おやすみ、とーほく。 (kueru1943)
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おやすみ、とーほく。

「うーん……」

 読んでいた漫画本から目を離し、悩ましげに呻く友人の方を見遣る。

 声の主である友人──東北きりたんは、小指で耳をかっぽじっていた。言葉通り。比喩ではなく。

「とーほく、それ女の子的にあんまりよろしくないぞ」

「んぇっ!? み、見られてしまいましたか……」

 それなりに恥ずかしかったのか、指を引っこ抜きながら気まずそうに言葉を続ける。

「その、急に耳の奥が痒くなってしまって、不可抗力といいますか」

 まぁ、それ以外に指を耳に突っ込む理由はないと思うけど。

 ここでふと、最初に聴こえた呻き声がやけに悩ましげだったことに気づく。少し痒いくらいなら声を上げる必要もないはず。これはもしや。

「とーほく、まだ痒い?」

「ええ、まぁ。どうやら指では届かない位置にあるようで」

 よしきた。

「じゃあ私が耳かきしてあげる! 道具持ってくるからちょっと待ってて!」

「えっ、ちょっと!」

 親愛なる友人が困っているのならば、手を差し伸べるのが友の務めだ。これは善意であって、決して興味本位などではないぞ。うん。

 

 *

 

「耳かき棒と綿棒、どっちがいい?」

 包丁の髪飾りを外し、私の太ももに頭を乗せたとーほくに尋ねる。

「どちらでも構いませんよ。とにかく痒みをどうにかしてほしいです」

「おっけー、じゃあ耳かき棒でやってこうかな」

 …………

「鼓膜破ったらごめんね?」

「ひえっ、怖いこと言わないでくださいよ……」

 そんな脅しも挟みつつ、耳の中の掃除を始めていく。本当は耳の外からやっていくのが良いらしいけど、その間ずっと痒いままなのも可哀想だし。

「どこが痒い?」

「下側、足の方です。あ、もう少し奥」

「ここ?」

 言われたとおり、棒を少しだけ奥にやると、

「んぁっ、そこです!」

 良い反応が返ってきた。確かに少し深い位置だし、指でどうにかするのは難しいかも。

「よしよし、力加減大丈夫?」

「はい、ちょうどいいです……」

 どこか張り詰めていた表情が一気に緩んでいくのを見て、思わず私の顔もほころぶ。気持ちよさそうだ。

 しばらくカリカリと掻いてやると、満足した顔になっていくのがわかった。

「はぁ……すっきりしました、もう平気です」

「それはよかった! じゃ、改めて入口の方から掃除していくね」

「……本当にやるんですか?」

 なぜ怪訝そうな顔をするんだろう。

「当たり前でしょ? なんのために耳かきしてると思ってんの?」

「わ、私を痒みから救うためではないんですか!?」

「逆に考えるんだ、痒みから救ってくれた恩人への対価が耳かきなら安いもんだろ?」

「最悪鼓膜を破られる可能性があるんですよこっちは!」

 うるさい奴だなぁ。

 しかし、文句を言うわりに暴れたりしないのは利口だ。生殺与奪の権をどちらが握っているか、よく理解している。

「まぁまぁ、私も最大限気をつけるからさ。力はこんなくらいでいい?」

「気をつけてもらわなきゃ困りますよ。加減はまぁ、ちょうどいいくらいです」

 ようやく観念してくれたようだ。太ももにかかる重さが少しだけ増える。

 

 カリカリ、カリカリ。

 

 さっきまで言い合いなんかして気づかなかったが、とーほくの耳はかなり柔らかい。耳たぶが柔らかいくらいならよくあるけれど、耳の縁まで柔らかいのだから驚きだ。

 こうして耳を綺麗にしてやってるわけだし、少しくらい弄ったって罰は当たらないだろう。これも役得というやつだ。ふにふに。

 そんな恩着せがましいことを考えていると、とーほくが何か言いたそうな顔をしていることに気づく。

「どうした? くすぐったい?」

「ああいえ、そういう訳では無くてですね……」

 口をもごもごとさせている。なにか秘密の暴露でもしてくれるのかな。

「その、私の耳、どれくらい汚れてますか?」

 なんだ、そんなことか。そんなに恥ずかしがることでもないのに。

 ……いやしかし、何気に回答に困る質問だぞ、これ。

「…………普通、くらい?」

「な、なんですかその間は」

 しまった、バッドコミュニケーションを踏んだかもしれない。

 実際のところ、とーほくの耳は綺麗な方なのだと思う。入口付近にほとんど汚れは無かったし、奥の方にいくつか気になるのがあるな、といった程度だ。

「でも、結構綺麗だと思うよ。マメにやってるの?」

「まあ、二週間に一度くらいでしょうか。そんなに頻繁にはやってないですね」

 頻度を決めてやっているだけ私より偉いな。まさかとーほくに人間力で負ける日が来るとは。

 

 カリカリ、カリカリ。

 

「よし、こんなもんかな」

 覗いて見える汚れはあらかた取り終わって、綺麗だった耳がさらに綺麗になった。我ながら良い仕事をしたと思う。

 でも、まだ最後の仕上げが残ってるよね?

「ありがとうございます。じゃあ」

「あ、ちょっと待って」

 反対側を向こうとするとーほくを制止して、彼女の横顔に私の顔を近づける。

「ふぇっ!? な、なにを──」

 そのまま、耳に向けて、

「ふ〜〜〜〜」

「あひゃあっ!?」

ゆっくりと息を吹きかけた。

「あっははは! 変な声!」

「もう! 急になにするんですか!」

 耳を真っ赤にしながらぷんすか怒っている、想定以上の反応が見られて大満足だ。

「ふふっ、ごめんごめん、悪かったよ」

 謝ってもなおぷんぷんしているとーほくに、改めて反対を向くよう促す。

 

 *

 

 さっきまで太ももに圧されていたせいか、反対側の耳も赤くなっていた。

 熱を持った耳は、先程までとはまた違った柔らかさをしている。これはこれで──

「音街、さっきから気になってたんですが」

「ふぇ?」

 完全に意識を逸らしていたので、思わず変な返事をしてしまう。

 その、と言葉を置いてから、とーほくは言った。

「なんでずっと私の耳揉んでるんですか?」

「っ!?」

 バレていたとは。

 まさか感触を楽しんでいたと言う訳にもいかず、なんとか誤魔化そうと弁を弄する。

「あーえっと、そう! これは耳のマッサージ! よく言うでしょ? 耳にはツボがいっぱいあるって、確か妊婦さんが眠ってるみたいな形で、」

「妊婦ではなく胎児だったような気がしますが……」

 くっ、物知りめ。

「……嫌だった?」

「いえ別に、むしろ──じゃなくてっ、少し気になっただけです」

 とーほくが優しくて助かった。それに、膝枕で顔が見られないのも都合がいい。誤魔化した焦りと恥ずかしさで、きっと私の耳も赤くなってる。

 

 カリカリ、カリカリ。

 

 ふと、思っていたよりも耳かきに集中している自分に気づく。最初こそはただの興味本位だったけど、段々と癒されたような顔になっていくとーほくを見ると、もっとやってやりたいという気持ちになる。

 ……もしかしたら、とーほくだから、なのかな。

「音街は、普段誰かに耳かき、してるんですか?」

「いや? なんで?」

「なんというか、恐ろしいことを言っていたわりには、上手だなぁと……」

「へへ、ありがと」

 眠気に襲われているのか、言葉がゆっくりに、途切れ途切れになってきている。

「ちなみに誰にしてると思った?」

「ふぇ、うーん……ついな、とか」

「ついな? ついなかぁ……なんか頼んでも絶対やらせてくれなさそう」

「ふふ……たしかに……」

 間の長さから察するに、おそらくもう限界なのだろう。きっと、あともう少しでもすれば──

「すー……」

 思った通り、可愛らしい寝息が聴こえてきた。

 さて、私の方もあと少しだ。さっさと終わらせてゆっくり寝かせてあげよう。

 

 カリカリ、カリ……

 

 よし、終わり!

 耳も綺麗になったところで、起こさないようにそっと片付けを始める。ゴミを捨てようにも動けないため少し難儀したが、意を決したゴミ箱フリースローが見事に決まり、ほっと胸をなでおろした。

 少し落ち着いて、改めて膝で寝ているとーほくを見遣る。どうやら可愛らしいのは寝息だけではないらしい。まぁ顔が可愛いなら寝顔も可愛いというのは当たり前だけど。

 いたずら心で、彼女の柔らかそうなほっぺたをつついてみる。少し違和感を覚えたのか、「んぅ……」と小さく反応を返した。

 

 その声を聴いた私は、瞬間、彼女を力強く抱きしめたい衝動に駆られた。なんだろう、この感情は。こんな気持ち、今までなかったのに。

 でも、なんだか知っている気持ちのような気がする。そう確か、可愛らしい動物やぬいぐるみを前にした時にも──。

 そこで気づく。

 ああそうか、私は、彼女に愛おしさを感じているんだ。

 でもきっとこれは、小動物やぬいぐるみに感じるものとはまた違うものだとも思う。だって、今のこの気持ちは、そんなんよりももっと深くて、もっとドキドキしているから。

 ずっと、なんとなく気づいていた。この気持ちには名前があって、だけど、それに気づかないようにしていた。

 でももう、耐えきれないや。私のわがままのためにあなたを起こすのは忍びないから、抱きしめるのは無理だけど。

 でも、言葉なら、言葉くらいなら。

「大好きだよ、とーほく」

 小さく寝息を立てる彼女に、そっと耳打ちする。せっかく綺麗にしたけど、これじゃ意味ないな。

 自嘲しながら、自分も目を閉じる。ずっと寝顔を見ていたら、そのうち言葉だけじゃ足りなくなりそうだ。

 おやすみ、とーほく。今度また耳かきしてあげるね。そしたら今度は、綺麗な耳の、起きているあなたに、ちゃんと伝えるから。



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