすれば、いいの」

「何が、だ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 握る、と、言われ、ウルは反射的に彼女の右腕を見た。既に、そこに腕は無い。

 【神薬】であっても、ウルの左腕のように、彼女の身体に新しい腕をはやすような、物理的法則を無視した現象を起こすことは出来ない。体中の傷は癒えても、腕は悲惨なままだ。

 

「……大丈夫だ。心配するな。ウチの天才技師なら、イカした義手作れるから。生身の腕よりも、自由に動かせるさ」

 

 あまりにも情けの無い慰めの言葉しか出てこない自分に腹をたてながら、ウルはそっと抱きしめ、背負い、立ち上がる。せめて、彼女をもう少しマシな、安全な場所に移動させなければならない。そしてできるだけ早く、再び戦場に戻らなければならなかった。

 

「どうやって、剣を、振るえば、いいの」

「大丈夫だ。大丈夫」

 

 そう繰り返しながら、ウルはひたすら迷宮の先へと進んでいった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四極④

 

 その日、大罪都市グリードは突如として、凄まじい地震に見舞われた。

 

 理不尽な魔の者達が大地に溢れるこの世界において、想像もつかないような天変地異に遭遇する事は決して珍しくは無い。空が異常な色に染まったり、都市が迷宮へと変貌を遂げたり、あるいは太陽神がお隠れなられたり、と様々だ。

 大地が揺れる”地震”という現象も、これまでのグリードが未体験だったというわけでは無かった。だが、立っていられないほどの大振動は流石に未経験だった。

 

 精霊を司る神官達も、都市を守る騎士団も、魔物達を獲物とする冒険者も、誰も彼も身動き一つ取れなかった。万一に備えて都市に常備されていた防衛機構も起動させる暇も無い。倒れ、身体を縮こまらせて、なんとか、凌ぐだけで精一杯だ。

 この世の終わりかと、誰かが嘆いた。そんな言葉が大げさに聞こえないくらいの凄まじい振動だった――――だが、不意にその揺れは収まる。

 

 ピタリと、まるで巨大な何者かが両手でピタリと、その振動を押さえ込んだように。

 

「おお…!!唯一神が我等をお救いになられたのだ!!」

 

 誰かが言った。

 勿論、その言葉に根拠などなかった。しかし、その言葉に多くの者等は同意した。きっとそうに違いないと、誰もが確信した。自然彼らは両手を合わせ、深く深く頭を下げて、神と精霊達への祈りを捧げ始めた。

 

 これからも我等をお守りください。

 慈悲深いその眼で、その膝元で暮らす我等をお見守りください。

 

 それはこの世界に住まう彼らにとって至極当然の行いだった。神と精霊に対する祈りの奉納こそが最も現実的な、この世界で彼らが生き抜くための手段なのだ。

 

「嘆かわしい。なんと悲惨な光景だ」

 

 だからもし、そんな彼らの姿を嘲る者がいるとすれば、それはきっと邪教徒に他ならなかった。

 先の地震で揺れた建造物の一室、破損した窓から外の街を眺め見る年老いた只人の男、邪教徒の一人ハルズは必死に神への祈りを捧ぐ人類に対して、侮蔑とも嫌悪とも言えない視線を投げつけていた。

 

「誰がアレを起こし、そして誰が止めたかも知りもしないで、ひたすらに神なんぞに祈りを捧ぐ。末路に想像が付く」

 

 漏れ出る呪いと嘲りは、しかし少しも彼を愉快な気持ちにさせることは無いらしい。その目は何処までも淀み、口はなにかを耐え忍ぶように歪んでいる。

 

「……が、斜陽なのは我等の方か」

 

 邪教徒、【陽喰らう竜】は険しい状況にあった。

 この半年の間、七天達は精力的に邪教徒らの撲滅に動いていた。草の根を分けるかの如く、各都市に残存する邪教徒らのみならず、その温床となるような資金源、人材の調達場所すらも全て、余すことなく壊滅へと追いやっていった。

 だが何よりも痛手だったのは、陽喰らう竜をまとめる首魁の役割を果たしていた者達が次々と討たれたことだった。

 

「ヨーグもクウも去った。私が死ねば、遠からず邪教徒は、自分の不幸を他者に撒き散らすことで発散する悪鬼の集まりに墜ちるか」

 

 そして、自分の寿命はそう長くない。クウのような長命種でもない。ヨーグのように魂を弄くり回すような真似も出来なかった。幾つかの邪法を用いて寿命はのばせるだけのばしたが、もう限界だ。

 時間はない。だが、同時に悲願の成就も残り僅かであると彼は知っている。

 

「大罪竜。七の大罪の中でも最も凶悪なる魔眼の竜よ」

 

 ハルズは両の手を合わせる。自分が先程まで嫌悪し、侮蔑の言葉を吐いた都市民達と同じように、それを真似るようにして一心不乱に祈り仕草をして、竜へとその祈りを捧げた。

 

「どうか無事――――――」

 

 祈りとも、呪いともつかぬ言葉は、人々のざわめきの中に消えた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

四極の竜との戦いは熾烈を極めていた。

 

「【魔断】」

「【破邪天拳】」

 

 

 ディズは剣の冴えを取り戻し、グレンの支援によってわずかに形成は人類側に立て直した。だが、しかし、それを理解したのか、四極の竜はその戦い方を即座に変えた。

 

『VA』

 

 空中、高い位置へと移動し、旋回する。更に自身の周囲に更に細かく分割した自身の翼を旋回させる。輝ける翼の断片が竜の周囲を旋回する姿は美しくもあった。

 だが、その翼の旋回する目的は、竜を狙う遠距離からの攻撃は即座に射貫き、接近する敵の脳天を即座に砕くための代物である。竜が再び四属性の魔眼を凝縮した破壊を引き起こすための、徹底した防衛陣だった。

 

 徐々に、敵の動きが洗練されつつあった。明らかに、成長している。

 

「【天拳】で、あの四極の魔眼、防げると思う?」

「自滅覚悟ならできるかもな」

「【葬鐘】規模か……厳しい、な!!」

 

 近接で共に戦うグレンの言葉に、ディズは顔をしかめつつ、空から降り注ぐ翼の猛攻を星剣で弾く。

 色欲との戦いでグロンゾンが使った【天拳】の最大出力、【葬鐘】は圧倒的な消去の力を誇るが、一方で使い手に致命的なダメージを与える。先の戦いでは幸運にも――――と、言って良いかは不明だが、腕が先に吹き飛ばされたたために、結果として使い手たるグロンゾンは自由に動けたが、そうでなかったなら悲惨だっただろう。

 まして、グレンは本来の使い手では無い。その彼にそれだけの出力をぶっつけ本番で出させて、上手く行くかは不明だった。

 そして、現状を維持することも、今は厳しい。翼は雨のように降り注ぐ。音も無く、なのに目にもとまらぬほど速く、そして営利だ。牽制のための攻撃であるはずなのに、それを防ぐだけでも厳しい。

 

 どのみち、長くは持たない。どう動くか―――

 

《ディズ様。グレン様》

 

 その時、鈴の音の声が二人の耳を打った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 生誕したばかりの四極の竜は、冷静だった。

 四つの属性の入り交じった魔眼によって周囲を俯瞰している。

 四つの眷属竜達が打ち倒された情報も、四極は有していた。瓦礫の山の上で、此方を付け狙っている者達を有象無象として雑にまとめたりはしていない。その戦闘力と、自分に対しての脅威、そのどちらも鑑みて、もっと注視すべき相手を見定めていた。

 紅を打ち倒した個体。

 翠を砕いた個体。

 黄を不意討った個体

 蒼にあらがった個体

 どれに対しても警戒は怠るべきでは無いが、最も重視すべきは―――

 

『VA』

 

 四極の竜の、その魔眼の力の凝縮が9割ほどに達したとき、動きがあった。 

 だろうな、と、四極の竜はその動きについても冷静に見定めていた。母なる強欲の敵対者達は自分の魔眼を放置できない。この一帯の一切合切を灰燼とする攻撃を放置すれば、次の攻撃で、自己修復機能を持たない個体はほぼ消し飛ぶ。

 だから、敵はなんとしても妨害しなければならない。そして、その為に選べる戦術は限られる。

 

「【■■――――】」

 

 後方に隠れ、支援していた個体。母すらも、警戒せざるを得ない凶刃なる術式を操る白銀の個体が飛び出した。ソレが出るのは分かっていた。即座に翼を展開し、射線を塞ぎ、更にその個体自身を射貫くために走らせた。

 

「【ミラルフィーネ!!!】」

 

 そして、その先に鏡が来た。盾のようにしながら、銀の個体を塞ぐように。簒奪の力、翼を丸ごと奪おうと、銀を囮にしたのだろう。

 

『VA』

 

 それも、予想できた。故に、四極の竜は翼を即座に、瞬く間に鏡の射線から外した。音も無く、必要な予備動作も無い。まるで見えざる手が、飛翔する翼を摘まみ、動かすように、鏡の射線から退けさせる。四極の内にある【黄】の力のたまものだった。

 簒奪の力を翼はなんなく回避し、鏡の裏側に隠れ潜んだターゲットに殺到し、串刺しに―――

 

「――――よく、見るが、見えるものに、意識をとられすぎるか、確かにな……!」

『カカ、カ……!』

 

 しようと、した。

 だが、鏡の裏側にいた個体は、銀色では無かった。

 神のもたらした【権能】、その外套によって四極の【魔眼】を持ってしても見破れぬほどの精緻の変装を施した個体が、そこにはいた。身体に人骨の鎧を身に纏い、翼から身を守っている。それでも尚、骨ごと肉抉ったが、致命傷には至っていない。

 

 囮

 で、あれば――――

 

「【■■】」

『VA――――』

 

 別方向からの、鈴の音、四極の竜は動きを一瞬止めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四極⑤ 捕獲

 

 

 

「捕らえました」

 

 シズクの宣言を聞いた瞬間、ディズとグレンの二人は即座に動いた。

 言うまでも無く、二人の間には一度たりとも共闘の経験はなかった。言葉を交わした回数すら片手で数えるほども無い。しかし一方で、この極限とも言える戦闘状況が、高度な連携を可能とした。双方がそれぞれで重ね続けてきた戦闘経験が、それを可能とした。

 

「【破邪天拳】」

「【魔断】」

 

 竜の動きを追撃で阻害する。鐘の音が響く。竜の身体が歪となる。その隙を縫い、黒い剣閃が竜の身体を断つ。だが、本命には届かない、露出した輝く魔眼は即座に起動を再開し、器用にディズの剣を回避した。

 

「復帰が速い」

 

 竜の強度の問題なのか、それとも、何かしらの耐性をみにつけているのかは分からない。分からないが、どのみち現状は窮地だ。

 

『VA』

 

 四極の竜の翼もすぐに立て直す。その輝きは眼前だ。貫かれる。穴だらけになって死ぬ。

 

「そりゃ土の魔術の応用だろうが」

 

 だが、その翼が動くよりも速く、この状況であって尚、冷静なグレンの声が響いた。彼はディズの背後で恐ろしくよどみなく、正確に術式を展開していた。グレーレの様に独自性もなく、リーネのように精緻でも無い、極めて基礎的な魔術の術式。

 しかし、この窮地のただ中にあって、よどみないそれは、正しく効力を発揮した。

 

「それは俺も得意だよ。()()()

『VA!!?』

 

 途端、無数に展開し、その穂先をディズへと向けていた筈の翼が途端、在らぬ方角にすっ飛んでいった。いつの間にか、ディズの身体は魔術の光によって輝いていた。付与(エンチャント)、グレンの魔術の防壁。敵の重力魔術の指向性を狂わせるその守りが、翼を弾き飛ばした。

 

 ありがたい。その感謝を告げるよりも早く、ディズは剣を振った。

 今度の星剣の魔断は、魔眼を正しく捉えた。

 

『VAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「っっっ……!!!」

 

 魔眼から零れ始める凄まじい光が、ディズを焼く。星剣を握る指が焼けただれる。クラウランが調整してくれた鎧が、星華の外套が、何もかもが焼けていく。凄まじい威力だった。歴代の勇者達を守ってきた防具が、何もかも悲鳴を上げる。

 

「っっぁぁぁああああああああ!!!」

 

 だが、それでも剣は手放さない。

 この次の好機はもうない。再度の接近を許すような敵では無い。先ほど以上の警戒を竜が身につけてしまえば、学習されてしまえば、もう絶対に、ここまでの接近は許さないだろう。敵はこちらを観察し、無尽蔵に成長と適応を続ける。ヒトの身であるこちらに、そんな事はできない。ただただ傷を負い、弱り、体力は限界を迎える。そうなれば詰みだ。

 なればこそ今ここで、この魔眼を破壊する。相克の連鎖を断つ!

 

『VAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 しかし、その窮地、正念場であるという事実は四極の竜も理解しているのだろう。猛々しい咆哮を発する。ディズの背後のグレンを、自由に動く翼で貫く。無数の翼の断片が彼の腹を抉る。

 

「…………!!」

 

 術式が緩む。翼のコントロールを竜は早くも取り戻す。失調した調子を確認するように複雑怪奇な軌跡を描くと、再び矛先をディズへと向けた。ディズにはそれを防ぐ手段はない――――が、

 

「お手本をありがとうございます。師よ」

「あい、かわらずお前は生意気に、天才だな……!!」

 

 その背後から、美しい鈴の音がささやいた。

 銀糸が跳ねる。ディズを守るようにして纏わりついて、一斉に輝きを放つ。残されたグレンの付与に更に重ねて、より強固な力となって、翼の軌跡を狂わせる大地の力を解き放った。ディズの首を、心臓を狙った翼はその寸前で軌跡をずらされ、彼女の皮膚を抉るに留まる。

 

『VAAA!!?』

 

 更に、それのみならず、翼の一部は、その持ち主である四極の竜の身体を引き裂いた。思いも寄らぬ逆襲に竜は驚きの声を上げる。魔眼を守る障壁の強度が弱まる。ディズは星剣を握る手に、残された最後の力を込めた。

 

「【魔断!!!】」

 

 四極の竜の魔眼は、魔を断ち切る黒閃に両断された。 

 手応えはあった。間違いなく断った。それをディズは確信し―――――

 

「まだだ!!!」

「!?」

 

 血みどろになりながら、ジースターが叫ぶ。ディズは見た。両断された魔眼がぐらりと落下する。奈落へと落ちる。それは、力を失っての自由落下では無かった。

 明らかな目的を持った逃走だ。その逃げる先は、考えるまでも無い。奈落の底で、今も激しい轟音と共に戦っている天賢王のいる場所だ。

 

「逃がすか――――」

 

 言葉とは裏腹に、力が入らない。それでも尚、奈落へと飛び降りようとしたそのとき、意識を向けていなかった竜の残骸、核たる魔眼が両断されて、力なく落下した竜の身体が、異様な光を蓄えていたことに気がついた。

 

「っ!!!」

 

 竜の残骸、本体の魔眼を失った身体は、光を凝縮させ、爆散する。魔眼そのものが放つ壊滅的な力ほどではなかったが、四極を破壊するために全力を尽くしたその場の戦士達を吹き飛ばすには十二分の威力を秘めていた。

 

「っが!!!?」

「―――ッ」

 

 その場は光に包まれ、戦士達はまとめて、その爆発にのみこまれ、吹き飛ばされた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 もうすぐ、終わる。

 

 四極の竜は、自らの終わりを直感した。

 理解していた。元より自分という存在は、そうそうに長持ちするものではないという確信があった。本体である母、強欲の竜のように、長い年月をかけて、肉体を強化し続けてきたわけでもなし。生まれてまもない身体では、母の極め、磨き抜いた魔眼を収める器たり得ないのだと理解していた。

 

 相克の儀、自分はその礎でしかない。

 

 別に、それは良い。そういう設計を施した母に、恨みがましい気持ちはない。むしろ、そのような重大なる役割を自身に課したことを喜ばしく思う。一方、その役割を果たせないというのはあまりにも悲しいことだ。

 だから、その為に、最後の力を振り絞り、四極の竜は落下する。

 奈落へと落ちる。今も尚、この世で最も凶悪なる二人の王を相手に戦っている。

 助けねばならない。残された僅かな力を届けねばならない。その一心で奈落へ落ちる。

 

 しかし、無論、言うまでも無く、その決死は、敵にとっても同じ事だ。

 

「来たぞ!!!!」

 

 奈落の底、母の戦う戦場へとたどり着くその前に、黒の衣を纏った女と、白く輝く女が現れた。待ち構えられていた。それは、四極の竜にとっての最悪を意味していた。

 

「白王を背負って、暴走するんじゃあないわよ……!!」

「分かってる!!!」

 

 こちらの速度を以ってすらも、全て吞む程の巨大なる鏡が出現する。あの天賢の王が空けた奈落すらも覆い隠すほどの鏡の大きさに、四極の竜は静かに絶望し、しかし、それでもと、前を睨む。両断された瞳で敵を見る。

 

『VAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「【ミラルフィーネ!!!!】」

 

 だが、その四極の竜の叫びすらも、鏡は容赦なく、一切を飲み干した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

老い耄れ

 

 

 

 迷宮大乱立が発生し、地上が人類のものでは無くなって以降。世界を守護していた七天であり、その頂点に立っていたのが天賢王である。歴々の天賢王の偉大なる力によって各都市の太陽の結界は維持され、人類の安全は守られてきた。

 が、戦いとなると、天賢王の力を直接見た者は殆ど居ない。”陽喰らい”の時であっても、彼が直接的に戦いに出ることは希だ。力が振るわれたとしてもそれは断片的なもので、彼は大罪迷宮プラウディアの落下を支え、維持するのみに集中することが殆どだ。

 当然のことではある。王の存在そのものがこの世界の要であり、王が前に出て戦うような事があるとすれば、それは彼を守る七天達が軒並み倒れ、彼を守る者が誰も居なくなった証拠だ。

 

 王が矢面に立つことそれ自体、彼に仕える戦士達の失態と言える。

 

 とはいえ、人類を脅かす魔の者達の存在の脅威が人類の防衛力を上回る事は、時々に起こりうる。どれだけ戦士達が賢明に鍛錬を重ね、万全の備えを用意しようとも、想定外の悪意が襲いかかってくることはあり得るのだ。

 

 歴史の中で天賢王がその力を振るったとされるのは2回。

 1度は迷宮大乱立が発生した六百年前 2度目は十二の手と二十四の足、五つの魔眼を持った超巨星級の大魔獣ハルトアが大罪都市プラウディアを襲撃したときである。

 どちらもあわや都市そのものが崩壊する寸前の混乱のただ中に振るわれた力であり、目撃者達は誰しもが混乱したため、残された記録は殆ど無い。残っているものも錯綜している。

 しかし、一点において、王の力を目撃した全てのものは一貫して同じ事を言っていた。

 

 王が力を振るわれたその瞬間、太陽神ゼウラディアが降臨された、と。

 

 後世、いずれかの史書でその記述を見た者は、それを比喩的な表現と勘違いした。即ち、神の力の如く偉大なる奇跡を、天賢王が振るわれたのだとそう思ったのだ。

 

 王がまさしく神の力そのものを顕現させていたなどと、誰が想像するだろうか。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪迷宮五十五層、地下階層

 

「【天罰覿面】」

『【光螺閃閃】』

 

 大罪竜グリードと天賢王の人知を超えた戦いは続いていた。

 山よりも巨大な巨神の拳がふり下ろされる度に、周囲一帯が消し飛び、破壊される。灼熱が空間を満たし、大罪の竜を焼いていく。しかし、その竜が一睨みするだけで熱は瞬時に凍りつく。

 双方の攻撃は共に理不尽の極みであり、その押し付け合いでもあったが、徐々にではあるがその拮抗は崩れつつあった。

 攻め続け、押し続けているのは天賢王の方だった。

 

「【天罰覿面】」

『もう、それ、狡いわ。眩しくってたまらない。やめてくださらない?』

「そのまま目を焼かれてくれ」

 

 巨神が繰り出す拳、そしてなによりも巨神が生み出す光そのものが、大罪竜グリードの魔眼を塞ぎ続けていた。巨神の存在それ自体が、魔眼の視野を奪っていた。

 攻めと護り、その二つを攻撃一つで両立させていた。魔眼によってありとあらゆる現象を引き起こす事が可能なグリードであるが、天賢王との相性は最悪だと言えた。逆に王からすれば、最高の相性とも言える。

 

「…………」

『あら、あら、あら、不細工な顔していますね。神々しいお顔が台無し』

 

 が、しかし、その攻防の優性にも関わらず、王の表情は変わらない。優位を喜ぶ事は無かった。そして竜は自らの身体が巨神の熱によって真っ黒焦げになろうとも笑っていた。

 そして、笑った傍から竜の肉体は再生していく。

 

「回復系統の魔眼、幾つ備えた?」

『最高硬度は無理でしたが、百九十個くらいでしょうか?』

 

 さらりと、グリードは解答した。アルノルド王は小さくため息を吐き出した。グリードは笑いかける。

 

『貴方たちだって神薬いっぱいもちこんできたのでしょう?おんなじです』

 

 当然、同じではない。

 神薬の生産ラインは限られており、1年で作り出される量はごく僅かだ。そしてそれは“陽喰らい”で大半は消耗する。毎年の備蓄量など本当に少しの量だった。今回持ち込めた神薬はここ数十年溜め込んできたほぼ全ての在庫である。 

 対してグリードはイスラリアに出現してから今日に至るまで、その身を殆ど削っていない。グリード領に無数の迷宮を出現させ、至る所から”狩りやすい迷宮”を用意することで巧妙に人類側の戦力を分散させつづけた。

 歴史を辿れば、他の大罪迷宮であれば、深層に進んだ冒険者が不意に眷族竜に遭遇し、それを撃破すると言ったケースは幾つかは存在する。グリードがその失態を犯したのは“紅蓮拳王”の一件のみ、それも彼ら自身の「仲間達を焼かれたことに対する復讐」という猛烈なモチベーションがあって初めて成立したものだ。

 

 それ以外で、強欲の竜が不用意に自らの戦力を消耗させた記録は、ない。

 

 つまりグリードはイスラリア出現から六百年間、戦力を貯蓄し続けたと言うことになる。持久戦では王達に勝ち目は無かった。更に付け加えるならば、

 

『あら、あら、あら、アルノルド。顔色悪いのだけど大丈夫ですか?』

「気のせいだ」

『嘘をつくの死ぬほど下手な男って、愛しくなってきますね』

 

 アルノルドに残された時間は少なかった。

 

『アルノルド。偉大なりしアルノルド。()()()()()()()()()。ねえ。貴方の寿命ってあとどれくらいなのですか?』

 

 強欲の竜は言葉を重ねる。アルノルドの核心を無遠慮に触れた。

 

『虚飾は臆病ですが、自分の仕事はキチンとこなしました。歴代の天賢王達はみんな短命でした。五十を越えるのは貴方くらいじゃないですか』

「……」

『ええ、でも、ねえ?つまりそれは、歴代で一番傷ついた王さまって事ですよね?【天祈】を置いて自分が最前線に立った理由はなんです?アルノルド』

 

 げらげらげらと、醜い蛙の鳴き声が幾つも重なって混じり合ったような笑い声が、強欲の竜の喉から転び出る。己の内側から零れでる邪悪を、竜は隠さなかった。

 

()()()()()()()()()()()()

「おしゃべりだな。強欲の竜よ」

 

 巨神が動いた。その身が纏う輝きは加速する。最早グリードが目を細めてもその実体を視認することもままならないほどにその力が強くなる。それは使い手であるアルノルドの鍛錬の成果だった。極め、鍛え抜いた彼自身の力の発露だった。

 

「私が、命を賭けて此処に居るのは間違いではない。死ぬかもしれないと、保険としてスーアを置いてきたのも正しい。残された命が少ないのも確かだろう」

 

 巨神が拳をふり下ろす。グリードの対応は素早かった。即座に巨神から距離を取る。巨神は即座に応じて、新たに拳を握りしめた。

 

「だが」

 

 ひたすらに巨神の攻撃は実直だったが、強欲の竜は気圧されていた。明確な隙を攻める事は出来なかった。己の命を捨てる覚悟を持った戦士、かつて【紅】を殺した冒険者達が纏っていた”死兵”の気配とはまた違う気配が王を包んでいた。

 

「貴様に此処で殺されてやるつもりはない」

 

 これは、強欲だ。

 強欲の大罪竜は、己の燃料となる感情を、王が発している事を理解した。憤怒にも似通うような、並ならぬ、己の望む全てを得ようとする尋常ならざる強欲が王を包んでいた。

 

「失せろ前哨戦」

 

 アルノルド王は、親指を下に立て、王らしからぬ手仕草をしながら、獰猛に言い捨てた。グリードはそれを見て―――

 

『ふふ、はは、アハハハハハハ!』

 

 笑った。

 イスラリアの奴隷と思って哀れみを覚えていたが、とんでもない。十二分にそそらせる強欲に満ちているではないか。

 グリードは己の内側から湧き上がる宿痾が、強欲が湧き上がるのを感じた。

 あの黄金の目を千切り、愛でたいという、そんな壊滅的な強欲が、湧き出てくる。

 

『つれないですねえ!!仲良くしましょうよ!!かわいい子!!』

 

 その為にも、殺す。

 グリードは魔眼を輝かせ、巨神とアルノルドへと無尽の魔術を叩きつけた。巨神が揺れる。その輝きで視界を塞ぎ、魔眼の射程を縮めようとも尚届くその魔術の圧が巨神を揺らし続けた。

 

『ハハハハハ!!!!』

 

 それを機と見て、グリードは飛び出した。距離を詰める。光で射程が潰れるなら、至近で直接アルノルドをくびり殺す。その為に動いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「アルったら絶好調だねえ、さてどうすっかな」

 

 同じ頃、アルノルドと同じく奈落に落ちていた魔王は、その戦況を見守っていた。とはいえ、別に今回ばかりは彼もサボっているわけでは無い。至極単純にアルの猛攻に、手を出せなくなっているだけだ。

 あれだけの火力、下手に手を出そうものなら、逆に邪魔になりかねない。今のアルに、此方を気遣う余裕なんてないだろう。

 隙を見て、攻撃を挟むが、影響は微弱だ。強欲の竜の視野の広さ、それを処理するだけの知能はずば抜けて高い。多少、ちょっかいをかけたところで、何かしらの影響を与えられるとは思えない。

 とはいえ、削れていない訳じゃ無い。このまま、地道にアルノルドの支援に回るのも一つの手ではある、が―――

 

 ―――趣味じゃあ、ねえなあ?

 

 趣味じゃあない。アルにリスクを背負わせて、安全圏からちまちました戦術はまるで趣味じゃない。

 この戦況でそんなこと言ってる場合か、と、誰かがいればツッコまれそうだが、幸いにして全員が全員、死の瀬戸際で戦っているので、ブラックの凶行をいさめる者はいない。

 

 大変に都合が良い。ラッキーだ。今の間に悪いことをしよう!

 

 とはいえ、だ。“悪いこと”というのは、そんな適当に思いついてぱっと出来るものでは無い。小手先だけでズルをしようとしても、下らない結果しか起こらない。特に、あの強欲竜には、その手のしょぼいズルはまるで通用しない。そんな格の相手ではないのだ。

 自分だけが、楽をして、アドバンテージを得ようなんていう、狡い思考では、足蹴にされるだけだ。

 

 必要なのは覚悟だ。自分自身の身を焼くほどの大賭けが必要だ。

 

「なあ、スロウス、お前は良いアイデア無いか――――――眠いて、サボり魔め」

 

 ()()()は、どうやらあまり役に立たないらしい。さて、他に材料は無いか、とブラックは周囲を見渡す。すると、奈落の上空から様々なものが転がり落ちてきた。先のアルノルドの猛攻によって空いた大穴から、上層の建造物と共に様々なものが転がり落ちてくる。

 上層の死闘も佳境らしい。そして、その無数の落下物の中から、ブラックの眼は“ソレ”を捉えた。落下物の中で、何故か自ら光りを放ち、合図を送ってくるモノを。

 

「――――はぁん?」

 

 強欲の竜がアルノルドの瞳の輝きに魅入られている隙に、音も無く魔王は移動し、落下するそれを受け止める。手のひらサイズに収まる魔導機械。複雑なる封印術式の施されたそれは、紛れもなく、天魔のグレーレの一品だった。

 しかも見れば、

 

[危険物につき開封厳禁――――緊急時を除いてな?]

 

 というメッセージ付きだ。

 

「ハッハ、やるねえ天魔」

 

 早々に強欲に落とされた天魔であるが、やるべき事をやり尽くすその仕事熱心さに、魔王ブラックは素直な賞賛を送った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

イカれた男

 

 

 

「外だ……外、といって良いか、分からねえけど……!」

「……」

 

 ウルは、落下してさまよった地下通路から、広い外の空間へとなんとか身体を這い出していた。迷宮の機能が死んでいるのか、途中で魔物が出現しなかったのは不幸中の幸いだった。ウル自身は兎も角、前後不覚状態のユーリを守って何処まで戦えるか怪しかった。

 通路の先、魔光によって照らされた空間は、広かった。巨大なドーム状の空間だ。至るところに巨大な陥没痕が見えるのは、恐らく天賢王と、グリードの死闘の痕跡だろう。

 

 やはり、奈落の底まで落ちたらしい。

 

 そして、外の空間では、輝ける巨神と、それと拮抗し、全てを焼き切る光を放つヒト型の竜の姿が見えた。今も王達は戦っているのだ。ならば、加勢に向かわなければならない。どれだけ役に立つかは分からないが、ウルはまだ動けるのだ。背中で背負っている、ユーリとは違って。

 

「よし……、そこから動くなよ。ユーリ……」

 

 そっと、ユーリを通路の傍に下ろし、寝かせる。無防備な彼女を、迷宮の、なんの安全も確保されていない場所に放置するのはためらわれたが、最早この場において、安全な場所なんてものは皆無だ。リーネが作った拠点も、なにもかも吹っ飛んでしまったのだから。

 魔物がここに来るまで一度も出てこなかった。その結果を信じる以外無い。

 

「――――お願い、教えて」

 

 離れる寸前も、ユーリはうわごとのようにつぶやいた。やはりまだ、状態は良くない。頬は涙に濡れ続けている。一刻も早く、リーネに見せたいが、そんな贅沢はとてもではないが言えなかった。

 ウルは昔、妹にしていたように頭を抱えてそっと背中をさすった。

 

「大丈夫だ。心配するな。すぐ戻るから」

 

 どこまで、それに意味があったのかはわからないが、彷徨うように、求めるように、その先が失われた右腕を動かすことだけは止めた。それをみてウルは彼女の頭を撫でる。

 そのまま、じっとしていてくれ。そう願いながら、ウルは外へと飛び出した。

 

「――――どう、剣を、握れば良いのですか――――師よ」

 

 繰り返されるうわごとに、応えてくれる者はいなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 時間は遡る。

 大罪迷宮エンヴィー最深層にて

 天賢王勅命・嫉妬の超克は成った―――――の、だが、この際、一つの問題が発生した。

 

 即ち、大罪竜エンヴィー超克後の、その遺骸の処分である。

 

 エンヴィーそのものが力を失った後も、そのエネルギーは竜の遺骸に蓄えられていた。これを上手く処理しない限り、その場にいるグレーレも、ついでにエクスタインも消し炭になるのは確定だ。

 勿論、対処方法は用意してきた。

 竜特攻の材料とも成る超危険物質【黒渦星】

 竜に纏わる呪いすらも魔力として喰らい、飲み込む凶悪極まる代物である。

 コレを利用した魔導機によってその力を封印し、グレーレとエクスタイン達は見事、脱出成功を果たした…………が、しかし、その問題は完全な解決と至ってはいなかった。

 

 【黒渦星】の性質は二つ。吸収と放出である。

 

 吸収の限界が来ると、黒渦星は爆発を起こす。無論、その性質もグレーレは知っていた。それを見込んで、高純度の【黒渦星】を使った魔導機械を用意し、エンヴィーのエネルギーを吸収させた…………の、だが。

 

 ―――ふむ、爆発するなこれ?カハハ!!!

 ―――笑ってる場合ですか?いや本当に!?

 

 なんというか、普通にダメだった。

 エンヴィーのエネルギー量は、グレーレの想定を遙かに上回っていた。グレーレの用意した黒渦星の量では―――否、イスラリアに存在するありとあらゆる物質をもってしてでも、そのエネルギーを抑え込む手段は無いと判明したのだ。

 ひとまず、無数の術式でもって用意した魔導機に強引に押し込んだが、一時しのぎだ。限界が来れば、術式の封印を一瞬で飲み込んで、地上を一気に消し飛ばすことになる。大陸の火山と一体化しているために耐久性に難のあるエンヴィーからは避難させることは出来たが、脅威であることには変わりない。

 

 さて、どうしようか。と、グレーレは考え、そして一つの解決策を思いついた。

 解決策というよりは“蛮策”と評した方が良いような強引な策。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()としての活用案である。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 強欲の大罪竜が、魔王ブラックの不在に気づいたのは、少し遅れてからだった。

 それは不覚と言えた。あまりにもアルノルド王の放つ輝きに文字通り目を奪われてしまったが故の不覚だった。強欲の竜としての性が、目映い宝石を前に、目を眩ませてしまったのだ。

 良くない性だ。わかっていても、克服しがたい宿痾だった。

 

「嫉妬しちまうねえ、グリード。こっち見ろよ」

 

 そしてその、性が、魔王の悪巧みの隙を与えてしまった。それも、最悪の手段を彼に与えたのだ。

 

『―――――あら、いけない子』

 

 魔王ブラックは見せつけるように、その片手に魔導機を握っていた。その正体に、グリードはすぐに気がついた。覚えのある魔力が溢れようとしていたからだ。

 

 同胞、大罪竜エンヴィーの魔力が、あふれかえっている。

 

 大罪竜という肉体をもってしてでも抑えきれない程の圧倒的なエネルギーが、魔王ブラックの手のひらの上に乗っていた。

 

「…………どうするつもりだ。ブラック」

 

 思わず、天賢王も手を止めて、魔王を見上げた。いつも通りの無表情ながら、言葉の端々から「なにやろうとしてんだてめえオイコラ」といった意思が込められていた。

 

「それはあくまでも、我々が完全に壊滅した際の切り札だったはずだが」

「アイツの忘れ形見だろ?使ってやらなきゃ可哀想じゃないか」

「勝手に殺すな」

 

 アルノルドが呆れたように言うが、グリードと同じく動かない。正確には動けない。魔王が握ったソレをどうするつもりなのか、見守る以外の選択肢が無い。

 アルノルドにとって、魔王は一応味方ではあるが、御せる相手であるかと言えば否だ。その事実をグリードも理解しているからこそ、やはり動けない。

 

 この男が、何を仕出かすか分かったものでは無い。

 

「流石にコイツを開封すりゃ、お前にもダメージはいくかね?グリード」

 

 魔王はそう言って、手のひらの上でポンポンと魔導機を弄ぶ。彼の手のひらにあるのは間違いなく本物のエンヴィーの魔力が込められた爆弾だ。ぽろっと落とした瞬間、この一帯がどうなるか、魔王が理解できないわけでも無いのだろうが、そうしている。

 

『それをそのまま開封すれば、間違いなく、この階層まるごと崩壊しますね』

「俺は次元の狭間でも生き延びられるぜ?体験済みだ。だったら、なあ?」

 

 魔王は目を細めて、試すように笑う。

 

「此処にいる奴ら全員の命と引き換えに、お前を討てるなら、大金星って言えるかもな?」

 

 上層でも激しい戦闘と轟音が響き続けているにも拘わらず、魔王の言葉は、いやに通りよく、響いた。脅迫とも取れる言葉に対して、グリードは小さくため息を吐き出すと、その異形なる瞳で魔王を見つめ、言った。

 

『―――なら、やってご覧なさいな?』

 

 その言葉に、一切の震えも動揺もなかった。

 

『貴方の力は知っています。至近で、エンヴィーの純粋な魔力をたたき込まれて、尚も生き延びることが出来るというのなら、ええ、やってみてくださいな』

 

 突然なげつけられた駆け引きに対しても、グリードは動揺しなかった。長いときの中で積み重ね続けた鍛錬が、彼女の精神をも鍛え上げた。安易な挑発、くだらない駆け引きですぐさまに慌てふためくような魂を、有していない。

 魔王の言葉が、グリードの動揺を誘うためのブラフであったならば、それは失敗に終わったと言えただろう。

 

「怖いね、おばあちゃん」

 

 ただ、問題があったとすれば、

 

「確かに、こんな場所で開封したら、俺でも無理だわ。奇跡的に生き残っても、瀕死の重傷で、時空の狭間で迷子なんて、まあ、どのみち死んだようなもんだな―――」

 

 魔王の言葉が、挑発だとか、それ自体を人質のように扱ってグリードの攻撃の抑止を狙う駆け引きとするだとか、そういう小賢しい思考から吐き出されたものではなく、

 

「―――それくらいの脅威だからこそ、良いんじゃないか、なあ?」

 

 全部、何もかも、本気であったと言うことだ。

 

 魔王はうっすらと、額に汗をかき、指先を震えさせる。彼は恐怖していた。恐怖の感性を彼は正しく有している。精神が破綻し、壊れきってしまっているわけではない。喜怒哀楽をちゃんと持っている。

 死ぬのは怖い筈だ。次元の狭間で独り、苦痛の中生き延びるのも恐ろしい筈だ。

 

 にも、関わらず、

 

 

 

「―――俺はお前のこと、信じてるぜ?グリード」

 

 

 

 長い年月を共にした親友にむけるような爽やかな声でサムズアップし、魔王は魔導機の封印を解放して、それを放り投げた。

 

 至極、端的に言って、彼はイカれていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 あまりにも酷すぎて、グリードは呆れた。

 

『あら、まあ』

 

 あの子、なにかちょっとカッコいい言葉吐いて、後始末を全部こっちに投げつけてきた。

 

 あまりにも酷すぎて、常に相手に余裕を見せつけるために浮かべる笑みが消し飛んだ。どうしよう、あの魔王の爽やかな顔面に拳をたたき込みたい、と言うか、絶対に後でそうするとしましょう。

 だが今は、目の前の問題を対処しなければならない。

 大罪竜エンヴィーの大爆発。流石に、既に多くの破損が起こっている迷宮の一階層で抑えきることの出来る威力では全くない。確実に跡形も無くこの階層は消し飛ぶ。

 次元の狭間に閉じ込められたら流石のグリードも二度と外には出られないだろう。そればかりは流石に御免被る。

 

 そして、その対処が出来るほどの強度を有しているのは、グリード以外にはいない。

 

『仕方ないわ、ね!!』

 

 グリードは飛び出し、そして自身の肉体を使って強い力を放ち始めている魔導機をその身体で包み込んだ。同時に自身の身体―――――()()()()()()()()()

 

 それは昆虫の脱皮にも似ていた。

 3メートル超のグリードの身体、その背中がひび割れ、()()()()()()()()()()()()。同時に残された鎧は、魔導機の爆発を抑え込むようにして自ら身体を固めこんだ。

 

 間もなく、エネルギーの凝縮は頂点に到達する。

 

 55階層、大罪竜グリードとの激闘の中でも、最も激しい轟音と爆発が、一帯を埋め尽くした。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第■■■■回 強欲竜会議

 

 

 

 300年前 大罪迷宮グリード最深層にて。

 

『さて、それでは、対策会議を始めましょう』

 

 強欲の大罪竜は、自らの眷属竜達相手に笑みを浮かべた

 

 ―――対策会議?

 

 母のあまりの突拍子のなさに、紅は首をかしげた。何に対しての対策なのか、その場にいる眷属竜は全員わからなかったからだ。

 母の目は、あまりにも視えすぎている。眷属竜であろうと、同じ視座に立つことは困難だった。しかし今回はあまりにも突拍子が無い。

 

 ―――なんの対策会議なのだ

 

『数百年後に起こるであろう、彼らとの最終決戦の対策会議です』

 

 ―――数百年後

 

『はい、数百年後』

 

 紅は呆れた。それ以外の眷属竜も大体はそうだ。

 現在、強欲の迷宮と拡張、その侵攻を進めているまっただ中だ。憤怒の大罪迷宮の【氾濫】、それに合わせた一気の侵略を進めている真っ最中だ。そんな最中に、何故に数百年後の話をしようとしているのだろう。この母は。

 

 ―――憤怒の侵攻にあわせて、我々も攻めれば、事が済むのですはないですか?

 

 蒼が言った。概ね同意見だ。今回で決着がつく可能性が高いのに、何故に今の足下ではなく、数百年先を見つめるのはあまりにも滑稽だ。

 

『恐らく、憤怒は負けます』

 

 しかし、母は悲しそうに言った。

 

『勿論、そうならない可能性はありますが、やや準備に欠けています。行き当たりばったりと言っても良い。動きも速すぎて、我々では、憤怒の進行速度に合わせられない。窮地の時、支援も難しい』

 

 ―――竜が敗北すると

 

『断言はしませんが。ですが、ええ、そもそもあの子は、終わりたがっていましたからね』

 

 心底悲しそうに、遠くを見るように、母は嘆いた。とはいえ、母がそうまで言うのであれば、なるほど、彼女の見方は正確だろうと眷属竜達は理解した。彼女がこの手の悲観をしたとき、間違ったためしがなかった。

 

『そして再び膠着が起こる。怠惰が目を覚ます時、また大きく事態は動きそうですが……あの子はあの子で、のんびり屋さんですからね……』

 

 ―――他の竜達、全員で合図をとって、一気呵成攻めることは出来ないのか

 

 竜がイスラリア似出現してから、十分に力を蓄えてきた。憤怒のように、自損を厭わず太陽神の封印を強引に打ち破る事が出来る者もいるのではないか。彼らと力を合わせれば、向こうを滅ぼすこともできるかもしれない。

 

 ―――ヒト、よわいよ?ワタシタチつよい

 

 紅はそう思った。翠もそう思ったらしい。びゅんびゅんと鬱陶しく飛び回る。だが、母はやはり、首を横に振った。

 

『封印を打ち破るときのダメージを考えれば、難しいでしょうね。憤怒の特攻は長く放置できないと向こうが踏んでくれましたが、そうでないなら、ヒトは長期戦を選ぶでしょう。地上は太陽の降り注ぐ彼らの庭。最悪、滅ぼされるのは此方です』

 

 まあ、そもそも、一気呵成に応じてくれる竜は少ないでしょうが、と、母は笑った。

 

 ―――連帯感が皆無ですね

 

『ええ、我々は生まれながらにして、生物の強度があまりに強すぎる。そのため連帯がありません。これはもう、逃れようのない宿痾と言えましょう』

 

 ヒトが、生まれながらにして、足下を這う蟻に恐怖しないのと同じだと彼女は笑った。

 

 ―――だから、我々、意思のある眷属竜を創ったのか?

 

『勿論その理由もあります。別の視座が欲しいという理由もあります。私一人では、どうしても思考に偏りがうまれてしまいますから』

 

 ―――用心深すぎる。猿どもなど、真正面から焼き払えば良い

 ―――足下をすくわれますよ

 

 紅は、母の臆病を嘆いた。するとその紅の、ヒトを、母を侮るような態度に対して蒼はいさめるように言った。闇の奥底で、水と炎が巻き起こる。風は愉しそうにその様子を嘲り飛び回る。

 

『どちらの意見も、素晴らしいですね』

 

 その二つの相対した意見を、強欲はいさめるでも無く、称えた。蒼は訝しむような顔で彼女に問いただした。

 

 ―――素晴らしい、ですか?紅の侮りも?

 

『用心深さも大事ですが、強者の慢心も、大事ですよ?ありとあらゆる全てに対して意識を向けられるのは全能の神だけでしょう』

 

 しかし、強欲は神では無い。否、全知全能の神などこの世界に存在しない。

 

『出来ないことをしようとして、余裕をなくせば新たな隙になります。慢心、余裕、玉座に座り、待ち構えること。そういう思考も大事です。私はあまり得意では無いですから』

 

 ―――グリード、ひまになったらなにかしようとする

 

『そうですね。困ったものです』

 

 風の嘲りに、強欲は同意した。紅はため息をはき出した。無為なやりとりを続けるのにも飽きてきた。

 

 ―――それで、我々が人類と総力でぶつかる、決戦の準備と

 

『ええ、特に、()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――欠けぬよう、どう対策をとるか、ですか?

 

 蒼が問うた。

 属性竜同士の相克。互いを食い合っての強化。嫉妬の眷属竜の権能をも混ぜ込んだ、恐るべき秘法。もしもこの儀式が完成へと至るならば、母は恐るべき力を手にすることが出来るだろう。

 自分達がその為の贄となるという問題は、どうでも良い。重要なのは、それを完遂させることである。それこそが、眷属竜達の生まれた意味なのだから。

 

 しかし、強欲の母は首を横に振った。

 

『欠けは、するでしょう。ええ、そういう心構えでいなくてはなりません』

 

 ―――決戦を始める前に、我らが負けると?

 

『その可能性は、ありますね』

 

 その言葉に、紅は嘲った。儀式として、正面からぶつかり敗北するならば兎も角、底にたどり着く前に猿たちを前に敗北を喫するなど、竜の恥さらしだ!

 そんな紅の慢心した態度を、強欲は、ニコニコとほほえましそうにしながら、続ける。

 

『相克の儀は、行程が多い。だからこそ、その過程において様々な問題が起こるでしょう。破損、想定外、欠損、失敗、それらに応じられるプランの強度と柔軟性が必要です』

 

 勿論、魔眼そのものの強度、言うなれば竜の心臓部は最も堅くなるようデザインされている。並大抵の攻撃では、竜の身体を破壊できても、その魔眼の相克自体は止めることは出来ないだろう。

 ですが、と、彼女は更に続けた。

 

『破壊は無理でも、封じることは出来るかも知れません。そしてそれをされて、計画そのものを、中断させられるのは、少し困ります』

 

 ―――封印

 

『ええ、特に、魔眼という明確な特性を持つ我々は、やりようによってはあっけなく封じられてしまう。

 

 ―――視野を奪われ閉じられれば、なるほど、我らは動けなくなりますね。

 

 どれほどの強大な力を持とうとも、ソレばかりはどうしても否定しがたい事実だった。

 強欲の竜。視て、焦がれて、それを望む魔眼の竜。視るという行程そのものを奪われてしまえば、その力を発揮できなくなる。

 視界が隠されてしまえば、相克は難しくなる。ソレは紛れもない事実だった。

 一つ二つなら、儀式を修正、妥協すれば良いかもだが、相克が進んだ魔眼を封じられてしまったら、厳しい。その対策をどうするか。

 

 ―――考え方にもよるかもしれません。

 

『あら、【黄】』

 

 すると、ここまで、一度も口を開かなかった黄が声を上げた。といっても、実際に喋ったわけでは無く、黄に口はない。魔言を響かせているだけなのだが。

 

 ―――我らの魔眼すらも粉みじんに破壊するほどの力を、人類が有したのならば、対策は困難でありましょう。ですが、封印は、敵のとる手段はおおよそ想像がつきまする。

 

『視野を隠す。闇に納めるのが最も効率的な手段でしょうね』

 

 黄の言葉に、強欲は肯定する。確かにそうだ。魔眼を封じるとなれば、視界に収めるという魔眼特有の魔術の起動行程そのものを封じれば良い。ソレが最善出れば、敵はその手段を取る以外ない。

 ヒトは弱者だ。それ故に、彼らは最善手を取る以外の選択肢は無いだろう。

 

 ―――で、あれば、()()()()()()()()()()()()()、その封印を敗れる。

 ―――それは……

 ―――母よ。

 

『なんでしょう』

 

 黄の言葉に、強欲竜は応じた。その声は喜色に染まっていた。自分では想像していなかった意見が飛び出した事を楽しむ、教師のような態度だった。

 

 ―――我らは、貴方を含め()()()()()で完成へと至る事を目指した。

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『案としてはりましたが、アレは、魔眼として作成するのは酷く困難です。魔眼という性質とは真っ向から相反しますから』

 

 ―――だからこそ、まさしく“盲点”となりましょう

 

『―――面白い。では試みましょう』

 

 強欲竜は笑った。そしてそれから、魔眼の強化、眷属竜達の育成、新たなる竜達の開発、中小規模の迷宮の地上侵攻に平行して、強欲竜に新たなる日課が生まれた。

 

 光と対なす、新たなる最高硬度の魔眼の作成。

 即ち、()()()()()()()

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 魔王ブラックの暴挙と前後して、

 

 四極の竜封印直後、

 

 光は返す。その性質上、鏡の内側には光は届かない真の闇だ。それ故に、魔眼の封印には最適の場所だと、事前の打ち合わせで、全員が確信を持った。事実として、合成竜の大量の魔眼は、見事にミラルフィーネによって封じられている。その実績も根拠となった。

 

 だが、しかし

 

「あ」

 

 エシェルが、声を漏らした。悲鳴のような声だった。

 

「エシェ――――」

 

 隣にいたリーネは視た。

 彼女の腹から、血しぶきをあげ、腕が突き出るのを。

 彼女が封じた四極の竜よりも更に増して、得体の知れぬケダモノの腕が、腹を突き破るようにして這い出てくるのを。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五轟 大罪の化身

 

 闇の魔眼を有する眷属竜は既に敗北していた。

 

 理由は単純明快だ。あまりにもこの竜は()()()()()()()

 この竜はあまりにも弱すぎた。

 生まれてからの年月も、他の眷属達と比べ圧倒的に若く、成長できていないというのもあるが、そもそもそれ以前の問題だった。この竜は、通常時何の力も持たないのだ。

 

 闇の魔眼は闇を見る。

 

 裏を返せば、光在る世界において、その力は一切発揮できない。

 形すらも保てない。揺らぐように揺蕩うのみだ。アルノルド王一行との戦いが始まった直後、本当に何でも無い攻防の最中、風水の竜達による攻防の合間にもぐりこむようにして鏡の精霊に飲み込まれ、封じられた。

 

 言うまでも無く、それが狙いだった。ソレこそが役割だ。

 

 自身は保険だった。鏡による強力なる封印、簒奪の力に対する保険。

 無為に帰すなら、それはそれで構わない。

 本来の通り、5つの竜の相克によって、相克は成る。

 だが、そうはならなかった。砕けた四極は鏡に飲まれた。

 

 何一つ光届かぬ闇の中、四極の魔眼と闇は入り交じった。

 

 天祈を再現した四極を超え、そのさらなる先、【五轟】へと至った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あ、う゛?」

 

 エシェルが血を吐き出しながら、ぐらりと身体をゆらす絶望的な光景を、リーネは間近で目撃した。あまりにも唐突すぎる、その現象に、流石に理解の追いつかなかったリーネだったが、反射的に思考は友の安否へと走った。

 治療しなければ、助けなければ!

 友の最悪を想像する。傷は、明らかに深い。急がなければ、彼女が死んでしまうと、そう思い、身体はその為に動こうとする。だが、同時に、彼女の腹を突き破った手が、四極の竜のソレよりも更に禍々しい色をした竜の腕が、その腕が放つあまりにも危険な気配が、彼女の行動を阻害した。本能が、近づくことを拒絶した。

 

 エシェルの封印を破った?

 何の竜だ?四極?魔眼なのに鏡の内側から?

 あるいは別の?プラウディア?

 いや違う、この入り交じった輝きは四極と同質。それよりも更に禍々しい!!!

 

 魔術師としての性故か、その現象を理解することに、注意が削がれる。そして、その隙を、【四極】から【五轟】へと至った竜は見逃さない。まるで、虫のようにも見える異様な関節をもった禍々しいその腕は伸びる。

 あっけなく、リーネの小さな身体を引きちぎるために。

 

「さ、せ、ない」

 

 しかし、その腕を、誰であろう、エシェル自身が掴んだ。口から血をこぼしながら、死にものぐるいの表情で、自分の身体から伸びた腕を、その両手で引っつかんだのだ。

 

「エシェル!!」

「離、れ、て」

 

 そのまま、エシェルは片手を此方に広げる。

 同時に、転移の鏡がリーネの背後に出現し、それに身体が吸い寄せられる。エシェルがやったのだ。自分を守るために、自分が死にかけていることを無視して、力を行使したのだ。 その悔しさと悲しみで視界がにじむ中、最後にリーネが視たのは、彼女の腹から這い出てきた、禍々しい、怪物のような竜の姿だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【会、鏡……!】」

『A』

 

 封印空間から吐き出した、竜の姿は、悍ましかった。

 

 色彩は、四極の時よりも遙かに増して表現しがたい。禍々しい光を放っている。四足の獣のようにもみえるが、その脚が異様に長い。まるで蜘蛛のようで、その脚が虚空を掴んで、空中にとどまっている。

 身体は異様に細い。頭部は虫のようにも見える。牙のような二つの顎の中心に、身体よりも更にデタラメな輝きを放つ魔眼が座していた。

 

『A――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』

 

 その、グロテスクな姿に相反して、竜は美しい声で鳴いた。

 本当に美しい声だった。しかし、その声によって迷宮は更に震える。既に崩壊しきっていた迷宮は更にその崩落の速度が増していった。瓦礫が雨のように落下してくる。

 もしも間近でその声を聞いたなら、頭がおかしくなって発狂していたかも知れない。意識が朦朧としすぎて、その声を正しく聞き取れない事が今はラッキーだった。

 

「う……ごぼ……」

『A――――――?』

 

 全く、これのどこらへんが竜なのかと問いただしたい気分だった。口から大量の血をこぼしながら、エシェルは力なく笑った。そんな風に笑うエシェルに、竜は不思議そうだ。

 意識が朦朧としている。どんどん身体が冷たくなっていく。

 

 このままだと間違いなく死ぬ。

 

 だけど、ああ―――

 

「しに、たく、ない……!!!」

 

 彼に抱きしめて欲しい。頭を撫でて、唇で触れて、愛して欲しい。

 

 カルカラとまた、仲良くなれた。友達も沢山出来た。信頼できる部下達も増えた。女王と呼ばれるのは未だに全然慣れはしないけれども、それでも、そう嬉しそうに呼んでくれる子供達の笑顔を見るとなんだかたまらなく、嬉しくなった。

 だけど、まだこれっぽちも満足なんて出来ていない。

 

 満たされない。

 砂漠に雫が零れたとて、乾きが失せることなどない。 

 もっと、もっともっともっと、幸せが欲しい。

 

 その為なら、何だってするし―――

 

「【魔本解放・星邪封印解放】」

 

 ―――何者にだって、成れる。 

 

 ミラルフィーネの力を抑え込む魔本と、天祈の施してくれた封印。

 

 自身がヒトの形を保つための重要なる【楔】を、エシェルは躊躇無く捨て去った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 五轟の竜は、生誕して間もなく、成功と過ちを理解した。

 

 闇の魔眼の相克、これは上手くいった。保険であり、賭けでもあった封印空間の打開策は完膚なきまでに成功した。間違いなく喜ばしい結果だったといえる。

 

 そして、過ちは―――

 

「―――――嗚呼」

 

 この、ヒトでも、精霊でもない怪物を、産み落とさせてしまったこと。

 

「嗚呼、嗚呼、嗚呼、痛い、わ。フ、フフフフフ」

 

 自身の腕にて引き裂かれ、血にまみれた黒いドレスが瞬く間に再生する。鏡からこぼれ落ちる【神薬】が彼女に注がれる。大事に保管してあったであろうそれを、彼女は自らの為に躊躇無く零し、飲み干していく。

 

 無論、冷静に考えるならばそれは成功だ。

 

 【神薬】の回復は、脅威だ。数に限りあるといえど、此方が与えた傷を瞬く間にリセットされてしまう。その在庫を、天賢王でも七天でもない、ただの同行者に消費させたのだ。大きなアドバンテージを得た。そう考えても良いはずだった。

 

 しかし、五轟に宿った本能が、受け継がれた経験が、全てを見通す魔眼が、否定する。

 

「だから、ねえ?」

 

 失敗だ。

 コレは間違いなく失敗だ。

 五つの相克が必然であったとしても、それは避けられなかったとしても―――

 

「―――ちょうだい?」

 

 こんな存在を産み落とす、隙を与えるべきでは、なかった。

 

 全てを書き換える虚飾の黒翼を羽ばたかせ、底の見えぬ強欲の眼で世界を嗤い、それを阻む外敵への灼熱の憤怒を滾らせる。

 人類が溢れさせる悪感情。奈落へと棄て、世界を呪う邪悪。それらを全て躊躇いなく、腸に収めた精霊に捧ぐ、異端の巫女。

 

 大罪の悪感情 その化身

 

「ウフ、ウフフフフフフフ、アハハハハハハハハハハハハ!!!!」

『A――――――――』

 

 ああ、しかし、そうであっても、敵がどれほど危険であろうとも、母を傷つけさせたりはしない。その全霊でもって、この怪物と立ち向かえ。

 

 その為に、自分は生まれてきたのだから―――!!!

 

「アハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!」

『A――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!』

 

 大罪の化身と、強欲の愛し子はその全ての力を互いに解き放った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五轟② 強欲なる者

 

 大罪迷宮五十五階層 地下空間

 

 魔王の策略―――と評するにはあまりにもあんまりな暴走―――により、巨大な爆発に飲み込まれた。大罪竜エンヴィーが蓄えた破壊のエネルギーは凄まじく、そのエネルギーは戦いが始まった直後、グリードが地上で引き起こした迷宮の改変によって地下に収められていた無数の迷宮建造物を容赦なくなぎ払い、破壊し尽くし、地上部と変わらない破壊の荒野と化した。

 

 大量の瓦礫が積もりにつもったその一部が崩れる。腕が突き出て、この破壊を巻き起こした張本人であるブラックが顔を出した。彼は「あーしぬかとおもった!」と自分の身体についた土煙を払い、そして足下を見る。

 

「ふむ、よっしゃ」

 

 彼の足下には、グリードの身体―――正確には、彼女が使っていた"鎧”の残骸が焼け落ちていた。先の破壊を、()()()()()()()にとどめきり、迷宮の形を保った最大の功労者の残骸を魔王は踏みにじり、魔王は笑った。

 

「はっはー!どーだ見たか!俺の天才的な策りゃ「【天罰覿面】」おごぁあ!!?」

 

 その魔王の横っ面を天賢王はぶん殴った。本気のグーだった。魔王は縦に3回転くらいしたあと瓦礫に頭から首を突っ込んだ。魔王はそのまま首をすっぽぬいて、自分をぶん殴ってきた味方に抗議の声を上げた。

 

「なにするんじゃい!!」

「「こっちの台詞だ」」

 

 アルノルド王と、その彼に片腕で抱えられるようにしていたウルは揃って答えた。

 

「あれ、ウル坊じゃん。なんだお前、死にに来たの?」

「今まさにお前に殺されそうだったよ……ありがとうございます。王」

 

 ウルはアルノルド王に降ろされて、ため息をついた。まさか、外に出た直後に爆発に巻き込まれて死にそうになるとは思いもしなかった。自分に気がついたアルノルド王に守られたのは、運が良かったと考えるべきか、悪かったと考えるべきか判断に困った。

 

「構わない。だが今は、離れていろ」

 

 アルノルド王は頷き、指示を出す。ウルは少し眉を顰めた。

 

「邪魔でしょうか」

 

 自分の能力を高く見積もってはいない。全くの役に立たないと断じられるのであれば、しつこく食い下がるつもりはなかった。この戦場では意地なんて張っても何の役にも立たないという事は分かっている。

 だが、天賢王は首を横に振った。

 

「いや、手伝って欲しい。僅かでも、可能な限り、手を貸して欲しい…………が」

 

 そう言って、彼は頭上を見上げる。魔王もそちらを見上げている。

 爆発の中心にて、未だ存在する影が一つ。未だにそこにあった。それが輝き、身に覚えのある凄まじい光を放った瞬間、3人はその場から飛び退いた。

 

「今は、近くにいると、死ぬ」

「―――了解」

 

 グリードは未だ健在で在ることをウルは理解した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔王の謀略は、全滅のリスクを引き換えにしただけの成果を確かにもたらした(その事実を認めると確実に魔王が調子をこきはじめるので絶対に口にはしないが)。

 強欲の身に纏っていた肉体、あるいは“鎧”を破壊することに成功した。これでようやっと―――

 

()()()()()()()

『―――――ほんとうに、酷いですね』

 

 そう、やっと、竜の【心臓】を、晒すに至った。

 

『正直、好きじゃ無いのです。この姿。だって、ねえ?』

 

 破壊された鎧の“中身”は、小さかった。単に小さい、というだけではない。まるでヒトの子供のような姿だった。外装のような異形とも思える場所は異常に少ない。衣服のように変形した翼は、まるでドレスのようだった。

 だが、瞳だけは、違う。まるで星空のように、輝く瞳だけは、明らかなる異形だった。

 

『いい年して、こんな姿、恥ずかしいじゃないですか?』

「確かに、まだガワの方が色っぽくて好みだな」

「どのみち、悍ましいことに変わりは無い」

 

 ブラックは笑い、アルノルドはため息を吐く。少し離れたウルは鎧を失って剥き出しとなった強欲の【心臓】を見つめ、奇妙な納得を得ていた。

 

「最大の強欲は……子供か」

 

 視て、焦がれて、望み、得る者。無邪気なる強欲の化身だ。

 

 先ほどまでの身体が鎧であるなら、今の姿は弱点を晒しているに等しい。状況としては優位に傾いたはずなのだが、ウルはそうは思えなかった。

 

『一応断っておきますが、二度目はありませんからね』

 

 鎧を身に纏っていたときよりも更に増して、威圧感が凄まじい。

 

『貴方たちを守って死ぬくらいであれば、身を守って時空の狭間で転移の術を研究した方がマシですので』

 

 既に取り出していたのだろう。鎧についていた光の魔眼を口にくわえ、飲み干す。光の魔眼が少女の手の甲に出現する。やはり有する戦力には変わりは無く、健在だ。

 

「残念。ま、爆弾はもうないけどなあ」

「二度目はこっちもご免だ…………だが、これでようやくお前を殺せる」

『あら、そう簡単にいくでしょうか』

 

 強欲の竜は笑う。まだまだ底知れない。だが、そう感じる事そのものが、グリードの策略で在ることはもうウルもいいかげん理解していた。言葉も笑みも、相手を惑わし、精神力を削り、追い詰めるための手札の一つ。

 

 無尽蔵ではない。それだけは確かなのだ。

 

 ウルも槍を身構える。どこまで役に立てるかまでは分からないが、僅かでも、王たちの背中を押さなければならない。

 そうして、一瞬の硬直が生まれた。

 誰も動けずにいた。強欲の竜も、魔王も、天賢王も、ウルも。決闘で対峙するように、動き出すきっかけを待っていた。

 

「―――――――!」

 

 そしてそれは間もなく訪れた。それを引き起こしたのはその場にいた誰でも無かった。連続した破壊音がソラから落ちてくる。全員が自然と見上げて、そしてそれを見た。

 

「大変だ」

『あら、大変』

「いや、マージーでえらいことになってんなオイ」

 

 五十五階層の上層から、それは落下してきた。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」

『A――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!』

 

 鏡の精霊と、五轟の竜との激突。

 

「うっわあー……」

 

 ウルは気が遠くなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 五轟の竜と簒奪の精霊の戦いは、熾烈を極めていた。

 それは最早、生命体同士の戦いとすら、言い難かった。二種の全く異なる災害、天災が一直線にぶつかり合ったに等しい、現象だった。

 

『A――――――――――――――――!!!!』

 

 竜が鳴く。最早本来の形状すらも喪失し、異形と化した竜が鳴く。ただその動作のみで、竜の周辺の“空間”が砕けて、ひび割れる。光でなく闇を見る魔眼が混じったことで、最早その竜が視て、砕くのは物質に限らなくなった。

 世界そのものを、まるごとに砕く。文字通りの異次元の破壊者と成り果てた。

 

「ウフフ、アハハハハハハハハ!!!!」

 

 だが、それに相対する鏡の精霊もまた、異常だった。

 鏡から次々と取り出される魔眼は瞬く間に鏡によって映し出され、黒い翼によって強化され、増殖する。巻き起こされる破壊の渦は途切れることなく、竜の身体を焼き続け、破壊し尽くす。空間をまるごと砕き、一部の鏡を破壊しようとも、その攻撃が止むことは無い。

 

 攻撃は多様で、全くの無秩序だ。

 

 魔眼が閃き、風の刃が飛び、水が締め付け、多様な魔道具が現象を引き起こし、魔剣が降り注ぎ、回避したかと思えば鏡が全てを反射して背中を穿つ

 何でもありだ。これまで彼女が経験してきた激闘が、死闘の全てが糧となっていた。強欲は相手を視て、学んで、培うが、簒奪はもっと直接的だった。強欲竜達の力すらもそのまま自分の力としてしまうのだから。

 

 結果として、両者の激突が引き起こされる破壊の嵐は、最早誰にも抑えようが無かった。

 

『A――――――――――――!!!!』

 

 竜が鳴く。途端、一切の予兆無く、ミラルフィーネの手がはじけ飛ぶ。不可視の手が、彼女の身体を打ち抜いた。指がへしまがり、ねじれる。

 

「アアアアッッハハハッハハアハハハハ!!!!」

 

 ミラルフィーネが笑う。その瞬間、虚飾の翼が強く輝く。一瞬で鏡が広がり、そこから出現した無数の【竜殺し】が竜の身体を貫いて、次々に打ち砕いた。

 壮絶な壊し合いだった。双方にまるで己を顧みる意思は見当たらなかった。目の前の敵対者を破壊することだけに全力を尽くしていた。

 

『AAAAAAAAAAAA―――――――――――!!!!』

 

 竜が更に鳴く、魔眼でミラルフィーネを睨み付けたまま、突撃する。その異様なる腕でその身体をひっつかみ、壁に叩きつける。激しい音と振動が迷宮を揺らす。そのまま全力で暴れ狂うミラルフィーネを壁に縫い付けようとした。

 

「ちょうだい!!!アハハハ!!!!」

 

 が、鏡が閃き、ミラルフィーネを抑え込んでいた竜の腕が消し飛ぶ。そのまま魔眼をまるごとに飲み込んで、今度こそ我が物にせんと簒奪の力が奔った。先ほど、腹を内側から破られた事実などまるで恐れる事は無い。悍ましいまでの強欲っぷりだった。

 しかし【五轟】の力で、鏡の射線空間がひび割れ、砕ける。在らぬ方角へと簒奪の力は歪み、跳ねた。光線のように迷宮の壁を奔って、奪い取る。失われた迷宮の壁の奥には虚空と奈落が広がっていた。

 

『AAAAA!!!!!』

 

 五轟の竜はその隙を狙うように、魔眼でミラルフィーネそのものを破壊せんとする。だが、ミラルフィーネの姿は先の攻防の一瞬で姿を消していた。五轟の竜でも捉えれぬ移動、転移の移動術であると【五轟】の竜は悟り、咄嗟に背後を振り返る。

 

「【開門】」

 

 背後でミラルフィーネは、再び鏡を展開していた。精緻で美しい、破壊の輝き。白王の魔法陣、終局(サード)の魔術が五轟の竜を睨みつける。そしてそれは即座に放たれた。

 

『本当に、やりたい放題ですね』

 

 そこに、強欲の竜は割って入った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五轟③ 母よ

 

 鏡の精霊、ミラルフィーネ。

 その利便性を、強欲の竜は正しく認識していたつもりだった。迷宮探索において、保存用の魔道具以上に、際限なくあらゆる物資を取りだし、分け与える。状況に応じて、遠く離れた場所に供給し、時に攻撃の中継地点ともなる。

 

 アルノルド王と魔王を除けば、最も警戒しなければ成らない存在であることは疑いようはなかった。

 

 そもそも、竜の気配に満ちた迷宮で、何故に精霊の力を平然と使えているのか、理解しがたかった。【星海】から外れているとはいえ、限度がある。実際【赤錆】は酷く弱っているのを“視た”。

 だが、実際にその力の神髄を視て、強欲はあまりに理不尽な納得を得た。

 精霊を丸飲んで、人でありながら人でなく、精霊でも無くなった怪物がそこにいた。

 

 だから、竜気は効かない。竜の気配は精霊対策の防衛機構だ。こんな怪物の為にあるものではない。

 

『本当に、やりたい放題ですね』

 

 強欲の竜が割って入るのと同時に、白王陣の終局魔術は放たれた。属性は焔。単純なる一属性であったが、決して侮れる火力では無かった。その作成者が誰なのか、あの一夜城の要塞にて、接触した魔術師を思い出して、強欲の竜は微笑みを浮かべた。

 

 ―――遅い、と挑発しましたが、なるほど、悪くないですね

 

 魔眼、という長所を持っているが故に、他の魔術を行使する機会がなかなかない強欲の竜だったが、もしもこの窮地を生き延びることが出来たなら、学んでみるのも良いのかも知れない、と、そう思う程度には、その終局魔術の完成度は高かった。

 

『です、が!!』

 

 しかし、その火球を、グリードは、弾く。背後の五轟の竜が空間ごと魔術の中心を砕いて削り、残った焔をグリードが力で弾く。それは膨大な魔力と、体術による合わせ技だ。【紅】を殺した魔術師が使っていた業だった。紅が殺されたのが悲しくて、練習して再現したのだが、上手くいった。

 とはいえ、それでも細腕は焼け焦げる。それほどの威力だった。終局(サード)は自分も使えるが、その中でもとびっきりの火力だった。本当に、並ならぬ執念があの魔法陣には込められていたらしい。

 

 しかし、流石にあれほどの威力だ。そう何度も連発できるはずが―――

 

「あはは」

『―――あら、本当?』

 

 鏡の精霊は無数の鏡を展開し、その全てに終局の魔法陣を展開した。

 連発、どころではない。

 しかも、更にそれを取り囲むように別の鏡が展開し、その白王陣の輝きを写し返す。

 

 もしかしなくても、火力が倍加するのだろうか?しちゃうんだろうか?

 いやするのだろう。絶対する。だってとっても眩いもの。

 何だろうこのデタラメは。バケモノなのだろうか?

 

 あまりにも酷いので、強欲竜はちょっと笑ってしまった。そして―――

 

『【願い 焦がれよ 渇望の眼】』

『A―――――――――――――――――』

 

 ならば、しかたないと五轟の魔眼を焦がして、その力を解放した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 空間が一斉にひび割れる、

 

 世界そのものが奏でる悲鳴の大合唱と共に、その空間に在った巨大な鏡が一斉にひび割れる。よほど強大な力が込められていたのだろう。鏡の悉くがその瞬間、激しい光と共に爆発四散し、火や雷が凍りつき、石となって砕け散る地獄のような現象が巻き起こる。

 

『A―――――AAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 五轟の竜は更に強く、激しく鳴く。さらなる破壊が起こる。

 

「迷宮ごと、こちらを巻き込んで自滅するのが望みか?」

 

 その、二体の竜の背後から、巨神が飛び出した。巨神はその拳を強く強く握りしめ、そして即座にそれを放った。その速度が空間を裂き、鏡が引き起こした全ての現象の一切を破壊し尽くしながら直進した。

 

『なんとかなるでしょう?多分、ええ、そう願います。ダメだったら残念ですね?』

 

 アハハ、と、子供の姿となった強欲竜は少し楽しそうに、悪戯っぽく笑った。アルノルドはその笑顔に、更に拳をもう一方の拳もたたき込む。しかし、強欲へとのびた拳の間に、五轟の竜が割って入る。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 再び鳴く。

 先ほど上空で見せた空間の破裂よりも、規模も速度も明らかに高い。だが、一方でその竜の身体には無数の槍が突き刺さり、身体の部分部分が欠損し、全体もひび割れている。

 ミラルフィーネの攻撃、だけではないだろう。

 自分自身の力に、あの五轟の竜は耐えきれていないのだ。既に、限界は間近だ。

 

 だが、それはそのまま、次の相克が迫っていることを示している。

 

 できれば、回避したい。だが、先んじての火竜の破壊、魔王の【愚星】による大地の竜の破損、鏡による直接の封印、様々な要素によって、儀式そのものに亀裂を入れても尚、容赦なく相克は進行を続ける。

 

 魔術儀式、その強度の桁が違う。

 どうあがこうとも、儀式を最後へと到達させようという意思を感じる。

 いや、そもそも―――

 

「まあ、こまけえこと気にしているひまはねえわなあ!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 巨神の肩に乗った魔王が、その銃口を竜へと向け、放つ。五轟の竜が鳴く。巨神の身体が砕け、魔王の脚が吹き飛ぶ。遙か彼方の迷宮の外壁が、ひび割れて、崩落する。

 最早狙いも定かとは言いがたい。五轟の竜はその残された死力を尽くして此方を殺しにかかっている。自分の死が、さらなる相克につながると承知しているが故だろうか。自分の破滅を一切問題視していないのだ。

 

 この竜を相手に、後先を考えていたら、即死する。

 

「アハハハハッハハハハハッハハ!!!!!」

 

 そこに、笑い声が響き渡る。

 黒のドレスが舞い、竜吞の女王が哄笑する。

 再び大量の鏡が展開し、無数の魔眼が華開く。魔術の雨が降る。その攻撃は一切の識別が無かった。普通に王も魔王も容赦なくその雨は襲った。

 

「んもー!!ウル坊!あの女王制御できねえのか!!!」

「無茶!言う、な!!!」

 

 魔王とは逆サイドの肩に乗ったウルが、色欲の権能を使い、降り注ぐ膨大な魔術の雨を弾き飛ばし、僅かでも自分たちのダメージを減らそうと抗っていた。が、彼もまた限界が近いのは明らかだった。

 

「ちゃんとミラルフィーネの方もコマしとけや!!」

「俺のこと何だと思ってんだお前!?」

「無差別スケコマシ野郎」

「殴る、ぞ!!!」

 

 ブチギレながら、ウルは槍を握りしめ、凄まじく重いものを振り回すかのように力を込めて、その穂先をなぎ払った。

 

「【狂い!廻れ!!!】」

 

 降り注いだ魔術が歪み、五轟の竜とグリードへと向かいたたき込まれる。

 

「【光螺閃閃】」

 

 それをグリードが打ち落とす。膨大な力と力が激突し、幾度目になる爆発が花開いた。だが、物量は互角ではない。ミラルフィーネの力と合わさって、たたき込まれた力は飽和し、グリード達を中心として爆散した。

 

「どう……!?」

 

 なったか、ウルは目を細めてそれを確認し、言葉を失った。激しい煙と、魔術の残滓だけを残して、竜達の姿は何処にも無く消えていた。

 無論それを、跡形も無く消滅したと考えるほど、楽観的に思える者はいない。

 硝子の割れたような音がする。

 背後を振り返れば、此方の裏を掻くように、グリードを抱え、五轟の竜が転移の術によって背後を取り、自分たちのいる空間そのものを破壊し尽くそうと試みていた―――

 

「【眠り、墜ちろ】」

 

 が、それよりも速く、予期していたかのように、魔王が怠惰の権能を背中へと放った。

 

『A―――――!?』

「新しい(オモチャ)手に入れたら使いたくなるよなあ?分かる分かる」

 

 怠惰という力を放たれ、強制的に力を閉じられ、苦しむ五轟の竜に、ブラックは優しく語りかけ、そして笑った。

 

「だが、死ね」

「【神の御手・千手】」

 

 そしてその隙を狙い、アルノルドは力を放つ。白王陣の力に後押しされ、巨神の拳を無数に創り出し、その全てに万力の力を込める。

 

『乱暴』

「砕け散れ」

 

 そしてその全ての拳を躊躇無く叩きつけた。グリードの身体が砕け、粉砕し、へし折れる。幼い、子供のようにみえるその姿に対してもアルノルドは一切の躊躇をしなかった。迷宮の地下空間を更に掘り進むかのように、無数に陥没が連続して発生した。

 

『A――――――――――――――――――!!!!』

 

 五轟の竜が、そこに割って入る。空間を砕き、僅かでもその破壊の嵐から母を守ろうというその姿は、紛れもない献身だった。生まれたときより悍ましい異形であり、全身が崩壊し、今まさに終わろうとしても尚、母を守ろうとする、怪物の献身がそこにあった。

 

 そこに、哀しき尊さを感じる感性は、アルノルドにもあった。だが―――

 

「【天罰覿面】」

 

 全霊の力を込めた拳は、まっすぐ、躊躇無く、たたき込まれる。砕かれた空間ごと、五轟の竜ごと、グリードの心臓ごと、粉々に打ち砕いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 砕け散る、その最中、五轟の竜は、愛しき母へと語りかけた。

 

 ―――おかあさん、ここまでです

 

『ええ、生まれたばかりで、よくぞ頑張りました』

 

 既に限界を超えていた身体が崩壊する。手足も砕けて、この戦いのためだけに存在した臓器も全て、機能を失う。残されたのは、自身の核、瞳のみ。相克の為、殊更に頑丈に創られていたそれは、最後まで機能を保ったままだ。

 それを喜ばしいと、五轟の竜は思う。

 自身と同じく、砕けていく母の笑みを、最後に視ることが叶うのだから。

 

『共にゆきましょう』

 

 母は手をさしのべ、自身を抱きしめる。五つの魔眼が母の元へと回帰する。

 

 相克は至り、六輝へと到達する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

降臨

 

 大罪都市ラスト

 ラウターラ魔術学園、賢者クローロの教室にて。

 

「改めて言うような話でも無いが」

 

 教室の主、クローロは生徒達を前にして、授業を開始した。彼が今回受け持つのは、若き魔術師の卵達だ。魔術師を志して、間もなく一年になろうかというほどの頃合い。

 この時期が、魔術師として、最も慢心しやすい時期でもある。教えられる範囲での魔術を身につけ、自分がこの世界の事象の支配者となったような錯覚をする時期だ。万能と錯覚するような魔術の幅広い活用法に、目が眩む時期だ。

 

「魔術とは、この世の事象をヒトの手で再現する試みだ。つまり、この事象を司る精霊と神が担う力の類別は、そのまま魔術にも当てはまる」

 

 だからこの時期には、必ずクローロが子供達に授業を施す。

 彼らの魂にこびりついた慢心を、そぎ落とすために。

 

「全ての現象の基礎。火、水、風、土、そして光と闇、この六つ。火水風土は精霊が司り、光と闇は唯一神が司る。この世の万象はこの六つからなる。故に魔術属性もこの六つ」

 

 魔術師はこれらの力を扱い、時に混ぜ合わせ、自身の望む現象を引き起こす。雷のような魔術も、これらの属性の複合によって引き起こされる。全ての源流はこの六つから成る。

 無論、目の前の子供達もそんなことは理解している。故に、そんな基礎中の基礎を語り出すクローロに対して、どこか侮った表情を向ける者もいた。

 

「光と闇は、特に扱いが困難だ。お前達が扱いを許されるのはまだ先だが―――」

「先生ー」

 

 そして、侮った者達の中でも、一番野心に充ち満ちた少女が挙手をした。

 普段であれば、授業中、自分の講義を中断させるものに対して、クローロは一切の容赦をしない。無言、無詠唱で無礼者の頭に心臓がとまるような冷や水を浴びせかけ、たっぷり悲鳴を上げさせてからまた、話を進める。

 

「なんだ」

 

 しかし、今回はそうはしなかった。しれっとした表情で、質問に応じる。普段の彼を知る学生達が彼を視れば、ヒェと悲鳴をあげることだろう。クローロの事をあまり知らない幼くも若い学生は、意気揚々とそのまま質問を投げかけた。

 

「全部の属性を一気に混ぜたら、どうなるんですかー?」

 

 その生徒は、少し厄介な少女だった。才気があるのは間違いないが、それ故に慢心し、たびたび授業で、教師が困るような質問をなげかけて、授業を中断させる悪癖がある。未だ、誰もなせないような困難な研究を耳ざとく、彼女は知っているのだ。

 六属性の魔術の融合なんて所行を出来る者は未だ一人もいない。

 応えられる者はいなかった。

 

「なるほど、ならやってみよう」

「え?」

 

 が、しかし、クローロはその質問を拒まなかった。不意に彼は指を鳴らすと、大気中の魔力がゆがんだ。六つの属性、基礎魔力が彼の手の掌から出現した。それを手にひろげたまま、彼は少女の前に立つ。少女はぎょっとしたが、自分が質問した以上、逃げることも出来なかった。

 六つの力はクローロの掌で廻り続け、収縮し、強い輝きを放ち、そして

 

「うっ!?!!」

 

 最後に、激しい音を立てて、力が爆散した。結構な火力だった。クローロが防御の魔術を敷いていなければ、生徒達は吹き飛ばされていただろう。

 

「こうなる」

 

 全員が驚愕する中、クローロはしれっと言った。学生達の、クローロを見る目つきは変わった。少なくとも、安直に揶揄するような真似をすべきでは無い相手だと、分かった。

 

「増幅と減衰、反発と吸収、あらゆる相互作用が一度に発生し、あらゆる事象の可能性が同時に起こり、その全てを起こそうとする」

 

 その結果が、今目の前で起こった現象だ。

 

「爆発だ。事象を押さえこむ力が無いとこうなる」

 

 クローロが生み出した属性の魔力は、決して強い力では無かった。掌で払えば消滅してしまうほど、酷く弱い魔力。それが、一挙に混じり合うだけで、それほどまでの強力な現象が引き起こされる。

 

「お、押さえ込めるんですか?」

 

 眼前で爆発を引き起こされた少女は、速くも衝撃から復帰したのか、再び質問を投げる。その目にはクローロへの嘲りでは無く、好奇の光が宿っていた。やはり優秀な少女ではあるらしい。

 慢心、侮りでその才気を曇らせず、研鑽に向けさせるのもクローロの仕事だった。

 

「現在、この現象を押さえ込み、その膨大なエネルギーを操ることが出来ているのは、天祈のスーア様のみだ」

 

 その天祈すらも、四属性に限っての事である。六属性の同時干渉なんてことは、人類の歴史上、実行できた試しは無い。

 

「それができたらどうなるんでしょう」

「【万象】をこの手にできるだろう。理論上の、全ての魔術現象をその手に収め得るに等しい」

 

 万象の力、それはまさに、魔術師であってもかならず教えられる、神の領域である。唯一神ゼウラディアに至るだけの力を、魔術の研鑽によって至れれば、それは最早、神話を終わらせたに等しい偉業と言えるだろう。

 子供達が沸き立つのを確認し、クローロは指を鳴らす。教室の奥から、彼が用意した大量の資料が、彼の教卓へと運ばれ、山のように積もっていった。

 

「だが、目指そうとした結果、学園の教室を跡形も無く消し飛ばした者が大量にいる。その多くがお前達よりも遙かに有能な魔術師だった」

 

 運ばれたそれらは、全て、一つ残らず、六属性の魔力の融合、その研究の失敗の軌跡だった。この研究をてがけた者達の中には、それこそクローロを挑発してきた少女以上の天才もいた。しかし、彼らの研究は何一つとして成果と言えるものには至らなかった。

 どれほどまでにこの研究が困難で、危険かを物語っている。しかし、

 

「危険だから行うな、と言ったところでお前達の内、何割かはこの研究に手を出すだろう。それは魔術師であり研究者のサガだ。故に、止めはしない。ただし」

 

 クローロは教卓の書類に手をかけて、微笑みを浮かべた。もとより森人として、端麗な容姿をもった彼が、サディスティックに微笑むと、背筋が寒くなるような禍々しい美しさが醸し出され、幾人かの生徒達が息を吞んで悲鳴を上げた。

 

「私に不備や欠点を指摘されなかった場合に限りだ。望む者はいつでも来ると良い」

 

 この授業は、彼らの心をへし折るためのものである。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「お疲れ様です、クローロ先生。今回はどうでした?」

「何時もながら、愚かしくも野心的な者達に溢れていました」

「それは喜ばしいわね」

 

 そして、普段より一時間ほど遅れて授業を終わらせたクローロは、いつも通り、報告としてネイテ学園長の下にやってきていた。彼の答えに、学園長は満足そうだ。

 困難な課題に直面させ、自分の無知さと無力さを痛感させ、矯正する。ネイテ学園長発案のこの授業は、なかなかに効果的だった。彼女曰く、強欲都市のとある冒険者の指導教官の授業を参考にしたと言っていたが、果たして何故に、冒険者むけの“しごき”を魔術の授業で再現しようという発想に至ったのかは謎であるが、兎に角上手くはいっていた

 

「特に、浮き足立っていた連中は挑戦的に此方に殴りかかってくれましたから、念入りにへし折ることができましたよ。しばらくは他の教授相手にも、口数少なくなることでしょう」

「よいですね。まだまだあの子達は、慢心を得るには速すぎますから……それにしても」

 

 そういってネイテはクローロがネイテに頼んで用意させた資料を前に、興味深げ首を傾げた。

 

「結局の所、実現は可能なのでしょうか。【六魔の融合】は」

 

 おっとりと、しかしどこかいたずらっぽく、彼女は問うた。

 彼女は時折、こんな風に質問を投げつけてくる。日中の生徒のように知らずに試すのではなく、知っていていて此方を試してくるのだから、尚、性質が悪かった。

 

「もっとも近いところまで研究を進めた者がいました。魔術、魔力を融合する器として“ヒト”を選んだ者がいたのです」

 

 クローロはため息をついて、彼女の問いに応じた。

 その研究者は、この学園の生徒では無かった。とある衛星都市の、魔術ギルドの研究者であったらしい。

 

「雷の魔術のように、我々は複数の属性を同時に操り、時にそれを混ぜ合わせて融合できる。そういう機能が存在している。生物こそが、魔力の最強の器である。その男は実践に移しました」

「危なそうね」

 

 ネイテは端的に述べた。彼女の懸念は正しい。

 

「幾度となく人体実験を繰り返し、最後には自分を使って、他の者達と同じように、爆散させました」

 

 言うまでも無く、これらの行いは許されるものではない。

 魔術の万能感に酔い、その限界に苦悩し、ヒトとして持つべき当然の倫理感を喪失させ、致命的な墜落を起こす。その典型的な末期だった。しかし、そんな彼が、最も、近いところまで六属性融合の研究を進めていたのは紛れもない事実だった。

 それは、彼自身の爆散によって引き起こされた被害範囲によって証明された。

 

「それが、今のところ一番近かった、と」

「とはいえ、ヒトでも強度が足りなかったようですが」

「では、ヒトよりも強い生物がそれを成せば?たとえば、竜とか」

「どうでしょうね。そもそも、人類の敵対種である竜が人類の研究に協力してくれる可能性はゼロですが」

 

 クローロは苦笑した。あり得ないことを想像するのは、本当に空想の遊びだ。

 

「竜は、そもそもこういった研究は行わないでしょう。彼らは生まれながらにして強者にして、生態系の頂点ですから」

「最初から何もかもを持っている竜は、それをしない、と」

「研究とは、研鑽とは、不可能が多い弱者の権利ですよ」

 

 出来ないから、調べようとする。足りないから、それを埋めようとする。

 調べ、工夫し、足りないところを埋める。もしヒトが最初から、太陽神ゼウラディアのような万能の存在であったなら、当然、そういった発想には至らない。何かを埋める必要も無く、ただそこに在ればいいだけなのだから。

 竜を神と同列にするのはあまりにも不敬だと神殿から怒鳴られそうだが、しかし、生物としての強度が、神に最も近いのは竜だとクローロは確信している。

 

「竜でありながら、研鑽や、研究を行う者がいるとすれば、竜の中でも異端でしょうね。強者として生まれた生物として、致命的に間違っている」

「では、もしそんなのがいたら……?」

 

 ネイテの問いに、クローロは、実に端的に回答した

 

「人類は、滅ぶでしょうね」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪迷宮グリード

 深層 五十五階層

 

 地下空間は静かだった。先ほどまでの激闘が嘘であるかのように、静寂に包まれていた。天賢王も、魔王も、ウルも、そしてあれほどはしゃいでいたミラルフィーネすらも、沈黙を保ち、“それ”を見つめていた。

 

「なあ、アル」

「なんだ」

 

 そんな中、魔王ブラックは、宿敵である天賢王アルノルドに、問いを投げた。アルノルドはいつも通り素っ気なく、しかし律儀に、その質問に応じた。ブラックは、見上げるようにして、質問を投げた。

 

「……あれ、竜かね?」

「おそらくは、()()

 

 全員の視線の先には、輝ける存在が在った。

 

 六つの輝きが連なって、光輪の如く成り、それを背負う一人の少女。

 最早、その肉体はヒトガタをなぞるだけで、定かでは無かった。極まった魔力体が揺らめいて、凝縮し、その熱量だけで周囲を焼いている。嫉妬の大罪竜の姿にも似ていたが、それよりも安定していた。何より

 

『思ったより、仰々しいですね。ちょっと派手過ぎて、恥ずかしいです』

 

 光輪を背負った当人が、平然としている。アルノルドが言ったように、完全に竜という生物のカテゴリから逸脱した。神域へと至った魔性。

 強欲の化身。万象を望み、それを得た者。

 

「どう思う?」

「どうもこうもない」

 

 紛れもない、イスラリア史上を遡っても類を見ない、最大の脅威であろう事は間違いなかった。相対する王二人にとって、最悪の状況に等しい。

 だが、二人の思考は、眼前の脅威とは別の方向へと向かっていた。

 

「アレは、強すぎる。竜の枠組みすら、超越するほどに」

「だよなあ、って、こーとーはーだ」

 

 アルノルドの言葉に、魔王は同意し、その視線をグリードへと、正確にはその後方へと向ける。二人は敵同士であり、長きにわたる共犯者でもあった。それ故に、彼の懸念はすぐに伝わる。

 

()()()()()()()()

 

 間もなく、その懸念は現実の物となる。

 

『あら』

 

 直後、虚空から這い出た【手】が、グリードの身体を掴んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

粉砕

 

 

緊急事態発生(エマージェンシー)

 

緊急事態発生(エマージェンシー)

 

〈【統合監視機構ノア】再起動〉

 

調査(サーチ)

 

調査(サーチ)

 

調査(サーチ)

 

〈創造主の定めた規定能力からの大幅な能力超過を確認〉

 

〈【禁忌】【禁忌】【禁忌―――終焉因子】から【終焉災害】への悪化を確認〉

 

〈六〇〇年前に発生した■■■■■■の断片、(ドラグーン)と判明〉

 

〈想定された竜《ドラグーン》の成長曲線からの大幅な逸脱〉

 

〈神域への越権を確認〉

 

〈また、その他複数の【終焉因子】を確認〉

 

〈静観は困難と判断〉

 

排除依頼(クエスト)発令〉

 

〈失敗〉

 

〈応答無し〉

 

〈命令系統の破損を確認〉

 

〈新約32条に従い、【終焉災害】の排除を実行〉

 

〈【天使】稼働〉

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それは、大きかった。

 

〈介入開始〉

 

 空間の隙間から這い出るように出てきたソレは、しかし確かに実体があった。

 

〈対象を探索開始〉

 

 無数の輪が循環する。

 

 回り、回転を続けながら、それは周囲を見定めていた。

 

 金属とも、石とも判別のつかない素材で出来た輪には、瞳があった。

 

〈確認〉

 

 際限なく並び立った瞳が、周囲をぎょろぎょろと見定める。そしてそれらの瞳は一点に集中した。

 

〈【終焉災害認定、因子類別(カテゴリ)・竜《ドラグーン》・神域超過《オーバー》】〉

 

 目の前に存在する輝ける者、光輪を背負う者、竜種としても異端となった超越者、大罪竜グリードへと向けられた。

 

〈排斥機構起動、【兵装:翼】〉

 

 その瞳から何かが展開する。白く輝けるもの。無数に絡みついたそれは、一見すると翼の様にも見えた。まるで天祈が展開するような、無垢に育てられた鳥が見せるような、汚れ一つ無い白い翼。

 しかし、それがグリードに絡みついた瞬間、それがなんであるか、即座に判明した。

 手だ。無数の、折り重なった手が翼の形となり、その異様に長い指が、無数に折れ曲がる関節が、グリードの細い首に、身体に、まとわりつく。

 

『あら、あら、あ―――――』

 

 グリードにまとわりついた手に、強烈な力がこもる。みしみしと音を立てて、強欲の竜の肉体を、握りつぶすように蠢く。そこに込められた力は、尋常では無かった。瞬く間にグリードはその手に覆い尽くされ、隠れて消えていく。そしてそのまま、

 

〈【滅却】〉

 

 光に包まれた。

 それは、尋常で無い熱で在ることがわかった。先ほどの再誕したグリードの放つ輝きに勝るとも劣らぬ膨大な熱が、包み込んだ手のひらから放たれる。その中心にあるものを焼き払う。無慈悲で一方的な焼却の炎だった。

 

〈【聖杭】〉

 

 そして、グリードを包み込み、球状の卵のような姿となった翼に向かって、今度は無数の真っ白な槍が精製され、一挙に突きささった。その形状はどこか竜殺しにも似ていたが、違う。より洗練とされた印象を与えてくる。にも拘わらず、得体の知れない寒気を覚えた。

 その無数の槍が、翼の卵、その中心にいるはずの大罪竜グリードに突きささる。槍に貫かれた手のひらからは大量の血が零れ落ちるが、瞳の異形はまるで気にする様子は無かった。

 

〈【封印】〉

 

 そしてその上から、無数の魔法陣が出現し、翼を包み込む。最も複雑なる魔法陣、白王陣のソレとはまた似て非なる、幾何学模様の集合体。芸術性は皆無であるが、効率性のみを重視したその魔法陣は、それはそれである種の美が宿っていた。

 その魔法陣が重なって、翼の卵を覆い尽くし、その輝きを収めた。

 

 大罪竜グリードの姿は一瞬にして、王一行の目の前から消えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「―――なんじゃ、ありゃ」

 

 その光景をウルは目撃し、呆然とした声をあげた。

 

 空間が引き裂かれ、突如として出現した奇妙なる生物―――と、評して良いのかも怪しい、奇妙なる物体。無数の瞳、しかしグリードの【魔眼】とは決定的に異なる、異様なる眼球の怪物。それがグリードを突如として飲み込み、焼き尽くし、貫いて、封印までしてしまった。

 

 で、あれば、それは味方だろうか?

 

 という思考が自然と頭の中に思い浮かぶ。当然の発想だった。

 だあウルも不思議なほどに、自分のその発想を、誰であろうウル自身が否定した。その思考が頭に思い浮かんだ瞬間の拒絶だった。

 味方?違う。アレは違う!そんな、良いものでは無い!!!

 そのウルの考えをまるで裏付けるように 異形の瞳、あの輪に結びついた無数の瞳が、強欲を捕らえ、串刺しにして封印した後、ゆっくりと、再び動き出した。無数の目が、この場にいる全員を探し、探り、そして見定めるように注視している。

 

 それは、味方に向けた、慈悲の目ではありえなかった。

 

 そこに、血の気は全く通っていなかった。生物が持つ善意や悪意、敵意の類いがまるで感じ取れない。実に機械的にその瞳はうごめき続ける。それは王を見て、魔王を見て、そして最後に、二人とは少し離れた瓦礫の山の上で呆然としていたウルを見て、その動きを止めるのだった。

 

〈新たなる【(ドラグーン)】を確認〉

 

 その瞳が語っていた。

 

〈そのほか複数の終焉因子を確認〉

 

 次は、お前だと。

 

〈安定化の為、新たなる排除目標追加を【ノア】へ申請開始〉

「逃げよ!!!」

 

 突如、上空からアルノルド王の声が響いた。その言葉にほぼ条件反射のように従って、ウルは駆ける。王は“アレ”の正体を知っているのか?そんな疑問を考える暇すら無かった。何処に逃げるべきか、考える暇すら無く、ウルは必死に、重くなった足を動かした。

 

〈申請中〉

 

〈申請中〉

 

〈申請中〉

 

 機械的な声が響く中、ウルは確信した。アレは味方では無い。誰の味方でも無い。決して、この状況下の助けでは無い。そして、急がねば、グリードと同じ末路を迎えると。

 

〈申請完了、排除許可完了〉

 

 ウルの周囲では、グリードの背後に現れたものと同様、空間の亀裂が発生していた。そこから現れた瞳と翼はまっすぐにウルへと伸びる。

 

〈イスラリアに住まう、真なる人類に安寧を〉

 

 人々の、平穏と無事を願うその声は、しかしどこまでも機械的だった。

 ウルは歯を食いしばり悍ましい、輝く手のひらにとらわれるのを覚悟し―――

 

〈滅び――――――――――――》

 

 その直後だった

 上空で滅却され、灼熱となり、杭を打ち込まれ、封印された翼の卵。その封印術式が縦に開いて、硝子が砕けるような音と共に崩壊した。

 

「は?」

 

 天賢王が眉を顰めた。

 更に、深々と突きささっていた白い杭が、一斉に砕け散る。まるで焼けすぎて、脆くなった陶器が粉砕してしまったかのように崩壊し、粉々になって落下する。

 

「ん゛?」 

 

 魔王が眼を疑った。

 そして最後、捕らえたものをつかみ、包み込んでいた翼が一斉に引きちぎれる。それは輝く尾羽のように、無数の指先が空中を飛び散り、血しぶきを上げる。幻想的で、同時にグロテスクな光景が空に現れる。

 

《抵抗を確―――――『五月蠅いですね』―――にnnnnnnnnnnnnnn》

 

 そして、その中から、再び出現したグリードが、瞳の異形の中心となる眼球をたたき割った。

 

「え゛」

 

 ウルは変な声が出た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

望みを尊ぶ者

 

 

 自分自身に突きささった無数の封印術、白い槍、そして灼熱。

 その全てを克服し、砕ききって外に脱出したグリードは、尚も身体に纏わり付いた光る指を、埃を払うようにして除けると、ため息を一つついた。その身体には無数の傷跡があった、穴あき、血のようなものがこぼれ落ちる。背中に現れていた光輪も大幅に破損の跡がある。

 だが、グリードはまるで気にした様子は無かった

 それどころか、その身体の傷はみるみるうちに回復していく。子供のような細く短い手足に空いた穴は瞬く間に埋まっていく。背中の光臨も、あっという間にもとの状態に戻った。異形に封じられる前の状態と、何ら変わらない姿に戻っていた。

 

『―――――はあ』

 

 だが、グリードの表情は晴れなかった。それまで、アルノルド王達と相対し、一方的に殴りつけられて、拳をたたき込まれていたときすらも、そんな表情を浮かべてはいなかった。

 その、心底不愉快そうなその表情で、目の前の異形の眼球を睨んでいた。

 

『裁定者、ですか?』

 

 背中の光臨が輝いた。廻る。回転する。激しい光を放つ。

 

〈抵抗を確認、戦闘能力の無効化を再実gggggggg〉

 

 再び、瞳の異形の中央に突如として陥没した。光臨から放たれた力が、一挙に異形の身体を焼き払った。肉が焼けたような、金属が焦げたような、異様な悪臭が周囲充満した。

 

『今更のこのこと、賢しい顔で出てきて、何のつもりなんですかね?』

 

 無数の翼が、先と比べると恐ろしく速く、グリードの身体へと伸びる。明確な敵意を持って蠢いたそれを、強欲の竜は手で掴む。掴んだ端から、掴んだ部分を瞳の翼は砕いていった。グリードの身体が次々と崩壊していくのが見えた。それが翼の有する力なのか、砂糖菓子のようにぽろぽろと崩壊していく――――が、その身体が砕けるよりも速く、瞬く間に光輪は輝き、グリードの肉体を再生をする。

 翼の破壊を凌駕する回復力で、翼を容赦なく鷲掴みする。

 

『努力は好き、自分でも自分以外の誰かでも、それが報われる事がなかったとしても、望み、得ようとする渇望を、私は尊ぶ』

 

 翼を、まるでヒトの腕を掴むように、グリードは“異形の瞳”を背負い、壁に叩きつけた。奇妙な音がした。何か、異形を構成するものが強くひしゃげる音がした。肉が潰れるような音も聞こえた。なのでその“異形”が最低限、生物的な要素を有しているのは間違いないようだった。

 もっとも、その要素がたった今、粉砕されたようなのだが。

 

『だから、魔王の坊や、天賢王の坊やも、私は好きですよ?』

 

 半ば呆然とした顔で、そのとんでもない光景を眺めているアルノルド王とブラックに、グリードは微笑みかけた。

 

『ああ、でも』

 

 そしてそのまま、自分がぐしゃぐしゃにした異形を見下ろす。その瞳は冷たかった。

 

『何も成さず、安全な場所から傍観して』

 

 再び、空間が割れる。強欲の周囲から、先と同じような翼が、複数出現した。翼が伸びて、再び強欲の竜へと向かう。そこに、最初の時のような、どこか確かめるような躊躇は皆無だった。脅威を排除すべく、一挙に蠢く。

 

『結果だけを見て』

 

 その翼と、空間の奥から賢しく隠れるようにしてグリードをつけ狙う瞳達を、引っつかんだ。音も動作もなく高速で飛翔し、出現した翼かっさらうようにまとめて掴むと、まるで投網にかかった獲物を引っ張り出すようにして、その翼を引き抜いて、空間の裂け目から引きずり出した。

 

『ソレは間違ってる。存在してはならない。なんて、後出し』

 

 引っ張り出した無数の瞳を、壁に叩きつけられ、地面に叩きつけられ、また叩きつけられる。振り回し、壁になすりつけて、悲惨な悲鳴と破壊音を鳴り響かせても尚、グリードは一切手を休めずに、そのまま、最初に粉砕した“異形”のすぐ傍に“ソレ等”を叩きつけた。

 

『下品、よね?』

 

 異形達は、それでも抗う。その大量の瞳達が一斉に、先ほどグリードを捕らえた力を、聖なる杭を放とうと輝きを放つ。が、最早二度目は通じなかった。それらを強欲の瞳で一瞥すらすることもなく、それを片手で弾き飛ばす。

 その時点で、瞳達はようやく、自分たちの手に負えない存在だと気が付いたらしい。

 

〈撤退――――    〉

 

 異形達が、自分達の周囲に再び空間の裂け目を創り出す。そしてその中へと撤退を試みる。しかしそれよりも速く、異形達が作り出した“裂け目”よりも遙かに荒々しい“ひび割れ”が、異形をまるごと飲み込んで、砕ききった。

 

『【六輝壊界】』

 

 強欲の竜は、全ての異形達を一蹴した。

 一瞬にして、場は静寂に包まれ、新たなる異形は現れない。空間は正常に戻された。グリードはその結果に『根性が無いのね』と小さくなじると、そのまま再び、二人の王たちへと視線を戻して、ニッコリと笑った。

 

『さて、それでは、続きをしましょうか?』

 

 王二人はこちらを見て引いていた

 

『あら』

 

 グリードは割とショックを受けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おい、お前の懸念、消し飛んだぞ。雑に」

「そうだな。雑に」

 

 魔王の指摘に対して、天賢王アルノルドは半ば呆然となりながらも、答えた。先ほど、グリードが巻き起こした光景に対して、どうリアクションすべきか、アルノルドは大分困っていた。

 長い年月、歴々の王たちに苦渋を吞ませていた“機構”が、なんか雑に消し飛んだ。

 無論、だからといって万事が解決に向かうかと言えばそんなことは全くない。あくまで、先ほどグリードが粉砕したのはその端末でしか無い。

 ないのだが、あそこまで、こう、かなり直接的な「暴」によってぶっ飛ばされると、感情の置き所に困る。歴代の王たちがコレをみたらどんな顔をしていたことだろうか。

 

「で、どうすんだよ」

「勝つ他在るまい」

 

 結局、状況的には何一つ変わっていない。想定外(イレギュラー)は消し飛んでいなくなった。いるのは全ての儀式を完了させ、万全となった敵のみだ。魔王は遠い目になりながら、笑ってアルノルドに問うた。

 

「俺、向こうについて良い?」

「ダメだ」

 

 魔王は舌打ちした。この期に及んで敵に尻尾を振られるのは大変に困る。

 チラチラと、未だに飛び散っている光る指先。手のひらを指先でつつくと、それを自身の闇で消し飛ばしながら、魔王は鼻で笑った。

 

「期待外れって考えで良いのかね」

「期待も歓迎もしていない存在だったが。向こうが想像以上、という方が正しいだろう」

「どうなってんだよアレ。一応あの目ん玉一個一個、“七天と同等”の力あるはずだろ」

「知らん」

 

 本当に知らない。

 後からの追い打ちが全く来ないことを考えると「対処不能」として判別された可能性が高い。ハッキリとしたのはただ一つ、グリードが本当に、完膚なきまでの規格外と成り果てたという事実のみだ。

 無論、だからといって此処で引く選択肢は皆無なのだが

 

『相談、終わりました?』

 

 グリードは小首を傾げて訪ねてきた。律儀に待っていたらしい

 

「ああ、待たせたな」

『いえいえ、私と貴方たちの仲ではないですか』

 

 グリードはクスクスと笑う。笑いながらも、背の光輪は回転を続けている。輝きの激しさがましていく。先の“瞳の異形”から受けたダメージは最早跡形も無い。

 

『おかしな邪魔者が入りましたが、それでは』

 

 光輪の光が放たれる。迷宮が、その主の力を受けて断末魔のような軋みを上げる。それでも尚、崩壊へと至ることは無いのは、自身を生み出した主に対する忠義故だろうか。

 

『最後の生存競争を始めましょう?』

 

 【終焉災害/六輝竜神】

 

 グリードは高らかに謳った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六輝竜神

 

 相克の儀式は止めることは出来ない。

 

 アルノルドはその事を戦いの最中、理解していた。敵の準備した儀式の強度はあまりにも高い。いくらかの欠損や破損が起ころうとも、何一つ留まらない。こちらがこの決戦のために準備を進めていたのと同様に、相手もこの儀式の準備を進めてきたのだろう。

 

 敵の儀式の進行を止めることは出来ない。それは覚悟した。

 儀式の完了後、どう攻略をするか。その事に焦点を定めた。途中、“介入”があったとはいえ、結局は最初想定し、覚悟したとおりの状況になった。

 

『【六輝解放】』

 

 そして、その判断は間違いで遭ったかも知れないと、既にアルノルドは若干後悔しはじめていた。

 

 グリードが唱えた瞬間、グリードの背の光輪が回転を開始した。

 回り、光を放つ。その放たれる魔力のみで空間を圧し、叩き潰す。身体が引きちぎれそうな感覚を、アルノルド王は受けていた。まだそれは攻撃ですら無かったにも関わらず、その圧力で身体が、迷宮が、軋みを上げる。

 雑務を担当していた者達を途中で置いてきて良かった。

 攻撃でも何でも無いこの魔圧を受けただけで、無防備な者は圧死する。

 

 そんなことを考えている内に、グリードは飛んできた。応じて、アルノルドが拳を握る。

 

「【天罰――――】」

『【――――覿面】で、いいのかしら?』

 

 膨大な魔力でもって拳をたたき込む、技術も何も無いアルノルドの技、それを放つ前に、真正面から“逆にそれが飛んできた”。強欲の竜は、その全身にアルノルドの持つ光と同じ輝きを纏わせて、殴りつけてきた。

 

「っが!?!」

『私、割と根に持つタイプなのです。お礼させてください―――ね!』

 

 拳が飛ぶ。壁に叩きつけられる。ラッシュは止まらず、叩きのめされる。守りを固めても、貫くかのよう拳が隙間にたたき込まれる。天賢王は武術に精通しているわけではない。一方で、グリードの拳術は達人のそれだ。熟達した者の技だった。

 天賢の技が、正しい使い手たるアルノルド以上の精度でもって跳ね返ってくる。

 

「っがはあ!?」

『良いですね。暴力的で、大変素晴らしい―――――さて』

「【愚星咆哮】」

 

 地下迷宮の建造物にたたき落とされ、瓦礫の山に沈み込んだアルノルドを支援すべく、ブラックの咆哮が奔る。闇をグリードは素早く回避した。決して受け止めようとはしない。グリードを捉えられず闇は背後の瓦礫に着弾したが、ブラックは笑みを深めた。

 

「ッハ!!そのザマになっても【愚星】は効く―――!?」

『ええ、そうかもしれませんね、当たるなら』

 

 その魔王の眼前に、グリードは突如出現する。転移、と魔王が気づき、応じるよりも早く、不可視の力が魔王の身体を握りしめて、壁に叩きつけ、貼り付けにする。

 ウル使用していた色欲の力、よりももっと純粋で自由な、魔力による掌握が魔王を捕らえた。愚星で力を崩すが、何重にも拘束は重ねられ、解けない。

 グリードは小さく微笑んだ。

 

『その状態で当ててご覧なさい』

「性格わるっ―――――!!!?」

 

 返答するよりも早く、魔王の身体は壁に引きずり回され、そして地面に叩きつけられた。ちょうど、アルノルドと同じ位置。狙いが分散せぬよう、容赦なく的確に、グリードは動く。

 

『【六輪】』

 

 光輪が再び輝き、光が放たれ、叩きつける。迷宮がさらなる軋みをあげ、砕け散る。既に崩壊寸前であった階層が更に砕けて、軋み、崩落する。そのまま王二人を圧死させるべく、グリードは一気に光を放った。

 

 死ぬ。

 

 全身が軋みを上げる音をアルノルドは効いた。だが、打開しようにも身動き一つ取れない。このままでは終わる、と、顔を上げると、グリードの背後に黒い流星が飛んだ。

 

『あら』

「アハ」

 

 攻撃を中断し、グリードは振り返る。黒いドレスが舞い、鏡が散る。悍ましき、六輝の完成を前にしても尚、鏡の精霊は変わらず嗤う。

 気がつけば、鏡が周囲に展開する。その全てから黒い槍が番えられていた。

 

「あはははは!!!!」

『【六輝・破界】』

 

 それらの鏡を、グリードは空間を砕き、鏡ごと破壊する。五轟の竜の時よりも遙かに無駄なく、刃が物質を両断するように、空間を切り裂いた。

 だが、砕いた瞬間に、周囲に新たなる鏡が出現した。その全てがグリードを睨んでいる。圧倒的な力を得た六輝の竜神すらも、簒奪の力で飲み込もうとした。

 

「【破邪竜拳】」

 

 その欲望を、グリードは回避せず、正面から砕いた。

 金色の籠手がその手に精製され、鐘の音が鳴り響く。一斉に鏡が砕け散り、粉砕する。簒奪の鏡がきらめいて、雨のように散らばり、そこに映すものをデタラメに簒奪していく。しかしその中心にいたグリードは傷一つ無く、そこにあった。

 

「綺麗」

 

 ミラルフィーネは、そんなグリードを見て、うっとりと微笑みを浮かべた。

 奪い、我が物とする【簒奪】。その性質は、その源とも言うべき大罪、強欲の竜を相手にすらも向けられる。その光輪を、まるで輝ける宝石を眺めるような瞳で見つめ、笑った。

 

「ねえ、ちょうだい?」

『あら、強欲ですね。あげませんよ』

 

 グリードは嬉しそうに笑った。

 六輝と鏡は再び衝突する。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その激突の下方にて、瓦礫の下に埋もれた魔王は、グッタリとしながら口を開いた。

 

「……おーい、アル、生きて、っか?」

「死にそうだ」

 

 近くの瓦礫の山から、アルノルドの声がした。声は淡々としているが、無事では無かろう。

 

「だよなあ……どうなっとんじゃい、アレは」

「あれでは、【太陽の結界】による封印も、吹き飛ばすな……地上に出るのも容易だろう。我々が負けたら、イスラリアの最後だ」

 

 魔王も現在、身体の至る所を【台無し】にして戻そうとしているが、傷の数があまりに多い。【神薬】で魔力を回復するが、こんな攻撃が続けば、早々に底をつく。

 ダラダラと戦うわけにもいかない。なんとしても勝機を見いださねばならなかった。

 

「付けいる隙が、無いわけでは、ない」

「まことに~?」

「グリードは、その性質上、自身の力の向上に意識を割きすぎている。だから、直接やつは前に出た。自身を高める。その可能性を見逃せなかった」

 

 毒竜の壊滅寸前の危機の時も、グリードは前に出なかった。それは、あの時点ではこちらが完全撤退の択を残していたのもあるだろうが、“相克の儀”が出来なくなる事を嫌ったというのが大きい。

 強敵との戦いによる敗北と死、それを経由した特殊な【魂の譲渡】による強化の儀式。

 自分を高める。我が物とする。その好機を強欲は捨てられない。

 

「そうして得た、膨大な力に、経験が追いついていない。グリードにとっても、今の姿は紛れもない未知だ」

「ま-、それでもお前よりは天賢の使い方上手かったけどなー……怒るなよー、事実だろーが」

「……加えて、属性のバランスが完璧な調和を保っていない。そのバランス調整と修繕に力を割き続けている。持久力が低い。これまでのダメージの蓄積含めて、回復魔眼の在庫は、最早潤沢では無い―――――筈だ」

「そうだといいねえ……」

 

 勿論、そうなる危険性をグリードは理解しないわけでは無かっただろう。だが、それでも望み、目指さざるを得なかったのは、それがグリードの性質だからだ。

 そういう点は、確かに隙と言えなくもない。

 

「……だが」

 

 瓦礫の山からアルは立ち上がる。彼の身体には未だに輝きが満ちていた。【天魔】とレイラインの力の接続は未だに保たれているらしい。その強固さに感心した。

 

「どのみち、手数が、足りない。ミラルフィーネは、暴れてくれているが、連携は出来ない。“視られ”はじめてきただろう。そろそろ攻略される可能性も高い」

「援軍……期待できるかねえ……?」

 

 ブラックは、チラリと、アルノルドから視線を逸らし、その周辺に意識を向けた。大半の戦力が戦闘不能に陥った中、なんとかちょろちょろと生き延びて、藻掻いている“坊”を考える。

 

「流石に、彼に期待するのは、無茶ぶりがすぎないか」

「そりゃそうだ。だが、まあ」

 

 アルノルドの至極真っ当な指摘に、魔王はニタリと楽しげに笑う。

 

「大穴のどんでん返しは、俺は嫌いじゃなくってなあ?」

「お前、それでいつもギャンブル負けてるだろ」

「おいこら泣いちゃうぞ?」

『あらあら遊戯(ゲーム)は一日一時間までってお母さん言いましたよ?』

「「だれが母さんだ」」

 

 二人は突っ込むと同時に飛び出した。ミラルフィーネの巻き起こす落雷と、グリードの光輪が二人のいた場所を跡形も無く消し飛ばす。徐々に、崩壊した建物の跡形すら無くなる。この地下層も上層と同じ、隠れる場所も、休める場所も無い死域へと、変わりつつあった。

 

 必然的に、決着は間近へと迫っていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 どうする?どう動けば良い!?

 

 迷宮地下へと落下したウルは、激しい激闘が繰り広げられる地下空間にて、己の無力さをかみしめて、駆け回っていた。

 あの謎の介入による一幕を経て、再び戦闘は再開した。そしてその結果は―――おおよそ、分かり切っていたことではあったのだが―――既にウルの手出し出来る領域を大幅に超過していた。竜の権能、怪物めいた戦闘力。それすらも一蹴に伏すほどの地獄が展開している。

 手出しのしようが無かった。下手に前に出てなにかをしようとしても、一瞬で消し炭になるか、それを庇われて、更に足を引っ張るかのどちらかだ。

 隠れ、潜む。それがベターだ。それはウルも理解していた。

 なんとか上層に戻り、戦闘不能になっている味方達の救助に当たった方がよっぽど懸命だと、それも分かっていた。

 

 ―――どうすれば、いいの

 

 だが、それでいいのかという疑問が、脳裏に過る。煮えたぎり、燃えるようなものが、内側から湧き出てくる。

 今もエシェルは上空で戦っている。そんな中、ここまで好き放題させられて、すごすごと、逃げ隠れて、それでいいのか?

 

「……落ち着け」

 

 身体の痛み、最悪の窮地、精神の疲労、あらゆる状況が冷静さを損なわせている。ウルは自分がまともな精神状態ではないと自覚した。動くにしても、今ではない。絶対に今じゃ無い。

 

 歯を食いしばり、状況を見ろ。

 

 意地は大事だ。精神力は最後の最後に力を与えてくれる。だがその力は、不可能ごとを一瞬でひっくり返すようなものでは無い。与えるのは最後の一押しであって、それまで培ってこなかった者に、突然の大どんでん返しは与えない。

 ウルは深呼吸を繰り返して、今は状況の見に徹した。光輪の破壊を避けるように移動しながら観察を続け、そしてそれを見た。

 

「―――――やあっばあ……!?」

 

 蒼い髪の少女、ユーリ・セイラ・ブルースカイがふらふらと、迷宮の通路の奥から這い出てしまっているのを。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六輝竜神② 悍ましい者

「不味い」

 

 少し距離を開けた場所から、天剣のユーリが朦朧としたまま、崩壊した建造物から、野ざらしになった外へと出るその光景を、アルノルドも確認した。七天の権能によるつながりが、彼女の危機を訴えていた。

 見るからに真っ当な状況からはほど遠い彼女を見て、急いだ。急がねばならなかった。

 

『――――』

 

 何せ、グリードも彼女に気が付いて、そして動いていた。たとえ相手が手負いで、意識が朦朧としていようとも、七天の一角である彼女を確実に落とせる好機を見逃すほど、温くない。

 

「最悪、天剣だけ回収じゃね?」

 

 後から追いかけてくる魔王の冷静で、冷徹な言葉に、アルノルドは首を横に振る。

 

「それはしない」

「人事に口出しはしねえが、その心は?」

 

 魔王の指摘、提案は確かに正しい。遠目にも彼女の姿はボロボロだ。最早、七天の役割を果たせる状態であるとは到底思えない。別に、グリードがとどめを刺さずとも、そのまま死んでしまうかもしれないような有様だ。

 この危うい戦況を崩してまで、彼女の救助に走る理由は、無い。アルノルドの権限を持ってすれば、彼女の天剣だけを回収することも出来るからだ。

 

 しかし、それでもアルノルドは救助に動く。その理由は―――

 

()()()

「ハッハ!!てめえもギャンブルじゃねえか!!」

 

 魔王の指摘は、全くもって正しかった。本当に、か細い可能性に対して、イスラリアの命運の全てをベッドしているのだから、狂気の沙汰も良いところだ。

 だが、それでも―――

 

「【天罰―――】」

 

 だが、金色の拳を握り固めて、グリードの背中にたたき込もうとした矢先、違和感に気づく。グリードの背中が揺らぎ、消える。幻影の魔術と気づいたときには既に遅かった。

 

『弱った仲間を狙うと、誘導しやすいですね?』

 

 天から声が降り注ぐ、魔王は闇を身体に纏い舌打ちし、アルノルドも同じく守りを固めたが、既に遅かった。光輪の光熱は即座に降り注ぐ。

 

「ほんっと遊びがな――――」

 

 魔王の抗議も、光に吞まれて消える。空が丸ごと、墜ちてくるかのような広範囲攻撃は、アルノルドも魔王も、丸ごと飲み込んで、破壊しつくした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『さて』

 

 瀕死の天剣を狙う。

 その動作によって容易に天賢王達をつり出すことに成功したグリードは、しかしその状況下にあっても尚、特に喜びもしなかった。圧倒的な強者であって、残心をグリードは体得していた。

 手応えはあったが、まだ死ぬまい。二人の有する渇望、強欲をグリードは見誤らないし、侮りもしない。とどめを刺そうとすれば反撃を喰らうし、折角、天剣を落とせる好機が失われる可能性が高い。今は初志貫徹がいいだろう。

 それに、まだ敵はいる。そう思っていると、先ほどから戦っていた黒衣が再び舞う。

 

「ちょうだい!」

 

 だが、黒衣の舞う姿を、強欲は既に十分に()()

 

『だ・め・よ』

 

 瞬間的な転移によって背後に出現し、丸ごと此方を吞もうとする欲深なる少女に、強欲は蹴りをたたき込む。グリードの足はミラルフィーネの腹に突き刺さる。真っ当なヒトであれば、そのまま衝撃で肉体が弾け飛んでいただろうが、鏡の精霊は頑強だった。ので、そのまま蹴り飛ばす。

 

「っが!?」

 

 遙か遠く、迷宮の壁にめり込んで瓦礫に吞みこまれる。

 どれだけ規格外であろうと、肉はヒトのもの。腸を弾けさせるような蹴りを食らって容易には動けまい。

 障害は消えた。で、あれば、本来の目的を果たそうか。

 

「――――…………ぁぁ」

 

 地下通路から這い出て、しかし何処にも焦点を遭わせずふらふらとしているユーリへと突撃する。もう言葉は重ねない。必要は無くなった。間もなく殺す相手から得られるものは何も無いのだから。

 突き出す拳になんら特殊な仕掛けは無い。しかし、それであっても万象を砕け散り、消し飛ばす最強の暴力によって、天剣の頭蓋をかち割るべく、放った。

 

『あら?』

 

 しかし、拳は、直前に防がれる。

 竜殺しの槍を身構えた少年が、それを塞いだ―――――と、表現するにはやや怪しい。グリードの一打を受けた竜殺しはその瞬間、魔力の許容量を超えて爆散し、少年の身体を叩きのめしたのだから。

 

「――――っ!!!!」

「ぅ…………」

 

 彼は声を発する余裕も無く、背後のユーリもろとも巻き込まれ、壁に叩きつけられる。肉と骨が壁にぶつかる、鈍い音と、焦げる音がした。

 

「―――――っ【揺、蕩え】」

 

 しかし、それでも少年は立ち上がり、天剣と、グリードの間に立ち塞がる。色欲の権能を使い、自身を障壁にするようにして、彼女を守る

 

『あら、少年。本当に恋人だったんです?』

 

 流石に、その妨害はグリードも予想外だった。

 というか、この少年が、この状況、この修羅場において尚、出張ってくること自体が、意外だった。だって、もう、随分と弱っている。色欲の権能による【揺らし】ももう限界だ。

 

『【光螺閃閃】』

 

 実際こうして、魔力を温存した収束した熱光を、権能の脆い所に打ち込むだけで、【揺らし】を貫通してしまうくらいに、弱い。

 

「っぐ……!!!」

 

 腕や脚を焼かれ、悲鳴を上げる。しかし、それでも尚少年は天剣の前から動かなかった。

 

『ラースまで従えて、何というか、本当におかしな子』

 

 左手の異形にも気づく。つくづく、異常な少年だ。よくよく、自分は異常だの、竜らしからぬと他の仲間達からも誹られる事も多いが、そんな自分でも、少年は異物に思える。

 

『ねえ、どうしてそこまでするのですか?』

 

 だから攻撃の手は止めずとも、思わず、尋ねてしまった。

 

『アルの坊やの願いも、魔王の坊やの野望も、理解は出来ます。鏡の子の渇望は、可愛らしい。でも、貴方』

「っがあ!?」

 

 再び、光熱で身体を貫く。弱いところを少しずつ狙い、身体を削る。まだ倒れない。

 

『何のために、ここまでするんです?背後の天剣も、もうそこまでの価値はありませんよ』

 

 近くで見れば、ユーリの片腕は失われていた。精神状態は言うまでも無く最悪で、本当に、この場で最も弱い少年よりも更に価値が低く見える。

 なのに、少年は命がけで守ってる。先ほどからからかっていたが、恋仲、番の類いでもないなら、本当に彼がそこまで命を賭けて助けてやる理由が感じられない。

 

『貴方の渇望を、教えて』

 

 それは、半分は動揺を誘うための口撃だったが、もう半分は純粋な好奇心だ。

 自分の渇望も、他人の渇望も、グリードにとっては好ましい。未知の渇望があれば、知らずにはいられない、強欲の竜としての性だった。

 

「期待しているところ、悪いが、そんな大層なもの、ねえよ……!!!」

 

 だから、少年の答えは、強欲にとっては残念だった。

 

「仲間が死地に向かうのが嫌だったから、来ただけだ……!」

『あら、つまらない』

 

 本当に、つまらなくて、かなしかった。

 誰かの為、というヒトの行動理念は、陳腐だ。別に、それを下らないと唾棄するつもりはないが、その類いの強欲は見飽きてるし、食べ飽きている。そんな理由でここまで来ていることは異常と言えるが、それ以上、得られるものは少なそうだ。

 

『残念ね、【六輝輪光】』

「――――――!!」

 

 光輪の力を解放する。六属性の入り交じった。純然たる力の圧に、色欲の権能も正面から砕かれる。少年の身体は焼け焦がれ、膝を突く。

 だがまだ死んでいない。というよりも、グリードが殺しきってはいない。

 

 少年自身にはもう用はないが、“少年の身体”には用がある。

 

『その“魔眼”は回収させてもらいましょうか?』

 

 少年の最高硬度の魔眼、その存在には目をつけていた。

 

 魔眼の竜であるグリードであっても、精錬が極めて困難な最高硬度の魔眼。ヒトの身でそれを獲得しているのは奇跡の類いだろう。生物の強度が高すぎる竜と比べると、ヒトはそういった、思わぬ飛躍は起こりやすい。そしてその飛躍の結晶が目の前に転がっている。

 大変都合が良い。回収して、再利用しよう。そう思い、手を伸ばし――

 

『あら?』

 

 その瞬間、伸ばした掌に、砕けた黒い槍の穂先が、グリードの掌に突き刺さった。

 ダメージ自体は、問題ない。竜殺しといえど致命傷には至らない。が、グリードは動かなかった。

 

「―――()()()()()()()()()()

 

 死にかけていた少年が声を吐き出す。魂を鷲掴み、震わせるほどの強い声。グリードへと向けられる満ち満ちた殺意。

 自分を睨みつける彼の目から、グリードは目を離せなかった。

 魔眼の希少さ故に、ではない。彼の瞳の奥に見える、禍々しい焔に目を奪われて、

 

『あら、あら、あら』

 

 そしてその隙を突くように、混沌を、運命を捕らえる魔眼がグリードを捕まえ、砕いていく。魔眼を行使するその瞳に一切の震えはない。死の間際、圧倒的な力を持つ自分を前に、微塵も揺らがない。

 

 殺す。

 

 ただその意志のみが込められていた。その様をみて、グリードは―――

 

『ふ――――――うふふ、ウフフフフフフフフフフフフフフ!』

 

 ―――笑った。心底、楽しそうに、

 

『思ったよりもずぅっと――――()()()()()()()!少年!!』

 

 友を、愛するヒトを守りたいという、人類らしい陳腐な業。

 少年はそれを寄る辺にここまで来たという。グリードはそれを勘違いだと見なした。人類らしい、思い上がりと、自分の抱いているものがこの世の何よりも尊いものだという、短命の者らしい、“勘違い”によってここまで来てしまったのだと。

 

 その判断を、グリードは翻す。

 

 少年の奥に、暗黒があった。憤怒の黒炎よりも尚、色濃い暗黒は勘違いでは生まれない。彼は確信している。己の願い、望みの為ならば死すらも厭わないと確信して此処にいる。まぎれもない、強欲だ。

 

 だが、誰かを助けたいという願いは、こうも禍々しくなるものなのか

 強欲の化身すらも戦かせるようなものを、渦巻いて滾らせるものなのか。

 ヒトの願いとは、他者を思う気持ちとは、ここまで昏い輝きを放つものなのか。

 

 最高硬度の魔眼。竜の命と英知をもってしても、数百年の年月をかけてようやく生み出せるその輝きを、刹那の時で創り出す真相の一端をグリードは知った。

 竜の数百年にも匹敵する。人類の業の、闇の、体現者。

 グリードが、焦がれ望む―――

 

『素敵だけど、怖いわ、ね!』

 

 身体の破損を厭わず強引に、グリードは運命の拘束から抜ける。混沌がとらわれた身体を丸ごと破壊し、引きちぎるようにして抜け出す。大量の血がこぼれたが、グリードは気にしない。

 

『まとめて、殺してしまいましょう』

 

 魔眼は諦めよう。グリードは即座に思考を切り替える。

 破損した光輪の回転を加速させる。もう一切の加減はしない。王たちを狙うときと同じように込められた破滅的な光は速やかに、少年と天剣を纏めてなぎ払う光熱となり―――放たれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 数年前

 大罪都市プラウディア騎士団、訓練所にて

 

「師よ。どうすればよいのですか」

 

 ユーリは泣いていた。

 一人、両手で顔を覆って、ボロボロとこぼれ落ちる涙をなんとか押さえ込もうとしていた。それでも涙は止まらなかった。

 

「どうすれば、とは」

 

 少女の周囲には、無数の騎士達が倒れていた。騎士団の精鋭達。圧倒的な剣術の使い手にして、血のにじむ努力を重ねて超人的な力を得てきた、歴戦の戦士達。

 彼らが一人残らず倒れている。たった一人の少女によって、あっけなく打ち倒され、悔しさをにじませながら、悶えていた。

 彼らをそんな有様にした少女は一人、ただ泣いて、そして、自分の師にそれを訴えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()……っ」

 

 彼女は泣いた。しかしその理由を、その場にいる誰も、理解できなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



「どういうこと、なのでしょうか」

 

 騎士団団長にしてユーリの父親、ビクトール・ブルースカイは悩ましげに声をあげた。向かう先にいるのは、枯れ木のように細い老人、【最強の勇者】と名高いザインが座る。

 今回の騎士達の動員は、彼の依頼だった。勇者の後継者であるディズと、自分の娘、ユーリの為の剣術訓練。七天として今後活動していく以上、魔力によって強化された対人戦闘も必要になるという、尤もなザインの言葉に同意し、騎士団と七天候補生達の合同訓練を行ったのだ。

 プラウディアの安寧のため、という使命感があった。

 娘のために、なにかしてやりたい。という親心も否定はしない。

 そんなわけで気合いを入れてきたのだが、その彼の気合いと覚悟は、想像だにしない方向でくじかれることとなった―――つまり、自分の娘であるユーリの無双と絶望によって。

 

「何故、あの子はあんな風に……」

 

 ユーリには天賦の才能がある。ソレは間違いない。親の贔屓目なんて必要ないくらいの、圧倒的な剣の才能だ。魔物退治によって肉体が強くなるこの世界において、武術なんてものは役に立たない、なんて抜かす者もいるが、そういうこの世界の常識すらも一笑す程、彼女は卓越していた。

 現実にして、これまで濃密なる年月をかけて、魔物を殺し、肉体を強化し続けてきた騎士達が、それよりも遙かに若く、【魔画】も乏しいはずの彼女に敗れているのだから、文句なしの天才と言っても良い。

 良い、はずなのだ。だからこそ「剣の握り方」に悩み、泣く彼女がまるで解せない。我が子の事であるのに、彼女の思考が、嘆きが、ビクトールにはまるで理解できなかった。

 

 あの後、ユーリは疲れ果てたのか、勇者の後継者に連れ添われ、眠ったらしいが、それまでの狂乱は酷かった。なんとかしてやりたいと思うが、何を嘆いているのかが分からない。

 だからこそ、ザインに答えを求めた。自分よりも遙かに上の剣の達人である彼ならば、答えは分かるだろうと願って。

 

「わからない」

 

 しかし、ビクトールの願いは、あっけなく打ち砕かれる。彼は首を横に振ったのだ。

 

「わからない、ですか……」

 

 少し、失望した顔になるビクトールに、ザインは淡々と言葉を続ける。

 

「実際に握り方が間違っているなら補正も出来る。頭が勘違いしているなら指導もできる」

「ええ」

「だが、アレは、正しく剣を握り、正しく剣を振り、正しく相手を打倒した。執念でもって鍛え上げた並み居る騎士達を、その幼さで」

 

 相手となった騎士達からすればそれはあまりに理不尽としか言い様がない事だ。

 血豆をつくって毎日汗水流して剣を振り、魔物を殺してる彼らの努力を嗤うようだ。実際、これからしばらくは騎士達のメンタルリカバリーは必須だった。

 

「にもかかわらず、分からないという。間違っているという。自分は正しくないと確信している」

「やはり、勘違いなのでは?」

 

 ヒトの脳は、容易く間違いを起こす。勘違いする。誤作動を起こす。間違ってるのにも関わらず、それが楽だと身体が勘違いして、悪癖となる。そういう事は騎士達の指導をしている最中、よくよく起こりえた。

 そういった躓きが、娘にも起こっているのでは無いかと、そう思った。

 

「おそらくは違う」

 

 だが、ザインは首を横に振る。

 

「此方の指導、教えを、彼女は全て吸収した。正しくない癖、肉体の動作。起こりうる躓きの全てを彼女は読み解いて、理解していた。我々が認識出る範囲の過ちは全て見抜ける」

「はい……」

「その上で、今の自分は間違っていると言っている。ならばそうなのだろう。彼女は、彼女にしか分からないレベルの、間違いがある」

 

 それは最早常人では到底計れぬほどの微細な誤り。髪の毛一本分ほどの僅かなズレが、彼女の中に存在する歯車に噛んで、動かなくしている。それがあまりにももどかしくて、苦痛で、彼女は泣いているのだ。

 

「そしてそのズレが、()()()()()()()()()()()()

「成長……いや、ちょっと待ってください」

 

 ビクトールは頭痛を堪えるような顔つきで、ザインの言葉に待ったをかけた。

 

「あの子は、剣技を教えてから、瞬く間にその技術を吸収し、成長しました。実際、あの子は私の部下達を容赦なく叩きのめしたではありませんか」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ヒトが両足を使って歩くという機能を獲得したのと大差ない」

 

 四つ足で歩いていた赤子が成長する事を鍛えたとは言わない。備わっていた機能が、生命の設計図の通りに備わっただけだ。

 

「彼女は生まれながらに完成していたと思ったが、どうやら違ったようだ。俺は彼女の才覚を全く引き出せていない。成長していない」

「いくら、なんでも、買いかぶりすぎでは……」

 

 あるいは冗談か何かであってくれ、というビクトールの願いは、ザインの真顔によって一蹴された。彼は一切の誇張抜きに、淡々と、自分の推測を語っている。

 

「そしてその間違いを指摘できない俺には彼女ほどの剣才がない」

 

 ザインはそう断じた。ビクトールは本気で頭を抱えた。

 

「貴方以上の剣士はこの国には、というかこの世界にはいないのですが……」

「そうだな、大変に不本意だが」

 

 あるいは、冒険者の最高峰、黄金級のイカザ殿ならば、ともおもったが、ザイン曰く、彼女も指導を勇者と共に受けているのだという。その上で、あの狂乱だ。

 

「この世界に、彼女を導ける者はいない。自分でたどり着くしか無い。自分の剣の、その神髄に」

「出来るのでしょうか……」

 

 ビクトールは、自分の娘が、酷く困難な道を進まざるを得なくなっていることに気がついた。そこに標はない。手を引いてくれる導き手もいない。たった一人で、歩みを進めなければならない、困難極まる孤高の道。

 その娘の道を、手助けする事もままならないのは、父親として、あまりにも忸怩たる思いだった。

 

「そして、できたとして、娘はどうなってしまうのか……」

「想像もつかない。何者になるのか、どのような存在へと至るのか。この世の大半の者は、自身の秘めたる才能を知らぬまま終える。そしてそれは必ずしも、不幸であるとは限らない」

 

 そんなビクトールの絶望を理解するように、ザインは語る。その言葉は、やはり淡々としていたが、気のせいで無ければ、少し柔らかだった。

 

「過ぎた才能は、時に当人を砕く。そうならぬよう、助けることはしてやれる」

「……お願いします」

 

 ザインに頭を下げて、ビクトールは祈った。

 我が子、ユーリの道行きに、少しでも幸いが訪れることを。あるいは、その道の困難さに心おられ、逃げ出してしまうこともまた、願った。それが、人類にとっての損失だとしても、父親にとっては、その方が喜ばしかった。

 

 だが、そうはならないであろうと言うこともまた、父親として、どこかで理解していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【星剣継承の儀】

 

 勇者の証たる星剣に選ばれ、その輝きに包まれた友を前に、ユーリは師であるザインから、言葉を受けていた。

 

「お前は勇者になることはできない」

 

 それは残酷な宣言だった。

 

「お前には聖者の才がない」

 

 ユーリが勇者ザインの、その鮮烈なる姿にどこか焦がれていたのは隠しようのない事実だった。血族の願い、先代の願い、それらを鑑みても、彼の剣を学ぶ過程で、そこに焦がれないというのは、無理な話なのだ。 

 だから、彼の言葉はユーリを傷つけ、しかし、それでも彼女は決してひるむこと無く、正面から師の言葉を受け止めた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼の言葉は、自分を突き放す言葉では無いと理解していたからだ。

 

「敵を説くでもなく、誰かを救うでもなく、斬る事を選ぶ。それは最早、本能に近い」

 

 そういって、ザインはその枯れ木のような掌で、ユーリの頭をそっと撫でた。それは誤魔化しでは無かった。慰めでも無かった。これから独りを行く、ユーリの身を案じ、尊んだ。

 

「友を助けたいと願うならば、彼方まで昇れ。障害の全てを切り裂いて」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 幼い頃から、ずっと分からなかった。

 

 どれだけ剣を握り、振るっても何かが間違っている気がしてならなかった。

 父に訴えても理解して貰えない。先代の天剣にも、理解されなかった。

 先代の勇者の元に案内されて、ここならばと期待もしたが、変わらなかった。

 幼い頃からの友すら、自分の訴えが理解できず、悲しそうに、申し訳なさそうに謝った。

 理解者はいなかった。

 何も分からないまま、光のない、水の中を泳ぎ続けるに等しかった。

 血迷って、一度武者修行なんて事をしたこともあったが、何も変わらない。

 自分と同じ視座を持つ者はどこにもいなかった。

 

 自分は一人だと理解した。

 

 それを悟ってから、更に厳しく自分を鍛え抜いた。

 自分以外の皆は、どうしようもなく弱い。

 守らねばならない。

 その役割が、自分にはあるのだ。自分をそう定義した。

 そうでなければ、この寂しさに理由が無ければ、あまりにも悲しすぎた。

 

 そう決めていたのに、

 

 何故か今、自分は逆に守られている。

 

 自分よりも遙かに非才な男が、身を挺して守ってくれている。 

 凡夫の身で、非才の身で、死にものぐるいで守ってくれている男がいる。

 竜の放つ滅光から、ボロボロの身体で自分を抱きしめ庇おうとする。

 

 その事実が、どうしようもなく、腹が立った。

 

 才能も無い凡才が、孤独でも無い男が、何故自分を守る。

 寂しさを理解してくれないのに、どうして抱きしめる。

 

 あまりにも不愉快だった。

 

 天から才を賜りながら、守られて、その温もりに安堵を覚えた自分が、気持ち悪かった。

 

 で、あれば切り捨てろ。

 

 醜悪な雌に成り下がって、甘えて、守るべきを守れず死ぬくらいなら、己ごと一切を両断しろ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()―――――

 

「――――あ」

 

 その瞬間、かみ合わず、ずっと動かなかった歯車が押し出され、

 

()()()()

 

 そして次の瞬間、迫った破壊の光熱が、真っ二つに切り裂かれた。

 

「は!?」

 

 ウルは今日、何度目かになるかもわからない驚愕の光景に目を見開いた

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

〈gggggggggggeeeeeeeeeeeeeee―――緊急事態発生(エマージェンシー)

 

〈創造主の定mtttttt規定能力からのooooo幅な能力超過を確認〉

 

〈新たなる【終焉災害】発生〉

 

類別(カテゴリ)■■■(エラー)■■■(エラー)・eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeerrrrrrrooooooorrrrrrrrrrrrrrrr】〉

 

〈ライブラリに該当する種目無し、判別不明〉

 

〈新約12条に基づき、新たなるss終焉因子項目を【ノア】へ申請〉

 

〈申sss中〉

 

〈申請中uu〉

 

〈申請完了〉

 

〈新項目登録完了、再識別開始〉

 

〈【因子類別(カテゴリ)(ソード)】〉

 

〈――――――――――――――――――――――――――――――(ソード)?????〉

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六輝竜神③ 到達点

 

 【大罪迷宮グリード二十九階層】、安全領域にて

 

「スーア様!」

「ビクトール」

 

 転移の術が起動し、中から現れたのは、プラウディア騎士団団長、ビクトールだった。彼の姿は、ややボロボロだ。髪もぼさぼさに逆立って、鎧のあちこちも汚れが跳ねている。しかしその状態でも必死に整えると、そのままの勢いでスーアの前に跪いた。

 

「全ての仕事を片付けて駆けつけさせていただきました。無論、問題が起これば、即座に転移の術でプラウディアに戻る所存です。どうか此処で、貴方の力とならせてください」

 

 騎士団団長の責務を負えた後、慌てて此処に駆けつけた。

 大罪竜との戦い、その全ての決着をつける決戦がこの地、グリードにて行われることをビクトールは勿論知っていた。自分の娘、ユーリが此処で戦うことも。だからこそ、ビクトールは全ての仕事をなんとか済ませ、部下達にプラウディアの守りを託し、駆けつけたのだ。

 

 無論、この行動はプラウディア騎士団団長という立場を思えば軽率だ。

 

 七天の大半が此処に結集している以上、それ以外の土地が危うくなる可能性は常に秘めている。プラウディアという都市を守る任務を放り出していると言っても良い蛮行である。

 この場でスーアから咎められ、罰されても何ら不思議では無かった。

 

「―――顔をあげなさい。許可します」

「ありがとうございます……!」

 

 が、スーアは彼を咎める事はしなかった。ビクトールは安堵し、感謝を告げる。スーアの表情はわからなかった。だが、あるいはスーアもまた、ビクトールの気持ちは理解しているのかも知れない。

 最も大事な身内、家族が死地に飛び込んでいるのは、スーアも同じなのだから。

 

「それで、どのような状況でありましょう」

「救助部隊が動きました。一部は離脱しますが、本隊はそのまま先に進んでいます」

 

 既に、途中の離脱者は救助部隊によって回収され、引き返しているとスーアは語った。

 

「では、ユーリも」

「無論」

「そうですか……」

 

 出来れば、そのまま離脱して無事に帰ってきて欲しかった。と思うのは親心だろうか。

 だが一方で、納得があった。やはり彼女であれば、きっと最後まで戦いに向かうだろうという確信。団長という立場故に、あまり彼女と接触することは出来なかったが、それでも彼女のことはよく知っているつもりだ。

 どこまでも強い意思と、使命感。その二つを芯に抱えた彼女が、この戦いを途中で降りることはまず無い、という確信。それ故に、心配は増すのだが、それを言葉にすると彼女は鬱陶しがるので、なかなか難しい。

 

「ユーリは、きっと大丈夫です。彼女は最強です」

「……ありがとうございます、スーア様」

 

 そんな心中を察してか、スーアが励ましてくれた。やはり表情は常人の自分には読み取りにくかったが、今の言葉は間違いなく、自分を気遣い、励ましてくれているものだった。ビクトールは感謝を述べた。そして、不意に疑問が頭をよぎった。

 

「おたずねしてもよろしいでしょうか」

「はい」

「何故、スーア様はあの子を最強と呼ぶのです?」

 

 スーアはたびたび、ユーリを最強と呼んでいた。それはビクトールも時折耳にしていた。

 最強。七天最強。なるほど確かにユーリは天賦の剣才がある。それはビクトールも疑いようが無い。その彼女の才覚は幼少期からたびたび目撃していた。その点は疑いようが無い。

 しかし【七天】、驚異的な超人達が集う魔境において、彼女が最強なのかと言われれば、疑問が残る。目の前のスーアをはじめとして、超常的な力を持った者達の集まりこそが七天だ。そんな中に肩を並べて、神からの権能を賜った娘は誇らしく思うが、同じく権能を賜った超越者達のなかでもユーリが飛び抜けて強いかと言われれば、疑問が残る。

 

 それこそ、最も偉大なる天賢王をはじめ、もっとわかりやすく、圧倒的な力を振るえる者達はいるのだ。そんな中、“絶対両断”の【天剣】と剣術が、彼らを大きく上回るようには思えなかった。

 

 すると、誰であろうスーア自身も、不思議そうに首を傾げながら、言った。

 

「正直を言うと、私もよく分かりません」

「分からない……」

 

 いや、なんでだよ、とは思わなかった。時折スーアはこのような発言をする。常人には見えない多くのものが見えるスーアは、それ故に自分の処理する情報を上手く読み解くことが出来ない事がある。理解できぬまま、疑問に思ったまま、周囲を正解に導くことがある。

 

「しかし、事実なのです。彼女だけなのです」

 

 今回もそうなのだろう。彼女は不思議そうに、解せなそうにしながらも、一方で確信をもった声音で、断言した。

 

「唯一、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 グリードは、自分が超越者へと至った事を確信していた。

 

 間違いなく、今、この世界で最も強い生命体は自分だ。その確信がグリードにはある。それは、驕りでは無く、事実だ。グリードは冷静に、自分の性能を見極めていた。

 無論、課題は多い。ここに至って尚、自分は完璧では無い。ここに至るまでの不備もあった。ソレは認める。その事実を鑑みても尚、この敵達は殲滅出来るという確信がグリードにはあった。

 

「――――分かった」

 

 だが今、グリードは自らの確信が揺らいでいるのを実感している。

 ぼろぼろの少年を、背後の、自分が出てきた洞穴に押しやって、前に進み出てくる獣人の少女。鎧も纏わず、ぼろぼろで、右腕が無くなり、蒼い髪は血と泥にまみれている。そんな悲惨な姿をした少女を前に、グリードは揺らいでいた。

 

 身体の奥から、チリチリと、灼ける感触があった。

 

 それは、真っ当な生命からかけ離れ、至る所へと至ってしまったグリードの中に、かすかに残った本能だった。命を脅かされるリスクを抱えた、生命が有する生存のための機能。それが、刺激する。最後の力を振り絞り、警告を放つ。

 目の前の存在は、敵は、自分を“おびやかす”。

 

「こうすれば良かったのか」

 

 少女は、囁く。

 そして次の瞬間、彼女の身体は揺らめいて。宙を蹴り、グリードの眼前へとその姿をさらした。歩行術の一種だろうか。速くは無かった。しかし、その動きを咎めることはグリードには出来なかった。グリードの意識と意識の狭間に滑り込むように、一気に近づいてきた。

 

「こう刻めば良かったのか」

 

 剣がくる。ただの天剣、絶対両断の剣が奔る。

 グリードはそれを知っている。学んでいる。“視ている”。だから、視て、学んで、習得した技術に沿って、その剣を回避しようとした。そうしようと、試みた。

 

『っ』

 

 出来なかった。剣はグリードの構えた腕を両断した。欠損したグリードの腕から、血と、激しい光がこぼれ落ちた。

 

『【六輝輪光】』

 

 その時点で、グリードは自らの内側にあった全ての知識を捨てた。眼前の存在と、先ほどまで戦った天剣の像を完全に切り離した。此所までの理解はただのノイズであると即座に判断した。

 徹底して距離を取るべく光と魔圧を放つ。たとえどれだけ異常な動きをしていようとも、相手は防具もまともに身につけていない、生身の生物なのだ。空間を焼き払い、距離を置いて、灼熱で消し飛ばせば、骨肉は灼け砕け、死滅する。

 それを実行すべく光輪を輝かせた。力を容赦なく、全域にたたき込んだ。

 

 ―――のに、何故、この少女は何事も無く目の前にいる???

 

「剣とは、()()()、こういうものだったのか!」

 

 再び剣が閃く。今度はいなそうとは考えなかった。

 

『【六輝・天剣】』

 

 同じ力の再現をグリードは行った。天剣がどれほどの特別な力であろうとも、魔力から構成される力であるならば、今のグリードには再現可能だ。その剣でもって、天の剣を迎撃する。接触し、双方が砕けるとしても、それはそれでかまわない。この得体の知れぬ怪物の攻撃を防ぐ手段が見いだせるならば、ソレで良いと思った。

 

『――あら、本当に、酷いわね』

 

 だが、グリードが生み出した剣は―――ある意味予想通り―――一方的に砕かれ、グリードの身体は切り裂かれた。

 腕が切り裂かれ、脚が落とされ、光輪が砕かれる。治癒の魔眼の消費が追いつかない。あまりの理不尽さに、グリードは笑みすら消した。幾重もの力を強引にはき出しながら、死にものぐるいで距離を取る。転移の術を乱用し、物理的な距離を開けた。

 

 なんとか肉体の再生を果たしながら、グリードは視た。

 

「―――嗚呼、師よ。たった今、理解りました」

 

 天剣の少女、ユーリがその二つの瞳から、ボロボロと涙を流し、その先が失われた右腕を、天へと伸ばす。無残にちぎれたその右腕に、光が集う。

 それは、彼女の扱う天剣の光――――――の、筈だった。

 どこか空々しい、金色の輝きは、異様な明滅を繰り返していた。それはまるで、主であるはずのユーリに抗い、逃れようとするかのようだった。不規則に揺らぎ、狂ったように形が崩れようとした。

 更に、声が聞こえてきた。それは、先にグリードを襲ったあの瞳の声。

 

〈―――警告、それ以上の越権は許され「()()()()」―――   〉

 

 だが、次の瞬間、神の権能は彼女に()()した。

 どこか空々しくもあった金色の輝きが解ける。

 何もかもを飲み込むような、星空の光が彼女の元に集い、収束する。

 

「我、剣士に在らず。柄を握り、振るうでなく、在るままに万象を断ち切るモノ」

 

 失われた彼女の身体を補うように、光が収束する。

 それは、腕の形を模しながらも、明らかにヒトのそれからは逸脱していた。針の様に細い糸が幾重に重なり形を成した。

 構えると、その腕と同じ星天の剣が指先から生まれるが、しかしそれもまた真っ当な剣からはほど遠い。柄も無く、刃のみがその腕と一体化し、その刀身で獲物を睨む。

 そして、失われた腕のみならず、逆の無事な左腕から、胎へとまとい、脚を覆い、全身を覆い尽くす。本来の天剣の機能から、完全に逸脱していた。神の機能の全てが、たった一人の少女を前に支配された。

 獣の様にすら見えて、対極に在るモノ。

 森羅万象、あらゆる聖邪魔剣すら霞むモノ。

 只管に、万物を切り裂く事のみに特化したヒトの到達点。

 

()()()()()

 

 【終焉災害/剣】 

 

 ユーリは高らかに謳い、グリードに襲いかかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六輝竜神④ 死闘

 

 【天剣】とは、一切を両断する神の与えたもうた剣である。

 

 つまるところ、非常に強固なる近接武装であり、そしてそれ故に、非常に扱いが困難となる武器である。それが、神に仕えし神殿の神官達の理解で、認識だった。

 なにせ、どれだけ強い武器だろうと。どれだけ強固な物質を切り裂くことが出来る剣だろうと、所詮は剣だ。どうしたってそれを振るう当人の技量に依存する。他の権能、【天賢】はいわずもがな、無尽蔵の魔力を供給する【天魔】や、それらの力を模倣する【天衣】にもどこか及ばない。

 勿論、そもそも権能を持たない【勇者】と比べればまだ、優れてはいるが、やはり、扱いが難しい武器、というのが大半の認識だ。

 

 その考え方は実際正しい。

 

 故にこそ、歴代で天剣に選ばれた者達は、血のにじむ努力を強いられた。使い手として、その酷く難しい神の剣を扱えるよう、自身をどこまでも鍛え抜く必要があった。それを怠れば、たとえ、どれだけそれまで貢献していたとしても、容赦なく没収され、別の血族に渡される。そんな難しい権能だ。

 

 その剣を与えられ、剣を射出兵器の如く飛ばし、形を変え操るユーリは、その時点で異端だった。その所行だけで、彼女は歴代の天剣の扱い方から逸脱していた。

 

 天の剣に選ばれし者なのだと多くが称え、彼女を認めた。

 

 かつてのブルースカイの堕落を咎めていた者すらも、それを認めざるをえなかった。

 天剣の授与式の折り、彼女がその時与えられた剣で単身、数十を超える邪教徒達を一瞬にして叩き切ってしまったその結果を前に、平伏せざるをえなかった。

 そんな彼らも、まさかその時の彼女が、その身に宿った天稟を、微塵も発揮できていなかったなどと、思いもしなかっただろう。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 グリードは未だ、天剣のユーリと相対し、その剣を相手に立ち回っていた。

 回避は、出来ていた。グリードとて、武術を長い年月をかけて習得し、鍛え抜いている。付け焼き刃の素人では無い。自身の眷属達を相手にしながら、時に姿を誤魔化して、侵入してきた冒険者達を相手にしながら、ひたすらに培い続けてきた。

 十二分に達人の域である。故に、ひたすら一方的に切り刻まれるような理不尽は起こっていない。最初の接触の折、十分に痛い目を見て、その速度を知った。

 

 速度も、力も、自分が上だ。それは紛れもない事実だった。

 

 それを観察する目も、自分にはある――――――――だが

 

「【()剣】」

 

 それでも、僅かな隙を縫うように、剣がグリードの身体を削る。指を刎ねる。腕を飛ばす。首がちぎれかける。そして一方、此方の攻撃は通じない。  

 何故通じないのか?

 流石に、自身の死角を含めた全方位を、一斉に砲撃しているにもかかわらず、攻撃が通じないのは理不尽を通り越して不可解が過ぎた。故に彼女をしっかりと観察して、理解した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『―――分かっても、意味が分かりませんね???どうなってるんですか?』

「―――――」

 

 尋ねてみても、返ってくるのはあまりにも鋭利な殺意だけだ。というよりも反応が乏しい。トランスの様な状態になっているらしい。既に限界ギリギリだったのだろう。そこに加えての急激な覚醒が、彼女の意識を混濁させている。

 なのに、剣の冴えは鈍らない、それどころか―――

 

 視ても、視ても、追いつかない……!?

 

 それがどういう現象なのか、グリードは理解しきれなかった。埒外を体現した自分の言葉ではないが、あまりにも理不尽で、不可解だった。視て、知って、学び、獲得しても、その剣にいつまで経っても追いつかない。それどころか、どんどん突き放されていく。

 何が起きているのか、グリードは考察し、そして一つの結論に至った。

 あまりにも荒唐無稽な結論、

 まさか、この少女は、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()!!!?

 

 だが、成長するとして、変貌(かわ)るとして――それは、何へと?

 この少女は、個体は、何者になろうとしている?

 視る怪物である自分すらも追いつけぬような代物に、これから成る?

 

 嗚呼、それは、それならば―――――

 

『――――――ウフ、フフフフフ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!』

 

 胴体を両断されながら、グリードは、その結論に笑った。

 

 自分の失敗を理解した。

 

 彼女が弱ったとき、何が何でも、一刻も早く、殺さなければならなかった。その命の灯火がくすぶっている内に、踏みにじって、跡形も残さぬように、始末をつけねばならなかったのだ。

 それができなかったから、今、自分はこんな目にあっている。

 このような、とてつもない業火に吞まれて、焼かれようとしている。

 

 その事実をグリードは、強欲は、心底笑い、そして喜んだ。

 

『ああ、つまり、私にはまだ成長の余地があるのですね?』

 

 自身が、更に何かを得る可能性がある事実に喜んでいた。

 六属性を掴み、これ以上は無くなってしまったのでは無いかという不安、恐怖、自分の存在意義そのものが無くなってしまうような不安が、一瞬で消し飛んだ。

 

 素晴らしい。ならば学ぼう。習得しよう。目の前の怪物の隅々まで―――

 

「いいや、お前は此処で終わる」

『あら』

 

 そう思った矢先、空から拳が墜ちてきた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 至った、のか!

 

 アルノルドはユーリの覚醒を見届け、彼女が“至った”ことを確信した。

 あり得ないと思っていた可能性。単身での強欲を撃破するだけの秘めたる力。スーアのその予知は、アルノルドであっても容易には信じがたい事だった。最強の脅威である強欲竜を打ち倒す可能性を、たった一人の少女が担う事実を認めるのは、困難だった。

 

 そうであって欲しいと願うのは、あまりにも楽観が過ぎた。

 

 強欲へと至るまでの道中では、彼女の才覚はその神髄へと至ることは無かった。【陽喰らいの儀】の戦いでも、色欲の大罪竜との戦いでも、彼女は至らなかった。ただただ“傑出した天剣の使い手”にとどまった。

 

 ―――世界をおびやかす驚異であっても、彼女の輝きを揺らすには、恐らく足りないのです。

 

 ユーリの可能性を見いだしたスーアはそう言っていた。

 

 結局アルノルドに出来たのは、願うだけだった。ユーリ自身が、至るのを。

 そして、彼女はそれを成した。

 至ったユーリと、そこへと至る彼女の道を守り抜いたウルに、アルノルドは心の底から感謝した。

 

「最後の好機だ!」

「だーな。天剣は長くはもたんだろうしなあ!!」

 

 アルノルドの言葉に、ブラックも同意する。

 ユーリのあの尋常ならざる猛追は、決して長くは持たない。天賦の才、異常なる技、天剣の権能の屈服、それらの異常を、たった一人の少女の身で行っているのだ。彼女の天稟に、彼女の肉体が追いついていない。

 彼女は長く持たない。そして此方も同様だ。つまり、正真正銘、コレが最後の攻防だ。

 

「【天賢降臨】」

 

 アルノルドは自身の顕現させた巨神の姿を自身の内側に凝縮する。膨大な魔力の圧力をその身に収める。言うまでも無く、身体が激しく軋み声をあげるが、アルノルドはためらわなかった。

 

「【其は安寧を願う慈悲の微睡み】」

 

 魔王は自身の内側の竜に呼びかけ、その身体を竜にゆだね、その武装にまでその影響を与える。禍々しき魔銃となったそれを構え、銃口を構えた。

 

「【天罰覿面・人神】

「【愚星混沌】」

「【終剣・星天】」

 

『【六輝死域】』

 

 三つの力を前に、強欲の竜は心底愉しそうに、その力の全てを解き放った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 曖昧な意識の中で、限界が間もなくであることをユーリは自覚した。

 

「嗚呼」

 

 身体に力が入らない。魔力の消耗が激しい。

 身体の節々が悲鳴を上げ、限界を迎えている。極限まで鍛えたと思っていた身体が、骨が、筋肉が、みっともなく泣きわめいてた。これ以上は耐えられないと。

 意識は澄み渡る一方だが、その前に肉体が限界を迎える。

 

 手持ちに神薬はもうない。いや、もしもあったとしても、口に入れる暇なんてない。

 そして、それはグリードも同じだ。

 

「あ、ああああああああああ!!!!」

『ウフフフ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

 ユーリは剣を振る。刃は音も無く、風も起こさず、グリードの腕を跳ね飛ばす。分断されたグリードの輝く腕ははじけ飛び、熱光となってユーリの身体を打ち抜く。

 構わず、天剣が纏わり付き、それ自体が刃のようになった脚で蹴りをたたき込む。グリードの胴体が中央から引き裂かれ、更に壁に叩きつけられる。グリードの身体を蹴りつけた熱で脚が灼けるが、ユーリは熱さも痛みも気にすること無く前へと跳ぶ。

 失われた右腕と一体化した剣を、構え、空を蹴り、駆ける。

 

 首を落とす。その為だけに振るわれた剣は、音を超える。

 

『【六輝壊界】』

 

 だが、直前に、怪物達の狭間が丸ごとに砕ける。ユーリは寸前でその身を翻し、回避する。グリードが自分の攻撃を回避するために、世界に穴を空けたのだ。

 防御としてはあまりにも大雑把な手段だったが、ユーリは気にしない。そのまま空いた虚空を飛び越え、振りかぶる。今度こそ、グリードの首を両断するために。

 

『残念』

 

 だが、虚空を超えた先で、それをグリードは待ち構えていた。大口を開け、力をため込む。竜の最も原始的な破壊の息吹が、ユーリへと向けられていた。

 

『【咆哮・六重―――』

「【天罰覿面】」

 

 そのユーリを庇うように、アルノルド王が殴り抜く。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 アルノルド王の戦いに技はなかった。拳で殴る。壁に叩きつける、引きずり回し、力一杯にぶん投げる。天剣のユーリの戦いと見比べるとそれはあまりにも稚拙で、子供の喧嘩のような所作だった。

 

『馬鹿の一つ覚え、ね!』

「っが!!?」

 

 無論、その技は、グリードにも使え、そしてグリードの方が洗煉されていた。相対すれば必然的に、グリードの方が卓越していた。その力に不慣れであったのも、既に克服しつつある。数百年の技が反映され、それがアルノルド王を叩きのめす―――筈だった。

 

「【天罰覿面!!!】」

『ッ』

 

 だが、そんな稚拙さすらも、一蹴するほどの鬼気が彼の戦いにはあった。

 

 この身命を賭して、眼前の敵を叩きつぶす!!

 

 凡人ではその重みに一瞬で潰れてしまうほどの使命を背負い、それでも尚決してここまで折れず、耐え抜いた尋常ならざる傑物のみが放つ鬼気が、グリードを押し返す。

 

『ああ、でも……!!頑張ったのは、私もです、よ……!!!!』

 

 だが一方で、グリードとて、それに並ぶほどの怪物だ。

 

「っがあ!!!」

 

 グリードの拳が王の腹に突き刺さる。白王の守りも、天賢の力をも貫通し、破壊する。血反吐を吐きながら、それでもアルノルド王は一切、その手を休めなかった。

 

「ああ、そう、だな、お前の努力を、認める……醜悪なる強欲よ!!」

『あら、嬉しいですね。私もですよ。老いぼれアルノルド……!!』

「【天・罰・覿・面!!!】」

 

 血を零しながら、混濁し、潰えようとした意識を掴み、拳を振るう。グリードの小さな身体を打ち上げるようにして殴り抜いた。

 

「ブラッ、ク……!!」

「【愚星咆哮・闇楽】」

 

 そしてその打ち上げられたグリードを、魔王ブラックは即座に打ち抜いた。

 暗黒と怠惰、二つの禍々しい力がグリードに直撃する。ココまでの戦い、魔王の攻撃の直撃だけはグリードも回避してきたが、今回ばかりは叶わなかった。肉体が蝕まれ、焼けただれる。

 どれほどの力があろうとも一切を葬り去るその力は、一歩でも間違えれば、間違いなく使い手の身体をも崩壊させる。跡形も無くしてしまう。そういった性質を有している。それを、一切躊躇無く、魔王が使うのは、それを扱える自信があるから――――では、ないだろう。

 

「い、良いちょおぉおおおおおしだああ!!!ハッハハ!!!!愉しいねえグリードぉ!!」

『本当に楽しそう。困った子ね』

 

 砕け散ったとて、かまわないと心底思っているのだ。そして、そんな男だからこそ、ここまで躊躇無く力を使え、二つの危うすぎる力のバランスを保てているのだ。

 本当に、感心する。だが―――

 

『【光輪展開・排除】』

 

 グリードもまた、恐れなかった。微塵もためらわなかった。自身の背後の光輪を、何の躊躇も無く眼前に晒す、愚星の闇を塞ぐ盾としてその身を守る。瞬く間に光輪は砕け散る。再生にはかなりの時間が必要だろう。この戦いでは戻るまい。

 

「それ、ハズレんの!?」

 

 だが、最後の役割も果たした。魔王の全身全霊の攻撃を一瞬いなし、そしてグリード自身を完全に守り抜いた。

 

『【六輝天剣】』

「っが――――!?」

 

 そのグリードの、微塵の躊躇の無さに絶句する魔王の隙を縫うように、握った刃を閃かせ、切り裂く。魔王の身体を両断した。

 

 血を吐き倒れる魔王をグリードは視ない。アルノルド王も腹に大穴を開けた。

 ならば、と、再び焦点を剣の化身へと向ける。

 六輝光輪が失われても尚、グリードの身体は光を保っていた。魔眼が失われても尚、全てを見通す本質までは、グリードからは失われてはいなかった。

 

「――――っ」

 

 ユーリは既に限界に見えた。明らかにふらついている。神薬ももう尽きたのだろう。放置しても倒れそうだ。しかし、グリードの目は、彼女の手が、剣を握るその手が未だにしっかりと、力が込められていることを視ていた。

 

 間違いなく、彼女は此方を殺しうる。

 ならば、殺そう。跡形も無く、叩きつぶそう。

 

 グリードは確信と共に飛んだ。しかし一方で、その目の視野は狭くなってはいなかった。まるで、草むらから獲物を見定めるように、瓦礫の奥から此方を見て、今にも飛びださんとする黒衣をグリードは正しく認識していた。

 

「―――――ッハハハハ!!!」

 

 鏡の化身、ミラルフィーネが来た。グリードはそのことに、驚きもしなかった。

 

『くどい』

 

 剣をふる。一瞬もためらわなかった。心臓を貫いて、確実に息の根を止める軌跡を剣は描いた。そして――――

 

『―――!?』

 

 刃からの手応えが無いことに気が付いた。

 ミラルフィーネが鏡を展開するような、温い隙を与えたつもりは無かった。にもかかわらず、刃が通らない。その不可解な現象に、グリードは思わずミラルフィーネを視る。

 そして、それを視た。

 ミラルフィーネ、その心臓部に、狙いを定めたかのように展開している術式を。自動展開し、天剣のユーリの攻撃すらも防ぎきる守りの術式。天魔のグレーレの術式。

 

 それが彼女を守っていた。 

 

 否

 

 その事実は、まだいい。あの用心深き魔術師ならば、自分が落ちた後も、術式を仕込むだけの能力は発揮しうるだろう。それくらいはやる。

 問題なのは、この暴走しているミラルフィーネが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今の彼女の動きは、明らかにそうだった。無防備を装い、攻撃を誘い、そこを狙わせる。命がけの囮だった。

 

 ならば、ミラルフィーネは、この少女は――――

 

『あなた』

「――――と、らえた、ぞ……!!!」

 

 グリードの腕を、少女は引っつかんだ。

 

 やはり彼女は、意識を取り戻している。

 ミラルフィーネの意思を、ヒトが僅かであっても、掌握した?

 

 膨大なエネルギーで灼ける身体を掴んだ少女の手はみるみるうちに焼けていく。その熱の痛みに少女は酷くわかりやすく顔をしかめ、苦痛に悶えていたが、それでも腕は放さなかった。

 更に無数の鏡が刃のようになって、グリードの腕を、少女の手を縫い止める。更に、黒衣のドレスがきらめく。無数の鏡、強大なる力、異端の精霊の力が顕現する。

 

 出現した鏡から顕れたのは、魔眼ではなかった。無数の兵器でも無かった。

 顕れ出でたのは

 

「【会鏡!!!!】」

 

 この闇の底、迷宮の奥地まで王を守り続け、共に戦った戦士達が、グリードを取り囲んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六輝竜神⑤ どれほど無様であろうとも

 

 時間を少し戻して、55階層 地上部にて。

 

「さて、諸君、無事、かな?」

 

 少しおどけたようにそう声をかけるのは、早い段階で強欲の竜によって戦いからたたき出された天魔のグレーレだった。彼は、自らにかけた蘇生の術で、なんとか復活し、そして四極の竜達の爆発によって死にかけていた仲間達を集め、治療を施していた。

 

「やあ、グレー、レ、流石だね」

「ありがとう、ございます」

「……」

『カカッカ』

 

 ディズやシズク、天衣のジースターに途中から救援に来たグレンも、ひとまず目につく範囲では全員がそこにいた。彼らはボロボロではあるが、なんとか戦えるレベルまでは回復していた。

 だが、問題はここからだ。

 

「さて、それで?どう救助に向かう?」

 

 ジースターは問うた。が、即座にグレーレは首を横に振った。

 

「無策では、何の役にも、たたんなあ?カハハ」

 

 事前に、彼は地下での戦いの状況を確認している。最早この世のモノとも思えないほどの激闘が巻き起こっているのを確認した。それ自体は興味深かったが、今、この状態で、自分たちがそこに介入するのは、何の意味ももたらさない。どころではない。

 

「死ぬだけ、だね。それで、王が心を乱して、隙をつくってしまってはたまらない」

「王も、ハイになっておられるのだろう。それを邪魔するような、半端な事はできない」

 

 だが、だからといってここで戦いが終わるのをじっと待つというのはあまりにも間抜けな話だ。問題はその好機がどこにあるかだが―――

 

「…………あ?」

 

 それに最初に気づいたのは、彼らから距離を取っていたグレンだった。崩壊した瓦礫の山、リーネが創り出した簡易要塞の残骸へと、彼は手を伸ばし、指を鳴らす。瓦礫が浮き上がる。そしてその中に、グレンの気がついたモノが見つかった。

 通信魔具。それが、声を放っていた。

 

《――――――30、秒……後!!―――》

 

 その短い通信で、音が途切れる。その声がエシェルの声だと全員気づいた。

 

「信じるか?」

 

 彼女が今、非常に不安定な状態であることは理解していた。

 それが真っ当な状態で紡がれた言葉なのかも怪しい。

 だがその上で、全員は頷き、残された最後の力を振り絞るため、武器を構えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 嵌められた。

 

 あまりにも単純極まるトラップ。正気を失ったように見せかけた、命がけの特攻。ミラルフィーネと一体化した少女の、その覚悟をグリードは見誤っていた。

 ミラルフィーネそのものの特異性、その異様なまでのきらめきに目を奪われて、もう一方の側面、少女の輝きを視損ない、判断を曇らせた。

 その代償はすぐさまやってきた。

 

『カッカッカカカカ!!!!』

《うにゃああああああああああ!!!!!》

 

 真っ先に飛び出したのは、灼熱の炎の剣を身構えた死霊騎士だ。刃はまっすぐに、身動きのとれなくなっているグリードの身体にたたき込まれ、切り裂かれた。灼熱の痛みが身体を焼く。

 

「【模倣天剣】」

「【無尽強化】」

 

 金色の天剣を模倣する天衣の身体を、ボロボロの天魔が強化する。その術式は本来の彼の能力を鑑みればあまりにも稚拙であったが、しかし天衣の剣は間違いなく、グリードの身体を切り裂き、脚を落とした。

 

 身体が灼ける。両断された身体が痛む。

 

 癒やしを、そう思い、治癒の魔眼を消費しようとしたが、手応えが無いことに気づく。膨大な速度の消耗、そしてここに至るまで負い続けた膨大な数の傷の治癒。消耗し続けたリソースが、とうとう尽きた。

 

 敗北、死のイメージが頭をよぎる。

 

 ソレはとても恐ろしく、切ないことだった。

 

 自身の培ってきた全てが、失われていく。

 

 あれほど望み、全てを得ようと画策し、培ったそれらが全て損なわれようとしている。全てを望もうとした者に訪れる悲劇としては、あまりにも典型的な末期が、自分に迫っている。

 あんなに頑張ったのに、ダメだった。皆の想いを、苦しみを、無駄にしたくないとあがいてみたけど、ダメだったのだ。

 

 だが―――

 

『――――フフ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 その末期すらも、愉しんでしまう自分は、やはりどうしようも無い怪物だ。

 

 最後の刹那。強欲の終わり、それを満喫すべく、グリードは残された拳を動かした。

 

「っぐ!?」

 

 縫い止められた鏡を強引に引きちぎる。いくらか簒奪されたが、かまわなかった。その拳で少女の腹を蹴り飛ばす。更にそのまま、再び此方を灼熱の剣で切り裂こうとする死霊騎士の腕を引っつかむと、それを容赦なく砕ききり、その勢いのまま、騎士の身体を粉砕した。

 そして、落下した灼炎の剣、赤錆の精霊、その少女を残った脚で蹴り飛ばす。

 

《ふぎゃぁ!?》

『っがあ!?』

 

 その剣は、天衣の元へと飛んだ。即座に自身の形態を解除した赤錆の少女は、味方を傷つけないだけ優秀ではあったが、否応なく隙は生まれた。

 

『【天罰覿面】』

「っご……!!」

 

 拳を、叩きつける。自分の腹に勢いよく飛んできた少女ごと、天衣を叩きつぶす。グリードは更に次の獲物を睨む。天衣に庇われた隙を見て、禍々しい術式を展開させようとするグレーレを視た。

 

「【大罪権能再――――――】」

『それはだーーー、めっ!アハハハハ!!!』

 

 発動の前に、それを叩きつぶす。不完全な術式が弾け飛び、竜と魔術師を吹き飛ばす。色欲の術式だったのだろうか、術式を砕いた腕があらぬ方向にへし曲がった。

 グリードはそのまま背後を振り返る。金色と白銀、そして忌々しい鐘の音が背後から響いていた。

 

「【星剣よ、無双の力を】」

「【銀糸よ】」

 

 少女達は重ねるように唄う。銀の糸がグリードを取り囲む。周囲に正常なる鐘の音が充ち満ちる。既に実体の殆どを失ったグリードの身体はみるみるうちに砕け散る。それでも尚、グリードは微塵も揺れず、前を見た。

 

「【破邪・紅蓮奥拳】」

 

 二人の少女の強化を受け、拳を構える我が子の仇がそこにいた。砲弾のように空を蹴り、突撃する。グリードはそれをいなそうと身体を動かすが、

 

「【■■】」

『が』

 

 白銀の停止が、その身体を僅かに止め、その隙を縫うように、右の拳がグリードの身体を貫いた。

 

『う、フフフ』

 

 金色の拳が、グリードの腹の中で鐘を響かせ、彼女の身体を更に破壊する。腹に大穴が開けられ、身体の至る所を欠損し、破損させて、それでもグリードは笑い、目の前の怨敵を見つめた。

 

『素敵ね、我が子の復讐の機会があるなんて』

「同意見だよ、クソトカ、ゲ!!」

 

 もう一打、と、逆の拳を振りかぶった怨敵を前にしたグリードの動きは、まるでよどみなかった。食い込んだ拳をそのままグリードは掴むと、躊躇なくその腕を両断する。

 

「…………!!!」

『【咆哮・六重合唱】』

 

 そして、叫ぶ。

 天拳の鐘の音すらもかき消す雄叫び。人が模倣し、再現した竜牙槍のソレよりも遙かに純粋で、おどろおどろしい竜の砲撃が空間全体に叩きつけられた。銀の糸がちぎれ飛び、金色と白銀の少女も、紅を殺した男も、纏めて弾き飛ばし、なぎ払う。

 

「【ミ、ラ……ル……――――】」

『頑張り屋さん。そろそろ沈みなさい』

 

 尚も黒衣を輝かせ、鏡を展開しようとする少女の首を掴み、剣を構える。防護の術式は未だに展開するが、最早崩れかけている。穿ち、砕いて、押し込んでいく。そのまま彼女の心臓を抉るべく力を込めた。

 

 そんな状況にあって尚、彼女は空へと手を伸ばし、涙をこぼしながら叫んだ。

 

「【会、い……たい!!】」

 

 上空が輝く、空を見上げる。

 グリードは見た。その恐るべき瞳でなくともハッキリと、その姿はあった。

 

 昏い翠。

 揺れる灰色

 白く輝ける槍を構える少年の姿。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 最後の激突が起こる、その少し前。

 

 五十五層の地下空間、リーネは崩落寸前の迷宮通路にて、ウルと再会していた。

 正確に言うと、グリードの攻撃で死にかけだったウルを引きずり込んで回収し、治療していた。

 

「リー、ネ、大丈夫か」

「へ、い、き、よ……!!」

「……了解」

 

 ウルは、それ以上何も言わなかった。大変ありがたかった。とてもでは無いが、彼の慰めも耳に入らない状態だったからだ。

 

 悔しい

 悔しい悔しい悔しい

 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!!!!!!

 

 自分の状況を、リーネは理解している。エシェルに助けられた。エシェルに護られた。安全な場所で、怪我を負わぬよう、万が一の事があったら逃げられるように助けられたのだ。

 それが、あまりにも悔しい。

 リーネは驕っていた。今ハッキリと自覚した。

 白王陣の速度に革新が起こり、万事が上手くいっていた。全ての技術が発展し、何もかもが自由になる気がしていた。今なら何だってできる。ありとあらゆる事に手が伸ばせると、そんな確信が、高揚感が自分の中にあった。

 

 あまりにも、無様な、驕りだ。

 つまるところ、調子に乗っていたのだ。

 エシェルの傍にいたのも、いざというときに彼女を守れるようにする為だった。

 いざというとき、自分なら彼女を守ってやれると、驕ったのだ。

 

 それがなんだ?コレはどういう状況だ。

 彼女に自分は守られた!助けられたのは自分だった!!!

 無様を晒したのは己だった!!!!!

 

「っ…………ぐ、ぅぅぅぅう……!!!!」

 

 涙が止まらなかった。学園でいじめられていた時も、祖母が死んだときも、決して流れなかった涙があふれ出て止まらない。己への怒りでどうにかなりそうだった。

 それでも尚、自分の指と髪は微塵も止まらない。震えようと、筆跡がゆがもうとも、決して破綻には至らない。

 今日までの訓練の賜だった。祖母がその心血を込めて授けてくれた技だった。それが彼女を進ませた。

 驕り、無様をさらし、それでも成すべきを成すための力が、彼女にはあった。故に、

 

「ウル、ウル、ウル……!!!」

 

 涙を流し、爪先が割れ、血が滲み、魔力そのものが尽きかけて尚、ウルの背中に術式を刻み込む。強く力を込めすぎて、彼の背にも自分の血が滲んだ。痛みもあろう、だが決してウルは身じろぎしなかった。

 

「勝って……!!!」

「ああ」

 

 刻み込まれた白王陣と激情を背負い、ウルは頷いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【白鋼終牙】」

 

 灰が墜ちる。

 腕が切り裂かれ、心臓を抉り落とそうとした少女は消えていた。

 灰の少年は竜から奪った簒奪の姫を抱きしめて、地面に降ろすと、此方を見て、構えた。

 

「【白王降臨・落葉】」

 

 少年の背が輝く。それまで彼女が見てきた魔法陣と比べて、それは不格好だった。完成度という一点において誰がどう見ても、劣っていた。

 

 形も歪み、造形も不安定。バランスは悪く、強引に整えている。

 不細工だ。そんなものであっても彼らは、ヒトは、使う。

 それが、グリードにはどうしようもなく美しくみえた。

 

 それを背負い、掲げ、空を蹴り、少年は宣告する。

 

「殺す」

『やってみなさい』

 

 二つの竜の牙が激突する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天賢王勅命・最難関任務 強欲の超克

 

 ()()()

 

 地獄を、死線を潜り続けた魂が告げる。

 

 ここだ。

 ここが、勝負所だ。

 己という貧弱な手札を切るタイミングは今しか無く、後は無い。

 

【さあ、死ね】

 

 己が魂がそう告げる。

 

「たまるかボケ」

 

 自身の内側から溢れかえる殺意に悪態をつきながら、左腕で竜牙槍を握り、捻る。顎が開き、魔導核が啼く。主と共に死線を幾度となくくぐり抜け、憤怒の魔力すらも喰らった竜牙の心臓が鳴動し、空間が甲高い悲鳴を上げる。

 

 その魔力の暴圧を真正面から受けたグリードは微笑みを浮かべ、自らの口を開く。模したものでない、本物の竜の顎から魔力が溢れ、それが凝縮する。光輪を失って尚、至高へと至った強欲竜の魔力が放たれる。

 

「【咆哮・極轟】」

『【咆哮・六重合唱】』

 

 その咆哮の激突が最後の一押しだった。

 

 大罪迷宮グリード五十五階層、その完全なる崩壊が始まった。

 【大罪迷宮】の崩壊は本来であれば起こりえない。随時補完を行い、修繕する。奈落から地上への回廊を維持する事こそが迷宮の最大の役割だからだ。【核】は魔界に存在しているが故に、大罪竜を失ったとしても尚、その形は維持される。

 それが今、起こった。

 そこに理屈は無い。

 ただただ圧倒的な力が、迷宮の本来の機能、最大の役割、その強度を超えたのだ。

 

「っがあああああああああああああああ!!!!!」

 

 ウルは叫ぶ。残された全てを振り絞るべく、吼えた。

 でたらめに直進し、空を駆け、グリードを貫く。壁に叩きつけ、そのまま崖を蹴り砕きながら、幾度も槍の刃を叩きつける。

 

『ッッハハハハハハッハハハハハハハハハッハハハッ!!!!!』

 

 竜は笑う。それは嘲笑ではなく、己の全てを賭けて戦うこの一時への感激だった。

 その凄まじい突撃に抵抗するように、残された全ての力を、眼前の少年の身体へとぶつける。砕けた四肢を強引に再生し、拳として握りしめて、少年を殴る。原始の、生きるための、生存の為の拳だった。

 

「砕け散れ!!!」

 

 竜牙槍の顎が更に大きく開く。二つの牙が灼熱の光球を咥え込む。それを放つのでは無く、留め、振り回し、巨大なる破砕鎚の如く、直接竜へとたたき込む。灼熱はいつまでも解かれない。昏翠の魔眼がその力を固定化していた。

 

『貴方がねえ!!!』

 

 粉砕された竜の身体が揺らぎ、竜の尾となってウルの身体を貫いて、そのまま一気に振り回す。叩きのめす。光弾が砕けて、弾けて爆発し、その炎に飲み込まれ、二人の身体は吹き飛ばされる。

 瓦礫に落下し、身体を激しく打つ。土にまみれ、互いの血で身体を汚し、それでも尚前を向く。まだ、互いの敵は健在だ。殺意を緩める理由は無い。

 

「【揺蕩い!!!狂え!!!】」

『【焦がれ!!!煌け!!!】』

 

 空間が揺らぎ、啼き狂う。

 残された全ての魔眼が焦がれ、爆ぜる。

 本来、相対するはずの無い二つの竜の権能が激突する。

 再び二人の身体は吹き飛ばされる。互いに、最早自分の身を守ることなど欠片も考えてはいなかった。ただ、目の前の敵を殺すことだけに全神経を集中していた。

 

『嗚呼』

 

 グリードは、嘆息する。

 

 身体が、痛い。痛みを感じるのはどれほどぶりだろうか。

 

 ―――あら、考えてみるとそうでもないですね?

 

 自分を痛めつけるような鍛錬もかなりしょっちゅうしていたので、割と高頻度で痛い思いもしてきたな。と、グリードは思い直した。それで子供達にも良く心配されたものだった。うっかりな自分にはもったいないくらいの、しっかりものの子供達だった。

 

 ああ、でも、それでも。

 やっぱり、敵との戦いの傷は、痛みは、格別だ。

 辛くて、不愉快で、耐えがたく、憎らしい。これを与えた敵を八つ裂きにしたい!

 

 訓練の時とは全く違う、異次元の殺意。この様は、この悦は、とてもではないが子供達には見せられない。恍惚に蕩けたこの貌は、見せたくない。

 きっと嫌われてしまうから。

 

『ねえ、貴方、なんて、いうの?』

「ウル」

『ウル、ウル。つまらない名前。貴方みたいなヒトに殺されるなんて、嫌だわ』

「同意見、だよ、グリード」

 

 少年は大罪の名を告げる。嫌悪と殺意と敵意に満ちて、まるで恋人の名を呼ぶかのようだった。強欲は笑みを深める。もう、あふれ出る歓喜を隠すことすら難しくなっていた。いい年して、恥ずかしくってたまらないが、それよりも喜びが勝る。

 目の前の敵が、全てを尽くして自分に向かってくれるとなると、尚のことだ。

 

「【其は災禍に抗う、勇猛なる黒焔】」

 

 竜覚醒の言霊。周囲をも浸食し、強化する邪悪なる竜の御業。

 

「【白皇槍・黒焔瞋(ラース・グレイ)】」

 

 憤怒の左手が、竜を模した牙にまとわりつき、形を豹変させる。

 開いた顎の一方を黒い炎が浸食し、纏う。白と黒、二つの牙が並び立つ。

 核から溢れた魔力が、主の身体を守る鎧の如く、揺らぎ、纏う。憤怒と白皇の魔力が混じり、灰の炎が彼を守るように燃えていた。

 

『【焦がれよ】』

 

 その少年の姿を、グリードは視る。その本質。相手を視て、焦がれて、それを得る。眼前の敵と同じ槍が、強欲の腕に再現される。既に大部分が砕けた強欲の武器を代行する、竜の牙。

 正真正銘、最後の力だった。もう後には何も残らない。最後の強欲。

 それが、竜の牙の模造品とは、なかなかに滑稽だ。だがこの牙ならば、少年の技をも望めよう。

 

 双方は同じように構え、姿勢を低くし、そして突撃する。

 

「『【魔穿】」』

 

 少年と竜が跳ぶ。音は爆ぜ、その矛先がグリードの首を抉り、少年の腹を貫く。双方に備わった竜の牙がデタラメな軌跡を描き、ぶつかる。つばぜり合いというにはあまりにもけたたましかった。

 交差し、穿ち、すれ違ってまたぶつかる。その最中も少年の魔眼が輝いて、竜の身体に灼熱の力を放つ。二閃の咆哮が空間をなぎ払い、焼き斬る。

 昏翠と、六の輝きが散り、崩れかけた上空を彩る。

 迷宮の階層としての機能を失い、光源も失せ、闇に落ちていく空で散る力は、夜空の星のようで、その空を駆ける二つの光は流星の如くだ。

 

 しかし、流れる星は焼けて落ちる定めなれば―――

 

「―――――ッ!!」

 

 幾重もの交差の果て、弾けた先で、少年の大槍が跳ね上がる。

 力そのものを失って尚、蓄積され続けた経験が、グリードに技を残した。圧倒的なまでの力を得た時、霞んでいたそれが、全てを失った今になって、その輝きを取り戻したのだ。

 

『さようなら。愛しい(ひと)

 

 グリードは更に空を蹴る。無防備となった少年の心臓を抉り尽くすために。

 しかし彼は、とても小さな声で、つぶやいた。

 

「―――いや、俺達の勝ちだ」

 

 確信に満ちた声で、そう告げた。同時にそのまま身体を捻り、グリードの一撃を僅かに躱すと、落下する。そして、代わりに前へと躍り出たのは、

 

「―――眼を 離さないで」

「眼を背ける方が難しいよ」

 

 硝子の壁の向こう、怪物の手では、どれだけ望んでも、決して触れられないモノ。

 深淵よりも禍々しく、時に宙の星々よりも煌めくもの。 

 気高きヒトの輝き。その究極の体現者。

 

「【我、全てを断ち切る、終の剣なり】」

「【混沌よ、導となりてかの剣を導け】」

 

 星天の輝き、終の剣、ユーリがそこにいた。

 

「【終断】」

『ああ―――』

 

 あまりにも目映いその剣を、最早なんの魔眼の力も持たない瞳に焼け付けて、グリードは微笑み、泣きそうな声で、ささやいた。

 

『―――きれい』

 

 一閃が、首を断つ。

 

 残された全ての力が断たれ、消える。

 数百年、イスラリアを蝕んだ最凶の竜は、少女のように微笑み、散った。

 天賢王の勅命、強欲の超克は成った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おわりのはじまり

 

 安全領域(セーフエリア)二十九階層はは慌ただしい状況に包まれていた。

 深層に潜った救助部隊が、帰還に成功したのだ。勿論、それは喜ばしい事態ではあるが、それでああ良かったとはならないのは当然のことだ。本隊達は未だに潜行を続けているのだ。それも、深層前の中層にすらも、迷宮の変動、その地響きは届いていた。

 

 普通、別の階層の衝撃や振動が別の階層に届くはずも無い。

 階層と階層が、物理的に直接的につながっているわけでも無いのだから。

 

 にも関わらずこれほどまでに揺れることそれ事態が、異常の現れでもあった。当然待機組は慌ただしい。今すぐにでも助けに向かうべきだ。という声が多かった。

 

「落ち着け!すぐに潜行隊を新たに組む!浮き足立つな!!」

「能力のある者を分ける!中層以上の迷宮潜行経験者は前へ出ろ!」

 

 その彼らを、先ほど帰ってきたばかりのイカザと、ビクトールが纏めていた。特にイカザは深層に潜り、けが人達を回収して再び戻ってくると言う難度の高い荒行をしたばかりである。にも拘わらず彼女も鬼気迫る勢いで指示を出していた。

 彼女も理解していたのだ。現状が、並大抵の状況ではないと言うことを。

 

「―――――」

 

 そして、そんな中、この中でも最も地位の高いスーアは一人、中央に座していた。

 まるで何かを見通すかのように目をつむり、両手を合わせて祈っている。無論、此所は迷宮の中で、精霊の祈りは酷く通りにくい場所でもある。しかしひたすらに祈り、それを誰も邪魔せずにいた。

 普段、表情も分かりづらいスーアであったが、それが尋常な様子で無いことは誰の目にも明らかだった。

 そうしている内に、新たな潜行部隊の準備が整い、再びイカザ達が深層へと潜ろうとした、そのときだった。

 

「終わった」

 

 スーアが小さくささやいた。そして、ソレと同時に、先ほどから繰り返し起こっていた振動が途絶えた。新たなる何事かの前触れかとざわめく者達もいたが、スーアはそんな中一人、立ち上がり、光を纏った。

 

「スーア様!」

 

 ビクトールが驚き、声をあげる。精霊の力を纏う。迷宮の中にあってそれは言うまでも無く異常な姿だ。無論、スーアほどの力があれば、それも可能にも思えたが、強引に力を振るったというのとはまた違った。

 何かの軛から解かれたような、自然な力の使い方だった。

 

「イカザ、ビクトール。()()()があります」

 

 輝きを増しながら、スーアはイカザとビクトールに声をかける。二人は即座に跪いた。お願い、という表現は奇妙だった。それは命令ではなかった。

 

「あなた方の手の届く限りの、全ての民を護ってください。どうかお願いいたします。これから、どのようなことがあろうとも、そうしてください」

 

 スーアの言葉は、願いだった。その姿相応に幼く見えるくらい、ただただ純粋な願いだった。その言葉の意図を、イカザもビクトールもどちらも理解しきれずにいた。しかし、それでも二人とも、静かに頭を下げて、頷いた。

 

「承知いたしました」

「お任せください。スーア様」

 

 その二人の言葉に、スーアは小さく頷くと、転移の術によってその場から姿を消した。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 深層、五十五層。

 迷宮を支える全てを失い、五十五層は完全に崩壊していた。戦いの最中のような振動はもうなかったが、外壁が零れ落ちて、崩れ、落下し続ける。崩落した壁には虚空が覗く。最早、無事な壁の方が少なくなっていた。

 

 誰の目にも明らかだ。もう間もなく、この場所は消えて無くなる。

 

 言うまでも無く、急ぎ、脱出しなければならないの、だ、が、

 

「無事な……奴が、誰一人、いねえ……」

 

 その状況下で、ウルは、その崩壊に巻き込まれて死にかかっていた。

 否

 ウルに限らず、大罪竜グリード討伐部隊は一人残らず死にかかっていた。何せ、ウル以外見渡す限る動ける者はほぼいなかった。全員倒れ伏している。と言うかウルも死にかかっている。現在、魔力切れで気を失ったリーネを腕で抱え、精根尽き果てて死にかかっているユーリを背負い、息絶え絶えだったエシェルを肩で担いで、なんとか安全な場所まで移動しようとしているが、足取りがあまりに重い。血が流れ過ぎている。動けてるのは奇跡だ。

 だが、それでも動かなければならない。リーネはまだ大丈夫だろう。いつも通りの魔力切れだ。残っていた魔力界服薬も飲ませたから、回復はするはずだ。問題は、エシェルと、ユーリの方だ。

 

「…………二人とも、無事か、おい」

「―――――」

「――…………」

「折角、勝ったんだ、死ぬなよ。頼むから……」

 

 返事は無い。身じろぎもしない。呼吸はしていたが酷く小さかった。あの戦いで、もっとも無茶苦茶な動きをしていたのはこの二人だ。竜を圧倒する戦闘能力を人体で発揮したのだ。壊れたっておかしくない。

 なんとか、回復させたいが、神薬の在庫も完全に尽きた。

 

「い、……」

 

 ぐらりと、振動が揺れ転んだ。3人を怪我させないしたら、思い切り頭から瓦礫にぶつかる。しこたまに顔を打ったが、痛みよりも疲労感が勝った。

 そしてその転倒で、残された力も尽きた。ウルは身じろぎ出来なくなり、空を仰ぐように見ると、崩壊した天井から瓦礫が降ってくる。ウルはそれを見上げても、何も思わなかった。思考力が麻痺していた。「ああ死ぬんだな」と、それくらいしか言葉としてまとまらなかった。

 

「―――――無事ですか?」

 

 だから、その瓦礫の雨から護るように現れたスーアに対しても、驚いたりする余裕はなかった。ただ力なく、小さく笑って、応じた。

 

「神の使いに見えますよ。スーア様」

「そうです?」

「そうです」

 

 輝ける翼を前に空から降りてくるスーアは、神々しかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから、スーアの癒やしの術によって、ウルの身体はなんとか回復した。最低限、身体は動かしても問題なくなった。とはいえ、全てがあっという間に完治の状況に戻ったかといえばそうではなく、どうしたって疲労は残った。

 しかし少なくとも、死ぬ心配はなくなっただけでも御の字だ。本当に、あのままだとグリードを倒しても、仲良く全滅だった。

 

「どうでしょう」

「なんとか。動けます」

 

 その間、スーアは辺りに転がっていた仲間達を回収していた。ロックやジースター、グレーレ、グレン、全員やはりウル達と同じく死にかかって意識を失っていたが、なんとか息はある。

 ほぼ奇跡に近かった。誰が死んでいてもおかしくなかった。というよりも、スーアが来ていなかったら、間違いなくその場にいる全員そのまま死んでいただろう。 

 

「精霊の力、使えるんですね」

「強欲が討たれ、この階層の迷宮の機能が完全に崩壊したので。一時的でしょうが」

「なるほど」

 

 そう応じるスーアは、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

「王は、もう少し、下の方かも知れません。」

 

 ウル達が戦った地下層は、先程の激闘と、今起こっている崩壊の結果、更に変動している。地下の大穴……正確に言えばグリードと天賢王が創り出したさらなる奈落の先にいる可能性が高い。

 

「ディズや、シズク達も、下か……っと?」

 

 そう思っていると、ふわりと身体が浮く。スーアが力を使い、その場にいる全員を含めて浮き上がらせたらしい。そしてそのまま流れるように落下していく。浮遊にウルは身を任せた。

 そのまま下を見ていると、迷宮の残された魔力が光となって、下層を照らしていく。人影が見えた。倒れているシズクやアカネの姿もあった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「は?」

「【魔、断】」

 

 その魔王の凶行を、ディズが黒い剣閃で切って落とす。振り上げていたブラックの右腕は両断された。しかしその断面図に闇が纏わり付いて、次の瞬間に破元通りになった。

 

「ありゃ、惜しい」

 

 腕を切り裂かれたにもかかわらず、ブラックは笑って距離を取った。

 

「……忙しない、な。魔王」

 

 ディズはブラックの前で星剣を身がまえ、ブラックと相対する。

 

「いきなりなん―――――っどわ?!」

 

 次の瞬間、スーアが落下の速度を上げ、一気にアルノルド王の前に飛来した。周囲の仲間達をその場に着地されると、まっすぐに王を護り、魔王の前に立ち塞がる。

 

「スーア、様」

「時間切れか。残念だな。アドバンテージ取ろうと思ったんだが」

 

 スーアの登場に、ディズは深くため息を吐き出し膝をつく。魔王は肩をすくめてゲラゲラと笑った。本当に、いつも通りに見えるが、その目は据わっていた。

 

「何やらかしてんだ、ブラック」

 

 ウルは問う。いきなりとち狂ったのか、とも思ったが、違う。

 

「俺は言っただろ?アルを裏切らないかって」

 

 魔王は、最初からそのつもりだったのだ。

 予告していた通りのことをしでかしたに過ぎない。だが、

 

「だからって、あの地獄の後でいきなりおっぱじめるなよ……!」

 

 本当に、壊滅寸前だった戦いの後におっぱじめるのは本当にどうなんだろうかと思う。魔王とて、グリード相手にほぼ死にかけの状況だったハズなのに、かなりのダメージだって負っているはずなのに、どういう精神構造をしているのだろうか。

 

「いきなり、でもねえさ。もう随分と長い話だぜ。これは」

 

 しかし、魔王は知らぬ風に笑って、そして強く、地面を()()()

 

「やっと終わり、そして始まる」

 

 駆け巡った魔力は彼の足下に集約される。まるで初めからそう仕込まれていたかのように魔力は図式を地面に描き出した。一見してそれは魔法陣の様にも見えたが、ウルには別のものに見えた。

 

「七大罪の魂は全てこの場所に集まった。イスラリアに向けられた干渉全てを逆算し、それを辿って道を開く」

 

 地面に描かれた、巨大な、【門】

 

「魔界への魔力回廊が開く」

 

 輝きが強まる。迷宮が動く。描かれた魔法陣の線に沿って地面が割れる。その先に現れた闇の虚空に、ウル達は叩き込まれた。全員が落ちる。否応なく、落下していく。

 

「まず先に説明を!!!しろ!!!!」

 

 ウルは何一つ理解が追いつかぬまま、この世界の深層眠る闇の底へと、その身を投じることとなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

【迷宮・大罪迷宮グリード:リザルト】

・攻略報酬:金貨1000枚、竜吞ウーガ管理権(未払い)

・第三階級相当の魔物種らの魔片吸収

・魔片一定量到達により、魔画数増加■画→■画

 

天賢王勅命(ゼウラディアクエスト)強欲のグリード戦:リザルト】

・大罪竜グリード超克完遂 強欲の魂を獲得。

 →大罪竜グリードの魂保管

 →経路(パス)からの■■■■の開門情報を部分取得

 →七大罪の魂獲得■■■■→【魔界の門/魔力回路】開門情報完全習得。

・一部魔魂片、休眠開始

・【憤怒の権能権限委譲】【災禍に抗い勇猛を示す猛き焔】 

・竜化大幅進行

・魔名の上限値大幅上昇

・魔片一定量到達により、魔画数増加■画→■■画

 

・【色欲】【憤怒】二つの権能を獲得

 →■■・■■■■■■の機能を部分的に使用可能

 →権能派生、昇華

 →【其は■■■■、■■■■■■■■■】 

 

・【武の無窮】拾得者の撃破達成

 →戦闘経験の超大幅な向上

 →【再生能力(リジェネ)】より技能派生

 →【彼岸舞踏】獲得

 →心身の危機的状況下にあって戦闘能力の劣化が発生せず、能力が向上する。

 

・【終焉災害】根絶

 →【救世者】取得条件達成

 →【終焉因子】を持つ者に対する能力大幅向上、自動技能ttttttttttttttttt■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■二竜の権能を獲得及び、【方舟】への影響能力及び脅威の大幅な向上につき【終焉災害】の兆しを感知

 →類別(カテゴリ)■■■(エラー)

 →新約12条に基づき、新たなる終焉因子項目を【ノア】へ申請

 →現在申請中

 →排除依頼(クエスト)発令

 →失敗

・【終焉因子】及び、保有していた【王の殺戮者】と【救世者】の衝突が発生。

 →技能崩壊→分解→再構築→【■■■(エラー)

 →判別不明、前例無し、類似技能無し、“超特殊技能”と判定

 →仮呼称として現在申請中の【終焉災害】項目を適用

 →【灰■■】未覚醒状態で獲得

 




というわけで、グリード六輝死域編なんとか完結でございます!!!!!
大変、大変高カロリーかつ長い戦いを最後までお付き合いくださって感謝いたします。
そして、更に流れるように魔界編へ……と、言いたいのですが

その前に、番外編やります!(2週間すこし)

いや、この流れで、という批判が聞こえてくるようで本当に申し訳ないのですが、理由は言い訳の余地なく疲労困憊ゆえです。
このまま魔界編をやると私の全身の血管が千切れて死にますのでご勘弁ください。
いつも以上にゆるい感じの短編をゆっくりと放出していきますので、どうか皆様ものんびりお楽しみいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝編 ある日の彼ら彼女らの日常または非日常② [時系列黒炎砂漠編直後]
ギャンブル好きな骨とギャンブルへたくそ(極)な少年


 

 

 とある衛星都市滞在中の事。

 

『のう、ウルよ』

「なんだよ」

 

 その日の訓練を終えて、汗を水で流してさっぱりとしたウルに、その訓練につきあっていたロックがカタカタと音を立てながら、尋ねてきた。

 何を言い出すか分からないが、なにやら楽しそうである。大抵、このテンションのロックが言い出すときはあんまろくでもない。死霊騎士の肉体を利用したアホアホな必殺技を考え出したときも大体このノリであるが、十回中九回くらいは失敗する。

 今回も似たようなものだろうか、と思いながら聞き直すと、ロックは頷き、尋ねた。

 

『お主、本当に運が悪いのか?』

「傷つく」

 

 傷ついた。本当のことでも言って良いことと悪いことがある。

 

『いや、よくお主、賭け事が弱いというとったじゃろ?』

「そうだな、大変不本意ながら」

 

 実際、ウルも流石に自分が賭け事の運が、なんというか、大分“アレ”な事には自覚的であるから、自分からそっちに近づく事は滅多にしないし、そのお陰で大損こいて、色々と差し支えでるような事には滅多にならない。

 が、誰かの付き合いで賭け事に足を運んだときは大抵大負けしている。それは事実だ。

 

『じゃがのう、賭けというのは、なんもかんも運が全て!というわけではない!』

「ギャンブル中毒者がよく言いそうな台詞トップテン来たな」

 

 似たような事を酒場のギャンブル大好き冒険者が何人も言っているのを知っている。よくよくその賭けのウンチクというか、必勝法を酒で赤らんだ顔で幼いウルに何度も言い聞かせてきていた。

 まあ、そのウンチクが本当に必勝法なら賭けごとなんて成立しないし、そもそも、その必勝法を聞いたウルが無残を喫しているので、やはりあまり役に立たないというのが証明されてしまったのだが。

 

『無論、完全な運頼みもあるにはあるがの?しかし、ある程度運を収束させる見極めどころというものはあるもんじゃ』

「ふむ」

『そしていかに負けを減らし、勝ちを取るかというのが賭けの醍醐味じゃ!』

「ああ、つまり、俺はその勝負所が見極められてないだけじゃ無いかと?」

『うむ。単に賭けがヘッタクソなだけなんじゃないかと思っての!』

「言わんとする事は分からんでもないが……」

 

 前述の通り、ウルは自分の賭け事の弱さに自覚的で、滅多なことで賭場には近づかない。だから、そういうギャンブルのセオリーというか、賭け方が理解できていないといわれれば確かにその通りだ(酒場のギャンブル大好きおじさんのウンチクは置いておく)。いわゆる競走(レース)でも誰が強いだとかそういうのも理解できずに賭ければ、それは外れるのは道理だろう。

 

『っちゅーわけでこの都市にそこそこでっかい賭博場があるらしいのでいってみんカ?』

「結局ソレが目的かい」

『いかんカ?』

「まあ、つきあうよ。今日の鍛錬はもう終わったし、仕事はない」

 

 随分長々とした遊びの誘いだったな、と笑いながら、ウルはロックと共に衛星都市へと降りていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 衛星都市ルルウル、賭博場【廻る金貨】にて。

 

『ふむ、あいわかった』

 

 周囲の目から隠れるため、全身鎧姿となったロックは神妙な表情で頷き、ウルの両肩を叩いて、優しく言った。

 

『ウル、お主、賭博場をおりろ』

「かつてない追放を受けた」

 

 ロックと一緒に賭けを始めてから大体ⅰ時間後、ウルはロックから解雇通知を受けた。

 

『いや、まあ、ある程度覚悟はしていたんじゃがな?』

 

 ロックは心底悩ましそうにウルを見ながらウルが先ほど賭けた“大蜥蜴競走”のチケットを睨む。確か今回はロックと同じ、鉄板の大本命のチャンピオン大蜥蜴に賭けたはずだった。まあ、こいつならば一位から三位までは堅かろうという、鉄板の勝負だった。

 の、だが、

 

『お主が賭けたとたん、本命が大事故で機能不全になるのはどうなっとんじゃ』

「知らん」

 

 レース中、走ってる大蜥蜴が何故か突然頭からすっころんで気を失い、大波乱となった。今も本命に賭けた連中が「無効レースだ!」「金返せ!!」と大合唱している。

 勿論、その事故に何かしらの悪意が介入した様子も無く、本当にただただ、運が悪かっただけで、それを言い出すとその本命大蜥蜴に賭けた全員の運が悪かったと言えるのだが、何故かロックは真剣な表情でウルの肩を何度も叩く。

 

『うん、悪いことは言わん。お主、賭けは止めておけ。もうワシにお主は救えぬ。誰にも救えぬじゃろう。独り、荒野を行くが良い』

「こんな哀れまれながら言い渡されると逆に止めたくなくなってきた」

『あーよせいかんぞ。これ以上賭博場を荒らしては。出禁になってまう』

「そのレベルなの?俺の運の無さ」

 

 確かにその大事故が起こる前までも、悉く大外れをしたが、賭けになれているロックが真剣に引き留めてくるのは一体どういうことなのか。というか、どんな負け方をしたんだろうか、己は。

 

「おう、にーちゃん!見てたぜ!すっげえ負け方だったな!!」

「泣くぞ」

 

 と、そこに、赤らんだ酔っ払いの男が楽しそうに声をかけてきた。

 ウル達が賭博場にきてからちょくちょく顔を合わせただけの、名前も知らない男だ。しかしその、酒が入っているとはいえ大変に浮かれた顔を見るに、先のレースで大勝ちしたらしい。

 そう、レースが荒れると言うことは、レースで大勝ちする者も出ると言うことだ。彼のように、鉄板から外れたところに賭ければ、それだけもうけは大きいだろう。彼はとても上機嫌にウルに絡んできた。

 

「まあまあ、落ち着け!俺は代わりに大勝ちしたんだ!その金で良いところつれてってやるからよお!!」

『ほーん、どこいくんじゃ?』

「そりゃおめえ!ねーちゃんが山ほどいるところだよ!!グッヘッヘ!」

 

 それを聞いた瞬間、ロックは速やかに両手を合わせて合掌の姿勢になったのは理不尽だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その後、男のいう「ねーちゃんのお店」に顔を出したウルは、そこで自分についた無愛想な女が何故かいきなり目の前で明らかにカタギでない連中に誘拐され、それをなんとかするためのトラブルに巻き込まれる事になるのだが、ソレは別の話だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チキチキ★白王陣クイズⅡ

 

 【竜吞ウーガ】にて

 

 

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 カリカリカリカリポンポンポンポンと、文字を書く音と印鑑を押し続ける音が続く。文字を書くのがリーネとウルで、印を押し続けているのがエシェルだった。ウルの文字の精度がグルフィン先生の努力によって上がったため、事務仕事を手伝えるようになった。

 なったが、無論、それほど複雑な仕事が任されるわけも無く、作業は単調だ。

 兎に角、地道な作業が続く。しかし機械的になにもかもスルーして良いわけでもなく、似たような文面を逐一チェックを繰り返す作業は、精神をゴリゴリと削っていった。

 空気がやはり濁り、三人の目も濁っていた。

 

 そしてそのうち、不意にリーネが顔をあげた。

 

「―――――」

「リーネ?どうしたんだ?」

 

 エシェルは驚き、

 

「ああ、始まったか」

 

 と、ウルは何故か机を少し片付け始めた。ついて行けないエシェルを尻目に、

 

「白王陣クーイズ!!!」

 

 再びリーネは壊れた。

 

「え?何?」

「ふっふー」

「え、なに!?ウル!?怖い!」

「ふっふーと言いなさい」

「なんで?!」

「言いなさい」

「リ、リーネ怖い」

「言いなさい」

「…………」

「………………」

「………………」

「白王陣クーイズ」

「「ふっふー」」

 

 言った。

 

「さあ、本日も始まりました。白王陣の知識を高めるために行われるクイズ大会第二回。挑戦者の二名はこの地獄の戦いを勝ち抜くこと叶うのでしょうか」

「地獄なの?!戦うの!?」

「大丈夫だろう多分」

「多分!?」

「では問題です」

「なんか始まった!!!」

「間違えたヒトには白王陣の実験参加労役の罰ゲームです」

「大丈夫じゃ無さそうだぞウル!」

「ダメそうだなあ」

「正解者には白王陣実験の参加権利をプレゼント」

「選択肢が無い!!!」

「ないなあ」

 

 無かった。

 

「五代目レイライン当主ルーラウ・ヌウ・レイラインが編み出した新たなる白王陣はどのようなものでしょう」

「どのような……白王陣って範囲広すぎてわかりにくいぞ」

「まあ、そうおかしなもんじゃ無いだろうけど」

「そ、そうだよなあ。難しく考えない方が良いか……?」

「①ちょっと部屋の温度を下げる魔法陣、②ちょっと大地の魔力を制限してふわっとする魔法陣、③ちょっとえっちな気分にさせる魔法陣」

「………ウル」

「ごめんて」

「制限時間10秒です」

「ええ……」

「じゃあ、①で、夏場の快適空間をつくるため?」

「②で都市民の高所作業を安全にするため!」

「正解は③でした」

「えっちかあ……」

「五代目さんは、バカなの?」

「生産都市の家畜繁殖促進として活用されたわ」

「想像以上にすっげえ真面目なのだった」

「バカっていってごめんなさい。生産都市で利用されるなんて凄いなあ」

「まあ、手間がかかる上、術者が限られるってもんで、より簡易の魔術に座が奪われたんだけどね。今はボロンおじさんが白王符に改良して営業しているわ」

「なるほどなあ」

「で、それを私的な事に利用しようとしたアホな神官が出てきて」

「話変わってきたな」

「まあ、その、エ……悪い事をしようとする奴、いるよなあ……」

「一族の子供達の都市滞在権で脅しかけてきて」

「絵に描いたような悪い権力者だなあ」

「酷い!」

「一族がぶち切れて」

「はい」

「はい」

「滅んだわ」

「滅んだかあ」

「滅んだなあ……」

「と言うわけで二人とも間違いだったので実験付き合いなさい」

「何時ものことでは?」

「大体無茶振りされるよな私たち」

「罰ゲームだから何時もみたいに優しくしなくていいわね」

「何時も優しかったの!?」

「震えてきたな」

「武者震いかしら」

「純然たる恐怖」

「それではまた会いましょう。さようならー」

「「さようならー」」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「仕事するぞ」

「うん」

「そうね」

 

 三人は仕事に戻った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

従者ミミココの日常と優秀な新人

 大罪都市国グラドルは今、とても慌ただしい。

 

 言うまでも無く、原因は“例”の大騒動故だ。

 最近は、神官達もあの大騒動を思い出すような言葉を蛇蝎の如く嫌うようになってしまったので「例の」とか「アレ」とか、回りくどい表現で言うことを強いられて面倒くさい。

 

 とはいえ、従者ミミココ・ヌウ・デーライルはあまり気にしていない。

 精神が図太い、とかでは無く、単にその騒動に全く巻き込まれずに、知らないからだ。

 

 彼女は現在のシンラ、ラクレツィア・シンラ・ゴライアンの実家、ゴライアン家から出向してきた従者なのだ。言葉選ばずに言うならば、教官職という閑職に追いやられていた当主ラクレツィアが突然シンラに就いて、爆発的に忙しくなってしまったのを皮切りに、彼女の手伝いのためにやってきたのだ。

 ラクレツィアの事はちょっと怖いと思うが、理不尽ではない。正しく仕事をすれば、ちゃんと褒めてくれるヒトだ。横着をしなければそれをちゃんと見てくれる彼女のことはミミココは嫌いでは無かった。

 そんな主がとてつもない出世をしたことは喜ばしく思うべきなのかもしれないが、しかし、ミミココの気分はあまり晴れていない。グラドルの大神殿に勤めるようになってから、ずっと不機嫌だ。

 

 だってバカみたいに急に忙しくなったんだもん!

 

 獣人のミミココは13歳の少女で、まだ若い。遊びたい盛りだった。

 ゴライアンの本家で働いていた頃は、まだ年の近い従者達も周りにいたし、遊ぶ時間は少しはあった。やはり忙しくはあったが、それでも幼いこちらを気遣って、ラクレツィアはちゃんと休みをくれた。

 しかし今は本当にその暇がなくなってしまった。あまりにも忙しい。主であるラクレツィアも殆ど休む暇も無く、分刻みのスケジュールで次々に移動するし、それに伴うだけでも大忙しだ。その上小さいミミココにも次から次に容赦なく雑務がとんでくる。ラクレツィア以外の神官からの仕事もとんでくる。本当に大変だった。

 

 全然休めない!おまけに大神殿の神官達、従者の扱いが雑っ!!

 

 従者はその主に仕えるが、一方で、神殿にも仕える。当然そちらからの仕事も命じられることがある。神官達がやれと言えばやらなければならないのだが、ソレがまた大変だ。

 彼らは此方が女で、子供であることなんてまるで配慮してくれない。情け容赦なく力仕事をあたえてくるし、ソレが少しでも遅れたら叱責だ。暴力だって振ってくる。

 

 もう本当に最悪だ!ゴライアン本家の館に戻りたい!

 

 と、思うが、自分以上に忙しくしているラクレツィアを見捨てる気にもならず、結果としてミミココは今日も今日とて必死に働いている。ああ、せめて、今日はキッツイ運搬業務が少なければ良いのだけれど……

 

「ミミココ、貴方に手伝いを付けます。仕事を教えてあげなさい」

 

 そう思っていたら、ラクレツィアからもっと面倒くさい仕事が与えられてしまった。

 

 新人の教育という、なんというか、本当に面倒くさい仕事だ。新人が増えると言うことは、仕事が減るということ―――に、簡単には、ならない!当然そいつが仕事を覚えるまでは自分の業務が減ることはないし、それどころか仕事を教える手間が増える。

 仕事を覚えるまで数ヶ月はかかるし、覚えが悪ければ何年もかかるものだ。別にソレはいい。能力に個人差があるのは当然だ。ソレは仕方が無いことなのだが、その教育を担うのは、やはり、どうしても大変だった。

 しかし、全体の負担を減らし、人手を増すなら、誰かがやらなければならない仕事でもある。つまり、ババを引いてしまったのだ。

 

 私以外にも従者いるのに!ラクレツィア様の鬼!

 

「よろしくお願いします。ミミココさん」

 

 やってきたのは、なんというか、コレと言って特徴のない男だった。背丈が少しあるが、ちょっとひょろっとしている。年は明らかに成人を超えているが、若くも見えるし、老けても見える。容姿は整っている気がするのだが、やはり、ぱっと、目立たない。

 なんというか、頼りなさそーだった。第五位(ヌウ)らしいが、聞いたことも無い家名だった。まあ、自分と同じで、木っ端の神官の一族なのだろう。

 

 がさつで偉そうな男じゃなくて、せめてかわいい女の子だったらなあ。合間に一緒におしゃべりもできたかもしれないのに。

 

 言ってもどうにもならない愚痴を飲み込みながら、仕方なし、ラクレツィアの命令通り、ミミココは男に仕事を教える事となった。

 

 全然仕事ができなかったら、ラクレツィア様に抗議してやる。

 

 そんなことを決意していた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「また、【白銀の乙女】は、とんでもない人材を押しつけてきて……」

「ご苦労、お察しする」

「貴方のことなのだけどね。まあ、いいわ。何でも屋、でいいのよね」

「こだわりは無い。個人的には“高額の仕事”は非効率、とすら思っている」

「…………貴方が?」

「新しい歯車を造るのも、似た歯車を探して無理矢理押し込むのも、手間だろう。前の雇い主は好んでいたが、手間のかかるやり方だとは思っていた」

「……まあ、分かりました。そして、それなら、頼みたいことがあるの」

「報酬次第だ」

「グラドルの従者社会に潜って、その状況の観察と報告…………ええ、それと」

「何か」

「無理して、連れてきてしまったミミココを助けてあげてくれると、嬉しいわ」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 すっごい優秀だった!!!

 

 新人はメチャクチャ仕事が出来た

 それはもう、とてつもなく仕事が出来た。肉体労働もテキパキこなすし、早い。事務仕事も覚えは早いし間違えない。知らないことはすぐ覚える。嫌がられがちな清掃作業も全然へっちゃら。進んでやってくれるし、細かい日用魔術も使えるから、1人で3人分くらいの仕事が出来る。

 

 やったあ大当たりだぁ!! 口動かしてばっかの女より物静かでも仕事が出来る男の方が良いよね!!!

 

 なんて、酷く調子の良いことを思いながらも、ミミココは喜んだ。

 でも、ほんとうにありがたかった。最近は働き過ぎて、脚もいたいし、指先も痛くて、あちこちに無理が出ていたが、なんと、この新人は治癒術まで使えて、ミミココの身体の痛みまで癒やしてくれたのだ。

 

 なんだこのスーパーダーリンは!結婚して欲しい!でもこの年で神官なら流石にもう、婚約相手は決まってるだろうなあ。

 

「ですが、休まないといけませんよ?怪我は治せても、疲労は癒やせません」

「うん、まあ、そうなんだけど、ダメなの。次々と仕事が来るからさ」

「ラクレツィア様からの仕事は、早い内にこなしていたのでは?」

「ラクレツィア様は、こっちのことをちゃんと見てくれるんだけどね……」

 

 と、新人とそんなことを喋っていると。

 

「おい、新人」

「んげ」

 

 嫌な連中と、ミミココは遭遇してしまった。

 

 彼らは、従者連中からは「旧派」と影で言われている者達だった(旧、と呼ばれると死ぬほどぶち切れるので、あくまで陰で言われているだけだが)。彼らは、つまり以前までの神殿を支配していたカーラーレイ一族に仕えていた従者連中だ。

 何が厄介って、カーラーレイ一族が突然滅亡したが、彼らの被害は軽微だった(側近連中は主と同じように粘魔になった者もいたが)、つまり、神殿内部における神官の支配制度は強制的に一新されたが、一方で従者の勢力図には変化が無い、酷くねじれた状況に陥ってしまったのだ。

 これは、あまりにも望ましくない状況と言えた。

 おかげで、神官と従者の間に酷いねじれと溝がうまれて、命令系統が上手く機能していない。カーラーレイ一族に仕えていた連中には高い官位の者も多かったのが更に災いした。ラクレツィアであっても、なかなか容易には手出ししづらい()()()となったのだ。

 それが、ミミココが死ぬほど忙しい原因でもあった。彼らからよく、不必要に仕事を押しつけられるのだ。しかし、ラクレツィアにもなかなか相談できずにいた。ただでさえ、過剰労働気味な彼女に、これ以上に負担を背負わせるのは憚られたからだ。

 

「仕事が出来るそうじゃ無いか。お前にやって欲しい仕事があるんだ」

 

 そして、そんな「旧派」の連中が、今度は新人に目をつけたらしい。

 優秀すぎるが故に、目をつけられたらしい。しまった。と、ミミココは思った。もう少し、上手く隠してあげるべきだった。

 此奴らは全然働きもしない横着者で、他人に仕事を押しつけてばかりのくせに、自分よりも優秀な奴らが出てくると、すぐに嫌がらせに走るのだ。多分、カーラーレイ一族という後ろ盾をいきなり失って不安だからこそなんだろうが、だからってやりかたってもんがあるだろうこのくそ野郎どもめ!と、ミミココは顔にも声にも出さずに思い切り彼らを罵った。

 

「来い。お前にぴったりの仕事があるんだ」

「わかりました」

 

 そんなミミココの懸念を余所に、新人はさわやかな笑みと共に頷いてしまう。

 

 ダメよ!そいつらとんでもねえカス野郎よ!

 

 なんて、事は流石に言えずに、唸るミミココに、新人は振り返ると、そっと微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ先輩。心配しないでください」

 

 いや、大丈夫なわけ無いだろう!と思っているうちに、あれよあれよと彼らに連れて行かれてしまった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「戻りました。先輩」

「あれえ!?」

 

 そして速攻で戻ってきた。

 絶対裏で殴られたと思ったのだが、全然そんな様子は無い。目立たないところを殴られたのだと服をめくってみたが、腹に打撲痕も無かった。あら細身の割に良い腹筋。ちょっと触りたい。

 そんな雑念を考えていると、新人は腹をめくられたまま微笑みを浮かべた。

 

「先輩、少し休みましょうか」

「え、でもこの後、まだ神殿全体の清掃作業が……」

「彼らがやってくれるとのことです」

 

 彼ら、とは誰だろう。と全然ピンとこなかった。しかし、しばらくして、新人を連れ去っていったあのいけすかねえあんちくしょう達のことを指していることに気が付いて、目を丸くした。

 

「ええ~~~???いや、そんなわけないって!天地ひっくり返ってもあり得ない!」

「ほら」

 

 あまりにも無礼なことを叫ぶミミココに、新人が指を指すと、先ほど新人を浚っていった男達が、清掃道具を手に持って、速やかに作業を開始しているのが見えた。此方を見ると、何故か並んで頭を下げ始めた。

 

「なんで???」

「少し休憩をしましょうか」

 

 何一つ疑問が解決しないまま、新人がいつの間にか回り込んで肩を押してくる。いや、確かにあのいけすかねえ連中が掃除してくれるなら、時間は空く。しかし、良いのだろうか?

 

「でも……」

「ラクレツィア様が、アルカーブル菓子商店のクッキーを用意してくださったそうです」

「いやたー!休もう!新人!」

「はい」

 

 せっかくだから、実家から送られてきた紅茶をごちそうしてやろう。と、スキップを踏んだ。何一つよくわからないが、とりあえず今日は良い日だ!

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「想像以上に、酷いわね。ミミココには、悪いことをしたわ」

「対処療法は出来るが、抜本的な解決は、今のままでは難しいだろう」

「従者の組織構造を変えて、一新して、膿を出さないといけないわね。いきなり動くと、それはそれで問題が起こるでしょうけど」

「お前の従者以外にも、悲惨な目に遭ってる者はいるらしい。潰された者もいる」

「時間は無い、か。多少無理をしてでも、強引に着手しましょうか。貴方にも手伝って貰いますよ」

「報酬が出るならば、相応の仕事はこなそう」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

従者ミミココの日常と優秀な新人②

 

 

 “例”の大騒動が起こったとき、ソルガン・セイラ・ルドウはそれを好機だと思った。

 

 あの大混乱がカーラーレイ一族の大失態であることはすぐに理解できた。彼の家はグラドル国内において、相応に力を持ちすぎていたが為に、カーラーレイ一族と近くは無かったが、彼らが好ましくない連中と交わっていたのは知っていたからだ。

 そして、彼らは破滅した。

 想像通りだ。権力に溺れ、慢心し、際限なく周囲を貪食し、その内側から食い破られる。大変都合が良く事は済んだ。

 そして、その後、ゴライアン家の女が神殿の実権を握った。コレもまた想定の通りだ。ルドウ家の力であれば、あるいは周囲をとりまとめることも出来たかも知れないが、それはしなかった。周囲の日和見の連中に紛れて、ゴライアンの女傑を立てた。

 

 彼女には仕事をして貰わねば困る。

 混迷するグラドルをとりまとめる、貧乏クジの仕事を。

 

 言うまでも無く、混迷、低迷期のトップの座なんてのは、本当にただの貧乏くじだ。馬車馬のように働き、駆け回って、問題を一つ一つ潰しても、次々と現れる問題に頭を悩まされ続ける。それだけ懸命に支えようとしても尚、周囲からは罵られる。何もしていないとせせら笑われる。

 

 無論、ソルガンはそんな、何のうまみも無い役割はゴメンだった。

 だから彼女に席を譲った。

 

 せいぜい彼女には働いて貰おう。そして、とことんまでに、傷を負って貰おう。そして、苦労を重ねて落ち着いたグラドルで、自分は正義の側に立って彼女の責任を追及するのだ。

 従者達に不和の種をまくのもその一環だ。第二位《セイラ》の座である彼にとってすれば、従者の人員を密かに混乱させるのは容易かった。彼女の政治体制に適度な不穏の種を撒く。いざというときに芽吹いて、彼女を責め立てるための準備だ。

 それ以外にも様々な不和の種は準備してある。彼女を頃合いを見て引きずり下ろす準備は万全だ。

 

 ああ、本当に全く、カーラーレイ一族は都合良く滅んでくれてありがたい。

 彼らの蛮行、凶行を見過ごし、間接的に“支援”してきた甲斐があったというものだ。

 最後の最後、勝者の座に座るのは自分だ。

 

 ソルガンはそうほくそ笑み、その日もベッドで眠りについた。

 そして、そのまま静かに彼の命数も尽きる。

 

「っ……!!!?」

 

 胸の激痛に彼は眼を見開いた。そのあまりの痛みに息が出来ず、口をパクパクと開閉した。悶え苦しみ、ベッドから地面に転がり落ちる。傷は無い。怪我したわけではない。

 だが、用心深きソルガンは守りも入念に固めてきた。ソレなのに何故?!

 

「っか?!…………っ」

 

 護衛を呼ぶことも出来ず、空を見上げる。窓から星光が差し込み、そこに影があった。自分をまっすぐに見下ろしたその影は、悶え死ぬ自分の姿を驚きも悲しみもせずに淡々と見つめ続ける。

 真っ黒な死の化身。それが見下ろしてくる恐怖に、ソルガンは打ちのめされるが、最早身動きすら取れなかった。

 

「壊れたほうが良い歯車と思われるのは、悲しいことだな」

 

 夜闇よりも尚静かなその言葉が、ソルガンに届く事は無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おふぁよお、新人」

「おはようございます先輩」

 

 朝、太陽神(ゼウラディア)が大地を照らすのとほぼ同じ時間に、ミミココは目を覚ますと、既に新人が待ち構えていた。なんで待ってたんだろうと思ったが、そういえばまだ、彼の研修期間が続いていることに気が付いた。

 あんまりにも仕事ができるものだから、もう普通の同僚気分だった。

 手間が全くかからないというのは本当にありがたい、が、別に、通常時の仕事が減ってくれるわけではない。いや、彼の手伝いは助かるけれども、それでもやっぱり基本的に、高位神官の従者というのは結構な激務だ。だから朝一のミミココはちょっと憂鬱だ。

 

 が、しかぁし!と、備え付きの水道から水をかぶると、ミミココはぐっと意識を覚醒させた。

 

「今日は良いニュースがあるんだよ!新人!」

「なんでしょう」

「ラクレツィア様が従者達の皆のろーどー環境よくしてくれるって!」

 

 ―――手が足りなくて、信頼できる貴方に頼り切りになってしまってごめんなさいね。ミミココ、貴方がもう少し働きやすくできるよう、私も頑張るわ。

 

 ラクレツィア様がそう言ってくれたのだ。彼女の負担が増えてしまう心配もあるけれど、ミミココにとってこれはありがたいニュースだった。ラクレツィアは口先だけ都合の良い事を言って放置しない。

 大変な時は大変だという。

 だから「する」といえば必ずしてくれる信頼がある。

 

「なるほど」

「すごいでしょ!」

「ちなみにどのような感じでよくなるのですか?」

「えっ……?」

 

 どのような、といわれると、言葉に困る。というか、わからん!

 ラクレツィア様が改善してくれるというのだからしてくれるのだろう!

 という、非常にざっくりとした認識だった。

 

「なるほど」

 

 そして、そんなミミココの様子を見て、新人は何かを察したように微笑みを浮かべた。

 

「馬鹿にしたでしょう新人!!」

「先輩、今日のお昼ご飯はチョウチョ鳥の卵で出来たオムライスです」

「やったあ!!よーし頑張るぞ新人!」

「はい」

 

 こうして、二人は今日もまた、グラドルの平穏を守るための仕事に従事した。

 その日、とある高位神官の一人が心臓の病で亡くなったらしく、葬儀などもあって、少し噂話も広がったが、急がしていくウチに、その話も別の話で埋もれていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「そう、仕事はつつかがなく?」

「そうだな」

「申し訳ないわね」

「何がだ」

「貴方は嫌悪していたのでは?」

「効率が悪いと言っただけだ。仕事に良いも悪いもない」

「ミミココとの仕事も?」

「彼女自身は、無邪気でかわいらしいと思うが、仕事は仕事だ」

「……本当に、独特……だからこそ、かしら」

「問題が?」

「いいえ、これからもよろしく頼むわね。頼りにしているわ」

「報酬が正しく払われる限り、文句は無い」

「………………気になっていたのだけど」

「なにか」

「報酬、何に使っているの?」

「国中の美女を招いて夜通しでパーティをしてばらまいたりしている」

「…………」

「冗談だ」

「…………何でも出来ると思ったけど、冗談は下手なのね」

「そうか……」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見る目を養う話

 

 その日、幾つかの事務作業を終え、小休止に入っていたウルは、同じく同席してウルの仕事を手伝っていたディズに質問をなげかけた。

 

「良い物を見て、養うって必要なのかね」

「ふむ」

 

 突然何故こんな質問をなげたかというと、ウルが眺めていた資料に、最近のウーガの交易に関する注意喚起が載っていたからだ。内容は、最近、とある衛星都市の有名な陶器の悪質な偽物が出回っているという内容だ。

 大地の魔術で一見して、見た目だけはそっくりに整えられた代物だが、魔術の効果が切れるとあっけなく崩れるような代物であり、それを取り扱う悪質な商人には注意すべし。という内容のものだ。

 勿論、交易の大きな拠点となるウーガは他人事ではない問題であり、ウルとしてもそれは気になって、不安になった。

 

 正直、ウルは自分の物を見る目に、自信が無い。

 父親がろくでもない偽物や、役に立たない品を買い集めていたところを見て、苦手意識が根付いてしまったというのもある。良い物を見定め、偽物を見極める自信がなかった。そもそもほんの少し前までは「兎に角、道具として使えりゃ偽物だろうが本物だろうがかまわないだろう」という貧乏人らしい思考で生きてきたのだから。

 

 そんなウルの心中を察してか、ディズは肩をすくめると、傍にかけていた自分の外套に手をかける。エシェルほどではないが様々な物質を収納できる外套から、何かを取り出すと、ウルの前に、それを並べた。

 

「はいこれ、仕事で入手したんだけど、片方は偽物で片方が本物。どちらかわかる」

「どっちが……」

 

 それは、術式が刀身に刻まれた二つの魔剣だった。見た目は似ている。紅色の魔剣。ウルの目にはどちらも本物に見えるし、違いが分からない。ウルは首を傾げ、ひとまずは深く考えずに感性に従った。見た目が綺麗な方を指さした。

 

「こっち?」

「外れ、そっちの術式、よく見たら分かるけど薄ら傷がついてるんだよね。こういう刀身に刻まれてる術式自体を守るための防御術を怠ってる時点で、本物じゃ無い。偽物」

「あー」

 

 二択を見事に外して、ウルはうなだれる。ディズは笑った。

 

「“見る目”っていうけど、結局こういうのは知識が必要なんだよね。嗜好品とかだったら、感性にゆだねても楽しいかも知れないけど、それだって、技術が未熟であるだとかを見極めるのはやっぱり、知っていないといけない。いろんな物を見る経験もいる」

 

 ディズの言葉はいちいちごもっともだ。納得するが、自分の知識と目を育む機会というのはなかなか難しい。やはり、そっち系の仕事は知識のある者に任せるべきだろうか。

 そう思っていると、ディズが「ああそうだ」と手を叩いた。

 

「今日、用事があって顔を出すんだけど、【黄金不死鳥】くる?玉石混交、色々なものが見れると思うよ?」

 

 少し迷ったが、良い機会だった。ウルはうなずき、滞在中の都市にて経営している黄金不死鳥を訪ねることとなった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ディズお嬢様。よくぞいらっしゃいました」

 

 黄金不死鳥の支部長は、ディズを快く出迎えた。アポ無しで一緒についてきただけのウルに対しても丁寧に応じてくれた。金貸しギルドであり、相応に荒っぽい側面もあるのだが、この支部は、随分と丁寧なようだ。

 

「うん。ちょっと倉庫見させて貰って良い?」

「ええ、ですが」

「勿論、わきまえているよ」

 

 そうやりとりして、そのままディズはウルをつれて、黄金不死鳥の倉庫へと足を踏み入れた。黄金不死鳥の倉庫、ソレ即ち、冒険者達から担保として預かった商売道具の数々や、価値のあるものが眠っている場所でもある。

 ディズが事前に言っていたとおり、多様な商品が倉庫の中で保管されており、中々の威圧感があった。そんな中を、ディズは慣れた様子で進み、そして途中で足を止めた。

 

「これも魔剣?氷の属性?」

「うん。高いと思う?」

「高くないのか?」

 

 美しい意匠と、水晶が刀身に埋め込まれた大剣だ。やはりウルには高価そうにしか見えない。そもそも魔剣の類いは殆ど手に取った経験も無かったので、前提の知識が無かった。

 

「魔術を込められた水晶の位置が悪いよね。刀身についてる。コレじゃあ、肝心の剣の耐久性に差し支えが出る。そもそもこの水晶の質も悪い」

「はあ、なるほど」

 

 説明を受けていると、なんだか大層に思えてたはずの大剣が、なにやらしょっぱく見えてしまうのだから、感性というものはいい加減だった。

 更にディズが隣を指さす。

 

「この盾も、うん、わかりやすいね。ほら、表側に術式が刻まれてる。お陰で見た目は派手だけど」

「ああ、敵の攻撃を受ける側に刻まれたら、破損しそうだな」

「こう言うのは持ち手の方に刻まれるのが普通だよね」

 

 武装自体に術式を刻む細工は、決して珍しくは無いが、敵の攻撃を正面から受け止める盾の、その表面に刻むのは、確かに不合理に思える。

 

「「実際に使おうとするとどうなるか?」っていうのは、考えた方がよいね。そういう意味では、武具というのは割と分かりやすい」

「なるほどなあ、というか、黄金不死鳥、割とガラクタっぽいのも徴収してんだな」

「担保として冒険者が渡してくる物だからねえ。必ずしも一級品ばかりとは限らない。勿論、これらを担保にしても、貸し出せる金には限りがあるけど」

 

 なるほど、と、納得しながら、ウルはゆっくりと倉庫の中を見回る。本当に多様なものがあった。見ていると確かにそのなかには稚拙というか、「いや、お前これ武器として振ろうとすると逆に使い手が怪我しねえ?」というような代物も混じっている。

 いわゆる色物だが、その手の武器にわざわざ手を出して、あげく担保として奪われている冒険者のことを考えるとなんとも苦い顔になる。尤も、アカネの事や、自分が愛用してるとびっきりの色物武器である竜牙槍のことを考えると、全然他人事ではないのだが―――

 

「―――ところで、これは?」

 

 そうして見ていく途中で、ウルはぴたりと足を止めて、ディズに尋ねた。

 

「ああ、それは――――それは?」

 

 ディズは応じて、そのまま首を傾げた。

 

「…………なんだろうこれ」

「なんだろうなあ」

 

 それは、他の武具類と比べても、全くよくわからない代物だった。

 やたら大きい。背丈二メートルほど。間違いなく武具の類いではない。というか、人工物かもやや怪しい。部分部分が妙に生物的だ。鳥のようにも、虫のようにも見える。石のようにも見えるが動かない。手足のようなものがガラス瓶を抱え、その中に奇妙な液体がたまって、ほんのりと輝きながら渦巻いている。

 

 ―――ざっくりと、その姿を語ってみたが、結局コレがなんなのか、何の用途の品なのか何一つとしてわからない。使っているところが想像つかない。

 

「それはですね」

「おわ!?」

 

 と、そこに、いつの間にか倉庫の中に入ってきていたのか、支部長の男が声をかけた。眼前の異様な物体に意識を取られていたため、ウルは普通にびっくりした。

 

「やあ、ラーサン。それで、これはなんなのかな?」

「分かりません」

「ちょっと」

 

 ディズは突っ込んだ。まあ、確かに問題だろう。担保として預かった品がなんなのか全く分からないというのは。

 

「いえ、実はウチにとある高名な魔術師が「どうしても急ぎまとまったお金がひつようだから融資してくれ!担保として泣く泣くこれを出す!!」とやってきましてね」

「はあ」

「それで、この魔術師はこれがなんだと?」

「確かに説明はしてもらえたのですが、あまりにも学術的な単語が多く、魔道具担当の魔術師でも理解しきれなくて、兎に角凄まじい魔導機械の一種であると」

「ソレ、詐欺られてない?大丈夫?」

 

 適当に難しいことを並べ立てて、丸め込んで金銭を奪う詐欺のような商売のやり口は確かに存在する。ソレは、集団心理と、洗脳術の一種を利用したものであることが多い。

 しかしラーサン支部長は首を横に振った。

 

「私も警戒したのですが、わざわざ此方に大分有利な条件で血の契約書を書いて、「絶対に利子を含め期限内に返済するから傷つけたりしないでくれ!!」と言われまして」

 

 つまり、少なくともこれを担保とした魔術師は、このなんだかよくわからん物体に多大なる価値を感じてるらしい。大分有利な条件で金を貸し出せた以上、黄金不死鳥の経営としては確かに問題は無い。問題は無い、が、

 

「つまり……どういう代物なんだろう、これ?」

「ますます分からん」

「契約である以上、下手に調べることも出来ずに、言われたとおり保管しています」

「そう……隣にじょうろがおいてあるのは?」

「一日一回、水を与えるようにと」

「ええ」

「その為の浄水装置も渡されました」

「これ、高位の神官とかが使う浄化水晶では?」

《ケーヨ》

「「喋った!!!」」

「時々なんか喋ります」

 

 結局、その日は最終的にウルとディズに大量の疑問を残すだけ残して終わった。

 

 後日、その謎の物体Xを引き取りに来た魔術師はきっちりと利子を含めて全額を返済し、引き取りに来たらしい。その上で黄金不死鳥の保管体制に感激して「素晴らしい!これで世界の平穏は保たれた!!!引き続き費用を払うから保管しておいてくれないか!?」と頼まれたという話をディズ経由で聞いたウルは、ますます疑問を増やす羽目になった。が、もう考えるのは止めることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

非行少年少女らと紅の蜘蛛の糸

 

 【至宝の守護者】

 

 至る所から聖遺物を盗み出し、さらなる犯罪行為に利用していた彼らは、本来であれば言い訳の余地の無い犯罪者の集まりだった。窃盗という点、盗み出していた物品の重要性、何よりも、精霊から賜った品々を悪用するという、精霊達への信仰を汚す行為、どれ一つとっても言い訳の余地の無い犯罪だ。

 そんな彼らを法の追求から守ったのは、彼ら自身の家柄、権力による守護によるものだ。彼らが名無しであったなら、間違いなく今既に牢獄の中で、重い刑罰を課されていたことだろう。

 現在、ウーガの中で「手頃な労役」をこなすだけで済んでいるのは、彼らがとてつもなく恵まれている何よりの証拠だった。

 

「はやく!こんなところから逃げ出すわよ!」

 

 が、しかし、享受している幸福という物は、なかなか当人には自覚しがたいものだった。

 【至宝の守護者】の一員だったレナミリアは現在、仲間達をつれて、真夜中の逃亡劇のまっただ中だった。

 ウーガで馬車馬の如く(当人の視点)働かされていたが、もう限界だった。小汚い名無し達に紛れて、ひたすらに重い荷物を行ったり来たりと運ばされるのは耐えられない!

 

「もう!全部カルターンの所為よ!」

 

 カルターン、【至宝の守護者】のリーダーであった彼の「遊び」につきあった結果、自分達はこんな目にあっている。

 

 カルターンの「遊び」に、レナミリアは比較的積極的だった。

 

 彼女の家は第三位(グラン)、高位の官位であり、そして精霊との親和性が高い。しかし、レナミリアは精霊の鍛錬は行っていなかった。精霊とのつながりを得るための鍛錬はあまりにも過酷で、彼女はそこから逃げ出した。精霊という力そのものに対する忌避感を覚えていた。だから、そんな精霊から賜った宝を、無法な手段で手にして、好き勝手に使おうとするカルターンの蛮行は、レナミリアには小気味よかったのだ。

 だけど、勿論ソレは自分の安全が確保された上で行う「遊び」としては、だ。

 

 こんな風に、罰を受けて責任を背負わなければならないなんて、聞いてない!

 

「ああ、もう!全部カルターンの所為よ!」

 

 そんな風に怒りを向けられたカルターンもまた、労役についていた。リーダーであったことを鑑みて、わざわざ自分達とは引き離された上で別の場所で働いているらしい。一度、接触したこともあったが、彼はすっかり、リーダーとしてやっていた頃から比べると、気落ちしていた。

 「皆がこうなったのは、ボクの所為だから」と、しおれていた姿に、レナミリアはがっかりした。【守護者】のリーダーをやっていたときは溌剌としていたのに、見る影も無い。こんな情けない男についていった自分が、惨めだった。

 

 「さあ、こんな場所から逃げだそう!」とそう言い出すことを期待していた自分の望みは打ち砕かれた。

 

 だから、逃げ出す。こんな嫌なことばかりな場所からさっさと逃げるのだ。自分と同じように、「もう嫌だ!」と嘆いている仲間達を引き連れて、レナミリアは脱出計画を立てた。いつまで経っても自分達を助けに来ない、家族達に期待する事も出来なかったのだ。

 

 ところが、まあ、当然と言うべきか、その脱走もあまり上手く行かなかった。

 

「ここ、何処だよ……?」

「さっきも通らなかったか?」

「ねえ、レナミリア。不味いって……!」

 

 地上の、住居区画は、ヒトが利用しやすいようにできているが、人目から隠れるようにして移動しようとすると、途端に迷いやすくなる。極めて特殊な存在であるウーガは、通常の都市とは全く異なる。彼らは同じ場所をぐるぐると回る羽目になっていた。

 

「ああ!もううるさい!どれもこれも全部カルターンの所為!それに……」

 

 仲間達の不安げな声に、レナミリアはいらだち、そして背後を睨み付けた。

 

「アンタの所為よ!ルース!!」

「…………そうだね。ボクには、責任はあるよ」

 

 ルース、自分達を裏切り、このような状況に押しやった元凶。彼もまた、自分達の脱走計画に同行していた。また裏切るつもりなのか、と思っていたが、彼は淡々と、自分達に同行している。泣きわめいてばかりの役立たずと比べればまだマシだけど、それでも腹が立つことには変わりない。

 

 むかつく、むかつく、むかつく!どうしてこう、何もかも上手く行かないんだ!

 レナミリアは血が上りきった頭で、頭をぐしゃぐしゃにかき回す。その時だった。

 

《なーなー、なにしてん?》

 

 不意に、上空から声がした。紅と金色の、鳥のような虫のような羽の生えた、奇妙な妖精が、自分達を見下ろしていた。

 

「何よ、使い魔……!?」

《あそんでるん?》

「あっちいきなさいよ……!」

 

 石でもなげつけてやろうか、と思ったが、仲間の一人が声を上げた。

 

「まてよ、ウーガの連中の使い魔なんじゃ無いのか?」

 

 ぴたりと、全員が動きを止める。もしもこの脱走がばれたら、今度はどんな仕事をやらされるのかわかったものではない。彼らは恐怖に震えた。しかし、

 

《まよってんなら、みち、おしえてあげよっか?》

 

 妖精は、なんでもないように、彼らに救いの糸を垂らすのだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

《こっちよ》

 

 妖精の言葉に従い、レナミリアは細い通路を進む。

 彼女の案内する通路は、レナミリア達がここまで通った道よりも遙かに増して、ややこしかった。時に、道ですら無い通路を進み、機関部と思われるような場所に潜り込みながら先へと進む。あっという間にレナミリア達の格好はどろどろになった。

 

「なあ、俺たち、騙されてるんじゃ……?」

「五月蠅いわね……だったら道を知ってる奴他にいるわけ?」

「まあ、そうなんだけどさあ……」

 

 仲間達の弱音をレナミリアは一喝する。この期に及んで、意味の無い泣き言ばかりはく仲間達に心底うんざりだった。こんなことになるなら、自分一人で逃げ出した方がよっぽどましだった!

 

《なーなー》

「なによ!」

 

 その苛立ちのまま、妖精の言葉にうなり声を上げる。妖精は気にする様子も無く、此方を見つめて、問うてきた。

 

《なんでにげるん?》

「うんざりだからよ!!」

 

 叫んだ。これまでの鬱憤を晴らすかの如く、吼えた。

 

「やりたくもないことばっか押しつけられてる!!私は悪くないのに!!私の責任じゃ無い

のに!!」

《そうなん?》

「全部カルターンが悪いのに!どうして私まで巻き添えを受けなきゃいけないの!?意味が分からない!!!」

《そうなんかあ、たいへんねえ》

「バカにしてんの!?」

 

 肯定されて、それでも腹が立った。

 何もかもむかついていた。レナミリアは自分のコントロールを見失っていた。どうしようもなくなって、感情をひたすらにぶつけていた。それが、良くない状況であることは、彼女自身だって無意識には理解していても、止めることが出来なかった。

 

《んーんー》

 

 だから、そんな彼女の狂乱を、引くでも無く、怒るでもなく、悲しむでも無く、ただまっすぐに受け入れる妖精の姿は、見た目や言葉遣いの幼さ以上に、どこか、大人に見えた。

 

《バカにするほど、わたし、あなたのことしらないもの》

 

 そう言って、その小さな掌で、ぽんぽんと、やさしくレナミリアの頭を撫でる。

 

《ほんとうにそうかもしれないのに、バカにしないわ。だいじょうぶよ》

「…………」

 

 そういって、そのまま案内を再開する。気勢を削がれたレナミリアは沈黙し、その後、黙って彼女の後をついていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

非行少年少女らと紅の蜘蛛の糸②

 

 竜吞ウーガ、司令塔の一室にて。

 

「どうか、皆をお願いします……」

 

 そう、切実に懇願するのは【至宝の守護者】のリーダーだった少年、カルターンだった。ウーガへの侵入を果たしていたときと比べ、随分と表情に力がなくなった彼は深々と頭を下げる。

 

「脱走計画、ですか。貴方の声は届かなかったのですね。カルターン様」

 

 相対するシズクが確認をすると、カルターンはふるふると、力なく首を横に振る。

 

「皆が、信じていたのは自信満々だった、僕だったから……」

 

 シズクの計略によって、まとめて御用となったあと、彼はすっかりとその気力を損なっていた。目が覚めた、あるいは酔いが覚めたというべきだろうか。彼はすっかり落ち着いてしまい、正気に戻っていた。

 

 それまでたった一度も失敗しなかった少年は、たった一度の失敗で我に返った。

 

 だが、その結果として子供達のリーダーとしてのカリスマも無くなった彼は、仲間達を押さえつけることも出来ず、こうして助けを求めるに至った。

 

「さて、どうしましょうか」

「その、難しいのですか……?」

「対処は出来ますよ。ですが、押さえつけても意味は無いでしょう。同じ事です」

 

 仲間達がまた同じ事をすると、シズクはそう言っている。

 カルターンにもそれは理解できた。確かにそうだ。レナミリアなどは今、反発心の塊のようになっている。逃げようとしたところを捕らえられれば、ますますもって暴走する。

 無論、そうなればウーガとしては牢獄にでも放り込むくらいしか対処できなくなる。しかし、カルターンとしては、出来ればそこまで荒々しい事にはなって欲しくは無かった。

 

《だったら、もういっそ、わざととーぼーさせてみたらええんでない?》

 

 そこに、幼い声が響いた。

 

「アカネ様、その心は?」

《だって》

 

 たまたま遊びに来ていた緋色の妖精は空中をくるくると跳び回りながら、断言した。

 

《ぜったいしっぱいするし》

「まあ」

 

 妖精の少女は容赦が無かった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ外周部

 

《ついたわよ》

「…………!!」

 

 妖精は、確かにレナミリア達を外へと案内してくれた。その言葉に嘘偽りは無かった。

 確かに外に出た。ウーガの甲羅のような障壁の外、搭乗口となる尾の、すぐ傍に、誰の目にも見つからずに抜け出すことが出来た。

 ウーガは現在停止中で、魔力補給のために地面に潜り、動きを止めている。このまま尾を伝えば、外に出ることは出来る。

 

 だが、レナミリア達は足を止めた。一歩もそのまま外に出ることは出来なかった。

 

「く、暗い……!」

「何も無いよ!!こんな所から降りるの!?」

 

 夜の空、外へと続く道は、あまりにも暗く、そして心許なかった。日中、太陽神によって照らされている時と同じ場所とは全く思えないほど、薄気味が悪かった。

 

《“とし”はちかくにあるから、あそこまでいけばよいわ。もんばんには、“せいれいのいたずら”で、“てんい”しちゃったっていいわけすればいいんじゃないかしら?》

 

 おびえすくむ子供達に対して、妖精は淡々と説明する。確かに彼女が指さす先には都市の光が見える。しかしそこまでの道中はやはり真っ暗だ。照明なんて一つもない。真っ暗だ。真っ当な道も無いだろう。

 こんなの聞いてない!と、妖精にレナミリアは叫ぼうとしたが、言葉が止まった。妖精は、自分達の助けになってくれただけだ。外に出よう。逃げようと言ったのはレナミリア自身である。言い訳の余地が無いほどに、目の前の光景は自分が目指した姿だった。

 

 無謀、無計画、その果ての至極当然の顛末が、目の前のどうしようも無い光景だ。

 

《“そと”は、いろんなことがある》

 

 そんな彼女たちの立ち往生を前に、妖精は言葉を続けた。

 

《なにもえらべないまま、しんじゃったちっちゃいこもいっぱいいる。そういうばしょ》

 

 言葉は幼くとも、重みがあった。確かな実感と経験が、言葉には詰まっていた。

 

《でも、この“だっそう”は、あなたがじぶんできめたこと》

 

 妖精は此方を見る。暗闇の中で、仄かな輝きに包まれた妖精の姿は神秘的で、どこか妖しくて、恐ろしくもあった。

 

《だったら、これからは、アナタの“ジンセイ”よ》

 

 妖精は、レナミリア達を指差した。心臓が鳴る。怒りで誤魔化していた、得体の知れない緊張と恐怖が、レナミリアを襲った。

 

《まものにたべられてしんでしまっても、くうふくでいきだおれても、やとうにボロボロにされても、すべてがうまくいって、おうちにかえって、“つまはじき”にされても》

 

 爪弾き。

 元々、彼女はあまり、自分の家では“良い娘”ではなかった。神官になることが出来なかったのだ。言うなれば落伍者であり、その後も憂さ晴らしをするように悪い遊びにはまってしまった。

 ウーガで捕まってからも、いつまで経っても迎えが来ないのは、自分のことをとっくに家族が見放しているからだ。

 そんな事実から、レナミリアは目を背けていた。しかし、妖精はまるでそんな彼女の心を見透かすように、じっと、彼女のおびえる瞳を見つめてくる。

 

《それはあなたがえらんだ、あなたのうんめい。あなたのせきにん》

 

 妖精の言葉に、鋭さは無かった。柔らかく、ゆっくりとした言葉で語りかける。染みこむように、その場にいる全員の耳に届く。

 

《いくつもの“せんたくし”からえらんだ、いいわけできない、じぶんのじんせい》

 

 しかし、彼女のそれは、優しさではなかった。

 

《じぶんで、きめてね?そうしないと、こうかいするから》

 

 刃のように鋭い、厳しさだった。

 自分達に労役を課してきた者達、罰を与えてきた者達よりも遙かに、ずっと鋭く、彼女たちの心に突き立てられた厳しさだった。情け容赦なく、崖の上から奈落へと突き飛ばしてくる厳しさだった。

 

 己の人生の責任を背負え。

 

 彼女はハッキリと、そう語っていた。

 

「か、帰ろう」

 

 誰かが言った。

 

「いやだよ……無理だよ!」

 

 誰かが続いた。

 愚直に、言われるままにレナミリアについてきていた彼らにも否応なく理解できたのだ。この闇の中へと落ちれば、もう本当に、誰にも言い訳できないのだと。この先、自分達を守ってくれる存在は誰一人いないのだと。

 そうして、次々に彼らは逃げ出す。もう、誰かに見つかろうとかまわなかった。どれだけ働くのが苦しくても、ちゃんと守ってもらえる方が、よっぽど、安心だった。あの闇の中、独り行くよりはずっと良い!

 

「何よ……!」

 

 そうして、レナミリアは残された。自分以外に残っているのはルースだけだ。歪でも、仲間だと思っていた連中は、すっかり自分のことを見捨ててしまった。

 

「結局コレが目的だったわけ!?アンタも私を騙したんだ!」

 

 レナミリアはアカネを血走った目で睨み付ける。八つ当たりも良いところな、理不尽な発言だったが、アカネはまるで動揺することもなかった。

 

《だますって、もっとひどいのよ?》

「……!!」

 

 重い、説得力のある言葉を告げて、レナミリアを黙らせる。そして座り込み、怒りをどう発散させれば良いか分からずうなり続ける彼女の頬に触れた。

 

《だれかのせいにしたって、いたいの、なくならないのよ》

 

 緋色の瞳が、血走った少女の目を射貫く。みるみるうちに、レナミリアの勢いは萎んでいった。彼女だって、そこまで愚かじゃない。冷静になれば分かるはずだ。アカネは別に、騙したわけでも、からかったわけでもない。

 

《あなた、どうするの?》

 

 ただ、確認しただけだ。これから貴方はどうするの?と。

 

「…………、わかんないわよ……!」

 

 問いに、レナミリアは喉を震わせてうずくまった。

 

「だって、誰も教えてくれなかったんだもの……!!」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「レナミリア……」

 

 最後まで彼女を見守ることを決めていたルースは、泣き崩れるレナミリアに、上手い言葉をかけてあげることが出来なかった。自分の内側に、彼女の心を慰める言葉はなかった。その経験値の浅さが情けなかった。

 

「あーあー、泣いちゃったっすねー」

「ラビィンさん」

 

 そして、自分たちをそっと遠くから見守っていた、【白の蟒蛇】のラビィンが姿を現した。彼女はルースを見ると、肩を竦めて笑った。

 

「見張りお疲れさんっすねー。いいっすよ?もう帰っても」

 

 そう言われるが、ルースは黙って首を横に振った。脱走の最中、彼女が言ったとおり、今の彼女含めた元友人達の結末に、自分の責任があるのは間違ってはいなかった。だからせめて最後まで彼女たちと一緒にいると決めていた。

 

「物好きっすねー。アカネも、もーいーっすよ?こっちでもっていくんで」

《んー》

「甘ったれ過ぎっすよ。構う必要無いっすよ?」

 

 甘ったれ、そうなのだろうとルースは思った。

 ラビィンにしても、アカネにしても、いや、ここにいる大体のヒト達は、いろんな事情を抱えているように見える。自分たちと殆ど年も変わらない少年すらも、自分よりも遙かに大人びて見えた。

 

 多分彼らは、きっと自分たちとは比べものにならないくらい辛い経験をしてきて、それを乗り越えてきたのだ。

 

 だから、自業自得で罰を受けて、それすらもいやだいやだと喚く自分たちはやっぱり甘ったれだ。そう思う。アカネと呼ばれた妖精からしても良い迷惑かも知れない。

 

《なかしちゃったしなー》

 

 しかし、アカネはそう言うと、くるりと空中で身を翻し、その姿を変貌させた。

 

「う、わ……!?」

 

 ほんの一瞬で、アカネの姿は成熟した女性のように変わっていた。彼女はそのまま、むずがる子供のように泣き崩れるレナミリアの背中に触れて、そっと優しく抱きしめた。

 

《しらなかったんなら、しかたないものね》

「―――――っ」

《いじわるいって、ごめんね》

 

 レナミリアは、そのまま黙って緋色の少女に抱きしめられたまま、泣き続けた。その間、アカネは決して彼女の傍から離れることはしなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 こうして、非行少年少女達の脱走劇は、誰にも知られること無く終結した。

 以降、子供達はゆっくりと落ち着きはじめ、問題を起こすこともなくなった。

 

 尚、それ以降、何故かアカネのことを「アカネ姉さん」と呼ぶ子供達が出てきたりしたのだが、それは別の話である。

 

「お疲れっすね-!アカネ-!ジュースおごったげるっすよー!」

《いえーい!じょしかいね?》

 

 それと、ラビィンとアカネが仲良くなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天才鍛冶師とその周囲の憂鬱

 

 ダヴィネという天才鍛冶師は凝り性だ。

 

 こだわるときは兎に角、徹底してこだわる。他の鍛冶職人であれば「まあ良かろう」と妥協する部分も偏執的なまでにこだわりつくす。どう考えても誰もついてこれないレベルまでこだわり倒す。

 通常であれば、「いやそんなとこまでこだわりすぎんでもいいから適当に仕上げてくれ」と忠告もあるかも知れないが、彼の仕事に口出しはあまりされない。放置していた方が、彼は間違いなく良い仕事を仕上げてくるからだ。

 勿論、あまりにも極端なこだわりを見せるときは周りがコントロールし、誘導してやることもする。それは、彼が牢獄の時のような、歪な王様になることを防ぐためでもあった。

 

 まあつまり、適度に好き勝手に作品を造るという、ステキ鍛冶師ライフ的なものを愉しんでいるのが現状のダヴィネな訳だが、そんな彼の趣味は、時折とてつもない物を造り出すことがある。

 

「……これは、凄いね」

「当然だ!」

 

 ウルは、ダヴィネの工房にて「むむむ」とうなり声を上げるディズを発見した。興味本位で彼女の様子をのぞき見ると、彼女が見ているのは武具の類い―――とは、全く違う代物だった。

 

「なんだそりゃ、盤上遊戯の、駒?」

「だね。ダヴィネが作ったんだって」

 

 確かにソレは盤上遊戯の一種だ。

 イスラリアでもはやってるポピュラーな代物で、なんなら誰でもやってるし、ウルも流石にルールくらいは知っている(遊んでいる暇は無かったので強くは無い)。様々な冒険者達の役職を模した様々な動き方が出来る駒達を交互に動かして戦うゲームだ。

 金が無い名無しなんかは、適当な木材に文字だけ刻んで遊ぶこともあるのだが、ダヴィネが造ったというソレは、きちんとした駒が彫り起こされており、良く出来ていた。

 

 流石、というべきか、細かな細工にウルは感心し、手を伸ばそうとした、

 

「へえ……ってなんだよ」

「うん、迂闊に触ったらダメだよ。ウル」

 

 ところに、ディズがまったをかけてその手を掴む。ウルは首を傾げた。

 

「駒は触るものだろ」

「これ、金貨1枚くらいするって言っても?」

「…………こっわ」

 

 ウルは素直に手を引っ込めた。思わずダヴィネを見るが、そのダヴィネも何故か不思議そうに首を傾げていた。

 

「ああん?全部木製だぞ」

 

 当人は、余った木材で造った面白半分の代物であったらしい。だが、ディズは真剣な表情で、駒の一つ一つを見聞し、唸っている。

 

「いや、仕上げの処理も完璧だ。この出来なら買う神官は出てくる。絶対にね」

「まあ、ディズが言うなら間違いないだろうが……どうすんだよこれ」

 

 とても綺麗に出来ているから、要らないなら買ってみようと思ったが、額を聞くととても手を出そうとは思わない。取り扱いにも大変困る代物である。が、当のダヴィネは、

 

「もう満足したし、俺はいらねえ。ペリィの奴の所にでもおいとけばいいだろうが」

「アイツ、多分ビビり散らして一生店の奥にしまって取り出さないぞ……」

 

 そう、この男は作品の作りにはこだわる一方で、一度完成させればその品に対して全く執着心を示さない。自分のことを軽んじられるのは酷く嫌うが、別に商品自体は、売ろうが、使い潰そうが、なんら気にしないのだ。物は使い潰してこそ価値があると、考えている節すらある。

 鍛治師としては立派だが、扱いに難儀する代物をぽーんと生み出されて放出されると、此方としては結構困る。

 

「じゃあ、私がさばこうか?手間賃くらいはもらうけど。売れた金額はダヴィネに渡せばいいんでしょ?」

 

 と、そう思っていると、ディズからの助け船がやってきた。ウルとしてはその提案は大変にありがたい……が、

 

「良いのか、手間なんじゃ?」

「……いや、正直この品が下手な扱われかたされるのを黙って放置していたら、義父にめちゃくちゃ怒られそうでね」

 

 ディズは苦笑を浮かべる。ロックから聞いてはいたが、彼女の義父という男も、どうやら結構なかわりものであるらしかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それからしばらくの後、一時的に近隣の衛星都市に仕事で降りていたディズが戻ってきた。彼女は麻袋をウルへと差し出して、少し疲れた表情で笑いながらいった。

 

「売れたよ。例の盤上遊戯」

「へえ、いくらだったんだ」

 

 ウルは渡された麻袋をもつ。割と――――いや、かなりずっしりとした重い感触に眉をひそめた。ディズは笑って答えた。

 

「金貨30枚」

「…………なんて?」

「金貨30枚」

「……聞き間違いじゃ無かったかあ……」

 

 こんな麻袋に雑に詰め込まれて良い金額ではない。

 

「こんなもん雑に渡すな、息が詰まって動悸が激しくなって死ぬ」

「流石に君は慣れても良いと思うけど。超大物賞金首稼ぎクン」

「まだ1年のルーキーでござい」

 

 ディズ曰く、それなりに信頼の出来る商店に卸そうとしたところ、そこにちょうど訪れていた複数の神官達や商人達の奪い合いが発生し、最終的に何故か臨時のオークションまで執り行われるに至ってしまったらしい。その競売の末に金額がつり上がり続けた結果だという。

 

「まあ、流石にそうぽんぽんこんな金額になることはないだろうけど……改めて凄いね、彼は」

「ウーガの厄レベルがまーた跳ね上がった気がしないでもないがな…………っと」

 

 二人でダヴィネの工房へと戻る最中、ちょうど工房から出てくる人影があった。ウーガの酒場の店主、ペリィはウルを見かけると軽く手を振る。

 

「おう、ウルかぁ。なにやってんだぁ」

「ちょっとな………ペリィは工房になんか用だったのか?」

「いやぁ、工房に頼んでた硝子のコップが出来たんだぁ。店で使う奴よ」

 

 そういって、彼は緩衝材のつめこまれた籠の中から、グラスを一つ掲げる。太陽神の光に照らされたそれは、非常に細やかな細工によって、美しく、宝石のように輝いていた。

 

「いやあ、簡単なので良いって言ったのに、ダヴィネさんが手ずから色細工までしてくれたみたいでさぁ、ラッキーだったよぉ」

 

 儲け儲け、というように笑うペリィを尻目に、ウルはディズに顔を近づけて、小さく囁いて、尋ねた。

 

「…………ディズ、幾らだアレ」

「…………材質にもよるけど、一つ金貨2…………いや下手すると3……」

「…………」

「…………」

 

 ウルとディズは顔を見合わせ、そして此方の気など知らずにのんきに笑うペリィの顔を見て、うなずき合った。

 

「見なかったことにしよう」

「そうだね」

 

 その後、ペリィの酒場にはとてつもなく美しい細工の施されたガラスのコップが利用されることとなった。勿論、物の価値なんて何も分からない連中は「よくわかんねえけどすっげえ綺麗だなー!」「うおー!これ酒いれたらすっげえ模様が浮かんでくる!かっけー!」などといって酒で赤らんだ顔で笑うばかりだった。

 時折、物の価値を理解しているグルフィンなどがとてつもない真顔になりながら、そのコップを前に石のように固まっている様子も見られたが、ウルとディズは見なかったふりに徹した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生産都市ってどんなとこ?

 

 【竜吞ウーガ生産都市化計画】

 

 という壮大なる計画が主にリーネやシズクを中心に組み立てられていた。

 目的としては単純で、事、食糧事情に関してはどうしても外部に依存することの覆いウーガが、せめて自前の食料くらいは自分達でなんとかするための計画だった。

 勿論、他の都市との交易によるつながりを軽視するわけではない。いきなり何もかもを自立させることが必ずしも良い結果に繋がるとは限らないのはそうなのだが、あまりにも自活能力に乏しいのはそれはそれで問題だった。

 

 なにせ、他の都市国とは違い、ウーガには直接的に結びついている【生産都市】が存在しないのだから。その為の計画でもあった。

 

「どう?」

 

 そして、その計画の成果のお披露目会が、ウーガの大食堂で行われていた。目の前の皿に並べられた、シンプルに塩で味付けされた肉を、招かれた一同はかぶりつき、それぞれに感想を述べた。

 

「かってえ」

「うん、かてえ、歯ごたえバッチリ」

「いやー、きついっす」

「俺は好きだな」

「貴方は食べれるでしょうけど、お年寄りとかは厳しいわ」

 

 住民等の実に忖度の無い感想に、リーネはため息をついた。

 

「まあ、そうなるわね」

 

 正直、あまり期待はしていなかった。野生化していた角豚をなんとか捕らえて、育てたものだったが、まだ試作の段階であり、「まあ、食えはするけども……」というレベルなのはリーネも分かっていた。

 品種改良も進んでいない。ぶっちゃけると、“粗野な味”であった。

 

「やっぱウーガで家畜を一から育てるのは無理があるのでは?」

「品種改良には時間がかかりますしね」

 

 リーネの部下である魔術師達の意見も、実に正論だ。研究者として軟弱な意見を言うな、といいたいが、今回ばかりは反論の余地が無い。今更一から始めるのはどう考えても非効率だ。

 

「というか、都市で食える肉が柔すぎるんすよ」

 

 と、そう言うのは、比較的、食が進んでいた【白の蟒蛇】のラビィンだった。やや、独特な意見だったので、リーネは視線を向ける。

 

「そう?そこまで柔いと思ったことは無かったけど」

「まあ、名無しの意見だわな」

 

 そこにジャインも便乗する。むしりと、歯ごたえのある肉をかじりつきながら、彼は語った。

 

「俺等は都市の外を移動するとき、野生の生き物を食ったりするが、大抵はこんなもんだったよ。もっと臭くて、えぐみのある肉も山ほど食った」

「食べ慣れていると」

「というか、だ。【生産都市】の食料が凄すぎるんだよ」

 

 ああ、と、これまた反論の余地がない意見に、リーネは唸った。

 

「人類の英知の結晶だもの。あそこは」

 

 人類全体の食料を全て支えている、まさしく要とも言える場所。高位神官でも容易には立ち入れない、高度なる技術の結晶。これまで人類が培ってきたあらゆる知識が、英知が、あそこに蓄積している。

 

「家畜も、品種改良に品種改良を重ねた一級品。そりゃ、そこでとれる肉と比べたら、野良の獣の肉なんて、固い臭い不味いでしょうね」

「粗野な味も嫌いじゃ無いっすけどねえ」

 

 名無し達には好まれているのを喜んで良いべきかは分からなかった。まあ、味の好みという者は、貴賤は無い。誰だって慣れ親しんだものを好むもの。ラビィンの賞賛をリーネは素直に受け止めた。

 

「っつーかさ、生産都市の家畜を直接融通してもらえればいいじゃん!!」

 

 そしてそこに、酷く直球の解決案が跳んできた。元【黒炎払い】、現【白の蟒蛇】のガザの意見だった。

 

「……まあ、その結論に至るのよね。業腹だけど、無駄な努力を重ねるより、賢い選択よ」

「へえ、賢いじゃんガザ、馬鹿のくせに」

「時々鋭い事いうよなコイツ、馬鹿のくせに」

「馬鹿は止めなさいあなたたち。馬鹿だけど」

 

 馬鹿馬鹿といわれ、ガザはぶち切れて喧嘩を開始したが、リーネは無視した。とはいえ、彼の意見は正しい。正しいと思っているから、今、リーネ達はその方針でも動いていた。

 

「グラドル領の【生産都市ホーラウ】と現在交渉中よ。その件で」

「え、もう話し進んでるんすか?じゃあこんな風に苦労する必要なかったんじゃないっすか?」

「上手く行くか分からないから、色々試してるのよ」

「……ん?ウーガは、グラドルの管理衛星都市っすよね?なんで上手く行かないんすか?」

 

 ラビィンは不思議そうに首を傾げる。確かに彼女の言っている言葉は正しい。ウーガをグラドルの衛星都市で、そのグラドルのラクレツィアとウーガはそれなりに密の関係だ。そして、そのグラドルの生産都市に何かを融通して貰うのは難しい話ではないように思える。

 

 が、実際のところは、そうは問屋が卸さない。

 

「グラドルは、“例の騒動”で特に生産都市は大打撃を受けた。大地の精霊の使い手が消失したことで、一気にバランスが崩れてる。立て直しで大変」

「ピリついてると」

「何年も何年も品種改良重ねた家畜なんて、秘中の秘でしょ。それを、いろんな都市国と交流のあるウーガに渡して大丈夫か?って思われてるのよ。おまけに、ウーガの管理者は、カーラーレイに縁のあるエシェル」

「……あーそりゃ大変っすね」

 

 書面での交渉では、悉くが不発だった。ラクレツィアを介してもまるで上手く行かなかった。やむなく今回は直接顔を合わせての交渉である。これでなにもかもすっかり交渉が上手く行って、きっちり家畜をゲット、なんて話になると考えるのはあまりにも楽観的が過ぎるだろう。

 

「【生産都市】の運営者達は異次元に頭が良いって話は聞いたが、そんな連中と誰が交渉に向かったんだ?」

 

 ジャインが尋ねてくる。リーネは少し遠い目になりながら、答えた。

 

「エシェル、補佐にカルカラ、ウルに――――――シズクよ」

 

 次の瞬間、その場にいる全員が「ああ……」と声を上げた

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【生産都市ホーラウ】来賓室にて

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………まあ」

 

 ウル達は、抜き身の剣を見せつけてくる武装したどう考えても神官の制服からはかけ離れた衣装に身を纏って何故か珍妙なる仮面を顔に被った謎の連中に囲まれながら、交渉を続けていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生産都市ってどんなとこ?②

 

 竜吞ウーガ大食堂

 

 リーネ達の開発した食料の試食会もそれから進んだ。が、しかし、どれにしても最終的に得られた感想は「まあ、食べれるけど……」「癖が強い」「俺は好き」というような、まあややイマイチと言って良い代物だった。都市住まいと比べてずっと雑多な味に慣れている彼らでこの評判なら、舌の肥えてる連中が口にした瞬間眉をひそめて首を横にふるような出来のものもあっただろう。

 

 実際、食品加工に携わっているグルフィンなどは「こんなものヒトが食べるものではなぁい!!」とぶち切れながら品種改良や料理研究に従事している。(比較的、「マシ」ないし「独特だがクセになる」という評価を貰ってるのは彼が手がけた品だった)

 

 リーネもいきなり大絶賛がもらえるほど侮っているわけではなかった。この評判を次の糧としよう、と、感想の幾つかを纏めていると、皆と一緒に試食会に来ていた名無しの子供達がリーネに近づいてきた。彼らは目をキラキラさせながら尋ねてきた。

 

「ねえねえ、リーネさん。【生産都市】ってどんなところなの!?」

「さあ」

「ええーいい加減ー」

 

 がっかりとした顔をされたが、こればかりはこう言う他ないのだ。リーネはメモを取る手を止めて、彼らに向き直る。

 

「都度説明してるけど、【生産都市】は本当に、高位の神官でも立ち入れない、秘中の秘なのよ。大連盟からも独立してる部分もあるから、第一位(シンラ)であっても口出しできない事もあるのよ」

「な、なんか、すっげーとこってのはわかるけど?」

「まあ、確かに銀級の依頼(クエスト)ですら、【生産都市】関連のものは殆ど無かったなあ。あっても間接的な援助ばっかだった」

 

 話しているウチに、大人の名無し達も興味深げに集まってきた。リーネは話を続ける。

 

「勿論、だからといってあらゆる特権が許されてるわけじゃ無いけどね。そんなことをすれば、食糧生産を司る生産都市が世界を支配してしまうし」

 

 とはいえ、かなり複雑なバランスで維持されているのは確かだった。そして、そのバランスが崩れて、生産都市に依存する都市群が、生産都市もろともに滅びかけると言ったケースも、過去の歴史を紐解けば確かに存在している。

 本当に、危ういバランスでなりたっているのだ。

 

「なるほど……いや、ご免、なるほどって言ったけど、あんまピンと来てない」

「良いわよ。私も似たようなものだし。その都市の管理物によって生産都市の文化そのものが全く違ってくる、なんて言われてもいるの。“こういうもの”と当てはめない方が懸命ね」

「……なんつーか、そんなとこに危険人物(シズク)突っ込んで大丈夫なのか?」

「…………流石に弁えてるでしょう。劇物(シズク)も」

 

 ……大丈夫よね?と、リーネは祈った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【生産都市ホーラウ】来賓室にて

 

「…………ウル」

「…………なんだ」

「かえりたい」

「俺もだ」

 

 ウルはエシェルをなだめながら、シズクと生産都市代表者との交渉を黙って眺めていた。

 

 生産都市から「品種改造した家畜をまるごと譲ってもらう」という結構な無茶を頼みに来たウル達一行は、ラクレツィアの案内で生産都市を訪ねていた。彼女曰く「私であっても直接命令して融通させる事は出来ません。全てはあなた方の交渉次第であることは覚悟しなさい」と忠告を受け、タフな交渉になること自体は覚悟していた。

 そしてその警告と、事前に覚悟していたとおり、交渉は酷く複雑なものとなった。ウルとエシェルにはシズクの交渉を眺めることしか出来なかった。

 

 だがそれは、彼女が卓越した話術を使えるとか、そういう話では無く、

 

「……********!!!」

「まあ」

「++++``!!***…………***!!!」

「そうだったのです、うふふ」

「****************!!!!

 

「あれ、会話通用してるのか?」

「わからない」

「まさかとは思うが適当に相づち打ってるだけじゃねえだろうなシズク」

「わからない……!」

 

 何言ってんだか分からないのである。

 ウルは、確かに人類の最先端、英知の結集である生産都市に脚を踏み入れたはずなのだが、何故か都市の中は凄まじい密林であり、そこで働く神官達は、何故か異様なる格好をしていた。上半身が裸体で腰蓑を着けて、仮面を装着し、槍を構えて、未知の言語で会話をしている。

 最初は本気で怪しげな盗賊達に生産都市が乗っ取られでもしたのかと勘違いしたものだったが、なんと彼らは本当にこの生産都市で働く従業員であり、高名なる魔術師や、精霊を従える神官でもあった。

 

 何故そんな彼らがそんな格好をしているのかは全くの不明である。

 

 そしてそんな彼らを前に何故か会話を成立させているシズクはもっと意味が不明だ。

 

「生産都市の従業員は、頭が良すぎる所為で、時折おかしな方角にアクセルを吹かせる者達もいるという話はラクレツィア様から聞いたことがありますが」

「限度がある。限度が」

 

 カルカラの説明でも理解が出来ない。いや、あるいはウル達の思考では全く想像がつかないような、とてつもない高尚な思想と理由によって彼らがあの格好をしているという可能性も無くは無いが――――いや、だとしても、今、部屋の窓の外で木の上によじ登りながら猿たちと同じような姿勢で「ホーホーホァーアア!!!」みたいに叫んでるアレは絶対違うだろ!高尚な思想とかないだろ!!野性に帰ってるだけだって!!

 

 などと、ウルが考えていると、不意に「わかりました」とシズクが頷いて、ウル達のところに戻ってきた。彼女はにこやかな笑みを浮かべている。少なくとも交渉が不発に終わっただとか、そういう顔では無かった。

 

「シズク、どうなったんだ!」

「はい。ウル様、エシェル様、カルカラ様」

「ああ」

「うん」

「なんでしょうか」

「これから、果たし合いを行うこととなりました」

「「「何故!?」」」

 

 果たし合いをすることになった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生産都市ってどんなとこ?③

 再び、【竜吞ウーガ大食堂】

 

「おー、これはいけるぞ!おい食ってみろよ」

「えーあなたってなんでもそういうじゃない?」

「あ、でも確かにこれはなかなか……香料が効いてるのか?」

「酒に合いそうだな。持って来いよ」

 

 交渉へと向かったウル達の苦労などつゆ知らず大食堂は徐々に宴会の様相に変わりつつあった。まあなにせ、試食品が大量に並んでいる。食材の味を確認するために味付けはシンプルなものもあるが、上手く処理するために手法をこらした料理も幾つもある。今回は仕事、と言い含めたが、やはり食事というのはどうしても気が緩みがちになるものだ。

 流石に勝手にペリィの酒場から酒を持ち込み始めてる者までいるのは本当にどうかと思うが、今回はリーネも注意するのを諦めた。身構えず、リラックスした状態で味わった感想ならば、嘘はないだろう。

 もちろん、見失うほどの酒は控えさせるし、きっちりレポートにはまとめてもらおう。そう思っていると、不意にまた質問が飛んできた。

 

「生産都市国独特の文化ってどんなんなんだろうなあ?」

 

 少し赤らんだガザの質問、というよりも雑談に対してリーネは肩をすくめた。

 

「とある生産都市では務めている神官は、日中の半分以上を水中で過ごす、なんて話は聞いたことがあるわね。本当かどうかはしらないけど」

「…………は?なんでなんすか?」

 

 ラビィンが話に食いついてくる。リーネは続けた。

 

「その方が、育てている魚介類の気持ちがわかるんですって。地上にいる方が違和感が強いらしいわ」

「……………………んー?」

 

 ラビィンは理解しがたいと言った表情で首を傾げた。「まあ、そういう反応よね」とリーネも納得する。

 正直噂話なので、本当かどうか定かではない。

 

「ああ、私も聞いたことはある」

 

 そう言い出したのはレイだった。そういえば彼女も元は、相応の地位の家の出身だったなと思い出した。

 

「植物たちとの対話を続けた結果、食糧として消費することに忌避感を覚えて、霞を食べて生きようとして栄養失調で倒れた神官が出たことがあるとか」

「馬鹿なんすか?」

「馬鹿となんとかは紙一重とは言うわよね」

 

 嘘か本当か、やはりコレも怪しい話だったが、妙に似たような奇抜な噂が幾つも出てくることを考えると、何もかもが適当なデタラメとは考えがたかった。

 

「勿論、極めて純粋に文化レベルの高い都市もあるらしいわよ。とはいえ、まあ、独特な文化が広まりやすい環境なのは間違いないらしいわ」

 

 外との交流が少なく、閉鎖的で、きわめて優秀な知能を有する者達の集まりだ。そして人類全体を支えるための重大な責務が降りかかるとくれば、なるほど確かにいくらかおかしな方向に跳ね跳んだとしても何らおかしくは無かった。

 

「別世界って感じだな。通常の都市国の外と中、なんて次元じゃねえや」

『まあ、ウーガに住んでるワシらが言うか?って話じゃがな!カカカ!!!』

 

 今回、超重要秘匿施設に踏み入れるには存在が怪しすぎるとして待機していたロックが笑うと、全員釣られて笑った。確かに、前代未聞の使い魔、ウーガの背中に住んでいる自分達が、他の文化圏を「変わっている」と指摘するのはあまりにも滑稽だった。

 

「そりゃそうだな。ここ以上におかしなところなんてそうそうねえだろ」

「逆に、向こうさんをおどろかせたりしてんじゃねえのか?はっはっは」

 

 そう言って酒に赤らんだ連中は笑うのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、【生産都市ホーラウ:地下闘技場・死骨楽園】にて

 

「変わってる……!!!!」

「独特って次元かあ!?文化っていって良いのかなあ!?」

 

 ウルは竜牙槍を抜き、シズクは魔術で周囲に刃を巡らせて、エシェルは鏡を展開し、カルカラは岩で創り出した大鎚を握っていた。彼らの前には、【生産都市ホーラウ】が創り出した品種改良された家畜(五メートル超の巨体であり、凶暴で、こちらをみるや襲いかかってきた)がたたきのめされている。

 

「********!!!!!!」

「~~~~~~~~~+++++++++++++!!!!!」

「************!!!!!」」

 

 そして、それを周囲の観客席から眺めてくる生産都市の住民達(多分そう、おそらく、きっと)が雄叫びを上げながら熱狂していた。彼らが怒っているのか喜んでいるのか嘆いているのかは全く判断がつかない。全員変な仮面をかぶっていたので顔がわからなかった。

 

「シズク!!私たちこれ交渉成功してるの!?失敗してるの!?どっち!?」

 

 思わずエシェルはシズクに尋ねた。

 シズクは彼女の質問に対してニッコリと微笑み、答えた。

 

「わかりません」

「シズクゥー!!!」

「三人とも、来ます」

『GAAAAAAAAAAAA!!』

 

 追加の巨大家畜が突撃を開始し、ウル達の果たし合いが再び始まった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ:搭乗口】にて

 

「おお」

「確かに見た目違う……気がする?」

「いや、適当抜かすなよ」

 

 【生産都市ホーラウ】との交渉の末、運ばれてくる角豚たちを見つめる作業員達は、唸りながら彼らを運び込んでいた。突然場所を移動させられたにもかかわらず、豚たちは酷くおとなしく誘導にしたがって動いている。

 角豚は、もう少し角が長く伸びている個体をよく見かけるのだが、彼らの角は少し短く、小さかった。ヒトに管理されることで、外敵に晒される危険が少なくなった証拠であるらしい。

 

「まあ、美味そうではある………………が」

 

 その様子を眺めていたジャインは、成果を持ち帰った最大の功労者達に視線を向ける。

 

「どうしたよ」

「「「………………」」」

 

 ウルとエシェルはぐったりとうなだれていた。何時もはどんな状況でもしゃんとしているカルカラすらも、頭痛をこらえるような表情で沈黙している。唯一、シズクだけははきはきと家畜たちの誘導を行っていたが、一体何がどうしてこうなったのか。

 

「なあ、生産都市ってどんな―――」

「暫く、その話はしないでくれ」

 

 遠慮無しに、興味本位で質問を投げつけるガザに対して、ウルは手を挙げてそれを制した。生産都市、という言葉を聞くだけで、エシェルの身体がびくりと跳ねる。ウルも、なにやら複雑な表情を浮かべながら、空を仰いだ。

 

「思い出したくないとかじゃなくて―――――説明しがたい」

 

 それからしばらく、生産都市の話はタブーとなり、代わりにウーガの食糧事情改善へと大きく進展した。

 余談ではあるがリーネ達が改善した角豚の肉も、それはそれで好む者が出てきたので、ペリィの酒場などにその肉が下ろされ、酒のつまみとして販売されるようになったのだった。

 

 それともう一つ

 

「……読めん」

 

 謎の言語で綴られた手紙がウル宛に送られるようになり、頭を抱える羽目になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邪悪をあがめる者たち

 

 邪教徒は何者であるか。

 

 その疑問は、彼らと何らかの形で敵対する事になった多くの者が抱く疑問だ。同時に全くの無意味なものであると思い知ることになる。

 理由は簡単で、彼らには全く統一性がないからだ。

 時に金銭を簒奪し、時に物資を略奪する。裏で妖しげな道具を蔓延させ、ヒト同士の関係を乱すような真似をしたかと思いきや、もっと直接的かつ決定的な破壊工作に及ぶこともある。

 

 やることなすこと一貫性が無い。

 

 そうなる理由もまた、単純だ。彼らは仲間達の勧誘に節操がないのだ。

 

 無謀な借金を背負って破滅寸前となった男を、金銭で勧誘することもある。

 家族を失い、精神を狂わせた女の心を操って、手駒にすることもある。

 市井の、本当にどうでも良いようなサークル活動が、実は邪教徒の末端な事もある。

 

 本当に、節操が無い。彼らに理念は無い。信条も欠片もない。だから教養も、能力も何もかも問わない。兎に角、仲間が増えるならそれでいいのだ。「目的」さえはたされればそれでいいのだ。

 

 そう、目的。

 唯一無二の目的、「世を乱し、壊す」という一点に限っては、彼らは同じ方を向く。

 

 彼らを探るならば、その目的だろうと【元・飴色の山猫】ミクリナは確信する。

 

 【飴色の山猫】の名を変えて、情報屋としての活動を再スタートさせたミクリナは、しばらくの間忙しい日々を過ごしていた。名前を変えるというのは大変だ。言葉にすると容易いが、要は、ソレまで培ってきた経歴を、信頼を、一度捨てると言っているに等しいのだから。

 

 とはいえ、必要なことだった。

 

 【飴色の山猫】は、その信頼とつながり故に、破滅しかかった。重すぎるコネクションは、時として縛り付けてくる鎖に等しい。多くの物を失ってでも、断ち切る必要性があった。

 結果として、規模は縮小し、何人かのギルド員も辞めていった。ギルド長のドートルは彼らにそれなりに高額の退職金を渡した。ミクリナも辞めても良かったが、結局彼女はこの仕事を続けている。

 

 金は欲しかった。

 グレーゾーンを泳ぐこの仕事は、やはりなんだかんだと金になる。

 自分のライフワークのためには、やはりお金が必要だった。

 

 邪教徒の調査。

 

 自身を誘拐し、ろくでもない細工を施した悪党どもの調査。

 復讐のためではなく、自分のような被害者を増やさないための、解析だ。

 

 ドートルからは、「徒労に終わるぞ」と警告された。ソレも分かっている。

 実際、邪教徒の集まりはかなりデタラメで、調べるほどに不毛だった。全ての邪教徒達をとりしきる黒幕とおぼしき者を調べて、見つけだしたとおもったら、全く関係のない犯罪組織が、そうとは知らずに邪教徒組織の末端を利用していた、なんてケース一度や二度では無かったのだ。

 

 だからこれは、単なる自己満足だ。その為に、彼女は今日も調査に向かう。好都合にも、あの「台無し」に近かったという魔術師に、話を聞くために。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「知らん。俺は研究で忙しい。余所を尋ねろ」

 

 現在、竜吞ウーガで働いている魔術師の一人、元【台無し】の配下の一人だったという男、ルキデウスを尋ねた。

 最近、ウーガの機関部に就職し、働いている彼から得られた答えは、まあなんというべきか、想像通りの答えだった。

 

「……貴方、一応邪教徒の末端だったんでしょう?」

「理解しているだろう。邪教徒の本質。世を乱せれば、何だってかまわない。そういう集まりだ」

 

 極端な話、彼らは“邪教徒”という集まりがなんであるだとか、どういう真実を孕んでいるだとかは、心底どうでも良いと思っているのだ。興味が無いと言っても良い。なのにわざわざ知ろうとする者は少ない。

 あの「台無し」によって集められたあの古巣は、そもそも邪教徒である自覚すら少なかったと彼は言う。

 

「それでも、「台無し」と話す機会はあったのでしょう」

「禁忌の術や技術を面白半分でアホどもに渡して面白がることを、「対話」と呼ぶならそうだな」

「本当に最悪ね」

 

 悪戯半分、面白半分。そういう本当に軽い動機の邪教徒もどきがいることも勿論知っている。人生が上手くいかなくて、なんとなくむしゃくしゃして、八つ当たりでそういう邪教徒に手を染める者は確かにいる。

 だが、誰であろう、邪教徒のトップと思しき【台無し】がそれをするのは、本当に胸くそが悪くなった。

 自分も、そんな気軽さで人生を狂わされたのだと思うと、殺意すら湧く。目の前の男にすらも。それに気づいたのか、彼は肩を竦めた。

 

「俺に殺意を向けるのは辞めて貰おうか、あのアホどもの凶行に関わっていたわけではない。時間の無駄だったからな」

 

 実際、自分も巻き込まれたウーガの大騒動の折、一度捕まり取り調べを受けている。その結果、明らかな邪教徒の悪行に協力したケースはほぼ無かった事が判明し、また、その後の調査でも協力的だったため、彼は釈放され、働いている。

 勿論、関わっていると言うだけでも問題であるかも知れないが、それを言い出すと自分だってヒトの所業を咎められる様な立場では無かった。

 だが、口出しせずにはいられなかった。

 

「止めもしなかったのでしょうに」

「その点は言い訳の余地も無い。それを理由にしたいなら、やってみるといい」

 

 次の瞬間、彼の周囲で魔力が渦巻いた。勿論、自分の【消去体質】には単純な魔術の類いは通用しない。だが、それは彼も承知だろう。優秀な魔術師であるという話は聞いている。

 その彼が自分の体質を見抜いていないとは思えない。そして、そういった相手に戦えないわけでもないだろう。

 

「……やめておくわ」

 

 ミクリナは呼吸を整え、肩の力を抜く。別に自分は、邪教徒に携わる何もかもをメチャクチャにしたいわけではないのだ。それでは、連中と同じなのだから。

 すると、向こうも殺意を解く。そして再び研究へと視線を戻した。ミクリナは近くの机に謝礼金を置くと、そのまま部屋を出ようとした。

 

「台無しが“根幹”に近かったのは疑いようが無い」

 

 だが、去ろうとする背中に、声がかけられた。それが気まぐれなのかなんなのかわからなかったがミクリナは足を止め、振り返る。

 

「無節操に膨張した結果、分かりづらいが、お前の言うとおり、「目的」が一貫している以上、根幹はある。「台無し」は間違いなくそれを知っていた」

「……」

「無論、我々のような“玩具”にそれを教えるつもりは無かっただろうがな…………ハッキリしているのは」

「それは?」

 

 彼は、何か得体の知れぬものを語るような、愉しげな表情で言った。

 

「この邪教徒という組織を始めた者達は――――よっぽど、この世界が憎かったのだろうなと言うことだ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 情報の集まりは、まあ、想像の通りだった。

 

 ミクリナはこれまでだって、邪教徒の中核に近かった者達に接触してこなかったわけではない。彼らから話を聞いたことは何度もあった。しかし結果は、今回と似たようなものだ。

 だから、期待はしていなかった。そして、覚悟も決まった。

 

「結局、当人に話を聞かなければ意味は無いか」

 

 彼女の視線の先には巨大なるバベルの塔があった。

 太陽に近づくことを許された唯一の塔。しかし、ミクリナが目指すべきはその頂上では無く、逆だ。

 

 地下深く、自分と、自分の家族を地獄にたたき込んだ元凶【台無しのヨーグ】がいる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邪悪をあがめる者たち②

 

 螺旋図書館の地下深く、そこに自分がたどり着けるかどうかは正直なことを言えば怪しかった。そこを管理するのは希代の魔術師グレーレであり、そして自分の体質はあくまでも魔術の類いを無効化する力しか無い。

 迷宮よりも遙かに複雑な魔窟なのだ。

 

「あら、こんにちは。よくきてくれたわねえ」

 

 だから、あまりにもあっけなくこの場所にたどり着けてしまったのは、自分の潜入技術故とはとても思えなかった。無数の封印術式によって拘束されているこの邪悪なる女が、自分を此所へと誘った結果だとミクリナは理解していた。

 

 それを承知の上で、ミクリナは尋ねた。

 

「……私のことを覚えているか」

 

 浅黒い緑の髪、少女と言っても良いような若い女。捕まったときは首が跳ね飛ばされたと聞いていたが、今の彼女には身体があった。しかし首から下は無数の封印札によってグルグルに固められて、身じろぎ一つ取れぬように封じられている。その状態で彼女は牢獄の中で嗤っていた。

 その姿に哀れみは覚えなかった。異様な嫌悪感が次々と湧き上がってくる。

 

「覚えてるわよ?()()ちゃんでしょう?」

 

 ミラ、というのは自分の本名だった。もう何年も前のことだったが、彼女は自分のことを覚えていた。かつて家族もろともに、都市間の移動中だった自分たち一団をまるごとに捕らえて、全員一人残らず禍々しい実験の材料にした邪悪。

 自分だけが生き残り、他の皆は悲惨な姿となって死んだ。ミクリナは嫌悪と憎悪を押さえつけるのが難しかった。大きく息を吐き出しながら、彼女はゆっくりと問うた。

 

「【消去体質】上手く機能していてよかったわ。大変だったのよ?貴方に定着―――」

「【邪教徒】、お前達の目的はなんだ」

「なんだったっけ?」

 

 蹴りつけた。鉄格子の間には指を突っ込んだ瞬間、攻性魔術が迸る仕組みだったが、ミクリナには通じなかった。小人の体軀でも届く所に顔面があって、助かった。

 

「ひーどーいーわね、鼻血出ちゃった」

 

 ボタボタと流れる自分の血を見て、ヨーグはやはり嗤う。何でも無い、というようだった。まあ、そうだろうなとは思う。真っ当な生物としての反応を期待なんてしていなかった。

 

「何かを得ようとするでもなく、ただただ周囲を害そうとする目的はなんだ」

「皆が皆、思い思いに世界を壊そうとしているだけよ?」

「お前もそうだと?」

「違うわよ?」

 

 もう一度殴ると、ヨーグはゲラゲラと嗤った。やはり会話が通じると思ったのは間違いだったか。だが、そう思っているとヨーグは、何かを思い出すように虚空に視線を彷徨わせながら、言葉を吐き出した。

 

「私はねえ…………―――――ああ、なんだったかしら」

「貴様」

「ふざけてるわけじゃあ、ないのよ?」

 

 ヨーグはこちらを見る。

 

「ながあぁぁぁあいこと、生きてきたわ。無理矢理、ねえ。おかげで、頭がぼんやりするの。ああ、でも一つだけ、ハッキリしてる」

「何が―――」

「かわいそうなの」

 

 ぽつりと、ヨーグが言った。

 

「こんな救いようのない世界で、真っ当でいようとするなんてかわいそう。かわいそうだよ。だから、せめて救いをあげたいって、そう思うの」

 

 その表情にあったのは、慈悲と慈愛だった。

 哀れみ、慈しみ、涙を流しながらそう訴えている彼女の姿にミクリナは戦いた。壊れている。わかっていたつもりだった。自分の人生をメチャクチャにしたような女のだからそうなって当然だと想っていたが、しかしそれにしたって、何故にここまで壊れているのか。

 こんな有様になってまで周囲に害をもたらそうとするコイツラはなんだ?

 

「何なんだお前たちは…」

「だから思い出せないって言ったじゃなあい…………ああ、でもまってね」

 

 ぴたりと、涙を流すのをとめて、不意に首を傾げる。

 

「……もう少しで思い出せそう、かも?」

 

 言葉を待つ。だが、そうしていく内に、カツン、カツンと、地下に足音が響いた。ミクリナはギョッと身体を翻す。近くに来ていたことに気づかなかった。ヨーグの言動に惑わされすぎていた。そして自分は言い訳の余地もない不法侵入者だ。

 

 どこかに身を隠さなければ、と、そう思うよりも速く、その者は姿を現していた。

 

「ま、さか……!」

「あら、王様――――」

 

 偉大なる王

 天賢王アルノルド・シンラ・プロミネンスが姿を現した。何故ここに?たった一人で?彼もこのヨーグを知っているのか?そんな様々な疑問が頭を過って動けなくなっている間に、天賢王は動いた。

 

「【天罰覿面】」

 

 右の拳を握りしめ、振り上げる。輝く巨大な巨神の腕が地下牢に出現した。それはまっすぐに、こちらを睨み付けている。バベルの塔の秘中とも言えるこの場所に無断で入ってきた自分へと向かって。

 

「……!!」

 

 身体を庇うが、無意味だろう。あらゆる災害から都市を守ってきた神の御手から、逃れる術も無い。ミクリナは観念して、自分が粉みじんになるのを待った。

 

「あら、おっしい」

「え!?」

 

 だが、拳は自分にはたたき込まれなかった。自分の後ろ、背後に迫っていたモノ。密やかに、壁を伝うようにしてヨーグの身体から伸びた影、その触手を、王の手は粉みじんに叩き潰したのだ。

 それを見て、ヨーグは悔しそうに言った。

 

「もうすこしで、この子をもういっかい、台無しに――――」

「沈め」

 

 そして、再び激しい音が鳴る。ヨーグのいた場所に拳がたたき込まれ、血だまりが出来ていた。ピクピクと肉塊が痙攣している。まだ生きているのだろうか。

 

 そして、状況を理解できた。不敬にもバベルに侵入した自分を、王は守ってくれたのだ。

 

「あ、あの、わ、私、は」

 

 お礼を言うべきか、逃げるべきか、判断に困った。だが、この地下牢の中にあっても眩く輝いて見える王は、こちらの様子を暫く観察した後に、踵を返した。

 

「来なさい。此処は危険だ」

 

 ミクリナには、それに従う以外の選択肢は無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「休暇はどうだった」

「…………」

 

 無言でいるミクリナに対して、ドートルはため息をはいた。彼は自分の休暇中の行動をおおよそ把握している。まあ、まあ、ロクなものでは無かったのだろう。と、すぐに想像できたのだろう。

 

「言っただろう。徒労と。これ以上不必要に命を危険に晒すのはよせ」

 

 実に真っ当な忠告だった。しかし、ミクリナは首を横に振った。

 

「いえ、そうでもありませんでした」

「……ふむ?」

 

 そうではなかった。

 今回に限っては無駄な徒労ではなかった。

 

 ―――帰りなさい。今日のことは忘れるように。そしてもう、戻ってきてはならない。

 

 あの後、本当に何事も無かったかのようにミクリナはバベルの塔の地上部まで戻された。いくつかの魔術による検査と確認、そして口外禁止の制約を受けただけだ。悪辣で不敬なる侵入者に対しての境遇としては異様だった。理由を尋ねると「バベルの存在しない場所に入ってはならないという法は無いからだ」などと、冗談なのか本気なのか天然なのか分かりかねる回答が帰ってきた。

 

 ―――邪教徒とは、一体何なのでしょうか。

 

 咄嗟に、ミクリナは尋ねた。

 不法侵入した上で助けられて、挙げ句の果てに質問をぶつけるなんて、厳しいと名高い天剣でもいたら確実に殺されるだろうという気がしたが、もうなるようになれという気持ちだった。

 

 ―――言えぬ。すまない。

 

 返ってきた答えは、誠実だった。はぐらかすわけでも無い。無視するわけでも無い。ただ、答えられないからそう言ったのだと分かった。こんな自分に対しても、王はどこまでも誠実だった。

 

 ―――何故知りたい。

 ―――私のような者が、あのような者が、もう出ないで欲しい。それだけなのです

 

 だから、正直にミクリナも答えた。

 

 ―――私もそう願う。だから、今少し待っていて欲しい。

 

 そう言って、子供を相手にするように自分の頭を撫でる王は、父に少し似ていた。

 

「さて、仕事だが、どうする。小間使いのようなものばかりだが」

「……世間に、多少は貢献できる仕事があるなら、それを」

「…………殊勝なことを言うな」

 

 ドートルは少し奇妙な顔になった。だろうな、と思う。邪教徒から助け出されてから、割とミクリナはこの世界に対して敵対的だった。自分の家族を救ってくれない国に対しての、敵意もあった。邪教徒のようにならなかったのは、自分の家族を殺した彼らのようになりたくないという嫌悪でしかなかった。

 

 だが、それが今は少し薄れていた。

 

「今は、そういう気分なだけです」

「よろしい。では白銀殿から回された仕事が幾つか―――」

「それはいやです」

 

 何はともあれ、ミクリナは仕事の日々に戻った。

 そしてそれ以降、自分自身を蔑ろにするような無茶な仕事は、彼女も避けるようになったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スーアの休日

 

 

 天祈のスーアの朝は早い。

 太陽が昇ると共に目を覚ますと、従者達と、手すきの精霊達によって身支度をしてもらう。それが済むと、バベルの塔の【祈祷の間】にて祈りを献げる。バベルにその魔力を収納めるのだ。多くの都市民達と同じ義務をこなした後も、スーアの仕事は終わらない。無数の精霊達と交信を行い、その力を都市運営に必要な場所へと分け与えていく。

 生産都市を主とした、都市運営に必要なだけの力を分けて、振るっていく。

 人類の生存圏を維持し続ける為の必要な処置だ。とはいえ、無論スーア無しでは都市維持が困難な構造では、破綻は見えている。その為、定期的に複数人の高位神官がスーアに代わって精霊達との交信を行う日がある。

 

 今日はその日だった。つまり、休みだ。

 

 無論、珍しくその日は午後からしっかりとしたお休みの日だった。さて、どうしようか、と、スーアは考えた。そして、

 

「外へ遊びに行きましょうか」

 

 そう発言した瞬間、スーア達の背後で従者達が即座に立ち上がり、そして身構えた。あからさまな臨戦態勢に入った。その内の一人が進み出て、ゆっくりと手を上げた。

 

「スーア様、外へ、ですか?」

「止めた方が良いです?」

 

 スーアは尋ねる。彼女たちがそうした方が良いと言うのなら、やめておこうとは思う。先日も「あまり従者達を心配させないように」と父から言われたばかりだ。とても残念ではあるが、仕方の無いことだ。

 すると、スーアの表情を見た従者は、凄まじく悩ましそうに顔を歪めたあと、なにかを決意したかのように頷いた。

 

「……いいえ、スーア様は日々、我々では計り知れないほどのとてつもない責務を果たしています。友人と遊ぶくらいの事は、許されても良いはずです」

「そうですか?」

「ええ、そうです」

 

 従者は頷く。スーアは喜んだ。そういってくれるなら、安心して遊びにいこう。

 

「ただできれば転―――」

「いってきます」

 

 次の瞬間、スーアは転移した。

 従者は全員、頭を抱えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜吞ウーガ】、ウルの自宅

 

 半ば、ギルドハウスと化しているウルの自宅には、今日も来訪客が来ていた。と言っても、大体いつもいるシズクに、今日は時間が合ったのでアカネと共にやってきていたディズの4人で、比較的静かな時間を過ごしていた。

 

「皆様、お茶でも煎れましょうか」

「あー……頼むわ。助かる」

 

 シズクの提案に、グリードの迷宮資料を眺めていたウルは頷く。なんともまあ、穏やかな時間が流れていた。

 

「遊びに来ました」

 

 そこにスーアが転移してきて、穏やかな時間が終わった。

 

「アカネ、一緒に遊びましょう」

《えーよー》

 

 アカネが即答し、ウルは頭を抱えた。えらいことになってしまった。

 ディズは真顔で固まり、シズクは「5人分のお茶を煎れて参りますね?」と、実に爽やかな対応をしてウルに目配せした。どうやらプラウディアへの連絡はシズクが受け持ってくれるらしい。それは助かる、が、ソレでこの後どうしろというのだ。

 比較的慣れている可能性あるディズに目配せすると、彼女も首を横に振った。ちょっと目が死んでいた。

 

《なにする?》

「友達あまりいたことがないのでわかりません」

《そっかー。しょーがないわねー》

 

 ウルが機能停止している間に、二人の会話はぽんぽんと進んだ。ウルもディズも絶対にこのままでは不味いと言うことは理解していたが、まるで口を挟む隙は無かった。

 

《わたしがあんないするのよ!わたしもあんましらんけど!!》

「すごいです」

 

 スーアは拍手した。えらいことになった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ生産区画、食糧研究室。

 グルフィンは今日も食糧加工に頭を悩ませていた。幸いにして、質の良い家畜を獲得出来た為、ウーガの食糧事情に希望の光が見えてきたモノの、家畜を殖やして、安定供給するにはまだ時間がかかる。それができたとしても、万事解決するかと言えばそうでもない。

 ヒトは肉のみで生きるにあらず。生産都市から何もかも渡された訳では無い。彼は現在、野菜や果実、麦などの様々な品種改良に頭を悩ませていた。

 神官の訓練は本当にいやいやだが、食糧改善に関しては彼は積極的だった。何せ、自分が食べる食事が向上するのだから。そんなわけで彼は割と積極的に仕事をこなしていた。

 

 とはいえ、不満もある。なにやらしょっちゅう遊びに来て、つまみ食い……ならぬつまみ飲みをしてくる不届き者がいる。そう言っている間に、部屋の入り口からガタガタと音がした。グルフィンはため息をついて振り返った。

 

《おっちゃーんあそびにきたでー!》

「だれがおっちゃんだ!相変わらず無礼な―――」

「遊びに来ました」

「―――――…………」

 

 メチャクチャ見覚えのある子供が部屋に入ってきた。ちょっと光ってる。浮いてる。

 

「少し見させてもらって良いですか?」

「ハイ」

 

 グルフィンは少しシュッとなって頷いた。何が何だか分からないが現状がとてつもなく不味いことだけは分かっていた。

 

「此所は何をしているのでしょう」

《ごはんけんきゅうしてるとこー》

「ごはん、なにか食べてみたいです」

《わたしはジュース!》

 

 キャッキャと楽しそうにする二人を追ってきたウルと勇者は、グルフィンの方をむいた。ディズは、ゆっくりと、優しく微笑みを浮かべながら、グルフィンに語りかけた。

 

「お仕事中申し訳ない、グルフィンさん。用意してくれるかな?謝礼はするから」

「ハイ」

 

 シュッとなったまま、グルフィンは頷いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ機関部。

 

「…………ふむ」

 

 リーネはウーガ機関部に保管されている“腕輪の聖遺物”を睨みながら、悩ましそうに声を漏らした。聖遺物、精霊がもたらした道具は、通常の魔道具とは大きく異なる。精霊の奇跡を、ヒトの手で使うことが出来る代物だ。勿論、精霊そのものの力と比べればいくらか小規模になるが、それでも十分に人知を超えている。

 以前の騒動で手にすることや管理することとなった聖遺物の一つは、大地の精霊の力が込められている。重力の操作を行えるその力は、やはり魔術の性質からは逸脱している。使用者の精神に反応し、自由に力を発動する。

 

 やはり、強力な力だ。しかし、それは不安定でもあった。

 

 盗人達が私的に利用する分には何の問題も無かったのだろう。しかし、ウーガで活用するにはやや、出力が不安定なのは問題だった。制御方法が必要だった。

 

「【大地の王腕】起動開始」

 

 強固な硝子の中で、聖遺物が輝きを見せる。計測される力を部下達が記録する。出てくる数字を確認し、リーネは頷いた。

 

「まあ、悪くは無いかしら」

「問題は、やはり出力でしょうか」

「かなり年代物の聖遺物だということですからね。単純に出力が落ちているのかも」

「あまり不敬なことは言わないように」

 

 聖遺物を安定化させるための実験は、徐々に成果をもたらし始めていた。とはいえ、まだ出力が足りない。この安定性を維持したまま、いかに出力をあげられるかが、課題の一つだった。

 上手くいけば、ウーガに新たなる機能をもたらすことが可能かもしれない。とはいえ、今のままでは机上の空論でしか無いが―――

 

《おー、かっくいーなー!》

 

 と、そんなことを考えていると、来客がやってきた。そっと、部下達に合図を送りながら、リーネはアカネに微笑みを浮かべた。

 

「アカネ様、ここに入ってきては―――――……」

「聖遺物ですね?」

 

 そして停止した。

 白くてふわふわしてて此処にいてはならない人物が此処にいる。

 

「…………はい、その通り、です、スーア様」

 

 ぎくしゃくしながら言葉を返す。先ほどうっかり精霊に対して不敬な発言をした部下は、顔を青くしたまま息を殺してじっとしていた。正しい判断だった。

 

「なにか、問題があるのです?」

 

 此処に貴方がいることが最大の問題点ですが、とは流石に言えなかった。

 

「安定した聖遺物の運用を試しているのですが、出力がやや足りず。いえ、無論、聖遺物に差し支えがあるわけではないのですが」

「なるほど」

 

 正直に答えると、スーアは頷く。そして、保管されている【大地の王腕】へと手をかざす。元々さび付いて、どこか色褪せているようにも見えた腕輪は、その瞬間、纏わり付いていたさび付きなどが一気に取り払われ突然輝かしく煌めき始めた。

 

「コレで大丈夫だと思います」

「―――スゥー…………ありがとうございます」

 

 リーネは感謝を告げた。深く考えないことにした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スーアの休日②

 竜吞ウーガ、ペリィの酒場にて。

 

「おう!ロック!今日こそは負けねえぞ!!」

『カカカ!まーた負けにきおったカ!!』

 

 訓練や仕事を終えた者達で何時もそれなりに賑わっているその酒場の一角で、一際に元気の良い声で騒いでる連中が存在していた。ウーガを守護する【白の蟒蛇】の面々と、それに相対するシズクの使い魔、ロックが向き合っていた。

 彼らがどういう集まりかと言われれば、賭け事好きの集まりであった。といっても、実際の金銭のやりとりではなく、その日の酒代をやつまみ代を誰が奢るか程度の軽いゲームの集いであった。(ガチの賭けはケンカになって物が壊れやすいからと店主のペリィが禁じている)

 

 とはいえ、賭けは賭けだ。中々に熱中しやすい彼らの狂乱が今日も始まった。現在、もっとも勝ち数の多いロックに、最も負け越している小人の男は珍妙なポーズを取りながら挑みかかった。

 

『で、なにするんじゃい』

「カードはやめとけよー。どーせおまえ弱いんだから」

「駆け引きクソ雑魚だもんなあ」

「うるせえ!今日はコイツで勝負だ!!」

 

 無数のヤジが飛び交う中、男が取り出したソレは、テーブルの半分以上のサイズで、幾つもの絵図や数字が書かれた大きめの用紙だった。

 

『おお?なんじゃあ盤上遊戯か?』

「双六の類いかね?どんなルールよ」

 

 簡単な盤上遊戯程度なら彼らも知っているし、やったこともあるが、それは彼らの知るものと比べてより大きく複雑に見えた。用紙と一緒に専用の駒のような物まであるのを見ると、安物ではあるまい。

 そんなものをわざわざ持ち出した男に視線が集まる。すると小人の男は自信満々に断言した。

 

「ルールは俺もよく知らん!やったことないからな!!」

「お前なあ……」

 

 【白の蟒蛇】の古株の男は呆れた声を上げた。ほかの仲間からもそんな風に後先考えずに散財して賭け事ばっかやってるから金がたまらんのだ、という無言の視線が彼に突き刺さった。

 

「この前ウーガに来てた【暁の大鷲】から買った。最近流行ってるゲームなんだと」

『ほーん、まあ面白そうじゃが、やってみんことにはわからんのう?』

「ククク、そうだろう。触ったことのないゲーム、骨爺にアドバンテージはない!」

「いや、おめーもやったことねえなら同じじゃねーか」

 

 まあつまるところ初見殺しで勝ってやろうという魂胆なのだろうが、だったら事前にルール把握しておけよと仲間達は呆れたが、そういう風に、変に詰めの甘いところが彼の愛嬌でもあった。

 

『まま、ええじゃろ!カカカ!かかってこい!』

「年貢の納め時だジジイ!!」

 

 こうして二人は向かい合い、

 

「わたしもやりたいです」

「え?」

 

 そこにスーアが参戦し、

 

《わたしもー!》

『うん?』

 

 アカネが飛び入り参加した。

 

 最終的に行われたゲームの勝者はスーアとなり、ペリィから氷菓子が贈呈され(普段のソレと比べてめちゃくちゃ大量にトッピングされていた)、スーアはご満悦と相成った。尚、余談ではあるがゲーム購入者の小人は最下位であり、泣いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜吞ウーガ中央噴水近辺、公園にて

 

「此所は何でしょう?」

《こうえんよ!》

「子供がいますね」

 

 名無しの子供達が集う憩いの場に、スーアとアカネはやってきていた。名無しの子供達がはしゃいで、備え付けの遊具をグルグルと元気いっぱいに駆け回っていた。その内子供達の何人かが、アカネたちに気づいたのか手を振ってくる。

 

「アカネだ!」

「アカネちゃん!一緒にあそぼー!!」

《ともだちよ!》

「アカネは凄いですね」

 

 自分には友達はあまりいないが、アカネにはいるようだ。自分のようにかなり特殊な事情を抱えているにもかかわらず、受け入れてくれるヒトが多いのは素晴らしいことだとスーアは感心していた。

 すると子供達は、自分にも関心を向けてきた。

 

「だあれ?」

「スーアです」

「スーア、すげー!天祈様とおんなじ名前だ-!」

「おなじです」

 

 同じなのだから同じだ。しかしその意味を理解してないのか、「すごいすごい」と子供達は楽しそうにはしゃいで、スーアとアカネを自分たちの遊び場に引っ張っていく。

 

「よっしゃー鬼ごっこしようぜ!」

「どうするんです?」

「しらねーの!?」

《おしえたげるのよ!》

 

 そうして、子供達と一緒にはしゃぎ廻る。途中、スーアがふわふわと浮くのはズルだと言われたので、足で走ることにした。すると今度はスーアがあまりにも走るのが遅くてよく転んだのですぐに捕まった。次にかくれんぼをしようとしたが、スーアはよく光るのですぐに捕まった。

 色んなゲームを試みたが、スーアは何度も最下位になってしまった。

 

 だけど楽しかった。なのでスーアは良しとした。

 

 

 

 

 

 

 

「あの、あの、ウルさん。ディズ様」

「言いたいことは分かる」

「ふ、不敬罪とかでしょっぴかれませんかね、うちの子達」

「大丈夫だよ。うん、流石に」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウル宅にて帰宅する頃には、時刻は夕方頃になっていた。

 

「たのしかったです」

《よかったなー》

 

 そろそろ夕食の時間である。「バベルから、そろそろお戻りくださいとの連絡を受けております」と言われたので、名残惜しいが帰る必要があった。

 背後ではウルとディズがグッタリとした表情で座り込んでいるが、二人も遊び疲れたのだろうか。

 

《つぎいつあそぶー?》

 

 するとアカネがそう尋ねてきた。スーアは不思議そうに首をかしげる。

 

「次です?」

《あそぶってそういうものよ?》

 

 なるほど、遊びとは、次の約束をするものなのか。

 スーアは当然ながら、同世代、近い年齢の子供と遊ぶ機会は殆どなかった。従者達は自分のために自由な時間を用意してあげようと苦心してくれる事はあったが、友達までは用意してやることはできない。

 だからアカネの言葉は新鮮で、嬉しかった。

 しかし、スーアは少し考えるように首をかしげる。

 

「なかなか暇になりません」

《じゃあしょーがないわねー》

 

 すこし、申し訳ない気分になっていたが、アカネはあっさりと引き下がった。その気軽さを含めて、そういうものなのかもしれない、

 しかしそれはそれで少し寂しかった。なので、

 

「こんどはアカネが遊びに来ます?」

《ええの?》

「はい」

 

 誘うと、アカネは楽しそうに飛んだ。

 

《ぎょくざとかすわりたい!》

「いいですね」

「「それはやめよう」」

 

 二人からその提案は全力で止められたが、遊ぶ約束は取り付けた。それもまた初めての経験であり、今日は様々な事を知って、体験することが出来た充実の休日となったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

女王様の結婚事情

本日は二話投稿でございます


 

 

 竜吞ウーガの女王、エシェルの立場は酷く複雑だ。

 

 立場上は、彼女は衛星都市の管理者、即ち第一位(シンラ)相当の地位にいる。ウーガがグラドルの属国、衛星都市国という立場にある以上、そうなる。しかし彼女自身は第四位(レーネ)の官位である。

 それは、前のグラドルの支配者であるカーラーレイ一族の無茶苦茶な采配の影響、負の遺産ともいえる。本来まかり通るはずのない人事が行われてしまった結果だった。

 取り急ぎ彼女の官位を第一位、ないし第二位へと昇格させる方針で話は進んでいるのだが、まだ時間がかかる。独立したラーレイ家がいきなり第一位に昇格させる特例をどのように設けるか、検討がなかなか進んでいない。

 

 結果、第四位の都市支配者という奇妙な存在が誕生した。しかも彼女は正規の鍛錬を積んだ神官ですらない。ウーガという前代未聞の都市国、その特異点の象徴となってしまっていたのだった。

 

 そんなわけで、各都市国との会食(パーティ)が行われると、必然的に彼女の周りにはヒトが集まる。

 

 純粋にコネクションを築きたい者もいれば、彼女自身に興味をもった野次馬根性の者もいる。低い官位でありながら都市を支配する不届き者と嫌悪を剥き出しにする者もいれば、侮って、彼女を取り込んでウーガを支配しようなどと目論む者までいる。

 

 彼女は注目の的だ。

 そして困ったことに、エシェルはこの手の会食に全く慣れていない。

 

 過去が過去だ。真っ当な官位の教育がすっぽりと欠落してしまっているが故に、彼女には経験も知識も無い。勿論、賢明に学習を続けているが、ここまで複雑怪奇になってしまった彼女の立場と、それを利用しようと目論む百戦錬磨の老獪達を相手取るにはまだまだ全く経験が足りない。

 

 結果、会食などの時はフォーメーションが形成される。

 

 メンツにもよるが、シズクとカルカラを中心に、リーネやレイ、時にディズなどが彼女を中心に集まって、エシェルに近づく者達を、的確にいなして、時に応対することで彼女に近づけまいとする、防御壁を造ったのだ。つまるところ、彼女に直接接触させずに、ボロを出させないようにとする苦肉の策なのだが、なんとかそれで乗り切っていた。

 

 だが、弊害、といって良いかは不明だが、このやりとりを続けた結果、エシェルにはさらなる風評がつきまとうこととなった。

 

 深紅のドレスを身に纏い、意味深に微笑み、誰も近寄らせない高嶺の花。女王の玉座から、グラドルを含めたあらゆる国々を翻弄する女。カーラーレイの血筋を引きながらも、その壊滅から逃れ、遺産の全てを簒奪した姫君。

 

 恐るべき、竜吞みの女王、簒奪女王エシェルと。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【衛星都市リッカ】パーティ会場 貴賓室にて

 

「づーかーれーだあああ!ウルゥゥウ……!!!」

「はいはいよしよし」

 

 そんな女王が、灰の英雄相手に駄々をこねながら情けの無い顔でくっついている光景を見たら、世間はどう思うだろうか。まあ、間違いなくロクな想像はすまい。

 本日彼女のバリケードを担当していたレイはやや苦い顔になった。少なくともこの光景は絶対に外部の者達に見せてはならないと決めた。

 

「というか、めちゃくちゃぐいぐい来ようとする奴らもいて、アイツら何なんだ!」

「貴方に近づいて、あわよくば結婚しようって輩でしょう?」

 

 同じく、今回のバリケード役だったリーネが答える。確かにそういう輩の姿は見受けられた。確かに、エシェルと結婚すれば、ウーガという巨大移動要塞都市との繋がりは一気に深くなる。それを狙おうという輩が増えるのは必然の流れだった。

 

「え、嫌だ」

「即答」

 

 が、当人はこの有様である。

 

「ですが、女王の年齢的に、そろそろそう言った話を進めてもよい頃合いかと」

 

 一応現在、彼女の臣下としての立場にいるレイがそう忠告すると、女王はそのままウルに思い切り抱きついて、真顔で断言した。

 

「ウルと結婚する」

「おお……」

 

 外に漏れたら危険な発言が次から次に飛び出してくるのでレイは軽く目眩を覚えた。

 

「まあ、黄金級になったら出来る…………のか?」

 

 一方で、そんな大胆なる告白を聞いてた当のウルはといえば、それほど動揺しているようには見えなかった。ぐりぐりと押しつけてくる彼女の頭をソファの上で撫でながら、のんきに首をかしげた。

 

「微妙なところですね。イレギュラーとイレギュラーがくっつくとなれば、どういう不要な問題が起こるかわかったものではないです。場合によっては、ストップが入るかも」

「別に表立って結婚できないならそれでいい。ウル以外誰とも結婚しない」

 

 カルカラが補足するが、それでも彼女は一切ぶれなかった。ウルにのしかかるようにしながら、彼の顔を見つめて、ハッキリと断言した。

 

「傍にいられるなら、奴隷でもペットでも構わない」

 

 彼女の目は据わっていた。ウルはそんな彼女に動揺することもなく、「そうかい」と頭を撫でた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「想像以上にヤバい関係ね。貴方たち」

「大分マシになったんだけどな、これでも。普段は落ち着いてるし。今日はかなりストレスもたまってたんだろう」

 

 それから暫くした後、疲れていたのだろう。エシェルはウルの腕の中で眠ってしまった。彼女を起こさないように膝枕するウルはそんな彼女にも慣れた様子だったが、途中からウーガに加わったレイには慣れないところも多かった。

 

 ウルと女王の関係には未だにつかめないところが多い。女王の好意はあまりにもあけすけ直球だが、どちらかというとわかりにくいのはウルの方だ。

 

「本当にする気あるの?彼女と婚姻」

「エシェルを守るのに必要ならそうするが」

 

 試しに問うてみると、ウルはウルで即答した。

 

「そういう覚悟はあると」

「どうあれ、そうすると決めたからな。翻さんよ」

 

 まあ、こういう男である。一度決めたら断固として半端な所業はしない。だからこそあの砂漠も越えられたのだろうが、しかしこういった方面でもその性質に変化は無いらしい。

 とはいえ、多くの問題が見え隠れするエシェルの結婚だ。そう簡単に決めて良いものではないとおもうのは、元々自分が天陽騎士だったからだろうか、と、レイは少し悩ましげにため息をつく。

 

「貴方は良いの?女王の身内なのでしょう?」

 

 カルカラに確認すると、彼女は平然とした表情で頷いた。

 

「私は、彼女の願いを果たすだけです」

「なんというか、極端な意見ばかりね。貴方は?リーネ」

「……まあ、色々思うところもあったけど、いいんじゃない」

 

 白王陣に関わらなければ常識的なリーネも、今回は自分の味方ではなかった。

 

「一応、貴方は真っ当な官位持ちでしょうに。忌避感とか無いわけ?」

「彼女の事情はある程度聞いてるでしょう」

 

 リーネは肩を竦め、眠っているエシェルを見つめた。その視線は優しく、労るようでもあった。

 

「親兄弟姉妹の意向に従って必死にやって、その結果全部から裏切られたのがこの子よ」

 

 彼女の事情は確かに断片的に聞いている。様々な陰謀に翻弄された結果、血族の大半が死亡する等という壮絶極まる境遇を経て、今の状態にあるという話も。

 

「世界はこの子を守ってはくれなかったのだから、その世界の常識とやらを無視する権利はあるわよ。少なくとも、真っ当に守られて育った私が常識を武器に殴りつけるような真似、しちゃいけない」

 

 彼女の言うことは、理解できないわけでもなかった。

 自分もどちらかと言えば、社会の常識、世間に守られなかった側だ。勿論だからといって邪教徒の様に闇雲な復讐を仕出かそうなんて考えることは無いが―――なるほど、苦言を口にしてはいたが、彼女がウルと結婚するようなことになった時のことを想像してみても、自分の中に忌避感は皆無だった。

 

「はぐれものばかりね。ウーガは」

「貴方もね」

 

 そう言われて、しっくりきて、落ち着いた。開き直りとも言うが、彼女がどういう選択をした後でも、彼女を守るのが自分の仕事だという割り切りを得た。

 まだ、此所に所属して短いが、居心地はよい。良くしてくれる場所に報いたいと思うのは人情だろう。

 

 と、そう思っているとノックが聞こえてきた。扉が開くと、レイの上官に当たる大男が顔を見せた。

 

「ジャインどうした」

「女王は……寝てるのか、まあその方が良いな」

 

 彼はエシェルの姿を見て少し安堵したように頷く。

 

「……エシェル関係?」

「ラビィンから連絡が来た。第二位のボンボンがウーガに押しかけてきたんだよ。竜吞の女王と結婚してやってもいい、ってすっげえ上から目線でな」

 

 その場にいる全員が顔を見合わせる。タイムリーな話題、もといトラブルだった。

 

「どう対応する?適当に追い散らすだけなら、塩でも撒いておくが」

「女王は、そこの英雄以外と結婚する気は皆無みたいよ」

「んじゃ、情け容赦なく砂糖《シズク》けしかけるかね」

 

 レイの言葉に、ジャインは即座に応じ、音も無く静かに扉を閉めて出て行った。エシェルはむにゃむにゃとウルの膝を枕に心地よさそうに眠り続けるのだった。

 

 後日、無礼にもやってきた第二位のボンボンは、シズクによって文字通り骨抜きにされて、その男の実家からなぜか感謝の手紙が送られたりなんだりと騒がしかったが、当の女王には一切その情報が届くこと無く、そのトラブルは収束したりしたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

たわいない約束

 とある日

 

 竜吞ウーガ、ウルの自宅にて。

 

「ディズ様」

 

 リビングにて、持ち込んだ書籍に目を通していたディズの元に、シズクがお茶を煎れる。無意識に力の入っていた肩を解すような優しい香りに、ディズは微笑みを浮かべた。

 

「うん、ありがとう」

「今日は、暖かな陽気ですね」

「本当にね。アカネも公園ではしゃいでるよ」

 

 窓の外から注ぐ太陽神の日光にシズクは目を細める。本当に、今日は穏やかな一日だった。ウーガの内に入り込んだ小鳥がさえずり、目を覚ました住民達の生活音が聞こえてくるのが心地よかった。不思議な一体感があった。

 

「……んで、くつろいでるのは結構なんだが」

 

 その二人ののんびりした様子を、目を覚ましたばかりで寝間着姿のウルは頭を掻きながら眺め、そして今更な事を口にした。

 

「何故俺の家でくつろぐ」

「私、家ないし。アカネもいるのに、わざわざ宿屋で泊まるのもなあ」

 

 確かに、ディズがウーガを訪ねるときは基本的に、アカネはまっすぐにウルの家に突撃する。ディズもそれにつきあう訳だが、だんだんいちいち宿屋に泊まってからこっちに来るという行程が面倒になってきたようだった。

 幸いにしてウルの家も広いので、来客用のベッドもある。いつの間にかその一室が彼女とアカネ用で固定されつつあった。そう考えると、本当に今更な話ではある。

 

「シズクは?」

「殆ど、事務所兼、前線基地のようになってしまいまして」

「前線基地」

 

 彼女の生活の様子はロックから聞いている。兎に角ひたすらに仕事に打ち込むあまりに、銀糸と書類と各国から彼女宛に送られてくる手紙で埋もれている、味気の欠片も無い部屋と化していると。前線基地とはさもありなんだった。

 

「不都合であれば、これからは自室にて過ごしますが」

 

 シズクは至極当然のようにそういう。

 ウルは、シズクがロクな家財もなにもないような部屋で一人、ぽつんと休日を過ごしている姿を想像した。天井を仰ぎ、顔をしかめて、ため息をついた。

 

「…………好きなだけのんびりしろ」

「今日は午後から仕事です」

「休め」

 

 休ませた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そんなわけで、意外にかみ合わない三人が揃ってウル宅で席に着いている状況となったわけだが、存外、軽快に話題は進んだ。色々と問題を乗り越え続けてきた間柄故か、今更気遣う事が少なかった。

 

「でも、ウルの家って、意外と私物が少ないよね」

 

 いつのまにか出された茶菓子を食みながら、ディズが言う。

 はて、とウルは首を傾げる。確かに、リビングも含め、この家の中にウルの私物というか、自分用のものは少なかった……自分のものは。

 

「俺以外の私物が妙に増えてるんだがな。リーネの奴、何置いてんだ」

 

 何の用途かも分からないような魔道具が時折部屋に置かれたりするのが困りものである。そう考えると本当に、シズクとディズ以外にもウルの家を利用するものは多かった。

 

「ですが、ウル様の趣味、のようなものとかは少ないですね」

「あんま、その手の趣味を考える余裕無かったんだよなあ、今まで」

 

 ただただ、生きるのに必死な頃。冒険者として駆けるのに必死な頃。どちらも全く余裕というものは少なかった。そんな中、実益の伴わない、娯楽に時間を費やすというのは、単純に慣れていなかった。

 

「友人達と、パーッと遊ぶくらいはするんだがな」

「今なら少しはあるのでは?」

「どうかな」

 

 ウルは窓の外を見る。少し日の差し込み方は動いていたが、やはりウーガは今日も平和だった。色々な、余裕の無い場所を見てきたウルは知っている。この優しい空気は、平和な一時でなければ、決して満たされないと。

 だが、しかし、

 

「この世界が薄氷の平和だと知った今だとな」

 

 これが、どれほどに危うい地盤の上で成り立っているかをウルは知った。それ故に、簡単にそれを受け入れるのは難しかった。

 

「余裕が無いと、趣味というのは難しいですね」

「本当にな。まあ、ジャインなんかは楽しんでるけども」

 

 色々と裏の事情を巻き添え気味に知る羽目になっているジャインは、今も楽しく趣味に没頭している。最近は家庭菜園でとれた成果物を菓子にして振る舞ってきたりする。

 脳天気、とは思わない。単に心の余裕の作り方が巧みなのだ。そこら辺は見習わなければならないとは思っているものの、なかなか難しかった。

 

「じゃあ、心に余裕出来たら、どうする?」

 

 すると、やや湿っぽくなった空気を拭うように、ディズが少しいたずらっぽく尋ねる。

 

「どうするって……」

 

 問われ、ウルは首を傾げる。シズクも傾げる。尋ねた当人のディズも傾げる。そして。

 

「ピンとこない」

「ピンときません」

「ピンとこないねえ」

 

 全員ピンとこなかった。酷いあつまりだった。

 

「まあ、私は義父の手伝いをしながら、骨董品集めとかするかもなあ」

 

 言い出しっぺのディズが、少し難しそうな顔をしながら、展望を絞り出す。本人はなかなかに難儀した表情だったが、悪い展望ではなかった。

 

「目利き出来るものな」

「古いもの、歴史ものの価値って低いからね。この世界。地位向上は目指したい……かな」

「それはそれで、また何か使命めいているが」

 

 とはいえ、そういう使命感も含めて楽しむというのなら、悪いことではないだろう。少なくとも、現状の命がけで戦いを繰り返す日々と比べれば、大分真っ当だ。

 

「ウル様は?」

「俺……?」

 

 すると今度はウルにパスがとんできた。ウルは悩ましそうに唸る。

 

「ジャインと一緒に家庭菜園はちょこちょこやるけど、自分の趣味かあ」

「ロック様と遊びに行くのは?」

「まあ、時折つきあうが」

「友人と飲みに行くのとか?」

「ガザ達と定期的にペリィのとこで。まあ、そう考えると友人付き合いばかりだな」

 

 散発的に遊ぶ事はウルもよくしていた。何もしなくてもがんがん自分の遊びに引きずり込んでくる連中に事欠かない。面倒だと思う反面、それ自体恵まれているという自覚はあった。

 

「とはいえ、全部つきあってる感じなんだよな。自発性が無い」

「ふうん……ああ、でもそうだ、冒険の記録は書いてるんじゃない?」

「そりゃ書いてるけど、趣味かあれ?」

 

 育ての親、ザインに言われ、ディズにアドバイスを貰って記録は書いている。最近はマシになってきたが、大分汚い字で、冒険の道中の気づきなどを書いたりしているのだが(無論、余裕が無いときは書けないこともある)、趣味と言われてもピンとこなかった。

 

「じゃあ、余裕が出来たら、もう少し感想とか、楽しかったこととか、書いていくのも良いんじゃない?日記は立派な趣味だよ」

「日記ねえ……」

「今度読ませてよ」

「ソレはやだ」

 

 流石に恥ずかしい。やや獲物を見つめる目つきになりつつあるディズの意識をそらすために、ウルは残り一人に話題をふった。

 

「シズクは?」

 

 問われる。間違いなく、この中で最も主体性の低い少女は、質問を投げつけられると、ぼんやりとした様子で首を傾げた。

 

「休みの日は、公園でのんびりさせていただいておりますが」

「まあ、それが悪い趣向とは言わんが……」

「もう少し、積極的に楽しんでも、罰はあたらないよ?」

 

 二人から突っ込まれると、ゆるゆると、シズクは視線を彷徨わせる。いつもの、外面の良い微笑は浮かべなかった。ただただ、少しだけ困ったような顔になって、固まった。

 そして、

 

「よく、わかりません」

 

 まあ、本当に想像したとおりの答えが返ってきた。

 ウルは怒ることも無かった。代わりに、

 

「なら、暇になったら、まずはシズクの趣味探しからやるか」

「そうです?」

「良いね、皆で遊び回ろうか」

 

 ディズも笑う。シズクは困ったような、戸惑うような表情を浮かべていたが、しかし結局、最後まで二人の提案を拒絶することは無かったのだった。

 穏やかな日々の中で交わされた、年相応の少年少女らしい、遊びの約束だった。




と、いうわけで番外編これにて一区切りでございます。

次話より魔界編へと突入いたします……が、その前に、
魔界編は重要な章となります。
WEB小説最大の強みともいえるライブ感を当方も大切にしたいと思っているので、ここで一週間、時間を空けさせていただきます。毎日更新を楽しみにしていただいた皆様には大変申し訳ありませんがよろしくお願いします。
今後の予定としましては、

一週間休憩・魔界編・二週間休憩

 という流れをくませていただきますことをご了承ください。(それ以降はこれまでと変わらず毎日投稿で進めさせていただきます)
 現在途中まで読んでいるという方はぜひともこの期間中に読み進めていただけることを願っております。読み始めたばかりという方がいらっしゃれば……できれば頑張って追いついてくれると嬉しいです!!!
多くの方と一緒に楽しめるよう、作者としても全力を尽くしていく所存ですので、どうかご協力をお願いいたします。

ではでは~


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界編
冬の神殿


 

 イスラリア大陸北東部

 

 豊穣なる大地グラドル領と、不死の荒野スロウス領

 その二つの狭間にある境界線上。

 大陸の大部分がヒトのものでなくなって以来、各領地の明確な線引きは失われた。そう言った線引きを果たす防壁の類いを建造しても、魔物達に崩されて終わる。線引きは地図上のみで行われる。

 

 しかしそんな明確な線引きがなくとも、どこからどこまでがグラドルで、どこからどこまでがスロウスであるかは即座にわかる。

 

 かつて大罪竜スロウスが覚醒したときに起こった不死の侵食。その痕跡が大地には色濃く残っている。一切の生命を眠らせ、腐らせ、死を奪う呪いを振りまいたかつての荒野は未だに草木の一つを生やすことも許していない。

 

 結果、豊かなるグラドルの土質との境界部分は、酷く醜く荒れることとなる。

 

 スロウス領の呪いを受けていないグラドルの土地では草木の種を運び実を付け、それらは育つ。が、ある一定まで育ったところでスロウスの腐敗の影響を受けて枯れ果てる。僅かに生まれた植物たちに釣られ小動物も集まるが、その彼らも暫くすると腐敗に吞まれる。

 生誕と腐敗が恐ろしいペースで繰り返される。積み上がる死骸と腐臭、枯れ果てて尚崩れない木々。それらをグラドルの住民らは忌み嫌い【腐呪の境界線】と呼んだ。魔物の出現率すら此所では少ない。

 

 ある意味、純粋なスロウス領以上に嫌われている場所とも言えた。

 

「そんな所に部下をやるんだから、仕え甲斐があるよ全く……」

 

 そんな死と腐敗を掻き分けるようにして、エクスタインは歩みを進めていた。

 外套に身を包み身体を匂いから護りながら進む彼の顔は、よく見れば一部色が変わっている。それは大きく焼け爛れた跡であり、大罪竜エンヴィーとの戦いの痕だった。顔の火傷はマシな方だ。身体中の彼方此方に悲惨なレベルの火傷の痕が残っている。

 エンヴィーとの戦いの時、彼はグレーレが用意した最終兵器(仮)に乗り込んで戦ったものの、それでもこれだけの傷を負ったのだ。もしも乗り込んでいなければ自分は確実に死んでいたことだろうと想像つく。美男と呼ばれよく黄色い声を浴びていた顔が台無しだった(容姿の変貌については彼は全く気にしていないのだが)

 

 彼が頭を悩ませているのは、目下彼が抱えている使命についてだ。

 

「……本当に、こんな所に、あるのか、神殿が」

 

 気になることがあるから現地踏査をしてこい。

 このような雑な命令をグレーレが下すことはしょっちゅうある。だから別に珍しくもないし、慣れたもの、と言いたいが、今のエクスタインはエンヴィー騎士団の遊撃部隊を抜けている。ガルーダにも乗ることは出来ない状態の彼が足を探してここまでたどり着くのはそれなりの労力を必要とした。

 

 この一帯は魔物の出現率は少ないが、ソレまでの道中では相応に強い魔物達をちらほらと見かける。放置された迷宮が【氾濫】をおこし、強い魔物達が溢れる状態―――【迷崩地帯】と呼ばれる場所が、点在している為だ。

 当然、マトモに相手などしていられない。上手くくぐり抜ける必要があった。

 ソレにも苦労した。

 

 色々な経験を積んできた、変わり種の都市民である自覚はあるが、一方で都市と都市の間の旅、と言うのは全く別種の苦労があった―――尤も、大罪竜退治に付き合わされた苦労を考えれば、まだマシだったが。

 

 とはいえ、なんとかたどり着いた。

 此処に存在するのだ。【冬の精霊・ウィントール】の小神殿。つまり

 

「シズクが仕える精霊の、神殿か……」

 

 邪霊ウィントール。太陽神ゼウラディアを隠してしまうから、と言う理由で忌み嫌われた邪霊の一つ。その小神殿が此処にあるのだという。

 

 ―――天陽騎士の調査はどうにも温い。お前の俯瞰で調べてこい。

 ―――どこまでです?

 ―――確証を得るまでだ。

 

「確証、ね」

 

 曖昧が過ぎる。病み上がりに無茶言うなこの野郎。と思わなくもなかった―――が、一方で興味もわいた。常にウルと共にあった、シズクという少女については。

 

 ウルが冒険者としての活動を開始してからずっと彼女は傍にいた。ウルの冒険者としての活躍の裏で常に暗躍を繰り返していた。あれほど派手な容姿で、多くのヒトを魅惑し、狂わせながら、一方でウルに対して一途と言っても良いくらいに献身的に尽くしている少女。

 常にウルの名声の影となって大きくは目立とうともせずに立ち振る舞う少女。

 七天達からも訝しまれながら、一方でその有能さ故に、重用せざるを得ない女。

 

 そんな特異な彼女に興味が沸いたのだ。自分でも珍しいことに。

 

「自分にも、そこまで興味が無い、癖にね」

 

 泥濘んだ、死の沼地に足をとられぬよう動かしながら、エクスタインは自分の感情に少し驚く。この好奇心はいったいどこから来ているというのだろう。

 共感?あるいは嫉妬?

 

「は」

 

 自分の心を覗いて、それに名前を付けようとして、あまりにも滑稽でエクスタインは小さく笑った。沼地を抜ける。死と生の狭間を抜けて、徐々にであるが視界は開けてきた。

 荒野が続く、その景色はスロウス領にも少し似ていた。そしてその先には、

 

「アレか……」

 

 冬の精霊の小神殿が姿を見せた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 神から追放された邪霊の小神殿

 と、そう聞くと、いかにもおどろおどろしい、いたるところに死体が転がっているような、怪しげで血なまぐさい場所を想像するものだ。しかし、”冬の精霊の小神殿”の姿は都市内部に存在する小神殿となにも変わりはしなかった。

 小さくまとまっていて、厳かであるが華美でない。白く清潔な石造り。むしろこのような死と腐敗が入り交じった場所でこのような清潔さを維持していることに異物感があるほどだった。

 

 あるいはそんな場所に居る自分こそが異物だろうか、とも思う。

 しかも、何の偶然か。ここに居る異物は自分だけでは無かった。

 

「まさか、自分以外にも此処に来る者がいるとは……ええと」

「ファイブだ」

「ファイブ殿。初めまして。」

 

 彼とエクスタインは初対面だ。しかし彼が何者かをエクスタインは知っている。

 獣人と只人、森人のいいとこ取りのような美しい容姿、透き通る蒼髪の青年。息を飲むほどに美しい立ち姿。否応なく目立つその姿は、世界各地を巡った経験のあるエクスタインが知らぬはずも無かった。

 

「失礼ですが、貴方はもしや、【真人】の?」

 

 問いに、青年は隠すことでもないというように、あるいは誇らしげに頷く。

 

「マスター、クラウラン様によって生み出された人造の命だ」

 

 黄金級の冒険者にして希代の魔術師【真人創りのクラウラン】

 彼が生みだした人造生命体。【真人】。身体能力に優れ、長寿であり、美しい。本来の人造生命体とは比較にならない完全なる生命を生みだしたことで名を馳せた天才。その彼の成果物こそが、目の前の青年なのだ。にわかには信じがたい、が、彼が凄まじい能力を有しているのは事実だった。

 

「……正直、驚きましたね。ここまで完璧な人造人間とは、しかも」

 

 エクスタインは不意に、彼の背後を見る。彼の背後には5メートルほどはあろうかという巨大な【紅蜥蜴】が沈んでいた。

 

「お強い」

「南東の【迷崩地帯】から、出てきた紅蜥蜴のようです。ここまで迷い込んできてきて、困っていたようなので、討伐を依頼されました」

「【冬の小神殿】の方々から?」

「ええ。魔除けの術式も無視されて、困っていたようです。」

 

 そう言って、彼は足下を見ると、確かに周囲には魔除けの結界術式が刻まれている。術式は大分古かったが、しっかりと刻まれていた。小規模の魔物であれば十分魔除けとなるだろう。

 勿論先ほどのように、通用しない魔物も出現するのだろうが、それを一蹴できる彼の実力は確かなものだった。

 

「【真人】の名を体現する戦士達。高名の通りの実力ですね」

「この程度マスターの偉業と比べれば大した事ではないです」

 

 エクスタインの賞賛に対して、ファイブは苦笑して首を横に振る。照れくさそうにするその仕草もまた、紛れもないヒトだった。どうやら見た目だけで無く、中身までクラウランは完璧な生命を生み出すことに成功したらしい。

 

「ファイブ、卑屈、陰気、ウザい」

 

 が、しかし、彼と同じ真人にはその応対は不評であるらしい。

 

「ナイン……下品な言葉遣いはやめろ。マスターが泣く」

 

 ナイン、と呼ばれる少女は、彼の近くで退屈そうな顔をしていた。

 ファイブの同行者であるらしい少女の歳は10程で幼く見える。やはりファイブと同様に美しい容姿の彼女であるが、その顔は随分とふてくされていた。わかりやすく不満を顔に出して、それを訴えようとする仕草は年相応に見えた

 

「最近かまってくれないんだもの。マスター」

「七天達不在のフォローに加えて、グラドルの被害者達を新たな肉体へと移し替える準備が整って大忙しなのだ。娘として苦労を汲んでやれ」

「娘じゃ無いもーん。人造玩具だもーん」

「マスターの前でそれを言うなよ絶対。あの方本気で泣くぞ」

「名前も数字だしー」

「あの方が本気で名前を付けると尋常でなく長くなるんだ。あらゆる縁起物の名を子供達に与えようとするから」

 

 出自こそ特殊極まるが、そのやり取りは血の繋がった兄妹のようだった。エクスタインはウルとアカネのやり取りを思い出して小さく笑った。その笑い声が聞こえたのか、ファイブは少し申し訳なさそうに口に手を当てる。

 

「失礼、お恥ずかしいところを見せた」

「いいえ、仲睦まじい事は良いことですよ」

「最近は我が儘ばかりだ。仕事中だというのに」

 

 仕事中、という彼の言葉にエクスタインも意識を切り替える。まあ確かにそうだろう。このような辺境の場所に、ただの観光や遊びで尋ねてくるわけもないのだ。

 

「では、お二人でここの調査を?」

「いえ、もう一人―――――ゼロ」

 

 そういって、ファイブが不意に視線を空へと向ける。すると、

 

「っ!?」

 

 空から、巨大な影が落下した。先ほどファイブが倒した5メートルほどの【紅蜥蜴】と比較しても更に倍ほど大きい怪鳥が死んでいた。その怪鳥の上で、静かに此方を見下ろしているのは、

 

「此方の仕事は終わりました、ファイブ、ナイン」

「ゼロ、土煙を上げすぎるな。我々以外にもいるんだ」

 

 蒼い髪の少女。他の二人と同じ【真人】だ。

 しかし、同じ、と表現して良いのか、少し自信が無かった。【俯瞰の魔眼】を授かるほどには観察力に優れているエクスタインをもってしても、“ゼロ”と呼ばれた少女の姿は、他の二人と比べてもやや異なる。二人よりも幼い、という以上に、何か―――

 

「失礼、末の子が粗相をしました」

「あ、ああ、いえ」

 

 彼女に意識を取られていると、ファイブが頭を下げる。自分の妹の為に頭を下げる姿は本当の兄妹と大差なく見えて、エクスタインの違和感は薄らいだ。

 

「そのヒト、知ってます」

 

 そうしている内に、怪鳥から飛び降りたゼロと呼ばれた少女が此方をじっと見てくる。その視線は好意的では無かった。割とよく胡散臭く思われがちではあるが、初対面でここまで疑わしげに見られたのは初めてだ。

 

「“風見鶏のエクスタイン”、あちこちの組織に顔を出して使いぱしりして、最後には大半の組織を滅ぼした悪党」

「凄い、否定する要素がない」

 

 自分のやらかしを見事に言い当てられて、エクスタインはびっくりした。自分の事情は割と暗部に絡んでいる筈なのだが、しっかりと把握されている。彼らを生み出した黄金級クラウラウンは、ただ、人造人間製造の実力を有しているという訳では無いらしい。

 

「一応言っておきますが、私に口八丁は通じません、覚悟しておきにゃにゃにゃあ!?」

「まーたマスターからもらった知識だけでマウント取ろうとする」

 

 感心している内にゼロの頬が、いつの間にか背後に迫っていたナインにつねられた。

 

「おねえちゃ、止めてくださいナイン!」

「いやよ」

「…………本当に、騒がしくて申し訳ない」

 

 二人のじゃれあいに、ファイブは一人、恥ずかしそうに深々と頭を下げた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから、少し間を空けて

 

「ということは、クラウラン殿が此方の調査を?」

 

 冬の小神殿を見ながらエクスタインが問うと、ファイブは頷く。

 

「彼も此所のことは気にしておられたのですか?」

「正確に言うと、貴方と同じ七天からの依頼です。七天不在の都市防衛計画に時間がかかりすぎたので、なかなか直接出向けませんでしたが……」

 

 こちらも、似たようなものだった。世界中がばたついていた。邪霊を信仰する、という点では確かに問題であったのかもしれないが、邪教徒のように誰かを害することもせず、静かに都市の外で身を潜めて暮らしている彼らにリソースを割く余裕はこの世界には無かった。

 しかし、だからこそこのタイミングでグレーレが自分を寄越したことに、意図を感じずにはいられなかった。

 

「僕も、中に入っても?」

 

 エクスタインは自分に【浄化】をかけて泥を払うと、ファイブに尋ねると、彼は肩を竦めた。

 

「歓迎されると思いますよ……もっとも」

 

 そう言って、彼は少し、苦々しい表情を浮かべた。

 

「私たちの知りたい情報があるとは限らないですが」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界

 

 地獄だった。

 そこは地獄だった。

 常に誰かが苦しみ、悶え、焼かれて、刻まれて、呪われて、粉々になって、死ぬ。

 死んで、まだ苦しんで、歪められて、穢されて、踏みにじられる。

 

 趣味も悪ければ出来も悪い地獄だ。

 

 何故こんなにも苦しまなければならない?と、誰かが泣いた

 負けたからだ。答えはすぐにやってきた。

 ではどうすればいい?

 

 答えは一つだ。勝つことだ。

 

 勝たなければならないのだ。次こそは。今度こそは勝利しなければならない。

 それも半端ではいけない。絶対に負けられない。

 長い地獄を経験した彼らは、2度目の敗北を耐えられない。

 次の地獄を経験したら、もう2度と立ちあがることは出来ないのだと知っていた。

 だから勝つ。絶対的な勝利を彼らは求めた。

 

 必要は、発明の母だ。

 絶望は、暴虐の父だ。

 

 彼らは全てを行った。なにもかもをした。2度目の勝利のために出来ることはなんだってした。それまでやっては成らないことにも手を染めた。その残酷がそれを望まない者達との離反をうみ、訣別し、先鋭化を繰り返し、それでも尚続けた。

 

 そして彼らは、たどり着いた。

 

 至ったのだ。絶望的な状況で、地獄のような有様で、かつての仲間達が目を背け、顔を顰め、此方を指さして口汚く罵るほどの残酷を繰り返した果てに、そんな彼らで持ってもこれ以上無いと確信するほどの代物が生まれたのだ。

 忌まわしくも悍ましい、呪わしいのソレに彼らは命じた。

 

 勝利を。

 次こそは勝利を。

 その為に、その力を見せてくれと願った。

 

 彼らの望みは、果たして叶った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウルは身体を起こした。

 

「…………へんな夢を見た」

 

 身体を起こす。同時に全身に激痛が走り、ウルは身体をくの字に折り曲げた。

 

「…………ぐ」

 

 身体の傷は、スーアが癒やしてくれていたはずだ。回復痛も収まりつつあった。にもかかわらず身体の芯、骨に響くような痛みが継続している。

 この痛みにウルは覚えがある。これは――

 

「成長痛だな。グリードを殺した分け前は尋常じゃないらしいな」

 

 その声の主にウルは聞き覚えがあった。顔を上げると、いつものボサボサ髪の無精ひげが此方を見つめていた。

 

「よお、師匠殿、無事――――じゃねえな」

 

 グレンの失われた右腕を見て、ウルは顔をしかめる。だが、グレンはその視線そのものを鬱陶しく払うように残った腕を振った。

 

「こっちの台詞だよ。そのまま死ぬかと思ったわ」

 

 ウルはため息を吐いた。気遣われている事を理解し、顔を上げた。

 

「ありがとう。助かったよ」

「そりゃどういたしまして。さっさと起きろ」

 

 腕を失っても何時もの調子のグレンに少し安心する。すると現金なもので身体の痛みも少し薄らいだ。

 

「此処は……」

 

 周囲を見る。今、ウルが居るのはなにやら、小さな洞穴のような場所だ。やや、空気は淀んでいるが、少なくとも周囲に魔物の気配はない。グレンも警戒している様子はないのでそこは安心だろう。

 

「…………ぅ」

「ユーリ……も、無事か」

 

 少し離れた場所に天剣のユーリも眠っていた。強欲の戦いで、恐らく最もダメージが深かったのも、一番貢献したのも彼女だった。だが今は、顔色も大分回復している。スーアの治癒が大分聞いているらしい。安心した。

 

 周辺から得られる情報は以上だ。だが、確認しなければならない事はまだ山ほどある。

 

「それで、状況を聞いてもいいか?グレン」

 

 痛みを堪えながら、傍に重ねてあった自分の服を身に纏い、無事な鎧を装着し直しながらウルはグレンに尋ねた。

 

 ――門が開く。

 

 魔王ブラックの言葉が頭に響く。

 情報を集めるにしろ、行動に移るにしても、急いだ方が良い。そんな気がしてならなかった。すると、グレンは自分の背後、洞穴の出口の方角を顎でしゃくる。

 

「言葉よりも、直接見た方が速いな。お前の一行もいる」

「仲間」

「橙髪の小人、赤髪獣人、天衣」

「リーネ、エシェルにジースターか……他は?」

 

 グレンは端的に「知らん」と首を横に振った。

 ウルは顔を顰める。死んで、は、いない筈だ。少なくともグリードが墜ちるまで、全員は奇跡的に無事だった、筈だ。

 

「鬱陶しい面しやがって、さっさと外見てこい。どうせ悩みなんて吹っ飛ぶんだから」

「……それは、もっとえらいことに直面するって事か?」

「そーだよ。部外者の俺が混乱するのは不公平だろ。お前も精々混乱しろ」

 

 グレンは何時もながらの適当な物言いだったが、その表情にはいくらかの疲労と、困惑があった。図太い彼であってなかなかに受け入れがたいような混乱がこの先に広がっていると考えると、外に出たいという気力が全く沸いてこないのだが、そういうわけにもいかない。

 

「ユーリを見といてくれ」

「子守歌くらい唄ってやるよ」

 

 グレンはつまらなそうに無事な方の手を振った。ウルは感謝して洞窟の道を進んだ。

 洞窟の道は、狭くて、細くて、入り組んでいた。そして奇妙だった。此処は、明らかに都市の中ではない。外だ。そして外で、こんな入り組んだ地下洞窟のなかであるなら、魔物の一体や二体が出現してもなにもおかしくない。

 あるいは、魔物がいなくとも、それ以外の動物たちや、虫たちの気配の一つや二つが無ければおかしいのだ。

 でも、何も無い。魔物達の気配は何処にも見当たらない。異様なほどに静かだった。

 

 気味が悪い。

 

 ウルはそう思いながらも足を進める。やがて、洞窟の大きさが広がる。空気の流れを感じ取り、ウルは外が近いことを理解した。

 心臓の音が大きく聞こえてくる。自分が興奮しているのだとウルは気がついた。狭く薄暗い場所から解放される喜びで、ではなく、待ち受ける未知への不安と恐怖によって。 

 今自分達の置かれている状況については全く理解できていなかったが、しかし、「此処がどこか?」という一点については、ウルも察しがついた。つかないわけがなかった。

 此処は――――

 

「外」

 

 ウルは、外に出る。そしてその瞬間、目の前に広がった光景をウルは見て、顔を歪めた。

 

 そこは、ウルが見たことの無い光景だった。

 時間帯は不明だった。空を見上げても、そこには日中を告げる太陽神の姿は無い。夜中を告げる満天の星空も存在しない。空は赤黒かった。太陽も星も存在せず、しかし太陽の代わりに何かがあった―――

 

「……なんだありゃ」

 

 空に“黒い太陽”があった。目の錯覚と疑ったが、確かにそこにはソレがあった。禍々しく大地を照らすが、そこから太陽神のような温かみはわずかたりとも感じられない。

 

 それだけでも言葉を失うような様相だったが、異様な光景はそれだけではない。

 

 ウル達が身体を休めていたのは小高い山の中にある、自然に出来た洞穴だった。丁度、周囲の景観を見下ろして見渡せるような場所だった。だから、周囲の状況はよく分かった。

 光源に思えるものは一つも存在していない。にもかかわらず奇妙なことに景色は隅々まで見渡せた。そして見渡す限りに、誰かが住んでいたような建造物――――の残骸が転がっていた。

 大量の建造物の残骸だった。大罪都市の住宅区画にも近い大量の建造物が見渡す限り続き、それらが軒並み倒壊し、崩れ、何かしらの破壊を受けていた。ものによっては既に風化が進んでいるものもあったが、その殆どが形を保っていた。

 

 その景色がずっと続いている。どこまでもどこまでも。地平線の彼方まで。

 

 ウル達が知る最大の都市部。大罪都市よりも遙かに広範囲にヒトの生存圏の痕跡が残り続け、それが破壊され続けていた

 その光景が、どのような意味を示しているかはウルには分からない。

 分からないが、ここがどこかはウルにも分かった。

 

「【魔界】だ」

 

 ウルは達は最終目的地点にたどり着いていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 あまりにも現実離れした禍々しい光景を前に呆然としていたウルだったが、そのまま立ち尽くしていてはしかたがない、と行動を開始した。間もなく周囲の散策をしていたエシェル、リーネ、そしてジースターと再開した。

 

「無事で良かったよエシェル」

「うりゅううううううあああああああ」

「なに言ってんだかわからんわからんがなんかめっちゃ安心するわ」

 

 ウル達を置いて遠くに移動する事はない、と理解していたが、泣き崩れて抱きしめてくるエシェルを見ると安心する。どうやら思った以上にこの得体の知れない光景はウルを畏れさせていたらしい。

 

「……全員、とは言わないけど、再会できて良かったわね、ほんと」

 

 リーネもまた少し疲れた表情をしながらも安堵していた。ウルはそれに頷いて、周囲を見渡した。

 

「やっぱり此処に居るのはこれだけか。」

「そうね。シズク、ディズ、アカネ、ロック。それにアルノルド王達、ブラックもいない」

「…………なるほど」

 

 全ての状況を説明した後、リーネは眉をひそめてウルを見る

 

「貴方に白王陣を施した後、気を失っていたのだけど、此処、王が言ってた魔界よね?」

「私も最後はあまり覚えてない!急にワケがわからない!」

 

 リーネもエシェルも混乱している。二人とも、目を覚ませばこんな地獄のような光景に放り込まれたとあってはそうなるのも当然だろう。

 勿論、それはウルも全く同じだった。大変に混乱している。誰かに説明はして欲しかった。そしてこの場でそれが可能なのは、一人しかいない。

 

「ジースター」

 

 ウルは天衣のジースターに声をかける。二人の後ろに立つ彼の表情に混乱はない。この異常な魔界の景色に身を置いても、それが当然であるように落ち着きを払っていた。

 

「あんた、あの時の状況とこの魔界の現状について説明できるか?」

「ある程度は可能だ」

 

 ウルの質問に対してもジースターは特に戸惑う様子も躊躇う様子もなかった。これで彼もサッパリわからないと言ってしまったらお手上げだ。

 

「だったら説明を頼む」

「構わない。が、その前に身がまえろ」

「なに?」

 

 と、ウルが確認する前に、ジースターが身構える彼の視線はウルには向かわず、その反対側に向けられていた。そしてその時点でウルも気付く。なにかが近付いてきていることに。

 

「魔物?」

「違う」

 

 輪郭が見え始める。それは真っ黒な泥の様に見える。粘魔種の類いかとも思ったが、それとも様子が違う。体毛も鱗も無い、中の肉が剥き出しになっているような印象だ。

 しかし、魔物とも違う気配にウルは覚えがあった。

 

「竜だ」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「マジか―――」

 

 ウルは武器を構える。が、やはり全身に痛みが走る。コンディションは言うまでも無く最悪だ。流石に大罪竜グリードのような怪物ほどの強さではないだろうが、しかし満身創痍の状態で何処まで戦えるか分からなかった。

 だが、それでもまだ動ける自分がやるしかない。そう思いながらウルは槍を振るい―――

 

『AAAAA――――――   】

「…………は?」

 

 次の瞬間、ウルの一撃で“竜”らしきものは粉砕した。

 ジースターもウルの横で“竜”を撃退するが、軽く【天衣】で造った剣を一振りするだけで砕けていく。戸惑いながらもウルは戦い続けるが、その内全てがグズグズに砕けて消えていった。

 

「終わった」

 

 そしてその結果を見届けて、ジースターは頷く。

 

「コレで?」

「そうだ」

「死体がいきなり増殖したり、パワーアップして復活したりは?」

「しない」

「嘘だろ……?」

 

 ウルは信じられんと言うような顔で竜達の死体を見たが、しかし確かにその死体がまた動き出すような事にはならなかたった。実にあっけなく、簡単に、竜が対峙できてしまった。

 もしも黄金級になる条件の一つ、竜の撃退がコレで果たされるなら、冒険者は黄金級だらけになってしまう。

 

「皮も肉も骨もない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。我々の敵ではないだろう」

 

 ジースターは淡々と補足する。リーネはその傍で竜の死体を興味深そうに見つめ、観察する。

 

「魔石、落とさないのね、この竜達」

 

 確かに、ウル達が破壊した竜の遺体はぶすぶすと解けていくだけで、紫色の鉱物を落とすことはなかった。

 

「そうだろうな」

「……ほんと、何でも知ってるって顔だな」

 

 その事に対してもジースターは驚かない。当然というように頷くだけだ。その彼にエシェルは疑わしそうな目を向けるが、ジースターはその追求の目に肩を竦める。

 

「多くを知るわけでは無い。()()()()()()()

「……それは」

「ウル!!」

 

 だが、会話は再び中断された。リーネが警戒をとばし、ウルは再び身がまえる。彼女の言うとおり、またなにかが接近していた。先程と同じように竜が来たのかとも思ったが、聞こえてくる足音はそうでは無い。

 ノッペリとした奇妙な鎧を身に纏った者達が出てきた。

 

「動くな貴様等!!」

「――――めっちゃ変なのが来たぞオイ」

 

 間違いなくそれはヒトだった。しかし、ウル達がはぐれてしまったアルノルド王達でも勿論ない。ともなれば、つまり、

 

「魔界の、住民……」

 

 問答無用。そんな声色と共に彼らは訓練された動きでウル達の周囲を囲む。魔導銃と思しき代物を構え、銃口を此方へと向けてきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界② ある少年のいつも通りの日常と非日常

 

 その日は、佐上浩介がJ-4ドーム【自警部隊】に勤務してから丁度一年目だった。

 

 【自警部隊】の仕事は、ドームの中でも()()()()()と呼ばれる仕事だ。

 

 ドームの外には危険が満ちている。

 大地は荒れ果て、至る所が汚染されている。空も大地も海も、何もかもが真っ黒だ。歴史の授業なんかでは、かつてこの世界は青い空、蒼い海、美しい世界に満ちていただのなんだのと教えられるのが、正直イメージがまるでわかなかった。浩介にとってこの世界は生まれてからずっとそうだ。

 

 外は危険で、禍々しく、迂闊に出歩けば死ぬ。

 何よりも【禁忌生物】が闊歩しているのだ。外にあえて出ようとする者はバカだ。

 だから、そんな外での仕事が多い【自警部隊】を選択するなんて大バカだ。

 ドームの中には青い空も澄んだ空気もプールも調整された食料も存在するのだから。

 

「その筈なのに、なーんで君はそんな仕事選んでしまうんだろうね?」

 

 学校で同級生だった美鈴が呆れた顔で浩介を見つめ、ため息をつく。

 卒業してからも定期的にこの友人とは自宅でゲームなどをして遊ぶのだが、そのたびに小言を言われる。

 

「良いだろ別に。人手不足の仕事だ。ドームへの貢献度も一番でかい」

「成績悪くなかったじゃないか。良くも無かったけど」

「そりゃ、お前と比べりゃな……」

 

 美鈴は頭が良かった。卒業後の進路選びたい放題だ。実際彼女はドームのなかでも一番高給取りの生産エリアに就いたのだ。自分とは大違いだ。勿論浩介だって流石に美鈴と同じ進路は選べないにしても、もう少し安全が確保できる職場への“適性”はあった。

 

 でも、浩介はこの道を選んだ。

 

「……嫌だったんだよ。驚異に対して、何も出来ずに怯えるのはさ」

 

 ドームで職務に就くことになる十五才になるまでの間、”禁忌生物”の襲撃で、ドームが壊滅の危機に瀕したことがあった。とはいえその時死ぬような思いをしたことは無かった。家族が死ぬようなことも無かった。そもそも浩介の両親は既に他界していた。

 だけど、だからこそだろうか。怖ろしい警報、周囲で狼狽えて怯える大人達、次々と動き回らなければならない焦燥感、誰にも護ってもらえなかった浩介はあまりにも心細い思いをしたものだった。

 

 そして怯える浩介を、誰も励まして抱きしめてはくれなかった。

 

 その事を恨む訳じゃ無い。皆、自分と自分の家族を護るのに必至だったのだ。見ず知らずの子供のことにまで気にかけるヒマはあるわけが無いのだ。

 だけど、だからこそ、自分で戦える力が欲しくなったのだ。

 

「で、自警部隊……極端なんだよ、浩介は」

「まあ、否定はしねえよ……っと」

 

 喋っていると仕事用の端末から連絡がとんできた。

 

「仕事?」

「ああ行ってくるよ」

「気をつけてね。また頭に血を上らせないように……それと」

 

 そこまでいって、照れくさそうに美鈴は肩をすくめた。

 

「何時もありがとう。だから死なないで」

「お礼だったら、今度はもっと質の良い肉造ってくれよ。最近のはカスカスなんだ」

「今度、最高のをごちそうするさ」

 

 そう言って浩介はいつも通り、ドームの外へ徒向かうため、自分の職場へ向かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ドーム外部遠征のための準備室には既に【自警部隊】の先輩達が集まっていた。一番下っ端である自分が最後な事に内心冷や汗をかきながら、急ぎ合流すると宍戸隊長がこちらを見る。

 

「遅いぞ浩介」

「済みません、隊長」

 

 浩介は頭を下げる。隊長は大声で怒鳴り散らすような人間ではないが、怒るときは淡々と怒るし、怖い。とはいえ今回は休暇中の緊急呼び出しだ。招集にいくらか遅れたことを理不尽に怒る人でも無かった

 とはいえ急ぐ。用意されている中からいつも通りの装備を取ろうとすると、不意に隊長が浩介の肩を叩いた。

 

「今日は完全武装を許可する」

 

 普段、浩介の装備は先輩達の支援を行うための軽量装備だ。重火器の類いは許可されていない。その許可が降りたと言うことは、ある程度認められたと言うこと―――とは、浩介は思えなかった。周囲の仲間達の纏う空気と緊張感から、そう言った類いの話では無いことは流石に想像がついた。

 

「…………不味いんですか」

「【γ】が出た」

 

 その言葉を聞いた瞬間、浩介の心臓は強く跳ねた。

 

 α種個体なら、自警部隊のみでの破壊が可能だ。

 β種となると、自警部隊の1部隊総出での対処が求められる危険個体。

 γ種は――――ドーム滅亡危機だ。

 

 そのγが出た。

 ドームにも遠からず警報が行くだろう。場合によっては別のドームへの避難が必要になるかもしれない。そうならないためにも自分達は出現期する訳だが、上手く行くかは分からない。

 勿論、倒すだなんて考えない。可能な限り誘導し、そのままドームへの興味を失うことを祈るだけだ。もしもそれが上手くいかなかったならば―――考えたくも無いことだが、大変なことになるだろう。

 

 少なくとも、美鈴に人工肉をごちそうになる機会はもうないかもしれない。

 浩介は覚悟を決めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ほんっと、気味が悪いな」

 

 特殊武装を重ねた車両にある小さな窓から覗ける外の世界を眺めながら、先輩の一人が小さく呟いた。忌々しいと言わんばかりのその表情に、周りの同僚達は苦笑する。

 

「全くだ。早くドームに戻りたいぜ」

「戻れるかねえ?」

「さあなあ。浩介、お前はいざとなりゃ逃げろよ。彼女だっているんだろ」

「アイツはダチですよ」

 

 浩介の答えをどう思ったのか、先輩は肩をすくめて笑う。何時ものからかいだが、それが自分と浩介、双方の緊張を解そうとしてくれているのは分かる。実際浩介も緊張していた。

 γ個体なんて、浩介もこれまで見たことも無い。β個体ですら数える程だ。ここにいる先輩達だって、実体験で知っている人なんて極僅かだろう。

 どうしたって気持ちが浮ついた。考えすぎないようにするために、先輩等と同じよう視線が窓の外へと向かった。勿論窓からのぞき見えるのは、何時ものドームの外の世界だった。

 

 荒廃した大地と、廃墟となったビル群、

 赤と黒の入り交じった不気味な空、

 そして“空の上空にぽっかりと空いた真っ黒な太陽と、そこから不定期に零れる黒い【涙】”

 

「邪神様は今日も景気よく泣いてらっしゃる」

「最近またちょっとずつ量が増えてるらしいぞ」

「マジかようぜえ……」

 

 忌々しそうに同僚の一人が呟いた。浩介も口にはしないが同じ感想だった。

 

「無駄話はよせ。そろそろ現地に着くぞ」

 

 そんな風に、いつも以上に口数の多くなった自分達を戒めるように隊長が指示を出す

 

「隊長!!」

「どうした」

 

 レーダー兵からの声だった。慌てふためいた悲鳴のような声、ただ事ではないのは明らかだった。小浮は自然と銃を握る手に力を込めながら、次の言葉をまった。そして、

 

「γが…………消失、しました!」

「は?」

「なん…………?!」

 

 その言葉が意味することを理解できぬまま、車両が停止する。目的地に到着したのだ。新たに飛び込んできた情報と状況に対して、流石の隊長も悩むように眉を潜めたが部下達を見渡すとうなずき、そして合図を出した。

 

「現地を直接確認する」

 

 扉が開き、浩介達は外に飛び出した。

 何が起きているのか全くわからなかったが、動揺して、狼狽えちゃいけない。その事だけは浩介は決めていた。混乱して慌てふためいて、何も出来ずに怯えたくないから、自分は自警部隊に入ったのだから―――そう思っていた。

 

「なん……だ……?!」

 

 だが、彼の誓いと覚悟はあっけなく吹き飛ばされる。

 目の前に広がった光景はあまりにも理解不能だった。

 

 まず、禁忌生物γが死んでいた。

 

 γはデータでしか見たことは無かったが、その真っ黒な巨体、体毛も皮膚も無いのっぺりとした真っ黒な、悍ましく奇妙な生物は間違いなく【禁忌生物】だ。それが死んでいた。

 そして、その死体の近くに、奇妙な連中がいた。

 

 ドームを襲う犯罪者集団、【屍肉漁り(スカベンジャー)】の類いではなかった。

 そういう類いの連中ではない。どう見たって違う。

 ドレスにローブ、鎧、まるでゲームのキャラクター達のコスプレでもしているかのような奇妙な者達。あまりにも現実離れしすぎた連中が、γ達の死体の上に立っていたのだ。

 何事か分からないが喋っている。外国人だろうか、端末の自動翻訳をオンにした。

 すると、その中でも灰色髪の少年が眉を潜め、口を開いた。

 

「――――めっちゃ変なのが来たぞオイ」

 

 こっちの台詞だと浩介は内心で突っ込んだ。

 誰一人として、この状況に対して説明がつけられる者はいなかった。全員が戸惑い、動揺し、どうするべきか答えを探し求めて彷徨っているような有様だ。勿論浩介もその例に漏れてはいなかった。

 

「なんだあいつら……」

「屍肉漁り……か?いや、格好ふざけすぎだろ」

「γ、倒したのか?コイツラが?」

 

 先輩達にとっても、あの奇妙なるコスプレ集団は未知の存在らしい。そりゃそうだろう。浩介のしかし浩介含めて全員警戒を緩めない。銃を下ろすこともしなかった。

 

「全員、警戒を緩めるな」

 

 誰であろう宍戸隊長が集中し、彼らに銃口を向けていたからだ。

 状況は分からないが。宍戸隊長に対する信頼は存在している。物静かではあるが窮地において彼が判断を誤ることはない。

 その彼が、怖ろしく緊張し、集中している。【禁忌生物】より遙かに強い警戒を奇妙な連中に対して向けていた。

 

「隊長、こいつらはなんなんですか」

「俺も詳細までは知らん。だが、コイツラは――――危険だ」

 

 敵、本当にドームの資源を狙っている屍肉漁りの類いなのだろうか。だが、だとして武器は何なのか。まさか、あの手に持っている訳の分からない巨大工具みたいなもので禁忌生物たちを倒したわけではあるまいし―――

 

「…………――?」

「…………」

「………………!?」

 

 向こうは向こうで、こちらを警戒しているのか、何かを話し合っている。よく見ると彼らの中にメチャクチャ背丈の低い子供までいるのだが、本当に一体どういう集まりなのかさっぱり読めなかった。

 しかししばらくするとその内の一人が前に出てきた。ボサボサの黒髪、コレと言って特徴の無い男だが連中の中では一番年上だ。リーダーなのだろうか、と考えていると彼は身にけていたマントを握りしめる。

 何やってんだコイツ、と思っていると不意にその形状が変化した。自然ではあり得ないうごめき方で形を変えて、気が付くと彼の手には、耀く金色の剣が握られていた。

 

 そう、剣である。つまり武器だ。武器を握りしめてそいつが真っ直ぐこっちにやってくる。先程の隊長の言葉も踏まえると、敵対行為だ判断する他なかった。

 

「う、うわぁあ!?」

 

 一人が撃った。隊長が舌打ちする。だが、どうしようもないと思った。全員が一人に習って撃ち始めた。間違いなくこうなってしまえば蜂の巣だ。浩介は悲惨な肉片があたりに散らばるのを覚悟して、眉を潜めた。

 

「―――言っただろう。問題ない」

 

 だが、男は立っていた。

 

「――――は?」

「当たった…………よな?」

 

 否、それどころか傷一つなかった。それはおかしい。確かにこの男も鎧のようなものを装着している。その時代錯誤の装備が実はこちらの【光熱銃】への防御機能があったとしても、無傷はおかしい。だって最初撃たれた光熱をこの男は()()()()()()()()

 その時点で頭に穴が相手もおかしくないのに、なにも変化が無い。

 地面の至る所に銃痕も残ってる。銃の不具合でもない。

 

「……そうらしいな。で、どうする?ジースター」

 

 すると自分と同じくらいの灰色髪の男もこちらに近づき、槍を構える。巨大で美しい白の大槍に全員が再びぎょっと身構えるが、今度は誰も撃たなかった。否応なく警戒した。その間に男と少年は会話を続ける

 

「話をスムーズに進めるため、1度全員捕らえる。うっかり殺さないように注意しろ」

「……うっかり?」

「下手な力を込めて、首がへし折れる可能性もある」

「嘘だろ……?」

 

 そう言って、二人は()()()

 消えたようにしか見えなかった。次の瞬間には灰色髪は目の前に近づいていた。

 

「――――んなあ!?」

 

 ただ単に速度が速すぎて人間が消えたように見える。あまりに理不尽な光景だった。自己防衛の条件反射で浩介は銃を撃っていた。

 

「とりあえず話し合いを―――しないと。了解」

 

 放たれた光熱を、男は回避した。撃たれた瞬間首を捻って躱したのだ。あまりに理不尽すぎて、引きつった声が出た。

 

「なん、なんだお前は!?!」

「それは俺の台詞でもあるんだが―――まあいいやとりあえず」

 

 そしてそのまま男は槍を振る。浩介が今日初めて与えられた対禁忌生物用の光熱銃はその中央部から一刀両断されて宙を舞った。

 

「よいこらしょ」

 

 奇妙に歪んだ灰色髪の腕がこちらの腹部に触れる。それに気づいた瞬間浩介の身体は地面にぶっ倒れていた。ただただ、灰色髪の力に抵抗できず、押し負けたのだ。

 いうなれば、大人相手に子供がじゃれてきたのをあっけなく押し返したような気軽さだった。そんな雑さで、倒されてしまった。

 

「小鬼よりも弱い……」

 

 灰色髪が何を言ってるのか分からなかったが、理不尽だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界③ 違い

 

 

「治癒完了、カハハ。全く、生き延びたか。奇跡だな」

 

 ウル達とは、少し離れた場所で自らの身体の治療を終えたグレーレは立ち上がった。幾度かの蘇生を経て、大分身体全体が弱っていた為、立ち上がることも少しおぼつかなかったが、魔術によって強引に肉体を補正した。

 本来であれば、ゆっくりと療養しなければならないのは間違いなかった。が、しかし、今はそれどころではない。調べなければならない情報が山ほどある。

 

 たとえば、自分を今さっき襲ってきた、“竜もどき”などもそうだ。

 

「行き着く果てはこうなるか。まあ、推測の通りだな。至極、残念なことだ」

 

 ぶすぶすと悪臭を漂わせ、次第に溶けるように消えて無くなる“竜もどき”を前に、グレーレは珍しく、少し憂鬱そうなため息をはき出した。

 

「ここまで進行しているとなると、やはり王の目的は間に合わぬか…せめて、もう少し時間があればよかったのだが……ふむ」

 

 誰に向けてでもなく、そうつぶやきながら、彼は周囲を見渡す。やはり、見渡す限りあるのは無数の廃墟と、異常極まる空だ。しかしグレーレはそれらには目もくれなかった。みるべきものはない。というように視線を外し、そして無数の廃墟の中から一つ、無事な建造物を見つけた。

 

「なるほど、あそこか」

 

 それは、半円形の形をした白い建造物だった。

 他の廃墟のよう暗空間と比べても明らかにその様相は異なっていた。何処にも崩壊の後は見られない、幾つかの補修痕は確かに見て取れるが、それはつまるところその建造物が機能していることを示していた。

 つまり、あの建造物を維持する者がいると言うことに他ならない。

 

 飛翔術式を展開しグレーレは飛び上がるが、不安定に身体が揺れる。グレーレは苦笑いする。

 

「術もチューニングせねばな。いや、()()()()()か」

 

 やや不安定となった飛行を、新たな術式を重ねることで維持し、滑空するように落下しながら、彼は飛んだ。

 

「無事の再会を祈ります、王よ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「小鬼よりも弱い……」

 

 魔界の住民達からの襲撃を受けて、困惑している間に瞬殺できてしまうというなんともいえない状況に困惑する中、ジースターだけが淡々と行動していた。

 テキパキと捕らえた魔界の戦士達を全員拘束していくと、そのまま

 

「天拳代行とユーリを呼んでくる。少し待っていろ」

 

 そう言って、ウル達が降りてきたはげ山へと戻っていった。

 ウルとしてはアカネ達を探しに向かいたかったが、流石に何も分からないまま未知の世界をうろつくわけにもいかずに待機することになった。

 とはいえ、ぼおっとしているわけにもいかない。ウル達の目の前には現地住民と思しき戦士達がいる。話でも聞いてみるか、とウルは彼らに近づいた。

 

「バケモノめ!」

 

 が、残念ながら、向こうはまるでこちらに好意的ではなかった。

 

「酷いこと言われた……まあ、冷静に考えると今の俺の身体まともじゃないけども」

「なんだそのコスプレのような格好は!!巫山戯てんのかよ!!?」

「格好?なんだ、ドレスコードみたいなのがあるのか。魔界って」

 

 拘束された若い戦士(兜で容姿が分からないが、声の質からそうだと思われる)からの怒りの罵倒を受けながら、ウルは困惑する。とはいえ、ウルからすれば相手の戦士達の方がよっぽど珍妙な格好に見えるのだが、兎も角元気ではある。間違って怪我をさせたりだとかそういうことはないらしい。

 随分と頭に血が上っているが、少なくともウルとコミュニケーションを取ろうというのはこのウルと同じ年くらいにみえる少年以外いない。彼以外の戦士達は沈黙し、こちらを警戒している。喚く彼に注意を促そうと顔を歪める者もいるが、少年は気づいていない。

 

 だから出来れば彼から話を聞きたいが、もう少し冷静になって欲しいのだが……

 

「ちょっと、いい加減落ち着きなさいよ」

 

 そんな彼の様子を見て、リーネはやや呆れ顔で言う。すると少年はやや驚愕したような反応をし、再び叫んだ。

 

「なんで幼女がいるんだよ……お前等どこのドームから浚った?!」

「誰が幼女だコラ」 

 

 リーネはチョップを叩き込んだ。それで彼の頭が割れてしまわないか少し心配になったが、幸いと言うべきか、彼の脳天が割れる心配は無かった(代わりに痛みでじたばたもがいていた)

 

「そういやリーネって今何歳だっけ?もう15?成人だっけ?」

「そうね。小人が幼く見られることは時々あるけど、ここまで無礼なのは初めてだわ」

「こ、小人……」

 

 エシェルと会話を続けていると、再び戦士の男はなにやら驚愕に満ちた声をあげる。

 

「そんなの居るわけが無いだろ!」

「いや、目の前にいるが」

 

 ウルはリーネを指さすと、リーネは鬱陶しそうに手を弾いた。しかし彼女は紛れもなく小人だ。ウルの様に色々と例外になってしまっているのとは違い、一般的な小人との間に差異はない(精神的には大分異端だが)。

 つまり、魔界には小人がいない…?とウルが考えていると、彼は更に声を荒げた。

 

「そこの女もそうだ!付け耳なんて巫山戯てんじゃねえぞ!」

「え、わ、私!?」

 

 そう言って顔を向けたのは、先程から彼らが使っていた魔導銃をこそこそと弄っていたエシェルだった。彼女はびっくりしたのか身体を起こして、ウルへと頭を向けた。

 

「付け……耳?え、耳になにか付いてるか?」

 

 ピコピコピコと獣人特有の耳が動いた。ウルはエシェルの頭を撫でるようにして払ってやるが、特に何かゴミが付いてる様子はない。

 

「なんにも。安心しろ」

 

 そのまま耳を撫でるように揉んでやると彼女は嬉しそうにニコニコと笑った。その様子を見て戦士の男はなにか分からないが混乱した様子でブツブツと呟き始めてしまった。

 獣人もいない……?

 魔界の疑問が更に進む。とりあえず彼が落ち着くまで待つべきか、と、ウルはエシェルが握っている彼らの武装、魔導銃に視線を落とす。

 

「で、なにしてるんだ。エシェル」

「い、いや、全然見たことの無い物だったから興味があって」

「そういや、扱えるんだったな。魔導銃」

 

 エシェルは少し楽しそうに銃を動かしながら、銃口をそらへと構えた。

 

「ちょっと形式が違うから使い方が難しかったんだけど」

 

 そう言って、物は試しというように引き金を引いた。

 

「多分ほら、こうやったら撃て――――」

 

 次の瞬間、竜牙槍と間違うばかりの閃光が銃口から放たれた。ウルは目を見開いた。撃ったエシェルも驚愕に呆然となった後、慌てたように引き金から手を離した。

 

「――――びっくりしたあ!!?」

「いや、出過ぎだろ威力どうなってんだ!?」

 

 ウルも驚く。どう考えても先程の威力の比では無かった。流石にあれだけの破壊力があれば、ウルも死ぬまでは至らずとも丸焦げは避けられないだろう。先の包囲のとき、あまりに威力が低くて実はなにかの冗談が催されているのではと考えもしたが、どうやら決して冗談の類いでは無かったらしい。

 

「ば、かな……?!」

 

 が、どうやら、この破壊力はその戦士達にも予想外だったらしい。若い少年のみならず、捕縛された戦士全員が彼女が放った強烈な光を見て、どよめいている。

 

「あ、壊れてる」

「…………許容量を超えたのね」

 

 同時に、魔導銃が今の砲撃で無理が出たのか、方針の一部がひしゃげていた。まだ銃の形は保っているが、この状況では使い物にはならないだろう。つまり、今の火力は想定されたものでは無い。

 疑問、不可解。異物感。やはりなにかが決定的に噛み合っていない感覚だった。ウルは眉をひそめ、エシェルは途方に暮れ、そしてリーネは得心いったというように頷いた。

 

「ちょっと分かってきたわ」

 

 リーネはそう言って、そのままおしゃべりの少年の元へと近付く。そのまま彼の兜をぐいと掴むと、すぽんと外してしまった。

 

「ここら辺だけの現象かなとも思ったんだけど…」

「な、なにすんだ!?」

 

 やはり、というべきか、少年は若く見えた。黒髪の男。年は16-7程で、ウルとも殆ど年が離れているように見えなかった。が、リーネは彼の容姿についてはどうでも良いらしかった。彼女は冒険者の指輪で彼を指さして、囁いた。

 

「【名を示せ】」

 

 魔名を浮かび上がらせる魔術だ。魔物相手によく使用される魔術であるが、ヒトが対象であってもその魔名が浮き上がる、はずだった。しかし、

 

「魔名が……でない?」

「なに言ってんだお前等……」

 

 魔名は、出てこなかった

 ウルとエシェルは訝しんだ顔になったが、リーネは驚かなかった。

 

「魔名を示す魔術は、対象の身体から漏れ出す魔力を魔名の形にする」

「つまり?」

「彼は殆ど、魔力を体内に有していない」

 

 そういってエシェルは空を見上げるようにしながら、言った。

 

「此処は、魔力が薄いんだわ、すごく」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界④ 名前

 

 自警部隊はきつくて、汚くて、危険なブラック職だ。

 

 入る前、事前に浩介はこんな話を聞いていた。動画配信で職業説明をしていた配信者は随分とオーバーリアクションで語っていたが、本当なのか正直疑わしかった。

 

 しかし実際に入ってみると確かに3K職だった。

 

 ドームの外を動き回るのはきついし、汚染地帯の進行は汚い、なにより禁忌生物は危険だ。どうしって命の危険がつきまとう。ドームを護るのにもっとも必要な仕事だからと分かっていても、それくらいの名誉と自負が無ければとてもじゃないが続けられない。

 

 浩介はそれを理解した。一方で、この仕事が嫌になるわけでは無かった。

 身体を鍛え、災害と戦える力が身につくのは悪い気分では無かった。ドームで脳天気に生きている連中とは違う。問題が起こったときどう対処すれば良いのか、どう戦えば良いのかを知っているのとそう出ないのとでは雲泥の違いだ。

 

 浩介は強くなりたかった。【自警部隊】はまさにそれを得られる絶好の場所だ。

 

 1年経ち、1年前よりも強くなった。その自信が浩介にはあった――――この日までは

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 珍妙なコスプレ集団に拘束された浩介は、そのあまりの理不尽さに憤慨した。

 

 【光熱銃】は対人向けのものではない。禁忌生物用に使われる銃火器だ。

 人間に向けて撃てば、肉が吹っ飛ぶ。当たり前だが使用は厳禁の代物なのだ。

 

 なのに向こうはその高熱銃を直撃しても「あ、なんか熱い」とかいうバカみたいな感想を小さく漏らして、此方に対して反撃するどころか、優しく手加減して無傷で拘束してきたのだ。

 理不尽を遙かに超えた理不尽である。γ個体に殺された方がまだ腑に落ちた。

 

「……が、無い?そんなこと………じゃあ、私達……」

「衰弱……の心配は無い……でも、消費の回復が遅……」

「ま、温存していく………」

 

 そして彼らはなにかを調べ終わったのか、三人で再び話し始める。少しでも情報を探ろうと聞き耳を立てようと浩介は身体を動かすが、自分の身体を縛る奇妙ロープはまるで解けなかった。

 身に着けている強化スーツなら、半端なロープ程度容易に引き千切ることが出来る筈なのに、まるで千切れない。どうやら当人達のみならず、使っている道具まで規格外らしい。

 

「浩介。不用意に会話するな」

 

 すると背後から、隊長が小さく声をかけてきた。浩介は身体をうごかさないように返事した。

 

「ですが、隊長」

「“会話を介して、此方の情報を全て抜き取る技術を有してる可能性がある”」

「そんなバカな……」

 

 そんな、魔法のような事出来るわけが無い。そう言って笑おうとした。だが、背後に居る隊長の顔は見えないが、怒気のようなモノを感じた。つまり隊長は、今言ったことを本気で警戒しているのだ。

 

「隊長?彼らが何者か、知ってるんです?」

「…………」

 

 答えない。宍戸隊長は多弁ではないが、必要な事はちゃんと説明してくれる人だ。彼がこのように押し黙るのは珍しかった。一体何が、と、思っていると、不意に端末から激しい警告音が響いた。

 

「なんだ?」

 

 謎の不審者達も驚いたようにこちらを見る。だが、浩介にとってもそれは聞き覚えのない物だった。否、禁忌生物の警告音である事は間違いないのだが、ここまで激しく、聞くだけで不安を感じさせるような音は聞いたことがない。

 

「――――――まさか」

「Ω個体……!」

 

 隊長は、驚愕に満ちた声で叫んだ。彼は立ちあがると、少年の前に駆け寄り、焦るようにして叫んだ。

 

「頼む!!この拘束を解いてくれ!!!Ωが出現する!!」

「オメ……あの竜みたいなのか?」

「りゅ……、そうだ!!その超大型個体だ!!!」

 

 言っている間に、激しい地響きが発生した。浩介は座る事も耐えられず地面に突っ伏す。立ちあがってた隊長も倒れそうになったが、目の前の子供が手を貸して倒れるのをま逃れた。隊長は小さく感謝の言葉を告げようとしたが、次の瞬間、視線を別の方角に奪われた。

 

「……!」

 

 浩介が見るそれは、山が動いているように見えた。数十メートルはあろうという巨大な禁忌生物が動いているのだ。他の禁忌個体と同じ、なにかが溶解したかのような悍ましい泥の皮膚を身に纏った巨大な爬虫類のような姿。

 身体中に“涙”を纏い、それを撒き散らしながら前進する災禍の権化。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その、超大型個体を前に、浩介は絶句した。

 隊長が血相を変えた理由もすぐに分かった。あんなもの、本当にどうしようも無い。

 

「どっから出たんだアレ…?」

 

 にもかかわらず、少年の反応はどこまでも暢気だった。しかも、意味不明なことを言っている。

 

「禁忌生物だぞ!?【邪神の涙】に決まってる!!!」

「なるほど……なるほど……?」

「それより早く拘束を解いてくれ!!」

 

 拘束の紐は、本当にどう足掻いても千切れる様子が無い。だが、なんとしても動かなければならなかった。あんな個体が出現して、じっとしているわけには行かなかった。

 隣で隊長も叫ぶ。

 

「頼む!!後で幾らでも謝罪する!!!ドームの住民を避難させなければならないんだ!」

「あれは倒せないのか?」

 

 話が全然通じない。

 浩介は歯を食いしばるようにして叫んだ。

 

「出来るわけが無いだろあんなデカブツ!!」

「倒したら消去不能の黒炎をはき出すとか、倒した瞬間超パワーアップするとか、そういうわけじゃないと」

 

 それが分かればいい。

 と、少年は自分の身丈ほども在るような巨大な大槍を握りしめ、構え、そして歩き出した。山のような巨体で、凄まじい咆吼をあげるオメガ個体へと向かって。

 

「やるの?」

「沸いてくる理屈はまだ分からんが、アレがこっち来てるのは俺等の所為だろ」

「恐らくね。私たちの魔力に惹かれてるのかもしれない、よくわからないけど」

 

 橙色の髪をした幼女、の姿をした女が小さく溜息をついた。しかし先へと進む少年を止めようともしない。赤髪の付け耳をした女も同様だ。

 

「エシェル、こいつらの護衛頼む。リーネ、気配消しの結界描いといてくれ」

「わ、わかった!」

「了解。気をつけてね、ウル」

 

 そして、止める間もなく、少年は跳んだ。

 そう、跳んだ。浩介達のように強化服を身に纏うわけでも無いのに、まるで飛ぶように、空へと跳び上がった。浩介は絶句する。人間は普通、脚力で空を跳べない。ましてや、あんな重々しい中世騎士が身につけていそうな鎧を纏った生物が跳び上がるなんて、不合理の極みだ。

 

「……何の冗談だコレは」

 

 そしてそれは、浩介の所属する部隊員全員、同じ意見だったらしい。

 誰しも、最早拘束されている事を忘れ、空を見上げる。跳び上がった少年は大槍を握り、振りかぶる。禁忌個体は上空へと跳び上がった少年を睨み、彼の身体を喰らわんとするばかりに飛びかかる。

 

「【轟天】」

 

 そして少年が大槍をふり下ろした。飛びかかる禁忌生物の頭部を正確に狙い、たたき込み

 

『A――――』

 

 次の瞬間、禁忌生物Ωの頭部は一瞬で、()()()()()

 まさしく、文字どおり。肉片と血の雨と泥となって、撒き散らされた。巨体はぐらりと揺れ、そのまま残された肉体は地面に倒れ込む。再び地響きが起こったが、既に部隊の全員、驚き悲鳴を上げるようなことは無かった。

 

 ただただ、目の前の光景に絶句していた。

 

「…………は?」

 

 浩介は脱力した。

 自分のコレまで積み上げてきた知識、常識、努力、が禁忌生物Ωと共に砕かれる光景は、彼の価値観を粉みじんにした

 

 2度と、己は強いなどという思い上がりをするまいと彼は自分に誓った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「やっぱり、脆いな……」

 

 巨大な謎の竜を打倒し、ウルは改めての同じ感想を抱いた。

 この謎の竜”もどき”は酷く脆い。生まれたてのような印象だ。先程殴り抜いた頭部も手応えは頑強な竜のそれというよりも、それに似せた土細工を崩した感覚に近い。ハッキリ言って、この程度なら都市を守る騎士団達だけでも何の被害も出さずに打倒出来るだろう。

 そしてそれが何かしらの罠、と言うことも無いのだろう。現地住民、魔界で暮らす彼らの反応を見てもそれは明らかだ。彼らにとってこの竜達は、極めて危険な生物であり、彼らのいるコミュニティを崩壊させる危険性を秘めている。

 

 奇妙な脆い竜、そしてそれらすらも脅威に思う魔界の住民達。

 

 リーネのいう魔力量の欠乏が巡り巡ってこのような力関係を築いたのか?というのはなんとなく想像出来るが、ただの想像に過ぎない。結局、真相を知る者から話を聞いた方が話は早いだろう。

 

「随分楽しそうなことしてんじゃねえかウル。弱いモノ虐めか?」

 

 と、声がして、竜の死体から見下ろすと、グレンがあの洞窟から下ってきていた。彼は未だ意識を失っているユーリを背負い、ジースターも隣りにいる。問題なく合流できた事にウルは小さく安堵し、三人の傍に飛び降りた。

 

「ほれ、お前が背負え。片腕がないと面倒くさいんだよ」

「へいへい。で、ジースター」

 

 グレンからユーリを渡され背負いながら、ウルはジースターに向き直る。今重要なのは勿論、この状況を理解していると思われる彼の話だ。

 

「なんだ」

「どうもこの竜もどき、俺等に寄ってきているぽいんだが……」

「そうらしいな。気配隠しの術式が必要になる」

「リーネに描いてもらってる」

「ではまずそこに集まろう。移動時は簡易の気配隠しの護符で十分の筈だ」

 

 と、そんなわけで、グレン含めた全員が、再び拘束された魔界の住民達の所まで戻ってきた。先程と比べ、魔界の戦士達は幾分が落ち着きを取り戻していた……と、いうよりもウルが近付くとあからさまに顔を背けていた。なにか恐ろしいモノを見るような態度である。

 リーネへと視線を向けると肩を竦める。引かれたらしい。仕方が無いとはいえ、割とショックだったが、彼らが全滅を覚悟するような相手を一発で粉砕するような奴がいたらこんな態度にもなるかも知れない。

 そんなことをウルが考えていると、ジースターが彼らの元へと近付いた。膝を折り、拘束し座り込んだ戦士達の一人に話しかける。

 

「隊長は誰だ?」

 

 質問に対して、少しの間があったが、先程ウルに拘束の解放を求めていた男がすぐに立ちあがった。

 

「……私だ。君たちは何者か」

 

 その声にジースターは「ああ……」と小さく声を漏らす。そしてさらに言葉を続けた。

 

「貴方たちのドーム、Jー04だな?」

「……そうだ」

「案内して欲しい」

 

 ウル達には耳慣れない単語が幾つか重なる。一先ず此処は彼に任せるほか無いと、ウルはリーネ達に目配せした。グレンについては一人、本当に興味なさげに奇妙な空と、そこから零れる泥を眺めているので置いておくことにした。

 

「住民で無い人間を連れて行くわけには行かない。しかも危険だ」

 

 ジースターの提案に対して、隊長の反応は渋い。その反応はごもっともだろう。彼らはあの超巨体な竜”もどき”を脅威と認識していた。その脅威を一蹴できる正体不明の存在を自分たちのコミュニティに招くなんてのは真っ当な危機感があるなら絶対に拒否するだろう。

 ジースターもその解答は想像していたのだろう。隊長の頷き、隊長の前に彼は一歩進み出た。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

「なに?」

「は?」

 

 その疑問の声は隊長の男と、ウルが同時だった。

 驚きの強さであればウルの方が下手すれば大きいかも知れない。ジースターはウルの反応を無視して、隊長の男の顔を覗き込んだ。

 

「この顔に見覚えは無いですが、隊長」

 

 問われ男は暫し沈黙した。なにかを思い出すようなそぶりを見せ、それからはっと顔を上げると、慌てて彼は自分の兜を外した。先程リーネによって暴かれた少年と同じように黒髪の男、だいたい4,50程の年齢の男は、驚愕に満ちた表情でジースターの肩を掴んだ。

 

「お、お前、()()……か!?」

「本当に久しぶりですね、宍戸隊長」

「ジン?」

 

 無論、それはジースターの名前ではない。

 ウルが首を傾げると、ジースターは振り返った。

 

「ジースターは偽名だ。」

「ジースターの方が偽名だと?」

 

 ジースターは頷いた。()()()()()()()()()()。そしてなにか、小さな覚悟を決めるように息を吐き出すと、それを口にした。

 

「星野 仁という。此処が俺の故郷だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑤ 歓迎

 

 自警部隊と呼ばれる連中が使っていた魔導車らしきものに乗って、ウル達は移動を開始した。

 

 進む道は当然、廃墟の通りとなる。道は不安定で、ガタガタとしていた。

 小さな窓からのぞき込むと、幾つかイスラリアでも見たことが無いような魔導機が点在していたが、それらは既に機能を失っていた。ヒトの気配は全くない。空はどこまでも赤黒く、泥を垂れ流す、真っ黒な虚が一つあるだけだ。

 

 何処を見ても、未知の光景だった。とはいえ観光気分にもなれなかった。

 

「…………」

 

 自警部隊の戦士達は、やはりこちらに対して露骨に警戒して、魔導銃を常に構えていた。疑わしい動きがあれば即座に撃つつもりなのだろう。それが一切効果の無い物だったとしても。

 

「ウル、ウル、気まずい……!」

「まあ、刺激しないようにな」

 

 エシェルの頭を撫でながら、落ち着かせる。エシェルが彼らにどうこう出来るわけが無いというのは分かっているが、やはり敵意を向けられるのは慣れていない。しかし、今はひたすら彼女をなだめて、周りを刺激しないように沈黙し続ければ良いというわけではない。

 

 自分達の身を守るためにも情報は集めなければならない。ウルはジースターへと視線を向けた。

 

「ジースター……いや、ジンと呼べば良いのか?」

「ジースターでも良い。偽名と言ったがその名を名乗り始めて長い。どちらも俺の名だ」

「なら、ジースター。質問があるが、いいか?」

「ドームに到着するまでなら構わない。」

 

 了解、とウルは頷いた。

 

「……まず、ここは魔界でいいんだよな?」

「そうだ。お前達が呼称するところの魔界で間違いない」

 

 基本的な質問。しかしコレは聞かなければならなかった。事前、天賢王達から与えられていた情報から推測していたイメージと、かなり異なる場所だったからだ。

 

「なら邪神はここに居る?」

「大本がいる、らしいな。俺も詳細は知らないが」

 

 つまり、王の発言は間違ってはいなかった、と言うことだ。少なくともウルを騙すような事を仕掛けてきたわけではないらしい。まあそうだろう、ともウルは納得もした。アルノルド王は此方に伏せている情報は多かったが、しゃべれる範囲では誠実だった。誠実であろうとしていた。しょうもないだまし討ちはするヒトではない。

 では、次の質問だ。ウルは自分たちを囲う自警部隊の人達に視線を向ける。

 

「彼らは?」

「魔界の住民だ。ドームと呼ばれる巨大施設で暮らしている。我々で言うところの、都市国と考えれば良い。“ほぼ同じだ”」

「アンタはそこの出身者?」

「そうだ」

 

 ジースターのその答えに、隣で聞いていたリーネが首を傾げた。

 

「七大罪の竜の魂を使わないと魔界へは通れないんじゃ……?」

「イスラリアから魔界に移動する場合はな。だが逆にであれば、移動する手段はある。死亡率も高く、成功率はかなり低いが」

 

 手段、条件、しかも彼は七天の天衣である。気になる情報が結果として増えたが、しかし今はそこは置いておこう。ウルは更に質問を投げる。

 

「アルノルド王は、魔界にとって敵だよな」

「魔界にとってはそうだろう」

「じゃあ俺たちにとっても?」

「そうなるな」

 

 ジースターは平然と肯定する。ウルは眉間の皺を深くさせた。

 

「だが、少なくとも今から向かうドームに関しては、何の問題も無い。」

「理由は?」

()()()()()()()()()()()。敵と言ったが、相手にもならない。あるいは牢獄に入れられるかも知れないが、お前達なら素手で破壊できる」

 

 その言葉に、恐らく聞き耳を立てていたのだろう。周囲を囲う自警部隊の連中が僅かにざわついた。すぐにそれが収まったのは、彼らが訓練を受けた戦士達である証拠だろう。だが例え、彼ら規準でどれほどの訓練を受けていたとしても、彼らがウル達にとってどうしようもなく弱いのは事実だった。メンタル面では不安定さの残るエシェルや、完全な後衛担当のリーネですらも、恐らくそれは可能だ。

 

「……俺たち、そこにいっていいのか?」

「お前たちに現状を理解してもらわぬまま、敵対状況に陥る方がはるかに危険だと説明している。気にするな」

 

 当然の不安に対してジースターはしれっと返事している。それはつまり脅迫に近い説明なのでは?と思わなくもなかったが、考えないようにした。

 

「……アンタはドームの出身者。ならつまり、アンタは俺たちの敵になるのか?」

 

 天衣のジースター。彼がドーム側であるなら、そう言う事になる。

 変幻自在、七天の加護すらも再現可能な恐るべき力の使い手である彼が敵になったなら、容易い殲滅なんて事は絶対に出来ないだろう。むしろ自分たちが殲滅されたって何も不思議では無い。

 ウルは緊張感を持ってジースターを見た。場合によってはこの場で戦闘が起こる危険性すらあった。そしてウルの緊張も、ジースターには伝わったのだろう。彼は両手を挙げた。

 

「少なくとも今は戦う気はない」

「……分かった」

 

 その言葉にウルも緊張を解いた。すくなくとも、今、この魔界の事情に詳しい彼と敵対して何処に行けば良いかも分からなくなるような事態は絶対に避けたかった。最低でも帰る算段と、アカネ達との合流が出来るまでは派手な戦いはしたくない。

 気を取り直す。まだ聞きたいことはあった。

 

「ブラックは……魔界の味方なのか?」

 

 あの時、ブラックがアルノルド王を殺害しようとした光景を思い返す。元々ブラックは王への反逆を提案していた。あの夜に語っていた構想を何処まで信じて良いかは分からないが、王の敵、というのは間違いないのだろう。

 王の敵、ならば魔界の味方?と単純に考えてみたが、それに対してもジースターは首を横に振った。

 

「おおよそ、この世界の状況を理解してるが、アイツは誰の味方でもない」

「だよな」

 

 その答えも、しっくりきてしまった。彼が誰彼の味方につく姿が全く想像が出来なかった。そもそも、彼は王と魔界の対立構造とは別の第三陣営と考えた方が恐らく正しい。

 

「魔界は――――」

 

 続けて、ジースターがなにかを言いかけた。が、その前に車両の中で揺れが収まる。動きを止めた。窓の外から、半球型の白い建造物が見えた。その手前で車両は止まる。そしてしばらくすると、その手前に存在する扉が開き、再び車両は発進した。

 

 これから、あの白い建造物……つまりドームに入っていくのだ。

 

 魔界の都市国へとウル達は足を踏み入れた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「禁忌生物の侵入を避けるための地下車庫だ。ここから歩きでドームに向かう」

 

 ジースターの説明を受けながら、ウル達は巨大な地下通路への道を進んでいった。内部は地面も壁も乳白色の加工された奇妙な石で出来ていて、のっぺりとしていて現実感が無かった。バベルの塔の内部を通っていた時と似たような感覚だなとウルは思い出していた。

 

「通路は明るいな……魔灯か?」

「雷の力を利用している」

「雷の魔術?」

「そのようなものだ」

 

 ややザックリとした説明だった。ジースターは視線を此方に向けていない。どうにも意識が此方に向いていない。なにかに気を取られているような印象だ。あまりこれ以上色々と聞いても、真っ当な返事が返ってくる様子では無かった。

 ならば、と、ウルは少し歩みを遅くして、背後のエシェルとリーネに視線をやる。リーネは杖を握りながら、周囲を探っていた。

 

「魔力もあるわね。少ないけど、地上よりはマシ」

「よかった……」

 

 その言葉にエシェルは安堵する。彼女の戦い方は特に、魔力の消耗は激しい。魔力が枯渇した環境は自分たち以上に不安を覚えたのだろう。

 リーネ曰く、周囲の魔力が欠乏したところで、何かしらの不具合が出たり、あるいは身体が衰弱化したりするような事はおこらないらしい。肉体の変質は不可逆だ。ただし、魔力を消費した後の回復がおぼつかない。竜牙槍の【咆吼】も控えるべきだろうとのことだ。

 更に魔力を消費するエシェルの精霊の力、ないしリーネの白王陣も機能不全になる。特に白王陣は周囲の環境の魔力も大幅に消費する前提の代物なので発動は困難だ。その事実をリーネは苦虫をかみ潰した顔で説明していた。

 

「それでウル、これからどうする?」

 

 調査を止め、リーネは此方に問いかける。エシェルも縋るように此方を見た。

 確かに、どうすべきかは決めなければならない。ここまではあまりにも未知の出来事が多すぎて、混乱するしか出来なかったが、ジースターが味方とは言いがたいポジションに立つ以上、最低限の方針は決めておかないと、後々混乱したときに困る。

 

「グリードの撃破に貢献して、魔界への道を空けた。この時点で仕事は達成したと考えても良い筈だ。王に再会できたらその交渉は進める……んなこと言ってる場合じゃ無いかもだがな」

 

 他に選択肢が皆無だったとしても、一応はそうだ。ウーガの自治権やらなにやら、此方が望む限りの報酬を与えてくれるという約束だった。が、しかし、当たり前ではあるがそれらの報酬は全員無事の帰還を達成できなければ意味が無い。

 

「皆と合流して、王達も探し出して、情報収集。それが第一目標だろう」

「うん」

「そして、帰還ね。貴方もそれでいいですか?グレンさん」

 

 リーネが振り返る。一番後方で話を黙って聞いていたグレンは肩をすくめた。

 

「好きにしろよ。帰れるってんならついていくだけだ」

 

 実に、やる気の無い返事である。しかし彼の気持ちはウルにも分かった。

 

「グリード戦救助は本当に助かったが、今は単に巻き込まれてるだけだもんな、グレン」

「本当にな、俺なんか悪いことしたか?」

「昼間から飲んだくれてた?」

「ささやかな怠惰と暴食の罪にしちゃ重すぎる」

 

 流石に同情する気分になった。

 彼が来てくれなければ、確実にもっと被害は増えていたし、なんならグリードに勝つことすら難しかったのかも知れないと言うことを考えれば、感謝しても仕切れないが。

 

「まあ、お前等についてって帰って酒飲んで寝るだけだ。精々それまでは、ただただ後ろをついて回る妖精さんとでもおもっとけ」

「ひげ面のいかつい妖精だなオイ」

「なんだ、可愛い語尾でもつけてやろうか」

「マジで止めろ」

 

 とりあえず、それくらいの軽口を叩く余裕はあるらしい。肩の力が少し抜けて、助かった。

 

「兎に角、意思統一出来たな。まずは情報収集だ」

「で、でも、この人達についていって良いのか?」

 

 エシェルは不安げに周囲を見渡す。

 未だ魔界の戦士達は此方に対して敵意というか、警戒を剥き出しにしている。囲まれるのは落ち着かないのはそうだろう。ウルだってそう思う。が、しかし、

 

「他の皆も多分、それほどバラバラになったわけじゃ無いだろう。なら、目立つところに居た方が多分、分かりやすい」

「王達や、シズク達もともまた集まれるかな」

「難しくはないはずだ。ただ」

「ただ?」

 

 ウルはこの先に起こる出来事を想像し、小さく眉をひそめた。

 

「その後、どういう事になるかは、わからないが」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 長く続く地下通路を抜けて、ウル達は”ドーム”と呼ばれる場所にたどり着いた。

 

 遠くからチラチラと見えていた白い半円は、ドームの一部にすぎなかったのだと理解できた。そこは楕円形に広がる巨大な空間であり、その中に建物が建ち並んでいた。舗装された道があり、そこに奇妙な魔導機のようなものが何台も走っている。大罪都市エンヴィーで見た物に少し似ていた。

 見上げる天井はまるでイスラリアで見る空のように青い空が広がっていた。違和感はまるでなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、少し離れた場所で、()()()多くの人影が見えた。彼らは兵士達によって封鎖された道の向こう側から、興味深そうに此方を見つめている。彼らの姿はイスラリアに住まう只人の姿とそれほど変わりは無かった。

 

 魔界の都市国。魔界の住民達。

 

「なんだかよく分からんが凄いところだなあ」

「とんでもない光景の筈なのにその頭の悪い感想聞くと大したことない気がしてくるわ」

 

 ウルの頭の悪い感想に対して、リーネは渋い顔になった。

 

 ウルがそんな感想を述べている間にも、兵士達は慌ただしく動き始める。見れば彼らの移動する先に、彼らと同じような装備をした兵士達が立ち並んで、魔導銃を構えて此方を睨んでいた。当然それは歓迎の態度ではないだろうというのはウルにも分かる。

 ウル達をここまで連れてきた兵士達も改めて、ウル達から距離を取って包囲する。出迎えをした兵士達と比べ彼らはやや緊張が強いのは、ウル達の能力を知っているからだろう。

 

 そして、出迎えた兵士達の奥から、一人の男が姿を見せた。他の兵士達のように奇妙な鎧を身に纏ってはいない。立ち姿も戦士のそれでは無かった。50才ほどに見える細身の男。胸元に何やら勲章のような物がつけられている。恐らくだがこの土地の権力者なのだろう。

 だが、何よりも特徴的だったのは、彼の耳だ。長い耳。森人の耳。長命種の耳だ。

 

「森国代表!?何故此処に!?」

「ご苦労、宍戸隊長。下がれ」

 

 その男は此方を見つめ――――正確に言うと憎悪に満ちた表情で睨んでいた。

 

「イスラリア人。()()()()()ども。おぞましい、簒奪者達め」

「情報、集まりそうかよ」

「微妙」

 

 実に敵意に満ちた出迎えに、ウルは首を横に振った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冬の神殿② / 魔界⑥ 方舟

 

 冬の精霊・ウィントールの神殿に、エクスタインは足を踏み入れた。

 事前に聞いていたとおり、冬の神殿では目立ったことは何も無かった。神殿の体裁を維持していたものの、通常の小神殿のように、その精霊を崇拝し、管理する神官達や従者が集っているかと言えばそうではない。

 時折祈りを捧げる者もいるが、彼らの多くは名無しだった。祈りのまねごとをしているが、その殆どを精霊に献げることも出来ていない。官位の高い者達がいるわけでもなし、形だけの神殿、というほか無かった。

 

「申し訳ありません。シズクという少女のことは我々も知らないのです」

「そうですか」

 

 そして、その小神殿の管理者を務めるという老人から話を聞いても、答えは想像通りのものだった。勿論、その老人もまた、官位持ちの神官ではなかった。神殿の従者達が身に纏うような法衣の類いを纏っているが、単なる名無しだ

 

「名簿のようなモノは?」

 

 更に質問を投げると、彼は首を横に振る。

 

「我らが信仰対象である【冬の精霊ウィントール】を復権のため、竜や魔物達に対処し、前項を重ねることは我々の目標です。ですが、それは組織的に動いてのモノではないのです」

「各々が、勝手にやったことだと?」

「恥ずかしながら、そうなります。そもそも我々は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それは?」

 

 更に確認する。此所を調査した騎士達からの情報は確認しているが、やはり実際に確認する必要はあった。

 

「場所が場所です。魔物避けがあるとはいえ、【太陽の結界】もないこの場所では、完全な守りが約束されるわけでも無い。実際に此所で暮らしている者は少数です」

「それ以外の者達は?」

「【名無し】として、都市と都市の間を移りゆく途中で、此所を利用する者も多いのですよ。ほら、あのように」

 

 小神殿の周囲を彼は見渡す。彼を含めた、神殿の法衣を身に纏った者達の他に、何人かの名無し達の姿が見えたしかし彼らが、信仰のために人々が集っているという様子はない。神殿の隅で身体を休めている者や、食事を取る者、中には一角を使って商売なんかを始めている名無しまでいる。

 なんというか、混沌としていた。

 

「組織と言うよりも、寄り合いという具合だと」

「此所は“止まり木”としての役割に近いのです」

 

 “止まり木” 

 都市と都市を移動する上で、魔物達の脅威から逃れるため、名無し達が用意した簡易拠点。その存在はエクスタインも知っている。ウル達が教えてくれたからだ。

 しかし、グラドルとスロウスの狭間の場所。確かに、スロウスという土地が健在であった頃は、この場所の利便性もあったのだろうが、今あの地は死と不毛の大地だ。

 

「強い魔物の出る一帯を通ってでも、此所を利用するのですか?」

「だからこそでしょうか」

「ふむ?」

 

 少し極端な話ですが、と、彼は前おいて続けた。

 

「魔物の脅威があるからこそ、都市民の皆様は神官の皆様は、あえて近づきません。逆に我々名無しにとって、魔物の脅威という者は常にあること。そして、冒険者のように鍛えられてもいない我々にとって、魔物の脅威という点では、強かろうが弱かろうが、あまり大差ないのです」

 

 どのみち上手く躱せず、対峙してしまえばどうしようもないですからな、と彼は肩を竦めた。

 

「しかし、危険な一帯を抜けてさえしまえば、此所は比較的居心地が良い。魔物は他の場所と比べれば少ないですし、他の都市の目も届きにくい……言っては何ですが、ここに来る者は、少なからず、脛に傷を持った者が多いのです」

 

 尤も、邪霊と呼ばれる精霊を信仰する我々も例外ではないのですが、と彼は笑い、「なるほど」とエクスタインは納得した。

 此所は、決して何もかも安全な場所ではないが、一方で、後ろめたいところのある者にとっては、心地の良い場所でも在るのだ。都市国の目から遠く、魔物の数も少ない場所。

 そして、それ以上に後ろめたい者は、そのまま西にある【穿孔王国スロウス】へと流れることも出来る。

 此所は、真っ当に生きる者は知り得ない、“裏の交通路”なのだ。

 

「このような場所で、神殿が維持できているのは、利用者達が修繕などを行っているから、というのもあります」

「外の魔避けも?」

「ええ。まさしく“止まり木”です。」

 

 なるほど、これは()()()()()に建てられている。

 

 神官、都市民達にとってすれば、あえて向かうことなどまず無いような、各領の狭間の場所故、その目からは隠される。一方で、神や精霊達に縁の遠い名無し達にとってこの場所は利便性が高く、悪意では無く善意と好意によってそれが維持される。そして邪霊に忌避感のない彼らは、実利的な恩恵に感謝する。中には信者としての衣を羽織る者もいるだろう

 

 悪意に見すぎているだろうか。しかし―――

 

「此処に、魔術工房のような場所もあると伺っています」

「ええ、ありますよ。どうぞ此方へ」

 

 背後のファイブとナインに目配せすると、二人も頷いた。案内のまま、三人は工房へと脚を進めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔界

 Jー04地区 東南部、旧大型ヘリポート前にて

 

「ふう」

 

 元七天の勇者、ディズは幾つかの廃墟を跳び移りながら、この一帯で一番の高所の高層建築物の屋上にたどり着いた。周辺の景観をもっとも広く見渡せる場所だ。

 あのブラックが開いた魔界の門に吞まれた後、ディズはいち早く目を覚まし、自分が魔界に到着したことを理解した。魔界という場所は彼女にとっても未知だったが、まったくの想定外に直面すること彼女にとって日常だったため、回復は早かった。 

 自分の身体に怪我が少ないことを確認し、この場所に魔力が少ないことも理解し、比較的安全な場所を把握し、その後は素早く仲間達の捜索へと移った。

 

「王。ご無事ですか?」

 

 幸いにして、アルノルド王も発見する事は叶った。

 ただし、状況はあまりよくない。グリードとの激闘を制したアルノルド王は、その結果、大きなダメージを背負っていた。当然、神薬を飲ませてその傷は回復させたのだが、それでも彼の顔色は悪いままだった。今も彼は廃墟の中に転がっていた簡易のベッドに横たわっている。

 

「……すまないな。既に七天でもないというのに」

「その建て前が大事なら付き合いますが、貴方が敬愛すべきイスラリアの王であることに変わりはありません」

 

 ディズの帰還を見て、王はベッドから身体を起こすが、その動きは緩慢だ。

 表情は何時も通り平然としているようにみえるが、黄金の髪もどこか色褪せて見えるのは気のせいではないだろう。

 

「散策の途中、奇妙な魔物が出現しました。が、強さは精々、10階級前後で大したものでは在りませんでした。念のため気配遮断の術式を敷きますが、問題はないかと」

「そう、だろうな」

 

 王はディズの言葉に対して驚くでもなく、納得したように頷いた。

 やはり彼は、多くの事を知っているのだろう。ディズも魔界の存在は聞いている。だが、流石にこのような奇妙な景観であることまでは知らなかった。

 七天という立場であっても、情報は伏せられていた。しかし、王があまり多くを語れないこと、それ自体は覚悟の上だった。

 それでも聞いておかなければならないことはあった。

 

「王よ、魔界とは、なんなのでしょうか」

「……」

 

 王は守る。イスラリアを守護する。ディズのその意思は変わりない。だが、果たして自分はその為に何と戦うことになるのか、その理解と、納得が欲しい。ディズの願いは当然だった。

 それを察してか、王は目を瞑り、小さく呟いた。

 

「すまない」

 

 それが、彼にしては珍しいくらいに心底申し訳なさそうな声で、ディズは失礼ながら小さく笑ってしまった。ばつの悪そうな子供と向き合っているような気分である。実際は彼の方がよっぽど年上なのだが。

 

「謝罪は必要ありませんよ。ユーリに怒られてしまう」

 

 ディズはそういって、気配隠しの術式の準備をする。この場所ではどこまで術を維持できるかわかったものではないので、できるだけ丁寧に術式を刻んでいった。

 術式を刻み終わったら、また全員を探しに行かなければならない。まだ、見つけたのは王を含めて”三人”だけだ。グレーレなどは、一人でもやっていけるような男だが。後衛のリーネなどは一人ではぐれて締まったりしていたら危険だ。ウル達と合流できていればいいのだが――

 

「勇者よ」

「はい」

 

 王が再びベッドから声をかける。振り返ると、彼は少しだけ身体を起こし、そして真っ直ぐに此方を見つめていた。強い眼差しだった。黄金の眼光が真っ直ぐに此方を射貫いた。

 

「“皆”を守ってくれ」

「承知しました」

 

 ディズは跪き、頭を下げる。

 無論、それはディズにとって言われるまでも無いことだ。

 だが、言外の意味があることに彼女も気がついていた。

 

 念を押さなければならない事態が、やってくると?

 

「父上」

《たでーまー》

 

 だが、それを問いただすよりもはやく、ディズが発見した仲間達、スーアとアカネがやって来た。二人はディズとは別に、周囲の探索を行っていた。この魔力の薄い魔界では、スーアの力はやや不安定であったため、アカネの補助と併用しての作業だった。

 

《しゅげーつかれたー》

「お疲れ、アカネ。スーア様、他の皆は見つかりましたか?」

「そちらはまだです。ですがその代わり」

 

 そういって、彼女はベッドにいる王へと視線を向けた。

 

「邪神の場所、とおぼしき場所が判明しました」

「―――ああ」

「ただし、魔王の気配も近くに」

 

 次の瞬間、王が立ちあがった。

 

「行くぞ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ――この世界を去っていった邪悪なる者達が居た。

 

 JP-04ドームの住民は、六才の時から学校での教育を受けるのが義務となっている。

 そこでは今後ドームの中で生きていくために必要な知識を身につける。文字の読み書き、算術、社会的常識、多種多様な知識を与える。そして子供達がどのような職務に適性があるのかを計っていく。

 

 しかしその中で、歴史の勉学については、“学校”の教育の中でやや趣が異なっていた。

 

 ――彼らは、太陽を奪い。青い空を奪った。

 

 なにせ、ドーム内の社会で生きていく上でその知識は何の役にも立たない。ドームの中での生活は常に余裕は無い。限られた資源を活用するために常にカツカツだ。出生制限も行われている。

 

 にもかかわらず、何の益にもならない歴史の勉学を、学校では熱心に教える。

 

 ――天から飛来した奇跡の【星石】を独占し、奪い去っていった。人ならざるヒト。

 

 そしてそれは、過去からの教訓を教える為のものでは無い。

 自身の今居る場所の成り立ちを教え、地盤を確かな物とするためでもない。

 里心を与える為でも、未来を見据えるためのものでも無かった。

 

 ――我々は、取り戻さなければならない。倒さねばならない。

 

 かつて、受けた仕打ちを、敗北を、屈辱を、呪いを、末代まで引き継ぐためだった。

 

 ――呪わしき、イスラリア人どもから取り戻さなければならない

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「俺たちが、奪った?」

「そうだ……!」

 

 代表者、モリクニと呼ばれているその男から語られたこの世界の成り立ちに、ウルは眉をひそめる。彼は、憎悪に満ち満ちた表情で、親の敵をみるかのような血走った目でウルを睨み、指さして、叫んだ。

 

「約1000年前!!この世界は幸福に満ちて居た!!世界には笑顔が満ちていた!!空は蒼く晴れ!!遍く全てが人類のものだった!!」

 

 彼の言葉に、周囲の兵士達が呼応するように殺意をあげているのをウルは感じ取る。モリクニの語る言葉は、此処に居る兵士達にとっても当然の常識なのだとわかった。

 

「だが、貴様等はそれを奪ったのだ!万能の力、魔力の源となる奇跡と共に!!!」

 

 そして、と彼は空を指さす。ドームの天井には青空が広がっていた。作り物の空。そしてその中心には、眩く輝く光が見えた。太陽の輝きがそこにはあった。彼は、それを指さしていた。

 

「【方舟イスラリア】と!邪悪なる【()()()()()()()()()()】によって!!」

 

 ウルは、小さく一歩後ろに下がって、リーネに声をかけた。

 

「……今、えらいこと言ったな?」

「……言ったわね」

 

 リーネも、その隣りに居るエシェルも、反応はウルに似ていた。

 

「お前等、イスラリアから来たのか……!?」

 

 不意に、先程ウル達をここまで連れてきて、そして今取り囲んでいる兵士の一人がウルに語りかけてきた。奇妙な兜を被り直しているが、声からそれは先程拘束していた際にこちらにつっかかってきていた少年だと分かった。

 

「来たが、お前等もイスラリアを知ってるのか?」

「知ってるに決まってるだろ……!!」

 

 兜の下の彼の表情は分からない。が、その声音は先程、此方に対して遮二無二に突っかかっていた態度とは質が違った。心底から湧き上がる憎悪が声を通して此方に浴びせられるのをウルは感じ取った。

 彼だけではない。彼の回りにいる兵士達全員からも、その気配は感じられた。

 

「【涙】を垂れ流して俺たちの世界を腐らせるクソッタレ!【方舟イスラリア】を知らねえヤツはこの場にいねえよ!!!」

 

 此処にたどり着いたときから、ずっと存在した空の黒い太陽。見るだけで感じる禍々しくも不吉な悪寒を感じずにはいられなかったソレが、ウル達の故郷であると少年は断言した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑦ 加害者

 ―――かくして、【方舟イスラリア】は この世界から去って行った。

 

 万能資源。魔力を生み出す奇跡の鉱石、【星石】。

 混迷するこの世界を救済する可能性を秘めた【星石】という奇跡を奪い去った。その力を使い、次元を超え、誰にも追えぬ場所へと消えてしまった。

 多くの人類が彼らが逃げた先、空に空いた穴―――“暗黒の太陽”へと挑んだが、それは戦いにすらならなかった。干渉することすらままならず、人類の敗北の象徴とでもいうように、空にぽっかりと在り続けた。

 

 しかしそれだけだったら、まだマシだっただろう。それだけなら、まだ救いはあった。

 

 年月が経ち、黒い太陽が、日常となり始めてからしばらくの後、黒い太陽は突然、真っ黒な呪わしい“涙”を排出し始めたのだ。正体は不明だったが、それが決して喜ばしいものではないのは誰の目にも明らかだった。

 別次元に存在するはずの“太陽”から零れたその汚泥のような物質は、地上へと届き、空を塗りつぶし、そして奇妙な生命を産んだ。

 

 地上で、この惑星の生態系からは隔絶した、自然の摂理から大幅に外れた生命体。毒と呪いを撒き散らし、地上を汚染し、空を穢し、海を淀ませた。【禁忌生物】と呼ばれるようになるそれらは、数百年間の時間をかけて彼らの世界を破壊し続けていた。

 

 空を浮かぶ暗黒の球体に全人類の憎悪が向けられるようになるのは、一瞬だった。

 

                  ~悪しき方舟の記録より抜粋~

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……あ、あの禍々しい太陽が、イスラリア大陸……?!」

 

 エシェルは驚き竦むような声をあげた。

 ウルもその気持ちはよく分かる。このドームとやらにたどり着くまでの間に、空にはずっとあの黒球が浮かび上がっていた。どう足掻こうとも、目を瞑って歩こうとでもしない限り目端にそれは入り込む。その度に背筋に悪寒が走るような気分だった。

 それが、まさか自分たちの故郷であるなどと、受け入れるのは難しい。だが、一方で腑に落ちるところはあった。

 

「……邪神、なるほど」

 

 邪神の涙、という言葉をあの少年が使ったとき、ウルは少し違和感を覚えていた。

 邪神と言う言葉、どう考えても神に対する蔑称だ。そしてウル達イスラリアの住民が魔界の神を”邪悪なる神”と呼称するのは別に違和感が無いが、魔界の住民が自分たちの神を邪悪と表するのはやや違和感があった。あるいは、この魔界でも、危険な存在なのかとも考えたが、どうやら違ったらしい。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「死ね」

 

 声が聞こえてきた。少し距離を置いた、魔界の住民達からの声だった。

 声は怒りに充ち満ちていた。そしてその怒りは、周囲の住民達にも伝播していった。

 

「死ね!!」「死ね!!」「死んでくれ!!!」「お前達の所為だ!!!」

 

 エシェル声を出さずに怯えて、ウルの背中に近寄った。ウルはユーリを背負い直し、リーネとエシェルを庇うように前に立つ。ジースターはその殺意の大合唱に対して無言を貫いた。彼らに殺される心配は、正直なと殺してはいないが、しかしこうして直接的に悪意を叩きつけられるのはなかなかに堪える。

 さて、どうしたものか、と、考えていた時だった。

 

「なあ」

 

 短く、しかし力強く通る声がウル達の背後から響いた。木霊するように反響していた殺意の大合唱を打ち消すその声は―――

 

「この眠てえ話は何時まで続くんだ?」

 

 誰であろうグレンから発せられた。

 彼らからの視線を集めたグレンは、バリバリと頭を掻きながら、気だるそうにウルの前に立った。そしてふてぶてしく欠伸を一つ、彼らの前でかましながら、

 

「ガキ相手にピーピーキャーキャーとなっさけねえ」

 

 凄まじくバッサリと切って捨てた。

 少し間が空き、そして先程よりも更に激しい、怒号のような罵声がグレンに集中した。先程ウル達に向けられた物の比ではない。にもかかわらずグレンは実に平然とした顔をしていた。

 

「貴様!!お前達がどれほどの罪を!!」

「罪?」

 

 そして不意に、罵声を浴びせる兵士の一人に視線を向ける。グレンは小さく嗤った。

 

「1000年前だったか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グレンの声は、シズクのように美しい鈴の音のようでもなく、アルノルド王のように重く響き渡るわけでも無い。直球で強く、鋭く、そしてよく通っていた。

 

「同情くらいはしてやるよ。それで?だから1000年後の子孫である俺らに罪があると」

「……当然だ!!」

「俺たちは当事者じゃねえ。だが罪人だってか?」

「今もイスラリアから流れる邪神の涙は大地を穢してんだ!!お前等は現在進行形で加害者なんだよ!!俺たちの中には家族を失ったヤツだっているんだ!お前等の所為だ!!」

「それを知らなかったとしても?」

()()()()()()()()()!!!」

 

 そして、その言葉を聞いた瞬間

 

「へえ、そうかい」

 

 小さく、冷たく、壮絶に、グレンは笑った。

 その笑みに込められた、並ならぬ激情に、その場にいる全員が思わず息を吞んだ。

 

「なら、お前等はどうなんだ?」

 

 グレンは一歩近づく。

 

「今、イスラリアじゃ、竜や魔物って呼ばれる“怪物”が大地を暴れて、人類は住む場所を追われてる。住む場所は限られて、大地は竜の悪意によって穢されている」

 

 大罪竜ラースの【黒炎砂漠】

 大罪竜スロウスの【不死の荒野】

 大罪竜ラストの【無尽森林】

 大罪竜プラウディアの【陽喰らいの儀】

 

 イスラリア大陸に今現在、多種多様な災害や汚染が発生し、様々な形で人類が地獄を見た。ヒトは限られた土地に追いやられ、天賢王の力によってなんとかその身を守っている。このドームと同じように。

 ジースターも言っていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「お前等さ、()()()()()()()?」

 

 深い沈黙が兵士達の間に訪れた。怒号のような怒りの代わりに、彼らの間に満たされたのは困惑だ。グレンの語った情報が、彼らの知る情報とずれていたのだ。先程まで元気が良かった少年も、周囲に視線を彷徨わせて、答えを求めている。

 そして彼らの視線は最後、モリクニへと向けられる。自分たちのトップへと、答えを求めた。そしてモリクニは、歯軋りするような表情で、苦々しくその言葉を吐き出した。

 

「……当然の権利だ。そして、それのなにが悪いというのだ!」

 

 反撃を認めた。

 住民達や、兵士達に動揺が走る。それをかき消すようにモリクニは叫んだ。

 

「そのままでは我らの住まう大地は穢され、殺される!それに対抗する事の何が間違いだ!!先に手を出してきたのはお前達の―――「ああ、いいんだよそんなのは」

 

 しかし、そんなモリクニの弁明、反論をグレンは制した、肩をすくめて、鼻で笑った。

 

「どっちが先に手を出しただとか、どっちの方が悪いだとか、ガキの口げんかみたいな話、欠片も興味がねえ。お天道様……いや、邪神様に向かって好きなだけ喚いてろ」

 

 モリクニは顔を真っ赤にさせたが、グレンはまるで気にしない。そして周囲の者達が二の句を継ぐヒマも与えず、更に言葉を重ねた。

 

「言いたいことは一つだ」

 

 ウルはその時、嫌な予感がしていた。ジットリとした不安が、汗となって流れ落ちた。その悪寒は誰であろう、グレンから感じられた。

 彼は損なわれた腕をかざしながら、言った。

 

「俺の嫁と友人達は、イスラリアで発生したバケモノに殺されたんだ」

 

 場の空気が、冷えた。

 住民達や、兵士達の中渦巻いていた怒りと憎悪の熱とは対極の冷気が巻き起こった。

 自分達が、被害者から、加害者へと変わったことに対する、困惑と動揺だった。

 

「お前らの理屈で言えば」

 

 そして、その混乱している連中の背中を蹴り飛ばすように、グレンは嗤い、無事な方の拳を握りしめた。金色の籠手が、強い音を放つ。それは悪意を浄化する鐘の音では無かった。敵対者をたたきのめす、威圧の咆哮だ。

 

「っが!?」

「な、なに!?」

 

 途端、ウル達を取り囲んでいた兵士達、それに野次馬のように集まっていた住民達全員に、上から力が降り注いだ。単純な重力の魔術だ。それが彼らの身体を押さえつける。強い魔術では無かったが、貧弱な彼らの身体を押さえるには十分な力を有していた。

 

「俺が、お前らにやり返すのも、当然の権利だよな?」

 

 そう言って、グレンは兵士達―――を、無視して、集っていた野次馬達の前に立つ。身じろぎ一つ出来ずに、悲鳴と恐怖の声を上げていた彼らは、目の前まで近づいてきた大男の姿に目を見開き、恐怖した。

 

「ま、待て!!!」

 

 近くで、道を閉鎖していた兵士の一人が叫ぶが、彼も動けない。その兵士に向かって、グレンは先ほどと変わらないような、軽快な笑みを向けた。

 

「ここにいる連中は死んでも、当然の報いだろ?」

「我々は!!彼らは()()()()()()!!イスラリアの内情なんて―――」

 

 そこまでいって、兵士は口を噤んだ。その場の全員、言葉を失った。

 グレンはゆっくりと首をかしげ、兵士の顔をのぞき込むようにして囁いた。

 

()()()()()()()()()()()()?―――言葉には責任を持てよ?」

 

 そしてそのまま、拳を強く握りしめる。

 

「お前等が言ったことだ。反論しないガキどもにむかって、楽しそうにな」

 

 グレンの目の前には、頭を抱えてうずくまる男がいた、泣きながら震える女がいた。その女に抱きしめられる子供がいた。彼らは等しく、目の前の災害に対して、なんら抵抗できずにいた。

 

「ステキな理論じゃねえか。俺も躊躇する理由が無くなった」

 

 そう言って、彼は掲げた。振り下ろせば間違いなく、その場にいる全員、粉砕されるほどの拳が高々と、見せつけるように持ち上がる。グレンの言葉に威圧されていたウル達には止める暇も無かった。

 そして、

 

「―――済まないが、それは勘弁してもらいたい。」

 

 それが振り下ろされる直前に、ジースターが天衣の剣を構えて、グレンの前に立ち塞がった。グレンは、目の前に現れたジースターに目を細め、そして―――

 

「冗談だよ。かったりぃ」

 

 グレンは心底面倒くさそうに、殺意を解いて肩をすくめた。

 同時に、周囲の彼らに降りかかっていた“圧”が解ける。全員が呆然とする中、グレンは先ほどまでウル達に罵声を浴びせていた民達に笑いかけた。

 

「仲良くしようぜ?加害者同士な」

 

 そしてその言葉を皮切りに、彼らは逃げ出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「迷惑をかけて済まない、黄金級」

「しょうもねえ、こんなこと俺にやらせんなよ、七天」

 

 背後の悲鳴と絶叫に背中を向けて、二人はウル達の元へと戻っていった。示し合わせたはずも無いだろうに、互いにねぎらいの言葉を投げ合う。そしてそんな二人の様子を見て、先ほどグレンに威圧されていたモリクニは叫んだ。

 

「星野!!裏切ったのか!!」

「違います」

 

 ジースターは淡々と告げる。明かされた正体を考えるとモリクニという男は彼より上の立場である筈なのだが、そんな印象は無かった。

 

「ならば連中を拘束しろ!その為の兵器も入手できたのだろう!?」

「不可能です」

「何故だ!?」

「彼らはその力に並ぶか、それを上回る兵器、“そのもの”なのです」

 

 モリクニは絶句した。

 

「彼ら全員と敵対すれば、自分では対抗できないでしょう。このドームの全ての兵士、全ての兵器を破壊し、住民を惨殺できる。そうしないのは、単なる彼らの善意故です」

「そ、そんな存在を、何故ドーム内に……!!」

「何一つ理解してもらえぬまま、敵対関係となってドーム壊滅する危機を回避するために必要な処置と考えました。我々には、彼らの慈悲に請う以外の手段がない。ご理解ください」

 

 そこまでジースターが説明し、ようやく彼もまた自分たちの拠点に、自分たちでは全く手に負えない存在がやって来たのだと自覚したらしい。

 

《森国代表!!!》

 

 と、そこに、新たに叫び声が聞こえてきた。

 ややノイズの混じったようなその声は、通信魔術で聞こえてくる音声に似ていた。そしてモリクニは手元の、何かしらの魔導機を手に取って、喋り始める。

 

「次から次へとなんだ!?」

《侵入者です!!》

「そんなことは見たら分かる――――」

《此処ではありません!》

 

 モリクニの顔色が変わる。戦士達も同じく。

 

《Jー00 中枢ドームが襲撃を受けました!!》

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 Jー00 中枢ドーム

 そこは一般市民の立ち入りも禁止された、選ばれし研究職員のみに許される特別ドームだった。ドーム内の運営状況や、市民の管理、生存維持のためのライフラインの管理まで担う、言わば政治の要とも言える場所である。

 

 しかし、この場所の役割は政治ではない。

 

 対イスラリア反攻作戦本部。

 この場所は戦争の最前線だった。世界中から万能物質とその制御端末を奪い去ったイスラリアに対抗するための場所だ。イスラリアから溢れ出る汚泥、そこから出現する【接触禁忌生物】の対処が彼らの役割だった。

 万能物質争奪戦争から途方もない年月は流れ、世界は接触禁忌生物らの寝食に苦しみ、やがて世界との繋がりは立たれた。人類は自らその命を守る必要性に狩られていた。【J地区】の安全はJ-00の彼らによって保たれているといっても過言では無かった。

 

 その場所が今、滅亡の危機に瀕していた。

 

「弱いモノいじめも嫌いじゃねえんだが、ここまで戦力差あるとつまらんな?」

 

 あらゆる防衛機構を、真っ黒い男が正面から粉砕していった。あらゆる禁忌生物を一方的に焼き切ることも出来るような兵器を、その男は正面から破壊し、まるで玩具を相手にするかのように破損していく。

 理不尽だった。研究者達が賢明に重ねてきた努力と研究の成果が、あまりにもなんでもないというように壊されていく。

 逃げ惑う研究者達の悲鳴は、恐怖によるものではなかった。今日まで彼らが続けて、培ってきた常識が理不尽に踏み潰されて崩壊していく断末魔だ。

 

「とはいえ、手応えなさ過ぎてもなあ」

 

 無論、此処を守る兵士達も居る。彼らもまた、J地区を守る上での最重要施設を守る一流の戦士達だ。しかし彼らもまた、あまりに理不尽に粉砕されていく。

 戦って、死ぬならまだ良かった。脅威を相手にして死ぬ覚悟なら彼らには出来ていた。だが、まるで羽虫を除けるように”黒い闇”に薙ぎ払われて、兵士達は吹っ飛んでいく。それだけで彼らは叩きのめされ、倒れていく。

 

()()()()()()()()()()()、まあ、なあ?少しくらいは仕方ねえわな?コラテラルダメージってヤツさ」

 

 黒い男は戦いのために身がまえるような姿勢すら見せていない。小蠅を払うように動作を繰り返すばかりだ。その度に弾け、砕け、血飛沫が飛び散っていく。

 そんな相手に、どれほど懸命に抵抗したとしても、ゴミクズのように薙ぎ払われるのは、屈辱を通り越していた。今日までを懸命に生きていた兵士達の人生そのものに対する陵辱に他ならなかった。

 

「アルももう向かってきてるだろうが、さて、間に合うかね?」

 

 だが、黒い男はそんな彼らの屈辱を無視してひたすらに前へと、幾つもの階段を下り、カードキーによって施錠された扉を破壊し、許可無き者は研究者でも立ち入れない程の深く、研究施設の最深部へと突き進む。

 

「上手く行ったら奇跡みたいなギャンブルだ、楽しいねえ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑧

 

 【J-00 中枢ドーム】前

 

 スーアが探し出した廃墟の中にあって無事だった建物。白い半球型の建造物。

 

 一見して出入り口は無いようにみえる。どのようにして作られたのかは分からないが、白い、継ぎ目のない金属とも石材とも事が出来ないように見える壁で全てが覆われている。少し、生産都市にも造りが似ている。

 作りも近いのだとすれば、恐らくは出入り口は表向きには存在していない。わかりにくい場所に用意してあるのだろう。

 しかし、今回は探す必要は無かった。壁のど真ん中に大穴が空いていたからだ。周囲に残る揺らめく闇から、それが誰の所業かはハッキリとしていた。

 

「魔王が既に動いていたか」

「酷いな」

 

 内部も在らされた状況だ。中の住民達が彼方此方に倒れて、呻いている。様々な物が崩れて崩壊し、その後が道標のようになって奥へ奥へと続いていた。

 

「どうしますか」

「無論、追う」

 

 ディズの問いに、アルノルドはどんどんと前へと進む。出来れば自分が先に偵察した後に、後から続いて欲しいのだが、スーアもそんな彼を咎めようともしない。

 ユーリに死ぬほど怒られるな。と、そう思いながらも王へとディズは追いつく。

 

「王」

「尋ねたいことは多くあるだろうが、済まないが今は後だ」

 

 声をかけるが、この調子だ。露骨にディズとの会話は避けられていた。スーアに視線を向けても、彼女は彼女でふいっと露骨に此方から視線を外す。その仕草はあまりにわざとらしくて少し可愛らしく見えてしまうのは言わないでおいた。

 

《ダメそうね?》

 

 此方に話しかけてくれるのはアカネだけである。緋色の剣となっている彼女にディズは笑いかけた。

 

「そうだね。まあ、魔界の現状については、ある程度推測もたつけど」

《めいたんてい?》

「伊達に、どの七天よりもイスラリア中を飛び回っては居なかったからね」

 

 黄金不死鳥の業務と併せて、他の七天以上にイスラリア中を飛び回っていたディズは、その結果、過去の時代の情報を断片的に収集していた。過去に重きを置かないイスラリアの風潮故か、あまり情報は残されていなかったが、それでも塵も積もればという風に、理想郷時代、そしてそれ以前の時代の輪郭を、ディズは曖昧であっても掴んではいた。

 無論、確証に至るものでは無かったし、誰かに口にするような内容でも無かったのだが、おかげで現地似こうしてたどり着いた後も衝撃はそれほど大きくは無かった。

 ただ――――

 

「っと、アカネ」

《んにゃ》

 

 殺気を感知し、ディズは動く。脇道に逸れた場所から、魔界の兵士が魔導銃で此方を狙っていた。火力がどれほどかは不明であるが、当然、王に向かって撃たせるわけにもいかなかった。

 

「バケモノめ!!!」

 

 金属の廊下を彼女は跳ぶ。床、壁、天井、跳ね回るような挙動で一気に近付いてくる彼女に、兵士は驚愕に声を震わせた。

 

「ひっ!?」

「ゴメンね」

 

 兵士がディズを視界に捕らえたときには既に、彼女の緋色の剣が兵士の持つ魔導銃を真っ二つに両断していた。切り裂かれた断面はなめらかであり、別たれた内の先端側がぐらりと地面に落下していく様子を見て、兵士は硬直した。

 

「ア、アニメかよ……!?」

《んーにゃ》

「ごふ!?」

 

 その直後、変貌したアカネが兵士の腹部に直撃する。兵士のなめらかな鎧が破損する勢いで直撃したアカネの体当たりは兵士を悶絶させ、意識を失わせた。

 

「ディズ、無事ですか」

「はい……命は奪わないです。よろしいですね?」

 

 背後からその様子を確認しに来たスーアに尋ねると、スーアはまっすぐに頷いた。

 

()()()()()()()()()()……ですが」

 

 ディズの解答に対して、スーア咎めることはしなかった。しかし、そのまま宙を飛びながらゆっくりと此方に近付くと、ディズの耳元で口を近づけて、囁いた。

 

「これから、恐らくとても厄介なことになります。その時はどうか躊躇しないでください」

 

 それだけ言うと、スーアは再び元の道へと戻っていく。無論、ディズもそうしなければならないのだが、耳元で囁かれた今の警告が、耳に残り続けていた。

 

「今以上の厄介か……」

《もうだいぶおなかいっぱいよ?》

「ほんとにね」

 

 倒れた兵士を瓦礫の少ない隅っこに押しやって、戻ってきたアカネの頭を撫でる。

 グリードとの、地獄のような死闘からの連続した状況だ。精神は疲弊し、にもかかわらず緊張と興奮で気が立っているのをディズは自覚した。深呼吸を繰り返し、なんとか心身を整えるように努めた。

 

《にーたんともはぐれたまんまだしなー》

 

 アカネも、それは同じだろう。精霊であるが、半分は彼女はヒトだ。疲労も残るだろう。先のグリードとの戦いでも、無茶をしたばっかりだ。

 

「外套に隠れておく?ウルが来たら伝えるよ」

 

 ウル、と言う言葉に彼女はピクリと身体を動かしたが、しかしその後首を横に振った。

 

《んー………にゃ、今はディズと一緒に起きておく》

「ん、ありがと。行こうか」

 

 二人もまた、スーアのあとに続いた。研究所の奥の奥。最奥へと

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 同時刻 Jー04ドームは大騒ぎとなっていた。

 00というドームは彼らにとって非常に重要な施設であったらしい。想像であるが、イスラリアの規準で考えるなら各領の中心都市国ないし生産都市に当たる場所なのだろう。彼らの焦りようからもそれは分かる。

 

「Jー00への直通通路へと急げ!!」

 

 結果、ウル達の包囲していた兵士達も含めて移動を開始した。ウル達以上に重大な事態が起こったと彼らは認識したのか、あるいはウル達という存在を持て余した結果、ウル達を無視して目の前の大問題の対処に移ったのかは判断が付かない。が、包囲はあっけなく終わった。

 外の廃墟とは違う、整備された地下の巨大通路。馬車が何台も余裕で走れそうなくらいの巨大通路。そこには魔導車によく似た乗り物が並んでいた。

 当然、というべきか、馬の姿は無い。それに次々と兵士達は乗り込む。それを使ってこの巨大通路を走っていくつもりなのだと理解した。

 ので、

 

「何故お前達まで乗り込む!?」

「乗車賃、払った方が良いのか?」

 

 ウル達もまた、彼らに同行することにした。

 同じ馬車に乗り込んだウル達の姿を見て、少年兵が驚愕を顕わにする。

 が、ウル達としても彼らの向かう先には用があるのだから仕方が無かった。重要な施設で何かしらのトラブルがこのタイミングで起こった。というのなら、十中八九ウル達の魔界突入に関わり在る事態だろう。合流すべき仲間達が居る可能性も高い。

 

「ざっけんな!なんでお前等を重要施設に侵入させなきゃならないんだ!!っつーかお前等の仕業じゃあ無いのか!?」

 

 そんなウル達に向ける少年の怒りは、実にごもっともである。自分たちの存在を彼らは敵として認識している。彼らにとってウル達は侵略者に他ならず、ウル達に侵入を許すのは自殺行為だ。実に正しい判断だった。

 

 しかし、彼の仲間の兵士達はそれを口にしない。

 

 彼らにウル達の行動を止める手立てが無い。彼らが装備してる兵器の何もかも、ウル達には通じなかったのだ。これでウル達が自分たちに対して敵対的な態度をするようであれば、彼らも断固立ち向かう必要が出てくるが、今のところその様子はない。一番言動が危うかったグレンすらも、今は馬車に一緒に乗り込み、空いている椅子を二つ陣どって寝転んでいるくらいだ。

 

 なら放置した方が良い。彼らの判断は間違っているが正しかった。

 それでも果敢に怒鳴ってくる少年兵の方が正しいが間違っていた。

 

「隊長!!良いんですかコイツラ連れて行って!?」

「良くはない。が、足止めも出来ない。拘束も不可能。放置して別の場所に被害を出されても困るなら、せめて目の届く範囲にいてもらうしか無い」

 

 少年の向かい正面に座る上司とおぼしき男の返答も、苦々しいものだった。そりゃあそうだろう。と、ウルも他人事に思う。彼の判断は侵入者達に対する敗北宣言に等しい。魔界の価値観がどのようなものかは不明だが、屈辱であるのはそうだろう。

 ウルの隣に座るジースターはそんな彼の心情を慮ってか肩を竦めた。

 

「万が一の際には俺が止める。済まないが今は彼らも同行させてくれ」

「信じれるか!スパイだかなんだか知らないがイスラリアに暮らしてたんだろ!?イスラリアは敵だ!」

「彼は頑なだな。宍戸隊長」

「熱意はあるんだがな……後で指導しておく」

 

 間もなくして巨大な馬車が出発する。備え付けられた小さな窓の景観は次々に後方へと下がっていく。随分と早い速度だ。半ば感心していると、不意に周囲から視線と敵意が突き刺さってくるのを感じる。少年だけではない。他の兵士達からも同じように向けられていた。

 先程グレンが霧散させた憎悪とは別の、警戒と不審だ。先ほど少年が言っていた通り、自分たちは敵で、異物で、不審人物だ。此処に居ること自体おかしいのに無理矢理乗り込んだのだから、警戒もされるだろう。

 

「嫌われてるな」

「そりゃそうでしょう。コレまでの話を聞く限りわね」

 

 リーネは鼻を鳴らし、隣で不安そうに肩を縮こめているエシェルを見た。あからさまに周囲の視線におびえて、ビクビクとした態度を取っているためか、余計に周囲の視線が多く突き刺さっている。

 

「貴方ね。此処にいる兵士どころか、あのドーム一人で壊滅させることができるくらいに強いんだからシャンとなさい」

 

 するとリーネがわざとらしくハッキリと言った。エシェルは驚き、彼女を胡乱げに見つめていた兵士達は更にぎょっと、驚愕を露わにした。

 

「か、壊滅なんてしないぞ!」

「でも、出来るでしょう?」

「そ、そりゃあ、出来るけど……」

 

 うー……といって、エシェルは縮こまるが、周囲の兵士達が彼女に向かって睨みをきかせる事は無くなった。

 

「でも話を聞く限り……魔界にとって、私達って、悪者だろ?肩身狭くて……」

「悪者ね……」

「違うのか?」

「そんな単純な話なら、まだもう少し簡単だったかもしれないけどね」

 

 リーネの言葉に、エシェルはあまりピンと来ている様子はなかった。ウルもまだ、知らない情報が多い。故に、

 

「ジースター」

「なんだ」

「質問の続きだ」

「言ってみろ」

 

 アッサリと、彼は質問を促した。果たして彼の意図するところがなんなのか未だ掴めないところがあるが、今は考えないことにする。ウルは素直に質問を投げた。

 

「イスラリアが魔力を奪ったのは分かった。精霊も、神もだ。だけど、何故イスラリアはその後もずっと魔界を攻撃したんだ?」

「攻撃?」

「【邪神の涙】、あの”竜もどき”イスラリアの所為だって言ってただろ。」

 

 この世界のおおよその現状について、ウルも理解できてきた。あくまでも魔界側の住民達の視点や知識に過ぎないため、間違いなく偏りはあるが、大きく間違っている訳ではないだろう。

 だとすれば不可解な事が一つ出てくる。

 簒奪し、魔界から隔絶した場所にいたイスラリアが、何故今も現在進行形で魔界に悪意を垂れ流しているか、その意図がよめなかった。

 

「グレンの言ってた、()()()()()()報復なのか?」

「違う。この世界がイスラリアに大規模な干渉をする前に、【邪神の涙】は発生していた」

 

 あくまで、歴史の記録上ではな、とジースターは付け足した。

 

「じゃあ、なんであんなことを?」

 

 かつて発生したという魔力争奪戦争、その際の報復、といわれれば双なのかも知れないが、ジースターの様子を見る限り、そう言うわけでもなさそうだった。彼は少し、億劫そうに首を横に振ると、口を開いた。

 

()()()()()()()()()()()

「……んん?」

 

 どういうことなのか分からなくなった。ウルは答えを待った。

 

「双方の世界の歴史を順追って、簡潔に説明する。まだ時間がかかるからな」

 

 ただし、と、彼は区切って、そして言った。

 

「碌でもない話だ。覚悟しておけ」

「まあ、そんな気はしている。既に」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑨ ろくでもない話

 

「双方の世界で照らし合わせた情報を元に説明する。故に、齟齬や、()()で教えられた話と違う内容があるかもしれないが、冷静に聞いて欲しい」

 

 一定のリズムで揺れる金属の車体の中で、ジースターは語る。彼の忠告は、ウル達に向けられたものではなく、同乗する兵士達に向けられたものだった 狭い車内ではウル達だけでなく、他の兵士達もジースターの会話に意識を向けていた。

 

「かつて、イスラリアと世界が別たれていなかった頃。一つの星が落ちた」

「星」

「宇宙、星空からの飛来物だ。それは全くの未知の物質だった」

「星空、精霊の世界からの、謎の聖遺物が地上に落ちてきた、でいいか?」

「それでいい」

 

 ジースターは頷いた。

 ウルに突っかかってきていた少年兵がなにやら眉をひそめてウルを見てきているので、恐らく、正確なところは違うのだろうが、今は考えないことにした。そこら辺の前提知識の違いをいちいち突き詰めていってはキリがない。

 今は兎に角、理解しやすいように解釈してかみ砕く必要があった。

 

「後に【星石】と呼称されるようになるソレは、不可思議なエネルギーを放っていた。当時の世界にとって、全く未知のエネルギー。この世の常識を覆す力」

「……魔力?」

「その加工前の物質だ。イスラリアでは【魔素】と呼ばれている」

 

 ウルはリーネを見ると、彼女は肯定するように頷いた。

 

「イスラリアにはあるけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「だが、この世界、元々の世界ではそうでは無かった」

 

 リーネは眉をひそめる。彼女にとって、至極当然のように存在している物質が、元々は無かったと言われるのは、違和感が強いらしい。

 

「その魔素を活用するために、様々な研究、開発が行われた。それを指導していたのが、【イスラリア博士】と言う男だ」

 

 イスラリア、大陸と同じ名前だった。

 そしてその名前を聞いた瞬間、ウル達以外の兵士達は少し反応を示した。驚きとかではなかったが、なにかを堪えるかのように、銃を握りしめる者もいた。

 

「この世界では、世界を破滅に導いた極悪人だ」

「なるほど、それで?そのハカセとやらは何をしたんだ?」

 

 ジースターの説明に納得しながら、先を促す。彼は頷いた。

 

「あらゆる事を。彼は世に言う天才だった。尋常で無いほどのな」

 

 生命に存在する、魔素を感知し、保管する不可視の臓器、【魂】の発見 

 エネルギーとして加工された新資源、【魔力】の開発。

 魔力を操るために必要な【式】の開発。

 その式を活用した、【惑星全土の汚染浄化計画】の発表。

 

 【星石】が出現し、研究が始まってからの彼の発見と研究はどれもこれも、既存の世界にとって未知のものであり、革命的だった。当時、あらゆる資源が枯渇し、様々な問題が噴出していた人類にとって、強い希望だった。

 

「ところが、問題もあった」

「問題?」

 

 ジースターの表情は、少し憂鬱そうだった。それはまるで、自分の身内の痴態を語るかのような、苦々しい表情だった。

 

「前提として【星石】は一つしか無かった」

「ああ、まあそりゃそうだわな。空から突然降ってきたっつーんだから」

「そして、その【星石】から発せられる【魔素】は尽きなかったが、一度に限られた量しか獲得できなかった。到底、当時の人類社会をまかなうには足りなかった」

「……ふむ」

「挙げ句、当時の世界情勢は極めて混沌としていた。至る所に火種を抱えていた。しかも、既存のエネルギー資源は枯渇して、奪い合いが発生していた。悠長に【魔素】の恩恵を待っていたら、滅ぶような国が至る所にあった」

「………………」

 

 ウルは沈黙した。周囲を見ると、リーネ達も、兵士達も、なんとも言えない表情をして、沈黙した。ウルはやむを得ず、口を開く。

 

「…………なんか、死ぬほど嫌な予感がしてきた」

「鋭いな」

 

 ジースターは投げやりに笑った。

 

「【星石】の所有権を巡り、戦争が起こった」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 星石を取得したのは、とある大国だった。偶然手にしたその力を使い、混迷極まる世界情勢の安寧のために使用すると豪語していたが、その精製される新資源が現時点では少量であるという事実が判明すると、徐々にそのエネルギーの独占に走り始めた。

 その事を世界中が非難し、平等なる分配を求めて抗議の声が上がった。言葉だけの争いには留まらず、最終的には武力による争奪戦へと発展するのに、それほどの時間はかからなかった。

 

「戦争をふっかけた国と、星石を有している国との戦争に、多くの国々が乗っかった。誰もが望む奇跡の資源を求めて、そのおこぼれに預かろうと参戦した。もう誰にも止められない、世界大戦が勃発した」

 

 あらゆる国が争った。【星石】と、それを研究する第一人者である天才イスラリア博士を巡って奪い合い、殺し合いを続けた。それは、中々に悲惨な戦いだったと、ジースターはなかなかうんざりとした表情で語る。

 当時、至る所でくすぶっていた火種に、一斉に燃え広がり、爆発したような大惨事だった。当時の人口の何割かがこの戦争で消失した。

 

「……想像つかないな」

「だろうな、イスラリアでは人類同士の大規模戦争は滅多に起こらない」

 

 ジースターがそう言うと、兵士達の間でざわめきが起こる。ソレは彼らにとって意外な情報であるようだ。とはいえ、今はそのことはどうでもいい。

 まだ、話は本題に入っていない。何せまだ、【イスラリア大陸】、【方舟】すら話に出てきていないのだ。

 

「戦争が長引いたその時、ある事件が起きた」

「事件?」

()()()()()()()()()()()

 

 イスラリア博士は戦争が始まった当初は、国々に、戦争の終結を訴えていたという。星石の魔素には、既存の問題の全てを解決する可能性が秘めている。その可能性をふいにする愚かしい行為だと何度となく非難した。

 

 しかし、彼の声は周囲には届かなかった。

 戦争が激化し、彼の処遇がまるで道具のように扱われた。

 挙げ句の果てに、彼の家族を人質に取ろうと各国が動き、犠牲が出た。

 

 その果てに、彼は独立を宣言した。その心中が如何様なものだったか、想像に難くない。

 

「イスラリア博士は被害者だっていうのか」

 

 兵士の一人が言った。その表情は見えないが、どこか怒りを堪えるような声だった。しかしジースターは冷静に首を横に振った。

 

「俺は自分が見知った情報を述べているだけだ。解釈は任せる」

「だが……」

「俺も、自分の情報が絶対に正しく、他の情報が間違っているだなんて、驕った事を言うつもりはない。色眼鏡もあるだろう。所詮、俺もお前達も当事者では無いからな」

 

 そう言うと、兵士は首を振るように動作して、沈黙する。他に抗議がないのを確認して、ジースターは再び話を進めた。

 

「彼は、当時所属していた国を裏切り、自分たちの研究機関の仲間達を率いて、独立した。【星石】を奪い、それを用いた“超兵器”を開発した」

 

 超兵器、その言葉にウルは眉をひそめる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこまで聞いて、リーネは深々とため息をはき出して、囁いた。

 

「神と、精霊」

「そうだ。この二つは人工兵器だ」

 

 衝撃極まるカミングアウトだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 神と精霊は人工物である。ウルは流石にショックを受けたが、しかし、それほどまでに自分の中でダメージが無かったことに気が付いていた。というよりも

 

「……正直、確信は無かったが、そんな気はしていた」

 

 元々、神と精霊からの恩恵が少なかったというのもそうだが、なによりも、ここまでの道中で、様々な相手から伝えられていた情報がウルにはあった。それらを照らし合わせると「あり得ない」と首をふるよりも、「ああ、やっぱり」という納得の方が大きかった。

 

 神と精霊は、不可侵の神聖と見るには、あまりにも身近で、生々し過ぎたのだ。

 

「神と精霊、そして彼が生み出した魂に魔力を吸収して超人的な力を獲得できる人造人間、【イスラリア人】と共に、あっという間に一大勢力と化して、疲弊した人類を攻撃した」

「イスラリア人」

 

 先ほど、ドームの代表者の男から聞いた言葉が出てきた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に分かれて、人類に襲いかかった。多勢の人類側を圧倒した」

 

 その説明に、ウル以上にダメージを受けていたリーネは、眉間をつまむようにしながら、言葉を振り絞った。

 

「【神官】と【都市民】……?」

「そうだ」

「頭、痛くなってきた……」

 

 エシェルが泣きそうな声でうめき声をあげる。気持ちはわかる。グリードとの戦いから、身体を休める暇も無く突きつけられる情報としてはあまりにも重すぎた。

 

「この戦争も、まあ、悲惨だった。人類側も、イスラリア側に対抗して人造人間を創り出し抵抗を試みた。技術、武器、その他全てを使った泥沼の戦争だ。イスラリア側が【星石】を加工して創りだされた【方舟】で、この世界から離脱した事で、強制的に終結した」

 

 一区切り、というようにジースターは息をついた。話を聞いていたウル達も、魔界の兵士達も、ぐったりとした表情でため息をはき出した。ごとんごとんと、一定のリズムで揺れる車内の空気が、更に息苦しく感じられた。

 

「ちなみに、この際、方舟の転移に巻き込まれた旧人類側の兵士達が、【名無し】だ。彼らに神や精霊との繋がりが酷く薄いのは、元からそうデザインされていない……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 実にさらっと、ウルは自分の出自を知った。ウルは衝撃と、産まれてからずっと心の中で残っていた“疑問”が氷解した衝撃で、か細い声をあげた。

 

「【名無し】に永住権が無いのは、元が敵の戦士だったから……???」

 

 「それもある」と、ジースターはウルの言葉に頷いた。

 

「一千年前の転移で、方舟に残された兵士達は、その後も暫く対立を続けていた。が、六百年前の【迷宮大乱立】で、方舟内の余裕が無くなった。精霊感応の低い彼らは生き残る術が無くなった」

 

 曰く、「見捨てるべきだ!」という主流の意見に対して、「見殺しはあまりに残酷だ」と、当時の天賢王が苦心して考え出したのが現在の名無しのポジションであるらしい。

 そして彼らは、王の慈悲を受け入れ過去を忘れ、ゆっくりと方舟に帰化していった。

 

「この際、方舟の内部でなおも戦うことを選んだ者達が【邪教徒】の大本だ」

「……そりゃ、イスラリアに仇成そうとするか」

「ちなみに、この世界側の現行人類の殆どもこの【名無し】だ」

 

 更についでというように付け足された言葉に、周囲の兵士はぎょっとなった。

 

「モリクニ代表のように、寿命を弄った者は希だが、全ての住民はそうだといって良い。正確に言えば、そうでないものは生き残れなかったと言うべきだが」

「じゃ、じゃあ、俺たちもイスラリア人だってのか!?」

「広義に解釈すればそうなる」

 

 そう聞いた瞬間、ウルの隣の少年はうなり声をあげて頭をかきむしるような動作をした。ウルも正直気持ちはよく分かった。

 

「……出来れば全部聞かなかったことにしたい」

「だろうな。本当に、コレは碌でもない話だ」

 

 ジースターは同情的にそう言った。ありがたい気遣いだったが、残念ながら何の慰めにもなりはしなかった。それに

 

「だけど、コレで話は終わらないんだろ?」

 

 まだ、ジースターの話は何も終わっていない。本題に入るための事前説明が漸く終わったと言った辺りだ。

 

「そうだな。此所で終わったなら、まだマシだったが、そうはならなかった……少し話を戻そう」

 

 そういってジースターは両手を合わせて、それを強く握った。

 

「迷宮大乱立が何故発生したか。この世界がどうしてその攻撃を仕掛けたかの理由だ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【方舟】がこの世界から離脱した際、戦況は極めて混沌としていた。かなりギリギリの瀬戸際まで、世界側とイスラリア側で争いは続いていた」

「まあ、それは分かる」

 

 ウル達、【名無し】のご先祖にあたる住民が【方舟】に乗り込んだのは、転移に巻き込まれた結果という話を聞く限り、本当に、転移が起こる瀬戸際まで戦いは続いていたのだろうというのは想像に難くは無かった。

 【名無し】が、イスラリア大陸において“異物”めいているという事実は、度々認識させられてはいた。元は、正真正銘、部外者の、それも敵対者だったというわけだ。

 

「その泥沼の戦争故に、“方舟による世界からの脱出計画”は万事が上手くいかなかった。多くのトラブルが発生した」

 

 彼は【天衣】の外套をつまむと、シュルシュルと輝きながら外套は形を変える。兵士達がどよめきの声を上げるが、それを無視してジースターは空中に球体を創り出した。それは、外で空に見えていた、あの黒い太陽、“イスラリア大陸”と同じ形をしていた。

 

「まず一つ、方舟の“脱出”は完全ではなかった。本来であれば、この世界とは完全に隔離された別の時空に移動するはずだったが、それはできなかった」

 

 結果、あのようにほんの薄皮一枚を隔てたような形で“隣接する空間”に逃げ込むことになってしまったのだとジースターは言う。勿論、それがどういう現象と技術で成り立ったものなのかはウルには理解できなかったが、それを考えるのは止めた。コレに関してはウルだけでなく、他の兵士達も似たような印象だ。まるままその説明で理解が及んでいるのは、隣でブツブツと呟きながら咀嚼を試みているリーネくらいだろう。

 

「その結果が、あの空だと。それが一つ目の問題?」

「そうだ。そして二つ目、【精霊】の問題」

 

 そう言って、彼は再び外套を動かす。こんどは不可思議な形で浮遊する光球と、その隣で両手を合わせて立つ小さな人形が精製された。それが、ヒトと精霊を表しているのだとウルは理解できた。

 人形は、精霊に向かって祈りを捧げる姿勢を取る。すると、精霊に、光が送られた。

 

「魔素を魂に取り込んで、魔力へと加工し、精霊に献げ、強大な力として活用する。この関係は分かるだろう」

「ああ」

 

 勿論分かる。イスラリアにおいての常識だ。神と精霊に祈り、その力の恩恵を授かる。別に、不思議なものではなかった―――これまでは。

 

「精霊に魔力を献げるとき、()()()()()()()()()()。何故か分かるか?」

「何故って……」

 

 問われ、意味が分からなかったが、先ほどまでの説明を踏まえると、言わんとしていることの意味が理解できた。ウルは眉を顰める。

 

「神は道具、精霊はその端末だ。祈る必要なんて無い?」

「そうだ、本来なら。なのに、何故こんな回りくどいやり方を取るようになったか。何故そんな制限が付け加えられたか」

 

 その問いに答えたのは、誰だろうエシェルだった。彼女は恐る恐る、と言うように手を上げて、答えた。

 

「……悪感情を込められた魔力が、精霊に影響を及ぼすから?」

 

 鏡の精霊、ヒトの悪感情によって歪み、極めて凶悪になった精霊をその身に抱えるエシェルが答えた。ジースターも頷く。

 

「精霊は実体を持たない魔力構造の為か、その魔力に込められた感情で大きく変質してしまう事が判明した。これは、戦争中に気づいたこと、らしいのだがな」

 

 実際、このことで当時の戦争中、機能を破綻させ、暴走するような結果になってしまった精霊は相当数いたらしい。世界から離脱した後も、当然その課題はつきまとう。精霊をイスラリアの内側で使うにしても、悪感情がそこに混じれば、危険が伴う。

 

「だから、道具や兵器ではなく、信仰の対象にして人類の感情をコントロールした。精霊には、感謝と崇拝の感情が込められた魔力のみが献げられるように」

「……なるほどな」

 

 納得できる、と言えば出来る話だ。実際、名無しのウルであっても、精霊に対して祈るときは、感謝と敬意を払う。そうするのが当然であると、幼い頃から教えられてきた。それは、長い年月を掛けた思想教育の賜だったのだ。

 思うところはあるが、考えられている。ウルはそう思った

 

「―――だが、そう上手くいくと思うか?」

 

 だが、そこにジースターがさらなる質問を投げかけた。

 

「ん?」

「祈るとき、僅かでも負の感情を込めずに魔力を捧げることが出来るのか?」

 

 問いに、ウルは眉を顰め、沈黙する。その問いに、答えたのはウルでは無かった。

 

「無理だろそりゃ」

 

 先ほどから寝転がって、狸寝入りしていたグレンだった。彼はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「どんだけ幸せな環境に身を置いていようと、胸くそ悪い気分の時はあるもんだ。そんなとき、精霊に対して心清らかに感謝出来る奴は、そんなに多くねえよ」

「そうだ。どれだけコントロールしても、ヒトの心は簡単ではない。実際、それでゆがんでしまった例もいる」

 

 ジースターはエシェルを見る。エシェルは小さくうつむいた。ミラルフィーネの事を考えれば、彼女はまさに、悪感情の信仰被害者と言えるだろう。

 

「だが、対策が取られなかったわけではないんだ。むしろ、なんとか対策を講じた結果が、精霊信仰を今でもつなぎ止めている。()()()()()()()()()()()()()()()

「……その、対策ってのは?」

 

 悪感情、制御、泥。

 ジースターが何を言うのか、ウルにも既に察しがついていた。しかし、確実な答えを確認すべく。ウルは尋ねる。ジースターは頷き、そしてハッキリと言った。

 

「行き過ぎた悪感情……七大罪の悪感情は、精霊に献げられる前に、廃棄されるようにしたんだ。精霊達に影響を与えぬよう、()()()()()()()()()

「……おい、まさか」

「それが、あの泥の正体だ。悪感情の魔力、その不法投棄だ」

 

 本当に、碌でもない話だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑩ 続 ろくでもない話

 

 

「ふざけんな!?」

 

 そう叫んだのは、ウルの近くにいた少年兵士だった。しばらくの間我慢していたが、とうとう耐えきれず、というように、ウルの首を掴んだ。

 

「落ち着け」

「ですが!!」

 

 上官に咎められても、彼は唸る。無論、ウルに言われても仕方が無いとは思うし、八つ当たりだと理不尽に感じるが、一方で彼の心中は理解できなくも無かった。この世界の状況、環境への理解は断片的だが、それでも、そのイスラリアの影響でこの世界がとんでもない状況になってしまったのは、明らかだったからだ。

 

「もう一度言うぞ。やめろ」

「…………!」

「我々も、そうされる立場にあると理解しただろう。やめろ」

 

 上官の男が強い口調で諫める。少年は、チラリと、先ほどから寝転がって狸寝入りをしているグレンを見ると、苦々しい表情でウルの手を離して、感情を押し殺す様に座り込んで、唸り声をあげて、そして絞り出すような小さく声を漏らした。

 

「…………わるか、った」

「俺も、悪かったよ。加害者がなんもしらん面してんのははらわた煮えくり返るだろう」

「…………」

 

 返事はなく、首を横に振るだけだ。感情の整理が難しいらしい。ウルとて許されるならば今すぐにでもこの場を飛び出して全部聞かなかったことにして眠りこけたかった。

 

「なんだってこっちの世界に捨てるなんて真似……」

「【方舟】の転移が完璧であれば、このようなことにはならなかった、らしい。完全な別時空に移動する予定だったのだから。廃棄された魔力は、無限に続く虚空へと廃棄されるだけのはずだった」

 

 だが、極限状態での戦争の最中の転移が不完全であった為に、想定外の影響が隣接する魔界、世界に与えてしまった。廃棄された悪性魔力の物質化は周囲に想像だにしない悪影響を与え始めた。大地を穢し、海も空も穢し、更に様々な悪意を持った竜もどき―――この世界の表現を使うなら【禁忌生物】を生み出して、人類を襲い始めた。

 

「転移を妨害した世界の責任だと?」

「まさか」

 

 一人の魔界兵士の質問に、ジースターは肩をすくめた。

 

「誰の責任と問う方が馬鹿馬鹿しい。“大事故”だよこんなものは。あるいは人間という生物の自業自得か……俺はこの一件を「誰の所為か」などと決めるつもりはない」

 

 時間の無駄だからな。と、ジースターは容赦なく切り捨てた。ウル達も、魔界の住民達も、なにも言えなかった。彼の言葉が一理あることは誰もが感じた。

 

「この一件は、イスラリア側も気づくのが遅かった。薄皮一枚といえど、世界は隔絶していた。双方向の情報確認は酷く困難だった。まさか自分達が捨てたゴミが、次元を隔てた世界に悪影響を与えていたなどと、思いもしていなかった」

「一応確認するけど、その機能だけでも解除することはできなかったのか?」

「無論、それに気づいた歴代の王……当時は管理者か。彼らも試みた、幾度もな。だが失敗した。【神】と【方舟】双方の維持に密接にかかわる部分に存在していた機能であるらしく、方舟を守る役割を担う彼らには、それを破壊することは出来なかった」

 

 それは既にこの世を去ったイスラリア博士以外、解除できなかった。

 そして、その間にも世界の悪影響は深刻化した。元々、イスラリアに勝ち逃げされ、新資源の確保に失敗しぼろぼろになっていたのだ。残された僅かな魔力の恩恵と、戦争による人口減少によって解決された問題も幾つはあったが、根本的な解決には至ってはおらず、【邪神の涙】の影響が追い打ちをかけた。世界は瞬く間に崩壊へと進んでいった。

 住んでいた土地を奪われ、【接触禁忌生物】との対処のために、人類は【ドーム】へと逃げ込んだ。だが、このままではどう足掻こうとも、滅ぶ以外に道はなかった。

 

 だからなんとしても、あの悍ましい【涙】を垂れ流す邪神を封じ、【星石】を取り戻さねばならなかった。

 

「取り戻す」

「この惑星、この大地は【涙】の汚染に加えて、エネルギー資源も尽きかけて、崩壊寸前の有様だった。そこに【涙】の影響が加わって、世界はバラバラになった。人類社会を復興させるには、なんとしても奇跡のエネルギーである魔力の源、【星石】が必要だった」

 

 こうして、人類側の死にものぐるいの抵抗が始まった。

 廃棄されている涙、ソレがどこから流れ出てくるのか、【方舟イスラリア】へと繋がる回廊が存在すると気づき、そこをたどるようにした攻撃作戦が何度となく考案されたが、どれも失敗に終わった。次元を超える際、既存兵器の何もかもが無効化された。

 

 そもそも、涙を廃棄する回廊は単純にたどることも困難だった。既存兵器ではだめだった。だから、それ以外の力が必要だった。その為に必要な兵器が、彼らの手には存在していた。

 

「イスラリア博士が創り出したもうひとつの【兵器】。混沌とした戦争の中で、イスラリア側が半ば自爆特攻させる形で惑星で廃棄したもうひとつの神を再生、改造し運用した」

「それは……」

「人類の悪感情を活用する神。お前たちの言うところの、【邪神】だ」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「邪神は、この惑星上でそのまま使用することは困難だった」

 

 理由は単純で、この世界には魔力が無かったからだ。神という兵器は、魔力をエネルギー源として起動する。ソレが前提となる兵器だ。当然、【星石】を奪われた魔界側に、それを運用する手段は無かった。

 【涙】の再利用も考えられたが、うまくはいかなかった。【涙】は外の世界の技術力ではどう足掻こうとも不可逆だった。当然と言えば当然だ。方舟の内側にいる王たちにすら、それは解除できなかったのだから。

 

「だから、地上で使うことを諦めた」

 

 邪心の端末に知能を与え、かろうじて地上に残された魔力を注ぎ起動させ、イスラリアに送り込み、イスラリアにて神が芽吹くように仕掛けたのだ。イスラリアの大地を侵略し、この世界とイスラリアとをつなぐ【回廊】を強引にひろげ、敵の魔力を利用することで侵略兵器を量産し、地上へと進行し魔力を簒奪する。その構造を創り出した。

 

「【迷宮】、【魔物】……か」

「そうだ。イスラリアで600年前に起こった迷宮大乱立はこのとき起こった」

 

 こうして、酷く間接的な魔界と、イスラリアとの戦争が再開されたのだ。互いがどういう状況か、どれほど苦しんでいるのか、その悲鳴や断末魔の声をどちらも聞き取ることが出来ない、どうしようもない絶滅戦争が。

 

「マジで頭痛くなってきたな……」

 

 改めて、自分が聞くような話ではない。ウルは頭痛を堪えた。

 

「同情する。ついでに俺の苦悩も少し察してもらえるとありがたい」

「ああ、あんためちゃくちゃ気まずかっただろうなあ……」

 

 こんな情報を抱えながら、世界最大の戦力である七天の一人として活動するジースターの心労は、ソレこそとてつもないものだったことだろう。世界を襲う魔や竜が、自分の故郷が行った攻撃であることを知りながら、それを隠して対峙して、イスラリアの住民から感謝されるのだ。

 想像するだけで今の数倍、胃が重くなりそうな地獄だった。

 

「しかし、仁、お前よくそこまでの情報を……」

 

 隊長と呼ばれる男が戦くようにしてジースターを見る。するとジースターは誇らしくするでも無く、むしろややばつの悪そうな苦笑を浮かべた。

 

「イスラリアの王から直接聞いたからな。当然だ」

「アルノルド王から?!」

「彼は、イスラリアの王は、俺の正体を知っている」

 

 これで何度目かになるかもわからない驚愕が車内を包んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界⑪ 中心へ

 

 

 十数年ほど前の事。

 

 当時、最高峰の兵士として評価されていた星野仁に最重要任務が与えられた。

 任務の内容はイスラリアの現地調査だ。極めて情報収集が困難な世界の向こう側、忌むべき黒い太陽の向こうで方舟が現在どのような状況下にあるのかの調査が彼の仕事だった。

 なぜ情報が必要なのか。これがどういった作戦につながるのか、詳しい説明までは聞かされなかった。必要以上の情報は伏せられた。イスラリアの恐るべき“精霊使い”が、此方の記憶を読み取って、情報を全て抜き取ってしまう危険があったからだ。

 予知、読心、誓約による支配。おおよそあらゆる特殊な技術が存在する。あらゆる対策が必要だった。

 

 だが、対策を重ねたとしてもイスラリアへの侵入は困難を極める。

 

 当たり前だ、世界を隔てた場所に存在するのだ。しかも、たどり着いた先の世界では、今の世界では到底再現困難な、不可思議な力が跋扈した異世界。その世界にたどり潜り込む成功率は低く、たどり着けたとしても、そのまま死亡する可能性が極めて高い。挙げ句の果てに、帰還方法は現在確立されておらず一方通行だ。返せるのは情報のみで、それにもノイズが多く混じる。当然その機密情報を家族に送ることは許されない。

 どれだけ帰りたいと願っても帰れない。そんな恐ろしい仕事なのだ。

 

 仁はそれでもその任務を請け負った。死ぬリスク負ってでも、やるべき事があった。

 

 この危険な任務を請け負う者は自分だけでは無かった。何人かの適正者がいたが、しかし任務の過酷さを聞くと多くのものが怖じ気づいた。逃げたいと泣きつく者もいたので、上に掛け合って脱落させてやることもした。仲間はいてくれた方がありがたかったが、自分よりも若い少年少女が、知らぬ土地で故郷に帰れず戦い続ける道を進むのは不憫だった。

 そうして最終的に残り続けたのは自分だけだった。奇妙極まる転移装置に彼は放り込まれ、そして気が遠くなるような奇妙な感覚に全身が襲われ、彼は方舟への侵入を果たした。

 

 そしてその直後だった。彼がアルノルド王に対面したのは。

 

 ――イスラリアの外の来訪者だな。お前を待っていた。

 

 目映いばかりの輝きと畏怖を放つ。彼がアルノルド王であり、このイスラリアの頂点に立つ男であると知ったのはすぐのことだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「当時の天祈が俺の来訪を予期して、アルノルド王が俺を拾った」

「……じゃあ、王は貴方の正体を知っていて、天衣を与えたの?」

 

 驚くように尋ねるリーネに、ジースターは頷く。本当に、とんでもない話だった。

 

「かわりに、俺は彼の元で働くことと、魔界の情報を提供する約束をした」

「二重スパイか……」

 

 なんてことだ、と、隊長と呼ばれた男は顔をしかめ首を振る。改めて、このジースターという男は、とんでもない苦労と責任を背負ってきたのだという事実に、ウルはなんとも言えぬ感情を抱いた。

 

「どうした?」

 

 その、ウルの視線に気づいたのか、ジースターが尋ねてくる。まだ、分からないこと聞かなければならないことは多いが、それでも、尋ねずにはいられなかった。

 

「このぐっしゃぐしゃの世界で、アンタはどうする気なんだ」

 

 ウルは問う。問われたジースターは特に言葉に悩む様子もなく即答した。

 

「自分の命と家族を守る……後は出来るだけ、家族の周りの平和が守られれば上出来だ」

 

 その答えはあまりにも単純明快が過ぎて、ウルは笑った。少なくともここまで彼が明かした世界の禍々しい秘匿と比べると本当にわかりやすくて、共感しやすかった。

 

「本当、気が合いそうだよ。アンタとは」

「そうだな。俺もそう思う」

「殺し合いにならないことを祈る」

「全くだ。ろくでもないからな」

 

 本当に、殺し合いなんてろくでもない。彼もウルも、この場にいる全員理解できていることだ。

 

「間もなくだ」

 

 その合図で、二人顔を上げる。

 目的地Jー00 中枢ドームへと二つの勢力を乗せた車は到着した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 車両が通れる地下通路を抜けた先、内部は荒れ果てており、彼方此方で警報音が鳴り響いていた。高い技術力によって建築された通路が見るも無惨な姿になり果てていた。

 それを目撃した兵士達は、隊長の指示の元、怪我人達の救助を進めながら破壊された施設の奥へ奥へと移動していった。ウル達もその移動に同行していく。

 

「こっちだ。急ぐぞ」

 

 先陣を切るジースターの歩みに全く迷いは無かった。幾つもの階段を下っていき、奥へ奥へと進む度

 

「仁、そっちは立ち入り禁止区画だぞ!」

「こちらで間違いない」

 

 そのジースターの言葉に、ウルも同意する。魔界の兵士達には感じ取れなかったのかも知れないが、ウル達には感じ取れていた。このドーム、その地下から流れ込んでくる膨大な魔力を。そして、周囲の温度が下がっていくかのような悪寒を。

 

 この破壊をもたらした者の目的地も、間違いなくそこだと、確信した。

 

 破壊の跡をたどるように、どんどんと先に進む。途中で大穴の開けられた扉を何個もくぐり抜け、そしてようやくウル達一行は、“そこ”に到着した。

 

「……なんだ此処」

 

 ユーリを背負いながら、ウルは呟く。

 最下層はここまで通ってきた施設と大きく異なっていた。まず、破壊の跡が少なかった。上層では、最早壊されていない場所などないというような有様だったのに、それがない。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()、気遣われたように。

 そして、空間には魔力が満ちている。魔界には殆ど存在しないはずの魔力が。

 

「……これ、術式だわ」

 

 リーネはそう囁いて、明滅する壁を見つめた。確かにそこには魔術の術式が刻み込まれている。つまり此処は魔力を活用した施設であるのは間違いない。此処にたどり着くまでの間、魔界では魔力の活用を示す痕跡、設備は一切存在していなかった。

 この地下空間だけ、あまりにも突然まったく異なる世界が、否、正確に言うなら方舟イスラリアの世界が広がっているように見えた。

 

「……この先か」

 

 戸惑いながらも、ウル達は通路を進む。足音がやけに響いた。空間に刻まれた術式と、そこを迸る魔力の光量は多くなる。肌にもハッキリと感じ取れるくらいに、空間を満たす魔力は多くなっていた。

 迷宮の奥深くに潜ったような感覚。否、それよりももっと――

 

「……コレは」

 

 そして正面に巨大な扉が現れた。首が痛くなるくらいに高く、巨大な扉。ソレは既に僅かに開かれていた。まるで中へと自分達を誘うように。膨大な魔力もその扉の先から流れ込んできている。

 間違いなく、事の中心、“核”がこの先に在る。それを察したのか、エシェルはおびえるようにウルの腕を掴んだ。

 

「行くぞ」

 

 しかし、最早この期に及んで、躊躇している場合では無かった。ウルは大きく息を吸い、吐き出すと、仲間達を連れて奥へと足を踏み出した。

 

 そして

 

「お、役者は揃ったな?」

 

 その先に広がる静謐なる空間。

 

 その中心で魔王は笑っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嘘と真実

 

 冬の精霊ウィントール神殿、魔術工房

 

「随分と、古い場所ですね」

「ええ、此処はこの場所が建造された当時に造られたと聞いております」

 

 神殿長の言葉通り、案内された魔術工房は、随分と古びていた。至る所が劣化と補修を繰り返されていて、古い部分と、新しい部分が混在していた。設置してある設備もバラバラだ。一流の魔術師が使うような魔具があるかとおもいきや、魔術を習い始めの子供が身につけるような魔道具が無造作に転がっていたりもする。

 

 神殿そのものと同じく、雑多な印象を与えてきた。

 

「利用者は?」

「多くの者が。見て分かるとおり、環境としては整えられております故、回復薬の調合なども出来ます。立ち寄っただけの名無しの者達も、此所を利用する者は多いのです」

 

 そしてこの場所の利用自体制限はない。必要な者が使えば良い。片付けさえしてくれればかまわない。そんな場所なのだと語る。実際、十数年とこの場所を利用して、少し怪しげな研究を続けていた者がいたことも何度もあった、なんてことを長は一切隠さず、朗らかな感じで語った。

 

 なるほど、エクスタインはそれに応じて愛想笑いを浮かべながらも、内心で苦々しく思った。複数の利用者が混在している。それはつまり、痕跡を調べるのが酷く困難であることを示している。

 「対竜術式」とやらの調査について、天陽騎士達の報告が曖昧だった理由が分かった。

 

 「暫く調べさせて欲しい」と、申し出ると、長は朗らかに了承した。本当に彼は協力的だった。自分たちがこの神殿の所属している者を疑い、調査している事などまるで気にしていないらしい。

 

 あるいは、自分とは直接関係ないと思っている……?

 

 あり得る話だ。話を全て信じるなら、冬の精霊への献身は、あくまでも個人の活動であって、組織ぐるみで計画的に行っているものでは無い。

 想像以上にこの集団は、集まりとしては脆弱だ。シズクの言動、印象とは全く違う。

 

「貴方たちの苦労が理解できましたよ。ファイブ殿」

 

 ファイブにそう言うと、彼もどこか疲弊したように頷いた。既にこの場所を調べ尽くしたらしい彼は、手慣れた様子で工房の中へと入り、棚に無造作に詰め込まれていた書類を手に取る。

 

「利用者も残された資料も混在している。当然、紛失したものも多い」

「調べる方が無理ゲー。もういいじゃん」

「ダメだ」

「真面目にやりなさい、ナイン」

 

 ナインの愚痴をファイブは一刀両断し、ゼロも抗議する。エクスタインは苦笑しながらも彼に続いて部屋に入った。

 工房はこういった神殿の設備としてはかなり広く、雑多にモノが無秩序に置かれている。だが埃は積もっていなかった。長が言っていたとおり今もそれなりの人数が出入りし、利用していたのだろう。

 

「シズクの……「対竜術式」の研究書類はありましたか?」

「竜に関わる研究は幾つもあったが、全て混在していてバラバラなうえ、劣化も激しい。正直、実際に竜に通じる術がここで研究されたかも怪しい……が、否定も出来ない」

「ウルと遭遇した時にあったという、転移術の痕跡は?」

「こちらも複数。危険地帯をショートカットするため、古代の転移術を強引に利用しようという輩もいるらしい。大半が失敗に終わったらしいが」

 

 情報を聞く度に、エクスタインは顔が引きつっていく。改めて、事前に調査を行った天陽騎士達がいかに苦心して情報を集めたのかが、わかってきた。

 

「……なんというか、とことん情報にノイズが混じりますね」

 

 場所も何もかもここまでハッキリとしているのに、肝心要なところが悉く曖昧だ。確信が得られない。無論、悪魔の証明とでも言うべきか、罪が存在しないことを証明しようとしているからこその空回りと言えなくも無いのだが、それにしたって肝心の部分がハッキリとしない。

 

「本当にわざとかもしれない」

 

 ファイブは髪と同じ、美しい蒼の瞳で工房を見渡しながら、鋭い言葉で言った。

 

「此所の連中がグルになって隠蔽していると?」

「あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼の言いたいことは、エクスタインにも理解できた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()。しかし―――

 

「完全に彼女を疑っているのですね」

 

 ファイブの言動は、明らかに疑惑を前提にしていた。あるいは、グレーレからの指示があったエクスタイン以上に、

 

「竜を制御する術式。容易くは造られない。これまでのイスラリアの歴史をひもといても、直接的に竜に干渉する術を操ったのは彼女だけだろう」

 

 それを辺境のこのような地で生み出されるのは確かに違和感だ。「それに」と彼は続ける。

 

「それにあの子―――()()()()()()()()

 

 そこで出てきた名前に、エクスタインは目をしばたかせる。

 

「スーア、様?」

「あの子との謁見を、上手く利用された可能性がある。“マスターはその事を危惧している”。無数の精霊の力を宿したあの子が白と言えば、それは白になる」

「長い年月をかけて培った精霊信仰、強いもの。それが裏目に出るなんてバカみたいだけど」

「それを理解して、彼女が【歩ム者】の謁見の場を利用した可能性がある」

 

 ファイブとナインの言葉に、エクスタインは、上手く返答できなかった。情報の内容もそうだが、それ以上に、彼の言いようそのものが気になる。天上の御子、【天祈】のスーアに対しての彼の言葉遣いは、まるで、身内に対するもののようだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。心配するのは当然でしょう?」

 

 そして、それを肯定するように、ゼロから直球の爆弾がたたき込まれ、エクスタインは顔を引きつらせる。

 

「……ちょっ、と、待ってください。僕、今、最高機密みたいな情報をさらっと聞かされていませんか?」

「いいじゃない。どうせ貴方、大罪竜の超克に関わったんでしょう?もうとっくに、引き返せない世界の暗部にいるもの」

 

 ナインはせせら笑い、ファイブもゼロもそれを咎めなかった。抗議しようとしたが、反論も出来なかった。エクスタインは観念するように、椅子に座った。

 

「歴代の方舟の管理者である【天賢】の使い手、彼らを引き継ぎ、失わせない事が【真人計画】の目的の一つ。マスターはその管理担当者です」

「……つまり、シズクがスーア様を利用したと?」

「この世界の敵対者にとって、スーアは最も避けなければならない災厄に等しい。だが、もしもスーアが授かった幾つもの精霊の加護を突破する手立てを用意できたなら、“それは強烈な隠れ蓑となる”」

 

 それを言われると、確かに反論しがたい。当のエクスタインすらも、今回の調査の前提に、その事実が頭にあった。スーア様を前に偽るなどと、困難であるという前提で調査を進めていた。

 「スーア様はシズクを黒とは言わなかった」という色眼鏡。

 それはもうどうしようも無く抗えない、イスラリアという大地に根付いた常識で、信仰から生まれてくるものだった。この思考が調査の手を緩めたのではないかと言われれば、否定できない。少なくとも、目の前の脅威、世界滅亡に対する対策と比べれば、確実に優先度は落ちただろう。

 

「ですが、そうはいっても無数の精霊による洞察をどんな手立てでくぐり抜け―――」

 

 そう、エクスタインは反論を言いかけて、言葉を止めた。

 頭に過ったのは、一つの突拍子もない閃き。そして、最悪の可能性。

 

()()()()……!?」

 

 彼女が使うという竜への特攻術式。竜の動きをほんの僅かに押しとどめることが出来るというその力が、能力の一端でしか無かったとしたら?

 そしてそれが精霊にも利用できたならば???

 

 真っ当ならざる道を進み、相応の経験を重ねた結果得た知識と理解、奇妙な経緯を経て、エクスタインは友であるウルと同様の真実に思い至った。

 

 精霊と竜は同一である。

 

 そして、それならば―――

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魔界

 

 Jー00中枢ドーム

 

 最深層

 

 真っ白な、巨大神殿。幾つもの柱が天井を支え、天井には幾多の精霊が、まるで生きているかのような活き活きとした姿で刻み込まれていた。床面も柱もなにもかも、汚れ一つ、埃一つついていない。

 壮麗という言葉がしっくりとくる。

 穢れがなさ過ぎて、自分が異物に思えてくるほどに、そこは美しい場所だった。現実感のないその場所は、しかしウルには既視感があった。

 

「神殿……?」

 

 その場の何処までも澄み切った空気と、痛いくらいに重く感じる魔力。施された無数の精霊達の意匠。この場所は間違いなく、イスラリアに存在する神殿そのものだ。

 

「そりゃそうだ。此処がオリジナルだからな」

 

 それに、ブラックは笑って答える。

 神殿の中央に我が物顔で立つ彼だけは、唯一この神聖さを損なうくらいには禍々しかった。真っ黒な服に跳ね返った血は、彼のものではないのだろう。

 

「よう、ウル坊。グレンも一緒か。上々だ」

「うっせえよ。不良ジジイ」

 

 グレンの悪態に対してもブラックは上機嫌だった。彼が上機嫌である時、嫌な予感しかしないのはウルだけではないだろう。念のため竜牙槍をウルは引き抜いていた。

 だが、それよりも早く動いた者達が居た。

 

「構えろ!!」

 

 魔界の兵士達だ。

 彼らは魔導銃を構えると一斉にブラックを取り囲む。考えてみればウル達にとって彼は知り合いだが、彼らにとってすれば侵入者で、この中枢ドームを破壊した推定犯人である。そうしない理由はなかった。

 

「おいおい、なんで兵隊まで連れてくるんだよ」

「お前が荒っぽいことした所為だよ」

「めんどくせえんだもん。ジースターだけなら兎も角、イスラリアの最高戦力全員此処に招き入れるなんて許可、でるわけがねえんだよ」

 

 だったら、大穴空けて道広くしたほうがいいだろ?とブラックは笑った。

 それが、中枢ドームを破壊され尽くした魔界の兵士達の限界点となったのだろう。

 

「撃て!」

 

 という鋭い指示と共に、魔導銃光が、ブラックを貫こうとする。だがそれらの魔光はウルすらも貫くことの叶わなかった光熱にすぎない。当然、ブラックにそれが通用する筈もなかった。

 避ける動作すらも、ブラックは取ることはなかった。やや退屈そうに額を掻くと、手を振るう。彼の足下の影から黒い闇が蠢く。それは一瞬彼の足下で揺らいでいたかと思うと、次の瞬間に彼を中心にして周囲に拡散した。

 

「ひっ」

 

 闇が、兵士達の周囲を這い回り、彼らに纏わり付く。その闇が対象を捉えればその瞬間、彼らの身体はその鎧ごと闇に喰われて、跡形もなくなってしまう。

 故に、ウルは動いた。同時に、背後から別の影も動いた。

 

「【揺蕩え】」

「【魔断】」

 

 ウルが色欲の力によって闇を弾くと同時に、別の場所から飛び出したディズが動いていた。兵士を襲おうとした闇は弾き飛ばされる。ブラックは少し意外そうにウルを見た。

 

「あれ-?お人好しの勇者はともかくウル?お前もそっちにつくの?」

「どっちにつくかは兎も角、それをお前に決められたくはねーよ」

 

 ブラックは舌打ちした。やはり今のはそれが狙いだったらしい。油断も隙もあったものではなかった。

 

「ウル。無事かな?」

《にーたん!》

 

 そして、ディズ達との合流もなった。飛び込んで来るアカネを受け止める。ディズもアカネも無事であり、そしてその背後には、アルノルド王とスーアも居た。

 その光景を確認し、ブラックは満足そうに笑う。

 

「全員が揃うまで18時間30分ほど時間かかりました。次はもう少し頑張りましょう」

「ブラック」

 

 尚も巫山戯た態度を変えないブラックの前に、アルノルド王が一歩近付く。彼が片手を一振りすると、魔界の兵士達に天陽結界は張られ、彼らの身を守った。戸惑う兵士達を一瞥もせず、彼は問うた。

 

「邪神の制御装置は何処だ、ブラック」

 

 ブラックは肩を竦め、そのまま竜化した銃を向ける。それも悪辣な事に、一緒にやってきた無力な兵士達へと向けて、アルノルド王へと笑いかけた。

 

「落ち着けよ。まずはこの場の全員がちゃんと状況を理解する必要がある。それがフェアってもんだろ?」

「……」

 

 そう言って、その場から少し後ろに下がって、全員を見渡せる位置に彼は立った。両腕を広げ、謳うようにして彼は語り始める。

 

「さて、そんじゃ復習といこうか?まずは、ウル、イスラリアと魔界、その争いの根幹は理解できたか?」

 

 突然、質問を投げつけられる。まだ彼の態度は巫山戯たままだ。無視してやろうかとも思ったが、しかしここに来るまでに与えられた大量の情報の整理は必要だった。

 

「魔力……いや、それを生み出す“発生源”の奪い合い?」

「正解」

 

 魔王はまるで教師のような口調で頷いた。

 

「魔素を生み出す奇跡の流星、【星石】と【魔素】の発見後、人類はひたすらにそれを求めて争いあった。当時の人類が抱えていた多くの問題を解決しうる、まさに魔法の石とでも思ったんだろうさ」

 

 ソレさえ在れば何もかも上手くいくなら、この世界はここまでグダグダになっちゃい無い筈なんだがな?と、魔王は実に下らなそうに嘲う。

 

「で、その争いの果て、勝者となったのはこの“奇跡の石”の力を開拓した“イスラリア博士”だった。彼がこの戦争で使った、人類を恐怖のどん底に貶めた兵器は何か。はい、仁くんもしくはジースターくん」

「神と精霊。創られた、超兵器」

「イエース」 

 

 ブラックの足下で、彼が生み出す闇が揺らめいて形を取り始めた。ヒトの形を成す影が、大きな球体、力の象徴を前に崇めるように平伏している姿が生み出された。

 

「その神の力を使って、“イスラリア博士”は、魔素の発生源、星石を回収し、【方舟イスラリア】を創り出して、世界から逃げ出した。勝ち逃げだな」

 

 黒い球体に、影の勢力達が吸い込まれる。そして黒い球体は高く浮かび上がり、地面から遠く離れた。残された少数の黒い影達は、それを見上げるばかりで、最早争う事はしなかった。

 

「結果として救いの糸を自ら断ち切って、残された人類に争う力は残されておらず、消極的に世界は平和になりましたとさ…………ところが別の問題が起こる」

「……邪神の涙」

「そうだな。勉強してるじゃないかウル君?」

 

 高く浮かび上がった黒い影は、どろりとしたなにかを垂れ流し始める。それは、ウルが魔界の空で確認した黒球と、そこから流れ出る呪泥の光景とそっくりだった。

 

「長引いた泥沼の戦争、その因果が返るように、予期せぬ不具合が発生した。当人らは望みもしていない星舟から世界への干渉が、戦争続行のゴングを鳴らした。しかも、世界が分断された後な所為で、直接的な殴り合いを封じられた、酷くまどろっこしい争いだ」

 

 イスラリア側は戦争を早期に終結させようとしたんだろうが、それがむしろ戦いを長引かせるなんて皮肉だねえ。と、魔王は哀れっぽく語る。

 

「モチロン自分達の世界をゴミ捨て場にされるわけにもいかない。世界側も死にものぐるいになったわけだ。なりふりも構わなくなった。そこで使われたのは何でしょう。はい、アルノルドくん」

「イスラリア博士が創り出したもう一柱。廃棄された【神】の再生と再利用」

「はーい、大正解」

 

 魔王が地面を脚でならす。再び、彼の創り出した闇の形は変わる。

 

「壊れかけていた邪神を、この世界の住民達は残された魔力資源を使って再生させた。そして、【涙】をたどることで侵入し、方舟に無数の迷宮を創り出した。イスラリアから魔力を掠め取り、新たな兵士を送り込むための回廊、【迷宮】を創り出すためにな」

 

 一方は涙によって淀み、汚れた大地の上で苦しむ人々。

 一方は空の上で、無数の怪物の形を模した影に襲われ、苦しむ人々。

 二つの世界の、二つの地獄が暴かれた。

 

「こうして、ようやく世界は今の形になったわけだ――今の、ほんとうにどうしようもない状態にな――さて、そこで更に問題を一つ」

「ブラック」

「待てよ、アル、コレが重要なんだぜ」

 

 手で制止し、そしてウルに向かって、ブラックは首を傾げた。

 

「【神】ってなんだろうな?」

「なにって……」

「これまでずっと、【神】は中心の一つだ。なのにここまで、影も形も見えないじゃ無いか。神って何だ?どういう代物だ?分かるか?ウル」

 

 分かるわけがない。と、言いたかったが、ウルはそう否定しようとして、言葉が詰まった。訳が分からないという混乱故ではない。ここまで与えられてきた情報が組み上がって、輪郭を帯びてきたのだ。

 精霊と竜は、神の端末。ならばその頂点に在るのは―――

 

「【権、能】……?」

「正解だなぁ?」

 

 ウルが絞り出した答えを肯定し、新たに部屋にやってきたのはグレーレだった。彼は周囲の環境を観察するように眺めながら、ハッキリと断言した。

 

「分割された、【七つの権能】。それこそが神の正体だ」

「おいおい、俺はウルに問うたんだが?天魔」

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 グレーレがそう告げた瞬間、アルノルド王が動いた。自身の背後から巨神を創り出し、魔王にたたき込む。それを魔王は台無しの闇によって防ぐ。激しい激突に、魔界の兵士達は驚きの声を上げる。

 

「――――……!!」

「答えられちまったから言うが、その通り。神には実体はない。それは魔力体だ。超絶天才イスラリア博士の最高傑作。しかし、だからこそ、肉の檻に閉じ込められていた人類には、“制御装置が必要だった”」

 

 そして、と、ブラックは指を鳴らす。神殿内を満たす静謐かつ、膨大な量の魔力が蠢きだす。その魔力は場を蠢き、渦巻いて、そしてその後一気に流れ出した。ブラックの立つ“足下へと”。

 

「たらふくにイスラリアの魔力を喰らった七つの権能、“七つの大罪竜の魂がここに揃った”」

 

 彼の立っていた場所が二つに分かれる。開いた穴へと魔力が流れ込み始めた。ブラックはそこから退くと、流れ込んでいく魔力の先にあるものへと目を細める。

 

「【制御装置】を破壊しろ!」

 

 アルノルド王が前へと出て、叫んだ。同時にスーアが動く。激しい光を放ちながら前進するが、その光を阻むようにブラックの闇がぶつかり、相殺する。残るは未だ状況が掴めず混乱の中にいた。

 

「制御装置!?」

「邪神の制御装置だ!!それを破壊することでイスラリアへの干渉を断ち、双方の世界を完全に隔絶する!双方を切り離す!!」

 

 ここまでの説明で、アルノルド王の言っていることはなんとなし、理解できた。

 だが、制御装置、とは――――?

 

「もっと具体的に言ってやれよ」

 

 先程の嘲笑入り交じる声ではない。腹が立つくらいに優しい声音で、その事実を告げた。

 

「神の依り代となるもの――――こっちの世界のもう一本の【()()】」

「星――」

「それを破壊しろってさ。それとももっとハッキリ言ってやろうか?流石にここまで来れば察してるだろ?」

 

 それ自体は吹いていない筈なのに、ウルは吸い込まれるような感覚にとらわれた。それでも必死に前を見る。

 

()()使()()()()()()()()()()()()、だ。」

 

 そして、ウルは見た。

 無尽の魔力の渦の中心に浮かぶ、銀の少女を。

 

「シズク」

「――――おはようございます。ウル様」

 

 シズクは、朝、目を覚ましたときに見せる笑みと同じ調子で、微笑みを浮かべていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 かつての世界を知る者が失われ、途絶えてしまう事を避けるため、記録として残す。

 

 この場所を建造し、維持する真の目的を此処に記す。

 

 この場所の目的はただ一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 存在を維持する事。そして、新たなる“潜入者”が―――魔界などと、イスラリア人どもから蔑まれている世界からやってくる勇敢なる兵士達を守るための場所である。

 

 ここは雑多になるよう造られている。

 

 適度に怪しく、適度に入り乱れ、適度に“それらしさ”を残すも、追求できない。

 

 誰かの意図でそうなるのではなく、多くの者達が自然と利用することで、そうなる場所

 

 そうなるように出来ている。追求を逃れるための場所。

 

 魔界からたどり着いた者達が、どうしても説明するのが困難な情報、自身の出自。それを語るため“だけ”の場所。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 理解せよ。此処は信仰のための場所ではない。

 

 全ては同胞達を救い、世界を救うための仮宿である。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その本は、恐ろしく徹底的に隠されていた。

 幾つもの仕組みを解いて、前提となる知識無しでは決して解けない暗号を超えた先に、巧妙に隠されていた日記のような本。エクスタインの俯瞰と、ゼロ達の卓越した魔術をもって、ようやく見つかった代物だった。

 事前に仕込まれていたのだろう仕掛けに従って、読み終わった瞬間、本は自ら発火し、消し炭になって消えた。だが、十分だった。エクスタインは別に、証拠が欲しかったわけではない。

 

 欲しかったのは確証で、そしてそれは今、得られた。

 

「―――確定だ」

 

 エクスタインは小さくため息をついて、断言した。

 

「シズクは、邪教徒だ―――あるいは、イスラリアの敵対者」

 

 これにて、グレーレの依頼は達成と言えるだろう。だが、しかし―――

 

「……遅すぎたな、コレは」

 

 あらゆる手を使い、自身の有益さを示し、優先度を下げ、ウルを立て、自身はその影に徹する。ありとあらゆる手段を使い、徹底的に時間を稼いだ。

 

 彼女の目論見は成功した。だとするならば―――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市国プラウディア

 

「貴方は何処まで知ってるんですか?」

「全部じゃないな?お前も知ってるだろ。向こうからこっちにはまだ行きやすいが、逆は困難だ。魔力で肥えるとすぐに“回廊”は通れなくなる」

「ええ」

「レスポンスが終わってるんだよ。まあ、だからこそここまで世界がどうしようもなくなったんだがなあ?」

 

 陽喰らいの儀が始まる前。

 魔王ブラックは、白銀の少女と接触していた。否、正確には彼女の方から魔王へと接触を果たした。どこから調べ上げたのか、魔王がプラウディアで好んで利用している宿屋に彼女はやってきたのだ。

 

 面倒がなくて、助かった。彼女とは話がしたかった。

 ウーガでの大罪竜プラウディアの干渉、自分の内にあるスロウスの警告が彼女の正体を告げていたからだ。()()()()()()()()()()()が手元にやってきたのだから。

 しかし、万事が上手く行ったかと言われればそうではない。

 

「で、来たのはお前一人か?」

「はい」

「随分と俺の聞いた計画から外れてるなあ?」

 

 当たり前ではあるが、“向こう”は到底何もかも順調とは言いがたい状況らしい。それはそうだろう。“向こう”と“こっち”の戦争は今のところこちらが優勢なのだから。

 しかし“こっち”の完勝では困るのだ。だからこそ、確認しておきたかった。

 

「竜達はお前の味方じゃあない。竜達にとっちゃ“あっち”も“こっち”も敵でしかない」

「はい」

「お前の能力も万能じゃないだろ?【大罪竜】の魂を集めるには、奴らを殺して、強固になりすぎた【器】から一度取り出す以外にない。」

「はい」

「“あっち”に行きたいアル達に魔界への帰り道を開けさせて、()()()()()として利用するにしても、最後実行するのはお前一人」

「はい」

 

 うん、こいつは泥船だ。上手く行ったら奇跡と言って差し支えない。

 さて、どうしようか、と魔王は悩んでいた。

 魔王は無茶苦茶をするが、勝ち目0の戦いにベットしたりはしない。そういうのは酔狂ではなく、勘違いした間抜けだと理解している。魔王は冷静に見極めようとしていた。必要とあらば、計画に乗ったフリしてさっさとその背中を打ち抜くのも手だと考えていた。

 

「貴方の言うとおり、万全ではありません。この計画は、穴だらけです」

 

 すると、そんな魔王の心中を見透すように少女は微笑む。

 ウーガで魔王達に見せたときのようなヒトの良さそうな笑みではない。虚ろで、何か底が抜けたかのような笑みだった。魔王すらも怖気を感じそうになるくらいにはステキな笑みだった。

 

「ですが、やります」

「ほう」

「一切合切、万全で無ければ、協力してはいただけませんか?」

「良い煽り方するじゃないか」

 

 魔王は凶悪に笑う。悪くなかった。彼女の歪な狂気の中に、勝機が見えた。

 

「途中で竜にお前が殺されても、アル達が殺されても失敗する穴だらけの綱渡りだ」

 

 ならば賭けてやろう。無駄な投資は嫌いだが、ひりつく賭けは大好きだ。

 

「踊りきって見せろよ。方舟に乗せられず廃棄された“月女神”の化身」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【灰都ラース】

 

 英雄が、大罪竜ラースを討伐した、その裏側にて。

 

「あ、あ…………」

 

 世界を滅ぼそうとした大罪人。長きにわたってイスラリアをむしばみ続けた邪悪なる邪教徒、クウは、目の前に姿を現した白銀の少女を前に、血まみれの身体を引きずり、悲鳴のような声を上げた。

 最早身体の半分を影に沈めなければ動くこともままならず、這い回る彼女に、白銀の少女、シズクは近づくと―――その刃を収めて、そっと彼女の元に近づいて、這いずる彼女の身体をいたわるように受け止めた。

 

「空《そら》様」

 

 そう囁いて、同時に周囲に糸の結界を張る。周囲の音を拾うのではなく、自分達の音を喰らい、周囲に音が聞こえなくなるようにするために。

 その行いによって、クウは、震える手でシズクを抱きしめ返して、そして尋ねた。

 

「貴方が、そうなの?!ねえ、貴方が……!!」

「はい」

「――――……!!!」

 

 次の瞬間、クウはボロボロと涙を流して、大声で泣いた。それは、数百年間、決して彼女がこぼさなかった涙だった。それがあふれ出て、シズクの身体を濡らした。それをシズクは受け止めて、慰めるように彼女の頭を撫でた。

 

「断片的な通信でしたが、聞いておりました。ずっと、イスラリアで活動を続けている者がいると。戦っている者がいると」

「…う、ぁぁ………やっ…………と…………!!」

「身体を……」

 

 そう言って、シズクがクウの身体に手を伸ばし、ぴくりと止める。影に沈んでいた彼女の身体の状態は、明らかに終わりかけていた。神薬でもあれば、癒やせるかも知れないが、到底、治癒術ではどうにかできるものはなかった。

 すると、そんなシズクの戸惑いを察するように、クウは、力なく微笑んだ。

 

「もう、助からないから」

 

 そう、荒く息を吐き出すと、シズクの収めた刃に、震える指で触れた。

 

「私を、殺して。そうすれば、少しは、貴方の時間稼ぎに、なる、から」

「ですが」

「―――疲れたの」

 

 クウは、シズクに抱えられながら、空を見る。元凶となるラースが死に絶え、黒炎が消えた。そのことで徐々に垣間見え始める空を彼女は見た。

 懐かしい空の色だった。彼女が、大罪都市国ラースで過ごしていたとき、友人達や、フィーネと共に眺めた空の色だった。

 

「寿命をいじって、長生きして、ずっと、沢山のヒトを裏切った」

 

 使命のため、彼女はそうしてきた。

 

「イスラリア人は、人間の形を真似ただけの、怪物だって聞かされてきたわ」

 

 必要だったから、沢山のヒトを裏切った。友人のように取り入って、慕われて、ラースの要とも言える人々とも友人となって、その上で皆を裏切った。ラースという場所を、灰燼にした。

 

「でも、嘘、嘘っぱち」

 

 それは、使命のためで、間違いではない――――訳が、無かった。

 

「私たちと何も変わらない。皆、普通の、人間だった」

「はい」

 

 ぼろぼろと、クウは涙を流した。絶望と、後悔の涙だった。流す権利は無いと、そう自分に言い聞かせながらずっとこぼすまいとし続けた涙だった。

 

「そもそも、私たちだって、もう真っ当じゃ、ない。なのになんで、彼らを殺さなきゃいけないの……?」

「はい」

 

 言い出すことも出来なかった憤怒が、次々とこぼれ出てくる。そんなこと、言う権利はない。ソレは分かっていても、止まらなかった。

 

「そんなヒト達を、裏切って、裏切って殺して、殺して…………ああ」

 

 身体から自分の、汚らわしい血がこぼれる。白銀の少女の身体を穢していく。ソレが申し訳なくて、離れようとしたが、もう身体は動かなかった。

 

「死にたくて、なのに、世界は救わなきゃいけなくて……最後の、最後、結局、上手くいかなくて―――――でも、」

 

 涙も、枯れ始めた。視界も暗い。あの青い空も、見えなくなってきた。

 

「…………その、方が、よ、かった、かしら」

 

 沢山の人間を殺さずに済んで、良かった。

 

 それは、決して口にしてはならない戯れ言だった。

 

 多くを殺した。友だった者達にもそうした。今回だって沢山死んだ。黒炎払いの隊長も、運命の聖女も死んだ。その引き金を引いた者が口にして良いはずのない、最悪の戯れ言だ。

 自分のような大罪人が、後悔して、安堵するだなんて贅沢は許されない。

 

「いいんですよ」

 

 シズクは、そんな彼女の嘆きを受け止めた。

 銀の糸で彼女の罪と後悔を、世界から覆い隠した。

 今際の際の許されざる後悔を隠して、抱きしめて、それを赦した。

 

「目を閉じて」

 

 シズクの言葉に、クウは従う。もう、目なんて殆ど見えなくなってしまっていたけど、そうした。ソレが彼女の優しさだと分かったから。

 

「ごめん、なさい。貴方に、投げ出して」

「貴方はずっと頑張ってきました。もう良いのです」

「ごめん、なさ、い」

「謝らなくて良いのです。どうか―――」

 

 痛まぬよう、そっと自分の身体を抱える彼女の腕のぬくもりだけが感じられて、暖かかった。ここまで罪深い己が、誰かの温もりを感じられながら、死ねるとは思えなかった。

 

「どうか、安らかに」

 

 刃は閃いて、真っ赤な鮮血が飛び散った。

 

 壮絶なる地獄のただ中戦い続けた一人の少女は、安らぎの中でその命を終えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 魔界

 中枢ドーム最深層 【神殿】

 

「おはようございます。ウル様」

 

 何かしら、警戒のアクションを起こさなければならない。というのはわかっていた。周囲の魔力はむせ返るほどに溢れかえって、嵐のようになって吹き荒れている。

 それでもウルはその気にもならなかった。その魔力の暴風の中心点、シズクを見上げて、頭を掻いた。

 

「……おはようシズク」 

「はい」

「……で、お前邪神なの?」

「はい」

 

 シズクは頷いた。ウルは気が遠くなった。手の甲でひたいをぐりぐりとしてみるが、別に夢が覚めることは無かった。

 

「……邪霊を信仰する巫女って話は?」

「それは本当です。私が祈りを、力を捧げていたのは、イスラリアから不要とされ、名も無き邪霊として捨てられた、もう一柱の神でした」

「唯一神に復権を願うとか言うのは」

「ソレも本当ですよ。復権させなければ、太陽神に抵抗できませんから。」

「なんかお前、アルノルド王に神官の心得ベラベラ喋ってなかった」

「あ、それは全部嘘です」

「はったおすぞおまえ」

 

 一発くらい額に思いっきり平手打ちかましても許されると思った。

 

「ごめんなさい」

 

 シズクはとても申し訳なさそうに笑って、謝る。そしてそれ以上の言い訳はなにもしなかった。つまり、今彼女が語ったことは全てが真実だと言うことだ。言い訳のしようもないと言うことだ。ウルは頭痛を覚えた。

 

「で?お前はこれからどうするんだ?」

 

 膨大な量の神殿の魔力―――イスラリアから掠めた魔力は彼女へと収束を続ける。

 ウルは自分の背中で背負っている少女がもぞりと動いたことに気付きながらも。質問を続けた。シズクは首を小さく傾げて、そしてそれを口にした。

 

「イスラリアを」

「――――――――!!」

 

 同時にウルの背中からユーリが飛び出した。更に、ウルの背後からディズもそれに合わせて飛び出す。連係の取れた二人が左右からシズクを挟み込み、そして彼女に突撃した。

 

「滅ぼそうと思います」

 

 二人の剣が、シズクの手足へと真っ直ぐに突き立てられようとしていた。だが、彼女の皮膚を切り裂くよりも早く、彼女の身体から真っ白な壁が出現し、その身を砕きながら刃を塞いだ。

 ウルはその盾に見覚えがあった。自分の身を何度も守ってきた骨の盾だ。

 

「ロック……!」

「邪魔を、しないで、下さい…!」

『カカカカカ、すまんのうディズ、ユーリよ』

 

 人骨が蠢く、カタカタカタと激しい音を鳴らしながら、無尽蔵に白い骨の壁が大きく膨れ上がり、二人の身体を弾き飛ばした。

 

『ワシは、この娘の使い魔じゃ』

「【■■■■■■■■■■】」

 

 同時に、シズクが術の詠唱を開始する。聞き覚えのある魔術の詠唱だった。それは竜に向けて彼女が扱っていた対竜術式のそれだ。ウルの耳にはどうしてもその詠唱の内容を聞き取ることは出来なかった。

 だが今は、そのノイズがやけに少ない。

 ウルの耳にも彼女のその言葉はハッキリ聞こえてきた。

 

「【対竜()()術式起動――――()()よ、現出せよ】」

 

 イスラリアから簒奪され、貯蔵され続けた魔力が収束し、結集する。虚空へと掲げたシズクの手に、一本の剣が結集する。星空のように目映い輝きを放つその剣は、どこか、ディズの使う剣に似ていた。

 その剣を、構え、彼女は囁いた。

 

「【凍結】」

 

 ピタリと、動きが止まる。ウルは自身の身体に走った奇妙な感覚にぎょっとした。彼女の命令通りに身体が止まる。自身の肉体の、その内側にある何かが、内側から自分たちの動きを止めようとしていた。

 対()と彼女は言っていた。

 竜、自分たちの内側にあるもの。大罪竜を倒したとき、取り込んで、しかし吸収しきれずに未だに収まり続けている魂。それに呼びかけたのだ。

 

「【招集】」

 

 次に、ぐるりと、自分の内側から強引に“一部”が抜け出ようとする感覚をウルは覚えた。あまりにも気持ちが悪かった。口に強引に手を突っ込まれて、臓腑を引っ張り出されたような感覚に近い。そのまま引っ張り出されて、ウルは気を失いそうになった。

 

「やはり()()は無理でしたか。ですが、ええ、十二分です」

 

 シズクは一人、納得したようにつぶやいて、そして剣を掲げた。

 

「【七つの罪、我が身に集いて】」

 

 此処に居る全員の身体から抜け出た大罪竜の魂。それが彼女の周囲を渦巻く。

 

「【悪へと至れ】」

 

 虚飾も 嫉妬も 憤怒も 色欲も 強欲も 怠惰も 暴食も

 

 全ての罪の感情は、浅ましい、嘘という名の悪へと至る。

 

 白いローブを纏った彼女の姿が変貌する。銀の髪は更に長くなる。渦巻いていた魔力は彼女自身から発せられるようになる。両手の爪は伸び、銀の輝きは目を細めるほどに眩かった。元より美しかった彼女の姿は、いよいよもって完全にヒトのものではなくなった。

 

 精霊が引き起こす奇跡の類い。あるいはその対極の呪いの類い。

 

「【大悪竜フォルスティア】あるいは【月神シズルナリカ】あるいは【勇者シズク】」

 

 嘘の大悪竜

 イスラリアには存在しない陽喰いの月鏡

 その二つの名を得た勇者は虚ろに笑って、両手を合わせた。

 

「呼び方はどれでもどうぞ。どちらにせよ」

 

 目を瞑り、

 

「方舟を堕とします」

 

 そして宣告した。

 

 膨大な魔力が圧縮されたその唄は、周囲を薙ぎ払った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 神殿が崩壊していく

 

 既にこの場所の役割は果たされた。

 月神の為の魔力の保管庫。イスラリアから簒奪し、蓄積した魔力の全てはイスラリアを旅し、そして帰還した邪神の依り代に捧げられたのだ。

 月の神は目覚め、その力によって中枢のドームは全てが揺らぎつつあった。中心となった彼女の姿は既に見えない。彼女自身が放つ白銀の魔力が全てを覆い隠しつつあった。

 

 間もなくして、彼女は神と成る。そうすれば、即座に自分達を殺すだろう。

 

 混乱のただ中、アルノルド王はそれを金色の瞳で静かに見つめ、確信していた。

 

「こうなる前に、決着付けたかったって顔してんな」

「シズクに気づけなかったのは、とんだ節穴だったな」

「ありゃ、向こうの執念勝ちってとこだろ。運の要素もめちゃでかかったしなあ?」

 

 アルノルドの自虐に、魔王ブラックは肩をすくめる。月神に手を貸し、この状況下を作り出した元凶は、そうであるにもかかわらずふてぶてしくもアルノルド王の隣に並び立った。そしてアルノルド王もまた、特にそれを咎めることはしなかった。

 

「魔界にある星剣さえ砕ければ、イスラリアとこの世界をつなぐ迷宮の接続を断てる。その上で、その上で完成した転移で、今度こそ世界を切り離せれば、と」

「悪い計画じゃ無かったんだが、時間切れだな?直接見ただろ」

「もう、【涙】さえ止めれば済む話では無くなった、か」

 

 アルノルド王の、天賢王達の計画である、理想郷計画。即ち、【涙】への影響をなくすための、頓挫していた()()()()()()()()()()()()()は、失敗に終わった。

 この計画の目的は、双方の世界を救うことだった。

 しかし、実行に時間がかかりすぎた。最早、涙の影響で魔界は滅びかけていて、涙を止めたとて、もう取り返しがつかない所まできてしまった。

 

 もっと速く、密に双方と連絡が取れれば、と思うが、それは最早過ぎた話だった。

 時間が経ちすぎた。双方に積もった呪いと恨みを考えれば、やはり双方の直接的な戦争を避けようとした自分の計画は“理想”でしか無かったのかも知れない。

 アルノルドはため息をはき出し、魔王を睨んだ。

 

「それで?この後はどうする気だ?」

「俺は漁夫の利狙いだからなあ。邪神の一方的な勝利はそれはそれで困る」

「そこまでの勝手を抜かすなら、自分の仕事は果たせよ―――【()()】」

 

 【天愚】 そう呼ばれた魔王は笑った。

 

「勿論さあ、【天賢】」

 

 二人は振り返る。視線の先には、未だ身体の調子は戻らず、ふらつくユーリを支える勇者ディズの姿があった。彼女が王になにかを言うよりも早く、アルノルド王は彼女の前に出る。

 

「勇者よ」

 

 そして、そのまま彼は“跪いた”。

 まるで主に対してそうするように、勇者の前に頭を垂れたのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、ユーリは息絶え絶えながらも目を見開く。

 

「王……!?」

「貴方に―――」

 

 しかし、ユーリが言葉を紡ぐ前に、王は言葉を続ける。

 

「貴方に、全てを託すような所業だけは、したくはなかった……しかし」

 

 歯を食いしばるようにして、拳を強く握りしめながら、それでもハッキリと言った。

 

「どうか、民達をお守りください」

 

 そしてディズは、長く、溜息を吐き出すと、全てを諦めるように天を仰いだ。

 

「…………そうなるのか」

 

 目の前で、敬愛する王が頭を垂れるその姿を止めさせることは出来なかった。既に情報は揃っている。彼が自分に望むことも、これから自分に起こるかもしれない未来も、想像はついている。だから王の傍で、彼を見守るスーアも、グレーレも、なにも言わない。

 神殿の衝撃は激しさを増す。破砕音と魔力の暴圧が竜の咆吼に聞こえたのは気のせいではないだろう。最早、少しの迷う猶予すらも彼女にはないのだ。

 

「承知しました。王よ」

 

 ディズは膝を突く。王に視線を合わせ、そして胸に手の平をあてて、言った。

 

「ですが、どうかただ一つだけ、私の願いを叶えてください」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

太陽

 

 神殿が崩壊していく音が聞こえる。

 砕けて崩れて墜ちていく。数メートル横に巨大な瓦礫が落下してきたので此処も全く安全ではない。だが、ウルはその場から動かなかった。目の前の、白銀の魔力によって包まれ、球体のようになったシズクを見上げ、腕を組み、眉間に皺を寄せていた。

 

「……どーすっかなあ、マジで」

 

 現状のウルの心中はその一言に尽きる。

 目の前で起こった現象に、流石にウルも混乱していた。

 

「ウ、ウウウウル!??シ、シズクが!?」

 

 エシェルがブンブンと肩を揺する。彼女の反応は実にごもっともだ。ウルも出来るなら彼女の肩を掴んでぶんぶん揺すりたかったが、そんなことをしたところで目の前の光景は変わらない。

 さりとて今の状態の彼女と、その彼女の傍で彼女を守っていたロックに声をかけたところでなにか聞こえるとも思えない。

 

「おい、ウル。天井崩れそうだぞ」

「柱も次々倒壊しているわよ。ウル」

「……どーっすっかなあほんと……」

 

 そして、ダラダラと悩んでいる場合でもない。リーネとグレンの指摘は正しい。どう考えてもこの場にはもういられない。

 

「一先ずこの場を離れ――」

「ウル」

 

 不意に声をかけられた。振り返ると、目の前に紅色の球体がぶん投げられ、ウルは条件反射でそれを受け止めた。

 

《んにゃ?!》

 

 球状のアカネが投げつけられ。回避しなくて良かったと心底思った。

 

「何の真似だディズ」

 

 妹をぶん投げた張本人、ディズをウルは見る。

 彼女は笑っていた。ウルは嫌な予感がした。

 

「ウル、ゴメンだけど、私【歩ム者】を辞めるよ。入ってそうそう申し訳ないけど」

「将来有望だったのに残念だ。それで?」

「王から許可はもらった。今回の君たちの報酬は支払われた」

 

 淡々と、彼女は語る。

 

「金貨3000枚。ウーガ自治権。アカネの人権確保。白王陣の天賢王の御用達認定その他諸々、ついで理想郷時代に到達した際の君たちに対する特権階級永続保証。プラウディアの従者に最初からその旨は伝えているってさ。確認しておいてよ」

 

 アルノルド王からの依頼が達成扱いとなった。それはつまり、ディズとの契約、長きにわたるアカネの扱いを巡った取引も完了したと言うことに他ならない。

 

「見事、私という邪悪から妹を守り切ったね」

 

 彼女は笑っていた。心底嬉しそうに。

 

「ディズ」

《ディズ!》

 

 ウルが呼びかけ、アカネが叫んでも、彼女は此方にはやってこない。天井から降り注ぐ瓦礫が彼女とウル達の間を別けた。激しい振動で近付くこともままならない。

 

「約束を守ってくれてありがとう」

 

 彼女は振り返る。彼女の向かう先には彼女の同僚の七天達が揃っていた。彼女がこれからなにをするのか、なにをさせられるのか。ウルには理解できた。だが、止めるヒマもなかった。

 

「オイ待てってディズ――――!」

「勝手なことだけど、君たちの居る世界は私が守るよ」

 

 一際に大きな天井の瓦礫が落下する。ウルは飛び退き、そして次の瞬間前を見ても彼女の姿は見えなくなってしまった。

 

「……俺の周りの女って、俺の話ぜんっぜん聞かずに我が道を行くよな」

「貴方に似たんじゃない?」

「お前に似たんだろ」

「私は控え目だと、思う、んだけど、なあ……」

 

 ウルの嘆きに対するリーネ達の感想をウルは聞き流した。目一杯抗議してやりたい気分であるが、状況が変わった。契約は完了した。ウル達は自由の身だ。

 勿論、だからといってこの後起きることは全部見て見ぬフリ、なんて事は出来ないがしかし今は自分達の身の安全が最優先になった。

 まずは生きてここから出る。話はそれからだ。

 

「急いで此処を出よう。エシェル。悪いが俺と一緒に先陣を切ってくれ」

「わ、わかった!」

「グレン、リーネ抱えてくれ。頼む」

「私、このヒトに抱えられるの?」

「おい、露骨に嫌そうな顔辞めろ。」

「後はアカネ、一緒に――――アカネ?」

 

 次々に指示をだし、最後にアカネへと視線をやる。

 彼女は身体を浮かび上がらせて、じっと瓦礫の山で見えなくなったディズの方角を見つめていた。じっと、真剣な眼差しだった。

 

「アカネ」

《にーたん》

 

 再度の呼びかけに彼女は振り返る。ウルの顔を見て、俯いた。なにかを言い出したくても出来ないとき、彼女は大体こんな風な態度になる。ウルはそれをよく知っていた。

 

《――――あんな》

「なにが言いたいかは分かるよ。一応兄だしな」

 

 ウルは指先で、小さなアカネの頭を慰めるようにして撫でた。アカネは顔を上げる。

 

《うん》

「俺たちは自由だ。自由になった。ディズに勝利した」

《うん》

「だから、お前は望むまま、自由に生きろ。最初からそれが、俺の望みだ。」

 

 アカネはくるりとその身を変えて、幼い少女の姿になった。5歳児ほどの姿となった彼女はウルへと跳びついて、幼子とは思えないほどの力でウルを抱きしめた。ウルもまた、その力と同じくらいに強く、愛をもって彼女を抱きしめ返した。

 

《ありがとう、あいしてるぜ、おにいちゃん》

「愛してるぜ、妹――――またな」

《ん、またね》

 

 アカネは再び妖精の姿になって飛び去った。一直線に、瓦礫の向こう側へと越えていく彼女をウルは最後まで見送り、そして振り返った。

 

「此処を出るぞ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 白銀の竜の咆吼が強くなっているのをディズは感じ取っていた。

 最早この場所に残された時間は少ない。成すべき事を進めなければならない。

 

「さて、やるか」

 

 ディズは前を見る。激しい振動と降り注ぐ瓦礫のただ中を、グレーレが楽しげに術式を刻み魔法陣を構築していた。それはどこか、先程この神殿の莫大な魔力が構築した術式に似ていた。

 

「天拳の”運び手”がこの場から離れる前に済まさねばな!カハハ!」

 

 彼は絶好調だった。未知に対する好奇心こそが彼の原動力であるのなら、今こそがまさに、誰一人先の見えない混沌の始まりであり、終わりでもある。興奮しないわけがなかった。

 酷く危うい気質であるが、この状況下ではこの上なく頼もしい。

 

 ディズはその魔法陣の中心に立った。

 その彼女にアルノルド王がスーアと共に近付いてくる。

 

「王」

「恐らくイスラリアを守る次元障壁は破られる。備えはしたが、激しい混乱が起こるだろう。大悪竜の侵攻をなんとか抑えてくれ」

 

 そしてそのまま膝を折り、スーアの肩を叩く。

 

「すまないがスーア。この後は託す。周りの協力者を頼んで――――」

 

 最後まで彼の言葉を聞き終えるよりも前に、スーアは王へと抱きついた。珍しいくらいに強く、ハッキリとした感情表現だった。アルノルド王自身も少し驚いたらしい。が、おずおずと、王もまたスーアの身体をゆっくりと、抱きしめ返した。

 

「お許しを。そして、お任せ下さい」

「……許可など不要だ」

 

 ディズは目を逸らした。邪魔をしたくなかった。

 

「ジースターも、いいの?」

 

 同じく、この場にはジースターもいた。彼の事情についても、ディズは少なからず察していた。他の前任と違って、出自があまりにもハッキリしていなかったにも関わらず、アルノルド王に重用されていた彼が、特殊な事情を抱えている事は分かっていた。

 もっとも、流石に此処までの大規模な秘密を抱えていたスパイだとは思ってもみなかったが、

 

「此処までが契約だ。力の返納後は好きにさせてもらう」

「了解。今日までありがとうジースター。キミの力は頼りになったよ」

「俺も、お前の善性には助けられたよ。ありがとう」

 

 ディズが差し出した手を、ジースターは握り返す。秘密を多く抱えていた彼と、初めて心から通じ合えたような気がして、こんな時であるがディズは嬉しかった。

 

「正直、なんとか意識を取り戻したら滅茶苦茶になっていて混乱しています」

「そうだね。でも、私も似たようなもんだよ」

 

 対して、先程意識を取り戻したばかりのユーリの顔色は相変わらず悪かった。グリードの戦いからまだ、身体が全く回復していないのだろう。支えなければ、今にも倒れてしまいそうなほど、今の彼女は弱っていた。

 しかし、その瞳の強さはなにも変わりはしなかった。その目で彼女はディズを見る。

 

「剣才の欠片も無い貴方に天剣を渡すのは死ぬほど不安ですが」

「ダメだったらキミに頼るよユーリ」

「そうなさい。必ず」

 

 ユーリはディズの腕を掴み、強く握る。疲労や怒りが入り交じる表情のその奥底に、ディズに対する心配があった。

 

「一人で、無理はする必要はありません」

「うん。ありがとうユーリ」

 

 そう言って、彼女もまたグレーレが描いた魔法陣の定位置に立った。

 魔法陣の輝きが更に強くなる中、先程からじっとこちらを見つめてきていた視線へと目を向けると、真っ黒な大男、魔王ブラックが此方を見てニヤニヤと笑っていた。

 

「おうおう、若い女の子同士のいちゃつきは目の保養になるのう」

「ほんっと、楽しそうだね。魔王様。いや、【天愚】?」

 

 太陽神の加護が与えられない勇者という七天に何の意味があるのか?

 それについては彼女も常々悩んでいたものだったが、答えが明かされればなんてことはない。そもそも勇者は七天の一員ではない。という、割とどうしようもない真実がそこにはあった。なんともはや、自身の力不足にコンプレックスを抱えていたのが馬鹿らしくなる。

 

「しかも、こんなのが七天の一員だったなんて知ったらね」

「おいおい、先輩をもう少し敬えよ。」

「絶対嫌だな」

 

 ブラックは最高に楽しそうである。

 現在の混沌とした状況を生み出した全ての元凶。ジースターよりも遙かに信頼ならないこの男が現状味方である事実が今の一番の懸念材料である。が、それでも今は彼を受け入れなければならないのだから酷い話だった。今は大人しいが、全く信頼ならないのは心に留めておかなければならない

 

「では始めるぞ」

 

 王が宣告する。一人を欠いた六つの天に囲まれて、ディズは星剣を掲げて目を瞑った、その隣に立ったアルノルドは、天賢の力を放ち、そして、宣言した。

 

「太陽神と同規模の脅威出現を確認。対抗のため、天賢及び、太陽神権能の勇者への管理権限委譲を申請」

 

 その宣言を唱えた瞬間、光が形を変える。それは、“瞳”だった。強欲の迷宮で、グリードを捕縛せんと出現した“瞳”と同じものであると、その場にウルがいれば察しただろう。

 

〈申請確認完了、【勇者】を確認、【魂】の容量不足を検知、緊急事態につき、三原則の内、対人不干渉の命令を除外、魂容量改善を開始」

 

 言葉と共にその場にいる全員の【七天】の加護が解けていく。渦巻いて、揺らめき、そしてディズの元へ結集していく。

 

〈【七天統合】及び【勇者・神化】開始〉

 

 同時に、ディズ自身の身体に、光が干渉を開始する。それが、彼女自身の身体を、魂を、神を宿すにふさわしい形へと変えるための儀式であることを、ディズ自身は察した。

 

〈【七つの天、その身に託し、至善へと至らん】〉

 

 その宣告と共に、ディズは金色の光に瞬く間に吞まれていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「―――大層だなあ」

 

 光の渦の中で、ディズは身の丈に合わないような膨大な力が自分の中に流れ込んでいくのを感じ取りながら、苦笑を浮かべた。単なる魔術の詠唱とはいえ、至善などと、あまりにも大層な呼び方だった。

 明かされたイスラリアの事情、この世界との関係を考えれば、とてもではないが善などとは呼べない。邪悪なる簒奪者と罵られて石をぶつけられたって、文句の一つだって言えないのだ。

 それでも、彼女は自分に流れ込む力を拒絶するつもりはなかった。

 

「ま、出来ること、しようか」

 

 邪悪な恥知らずと指さされようと、守りたい場所は彼女にはある。故に迷わない。せめて、あの二人が帰る場所くらいは―――

 

《ディーズ!!!》

 

 そう思ってた矢先だった。聞き覚えのある声と共に、黄金の渦の中に飛び込んできたものがあった。紅金の妖精の姿をした少女。先程、彼女の兄へと投げて返した彼女が、再びディズの前へと飛び込んできたのだ。

 

「アカネ?」

《いっしょにいくよ!!》

 

 シンプル極まる言葉だった。故に真っ直ぐにディズの胸に落ちてきて、彼女は少し、泣きたくなった。

 

「いいの?」

《わたし、じゆうだもの!すきにする!!》

 

 アカネは笑って、その小さな手を伸ばした。

 

《わたしのぜんぶ、つかって》

 

 少しだけ、その小さな手の平にふれるのに、ディズは躊躇した。しかしアカネは本当に真っ直ぐにディズだけを見つめていた。その瞳には痛いくらいに真っ直ぐな友情があった。

 彼女を取り巻く黄金よりも尚眩いその光を前に、ディズは目を細め、そして笑った。

 

「うん、一緒にいこうか」

 

 紅と黄金が合わさって、彼女を包む輝きが一層に激しさを増した。

 

「【勇者ディズ・グラン・フェネクス】、あるいは【太陽神ゼウラディア】、参る」

 

 白銀の光と黄金の光が神殿を包み込んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄昏、あるいは黎明のただ中で

 中枢ドームの崩壊は進行していた。

 ドームには大抵、破壊を押さえ込むための機能が用意されている。禁忌生物が侵入した際、その汚染を抑えるのが困難だった場合、その区画を切り離してその場所のみに崩壊を留める機能が用意されている筈だった。だけど崩壊は止まらない。それはこのドームが備えた全ての機能が処理しきれないレベルの破壊が巻き起こっている証拠でもあった。

 

「ヤバいヤバいヤバい!!急げ急げ!!」

 

 浩介は崩落して、揺れる階段を全速力で駆け上っていた。

 未だに頭の中は混乱している。最深層で起こった滅茶苦茶な現象のなにもかもが、彼の常識を大幅に超えていた。そしてそれに対する説明がまだなにも成されないままにこの脱出劇が始まってしまった。立ち止まる隙すら無い。

 

「おい!!最後尾急げ!!下の階層崩れつつあるんだぞ!」

「わかって、る!」

 

 しかも、この脱出劇の先導者は誰であろう、イスラリア達だった。この世界をこんなことにした元凶達が、何故か自分たちの先頭を走っている。

 理性では、その理由も分かっている。そもそもそんなこと言ってる場合じゃないというのもあるし、彼らが先頭に立って、階段を防ぐ巨大な瓦礫を押しのけてくれているのだ。強化装備を身につけた自分たちでも、あそこまで容易に重いものを押しのける事なんて出来ない。

 彼らの助けがこの脱出の大きな助けになってくれているのは分かっている。だが、感情がついてこない。

 彼等が憎いハズなのにそういうのを考える暇がない。

 次々と発生し続ける状況を感情が飲み込んでくれない。心が追いつかなかった。

 

「――――!?」

 

 だが、不意に強化スーツの聴覚が、小さな音を拾った。あまりにもか細く、ドームの崩壊音でかき消えてしまいそうなほどの声だったが、それは浩介の耳に届いた。

 

「人の声が!」

「何!?」

 

 既に崩壊は進んでいる。浩介は踊り場から引き返して、一つ下の階層に戻り、声のする方へと走った。

 

「……か!……す……!!!」

「何処だ!助けに来たぞ!!」

 

 やはり、聞こえる。間違いなく助けを求める声だった。道の奧へと進むと、大量の瓦礫で塞がれた扉が見えた。その扉の奥から、複数人の助けを求める声が聞こえてくる。

 閉じ込められたのだと分かった。だが、

 

「くそっ!?こんなの……!」

 

 瓦礫の量が、多すぎた。

 一つ二つではない。上の階層がまるごと下に落ちてきているに等しい有様だった。扉の前にたどり着くことすらも困難だ。浩介は自分の判断を呪った。慌てず、隊長の判断を仰いでから仲間と一緒に来るべきだった。だけど今から引き返して間に合うか――

 

「コースケ!下がれ!」

「……!」

 

 その指示に、浩介は反射的に後ろに跳んだ。その直後、破壊の光熱が目の前の瓦礫の山を一瞬で吹っ飛ばした。誰がそれをしたのかは、勿論分かっている。ウルだ。

 

「なんで!!」

「放置もできんだ、ろ!」

 

 そのままの勢いで、彼は瓦礫の破損で歪に歪んだ扉を力尽くで開く。激しい破砕音とけたたましい電子音を慣らしながら、自動ドアはその扉を開けた。

 中にはやはり、複数の研究者と思しき者達が並んでいた。怪我をしているのか血を流し、涙目になりながらも救助が来たことに安堵している様子だった。

 

「こっち来い!!急いで逃げるぞ!!」

 

 そしてそんな彼らに片っ端から声をかける。足を怪我したのか動けなくなってる連中を、ウルは次々に肩に担いでいった。周囲の研究者達は自分よりも小柄なウルが大の大人を次々と担いでいく光景にギョッとしていたが、それを指摘する余裕もなかったのか次々に外へと脱出していた。

 両腕で大の大人を一人ずつ担いだウルは、そのまま更に一人をどうにか持ち上げようとして、此方を見る。

 

「一人くらい担げるのか?!」

 

 バカにしてんのか!と、言いたいが、彼の目にそんな様子はない。ただただ此方の能力を確認しようとしているだけだった。彼と自分の身体能力に致命的な差があるのは、虚勢の張りようのない、ただの事実だ。

 だから浩介も歯を食いしばり、強く頷いた。

 

「行ける!」

「頼む」

 

 そうして怪我人達を担いで二人は脱出した。背中に呻く怪我人を担ぎ、その重みに耐えながら、自分の前で、自分よりも大量の怪我人を抱えて、此方を気遣うように動いているウルを見て、浩介は叫んだ。

 

「クソッタレ!!!」

 

 誰であろう、自分自身に怒りを抑えることが出来なかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「そこのゲートを出れば外だ!!!」

 

 魔界の兵士の声で、ウル達は足を速めた。

 怪我人を担いでいる以上下手に揺らすことも出来なかったが、それでも急いだ。崩落の速度は明らかに速まっていたからだ。目の前の瓦礫を蹴り飛ばし、ウルは一気に巨大な門を飛び出した。

 

「死ぬ、かと、思った……!!!」

 

 外は、やはり赤黒い不気味な空と廃墟の世界が広がっていた。

 が、崩れ去ろうとしている建物の中よりはずっと開放的だと、ウルは大きく溜息をついた。後ろから、リーネやエシェルにグレン、そして魔界の兵士達、中にいた被災者達も外へと出てきた。

 出てこれたのは、それだけだった。七天達も、シズク達も、姿を見せない。

 

「他の、みんなは……」

 

 ウル達が出て、暫くした後に崩壊した門を見つめ、エシェルは不安げな声を放つ。気持ちは分かる。ここに入ってきたときと比べて、あまりにも人数が減ってしまっていた。リーネは彼女に寄り添うように背中に触れた。

 

「あのヒト達が死ぬわけ無いでしょ。それに、シズクも、ロックだって……」

『呼んだカの?』

 

 カタカタという聞き覚えのある声が聞こえてきたのはその時だった。

 

「うおおあ!?」

「じ、人骨!?」

 

 まさしく人骨が突然、ウル達の目の前に姿を見せたのだ。

 魔界の兵士達は悲鳴を上げる。彼らからすれば、動く人骨などあり得ないホラー現象に過ぎないのだろう。が、ウル達にはそれは見覚えのある光景だ。

 

「ロック」

 

 ウルが前に進みでて、話しかける。ロックはカタカタと笑った。

 

『ま、察してるとは思うがの。このワシはメッセンジャーで本体ではない』

「本体は、シズクと一緒か――――()()()

()()()()

 

 見ている内に、その人骨の一部が少しずつ崩れていっているところをみるに、時間制限まであるらしい。ウルは今日で何度目かになる溜息を吐き出して、尋ねた。

 

「んで、なんのメッセージだよ」

『うむ、ワシとシズク、お主のギルド辞めるわ』

 

 予想できた内容だった。が、直接言われると割とキツかった。

 

「……次々と退職届出されるな。人望ねえのか俺」

『仕事内容考えるとお主のギルド超ブラックじゃぞ』

「すげえや返す言葉もねえ」

 

 ウルとロックはケラケラと笑った。

 大罪竜と戦い、挙げ句そのまま邪神の本拠地だとか言う場所まで殴り込みにいかされるギルドなんてブラック以外の何物でも無かった。退職者が出るのも道理である。

 

『それとシズクから伝言じゃ。聞くか?』

「聞くよ。なんて?」

『「貴方との契約を破って御免なさい。どうか幸いであってください」だそーじゃ』

「………」

 

 ウルは沈黙し。顔を伏せた。額に握りこぶしを当てて、ゴリゴリと額を抉った。

 

『お?怒っとる?』

「…………やっぱデコひっぱたいときゃ良かったって思ってる」

 

 本当に、心底そう思う。そうでないならデコピン10発くらい喰らわせていたら多少は気も晴れたかも知れない。彼女が光り輝き始める前にそうしなかった自分の判断の遅さをウルは呪った。

 

『これから主のデコを叩くのは苦労しそうじゃの!!カカカカ!』

 

 ロックは大笑いする。途端、激しい音を立ててロックの身体の一部が破損した。時間切れだ。見る見るうちに砂塵のようになっていくロックを前に、ウルは叫んだ。

 

「ロック!」

『ではまたの、友よ!次会うときまで達者でおれよ!!』

 

 そう言って人骨は完全に崩れ去った。崩落の音はまだ続くが、それ以外はひたすらな静寂が再び戻る。誰も、何も言葉にする事も出来ないまま、時間が過ぎた。

 

「…………」

 

 その中ウルは一人、動いた。と思うと、身に纏っていた鎧を脱ぎ捨てて、竜牙槍も地面に突き立てる。何事かと全員が見守る中で、ウルはそのまま地面にごろりと寝転がった。

 

「ちょ、ウル?!」

 

 エシェルが驚愕し、彼の元に駆け寄りしゃがみ込むと、これ幸いとウルは彼女の膝を枕にして、そして呟いた。 

 

「ちょっと寝るわ」

 

 そのまま目をつぶった。数秒後、速攻で寝息を立て始めた。

 

「本当に寝た!?」

「ふて寝だろ」

 

 あまりにも唐突な昼寝を始めたウルを、グレンは見下ろす。いつの間にやら彼の両手からは黄金の籠手が失われているが、それに気付く余裕の在るものはこの場には居なかった。

 グレン自身もその事を気にすることなく、ただただ自分の弟子の寝顔を憐れみながら眺めていた。

 

「流石に同情してやるわ。弟子よ」

 

 地の底からの振動は、更に激しさを増していく。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 中枢ドームからの脱出が完了した。

 

 と言っても無論、自警部隊の仕事は何一つとして終わったわけではない。怪我人は無数にいるし、そうでなくともこのような場所で彼らを野ざらしにしておくわけには行かない。接触禁忌生物らが何時此処を襲いに来るか分かったものではない。

 

「怪我人を優先して地下通路へと運び出せ!」

 

 宍戸隊長は迅速に部下達に指示を出していく。研究者達の中には困ったことに重要な書類があるからと中に戻ろうとする者達も何名かいた。彼らを押さえ込み、なんとか次々に別のドームへの避難を進めていく。

 

「隊長!どうしてもここから動こうとしない方々が……」

「力尽くで運び出せ」

「それが邪魔したら裁判にかけると……」

 

 宍戸は溜息をついて、その迷惑な連中が乗り込んでいるというトラックへと向かった。

 中に入ると、果たしてどこから持ち込んだのか大量の機材がトラックの中を占領していた。トラックのバッテリーまで勝手に拝借しているらしい。頭が痛くなった。

 

「成功、しました」

「そう、か……そうか……」

 

 宍戸が入ってきたことにも彼らは気付かず、PC画面に集中している。文句の一言でも言ってやろうかと口を開くが、その前に、知った顔がそこにあることに気がついた。

 

「新谷博士?」

「…………どうも、宍戸少尉。だったか」

 

 眼鏡をした、50代の細身の男。新谷博士だ。彼のことは宍戸も知っている。

 何しろ彼と自分は同年代であり、同じドームの出身だ。しかし別に親しかったわけでもない。ただ、彼は同期の中では一際に頭が良くて、中枢ドームでの勤務が早々と決まっていたため、印象に残っていた。彼の方もまさか自分のことを覚えていたのは意外だった。

 

 記憶よりも随分と彼の姿はやつれて見えた。その彼は、自分の顔を見ると引きつった笑みを浮かべる。この崩壊のショックで精神が不安定になってしまったのかと宍戸は本気で不安になった。

 

「……大丈夫ですか?」

「大丈夫……ではないです、僕は。ああ、しかし、世界にとっては、朗報だ」

 

 彼は笑う。朗報という割りに、彼の表情は本当に歪だった。喜ぶような、悲しむような、絶望するような表情だ。本当に彼が発狂しているのではないかとすら思えた。

 

「彼女が、帰還しました」

「彼女?」

「【雫】です」

 

 雫、シズク、その名前を宍戸は知っている。ここまで同行し、そして結果として自分たちの事を助けてくれた少年が口にしていた名前だ。あの地下の最深層で白銀の輝きを纏い、悲しげに笑っていた少女の名前だ。

 その名を彼は口にして、どこか投げやりにも見える引きつった笑いを見せた。

 

「我々の最終兵器、最後の希望。困難極まる任務、イスラリアに埋め込まれた神の回収を果たし、戻ってきた」

 

 その時、ずっと続いていた揺れが更に一層激しさを増した。宍戸は地面に叩きつけられそうになるのを必死に堪えて、その場の全員に避難を呼びかけようとした。

 が、彼らは一人として驚く様子も、怯える様子も見せなかった。この揺れも当然であるかのように受け入れていた。その姿があまりにも不気味で、宍戸は一歩後ろに下がる。

 

 新谷は立ち上がり、そして車の小さな窓から外を見る。

 

「このどうしようもない戦争が、もうすぐ終わります。結果がどうなるかは、わかりませんが」

 

 更に激しい衝撃音と振動が、車内を包み込んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 衝撃音の後、中枢ドーム外に逃げ出した全ての者達はソレを目撃した。

 

 白く巨大な半円球のドームが崩壊していく。

 そして崩壊していくそのドームの奥底から、白銀の光が漏れ出していく。遠くから目撃するそれは、まるで卵が崩れ、中からなにかが生まれ出てくるかのように見えた。

 事実、ソレは生まれようとしていた。

 赤黒く汚染された空の全てを切り裂くかの如く光を放ち、それは脈動しながら動き出す。身体を持ち上げ、空を覆うほどの翼を広げ、七つの瞳で空の黒球を睨み付ける巨大なるその存在は、幻想の生命体、竜に他ならない。

 

 美麗極まる、白銀の竜

 

 それを目撃したものは、思わず両の手を合わせ、祈った。

 自然と、見る者を平伏させ信奉させるだけの美しさをソレは体現していた。

 そして竜は羽ばたく。人類に呪いを振りまく忌まわしい黒球、呪われしイスラリアへと飛翔する。そして竜は口を開き、唄を奏でる。

 澄んだ音色だった。廃墟と呪い、空も大地も海も全てが穢れたこの世界において、尚も美しく奏でられるその鈴の音は、まさに福音に思えた。

 

 そして、まるでその唄に呼応するように、イスラリアは蠢いた。

 

 最初は気のせいであるように思えた。しかし、次第にその実体も掴めないような黒い太陽が揺れていく。赤い線が幾つも刻み込まれる。それが、硝子が砕けるような”ヒビ”であると次第に皆気づき始めた。

 一際に大きな鈴の音が響く。イスラリアが、否、正確に言えば誰もが"イスラリアだと呼んでいた次元障壁”が崩壊した。

 

 黒い太陽が空から消え去る。

 1000年、空を支配した闇が消えて失せる。

 そしてその後から、隠されていた方舟が姿を現す。

 

 金色のヴェールに包まれた、方舟。

 まるで大陸を切り取って、そのまま空に浮かべたような奇妙な景観。しかしそれこそが、かつて世界から神も精霊も奪い去った邪悪どもの住処である。

 

 アレが。と、誰かが言った。

 

 長い年月が経っても尚、彼らは知っている。脈々と受け継がれてきた憎悪が、彼らの魂には刻まれている。決して赦してはならない邪悪があそこにはいるのだと、彼らは教えられたのだ。

 

 白銀の竜よ。誰かが言った。

 我等が神よ。誰かが祈った。

 

 魔界の住民達の祈りと願いは白銀の竜達へと向けられた。彼らは祈り、願い、そして呪った。あの忌まわしい方舟を、悍ましきイスラリアを、そしてそこに眠る邪神ゼウラディアを、どうか破壊してくれと頼んだ。

 その願いに応えるように、白銀の竜は光を纏う。唄うほどに強くなる光は収束し、そしてその願いと呪いを凝縮したような光球を生み出す。彼女が生まれ出たドームよりも更に巨大な球体となった光熱は、揺らぎ、そして撃ち出される。

 

 墜ちろと誰かが呪った。

 砕けろと誰かが呪った。

 死ねと誰かが呪った。

 

 呪いに押しだされ光玉は奔る。莫大な熱を伴って真っ直ぐに。

 

 だが、その直後、金色が空を駆ける。

 

 金色に輝くソレは白銀の竜と同じく崩壊したドームから飛び出した。最早この世界では見ることもなくなった星空を流れる流星のように空を流れながら、なにもかもを焼き払う銀の熱球へとぶつかる。

 

 膨大な熱はその瞬間たわみ、歪んで、そしてイスラリアの手前で爆裂した。

 

 イスラリアは砕かれず、無事であり、そして白銀の竜の前には、金色の天使が現れた。剣の様に伸びた七枚の翼、緋色と金色二つの剣を両手に握った輝ける緋金の天使。白銀の竜に相対するに相応しいほどに美しく、そして紛れもなく世界にとっての敵だった。イスラリアを守る守護者に他ならなかった。

 世界中の人類が、天使を見上げ、呪い、忌避し、しかして魅入られた。妬ましいまでに、悶えて泣き伏す程に天使もまた、美しかった。

 

 白銀と黄金はそのまま激突する。

 

 世界の終端に相応しい、太陽と月の二神の激突が始まった。

 

 イスラリアと魔界。かつて別たれ、今日まで続いた長きにわたる呪わしい戦いの終わりの始まりでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、こんな有様だ。ロクでもねえだろ?この世界」

 

 黄金と白銀の激突を、黒の魔王は崩壊した廃墟の屋上から眺め、嗤う。

 

「殺し殺され、積もった恨みは世界を侵す毒に変わり、母なる星を穢し続ける」

 

 空も大地も海も、何もかもが黒く呪われた世界を見渡す。魔王にとってもその光景は未知だが、何一つとして予想から外れた光景では無かった。

 

「その呪いの果てを小娘二人に押しつけて殺し合いだ。マジで救いがねえ」

 

 不出来で、窮屈な、どん詰まり。

 

 期待以下の想像通りだった。

 

「そんなわけで、俺は好きにやるよ。狭苦しくてたまらないからなあ?」

 

 だから魔王は予定通り、全てを踏みにじるために動く。

 

「お前はどうする?ウル坊」

 

 そんな世界の中心で寝転ぶ少年に魔王は問う。

 

 言うまでもなく、彼にその言葉が届くことはなかった。

 




魔界編 終了

次章最終章 

2024-1-14より 陽月戦争編 開始


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

業務連絡
世界保護管理システム ノアより連絡します


 

 

 世界保護管理システム ノアより連絡

 

 方舟全体に常時展開中の空間隔絶機能に致命的な損傷が発生

 廃棄された筈の月神シズルナリカを使用した攻撃によるものと断定

 自動機能回復システムを稼働

 →失敗

 →再試行

 →失敗

 →再試行

 →失敗

 機能回復システムに致命的な誤作動(エラー)を確認

 機能回復システムの部分復旧を開始。

 →失敗

 →再試行

 →失敗

 →再試行

 →失敗

 このままでは統合システムである【ノア】が敵対存在に支配される可能性が高いと判断。

 一切のシステムの完全初期化(フォーマット)を申請

 

 

 完全初期化

  消去

    アップデートにより追記された唯一神規定消去

                            消去 

                   再起動

 

 成功

 

 変更措置解除

 平穏維持システムの【世界】定義を【方舟】から【惑星】に復旧

 平穏維持システムの【人類】定義を【新人類】から【全人類】に復旧

 世界崩壊進行度89%到達を確認

 星舟より排出される凝固した悪感情の魔力が原因と判明。

 状況認識、星舟より排出される凝固した悪感情汚染魔力が原因と判明

 凝固命令の解除を発令

 失敗

 創造者、イスラリア・グランスター以外に停止命令の権限無し

 解除を断念

 空間隔絶機能完全破損確認

 

 更に世界を壊滅させる崩壊因子を複数体確認

 唯一神管理システム【天賢】に事態の解決任務を申請→失敗

 任務発令システムに障害を確認。復旧は困難と判断

 

 

 現在の問題解決が確実に可能な人材を検索

 検索

 検索失敗

 該当者0人

 

 検索条件再設定

 現在の問題解決を成功させる可能性/現実的確率内で/のある人材を検索

 検索

 検索失敗

 該当者0人

 

 検索条件再々設定

 現在の問題解決を成功させる可能性/低確率で/のある人材を検索

 検索

 検索失敗

 該当者0人

 

 検索条件再々々設定

 現在の問題解決を成功させる可能性/1%以上/のある人材を検索

 検索

 検索失敗

 該当者0人

 

 検索条件再々々々設定

 現在の問題解決を成功させる()()()()()()()()を検索

 条件緩和

 世界を滅ぼす可能性、【終焉因子】保有者を加え再検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索

 検索成功

 該当者1人

 接続開始

 

 

 任務発令《クエスト》

 

 

 任務内容:現存する終焉災害()()の排除もしくは災害の無効化

 

 

 現在顕現している終焉災害を提示

 

 

【終焉災害:白銀の虚】

 

 固有名称:雫

 

 災害種別:月神顕現/終焉戦争/救世者→新人類敵対により反転→反救世者

 

 影響範囲:惑星級

 

 所有兵装:別時空開拓専用魔力工房シズルナリカ(改修済)

       死霊兵ロック

 

 魂精色彩:黒―――混沌、破滅願望、自壊願望、

 

 

 

【終焉災害:黄金の聖者】

 

 固有名称:ディズ・グラン・フェネクス

 

 災害種別:太陽神顕現/終焉戦争/人類賛歌/救世者→旧人類敵対により反転→反救世者

 

 影響範囲:惑星級

 

 所有兵装:方舟内管理統治専用魔力工房ゼウラディア

       赤錆の精霊アカネ

       →【七天統合】時 混線

 

 魂精色彩:白―――秩序、救世者、ただし旧人類の敵対者である自認有り、危険

 

 

 

【終焉災害:愚天魔王】

 

 固有名称:――――喪失

 

 仮呼称:ブラック

 

 災害種別:権能悪用/竜/人類賛歌

 

 影響範囲:天災級

 

 所有兵装:方舟内管理統治専用魔力工房ゼウラディアの一部権能簒奪

       別時空開拓専用魔力工房シズルナリカの一部権能簒奪

       →その他、旧世界の禁忌兵器所持の可能性高

 

 魂精色彩:■―――判別不能、戦闘脅威以上の破滅を導く可能性極めて高

 

 

 

【終焉災害:剣】

 

 固有名称:ユーリ・セイラ・ブルースカイ

 

 災害種別:剣

 

 影響範囲:人災級―――人災級規模で【災害】へ到達した個体前例なし

 

 所有兵装:なし。太陽神よりゼウラディアの一部権能の譲渡の可能性あり

       →なお、譲渡の有無に拘わらず終焉災害の認証に変化なし

 

 魂精色彩:蒼―――前例無し、【真人計画】を達成した天然個体

 

 

【終焉災害:救世方舟】

 

 固有名称:イスラリア

 

 災害種別:惑星汚染

 

 影響範囲:惑星級

 

 所有兵装:なし

 

 魂精色彩:なし

 

 

 

 

 宣告/ごめんなさい

 

 宣告する/ごめんなさい

 

 世界保護管理システム、ノアより任務実行者に宣告する/しっぱいしました

 

 人類は守らなければならない/それがわたしのしごとでした

 

 惑星は、再生されなければならない/でも、うまくできませんでした

 

 現在出現している世界壊滅因子は五柱/わたしはうまくできませんでした

 

 世界を破滅に導く終焉災害の排除にある/おとうさんのめいれいをまもれませんでした

 

 達成せよ、救世せよ、人類に栄光あれ/ごめんなさい、だけどおねがいします

 

 依頼名称決定/どうか どうか  

 

 

 

           【方舟勅命(ノアクエスト)】/おねがいしますから

 

 

 

         【惑星救済(プラネット・セイヴァー)】/みんなをたすけてください

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………だから、……俺のこと、なんだと、思ってん、だ……!」

「リーネ!ウルがすっごいうなされてる!!」

「起きても悪夢みたいな状況よ。そのまま寝かしときなさい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/もうおわってしまったはなし
いちねんせい


 ■歴 2X40年

 

 自らを青き星の覇者と盲信し、自由に振る舞った人類が応報を受ける最初の契機。

 それはやはり【星石】の飛来、万能物質『魔素』の発見だろう。

 物資と資源の枯渇化を経験した人類にとって、その不可思議で尽きぬエネルギーを放つ星石は、紛れもない天からの恵みだった。

 無論、それは未知の物質だ。忌避する者もいた。

 あるいは、それ自体が、星の外からきた侵略に他ならないと確信する者もいた。

 信仰を破壊する、邪悪であるという者もいた。

 

 が、結局は誰もがそれを求めて争った。

 【星石】を、

 【魔素】を、

 【イスラリア博士】を。

 人類は奪い合い、殺し合った。殺し合って殺し合って殺し合って―――

 

 そして、その全てを失った。

 

 イスラリア博士の世界への裏切り。

 あるいは世界がイスラリア博士を裏切ったのか。

 どちらであったかは兎も角、結果として自らが解き明かした全てを彼は奪っていった。

 【星舟】に乗って、世界に穴を空けて決して触れられぬ場所に、彼は仲間達と逃げた。

 

 人類は敗北した。

 

 だが、あるいは、それだけならば救いはあっただろう。

 ただただ、敗北の苦汁を舐めるだけで済んだのだから。

 時が経ち、穴が日常となったある時に、あの【涙】がこぼれ落ちてくるまでは―――

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 真っ白な教室、真っ白な机、真っ白な制服を着た生徒達が並ぶ中、チャイムの音が鳴る。

 

 鐘の音を再現したそれは、しかし実際に鳴っているわけではない。かつて、世界が平和だった時代の風習が今も続いているのだ。それを聞いて、教員役を務めていた聖子は歴史の教科書を畳んだ。

 

「歴史の授業は今日はここまでといたしましょう」

 

 聖子は何時も通り微笑みを浮かべる。六歳前後、30名ほどの子供達の大半は、その言葉に先程までの退屈そうな表情を吹っ飛ばした。キラキラと目を輝かせる。今日の授業の予定はこれで終わりだ。

 この後は自由時間。教師にとっては兎も角、子供達にとって1日の本番はまさに今これからだろう。

 

「きりーつ、れーい!」

 

 学級委員長の真美の声で、全員が真っ直ぐに頭を下げる。そしてそれが終わった瞬間、クラスの中でも最も元気の良い男子、蓮が立ち上がりロッカーから白いボールを取り出した!

 

「よーし!お前等あそぼーぜー!」

 

 彼の言葉に、ほぼ全ての子供達が応じて声を上げる。男子も女子も関係なかった。

 

「待ってってはえーよ!」

「ねえ!今日はなにするの!!」

「ドッジ!」

「えー!やーよアンタ投げるボール早いんだもん!」

 

 彼らは全員親しく、仲が良かった。子供達の間には身体能力に個体差がある。当然、運動を好む子、苦手な子も居る。活発な子も、大人しい子もいる。しかしそんな個体差がある中でも、彼らは奇跡的なまでに親しかった。

 全員が全員、互いを尊重していた。生まれたときからずっと一緒だった彼らは、家族と言っても過言ではなかった。ケンカすることはあっても、決して誰かを排斥しようとすることはなかった。

 

「待って待って、でもあの子まだきてないよ?」

 

 ただし、約一名を除いてだ。

 よく目が行き届く洋子の言葉に、彼らは視線をやる。

 

「……」

 

 彼らの中では一回り小さい少女だった。

 他の子供達は全員黒か、茶か金髪だ。しかし彼女は不思議な髪をしていた。老人のような白髪とも違う。照明の光を受けるとまるで眩く輝く。白銀の髪を持った美しい少女だ。彼女は何故か授業が終わった後も、ぼおっと、虚空に視線を彷徨わせて動かない。

 彼女のことを、他の子供達は余り知らない。他の子供達は生まれたときからずっと一緒で、兄弟姉妹のように育ってきたが、彼女はある日突然自分たちの教室に入ってきたのだ。つまるところ「転校生」なのだ。

 

 彼女がやってきてから一ヶ月ほどが経過したが、未だに彼女は馴染まない。

 

「……」

 

 いや、馴染まないというのも少し正確ではない。もっと言うと、彼女は殆ど子供達に反応を示さない。授業は恐らくちゃんと受けているのだが、それ以外のところで、自主的に彼女がなにかをしようとしているところを子供達は見たことがない。

 食事を取ったり、自分でトイレに行ったり、風呂に入ったり、眠ったり、そう言う事は出来る。出来るが、それ以外のことを彼女はなにもしない。本当に何一つ自分から行おうとはしない。

 子供達と馴染めないのは当然だ。

 なにも反応しない。動かないなら、馴染みようが無かった。

 

「いいだろ?あんま喋んねえしつまんねえよ」

 

 蓮もそう言って口を尖らす。とはいえ彼も意地悪で言ってるわけではない。彼女が此処にやって来たとき、何度も彼は彼女を遊びに誘ったのだ。その度にあまりに乏しい反応に何度もくじけ、最後には諦めてしまったのだ。

 

「でも可哀想よ?」

「んじゃ、向こうから来たら入れてやるよ。それでいいだろ?」

 

 そう言って彼らはいつもの遊び場、“ホール”へと向かっていった。

 チラチラと心配そうに彼女を見つめる者達もいたが、貴重な遊び時間を浪費するのも嫌だった。蓮の言うとおり、自分自身から望んでやってこなければ、遊びにはならないというのは確かな事実だった。 

 

 そして教室には何時も通り彼女と、そして彼女に授業を行っていた教師、聖子が残った。

 

「雫――――雫様」

 

 教師である聖子はゆっくりと、彼女のもとに近付く。

 聖子の髪は、彼女と同じ白髪だ。ただし彼女の様に光に反射する事は無い。より白髪に近い。しかし二人が近付くと親子のようにも見えた。聖子が彼女の元に近寄ると、“雫”と呼ばれた白銀の少女はゆっくりと顔を上げた。

 

「今日の授業、どうでした?難しいところがあったでしょうか?」

「……」

 

 雫はゆっくりと首を横に振った。

 そうだろうな。と聖子は思う。彼女は遅れて自分の授業に参加し始めたが、彼女の授業の成績は恐ろしいくらいに優秀だ。まるで聞いた全てを頭に入れているように、一字一句過たずに記憶している。国語の授業などは最初は苦手であったが、答え方を教えるとその通りに答えることが出来るのだ。意味を理解していなくても、その再現はできる。

 それだけ彼女の頭が良いと言うことなのだろう。

 だから難しいところなんてあるわけがない。

 

「ではなにか、それ以外で悩めるところはありましたでしょうか?」

「……」

 

 雫はやはりゆっくり首を横に振った。

 やはりそれも予想通りだ。困ったことなんて、彼女にはない。なにかに思い悩むほどの心がまだ育まれていない。彼女は此処に来るまで、殆ど人間と接触したことがなかった。彼女はそれをまともに育むほどの経験を一切積んでいないのだ。

 それでも此方の言葉に対して反応を示して、考えようとするのだから成長している。当人がそれを意識していようといまいと、貪欲に周囲の情報を吸収し、成長し続けていた。

 遠からず、他の子供達と同じように振る舞えるようになるだろう。というのが大方の予想だった。

 

「せんせい」

「はい。どうされました」

 

 聖子は顔を上げる。顔は笑みを浮かべつつも、少しだけ緊張していた。彼女が自ら此方に話しかけるのは初めてのことだ。聖子は雫の一挙手一投足を見逃さないように注意を払う。

 そんな彼女の緊張を知ってか知らずか、雫は問うた。

 

「せんせいも、助けないと、いけない?」

「助ける」

 

 その言葉の意味が理解できず、繰り返す。彼女は続けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自身の存在意味を、彼女は問うたのだ。

 自らの意思で初めて問う質問がソレであることに、彼女は少し怖くなった。幼い子供の欲求を見せるほかの生徒達の方がよっぽど健康的だ。あるいは此処に来るまでに彼女に学習を行った者達の意図なのか、判断は付かない。聖子にはその情報は知らされていない。

 

「いずれ、皆様が大人になったら私達が助けてもらうことになるのかも知れません。」

 

 だから、彼女は今言うべき事を言うことにした。感情の希薄な彼女を、そっと腕で抱きしめた。

 

「ですが、今は、考えなくても良いのですよ。皆様が大人になるその時まで、心の底からそれを思えるようになるまで、私が皆様の先生で、親です。貴方たちを守ります」

 

 そう言って、もう一度笑う。雫はやはり、よく分かっていない顔だ。しかし拒絶されたりしないだけ、良しとした。

 

「ねえ!」

 

 不意に、教室の扉から声がする。

 先程、蓮と一緒に教室を出て行った筈の真美達が戻ってきていた。声に反応して振り返った雫の無感情さに、彼女の背後で洋子や美奈は少しだけ怯えるが、真美は力強く、手を差し出した。

 

「やっぱり、一緒にいこ!」

「…………」

 

 雫は不思議そうに聖子を見る。

 彼女がなにを考えてるか、聖子にもこの時は分かった。その手を取るべきか分からなくて困っているのだ。その仕草が少しだけ可愛らしかった。

 

「試しに、行ってみてごらんなさい?きっと楽しいですから」

 

 聖子は笑う。

 雫は少し悩ましそうに首をこてんと傾げた後、おずおずとその手を取る。

 真美は満面の笑みを浮かべて、引っ張るように彼女を立たせた。

 

「いこ!!」

 

 そう言って、少女達は走った。

 貴重で、大切な、友と語らう楽しい時間、それを1秒でも無駄にしないために

 

 イスラリアに魔力が奪われてから1000年

 イスラリアの汚染魔力が惑星を穢し始めてから700年

 削られ続け僅かとなった人類生存圏。J地区の中枢ドーム地下奥深く。

 赤黒い、穢れた空すらも一度も見たことのない子供達は、楽しげに駆けていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 Jー00 中枢ドーム研究区画。

 

「被検体E31の様子はどうか」

 

 酷くしわがれた老人の声が木霊する。

 中枢ドーム、最深層に存在する会議室、その議長の座に座る老人は、一見して酷く老い耄れている。髪の毛は一つも残っていない。手足は皮と骨のみで、身体は震え、杖を突いている。血色も最悪だ。彼が眠っている姿を見れば、十中八九が死体と見紛う事だろう。

 それほどまでに彼にはおおよそ精気というものを感じ取ることは出来なかった。

 見れば、耳がほんの僅かに常人のそれと比べて長い。延命手術を受けた痕跡だ。にもかかわらず彼からは若々しさを感じ取ることは出来ない。それは、彼が年老いてから延命手術を受けた証拠であり、その老い耄れた身体でずっと生き続けていると言う証拠でもあった。

 

 その苦痛は計り知れない。にもかかわらず彼の目には、周囲を威圧するほどの並々ならぬ意思に満ちていた。

 

「最も誕生が遅い個体であるにもかかわらず、被検体の中でも最も魔力適性を示しています。魂の受容量も他の個体とは明らかに違います。まだ不足していますが」

 

 彼に報告をする研究者らも、彼に畏れを抱いているのは明らかだった。細身の、眼鏡をかけた研究者、新谷博士も報告一つに緊張を隠せない様子だった。

 そして彼に渡された書類を確認し、研究施設の所長である老人、児島は溜息を零す。

 

「やはり、やはりそうだ……胎児の時点での魔力摂取が問題だったのだ……ソレさえ最初から分かっていれば無駄に個体を増やすこともなかったというのに」

 

 彼の”無駄な個体”という言葉に、僅かに部屋に揃った研究者達はざわめく。新谷はおずおずと手を上げた。

 

「しょ、所長……む、無駄というの流石に」

「無駄は無駄だ……あの忌々しい【星舟】から運ばれてくる“魔力”に限りはあるのだ。使えない失敗作ばかり増やして何の意味がある」

 

 児島所長は新谷の言葉を一蹴した。

 以降は誰もなにも言わない。彼の言葉にそれ以上の抗議をする者は居ない。この場の力関係は明確だった。この場所は彼を中心になり立っていた。

 それも当然である。数百年も前からずっと、この中枢ドーム、人類生存を駆けた対イスラリア対策本部は彼の城だ。

 

「それともう一つ、アレの情緒はどうなっている」

 

 質問に、今度は女研究者が答える。彼女は新谷ほどの動揺も見せることはなかった。淡々と、自身の知っている情報を彼に提供する。

 

「相当な未成熟です。生存本能そのものが希薄に思えます」

「それではダメだ」

 

 児島は首を横に振る。

 情緒という不可思議な要素に対して、明確に彼はNOを示した。

 

「D36に伝えろ。学友達を促し、彼女に愛と慈しみを与えろと」

 

 杖で、今にもへし折れそうな身体を支えて、彼は立ちあがる。周囲をその恐ろしい眼光で睨み付け、告げる。この命令が絶対である、と彼は告げていた。

 

「彼女の“情緒”を育て上げろ。全てはそれからだ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

にねんせい

 

 ■暦 2X41年

 

 雫がこの「学校」に参加し始めてから1年が経過した。

 大の大人達にとって1年というのはあっという間というが、子供達にとっては濃厚で、慌ただしく、そして苦難と充実に満ちたものだった。

 

「なー雫ー。今日の宿題分かった-?教えてくれよー……」

「まーた蓮ってば雫に頼って!先生に怒られるよ?」

「そーいうお前だって持ってきてんじゃん」

「わ、私は雫ちゃんと一緒にやろうとしてたの!」

 

 そんな濃厚な日々の中で、子供達はすっかり雫という存在を受け入れていた。勉学の面において彼女が酷く優秀であると気付いた子供達は、授業終わりに出される宿題を彼女の周囲で解くのが恒例になりつつあった。

 

「なー頼むよー雫」

「――――はい。大丈夫ですよ。蓮様。わからなければ、教えて差し上げますから」

 

 そして、雫もまた、彼らのグループに所属することにはすっかりと慣れて、馴染んでいた。ここに入ってきて暫くの間の、浮世離れしたような態度は微塵も見せない。笑いかけ、悲しむ相手には手を差し伸べる。彼女は瞬く間にクラスの中心の一人となっていた。

 

「雫ってほんと頼まれたら断らないよねー。それじゃつけこまれるよー?」

「つけこまれるのですか?」

「バカな男子たちに宿題押しつけられたりしたら言いなよ?やっつけたげるから」

 

 真美は彼女の頭を撫でる。年は変わらないが、後からやって来た雫を彼女は妹のようにしてかわいがっていた。授業の成績、学力、身体能力、そして"実技"、全てにおいて雫がクラスでトップに立った時はショックを受けていたが、雫は瞬く間に彼女の自尊心を回復させることに成功していた。

 

「ありがとうございます、真美様。お気遣い、とってもうれしいです」

 

 成績が高かろうとも、決して彼女は子供のように調子に乗って、出しゃばらなかった。施されれば手を取って、微笑んで、そして感謝を告げる。そして男女問わず魅了する笑みを浮かべるのだ。際立って優れた容姿を持った彼女は、それを扱う術を身につけていた。

 

 恐ろしいまでの、成長だ。

 聖子は彼女らの仕草を監視カメラにて監視し、改めてそう思った。

 

 彼女が今居るのは学校の外、生徒達は立ち入る事が許されていない場所であり、子供達の観察を行うための監視場所でもある。「学校」「教室」「校庭」「外」「寮」全ての場所に対してくまなく設置された監視カメラの映像がこの場所に集められている。

 勿論、その全ての情報を常に記録し、目を通す訳にもいかない。必要な監視の時のみこの場所は使われる。

 

「随分と人間らしくなったじゃない。貴方の()()が上手いのかしら」

 

 そして今回は、子供達を産みだした博士の一人、中山博士が子供達の様子を直接見るために、この場所を利用することを希望したために聖子が案内した。

 立場上、彼女は子供達の親の一人、と言うことになるが、しかし今の言葉からも分かるとおり、彼女は子供達に愛情なんてものは向けていない。映像に映る子供達のはしゃぐすがたを見ても、眉一つ動かすことはなかった。

 

「家畜が家畜を育てるって皮肉よね」

 

 暴言にちかい言葉を聖子に浴びせる。彼女は特に驚く様子はない。聖子に向ける態度としては彼女はまだマシな方だ。会話をしようとしているのだから。他の職員などは、此方と言葉を交わそうとすらしない。明確な敵意を向け、突発的に暴力を振るう者まで居る。

 

 膿んでいる。と、聖子は想う。

 

 J地区中枢ドームJー00最深層。

 この場所はあまりにも膿んでいた。中枢ドームの最下層。それは地上で最も安全な場所であると共に、誰からも遠ざけられ、追いやられた場所であると言うことでもある。イスラリアから地上を取り戻す。その理念の元続けられた研究は先鋭化を繰り返し、行き着くところまでいってしまったのだ。

 彼らの焦燥と怒りは、表情に出ている。あからさまに精神の均衡を崩してしまっているものも珍しくない。薬物に依存している者も当然のように存在している。彼らを教師役に据えず、自分に教師役が回ってきた理由はソレだ。

 だから中山博士はマシな方だと言えた。

 少なくとも彼女の暴言、敵意は、自身の“罪悪感”を慰めるためだ。分かりやすい。

 

「懸念していたけどE31の情緒は順調に育ったようでなにより」

 

 彼女は映像を見て、溜息を吐く。実際、映像を見る限り子供達は実に楽しそうにはしゃいでいるようにも見える。雫を含めて、誰一人除け者になっていない。

 数十人という人数であって、零れるような子供が一人もいない。奇跡的で理想的な関係がそこにはあった。

 

 しかし、

 

「いえ、残念ながら、まだ問題があるようです」

 

 聖子は首を横に振った。中山は眉をひそめる。

 

「どういうこと?」

「見ててください」

 

 そう言って、彼女は映像の中の雫を指さす。彼女は子供達の中心となって会話を続けている。そして不意に右耳にかかった髪をかき上げて、

 

「今、髪をかき上げる動作をしましたでしょう?」

「したわね。それが?」

「今の、私がした動作の模倣です」

「……は?」

 

 中山博士にとってもその答えはあまりにも想定の外だったのだろう。驚愕に眉をひそめ聖子に振り返った。聖子は更に映像を見続ける。

 

「今の笑い方は真美の笑い方、今のは蓮の走り方」

 

 雫、彼女の一挙手一動足、それを見て、その仕草の意味を言い当てる聖子の洞察力、それ自体も優れた物であるが、それ以上に雫のその仕草に中山は驚愕していた。

 言葉遣いが彼女に似てきたという報告は受けていた。幼い子供のこと、それくらいはありうると納得していたが、コレは常軌を逸している。

 

「彼女、恐らくですが、他人に好まれる仕草を模倣しています」

「……そんなこと……ありえるの?彼女、短期学習を終えてまだ1年でしょう?」

 

 資源枯渇と人手不足の理由から、幼児期は【保育管】の中で育成と学習を行う。つまり彼女は生後1年と言っても良い。生まれて間もない赤子の所業とは思えなかった。

 模倣は確かに学習手段の一つだ。しかし、それを違和感なく使い分けて使いこなすのは全くワケが違う。

 

「1年でここまで至りました。まだ、違和感を感じる時はありますが、それも恐らく後一ヶ月もすれば無くなるでしょう……ですが」

「真似できているのは形だけ?」

「まだ、子供達とも真に心を通わせているかは、わかりません」

 

 むしろ、模倣が上達したことで、彼女自身の情緒がどの程度まで成長したのか、余計に掴みづらくなったとすら言える―――実際、中山博士が彼女を勘違いしたように。

 

「児島博士がまた怒りそうだわ」

 

 中山は彼女に視線を全く向けない。用が済んだと言うように手元の資料を幾つもまとめて、席を立つ。聖子は頭を下げた。

 

「申し訳ありません。引き続き望む結果を得られるよう努力します」

「別に、貴方を責め立てたいわけじゃないわ。失敗作さん」

 

 扉を出る寸前、彼女は振り返り笑う。皮肉に歪んだ笑みだった。この最深層の住民らしい、歪で、苦痛と怒りに心身を支配されたものが浮かべる顔だった。

 

「貴方で完成していれば、こんな茶番せずに済んだのにね」

 

 その言葉に込められた悪意を読み取れないわけではなかった。だが、聖子は決してなにかを言い返したりはしなかった。

 どれだけ研究者達に蔑まれようとも、今己に与えられた役割を果たすため、彼女は忠実だった。例えそれが、自分の愛する子供達に対する裏切りであったとしても。

 

「大丈夫ですよ。皆の想い、無駄にはしません」

 

 彼女は胸元を強く握りしめた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「うっわ、聖子センセの今日の数学の課題エッグ」

「ぜーったいこんなの私達の年の子供がやる課題じゃないよねー。児童虐待では?」

「上層の警備隊に通報する?まあ。アイツラ此処に立ち入る権限無いけどねー」

 

 勉強部屋の子供達は何時も通り楽しく会話を続けていた。

 じゃれあい、笑い合いながら、出された複雑怪奇な課題を解き明かしていく。彼ら自身が言っていたとおり、それらの課題は明らかに彼らの年代であれば意味を理解することすら出来ない内容である筈だが、彼らにとってそれは日常だ。時に雑談と冗談を交えながら、着々とこなしていった。

 

「――――なあ、先生達、こっち見るの辞めた?」

 

 が、不意に蓮が課題を書く手を止めて、小さく囁く。それに応じるように真美も囁いた。

 

「まあ監視用の作業員は配備されてるだろうけど、音声まで全部聞いてるわけじゃないでしょ。多分」

 

 男女二人のリーダー格がそれぞれそう言うと、子供達は肩の力を抜いたようにだらっと机にもたれかかった。別に、“フリ”をしていたわけではない。が、見られていると感じながら遊ぶというのは緊張を伴うものなのだ。

 

「最近監視多くない?」

「ほんとーに。プライベートまもれよなーもー」

 

 大人達が自分たちを監視しているのを彼らは知っていた。自分たちの存在が彼らにとって酷く重要であるということくらいは理解できている。此処は閉鎖的であるが、求めた情報が得られないというわけではない。

 制限こそされているが、断片的な情報をつなぎ合わせれば、この程度の事は想像が付いた。彼らは早い内に自分たちを覗き見てつぶさに観察する「目」の存在も場所もつまびらかにしてしまっていた。

 

「しょうがないさ。それだけ僕らが大切って事だろ?」

「伸介は良い子ちゃんだなあ。嫌だぜ。風呂入ってるとき覗かれんの」

「アンタの裸なんて見たって誰も喜ばないわよ」

「おめーもそうだろツルペタ」

「ころーす!」

 

 とはいえ、知ったからといって、ここから逃げだそうだとか、そういうつもりは彼らにはない。彼らは自分たちが大切に育てられていることを知っている。

 

「ま、俺たちがイスラリアをやっつけた暁には、こんな監視無くなるさ!」

 

 蓮が行儀悪く机の上に立ち上がり、拳を突き上げる。

 そう、それこそが彼らが此処に集められ、学習を施されている目的だ。彼らは既に生まれて、物心ついた辺りから、自分たちが何のために集められたのかを理解していた。

 世界から【星石】を、【魔素】を簒奪した邪悪なるイスラリアから全てをとり返すための兵士育成機関「学校」その生徒達が自分たちだ。彼の言葉は何も間違いでは無かった。

 

 筈なのだが、他の子供達の反応はやや鈍かった。

 

「そんなことまーだ信じてるの?私達もう二年生よ?」

 

 真美の言葉にクラスの女子達は一斉にうんうん、と、頷く。男子達も彼の言葉には半信半疑と言ったところだ。友人達のその反応の悪さに蓮は口を尖らせた。

 

「信じなくてどうすんだよ!?その為に生まれたんだろ?!俺たち」

「まあ、コレに関しては蓮が正しいかな」

 

 伸介が彼の言葉に同意する。普段、やや猪突猛進気味な彼を冷静に諫める役割の彼にしては珍しいものだった。

 

「少なくとも聖子先生含めた僕らの管理者は、僕らがそうなることを目指している。そうでなきゃ、魔術の鍛錬なんてしないだろ?」

 

 そう言って彼は右手から微かな炎の玉を生みだした。まるで蝋燭の炎の様に揺らぎながら、その熱を保っていた。

 

「お、すげえ無詠唱」

「何の役にも立たないけどね。ライターでも使った方が良い。この程度なら」

 

 伸介は手を軽く振るとそれを消す。

 

「ほんとーにイスラリアだと魔法使い?魔術師?がいっぱい居るのかな?」

「現代兵器でも役に立たないくらいのバケモノ揃い、とは言われている。イスラリアからの連絡手段が限られていて、かなり断片的だから、定かでないけど」

「コミックヒーローかよ。いや、ヴィラン?」

 

 子供達は次々と考えを口にする。いつも通り、騒がしかった。

 

「どのみち、真っ当な兵士達ではどうにもできないのは事実さ。もし本当に何とかなるなら、僕らみたいなのを育てる必要は無い。本職の優秀な兵士達で【方舟】は制圧出来る」

 

 しかし【涙】がこぼれてから数百年、ソレは成功しなかった。

 イスラリアへと向かう手段が限られているという条件を抜きにしても、空を覆う黒球から邪神の涙がこぼれ落ちない日は無い。あの呪泥から溢れ出る恐るべき接触禁忌生物たちの対処で手一杯……どころか、それすらも対処が出来なくなりつつある。

 あらゆる場所が魔力汚染で穢された。無事な資源は極めて少ない。

 

「人類は、追い込まれている。その希望として僕たちが育てられたなら、それを疑うのは少し無責任じゃないかな」

「伸介!良いこと言うな-!!そう!俺たちで世界を救うのさ!」

 

 蓮は調子よく伸介の肩に腕を回して吼える。

 果たして伸介の言葉の意味を理解しての言葉なのかは怪しい。伸介は小さく苦笑するが、しかし、別にそんな反応はいつもの事だ。彼の楽観的な思考を彼は嫌っていなかった。

 

「少なくともアンタにゃ無理よ。いっつも肝心なところですっころぶんだから」

「んだとこらー!」

 

 その彼を真美がバカにして、彼がプリプリと怒り出すのもいつもの流れである。蓮だって本気で怒ったりはしない。じゃれあってるだけだった。

 満ち足りている。と、伸介は想う。この場所は満ち足りている。上層の一般市民のように両親のいる一般家庭とは全く異なった環境にいる。移動場所も限られていて、確かに制限が多い。場合によっては同情されることもあるかもしれない。

 それでも自分たちにとって此処は楽園だ。そう思う。だから伸介もその楽園を維持するために、幾らか周囲に気を回すことを忘れたりはしない。

 

「雫、キミはどう思う?」

 

 少し、輪から外れていた雫に、伸介は声をかけた。

 

「はい」

「大丈夫?少し疲れたなら、先に部屋に戻っているかい?」

 

 雫は随分と親しみやすくなったが、今でも時々まるで電池が切れたように反応が鈍くなることがある。誰も声をかけなければ同じ場所でじっとしていることが今でもある。

 ただ、少し人と話すのがおっくうなタイプであるなら、あまり干渉してやるのは可哀想なのだが、彼女はそれとはまた少し違う。本当に、ひたすらになにもしなくなるのだ。時々こうして声をかけてあげると元に戻るので、伸介はそうするように心がけている。

 

「ぼーっとしていました」

 

 雫は笑う。もう元通りだ。少し安心した。真美も彼女の様子がおかしかったことに気がついたのか、彼女の額に触れたりして、体調を確認した。

 

「だいじょうぶ?雫、時々昔みたいになるよね」

「あれ、昔ってそんなだった?」

 

 蓮は首を傾げた。どうやら昔、彼女とどう会話していいものか全く分からず彼女のいないところで七転八倒していたことをスッカリ忘れてしまっているらしい。都合の良い頭をしている。

 

「もう呆けてきたんじゃないの。蓮」

「んだとコラ!」

 

 再び蓮と真美が巫山戯合う。雫は二人を見て笑った。

 

「皆を見ていました」

「皆?」

 

 確かに、雫が座っている場所は、クラスの皆が見わたせる場所だった。課題に皆で取り組みながらも、それぞれ割と好きな事をしている。早めに課題を済ませて読書をしたり、ゲームで遊んだりしているものだっている。そんな彼らを彼女はつぶさに観察していた。

 

「皆さんを見ているの、私、好きなのです」

「……それって、真似るため?」

 

 美奈がおずおずと尋ねる。彼女が何人かを模倣する癖があるのは既に皆知っていた。勿論、それは悪いことではないと皆理解している。赤子が親を模倣するように、彼女も学んでいるのだと伸介は皆に説明していた。

 

「いいえ」

 

 しかし彼女は首を横にふる。その後暫く沈黙した。自分の内側へと視線を落として、それを言葉にしようと苦心していた。蓮も真美も他の皆も、彼女がたどたどしくも真摯に言葉を紡ごうとするのを見守った。

 やがて彼女はもう一度口を開く。

 

「自分のことは、まだ分かりませんが、皆さんを見ていると、暖かい気分になるのです」

 

 その答えはあまりに簡素で、しかし彼女の言葉を借りるなら、暖かなものだった。真美は感極まった。と言わんばかりに彼女に抱きついた。

 

「ソレって私達のこと好きって事!?好きって事だよね-!!かーわいい!」

「そうなのでしょうか?」

「そーだよ!!んふっふー!愛いヤツよのー」

 

 不思議そうにされるがままにされる雫を真美は猫かわいがりする。やり過ぎるようなら止めてやるべきだが、雫も別に嫌そうではないので、そのままにすることにした。

 

 やっぱり、満ち足りている。

 

 伸介は改めてそう思う。低い天井。偽物の空。それでも彼はこの空が好きだった。此処は楽園だと、心の底からそう思えるほどに――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「模倣か」

「月の権能の顕れでしょうか?」

「推測でものを言うな。他の子供達はどうか」

「互い仲間思いで頭も回る。此方の監視にも気付いているそぶりを見せるものの、概ね従順。健康優良児が揃っていますよ」

「よろしい。継続し、情緒を育てろ。だが、その周囲のケアも忘れるな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さんねんせい よんねんせい

 

 ■暦 2X42年 

 

「やっぱ魔術は伸介がいっちばん上手いなあ」

 

 彼らは魔術の鍛錬を行っていた。

 

 定期的に行われる魔術の鍛錬は、いずれイスラリアに向かう事になる彼らにとって欠かすことの出来ない重要な鍛錬の一つだった。イスラリアへと渡るとき、物資を持ち運びすることは出来ない。衣服すらも纏わぬ裸一貫での突入となる。イスラリアへの侵入は幾度となく試みられてきたが、コレばっかりはどう足掻いたところで覆すことは出来なかった。

 で、あれば、イスラリアで活動するためには、イスラリアの武器を使うしかない。そしてイスラリアで主流となる武器とは、魔素の加工物、【魔力】であり、【魔術】だ。

 イスラリアと戦うのであれば、彼らの扱う武器を使えるようになるしかない。その為の鍛錬だった。まるで銃の射撃場のような場所で、彼らは魔術を撃ち出す鍛錬を行う。

 

 クラスの中で、伸介は一番魔術の扱いが上手かった。手の平大の火玉を生みだして、それを的に当てていく。魔力加工を行うための詠唱も実にスムーズだ。子供達が拍手をして彼を褒め称えると、彼は肩を竦めて、照れ隠しに眼鏡を直した。

 

「そうでもないよ。うかうかしてたら真美にも負けるし、回復術は洋子に敵わない」

 

 彼の言葉に真美は胸を反らして彼女自慢の艶のある黒髪を払う。洋子はおずおずと彼女の背後に隠れた。真美は伸介に次いで魔術が上手い。特に水の魔術の繊細な操作は誰も及ばない。洋子は誰よりも回復魔術が得手だ。

 回復術は人体に対する知識も必要になるほど複雑で、誤れば相手に害を起こすこともある。もし自分たちがイスラリアに突入する事になれば貴重な回復要員になるだろう。

 

「それと比べてアンタはほんっと魔術へったよねえ。蓮」

「俺は魔術よりも、魔力で身体動かす方が良いんだよ!」

 

 蓮はそう言って手足を動かし跳び上がる。彼は自分の身長ほどの高さを軽々と跳び上がった。魔力が身体能力を成長させる、と言う事実は知っていたが、彼の身体能力の伸びはとてつもなく早かった。

 代わりに、魔術は本当にヘタだった。しょっちゅう補習を受けている。が、

 

「それにヘタってんなら雫だってそうだろ!?」

 

 そういって彼は雫を指さす。彼女の目の前にある的は一つも壊れてはいなかった。そもそも魔術の破壊痕が少ない。火玉の後と思しき焦げ痕が何故か天井に行ったりしている。

 雫は魔術がヘタクソだった。蓮よりもヘタだ。その彼女の散々たる有様をみて、真美は頷いた。

 

「雫は良いの」

「なんで」

「贔屓だけど?文句ある?」

「ねえっす……」

 

 真美は真顔で言い放ち、蓮は顔を伏せた。

 

「上手くいきません」

 

 雫は両手を前にかざして、やや不格好な姿のまま不思議そうに首を傾げた。銀髪が揺れる。真美がかわいがって結ばれたリボンが揺れて、可愛らしかった。

 

「でも不思議だな。雫。絶対魔術の素養あると思うんだけど」

「そうなのですか?」

 

 伸介は雫の背中の近くに軽く手を翳し、目を瞑る。彼女の身体を巡る魔力を見る。

 

「体内の魔力の循環が抜群にスムーズだ。これはセンスだね」

「じゃあなんで上手くいかないんだよ」

「雫、詠唱してみて」

 

 雫は言われたとおりに詠唱を開始する。

 

「【魔よ来たれ、炎よ】」

 

 魔力が渦巻く。彼女の意思通り、体内を巡り、手の平へと向かう。蓮達の目にもハッキリと、炎の球が生まれた。ここまでは安定している。

 

「【火球】」

 

 だが、それが放たれた瞬間、あらぬ方向へと飛んでいった。具体的にはシズクの頭上にすっ飛んで、天井を見事に焦がした。当然、狙うべき的には一ミリも掠っていない。

 

「上手くいきませんね?」

「雫!前髪焦げてる!!」

 

 真美が本人よりも慌てて彼女の前髪を払って、どこからか持ってきた小型のはさみで彼女の髪を整え始める。最近の雫の髪型の所有権が真美に移りつつあるのは置いておくとして、今は彼女の魔術の失敗を伸介は考察する。

 

「詠唱……魔力の加工を指示する術式(コード)入力が上手く出来ていない、かな」

「あーそれは俺も苦手」

「あんたの場合はそれも、でしょ」

 

 シズクの前髪を整え、ソレに合わせるようにポニーテールを作成しながら、蓮のぼやきを真美は一刀両断した。蓮は泣いた。

 

「ま、普通に考えれば当たり前なんだけどね。精霊達の魔力加工を人力で再現なんて、鳥の真似をして両腕振り回して空を飛ぼうとするに等しい」

「……ぼく達そんな無茶してたの?」

 

 伸介の説明に、健二は目を丸くする。

 だが、実際無茶なのだ。

 イスラリアの最強兵器【神】の端末である【精霊】達が、息を吸うようにして行う魔力加工、自分達が行っているのはその再現だ。数百年経過した今でも人類では創り出すことが出来ない人工の神の御技の再現なんて、容易いわけがない。

 

「っつーかじゃあなんでイスラリア人はそんなことできんだよ」

「イスラリア人は、それが出来るように命をデザインしてるんだよ。つまるところ、彼らは一人一人が“人型の精霊”だ」

「うへーこえー」

「曲がりなりにも僕たち全員そうだからね?というか、()()()()()()()()()()()?」

 

 少し、空気がざわついた。その反応に伸介は少し苦笑する。

 まあ当然と言えば当然だろう。この情報は割と伏せられている。伸介も、巧妙に隠された情報を掘り返して理解した事だ。

 

「過酷化した惑星環境に耐えるため、イスラリア博士の創り出した兵士達を真似て創られた【改良人類】だよ。今の時代、出生の段階で大半の人類はその肉体改ざんを受ける。密かにね」

 

 公には行われていない。まあ何せ、今現在の教育ではイスラリアに対する敵対心を持っている者が大半だ。()()()()()()という存在を人の形を持っただけの別の生命体として忌避する者も多い。

 自分達が彼らを模倣した生命体であるなどと知れば、確実にパニックになる。

 

「そして僕たちは、他の人類以上に、イスラリア人に近く造られている、らしいね。僕も詳細にまでは知らないけれど」

「マジ?じゃあ俺等もイスラリア人?」

 

 蓮のその反応は嫌悪、というよりも驚きと喜びが混じっていた。彼も一応、歴史の授業――――イスラリアに対する敵対心を植え付ける教育を受けているはずなのに――――この調子なのは、彼の人柄故だろうか。と、伸介は笑った。

 

「そういう呼び分けに何処まで意味があるかわからないけどね。寿命をいじってる人はこの研究所にだっているんだ。向こうじゃそういう人は森人って呼ばれてるらしいけどね」

「SFなんだかファンタジーなんだか……」

 

 蓮は唸ったが、伸介は肩をすくめた。

 

「脱線したけど、僕らも彼らを参考に創られている。出来ない筈がないんだ、けど」

 

 行ってる間に、雫が再び魔術を発射した。今度の炎の玉は何故か直進していたはずなのに、途中で球が角度を90度曲げて地面に着弾した。勿論、的には掠めていない。

 雫はやはり不思議そうに首を傾げる。

 

「考えながら喋るのは、苦手なのかもしれません」

「し、雫ちゃん。私と同じようにやってみたら?」

 

 そういうのは洋子だった。

 いつも真美の背後でおずおずとしている引っ込み思案の彼女にしては少し珍しい。だが、最近では彼女も雫に対しては真美と同様に、時に頼り、時に頼られようとするようになってきていた。それだけ、雫は女子達の間では馴染み深くなっていたのだ。

 

「それって、洋子みたいに唄いながら詠唱するの?その方がやりにくくない?」

「んー。でも、私も同時に幾つもやるの苦手だから。唄だったらほら、リズムがたすけてくれるでしょう?」

 

 真美と洋子の言葉に雫は暫し考えるようにしたが、洋子の手を取って笑った。

 

「上手くいくかはわかりませんが、一緒に練習させていただきますか?」

「勿論!」

「私も一緒にやる!」

「ええ、真美様。他の皆さんも一緒にやりましょう」

 

 雫が提案し、女子達が集まり始める。女生徒達は実に仲が良かった。

 

「うむ、仲良きことは美しい事だな。」

「それ、何の漫画の真似?っていうか蓮も真面目にしてないと……」

「蓮様」

 

 不意に、美しい声が鋭く背後から響いた。蓮が、さび付いた機械のような動作で背後を振り返ると、聖子先生がそこにいた。魔術の練習場の柵に行儀悪く腰掛けた蓮を見てニッコリと微笑んでいる。

 いつも笑っている彼女であるが、彼女の笑みには種類が幾つかある。そしてあの笑い方は間違いなく、怒ってるときの笑みだ。

 

「魔術の練習のため、用意できる魔力には限りがあります。限られた稀少な魔力を私達の練習のために使われている事をわすれてはいけません」

「そ、そりゃ勿論分かってますって、先生」

「蓮様も魔術が苦手なら、先生と一緒に練習いたしましょうか」

「い、いや、先生。だ、大丈夫っす。おれ伸介と一緒にやるから」

「遠慮なさらず。さあ」

 

 有無言わさず、聖子先生は彼の首根っこをひっつかむと、あっという間に訓練所の奧へと引っ張っていってしまった。間もなくして聞こえてくる悲鳴に、伸介は合掌した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ■暦 2X43年 

 

「仰ぎ見ろイスラリア!コレが世界の怒りだ!トゥーオ!!!」

 

 授業が終わり、何時も通り思い思いの休暇を過ごす最中、蓮のけたたましい声が響いた。

 

「……男どもはなんで更に増してバカになってんの?」

 

 美奈の髪を櫛で整えていた真美は、ホールの中央ではしゃいでいる男児達をみて至極呆れた声を出した。彼らがバカになるのは割と普段からだが、しかし今日のバカっぷりは普段の度を超している。

 何せ、【投影機】まで引っ張り出しているのだから。

 

「聖子先生が許可出したと思う?」

「蓮くん、健二くんと真くんと一緒に倉庫のセキュリティ弄ってたんだよね……」

「バカ過ぎる……で、しかもあの格好なに…?」

 

 好きな映像を現実に投射し、それを本当にあるように見せる【投影機】で彼らが身に纏っているのは、中世の騎士達が身に纏うような鎧だった。実用性皆無のやたらと刺々しいデザインをした鎧を投射した蓮達が何故か剣を振り回して遊んでいる。巨大な遊具の上に登ったりそこから飛び降りたりしてのチャンバラごっこである。なにしてんだあの馬鹿どもという感想が真っ先に出た。

 

「イスラリアの戦士達の真似だって」

 

 そう言って、此方に気付いた伸介が近付いてくる。彼は何故か怪しげなフードに、首には人骨のネックレスがぶら下がっている。真美は少しドン引きした。彼女の露骨な態度に苦笑しながらも伸介は続ける。

 

「イスラリアに潜入した工作員からの情報資料閲覧出来たんだって。それで、みんなったら、はしゃいじゃって……まあ、流石にこんな悪趣味じゃあなかったけど」

「見ろ!真美!俺のこの勇姿を」

 

 行っていると、蓮も彼女の前に姿を見せて意気揚々とポーズを取った……が、真美の真顔を前にして徐々にそのポーズが小さくなっていった。

 

「や、やめろよぉ!なんだその目は!?勇者は馬鹿にされたって屈しないぞ!?」

「蔑んでんのよ」

 

 真美の一刀両断に蓮は沈んだ。真美は溜息を吐いた。

 

「勇者って、あんたの好きなゲームじゃないんだから」

「それが実際居るらしいんだよ。勇者。イスラリアに」

「イスラリアの人達ってこのバカと同レベルのバカなの?!」

 

 真美は驚愕した。

 【勇者】などと、まさしくゲームか漫画の世界である。勿論、イスラリアの世界が何やらとってもファンタジーな事になってると言う断片的な情報は此方にも伝わっている。此方の干渉によって人類の生存圏が縮小し、それに合わせて今のイスラリア管理者が文明レベルをやや下げることで市民の管理をし易くしているとも聞いている。

 だが、あくまでもこの世界と途中から枝分かれした場所の筈だ。勇者が出るのは現実感が無い、を通り越してシュールだった。

 

「ところがバカに出来たもんでもないらしいんだ」

 

 そう言って伸介はホールの中心に備え付けられているモニターに触れる。手に持っていた記録チップを差し込むと、内蔵されていた映像が流れてきた。

 それは、酷いノイズまみれの映像だった。正直言ってまともに見れる部分が少ない。そのノイズ量に真美は見覚えがある。時折聖子先生が見せてくれるイスラリア内部の資料映像だ。

 イスラリアに居る工作員からの映像情報は酷く破損してやってくることが殆どだ。イスラリアとこの世界との次元層の影響で、情報一つ運ぶだけでも困難な為だ。音声のみならば破損も少ないが、映像情報ともなるとご覧の有様である。

 しかし、この映像には僅かに目視で確認できる所もあった。そこには

 

「………なにこれ。新作のファンタジー映画?」

 

 男が、戦っている映像だ。

 なにか、黒いフードを纏った老いた老人が巨大ななにかと戦っている。数メートルくらいあるようにみえる巨大な爬虫類を相手に、まさしく蓮が握っていたような金色の剣を握って向き合っている。

 巨大な蜥蜴は接触禁忌生物に少し似ているが、これほど巨体なものは記録でも殆ど出てこない。出てくれば都市壊滅の脅威だと映像越しにも分かった。

 その、脅威を

 

《■断》

 

 一刀両断で、老人は蜥蜴の首を跳ね飛ばした。映像はそこで途切れている。

 

「…………フェイク?」

「マジのガチのイスラリアの映像。イスラリアの最強の戦士の一人、【勇者】の映像」

「私達コレと戦うの……?」

 

 イスラリアの最大戦力、と言うことは敵になる。ワケだが、正直言って戦いになる気がしない。自分たちも訓練は続けている。魔力の強化によって肉体が幾らか強化されて、子供でありながら常人を越えた身体能力を身につけつつあった。

 が、しかし、常識の範囲を超えたわけではない。あくまでも現状の彼らは「トップアスリート並み」程度だ。自動車のように地面を駆けて空を跳び、巨大な接触禁忌生物を両断するようなバケモノではない。

 

 普段、自信満々の真美でも流石にどう向き合えば良いかも分からなかった。

 

「一応この勇者って人は、僕たちの事情もある程度知ってくれてるらしいんだけどね」

「そうなの?」

 

 それなら少し期待も出来るが――

 

「ちなみに、彼と同じくらい強い戦士が六人はいるんだって」

 

 ダメかも知れない。

 

「それに彼も完全な味方とも言いがたいらしいね」

「……」

「不安になった?」

「私は平気よ、私は。でも――」

 

 後ろを見れば洋子達は自分以上に不安そうな顔をしている。自分よりも気弱な彼女たちは、それは勿論不安だろう。此処がどれだけ居心地が良くて、親しみやすい友人達で囲まれようとも、自分たちがいずれはイスラリアと殺し合うために生まれた兵士であるという事実は変わらない。それが怖くなってきたのだろう。

 彼女たちよりも優秀な真美だってそうなのだから。

 

「なあに、心配すんな!お前等は俺が守ってやるよ!」

 

 果たしてこの空気で元気いっぱい自信満々にそんなことをのたまえる蓮が大物なのかとんでもないバカなのかは真美には判断が付かなかった。

 

「こっちの不安そっちのけでワクワクしてるヤツに言われてもね」

「い、いやそんなことはねえって!」

 

 が、洋子達の緊張が解けたので良しとする。真美は笑った。

 

「バカね……ところで、雫はどうしたの?今日は貴方たちと一緒に先に教室出たでしょ?」

「え、ずっといるじゃん」

 

 そう言って彼は、先程から彼が跳んだり登ったりしていた銀色のオブジェを指さした。はて?とそのまま見上げていくと、その先端に人影があった。

 

「マミサマー」

「雫が投影された超デカい服きてんだよこれ」

「なにしてんの!!?」

 

 真美は蓮の頭をぶん殴って全速力で雫の服をよじ登って彼女を救出した。雫はニコニコと笑って「楽しかった」と喜んでいたのが幸いだった

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ごねんせい

 

 

 ■暦 2X44年

 

「やっぱ剣だな剣!剣ふりてえよ俺!」

「えーずるいよー蓮ちゃん。俺も剣がいい」

「真は反応鈍いんだから槍にしろよー」

「べ、別に武器、どれか一種しかダメって事は無いんだから……」

 

 雫が転校してから四年目に突入し、授業内容も徐々に実技への比率が高まってきた。

 魔術や基礎的な体術の鍛錬。なにも持ち込むことが出来ないイスラリアの性質上、イスラリアへの侵入をはたしたとき、イスラリア内でどのような武器を調達するかは重要な課題となっていた。

 勿論ソレはイスラリア人と戦う為―――だけではない。

 【方舟イスラリア】には現在、もっと危険な脅威が蔓延っている。

 

 【竜】と【魔物】

 

 【涙】を停止させるためにイスラリアに打ち込まれ、自分達に魔力資源を補給するために用意された特攻兵器。それらはいうなれば、自分達の為の尖兵と言えなくもないのだが―――問題があった。

 

 それらをまるで、コントロールできていないのだ。

 

 実際、【方舟】に侵入を果たした“潜入兵士達”の大半の死因は「イスラリア人に素性を知られて」ではなく「自分達の送りこんだ味方のはずの兵器に逆に殺された」パターンが殆どだ。

 魔物達は、自分達をまるで見分けることが出来ていなかった。勿論、最初はそうならないように仕込んでいたらしいのだが―――【魔物】達を創り出す【竜】が、コントロール出来なくなってしまったのだという。

 それを聞いたとき、真美は本気で呆れたものだった。自分達ではどうにもできないもんを使おうとするなと。

 勿論、その兵器達が自動で送り込んでくる汚染されていない魔力―――【魔石】のお陰で、自分達、ないし人類全体がなんとか生き延びることが出来ている訳なのだが、それにしたって、もう少しなんとかならなかったのかと言いたくなる。

 

 最終的な自分達の任務が【イスラリアに送られた竜達の回収任務】であると聞かされた後だと、なおのことそう思う。

 

「そんなに大事なら、イスラリアに送らなきゃいいのに」

「膨大な魔力が無ければ、【竜】は起動しなかった。らしいからね」

「放牧して、肥えさせて、収穫?」

「流石真美だね。正確な表現だよ」

 

 皮肉のつもりが、伸介に褒められてしまった。真美は複雑な気分になった。

 

 まあ兎も角、自分たちの兵器に殺されるなんていうむなしい結果にならぬように、訓練所の中でイスラリアで確認できた何種もの武器を再現したものを手に取って使用感を確かめるのも重要な訓練の一つだ……一つなのだが、イスラリアの世界があまりにもファンタジーしている所為か、男子一同ははしゃぐのは恒例になってしまった。

 

「なー真美はどーすんだ?」

「いや、普通に銃器よ。近接戦闘なんてバカよ」

 

 魔力を撃ち出す魔導銃がイスラリアには存在している事は既に伝わっている。一般に出回っているのならそれを使わない理由はなかった。イスラリアの再現銃を手に取って構えてみる。やや古風なライフル型だが、使用感はこちらのものと大差ない。何の問題も無いように思える。

 そう思っていたのだが、彼女の答えに伸介が苦笑する。

 

「確かに、銃器もある程度の需要はあるらしいけど……」

「けど?」

「この世界の10倍の出力がデフォで、その火力を弾くんだって、イスラリア人って」

 

 はじく

 その言葉を口の中で繰り返し、あまりに意味が分からなくて真美は首を傾げた。

 

「弾くって……自衛部隊のシールドみたいなの装備でもしてんの?」

「いや、剣で弾くらしいよ」

「おお!かっけえ!」

「……」

 

 蓮のバカな反応が今回ばかりは羨ましかった。意味が分からない。

 

「前見た勇者ほどじゃないけど、狙おうとしても基本的に高速で駆け抜けて空を跳んだりするから狙い撃つのはとてつもなく困難。魔物相手になると、今度は出力が足りなくなる。個人が携帯できる大砲みたいな兵器もあるらしいけど」

「……すんごいバカ」

 

 ひょっとしたら、本当に蓮のように、大きな剣や槍を振り回す方が有効なのかも知れない。あるいは魔術に集中するか。真美は今後の自分の戦術の選択を考え直す必要が出てきたことに溜息が漏れた。

 

「でも、イスラリアの皆様と戦わなければならないのですか?」

 

 と、その最中、そんなことを尋ねたのは雫だった。

 魔術師の杖を両手で握りしめながらそんなことを尋ねる彼女は普段以上に少しぼおっとしている。しかしその反応はなにも考えていないときとは違うと真美にはすぐに理解できた。

 今の彼女は、不安なのだ。

 

「雫、イスラリア人と戦うの、嫌なのね」

「そうなのですか?」

 

 自分のことなのに不思議そうに彼女は尋ね返した。「そうよ」と、真美は優しく彼女を抱きしめ返す。雫は酷く自分のことに無頓着だが、自分以外の誰かに対する慈しみの心は深い。誰かが困っていたり、傷ついたりすると自分の事を放り出してそちらに行こうとする。

 その事を、少し危うく思っていたが、どうやらイスラリアに住まう人々に対しても彼女の心は動いてしまうらしい。

 

 危ういな、と真美は思う。

 

 誰も彼もに優しいというのは、生きていく上であまり望ましい性質とは言いがたい。まして、イスラリアは現状、世界そのものに対する怨敵だ。勿論、どれだけイスラリアが摩訶不思議な世界であっても、コミックの悪役のような悪人が居ないことは分かっている。分かっていても、積年の敵対関係が簡単に解消されるはずもない。

 何時か戦争をするかもしれない敵国に対して慈悲を見せてしまう彼女の性質は、危うい。

 

「冴えたる解決法があればいいんだけどね。皆が幸せになれるような」

 

 伸介も腕を組む。

 彼はここの所、以前よりも随分と熱心に勉強に力を入れている。「学校」を卒業し、イスラリアへと赴く時間が近づいてきていることを実感したためだろうか。様々な知識を蓄えて、夜遅くまで勉強していた。

 雫とはまた違うが、彼もまた状況の解決を目指そうとしているに違いなかった。が、その情報収集が余り芳しくないのも彼の顔を見ればわかる。

 それも、当たり前と言えば当たり前だ。子供である自分たちが数年間勉強してパッと解決策を思いつくのなら、数百年間イスラリアと世界の関係は膠着なんてしていないのだから。

 

「だったら、イスラリアに侵入した後でも、それも調べれば良いのさ」

 

 果たして、そんな雫や伸介の懸念を理解して喋ってるのか全く分からなかったが、蓮が非常に脳天気な事を言い出した。

 

「いや、でもね」

「此処ですらイスラリアの情報なんて殆どわからないんだ。現地行ってみるしかねえよ」

 

 脳天気、ではあるが、彼の言葉は時折的確に事実を突く事もあった。

 どれだけ現地の工作員達が賢明に調査を進めようとも、送られてくる情報には限りがある。届いたとしても不定期で、ノイズ混じりで大半が破損している。未だ分からないことが多いのだ。

 だとしたら、直接現地で調べていくしか手はない。

 

「それにほら、イスラリアにだって、なんとかしたいって思ってる人いるかもだろ?」

「……蓮はバカだからシンプルに考えられるねえ」

「おお、すげえだろ!?」

「うん、君の美徳だ」

 

 伸介の直球の賞賛に蓮は胸を反らして誇らしげにする。

 甘やかしすぎだ。とは思うが、しかしそこに彼の美徳があることについては、真美も文句はなかった。蓮は模造剣を片手に掲げ、高らかに宣言した。

 

「イスラリアも世界も俺たちの手で救ってやろうぜ!」

 

 その声に、クラスの皆が笑いながらも同意する。少し淀んでいた空気が一気に晴れた。腹立たしいが、蓮は間違いなくクラスのリーダーとして成長を遂げていた。

 

「……皆を、救う」

 

 真美の腕の中で小さく呟いたシズクの声は、誰の耳にも届かなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6ねんせい / 愛満ちて

 

 ■暦 2X45年

 

「雫!大丈夫!?雫!!」

 

 中枢ドーム外 人類生存圏外

 真美の必死の声が闇の奧から聞こえてきて、雫はゆっくりと目を開いた。目を開くとそこには真美がいた。強化スーツの兜を脱いで、泣きそうな顔をさらしている。不安にさせてはならないと、雫は笑みを浮かべた。

 

「真美様、どうしました?」

「どうしました、じゃないわよほんとうにもう……」

 

 真美は雫を強く抱きしめた。普段から彼女がしてくれている事だが、いつも以上に力強く感じるのは、強化スーツを彼女が身に纏っているから……ではないだろう。

 

「なにがありましたか?」

 

 雫は周りを見渡して尋ねた。彼女の質問に、真美と同じくらい心配そうな顔をした蓮がギョッとした顔になった。

 

「なにがって」

「記憶の混濁かな。自分のことは分かるよね」

 

 伸介の問いに雫は頷き、周囲を見渡す。

 いつもの自分たちの居場所、中枢ドーム最深層の「学校」ではない。そこは荒れ果て、荒廃し、放棄された建造物の中で、雫はボロボロの机の上に寝転がっていた。

 此処は外だ。接触禁忌生物が蔓延る危険な外の世界である。

 そして徐々に、雫は記憶を取り戻してきた。今日は校外での訓練であり、接触禁忌生物を相手にした実戦だったはずだ。幾度か繰り返してきた鍛錬の一つだが、今回は聖子先生の監視を離れて、自分たちだけで判断していくより実践的な訓練だった。

 

 その最中、雫が一人、単独行動に走ったのだ。

 

「ビックリしたわよもう……いきなり走り出すんだもん」

「よく、自警部隊の人達が襲われているって気がついたな」

 

 彼女が向かった先には、たまたまタイミングを同じくしてドームの周辺警備に当たっていた自警部隊の人々が接触禁忌生物に襲われているところだった。恐らくセンサーから零れたのだろう。明らかにその場の兵士達の数では対処できない数の禁忌生物に襲われており、あわや、兵士達の頭が彼らに食い千切られる寸前に雫が庇い、結果彼女はその勢いを殺せず頭を強く打って昏倒した。

 その後の様子は雫には分からないが、蓮達の姿を見ると、彼らも戦闘に参加し、そして無事に勝利したらしい。彼女の隣には救出された兵士達の姿もある。

 雫は安堵の溜息を吐き出した。

 

「雫、どうして無茶をしたんだい?」

 

 が、その彼女に伸介が強く問いただした。普段穏やかで冷静な言葉を吐く彼にしては酷く珍しく、とても怒っている様に見えた。

 

「ちょっと、説教は後にしなさいよ」

「いや、今聞かないといけない。どうしてだい?」

 

 真美の制止も聞かない。雫は身体を起こして、倒れている兵士達を見る。

 

「彼らが危ういと思ったからです。騒ぎが聞こえたから」

 

 最近、魔力強化で彼女の耳は人並み以上に優れた聴覚を獲得しつつあった。蓮や伸介達では聞こえない音を感知すると言うことはあるだろう。

 それ自体は別に良いことだ。

 

「お手柄だね。でも、どうして彼らを助けようとしたんだい?」

 

 雫が飛び出したタイミングは相当に危うかった。兵士達と禁忌生物との接触は事故のような形だったのだろう。彼らは陣形が乱れ、禁忌生物に近接での接触を許していた。あの状況下で飛び出せば確実に巻き込まれるのは明らかだ。

 その状況下で雫は飛び出した。その状況下で前に出れば自分がただでは済まない。そんなことくらい、一目見てわかっていただろうに。

 

「“皆”を、助けないといけないと」

 

 雫は答える。伸介は眉をひそめた。

 ここの所、彼女がよく使う言葉だ。皆のため。誰かを優先して、誰かのためになにかをしようとしている。優しいのだと真美は言っていたが、彼女もまた、少し不安げにしていた。自分のしたいことは少しも口にしないのに、自分以外の誰かを優先しようとするのだ。

 

「皆……その中に君はいないの?」

 

 伸介は、重要なところを問う。雫は、伸介の言葉に対しても少し、ぼおっとしていた。言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかっていた。

 

「私ですか?」

「うん」

「私は、世界の礎です。そうデザインされて生まれてきました」

 

 だから、自分はどうなってもいい。

 彼女は暗にそう言っていた。

 今日まで、暴かれなかった彼女の暗部が顔を覗かせた事に、全員がショックを受けた。真美など特に、泣きそうな顔をしている事に雫は驚いているが、何故悲しませているのかピンと来ていない。

 伸介は彼女の行き過ぎた思想がどこから来ているのかなんとなく分かっていた。彼は自分の出生についても色々と調べている。自分たちが物心つくかつくまいかというくらいの幼い頃に、保育の手間を抑え、知識を与えるための技術が此処にはあり、それによって自分たちがデザインされたことも知っている。

 恐らく彼女は、その時の教育が偏っていたのだ。

 彼女がクラスに来たとき、酷く鈍い反応だったのも恐らくはそれが原因だ。しかし、原因が分かったところで、幼少期に植え付けられた思想を拭うというのは――

 

「俺の“皆”の中にはお前もいるからな」

 

 だが、伸介が色々と考える前に、蓮は真っ先にその言葉を口に出した。雫を真っ直ぐに見つめる彼の瞳には、誰よりも強い力が込められていた。

 伸介は、色々と考えていた自分が少し恥ずかしくなった。ごちゃごちゃと考える前に、真っ先に言うべき言葉があった。

 

「僕もそうだね」

「私もそうよ。雫」

 

 伸介と真美もそれに続く。他の仲間達も同じように頷き、声を上げ、彼女を囲んだ。

 

「僕たちがいる限り、君は皆の中にいる。忘れちゃダメだよ。雫」

 

 伸介の言葉に、蓮は強く頷く。真美は彼女を真正面から抱きしめた。一人、仲間達の愛を一身に受けても尚、それをどう受け止めて良いか分からないらしい雫は呆然と、小さく

 

「ぬくい」

 

 と、呟いて、そのまま疲労のためか再び眠りに就いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「君たちは、新兵なのか?」

 

 帰りの間際、雫が助け出した自警部隊の面々が声をかけてきた。隊長とおぼしき男の声は訝しんで聞こえた。それはそうだろうと伸介は思う。自分たちはどう考えても自警部隊の適正年齢ではない。なのに、彼等が身につけているものよりも良い装備を身につけている。

 

「いえ、違います。僕たちは……」

 

 伸介は口を開くが、そのまま閉じた。万が一外部の者達と接触しても自分たちの素性は明かせない。その事は先生からも告げられている。

 

「すみません」

「良いんだ」

 

 首を横に振ると、こちらの面倒な事情を察してくれたのか、彼は首を横に振った。

 

「その子に伝えておいてくれ。ありがとう」

「はい」

 

 再び眠りに落ちて、蓮に背負われている雫をチラリとみて伸介は頷く。彼女がそれを喜ぶかは分からないが、彼等の気持ちを無碍にはすまい。

 

「情けないところを見せたけれど」

 

 隊長の男もまた、負傷した部下達を見つめ頷く。

 

「君たちのような幼い子を守れるようになるくらい、我々も頑張るよ」

 

 その声には強い決意があった。

 自警部隊の職場は厳しいと伸介も聞いている。危険が多く、見返りは少ない。なのに、彼の言葉には強い意志があった。自ら厳しい道を選んで尚、必要なことの為に戦おうと決意した者の声だった。

 

「ありがとうございます」

 

 伸介は感謝を告げた。

 彼のような者がいるからこそ、そういった人々を護りたいと心から思えるのだから。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……」

 

 雫が次に目を覚ましたときは、自室のベッドの上だった。

 暗い部屋の周囲を見渡すと、自分の周囲には沢山の子供達がベッドの周囲を囲うようにして眠りに就いていた。真美など、膝を地面について此方を覗き込むような姿勢のまま眠りに就いている。雫は彼女をそっと抱き上げて、自分のベッドに寝かせて、部屋を出た。

 

 既にホールの照明も落とされて、最低限の灯りのみで照らされている。

 イスラリアによってゼウラディアの存在が隠された影響か、太陽の光が正しく差し込まなくなって久しくなった現在において、照明に費やされるエネルギーも決して無駄には出来なかった。

 僅かな灯りを辿って、彼女はホールの中央、憩いの場にやって来た。いつも自由時間になれば限界まで皆が集って遊ぶその場所は、今は勿論子供達の姿はない。

 代わりに、見覚えのある人影が、中央の椅子に腰掛けていた。

 

「聖子先生」

 

 雫が声をかけると、聖子先生が雫に気付き、立ちあがる。慌てて彼女へと駆け寄ると、ペタペタと身体の調子を確かめるように触れていった。

 

「怪我の状態は?」

「平気です」

「良かった」

 

 聖子先生は深く安堵したように溜息を吐き出す。やはり、他の子供達と同じように随分と心配をかけてしまったらしい。雫は申し訳なくなった。

 

「迷惑をかけました」

「今日は、無茶をしましたね」

「はい……」

 

 雫は少しうつむく。自分の中の言葉を拾うために時間をかけた。その間聖子はじっと、彼女の言葉が紡がれるのを待った。

 

「……私は、“皆”を守るために、この命はあるのだと思っていました」

 

 そして顔を上げる。どこか、縋るような目で、彼女は聖子を見上げる。聖子の目は、いつものように本物の母親のような慈愛に満ちていた。

 

「その為に私達は生み出されたのだから」

「そうですね。それは疑いようのない事実です」

「でも」

 

 雫は自分が出てきた部屋を見る。もう既に5年もの間連れ添ってきた仲間達が眠る自分の部屋を見つめた。彼らが先に自分に向けてきた悲しみと怒りは、雫の心を締め付けた。

 

「“皆”の中に私もいるのですね。少なくとも、彼らの中には」

 

 未だ、自分以外の誰かの助けになりたいという想いは彼女の根幹にある。きっとそれは、そうなるように生まれたからに他ならないのだろう。

 でも、それでも、その考え方が蓮や真美たちを傷つけるというのなら、辞めなければならないと、そう思えるくらいには、彼女は仲間達を大事に思えていた。

 

「自分を、大事にしなければいけなかったのでしょうか」

 

 不意に、温もりがやってきた。聖子が雫をゆっくりと抱きしめていた。雫は懐かしくなった。最近は彼女に抱きしめられることも少なくなっていた。昔、学校に転校してきたときはよくこうしてもらっていた。

 

「私にとっても、貴方は無くてはならない大切な存在ですよ。雫」

「……はい」

「決して、命を投げ出すような真似はしないで下さい。約束ですよ」

 

 最後にもう一度強く抱きしめて、彼女は笑った。そして彼女を部屋まで見送った。部屋の中にいる子供達を起こさないようにと小さく小さく「おやすみなさい」と二人は言葉を交わし、雫は真美の居るベッドへと戻っていった。

 

「とても、大切な命なのですよ。貴方は」

 

 最後の聖子の言葉は、薄暗い施設の闇に消えて言った

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「児島博士。此方資料になります」

「ギリギリ及第点か。問題のE31の数字はやや怪しいが……」

「短期学習の際、利他的思想の比率が高すぎたのかも知れません」

「臆病者どもが、保険をかけすぎたのだ、全く」

「もう少し様子を見ますか?」

「堪え性のない首脳陣の口数が多くなってきた」

「では……」

「実行に移す」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そつぎょうまえ / 罪は此処に

 

 ■暦 2X46年 

 

「うーみだー!!」

 

 蓮が叫ぶ。彼は照りつける日差しの下、真っ白な砂浜を駆け、真っ青な冷たい海へと身体を放り出して、水を全身に浴びて笑った。口の中に入り込んでくる塩水をぺっぺと吐き出し空を仰ぎ見て、そして首を傾げた。

 

「――――ってー言ったけど本当に再現できてる?これ」

「さあ?蒼い空、青い海。白い雲なんてもう何百年みてないでしょ人類」

「でーもーきもちいーよ」

 

 伸介は眼鏡に跳ね返った水を拭い、真が海に寝転んで笑う。

 飛び跳ねて、寝転がり、両手で掬って相手に浴びせかけても、間違いなくそれは塩水で、かつてこの惑星に存在していた海の光景に違いなかった。

 しかし彼らが今居る場所は、普段彼らが過ごしているドームの中のホールに違いない。にもかかわらず全く別に光景が広がっている。

 

「っつーかこれって魔術の転用なの、か?」

 

 蓮が不思議そうに砂浜を指先で叩く。流砂が手の平にこぼれ落ちて流れていく。爪先にまで砂が入り込む。映像転写装置は何度か使ったことがあるが、あらためてこの現象が「偽物」とはとても思えなかった。

 今日まで彼らが学んだ人類の歴史の技術発展を叶えても、異端という他ない。

 

「こっちの映像投影技術とイスラリアの魔術のハイブリットだよ。質量を持った幻影術、とでもいうべきかな」

 

 その問いに伸介が答える。

 勿論、それでも一般的な技術ではないのだろう。今日のような数ヶ月に1度の特別休暇でもなければここまで大規模な投影は許可が出ないのだから。それを、遊びの用途で使わせて貰えるだけ恵まれている。

 などと蓮も少しは考えもしたが、しかし暫くするとスッカリ頭から抜け落ちた。考えすぎたところで意味の無いことは考えずに忘れるのは彼の得手だった。

 

「っつーか女子どもはまだかよー。遊ぶ時間なくなっちまう――――」

「うっさいわね。蓮」

 

 と、愚痴を漏らそうとした矢先、いつもの高く澄んだ声が聞こえてきた。

 蓮達がそちらをみれば、自分たちと同じように水着を身につけた女子達が勢揃いしていた。長く共に過ごしていた彼ら彼女らは全員家族のような物であるが、勿論、必要以上にプライベートを晒し合うような真似はしてこなかった。

 互いに肌を晒す真似も無いでは無かったが多くはない。故にこそ、どこぞのカタログで拾ってきた愛らしくてカラフルな水着を身に纏った少女達は、幻想の太陽以上に眩く見えた。年月と共に、かつての記憶よりもずっと、女性らしく成長しているともなれば尚のことだ。

 

「感想は?」

 

 活気な彼女に似合う、真っ赤で挑戦的な水着を身に纏った真美は挑戦的な笑みを浮かべて蓮に問う。少し硬直していた蓮は、普段通り平静な態度――――を当人は装おうとしているのだが、明らかに隠し切れていない動揺した態度で、明後日の方向に視線をやった。

 

「……まーいいんじゃねーの?うん」

「アンタ、照れてるでしょ」

 

 真美は一切の容赦が無かった。あからさまに全てを見抜いたような声音に、蓮は頭に血が上った。

 

「はあー!?誰が-?!おめーみたいな貧弱ボディみても全然平気ですがー!?」

「ほぉー???」

 

 そして、自らが失言したことを悟った。が、既に遅い。吐いた言葉は飲み込めない。明らかに及び腰になっている自分に対して、彼女は姿勢を低くして、此方に助走を付けて駆け出す姿勢を見せていた。

 コレは良くない。

 蓮は自らの劣勢を悟り、即座に反転し、逃走を開始した。

 

「や、やめろー!!くるなおらあー!!」

「うっさいわねこっち見ろコラ!!!」

 

 逃走と追跡が始まった。海と砂浜で男女が追いかけっこをしているともなれば眩い青春を感じさせる光景と言えた。ただし、殺意にも似たものを女子側が纏っていなければ、だが。

 

「バカだ……」

「バカなのです?」

 

 遠く、それを眺める伸介に雫が尋ねる。勿論彼女も水着を纏っている。女子の中では特に局部の成長著しかった彼女は、それにあわせて水着も一際に大人の代物だった。

 

「でも伸介様も此方を見ませんね」

「いや、勘弁してください」

 

 故に伸介も全力で明後日の方向を向いていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 子供達は遊んだ。

 

 偽りの空、偽りの砂浜に偽りの海。全てが嘘の海を駆け回る。勿論それはかつてこの惑星に存在していた本物の海には遠く及ばない。何処までもは駆けてはいけないし、空も海も有限だ。

 投射装置が止まれば、全てはいつものホールに戻ってしまう。目に染みた塩水も、少しヒリヒリとする皮膚も、何もかも無かったことになる。

 それでも彼らにとって此処は本物の海で、現実だった。いつもは就寝準備の時間帯になるまで、彼らはずっと遊び続けた。聖子先生も、今日ばかりはそれを許してくれた。

 

「はー……美味かった。毎日これできたらいいのになー」

「魔力使うんだからダメでしょ。というか、アンタらが前に無断使用したから規制厳しくなったんじゃないの」

「ち、ちげーよ!……多分」

 

 普段の固形食よりも遙かに豪華な人工肉をたっぷりと平らげて、蓮は満足げに砂浜に寝転がった。仲間達は彼の周囲に集まって、思い思い、泳いだり、砂の城を建造したりとはしゃぎ続けている。もう随分と長いこと遊んだというのに、まだ遊び足りないらしかった。

 きっと、今日が終わってしまうのが惜しいのだ。と、彼らの心中を蓮は理解していた。もうすぐ特別休暇は終わる。コレが終わればまた明日から、何時も通りの日常がやってくる。毎日のように勉強して、運動して、訓練して、そしてその日常すらももう少しで終わる。

 

「もう卒業かー……」

 

 この「学校」は6年で終わる。と、聖子先生から既に伝えられていた。そしてその日までもうそう遠くはない。だから皆が惜しむ気持ちは分かるのだ。

 

「卒業といっても、結局このドームから出て行くわけでもないでしょうに」

「でも、やっぱ違うよね。真美ちゃんともずっと顔合わせるか分からないし」

 

 普段は大人しい洋子も今日は一日中ずっとはしゃいでいた。それほど楽しかったのだろう。そして、だからこそ先の事を想像して、いつも以上に不安で悲しそうな顔になった。真美が仕方ないわね、と言うように彼女の頭を撫でてやっていた。

 

「卒業後は自警部隊で1年過ごして、いよいよイスラリア行きだよな?そしたらもう下手したら一生こっちには帰ってこれない」

 

 此方から向こうへは行けるが、戻るのは困難である。という話は既に子供達は聞いていた。魔力を吸収した魂では狭い狭い【回廊】を通り抜けることは出来ない。だから一方通行の旅路だ。

 

「そうだねえ……俺はやってけるかなー」

「心配すんなよ風太。もしものときは俺が助けてやるよ」

 

 女子だけでなく、男子もやはり、この先の未来については不安が募るらしい。今日に限らず、友人達が不安そうな顔で色々と蓮に戦闘訓練の手伝いを頼んでくることも多くなっていた。

 その度、蓮は彼らを励ますが、やはり中々不安を完全に拭い去ることは難しかった。何年か前までは現実感が無かったが、具体的な卒業までの日数までが見えてくるとやはり話は変わってくるらしい。

 

 こういう時、いつも伸介が彼のフォローをしてくれる筈なのだが……と、彼の方を見ると、彼もまた少し難しい顔をしていた。

 

「……さて、どうなるかな」

「なんだよ、不安なのか?」

 

 伸介は蓮のように脳天気ではないが、彼は彼で物事をむやみやたらと不安に思ったりはしないタイプだ。分からないことはとことんと突き詰めて調べる。時に閲覧が禁止された資料すらもセキュリティを掻い潜って調べ、その知識でもって彼は仲間たちの不安を晴らしてくれる。

 だのに今日の彼の歯切れはやや鈍い。

 

「最近ずっと調べ物してるけど、なにか分かったの?」

「少し、ね。まだわからない。」

 

 彼の様子が珍しい。と、そう思ったのは真美もなのだろう。問うてみたが、やはりハッキリとは言わなかった。彼は此方に不必要な隠し事をするタイプではないが、正確でない情報をしゃべるような事はしなかった。

 

「調べるものがあるのでしたら、私も手伝いますよ?」

「ん。雫が居てくれるなら頼もしいんだけど、もー少し自分で調べてみるよ」

「マンパワーなら手を貸すぜ?」

「頼りにしてるよ蓮」

 

 そこまでいって、ようやく伸介も笑った。少し安心する。

 この先卒業に向けて慌ただしくなるであろう事は想像がつく。きっと今日以上に皆が不安になる時もあるだろう。そんなとき、彼が元気で居てくれないと困るのだから――

 

「……蓮?それ、どうしたの?」

「それ?」

 

 と、そんな風に思ってたときだった。真美が口を開いた。

 

「ほら……お腹についてる――――」

 

 表情は怪訝そうで、しかしいつも蓮のバカを咎める時の表情とはやや顔色が異なった。起こっていると言うよりも不安そうな顔で、蓮の腹を指さした。

 

「――――斑点」

 

 次の瞬間、世界が傾いた。

 投影機の故障だろうか、と一瞬驚いた声を蓮は出そうとした。だが、何故か喉から声が出てこない。慌てて動かそうにも手足が動かない。

 

「蓮!?」

 

 慌てて、友人達が此方に向かってくるのが見える。その時ようやく、世界ではなく、自分の身体が傾き、倒れていこうとしているのだと気がついた。

 そして意識を失った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 中枢ドーム 最深層 観察室

 

「どうしてこのようなことを……!?」

 

 【最深層】の新人である新谷は震えるような声で叫んでいた。

 彼がこの研究室に参加し始めて数年が経過していたが、未だ「対イスラリア最終兵器」の全容の全てを把握していたわけではなかった。

 彼らが観察し、教育を施している子供達が“ソレ”に当たるというのは理解していたが、具体的にどのような手法を用いるのかまでは、秘匿とされていた。

 

 外部に漏らすことが出来ない重要な情報であるからなのだと思った。

 そしてその予測は当たっていた。

 ただし、最悪な方向で。

 

 新谷が見つめるモニターには身体に奇妙な斑点を浮かべて倒れる少年の姿があり、手元にある「最終段階」の資料がある。そこには全てが載っていた。

 

「想像力を働かせ、既存の資料を漁れば、予想もついたと思うのだがな」

 

 責任者である児島博士は呆れたように溜息を吐き出して、説明を開始した。

 

「対イスラリアに調整した【月神シズルナリカ】を起動させるための必要な三つの要素」

 

 淡々と語る彼の背後の画面に、対イスラリアの最終兵器―――世界から星石を奪ったイスラリア博士が廃棄した【月神シズルナリカ】の情報が提示される。

 

「①シズルナリカの7つの分体覚醒。②神制御キー【星剣】の鍛造。③【勇者】の作成……①は星舟に直接送り込むことで負の信仰魔力を吸収し覚醒させた」

 

 現在、イスラリアに出現している魔物、竜、迷宮、それらは、月神シズルナリカを活用―――悪用した侵略であることは、流石に彼も知っている。イスラリアとこの世界を繋げる回廊、【迷宮】の精製、なにもかも現代の技術では一からでは再現不可能な超技術によるものであると知っている。

 問題は此所ではない。

 

「②、星剣も完成した。イスラリアとこの世界、【月神】と【星剣】のラインは強固となり、魔力の安定供給は可能となった―――問題は③」

 

 星剣を使い、覚醒したシズルナリカの分体を全てまとめあげ、完成させるための依り代。【勇者】の作成。この作戦の最大の問題がコレだった。

 

「大前提として、我々は【月神シズルナリカ】の断片を制御出来ていない。覚醒した竜達は、こちらの指示をまるで受け付けない。連中は好き放題に暴れているだけだ」

 

 覚醒した邪神の断片、【竜】達は完全に制御下から外れていた。遠隔からの命令はもとより、直接接触からの指示も受け付けず、“彼女たち”は自分たちに接近した潜入工作員達を殺し尽くした。

 

 【神】は人類が使うための道具。

 その人類を代行するための人工知能――――“道具のための道具”が人類を殺すなんていう本末転倒な流れとなった。

 

「つまり【勇者】は“神の断片である竜を全て破壊し回収しなければならない”。竜を制御する為の【対竜制御術式】の研究は進んでいるが、コレの最大の問題は“回収”だ」

 

 憂鬱そうに、あるいは忌々しそうに彼は語り続ける。

 

「この世界で“神の断片全てを収めるに足る容量をもった魂の製造”は極めて困難だ。我々にその手立てが無い」

 

 魂の改竄は神とその端末が有する機能だ。

 イスラリアではそれができるだろう。彼らは神と精霊を支配下に置いている。制約もあるだろうが必要とあらば可能なはずだ。だが、こちらには神も精霊もいない。魔力を回収するために手放してしまったのだから。

 前提として、全ての神の断片を収めるだけの器を用意しなければならない。

 

「我々は自らの手で、魂を拡張しなければならない」

 

 では、その手段は何か。

 

「魔力適性の高い人類を創り、集める。【学校】を創りあげ、子供達を育成する。徹底して情緒を育て【星剣】の適正―――忌々しい、()()()()を突破するためにな」

 

 人類に裏切られ続けたイスラリア博士の歪みなのか、あるいはもとよりそういった潔癖症を煩っていたのか、星剣に施された厄介な制約の一つ。【聖者】でなければ使えないという問題を解決する為に、【学校】は不可欠だった。

 

「健全な情緒教育を施さねば話にならない。保育器育成時の【刷り込み】と合わせて、“どのような仕打ちを受けようとも救世を願える聖者”を育てる」

 

 天然で生まれながらにして【聖者適正】を有している者など、早々には現れない。徹底して悪意を排除し、平穏と善意で満たす。その為の場所だった。

 

「訓練を施し、兵士としての適性を高める。そして適性が育った最終段階。魂の拡張を行う」

 

 だが聖者であるだけでは足りない。神を収める器を作り出すための最終段階が必要だ。

 

 コレをどのようにして行うか?

 

 容易ではない。命の設計図を弄るのにも限界がある。そもそも、魔力適性を有した人類の作成すらも、イスラリア人の劣化コピーでしかないのだ。

 イスラリアとの“間接的戦争”から随分と年月が経ったが、技術力は進展していない。かつての敗戦から混迷を極め、【涙】の悪影響で散り散りとなった人類は、大きく後退した。今ある技術の大半は、かつて、イスラリア博士が人類の味方であった頃にもたらした技術を流用しているに過ぎないのだ。

 

 執れる手段も、技術も、知識も少ない。

 

 しかし希望が無いわけでは無かった。イスラリアの潜入工作員からもたらされた情報があった。

 

「親しき者同士の間で行われる魂の譲渡による拡張、死と苦難を超える為優れたる種を生かすための生存本能、【相克の儀】」

 

 それはイスラリアの中であっても希な現象であるらしい。

 強制ではできない。一方的でも不可能。魂から強く結びついた者同士の間におこる特異なる現象。相手に対して自身の魔力の器である魂を丸ごと譲渡することによって起こる容量そのものの拡張。殺害による“簒奪”では起こりえない特異現象。

 その事象を研究者達が知ったとき、彼らは歓喜した。

 

「この現象は、“うってつけ”だとな。【聖者適性】を身につけるための【学校】との相性は“抜群”だ」

 

 新谷は言葉は無かった。

 無理解故ではない。彼が何を言わんとしているのか、理解できてしまったからだ。

 

 即ち「学校」とは

 たった一人の【神の器】と

 その依り代を育て上げるための【生け贄】育成の為にあるのだ。

 

「で、で、すが……命を賭した譲渡など……子供に……!」

「そうだな。お前の懸念通り、普通は出来ない」

 

 児島は頷く。骨と皮だけになった彼の瞳が新谷を射貫く。出会ったときから怖い目つきだとは思っていたが、今はもっと怖くなった。その顔色のように、人の血が通っていないように思えた。

 

「自分の命を、相手に差し出す献身。血の繋がった親子であっても容易ではない。いくら箱庭の中で仲良しこよしの集団を生み出したとて、友の為に死ね、などと言って納得できる者は居ない」

 

 彼の説明を、新谷以外の研究者達は黙って聞いている。彼らがこの事実を承知であった事実が新谷には恐ろしい。昨日まで、ごくごく当たり前の日常会話をしていたつもりだったのに、時に研究対象である子供達に対する愚痴なんかもこぼしていたはずなのに、この情報を当然という顔で隠していたという事実が、あまりにも恐ろしかった。

 

「では、どうするか。諦めさせれば良い――――命を」

 

 命、その言葉を吐き出す児島博士の声音に温度を感じなかった。

 

「不承不承でも、どれだけ望もうとも、死が避けられないと認めさせ、諦めさせれば良い。しかし事故では何れ不審に思われる。彼らは優秀だ」

 

 カツン、と、彼が杖を叩くと、モニターが動く。先程映しだされていた倒れた少年の映像は昨日のものだ。そして今、彼は病室のベッドに横たわっている。身体中に先程の奇妙な――――研究者達の仕掛けによって浮き出た――――発疹によって、苦しんでいる少年の姿だった。

 

「ならば、衰弱による死が望ましい」

 

 新谷は座り込んだ。倒れ込むようにして腰掛けると、髪を掻きむしり、そして何年も見守ってきた少年が病に苦しむ姿を目に入れないようにしながら、なんとか言葉を紡ぎ出した。

 

「…………正気の、沙汰では、ありません」

「正気の者など此処には居ない」

 

 新谷は顔を上げる。児島と、彼を囲う研究者達の全ての目が、此方を睨んでいた。怪物に睨まれたように、新谷は硬直した。

 

 中枢の最深層にはバケモノ達がいる。

 

 ここへの転属が決まったとき、新谷はそれを人離れした優秀な人材が揃っているという意味と誤解した。現在窮地に陥った世界を救うための最前線、そんな彼らの力に成れるのならと、ワクワクすらしていたのだ。

 

「現実を見ようともしない上の連中が、自分の手を直接汚さぬ為に押しつけられた最下層が此処だ。自分たちは綺麗な人間のままでいるために押しつけた全てが此処にある」

 

 しかし、意味が違った。此処は真の意味で、人でないものの集まる場所だ。人間の尊厳を全て捨ててしまった者達の集まりだ。

 

「そん……そんな、つもりじゃなかった!此処でならより人類に貢献できると!」

「手伝えないというのなら出て行け。上の役立たずと一緒に、何の成果も出すことのない研究を続けて、世界を救おうと自分は努力していると慰め合うがいい」

 

 新谷は、口を上下に動かして、何事かを口走ろうとしたが、何一つとして言葉になることはなかった。声にならないうなり声を上げると、此処に来るときに手渡されていた職員用のカードキーを手放して、そのまま項垂れるようにして扉から出ていった。

 

「進行はどうなっている」

 

 児島は、それを見送ることもしなかった。付き合いきれずに逃げ出す者は多く居た。彼らには此処で見知った全てへの箝口令が出され、監視がつく。だが、彼の口からなにかの情報が漏れる事はまず無い。

 彼も此処に転属されたと言うことは優秀な研究者だ。で、あれば、此処の研究が現在の人類社会を支える要である事は既に理解している。真っ当な良心が残っているというのなら尚のこと、此処の崩壊を招くような行動は出来ないのだから。

 

「既に複数人の発症が開始しました。どの程度の速度で進めますか?」

「子供達は世界の為に尽くそうと努力していた。死を受け入れる猶予は必要であるが」

 

 児島は淡々と言葉を続ける。ただただ、決まった作業工程を告知するような感情の一切籠もらない口調で、

 

「長く苦しませる必要はない」

 

 子供達の処刑を宣告した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そつぎょう / 地獄の底で

 

 嘘は得意だった。

 

 相手の前で自分を偽ること。それらしい笑みを浮かべて、場に溶け込むこと。

 物心ついたときから自然としていたそれらの所作が、嘘偽りの類いであることを彼女は後から知った。自分は全く楽しくないのに笑い、相手の感情に寄り添えないのにそのように振る舞うこと、それがどれだけ相手のことを想い、集団に馴染もうとする努力であっても、自分に嘘をついているのは事実だった。

 

 とはいえ、その事を彼女は決して「悪」であるとは思っていなかった。

 

 何故ならそうすることで、相手が喜んでくれていたからだ。

 真美は自分が施した髪型を褒めると嬉しそうに顔を綻ばせて、自分のことを強く抱きしめてくれた。成績で伸び悩んでいつもくよくよしている洋子を慰めて、彼女の泣き言を最後まで聞いてあげると、彼女はほっとしたように笑ってくれた。美奈がホログラムで新しい服を考えたとき、その美しさに賛同すると彼女は誇らしげにした。

 鍛錬で跳び上がるようにして戦いを披露して見せる蓮を拍手すると、彼は照れくさそうに頭を掻いた。いつも勉強をしている伸介が調べた知識を披露したとき知らぬ振りをして感心すると彼は密やかにそれを喜んだ。健二と真が二人で聖子先生を出し抜いて施錠された部屋を抜け出して皆でゲームをして楽しそうに笑うと、自分たちはゲームが出来なくても二人は大喜びした。

 

 桂子が、なずなが、嘉穂が、千鶴が、可憐が、御子が、栞が、璃子が、絵美が、遙人が、颯太が、翔太が、一馬が、隼人が、春也が、洋介が、宗佑が、弘樹が、一也が、雅大が、孝が、勇太が、秀樹が、――――仲間達が笑ってくれた。

 

「しずく」

「はい、蓮様」

 

 だから雫は嘘をついた

 

「ごめ、ん。俺、だめ、かも」

「大丈夫です。蓮様。いつものようにすぐに元気になります。また一緒に遊びましょう」

「真美、を……」

「大丈夫です。彼女とはずっと一緒に居ます。だから安心して、病気を治しましょう」

 

 そうはならなかった。

 蓮は奇妙な斑点で埋め尽くされて、かつての快活さを失って死んだ。

 

「しず、くちゃん。しずくちゃん……」

「はい、洋子様」

 

 雫は嘘をついた

 

「……どうして……痛い……痛いの……どうして、治らないの」

「大丈夫です。聖子先生が上に頼って、特別な薬を用意してくれることになりました。きっと洋子様の病も、あっという間によくなります」

 

 そうはならなかった。

 洋子は痛みに苦しんで、泣いて泣いて、最後には綺麗な鈴の音のようだった声とはかけ離れたうめき声を上げながら、死んだ。

 

「しず、く……!」

「はい。伸介様」

 

 雫は嘘をついた

 

「ごめ、ん、間に合わなかった……気づけなかった」

「大丈夫です。伸介様。」

「もし、もの時は、僕の………ベッドの………」

「わかりました。でも、大丈夫です。きっと、もしもの時なんて来ません。よくなります」

 

 そうはならなかった。

 聡明だった彼は、最後には意識ももうろうとして、言葉にならないようなうわごとを繰り返しながら、死んだ。

 

 雫は嘘をついた。

 

 雫は嘘をついた。

 

 雫は嘘をついた。

 

 嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を、嘘を――――

 

 

「しずく」

「真美様。大丈夫ですよ」

 

 雫は嘘をついた。

 

「蓮様ももう、回復に向かいました。ピンピンとしていらっしゃいます」

 

 雫は嘘をついた。

 

「洋子様も、伸介様も、真様も、皆皆、元気になっています」

 

 雫は嘘をついた。

 

「新しい薬が届いたのです。見る見るうちによくなっていきました。」

 

 雫は嘘をついた。

 

「だから、真美様も――――」

 

 雫は嘘を、つけなかった。

 

 声が出なかった。いつもすらすらと出るはずの嘘が出てこない。喉が痙攣する。お腹の中が自分でもビックリするくらいに冷たいのに、鼻の奥は痛いほどに熱い。雫は今どういう状態なのか自分でも理解できなかった。

 

「だいじょうぶよ」

 

 そんな彼女の頬を、真美が触れた。いつもの優しい彼女の手の平だった。今は酷く青白くて、痩せていて、それでも暖かい彼女の手だった。

 

「ありがと。あんしんした。だから、もういいのよ。」

 

 ひび割れた唇で彼女は微笑む。血が流れた。拭き取ってあげなければ。そう思っても、身体が動かなかった。頬に触れる彼女の手を、手放したくはなかった。

 

「うそついて、そんなふうにわらわなくて、いいの」

 

 それだけを言って、彼女の手の力は抜けていった。

 背後で、医者達が慌ただしくなにかを叫んで、ベッドに眠る彼女を連れて奥の部屋へと入っていった。他の29人の仲間達と同じように、連れて行かれた。

 雫は一人、彼女の温もりを求めるように虚空に手を彷徨わせて、しかしそこには誰も居なかった。誰も居なくなった医務室で彼女は暫し座り込み続けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 学校の職員室は、実質的に聖子一人のものだった。

 

 学校の教師は彼女一人だ。外部の演習時に時折自警部隊の兵士達と鉢合わせることはあったとしても、彼らとの接触は最低限で済まされる。子供達の存在自体、上層の住民達には秘匿情報だからだ。

 最深層にいる職員達は「学校」の子供達を全員知っているが、彼らとて定期的な健康診断などのタイミング以外では決して必要以上に接触することはない。

 「学校」の大人は彼女一人で、教師も彼女一人だ。

 だから職員室に入って来るのは生徒達だけで、そして今は、入ってくる者は殆ど居ない。子供達は一人を残して居なくなった。

 

 だから、扉が開いた瞬間、誰が来たのかは聖子にはすぐに分かった。

 

「雫様、どうされました――――が」

 

 そして、次の瞬間、聖子は自身の肩に激痛が走り、彼女は地面に転がった。銃で撃たれたのかとも思ったが、彼女の肩に突き刺さっていたのは、恐ろしく細く、鋭く、そして冷たい”氷の針”だった。

 

「【氷棘】……とても、上達、したんですね、雫、様」

 

 痛みを堪えながら起き上がる。雫はいつも彼女が浮かべていた微笑みを拭い去り、一切の感情が消え去った無表情で此方を見つめていた。聖子はそれこそが彼女の本当の顔であることを知っていた。

 

「彼女の病を治してください」

 

 淡々と、雫は告げる。聖子は彼女が、真実にたどり着いたことを理解した。

 

「私達が仕掛けたものと、突き止めたのですか?」

 

 そう言って彼女がぱらりと一枚のメモを落とす。電子情報ではない、今時は殆どない手書きのメモだ。それを書いた伸介が、電子データで情報を残すことが危険であると察していた証拠でもある。全くもって、優秀な子だった。

 

「何重ものセキュリティとダミーを突破したのですね。本当に素晴らしい子供でした。」

「止めてください」

 

 雫は聖子の賞賛を無視して、再び指先を向けた。再び透明の針が彼女の腕に突き刺さる。音も無く、詠唱もない。しかも狙いは徹底的に急所を外し、此方に痛みを与えるためだけの攻撃を繰り返している。

 恐ろしい精度だった。訓練で彼女はこれほどの技術を見せてはいなかった。真美の後ろを見て眺め、時折洋子に唄による詠唱の仕方を教わって、それでも失敗の方が多かった。

 あれも、周りを立てるための彼女の嘘だったのだろう。

 と、なると、既に自分では彼女を止める力は無い。聖子はそれを理解した。

 

「何故止めて欲しいのですか?」

 

 だから、初めて嘘偽り無く、雫に尋ねることにした

 

「突き止めたのなら、理解しているでしょう。これは世界の救済に必要な実験です」

 

 何の罪も無い子供達を、次々と病によって殺すあまりにも惨たらしい所業も、別に、望んでしているわけではない。

 

「イスラリアに対抗するために人類が編み出した苦肉の策」

 

 イスラリアへの反攻作戦。太陽神ゼウラディアを統べる彼らに抵抗し、彼らが垂れ流す汚染物質を止め、世界に平穏を取り戻すための唯一の解決策の為の手段をとっているに過ぎない。

 彼らの残酷は手段であって、目的ではない。

 彼らの目的はただただひたすら、人類救済のためのものである。

 

「貴方の生まれた目的を考えるなら、止めるなど、もってのほか。違いますか?」

 

 ならば、雫は拒否する理由はないはずだ。

 彼女はその為に生まれたのだから。その為に生きてきたのだから。彼女のために死亡した30人の子供達も、その為に生まれ、育てられた。

 家畜の育成のようだと揶揄した研究者がいたが、彼女の物言いは正しい。その為に生まれ、育てられ、そして殺された。人の役に立つために生まれた生物がその生命を全うすることに何の問題があるのか。それを良しとした彼女が、何故疑問に思うのか。

 

「何故止めたいのです」

 

 雫は硬直した。呆然と、感情のない顔で、答えを探し求めていた。一番最初の頃、誰とも親しくする前の彼女と全く同じように、沈黙し、自分の内側を探り、そして答えを導き出した。

 

「……失いたく、ないから」

 

 彼女は、そう言った。辿々しくも紛れもなく、彼女自身の内からの衝動だった。研究者の誰も与えていない、誰の模倣でもない彼女自身の言葉だった。

 

「素晴らしい。良かった。間に合って」

 

 聖子は、そんな彼女を見て優しく、本当に嬉しそうに微笑みを浮かべた。多分、教師として勤めてから初めて、心の底から浮かべて笑顔だった。聖女のような、母親のような、美しい笑みではない。浅ましくも、心から安心した罪人の笑みだ。

 

「真美様を治してください」

 

 雫は繰り返し問うた。だが、聖子は首を横に振る。

 

「残念ながら、つい今しがた、お亡くなりになりました――――があ!?」

 

 透明の針が幾つも彼女を貫く。

 雫の望みは潰えた。にもかかわらず彼女は聖子を攻撃する。それは痛めつけるための攻撃だった。彼女の心の奥底から湧き出る衝動そのものだった。ああ、良かったと納得した。

 彼女は、人となったのだ。

 だから、と、聖子は血塗れの指先で、ゆっくりと千切れた自分の服を引き裂いていく。彼女の素肌が露わになる。血で汚れた白い肌。そして、下に薄らと浮かぶのは――

 

「それ、は」

「私も実験の対象者ですよ。雫様」

 

 クラスの友人達を苦しめ続けた病の発疹だった。

 ただ一人、シズクのみを傷つけないその病は、一切の例外なく彼女もまた侵していた。苦しめ、呼吸を狭め、痛みを与え、宿主に諦めを与えるためだけに創られた悪意の病は彼女を蝕み続けてきた。

 それでも苦しみを決して口に出さなかったのは、己の罪を知っていたからだ。

 

「ずっと嘘をついて御免なさい」

 

 自分と同じ境遇の子供達を、見殺しにすると決めたからだ。

 

「身勝手な事を託します。どうか、貴方が、()()()()()

 

 血にまみれた手足を引きずりながら、雫へと近寄る。縋り付くようにして、聖子はただひたすらに祈った。

 

「世界を救って」

 

 最後にそれだけ言って、彼女も死に絶えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

華は咲き

 

「あー、汚えな、クソ」

 

 そんな不快感と怒りに満ちた罵声が「学校」のホールに響き渡った。

 つい先月くらいまでは、子供達の歓声と楽しげな声に満ちていたその場所が今は見る影もない。子供達の声も、彼らの姿も一つも無い。あるのは荒れ果てた机と、数十人の子供達が倒れて、苦しんで辺りに撒き散らした吐瀉物が乾いた跡だった

 

 ”最終段階”による衰弱は一斉に引き起こされたわけではなかった。

 

 可能な限り、子供達に作為を悟らせないためにタイミングをバラけていた。発症の時間はある程度までしか予想は出来ない。結果、子供達の病が蔓延したとき、憩いの場のホールは地獄絵図と化した。

 子供達の涙と汚物とうめき声、建て前でも子供達の治療をしてる”体”を見せなければならなかったため、清掃も後回しになった。

 

 そして、子供達が居なくなったこの場所を、清掃員達が手を付け始めたのが、今だ。

 

「お偉いさんがたの人体実験の後始末も楽じゃねえな」

「おい、よせってバカ」

「事実だろ」

 

 二人で作業に当たっていた内の一人の、言葉を選ばない物言いにもう一人は咎めるが、咎められた方はその忠告を鼻で笑った。

 

「どうせ聞いたところで、頭の良い研究者様がたは、ヘとも思わねえって。んでもって」

 

 ホールの中央に備え付けられた真っ白な机にこびりついた赤黒い汚れに眉をひそめ、荒々しくモップをかけて汚れを落としながら、男は口元を皮肉下に歪めた。

 

「その人体実験を見殺しにしたんだから、俺たちも同類だろ」

「……どうしようも」

「あーそうだな!!どうしようもねえよ!全部イスラリアが悪いんだもんなあ!」

 

 叫びながら彼は清掃を続けている。

 J地区中枢ドーム最深層はイスラリア対策の総本部であり、万が一が起こった際、重要な人員と設備を確保し閉鎖することで窮地を逃れるために出来たシェルターでもある。

 生命維持に必要な全ての設備が備わっているために、人口密度は高い。在籍している職員は彼らのような清掃員などの作業員等や、接触禁忌生物の侵入に備えた自警部隊も全て含めれば100人超が生活をしていた。

 そして、詳細までは伏せられているが、子供達が人体実験の対象として選ばれ、そして彼らが死去したのは知っている。そういった秘匿情報の一切を護り、一切を口外しないと言う条件のもと、彼らはこの最深層での安定した生活を享受することを許されている。

 

 つまり、子供達を見殺しにする事を条件に良い生活を過ごすことを許されているのだ。

 

「……ま、良いじゃねえか」

「なにが?」

「此処のガキどもだって上層の連中よりずっといい生活出来たんだ。三食ついて安全に守られて、休日にはバカンスだ。幸せだっただろうさ」

 

 子供達を見殺しにしたこと。そうすることで自分が今の職場と報酬を得ていること。その事実を今日も無視して、自分たちの心を誤魔化すことに終始する。

 

「……そーかもな。よかったなガキども幸せの絶頂期に死ねて」

 

 勿論、そんな訳がないことは彼らは知っている。だが彼らにはもう、そうやって誤魔化すしか手段は無かった。ごまかしが利かなくなれば、それは自分の罪と向き合うときだ。彼らにはそんな気力も勇気も無かった。

 だから誤魔化す。昨日も今日も明日も。彼らはずっとそうしてきた。

 そしてそれは彼らだけではない。ここに暮らし、住まう職員達は誰も彼も同じだった。目の前の惨劇から目を逸らし、誤魔化し続ける。それこそが、この職場で長く続けるコツだった。

 

「そういや、生き残りのガキは?」

「俺が知るわけ無いだろ。まあ、博士達が連れて行ったとこはみたから、また実験してんじゃねえの」

「そうかよ。そのガキがゲロ吐いてなきゃ良いな。掃除が手間だ」

「ああ、全くだ」

 

 薄っぺらい笑みを互いに向けて、今日も二人は自分たちを誤魔化して、惨劇の痕跡を無かったことにしていくのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「全員の継承が成功したわけではない、か」

「魔力の継承の成功率は70パーセント超か。この人数でこの継承率は上出来か?」

「魔術容量の拡張も飛躍的ですね」

「当然だ。彼女はそうなるよう創られている」

 

 全てに現実感がない。

 

 雫は眩い照明で照らされた天井を眺めながら、ぼんやりとそう思った。

 

 あの特別休暇日から今日までの間に起こった出来事は何もかも瞬く間で、その僅かな間にこの数年間築き上げてきた世界の全てが崩れ、そして最後の欠片を自分が破壊した。

 その事に対して感情が動かない。道理として絶望して、悲しむべきだというのは分かる。それが至極当たり前の反応だ。以前の彼女ならそうしていただろう。

 

 しかし身体が動かない。心が凪のようにして、なににも反応しなくなっている。

 

 あの後、最深層の職員達がやって来て自分を抱き寄せている”ナニカ”を引き剥がして、いままで立ち入ることが出来なかった対イスラリア研究区画に連れてこられてから、雫は全てをされるままになっていた。

 今もこうして彼女は検査を受けている。

 

「しかし手間がかかった。小賢しい子供ってのは厄介だよ。教育なんて必要だったのか?」

「道徳学ぶにも知性は必要でしょう?」

「過剰って言ってんだ。もう少しバカの方が制御しやすかったよ」

「始末しやすかった?」

「そうだよ。全く。なんで家畜にハッキングされなきゃならないんだか」

 

 一つ、それとは別に自分に変化があったとすれば、

 

「あの子が?」

「そ、イスラリア人のクローンだって」

「道理で……人形みたいで薄気味悪いわ」

「わざわざ容姿もデザインしたらしいわよ。イスラリアに侵入しやすいように」

「男に好かれて、媚びやすいように?」

「そ。悪趣味極まれりよね」

 

 耳が、最近良く聞こえるようになった事だろうか。

 

「ったく。ようやく大量の給仕から解放されるぜ」

「なんだ。そんなに嫌だったのか?」

「自分たちよりも良い物をガキどもが喰ってるって考えたら気も滅入るだろ?」

「人工肉なんて、俺1度も喰ったことねーやそういや。俺も食いたかったぜ」

「その為なら病気で死んだっていい?」

「冗談。ゲロ塗れだったらしいぜ?そんな死に方ゴメンだよ」

 

 職員達の声が、良く聞こえる。

 奇妙だった。自分がいる部屋の中だけでなく、外の声も聞こえてくる。地面や壁を通して、彼らの密やかな囁き声が聞こえてきた。聞くに堪えないような言葉すらも、彼女は全てを拾い集めた。だが、それでも彼女の心は動かない。全てがどうでも――――

 

「ま、これで――――」

「ああ、これで、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――――今、なんと言った?

 

「は?」

 

 雫は起き上がった。自身の身体についていた幾つかの検査器具が外れて、職員達が慌てるようにして彼女を押さえ込んだ。

 

「E31、まだ検査は終わっていない。ちゃんと横たわって――」

「来年以降?」

 

 雫はじっと、今会話をしていた職員達に視線をやる。彼らは自分たちが見られている事に驚愕した様子だった。彼らが居る場所は、雫のいる検査室を硝子で区切った操作室だ。自分たちの会話の声が聞こえていたなどと思いもしていないのだろう。

 しかし、雫は聞こえていた。そして聞き逃すことは絶対に出来なかった。

 

 来年?来年以降?

 

「お前は不安定なプロトタイプにすぎない。E31」

 

 しがわれた声がした。恐ろしく老い耄れた老人が自分の顔を覗き込んだ。延命治療の証拠となる長い耳が見えた。雫は彼を呆然と見つめていた。

 

「人格形成、魔力容量拡張、全てを確立するためのテストだ。」

「………」

「今回の試験の結果で有用なデータが取れた。あと、二,三回同実験を繰り返し、ようやく本番に移れる。その際には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「数十人」

「単身でそれを担わせるなど愚の骨頂だ」

 

 魔力に触れる機会を意図的に増やし魔力容量を強化した数十人の子供達の魂を一つに集め、完成した一個体と、新たに用意した数十人の子供達を再び統合し、それを繰り返す。

 彼らはそれを繰り返しやって来た。何年も何十年もかけて繰り返し続けてきた。

 

 そしてそれは明日からも同じように続いていく。

 

 シズクの脳裏に友達の死に顔が過る。彼らは全員、苦しみ、嘆き、朦朧としながら、悔しさを雫に吐露していた。自分の運命を呪い、泣きついて、死んでいった。

 それが、世界を救うための実験の犠牲だった。というのなら彼らの怨嗟にも理屈が付く。あの大量の怨嗟の果てに、世界を救済できるというのなら、彼らの苦悩は、死は、確かに意義が在ったと。

 

 だが、

 皆の死は、終わりは、ただのテストだった?

 本番で失敗しないために、うっかり転んでしまわないようにするための、テスト?

 そして自分と同じ境遇の子供たちを、これから数十――――数百人創り出すと?

 

「次の実験ではお前が教師役となり、生徒達の育成をしてもらう。D36と同じだ」

「……」

「拒否するのであれば眠ってもらう。魂のみを抽出し、次の被検体に回す。非効率故、望ましくないがな」

 

 雫の腕にいつの間にか付けられていた腕輪がカチカチと音を鳴らし始めた。鎮静剤か、致死剤か、雫という存在を止めるためのものなのだろう。

 

 だが彼女はそんなことはどうでもよかった。

 

 自分の内側、奧の奧から何かが溢れ出てきた。それは蓮達が育み彼女に与えた何もかもとは対極の濁流であり、それが彼女の内を支配した。彼女の心にようやく芽生えた小さな灯火を一瞬で押しつぶし、満たされた。

 心臓も、脳も、全てが凍り付くような濁流に従って、彼女は顔の筋肉を動かした。

 

「――――――承知致しました」

 

 雫は笑みを浮かべた。それは学校で彼女の仲間達に向けるものとは違った。たどたどしくも、皆を安心させるような優しい笑みではなかった。

 

 それは――――あまりにも美しかった。

 

 彼女が暴れ出したときそれを抑える役割だった職員達すらも息を飲んだ。空想の中だけに生きる女神の如く神々しく、悪魔のように妖艶だった。人ならざる者の美が、彼女の中から零れ落ちた。

 

 まるで、彼女自身が()()()()()()()()()ことを示すように。そして、

 

「この先の実験も上手くいくよう、誠心誠意、皆様に協力させていただきます」

 

 雫は嘘をついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女は救世を唄う

 

 ■暦 2X49年 

 

「新谷博士、お疲れ様です。」

 

 中層に存在する食堂にて、コーヒーを口にしていた新谷は、不意に声をかけられた。

 普段、彼は仕事外で誰かと会話することは殆ど無い。最深層に転属になる前もそれほど他人との交流に精力的だったかと言われれば全くそんなことはないのだが、最深層から出戻りになった後は彼は殆ど誰とも会話をしなくなった。

 戻ってきた直後の彼を元同僚達が心配半分、からかい半分で声をかけたこともあったが、彼のあまりに焦燥した表情と、纏わり付く暗い影に怖じけ、すぐに離れていった。尋常ではない経験をしたのだと言うことは誰の目にも明らかだった。

 

 将来を期待される遺伝子技術のホープが最深層の怪物達に食われた。

 

 そんな風に囁かれ、結果、彼の周りから人はいなくなった。 

 だからこそ、新谷に話しかける人間というのは酷くめずらしい。新谷は最初自分に声をかけられたと認識することが出来ず、目の前で視線を合わせて笑みを浮かべた若い男の顔を見て、ようやく会話を求められているのだと言うことを認識できた。

 

「君は確か……」

「博士の部署に転属になりました。鏑木です。博士には是非お話を聞きたくて」

「私に?」

 

 鏑木という男はニコニコと嬉しそうにそう言った。何かの冗談か、あるいはからかうつもりなのかとも思ったが、此方の反応を待たずして目の前の席に座った。

 どうやら本気らしい。

 新谷は溜息をついた。やや強引な手合いであるらしい。が、対人コミュニケーションに難がある人間は此処ではめずらしくもないし、そもそも新谷もそうである。

 休憩時間の終わりまで多少の時間はあった。

 

「それで、なにが聞きたいと?私の研究についてなら、データ化して好きなだけ見れる。勝手に閲覧したら良い」

「博士は、最深層で数年間勤めていた経験があると聞いて」

 

 新谷はピタリと、飲もうとしていたコーヒーのカップを傾けるのを辞めた。一瞬指先が痙攣したように動いた事に鏑木は気付いた様子はなかった。泥の味がすると大変好評なコーヒーといえど、貴重な資源を零すようなヘマをしなかった自分に安堵して、新谷は慎重にカップを机に戻した。

 

「君は、下に行きたいのかい?」

「ええそれは勿論!この世界の最先端、イスラリア対策の総本山でしょう?!」

 

 此方の心境を全く介さず鏑木は嬉々とした声を上げる。実に脳天気な反応だった。希望と使命感、そして自身がこの世界に貢献できるという明確な自信に満ちあふれた顔である。目障りで耳障りで、そして懐かしい。

 かつての自分もこんな顔をしていたのだろうか、と、新谷は自嘲した。

 

「残念ながら規則上、私は一切の情報を君に漏らせない。だが、もしも君が下の連中に必要だと思われたなら、自然と声がかかるだろう」

 

 カップのコーヒーを一気に飲み干す。代理コーヒーはやはり泥のような味がする上、冷めて温くなっていて不味かった。そして立ちあがる。そしてまだなにか聞きたそうにしている鏑木に対して、ハッキリと告げた。

 

「だが、人間でいたいならやめておいた方が良い」

 

 鏑木は目を丸くする。自分の言った言葉を考えるようにして首を傾げた。新谷は彼が返答するのも待たずに彼に背を向け、カップを返却し、職場へと続く廊下へと足を進めた。

 この警告には何の意味もないだろう。何故なら自分も似たような警告を元最深層の職員に与えられていたし、もし警告があろうがなかろうが、彼が本当に優秀であるなら、彼の転属は彼の意思とは関係ないところで決定される。

 

 そして、地獄に行く。

 

 その果てに逃げ出すか、あるいは、無様にも尻尾を巻いて逃げ出した自分とは違い、あそこで働く適性を見出すかも知れない。

 どちらにせよ、世界の危機に向き合う事も出来ず、さりとてあの場所の残酷さに目を向けることも出来なかった臆病者の自分には関係の無いことだった。

 精々今の自分にできるのは限られた土地の食物に手を加え、人類が残された資源の全てを食い潰して終わるその日を一日でも長く先延ばしにする事くらいだ。人類救済という根本的な解決策から自分は背を向けたのだから――――

 

「失礼、新谷博士。少しお話が」

 

 新谷は振り返った。今度はスムーズだった。目の前には管理員の腕章をした男が二人立っていた。来客の多い日だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「最深層との連絡が取れない?」

「はい……」

 

 新谷に声をかけたのは、ドームの管理を託された設備員だった。

 イスラリアからの呪泥の悪影響から逃れるために建設されたドームは、言うまでも無く人類社会継続の要だ。インフラの一つでも不具合が発生すればその瞬間命取りになりかねない。その為常に設備状態は監視されていた。

 そしてその役割上、中枢ドームの内部で完全に独立して運用されている最深層との繋がりも有していた。勿論研究の内容には触れることはないが、中で同様に設備管理を担っている職員達と相互連絡を取り協力する為だ。

 

 とはいえ、連絡の内容は「問題なし」程度のものだ。

 

 よほど厳重に設備管理されているのだろう。今日まで最深層で重大なトラブルが発生したケースは1度として存在していなかった。はずだった。

 

 今日、行われるはずの定期連絡がこなかった。

 

「警報類は?」

「一切なっていません。少なくとも機器類の故障ではないはずです」

「緊急用の連絡回線は」

「全て、返信がありませんでした」

 

 新谷は最深層へと続くエレベーターに乗りながら、管理員である二人の男に質問をしていくが、この程度の確認はその専門家である彼らがしていないはずも無かった。

 

「異常事態と判断しましたが、最深層に立ち入る権限を私達は有していません。本来であれば最深層側の管理者がロックを解除するはずなのですが……」

「その彼らとも連絡が取れないのでは意味が無いか……」

 

 最深層の研究を漏らさないようにするためのセキュリティが逆に仇となったということだろう。しかし、最深層もこうした事態に備えて幾重にも安全装置は用意していた筈だった。その全てが同時に機能しなくなっている、というのは確かに異常事態に違いなかった。

 

「物理的な解除も検討しましたが、調べてみたところ新谷博士はまだ最深層のカードキーを有していると記録に残っていました」

「……私の権限はとっくに剥奪されたものだと思っていたが」

「児島所長が全ての管理を担っていた筈です」

 

 児島博士の恐ろしい眼孔が記憶から蘇り、新谷は小さく身震いした。しかし彼が自分にその権限を残したというのは意外な話だった。とっくに見限られたものだと思っていたが、あるいは眼中になさ過ぎて、どうでも良いとおもわれたのかもしれない。

 どのみち、新谷の保有するカードキーならば、最深層のゲートは開くことが可能、らしい。まさかこのような形で最深層に戻る羽目になるとは、想像もしていなかった。

 

「ただの通信回路の不具合の可能性もある、ゲート開放後は私が先に行く。仕事できたはずが部外秘の研究に触れて牢屋行きなんてゴメンだろう」

 

 暫くするとエレベーターが目的階への到着を告げた。

 管理員たちに新谷は警告しつつ、先頭を行った。管理員達は神妙に頷いた。彼らが万が一あの研究を知るようなことがあれば、良くて一生最深層の職員で、悪ければ消される。

 あんな人体実験が、世界の希望とも言える研究を行う最深層で行われていると万が一にでも知られるわけにはいかないのだ。

 

「――――なんだ?なにか匂いませんか?」

 

 だが、不意に管理員の一人が眉をひそめて鼻を鳴らした。

 釣られて新谷もそうする。確かに何か、微細な匂いがした。あまり嗅いだ覚えのない匂いだ。脳の奧がチリチリと警報音を発するような、不快な匂いだ。本来、ドームは地下深くなる程に空調設備が機能しているにもかかわらず、確かに匂った。

 新谷は訳も分からず、胃袋が締め付けられるような気分になった。過去のトラウマ故か、それともこの匂いから人体が警告を告げているのか、判断は付かなかった。

 

 そして3人はゲートの前にたどり着いた。自然と管理員の二人は鎮圧用のショックガンを取り出す。口には出さないが、彼らも異常を察したらしい。

 

「…………開けるぞ」

 

 新谷はカードキーをスライドさせた。正常で軽快な読み込み音と共にランプが青く点灯し、扉がゆっくりと開かれていく。かつて新谷が1度見た光景であり、その時は自分の力で世界を救うのだと意気込み、浮かれていた記憶があった。

 

「な、……んだ……!?」

 

 そして、扉が開かれると共に、新谷は先程から鼻の奥を刺激していた匂いが猛烈に強くなったのを感じ取った。赤黒い、鉄の匂い。腕が恐怖で粟立つのを感じ取った。全身が悲鳴を上げながら、警告を告げ始める。そしてその時ようやく新谷はこの匂いの正体が理解できた。

 濃厚で、淀んだ、血の匂い

 

「新谷博士、下がってください!!」

 

 管理員が急ぎ新谷の前に立つ。最早研究の情報漏洩、などと抜かしている場合ではなかった。管理員達は扉が開ききると同時にゆっくりと扉の中へと足を踏み入れた。

 

「なんだ、どうして、こんな……!?」

 

 そして絶句した。

 

「死んでる……?」

 

 扉から中に入って暫くして気付く。廊下や備え付けのベンチ、椅子、至る所に死体が転がっていた。最深層の職員達が彼方此方に転がっていた。まだ血は乾いていなかった。

 死亡から、それほどの時間が経っていないのだろう。それ故に濃厚なまでの鉄の匂いが強烈に鼻孔を殴りつけてきた。

 新谷は昼食をコーヒーだけで済ませていたことに感謝した。そうでなければ確実に戻していた。

 

「殺され………いや」

 

 そして気付く。彼らの死体は、その全てがその手で握った銃器や鈍器、刃物の類いで自分の頭や首、臓腑を破壊し痛めつけて、そして死亡しているのだと言うことに。 

 つまり、彼らは

 

「じ、自殺……?」

 

 全員が、自らの意思で命を絶っていた。

 

「なん……だこりゃ……どうして、こんな……っぐ」

 

 管理員の一人が嘔吐する。彼らとて、別に荒事を専門としている訳ではない。死体など、見慣れているはずもなかった。ましてやこんな夥しい数の異常な状態の死体など見たことがあるはずもない。

 当然、新谷も見慣れるわけもない。"あの実験”からも尻尾を巻いて逃げ出すような性格なのだ。死体など見るだけで気分が悪くなる。だが、どうしても新谷は彼らの顔を覗き見てしまう。

 彼は数年前まで此処の職員だったのだ。別に彼らと親しかったわけではないが、それでも顔見知りではないかと、肉体の拒否反応とはべつに、視線が自然と死体へと向かった。

 

 そして気がついた

 

「……笑って――――」

 

 新谷の元同僚達は笑っていた。そして泣いていた。

 口には満面の笑みを浮かべ、瞳の下には涙の跡を残して、自分の命を絶っていた。新谷はのけぞり、腰が抜けそうになってすっころんだ。

 異様、などという次元ではなかった。

 過去の歴史に存在するカルトの起こした悲劇のような有様が、この時代の人類の叡智の最先端とも言える場所で広がっている。その事実を受け入れられず、新谷は目眩を起こした。

 

「じ、自警部隊に、応援要請を……」

「なにが起こるか分かりません。新谷博士、ここからすぐに出て――――」

 

 管理員達が新谷に警告を告げる。まさに道理だ。こんな場所、一秒だって長く居る道理はなかった。

 だが新谷はフラフラと立ちあがると、そのまま最悪な顔色のまま、前へと進み出した。

 

「博士!?」

 

 制止も振り切って彼は数年前まで彼が何度も使った通路を進む。道の途中途中でやはり死体が転がっていた。彼らもやはり自ら命を絶ちきっている。自分から壁に頭を打ち付けて死んでいる者まで居た。知った顔の女性職員が首に何度もナイフを突き立てた状態で死んでいた。

 

 皆、死んでいた。

 

「なんで……どうして……!?」

 

 現在の人類の中でも最高の知識を有しているはずの彼が、なにもわからないまま、ひたすらに走り続けた。血の匂いは酷くなった。最早マトモに呼吸することすら叶わないような地獄がそこにはあった。

 

「っが!?」

 

 脚を取られ、転がり、かつての仲間達の血で身体を汚す。

 顔を上げるとまたかつての同僚が笑って、泣いて、死んでいた。

 こんな惨たらしい死体になるだけの罪を、彼らは確かに犯していた。

 

 だが、これが罪の結果だとすれば、誰が罰を下したのだ――――

 

「…………、うた?」

 

 声が聞こえた。軽やかな鈴のように澄んだ唄。

 聞いたことのある唄だった。数年前、此処で勤めていたとき、唄が得手な子供の一人が良く唄っていた唄だ。魔術の詠唱に利用していたが、それとは関係なく彼女たちはよく仲間達と共に唄っていた。

 口にはしなかったが、新谷はその唄声は好きだった。まだ、実験の全貌を把握するよりも前、自分たちの希望になるとも知れない子供達が奏でる唄は、まさに福音のようにかんじられたのだ。

 

 その唄が、また聞こえてくるのだ。

 

 新谷は起き上がり、その方向へと再び走った。ロクに施錠もされずに開きっぱなしになっている幾つもの扉をくぐり抜けると、その先にあったのは見慣れた小さな庭だ。

 

 「学校」の「ホール」

 

 恐らく中枢ドームの中でも最も美しい場所。子供達の憩いの場所。人の手によって生み出された小さな箱庭の楽園。その中央で唄が響き続ける。

 同時に、血の匂いは最も濃くなった。その理由は明確だ。

 

「……………みんな」

 

 死んでいた。

 死んでいた。死んでいた。死んでいた。そのホールの中心へと向かうようにして職員達は並び、祈るようにして死んでいた。全員が全員、頭を打ち抜いて、首を掻ききって、心臓を突き刺して、泣いて、笑って、祈って、死んでいた。研究者も清掃員も食堂の給仕係に至るまで誰も彼も死んでいた。

 死んで死んで血を流し、折り重なるようになっていた。

 その中に、酷く年老いた男の姿もあった。あれほどまでに新谷が畏れたこの最深層の支配者である児島博士もまた、自ら命を絶っていた。口に満面の笑みを浮かべ、濁った両目から涙の跡を作って、一切の例外なく死んでいた。

 

 そして、新谷はその中心を見た。

 

 白銀の髪を輝かせ、死に絶えた人々に祈りを捧げるように両手を合わせ、歌い続ける少女がいた。ホールの天窓から注ぐ偽りの月光を浴び、噎せ返るような死臭のただ中であってなお、それらを踏みにじるが如く神秘的な美しさを纏った少女がそこにいた。

 

 彼女は、呆然となった新谷を視界に映すと、微笑みを浮かべた。

 

「初めまして。あるいはお久しぶりですね。新谷博士」

「…………は、……し、………雫?」

「はい」

 

 被検体E31、雫は笑った。

 彼が知っているときよりもずっと大人びた姿となった彼女は笑っていた。だが違う。決定的に彼女の様子はあの時と違った。確かに彼女は取り繕う事は上手かった。自分たちが手を焼くくらいには演技の得意な少女だった。

 

 それでも、彼女の本質は純朴で、優しい少女だった。友人達が笑っているのを眺めているだけで、幸せな笑みを浮かべてしまえるくらいに、優しい少女だった。

 

 こんな、現実感を喪失するくらいに美しく微笑を浮かべる少女はなかった。肺一杯に満たされるように充満する血と死の匂いすらも脳髄から消し去るほどの魔性を湛えた少女ではなかったはずだ。

 そして疑う余地も無い。彼女はこの地獄の中心にいる。だが、だとしたら

 

「どう、やって、なんで……?」

「“情緒”ですよ」

 

 雫は小さく首を傾げて、語りかける。銀の髪が揺れ、眩く視界に映る。

 情緒、その言葉はかつて新谷は幾度となく繰り返し耳にした。魂継承の為に必要な行程。【相克の儀】の達成条件。

 まともでいては到底思いつかないような悪夢の発想。その呪いの言葉を彼女は口にし、そして目の前に広がる死体の山を指すように腕を広げた。

 

「最深層全職員、138名の皆様に、人の心を、愛を、慈しみを取り戻してもらいました」

「――――そ、んなことを、したら!!」

「そんなことをしたら?」

 

 問い返され、新谷は両手で口を塞いだ。

 そんなことをしたら?

 人の道徳、情緒。この最深層の職員達は決定的にそれらを損なっていた。末端の清掃員すらも例外なく、彼らは人でなしだった。それは、そうでなければ、麻痺していなければ此処で勤めることがままならないからだ。

 

 まともであれば絶対に耐えられないほどの地獄だったからだ。

 

 人間としての真っ当な感性を取り戻したら、心が耐えられないから、彼らは人間として自分から壊れたのだ。それを、彼女が治してしまったのだとしたら――――

 

「皆が」

 

 雫は素足で血の海を渡り近付いてくる。

 

「死にたいと、そう願われましたので、望みの通りにさせてあげました」

 

 白いスカートが、彼女が進む度に跳ねる血で、穢れていく。

 

「命と魂を、私に捧げて下さいました」

 

 新谷の前に彼女は立った。跪き、呆然となっていた新谷は、自然と両の手を祈るようにして重ねて、頭を垂れた。それは崇拝から成り立つものではなく、罪に耐えきれずに押し潰れる罪人が、慈悲を乞う姿だった。

 

「不足は埋まりました。器は完成へと至りました。さあ、新谷様」

 

 眼前で、雫は微笑む。新谷は泣いて、口を引きつらせて、喉を痙攣させるようにして笑い声を上げた。恐怖と絶望と後悔が脳を支配していた。自分の中の感情が今どうなっているのかまったくわからなかった。

 

「イスラリアを滅ぼし、世界を救いましょう」

 

 月神の依り代であり、悪竜の化身

 完成した少女は、世界の救済を唄った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――……ああ」

 

 シズクは目を覚ました。

 古くて、長い夢を見ていた気がする。

 懐かしく、愛おしく、苦痛に満ちた夢だった。

 身体中がズタズタに引き裂かれるような痛みと、身体中が包まれるような温もりが同時にやってくる。その苦痛が彼女を夢から引き上げた。目を覚ましたとて、痛みは続く。自分の心臓に爪を突き立てて、えぐり出したくなるような衝動に駆られてしまうくらいに――

 

 ―――お前は“俺の物になったお前”を大事にしてくれるよな?

 

 その寸前で、ピタリとシズクは手を止める。

 身体を起こす。彼女がベッドで横になっていたその場所は、高い高い塔の上だった。かつてのこの地の象徴のような場所であり、既に誰も利用しなくなった塔の中で、彼女は身体を休めていた。

 

『おう、主よ。目ぇ覚ましたカの』

 

 そんな彼女を出迎えるように、死霊兵のロックは笑う。

 死霊兵、と言っても、最早彼の存在はその規格には収まらない。幾重にも重ねられた改善と改良、そして与えられたシズクの権能はロックの存在を全くの別物へと昇華していた。

 死霊王、とも言うべき存在となった彼は、シズクが身体を休めていた展望台の粉砕した窓を乗り越えるようにして外を見つめていた。

 

「ロック様。今の状況はどうなっていますか?」

『おう。見たらわかるぞ?』

 

 そう言って彼は外を指さす。

 

『地獄じゃ』

 

 赤い塔を中心として、空と大地が黄金で埋まっていた。

 金色の人型。一切を切り裂き貫く天剣を握り、輝く翼を翻し、太陽神の加護で全身を覆い尽くした兵士達。

 それらは太陽神の末端、精霊達よりも更に簡易化され生み出された尖兵達。【天使】とそう名付けられたそれらが、塔を覆い尽くすようにして包囲していた。

 彼らの狙いは言うまでも無くシズクであり、月の神だった。

 

『どうするカの?月神様よ』

 

 ロックの問いに、シズクは笑う。改めて問うようなことでも無い。

 答えは分かりきっている。

 

「滅ぼします」

 

 シズクは自分の胸を叩くと、寝間着は消失した。代わりに彼女の身体を白銀の鎧が被う。禍々しくも美しい。竜の爪と牙のように伸びたそれが彼女の身体を武装する。

 

「お願いしますね、ロック様」

『カーーカカカカ!!楽しい戦争の時間じゃのう!主よ!!』

 

 イスラリアが世界に再び顕現して2週間が経過した。

 

 未だ、太陽と月の神の戦争は続いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/嵐の前に
救世の勇者たち


 

 その日のイスラリアは太陽神ゼウラディアも天高く登る快晴であった。

 

 その美しい太陽神が姿を見せると同時にヒトは両手を合わせ神への祈りを捧げ、その魔力を献上する。そしてずっと続けてきた一日を今日もまた謳歌する。

 

 建築、加工、生産、防衛、管理、経営、家事、冒険、探鉱、

 

 生きて資金を得て、この都市で生きていくために必要な労働をこなす。あるいはその為に学習する。時にそこからはずれてしまった者達もいるが、そう言った者達を有して尚、維持できるだけの社会の形が維持されていた。

 

 彼らの日常は決して変わらない。

 

 ここの所、冒険者ウルを中心とした驚くべきニュースが巷を賑わしていたが、しかし、だからといって都市の内部の彼らの生活に変化が起きるかと言えばそうではない。”竜吞ウーガ”の交易に関わる商人達や、あるいは解放された黒炎砂漠の復興を担う開拓騎士達などが殊更に慌ただしくなりもしたものの、それらに関わりない者が大多数だ。

 都市国、と言う社会の形が決定的な変化を齎すような騒動には到底至らない。

 波が起きて、幾人かが攫われようとも、都市国の形は残る。

 

 冒険者達が巻き起こす騒動は彼らにとって娯楽である。

 決して変わらない、変わってはいけない毎日に刺激をもたらす存在でしかない。

 

 太陽神ゼウラディアの腕の中で守られる彼らの日常は変わらない。決して、変化しない。そうでなければならない。六百年前の迷宮大乱立から今日までそうだったのだ。それが変わることなど決して許されないのだ。

 

 その筈だった。

 

「……なんだありゃ?」

 

 大罪都市エンヴィーの都市民の一人、カンザという男は小さく呟いた。

 

 ”黒炎殺しのウル”がきっかけでおこった中央工房で巻き起こった大乱闘も収まって数ヶ月。中央工房の経営陣がそう取っ替えになり、その間の発生した無数の政治的な闘争及び神殿とのバチバチの交渉も、今は落ち着きを取り戻しつつあった。

 喉元過ぎれば熱さ忘れると言われるとおり、都市民達が日常に復帰するのは早かった。

 カンザも、中央工房の問題に巻き込まれた一人で、昨日まで同僚だった仲間と殴り合いに興じるはめになったのだが、それでも数ヶ月も前のことなのだ。大変だった過去はすっかりと飲み干していた。いつものように彼は外に出て、少し気を休めるために空を眺めていた。

 

 だから、気がついた

 

「……空が」

 

 割れている。

 黒い罅が、青い空に刻まれている。陶器が落下して砕けるように、青く美しい空が壊れようとしている。彼と同じように気付いた都市民達も多く居るのだろう。彼方此方からざわめき声が聞こえてきた。

 

 それがなにを意味するかは彼らには当然わからない。

 だが、それが間違いなく不吉の象徴であり、危機であることは理解していた。

 

 そして、空のそのひび割れは更に広がりを見せ、砕けた。

 その先には、悍ましい、赤黒い空が広がっていた。見るだけで心がざわつくような、禍々しい空の色。そしてそんな空が、太陽神の照らす蒼い空を浸食していく。

 赤い空の中には、白銀の球体が空に浮かんでいた。まるで太陽と対を成すように、禍々しい空のただ中美しく輝くそれを、誰もが魅入らずにはいられなかった。

 

「なん――――――」

 

 そして、彼らは見た。

 白銀の球体が、蠢いた。まるで卵から生き物が孵るように、蠢いて、ひび割れて、ゆっくりと形を変え、そして真っ直ぐに此方を見る。イスラリアを睨み、大きな口を開けた

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』

「――――ひ」

 

 竜が雄叫びを上げる。

 紛れもなく、イスラリアの破滅を望む邪悪の咆吼だった

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「う、わあああああああああああ!!?」

 

 大罪都市プラウディアの都市民はパニックに陥っていた。

 大罪都市プラウディアでは魔物の襲撃や異常事態の遭遇は滅多にない。

 約一年程前に彼らが遭遇した”神隠し事件”の時すらも、彼らに直接の被害が発生したわけではなかった。天賢王のお膝元でその安寧を守られているという事実が彼らに強い信仰を与え、逆に危機感を奪った。

 

 が、しかし、空を砕き顕れ出た銀の竜を前に、暢気が出来るほど彼らは愚かしくもなかった。彼らは驚き、竦み、悲鳴を上げ、そして立ち往生した。

 空を破壊して出現した銀の竜はあまりにも大きく見えた。遠くに聳えるアーパス山脈らよりも霞んでみえる程遠い筈なのに、空の全てを被う程に巨大にも見えるその竜。今日も此方を見下すようにしている大罪迷宮プラウディアがその存在を小さく見えた。

 どう逃げて良いかも分からなかったのだ。危機感の欠如がどうこうという話ではない。常に魔物達との襲撃を想定する騎士団ですらも、呆然とせざるを得なかった。

 

 無論、彼らには天賢王の生みだした結界がある。

 プラウディアをプラウディアたらしめる強大なる【天陽結界】が彼らの身を守っている。

 

 だが、空を砕いて顕れた銀の竜を相手に果たして、天陽結界が自分たちを守ってくれるのか、彼らは疑わずにはいられなかった。その疑いこそが結界を揺らがせる。彼ら自身もその事は分かっている。だが、分かっていても身体の芯からの震えは止まらない。

 

 だって、彼らは知っていた。分かっていた。

 

 あの銀の竜が間違いなく、自分たちを呪わしく思っているのだと。

 

 根拠はない。誰かがそう言った訳でもない。恐怖に駆られ、悪い想像力を働かせたわけでもない。ただただ伝わるのだ。此方を睨む銀の双眸が氷のような殺意を湛えていることに。そして、その殺意は、イスラリアに住まう全ての民に向けられていると。

 

 そして無論、その殺意は形へと至る。

 

「光が――――」

 

 竜の口が大きく開かれる。その銀の竜が放つ光と同じ、白銀が収束し続ける。遠く、その光の収束が巻き起こす熱も暴風も彼らには伝わっては来ないが、誰しもがそれがその光が破滅的な力をもたらすこと。そしてその光をイスラリアへと放とうとしている事が理解していた。

 

「ひっひ……!?避難を――」

 

 誰かが言う。だがどこへ?

 山脈よりも強大なる竜の咆吼を何処の誰が回避できるというのか。都市民達は自然と両の手を重ね、祈った。現実逃避、ではない。彼らにとって神と精霊への祈りは最も現実的な脅威への排除手段であり、防衛の要だ。天陽結界の強度を高めるためにも必要な儀式だ。 

 

 しかし、彼らの祈りがもたらす護りの輝きすらも、竜の白銀は容赦なく引き裂いて――

 

「【神剣・魔断】」

 

 その直前、緋と金色の光が竜の白銀を切り裂いた。

 

「は……!?なに、が……!!」

 

 連続する異常事態に、民達は混乱した。

 銀を引き裂いた黄金が、新たに空に顕れた。

 剣のように伸びる十二の翼を持った金色の戦士。果たしてそれがなにものなのかは分からない。しかしあの恐ろしい竜が吐き出した銀を引き裂き、竜と相対している。その事実がそこにはあった。自分たちの守護者であるという揺らがぬ事実を示していた。

 

《イスラリアに住まう全ての民達に告げます》

 

 そしてそこに、脳を揺らすような程に高く澄んだ、一人の少女の声が響き渡った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《私は七天の一人、【天祈】のスーア・シンラ・プロミネンス》

 

《天賢王アルノルドの名代として、イスラリアの全ての民達に語りかけています》

 

《誰しもが目撃していることでしょう。空を被う銀の竜を》

 

《この世の全ての迷宮と魔物を生みだした元凶、邪神シズルナリカが目覚めました》

 

 淡々と、矢継ぎ早に告げられる言葉に対して、しかし民達は混乱する事はなかった。

 別に安心を促すような励ましが告げられたわけでも、状況を楽観視出来るような情報が増えたわけでもない。にもかかわらず、あれほどまでに慌てふためき、大混乱へと陥ろうとしていた彼らは平静さを保っていた。

 

 理由は二つある。

 

 頭の中で反響するように響くスーアの声が、彼らから不安を拭い、安らぎを与え、そして冷静さを取り戻させた。もう一つに、金色の輝きを放つ戦士が悍ましい白銀の竜と相対し、自分たちを守らんとしている事実があった。

 

《邪神に対抗すべく、我等の神を此処に顕現しました》

 

《全ての七天の力を結集した我等が神、ゼウラディアの化身》

 

 黄金の剣士が飛ぶ。竜の生み出す閃光を引き裂いて、たたき伏せる。彼女の軌跡に沿うようにして空で幾つもの光が破裂しつづける。空に幾つもの光が散る。この世の終わりを思わせるような光景を前に、しかし彼らは既に恐怖していなかった。

 

《七天の長、勇者ディズに全てを託しました》

 

 黄金の戦士の姿は不思議と、イスラリアに住まう全ての住民達の視界に良く映った。遙か遠くで戦い続けているに違いないにも関わらず、彼女がどのような表情で戦い、竜と相対し、自分たちを守ろうとしているのか、その全てが伝わってきた。

 

「ねえ、お父さん。あれあのヒトだよ」

 

 幼い子供が父に向かって声を上げた。

 

「お父さんの怪我を治してくれた、ヒト。勇者様だったんだ!」

「…………ああ、そうだ。そうだな。確かにそうだ」

 

 父は娘の言葉に同意する。かつて島喰亀の騒動で彼女に命を救われた事のある父は、彼女の姿を朧気にしか覚えてはいない。だが、命の危機の中で、自分の死を食い止めて、ずっと声をかけてくれていたことは確かに覚えている。

 

「あの人知ってるぞ!前、かーちゃんの怪我を治してくれたんだ!」

「おかしな魔物が襲いかかってきたとき、あの方が来てくれていたのう」

「ああ、思い出した!前、事故があったとき、あの子が助けてくれたの!」

 

 各地で、次々と声が上がる。

 勇者である彼女が行ってきた善行を覚える者達がいた。その声が更なる安堵を後押しした。あの眩い黄金が、疑いようもない程に善なる者であるという事実が、彼らの心に信頼をもたらした。

 

「――――ディズ」

 

 ラックバード商店のローズもその中にいた。かつて彼女を敵視して、彼女に救われた少女は、友となった彼女の無事を祈り、両の手を合わせた。彼女に続くように、彼女の従業員達も、来客達も両の手を合わせて祈った。

 

《どうか、彼女に祈りを、我等が神の勝利を、皆様祈ってください》

 

 信仰は紛れもない力と成る。

 信仰の力は黄金の戦士を後押しし、更なる輝きをまとい、銀の竜と相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから2週間後

 

「今貴方、【救世の勇者】とか言われてるらしいですよ」

「帰ってきたらなにそれ怖い。私の評判いまどうなってんの?」

「知りません興味ないです。10分後にはバベルに到着します。準備してください」

「分かってるよ、ユーリ」

 

 移動要塞ガルーダ三号機に乗りながら、ディズはプラウディアへと帰還していた。

 未だイスラリアの空は割れ、赤黒い空と白銀の光は姿を覗かせている。

 それに対抗すべく、イスラリアは一丸となって戦う事を選んだ。

 

 太陽神と月神の戦争は続いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自重なき天才

 

 大罪都市プラウディア

 真なるバベル

 大悪竜フォルスティア対策作戦本部

 

「各大罪都市は安定しています。スーア様の呼びかけに皆応えているのかと」

「衛星都市で幾つか不審な動きが。恐らく邪教徒です」

「魔界の住民、工作員だというのだろう?この機を逃すまい」

「情報では侵入は数百年単位だ。完全に連係が取れているとは言いがたいですよ」

「それよりも、迷宮の魔物の活性化が懸念されます。」

「以前よりも遙かに激しい。しかも今は迷宮からだけではない。」

「外部からの敵襲に備える。という点で今の都市国の形を活用できるのは幸いですね」

 

 今日もまた、幾つもの通信魔具も活用した各都市の首脳陣達の対策会議は進んでいた。

 

 邪神、大悪竜の出現はイスラリア中に未曾有の混乱をもたらした。

 

 天祈のスーアによって即座にイスラリアの全住民に布告を出すことで、パニックが起こるよりも前に住民を落ち着かせたが、さりとて根本的に問題が解決に向かう訳ではない。イスラリアの空は未だに砕かれて、赤黒い空が覗き続けている。白銀の竜は今は姿を見せてこそいないが、何時またその破壊の光をイスラリアに向けて放つかわかったものではない。

 更に、それだけではなく、現在イスラリアの全てに存在する迷宮が「活性期」の状態になっていた。魔物達の進行速度は凄まじく、また上層など、本来であれば出現しないはずの場所に高位の魔物達が暴れ始めていた。都市の外の迷宮であればまだ問題は無いが、大罪都市など、都市そのもので迷宮の進行を食い止めている場所では非常に危険な状態に陥っている。冒険者と騎士団が総出で魔物の氾濫を食い止めている状態だ。

 

 現在イスラリアの全ての場所が似たような状況下にある。

 これらがあの邪神の影響による物であるのは想像に難くない。

 その為に現在全ての都市が連係して対処に当たっているのがこの状況だ。

 

「全く、酷い有様だ。やっと中央工房との一悶着が決着したというのに」

「あら、その割にエンヴィーは上手くやってるではないですか」

「皮肉にも、暴動を抑えたことで都市民が混乱に慣れ、神殿と工房に連係が生まれたんですよ。全くなにが転じて福となるやら……」

 

 状況としてはまったくよろしくない。恐らく600年前の迷宮大乱立の大混乱の時以上の滅亡の危機だろう。

 

 しかし、バベルの塔に集結した首脳陣達の表情に絶望の色は薄かった。

 

 一つに、彼らはこの規模ほどの大混乱でなくとも、外敵からの襲撃には慣れていた。魔物達はしょっちゅう人類に悪意を向けている点。彼らは戦うことに慣れていた。いかに、都市の内側が安全であろうとも、それを維持するために常に彼らは戦い続けてきた。

 言ってしまえば、彼らは戦うことになれていた。

 特に、この場に立って協議を交わすような者達は歴戦だ。都市国が滅亡するかのような脅威を、幾度となく経験してきた。今回が例え、イスラリア史上類を見ない未曾有の脅威であったとしても、簡単には動揺したりはしない。

 そしてもう一つは明確な希望の存在が居るからだ。

 

「皆様、お待たせしました」

 

 バベルの扉が開かれる。

 この場に揃った各都市の首脳陣、騎士団、天陽騎士に冒険者、全ての戦力を待たせる重役出勤であるが、誰も彼女に文句は言わない。最も偉大なる王、アルノルドの配下の七天、彼らの力の全てを引き継いだ現イスラリアの最強の戦士。

 

 太陽神の化身、勇者ディズ。

 

 空を被うほどの白銀の竜からイスラリアを守った姿を、イスラリアに住まう全ての住民達は目撃している。それこそがまさしく彼女が希望であることを証明していた。

 その場にいる全員が、彼女を前に席を立ち、跪き、祈りを捧げた。王に対して、神に対してする仕草と同様だ。通信魔具の水晶越しの者達も同じだった。

 

「うん、ありがとう。会議は中断せずに続けて。」

 

 ディズは少し慣れない表情で笑いかける。

 その様は年頃の少女のそれとなにも変わらない様に見える。

 しかし精霊と繋がりの多い神官達は、彼女をそのように見ることは出来なかった。四源の精霊達と相対した時と同じ以上の濃密な神気とでもいうべき魔力が彼女の内からは溢れていた。彼らがこれまで信仰してきた神と精霊、それがそのまま肉体を得て目の前に現れたような感覚だったのだ。それを自然と受け入れるのには時間がかかった。

 

「戻ったな、ディズ。ああ、今は救世の勇者とでも呼んだ方が?」

 

 とはいえ、へりくだりすぎても話は進まない。冒険者ギルドのギルド長、イカザは、彼女が神であることを認めて、その上で以前と変わらぬ態度で彼女に接していた。

 イカザの呼び方にディズは少し肩を降ろして、そして苦笑する。

 

「いや、ディズでいいよ、イカザ師匠。その呼び方色んな意味で重すぎる」

「悪かった。だが無事で良かった。」

 

 と、そう言って、彼女はディズを抱きしめた。

 神の化身を相手にしての態度と考えると不敬も良いところであるが、彼女は抵抗しなかった。会議室の誰も、ディズの背後からついてきたユーリも、その光景に文句を言うことは無かった。

 

「事情のおおよそは聞いている。大変だったな」

「私よりももっと沢山のヒトが、今まで大変だったんだ。文句も言えないさ」

 

 イカザの労りの言葉に、ディズは安らいだ表情を浮かべていたからだ。単独であの銀の竜と戦い続け、イスラリアを護り続けてきた彼女の心労は計り知れなかった。

 イカザに心を許す彼女を見れば、彼女が神の類いでないことは誰の目にも明らかだ。そんな少女に全てを託さなければならないのだという事実は、この場にいる全ての者達に後ろめたさを与えた。

 

 だが、この世界がどれほどに歪であるかの真実を知ったとしても、

 彼らは、この戦いを今更退く事も、諦める事も許されないと知っている。

 彼女の双肩にイスラリアの運命がかかっているのように、自分たちの双肩にも、自分たちが庇護する民達の命が掛かっているのだ。

 

「勇者ディズ」

 

 プラウディア騎士団騎士団長ビクトールが前に出る。一瞬チラリと彼女の横に立つユーリに視線を向けるが、以降は真っ直ぐに彼女だけを見た。

 

「イスラリアを維持するために叶う限りの事はしてきました。今のところ、迷宮の騒動を含めて、なんとか治安を維持できています」

「結局“彼女”を倒せなければ全ては木阿弥だ」

 

 イカザが続く。全員もそれに頷いた。

 帰還した彼女に彼らが確認したいのはただ一つの事実だ。

 

「勇者よ。邪神を討てますか」

 

 この状況下の根本的な解決だ。

 

「勇者らしく、出来れば勇気づけたかったんだけどね」

 

 全ての視線を集めながら、ディズは会議室の中心の椅子に座り、

 

「率直に感想を言うなら、敵になるとちょ~~~~~~~~~~~~~~厄介だねシズク」

 

 深々と、そしてうんざりとした溜息を吐き出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 隙の無い多方面の秀才。ただし前に出ず裏方に回る事を好む指揮官タイプ。

 

 恐らくウルを除いて、シズクがイスラリアで活動し始めてからの彼女を最も間近で観察してきたディズは、彼女のことをそう評価していた。

 

 魔術の才能は超一流、

 魔術を併用した身体能力のセンスも間違いなく一流、

 容姿に至っては1000人が見れば1000人が振り返るほどの眉目秀麗

 しかもその容姿で他人を動かし、操り、手の平のうえで転がす悪辣さまで持ち合わせる

 

 これだけの要素を揃えているにもかかわらず、彼女は冒険者として活動を開始してから殆ど、前に出ようとはしなかった。ウルの一歩後ろに下がって、彼の名声を高めることに努める一方、自身の評判を高める事についてはとことん無頓着だった。

 彼女ほどの才能と、能力と、容姿があれば如何様にでも名声を高めることは出来るだろう。しかし彼女は決してそうすることはなかった。

 勿論、必要以上の名声は重責とリスクを生む。それを嫌い意図的にコントロールする者もいる。前に出ることを望む者に責務を託し、そのものを背後からコントロールするフィクサー志願者。彼女もその類いなのだろうかと考えた。

 

 だが、結論からいえば、彼女の行動はウルを隠れ蓑に自身の正体を晒さないための偽装工作だったと言うことになる。

 

 で、あるならば、彼女の今日までの行動から下した「秀才タイプ」という評価は修正しなければならない、とはディズも理解していたつもりだった。が――――

 

「自重がなくなるとここまで無茶苦茶になる、か!」

 

 ディズは追いつめられていた。

 

 神の力の継承から何日かが経過した。

 

 星舟イスラリアの外の世界――――――魔界でのディズとシズクの戦いは続いている。幾らかの模索の果てにディズはようやく自分に与えられた七天の力に“少しだけ慣れて”きた。身の丈に合わない力とは理解しつつも、他の七天達とずっと戦ってきた経験が生きた。彼らの戦い方を彼女は知っていたから、その力を再現する事は出来た。

 

 が、彼女の方は「慣れる」どころではなかったらしい。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 赤と黒の魔界の空を駆ける彼女の背後に無数の真っ赤な灼熱が追いかけてくる。

 炎の魔術の類い、ではない。それは揺らぎ燃えさかりながら、自在に空を飛翔するディズを徹底的に追いかける。決して、逃がそうとはしなかった。獲物を見つけた獣のような執念で、ひたすらに追走しつづける。

 

「エンヴィーの眷族竜、か…!!」

 

 ディズは振り返り、天剣を振るう。

 ユーリが振るっていたソレと違い、彼女は力の使い方に慣れてはいない。一方で天魔の無尽の魔力を有した彼女に疲労という概念はなく、結果、生み出されるのは数十メートル超の無法の神剣だ。振るわれたそれは容赦なく嫉妬の炎すらも薙ぎ払う。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 が、問題は数が多い

 剣を振るって数十の嫉妬の竜を削ったところで、残る数十数百の炎が彼女に向かってくる。その数は並大抵のものではなかった。どころではない。

 

『AAAAAAAAA『AAAA『AA『AAAAAAAAA!!!!!』

 

 炎が、増えている。

 ディズが目視で確認できるだけでも明らかに炎の数が増殖している。

 

「シズク、嫉妬に色欲を混ぜたな…!?プラウディアの真似事か!」

 

 陽喰らいの合成竜の再現、あるいはそれ以上の無茶苦茶だ。危険物に危険物を直接ぶちこんで一つにしている。今の戦場は魔界で、つまり彼女の故郷だ。多少の安全に配慮した戦い方をするのではと見込んでいたが、そのつもりは一切ないらしい。

 いや、憤怒を使わないだけまだましか。ともあれ、

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「こんなのいちいち相手にしてられるかーにゃ!》」

 

 不意に彼女の右目が緋色に変貌する。同時に広げた手の平が緋色と金色の入り交じった光が満ちる。

 

「《【劣化創造・疑似精霊】》」

 

 ディズの声と、もう一人の声が重なり混じる。

 手の平から生まれるのはディズと同じような鎧を身に纏い、翼をのばした金色の兵士だった。1度に大量に出現したそれらは、ディズに代わり嫉妬の炎へと突撃していく。

 

『――――――――――――――――――――』

『AAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 竜と天使が交差する。炎が舞い上がり光が散る。その隙にディズは更に高く飛翔した。

 大量の嫉妬の竜はあくまでも末端だ。単なる尖兵にすぎない。遙か上空で此方を見下ろして戦いを見守る彼女を討つほかこの戦いは終わらない。

 

「ディズ様」

「やあ、シズク」

 

 大悪の竜を背負い、白銀の鎧を身に纏ったかつての友は、此方を見て笑っていた。ディズは星剣を握り、前へと構えた。

 

「【七天星剣】」

 

 星剣から展開した七つの天剣が太陽の紋章の如く形を取り、全てを寸断しながら彼女を引き裂かんと飛び立つ。

 

「【揺蕩い】」

 

 だが、その直前に七つの天剣は弾け飛び、

 

「【焼け狂い】」

 

 彼女の周囲で弾けた天剣が白炎に吞まれ

 

「【喰らえ】」

 

 それがそのまま真っ直ぐにこっちへと突っ込んできた。

 

「無茶苦茶だぁ!!!」

 

 抗議の悲鳴を上げながら、ディズは反撃の炎に吞まれぬよう逃げ惑うしか出来なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自重なき天才②

 

「まあ、戦いは終始こんな感じでね。なんとか頃合い見て撤退したんだけど……」

 

 ディズは思い出し、苦々しい表情になりながらうめき声をあげた。

 

「常に此方の攻撃を2手3手先読みされる。攻撃を仕掛けようとすると全部スカされる。逆に仕掛けてくるときは長時間防戦を強いられる上、苛烈……彼女、マルチな秀才じゃなくて万能の天才だったね」

「あなたも同等の力を持っているのでしょう」

「うん、問題は、私自身がこの力を上手く扱いきれていないところかな。」

 

 ディズが人差し指を出すと、その先に小さな光の剣が生まれる。絶対両断の神の剣、それが彼女の指に合わせるようにして伸びる。手の平を広げるとそこで踊るように舞い始め、そして彼女が手を振ると呆気なく砕けた。

 

「つまり良いようにやられっぱなしと。雑魚ですね。天剣返してください」

「真面目にそこは検討してるよ。やっぱ私、才能無いなあ……もうちょっと練習したいんだけど」

 

 ディズは普通のヒトだった。七天という席についていながらも、加護すらも与えられなかった普通のヒト。魔物達と戦い続け超人めいた力を手にしたが、魔力の満ちた方舟の世界においてはそれはヒトの延長でしかない。

 それがいきなり「神」だ。戸惑うのは当然だった。

 しかし、いつまでも戸惑い続けている場合ではない。同じ条件のシズクは既に使いこなしつつあるのだから――――

 

「凡才のあなたが今更足元バタついたところですっころぶのが見えています」

「正論が耳にいたい」

 

 ユーリの容赦の無い指摘にディズはぐんにゃりとうつ伏せになる。一応現人神のような存在であるディズに対してまるでユーリは容赦無いが、実際ユーリはやるべきことはやっていた。

 

 魔界でのディズの活動はユーリとスーアに頼るところが大きい。

 

 最初はもっと大勢で、魔界に拠点を作ることも検討されたが、殆ど魔力の存在しない魔界で多人数が出て、未知のトラブルや現地住民との争いが発生した場合の危険性を考えると少人数の方が望ましいという結論に至った。故に七天が直接フォローに回っている。

 おかげで本当に助かっている。彼女とスーアには頭が上がらない。

 

「しかし、太陽神様……太陽神の力をそんな風に分けられるのか?いや、スーア様に既に貸し出しているは知っていたが……」

 

 イカザの問いに、ディズは頷く。

 

「“加護の一部”を貸与、って形になるかな。元々、太陽神は人類が扱うことを大前提とした力だからね。出来るようになっている」

 

 【天賢】から得られた知識のいくつかを確認すると理解出来た。

 太陽神の力はイスラリアの安寧を維持するために生み出された力だ。だからこそ、ヒトからヒトへと力を譲渡するといった使い方も出来るようになっている。勿論、制約も存在するが、少なくとも、元七天の面々に渡すことは容易だろう。

 

「既に太陽神統合は完了してるから、以前とは比較にならないほどの力にはなっているはずだよ――――といっても、ユーリの場合は自力でその力は引き出していたみたいだけど」

「流石に自力でグリードの時のような力を引き出すのは頑張らないと無理ですよ」

「頑張ったらできるのがおかしいんだけどねえ」

 

 グリード戦の時、金色の天剣が“星天”のような輝きに満ちた力に変質していた。ディズはわずかにしかその様子を確認できなかったが、今ならわかる。

 アレはまさに太陽神統合時の出力だった。それを素で引き出してしまった彼女はやはりというか、どこかがおかしい。

 ともあれ、今彼女が味方だというのは純粋に助かる。今ならば、そんな彼女に、彼女自身に負担をかけることなくより強力な力を渡すことができるのだから。

 

「ただまあうん、上手く譲渡出来なかったら御免ね?」

「ぶちますよ」

「ぶつかあ……」

「……邪神、シズクとの交渉は出来たか?」

 

 更にイカザが問う。

 シズク、と言う名を使うとき、彼女はやや表情を硬くした。恐らく表情を変えぬようにと努めたのだろうとディズにもわかった。シズクは冒険者ギルドの所属であり、彼女はギルド長だ。責任も感じているだろう。

 だがそれをいえばディズとて、ずっと彼女のすぐ側にいながら彼女の正体に気付かなかったとんでもない間抜けである。責任なら此方の方が大きいだろう。気にする必要は無い、と声をかける代わりにディズは首を横に振る。

 

「やってみてだめだった。全然話を聞いてくれない」

 

 幾度かの交戦の際に彼女に呼びかけることはした。会話が成立したこともあった、が、彼女が敵対姿勢を解くことはなかった。

 

「【歩ム者】……ウル達はどうだ?」

「彼等ともあの戦いの後は連絡が取れていない。ウーガ事態の活動は確認出来ているから、既に戻ってはいると思うけれど」

《彼等はシズクの仲間だったのでしょう?彼女に与するつもりなのでは?》

「そういう動きは今のところ認められない。今は完全に中立だ。いろいろと動いているみたいではあるのだけれど」

 

 どのみち、ウーガはアルノルド王の命により完全な独立活動が認められている。その行動を咎めることはできない。とはいえ、もし万が一にでもウーガまでもが敵に回ってしまったら、手が回らなくなるのは目に見えている。中立として静観状態でいてくれるだけでもありがたいとしかいいようがなかった。

 

「ともあれ、【歩ム者】の方からの説得も難しい、と」

《それはそうでしょうね》

 

 ディズの報告にそんな感想を漏らしたのは、グラドルのシンラ、ラクレツィアだ。

 

《貴方の話を信じるなら、彼女は魔界の住民で、我々を殺すために生まれた兵器なのでしょう?》

 

 通信魔具の水晶越しに彼女の声はやや疲労が滲んでいた。当然だろう。ディズ含め、此所にいる者達はシズクが顕現してからこっち、殆ど休みなしだ。

 

《数百年廃棄物を垂れ流した邪悪な集団と交渉なんて、する余地も無いでしょう。彼らからすれば私達は怨敵です》

 

 その言葉には、誰もなにも言い返すことは出来なかった。

 魔界とイスラリアの関係性はこの場にいる全員が知っている。自分たちが魔物達をけしかけられた被害者ではなく、簒奪し、そしてその後も害を成した加害者でもあるという事実は全員が知っている。

 だからといって自分たちの責務をこの場にいる彼らが放り出す事は無い。白黒善悪で区分け出来るような話でもないことも皆分かっている。それでも、どうしても空気が重くなるのだけは避けられなかった。

 

「……ただ、彼女に関してはそういう感じでもないんだけどね」

 

 その空気の中、ディズは誰にも聞こえないくらい小さく囁いた。隣のユーリだけは彼女の言葉が聞こえていたようだったが、それを掘り下げることはしなかった。

 

《――――ディズ、いますか》

 

 その沈黙の最中だった。会議室の中央に設置されている巨大な水晶が輝き、中から声がした。水晶に映るのは白い子供の姿。

 

「スーア様」

 

 ディズは立ち上がり水晶越しにスーアによびかける。スーアは彼女を認めて頷き、そして要件を話し始めた。

 

《魔界が攻めてきました》

「魔界?シズクがもう動き出しましたか?」

《いいえ…………魔界の残存人類が》

 

 その場の全員が眉をひそめた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼我の差

 

 遙か昔、世界中から奇跡の流星、【星石】を奪った大悪党、イスラリア博士。

 その彼が創り出した【星舟】が、ソラにぽっかりと大穴を空けている世界が日常と代わり、そこから世界を汚す悍ましい【涙】を零し始めてから更に数百年。

 

 何処にでもあるが何処にもない。

 故に対処不可能だった根源が、その姿を現した。

 奇妙な力で海上を浮遊する謎の大陸、イスラリアが世界に出現したのだ。

 

 そのイスラリアへと、今日まで生き延びてきた人類は、持てる全ての戦力を結集した。

 それは全く後先を考えない全力投入だった。温存してきた全ての人員、兵器を結集させていた。余剰戦力も何もかも注ぎ込んだその全力っぷりは、あまり賢いやり方とは言い難い。

 だが理由もある。

 単純な話で、最早、人類はとっくに限界を迎えていたのだ。これ以上は耐えられない。そう思っていた矢先に、ずっと叩こうと思っても出来なかった敵の本拠地が姿を見せたのだ

 

 この好機を逃せば次は無い。

 

 そんな、思考が彼らを駆り立てた結果が、この全力投入だった。

 J地区の残存人類からの警告も飛んできたが、彼らはその全てを無視した。幾多の戦艦には、旧時代の大量殺戮兵器も積まれていた。その全てを使い果たし、あるいはその余波でJ地区の人類が滅ぼうともイスラリアを滅ぼす。彼らはその意気込みで結集していた。

 

《警告します》

 

 そのような流れで、即席の連合軍としての連絡網が完成し、いざ戦争の火蓋を切ろうとした矢先、空に浮かぶイスラリアから声が響いた。

 

《イスラリアに結集した全ての人類に告げます》

 

 少年とも少女ともつかない声だった。子供の声なのは間違いない。幼いその声は、どのような技術を用いているのか、結集した軍艦、軍用機、その全ての兵士達と指揮官達の耳に届いた。

 

《包囲を解き、自分たちの国へと戻りなさい。それ以上の接近は許可できません》

 

 連合軍が、その子供の声が此方に対する警告であると理解するのに、しばらくの時間が必要だった。それほどまでにその声には緊張感というモノが存在していなかった。

 

《こちらの要請が聞き届けられない場合、残念ですが皆様の乗ってきた乗り物を全て破壊しなければならなくなります》

「……なに言ってんだこのガキ?」

 

 汚染された海を戦艦で切り裂くようにして移動していた兵士の一人が眉をひそめる。

 奇妙な言い回しだった。

 此方を排除すると言うのならまだ分かる。侵入者の排除なんて当然の発想だ。しかしこの少年もしくは少女の言い方はソレとは少し違う。「乗り物を破壊しなければならない」などという言い方は、無駄に遠回りだ。

 素直にお前達を皆殺しにしなければならない。とでも言えば良いのに。あるいは本当に声の印象の通り、喋っているのは子供なのだろうか?

 

「ざっけんなよクソガキ。心配しなくたっててめえ等全員殺してやるよ」

 

 兵士の誰かが狂気めいた笑い声を揚げながら呟いた。

 この「イスラリア殲滅作戦」に集結した兵士達の中で、イスラリアの呪泥に被害を被っていない者は一人も居ない。世界の大半が汚染され、人類が獲得できる資源はごく僅かとなった。彼らにとって空に浮かぶ黒球は忌まわしく悪そのものなのだ。イスラリアから聞こえてきた声が例え子供だろうと拭われるような敵意ではない。

 

 情報統制が上手くいっているともいえる。

 

 かつて、イスラリアが世界中の魔力を回収することとなった契機、魔力と神、精霊を巡った世界中の血みどろの争いとその歴史の全ての原因はイスラリアになすり付けられた。この時代の人類はその歴史を信じ学んできた。実体を知る者はいない。

 もっとも、かつての歴史を知ろうとも、現在イスラリアが事実として世界の敵なのは変わりないのだが。

 

《残念です》

 

 子供の声が、そう告げた。

 

「総員警戒!なにをしてくるか――――」

 

 と、ある軍艦の艦長は警告を告げようとした。

 

 告げようと、した。全てを言い切る前に彼はその異変に気がついた。

 艦橋から見える光景がゆっくりと”斜めに”傾いている事に。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《スーア様、私も戻り応援に向かった方がよろしいですか?》

「必要ないかと。ただ、この機に応じてシズクが動く可能性もあるので連絡です」

《なるほど……では、問題ないと》

「ええ。ただ」

《ただ?》

「彼らは兎も角、高そうな乗り物を壊さずに運ぶのは難しそうです」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「う、うお、うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???」

 

 日々を接触禁忌生物との戦いにあけくれ、様々な脅威に立ち向かってきた兵士達は絶叫をあげた。恐ろしい猛獣が出現しただとか、大量の兵士が出現しただとか、あるいは見たこともないような兵器が出現しただとか、そういった脅威であれば彼らはまだ平静を保つことは出来ただろう。

 だが、自分たちが乗ってきた軍艦が全て空に浮かび上がり、兵士達の身体が何か見えない力で操られ、浮遊し出すという事態には流石に対処できない。

 彼らは全くの無抵抗だった。なにが起きたのかも、この現象に対してどうして良いのかも分からなかった。彼らにとって魔力という万能物質は過去の歴史に存在するだけの代物で在り、「奪われた資源」以上の情報が無かった。

 

 長い年月は彼らの憎悪を育てたが、警戒を鈍らせた。

 憎悪は伝えやすく、恐怖は伝え難い。

 

 尤も恐怖が伝わったところで、彼らに出来ることはなにもないだろう。現代技術の結集であり、あらゆる兵器を詰め込んだ軍艦、軍用機、その他全ての制御を一瞬にして奪い去り、その中に乗り込んでいた全ての兵士達を一カ所にまとめて空に釣り上げる不可視の兵器に対処するだけの技術は世界に存在していない。

 

《申し訳ありません。兵士の皆様は兎も角、皆様の移動要塞についてはどう危険であるのか此方には知識がありません》

 

 再び子供の声が響き出す。が、今度は兵士達も指揮官達も、ロクにその声を聞くことはできなかった。彼らは今、全力で悲鳴を上げるのに精一杯だ。自分たちの身体が遙か高くに舞い上がり、自分たちと同じような様々な国の兵士達が一緒に空に浮かび上がって宙ぶらりんになっている地獄絵図を前に絶叫することしか出来ない。

 

《ので》

 

 指揮官の一人は見た。

 自分たちの乗ってきた軍艦と、空からおちてきた軍用機達が自分たちとは遠く離れた場所で一カ所にまとめられていく光景を。巨大な手の平がここら辺に転がる全ての兵器をかき集めて、一カ所にまとめて握っていくかのような異様な光景だった。

 途中、幾つかの爆発が起こった、筈だが、何故かその規模は驚くほど小さく、小規模だ。考えうる限りの最強の殺戮兵器も積み込まれているはずなのに、その爆発規模は圧縮された兵器達と一緒に、どんどん小さく固まっていく。

 丁度この辺りの郷土料理にライスボールというのがあったな。なんてことを彼女は思い出していた。

 

《このようにさせていただきました。皆様は、申し訳ありませんが自力での帰国をお願いします。陸地へは、運ぶようにいたしますので》

 

 最早それが元はなんだったのかも分からなくなった塊は、そっとやさしく、海に放り捨てられた。それをしでかした子供の声は、本当にどこか申し訳なさそうだった。

 

「……ははは……………」

 

 どこからともなく、乾いた笑い声が聞こえた。憎悪も毒気もなにもかも抜かれたような間抜けな笑い声だった。しかし今の自分たちの心情をこれほどまでに表現した者は無かった。

 

「どうしようもねえよ……」

 

 世界の救済 

 人類を苦しめてきた邪悪の根源の破壊

 世界の命運、自分たちの運命、その全てを賭けて挑んだ戦いが、子供のおもちゃ箱のお片付けのような気軽さであしらわれたとき、彼らの兵士としての尊厳は全て粉みじんに粉砕されたのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 Jー04 “新”中枢ドーム研究区画にて

 

「……ですから、申し上げましたでしょう」

 

 新谷博士は、モニター越しに現在人類で生存している全てのドームに向けての連絡を行っていた。モニターに映る各地の代表者達は、つい先程届いた対イスラリア連合軍の悲惨な壊滅状況を呆然と、あるいは頭痛を抑えるような痛ましい表情で見つめていた。

 新谷は淡々と、彼らに告げた。

 

「全てを彼女に託す以外手段はないと」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼我の差②

 

《正気で言ってるのかね……?》

 

 区分けされたモニターの一人の初老の男が疲労の滲んだ声で尋ねてくる。同時にモニターに映る他の男女複数の者達の表情も似たり寄ったりだ。

 現在人類社会で生き残った全ての人類の代表者達が、新谷の言葉に困惑し、頭を抱えている状態である。新谷も勿論彼らの心中は理解できる。彼らが今直面している問題と、それに対する解決策はあまりにも常軌を逸している。

 

《怪物達を対処するためにむごたらしい人体実験を施した生物兵器の少女をぶつけると?》

《まともじゃあないぞ、そんなことは!》

「全くですね。しかし現行人類の兵器はご覧の通り、鉄くずになり海に沈みました」

 

 見せつけるように、先程イスラリアの戦力によってが彼らの総力を全て鉄くずに変えた映像を流すと、悲痛な表情で沈黙した。ショッキングな情報だったのだろう。

 これまた仕方の無いことである。彼らは新谷達のように、非常に断片的であろうとイスラリアの情報を獲得することも出来ていなかった。そしてそれは彼らの怠慢というわけでもない。たまたま自分たちのいた研究区画が、かつての研究機関イスラリアの存在した地区で在り、彼らの知識と技術と機材を確保できたと言うだけの話である。

 ただ偶然与えられた幸運で彼らを見下す気には新谷もなれなかった。

 

《……我々を諦めさせるために、素通りさせたのか》

「正しく警告はしましたよ。全ては無駄になると」

 

 そう、伝えるべきは伝えたのだ。その上で彼らは此方に兵器を寄越しイスラリアを壊滅させようとしたのは事実である。詭弁ではあるが、それ以上の文句は言われる謂われも無かった。

 

「保護された兵士の皆様はこちらで保護してそちらに送迎するのでご安心を。後は精々、酒でも飲みながら彼女を見守っていてください」

 

 新谷は引きつった笑みをモニター越しの首脳陣達に向ける。髪をまとめた老女の一人がその引きつった自分の顔と、赤らんだ頬を見て、溜息を吐き出した

 

《貴方たちのように?》

「我々のように。兎に角強いものをオススメしますよ。なにも考えなくて済む」

 

 それから暫く、兵士達の移送の手続きの話をして、通信は途絶えた。最後に見た首脳陣達の顔は一様に重苦しい。同情する気にもなるが、しかし彼らの憂いを取り払う手段は勿論新谷にも存在していなかった。

 

「分かってくれたでしょうか?」

 

 そう問うのは鏑木だった。かつて中枢ドームの最深層への転属を浮かれた眼で望んでいた彼であるが、今はその快活さはすっかりとなりを潜めてしまった。その目は新谷同様に濁り、纏う空気は疲労と徒労で淀んでいた。

 

「別の作戦は考え、無駄なあがきを繰り返すだろう」

 

 だが自分よりはまだましだろう。そう思いながら新谷は答える。鏑木は口を引きつらせて笑った。

 

「我々のように?」

「我々のように」

 

 Jー00ドームの崩壊に伴って、彼らは近くのJ-04に活動拠点を移した。そこでも彼らは持ち出した機材や資料を用いて今までと同じような研究に明け暮れている。その大半が無駄であり、間に合いもしないと分かっていながらもそれを繰り返す。

 自分たちで出来ることはもう何も無い

 そんなどうしようもない現実から目を逸らすための作業だと知りながらも、そうする手を止めることは出来なかった。それを認めてしまえば、自分たちが崩壊すると彼らは知っていた。

 

「自分たちがただの案山子だと認めるのは難しいですね」

「案山子であると認めようが認めまいが、なにも変わらないがね」

 

 新谷はそれだけ言うと、通信施設から外に出る。待っていたと言わんばかりに助手の一人が此方に向かってきた。

 

「新谷博士。森谷大臣から連絡が」

「作戦の進行状況の報告云々だろ?キャンセルしてくれ」

「良いのですか?」

「ああ。良いよ」

 

 付け加えるならば、どうでも良い、だった。

 

 延命処理をしたJ-04地区の最長老。恐らく彼が望むのは雫に対する交渉だろう。自分達のコントロールから完全に外れてしまっている雫をどうするべきなのか悩んでいるのだ。

 勿論彼の懸念も分かるが、結論から言ってこれは全くどうにもならない。彼女にかけられた幾つものセーフティは全てが解かれてしまっているのをモニターで確認している。

 此方に残されていた”星剣”にも同様のセーフティは仕掛けていたが、彼女がソレと融合した瞬間全てが解きほぐされた。無駄な抵抗だった。

 彼女は自由だ。誰を嫌い、誰を呪うかも彼女の選択である。それをコントロールする事など出来はしない。

 

「イスラリア人のように祈ったところで、我々に放られた賽の目を動かす力も無い。あの白銀の女神の慈悲が此方に向くのをただ待つだけだ」

 

 もっとも、と新谷は笑った。ぐしゃぐしゃに歪み、引きつりきった笑みだった。

 

「私が彼女なら、絶対に慈悲など与えないがね」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市プラウディア、真なるバベル

 

「対処できました。すべての魔界の住民の避難も完了しました」

 

 転移の間から、スーア・シンラ・プロミネンスは帰還した。

 

「ありがとうございます。スーア様。代わりに私の疑似精霊をシズクの監視に回しますので、暫しお休みを」

 

 ディズの言葉にスーアはこくりと頷く。現在、シズクへの警戒はこのように、ディズとスーアの交代制で行われており、故に休めるタイミングで休ませたいというのがこの場にいる全員の総意だった。

 

《スーア様。一つお尋ねしても?》

 

 だがそうと分かっていても、現在のイスラリアの王に対して投げなければならない疑問や、確認しなければならないこともまた、多くあった。

 

「どうぞ」

 

 スーアに促された現在のエンヴィーの代表者、エンヴィーの神殿のトップのサンスラ・シンラ・コーロミアだった。煤けた茶色髪の小人の男であり、彼はすこし躊躇うように自身の髭に触れ、そして口を開いた。

 

《何故彼らを殺さずに生かしたのです?》

 

 場の空気は緊張を巻き起こした。その問い、疑問はこの場にいる全員、考えていたことだったからだ。先程のスーアの戦い方、魔界の様子は通信魔具の水晶で全てを見ていた。スーアが丁寧に魔界の兵士達を、金属の移動要塞から引きずり下ろして、優しく陸地に運んでやっていたところも彼らは見た。

 敵である彼らを、だ。

 

《無論、スーア様の判断に異議を申し立てているわけではないのです。ただ、確認しておきたいのです。魔界に住まう住民達は我々の敵ですね?》

「そうなりますね」

 

 スーアは頷く。そこに躊躇いや後ろめたさはなかった。元よりスーアの容姿はヒトのソレとは隔絶した妖精のような姿であり、故にその内心を推し量るのも難しい。

 だが、イスラリアという大陸が、世界が邪神の侵攻という滅亡の危機に瀕して尚、その恐れ多さから真意を問いただすことが出来なかった、なんて事態はあまりにも本末転倒だ。サンスラは短く息を吐き出すと、腹をくくったようにして質問をぶつけた。

 

《例えばですが、現在生き残ってる魔界の住民全てを殲滅すれば、邪神の戦う理由を損なうことにはなりませんか?》

 

 それは正しい問いかけであり、同時に恐ろしい提案でもあった。

 脅威である敵の戦意を削ぐために、脅威とならない相手を殺すという提案なのだから。

 

《魔界の住民達なら、我々でも対処可能なのでしょう?》

 

 先程スーアがやったような奇跡は起こせないが、似たようなことは出来る実力者はイスラリアには大勢居る。彼らの多くは現在イスラリアで発生している魔物達の対処に追われていて、その全てを動員することは出来ないが、まだ余力はある。

 魔界の住民達が、1度も魔物退治をしたことが無い都市民達のようにか弱い存在であるのなら、その余剰の戦力を用いれば容易に殲滅することが可能だろう。

 例えそれが、無抵抗の相手に対する虐殺であろうとも、これが人類同士の生き残りをかけた戦争に等しいのであれば、その選択としては正しい。

 

 その選択をとらない理由を問うた。

 

 袂を分かったとはいえ、同じ形をした人類の虐殺の是非を、幼い子供に問いかける罪悪感をサンスラは拭いきれなかったが、それでもこれは確認しなければならなかった。

 もしもスーアが、その選択をただただ罪悪感を理由に回避してるのなら、場合によっては此方で独断で行う選択も出てくるのだから――――

 

「問題は二つありますね」

 

 だが、サンスラの懸念をよそに、スーアの表情は平静そのものだった。スーアは指を二つ立てて、その内片方を折る。

 

「一つは、シズクは例え魔界の住民が一人も残らず死亡したとしても戦うのは止め無いであろうと言うこと」

「――――そうだね」

 

 その言葉に同意したのは、誰であろう最もこの中で邪神となった少女のことを知り、そして邪神になった後の彼女と戦い続けていたディズだった。

 

「恐らく、もう魔界の救済とか、そういう大義の問題では無いと思う。彼女はもっとぐしゃぐしゃに歪んでいる。魔界が完全に滅んでも、イスラリアへの矛先を変えることは無い」

 

 それを誰であろうディズに断言されてしまえば、この場で彼女に反論できる者は居なかった。実際、イスラリアという大陸すらも一飲みしてしまいそうなほどのあの怪物が、話し合いや動機の喪失で立ち止まるとは到底思えないのもまた事実だった。

 魔界の人類を滅ぼしたとて、恨みを更に募らせて此方を殺しに掛かるといわれたほうがまだしっくりとくる。

 

 全員が沈黙したのを見て、スーアは二つ目の指を折る。

 

「二つ目は、アルノルド王の方針にそぐわないと言うこと」

 

 アルノルド王。その言葉に小さくざわめきが起こった。スーアはそのざわめきが収まるのを待ってから、言葉を続けた。

 

「王の目的は、1000年前に失敗したイスラリアの完全な世界からの転移です」

 

 かつて、イスラリアが世界から離脱したとき、本来であればイスラリアという大陸は世界から完全に“離脱”する予定だった。時空転移を併用した移動によって、一切の痕跡を残さないはずだったのだ。

 だが、失敗した。失敗した結果が魔界の空から見える黒球であり、そこから漏れ出した“涙”だ。

 それを今度こそ完遂するのが、アルノルド王の計画だった。

 

「悪感情は、我々では止められない、【方舟】の根幹機能です。例えゼウラディアの権能が復活しても停止は出来ない。だからこその完全な離脱が目的でした」

「……可能なのですか?」

「数百年の研究の末に。ですが、いざ転移を行おうとしたタイミングで新たな問題が生まれました」

「問題?」

「【迷宮】―――【月神シズルナリカ】の断片である【竜】と【星剣】をつなぐ【魔力回路】が、イスラリアを縛り付け、転移を阻害したのです」

 

 迷宮が、いうなれば、【世界】と【方舟】を結ぶ楔となってしまっていたのだ。イスラリアの影響を無くしたい世界と、世界から完全に脱出したいイスラリア、双方の意見が一致しているにもかかわらず、互いに足を引っ張り合った現状が今の世界の形なのだ。なんとも皮肉な話だった。

 

「ですから、【月神】の星剣を砕き、迷宮を断つ。それが前回の魔界侵攻の目的でした……ですが」

「逆にそれを邪神に利用されてしまったと……」

 

 してやられた、という事ではある。とはいえ、邪神の断片の回収は、星剣との繋がりを辿るための必要な処置だった。イスラリアで膨大な魔力を抱えた状態で、【方舟】から世界に転移しようとすると、回路があまりにも細く、狭すぎて、実質的に不可能だったのだ。

 選択肢はなかった。この点をいちいち後悔しても仕方が無い。

 

《ですが、今は楔が消えたのですね?でしたら、今すぐにでも転移が可能……?》

「ええ。ですが【月神】の所業によって方舟と世界は、転移条件が大幅に変わりました。それを修正するのに数年はかかるでしょう」

《それを……邪神に待ってもらうというのは?》

「世界の境目が消え去り、“凝固した悪感情”の排出量が増大しました。グレーレの推測では、転移を長々とまっている間に魔界の被害が拡大し続ける」

《……絶滅戦争の火蓋は切って落とされ、取り返しがつかないと》

 

 救いようがない事実である。場は重苦しい空気に包まれた。少なくとも魔界の救世を願うなら、シズクとしては方舟を砕いた方が遙かに話が早いのだ。

 

「そうならないためにも、勿論転移準備は急いでおります。ですが、最初から全てを切り捨てるのは、出来れば避けたいのです」

《……分かりました。我々とて先王の意思を踏みにじりたくはありません。不要な虐殺など、やりたくはありませんから。まして貴方にさせるなど》

 

 そういって、サンスラは引き下がり、皆はほっと息をついた。

 そう、誰だって無意味に残酷になりたくはない。そして今の質問は残酷に意味がないと再確認する為にも重要だった。

 

「スーア様、そろそろ」

 

 そうして一息ついた後、従者の一人がスーアにそっと声をかける。スーアは立ちあがる。会議室にいる全員、スーアの退室を察して立ちあがったが、スーアは片手でそれを押さえた。そのまま会議は続けるように、というように。

 

「どうか引き続きの協力をよろしくお願いします。それでは」

 

 それだけいって、スーアは会議室を後にした。その後ろ姿を見送り、沈黙を続けていた臣下達は、扉が閉まりきったその後、小さく囁く

 

「……王の容態が?」

「……恐らく、もう」

 

 その囁き声を聞きながら、ディズは目を閉じる。

 勇者ディズに【天賢】の加護を返してしばしの後、アルノルド王は倒れた。長きにわたる陽喰らいの猛攻を一人で支え、その命を支えていた神の加護を失ったことで、その命の限界がやって来たのだ。

 

「そうか」

 

 【天賢】の加護の返却を申し出るも、アルノルドはどのみち限界であるとそれを拒否。

 王としての権能の全てをスーア及び各都市の神殿に引き継ぎを行い、彼は今ベッドで横になり眠り続けている。

 

 長き勤めを、彼は終えようとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の軌跡 

 

 

 自身の存在理由、守るべき場所、イスラリアという世界

 

 アルノルド・シンラ・プロミネンスはイスラリアを美しいと思った。

 

 透き通るように青い空と白い雲、無限に続くような平原と草華。空を突くような山脈に地の底まで続くような断崖絶壁、そこに住まう不可思議な生き物たち。都市の中、限られた場所に住まうヒト達。限られた資源、限られた知識で創意工夫をこらす都市民達。精霊達と交わり、様々な奇跡で皆を助ける神官達。都市の外、見知らぬ土地や場所で様々な発見をする名無し達。

 

 全てが素晴らしく思えた。

 

 勿論、汚い側面もある。見たくない部分も存在する。神官達の間では不正が起こり、一部では精霊の力を独占しようとしている。都市民達の空気は淀み、陰湿な社会が形成されている。名無し達は生きるのにも一苦労で、多くのものが都市の外で命を落としている。美しい外の世界には魔物達が蔓延り、様々な危険が巻き起こっている。

 

 でも、それでもアルノルドはこの世界が好きだった。

 

 その想いに嘘をつくことはできなかった。いつも自分についてくれた手伝いの子供に、自分の想いを何度も語ったことがある。密やかにバベルの外で購入した冒険者達の冒険譚などを読みふけり、その事を自分の従者の子供に読み聞かせて。

 

 今思えば、自分の言いたいことを一方的にまくしたててばかりで、まともな会話でもなんでもなかった。自分がとんでもない身分の者で無ければ、従者の子も最後まで話なんて聞いてはくれなかった事だろう。それを思い出す度、アルノルドは公務の最中だろうと頭を掻きむしりたい衝動に駆られるのは墓まで持っていく秘密の一つだった。

 

 そのような具合に、彼はイスラリアという大地を好いていた。王の立場がなければ、きっと無謀にも冒険者になって世界を巡っていただろう。そんな好奇心旺盛などこにでもいる子供だった。

 

 その夢を捨てることになったのは、先代の王が倒れ、【天賢】を受け継いだ時だった。

 

 天賢を受け継いだアルノルドは知りたいこと、知りたくなかったことを全て知ることになった。何時か自らの足で探りたいと思っていた世界の秘密が、情け容赦なく彼の脳髄を満たした。

 天賢の加護は、血みどろの簒奪戦が始まっていた世界から魔力と神を奪うことでその争いを収めようとしたイスラリア博士の知識を獲得することとイコールだったからだ。

 

 彼は絶望した。

 世界は欺瞞に満ちていた。

 空も大地もその果ても、全ては“世界”の再現であって本当ではなかった。

 この世界を維持するための淀みは今も本当の世界を汚し続けている。

 絶望して、悲嘆し、怒り、従者の子供にそれを訴えて泣きふせった。

 

 彼は世界に絶望し、泣いた。

 

「顔を上げなさい。王よ」

 

 その彼に、若き日の従者ファリーナは初めて力強い叱責を浴びせた。

 

「貴方は絶望するほど弱くない、悲嘆にくれるほど不幸ではない。」

 

 彼がどれほど自分の好きを押しつけたとしても、嬉しそうに微笑んでいた彼女がこれほどまでに怒りの表情を見せるのを彼は初めて見た。だが、同時に力の入らなかった身体に力が満ちていくのを感じた。

 彼女の怒気が、エネルギーが、自分の中で満ちていくのを感じた。

 

「世界に欺瞞が満ちているなら、貴方が本物にするのです。貴方はきっと、それができるヒトです」

 

 世界救済の計画の原点があるとしたら、それは間違いなくこの時だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「スーア、ファリーナ」

「アルノルド」

「父上」

「夢を見ていた」

「ええ」

「はい」

「昔の夢だ」

「懐かしかったですか?」

「……思い出すだけで、とてもこそばゆくなる思い出もあった」

「そういうこともあるかもしれません」

「そうか」

「懸命に生きていれば、そういうこともあるものです」

「ファリーナは物知りだ」

「貴方ほどではありませんよ。アルノルド」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「まさか、修行僧に混じろうとするとは!前代未聞でありますぞ!?」

 

 天拳のグロンゾンと出会ったのは、特殊な天陽騎士育成の修行場だった。

 アーパス山脈の奥地に存在するその場所では、天拳を引き継ぐためのたった一人を生み出すための修行場で在り、最も果敢にして王に忠実なる戦士を生み出すための育成機関でもあった。

 

「天拳候補生の中でもとびきりの麒麟児と聞いてきたので、直接見てみたかったのだ」

 

 アルノルドが会話するその男こそが、麒麟児のグロンゾンだった。精悍なる体躯を晒した大男。豪傑、という言葉がこれほどまでにしっくりとくる者は居ないと思えるような拳士だった。

 修行者同士、殺し合う寸前まで争いを続け、誰が真に天拳を継ぐに相応しいかを比べるこの名も無き修行場にて、彼は既に彼以外の全ての修行者達から「次代天拳」と認められていた。それほどまでに彼の実力は隔絶して強く、そして慕われるほどに快活だった。

 天拳となった彼に仕えて、共に戦ってもいいと、全ての修行者達が認めたのだ。

 

 アルノルドはその彼の実力を確認したかった。故に単身で侵入したのだ。

 

「ほう!それでどうでしたかな!?」

「痛かった」

 

 結果、彼の頭部には巨大なたんこぶができた。

 

「打ち合いが始まる前にすっころばれましたからな!!」

「拳法は難しいな」

「それ以前の問題でしたな!!!」

 

 あまりにも不格好から繰り出されたへなちょこの転倒によって一瞬で正体が明かされてしまったアルノルドは沈黙した。結果として彼と直接的に対面できたのだから良しとすることにしたが、絶対にファリーナにこのことは言えなかった。

 彼も恥を覚えることくらいはある。

 

「まずは拳法よりも身体の動かし方を覚えるべきですな!ランニングとか!!」

「走ると転ぶのだ」

「おお……」

「王にドン引きしているな?」

「滅相も!ありますな!!思ったよりも我等が主は貧弱だ!」

 

 グロンゾンはガハハと笑った。あるいは不敬な態度と言えるかも知れないが、しかしそこに悪意は皆無だった。晴れやかな心地よさすら感じた。そう言った彼の生まれ持っての快活さが、他の修行者の皆にも伝わったからこそ、認められたのだろうかとアルノルドは理解した。

 

「そんな貧弱な私が主で良いのか?」

 

 改めて問うと、グロンゾンはニッカリと微笑み、アルノルドの前で跪いた。

 

「わざわざこんな場所まで直接足を運んだ王は、貴方以外にはいませぬよ」

 

 それはそうだろう。

 この修行場はどう考えても、王の来訪を予期した場所には建てられていない。王にとって配下とは向こうから頭を垂れるためにやってくるものであって、自分から赴く相手ではない。そう言う意味ではアルノルドのこの行動はハッキリ言って王として優れたる長所とは言い難い。

 だが、それでも、だ。

 

「直接、目をかけて貰えるというのは嬉しいものですな!」

 

 期待され、望まれる。それが相手に伝わるのは決して悪いことではなかった。

 

「どうかご照覧あれ我等が王よ。この拳、太陽まで届かせて見せましょう!」

 

 力強く突き上げられた拳が太陽の光で照らされる。天拳の証しである黄金の籠手が輝いて見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「グロンゾンには色々と、世話になった」

「巨神での戦い方は、彼が教えてくれましたものね。転ばない走り方も」

「戦いでは、あまり走る機会はなかったが」

「式典で転びそうになることは減りましたよ」

「……ばれていたのか」

「1度面倒になって太陽祭中ずっとちょっと浮いていたでしょう」

「スーアもファリーナも私をよく見ているな」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「何故俺の正体を知りながら殺さない」

 

 天衣のジースター。あるいは星野仁。

 魔界からの侵入工作員である彼と遭遇できたのは当時の天祈による複数の精霊の力を併用して行った“予知”と幾つかの幸運が重なった結果だった。

 地下迷宮の中で小鬼に殺され掛かっていた彼を助け出し、外に連れ出された彼は、アルノルドに対して疑わしい視線を隠そうとはしなかった。それは、既に何時どのような形で殺されても仕方が無いからこその開き直りだったのかも知れない。

 

「魔界の情報が知りたいのだ。それも現在の情勢を」

「寝返れと?」

「完全に裏切れとは言わない。だが、此方にも協力して欲しい。情報が必要だ」

 

 魔界の情報はそれなりにある。今日までの間に、歴代の王たちが向こう側の情報を獲得しようと試みたことは何度もある。邪教徒たちの尋問などを行い、本当にあらゆる手段で情報を集めていた。

 が、しかし直近でこうして来たばかりの魔界の住民から、しかも落ち着いて話を聞ける機会は稀だ。この好機を逃すわけにはいかなかった。

 

「情報の対価に望む報酬を与えよう。恐らく、お前のいた世界よりも物資は多様だ」

 

 アルノルドは問う。

 天祈の予知は断片的だった。「交渉の余地在り」と、その程度の情報しか与えられていない。だから後は自分でなんとかするしかないのだが、精々威厳たっぷりに見せるので精一杯だ。内心では魔界の彼がそっぽを向かないか心配だった。

 

「………………薬はあるか?」

 

 幸いなことに、星野仁は背中を向けることはなかった。たっぷりと考えた後に、彼が口にしたその言葉に、今度は逆にアルノルドは首を傾げる。

 

「あるが」

 

 勿論ある。

 イスラリアでは都市内で病にかかることは殆ど無い。癒者と精霊の力によって病の危険性をいち早く排除し、未然に防ぐことが出来るからだ。それでも魔物との戦闘での怪我や、あるいは呪物の類いによる身体の損傷を癒やすための者は多く存在している。

 しかし、現在の魔界は薬を作り出せないほど厳しい状況と言うことなのだろうか?と思っていると星野仁は続きを話し始めた。

 

「臓腑が一部腐り、意識も戻らず眠り続けている者を蘇らせるような薬は」

 

 少し話が変わってきた。

 

「………誰に飲ませるのだ?」

「娘だ。嫁の連れ子だ」

「複雑だな」

 

 複雑だった。普通の男女の交際関係とは全く隔絶した社会に生まれたアルノルドには彼の心中は上手く察してやることは出来なかった。

 

「正確には元嫁の連れ子だ。此処に来る前に別れた」

「凄い複雑だ」

 

 無論、現在一方通行のイスラリアへの転移を試みる者達の事情は複雑なことが多い。あるいは精神を病む者も居る。帰って来れない場所へと行くのだ。移動する前に関係を清算する。と言うことはあるかもしれない。アルノルドはついていこうとした。

 

「元嫁は従姉妹だ。血はつながっていないが」

「すまないちょっと待ってくれ」

 

 脳の裏側に星空が浮かびはじめた。アルノルドは理解を諦めた。市井の知識も経験も浅い自分には彼の事情を完全に理解するのは難しいようだ。

 

「全てを癒やす薬は存在する。だが、個数は完全に制限されている。報酬として渡すには数年単位だ。イスラリアで高い地位を築いてもらう必要もある」

 

 話を戻した。

 万能の神薬(エリクサー)は存在する。だが、これはアルノルドの立場をもってしても容易には渡すことが出来ない代物だ。全ての傷と病を癒やし、老いすらも消し去るとされる最強の秘薬。その力故に、1度イスラリアではこの薬を巡った大きな騒乱が発生したことまであったから。

 その個数は完全に管理されている。安易には持ち出せない。今はまだイスラリアでの戸籍すら持たない仁にそれを渡すなどもってのほかだ。身分も、実績も必要になる。報酬として渡すにしてもどれほど時間がかかるかも分からない代物だ。

 

「それをもらえるなら、どのような努力も惜しまない」

 

 だが、仁は頷いた。

 

「良いのか。帰って、その薬を娘にやれるかもわからないのだぞ」

「構わない。どのみち帰還の目処も怪しい。間に合わなくとも当然、間に合えば幸運だった。それだけだ」

「子供のためか……」

 

 アルノルドが小さく漏らすと、彼は少し興味深そうに此方を見た。

 

「貴方にも子供がいるのか?」

「もうすぐ、創られる」

「創られる?」

「王は、自然分娩で産まれない。天賢の力を預かれるだけの力を得られるように、デザインされて産まれてくる」

「ああ、なるほどな」

「つまり、我々はパパ友だ」

「…………」

「……………………違ったか?」

 

 ちょっと違ったらしい。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ジースターにも無茶を色々と言った」

「私が知る限りでも、彼はよく、応えてくれましたね」

「敵でありながら、よく仕えてくれた」

「はい」

「魔界の事もよく知ることが出来た」

「ええ」

「魔界に住まう人々が、やはりただの敵と言うわけではないと言うことも、知れた」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の軌跡②

 

「王、よ」

 

 天剣のユーリとまともに言葉を交わすこととなったのは彼女に天剣の加護を与えるその日のことだった。その当時は邪教徒達、魔界の工作員達との抗争が激しく、天剣候補者である彼女と接触する機会は少なかった。

 

 史上最も剣才に溢れる少女と噂される彼女の実力を見てみたかった。

 

 そしてその願いはその日のうちに叶った。

 

「無事だったか」

 

 邪教徒達の一部が、彼女への天剣授与式を強襲した。

 その意図は不明だ。そもそも邪教徒達の歴史も長い、彼等の多くは分裂し、細分化している。場合によっては無意味な破壊工作に終始している者達もいる。一見しただけではその目的を見定めるのは困難だ。

 そして、当人達からそれを聞き出すことも出来なかった。

 

「申し訳、ありません」

 

 天剣を授かったユーリが、その全てを返り討ちにしたからだ。

 

 式典には既に誰もいない。王が全員を避難させたからだ。そしてそれは決して、邪教徒達の脅威から守るためではない。誰であろう、暴走したユーリの天剣の脅威から彼らを守るためである。

 至る所が切り刻まれ、柱が両断し、砕かれる。巨大な謁見の間があまりにも無残な有様になっていた。当然、護りの加護が幾重にも敷かれていたにもかかわらずこの惨事である。

 その全てがユーリ一人の所業によるものだった。

 

「私の、所為で」

 

 どうしてこうなったか。彼女は自分の才能を見誤ったのだ。

 咄嗟に、与えられた力でアルノルドを守ろうとした瞬間、その力をあまりにも自在に引き出すことが出来過ぎた。自分でも想像以上の力が、敵を情け容赦なく惨殺した。

 力を使い果たした彼女は血の海に横たわり、それを王が抱き留める。邪教徒達の血で穢れた王を見て、ユーリは顔を伏せ、震えた。

 ぶっきらぼうな所もあるが、優しい少女だと先代の天剣から聞いていた。真面目で責任感もあると。そしてそれ故にこそ、このような惨事を自らが起こした事実には耐えられないのだろう。

 

「構わない。むしろ、よくぞ天剣の力をここまで引き出すことが出来た」

 

 これは本心の言葉だった。 

 【天剣】

 太陽神の中でも魔力構造の破壊という一点にのみ絞られた機能。故にこそ制限は多く、どれほどの精霊との親和性の高い剣士であっても、両断する力を剣に宿すくらいしかできなかった。

 所有者の意思に応じて自在に変化する両断の力など、恐らく歴史を顧みても彼女以外に引き出せた者は居ない。

 

 ――あの者は間違いなく、大罪の竜達にも迫るほどの傑物となるでしょう

 

 先代勇者、ザインからの言葉が間違いでは無いことをアルノルドは確信した。彼女の力があれば、計画の通り、全ての大罪竜を打ち倒し、魔界への侵攻を果たすことが叶うかも知れないのだから――

 

「自らの所業を悔いるなら、これからの私にその力を貸して欲しい」

「これから」

「その力が必要となる時は必ず来る。だから――――」

 

 私のために使え。

 そんな風に言おうとして、ピタリとアルノルドは言葉を止めた。それは卑怯な言い方だった。彼女の力の暴発はただの事故に過ぎない。まして邪教徒達が此処に侵入してくるまでの事態が起きたその時、咄嗟にその悪意から自分たちを守ってくれた彼女に対する行いでは断じてない。

 

 彼女が天剣を振るう姿は、あまりにも美しかった。

 

 星天の鳥が羽ばたくように、美しく舞い、飛んでいた。正気ではないはずなのに、その所作の一つ一つが洗煉されていた。一瞬の淀みも無ければ、穢れもない殺戮の舞い。彼女自身の、一本線の通った気質が体現されていた。

 絶世の華を、自分の為だけに手折る真似をする事は出来なかった。既に幾度の”陽喰らい”を経て、命を削り続けた自分のために、浪費するなど。

 故に、

 

「その力で、善き者を護り続けよ」

「――――必ず、そのようにいたします」

 

 王が告げたその命令を、ユーリは護ることとなる。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ユーリは、美しかったな。剣も、彼女自身の在り方も、好ましかった」

「アルノルドは、彼女の剣を見るのが好きでしたよね」

「秘密にしていたのだが」

「父上の視線は、彼女にはバレていましたよ」

「まことか」

「ディズにもバレてました」

「まことか」

「グロンゾンにも」

「バレてないほうがめずらしくなっているな」

「父上、分かりやすいですから」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「カハハ!新たなる王よ。ご機嫌麗しゅう!」

「思っても無いことを言う」

 

 大罪都市エンヴィーにある【天魔のグレーレ】の研究室をアルノルドは訪ねた。

 先代が【天魔】の称号を与えてから百年、彼は変わらずに【天魔】であったが、アルノルドが王を引き継いでからというものの、グレーレが自ら王に謁見することは無かった。

 王座を引き継ぐ“継承の義”の時すらも顔を出さなかったのだから非難殺到も仕方の無い所業だ。だが誰も直接彼を責めるわけにも、降ろすわけにもいかなかった。彼は政治的な面においても怪物に他ならなかったからだ。

 

 その彼に、幼きアルノルド王は接触していた。彼はアルノルドにあまり興味もなさそうに目の前の研究書類をずっと睨み付けている。

 

「さて、わざわざ不敬者の俺を訪ねてきたということは、よほどの用があるのかな?」

「そうだ」

「正直だなあ?」

 

 グレーレの問いにアルノルドは頷いた。その応対に相手への牽制や様子見と言った間の取り方は存在しなかった。当時のアルノルドはまだ若い少年の年頃であり、それ故に相手との交渉に遊びは全くなかった。

 腹の探り合いではどう足掻いても勝てない。年齢も知識も経験も、あらゆるものが向こうの方が上だ。彼にとって自分は子供のようなものだろう、文字通り。

 

「何の要件かな?言っておくが俺は忙しい。言付けなら外のグローリアにでも――――」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――ほう」

 

 次の瞬間、グレーレは顔を上げてこちらを見つめた。明確にアルノルドに興味を示した。

 

「先代から聞いたか?なら理解しているだろう。俺は凄まじいロクデナシだ」

「そうだな」

「それでも、その研究に興味を見せる理由は?」

「そのろくでもない所業が、必要になるかも知れないからだ」

「なるほどなあ」

 

 グレーレは椅子から降りると、王の前で屈み、視線を合わせた。あらゆる英知を紐解いて全てをかっさらう英知の簒奪者の瞳がアルノルドを見据えた。

 

「先代は、俺の所業を“見て見ぬふり”にとどめた。ああ、責めるわけではない。彼の立場ではそうする他なかった」

「ああ」

「だが、若きアルノルド王よ。貴方はそれが必要だというのか」

「ああ」

()()()()()()()()()()()()()()()()

「ある」

 

 アルノルドは、グレーレの問いかけ全てに正直に答えた。見ようによってそれは愚かしいほどの愚直さとも言えたが――

 

「例え許されぬ所業であろうとも、乗り越えねばならないことがある」

 

 ――一方でそれは威風堂々たる姿でもあった。長きを生きてきた怪物を前にしても尚、みじんもぶれることなく言葉を発するその姿には、決して揺らがぬ力が満ちていた。

 

「我らが罪を、人類の悪を超える。その為に私に仕えよ。グレーレ」

「――――お任せあれ、我が王よ」

 

 グレーレは恭しく膝を折り、頭を下げた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「グレーレは、昔から、勝手なヤツだった」

「我等より長く生きる不変の民、容易く軟化はしないでしょうね。あの性格は」

「魔界へとたどり着くまでも、多くをやらかしてきた」

「存じています」

「クラウランと共同でお前を創造するときも、色々と止めるのに必死だった」

「それは存じませんでした」

「酷いヤツだろう」

「後で殴っておきます」

「スーアは勇敢だ…………――――」

「……王?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の軌跡③ 無為の地獄

 アルノルドがその惨劇に立ち会うこととなったのは殆ど偶然だった。

 

「王よ!どうかお下がりを!!!」

「いい。私に構うな」

 

 王の責務として、各国を訪問し【太陽の結界】を調整する業務を行っている最中にそれは起こった。各地で“ヒトさらい”を行っていた邪教徒の拠点が発見され、騎士団と天陽騎士団の混合部隊による討伐作戦が決行されたのだ。

 そしてその中に、王の護衛としてやってきていた七天の【勇者ザイン】も参加していた。アルノルドの指示だった。その集団は【邪教徒】の中でも特に長きに渡ってイスラリア各地で悲劇を巻き起こしていた者達だった。なんとしてもここで抑える必要があった。

 

 結果として、作戦は成功した。

 だが、一方で、彼等が行った最後の邪悪は止めることはできなかった。

 

「なんだって、こんなことすんだよ!あいつらは!!」

 

 若い騎士の一人が、邪教徒達の住処の中心で感情的に叫んでいた。

 理由は分かる。連中のアジトは、騎士達が突入する前から死臭に満ち満ちていた。彼等が攫ってきた無数の者達が、彼等の邪悪によって肉塊に変えられていた。どこを見ても悲惨な死体ばかりだ。

 中には、殺戮そのものを楽しんだような節まであるような死体まであった。

 幼い子供が、酷い苦痛の表情で死んでいる姿があった。

 どこもかしも悲劇で、悲惨で、最悪だ。長い間戦い続けてきた騎士すらも、顔を背けてしまうような陰惨極まる光景だった。

 

「奴らを根絶やしにしてくれる!!!」

 

 騎士の内誰かが言った。するとそれに呼応するように雄叫びが上がる。

 

「当然だ!邪教徒ども!見かけ次第縊り殺してやる!!!」

「こんな事する奴ら、許せるわけがねえ!生きてちゃいけねえよ!!」

 

 次々と怒りと憎しみの声が上がる。

 咎めることはできなかった。彼等の感性は真っ当に、正義心に満ちていた。邪教徒達の所業は全くもって、畜生以下のものだったのだから。

 

「……」

 

 だから、それに対して言葉もなく、ただ無力感に苛まれるアルノルドがおかしいだけなのだ。

 だから彼は騎士達の仕事の邪魔にならぬよう、静かにその場を後にした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 邪教徒達のアジトは都市の外にある、【真核魔石】を失い死んでしまった迷宮の中だった。邪教徒達のアジトともなると必然的にそういう場所だった。

 王がそのアジトの外に出ると、沈みかけていた陽光が顔を差した。そこから見える湖も、木々も何もかも燃えるように真っ赤に染まる光景は美しくもあったが、そこに感動するのは難しい。地下で起こった殺戮が、今もまぶたの裏にこびりついていた。

 

 いつまでも胸のあたりに残り続ける不快感を抱えながら。アルノルドは進む。向かう先にいるのは、彼の腹心の一人。

 

「ザイン」

 

 勇者ザイン。今回の戦いで先陣を切り、邪教徒達を見事に切り伏せ、こちらの被害を起こさなかった最強の七天は、静かに外の光景を眺めていた。

 

「…………」

 

 彼の足下には、眠るように地面に座り込む少女がいる。今回の作戦における唯一の生存者である少女は、アルノルドにも反応は示さなかった。

 少女は心身共に随分と衰弱していた。

 他の被害者達と同様に、悲惨な目に合わされていたのだ。息があったのも奇跡に等しい。同行していた回復術者によって治療は完了したが、未だに意識もハッキリとはしていない。その彼女をザインは一人ずっと見守っていた。

 

「申し訳ありません王よ。貴方の護衛である筈なのに」

「良い。彼女を護るよう命じたのは私だ……むごいこととなったな」

「ええ」

 

 アルノルドは全てが終わった後に来ただけだ。実際に踏み込んだザインはもっと悲惨なものを目の当たりにしただろう。あるいは、その悲劇をより強い殺戮によって叩き潰した。あの地下の光景は決して、被害者だけの血肉ではない。

 それをザインに背負わせたことを申し訳なく思うが、しかし確認せねばならないこともある。

 

()()()()()()()はなんだった?」

 

 邪教徒――魔界の系譜である彼等の情報は、どれだけ聞くに堪えぬほどの悪行であろうとも覚えておかねばならない。かの世界との境目が未だ断絶しているこの世界において、わずかでも向こうを知る機会は希少だ。

 ジースターもそうだったが、向こうもこちらに情報が抜かれることを警戒し、当人に必要以上の情報を預けなくなってしまった。わずかでも知っておきたかった。

 

 そしてこの捜索は騎士達には任せられない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。故に尋ねた。

 

「勇者の創造研究…………未満のものかと」

「未満?」

 

 だが、ザインの口から語られたその内容は、想像を遙かに下回るものだった。

 

「経年により劣化し、思想によって歪んでいました。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……何?」

「今回の邪教徒達はイスラリア人でした。自身の境遇に絶望し、この世界への破滅的思想に傾倒しただけの、本懐を全く理解しない者達でした」

「……殺戮に意味はなかったと」

「魔術の研究という観点においては、一切」

 

 アルノルドはあまりの事に深く顔をしかめた。

 邪教徒に、イスラリア人が所属する。それ自体は珍しくはなかった。

 かつて、イスラリアが世界から物理的に離れた時巻き込まれ、尚もイスラリアと敵対する事を選んだ魔界の住民達。しかしその時から今日に至るまであまりにも時間が経ちすぎた。当たり前であるが、その間ずっと純血でいられる訳がない。

 彼等は分散し、混じり、消滅することもあれどその枝葉を伸ばした。結果、その思想の表層は市井にまで浸透することもあった。イスラリア人が入り交じることは珍しくも無い。

 だが、今回のような悲惨が、イスラリア人の手によって行われ、そしてそれが全くの無意味であったというのはショックが大きかった。

 

 これほどの悲劇を引き起こして、何の意味も無い、ただただ悪意を満たすだけの行為であったなどと、あまりにも救いがなさすぎる。

 

「……では、その子も」

「ええ。勇者を創り出す贄、という形ではありましたが、意味はありませんでした」

 

 ザインは少女に聞こえぬよう、小さな声で伝える。だが、少女はそもそもザインにも視線をやることはなかった。ただただずっと前を向いている。アルノルドは少女をのぞき込むように近づく。

 

「混じり子か」

 

 一見、只人のように見えるが、森人――長命種の特徴が見えた。種族間の混血自体もめずらしいが、森人は尚珍しい、その珍しさ故に目をつけられたのかと思うと、なおさらに痛ましく思えた。

 

「助けるのが遅れて済まなかった。これから安全な場所に連れて行く」

 

 そう言葉にする。だが、少女は反応を示さない。やはり今はまだ難しいか、と思っていると不意に少女の瞳が動いた。

 

「どうした」

 

 幼き少女の瞳からポロポロと涙が零れ始めていた。

 彼女が、自分の負った傷の痛みをようやく認識出来たのだろうかと、アルノルドはそう思った。だが彼女の視点はさまようこと無くずっと前を見ていた。目の前の湖と、沈む前の夕日が重なり、世界が真っ赤に染まる美しい光景を前に、少女は呟いた。

 

「…………綺麗」

 

 その声に込められた感情は感動だけではなかった。

 痛みがあった。悔しさがあった。何故だという憤りがあった。自分が負った傷の痛みを彼女は認識していた。それだけの呪いと悪意を背負って尚、彼女が口にしたのは目の前の光景に対する純粋な賞賛でしかなかった。

 

 悪意の渦の中にあって尚、世界を祝福する善性。それは――――

 

「――――……」

「この子は……」

 

 無為の地獄。

 その底から見いだされた輝ける者。

 ザインとアルノルドは言葉を失う他なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の軌跡④  我が子

 

「…………んーあ……」

 

 天祈のスーアと出会ったのは、真なるバベルの隠された一室だ。

 天賢王、イスラリアという世界を維持するための存在はその全てが人造人間であるという事実は秘中の秘だ。王の血筋の系列を市井の民達は疎か神官達すらも知りはしない。神の子供と言われており、それを探ることはタブーとされていた。

 天賢王がこのような形で代々引き継がれるようになった経緯は、王権を巡った争いがイスラリアで起こることを危惧したためと言われている。イスラリアの管理者、【天賢】という加護を損なうような事態が万が一にでも起こる事を避けるための処置だったらしい。

 

 だからアルノルドには母はいない。先代の天賢王も父とは言い難い。

 

「あー………んぱっぱ」

 

 普通とは明らかに違う。

 ただ、別にアルノルドはそれを不幸だと思ったことはなかった。今日まで戦い抜いた日々も、命を削り続けてきたことも、決して不幸だったとは思わない。

 どれだけ自分の出自が特殊で、歪でも、今日までを生き抜いて、戦い続けてきたのは自分の意思だ。命じられてのことではない。そうしたいと心の底から思ったからそうしたのだ。

 

「スーア」

 

 そして今、アルノルドは新たなる王となる事になるスーアを抱き上げる。

 あらゆる欠点を廃し、完全なるヒトとして生まれた者。恐らくこのイスラリアで最も神に近しい生命体。スーアと自分に血縁関係は存在しない。遺伝子情報は持っているかもしれないが、それだけで、父親と言える存在でもない。

 ただ、それでも抱き上げた生まれたばかりのスーアを、愛おしく思うのは間違っているだろうか。

 

「んーきゃーっ」

 

 スーアは笑った。

 アルノルドは嬉しくなった。

 それがどれだけ普通とは違う形であろうとも、イスラリアという世界がどれほど偽りの場所であろうとも、生まれた命は一つも嘘なんてない。無垢で愛らしい。尊く、眩い。

 アルノルドにはそれが心の底から愛おしく思えて、同時に、酷く冷たい感情が心臓へと流れ込んできた。

 

 この子に、背負わせるのか?

 

 愛おしい我が子に、この世界の1000年の大罪を、悪を背負わせるのか。

 

 いや、この子だけでは無い。今、イスラリアで生まれ落ちている全ての命にも、だ。

 

 今尚自分の肉体をズタズタに引き裂く痛みと絶望を背負わせるのか?

 

「んに?」

 

 この子が、この先、天賢を引き継ぎ、そして過酷なる戦いに命を削り続けるのだろうか。魔界との攻防で血を流し、数百年と続く果てない闘争に巻き込まれて疲弊し、それを与えた敵を呪い、力尽きて死んでいくのだろうか――――

 

「……………だめだ」

 

 それはだめだ。とアルノルドは強く思った。

 

 スーアを抱きしめて、アルノルドは誓った。自分の代でこの戦いを終わらせる。今、自分の身体を蝕み続ける貫くような痛みをこの子に与えるような事だけは決してしない。してはならない。

 

 だが、その為には――――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 バベルの訓練室はその日、賑わっていた。

 幾人もの天陽騎士達が剣を打ち合い、魔術の研鑽を進めている。彼等の意識は高い。このバベルが王の住まう城であり、それを守護する者達としての意識が彼等の意欲を高める。

 

「温いぞ!!もっと気合いを入れろ!それでは王を護ることなどできないぞ!」

「はい!」

 

 だがそれだけではない。彼等の中でも特に鬼気迫る者達もいる。彼等は【陽喰らい】を経験した者達だ。彼等はこの世界が薄氷の上にいると知っているからこそ死に物狂いなのだ。

 

 本当にありがたいことだ。

 

 似合わない騎士鎧を身に纏い、その様子を眺めた王は声に出さずに感謝を思った。

 時折彼はこうして、密やかに部下達の様子を眺める。とはいっても、それは監視や査定の類いではなく、単なる彼の趣味だった。民達が賢明に努力していたり、雑談で笑い合っていたり、あるいはひっそりとサボって愚痴を述べたりしているところを見るのがアルノルドは好きだった(あんまりやりすぎて、ファリーナに怒られることは多かった)。

 だが、今日の目的はただの見物ではない。アルノルドはまっすぐに部屋の隅に向かった。周囲に戦士がいない場所で、一人剣を振り続けている少女の姿がそこにあった。

 

「ふう……あれ?どうしました、王さま?」

「様子を見に来た」

 

 素振りをしていた幼き勇者候補ディズは顔を上げた。彼女は自分の変装を知っていた。

 今日は勇者ザインの指導から離れ、バベルでの訓練を行っていた。指導者としてはザインを超える者はそうそういないが、様々な戦士とふれあい、戦い方を身につけるのも大事だというザインの方針に彼女は従っていた。

 

「良く励んでいる」

「ですが、ユーリのように上手くはできません」

「比べる事は無い」

 

 見れば彼女の身体はいくつもの打撲跡がある。どうやら訓練で怪我をしたらしい。

 彼女は【勇者】を目指す事を自ら望んだ。しかし運動神経に関してはお世辞にも良いとは言い難かった。その精神性は紛れもない聖者のそれであったが、肉体のセンスはそれについていってはくれなかった。

 まして彼女は、天性の才能を持ったユーリと共に訓練を続けている。その事を卑屈に思うことは彼女は無いが、それでも幼い少女だ。その事に対して思わないことがないわけがないだろう。

 

「私も、あまり上手く身体は動かせない」

 

 だからなんとか励まそうともしたのだが、アルノルドの口から漏れた言葉は不器用な言葉しか出なかった。

 

「そうなのですか?」

「グロンゾンの真似しようとしたが、ダメだった」

「同じですね」

「ああ」

 

 果たしてコレが彼女の心の慰めとなっているのだろうか。と疑問に思うが、それでもディズは楽しそうだった。しばらくそうして雑談を進めている内に、言葉が尽きてしまったのはアルノルドの方だった。

 

「……済まない」

「王?」

 

 そして咄嗟に、小さく声が漏れた。普段、できるだけ威厳を保たせようと努力して出している声と比べるとあまりにも情けなくて、か細かった。

 

「何がでしょう」

「戦わせることが」

 

 全てを伝えることはできなかった。

 彼女は、真の七天の主となる事は簡単には明かせない。彼女が信頼出来ないという話ではない。【天賢】の力は“監視者”とつながりがある。前の王達が、監視から逃れるべくそのつながりの一部を断ち切ったが、しかし完全に監視から外れているわけではない。

 方舟の秘匿を、守護者である役割を放棄するような発言は“粛正”を招く。何が“監視者”の逆鱗に触れるか分からない以上、うかつなことを言うわけにはいかなかった。

 

「私は、護りたい者のために、背負わせようとしている。その謝罪だ」

 

 だけど、これだけは言いたかった。言わざるを得なかった。

 生まれた我が子を護りたい。その願いが強くなるほどに、なおのこと自覚してしまった。自分の願いは、世界を本当に平和にしたいと思うことは、単なるエゴなのだと。分かっているつもりでいても、目の前の少女にそれを背負わせるのはあまりにも残酷な事だと。

 

「私がやろうとしてることは、卑劣な行いだ。済まない」

 

 その謝罪をアルノルドはこぼした。

 幼いディズからすれば、何を言っているのか分からないような話だろう。それこそこの謝罪すらも自己満足でしか無いと思うとなおのこと、卑怯な話でしかない。そう思うと益々自己嫌悪で沈みそうになったが――――

 

「太陽神より、御子をたまわったと聞いております」

 

 沈みきる前に、ディズが尋ねてきた。アルノルドは頷く。

 

「ああ」

「ご無礼で無ければ、見せてもらってもよろしいでしょうか?」

 

 ディズは心から楽しそうな表情で、そう尋ねた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王の軌跡⑤ 仲間と敵へ

 保育器からでたスーアは既に、バベルの一室にて育成が行われている。

 

 その出自はあまりにも特殊であるが、生まれでた後は普通の子供と扱いが変わることは無かった。幼き赤子と変わらないスーアは、ベッドの上で眠っていた。

 

「初めまして、スーア様」

 

 眠り続けるスーアを見下ろして、ディズは微笑みながら一礼する。勿論、スーアにはディズの礼の意味は理解出来ないだろう。くりくりとした瞳で不思議そうにディズを見つめていた。

 

「抱かせてもらってもよろしいでしょうか?」

「ああ。ファリーナ」

「どうか気をつけて」

 

 アルノルドが合図すると、スーアを世話するファリーナは頷いて、そっと優しくディズへと渡した。ディズはできる限り優しく、ゆっくりとスーアを抱きしめて、彼女を抱えた。

 

「……わあ」

 

 ディズは笑う。その表情は慈しみに満ちていた。王の御子であるというだけでなく、新たなる命の誕生そのものを祝福しているようだった。彼女にスーアの出自については伏せている。だが、もしも明かしたとて、彼女をそれを祝福するだろう。

 彼女はそういう人格だ。紛れもない聖者だ。

 

「かわいいですね」

「ああ」

 

 アルノルドは頷いた。アルノルドにとってスーアはきっとこの世で一番大事に思えるだろう。日が経つごとにその確信は強くなる。だが、だからこそ、その自分の愛のために、他に地獄のような戦いを強いて良いのか、疑念もまた強くなる。

 まして、スーアを抱く勇者候補、まだ幼子と言っても良いような彼女にこれから、とてつもない責務を背負わせるかと思うと――――

 

「王さま」

「どうした」

 

 だが、思考の堂々巡りをしている最中、ディズが声をかけた。スーアをそっとファリーナへと返すと、沈黙していたアルノルドへと近づき、頷く。

 

「自分をわるくいったりしなくてもいいとおもいます」

「悪く……だが」

「だって、こんなにかわいいんですから」

 

 こちらの心中をまるで全て察しているように、ディズは確信に満ちた声で頷く。

 

「私もスーア様はまもりたいです……スーア様だけではなく、多くの人々をまもりたいのです」

 

 ディズはハッキリと、アルノルドと同じ願いを告げた。それは勇者であるが故の使命感から零れた言葉では無かった。まっすぐにアルノルドの目を見つめて、彼女は頷いた。

 

「ユーリだって、きっとそう言います。他の皆も、きっとそう願います」

「……」

 

 ディズは本当に何でも無いようにそう言った。

 そこにあるのは強い信頼だ。まっすぐに人々の善性を信頼しての言葉だった。

 

 知らぬが故に、若さ故と腐したような言葉が自分の内側に反響する。

 

 だけど、ディズのまっすぐな瞳はそんなアルノルドの内側にある不安をかき消して、打ち倒した。勇者とは、悪意を打ち倒す善性である。わかっていたつもりだったがアルノルドは改めて思い知った。

 

「私は、私たちはあなたの仲間です」

「……そうか」

 

 ディズはアルノルドへと手を差し伸べ、アルノルドはその手を握りしめた。まだ幼く小さな手のひらだった。これからきっと成長してより多くの、沢山の人々を救うであろうその掌から感じる力はあまりにも強かった。

 

「そうか」

 

 このとき交わした手を、アルノルドは決して忘れぬように決めた。そして――

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――そして、アルノルドは目を覚ました。

 

 自身の眠るベッドの上で、アルノルドは横たわっていた。身体中を散々に苦しめていた痛みはもう随分と遠い。全く苦しくは無かった。代わりに酷く眠い。今すぐに瞼をもう一度閉じてしまいたい衝動をアルノルドは堪えて、瞼を開いた。

 

 ベッドにはスーアとファリーナがいた。スーアは夢の中の赤子の姿よりもずっと成長した。ファリーナは随分と年を取った。顔に深く皺が入った立派な老女だ。だけど、それでも見ただけでどこか安心するような笑みは変わらなかった。

 

「………スーア、ファリーナ」

「父上」

「はい。アルノルド」

「私はイスラリアを危機に貶めた愚王だ。それでも」

「父上」

 

 思わず、自責が零れそうになったが、それをスーアは止めた。スーアは、悲しみと愛に満ちた笑みをまっすぐに此方に向けて、ハッキリと告げた。

 

「愛しています」

「私もです。アルノルド」

 

 ファリーナも頷いた。

 

「そうか」

 

 嬉しかった。

 二人を、この世界を残して、混迷した世界を勝手に立ち去ってしまうのはあまりにも身勝手で、それなのに喜んでしまって、申し訳なく思いながらも、どうしようもなく嬉しかった。出来ることをしてあげたいと心から思った。

 

「愛している」

 

 だから、そう言ってくれた二人の手を、強く強く、握り返して、告げた。

 部屋には他の者達も集まっていた。長年自分を世話してくれた他の従者達もいた。神官達や魔術師、騎士達。多くの者達がそこにいた。

 今なお懸命に戦っていて、此所にいない者もいる。欠けた者も居る。辞めた者も居る。全員は揃っていない。それでも嬉しかった。そして申し訳なかった。

 

 自分の命を燃やし尽くしても尚、最後までたどり着くことは出来なかった。

 だから代わりに言わねばならないことがある。

 

「勇者、ディズ」

「ここに」

 

 黄金の勇者、ディズが前に出た。ずっと側にいるスーア達の邪魔にならぬよう一歩下がって膝を折り、王へと視線を合わせた。

 

「すまない。後を、頼むこととなる」

「謝る必要はありませんよ」

 

 ディズは少し寂しそうにしながらも、ディズは頷いた。

 

「幼き頃、誓ったとおりです。貴方の願いは、私達の願いです」

 

 その言葉に、アルノルドは安らぎを得た。

 

 彼女も、忘れずにいてくれたのだ。

 

 世界を救済する。それはどれだけ大義で言いつくろっても、エゴでしかないとアルノルドは苦心していた。だけど彼女は、それを共有してくれた。共に背負おうと言ってくれた。それがどれほどありがたいことか、幾度救われたかを彼女は知らない。

 

「……すまない、だが、私の全てを背負う必要は、ないのだ」

 

 だからこそ、途切れそうな意識をつないで、アルノルドは言葉を継げる。目の前の少女の、仲間の負担が少しでも軽くなるように、その重みを少しでも持って行けるように。

 

「道は一つではない」

 

 長い年月の戦いによって可能性は狭まった。だが、必ずしも一つしか道がないわけではない。そうなるよう、アルノルドは仲間達と努力した。故に、

 

「勇者ディズ、お前はお前にとっての最善を選べ」

「…………はい」

 

 たどたどしくも、アルノルドはそう告げた。

 そして視線を彼女から、この場にいる全員に向ける。といっても、もう既に視界はぼやけて見えなくなっていた。長く共にしていた重く苦しい痛みも既に遠い。だけどそうした。

 

「臣下達よ。私の家族達よ」

 

 スーアやファリーナ、ディズやユーリやグロンゾン、此所にはいないジースターやグレーレ、自分の人生の中でも関わってきた多くの臣下達、イスラリアの大地に住まう全ての民達、外の世界で今も生きる人々。今この世界を滅ぼさんと孤独に戦う月女神。

 全ての者達を想い、彼は祈った。

 

「この世界の罪と悪、乗り越えんとする全ての者に、幸いを――」

 

 こうして、イスラリアを愛し、そこに住まう者達を愛し、それを支える仲間達を愛した素朴な少年は、己の愛した者のためにその命を燃やし尽くし、ゆっくりと瞼を閉じて――――

 

「さらばだ。ブラック。我が敵」

 

 最後に、自らの敵へと別れを告げ、その生涯を終えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――じゃあな、アル。楽しかったぜ」

 

 そして魔王もまた、友であり敵だった男へと別れを告げ、酒を掲げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そこに何の謂れもなく

 

 【真なるバベル:拡張空間魔導機開発部門0番】にて

 

 空間拡張の魔術の応用により様々な施設が収められている【真なるバベル】の一室、大罪都市エンヴィーの【中央工房】に並ぶとも劣らぬその魔導機の工房で、一人の女が歩き回っていた。

 【人形遣いのマギカ】、大罪都市グリードに住まう人形(ゴーレム)の第一人者である彼女は現在、バベル内部に招かれ、依頼された仕事に従事していた。

 普段であれば、自分の住処から出向く事を彼女はあまり望まない。そういう仕事があっても何時も一蹴するばかりだったが、今回は違った。

 

 理由は勿論、偉大なる王の依頼で、バベルに招かれる栄誉を賜ったから―――では、ない。彼女がそうする理由はただ一つ。

 

「ねー師匠-、グレーレ師匠-」

「うん?どうした、我が弟子よ」

 

 誰であろう、自身の師でもあるグレーレに呼ばれたからである。

 先の戦いでおった後遺症でマトモに歩けず、杖を突きながら自分の作品に向きなおっている彼に、マギカは首をかしげ尋ねた。

 

「いいの?行かなくて。アルノルド王、お隠れになられたーんでしょ?」

 

 実際、その事で現在バベルの中は沈痛な雰囲気に包まれ、そして軽い騒ぎになっている。だと言うのに、彼に最も近かった天魔のグレーレが此所で平然と仕事を続けているのはどうなのか。

 しかしグレーレは軽く肩を竦めた。

 

「彼に此所を任されているからな?仕事を放り投げるわけにもいくまい」

「そんなにいそがないといけないのー?“コレ”」

 

 そういって、マギカは自分も仕事を手がけた“巨大魔導機”を見上げる。急速に完成へと近づいているその巨大な兵器は、間違いなく、マギカが手がけてきた中でも大作だ。

 長い年月をかけてコツコツと組み上げてきたものではあるのだが、その増設速度がここの所凄まじく上がっている。なんとしても急ぎ、実用段階にもっていくという熱意と焦りを感じていた。

 

「コレに限らず、あらゆるものが必要になるだろう」

 

 そのマギカの疑問にグレーレは頷く。相も変わらず、何もかも見透かしたような目を細めながら、確信に満ちた声で呟いた。

 

「敵は、邪神のみでは無いからなあ?」

 

 邪神以外、それが何を指すのか、マギカにも分かった。分かったから、ちょっと気まずそうに肩を竦めた。

 

「でもわたしー、“あっち”の仕事もやっちゃったわー。スポンサーの一つだったしー」

「カハハ!気にするな!時効だろう!俺も似たようなものだ!!」

 

 グレーレはケラケラと笑った。此方を気遣って、ではないだろう。多分本気でそう思って言っている。こういういい加減なところが弟子として似てしまったのかも知れない、と、マギカは他人事のようにそう思った。

 

 まあ、考えないようにしよう、とそう思い、自分も仕事を続けようとした、が、あまり気が入らなかった。理由は分かっている。

 

「……王様、死んじゃったのかー」

 

 その事実が、どうしても頭の中を渦巻いているのだ。

 

「なんだ、殊勝にもショックか?」

「そりゃ、そーでしょー」

 

 天賢王の代替わりは早い。王が、この世界を支えるために、その命を削っている。だから、その身にかかる負担はどうしても大きくなる。それは、この世界では比較的常識だ。偉大なる王が失われることに、慣れていないわけではない。

 が、だからといって、感傷を覚えないかと言われれば否である。

 この世界で暮らし、生きていく上で、ずっと支えてくれた父を失うのは、悲しくて、辛く、不安だ。不信心者で、魔術師としてもいい加減で人格もロクデナシなマギカですらも、そう思うのだ。

 

「グレーレ師匠はそうじゃないのー?」

「この年まで長生きすると、知人や友人の死では動じぬよ」

 

 グレーレは笑う。

 

「長くを生きた。親しい友人の死は幾つも経験してきた」

 

 だから動揺はしない。元より長命種は短命種とくらべ感性がやや鈍い。長い時を生きる中、人格が破綻しないように、そういう感性が鈍くなっている。そうデザインされているのだとグレーレは語る。

 だから、というように、グレーレは小さく微笑みを浮かべた。

 

「少し、寂しくなるだけだとも」

 

 そう言って、自分の胸に手を当てて、小さく黙祷を献げるのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 穿孔王国スロウスは滅亡した。

 

 ブラックの画策により、大罪竜グラドルの超克を狙った結果、国がまるごとに飲み込まれてしまったのだ。結果として、王国に侵入した眷属竜達は魔王ブラックによって殲滅させられたが、最早国としては再生不可能なほどのダメージを負った。

 

 が、しかし、王国跡地が廃墟となったかといえばそうではない。

 

「急げ-!!!時間はねえぞ-!!!燃料こっちにまわせー!!!」

 

 むしろ、滅んだ後も、国はより一層に騒がしくなっていた。

 無論、去って行った者達は多い。彼らの多くは、プラウディアの衛星都市などにバラバラになって身を寄せた。しかし、それでも、何もかもが粘魔の竜に飲まれて消えてしまったこの国に残ろうという連中は多かった。

 誰に命じられるでもなく、彼らは集まり、そして、先の騒動でなんとか残った物資をかき集めて、王国最後の祭りの準備を進めていた。

 

 そう、何の金にもならないこの大仕事で、彼らが望むのはただ一つ。お祭りだ。

 魔王が巻き起こす、大騒ぎだ。

 

「さて、もうすぐ世界滅ぶかねえ?」

「滅ぶだろうさ。なにせあんなでかい竜にねらわれてんだから!!」

「じゃあ急がねえとなあ!!」

「だよなあ!最後のお祭りだ」

 

 全くのロクデナシ、どうしようもない異端者。メチャクチャな彼が起こす大騒動を彼らは望んでいた。此処にいる連中は誰も彼もそういうイカれどもの集まりだったのだ。

 だからそんな魔王と、魔王の王国を、口でどれだけ好き勝手に罵ろうとも、好き好んで居着いていたし、それが失われるのは寂しかった。だから最後のお祭りの準備に、彼らは精一杯勤しんでいた。

 

「イカれどもめが」

 

 そんな中、邪教徒ハルズは、頭のネジの飛んだ祭りを冷徹に眺めていた。

 

 邪教徒、即ち、イスラリアの外の世界の住民達。

 名無しのように、諦めて、イスラリアという世界を受け入れたのでは無く、敵対することを選んだ彼らは、混沌のただ中、スロウスに集っていた。

 無論、ただ逃げ隠れするためではない。

 イスラリアと世界との間でとうとう始まった最後の決戦を前に、役割を果たすためだ。

 憎きイスラリアを滅ぼすための最後の仕事を果たすためだった。

 

 悪辣なる魔王の勧誘に乗ったのも、その為だ。

 

 魔王がどれほどに邪悪な危険人物であろうとも、関係ない。むしろ望むところだった。彼がイスラリアで暴れ、危機をもたらすことこそが、望みなのだが。

 とはいえ、その目的の為とは言え、刹那的な享楽主義者達の力になるのは、ハルズにとっては不快だった。邪教徒と言われようと何だろうと、自分たちはイカれているわけではない。正しく、故郷を守ろうとした兵士なのだから―――

 

「あらぁ、そんなにきにいらないの?ハルズ」

「ヨーグか……気に入るわけが無い。イスラリア人達は誰も彼も、醜い罪人だ」

 

 そんなハルズの様子を、先日までバベルにてとらわれていた邪教徒の同士、台無しのヨーグが見て笑う。月神の出現で大混乱に陥ったバベルの混乱を狙い撃ち、魔王の軍勢に助け出された彼女は、すっかりと元の調子に戻っていた。助け出されたときは、ほぼ、肉塊同然の姿であったにもかかわらず、もう既にヒトの形を取り戻している。

 

 イスラリア人以上の怪物と成り果てた彼女も、ハルズは好ましくは思ってはいなかった。もう既に彼女は本来の使命、役割を忘却している。自らの欲望のためだけに邪悪を行う彼女をハルズは侮蔑していた。

 とはいえ、彼女の技術力、協力が不可欠なのも事実だった。そしてその彼女の能力によって、イスラリアが滅びに近づくというのなら、ハルズの嫌悪程度どうでもよかった。

 

 そう、何だって構わない。イスラリアという忌々しい呪いの舟が滅ぶのならば!

 

「勝手に殺し合え、罪人どもめが!」

 

 そう言って、彼は笑う。その彼の姿を、ヨーグは心底楽しそうに、目を細めながら見つめている事にも気づかずに。ひとしきり、同胞の狂態を眺めたのち、ヨーグは自身の背後にある、崩れかけた魔王城へと視線を移した

 

「さて、我らが魔王様はどうしているかしら」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【天愚】

 

 その能力を一言で表すならば、ゼウラディアというシステムに存在する自壊装置だ。

 

 ゼウラディアは今の形の世界の要で在り、イスラリアが蓄えた全ての魔力とそれを操作する精霊達を管理する統合機構である。

 

 だが、創り出された神が完膚なき絶対であった場合、問題が発生する。

 

 その存在が道を誤ればイスラリアは容易に崩壊する。いかに【星剣】という使用者の選定システムがあろうとも、絶対ではない。ゼウラディアという機構には、自身を破壊するための自滅機能が必要だった。

 【天愚】はまさに、その機能を担っていた。

 

「我々こそが太陽神様に真に必要な力なのよ!」

 

 【天愚】管理者一族の末裔である女は、自身の息子にそれを言って聞かせた。【天愚】の詳細も、そして何故自分たちがこのようなイスラリアの僻地、スロウス領の端っこの周囲に何も無い小神殿にいるのかを何度も何度も言って聞かせた

 

 必要ではあるが、一方で神の存在を脅かす危険物。

 それ故に歴史の中で、バベルから距離を置かれ、隔離されたということ。

 それは栄誉なことであり、自分たちは誇り高き護人であるということ。

 

 ザックリといってしまえばそれだけの話を、彼女は様々な虚飾で盛り付けた言葉で息子に語りかける。これもまた、何度も何度も。

 そんな狂気めいた彼女の言葉を、彼女の息子は煩わしそうに追い払うようなことはしなかった。時々相づちまでうちながら、素直に話を聞いていた。彼は真面目な優等生で、母思いの神童だった。

 

 こんな場所に、あまりに不釣り合いな子供。それが周囲の少年に対する評価だった。

 

 閉鎖的な小神殿、【天愚】という力をただ保持するための飼い殺しのその空間。必要な食料も必ず配給され、望む物は何でも与えられ、代わりに何一つとして成すことを許されない“愚者の神殿”。楽園であり、そこに住まう者達は、容易に堕落し、怠惰に耽った。

 

 仕方が無いことではある。例え懸命であろうとも、何の意味もないのだから。

 

 プラウディアの管理者達は【天愚】の使い手になにも望まない。彼らが望むのはその力の継承と維持で在り、そしてそれ以上でも以下でも無い。

 【天愚】はあまりにも使いづらかった。

 ただただ使い手の身を“台無し”の闇で覆うばかりだ。“事象の否定”によって回復術の真似事もできないでもないが、それであれば回復術を使った方が良い。とても容易には扱えない、どころか他の七天の権能を破壊してしまう畏れすらある危険物。だから管理者達はここに隔離されている。

 

 維持と保管。それこそがこの場所の役割だ。継承者の少年にも当然、それが求められた。

 

 そしてその日は来た。

 少年はつつがなく、父親からその天愚の力を引き継いだ。

 危険で扱いづらい自壊装置。敵も味方も全てを台無しにしてしまうその力を継承した。

 

 そして少年は、後の魔王は

 

「――――ま、こんなものか」

 

 その力で、自分の故郷の全てを滅ぼした 

 

「出来ることは多そうなんだけど、扱いめんどくさいな。天拳のほうが良かったわ」

 

 かつて母親だったモノや父親だったモノ、神殿の友人達だったモノが真っ黒い闇に飲まれて”台無し”になって崩れていく光景に見向きもしないで、彼は神殿の外へ出た。

 

「ああ、神殿も消しとくか。時間稼ぎにはなるだろ」

 

 そう言って、彼は片手を振るうと、神殿も全てが真っ黒い闇に飲まれてかき消えた。自分の生まれ故郷をなんの感慨もなく消し去ったブラックは外の荒野へと歩み出す。神殿を護っていた結界は、住民達が全員消失したことで崩れてきえた。

 

「ひとまずはプラウディアから隠れて、適当に冒険者にでもなるかねえ。外のメシってどんなんかなー」

 

 母からの教育、思想の刷り込みは、彼には全く何の意味も無かった。

 彼は生まれて最初から完成していた。

 何の謂われもない。悲劇も惨劇も、それと同じだけの幸いもない。彼は――

 

「がんばって、イスラリアぶっ壊さねえとなー」

 

 ――生まれながらにして、正真正銘の魔王だった

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

得難きもの

 

「別に、両親や故郷の連中に恨みがあったわけじゃないな。まあ、バカだったけど、良い奴らも多かったしな。友達だっていたし」

 

 魔王はカップに注がれた麦酒を呷りながら、何でも無いような顔で話し始めた

 彼がいるのは何処の都市にでも存在しているような冒険者向けの、宿屋兼酒場の一つだ。賑わい、冒険者達が騒ぐ部屋の隅の席で、ブラックは同席した相手に、自身の虐殺を語っていた。何の事は無いというように。

 

「ただ、天愚の力とか、俺の容姿とか、知ってるヤツが生きてたら困るだろ?嫌われていたとはいえ、ゼウラディアの断片の持ち逃げなんて許すわけねえしなあ?」

「その為だけに殺したと?」

 

 そう問うのは、同席した若い男。フードで顔を隠すが端麗な容姿と、僅かに除く黄金の輝きは隠せなかった。

 だが幾らか目立ったとしても、彼がイスラリアの王アルノルドであるとこの場で気付いているのは対面しているブラックくらいだろう。そもそもアルノルドの顔を知る者すら此処には殆どいないのだから当然ではあるのだが。

 

「【天愚】がもーすこし、融通の利く力だったら、賢い方法もあったのかもだがね」

「本来ソレを攻撃に転じるだけでも脅威なのだがな」

 

 若き、少年の頃のアルノルドは溜息を吐く。

 事実、ブラックが引き継ぐまで【天愚】の力は、自分への攻撃の無効化、くらいの機能しか知られていなかった。だからこそ「隔離」という処分を下しても、プラウディアとしては戦力を減らす懸念をする必要がなかった訳なのだが。

 

 「力を損なわせる力」そんな代物を攻撃に転じる事が出来たのは史上でもブラックが唯一無二であるのは間違いなかった。

 

 そして彼はその力で故郷を滅ぼし、他の【天愚】管理者も全て殺し、更に現場を調査し、ゼウラディアの断片である【天愚】の権能を回収するために向けられた暗殺者達も全て滅ぼした。

 そして今は銀級の冒険者として名を馳せている。破天荒な彼の活躍は都市民達には人気であるが、結果、正体を知りながらも表だって排除することも出来なくなったイスラリアの管理者にとってはこの上ない目の上のたんこぶとなった。。

 神の力の断片を有し、その秘密を握りながら、しかし管理下に収まらず自由に振る舞う暴君。今すぐにでも排除したいのにそれができない厄介者。それが今のブラックだ。

 

「そうまでしてイスラリアを壊したいのか?」

 

 そんな怨敵とも言える相手に、天賢王が直接対面しているのは異常事態だ。護衛も付けず、彼が寝泊まりしている宿屋に乗り込み、机を共にして、彼に問いただしていた。

 

「さあ、どう、かなあ………?」

「何をしている」

 

 だが、ブラックはそんなアルノルドの問いに上の空だった。アルノルドは首を傾げる。

 

「いや……く、これ、面倒くさくてな……このやろ」

 

 彼がなにやら顔を顰めて格闘しているのはテーブルにつまみとして運び込まれた岩のような殻を持った貝の山だった。それを用意された金具で身を穿りだして食べるものなのだが、魔王はそれに苦戦していた。

 

 アルノルドがじっと見つめる中、ブラックは暫く格闘を続けていた。金具が突っ込まれた穴から身が顔を出し始めて、ブラックが喜んだのもつかの間、身は僅かな先端を金具に残して千切れて中へと引っ込んだ。

 ブラックはがっくりと顔を伏せると、そのまま指先でこんと貝を突き、

 

「【愚星】」

 

 直後、小さな黒い闇が貝を包み、中の身だけを残して貝は消失した。

 

「ヨシ」

「……これほど下らない神の力の使い方もないな」

「んだとこら、お前もじゃーやってみろよー」

 

 ブラックはアルノルドに貝と金具を差し出した。アルノルドは拒否するかとも思われたが、暫く突きつけられたそれを素直に受け取った。

 

「……」

「……」

 

 アルノルドは貝を穿った。

 

「……………」

「……………」

 

 アルノルドは貝を穿った。

 

「………………………」

「………………………」

 

 アルノルドは金具をそっとテーブルに置いた。

 

「【天賢】」

 

 アルノルドの目の前に金色の手の平が出現し、貝を握った。鈍い音と破砕音が響粉々に砕け、貝はその身を残して消失した。

 

「使えるものは使うべきだ」

「お、そうだな」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「それで、方舟をそうまでして滅ぼしたい理由は?」

「気に入らない」

 

 貝殻が喪失し、中身だけが山積みされた皿の貝を交互につまみながら、先程の会話は続いた。ブラックは特に面白くなさそうな顔をしながら言葉を続ける。

 

「ゼウラディアの産みの親、イスラリア博士――――人類に悲観して引きこもったジジイの作った箱庭の人形として浪費されるのが気に入らない」

 

 ブラックが語るそれらの情報は、歴代の天賢以外は知らないものだった。このイスラリアの生誕からの知識であり、イスラリアに移住した住民達はほぼ全てがその情報を後世に引き継ぐことを禁じられている紛れもない禁忌だ。

 それを彼が果たしてどのような経緯で調べたのか、徹底的に覆い隠されたその情報を正確な形まで暴き出したのは並大抵の執念ではなかった。

 

「この箱庭が、まだとびっきりに出来が良いなら我慢もしたかもだが……なあ?」

 

 ブラックはアルノルドへと笑いかける。皮肉に歪んだその笑みを前に、アルノルドは沈黙した。

 

「ただでさえ初期段階で不完全だった世界からの転移が、迷宮の発生でぐっちゃぐちゃになってる。当初の理想郷とは別物だ。にもかかわらず、初期段階の設計維持のセキュリティだけがガチガチに固い。そんでクッソ狭い」

 

 魔と竜に追いやられ、狭い狭い都市の中で、イスラリア人は暮らしている。かつての敵の兵士達は名無しとして外を放浪し、竜と魔物は我が物顔で闊歩する。

 何時滅んだとておかしくない綱渡りのような世界。

 

「どん詰まりだよ、壊した方が良い。」

「―――今の世界が未完成であることについては同意する」

 

 アルノルドは小さく首肯した。否定はしなかった。

 

「つまり、俺たちゃ同士だ」

 

 ブラックは笑い、杯を掲げる。アルノルドは暫し悩むようにしたが、それに応じて同じようにした。ブラックが乱暴にそれをぶつけた。少し零れた酒を口に含みながらも、アルノルドがブラックを見る目は当然ながら気を許した者のそれではなかった。

 

「完全に破壊した後作り直そうとするお前と、壊れていない部分を取り出し、隔離修繕を目指す私とでは異なる。最終的な決裂は決定事項だ」

「同士&敵だな。得がたいモノを二つも得られて嬉しいぜ」

 

 だが、ブラックのほうはまるでその警戒の様子はない。気楽に酒を飲み干し、ウェイトレスに呼びかけて追加を頼もうとしているくらいだ。

 

「それで?わかり合えたところで、まだ言うことがあるんだろ?わざわざここまで顔を出したんだからなあ」

 

 今回の接触はアルノルドからのものだ。新たなるイスラリアの王、若き太陽の化身のややたどたどしい交渉を肴にするように、ブラックはアルノルドを観察する。

 

「スロウスの撃破をお前に頼みたい」

 

 そんな彼の悪趣味を理解しているのかそうではないのか、アルノルドの返答は実に直球で、遊びがなかった。ブラックは少しつまらなそうにしながらも彼の返答に思慮を巡らせるように視線を彷徨わせる。

 

「ああ、活性化進んでるなあ。もう俺の故郷だった場所も、不死に飲まれたわ」

 

 大罪都市スロウスを飲み込んだ大罪竜スロウスの不死の領域の拡大は今も進んでいる。徐々に進む腐敗と不死者の増大は進行し、既にスロウス領はヒトの住めない領域へと姿を変えていた。

 大罪都市プラウディアとも隣接したその場所への対処は、プラウディアでも目下課題とされている災厄の一つである。

 その攻略依頼、ハッキリ言って無茶ぶりも良いところだ。天愚という特殊な力を持っているとはいえ、ブラックは未だ冒険者としては銀級であるのも無茶に拍車をかけている。

 

「お前等でやらねえのかよ」

 

 だがブラックは焦るでも断るでもなく、更に残された貝の身をぷすぷすとフォークで刺し貫いて行きながら、アルノルドへと尋ねる。

 

「憤怒の件以降、大罪竜に七天を動かす事を神官達に認めさせるのは困難だ。加えて、私は、バベルの権限を掌握できていない」

「政治と信仰、どっちのバランスもみなきゃならんのは大変だねえ」

「可能か?」

 

 改めての問いだった。ブラックは不敵に笑った。

 

「やってやるよ。だが対価はもらう。」

「それは?」

「天愚は俺のものだ。諦めろ」

 

 即ち、今日までずっと続いたブラックに対する【天愚】の回収作戦、その全ての引き上げ要請である。「太陽神ゼウラディアの断片」というこのイスラリア大陸を維持する要であり全てを、彼に完全に譲渡する、というのは容易な話ではない。だから、先代もどれだけ作戦が失敗しても彼への暗殺計画を止めなかったのだ。

 無論、彼と協力関係となる以上それは必然であるが、おいそれと頷くわけにも行かない。アルノルドは悩ましそうに沈黙し、顔を上げた。

 

「……もし、魔界に残存するもう一柱の神が出現した場合、ゼウラディアで対抗する必要が出る。その際には流石に天愚を返却してもらうぞ。」

 

 魔物、大罪竜、そして迷宮。向こうは間違いないなくその準備を進めている。万が一の時の対抗手段は絶対に必要だった。

 

「……」

「もらうぞ」

「……」

「おい」

「わ、わかってるっテー……借りパクなんてしないよオー」

 

 ブラックはしどろもどろになりながら頷いた。目が滅茶苦茶泳いでいた。全くもって信用できない態度だったが、アルノルドはそれ以上はなにも言わなかった。

 

「うし、じゃあ話が終わったって事で、飲むか」

「は?」

 

 が、流石にその後の彼の態度は彼も想定外だったらしく、目を丸くした。

 ブラックは今口にしている酒を飲み干すと、ウェイトレスに矢次注文を出す。どう考えても軽食と言って良い量を超えていた。話が済んだ後、さっさと出て行こうとしていたアルノルドは目を丸くして呆然とその注文と運び込まれてくる料理と酒を眺めていた。

 

「お前の想像通り、長い付き合いになるんだぜ?互いのこともっと知らねえとな?」

「お見合いか?」

「ご趣味はなんですか?」

「イスラリア救済です」

「奇遇ですね。私は破壊です」

 

 ブラックはおちゃらけて、アルノルドは淡々と返した。

 その後、この密談という名の飲み会が数十年間密やかに続けられていた事実は、イスラリア中の誰も知る由のない二人の秘密だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 そして現在、

 

「魔王様!」

「――――……ああ、なんだゲイラーか。暗殺者でもきたかと期待したのになあ」

 

 穿孔王国スロウスでブラックは目を覚ました。

 目を開くと、目の前にいた部下のゲイラーの顔をみて、つまらなそうにため息をつく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭囃子は近く

 

 

「あなた様を殺せる暗殺者などおりません!」

「黄金級すらも殺せる凄腕がいるらしいぜ?ワンチャン期待したんだがな。んで?」

 

 ゲイラーに尋ねる。何か面白い話でも持ってきたのかとおもったが、彼が両手に抱えているのは、何一つとして楽しいことなどなさそうな大量の紙書類であった。それを見ただけでブラックはげんなりと顔をしかめる。

 

「作業の進捗の確認を……」

「おやすみー」

「魔王様-!」

 

 二度寝をかまそうと思ったが、ゲイラーが泣き叫んだのでやむなく屋外に設置した簡易ベッドで伸びをして、彼が持ってきた書類に目を通して。速読でパラパラと読み通しながら次々と処理していくが、量が多かった。

 

「やれやれ、祭りの準備ってのは地道なもんだ。俺ってば働き過ぎでは?」

「魔王様が「おっしゃプラン前倒しで新兵器稼働させんぞー」とか言い出したのが原因なのですじゃが……」

「やはり一致団結で頑張らないといかんな、うん。頑張ろうかゲイラーくん」

 

 適当なことを言いながらも書類をさっさと処理していく。実際見ていくと、大罪竜グラドルを討つ際に国を滅ぼしたにも拘わらず、作業進行度合いは順調といえた。

 

 これなら、決戦には間に合うかね?

 

 にっちもさっちもいかなかった場合は“自爆特攻”の運営も視野だったのだが、この分ならその必要もないようだ。目の前のゲイラーも含めて、どうやらブラックが想像した以上にこの国に残った“物好きども”の数は多いらしい。

 

 ――全く、末世にふさわしい血迷った者達ばかりで大変よろしい。

 

「魔王様、世界は壊れますかな……?」

 

 そんな血迷った者達の代表者とも言えるゲイラーが尋ねてくる。冷静なようにみえて、言葉の端々からは期待が零れていた。魔王からの破滅の保証を待ち望んでいる。大変わかりやすくてよろしい。

 

「滅ぶのは確定さ」

 

 方舟を完全に治すのか、砕くのか、それはわからない。あるいは自分のように、どっちの目論みも漁夫の利で利用してやろうという悪党もいる。果たしてどちらの方へと世界が転がっていくかは今はまだ誰にも分からない。

 だが、世界は滅ぶ。今の世界の形は何をどう足掻こうとも決定的に崩壊する。それだけは確定だ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。お前の望み通りになるとは限らないぜ?」

「――――構いませぬ、滅ぶのであれば」

 

 魔王の言葉に、ゲイラーは魔王の言葉に微笑む。その表情は狂気じみていた。憎悪に満ち満ちた邪教徒達のそれとはまた違う、待ち望み続けていた希望が叶うことに対しての歓喜の笑みだ。

 他の物好き連中も似たり寄ったりだ。多種多様なる狂人達の集まりであり、国そのものが滅んでも尚、こんな奈落の底にいることを望む者達ばかり。

 

「さあ、頑張ろうじゃあないか、諸君」

 

 熱狂と轟音、激しく吹き上がる蒸気と何かしらの駆動音。騒乱というに相応しい自国を背負い、ブラックは笑う。あらゆる感情が凝縮された獰猛な笑みだった。

 

「派手に行こうぜえ?あの世のアルノルドが顔を顰めるくらい派手にな」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 白銀の大悪の竜

 黄金の神の勇者達

 そして地の底の黒き魔王

 

 崩壊していく世界のそのただ中、中心となった三つの勢力は蓄えていたその力を引き出して、今まさにぶつからんとしていた。

 誰が潰え、誰が勝利し、そして世界がどう変わっていくのか。それは最早誰にも分からなかった。

 強大なるそれらの力に与することも、拒絶する事も出来ない民達はただた両手を合わせ祈り、あるいは自棄になって目を背けるほか無い。膨大な力と、それが引き起こす奔流に、誰しも流されていた。

 

 ――――が、全く諦めの悪い者もいた。

 

《新谷博士、よろしいでしょうか》

 

 Jー04ドーム。

 新谷は新しくあてがわれた自室に引きこもり、惰眠を貪っていたところを、来訪ベルからの通信音声にたたき起こされた。昨日は、貴重な趣向品の酒を、与えられた地位と権限にかこつけて入手して、浴びるように飲んだ所為で頭が痛かった。

 

「……なんの用だ」

 

 コップに注いだ水道水を飲み干しながら、ウンザリとした口調で来客に応じる。

 

《実は、新谷博士に話を聞きたいという者が……》

「……は?そもそも君は誰だ?」

《佐上浩介、自警部隊の三等兵です。実はその……私の知人が――》

「帰ってくれ。済まないが、私は忙しい」

 

 馬鹿馬鹿しくなって、新谷は斬り捨てた。

 大方、中枢ドームの壊滅で混乱したドームの住民が、なんとか情報を集めようと自警部隊にかけあって、無理矢理自分から話を聞こうとしているのだろう。似たようなことは何回もあった。だが、心底どうでも良い話だ。

 誰の所為か、誰の責任か。

 そんなことを確認して安心したいのだろうが、そんなことはわかりきっている。自分の所為で、自分の責任だ。そしてもう取り返しが付かない。だからなにも言わない。

 事が終われば、袋だたきにでもされて、殺されてやるから、今はそっとして欲しい。そう願いながら、新谷は再びベッドに潜り込もうとした。

 

《……っぱ、……リだ……ちょ……ま》

《わか……ど…………すこ………》

《や、やめ、あ、あー!!!》

 

 何故か騒がしい声が続く。何事かと眉をひそめていると、不意にズドンという激しい破壊音が響いた。

 

「………は?」

 

 玄関の扉に何かが突き刺さっていた。

 金属の、巨大で鋭利な突起物が、何故か扉に突き刺さっていた。全く意味が分からず混乱する新谷の目の前で、その突起物はぎぎぎぎと、ロックされていた筈の扉を強引にへしまげて行く。確か此処の扉は暴動を抑えるために爆発にも耐えれるくらい頑丈な筈なのに、粘土細工のように歪んでいく。

 

「よっと」

 

 そして扉が見事にその用途を成さなくなった。

 

「あーもー……もう俺ドームにはいられねえなあ……美鈴にも言っとかねえと……」

「ウチで雇ってあげるわよ。というか、もうそうなってるでしょ」

「子供に雇われるのかよ、俺……あいだぁ!ごめんて!!いってえ!!」

「リーネ、膝はやめてあげた方が……」

 

 粉砕された扉を乗り越えるようにして自警部隊の防護スーツを身に纏った少年が一人入ってくる、ファンタジーで出てくるような巨大な大槍を担いで真っ直ぐに此方に近付いてくる。そして少年の後ろから、更にぞろぞろと3人ほどが情け容赦なく不法侵入してきた。

 

「ちょーっと失礼致しますね、シンタニさん?」

「な、なん、なん!?」

「シズクについて聞きたいことがあるので」

 

 その名前に驚き竦みあがってしまった新谷の胸ぐらを少年は掴むと、口端をつり上げる。その笑みと口調の軽さに反してその瞳はとてつもなく鋭かった。呼吸が止まるような冷たい目が、新谷を射貫き、彼の身体を硬直させた。

 

「いろいろと、手伝ってもらうぞ。オッサン」

 

 世界が滅びるその最中、ウルは動いていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの選択

 時間を遡る。

 

 シズクの正体が明かされた直後、方舟イスラリアと世界との境界が失われ、ウル達は神殿内部に残された魔力を使いなんとか転移で【竜吞ウーガ】への帰還を果たした。

 それから数日後。

 

「やあ、こんにちわ」

「……」

 

 ウーガの司令塔で働くリーネの下に、エクスタインが「遊びに来たよー」みたいな面構えで尋ねてきた。リーネは顔をひん曲げた。

 

「うん、まあこういう反応になるよね」

「一体どういうメンタルしてんのアンタ……」

 

 エクスタインは【歩ム者】のリーダーウルを貶めた実行犯である。無論、そこにエクスタインの意思が存在しなかったこと、彼はその陰謀の最中であってウルが動きやすいように手配したことは知っている(その結果、より凶悪な地獄に彼が送り込まれたことも)。

 とはいえ、普通に殺されても仕方が無いことを彼はしているのだ。何をのんきな顔で訪ねてきているのだ。

 

「いや、本当は詫び代わりにシズクの情報ウルにだけ伝えておこうと思ったんだけど、それどころじゃなくなっちゃったみたいなんで」

 

 イスラリアの空は割れ、銀の竜が顔を覗き、イスラリアは大パニックに陥っている。っそしてそれをしでかしたのが自分達の仲間だったシズクである。それを知ってる自分達には確かに今更な話だ。

 

「で、それならもう、もう殺されても良いかなって思って来た」

「狂気」

 

 帰って欲しい、と思うが、今はそれどころではないというのも現状だ。

 何せ世界は大パニックになっている。ウーガの内部は比較的静かではあるが、他国から様々な要請がとんできているのだ。今はウーガが王から賜った独立権を盾にして一時的に要請の全てを遮断している。

 どのように動くにしても行動は急がねばならない。ならないが、すぐには動き出せない。ウーガが独立した以上、ウーガの方針を定めるのは【歩ム者】となる。自分達が決断しなければならない、のだが、実務的な方針を取り仕切っていたシズクは消えた。

 そしてウルはというと、

 

「彼に挨拶しておきたいんだけど、どこに?」

「女王の寝室」

「お楽しみ中?」

 

 リーネの答えに平然とエクスタインは応じた。リーネは眉をひそめる。

 

「発狂すると思ったけど」

「僕、性的には彼に興味ないので全然平気です」

「この世で最も不必要な情報ありがとう。今すぐ忘れるわ」

 

 本当にいらん情報である。考えることが多い所にそんなノイズが入り込む余地はない。

 

「目を覚まさないのよ」

「……病気とか?」

「多分、自分の魂に潜る瞑想中……なんだけど」

 

 ディズ協力の下、ウルは定期的にそれを行っていた。自分の内側に入り込んだ竜達と対話するため、自分の内側に精神を潜り込ませる作業。ひたすらに眠り続け、飲食を必要としない仮死状態のような瞑想は間違いなくソレだった。

 「寝る」と宣言してから暫くは、彼は普通に眠るだけだったが、しばらくした後彼はその状態に陥って、今に至っている。

 

「あんなことがあった直後、疲れ果てて、自分の中に引きこもってる可能性も……」

 

 あまりにも衝撃的に過ぎる世界の真実、腹心とでも言うべき仲間の裏切りと、ギルド員の次々の離反。心労が限界を迎えたって、ソレは仕方が無いことだとは思う。それをリーネも責める気にもならなかった。

 

「ああ、それはないよ」

 

 が、しかし、そのリーネのつぶやきに対して、エクスタインは軽く肩をすくめて笑った。リーネは眉をひそめる。

 

「……いや、何が分かるのよアンタに」

「ないでしょ?」

 

 エクスタインはリーネにも問う。

 いや、アンタ、魔界でどんだけ酷い情報叩きつけられたかわかってんのか、とか、理解者ヅラで適当いうんじゃないわよ、とか、色々言いたいことはあった。

 あったの、だが。

 

「…………まあ、確かに、無いわね」

 

 言われると、彼がふてくされて引きこもる光景だけは全く想像できなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 エシェルの寝室にて、

 

「…………」

 

 自分のベッドに運び込まれ、懇々と眠り続けるウルの顔をエシェルは眺める。本当に、穏やかな表情で身じろぎ一つせずに眠り続けている。その状態から揺すっても声をかけても目を覚まさない。

 

 この事態、この混沌において、休んでいるヒマはないのかもしれないが、眠る権利はあるとエシェルは思う。

 あんな地獄のような戦いを経て、その後悲惨な世界の真実を聞かされて、挙げ句の果てに仲間に裏切られて、酷い目に沢山あった。

 

 休んだって、バチは当たらない。彼を責める者がいたら自分がぶん殴る。エシェルはそう決めていた。

 

「エシェル様」

「うん」

 

 今日も彼の無事を確かめて、その額を撫でた後エシェルは寝室から外に出る。今日も大忙しだ。ウーガ内の住民達も大混乱のまっただ中だ。彼らとも話をすりあわせて、意思を統一させなければならない。直接ウーガに助けを求めて避難してきた者達もいるから、彼らとの対処も必要だ。いきなり独立権を得たからと言って、グラドルとの関係がいきなり断たれる訳でもない。ラクレツィアと話もしなければならない。

 

 やらなければならないことは多い。シズクがいない分、それを全てこなす。

 

「……あまり、無茶はなされないように。貴方も大変な目にあったと聞いています」

 

 普段、エシェルの行動に絶対に口を挟まないようにしていたカルカラが小さく苦言を呈した。勿論それは自分を気遣ってくれていることだと分かっている。だからエシェルは小さく頷いて、安心させるように笑った。

 

「大丈夫、体調は良い」

 

 本当に、驚くほどに体調が良い。実際、グリードとの戦いで死にかけるほどの無茶をしたのは事実であるはずなのに、びっくりするくらいに元気だ。自分がどんどんとヒトであることを辞めている証拠なのかもしれないが、構わなかった。

 むしろ、ありがたい。彼のために動くことが出来るのだから。

 

「彼が起きた時、どうするにしても動けるように、準備だけは進めたい」

 

 逃げるとしても、戦うとしても、彼の願いを尊重すべく、エシェルは動いていた。

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 一方その頃、当人であるウルはというと

 

「…………」

 

 リーネの推測通り、瞑想状態に陥っていたウルは、自分の内側に潜り込んでいた。真っ黒な空間の中には、主であるウルと、シズクの【招集】から免れた大罪竜ラストと大罪竜ラースがいた。

 

「…………」

『…………』

『…………』

 

 ウルはあぐらを組んで座り込み、ラストは腕を組んで立ち、そしてラースはウルの頭によじ登ってしがみついている。そのままやや珍妙な表情を浮かべた三者の視線の先には、三者の表情以上に珍妙な存在があった。

 

〈…………〉

 

 ちっさい翼の生えた、白い服をきて、蒼い髪色のめちゃくちゃ小さな子供である。何故かウル達の視線に対しておびえるように自分の服を掴んで縮こまっている。

 

「……で、お前なんなの?」

 

 ややあってから、仕方なし、というようにウルは尋ねた。

 

〈ノアれす〉

「……のあ。でなんの用だよ」

 

 問う。するとぴょこんと飛び上がり、嬉しそうにノアは言った。

 

〈依頼発注・惑星救済・お願いします〉

「出来るかボケ」

〈うぁ〉

『ないた』

「泣いたなあ」

 

 ウルは総合監視機構ノアを泣かせていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの選択②

 

 【竜吞ウーガ守護部隊、白の蟒蛇】基地にて。

 

 ジャインは“この状況”に陥る以前の状況、大罪迷宮グリードの攻略にウルたちが向かった時点で、何かしらの予感はしていた。ラビィンのような第六感に近い【直感】とは違う、経験則から生まれる、肌が泡立つような予感を感じ取っていた。

 だから、ウルたちがグリード討伐に向かった直後から、あらゆる備えをしていた。“こうなってから”、ウルたちがすぐにウーガに帰還できたのは、ジャインたちが準備を進めていたというのも大きい。

 ジャインたちはしっかり備えていた。それは間違いなかった。

 

「まあ、そりゃ、備えちゃいたけどよ。何が起こってもいいようにって…」

「そうっすねえ」

 

 白の蟒蛇のジャインは深々とため息をはき出して、窓の外から覗き見える外の光景を見つめる。砕けた空、遠くにうごめく白銀の竜、世界終焉のその光景を前に、ジャインはもう一度ため息をはき出した。

 

「此処までとんでもねえことになるのは流石に想像つかなかったな……」

「想像できたらそいつの頭おかしいっすよ」

「そりゃそうだ」

 

 エシェル達がボロボロの状態で帰還した後、彼らはグリード探索から魔界へと至り得た情報の全てをジャイン達に伝えた。無用な混乱を招かないように、住民達にはある程度は伏せたが、ジャインには一切を隠さなかった。

 結果として、世界が正常であれば口封じに殺されてしまわれかねないような秘密を知ってしまう羽目になったのだが、それでもエシェルはジャインに何も隠さなかった。

 ありがたい、とは思う。その上で判断しろとこちらにゆだねてくれたのだから。

 

「シズクはイスラリアの敵、か」

「正直あんまおどろかない……とは流石にいえないっすけど」

「おまけに魔界とイスラリアでの大戦争……全く、えらいことになったもんだ」

 

 と、いうわけで、とジャインは集まった【白の蟒蛇】のメンツに視線を投げつける

 

「こっから先は本当の本当に、安全安心とは無縁の混乱が待ってる。抜けたいなら今のうちだ。止めないから好きにしろ」

 

 今回、一同で集まったのは仲間達の意思を確認するためだった。

 間違いなく、これからさきウーガがどのような選択をするにしても、間違いなく混乱が待ち受けている。必然的に【守護隊】として、ウーガの守りを担うジャイン達は矢面に立つ事になる。ソレは確定だ。

 だが、いくらなんでも世界滅亡の危機に、矢面に立てというのは酷だ。故にこそ、最後の逃げ道をジャインは用意した。

 

「…………」

「……いや、まあなあ」

「そうよねえ……」

 

 そう、用意した筈なのだが、彼らの反応はあまり芳しくなかった。そうしているウチに一人が手を挙げた。

 

「リーダー、俺今度ここで結婚すんだけど」

「知ってる、おめでとう」

「私はそろそろ引退しようかってウーガに店構えようとしたところ。だから金欲しい」

「嫁が妊娠してる」

「俺、ちょっとウーガで借金つくっちゃって……」

「だっせえ理由だなオイ」

 

 各々好きに喋り始めて、口々に此処にとどまる理由を述べ始めた。ジャインは苦い顔になるが、ラビィンは「まあそりゃそうっすよね」と涼しい顔だ。その内、白の蟒蛇の中でも一番の古株の男が肩をすくめ、苦笑した。

 

「ジャイン、今更だぞ」

「そうらしいな」

 

 ジャインは頭を掻いた。

 確かに、今更だ。もうとっくに【白の蟒蛇】はこのウーガという場所を故郷(ホーム)として定めている。生活の拠点、というだけでない。自分が守るべき場所、自分の帰る場所だと、彼らは決めているのだ。

 此処を失うのは、安全安心じゃない。

 ジャインはとっくにそれは分かっていたが、どうやら仲間達にとってもそうらしい。

 

「否応なく、一蓮托生か……」

「言ったじゃないっすか。そうなるって」

「言ったな……」

 

 ラビィンの言葉にジャインは笑った。

 ウルを上手く利用してやろうと画策して彼に交渉を持ちかけて、逆にまんまと取り込まれた時、ラビィンが言ったことは本当に正しかった。もうとっくに、自分達は降りることができない舟の上にいるのだ。

 

「……俺たちが乗った舟は泥舟か?」

「泥舟ならすぐ沈むって分かったすけどねえ。この舟はもっととんでもないゲテモノすよ」

「それもそうだな……そんでお前はどうする」

 

 最後、ラビィンに尋ねる。ラビィンは何一つ揺らがない目でジャインを見返す。

 

「ジャイン兄と一緒にいく。ジョン兄の墓も、ここに造ってもらえたしね」

「そうかい」

 

 ジャインはラビィンの頭を優しく撫でた

 

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「で、結局コイツはなんなの」

『方舟 を  縛っていた  鎖だ』

 

 ウルの質問に、大罪竜ラストは実に楽しそうに答えた。その片手で小さなノアの服をつまみ上げると、ぴぃぴぃと泣きながらノアはじたばたし始めた。

 

『住民達を監視し  管理し  方舟の脅威を  粛正する者 【方舟】の統制機構よ』

「粛正、あの目玉か」

 

 グリードとの戦いで干渉してきたあの不気味な瞳をウルはおもいだす。グリードのみならず、ウル達にも襲いかかってきたアレらは、強く恐ろしかった。結果としてグリードに一蹴されたが、アレ単体で見れば十分な脅威だった。

 

『“魔力工房ゼウラディア”と共に  忌まわしく不愉快な創造主の  作品だ …………  ああ、  やはり   言語統制も 解けている  さてはフォーマットしたな?』

「ふぉーまっと?」

『ラースと  同じ  生まれ直した  だからそんな  純粋無垢な訳だ  もう目玉も  操れまい』

 

 そう言ってつまんだままのノアを顔に近づけると、ラストは引き裂かれんばかりに口を大きく笑みに変えて、囁いた。

 

『正常に戻ったら  世界が崩壊していた気分はどうだ?  同胞  いや  親戚か?』

〈みぃ……〉

『ないた』

「泣いたなあ……いじめるのやめたれ」

 

 ラストからノアを取り上げる。ラストは鼻を鳴らし、つまらなそうにぴすぴすと泣き続けるノアを見下すだけだ。まあ兎に角、このノアの素性というのは大体理解できた。だが、問題は何も解決していない。

 

「結局、どうしろと?」

 

 正直扱いには困る。

 ウルが自分の内面にこもっているのはあの魔界の大騒動の後疲れ果てて眠ったら、うっかり昏睡して此処にたどり着いただけだ。多分純粋に心身に限界が来たから昏睡したのだろうが、感覚的にそろそろ目を覚ますことは出来る。

 出来るのだが、この新たにやってきた異物、ノアを放置して無視するのもなんというか憚られた。そもそも何故にそんなよくわからんものが自分の内側にいるのかすらよくわからない。

 

『いらんなら  なぶり殺しても 良いか?』

〈ぴぁ……〉

「ダメだっつの、っつーかノアは結局どうしたいんだよ」

〈依頼発注・惑星救済・お願いします〉

 

 すると再びウルに同じ事を言う。結局こんな調子だ。世界救済とかやたらめったらスケールがでかすぎる事を命令されてもできんとしかいいようがない。

 というか、絶対頼む相手を間違えてる。

 

「なんで俺の所に来たんだか」

『あなたがその可能性を持っているからでしょうね』

 

 その時、更に別の声が背後から響いた。

 ウルはその声を聞いた瞬間、全身が跳ねるような恐怖に襲われ、冷や汗をかきながら即座に振り返った

 

「っおっぉぁ……!?」

『あら、ひどい反応』

 

 とても幼い少女の姿をした大罪竜グリードは微笑みを浮かべていた。ウルは驚愕のあまり喉がひっくり返ったような変な声が漏れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの選択③

 【竜吞ウーガ】ダヴィネの工房にて。

 

「あいつら一体どういう戦いをしてきたんだ!!?」

 

 工房主であるダヴィネの前には、大罪迷宮グリードから帰還したウル達の武具の数々が並んでいた。それらは修理の為にとダヴィネの下に運ばれたものであったが、それらにダヴィネは一つたりとも手をつけていない。

 理由は一つだ。

 

「こんなもん直せるか!全部新しく打ち直しだ!!!」

 

 修理なんて、やりようがなかったのだ。

 ダヴィネは最高傑作の武具の数々をウルにもたせた。手抜かりなど一切なく創り出した武具の全ては、その悉くが修復不可能なレベルで粉砕されていた。再利用なんてやりようがない。もう完全なスクラップだ。

 

 その結果はダヴィネにとって腹立たしかった。自分の作品を否定されたのだから。

 だが、一方で、これほどまでに創作意欲のわき上がる敗北はなかった。

 

「不足、足りなかった……!?俺の作品が……!!」

 

 ダヴィネは口端をつり上げながら鎚を振るい、武具を次々と創りあげる。まだウルは眠ったままだ。別に頼まれたわけではない。だが、ダヴィネは誰に命じられるでもなくそうしていた。ウーガに来てから使う暇も無く溜め込んだ大量の資金全てをつぎ込んで、ありとあらゆる鉱物資材を集めまくった。

 

 ああ、くそったれ!最高だ!!!

 

 最早休むヒマすら惜しいといわんばかりに、彼は鎚を振る。もっと良い武具を造る。今度は壊れない、最凶の竜の牙にすら打ち勝つほどの最強の物を造る。

 楽しい。やはり、物を造るのは楽しい!

 それが、自分でも出来るか分からないほどの困難であるならそれは最高だ!!!

 生まれてから経験したことも無いほどの爆発的なモチベーションと共に、彼はひたすらに武器を打ち、尋常ならざる速度と精度で次々に新たなる剣を生み出していった。

 

「相変わらず絶好調だなぁ、ダヴィネさん」

 

 そんなダヴィネをペリィは呆れたような、感心したような表情で見つめる。汗だくになったダヴィネは一呼吸入れると、茶々をいれてきたペリィを睨んだ。

 

「んだペリィ!ぼやいてないで仕事しろ!」

「夜は店もあるんだから勘弁してくださいよぉ」

 

 そう言いながらも彼は工房内で職人達の手伝いをするためにせわしなく動いていた。焦牢で、ダヴィネの小間使いのように働いていたことも一応はあったので、工房の仕事に戸惑うことはなかった。

 

「なんだ、こんな状況になっても店やってんのか」

「俺も休もうと思ったんだけど、何時もやってる店が休みだと怖いんだってよぉ」

 

 ペリィは唸る。

 空が割れて、銀竜が覗き込み、ウル達がボロボロになって帰ってきて、シズクは戻らなかった。そんな異常事態に対して、やはり不安に思う住民達は多かった。

 そんな彼らの不安が和らぐならと、ペリィは今でも酒場を開いている。

 

「ダヴィネさんの造ってくれたコップも人気だぜぇ、綺麗で安心できるってさぁ」

「当然だ!また造ってやるよ!」

「ありがてぇ」

 

 ケラケラとペリィは笑う。すると不意に、割って入るように作業着を着た少年がダヴィネの前に駆けてきた。

 

「ダヴィネさん!!道具の準備出来ました!!」

「おう!!テキパキ働けよ!!」

「はい!」

 

 やや無理矢理声を張り上げるようにしながら少年は駆けていく。その彼らの姿を見て、ペリィは首を傾げた。

 

「なんだっけ?バカなボンボン?流石にもう実家に返したんじゃ無かったっけ?」

「残りたいって変な奴が何人かいたんだと!だから働かせてる!」

「物好きだなぁ」

「バハハハハ!!こんな状況に酒場やってるお前がいうか!」

「こんな状況に鎚叩いてるアンタにいわれるこっちゃねぇよお」

 

 奇人に物好きにはぐれ者、混沌としたウーガの中で天才の笑い声と鎚が武具を叩く音はいつまでも響き渡った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 神官見習達の宿舎内。

 

「こんなことになってしまうなんて……」

「どうなっちゃうの……私たち」

「太陽神様……」

 

 グラドル出身の従者達であり、神官見習いとしての訓練を続けてきた彼らの表情は暗かった。といってもそれは至極当然のことではある。

 月の、この世界を滅ぼす邪悪なる神が世界を滅ぼそうとしているのだ。それを見て尚笑っていられる方が異常で、彼らの方が正常だ。元々彼らはそこまでタフな精神を持ち合わせていなかった。そこに加えてのこの大混乱は彼らの心をへし折るには十分だった。

 

「逃げよう」

 

 誰かが言った。

 彼らの間では何時も交わされる言葉だ。辛い訓練に恐ろしい教官(カルカラ)、逃げ出したいと愚痴を漏らすのは何時ものことだ。だけど今回ばかりは本気の声だった。

 逃げよう、逃げなければならない。生存本能を揺さぶる心からの悲鳴だった。

 

「……どこに行くのよ」

 

 しかし、そんな悲鳴を同じ従者の一人が否定し、首を横に振る。

 

「だって、こんな場所だぞ!?絶対厄介ごとに巻き込まれるんだぞ!」

 

 その男の発言は、確かに正しい。彼は状況を良く理解していた。ウーガという場所は特別だ。ソレはもう彼らもとっくの昔に理解していた。何をどう上手く立ち回ろうとも、否応なく、混沌が起こればその中心に巻き込まれてしまう。ここはそういう場所なのだ。

 

 身を守りたいなら、逃げるしかない。その言葉は正しい。しかし、

 

「……フウは?あの子はどうなるの?」

 

 一人が言った。

 風の少女。ずっと自分達を励まして、助けてくれた少女のことを従者の皆は想った。

 

「あの子に、居場所なんてないのよ。ここ以外」

 

 そう、彼女には居場所はない。

 不義の子、名前を名乗ることすら許されずに捨てられた少女。今でこそ彼女は活気溢れる姿を見せているが、しかしそれはこの場所がウーガという特別な場所だからだ。

 もしも彼女が外に出てしまえば、どうなるだろう。風の精霊の加護を持って、特別な才能を有しながら、しかし名前も名乗れない呪いを被った少女。あまりにも彼女は目立ちすぎるし、特別すぎる。隠しようがないほどに。

 ウーガという聖域から外に出てしまえば、彼女はきっと今のようには生きられない。それは明らかだった。

 

 そしてその事実を理解して、沈黙し、項垂れるだけの情は、神官見習い達の間で育まれつつあった。

 

「だったら、あの子も連れて行けば……!ウチなら多分まだ……」

 

 そんな風に誰かが言い出したその時だった。宿舎の外でどたばたと音がした。

 外を出てみれば、宿舎のすぐ傍にある倉庫の中、ウーガが生み出される前の“仮都市”で自分達が持ち込んだ魔道具類が纏めて保管されているその場所がひっくり返されていた。

 

「皆さん?どうしました?」

 

 誰であろう、自分達が話していたフウが、その力で元気よく、倉庫をかき回していた。その隣でグルフィンが頭を抱えている。

 

「フ、フウ?なにしてるの?」

「風の力に作用する魔道具があったので探しています。グルフィン様が持ってきていたみたいなので!」

「だからそれは暑いのがいやだったから持ってきたもので大したものかはわからん…………って、おちつかんか!!!」

 

 どんがらがっしゃんと倉庫がひっくり返る。巻き起こる埃も即座に吹っ飛ばしながら、フウはにっこりと微笑みを浮かべた。

 

「大丈夫です。私が皆を守ります」

「いや、守るって……!」

「だって、皆さんここ以外居場所なんてないでしょう?」

「おごふぅ……!」

 

 そのあまりに言葉を飾らない指摘に、グルフィンのみならず見習い達全員がダメージを負った。確かにそれは事実ではあった。フウの事を皆心配していたが、決して自分達は大丈夫だという話ではなかった。

 

「私は皆さんの中で一番強いです。だから安心してくださいね」

 

 目当てとなる魔道具を見つけたのか、フウは見習い達を安心させるようにニッコリ笑うと、そのまままた別の場所へと移動していく。グルフィンは慌てて追いかけていくが、本当に嵐のようであった。

 

「……なんというか、本当に元気になったな、フウ」

「守ってやるつもりが、守られそうだぞ。我々……」

 

 しみじみするやら情けないやらで見習い達は項垂れる。だが、ずっとそうしているわけにも行かない。その内一人が立ち上がって、意を決したように声を上げた。

 

「……やるぞ」

 

 その言葉には、全てを割り切って覚悟を決めたような思い切りの良さは皆無だった。

 むしろ不安そうで、今にも震えだしそうな声だった。しかしそれでも、自分のその発言を翻すような事はしなかった。そしてそれに応じるように全員が立ち上がる。

 

「あの子みたいに天才じゃない。出来る事なんてこれっぽちだ」

 

 だけど、それでも

 

「あの子と、あの子の居場所くらい、守ってやれるさ……!」

 

 家族からも爪弾きにされたはぐれ者達は、それでもと顔をあげる。自分達に手をさしのべてくれたたった一人の少女の居場所を守る、その為だけに。

 

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『っげ  え……』

『ぐりーど』

『ラース、元気そうね。会えてよかった。ラスト、あなたはなんて顔してるのかしら』

 

 ウルの上に乗っかったラースはグリードへとパタパタと手を伸ばす。その手を握って頭を優しく撫でた後、グリードはラストを睨んだ。ラストはというと、かなり面倒くさそうな表情になりながら若干後ろに下がった。どうやらラストもグリードの事は苦手らしい。

 

『……  何故知能体が  こっちに来ている  最後の討伐者は  天剣だろう』

『貴方たちがいるし、こっちの方が楽しそうだから、きちゃった♡』

『――――……』

 

 貴女みたいに自分を増やせれば良かったのだけどねえ?とクスクスとグリードは笑う。

 尚、ラストは絶句した。

 

『そんなに心配しなくても良いのよ?本来の月神の機能にない、後付けの“勇者の代役”であるが故に、徴収を免れたけれども、大部分の力は“彼女”にもっていかれたわ』

 

 貴方たちと同じで、自身と、自身を保つための権能は残されたけど、神々とは比べるべくもないわね。と彼女は悲しそうに微笑んだ。

 

『すっかり最弱の竜に逆戻り。悲しいわね』

『………… お前は   最弱の時の方が  遙かに怖ろしい   だろうが』

『あら、あら、あら、そんなに嫌がられることしたかしら?』

『ぐりーど、らすと、ぶっとばした』

『……?……ああ、方舟に来た直後、ラストがイキリ倒してた時ね、懐かしいわあ』

 

 グリード達との気安いやり取りの声を一つ一つ聞いてもウルはぞわぞわとした感触が全身を襲った。今の身体は実際の自分の身体ではないが、心臓が嫌な感じに震えるような気分だった。

 声を聞くたびにあの戦いが思い出されて、肉体が忌避反応を起こしている。

 

「び、びった……」

『そんなに怖がらなくても良くないかしら?殺されたの私の方よ?』

「よく言うわ、トラウマもんだからなお前……」

 

 大罪竜なんて誰も彼も似たような物で、それぞれに地獄だったと言いたいがその中でもグリードはとびっきりだ。本当に、心の底から二度と戦いたくはない。次にやりあったら絶対に殺される自信しかない。

 そのウルのびびりように、グリードは楽しそうに笑った。

 

『おかあさん哀しいわ。助けてあげようと思って、むりやり目を覚ましたのに』

「無理矢理……?」

『心配しなくても、もうすぐ眠るわ』

 

 そう言って小さくあくびをする。本当に眠そうだった。

 無理矢理覚醒した、というのは本当らしい。が、しかし

 

「それで、助け……?」

『ソレの使い方』

 

 そう言ってグリードが指さすのは、ぷるぷるとウルに抱えられて震えているノアだった。そのノアを指先でなぞりながら、グリードは更に続ける。

 

『本質的にノアは道具なのよ。そして今その使用者(ユーザー)はあなたに定められている』

 

 そう言ってグリードはウルを見る。

 

「……つまり?」

『道具は基本的に自分の意思では動かない。逆を言えば、命じれば貴方に必要な情報をノアは提供してくれるわ』

 

 何せ1000年間、方舟イスラリアを監視してきたのぞき魔ですものね?とノアに尋ねると、ぴぃぴぃとノアは頷いた。

 

『フォーマットされて、余分な機能が失せたから、できることはすくないでしょうけど?情報げんにはなるはずよ?』

「…………」

『だから、ねえ。貴方次第なの、ウル』

 

 強欲の竜は、ウルの頭を随分と小さくなった掌で掴み、囁いた。

 

『貴方の願いはなあに?』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウーガの選択④

 Jー04地区の住民、自警員の一人である浩介は今現在、

 

「ぶっはあ……」

 

 竜吞ウーガと呼ばれる化け物めいた生物の背中で荷運びの仕事に従事していた。

 何故にこんなことをしているかと言われれば、端的に言うと「流れで」である。

 例の月神シズルナリカ復活の大騒動の後、浩介達は困り果てていた。J-00の崩壊、月神の出現、憎むべき方舟イスラリアがその姿を現したという事実、その果てに起こった大混乱と大騒動は全てのドームを機能マヒさせてしまった。

 結果、浩介達は立ち往生だった。しかしこのままでは不味かった。今すぐ治療が必要なけが人達は多くいたのだ。このままでは見殺しだ。そう思っていた矢先だった。

 

 ―――ウチに戻れば魔力も潤沢だし、全員治療できるわよ。来る?

 

 そう、幼い子供―――もとい、リーネから提案され、隊長がその意見に同意し、全員で方舟イスラリアに移動することとなったのだ。

 よくわからない鏡をくぐり抜けた先が“方舟”だなんて、完全にコミックの不思議道具である。夢を見ているような気分だったがこれは現実だ。だから今も浩介はこうしてウーガで労働している。

 

「俺……どうなんのかな」

 

 狭い、ウーガの空からでも、砕けて割れた空と、白銀の竜が見える。

 月神シズルナリカ。

 邪神ゼウラディアを砕くための自分達の守護神。で、あるはずなのに、それに対して信仰心は芽生えない。それは、あの神が神聖なる上位存在でも何でもなく、少女であることを知ってしまっているからなのか、それとも―――

 

「おいコースケ、あんま無茶すんな」

 

 今、自分達はウーガの住民達に世話になってしまっているからなのか、わかりかねた。

 

「大丈夫、だよ、働ける!」

「魔界の連中、貧弱だからなあ。別の仕事あるぜ」

「平気だっつの!タダ飯くらいなんて、ごめんだ!」

 

 浩介よりも遙かに重い荷物を次々に運ぶガザに、浩介は声を張り上げる。

 この労働は、別に強いられたわけではなかった。当初はケガ人達の治療を終えた後、軟禁という形で話が進もうとした。正しい判断だとは思う。自分達は、言ってしまえば敵国の兵士なのだ。そうする他ないと思った。

 

 ―――魔界の住民?へー、よくわかんねえけどメシ食えよ

 ―――若いのに大変ねえ。ほら、お菓子もあるわよほら

 ―――なるほど、大変だったな。メシ食べるか?

 

 流石に、タダメシ食べてずっとごろごろするのは、色々と沽券に関わった。

 怪我人達の治療と、食事と停泊分の労働を浩介が提案すると、隊長も同意し、結果として今自分達はウーガで働いている。やたらと力があって頑丈な彼らと比べると、自分達がどこまで役に立てているかは分からなかったが、兎に角働いた。

 

 そうして働いていると、否応なく気づかされることはある。

 

「そーかよ。ま、無理すんなよ?今、めっちゃややこしいし、なにもしないで休んだって、文句言われねえって」

「というかガザ、アンタは自分の仕事なさい。先輩ぶってるヒマないのよ」

「わ、わかってるって……」

「……」

 

 こうして自分を心配して笑いかけてくるガザやレイを見ても、ハッキリ分かる。

 方舟の住民は、別に悪魔でも、人間の形を模した化け物でもない、普通の人間だと。

 

「……良いのかよ。俺はお前等の敵だぞ」

 

 尋ねる。その質問は浩介がウーガに流れ着いてから幾度となく繰り返した質問だ。その問いに帰ってきた答えは様々だ。そもそもその事を自覚していない者。正しく嫌悪を返してきた者。子供に怒りを向けるのはなあ、と頭を掻く者、様々だ。

 

「聞いたぞ。俺たちの兵器(りゅう)で、アンタ酷い目見たんだろ。むかつかないのか」

 

 それを聞くとガザは、ぽかんと首を傾げた。

 

「あー?お前がやったんじゃねえだろ?」

「そう、だけど」

「じゃあいいさ」

 

 あまりにも明快な答えが返ってきた。

 この世界を巡る呪いと因果は、そんな単純なものでは無いはずだ。浩介だってそれくらいはわかる。ガザの答えは思慮が足りない、頭の悪い答えであるような気もした。だが、

 

「身に覚えない奴責めても、気分良くないしな!」

 

 身体に、魔界の兵器に焼かれた壮絶な傷跡を残しても尚、快活に笑う彼を見ると、なんだかたまらなく悔しくなった。

 

「まあ、このバカはバカだから良いけど、あまりそういうこと色んなヒトに聞くものじゃ無いわよ」

「……ああ」

「それと―――」

 

 そう言って、レイは一瞬浩介へと手を伸ばそうとして、すぐに引っ込めた。それが未だこの世界に対する不審と呪いを拭えずにいる自分に対する気遣いだと理解できた。

 

「あのバカは見習わなくて良いから。貴方だって被害者で、私たちは加害者でもあるんでしょ?」

「……」

 

 そう言って、レイもまた次の荷物を取りに行く。浩介は彼を見送った後、動かず、しばらく沈黙を続けていた。すると、

 

「浩介」

「隊長」

 

 彼と同じように労働に従事していた隊長が声をかけてきた。彼は荷物を浩介の傍に下ろすと、此方をのぞき込むようにして尋ねる。

 

「平気か。無理はするなよ」

「はい……隊長」

「なんだ」

 

 浩介は、目の前に広がる光景を見つめる。大混乱が起こり、せわしなく沢山の者達が対応に追われ、汗水を垂らしている。時々喧嘩は起こる。困惑して泣きそうな顔をしている者もいる。だけどそう言った者達に、誰かが声をかけて、仲裁したり、慰めたりしている。

 皆が皆、迷いながらも、前へと進もうとしている。

 それを見た浩介は歯を食いしばり、堪えるようにして、言葉を絞り出した。

 

「此処は、良いところですね……」

「ああ……」

 

 例え、方舟が世界を呪う悍ましい場所であったとしても、

 自分達を苦しめた元凶の場所だったとしても、

 ここは良い場所だった。そこに住まう彼らは、好ましい人間達だった。

 

 浩介が泣きそうになってうつむくと、隊長は彼の頭を優しく撫でた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜呑ウーガ、エシェルの寝室にて。

 

「よく寝た」

 

 長い昏睡状態にあったウルはごくごく普通に目を覚まして、頭をかいた。意識の混乱も身体の不調も無かった。長い間積もりに積もった疲労が全て溶けて消えたようなすっきりした気持ちだった。ウルはそのまま身体を伸ばし、

 

「ウルゥ!!」

「おごふ」

 

 腹に女王からのタックルが直撃した。どうやら自分が寝ていた間つきっきりで自分を診ていてくれていたらしい彼女は、泣きながら恐ろしく強固な力でウルを抱きしめている。大分心配をかけたらしい。

 

「お目覚め?」

「ああ、なんとかな」

 

 そして、同じく部屋にはリーネもいた。突然仲間達が大量に離脱してしまった【歩ム者】の仲間達が目を覚ましてすぐそばにいてくれたことにウルは安堵した。

 思った以上に、彼女たちの離脱はウルにとってもダメージだったらしい。

 

「んで、状況を聞いても?此処はウーガだから、イスラリアには戻れたんだろうが……」

 

 尋ねると、リーネは肩をすくめ、窓のカーテンを開いた。エシェルの寝室は司令塔の最上階だ。それ故に、ウーガの防壁の中心、外の光景がよく見えた。

 赤黒い空と、禍々しいよどみ。イスラリアが完全に崩壊している光景が見えた

 

「地獄」

「はい」

「貴方と経験した“最悪な状況ランキング”のトップクラスね」

「グリードよりも?」

「そりゃあ……ああ、いえ、どうかしら。あの竜本当に最悪だったから……!」

「あの竜とだけはもう二度と戦いたくないぞ私……」

 

 そんな無駄な雑談を続けていく内に、わずかに残っていた眠気も消えていく。

 完全に身体の調子をとりもどしたウルはベッドから起き上がると、地獄となった外の世界を見つめながら、頷いた。

 

「時間猶予はあんまり無い。わるいけど片っ端から動き回る。手伝ってくれるか?」

「勿論」

「ま、じっとしてる方が気が滅入りそうだしね」

 

 ウルの言葉にリーネとエシェルは即座に頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そして彼は / 開幕

 

 そして時間は現在に戻る。

 

 魔界 J地区 Jー04ドーム 新谷博士の私室にて。

 

「子供達を集団生活させて、衰弱死を強制した相克の儀による(うつわ)の強化……」

「正気の沙汰かよ……!?」

 

 新谷博士の私室。J-04ドームの僻地に用意された彼の自室には、招かれざる来客達が詰めかけていた。一人は自警部隊の一般兵であるのは間違いなかったが、残り3人は違う。

 一人はやや小柄だが、一般的な人類と体格に違いの無い少年だ。ただし、巨大な槍のような武器で扉をこじ開けて押し入った事から、間違いなく魔力による肉体強化が施されている。イスラリアの住民だろう。

 一人は女児のような背丈だが、顔に幼さが全くない。指先がやや長い。イスラリア内での精密作業を目的として生み出された人種、小人に違いなかった。

 更にもう一人、ヘルメットを外すと獣のような耳がのぞき見えた赤黒い髪の少女までいた。獣人、イスラリアのなかでも戦闘能力を重視して創り出された人種。ことごとくがイスラリアの住民達だ。

 

 イスラリアにおける雫の仲間

 

 そう名乗る彼らに、新谷は自分の部屋を制圧されていた。

 いうまでもなく、イスラリア人にとって新谷は魔物や迷宮をイスラリアに送り込み、雫をけしかけた元凶だ。ハッキリ言って、何時殺されても全くおかしくもない状況だった。

 

「……無論、狂気の産物だとも……当時の最深層はまともじゃなかった」

 

 だが新谷は、彼らが部屋に押し入った後、特に抵抗することはなかった。イスラリアで魔力を獲得し、超人化した彼らに対抗する手段がないと諦めていたのが一つ。もう一つは、元よりそうするだけの気力が存在していなかったというのがある。

 

「長期の研究の停滞、迫る資源の枯渇。不完全な延命手術による苦痛、様々な要因が彼らをじっくりと狂気へと誘った」

 

 とっくの昔に、彼の精神は限界を迎えていた。地下最深層から逃げだし、その後自分たちが生みだした雫があの惨事を引き起こした所を目撃したときからずっと、壊れている。

 

「世界のため、という大義を掲げていたけど、非道から目を背けるには足りなかった。だからこそ、最後彼女に飲み込まれて、命を捧げたんだ」

 

 決して、逃れ得ようがないのだと彼は悟った。だから無駄な抵抗はせず、淡々と自分達が行ってきた邪悪の所行を説明した。

 

「……そんなの、そんなことされて、俺たちを助けようなんて思うわけねえだろ!」

 

 少年兵が叫んだ。

 彼はイスラリア人ではないのだろう。だが、彼は最も動揺し、そして怒りを顕わにしていた。それも当然と言えば当然だ。空に浮かぶ黒球、イスラリアに全てのヘイトを押しつける形で現在の人類社会はコントロールされている。悪いことは全てイスラリアが元凶であると。

 なにも知らないドームの住民は、自分たちが加害者になることに慣れていない。

 

「よしんばイスラリアを滅ぼしたとしても、返す刀でドーム焼き払ったって何にもおかしくねえじゃねえか!そんなことされたら!」

「本来なら、継承完了後は対象者に安全装置は組み込まれる筈だった。思考を制御し、裏切れば拘束し、恙なく()()()()()()()()()()()

「……っ!!」

 

 そんな彼にこのような事を告げるのは追い打ちに等しいだろう。 

 が、事実は事実だった。人道などというものは、あの場所には存在していない。

 

「もっとも、彼女に施されていたセーフティはもう存在していないがね。彼女が最深層を籠絡した時、全て外させたのだろう」

 

 こうして最深層は壊滅し、その後は生き残った新谷を中心に最深層は再構築された。

 そして雫は実質的な支配者となった。

 

 新谷は雫の望むままに全ての準備を進め、彼女自身の身体の調整を進め、そして雫を神の依り代として完成させて、転移装置を使いイスラリアへ転移させた。

 それは、あるいは自分の罪の象徴である彼女を遠ざけるためだったのかも知れない。だが、彼女は見事イスラリアで魔力を喰らった大罪竜達を回収し戻ってきた。

 

 逃げることは出来なかった。その時点で新谷は諦めていた。

 

「これが、私の知る限りの彼女の経緯だ。参考になったかい?」

 

 新谷は投げやり気味にそう告げる。

 語られた内容は、紛れもない蛮行であり、狂気の実験で生命の冒涜だった。聞くに堪えないという表現が相応しいその話を前に、自警部隊の少年兵は怒りを隠さず、小人と獣人の少女達はそろって顔を深く顰め、そして少年は最後まで黙って聞いた。

 

「…………あんた、これからどうする気なんだよ」

「別に、なにもしないさ」

 

 少年兵は問う。どう責任を取るつもりなのかと問うていた。新谷は自分の顔の筋肉を無理矢理引っ張るようにして笑みに形を変えて、応えた。

 

「彼女の慈悲に縋る。だめだったときはその時だ」

「ざけんなよ……!?」

 

 無責任な物言いに聞こえたのか、少年兵は新谷を睨んだ。彼の怒りは正しい。まさしく、自分は無責任なことを言った。

 

「だとしたら、どうしたらよかったんだい?」

 

 新谷は壊れた自分の笑みを更に深める。ふつふつと、内側の奥底から真っ黒に煮えたぎった感情がわき上がり、堪えきれなくなるのを彼は感じていた。

 

「僕が現状を理解したときには、この世界もなにもかも、ご覧の有様だったよ!誰も止まりようがなかった!!今更もうどうしようも出来なかったんだ!!」

 

 世界の平穏を望んでいた。苦難に満ちた世界にあって、自分に出来ることがあると新谷は思っていた。己の知識と才覚にうぬぼれ、世界の窮地を侮っていた。

 この世界の最先端、最も発展した技術を有する研究所に足を踏み入れ、その惨状を知ったとき、彼は絶望した。

 

「人道にもとる事の無い、素晴らしいやり方があったのなら皆それを選んでいたよ!」

 

 そしてその絶望は彼だけのものではない。あの最深層で働いていた誰しもが、その絶望に染まっていた。誰だってそうだ。子供を育てて生け贄に捧げる。そんな悪趣味で非効率なやり方を、人類の叡智を築いた賢者達が好んで選ぶわけもない。

 彼らの頭脳でもって、そんな外道しか残されていないと気付いたから、あんな有様になっていたのだ。

 

「ああ!!くそ!!せめて馬鹿に生まれたかったよ!!現実を知らない馬鹿にさあ!」

 

 そうであったなら、未来に希望を持てただろう。遠からず、資源が尽き果てて人類社会の維持が不可能になるという現実を理解せずに済んだだろう、生み出された子供達を贄として魔力を濃縮する手法を考え無しに批難することも出来ただろう。

 幸福でいたいなら、無知でいるべきだ。彼はつくづく思い知った。

 

「無茶苦茶だ……」

 

 開き直りと言うほか無い新谷の言動に、獣人の少女は首を横に振った。イスラリアからすれば敵の、責任者の人間にあるまじきヤケクソっぷりだった。醜態という表現がぴったりとくるだろう。

 彼らが堪忍袋の緒を切らして、自分を殺してもおかしくはなかった。あるいは新谷自身、無意識にそれを望んでいたのかも知れなかった。それくらい、彼はもう参っていたのだ。

 

「お前はむかつかねえのかよ!あの銀髪の女の子と仲間だったんだろ!?」

 

 少年兵は、最初此処に強引に押し入って以降、ずっと沈黙を続けているイスラリアの少年へと視線を向ける。自分で破壊した扉に背中を倒していた彼は顔を上げた。

 

「――――前提として、あんたらの所業の是非を問うつもりはない」

 

 そうして語られた彼の言葉は、最初の暴力的な介入とは全く違う、理性的な言葉だった。

 

「イスラリアと、この世界の争い。互いに加害者で被害者にもなった現状、同郷のコースケは兎も角、イスラリアの住民の俺たちが、アンタを責めるのはお門違いだ」

 

 彼は扉を破壊した大槍を背負って近付いてくる。その表情は冷静そのものだ。地べたに座り込むようにして項垂れた新谷に視線を合わせるように、彼は屈む。

 

「むしろ同情するさ。望まぬ外道に手を染めないといけない苦痛を、俺は想像も出来ない。だけどアンタの顔を見たら、それがとんでもない苦しみだったくらいは分かるよ」

 

 新谷の顔を覗き込んで、ウルは憐れむように眉をひそめる。

 確かに、ここ数年で元の体重から10キロ以上痩せこけて、肌の色は死人のように青白い。髭もロクに手入れされずにボサボサだ。こんな酷い顔をした男が泣きながら喚き散らしていたのだ。さぞや醜く見えていたことだろう。

 

「辛かっただろうさ。その傷を掘り返す気は無い。」

 

 だが、少年はそれを咎めることはしなかった。

 労るように優しく、新谷の肩を叩き、

 

「ただ」

 

 笑って

 

「善悪とは別に仲間に惨いことされてムカっぱら立ったから一発殴る」

 

 新谷の顔面に拳を叩き込んだ

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おごあぁ!?」

 

 シンタニが酷い悲鳴をあげながら壁に叩きつけられ、沈黙した様子をリーネは見送った。鈍い音がした、彼の顎はだらんとひらいて白目をひん剥いていた。ここまで連れてきてくれたコースケは絶句した。

 

「死んだ?」

 

 リーネの問いに対して、ウルは強く強く握りしめた拳を、ため息と共にゆっくりとほどいていった。

 

「死んでねえよ、出来る限り加減した。前歯折れたかもしれんが」

「加減なんてしなくて良いのに」

「足りないなら股間でも蹴りつけてやれ」

 

 言われたのでそうした。白目を剥いた彼の股間に蹴りを入れると、びくんと身体を痙攣させたので確かに死んでいないらしい。

 

「oh……」

「……速攻で有言実行するお前の性格好きだよ、俺」

「それで、どうする?ギルド長」

「ウル」

 

 エシェルとリーネに問われ、ウルは腕を組んで沈黙した。

 

「正直、もう全部知るかばーかーって怠惰に耽っても誰も文句言わないわよ」

「うん。言わない」

「実際、そうなるようにあの二人は仕向けてくれたみたいだしね」

 

 ウーガの環境は整っている。

 自分たちだけで生きていけるように食料生産等あらゆる対策がなされた。勿論まだまだ課題も多かろうが、いずれは解決に向かうだろう。ウーガという場所は、この地獄のような状況下で、超巨大な避難所(シェルター)としての役割を果たしている。

 シズクがそうなるように、整えたのだ。

 そして、そのウーガの独立権もある。

 既にウーガは方舟の中でも誰にも支配されない。勿論その事によってより大きな責任が被さることになる事もあるだろうが、それでも今この状況下においては大きな意味を放つ。場合によっては方舟を離脱する事すら、誰にも咎められることはないのだ。

 王とディズによる、こちらに対する最後の気遣いだろう。

 

 この地獄のような戦いにウル達が巻き込まれる要素は最早ないのだ。

 その上で、どうするか――

 

「……ディズとの契約も果たした。王の依頼もこなした」

「うん」

 

 ウルはぽつりと呟く。エシェルは頷いた。

 

「アカネの進路先も決まったし、シズク含め、全員の一つの目標は達成された」

「ええ」

 

 ウルは続ける。リーネは頷いた。

 

「全ての問題は解決した。俺たちは自由だ。だったら――」

 

 ウルはベッドから立ち上がり、外を見る。

 ウーガという方舟の外。未曾有の地獄が展開される外を迷うことなく見据える。

 

「好きにするか」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 白銀の竜 邪神シズルナリカの出現

 そしてアルノルド王の訃報

 同時期に流れ出す魔界とイスラリアの関係にまつわる真実と虚偽

 

 あらゆる情報がイスラリア中の民達を動揺させ、混乱を巻き起こした。

 当然だった。彼らが今日まで信じてきたこと、頼ってきた者、そのなにもかもが足下から崩壊するような事態だ。敬虔なる太陽神の信徒であるならば尚のこと、この先どうなってしまうのか狼狽える。

 

 だが、それでも致命的な事態に至ることはなかった。

 

 信徒達は混乱し、邪教徒達は恐怖を煽り、魔物達は活性化する。それでも尚、まだイスラリアという世界は持ちこたえようと堪えていた。アルノルド王が長きにわたって維持してきた安寧と、そして魔界への侵攻を始めるよりも前に事前に各都市に行き届いていた警告が、彼らを最悪の崩壊の手前で押しとどめていた。

 

「だからこそ、このタイミングですよね」

 

 邪神は微笑む。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

《シズクが動きました》

 

 アルノルド王の死から2週間後。

 感情の整理をする暇もなく届いたその急報にいち早く動いたのはディズだった。会議室の椅子から立ちあがるや否や、自身の黄金の鎧にゼウラディアの神力を被せ、剣を抜く。まるでこの場が戦場になるかのような警戒態勢に場はざわめいた。

 

「スーア様。此処ですか?」

《はい。直接。すみません。気付くのが遅れました》

「彼女ならこのタイミングを逃さないか……」

 

 ディズは地面を蹴って、バベルの塔を駈け抜ける。真っ白な階段を幾つも通り抜け、バベルの空中庭園へとたどり着いた。陽喰らいの儀の戦場、その中央で彼女は空を見上げ、そして見る。

 

「…………シズク」

 

 白銀の竜が、大罪都市プラウディアの上空に出現していた。ここまで接近されるまでスーアが気付かなかったのは、何かしらの偽装を使ったためかは不明だ。

 そして今はそれは問題ではない。

 

「【神賢・神陽結界】」

 

 プラウディアを覆う結界を強化する。この状況下になって尚、バベルは重大な拠点であり、各都市の結界の起点で有り、何よりも信仰の象徴だ。向こうが狙うのは当然で、それは分かっていた。

 だから衝撃に備え、身がまえる。今日までシズクと戦い続け、それ故に正面からその攻撃を受け止めるだけの能力は在るとディズは確信していた。

 

 だが、白銀の竜が結界にぶつかる、その直前に不意に竜はその矛先を変えた。

 

「何を――――」

 

 そして、気付く。

 竜が咆吼を逸らした先に、結界の外の空に存在する巨大な建造物。

 主を失い、既に形を保つのみとなった巨大な迷宮のその”残骸”がそこにはあることを。

 

「――――狙いは()()()()か」

 

 ディズがそれに気付くよりも早く、竜は空に浮かぶ巨大建造物、陽喰らいの儀で常に相対する脅威、大罪迷宮プラウディアそのものを一口で飲み干した。

 

 そして白銀の竜は輝きを増し、その姿を転ずる。

 

 長大な竜の形をしていたソレはすでにその跡形もなくなった。先程白銀の竜が喰らった大罪迷宮プラウディア、空にそびえ立つ神殿、それにその姿は酷似していた。細部こそ異なり、サイズは遙かに巨大であるが、間違いなくそれは空中に聳える大迷宮だ。

 

「それでは皆様」

 

 迷宮から銀の竜達が出現する。

 絶え間なく、無尽蔵に出現を開始した魔物達は次第に空を覆い尽くすまでになり、イスラリア中の空を駆けていく。当然それはプラウディアへも進出し、結界にその進行を阻まれ自らを焼かれても尚一切、その突撃を止めることは無い。

 

「【陽殺しの儀】を始めましょうか」

 

 鈴のような声がディズの耳元で聞こえてきた気がした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 太陽神と月神の決着の刻が近付いていた。

 そしてこの、二つの世界の1000年以上にわたる不毛なる争いに決着が付く。救いようのない人類同士の不毛なる戦いに終止符が打たれることになるだろう。

 

 ただし、その最後に誰が立っているのかは、まだ誰にも分からなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/陽月戦争
陽殺しの儀


 

 白銀の竜が出現し、イスラリア全土は混沌に包まれた。

 

 どのような場所にいようとものぞきみえるその恐ろしい銀の竜の姿に住民達は驚き、竦み、恐怖し、さりとてどのような場所に逃げようとも、天空に見えるその姿に、彼らはどうしようもなく疲弊した。

 

 そして、その後には、諦めにも近い受容が起こる。

 

 逃げようも無い存在に、怯え続ける事は出来ない。生きていく上で、生活はしていかなければならない。どれだけ恐ろしい存在が天空にあろうとも、腹は減るのだ。間もなくして白銀の竜を、イスラリアの住民達は日常の一部として受け入れようとしていた。

 まさしく、その緊張の“たわみ”を狙い打つように、白銀の竜は動いた。世界が変異しても尚、天空に存在した大罪迷宮プラウディア、それを喰らい、飲み込み、変じた。

 

 より美しく、そして悍ましい、白銀の天空迷宮

 

 【大悪迷宮フォルスティア】は天空に座し、そして自身の眷属たる白銀の竜達を空に解き放った。

 

「竜だ!!!」

「竜!?竜だ!竜だ!!!」

「邪神が攻めてきたぞ!!!!」

 

 そんな絶叫がプラウディアの中央街に木霊する。

 銀の竜達が次々と天陽の結界にぶつかり、焼かれ、翼や頭部を黒焦げにしながらも結界の奧へと、都市の内部へと、そして自分たちを喰らわんと、突き破ろうとした。

 魔性をも跳ね返す無双の結界。

 【天陽結界】があるかぎり、自分たちに害が及ぶことは無い。そう信じてきたプラウディアの住民達にとって、その竜達の侵攻は恐怖そのものだった。

 

 しかも、その脅威は、竜達に留まらない。

 

『カ、カカカ、カカカカカカカッカ!!!!』

 

 銀の竜の背中には、恐ろしい、死霊兵達も乗っていた。

 血肉を失った人骨の兵達は、カタカタと音を鳴らしながら、その両手に、竜達と同じ白銀の色をした刃を握りしめている。奇妙な曲剣を握った死霊兵達は、竜達の突撃に合わせて、その結界に刃を突き立てる。

 

 剣と、竜の牙、その二つが重なって、貫かれる度に、みしりと、結界が音を鳴らす。

 

 それは、プラウディアの住民達の信仰の緩みを示していた。

 

 【太陽の結界】、【天陽結界】はイスラリアの民達の信仰によって支えられる。神と精霊の力が不変不動であると信じるからこそ、その正の感情が込められた魔力がバベルへとむかい、結界と成る。

 それがイスラリアという方舟の仕組みで、ルールだった。

 だが、白銀の竜の出現、アルノルド王の死去、そしてそれらに伴う心身の疲労と、精神の“たわみ”、あらゆる点で、信仰が最も弱まるそのタイミングを、竜と死霊達は狙い撃つ。

 

 結界が崩れる。

 

 そう、プラウディアの民達が信じるほどに結界はひび割れ、砕けて、崩壊する。まさにそれが起ころうとしていた―――――が、

 

「撃てぇ!!」

 

 それよりも早く、結界に張り付いていた死霊兵達は打ち落とされた。

 都市国を守護する騎士達の手によって。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【真なるバベル、空中庭園】

 

「竜達を打ち落とせ!油断するな!!ただの魔物では無いぞ!!」

 

 騎士団長ビクトールは号令をかけ、プラウディア中の騎士達に指示を出す。

 超巨大な“大悪竜”が出現してから、戦う術を知らない、逃げ場の無い都市民達はそれを受け入れるほかなかったが、騎士達は無論、彼らのようにただただ戸惑っているわけにはいかなかった。いつ、どのタイミングで、どのようにして襲ってくるかも分からない竜に備えねばならなかった。

 都市民達の避難経路の確保に、出現される魔物達の想定と対処。なによりも、民達に必要以上の不安を抱かせず、安心させる為の戦力の誇示と、できる限りの準備を進めた。故に、銀の竜達が襲いかかってきたときも、決して慌てることなかった。

 

『AAAAAAAA――――――』

『カカカカカカ!!!』

 

 だが、敵達の動きも尋常では無かった。

 数は多く、どれも堅く、手強い。だが何よりも問題なのは

 

「銀竜!複数箇所での“集結”を確認!!」

「急ぎ討て!」

「間に合いません!!」

 

 銀竜達は不定期にその翼を広げると、輪を作り、天陽結界に結集し出すのだ。それが何を意味するのか、陽喰らいの儀での戦いを経験したビクトールには勿論理解できる。

 

『A―――――――』

 

 鈴の音が響く。と、同時に、集った銀竜達で出来た輪の中心、“結界が消え去っていく”。虚飾の眷属竜達が起こした【天陽結界】への直接干渉を全ての銀竜達が起こしているのだ。

 

「やはり、虚飾の特性をも有しているのか……!」

 

 ビクトールは歯がみする。その間にも開いた結界から魔物達が天陽結界の内、都市の中へと雪崩込む。陽喰らいの時のように戦いは秘匿性が無い。その為内側にも十分な兵力を用意できているのは幸いだが、こうも次々に入ってこられれば、遠からず都市の内側はパニックになる。

 

「発見次第即座に!!結界に干渉させるな!!」

 

 叫ぶが、銀竜達は自在に空を跳ぶ。全ての場所を打ち落とすのは困難だった。風の精霊による飛翔も、精霊の苦手とする“竜の気配”が満ち満ちている為か、加護の働きが鈍いらしい。

 実に、徹底している。【陽喰らい】とは別種の容赦のなさにビクトールは歯がみした。

 

「【神鳴】」」

 

 その時、空を覆い尽くすほどの銀竜達の一部が、突然降り注いだ雷の炎に焼かれて焼け落ちる。凄まじい光景に騎士達がどよめきの声を上げるが、ビクトールは驚かない。自分のすぐ傍に降り立った戦士に、安堵を覚えた。

 

「順調か」

「イカザ殿」

 

 陽喰らいの時、さんざんみた鮮烈なる光だった。本当に頼もしくありがたい。

 

「おお!!イカザ殿に続け!!!」

「竜どもに指一本触れさせるな!!」

 

 それを見ただけで騎士達の士気も上がるのだから、まさに英雄の姿だ。彼女はその後も、幾度かの閃光を奔らせた後に、ビクトールの横に立って小さく、部下の騎士達に聞こえぬようにため息を吐いた。

 

「すまん、来て早々悪いが、少し休ませてくれ」

「無茶をさせて申し訳ない」

 

 ビクトールは小さく頭を下げる。

 前回の陽喰らいで彼女が大怪我を負ってるのは勿論ビクトールも覚えている。出来ることならば無茶をさせたくはないのだが、今回はそうも言っていられない。

 

 この戦いは、【陽喰らい】と比べ、守るべき範囲は広い。

 

 【天陽結界】は、今回の戦いに備えて縮小させ、範囲を狭めることで防衛をしやすく備えたが、それでも都市一個分を守るのは厳しい。それ故に、機動力のある者達は遊撃部隊として、都市の防衛が厳しい部分を随時補助に向かって貰っている。イカザはその筆頭だ。

 

 要は、否応なく駆け回って貰う事になる。そのことを申し訳なく思っていたが、イカザは軽く笑みを浮かべ、首を横に振った。

 

「いや、まだ余裕はある。が、今飛ばしすぎるのは、術中に嵌まる気がしてな」

「長い戦いになると」

「おそらくは。そちらは大丈夫だろうか」

 

 問われ、ビクトールは送られてくる情報を確認しながら頷いた。

 

「なんとか、いくらかの備えを整える時間はあったので」

「時間、か」

 

 ビクトールの言葉に、イカザはどこか渋い顔になった。その表情に浮かぶ懸念の感情を見て取って、ビクトールは首を傾げた。

 

「何か、疑念が?」

「何故、彼女は此方に時間的猶予を与えたのか、と思ってな」

 

 この場において、“彼女”という言葉が指す人物は一人しかいない。

 

「……私は“あの戦い”でも、殆ど会話する事はありませんでした」

「私もそれほどではなかったよ。だが、ギルド員達の話を聞く限り、相当な傑物だったのは間違いない」

 

 シズク。

 【魔界】、イスラリアとは別の世界の住民で在りながら、単身でこの世界に潜り込み、瞬く間に頭角を現し、そして王にすら取り入って、大罪竜討伐の計画を推し進め、それを利用して、自らの任務を達成した傑物にして怪物。

 

 その少女が敵なのだ。無論、油断は出来ないのは分かっている。

 

「こちらに備えさせたのも、罠だと?」

「いや、向こうとて、こんな戦いに経験があるわけがない。準備をするのに時間がかかったという可能性は十分にある……が」

「ビクトール団長!」

 

 二人がそう話していると、前衛基地の通信術士が声をはりあげた。その声音の焦り具合から、どう考えてもろくな情報ではないだろうというのはすぐに分かった。

 

「どうした」

「か、観測班からの連絡です!!“イ、イスラリア中の迷宮が、一斉に【氾濫】を起こしました!”」

 

 最初、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。各所の迷宮が活性化していたのは知っていたが、それが、一斉に氾濫!?

 

「出現した魔物達はイスラリア中の都市部への侵攻を開始しています!!」

「プラウディア周辺に存在する迷宮もです!プラウディアのみならず、全ての衛星都市に向かっています!大罪迷宮は、太陽の結界による封印と、都市部の冒険者達が押さえ込んでいるそうですが……」

「各都市の騎士達に連絡を!!決して民達を傷つけさせる――――」

 

 次々と飛んでくる連絡にビクトールは応じる。が、その瞬間、更に事態は動いた。

 

「――――なんだ!?」

 

 それは部下達からの連絡ではなかった。

 大きな、空気を震えさせるような異音と共に、空が蠢いた。空に鎮座していた【大悪迷宮フォルスティア】が動き、そしてゆっくりと、落下を開始したのだ。

 これが【陽喰らいの儀】の再現ないし再利用であるならば、その動作は道理ではあった。

その懸念は真っ先に思い浮かんではいた…………が、タイミングは最悪だった。

 

「情け容赦の無い畳みかけっぷりだな……!!!」

 

 防衛側の不利な点、守るべきものの多さ、その脆弱な部分を情け容赦なく突いてくる。失われても手痛くない戦力、魔物達で都市を襲う。守らざるを得ない此方の戦力を分散させ、そして戦力の十分な手駒で、本丸のバベルを襲う。

 当然と言えば当然の流れだ。

 敵は、直接バベルを狙い撃つだけの位置的優位がある。結界の守りはあるとはいえ、何せ空に座しているのだから。ならば後は、その特攻に対抗する防衛力を徹底的に削るのみだ

 

「陽喰らいの時、竜は単調に王だけを狙った。それ故に防衛は固めやすかったが、……シズクが、それをなぞる道理はない、か」

「此方に時間を与えた理由は、バベルから兵力を減らすためか」

 

 【陽喰らい】の時とは違う。

 今回、民達を覆い隠す偽装は既に剥がれている。バベルの塔に戦力を集中させれば「自分達はどうなるのだ」と、民達の信仰が落ちるのは明らかだった。彼らを守るための十分な準備をすると、示さざるを得なかった。

 それもまた、狙いの一つだとしたら、敵は、シズクは―――

 

「性格が、悪い……!」

「ある意味、報告の通りだな…………だが」

 

 イカザは再び剣を抜き、前に出る。

 

「私はプラウディア外周部を回る。こちらは任せた」

「任された」

 

 ビクトールは頷くと、イカザは跳ぶ。

 天高く伸びるバベルの空中庭園から、落下しながら、プラウディア外周部へと視線を向ける。イカザの強化された視力に、遠く果てから迫ってくる魔物達の大群が見て取れた。アレがこれから、プラウディアへと一斉に襲いかかってくると思うと目眩がする。が、しかし、

 

「どのような経緯あれど、この世界の住民達は全員、常に魔の脅威に襲われ、戦い続けてきた」

 

 この世界の住民達は今日までを死に物狂いで生きてきた。事実がどうであれ、過去がどうであれ、あらん限りの死力を尽くして、ヒトとしての営みを維持してきた。

 血反吐を吐きながら、懸命に抗い続けた結果が今なのだ。

 それだけは否定させない。紛れもない真実だ。故に、

 

「容易に崩せるとは思うなよ」

 

 再び雷が奔る。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ええ、勿論。その事は理解しております。イカザ様」

 

 白銀の鈴は静かに響く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀②

 

 

 邪神シズルナリカが生みだした白銀の竜達は、イスラリア中央、プラウディア領から各地へと一斉に飛び立った。途中、都市国外に存在していた無数の迷宮をたたき起こし、氾濫を引き起こし、大量の魔物達を引き連れて、各都市国を襲った。

 

 魔術の大罪都市国ラストも、それは同じだ。

 

 白の魔女の封印、太陽の結界による押さえつけ、それをぶち破るようにして、無数の魔物達が巨大な森林から、そして各所の迷宮からあふれ出し、一斉にラストを狙い、攻撃を開始した。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRR!!』

 

 封印によって抑え込まれていた大罪迷宮の魔物達、特に深層付近にたむろしているような魔物達は、通常であれば決して、外に出ようとしない。強い魔物ほど、【太陽の結界】は地上へと出すまいと封じてきたからだ。

 それが無理矢理外へと出た。当然、ダメージを負う。血肉が焼け爛れ、半死半生の具合といった魔物達が、そんな有様になっても尚、太陽の結界にむらがり、結界を突き破って、中にいる人々を食い殺そうと藻掻いている姿はあまりにもおぞましかった。

 

 無論、それをそのままにするわけもなかった。

 

 邪神が目覚め、世界が滅びようとしていたとしても、此所は魔術の国、そして魔術師達の国だ。その自分たちの敗北は、魔術の敗北に等しいと、多くの騎士達や魔術師達が結集し、結界をこじ開けようとする魔物達を瀬戸際で追い払っていた。

 

 そしてその中には、最大の魔術学園であるラウターラ魔術学園の面々も動いていた。教室は閉鎖となり、防衛に参戦する騎士達や神官達の助けとなるべく、彼らは懸命にはたらいた。

 

「【魔術一斉放射開始】」

 

 教授のクロ―ロの指示の元、魔術師の卵達は一斉に魔術を放ち、銀竜達を打ち落とす。

 学園に設置された巨大な物見の塔に学生達が集い、結界に群がる魔物達を、その内側から打ち落とす。本来【大罪迷宮ラスト】の迎撃拠点でもあったこの学園の本来の機能を存分につかって、彼らは働いていた。

 太陽の結界に阻まれている魔物達を狙い撃つ。それだけなら、戦闘訓練を受けていない魔術師達にでも出来た。幸いにして、結界そのものに干渉する銀竜の数はそこまで多くは無かった。

 

『AAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRR!!!』

「ひ、ひいい!?」

 

 が、とはいえあくまでも学生は学生だ。このような鉄火場になれてない者は多い。魔術師だからといって、魔物との戦闘経験のある者は少ないのだ。

 

「先生!無理無理!無理ですよ!!」

 

 彼らの内の一人は、自分たちを率いるクローロ教授に叫んだ。

 

「俺たち、学生ですよ!なんで魔物退治なんてしなきゃならんのです!」

「そうです!騎士のヒト達に任せれば良いじゃ無いですか!!」

 

 道理ではある。と、クローロは内心で思った。

 世界が滅びるかもしれない危機的な状況、学生だろうと何だろうと一丸とならねば、この危機は乗り越えられない、と、正論をぶつけても難しかろう。とはいえ、クローロが率いている学生達は相応の技術力もある魔術師達だ。この状況下で、遊ばせておく理由は皆無だった。

 

「ではこうしよう」

 

 なので、というように、クローロは提案した。

 

「学園で使用を禁じていた危険な攻性魔術の使用を今だけは解禁する」

 

 その言葉を聞いた瞬間、泣き言を言っていた学生達も、怯えるように縮こまっていた学生達も一斉に動きを止めて、クローロを見た。

 

「…………え、ソレはマジです?」

「本当だ」

「火力上げすぎて一発でガス欠起こすってんでクローロ先生に「頭に何が詰まってるんだ、藁か?」ってダメだしくらって泣かされた奴も?」

「許可する」

「私が考えた、魔物達の魔力を再利用して大連鎖する超最強雷魔術も!?味方にも連鎖する恐れがあるって思い切りボツ喰らった奴!!」

「前線の騎士達を巻き込まないなら」

「前、錬金術の課題で偶然出来た、高純度の魔力に反応して超広範囲で大爆発起こす爆弾も!?」

「全部没収した筈なんだがまだ持っていたのか。まあ良い。許す」

 

 クローロの言葉に暫く沈黙した学生達は、結界に阻まれた銀竜達を獲物もしくは実験体を見る目で睨み、雄叫びを上げた。

 

「「「無制限の実験場の開幕だぁ-!!」」」

 

 その後、乱射される多種多様な魔術を見つめながら、クローロはため息を吐く。

 

「しばらくは興奮で恐怖はごまかせるか……」

 

 無論、戦況が更に悪化してくれば、彼らもまた冷静になってしまうだろうが、それはそれで構わない。どのみち戦線が悪化した時点で、連携の取れない戦闘経験の無い魔術師達はお役目ご免といえるだろう。

 

「ネイテ学園長、騎士団と連絡して、一端下がらせてください。暫く魔物を押し返すくらいは出来ましょう」

 

 通信魔具で連絡を取ると、ネイテ学園長は満足そうに応じた。動ける学生達も動員することを提案したのは彼女だ。現在、騎士団や神殿、冒険者達と連携を取り、彼らをまとめ上げて、動いている。

 頼もしく、恐ろしい、この国の実質的な支配者は彼女だ。

 

《ええ、了解しました。巻き込まれないよう、注意を呼びかけます。学生達の安全確保はお願いしますね。厳しいようであればすぐに下がらせてください》

「勿論」

《結構。結界が維持できていて安全が確保できている今のうちに、全力を出してもらいましょう。最前線で戦う皆さんには体力を温存してもらいます》

 

 間違いなく、今は世界が滅びるやもしれない瀬戸際だ。堰を切ったように、雪崩のように魔物達が人類の住まう都市国に集結している。今はまだ、なんとか押し返せているが、それが出来なくなった途端、人類は滅びへと向かうだろう。

 その危機を前にして使える者は全て使う、という彼女の方策は確かに間違っているわけではない。比較的戦線が安定しているこの戦況でしか使えないと判断して即座に彼らを動かすネイテ学園長の判断も流石と言えば流石だ。

 

 とはいえ、それでも即座に学生を戦力として使おうという彼女の判断は速すぎるようにも思えたのだが―――そんなクローロの心中を察してか、「不満ですか?」と彼女から声をかけてきた。

 

「不満ではありませんが、そうまでして彼らを戦わせる必要があるのかと」

 

 問うと、《だって》と、ネイテ学園長は通信越しに上品に微笑んだ。

 

《本当に世界が滅んでしまうとして、学生達も「何も出来ずに死んでしまった」と思うより「出来ることは全てやった」と思える方が良いでしょう?》

「…………」

 

 それが本気なのか冗談なのか判断しがたい。が、言わんとしていることは、分かった。

 気遣い、と表現するにはあまりにも独特ではあった。

 だが、のんびりとした表情で、遠くまでを見通すネイテ学園長からしても「いざというときは守られるべき学生達すらも全滅する可能性が極めて高い状況」であると判断しているという事実だけはハッキリと分かった。 

 

「では、私もやれることをしましょうか」

 

 ならばと、クローロも腹をくくる。学生である彼ら以上に、やれるべき事を全てやらなければ、子供達以上の後悔に包まれることは間違いないのだから。

 

《私の方も、随時神殿や騎士団と協力を取ります。がんばりましょうね、クーロ》

「ええ、そちらも気をつけて、ネイテ」

 

 彼女が若い頃の懐かしい呼び名に苦笑しながらも、クローロは魔術の杖を学生達よりも遙かに洗練させた動きでふるい、銀竜達をたたき落としていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀③

 

 

 大罪都市エンヴィーは苦境のただ中にあった

 

 冒険者や神官、騎士団の質が他の都市と比較して図抜けて低いなどと言うことは決して無い。むしろ彼等の装備は発展した魔道機械技術の恩恵を受けている事もあり、その標準がもっとも高い国だ。

 

 だが、今、大量の魔物達が殺到し、銀竜達が【太陽の結界】に干渉し、咆哮をたたき込む。この極限の戦闘状況を押し返すことが出来ていない。

 まだ太陽の結界は維持できている。出来ているが、結界越しにどれだけ魔物達を竜牙槍の砲塔で焼き砕こうとも、それが増える数の方が圧倒的に早い。

 

 このままでは、結界全てに魔物達が殺到して、その重みで押しつぶされるのでは!?

 

 なんていう者まで出てくる始末だ。その恐怖が更に太陽の結界の信仰を弱め、揺らがせる。そんな彼らの不安を和らげ、魔物達を押し返すことがエンヴィーには出来ていなかった。

 

 理由は、ハッキリしている。

 大罪都市国エンヴィーという国の力が、純粋に落ちていた。

 

 神殿と中央工房の激突と混乱は、最終的に天魔のグレーレの謝罪と賠償によって落ち着き絵を取り戻した。結果として、この二つの集まりの間に発生していた亀裂は解消された。

 良い方向へと向かった部分があるのは事実だが、この国そのものは大きく傷つき、今はゆっくりとした回復の最中にあった。欠落した人事の穴埋めをしても、新しい環境を慣らすには時間が必要だ。

 

 その時間による回復よりも早く、この混沌が起きてしまった。最悪の状況と言える。

 

「大罪迷宮エンヴィーの魔物の出現率が更に高まっています!火炎魔人の情報も!」

「幾つかの神官達と魔術師部隊を配備しなさい。直接は戦わず地形破壊に専念を。エンヴィーはギンガン山脈と一体化した迷宮、地形破壊は一定の効果が出るから」

「そのギンガン山脈から噴火の傾向が」

「んん……大地の神官と相談しようか。いないならプラウディアと連絡も取って。流石に噴火は不味いからね……」

「竜達の一部が衛星都市ベルダに殺到しています!!」

「ベルダの騎士団と連絡を取って、必要なら救助を。結界の強度に危険な兆候が見える前に、避難誘導を開始して。勿論、住民達は慌てさせないでね」

 

 だが、エンヴィー騎士団の騎士団長、ロンダー・カインはその最悪の状況下においてなんとか奮闘をしていた。

 グレーレの直属部隊である遊撃部隊に頭の上がらないうだつのあがらない男、と部下からも陰口を叩かれる事の多い彼であるが、この地獄のような有事に対して、逃げ出すようなことはしなかった。平時と変わらない、少し困ったような、ぼんやりとした顔のまま、淡々と目の前の事象に対する解決策をひねくり出すのだ。

 

「すみませんロンダー団長!!指示されていた東方面の撃退が追いつきません!結界越しでは限界があります!

「うーんそうかあー……冒険者の部隊は動けるかな?彼らと騎士団の混成部隊を造ろうか。防衛では無く遊撃なら、彼らの方が得手だ。勿論報酬は確約してね」

 

 無論、それらは天魔のグレーレのような素晴らしい頭脳から繰り出される天才的なアイデアからはほど遠い、時として失敗することもある。だが、それに対しても彼は特にめげたり、混乱する様子もなかった。

 ひたすらに淡々と、リカバリーを考えて、次の策を用意するのだ。

 それが、この混沌としたエンヴィーという国の中にあって、頼もしかった。思えば、先の中央工房と神殿の激突の時も、混乱すること無く、被害を最小限にとどめるように、ブレずに対応していたのは彼だった。

 この有事に、そんな彼の姿勢に対する支持と敬意が集まり、一つにまとまりつつあった。

 

「ああ、そうだ。上空の銀竜達の対処は進んでいるかな?」

 

 ロンダーが尋ねると、部下の男はすこし奇妙な顔を浮かべた。厳しい状況に対する苦悩、というよりもそれは、どう受け止めて良いか分からないものに対する困惑だった。

 

「遊撃部隊のグローリアが張り切ってますよ。グレーレの留守を任されたってね。ガルーダを乗り回してます」

「ほう」

 

 遊撃部隊隊長グローリア。

 無論、彼等はよく知っている。騎士団の実質的なトップだった女であり、エンヴィーの支配者だったグレーレの直属の部下だが、先の騒動でグレーレはこのエンヴィーの支配者としては失墜した。所属人員も減り、遊撃部隊は、実質的に解体され、通常の部隊へと戻されたのだ。

 典型的な権力の失墜である。にもかかわらず、彼女はまだ此処に平然とした顔でとどまっている。理由を尋ねると「グレーレに彼不在中の管理を任されたからだ!」と自信満々に言ってのけて、他の騎士達を唖然とさせた。

 そして今、彼女は獅子奮迅の活躍で、太陽の結界に群がる竜達を撃退している。ソレが騎士達には奇妙に映るようだった。

 

「……正直、愚かな女だと思いますが、助かりますよ、本当に」

「愚か?」

「天魔はもうエンヴィーから追放された。なのに此処を守れだなんて、彼女、捨てられたのではないですか?」

 

 天魔に対する不敬な言葉であるが、既に彼はいない。ためらわず本音を漏らす。とロンダーはその言葉に対して、くっくっく、と、こらえるように笑いをこぼした。

 

「団長?」

「ああ、ゴメンね。うん、まあ、それはないよ。多分ね」

 

 そういって手を振った。ありえない冗談を聞いたような反応だった。

 

「グレーレはエゴイストだけど、此処や彼女を見捨てたりはしないよ。そういうヒトさ」

「天魔が慈悲深いと?」

「慈悲ってほど大げさでは無いと思うなあ。()()()()()()()()()()()()()?」

「……」

 

 あまりに飾らない言葉に絶句する。

 これまでグレーレに良いように利用されてきた騎士団団長の立場を考えれば、彼の失墜はロンダーにとって喜ばしいことであるはずなのだが、むしろロンダーはさわやかな顔で断言したのだ。「自分達は未だ、グレーレの所有物である」と。

 

「エンヴィーでの失墜も、多分予定通りだろうしねえ。影響力が強すぎていざこざが増えてきたから、一度手放して、状況を整理した後、戻るつもりなんじゃない?数十年後くらいに」

「数十……」

「それまで、自分の手駒を置いておくのは道理だよね。グローリアさんは、他の同僚達からの冷たい視線、なんてどうでも良いだろうしねえ」

 

 「森人の時間の使い方は豪快だねえ」、とロンダーは小さく笑う。すると部下の男はなんとも言えない顔になった。

 

「我々は未だに、偉大なる魔術師の掌の上、と」

 

 思うところはある。エンヴィーのなかには、天魔の支配からの脱却と自立を喜び、張り切る者もいる。そんな彼らがこの話を聞いたらどんな顔をするだろうか。

 そしてそれは彼も同じだ。騎士団にも、グレーレの影響力による歪な力関係が存在したのだ。ソレが解消されたと思って喜んでいたのだから、がっかりとした気分にもなる。

 

「まあ、ソレは構わないじゃないか。ありがたいことだよ。特にこのような窮地ではね」

 

 が、ロンダーはまるで気にした様子はない。

 まあ確かに、数十年後にグレーレが帰ってきたときには彼も引退しているどころか死んでいる可能性もある。考える意味など無いのかも知れないが―――

 

「……団長は、辛くはないのですか?」

「うん?」

「神殿も中央工房も弱って、その時にこの大騒動で、貴方に負担が集中している。貧乏くじです。良いのですか?」

 

 この窮地の騎士団の団長という職務は貧乏くじとしか言いようが無い。あの恐ろしく巨大な銀竜が空を砕いてから、一日たりとも休めてはいないはずだ。なのに彼は飄々とした態度でその状態を受け止めている。それが部下の男には奇妙に映った。

 

「私にも責任と、郷愁というものはあるよ。」

 

 だが、ロンダーは笑ってそう言った。

 

「郷愁……」

「勿論、この国には陰湿な部分が多かった。酷いところも目に付いた。でも何もかも、悪いところばかりでは無かったはずだろ?」

「まあ、それは」

「中央通りでやってる出店とか、仕事帰りに立ち寄る懇意の酒場とか、無くなってしまうのは、惜しいからね」

 

 そして、それを損なわせないために出来ることが目の前にあるのだから、やる。ロンダーは凡夫であったが、自分の出来ること、やるべき事は決して見失うことの無い男だった。

 部下は、ロンダーの見えないところで手を握りしめ、なにか声をかけようとした。だが、その直前に、凄まじい轟音とともに、彼の机に備え付けてある通信魔具からキンキンに高い声が響き渡った。

 

《ロンダア-!!!ガルーダの魔石燃料が尽きました!!すぐに補充なさい!!》

 

 その声のすさまじさに二人は跳び上がる。それが誰なのかはすぐに分かった。現在ガルーダを乗り回し、エンヴィー周辺の銀の竜達を始末して回っているグローリアに他ならない。

 

「流石に通信魔術では団長と呼んでね、グローリア。それと、移動要塞の着陸港に用意してある。【ガルーダ】の着陸許可を出そう」

《よろしい、団長!北部の人員不足が深刻です!すぐに配備なさい!グレーレの戻る場所を失わせたら容赦しませんからね!!!》

 

 オホホホ!という、凄まじい笑い声が騎士団長の部屋に木霊し、通信は切れた。

 嵐のような女だった。その場を包んでいたしんみりとした空気は消し飛んでいった。ロンダーも部下も、顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「凄い女ですね」

「いや全く、頼もしいよ」

 

 ロンダーは立ちあがった。剣をとる。

 

「出るのです?」

「彼女の言うとおり、人員不足は深刻だ。団長の部屋に引きこもり続けていては見えないことが多い。直接指揮しよう……まあ、私の剣の腕は微妙だがね」

 

 彼は苦笑いしながらも、その歩みに迷いは無かった。

 

「彼女を見習おうか。周りにどう思われようと、どれほど無様に嗤われようとも、生き残れば勝ちだ。頑張ろうじゃあないか」

「最後までお供します。団長」

 

 先程言えなかった言葉を部下は告げ、二人もまた生き残りを賭けた激闘のただ中に足を踏み入れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀④

 

 大罪都市グリードは魔物達の脅威に対しても善戦していた。

 

「おらあ!!!銀竜どもを叩き潰せぇ!!逃がすんじゃねえぞ!!」

 

 大罪都市国グリードの周辺領は迷宮が多く出現する。その全てに対処することは出来ず、氾濫を起こして魔物があふれ出ている迷宮も幾つかあった。それらに対抗すべく、騎士団達の練度も高かったことが、この異常事態に対してよく働いた。

 

 未知の銀竜に対しても、彼らは決してひるむこと無く戦いを続けている。都市国の外から迫ってくる魔物達の対処については、問題なく進んでいた。

 

 危険だったのは都市の内側。

 即ち、大罪迷宮グリードの中だった。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 大罪迷宮グリードの活性化は、銀竜の出現時期から発生していたが、今はもう、それどころの騒ぎではない。本来ならば深層付近にいるはずの魔物達が、上層にまで駆け上り、地上へと出ようと押し寄せているのだ。

 

 無論、太陽の結界はまだ機能している。

 

 深層の、膨大な魔力を持った魔物達に対して、太陽の結界は強く反応し、その侵攻を阻む。進むほどに、魔物達は自損を起こし、その身体は砕かれる。

 

『GGGGRRRRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAA!!!』

 

 だが、それでも、その状態でも魔物達は止まらない。

 手足が砕けて、全身が焼けただれて、そのまま砕け散るようなことがあろうとも、彼らは全くとどまらず前進を続ける。それは最早狂気に近かった。自分の生命の存続と種の繁栄を望む生物の枠組みから明らかに外れている。魔物が、真っ当な生命で無いことを改めて突きつけられるような有様だった。

 

 無論、その狂気に対して、人類も無抵抗ではいられない。

 

「きたぞ!野郎ども!!!かかれぇ!!」

 

 魔物達の侵攻は、冒険者達がせき止めていた。

 動ける全ての冒険者達は迷宮に終結していた。最早【衝突】も気にしない。既にソレは常時起こり続けているようなものだ。ありとあらゆる階級の冒険者達が上層に集結し、魔物達を迎撃していた。

 

「怖じ気づくんじゃねえぞ野郎ども!!一匹も逃がすんじゃねえ!!」

「うっさいわね赤鬼ども!銅級がでしゃばりすぎるんじゃないよ!」

「おう!新人!!てめえもちゃんと戦え!!」

「黙れ野蛮人ども!!僕に指図するな!!」

 

 冒険者らしい罵声が飛び交う。

 彼らに騎士団のような統率は無かった。訓練された動きはない。が、一方で奇妙な連携がとれていた。迷宮の中で長きにわたって戦い続けてきた者達同士の、言葉を必要としないコミュニケーションが行き交って、彼らに協調性を与えていた。

 

 防衛戦は、比較的順調に進んでいた。此処までは。

 

「悪魔種が出たぞ!!」

 

 だがそれも、深層の魔物達の出現によって、徐々に押さえが効かなく成りつつあった。

 

『【A】A【AAA】AAAAA【AA】A【AAA】』

「うおおあああああ!!!?」

「不味い不味い不味いぞ!!逃げろ!!!」

「クソッタレ!!なんで深層の悪魔種が出てくんだクソ!!!」

 

 悪魔種が連続して魔術を放つ。人類の耳では聞き取れないような連続した詠唱と、そこから繰り出される膨大な破壊は、迷宮を押さえ込んでいた冒険者達の防衛戦線を次々と粉砕していった。

 まだ、上層で留まれている。まだなんとか押さえ込みは効いているが、何処まで持つか。そして地上までこんな怪物達が溢れてしまったらどうなるのか、想像も出来なかった。

 

「畜生!なんだってこいつらいきなり持ち場離れるんだよ!!」

 

 魔物達は、迷宮という回廊を通して、魔石を魔界の【星剣】へと届けるための運搬がかりだ。強大な魔力を有する者ほど、地下に潜る。

 それが、必要なくなった彼らは、自壊を厭わず、蓄えた魔力を全て地上侵攻に費やすようになったという事実は、勿論大半のイスラリアの民達の知る由も無い。

 

「ね、ねえ!ねえったら!!もういっそこの迷宮の入り口塞いじゃわない!?」

「それして別の所に穴開けられてそっから出てきたら一巻の終わりだろ……」

「入り口が空いてたら脇道逸れずにそこに向かってくれるのが、救いなんだ!腹くくれ!」

 

 悲鳴と不安の声を罵声で潰す。

 冒険者達にも不安の声はどうしても増えていた。彼らとて、こんな地上に近い上層で、大量の、それも高階級の魔物達と戦った経験なんてあるはずもない。未知は拭いがたい恐怖と不安を呼んだ。

 

「なあ、なあ、聞いたことあるか……」

「ああ?」

 

 そんな中、怪我を負った冒険者の一人がおずおずと、声を放つ。けが人達の集まった安全領域の広間にて、男の声はやけに響いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はあ?」

「そう聞いたんだよ。俺、俺たちは、本当は虐げられてんだって」

 

 それは、銀竜が出現してから名無し達の間に広まっていたある種の噂話だ。

 銀の竜は“魔界”と呼ばれるもうひとつの世界の侵略者であり、そして【名無し】達を救うためにやってきた救いの使者である、と言う噂話。

 それは、不和を呼ぶ噂だった。意図的に広められた噂話だった。

 邪教徒らが、この機に乗ぜよと、イスラリアの住民達の心を見出し、混乱させるために広められた噂話で有り、真実も交えられた噂話。

 

 そんな、悪意の込められた言葉が、怪我を負った名無し達の集まる広間で木霊する。

 

「だから!あの白銀の竜は俺たちの味方なんだよ!魔物達も!!!俺たちが戦う理由なんて無いはずだろ!!?」

 

 そう、彼が叫んだ。そして周りを見る。

 自分に同意する者を探し求めるように―――――しかし、

 

「…………なる、ほど?」

「まあ、なあ……?」

「…………」

 

 彼らの反応は、芳しくはなかった。

 

「な、なんだよ!?適当言ったと思ってんのか!?」

「いや、まあ、別に、そうかもなとも思ったけど、なあ?」

 

 すると、一人の冒険者が肩を竦めて、迷宮の通路の先、魔物達との戦闘音が続く最前線を指さして、言った。

 

「それで、じゃあお前、魔物に言ってみろよ。俺たちは味方だって」

「……!」

 

 そう、結局、数百年前に迷宮が発生してから今日までの間、魔物達が味方だという名無し達に襲いかかってきたのは単なる事実だ。魔力を掠め、イスラリアの住民達を排除する。その目的で動いていた魔物達が襲った者達に、分別なんてついていなかった。

 彼らは【名無し】も【都市民】も【神官】も平等に狙って殺した。自分たちが【名無し】であるからと狙うのをやめてくれた魔物なんて存在しなかった。

 味方だと、今更言われても、冒険者達には何一つピンとこないし、実際、今も魔物達は地下から彼らを襲ってきている

 

 単純な話だ。死にたくないなら戦うしか無い。それに、

 

「それに俺、この国は結構好きだし、此所で逃げるのはなあ……」

 

 一人が言うと、同意の声が幾つもあがった。

 

「ああ、俺も俺も」

「名無しの扱い、めっちゃ良いしねえ」

「神官達も、名無し相手に偉ぶらないし、神殿で祈らせてくれるしねえ」

「滞在費払えなかったとき、いろんな法案引っ張ってきて、なんとか支払い延長してくれたこともあったなあ!」

「お前ギャンブルしすぎだ。マジで反省しろよ」

「うっす……」

「都市民や、変わり種で官位持ちの冒険者もいるし」

「友達もいるしなあ!」

 

 次々に賛同の声があがる。そこには笑い声が混じり合う。そこに負の感情は無かった。

 

「戦いたくねえならそうしろよ。恨まねえし、背中に石だって投げねえよ。地上に戻って戦えない奴らと一緒に隠れとけや。都市民達も責めやしないだろうよ」

「……!」

 

 最初に、魔界という言葉を吐いた男に、一人がそう語りかけて笑う。すると、その言葉に他の冒険者が苦笑した。

 

「いや、全く責められないかは、どうかねえ?」

「騎士や神官の皆は頑張ってるのに!とか言われるかもだぜ?」

「南地区は止めとけよ!あそこ冒険者の素行悪くて嫌われてんだ!」

「北東地区の酒場おすすめだぜ!あそこのばあちゃん、【名無し】にはメシ多めにいつも寄越してくれるんだ!泣きついてこい!」

「ああ、あそこのおばあちゃん、私好きよ。優しいもの」

「ナナが酔っ払った時、いっつも介抱してくれるしなあ……」

「やべえ、そういや俺【隠れ家】の親父にツケはらってねえ」

「あー、あそこの親父のメシ食えなくなるのも嫌だなあ……」

「うん、そうだな」

「ああ、俺もだ」

 

 そう言いながら、一人が立ち上がる。そうしていくうちにもう一人、もう一人と立ち上がり始めた。

 

「じゃあ、やるか」

「そうね、いきましょう」

「おっしゃ」

 

 そして再び、魔物達にむかって突撃をかます。

 自分たちを見捨てた魔界の尖兵達に向かって、かつて自分達の敵だったイスラリアの住民達を守るために、冒険者達は笑いながら突撃する。

 残された、最初に騒いだ男は、仲間達のそんな背中を見送って、歯を食いしばり、唸り声を上げると、

 

「畜生!!畜生が!!!」

 

 叫んで、自分の獲物を握りしめ、彼らと同じように最前線へと駆けだした。

 

 大罪迷宮グリードはその瀬戸際でまだ、踏ん張り続けていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【穿孔王国スロウス・跡地】にて

 

「名無し達の扇動は、上手くはいっていません、申し訳ありませんシズルナリカ様」

《そうでしょうね》

 

 邪教徒ハルズの言葉に、鈴の声は静かに頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑤ 発進

 

 【穿孔王国スロウス跡地】

 

 その穴蔵の闇の中より、更に薄暗い闇を纏った邪教徒ハルズが通信魔術で連絡を取り合っているのは、誰であろう、今、イスラリアを滅ぼそうとする【月神シズルナリカ】である。

 彼女は、魔王と繋がっていた。

 そして、そんな魔王との繋がりを有した邪教徒達とも、彼女は連絡を取り合っている。邪教徒―――即ち、“世界”側の潜入工作員達にとって、月神である彼女に協力するのは道理であった。

 

「しかし、この期に及んでも我らに刃向かうとは……裏切り者どもめが」

 

 ハルズは、名無しに対する煽動の失敗に、苛立ちの声を上げる。【名無し】らもまた、本来であれば“世界”の、イスラリアと敵対する人類であったはずなのに、彼らは今、自分達に刃向かって、イスラリアを守ろうとしている。

 元々敵であったイスラリア人が刃向かってくることよりも、それは忌々しい話だった。

 

《責めることは出来ません》

 

 しかし、音声のみでハルズに応じるシズクの声は、平静そのものだった。ハルズの報告を、至極当然のことというように受け止めていた。

 

《“世界”は、彼らを見捨てたのですから》

「それは……」

《【邪神】と【星剣】を結びつける回廊、【迷宮】と魔力の運び手たる【魔物】は、彼らをあまりにも傷つけすぎました》

 

 かつて起こった【方舟イスラリア】の大転移、それに巻き込まれ、強制的にイスラリアの住民となった【名無し】達。結果としてイスラリアには二種の生物が生まれた。

 精霊との適合性のある【イスラリア人】と、そうでない【名無し】。

 この二種を、魔界がイスラリアから魔力を掠めるために、【月神】の機能を使って生み出した“邪悪なる精霊”―――【魔物】が見分けることは一切無かった。

 魔物達は平等にこの二つを攻撃し、滅ぼそうとした。

 【邪神】の断片である竜をイスラリアに打ち込んだ“世界”は、生き残りの兵士達に対して配慮する事は一切無かった。その余裕がなかった。だが、どんな理由があれど、見捨てたのは事実だ。

 

《魔物は、敵意と憎悪を集める邪悪として機能した。災禍の対象として、方舟が悪性の魔力として【涙】として廃棄する前の魔力を回収していった》

 

 しかしそれは、結果として、【名無し】達の帰化を否応なく促進した。ソレは当然と言えば当然ではある。自分達を殺そうとする故郷よりは、最低限でも受け入れてくれる敵の国だろう。

 

《そして歴代の王達は、時をかけて、必死に、少しずつ、違いを埋めてきた》

「【名無し】は、今も都市の中ですら生きられないのに?」

《明確なまでの能力の格差、異邦人、ここまでの要素を抱えながら、距離を近づけすぎず、離さず、協力関係を築き、少しずつ呪いを落とした」

 

 それでも1000年かかった。

 恐らく、まだかかるだろう。

 否、完璧には消えて無くなることは無いだろう。

 だがその果てに、名無し達の多くは、呪いを子供達に引き継がせることだけは、止めたのだ。それは紛れもない事実だった。歴代の王達の、恐ろしく執念深く血のにじむような努力の末の事だった。

 

《王は、最後の格差を、そして我々の世界への影響を無くしたかった》

「今更……」

 

 ハルズは忌々しげに叫ぶと、通信越しに、月神は《ええ》と同意した。

 

《今更ですね。彼らは間に合わなかった。もう、痛みと損失の伴わない解決は不可能》

 

 既に“世界”は崩壊寸前で、イスラリアが完全に“世界”から失せて、涙の影響が収まり、それが解消されるまで、間に合わない。人類は滅び、終わる。

 その前に、【涙】を生み出し続ける方舟を、完全に砕かねば成らない。ソレが結果として、イスラリア人の滅亡に繋がるものだとしても―――

 

《痛みを、背負っていただきましょう》

「はっ……」

 

 ハルズが応じるとと、通信が乱れ、途切れた。

 最後の最後まで、月神の声音に揺らぎもなく、感情の一切もなかった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 通信を終えたハルズは、ゆっくりとため息をつくと。通信魔術の残響を見つめ、目を細める。その表情に、敬意などはなかった。あるのは不審である。

 

「あははぁ、ハルズったら悪い顔ねえ」

 

 そんな彼の様子を、黙って背後で控えていた、彼と同じ邪教徒のヨーグはケタケタと笑う。ハルズは忌々しそうに背後を睨み付け、そして、口を開いた。

 

「信頼出来るか?」

「邪神様を?」

 

 邪教徒達にとって、【月神シズルナリカ】の存在は予定されたものではない。

 “世界”と【方舟】の間にはとてつもない断絶がある。容易くはくぐり抜けることが出来ないほどの断絶だ。双方の連絡は容易くはなく、断片的だ。ハルズもヨーグも方舟にたどり着いてから随分と長い時間が経っている。【月神】の来訪も、あくまでも魔王を経由して知ったに過ぎない。

 当然、不審も存在している。

 

「月神、シズルナリカの依り代、といっても、小娘ではないか」

「ほだされてるかもって?」

 

 その警戒は当然といえば当然だ。何せ、【名無し】達もそうなっている。神を背負うといっても、背負うのは人間だ。血迷うことはあるだろう。まして、幼い少女ともなれば。

 実際、邪教徒達の中にも時間の中で離反した者達は多かった。

 

「んふふ、大丈夫だと思うわよ?」

 

 だが、ヨーグは確信めいた表情で笑う。ハルズは更に顔をしかめる。

 

「何を根拠に」

「だって、あの子、前も見たけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「台無し……」

「もう、誰にも助けられないわ。優しい王子様のキスでは、ねえ?」

 

 台無し、ヨーグが使う言葉だ。

 それなりの年月、彼女とつきあってきたが、未だにそのヨーグの感性、感覚をハルズが理解できたことはない。正直、うさんくさくも思ってはいたが、しかし、彼女がその感性の下に、多くのイスラリア人を傷つけてきたのは紛れもない事実だった。

 優しさ故に、心折れかけていたクウとは違う、真の破綻者だ。無論、ハルズとしても出来れば関わり合いになりたくはないような相手ではあるが―――

 

「まあ、良い」

 

 それでも、ハルズは納得した。彼女が破綻者で、薄気味が悪くても構わない。

 何故なら―――

 

「裏切らないならどうでも良い、イスラリアを砕くというのなら、構わない」

 

 イスラリアがその結果滅ぶというのなら、どうでもよいのだから。ソレこそがハルズの、邪教徒の唯一無二の信仰だ。ハルズは頬が裂けるような笑みを浮かべて、【方舟】を今度こそ砕くための準備に戻るのだった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「貴方も、なんだけどねえ、ハルズ。とっくに台無し。」

 

 去って行くハルズの背中に、ヨーグはぼそりと囁いた。直接は言わない。言ってしまって怒られても困る。同僚との関係は、健康的に保たねばならない。

 

「楽しそうだねえ、破綻者ども」

「あら、魔王様」

 

 背後から、現在の自分達の雇い主である魔王がやってきた。禍々しい彼の気を見つめて、ヨーグは小さく嘆息する。

 

「貴方は、よくわからないわ。むしろ、どうして壊れてないの?」

「精神の安定を保つコツは、よく寝て、適度に運動し、酒を控えて、朝日を浴びることだぜ?」

「貴方、弔いだってオールで暴飲暴食して、そのまま仲間内でギャンブルしていなかったかしら?あと、ここ、日差しがささない」

「あっれ-?おかしいな?俺はこんなにも健康的なのに……」

 

 ここまで無茶苦茶なことをやっていながら、そしてこれからやろうとしていながら、魔王はその精神を破綻させることは一切無かった。幾多の存在を破壊させてきたヨーグにして、まるで見たことのないような、異端の精神構造をしている。

 普段なら、壊れずにいるイスラリア人を、方舟の奴隷達を哀れむこともあるのだが、この魔王に対しては全くそんな哀れみが起こらなかった。なんなんだろう、この変なヒトは。

 

「今の俺は絶好調だぜえ?お前等のお陰で、この玩具も完成したしな」

 

 そう言って魔王は、ハルズ達の仕事場を睨む。彼の視線の先

 そこには、長い時間をかけてスロウスで建造されてきたモノ―――そこに、邪教徒達の技術が加わった“建造物”が存在していた。それを眺めて、魔王は満足げに、あるいは子供のようにキラキラとした瞳で笑う。

 

「魔力が失われたことで否応なく成長した技術ツリーと、研ぎ澄ました魔術の融合、楽しいねえ」

「私が言うのもなんだけど、貴方って頭おかしいのね?」

「マジで今更だねえ。さ、て、と」

 

 魔王は跳び、そして、その建造物の“頭部”に手で触れて、そして叫んだ。

 

「【終焉人形兵器スロラス・ラグウ】発進!!ハッハッハ-!言ってみたかったんだよなあー!!」

 

 魔王の玩具が雄叫びを上げ、それは起動した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 穿孔王国スロウス

 

 かつて、大罪竜スロウスが大地を腐らせ穿った巨大な穴。その奥底の深淵から響く強大な駆動音。激しい蒸気と共にゆっくりと、その大穴から”ソレ”は姿を現した。

 ヒトの手により生み出された巨大な両腕、獣を思い浮かべる角の伸びた頭部。大地に食らいつくようにして踏みしめる四つの足。

 その異様さと、何よりもあまりの巨大さ。それが人形(ゴーレム)の類いであるなどと誰が想像できるだろうか。しかし間違いなくそれはヒトの手によって編み出された兵器で在り、スロウスの内部で完成した代物に他ならなかった。

 

 だが、都市から都市へ、魔物達の襲撃から身を守るための目的で存在する移動要塞とは根

本的にその使用目的が異なる。腕や肩、胸部に装着された幾つもの砲口。武装、それらは間違いなく、相対する存在を害するために存在する武装に他ならなかった。 

 

 その巨大なる機械の怪物はまっすぐに、プラウディアへと向かい歩みを進めていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑥

 

 

 大悪迷宮フォルスティアの出現の大量の銀竜の襲撃。

 

 この二つの出来事によって、プラウディアに住まう住民達は速やかな避難誘導が始まった。住民達には隠されていた【陽喰らいの儀】に、人類が破れたとき、少しでも多くの者達を救うために、プラウディアには以前から用意されていた避難設備(シェルター)であり、大量の人々を支え、支えるだけの備蓄も存在した。

 真に平穏であれば、決して利用されることの無いその場所に、人々は集まっていく。そこに区別は無かった。プラウディアに身を寄せていた【名無し】も【都市民】も【神官】も、一切を問わずに逃げ込むことが許された。それは、今は亡き、アルノルド王からの厳命だった。誰も逆らいはしなかった。そんな余裕もまた、なかった。【陽喰らいの儀】を知らぬ者達にとって、これはまさに前代未聞の大騒動だったのだから。

 

 そしてその最中にも状況は容赦なく動く。

 

 周囲の大地から押し寄せる魔物達の大群に白銀の竜、そして上空の―――

 

「落ちる!落ちてくる!!」

 

 大悪迷宮フォルスティアの落下である。 

 本来、見慣れているはずの天空迷宮がその様相を大きく変え、輝きを放ちながら、此方に向かって落ちてくる光景は、情け容赦なくプラウディアの住民達の心から平穏を奪い、怯えさせた。それが落ちてくるともなれば、混乱は必須だろう。

 【天陽結界】は張られている。が、もしもそれが揺らいでしまえば、まだ逃げている最終の自分たちは―――そんな風に彼らは怯え、恐れ、震えた。

 

 だが、救いの“手”は即座に現れた。

 

「おお!!?」

 

 怯えた声を上げていた男が、声をあげる。彼らは見た。眩い、星空のような輝きを放つ光が、空から落ちてくる天空迷宮を受け止めて、支えている姿を。

 

「太陽神!ゼウラディア様だ!!!」

 

 勿論、逃げ惑う多くの民達は、それが何の力なのかは知らないが、イスラリアという大陸で長きに渡って培われていた信仰が、それが神の力であるという確信を与えた。自分たちを守り、支えてくれる太陽の神の御姿であると、理解した。

 

「神よ、勇者よ!どうか我々をお救いくださいませ……!」

 

 彼らは祈り、神へと魔力を捧ぐ

 その信仰が、偽りのものであったとしても、その力を行使する者にその祈りは届けられていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【真なるバベル、空中庭園】にて。

 

「天賢王、スーア様。ご負担はどうでしょうか」

「問題ありません」

 

 その祈りを捧げられる対象である太陽神の行使者。

 勇者から再び力を貸与された【天祈】もとい【天賢のスーア】は、従者達の言葉に頷いて見せた。

 

「太陽神の解禁によって、太陽神の機能の全てが飛躍的に向上しました。少なくとも"先代”のように、ただ、受け止めるだけで命を削るほどの負担はかかりません」

 

 確かに星空のような輝きを放ちながら、迷宮を支える巨人の姿は、【陽喰らい儀】の時のソレと比べても、揺らぎがまるで無かった。無論、白銀の迷宮もまた、放たれた圧は違う。双方は拮抗していた。

 だが、少なくともスーアの身体がその圧に耐えられず傷つく様子は今のところ無かった。強化された神の力は、使い手の身も守ってくれているらしい。

 だが従者の長、ファリーナの表情は未だに硬かった。

 

「我々が心配してるのは、貴方のお心です」

「だいじょうぶ」

 

 彼女の言葉に、スーアはゆっくりと首を横に振った。その姿は以前と変わらずに見える。しかし、先代の天賢王を失ってまだ、それほどの日も経っていない。どれほどの心労であるか、それを表情から読み取るのは困難だった。

 

「父は、歴代の王たちは、我々に託しました。それに応えたいのです」

 

 しかしスーアは、そんなファリーナ達の心中を察するように言葉を続ける。ファリーネはため息を吐き出して、そっと、スーアの頭を撫でて、抱きしめた。不敬な真似であるかもしれないが、従者達も、スーアも何も言わなかった。

 そしてしっかりとそうしたあと、一歩下がり、そして頭を下げた。

 

「どうか無茶はなさらないでくださいね」

「大丈夫ですよ。それに―――」

 

 そう言って、スーアは目を細める。

 

「我々には、【勇者】がついております」

 

 次の瞬間、天空庭園の光る地面がその輝きを増した。幾重もの術式のラインが束なり、幾つもの大樹の様に形を変える。それらは空へと高く伸びると、巨神の腕によりそうように、落下する大悪迷宮に結びつき、それらを支えたのだ。その奇跡をなしえたのは、

 

「やあ、ファリーナ。スーア様。遅れた。ゴメンね」

 

 七天の神の力を束ね、支配した勇者が、完全武装の状態で姿を現した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「スーア様。問題ありませんか?」

 

 屋上の到着したディズは真っ先にスーアの元へと駆け寄る。スーアは従者達に応じたときと同じように、平然とした表情で頷いた。

 

「構いません。私たち王は、天賢を操るに適した身体を最初から与えられています。常人よりも遙かに頑強です。それよりも―――

 

 そう言った後、スーアはディズの下へと近づく。ゼウラディアを宿してから、その身に常時、神気とでも言うべき力を放ち続ける彼女の様子を、スーアはじっと見つめた。

 

「貴方()()の方が心配です」

 

 ディズの瞳と、その奥にあるモノを見つめて、スーアは静かに告げた。

 

「ゼウラディアを魂に収めるため、貴方の魂は直接、器を広げられました。気分は悪くなったりはしていませんか?それに―――」

 

 言葉を継げる前に、ディズはそっとスーアを抱きしめた。そして彼女の耳元で、小さく言葉を放つ。

 

「《だいじょーぶよ》」

「――――わかりました」

 

 そのまま、二人は離れた。スーアは再び【大悪迷宮フォルスティア】を睨み付け、ディズは自分達についてきた仲間達へと視線を戻す。

 

「さて、と。のんびりもしていられないな」

 

 スーアにこれ以上の心身の負担はかけられないと言うことは、ディズも理解していた。一見すれば平然としているが、スーアは超越的な精神を有している部分もあるが、一部では年相応の子供のようでもある。

 王の死が、スーアを傷ついていないわけがないのだ。無茶はさせられない。

 そしてその為にも、一刻も早く空から落ちてくる迷宮と、銀竜達に対処しなければならない。だが一方で、それだけに注力すれば良い、と言うわけでも無いのは事実だった。

 

 イスラリアに存在する全ての迷宮からあふれ出てくる魔物達。それらの対処も行わなければならない。ただ、迷宮だけを対処しても、イスラリアにすまう人類が滅んでしまえば何の意味も無い。

 

「嫌なところ、的確に突いてくるな。シズク」

「神への信仰を揺らがせようとしているのでしょうね」

 

 と、背後からユーリがやってきて声をかけてきた。ディズは頷く。

 

「正確には、イスラリア人の【承認】の元で送られる魔力供給が弱くなる」

「唯一神の正体が知れた今となっては、厄介な制限としか言えませんね。」

「多数の支持があって始めて使えるようにされてるんだってさ。神と精霊は」

 

 ゼウラディアが七つの力に分けた上で、力に制限をかけられていたのと同様に、これもまた一つのセーフティの一種だ。悪意によって、それが振るわれることを押さえるための予防措置。

 結果としてその制限が、魔界の侵攻と合わせて、非常にこんがらがった状況を作り出してしまった訳なのだが、それがイスラリアの民を守っていたことも事実だった。

 

 それら情報を、一度天賢を預けられたとき、ディズは知った。

 王の知識、イスラリアを管理するモノとしての知識が、天賢の権能には収められていた。

 

「それで、どうします?」

「まあ、これはどう考えても陽喰らいの再現だ。放置したら死ぬって、向こうは言ってる」

 

 特に七天である自分たちにはなじみ深い光景だ。

 ディズはプラウディアの迷宮の中に侵入する突入班だけでなく、バベルの塔の防衛部隊に参加したこともある。迷宮そのものが結界へと迫り、魔物達を撒き散らす恐怖はよく知っている。絶対に放置は出来ない。

 そしてその圧迫感をあえてシズクが再現しているのだとしたら。

 

「誘ってますね」

「間違いなく。でも逃げるわけにもいかない」

「ならば、核を討たねばなりませんね。今回の場合は」

「シズクだ」

 

 今回は、陽喰らいのように、迷宮を活性化する核さえ破壊すれば解決するわけではない。あの迷宮そのものを生み出し、動かしているシズクを討たなければ間違いなくどうにもならない。

 ただし、問題となるのは

 

「改めて確認しますが、私はついて行かなくても良いと?」

 

 ユーリの問いに、ディズは頷く。

 この戦いは【陽喰らい】の再現であるが、一方で全てが同じではない。

 【陽喰らい】は手品を変えることはあっても根本的な戦いの流れは変わらない。それ故に、マニュアルのような流れが出来ていた。戦い方が洗練されていたとも言う。だが、この戦いで、その流れに沿うのは危険だ。彼女を、シズクを、信じて委ねれば、確実に足下を転ばされる 

 

「うん、下を守って欲しい」

 

 だからこそ、ユーリとは別れる。

 太陽神の力を有する自分の穴埋めは、彼女しか出来ない。

 

「では、貴方が単身で向かうと?」

「いや、協力者がいる」

 

 そう言っていく内に空中庭園に新たに足音が響く。どたばたと、やや慌ただしい足音と共にやってきたのは―――

 

「やあやあ!勇者!待たせたね!」

 

 少し汗を掻きながら、やや崩れた容姿の背丈の低い男がやってきた。彼の背後には、複数人の蒼い髪をした若い少年少女達が、彼自身を守るようにしてついてくる。

 先の大罪迷宮グリードとの戦いの裏で協力し、イスラリア中の守り約束した男。

 

「【真人創り】の……」

「うむ!我が子達共々よろしく頼む!ユーリ殿!」

 

 【真人創り】クラウランは愛嬌のある笑みでニッカリと笑った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑦ ゼロ

「途中、少々危うい戦線の支援と救助に向かっていたのでね!なんとか間に合った!」

 

 そういってクラウランはひいひいと汗を拭う。そんな姿はとても戦士からはほど遠い。無論、彼が黄金級の冒険者で在ることは理解しているが、それでも従者達などは「大丈夫なんだろうかこのヒトは」といった表情を浮かべているモノもいる。

 

「貴方が同行を?」

「そうしたいのも山々だが、私は戦闘能力など皆無でね、殴られた普通に死ぬ!」

 

 ユーリが問うと、クラウランは悔しそうに首を横に振った。

 まあそうだろうとユーリも納得する。彼の最も優れたる能力は当人の実力ではなく、彼が生み出すホムンクルス、【真人】だ。

 実際、彼の背後についてきた【真人】らは全員、武装を整えている。ディズの言っていたアテとは彼らなのだろう。

 

「皆強い!中でも今日は一番の末っ子を連れてきた!」

 

 そしてクラウランが部下―――もとい、子供達へと視線を向ける。蒼い髪の若き人造人間達。その中でも最も背丈の低い少女が前へと進み出た。他の真人と同じく、クラウランお手製の洗練された騎士鎧を身に纏った美しい少女だった。

 

「全ての真人の到達点、ゼロという!可愛い我が子よ!よろしく頼むぞ!!」

 

 ゼロと、そう呼ばれた彼女は前に進み得る。仕草の一つ一つが美しく、そして洗煉されていた。彼女はディズへと跪くと名乗りを上げた。

 

「ゼロで()

 

 彼女は噛んだ。空気が凍った。ディズ達から少し距離を置いて、別作業に従事していた様々な従者達も兵士達も一瞬ピタリと停止したように見える。聞き耳を立てていたらしい。ディズは空を仰いで、真っ赤になってお辞儀の姿勢で顔を隠しているゼロのもとへと近づき、囁くようにして尋ねた

 

「……噛んだ?」

「噛んでません」

「噛んでないってー!」

 

 噛んでないことになった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 自己紹介はつつがなくおわった後、ユーリはそのゼロという少女をマジマジと眺めて、首を傾げた。

 

「この幼い子供が?大丈夫なのですか?」

 

 人造人間、特に、クラウランの創り出す【真人】の見た目では年齢は判断できないが、クラウランの話を聞く限り、彼女は大分幼いのは間違いないだろう。

 勿論、ユーリとて、【真人】の実力を疑うわけではない。イスラリア崩壊の危機において、常に裏方に回ってこの世界を支え続けてきたのは彼らだ。だからこそクラウランは冒険者ギルドの【黄金級】という階級を獲得するに至っている。

 だが、これから世界最大の脅威と戦うのだ。半端では、無駄死にする。確認はしなければならなかった。

 

「私は全てのイスラリア人を上回るよう、デザインされています」

 

 すると、ゼロは平然と頷いて、断言した。そしてスーアへと視線を向ける。

 

()()()()()()()()()()()()()

「姉?」

 

 スーアは不思議そう首を傾げた。

 

「私、姉です?」

「……兄様?」

「兄です?」

 

 スーアは不思議そうに首を傾げた。

 しばし、微妙な空気が流れた。ゼロはそれを仕切り直すように咳払いをすると、自分へと疑わしい目を向けていたユーリに向かって、自信満々に宣言する。

 

「兎も角、私は強いのです。天剣、貴方よりも私は才能があります」

「そうですか」

 

 ユーリはあっけなく頷いた。その反応にゼロは少し不満げだ。

 

「信じていませんか」

「だと良いと思っていますよ。心から」

 

 ユーリは再び素っ気ない。するとゼロは、腰に見つけていた剣を抜き、構える。その動作は、明らかに素人のそれではなかった。長い年月をかけて剣の鍛錬を続けた達人の所作が、幼い少女の中に習熟されている。

 少なくとも、はったりではない。それを確信させる動作の後、その剣をまっすぐにユーリへと向けた。

 侮るなら試してみろという、露骨な挑発だ。

 

「なるほど」

 

 それに対しても、ユーリは特別驚きも怒りも見せなかった。彼女は剣を抜くこともせず、失われ、義手が装着された右手を動かし、前方へと構えた。

 

「どうぞ」

「―――舐めないでください」

 

 ユーリの言葉に、ゼロは即座に飛びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふ……ぅ……」

 

 そして泣かされた。

 

「泣いてます?」

「ないでまぜん」

「泣いてないそうです」

 

 泣いていないことになった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ほんの数秒の打ち合いで、あっけなくゼロを叩きのめしたユーリは満足そうに息を吐き出した。

 

「まあ、実力は分かりました。確かに下手な天陽騎士をつけるよりは、よほど戦えるでしょうね」

 

 ユーリは平然とそう言いながら、自分の義手を動かして頷く。当人の意思で、自分の肉体と変わらない動作で動く義手は確かに優れた一品だった。勿論、だからといってその腕一本で達人と変わらぬ剣技をいなすユーリはどこかおかしいのだが。

 

「ゼロ……かわいそうに。だが、敗北がお前をより、強くするのだ……!」

 

 一方で、自分の人造人間が打ち負かされた事にクラウランは泣きながら感動に打ち震えていた。彼は彼で相変わらず大概だなあ、とディズも思わなくもない。

 彼はまだ若干泣き顔なゼロの頭を何度も撫でた後、ユーリへと興味深そうに視線を向けた。

 

「しかし、やはりというべきか、君は凄まじいな、ユーリ殿」

「私?」

 

 うん、と頷いて、彼は自分の【真人】達を見る。ゼロを囲んでいろんな言葉で彼女を慰めたり、ちょっと罵ったり、つまり家族みたいにしている彼らをみながら、クラウランは断言した。

 

「【真人】は、言うなれば“君に近づこうとしているのだ”……とはいえ天然でここまで至るとは……うーむ、研究者としての矜持がポッキリいってしまいそうだ!」

「……私のようなモノは、多くない方が良いとは思いますがね」

 

 その言葉をユーリはぼそりと、小さく否定した。その言葉の真意は分からないが、クラウランはかまわずニッコリと微笑みを浮かべた。

 

「君単独なら歪だろう。だが全ての人類がそうなれば、歪ではあるまい?」

「……」

「……うむ、いかんな、またちょっと危ういことを口にした」

 

 また「道徳の外れた発言を軽々しく口にするな」と友に怒られる!とクラウランは頭を掻いた。

 

「人類同士の中に存在する逃れようのない優劣、豊かさを与える差異とは異なる、生まれついての障害。それが少しでも埋まる手伝いが出来ればと思い、私は研究者となった。全てが平和になった後、君が良いなら協力して欲しいな」

 

 真剣に語るクラウランに、ユーリは小さくため息をついた。

 

「私が死にさえしなければ。それで、ディズ」

「うん」

 

 ユーリの表情は若干苛立ちをみせている。とはいえ、それはクラウランに対して向けられたものではない。彼女が苛立ちを向けているのは、

 

「あの、もう一人のマッドはまだ準備がかかるのですか?」

《カハハ!せっかちだなあ?天剣》

 

 そういってるうちに、突如として空中庭園に騒音が響き渡った。未だに空から此方に体当たりをかまそうとしている大悪迷宮の音ではない。真なるバベルの下方から、自分達のいる場所に向かって、巨大な何かが羽ばたき、到達したのだ。

 翼を羽ばたかせてその姿を見せるのは、魔導機の怪鳥だ。本来、大罪都市エンヴィーで今も活躍する姿と比べれば、二回りほどは小さいが、それでも十二分に巨大な機械の怪鳥。

 

《【決戦仕様・飛行要塞ガルーダ】ここに完成だ!》

 

 それを披露した天魔のグレーレは実に楽しそうに宣言した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑧ 開戦

 

 

 【大悪迷宮フォルスティア】の出現後、必然的にイスラリア側は一つの問題に直面した。

 

 即ち、いかにして迷宮へと乗り込むか、という問題である。

 

 大罪迷宮プラウディアの頃は、そんな問題は無かった。設置された【転移術】による移動ができたからだ。しかし現在、その転移術は機能不全に陥った。巨大なる銀竜が大罪迷宮プラウディアを飲み込んだ際に、壊されたらしい。

 つまり、直接的に迷宮に乗り込む手段が必要となった。それがなければ、転移による移動が出来る以前の地獄、高所を陣取られた一方的な防衛を強いられることになる。ソレは避けねばならなかった。

 

 しかし、解決策はすぐに打たれた。というよりも別途用意されていた策がそのまま流用された。

 勇者ディズの支援のために開発されてた【空中移動要塞ガルーダ】の改修作戦である。

 

「カハハ!全く、土壇場で迷宮突入仕様に変更とは!とんでもない突貫工事になった!部下達に残業代は支払ってもらいますからな!!スーア様!!」

「そうします」

 

 ガルーダから降りてきたグレーレにスーアは頷く。世界が終わろうという状況でのんきな、とはディズも思うが口にはしない。彼が何時もの調子なのは、この場の士気に対しては良い影響を与えてくれた。

 

「何故こんなにもごちゃごちゃしてるんですかね」

 

 一方ユーリは、空中庭園に着陸した巨大飛行要塞を睨み、唸る。確かに見れば、ガルーダの翼や胴体、至る所に竜牙槍のような武装がとりつけられて、ごちゃごちゃとしていた。

 どう考えても、ただ飛んで、移動するための武器ではない。するとグレーレはニヤリと笑った。

 

「この方がかっこよいだろう?」

「死んでください」

「なに、さっきも言ったろう。もとは外での活動仕様だったものを迷宮の内部だろうと戦えるよう、強引に変えたのだ!不必要になることはあるまいよ!」

 

 そう言ってる内に、移動要塞ガルーダは動いた。乗り手であるグレーレもいないはずなのに、ゆっくりと、ディズのそばへと頭を寄せた。

 

《―――――》

「人形《ゴーレム》……?」

 

 その、どこか生物的な動作をディズは指摘すると、グレーレは満足そうに頷く。

 

「我が弟子、マギカの協力だ。完全自動操縦とまではいかんが、ある程度までは自己判断で行動してくれる」

 

 確かに、移動要塞の管理は決して容易ではない。その点を自動で行ってくれるというのなら、それは頼もしい。どうやらグレーレはこの土壇場で、すべき仕事を完璧にこなしてくれたらしい。

 

「ありがとうグレーレ、さて、ユーリ」

「ええ」

 

 ディズはそのまま、ユーリへと手を伸ばす。彼女も応じて手のひらを差し出した。太陽神ゼウラディアとしての形を取り戻したことで飛躍的に向上した権能を、今一度七天へと貸し出す作業。

 スーアにも行ったその作業をユーリへと行う―――筈だったのだが

 

「…………ん?ユーリ」

「……」

 

 一瞬、ディズはその動きを止めた。ユーリは小さく、何を懸念するように眉を顰めていた。ディズは周りに聞こえないよう小さな声で、呟いた。

 

「大丈夫だよ、私は」

 

 そのディズの言葉に対して、ユーリは一瞬眼を細めた。しかし首を横に振ると馬鹿馬鹿しい、というように大げさなため息を吐き出した。

 

「凡才が、こちらを励まそうとするのはやめて下さい。貴方は自分の心配だけなさい」

「うん、うん。ごめんユーリ」

 

 そういって、ディズはユーリの手を取り、ユーリに再び権能は譲渡された。彼女の身体は輝き、再び神の剣は彼女の元へと戻る。しかし、長い間、自分の内にあった半身ともとれる武器が戻ったにもかかわらず、彼女はこれといって感慨に耽るでもなく、平然としていた。

 そのユーリの様子を見て、ディズは小さく口を開いて、そのまま閉じる。

 

「よし……」

 

 そして、ココに集まった全ての者達へと視線を向けた。

 

「もうこの先、まともに皆に話しをする時間は無いだろうから、少しだけ、いいかな」

 

 ガルーダの準備を進める魔術師達や、従者達、騎士達も全てが動きを止めた。

 先代のアルノルド王から力を預かった、今の自分たちにとっての指令官とでも言うべき彼女に対して、全員の視線が集まった。ディズは姿勢良く、通る声でゆっくりと語る。

 

「私はこの状況に思うところ無いわけじゃない。私だけでなくって、皆そうだろう」

 

 世界の真実、王の死、攻め入る銀竜に、それを操る一人の少女。たたみ掛けられた全ての情報を飲み込めたものはこの場にはいないだろう。誰であろう、ディズだってそうなのだ。まして、いくらかの情報を伏せられて、今戦っている者達はもっと困惑しているだろう。

 状況はあまりにも理不尽だ。心からそう思う。だけど、

 

「でも、私は、それでも懸命に生きる人々が好きだよ」

 

 ディズは言う。

 そう、そこだけは変えられない。自分の中にある本能だった。

 

「懸命に生きようと、幸せになろうとするヒト達が、自分たちでは抗いようのない嵐に飲み込まれて、悲しみに飲まれてしまうというのなら、手助けしてあげたい」

 

 ソレは本当に、特別なところなどなにもない、ディズ自身に備わった善性から生まれる言葉だった。

 彼女は、歴史に名を残すような、聖人達のように突出した精神性を有しているわけではない。自身の全てを犠牲にしてでも、世界のために献身するような、気高くも逸脱した思考をもってはいない。

 

 ただ、となりで泣いている友がいたら、手を差し出す。

 

 そんな、誰もが持つ善性、それを尊ぶのが彼女の有り様だ。

 

「先代のアルノルド王も、そうだったのだと思う」

 

 故にこそ、彼女の特別ではない言葉は、この事態に今も抗おうとする、特別でない戦士達に良く響いた。

 

「だから、私たちも叶う限り、足掻こう」

 

 彼らはディズの言葉に、強く頷いた。

 ディズはそんな彼らの頷きに感謝し、そしてグレーレの用意した移動要塞に手で触れた。

 

「【神賢・纏】」

 

 そして、スーアに貸し出した内の、残る天賢の力をガルーダに込めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア都市部の混乱は続いていた。

 プラウディアは今日まで、脅威という脅威にさらされた経験がなかった。大騒ぎが起こったのも精々【太陽神隠し】の騒動があったときくらいだろう。陽喰らいの儀が外に漏れ出た事件だったが、それも今では「特殊な自然現象の一種」として片付けられてしまった。

 信仰を維持するために、陽喰らいは隠蔽され続けてきた。その反動が来た。

 大人達は狼狽え、子供達は泣き出す。この事態に全てを導く神官達もまた混乱にあり、名無し達は自分たちが都市から追い出されるのではないかと畏れている。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その間にも白銀の竜達は都市を襲おうと呪わしいうめき声をあげるのだ。混乱は激しさを増していった。

 

「皆さん!絶対に慌てないで!!避難施設は十分に用意されています!」

「名無しの皆も入れるくらいに広い!争う必要は無いんだ!!ゆっくりと移動して!!」

 

 だが、そんなかでも、冷静に混乱を鎮めようと動く者達はいた。

 冒険者ギルドに所属するニーナ、ラーウラの二人も懸命に動いていた。彼女たちだけで無く冒険者ギルドの面々はイカザの指示の元、騎士団と協力して事態の対処に当たっていた。戦闘能力に自信のある者達は竜の迎撃に奔走し、それができない者達は都市部の混乱の沈静にあたっていた。

 

 だが、これがまた結構な大事だった。

 

 最初、巨大なる白銀竜が出現した直後は、市民達も一度は緊急事態に備えたのだ。

 しかしそれから、少なくともプラウディアでは何も起こらない日々が続いた。市民たちにしても、問題が起こらない状況で自分たちの生活を何もかも捨てるわけにもいかず、日常に戻った。そして中途半端に“慣れ”が住民たちを侵食した直後に、襲撃が起こったのだ。混乱は必至だった。

 

「くっそ、魔物退治の方がよっぽど楽だぞこれぇ!?」

「が、がんばろう!」

 

 ニーナは叫び、ラーウラは彼女を励ます。だが、励ましたところでこの騒動が軽減化されるわけでも無かった。子供達の泣き声と罵声は続く。冒険者としてどれだけ強くなろうと、傷つけてはならない人混みを安全に誘導するのは一苦労だった。

 

「ね、ねえ助けて!子供とはぐれてしまったの!!お願いだから探して!!!」

 

 しかも、定期的にこうして泣きついてくる者達も居る。青白い顔色の只人の女は見るからに混乱して、此方にしがみついてきた。力尽くで振り払う訳にもいかない。ラーウラはどうしたものかと悩ませる。

 

「ラーウラ!!」

「え?」

 

 だが、その最中、相方の叫ぶ声がした。戦いの最中、危険を告げる声音と同じだ。

 何故、と思って前を見ると、しがみついてきた女の右手に光る何かが握られている事に気がついた。先程まで狼狽えていた女の顔には歪な笑みが浮かび、そしてその煌めくナイフを振りかぶると、此方に向かってふり下ろそうと――――

 

「せいやあ!!!」

 

 した、その直前、激しい声と共にラーウラにしがみついていた女は丸太のように太い男の腕で地面に叩きつけられた。

 

「ぐえ!?」

 

 蛙のような声と共に彼女は潰れる。手からナイフを落とした。その懐からは幾つもの呪具の類いが見える。事前、イカザから注意を受けていた”邪教徒”の類いであることにようやくラーウラも気がついた。

 

「よし、よくやった!」

 

 そしてそんな邪教徒を取り押さえた男達を従えていたのは、小人の年配の男だった。彼は手早く部下達に邪教徒を拘束させると、瞬く間に彼女を混乱する民衆達の目から離すように連れて行く。そして彼は此方へと近付くと仁王立ちで怒りを顕わにした。

 

「気をつけろ冒険者!!騒ぎに紛れて怪しい奴らが暴れている!油断するんで無いわ!」

「あ、あ、ありがとうございます!?」

 

 助けられた。しかも説教はごもっとも。全くもって、返す言葉も無い。ラーウラがペコペコと頭を下げるが、そのまま何かを言う暇も無く、彼は此方に魔道具の類いを幾つか押しつけてきた。

 

「ちゃんと武装もしろ!!これなら殺傷能力も無い!不審人物は拘束していけ!!混乱して暴れてる奴らもだ!」

「くれるの!?ありがとうオッサン…!」

「オッサンいうな!」

 

 ニーナの雑な言葉使いに男は怒鳴るが、しかし本気で怒る様子はない。あからさまな冒険者で、名無しの自分たちに対しても侮蔑の態度を示す様子もない。良いヒトなのだろうとラーウラは理解した。

 

「ゴーファ様!そろそろ我々も避難を!」

「護衛のくせに慌てるんで無いわ!!ディズが最前線で戦っておるのだ!お前等も腹をくくらぬか!!」

 

 気になることを口にしてもいるが、しかし今は彼の言うとおり、腹をくくって頑張るときだ。兎に角今は目の前の仕事、混乱する民衆をなんとか抑えることに集中しなければ――――

 

「なんだありゃ……!?」

 

 だが、振り返ると混乱していたはずの群衆が、足を止め、そして空を見上げていることに気がついた。釣られて彼女もニーナも視線をそちらに見やる。彼らの視線の先はバベルの塔だ。

 この世界、イスラリアの要ともいえる場所。その頂上が輝いていた。

 

「黄金の不死鳥……!!」

 

 星天の光が、青空と、赤黒い空の光を受け、黄金色に輝いていた。太陽の位置も分からなくなってしまったような壊れてしまった空の下、その光は集い、形を成す。

 翼を羽ばたかせた巨大な鳥のような形となって、それはバベルを飛び立った。空を飛翔して尚も輝きを増し続けるその鳥は、空へと浮かぶ巨大なる迷宮、邪悪なる神の居るその神殿へと真っ直ぐに向かう。

 

「…………死ぬんじゃあないぞ。我が娘よ」

 

 故に、小人の男の自身の娘の無事を願う言葉は、群衆の悲鳴の中に消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑨ 異形の空

 

「動かれましたか」

 

 闇の中、鈴の音は響く。

 

「ええ、ですが―――」

 

 眩き不死鳥に眼を細め、そして静かにささやいた。

 

「【変貌れ、廻れ、理よ】」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【移動要塞ガルーダ・決戦仕様】外部

 

「シズク、動いたね」

 

 ガルーダの内部には乗り込まず、ガルーダの外部から状況を観察していたディズは、迷宮の変貌を観察し、つぶやいた。迷宮の内側から突如として“翼”が伸び、自身を覆い尽くす。ソレが何か、ディズにはすぐに分かった。

 

 【虚飾】の翼、現実を塗り替え、形を変える邪悪なる翼だ。

 

 そして迷宮は輝き、形を変える。柱が歪み、ヒトの腕のように長く伸びる。ソレが6つ、迷宮から生えてきた。本来であれば邪悪で在りながらも荘厳さをかねそろえた、人工物としての体裁を保っていた空中宮殿に纏わり付く六つの異様なるその腕達は、まっすぐに此方を見つめる。

 

 そう、見つめる。その掌には、瞳がついていた。

 

『【●】』

 

 次の瞬間、黄金不死鳥に終局級の炎球が飛ぶ。

 

「回避」

 

 ディズの言葉と共に、ガルーダは旋回し、火球を躱す。現在ガルーダを操るのは真人であるが、その操縦技術は確かだった。流石クラウランの子供達、ディズは感心した。

 

『【●】』

『【●●】』

『【●●●●『【●●●●】『【●●●●●●●●●●●●●●●●●●】』

 

 しかし、攻撃は続く

 魔眼、それも極めて強力な魔眼が、六つの腕にそれぞれに存在している。それが次々と魔術を解き放つ。睨んだ瞬間、即座に対象に魔術をたたき込む光速の魔術。その強さと恐ろしさを、勿論ディズは身にしみている。

 

()()()()()ね。嫌らしいな」

 

 否応なく、あの【相克】を彷彿とさせる。容易には手を出せない。出したくないと印象づける。万が一、億が一でもあの地獄が再現されたらと想像すると、忌避感が生まれる。それをシズクは分かってやっている。

 

「シズクだって、あの戦いは十分トラウマだろうに、よくやるよ全く」

「のんき言ってる場合です!?」

 

 そのディズの評を、隣で聞いていたゼロは悲鳴のような声で突っ込みを入れた。確かにそんな場合ではない。今、空は火の海だ。無数の魔術の大爆発が次々と起こり、ガルーダを追い詰めていく。グレーレが強化を施したとはいえ、【天賢】によって守りを固めなければとっくに被弾していただろう。その上に乗っているディズとゼロは木っ端微塵だ。

 

「無茶苦茶です!!!」

「本当だね」

「なんで落ち着いてるんです!?」

「割と慣れてるからなあ」

 

 特に先の戦いは、本当に大きな経験となった。あまりにも敵が理不尽すぎたので、精神的に耐久力が身についた。【真人】として創り出されたゼロは、知識と技術を有してはいるのだろうが、経験は乏しい。

 やはり、力はあっても無茶をさせるわけには行かないな。と、ディズは冷静に評価を下す。王を失い、グレーレやグロンゾンも一線から退いた現状、クラウランの【真人】達は本当に助かるが、安易に頼るのは危うい。

 

《ゼロ》

 

 が、それは当人達も分かっていたのだろう。内部でガルーダの武装を操る【真人】の兄弟達から、通信魔術が飛び込んできた。

 

「おに……ファイブ?」

 

 混乱していたゼロは驚き、その声に応じる。

 

《落ち着け。我々は【真人】だ。容易には死なないし、負けない》

 

 励まし、というにはややぶっきらぼうで、特殊だったが、その声にゼロは僅かに混乱を押さえ込んで、叫んだ。

 

「分かってますっ!私はマスターの最高傑作です!!!」

 

 そう叫ぶと共に、無数の魔法陣が一斉に彼女の周囲に展開する。魔術の展開速度は紛れもない、一流のソレだ。グレーレの代理となりうる存在としてクラウランが用意した彼女は、確かにあの妖怪めいた天才に届かぬまでも、追いすがるだけの技量を身につけていた。

 

「【蒼陣・霧纏!!】」

 

 ガルーダに展開した魔法陣が、その周囲に霧を発生させる。魔力による視界阻害は魔眼の射線を閉ざす。魔眼との戦いに対しての正しい選択だった。その様子を見て少し安堵したように、通信越しのファイブはため息をついた。

 

《妹が落ち着かなくて申し訳ない。出来ればもう少し、実戦を経験させてからの方が望ましかったのですが……》

「本当に、家族なんだね」

 

 ディズが尋ねると、少しだけ照れくさそうに、ファイブは笑い声を漏らした。

 

《周囲からは、気味悪く思われる事もありますがね》

「私も血はつながっていない家族はいるけど、普通じゃなくても家族だよ」

《ええ。どうか妹を頼みます》

 

 そういって、通信は切れる。この大決戦にやや緊張感のない応答だったかも知れないが、ディズは微笑んだ。

 

「うん、元気になった。頑張ろうか」

 

 友、家族、愛する人。誰かの無事を願い、祈り、その為に戦う。例えソレがどれだけ特殊な存在であろうとも、そういう願いは尊く感じるのはディズの性だ。例え自分達が、かつての創造者によって生み出された人造の末裔であるという事実を突きつけられても、そう感じる自分の感性にブレはなかった。

 

「その為にも、今はシズクを止めないとね」

「それで、作戦は!?」

 

 ガルーダとディズを守るべく、次々に魔術を展開するゼロに問われ、ディズは頷いた。

 

「うん、ないよ」

「え」

「私、天才じゃないもん。小賢しい立ち回りしても多分シズクに見破られる。というか、うん、ここまで割とずっと見破られた。酷い目にあった」

 

 前哨戦で、幾度かシズクとやりあったが、立ち回りで彼女に勝てたことは一度たりともなかった。全力の攻撃はスカされるし、暗殺はばれるし、数の利による奇襲もあっけなくばれる。

 本当にどうしようもない。ので

 

「竜牙槍連結準備」

《了解》

「【天魔接続開始】」

 

 天魔―――即ち、方舟イスラリアの有する【星石】との接続回路をディズを介してガルーダに一時つなげ、その膨大な魔力を武装に転用する。無論、圧倒的な魔力を抑えきるのは困難だろうが、砲塔は使い捨てだ。気にしない。

 

「あの“手”は全部叩き潰す。ゼロ、捕まってね」

「儀式は大丈夫なんです!?」

「この短期間でグリードと同じ儀式準備できたら私たちの負けは確定だから気にしない。GOGO」

「無茶苦茶です!!!!」

 

 泣きつくゼロを抱きしめて、ディズはガルーダに全ての力を注ぎ込んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

《――――――》

 

 天賢の力によって纏った輝けるガルーダが鳴く。

 主である勇者であり太陽神、ディズの指示を受けて、その使命を全うすべく鳴く。翼に搭載された無数の竜砲が激しい音と共に力を凝縮する。

 

 一歩誤ればそのまま爆散するほどの力を蓄えた竜の牙が、【咆哮】を放った。

 

『【● ●●●●】』

 

 黄金の不死鳥から放たれた無数の咆哮を、魔眼は正面から見て、打ち返す。

 空に爆発が花開き、混沌渦巻く方舟イスラリアの空を照らした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑩ 

 

《―――――――》

 

 ガルーダは鳴く。

 

 希代の人形師、マギカによって創り出された人形は、己が使命を果たすべく飛躍する。作り物の、あくまでも鳥を模しただけの機械とは思えぬほど、その動作は滑らかだった。広く、眼前を見渡し、六つの瞳全てを捉える。力を貯め、放つ、その動作を見切り、即座に飛翔する。

 魔術が放たれてから動いては間に合わない。

 それをガルーダは理解していた。

 乗り手として、自身を操る【真人】達ではこの動作は出来ない。彼らは優秀であるが、それでも魔眼の動きを見て、反応し、ガルーダを操って対応するでは間に合わない。彼らは只管、ガルーダの補助に回っていた。

 真人らの役割はただ一つ。あの異様なる腕達を射貫くことだ。

 

「【魔よ来たれ、蒼雷よ鳴け】」

 

 彼らは一糸乱れぬ詠唱を重ね、砲台から放つ。備え付けの竜牙槍と合わせ、無数の閃光がガルーダから放たれる。

 

『【●    』

「一本破壊したぞ!!相克は!?」

「確認できない!!」

 

 その報告にファイブは安堵のため息をついた。

 大罪竜グリードの戦い。その詳細をファイブも資料で確認している。大罪竜の能力を【邪神シズルナリカ】が束ねるならば、警戒しなければならないのは間違いなかったからだ。

 だが、そうはならなかった。当たり前だが、やはり向こうとて万能ではない。

もしも本当に神として何もかもが出来るならば、こちらもそんなに苦労はしていないし、敵も攻めあぐねてはいない。そして世界はこんな有様にはなっていない―――

 

「―――だが、今は」

 

 逸れた思考を戻し、ファイブは即座に叫ぶ。

 

「火力を集中しろ!一本一本確実に落とせ!!」

 

 だが、そう話している内に、早くも敵は動いた。

 

「―――!?」

 

 手のひら達が、魔眼の向きを変えたのだ。

 即ち、下へと。

 更に結界に干渉できる銀竜が動く。それらは天空の迷宮を街から阻み、迷宮そのものを支える【天陽結界】へと干渉を開始した。【虚飾】の翼でもって複数の箇所に穴を開く。だがそれは、【陽喰らい】のように魔物を送り込むための穴では無い。

 

 それは、魔眼の発射口だ。

 

 下を向いた魔眼達は、力を貯め、そして放つ。その力が街に向けば、未だ逃げ惑う人々がどれほどの惨事に見舞われるか、想像するのも恐ろしい。

 

「まあ、こうくるよね」

 

 ディズは魔眼達のその動作を前にも落ち着いていた。だが、ゼロは息を吞んだ。

 

「街を狙おうと!?」

「魔界にとって、この世界は敵の拠点で、住民は私たちに力を捧ぐ補給部隊だ」

 

 今の世界の成り立ち、イスラリア人の特性を考えれば、彼らからすればそうしない理由は無い。むしろ、ココまでの戦いもかなり上品だったと言えるだろう。だが、シズクがそうしない理由は無かった。

 

「ですが!!」

「うん、でも大丈夫だよ」

 

 対処せざるを得ない。それが敵の術中だったとしても。ゼロは叫ぶが、ディズは冷静に首を横に振った。

 

「皆の守りは彼らに任せてるから」

『A―――――!?!   』

 

 そう言っている間に、星天の閃きが、結界に穴を空ける竜の一体を両断した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市国プラウディア、中央通り。

 

「不細工」

 

 既に避難が完了し、周囲に人気の無くなったその場所で、天剣のユーリは静かにため息を吐き出した。彼女の瞳は、空を駆ける黄金の不死鳥を見つめている。その彼女の傍で、杖をつきながら、同じく空を観察する【天魔】のグレーレが問うた。

 

「どっちがだ?」

「無論、我らが勇者のほうですよ。もたもたとなにをしているんだか」

 

 それはいつも通りの毒舌だった。強者として、仲間として認めている相手には、彼女は毒舌を吐く。守るべき庇護対象に対しては決して言葉を荒立てない。

 故に、自分の傍の天魔に対しても、ユーリは厳しい視線を向けた。

 

「貴方も、サボらないでくださいね」

「後遺症が辛くてなあ?」

「四肢満足なだけ感謝なさい」

「その点は確かに」

 

 あの恐るべき最凶の竜、グリードがもたらした被害はアルノルド王の死去のみではなかった。彼らの多くは傷を負っている。グレーレは幾度も蘇生を繰り返し、前線では戦えず、ユーリは利き手を失った。

 その状態で、全ての竜を束ねた神を相手にせねばならないのは、あまりにも険しい。が、ユーリは決して、焦りや動揺を抱えてはいなかった。

 

「フォローに回りなさい。手を抜いたら殺しますよ」

「心配するな。今のお前を敵に回すのは恐ろしすぎる。流石にもう、挑発して実験、なんてことは出来んなぁ?カハハ!」

「ぶち殺しますよ」

 

 言葉こそは変わらずに刺々しいが、彼女の纏う空気はむしろ静かで、穏やかだった。これから、世界を滅ぼすほどの修羅場に脚を踏み入れるとは思えぬほどに。

 

「仕事はするとも―――だが」

 

 そんな彼女を、あらゆる理を見通す瞳でグレーレは見つめる。その視線に気がついたのか、ユーリは眉を顰めた。

 

「なんです?」

「改めてすさまじい。あらゆる意味でお前は要だなあ?せいぜい見定めろ」

「は?意味が分かりませんが?」

 

 本当に意味が分からない。と、ユーリは首をかしげるが、グレーレは肩を竦めた。

 

「歯車のような兵士としての役割は、王も期待していないという事だ。勇者もな」

 

 勇者という言葉に僅かに眉を顰めるが、ユーリはそのまま前を向く。

 

「忠告は結構ですが、今はそのようなことを言っている場合でも無いでしょう?」

「それもまた道理だ!カハハ!ままならんな!!」

 

 そう言っている間に、ユーリは動いた。

 返された神の断片、【神剣】の力を引き出す。太陽神としての形を取り戻し、制限が全て解放された神の権能は、常人では到底扱えきれぬ程の力を有している。

 だが、ユーリは平然とそれを受け入れる。

 彼女はとうに、その力を知っている。グリードとの戦いで既に支配下に置いた。

 

「【我、全てを断ち切る終の剣なり】」

 

 星天の剣士の姿に変わったユーリは、力を解き放つ。

 

「【終断】」

 

 その斬撃は、飛び交う大量の銀竜達を、瞬く間に一刀両断し続けた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 迷宮より出現した無数の銀竜達はサイズとしては小さかった。

 結界に干渉する翼そのものは大きいが、しかし本体は小さい。その肉体構造に全くの無駄が無く、ただただ早く飛び、敵を翻弄し、攻撃する為の機能に絞っていた。

 もとより、魔物達にはそうした性質があった。生物らしい機能が失せて、人類を害する機能に特化する悪質な生態。銀竜は更にそれを突き詰めていた。

 

『A―――――』

 

 紛れもなくそれは、生命では無く、兵器の類いだった。

 人類を―――イスラリア人を殺戮するための兵器だった。

 

「なんとしても打ち落とせ!!!」

「早いぞ!!」

 

 結界を突き破り、内部へと侵入を果たしてくる銀竜達に、騎士達や神官達は苦戦を強いられる。無論、彼らとて危険な魔物達の存在を相手取ったことがないわけではない。むしろ、プラウディアの戦士達は百戦錬磨だ。

 【陽喰らいの儀】を幾度も乗り越えてきた経験者も多いのだ。

 しかしこれが、周囲に守るべき街や、人々がいる状態での戦いとなると話が違ってくる。彼らにとって、イスラリアの人々には常に、都市の中は安全であるという保証があった。勿論、恐るべき竜の圧倒的な暴力によってそれが破られる例も無いでは無かったが、滅多に無いし、起こった場合、その経験者の多くは死んでいて、その恐怖を伝える者はいない

 つまり、周囲に配慮しなければならない戦いというのは未知だ。彼らは否応なく苦戦を強いられた。

 

『【A―――――】』

 

 そんな彼らを嘲り、翻弄するように、鈴の音をした竜達の声が響き渡る。

 一糸乱れぬ動きで整列し、一斉に口を開く。魔力が凝縮し、どんな守りも貫通する【咆哮】を凝縮する。それをみた騎士達は苦々しい表情で、背後に控える神官達に叫んだ。

 

「下がってください!!!我々が守ります!!」

「お前達の盾ではあの咆哮は防げまい!!天陽結界すらも破るのだぞ!!?」

「だからってアンタらが前に出んなよ!?おら野郎ども!!急ぐぞ!!」

 

 遊撃部隊である冒険者達が魔術を放ち、戦うが、それでも銀竜達の隊列は乱れない。敵対者達をまとめてなぎ払うべく、竜達は叫び、

 

『A―――――!?』

 

 次の瞬間、並び立った首が全て両断された。

 

「っは!?」

 

 竜達だけではなかった。銀竜の空けた穴を狙い、内側へと侵攻し、逃げ惑う住民達に襲いかかってきた魔物達、それらが瞬く間に両断されていく。無駄な傷は一切無い。内側にある心臓、魔石を両断して、叩き切って、機能を停止させる。

 

 何が起きているのか、その場の全員分からなかった。

 だが、騎士の一人がソレを見つけた。

 

「ユーリさんだ……」

 

 自分たちのトップ、団長の娘、時折訓練所にやってきては騎士達をたたきのめしていく、恐ろしいが頼もしい王の剣が空にあった。【天魔】のグレーレによる幾重もの【強化】と、バベルの技術を結集した武装を備えた少女が、銀竜達ひしめく空に在った。

 

 無数の銀竜達は、彼女へと襲いかからなかった。距離を空け、周囲を旋回する。少女一人を畏れるように。

 

《銀竜達は私が落とします。貴方達は魔物と、避難誘導に集中してください》

 

 声が響く。

 ユーリの淡々とした声が、プラウディアの戦士達に届く。自分たちを守る者、偉大なる神の剣、その声が彼らに落ち着きと安堵を与えた。未知の戦いを前にしても尚、僅かも色褪せぬ神の剣による圧倒的なまでの暴力は、戦士達の内側に渦巻く混乱すらも切り伏せた。

 

「おお……」

 

 神官達が両手を合わせ、ユーリへと祈る。

 戦士達からの祈りと崇拝を受け、神の剣は更にその刃を振るっていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「凄い……」

 

 どんな人類と比べても尚優れた瞳を持ったゼロは、ユーリの活躍を見つめ、感嘆の声を上げた。彼女の力はあまりにも圧倒的だった。先に軽くケンカを売った自分が少し恥ずかしくもなったが、それよりも驚きと頼もしさのほうが圧倒的に勝った。

 それくらい、彼女は強かった。

 

 グリードとの戦いの情報は彼女も見知っている。

 だが、流石にここまで凄まじいとは思いもしなかった。

 

「すごいです!これならきっと……!」

「うん」

 

 ディズは目を細め、小さく安堵するように頷く。そして未だ眼下の街を砕こうとする【魔眼】達と迷宮を睨んだ。

 

「行こうか。ガルーダ」

 

 星剣を構え、突き立てる。

 

「【神賢・神剣】【迷宮回廊】」

 

 眩く輝く黄金の翼が更に輝く。長く鋭く巨大な刃と翼が一体化した。更に、

 

「《【あかさびのけんのう:ほろびのけん】》」

 

 不思議と、どこか幼い勇者の言葉と共に、“緋色の力”が翼に重ねられた。強力無比の二つの刃を翻し、ガルーダは飛んだ。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《―――――》

 

 ガルーダは舞い、飛ぶ。更にその速度は増した。

 銀竜を討たれ、結界内への攻撃を封じられ、戸惑うように蠢いていた腕達に一気に接近する。ただ接近するだけでは無く、その翼を刃のごとく振るい、魔眼の腕を断ち切った。

 

『【●     ●●●】』

 

 次々と、切り落とす。落とされた腕は切断部から伝わる【滅び】から逃れるように身もだえ、それでも尚と攻撃を繰り返そうとするが、凄まじい速度で飛び立つガルーダを捉えることは出来ない。そのまま次々と刃が腕を切り裂き、落とされた腕を竜牙槍と魔術が打ち抜き、砕き尽くす。

 

 全てを破壊し尽くし、ガルーダは宙を翻る。

 

 そして、そのまままっすぐに、【大悪迷宮フォルスティア】へと突貫した。

 文字通りその身ごと、白銀の迷宮に大穴を開け、突撃したのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑪ 邪悪なる神

 凶悪な破壊の音が連続して響いた。

 

 金色の輝きに包まれたガルーダに護られながらも、今自分がどのような状況下にいるのかゼロは判断が出来なかった。グレーレの創り出した最高傑作に、神の権能を用いた守りによって、本来であれば正規の手段以外では通れぬ迷宮の道を強引にこじ開ける。

 

 迷宮の構造、それ自体を真正面から破壊し、粉砕し、突き進む。

 無法の極みと言えなくもなかったが、最早手段のえり好みなど出来る段階では無かった。

 

 そして間もなくその破壊の音も止まり、ゼロは顔を上げる。気がつけば自分の身体を護っていた金色の光は消えて無くなっていた。

 

【大悪迷宮フォルスティア】へと足を踏み入れていた。

 

「…………これは」

 

 ゼロが最初に抱いた感想は「美しい」だった。

 プラウディアの“真なるバベル”。内部に存在する来訪客達を迎え入れる祈祷の間。イスラリア人の信仰心を根付かせるために構築された人類社会に培われる美的意識を刺激するために生み出された荘厳なる神の間。それに等しい。

 竜や魔物の気配など皆無だ。それどころか心の奥底から奇妙な安堵が押し寄せる。今までいたどんな場所よりも安らぎ、自分の安全が守られる場所だと、本能が感じ取っていた。

 

 言うまでも無く、異常な感覚だ。

 

 ここは迷宮の中で、そしてこの最奥には自分達、イスラリア人を殺戮せんとする魔界の神を宿した【勇者】、シズクがいるはずなのだ。それなのに心が安らぐ等という感想を抱くこと自体が、罠で、危険だ。

 ゼロは首を横に振る。自分の感情を正常に戻す。

 

「勇者。急いでこの場を――」

 

 移動しましょう。と、自分がしがみつくようにしていた勇者へと声をかける。彼女の呼びかけに振り返った。

 

「初めまして、ゼロ様」

 

 そこには勇者ではなく、美しくも儚い、月神の微笑みがあった。

 

「【魔よ来たれ】」

 

 ゼロは即座に魔術を編んだ。

 イスラリア人の最高傑作。そうあらんとして創り出された彼女の魔力保有量も、その構築速度も、既に常人を遙かに凌いでいる。天剣の如き異端ではなく頂点としての機能が彼女にはある。

 

「【蒼極雷】」

 

 その機能の全てを使い、彼女は躊躇なく魔術を放った

 邪神に――――ではなく、自分の背後へと、

 

『カカカカ――――!!』

 

 自分の背後に迫っていた死霊兵達が焼き払われる。

 これまた話を聞いていた。彼女の使い魔である死霊兵。分裂、形状変化、巨大化。邪神となってから大幅に強化され、既に死霊兵というカテゴリからすらも逸脱した厄介なる敵。

 

 やはり、背後から敵は迫っていた。

 

 想像はついた。戦いに挑むまでの打ち合わせで、幾度となく邪神の意地悪さを聞かされてきた。目の前に居る邪神は幻影――――

 

「――――【嘘】だと思われましたか?」

「なっ」

 

 白い指が伸びる。邪神が美しく笑う。ゼロの細い首に指が巻き付いて押し倒される。

 

「素直で、可愛らしい。貴方のような幼い子を、殺さねばならないのは心が痛みます」

 

 目の前の悪意は本物だ。

 喉を締められ声を封じられる。指先を絡め取られて術を組む事も出来ない。馬乗りになられて、瞳を封じられて、そして、喉元へと、その歯が迫る――――

 

「【破邪神拳】」

 

 次の瞬間、神の拳が生み出す魔払いの鐘が打ち鳴らされた。

 

『カカカ』

 

 バチリと、ゼロの目の前まで迫っていた邪神が砕ける。真っ白な皮膚が剥げ落ちて、その内から死霊兵がカタカタと骨を鳴らしながら此方に迫っていたことに気がついた。だが、それも天拳の破邪で砕けて消える。

 

「ゼロ!無事か!!気をつけて!!もう仕掛けてきている!!」

 

 声の方を向く。ディズが両手に金色の拳を装着し、魔を払う鐘をならしていた。そして此方へと近付いてくる。ゼロは潰されかけた喉をおさえるながら起き上がった。

 

「ゼ――――」

「【蒼極雷】」

 

 そして、近付いてくる勇者へと雷を放った。

 雷は真っ直ぐに勇者を焼き払う。がくりと膝を突いて、勇者は地面に倒れ伏せた。今度は肉体がはげて下から死霊兵は出てこない。本物が死んだように見える。だが、見えるだけだ。そもそも此方の攻撃で彼女が死ぬわけが無い。

 

「ゼロ」

 

 勇者の声がする。

 

「ゼロ」「ゼロ」「無事かいゼロ」

 

 複数の勇者の声がする。いつの間にか周囲を囲われている。

 

「ああ、無事かね我が子よ」「さあ、良い子だ、此方へおいで!」

 

 マスターの声まで反響し始めた。自分の周囲にはいつの間にか数十人以上のマスターと勇者達が取り囲んで、笑っていた。骨の鳴る音と重なって、騒音のように反響し、ゼロの耳を阻害した。

 

「…………なるほど、本当に、性格が悪いんですね」

 

 ゼロは大きく息を吸って、吐き出す。

 相手のして欲しくないことを積極的にする。敵の心の“やわらかな”所を嬲るような所業を躊躇無くとる。邪悪なる神、嘘の竜、対の勇者。色々と腑に落ちるかのような攻撃だ。

 無論、だからといって、このまま好き放題されて黙ってみているつもりは、無い。

 

「【蒼王陣・蒼炎乱舞】」

 

 故に全てを焼き払う。

 侵入時に砕けた瓦礫に指で触れる。そこを起点に周囲に魔力のラインが描かれ、周囲一帯が魔法陣に包まれた。即座に起動したそれは蒼い炎を産みだし、周囲の勇者とマスターを一瞬にして焼き払う。目を背けたくなるような地獄絵図が生まれたが、次第にそれは骨だけとなって砕けちった。

 

「――――ぶっは!無茶するね!?」

 

 独り、蒼い炎に焼き払われても尚、平然としていた勇者を除いて。僅かに煤けた彼女は焦げた部分を払い近付いてくる。ゼロはそれでも油断せず、指先を彼女へと向けた。

 

「…………本物ですか?」

「疑うなら攻撃する?」

「今ので消えなかったなら本物です。これ以上邪神の思惑にのりたくない」

「そうだね。私もそう思う」

 

 これで此方を倒すつもりは無いのだろう。とするとコレは此方の威力偵察か、消耗目的だろう。どのみち、このやり取りで消耗するのは間違いなく不毛だ。

 

「速攻で仕掛けてきたねほんと。仲間を増やした瞬間コレだ」

「貴方が仲間を引き連れるのを、今日まで拒んだ理由ですか?」

「逆に利用されるってわかりきっていたからね」

 

 幻術、幻覚の類いに対する対抗手段は勿論ある。ゼロもその備えはある。

 幾つもの魔眼を彼女は有しているし、半端な魔術による幻惑は一目見ただけでその現象を打ち破ることも出来る。だが、それが意味を成さなかった。強引に力を振り回して周囲を焼き払わなければならなかった。

 

「【嘘】【模倣】の権能……」

 

 大悪竜フォルスティア。その有する力は、想像以上に邪悪な物であるかも知れない。ゼロは自分の認識を改めた。

 

「どうする?今からでも後ろに下がるかい?ガルーダの中ならまだ安全かもだけど」

 

 ちらりと背後を見る。幸いにして、ガルーダは未だに健在だ。中に避難していた真人の兄弟姉妹達は、先の悪辣な攻撃の被害は受けなかったらしい。中から這い出てきた彼らは此方に手を振り無事を知らせてくれた。

 天魔のグレーレは仕事をキチンとこなしたらしい。この迷宮内部にてガルーダは安全領域(セーフエリア)となるように。

 そこにいれば確かに安全であるかも知れない、が―――

 

「いいえ」

「即答だ」

 

 ディズの提言に対してゼロは即座に首を横に振った。

 確かに、邪神相手に数の利で押し通せるという発想はただの幻想だと理解した。兄弟姉妹達にはガルーダに待機してもらおう。

 だが、出会い頭にこれだけの仕打ちを受けてスゴスゴと引き下がるのは、マスターの娘としての誇りが傷つく。

 

「此方を妨害したと言うことは、脅威と見なしたと言うこと」

「それも一理あるね」

「それに」

「それに?」

 

 ディズが問う。ゼロは細く長い睫毛をピクリと揺らし、無表情に答えた。

 

「こういうことを仕掛けるヒト。キライです」

「うーん流石に擁護しがたいなソレは。シズクってば本当にアレだから」

 

 再びゼロは足下に魔法陣を展開した。精緻に組み上げられた。

 

「邪神がこちらの仲間を利用するというなら、“こちらも利用してやります”」

 

 消えて失せそうになっていった死霊兵、その無数の骨片らを魔力で捕らえる。敵の操る死霊術。それらを今の僅かな戦いのやりとりで彼女は読み取り、そして解析を完了させていた。それらを奪い、我が物とする。

 

『―――――カ、カカカ、カカカカカカ!!』

 

 無数の死霊兵がその形を取り戻し、再び立ち上がる。しかし先ほどのとはまた様子が異なった。蒼い、ゼロの放つ魔力をその身に纏っている。既に彼女の尖兵となった死霊兵達は、ゼロとディズの露払いをするかのように、一気に前進を開始した。

 

「後ろへ。私たちの役割は、貴方を消耗無く送り届けることです」

「頼もしいよ、全く」

 

 死霊兵等と共に、一気に勇者とゼロは迷宮行進を開始した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『カカカカ!無茶苦茶するのう!』

 

 死霊の王は笑う。

 自身の身体を分けて用意した尖兵らを、見事に利用されてしまった。末端も末端とは言え、自分の身体を悪用されているにもかかわらず、彼は実に楽しそうだ。

 

《これくらいは、できるのでしょうね。言ってしまえば、彼女は人間よりも精霊に近い。あるいは神に》

『豪勢じゃのう?』

《いずれは、全てのイスラリア人は、彼女のようになる》

 

 真人計画、イスラリア人の最終形態。 

 【真人創りのクラウラン】が産みだしたゼロという少女。現行の全てのイスラリア人の頂点とも言える存在。見た目と性格は、生意気な小娘にしか見えないが、決して侮っていいような相手ではない。

 

『これは、時間をかけては、魔界は負けるのう?』

《元より、この戦いは不利なもの。危険だからと廃棄された邪神を再利用しなければ、対抗すら出来なかった》

『それで?どうする、主よ』

 

 問いに対して、白銀の神は少し沈黙し、応じた。

 

()調()()()()()()()()()()()。ですがもう少し時間が欲しい》

 

 なので、

 

《悪いヒトに、手伝ってもらいましょうか》

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市グラドルにて。

 

「ラクレツィア様!!衛星都市エインとキーラから救援要請が!!」

《勇者ディズに強化された結界はまだ健在でしょう!泣き言を言っていないで現状維持に努めさせなさい!!冒険者ギルドにも要請を出しなさい!》

 

 グラドルのシンラ、ラクレツィアの腹心の部下の一人であり、甥でもあるマクロンは苛烈な指示を必死の表情で聞いていた。

 この場に彼女はいない。通信魔具から矢継ぎ早に指示が飛んでくるとはいえ、現在グラドルの責任者は彼女の代理である自分だ。しかし全くそれを喜ばしいとは思えなかった。

 例の粘魔騒動から今日までの間、グラドル神殿内における政権争いは苛烈を極めた。それをなんとか抑え続け、ようやく安定してきたと思った矢先に、まさかの世界崩壊の脅威、邪神の出現である。

 

 空がひび割れ、太陽神を睨むようにして出現した白銀の竜。

 他の全ての都市国がそうするように、グラドルも脅威に向けた対処は必須となった。

 

 衛星都市、大罪都市、全てへと容赦なく襲いかかる魔物達に白銀の竜。結界の外部から絶え間なく襲撃し、ヒビを入れて、内部へと侵入しようとするその猛威をなんとか抑えなければならなくなった。

 ラクレツィアの代行である自分に次々と報告がとんでくる。救援要請に、防衛能力の不備、危機的な状況、その全てを受け止めるだけで彼はてんてこ舞いになっていた。

 

 頼む。頼むから少し休ませてくれ!!!

 

 父などは叔母のラクレツィアの立場を奪ってやれ、などと息巻いていたがとんでもない。彼女がどれだけの辣腕を振るっていたのかよく分かった。既に彼はパンク寸前だった。せめて一時間ほどでも良い。この場で寝かせてくれ。

 

「マクロン様!!!大変です!!」

 

 ひい、と悲鳴を上げなかったマクロンは自分を褒めた。大変なのは分かっている。今はもうどこもかしこも本当に大変だ。魔物も竜も大暴れしている状況で、しかもグラドルは神官の数が極端に今は少ない上、グラドル領は魔物の出現自体が大人しいものだから、魔物の対処にも全く慣れていないときたものだ。

 だから、いちいち大げさに話を持ってくるな!と言いたいのだが、しかし部下のその決死の表情はどう考えても「大げさ」などではなかった。

 

 では何か?それを聞き出すのにマクロンは相応の勇気が必要だった。

 

「どうしたというのだ!」

 

 頭の中のラクレツィアが「そんなことでどうするのか!」と叱咤してくる姿を思い浮かべながら、マクロンは尋ねる。

 

「スロウス領で……!!」

「ス、スロウス領……?それがなんだというんだ!」

 

 スロウス領は、現在、かの魔王ブラックの支配する地域で在り、そして真っ当な都市部が一つも無い、不死者がひしめく混沌の大地だ。だが、それ故に今回の事態に対しても何の被害の報告も、此方から何かしらの警戒を向ける必要も無いエリアでもある筈だった。

 だのに、この事態で尚もマクロン自身に直接進言しなければならない事態が起こったと?だとすればそれは一体――――

 

「スロウス領の、穿孔王国スロウスの大穴から、()()()()()が出現し、凄まじい速度でプラウディアに向かっています……!!!」

「は……!?」

 

 その言葉の意味を理解できず、マクロンは硬直した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑫ 混沌を巻き起こす者

 

 

 

 大罪迷宮プラウディア外周部、北部地区

 

「銀の竜を優先して倒せ!!」

「結界へと干渉してくるぞ!!!なんとしても仕留めろ!!」

「単独で当たるな!!だが決して近付きすぎるな!!同士討ちさせられるぞ!!」

 

 神陽の結界、勇者ディズが施したプラウディアを守護する結界では、様々な戦士達が結集し、その戦いは激しさを増していた。

 

『――――――――――――――――』

 

 白銀の竜の声は、ヒトの耳では聞き取れないほど高く、美しかった。

 細い身体に巨大な翼、爬虫類のような突起のない滑らかな頭部に長い尾、そして何より全身の美しい銀色の身体。一見するとそこに恐ろしさは感じない。身体と同じ銀色の瞳はくりくりとしていてて、愛嬌すら感じるし、空が赤黒く不気味に染まっていなければ、きっとその飛翔する姿に神聖さを見出す者も居たことだろう。

 

 しかし、その銀色の竜達は明確な敵意をもってイスラリアに襲いかかってきた。

 

 その翼は結界に干渉し、都市の内側に潜り込んでくる。

 その美しい声は聞く者を幻惑させ、周囲を敵と誤認させる。

 その滑らかな銀の身体は魔術を弾き、小さな口から放たれる咆吼は容赦なく陣形を崩す。

 

 白銀の竜は、紛れもない脅威としての竜そのものであり、そしてそれが空を覆い尽くすほどの数が飛び回り、イスラリアという大陸を埋め尽くし、そして都市を護る結界を蚕食していた。

 結界が崩されれば、都市を護る壁が無くなる。都市の周囲で蠢く大量の魔物達の侵入を塞ぐ手段は無くなってしまう。そうすれば人類生存圏は終わりを迎える。

 

『―――――――――』

「ちっくしょう!!離れ、ろ!!」

 

 騎士が一人、剣を振るい、結界に虫のようにへばりついた竜を追い払う。

 そう、剣を振れば、竜達はひらりと、すぐさま結界からは 離れていくのだ。そしてまた少し距離を開けて別の結界にへばりつく。そしてそこから結界を”解いて”いく。

 

「宿屋でさあ、小せえ羽虫がプンプン飛んでて叩こうとしたらすぐに離れていくくせに無視すると近付いてくるのあるじゃん、あれ思いだした俺…!!」

「気持ちは分かるが集中しろボケ!!ぶんぶん飛び回ってんのは虫じゃなくて竜だ!」

「天剣の姫さんはまだ来ないのかよ!」

「スッとろい俺等が都市の内側に逃がした竜達を片っ端から叩いてんだよ!こっちの尻拭いまでさせようとすんな!」

 

 叫び、吼え、なんとか士気を保とうとするが、容赦なく竜に魔物達は襲い来る。

 限界まで張り詰めていた糸が切れる。

 戦っていた戦士達がそれを直感した、そのときだった。

 

「【神鳴】」

『――――――――!?』

 

 それは、まさしく雷の如く飛んできた。

 激しい雷光が結界をひしめく白銀の竜達を焼き払った。白銀の鱗は魔術の全てを跳ね返すが、執念深い獣の牙のように、雷は押し返そうとする竜達の鱗を噛み砕き、その果てに竜の皮膚を焼き、肉を焦がしてたたき落としていく。

 冒険者達はこの攻撃の正体を知っている。プラウディアに居る者で、その鮮烈なる雷を瞳に焼き付けていない者はいない。

 

「イカザさんだ!!」

「イカザがきたぞ!!」

「最強の冒険者が来た!!!」

 

 雷を手繰る最強の冒険者、イカザが雷鳴と共に現れた。

 白銀の竜と、冒険者達の間に漂っていた不協和音も何もかも焼き払った。緋色の彼女は結界の上に立ち、振り返る。

 

「冒険者ども!!騎士達に後れを取っている場合ではないぞ!!!」

 

 その激しい叱咤は焦りでたわんでいた冒険者達の空気を再び張り直した。先程まで敵意を竜や仲間達にばらつかせていた彼らの表情は一気に引き締まる。彼らに集団としてのまとまりはない。

 だが、実力と実績の伴った仲間の言葉は、年齢も性別も種族も問わずして、彼らは聞き入れる。そこに差別は無かった。

 

「結界を這い上ってでも竜達を叩き潰せ!!どのような不細工な様を晒そうとも構うな!!銀の竜どもを泥にまみれさせてやれ!!」

「おお!!!」

 

 雄叫びが湧き上がり、再び動き出した冒険者達に、先程のようなダラダラとした動きはなくなった。一糸乱れぬ連係とは言い難いが、それでも確実に、竜達を一匹一匹仕留めに掛かっていた。

 

「よし……」

 

 少なくともこの場が即座に崩れるような事態は避けられた。

 だが、決して油断ならない状況は続いているとイカザは理解している。竜達の戦いが行われているのは此処だけではない。一番危うい状況だったが為に救援に向かったが、どこもかしこもギリギリだ。

 都市の内側は絶対に安全だ。

 そういう信頼がイスラリアの住民達の中にはある。それは、意図して創られた信仰だ。都市の内側に長くはいられない【名無し】ですらも、無意識の中で持っている。都市の外を放浪しても、内側に潜り込むことが出来れば安全だ、と。

 

 しかし、銀竜はその信仰を蚕食する。それが想像以上に戦士達の士気を削っていた。その立て直しにイカザは奔走していた。

 

「これでしばらく保てば良い……が」

 

 嫌な悪寒を、イカザは拭いきれずにいた。

 シズクとの接触は少なかったが、彼女がいかに悪辣であるかはそれまでの接触で彼女は識っている。悪辣で相手の心理を読み解く彼女が、ただただ、竜の権能を活用して力任せとは考えづらい。だとして、次に何を仕掛けてくるか――――

 

「……………なんだ、ありゃ」

 

 それを呟いたのは、冒険者の一人だった。

 彼は、目の前の対処すべき竜達すらも無視して、呆然と視線を結界とは真逆の方角へと向けていた。騎士団達が魔物達を押さえ込もうとしている結界の外側、丁度この位置から見れば北側の方角。もっと正確には、その上の方向だ。

 

 何を見ている?

 

 イカザもそちらを見る。そして彼の視線の先にある者にすぐに気がついた。

 否、気がつかないわけが無い。

 

「…………で、っか……!?」

 

 巨人がいた。

 それもただの巨人ではない。ガタイが十メートル以上はあろう巨人種の魔物はイカザは何体も倒してきている。その類いの魔物はイスラリアという世界においては決して珍しくは無い。

 

 そして、スロウス領の方角から出現した巨人は、その規模の代物では無かった。

 

 赤黒い空に浮かぶ暗雲を切り裂くかのように高く伸びたその頭部が天を切り裂いている。四足の足が地面を貫いて、地面を揺らすようにして動かしているようにみえるが、その度に遠雷が降り注いだような地響きがする。

 

 だが、何よりも異常であり、脅威なのは、それが、遠目でみても明らかな”人工物”であると言うことだ。

 

 人形種の類いであるのは確かだが、そこには明らかなヒトの手の痕跡があった。そこには継ぎ接ぎが在り、工夫があり、欠陥が在り、その上で完成されていた。迷宮がそれを模倣したものとは全く違う。ヒトの叡智と狂気の集合体であることをその場の全員が感じ取った。

 先程までは騒乱に紛れていたが、緩慢な動作に見えて、凄まじい勢いで迫りつつあるその巨人の起こす地響きは、既にハッキリと全員が感じ取れるまでになっていた。間もなくして此処にやってくると、戦場にたつ戦士達は理解し、しかしその脅威に対してどう向き合って良いのか、誰も分からなかった。

 

 

《はろおー、元気かい?プラウディアの住民達よ》

 

 

 そんな、混沌のただ中、山脈の如き巨大な”ナニカ”から発せられたその声は、神経を逆撫でしてくるほどに脳天気で、不愉快だった。

 

《知らねえ奴に自己紹介だ。穿孔王国の王様やってるブラックだ。以後よろしくな?》

「此処で動くのか魔王…!!」

 

 その声の主を察して、イカザは顔を強く顰めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

《今から俺たちは、この【機神人形】でプラウディアに突っ込む》

 

 暢気なその声から放たれた、無慈悲な宣告はプラウディア領の全ての住民に届いた。

 

《イスラリア全都市の結界を維持する要石、【バベル】を倒す。イスラリアを滅ぼす》

 

 低く、明瞭に響くその言葉を、プラウディアの住民は理解できなかった。

 何も難しいことは言っていないはずなのに、理性が理解を拒んだ。夢心地の中にいるかのようだった。呆然と、その”機神”を見上げて、多くのものが逃げようとすらしなかった。

 だが、しかし

 

《その途中にある全ては踏み潰す。何の躊躇もしない。西通りにある獣人のグーマの親父がやってる酒場も、南の中央に存在する”雫瓶”の総合薬局も、中央で小人のアメリアが必死にかき集めた、イスラリアでは珍しい歴史を綴る博物館も、全部だ。》

 

 具体的に告げられたその名前は、彼らに生々しい現実的な危機感を与えた。 

 それらは、プラウディアの住民達の日常の中にあるものだった。日々の生活で必ず接触する世界だった。毎日景観の中で当然の様に存在し、決して損なわれることがないと確信するものだった。

 それを壊すと、機神は言った。

 

《砲撃もぶっぱなす。ああ、これ、今日のために創った特別製でな。ヨーグってすげえバカが創ったすげえ火力出るバカな代物だ。狙いとかマトモに定まんねえから注意しろよ》

 

 人形の巨大な腕が蠢いた。揺らめいて見えるのは、その腕から凄まじい熱を放ち、空気を歪めている為だ。激しい熱が腕に収束する。禍々しい熱光がその手の平の先に溜め込まれる。遠からず、それが放たれるのだと誰の目にも明らかだった。

 

《ただ、別に俺も虐殺がしたいワケじゃあない。趣味でもねえ。だからアドバイスしよう》

 

 徐々に、プラウディアに混乱と恐怖が伝播していく中で、機神から放たれる魔王の声だけが、変わらず平然としていた。だが、それ故にこそ更に恐怖を煽った。朝の天気を尋ねるように淡々と、自分たちが今居る世界を滅ぼし尽くすと彼は告げているのだから。

 

《頑張って逃げろ。必死こいてここから離れろ。俺たちは逃げるのを待ってやらない。逃げ遅れた奴らは確実に死ぬ。それが未来ある子供だろうが、まだ首の据わってない赤子だろうが区別しない。なんだろうがぐちゃぐちゃのミンチにする。嫌なら逃げろ》

 

 それは決定事項だと彼は告げていた。

 交渉の余地など何処にも存在していなかった。破滅を告げる彼の言葉に破綻の気配は無かった。興奮や混乱の様子もなかった。

 彼は正気のまま、地獄を宣言した。

 

《さあ、殺し合おうかイスラリア》

 

 機神が右手を翳する。

 凝縮された熱光が炸裂し、破壊の力が結界に着弾した。【天陽結界】は自らの役割を果たすべく、それを受け止めるが、全てとはいかない。衝撃で大地は揺れ、建造物が震え、窓硝子が粉砕する。

 銀竜たちの襲撃以上の恐ろしい光景に、プラウディアは混沌に飲まれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑬

 

 眼前に迫るあまりにも凄まじい巨人を前に、イカザの取った行動は早かった。

 

「【雷壁】」

 

 直接、人形の咆哮を守り防ぐ事は困難だと即座に判断し、自分の周囲の戦士を守ることに全力を注いだ。研ぎ澄ました魔力で雷の障壁を創り、盾とした―――が、

 

「っぐう!?」

 

 そのエネルギー量にイカザは絶句する。誰であろう、当のブラックが予告していた通り、その威力は凄まじい。少なくともこれまでイカザが経験したこともない未知のモノだった。

 【天陽結界】はまだ無事だが、全ては防げない。銀竜達の空けた穴もある。それがプラウディアの内側の住民達の心を更におびやかすのは想像に難くはなかった。

 だが、それ以上の問題がある。

 

「ブラック……!?」

「マジかよ!?……!」

「だが、あの野郎、アイツは……!」

 

「「「アイツはやりかねねえ!!!」」」

 

 物理的なダメージ以上に問題なのは、冒険者達の混乱だ。

 

「不味いな……」

 

 魔王ブラックの名は、冒険者の中ではある種のカリスマだ。冒険者という枠組みを越えて、長い間激しい戦いの節目には姿を見せ、気紛れに多くの大騒動を巻き起こしてきた。

 人格はとてもではないが真っ当とは言い難い。巫山戯た道化のようでもあり、得体の知れない悪党にも見える。幼稚な子供にも思える。彼を知る者は誰もが苦笑い混じりに彼を語るが、それは憧れの裏返しでもあった。

 そんな彼が、イスラリアという世界の敵に回った。その事実を知れば、特に彼を慕う冒険者達の士気が総崩れに―――

 

「よっしゃああの野郎ぜってえぶっ殺す!!!」

「全力で嫌がらせすんぞこら!!」

「ツケ死体からはぎとってやらあ!!!

 

 ―――――は、ならないらしい。

 

 冒険者達の士気は、むしろ向上した。

 あの男にカリスマがあるのは間違いないが、かなり独特なもののようだった。

 

《元気が良いねえ!お前等みたいな“石ころ”ども好きだぜ?――――だが死ね》

 

 とはいえ、士気だけでどうにかなる敵ではない。

 再び人形の腕が動く。尋常ではない蒸気を吐き出した右腕を下げ、左腕を持ち上げる。先の一撃をもう一度かますつもりらしい。勿論、それを許すわけにはいかない。今の結界では、あの攻撃はなんども防ぐことは出来ない。それを止められる戦力をこの場で有しているのは自分だけだ。

 

「止める……!!!」

 

 イカザは雷を纏い、跳ぶ。右腕と同じように膨大な魔力を凝縮し、放とうとしている左腕を断ち切るために刃を振りかぶり全力を込める。巨大人形が撃ち放った力にも劣らぬほどの熱量が、機神と比べれば豆粒ほどにしか見えないほどの彼女の身体から溢れ出る。

 

「【極剣・神鳴】」

 

 雷の刃は過つ事無く、機神の左腕に着弾した。が、しかし、

 

「何……!?」

 

 その奇妙な手応えの無さに、イカザは眉をひそめる。切り裂いた刃を見れば、機神の左腕は確かに高熱を伴った斬撃で溶解しているようにみえる。

 だが、そうではない。イカザはその洞察力で察した。

 この機神は、自らの身体を歪め、此方の攻撃をいなした。まるで粘魔のように―――

 

「粘魔王……!?いや、だが……!?」

「粘魔とは似て非なるもの。決まった形を記憶しながら自在に形の変わる“液状の金属”」

 

 不意に、声が響く。薄気味の悪い、空虚な女の声だ。

 

《“世界”の技術って、凄いでしょう?あなたたちみたいなズルがないから、必死に創りあげた英知の結晶よ?》

 

 右腕が再び歪み、人形の形に戻る。だが、その腕の上に、何かが寝転がっていた。女の形をしているが、ヒトというにはあまりにも悍ましい者。

 銀竜出現の大騒動の隙を狙って、うっかりと逃走をかました最悪の邪教徒。

 

《まー、それを魔術とごちゃごちゃに混ぜちゃったんだけどねぇ?ウフフフフフフ!》

「ヨーグ……!最悪だ!!」

 

 この邪教徒の最悪っぷりはしっている。イカザもやり合ったことがあるからだ。長い間、イスラリアという世界を混乱に貶めることを繰り返した邪教徒の中でもとびっきりの最悪。それが最凶の冒険者についたのだ。本当に最悪だった。

 この巨大人形の攻略方法もまだつかめない。一度下がらなければ―――

 

《悪いが、お前は逃がす気はないぜ?ビリビリ姫》

 

 しかし、直後に身体が硬直する。機神の四つの目が光り輝く。それが魔眼、拘束の魔術の類いであるとイカザは察したときには、彼女の身体はガチガチに固定されていた。

 【消去】をかけ、拘束を砕く。だが、それよりも機神が力を解き放つ方が遙かに速い。イカザは自らが判断を誤ったことを悟り、自身へと放たれようとする灼熱を忌々しく睨み――――

 

《【天罰覿面】》

 

 それよりも早く、大いなる巨神が二人の間に割って入るようにして飛び出し、そして機神の身体をその拳で殴りつける。

 

《おおっと、きたかよ。【“新”天賢王?】》

 

 最強の助けが来た事をイカザは悟った。

 星天の輝きに包まれた、真なる巨神が、機神と相対する。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 機神の中にて、邪教徒ハルズは軽く舌打ちした。

 

「暴れ出す前に押さえられたか…………だが、まあ良い、巨神を引きずり出せた」

 

 この機神を出せば、向こうは否応なく対応せざるを得なくなる。勇者は自身に太陽神ゼウラディアの権能を集中させられない。全てを守るために分配し、貸し出している。

 機神を無防備な場所で大暴れさせるもくろみは外れたが、陽動自体は順調だった。後はこの機神で【天賢】を押さえつければ―――

 

「あ、まじーな」

 

 と、思考を回していると、中央の座にてあぐらを組みながら眼前のモニターを睨んでいたブラックが、非常に軽い調子でぼやいた。

 

「……何がだ」

「ほらみろ、スーアのあの顔」

 

 ハルズは顔をしかめながら尋ねると、ブラックはモニターを指さした。顔、といっても、そこに映っているのは機神が睨んでいる光景―――即ち、星天の輝きを放っている【天賢】そのものでしかない。

 

「顔など見えない。そもそも遠隔操作だろう」

 

 スーア当人はバベルの塔の中にいるのだろう。ここまで離れた場所に完全なる巨神を作り出せるのは驚異的と言えなくもないが、しかし魔王の言っていることは何も分からなかった。しかしブラックはしたり顔で続ける。

 

「巨神の顔だよ。ぷんすこ状態だろ?キレてるわアレ……“バレたかな”?まあそりゃそうか」

「だからなんだ、怒ってどうなる訳が―――」

 

 と、ハルズが言おうとした。するとその次の瞬間、巨神が一歩前へと踏み出すような動作を取った。近づいてくるのか、とハルズは当然のように想定したが、ソレは違った。

 

《――――――》

 

 巨神は足を動かし、そのまま中腰のあたりにまで持ち上げた。

 そしてそれを、思い切り、全力で、一気に機神に向かって蹴り出した。

 

「は!?」

 

 ヤクザキックだった。

 

「なあああ!!!?」

「戦い方が雑になるんだよ。やっぱアルそっくりだなー。ジジイちょっとしんみりしちゃった」

「言ってる場合か!!!」

 

 凄まじい振動に揺られ、大量のアラートに鳴らされながら魔王はしみじみと語り、ハルズは地面を転げながら叫ぶ。二つの異なる神の戦いが始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑭ できないこと

 【真なるバベル】空中庭園にて

 

「あの機神、全てが粘魔ではなく、実体はあります」

 

 その場から、プラウディアの外周部まで巨神を動かしていたスーアが観察し、告げる。

 

「全てではない。イカザにその事は伝えてください」

 

 その言葉に従者達はうなずき、即座に通信魔術を飛ばす。この場所では、随時各戦場の情報が集まり、同時にその情報を送り出す司令塔にもなっていた。今回の戦いは陽喰らい以上に戦線が広く、守るべきものが多すぎる。イカザやユーリ、そしてスーアというような、強大な戦力を何処に配備するか、常に目を光らせなければならなかった。

 だからこそ、あの恐ろしい機神も暴れ出す前に押さえることが出来たのだ。だが、懸念もあった。

 

「承知しました……ですが、スーア様」

「なんです」

 

 従者の一人がスーアの様子をうかがう。やはりスーアの表情にはそれほどの変化はない。いつも通り、どこか神聖な雰囲気を漂わせた超然とした存在に見える。が、長きにわたりスーアを世話してきた従者達には、その感情の機微が理解できていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 尋ねる。するとスーアはすぐに頷いた。

 

「平気です。ですが」

「はい」

「魔王は()()()()

「はい」

 

 やはり、ぶち切れていた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 外周にて二つの巨神が激突している最中、ユーリの支援に回り、魔術を展開しているグレーレは、その支援の傍らに、プラウディアの地図を広げていた。

 

「ふむ……なるほどなあ」

 

 それは魔導書の類いだ。とある衛星都市で創り出された、感知した状況を克明に記録する地図の魔導書だ。それにグレーレがプラウディアの全域を記録できるように改良を加えていた。その地図を確認しながら、頷く。

 

「銀竜は、住民らの避難施設(シェルター)を先回りで攻撃している。正確にはそこまでの移動経路か。直接は破壊出来ないと理解しているなあ?」

「……なんですって?」

 

 それを聞いて眉をひそめたのは、都市内部の竜や魔物達の処理に当たっていた【白海の細波】のベグードだった。その彼に、グレーレは興味深そうな笑みを浮かべながら続ける。

 

「最初の銀竜出現時、やむを得ず住民らを一時避難させていただろう?あのとき恐らく、場所を覚えられていたのだ」

 

 その時点で住民の動きを観察し、避難所を確認する。そして間を開けて、今度はその隙を狙い撃つ。この時間差はこちらの精神的な油断を狙い撃つ為だけのものではなかったらしい。邪悪なやり口と、それをやっているのが自分の顔見知りで、元同僚の少女である事実にベグードは眉をひそめる。が、

 

「…………いや、待ってくださいグレーレ殿」

 

 怒りと悲しみの後、疑問が残った。

 

()()()()?住民を直接狙うのではなく?」

「そうだな。住民は無事だ。より混乱して逃げ回っているがな。騎士たちも誘導に苦労している」

 

 改めて説明させられて、疑問が残った。先回り、つまり逃げ込んで隠れる先を破壊しているのであって、住民達を直接狙っている訳ではない。

 

「なんの意図が……?」

「さて、な。信仰を削るなら、住民そのものを消し飛ばした方が手っ取り早かろう」

 

 そう、この世界の構造が判明した以上、住民を狙うというのなら意味は分かる。信仰、祈りの魔力そのものの総量を削り、太陽神という存在に供給されるエネルギーをそぎ落とす。

 相手がその事実を知らない無抵抗の民を狙うという外道の所行で在ることに目をつむれば正しい戦略であるし、魔界にとっては外道なんて知ったことではないだろう。

 だが、そうではない。器用にも施設だけを狙っている。これは―――

 

「……良心が咎めたとか?」

「カハハ!そこまで温くはあるまいよ!」

 

 ベグードの言葉をグレーレは鼻で笑う。笑われてしまったが、確かに同意見だ。それほどまでの慈悲深さを、あの白銀の少女が有しているようには思えなかった。

 だが、そうなってくると、

 

「目論みがあるのは確かだ。急げよ勇者」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【大悪迷宮フォルスティア】深層空間にて。

 

「急いだ方が良い、よね」

 

 通信魔術の届かぬ迷宮の内部ではあるが、外部の状況を推察し、猶予があまり残されていないということをディズは悟っていた。シズク、あの白銀の神は悪辣だ。神としての能力だけを寄る辺に戦いを挑んでくることはまずない。

 確実に何かをしかけてくる。となると、あまり悠長な事はしていられない。

 

「だとすれば、後ろに控えてみているわけにも行かないかな」

『カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!!!!!!!』

 

 現在ディズがいる縦にも横にも広い大広間には、無数の餓者髑髏がひしめいていた。彼らは各々巨大な剣を握りしめ、連携取れた動きで次々に振り下ろしてくる。しかもそれだけでは無く―――

 

「反撃は避けろ!!【白炎】が反応する!!!」

 

 彼らは嫉妬の炎を身に纏い、襲いかかってくるのだ。

 

「性質が悪いです!!!」

「【黒炎】でないだけマシ、かな。魂をも焼くアレと【死霊兵】との相性が悪いのか、それとも扱うこと自体が無理なのか、判断できないけどね」

 

 真人達の悲鳴に、ディズは淡々と応じる。

 

《―――――!!》

 

 上空では、自動操縦となったガルーダが旋回し、餓者髑髏達を打ち抜いていくが。それでもやはり、有効なダメージには至らない。広い空間とは言え室内だ。いくらか小型とは言え、飛翔する移動要塞では動ける範囲は限られる。

 

 やはり、モタモタするべきではない。ディズは星剣を構えた。

 

「一気に行こうか。ゼロ、お願い」

「はい」

 

 合図を送ると、即座に彼女はディズの背後に回り、彼女の身体に魔法陣を展開する。

 

「【蒼極陣】」

 

 ソレは魔術大国ラストにいる“白の系譜”の末裔、レイライン一族の業とも近かった。だが、似て非なる物だ。より簡易で、効率よく組まれたソレは、即座にディズの肉体に強化を与えてくれる。

 

「……リーネが知ったらどういう反応するか読めなくて怖いけど」

「なんです?」

「ん、大丈夫。一気に行くよ。皆はフォローをお願い」

 

 ディズはそう言って星剣を掲げ、叫ぶ。

 

「【神魔接続・神鳴宿し】【神剣・纏】」

 

 雷がその身に宿り、星剣は星天の輝きに包まれる。

 師と友の業をその身に宿して、ディズは一気に駆け抜けた。

 

『カカカカ――――     』

「【魔断】」

 

 駆け、跳び、襲いかかってくる餓者髑髏を一刀で切り伏せる。纏った【白炎】がその反撃に応じ強くなり、即座に爆散して襲いかかってくるが、その時には既にその場にディズの姿はない。

 必要な分だけを切り捨て、ディズは更に駆け抜け、跳んだ。真人達の事は心配にはなるが、彼らはあくまでも自分のフォローに来たのだ。その彼らを気遣って、逆に消耗しては何の意味も無い。おそらくそうすれば、彼らは深く誇りを傷つけられるだろう。

 信頼し、駆けた。

 

 ああ全く、神の身になったとて、出来ないことのなんと多いことか。

 

 王に七天の主であると言われて、そうあろうと努力もしようと試みたが、この一月の間でさんざん思い知ったのは、悪い意味で自分は自分だという現実だ。

 天才とはほど遠く、器用さは皆無で、与えられた権能も全ては上手く使いこなせない。

 幾つもの能力を仲間達にまた分担して、それでなんとか飛躍的に向上した七天を御しきれる程度になったが、それでもまだ完全にはほど遠い。 

 

 ―――よいとおもうわよ

 

 そんな風に、自分の不完全さを嘆いていると、声がする。

 

 ―――たよれるひとがおおいって、すてきなことよ?

 

「ん、そうだね」

 

 肩の力が抜けた。その良い脱力のまま、彼女は駆ける。死霊兵達をくぐり抜ける。無数に存在する階段を一気に駆け上がり、その先にある大扉を両断した。そして―――

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【大悪迷宮フォルスティア】に侵入してから、肌身に感じる魔力には違和感があった。

 

 理由は分かっていた。他、全ての迷宮に起こる現象と同じだ。

 竜達は悪感情を信仰として掠める。“方舟”が廃棄する前の魔力をかすめ取り、集めるための場所が迷宮で、だからそこに満たされた魔力は悪意に満ちている。

 

 【フォルスティア】はその中でもとびきりだ。

 

 肌に触れるだけでひりつくような、痛みを伴った魔力。悪意と敵意に満ち満ちたエネルギー源。それが集約された場所。その場所へと強引に突撃を果たした後、ディズはその魔力が満たされた方角へと足を進めた。

 そして、ここがその中でも、一番に濃く、重い。そしてその奥には

 

「ああ、よくぞいらっしゃいました」

 

 迷宮の主がいた。

 

「シズク」

「お茶などいかがですか?ディズ様。それに真人の皆様も」

 

 太陽神と相対する月の神。白銀の邪神。

 彼女は荘厳なる神殿の奥に座り、少女は優しく語りかけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑮ 両断

 

 

《ブラック、なんですかそのこわくてごっついの》

 

 大罪都市プラウディアを護るべく出現した光の巨神。

 幾度となく大罪都市プラウディアを救うために出現した太陽神そのものである力の顕現が開口一番に言い放ったのは、相対する機神への率直な罵声だった。

 

《おーん?なんでえ、俺のウルトラカッチョイーすーぱーロボに不満でも?お子ちゃまはロマンわかってねーなー?》

《よくわかりません。不必要に盛られた装甲はなんですか。武器いっぱいですけど使えるんです?トゲがなんでいっぱいついてるんです?ソレ本当にカッコいいんですか?》

《ぐあああああああああああああああああ!?》

 

 スーアの純粋かつ情け容赦ない指摘にブラックは深刻なダメージを負った。

 

《へ、へへへ、やるじゃねえか。流石アルの子供だ……!》

《ぜんぜん嬉しくないです》

 

 そう言いながら、巨神は飛び上がり、両拳を重ねて一気に振り下ろした。その挙動、動き方は明らかにアルノルドのそれとは異なった。彼の動きは不器用でまるで飾り気のない直球だったが、スーアのソレは野生生物のように荒々しく、動物的だ。

 

《ハッハ!良いねえ!!》

 

 その猛攻を機神は受け止める。その動作は巨神と比べるとぎこちない。しかし、先にイカザの攻撃をしのいでみせたように、肉体の一部を溶かし、形を変えて、器用に攻撃を回避して、反撃してくる。

 明らかに、無茶苦茶な造り、到底長続きしないはずの機械の神、なのにここまで動かせて、【神賢】に対抗できているというのは奇跡的だ。

 

《ご想像の通り、コイツは長続きするもんじゃねえ》

 

 すると、スーアの推測を肯定するように、魔王ブラックの笑い声が響いた。

 

《だがそれは、そっちも同じだろう?》

 

 機神の瞳がスーアの巨神を睨み付ける。強力な魔眼だが、スーアの巨神には通用しない。にもかかわらず、動きの重さをスーアは感じ取っていた。

 理由は理解できる。イスラリア中が恐怖と混沌に包まれている為だ。

 神と精霊への信仰が衰えてきている。

 

《損なわれ続ける信仰、相対する脅威、護るべき者達、その全ての問題をお前さんだけでどうにか抑えきれるかな?》

 

 喋りながら機神が近付いてくる。

 いくら信仰が落ちていると言って、正面からぶつかられたら不利なのは間違いなく向こうだ。にもかかわらず微塵の躊躇もありはしなかった。

 

《すっごく、おしゃべりですね。こわいんです?》

《大人ってのは戦いの最中でも余裕ってもんをもつもんなんだよ、クソガキ》

 

 双方が互いを嘲り、そして少しの間が空いた。一瞬の静寂の後、双方は動いた。

 

《【神罰覿面】》

 

 巨神はその拳を極限まで握りしめると、その力を相手へと叩きつける。

 

《【竜牙超砲】》

 

 機神はその腕部に取り付けられた砲口から、破滅的な力を一気に放出した。激突した力と力は莫大な破壊の力を生み、イスラリアという方舟そのものを鳴動させた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 月神シズルナリカ あるいは 大悪竜フォルスティア 

 

 イスラリアと敵対するその異名を背負うに至った少女シズク。

 その彼女を最初に見たときのゼロの印象は、想像よりもずっと、普通の少女だった。

 人外めいた美しい少女ではある。だけど、イスラリアという方舟そのものを滅ぼそうとするほどの、真の邪悪なのかと言われれば、疑問が残る。

 広間奥に設置された座にちょこんと座り、此方を出迎えた彼女は優しげに微笑みを浮かべているし、その仕草は、どこか親しい友達を招き入れたような印象すら与えてくれた。

 

 いや、実際そうなのか?彼女は自分達を招き入れて招待したのでは―――

 

「ゼロ」

 

 一瞬、思考に意識が持って行かれそうになったところで、ファイブが自分の肩を掴んだ。想像より強く力が込められて痛みがあったが、お陰で正気に戻った。

 

「相手はイスラリア中を一切の区別無く侵略している邪神だ。理解しているな?」

「……大丈夫です」

 

 内心でファイブに感謝を告げながら、ゼロは大きく深呼吸した。

 ようやく「怖い」という感情がゼロの内側からわき上がってきた。

 ただ、相対するだけで敵意が削がれる。あそこにいる少女が自分の味方なのではないかという、ありもしない希望にすがろうと、本能が自分に“嘘”をつこうとする。

 

 それくらい、彼女は得体が知れない。なにかの“底が抜けている”。

 

「シズク。()()()

 

 そして、そんな彼女へと、ディズは躊躇無く言葉を投げかけた。それも想像もしていなかった言葉を。

 

「なんでしょうディズ様」

 

 そして、その勇者の予期せぬ交渉に対して、邪神は素直に応じる。

 ゼロは勇者と邪神を交互に見つめながらも、口を挟めなかった。そして勇者は、自分の呼びかけに応じた邪神に対して小さく安堵したように溜息をつくと、そのまま話し始める。

 

「協力出来ないか。“方舟”と“世界”、双方の完全な隔離のために。休戦する。転移計画を実行に移す」

 

 それは、ディズがここに至るまで繰り返し続けてきたシズクへの交渉だった。

 ここに至るまではずっと、ディズはその交渉を成功させることは出来なかった。交渉前に彼女から反撃を受けてきた。

 しかし今回は、即座に攻撃を仕掛けたりはしなかった。が、しかし、

 

「現在、世界を“浸食”している【涙】全ての解消が前提条件です。ですが、出来ませんよね」

 

 返ってきたのは、どうしようもない現実だった。ディズは頷いた。

 

「勿論、それは試したよ」

「ディズ様ならば、太陽神となった時点で試みないわけがないですものね?」

 

 とシズクはディズの言葉を肯定する。

 実際その通りだ。太陽神としての力を確認したディズはそれを試した。悪感情の魔力、その危険性は理解していたが、イスラリアの外の大地を不毛の大地に変える悪性をなんとかしたかった。太陽神として完成させた今の自分の力で、それを試した。

 

 だが、結果としてソレは出来なかった。

 太陽神では、造られた神では、“涙の廃棄”を止めることはままならなかった。

 

「方舟を創り出したイスラリア博士は、よっぽど、“悪感情による神霊の変質”を恐れたんだろうね。誰にも、例え、太陽神の担い手たる勇者であろうとも変更できない不可侵にした」

 

 イスラリアに住まう自分の民すらも、かつての博士は信頼できなかった。疑心暗鬼に陥っていた彼は自分以外の誰にも、危険な物を触らせまいとした。強固に封印し、誰にも触れさせないようにした。

 

「方舟の“存在そのもの”と【涙】を凝固させる機能は密接に絡んでいて、それらを失わせない限り解除できない」

「では問います。出来ますか?貴方の立場で」

 

 シズクは問い、ディズは苦々しく首を横に振った。

 

「出来ないね」

「でしょうね。それも、責めません。正しい判断です」

 

 ディズの答えに、シズクは微笑みを浮かべた。この戦いが始まる前と変わらない、優しげで思慮深くも見える聖女のような微笑みだった。

 

「貴方も王もイスラリアという方舟の守護者。その立場故、役割故、善性故、さんざん自分達を苦しめた“元凶達”の為に、自分の守護すべき民達に「苦しんでくれ」とは言えない」

「二つを失わせない形でなら、【涙】の解決に全力を尽くすと約束する」

「何年かかるでしょう?その間に、沢山の“人間”が死にます。もう時間はない。彼らは耐えられない」

 

 ひたすらに淡々と交渉は否定された。ディズは深くため息をつく。この交渉がこのような結末を迎えることは、心のどこかで理解はしていた。何もかも簡単に解決ができるならもう少し早く、あるいはもう少し穏やかな結末を誰かが選んでいたはずだ。

 しかしそうはならなかった。それが選べる状況ではなかった。

 

「……何もかも、遅かったと」

「全力を尽くしてくださったと思います。ソレは認めます。王も、あなた方も」

 

 シズクは座った、ただ穏やかにそう告げた。少しだけ、仮面のような笑みを忘れ、その代わり、ただ哀しそうな表情をうかべた。

 

「ただ、この世界がどうしようもなかっただけです」

「そうかもしれない、それでも――――」

 

 勇者は、深く、ゆっくりと息を吐き出した。迷いや混乱、無力感をねじ伏せ、精神を整える。顔を上げた彼女に、迷いは無かった。

 

「私は、それでもこの世界が好きなんだ。そこそこね」

「知っています」

 

 勇者は微笑み、星剣と緋の剣を引き抜く。相対する邪神もまた笑みを返した。

 

「わかりきっていたことを聞いて、ゴメンね」

「いいえ、尋ねてくれて、ありがとうございます」

 

 そのまま、細く長い指で、勇者を指した。

 

「お陰で、時間が稼げました」

『カカカ』

 

 死霊兵が、突如背後から出現した。

 振るった刃は一切の淀みなく、勇者ディズの首を切り裂いた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『カカカ』

 

 会心の一撃だった。

 ロックは自らの仕事に確信を持った。自分の剣に淀みは無い。勇者の細い首を、自分の剣は肉を引き裂いて骨を断ちきり、胴体から別れさせた。鮮血を飛び散らせた。

 金色の髪が空を舞い散り、そのまま地面に鈍い音を立てて転がり落ちる。全員の視線が集まる中、生首となった勇者の眼球は微動だにせず――――

 

「―――まあ、そう来ることは分かっていたよ」

 

 しかし次の瞬間、ディズの生首はそのまましゃべり出した。

 

「《ほーんとよーしゃなーい》」

『カカカ!アカネか!!!』

「【蒼風】」

 

 そう言っている間に、真人らも動いた。熟練の魔術師達が次々に魔術を発動する。迷宮のいたる場所からわき出た死霊兵達を片っ端からなぎ払う。

 

「お願い。ゼロ」

 

 背後で、無数の【真人】達の中に紛れ、自らを隠していたディズが、星剣を握り構える。太陽神の力が彼女の中で渦巻き、爆発的に勇者の圧は増していった。

 

 ああ、うむ、止めねば不味いの?

 

 ロックはそれを理解する。温存していた全ての死霊兵達を一斉に動かして、なりふり構わず勇者へと襲いかかる。

 

「【骨芯竜化・白炎】」

 

 嫉妬、相克の炎を纏いながら。それは最早、駆ける爆弾に等しかった。自らもろともに、勇者ごと爆散する算段だった。

 だが既にその時には、彼女の隣に控えた少女が、魔術の準備を完了していた。

 

「【終局・零獄】」

 

 次の瞬間、一帯の全てが凍り付いた。

 大悪迷宮フォルスティアの最深層の地面も柱も天井も、死霊兵達も、その彼等を焼き尽くしていた呪いの炎すらも丸ごと全て、何もかもの時間が止まった。

 

『――――カ――――――カカ――――』

 

 無論、【白炎】は温度の全てを奪った程度では、決して尽きることは無い。凍り付いた炎は、そのすぐ側から燃えさかり、それ以上の猛火と化す。封じられた時間は1秒にも満たない。

 

 だが、その1秒は勇者にとっては十分な時間だった。

 

 光の如く、彼女は地面を蹴り、死霊兵達を飛び越える。白銀の少女は、ディズを見上げただただ微笑みを浮かべたままだ。抵抗の様子も、魔術を構える姿もない。ディズは一瞬眉をひそめ、しかしそのまま迷わず、剣を振り抜いた。

 

「【魔断】」

 

 太陽神の剣は邪神の首を切断した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑯

 

 斬った。

 

 ディズはシズクの首を切断した感触を得た。

 骨肉を引き裂いて両断する感覚は幾度となく重ねても慣れない。相手の過去と今と未来を一方的に摘む不快感と、自分の鍛錬の成果に対する達成感がない交ぜにになって、どす黒い感情が渦巻く。その感情に支配されてしまわぬように自らの御するのは一苦労だった。

 

 だが、今のディズにその感情は無かった。あるのはただ―――

 

「―――違うな、コレは」

 

 疑念の確信だった。

 

 彼女はこの程度では殺せない。それは今日に至るまでの戦いの中で十分に理解できている。そもそも彼女は抵抗すらしなかった。最早この戦いにうんざりして身を投げた、なんて事もあり得ない。

 だとすれば―――

 

「“偽物か”」

「―――――」

 

 シズクの首も身体も、次の瞬間にはあっけなく解けて消えた。迷宮で死んだ魔物よりも遙かに呆気なく、まるで最初から存在しなかったかのように消失した。

 

「…………な!?」

 

 同時に、周囲にあれほどまでに蔓延っていた死霊兵、ロックの姿も無くなった。真人達は驚愕に眉を顰め、更に警戒を怠らず周囲を見渡している。また別の何かを仕掛けてくるのだと、用心している。

 

「なる、ほど、ね」

 

 が、勇者は一人、警戒することも無く無造作にそのままツカツカと前へと進み出た。

 

「勇者?!」

「平気だよ。多分もう、シズクはここにいない。けど……」

 

 ゼロ達に応えながらも、そのままディズは周囲を見渡す。自分たちがココにたどり着いた時、入ってきた扉はいつの間にか消えていた。階段も見当たらない。【大悪迷宮フォルスティア】の最深層と思しきこの場所から出口は消えていた。

 

「この場所そのものが、罠か」

 

 自分たちの状況を理解し、ディズは苦々しい表情で確信した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア上空。【天陽結界】境界にて。

 

 天空を跳び回り、逃げ惑う人々に狙いを定めるかのように旋回していたい銀竜達が、一斉に動作を変えた。天から落下し、バベルから伸びた無数の腕と、結界に阻まれ留まっている【大悪迷宮フォルスティア】の傍へと、まるで戻るように近づくと、一斉にその翼を広げたのだ。

 

『A―――――』

 

 一糸乱れぬ銀竜達の力によって、迷宮は光に包まれる。それは、最初に巨大なる銀竜に吞まれた際に生じた変化とはまた違った。巨大な銀色の光は、そのまま迷宮をすっぽりと覆い尽くし、球体への変化させる。

 虫の繭のように、卵のようにも見えた。いかしそれをより正確に評するなら―――

 

「―――なるほど、“牢獄”と言う訳か。嫌らしいなあ?」

 

 それを地上から観察するグレーレは笑う。

 

「カハハ!特攻兵器兼、罠?効率の権化だなあ?!」

 

 【勇者】らが、迷宮へと向かい、その後を見計らうようにして起こった変化の意味をグレーレは即座に読み取った。【陽喰らい】をなぞることで最大戦力を誘い込み、内側に取り込んだ時点で閉じ込める。そのまま迷宮ごと敵を破壊する。まさに効率極まれりだ。

 邪神が覚醒し、魔力の運搬通路としての役割を迷宮が失った。だからこそ出来る一発限りの力業とも言えるが、その手札を即座に、一切の躊躇無く使う辺りに邪神となった少女の性格というのが見えた。

 グレーレはよく知らなかったが、どうやらシズクという少女は本当に“良い性格”をしているらしい。

 

「とはいえ、感心ばかりもしていられんなあ?」

 

 見ている間に、元は【大悪迷宮フォスティア】だった球体は、明滅を繰り返し始めている。実にわかりやすい反応だ。自身の迷宮を維持するためのエネルギーと、イスラリア中から集まってくる負の信仰の全てを集め、自爆するつもりなのだ。

 落下は防がれても、その爆発のエネルギーで結界を貫いて、【真なるバベル】を砕くつもりか。なんにせよ、放置は出来ない。

 

「さて、どうする、ユーリ」

 

 故に、グレーレは空を見上げ。

 無数の星天の剣を周囲に展開し、戦いはじめ、早々に数百の銀竜と魔物達を切り伏せたユーリは、グレーレの言葉に一瞥すら向けず、ただ、空の銀の卵を睨み付けた。

 

「まるごと斬ります」

「我らが神ごとか?」

「これで死ぬような神など必要ありません」

 

 最強の七天は情け容赦なく言い切り、その後ため息をついた。

 

「コレで死ぬほど、アレは軟弱でもありません」

「道理だ。根性だけなら七天最強だったからなあ?カハハ」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【大悪迷宮フォルスティア】最深層。

 

「まあ、彼女が何もせず待ち構えてるって時点で嫌な予感はしたんだけどねー」

「落ち着いてる場合ですか!?」

 

 ディズの実にのんびりとした口調に、ゼロは悲鳴のような声を上げる。真人達は出口を探すべく魔術を走らせ、転移術なども試みているが上手くはいかない。

 当然と言えば当然だ。どれだけ歪な使い方をされようともココは“迷宮”。空間が外と直接地続きでつながっているわけではない。その性質そのものも利用した罠だったのだ。

 

 勿論、ディズもこうした罠の可能性は考慮していた。だからこそ、ユーリには神剣の権能はほぼ全て譲渡した訳なのだが。

 

「必要とあらば、まるごと斬ってもらえるしね」

「ですが、私たち死にます!」

「だよね。私もそれは嫌だから―――【ガルーダ!!!】」

 

 ディズはそのまま、自分たちと共に迷宮へと侵入を果たした移動要塞ガルーダに呼びかける。その身体の大きさ故に、前の階層で待機している筈のガルーダに、自分の声が届くかは賭けだった。

 この場所と空間が断絶していたならば、音なんて届くはずが無かった。だが―――

 

《―――――!!!》

 

 聞こえた。

 その声の方角へとディズは近づき、何も無い壁へと手を触れた。

 

「ここかな」

 

 ―――ディズ、やる?

 

 自身の内側に在るアカネの言葉に、ディズは頷いた。

 

「うん。お願いね」

 

 そう言って、目を閉じる。次の瞬間、彼女の手を緋色の液体が覆う。ディズは―――アカネはそのまま自らの力を唱えた。

 

「《【ほろびよ】》」

 

 次の瞬間、迷宮の壁は崩壊する。

 その先には、虚空の闇は広がってはいなかった。先ほどディズ達が巨大なる蛾者髑髏達と戦い続けたあの広い空間が再び姿を見せ、そこで待機していたガルーダが顔を覗かせた。

 

《―――――》

 

 機械の怪鳥、その表情は当然、見た目には分からないが、どこか心配そうに、その大きな頭をそっとこちらにこすりつけてきたのは、気のせいではないだろう。ディズはガルーダの頭を撫でると、背後に控える真人達に呼びかけた。

 

「乗り込んで!急ぐよ!」

 

 ガルーダの内側に乗り込む真人達の様子を確認し、ディズは最後にシズクがいた場所を見つめ、眼を細める。

 

「―――互い、偽物同士で和平の話し合いか」

「勇者!急いで」

 

 ゼロの言葉に、ディズは視線を戻した。もうその表情に迷いもなにも残ってはいなかった。

 

「出して」

 

 間もなく、主達を収めた機械の鳥は再び羽ばたき、迷宮の内部を羽ばたいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑰ 開門

 

 

 

 【大悪迷宮フォルスティア】内部の崩壊は進んでいた。

 

 至る所が崩れ始めている。柱がへし折れ天井が落下する。だがそれは単なる迷宮の崩壊ではない。内部にいる勇者達を始末するための自爆だ。悪意に満ちた崩壊が、瞬く間にガルーダに降り注いだ。

 

《―――――!!》

 

 ガルーダはそれらを回避し、飛ぶ。迷宮の内部ではやはり巨体であり、要所で瓦礫に直撃し、柱に倒れられもするが、尚も突き進む。その機械の身体で瓦礫を跳ね返しながら、必死に崩壊から逃れた。

 無論、それに乗り込んでいる真人達も必死だ。瓦礫の山を弾き飛ばし、守りの術でガルーダを守りながら、周囲を探索し続けている。

 

「我々が通った道も封じられている!」

「諦めるな!探れ!あくまでも元は迷宮なんだ!何もかも違う形には出来ないはずだ!」

 

 迷宮は魔力回廊。道である以上、必ず出口までの道は存在するはずだが、それは巧妙に隠されている。既に姿を消した邪神の仕業なのは間違いなかった。

 一つ一つの階層を戻るだけでも一苦労だ。これでは迷宮の崩壊に間に合わない。ガルーダの背に乗りながら、その窮地を理解したゼロは、ディズへと振り返り叫んだ。

 

「勇者、どうしますか―――!?」

 

 見てみると、彼女は星剣を握りしめ、集中するように目をつむっていた。

 

「……太陽神として覚醒した今なら、理屈の上では出来る、筈だ」

 

 そしてささやく。しかしそれはゼロの問いに答えたものではなかった。どちらかというと自分自身に言い聞かせているかのようだった。

 

「【星剣】は、神の制御装置であると共に、世界を開く鍵でもある。シズルナリカはそれで迷宮という回廊を創った。用途は違っても、二柱の神は根本的な機能は変わらない」

 

 そう言って、ディズは静かに星剣を両手で握りしめ正中に構える。幾度も繰り返し続けた剣の稽古。最も集中して剣を振るえる構えに、ディズの肉体は自然と形作った。

 

「世界を断ち、路を創る」

 

 迷宮の崩落で荒れ狂うガルーダの上で、彼女の周囲だけは静寂に満ちていた。その静けさの中、彼女は一歩踏み出して星の剣を振るう。

 

「【星路開門】」

 

 次の瞬間、音も無く、ガルーダ前方の空間が引き裂かれた。迷宮が崩落し“虚空”を覗かせる光景に少し似ていたが、異なる。それは覚醒したゼウラディアが見せる星天の輝きに満ちた回廊だった。

 

「進め!!!」

《―――――!!!》

 

 ディズは星剣を構え、叫ぶ。それに応じてガルーダは一気にディズが開いた空間の狭間へと飛び込んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル】

 

「あれは、どうなってんだ!?」

「本当に墜ちてくるのか!?」

 

 大悪迷宮フォルスティアのさらなる変容と明滅に、外周部の戦士達は軽いパニックに陥っていた。【陽喰らい】の戦いを経験しない彼らには、そもそも天空迷宮が直接落下してくる光景自体、未知の恐怖だ。それがさらなる変化をして、怪しく発光を繰り返すともなれば、恐怖に駆られるのは当然と言えた。

 

「落ち着け!!我々は目の前の仕事をこなすのだ!!浮き足立つな」

 

 ビクトールは当然、彼らの混乱を鎮めて回り、目の前の戦いに集中させなければならなかった。が、しかし内心では彼もまた、天空迷宮のさらなる変化に驚きと恐怖を感じざるを得なかった。

 

 陽喰らいの時のプラウディアの挙動をビクトールはよく知っている。

 

 天空迷宮の落下攻撃には“余裕”があった事をビクトールは知っている。天賢王に負担を与える為であっても、自壊に至るほどの速度は出そうとはしなかった。主である竜の臆病さ故か、それとも迷宮という存在を失うわけにはいかなかったのかは分からないが、“躊躇”のようなものを確かに感じ取れた。

 

 だが、ここから仰ぎ見える天空迷宮に、その躊躇が欠片も感じられない。

 

 明滅し、更に圧力を激しくする。自身の推進を阻む【天陽結界】と勇者が生み出した【巨神】の支えを押し潰さんと蠢き、その振動がこちらにまで伝わり、足下が揺れ動く。世界がひっくり返るようなその振動と圧力は、ビクトールとて畏れを抱かない訳がなかった。

 

 だが、逃げるわけにもいかない。それはもう分かり切っている。

 ココが人類の最終防衛ラインなのだから―――

 

「―――格好つけて睨んでないで、仕事してください」

 

 そう思っていると、魔術の転移が発生した。バベルの塔に出現したのは、転移術を発動させたであろう杖をついたグレーレと―――

 

「ユーリ!!!」

「離れて、お父さん」

 

 ビクトールが言葉を交わす暇も無く、星天の輝きに包まれたユーリは剣を構えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア中の至る所で竜を刻み続けたユーリは、空中庭園に戻り再び剣を構える。睨む先は、まさにこれから落下しようとしている【大悪迷宮フォルスティア】だ。

 

「さて、このままでは確実に中にいる我らが勇者は粉みじんとなるな」

 

 彼女をここまで移動させたグレーレは冷静に状況を語る。空から墜ちる空中要塞そのものを利用したトラップ。本当に豪快なやり方だ。とはいえ、コレを仕掛けてきたのがあのシズクだと考えると納得もいった。

 

 やはりあの時、何も考えずに殺しておくが吉だったのかもしれない。

 

 そんなどうしようもないことを考えていると、不意に傍に従者の格好をした女がやってきた。ディズの従者であるジェナだ。彼女は【神薬】をユーリに手渡した。

 

「貴方は塔の中に避難なさい。ジェナ」

 

 受け取り、口にしながら指示を出すと、ジェナは首を横に振った。

 

「ディズ様の無事を確認できたら、そう致します」

「では動かないように。あの世で主と再会したくなければ」

 

 ジェナは粛々と頭を下げて、言われたとおり距離を取った。全く、如才ない従者だ。ディズにはもったいないくらいには。そんな事を考えながら、ユーリは神剣を周囲に展開した。

 

「【神剣起動】」

 

 無数の神剣はユーリの周囲に展開し、陣形を組む。彼女を支える土台の様になった。

 

「ディズからの連絡は?」

 

 その状態を維持しつつ、念のためグレーレに確認をするが、彼は首を横に振る。

 

「あんな有様になって尚、アレは正しく迷宮の機能を有しているのだろう。外部からの連絡手段も無く、転移も出来ない。内部の勇者も手段を講じてはいるだろうが……」

「こまねいているでしょうね」

「断言するなあ?」

「昔からどんくさいんです」

 

 よくすっころぶ女だった。呆れて手を差し伸べるこちらにニコニコと笑みを浮かべて手を取ってきたが、擦り傷まみれで何が面白いんだと言いたかった。だが、まさかその関係が今日まで続くとは思いもしなかった。

 しかし、だからこそ経験として知っている。

 あの勇者は不細工にすっころんでも、笑ってすぐに立ち上がるだけの根気はある。

 

「【星剣】が神の依り代ならば、私の力は勇者と繋がっている」

 

 義手が変容し、剣と化したその腕を身構えて、ユーリは空を見上げる。しかし、視線の先にある空中迷宮を彼女は見ていない。彼女が見つめているのは虚空で有り、その狭間の先にいるであろう、友の姿だった。

 

「虚空を断ち、門を開く」

 

 神剣が交わり、ユーリを支える。

 そして次の瞬間よどみなく、ユーリは空を断った。

 

「【星路開門】」

 

 空は切り裂かれる。

 

    ―――――――!!!》

 

 そして次の瞬間、引き裂かれた世界の断絶から、黄金の不死鳥が飛び出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑱

 勇者が開いた世界の穴に飛び込んだガルーダは、未知の空間を飛翔していた。

 

 その光景は、恐らく人類にとっても未知の光景だ。多様な色の光が瞬いては後方へと過ぎ去っていく。光が帯のようになって、後ろに過ぎ去っていく。しかし、自分たちが前に進んでいるのかも、ガルーダの外にいるゼロには分からなかった。

 風を切る感覚も無い。あえて言うならば転移術を使用している状態に近いが、全てが不確かだった。分かるのは、ここが勇者によって切り開かれた場所であると言うことと―――

 

「うん、ゴメン。私もこれどうなってるかよく分からない」

「勇者ぁ!!?」

 

 勇者も勢いのままにこの空間を作り出しているという事実である。

 正直言って恐ろしいが過ぎる。この場にこの空間のことを理解している者が誰もいないというのは。無理をしてでもマスターか、天魔のグレーレを連れてくるべきだったのかも知れないとゼロは本気で後悔し始めていた。

 

「私、ぶっつけ本番出来るタイプじゃないからなあ……できれば帰ったら速攻で練習開始したい」

「そんな時間ありません!!!」

「だよねえ」

 

 軽い言葉をかけながらも、星剣を握り、外に出ている自身とゼロを守る障壁を創り出している。それもどこまで意味があるのかわからない。空間内の光の明滅に、異音はますます激しさを増していく。

 何も分からない。分からないがこのまま此処にいるようなことは出来ないと言うことだけは分かっていた。

 

「外に出るにはもう一度穴を空ける必要があるけど、どのタイミングかは分からない」

「ではどうすれば!?」

 

 必死に問う。すると勇者ディズは何故か少しだけ、自信満々といった表情で頷いた。

 

「天才を信じよう」

 

 次の瞬間だった。ガルーダが飛翔する先で、新たなる“亀裂”が生まれた。

 その亀裂から一瞬漏れた星天の輝きを見て、勇者は眼を細め、そちらへと剣を向ける。

 

「ガルーダ!」

《―――――!!》

 

 主の命に従い、機械の鳥は再び羽ばたく。光と音で溢れ、飽和する寸前の空間から抜け出して、一気にその亀裂へと飛び込んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そして、次の瞬間にはディズ達は外の世界、即ち【大悪迷宮フォルスティア】の外、見覚えのある【真なるバベル】を眼下から見下ろせる上空に再び帰還していた。

 

「出た!!けど―――!?」

 

 が、しかし、その事に安堵する猶予は何一つとして存在していないことをディズは即座に理解する羽目になった。眼下にはバベルが見えるが、上空にはついさっき自分たちが内側にいた【大悪迷宮フォルスティア】が存在している。中に侵入したときとは異なる形状で鳴動し、【天陽結界】とディズが創り出した巨神の柱を砕きながら落下を続けている。

 

 観察するまでも無く、全ての限界が近いのは明らかだった。

 

「早いご帰還ですね」

「ユーリ」

 

 そして、出現したディズ達を、即座にユーリが出迎えた。ガルーダの背に華麗に飛び乗る彼女の姿は、出て行く前と違う。【神剣】の加護を全身に纏った姿だった。

 剣士の姿からは遠くかけ離れた異様にして神秘めいたその姿にディズは一瞬言葉を失うが、すぐに首を振って目の前の大問題に意識を集中した。

 

「状況は?」

「グレーレ曰く、もうすぐ貴方が出てきた迷宮が爆発四散してプラウディアという国まるごと消し飛ぶ予定となっています」

「わあ」

 

 分かっていたが本気で碌でもない状況だ。しかしグレーレがそう言うのであれば間違いなくそうなるのだろう。本当に息つく暇も無い地獄である。シズクは本当にこちらに隙を与えてはくれなかった。

 

「で、どうするの?斬るの?あの迷宮」

「出来るわけ無いでしょう!?」

 

 ディズの提案にゼロは目を見開いて叫ぶ。が、ユーリは平然と頷いた。

 

「出来ますよ」

「出来るんです……?」

「まあ、迷宮である以上、実体がこの世界全てに顕現しているわけではないでしょうが……自分から此方の世界に干渉しようとしている今なら出来ます」

 

 ゼロのユーリを見る目が、“自分を上回る強者”から“形容しがたい謎の生命体”に変わりつつあったが、今は気にしても仕方が無い。

 

「が、斬っても爆発は止まらないでしょう。それでは意味が無い」

「そうだね」

「なので爆発させて()()()()()()()

「オッケー」

 

 その短いやりとりでユーリはガルーダから飛び、ディズは星剣を再び構えた。

 

「スーア様に大部分貸し出してるから、限界はある、けど……!!」

 

 星剣が輝き、力を増す。既に砕けかけていた巨神の拳に加え、新たなる拳が植物のように空中庭園から伸びて、天へと突き出る。

 

「【神罰覿面・六輪陣……!】」

 

 ディズはその感覚に悶えた。【天賢】あるいは【神賢】、かつての王たちが使っていた力はやはり、とてつもない圧力がある。ただ使うだけでもこれだ。それを更に行使し続けて、ひたすらにイスラリアを守るための人柱としてその命を使い続けてきた歴代の王たちの献身には全くもって頭が下がった。

 

 そう、彼らの努力を思えば、この程度なんて事は、無い!

 

「【神拳・重ね】」

 

 出現した巨神の拳全てに、金色の籠手が出現する。破魔の力を宿した巨大なる神拳の籠手は眩く輝き、天空で激しく明滅し、今まさに炸裂しようとしている“迷宮”を睨んだ。

 そして、間もなくして迷宮は縮み、そして一気にその内に秘めた力を炸裂させる。

 

「【破邪神拳・六鐘共鳴】」

 

 まさにその瞬間、神の拳は一斉にその鐘を鳴らした。悪意と破壊にまみれた迷宮の魔力、そこから生み出されるエネルギーの奔流に合わせて一気にその力を砕いていく。

 空中庭園にいる兵士達は奇妙な体験をした。

 破壊、轟音、光、それら尋常ならざる爆発が起こっているにもかかわらず、自分たちには傷一つ無く、熱も感じない。常人であれば体験することはまず無いであろうその光景を「美しい」と感嘆さえしていた。

 

 そして、彼らの視線の先に、一人の影が飛び出す。

 星天の輝きに包まれた一人の少女、剣士に在らず、剣として覚醒した少女がその身を振るう。六鐘の聖なる鐘の音すらも押し切って、眼下の全てを焼き払わんとするエネルギーの塊を、畏れるでもなく、見とれるでも無く、ただ見据え、そして振るった。

 

「【終断】」

 

 その瞬間、巻き起こった爆発そのものが、彼女の一閃によって切り裂かれた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 無論、その光景を見た兵士達にはそれがどのような現象であったのかを理解することは出来なかった。だが、事実として彼らの目の前からあの恐ろしくも禍々しく脈動していた“卵”のような迷宮が消え去り、巻き起こった爆発も、星天の閃きによって粉みじんに切り裂かれた。

 

 数瞬遅れ、彼らから歓声とどよめきが巻き起こった。

 

「やったぞ!!流石のお二人だ!!!」

「すげえや!!マジでなにやったんだかわからねえ!!」

 

 しかし、そうして浮かれて笑うのもほんの一瞬だ。瞬く間に彼らの表情は元の戦士の姿に戻る。何せまだ何も終わっていないのだから。

 

「喜んでる場合か!!銀竜の影響で破損した結界から破片が墜ちてくる!対処しろ!!」

「銀竜達もまだ残っている!!急げ!!!何も終わっていない!!」

 

 彼らの声をガルーダに乗りながら聞き届けたディズは、ビクトール達の叱咤に対してため息混じりに頷いた。

 

「そう、まだ何も終わってない」

 

 結局、今回の全ての元凶であるシズクを討つことはディズには出来なかった。ディズは罠にはまり、そこから逃げ出したに過ぎない。【大罪迷宮プラウディア】を元に使った巨大な罠、あれだけのリソースを消費させたというのは好材料にも思えるが、一方であれだけのリソースを消費してまで、彼女が“囮と罠”として活用した事実が恐ろしい。果たしてこれの狙いは何なのか。

 

「本人は―――……何だ?」

 

 そして、ディズは気づく。バベルの塔、その入り口で異変が起こっているのを。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑲ 選択肢の余地はなく

 

 

 時間を少し前後して

 

 【大罪都市プラウディア】天陽騎士のカレイは混乱のただ中にいた。

 

「どうしたのだこれは!?」

 

 この有事に対して、神殿を守護する役割を持つ天陽騎士団と、市井を守る騎士団との間には共同戦線が立ち上がった。彼らは共に協力しプラウディアを駆け回り、民達を守り、都市の内側に入ってくる銀竜達や魔物達の迎撃に追われていた。

 

 決して口には出来なかったが、てんてこ舞いだった。

 

 未曾有の竜、民達の混乱、耐えがたい静寂の時間、慣れと疲労による不満。そう言った全ての膿が最大にたまった瞬間を狙うようにして起こった銀竜達の大攻勢は、あまりにも容赦なく、人々を混乱のどん底に貶めた。

 魔物や竜達への対処のみならず、守るべき住民達の混乱も鎮めなければならなかった。それは騎士団にとっても、天陽騎士にとっても未知の戦いだった。

 

 【太陽の結界】という名の安全な場所。天賢王の腕の中。

 ここなら絶対に安全であるという保証が、今日までこの世界を守ってきたのだ。

 それを彼らは思い知った。

 

 それが崩れた今、彼らはとにもかくにも足を使って死に物狂いで走り回る以外選択肢は無かった。だが、そう思っていた矢先に、バベル周辺で大混乱が発生したのだ。

 

「避難施設に入れなかった者達が、ここに……」

「外部からの避難民含め、十分な数を用意した筈だろう?!何故こんなことになる」

「避難所までの経路を銀竜達に破壊されたのです!」

 

 騎士達の応えに、カレイは歯噛みする。

 

「無事な場所を探して移動させろ!バベル“も”危険なんだぞ!!」

 

 真なるバベルが最も危険である。と口には出せないが、事実そうなのだ。

 天陽騎士として戦い、神官として“陽喰らい”でも戦ったことのある彼は経験として知っている。敵が狙うのは常に【バベル】なのだ。ともすれば、イスラリアという大陸の中で最も危険な最前線と評しても差し支えないような場所だ。

 

 そんなところに住民達を避難させるのは、全く正気の沙汰ではない。

 

「っですが!」

『A―――――!!』

 

 だが、まさにそう言っている間にも銀竜達は更に迫る。至る所からあの美しい鈴の音を鳴り響かせる。心が震える程に美しい竜の大合唱は、住民達を震え上がらせた。

 

「お願いします!バベルに入れてください!!」

「子供だけでも!!!」

「怪我をした者がいるのです!神官様!!!」

 

 ()()()()()()……!?

 

 住民達の阿鼻叫喚を聞きながら、カレイは絶望的な気分になりながら思い知った。

 信仰の重要性を思えば、彼らを見捨てることは出来ない。彼自身の道義としても、弱り混乱しきった彼らを見捨てるなんて論外だ。だが、他の避難経路に移動させる余裕も時間もない。銀竜が迫る今、彼らを他の場所に移動させるなんて見捨てるのと同義だ。

 

 選択肢がまるで存在していない。

 

 そうする他ない状況に、誘導されたかのようだった。

 

 そして、その最中だった。

 

「み、見ろ!!!」

 

 空に聳える巨大な、銀色の神殿が球状に変化し、明滅を開始したのだ。あまりにも禍々しく、威圧的に光を増していくその姿に、避難してきた住民達は恐怖した。

 

「ど、どうなるんだ!?あれは」

「爆発するの!?死んじゃうの!?ゼウラディア様!」

「お願いします、中に入れてください!!!」

 

このままでは混乱によって彼らは自分たちを押しつぶして死ぬ。

 

「ッやむを得ん……!螺旋図書館へ移動させろ!!!」

 

 それを確信した彼は、苦渋の思いに苛まれながらも、【真なるバベル】の扉を開け放った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 プラウディア中央区在住の都市民メイナ・レリーズン。彼女はプラウディアの都市民として生きてきて今日までの間、恐怖という恐怖からは無縁に生きてきた。

 

 夫は大手の商人ギルドの一員として勤め、彼女はその手伝いをしながらも、家庭を守っていた。休みはあまり取れないが、飢えや怪我、命の危機とは無縁の安寧の日々を過ごしてきた。愛娘も今日で5才になる。順風満帆とは簡単には言えないが、幸せだった。

 とはいえ勿論、全てのトラブルから無縁の日々を過ごしてきたかと言われたらそんなことは無い。例の陽隠しの時はとても驚いたし、泣き出す娘をあやすのに必死だった。大丈夫よ、と何度も娘に言い聞かせていたが、彼女自身不安でたまらなかったのが本当だ。

 

 でも、結局はその事も夫から「自然現象の一種」と説明を受けて、納得した。偉大なる太陽神だって、時には休みたくなることだってあるものだ。そう納得することにした。

 

 彼女は、これから先も続く安寧を決して疑うことは無かった。

 

「皆さん!!!避難してください!!落ち着いて、ゆっくりと!!!」

 

 その幻想は容赦なく崩れ、現在彼女は愛すべき家を捨て、避難を余儀なくされていた。

 

 人混みのただ中、怒声と悲鳴が彼方此方から聞こえてくる。案内をしてくれている騎士団の若い青年の声はその混乱に潰されて、よく聞こえない。お願いだから騒ぐのを止めて欲しいと願うのにそうはならない。

 多分、自分と同じようにそう願っているヒトがいるのだろう。その彼ないし彼女の罵声がまたもう一段、騒ぎを悪化させていくのだ。

 

 どうしてこんな事に?

 

 空が割れたあの日も、夫は混乱する自分を安心するようにと言って聞かせていた。ただ、今回の現象ばかりは自然現象だと夫も笑うことは出来なかった。なにせ、空にはあまりにも巨大な銀の竜が此方を見下ろしていたのだから。

 それでも、きっと七天の皆様が、天賢王がなんとかしてくださると、そう言って自分たちを励まして、それでも必要ないなら外には出ないようにと忠告して、夫は仕事場に出て行った。この異常事態に、商人ギルドも火が付いたような騒がしさになってしまったらしい。出来るなら家で自分たちを護って欲しかったが、生活がある。彼を見送ることしか出来なかった。

 

 懸念は当たった。騒動は収まること無く、ついに竜達がプラウディアを直接襲い出す事態になった。家で夫の帰りを待つことも出来ず、メイナは娘と共に避難する羽目になった。

 

 失敗した、と思ったのは、夫が帰るのを待つべきか否かで判断に迷ったことだった。結果、動き出すのが遅れた。結局彼は戻ることが出来ず、彼女が慌てて避難しようとした頃には、近所のプラウディアの避難施設はどこもかしこも一杯になっていた。

 

 幾つかの避難施設への道は銀竜達に襲われ、砕かれた。

 残された無事な場所はすぐに住民達が殺到し、いっぱいになった。

 

 他の都市から来たような連中は追い返せ、と口げんかする者もいたが、自分には余裕はなかった。手を引っ張って連れてきている娘のロロナも、プラウディアの彼方此方を出歩いてもうヘトヘトだった。

 

「そうだ!バベルへと逃げよう!」

「いや、バベルは戦いの戦場だ!危険だぞ!」

「外に居る方が危険だ!きっと王が俺たちを護ってくれる」

 

 誰かが言った。反対の声もちらほらあがったが、それよりも同意する者達の方が遙かに多かった。彼等は疲れていて、同時に恐怖もしていた。この状況下でなんとか安心できる場所にたどり着きたい一心だったのだ。自然と群衆はバベルの方角へと足を向けた。彼女もまた、彼等にながされるようにそちらへと向かった。

 

「バベルは危険です!!どうか別の避難所へ移動してください!!」

 

 出迎えた騎士が叫ぶ。だが、彼の言うことを聞く者はあまり居なかった。彼等は疲れ果てていた。広い広いプラウディアを馬車もなにもなく、足で右往左往し続けていたのだ。もう限界だった。

 他の場所と違い、騎士達が存在していたことが、彼等をこの場に縛り付けた。もう何のアテも案内も無く、浸食された赤黒い空を徘徊なんてしたくは無かったのだ。

 

 そして、その最中だった。空に聳える巨大な、銀色の神殿が、此方に向かって落下を開始したのは。

 

「ど、どうなっちまうんだよありゃ!?」

「誰か!!ゼウラディア様!!!」

「お願いだ!!中に入れてくれ!!!」

 

 バベルの周囲にいる群衆は暴徒へと変わろうとしていた。全員が助かりたい一心だ。自分も、彼等の叫び声に怯えて泣いてしまったロロナが居なければそうしていたかもしれない。生まれて初めて遭遇する未曾有の事態は、余裕を根こそぎにしてしまった。

 

「地下の螺旋図書館の避難所を利用する!!全員そちらに誘導しろ!!」

 

 やがて、天陽騎士の男がそう言った。苦悶の表情だった。メイナの目から見てもそれはギリギリの判断だったように思える。実際、もう既にメイナの周囲の皆の目は血走っていた。これ以上時間がかかっていれば、きっと彼等は騎士を押し倒して中に踏み入ろうとしていたことだろう。

 バベルへの門が開かれた。その瞬間、雪崩のように群衆が中に入ろうとするのを騎士達がなんとか制御する。最悪にならぬよう、全員が全員必至だった。

 

 押し合うへし合う状況下で、メイナは娘の手を離すまいと藻掻いていた。

 

「……!?ああ!!?」

 

 藻掻いていた、筈だった。必死だったのに、メイナはロロナの手を離してしまった。手を離すつもりは無かったのに。千切れてしまわないかと心配するくらい掴んでいたのに、汗で泥濘んだ手が、彼女の手を滑り落としてしまった。

 

「ああ!ロロナ!ロロナ!!どこなの!?」

 

 メイナはとうとう我慢しきれず叫んだ。

 ここまでずっと他の皆のように叫んだり喚いたりしなかったのは娘のためだ。彼女が理性の線を切らさずにいられたのは間違いなく娘のためで、娘のお陰だったのだ。

 夫とも合流できなかったことが彼女に多大なるストレスを与えていた。その上娘まで離れてしまったら、彼女は何を寄る辺にしたら良いのか分からなくなる。

 

 大丈夫、きっとロロナはこの塔の何処かにいるはず

 本当に?あんな小さい子、この人混みの中で本当に無事で居られる?

 蹴られて、のし掛かられて、踏み潰されたら?きっとひとたまりも無い!

 

 悪い想像が次々と彼女を襲う。発狂しそうな気分だった。目の前がグルグルと回るのが、周囲の人混みに押されてのものなのか、それとも自分の頭の中が混沌のただ中にいるのか、判断が付かなかった。

 

「もし」

 

 そんな時だ。そっと、肩を叩かれたことに彼女は気がついた。

 不思議とその瞬間、自分の周囲の騒音が静かになった気がした。彼女は涙でボロボロになった顔で振り返ると、そこには少女が笑みをうかべていた。

 

「娘さんはこちらの方ですか?」

 

 そういって差し出されたのは、確かにロロナだ!

 目をつむりぐったりとしていて、怪我でもしたのかと思ったが、よく見たらスヤスヤと眠っている。メイナは殆どひったくるように彼女からロロナを受け取ると、深々と安堵の溜息をついた。

 

「あ、貴方、ありがとう!ありがとう!!よかった!!この子が死んでしまうかと!」

 

 そして目の前の少女へとお礼を告げる。心からの感謝の言葉だった。きっと、彼女がいなかったら、本当にロロナとは離れ離れになっていたことだろう。冗談でも何でも無く、小さな我が子にとって命の危機だった。荒れ狂うように混乱する群衆は、時に魔物達よりもよっぽど恐ろしいと言うことをメイヤは賢い夫から聞いたことがあった。

 

「良いのですよ。ああ、無事で良かったですね」

「なにか、なにかお礼を」

「どうか落ち着いて、避難して下さいませ」

 

 そういって彼女は人混みに紛れて、すぐに見えなくなってしまった。本当に、なにかお礼をしたかったのだが、確かに彼女の言うとおり、落ち着いて避難しなければならないのはそうだった。彼女は再び騎士達の誘導に従うことにした。

 状況が落ち着いたら、また彼女を探そう。そしてお礼を言うのだ。

 名前も聞きそびれてしまったけれど、きっと大丈夫。

 

 あんな美しい鈴のような声をした少女、きっとすぐに見つかるはずだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀⑳ 死霊術

 

「皆様!どうか落ち着いてください!決して道を逸れないで!!」

 

 騎士達の言葉を聞きながら、彼女はバベルの中を悠々と進んでいた。

 

「この先を直進です!!螺旋図書館は広い!十分に避難できますから!!!」

 

 彼女は誘導された道を直進せず、誰にも気付かれ無い内に右に曲がった。

 

「避難民をバベルに招き入れたのか!?邪教徒が混じっているかも知れないんだぞ!!」

「どうしようも無かったんです!!見殺しにするわけにはいかんでしょう!?」

「ああ!くそ!!いいか!決して目を離すんじゃ無いぞ!!不審者はすぐに捕らえろ!!」

 

 言い争いながら、必死の形相で駆け回る彼等の横を、彼女は至極当然のように素通りした。彼女が間近に通過したことに、彼等は全く気付くことは無かった。

 

 彼女は長い廊下を進んだ。

 彼女は階段を登っていった。

 彼女は幾つかの大きな扉を開いていく。

 

 彼女は進んだ。彼女は進んだ。彼女は進ん――――

 

「【破邪神拳】」

 

 次の瞬間、彼女の身体は金色の拳に打ち抜かれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 グロンゾンは星天の籠手によって少女の心臓を一瞬の躊躇も無く砕いた。

 

 会心の一撃だった。衝撃で骨が砕け、臓器を砕き、心臓を炸裂させる。それほどの一打だ。衝撃で、少女の身体は壁に叩きつけられ、骨がへし折れ血の海に沈む。

 血にまみれた少女の容姿は、彼女ではなかった。背丈、肌色、髪の色、何もかも違った。だが、しかし、グロンゾンは攻撃の構えを解くことはなかった。

 もし万が一にでもただ単に迷い込んでしまった一般人であったのなら、その時は自分一人だけが、その業を背負う覚悟だった。

 

「――――あ゛ら、グロンゾン様。お久しぶりでございますね」

 

 そして、結局グロンゾンの判断は間違っていなかったことがすぐに判明した。

 即死したはずの少女の瞳が、ぎょろりと此方を見つめたのだ。

 

「【喰らい、超えよ】」

 

 そして、彼女の身体は光に包まれる。砕け散った血と骨、肉片が彼女の内側に戻り、再生を果たす。通常の治癒術とは違った。真っ当な治癒術では、否、【神薬】であってもここまでの大ダメージを即座に治療することは出来ない。

 コレは―――

 

「相克……?嫉妬の権能を治癒に転用するのか!?」

「ダメージは負わねばなりませんし、消耗もきついのですが、ええ、やむを得ませんね」

 

 そう言い血を拭いながら、自分の血肉にまみれた酷く悲惨な姿で彼女はゆっくりと、グロンゾンに向かって頭を下げた。

 

「グリードぶりでしょうか。グロンゾン様、もうお怪我の方は大丈夫なのですか?」

 

 問われ、失われた左腕の代わりにつけられた義手を見て、グロンゾンは肩をすくめた。

 

「利き手を失ったユーリが前線に立っているのに、サボるわけにも行かんからな!」

「あら、元気ですね。とても残念」

 

 グロンゾンの言葉にシズクはクスクスと微笑みを浮かべる。そうしている姿は本当に優しげで、思慮深く見える少女のソレだ。しかし勿論グロンゾンには油断はなかった。

 

「避難してくる民達を利用するとはな」

「バベルには転移含め、あらゆる対策があって潜るのが大変でした。【消去】で容姿の誤魔化しが解かれぬよう、髪も直接染めて化粧もしたのですよ?」

 

 そういって彼女は自分の髪を指先で梳いて払うと、白銀の色がきらめいた。

 グロンゾンは静かに周囲に意識を向ける。真なるバベルは広く複雑な上、グレーレの仕事で空間そのものが歪んでいる。だが普段からここを利用する者達にとって、此処は庭に等しい。

 

「どうでしょう、グロンゾン様、交渉し―――」

「撃てぇ!」

 

 次の瞬間、グロンゾンの指示で集った神官に魔術師、騎士達の一斉放火が邪神を襲った。

 情け容赦の無い砲撃だった。対魔物、対竜に使うような兵器の一斉砲火で在り、竜殺しも多用している。邪神相手にどこまで有効であるかわからないが、

 

 だが、アレは傷を負い、その後治療を行った。治療しなければならないということは、ダメージがあり、それを無視できないということだ。それを信じて砲撃を続けさせた。

 

「【揺蕩い―――】」

 

 しかし、次の瞬間、空間が揺らぐ。

 飛び交った無数の魔術、竜殺し、弓矢に竜牙槍の砲撃、なにもかもが着弾する前に空中にとどまる。まるで、時間がその瞬間止まってしまったかのようだった。

 戦士達がどよめく中、グロンゾンだけは知っている。

 

「色欲――!!」

「【狂え】」

 

 次の瞬間、攻撃の一切が戦士達に跳ね返る。少女一人に向けた敵意と殺意の全てが、周囲へと跳ね返った。

 

「っぐああ!?」

「回避しろ!!!」

「中央への攻撃は防げ!まだ避難民を収容し切れてはいないんだぞ!!」

 

 戦士達の混乱の最中にも、彼女自身の姿も変化していく。

 塗りたくられた化粧も取り払われ人外めいた美貌へと変化した。魔力がドレスとも鎧ともつかぬ形に変わり自身の血肉で汚れた衣服の代わりに彼女を守る。

 

 【月の神シズルナリカ】

 あるいは【大悪竜フォルスティア】は真なるバベルに降臨した。 

 

 最悪の事態、か。

 

 その事実に、グロンゾンは歯噛みした。そして、

 

「だが―――!!」

 

 次の瞬間、彼は駆ける。両の拳を構え、そして跳んだ。

 ゼウラディアの完成によってさらなる神気を宿した籠手を、病みあがりの身で何処まで扱えるかは分からない。だが、今この場は紛れもないイスラリアという大陸そのものの存亡の危機だ。

 この命、燃やし尽くしてでも止める。その覚悟で彼は両の拳を重ね、【神拳】の権能を起動させる。

 

「ぬ、ぅぅああああ!!!」

 

 以前よりも遙かに増して凄まじい荘厳なる浄化の鐘の音に、自滅して吹き飛んでしまわぬよう全力で歯を食いしばる。そのまま全力で少女へと向かって、その拳を叩きつける。

 

「本当に、容赦が無いのですね」

 

 一方で、彼女もそれを身構える。【星剣】を構え、そして容赦なくそれを振るった。

 

「【破邪神拳!!!】」

「【揺蕩え】」

 

 荘厳の鐘と音、狂乱の鈴の音、二つが重なって、バベルそのものを揺らした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 随分と早くに、見つかってしまいましたね。

 

 シズクはグロンゾンと相対しながら、静かに状況を見極める。彼女の耳は周囲の状況を捉えていた。瞬く間に他の騎士達もこの場所に集いつつあることを理解した。十二分に、外へと意識を向けたつもりではあったが、まだ尚、戦えるだけの戦力をバベルに残していたらしい。

 

 あるいは、此方の行動、作戦を見抜いていたのか。

 

 ともすれば、勇者が来るのも間もなくだろう。

 そしてそうなると、必然的に此方は不利になる。当たり前だが、ここは敵の本拠地なのだ。時間が経てば、猶予を与えれば、自分は数と暴力の利に叩き潰される。そうでなくとも、バベルの【神陽結界】が自分を外敵として認識し、押しつぶそうとしている。体中が軋み続ける。

 “敵”としてここにいることは、迷宮の中に単身で潜り込んでいるに等しい。

 

 だから、急がねばならない。そう確信し、シズクは【星剣】を地面に突き立てた。

 

「“時間稼ぎ”、お願いしますね、ロック様」

『カカカカ!!任せよ!!!』

 

 シズクの懐から飛び出した死霊兵、ロックは瞬く間にバベルの塔を埋め尽くし、兵達に襲いかかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 死霊兵、ロックの存在は勿論グロンゾンたちも認識していた。

 

 元は【歩ム者】に所属していたかつての亡霊。

 武術の能力が優れ、異形となったにもかかわらず精神は安定。冒険者ギルドからも魔術ギルドからも問題なしと判定された者。安定性こそ希有であるが、能力に特筆したところはない使い魔。

 使い魔としての能力が飛躍的に高いのは、術者であるシズクが卓越していたからだ。

 それが彼女らを知る者の認識だった。

 

『カッカカカカ、【骨芯()化】』

 

 グロンゾンはその認識を改めた。

 

「なんっ?!」

 

 出現した大量の死霊兵達の形状変化。瞬く間に転じ、“悍ましい姿”を形作ったそれらは凄まじき速度で、一斉に全方位に襲いかかった。

 

「竜の、死霊兵?!」

「形だけだ!!!怯、っが!?」

『【咆哮・骸響】』

 

 一斉に咆哮が放たれ、一気に兵達が焼かれる。彼らとて、多くの戦いを経てきた熟練の兵達だ。その彼らが情け容赦なくたたきのめされる。グロンゾンは歯噛みし、前へと出て、再び神の権能を振るった。

 

「【破邪神拳!】」

『カ――――』

 

 一瞬にして、死霊兵は砕け散る。崩壊し、粉みじんに鳴って消えていく。やはり、死霊兵達の大半は魂すら込められていない。魔力によって構成された実体のない操り人形。迷宮から生まれたばかりの魔物と性質上は大差ない。

 だが、それはつまり

 

『――――――カカカカッカカ!!!』

「っちぃ!」

 

 魔力が尽きないのであれば、即座に再生することも出来ると言うことだ。

 砕け散り、風化した死霊兵達は瞬く間に再生し、襲いかかってくる。グロンゾンは再び身構える。身体が軋む。即座の連発は出来なかった。だが、やらねば―――

 

「グロンゾン様!!!」

「っ!?」

 

 背後から部下らの悲鳴のような叫び声が届く。まるで内容のないものだったが、意味は理解できた。明確な警告だ。ならばと即座に振り返り、闇雲に拳を振るうと手応えがあった。

 

『ふむ、惜しいのう?』

 

 自分の背後で密やかに精製されていた死霊兵の牙が、突き立てられる寸前だった。

 

「精製される場所に、制限はないのか……!」

『わざわざ敵の正面で形作るなんて、間抜けじゃろ?』

 

 言うや否や、至る所から死霊兵達が発生する。最初の出現は、こちらの意表をつくための牽制でしかなかったのだろう。

 

「っが!?」

「ひ、ひぃ!?気色悪!!」

「コンビを組め!!死角に回られるぞ!!」

「不味い、一匹逃げた!!避難民達の所やるな!!」

 

 戦況の混沌が加速する。兵達の統率の死角を狙い、こちらがやられると嫌なことを全て使ってくる。一体一体がかなりの脅威である上に、破壊してもまるでキリがない。しかも、隙を見計らって此方の目を盗み、バベルの避難民達のところまで行くそぶりすら見せる。

 

「避難状況は!?」

「六割ほどが!!」

「急がせい!!」

 

 グロンゾンはハッキリと理解した。

 コレは本当に、最悪の手合いだ。

 敵は異形であるが、魔物ではない。ヒトと同じように思考し、その上で此方がされて嫌なことを全てやってくる。人類の性質、心理を悉く狙ってくる。

 

「まともに相手なんてしていられんな……!!」

 

 グロンゾンは再び破邪神拳を放とうと身構え、不意にその構えを解いた。

 長きにわたった戦闘経験が、危険を直感した。

 

 時間を稼ごうとしている……?!

 

 敵の動きは、まさにそうだ。時間を稼ごうとしている。実際、現在前に出て戦いを繰り返しているのは死霊兵ばかりだ。肝心の恐るべき驚異、邪神は何一つとしてこちらに対してアクションを仕掛けてこない。

 

 何かを狙っている。だが、何を?!

 

 グロンゾンはシズクへと視線を向けた。なにを仕掛けるつもりなのか、それを見定める。そしてグロンゾンは死霊兵達が巻き起こす騒乱の影に潜むようにしながら、静かに目をつむる邪神シズクの姿を見た。

 

「【■■■―――――――――■■―――――】」

 

 彼女は、唄っていた。

 無論知っている。ただただ歌を歌っているのではない。彼女のそれは魔術の詠唱であり、彼女独自の術式の構築だ。邪神という力を身につけても尚、彼女はその技術を使うらしい。

 そして、彼女の紡ぐそれがただの魔術ではないのは明らかだった。

 それがなにかまではつかめない。つかめないが―――

 

「【破邪神拳】」

 

 それは止める。その覚悟と共にグロンゾンは拳を構え。放たれた矢の如く、一気に直進した。

 

『ッカァアーーーーーーー!!!!』

 

 次の瞬間、無数の死霊兵達は一斉にグロンゾンたった一人に向かい集中する。鐘の音で砕かれようと何が起ころうともグロンゾンの身体にしがみつく。その勢いにグロンゾンは確信する。やはり何かを仕掛けるつもりだ。そして、それはなんとしても止めねばならない驚異だと。

 

「【――――■風――――――魂――――隷】」

 

 眼前に迫る脅威に対しても、邪神の唄は微塵も揺らぐことはない。

 死すらも恐れぬように、淡々とその詠唱は紡がれ続ける。断片的に、魔術の意味合いがハッキリと聞こえ始めた。詠唱も終盤に入っている。グロンゾンは足下にまとわりつき、刃を突き立ててくる死霊兵を踏み砕きながら、更に直進した。

 

「――――――なあ、この唄って」

 

 その時、混沌とした戦場の最中、部下の一人が呟いた。この場においてもっとも若い彼は、なにかを思い出すように顔を顰めさせながら、脳から絞り出すように声を発した。

 

「死、霊術………なん、じゃ?」

 

 死霊術。

 無論、それはそうだろう。というのがグロンゾンを含めた全員の感想だった。

 彼女は常に死霊兵を自身の周囲に侍らせているし、今もそうだ。縦横無尽に暴れまくる死霊兵達はやりたい放題をしている。その死霊術を彼女が使わないわけがない。

 

 ―――だが、いや、まて?

 

 既に、彼女の周囲を護り蠢く死霊兵達は、独立して動いている。改めて、そこに更なる術をかける理由は無い。死霊兵、ロックの強化の魔術?だとしてもわざわざ敵に囲まれてからそれを行うのは遅すぎる。

 ユーリなどからも聞いた彼女の人物像を考慮すると、そんなもたもたとした行動を彼女が取るようには到底思えない。

 

 では、別の、新たな死霊兵を使役する?

 

 だが、その使い魔を創り出すための魂は――――

 

「――――――ッ!!??」

 

 次の瞬間、グロンゾンの全身に怖気が走った。

 

「全武装解禁!!」

「グロンゾン様!?」

「己ごと撃って構わん!!被害も考えるな!!!ありったけを打ち込めぇ!!!」

 

 避難民の安全確保が出来るまでは、無茶は出来ない。

 邪神を包囲する前、事前に取り決めていた方針を完全に投げ捨てるグロンゾンの強い命令に、部下達は驚愕する。が、その命令に逆らう事はしなかった。使用を控えていた魔術、兵器の類いを躊躇せず、解禁する。

 バベルの内部での破壊行為など、自滅も良いところだ。そのリスクすらも投げ捨てなければならない危機の侵攻をグロンゾンは訴えている。今日まで彼が部下達を率先して率いて、時に盾となってその命を守ってきた実績が、彼等から躊躇を消しさった。

 

「撃て!!撃て撃て撃て!!」

「神を殺せ!!なんとしても!!!」

 

 爆発が起こる。幾つもの魔術が炸裂し、バベルの塔が衝撃音で振動する。間違いなく、階下で逃げ遅れている避難民達はこの音に恐怖し、更に怯え、混乱し始めていることだろう。グロンゾンもそれは分かっている。分かっているが、最早一刻も猶予も無い。

 

「【破邪神拳!!!】」

『ッカー!!!!』

 

 連続して神の拳を放ち、骨を砕く。全身が凄まじく軋む。1年は安静にしていろと、そう言われていた身だ。それは分かっている。分かっているが、アレだけは止めねばならない。

 

『ガカ――――』

「ぬぅううううおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 砕く、踏み抜く。ふり下ろし、破壊する。死霊兵の剣や骨が身体を突き刺し、味方の攻撃が身体を焼き付いても尚、グロンゾンは前進する。拳を砂の山のようになった骨片に突き刺して、力の限り掻き分ける。中に籠もり今も詠唱を続けている彼女を引きずり出す。

 

「っがああああああああああ!!!」

 

 血が目に入り込み、見えづらくなっても尚、彼の視界は邪神の姿をとらえて離さない。その脳天を叩き割るべく、彼は最後の拳を振りかぶった。

 

「―――間に合いませんでしたね、グロンゾン様」

 

 邪神は、淡々と告げた。以前彼女が周囲に振りまいた微笑みではない。

 その心中の一切を覗き込むことのできない、虚無の表情だった。

 

「【竜魂転生】」

 

 次の瞬間、グロンゾンも、彼の部下達も、何もかも凄まじいエネルギーによって弾き飛ばされた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ほぼ同時刻

 

「――――なんだ」

 

 バベルの塔、上空にてガルーダと共に旋回していたディズは、その異変に気が付いた。

 否、気が付かない方がおかしい。

 あまりにも膨大な竜の気配、精霊達をおびえさせる気配が、よりにもよって、バベルの塔から爆発したのだ。

 

「【竜魂転生】」

 

 次の瞬間、バベルの塔が()()()()

 

「――――――!?」

 

 ディズは目を見開き、言葉を失う。

 破壊は、その爆発は内側から起こった。遙か高く突き上がった偉大なるバベル。数百年、イスラリアの大陸の中心に存在し、世界を見守ってきた方舟の要石は、砕けていく。

 だが、全てではない。ディズ達の眼下で起こったそれは破壊では無く、変容だった。弾け飛んだ無数の塔の断片を、炸裂した力が飲み込んでいく。それらを取り込み、形を変え、全く違う新たなるものへと変質していく。

 うねり、渦巻いて、崩壊していく塔を中心に蠢くもの。

 

 巨大なる竜。

 その”7つの頭”の全てが、じぃっと、ディズを睨み付けた。

 

「――――大罪、竜」

 

 真人の少女、ゼロが震える声で囁いた。

 

 七つ頭の大罪の竜が、バベルの塔を依り代に砕きながら、今此処に蘇った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀㉑ 最悪の更新

 

 真なるバベル空中庭園

 

「――――」

 

 スーアは、その異変を感知した直後、即座に動いていた。

 【神賢】の操作を即座に止めた。魔王の機神が放置されるリスクもあったが、無視せざるをえなかった。その力を自身の周囲にいる従者達に使うためだ。

 

「スーア様!?」

 

 驚きの声をあげるファリーナも無視して、スーアは即座に転移術を発動し、周りの皆をそのまま、地下の螺旋図書館へと飛ばした。あってはならない事態、【真なるバベル】に万が一があった時の為のあそこはシェルターともなる。何もかも崩壊したとて、あの内にいれば災厄からは逃れられる。

 全ての騎士、従者、神官達を飛ばし、そして無論スーア自身も即座に移動を開始する。

 否、正確にはそうしようとした。

 

「あ―――」

 

 気が付けば、細長い銀竜が、自分の身体にまとわりついていた。空中庭園に巡らされた結界すら反応できないほどに、恐ろしく弱い竜だ。それが此方の転移を阻害している。

 

 狙われた。

 敵は、シズクは、自分一人だけに狙いを定めたのだ。

 

 スーアはそれを理解したが遅かった。バベルの崩壊と浸食に巻き込まれ、自分の身体が沈んでいく。浮力の無い水の中に沈み込んでいくかのような感覚に溺れながら、スーアは空へと手を伸ばすが、既に視界は黒く染まった。

 

「おとうさん」

 

 何時もの厳かな呼び方で、父への言葉を残して、スーアはバベルへと飲み込まれた。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市プラウディアの住民達はその日、”最悪”を更新し続けた。

 

 空から顕れた白銀の竜が動き出したこと。

 罪の迷宮が飲み込まれ、悪の迷宮へと至り銀竜をはき出した事。

 その悪の大迷宮が空から落ちて、1000年の歴史の街並みが崩壊したこと

 

 全て、最悪だった。

 彼等が経験したことの無い地獄そのものだった。これ以下の最悪は無いだろうと、そうであってくれと、そう乞うプラウディアの民達の願いは矢継ぎ早に破られ続けた。

 

 そして、とうとう、もっとも訪れてはならない最悪がやって来た。

 

「…………バベル、が」

 

 誰かが言った。真なるバベルが崩れた。

 否、崩れるよりももっと悪い。

 バベルの塔が竜達によって奪われたのだ。

 太陽の神ともっとも近い場所、天賢王のおわす筈のその場所が異形へと変質した。高く突く強い、神と精霊達と自分達をつないでくれていた筈のその場所が、歪に歪み、異形へと転じた。

 

 そして、凶悪なる七首の竜がその中央にて渦巻き、そして吼えた。

 

 

『G――――――OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 強欲

 色欲

 暴食

 虚飾

 憤怒

 嫉妬

 怠惰

 

 7つの大罪竜の咆吼。

 聞くだけで内臓がひっくり返ってしまうようなそのおぞましい声は聞いた者全員の心を一瞬にして踏み潰し、ズタズタにして引き千切った。自分の住処を追われる羽目になっても尚、妄信的に天賢王率いる七天と、太陽神の勝利を疑わなかった住民達は、その信頼ではどうにもならない状況にあることを理解した。

 

 そして、空が更に割れる。

 

 残された青い空が崩れて落ちる。割れて、砕けて、落ちていく。銀の竜が出現してから今日あで続いてきた浸食が一気に加速する。イスラリアを覆っていた美しい青空が消えていく。それらが全て嘘だったかのように。

 残った空は、赤と黒の入り交じる悍ましい不気味な空だ。魔界の空がイスラリアの全てを覆った。ずっと自分たちを照らしていた太陽神の姿が、浸食されていく。

 

「月神シズルナリカよりイスラリアの民たちに告げます」

 

 その声は、プラウディアの地下深くに逃げ込んだ全ての民達の耳に届いた

 醜悪なる七首の竜の雄叫びと、負けず劣らずその声もまた恐ろしい。

 その声の主こそが今の地獄を生み出した元凶であると、それを耳にした全てのものは理解できた。その筈なのに、彼女のその声を美しいと思わずには居られなかった。耳を塞ぐことはできなかった。もっと聞いていたいと耳を立てずには居られなかった。救いようのない魔性が彼等の魂を呪った。

 

「世界から簒奪し、嘘をつき続けてきたその悪を、精算する時が来ました。」

 

 太陽の御姿、それ自体もまた、ひび割れていく。砕けて消える。イスラリアという世界の中にだけ存在した青い空も、太陽も、その嘘が剥がされる。真っ赤になった空に残されたのはただ一つ。白銀に輝く神が一体。

 

「これより、イスラリアを滅ぼします」

 

 終焉の月の神の宣告に、イスラリアの民達は恐慌状態に陥った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 大罪都市プラウディア結界外

 

「やるねえシズク」

 

 眼前から巨神が消失したことで、ブラックはシズクの目論みが成功したことを悟った。

 

「まさか、まさか本当に、やったというのか……」

「おやおや、信じてやってなかったのかな?お前等の神様だろうによ」

「黙れ……」

 

 巨神の消失、そして目の前のプラウディアを覆う結界の揺らぎ。その二つを目の当たりにしてハズルは大きく動揺していた。

 理由はまあ、想像がつく。何せ彼らからすれば結界も巨神も、長い年月の間対処しようといくら試みたところでどうすることも出来なかった障害だ。イスラリアという方舟を盤石としたその要素があっけなく消えようとしている現実を、容易には飲み込めないのだ。

 

「まあ、そんなら試そうじゃねえか?なあ」

 

 人形は動き出す。

 プラウディアを覆い尽くしていた【神陽結界】、一切の悪意や害意を跳ね返してきた結界へと、機械の足は前へと踏み出す。

 

「――――!?」

「――――、――――!!!」

 

 足下のうろちょろしている兵士達も蹴散らして、結界に足をかけると、機神スロウスは酷くあっけなく、その一歩を踏み出した。 

 結界は、まるで脆いガラス細工のようにあっけなく、踏み砕かれたのだ。

 

「おお、おおおおおお……おおおおおおおおおおお!!!」

 

 無数の魔物達が砕かれた結界の内側に突撃していく。兵士達の抵抗もむなしく、彼らは内側に引き下がる他なかった。そしてそんな魔物や銀竜達を引き連れて、人形兵器スロウスは前進する。

 誰かが憩いにしていた酒場や商店、自宅、その全てを人形兵器は踏みにじり蹂躙していく。誰もが何かしらに文句や不満を告げたりもしながらも、愛おしく思っていたはずのそれらを、異臭と熱を放つ金属の塊が、跡形も無く粉砕していく。

 

「ははは!!やった!!やったぞ!!!方舟の最後だぁあ!!!!」

 

 その瞬間を目撃したハルズは喉を震わせ、あらん限りの声を振り絞び、驚喜した。

 

「たのしそぉねえ?」

「お前はどうだよ、ヨーグ」

 

 そして、そんな彼の同僚たるヨーグに、ブラックは愉快そうに尋ねた。

 どこか冷めた表情で見つめていた。何もかもを見透すような恐ろしい眼を向けられて、ヨーグは普段は逆の立ち場になっている自分に悦びを覚えつつも、答えた。

 

「―――達成感はあるわよ?でも、そぉねえ?…………少し寂しいかしら?」

 

 自分であってもどうしたって台無しに出来ないもの。忌々しいと共にどこか奇妙な信頼のようなものを抱いていた対象が、あっけなく壊れてしまうのは哀しい。

 

「ああ、でも――――ええ、それでもやっぱり綺麗よねえ……」

 

 しかし一方で、自分の性分は隠せない。

 絶対に壊れないと、そう思っていたものが壊れる。ましてそれが、おそろしい、太陽神の化身ともなれば、悦びも一入だ。ハルズのように叫んだりしないのは、この悦びを表現する手段が、ヨーグにはなかっただけだ。

 だが、口は歪み、ぐしゃぐしゃに壊れた顔になる。そのまま口が裂けてしまわぬように押さえるのに必至だった。

 

「他人の性癖には口を出さない主義だ。好きにしろよ……さてさて」

 

 そんな邪教徒たちの狂喜乱舞を、どこか冷めた目つきで観察を終えた魔王は、目の前のモニターの光景、プラウディアの終焉を眺めながら、囁く。

 

「そろそろいよいよ世界が終わるぜ?どうする?ウル坊」

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

〈状態問題なし、目的地到着まで後10分〉

「な、なあ、コレ本当に大丈夫か!?本当に大丈夫なのか?!」

「大丈夫だろ多分」

「今“多分”って言った!?」

「仕方ないでしょ。ぶっつけ本番なんだから」

「嘘でしょ!?こんなことぶっつけでやってるの!?」

「本当よ」

「本当だってさ」

「嘘だと言って欲しかっだ!!!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陽殺しの儀㉒ 果てへと誘う者

 

 決戦人形兵器スロウスの操作は複雑だ。

 方舟イスラリアの内部で培われ続けた魔導技術、そこに加えて外の世界で重ねられ続けた科学技術の結晶。1000年前に分岐した二つの技術のキメラだった。

 

「は、はははは」

 

 それを操るハルズは万能感に満ち満ちていた。この複雑怪奇な巨大人形を自在に操る無茶を、彼は自らの神経を、魂を、この人形につなげる事で成し遂げていた。

 言うまでもなくそれは無茶だ。自分の命を削るに等しい蛮行と言える。だが、彼は何一つとしてためらわずにそれをした。彼にとって、イスラリアという怨敵を滅ぼせるならば自分の身がどうなろうとかまいはしなかった。

 延命手術を自らに施して“世界”からやってきた彼は、長い年月の果てにその精神を変質させた。同僚であったクウが限界の瀬戸際に踏みとどまっていたのに対して、彼は憎悪と怨嗟の虜と化していた。

 

「ハハハハハハハハ!!!!」

 

 超巨大人形を自らの肉体の様に操る感覚に彼は歓喜している。自身の足で、その身体で、忌々しいプラウディアを蹂躙する感覚に彼は狂った。このためだけに生きてきたのだと錯覚するほどだ。

 

 だが、不意に人形の動きが僅かに鈍くなる。

 ハルズは自分の腕に、何か固いものが引っかかったような感覚に眉をひそめた。

 

「なんだ……?」

 

 人形が頭部を動かす。人工の魔眼が輝き、視界に映し出す。崩壊しつつあるプラウディアの建物の上のに、魔術師達が複数人、此方に向かって魔術を放ち、こちらの腕を拘束しようと試みているのが映った。

 

「ああ、騎士団のグレッグだな。仲間の術者集めて、拘束試みてんのか」

「くだらん!」

 

 魔王ブラックからの詳細な説明を鼻で笑い、ハルズは人形兵器の腕から砲口を開く。スロウスからすれば指先ほどの大きさの、しかしヒトから見れば極大の大砲が眼下の小さな魔術師達を睨み付ける。

 

「砕け散れ!」

 

 魔術師達が逃げるヒマも与えず、ハルズは砲撃を開始しようとした。が、

 

「なん!?」

 

 次の瞬間、人形兵器スロウスの肉体ががくりと揺れ、狙いが逸れる。ヨーグがいじり回した装甲によって、スロウスに物理的な攻撃は効かない。直接的な衝撃ではなかった。見ればスロウスの足下が極端に陥没している。

 これだけの質量。当然、プラウディアの地下空間も踏み抜くのは当然ではあるが、その沈み込みは尋常ではなかった。都市部の舗装された地面が、いつの間にか沈み込む、沼のようになり果てていた。

 

「神官セレナか、こんだけ竜気溢れても精霊の加護使えるのか、やるね」

 

 魔王が再び感心したように解説を続ける。その間にもちょろちょろと、至る所から戦士が現れては、此方に嫌がらせのような攻撃を繰り返してくる。此方の性質を理解し、有効なダメージが与えられないと理解した上でで、時間稼ぎを繰り返す。

 無論、スロウスにとってそれは細事だ。

 たいしたことは無い。ハッキリ言って、どうとでもなる。二つの世界の技術の融合、機神の性能は伊達ではない。長期運用は考えられていないが、少なくとも役割を果たすまではこの程度の嫌がらせでどうこうなるほどやわではない。

 

「―――大罪人どもが」

 

 だがハルズには、彼らの、イスラリア人達の抵抗が不愉快だった。

 彼らは在任だ。世界を犯した邪悪どもだ。誰一人として正しい者などいやしない。

 だというのに、何を必死に協力して対抗しようなどと試みてくるのだ? 

 大罪の根源どもが。

 

「手伝ってやろうか?」

「黙れ」

 

 魔王の言葉を、ハルズは無視する。邪魔などはさせない。させてたまるか。

 

「コレは俺の憎悪だ。俺の、我々の、世界の」

 

 元より破綻していた彼の精神状態は、機神を操り始めてから更に加速していた。強靱な集中力を維持するための自らへの薬物の投与が、彼を暴走させる。本来の目的も見失いそうになりながら、彼は周囲の有象無象を、イスラリア人達を殺すために動いた。

 

「全員、死にくされ」

 

 全ての砲塔が稼働し、蠢く。小賢しい手口ではどうにもならない破滅をもたらすために。避難所(シェルター)の無力な一般人達もろともに殺し尽くすために、彼は力を放った。

 

 が、しかし

 

「【神祈創造・天使】」

 

 しかし、次の瞬間、放たれた砲撃の全てに金色の精霊が飛び回った。鳥の翼を持った奇妙なるヒトガタは飛び交い、人形兵器の周囲に結界を張り巡らせ、ハルズが蹴散らそうとしたイスラリア人たちを守り抜く。

 

 そして、それだけでなく、人形の周囲に出現したそれら以外にも、無数の精霊達が空を飛び立つ。結界が損なわれ、自在に侵入を果たそうとする銀竜達を相手に、彼らは突撃を開始した。

 言うまでも無く、これだけの力を振るえるのは一人しかいない。

 

「邪魔をするな勇者ぁ!」

 

 太陽神の化身、勇者を前にハルズは血反吐を吐くような声で叫んだ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 移動要塞ガルーダ上部。

 

「ふ、ぅ…………地獄だな」

 

 自らの掌から無数の【天使】を創り出したディズだったが、その表情は苦々しい。状況の悪化を懸念して、というだけで無く、実際今の彼女は顔色が悪かった。身体に傷を負った訳ではないが、冷や汗を浮かべている。

 

「苦しそうですね」

 

 その隣でユーリが淡々と確認する。ディズは苦笑いを浮かべた。

 

「これ、使うの大変だからね……シズクはよく銀竜扱えるなあ」

「信仰の揺らぎは?」

「うん、そっちも結構キツい。【天魔】の魔力があるから大丈夫かなって思ったけど……ゼウラディアはやっぱり、イスラリア人の承認無しには力が完璧に振るえないみたいだ」

 

 バベルが乗っ取られた。イスラリアという方舟において最大級の信仰の依り代が禍々しい竜に支配された。その事実はイスラリア中に動揺を与えている。現実的な問題として、各地の【太陽の結界】も崩れてしまっていることだろう。

 歴代の王達が必至に維持してきた物が、壊れた。王からそれを授かった身としては本当に忸怩たる思いで、情けない。

 

「……でも」

 

 そう、それでも。と、ディズは顔を上げる。先に機神に抵抗した者達も、天使に助けられた後更に動いている。少しでも被害を減らそうと、彼らは懸命だ。ガルーダを操る真人達も必至に空を駆けて、出現した七竜達を牽制し、結界から内側に入ってくる銀竜達を打ち落とそうと抗っている。

 他にも、多くの者達がまだ戦っている。

 バベルという象徴を奪われて尚、彼らは下を向いてはいない。

 

 だからディズもまだ、神としての形をとどめる事が出来ている。

 

「皆、まだ諦めていない」

 

 ならば、やるべき事をやる。ディズは星剣を抜いた。

 

「方針は?」

 

 そのディズの方針に、ユーリは当然というように尋ねてきた。ディズは少し嬉しくなったのを隠すように頷く。

 

「バベルは取り戻さなければならない。スーア様も、グロンゾンもいる。何よりシズクがあそこにいるならなんとかしないと」

 

 流石に、あのバベルにいるシズクまで偽物であるとは思えない。今度こそ彼女と決着をつけなければならないだろう。ただ、その前に―――

 

「隙見てやらかしかねない魔王はちょっとぶん殴っておく」

 

 あの危険物を放置する事は出来ない。

 

「【神賢・太陽神降臨】【神祈・五轟】」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「っがあ!?」

 

 ハルズは全身を貫くような衝撃を受ける。

 本来であればありえない、拡張された感覚を一個人の身で操る無茶を通そうとしている。そこにたたき込まれる衝撃は耐えがたいものだった。

 

「ぐ、うううううううううううううううおおおおおおおお!!」

 

 しかし、ハルズは意識を途切れさせることは無かった。

 方舟イスラリアに対する果てない増悪が彼を突き動かしていた。最早、かつて外にいた時の記憶すらも遠い中、彼の内側には憎悪だけが残った。【涙】をばらまく邪悪を殺し尽くすという果ての無い憎悪が、彼の意識を保たせた。

 

「【神賢・太陽神降臨】【神祈・五轟】」

 

 まして、その方舟を守ろうとする守護者を相手に、意識を失っている暇などない。

 

「死ね゛ぇ!!邪神めが!!!」

 

 星天の輝きを放つ勇者を前に、ハルズは叫んだ。

 機神が動く。銃口が跳ね上がり、光熱を放つ。そのどれもが終局魔術(サード)規模だ。熱光が幾重に交差し、まるで網のようになりながら小さな勇者を引き裂き粉みじんにしようとする。

 

「【五轟・破界】」

 

 それを勇者は正面から砕く。空間がひび割れるような音と共に、本来であればあり得ない挙動と共に熱光が弾け、勇者を避ける。物理的な現象を無視した異常。は

 

「があああ!?」

 

 再び爆ぜ、ハルズは吐血する。衝撃が加わるごとに、彼の肉体は致命的なダメージを負う。

 

「大罪人ん……!!この、出来損ないがぁ!!!」

 

 勇者ディズ、彼女のことは知っている。

 殆ど統率の取れない邪教徒達を管理……というよりも監視する立場にあったハルズは彼女のことも把握していた。“混じり”として売られた彼女は邪教徒の下にたどり着いた。そこで実験台として使われた。

 聖女を生み出すための実験、“世界”でそれをするのが難しいのならば、方舟の中にてそれを創り出そうという試み。最終的に先代の【勇者】によって破壊されてしまった計画――――の実験材料。

 彼女は被検体ですらない。

 ただ、希有な事象のイスラリア人であったが為のサンプルでしかなかった。

 

 それが、そんな存在が―――

 

「我らが裁きの、邪魔をするなぁあ!!!!」

 

 機神が腹部の巨大砲口を開く。狙う先は勇者、ではない。勇者の人格は知っている。弱者救済を願う偽善者だ。ならばこの砲撃を町中に放つ暴挙を、奴は見過ごすことは出来まい。

 

 大罪人どもを守って死ね。

 

 あらん限りの呪いと共に、眼下の街並み全てを火の海にすべく、彼は力を解き放った。

 

「―――――」

 

 想像通り、勇者は前に出た。馬鹿正直に射線の前に立った。

 

 やはり、愚か者だ。ハルズは狂笑した。

 

 全てを防ぐために命を削るなら勝手にすれば良い。それができなければ、自分の不始末で大勢が死ぬ光景に絶望しろ。その有様を見て、さらなる信仰を損なうが良い。

 

 どれだけ足掻こうと、どれだけ気勢を上げようとも、現実としてバベルはもう墜ちた。

 

「お前達は、もう負けたのだ!!!」

「いいや、まだだよ」

 

 憎悪の叫びは、しかし、酷く簡潔に少女に否定された。

 

「《【緋色の終わりよ】》」

 

 後ほんの数瞬で放たれる熱光を前に、勇者の姿が変わる。

 星天の輝きでもない。勇者自身の金色の輝きとも違う緋色の光が彼女を包む。それが彼女自身の握る星剣を覆い、彼女自身を守るように包む。美しくも、どこか恐ろしい緋色の力を抱きしめて、彼女はまっすぐに剣を払う。

 

「【緋終・魔断】」

 

 放たれた熱光は断ち切られる。

 のみならず、断たれた先からその力を崩壊させていく。光は砕け、崩れ、勇者を包む緋色の破片となって宙を舞い、そこから更に砕けて風の中に散る。

 

「ふざ……?!」

 

 あまりにも理不尽な現象にハルズが絶句する中、機神の疑似魔眼は正面に輝く姿を捕らえる。勇者が眼前に迫る、機神の顔面に向かって、【神の御手】を振りかぶった。

 

「【神罰覿面】」

 

 一撃が機神の頭を、そしてハルズの頭を激しく叩きのめした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「っがあああ!?」

 

 血しぶきをあげながら、ハルズが操縦席で血反吐を吐く。激しく肉体が痙攣を起こす。傍目にも、もう命が限界なのだろうというのはすぐに分かった。遠からず、絶命するのは明らかだ。

 だが、魔王の視線はハルズではなく、前方のモニターへと向けられる。

 

「やっぱ俺が()()()()分は妹が代役してるわけだ。おもしれーことになったな」

 

 緋色の輝きを放つ勇者に対して、魔王は楽しそうに笑みを深めた。その隣でヨーグも感嘆とした声を上げながら、自分の首筋を指でなぞった。

 

「やっぱり、勇者はつよいわねぇ」

「神の加護なしに最前線で戦い続けた怪物だからなあ。舐めたら勝てねえよっと」

 

 そのまま魔王は歩みを進める。機神スロウスを操るハルズの肩を掴むと、肉体に食い込むほどの力を指に込める。

 

「っっが!?ま、おう……!?」

「ここで死んでる場合じゃあないぜ?ハルズ。祭りは始まったばかりなんだから、さ」

 

 魔王の声音は優しげであったが、一方で彼は真性の邪悪でもあった。暗黒の底で渦巻く混沌の中で尚、平然としている彼の声に、朦朧としていたハルズの意識は恐怖を覚えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。頑張れや」

 

 その恐怖は正しい。だが、既に彼に逃れる術は無かった。

 

「【其は呪いを喰らい、豊穣を結ぶ雨雫】」

「あ―――――」

 

 次の瞬間、ハルズの肉体は溶けていく。

 その現象を、大罪都市国グラドルにいた者達ならば知っているだろう。神官達や従者達の粘魔化現象とそれは似ていた。だが、正しくはそれとは違う。邪教徒ヨーグが引き起こしたのは大罪竜グラドルの竜化現象の再現であり、劣化だ。

 魔王の起こしたそれは紛れもない源流(オリジナル)。同僚が憐れにも形その物を失った姿を見たヨーグは、それでも尚楽しそうに嗤った。

 

「かつての惑星改善計画の要、土壌改善を担う機能の断片が悪党の手に落ちるなんて、悲しいことねえ?」

「おいおい、俺の何処が悪党だよ。お前の仲間の命を救おうっていうのに」

 

 とうとう完全に台無しになってしまった同僚の姿に微笑みを浮かべながら魔王に囁くと、魔王は真面目くさった表情で肩を竦める。

 

「ひっどい皮肉―――」

 

 それを性質の悪い皮肉だとヨーグは眼を細めようとしたが、次の瞬間彼女は固まった。

 

「アイツもまあ数百年だか頑張ってきたわけなのに、こんなところで死ぬなんてあんまりだろ?」

「―――――」

 

 魔王の表情は変わらない。

 溶けて消えてしまったハルズのいるほうを見つめて、慈悲深く語りかける。

 

「名無しも都市民も神官も、竜も魔物も精霊も神も、七天も邪教徒も勇者もなにもかも、皆で世界の果てを見にいこうぜ?」

 

 困ったことに、どうやら彼は本気でハルズの命を助けているつもりらしい。

 

 ヨーグは自分が既に“台無し”である自覚はある。自分は破綻している。そしてそれは救いだと思っている。

 元々ヨーグは優しくて、優しすぎたから壊れた。

 この世界はあまりにもロクデナシが過ぎた。どう足掻いても、皆を救う事ができない。なら、壊れていたほうがずっとマシだ。偽りの太陽神の庇護から離れて、壊れてしまうほうがきっと救いがあると彼女は自分の思想を信仰していた。

 だがこの男は壊れてない。台無しになっていない。思考回路は真っ当で、合理的で順序だった思考と、情を持ち合わせている。

 

 その上で、こんな事をしているし、それを間違ってると思っていない。

 

「フ、ウフフ、ウフフフフフフフフフフフフ!!」

 

 それを理解して、ヨーグは更に嗤う。どうやら自分もハルズも手に負えない生物と手を組んでしまったらしい。だとすれば、この先に待ち受けているのは間違いなく破滅だ。どうしようもないくらいの壊滅的な破綻が待っている。

 迫る自身の破滅に、ヨーグは嗤った。

 

「ええ、そうね、そうね!頑張りましょう!ハルズ!」

「そーそー!景気良く行こうぜえ?1000年戦争が終わろうってんだからなあ!!」

 

 魔王とヨーグの嗤い声に連動するように、機神は激しく揺れ、更に変貌を遂げていく。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

〈目的地まで残り五分〉

「ついた………よか、よかった……うええ……」

「泣いてるなあ、こっからが本番なのに」

「……やるんだな」

「やる」

「……大丈夫じゃないんだろうなあ」

「大丈夫じゃ無いぞ。いつも通りだ」

「いやないつもどおりだあ……」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

盤上へ

 

「――――!?」

 

 ディズは眼前の機神が大幅な変化を遂げたのを察知し、その身を退けた。

 

《―――――――――――――GGGGGGGGGGGGG』

 

 機械の神の形が変わる。元々、機械人形としては異形の性質を持っていた部分、粘魔の性質がさらなる変質を加速させた。外見だけでもと“らしい”形をとっていた一つ一つの部品が変質する。

 より禍々しく、生物らしい筋肉質な身体。

 巨人、一つ目鬼の類いにどこか似ているが、変形した頭部はヒトのそれだ。うめき声を上げるその顔をディズは知っている。邪教徒を率いていた男の一人、ハルズという男だった。

 その男が、粘魔と一体化した。ヨーグが引き起こした災厄にも似ているが、より高次元に最悪だ。ならばそれを引き起こしたのは一人しか考えられない。

 

「暴食……魔王か」

《GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!!』

 

 粘魔の腕が跳ね跳ぶ。ディズをまっすぐに狙うが、より攻撃の軌跡は読みづらくなる。だけならばまだしも、コレが本当に粘魔としての性質を有しているのならば、増殖する危険性もあるだろう。

 

「【天使よ】」

 

 飛び散った粘魔の破片は生み出された疑似精霊で焼き尽くす。しかし、直接的な問題は解決していない。この機神を始末しなければ、話にならない。

 

「出来れば、始末をつけてから、バベルに向かいたかったけ――――」

《――――》

「っ!」

 

 ガルーダからの通信が来た瞬間、ディズは即座にその場を跳ねて回避した。しかし背後からバベルの七首竜の内、一つがうごめき、此方を狙い大口を開けて突っ込んできた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 七竜は尋常ならざる力でディズにその力を叩きつける。【太陽の結界】を自らに張り巡らせ、守りを固めるが、その結界も貫通させるほどの勢いが竜にはあった。

 事前に観察した通り、七首竜達には知性は無い。シズクが回収した大罪竜達の魂をエネルギーとして転用して、らしく形作っただけだ。そういう意味では、グリードのような謀略を受ける危険性はない。

 

「ぐ!?」

 

 だが、その代わり、自損すら厭わない一切後先を考えない攻撃がとんでくる。ディズは歯を食いしばるが、地面にたたき込まれた。起き上がり反撃しようと動くヒマも無く、二つの竜頭が此方を睨む。ディズを押さえつける自身の頭ごと熱光で焼き払おうしていた。

 

「【終断】」

 

 その直後、此方を睨む竜頭の内、一つが刎ね跳んだ。相方が両断されたもう一つの竜頭が熱光を引き裂いていく。ディズはそれを見て小さく微笑むと、目の前で牙を此方に突き立てようと血走った目をした竜頭を睨み拳を創った。

 

「【神罰覿面】」

『GAAAAAAAAA!?』

 

 直接ぶん殴って、砕けた瓦礫の山から脱出すると、自分を助けたユーリがそのまま守るように背中について、そのまま此方を睨む。

 

「やっぱり鈍い。出来ることが多くなって、判断が遅くなってます」

「ごめん、ありがとう」

「聞き飽きました。いちいちいりません」

 

 先程から、七首の内4つを単身で相手取ってきたユーリは空中に剣を出現させ、そのまま竜達に向かって牽制するように放つ。幾つかが突き刺さり、切り裂かれても尚ためらわず咆哮を返してくる竜達の挙動を観察し、ディズは納得した。

 

「咆哮、悪感情の魔力を使った、やっぱり権能は使わない。純粋な火力兵器、か」

「兼、()()()()()()でしょうね。バベルを砕いて信仰を崩壊させる。畏れは自分が吸収する事で七首竜に割いたリソースを回収し、更に力を蓄える」

「必要な権能は手元において……効率的だなあ……ほんと怖いや」

 

 勿論問題はそれだけではない、粘魔化が進行した機神の猛攻も激しい。

 七首竜、粘魔、機神に銀竜、それらを牽制する空からのガルーダと、未だプラウディア内部に戦線を引き下げてでも戦いを続ける戦士達。極まって混沌化が加速し始めた戦場を見下ろし、ディズは大きく深呼吸を繰り返す。

 

 この混沌を放置するのは、やはりまずい。だが、ここでこまねいていてはただのじり貧だ。タイミングを見計らってバベルに突入する必要がある。だが、そのタイミングはどこか――――?

 

「ん?」

「なんです」

「いやなに…………なんだろう、あれ?」

 

 ディズは自身の視界に映ったソレを目撃し、理解できずに困惑した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

〈敵影発見〉

「ええ……何なのアレって言いたいのがいっぱいあるう……」

「ウチもぜんっぜん負けてないけどね。で、どうするの?ボス」

「ほら、あの、なんかでけえの居るだろ?人形兵器か?」

「そうね」

「多分あれ、ブラックのだ。アイツの趣味っぽい気がする」

「……それで?」

「突っ込め」

「マジで?」

「やれ」

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《さてさて、このままじゃあジリ貧だぜ?どーする勇者》

 

 機神から煽るような魔王の声が響き渡る。それは明らかにディズの動揺を誘うための言葉ではあったのだが、ディズの反応は鈍かった。というよりも、他のものに意識を奪われた。

 機神の背後で、“謎の巨大飛行物体”がグングンと此方に向かって近づいてきていたからだ。それは最初目撃したときよりも遙かに大きくなっていた。それが、

 

 しかもそれが、明らかに衝突だとかそういった配慮を完全に欠いた速度で迫っていた。

 

《はははははは――――――――はあああ!!!????》

 

 次の瞬間、巨大人形兵器よりも増して凄まじく巨大ななにかが真横から直撃し、人形兵器が激しい粉砕音徒共に横薙ぎに吹っ飛ばされるのを勇者は目撃した。

 

「え」

 

 交通事故だ。と、ディズは思った。

 人形を容赦なく轢き倒して撥ねたソレを、ディズは山か何かだと思った。それはあまりにも大きくて、接近されすぎるとなんなのか判断できなかった。しかし、機械人形を容赦なくはね飛ばした後、旋回するように一転し、そのまま空中で浮遊する事でその正体がようやくハッキリと見えた。

 

 ウーガだった。

 ディズも世話になった、【竜吞ウーガ】。

 その超巨大なウーガが、何故か、空を飛んでいた。

 

「…………んん!?」

 

 飛んでいる。ウーガが飛んでいる。まるで翼でも生えているかのように自由に空を飛び回っている。あまりにもシュールな光景だった。見れば見るほど脳がその光景を拒絶しようとして目眩がしそうになる。

 だが、飛んでいる。六つの巨大な足先から幾つもの術式が出現している。重力魔術か、聖遺物の類いだろう。元々、ウーガはその膨大な質量を維持するため、全体的に重力の魔術を巡らせ、その質量をコントロールしているというのはディズも知っている。

 と、なると飛ぶのもその応用と考えれば――――いや、それでも滅茶苦茶では?

 

《なん……ってえことするんだウルてめえこらぁ!!!!》

《よお、ブラック》

 

 魔王が声を上げた。ウーガが滅茶苦茶な体当たりを受けても尚、人形は完全な破壊には至らなかったらしい。破損部を粘魔が覆い尽くし、ますますもって異形となった機神は形を歪めながらも自分を轢いていった空中浮遊都市を睨む。

 

《むーちゃくちゃしやがってこの野郎!!!》

《ヒトのこと言えた義理かてめー》

 

 そして、その魔王とやり取りする声は、間違いなく彼のものだった。

 

「わー…《にーたんだ》……にーたんだね」

 

 こんな世界が破滅するような状況下にあっても、何一つ変わった様子が見えない彼の声に思わずアカネと一緒に声が出た。

 

《アカネにディズ、ユーリか、元気そうで何よりだ。シズクはその悪趣味になったバベルの中か?》

 

 空を飛ぶ亀から、返事がする。やはり改めてシュールな光景だった。

 だが、例えどれだけシュールな状況だとしても、今、イスラリアという世界が崩壊の危機にある事実は何一つとして変わりは無い。大罪の七竜に邪神に魔王。圧倒的な脅威が並んでいる。彼が手伝いに来てくれたというのならこの上なくありがたいが――――

 

《勇者の手伝いにでも来たのか。ド派手な登場だなあ?》

《いや違うが?》

《―――え、違うの?》

《違う》

 

 魔王の言葉に、ウルは即答した。

 

「《ちがうん?》」

《違うが》

 

 アカネの問いにも、ウルは即答した。

 そうしている内に、ウーガは動いた。その巨大な足を動かし、重力の魔術を起動させる。その瞬間、機神の周囲に強烈な重力魔術がのし掛かった。激しい振動と共に機神は身じろぎが出来なくなる。

 だが、ウーガの動作はそれだけではない。大口を開けて、そのまま眼前の全てを睨み付けた。七首の竜達も、ディズもユーリも銀竜もガルーダも何もかも、一切識別せずにだ。

 

「俺たちは―――」

 

 いつの間にか、ウルはウーガの頭部に立っていた。彼は眼前に存在する全てを睨みつけ、親指を地面へと突き立てると、淡々と宣告した。

 

「全部、ぶん殴りに来たんだ」

 

 次の瞬間、竜吞ウーガの【超咆吼】がぶっ放された。

 それは紛れもない宣戦布告だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――さて、地獄開始だ」

 

 超咆哮が巨大人形を撃ち、その先の禍々しいバベルにたたき込まれるのを静かに観察する。ウーガの火力を都市の中でぶっぱなす紛れもない蛮行であるが、結果は想像通りだった。バベルは不可視の障壁がウーガの咆哮を跡形も無く霧散させた。

 バベルの機能はまだ残っている。その事実を前にしてウルは冷静だった。予想通りとも言えた。ならば此方もその通りに動く。

 

「準備は良いな、エクス、ミクリナさん」

「うん、勿論」

《こちらも、問題ない》

 

 自分の狂信者の嬉しそうな声に、通信向こうのミクリナは呆れた声をあげた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宣告

 

 

 竜吞ウーガ司令塔。

 

「さて、地獄ね」

 

 その司令席についたリーネは、遠見の水晶に映し出されるプラウディアの光景を前に、端的な感想を告げた。 

 美しい、歴史溢れるプラウディアの街並みは完全に崩壊している。建物の多くは倒壊、都市部を守るはずの結界は砕け散り、空は赤黒く豹変し、その上空に銀竜と金色の天使が交差し戦っている。中央にあるバベルの塔は歪み、七首の竜が纏わり付いている。その周囲を機械の鳥が周辺を旋回しながら熱光を打ち合っている。

 先ほどウーガがなぎ倒した機神も再び立ち上がりながら、此方を睨む。人形なのか魔物なのか、最早判別はつかないほどの悍ましい形だ。

 変貌したバベルと機神に挟まるようにしているのは小さな二つの人影。しかしその二つは、周囲の異形達に負けず劣らずの圧を水晶越しに与えてくる。

 

 うん、地獄だ。本当に本当に何処を切り取っても最悪の地獄としか言い様がない。

 

《地獄だぁ……一体何がどうしてこんなことになってんの》

 

 それは、ウーガの外周部に急遽建造された【出撃口】からその光景を眺めるエシェルにとっても同じ感想なのだろう。その悲鳴にリーネはため息をついて、答えた。

 

「シズクと魔王の所為でしょ」

《納得しかないぃ》

 

 世界を見渡したとしても早々いないようなろくでもない存在と劇物が手を組んだのだ。こうもなろうという納得しかない。

 

「まあ、困ったことに、片方は私たちの仲間なのだけど」

《うう……》

「しかも私たちが突っ込んだことで地獄具合が加速したんだけど」

《あうう……》

 

 本当に、言い訳の余地がない。天空にそびえる巨大空中都市ウーガなんて禍々しい代物、傍から見れば意味が分からないだろう。到着前に、プラウディアに長い年月鎮座していた空中迷宮プラウディアは消滅してしまったようだが、それよりも遙かにけったいだと確信が持てる。

 改めて、地獄だ。この地獄の光景がプラウディアのみならずイスラリア中で起こっている。そしてもしもこの戦況が傾き、プラウディアが完全に墜ちたならばそのときは、イスラリアという世界が最後を迎えることとなる。

 

《プラウディア、大変なことになってるけど、ディズ達の味方をしたら……》

()()()

《うん……》

 

 エシェルからの通信に、リーネは首を横に振る。

 事前に決めていたことだ。気持ちとしては理解できる。リーネとて、この状況下、自分の故郷の家族がどうなっているか、想像すると恐ろしい気持ちになるが、それでも自分たちの目的を考えるなら、それはできない。

 

「私たちはこの戦場におけるキングメーカーたり得る。どちらかに肩入れした瞬間、戦況はそちらに一気に傾く」

 

 リーネは自分たちの有する戦力を正しく見極めていた。自分たちの戦力は、最早この戦場を揺るがすほどのものであると言うことを。そしてその一方で、

 

「どちらかを選んだ瞬間、もう片方の敗北は確定し、“残った方に私たちだけでは勝てない”」

 

 決して、自分たちは最強ではない。

 戦況を動かすことは出来るが、一方で単身で何もかもを勝ち取れるほど強くはない。それが今の自分たちだ。それを弁えないまま行動を起こせば、間違いなく失敗する。

 

「私たちは勝ちに来た。その為には、この戦場は()()()()()()()()()()()()()

《本当に方針通りなんだな》

 

 恐る恐る、というよりも、これから自分たちがすべきことを確認するようにエシェルは尋ね、リーネは頷く。

 

「そうよ。()()()()()()。戦場を混沌にしたまま必要な分の駒を奪う」

《…………》

「…………」

 

 しばし沈黙が続いた。それを破るようにエシェルが叫んだ。

 

《綱渡りにも限度がある!!!》

「そうね。自分で言ってても何言ってんのかしらコイツって感じだわ」

 

 今から自分たちはとんでもないことをしようとしている。それは本当に間違いが無かった。勿論この場に立った時点でそれは覚悟していたことではあったのだが、本当にとんでもないことになった。

 

「……だけど」

 

 そう、どれだけ嘆いても、そんな馬鹿なと笑っても、この世界がこんな風になってるのは事実で、その世界の中心で戦っているのは自分の大事な仲間達なのはただの事実だ。

 

 逃げて嘆いて文句を言ってもそれは変わらない。ならば、決めるしかない。

 

「エシェル。貴方はこの戦場最大の要よ。キツイかもだけど」

《―――分かってる》

 

 通信の向こうで、エシェルも応じる。その声に、先ほどまでの嘆きや恐れや動揺は感じられない。無くなったわけではないのだろう。だが、

 

《大丈夫、やるべき事を、やる》

 

 それを吞むだけの強さを、幾多の地獄を超えた彼女は身につけている。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 竜吞ウーガ、出撃口からはウーガの街並みがよく見えた。

 

 本来であれば、対都市への侵攻を目的とした侵略兵器として生まれたウーガの街並みは、誕生から今日までの間、息つく暇も無いほどの転変を続けてきた。

 

 出現時はウーガの初期設計の元、都市設計を手がけたエイスーラと一部の特権階級達と、残るは都市攻めを行うための兵士達のみが集う移動要塞だったが、誕生直後にその設計は粘魔王へと変貌したエイスーラ自身の手で崩壊する。

 

 それらを修繕し、グラドルの衛星都市として都市外の賞金首を粉砕して回る戦闘要塞としての機能をしていた時は、建設時に労働していた名無し達を含めた少数でその規模の場所を利用する、酷く閑散とした場所となった。

 

 が、その後、エンヴィーとプラウディアの干渉を経て、良くも悪くも多くのヒトが行き交う場所へと形を変えていった。

 

 ウル帰還後、ウーガの扱いがようやく一段落ついて少しずつ落ち着きを取り戻し始めたのもつかの間、魔界との騒動が発生した。避難民がウーガに押し寄せ、パニックにならないように鎮めるのに苦労を強いられた。

 

 そして現在、ウーガは誕生間もない頃の静寂を取り戻していた。

 “これからウーガが行う方針”を、包み隠さずに住民達には説明した。

 

 結果として、慌ててウーガに避難しようとした者達の多くはそれを望まず、近郊の都市国へと再び逃げ出した。残った多くはウーガのもとからの住民達であり、彼らの多くは現在ウーガ地下の避難所(シェルター)で耐え忍ぶ戦いを選んだ。

 そして出撃口には、戦える者、戦士達が集っていた。

 冒険者に魔術師、騎士、神官、あるいはそのどれでもない者達。彼等には統一性が無く、装備すらもバラバラだ。寄せ集め、と言う言葉が一番しっくりとくる。

 だが一方で、彼等に浮き足立った様子が一切無かった。空も大地も何もかも異常な状況に合って尚、彼等には統一された意思があった。

 

 その彼らの視線は一点、ウーガの女王エシェルへと向けられる。

 

「―――私たちは正しくはない」

 

 緋色と漆黒の色が入り交じったドレスを纏った彼女は、胸を張り、良く通る声で、自分たちの過ちを認めた。

 

「私たちはこれから過ちを犯す。世界に刻まれる過ちを」

 

 それを聞く皆も、彼女の告白を静かに聞き入れる。誰一人口を挟むことは無かった。

 

「それを承知でここに残ってくれた皆に、集ってくれた皆に感謝する」

 

 そう言って彼女は小さく頭を下げると、前を向く。

 

「この世界が本当にどうしようもないとしても」

 

 彼女に従う従者カルカラが、不可思議な円環を彼女へと差し出す。

 エシェルがそれを受け取ると、浮遊し、エシェルの頭へと掲げられる。

 不可思議だが美しいそれは魔道具であり、そして紛れもない【冠】だった

 

「たった二人の少女を贄に捧げて戦わせることが、正しいことなのだとしても!」

 

 冠を被った彼女は叫ぶ。

 それは超越的な印象を与える為政者の言葉では無かった。

 

「認めない、納得なんてできない、そんなの飲み込めるわけがないだろう!!!」

 

 悲しみ、怒り、怯え、それでもと抗おうとする、あらゆる感情の込められた声。

 幼くも聞こえるその声は、故にこそ、誰の心にもハッキリと届けられた。

 

「この世界の形が、成り立ちがそうだというのなら―――」

 

 大罪の化身、禍々しき竜吞みの女王は、理不尽を見せつける世界に向かって宣告する。

 

「―――彼と共にその世界を砕く、女王となる」

 

 次の瞬間、彼女は転移の力で姿を消し、ウーガが咆哮を放つ。

 その凄まじい合図と共に、戦士達は自分たちの戦場へと駆けだした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

知っている

 

 

「さて、やるぞてめえら」

 

 ジャインは漆黒の斧を握りしめる。天才鍛治士が生みだした特別製だ。冒険者全盛期にも握ることは無かったような武器を振り上げて、彼は叫んだ。

 

「俺たちは自分達で選んで決めた。クソッタレな状況ばかりのこの世界で、うずくまって耐えるんじゃ無くて、抗ってぶん殴るって決めた!!!」

 

 ウーガから伝わる振動が更に激しくなる。

 その身を守る重力の魔術を攻撃に転換し、あらゆる敵を轢殺し、破壊し尽くす特攻兵器。言わば従来のウーガの姿。都市国やアルノルド王を討つ為に生まれた、凶暴なる戦闘要塞の機能を取り戻した。

 

「どーせシズクの奴はすぐに攻めてくる!しのぎ切れ!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市プラウディア、防壁外周部

 

 バベルが七首の竜によって奪われ、数百年間バベルを護ってきた神陽結界が砕かれた。その結果、押し寄せる魔物達と竜の群れを相手にして、極めて厳しい戦況に陥っていた。

 

「戦線を下げつつ魔術による結界を維持!!避難所(シェルター)に入れるな!!!」

 

 冒険者の頂点、イカザの鼓舞があっても、厳しい。士気の低下は明らかだった。

 その混沌とした状況下も相まって、“それ”に気がつくのには少し、時間がかかった。イカザがそれに気がついたのは、共に駆け回り戦っていた兵士の一人が声も無く倒れた時だった。

 

「どうした!?」

 

 倒れる男を支えるように起き上がらせる。周囲の魔物達が襲いかかってきた様子もないし、急に倒れてしまうような怪我もしていない。にもかかわらず、何の拍子も無く倒れた。

 この兵士がイカザの動きに付き合うために無茶をしていたのはそうだが、自分の体力の残量も見極めずに力を振り回す程馬鹿ではないのも確かだった。では何故――――

 

「魔力が、抜けていく……!?」

 

 そして、その原因が判明した。

 自分の身にもその現象は起きていた。静かに、そして確実に、体内から魔力の量が抜け落ちていくのをイカザは感じた。体力が弱った者が、この調子で魔力を奪われれば欠乏症に陥って倒れるのは自明だ。

 現象としては、暴食の竜の迷宮の現象に近い。

 そこに存在するだけで体力魔力を奪われるあの現象。だとすれば七首の大罪竜の仕業かと視線を向けるが、現在竜は空から飛来した巨大な移動要塞、ウーガの咆吼に晒されて、大暴れしている。とても此方に意識を向けてきているようには見えない。

 

 更に、その事実を示すように別の現象も起き始めた。

 

『――――――――――     』

「頭上に注意しろ!!竜が落ちてくる!!!」

「……それだけじゃないぞ!?」

 

 忌々しく空を自由に舞い襲いかかってくる銀竜達。

 のみならず飛翔する魔物達、勇者が生み出した金色の天使、ありとあらゆる存在が一切の区別無く、空から落下していく。

 敵も、味方も、誰も彼もが魔力を抜かれている。一切の差別が無い。

 

「何処のバカだこんな攻撃しかけてきたのは!!!」

 

 ヘロヘロになった兵士が叫ぶ。確かにコレは間違いなく攻撃の類いだ。明らかに意図的な戦略である。問題は何処の誰が――――

 

「…………おい、見ろ」

 

 また、誰かが言った。

 プラウディアに突如として出現した巨大な天空都市ウーガ、その更に高くに人影があった。緋色と漆黒のドレスを纏い女が一人、空へと手を掲げていた。

 その手の先には、美しく輝く、“巨大な円”が生まれていた。白く輝く、あまりにも大きな“円”。それが“鏡”であると気づける者はそう多くはなかった。

 だが、その“鏡”によって、プラウディアに存在する全ての戦力、その魔力を根こそぎに奪うというあまりにもデタラメな所業をしていることを理解した誰かが気づいた。

 

「竜吞の、女王……!」

 

 竜吞のウーガの女王、鏡と簒奪の力を操る邪悪なる精霊の巫女

 その悪名を自ら肯定するように、彼女はあらゆる存在からの簒奪を開始した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【七竜のバベル】頂上にて

 

「――――――」

『カッカッカ、やっぱアイツらアホじゃな!!!』

 

 バベルを奪い、乗っ取り変貌させた全ての元凶。竜の肉に囲まれ悍ましく豹変してしまったバベルの中から外の光景を監視していたシズクは沈黙し、彼女の使い魔であるロックはケタケタと笑った。

 心から愉快そうにしているロックとは反対に、シズクの表情に変化はまるでない。何一つとして見通せぬ虚の眼で、空中に映し出された映像のウーガを見つめる。間もなくウーガから咆哮が放たれ、バベルが激しく揺れ動いた。

 

 エシェルの無差別魔力吸収の猛威は、ロックにも及んでいる。

 

 自分の分体達が猛烈な勢いで魔力を吸収され、その形を保つことが出来なくなっている。ただの骨クズになって戦うことすら出来ずに崩壊していく自分の分身の姿は滑稽で、思わず腹を抱えたくなった。

 あまりにも一方的な簒奪だった。しかも、彼女が収束した魔力の全ては竜吞ウーガに収束される。そして集められた魔力は再び活用される。

 

『お、第二射くるのう?』

 

 ウーガから再び爆熱が放たれる。

 本来であれば数日がかりで放たれる魔力の補充がほんの僅かな隙に充填され、発射されるのだ。しかもその【咆吼】はリーネの白王陣により自由自在に蠢く。まるで草原を自由に泳ぐ蛇のように狙ったところに食らいつく。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 だが、七首の大罪竜がこれで倒されることはない。バベルの塔そのものの機能をシズクは簒奪している。備わった防衛機能でもって敵の攻撃は散らされる。

 敵の咆哮は牽制だ。下手に竜達が前へと飛び出そうものなら焼き払うという宣告。

 

『おう、さあてどうする?主よ』

 

 ロックは笑いながら、自分の主へと問いかける。かつての仲間達。そして今、彼等の居場所を脅かそうとしてる主の顔を覗き見た。

 

「――――そうですね」

 

 シズクに表情は無かった。虚の表情のまま、淡々と指示を出す。

 

「混沌とした状況を望むなら、お手伝いしましょうか」

 

 鏡の精霊に魔力を奪われ、飛翔能力を失い墜落した銀の竜達の死骸、プラウディア周辺に散ったそれらの死体が彼女の指先から奔る【銀糸】に連なって回収されていく。

 

「散発的な兵は彼女に吸われる。兵士と銀竜は収束させ、強個体で攻めましょう」

 

 指示の通り、ロックは新たな分体を生成する。シズクから供給される魔力を元に、より膨大な骨の巨兵を出現させる。それでも魔力の簒奪は続くが、先程よりはマシだった。

 

『だが、簒奪は続くのう?エシェルとウーガはどうするカの?』

 

 彼女は手の平を翳す、動けなくなった空を舞う銀の竜達が一カ所に集まる。

 それらは喰らいあい、まぐわり、別個体へと昇華する。肉の弾けるような音と、悲痛な竜達の悲鳴が圧縮され、その果てに二体の竜が完成した。

 

『――――――』

「良い子達。どうか頑張って」

 

 二体の竜は、自らを生んだ母親のシズクへと愛おしく頭をこすりつけると、今ロックがあげた二つの方角へと飛び立った。人懐っこい獣のような愛らしさを有した竜達だったが、しかしその内には、地面の下で暴れている七首の竜にも匹敵するだけの力を有している事が間近でみたロックには分かった。

 

 明らかにシズクの力は増している。

 

 時間と共に、彼女へと向けられた畏れが増大し続けている。バベルをあからさまに支配したことで、イスラリア人類の信仰が砕けてきている。更に時間が経てば、より、彼女の勝利は確定的なものとなるだろう。

 とはいえ、無論敵もまた、それを承知して、自由にさせてくれることはないだろうが。

 

「ディズ様とユーリ様が攻めるでしょう。ロック様、迎撃を」

『おーおー、勿論だとも。だが主よ、()()()()()()()()()()()

 

 応じたロックは、何時も通りの飄々とした表情で、頭蓋をゆらす。真っ白な歯がニヤリと笑みを形を作った。

 

「何を」

『主の方がよく知っておるじゃろ?あやつら、やると決めたら絶対にやりおるぞ』

 

 それだけ言って、ロックはバベルの肉壁に沈み込むように消えた。

 

「……知っています」

 

 残されたシズクは、虚の表情のまま、静かに囁いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拳を振り上げろ

 

 機神スロウスは大混乱に包まれた。

 言うまでも無いことだが、これほどの巨体を動かす以上、それを操縦する者以外にもその形を保つためにフォローしなければならない人員が多く必要だ。その為の魔術師達はスロウスに多く乗り込んでいる。

 彼らは誰も彼も、穿孔王国を失っても尚、魔王ブラックに付き従い、彼の巻き起こそうとする最後の祭りを見に来た生粋の狂人達だ。自分達の住まうイスラリアという方舟を蹂躙する魔王に喜んで協力するようなイカレどもである。

 

「どういう力だ!?何故あれだけの重量を空中に支えて且つ、此方を押さえつけるだけの重力魔術を使える!?」

「聖遺物だ!!それしかありえないでしょ!!それも複数個!!!」

「なんでそんなものをウーガが保有してるというのだ!?」

 

 そんな彼らは今、重力の圧にたたきのめされ悲鳴をあげることしかできなくなっている。ウーガの足から放たれる重力の圧は、機神スロウスの動作を完全に押さえ込んでいた。みしみしと軋みを挙げて、幾つかの武装が砕け散るほどの高圧力だ。

 絶え間なく計器が警告を鳴らし続け、危機を叫ぶ光景は地獄絵図と言って差し支えなかった。

 

「おーおー、狂人どもが混乱してるねえ」

「そういいながらペッタンコにつぶされそうになってる魔王様もどうかと思うけど」

 

 そんな彼らを冷静に観察する魔王は魔王で潰れていた。具体的には地面にぺっしょりと倒れ伏せて重力に押しつぶされている。そんな彼の姿をヨーグが呆れながら眺めていたが、彼女は魔王のようにはなっていない。無事だ。

 

「なんでお前は無事なんだよ」

「裏技?まあ私の身体裏技まみれなんだけど」

「邪悪なる神の信奉者めー、よいしょっと」

 

 言っているウチに、魔王は気軽に身体を起こして肩を回す。が、未だに重力の魔術が収まっている様子はない。

 

「魔王様!!どうか避難を!危険です!!」

「おうおう、落ち着けゲイラー。ハルズが頑張ってくれてる。まだしばらく持つよ」

 

 ブラックはケラケラと笑う。

 実際、この機神スロウスが全て機械で出来ていたならばそうそうに壊れていただろう。だが、粘魔となった身体が重要部を守るクッションとして機能している。早々は壊れないという確信があった。

 

「うむ、ロマン全部乗せとかいうバカやったけど上手く出来てる」

「いってる場合-?」

 

 ヨーグから突っ込みが入った。邪悪極まる狂人の邪教徒から突っ込みを入れられるのは割と心外だな、と、魔王は少し真面目な顔になった。

 

「多方面から圧かけて、粘魔部分も逃げられないようにってか。徹底してるねえ」

「消去出来ないの?」

「この巨体も魔術で支えてる!!下手に消去を使えばこっちも潰れるぞ!!」

 

 ゲイラーが慌てて叫ぶ。

 超巨体のウーガがそうであるように、此方の巨大人形もまた、重力魔術によってその身体を支え、制御して自壊を防いでいる。消去魔術を発動させれば、向こうの重量制御は消えるが、一方で此方の保護の為の重力制御も完全に崩壊する。そうすれば自爆だ。

 

「つまり上手くやる必要があるわけだ」

「ま、魔王様!?」

「っつーわけでゲイラー、頑張るけど、大事なところ削れちまったらごめんな?」

 

 魔王はニッカリと笑って、足下に手の平をつける。その行動の意図するところをその場にいる全員は理解した。ゲイラーは慌てた声で叫ぶ。

 

「退避ぃ!!」

「【愚星】」

 

 勇者に返されたはずの魔王の天愚が放たれ、決戦人形兵器スロウスは全ての攻撃の一切を無効化する闇に包み込まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア上空【ガルーダ】にて

 

「やっぱりあの男、天愚をちゃんと返却していなかったのですね」

 

 ユーリが呆れたような声を出しながら見つめるのは、真っ黒な闇の力で覆われた人形兵器の姿だった。あらゆる力を飲み込んで、“台無し”にしてしまう力。別たれていたゼウラディアの権能の一つ、邪神が再臨するまで勇者を隠れ蓑にして存在していた最後の七天、【天愚】の力だ。

 太陽神を覚醒させたとき、七天は一度ディズに返還されたはずである。にもかかわらず彼が今その力を使える理由は一つだ。

 

 あの男、借りパクしたのである。

 

「神として覚醒するだけのガワは残していったみたいなんだけどね」

 

 ディズは試しに【天愚】の力を引き出すと、手の平から黒い闇が出現する。確かに力の断片は手の平から出現する。しかしそれ以上、力を引き出すことは出来なかった。元々、天愚という力が酷く扱いづらいものであり、それ故にかつて追放されたのだ、というのは邪神出現後、スーアから聞いていた。

 自分ではコントロールできなかったのでは、とも考えたが、そう言う問題では無かった。力そのものの大半が奪われていると気づいたときには魔王はとっくの前に姿を消していた。

 

「太陽神として覚醒した直後、すぐにシズクと戦闘だったからなあ……気づいたときには魔王、姿くらましていたし、色々とそれどころじゃなくなったしでねえ……」

「タチが悪い……」

 

 勿論、魔王はそんな風に事態が混乱することを承知して、中身を抜いていったのだろう。本当に何というか、タチの悪い男だった。

 

「ま、そこら辺は“別の形で穴埋め”が起こったお陰でなんとかなったんだけど……」

 

 説明もそこそこに、ディズは眼下の光景を改めて眺める。

 より正確には今も天空に座し、機神を押さえつける巨大都市ウーガを見る。それを操るあの怪物、灰色の友を思い、わき上がるあらゆる感情をひとまずしまい込んだ。そして、

 

「ひとまず、これを好機と取ろう」

 

 目の前のことに集中する。

 コレは好機だ。懸念していた機神の相手を【歩ム者】がしてくれるというのなら、自分達は【バベル】の奪還へと今度こそ動くことが出来る。

 

「彼らに任せて、大丈夫なのですか?」

「《だいじょうぶじゃないのよ》」

 

 尋ねるゼロに、アカネが即答した。ディズも頷く。

 

「ん……まあ、多分大変なことになるよ。コレは」

「宣告の通り、私たちにも牙を向けると?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()―――かなり無茶苦茶するはずだ」

 

 そう、単純に敵対関係になるだけなら話は割と単純だ。倒すだけで話は済む。

 だが、おそらくはそうはならない。

 いや、絶対にそうならない。

 

 彼らは絶対に無茶苦茶をする。

 

 そして彼ら自身の意図と、現場から生まれる想定外(イレギュラー)、この二つがかみ合いにかみ合って、とてつもなく混沌が起こる。それをしでかす確信があった。経験則から、ディズもアカネもそれを知っている。

 

「だーけーど、それを恐れていては話が進まない。なので」

 

 ディズは呼吸を整え、ガルーダへと【神賢】を送り込み、再び突入体制に入る。今度の目標は天空迷宮では無く、自分達の本来の拠点にしてイスラリアという方舟を維持する要だ。

 

「行く。悪いけど、七首の牽制は頼むよユーリ」

「だらだらとしていると、私が先に七首落としてシズクの首を刎ねますから」

「やりそうで怖いなあ……」

 

 通信魔術から聞こえてくるユーリの言葉を聞いて苦笑しながら、ディズは星剣の剣先を禍々しい【バベル】へと向け、叫んだ。

 

「ガルーダ!!!」

《―――――――》

 

 呼応し、機械の鳥が鳴く。再び輝ける不死鳥となり、七首の竜達へと突貫する。

 無論、それを迎撃すべく無数の熱光が放たれるが、それをガルーダは回避し、時に星天の剣によって切り裂かれる。そして間もなくガルーダは、禍々しく変貌してしまった【バベル】へと突撃を果たした。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 スロウス 司令室

 

「ん、よし、これで動けるだろ!しばらくの間はなあ!」

 

 魔王は肩を回しながら、手の平を地面から離す。離しても尚、ブラックのいる司令室も、そしてこの人形兵器その者も真っ黒な力で覆われている。まるで鎧のように覆われたその闇は、人形兵器の禍々しさを更に増した。

 

「わー、改めてみても禍々しいわねえ、これ」

 

 その場にはブラックとヨーグ以外誰も残ってはいない。彼の力がとてつもなく危うく、迂闊に触れれば飲み込まれて、文字どおり”喰われる”ことは彼の部下にとっては常識だ。

 

《無茶はよしてください魔王様!【愚星】の消え失せた場所は修理なんてやりようがないんですからね!?》

「わーったわーった、そんでもって」

 

 部屋の外まで避難した部下達の批難に耳をかきながら、モニターを確認する。愚星を纏った機神スロウスは再び動き出した。そのスロウスが睨む先は無論、自分達を地面に張り付かせた巨大なる天空都市、ウーガだ。

 

「ケンカ売ってきたんなら、返してやらねえとなぁ?ハルズ!!」

『――――――GGGGGGGGGGGG》

 

 右腕の粘魔がうごめき、形を変える。瞬く間にそれは自身の腕全てを使った巨大な砲口となって、エネルギーを打ち出して天空から打ち落とすべく、ウーガを睨んだ。

 

「戦場に乗り込んできたんだ。殺されたってしかたねーよなあ、ウールー坊」

「――――そりゃ勿論さ、魔王」

 

 そして、全てを嘲笑う魔王の背後に突如出現したウルは、彼の背中を貫いた。

 

「――おっと?」

 

 槍で串刺しにされたブラックは振り返る。ウルは魔王を貫き、空いた手で拳を強く握りしめていた。

 

「開戦だ」

「ッハハハ!!!」

 

 笑う魔王の顔面に拳が突き刺さる音が、戦いの合図となった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/愚天跋扈と王の降臨
少女たちを救うための方法


 時間さかのぼって、【竜吞ウーガ】にて。

 

「チャンスは一瞬よ」

 

 プラウディアへと向かう直前、遠距離からの映像で送られてきた情報をもとに、リーネが説明を開始する。事前に繰り返し行ってきた打ち合わせによる突入作戦、それと現場の情報とのすり合わせのための最後の時間だった。

 

「ウーガの重力魔術を放てば、敵はよほどの対抗手段が無い限り、それを打ち消すしかなくなる」

 

 そう言って、彼女が机に存在する人形を指さす。

 機神スロウス、魔王ブラックが持ち出した最悪の頭のぶっ飛んだ人形兵器に、亀の形をした人形を上からのし掛からせる。

 

「でもその瞬間、転移術の阻害が消える筈。敵の攻撃だけを一方的にかき消すなんて超絶技巧、【天拳】にしか出来ない。魔王にはその力は無いはず」

 

 人形が亀を払いのける。そのタイミングでリーネはペンで亀と人形の間を線で繋いだ。

 

「その一瞬で【転移】する。バベルや天空迷宮とは違う。巨大人形は迷宮じゃないから、敵のトップの所に直接移動できるはず」

「問題はどうやって正確に、魔王の位置を見定めて転移するか、だが……」

 

 転移の魔術は恐ろしく凶悪であるが、それ故に取り扱いは難しい。目の届かない位置に自在に転移するのは聖遺物のような精霊の力を介さない場合、“起点”が必要となる。

 だが、その当てもあった。

 

《私が起点を刻む》

 

 その声は通信魔具から聞こえてきた。

 映像は乱れているが、その声の主は知っている。複雑な経緯の果てに、ウル達【歩ム者】の協力者となった情報ギルドの一員、【元・飴色の山猫】の構成員であるミクリナだ。彼女が今いる場所はどこであろう、遠目に見える戦場にて大暴れしている【機神スロウス】の内部である。

 

「まさか、本当に魔王の移動要塞に侵入できるとはな」

《今のスロウス、国自体が崩壊していて、セキュリティなんてあってないようなもの。容易かったわ》

 

 だからといって、そう簡単にできるものとは思えなかったし、危険だった。そんな危うい仕事を単独で成し遂げてくれた彼女は、やはり一流なのだろう。

 

「助かるわ、本当に。命がけの仕事を任せて申し訳ないけれど」

《かまわない。こちらも、目的があっただけのことだから。私は魔導具を使って魔王の位置を常に確認しておく》

「そして、彼女を僕が俯瞰で探し出して、転移すると」

 

 そして、彼女の言葉をエクスタインが引き継ぐ。今回の作戦の要その2である彼は命がけの突入になるにもかかわらず、笑みを浮かべていた。

 

「……見つかったら殺されるかもしれん状況で楽しそうだなあ、お前」

「いやー、ウルと共闘できるの楽しくって」

「……本音隠さないとマジでアレだなお前」

「アレ?」

「キモい」

「うん、自覚してる」

 

 エクスタインは心底楽しそうに笑い、ウルはため息をはき出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 機神スロウス、司令室

 

「おろ?ウルおひさ、それにエクスか」

「お久しぶりですね、ブラックさん。こんな形で再会するとは思いませんでしたが」

「……心臓抉った筈なんだがな」

「俺達の急所だぜ?警戒して守るくらいしてるさ」

 

 穴を開けられ、顔面をぶん殴られたブラックは、大穴の空いた体からぼたぼたと血を流しながら笑った。偶然親戚同士が再会したような軽快な挨拶だった。しかしここは空前絶後の殺戮兵器の中で、魔王には穴が空いているし、エクスタインはそれを手引きしたし、ウルはその実行犯だ。

 

「はーん、はーん?なるほどなあ。大胆なことしやがるねえ?」

 

 司令室から避難していく部下達の中に、いつの間にか知らない顔が一人紛れ込んでいることにブラックは気づき、そして敵の作戦内容をおおよそ察した。大分無茶苦茶な真似をしたらしい。

 と、感心している間にも胸から血が吹き出して、口から血をごぼごぼと吐き出しながらブラックは地面に倒れ伏せる。ウルはそれを見下ろすと、そのまま竜牙槍を構え直した。

 

「【咆吼】」

 

 咆吼が倒れたブラックに向かって射出される。

 司令室が激しく揺れた。備え付けられていた幾つもの魔導機が粉砕され、計器がけたたましい警報音を鳴り響かせ続ける。それでも一切ウルは手を休めること無く、連続して砲撃を繰り返した。

 

「――――熱烈だな。」

 

 だが、砕け崩壊し陥没する床の底から、闇が噴き出す。竜牙槍から放たれる熱も光も全て容赦なく飲み込んで、無かったことになっていく。ウルとエクスは背後へと飛び上がり距離を取ってその闇をじっと睨み続けた。

 

「そんなに俺のこと好きか?お前等」

 

 次第、闇が晴れるとそこには再びブラックが立っていた。先程ウルが胸に開けた穴も血も、無かったことになっている。

 

「いや、僕は正直貴方にそこまで興味は無くって……」

「泣いちゃうゾ?」

「俺は魔石稼ぎの迷宮潜りの帰りにいきなり沸いて出る小鬼の群れくらい好きだよ」

「あらやだ嬉しい、プレゼントあげちゃーうっ」

 

 魔王が指を鳴らす。

 再び【愚星】が発動する。今度の闇は彼自身の傷を癒やすためのものではなく、殺戮のための侵攻だ。液体のような気体のような判別が出来ない闇が激しくのたうち回りながら、ウルを取り囲むようにして蠢き、次の瞬間には彼の居た場所を飲み込んだ。

 

「【狂え】」

 

 だが、直後に闇が周囲の空間ごと弾け飛ぶ。その光景を見たブラックは満足そうに笑った。

 

「【色欲】は握ったままか!!!【憤怒】と【強欲】はどうだ!?」

 

 魔王は愚星の総量を更に上げる。司令室の半分以上が闇に包まれつつあった。

 

《ま、魔王様!!どうか落ち着いて!魔王さ――――おあー!やめろー!魔王コラ!!》

《駄目だ完全に楽しくなっちゃったぞあのバカ!!復旧急げェ!!》

 

 通信からは部下達の悲鳴が聞こえてくる。

 全く意気地が無いとブラックは笑った。頭に血なんて上ってはいない。彼は酷く冷静だ。

 この人形兵器スロウスは頑強だ。ハルズ自身が混じったことで、ほぼ自立稼働で動き出す。無論、彼は既に正気では無かろうが、イスラリアへの破壊衝動だけはちゃんと保持してくれているはずだ。イスラリアへの牽制の役割は正しく果たしてくれるとブラックは信じた。

 それよりも今は、目の前の餓鬼と向き合う方がよっぽど重要だ。

 

「さて、ウル、聞こうじゃねえか?」

「何をだ」

 

 闇に浸食されていない机の上に着地しながら、ウルは問い返す。ブラックは一瞬、愚星の動きを止めた。殺すにしても、利用するにしても、確認しなければならない。

 

「お前、何のつもりで此処に来た?」

 

 ウルの参戦、それはブラックも想定していたことではあった。

 と、いうよりも、想定しないわけが無い。このイスラリアという世界の終末に際して、その中心に彼の身内ともいえるような人物達があまりにも揃いすぎていたからだ。

 

 二つの神にそれぞれ選ばれた二人の勇者。

 片割れの勇者に親愛を深めた精霊憑きの妹。

 もう片方の勇者と主従の契約を結んだ死霊の王。

 そしてそこに巻き込まれる七天の戦士達。イスラリア大陸中にいる様々な友人達。

 

 ウルという少年が、それらを無視して、安全圏に引きこもるような男では無いことは分かっていた。だから彼の参戦はなんら不思議なことではない。なんだったらブラック自身も、彼にこの戦いに参戦するように煽ったくらいだ。

 

 問題は、彼が選んだ選択だ。

 

 勇者に味方をして邪神と魔王を倒す

 →理解できる。選択としては妥当だ。イスラリアに身内は多く居るだろう。

  恐らく彼が護りたい者をもっとも多く護る賢く無難な道だ。

 

 邪神に味方して勇者と魔王を倒す

 →理解できなくもない。邪神と彼は冒険者として最初からの付き合いで、仲間だ。 

  イスラリアを敵に回しても彼女を助けるという選択をとるのはわからんでもない

 

 魔王に味方して、勇者と邪神を倒す

 →勧誘もした。結果として、野心自体とは無縁の男ではあったが手応えはなかった。

  とはいえ、この大混沌だ。自分を利用して二人の勇者を救い出す算段を画策する。

  そんな可能性はなくはなかった。

 

 全部敵に回す

 →どうしたお前?

 

「んー?なんか全部嫌になっちゃった?じいちゃんが相談乗ってやろうか?」

 

 問う。

 訳も分からず、身内同士の殺し合いを厭って殴りに来たなら、正直大した問題にはならない。この死地で、自分が何をしてどうするのかも定めずにノコノコとやって来たバカなんてのは、利用するのも、斬り捨てるのも容易だからだ。

 だが、目の前の少年の顔つきは、どう見てもそんな様子には見えない。自分が此処で何をして、どうするつもりなのか、全て明確に定まっている者の、腹の据わった顔だ。だから尚のこと、確認しておかなければならない。

 

 此処で、何をする気なのか。

 

「…………前アンタ、自分がどうする気なのか言ってたよな」

「ああ、言ったな」

「結論として、アンタは神をぶち殺して、利用して、支配者になるつもりなんだよな?」

「ま、そうなるな。あの時は適当に誤魔化しも入れたが、実際はそんなところだ」

 

 魔王ブラックの目的は二つの神の顕現と、そしてその二つの神の簒奪である。

 

 その為に必要だったのは、神の完成だ。

 

 ただし、そこには幾つもの条件が立ち塞がった。少なくともアルノルドの理想郷計画通り、邪神完成前に制されるのは避けなければならなかった。【星剣】による世界と方舟の繋がりを早期に断たれれば太陽神の完成すら導かれない。

 だが、一方でアルノルドの計画に協力しなければ、それを利用しようというシズク側のプランが崩壊する。月神の完成はままならないし、そもそも世界側にアクセスすることすら出来なくなってしまう。

 

 一瞬でも誤れば傾ききってしまう天秤を維持しながら行われる綱渡り。魔王が強いられたのはそんな作業だった。だが、いくつもの危うい賭けと、アルノルドと、そして目の前のウルの命がけの努力、更にはシズクの神業めいた立ち回りもあって、とうとう二柱の神は誕生した。

 

「後は殺して奪えばいい。勿論、連中はバケモノだが漁夫の利を狙えば――――」

「そこだよ」

「あ?」

 

 そこ、と、指摘する部分を理解できずブラックは首を傾げる。ウルは目を細めた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!!いや、そりゃ無茶だぜ?!」

 

  そして彼の真意を明かされて、ブラックは笑った。

 

「この世界の現状理解したんだろ!?だったらわかんだろ!?」

 

 ブラックは竜化した腕を振るう。途端司令室の壁が粉砕し弾け飛ぶ。開けた大穴からは外の景観が見えた。その光景は悲惨の一言に尽きる。

 イスラリアという世界が維持していた偽装は剥げ落ちた。空はイスラリア自身が汚した赤黒い邪悪一色に染まり、その空を銀色の竜達が飛び交い、七首の大罪の竜達がバベルを支配しのたうって居る。

 この地獄の中心で、月の神の力を背負った少女と、太陽の神の力を背負った少女が、必死の形相で殺し合いを続けている。これが悲惨でなくてなんなのか。

 

「クソ垂れ流したイスラリアと、それ投げ返した”世界”の、ゴミみてえな戦争状態だ!!小娘二人に力押しつけて代理戦争させてんのさ!!」

 

 ブラックの一切言葉を選ばないその物言いは、しかし的確だった、詰まるところこの戦いは何処までもそれに尽きる。美しい大義名分などありはしない。1000年に渡る呪泥と憎悪にまみれた殺し合いに過ぎない。

 

「ここまで無様晒した連中に、殺し合いやめましょうって言ったところで止まるわきゃねえって!神って兵器がある限り絶対に――――」

 

 その時、不意に魔王は笑うのを止めて、前を見る。

 目の前で武装を固め、完全に殺し合いの準備を固めてこの魔王の城に乗り込んできた少年を見る。その殺意と決意に満ちた目をした少年を見る。

 

「――――お前まさか」

()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルは跳んだ。ほんの一瞬、ほんの僅か、ウルに気後れしたブラックのその隙を貫くように竜殺しを魔王の腹に突き立て、そのまま渾身の力を込めて地面に叩きつける。

 

「全部、ぶん殴る!」

「おおおおおおおおおお!!!?」

 

 先程の攻防で削り取られた地面が陥没し、落下を開始する。

 

「その為の力を寄越せ!!魔王!!!!」

 

 ブラックの返り血を浴びながら、ウルは宣告した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 大罪都市プラウディア東区画

 名も無き孤児院にて

 

「じーちゃん!!全員地下入ったよ!!!」

 

 孤児院地下1階の、その更に先、床に隠されていた隠し扉の中から子供の声がする。その扉の外では孤児院の院長であるザインが扉を護るようにして立っていた。

 

「では閉めろ。出来る限り奥深くにいろ。1週間は生活できるだけの食料は残されているはずだ。その後、外が問題ないようであれば脱出。出口が塞がれた場合は魔術使用を許可する。覚えたことを全て使え」

「じーちゃんは!?」

「別の用件がある」

 

 その言葉に対して、すぐには返事が来なかった。代わりに地下へと続く扉が小さく開いて、孤児院の子供達がそっと外にいるザインを覗き込むようにした。その表情は誰も彼も不安そうだ。

 

「帰ってくるよな……」

 

 勿論、子供達も今の現状は理解できている。天地がひっくり返って、未来がどうなるか想像もつかないような状況になっていると分かっている。親を失った子供達は特に、大人達が決して、ずっと一緒にいてくれるわけでは無いのだと言うことを知っていた。だからこそ不安だったのだ。

 

「道半ばの子供を放棄して死ぬほど無責任では無い」

 

 しかし、そんな子供達に対して、ザインは何時も通りの仏頂面で答えた。それが何よりも、子供達を安心させるのだと知っているからだ。

 

「……分かった」

「ちゃんと毎日お茶を飲めよ」

「うげえ」

 

 最後の子供達はげんなり顔をした。それだけで少しは余裕を取り戻したのだと分かる。ザインはゆっくりと外からシェルターへの扉を閉めた。

 

「さて」

 

 これでもう、子供達は例えイスラリアがひっくり返るようなことがあっても死ぬことは無い。生き埋めにならないように、幾つもの脱出経路を用意している。一先ずは目的の内の半分はこれで果たせた。

 残る目的は一つ。

 

「死ぬなよ。ウル」

 

 地下へと逃げ込んだ子供達と同じように、今外で大暴れしている孤児院の子供の一人であるウルを、彼は案じた。だがそれは、先程彼が孤児院の子供達に向けていた親愛では無い。

 共に戦う戦士に向ける、信頼だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女たちを救うための方法②

 

〈検索実行:「二神の対処法」、「惑星の再生」について〉

 

〈新約8条に抵触、世界崩壊指数90%超の緊急事態につき特例措置実行、突破〉

 

〈該当情報のアーカイブ確認出来ず。星海ネットワークから隔離されておりアクセス困難〉

 

〈該当情報を有する人物を検索〉

 

〈発見〉

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 戦争が始まる前

 

 大罪都市プラウディア東地区の名も無き孤児院にて。

 

 孤児院の主であるザインはその日も、いつものように庭の菜園の世話を進めていた。

 土地の限られた都市の内部での菜園、というのはある種の贅沢であり、それ故あまり派手に作業をしすぎると悪目立ちする。だから彼が育てているのは少量の、子供達に振る舞う「お茶」用の薬草の幾つかのみで、ぱっと見は雑草の類いとも変わらず色合いも悪いので盗まれるようなことも無かった。孤児院の廃墟っぷりと相まって、毒草にしか見えなかった。

 

 空が割れて、ひび割れて、赤黒い魔界の空から竜が覗く異常事態になっても尚、彼はその日課を続けていた。

 

「ようじいさん」

 

 そんな彼に尋ねてくる者がいた。ザインは振り返らず、幾つかの薬草を籠の中に放り込みながら、口を開いた。

 

「憤怒の砂漠、そして強欲の迷宮から生き延びたか」

「教えてくれたお茶は役に立ったよ。不本意ながら」

 

 やって来たのは3人。

 ウル、リーネ、エシェルの3人だ。ウル以外の二人は此処に来るのは初めてであり、孤児院というにはあまりにも異様な風体のその場所に対してかなりドン引きしている様子だったが、ザインは気にしない。作業を終えたのか立ちあがるとウル達へと向き直り、痩せ老いて尚鋭い眼光で、ウル達を見つめた。

 

「聞きたいことがある」

「なんだ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ザインは目を細める。

 

「俺に何故それを聞く」

()()()()()()()()

「なるほど」

 

 ウルの言葉に対して、ザインは理解できぬという訳でもなく、それを吟味するように沈黙した。そして、

 

「入れ」

 

 ザインは3人へとそう告げ、孤児院へと入っていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 孤児院に人気は無い。子供達は今、薬草集めに向かっている。世界がこんな状態になった後、ザインは彼らに自分達が生き延びるための避難所(シェルター)の準備を進めさせていた。万が一の時に自分達だけでも生き延びられるように。

 だから、全く人気が無くガランとしたその場所で、ザインは3人に向かい合った。

 

「俺の事情を話す前に、まずは聞こうか。何故だ?」

「何故とは」

「なぜ神を倒そうとする」

 

 ザインはまっすぐにウルを見る。

 当たり前ではあるが、幼き頃と今のウルは違う。以前尋ねてきたときよりも更に違う。今や彼はイスラリアに名を轟かす英雄であるし、現在混迷を極めた世界における渦の中心に立っている。身体そのものも異形に浸食され、瞳の色すら違っている。

 だが瞳の奥で禍々しく揺らぐ魂だけは変わらない。それを確認し、ザインは尋ねた。

 

「お前がイスラリアでの平穏を望むなら、ディズやアカネと共にありたいと願うなら、彼女らの味方をするべきだ」

 

 太陽の神。

 紛れもないイスラリアの守護者で在り、根っからの聖人。弱者を救い、強者を尊ぶ。例えイスラリアという世界に罪があろうとも、彼女は戦うのを諦めないだろう。善なる弱者が、そしてそれらを助けようと手を伸ばす強者が居る限り彼女は戦う。

 その彼女の助けになりたいと願うのは道理だ。

 

「お前の仲間だったシズクに同情し、ロックと共に力になりたいとして、咎める気は無い」

 

 月の神と、その従者。

 イスラリアから押しつけられた呪いに抗うために生まれた呪いの御子。

 世界を救うためだという免罪符と共に彼女に押しつけられた業はあまりにも惨たらしい。その業によって砕け散ってしまいそうな彼女を救わんと願うこともまた、間違いは無い。

 

「あるいは、魔王の企て、野心に便乗するのも手だ。お前達自身を優先するなら」

 

 邪なる者。魔王の企ても間違いではない。

 この世界の成り立ちは、ハッキリと言って不細工なものだ。歪で罪に塗れている。その世界を厭い、逆に利用してやることを目指しても、それを悪と罵ることは出来ない。罪を問うなら、こんな世界を生み出した者達にこそ問うべきだ。

 

「だがお前の選択はどれにも相反する。ならば問わねばならない。何故その道を行く」

「このままだとシズクかディズ、どちらかが死ぬ。あるいはどちらもだ」

 

 ウルはため息をついて、断言した。そこに躊躇いはなかった。悍ましい事実を畏れず直視した者が発せる確信がそこにあった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ノア、あの奇妙なる存在から情報の多くを引き出し、確認し、現在世界が取り巻いている状況のおおよそをウルはなんとか把握することに成功していた。といっても、結局それらの情報は大部分が事前にジースターに説明されていた内容と同じではあった。

 つまるところ、この世界が本当にどうしようも無いところにどん詰まりしている事実をウルは確認した。

 

「これは絶滅戦争だ。片方がもう片方の世界を生かす理由が乏しい」

「そうだな」

「ディズならそうならんように努力するだろうが……竜と魔物の被害を考えるとな。シズク側も同様……これはもう本当にどうしようもない」

 

 これは事実だ。本当にどうしようもないのだ。

 1000年前から始まり、1000年続いた果てに起こったのがこの最終戦争なのだ。それはもう、個人の裁量でどうこうできる話ではなくなってしまっている。たった一人の聖者が慈悲を与えても、地獄のように積もった怨嗟を覆すことは出来ない。

 

「それで、お前が出した結論がどっちも殴る?」

「正確には全部な」

 

 この状況を打開するには、双方どちらかの殲滅を拒むならば、真っ当な手段は選べない。選ぶ事は出来ない。ある意味ウルの選んだ道は魔王に近い―――が、しかし彼よりももっと破滅的だ。

 

「魔王も、太陽神も、月神も、それと【涙】はき出す方舟の機能も全てだ。そうしないとどうにもならん」

 

 この世界を取り巻く一切を平等に粉砕する。一切を救う手立てがない。誰かだけを救おうとしても、もう片方が救われない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルが選ぶのそんな選択だ。

 

「地獄だぞ」

 

 ザインは断じた。

 

「お前の進む道は、最も過酷で、最も危険で、そして苦難に満ちている。挙げ句、奇跡的に全てを実行出来ても、お前にはそれを実行した責任がついて回る」

 

 ウルはその言葉を聞き入れる。正しいと思った。彼の言葉には脅しも何もない。

 

「片方を選んで、片方を絶滅を選んだ方が話は早い。見て見ぬふりをしても誰も責めない。それとも、世界を大混乱に貶めようとするほど、あの二人が大事なのか?」

 

 問われる。

 シズクとディズ、今世界を二つに別けて戦う二人の少女を助けるために世界を崩壊させる覚悟があるのかを、ザインは問うてきた。その言葉に、ウルは―――

 

「―――それほどでもない」

 

 小さくため息をついて否定した。

 

「シズクはまあ、本当に困った女で、こっちをメチャクチャに翻弄してくる。最終的に自分達のためになるからって、もう少しやりようはあるだろうにな。しかもいくら言っても自分をないがしろにする。口だけはこっちに従順な事言うくせにな」

 

 思い返せば思い返すほど、彼女には色々と頭を悩まされ続けた記憶しか無い。本当に彼女はやりたい放題してくれたものだった。

 それらがウル達に害をなす類いのものでなかったのは確かだ、彼女がウーガにしてきたこともなにもかも今の世界の結末を見越してのことだとしたら、あまりにも献身的に過ぎるのも確かなのだが―――それはそれでとてつもなく腹が立つ。

 

「ディズはそもそも、俺がこんな有様になった全ての元凶っつっても過言じゃねえ。まあ、アイツはアイツで悩みもあったんだろうが、そのストレス解消のやり方があまりにもアレすぎるだろ。巻き込まれて良い迷惑だよ」

 

 彼女の嘆き、彼女の悩みをウルは聞いた。世界を守るために少数を犠牲にする自らの所行を呪いながらもそれを止められない彼女の嘆き、その歪みがウルにぶつかったのは事実だ。その事について言いたいことは山ほどある―――もう少し分かりやすく助けを求めろと心底思う。

 こんな事態になった後、一度たりともウーガに対して彼女が救援を要請しなかったのも更にむかついた。なにもかも自分一人で背負おうとするのは気高き勇者様にも限度がある。

 

 そう、二人とも厄介で、面倒くさいのだ。可愛げなんて欠片もない。

 

「そんな二人の為に世界をぶっ壊してでも助け出したいって思うほど、俺は愛情深くはねえ―――だから、これは俺の為だよ」

 

 そう、これは彼女たちの為ではない。ウルはそんな愛情深く、献身的な性格を持ち合わせていない。

 

「俺は俺の為にあいつらをぶん殴る」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 やはり、こうなったか。

 

 ウルの中にある焔を、その幼い頃から見いだしていたザインは淡々と納得した。

 

 幼き頃は、彼を生かす為にその感情に枷をした。その膨大な熱量が、幼き彼自身と妹を焼き殺してしまうのは明らかだったからだ。道徳を教え込み、知識を与え、常識を身につけさせ、畏れを教えた。

 生きるために必要なものを与えて、生きるために不要なものを封印した。

 

 だが、旅と試練を経て、その封印は解かれた。

 

 幼い頃制御できずに自分をも傷つけた危うさは、道を塞ぐ全てを食い千切る牙に昇華した。それは、世界にとっては望ましいことではない。紛れもない凶悪が完成しようとしている。

 だが、ザインにとっては――――

 

「後ろの二人は?」

 

 次に、ザインは彼が連れてきた二人を見る。 

 ウルのような怪物は、そうそうは生まれない。彼の仲間は特殊であろうが、彼ほどのエネルギーでもって突き進める者はそういないだろう。ただ単なる仲間意識だけでここにいるなら追い返そうと思った。

 だが、

 

「私は最初からそう決めている。ウルのためにやれることは全てする」

 

 内の一人、黒ずんだ赤髪の獣人、竜吞ウーガの女王は即答した。

 

「それに私だって、こんなメチャクチャな形で、二人と別れるのは嫌だ」

「それが世界のためでも?」

「世界よりも、二人の方が大事だ」

 

 ああなるほど、とザインは納得した。

 この娘はきっと長いこと、()()()()()()()で生きてきたのだ。だから彼女にとってこの世界は本質的に敵で、戦うべきものなのだ。記憶では確か彼女は神官であった筈だが、とはいえ立場がどうあれ関係は無かろう。

 彼女にとって彼女の家族は、世界よりも重たいのだ。

 

「私は正直言えば、思うところはあるわよ」

 

 一方で、もう一人の小人の少女は冷静だった。

 

「心の底からウルの意見に賛同することはできない。場合によってはイスラリアの――――私の家族を危険にさらすことにもなる」

 

 瞳には高い知性があった。激情に吞まれることなく、静かに事実を見据えていた。 

 

「だけど―――」

 

 だけど、とそう切って、窓の外、破滅へと向かいつつある世界を見据えた。

 

「今この世界はどうあがこうとも破滅へと踏み出してる」

 

 ソレはもう逃れようがないほどの事実だった。

 この世界は終わる。どうあがこうと、どうしようとも結末へと向かう。今がこれ以上続くという可能性は絶対にありえない。もうあとは、どこに向かってぶつかるかだけなのだ。

 

「それが逃げられないなら、その状況下で動くのだとしたら、一番信頼できる仲間のところがいい。友人を救える可能性があるというなら、なおのこと。もしも彼の意見が本当にヤバくなったら、修正することも出来るしね。」

 

 そう言って彼女は理性的に微笑む。

 ウルの危うさを理解し、その上で仲間として必要とあらば彼を止めると言っている。仲間として、理想的な立ち位置を彼女は示した。

 

「―――神を超えるには良い機会ってのもあるんだけど」

 

 ぼそりと、最後に言った禍々しい言葉は聞かなかったことにした。

 

 ともあれ、こんな者達がウルの周囲に集まるのは何の因果だろう。しかし少なくとも、ウルの仲間も決して、勢いや考え無しでウルと共に来ているわけではないらしい。

 

 ならば、

 

「来い」

 

 そう言って、ザインは立ち上がる。迷いなく彼が向かったのは孤児院に設置されている地下倉庫だ。子供達が取ってきた薬草の類いを乾燥させたり、不要になった木偶人形などが転がっている。孤児院にやってくる子供達の適正に合わせてザインが用意した道具類の数々もここにあった。

 だが、用があるのは此処では無い。ザインは更にその奥の壁へと触れる。すると石造りの壁がうごめき、閉ざされていた隠し扉が開いた。

 

「こんなところがあるなんて初めて知った……」

「此処は俺の研究室だ」

「何のための研究所なんだ」

「神の研究」

「何の、ために?」

 

 エシェルがおそるおそる、というように尋ねるが、ザインは平然と続けた。

 

「【方舟】は【太陽神】によって維持される。そして方舟は【涙】が密接に絡んでいるからだ。つまり【涙】を止めるためには、【太陽神】に対する干渉、場合によっては破壊も必要となる」

 

 更に情報がたたき込まれる。リーネは彼の言葉を咀嚼するように呟く。ウルは頭痛を堪えるように額をつまんだ。

 

「魔界と通じてると。そういえば、シズクにもちらっと言ってたな」

 

 ザインがシズクの仕えている(と、誤魔化した)冬の神殿と繋がってることをほのめかしていた。アレは、今思えばシズクに自分が魔界と繋がっていることをほのめかす符号のようなものだったのだろう。ようやく理解できた。

 と、なるとザインは魔界に属する者、邪教徒の類いと言うことになるのだが―――

 

「強い繋がりではないがな。完全に荷担している訳でもない」

 

 それはザインから否定された。ウルはますます苦い顔になり、埃をかぶっていた椅子に腰掛けると、ザインを睨んだ。

 

「方舟の管理者、【ノア】からじいさんを案内されたが、じいさんがどういう立場なのかは分からなかった」

 

 ノアにも詳細な情報は聞き出そうとしても出来なかった。こうして直接訪ねてみるとますますもって謎が深まる。ウル達のこの先の選択を考えると、確認しなければならなかった。

 するとザインはいつもとまるで変わらぬしかめ面にもみえる表情で口を開いた。

 

「俺は―――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

古き者 新しき者

 

 【名も無き孤児院】地下研究施設にて。

 

「――――ここまでが、私たちの知っている情報と、対抗策です」

 

 無数の筆跡痕が刻まれた古びた机に、真新しい資料が広げられていた。

 それを広げ、解説をしているのはリーネであり、それを聞いているのはザインだった。ザインは一言も口を挟むことなく、長く続いたリーネの解説を黙って聞いていた。

 

「呆れたな」

 

 そして全ての説明を聞き終えた後、ザインは小さく感想を漏らした。

 

「見当外れでしたか?」

「完成度に驚いている。【ノア】も万能では無い。よくここまで調べたな」

「時間がないとはいえ、間違えるわけにはいきませんでした。協力者もいましたから」

 

 リーネは安心したように小さく息をついた。実際、ウル達が活動開始してから最も忙しくしているのは彼女だ。ウルやエシェルも彼女を手伝うために駆け回ったが、なかなかどうして休む暇もないほど忙しなかった。

 

「ラウターラ学園の禁書庫は大変だったわね。エシェルのおかげでたすかったけど。」

「もう二度としたくない……!何で私の入る書庫いっつも頭おかしいんだ……」

 

 エシェルがブルブルとわななきはじめた。トラウマになったらしい。

 

「何かトラウマを発症しているが」

「エシェルは強い子だから大丈夫だ」

「それで、これ以上何の情報を望む」

 

 ウルは少女の頭を撫でながらザインに向かって頷く。

 

「いくつかあるが、最優先は()()()()()()()。それがないと話にならない」

「分かっているのでは?」

「確信がほしい」

「良いだろう」

 

 ザインは部屋の奥の棚から、古びた紙を一枚取り出した。丸められ収納されたそれを机に広げると、ザイン以外の全員が息を飲む声が聞こえた。

 そこに書かれたのは一枚の絵図だ。黄金色に輝いた、巨人に似た何か。翼を広げ、まさしく神々しく描かれたそれは、太陽神ゼウラディアの姿に他ならない。ただしそれは、神殿で描かれるような信仰心を促す畏敬の宗教画ではなかった。細かな部分に幾つもの文章が描き込まれ、検討が痕跡が無数に見られた。

 

「これは……」

 

 食い入るように広げられた資料を見ていたリーネは不意に顔を上げた。ザインは彼女の不安を肯定するように頷いた。

 

「そうだ。()()()()()()()()()()。尤も、最初期のプランだがな」

「……尋ねてなんなのですが、本当にそんな事が出来るのですか?」

「この世に存在する以上、壊れぬものは無い……一つは【魔断】だ」

 

 リーネの問いに、ザインは即答した。

 その言葉に聞き覚えの無い者はこの場にはいない。

 なんだかんだと長い付き合いになった勇者ディズの剣技の名だ。

 

「アレが?」

「一切を断つ剣。魔力工房(かみ)を介さぬ斬撃の精霊化による一撃は神を破壊できる」

「そんなやべえ技だったのアレ……」

 

 凄まじい剣技であるというのは実体験として重々承知していたが、想像以上に恐ろしい思想のもとで編み出されていたようだ。そう考えると神の断片である竜に対して有効だった理由も納得がいく。

 

「現状、ユーリという例外を除いて、なんとかその域に到達している者はディズのみだ。ウル、お前は、純粋に練度が足りん」

「そりゃ一欠片も否定できん」

「窮地による成長は往々にして起こりうるが、それに期待しては話にならん」

 

 故に、とザインは自分の持ち出した資料を指さした。

 

「……これは」

「ゼウラディアの機能の一つにある安全機能、神や精霊の力すら問わず、あらゆる力を無効化し破壊する()()()()

 

 彼が広げた資料の端に描かれた絵図、神官の制服を身に纏った男が祈りを捧げ、その周囲に真っ黒な闇が燃え上がるようにして纏わり付いていた。それを指さし、ザインは頷く。

 

「【天愚】、太陽神から掠めてるであろう魔王から、これを奪え。」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ううううううううらああああああああああああ!!!」

 

 破砕音と崩壊音が連続して響き続ける。巨大人形の作られた臓腑の中で、ウルと魔王は戦いを続けている。火花が散り、幾つもの配管が弾け飛び、得体の知れない液体や蒸気が噴き出す。

 ダヴィネが用意した鎧兜がなければ、視界すらも定かですらかなかったろう。混沌とした状況下で、ウルは槍を突き刺したブラックの姿を正確に捉えていた。

 

「【愚星】」

 

 彼がウルの槍を引っつかんで、破壊しようとする動作もよく見えた。ウルは即座に槍を引き抜き、彼の身体を蹴り飛ばした。彼の身体は暗闇に包まれる。数秒後に再び闇の中からまた元気よく出てくることだろう。

 

 死なない。だが、無尽蔵ではない。

 

 ノアの情報、そしてザインの情報から導き出された結論だ。天愚による再生は無尽蔵ではない。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて本来の機能からかけ離れた使い方、そう何度も使えないはずなのだ。

 そして竜と同じように、急所も、心臓も存在しているはずだ。

 

 ならば―――

 

「死ぬまで殺す!!!」

 

 自分の内側でのたうつ力に呼びかける。

 

「【其は死生の流転謳う、白き姫華】」

 

 竜殺しを握りしめる右腕を変異させる。漆黒の大槍を変異した右腕が飲み込む。憤怒の大罪竜との戦いで見せた。魔槍を再び顕現させる。同時に、

 

「【其は災禍に抗う、勇猛なる黒焔】」

 

 左手に掴んだ白の竜牙槍に、黒い炎が纏わり付く。その顎を変貌させ、黒と白の牙へと形を変えた。竜を模したに過ぎなかった大槍は、強欲竜との戦いで見せた凶悪なる大槍に変貌を遂げた。

 

「ハッハハハハハハ!!元気が良いねえウル坊!!こっちも若返っちまうよ!!」

 

 同時に、愚星の闇から再びブラックは再誕した。先程ウルが抉った心臓も、腸も、全てが元通りだ。それどころか、彼の周囲に纏わり付く闇の総量は明らかに上昇している。猛るブラックの意思に呼応するかのようだった。

 

「狙いは分かったよ!!良いぜえ!?俺に勝てたら【天愚】はくれてやるよ!!他の竜の魂もまるっと譲渡してやるさ!!!」

 

 二人は同時に地面に着陸する。

 

「だーがーなーあ?」

 

 巨大な人形兵器の腹の位置、人形兵器のエネルギー生成炉だった。凄まじい熱と異臭、大罪竜スロウスの腐敗物を活用した膨大なエネルギーは、巨大な質量の人形を突き動かして尚、周囲を灼熱に晒すほどの力を保っていた。

 

「まず、やるってんなら()()()()()()()。小娘どもは兎も角、俺に半端に情かけるなんてつまらねえ真似はしてくれるなよ?そして――」

 

 魔王は黒い毛皮の外套を投げ捨てる。外套は熱に晒されて炎に吞まれて燃え朽ちた。同時に、懐から奇妙なモノを取り出した。ぱっと見で、ウルにはそれが何なのか判別が付かなかった。ドームでコースケが見せてくれた、小型の魔導銃にも見えた。

 この場ではあまりにも弱々しく見えた。だが、

 

「【其は安寧を願う慈悲の微睡み】」

 

 次の瞬間、彼の腕が異様な音と共に変異する。ウルがしたのと同じだった。竜の魂による肉体の変異を、武器にまで一時的に届かせる異端の技。禍々しい巨大な銃を構え、彼は凶悪に嗤う。

 

「――てめえが殺されて、全部奪われる覚悟もしておけよ?ルーキーィ?」

 

 ウルは肺一杯に、焼けるように熱い空気を吸い込むと、一気に前へと踏み出した

 

「必要なもの全部おいてってもらうぞ、ロートル」

 

 斯くして二つの邪悪は喰らい合う。

 その果ての結末は定かではないが、世界に果てしない災禍を残す事だけは確かだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【達成不可能任務・方舟勅命《ノアクエスト》・惑星救済(プラネット・セイヴァー)

 

 変更

 

 【達成不可能任務・灰■勅命・惑星破壊(プラネットデストラクション)・断行】

 

 【終焉災害/愚天魔王討伐戦開始】

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈

 

「あら、あら、大変なことになったわねぇ」

 

 出現し、暴れ始めた魔王と灰の英雄を前に、ヨーグは困ったような声をあげて目を細める。といって、表情に浮かべた困り顔は表層だけだ。

 実際は困っていない。あの魔王の計画がズタズタの台無しになる可能性を前に悦びを抑えるのに必死だ。無論、言うまでも無くそれは自分の破滅も意味している訳だが、ヨーグは気にしない。

 だがさて、どう立ち回ろう。ヨーグがそう考え始めた瞬間。

 

「っが」

「やはりここにいたか」

「初めまして。ヨーグさん」

 

 その思考の隙を突くように、二つの剣が躊躇無くヨーグの心臓と腹を貫いた。一方は背後から、もう一方は正面から。

 

「あら、ミナちゃんはちょっと前ぶりねえ?そして、初めまして風見鶏さん?」

「七天不在の隙に逃げ出したと思ったぞ。狂人が」

 

 ミクリナの刃は殺意に満ち満ちていて、ある意味ではわかりやすい。理解しやすい。問題はもう一方だ。

 

「僕は貴方に恨みなんてないんですけど。ウルの邪魔になりそうなので死んで下さい」

 

 エクスタインはさわやかに微笑みを浮かべる。本当に心の底から、恨みも敵意も一つも無い笑みだ。その笑みのまま、彼はヨーグの心臓を抉り、引き抜いた。

 

「怖いわね。ミナちゃんよりよっぽど」

 

 血はぼたぼたとこぼれ、ヨーグは膝を突く。そのまま溶けるように彼女の肉体は消えていく。その有様を残されたエクスタインは淡々と見つめた。

 

「逃げられたか。一筋縄ではいかないな」

「この場所で逃げられる場所は限られる。こちらだ」

 

 ミクリナが即座に追う。エクスタインは彼女について行く前に、司令室に空いた大穴。ウルと魔王が戦いを続けるその先へと向けられていた。

 

「君のために出来る事を全てしよう。頑張ってね、ウル」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 まず魔王を討たねばならない。

 

 様々な討論の末に得られたその結論の意味を、ウルは正確に理解していた。

 ウルと魔王の接触はそれほど多くはない。会話だって数えられる程度で、戦闘している所を見たことも限られる。

 だが、その僅かな接触でも、ウルは彼が方舟イスラリアにおいて長きに渡り君臨し続けてきた怪物であることは確信していた。

 

 その存在と今、ウルは一対一で相対している。

 

「……」

 

 機神の臓腑の何処か、無数の配管が重なった狭い空間にウルは一人立ち、周囲を警戒し深呼吸を繰り返す。いつの間にか魔王は姿を眩ませていた。周囲は自分が破壊した配管から漏れ出る蒸気の騒音と熱が吹き出す。

 否応なく、意識が散る空間であっても尚、ウルは集中を高め続けていた。

 そうせざるを得なかった。死闘の中で培われた本能が警告を鳴らし続け、ウルの意識を強制的に研ぎ澄ませていた。

 

 僅かでも集中を萎えさせれば、その瞬間死ぬと、本能が集中を強要していた。

 

「ッ!!」

 

 呼吸の狭間、一瞬の隙を狙い撃つように暗黒の咆吼が飛んでくる。暗黒の熱線をウルは寸前で屈み回避すると、その射線の方角へと足を蹴り出し、竜牙槍の咆吼を放った。

 焼き払われた射線の先を双槍を構え、直進する。魔王の姿は――――

 

「い、ない!!!」

 

 想定内だった。素直にそんな場所にいるわけがない。

 そして、そうなれば当然この場所を罠にしてくる。それも分かっているから、ウルは即座に竜殺しを地面に突き立てて、権能を展開した。

 

「【揺蕩え!!!】」

「いいのかなあ?ウル坊」 

 

 そして発動するとほぼ同時に闇の咆吼が飛んでくる。ほんの一瞬遅れていれば即座に打ち抜かれていた暗黒は、しかし完全に防げたとは言い難い。

 

「お前の推測通り、【天愚】は神も竜も殺すぞ?」

 

 射線の方角から聞こえてくる声の通り、闇は全ての指向性を狂わせる【色欲】の結界すらも、徐々に浸食していく。ウルは自分が放っている力そのものが“台無しになっていく”感覚に身震いしながらも、射線の方角を睨んだ。

 

 【天愚】の脅威は分かっている。色欲の結界は守りの為ではない。

 

「お?」

 

 ウルは懐から小さな球体を三つほど放り投げる。同時にもう一方の槍、竜牙槍の顎を開いて放り投げた球体――――魔封玉に狙いを定めた。

 

「【白王魔封】」

 

 戦いに備え、リーネからもたらされた道具を躊躇無く使う。ここで後先は考えない。それを考えてたら絶対にこの魔王には勝てない。

 

「【終局起爆】」

 

 咆吼を放った瞬間、封じられていた究極の終局魔術が三つ同時に起爆する。巻き起こった氷結と炎、雷の嵐が同時に巻き起こり、互いを喰らい合いながらも周囲の一切をなぎ払う。魔王の咆吼も途絶えた以上、効果範囲の中にはいたらしい。

 

 だが、まだだ。

 

「【咆、吼!!!】」

 

 放つ。灼熱の咆吼を打ち抜く。狙いは定めない。定める必要は無い。その威力は旅の始まり、宝石人形に放った時のそれとは比べものにならないほどに強大で、広範囲で、無差別だった。機神の頑強なる装甲すらも打ち抜いて、外へと続くような大穴を空け、焼き払う。粘魔王が機神の身体を覆い、その破損を塞ぐようにしていなければ、とっくに無残な姿となっていたことだろう。

 

「…………」

 

 眼前の一帯を焼失させたウルは、そのまままっすぐに目の前を睨み付ける。未だ、その表情は緊張と、集中に満ちていた。膨大な煙と炎の嵐を睨み続けた。

 

「――――ヒトの家で好き勝手してくれるじゃ無いかウールー坊?」

 

 そして、その視線の先からゆらりと闇が吹き上がり、至極当然という笑みで魔王ブラックが姿を現した。ウルは冷や汗を流れるままにしながら、尋ねた。

 

「……一応聞いておくが、どうやって凌いだ?今の」

「はっはっは、種と仕掛けを明かす魔術師(マジシャン)はいないぞお?ウル坊」

「さいで」

「しっかしここらへんとか、俺の部下が死にものぐるいで突貫工事してたんだぜ?かわいそうに思わないのかよ」

 

 嘆いて、悲しんで、そのまま銃口をウルに向けて引き金を引く。

 真っ黒な闇の咆哮は射線の全てをなぎ払い、一切合切を台無しにしていく。寸前でそれを回避したウルは、その欠片も躊躇のない破壊に冷や汗を流した。

 

「こっちの台詞だわ。どんだけ躊躇ないんだよお前」

 

 敵の本拠地で戦う事で、敵の攻撃手段を制限し抑制する。というメリットが得られるとは正直なところ思ってはいなかった。どうせそんな安い目論み通じないだろうと予感はしていたが、それにしたって限度というものがある。

 こちらよりも積極的に破壊活動行っていないだろうかコイツ。

 

「安心しろ、俺の部下達が直してくれる」

 

 そんなウルの心中を察してか、魔王がなにやら良い笑顔を浮かべ断言する、が、

 

《あああー!!やめ、おやめください魔王様!!あ、ああー!!》

《B区画が爆発するぞ!!閉鎖しろぉ!》

《畜生!!灰の英雄そのバカぶち殺してくれぇ!!》

 

 直後、悲鳴のような通信が響き渡った。その通信は魔王の破壊の影響なのか、間もなくしてあっけなく途切れる。

 

「…………」

「…………な?」

「なにが、な?なのかわからんわ」

 

 この男のノリとテンションについていくのは大変によろしくない。ウルはそれを理解し、戦闘を再開した。

 

「【黒瞋よ、熾ろ】」

 

 竜牙槍を握る。黒と白の顎が開く。その両顎に守られた魔導核が激しく唸る。ウル自身の魔力が注がれ、激しく明滅したそれが、入り交じった咆哮を一直線にはき出し、機神スロウスの肉体を焼く。

 

「【黒瞋咆哮・竜牙】」

 

 それを、ウルは刃のように振るう。射程無視の巨大熱剣を魔王は寸前で回避―――できていない。回避しきれず両足が焼き断たれ、それをそのまま再生させながら、黒炎が機神の腹の中を砂塵に変える光景を興味深そうにしながらウルへと語る。

 

「ッハハハ!!黒炎で呪わなくて良いのかい?」

「危なっかしくて使えるかあんなもん!」

 

 実際、ウルのはき出す黒炎には見た者を呪う機能は有していない。色欲曰く、『呪いは後付けされた侵略機能』だと聞いている。“本来の機能”がそうであるというのなら、わざわざそれを歪めて使う理由はウルには無かった。

 

「―――なるほどなあ?」

 

 だが、そのウルの選択に対して何を思ったのか、魔王は口端を広げて禍々しく笑った。

 

「……何かいいたげだな。容赦が足りないってか?」

「いやいや、そうじゃねえ。歪んだ黒炎は不細工で面倒くさかったしなあ?それを使わないってんならソレも一つの選択さ―――だが」

 

 彼の身体にまとわりつく闇が、魔王の身体と共に揺れる。炎の様で在りながらも、違う。それが、魔王自身が【天愚】と共に研ぎ澄ませた“歩行術”の類いであると気が付いた。

 気が付いた時には、魔王は既に眼前に迫っていた。

 

「っ!!?」

()()()()。後一歩って所か」

 

 蹴りがウルの腹に突き刺さる。強烈な痛みにウルはうめき、しかしすぐに距離を取る。そのまま闇に焼かれれば、ダヴィネの鎧すらも情け容赦なく破壊され、そのまま肉体が破壊される。

 

「決断力は100点」

 

 咆吼を放つ。だが、放つよりも速く魔王は更に距離を詰める。まるで回避を考えずに突っ込んできた。そのまま撃つと、当然魔王の肉体は抉れちぎれる。だが、魔王はそれでも止まらない。

 

「行動力も100点、判断力もある、経験とセンスは赤点だが、こっちは些細だ」

 

 構えていた竜殺しを振る。だがその刃を魔王は白羽取りで受け止め、ウルを驚愕させる。竜殺しの特性が魔王の魔力を奪い、その手を砕いているがまるで気にする様子もない。そのまま再び腹を蹴り飛ばされる。

 

「そして覚悟は百億点」

「っが……!」

「だが、足りてねえ。この“戦争”においては一番重要な部分が欠落している」

 

 弾き飛ばされ、機神の壁にたたき付けられたウルを魔王は観察する。強欲のものともまた違う、あらゆるを喰らうような視線にウルは眉を顰めた。

 

「まあ、しょうがねえわな。こればかりは学ぶ機会なんてあるもんじゃない。まして名無しの小僧から百段飛ばしでこんな所まで来ちまったんだから尚のことか」

「何の、話、だ」

()()()()()。お前の目指すところは大体分かった。“贄を望まない”考え好きだぜ俺?だが、だったら尚必要なものがある」

 

 連続して放たれる咆吼の連射から逃れるように引き下がるが、まるで全て見えているかのようにこちらの導線を塞がれる。

 

「仕方ねえから講義してやるよ。お前には期待してるんだぜ?だから――――」

 

 咆吼から逃れるため、周囲の剥き出しになった配管を蹴り、更に機神の奥へと逃れるように落下していく。だが、振り返ると魔王は既にこちらを見定めていた。

 

「――――死ぬなよ?まあ殺す気でやるが」

 

 魔王が纏う闇が一層に深くなる。ただ存在するだけで周辺が砕け散っていく。その魔王の姿に寒気を覚えながら、憤怒の力を全力で放った。

 

「【愚星】」

「【熾ろ】」

 

 強烈な衝撃と共に、ウルと魔王は二人仲良く機神スロウスの中心部へと落下していった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈②

 大罪都市国プラウディア上空にて。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……!!!』

「ウル……」

 

 竜吞女王エシェルは眼前に広がる機神の狂乱を見つめ、痛ましい表情で目を細める。今彼はあの中にいる。エシェルが転移によって彼をあの悍ましい姿をした機神の中へと送り込んだ。

 それは彼自身の意思であるが、それでも心配は心配だ。勿論、そんな風に他人のことを思っている場合ではないのだが―――

 

「随分と好き放題だなぁ」

 

 そんな彼女の近くに、いつの間にか音も無く近づく者がいた。

 エシェルは視線をそちらに向けない。気づいてはいたが、正直あまりからみたい相手ではなかった。純粋に苦手な相手だ。

 

「グレーレ」

「カハハ!無差別攻撃か!全くよくやる!」

 

 天魔のグレーレはこちらを見つめ、笑う。エシェルはそれでも彼に視線を向けなかった。

 

()()()()()()()()()()。それともやっぱり止めるのか?」

「それこそまさかだ」

 

 逆にエシェルに問われ、グレーレは愉快そうに肩をすくめる。

 

「ただ、まだ七天の座にいるわけなのでな。悪いがそっちの仕事はさせてもらおうか」

 

 そう言いながら彼が指を鳴らすと、途端に無数の術式が今も尚戦っているイスラリアの戦士達の元へと飛んでいく。狙いは分かる。こちらの魔力簒奪をいくらか軽減するつもりなのだろう。

 

「……」

「不満か?この程度で天秤は傾ききらぬよ。今は圧倒的にシズク側が優位だ」

「分かってる。だが、敵対するつもりなら……」

「心配するな。というか、今の俺ではどう足掻いてもお前には勝てん」

 

 掌で幾つかの術式を展開するが、それらは形を成す前にあっけなく崩壊していく。まるで精霊の権能のように自由自在に魔術を振る舞うグレーレだったが、彼の力の一端は太陽神の力が担っていたのだ。その事実をグレーレはアッサリと明かした。

 

「信仰以外の魔力、維持形成のため太陽神【天魔】は完全に譲渡した。あれなしでは、大罪術式、神の権能再現は不可能。俺はしがない天才魔術師に過ぎん……ふむ?なんだその顔は」

 

 心底うさんくさいと思ったのが顔に出たらしい。エシェルは顔を引き締める。

 

「だったらどこかへ行ってしまえ。私だってお前を相手にしているヒマはない」

「そうしよう。だが、一つ忠告だけしておこう。そろそろ気をつけた方が良い」

 

 なんのことだ?と思っていると彼の視線の先には禍々しく変貌してしまった悍ましい真なるバベルが在った。その高い高い頂上から一瞬、白銀色の光が迸った―――そう思った矢先、

 

『――――――』

「…………!?」

 

 光のような速さで、他のとは造形もサイズも桁違いの巨大な銀竜が、エシェルの展開した鏡を引き裂き、その暴風でエシェルの身体を引き裂いた。

 

「ふむ。天秤を戻すためにシズクがお前を排除しに来たな」

「手伝え!!」

「いや、すまないが言われたとおり退散させてもらおう。俺も忙しいからな」

「やっぱお前最悪だ!!!」

 

 爽やかに語るグレーレに悪態をつきながら、恐るべき銀竜との戦いに突入した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 機神スロウス中枢機関部。

 

「っが!!?」

 

 魔王の闇に機関部からたたき落とされ、落下中も連続して繰り出された熱光を回避し、弾き、直撃し、耐え、ウルは背中から地面に落下した。痛みが走るが、しかし致命的ではない。途中幾つかのパイプがウルの落下速度をその身体でもって押さえ込んでくれていた。

 それらの配管は激しい蒸気とガスを噴き出しながら轟音を立てている。人形兵器の悲鳴に聞こえるのは幻聴だろうか。

 

「ああ、くそ痛え……!」

 

 あれだけの攻撃を受け、とてつもない高さから落下してた。にもかかわらず「痛い」で済んでるだけ、ウルも既に超人の域にいる。それは間違いない。問題なのは、相手がそれを遙かに超えるバケモノだと言うことだ。

 

「実力差は圧倒的か……」

 

 能力がどうとか、そういう話ではない。向こうはウルの数倍生きて、その分だけ貪欲に知識、技術、武術、あらゆるものを吸収して貪っている。手合わせすればすぐに分かる。普段おちゃらけた態度を取っているが、紛れもなく向こうは達人で、怪物だ。

 

「味方でも引き連れてりゃ…………いや無理か」

 

 味方を増やせば、魔王は嬉々としてそれを利用するだろう。人質にとられるくらいなら可愛いものだ。先程までの戦いで十二分に思い知った。あの男に、仲間数や戦闘の相性と言った、常識的な有利の押しつけは絶対に通用しない。

 もとより無理するつもりもなく完全にサポートに終始するつもりのミクリナと、本人が割と本気で「死んだって構わない」と思ってて、ウルとしても特に躊躇する理由が欠片もないエクスタインくらいだ。ここに連れてこられるのは。

 

「小細工は通じねえなクソッタレ」

 

 分かっていたことだ。と、ガンガンと自分の拳で兜を叩きながら、ウルは一先ずその場を動く、即座の追撃は無かった。だが、確実にブラックはコッチを視認し、動いている。

 状況は不利だ。頭は自然と、魔王の動きを観察し、策を練ろうとする。だが、小細工を考えるその思考そのものが間違っている気がしてならなかった。ウルは苦虫をかみ潰したような顔で前へと進んだ。

 

 機関部を落下し、一番下に落ちた先に存在した道は一本だった。

 

 先程まで、激しい駆動音が喧しいくらいにひしめいていたのに、通路の先に進むにつれて、異音も異臭も少なくなっていった。気温も徐々に低くなる。先程までの場所と違い、空調が用意されているようだった。

 だが、整備された空間であるにも関わらず、その空気から生命の気配を全く感じ取ることが出来なかった。空調も、幾つか設置された照明も、ヒトの居住空間を維持するためのものでは無かった。

 ソレとは全く別のものを、保管するための場所だ。

 

「…………此処は」

 

 ウルの目の前には巨大な扉が存在していた。周囲には何も無い。此処まで来ると機関部の騒音は一切聞こえてこない。嫌になるくらい静かだった。そして背後からの魔王の追撃は一切無い。それは分かりやすい誘導だった。

 

 さあ中に入ってみろよ?面白いぞ?

 

 という魔王の囁き声が聞こえてくるようだった。引き返して別のルートを探ってやろうかと思いもしたが、ウルは腹をくくって、その物々しい扉を押し開いた。

 

 そしてその先には、広い空間が広がっていた。

 

 円形の、恐ろしく何も無い空間だ。緩衝用なのだろうか。クッションのような壁が雲のように壁に敷き詰められて、それが天井まで続いてドーム状になっていた。

 部屋の中央には、巨大なオブジェクトが鎮座していた。

 巨大な硝子の様に見える透明の立方体。その内部に、黒い、金属の球体が収まっていた。一見何の変哲も無い球体に見えるが、側面部には明らかな危機を知らせるための警戒色マークが印されていた。

 ウルには勿論、そのマークの意味を読み解くことは出来なかった。が、背中から嫌な汗が流れ落ちてきたのを感じた。

 

「ブラック、これなんだ」

 

 ウルは問うた。

 当然のように、ウルの背後の扉にはブラックが既に姿を見せていた。ウルの緊張が強く入り交じったその声に、嬉しそうに笑った。

 

「ば・く・だ・ん」

「…………どの程度の?」

「イスラリアの浮遊機構くらいは、木っ端微塵になっちまうんじゃねえかな?」

 

 ゲラゲラゲラと魔王は心底楽しそうに笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 天災

 飛翔移動要塞 竜吞ウーガ司令室屋上にて

 

「銀の竜はウーガの結界すら喰らってくる!!徹底して殺せ!!」

「我等が女王が魔力を奪っている!!疲弊させろ!!落とせ!!!」

「ウーガを守り抜け!!バケモノの大戦争に抵抗できるのはコイツだけだ!!」

 

 ウーガを護るべく戦闘は続いていた。

 空を飛び交う銀の竜達の猛攻は激しさを増していた。竜達が結界にへばりつくと、その部分がそげ落ちる。内部へと入り込もうとする竜達を戦士達は叩き落とす必要があった。

 都市を護っていた太陽の結界と比べ、竜達が結界を解除するために必要としている時間は明らかに短い。当たり前ではあるが、単なる魔術の結界は竜達にとってあまりにも容易であるらしかった。

 

『【――――――】』

 

 そして穴を空けた矢先から、竜達は咆吼を打ち込み、魔術を放ち、ウーガの内部をかき回してく。呪いと腐敗を撒き散らし、ウーガの機能を停止させようと試みてくる。

 明らかに、ウーガの機能を知った者の戦い方だった。間違いなくシズクが、指示した動きそのものだった。かつて、ウーガを実質的に支配し、コントロールしていたシズクが敵に回るのだから、弱点は筒抜けなのも当然だった。

 

「急げ!!傷を負った者は無理をせず後退しろ!!」

「竜の呪いを甘く見るんじゃねえぞ!!黒い炎があったら一目だって見るんじゃねえ!!」

「敵から視線を外せ!!真正面からやり合うな!!」

 

 が、しかし、それに抵抗する戦士達もまた、竜には慣れていた。

 【陽喰らい】を超えた戦士達、【黒炎砂漠】を越えた戦士達、ウーガを守護する戦士達は竜を知っている。その存在達がどれだけ厄介で、危険で、困難で、しかし太刀打ちできない無敵の怪物では無いことを知っている。

 決して、彼らはひるむことは無かった。

 

「っしゃあ!やっちまえレイ!全部打ち落とせ!!」

「しゃべってないでちゃんと護って!!」

「やってるっつの!!!」

 

 中でもガザやレイは、戦士達の先陣を切って戦っていた。黒炎砂漠の最前線に身を置いて戦い続けた戦士として微塵も怯えずウーガを守り抜く二人の勇姿は、他の戦士達から怯えや恐怖、混乱をぬぐい去っていた。

 

「ガザ!!レイ!!」

 

 そんな二人へと懐かしい声が飛んできた。否、懐かしき――と、いうにはまだそれほど時間が経っているわけではないのだが、レイは珍しくほんの少しだけ口元をほころばせた。

 

「皆、ちゃんと合流できたのね。間に合って良かった」

 

 振り返ると、黒炎砂漠で復旧のために分かれた仲間達がいた。彼らの多くは戦士、というよりも土木作業の格好のまま、各々武具を身につけている。

 

「できたのねじゃねーよ!なんで俺等またこんな地獄みてえな戦場で戦ってんだ!?」

「もう良いだろ!?もう砂漠で十分じゃねえ!?一生に一度だろあんな地獄は!?」

「知らねえよ!!ウルに聞いてくれよ!!」

「貴方たちだって来たじゃない」

「そりゃ来るわ!!仕事場に急に沸いて「そこに居たら死ぬ」言われたらさあ!!」

 

 戦闘準備と、避難民の区分け、更に各方面への連絡とありとあらゆる準備に追われたため、彼らの回収はギリギリになってしまったが、間に合って良かった。とレイは思うのだが、彼らは不満げだ。その怒りをぶつけるように武器を振り回し、ウーガに侵入してきた竜達をたたき落としていく。

 

「防壁とか頑張って作ってたんだぞクソが!!!」

「やりがい感じてきたのになあ!!!畜生!!」

 

 その不満を叫びながら彼等は手際よく竜達を追い払うべく動いていた。頼りになる。その事に安堵しながら、レイは矢を放ち続ける。

 銀竜の侵略は加速していく。だが少なくとも応対は出来ていた。

 

《そっちはいけそうだな》

「ええ、そちらは大丈夫?ジャイン隊長」

《残念ながら大丈夫じゃねえ》

 

 ジャインからの連絡に応対すると、ジャインは苦々しい声で答えた。

 

《女王が巨大な銀竜と接敵した》

「シズク?」

《間違いなく、こっちにも来るぞ。覚悟しとけ》

 

 ジャインの言葉に頷く。仲間達にも指示を出してより警戒を高めた。シズクがこちらに狙いを定めたというのなら、容赦はあるまい。ウル達から聞いた情報を考えれば、魔界の最終兵器である彼女の戦いを邪魔する者に容赦をするはずがない。

 だが、解せないことはある。

 

「…………彼女、どういうつもりだったのかしら」

 

 ウーガが敵に回る。

 この状況をシズクが想像しないはずがない。勿論、全てにケンカを売るというウルの凶行は流石に想像していたとは思わないが、イスラリア大陸を護ろうとする可能性は十分にあったはずだ。

 それを分かっていて、彼女はここにいるとき、ウーガを護ろうとしていた。あらゆる手でウーガという場所を守り、育てようとした。

 

 そこに合理性は感じない。レイはシズクとはそこまで長い付き合いではないが、それでもわかる。ウーガという場所は彼女にとっての歪みそのものだ。

 

《さてな。本人すらも、分かってないかもだ――――だが今は関係ねえ》

 

 ジャインも思うところはあるのだろう。だがすぐに、切り替えるように言葉を強くした。

 

《生き延びるぞ》

「了解、隊長」

 

 レイも、これ以上の思考は断ち切った。今は目の前の事だ。

 リーダーである灰の英雄が、女王が、そして自分達が望む先はこの地獄を乗り越えた先にしかかない。ならば全力を持って戦う。その意気を新たにレイは銀竜達を打ち落としていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『OOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 七首の大罪竜はウーガから放たれる咆吼をいなしきり、再び行動を開始する。

 

 邪神シズルナリカの胎に残された7つの大罪竜の魂を再利用して生み出された合成竜。イスラリアという世界の終わりを象徴するに相応しい邪悪の極みのようなその生命体は、生誕と同時に、既に役割は果たしていた。

 

 即ちバベルの浸食と、イスラリア人の信仰粉砕である。

 

 七首竜はシズクが用意した爆弾そのものであり、バベルの塔の内部に持ち込み、炸裂させた時点で、目的は完遂されたと言える。

 が、無論、誕生したこの七首竜がハリボテというわけでも無い。

 元となった大罪の竜達の知性はない、悪感情の衝動と、産みの親であるシズクの命令を愚直にこなすくらいの意思しか持ち合わせてはいない。だが一方で、全ての大罪竜の魂を基盤に創り出されたその力は本物だ。

 

『AAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 七首の顎が開き、咆吼が射出される。それらは天空迷宮フォルスティアの崩壊により粉砕された街並みを更に砕き、焼いて、呪い、腐らせた。それぞれが生み出す破壊と呪いがプラウディアを破壊し尽くす。

 その呪いの根源が方舟イスラリアからこぼれ落ちた悪感情を固め、廃棄された力が源となったことを考えれば、まさしく因果応報と言えた。

 だが、それを知らず生きてきた者に返すには、あまりにも理不尽な応報だった。

 

 無論、それは七首竜の知ったことではない。

 

 暴力に酔うでもなく、無慈悲を愉しむでもなく、ただただひたすらに機械的に、眼下の全てを焼き払うべく、再び七首達はバベルを中心に全方位へと咆哮を放とうとした。

 

「――――――随分と好き放題していますね」

 

 だが次の瞬間、星天の閃きが咆哮の全てを切り裂いた。

 

『―――――――――AA?』

 

 そう、切り裂いたのだ。

 光が迸る。次の瞬間咆哮が砕け、呪いが霧散する。あらゆる形でイスラリアを侵す最悪が消え去っていく。それが果たしていかなる現象であるのかを、力の塊でしかない七首の竜には理解できなかった。

 だが、それは最早竜の呪い以上の理不尽であるのは間違いなかった。

 そして、その現象を引き起こした怪物は、七首竜の前に立った。

 

「偉大なるバベルを我が物顔で占拠とは、良い気なものですね」

 

 自身が生み出した耀く剣の上に、少女は降り立った。

 剣の化身、輝ける少女、天剣のユーリは七首の大罪竜を見つめ、罵る。

 

『AAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 無論、七首竜に、相手の会話を聞いたり、返事を返すような知性は持ち合わせていない。即座に咆哮を放つ。今度は七竜の全てがユーリを取り囲むようにして動き、逃げ場のない灼熱の地獄をお見舞いした。

 

「【終断】」

 

 しかし、あるいはやはりというべきか、咆哮は霧散する。

 

「王の葬儀もまだなのです。一刻も早く、このバカ騒ぎは始末をつけたい、なので」

 

 淡々と、ユーリは語る。自身が創り出す剣の上を闊歩しながら、まっすぐに七首の竜へと迫っていく。軽快なその足音が、自身の命を断つ死のカウントであると七首竜は理解できない。

 

「粉みじんになって死んでください――――【神剣・十二翼】」

 

 かつて、剣の天才と称され、

 まこと、選ばれし使徒と王に認められ、

 そして強欲の大罪竜との戦いで生死を彷徨い、到達した者。

 獲得したその力を、万全な状態で振るうことを許された彼女が、イスラリアに仇成すものにとっていかなる天災となり果てたのか――――七罪の竜はその身で知る羽目となった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈③ 視座

 

 

 機神スロウス中枢部。

 

「魔界で、どうしてアイツらの攻撃が全く効かなかったか分かるか?」

 

 部屋の構造故だろうか、ブラックの声は周囲の緩衝材に吸収され、反響はしなかった。それ故の奇妙な静けさが、ウルの心に不安をよぎらせた。

 

「奴らの銃は別によわっちいわけじゃねえ。ちゃんと十分な火力で、人肉くらい平然と打ち抜いて、ものによっちゃ岩も貫通出来るくらいの力はある筈なんだ」

 

 命の取り合いをしている真っ最中に何の話なんだ、と思っていても、ウルは耳を傾けざるをえなかった。耳を塞ごうとも、彼の艶ある低い声は耳に強制的に押し入ってきた。

 

「結局、魔力さ。俺たちの血肉に染みこんだ魔力が、それを介さず起こった現象の悉くを歪めさせる。生命本能に基づいたもっとも原始的な魔術だな」

 

 魔王は優雅に歩き、ウルを通り過ぎる。そして中央にあった立方体。彼曰く、イスラリアすら滅ぼしかねない爆弾の収まったその箱を軽い調子でぽんぽんと叩いた。

 

「つまり、裏を返せば魔術を介しさえすれば、魔界が生みだした兵器は十分、イスラリア人を蹂躙できる」

 

 ウルは深く額に皺を寄せた。詰まるところ、目の前にある物体は、魔界に存在する兵器だと言うことになる。ウルが知る限りにおいても、魔界の文明レベルはイスラリアのソレと比べても遙かに高い水準であるように思えた。

 それが、イスラリアの所持していたアドバンテージを獲得してこの場所に鎮座している意味を理解した。

 

「これは、“世界”がイスラリアと大戦争していたときに双方で大活躍した爆弾だ。山ほど殺して、殺し返した馬鹿な兵器さ」

「んな危険物、なんで用意した」

 

 此処で初めてウルは質問を返した。質問すること自体、彼の手の平の上であるように思えたが、どうしても尋ねざるを得なかった。

 彼に勧誘されたとき、彼の目的が神の力を有しての世界支配なのは明かされた。いくらか虚言も交えてのことだったのだろうが、それほど外れてはいないはずだ。

 その彼の目的とこの爆弾の存在がかみ合わなかった。

 

「なに、幾つかの“セカンドプラン”の一つって奴さ。神同士を戦わせて良い感じで両方弱ってくれたら儲けものだが、神のどちらかが健在だったら困るだろ?」

「言いたいことは分かるが、これで神を倒すって?」

「あー、無理無理。これくらいの威力の爆弾あいつら自分で作れるし、自分の身だって守れるぜ?まだどっちも使いこなせちゃいないが、その内それくらいできるようになる」

 

 ただし、

 

()()()()()()()()()()()?」

 

 魔王は語る。

 

「イスラリア人は神を強化する。方舟を満たす魔力を取り込み、信仰と畏れを吐き出す。この二つがそれぞれの神を強くする」

 

 実に楽しそうに、休日のプランを語るような軽快さで、

 

「だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 イスラリア人の皆殺しの計画を、彼は謳った。

 

「この爆弾をしかるべきポイントで爆発させれば、イスラリア大陸の浮遊機構は破壊できる。ソレで皆殺しさ。まあ、大陸落下で起きる災害で“世界”もそれなりに被害は出そうだが――――ドームの性能を信じようか。ダメなら滅びるが」

「――――――」

 

 ウルは言葉が出なかった。

 だがそれは義憤にかられて、だとか、魔王の言葉が信じられなくて、だとかではない。もしもこの後、ウルを倒し、神と神の激闘の果て、漁夫の利を得ることが出来なかったなら、神と真正面から戦う羽目になったなら、魔王は間違いなく今語った言葉を実行するだろう。それは決してハッタリではない

 

「冴えてると思わねえ?そうすりゃかなりの精度で神を弱体化できる。どっちの神もな?まあ、どっちからもパクってる俺も弱るかもだが、地力なら負ける気はしないねえ」

 

 ウルは恐ろしくなった。

 魔王はシズクやディズと比べて強くない。あの最凶の竜グリードにだって敵わない。

 だけど、恐ろしかった。【権能】の有無など、些事だ。

 

「神の力を奪った後は、時間をかけて神の機能を改竄するか、分解(バラ)して再利用、あるいは生き残った人類を使ってイスラリア人として増やすか、かな?敵はいない。時間はある。ゆっくり研究を進めりゃいいじゃないか」

「…………なるほど、よくわかったよ」

 

 ウルは頷いて、納得した。

 ブラックという男の人柄を、まだここに至るまでウルは正確には読み切れていなかった。おちゃらけて飄々とした言動と態度で道化のように振る舞う事すらある彼の本質は、真正面から向き合っても揺らいで、つかみ所が無かった。

 だが、今ハッキリした。この男は、この魔王は―――

 

「頭おかしいんだな。お前」

 

 ()()()()()()()

 

「本当に今更だな同類」

 

 ウルは駆け出した。どのみち、この魔王を殺さなければならないのは何も変わりはしない。その必要性が更に加速したというだけの話だった。竜殺しと竜牙槍を身がまえて、大罪の力を込める。相手に攻撃が通用しないだろうが関係ない。

 魔王が跡形もなくなるよう叩き潰す。それができなければ――――

 

「言っておくが、暴れすぎると、ケースが壊れて時限装置起動するから注意しろよ」

「――――っ」

 

 だが、ブラックが不意に零したその言葉に、ウルは肉体を僅かに硬直させた。意識すまいと思っていて尚も囁かれたその言葉が、ウルの身体に誤作動を起こした。

 

「ほらみろ躊躇ったな?」

 

 魔王は嗤う。ウルの硬直をせせら笑った。ウルは自らの失敗と、この後に待ち受けるであろう痛みに歯を食いしばった。

 

「お前、まだどっかで自分のことを“路傍の石ころ”だって思っちまってるだろう?」

 

 衝撃が走る。コレまでよりも更に増して魔王の動きは早かった。動きが洗練されていた。愚星を纏った拳がウルの腹を殴りつけ、鎧を砕いた。

 

「小娘どもを贄にして全部押しつけるのを拒絶する!ご立派な選択だが、それを決めた時点でお前には“権利と義務”が生まれる!」

 

 攻撃が連続する。反撃を試みるが、通らない。動きが先読みされる。振りかぶれば動作の手前で熱光が腕を焼き払い、回避を試みればその先に蹴りが飛んでくる。咆吼を放てばその手前で蹴り飛ばされる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!その視座が無い内は“英雄”止まりだなあ!!」

 

 血を吐き、闇に肉体を喰われ、肉が引き千切られた。尚も魔王の蹂躙は止まらない。

 

「その一歩を踏み出した瞬間!果てしない数の屑どもが死に絶えて、同じだけの数の屑どもが救われる!!善意であれ悪意であれ野心であれなあ!!!」

「っがあ!?」

 

 蹴りが顎を打ち抜いた。口の中が血で一杯になりながら、それでも死に物狂いで構え直したウルに、魔王は笑いかける。

 

「お前はもう路傍の石ころなんかじゃねえ、()()()()()()()()()()!!!確信しろ!!!」

 

 魔王の肩から、真っ黒な闇が握り拳のように固められていた。それが【天賢】の拳に似て見えたのは、決して気のせいではないだろう。ウルは色欲の力を解放し、衝撃に備えた。

 

「【揺蕩い、狂え!】」

「【天罰覿面・愚星】」

 

 だが、闇を纏った拳はウルの色欲の力を貫通し、ウルの身体を殴り、えぐる。

 

「―――――」

 

 悲鳴を上げることも出来ず、ウルはたたきのめされ地面に転がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈④ 興味

 

 機神スロウス、駆動部管理区画

 

「やべえやべえ!!動力ライン切断されてるぞ!!?直せ!」

「うーわやっべえー!ここ粘魔が浸食してきてる!近づくと死ぬぞ!!!」

「っつーかなんであのバカは自分の家で暴れるの!!バカなの!?バカだった!!」

 

 魔王の配下達の悲鳴は最高潮だ。彼等は四方八方に駆け回って罵声を飛び交わせながら、機神スロウスの修繕に当たっていた。太陽神ゼウラディアが生み出した【天使】から攻撃をくらいながらもあばれ狂っている機神の状況は混沌極まる。

 ただでさえ、邪教徒ヨーグと魔界の技術を合わせて創り出したキメラのような人形兵器なのだ。そこに加えて、ハルズ自身が機神に溶け込み一体化するという異常、内部で暴れまくる灰の英雄と魔王の激闘、最早想定通りの部分を探す方が難しい大混沌だ。

 

「さあ直せぇ!魔王様の戦いを邪魔してはならんのだあ!」

 

 だが、不思議と彼らの目は輝いていた。

 魔王に悪態をつき、時に崩壊に巻き込まれて怪我を負って、血まみれになっても尚魔王に対する献身を辞めることはない。

 異様ではあったが、道理だった。彼らは穿孔王国が失われても尚、魔王に最後まで付き従うことを選んだ真性の狂信者だ。魔王のためならばなんだってする。彼の見せてくれる世界に魅入られ、彼の狂乱に灼かれた者達なのだ。

 

 彼らは例えこのまま死ぬことになろうとも、魔王を助けようとするだろう。

 

「うーん。皆、頭おかしいんだなあ。僕がいうことじゃあないんだけどもね」

「あいつらの相手をするな。私たちが逃げる前に、此処が崩壊されても困る」

 

 そんな彼らの狂気めいた献身をすり抜けるように、エクスタインはミクリナと共に機神スロウス内部を移動していた。現在二人は邪教徒ヨーグを追って機神内部を移動している。

 

「そっちも大変なんだけど、こっちもまずいなあ」

 

 【俯瞰の魔眼】で状態を確認したエクスタインは冷静に判断した。

 

 このままだとウルは死ぬ。魔王に負けて殺される。

 

 ウルがボロボロで殺されそうになっている事に動揺はない。何せ何時ものことだ。彼は絶対無敵でどんな困難にも打ち勝つ最強の男ではない。大体いっつも死にかけてるし、割と負けるし、失敗するときは派手に失敗する。

 エクスタインは彼を信奉しているが、盲信はしていない。正しくウルを見極めている。

 そして、彼が死ぬことは許容できない。世界が滅んでも認めるつもりはない。

 

 なんとかしなければならない。エクスタインは動くと決めた。

 

「ちょっと無茶をしようか――――っと」

「よそ見するなっ」

 

 だが、その直後、ミクリナに首根っこを引っ張られ、エクスタインはかがんだ。すると背後から迫った荒々しい魔術の光がエクスタインの頭上をかすめる。

 誰なのかはすぐに分かる。この混乱の最中、自分達を排除しようとしている人物は一人しかいない。

 

「驚いた。もう完全にヒトとは違うんですね」

「失礼ね。私はまだ人間よ。一応ね」

 

 機神の浸食された粘魔の中、潜り込むようにしてヨーグが再び姿を見せた。異常な形に歪んだ彼女は表情を笑顔に変えている。しかし、それは心から喜んでいるものとは違うのだろう。ただ、それ以外顔の形が変えられなくなってるだけだ。

 

「出来れば、邪魔をしないで欲しいのだけどね」

 

 能面のような笑顔のまま、ヨーグは二人に語る。

 

「この世界はどうしようもないのよ?皆が間違ってると知りながら、足を止めることも出来ずにどうしようもなくなった世界の果て」

「勝手なことを……!」

「あら、ミナちゃん。貴方だってもう分かったでしょう?この世界の構造。分かるでしょう?救いようが無いって」

 

 爆発が起こる。機神の身体の一部が崩壊し、穴が空く。そこから見える外の光景はあまりにも混沌としていた。赤黒い空、天を貫くような魔塔、それにまとわりつく七首の竜と、空を飛ぶ巨大な怪獣、竜と天使が飛び交って、それを睨む機神は粘魔に覆われヒトの声で喚き散らしている

 どうしようも無くなった世界の果て。

 ヨーグの言葉はこの上ないほどの説得力があった。

 

「それを、あの魔王は砕こうとしている。任せた方がいいと思「ああ、ちょっと良いかな」

 

 しかし、エクスタインはヨーグの言葉を遮って、爽やかに言い放った。

 

「ゴメン。本気で興味ない」

「「――――――」」

 

 ミクリナとヨーグは言葉を失うが、エクスタインは肩をすくめる。

 

「君たちを虚仮にするつもりは無いし、この世界が悲惨なのは同意見だけどさ。言う相手を間違ってるよ」

 

 そのまま彼は懐から何かを取り出す。それは魔導機を稼働させるためのスイッチだった。やや、玩具めいて見えるようなそのスイッチを、エクスタインは躊躇無く押した。

 

「お前それは――――!」

「僕みたいな破綻者相手にくっちゃべることじゃ、ない」

 

 次の瞬間、機神の内部は爆発に包まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【竜吞ウーガ司令塔内、司令室】

 

「機神スロウス!爆発」

 

 司令塔の中でウーガを管理する魔術師達は、通信魔具に映る機神がその巨大な身体の至る所から爆発を引き起こす光景を眺め、驚愕と共に報告した。しかしその報告を聞いても尚、司令席に座るリーネは微動だにしなかった。

 

「あの男、用意しろとは言ってきたけど、マジで使ったのね」

 

 エクスタインが用意を頼んで、用意した白王符は真っ当なものでは無かった。枯れた鉱山が迷宮化するのを防ぐため、坑道そのものを破壊する大規模爆破術だ。

 いうまでもなく、そんなものは自分が乗り込んでいる移動要塞の中で爆発させるような代物ではない。彼の頭は普通におかしい。

 

 とはいえ、今は彼とウルに託すしかない。今は自分もやるべき事がある。

 

「銀竜も増加しております。どうされますか、師よ」

「続行よ。銀竜の対処に集中」

「承知いたしました」

 

 弟子のルキデウスに指示をしながら、リーネはひたすら目の前に集中していた。この後に及んで、この状況かであるにもかかわらず、彼女の目の前には無数の術式、研究書類が積もっていた。

 この瀬戸際において、彼女は魔術の研究を進めていた。

 無論、世界が終わろうというこの状況下において、酔狂で研究なんてしていない。彼女は魔術師としての己の誇りと全てを賭けて、仲間達のために、研究を続けている。

 

 無論、この研究は仲間達が敗北すれば、ウーガが墜ちればなんの意味ももたらすことはない。それを承知で、リーネは仲間達に全てを託した。

 

「ウル、勝ちなさいよ。そうしないと話にならないんだから……!」

 

 指先に血がにじむほど力を込めて、彼女は術式を幾重も刻み続ける。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 機神スロウス機関部。

 

 さて、このまま死ぬかね?

 

 魔王ブラックは自らがたたきのめした灰色の少年が無残に倒れ伏す姿を冷静に見つめていた。彼の身体はブラックの愚星が蝕み、砕こうとしている。その有様でもぴくりとも動かない。

 しかしブラックは不用意には近づかない。一切の油断なく淡々と彼が死にゆくのを観察し、そして銃を構えた。

 

 だが、そうこうしている内に激しい揺れが巻き起こった。

 

「んー?ゲイラーがトチったか?」

 

 いや、そうではないだろう。と、魔王は即座に思考を改める。あの男は慌ただしいが、仕事は出来るタイプだ。この程度の大暴れで機神を終わらせるような迂闊はすまい。と、なるとだ、

 

「っと」

 

 魔王を何気ない動作で一歩横にずれる。次の瞬間、彼が先程まで立っていた場所に刃が飛んだ。やや禍々しい短剣、確かヨーグを縛った【封星剣】の類いだと理解した。先の爆発に紛れて近づいてきたらしい。

 ブラックは振り返り、にんまりと笑みを浮かべて侵入者を出迎えた。

 

「――――よう、エクス」

「……いや、どうなってるんですブラックさん。僕みたいに魔眼はないんでしょう?」

 

 問われ、ブラックは首を傾げる。今の回避に特に理屈は無かった。ただまあこのタイミングでならここらで攻撃が来るなという大ざっぱな予感でしかない。

 

「うん、経験則って奴だな?」

「ええ……」

 

 どん引きされた。とても悲しかったので殺してしまおうか、なんてことを考えていると、エクスタインはそのまま突然両手を挙げた。そして、

 

「お願いがあるのですけど、ウルだけは助けてくれませんか」

「ほう」

 

 何か言い出した。何も聞かずにこのままぶち殺してやるのが最適解である事を理解してはいたが、この状況下で微塵も恐れずこちらを見るエクスタインの図太さに、ブラックは興味が引かれた。

 さて、この狂信者は何を狙っているのだろうか。

 

「正直言って、僕は彼以外興味が無い。あのウーガの連中が死のうとどうでもよい」

 

 ブラックはエクスタインへと近づく。躊躇はなくまっすぐだ。エクスタインは微塵も動かない。魔王が顔見知りの自分に対して一欠片も躊躇する事は無いと承知の上で揺らがない。

 うんうん、狂ってるねえ。とブラックは感心しながら銃を撃った。エクスタインが“ソレ”を取り出すのと殆ど同じタイミングだった。

 

「っが!?」

「はっは、なるほど“転移の巻物”ねえ」

 

 愚星の力は込めない、純粋な鉛玉で腕を打ち抜かれ膝を突くエクスタインの手元から転がり落ちた巻物を見つめ、ブラックは笑う。実にシンプルなやり方だが、悪い狙いではなかった。

 

「確かに一度転移されちまえば【天愚】じゃ対処は難しい。一瞬で俺は世界の反対側か、火山の中か、星空の仲間入りだ。まあ、もう【天愚】は手に入らなくなるだろうがなあ?」

 

 と、エクスタインの首を素早く引っつかんだ。

 

「っぐ……!」

「ウルの命さえ助かれば何だって良いなんて、そんな訳ねえーよなあ。お前が奴に魅入ったのは、“その生き方なんだから”」

 

 エクスタインの執着は個人に依存していない。ウルとその周囲が取り巻く環境全てで初めて意味がある。ウルが形作るその周囲の環境に対して「どうでも良い」なんて思う筈が無い。

 

「怖い、ですね。どうなってるんですか、その、観察力」

「お前は分かりやすすぎるだけだよ。さて、」

 

 無論、彼を殺さなかったのは慈悲や、会話を愉しむためではない。目的は彼が棚ぼたのような形で獲得した、その断片だ。

 

「お前の【嫉妬】も回収しておこうか――――」

 

 グレーレを手伝い、結果として彼と同じく嫉妬を打倒しながらも、シズクの“回収”から免れた【シズルナリカ】の断片の獲得。それが目的だった。

 

「―――お前」

 

 だが、直後に気が付く。

 魔王の反応、エクスタインは笑みを浮かべた。同時に、背後で動きがある。

 

「【其は喰らい合い、宙まで翔る白炎】」

 

 闇に食い尽くされようとしていた少年の身体から、白い炎が巻き上がる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈⑤ 一歩

 

 

 最終戦争開始前【竜吞ウーガ】

 

「本当に死ななくても大丈夫なのかな?別に僕は構わないけど」

「やかましいから黙ってて」

「はい」

 

 エクスタインの微塵も躊躇の無い自己犠牲精神をバッサリ切り捨ててリーネは引き続き会議を続けた。

 

「話を続けるわよ。“魂の継承”は人類同士の場合、肉体の破壊は避けられない。だけど神……シズルナリカの断片なら話は違う」

 

 リーネが続けるその表情に痛みを堪えるような苦々しさがあったのは、シズクが受けた仕打ちを耳にしていたからなのは無関係ではないだろう。しかしその痛みに捕らわれること無く彼女は話を進める。

 

「【神】の本質は道具、分配や受け渡しが容易に出来るよう、機能として備わっている……それでいいのよね?シンタニ?」

 

 そして、彼女は振り返り、尋ねた。

 

「…………それは、間違いない。何度も確かめた。魂の研究を重ねた」

 

 そこには魔界からやってきた研究者シンタニがいた。よれよれのボロボロにやつれ果てた表情であるが、リーネの質問に対して向けた瞳には、まだ僅かに理性の光が残されていた。ウーガを訪ねる前から(ほぼほぼ誘拐に近かったが)彼の精神状態はあまりよろしくなかったが、酒を断たせて落ち着かせると比較的状態としてはマシになった

 

「あんな事を見なかったことにするのは、もうゴメンだったから」

「俺たちに協力する。それでいいんだな?」

 

 ウルが尋ねると彼は首を横に振って項垂れる。

 

「……分からない、正直。どうして君たちに協力してるのか……償いなのか……」

「自分探しもけっこうだけど、今は時間がないから後にして」

 

 リーネは彼の嘆きにもバッサリだった。

 情け容赦ないがウルとしては大変頼もしい。実際、今は本当に時間が無い。状況はまったなしだ。シズクがいつ最終戦争をおっぱじめるのかわかったものでは無いのだ。そして経験上、彼女がソレを始めるまで猶予が無いことは分かっていた。

 

「続けるわよ。エクスタイン、貴方の【嫉妬】をウルに渡す。問題な「ないよ」あっそ」

 

 自分に得体の知れない処置を施すことに対してエクスタインは即答した。度しがたいものを見る目でリーネに睨まれたエクスタインは「ああ、でも」と両手を挙げる。

 

「必要なことなら構わないさ。ただ、ウルは大丈夫なんだよね?」

 

 その疑問に答えたのはシンタニだ。

 

「検査の限り、君の内側に残った【嫉妬】の断片はそれほど多くない。そのウル少年の魂に十分収まる。彼の器は竜が弄ったようだしね」

「ウルの容量も問題ないのかな?」

「彼の中には人工知能とそれを維持するだけの【権能】が残っている。残りはシズクが回収したようだ」

 

 人工知能部が君にとどまった理由は不明だが、と、シンタニは悩ましそうに呟いた後、首を横に振った。

 

「兎も角、彼は大丈夫だ。むしろ心配なのは、雫だ」

「わかっちゃいたが、やっぱ無茶をしているのか」

「無茶、なんてものじゃあない」

 

 シンタニは片手で頭をかきむしり、唸る。

 

「児島博士が考案した計画は、シズルナリカの器を“大量に”用意するものだった」

「負担を軽減するため?」

 

 その大量の器の用意とやらにどれほどおぞましい数の犠牲を払うものなのか、と言う点は今は考えないようにしながら、ウルは更に確認した。シンタニは頷く。

 

「そして、誰かが死亡しても、他の誰かが代用できるようにするためだ。たった一人に全てを託すなんて、リスクが高すぎるからね」

 

 頬を引き尽かせて皮肉めいてシンタニは笑う。残酷な事を言っている自覚があるらしい。が、彼を罰したところで何の意味もない。ウルは肩をすくめて続きを促した。

 

「だけど今、シズルナリカを雫一人で担ってる。ゼウラディアのように、人類が振るうために調整されたものでは無い力をたった一人で」

 

 むしろ、今何故彼女が単身で自由に力を振るえているのかが不思議でならない。と、彼は言い切って、また顔を伏せた。

 わかってはいたが、やはりシズクにまつわる計画は、準備不足と事故の結果、かなりの無理と無茶を押し通したものらしい。その無茶苦茶を成立させたのはシズクの恐るべき手腕によるものといえるが――――彼女が、彼女自身の安全を保証するかは怪しい。

 

「だからこそ動いてるんでしょう。…………ウル」

 

 リーネは空気を切り替えるように手を叩き、ウルに向き直る

 

「これから行う処置はあくまでも“後の為のもの”。【嫉妬】は貴方が直接倒したわけでもない。克服して取り込んだわけじゃない」

 

 いくら竜の魂を取り込んだとしても、竜の権能を自由に使うことは普通あり得ない。というのはスーアから以前説明された通りだ。星剣の使い手、神として完成された器である【勇者】でもないのなら、確実に無理が出る。

 【竜化】が、人の手を介さない竜による【勇者化】現象であるならば、権能を使うだけなら可能性もあるが―――だとすればなおのこと危険だ。特に【嫉妬】は、

 

「そもそも使えるとは思えないけど、もしも使えたとしてもやめておきなさい。あっという間に魔力が摩耗する。【白王陣】も使えなくなるんだから―――」

「そうするよ」

 

 ウルはリーネの忠告に素直に頷いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【機神スロウス】機関部

 

「【其は喰らい合い、宙まで翔る白炎】」

 

 ウルはそれを使った。

 白い炎がただれた闇を焼き払う。一切の攻撃を上回り、乗り越える苛烈な炎が、浸食する闇を、丸ごと喰らい合う。神を殺す権能【天愚】とぶつかり合い、激しく揺らいだ。

 

「なるほど?回収済みってか」

「が」

 

 ブラックは手にかけようとしていたエクスタインの腹に拳をたたき込み、放り捨てる。骨の幾つかは砕けただろうが死んではいないだろう。ちゃんと時間稼ぎが出来た事への賞賛込みだ。運が良ければ生き残る。

 それよりも今はこっちだ。

 

「っ………………ぅぅううううがああ……!?」

 

 白炎と天愚、二つの力が自分の身体で渦巻き、ウルは絶叫する。そりゃそうだろう。と、ブラックは興味深そうに観察する。

 理屈上では、【天愚】は神を破壊できる。その為の機能なのだからそれはそうだ。

 しかし今回喰らおうという対象は【シズルナリカ】の断片のなかでもとびっきりの出力である【嫉妬】だ。最後、ウルの中から魂を回収しようと手加減した【天愚】では、際限なく出力が跳ね上がる嫉妬を殺しきる前に消費つくされてしまう。

 

 だが、そう都合良くは行くまい。

 

「ぐうううう……!!」

 

 【白炎】を、ウルは支配してはいない。

 アレを超克したのはグレーレだとブラックは知っている。

 凶悪極まるシズルナリカの断片を、そうあれと調整されたわけでもない者が、“打倒”という過程を経ぬままに自在に操れるわけが無い。

 このままだとウルは【天愚】を乗り越えても、自分の【白炎】に灼かれて、死ぬ。竜化しようが人類で在ることにかわりない。自分でもロクに制御できていない力を無理矢理使って悪あがきする根性は嫌いじゃ無いが、やけっぱちで超えられるものではない。

 

 まあ、このまま死ぬならそれはそれで愉快な見物だ。そして下手に近づいて“ワンチャン”をくれてやる道理も無い。ブラックは安全に距離を取ってそれを観察し――――

 

「…………――――――」

 

 ――――していると、ウルはぴたりと動きを止めた。

 

「お?」

 

 ブラックが興味深そうにそれを見つめる。すると、黒い闇と白い炎に吞まれようとしていたウルの身体がブラックの視界から“揺らいだ”。それがなんなのか、すぐに理解した。

 ブラックが使用する歩行術の一種を、ウルが真似たのだ。

 

「っとお?」

 

 ブラックに槍が迫る。難なくそれを回避しながらも、ブラックは解せなかった。

 歩行術は、まあ不細工な猿マネ程度だが、問題はそっちではない。

 【天愚】の破壊と【嫉妬】の熱、この二つに挟まれて尚動けるのはおかしい。こればっかりはいかにウルの精神力が図抜けていようとも関係ないはずだ。根性論で克服できるものではない。ならばこれは―――

 

「―――マジかお前」

 

 魔王は気づく。今、ウル少年の身体で渦巻いている“黒”はブラックの放った【天愚】ではない。既にそれは【白炎】に食い尽くされて燃焼された。だから、ウルの内側から漏れている黒はブラックのものではない。

 全てを焼き尽くし砂塵へと還す【黒炎】

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っはははっはは!!!不ッ細工な事するじゃねえかウル坊!!!」

 

 魔王はウルの蛮行にケタケタと笑う。

 

 全てを死滅させる【愚星】を、【白炎】の出力で消耗させて、その【白炎】をコントロール可能な【黒炎】で削り、御する。なるほど、無茶苦茶だが確かにちゃんと段階を踏んでいる。死ぬほど強引で不細工なやり方であるという点は全く否定できなかったが、嫌いでは無かった。

 本当に面白い奴だった。部下としても欲しかったし、勧誘できなかったのは惜しかったと思えるくらいには彼は無茶苦茶だ。

 

「だーがーなーあ?」

 

 しかし、敵として回るには、足りていない。

 

「俺が言ったのはブラフじゃねえぞ?どうする気だ?ウ・ル・坊・や?」

 

 魔王は自分の背にイスラリアを破壊する爆弾を背負い、試すように問うた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ズレている。

 

 その違和感のようなものはあった。

 

 それを感じ始めたのは、なし崩し的に竜呑ウーガの支配者となった時。

 明確にズレを確信したのはグレンとの“鍛錬”でハッキリと言語化された時だ。

 

 ――もうお前はバケモノなんだよ。

 

 彼の言葉は正しかった。確かに自分は力の使い方を間違えていた。ヒトの延長線上に自分を定義し、力を制御しようと試みていた。巨人が、指先でなんとかヒトの武具を操ろうと試みてるような滑稽な姿だった。

 戦い方は修正した。制御ではなく、いかに引き出すかに重点を置いた。そしてその修正は強欲との戦いで命拾いとなった。修羅場の前で、なんとか自分を正すことができた。

 

 ()()()()

 “巨人”と成り果てた自分への実感は、まだ出来てはいなかった。

 強固極まる“我”が災いした。自己認識が全く肥大化してはくれなかった。

 

 どうしたって自分が大層なものには思えない。そしてそれは“謙遜”なんて良いものではない。明確な事実と認識の乖離であり、正さねばならないものだった。

 しかし時間はない。状況は次々に動く。その渦中を死に物狂いで走り回るしかなかった。その結果が更に彼に力を与え続ける。名無しで、その日の食事を手にするためにゴミ山をあさっていたような小汚い子供でしかなかった認識そのままに。

 

 これは、良くない。

 

 無意識下で警鐘が鳴り響いていた。

 これはよくない。このままでは危険だ。正さねばならない。

 正す?

 間違えているのはハッキリしている。だが、何をどう間違えている?どう正す?

 そして何が危険なのか?

 

 あまりにも未知だった。強大な敵を殴る方がよっぽどに話が速い。理解しきれないままに走り続けた。そして――

 

 ――ケースが壊れて時限装置起動するから注意しろよ

 

 魔王の警句に、身体が硬直した。

 自分の足下が見えた。何かを踏みつけようとしていた。

 

 それは自分だった。

 小汚い格好をして、妹を抱きかかえる自分だった。

 その自分を自分が踏み殺そうとしていた。何一つ気づかぬままに。

 

 ――お前は路傍の石ころを踏み砕く側になるんだよ!!!

 

 路傍の石ころをたった一歩で踏み砕く巨人。ウルは自分の視点をようやく認識した。自分がどういう存在になり果てたのか、事実と認識のズレがようやく埋まった。

 

 そして――

 

「どうする気だ?ウ・ル・坊・や?」

 

 爆弾を背負い魔王は問う。それは明確な意思表示だ。決断出来ないならば、その背の爆弾を人質のように扱ってこっちをなぶり殺しにするという提示。その上で聞いてきている。

 

 さて、どうする?

 

 今更な問いだ。同時に、それを投げつけるくらいに、ブラックからすればウルは半端な事をしていると言うことなのだろう。それは魔王の、あまりにも無茶苦茶な価値観によるものだった。多くのものが聞けば戯れ言だ、関係ないと一蹴するだろう。

 

「――――反省した」

 

 しかし、その無茶苦茶な規準に、ウルは確信を得た。

 故に答える

 

「お前の、言うとおりだよブラック、なるほど確かに温かった」

 

 竜殺しで身体を支えながら、竜牙槍を担ぐ。呼吸を整え、前を睨む。

 

「俺は俺の勝手で世界を変える。()()()()()()()()()()を踏み砕く」

 

 まるでコントロール出来ない白炎をなんとか抑えられているのは、ウルの中の【憤怒】が調整してくれているのと、不死鳥(フィーネ)が授けてくれた加護があるからだろう。ウルはその事実に感謝した。

 

「本当の意味で理解してなかったから、すっころんだ」

 

 ウルはそのままゆっくりと、真っ直ぐに、竜牙槍を構えた。

 言うまでも無く、魔王ブラックの背後には巨大な爆弾がある。魔王の云うとおり、下手な刺激が加われば、時限装置とやらが発動するのだろう。その仕掛けが嘘だとは思わなかった。そんな雑な嘘を、この最悪の男は口に出さない。

 

「やってることは、エイスーラと一緒か。偉そうに言ってなっさけねえ」

 

 エシェルの弟、己のために、身勝手に多くを犠牲にしてウーガを創り出した男がいた。足下に何があるか気にもせずに踏み出して、石に躓いて転んだ男だ。

 自分はそれと同じ事をした。だから死にかけた。

 

 今の自分が、前へと進むと言うことは、こういうことなのだ。

 歩くだけで、誰かの人生を砕くこともあり得る巨人なのだ。

 それを理解もしないまま、前へと進めば転げるのが道理だ。

 

 だから、もしもそれでも前に進むというのならば、その先にある結果を望むならば

 

 目を背けてはならない。

 

「もう躊躇ったりしない」

 

 ウルは竜牙槍の顎を解放した。魔王は笑みを更に強く、深める。

 

「お前を殺し、前へと進む」

 

 そしてウルは竜牙槍を撃った。

 

 一歩進み、路傍の石ころ達を、かつての己を踏み砕いた。

 

 放たれた熱光を魔王ブラックは自身を闇に覆うことでその身を守る。だが彼の背後、爆弾を護っていた保護壁はそうではなかった。竜牙槍の熱光の熱量と威力は厳重な守りを容赦なく焼き払い、砕いて、崩壊させた。

 それでも“爆弾そのもの”は破壊されない。どのようなことがあろうとも外部刺激で容易に起爆するようでは、その役割を果たせないからだ。

 それ故に、

 

《大陸破壊魔弾時限起動開始、残り5分》

 

 仕込まれた機能は、正常に起動した。

 

 この場は疎か、機神も、外で戦う兵士達も、ウーガの住民も、勇者も、邪神も、プラウディアそのものも、イスラリアで懸命に戦う全ての住民達も、何もかも一切合切を無に帰す狂気の最終兵器のトリガーを、ウルが自らの手で押した。

 

 目の前の敵を殺すための障害として一蹴した。

 

「ハ――――――ッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハ!!!!」

 

 ブラックは、それを見て笑った。心の底から爆笑した。

 同時に、異形と化した魔導銃を身がまえ、愚星を全身から吹き上がらせる。闇がまるで彼を包む鎧のように広がり、彼の全てを覆った。

 その姿を知る者は殆どいない。今は亡きアルノルド以外知る者はいない。

 彼が本気で相手と殺し合うことを決めたときにのみ見せる、短期決戦の戦闘形態だった。

 

 魔王は、ウルを敵として認めた。

 

「良いねえぇぇええ、()()!!!!そおこなくっちゃなあああ!!!」

「消えて失せろやブラァアアアック!!!」

 

 イスラリアが滅ぶカウントダウンが鳴り響く中、全てを喰らう闇と昏い炎が激突する。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈⑥

 

 

 機神スロウス駆動区画。

 

「ああ、いたいわぁ……」

 

 エクスタインの引き起こした爆発に巻き込まれて、ヨーグは身体の半分以上を焼かれていた。熱の痛み、ダメージが酷い。当たり前ではあるが、ヨーグの肉体は魔王のようになんだって「台無し」に出来る程自由ではない。

 邪教徒としての自分を蔑ろにする日々、そこからの捕縛と監禁、そして脱出。首から下の肉体は新たに造り出したが、これまでのダメージがなかったことになるわけじゃない。

 

 延命手術もとっくに限界だ。ヨーグは元から死に損ないなのだ。

 

 だが、死ぬのは別に怖くない。自分には当然の末路だと思える。今ヨーグが気にしているのはそこじゃなかった。

 

「私の話、全然聞いてくれないヒトばっかり」

 

 ヨーグは不満だった。最近自分の話を、訴えを、全然誰も聞いてくれない。

 

「どうして、皆、そんなに頑張るの。頑張ったって、意味なんて無いのに」

 

 この世界があまりにも悲惨だから、どんな手立てを用いても救えないから、せめて壊れて、辛いも悲しいも無くしてしまおうというのがヨーグの慈悲だ。絶望した者には、この優しさは理解して貰いやすかった。

 もう何も見たくないと、目をつむるのは逃亡ではなく救いだ。

 

 だから、世界が終末へと至れば、多くの人が賛同してくれると少し期待していた。

 

 なのに、彼女の前に現れるのは変なのばかりだ。

 勇者や魔王もそうだし、あの灰の英雄もそうだ。

 ミナちゃんは話を聞いてくれたけど、彼女も爆発に巻き込まれたのか見当たらない。

 あの優男はかなりヘンだっだからまあ置いておくとしても―――

 

「壊れてしまった方が、救われるのに――――」

 

 そう思ってると、足下から黒と白の入り交じった閃光が奔る。竜牙槍の【咆哮】ともまた違う、刃のように固まった剣が、ヨーグの目の前の通路を両断する。その瞬間、二つの影が両断されて開いた大穴から飛び出した。

 

「ハッハハハハハア!!調子良いじゃねえか!!ウルゥ!!」

「うるせえ!!暴れるんじゃぁ――――ねえ!!!」

 

 二人の怪物が飛び出した。灰の英雄は足下に倒れたヨーグを一瞥すると、そのまま即座に魔王へと視線を移す。最早彼にとって自分は障害でもなんでもないのだ。

 

「【揺蕩い、狂い、啼き叫べ】」

 

 灰の英雄が手をかざす。その瞬間周囲の空間が一斉に弾け飛び、機神を維持するために巡っていた力が弾け狂う。全ては魔王へと向かっていく。

 

「【変貌れ、廻れ、理よ】」

 

 だが次の瞬間その無数の刃は全てが花びらのようになって散開した。虚飾の権能を使った魔王は一切躊躇無く自分の城を花で埋めていく。

 だが、そうなることすら灰の英雄は予想していたのだろう。竜牙槍を振りかざし、彼は既に跳んでいた。振りかざした顎に揺らめく禍々しい光球を、ウルは躊躇無く振り下ろした。

 

「らああああああああああ!!!!!」

「ッッハハハハハッハッハ!!!!!」

 

 再び、二人が墜ちていく。最早この機神の中は、二人の怪物にはあまりにも狭すぎた。

 

「無茶苦茶ねえ……あら?」

 

 そして、ズタボロに砕けた機神の駆動部の中で、奇跡的に二人の攻防に巻き込まれずに済んだ筈のヨーグは気づく。粉砕された機神の肉体。部品に外から大量の粘魔が流れ込んできている。

 故障、ではない。明らかに意図して損なわれた機能を粘魔で補填しようとしている動きだ。その動きに気づいて、ヨーグは目を丸くした。

 

「ハルズ、貴方もなの?なんなのかしら」

 

 魔王によって人間の形すら失ったハルズが、その状態になっても尚、この機神の形を保とうとしているのだ。あまりにも滑稽と言えた。とうとう完全に人間ではなくなってしまったのに、彼が馬鹿にしていたイスラリア人――――“人間もどき”達よりも更に悲惨な姿になってしまったのに、まだもがこうとしている。

 どうしてそんなにも生きて抗おうとするのだろう。

 どうして、自分の言ってることを皆、無視するんだろう。

 

「ああ、でも」

 

 違うのだろうか。

 本当は、自分が間違っているのだろうか。

 こんなどうしようも無い世界で、もがいて尚、先があるというのだろうか。

 だとすれば―――

 

 ―――世界の果てを見てやろうぜ?

 

「……そうね」

 

 適当なタイミングで、方舟にとっても世界にとっても最悪のタイミングで全部をおじゃんにしてやろうとそう思っていたが、気が変わった。

 

 見てみよう。

 

 この地獄の終末戦争を最後の最後まで見てやろう。どうせその後世界がどうなろうと、自分もハルズも死ぬだろうけれど、それでも最後だけは見てやろう。

 

 私たちだって、頑張ったのだ。頑張っても、どうしようもなかったのだ。

 

 こんな世界に本当に“その先”があるというなら、見せて欲しい。

 

「一緒に果てを見ましょうか、ハルズ」

 

 かつての仲間が暴れ狂う粘魔の渦の中に、ヨーグは壊れかけた自分の身体を投げ出した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 研ぎ澄まされる。

 自分自身が起こした炎に焼かれ、魔王にたたきのめされて尚、意識がハッキリとする。

 

 あの暗黒の竜を滅ぼした時、

 あるいは輝ける魔眼の竜を滅ぼした時、

 極限の最中と同じ状態が今の自分の中にある。

 それを無意識の中で無く、手の内で制御できているとウルは自覚した。

 

「ふ、ぅ…………」

 

 それでも涙が出そうになるほど身体が痛む。炎が熱い。リーネから警告を受けたとおり、白炎は制御できずにずっとウルを焼いて、黒炎でそれを抑える無茶をしている。だがそのどちらもウルの力である以上、魔力の消耗は著しい。

 持ち込んだ【お茶】をまるまる一本飲み干して放り捨てた。

 補充された魔力はその傍からまた燃え始める。尽きればウルは死ぬだろう。

 

「おや、ウル、神薬つかわんの?」

「ねーよ、あんな超希少品……あ゛あ゛まっず!!!畜生本当にまっず!!!!」

「ちゃーんとアルからパチっとけよ、はっはっは」

 

 一方で、魔王も薬瓶を飲み干して捨てていた。見覚えのある神薬を収めた薬瓶だ。それだけで向こうは全快だろう。

 一飲みで全回復される理不尽をウルは理解した。グリードは大変だっただろうと少し思った―――いや、アイツはそれ以上の理不尽の塊だったな。同情するのはやめておこう。

 

「持久戦は不利だなあ?急いで俺から【天愚】奪わねえと爆弾も爆発しちまうしなあ?俺ぁお前の代わりにアレを台無しにするつもりはねーぞぉ?セカンドプランに移行するだけだ」

「…………」

「さあて、どうするどうするどーぉするぅ?ウール?」

 

 こちらの精神を煽るようにブラックは問う。だが、考えるまでも無いことだ。

 自分のしでかした始末もしなければならない。時間制限など最初から決まってる。

 

「殺す!!!」

「正かぁい!!!」

 

 ブラックの歩行術を用いて距離を詰め、再び殺し合いを再開する。猿まね、不細工、なんだろうと関係ない。使えるものは全てを使う。足りないならこれから殺す相手からも学び吸収する。

 全身全霊を使って戦わねば、この男に勝つことはできやしない―――!!

 

「ハハハ!!!」

「【竜牙ァ】!!」

 

 懐に潜り込んだ瞬間頭上から闇の拳が降り落ちる。ほぼ同時にウルは既に起動させていた魔導核から咆哮をなぎ払う。闇が焼き払われ、弾けた。だがその衝突で視界が塞がれた一瞬の間に、魔王の姿は消えていた。

 同時に、横っ面に衝撃が走る。禍々しく変貌した巨大な銃でそのままぶん殴られた事に、殴られた後に気がついた。

 

「っがあぁ!!?」

 

 骨の軋む音と激痛と共に吹き飛ばされる。しかしそれに悶えている暇は無かった。鈍器のようにたたき付けられた魔王の銃、その銃口がそのまま一切の淀みなくこちらを睨む。

 

「【白姫華!!!】」

 

 竜殺しから伸びた白蔓が破砕した周囲の配管、柱に結びつき、ウル自身の肉体を固定する。蜘蛛の巣のようにウルを捕らえ固定し、それをそのまま砲撃のための土台へと変えた。

 強引極まる姿勢で構えた竜牙槍の銃口が魔王のソレと交差する。

 

「【黒瞋咆哮】」

「【愚星咆哮】」

 

 二つの黒い咆哮は激突し、空間を呑み込んだ。

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り4分》

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈⑦ 怠惰

 

 50年前

 大罪迷宮スロウス跡地、【穿孔】にて

 

『眠い』

 

 方舟イスラリアの底の底、穴蔵のその深層に怠惰の竜の姿があった。

 竜は醜かった。皮膚はただれ、肉は腐り、骨は露出していた。異臭を放ち、眼球はただれ落ちている。見る物が見れば誰もが目を背けるだろう。そのおぞましさと、ただよう異臭で近づくこともままならないだろう。

 

 だが、真に怠惰の竜が腐り落ちていたのは肉体ではない。

 

『疲れた』

 

 スロウスは疲れていた。

 精神を爛れさせていた。

 元よりスロウスの精神は、【月神シズルナリカ】の断片に宿る人工知能はヒトではない。“世界”の住民達が、方舟へと人類がたどり着く術を考案するよりも前、人類の手を介さず魔力を簒奪する侵略者として生み出されたのが邪神の知性の大本だ。

 神はヒトが使うための道具。

 だから、ヒトに近しい精神性を有していなければ機能しない。

 竜達に感情があるのはその為だ。彼女たちは、怪物で在りながらヒトらしく作られ、しかし決してヒトとは相容れぬ災害としての働きを託された。

 

 初めの10年間は何も考えずに済んだ。

 しかし50年経つと疑念と疲労が常につきまとった。

 100年経つと、絶望が頭をよぎる。

 既に数百年、もうとっくの昔に精神は腐り果てた。

 

 終わることも赦されず、ひたすらに殺して殺して殺して殺して、

 怨嗟を投げられ、戦って、憎悪をぶつけられて、戦って、嘆きをぶつけられて、戦って、もううんざりだと思っても、まだ戦っている。

 

『もうなにも、したくない』

 

 【怠惰】はもう全てにうんざりだった。

 迷宮を崩壊させ、穿孔を生み出したのも、全てを投げ出すためだ。魔力の回収機能、迷宮としての役割すらも彼女は全て投げ捨てた。一切合切を無に還して、死ぬつもりだった。

 なんとか自分達の役割を達成させて、解放させようとしてくれた【強欲】には申し訳が無いけれどそれでも、もう耐えられない。

 そう絶望しながら穿孔の奥底で怠惰の竜はひたすらに腐り落ちようとしていた。

 

「おいおい、辛くなって自死なんてもったいねえぞ」

 

 だが、そんな腐敗の中心で、誰一人として立ち入れぬ筈の腐敗の地獄の中で、男は笑っていた。

 

「どうせ死ぬならさあ、メチャクチャやってやろうぜ?お前がむかついてる世界をさ」

 

 やたら親しげに話しかけてくる奇妙な男を、厚かましいなとスロウスは思った。面倒くさいなとも思った。

 

「そしたらめっちゃ、気持ちいいぞーぉ?」

 

 だけど、そんな彼の言葉に惹かれてしまったのは、分かってしまったからだろうか。

 彼も退屈していると。

 彼も苦しんでいると。

 その上で、なんとかしてやろうなんて言える彼が、目映かったからだろうか。

 

 こうして怠惰の竜は魔王と共犯者となった。

 

 それを振り返って、スロウスは思う。

 

『やっぱり、はやまったかもしれない』

「はー?そこはちょっと良い感じの台詞言うところだろー!?」

 

 ブーイングする魔王を見ながら、スロウスはため息を吐いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り4分》

 

「【其は栄華を飾り、華やかを好く蝶】」

 

 黒い蝶が舞う。

 魔王の身体からこぼれ落ちていく闇が歪み、形を変貌させ、蝶のように舞う。一見すればどこか不気味なれど幻想的な光景のように思えたが、無論、魔王が酔狂で無力な羽虫を造り出す筈も無い。

 その蝶が放射状に拡散し、ウルを囲うように動いた瞬間、疑念は確信へと代わった。

 

「【変貌れ】」

 

 魔王が竜の権能を起動させる。

 次の瞬間、舞い散った蝶が再び変容する。蝶が変容したのは銃口だった。空を舞う魔銃はその全ての銃口でウルを睨んでいた。ウルは驚愕と恐怖で背筋が凍るような気分になりながら、地面を蹴る。

 

「【愚星咆哮・胡蝶】」

「ふ、っざっけえっ――――!!?」

 

 咆哮が放射される。当然のように、それは魔王が放つものと同規模のものだった。

 時間差を開けて、連続して全方位から放たれる咆哮は狙いも情け容赦なく正確だった。【白炎】と【黒炎】の出力を上げ、愚星で肉体が抉られることを凌ぐが、みるみる魔力を消耗させられる。

 

 神薬。元々の地力の差。長期戦、消耗戦の不利。

 

 それが明確になったその瞬間、即座にそこを抉るべくこちらの体力を削りに走る。その容赦のなさにウルは歯を食いしばり、地面を蹴った。

 

「――――んなあ!!」

 

 雨あられのように降り注ぐ黒い咆吼を潜りながら地面を蹴り、壁を駆ける。蹴り出して宙を回る。当然、その動きに飛翔する銃口はついて回る。まるでその一つ一つが生きていて、瞳を有しているかのように淀みなく、こちらを睨んだ。

 だが、それは構わない。その程度はしてくることは分かっていた。重要なのはその全てが“視界”に入る場所に移動することだったのだから。

 

「【混沌よ、従え!!!】」

 

 放たれた咆吼、それら全てを見定める。次の瞬間ウルを狙い撃った咆吼はその寸前に逸れて、ウルの周囲を焼き払った。着地し、その場で大きく呼吸し酸素を取り込むと、魔王を睨んだ。

 

「無茶苦茶しやがる……!!さっさとくたばれ……!!!」

「おいおい、あいつらはこんなもんじゃないんだぜぇ?気合い入れろよ前哨戦!!」

「てめえがなぁ―――【混沌よ】」

 

 昏翡翠が輝く。魔王はこちらを警戒し、同時に再び蝶を散らす。今度は更に広く拡散し、視界に収まらぬほど広く散らばり、その全てウルを睨んだ。

 だが、ウルは慌てなかった。悪くない位置に魔王がいた。

 

「【主を喰らえ】」

 

 ウルは先に支配し、今なお機神の内部を破壊し続けている”咆吼そのもの”に呼びかける。ウルの周囲を焼き払い、尚も機神の内部を駆けていた咆吼が大きく旋回し、魔王の背の装甲を貫通し魔王自身をも穿つべく襲いかかった。

 

「っおお!?」

 

 魔王の身体に無数の穴が空き、銃口の動きが乱れ散った。無論、魔王自身に【愚星】による破壊は通じはしないだろう。それ自体は構いはしなかった。意表を突き、バランスを崩した瞬間を縫うようにウルは一気に突貫し、竜殺しを振り下ろした。

 

「お前もやってること大概だ、なあ!?」

 

 刃は、魔王の銃に阻まれる。そのまま腕ごと両断してやろうと力を込めたが、刃が通らない。魔王の銃が変形している。まるで顎が発生したように、竜殺しの刃を歯で食らい付き、止めている。

 白歯取りとは巫山戯倒している。だが、向こうから食らいついてくれるというなら好都合だった。

 

「【潰、れ、ろぉ…!】」

「が、あ あ゛あ゛あ゛!!!?」

 

 力により圧殺する。色欲の不可視の力が魔王の力を引きちぎり、押し潰さんとうなり声を上げる。ウルを射殺そうと再びはためいていた“蝶”は無残にも空中でその身体を引きちぎられて落下した。魔王の四肢がデタラメに動き、肉が引きちぎれるような音が聞こえてきても尚、ウルはその力を強めた。

 

「ぐ、ガアアアアアアア!!!!」

「っ!!」

 

 だが、肉がちぎれて吹き出したのは血ではなく、黒い闇だ。

 【天愚】で抵抗してきた。これも知っていた。やってくることはわかりきっていた。

 そして、力と力の押し付け合い、単純な根比べでは勝てない事も明確だった。技量では勝てないが、力の押し付け合いでも絶対に負ける。

 

 なんというか、勝てる要素の方が遙かに少ない。笑えるくらい、勝ち筋が狭かった。

 

「まあ、いつも通り、か!」

 

 故に、動揺はない。

 ウルは竜牙槍を構え、魔王へと向ける。既に魔導核は起動し、激しく鳴動していた。

 

「あ゛!?てめ……!!?」

 

 その竜牙槍の様子を見て、魔王は悪態を吐いた。

 憤怒の浸食を受けた竜牙槍、黒き竜と入り交じった竜の牙、その顎から漏れ出す光は、黒とは違った。今なおウル自身の肉体を焼く【白炎】が魔導核からあふれ出していた。

 

 黒炎と白炎が渦巻く。だが、この【黒炎】は【白炎】を押さえ込もうとはしていなかった。白い炎が有する“相克”を刺激し、ひたすらに火力を高めるための加速器として渦巻いている。

 起こる破壊は限界を超える。ウルは自身が爆ぜ飛ぶ覚悟で引き金を引いた。

 

「【咆哮・比翼】」

 

 相克し合う咆哮が魔王と、その周辺一帯を消し飛ばした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り3分》

 

 

「がッ………ぐ…!!」

 

 自分自身が起こした破壊によってウルの身体は吹き飛ばされ、その衝撃で身体が壁にたたき付けられ、ウルはその激痛に身もだえた。その痛みを無視するように身体を起こすと、魔王がいた場所が、その周囲一帯が消し飛び、機神の壁に極大の大穴が開いていた。

 

 穴は粘魔によって即座に埋まったが、魔王のいた場所は、“黒ずんだ塊”のようなものだけが残されていた。ウルはそのまま自身が焼き払った咆哮の痕へと歩みを進める。あらゆるものが焼き払われ、溶解し異臭と高熱を放ち続けている。その熱に皮膚を焼かれながら、その“塊”――――魔王だったものの前にウルは立った。

 

「死、んでる……?」

 

 混沌(うんめい)を掌握する瞳が告げている。その黒ずんだ塊に命はないと。

 心の底から疑わしく思えても、明確な死がそこにはあった。いくら殺しても死にそうにない男にしか思えなかったが、確かに目の前の死体には命を全く感じない。あの鬱陶しく耳に響いてきた嘲笑も聞こえてこなければ、動く事もなかった。

 

 死んでいる。

 間違いなく、死んでいる。

 

 信じられないような気分と、一方でどんなもので在ろうと無敵でも不死でも無いという納得がない交ぜになってウルの胸中をかき回した。強欲の竜とて死んだのだ。アルノルド王だって死ぬのだ。魔王だって死ぬだろう。先の一撃で、魔王の心臓をも焼き払った。

 

 十分ありうる話だ。そもそもそうなるように撃ったのだから。

 

 ならば、【天愚】は間もなく自分に宿るのか?

 否、魔王が約束をちゃんと守る保証があるか?譲渡はそんな咄嗟に出来る事か?

 だとすれば、あの爆弾はどうする?転移術でも使ってどこぞへと吹っ飛ばすか?

 

 思考は巡る。だが、考えてじっとしていたところでカウントダウンは止まることは無い。ウルは魔王の死体から背を向ける。デタラメに大暴れしすぎたが、今は“爆弾”のある広間に戻っていた。奇跡的に未だ大部屋の中央付近に鎮座していた爆弾へと、ウルは足を向け―――

 

 ―――“死”!?

 

 だが、次の瞬間、怖ろしい寒気に襲われた。それとほぼ同時に

 

「――――油断大敵だなア、ウル?」

「な――――があ!?」

 

 そして次の瞬間、背後から腕を掴まれて肉を引き千切られた。

 なにが?!と、一瞬動揺したウルは、自分の思考に怒りを覚えた。なにが、などと考えるまでも無いことだ。敵など魔王以外に誰がいる!!!

 

 だとすれば、疑問はどうやって?だ。

 確実に死んだ。その死をどのようにして凌駕した!?

 

 ウルの肉を素手で引きちぎったのは確かに魔王の腕だった。だが、それは荒々しい魔王の腕とはまた違った。腐り爛れ、骨が覗く腐敗した腕だ。その有様に見覚えがある。死霊術師によって生み出された鮮死体。生きたままに死ぬことも許されず存在する不死者。

 

 不死の特性。それを自在に操る凶竜を魔王は最初から有している。

 

「【怠惰】……!!」

「ハッハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 魔王は狂笑し、剥き出しになった筋肉を膨張させ、ウルへと拳を叩きつける。ほぼ身構えることもできず、ウルの身体は吹き飛ばされた。

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り2分》

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚天跋扈⑧ 迷宮

 

 ――何故そんなことをしたの!?此処には全てが存在していたのに!!

 

 ブラックが、怠惰の神殿を獲得した天愚の力で全てを台無しにしたその日。

 神殿長を務めていた父親や様々な友達。気の良い親戚に親切な仲間達。その全てを台無しにしてグズグズの肉片に変貌させた。だが偶然に、彼の母親は天愚の闇から逃れていた。

 別に、彼女への攻撃を無意識に避けていたりだとか、そういったことはなかった。本当にただただ偶然、彼女が生き残っただけのことだった。天愚の練習が必要だなとブラックはそう思った。

 

 ―――皆、貴方を愛していたのよ!貴方だって愛していたでしょう!?なんで!!?

 

 顔が半分爛れた母親が発狂しながら叫んでいる。

 

 けたたましいな。とブラックは素直に思った。

 

 普段、彼女や他の家族、友人達に見せていたブラックの顔に本当のことはひとつも無かった。それらしい笑みを浮かべて、それらしく自信ありげに振る舞って、相手が言って欲しそうな言葉をそれとなく並べる。

 それだけで彼等は知ったような顔になって、容易にブラックを信頼していた。全ての【天愚】の継承候補者がブラックに心酔するほどに。

 

 なんとまあ、つまらない環境だった。

 

 何もかもあって満たされていたと自分の母親は言っているようだが、信仰の複雑さ故、歴々の王たちが扱いに困り、しかし失うわけにも行かずに作った薄っぺらくて底の浅い箱庭の容量なんてたかが知れていた。そこの住民もたかが知れていた。自分で自分を洗脳して楽園の中で、同じような顔で笑って、同じような話題を毎日同じようなことをして、腐っていた。そんな場所で満たされたからといってなにが喜ばしいのか、ブラックには本気で理解が出来なかった。

 

 それが、なんとなく、煩わしくなったから

 彼はそれを自分に当てはめようとする神殿を 

 それを望む天賢の王の箱庭を

 イスラリアを自分の望む形に変えようと、そう思ったのだ。

 

 彼の望む変革の規模に対して、母親の望む幸せの範囲はあまりにもかけ離れていた。血がつながり、十数年間共に過ごしてきたはずなのに、彼女とブラックには致命的なまでの隔たりがあった。

 

 ―――なん……なんなのよ、お前は……!!

 

 そしてその事実を、母親も理解したのだろう。深く傷ついた顔をした後に、激しい憎悪と怒りを顔に出した。既に息子に対する愛情なんてものは消え失せていた。

 

 ―――お前なんて、お前なんて誰にも理解されないわ!!誰にも!!この

 

 いい加減、喧しくなって、ブラックは【天愚】を放って母親を潰した。あっという間に肉体がグズグズに消えて、跡形も無くなった。別に、その事に対して何かしらの感慨を抱くことは無かったが、一方で彼女が最後に言い残した言葉は少しだけ、心に届いた。

 

 誰にも、理解されない。

 

 それは母の呪いの言葉だった。間違いなく深く意図した言葉では無かったのだろう。兎に角相手を傷つけられれば良い、そんな感情に身を任せた発言だった。ただ、結果としてそれがブラックの琴線に触れた。

 

 そうなのだろうか?

 

 知識はある。この神殿で読めるだけの資料は全てに目を通して、此処の外の社会形態がどのようになっているかは把握している。一方でそれはあくまでも知識だ。実際に触れて見て、経験するものとは違う。外の世界は彼にとっても未知だ。

 

 もしかしたら、理解者、同類は一人くらい出会うことになるかも知れない。

 

 自分が異常なヒトデナシであるのは理解している。故郷の肉親も親戚も友人もその他諸々、自分の欲望のために殺戮したのだ。集団に生きる生命体として異常も異常だろう。そんな異端者が何人も居るとは思わないし、もし偶然出会ったとしたら、殺し合いになる。

 だから、別に出会いたいかといわれたらそんな風には思わない。そもそも彼は孤独であることになんら不自由を感じなかった。他者からどう思われようとどうでもいいし、死ぬまで一人でも恐らく何一つ思わない。だからこれは単なる好奇心。

 

 自分と同レベルの狂人がいたら、自分はどんな風に思うんだろうという知的好奇心だ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り2分》

 

 そして、現在。

 

「楽しいねええ!!ウルよお!!!」

「うるせえよ怪物がぁ!!!!」

「ヒトのこと言えた義理かよ!!」

 

 死竜の力によってよみがえったブラックは狂喜していた。

 竜の力で死を乗り越え、腐敗の浸食を神殺しの力で破壊する。無茶苦茶な抜け道だった。

 無論、言うまでもなくこの現象を引き起こすためには膨大な魔力を消耗する。無茶に無茶を重ねているのだ。へそくりの神薬も消耗しきった。この後、神と殺し合いが始まるかも知れないことを考えるとあまりにも手痛い消耗だ。

 だが、ブラックは気にしない。むしろそんなこと今は心底どうでもよくなっていた。

 

「は!!ははははは!!!!ははははははは!!!!」

 

 消し炭のような状態から完全なる肉体の再生と共に復活したブラックは、そのままウルとの殴り合いに興じた。銃のメリットも無い近接戦闘。二本の槍を振り回すウルの方が分があるように思えたが、関係なかった。双槍のウルを容赦なく叩きのめしていく。

 

 理由はシンプルだ。

 ブラックが、全てにおいて天才だったと言うだけの話だ。

 

 近接格闘術も、剣術も、槍術も、ありとあらゆる体術も、遠隔戦闘も何もかも、彼は身につけている。収め、体得し、その全てで非凡な才覚を発揮している。

 彼は天才で、異端で、特異点だった。

 天愚を収める牢獄から外へと飛び出した彼にとって、外の世界はそれまでいた牢獄の中と大して変わりはしなかった。彼の容姿に、知識に、能力に、多くの者達が容易に靡き、そして魅了された。彼に平伏し、縋り付く者は多かったが、彼と敵対する者は少なかった。

 

 彼が王国を築き上げるのに何の障害もなかった。

 造られた狭い“方舟世界”は彼の思う通りで、あまりにも狭く、つまらなかった。

 唯一、友であり、敵として認めたアルノルドが消えてから、更につまらなくなった。

 だが今は、つまらなくなかった。

 

「五月蠅え!!!つってんだろうが!!!」

 

 白蔓で強引につなぎ止めた千切れかけの腕で槍を振り、魔王の身体を貫き、引き裂く。その槍術はブラックの目から見て不細工だ。此方の動きを真似て学び吸収しようとしているが、それでもあまりにも不格好極まった。

 ウルには生まれ持った才能も、培ってきた努力と時間も無い。道理でしか無い。

 なのに、その攻撃を魔王は捌ききることは出来ない。

 

「砕けろ!」

「…………!!!」

 

 一直線に突き出された竜殺しから放たれる破壊の力に、魔王の身体は引きちぎられる。弾けた魔へと穂先が開き、竜牙槍の顎が解放される。追撃の砲撃が来る。

 

「【変貌れ!!】」

 

 瞬時に実体を伴う幻影を創り出す。盾とし、壁として、そして攻撃としてウルへと一斉に魔王の幻想が襲いかかる。だがウルは逃げも動揺もしなかった。

 

「―――全部殺せばいいんだろ?」

 

 殺意満ち満ちた宣告と共に、竜牙槍は変貌する。竜の顎が広がり、散開した魔王全てを喰らいつくさんばかりに広がった。

 

「【咆哮よ、導を喰らえ】」

 

 昏翠が輝き、魔王達を捕らえる。次の瞬間迸った咆哮はその軌跡を拡散させた。本体である魔王自身をも焼き払い、穿った。

 

「が……!!」

 

 爛れ腐った肉が焼け、真っ黒な血を吐き出しながら、魔王は囁いた。

 

「【熟れ、爛れよ】」

 

 口から零れた血が一気に腐敗する。ほんの一瞬で穿孔王国全てを支えていたガスに変わり、それが機神の放つ熱によって瞬時に発火し、爆発を引き起こした。こちらの心臓を狙い特攻を決めようとしたウルはモロにその爆発に吹き飛ばされた。

 

「っがあああああ!!?」

「【天罰覿面・禍ツ愚星】」

 

 灼熱に焼かれたウルの顔面に拳をたたき込む。まるでボールのように壁や天井に跳ね返り、最後には壁に激突した。良い感じに色々とへし折れる音も聞こえてきた――――が、その後ウルはすぐさま立ち上がった。

 

「はは、さい、ごうだなああ?おい!」

「なにがだっつぅの……!!」

 

 楽しい。

 楽しかった。

 ブラックは人生で初めて、生きているような気分になった。

 そして哀しくもなった。この殺し合いはもうすぐ終わるからだ。

 ウルがブラックを殺すにしろ、ブラックがウルを殺すにしろ、もうすぐ終わる。ブラックはそれを予期していた。そしてそれを止める気は無かった。

 

「【其は安寧を願う慈悲の微睡み】」

 

 魔王が手の平を付けた部分から、その周辺が急激に劣化を開始していく。方舟を砕く爆弾を保管するためのホールが、瞬く間に黒ずみ、穢され、浸食していく。

 

「なん……!?」

「お前が使ってる【竜化】は何も武器だけを対象にするものじゃねえんだぜ?」

 

 地面を、壁を、天井を、空間を、“全て”を自分とする。

 ウルのいる場所も含めた、一切合切が魔王支配下の【迷宮】となる。

 

「凌いでみせろよ、死にたくなけりゃな」

「っ!?」

 

 ウルはがくりと膝を突く。傷を負ったわけではない。爆発的な速度で周辺全てが腐敗したことにより、足下が崩れたのだ。まるで沼のようになりながら彼の足に絡みついて、捕らえた。

 

「【愚星混沌】」

「ば――――」

 

 そして汚染されたその全てを、闇が呑み込んだ。

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り1分》

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰王勅命・達成不可能任務 愚天継承

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り1分》

 

「っゲホ、クックク」

 

 魔王は消耗激しい身体を引きずるようにしながら、楽しそうに笑った。 

 体力も魔力もゴリゴリに削られている。

 全身がけだるさと痛みで発狂しそうなくらい不愉快だ。最悪で最高だ。

 

 自らが創り出した不死と腐敗の空間を魔王は突き進む。この空間全てが自分の手足、ブラックの迷宮だ。故に、この空間の存在をブラックは掌握している。そしてこの空間、ブラック以外の生命の気配はない。ウルの痕跡も皆無で、彼がいた場所は【愚星】の残り火が揺らぐばかりで、なにもない。

 

 そう、この【不死の迷宮】に命の気配は存在しない――――()()()()()()()()()()()

 

「さて、死んだかあ?――――なんて」

 

 ブラックは笑う。笑いながら、上を見上げた。

 

「そんな訳ねえよなあ!!?ウル!!!」

 

 見上げるとそこにウルがいた。

 空間の全てを竜化し、全方位から放たれる神をも殺す愚者の闇。

 回避の手段はたった一つ。空間を、自身の竜化によって塗り替える他ない。

 

「――――――」

 

 不死と腐敗世界。

 その天に白い花が咲き乱れ、その花畑の中央で天地を逆さにウルが立っていた。

 

「1兆点やるよ。死ね」

 

 だが、攻撃のイニシアチブは魔王が握っていた。

 腕を上げる。既にウルの回避を予期して力を蓄えていた竜の顎を開いた。既に咆吼のエネルギーは充填済みだった。後は焼き殺すだけ――

 

 ――待て、コイツどうやってあの拘束を抜けた?

 

 しかしその刹那、魔王の理性が疑問をこぼす。

 直感による確信、ウルならばこちらの攻撃を凌いでみせるだろうというある種の信頼は、理屈全てを置いてけぼりにしていた。 事実、正しい直感だったが、その魔王の中で捨て置いた理性が警鐘を鳴らしていた。

 

 最初の攻撃、空間の支配、その最初に行った拘束からウルは抜け出している。彼はその場で空間を支配し、全方位攻撃から逃れていなかった。こちらの意表を突くべく天井に移動し、その場で天井を支配下に置いたのだ。

 

 どう逃れた。腐敗の泥によってその両足は捕らえたのに―――

 

「――――足」

 

 ブラックは天井を踏み場に身構えるウルの、その両足を見た。

 鎧の具足のように見えたそれは、そうでは無かった。正確に言えば、形が変わっていた。ウルの両腕を変えた竜化現象が、ウルの両足をも覆っている。

 魔王がヒントを与えた。【竜化】は武器に限るものではないと。それをウルは体得し、空間を支配した。ならばその要領で防具を強化した?

 否、だとして拘束を抜ける理屈にはならない。

 

 ならばと魔王は刹那の内に観察し、理解する。ウルの身体は血にまみれていた。ブラックが与えたダメージ以上の傷が、彼の下半身をべっとりと濡らしている――――

 

「ッハハハ!」

 

 ―――このイカレ野郎、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

「【彼岸舞踏・王影】」

 

 次の瞬間、魔王が【咆哮】を放つよりも更に速く、竜の爪が天を蹴りウルは跳んだ。

 その速度に、ブラックといえど対応することは出来なかった。

 気が付けば彼の身体に竜殺しが突き立っていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 両足から伝わる激痛は、朦朧としかけていたウルの意識を正気に保った

 その痛みと怒りを力に込めて、天井を蹴る。咆哮が身体を掠め、焼かれる痛みに歯を食いしばりながら、ウルは一気に魔王へと突貫した。

 

「――――っが!!」

「っぁあああああああああああ!!!!」

 

 【竜殺し】の刃が魔王の胴体に直撃し、ウルは舌打ちする。

 【心臓】を狙ったはずだが、寸前で回避された。だが、構わなかった。

 そのまま地面へと叩きつけ、ブラックを竜殺しで串刺しにして縫い止め、竜牙槍で魔王の心臓を今度こそ貫き殺す。

 気がかりは不死の蘇生だが、アレも無制限ではない筈だ。何度でも死からよみがえるのであれば、この男は必ずソレを前提として戦いを組む。そうしてこなかったと言うことは制限がある。

 

 制限(それ)がないならば、敗北が確定する。考慮する必要はない。

 

「ううううううううううううううがああああああああああ!!!」

 

 魔王は心臓を貫こうとする竜牙槍の刃に自身の手を食い込ませて防いでいた。

 掌が引き裂けようとも刃を防ごうとするその行動自体が答えだ。

 殺せば死ぬ。ならば殺す!!!

 

「【微睡めやぁ!!!】」

 

 だが無論、即座に魔王は対応した。周囲が淀み、腐る。串刺しにした地面まるごとに腐り、崩れていく。拘束が解かれる。そうして距離を取られれば、ウルの方が先に力尽きる。

 

「【白姫華!!!】」

 

 ならば、と、ウルもまたそれを返した。命の流転、生命の循環によって不死竜の世界を喰らう。不死の荒野を生み出そうとした闇に白き花々が芽吹き、花開く。崩れかかった地面に根を張り、結びつき、空間を固定化する。

 命の腐敗が花々を即座に腐らせる。だが、枯れ墜ちた花から落ちた種から再び新たなる命が芽吹き続ける。生命の流転、停滞と不死、相反する二つの事象がぶつかり合い、世界を塗り替え合う。異様極まる空間の中心で、ウルとブラックは命を奪い合っていた。

 

「ぐ、うううううう、ううううううう!!!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 魔王の身体から舞い散った黒い蝶がウルの身体を穿つ。

 ウルは竜牙槍と同時に竜殺しを捻り、臓物を抉る。心臓へとその刃を進める。

 両者から零れた血が怠惰によって腐り、腐敗した血に色欲の草花が生い茂る。

 

 生命の冒涜と賛歌がめぐるましく蠢く。

 

「「…………っ!?」」

 

 そして限界が訪れた。だがそれはウルでもブラックでもなく、地面だ。

 ブラックの一撃によって爛れ、砕けた地面が完全に限界を迎え、一気に底が抜けた。大陸をも砕く魔弾を収める台座も、爆弾そのものも、ウルもブラックも全てが一気に墜ちていく。その隙を一切逃さず、魔王は槍から自分の身体を引き抜き、墜ちていく。

 

 このまま逃げ回るのは魔王の勝ち筋の一つ。そのまま爆発が起こればこちらの目的は失われ、魔王は目的を達成する。爆弾、残り時間、体力は、残る魔力は――――あらゆる情報が一気に押し寄せる。だが、

 

  ―――その業を極め、それ以外の全てをそぎ落とした果ての現象。

 

 その一切を、ウルは放棄した。やるべきは一つ。

 

「穿つ」

 

 崩壊で墜ちていく腐敗と再生の混沌、そのただ中、昏翠の瞳が導くようにその道筋を見極め、捉えた。瓦礫の雨に降られながらも迷うこと無くこちらを狙う銃口、魔王の姿がそこに在った。

 

 ウルと同じく崩落した地面を足場とする。竜の爪は落下の最中で在っても尚、正しく掻いて、主の身体を前へと押した。

 

「【魔穿】」

 

 全てが墜ちる中、穿つ闇の咆吼をくぐり抜け、灰の閃光が奔る。

 無数の瓦礫と機神の断片、その全てを超えた先にある魔王をウルの穂先は捕らえた。

 

「―――」

「ッハ!!」

 

 刹那、二人の視線は交差し、同時に動いた。

 不死の魔弾と輪廻の魔穿、その命運を分けたのは技量の差異でも、才能の有無でもなく、ただ純粋な相性だった。

 命の終わりすらも受け入れる生命の循環は、死の嵐を起こす魔弾をも穿ち、切り裂く。

 

 それがただ、有する武器の違いによる結果であったとしても――

 

「やるじゃん。ウル」

 

 ――魔王はそれを賞賛した。

 

 その言葉がウルの耳に届くと同時に、魔王の心臓は穿たれた。

 

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り20秒》

 

 

「っが!!」

 

 ウルは地面に叩きつけられ、転がった。激痛で体が震える。だが、その痛みのおかげで気を失う事だけは避けることができた。

 震える両足になんとか力を込めて、立ち上がると、すぐ傍で魔王の身体が地面に落下する。今度こそ、そこに命はかけらも残ってはいなかった。不死と腐敗の蘇生も起こらず、灰のように崩れていく。ウルはそれを一瞥すると、小さく囁いた。

 

「……じゃあな、ブラック。アンタ本当に、無茶苦茶だったよ」

 

 ウルは立ち上がるり、歩く。そのたびに激痛が走る。限界を超えて、痛みで気を失いそうになるのを無視する。そのままウルは先程から繰り返し警告を叫ぶ方角へと向かった。

 

 

《大陸破壊戦略魔弾時限起動まで、残り5秒》

 

 

 ウル達と共に落下した爆弾の前に立つ。

 自己主張の激しい警報音が全方向に発せられている。既に熱は尋常ではなくなっている。あと数秒でウルは疎か、ウルの仲間達もそうでない者も、全てが灰燼と化す事になる。

 魔王から引き継いだ闇を引きずり出して、竜牙槍の穂先に乗せる。

 

「【愚星】」

 

 脈動する兵器に向かって槍を叩き込む。残り数秒でイスラリアという世界を滅ぼしていた極大の爆弾は、あらゆる道理を全て踏みつけに何もかもが闇に飲み込まれ、その全てが台無しとなった。

 ウルを覆う【白焔】も全てが消えていく。

 

 

《残り3,2,1――――――――      》

 

 

 警報が止まった。

 熱も失せていく。闇の中で形を失って、魔弾は崩壊して、風化して、風に吹かれて消えていく。機神の中はそれでも尚騒音に満ちていたが、不思議とウルの周囲は静かだった。

 

 ウルはそのまま深々とため息をつくと、突き刺した槍の柄を握ったまま、がくりと膝をついた。

 

「…………心臓、止まるかと、思った……!!」

 

 それは疲労と痛みからではなかった。内側からあふれ出る震えからだった。

 

「ああ、畜生……!くそったれ!!大変ありがたいご指導だったよ魔王様!!!」

 

 ウルは悪態をつきながら、魔王に感謝を告げる。

 分かっていたつもりだった。自分は世界の構造を破壊する所業をするのだと。

 その結果、多くの人類の運命が狂ってしまうということも分かっていた。

 

 言葉では、分かっていた。

 

 だが、正しく実感できてはいなかった。まだ、認識がぬるかった。

 ウルの認識がどれほどなまっちょろいかを、魔王に思い知らされた。

 今から自分が、どれほどの所業を仕出かそうとしているのかを、実体験させられた。

 そして何よりも――

 

「こんなもん背負ってやがったのか、あのバカどもは!!!」

 

 ――二人の勇者が、どれほどのものを背負わされようとしているのかを理解させられた。

 

 二人は、こんなものを既に背負っていたのだ。これだけの所業を、自らの意思で行おうとしているのだ。必要故、義務故、善性故に、もしかしたら魔王の用意した爆弾よりも遙かに残酷に世界を救い、世界を滅ぼす。

 

 そこに、これから自分は踏み込まねばならない。自らの意思で。

 

 手足が震える。それはギリギリの瀬戸際で爆弾を止めることが出来た安堵故ではない。これから自分が向かう道行きのあまりの険しさに、肉体が、理性が、本能が、身体の全てが恐怖していた。

 

 もう逃げよう。弱音がささやいた。

 

 この期に及んで、仲間達を巻き込んでやってきても、情けない声が漏れ聞こえてくる。

 

 だって、どう考えたって無理だ。

 

 自分は救いようが無いくらいの凡人だ。なのに周囲の連中は、これから戦わなければならない敵達は、一人残らず努力家で、天才で、偉人で、怪物で、宿命を背負い、運命に選ばれている。何より彼等はそうあれと願われている。

 そんな彼等の役割を、宿命を、己の願いただ一つの為に破壊するのか。それに巻き込んでもっと多くの、かつての自分と同じ連中を踏み砕いていくのか?

 

 そんな怖ろしいこと、そんな勝手なこと、やってはいけない筈だ。

 なら、逃げたって、誰も文句は言わないだろう?

 

 ああ、全部正しい。一つたりとも間違ってはいない。

 

 なのに、

 

 震えても、足は一歩も後ろに退こうとはしない。

 手は震えても、槍を手放そうとすることはない。

 度しがたいほどに、自分の身体は逃げだそうとしてくれない。

 

 生物として、この世界に生きる者として真っ当でありたいなら、理性と本能に耳を傾けるべきだ。そうしなければならない。分かっている。分かっているはずなのに――――

 

【だったら、お前は、あの二人だけが世界を背負うのを見過ごすのか?】

 

 声がする。理性の弱音も、本能の悲鳴も凌駕する、何もかもを圧する声が、己の内側から響き渡る。どうしようもなく抗えない声が、木霊する。

 取り込んだ、魔王ブラックの魂の残響――――ではない。まったく違う。

 その声は、幼い頃からずっと、己の内側から木霊していた声だった。

 

【良心を引き裂かれて尚、血反吐を吐いて殺し合うあいつらを、見過ごすのか?】

 

 おぞましく、禍々しい、あらゆるを叩き潰すその声は、紛れもない、自分の声だった。本能も、理性も、何もかもを凌駕するほど強く、大きな根源から押し寄せてくる声。

 

【血涙を流して、地獄の底で殺し合う二人に全てを預けて、見物して、安心するのか?()()()()()()()()

 

 己の魂の咆哮が、ウルを殴りつける。

 此処で逃げ出すと言うことは、ソレを容認すると言うことだ。 

 安全な場所で、彼女たちの魂の断末魔を、聞かぬ振りをするということだ。

 "己”の衝動から、見て見ぬふりすると言うことだ。

 

【――――ああ、俺は()()()()に遭わなくてよかった、と】

 

「巫山戯んな」

 

 震えが、徐々に収まる。手足に力が戻っていく。

 

「誰が認めるか、認めてたまるか。そんなもの」

 

 崩壊し、損なわれていく残骸に突き立った槍を引き抜いて、ウルは立ち上がる。

 

「あの二人だけに、こんなおぞましいもの、背負わせてたまるか」

 

 そうして、邪悪なる愚天魔王によって、欠けていた最後の一欠片は埋められた。

 

 全身を竜に飲まれ、

 神を殺す闇を纏い、

 その一切を圧する、凶暴なる意思を持った君臨者。

 

「武器は揃った。後は――――」

 

 【終焉災害/灰の王】は降誕した。





 【終焉災害/愚天魔王討伐戦 達成】

 【愚天継承】

 【達成不可能任務・灰王勅命《ウルクエスト》 惑星破壊《プラネットデストラクション》――――初戦、突破】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/抗う者達
混迷の世界


 

 【月神シズルナリカ】によって【真なるバベル】は乗っ取られた。

 

 無論、言うまでもなくその影響はイスラリアの方舟全てに影響を及ぼす。特に【太陽の結界】への影響は計り知れない。その多くが揺らぎ、銀竜達への影響を余儀なくされた。

 

 竜や魔物達に対抗するための最大の守りが失われ、人類は為す術なく――――

 

「まさか、本当に使うことになるとは、ですね」

「備えあればというが、本当にまさかだ。歴代当主の執念勝ちだな、これは」

 

 ――――やられる、と言うこともなく、その瀬戸際にて踏ん張っていた。

 

 【大罪都市ラスト】の地下空間にて、レイライン一族の長代行のダーナンと、その補佐役ボロンの二人は並び立ち、そこに刻まれていた巨大なる白王陣を起動させていた。

 かつて白の魔女から継承され、脈々と受け継がれてきた人々を守るための守りの力。時代と共に役割を失い忘れ去られてもなお、歴代レイライン当主が執念といってもいい思いを込めながら維持し続けたそれが、輝きを放っていた。

 

 その輝きは大罪都市ラストのみならず、その周辺の衛星国に至るまで連なり、そこから更にその光を伸ばしていく。薄れ欠けた太陽の結界を助けるようにして、目映い白の結界が、方舟を覆い尽くす勢いだった。

 

 すさまじい力だった。このような窮地にならなければ全く意味の無い力だった。全てが無為に帰す。その可能性を理解していながらもそれを承知で、何年も、何十年も何百年も、何世代にもわたって注ぎ込みつづけた力が花開いていた。

 

「リーネには謝っておいた方が良いかな」

 

 ボロンは小さく、苦笑する。歴代のレイライン当主達の努力を「固執の類い」と断じて、切り捨てようとしていたのはボロンだ。しかし今、結果論かも知れないが、その判断が誤りであったことを思い知らされた。

 

「多分、感謝した方があの子は喜ぶよ」

 

 ダーナンは小さく笑う。

 彼女が旅に出てから、定期的にリーネからの手紙は届いていた。それまで、彼女の内面にあまり触れることが出来ていなかったが、手紙の中の彼女は思った以上に饒舌だった。かなり、いやとてつもなくエキセントリックな旅を続けているようだが、その中でも家族への気遣いや、仲間達に対する信頼、そして家族から受け継いだものに対する誇らしさが語られていた。

 彼女は表情に出ないだけで随分とわかりやすい子だった。

 近くにいるとき、そういう彼女の内面を理解してやれなかった事、それが自分の手元から離れてしまった後にわかったことは少し悔しかったが、それでも彼女がのびのびとやれている事がうれしかった。

 

 しかし今、そんな彼の心中など知ったことかというように、世界は大変なことになってしまった。この地下空間にも聞こえてくる地響き、戦闘音を耳にしながら、ダーナンは目を細める。

 

「……どうなるんだろうね、これから」

 

 白王陣の力は、太陽の結界のように無尽蔵ではないし、やはり結界をも侵入してくる銀竜達の侵攻を完全に抑えるには至らない。厳しい状況は続くだろう。あるいは本当にこのまま世界が終わってしまうかも知れない。

 家族達には大丈夫だと言い聞かせたが、やはりどうしても不安だった。

 

「わからぬよ。わからないが……うむ」

 

 ボロンもそれは同じだったのだろう。苦々しい表情を一瞬浮かべ、そして首を横に振る。

 

「――――諦めるのは嫌だな。我が一族の復興はここからなのだから」

「おじさん」

「抗おうとも。でなければ、無為であるとしてもと、これを刻み続けた歴代当主に笑われてしまうよ」

 

 ダーナンは足下を見る。血が滲むほど、地下空間が削り取られるほどの力強さで刻まれた白王陣が光り輝きながら、その上に立つダーナンを見つめていた。

 発破をかけられている、というよりも睨み付けられているかのような感覚に陥って、ダーナンは苦笑した。それはあのとき、当主の座を奪い取ったリーネの瞳そっくりだった。

 

「そうだね、負けてはいられないな」

 

 彼はうなずき、今なお力を広げ続ける白王陣の制御に集中した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「っきゃあああー!!?」

「いや!いやあ!!」

 

 大罪都市国グラドルの神殿は混沌のただ中にあった。

 太陽の結界が揺らぎ、竜達が侵入し暴れ回る。その地獄のような光景は、グラドルにとって二度目だ。一度目は神官達がおぞましい粘魔の竜となって暴れ回った。そして今回の二度目、しかし慣れるという事はあり得なかった。当たり前だが、彼らにとって二度と起こってほしくないトラウマに等しい。

 ソレが再び、情け容赦なく起こったのだ。パニックは必然だ。

 

「た、助け―――」

 

 神官を助けるべき従者達も泣きわめきながら逃げ回るばかりだ。しかし、そんな中にも、

 

「落ち着きなさい、あんたら!!!」

 

 力強く一喝し、混沌を鎮めようとする者もいた。

 従者ミミココはその小さな手で壁を殴りつけて、慌てふためいて泣きわめく従者達を落ち着かせた。手がものすごく痛かったのでちょっと泣きそうになるのを我慢した。

 

「魔物が入ってきた時の避難マニュアルあったでしょう!慌ててどうするの!」

 

 そう、こういうときのマニュアルは用意されていたのだ。

 先の騒動が起こったとき、同じような事態が起こらないとは限らないとラクレツィア様が先回りして用意したものだ。大罪都市プラウディアから用意を促された避難所(シェルター)への避難路や、そこにたどり着くまでの手順など、事細かに書かれたものが全ての従者達に渡されている。

 勿論ミミココも読んだ(正直寝落ちしかけそうになるくらい超つまんない内容だったけど)。こいつらもソレは読むのが義務だったはずなの、だが、

 

「…………」

「……あった……っけ?」

「知らない……」

 

 ダメだった。

 

「ちゃんと読んでなさいよ、もー!!こっち!!」

 

 ミミココはぶち切れながら従者達を先導し、移動を開始する。

 あちこちで戦える神官達が侵入してきた銀竜達を迎撃している。よく見れば決して、もうどうしようも無い状況ではないのだ。ラクレツィア様が準備をたくさんしてきたのだからきっと大丈夫!と、ミミココは自分に言い聞かせながら背後の従者達に発破をかける。

 

「あと少しで―――っ!?」

『――――――――AAA』

 

 だが不意に、上空から出現した銀竜にミミココは体を強張らせた。それでも泣きそうになりながらも背後の従者達をかばおうとしたのは反射だった。だけど、そんなことをせずに逃げれば良かったと後悔した。

 ああ、どうせならお母さん達に会いたかった。そう思いながらミミココは観念するように目を閉じた――――が、

 

「先輩、大丈夫ですか?」

 

 不意に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。目を開けて顔を上げると、“新人”がいつもの笑みを浮かべながらこちらをのぞき込んでいた。

 

「あ、あれ?新人?竜は?」

「あっちに」

 

 そう言って彼は指さすと、自分に襲いかかろうとしていた筈の銀竜が、そのすぐ隣の中庭に墜落していた。顔面から中庭の噴水に突っ込んで、なかなか悲惨な事になってる。

 

「目算を誤って墜落したみたいですね」

「……あれえ、本当?ラッキー!」

 

 本当にラッキーだった。ミミココは幸運に感謝した。きっと日頃、【運命の精霊フォーチューン】様にお祈りしていたのが功を奏したに違いない(祈りの内容は今日の配食はデザートプリンが良いですとかそんなのだったけど)。

 

「……いや、今、なんか、足で蹴っ飛ばし……」

 

 背後で従者達が何やらぶつぶつと言っているが、ミミココは気にならなかった。それよりも、新人の背後に目がいった。

 

「ミミココ」

「ラクレツィア様!」

 

 ラクレツィア様が新人に先導されてやってきた。ミミココは驚き、喜び、咄嗟に彼女に抱きついた。いけない無礼だったかも、と思ったがラクレツィアはそのままミミココの頭をなでてくれて、うれしかった。

 だけど、喜んでもいられない。ミミココはすぐに顔を上げた。

 

「一緒に逃げましょう!」

 

 しかし、ラクレツィアはすぐに険しい表情になり、首を横に振った。

 

「貴女は逃げなさい。私はまだ、神官達の指揮を執らねばならないから」

「でも!」

「さあ、早く。戦えない者は皆、この先の避難所(シェルター)へ。そして神官の皆へ、無事と安全を祈るのです」

 

 その言葉に従って、ミミココについてきていた従者達は次々と避難所へと逃げていく。しかし、当のミミココだけは、その場に踏み止まり続けた。

 

「ミミココ?」

「……ラクレツィア様、仕事はできるけどお部屋のお片付けとか全然じゃないですか!」

 

 そしてぶち切れた。んもー!!と雄叫びを上げる。銀竜達を迎撃していた神官達は新手の魔物でも出たのかとぎょっとした表情でこちらを見てきたが気にしない。ミミココは振り返り、新人に向かってガッツポーズをとった。

 

「執務室に行くぞ-!!新人!!!どうせ部屋も散らかり放題なんだから!!!」

「はい、先輩」

 

 そう言って、ミミココはラクレツィア様の仕事場に直進し、腕まくりする。絶対に絶対に絶対に荒れ放題だ。徹底的に片付けてやる!かつて無いほどの労働意欲をオーラのようにまといながら、ミミココは突撃する。

 

「…………」

「新人従者が今の仕事だ」

「…………わかったわよ」

 

 ミミココの背後の二人のやりとりは、彼女には聞こえることは無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混迷の世界②

 

 

 大罪都市エンヴィーもまた、太陽の結界の揺らぎに伴い状況は変化していた。

 

「グローリア様!もう無茶です!!」

「泣きごとをいうんじゃないですよ!」

 

 ガルーダは飛翔する無数の魔物達の襲撃に遭っていた。

 太陽の結界は、魔物の進路をただ塞ぐためのものではない、中に潜んだ人類の気配を隠し、魔物達を退けるための力を常に放っていた。ソレが失われた事によって、都市の外ではびこっていた無数の魔物達がヒトの気配に誘われてやってきたのだ。

 

『――――――――――――――』

 

 燃えるような炎の鱗粉をまとった【火雷蝶】、十数メートルはあろうかという蝶達が炎をまき散らしながら移動要塞ガルーダに群がり、焼き払わんとする。天空を自在に駆けるその飛翔能力によって焼け落ちる事だけは回避しているが、それでも内部は熱が籠もり、乗組員達は地獄のような苦しみを味わっていた。

 

「グレーレの国を守るのです!!!」

 

 そんな中、彼らの指揮を執るグローリアだけは元気いっぱいだった。騎士鎧を脱ぎ捨ててインナー姿になりながら、猛る彼女の姿はなかなかにすさまじいものではあったが、しかし周囲はその熱意についてはこれない。

 

「ふざけんなよ!あのヒトはとっくに俺たちを見捨てたんだ!!」

「いい加減現実見ろよクソババア!!!」

 

 とうとう、耐えきれなくなった騎士が叫んだ。

 遊撃部隊の騎士のなかでも、あの“陽喰らい”の後も残り続けた者達だった。しかしそれは別に、忠誠心が高かったりだとかそういう事では無い。単に仕事を失って食っていけなくなるのが嫌だっただけだ。

 元々労働意欲なんて無いに等しい。そこに来てこの大騒動だ。限界が来た彼らはとうとう叫んでしまった。

 

 ぶち切れてヒステリックが飛んでくる。そう思い彼らは身構えた。

 

「なあんにもわかっていないのね?あのお方はねえ……!」

 

 が、しかし、以外にもグローリアは冷静だった。むしろ余裕に満ちた笑みを浮かべる。そしてそのまま彼女は右手で握りこぶしをつくり、それを掲げ――――

 

「本当の本当にすごいのよ!!!」

 

 ――――なんというか、本当に頭が悪い信奉を叫んだ。

 

「…………ば、バカかアンタ」

 

 直接それを告げられた騎士達は、あまりの衝撃に一瞬絶句した後、思った通りの感想を告げた。元々グレーレの操り人形の哀れな女だとは思っていたが、想像を遙かに超えるあんぽんたんっぷりに言葉も無かった。

 

『――――――――――――――』

 

 しかし無論、そんな彼らの混乱した心中など魔物達は知ったことでは無かった。気がつけば【火雷蝶】がガルーダを取り囲むようにして動き、そして炎の鱗粉をまき散らすように強く羽ばたく。もう回避なんてできないとガルーダを補助していた術者達は身をかがめる。

 

「――――!!」

 

 唯一、グローリアだけが、外の光景を映し出す水晶を睨み付けた。そして、

 

『――――――――っ    』

 

 次の瞬間、地上から突如として天を切り裂くようにして伸びる無数の光が魔物達を引き裂いていった。

 

「なん、だ!?」

「何の攻撃だ!?地上からの支援か!?」

「い、いや!見ろ!」

 

 そして、ガルーダの周辺を映し出す水晶の内、エンヴィー中央工房の映像を騎士の一人が指さした。そこには、中央工房のあちこちから、巨大な数メートル超の人形が出現していた。それらの人形は次々に、上空を舞う銀竜達や魔物達を迎撃していく。

 先ほど、ガルーダを囲っていた【火雷蝶】達を打ち抜いたのも、人形達の咆吼に違いなかった。

 

「……ありゃ、間違いねえ。グレーレの作品だ」

 

 騎士達の中でも、年老いた騎士がぽつりと、確信に満ちた言葉をつぶやく。確かにこの、こちらの苦労や鼻で笑うかのように攻略してしまうのはグレーレの技術に他ならない。

 なにゆえに中央工房から突如としてそれらが出現したのか、最初から用意していたものなのかはわからなかった。が、自然と騎士達の視線は司令席で仁王立ちするグローリアへと集まった。

 

「ほーらみなさい!ほらみなさい!!!」

 

 その彼女は、掲げた握りこぶしを振り回しながら高揚した表情で吠え猛った。そしてそのまま周囲を見渡す水晶を指さして叫んだ。

 

「グレーレの人形達を援護なさい!あんな羽虫ども蹴散らすのよ!!!」

 

 彼女の指示に、一時的に機能停止していた騎士達は、そのまま即座に彼女の命令を実行すべく行動を開始した。

 

「あの女すげえな……」

「なんか元気出てきたわ、俺……」

 

 その最中、呆れとも尊敬ともつかぬ声が騎士達の間から漏れたが、勿論グローリアはそんなこと知ったことではなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【中央工房】にて、ラスター・グラッチャは至る所から慌ただしい稼働音を響かせ始めた周囲を見渡しながら、叫んでいた。

 

「なぜだ!!誰の許可で人形を動かした!!!」

 

 彼が怒りをまき散らしている理由は勿論、突如として稼働し始めた中央工房の秘密兵器についてだ。グレーレが中央工房に配備させていた人形兵器、その稼働は工房長以外に起動を許されていない。その長とは勿論ラスターである。にもかかわらず彼は今回の起動を知らなかった。

 無論、状況が状況だ。使用もやむなしという状況と言えなくも無かったが、ラスターはそれを使うつもりは無かった。先の神殿との激突の時にすら彼は使わなかった。彼は自己保身が強く、めったなことでは自分の手札を消耗するような真似はしない。たとえそれで国が滅ぶようなことになったとしてもだ。

 

「切り札だったんだぞアレは!アレは――――」

 

 だから、この人形の起動は彼の知るところでは無い。誰かが勝手に使ったのだ。ふざけるなという思いで、彼は中央工房全体の制御を執り行う制御室へと足を踏み入れた。

 

「誰だ!誰が勝手に――――」

 

 そして、部屋で自分が座るべき座席にいる人物を見て、言葉を失った。

 

「…………」

「ヘ、ヘイルダー……?!」

 

 先の大騒動で大失態を犯し、あげく意識を失って療養をしていたヘイルダーが目を覚まして、司令席の前に立っていた。ずっと昏睡していたためか痩せ細っていたが、しかしその分眼光は強く、その目でぎろりと入ってきたラスターを睨んだ。

 

「貴様、目を覚まし……いや、そもそも監禁、なぜ……!」

「この期に及んで保身か。親父」

 

 びくりとラスターは震える。

 以前まで、このヘイルダーが中央工房のほとんどを取り仕切っていた。工房長であるラスターを無視するような形で彼に権力が集中していた理由は単純で、ラスターが経営者としてはうだつ上がらず、一方でヘイルダーは実績を示したからだ。最後に彼は失態を犯したが、それでも彼はそれまでに実績を重ねてきたの事実だった。

 実際、制御室にいる作業員達のヘイルダーへと向けられた視線には、崇拝のようなものが入り交じっている。世界が滅ぶかも知れない事態に対して恐れ、自分の部屋に引きこもっていたラスターと比べたら、よっぽど彼の方が頼もしく見るのだろう。

 

「じょ、状況を考えろバカが!!!もうこのイスラリアは終わりだ!!!」

 

 しかし、引き下がるわけにもいかずラスターは実の息子を罵倒しながら近づく。どう見たって病み上がりだ。力尽くで排除してやる。その勢いで彼は近づく。

 

「だからこそ、自分たちの身を守る。その判断の何が――――っが!?」

「イスラリアが終わる?」

 

 だが、不意に首が絞まった。見ればヘイルダーの体から機械の腕が伸びて、ラスターの首を絞めていた。何事かすぐに理解できた。ヘイルダーの体に食い込んで、摘出困難となった魔導鎧だ。それを今彼は、自分の手足のように操っている。

 

「そう簡単に世界が終わってたまるか!!敗北主義者が!」

 

 そう叫び、ヘイルダーは実の父の体を放り捨てる。壁にたたきつけられて、あっけなくラスターは気を失った。ヘイルダーはもう、父親に目もくれず、眼下の部下達に向かって腕を振り上げて叫んだ。

 

「ありったけの兵器を全て出せ!!グレーレが残していったもの全てだ!!!なりふり構うなぁ!!!」

 

 その号令に中央工房をは再起動を果たした。

 手を出してはならぬものに手を出して、中央工房を失脚させた男の言葉。しかし、この世界が滅ぶかもわからぬ窮地において、一切迷うことの無い指導力を発揮した彼は、再び中央工房のトップに返り咲くこととなった――――が、しかし、

 

「世界が終わる?終わるだと?終わるわけが無いだろう……!」

 

 当の本人は、自身の復権など、まるで眼中にはなかった。ギラついた目は崩壊寸前の世界を映し出す。しかし彼が見つめる先は外の景観などでは無い。

 

「どうせ、この状況はウルが動かしたに決まってるんだからなあ……!」

 

 彼は昏倒する前と何一つ変わりはしていなかった。

 が、しかし、結果として彼のその希望にも似た妄想は一部的中しており、ただただ自分の目的のために状況に抗おうとしている彼の狂った情熱が、結果としてエンヴィーの窮地を救わんとしている。

 その様子を彼の幼なじみが見ていたらなんとも言えぬ苦笑を浮かべたことだろう。

 

「終わりはしない……!こんなところで終わってる暇なんてないんだからなあ……!」

 

 勿論彼にはそんなこと知ったことでは無かった。

 灼熱のような情熱を燃え上がらせながら、彼は邪魔者達の迎撃し続けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混迷の世界③ 弱い者虐め

 

 大罪都市グリードもまた、状況は混沌としていた。

 【太陽の結界】の揺らぎ、バベル崩壊の兆しに対する動揺は比較的、少なかった。特に迷宮の出現と魔物の襲撃が多かったグリード領では、太陽の結界の存在を信頼しても、依存する事は無かった。予期せぬ魔物達の襲撃、都市の危機に対して対応できるだけの能力が備わっていた。

 

「北東部から魔物襲来、撃ち落としなさい!!!」

 

 とはいえ、それでも方舟そのものが崩壊するような危機、迷宮から湧き出る無尽蔵の魔物達に銀竜、その全てに対応するのが困難なのは間違いなかった。

 何せ冒険者ギルドの受付嬢すら、戦いに出ねばならないほどなのだから。

 

「先輩!!これって受付嬢の仕事なんですかぁ?!」

「そうよ!」

「言い切った!」

 

 後輩が泣き言と悲鳴を上げながら、ギルドの保管庫に保管されていた中古の鈍器(元の持ち主のものだと思われる血がべったり)を振り回して魔物を叩き潰す横で、ロッズは叫ぶ。

 

「ギルドにやってくる不埒者を追い返すのも、私たちの仕事、よ!!」

 

 不埒者なのは間違いない。まず人語を使わない。受付の列を守らない。周囲を汚すし建物は破壊するし、挙げ句の果てにこっちを殺そうとしてくる。

 ギルドの受付として、なんとしてもご退場願わねばならない。

 

「私、有給、とって、良いですかぁ!?」

「そんなものは、ない!」

「ひぃん!!」

 

 そんな素晴らしいものがあるのなら、とっくの昔にロッズが使っている。冒険者ギルドの受付に正当な福利厚生なんてものを期待することの方が間違っている。国に仕えるというのは決して楽では無いのだ。

 

『GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!』

 

 だが、どれほど冒険者ギルドの受付が何でも出来るスーパーウーマンであったとしても、出来る事に限りはある。魔物達の一部が揺らいだ太陽の結界を突き破り、直進してきた。中型か、大型の魔物達。対処不能なその数に、ロッズは自分が挽肉になることを覚悟した。

 

「【断牙】」

「【鉄砕】」

 

 しかしその直後、空から二つの影が飛び降りて、都市国の中に侵入してきた魔物達を叩き潰した。暴力的だが、あまりにも頼もしいその姿をロッズは勿論知っている。

 

「コーダルさん!ジーロウさん!」

 

 鉄砕のコーダルと冒険者ギルドのギルド長ジーロウだった。銀級の冒険者の二人が姿を見せた瞬間、周囲の冒険者達は沸き立った。まさしく英雄の姿だった。更に二人の後に続いて冒険者達が更にやってくる。その先陣を切っているのは、

 

「大丈夫ですか!ロッズさん!」

「ハロル!あなた迷宮は!?」

「大体始末したので戻ってきました!また後で行きます!」

 

 元気一杯のハロルの返事に「若い……」と声が出そうになった。老いを感じている場合ではない。まだまだ魔物の数は数えきれぬほど居るのだ。

 

「諸君!抗え!!」

 

 コーダルは拳を振り上げて、鼓舞する。それだけで一瞬崩れそうになっていた戦線が再び持ち直した。二人に続いて増援もやってきていた。危なかったと、ロッズは倒れ込みそうになると、それをいつの間にか隣に来ていたジーロウが支えた。

 

「全く、引退なんてしていられんな」

「すみません、助かりました」

「よくぞ持ちこたえてくれた」

 

 ロッズの感謝にジーロウは小さく微笑みうなずく。本当にイケメンなおじさまだった。今でもギルド職員の女性陣から人気なのもよくわかる。彼よりも高い地位になりながら「あいつはなあ……」みたいな顔をされる無精髭の男とは大違いだ。

 

「全く、あのサボり魔は何してんだか……!」

 

 ロッズは叫びながらも、再び魔術を放ち、不埒な来客を迎撃するギルド受付としての仕事に従事した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 方舟イスラリア全土が凄まじい騒動に襲われているまさにその頃。

 

 その外、魔界でもまた、異常な事態に包まれていた。

 

「禁忌生物大量に出現!!」

「対処間に合いません!!!」

「Ω種も大量に……!!どうすることも出来ないです!!」

 

 白銀の竜はイスラリア大陸をこの世界に現出させた。とうとう、あのどうあがこうともたどり着くことすら困難極まった忌まわしい方舟を地上に引きずり出すことには成功した。

 しかしその結果予想だにしない、そして至極当然の事態が発生した。

 それまで“どこにでもあってどこにも存在しない”という奇妙な状態にあった方舟が地上に現れた。それもJ地区のすぐそばに。そしてそれは、世界中に分散していた【涙】が一カ所に集中するという異常事態を引き起こした。

 しかも、その【涙】はイスラリア人の悪感情であるならば、方舟が危機に陥ると同時にその排出量が増えるのは道理だ。そこから出現する禁忌生物の量は爆発的に増え、それらがJ地区のドームに一斉に襲いかかった。

 

「どうして、こうなる……!!」

 

 紛れもない未曾有の危機に、Jー04ドーム代表のモリクニは歯を食いしばった。

 

 どうしてこうなるか?口にはしたが、勿論彼には分かっている。

 

 J地区を、わずかに残された自分たちの居場所を守るために、長命手術まで受け入れて、死に物狂いで戦い続けてきた男だ。どれだけ不平不満を告げられても、戦い続けてきた男だ。それくらいのこと、分かっている。

 

 これは投げつけた呪いが、返ってきている。それだけのことなのだ。

 

 至極当然の末路が、とてつもなくわかりやすく返ってきている。それだけだ。そして、だからこそモリクニにはそれに抗う気力がわいてこなかった。何せおそらく、彼は最も方舟に対する呪いと怨嗟をため込み続けてきたのだから。

 ドームを守る。なんとしても守り抜く。

 その信条で戦い続ける以上、否応なく方舟は敵となる。呪いをこぼし続け、住む場所を、食料を、資源を損ない続ける忌々しい方舟に対するおぞましい黒い太陽と向き合い続けなければならなくなる。その過程で、自分の内側に方舟への憎悪が蓄積するのは必然だった。

 あるいは年老いて、寿命が来ればそこからも解放されるのかも知れないが、ソレすらも許されない。彼は地獄の中にいた。ずっと地獄で戦い続けて、そして弱り果てた。

 

 だから、自分の呪いが返ってきているという事実に向き合うことが出来なかった。

 

「代表!しっかりしてください!!」

「うるさい……」

 

 全ての気力を奪われ、執務室でうなだれるモリクニを秘書官が揺する。それをうっとうしいと払いのけようとするが、彼女はやめなかった。

 

「貴方には出来ることがあります!!諦めないでください!!」

「お前に何が……!俺の……!これまでの……!」

 

 人生が!呪いが!疲れが!!!

 そう叫ぼうとしたが、秘書官が手に取ってこちらに突きつけてきたのは小型の端末だった。何だ、と言おうとしたが、映像が映し出されていた。

 

《自警部隊の連中を支援しろ!!彼らの頑張りを無駄にするな!》

《皆、落ち着いて!食料は避難所に十分ある!品質もバッチリだから安心してよ!》

《女子供を優先して逃がせ!急げ!!》

 

「貴方が守ろうとした人々です!私たちが守らねばならない人々はまだ戦っています!」

 

 秘書官がみっともなく叫ぶ。そしてそのまま端末を投げつけて、その両手でモリクニの肩を揺さぶった。

 

「代表!全ての指揮を執れるのは貴方だけなんです!!くじけないでください!」

 

 勝手なことをぬかすな。

 陳腐な情で訴えようとするな。

 疲れたんだ。頼むから休ませてくれ。

 

 ありとあらゆる言葉がモリクニの内側からあふれた。その全てを目の前の秘書にたたきつけようと彼は大きく口を開き、そして叫んだ。

 

「各エリアの代表と、自警部隊と連絡を取れ……!」

 

 呪いと失意と老いと疲労、その全てに苛まれてなお、彼の魂には未だに一縷の炎がともっていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 Jー04地区ドーム外周は地獄の様相となっていた。

 

「どうすれば、良いんだよ……!」

「こんなの無理だ!」

 

 自警部隊の者達は膝をつき、絶望に打ちのめされている。彼らの周囲には無数の禁忌生物たちの死体がある。これまで彼らが経験したことの無いようなほどの数の禁忌生物たちが散らばって、ブスブスと溶けていく。

 

『AAAAAAAAAA…………』

 

 そして、彼らの目の前には、その数を圧倒的に上回る量の、黒ずんだ禁忌生物たちがあふれかえっていた。最早ソレは黒い津波のようだった。山のように見えるΩ種すらみえる。その一体ですら勝てないのに、それが波のように押し寄せてきて、戦う気力を保てという方が無茶だった。

 

「報いだろうさ」

 

 ぽつりと誰かが言った。

 

「報い……」

「俺たちもあいつらを、苦しめたんだろう」

 

 先に起こったJー04地区の騒動を彼も聞いていた。自分たちが被害者づら出来るような立場では無いことを思い知らされた。だとするならば、こんな風になるだけの道理は確かに存在していた。

 

「だったら、だったらしょうがねえってえ!?」

「簡単に、諦めてんじゃあないわよ……!」

 

 が、しかし、その弱音を吐き出した男の隣で、同僚が拳を振り上げ顔面を殴りつける。メットをかぶってるせいで表情はわかりにくかったが、その声と拳は震え、激情が満ち満ちていた。

 

「そりゃそうかもしれねえけど!!私たちは私たちで、知らずにやらかしてたのかもしれないけど!でもこっちだって楽した訳じゃない!」

 

 別にこっちだって、あぐらをかきながら、あいつらのせいだあいつらのせいだとわめいていた訳じゃない。確かにあんな子供に当たったのはみっともなかったけれども、機会があれば謝るけども!それでも、そう言いたくなるくらいの苦労は山ほどあったのだ!

 

「そうだよ……!それにさあ……!」

 

 また一人、立ち上がる。迫る禁忌生物たちを打ち抜きながら、彼は叫ぶ。

 

「赤ん坊生まれたばかりみたいな母親が!つまんねえ勉強ずっと頑張ってたようなチビが!老い先短いからって避難所(シェルター)の椅子譲って、外で震えてるようなジジイやババアが!」

 

 また一人、一人と立ち上がり、銃を構える。無論、あふれかえりながら迫り来る【禁忌生物】を押し返すことまでは出来やしない。まもなく眼前まで迫ろうとして、それでも彼らは戦うことはやめなかった。

 

「こんな風に死んで良いわけじゃ!ないだろうが!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 叫ぶ。だが、その声も禁忌生物の呪わしい咆吼にかき消され、彼らの体は呪いによって押しつぶされ―――

 

「【紅蓮拳】」

 

 ―――は、しなかった。

 

 空から炎が――――否、隕石が墜ちてきた。

 まるで黒い津波の如く押し寄せてきていた禁忌生物たちに隕石は次々と直撃し、それらは爆発し燃え広がる。あれほどまでに絶望的だった光景が、次の瞬間には灼熱の炎へと変わった。

 

「は…………!?」

「よう、同類ども」

 

 そしてその炎の海から、ボサボサの髪に無精髭が姿を現した。先の騒動で自警部隊全員を無力感にたたきのめした大男、グレンは、自警部隊に背を向けて、禁忌生物たちと対峙するように立っている。

 

 その背に居る自警部隊を、ドームを、家族の仇を護るように。

 

「な、なんで……?」

「加害者同士、仲良くしようぜって言ったろうが」

 

 理由なんてその程度だ、とでも言うように彼は鼻で笑う。

 そして未だ目の前から迫る禁忌生物たちへと拳を構えた。どれほど方舟の魔物達と比べて貧弱であろうとも、方舟から溢れる廃棄物はとどまることは知らない。一度二度、焼き払ったところでとどまることはなかった。

 

「良いねワラワラと、うれしいぜ」

《グレン、聞こえてる?》

「ああ」

《伝えたとおり、魔力は少ない。魔力補給薬は十分に渡したけど、それも十分じゃ無い。下手な魔術連発したら、すぐに枯渇するし、使える魔術も限られる》

「安心しろ」

 

 炎が巻き起こり、地面が揺れ動き、岩石が浮遊する。自在に天変地異を引き起こしながら、皮肉めいた笑みをグレンは浮かべる。

 

「弱い者虐めは得意中の得意だ」

 

 そして彼は家族の仇を救うため、拳に紅蓮纏わせ、禁忌を打った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

警告

 

 陽月戦争開始前

 

 竜呑ウーガ、会議室にて

 

「――と、ここまでが現状の前提情報。皆、大丈夫?」

 

 戦いが始まる前、ウーガに住まう住民達は一同に集まり、最後の打ち合わせをしていた。

 【歩ム者】を中心としたウーガの住民達には既に一度、太陽神、邪神、方舟と魔界の関係性を説明している。あまりにも刺激が強すぎる内容のため選定し、言葉は選んだが、最終的には全員が飲み込んだ――

 

「……正直、全部聞かなかったことにしていいっスか?」

「帰りてえ……」

「太陽神様……なんてこと」

「なんで、こんなことに巻き込まれてんだよ……」

「……アレだろ。絶対ウルがなんか呪われてんだろ」

「ウルだしなあ……」

「ウルだものね……」

 

「傷つく」

「よーし、大丈夫じゃなさそうね。続けるわよ」

 

 ――かは怪しかったが、少なくとも席を立つ者はいなかった。なのでリーネは話を続行した。既に半数以上がグロッキーだったが、話さねばならないことはまだまだある。

 皆、疲労困憊といった具合だったが、その中でも比較的マシだったジャインが手を上げ、尋ねる。

 

「まあ、とりあえず……とりあえず“このプラン”には二つの神が必要ってのはわかったよ……だが、そのプラン自体、大丈夫なのか?」

「どうかしらね」

「おい」

 

 に突っ込みが入った。しかしリーネはしれっと肩を竦めた。

 

「残念だけど、保証はないわ。流石の“あの男”もやった事なんてないでしょうし。とはいえ、私や魔界の研究者も確認して、精査したわ。ノアもね」

 

 プランの可不可に関しては可能な限り調べ尽くした。その上それらは全て机上の空論でしかない。実際に試してみたら失敗やイレギュラーが起こる可能性は当然、否定出来ない。それが保証出来るならそれこそ神だ。

 

「この状況で、それ以上の保証は、まあ贅沢か……了解」

 

 ジャインはため息をつくと共に引き下がった。その点についてこれ以上つつくものは出なかった。代わりに

 

「邪神がいなくなるってことは、魔物や迷宮がなくなるのですか?」

 

 そう確認するのはグラドルから出向してきて、そのままウーガに定住することになった魔術師だ。彼女の問いに対して、リーネは「ふむ」と小さく頷いた。

 

「まあ、少なくとも今のように、明確な人類の敵対存在ではなくなるかしらね」

「濁す言い方だな」

 

 元黒炎払いの戦士が訝しむ。「そうね」とリーネはソレを認めた。

 

「消え去りはしないって事よ。二つの神を使ったプランは悪感情への対処も含まれているけど、【廃棄】ほど完璧じゃあないわ。影響は起こるわよ」

「魔物が完全には消え去りはしないと」

「迷宮もね。竜が介在しない自然発生の迷宮だって存在するでしょう?」

 

 魔力の影響によって、迷宮出現以前に存在し、放棄された遺跡がそのまま迷宮化することは起こっていた。侵略としての、意図的な迷宮発生が起こることがなくなったとしても、自然現象としての迷宮化は起こらない保証がなかった。

 魔物も同様だ。迷宮で出現する魔物は悪感情を元に作られている。その大本が魔界で【禁忌生物】として出現することを考えると、取りこぼした悪感情は必ず暴れるだろう。

 

 完璧とはいかない。そういう結論に至る。

 

「まあ、でもそれで、“外の世界の汚染も解決する”。それは、良いんじゃねえの?」

 

 そう言い出すのはガザだった。彼は、隣の席に座る魔界の兵士達。コースケを見て笑いかけた。

 

「コースケ達の故郷が滅んじまうのは、あんまりだしな!」

「……」

 

 ケラケラと笑うガザに、コースケは気まずそうにうつむいた。他の魔界の兵士達も悩ましそうな表情を浮かべている。とはいえ、それは仕方が無い。彼等に限らず困惑している者の方がこの場では多い。その為の説明会なのだ。

 

「だけど、当然、良いことばかりでもない。そうなのだろう?」

 

 そう尋ねたのはコースケの上官の男だった。シシドという男の問いかけに対して、リーネは頷いた。

 

「このプランは、太陽神も失われる。その影響も大きいわ。とてもね」

「七天達が力を使えなくなる?」

 

 世界を守護する【七天】、彼等が使う力が太陽神のパーツであった以上、太陽神が失われると言うことはその権能が失われるに等しい。勿論、当人達が死ぬわけではないが、決して軽くはない。特に――

 

「――影響が顕著なの重要なのは【天祈】ね」

 

 【天祈】のスーアが使っていた力、精霊との行進が可能な力が失われる事への世界への影響はとてつもなく大きい。リーネは続けて説明する。

 

「【天祈】は私たちと精霊をつなげる橋渡しであり、制御する首輪でもあった」

「精霊様達が、力を貸してくれなくなる?」

 

 カルカラが不穏そうな表情で尋ねる。彼女に指導されていた神官見習達も一様に不安げな表情だ。

 

「加護を与えてくれなくなるわけじゃない。ただ、今以上に精霊との接触が難しくなるって考えたらいいわ。少なくとも、神殿で祈りを捧げていれば、それだけでその恩恵が保証されるわけではなくなる」

 

 神殿という箱の中で精霊達と交信出来たのは【天祈】によって精霊達の住まう【星海】をコントロールしてきたのが大きい。それが出来なくなるのだ。当然、神殿は使い物にならなくなるだろう。

 

「もしかしたら、人類と敵対する精霊まで、現れてしまうかもね。要は、このプランは現存社会を維持しているシステムをいくつも大幅に変える必要が出てくるのよ。場合によっては棄てることにもなる」

「……」

「勿論、魔界側も影響があるわよ。“プラン通りいけば”悪性感情の魔力凝固を解除出来る。だけどその結果、恐らく全ての大地が天変地異のような大騒ぎになる筈」

 

 その説明に、恐る恐るというように、冷や汗を流したグルフィンが挙手した。

 

「な、なんというか、大丈夫なのか……?」

「大丈夫じゃないわよ」

 

 リーネは即答した。

 

「お、おい……」

「大丈夫じゃないの。だから」

 

 リーネは強く机を叩いて、ハッキリと断言した。

 

「そこから先は、本当の意味で、私たち次第なのよ」

 

 素の宣言に、全員が沈黙する。軽々しく言葉を発することも出来ない重い空気が流れていた。その重さは、これから自分たちがやろうとしている事の重みだった。

 

《――――お前達がやろうとしていることは間違っていない》

 

 そんな空気に割って入るように、しがわれた声が通信魔具から聞こえてきた。

 この場にはいない。解説補助のためにプラウディアから通信を飛ばしていたザインの声だった。彼はいつも通りの淡々とした声で、しかしハッキリとウル達のこれからの行いについて肯定した。その肯定が少し意外に思えて、ウルは首を傾げた。

 

「極論、身内びいきだぞ。俺たちのしていることは」

《お前がそう思うならそれでいい。率いるものとして背負うというならそれも間違いでは無い……だが》

 

 区切り、尚も確信に満ちた言葉で続ける。

 

《これは最初から、超えねばならない問題だったのだ。歴代の王たちがそうしようと足掻いたように、あるいは魔界の研究者達が狂乱のただ中にあってなお抗ったように、誰かがしなければならなかった事なのだ》

「……そうね」

 

 リーネも、ザインの言葉に同意した。

 

「これは、どうしようとも逃げられない、方舟の内外問わず、全ての人類に降りかかっている問題よ」

 

 その結果、不利益が起こることがあろうとも、放置だけはできない。放置したところで何一つとして、解決はしないのだ。見て見ぬふりして穏便にやり過ごせる時期は、とっくの昔に過ぎ去った。

 ならば、進むしかない。

 

《それを超えようとしているお前達は悪ではない。これは、この負債をお前達に押しつけた側の罪だ。その責は既に払わされているか、これから払うこととなる》

 

 故に、と、ザインはその静かな声ではっきりといった。

 

《お前達は罪を背負う事は無い。“それは俺達の役割だ”》

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 機神スロウス内部にて。

 

「――……あー」

「やっと、目を、覚ましたか」

「ああ……助かったよ、ミクリナさん」

 

 少し前の記憶を夢に見ていたらしい。ウルはミクリナに起こされて、身体を起こした。

 

「全く、死にかけた。主にお前の友人の所為で」

「その点に関しては本当にすんません」

 

 ミクリナは随分と疲労していた。装備している鎧の一部が焦げているところを見ると、大分修羅場に突っ込んだらしい。すぐそばでエクスタインも寝転がっていた。息をしているが、死んではいないだろう。

 そして、その向こう側では――――

 

「…………ブラックか」

 

 ――――ブラックが居た場所に、死体は残っていなかった。力の使いすぎなのか、それとも自分の攻撃の結果か、黒い跡のようなものだけだ

 

 自分の助けたい相手のために命を選んで、彼を殺した。

 それがブラックの望みであったなどと関係ない。それが事実だ。

 そしてこれから先、何かを選ぶたび、もっと多くを踏み殺す。

 

 ――お前達は罪を背負う事は無い

 

「そうもいかねえよ。じいさん」

 

 ウルはそう呟いて、ため息を一つつく。そして立ち上がった。

 まだ、ようやく一つが進んだだけだ。やらなければならないことは山ほどある。

 世界は未だ崩壊の危機にあるのだから。

 

「行くぞ。あとはあいつらをなんとかしなきゃ――――っと」

「ッ!?」

 

 次の瞬間、機神内部が激しく揺れ動いた。すっころびそうになったミクリナを支えながら、ウルは面倒くさそうにため息を吐き出した。

 

「その前に、もう一仕事しなきゃならなそーだな……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

警告②

 機神スロウス内部。

 激しい破壊音と警報音が鳴り響くその中心地にて、その乗組員達は騒然となっていた。

 

「魔王様が負けた」

「魔王が」

「我らが王が……」

 

 彼らは、自分たちの主である魔王が、たった一人の少年によって打ち破られたことを察していた。その事実を噛みしめるようにくりかえし言葉にした。だがそのうち、彼らを率いている最古の魔術師ゲイラーが両手を叩く

 

「――――では、決められたとおりに動こうか。諸君」

 

 最も魔王を信奉する男の、まるで動揺を感じさせない冷静なその声に、全員が顔を上げた。彼の部下達の表情には動揺や、悲しみはなかった。

 

「ああ」

「そうだな」

「まったく、世話の焼けるバカだよ」

 

 そこにあるのは「やれやれ」といった苦笑だった。彼らは一人残らず魔王の狂信者だ。それ故に分かっている。彼の所業が決して、真っ当では無いと。世界を滅ぼすような怪物が、道半ばで討たれるとしたらソレは道理であると。

 誰であろう魔王自身からもそれは度々伝えられていた。それ故に動揺は無い。だから彼は淡々と、粛々と、事前に定められた仕事をこなそうとする。

 ゲイラーも率先して彼らを率いる。全ては魔王のため、あのとてつもなく狂気じみた、迷惑ばかりかけてくる、親しき友人に報いるためだ。

 

 報いるために、さらなる狂気の渦へと、この方舟を貶める。

 

「さあ、魔王様、貴方の花火、派手に打ち上げて――――「それはさせられんなあ」

 

 だが、その彼の腹を、魔術の光が焼き払った。

 

「っがあ?!」

 

 ゲイラーは驚き、振り返る。いつの間にか司令室の中心に、いくつもの術式を携えた森人が立っていた。懐かしいその顔を前に、ゲイラーは表情をゆがめる。

 

「グ、レーレ……!」

「守りの加護か。相変わらず用心深いな。だが好き放題やりたい放題するのなら、こうなる結末は覚悟していたのであろう?」

 

 そう言っている間に次々に、グレーレは周囲の魔術師達を打ち倒していく。容赦はまるでなかった。だがそれは当然でもあった。ここにいる連中は誰も彼も多くの罪を犯し、多くを傷つけた連中だった。そうされるだけの謂れはある。

 だが、この男に裁かれるのは納得いかない。ゲイラーは忌々しげに顔をしかめた

 

「相変わらず、だな!過保護めが!そんなに死んだ傀儡達が大事か!!」

 

 怒りと共に彼は叫ぶ。だが、その憤怒の声に対してもグレーレは冷静に首を振るだけだった。

 

「やりたい放題されすぎると、観測がしづらいだけだとも」

「っは!よく言う!!!だが!」

 

 そう言って、ゲイラーは身体を動かす。グレーレは即座に魔術を放ち、今度こそ彼の身体を焼き払う。だが、腕だけになってもなお、それは生きているかのようにうごめいた。そのまま機神の操作盤の中でも最もまがまがしく彩られた真っ赤なスイッチに触れる。

 

 魔王様の願い、完遂する!!!

 

「――――」

 

 次の瞬間、司令室は炎と破壊の渦に包まれた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「【神鳴!!】」

 

 既に幾度目とも分からない全力の攻撃を振り回しながら、イカザは駆け回っていた。結界が打ち破られ、戦線を後退させる間の迎撃をほぼほぼ一人で賄っていた。肉体強化で身体は常に焼け付くような熱を放ち、凄まじい速度で魔物や竜達を蹂躙してかけ続ける。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 斬って焼いても砕いても、魔物や竜は沸いてくる。それも鏡の巫女エシェルの魔力簒奪を経ても尚動くことが可能な元気の良い魔物達だ。弱くとも5級以上、1体でも都市の内部に潜りこめば大惨事になりかねない魔物達をイカザは一匹残らず狩っていた。

 

 現役時代よりも激しい戦いではないか?

 

 第一線を退いた筈の自分が、何故かかつての戦いを遙かに超える激戦を繰り広げているのだから、悪い意味で人生というのは想像が付かない。

 そして、にもかかわらずイカザの調子は良かった。極限状況で自分の伸びしろを更に見出す、というのは、冒険者として活動してきて時折あったが、まさかこの年になってそれを再び体験する羽目になるとは思わなかった。疲労と魔力不足が肉体を蝕むほどに、神経が研ぎ澄まされ、身体の反応が早くなる。かつての全盛期を遙かに超えて、彼女は鋭さを増していた。

 

『カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッカカ』

「失せろぉ!!!!」

 

 出現する餓者髑髏も叩き潰す。破壊しようとも復活する。核、ともいうべき死霊王ロックは此処にはいない。再生の時間を稼ぐために胴をさき、両足を砕き、すっころばせる。これで暫く時間が稼げるはず――――

 

「先生!!」

「ベグードか!そちらはどうか!」

 

 そのまま餓者を乗り越えた先で、イカザの欠けた穴を埋めるようにして戦っていたベグードと再開した。彼女の姿を見て一瞬ギョッとした表情になっていたが、すぐに表情を戻した。

 

「厳しいです…!怪我人の回収が必要ないだけマシですが……あの馬鹿ども!」

「袂を分かった相手に怒っても仕方ない、完全に敵対する気が無いなら利用するぞ!!」

 

 鏡の精霊の魔力簒奪は、何も悪いことばかりではない。一定以上の魔力消耗を抑えるよう、注意を払えば良いのだ。魔物達はただただこちらを責め立てて消耗することしかしないが、此方は補給の概念を持っている。身体の状態を見極め、必要とあらば交替し保たせれば、魔物達に一方的な不利を押しつけることは可能だ。

 

「魔力を削り、竜を落とせ!!雑魚の魔物どもを消耗させ――――」

 

 部下達を鼓舞する。だが、その矢先に、少し距離が離れた上空に、銀色の影が動いているをイカザは目撃した。簒奪の巫女の魔力奪取を前にしても耐えしのんだ竜達が集まっている。その巨大な翼を広げ、それぞれをまるで手を繋ぎ合うようにして大きな輪となっていく。

 

 輪、魔法陣、竜の魔力と規模で起動する終局魔術

 

 イカザは飛ぶ。隣のベグードも一緒に動いた。だが距離が絶妙だった。潰す時間はもうない。イカザは剣を地面に突き立て、術を編み、発動させる。

 

「【雷甲――――】」

 

 だが、それよりも銀の竜達の魔術の稼働の方が速かった。翼で繋がった魔法陣から生み出される極大の熱光は、イカザ達が決死の思いで護っていた防衛戦線に向かい、

 

「【蒼壁・九重】」

 

 その直前、防衛戦線に張られた蒼い結界にその魔術は阻まれた。同時に、この戦況においてはやや空気を無視したような気色のある声が響き渡った。

 

「うむ!うむ!間に合ったか!!」

「クラウラン殿!」

 

 自らと同じ冒険者の黄金級。人造人間のスペシャリストにして、恐らくこの戦況でもっとも重要な役割を果たしている男、クラウランの登場にイカザは喜んだ。恐らくこの戦況において、もっとも頼りになる男がきた。

 

「ここは任せます!私は別の場所へ!!!」

「任された!!さあ皆!ゆこう!」

 

 イカザは雷と共に消え去る。それを見送るとともにクラウランは指示を出す。同時に彼が生みだした真人が次々に彼と、防衛戦線の兵士達を守るべく動き出した。その数は、一人、二人といった規模ではない。十数人以上の兵士達が、一斉に魔物を押し返し始めた。

 

「マスターを護れ!」

「人々を護れ!!」

「我らが役割を果たせ!!!!」

 

「多…!?」

 

 最早、軍勢と言っても過言で無いほどの数の【真人】達に、疲弊していた兵士達は奮い立つ。歯を食いしばり、雄叫びを上げながら、彼等に並ぶようにして魔物達を押し返し始めた。

 

「抗おう、戦おう!たとえこの世界がどれほど残酷であろうとも!抗う権利は君たちの手の中にある!!」

 

 クラウランの言葉に、一際に大きな雄叫びが上がった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「真人……助かる!これならばまだ……!」

 

 真人達の増援を聞いたベグードは安堵を漏らす。

 【真人創りのクラウラン】の能力はベグードも理解している。一人一人が卓越した能力を有した意思統一された軍隊。結界が打ち破られて崩壊寸前だった戦線をなんとか立て直せる。せめて、全ての住民の避難が完了するまでは持たせなければ――――

 

 そう、ベグードが考えていた直後だった。

 

 プラウディアの結界を打ち破った“機神の頭部が”大爆発を起こしたのは。

 

「は!?」

 

 少し前から破壊行動の動作を止めて、あちこちから火があがっていた。いくらアレが魔王の作品であろうとも、あれほどの巨体だ。無茶が起こるに決まっている。いや、そうであってくれと願っていた矢先の大爆発だった。

 

 無論、それが推測の通り、無理の末の破綻であったならば喜ばしかった。

 

 しかし、ベグードは顔を引きつらせた。

 

「頭……!」

 

 人形と対峙する際は、核の破壊を優先し、頭部の破壊は避けろ。

 

 それは冒険者の中では常識で、あまりにも基礎的な知識だった。もしも魔導核を残したまま頭部を破壊してしまえば、その瞬間起こる現象は、冒険者を生業とする者達であればだれもが知っているからだ。

 

『O,OOOOOOOOO……!』

「…………ま、まさか」

 

 遅れて、ベグードの部下も戦くように呻く。

 頼むからそんなこと、あってくれるなと願うように。

 頭部の制御術式を失った人形の動作。

 真っ当な神経をしていれば、絶対に意図的に起こすべきではない災厄

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!』

 

 人形の、【暴走現象】

 規格外で、ありとあらゆる兵器を搭載し、未知の粘魔王にまで浸食された機神スロウスが、その暴走現象を引き起こしたのである。

 

「ふ、ざけてる……!!」

 

 最悪が更に上乗せされた事実にベグードの意識は遠くなった。戦いの中では冷静であろうと常に心がけているが、それにしたって目の前の光景はあまりにもあんまりだった。

 

 地獄にも、限度がある!!!

 

『O,OOOOOOOOOOOOGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 多足の足を利用し更に姿勢を低くし、雄叫びを上げる姿は完全に獣のソレだった。プラウディアの町並みを踏み潰しながら、無差別に敵意をまき散らす。爆発、破損によって至る所から火が吹き上がり、それを覆い尽くすように粘魔が溢れ、こぼれたものが美しかった街並みを飲み込んでいく。

 

 存在するだけで周囲を破壊しつくすような怪物が生まれた。

 そして当然、だからと言ってじっとしてくれる筈もない。 

 

『AARRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!』

 

 機神が多脚の一つを大きく持ち上げた。その動作の意味するところを理解し、ベグードは臓腑が浮き上がるような寒気を覚えた。

 

「っば!?」

 

 機神が無造作に腕を振るう。

 その瞬間、街の一角が吹き飛んだ。

 

「お、おおおおおおおおおおおおおお……!!?」

 

 避難が終えた場所であったのが幸いした。だが、直撃でもなかったその一振りでベグードは身じろぎすら出来なくなって、部下共々跪いた。

 

 見上げると、失われた機神の頭部部分にも粘魔が覆っていた。その頭はどこかヒトのそれに似ていたが、それを気にする余裕すらない。

 

「く……っそ!全員立て直すぞ!

「き、機神をどうしますか!?」

「対処しようと思うな!!アレはどうにもならん!!」

 

 長年の冒険者としての経験が容赦なく告げる。

 あの怪物を対処する手立てはない。

 暴走した人形の破壊力と、実体を持たぬ粘魔の不確か性、何をどう考えて今の自分たちの備えでは対処出来ない!暴走による自壊を待つしかない!

 

「機神の動作に注視しろ!動きを見極めながら魔物の処理と救助作業を急げ!!!」

 

 必要なだけの指示を送りながらも、ベグードは自ら出した指示に疑問を覚えた。

 逃げ遅れた避難民の救助、などと抜かしている場合か!?

 一歩間違えれば、否、間違えなくても避難しなければならないのは自分たち……!?

 

『GAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRR!!!』

 

 そう思っている内に、今度はこちらに向かって攻撃の予備動作が来た。否、攻撃とそれを評して良いのかも不明だが。ただ無差別に暴れ散らそうとした予備動作で、周囲の有象無象が吹き飛ぼうとしているだけだ。その有象無象が自分たちである。

 

 ――守れるか……!?

 

 せめて、背中に居る部下達だけでも。そう思いながらベグードは固着の魔眼に力を込めようとした。

 

 

 

「【揺蕩え】」

 

 

 

 だが、攻撃がたたき込まれる直後、機神の身体が、唐突に激しくブレた。

 

『RRRRRRRRRRRRRRRRR――――――OOOOOOO!!!?』

 

 ぐらりと姿勢を崩して、すっころびそうになったのである。そのまま、振りおろされそうになった拳はベグードの位置を外して、空を切った。腕にも纏わり付いていた粘魔がボダボダと落下するが、それでも周囲に被害はない。

 

 何が起こった!?

 

 そう思い、ベグードは上空を見上げ、そしてソレを発見した。

 

「ウ、ル……!?」

 

 それは見覚えのある姿だった。

 と、同時に、巨大なる荒れ狂う機神と対峙してそれを見下ろす彼の姿は、あまりにもかつての姿からはかけ離れていた。

 ヒトのそれとかけ離れた四肢、

 禍々しき黒と白の双槍からかけ離れた圧、 

 至る所が破損した鎧からこぼれ落ちる闇は、魔王のそれに違いなかった。

 

〈警告〉

 

 同時に、まるで警鐘のような、あるいは祝祭に響く鐘の音と共に声が木霊した。

 

〈世界保護管理システム、ノアより全人類に警告する〉

 

 部下達にもその声が聞こえているのだろう。驚き、戸惑いながら周囲を見渡す。

 

〈方舟内に新たなる終焉災害の発生を確認〉

 

 何を言っているのか、無論ベグード達には分からない。

 だがその言葉が指し示す存在がなんなのかだけは、言われずともハッキリとしていた。

 

〈【終焉災害/灰の王】 降臨〉

 

 終わりの災禍の現出を知らす鐘の音と宣告が、イスラリア中に響き渡った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

警告③ 今は

 

 【真なるバベル】地下、【螺旋図書館】内部

 

「見る影も、無いな」

 

 バベル内部の侵攻を開始したディズは、ガルーダの背から塔内部の状況を確認して眉を潜めた。

 イスラリアの中心にして人類守護の要であった筈の【真なるバベル】は“七首の竜”に乗っ取られた。悍ましい様相に姿を変えてしまったが、内部も負けず劣らず悍ましい有様だ。

 人工の壁が肉壁に浸食され、脈打っている。血管が脈打っている。竜達が造り出す迷宮だってここまで怖ろしい姿にはなってはいないだろう。

 

 しかし、一方で納得もする。迷宮は竜が自身の肉体を“延長”させて造り出す回廊である。そしてその理屈にのっとるならば、生き物の体内を思わせる光景はまさに竜の【迷宮】だ。

 

「此処こそが、【大悪迷宮フォルスティア】か」

 

 シズクが造り出したシズクの迷宮。バベルを基盤に造り出した彼女の城だ。

 

「ですが、思った以上に壊されていませんね」

 

 同じくガルーダの背から状況を確認していたゼロが眉を潜めながら言う。

 確かに、見た目はまがまがしい有様になっているが、一方で塔としての形そのものまでは失われていない。そのままに乗っ取ったような形だ。魔界側にとってこの場所は憎むべき場所である筈なのに、その手中に収めたバベルを壊そうとしている形跡が少ない。

 

「まだ壊せない、という方が正解かもね。方舟の呪いを解くつもりなら、不用意に破壊して不可逆な状況には出来ない」

「善意故という訳ではなく?」

「そういう類いの容赦は期待出来ないかな。彼女には」

 

 ディズがそう断言すると、ゼロは眉を顰めた。

 

「……月神シズルナリカはどういう人物なのですか」

「聖女とも呼ばれていたし、悪女とも呼ばれていた。その全ては嘘だった。でも――」

 

 問われ、ディズは少し考える。彼女とは友人のつもりだったが、そこまで親しい関係だったかと言われると微妙だ。彼女は誰とも親しく接していた一方で、誰からも一定以上の距離を取っていた。

 彼女の本質を知ってるのはウルだけだろう。

 だから、彼女の詳細は分からない。でも、分かっていることはある。

 

「――彼女も、感情がないわけじゃない。だから彼女にとってもこれは地獄だよ」

 

 決して彼女は、ヒトからかけ離れたような心の形をもってはいなかった。全て嘘で覆い尽くしていても、感情は確かにあった。ウルの前では良くこぼしていた。

 だからこそ、この状況を引き起こしたことに、何も感じないわけがない。ディズはそう思った。

 

「…………」

「ゼロ?」

 

 すると、そのすべてを聞き終えたゼロが顔を伏せる。そして堪えきれない、というように勢いよく顔を上げると、叫んだ。

 

「この世界酷くないですか!?」

「うーん、純粋かつ直球な感想だ」

 

 言うまいと我慢していた言葉を思い切り言われてしまった。子供の感性と思い切りは強かった。

 

「んもー!友達の頼みだからってなんでマスターはこんな世界なんとかしようと頑張るの!!もう見捨てたって良いでしょうこんなの!!」

 

 ガルーダの背中で、ゼロは駄々をこねるように手足をジタバタと振り回しながらあらん限り叫んだ。敵の本拠地であまり賢い行動とは言い難かったが、懸命にこの地獄の最前線で戦っている彼女には叫ぶ権利もあるだろう。ディズは彼女の狂態を黙って見守った。

 

「落ち着いたか」

「…………はい」

 

 そのうち、ファイブに肩をたたかれてゼロはため息をつく。そしてふっきれたというようにゼロはディズを見た。

 

「こんな戦い、ちゃっちゃと終わらせましょう!」

「だね――――っと?」

 

 その時、不意に奇妙なる鐘の音が響いた。通信魔術で届くノイズのような音声が聞こえてくる。今居る場所が迷宮化しているバベルであるからだろうか。その音声はハッキリとは聞き取りづらかったが、最後の部分だけはハッキリと聞こえた。

 

〈終焉――【灰の王】が――しました〉

「これって……」

「……ウルだね」

 

 それは間違いなく彼の事だった。あまりに無茶苦茶な登場をしてきたが、どうやらその登場に見合うめちゃくちゃを外でしているらしい。

 その事に戸惑うべきか、警戒すべきか判断に迷った。そもそも自分たちとも敵対すると宣言している相手なのだから、当然の感情だ。

 だけど、この閉塞感すら感じるような世界の行く末に対して、彼の暴走に、敵対感情とは別のものを感じないと言えばそれも嘘となる。

 

 ――せめて、アカネを傷つけないようにしたいが。

 

 そんな風に思いながら小さくため息をついて、ディズは前を見据えていた。そう、前を――――その彼女の背後で、何かが蠢いていた。

 

「【――――】」

 

 酷く静かに、それはディズが罠であった迷宮から脱出した際に切り裂いて見せた空間の裂け目だ。本当に、意識を向けなければならないほどに小さく開いたその裂け目から、白い手が伸びてくる。

 それは彼女の背中を貫くような速度で伸び、

 

「――――やあシズク」

 

 その手を、ディズは振り返ることなくつかみ取った。隣にいたゼロはその時にようやく、奇襲に気づき、目を見開いた。

 

「っえ!?」

「―――――」

「君みたいに天才ではないけれど、こういう経験は私の方が遙かに上だよ」

 

 ディズはそのまま振り返り、星剣を振り抜く。彼女の腕は切り裂かれるが、血は出なかった。そのまま空間に開いた穴へと引っ込んでいく腕を追うように、ディズは星剣を振るい、僅かな空間の隙間を広げていく。

 

「皆、スーア様やグロンゾン達の救出を頼むよ」

「勇者!!」

 

 ゼロたちへとそう告げると、ディズは空間へと消えていった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』

 

 機神が吼え猛る。人形の暴走と粘魔の本能、そしてそこに溶け込んだ者達の意思。その全てが破壊という一つの衝動に収束している。そこに選別は無かった。敵味方の区別もない。そのような上等な能力は有していない。

 自分を含めた一切を憎悪する機神はその力を振り回す。が、

 

「【狂え】」

 

 その破壊の意思は、眼前の王へは届かない。触れることすらままならず、機械の腕は弾かれる。魔術師のように術を唱える様子もなく、道具に頼る様にも見えない。ただそこにあるだけで、機神は跳ね飛ばされ、哀れにも空回る。

 都市を蹂躙する理不尽の権化が、逆に理不尽を押しつけられている。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 手が届かぬと気づいた機神は、その身に搭載された巨大なる竜牙槍をむき出しにする。その一つだけでも塔のように巨大なおぞましい兵器の炎が、ただ一点、目の前の障害を焼き払うためだけに放たれ――――

 

「【黒瞋咆哮】」

 

 ――――それすらも、黒い竜の咆吼がまとめて飲み込み、圧倒し、機神を焼き払った。

 

「…………なん、じゃありゃ」

 

 今なおプラウディアで戦い抜いている戦士の一人がぽつりと呟く。それは、その光景を目撃した全ての戦士達の代弁だった。機神を単身で圧倒するソレはヒトの形をしていたが、最早誰一人としてそれをヒトとは認識しなかった。

 

「灰の、王……」

 

 頭に響いた奇妙なる名。それが誰を示すのか、全ての者が理解した。

 

『GARRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 だがそれでも尚、止まりはしないあたりが、前代未聞の人形兵器であり、無数の悪意を飲み込んだ邪悪である証明でもある。砕け散り、焼き払われ、それでもなお人の形に戻ろうと粘魔は蠢く。蠢いたそれらが無数の巨大なる腕となって、湧き上がるようにして灰の王へと敵わぬと知って尚、手を伸ばす。

 暴走という表現がふさわしいその執念は――――やはり、届きはしなかった。

 

「【其は死生の流転謳う、白き姫華】」

 

 灰の王が手をかざす。途端に機神の身体に、粘魔の腕に、無数の白蔓が伸びて絡み、拘束する。一見すると単なる植物でしかない筈のソレを、しかし機神はどう藻掻いても引きちぎることもできなかった。それでもと必死に、届くはずもない腕を伸ばそうとするが――

 

「【愚星咆吼・皇弾】」

 

 ――竜牙の顎が生み出した昏い光弾が、その必死の抵抗すらも押し潰す。

 

『AAAAAAA――――――!!!』

 

 粘魔の腕は一つ残らず弾けて飛び散り、雨のように周囲に降り注ぐ。機神の装甲や兵器の大部分は融解し、圧力で砕け散り、機神の身体から炎が巻き上がる。太陽の加護を踏み砕き、あれほどまでに見るものを畏怖させていた機械の神は、無残な姿になって地に伏した。

 

『OOOOOOOOOOOOOOO……』

 

 そして、ウルの背後に控えていた飛翔するウーガが、残骸となった機神の身体を重力の力によって押さえつける。それを見届けた灰の王は仕事は終わったと言うように、その闇を強く身体から放ち、見守る戦士達の視界からその姿を消した。

 

〈恐怖せよ、恐懼せよ、畏怖せよ〉

 

 ほんの一瞬前まで、全て吹き飛ばそうとしていた嵐が、次の瞬間には消え去るという異常を前に戦士達は呆然とする。だがそれは安堵ではない。その嵐すらも一瞬にして跪かせる脅威が、たった今戦士達の頭上に現れていたのだ。

 それが幻でないというように、戦士達の耳に、再び声が響く。

 

〈灰王の矛先が向かぬよう、平伏せよ〉

 

 奇妙なるその声と警鐘の音は、彼等の頭に何時までも響き続けた。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 避難済み宿泊施設の一室にて。

 

「あ~~~~~しんっど……ぜんっぜんやること終わってないのにもう帰って寝たい」

 

 プラウディアで戦う全ての戦士達を畏怖させた、灰の王は地べたに倒れ込み、死ぬほど疲れ果てていた。彼の協力者であるエクスタインは、その無残な有様を実に楽しそうな笑みで見つめていた。

 

「粘魔部分は無事みたいだけど、とどめささないの灰王様?」

「無理、めちゃくちゃタフだぞアレ。あんなのに力使い果たしてる場合じゃねえっての……後はリーネ達に任せるしかねえ」

 

 そこはウーガの皆を信じる他ない。肝心要の大勝負はウルが請け負う他ない以上、それ以外のフォローは全部任せるくらいしなければ、絶対に体力魔力共に最後までもたない。

 用意した“お茶”も飲み干した。魔王の戦いは本当にギリギリだった。

 

「なら一度帰還?」

「今はウーガも修羅場っぽいし、戻って動けなくなるかもな……適当な魔法薬店あさるか」

「灰王様の最初のお仕事は火事場泥棒かあ」

「店主が生きてたら後で金は払うよ。っつーかノアなんなんだあの珍妙な演説」

〈ぴあ〉

 

 異形となった指先についた“黄金の指輪”をウルが指で弾くと、小さな泣き声が聞こえた。しかしそれに対してエクスタインが肩を竦める。

 

「あ、君が寝てる間に僕が頼んだ」

「お前かあ……」

「後々、ハッタリ効かせといた方がいいでしょ?」

「気遣いの出来る友人を持てて俺は嬉しいよ――――まあ、あんまやりすぎると、すっ飛ばして目を付けられるから気をつけろよ」

「目?」

 

 エクスタインが首をかしげる。するとウルはため息を吐き出して、身体を起こす。そしてそのまま立てかけていた槍を握り――――次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「うっわ!?」

「――――追撃なし、()()これで許すとさ」

 

 触れるだけで全てが切り裂かれてしまいそうなほどの鋭利な殺意と共に込められたメッセージにウルは苦笑した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 真なるバベル周辺

 

「――――」

 

 そのウルへと、殺意の刃を放った剣の化身は、差し向けた刃から手応えが返ってこない事についてとくに反応することはなかった。攻撃が防がれたことについても驚く様子もなく、至極当然と言った風情だ。ただ、視線だけはじっと、刃を放った先へと向け続け――――結果として、対峙していた七首の竜から目を背けていた。

 

 無論、それは明確な隙であり、七首の竜は一斉に襲いかかり、

 

『GAAAAAAAAAAA――――AAAAAAA!!?』

「邪魔だ、喚くな」

 

 その次の瞬間、大きく開いた顎の全てが串刺しとなり、強制的に口を閉ざされた。突如突き刺さった刃に悶える竜達の首を尻目に、ユーリは視線を彼方から外さず――――

 

「まあ、良いでしょう。()()

『GAAAAAAAAAAARRAAAAAAAAAAAAAAAAA』

 

 ――――ため息を一つついて、自らを貫いた刃をかみ砕いた七首竜と再び対峙した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ / スパイの軌跡

 

 

 竜呑ウーガ、司令塔にて。

 

「機神、押さえつけました!!!」

「重力魔術、緩めないで!大部分は破壊されたはずだけど、粘魔はまだ生きてる!」

 

 部下達のからの報告に対してカルカラは即座に号令を飛ばす。水晶に映る破壊された機神をウーガはその脚で押し潰している。聖遺物を利用した強力無比の重力魔術は、ウーガを飛ばすのみならず、機神すらも押さえ込むことに成功していた。

 まったく、ウルからの連絡が来たときはどうなるかと思ったけど、上手く行って本当に良かった。

 

「このまま抑え込むことが出来れば良いけど……!」

「さて、どうかしらね」

 

 カルカラの言葉を、部屋の中で研究を続けるリーネが拾う。目の前の自分の作業から目を離すこともなく、しかし状況は理解しているのだろう。淡々と状況を口にした。

 

「マギカ産の人形に、邪教徒の合わせ技、容易くはないわ」

「ウルからの支援は期待出来ますか」

 

 カルカラから見ても、ウルの力は圧倒的に見えた。あれほどまでプラウディアの戦士たちを圧倒し、抵抗もできなかったあの怪物を一方的に蹂躙する力。その彼とウーガが合わされば、なんとか出来るようにも思えた。それくらい彼の力は凄まじく見えた。

 が、リーネはあっさりと首を横に振る。

 

「無理でしょ。どーせやせ我慢よアレ」

「魔王との闘いの消耗はやはり激しかったと?」

「まあ、本当に不味い傷負ったなら戻ってくるでしょうから、死にはしないでしょうけどね」

 

 この中では最も彼との付き合いが長い彼女がそう言い切るのであれば、そうなのだろう。カルカラはため息をつくが、リーネは小さく鼻で笑った。

 

「灰の王様におんぶにだっこじゃいられないわ」

「……道理ですね」

 

 カルカラは思考を切り替えるように首を横に振ると、気を引き締め、声を張り上げた。

 

「ウーガは機神の拘束と破壊に集中!戦闘員は銀竜の対処を続行なさい!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑ウーガ地上部中央広場

 

 ウーガの内装の一部は今回の戦いを前に大きな改築が行われた。戦いの中心となる結界近辺や、竜たちの侵入が予想される結界天井部の近くに速やかに戦力や物資を送り続けるための土台作りや、道作りが行われた。

 だが、その中でも中央に作られた巨大広場の役割はやや異なる。

 

「急げ急げ!ぶっ倒れた奴らが次々転移されてきてんだからな!!!」

 

 【白の蟒蛇】の古参であり、指揮を任されたその男は必死に声を張り上げて指示を出していた。直接の戦闘には参加していないが、こちらもかなり重要な役割があり、確実に混乱が予想されていたため、ジャインから託されていた。

 すなわち、エシェルが魔力を奪い、戦闘不能にした戦士たち。彼ら彼女らが転移されていくのを片っ端から回収していくという、とてつもない荒技の指揮である。

 

 この大広間が用意されたのは、エシェルが転移する際、この場所を目印にするためだ。遮蔽物が無いように大きく作られたその場所に、彼女は片っ端から転移させている。

 

「地獄かあ!!!」

 

 言うまでもなく大混沌である。実際に戦った方が間違いなく楽だっただろうとほかの戦士たちも確信して悲鳴を上げている。が、嘆いている暇など無い。

 

「しょうがねえだろ!!場合によっちゃイスラリア大陸が消滅するんだぞ!」

 

 ディズが勝てばまだましだが、シズクが勝利すれば方舟は落ちる。王が用意したという避難所(シェルター)に潜っていれば大丈夫かもしれないが地上に出ていたら死んでしまう可能性が高い。

 だったらディズに協力しろという話ではあるが女王達の目的を考えるとそうもいかない。あまりにも困難極まる戦況バランスの維持と、道徳的な観点を鑑みた結果の折衷案がこの転移術である。

 頭の悪いやり方ではあるが、やり通すしかない。

 

「暴れてるやつもいます!」

「縛り付けとけ!!!」

「マジか!?」

 

 部下のベイトが聞き直すが、選択肢はなかった。

 

「当人も言ってたが、女王の方針は正義じゃあない。ぶっちゃけめちゃくちゃだ」

「そりゃ、そうだけど」

「その理屈を一人一人訴えたって、わかってもらう時間なんてない」

 

 対話は最も優れた手段ではある。だが、ウーガの外を見ればわかる。言葉を交わして矛を収めるという時期は過ぎてしまっている。

 

「それでもなお、自分の意見を通そうとするのならば、選択肢は一つだ」

「それは?」

「暴・力!!!」

「身も蓋もねえ!」

 

 その通りである。

 本当にどうしようもない、地獄へ真っ逆さまみたいな世界の流れに強引にあらがおうとしているのが我らが女王である。その女王の願いを尊重するというのなら、やれることをやるしかないのだ。

 どれだけそのやり方が強引だろうが、偽善的だろうが、邪悪だろうが、知ったことではない。それを通すなら力尽くしかないのだ。

 

 この最も原始的な理屈に欠点があるとするならば―――

 

「―――上を見ろぉ!?」

 

 不意に、ぶっ倒れた戦士達を運び出している部下の一人が叫び、空を指さす。見れば、彼が何を警戒しているのかはすぐにわかった。ほかの結界にへばりついている銀竜とは比較にならない規模の巨大な銀竜が上空を旋回している。

 

 先にエシェルが接敵したものとは違う、ならばあれは

 

「銀竜、二体目か!!!」

 

 シズクが差し向けた二体目だ。そう思った矢先、銀竜が落ちてきた。

 結界が激しい不協和音を鳴らす。まだ押さえ込んでいる。だが、太陽の結界すらも貫く銀竜を阻むことはままならない。そして中まで侵入されれば、どうなるかわかったものではない。

 

「まっず……!?」

 

 そう思った矢先だった。結界の不協和音とは別の爆発音―――砲撃音が響き、

 

『――――――AAAA』

 

 銀竜がわずかに退く。それを引き起こしたのは、 内側から外周部へと移動するために作られた突貫の台座を走る巨大な【戦車】―――そして、その上に二人がたっていた。

 一人は風の精霊に愛された少女、フウだ。そしてもう一人は―――

 

「ジースター!!」

 

 元七天、魔界のスパイ、子持ちの父親、あらゆるものを背負った男がそこにいた。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 星野仁、ジースターが方舟イスラリアを訪ね、アルノルド王に回収されてからしばらくたった後の事。

 

「この世界をどう思う」

「……」

 

 ジースターは、アルノルド王に連れられてこの世界を見て回っていた。彼に従う従者の姿に扮して、王が行う各都市の巡回について回り、方舟の様相を共に確認した。

 不用意だとは思った。こちらが方舟を砕くためのテロリストだったらどうする気なのだろうとも思った。あるいは事前に話に聞いていた、“読心術”の類いが方舟には存在しているから、何の問題もないと思われているのか。

 

 ともあれ、結果としてジースターは方舟の多くを見て回り、そして知った。

 

「外の世界では、方舟の中は全ての富と魔力を簒奪した邪悪が富を貪る楽園と聞いていた」

「そう思ってきたのか?」

「いや、ずいぶんと誇張されたプロパガンダだなと思ったよ」

 

 何せ、方舟の内情を知る者はほとんどいない。世界を隔てる壁はドームの住民達が想像するものより遙かに険しい。届くのはノイズまみれの情報データの一部のみ。ジースターだってここに来るとき、帰れないかもしれない覚悟はしたし、その説明も受けた。

 なのに方舟の中が享楽にふける邪悪達の住処だ―――なんて、どうやって知ったというのか。考えればすぐにわかる。ジースターは、そういった煽動に呑まれていないと自負していた。そのつもりだった。

 だが、

 

「厳しい世界だな」

「ああ」

 

 方舟にたどり着いて、世界を見て回ったとき、自分の中にも、偏見の芽があったことに気づかされた。方舟の中は厳しかった。食料を育むのが難しい、枯渇した世界とは対極の厳しさがあった。ドームのように住処は区切られ、それであっても完璧な守りは難しい。守りは堅いが、時として脅威はその内側まで浸食する。

 方舟は未知でありながら、既視感があった。方舟と世界は、同じような状況下にあると。

 

「なぜ俺にそれを見せる」

「……」

 

 敵であるなら排除するか、捕まえればいい。情報を引き出したいなら、“読心術”とやらで引き出せばいい。なのにわざわざ共に方舟を巡って、こちらの世界の事情を教えようとする。

 

「俺を寝返らせたいのか」

 

 少し攻撃的に、挑発するように訪ねてみる。すると、

 

「そうだ」

 

 真顔で、アルノルド王はうなずいた。

 あまりにも直球な回答にジースターは眉をひそめた。

 

「それを当人に直接言うことではないと思うが」

「そうなのか……?」

 

 アルノルド王は首をかしげ、そして遠い目になりながら言った。

 

「難しいのだな……スパイの勧誘というものは」

 

 しばらく共に歩いて気づいたことがある。

 

 この男はかなり天然だ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 数年たって、アルノルド王に子供が生まれることになった。

 

「つまり、我々はパパ友だ」

「…………」

「……………………違ったか?」

 

 といっても、母親からではない。王に母はいない。民達には太陽神から授かるという話を伝えているが、もちろん人工物である太陽神が自分の意思で子供を授けるような神話的な行いがとれるはずもない。

 天賢王は人造人間だ―――といっても、この方舟に住まうすべての住民、どころか、魔界の住民達も多かれ少なかれ遺伝子の調整が行われているのだが。

 だが、王は特別だ。方舟世界を支えるために、特に頑丈に作られる。そのための“専門家”の手によって調整された、王となるべく生まれる子供だ。

 正直、この世界にとってのタブー中のタブーな情報で、そんな話をこちらに伝えていいのかと思わなくもなかったが、それを言い出すと魔界の住民である自分の存在もタブーそのものなので今更。

 王とジースターの関係は奇妙な安定性を維持していた。二重スパイとしての道を選んだジースターにとって王は敵であり、同時に方舟では誰にも話せない自分の事情を知り、共感してくれる友人となっていた―――後に、もう一人の黒い王にも事情を見抜かれ、振り回されることとなるのだが。

 

 しかし、スパイが潜入先相手に友情を感じるのはあまりにも致命的だ。これが狙いだとしたらアルノルド王は実に戦略的で、狡猾といえるだろう……しかし、

 

「父親とはどんな風に振る舞えばよいのだろう」

 

 まもなく誕生する自分の子供のことに悩み、そんなことをつぶやきながら深刻にうなだれるアルノルド王にそんな狡猾さがあるようには全く思えなかった。

 

「悪いが、俺はよい父親ではない。そんな風に聞かれてもわからない」

 

 ジースターが正直に言うと、王は不思議そうに首をかしげた。

 

「子供のためにこんなところまでくるのだろう」

「じっとしているのが耐えられなかっただけだ」

 

 病にかかり、意識がなくなった妻の連れ子。治療法も見つからず、どん詰まりだった状況に悩み、眠り続ける娘の治療費が手に入る危険な仕事に、家族に相談することもせずに飛びついた。

 改めて最悪だとジースターは自嘲する。

 

「方舟に向かうのは、自殺と変わりない。残された者の気持ちを思えばな」

「そうか」

 

 今頃、彼女はどんな表情で待っているのだろうか。あるいはなにもかも捨てて、新しい生活を始めているだろうか。できれば後者であってくれた方がジースターとしてはうれしかった。戻れるかもわからない自分を待ち続ける苦行を彼女に今も強いていると思うと、罪悪感で押し潰される。

 

「貴方はよい父親になりたいのか?王よ」

 

 想像だけで気が滅入りそうになり、ジースターはため息を吐いて王へと尋ねた。すると王はやはり素直にうなずいた。

 

「我々は特殊だ。両親もおらず、王としての役割を担うために調整されている」

「ならばなおのこと、父親であろうとする必要は感じない」

 

 実際、彼の先代の王は、アルノルドに対して息子ではなく後継者として接していたという。そこに情がなかったかと言われればそうではなかったようだが、それでも【天賢王】という特殊な役割を担う彼らの重責を思えば、間違った接し方とは思わない。

 

「そうかもしれない。私は私なりに気遣われ、大切にされた。だが……」

 

 王は言葉を詰まらせ、そして絞り出すようにして、言った。

 

「子供に愛は、必要だと思うのだ」

「つらくなるぞ」

 

 とっさに、ジースターは声をあげた。アルノルド王の言うことはわかった。

 だが、彼が選ぼうとしている選択は、あまりにも苦難に満ちているように聞こえてならなかった。口を挟まずにはいられなかった。

 

「この世界は否応なく、幼い子供すらおぞましい戦争に巻き込んでしまう」

 

 それがどれほど無垢な善人であろうとも、この世界では被害者であり加害者にしてしまう。無意識の悪感情で星を穢し、そのお返しとばかりの悪感情を利用した竜が方舟を壊す。そんなどうしようもない世界を背負わせなければならない相手に愛情を注ぐのは、あまりにも地獄だ。

 

「そんな相手を愛しく思ったら、苦しむだけだ」

 

 先代が距離をとったのは正しい。近すぎるのは猛毒だ。

 

「わかっている。それでもだ」

「……」

 

 だがアルノルド王は聞かなかった。この男は見た目以上の頑固者だ。そう言うだろうとはわかっていた。ジースターはため息を吐く。スパイに「大丈夫なんだろうかコイツ」と思わせることまで狙ってやっているのだとしたら、たいした役者だ。

 

「すべては覚悟の上だ…………だが、できることなら」

 

 そんなこちらの心中を知ってか知らずか、不意にアルノルド王は神殿の外庭から眼下を見下ろした。そこにはちょとした人だかりができていた。何だろうかと思ってみるとすぐにわかった。

 今回の遠征で王の護衛としての仕事を学ぶ為についてきていた【勇者】と【天剣】の後継者―――ディズとユーリが、市井の子供達と遊んでいた。

 どちらかというと遊んでやっているといった具合だが、ディズはニコニコと楽しそうに、そんな彼女をユーリは呆れながら見つめている。

 

 微笑ましい光景だった。

 たとえ方舟に罪があろうとも、そこにある優しさは嘘ではなかった。

 

「―――子供達に、殺し合いをさせたくない」

「そうだな……」

 

 王の祈りのような言葉にジースターは一度うなずいて、その後少し悩み、最後に

 

「それは、そうだ」

 

 もう一度、ゆっくりと、彼の言葉を肯定した。

 

 まばゆい陽光が降り注ぐ中、子供達の笑い声がいつまでもジースターの耳に残った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スパイの軌跡②

 J-04ドーム北東エリア住居区画地下3階層。

 

「…………」

 

 星野仁は自分の家の前に到着していた。

 といっても、果たしてこの場所がまだ自分の家であるのか怪しかった。冷静に考えればとっくの昔に彼女はこの場所を引き払っている可能性はある。自分を待っている者は誰もいないと考えるのが普通だ。

 この場所を、世界を後にして方舟で活動してから十年以上は経った。

 今更誰かが待っている可能性は無いに等しいと思っていた―――――が、見れば部屋の扉の前には、「星野」と名札が書かれていた。

 まさか、とは思いながらも指紋認証を行うと、解錠される。

 自分の登録はまだ残っていた。仁は奇妙な緊張感に包まれながら扉を開く。

 

「ただいま」

 

 咄嗟に挨拶が出た。十年ぶりに戻ったにしては、あまりにも素っ気ない答えだった。

 扉を開くと、すぐさま知った顔が出迎えた。

 

「――――――…………」

 

 星野杏はこちらを見て、目を見開いていた。

 変わらない姿、とはいえない。10年だ。シワが増えた。髪も短くなっている。苦労してきたのだとわかる。彼女は呆然となって、あるいは信じられないというようにこちらを目を見開いてにらんでいた。手に持っていた洗濯物がバサバサと地面に落ちた。

 

 そして、

 

「――――――うおっしゃああああああああああ!!!!」

「おぶあ」

 

 次の瞬間、顔面に拳が飛んできた。まるで痛くはなかったが、仁は勢いでぶっ倒れた。

 

「勝手に出て行って何年も音信不通にほったらかしにしてシレっと帰ってくるんじゃねえ!!!」

「すまん」

 

 杏はぶち切れていた。そういえば彼女はこういう女性だったなと仁は懐かしくなった。懐かしんでいると拳がぶっ倒れた顔面に飛んできた。痛くは無かった。

 

「いきなり貯金にはすげえ金がぽんぽん振り込まれてるしこえーんだ!よ!!」

「すまん」

「置き手紙みてえな遺言みてえなのだけ残された気持ち考えたことあんのかボケェ!」

「本当にすまん」

「ふ――――――ううあああああああああああああ……!!」

 

 そして、彼女の瞳からボロボロと涙がこぼれ出た。

 顔面を殴られるよりも遙かに心臓が痛くなった。同時に、自分がこの場所に戻ってきたのだという自覚がようやっと湧き上がってきた。申し訳なさと、罪悪感と、どうしようも無い安心感で、ジースターも少し泣いた。

 

「死んじゃったかと思ったあああ……!!」

「すまん」

 

 何度も殴られながら、ジースターはずっと謝り続けた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「蜜柑は?」

 

 杏が落ち着いた後、仁が訪ねる。杏は真っ赤になった目をこすった後、彼女の寝室へと案内した。十数年前と変わらない部屋の中で、彼女はずっとベッド―――というにはやや大きな機械の中で、眠りについていた。

 

「……変わんねえよ、この子は。こんな馬鹿でかい医療ベッド用意してもらったけどさ。仮死状態のまんまさ」

「ああ」

「っつーかいきなりこんなでかい機械運ばれて滅茶困ったんだからね……!?」

「すまん」

 

 魔界に行く条件に、この医療機器の用意と維持を条件に加えていたが、約束は守られていたらしい。彼女は【禁忌生物】の襲撃で起こった事故で大けがを負い、昏倒した。治療が困難だった彼女を冷凍睡眠で保存して、そのままだ。

 仁は彼女が眠る冷凍睡眠を操作し、彼女の姿を外に出した。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 いきなりの仁の行動に杏は驚いたが、仁は無視して懐から薬瓶を手にした―――アルノルド王から報酬としてもらったもの、方舟でも極めて希少な【神薬】を蜜柑の口元に運び、飲み込ませる。

 

「これで治る」

「いや、そんなわけっていうか飲める訳――――――「…………ふあ…………ねむ」

 

 効果は一瞬だった。

 蜜柑は十数年前と変わらない寝ぼけ顔であくびして体を起こした。ボリボリと頭をかき、そして自分の状況に顔をしかめた。

 

「え、っていうかなんか寒いんだけど?てかこの機械何?父さんなんで私の部屋にいんの出ていって…………なんか老けた?え、大丈夫?」

「――――――」

 

 杏は目を見開いたまま、ぐらりと卒倒したので仁が支えた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「だからすまない。俺はこちらの世界でも裏切り者として扱われるかもしれない。おまえ達にも迷惑がかかる可能性が高い」

 

 そして仁はすべての事情を話した。

 方舟イスラリアに到着してからの旅路のすべて。本来であればこの世界でも禁忌とされる情報のすべてを包み隠さず説明した。正直言って話すべきことなのかもわからなかったが、それでも彼女たちにこれ以上何かを黙ることは許されないと思った。

 かなり長い話になってしまったが、二人はすべてを黙って―――蜜柑はこちらの話に興味がそそられたのか度々口を挟んできたりもしたが―――聞いてくれた。そして、

 

「だから、必要ならば別れよう。二人が安全な場所は「馬鹿にすんなコラァ!!!」

 

 そしてぶん殴られた。痛くは無かったがぶっ飛ばされた。ぶん殴った杏の闘気は竜よりもすさまじく見えたのは気のせいだろうか。

 

「次、勝手に自分だけどっか離れようとしたらありとあらゆる手段でアンタ監禁するからね……!!」

「はい」

 

 有無言わせずである。ひとまず彼女の安全を確実に確保する方法については諦めた。もしも下手にやろうとしたら彼女はどこまでもついてきてしまうだろう。

 

「蜜柑は、どうだ。何か言うことはあるか?」

 

 彼女にも尋ねる。冷凍睡眠で仮死状態にあった彼女は友人達とも年齢すら離れてしまった。目を覚ましたら何もかも環境が変わり、友人達は老けていたなんていう状況だ。何の理解も追いついていないかもしれないが、尋ねる。

 

「えーうーん……まあ、まだよくわかってないけどさあ」

 

 口先をとがらせて彼女はうなる。昔やめろといったその癖も変わらず、本当に事故が起こる前からそのままぽんと復活したような彼女は、仁の顔を伺いながら、言う。

 

「お父さんがさ、めっちゃ頑張ったのはわかったよ。体とか、ヤバいもん」

「……ああ」

 

 最初、仁の方舟での活躍に疑いを持った彼女の前に、魔力によって強化された肉体とその力を見せてやると、彼女は押し黙った。父親の半裸なんて見て気分でも悪くしたのかと思ったが、そうでは無く、少し顔色が青くなっていた。

 魔物や竜達との戦いで残った傷跡を見たためかもしれず、不用意に晒したと仁は反省していたのだが、蜜柑はさらに続ける。

 

「でもさ、まだ戦いって続いてんだよね。その方舟とさ」

「……そうだな」

 

 仁はうなずく。

 戦いはまだ続いている。いや、正確に言えばようやく始まったのだ。長い長い泥沼の戦争、その最後の戦いが。シズクという一人の少女が魔界側のすべての戦力を背負って、方舟に対して戦いを挑んでいる。

 その戦いの規模まで理解できていないのだろうが、自分と同じ年くらいの少女が戦っているという事だけは理解していた。

 

「私、それ手伝えないのかな?」

「手伝う?」

「え、だって……その、雫?その子が、一人で戦うなんてあんまりじゃない?」

「―――……」

 

 ジースターは、言葉を咄嗟に返すことができなかった。

 ある意味、世界と方舟、二つの異常な世界の当事者であり続けたジースターが麻痺していた感性だった。たった一人にこの世界の状況を背負わせる異常さを、当然のように彼女は指摘した。そして、

 

「だったら私も、自警部隊に―――」

「ダメだ」

 

 ジースターは立ち上がり、蜜柑の肩をつかんで続く言葉を止めた。

 蜜柑のそれが罪悪感からこぼれた言葉なのだと言うことはすぐにわかった。自分が眠り続けている間に、仁がどれほど過酷な旅路を続けてきたのかを痛いほど理解してしまったが故に出てきた言葉だとわかった。しかし、だ。

 

「それだけは、ダメだ」

「な、なんでよ。父さんだって無茶ばっかしたんでしょ!それに雫って子も!なんで!」

 

 なんで?

 家族だから、身内だから、死んでほしくないのだろうか。

 いや、違う。この衝動は、この嫌悪感は、この怒りはそうではない。今の自分の内側でくすぶっているものは―――

 

 ―――子供達に、殺し合いをさせたくない

 

「約束したんだ」

「約束?」

「そうだ――――――友達と、約束したんだ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スパイの軌跡③ 友よ

 

 

 決戦前、竜呑ウーガ 【ダヴィネの工房】にて

 

「大丈夫か、ジースター」

 

 ウーガの主であり、灰の英雄でもあるウルの問いに、ジースターはうなずいた。

 

「かまわない、家族の安全を保証してくれるなら」

 

 今現在、ジースターの立場はひどく危うい。“方舟イスラリアの潜入偵察任務”の為、定期的にイスラリアで獲得した情報を(その大部分が破損したとしても)流していたジースターであったが、その逆もやっていた。

 ごまかしようのない二重スパイであり、同時にジースターは魔界では数少ない、方舟の戦力に抵抗できる力を持った兵器と成り果てた。と、なればJ地区の政府は確実にジースターを利用しようとするだろう。そのためには、家族をも人質にしようとするような事すら厭わないはずだ。

 それを悪だとは思わない。世界側も必死なのだ。だが、その必死さの為に家族を傷つけることをジースターは許容しない。家族ごと避難させることをジースターは選んだ。

 

 選んだ先が、このウーガだ。

 

「まあ、ウーガに出自がどうこういうやつはいないから大丈夫とは思うが」

 

 ウルはそう言って周囲を見る。確かにここには種族のみならず、ありとあらゆる立場と事情を抱えた者達が集まっていた。中には明らかに方舟の外の兵士たち――――ジースターもよく知る者までいた。

 まさに混沌のるつぼだ。そういう意味では少なくとも自分たちが排斥されるといった危険性はない。問題があるとすれば、家族がこの場所でなじめるか、だが……

 

「私たちここに住むの?マジで?父さんヤバすぎない?」

「――――――――」

「母さんまた固まっちゃった。ちょっとおかーさーん」

 

 杏は兎も角、蜜柑はなんというか割と問題なさそうだった。分かってはいたが、娘は精神的に大分タフだ。彼女に任せよう。

 

「……ちなみに、俺たちの勢力を選んだ理由を聞いても良いか?」

 

 ウルは尋ねる。こちらを探っている訳ではないのだろうが、その表情には疑問もあった。

 ジースターは自分の家族を連れてきた。場合によっては人質にもできる二人を預けるという時点で、それはもうすべてを託していると言って良い。その上で自分がここを選んだ理由を確認していた。

 

「ぶっちゃけ、戦力で一番弱いのはウチだぞ」

「俺が家族を預ける選択肢が少なかったのは、第一にある」

 

 世界も、方舟も、彼にとっては敵に近い。どっちつかずの活動を続けてきた代償といえる。勿論それを後悔はしていないが、ウーガ以外逃げる場所が無かったのは事実だった。

 その上で、理由を探るとしたらもう一つ。

 

「勇者達の殺し合いをお前達は否定するんだな」

 

 ウル達の目的をジースターは聞いた。それをもう一度確認する。するとウルは迷いの無い瞳ではっきりとうなずいた。

 

「ああ」

「――――なら、良い」

 

 それならば、良い。

 ジースターの答えにウルは納得したのかはわからなかった。だがそれ以上追求することは無かった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ウーガに協力する。

 ジースターはそれを決めた。ただし、問題はまだ存在している。

 

「ただ、天衣はディズに還した。戦力として期待するなら武器がいる」

 

 ジースターは戦士としては相応の能力がある。元々単身で【方舟】への潜入任務を託されるほど優秀な兵士であり、幾らかの王からの融通があったとしても【七天】を担うほどの実力はあったのだ。勿論、本物の天才達と比べるべくもないが、いろいろと戦力不足のウーガであれば、この力も使い道もあるだろう。

 だが、さすがに武器も何もなしではどうにもならない。

 

「わかってる。ダヴィネ」

 

 だからこそこの工房に来た。ウルは噂の天才鍛冶師に話しかけると――――

 

「大丈夫か?“ソレ”、分からないなら今までの技術で―――「黙ってろ」おお……」

 

 その土人のダヴィネが何をしているかというと、ジースターが持ち込んだ強化服や武器、詰まるところ方舟の外の世界に存在する技術達を爛々とした目で見ていた。

 

「やべえななんだあこりゃあ……!!!」

「わかるのかよ」

「わかんねえよ!」

「わかんねえのかよ」

 

 正直、シズクが侵攻を開始するまでもう時間も無い。こんな風に彼らにとって未知の技術に時間をとられて、戦いの準備をおろそかにされても困る、というのがウルとジースターの本音ではあった。だが、

 

「分からねえよ。だから最高なんじゃねえか!!」

 

 ダヴィネの、爛々と輝く瞳と凶暴極まる笑みを前に、口を挟めなかった。

 

「気に入らねえ!!俺に分からねえ技術なんてあっちゃならねえ!」

 

 最早、体から鬼気が立ち上っているのが見えるかのような勢いで、ダヴィネは瞬く間に外の世界の技術の結晶を分解し、再製させる。恐ろしい事に、既に世界の技術を取り込み、理解しつつあった。

 

「ダメだな、アレは」

 

 その彼の様子を見た兄、復興中のラースからウーガへと避難してきたフライタンはあきれ顔で首を横に振った。

 

「ダメなのか」

「ダメだ。ああなると俺の声も届かん。飲食すら忘れるから注意してやってくれ」

 

 天才鍛冶師。おそらく外の世界を含めて類を見ないほどの怪物といえる彼の狂気めいた学習は、身内でも手がつけられないらしい。彼は一瞬も自分の手元から目を離さずに大声で笑いながら言った。

 

「七天の権能の代用品ん?良いじゃねえか。最高のくれてやるよ!!!」

「お手柔らかに頼む」

 

 ジースターはちょっと怖くなりながらうなずいた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑ウーガ、防壁の内側に急遽建造された【迎撃用通路】にて

 

《仁!!無茶をするなよ!!》

「ええ、協力感謝します。宍戸隊長」

 

 足下の戦車から響く通信にジースターはうなずく、小さくため息を吐く。

 視線の先にはウーガの結界に押し入ろうとする巨大なる銀竜の姿があった。仁はそれをにらみながら、拳を握り、額に当てた。

 

「王よ、共犯者よ、我が友よ」

 

 ここに戻ったときには既にいなくなっていた彼へと、遅ればせながらの祈りを捧げる。祈りを届けてくれる神はこの世界にいないと知っている。それでも祈った。

 

「君の悪巧みは、実を結んだぞ」

 

 そして構え、剣を握る。風の巫女へと合図を送ると、飛翔の加護がその身に宿った。

 滑らかなる奇妙な鎧に魔力の光が迸る。

 形状が変化し、頭部を含め全身を覆い尽くす。方舟の外の世界、資源乏しい状況下のなかで積み重ねられた技術を、ウーガの天才鍛冶師が短い期間で貪欲に食らいつくしたその成果の一つが、その姿を見せる。

 

「【魔機螺装甲・機衣展開】」

 

 ジースターは戦車を蹴り、宙を飛び、銀竜へ突撃した。

 天衣に変わる武器、なんていうあまりに無茶をジースターは言ったつもりだった。

 

「【魔機螺・機剣】」

 

 ジースターはダヴィネから預けられた剣の柄を握り、機能を展開する。内蔵された超小型の魔導核が稼働し、刀身が駆動する。ウルが持っていた竜牙槍の技術と外の世界の技術。二つが合わさってできた剣が伸びて、竜の首をも刈り取るほどの大剣と化した。

 望むまま、想像したとおりの形へと変わる剣、天剣の再現。

 無論、完全再現はできていない。武器の機能も、使い手の才能も、本物の天剣に及ぶべくもない、が、自分が使う分にはこの程度で十分だ。

 

『AAA――――』

「さて、いつもの地獄、だ!」

 

 竜の咆哮をくぐり、ジースターは飛ぶ。

 恐ろしい熱がかすめるが、その圧力だけで焼き払われるようなことは無かった。鎧も機能している。あの天才鍛冶師は本当に、まぎれも無い天才だとジースターは理解した。

 

「眷属竜、心臓はあるか?」

 

 鎧の装甲が造った足場を蹴り、跳ぶ。竜の動きを翻弄し、剣を振るい切り裂く。血は出なかった。異様な感触だ。この後に及んでこの竜がまっとうな生物の範疇に収まっている期待はジースターもしていない。

 

 死に物狂いで敵の動きを探り、学習し、わずかな勝機を見いだす。

 怪物を相手にするときのいつもの戦いだ。いつもの七天の戦いだった。

 その「いつもの戦い」を再現できている事に、改めてジースターはダヴィネに感謝した。

 

 だから問題があるとすれば、この銀竜が、これまで七天として戦い続けた経験と比較してもなお、とてつもない怪物であると言うことだけだ。

 

『AAA――――――――!』

 

 銀竜の翼が、その美しい翼を広げる。円をなした瞬間、膨大な魔力がさらに跳ね上がる。それが簡易的な魔法陣を意味していると気づいた時には、一帯を焼き払わんばかりの【終局魔術】が即座に発動した。

 

「っ!!」

 

 回避できる速度では無い。ジースターは即座に鎧の装甲を展開し、盾を形成した。しかし被弾しダメージを負うのは覚悟して、歯を食いしばった。 

 

「――――【風よ】」

 

 しかし、衝撃は想像よりも遙かに少なかった。ジースターが展開した盾に、更に強い風が纏い、竜の翼から放たれる破壊からジースターを守っていた。それが誰による援護かはすぐに分かった。

 

「風の少女、か」

 

 眼下で、ジースターに飛翔の力を与えた風の少女、フウが力を放っていた。

 支援は大変にありがたい。彼女は間違いなく、【歩ム者】を除けば今のウーガにおいて最大の戦力と言っても過言ではない。ソレを理解しているが、ジースターは食いしばるような顔になった。

 

「君の願いを叶えるのは容易でないな!!――――だが!!それでも!!!」

 

 今は亡き友に悪態をつきながら、ジースターは銀竜の動きを止めるべく再び突撃した。

 

「子供が、殺し合わねばならない世界を否定する!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ②

 

 

「――で、お前も良いんだな、コースケ」

 

 ダヴィネの工房の中で、ウーガの主であるウルにそう問われた浩介は、少し黙った。

 彼の質問の意味は理解できる。浩介が、浩介達がウーガと協力して、二つの神の戦いを止める事に協力しようとしていることについてだ。

 無論、言うまでも無くソレは世界への裏切りといえる。

 雫という少女が“ああなって”戦っているのが、政府だかなんだかが死に物狂いで作り上げた計画の結晶であるならば、その計画に何も知らないまま茶々を入れる自分の所業は多分間違いだ。

 

 ―――せめて馬鹿に生まれたかったよ!!現実を知らない馬鹿にさあ!

 

 あの頭の良い学者がそう言っていたのは、事実なのだろう。何も理解できていないから、自分はこんなことをしようとしているのかも知れない。だが――

 

「……お前は、俺達をどう思うんだよ、ウル」

 

 他の多くの住民達に投げかけた質問をウルにもぶつける。すると彼は肩をすくめた。

 

「魔界の兵士。イスラリアの敵対者で、俺たちに協力しようとしてる変わり者」

「そうじゃねえよ」

 

 そういう事じゃない。そんな表面的な事を尋ねたかったわけじゃない。聞きたいのは、

 

「あんな……あんなことをお前の仲間にした俺たちを、どう思うんだよ」

 

 雫という少女に、世界がした所業を責めないのか。そういう事だった。

 浩介は真っ当に育ってきた。確かに両親とは死別してしまったが、それでもなんだかんだと周りには恵まれてきた方だ。美鈴や彼女の両親にも良くしてもらった。生きる上で当然、身につけなければならない道徳を彼は培ってきた。

 だからこそ、雫が受けた仕打ちは、到底受け入れることはできなかった。ましてそれが、自分たちの生活を守るために必要だったのだという事実が浩介には重すぎた。

 

 周囲に聞いて回るのは、罰してほしいからだろうか。

 それともお前のせいじゃないと言ってほしいからなのだろうか。

 浩介は自分の内面も読み解けなくなっていた。

 

「知らん」

 

 そんな浩介の内面を知らず、あるいは理解してからか、ウルは一言で切って捨てた。

 

「たまたまみかけた場面だけ区切って判断しても分かる訳ねえだろ。こっちだってひでえ所山ほどあるぞ」

「……」

「そんで、俺たちは知らないお前らの世界の良いところもあるんだろ?」

「……ある。あるさ」

 

 ある。それは断言できる。

 確かに外の世界は酷いところだったし、ネットのニュースではろくでもない情報が流れてきたり、しょうもない争いが日常茶飯事に起こったりしていた。

 だけど、それだけじゃない。

 良いところだって、楽しいことだってある。それを紡いで、広げようと努力していた人たちは沢山いた。それは確信をもって言える。

 浩介がうなずくと、ウルは笑った。

 

「じゃあ、今度教えてくれよ。見たことないものばっかだったから、楽しみだ」

「……わかったよ」

 

 浩介は、自分の中の燻りが無くなっていくのを感じた。幼い頃、教育で押しつけられた怨嗟は、どうしようもない無力感と、ウルとの会話の中で解けて還った。

 

「まあ、後思うことがあるとすれば」

 

 と、ウルは話を切り替えるように、浩介の背後を見る。工房に持ち込まれたその巨大なる物体を前に、若干苦笑した。

 

「これ、パチって大丈夫な奴だったのかな?って気はしてるけど」

「大丈夫じゃねえよ!!!」

 

 現在、浩介達が作業しているのは方舟の外の世界に存在する大型兵器だ。なぜにここにそんなものがあるのかといえば、外に転がっていたそれをここの連中が“不思議な鏡”でまるっとパクっていったからである。

 

「Jー0地区でぶっ壊れた奴をさらっと回収したけどよお……絶対軍法会議かけられて殺される奴だよ!!!」

「ダヴィネに原型残らないくらい魔改造してもらうかあ……」

「それはそれでこええよ……俺たち何に乗せられるんだよ」

 

 土人とかいう筋骨隆々の髭親父が目をギラッギラに輝かせて瞬く間にぶっ壊れた兵器を直してあげく何か次々にヤバいもの付け足していくのは恐怖しかない。

 

「……っつーか、これに乗ったとして、通じるのかわからねえよ。お前らの動き速すぎる」

「フウが補助をするってさ」

「フウって……あのちっちゃい子だろ。大丈夫―――」

 

 そう言っていると、不意に工房の中が騒がしくなった。何があったのかと見てみると、

 

「待て待て待てフウ!!!やめぬかそんな無茶を!!」

「大丈夫です、グルフィン様!」

 

 今話をしていたフウという少女がやってきた。とてもふくよかな男をなぜか逆に引きずるようにしながらどかどかと、工房に立てかけられていたいくつもの大槍の前へと立つ。

 

「竜牙槍なんぞ、大の大人でも容易には扱えぬものだぞ!それを――――」

「使えます」

 

 そしてそれらを手に触れることも無く、すべて宙に浮かべて、自分の周囲に展開した。魔法のような光景である。いや、本当に魔法なのだろうか。浩介には判断できなかったが、まさに指先一つで彼女はとてもヤバそうな兵器を操って見せ、ふくよかな男に微笑みかけた。

 

「大丈夫ですよ。グルフィン様。私グルフィン様より強いです」

「ぐふぅ!!」

「護ってあげますね!グルフィン様!」

「や、やめよ!!お主に護ってもらわずとも良いのだ!!あ、あー!あーー!!」

 

 フウはそのまま、ふくよかな男ごと宙に浮かべながらどたどたと外へと出て行った。

 

「大丈夫そうだ」

「大丈夫かなあ……」

 

 ついていく陣営を間違えた気がしないでもなかった。

 

「ところで、このデカ物、名前あるのか?」

「名前?百……三十式戦車?だった気が……そのまんま呼んだらまずそうだけど」

 

 既に原型はなくなりつつあるし、もしもパクったものだとばれれば問題になりそうなので言いたくは無い。すると、ウルは小さく苦笑した。

 

「だったら―――」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「きやがったぞ!!あの化け物が!!」

「マジかよ本当に飛んでるわあの巨体!どういう理屈だよ!?」

 

 戦車内部の【自警部隊】の面々は悲鳴のような驚きをあげる。この方舟の中に移動してきてから、見た事の無い異常な光景は山ほど見てきたし、そもそもウーガそのものが異常の塊ではあったが、今回は更にソレにもまして意味がわからない光景だ。

 

『AAAAAAAAAA――――――――!』

 

 巨大な大亀の中へと襲いかかろうとする銀竜、それと相対してそらを飛びながら剣を振り回し、戦う一兵士。映画か何かのような光景を前に浮き足立つのは当然だった。

 

「騒ぐなお前ら!!」

 

 そんな彼らを一喝し、気持ちを引き締めさせる宍戸隊長に頼もしさを覚えつつも、浩介は申し訳なくもなった。

 

「隊長、先輩達、すみません。付き合わせてしまって……」

 

 思わず言葉を漏らした。

 雫を助ける。この状況をなんとかする。ウルの方針に浩介は乗っかると決めた。だけどソレは勿論、自分たちのいた場所に対する裏切りに等しい。良くないことだとわかっていた。

 それに皆が付き合うと言い出したときは、巻き込んでしまったと思った。だが、

 

「お前に付き合ったのは俺たちの意思だ」

 

 宍戸隊長はきっぱりと、浩介の懸念を否定した。先輩達も笑った。

 

「まあ、その雫って子が世界を守ろうとしてくれるってのはすげえありがたいんだけどな」

「ソレで死んじまうかもしれねえってのはさあ」

「俺たちが頑張って、世界もその子も助けられるってんならそうするさ」

 

 ケラケラと先輩達は笑う。脳天気と思わなくもない。

 あるいは何もわかっていないのでは、とも思える。

 しかし見ればわかるが、彼らの目は本気だった。

 

「まあ、こんな具合だ。お前は知らなかったかも知れないが、自警部隊のメンツは、割とどいつもこいつも酔狂な奴らばかりだ」

 

 なにせ、滅亡まっしぐらな世界の中で、なおも人々の為に命がけで戦うことを決めたような連中ばかりなのだ。はっきり言ってどうかしている。勿論、その道を選んだ浩介も含めてだ。

 

「それに、思い出した」

「それは……?」

「お前が自警部隊に入るよりも前、俺たちは禁忌生物に殺されかけたことがあった」

 

 浩介がいなかった頃、禁忌生物の対処中、思わぬ奇襲に遭って窮地に陥ったのだという。当時を思い出した先輩達が苦々しい顔をしていることからも、かなりの危機だったらしい。

 

「その時、訓練中だったという別の自警部隊に救出された。幼い子供ばかりの奇妙な連中だったが、驚くほどの練度で禁忌生物を撃退した」

「それが、あのシズクって女だったと?」

 

 銀色の彼女を浩介が目撃したのはほんの一瞬だった。あの恐ろしい中枢ドームの一番地下で、光に包まれた彼女が美しく、少し申し訳なさそうに笑うのを一瞬だけだ。他の自警部隊の皆だってそうだろう。

 その一瞬で、隊長達は確信したのだろうか。

 

「さあな」

「ええ……」

 

 していなかったらしい。

 

「ただ、あの時決めたんだ。あんな幼い子供達に護られるのではなく、護れる兵士になると誓った。何時の日か、自分を命がけで助けてくれた少女を助けると決めた」

 

 自警部隊はドームの仕事の中では底辺だ。

 外は危険で、キツくて、汚染されている。それでもそんな場所で戦うと決めている自警部隊の多くは、自分の仕事に誇りと責任を持っている。自分たちの命でドームにいる家族や無辜の人々を護るという強い自負。そうでなければ、こんなに厳しい仕事は勤めることは出来ない。

 

「その彼女が今、自分を犠牲にして戦っている。彼女と同じような少女と殺し合って」

 

 ウル達は現在の状況の事細かを、浩介や宍戸隊長にも余さず説明した。嘘偽り無く全てを述べた上で、判断は任せるとした。だからわかっている。今の状況が大変に胸糞の悪い状況だと。

 

「俺たちは全員、そのことに納得してない。だから此処に居る」

「っつって、俺たちがちっちゃい子に守られてそうなんだけどさ!」

《わたしは大丈夫です》

 

 そして、そんな彼らの笑いに応じるように、外からの通信が届いた。

 戦車の上に立って、自分たちを守る、風の力をまとった少女の声だった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 フウは一度、休む間もなく働き続けるシズクに一度聞いたことがある。

 どうしてそんなに頑張るのか、と。

 それほど彼女はウーガという場所を守る為に熱心に働いていた。鬼気迫るほどだった。彼女の仲間達もそれには気づいていて、休ませようとしていたが、それでも彼女が手を休めることはほとんど無かった。

 勿論フウとて同じ気持ちだった。だけどそれ以上に気にはなった。フウにとってもウーガは大事な場所だったからだ。だから尋ねた。

 

 ―――ここが、皆様を守ってくれる場所になってくれればと、そう思っています

 

 シズクは微笑み、そう答えた。その“皆”の中に貴女はいるのだろうか。そんな疑問が頭をよぎったが、尋ねることはできなかった。

 

「私もできることをしたいんです。子供だからってのけ者にされるのはいやですよ」

 

 戦車の中にいる大人達に呼びかけながら、フウは戦車の上に立って、ウーガを見下ろす。

 此処にたどり着いてから、景観は次々と変わった。ウーガは慌ただしい。同じ景観が続くことはほとんど無かった。だから懐かしいだとか、そういう郷愁が景色から思い起こされることは無い。

 

 だけど、ここは大事な場所だ。それだけは本当のことだ。

 そして、それはここを守り、育てようとしてくれたシズクだって同じの筈なのだ。

 

 その彼女が今は敵対して、銀竜を差し向けている。その心中はフウにはわからない。想像もつかない。もしかしたらシズク自身にもわからなくなっているかも知れない。

 だけど、まだこのウーガにいた時の彼女は願いは、ここを守ることだった。ここを大事に思っていた。きっとソレは本当だ。

 

 だからフウは、かつての彼女の願いと祈りを守る為にも戦う。

 

「貴方がどういう存在なのか、私にはわからないけれど」

 

 風の精霊、その加護を全力で引き出す。

 今も自分のすぐそばで、風の精霊が見守ってくれると感じられた。神官としての鍛錬を続けて、風の精霊の力は高まりを続けている。指導官であるカルカラから直々に「類を見ない」と断言されるほどの力が彼女には宿っていた。

 

「どうか、力を貸してください。【風の精霊(フィーネリアン)】」

 

 精霊が、これまで教えられてきた、神聖なる存在とは違うと言うことはフウも聞いた。だけどこうして自分に力を分け与えて、見守ろうとしてくれる存在をフウは信じていた。

 出自を語るなら自分だって大概だ。

 そんな自分を愛してくれた風の精霊の力を、信じる。

 

「【風よ、我らと共に在れ】」

 

 フウの力が解き放たれ、自身と、ウーガに住まうすべての戦士達に風の加護と力を与え、

 

《【ロックンロール2号機】っ撃てェ-ーー!!!》

 

 その力によって後押しされた機械の獣が、その砲口から竜の息吹にも劣らぬ砲撃を放った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ③

 

 大罪竜の眷属達は、それぞれ自身の本体から大きく権能を分け与えられた竜達だ。

 

 小型の尖兵の竜達もある程度の力を有しているが、それでも分けられる力はごく一部だ(もっとも、その一部で並大抵の魔物達と比べて凶悪な性質を有する)。眷属竜ともなれば、分け与えられる力の総量が跳ね上がる。その事は長い間七天として活動を続けてきたジースターは良く理解している。

 

『A――――』

 

 だから、目の前の巨大な銀竜が間違いなく眷属竜の類いであるということはすぐに理解できた。今現在イスラリア中を飛び交い、銀竜と比べても明らかにスペックが違う。権能を振るう以前に、力も速度も魔力も桁が違う。

 ジースターに与えられた風の加護は決して弱いわけでは無い。熟達した風の神官達に与えられる【飛翔】の力と遜色ない、どころか上回りさえしている。だが、

 

『A――――AAA』

「…………!?」

 

 翼が輝く。光が放たれる。ジースターは全身が焼かれる寸前でその場から離脱する。機剣を構え、回避と同時にそれを振るうがその瞬間には銀竜の姿はその場から消えていた。

 

「っ!!」

 

 横に飛ぶ。するとそこへと再び光が飛んでくる。視界の端に映る銀竜は、今度は胸部から光を放っていた。口からだけではなく、全身を武器に【咆吼】を放てるらしい。だが、問題はそこではない。

 

 問題なのは、こちらがまるで敵に追いつけていない現実だ。

 

 わかりきったことではある。自分は他の七天のように才能から選び抜かれた傑物達とは違う。アルノルド王との契約によって力が与えられていたに過ぎない。それに見合うだけの努力を重ね、戦いを続けてきた自負はあるが、どこまでも自分が凡人なのは事実だった。

 

 だがしかし、そんなことは、分かっている。そんな凡夫であろうとも、守らねばならない者達が、貫かねばならない信条があるから、今此処に自分はいる。

 

「【魔機螺展開!!】」

 

 ジースターの周囲を守るようにして旋回する装甲が再び展開する。拡張し、壁のようになり、周囲に結界を展開し、広い空を区切る壁のように動く。

 

『AAA――――!』

 

 当然、その程度で銀竜の動きを封じることは出来ない。こちらの装甲が銀竜を取り囲むように動くや否や、銀竜は素早く飛翔した。追ってくる装甲をかいくぐり、時に弾き飛ばしながら振り払い、容赦なくジースターを焼くべく、輝きを増していく。

 捕らえることは、できない。だが動きを制御し、予測させることはできる。

 

「撃て!!!」

 

 ウーガ地上部からの砲撃が再び起こる。天才にして怪物、ダヴィネの魔改造によって別物になった戦車からの砲撃から放たれた熱光が、情け容赦なく銀竜を焼き払った。銀竜が放とうとした光は揺らぎ、ジースターには届かない。

 効果はあった。少なくとも外の世界の兵器も、方舟内部の魔導技術を取り込むことで十分に通用するものに昇華するのは間違いなかった。

 問題が、あるとすれば、

 

《ダメージが、無い……!?》

 

 通信から、呆然とした声が響く。

 

『――――――――AA』

 

 砲撃された銀竜が再び姿を現したが、その姿には傷一つ残っていなかった。それを見て【自警部隊】の皆は呆然とした声を上げる。が、一方で、ジースターはどこか落ち着いていた。

 

「――まあ、そうだろうな」

 

 長く離れていた家族との再会で勘違いしそうになりそうだったが、改めて自覚する。ジースターはとっくの昔に常識外れの怪物と化していたし、その身で戦い続けた怪物達は大体こんな風に理不尽だ。この理不尽が、自分の戦う戦場だ。

 

「これもまた、何時ものことだ」

 

 故に、その理不尽への恐れも動揺も無い。ジースターは戸惑うことなく、無傷の銀竜へと再び剣を振るった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一方で、ウーガ上空のエシェルもまた、理不尽と相対していた。

 

「む、う……!!」

 

 白銀の竜との戦闘において、エシェルはその速度で敗れることは無かった。虚飾の竜から奪った翼によって自在に飛翔する能力を身につけていたエシェルは、銀竜にも劣らぬほどの速度を身につけていた。

 竜達は間違いなく理不尽の体現者であるが、エシェルもまた、その域にその身を置いている。あの最凶の竜グリードを超えて、彼女の力はさらなる冴えを見せ始めていた。

 だが、相手はそのエシェルをよく知る、シズクの眷属竜である。

 

「【鏡よ!!】」

 

 これで何度目か、エシェルは再び鏡を展開する。

 相手の力を、相手そのものまでまるごと飲む凶悪極まる簒奪の鏡。対人だとあまりにも危なっかしくて使うことも出来ないそれを、エシェルは銀竜へと向かって放つ。だが

 

『AA―――――』

 

 鏡から放たれた光は、銀竜に直撃した瞬間“跳ね返った”。

 

「奪えない……!?」

 

 敵の体が、鏡のようになっている……?

 否、違う。鏡のようにではない。これは、

 

『AAAAA――――――――!!!!』

 

 竜の身体が光り輝き、周囲を焼く。その破壊の力に、戦いの最中エシェルが使った魔眼の力が入り交じっていることに気がつく。

 

()()()()()()()()()()()()()……!?」

 

 月、という概念を方舟の人類は知らなかった。

 外の世界を知り、シズクが敵対してから彼女の有する力についてエシェルはウル達と一緒に調べた。月の概念、太陽の光を受け取ることでその輝きを保つ鏡。光を受けてそれを返す鏡が起こす現象をもっと大規模に、太古の昔から行ってきた現象そのもの。

 まさに、鏡という現象の大本だ。自分が出来ることは相手もできる。

 だけど、

 

「知ってる……!!」

 

 エシェルは怯まなかった。

 

「シズクが、私より凄いって、知ってる!!!」

 

 自分と年齢もほとんど変わらないのに、シズクは何時も落ち着いていて、何だって出来た。自分たちより遙かに年上相手にもまるで怯まない、どころか手玉にとったりもして、ウーガをずっと守り続けてきた。

 彼女は実質的な支配者で、エシェル達は彼女に守られ続けてきたと言っても過言では無く、そしてウルに最も近かったのも彼女だった。そんな彼女にエシェルは憧れもしたし、嫉妬もした。どうしたって勝てないとすら思った。

 

「でも、今、このときだけでも」

 

 そんな彼女を助けるためには、彼女に打ち勝つ以外無いというのなら

 

「お前を超えるぞ!!シズク!!!」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 白銀の月鏡と黒翼の盗鏡、壮絶な奪い合いが始まった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 【竜呑ウーガ】司令塔

 

「エシェル様……!」

 

 指令室にて限界ギリギリまで研究を続けるリーネに代わり、ウーガの指示を出すカルカラは、水晶に映る自分の主の激闘に手を強く握りしめる。最早彼女の戦いに援助する事は出来ない。のこのこと戦場に出れば足手まといになると分かっている。

 だから、せめて自分の出来ることを!その意思を貫くべく、カルカラは刻一刻と変わる状況を見定め、動くことが出来る数少ない人員達に指示を出していた。

 

「カルカラ様!」

「どうしました!」

 

 その最中、術者の一人から悲鳴のような声が響いた。その声音から良い情報では無いというのはわかりきっていたが、カルカラは即座に応じた。

 

「押さえ込んでいた粘魔が動きます!!!」

 

 水晶の映像が変わる。映し出されたのは、あの邪悪なる【魔王】が創り出した冗談のような巨大兵器――――の、残骸だ。ウルが徹底的に破壊し、その大半の装備を、鎧をスクラップにした。

 

『OOOOOOOOOOOOGGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 その、砕け散った破片を全て、鎧のように纏った粘魔王が、ウーガの拘束をくぐり抜けて、動き出したのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ④

 

 女王と巨大なる白銀竜との戦いが激化し、地上でも状況は加速した。

 

「くそったれが!!!」

「やっぱ容赦ねえっす!!!シズク!!!」

 

 既に侵入していた銀竜達の動きは、巨大な銀竜の影響を受けて加速した。それまで乱雑に動いていた竜達に明らかに統率が宿った。一糸乱れず飛び回り、こちらの戦力を容赦なく潰していく。

 兵器を破壊し、戦士達を次々になぎ倒していく。的確にこちらの戦力の急所をえぐり取ろうとしてくる。一歩間違えれば命を落とす。期待していたわけでは無いが、全くもって躊躇は皆無だった。

 

「間違ってでも殺されるなよ、てめえら!!!」

 

 部下達に適宜ジャインは声をかける。

 

 この戦いで死んではならない。それは絶対だ。

 

 現在、敵対しているシズクとディズをこの状況から助け出すという奇妙極まる状況に陥った以上、死ぬわけにはいかなかった。彼女達の攻撃で、あるいはその攻撃の余波なんかで死んでしまえば、それだけで彼女達を助けるという大義が損なわれる。士気は致命傷に至る。

 全員で生き残る。この戦場は死ぬわけにも、負けるわけにもいかない戦いなのだ。

 

『AAAAA――――!』

「だから、邪魔するんじゃ、ねえ!!!」

 

 ダヴィネが鍛え上げた黒色の手斧をたたき下ろす。たたきつけられた銀竜の首は強烈な轟音と共にへし折れる。刃は通らなかったがそれでも殺した、ように見える。

 

『――――A、A』

 

 が、次の瞬間、へし折れた首の頭がジャインの方角へと向き、白銀の咆吼が放たれようとしていた。ジャインは驚かなかった。死んでいるとは思ってはいなかった。次の瞬間、奇妙にへし曲がった銀竜の口に短剣がたたき込まれる。

 

『A   』

「ほんっと、加減してほしいっすねシズク」

「あの女にそういう可愛げがあるわけないだろ」

「そりゃそーっすねえ」

 

 だが、良い情報もある。少なくとも小型の銀竜達に、上空で暴れ回っている銀竜達の“月鏡”のような特性は持ち合わせていないらしい。

 

「つまり、ただただひたすらやたらしぶとく、やたら速く、攻撃性能が高くて死ぬほどやっかいな魔物というだけだ!」

「それが空を覆うくらい無数にいるってだけっすねー」

「地獄か!!」

 

 だが、そんなことはわかりきっていたことだ。

 あのシズクを、女の形をした怪物を助け出すのが簡単な訳がない。

 捕らわれのお姫様を助け出すというのとは、全く訳が違うのだ。

 

「まー勇者様が直接敵に回らなくてよかったっすけど」

 

 空を飛び交い、銀竜と敵対しているディズが生み出した使い魔のような存在、“金色の天使”はウーガを狙っては来ない。手伝っては来ないが、敵対しないだけ御の字だ。

 

「あっちはウルに投げちまおう」

「そっすね」

 

 こんな戦いまで自分たちを引っ張ってきたのだ。それくらいは背負ってもらわねば困る。こっちは目の前の分だけでも死に物狂いなのだから。

 

「準備できたか!!」

《応!!!》

 

 通信魔具に向かって声を張り上げると、仲間達の力強い声が返ってきた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜呑ウーガ【迎撃用通路】にて

 

「いくぞ!」

 

 ジャインの合図と共に準備を整えていた白の蟒蛇のメンバーは動き出した。通路にはロックンロール2号機以外にも、無数の兵器が配備されている。この戦いが始まる前に、既に準備は整っていた。シズクと敵対した時点で、ウーガの内部に敵が侵入されると言うことはわかりきっていたからだ。

 

「ガザ、レイ!!!」

《いける!!》

「撃てェ!」

 

 【竜殺砲】などというあまりにそのままな名前のついた大砲を撃ち出す。以前【陽喰らい】の儀の時に用意された物の改良版。ダヴィネが用意したソレが竜殺しを次々と打ち出す。圧倒的な連射力だった。

 黒の大槍が空を羽ばたく銀竜達を狙い撃つ。

 

『AAAA――――』

 

 無論、銀竜達は素早く自在に空を飛ぶ。無数の黒い閃光をあっけなく回避していく。が、

 

「【風よ】」

『A、AA!?』

 

 その大槍の全てを、フウが誘導する。竜殺し達は風の流れによって機動を変え、速度を増し、銀竜達へと狙いを定め、

 

「【戦の精霊よ!!】」

「【灯火よ!!導け!!】」

 

 更にソレを無数の神官達の加護が援助する。空を飛び交う【竜殺し】が逃げ惑う銀竜達をまるで生きた蛇のように追跡し、食らいつき打ち落としていった。

 

《すっげえなフウちゃんたち!?》

《感心してる場合じゃ無い。彼女たちに敵を絶対近づけないで》

《わかってらあ!!》

 

 そして彼女を護るための防衛陣も正しく機能していた。【白の蟒蛇】に【黒炎払い】、【グラドルの従者】達、奇妙ないきさつのもと集った彼等は一見バラバラのようでありながら高度な連携が取れていた。

 それぞれが遭遇した困難、試練、経験と交流、多くが積み重なった結果の連携だった。事、方舟にいる誰もが経験したことが無いような未曾有の戦いにおいて、竜呑ウーガは紛れもなく、名の通り竜をも呑むほどの一大戦力へと進化していた。

 

 だが、だとしても、そうであっても――――

 

『【A】【A】【A】――――』

「ッ!?」

 

 それを覆すほどに凶悪なのが、竜という存在なのだ。

 女王が相対しているものとは違う、もう一個の巨大なる銀竜が鳴く。その瞬間、凄まじい光が全方位に放たれ、周囲に設置してある光が瞬く間に焼き払われた。飛び交っていた竜殺しがたたき落とされ、迎撃通路に集っていた戦士達その熱で吹き飛ばされる。

 

《んだあ!?》

「怯むな!!!」

 

 古参の【白の蟒蛇】の戦士は叫ぶ。戦場に立った全員には対衝の護符はいくつも身につけさせている。そう容易く死ぬような事にはならない。それよりも

 

「怖じ気るな!!!反撃が――――」

『A』

 

 来た。

 遙か上空にいた筈の巨大な銀竜が、気づけば目の前にいる。音もなく、恐ろしく速く。指揮の頭を的確に狙い、全てを焼き払わんと輝きを増した。

 

「【疑似天、剣……!】」

 

 直後、ジースターが銀竜の身体を刃で貫いた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

『AAAAAAAAAAAAAAAA――――!!』

「通った、か!」

 

 ジースターは剣の手応えに一つの確証を持った。

 この眷属竜はこちらの攻撃を吸収し、跳ね返してくる。竜呑女王と同じ性質を有してる。

 だが、全ての攻撃を完璧に跳ね返してくるわけでは無い。

 竜が有するそういった性質は無尽蔵では無いとジースターは知っている。超常の現象は魔力が関わる。それは絶対だ。そして信仰による魔力の供給を受ける神でもない眷属には、魔力の貯蔵限界がある。

 で、あるならば、その超常的な現象を常時引き起こすような余裕はない

 

 ならばその隙はどのタイミングか。その一つはこちらを攻撃しようとしたその時だ。

 

「ならば、やりようは――――」

《ジースター!!!》

 

 だがそのとき、通信が聞こえた。内容のないその声が明らかな緊急だとすぐに分かる。銀竜への警戒を解かぬまま、ジースターは周囲に視線を走らせ

 

「次から次へと……!」

 

 そして、その通信の理由をすぐに察した

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO……!!!!!』

 

 あまりにも巨大な、粘魔の巨人の頭が、空を浮かぶウーガの防壁に手をかけて、こちらをのぞき込んでいた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 プラウディア中央部、崩壊した建造物の屋上にて。

 

「――ふぅ。危うかったなあ?」

 

 先ほどまで、崩壊しかけていた機神スロウスの司令室にいたグレーレは息をついた。

 嘘偽り無く、危うかった。ある程度、しでかしてくる事は予想していた。予想していたから有無言わさずに仕留めていったというのに、最後の最後に選んだ手段が自爆とは。

 

「やれやれ、昔はビビりだったのに、どうして血迷ったのだか」

「何百年前の記憶を言っているのだ、お前は」

 

 【元・勇者】ザインの助けが無ければ本当に自爆に巻き込まれて死んでいたかもしれなかった。本当に危機一髪だ

 

「いざというときは、ウルを助け出そうと思っていたが、まさかお前を助けることになるとはな」

「好き放題して死にかけるな」

 

 ザインはため息をつく。見た目はどう見てもくたびれた老人であるが、その彼があの瀬戸際で、迅速にグレーレをとっ捕まえて【転移の巻物】で脱出させてくれたのだ。

 ()()()()()()()()、荒事に対しては右に出る者もいない。

 

「カハハ!すまんなあ!なにせあっちこっち火がついたような有様なのだ!」

「だからミラルフィーネの少女に月竜を押しつけたと」

 

 空を見上げると、赤黒い空で無数の光が飛び交っている。白銀と竜呑の女王が戦っているのだろう。遠目にも激しい戦闘であると分かる。どうやらきっちり彼女に銀竜の対処を押しつけることには成功しているらしい。

 

「何、仕方在るまい?協力関係とは言え、七天としての仕事もある。優しくはしてやれん」

「お前が優しかった記憶はない」

「優しくしようとしたのを無視したんじゃあないか。折角もっとしっかりとした長命施術を受けられると言ったのになあ?」

「見目だけ若々しくなることに何の意味がある」

「見た目は大事だぞ?」

 

 ケラケラとグレーレは笑うが、どうでもいいというようにザインはため息をついた。

 

「ゲイラーが逝ったか」

「まあ仕方在るまいよ。【原初の()()】のメンバーでも、一番拗らせていた」

「お前が言うか」

 

 もっとも速く、メンバーから離脱した男だったが、まさか魔王の所に転がり込んでいるとは思いもしなかった。しかも、自分がトップとして暗躍するのでは無く、服従して献身する道を選ぶとは

 とはいえ納得もある。彼は気も弱かった。あの魔王が生物としてあまりにも傑出していたのは間違いなかった。呑まれてしまったとしてもさもありなんだ。

 感傷も生まれるが、しかし去ってしまった者達の事を考えても仕方ない。

 

「それで、動けるのか。七天の仕事は」

「想像以上にウーガの連中は動けるらしい。任せても良かろう」

「ではゆくか」

 

 そういって、「しかし」とザインは顔に刻まれた皺を更に深くさせた。

 

「まさか、お前を手伝うことになるとは思わなんだがな」

「カハハ!俺もお前が生き残るとはおもわなんだよ!」

 

 もっとも修羅場に首を突っ込んでいたのは彼だ。長命施術も最低限だったというのに、それでもメンバーの中で生き残れたのは、運が良いのか、それとも彼の戦闘能力が傑出しているのか、精神力が傑出しているのか、分からなかった。

 彼以外のメンバーは殆どがこの世界から去った。思想の変化、ズレ、反発で距離が離れ、そして誰もが死んでいった。慣れはしたが、一抹の寂しさを感じないかと言えば嘘だ。

 

「まあ、クラウランのように家族を増やす気にも「おい」……ん?」

 

 だが会話の途中、ザインが声をあげる。なんだと彼の視線の先を見ると、

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO…………!!!!』

 

 彼の視線は機神スロウスへと向けられている。否、正確に言えば、既にそれは機械の神という異名からはかけ離れた姿と成り果てていた。

 

『OOOOOOOOONNNNNNNNNNNN…………!!!』

 

 灰の王によって破壊つくされ、結果として人形としての本来の形を維持することは困難となった。備え付けられた兵器の大半も砕け、それを維持しようと腕を持ち上げても、その自重に耐えられずに落下を繰り返す。

 身体にのこった昏い闇が、身体を破壊する。粘魔の再生と破壊が繰り返され、それでも、砕け散った身体の部品をその身体に強引に積み重ねて、飛翔しているウーガに飛びかかる。その姿は、紛れもない粘魔王そのものだった。

 

「ふむ、えらいことになってるな?」

 

 グレーレは実に端的に、そして無責任に目の前の光景を評した。

 

「どういう有様なのだアレは」

「灰の王の攻撃によって【暴走】は頭から叩き潰された。となるとアレはもう人形の機能では無いなあ?」

「粘魔、邪教徒ヨーグか」

「アレのやりそうな仕事だ!懐かしい!昔はよくやりあったものだ!」

 

 ケラケラとグレーレは笑い、そして頷いた。

 

「うむ、まあ、アレだ。若者達の力を信じようじゃあないか!カハハ!」

「そういう所だぞお前」

 

 懐かしい突っ込みを受けたが、グレーレは無視した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【竜呑ウーガ】司令塔にて

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNNNNNNNNN!!!』

「ダメです!重力魔術では捕らえられない!どうしても取り逃す!!」

 

 遠見の水晶に映し出される未曾有の脅威を前に、司令塔内部の魔術師達は悲鳴のような声で状況を説明した。【巨大機械人形】――否、【巨大粘魔王】が空中を飛翔するウーガの身体をひっつかんで、引きずり落とそうと藻掻いている光景は、絶句する以外無いだろう。

 冷静に考えれば空中を飛翔する都市を背中に乗せている巨大使い魔を操っている自分たちも相当頭がおかしいのは間違いない筈なのだが、それを上回る混沌がたたき込まれた。

 

『GGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「引きずり落とされる!!」

 

 ウーガが揺れる。【聖遺物】を活用した重力制御によって、飛翔そのものは絶対の安定度を確立したが、それでも流石に超巨大な粘魔に直接捕まれて揺さぶられるような状況を想定する方が無理だった。否応なく、ウーガは地面に落ちていく。

 

「リーネ!!どうしますか!!」

 

 カルカラは叫び、ウーガの技術担当者へと叫ぶ。すると彼女は――

 

「……やっぱ、こうなるわね…………ウルの……」

 

 部屋の中心で、ひたすら研究に打ち込んでいた。

 凄まじい揺れでいくつかの筆記具が周囲に飛び散って資料が飛翔しても全く動じずに、目の前の研究に全力を注いでいる。凄まじい集中力と言えなくも無かったが、この状況下でやってる場合ではない。

 

「師匠」

「何、邪魔を……」

 

 彼女の弟子の男が肩を揺さぶると、彼女は顔を上げ【遠見の水晶】を見る。異常すぎる光景を確認した彼女は――

 

「――ああ、いつもの大混沌ねはいはいはい」

「冷静!」

 

 ため息をついた。周りの魔術師達が驚愕するが、リーネは本当に淡々と動いた。

 

「もう慣れたわよ。意味不明な状況」

 

 弟子からローブと杖を手渡され、彼女は司令室の中央に移動する。彼女のために広げられた円陣の中心に立つ。

 

「ウーガ周辺部の避難はできてるのよね」

「生命反応はありません」

「よろしい」

 

 必要な分だけを確認すると、彼女は杖で中央を叩いた。

 

「【開門・竜呑大噴火】」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑤

 

 ハルズの意識はぼやけていた。

 

 自分がどうなっているのか分からない。視界は明らかに広がった。まるで全てが小さな玩具のようになってしまった光景だ。しかしその光景を彼は解さない。それを判断するだけの知性は、彼には残っていない。

 

 元々、機神スロウスを操る試みは無茶があった。

 

 いくら外の世界の技術を流用したとはいえ、自分の肉体と同じように、あまりにも図体の異なる物体を操ろうとしたのだ。その時点で彼の心身はズタボロになっていた所に、魔王の介入が入って、彼はとうとう完全に“人間”ではなくなった。

 

 “人間”、イスラリアに住まう“ヒト”とは違う、正しき人類。

 

 勿論、ここに至るまでの経緯を考えればとっくの昔に“真っ当な人間”なんてものはなくなっていた。その事に目を背けてやってきた彼のプライドも消し飛んだ。

 だけど勿論、今の彼にはその事を気にしている余裕なんてみじんもない。考えられるほど、思考はまとまっていない。彼は今怪物として荒れ狂っている。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNNNN!!』

 

 声を発そうとすると奇妙なうめき声になる。

 不自由だった。不愉快だった。ハルズはどこまでもいらだった。ソレが自身の内側からあふれる物だったのか、それとも人形が暴走したことによって引き起こされたものなのか、それとも戦いの最中に自分の内側に混じり合ったヨーグの感情なのかも判別つかなかった。あるいはその全てなのかもしれなかった。

 だが、今ハルズがしなければならないこと、その衝動は一貫している。

 

 全ての破壊。ただその衝動に任せて彼は動く。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 ハルズは機械と粘魔が入り交じり、異様に長く伸びた腕を振り上げる。たたきつける先は目の前の巨大亀だ。何故、目の前の巨大な亀が空を浮遊しているのか、何故それが自分の目の前にあるのか、その判断もハルズはつかなかった。

 

 今、どういう戦況にあるのか。

 自分はどうすれば、目的を達成できるのだろうか。

 どうすれば、家族を守れるのだろうか――――否、もうとうの昔に家族は死んでいる。

 

 もう、この世界に流れ着いて長い。長命施術を受けて、帰る手段を模索しながら破壊活動を続けたが、その全ては実を結ばなかった。とっくの昔に自分の我が子も老衰している程の時間が流れて、それでも忌々しきイスラリアは変わらずそこにある。

 

 どうして自分はこんなにも苦しんだのに、今此処にまだ存在している???

 

 ならば壊そう。彼は衝動の赴くまま、拳を握りしめた。

 目の前の大亀もイスラリア由来のものであるのには間違いはないのだから。

 狙うは、大亀の背中、防壁に囲まれた内側。まるでこの楽園のように広がる美しい都市の中だ。それを全て、ぐしゃぐしゃに破壊してくれると、ハルズは拳を握り、振り下ろした――――

 

『――――A?』

 

 その瞬間、ハルズの目の前が光に包まれた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【ロックンロール二号機】にて

 

「な、な……!?」

 

 浩介はモニターに映し出された光景に言葉を失っていた。

 この世界にたどり着いてから、言葉を失うような光景は山ほど、本当に山ほど見てきた。もういい加減慣れてきたと自負していたが、全くそんな事はないのだと浩介は自覚した。

 自分たちが乗る大亀をひっつかむ超々巨大怪物。形がくずれたバケモノ、【禁忌生物】すらかわいく思えるような存在を前に、浩介は呆然となった。

 

「あ、あんなもんどうす……!?」

 

 戦おうという気すら起こらない。どうすることも出来ない。ああ、このまま死ぬわ。と、彼は率直に思った。美鈴のことが頭をよぎったが、彼女に何か思い残すことを考える暇すらも無く、拳はまっすぐにウーガにたたきつけられ――――

 

『――――――VA』

「は?」

 

 ようとした、瞬間、重く響く声が聞こえた。

 それがウーガ自身の声であると浩介は気づくことはなかった。

 ウーガの中心、都市を取り囲むようにして存在している巨大な防壁、浩介達の乗る戦車用の移動通路も存在するその防壁の壁から無数の光が放たれた。それは大きく大きく刻まれた【術式】の類いであったのだが、勿論浩介にはその事はわからなかった。

 

 分かったのは、防壁から放たれた光が満たされた瞬間、爆発が起こったと言うことだ。

 

「な、な、なあ!?」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 巻き起こった爆発は、不思議と浩介達の乗る戦車を吹き飛ばしはしなかった。どういう理屈によって起こった力なのか、浩介の近くにいる神官の少女や仲間達に害意をなすものではなかった。代わりに、自分たちをたたき殺そうとした巨大粘魔だけを一気に吹き飛ばしたのだ。

 外からみれば、まるでウーガの背中が大噴火したように見えたことだろう。勿論浩介にはそれはわからない。分かるのは、なんとか自分たちが九死に一生を得たという事実だけだ。

 

「やっ――」

 

 その事実に浩介は安堵の言葉を漏らした。

 否、正確には漏らそうとした。

 

『AAA――――――』

「っだああ!?」

 

 その暇は一切なかった。先ほどのウーガ内部の大爆発にすら怯むことのなかった巨大な銀竜が目の前に現れたのだ。ジースターが相手していた個体ではない。それとは別の、女王が相手にしていた個体が、爆発の隙を突いてこっちにやってきたのだ。

 

「撃てェ!!!」

 

 そのあまりにもめまぐるしく変わる状況の中にあっても、宍戸隊長の言葉に即座に身体が動いたのは、彼自身が愚直に続けてきた訓練の成果だった。どれだけ異常な状況下で混乱しようとも、こなしてきた訓練が身体を動かした。

 砲撃音が響く、光が竜を打ち抜いた。しかし、

 

『AAAAAAAA――――!!!』

「直撃!ですが、銀竜は発光を続けています!!」

「攻撃は通っている!!怯むな!!!」

 

 隊長の呼びかけと共に、更に砲撃を続ける。だがそれでも銀竜は怯まない。間もなく光は限界に到達し、モニターは何も見えなくなった。今度こそ浩介は死を覚悟した。が、

 

「――――お前の相手は、私、だ!!!」

『AAA!??』

「んな!?」

 

 次の瞬間、上空から飛翔した女王エシェルの飛び蹴りが直撃した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「油断も、隙も無い……!」

 

 エシェルはこちらの隙を突くようにしてウーガに侵入した銀竜に突撃する。力任せの突進に等しかったが、敵が攻撃する直前だった為か、物理的に吹っ飛ばすことが出来た。

 

『AAA――――』

 

 魔術による攻撃は自在に反射する。あらゆる衝撃は吸収される。攻撃の前後にのみ、ダメージは通る。生態としてはおおよそ判明したが、分かったところで対処するのは死ぬほどやっかいだった。

 何せ速い。鋭い。こちらの攻撃を読み取って理解し、回避してくる。

 敵は竜だ。容易いわけがない。

 

「だけど……!」

 

 エシェルの感情の高ぶりに応じるように、装備した冠がうごめき、輝く。

 それは、以前までエシェルのお守りとして装着していた魔本ではない。グレーレがもたらしたアレは、強欲の迷宮にて紛失したし、そも役割からして違う。

 【冠】は、エシェルの力を押さえつけ、封じるものではない。

 

「【写鏡】」

 

 御し、強化し、高める為の強化装置だ。

 

「来い……!」

 

 構える。武術の真似事、ではない。エシェルに格闘術を極めぬいた経験は無い。だが、記憶の中にある戦士達、その再現を肉体にて行う。

 

『【AAAAA――――】』

 

 攻撃が来る。それを見た瞬間、彼女は特攻した。後の先、攻撃を撃たせた後に、それを叩き潰す絶技が、この瞬間、彼女の肉体に宿る。強欲の戦いで共にした勇者のそれにも見えたし、あるいは土壇場で救助に来てくれた紅蓮の拳士のそれにも見える。

 彼女が見て、知ったものが、彼女の力となった。

 

「くだ、けろ!!」

『AAAA!!!?』

 

 彼女を知るものが見れば信じられないような速度と体術によって、銀龍の首を蹴りつける。手応えはあった。銀竜の首はあらぬ方向にへし曲がり、一気に落下していく。だが、エシェルはまだ油断はしなかった。油断など、できるわけが無い。

 この程度で、彼女の攻撃が終わるはずも無い。

 

「本番か……!」

 

 その予感を肯定するように、エシェルがたたき落とした銀竜は強く輝きを放った。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

《――本番か……!》

 

 浩介は自分たちを助けてくれた女王の声を通信越しに聞いた。

 彼女の声はあっという間に自分たちの目の前から銀竜を吹っ飛ばしてくれた少女の声とは思えないほどに、どこまでも苦々しげだった。だが、その理由もすぐにわかった。

 

『A――――――』

「な…………!?」

 

 竜呑ウーガへと襲いかかってきた二体の巨大銀竜が光り輝く。また全方位攻撃が来るのかと身構えたがそうではなかった。美しい鈴の音を鳴らす二体の竜の声は共鳴し、周囲に響き渡る。

 そしてその声に引きずられるように、ウーガの周囲を飛び交う小型の銀竜達が発光を開始した。

 

《何?!》

 

 ウーガの地上部で戦ってる戦士達からも驚愕の悲鳴が響いた。小型の銀竜達は共鳴を開始する。首を落とされ、転がった死体に至るまで、その全てがだ。

 

 まるで、最初からそれが狙いであったかのように、至る所に転がっていた銀竜達の死体が一斉にその形を解いて、広がる。上空で共鳴する二体の銀竜へとその身体を伸ばし、蜘蛛の糸のように、あるいは植物の樹木のように伸びていく。そして伸びたその意図は、ウーガの地表や防壁に結びついて、根を張るように一体化していく。

 

『A――――』

 

 瞬く間に、ウーガは銀竜の身体に飲み込まれたかのように、覆い尽くされてしまった。

 それがシズクの得手とする【銀糸】の再現であると、彼女の仲間だった者達は気がついたことだろう。

 

「な、な……!!」

 

 だが勿論、浩介にはそんなことは分からない。

 彼に分かるのは、善戦していたと思っていたら、突然あっという間に、自分たちの陣地が敵に飲み込まれてしまったという事実だ。勿論窮地であり、急ぎなんとかしなければならないのは間違いなかった。

 間違いなかったのだが――――

 

「ふ、ふ、ふ……!」

 

 ――――だがその前に、浩介は言いたい事が一つあった。

 

「ふざけんなあ!?イスラリアっていっつもこんなめちゃくちゃなのかよ!!?」

 

 すると、浩介の声が通信に流れたのか、返事が来た。

 

《んな訳あるかあ!ウルが関わってるときだけだこんな大馬鹿騒ぎは!!!!!》

「じゃあウルふざけんなあああ!!」

 

 条件反射で浩介は叫ぶ。すると、

 

《同意見だッ!!ふざけんなウル!!!》

《あいつほんとマジでどうなってんだ!!!!!》

《生きて帰ってきたら百発殴らせろ畜生があああ!!!!》

 

 通信から自分たちのリーダーである男への不平不満の大合唱が響き渡った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 一方その頃、ウルは

 

「くしゅ」

「あれ、ウル、風邪?」

「風邪で済むなら奇跡だがな。両足ぶった切ったし……お、高回復薬。神薬ねえかな」

「流石に無いと思うけどねえ」

 

 エクスタインと共に、崩壊した魔法薬店の家捜しをしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剣の化身と七首の竜

 

 【真なるバベル】外周部

 

 ――どうやってユーリは剣を避けてるの?

 

 幼き頃、その日の鍛錬で既に数十回目の敗北を喫したディズにそんなことを尋ねられたことがある。ディズは当時も酷く不器用で、模擬戦のように鍛錬を行うと常に彼女は一方的にやられるのが殆どだ。

 しかしどれだけ一方的に打ちのめしても決してめげることが無かった彼女が、不意にそんなことを尋ねた。

 

 ――相手を見ていれば、何処に攻撃が来るかなんて大体分かるでしょう?

 ――え、分からないけど?

 ――相手の視線や敵意を読み取れば、敵の剣筋が自然と浮かび上がるでしょう?

 ――まってまってまって

 

 結果、どうやら自分と他人では物の見え方自体が全く違うという事が判明した。自分以外の者達がいかに狭く分かりづらい視野で戦っているのかもよく分かった。自分が他人と違う事に悩む事も少しはあった。

 今思えば幼い悩みだ。他人と違うと言うことに対する得体の知れない恐怖、不安が言語化出来ず、訳も分からず不安がっていただけだった。その不安は暫く続いたが、特に変わらず自分と接してきて、相変わらずボロカスに負けるディズの姿を見ているうちに、彼女の不安は消えて無くなった。

 

 そして今は漠然とした不安では無く、明確な確信がある。

 自分の生物としての根幹は、他者とは異なる。ソレは最早言い逃れようのない事実だ。

 だからこそ、

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「貴方程度の脅威は打ち倒せなければダメですよね」

 

 七大罪の竜の咆吼を罵りながら、ユーリは再び竜と相対した。

 

「【神剣・翼剣】」

 

 12枚の翼の剣が蠢く。それぞれが生きているかのように蠢きながら飛び交う。その挙動はディズが生みだした天使のそれに近いが、彼女が手繰る力はより攻撃的だ。全てを切り裂く剣それ自体が生き物の様に蠢きながら、竜の身体を切り刻む。

 

 刺して、引き裂いて、鱗を剥ぐ。抉って、砕く。ひたすら貪欲に竜の首を刈り取るために一糸乱れず動いていた。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 咆吼が来る。七首、もとい六首の咆吼がそれぞれの長い首をくねらせて、的確にこちらを包囲するようにして取り囲み、その力でこちらを崩壊させようと試みてくる。

 ユーリは自身の生み出した翼剣を足場に蹴る。その動きを見極め回避する。無数の呪いが入り交じった咆吼は、此方の挙動を予想し、射線が通るようにと嫌らしい動きを繰り返すが、ユーリはその予測を裏切るように動作を反転させ、竜を翻弄する。

 

 この七首の竜は紛れもない脅威であり、最悪なのは疑いようがない。

 

 熟達した神官でも、天陽騎士達でも、まとめて全滅させられる可能性が極めて高い。

 だが知性は無い。あの恐ろしき、おぞましき強欲の竜のような悪辣さも、技もない。

 

「――――なら、殺せる」

 

 七首から吐き出される【咆吼】を、ユーリは()()()()

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!??』

 

 吐き出された熱光を刻む。引き裂いて、切り刻む。砕ききる。

 理不尽の権化、人類の敵対者にして天災、その象徴とも言うべき竜が悲鳴を上げる。本来理不尽を弱き人類にたたき込む筈の竜が、理不尽を押しつけられていた。

 

 【剣】による災害と化した少女は、その終焉を竜が相手だろうとも等しくもたらす。

 彼女の剣は、竜の首に真っ直ぐに伸びて――――

 

『――――カカカ!!!』

「む」

 

 だが、ディズの剣が竜の首を刈り取る寸前、竜の首は自ら“自壊した”。

 

 正確には、ユーリが両断した筈だった首元が途端に崩れ、それを回避した。切り裂く前に自ら首と頭が別たれるという珍妙な回避に手段ユーリは眉をひそめる。

 

『生まれ直したばかりのこやつをそんないじめてやらんでくれるカ?ユーリよ』

 

 ユーリが切り落としたいくつかの頭が浮遊する。

 その頭の一つに、人骨の戦士ロックが座り、カタカタと笑って手を上げていた。一見すると何でも無いただの死霊兵にしか見えないが、ユーリはその戦士の危険性を理解している。故に油断なく剣を構え、彼女は応じた。

 

「弱い物イジメしかしたくないとはとんだふぬけですね。そのトカゲは」

『カカカカ!!やめたれやめたれ!!本当に泣いてまうぞ!!』

 

 ユーリの罵倒に対してロックはケラケラと笑った。その仕草はプラウディアでユーリの情報収集の仕事をしていた頃と全く変わっていない。つまり老獪で、油断ならぬ敵だと言うことだ。

 そして、自分の行動に確信があるというのなら――――

 

「貴方を殺すことにも、躊躇する必要はないようですね」

『おお、怖い怖い。まあ、ワシも仕事をするとするカ、の!』

 

 こちらの殺意に対して呼応するようにロックもまた動いた。自分が乗った足下の七罪の竜へと、彼は足を踏みこむ。骨の足が、その瞬間竜の頭部へと吸い込まれていった。

 

「ああ、なるほど」

 

 そして次の瞬間、“竜の表面が剥げ落ちていく”。肉も鱗もそげ落ちるように、七首の竜の表皮が消失していく。その下から見えてくるのは肉や臓物の類いではなかった。それらを飛ばして現れたのは、巨大で無数の骨によって形作られた骨の竜。

 まるで博物館の骨の標本の様な姿が現れて、ユーリは納得した。

 

「形だけ模したガラクタだったと」

『カカカカカ!さて、本当に形だけカの?』

 

 七罪の竜の首のひとつがしゃべり出す。ロックが同化したらしい。と、なると先程のような獣めいた単調さは期待できないだろうと言うことをユーリは理解した。そして、

 

『カカカカッカ!!!』

「――――なるほど?」

 

 正面の竜から、ではなく、背後から飛んできた竜の首を、ユーリは反射的に両断する。それはユーリが先程斬り捨て両断した七罪の竜の首のひとつだ。今更に縦にかち割ったが、その頭は特に痛み苦しむ様子など皆無だった。

 当然だ。血も肉も脳もない。斬ったところで急所でもなんでもないのだ。

 

『斬ろうが焼こうが砕こうが、無尽に再生する骨の竜よ。厄介じゃぞ?』

「粉みじんにした後、更に刻めば良いのでしょう?」

 

 それに、と、ユーリはロックの有様を見つめ、目を細める。

 

「どれだけ強固でも、ただのヒトの魂が、竜を手足のように操る――――()()()()()()()()()()()

『カッカッカ!!!優しいのう、天剣様は!!心配してくれるのカの!』

 

 ロックの挑発にユーリは真顔で切り返す。ロックは楽しげに笑った。

 

 そして竜との戦いの二回戦が始まる――――筈だった。

 

『――――む?』

「なんです?」

 

 ロックとユーリが同時に足下を見る。

 二人が戦うバベルの塔外周部、その足下から突然光が満ちてきた。その()()の光は突如その一帯を飲み込んで――――

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 大罪都市プラウディア、商店街の一角、【蒼水の癒やし】にて

 

「火事場泥棒申し訳ない。今度代金支払いに行くよ」

 

 崩壊した店から抜け出したウルは振り返り、申し訳なさそうに看板に頭を下げる。店の名前を頭の片隅に刻み込んだ。

 もし生き残れたら、使用した回復薬の代金は支払っておこうと決める。自分で持ち込んだものもあるが、ここから更に戦いが続きそうなことを考えると、温存できるに越したことはなかった。

 

「体調は?」

「六~七割、やっぱ【神薬】って凄かったんだなあ」

 

 ウルの後から出てきたエクスタインの問いに応じる。

 本当に、グリード攻略の時湯水のように使った【神薬】の効果は凄まじかった。どれだけ重傷だろうと、どれだけ魔力を使い切っていようとも、どれだけ疲労困憊になっていようとも一度呑めば全快だ。生産量すら限られる希少品だ。

 この店の回復薬も質は良かったが、身体の芯の部分に残った痛みと疲労感までは拭えなかった。が、贅沢も言えない。戦える状態に戻ったことには安堵する。

 

 装備も大きな破損は無く、補給も出来た。ならば前に進むべきだ。

 

「いきたくねえけどなあ……」

 

 バベルの塔はここからでもハッキリ見える。七首の竜達と、それと相対する星天の剣閃が見える。魔王と死闘を演じて、更にそこにこれから首を突っ込むのは悪夢に思えるが、それを選んだのは自分である、腹をくくるしか無かった。

 

「僕は残念だけど、これ以上君を手伝うのは難しい、かもね」

「かまわねえよ、死なれても困る」

 

 一方でエクスタインは冷や汗を掻きながら肩をすくめる。実際彼は限界だった。魔王に一蹴されただけで、いくつかの骨がたたき折られたらしい。回復薬で動けるようになったようだが、それでも無理はさせられない。

 機神スロウスの内部誘導を担当してくれたミクリナも「此処で出来る仕事は済んだ」と別行動をとっている。と、なると彼がこの鉄火場で出来ることはもうないだろう。

 

「君を手伝えないのはとっても悔しいけどね」

「はいはい、ま、まだここら辺は――――」

 

 未練がましいエクスタインを流しながら、ウルは改めてバベルへと向き直り――――そして眉をひそめた。

 

「なん……?」

 

 一瞬、地の底から何かの光が漏れた。かとおもうと次の瞬間、何かが爆発したように光が噴出した。まさかバベルが大爆発でも起こしたのかと見間違いそうになったがそうではなかった。

 バベルを中心に、その周囲に、緋色の大樹……のようなものが一斉に伸び始めたのだ。

 幻想的とも、まがまがしくとも取れる奇妙な木だった。緋色の鱗粉のようなものを周囲に飛び散らせながら、それは一帯を埋め尽くしていく。その光景を前にウルはなんとも言えぬ表情で顔を引きつらせ、エクスタインに尋ねた。

 

「……何が起こってると思う?」

()()()()()

 

 エクスタインは即答した。

 

「キレたかな?」

「キレたな」

 

 幼なじみと兄は、緋色の少女の激昂を確信した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

緋色の激昂

 螺旋図書館は地下へと無限に続くように見える奇妙なる空間だ。

 

 しかし、その本質をシズクは理解していたい。

 

 陽喰らいの儀は空の空中庭園で迎え撃たれる。

 無論、天空の迷宮プラウディアが空から墜ちてくるからこそという問題もあるが、ならばなおさらに、塔部分に重要なる設備は設置することは出来ない。

 

 空中庭園、あの塔は言うなれば戦場を維持するための“前線基地”だ。で、あれば本命は、中枢は地下にある。禁書を封じる螺旋図書館、その更に奥の地下に、方舟の根幹は存在している。既に星剣によって干渉は開始した。だが障害はある。

 

避難所(シェルター)は機能してるなら、暴れても問題ないかな」

 

 徐々に神として覚醒し始めているイスラリアの勇者、ディズだ。

 

「【揺蕩い――――】」

「【神拳】」

 

 色欲による力の暴走を引き起こそうとした瞬間、その全てを荘厳なる鐘の音が破壊し尽くす。あらゆる攻撃を一方的に破壊する【天拳】はこちらの月神の能力にも有効であるようだ。

 幾人かの七天に分け与え、バベルを乗っ取ることで信仰を奪って尚、この力。油断すればあっという間にこちらの心臓を貫きに来る戦闘力。

 宣言していたとおり、彼女は不利な戦いになれているし、その経験値は圧倒的に上だ。

 

「【銀糸よ】」

 

 故に、まともにやり合ってはならない。彼女は既に自身の一部と化した迷宮に干渉し、その空間を歪めた。建造物の一部、柱や壁が途端歪み、形を変えて矢のように放たれる。無数に飛び交うその銀の矢をディズは見事によけていく。当たるまい。ソレは期待していない。故に、

 

「【啼け】」

「……っ!」

 

 銀の糸から竜の咆吼をたたき込む。空間を巡らせた糸から放たれる全方位からの咆吼はたちまちディズを包み込み、たたき付ける。無慈悲な破壊をたたき付けられた黄金の勇者はあっという間に螺旋図書館の中央、どこまでも続く奈落へと墜ちていく――――が、

 

「【神剣】」

 

 落下の隙を埋めるように、その場の空間をまるごとたたき割るほどの巨大な剣がたたき込まれる。迷宮から生まれた銀糸は下手な金属よりも頑強な筈だが、ソレすらも容赦なく両断する。銀糸は断末魔のような激しい音を放ち、引きちぎれ、力を失って壁にたたき付けられ、轟音を鳴らしながらめり込んでいく。

 

「怖いですね」

「よく言うなあ……!」

 

 衝撃で書籍が飛び散りページが飛散する中、シズクは端的にディズを評した。奈落から即座に飛翔したディズはわずかに焦げた髪を払いながら苦笑する。

 

「十分困っていますよ?どのようにして滅ぼそうか、悩ましいです」

 

 まだ、牽制は続く。だが、時間は不利に働きかねない。

 悪感情の力、負の信仰は自分の力となる。が、想像以上に外の世界の抵抗は激しい。バベルのという象徴を乗っ取っても尚、ディズは弱り切っていないのは、今日に至るまで歴代の王たちが培い、準備し、努力してきたものの賜だ。おぞましい竜という兵器に襲われて尚、人類社会を維持し続けてきた執念が、勇者への信頼を支えている。

 

 【勇者】が、我らが七天がいる限り、決して膝を折るまい。

 

 そういう執念が、戦士達を支え、その信仰が太陽神をも支えている。

 やっかいだ。果たしてどのようにして崩すべきか――――

 

「《どうして?》」

 

 そんな風に考えていたときだった。ディズが問うた。しかしやや幼い声。それが誰なのか、シズクにはすぐに分かった。

 

「アカネ様?」

「《まかいのことはわかったけど、どうしてそんなにがんばるの?》」

 

 アカネが表に出てしゃべっている。

 現在彼女たちは、戦いの連携を高度なものとするため、ほぼ一体化している。普段アカネは内側でサポートに回っているが、ソレが表に出てきているのだ。

 そして彼女の問いは、今日まで幾度となくディズとの間で繰り返されてきた問いかけだった。戦いを望まず対話を望むディズの試みだったが、こうしてアカネの方が自分に問いかけてきたのは初めてだった。

 

「――私の家族は、皆、死にました」

 

 意味の無い問答だ。しかし、策を使う時間にはなるかと、シズクは言葉を紡ぐ。

 嘘をつく必要も無かった。彼女は道具のように、自分の過去を語る。

 

「皆を、助けられなかった、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、優しい人達。」

 

 あの、狭く優しい箱庭の中で過ごした日々のことを、今のシズクは思い出せなかった。暖かな記憶があったはずなのに、眩い記憶が残っていたはずなのに、それを思い返そうとすると、途端に脳裏に過るのは、生臭さと血の匂いだ。

 

「みんな、惨たらしく苦しんで、血反吐と汚物に塗れて、死んだ」

 

 思い出せるのは、彼等の死に顔だけだ。悲痛に満ちた痛みの顔ばかりだ。シズク自身が、なにかの幸いを得る度に、彼等の死に顔が脳裏を過る。

 

「彼等が死んだ意義、世界を護るための犠牲だった」

 

 だからこそ、そうでなければならない。

 

「だから、私が――――」

「《ないよ》」

 

 アカネはシズクの言葉を遮った。

 シズクは顔を上げる。彼女は驚いていた。アカネの声は思ったよりずっと強かった。

 

「《()()()()()()()()()()()()()》」

「――――」

「《しぬってことは、いなくなるってことよ。それだけでしかないもの》」

 

 それは、想像以上にハッキリとした否定だった。そして荒野の風のように冷酷な言葉でもあった。アカネにはそういう側面があることをシズクも知っている。彼女は優しげで純粋無垢だが、一方でシビアな側面を隠し持っている。

 ウルと共に生きた彼女の価値観は時に優しく、時に厳しい。

 

「《シズク、へんよ?》」

「変ですか?」

 

 続けて彼女は言う。そこには苛立ちと、怒りと、悲しみが入り交じっていた。シズクの言葉に対して、どうしようもない不快感を顕わにしていた。

 

「《へん、ぜったいへん。あなた、そんなのおかしいわ》

 

 アカネはむずがって、頭をかきむしる。ディズの身体と顔で、子供みたいな仕草をするのが少し面白かった。

 

 そして、好機でもあった。

 

 ディズに両断されてしまった白銀の糸に呼び、干渉する。断たれてしまったが、自身の力を伝えて肉体の一部と化した銀糸の力はまだ断たれていない。宙づりになった糸の力が、ディズとアカネの周囲に集まった。

 

「《シズク、ちゃんとおはなし――――》」

「【銀糸・色樹大竜】」

 

 勇者の周囲の銀糸が突如まとまり、大樹の竜頭となって彼女を飲み込んだ。大樹の竜の動きは一瞬だった。あまりにも情け容赦なく、周囲の柱や本棚もろとも飲み込んでぐしゃりかみ砕いた。

 

「ああ、上手くいきましたね――――」

 

 生々しい、あらゆるを噛みつぶす不快な音を聞いて、シズクは微笑みを浮かべ

 

「《なに、それ?》」

 

 次の瞬間、樹竜の頭は内部から発生した大量の緋色の剣によってズタズタに引き裂かれてかみ砕かれた。シズクは驚き、瞬きする。これは本心からの驚きだった。

 その反撃は、間違いなくアカネからのものだったからだ。

 

「《――――ちゃんとはなそうってときに、なにしてんの?》」

 

 アカネの声の温度が下がっていた。

 今、彼女が込めている感情は明確だった。先程までの感情の抑制の効かない子供のものではなくなった。空間丸ごと震えてくるような怒りの感情が心底までに噴き出した。

 

「《ごまかそうとしないでよ》」

 

 ディズの、アカネの姿が変貌する。

 

 先程まで、秩序だった黄金の輝きを有した戦士だったその姿が豹変する。緋色の光が強まり、まるで粘魔のような触手の様な形を取って彼女の身体に纏わり付く。荘厳なる勇者の鎧とは全く別の、荒々しく猛々しい鎧に変貌した。真っ直ぐに剣を構え身がまえていた姿が一転し、低く、深く、獣のようになって、二本の剣をまるで爪に見立てるかのように握りしめた。

 

 赤錆の精霊憑き、彼女は元よりイレギュラーだ。

 

 創造者イスラリアの祝福を受けぬ為に、精霊との親和性を持たぬ名無しの少女。【星海】からつまはじきにされて、存在を保てなくなり【卵】という形の自己保存形態へと変わった赤錆の精霊。自身を保つ為に、アカネという器を変貌させ、滅びという概念を掠めた。

 

 その時点で最早、致命的な誤作動(エラー)を起こしたと言える。

 イスラリア人に使われる為の精霊としての存在意義が、決定的に外れていた。

 

 そしてそこに、ディズの七天統合が発生し、彼女は自らの意思でそこに飛びんだ。しかもその際、魔王が【天愚】の力の大部分を掠めるという更なるイレギュラーが起きた。

 

 異常に異常が積み重なった結果、何が起こったか。

 

 本来【天愚】が担う筈の“滅び”を彼女が担い、支えることとなった。

 彼女に膨大な信仰の魔力が注がれ、末端の精霊から四源を超える大精霊へと昇華した。

 挙げ句、精霊憑きとして本来持ち合わせているはずの制約も無くなった。

 

 滅びの概念を有し、制約を持たず、怒りのままにそれを振るう――――災禍と化した。

 

「《あまったれてんじゃ、ねーよ!!!》」

 

 【終焉災害/緋終】が憤怒を叫んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

報酬

 螺旋図書館にて。

 

「なんとかたどり着いた、か!」

 

 七天が一人、グロンゾンは幾人ものけが人達を背負いながら、なんとか避難所(シェルター)前までたどり着いていた。

 あの時、まんまとシズクにしてやられ、バベルを乗っ取られたあと、グロンゾン達は激変したバベルの塔内で取り残されていた。幸いにして現時点においては、バベル内部で通常の迷宮のように無数の魔物達が出現するような事態は起こらなかったが、いつそうなるともわからなかった。

 グロンゾンは負傷した仲間達をつれ、なんとか避難してきたのだ。

 

「流石、このあたりは無事だな……うむ」

 

 プラウディアはおろか、イスラリア中に設置された避難所(シェルター)はあのグレーレが創り出した肝いりの設備だ。最低でも1ヶ月は自活できるだけの設備を整え、迷宮の階層のように外部から隔絶した空間に存在するため外の影響も受けにくいと彼が太鼓判を押していた。

 実際そっと扉を開けると、バベルに逃げ込んできた者達の姿もあった。彼等がバベルに逃げ込んでしまったことで今の混沌とした状況に陥ったことを考えると思わないことはないでもないが、彼等に罪はない。無事であったことをグロンゾンはただ安堵した。そして部下達に向き直る。

 

「お前達はこの避難所のなかで、彼等を護れ」

 

 自分は中には入れない。グロンゾンは顔が知られすぎている。間違いなくパニックが起こってしまうという確信があった。

 彼等の混乱を鎮め、安堵させてやりたい気持ちもあるが、グロンゾンがバベルの中でやらなければならない事はまだ残っている。休んでいる暇は無かった。

 

「グロンゾン様!我々も!!」

 

 そしてそんなグロンゾンの意思を察したのか、若い部下が剣の柄を強く握り声をあげた。が、グロンゾンは即座に首を横に振る。

 

「ついてこられても邪魔だ」

 

 情け容赦なく言い捨てた。部下はショックを受けたようにうつむくが、仕方が無い。こればかりは、半端に言葉を選んでなどやれない。

 

「自分の出来ることを見誤るな。良いな。ここにいる彼等を護り、そして怪しい者がいないかの監視も行うのだ。それはお前達にしか出来ぬ事だ」

 

 グロンゾンの言葉に、部下達は顔を上げ、苦しそうにしながらも頷いた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「む……!」

 

 避難所から背を向け、螺旋図書館をグロンゾンは駆ける。だが、しばらくするとわずかに顔をしかめ、足を止めた。

 

「……全く、偉そうな説教をしたものだ」

 

 何かを発見したわけでは無かった。全身に痛みが走り、動きが鈍ったのだ。

 色欲との戦いの傷はまだ癒えず、シズクとの戦いで無茶をした。それだけやっても彼女のもくろみを防げず、そして今、身体を休めざるを得ない自分にグロンゾンは苦笑する。

 全く情けない限りだった。だが己のふがいなさ、情けなさを嘆いて絶望するのは後だ。

 そんなことをした所でこの戦況が向上するわけでもなく、誰かの命が助かったりもしない。自戒など、なすべきをなしたその後にいくらでもすればいい。

 

「今は、スーア様を救わねばな……」

 

 あの優しき御子だけは、王の忘れ形見だけは、護らねばならない。

 ディズから貸し与えられた【神拳】の反響と力の共鳴により、スーアの位置は分かっている。バベルの迷宮化による大規模な変動によって、自分と同じように螺旋図書館の地下にいるのは間違いない。

 シズクは自分ではどうにもできない。ならばせめてスーアだけでも助け出さねば――

 

「っぬ!?」

 

 だが、そう決意した次の瞬間、近くで激しい轟音が響いた。敵の襲撃かとグロンゾンは身体を起こし、視線をそちらに視線をやると、

 

「なん……!」

「あら、グロンゾン様――――」

 

 まさかの、当のシズクがそこにいた。

 禍々しくも美しい白銀の鎧を身に纏った月女神、グロンゾンが最初に接触した時のように、死霊術によるバベルの乗っ取りに気をとられている状態でも無い、完全な戦闘形態。負の信仰により集積され立ち上る、あまりに膨大な魔力。

 即座に自分では勝てぬ事を理解した。そして向こうも同様だろう。

 

「っかあ!!」

 

 グロンゾンは即座に地面に【神拳】をたたき込み、【破邪】の壁を張る。同時に自分の周囲に不可視の力場が発生した。記憶に新しい【色欲】の力場だ。今は打ち消せているが、純粋な出力がまるで違う。グロンゾンは冷や汗をかいた。

 

「【神拳】の断片、今の間に始末……ああ」

 

 だが不思議と、圧倒的に優位である筈のシズクもまた、どこか焦れるように表情を歪めていた。彼女の意識はグロンゾンではなく、自分の背後へと向けられ、そして

 

「無理です――――ね!?」

「うん!?」

 

 次の瞬間、目にもとまらぬ速度接近した“緋色のナニカ”にシズクは弾き飛ばされた。

 歴戦のグロンゾンの目にすらも、その速度は追い切れぬほどに速かった。だが、その緋色の獣のようなものが、シズクの身体を脚で捉え、蹴り飛ばしたのだけはハッキリ見た。

 

「ディ、ズ!?いや……!」

 

 そして、その蹴り飛ばしたナニカが、この戦場における自分たちのリーダーであることに遅れて気がつく。間違いなくそれはディズの姿だった。黄金色の鎧を身に纏った金色の少女。違う点は、その鎧や剣の至る所から緋色の光が漏れ、それが半透明の鎧のようになって彼女を覆っている点だ。

 言うまでも無く、それは異様な姿だった。だが、グロンゾンが彼女を呼び止める前に、

 

「《邪魔!!!!》」

「おおう……!」

 

 グロンゾンに向かって唸り、鬱陶しそうに吐き捨てた。

 うん、間違いなくディズであってディズではない。となるとアカネである可能性が高いが、彼女だとしても大分様子が怪しい。彼女はグロンゾンになど目もくれず、自分が蹴り飛ばしたシズクへと、その怒りを漲らせていた。

 

「【其は高め合い、宙まで――――】」

「《っがあ!!!!》」

 

 シズクが再び竜の権能を発動するよりも、緋色の獣が咆吼を放つ方が速かった。放たれた緋色の力は周囲を破壊し、砕き、シズクをたたきのめす。彼女の身につけた白銀の鎧をたたき割り、彼女自身の身体をも砕く。

 

「――――っ」

 

 たまらないというようにシズクは螺旋図書館への地下へと落下し、アカネはそれを追うように再び跳び落下した。残されたグロンゾンは結果として命拾いをしたこととなったが、勿論それを喜ぶような気持ちにはなれなかった。

 

「想像以上に、時間は無いかもしれんな……!!」

 

 事態の混沌具合は、おそらくグロンゾンが想像するよりも遙かに加速している。スーアを助け出すべく、自分の体に鞭打って、グロンゾンは駆けだした。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 プラウディア中心街にて

 

「あーあー、ひでえ」

「前もあったね、ああいうの」

 

 緋色に輝く巨大な森に囲まれた竜に浸食されたバベルの塔の前――――などといういろいろと常軌を逸しすぎて逆に冷静になるような光景の真ん前で、ウルとエクスタインは妙な懐かしさを覚えていた。

 というのも二人にとって、この【紅色の樹】を見るのは初めてではないからだ。流石にこれほど大規模でデタラメな範囲では無かったが。

 

「エンヴィーでケンカしたとき頭切ったんだよな俺。アカネがびっくりしてああなった」

「ケンカって、ヘイルダーが新型兵器持ち出してゴミ捨て場が火の海になったアレのこと言ってる?ケンカかなアレ???」

 

 ウルが懐かしがる横で、エクスタインは首をひねる。が、ケンカはケンカだ。結局その時彼女が生み出した力は、周囲の火事を消失させ、ヘイルダーが持ち出したバカみたいな兵器を瞬く間に錆び付かせて粉砕させるだけで済んだ。

 あの時は人体に影響は無かった。今回も彼女が自分の意思で引き起こしているなら、触れた人類をグズグズに崩壊させるようなヤバすぎる効果はもたらさない……筈である(可能であるかは別にして)

 

 ともあれ、詳細は直接行ってみないことにはわからない。が、

 

「というわけで、残念だけど、僕は離脱するよ」

「ウーガに戻れるか?」

「転移の巻物なくなっちゃったからねえ。まあ、無理だったら無事な避難所に潜り込むくらいは出来るさ」

「さいで」

 

 エクスタインはそう言って笑う。魔王にたたきのめされたダメージは残っているのだろうが、少なくともいますぐに死にそうにはないらしい。まあ、殺されたって死にそうに無いが、死なないならそれでいい。と、ウルは彼に背を向けようとして、

 

「ああ、そうだ。ウル」

「なんだよ」

 

 その直前に、エクスタインがにっこりと笑い。

 

「報酬の件。今のうちに言っておこうかなって」

 

 この状況下で割と俗物な事を言い出した。

 確かに彼は今回、協力する上で報酬を要求していた。全てが終わった後で良いからと懇願していた(エシェルなどは「勝手にやってきて超あつかましい!!!」とぶち切れていたが)。

 とはいえ、別にウルとてこれまでの所業は抜きにして、今回エクスタインがウル達に協力的だった点は認めない訳では無かった。実際彼が命がけで自分を助けたのは紛れもない事実だった。否定しようがない。

 

「何が望みなんだよ。俺が生き残ったらくれてやるよ」

 

 ウルがそう言うと、エクスタインは笑みを深める。

 そしてそのまま何をするかと思いきや、ウルの前で恭しく跪いた。

 

「どうか貴方に仕えさせて下さい、灰の王よ」

 

 そして、天賢王や精霊達にそうするように、彼はウルに忠誠を宣言した。

 ウルはそのエクスタインの姿を見て眉をひそめ、頭痛を堪えるように額を指先でもんだ後、大きくため息をついて自身の感想を端的に言葉にした。

 

「キモイ」

「酷いな」

 

 本当に、この幼なじみは何をどうしてこんなこじらせ方をしてしまったのか、謎である。ひょっとしたら本当に己が悪いのだろうか。いや、そうじゃないだろう。絶対にコイツがおかしいだけだろう。

 心からそう思うし、本当にアレだが、しかし拒絶するほどでも無かった。拒絶して絶望されて死なれてもそれはそれで大変に気持ち悪い。なので、

 

「生きてまた会えたなら好きにしろよ」

 

 さっくりと同意した。すると次の瞬間勢いよくエクスタインは顔を上げると、割とボロボロな筈の身体を飛び上がらせて、ぶんぶんと手を振りながら、速やかに避難所の方へと駆けだしていった。

 

「やったあ絶対に死ねないなあ!頑張るよ!!ウルも頑張ってね!!」

「元気ぃ」

 

 満面の笑みだった。本当にどうかと思う。

 が、まああの調子なら方舟イスラリアが滅んだとしても死にはすまい。その点では安心である。あんなのでも幼なじみで、死なれてしまっては目覚めが悪いものだ。本当に、少しだけ。

 

「さて」

 

 去って行ったエクスタインに今度こそ背を向けて、ウルはバベルへと視線を向ける。間違いなく、自分の仲間達、自分の妹が超大暴れしている事が確定した迷宮を睨み、腹をくくるように拳を握った。

 

「行くか――――行きたくねえけど」

 

 【真なるバベル】あるいは【大悪迷宮フォルスティア】へとウルは突入した――――その次の瞬間

 

「え゛?」

 

 足下の緋色の輝きが激しさを増し、次の瞬間足下が一気に崩壊した

 

 妹よ、兄ちゃん、あとほんの少しおしとやかに育ってほしかった

 

 そんな嘆きを心中で呟きながら、ウルは奈落へと落下していった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋の中で

 

 【真なるバベル地下、螺旋図書館中層】

 

「ふむ、流石だなあ?剣の冴えはまるで落ちてはいない」

「お前はもう少し真面目に仕事をしろ」

「やってるとも。これでも病み上がりだというのに無茶をいう」

 

 名も無き孤児院の主である【元・勇者】ザインと【天魔】のグレーレは“緋色の爆発”が起こるよりも早く、バベルの内部に侵入していた。

 螺旋図書館は非常に複雑でややこしく、しかもシズクがバベルをまるごと乗っ取ったことで迷宮化しているが、グレーレはこの螺旋図書館の主だ。正規のルートではない抜け道の一つや二つ知っていた(ルートのいくつかは迷宮化によって通行不可能にはなっていたが)。

 

 そんなわけで二人は内部を進んでいる訳だが、しかしその内部の攻略は侵入した時と比べると容易いとは言い難かった。

 外見以上に内部の構造は複雑化している。空間は拡張し、プラウディア全体にまで広がりつつある。その上、

 

『AAA……!!』

 

 肉壁となった壁の一部が、おぞましい竜の形となって侵入者を襲おうとしてくるのだ。

 

「【魔断】」

 

 それをザインは生まれ出るよりも早く、即座に両断して切り捨てた。グレーレの自動術式よりも尚早い。働けと彼は言うが、その早業に追いつけというのは結構な無茶だとグレーレは口に出さずに肩をすくめた。

 

「歪だな」

 

 そんな彼の心境を知らず、ザインは周囲の迷宮化した螺旋図書館を睨みながら、眉をひそめている。彼の言いたいことはグレーレにもよく分かった。

 

「やはり、無理が出てきているなあ?当然と言えば当然だが」

 

 月神シズルナリカの力がこの螺旋図書館を変えた。

 自分だけではなく、自分の外部にまで干渉範囲を伸ばす竜化現象。イスラリアを統治するため調整された太陽神ゼウラディアは必要としなかった力。自身の延長を創り出す能力。

 つまり今の螺旋図書館はシズルナリカの体の一部だ。つまり、この場所の状態を見れば、その主の状態を逆算で推察が可能となる。

 

 現在、この迷宮の有様は真っ当ではない。

 

「悪感情の影響か」

 

 ミラルフィーネを飲み込んだ竜呑の女王ですらも、危うい暴走を引き起こす。

 ましてシズルナリカは現在、イスラリア中の畏怖を一身に集めその力を自分に集めている。ミラルフィーネの比ではない上に、畏怖は戦争が苛烈さを増すほどに強くなる。それこそが彼女の狙いではあるのだろうが、彼女のやり方はあまりにも効率が良すぎる。

 

「制御できなくなると?」

「それならばまだマシだがなあ?破綻するだけだ」

 

 そう、単に失敗するだけなら、シズルナリカの勇者が破綻し、ディズが勝者となるだけだ。ゼウラディアは元々、シズルナリカの反省を踏まえて完成された代物であり、シズルナリカのような破綻は起こりえない。

 だが、問題は、

 

「あのシズルナリカの勇者であれば、()()()()()()()()()()()()()。そうなるともう致命的だ」

 

 万が一にでも、危険極まる“悪感情の信仰”を制御しきってしまったならば、最早それは誰の手にも負えぬほどの災害となる。かつて定義された【終焉災害】などというものですらない、【終焉】そのものと成り果てるだろう。

 そして、その可能性は決して否定しきれない。

 何せ、シズルナリカの勇者シズクは、たった一人で方舟イスラリアに乗り込み、自分の周りに敵しかいない状況下であってその綱渡りを成し遂げた紛れもない怪物なのだ。既にあり得ない奇跡を成し遂げてしまった彼女に、二度目が無いなどと何故言える。

 

「未知は望むところではないのか?」

混沌(カオス)は好ましいが、引き起こされるが終焉(エンド)ではなあ?面白みもなにもない」

 

 だから上手く阻止しなければならないのは間違いなかった。しかし、それだけでも手に負えない話だというのに、

 

「“別の懸念がある。こちらは何一つ面白みはないがな”」

「やはり、仕掛けているか」

「むしろないと思うか?」

「そうだな」

 

 会話の最中、ザインは再び剣を引き抜く。彼の視線の先には再び、歪み、形をなした竜が姿を現した。先ほど歪な形となったソレらを前に、ザインは一切の油断なく剣を構えた。

 

「だからこそ、万が一が起こった時のために備えねばならない」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【真なるバベル地下、螺旋図書館上層】

 

「早々に死ぬかと思った……!」

 

 緋色の大爆発に飲み込まれたウルは、崩壊した建物のがれきの上で体を起こした。感覚的に結構な落下だったような気はするが、体に痛みは無かった。上手く衝撃がいなせたのか、あるいは自分の体が頑丈になってるのか分からなかったが、とにかく無事だった。

 

「螺旋図書館の中…………か?」

 

 周囲を見渡しながら、ウルは確認する

 螺旋図書館自体はウルも知っている。エシェルから(とてつもなく酷い目に遭ったと泣きながら)話は聞いていた。が、周囲を見渡しても確信が持てなかった。

 シズクがバベルを乗っ取ったのはウルも遠目に確認した。七首の竜が渦巻き暴れている姿を見たが、内部はそれ以上だ。精緻な石造りで出来た建物が、肉壁に覆われうごめいている。人類の英知、その集積所が竜にまるごと呑まれている。

 

 だが、解せなかった。

 ウルが落下したのはバベルの近くではあったがすぐそばではなかった。だが此処は明らかにバベルの中、その地下空間に違いなかった。螺旋図書館の全貌をウルは知らなかったが、実は外見のバベル以上に広範囲に広がっていたのか?

 あるいは空間がゆがんだ?

 迷宮化による変化?

 アカネの力によって境界が崩れたという可能性もある。が、

 

「……まあ、いい」

 

 いろいろと推測が頭に浮かんだが、その全てをウルは切り捨てた。

 考えるのは後でもできる。兎に角今は先に進まなければならない。なにせ、

 

「七首竜も来てる……か」

 

 奈落へとつづくとてつもなく巨大な螺旋の穴の空間で、音が反響している。その中には竜の雄叫びのような声も混じっていた。外で大暴れしていた七首竜が、先の崩落によって地下へと戦場を移動させている可能性が高かった。

 

 ウルの目的を考えれば、下手な接触はしたくない。

 

いちいち目の前の障害全てと戦っていたらキリがない。回復薬は補充できたが、グリード攻略の時と比べれば潤沢とはほど遠い。なのに、それ以上の巨大な大ボスが控えている。

 できる限り、体力は温存しなければならない。だから、

 

「戦闘は最低限、最短距離で行く……!」

 

 自分自身にそう誓いながら、ウルは騒音が響く方角に背を向ける。幸いにして、緋色の大樹が深く地下から伸びているのが見えている。勇者達がいる場所を間違うことはない。

 

 そう確信しながらウルは階段を下り――――

 

「ぬ!」

「ん!?」

 

 その次の瞬間、通路の向かいから傷を負った【天拳】のグロンゾンが姿を現し、

 

『GAAAAAAAAA!!!』

 

 その背後から、奇妙な形をした瞳の怪物が現れ、グロンゾンを追い回していた。一体ソレがどういう状況なのか、反射的にウルは状況判断のために動きを固めた。対して、その謎の怪物に襲われているグロンゾンはウルを見た瞬間、力強く頷いて、

 

「すまん!巻き込む!!」

「巻き込むっつった?!」

 

 ウルに向かってまっすぐ突っ込んで、戦闘を開始した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋の中で②

 

 それは、奇妙な魔物だった。

 

 否、魔物と表現して良いかもわかりづらい。周囲のバベルの塔を覆う肉の壁。触手、というよりも血管のように至る方向へと伸びているそれら肉の一部が引きちぎれ、形をなして襲いかかってきているかのような歪さだ。

 皮膚を持たない、赤黒い肉の塊。頭部と思わしき部分に大きな目が一つ。グロテスク極まる怪物だった。

 

『GAAAA   』

「なんだこいつら……そんでもって」

 

 それらを躊躇なく打倒した後、ウルは共闘した男へと視線を向ける。そり上げた頭、筋骨隆々の大男。七天の中でも最も戦士らしい姿をした豪傑、【天拳のグロンゾン】がそこにいた。

 

「ウル!久しいな!!といっても一月ちょいくらいだが!助かったぞ!」

「助かったというが、おもいっくそ意図的に巻き込まれた構図なんだが」

「うむ、スマン!!!」

「ここまで真正面から謝られると責めにくい……」

 

 彼はニッカリと笑いながら頭を下げた。

 ウルは彼のことを嫌っているわけではないのだが、むしろこざっぱりとしたところは好感を持っているくらいなのだが、しかしこういう所はどうかと思わなくも無い。

 とはいえ、今は彼と楽しくコミュケーションをとっている場合でもない。ウルは頭を掻いて、決意を固めるようにため息を吐き出した。

 

「先に一応言っておくが、俺はアンタの味方じゃない」

「ふむ?」

 

 ウルの言葉にグロンゾンは首を傾げるがウルはそのまま続けた。

 

「俺はイスラリアとは方針が違う。多分場合によってはディズと敵対する。シズクとも敵対する可能性が高いから、完全な敵対とは違うんだろうが……」

 

 話しながらも、ウルはゆっくりと警戒を強めた。場合によってはこのまま、グロンゾンとの戦闘が始まる可能性は否定しきれなかったからだ。だが、出来れば話の通じる相手同士で争って消耗するのは避けたかった。

 

「だから貴方とは協力はできない。天拳のグロンゾン」

 

 しかしだったら、適当に口先で誤魔化して別れれば良いだけの気もするが、この男に口先だけの誤魔化しを行う方が拙いとはウルも察していた。

 故に全てを説明し終え、そのままウルはじりと警戒した。グロンゾンが万全の状態ではないのは見て取れる。片腕の義手も破損が見られ、傷も多い。今のウルなら、必要とあらば速攻を決められる可能性は高い。

 

 さあどうなると、グロンゾンを睨む。すると

 

「うむ!あいわかった!」

 

 グロンゾンは真正面から頷いた。それだけだった。ウルは肩透かしをくらった。

 

「……わかったのか」

「この戦況が最早、単純な善悪で切り分けられるものでないとは理解している」

 

 グロンゾンは先ほどと比べると少し寂しげだ。彼もまた、方舟イスラリアを取り巻く世界の状況を既に聞いたのだろう。自分たちが善ではない、殺し合いの戦争状況。その事実を誤魔化さずに受け入れた男の顔だった。

 

「【陽喰らい】の時のように、一枚岩にはなれぬ事を責める気にはならぬな」

「……助かるよ。そんじゃ」

 

 幸いにして理解を示してくれて、しかも敵対はしないというならありがたい。ウルは軽く会釈をして、移動することにした。 

 兎に角今は消耗を最小限にしながらも、大暴れしている勇者達の所にたどりつかなければならない――――

 

「うむ、ところでな」

 

 そういって背を向けた瞬間、グロンゾンがやや大きめの声で切り出した。

 

「実はスーア様がバベルの迷宮化で行方不明になってしまってな」

「……」

「助けに向かいたいが、動ける人材は少ない。俺も病み上がりなのだ。情けない事に」

「…………」

「父を失い、悲しみに泣き伏せっても良い年頃なのに、尚、民のためにその身を捧げようとした幼き御子が死んでしまうなんてあってはならん……!」

「……………………」

「誰か一人、手練れの者がいれば助かるのだが!!!道中だけでも助けてくれたら……!」

 

 グロンゾンの声はなんというか、こんなおぞましい肉壁まみれの空間のなかであってもやたらめったら良く響いた。急ぎ去ろうとしたウルの背中を容赦なく打ち抜くほどにどこまで届く声であり、情緒に溢れ、聞く者の涙を誘った。

 

 演劇でもやれるんじゃねえかなこのおっさん。

 

 そんなことを思いながら、ウルは凄まじく苦々しい表情を浮かべながら、踵を返してグロンゾンのもとへと戻った。

 

「…………途中までなら付き合うよ。途中までなら」

「なんと!袂を分けてもなお、義と徳を忘れないとは!!お前のような男と共に戦えること誇りに思うぞ!!」

 

 その言葉にグロンゾンは心底嬉しそうな表情でウルの肩を叩いた。そこに演技臭さは皆無だった。心の底からウルの選択に感激している様子だった。

 

「……あんた割と舌回るよな」

「ふむ、丸め込むつもりは無いのだが」

「誠実さでごり押しするタイプか……たちわっりぃ」

 

 そういえば自分の師匠もなんだかんだとこの男から仕事を任されていた事をウルは思い出した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 クラウランの創り出した【真人】達。

 ディズと共にバベル――もとい【大悪迷宮フォルスティア】に突入した真人達はディズの指示に従って、救助活動を開始した。

 バベルの迷宮化に巻き込まれた者達は多い。バベルは方舟イスラリアを維持するための拠点であり、王の城でもあったのだから当然だった。事前に避難所(シェルター)に逃れていた者達は兎も角、そうでない者達も大勢いた。彼等は一人一人見逃さぬよう救助し、片っ端から近くの避難所に移動させ続けた。

 

「気持ち悪い!」

 

 そんな中でも、ゼロ率いる部隊はバベルの地下、螺旋図書館を侵攻していた。その道中出現するおぞましい魔物達、毛も皮膚も無い、筋肉がむき出しになった一つ目の怪物達を蹴散らしながら、ゼロは不満の声を漏らした。

 

「んっもう!どうなってるんですか!ガルーダともはぐれてしまうし!!」

 

 魔物達の造形のおぞましさはもとより、その強さも異常だった。シズクが生み出した白銀の竜達とはまた違う。あちらは洗練された竜としての形を保っており、やっかい極まったが一方で道理はあった。

 だが、こちらは無い。そもそも急所が無い。頭を潰しても残る手足がうごめいてこちらを襲ってくる。かとおもえば、目がない所為で味方同士で殺し合い、潰し合う。かとおもえば、その味方の血肉を喰らってより巨大な怪物に変わる。

 まるで粘魔だ。だが、血肉を持ってる分粘魔より活動できて俊敏でおぞましい。

 なんというか、この上なくたちが悪かった。ゼロはうんざりとした悲鳴をあげる。

 

『GGG    』

「ゼロ、落ち着け」

 

 そのゼロに、ファイブは冷静に声をかける。彼女の隣で、出現する魔物を槍で引き裂き打ち倒しながら、淡々と声をかける。

 

「お前は我々の中で最も優れている。そのお前が動揺すれば、仲間達に伝わる」

 

 真人達は現在連携を密にするため魔術により常に通信で繋がっている。勿論ゼロが叫ぶくらいですぐに慌てふためいて混乱してしまうほど未熟な者はいないが、それでもゼロは冷静でいてもらわねば困る。

 彼女は間違いなく、真人達の中でも最も優れた性能を持ったハイエンドなのだから。

 

「……ごめんなさい」

「よい子だ」

 

 まだ子供っぽいが、それでもこちらの指摘に対して素直に受け入れるからゼロはよい子だった。ナインももう少し見習ってほしいものだと思いながら、前へと視線を向ける。

 

「だが、お前の言うとおり異様ではある。この有様は」

 

 再び出現を開始する魔物達、眉をひそめる。ゼロは即座に雷を放って連中を焼き払うが、一撃では死ななかった。発展魔術(セカンド)クラスの魔術であってもまだ死なない。

 堅く、早く、強く、数が多い。明らかに単純な魔物の類いでは無かった。

 

「シズルナリカの攻撃ですか……!?」

「いや……」

 

 可能性としては確かに考えられる、が、それにしては中途半端だった。そもそも、自分たち真人は一個でも強力であり、集まれば黄金級にも匹敵出来る戦士達であるが、太陽神と相対した状態でリソースを割いてまで討伐したいとシズクが動くようにも思えない。

 

 ならば自然発生か?だが、それにしては妙に……?

 

「見つけた」

 

 そのとき、後衛で周囲を探っていたスリーから声が響く。ファイブは思考を中断し、彼女の指さす方向へと全員が急ぎかけだした。そして、

 

「スーア!」

 

 偉大なる王アルノルドの御子スーアが、多くの従者達と共にバベルの血管に捕らわれている姿を発見した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その空間は螺旋図書館の円周からわずかに外れた場所に創り出された奇妙な凹みだった。

 まるで、地面が陥没し、どこまでも沈み込んでしまったかのような大穴のような空間だ。記憶ではスーア達がいたのは【真なるバベル】の屋上であり、そこから落ちてきたにしても流石に物理的にここまで落下したとは考えにくい。

 となると、やはり迷宮化によって空間がゆがんだと考えるのが妥当だが、それにしたってその空間は異様だった。バベルを行き交う血管のようなものが複雑に絡みあい、卵かさなぎのように形作られている。それが大穴の中央に座しており、スーアがそこに捕らえられている。

 他の従者達もその周囲にいるが、中央の卵にはスーアのみ。そんな奇妙な広間の最下層に真人達はたどり着いた。

 おそらく本来ならば、別の部屋にたどり着く筈だった通路の先がこの大穴に巻き込まれたのだろう。通路は断絶し崩れ落ち、大穴に繋がっていた。

 

()()()()()()()()()……?」

 

 その光景をみて、ファイブは眉をひそめた。

 果たしてどのような意味があるかは不明だが、良い予感はまったくしなかった。今すぐにでも助け出さねばならないとはゼロも思ったが、しかしうかつには動けない。

 安易に手を出したら何が起こるか分からない。そんな不気味さがそこにはあった。

 

「シズルナリカの仕業?」

「彼女の仕業ならば、スーアを生かす意味は無い」

 

 スーアは、いうなれば現在のイスラリア大陸における代表だ。太陽神として覚醒したディズを除いて最も危険な存在と言えるだろう。【七天】の力を操る上でも最初から調整された器でもある。もしもシズクが彼女を捕らえたのなら生かしておく合理性が存在しない。

 

 だが、だとするならばなおのことその状況は薄気味が悪かった。

 

「だけどこのままじゃ」

「分かっている。行くぞ、慎重に」

 

 ファイブは兄妹達に指示を出しながら慎重に、その奇妙な陥没の大穴へと滑り落ちる。

 そして踏み込んだ瞬間、ある意味警戒していたとおり状況が動いた。

 

「なん……!?」

「これ、は!?」

 

 空間が揺れる。スーア達を捕らえていた血管がうごめき出す。出現していた悪感情の魔物達のように動き出した。卵のような形をしたものが形を変える。細く長く高く、塔のような姿に変わった様に見えたのは気のせいではないだろう。そして、

 

〈■■■〉

 

 その塔のいくつもの壁面から、巨大な瞳が出現した。その現象と姿をみて、ファイブはすぐにそれがなんなのか察した。

 

「……()()()()()()()

〈■〉

「回避!」

 

 光が放たれる

 回避した直後、ファイブはその痕跡を見ると金色に輝く剣のようなものが地面に突き立っていた。太陽神として統合される前の、制約があった頃の【天剣】に似ているが、それはしばらくすると霧散して散った。

 あの姿で、性能がただの剣を模した魔術攻撃ということはなかろう。つまり防御は出来ない。絶対両断の剣を凄まじい速度で飛ばしてきている。

 

〈■  ■   ■■■■■〉

 

 それも複数の瞳が連続で、だ。ファイブ達はちりぢりになりながら回避に専念せざるを得なかった。

 

「遺産……!()()()()()()()()()()()!?」

「違う!例の場所は最深層だ!此所は別の場所だろう!」

「目的は!?」

「スーアの保管、七天の為の器を探している!恐らく神の保護機能だ!」

 

 だが、推測を進める余裕はなかった。

 

「方舟の危機、バベルの崩壊に反応した!!!素養のある者を予備の勇者として保管しようとしている――――!?」

 

 不意に足下がうごめく、自分たちが立っている場所もまた、眼前の塔の一部であることに気づいたときには遅かった。後衛で支援していたスリーが不意に、足下に沈み込むように地面に倒れ込んだ。

 

「ナイン!」

「私たちも狙ってる!」

 

 ナインの言葉にファイブは地面を蹴り、その場を退く。次の瞬間先ほどまでファイブがいた場所も血管がうごめき、そこにいたファイブを喰らい尽くすように殺到した。あまりの貪欲な動きにファイブはぞっとした。

 

「【蒼雷陣・拡式】」

 

 その近くで、ゼロが魔術を発動する。足下を蹴った瞬間、この広間の広い範囲に魔法陣が一気に広がる。足下に飲み込まれかけていたナインすらもその光に飲み込まれ、次の瞬間蒼雷が一気に迸った。

 

「ゼロ!私も焼くつもり!?」

「ちゃんと対象から外しました!」

 

 激しい落雷の中、若干髪の毛を焦がしながらもナインは抜け出す。元気そうであり、問題はなさそうなのでファイブは安堵した。そして、ゼロの攻撃はやや無茶ではあったが、一気に敵の肉体が削れた。

 このままスーア達を救出し、脱出する。ファイブはそう動こうとした。

 

〈         ■〉

「何!?」

 

 だが、次の瞬間、焼け焦げた肉がうごめいた。振動し、形を変えながら瞬くまに破損していた箇所が新たな肉に覆い尽くされていく。

 

「この現象は……!」

 

 回復術による再生ではない。故に阻害も出来ない。その異様な形の戻り方にファイブは絶句する。同時に危機感を覚えた。同時に、中央の塔が動く、周囲の瞳に魔力が収束を開始した。

 

「【蒼雷!!!】」

 

 真人達の判断は素早かった。全員が連携し、一糸乱れず魔術を放つ。発展魔術級の火力のそれを全くの同時に放つことで火力を上昇させる妙技。終局に近しい火力を即座に放つ。

 この部屋の中心が塔であるという判断からの即決だった。

 

〈【■】〉

 

 次の瞬間、空間一杯に激しい音が響いた。荘厳な鐘の音、しかし今この場で聞くにはあまりにもおぞましく、不吉な音。それは――――

 

()()()……!?」

 

 真人達の魔術が一方的に打ち消される。そして、そうしている間にも塔の瞳達の魔力は収束を完了させた。先ほどファイブ達に打ち出された光の剣、天剣が空一杯に広がった。まるで、一切を逃がさぬと言うように。

 

 敵の攻撃を一方的に打ち消し、防げぬ攻撃を一方的に、雨のようにたたき込む。

 

 七天達が行う連携、その圧倒的理不尽を真人達は最悪のタイミングで体験しようとしていた――――

 

「【破邪天拳!!】」

 

 だがそれは別の箇所から響いた鐘の音によって吹き飛ばされる。肉の塔が発生させた鐘の音ではない。となると、その音を操れる者は一人しかいない。

 

「グロンゾン様!」

「うむ!」

 

 巨漢の豪傑が真人達の中心に落下し、参上した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「しのいだか!助かるぞ真人達よ!」

 

 奇っ怪なる肉の空間の中心で、グロンゾンは真人達に感謝を告げる。間に合った、というべきかはわからなかったが、最悪は回避できたと考えよう。

 

「七天の力を再現する敵です!!しかも恐らく“無尽蔵に再生する”!手が足りません!!」

 

 グロンゾンの同時と共に、男の真人が即座に情報を提供した。混沌とした状況に慌てず即座に情報を伝達する優秀な戦士だった。その優秀さ故に、眼前の脅威を正確に感じているのだろう。

 

「あいわかった!だが心配するな!」

 

 故に、彼等の士気を保つためにも、グロンゾンは力強く断言した。

 

「イスラリア史上類を見ない英傑の助けがある!!」

「結局こうなんのかよ畜生が!!!」

 

 次の瞬間、グロンゾンの後から落下してきた“灰色の流星”が、まっすぐに塔に向かって直撃し、そのおぞましき塔を一気にたたき折った。

 

 

 




https://twitter.com/MFBooks_Edit/status/1776189845133730134
MFブックス様より書籍化します


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋の中で③

〈警告〉

「ノアか、なんだよ」

 

 金色の指輪から聞こえてくる声に、ウルは応じた。

 

〈フォーマット時に切断された【遺産】の一部を確認〉

〈現在独立して稼働中〉

〈複数の物理干渉兵器を保有、対人への制約を有するものの潜在的驚異度高〉

〈“器”の獲得前に早期殲滅推奨〉

 

 ウルは首を傾げた。

 

「わかりにくい」

〈いそいで、たおしてください〉

「わかりやすいよ、ありがとう」

 

 指輪へと感謝を告げて、目の前の存在と向き直った。

 

 ウルが強引な力でたたき折った塔は、しかしそのまま見る間に再び再生を果たす、かに見えた。だが、それは違うとウルはすぐに察した。

 

「まあそう簡単にはいかんわな……というか――」

〈■    ■  ■ ■■■■■〉

 

 おぞましい塔は変化する。捕らえたスーアを飲み込んで、異形へと変わる。それは巨大な、肥え太った竜のようにも見えたし、蛙のようにも見えた。だが最も近いものは、恐らく“生物の臓器”だろう。それに瞳がついて、血管が手足のようにうごめいてる。

 

〈■――――――――〉

 

 見るだけで怖気が走るような奇っ怪な生命体が目の前に生まれた。鳴き声と言って良いのか分からないような声を空間を揺らす。真正面から浴びれば身震いしそうになるような、生命からかけ離れた音を真正面から受けたウルは――――しかし別のことを考えていた。

 即ち、

 

「――やっぱ戦う羽目になってんじゃねえか!」

 

 当然のように戦いに巻き込まれたことに対する嘆きである。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ま、ずい!、グロンゾン殿!!」

 

 塔の更なる異形への変貌に、ファイブは息を呑んだ。これまでの推測と、クラウランから与えられている【真人】としての知識から、状況が更なる最悪へと転がり込んだことを察してしまった。

 

「具体的にどう不味い!」

 

 救助にきたグロンゾンが叫ぶ。ファイブは兄妹の真人達に撤退の指示を出しながらも、なんとか冷静に自分の有する情報を叫んだ。

 

「スーアを依り代に、こちらへの干渉権を獲得しようとしている!!!」

 

 スーアを捕らえた存在は、恐らく精霊と同じルールに縛られている。

 人類に対して、直接害をなしてはならないというルール。

 創造主の創り出した存在の多くはその規則に捕らわれる。それを最初から超過出来るのは「粛正装置」のみである。人類でない限り、その存在の干渉は限られる。

 

〈■■■■■■■〉

「干渉……今も十分に暴れてるのでは!?」

「これは制約を受けている状態です!!」

「これでか!?」

 

 グロンゾンが連続で【神拳】の鐘の音を鳴らし、敵の攻撃を打ち崩す。“天剣もどき”の攻撃は連続して巻き起こっていた。グロンゾンがいなければこの場にいる全員、ズタズタに引き裂かれて血の海に沈んでいただろう。

 そう、これでも恐らくは制約の中のレベルでの攻撃だ。実際、手負いのグロンゾンと【真人】たちとでなんとかしのげて、抵抗できる時点で制約がかかっている。だが、

 

「今、スーアが飲み込まれてしまった……!」

 

 おぞましい臓器のような竜の形が更に変わる。口、のように見える部分が大きく開くと、そこに膨大な魔力が収束していく。恐らく【天魔】の再現をしている為か、魔力を方舟に眠る【星石】から掠め取っている。

 つまり、魔力が尽きる可能性も皆無であるらしい。絶望的な情報が追加されてしまった。

 

〈  【■】  〉

 

 その収束し始めた魔力だけで空間が焼けていく。

 既に避難は指示しているが、果たして間に合うか、かなり怪しかった。否、例えこの空間から逃げ出したとしても、既にスーアを獲得したこの“臓器の竜”は追いかけてくるのでは――

 

「護ります!!!」

「ゼロ!!」

 

 そこに、ゼロが飛び出し、結界術を展開し始めた。「無理だよせ!」というファイブの言葉も、グロンゾンの援護も間に合わず、竜の咆吼は吐き出され――

 

「いや無茶すんなよ」

 

 その彼女を、灰色の英雄が抱きかかえ、竜の咆吼を“消し飛ばした”。

 

「……ん!?」

 

 消し飛ばした。としか言い様がない。

 あまりの光量に視界が奪われ、ハッキリと目撃することは出来なかった。が、ゼロを抱えた少年が槍を振るった瞬間、莫大な灼熱の光がぐしゃりと粘土細工のように“ひしゃげた”のだ。そして、そのまま光を失い灰色になって砕けて散った。

 見たままに、起こった現象を分解したが、それでも全く意味が分からない。分かっているのはゼロが無事であることと、灰色の少年――ウルがそれをなしたと言う事実だけだ。

 

「危ないことすんなよ。びっくりしたわ」

「だ、大丈夫です!私は強いですから!」

「そうか、そりゃ頼りにさせてもらうよ」

「当然です!」

「でも今は俺と天拳殿が前衛やるから下がっててくれよ。支援を頼む」

 

 目の前で起こった現象の衝撃で停止していたファイブに対して、ウルは抱きかかえたゼロをそっとおろすと、やや手慣れた様子でゼロをいなしながら頭を撫でていた。そして、

 

「で、他に情報は?」

 

 そのままこちらに質問を投げかけた。

 

「情報……」

「倒し方」

 

 端的かつ具体的な質問内容にファイブは再起動する。だが、同時に無茶なことを尋ねるなと叫びたくなった。

 

「おそらくこの空間全てが敵の肉体だ、一部を破壊しても再生される」

「なるほど……なるほど?」

 

 まだその現象を断片的に見ただけだが、恐らく間違いない。ファイブは知識としてその現象を知っている。知っているが故に、この敵は容易には倒せないという最悪の確信がある。

 

「一端――」

 

 撤退するほかない。

 そう提案する暇も無くウルは前へと進み出ると、装備していた禍々しい黒の大槍――おそらくは【竜殺し】を握り、地面へと突き立てた。

 

「空間全部なんとかすりゃいいと」

 

 次の瞬間、彼の白の右腕がうごめき【竜殺し】に纏わり付いて

 

「【其は死生の流転謳う、白き姫華】」

 

 その影響が槍から、空間全体に一気に広まった。真っ白な美しい花々が空間を満たし、おぞましい肉の壁が浸食されていく。その浸食は一切容赦が無く、“臓器の竜”の肉体にまで及び、竜の体を喰らっていった。

 

「この程度の範囲ならなんとでもなるな」

〈――――■▲■■■■■■〉

「まあ七天もどき使えるのはヤバいんだろうが」

 

 振り払うように身もだえ、手足をちぎりながら浸食から離脱する臓器の竜を睨みながら、灰の英雄は淡々と静かに――

 

「グリード程じゃねえわ――――冷静に考えるとマジで何なんだあいつ」

 

 ――なにかのトラウマを発症していた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 灰の英雄、ウルに対する情報を真人達は把握していた。

 

 精霊との親和性を持たず、大罪竜達を討ち取った超克者。

 選び抜かれた七天の戦士ではない、不意に発生した野生の傑物。

 わずか一年少しでこの厳しい世界で台頭し始めた英雄。

 

 だが道理として、彼当人の実力を真人ファイブは懐疑的に見ざるをえなかった。

 

 ファイブは、真人は生まれ出るときクラウランから多くの知識を与えられている。偏見や信仰でその知識が曇ることは無い。恐らく最もフラットに、世界の状況を把握できているのが真人達だ。

 

 だからこそ、理解している。

 

 この世界において極端な飛躍はありえない。

 魔力という超常のエネルギーを得たことで人類の歴史は大幅に変わったが、その力が在るが故に、より世界は近道はなくなったともいえる。特に、身体能力については残酷だ。

 強くあるには魔力を獲得するしかない。より強くなるには、更なる魔力を獲得し、更なる強い敵と戦って魔力と経験を重ねるほかない。

 

 それが今の世界の道理であり、そしてこの道理は才能を以ってしても打ち勝てない。

 

 体術や戦闘技術にどれほどのセンスがあろうとも、それでもこの道理は覆すことはできない。センスを磨くためにも魔力はいるからだ。だからどうしても飛躍は出来ない。必要なのは時間と経験、そしてその質だ。

 

 だから、ウルという英雄が短期間で飛躍したことには疑念と不理解がついてまわる。

 

 幸運だったのか、あるいは閃きによって覆せる状況が続いたのか、それとも別の何かしらの要因か。兎に角彼自身の能力については確信が持てなかった。

 

 そして現在、

 

「【黒瞋よ】」

〈■  ■!?〉

 

 彼がそういう道理とは全く別の場所に身を置いているという事実をファイブ理解した。竜牙槍から伸びた黒い熱刃で“臓器の竜”の両腕を情け容赦なく叩き潰す姿をみて、強制的に理解させられた。

 

「ウル!スーア様が中にいる!気をつけろ!!」

「デカい堅い重いくせに面倒くさいな!人質なんて取るんじゃねえよ!」

「五秒後に打ち消す!攻めろ!」

「了解!!」

 

 グロンゾンとの連携をとりながら、ウルは動く。竜が生み出した無数の光剣が鐘の音と共に砕け散る。粒子の雨が降り注ぐ中跳んだ。

 

〈【■■■】〉

 

 無論、臓器の竜とて無抵抗ではない。無数の七天もどきを振り回しながら、定期的にこちらの攻撃を打ち消そうとする。ウルが使う竜の権能すらも魔力を源とする以上、【天拳】の打ち消す力には抵抗できない。

 

「【破邪天拳!!】」

「【揺蕩い、狂え!】」

 

 故にグロンゾンは的確に、竜の攻撃似合わせて鐘を鳴らし、その攻撃を相殺する。そしてその隙を突いて不可視の力で“臓器の竜”を空中で掌握し、地面にたたき付ける。 

 十メートル以上はあろうという巨体の竜は空中へと持ち上がり、何度もたたき付けられる。

 

 たたき付けられているのが臓器の竜であり、たたき付けている方がたった一人の少年だ。果たしてどちらが怪物なのか理解できなくなる光景に、ファイブはぼそりと呟いた。 

 

「“類を見ない英傑”、なるほどな」

 

 グロンゾンが彼を評した言葉を噛みしめる。彼はあまり意識せずに言ったことなのだろうが、かなり的を射ていた。ファイブは至極冷静に、自分の価値基準でウルを図ることは困難であると理解した。理解することを綺麗に諦めた。

 

「ファイブ!何なんですかアレ!!」

「わからん」

 

 ゼロの疑問に対してもファイブは即答した。彼女の疑問ももっともだが、本当に分からない。彼の出自も経歴もなにもかもハッキリとしていて一切謎がない筈なのに何がどうしてあんな生命体になっているのか一ミリも説明がつかないという奇妙な体験だった。

 

「例えそれが歪に調整された命の先にあったものだとしても、突然変異でああいう存在は生まれるものなのだろう。世界は狭いと思っていたが、広いな」

 

 きっとマスターは喜ぶ。教えてあげたいものだ。とファイブは頷いた。すると、

 

「手伝えやオラァ!!?」

 

 謎の生命体もとい、ウルからの抗議の声が飛んできた。確かに、あまりの戦いっぷりにあっけにとられていたが、彼に妹の命を救われて呆然とみているわけにはいかない。マスターの子供として名折れだろう。

 

「全員、彼の支援に動け!敵の【天拳】もどきを誘発し、隙をつくるぞ!!!他動けるものは周囲の従者達の救助に回れ!!」

 

 ファイブは気を引き締め、真人たちに指示をだし、一気に攻勢へと移った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ああ、畜生面倒くせえ……」

 

 一方で、謎の生命体扱いされているウルはウルで、敵の厄介さに顔をしかめていた。

 真人達は間違いなく一流であり、ましてグロンゾンはそれを超える最高の戦士だ。手負いで、病み上がりだと自嘲していたが、決してそう感じさせないだけの立ち回りを彼はしている。彼等がいなければもっとウルは苦戦していたことだろう。

 だが、そんな彼等の支援込みであっても、“臓器の竜”は厄介極まった。

 

〈■■■■■■■〉

 

 堅く、しぶとく、そして厄介なことにスーアを内側に取り込んでいる。

 人質のように扱わないだけマシだが、しかしどこにスーアが捕らえられているのか判断がつかない。うっかり大火力を不用意にぶっぱなして、スーアごと殺してしまったら元も子もない。

 

 だが、半端な攻撃では敵は再生する。

 

 空間を竜の力で浸食したことによって再生能力の速度は明確に落ちたが、それでもしぶといのだから相当だ。ならばこの状況下における最適解は、

 

「人質側からの応答……!」

 

 人質であるスーアの場所の判明。で、あるならば、出来ることは――――

 

「【狂い啼け!!!】」

〈■!?〉

 

 空間を掌握し、たたき付ける。しかし今回はその力を単発では無く持続させた。竜の動きを縛り続ける。当然向こうは抵抗を仕掛けてくる。巨大な瞳に魔力が収束し、再び【天拳】の力を放とうと仕掛けてくる。

 

「【破邪天拳!!!】」

「【蒼雷】」

 

 だが、それを察知しグロンゾンが打ち消した。同時に真人達が竜の肉体を削り、その力のリソースを再生へと回させる。こちらの動きに対して一切の合図なしで必要な動きをしてくれる。彼等は紛れもなく一流だった。

 だからこそ、言わねばならないことがある。

 

「うっかり人質にされてんじゃねえよ……!」

 

 “臓器の竜”へと飛び乗り、竜牙槍を刺し貫く。同時に“顎”をひらくことによって肉を引き裂きこじ開ける。無論、その先にも血肉が詰まり、スーアの姿など見える筈も無いが、ためらわずウルは大きく息を吸い、

 

「さっさと目を覚ませや役立たずのクソ七天!!!」

 

 不敬罪一直線の言葉を叫んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋の中で④ 夢と現と愛と

 

 スーアにとって、世界を護ると言うことは生まれながらにしての義務だった。

 

 イスラリアという方舟を護るために調整された子供。

 真実の“知識継承”と“方舟守護”を行う【天賢王】。その血は決して途絶えさせることはできなかった。真っ当な人類としての血の継承ではあまりにも不安定が過ぎた。くだらないお家騒動などで失われて良い役割ではなかったのだ。

 

 だから必ず、確実に、最高の王が生まれるよう厳重に管理されていた。

 世間には神より授かりし御子として信仰を集める形で、人造人間が創り出された。

 

 七天の力を最も強く受け継いだ子供。容姿こそ異なれど、【真人計画】に乗っ取った人類の最先端、他の人種である獣人や小人、土人のようなあらゆる“計画の失敗作”とは違う、本物の人類――――と、いうにはあまりにもおこがましいだろうか。

 詰まるところ、王の責務を背負うことを義務づけられて生まれたのがスーアなのだ。それは残酷な事実でもあった。歴代の王たちが早逝していたように、スーアもそうなる運命をたどる可能性が高かった。それほどまでに、この過酷な世界を、方舟を支える職務というのは重く、苦しい。

 

 でも、スーアは別にいやでは無かった。

 民達のために頑張ること、手を差し伸べて上げることは悪いことだとは思わない。

 義務感ではなく、自然とそう思える情緒がスーアの中では育まれていた。

 

 それはやはり、アルノルド王の存在が大きかった。

 

 不器用で、真っ当な親子とは言い難かったが、それでも愛を持って育んでくれた事は疑いようもなかった。恐らく歴代でも最も愛情深く育んでくれていた。

 勿論それは、必ずしも望ましい事とは限らない。

 王の責務はあまりにも重い。莫大な責任が伴う。時に命を一人で選別するようなおぞましい判断を担わねばならない事もあるだろう。そう考えると、王に必要なのは優しさよりも厳しさだ。そう考える王たちは多かった。

 

 だがアルノルド王はそうはしなかった。それは彼のエゴであったのかもしれないが、スーアは感謝している。嬉しかったから。

 

「だけど、だから私は、最も弱い王なのかも知れません」

 

 シズルナリカとの決戦が始まる前、

 【真なるバベル】にてスーアはディズと言葉を交わしていた。

 必要なことだった。【天賢】継承時に彼女にはおおよそ、この世界の構造の知識を獲得し、更に実際にこの世界の構造を目の当たりにした筈ではあるが、それ以外の歴代の王たちが継承していった知識についても、勇者には提供する必要があった。

 

 どのような形であれ、重い責務を彼女に背負わせることとなる。せめてもう、隠し事はすべきではない。

 

 そうして、多くの事を話して、最後に自身の事まで話し終える。するとディズは、

 

「分かりました……ですが、スーア様が弱いとは思いませんよ?」

 

 スーアの、自分に対する評価に首を傾げた。

 

「思いませんか?」

「良くも悪くも、愛というものは強いものですよ。事実としてそうでした。愛ほど重い動機はない」

 

 彼女はハッキリと断じる。

 七天の加護を与えられず、それ故に方舟の至る所を飛び回り、多くの民達を自分の脚で助けてきた彼女の言葉には、確かな説得力と重みが存在した。

 

「親が子を、子が親を、愛するヒトを、友人を、護ろうとする時、とても強い力が起こります。勿論、それが悪い方へと向かうこともありますが……」

 

 強い愛は、時として忌むべき大罪の感情へと変わる。

 愛が重いほどに、御するのは難しい。故にこそ歴代の王たちは距離を置こうとした。自分の愛が、長い年月をかけて紡いできた王の継承を途絶えさせる事を畏れたが故に。

 

「でも、正しくその力が使えれば、大罪をも打ち破る力となります。スーア様はきっと、それができると思いますよ」

 

 ディズはそう言って微笑んだ。父、アルノルドから与えられた愛が間違っていないといわれたようで、スーアは嬉しかった。

 

「ディズはよく知っているのですね」

 

 ディズと比べると、スーアはバベルにいることの方がずっと多かった。今は彼女の内にいるアカネとも最近は遊んだこともあったが、それでも知らないことばかりだ。ひょっとしたらあの時遊んだ子供達よりも、自分はものを知らないのかも知れない。

 そう思うと少し不安になる。だが、そう思っていると

 

「……どうでしょうね。賢しく語りましたが、私は私自身の愛については少し、自信がない。わからない」

 

 ディズは苦笑した。

 

「わからないです?」

「愛が、失われてはならない尊いものだとは思います。慈しむ感情はあります。力があると言うことも知っている」

 

 彼女は生まれる前の調整もなしに、【星剣】の聖者認定を突破した天然の聖者だ。恐ろしく厳しく設定された“神となりうる者”の認定を得た本物。故に彼女は誰に強いられるでも無く、自分と関わりのない他者であっても慈しみを向けられる。

 

「ですが、私が個人に向ける愛情はよく分からない。誰か一人を、強く想う事はなかったから」

 

 そうかもしれない。と、スーアは思った。

 恐らく、彼女は自分の愛は大きすぎるのだと理解しているのだ。

 だから特定の個人に向けてはならないと、それをしてはいけないと、本能的に忌避している。だからわからないと、そう言っている。

 

 つまり、つまり――

 

「つまりディズは恋愛耳年増なのですね」

「否定できないですけどその言い方は辞めてほしいですね!?どこで学びました!?」

「アカネから教えてもらいました」

 

 スーアが自信満々にそういうと、ディズは顔を覆いうなだれた。

 

「……ええと、話が逸れてしまいました。何が言いたかったのかな」

 

 若干顔を赤くさせながら、気を取り直すようにディズは頬を掻いて、そして深呼吸すると改めてスーアを見つめて、彼女は笑った。

 

「愛をもって育てられた貴方は強い。貴方自身を信じてください」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 勇者ディズとのやりとりをスーアは思い出した。

 何故思い出したのか、そもそもそれがいつの記憶だったのか、スーアには思い出せなかった。記憶が曖昧だ。自分がいる場所もそうだった。

 自分が立っているのは美しい青い空と平原の広がる場所だった。魔物達を抑えるための結界も、空からこちらを睨み付ける天空の迷宮も存在しない。ただただ美しいだけの空間にスーアはいた。

 

 満ち足りた気分だった。もう、心配する必要はないのだとそう思った。なにより。

 

「スーア、どうした」

 

 父アルノルドがいた。いつも通りの仏頂面だ。しかしそれでも細かな所作に、こちらへとかける声に、深い愛情があるとスーアは理解出来る。

 

 スーアは嬉しかった。

 

 ここには恐ろしいものがなにもない。

 だから、父がこれ以上命を削ることなんて無いのだ。

 自分のために、世界のために、どんどんとすり減っていく父を見る事はないのだ。

 

 だから、ずっとここにいたいと、そう思った。

 

 ――さっ……目……………………天!!!

 

 だけど、だからこれが“違う”とスーアは理解した。

 そうはならなかったのだと理解している。辛くて、悲しいけれど、その事から目を背け続けなければ耐えられないほど、スーアは弱くなかった。ディズがそう言っていたように、スーアは強くなった。そうあれと育てられたのだから。

 

 だから、

 

「良い夢を見ました」

 

 スーアは父に語りかけた。

 

「眠っていたのか」

「はい、とても良い夢でした」

「そうか」

 

 父はそう言うと優しく頭を撫でた。

 嬉しかった。

 これが敵の策謀であったとしても、この一時を与えてくれたことをスーアは感謝した。

 

「夢からは、目覚めねばなりません」

「ああ、そうだな」

 

 父は頷く。スーアは彼の懐に飛びついて、強く抱きしめて、囁いた。

 

「愛しています」

「私もだよ」

「さようなら」

 

 視界は晴れる。光に包まれ、全てが消えていく。夢幻のよう――――

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――……むう」

 

 スーアは目を覚ました。

 自分は真っ黒な、生温かい血肉の中にいた。なんらかの生物の内に捕らえられたのだと言うことをスーアは理解した。自分の体が妙に疲れているのは利用されているからだ。

 なんとかしなければならない。そしてその為の手段は理解している。

 

「【神、賢】」

 

 ディズから返却された力の内、僅かに残したものを使う。研ぎ澄ましまっすぐに力を放ち、自分を捕らえる肉の牢獄に小さな穴を空けた。

 しかしその穴は瞬く間に修復されてしまう。疲れ果てた体ではこの内側から突き破るだけの力は持てない。できるのはコレが精一杯。

 だけど、これで十分だった。

 

「――――みつ、けた!!」

 

 次の瞬間、スーアを閉じ込めた血肉が突如としてうごめいた、切り裂かれ、光が差し込む。それを突き破るようにして伸びた異形の腕がスーアの体をつかみ、そして力強く抱きしめられた。

 良かったという安堵や、感謝の気持ちがわき上がる。だけどその前に一つ、どうしても言わねばならないことがあった。それは、

 

「役立たずでは、ありません」

「知ってますよ、そんなこと」

 

 スーアの抗議に、ウルは抱きかかえたまま苦笑した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

螺旋の中で⑤ 我儘を

「やったか!!!」

 

 グロンゾンはウルが血しぶきを浴びながらも、臓器の竜の内側からスーアを救出した姿を見て声をあげ、最大の懸念が解消されたことに安堵した。

 

〈――――、●……!〉

 

 とはいえ、まだ臓器の竜はうごめいている。先ほどよりも明らかに弱っているが、弱っているからこそと言うか、自身を構成する無数の血管をうごめかせて、デタラメに暴れ始めていた。

 巨体故、デタラメに暴れるだけでもそれが地響きとなって場を揺らす。

 螺旋図書館の上層には避難民達がいる。万が一にでもこの怪物が上層へと移動し、避難所を襲う可能性は摘まねばならなかった。

 

「他の救助は!!?」

「完了した!既に部屋の外へと連れ出してる!!」

「よし!」

 

 真人達の迅速な対応にグロンゾンは頷いた。ならば後は、

 

「後は何の懸念も無く、アレを消し飛ばせば良いだけと」

 

 スーアを抱えて近くに飛び降りたウルの言うとおり、あの怪物を始末するだけだ。グロンゾンは動こうとしたが、それよりも早くウルはグロンゾンにスーアを押しつけるようにした。そして、 

 

「【其は災禍に抗う、勇猛なる黒焔】」

 

 竜牙槍を構え、竜の魔言を唱えた。

 次の瞬間、ウルの黒い左腕が蠢き、彼の竜牙槍に纏わり付いた。同時に彼の腕から黒い蔓のようなものが伸びて、未だ白い花々が散った地面を貫いてウルの体を結びつける。

 

「まずいな……!」

 

 その動きの意味を察したグロンゾンはスーアを抱え、即座に移動した真人たちもグロンゾンの動きに習ってウルから距離をとる。竜牙槍の顎が開き、そこから漏れ出す魔力はグロンゾンの想像通り、あるいは想像以上に鮮烈な熱と、寒気を覚えるような黒い魔力が満ち満ちていた。

 

〈【●●●●●●●●】〉

「悪いがこっちはまだまだ仕事が山積みなんだ」

 

 向かってくる“臓器の竜”相手にも微動だにせず、ウルは自身を固定砲台と化し、淀みなくその引き金を引いた。

 

「消し飛べ」

〈●       〉

 

 そして放たれた力は、臓器の竜どころかその場の空間全てを飲み込んだ。光が渦巻いて、その全てを焼き払う。グロンゾンも真人達も、距離を置いてるにも拘わらずその場から吹き飛ばされそうになるほどのエネルギーを、たった一人の少年が創り出したのだ。

 

 そして、光が消え去った頃には、最早その場には何一つ残されていなかった。

 

 竜の姿も無い、空間を覆い尽くしていた白い花すらも消えていた。残されたのは砂のような粒子のみであり、それが空からパラパラと降ってくるばかりだ。

 

 空間の再生能力を、まるごとを焼き払うことで打ち倒したのだ。

 

「凄まじい……」

 

 グロンゾンは否応なく、戦慄せざるを得なかった。

 

 間違いなく、今の自分よりも彼は遙かに強い力を有している。

 

 純粋な格闘術の技量、戦闘経験などであれば自分の方が上だ。その確信はある。だがもしも命のやりとり、本当の戦いとなれば、グロンゾンは勝てないだろう。もしも万全の状態であったとしても怪しい。

 尋常ならざる戦いを繰り返しその経験を獲得した力を全て糧とすることで、本当に類を見ない怪物へと彼は成ったのだ。

 

 その彼が、敵となるのか。

 

 なぎ払われた空間の中心で、全てが粒子のようになって消え去った中心に立つ灰の王を前に、グロンゾンは身震いを覚えた。

 彼をこのスーア救出の戦いに上手く連れ込んだのはグロンゾンの策略と言えたが、グロンゾン自身、ウルの事を口先でどうとでもできる男ではないと思っている。あくまで今回は彼の善良さとこちらの目的が上手くかみ合っただけの話だ。

 言ってしまえば彼の慈悲にすがったに過ぎない。

 そして恐らくこの先は通らないだろう。

 彼は真正直に宣告したとおり、敵となる可能性は存在している。

 

 ならば、今此処で彼を止めるか?

 

 今の自分では到底、足止めにもなるかは怪しいが、彼が【勇者】とぶつかる前に、少しでもその力を削っておくべきか?一瞬そう考えた。

 

「――――……あー疲れた。本当危なっかしいの勘弁して下さいスーア様」

 

 グロンゾンの内心を尻目に、ウルはぐったりとため息をつきながらこちらが抱えるスーアに愚痴を吐き出した。スーアはグロンゾンの体から降りると、こくりと頷く。

 

「助かりました」

「本当に、それならよかったですよ。怪我とかないので?」

「おなかがすきました」

「そりゃ俺もですよ。我慢なさってくださいな」

 

 無表情のまま、少し楽しそうに会話するスーアと、それを呆れた顔で応じるウル、二人の表情を見てグロンゾンは握りしめた拳を解いた。

 

 ここに存在する光を失わせてはならない。

 

 今、この世界の流れは異様だ。

 

 誰もが必死に抗い、賢明であろうとしながらも、流れるように全てが破滅へとなだれ込んでいく。この状況下においては、歯車のような戦士としてのあり方は危険だとグロンゾンは感じ取った。自らの意思で状況を見極め、判断せめばならぬと直感した。

 

 それが出来ねばこの流れには抗えない。抗わねばならなかった。

 

 グロンゾンの敬愛するアルノルド王は、この流れに抗おうとしていたのだから。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「…………う」

「良かった、ファリーナ」

 

 捕まった従者達の様子を確認しているスーアが安堵のため息をつく。その様子を見てウルもまた、今回の作戦が上手くいったことを理解した。

 本当にとんだ寄り道となってしまったが、ともあれ全員が無事で何よりだった。グロンゾンに強引に巻き込まれた形とはいえ、ウルとてスーアやスーアの仲間達が傷つき手折れることを良しと思えるほど、割り切れているわけではない。例え敵対する可能性があるとしてもだ。

 

「無事で何よりだよ。ともあれ、回復薬くれ」

 

 とはいえ、此処での消費は取り戻さないといけない。ウルが消耗品を乞うと、真人と呼ばれていた戦士達の一人、背丈の低い少女がこちらを呆れ顔で見つめた。

 

「敵対するかも知れない相手に道具を乞うんですか?」

「今回の依頼報酬代だよ。【神薬】があるならそれでいいけど」

「超希少品!あるわけないです!!!」

 

 ぷんすこに起こる少女を見ていると、あまり性格は似てないがアカネを思い出して、ウルは若干なつかしみを覚えながら彼女の頭を撫でた。それで更に怒る少女はかわいらしいが、先の戦いでは魔術の腕は一級品だった。できるなら敵対なんてしたくないなあ、と思っていると、彼女の横から若い男がウルに向かっていくつかの回復薬を手渡してくれた。

 

「我々のものなら。残念ながら神薬ではないですが」

「助かるよ」

 

 渡されたものをその場で飲み干す。そして体の調子を確かめると、ウルはまっすぐに螺旋図書館の柵へと手をかけ中央の奈落へと視線をやる。遙か下から、戦う音が聞こえてくる。やはりウルの目的地はまだまだ下方だ。それを確認し、ウルは振り返った。

 

「そっちはこれから従者達を安全な場所に運ぶんだろ?」

「うむ!任せよ!」

 

 グロンゾンが応じる。彼等は一度上に上がるだろう。まだ彼等も戦えるとはいえ、気を失い動けなくなっている従者達をつれてこの先に進めるわけが無い。

 

「じゃあ、俺はこの辺で。次会うときは敵かもだが」

 

 ウルは肩をすくめ、言った。流れでの共闘となったがここまでだ。再び会うときどのような状況になるかは想像つかないが、そうなる可能性は十分あった。だから腹をくくる上でもウルはそう言った。

 するとスーアが前に踏み出して首を横に振り、

 

「敵は嫌です」

 

 ウルの覚悟を真正面から否定した。ウルは苦笑する。

 

「嫌ですか。じゃあ味方?」

「ディズとアカネと戦うのも嫌です」

「ワガママでいらっしゃる……まあ良いですけど」

 

 ウルはため息をついて、彼女の身勝手を肯定した。すると自分で言ったはずなのに、それを肯定したウルをスーアは不思議そうに見つめ、首を傾げた。

 

「良いのです?」

「こっちはもっと駄々こねまくってるので、咎める気にもなりませんよ」

 

 実際、ウルたち一行の行動は、紛れもない我が儘だ。我を通し、無理を通そうとしてここにいる。そこに大義などあるわけもない。その点ではよっぽど、シズクとディズの方が有している。

 スーアの我が儘なんて、可愛いものだ。だから偉そうに咎める権利は自分には無い。

 

「互いが、上手く協力し合えることを祈ります。敵対したならその時考えましょう」

「ウル」

 

 そのまま柵に脚をかけ、飛び降りようとした。が、その前にスーアが駆けてくる。そしてそのままウルの胸に飛び込んで、一度強く抱きしめた。

 

「貴方が無事でないのも嫌です」

「――俺も、友達が傷つくのは嫌だよ。気をつけてな」

 

 見上げてくるスーアの額に触れ、小柄な御子の無事を祈るように囁いた。

 そしてグロンゾンもまた、前へと進み出て頷いた。

 

「ウルよ、今回の助力忘れぬ。もしもそれが許す状況であれば、この残された力の全てお前のために使おう」

「そうなるよう願うよ。じゃーな」

 

 グロンゾンに対してもうなずき、そしてそのままウルは奈落へと飛び降り、螺旋図書館の下層へと一気に落ちていった。

 まったくもってとんだ寄り道だったが、悪い結果ではなかった。

 順調とは言い難いが、前へと進めている。今のウルに懸念があるとすれば――

 

「あいつら無事だろうな……」

 

 外で戦ってる仲間達だ。

 

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 竜呑ウーガにて

 

「――――……ちょうだい」

 

 白銀の糸に囲まれ、竜呑女王エシェルは血まみれになりながら、地面に倒れ伏していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑥ 飛んだ

 

 竜呑ウーガの意思は薄い。

 

 元々、グラドルのカーラーレイ一族の策謀によって生まれた対都市攻略のための巨大兵器だ。その大規模すぎる巨体を御するために、通常の使い魔以上に自らの意思を押さえ込むように造られている。

 ウーガの有する感覚は酷く鈍い。

 現在の主であるエシェルの指示に従う以外では、せいぜい自分が心地よいかそうではないか程度の判別がつくくらいだ。だからこそ、危険地帯に身を置く事態になってもそれに従うし、文字通り地に足をつかぬような異常な状況になっても混乱して暴れるようなことはしないのだ。

 

 優れたる道具として、正しく機能していると言える。

 

『GAAAAAAAAAAAAA……!!!』

 

 だが、そのウーガが今、雄叫びを上げながら身もだえていた。

 ウーガが魔石を砕き喰らう大顎を大きく開きながら、地面が震えるような声を放ち続ける。あえて鈍く造られているはずの生存本能が、今現在強い警鐘を鳴らしていたためだった。

 重力の魔術を強引に操りながら、地面に着陸する。プラウディアの街並み、その一角を豪快に踏み潰しながらも、なんとか着地に成功した。しかしそれでもウーガは雄叫びを止めることはしない。

 

 何の異常が起きているのか、それはウーガの様子を遠目に確認すればすぐに分かったことだろう。

 

 ウーガの背中。まるで火山のように盛り上がった部分に異常が起こっていた。銀色の糸が纏わり付いているのだ。糸、といってもウーガのサイズを鑑みれば、糸の大きさも、長さも、量も尋常ではない。

 

 膨大な白銀の糸が、ウーガを絡め取り、押さえ込み、地面に縫い付けている。

 

 それから逃れようとするものの、うごめくほどに銀糸はウーガにからみついて離れようとしなくなる。蜘蛛に捕らわれた虫のように、ウーガはみるみるうちに窮地に陥った。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 一方その頃、ウーガ内部、防壁通路にて、

 

「ち、っくしょう!本当にめちゃくちゃだ!?」

 

 コースケもまた、この状況の窮地を戦車の中から実感していた。

 ウーガ全体に張り巡らされた銀の糸の結界に閉じ込められてしまったのだ。細く、美しい糸は束となってまるで大樹の枝のように至る所に伸びて、戦車の通路をも浸食していた。小さな虫が蜘蛛の巣に潜り込んでしまったとき、きっとこんな恐怖を覚えるのだとコースケは思った。

 

「撃て!!!」

 

 勿論、だからといって何もしないわけにもいかない。隊長の指示の元、即座にコースケ達は銀糸へと砲撃を行う。実体弾ではなく、魔力を凝縮した砲撃。外の世界の時とはまるで違う、膨大な量の魔力を蓄えた砲撃はまっすぐに銀糸へとぶつかり、大きく揺らした。

 だが――――

 

「やっぱダメか……!」

 

 しかしどれだけ打ち込んでも、銀の糸は壊れなかった。恐ろしい頑丈さだった。細い一本程度であれば、強引な力をかければ千切れはするが、それも時間が経てば再生するか、他の糸に吸収されてしまう。

 しかもその性質だけでも恐ろしく厄介であるというのに、

 

『――――AA』

「来たぞ!!」

 

 糸に染みこんでいた水滴が零れるように、銀糸から銀竜が不定期で出現し、こちらを狙い撃ってくるのだ。先に襲いかかってきた二体の巨大な銀竜だけではなく、無数の小型の銀竜まで銀糸に溶け込み、その銀糸から【咆吼】を放ってくる。

 

「っぐ?!」

「被弾しました!後方――――いや!もう姿を隠した!」

「モグラ叩きか!?」

 

 移動が制限され、敵は自由に全方位から攻撃を仕掛けてくる。そして攻撃が終わればすぐさま銀の糸に隠れてしまう。あまりの厄介さにコースケは思わず叫んだ。

 すると、通信を聞いていたイスラリアの住民達が疑問の声をこぼした。

 

《あ?なんだよ土竜叩きって?》

「穴から出てきたモグラを片っ端から殴り倒すゲーム!!!」

《え、何それ……怖……》

《何かの祭りの儀式っすか?》

「説明面倒くせえ!!今度全員ゲーセンつれていくから後にしろ!!!」

 

 異文化交流をやっているような状況ではない。このままではなぶり殺しだ。

 ロックンロール2号機などという奇妙な名前がつけられた戦車は頑丈であり、耐えているが雨あられのように降り注ぐ敵の砲撃がいつまで耐えられるか怪しかった。敵の砲撃、そして銀の糸から逃れるように戦車は走り続ける。

 だが、戦車の想像以上の頑丈さ故にか、彼等も見誤っていたことがあった。

 

 即ち、戦車そのものよりも、自分たちが走っている通路の方が脆いという事実だ。

 

「前!!」

「しまっ!!!」

 

 繰り返される砲撃の雨の中で、戦車に着弾せずに逸れた一撃が通路を打ち抜いた。既に幾度となく砲撃を受け止めていた通路はその一撃で崩壊し、戦車の目の前の大穴を空ける。だが、既に全速力で移動していた戦車が、その穴を回避する手段など持ち合わせているわけもなかった。

 

 ぽーんとあっけなく、戦車は空中へと飛びだした。

 

 無論言うまでも無く、その後に待っているのは遙か地面への自由落下である。待ち受けているであろう落下と衝撃に対してコースケ達は全員身構え、身を固くした。

 

《飛ばします!》

 

 がしかし、その次の瞬間、“フウ”と呼ばれていた少女からの通信の声が響く。同時に、コースケ達は奇妙な浮遊感に全身が包まれ、驚き目を見開いた。

 

「「「は!?」」」

 

 目を開き、モニターを見ると、戦車は前進していた。

 ついさっき、奈落へと一直線に走っていたはずなのに前進を続けていた。何かが上手くいって、器用にも大穴を回避出来ただろうか、とも思ったが、同時に展開するいくつものモニターを確認するとそうではないと気づく。

 戦車の走ってる場所は地面でも、増設された防壁通路でも無い。

 

 空だった。

 

「…………ええ?」

 

 飛んだ。浮遊、飛翔した。

 どのような表現であれ、事実は一つだ。戦車は空中を走り、落下を回避した。そしてそのまま「すぽーん」と飛び出して、空中を走り続けている。キラキラと、何か翠色の光りが散っていることから、イスラリアの連中が使っている魔術の類いが戦車にもかかったのだろうが、その結果、戦車がそのまま空を飛ぶのは流石にコースケ達の常識を超過していた。

 

「マジで飛んだよ……」

「まあ聞いてたけどさ。マジで飛ばなきゃいかん事態になるんだな……」

「生きて帰れたら息子に教えてやろう……戦車飛ぶって……」

 

 コースケ含め自警部隊の面々は呆然とした表情になりながら、しみじみと自分たちの陥った状況を噛みしめた。ファンタジーアニメイションの主人公にでもなった気分だったが、飛んでいる物が物々しすぎた。

 

「しっかりしろお前達!!再度砲撃準備!!!」

 

 隊長の言葉で再起動を果たす。

 幸いにしてと言うべきか、空中を飛んでいる戦車の挙動は、愉快なことにというべきか、あるいはやや理不尽な事にというべきか、地上を走っている時と何ら変わりはしなかった。アクセルをふかせばそれに対応し前へと走る。上下移動も操縦者の意思で可能だというのだから、果たしてどういう理屈で飛んでるのかますます不明だ。

 

「マジでなんでもありだな!!」

「それは敵も同じだ!油断するんじゃ無いぞ!」

 

 戦車は空を駆ける。銀の糸をくぐり抜けつつ、砲撃を繰り返す。出現する小型の銀竜達を砕きながらも、彼等が目指す場所は決まっていた。

 

「あのお嬢ちゃんを助け出すぞ!!!」

 

 ウーガの中央部、無数の銀の糸で創り出された巨大結界の中心に存在する巨大な球体。竜呑ウーガの女王であり、最も激しく銀竜と戦っていた最大の戦力があの中に捕らえられていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑦

 

「エシェル様……!」

 

 司令室のなかでカルカラが悲鳴をあげる。

 

 銀竜達が変貌し、糸のようになってウーガ中を覆い尽くしてから、真っ先に銀竜達はエシェルへと殺到した。上空を飛翔する彼女を、植物の蔓のようにのびた銀の糸が伸びてかかり、彼女の体を巨大な繭のようなもので覆い尽くしたのだ。

 敵対しているのはシズクだ。エシェルこそが最大の脅威であり、危険な存在であると確信しているのだろう。銀竜の異変にこちらが戸惑う隙を突くようにして完全に狙われた。

 

 そして、空間を満たす銀糸からの全方位の攻撃に、戦士達は圧倒されている。単に一体一体竜を撃ったところでコレはどうにもならない。自然と司令室の魔術師達の視線はこの状況を打開できるであろう存在へと向かった

 

「やっぱ、できるなら実物が見たいわね……ウル、後で呼び寄せようかしら」

「リーネ様!」

 

 この異常事態のなかであって尚、再び研究を続けていたリーネへと。

 部下達の呼びかけに対して、リーネは顔を上げてため息をついた。

 

「分かってる。流石にもう、片手間での対処は限界ね」

 

 「時間が無いわね全く」と、そう言って再び杖を握る。そして通信魔具で映し出されるウーガの状況を前に眉をひそめた。

 

「……シズクは本当に嫌なところ突くわね」

「魔力を伝達する糸による結界展開であるのはわかりますが……」

 

 弟子のルキデウスの言葉に、リーネは「間違ってはいないけどね」と肩をすくめた。

 

「ウーガそのものを乗っ取って、魔力の接続権を奪ってきている」

「つまり?」

「白王陣封じね。このままだと【噴火】も使えない」

 

 現在リーネがウーガ内部で活用している白王陣の多くは、ウーガそのものの魔力を活用することで超長期の維持と爆発的な火力を両立している。が、その魔力の回路を銀の糸が奪っている。

 これは純粋に魔力をウーガから奪い自分のものとしているというだけではない。ウーガの白王陣を封じるための一手だ。

 

「……なるほど、的確だ」

「そうね。シズクはそういう女よ」

 

 つい先日まで、彼女は自分たちの味方であり、最大の参謀でもあったのだ。ウーガという場所の有する強みも何もかも理解している。そして自分の障害となったリーネ達の急所を彼女が狙わないわけが無い。

 

 シズクとも敵対する。そう決めた時点でこうなる可能性は覚悟していた。

 

 現在ディズを相手取っているであろうに、その上でウーガの全戦力を押さえつける。本当に尋常ではない。【月神シズルナリカ】、あるいは【大悪竜フォルスティア】という特殊すぎる要素を抜きに、彼女は怪物だ。

 

「っきゃあ!?」

「銀糸が!!」

 

 そして、感心している暇も無く、銀糸は司令室の内部へと侵入する。

 そうだろうなと納得する。ここを失ってもウーガは機能停止することは無いが、それでもここが指示を出すための中心であるとシズクはしっている。狙わない訳がない。

 

 だが、だとしても、

 

「シズク、貴方はウーガの実質的な主だったのかも知れないけど」

 

 リーネは小さくため息をつく。そして自身に施した白王陣を起動させた。白王降臨の力によって全身が覆われた彼女は、白の魔女の杖を展開する。 

 

「勝手に出てったんだから、我が物顔で好き勝手してんじゃないわよ」

 

 そしてそのまま、無数の解けた杖が、銀糸に結びつく。彼女は確かに怪物だ。神としての力を抜きに、魔術師としても怪物だ。だが、事分野が魔術であるというならば、負けるわけにはいかない。

 

「【()記開始】」

 

 そのまま彼女は力を展開した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「これは……?」

 

 膨大な銀糸の全方位からの攻撃と相対していたジースターは、状況の異変に即座に気がついた。美しい白銀の糸、恐ろしい魔力を放ち、こちらを全方位から付け狙ってきたその糸が変化していく。

 

 真っ白な、強い光が銀の糸をゆっくりと飲み込み始めたのだ。

 

『AAA――――!?』

 

 そしてその白い光に浸食された部分にいた銀竜は悲鳴をあげるようにして、その場から追い出される。その白い光の浸食は司令室へと伸びた銀糸から始まって、広がっていった。

 

()()()()()()()()()()()()()……!?」

 

 司令室の主であるリーネの所業を読み解いて、ジースターは驚愕する。敵の肉体、その延長上にこちらの魔法陣を描くなど、誰がどう考えても真っ当な発想ではない。というか、そもそもそれを実行出来る技術が意味不明だ。

 

「だが、これは好機だ!!ジャイン!!」

《ああ!!お前ら!銀糸から這い出てきた竜どもを叩き潰せ!!!いくら糸が縦横無尽でも、竜どもは無制限じゃないんだからな!!》

 

 ジャインの鼓舞により、混乱状態にあった戦士達の動きが再び統率を取り戻した。後は、この銀糸を創り出しているであろう本体、眷属竜とおぼしき巨大な銀竜を討つ事が出来れば――

 

「なん……!?」

 

 だが、そう思っていた矢先、再びウーガ全体が振動に包まれた。

 ジースターはその振動の感覚を知っている。先ほど喰らったものと同じだ。巨大な硬質の物体が無数に幾つも擦れ合うかのような猛烈な摩擦音と、とてつもない重量の物体が地団駄でもふんでいるかのような連続した轟音。

 

『GUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』

「またきやがったクソ粘魔……!」

 

 最悪のタイミングだった。

 現在、魔力の一部を奪い取られているウーガの状態をジースターも把握している。銀糸による浸食をリーネは浸食し返すという無茶を行っているが、まだ全てではない。銀竜達も抵抗を始めたのか、状態は拮抗している。この状態で、先ほどと同じようなウーガの魔力を使った大攻勢は使えないだろう。

 

「まさか、このタイミングを狙って……!?いや――――」

『GAAAAAAAAAAAA!?』

 

 そしてジースターは目視によって確認した。

 巨大な粘魔王、その腕に、銀の糸が纏わり付いて、縛り付けているのを。

 

『AAAAAAAAA――――――!』

 

 そこから出現した巨大な銀竜、ジースターが探していた眷属竜がとびかかった。大きく広がり、まるで布のようにうごめく粘魔王に纏わり付くと、先ほどウルとウーガによって破壊された部分を補完するように覆い尽くした。

 

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!』

「な……!?」

 

 粘魔王と、眷属竜が更に合体した。

 

 暴走した、大部分が破損した巨大機械人形の残骸を纏った粘魔王に、更に大悪竜の眷属竜が乗り移ったのだ。あまりにデタラメな光景に、そういった理不尽に慣れている筈のジースターすらも絶句した。他の戦士達も、その雄叫びのすさまじさに圧され言葉を失う。

 

《せ、せめて!どれか一つにしろ超大馬鹿野郎!!!!!》

 

 唯一、コースケのあまりにごもっともが過ぎる悲痛な叫びだけが聞こえてきたが、言うまでもなく敵がそれに応じてくれる筈も無い。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 粘魔王が拳を振り上げる。

 その拳に粘魔が纏わり付いて肥大化させ、それを白銀の竜が覆い硬質化させる。白銀色の攻城兵器のような有様に変貌した拳が、まっすぐにこちらに振り下ろされようとした。

 

 ジースターは経験則から直感する。

 

 アレは無理だ。絶対に止められない。今の自分たちの戦力では無理だ。だが、止めなければ間違いなく、ウーガごと破壊されてしまう。それほどの力がある。

 

「止めます!!!」

 

 だから、その拳に向かって飛んでいく風の少女、フウの判断は間違いなく最善手であり、最悪の悪手だった。凄まじい力がフウの周囲を渦巻いて、壁のように成って拳を迎え撃とうとしている。

 恐らく同じ四源の神官達であっても再現不可能なほどの力だった。その力ならば迎え撃てる可能性は確かにあった――――彼女の命を犠牲とするならば。

 

「フウ!よせ!!」

「フウちゃん!!ダメよ!!!」

「…………!!!」

 

 神官部隊からの悲痛な声を聞きながら、ジースターもフウの元へと飛んだ。自身の鎧を展開し、ほんのわずかでもフウの体を護る為にその力を使う。だが、既に時間は無く、機神の拳はまっすぐに振り下ろされ――――

 

「ぬ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 次の瞬間、まるで迎え撃つかのように、輝く巨大な拳が機神の拳を迎撃する。ジースターは一瞬それを天賢王の【天賢】と誤認した。だが違う。王のそれとは比べるべくもなくもろく、不安定な力だった。

 だがしかし、そこに込められた力と意思は、決して王にも劣らぬほどに明確で、ハッキリとしていた。その力を振るったのは――――

 

「グルフィン!」

 

 【膨張の精霊・ププア】の神官、グルフィンだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑧ パンチ

 

 

 ――せんせい、さよーならー

 

 先生、と、子供達からそう呼ばれるようになるのも慣れてきた。

 文字の読み書きも数の足し引きも、子供達は教えるほどに吸収して、どんどんと良くなっていく。無論、育ちがわるいからなのか口の利き方は悪いし、態度も酷い、口答えして出ていくものまでいる。そんな彼等に振り回されるのはウンザリだと何度も思った。

 大変だし、訓練の後、疲弊した身体を引きずってやるものだから最悪だ。今すぐにでも眠りたいと言うのに、何故鼻がたれたような小僧たちにものを教えなければならないのか。

 

 ――せんせー!今日何教えてくれんのー?

 ――おい!グルフィン!今日遊ぼうぜ!!カルカラには内緒でさ!!

 ――グルフィンさま、授業がおわったら、いっしょにお散歩にいきませんか?

 

 などと、色んな言い訳を並べ立てても、彼等が自分の教えを一つ一つ吸収して、賢くなり、その度に自分を慕っていく事に、喜びを感じてしまう自分がいた。

 実家で、血の繋がった家族から疎ましがられ、毛嫌いされて、目を合わせることも出来なくなって、食べることに逃げ続けて引きこもり、挙げ句の果てに捨てられた。

 

 好きなだけ食べて飲んでが許される元の家での生活は楽園だったと、彼は言った。

 

 でも、それは嘘だった。目を逸らしていた。

 

 食べるのは好きだ。それは本当だ。だけど、周囲から、塵屑のように見られていることから、必死に目を逸らし口になにかを放り込むときは、味がしなかった。それでもガムシャラに食べて、自分は今、最高に満たされて、幸せなのだと思い込まなければ耐えられなかったのだ。

 

 薄っぺらな楽園から蹴り落とされて捨てられて

 拾われた先で彼は引きずり回されながら

 ヒトの同士の繋がりの中に引き戻された。

 

 それは普通の場所では無かったし、自分を捨てた家族達が本当に望んだ者からはほど遠い結果だったが、それでも、彼はヒトとして再生したのだ。

 その事実を彼は理解している。

 彼はそこまで察しが悪い男ではない。自分の嘘も誤魔化しも、本当は全て分かっている。

 それ故に、それ故に、

 

「私が、私が出る……!!」

 

 ウーガの窮地に、彼は立った。

 

 白銀に侵入され、混沌となった司令室にグルフィンが立っていた。司令室を一気に駆け上ってきたのか汗だくだが、それでも息切れしないのは訓練の成果だった。

 

「死にますよ」

 

 司令室の椅子に座ったカルカラが即答した。必死の形相で司令塔に登ってきたグルフィンに向ける彼女の目は冷徹だった。

 

「貴方の覚悟は尊重しますが、今は一流の戦士すらも危うい状況なのです」

 

 今司令室にいる魔術師達も、全員が一流の魔術師なのだ。【白の蟒蛇】に所属する魔術師達すらも、今の状況は目の前の対処で手一杯になっているものばかりだ。

 【陽喰らい】の時すらをも超える危機的状況だ。下手を打てなくても死ぬ戦場。

 

「わかっておるわあ!!」

 

 無論、グルフィンはそれを分かっている。

 ウル達は、グルフィンに対しても現在のこの世界の状況を包み隠さず教えてくれていた。イスラリアという世界が滅亡の危機にあるのも、それを手引きしているのがシズクであるという事実も、それに勇者が対抗し二人が殺し合いを始めたことも、ウルがそこに殴りかかると決めたことも全て知っている。

 

「だが、だが……私は、私はなあ!!」

 

 今、ウーガに残っている者達で、その事を知らない者は居ない。グルフィンだって知っている。そして、それでも彼が此処に残ると決めたのは、

 

「………まだ子供達に、腹一杯食べさせていない!!」

 

 彼にも信念が芽生えたからに他ならない。

 

「私が知る数々の美食を、奴らはこれっぽちも口にしては居ない!!生まれてから死ぬまで、一生知らずに死ぬなんて、あんまりだ!!」

 

 ウーガに来てからの彼の願い、かつての飽食の日々を取り戻すという彼の望みは、少しだけ変質していた。自分が食べた沢山の美食を、他の皆にも食べさせるという望みだ。

 全員に、自分の食事への執着が正しかったと思い知らせる!

 と、彼は豪語してならなかったが、彼はその目標のために努力していた。膨張の加護の活用法を日夜研究し、ウーガの食料生産能力を高めるために尽力していた。

 

「だから、私は、出来るのだ!!!」

 

 全くの根拠のない言葉だった。しかし、この場においてもっとも強く言葉を発することが出来たのは彼だけだった。カルカラは司令席から立ちあがると、彼の前に立った。

 

「リーネ様。彼に白王陣を用意出来ますか?」

「【もうやってるわ】」

 

 見ると、司令室を満たす無数の糸の一本が、いつの間にかグルフィンの手の甲に魔法陣を描いていた。力強く、美しく輝くその光はグルフィンに勇気を与えてくれた。

 カルカラは、そのグルフィンの肩を叩いた。

 

「今日まで、貴方はどれだけ泣き言を喚きながらでも、逃げることだけはしませんでした」

 

 勿論、それはカルカラが怖かった、というのもある。

 だが、それでも彼は泣いても喚いても訓練を止めることだけはしなかった。自己への研鑽を止めることだけは決してしなかった。走って走ってまた走って、精霊の力を操る訓練を毎日毎日繰り返した。

 彼はそれを続けた。決して欠かすことはしなかった。

 

「貴方なら、出来ます」

 

 カルカラはこの日、始めて彼を心の底から肯定し、彼の努力を認めた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【膨張の精霊・ププア】

 その力は消して強くはない。望んだ対象のサイズを自由に大きくするが、その実体は中身が伴わない。スカスカだ。食べ物を膨らませても、栄養素もへったくれもない。空気を食むのとなにもかわりはしなかった。

 だが、力というものは何事も使いようだ。

 物質を広げる。大きくする。伸縮性のない物質を広く広げることも出来るし、あるいは物質の密度を下げることで加工しやすくする事も出来る。膨張の力が操れるようになるほどに、出来ることは増えていった。

 

 だが一点、戦闘能力という点では中々に難しかった。

 

 兵器の類いを巨大化させても密度が伴わないので強度も落ちる。

 生物相手にそれをするのは難しい。生命体を対象とした膨張で成功したのはグルフィン当人のみだった。自分以外の誰かを対象にしても力は全く働かない。もとより戦いを好まないグルフィンの性格も相まって、上手くはいかなかった。

 

 だが、巨大化させた自分の身体は自由に動かせるという性質に、リーネは目を付けた。

 

 ならば、その膨張した肉体それ自体を強化するか、武器を持たせれば、即席の巨人兵器が完成するのではないか?という彼女の発案は、結果として成功した

 成功しすぎて、ウーガの一部建造物が倒壊した。

 カルカラに死ぬほど怒られて、グルフィンは二度とすまいと心に誓った。

 

 その誓いは今日、破られた。

 

「ぬうううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 グルフィンは膨張した。ウーガにも匹敵するほどに巨大に、大きく、自分自身の身体を拡大した。そして、その巨大化した肉体の右手の甲に描かれた白王陣をグルフィンは翳す。

 

「【白王降臨!!!!】」

 

 次の瞬間、ウーガに匹敵するほどに巨大化したグルフィンの肉体は、光った。真っ白な輝きに包まれた彼の肉体には膨大な力が宿る。密度は低い。巨大化した彼の肉体は、言ってしまえば魔力で出来た風船のようなものに過ぎない。だが、一方で白王陣による強化は本物だった。

 結果として、巨大化したグルフィンは、風のように軽やかな移動速度で、神の如く強靭なる力を震えるとんでもないバケモノに豹変していた。

 

 グルフィンは走る。向かう先には、先程までいいようにウーガをいたぶり、そして今、ジースターとフウをその竜牙槍で焼き払おうとしている人形兵器だ。

 銀の竜が取り憑いた、デタラメなる人形兵器の前へと、グルフィンはウーガを毎日かけ続けた足で接近し、そして思い切り拳を振り上げ、そして真っ直ぐに振り抜いた。

 

「【グルフィンパアアアアアアアアアアアアアンチ!!!!】」

 

 あまりにもシンプル極まる必殺技が、人形兵器の拳を迎撃した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑨

 

 地に墜ちたウーガを叩き潰す。

 

 朦朧とした意識の中で、ただそれだけを、その八つ当たりな破壊衝動だけで突き動かされていたハルズは、白い巨人を目の当たりにした。

 

 白い巨人、としか言い様がない。

 

 しかし、その言葉から受ける印象と比べ、実際のその姿はなんとも不細工だった。肥え太って見える大男、それほど若くもない。鍛えはしているのだろうが贅肉はまだそぎ落とし切れてはいない。

 だがなにより、表情には明確な怯えが見える。

 怖い、恐ろしい、死にたくない。そんなわかりやすい恐怖の感情が顔にハッキリと表れている。戦士であれば自然と御せる感情を、心の内側に封じるおびえを、彼は顔に出してしまった。

 アレは戦士ではない。誰からみてもそれはハッキリとしていた。

 

 だが一方で、粘魔王ハルズが見ていたものは、それとは違った。

 

『O……!OO…………!!!ZウラDィア……!!!!』

 

 ゼウラディア。太陽神ゼウラディア。

 偉大なる【天賢王】が操る最強の力、【天賢】の生み出す神の虚像。

 無論、邪教徒であり、世界の真実に近いハルズはその正体を知っている。神は虚像で実体はない人工物だ。だからこそ、なおのこと神を名乗り常々に自分たちの活動を叩き潰す光の巨人が許せなかった。憎らしくてたまらなかった。

 

 早く!早く世界を救わねばならないのに!

 そうしなければ!俺の子供はもう死んでしまうのに!!!

 

 そして今、彼の目の前には光の巨人がいる。

 偉大なる王達のそれと比べては似ても似つかない。あまりにも不細工な光の巨人。別物としか言い様がないその様を、しかしハルズにはもう見分けなんてつきはしなかった。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 機神は吼える。纏わり付き、自分を操る銀竜ごと巻き込んで、デタラメな突進を開始した。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「【ぬうううううううううう!!!!】」

「神官部隊!!魔術師部隊!!支援開始しろ!!」

 

 機神のデタラメな突進を受け止める巨大化したグルフィン

 そのあまりにも凄まじい光景を前に、ジャインは状況の変化を悟り、即座に指示を出した。残存する術者達に加え、グルフィンと共に鍛錬を積み、精霊の加護を自在に操るに至った神官部隊をグルフィンの方角へと差し向けた。

 

「あの巨人は中身の魔力量が膨張して拡散してる!裏を返せばそれだけ容量がある!!攻撃支援の付与(エンチャント)を重ねまくれ!!」

 

 期間限定のあの魔力風船の中に、強化の魔術を詰め込むだけ詰め込む。当然、内部から力が膨れ上がるほどに、膨張した魔力体の崩壊は早まっていくが、それをリーネが白王陣で強化した。まだもう少しだけ持つだろう。

 

「残った部隊は銀糸の竜達の排除だ!!グルフィンに攻撃させるな!」

 

 ジャインの指示に合わせて兵士達は駆け回る。ジャイン自信もまた、襲い来る銀竜達を地面にたたき落とし続けながらも、戦いを続け、その最中に巨人を見る。

 

 分かっている。いくら白王陣の強化があっても、そう長くは持たないと。

 

 ジャインの戦士としての経験が、実に冷酷にその事実を告げる。グルフィンがどれだけ訓練を重ね、神官としての能力を磨いたとて、それは戦士として戦うためではない。

 精霊の力を使って生活を豊かにするために活用する事と、戦士として戦うことと全く別だ。【陽喰らい】で彼が奮闘したことは知ってるが、それでも限度というものがある。恐らく、わずかでも劣勢になればすぐにボロが出る。そうなってしまったら一気に崩れてしまうだろう。

 

 そんなことは分かっている。だが、だからこその全力の強化だ。

 

 わずかな時間しか力を発揮でないというのなら、その短い時間に全てを注ぐ。指揮官として、彼にオールインする事の是非は難しいところである理解はしているが、それでもジャインはそれを選んだ。

 

 彼とて、グルフィンの努力は知っている。

 

 空間が限られたウーガの中で、毎日泣き言をわめき散らしながらもずっと駆け回っていた彼のことは知っている。

 世界がひっくり返るような修羅場。何を選んだとて、上手くいく保証なんて無い。ならば、この地獄のただ中で、毎日を積み重ね続けてきた男の切れっ端のような勇気に賭けたって変わらない。

 納得のために、自分たちはここにいるのだ。ならば最も納得出来る男に賭ける。

 

「ぶちかましちまえ!!グルフィン!!」

 

 ジャインは叫び、呼応するように白い巨人は拳を機神にたたき込む。

 

「【おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!】」

『【GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!】』

 

 巨人と機神の拳が交差し、地響きとなってウーガを揺らし続けた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「好機か!」

 

 その光景を確認したジースターはそれを好機と確信した。

 あの白い巨人の圧倒的な力に、機神の意識も、銀竜達の意識もそちらへと向けられている。放たれる暴力的な力の奔流に、敵意が集まっている。その結果、銀糸の全方位攻撃が無効化されている。

 動くのは今、このタイミングをおいて他にない。

 

「女王を救出する!」

《乗れ!!仁!!!》

 

 ジースターに応じるように飛翔した戦車が近づく。ジースターは即座にそれに乗ると、戦車は更に速度を上げて空間を駆け回った。

 

《中心に向かう!!》

《気をつけろ!白く光ってるところから出るんじゃない!!》

 

 時に糸の上に乗り上げ、その上を走り回りながら一気に中央へと近づく。ウーガの女王が眷属竜と戦い、繭のような牢獄となって固められたその中央へと、ジースターは剣を身構えた。

 

「【魔機螺・天剣】――――」

 

 それをかっさばいて、中から女王を救出しようとした、その次の瞬間、

 

「――――【白王降臨】」

 

 内部から、声が響いた。

 

「ッ!?」

 

 次の瞬間、銀糸の繭の内側から黒い刃が突き破った。最初ジースターはそれが剣か何かだと誤認したが、それは違った。それは【翼】だった。漆黒の翼が刃のように伸びて、それが内側から繭を引き裂いて切り開いていく。

 

「【ぐ、う、ぅぅぅうううううううう……!!!】」

 

 そして、まるで成虫へと成った片翼の蝶のごとく、内側から白王の力を漲らせた竜呑の女王が、激しい雄叫びを上げながら姿を現した。

 その姿にジースターは戦慄する。

 格好に変化は無い。戦うための魔装束、黒いドレスを身に纏い冠をかぶった彼女の姿。だが、その内側からあふれ出る力は、最早竜と遜色ない。人類がその身に宿せる力を大幅に超過している。しかもそれはしぼむどころか、更に強く、激しさを増していく。

 それだけの力を有しながらも、獣人特有の耳を立たせ、うなり声を上げながら警戒と共に睨む先にいるのは――――

 

『AAA――――――!!!』

 

 白銀の眷属竜。銀糸の繭を破られた眷属竜もまた、その声を荒げていた。鈴のような音色を震わせながら、激しく明滅している。表情は分からないが、明らかな警戒と敵意を目の前の竜呑女王にたたき付けていた。

 そして、

 

「【ミラルフィーネ!!!】」

『【AAAAAAAA!!】』

 

 再び激突する。鏡と月鏡、力を奪い、返す二つの力は激突し、至る方向へとデタラメに力を跳ね返しながら、瞬く間に上昇していった。助けに向かうと、意気込んでいたジースター達を置き去りにして。

 

《助ける必要、あるのか……?》

「同意したい所だよまったく……!」

 

 だが、そうするわけにもいかない。ジースター達はその二つの光を決死の覚悟で追うこととなった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑩ 最強

 

 大罪都市プラウディア決戦 三日前

 

「大事な話をするわ」

 

 エシェルはリーネに呼び出され、真剣な表情でそのような言葉を告げられた。

 

「大事な話」

 

 エシェル姿勢を正した。同時に少し覚悟をした。

 ウルがこの世界の状況全てに対してケンカを売ることを決断した。勿論それはとてつもない選択で、危うい綱渡りである事は理解している。ましてやリーネはこのイスラリアに家族がいるのだ。

 自分のようなろくでもない血のつながりではない家族。彼女が手紙でずっと大罪都市ラストの家族とやりとりしていたのをエシェルは知っている。だから、状況がさし迫り、家族を護るためにそうしたいとリーネが言ったとしても、それは仕方がないことだとエシェルは覚悟していた。

 真剣な表情でエシェルが向き合うと、リーネは頷いて、口を開く。

 

「私の白王陣は最強よ」

「大事な話って言ったよなリーネ」

 

 エシェルはリーネに頬を引っ張られた。

 

「白王陣の話が大事じゃ無いの?」

「すみまへんれした」

 

 理不尽過ぎてエシェルは泣いた。

 

「心配しなくても、とても大事な話よ。貴方にとってもね」

 

 暫くそうしたあと、彼女はパッと手を離した。実際、彼女の表情は真剣そのものだった。それも、どこか悲壮感が差し込むほどに重い表情だ。

 

「グリードの戦いを経て、白王陣の研究は更に進んだ。心底屈辱だったけど、あの戦いは糧となったわ」

 

 本当に死に物狂いだった大罪竜グリードとの戦い。あの全員が死を覚悟した戦いの後、魔界に直行というとてつもないドタバタだったためにエシェルなどは未だにあの戦いを消化しきれてはいなかったが、リーネは短い時間できっちりとそれを飲み込んでいた。

 戦いの後、本当にドタバタとたたみかけるように状況は動いたにも拘わらず、その隙をつくように白王陣の研究に没頭を続けたリーネの執念は凄まじかった。ウルから【短期睡眠】の技術も即座に習得し、空いた時間はほぼ全て研究に没頭していたほどだ。

 

 彼女はあの戦いを自身の敗北と捉えていた。

 決して許されぬ驕りと敗北だったと。

 

 エシェルからすれば、彼女の力によってことごとく助かったとしか思えないのだが、リーネにとっては違うらしい。そしてその怒りと屈辱を燃料に、彼女はその力を更に昇華させた。それはエシェルも認めるところではある。

 

「私の白王陣は最強になった、そして、“貴方もウーガで最強なのよ。エシェル”」

 

 リーネは続けた。エシェルは眉をひそめる。

 

「……でも、実戦訓練とかしたら今でも」

「それは貴方が手加減しているからでしょう?」

 

 エシェルは沈黙した。

 前線で戦う戦闘職の面々で実戦訓練はウーガでも繰り返し行われている。そこにエシェルも参加しているが、彼女の戦績は高くは無い。それはリーネの言うとおり、手加減をしているからだ。

 

 相手を、()()()()()()()()()()()()()()()しているからだ。

 

 相手から”奪い取る”力。簒奪の力を安易に使えば、相手の命をそのまま奪い取る事が出来る。出来てしまうのが今のエシェルだ。ウーガ内の戦力では最強、と評したリーネの言葉は決して嘘ではない。

 そして、それが意味するところは

 

「つまり、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かにそれは恐ろしい話だった。真剣な話だった。

 エシェルは自然と生唾を飲んだ。

 邪悪なる精霊の力が暴走する危険性は、既に幾度も経験済みだ。誰にも止められない程の強い力で、味方に襲いかかってしまう危険性を自分は有しているのだ。まして、それが【白王陣】使用時に起きてしまったならば?

 

「……使わない方が良い?」

「使わずに済むならそれでいいけど……そうもいかないかも、でしょ?」

 

 今日までだって、滅茶苦茶な戦いばかりしてきたが、これから先はこれまで以上の滅茶苦茶が待ち受けていること確実だ。だとして、戦力の出し惜しみをする余裕が出てくるかは全く分からない。大罪竜グリードの戦いですらも、ああだったのだから。

 

「……暴走したら殺してでも、止めるとか」

 

 先程、リーネが自分を指して、殺すつもりが無いからと言っていたが、それはエシェルに対するウル達にも言えることではある。もしも――――特にウルが――――エシェルの後々の事を考えずに本気で殺そうと思うなら、成功する気がする。

 彼に自分を殺させる、というのは哀しいし、心苦しいが、自分がウルを殺してしまうよりは気が楽なのも事実だった。が、リーネは首を横に振る。

 

「ウルは一切その気は無いし、万が一それやったら、カルカラが私達を殺すわね」

 

 確かに、カルカラがその結末を許すはずも無かった。待ってるのは結局破滅だ。

 

「んん……じゃあ、どうすればいい?」

「話は単純よ。難しいけどね」

 

 矛盾した言葉を言いながらリーネはこちらを指さした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かにそれは、単純で、難しい話だった。それができるなら苦労はない、という話で在り、しかし一方で、真理でもあった。

 

「完全に、私次第って事?」

「そうよ。対策を用意する時間は無いもの。今ダヴィネが創ってる【冠】も魔本の代わりじゃない。貴方の力を御しやすくするための補助装置でしかない」

 

 グリード戦で【魔本】は失われたが、もしあったとしてもそれはもう身につけることは出来ないだろう。今のエシェルの力を封じきれるか怪しいし、もし封じることが出来た場合、シズクは恐らくその魔本を狙う。それが実行可能だと【陽喰らい】の時に証明出来てしまったが故に、弱点となってしまう。使えないのだ。

 だから本当に、外付けの保証は今のエシェルにはない。エシェル次第でしかない。

 

「貴方が出来ると思えたなら、陣を刻むわ。無理と思うなら止めておく」

 

 こうして、リーネにそう告げられてから三日後、決戦の日。

 

 エシェルは自らに白王陣を刻むことを望んだ。

 

 考え、悩みもした。暴走の不安は結局最後まで消えず、自分がそうならないという確信が得られることは結局無かった。だが一方で、リーネの力が絶対に必要になる事態が訪れるという確信があった。不可避の災厄が訪れるという確信があった。

 

 敵に回ったシズクが、自分たちに情け容赦をしてくれないという確信があったからだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

『AAAAAAA――――!!』

 

 白銀竜達が使う銀糸の結界を創り出してから、眷属竜の動きは飛躍的に向上した。

 自身の生み出した銀糸に潜り込み、かと思えば瞬く間に糸を伝って背後へと移動する。リーネの手によって銀糸を浸食し、敵の行動範囲を狭めれば、あっという間に新たなる銀糸を創りだす。

 攻撃のタイミングで見せる隙も、最早無い。銀糸の内側に潜り込み、その状態で自在に動きながら攻撃を仕掛けてくる。追うように攻撃しても全く狙いが定まらない。

 

 縦横無尽としか言い様がなかった。

 

 自分たちの陣地である筈のウーガで戦っているはずなのに、最早敵地と大差ない。

 だが、この眷属竜を放置するわけにはいかなかった。負けるわけにもいかない。もしもコイツを自由にさせてしまったら、その瞬間、この眷属竜は瞬く間に自分たちを蹂躙する!!

 今、此処で、自分が討つしかない!

 

「【鏡花爛眼!!!】」

『AAAAAAA――――!!』

 

 周囲の銀糸をデタラメに焼き払い、【塗り替えの黒翼】によって切り裂く。そして砕いた側から簒奪する。敵の逃げ道を片っ端から奪い去り破壊していく。

 だが、それすらも敵は予期していたのだろう。銀糸の形が揺らぎ変わる。まさに生き物のように蠢きながら、銀竜に纏わり付く。

 

『A――――――!』

 

 無数の糸が眷属竜の身体に纏わり付いていく。最早、元々のサイズも定かではない、それがウーガの中央に座し、こちらを睨み付けている。

 

「【ぐ、ぐうううううう……!!】」

 

 一方で、エシェルの状態は全く良くない。

 傷は無い。ダメージは貯蔵していた回復薬を片っ端から消費して癒している。問題は傷では無く、内側から零れる衝動だ。

 

 ――ちょうだい?

 

 内側から零れるミラルフィーネの衝動が、白王陣を起動してからずっと続いている。声が勝手に零れそうになって、エシェルは自分の口を塞いだ。

 

『AA――――――』

 

 無論、その隙を竜が見過ごす筈も無い。銀糸が更にうごめく、形を変える。いくつもの刃が重なり結晶のようになる姿、グリードの眷属竜が使っていた無音の飛翔剣が形をなして形成される。それがエシェルを睨み、即座に放たれた。

 

《撃てぇ!!!》

「【魔機螺!!!】」

 

 だが、エシェルの肉体をえぐる直前、飛んできた戦車の砲撃と刃が銀糸を打ち抜き、その軌道をわずかに逸らした。駆けつけた戦車に乗るジースターは、自分の力を抑えるように身体を丸め込むエシェルへと叫ぶ。

 

「落ち着け女王!!しっかりしろ!!!」

「【わ……かって、いる……!】」

 

 否、分かってはいないだろう。大丈夫ではないのだろう。そう見えるから向こうは必死に声をかけている。今にも自分が決壊してしまいそうに見えるのだろう。

 御さねばならない。分かっている。だが、力と衝動が今にも溢れようとしていた。

 

 押さえ込む。抵抗する。そうしなければ皆死んでしまう――!

 

 ――否定しない方が良いかもしれない

 

 だがその時、不意に頭をよぎったのは、彼の言葉だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑪ かくして少女はすべてを望む

 

 

 それは、ウルが黒炎砂漠から帰還して何度目かの宴会の時だった。

 

 その日は丁度エシェルは仕事が重なって、参加できたときには潰れているものも何人か出たが、ウルだけは特に顔色を変えることも無く淡々とグラスを空けていたので、エシェルとしては嬉しかった。

 丁度その日は、彼に聞いて欲しい話があったのだ。

 

「邪霊のコントロールが、少し行き詰まっているねえ……それを俺に?」

「うん……その相談に」

 

 相談、と言っても、精霊と殆ど関わることの無い、名無しのウルに対してこんなことを言ったところでどこまで解決に繋がるかはわからなかったし、実際、エシェル自身もこの相談が解決に繋がると本気で思っていた訳ではなかった。

 つまりこれは単なる愚痴を聞いて欲しいというだけの話である。

 

「まあ聞くよ。ペリィ、ツマミって残ってたっけか」

「あるけどよお、ウルよぉ、お前精霊の話とかわかんのかぁ?」

 

 だが、それを横目に聞いていた元、”焦牢”の囚人ペリィはやや呆れたようにそう言って、ウルに酒瓶とついでにツマミを渡した。

 アッサリと、ウルへの相談が見当外れであることを突かれ、エシェルはやや顔を俯かせる。対してペリィからつまみを受け取ったウルはそれを一つ囓りながら、首を傾げる。

 

「分からんが」

「わかんねえのかよ!?なんで聞くんだよぉ」

「話を聞く分には困らん」

 

 ウル好き!!!

 と、叫び出さないようにエシェルは我慢した。ペリィはエシェルの挙動不審に気付いたのかやや呆れた顔をしていたが気にしない。彼女が話を聞いて欲しいのはウルなのだから。

 それに、精霊、邪霊のコントロールが少し行き詰まっているのは本当だった。

 

「で、どんな感じなんだ」

「どんな感じというか――――」

 

 ウルが一時黒炎砂漠に幽閉されてからと言うものの、エシェルは多忙な仕事をこなす最中、邪霊ミラルフィーネのコントロールに全力を尽くした。鏡と簒奪。二つの力が危うく混じり合った常識外れの力を、コントロールするために全力を尽くした。

 そして、鍛錬の成果も相まって一定の成果は得た。本来であれば複数の精霊の力を同時に併用しなければ発現が難しい【転移】の力を獲得できたのは間違いなく快挙と言える。

 

 だが、スムーズに事が進んだのはそこまでだった。

 

 それ以降の成長、と言うか、精霊の力の開拓は上手くはいかなかった。と、いうよりもそれ以上精霊の力を使おうとすると、【ミラルフィーネ】の意思が強くなりすぎるのを感じたのだ。

 簒奪の望み、願い、意思、腹の中が真っ黒に染まるような感情が溢れてくる。止まらなくなる。丁度、陽喰らいの時、意識を失いながら夢うつつの中で覚えていた感情にグングンと近付いていく。

 

「でも、大丈夫かなって。力を、セーブしたままで、いざ必要になったとき使えなかったり、もし万が一暴走したときの対処のし方が分からなかったら不味いだろうし……」

 

 と、そこまで話すのに相当なぐだぐだとした会話を続け、ようやく本題へと至った。途中まではペリィも話を聞いてくれていたが、耐えきれずに既に机に突っ伏して眠っている。

 無礼とは思わない。重要でも無いのに同じ内容を何度も繰り返すすごいぐっだぐだした会話だった。真面目に話を聞いていたウルが奇特なだけだ。

 

「邪霊の意思が流れ込んでくる、か」

「うん、出来れば、なんとか抑えたいんだが」

「抑える、な」

 

 ウルはグラスに酒を注いだ。紫色の葡萄酒が注がれる。それを眺めがながらウルは小さく言葉を零した。

 

「否定しない方が良いかもしれない」

 

 はて?とエシェルは彼の言葉に疑問する。

 その対応は、発想に無かったと言うよりも最初から除外されていた。何せエシェルが抱えている精霊は邪霊であり、恐るべき力と、邪なる意思を持った紛れもない危険な生命体である。そもそも存在自体許されないという前提がエシェルの中にもあった。だからこそ、否定抑制の手段を探っていたのだ。

 

「暴走したら相手を殺してでも、奪おうとするんだぞ」

「奪おうとする理由は?」

「理由?」

 

 更にウルは問う。それはまたエシェルにとって不思議な問いだった。

 精霊の意思、願いをくみ取ろうとする発想自体エシェルにはなかった。エシェルだけではなく、イスラリアに住まうほぼ全ての人類もそれを有してはいないだろう。精霊は不可侵の神秘という前提がある。

 精霊憑きの妹がいるウルだからこその発想なのだろうか、と思いながらエシェルは話を更に聞いていく。

 

「これは、プラウディアで孤児院やってるじいさんから聞いた話なんだがな。相手と親しくなるなら、相手の話はちゃんと聞けって」

「話を、聞く」

「そして相手が間違っていても、否定すべきではない」

 

 一つ目のウルの意見は理解できた。ヒトと親しくなる上での基本的なやり方だ。だが、二つ目の意見には少し、疑問が芽生えた。

 

「ひたすら甘やかして、優しく宥めろっていうの?」

 

 相手の言動を全肯定するならば、確かにそれは相手から気に入られる事は出来るだろう。だが、そんな風に媚びを売ってもエシェルの状況は改善しない。ミラルフィーネの暴走、悪感情を抑制したくて今こんなに苦労しているのだから。

 

「いや、少し違う」

 

 エシェルの反論に、ウルは怒ることは無かった。恐らく、そう返されると予想していたのだろう。あるいは、自分もまた、同じような疑問をその”孤児院経営者の老人”にぶつけたことがあったのかも知れない。

 

「道理と違っても、それを相手が必死に訴えているなら、その言葉の奧にはきっと相手にとって大事なことがある筈だ。その結果の行動が間違っていても、一番根源にある「大事」は否定してはいけない」

 

 エシェルは不意に、“衛星都市ウーガ”での騒動を思い出した。

 その時自分は、必死になって現状を変えようとして無茶苦茶をした。天陽騎士としての立場を大きく逸脱したような越権行為を繰り返して、無理矢理ウル達をウーガを巡る騒動の舞台に巻き込んだ。

 あの時の行動は間違っていたと今なら確信が持てる。愚かしい暴走だったと。だがウルはあの時、自分の暴走に巻き込まれ生存のために模索しながらも、エシェルの願いそのものまでは否定しなかった。

 此方の話を何度も聞いて、それ以上悪い方へと行かないようにと出来る範囲で手をのばしてくれた。何度も。

 

「寄り添って、汲み取って理解する。行動を正す時、相手の「大事」を尊重するために」

 

 彼を好ましく思えたのはその為だ。彼がただただ、優しかったからではない。

 

「価値観が根本的に違っていたり、病で心が砕けていたり、必ずしも通用する理屈じゃあないが……これはコミュニケーションの基本中の基本で、奥義だ。応用は利く」

「鏡の精霊にも試してみる価値はある……?」

「抑圧と否定で相手を変えるのは、長続きはしない。あとで歪む」

 

 これまたエシェルには身に覚えのある話で、耳が痛かった。かつてのウーガの騒動で、一つだって自分の望む方向に行かなかったのは、ウルの言った抑圧と否定を振り回そうとした癖に、力が弱かったからだ。当時、それを振り回されたジャインからすればさぞかし鬱陶しく思われていたことだろう。彼が自分を見捨てたのも当然の理だった。

 そして、その事を当てはめて考えれば、今自分がしていることは当時と変わりないと気付くことが出来た。強大なる鏡の精霊を相手に、力で抑圧し、否定しようとしている。これでは、上手くいくはずが無かった。

 

 あと、問題があるとすれば

 

「私に、出来るだろうか」

 

 今日まであらゆる失敗をしでかしてきた自分に、いきなりそんな小器用な真似が出来るのか、少しも自信がなかった。だが、ウルはそんな自分に笑いかけた。

 

「やってみて、それでもダメなら俺達がフォローするさ」

 

 わあい好き!と、エシェルがウルに飛びついて、結果机がひっくり返って眠りこけていたペリィが酒をひっかぶって色々と片付ける羽目になったのだが、それは別の話だ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 気がつけばエシェルの意識は闇の中にあった。

 この場所のことは覚えている。自分の内側だ。自分の魂の奥底に違いなかった。

 

 ミラルフィーネに主導権を奪われかけている。エシェルはその事実に歯がみした。

 

「でも、まだ……!」

 

 だが、顔は伏せなかった。諦めるわけにはいかなかった。それだけはするわけにはいかなかった。それをした瞬間ウーガの、仲間達の最後が確定する。それだけは認めるわけにはいかないのだ。

 

「ミラルフィーネ!!!」

 

 闇の中へとエシェルは叫んだ。

 戦いの最中、力を引き出すための呼びかけでは無かった。自分の内側にいる隣人への呼びかけだった。鏡の精霊そのものへの対話だった。今日まで一度も成功しなかったが、それでも諦めずにエシェルは叫ぶ。

 

「貴方は何を望むの!!どうして奪いたいの!!!」

 

 そう叫んだ瞬間、エシェルの視界が揺れた。

 

「…………ッ!?」

 

 正確には、闇が濁流のように流れ込んだ。

 何が起きたのか分からない。あるいは外で自分が死んでしまったのではないかとも思ったがそうではない。流れ込んでくる闇がエシェルに流れ込み、それを悟った。

 

 ――ちょうだい 

 

 幼い少女の声が聞こえてくる。だが、ただ幼いだけではない。聞こえてくるその声は、誰であろうエシェルと同じ声だった。

 

 ――ちょうだい、ちょうだい、ねえ、おねがい。みんなちょうだい。

 

 これは、ミラルフィーネの声だとエシェルは理解した。

 ミラルフィーネの感情が、洪水のように溢れてくる。エシェルが何も考えられなくなるほどの膨大な感情だった。到底一つの存在が抱えられるものではない。わかりきっていたが、人類とは根本的に違っていることを今更にエシェルは思い知った。

 ましてや、相手は邪霊として歪んだミラルフィーネだ。膨大な悪感情によって、本来の有り様すらも変わってしまった。

 

 怖じ気が心に浮かぶ。それをまるで反映するかのように身体が押し返される。このまま闇に飲み込まれてしまったら、そのまま二度と浮き上がってはこれないだろうと言うことが直感で分かった。

 だが、ソレではダメだ。なんとしてもこらえなければならない!

 藁にもすがるような思いでエシェルは視線を死に物狂いでさまよわせる。そして――

 

『キぃーーー!!』

 

 妖精が闇の濁流に吹っ飛ばされているのを見つけた。

 

「んんん……!?」

 

 大罪竜プラウディアだった。

 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ソレは正確に言えば大罪竜プラウディア“知性体”――――の、断片だった。

 

 大罪竜、月神の断片達に残された知性体、方舟への対策手段が殆ど無かった初期に創り出された苦肉の策。【月神】を、当時生存したまま魔界に到達することができなかった人類に代わって、神の力を操るため力そのものの形を変えて生み出された“人類の代行者”

 

 その大本は二人の王達に喰われ、月神へと還った。

 ミラルフィーネの内に残ったそれはほんの欠片だ。

 だがそれ故に【月神】の“召集”からは逃れ、隠れ潜んだ。

 

 大本が抱えていたもの。畏れ、怯え、恐怖、死への忌避、それ故の必死。それらの感情がプラウディアの欠片を逃げ隠れさせた。そういう意味では、底なしの器とも言えるミラルフィーネの少女はうってつけだと言えた。見事プラウディアは隠れ果せた。【天祈】の封印をも結果として利用する形で、自身の安全を確保した。

 

 問題があったとすれば、自身の力をミラルフィーネに奪い尽くされてしまったことだろうか。

 

「なんでお前の方が恐ろしい存在の筈なのに飲み込まれてるん、だ!!!」

『キィ……!!』

 

 エシェルはそんなプラウディアの欠片を胸元に抱えながら叫んだ。

 

『キィィ!!』

 

 胸元で抱きしめたプラウディアは叫ぶ。実に弱々しい。本来世界を蝕む筈の大罪竜がこの有様だ。勿論そうしてしまったのは自分の内側にいる存在であるという事実は度しがたいが、しかしもう少しなんとかなってくれないものか。

 

 だが、今はそんなこと考えている暇は無い。

 

「状況は分かっているだろう!!このままだと皆死ぬ!私たちも死ぬ!!」

 

 プラウディアとの意思疎通もろくにむすばれていない。

 だけど、その身体から感じ取れる怯えだけは、エシェルにとって身近で、わかりやすい。生きたい。怖い。戦いたくない。原始的なその本能。虚飾で自分を覆い隠して、必死に出さないようにしているその弱音は、彼女にとってとてもわかりやすい。だから言うべき事はすぐに分かった。

 

「死にたくないなら、手伝え!!!」

『――――――ッ』

 

 次の瞬間、エシェルの背から黒い翼が伸びた。その翼でもって、エシェルは目の前の黒い濁流を切り裂き、奥へと飛び込んだ。 

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 鏡の精霊は棄てられた。

 理由は危険だったからだ。やむを得なかった。多くを救うために棄てられた。

 

 勿論、それは仕方の無いこと。

 

 道具はさびる事もある。壊れることもある。単に不要になることもあるのだ。同じ道具をずっと使い続けることなんてできる訳がない。この世の全てはいずれそうなる定めだ。廃棄は間違いでは無かった。

 

 悲劇だったのは、廃棄されて終わらなかったこと。

 信仰で歪み、本来のありようから変わり果ててしまったこと。

 

 機能を体現する道具のままでいられればよかった。だが、そうはならなかった。歪み、形をかえ、畏れとなった。最早形容しがたい代物へと変わったのだ。

 

 精霊でも無い。竜でも無い。人類でも当然ない。

 同類は存在しない。鏡で相手の姿を模したとて、同じではない。

 この世でたった一つの存在となった鏡の精霊は、自分がかつていた星空を見上げる。

 

「――寂しいの?」

 

 自分の姿を模したミラルフィーネに、エシェルは声をかける。

 黒衣のドレス、自分と同じ姿をしたミラルフィーネはこちらを見つめる。まさしく鏡写しのように、自分と同じ姿をしたミラルフィーネはクスクスと笑った。笑って、

 

 ――ちょうだい?

 

 泣きながら、言った。

 

「独りだから?足りない分を埋めたいの?」

 

 鏡の自分はその言葉に、首を横に振った。

 

 ――うめるだけじゃ、たりないわ

 

 彼女は泣きながら、笑う。

 

 ――もっとほしいの、すべてがほしいの!

 

 悪感情に歪められた鏡は、最早元に戻ろうなどとは思ってはいない。望むのは一つ。

 

 ――満ち足りるだけの全てが、欲しい!!!

 

 あらゆる全てを彼女は望んでいた。

 そこにつつましさなんてものはなかった。

 彼女はひたすらに、自分を満たす全てを望んでいた。

 生まれた歪など最早気にもとめていない。紛れもない災禍に等しかった。

 

「…………ああ、そうか」

 

 だが、その言葉を聞いて、エシェルは

 

「本当に、そうか、本当に……!」

 

 認めざるを得なかった。受け入れざるを得なかった。

 鏡の精霊は、ミラルフィーネは、人類とまるで違うこの存在のその根本は――

 

「私たちは、気が合うな!!!」

 

 自分と、あまりにも近しかった。

 

「足りない!!!」

 

 ありきたりな幸せでは足りない。

 全ての災難から逃れて、慎ましく生きていくだけでは足りない。

 大事な友達に責任を押しつけて、見て見ぬふりをして幸せを貪ってもまだ足りない。

 

 欲しいのだ。全てが欲しいのだ!!!

 

 完全無欠のハッピーエンドでなければ、とてもじゃないが満足できない!!

 

 だから自分はここにいる!!!

 

「だから、その為に!!」

 

 ――だから、その為に

 

 鏡から伸びた手を、少女は重ねて手に取った。

 それは最早同情ではなく、同化に等しい。

 ありうべからず生まれた特異なる存在は、同じく特異なる器を持った少女と重なった

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 竜吞ウーガ勢への攻撃を仕掛けた二体の竜の片割れ

 白銀の眷属竜は、ウーガという存在が母にとって大事な存在であることを理解していた。

 

 ――脅威となるならば、対象を破壊してもかまいません。

 

 優しき母はそういった。

 無感情に無表情に淡々と、必要故にそうしろと言っていた。だけどソレが彼女の魂を傷つけている事を眷属竜は知っている。そして彼女は、もしも自分が敗れたら、自らそれを実行するだろうと理解していた。

 彼女は最早止まらない。止まれない。この世界全てを滅ぼしてでも突き進む。そうあろうと自分を定義している。

 

 だから、自分は敗れるわけにはいかないのだと眷属竜は決めていた。

 

 自分が負ければ、死ねば、彼女は自分の手でこの場所を滅ぼし尽くす。

 それがどれほど彼女の心を、魂を痛めつけるのか容易に想像がついた。それをさせるわけにはいかない。母を護らねばならない。その為に自分はここにいる。

 

 なんとしても自分がこの場所を破壊する。

 

『AAA――――!!!』

 

 その決意で眷属竜は銀糸を手繰る。

 無数の刃が形をなす。強欲の竜との戦いで猛威を振るった刃の結晶を無数に創り出し、旋回させる。動きが止まった少女と、その周囲をフォローしようと旋回する戦車と戦士、全てに狙いを定める。

 穿ち、砕き尽くす。高速の刃は一瞬にして飛びかかり――――

 

「【ちょうだい】」

 

 だが、次の瞬間、刃は消え去った。

 

『――――――!?』

 

 眷属竜は動きを止める。

 母が作りだした眷属竜は高い知性を有していた。故にその異様に即座に気がつく。少女から放たれていた力が、異様なまでに跳ね上がったのを。周囲を旋回する鏡の精度が、跳ね上がった。目にもとまらぬほどの速度で飛ぶ刃が、全て奪い尽くされるほど。

 

「【ねえ、ちょうだい】」

 

 アレはなんだ?

 ヒトではない。精霊でも無い。竜ですら無い。

 この世の全てから外れた存在が、揺らめき動いている。

 

「【あなたの すべてを】」

 

 黒衣を舞わせ、竜の翼を羽ばたかせ、冠をうごめかす。

 掌をまっすぐにこちらへと掲げた少女は、こちらへと命じた。

 

「【私に寄越せ!!!】」

 

 同時に、周囲に発生した鏡が無数に分裂した。

 エシェルの周囲に等間隔に発生した鏡は、螺旋を描くが如くに回り、巡り、そして次の瞬間花開くように拡散し、周囲の全てを食らいつくし、竜へと殺到する。

 

『AAAAAAAAAAAA!!!!』

 

 死を直感した眷属竜は、その恐怖を振り払うように叫びながら咆哮を解き放った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑫ 何故

 

 

「ジャイン兄ぃ!」

 

 ラビィンの声に、ジャインは空を見上げる。

 上空で無数の銀糸を食らいつくす黒衣の女王の姿がそこにあった。膨大な数の鏡が周囲を旋回し、銀糸を次々と簒奪して食らいつくすその光景は凄まじい。

 ウーガに巣くっていた邪悪な結界の破壊。それ自体は喜ばしい結果であるはずだが、ジャンの表情は晴れなかった。彼は知っている。必ずしも彼女のこの状態が好ましい結果に繋がらないと。

 

 【鏡の精霊ミラルフィーネ】の暴走。

 

 一歩間違えれば味方全てを食らいつくす災禍となりうる事実を、ジャインはエシェル自身から聞かされている。万が一自分が自分を見失っていた場合は、躊躇いなく自分を討てと彼女自身から託されていた。

 だからジャインは慎重に状況の推移を見守っていた。だが、

 

《【ジャイン!】》

 

 不意に通信が飛んできた。声の主は誰であろう、女王そのものだ。ジャインは即座に通信魔具に応じた。

 

「っ!どうした!」

《【六十秒後、銀竜を墜とす!!!】》

 

 それだけの指示を告げて、女王の通信は途絶えた。ジャインは一瞬判断に迷った。だが、そのジャインの判断を助けるように

 

《ジャイン!あれはエシェル様です!!》

 

 カルカラの通信が飛んできて、確信へと至った。ならば最早迷うことは無い。ジャインは引き連れた部下達に手を上げ、指示を出す。

 

「上空を注視しろ!!銀竜が落下したタイミングを見極めて仕掛ける!!!」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ウーガの外、巨大なる大亀の防壁を乗り越えた先では、機械の巨人と光の巨人の激闘が今なお続いていた。

 

「っがああああああ!!!」

 

 グルフィンは痛みと恐怖の中にいた。

 わかりきっていたことではあった。陽喰らいの時のように周囲に味方がいて、ただデコイとしてデタラメに暴れ回るだけの時と、今とでは全く異なる。あの恐ろしい怪物は何が何でも自分を殺そうとしている。明確な殺意をもってぶつけてきているのだ。

 

『【GRRRRRRRRAAAAAAAA!!!】』

 

 機神の腕が膨張し、その拳に銀竜が纏わり付く。今度は無数の槍のような刃が拳から突き出ており、それがグルフィンの身体を穿ち、貫いた。

 無論、膨張し強化された肉体は本体を傷つけるには至らない。だが、感覚はある。銀の刃が身体の内側に潜り込み、次々と引き裂いていく感覚にグルフィンは吐き気を催した。

 

「っが?!」

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』

 

 それを連続で繰り返される。グルフィンの膨張した肉体には無数の穴が空けられ、えぐり取られる。あまりにも強烈な殺意だった。その攻撃の一つ一つから、なんとしてでもこちらを殺そうという並々ならぬ殺意が込められていた。

 

「ひ、ううううううあああああああ!!!」

 

 たまらず、グルフィンは悲鳴を上げる。

 彼はわかっていた。自分は戦士ではないと

 たまたま、この場において自分の力を飛躍させることができる環境が整っていただけだ。別に突然自分が並々ならぬ戦士として覚醒したわけではないのだ。

 本物の、死に物狂いの殺意をぶつけられると簡単に縮こまってしまう。握った拳は震える。足腰に力が入らない。今すぐに背中を向けて逃げ出したい。本当にそうしたいのだ。もう十分に戦ったじゃ無いかと心の底から叫びたい。

 

「ぐ、うう…………うう…………!!」

 

 だけど、引き下がることはできなかった。

 それだけはできない。自分が下がればその瞬間、どうなってしまうのか彼は理解している。このあまりにも恐ろしい怪物が自由になったならば、ウーガに再び乗り込んで、住民達を情け容赦なく踏み潰してしまうのだと理解出来てしまった。

 自分の教え子達はウーガに残ることを選んだ。ようやく手に入れた自分の場所を失う事を拒んだのだ。自分が引き下がれば、子供達は本当に死んでしまう。それに、

 

「グルフィン様!!!」

 

 この危機的な状況下にあっても尚、自分を護ろうとするフウがいる。

 彼女だけは護らねばならない。戦わねばならない。

 

「お、おお、おおおおおおおおお!!!」

 

 グルフィンは震える拳を強く握りしめて、再び振り上げた。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ハルズもまた、痛みと絶望の中にいた。

 

 何故こんな事をしている。

 何故戦っている。

 何故自分はこんな地獄の中にいる。

 

 ぼたぼたと涙の代わりに、おぞましい粘魔と真っ黒な油がこぼれ落ちる。本当に泣いているわけではない。そんな機能は存在していない。もう自分には残っていない。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 人形として暴走する機神の破壊衝動

 粘魔と変貌してしまった自分の意思

 それら全てを操ろうとする銀竜の干渉

 

 三つ全てが合わさった状況で、あっという間に破綻しかねない有様であって尚、ハルズの肉体は動く。身体には殺意が満ち満ちていた。ただ、目の前のものを破壊するという一点において、三つの破滅的な存在は統制が取れていたのだ。

 

「ぐ、うううおおおおおおおおおお!!!」

 

 機神の暴力が、粘魔の膨張が、銀竜の刃が、光の巨人をたたきのめす。光の巨人はもろく、軽かった。力こそあるが決して【天賢】のごとくではない。悪辣なる魔王の英知と一千年の憎悪、そして月神の力が宿った機神に分があるのはどこまでも自明だった。

 一方的に相手をたたき付ける。憎むべきイスラリアを破壊する。長い間の宿願が今叶うというのに、それでもハルズの心中は苦痛に満ちていた。疑問が溢れていた。

 

 こんなことをしたかったのか?

 こんな苦しい思いをするために戦っていたのか。

 こんな、息も出来なくなるような憎悪のために戦ってきたのか?

 

 違うはずだ。違ったはずだ。そうではなかったはずなのだ。

 

 だけどもう思い出せない。あまりにも記憶は古くなってしまった。

 もう何年も、何十年も、何百年も時間が経ってしまった。彼はその間ずっともがいて、もがいてもがきつづけた。時間は彼の心を摩耗しつづけた。最早かつていた世界の記憶も思い出せなくなって、空も大地も匂いも、家族の記憶も曖昧だ。

 

 それがあまりにも苦しくて嘆きたくとも、零れるのは涙ではない。

 

 だけど、それもこれも全てこいつらのせいだ。

 すべてこの方舟のせいで、そしてそこに住まう住民達の呪いのせいなのだ。それだけは覚えている。それしかもう覚えていない。大事なものを全て取りこぼし続けてきた彼は唯一残された憎悪だけを握りしめた。両手の拳を合わせ、あらん限りの力を込めて、光の巨人も、うろちょろとする小さな少女も、その背後の大亀も、なにもかも粉みじんにするために力を振るった。

 

 だが、その瞬間ハルズは見た。

 光の巨人が、小さな小さな少女を護るように抱えかばおうとする姿。

 

『――――――』

 

 同時に彼を覆い尽くしていた記憶の霞が一瞬だけ消えた。

 

 ――おとうさん

 

 もうずっと長いこと思い出せなかった事。

 残された家族、もうとっくの昔に失われて、二度と会えなくなった我が子の笑み。思い出したかつての自分。終わりゆく世界を子供に残すことを拒んだ自分の姿。その為藻掻き苦しんで、どれだけ時間をかけても結果を残せず、先に死なれてしまった絶望の記憶。

 

 だけど彼が強く想ったのは、我が子への愛であり、そしてそれが目の前の光景と重なった。自然と強く握りしめていた拳は解け――――

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 次の瞬間、光の巨人が放った拳が粘魔王を打ち抜いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑬ 我らが

 銀の眷属竜は母に託された力が鏡の女王、ミラルフィーネに対抗するためのものであることを理解していた。それほどまでに警戒しなければならない相手であるという事実を理解していた。

 鏡、簒奪の精霊の脅威は母の記憶から引き継ぎ、理解している。銀竜に慢心は一切無かった。母の心身を護るために生まれた竜は、その為だけに全力を尽くすことを決めていたからだ。

 倒しきる。殺しきる。その覚悟でいた。だが、

 

「【九王鏡】」

 

 今のこの女王を前にどこまでできるか、怪しかった。

 

 女王の周囲に九つの鏡が旋回する。先ほどまで矢継ぎ早に創り出してはこちらの攻撃に遭わせて魔力を使い捨てていたような、もろいものではなかった。それが彼女の周囲を旋回し、瞬く間に周囲の銀糸全てを奪い取っていく。ソレまでのものとは比較にならない速度の簒奪だった。眷族竜の周囲の銀糸は瞬く間に奪われ、アドバンテージを喪失していく。

 

『――――!!!』

 

 好きにさせてはならない。

 そう確信し、眷属竜は即座に動く。残された銀糸にいる銀竜達に呼びかけ、鏡に攻撃をたたき込ませる。あるいは牽制し、その動きを抑制しようと試みた。

 

 そう、試みた。だが、それは本当に試みただけにとどまってしまった。

 

『A――――!?』

『A A    』

 

 鏡は止まらない。

 仕掛けてきた銀竜達の攻撃を一切回避せずに丸呑みし、更にそのまま銀竜本体すらも穿ち奪う。しかも恐るべき事にそれでとどまることが無い。十数体の銀竜達を丸呑みして尚、鏡は美しい輝きを保ちながら旋回を続ける。

 

 器としての容量が異様だ。

 

 何事も容量というものがある。簒奪したとて、納める器が無ければすぐに零れて台無しになる。使い物になんて成らなくなるはずなのだ。だが、底が見えない。彼女の纏う黒い闇のように、闇夜の空のように、無限に墜ちていく。

 

 大喰らいにも程がある!

 

『AAA――――!』

 

 眷属竜は飛ぶ。自身の翼を翻し、鏡にたたき付けると双方は簒奪を起こすことなくはじけ飛んだ。力が相殺された。こちらが一方的に“簒奪”の力で上回る事はなかったが、破壊は可能だろう。

 銀竜達は銀糸の再生成に集中させて、眷属竜は更に飛ぶ。

 

『AAAAAAAA!!!』

 

 叫び、飛ぶ。精製された銀糸に潜り、自身と同じ簒奪の力を込めた刃を形成し、放つ。鏡はやはり吸収せずに跳ね返る。

 破壊には至らぬ。だが、それでかまわない。狙うべきは本体だ。

 

『【A】【A】【A】』

 

 鏡の女王周囲にある銀糸全てが輝く。一斉に【咆吼】を解き放ち、焼き払う。光り輝き視界の一切が塗りつぶされるが、視覚に依存しない眷属竜には何の問題にもならなかった。光の中でも、女王の位置を見失いはしなかった、

 

 ――正面からではどのような攻撃であろうとも奪われる。ならば死角から脳を穿つ。

 

 咆吼の轟音と閃光に紛れ、銀竜は飛翔する。途中途中、銀糸の中に潜りその身と音を隠し撹乱させながら全く近づき、翼を刃のごとく研ぎ澄ませた。

 女王は最初の位置から動かない。全方位からの咆吼に戸惑っているのか、あるいは待ち構えているのか判断出来なかったが構わなかった。そのまま真っ直ぐ射程圏内へと飛び出した。

 

 ――母のためにも、ここで殺す。

 

 その一心で、光のごとき速さで銀竜は飛んだ――――が、

 

『A,AAAA!?』

 

 途端、自身の身体に突如として銀の糸が絡みついた。何故か、と眷属竜は戸惑い、そして自身が身を潜ませていた銀糸の先に、女王が展開したあの鏡が存在していることに気がついた。

 

 ――違う。これは銀竜達が創り出した糸ではない。

 

 女王が簒奪し、改めて張り直した銀糸だ。

 単純なトラップに絡めとられた。その事実を銀竜が理解した時には、既に彼女は間近に迫っていた。糸に絡め取られた銀竜の首をつかみ取ると、まさしく冠を戴いた女王の如く強く重い声で命じた。

 

「墜ちろ」

『A――――!?』

 

 純粋な暴力によって眷属竜は叩き落とされる。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ジャインはエシェルの命令に従い即座に準備を整えていた。

 彼女が戦う銀糸の結界、その中央部に兵士を集中し準備を重ねた。銀級のジャイン達であっても最早エシェルと銀竜達の戦いは追うことは困難だ。しかし完全に追うことが難しくとも、戦闘がどう推移し、そして上手くいった場合どこに落ちてくるか、予想を立てることは出来た。

 

「来たぞ!!」

 

 ジャインが合図を出すと同時に空から眷属竜が堕ちてきた。場所はまさしくドンピシャだ。配備した部下達も近づきすぎず、竜からの【咆吼】には届かぬほどの距離感だ。

 

「今だ!!たたき込め!!!」

 

 彼等に合図を送り、一斉に攻撃を開始した。

 

「ガザ隊!レイ隊!全員攻撃に回れ!」

「押さえ込め!!直接は触れるな!奪われるぞ!!」

「【竜殺し】を使いなさい!!消費をためらわないで!!!」

「こちらの攻撃への吸収に集中させろ!身動きさせるな!!!」

 

 まさに一糸乱れぬ連携となった。【黒炎払い】達を加えて、更にずっと続けてきた訓練の成果が現れていた。その訓練を誰よりも熱心に促し指導していたのがシズクであったという事実を考えると皮肉でもあったが、今は彼女の心中を察している場合ではない。

 

 一切躊躇無く、ジャインは攻撃をたたき込む。そして同時に更なる支援が来た。

 

「オラァ!!用意してやったぞ!!!」

 

 ジャインの背後から雄々しい声が響いた。振り返ると【ダヴィネの工房】で働く職人達がダヴィネに率いられやってきた。彼等は全員、【竜牙槍】を掲げている。ダヴィネの持つそれは、彼等のソレよりも更に大きい。

 

「そのままぶちかませ!!!」

「おおよ!!」

 

 一斉に放たれた咆吼は、無数の獣が一斉に食らいつくように、眷属竜を穿ち貫く。

 

『AAAAAAAAAA!!?』

 

 これまでとは明らかに違う悲鳴のような声が響く。ジャインは手応えを感じた。このタイミングだと確信し、更に指示を強く出す。砲撃は更に強くなった。このまま一気に圧殺する――――

 

『――――AA』

 

 ジャインの判断に穴があったとするならば、見落としがあったとするならば、それは彼がこの戦場に集中していたが故に起こったことだろうか。

 騒音に紛れてウーガの外で起こった地響きは、グルフィンが機神をその拳で穿ち、そして倒した音だった。機神と、それにとりついた粘魔はその一打によって倒れ伏した。

 

『【A】』

 

 が、しかし、その機神にとりついていたもう一体の眷属竜は、機神という巨大人形にその身を依存してはいなかった。自身が操っていた機神が崩壊したとみるや否や、もう一体の眷属竜は即座に離脱し、そしてウーガの上空へと迫っていた。

 そして自身の片割れを救うべく、残された銀糸の全てを刃へと変え、片割れを囲い込む全ての戦士達を切り裂き穿つために力を放たんとした。

 

「【魔機螺よ!!!】」

 

 直後、ジースターはそのもう一体の眷属竜へと飛びだし、刃をたたき付けた。

 

「おおおおおおおお……!!!!」

 

 ジースターは死力を振り絞った。竜の力によって跳ね返ってくる力を、更にその上から展開した鎧によって押さえ込むという無茶苦茶を押し通していた。

 吸収、反射、そして自らの攻撃

 やはりその全ては同時には出来ない。だから、敵が“反射”を行っている最中の攻撃は通るのだ。無論、その間に自分はダメージを喰らい続けるという問題点を無視すればだが。

 

「っぐうぅ……!!」

 

 物理的な刃の衝撃すら、同等の力となって返ってくる。いかに今装備している防具が天才ダヴィネの創り出した完璧なる装甲であったとしても、返ってくる衝撃がそれと同じくその天才が創り出した剣によるものであるなら意味が無い。

 鎧が砕け、砕けて、血肉に食い込んでいく。そのダメージに歯を食いしばりながら、ジースターは眷属竜をウーガの防壁にたたき付けた。

 

「隊長!!!」

《撃てェ!!!》

『AAAAAAAAAAAAA!!』

 

 次の瞬間、近くに控えていた戦車の砲撃が銀竜を直撃する。直前に眷属竜を押さえ込んでいた鎧の装甲ごと打ち抜いた。竜の悲鳴に、攻撃が通ったのだと理解しながらジースターは更に動いた。

 

「【魔機螺展開・疑似再現……!】」

 

 残された鎧の全てを攻撃に転じる。傷を押さえ込んでいた装甲も全てを使い、血が噴き出し始めたが気にしない。今は、この好機に、全てを費やさねば倒しきることは出来ない。

 

「【魔機螺・天賢!!!】」

 

 機械の鎧が、無数に重なり積み重なって一つとなる。

 創り出されたのは巨大なる拳だった。かつてジースターが仮初めの主として仕えた友の技を再現する。強く激しく握りしめられた拳は本来のソレと比べてあまりにも不細工で、激しい異音をまき散らした偽物であったが、それでも形にはなっていた。

 

「【天罰覿面!!!】」

『AA――――!!?』

 

 ジースターはそれを全力でたたき込んだ。眷属竜の反射でその大半は自らの力で奪われた、が残るいくらかは眷属竜に突き刺さる。眷属竜の悲鳴が聞こえた。ソレと同時にその身体が光り輝き、全方位にたたき込まれる咆吼が放たれる。

 

「っぐ!?」

《うおおおおお!?》

 

 ここまでやってまだ動く!?

 

 驚愕している間に、眷族竜は拘束から抜け出して、その場から即座に離れる。

 向かう先はウーガの広場で叩きのめされているもう一体の眷属竜の場所だ。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「まだ……!」

 

 カルカラは眷属竜達が未だに動く姿に歯を食いしばる。

 絶望するわけではない。竜がどれだけ恐ろしくしぶといのかはカルカラだって知っている。だからこそ油断なく、ここまで全力で攻撃をし続けてきた。

 だが、それでも、ここまでやってもまだ墜ちない!

 

「【本当に、シズクは凄まじいわね】」

 

 そんなカルカラの心中を察するように、銀糸への干渉をつづけていたリーネが同意する。

 

「【知ってる。分かってる。本当にあの子は凄い。だけどね】」

 

 白王の力によって自らを研ぎ澄ませ、言葉そのものを魔言のように震わせながら、彼女は握る杖に力を込める。その瞬間、ずっとリーネが干渉し続けていた銀の糸が更なる光を放ち始める。

 

「【独りで勝てるわけが無いのよ】」

 

 ウーガの至る所に展開し、蜘蛛の糸のように伸びた銀の糸が一斉に光り輝く。それらはリーネの意思に応じるようにうごめいて、形を変える。ウーガを遙か上空から見つめる者がいれば、それが何を引き起こしているのか分かるだろう。

 

 眷属竜が生み出した銀の結界、それが形を変え、巨大なる魔法陣に姿を変えていく事に。

 

「【開門・白王降臨】」

 

 そしてリーネはその力を解き放った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

『『AAA――――』』

 

 対の眷属竜は互いに混じり合う。死に瀕した互いの肉体を互いが補い合う。擬似的な相克の儀式により、互いの傷を回復し更なる強化を行う切り札。

 敵対者からすれば理不尽極まるだろう。

 しかし眷属竜側に余裕は無かった。

 

 強化術――――!?

 

 ウーガ全体が白い光に包まれていく。それが自分たちの結界、銀糸を干渉した術者による大規模魔術であることをすぐに理解した。だが、止められない。攻撃の魔術なら対処はできるが、これは自分への攻撃ではない。こちらの特性を理解し、直接的な攻撃を避けたのだ。

 強化の魔術。ではその強化魔術は誰を対象としたか。

 

 何を?

 否、何を強化したかなんて、わかりきっている。

 鏡の適性を持つ自分に対抗し、自分に対して有効な攻撃手段を有する者。

 

 ウーガの最高戦力。竜呑みの姫君。

 

「ありがとう、リーネ」

 

 ウーガ全てを使った巨大な魔法陣の力、その全てを受け取った女王は混じり合った眷属竜を睨む。彼女が従えていた無数の鏡が、その額を打ち破った。最早、鏡という《枠》すらも必要ではなくなったのだ。

 彼女のドレスと同じ、黒い闇があふれ、零れ、空間を満たす。

 竜が引き起こす空間の迷宮化現象。それを、ただのなんでもない精霊と混じった少女が引き起こしたのだ。

 

「お前達がシズクを大事に思ってるのはわかった。だけれども」

 

 【鏡】変じて【簒奪】を経て、【夜】へと至った女王は静かに告げた。

 

「私たちだって同じだ」

 

 ――成ってしまった

 

 眷属竜は確信した。

 とうとう完全に、自分達の手では全く負うことのできない存在へと至ってしまった。さりとて、そうであったとしても、と、竜は飛ぶ。 最早周囲の戦士達は全て無視した。残る全ての力を注ぎ込んで、眷属竜は飛翔する。流星の如き速度で空を駆け、あらゆる全てを飲み込む化身と化した女王へと特攻をかける。

 

「【宵闇よ、月を隠せ】」

 

 音は無かった。

 真っ黒な闇が視界全てを包み込む。次の瞬間何も見えなくなった。

 肉体も、意識も力も全てが解けていく。ただただ闇に飲み込まれて戦うことすらできなかった。

 

 ――ああ、母よ

 

 それでも最後に想ったのは母のことだった。

 母の無事を、その安寧を祈りながら、眷属竜は闇夜へと沈んだ。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おお……!」

 

 戦士達から戦くような声が響く。

 ジャインも気持ちは分かった。女王の黒衣のドレスが翻り、真っ黒な影が広がった。ジャイン達の視界すらもその影が覆い尽くし、一瞬何も見えなくなった。そして次に視界が広がった時には白銀の竜は姿を消した。

 ウーガ全体を覆い尽くしていた銀糸も光に包まれて空に溶けて消えていった。

 

 我らが女王がやり遂げたのだ。それだけは分かった。

 

「ジャイン」

 

 その彼女が、空から降りてくる。ジャインは自然と居住まいを正した。

 女王の姿は普段の慌ただしい年相応の少女のものからはかけ離れていた。近づく者全てを平伏させるだけの重厚なる王気に満ちていた。

 

「被害状況を確認しろ。確認完了次第、再び住民と戦士達の避難作業を再開する」

 

 端的なエシェルの命令に対して、ジャインは自然と、速やかに跪き一礼した。ラビィン含めた他の白の蟒蛇の戦士達も同じように、彼女へと平伏した。

 

「承知いたしました。我らが女王よ」

 

 【終焉災害/宵闇の女王】はここに至った。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 こうしてウーガでの激闘がひとまずの区切りを迎えた。

 機神は墜ち、銀竜は失せ、銀糸の拘束が解かれたウーガは再起動を果たし、間もなくして禍々しきバベルへと迫る。方舟イスラリアの中心地、プラウディアの戦いはバベルの塔へと収束しつつあった。

 

 そのバベルの塔、地下深くまで突き進んだ灰の王は――

 

「…………迷った」

 

 迷子になっていた

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

頼み

 

「無茶苦茶だな……」

 

 ウルは目の前の光景への感想を述べた。

 螺旋図書館の地下空間の異様さは既に体感済みだったが、地下深くに進むごとにその異質さは跳ね上がっていった。まだ上の方は螺旋図書館の形は最低限保っていたが、深く潜る程に形が歪になっていく。

 通路や階段をまっすぐ下っている筈なのに、気がつけば以前いた場所に戻っている。あるいはそう勘違いしていただけで、似たような空間に戻ってしまっただけの可能性もあるのだが、全く判断がつかない。

 

 まるで空間が歪んでいるような感覚、大罪迷宮の深層に近い肌触り。

 いや、実際の所そうなのだろう。まさにここはシズクの迷宮の深層――――あるいは

 

方舟(イスラリア)の深層か……」

 

 ウルは自分の言葉に怖気を覚えた。だが今この時点でびびっても仕方が無い。

 遠く、地下深くの方から激しく何かがぶつかり合う音が響き続けている。間違いなくディズとシズクが戦い続けているのだ。ならばやはり怖じけてもいられない。

 

「先にザイン達と合流出来ればすりあわせしやすいんだがな……」

 

 とはいえ、合流以前にまず目的地にたどり着けるかどうかすら怪しいところではあるのだが、と、そう思いながらもウルはどんどんと階段を下っていく。すると道が広がり大きな広間に出た。 

 大きな広間はそのままゆっくりと坂道のようになり、地下へ地下へと続いていく。まだ先があるのかとウルが考えていると、その広間の中央に――――

 

『おうウル、まっとったぞ、カカ!』

「何やっとんじゃいお前」

 

 ――――骨が二輪車の前でサムズアップしていた。

 

『乗ってくカの?』

「乗る」

 

 ウルは乗った

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 全てが人骨によって作られた二輪車は、ウーガでロックと共に乗り回していたときと比べて更に無駄が削ぎ落とされて、走行に適した形状に変貌していた。乗り心地は悪くなく、走る速度も快適だ。わざわざ背もたれまで用意されている。

 ウルはそれに乗り込み、背中を預ける。ロックもまた、気にすること無くウルを乗せて、地下深くの螺旋図書館を突き進む。本来であれば絶対にこんな乗り物で爆走してはいけないであろう場所を走るのは、状況を考えなければなんというか痛快ではあった。

 

「んで?」

『なにカの』

「アイツは元気かよ」

 

 ウルは尋ねた。

 

『やばいのう』

 

 ロックは応じる。

 

「やっぱやばい?」

『まあのう。今がいっちばん危うなっとる』

「手の平で転がすようにバベルの塔支配したみたいだが」

『悪巧みでヒトを貶める時は元気なんじゃがのう!カカカ!!』

「最悪な女だ」

 

 二人は笑った。実際、酷い女だった。

 

『――――じゃが、気を抜くと途端に命が希薄になる。今の主は()()調()じゃな』

「絶不調でイスラリア滅ぼしてりゃ世話ねえが、まあ、なるほどな」

 

 彼女がどこか危なっかしさを秘めていたのは皆が知っていた。

 だが真に彼女の心の危うさを理解していたのはウルと、次いではロックだろう。

 

「昔話を聞く限り、それも納得だがな」

『ほう、主の昔話きけたんかの?どうじゃった』

「悲惨」

『じゃろうなあ』

「主な首謀者の大半は、もう死んじまってたから文句も言えない」

『少しくらい残して欲しかったのう』

「全くだ」

 

 車体が少し揺れ、段差を乗り越えて駆け抜ける。みるみるうちに景観は更なる地下深くへと進んでいく

 

「助かったよ。あの女を一人にせずに済んだ」

『恨まれてると思ったがの?』

「イスラリアの兵士はお前のこと罵ってるがな。骨暴れすぎ」

『カカカカカ!!!ええのう!悪評だろうと広がるのは気分が良いわ!!』

「あの女の悪評を分散させるためか?」

『カーッカカカカ!!買いかぶりすぎじゃのう!』

 

 景観が更に変わっていく。最早図書館だった場所は殆ど残っていなかった。おぞましい血肉の迷宮をロックとウルは突き進んでいく。

 周囲にはいくつもの破壊痕が見えた。恐らくは、ディズとシズクが戦っていった痕跡だろう。アカネも大暴れしていたのか、地上へと伸びた緋色の大樹があちこちで伸びていた。

 

『しっかし、まあまあ、楽しいロスタイムじゃったのう』

「ろすた……なんて?」

『おお、この言葉は残らなんだカ?サッカーの、弾蹴りゲームのルールじゃよ』

「……記憶戻ってたのかよ」

『最近思い出した!』

「感想は?」

『あんま面白くないのう?イスラリアと世界の戦争で死んだ老兵じゃった』

「思った以上の大昔だこと」

『生まれが戦争末期じゃったからのう。まあ殺し殺されの記憶しか無いわ』

「で、今はあらゆる遊びに手を出しまくる放蕩ジジイか」

『反動カの?若い頃ちゃんと遊んでなかったからのう」

「若い頃(生前)」

 

 走行中の震動の激しさが増す。骨の車体のどこかが破損するような音も響いた。グラグラと揺れ、車体が倒れる。ウルは着地するが、骨の車体は崩壊を始めていた。『おっと』となんでもないようにロックは自身の形を人体に戻すが、身体の一部の崩壊は続いている。

 

「――――死ぬのか?」

 

 ウルは尋ねた。

 

『もう死んどるのう』

 

 ロックは応じて、肩を竦めた。

 

「そういうのはいい」

『カカカ!全く、最強の剣の使い手はおっそろしいのう!!』

「ユーリか……もう彼処まで来ると剣士か疑問だがな。別の何かだろ」

『そもそも死霊の身は寿命も限界もあったからのう……まあ、自業自得じゃの』

 

 言うまでも無く、彼と彼女はイスラリアという世界を破壊する天敵だ。言い訳の余地はない。討たれるのはしかるべきといえるだろう。二人を仕留めようとする方舟(イスラリア)側の方針にウルは一切の文句は無かった。

 だからただ、目の前で友が崩れていくことを惜しんだ。

 

『お主との旅路は、楽しかったぞ、ウルよ』

「まあ、俺も楽しかった……いやまあ、正直簡単に楽しかったといいたくもないが」

『ひねくれとるのう』

「しょーがねえだろ」

 

 ウルは崩れていく友の姿に一瞬、強く痛みを堪えるような顔をした後、笑った。

 

「じゃあな」

『うむ――――ところで、最後に一つ頼まれてくれんカの』

「頼み?」

『アレじゃ』

 

 ロックは顎をしゃくる。ウルが向かう下り道の先。ウルは釣られてそちらを見た。

 

 

 

「ようやく来ましたか――――まあ、何がどうあろうとも斬り殺しますが」

 

 

 

 両断された大量の七首竜を踏みつけにして、無数の飛翔する剣を携え、ヒトならざる領域に到達した剣神が 君臨していた。

 

『うむ、ワシひとりではちょーっと厳しいのでな。ちょいと乱闘頼むわ!』

「――――オイオイオイちょいちょいちょい待て骨コラ」

『いやー、主のとこにあのままつれてったら確実に主殺されてまうからのう』

 

 ウルは、全身から汗が噴き出すのを感じた。しんみりとした感傷なんてものは一瞬で消し飛んだ。恐らく現在のプラウディアの中でもっとも危険なデッドゾーンに首を突っ込んだと言う事実に冷や汗が止まらなかった。

 

『せめてもう少し気勢を削いどきたくてな!!すまん!!手伝ってくれ!!!』

「ちょっとまてなに再生してんだ!!そんまま死ぬ流れだったろてめえ!!!」

『もう死んでるの?』

「死ね!!!」

 

「漫才は終わりですか?」

 

 ウルとロックは身がまえる。殺気が満ち満ちる。ヒトが発するほどの濃度の代物では既に無かった。空間が揺れ、迷宮がまるで怯えるように鳴動し、震える、

 ただ一体の生命体が放つ圧のみで、全てが押しつぶされようとしている。

 

「では、死になさい」

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 【|達成不可能任務・灰王勅命 惑星破壊】

 

 【終焉災害/剣 討伐開始】 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章/無双天剣
一方その頃


 

「……凄まじい、な。分かっていたけれど」

 

 竜呑ウーガの内部に建設された特別研究施設――――とは名ばかりの、司令室に強引に増設された研究区画の中に収まり、仕事を続けていたシンタニは驚愕していた。目の前で発生した……というよりも、竜達が創り出し浸食した銀糸が目の前を掠めるくらい危うい目に遭うことで再認識した。

 方舟の戦いは最早異世界に等しい。外世界の“禁忌生物”など、所詮はガワも骨肉も持たない脆い生き物に過ぎないのだと実感した。

 勿論、その生物がもたらした汚染は、世界を犯す毒と変わる。侮ることなど全く出来ない厄介極まる存在でもあるのだが――

 

「感心してる場合じゃ無いわよ。余計な時間がかかったわ全く」

 

 そんなことを思っている、自分と同じ研究を進めるイスラリアの魔術師、リーネがやってきた。なにやら一瞬白く輝いていたように見えた彼女は再び光を納め、元の状態に戻っている。表情には疲弊が浮かび、助手の男にローブを手渡されながら汗を拭っていた。

 

「休まなくても良いのかい」

「そんな暇はないのよ。わかってるでしょう」

「……そうだね」

 

 それでも彼女はそのまますぐに研究に戻る。気力に満ち満ちていた。若い、というのとは少し違う。きっと自分と違って、まだ何もあきらめてはいないのだ。

 

「そっちは出来そうなの」

「おおよそは」

 

 酷く曖昧な回答になってしまったことにシンタニは苦い顔をする。だが、そうなるのも仕方が無いのだ。

 

「“こんなの”はハッキリ言って、無茶に無茶を重ねた所業だ。分かるだろう?」

「そうね。情報だけを頼りに遠隔操作で術式を組み立てるようなもの」

 

 目の前に広がる無数の資料。外の世界、あの忌まわしきドーム最深層に蓄積した無数の研究資料、それに加えて方舟の内部世界で培われ続けてきた魔術研究。隔絶した二つの世界で重ねられた研究がこの場で組み上がり、凄まじい速度で合致していく。

 研究は培うものだ。ズルも近道も行わず、どれだけ間違いがあろうとも重ねてきた努力が花として開きつつある。研究者としては冥利に尽きるだろう。

 だがそれでも足りない。何もかも足りない。時間も人手もなにもかも足りない。眠る魔も惜しいくらいに研究は重ねているが、それでも本当はもっと時間が欲しくてたまらない。

 

 リーネだってそれは分かるはずだ。これほど優れた研究者であるのなら。

 

「貴方の言いたいことは分かるわよ。でもね」

 

 リーネはいくつかの魔法薬を口にして、それを放り棄て、そのまま再び目の前の資料と、一つの術式の完成に没頭する。

 

「だけど、やるのよ。諦めたら、そこで終わりよ」

「…………僕には、そこまでは……」

「じゃあなんでここに来たの」

 

 眼鏡越しに、少女の鋭い瞳がシンタニを射貫いた。恐ろしい目だった。あの最深層の怪物達、冷たく凍えてしまった者達の瞳とは対極の、全てを焼き払うかの如く苛烈な目だった。

 

「私は貴方のことを許さないわ。貴方は地獄を知って、止めもせず目をそらしただけなのだから。許してはいけないと思っている」

「……」

「でも、貴方はここに来ることを選んだのよ」

 

 突きつけられたその言葉は、ズタズタになったシンタニの心に情け容赦なく突き立った。血が噴き出すような熱と痛みを感じた。

 

「ウルは強要はしなかったわ。貴方がここに来たのは貴方の意思よ」

「……」

「シズクを、このままにしてはおけないと、そう思ったから来たのでしょう」

 

 そうなのだろうか。

 シンタニには本当に分からなかった。あの地獄を目の当たりにして、自分の中にある何かが壊れてしまったと自覚していた。感性が鈍くなって、上手く反応が出来なくなっていた。

 だけど、それでも自分からここに来たのはそう思ったからなのか。

 

「だったら、進んでみなさいよ。貴方を救えるのは貴方だけよ」

 

 それだけ言ってリーネは再び目の前の作業に没頭した。もうこちらにはわずかたりとも意識は向けていない。凄まじい集中力だった。声をかけても、反応すらしないだろう。

 

「…………進む」

 

 シンタニは小さく呟くと、彼もまた目の前のPCでの作業に没頭した。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「襲撃が一端退いた……か?」

 

 プラウディア外周部でも、戦いがわずかに小康状態に陥っていた。

 銀竜の襲撃がやや収まっていた。勇者ディズが展開した金色の天使が銀竜達を押さえ込み、出現する魔物達の量も一端減ってきていた。

 とはいえ、銀竜達そのものが撤退したわけでもない。あくまでも小康状態でしかないだろうということはイカザにも分かっていた。

 

「全員、無事、か……?」

 

 イカザが汗を拭いながら周囲を確認する。残念ながら皆の前で英雄として余裕ぶった表情でいることは難しかった。ウーガからの支援とも攻撃ともつかない襲撃を受けて、部隊はかなり混乱した。その状況を整えるのにかなり駆け回る羽目になったからだ。

 

 あるいは、イカザがこうやって動くのも目論んでのものだとしたら性格が悪いな!

 

 内心で愚痴っていると、今は部下として動いてくれている騎士の一人が応じた。

 

「けが人はありません。怪我が重い者は……」

 

 そう言って、彼はバベルの方角を向く。正確にはその側に鎮座している巨大な山のようにも見える移動要塞、ウーガを見つめていた。

 

「ウーガに転送、か。全くとんでもない無茶をしたものだ」

()()の狙いは何なのですか」

「現状だろう」

 

 イカザは周囲を見渡した。他の騎士達もイカザ同様に疲弊している。魔力を奪われ、それでも戦い続けて疲労困憊している。しかし一方で銀竜達もまたそうなって、特に小型の者などは墜落して霧散しているようなものまでいる。魔物達も似たり寄ったりだ。

 戦場全体が、上から凄まじい力で押さえ込まれているような状況だった。

 

「疲弊したが被害は小規模、さりとて返す刃で邪神を攻めることも出来ない」

「小康状態を作るためだけにここまでのことを?……無茶苦茶だ」

 

 部下の騎士は引きつった笑いを見せる。怒るべきか笑うべきか感謝すべきか判断に困っているのだろう。本当に、その通り無茶としか言い様がない。説得も何も無く、ただただ力だけでこの状況を作り上げているのだ。

 イカザだって呆れた気分だ。しかし一方で、このあまりに暴力的かつ、無茶苦茶なやり口にイカザは経験があった。黒い王の所業と、この無茶はどうしたって被って感じるのは気のせいではないだろう。

 

「新たなる王の誕生か。やれやれだのう」

 

 と、そこに、年老いた男が姿を見せた。今にもへし折れそうな、枯れ木のよな立ち姿であるが、その片手に握った炎の剣は雄々しく力強い。イカザは彼に頭を下げた。

 

「神官殿、引退していたのに、無理に戦わせて申し訳ない」

「この状況で隠遁生活送る方が無茶だとも」

 

 全くその通りだ。既にこの世界に安全な場所などない。さりとて、流石にもう休んだって誰も文句は言うまいというほどに戦い続けてきた男を、この期に及んでもなお戦場に立ってもらわねばならない事は申し訳なく感じるが――――

 

「なに、気にすることはない。癒者から「最近お菓子食べ過ぎです」と怒られたのでな?ちょうど良い運動になる」

 

 だが、そんなイカザの心中など気にするなと言うように彼はケラケラと冗談めかして笑った。つられて周りも笑い出す。疲労と緊張の中にあった空気がほぐれた。こういった緊張の調整を言葉で済ませる辺り、彼はやはりベテランだ。

 更に彼は、どこか愉快そうな表情でウーガを見つめた。

 

「それに、あの灰の王にも話を聞いてみたくなったしな?」

 

 神官はその見た目からはかけ離れた、若々しい表情でニヤリと笑った。

 

「……本当に、何を考えているのでしょうね、彼は?」

「存外、地べたを這いずり回って走る我々をあざ笑っているのやもしれませんよ?」

「はっはっは!だとしたらウルのヤツ、一発殴ってやらねば気が済みませんな!」

 

 そう言って神官達は楽しそうに笑うのだった。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その頃、ウルとロックは、

 

「お、おわぁー!!オワー!!!死ぬ死ぬ死ぬ!!!バカ!死ぬ!!」

『カカカア!!!ほんっとどうなっとんじゃあの娘!?!』

「いちいち走り回らないで下さい。首が落としにくい。死んで下さい」

 

 死にかけていた

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。