ビルダニア戦記 (ぽー)
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第一章 クロエとフィバル
第一話 クロエ・ファルク


 古代、人は天の豊穣(ほうじょう)を一身に受けていた。

 大地は潤い恵みはよく実った。人の暮らしは(やす)(いこ)いは多かった。

 神は自らの分け身を天使と呼び、たびたび大地に(つか)わした。

 人は天を愛し天もまた人を愛した。神は天使に知恵と道具を与えると人を豊かにせよと命じた。いと高き神は分け身を通じて人を守っていたのである。

 しかしそれをよく思わぬ者たちがいた。地に封じられた者たちである。

 彼ら地の下に蔓延(はびこ)る者たちは一計を案じ、弱く見目愛らしい獣を岩の隙間から地に放った。

 獣は地を走ると牧童を見つけて言った。

「私の父と母は岩の下です。心優しい方、助けてください」

 牧童は哀れに思い岩をどけた。

 途端、地の底から無数の悪しき者たちがいっときに飛び出して見る間に地を埋めた。

 悪しき者たちは人を殺して地を汚した。

 天使はいと高き神にこのことを伝えようと空を駆けたが、悪しき者たちが梯子(はしご)を蹴倒し地に落ちた。

 天使は日の沈む先に打ち付けられてしまった。

 いと高き神は人を哀れに思われたが、分け身が傷つくのを恐れられ新たに梯子(はしご)を降ろされようとはしなかった。

 大地は豊穣を失い人は作物を手入れしなくてはならなくなった。

 そして悪しき者たちもまた世に満ち、人は境界大陸(ビルダニア)から先に行くことはなくなった。

 

 

 ——ゲルドレス説教集より。*1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下遺跡(ダンジョン)最深部には鼻をつく特有の臭気が漂っている。

 幾百年陽光に晒されることのなかった埃がかもす、発酵した紙のような甘くも()()()匂い。

 さらにこびりついたかのような深い闇は、永遠に剥離することはないかのように重々しく沈殿している。時折ゆらめく火炎虫(フラム)の明かりがなければ、1シャード*2先さえ見えなかったろう。

 

 ——その闇に溶け込むように、少女はいた。

 

 黒い鉄帽(ヘルム)に黒い布を巻き、鼻から口までを覆う(マスク)までも黒。短套(マント)脚絆(グリーブ)に至るまで全身黒ずくめである。

 強烈な意志を秘めた瞳だけが爛々と、星明かりのように輝いている。 

 少女は深く息を吐いた。異臭がした——血の匂いだ。胸元から小さな魔石を取り出し点火。石は少女の魔力にただちに反応し、淡い緑光で足元の惨状をさらけだした。

 目の前に横たわる三つの死体。

 いずれも叩きつけられ、踏み潰されている。三人一組の旅隊(パーティ)のように見えるが、不意を突かれたのかまともな戦闘の痕跡も見当たらなかった。

 少女は血まみれの認識票を拾い上げ荷物を漁った。金目のもの、そしていかにも個人が識別できそうなものを手当たり次第に背嚢に突っ込む。

「……ごめんね」

 後はスライムが片付けるに任せるしかない。それがダンジョンに潜る冒険者の掟だ。

 その時、何かを感じた。ひやりと冷たい床に這う。耳を地面に押し当てるとこちらに近づく足音がはっきりと聞こえた。

 魔石の火を消し伏せたまま移動、しばらく息を殺して待った。やがて姿を現したのは身の丈3シャードは超えるだろう魔獣だった。事前に確認した魔獣目録(モンスターリスト)に記載があったことを思い出す。牛頭の魔獣、登録名はアリシュタ。

 こいつが三人をやったのだ。

 縄張りを荒らされたことに気づいて詳細を確かめようとしているのか、息を荒げて匂いをかいでいる。魔獣は総じて嗅覚に優れている、間を置かずにこちらの存在にも気づくだろう。

 背後に音もなく忍び寄った。抜剣、そして伏せていた殺意を一気に解き放った。脇腹と胸、続いて股間に刃を刺しこんで致命傷を与える。そしてただちに距離を置いた。致命傷が即座に絶命に至るわけではないことを十分理解していたからだった。

 激しい血飛沫を飛ばして魔獣は吠える。周囲を舞う火炎虫(フラム)の光を引き伸ばすように曳光させながら、魔獣はその爪を背後に払った。人体など果実のように裂くだろう一撃に、しかし少女は退かなかった。腰を落とし、それを正面から待ち受けた。

 直撃! だが次の瞬間、低く腰を落とした姿勢からさらに()()()()()くぐり抜けるように軌跡を躱す。わずかに飛び散った火花は抜き放った片刃の短剣が咲かせた明滅であろう。

 刹那、巨爪の主の足元で強烈な光が弾けた。球状の黒い石——魔石から際限なく放たれる閃光が魔獣の目を焼く。悶え苦しむ巨大な影が壁に焼き付くように映し出される。

 その隙はあまりに大きかった。

 混乱する魔獣に背後から突っ込むと、かかとの腱に正確に刃を走らせた。ばねが弾ける異様な音。意志とはかけ離れた理屈で半身の支持を失い、巨体は右膝を突く。

 そして少女はすでにその場所にいた。膝を踏み台にして飛ぶと、手にした拳大の魔石を左の眼球に叩き込んだ。ただちにありったけの魔力を流し込む。悲鳴はなく、代わりにあるのは爆音のみだった。

 魔石が放つ特有の緑光と、四散した頭部から飛び散った真っ赤な鮮血が入り交じるように降りかかる。

 まもなく巨体は地響きを立てて倒れ伏した。勝利の瞬間であった。

 しかし最後に交差した一撃はまさに紙一重であったことを示すように、頭部を守っていた黒染めの布は千切れ飛び、深く裂けた鉄帽と額当てがガラガラと音を立てて地面に転がった。

 仕舞い込まれていた艶やかな黒髪、隠れていた濃紺の瞳があらわになる。

 浴びた血もそのままに、残光と爆煙の中で少女は雄叫びをあげた。

 

 ——クロエ・ファルク。それが勝者の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四日目の夕方である。

 約束まであと半日あるが、ベルナールはすっかり諦めていた。

 女の子が、単独で、地下遺跡(ダンジョン)に? 無事で済むわけがない! 出発前に攻略記録には一通り目を通してきた。このスピナ湖畔遺跡で今までどれほどの旅隊(パーティ)が撤退してきたと思っている。無謀な挑戦というものにも限度があっていいはずだ。

「おーい若造、何だか不満げだな」

 のんべんだらりと焚き火を前に煙草を吸っている老人が言う。ひっひっひ、と笑いながらまるで馬鹿にしたように。

「……俺はこれでも三十五だよ」

「ま、若造じゃな」

 ぷかりと煙を吐くご老人。ベルナールはむきになってまくし立てた。

「爺さんは気にならないのかよ、あの子がどうなったか。ええ?」

「なーんも。前金はもらっとるだろう?」

 だったら待つだけよ、と続けて煙を吐き出す。

 ベルナールは鼻白んだ。

 確かに自分たちはクロエという冒険者に雇われただけの人間だ、だが人足が雇い主を心配したってバチは当たるまい。

 

 ——国と組合(ギルド)によって指定されたダンジョン。その調査と攻略に関係する仕事を主に請け負うのが冒険者である。

 

 だが冒険者といっても関わる人間は様々だ。

 調査、狩猟、採集、破壊。それぞれの専門家が異なるのはもちろん、ただダンジョンに潜ることだけ考えていては仕事は成り立たない。

 ダンジョンの外に構築する野営地を維持する者も必要であれば、かかる日数によっては都市から食料を輸送する人員まで必要な場合もある。ダンジョン内部で水や食料が調達できるとは限らないからだ。

 冒険者たちも自分たちの任務に集中することが最優先であり、雑用を妥当な金額で解決できるなら外注に任せてしまおうと人員を手配する。

 大規模なものになると旅団(キャラバン)と呼ばれる混合編成が企画され、ダンジョンの周りにそれなりの村が一つ出来上がるほどである。

 ゲクランとベルナールもまたクロエという少女に雇用された野営管理人(キャンプキーパー)だった。

 ギルドからの斡旋ではあるが払いも条件も他の募集より良く、案内が出た瞬間ベルナールはすぐに応募した。幸い騎獣荷車(ワゴン)を扱っていた経験もあるため雇用条件にも合致していた。

「荷役は考えずにのんびりやるのがコツよ。なんせあと半日ある。まぁこれでも飲め」

 ゲクランが煮出した茶のようなものを差し出した。茶であれば南方のカシュケニア大島圏連合からの輸入品に違いないが、そんな高級なものを目の前の老人が用意できるはずもない。そこらの野草か何かを煎じたものだろう。

「心配せんでもあの娘は帰ってくる」

 意外と爽やかな香りだった。ベルナールは何度も息を吹きかけながら少しずつ口をつけた。

「……何も、心配なんざしやしねぇ。死んじまったら成功報酬がパァだ。それはたまらんってだけさ」

 前金は五割。残りの五割は成功報酬として依頼完了後に支払われる契約が組合(ギルド)の通例だ。しかし雇用主である冒険者が死亡または安否不明の場合は組合の保険から一割しか支払われない。これは荷役や下働きを協力的に働かせるための仕組みでもあった。

 つまり少女が生きて這いずり出てくれば後払い分の残金が満額支払われるが、そうでなければ契約は破棄され手にする報酬も()()()()にとどまるということ。

「金がいるのか、ええ?」

「じゃなけりゃわざわざビルダニアなんてヤバい土地にまで来るかよ」

「世知辛いの」

 片手で器用に薪を割って火にくべるゲクラン。失った左腕は戦場でのものだろうか、とベルナールは左目に蓋をしている眼帯に手を当てながら想像した。

 

 ——長きに渡った魔族との大戦。人類側の勝利で終わったはいいものの、傭兵やら人足やらで食い扶持を繋いでいた者たちは一斉に仕事を失うことになった。

 

 魔族の地で新たに発見されたダンジョンを調査する冒険者稼業は、居場所を失った荒くれ者にとっては格好の再就職先というわけだ——限りなく世間体よく言うのであれば、だが。

 ベルナールもご多分に漏れない。故郷のオールタンに家族を置いてひと月前から出稼ぎに来ているが、苦労話に困ることはない。ため息を吐きながらすっかり皮肉めいた口調で言った。

「魔族がいてくれた方がまともな暮らしができていたぜ、まったく」

 ゲクランも続いた。

「……大戦が終わり幾年月。魔族を追い払って土地を拓いたはいいものの、結局人間同士で争う世の中になってしもうたしの」

 市井の人間でさえ国同士が緊張しているのはわかる。秘宝を産み出すダンジョンの奪い合い、ビルダニアの開発競争……間に立とうとする教会もいつまで(ぎょ)せるだろうか。

「救われんぜ、まったく」

「じゃがな、英雄が現れる時代とはまさにそういう時なんじゃ。歴史を学べばおのずと……」

「へいへい。『天地戦争』やら『蛇王ヴァリ』なら俺だって読みましたよ。人生の先輩は説教臭くてかなわんぜ」

「ほ。意外と熱心じゃの」

 ベルナールは茶を沸かしていたポットをぶんどると自分のコップに注ぎ足し始めた。この香りがなかなかクセになる。世の愚痴を語れば舌の滑りもまずまずだ。()()()()で喉まで潤せば夜っぴて語ることもできるだろう。

「あ、私も頂戴。メムルの葉のお茶、好きなんだ」

 コップ貸せ。

 あまりに自然に会話に入ってきたものだから思わずそう答えかけた。

 ベルナールは弾けるように振り返った。死んだと思って心配していた雇用主である少女が立っていた。

「も、戻ったのか!」

 黒髪をかきあげながら、少女は呆れたように言う。

「そりゃ戻るよ。お腹も空いたし」

 疲れた疲れた、と言ってクロエは背負っていた革袋をどさりと下ろして座った。中にはぎっしり戦利品が詰まっているであろうことはその音だけでわかる。

「し、仕事はやり遂げたのか!?」

 ベルナールは自分が興奮して声が上ずっていることに気づかない。ん、と手で催促してくるクロエに慌てて茶を差し出しながらも冷静でいられない。

 言葉では答えず、ほら、とクロエは革袋からゴロゴロと魔石を取り出した。

 

 ——魔石はダンジョンから算出される石で、主に魔獣の体内から取り出すことができる。これまで秘術とされていた魔術を誰もが手軽に使えるようになる代物で、以来人々の暮らしぶりは劇的に変化した。借金をこさえてでも手に入れようとする者もあとを絶たないと聞く。

 

 この魔石の収集が冒険者の主な任務の一つである。

 今回のギルドが仲介した依頼は確か魔石30カレン*3。すでにクロエが持ち帰っている量を合わせれば、どう見積もっても超えているだろう。

「でもさ、なんてったってこれだよ」

 クロエが最後に取り出したのは、直径30タリスはあろうかという魔石。

 小石からこぶし大程度がほとんどであるはずの魔石の基準を大きく超えた塊だった。

「ほっほ、こいつは見事じゃのう」

 ゲクラン老が覗き込みながらうんうんと唸る。

 思わず手に取り、その重さにベルナールは歓声を上げた。

「でかすぎるだろこりゃ! 一体何カレンあるってんだ!?」

 魔石の品質は様々あるらしいが、大きさももちろん重要な指標である。そしてこれほどの大きさのものはベルナールもついぞ見たことがない。法都アルバの競売にかければ一体どれほどの値がつくだろうか。

 いやぁ、とため息を吐きながらベルナールは慎重に魔石を戻した。慌てて落として割りでもしたら洒落にならない。

「魔獣からか?」

「うん。なかなかでかいやつだった。装備もやられた」

 ズバッ、と口に出しながら人差し指で額をなぞる。鉄帽を破壊されたという意味だろう。きっと紙一重だったに違いない。これだけの大物を旅隊(パーティ)を組まずに単身攻略するとは、ベルナールはゲクランが妙に落ち着き払っていた理由をようやく思い知った。

「急いで戻られますか?」

 そのゲクランがにっこりと笑いながら言う。クロエはバサリとまとまりが悪そうな髪をかきあげながら答えた。

「ううん、今日は遅いから野営して明日の朝に出よう」

「飯は特別豪勢にせねばなりませんな」

「それ! もうペコペコでくたばりそう。悪いけど準備よろしくね。汚れたし風呂に入ってないし血の匂いもすごいしで、ヤバいんだ。ちょっとひと泳ぎしてくる!」

 泥と血にまみれた装備と上着を脱ぎ捨て、上下七分丈の甲冑下着のまま夕日に暮れゆくスピナ湖に向けて駆け出していく。そのまま勢いよく飛び込んで黒髪の少女は誰を気にすることもなく泳ぎ始めた。

「戻ってくると言ったじゃろ?」

 大笑いしながら夕食の支度に取り掛かるゲクラン老。

 ベルナールは食事の用意を手伝いながらもつっかかった。

「爺さん、さてはあのクロエって娘のこと前から知ってたな? だからあんなに安心してたんだろう」

「ほっほ。あの娘を知らなけりゃ、アグニアじゃあ()()()よ」

「どうせ俺は新入りの若造だよ!」

 思えば初めからおかしな話だったのだ。

 少女は当初より自分たちのような人足と移動用の騎獣以外は募集していなかった。まさか単独攻略だとは出発するまでベルナールは思いつきもしなかった。

 しかも妙な才気に走るような無謀さもなく、慎重にことを進める手腕はむしろ老練な経験者を思わせるふしさえあったのだ。

 二度に分けてのルート確保、そして最終アタックのために野営地に一度戻り、二日後には化け物の首を取って戻ってきた。

 おおい、と声がしてベルナールとゲクランは同時に振り返った。

 クロエは湖のほとりで、夕陽にキラキラ光る巨大な魚を掲げていた。

「とんでもないやつだ、全く」

 肉をさばきながらベルナールは思わず笑った。笑うしかなかった。

 鍋に塩、刻んだ野菜を放り込みながらゲクランもまた盛大に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイヴダム皇国の中心である法都アルバから北西へ騎獣で五日あまり、ラヴォイド山の麓にアグニアという名の古い街があった。

 エディフランド辺境領マルカ州の西端に位置し、先の大戦の最前線を支えた戦略的要地として栄えた地域の主要都市である。北方の要所、スヌード要塞へとつながる重要な拠点でもあった。

 終戦から十年余りが経つ今、魔族が支配していた西方の大地『ビルダニア』を目指す拠点として日々多くの人々が訪れるようになった。

 一日に行き交う人と物資の量はとてつもない規模に達し、入城の順番待ちで朝から夕暮れまで荷車の渋滞が続いてしまう日があるほど。

 ビルダニア各地に点在する地下遺跡(ダンジョン)攻略のためにもこの地は重要拠点であった。

 

 ——そのアグニアにクロエは戻ってきた。寝て起きて寝て起きて、気づけば二日が経っていた。

 

「よく寝た……」

「寝すぎだろ」

 ベルナールの小言に返事代わりの豪快なあくびをぶちかましてクロエは荷台から飛び降りた。雇用主が起きていようが寝ていようがゲクランとベルナールはしっかりと仕事をやり遂げた。アグニアまで20リートの道のりを問題なく帰還したのだ。

「クロエ様、どうされますかな?」

組合(ギルド)前につけちゃって。荷物全部捌いてもらわなきゃ」

「ではそのように」

 背中からボキボキと音を立てると、クロエはハッと息を吐いた。

 正門を抜けると道は石畳に変わる。くゆる白煙を数えながら坂道を下り、中央街路に入ると一気に朝の喧騒に包まれた。慎ましくも忙しない魔力の余波があたりに満ちている。

 すでに多くの者にとって魔石を使った暮らしは根付いている。 

 例えば火の魔石はパン焼きの釜場を人々に提供し、水の魔石は毎朝たっぷりの水を街に巡らせる。風の魔石で空を飛び商売に精を出しているものもいるだろう。

 

 ——クロエはアグニアのこの空気が好きだった。生まれ育った街だからというだけではなく、忙しなくも溌剌とした雰囲気が何だかしっくり来るのだ。

 

 いつものように人でごった返す目抜き通りを騎獣車でかき分けて組合(ギルド)の前にたどり着く。

 床屋と酒屋と飯屋と宿屋と道具屋と貸獣屋と棺桶屋——どの街の冒険者ギルドでもそれらの店は寄り添うように居並んで建っているというが本当だろうか? 荷受け役の若い男が書類片手にすっ飛んでくるのを眺めながらクロエはぼんやりと思う。

 ギルドは仕事の斡旋の他にダンジョンでの拾得物や魔物の部位、魔石などの買い取りも行なっている。もっと利率のいい商人を粘っこく探す冒険者もいるが、クロエはいつもあっさりギルドに全て任せてしまう。手間だし、何より付き合いを深めるのならギルドの方がいい。

 今回のダンジョン攻略の間に集めた成果は魔石の他には荷車に半杯というところ。数人の旅隊であれば倍は稼げたろうが、単独(ソロ)であることを考えれば利益は比較にもならない。

 持ち帰った荷物をギルドの職員たちが手分けして帳簿に記録していく間、クロエはベルナールとゲクランにその場を任せて市場の方に向かって歩いた。

 大通りを回って毎朝決まった時間に(いち)の立つ教会の前へと向かう。()()()()アグニアの街の住人は、礼拝以上に商売に熱心である。案の定すでに喧騒でごった返していた。

 クロエは人をかきわけるようにして馴染みの店に向かった。

 何やら香ばしい匂いで肉を焼く屋台。店主のモーリスはクロエを見つけると大きく手を振った。

「やぁお嬢! 遠征から戻りかい? 儲けはどうだね?」

「上々。そっちは? 仕入れある?」

「ばっちりさ」

「なら()()()()。あと……お腹も減ってるから三つね」

「食いすぎじゃねえのか?」

「仲間の分だってば」

 ひっひっひ、と笑ってモーリスは仕事にとりかかった。

 香辛料をまぶして肉と野菜を鉄板で焼く。火種はもちろん魔石だが、なかなかいいものを使っているようだ。焼き上がった具材にたっぷりと香草をのせ、薄く伸ばした麦粉で包んで寄越した。

 ここは何でも一皿銅貨(テッラ)*4十枚。

 独特の味付けだが、このあたりの名物だと言い張っているらしい。確かに味は悪くないのでいずれ嘘も真になるのかもしれない。

 クロエはきっちり銅貨(テッラ)がくくりつけられている銭束を一本、さらに銀貨(ルナ)五枚を払った。そして手渡される香草たっぷりの包み焼きに、()()()()()()

 それを一瞥(いちべつ)し、クロエは懐に突っ込んだ。

「確かに」

 そのままきびすを返そうとしたクロエをモーリスはちょいちょい、と呼び止めた。

「……常連客にだけのおまけをやろう。気をつけな。見慣れないやつばかりウロウロするのがアグニアなんだが、とびきりの連中まで来てやがる。俺から見て右側の後ろをそっと見てみろ」

 クロエは包み焼きにかぶりつき、口元についたソースを拭いながらそちらに目を向けた。

 全員黒づくめの甲冑に身を包んだ集団が泉の近くでたむろしている。そのうちの一人は赤地に黒い羊の旗を持っている。

「シュガルの羊だ」

「シュガル? あのメッサーの?」*5

「ああ」

 自らを騙し、侮る者はためらわず食い殺す羊の群れ。確かに人並みの冒険者にはない迫力が感じられる。

「元はノードの戦線に投入されていた殴り込み部隊だったらしい。有名な激戦地だ。全滅する隊も珍しくなかったらしいが、名うての隊長に率いられた連中は地獄から生きて戻った……戦後、傭兵集団として各地を転戦しているとよ。腕っこきで有名だが、自分たちに一発()()そうとした相手は依頼主でも血祭りにあげるらしい」

 多分あいつが隊長だな、とクロエは目を細めた。背はそれほど高くはないが所作に隙がない。歳は四十くらいだろうに、真っ白の髪と髭が印象深い。

「ああいう連中もこれから増えてくるだろうよ。北のウェスディアじゃあラザンの連中に攻め込まれたって噂も出ている」

「それマジなの?」

「さあな……滅多なことにはならねえとは思うが、きな臭え。気をつけな」

 手を上げてクロエはギルドまでの道に戻った。

 道すがらモーリスに渡された紙を開く。

 

 ——教会の資金投入決定。来月大規模な旅団(キャラバン)が発足、ビルダニア中域百リートまでの開発が目標。

 

 驚いたことにギルドから発される公募日と所管する教区の枢機卿の名前まである。()()()でないならかなりの特ネタだ。

「……やるねモーリス。銀貨(ルナ)五枚分の値打ちはあるよ」

 紙切れをただちに燃やしてクロエは口笛を吹いた。待ちに待った知らせ! 逃す手はない。教会が号令をかけるとなれば相当な規模だ、旅団に採用されれば個人の請け負いでは到底たどり着けない深部まで入れるかもしれない。

 クロエは残っていたモーリスの料理を強引に口の中に押し込み、一口で豪快に食べ切ってしまった。じっとしていられない、体が熱くなっているのがわかった。

 口元を雑に拭いながら言う。

「俄然、燃えてきた」

 ギルド前に戻ると一服していたゲクランとベルナールに包み焼きを投げつけるように渡す。そして帳簿係が書き留めたリストをふんだくってギルドの重い扉を押し開けた。

 たまたまそこにいたアグニア冒険者組合(ギルド)長と目が合う。まるで賞金首のようないかめしい面である。が、クロエの顔を見た途端に豪快に破顔した。

 

 ——名はヴァータル・アシド。身の丈は2シャード。筋骨隆々の男は見た目通りいくつもの戦地を転戦した戦士である。戦後は軍を抜けこのアグニアのギルド立ち上げに尽力した。戦闘力だけでなく頭も切れる。旅隊(パーティ)名もそのままである《ヴァータル》隊は未発掘のダンジョンをいくつも踏破しており、今でも名を馳せている。

 

「来たなわんぱく娘。スピナ湖からの戻りだって?」

 うん、と頷いてクロエはヴァータルの胸を帳簿で叩いた。

「査定も完了」

「どれどれ……ほう?」

 なるほど、とヴァータルは頷く。

「上等だ。《魔石拾い》の依頼をしっかりこなしてくれるのが、俺らにとっても一番ありがたい」

「私は不満。もっとでかい話ないの?」

「さあな」

 ヴァータルの反応はいまいち読めなかった。

 旅団の件についてカマでもかけてみようかと思ったが、余計な詮索がやぶ蛇になってもつまらない。クロエは肩をすくめるにとどめた。

「まあいいや。後はこれ……三人分の認識票。この袋は遺品」

「——感謝する。十分の一報酬はどうする」

「もう受取拒否のサインはした」

 クロエは革袋に丁寧に入れた認識票と遺品を渡した。*6

 遺品を持ち帰った場合は十分の一を請求する権利が冒険者にはあるが、一度も請求したことはなかった。

 さて、とクロエは早々にきびすを返そうとしたが、ヴァータルが目を細めて言う。

「で、その背嚢に入ってる荷物は出さんのか?」

「ぎくっ」

 さすがギルド長。例の魔獣の魔石を見抜くとは。

 思わず逃げたくなったが、何もやましいことはないのだと思い返してクロエは堂々と振り返り、背嚢から例の魔石を取り出しヴァータルに見せた。

「……ほう、なかなかのブツだ。これがアリシュタの肝ってわけか。依頼主もこれを渡せば喜んで追加報酬(ボーナス)を弾むと思うがな?」

「義務じゃないでしょ? 依頼分の30カレンは渡してる。これは自主努力報酬(インセンティブ)規定の範囲内のはず」

「わかってる、だからギルドからの交渉だ。これでどうだ?」

 ヴァータルが右手の親指を立てた。

 全く取り合うつもりもなかったクロエだったが思わず息を呑んだ。

 親指は金貨(ソル)一枚を意味する。破格の査定だ。

「ちょ、マジ?」

「大マジ」

「お、おおう……」

 はした金じゃ渡せないね、と大見得で啖呵を切るつもりだったが威勢のいい言葉は完全に喉で詰まった。

 この金があれば翼獣を借ることができる。そうすればさらに遠いエリアのダンジョンにも挑戦できるだろう。装備も更新したい。最近出回り始めた魔石剣も試してみたい。

 それに何より母上に土産がもっと買える。

 だが——クロエの脳裏には自らの師匠の素敵な笑顔が浮かんでいた。

 クロエは歯を食いしばって答えた。

「ま、またの機会に……」

「そうか、残念だ」

 ヴァータルは粘ることもなく立てていた親指を戻すと手をポケットに突っ込んだ。

 ああ、金貨一枚! こめかみに青筋を立てて強引に笑顔を作りながらも、クロエは心で泣いていた。

 しかし、と気を確かに持つ。情報は得た! 魔石の価格が高騰しているということは、おそらく()が増産されているということだろう。最近魔石拾いの依頼がやたらと増えたと思っていたら、金貨の話まで出てきた。いよいよ軍が動くのかもしれない。旅団編成の話が真実味を帯びてきた。ビルダニア開発に向けて国が重い腰を上げた気配をビンビンと感じる。

「ふん、悪巧みの顔しやがって」

「えっ? は? なに? しらんけど?」

「ったく、お前は変わった冒険者だよ……たいていはカネ目当てなんだがな」

 ギルドに登録するとき、冒険者は必ずヴァータルの面接を受ける。その時誰もがダンジョンに潜る理由を問われるのだが、クロエは自分の答えにヴァータルが大笑いしたことを未だに覚えていた。

 馬鹿にするような笑いではなかったので、クロエも一緒に笑ったものだった。 

「まだ夢見てるのか……ビルダニア全土を旅するなんて夢を?」

 フフ、とクロエはあの時のように笑う。

 爛々と輝く瞳、ふてぶてしい口元、挑戦するように突き出された拳。

 クロエは宣言するように——これまで幾度となくそうしてきたように言った。

「夢なんかじゃない……現実だ。私にとっては目の前にある目標! 私はきっと世界中を冒険する! そして発見するんだ。妖精の国、天のはしご、世界樹イェドナ、祖龍の島!」

「おとぎ話の世界だろう?」

「誰も確かめていないのに?」

 だったら答えはまだだ。霧の向こうにある景色を、夜を越えた先で待ち受ける世界をわざわざつまらない物だと決めつけるなんて趣味が悪い。

「世界をくまなく探してないっていうのならそれでいい。けどまだ誰もやってない。だったら私がそれをやる」

「……フン、足元すくわれてつまらん死に方すんじゃねえぞ」

 ただヴァータルはどこか嬉しそうだ。

 やがてやってきた出納(すいとう)係がクロエに今回の報酬の確認を依頼してきた。

 頭の中で算盤(アバカス)を弾く。

 依頼内容は30カレン分の魔石。対して収穫は45カレン。当初の依頼報酬である200銀貨(ルナ)は満額、かつ依頼者は超過分も買い上げるという契約だったので15カレン分を上乗せで60銀貨(ルナ)

 ベルナールとゲクランの給与が日当でそれぞれに5銀貨(ルナ)、往復4日と攻略5日で計90銀貨(ルナ)。貸獣屋への支払いが30銀貨(ルナ)、食料その他物資が20銀貨(ルナ)、掛け捨ての保険が10銀貨(ルナ)

 で、今回ぶっ壊した装備の補填に20銀貨(ルナ)ほどかかることを考えれば手元に残るのは90銀貨(ルナ)である。

 大儲けとは言わないが悪くもない。ただ、やはりこうなってくると金貨(ソル)の迫力が今さらながらにのしかかってくるが、クロエは何とか未練を振り切った。

「じゃ、確かに」

「次はいつ来れる?」

 珍しいこともあるものだ、とクロエはヴァータルを見た。魔石を欲しがる人間は無限にいるので冒険者稼業はいつだって売り手が強く人手が足りない。ただし一獲千金を狙う挑戦者も掃いて捨てるほどいるので、よほどのことがない限り指名はないはずだが。

 クロエは日程を思い浮かべて答えた。

「五日後くらいかな。様子見に来るくらいで考えてたけど」

「よし、時間くれ。お前みたいなバカを探してる御仁がいらっしゃる。魔石はフラれたがこっちは考えてもらわなきゃ困るぜ」

 指名案件というのもギルドには時折舞い込む。旅隊を編成して挑戦したいが人手が足りない場合などでよくあるパターンだ。

「内容は」

「ミレイ。旅隊(パーティ)編成での同行が希望らしい。先方は二名。詳細は当人と直接交渉したいそうだ」

 ミレイと言えばスピナ湖から北に10リートほどだ。小規模なダンジョンですでに掘り尽くされたと聞いたが、やはり狙いは魔石だろうか?

 しばらく考えてクロエは頷いた。怪しいと感じれば断ればいい。ヴァータルも必ず受注しろとは言っていない、会うだけは会え程度のニュアンスだ。

 ギルドを後にすると、クロエは外で待機していたベルナールとゲクランに後払い分の報酬と出来高のチップを渡した。そして五日後の予定を開けておいてほしい、今回の旅が嫌でなかったのであれば、と付け加えた。

 わざわざ答えを聞く必要はなさそうだった。

 

 

 

*1
ロメイル・ゲルドレスは諸国を歴訪しながら聖教の説話を伝えた巡礼者。聖教理念の体系化に貢献した。ゲルドレスの言葉は同行した弟子たちによって記録され「説教集」として伝えられている。

*2
シャードは長さの単位。聖教会が管理するクネル金属写本の厚みを1タリスと規定し、その百倍の長さを1シャード、さらに百倍の長さを1リートとした。本作では都合上1タリス=1センチメートル、1シャード=1メートル、1リート=1キロメートルと換算して記載する。

*3
カレンは重さの単位。蛇王ヴァリが定めた度量衡の名残りで、基準杯というコップに入れた水の重さが由来。ヴァリはこれを元に税制を統一した。カレンというのはこの基準杯を決めた官僚の名前が由来。なお前例に習い1カレン=1キログラムと換算する。

*4
この世界の経済は三種類の貨幣を中心に営まれている。すなわちソル金貨、ルナ銀貨、テッラ銅貨である。このような市場での流通は銅貨(テッラ)が一般的。銀貨(ルナ)はある程度高価な物品の売買に利用され、金貨(ソル)に至っては大規模な貿易や国家事業以外で目にすることはまれである。それぞれの価値は変動するが、銀貨(ルナ)銅貨(テッラ)の百倍、金貨(ソル)はさらにその百倍程度が例年の相場である。

*5
シュガルのメッサーとは教会が子ども向けに説いている教訓話の一つで、シュガル村のメッサーという少年が飼っていた羊をいじめるという話。メッサーは大人から追求されても羊が話さないことをいいことに自らの悪行をしらばっくれる。さらに羊同士でいじめがあるのだと嘘までつく。翌日、牧場の羊が一頭を残して皆殺しにされているのをメッサーは見つける。血溜まりの中心に黒い毛並みの見たこともない羊が立っており、じっとメッサーを見つめている、という話。嘘は望ましくない形で実現し、罪はいずれ咎められるという教訓を込めた話である。

*6
契約が成立し、ダンジョンに入ることになった冒険者にはギルドから認識票が貸与される。それによって万が一ダンジョン内で遭難した場合も個人の識別が可能になる。ダンジョン内で遺体を発見した場合は、認識票と遺品をなるべく回収することが努力義務とされている。遺品は保険とともに受け取り指定されている遺族に手渡されるが、受け取りが難しい物品に関してはギルドが査定して金銭に替えることもある。この金銭を《最後の報酬》と呼ぶ。なお許可なく私物化したり売り払うことは冒険者の仁義にもとる最も軽蔑される行いとして、発覚した場合は除名処分となる。




四年ほど前にパイロット版を書いてみた小説を、あらためて続けてみようとやり始めました。
多分長いぞ。気合い入れてお付き合いください。

(追記)短めの方が読みやすいかなと分割投稿してましたが、なんだかしっくりこなかったので1~3話を一つにまとめました。長くて読みにくくなってすみません。でもこっちの方が……すっきりしまして。


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第二話 ラヴォイド山の家

 アグニアはクォーラ山脈の主峰ラヴォイドの加護にある。

 山麓に建設された街は傾斜を生かした防備にも優れた造りとなっており、わずかな平地によくも見事に建てたものだと先人の知恵に思いが至るほど。

 またその景勝は他国にまで名を知られていた。

 赤々とした屋根瓦が並ぶアグニアの街並み。遠くはミセレス平原と、そこを這うように流れるエーリン川、残雪を冠するラヴォイド山がおりなす調和は絵にも歌にもなっている。

 さらに一年のうちでも特に清涼と名高い初夏に吹き下ろす冷風は、風の女神フェード*1のため息とあだ名される。この年最後の名残り雪の香りをまとって胸が透き通るほどに清々しい。

 さて、そのアグニアの街外れの小高い丘に一軒の屋敷があった。

 大きなナラの木が表札代わりの質素ながらも手の行き届いた家。そばには冠雪から巡ってきた小川が流れている。いずれエーリン川に注ぎ込むささやかな支流の一つであろう。

 

 ——ひとりの獣人(バルカ)*2がそのほとりに立っていた。

 

 白く清潔なシャツの上からでもわかるはちきれんばかりの筋肉。柔らかく大きな指の奥に鋭い爪が隠れているのは想像に難くない。

 そしてなによりもその獅子の頭に豊かな(たてがみ)

 彼は胸をそらせて一つ大きく息を吸った。

 鋭い嗅覚を持つ獣人には芽吹いたばかりの夏草や咲き始めた野花の香りまでわかった。

 眼前には地に植わっていた星露草(ステラリア)の白い花びらが舞っている。それは無惨な衝撃によって飛び散ったものに相違ない。

 足元には今ほど投げ飛ばし、叩きつけた少女の体が横たわっていた。

 少女——クロエは息も絶え絶えにうめく。

「シ、シルビオ……相変わらず、やるな……」

 

 ——獅子の獣人の名はシルビオ・ザドラ。母であるロサリオと共にファルク家住み込みの使用人である。クロエにとっては家族であると同時に良き鍛錬の相手であった。ただの取っ組み合いでクロエが勝てたことは未だ一度もないが。

 

 ダンジョンから戻ったクロエは家路への道すがら、シルビアを発見してこれを背後から急襲。即座に反応したシルビオとの間で二十手ほどの打撃を交錯させたものの、彼の入り身を防げず(たい)を掌握され草むらに叩きつけられたという次第である。

「甘いですよ、お嬢様。決着を急ぐから投げを許すのです」

 寝転がったままクロエは唇を尖らせた。

「前はあそこで腕を取れたのに……さては腕、上げたな?」

「クロエ様こそどんどん強くなってます。油断したら負けそうです」

「その言いぐさに余裕を感じる」

「ガウ……」

 返答に困った時、シルビオはいつも小さく喉を鳴らしてごまかす。立派な体格に似合わない仕草が妙に愛らしい。

「けど本気にはさせたよな」

「本気ですよ。急所ばかり狙ってくるんですから。油断も隙もない」

「そっか、やっぱり金玉には当てられたくないか」

「バカな! はしたない……!」

 (ひげ)を逆立てるシルビオをからかうようにクロエははね起きた。

 シルビオの心配の種は尽きない。黙っていれば容姿端麗だというのに兵団やギルドの冒険者に混じって暮らしてきたからなのか、何とも野趣溢れる性格に育ったクロエ。

 さらには女だてらに若くしてダンジョンに挑む冒険者だというのだから、母のソフィアの不安はいかばかりか。

 とうのクロエにはどこ吹く風ではあろうが。

「やば、野垂れ死にしそうなくらいお腹空いてきた」

「そんな言葉遣い、また奥様に怒られますからね……」

「シルビオがチクるわけないし」

「まったく」

 やれやれ、とシルビオはクロエが持ち帰った荷物を担いで土手を登った。クロエも駆け足で続き横に並ぶ。

 ほどけた髪もそのままに女神の吐息になびかせるクロエ。黙ってさえいれば母ソフィア譲りの美貌である。

 小柄だが均整の取れた体格、碧玉のように深く青い瞳、白い肌はつやつやと潤い黒の髪は日に映えて美しい。まさに良家の子女そのものという愛らしい面立ちで、齢十六歳にしてもまだ幼く見えるほど。

 しかし身にまとうのは詰襟のシャツとサスペンダーで吊った七分丈のパンツという素朴な服装で、年頃の乙女を華やかに彩る装飾は何もない。

 履物(はきもの)は上等ななめし革を使った細工(こしら)えも見事な編み上げブーツだったが、あちこちすりきれ泥だらけの体たらくでは元の仕上げの素晴らしさなど見る影もなかった。

 おてんばを通り越し、もはや()()()である。

 だかどうにも、シルビオはいつも彼女を見ているだけで不思議と誇らしい気持ちになった。仕えるべき人、という点において疑問がわかない。

 血かもしれない。それだけではないという確信を持ちつつも。

 

 ——シルビオの父、イグナシオはクロエの父と共に戦った戦士だった。

 

 獣人だけで構成された戦闘団、その名も《バルカの牙》の指揮官として数々の戦場を渡り歩いた歴戦の勇者である。

 獣人は《亜人》と蔑まれ職さえまともに得るのが難しい世相……イグナシオの試みに呼応した人材は数多にのぼった。

 獣人戦闘団は対魔族戦線の各地を転戦し華々しい戦果を挙げた。白地に赤斜線が三本走った軍旗は敵を引き裂く爪痕の象徴。戦地が何処であれ敵が誰であれ戦士たちは勇猛果敢に戦い、とうとうイグナシオは獣人としては初めて叙勲されるのではないかと噂された。

 しかしそこで問題が起こった。《バルカの牙》は戦果を挙げすぎたのである。

 役に立つのはいい。賞賛されるくらいなら可愛げもある。

 しかし叙勲されるという噂が立つやいなや、獣人の存在を快く思わない亜人排斥派を刺激した。《バルカの牙》を否定する声は軍内部だけにとどまらず教会の一部からも叫ばれ、融和派の努力も甲斐無く些少(さしょう)の金だけ払われ戦後解散を命ぜられた。

 獣人の地位向上に期待を寄せていたイグナシオはその後失意のうちに戦傷が元で没する。そして残されたのが妻のロサリオと一人息子のシルビオであった。

 クロエの父は功に報いることの出来なかった戦友の忘れ形見を引き受けることをためらわず、ロサリオとシルビオを家族同然と屋敷に迎えたのである。

 その後、シルビオの母ロサリオは持ち前のたくましさを発揮して家畜の世話や作物の刈り取りなどに従事した。仕事ならなんでもやった。今では家令としてファルク家を切り盛りしている。

 一方のシルビオはファルク家への恩返しが自分の宿命とさえ考えつつも、同時に父イグナシオの遺志を継ぐことを心に誓っていた。

 シルビオは主家の用事をこなすかたわら兵団に所属し、いざとなれば魔族や諸国からの街の防衛に従事する。しばしばダンジョンに潜ることもあるが何かとクロエの世話を焼く日々を送っている。

 そしてそれは、何よりも彼の喜びであった。

「シルビオ、何食べたい?」

 シルビオの思いなどつゆ知らず、隣のクロエはのんきそのものだ。

「久々の休暇ですし、クロエ様も無事に戻りました。もうすぐ祭りですけどここは豪勢にいきたいですね」

「そうだな、ここはやっぱり」

「肉です!」

「肉だな!」

 それも塊肉に塩振っただけのやつ! と二人の声が合わさる。腹いっぱい食べたい! いいですねぇ、などとやっている間に屋敷に到着した。

 クロエはいつものごとく大声で言った。

「母上、ただいま帰りました!」

 家の扉を開けるとまるで来るのがわかっていたかのようにソフィアが立っていた。

 ソフィア・ファルク。クロエと違って豊かに波打つ亜麻色の髪。そして二十代にも見える若々しさ! 若かりし頃、法都アルバでは彼女の美貌を知らぬ者はなかったという。

 戻ってきた娘を見てソフィアはニコリと笑う。

「あらあら、泥だらけ」

 一瞥しただけで娘が何をしていたかなどすっかりわかってしまったのだろう。はぁ、と悩ましげな吐息をこぼしてソフィアはクロエの手を握った。

「クロエ、ダンジョンから無事に戻ってきたというのにまた取っ組み合ってたのね? シルビオを無理やり付き合わせてはいけないといつも言っているでしょう」

「我が友シルビオは喜んで私を地に叩き伏せていましたよ」

「あら、なんてこと」

 ギョッとして尾を逆立てるシルビオ。

 ソフィアは何も言わずに微笑んでシルビオを見た。そう、ただ微笑んでいる……だけだというのにこのド迫力! シルビオが何かしら言い訳を並べ立てる前にソフィアは指を立てて娘を叱った。

「クロエ、どうかこの母に心配をさせないで……大きな怪我でもしたらどうするというの。シルビオが貴方に合わせて十分手加減しているといっても、転んで骨を折ったり顔に傷でもついたりしたら」

 ひざまずき、娘のシャツについた野芝や花を払い落としながら頬、髪と優しく撫でた。シルビオが半ば本気で打倒極を試みているとはさすがのソフィアも思いもよらない様子。あるいは知った上で釘を刺しているのか。シルビオの冷や汗は一向に止まらない。

 クロエは心配性の母に堂々と胸を張って答えた。

(おもて)の傷は武人の誇りとよく言いますでしょう」

「貴女は女の子なの。元気で健やかなのはいいことだけれど……お菓子の焼き方だって覚えてはくれないし」

「学びは好きだが飯は食うに限ります。なにせ母上の腕前は絶品ですから。私の出る幕などないのです」

 エヘン、と胸を張りながら。

 だがやがて、クロエはしおしおと俯くと母の様子をうかがうように言った。

「……おてんばな娘はお嫌ですか?」

 十六歳になっても男勝り。家事や裁縫よりも武芸と学問を選び、流行りの恋物語より新発見のダンジョンに胸を躍らせる娘。

 けれど母の前でだけは見栄もはるし背伸びもする。

 その一部始終を目にする母の気持ちたるや。

「さぁ、どうかしら?」

 ソフィアは微笑み、毎朝そうしているように娘を抱きしめた。可愛くないわけがなかった。その無事と幸せを願わない夜はないのである。

「健やかであればそれだけで喜ぶべきなのでしょうけれど」

 ソフィアはおてんばな愛娘の髪を撫でながらハンカチで額の泥を拭ってやる。そして真っ直ぐ目を見て言った。

「人はゆりかごを持ち歩かない*3ということね……さあ、朝ごはんにしましょう。といっても、あなたたちがのんびり来るのだから、すっかりお昼だけれど。用意するからしばらくお待ちなさい」

 食卓にはところ狭しと料理が並んでいたが、当たり前のようにクロエの大好物ばかりだった。もちろん肉だってある。

「こんなたくさん……大変だったのでは」

「そう?」

 ソフィアは不思議そうに笑った。

「あなたを待ってる方がどれほどつらいだろう……おかえりなさい私の愛」

 母は娘の頬にキスをする。

 娘もまた母の頬にありったけの愛を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 食事の後は長いお茶となった。

 カシュケニアの茶は高価なのでファルク家では心から喜ばしい時にだけ楽しむことにしている。けれどソフィアはクロエがダンジョンから戻るといつも惜しみなく淹れてしまうので、家計にはなかなかの痛手になっていた。

 けれどいつも『日々の営みを楽しむことを忘れて心まで貧しくなる』とソフィアは笑って嬉しそうに準備をするのだ。

 クロエはシルビオと二人でナラの木の下のテーブルに茶菓子やカップを並べ、山と街が一望できる一席をつくった。

「きれいね」

 ソフィアが言う。

 父がいればきっと同じことを言っただろう。

 クロエもこの景色が——父であるトバイアスが命をかけて守ったこの街が、大好きだった。

 

 ——魔族とビルダニアを奪い合った戦争。その最後の激戦地がここアグニアでの攻防戦と言われている。

 

 幼かったクロエは父の面影さえ覚えていない。

 けれどトバイアスがこの街を守るために最期まで戦い抜いたと聞かされてからそれを疑ったこともない。

 一度は焼け、再建された街であるアグニア。

 残された爪痕は未だ深く残っていようとも、再び日々を営むことを諦めなかった歩みの全てが、自らの気骨にも宿っているのだとさえ思う。

「ダンジョンは、まだやめてくれないのかしら」

「はい」

 ソフィアの問いにクロエは躊躇わず答えた。

 否応(いやおう)なく神秘に心惹かれているのは根っからのものなのか? それとも父もまた冒険者だったと聞かされて育ったからなのか。

 母を泣かせたいわけではないのに、自分にだけは嘘がつけない。

 ソフィアは笑う。

「残念」

 見えない涙が見えた気がして、クロエはソフィアの手に触れその袖を掴んだ。泣かないで欲しかった。笑顔のまま泣かせてしまう自分の弱さが憎い。

 その時、家族以外の者の声がした。

「もし、お邪魔いたします」

 振り返ると背の高い痩せた男が立っていた。

 高位にあることを示すストールを首から下げ、金の指輪を両親指にはめている。にこやかに微笑みながら右手で左胸に触れ敬意を示していた。

 アグニアに住む者なら誰もが知っている男だった。

 名をゲルト・ロエ。アグニアの領主代官である。*4

 不思議なことにアグニアの領主が誰であるかをほとんどの人が知らない。ゲルトが幽閉しているなどという噂もあるが、それは口の悪いアグニアの人間によるいつもの冗談だろう。

 皇国から正式に受璽(じゅじ)しているらしいが、どういう経緯を辿って今の地位に収まっているのかも明らかではない。

 ただアグニア領主の権力は絶大であり、その全てを代行するゲルトの影響力はレイヴダムでも指折りである。

「何か御用か?」

 クロエは立ち上がり強い口調で問うた。

 ゲルトがやってくるのは初めてではない。新年も初夏も秋の収穫祭でも、年の節目には必ず来ていた。そしてしばらくソフィアと話を交わして帰るのだ。

 未亡人であるソフィアに言いよる男は少なくない。ゲルトもその一人だ、とクロエは決めつけていた。それに限らずともこの男が嫌いでもあった。

 嘘つきの匂いが強すぎるのだ。目を細めて困ったように首を傾げる仕草、だというのに指先は微動だにしない。嘘をつくことに慣れ親しみすぎて羞恥心さえ失った、そんな印象。

 ゲルトはクロエの無礼を理解しているはずが、やはり眉ひとつ動かさずに言った。

「お邪魔いたします。ゲルト・ロエと申します。ソフィア様はいらっしゃいますか?」

 いない、と言おうとした。おしとどめたのはまさにソフィアの手だった。

「このようなところまでよくお越しに」

「これはソフィア様。ご家族の大切な時間に不躾でしたでしょうか」

「はい」

「クロエ」

 ソフィアの叱責にクロエは黙り、シルビオの手を引いてテーブルへと戻った。ソフィアは困った様子でゲルトを室内に案内する。子どもっぽいだろうか? いや、あまりに幼稚だった。自覚はある。でもなぜか止められなかった。

「クロエ様」

「黙って。悪いけど付き合って!」

 一人だとあまりに虚しいから。

 茶会が突如終わったことが悔しいのではない、と窓からのぞくソフィアとゲルトを見ながら思う。ソフィアがゲルトに親愛の情を見せているのが釈然としないのだ。

 クロエが知らないだけで二人には古くからの関係があろうということはわかる。だから他愛のない嫉妬なのだ。父を忘れるのではないかという焦りもあるかもしれない。

 小一時間ほど話してゲルトは去った。挨拶にも現れないクロエに丁重にお辞儀までして。

 茶器を片づけ始めるソフィアにクロエは背後から言った。

「お母様は、あの代官と再婚されるのですか」

「あら、お嫌?」

 クロエはムッとした。否定しなかったことではなく、からかっているとわかったからだった。

「嫌です」

「まぁ!」

 たまらずソフィアは笑い出す。綺麗な声で、あらやだこの子ったら、と楽しそうに。

「ではやめておこうかしら」

「母上!」

「冗談よ」

 子ども扱いされている。子どもとして愛されるのは好きなのに、からかわれるのは嫌だと思う……そんな自分が嫌だ。何よりかっこ悪い! 急速にわきおこった恥の感覚に耐えられず、クロエは家を飛び出してゲルトを追った。

「代官殿!」

 振り返ったゲルトは先ほどのように目を細めて微笑んだ。

「クロエ様。どうされました」

「お見送りの挨拶をしておりませんでしたので」

「そのような、畏れ多い」

「あとお聞きしたいことも」

「なんでしょう?」

「母上とはどういうご関係ですか」

 子ども用の答えが来るかもとクロエは考えていた。とても素敵なご婦人です、程度の。それはそれで良い。直接聞いてやる、という自分の心に従った行動なだけなのだから。

 しかしゲルトはクロエの意表を突いた。

「戦友」

「えっ?」

「……厳しい戦争の時代を生き抜いた、このアグニアに住む友人皆を私は戦友と思っています」

 後半はおためごかしの嘘だ、でも前半は違う。

 心から思っていなければ出てこない声音、それくらいわかる。

 なんとなく直感が働き、クロエはさらに踏み込んだ。

「父とも戦友でしたか?」

 ゲルトは嫌な顔をした。

 唇を吊り上げ、眉をひそめ、鼻で笑い、少し遠くを見た。

「……トビは、嫌いでしたね」

 トバイアス・ファルクを、親しい者はトビと呼ぶ。

 クロエはゲルト・ロエという男の素顔を初めて見た気がした。

 皮肉っぽく、陰湿で、人が嫌がることが得意な……けれど恐らく、情に厚い。

 好きになれそうな顔だ、と思った。

 だから言った。

「代官殿のその顔、好きです。いつもそうやって嫌な顔をしてらっしゃれば良い」

 ゲルトはまたいつもの笑顔に戻った。

「不本意ですが、嬉しいお言葉ですね。その好意にお応えできないのが残念ですが」

「母上のことがお好きだから?」

「はい」

 クロエは自分の人を見る目のなさに愕然とした。

 ゲルトの表情には何の気負いも()()()もなかった。

 最初から彼には真心しかなった。いつもの笑顔は誠実さを実行するための仮面なのだった。

「ゲルト殿。私はこれまで大変無礼でした。子どもっぽくてバカタレでした。死にたいです」

「いや、そこまででは……」

「お詫びに貴方のために何か一ついいことをします。何かして欲しいことはありますか」*5

「……さて」

「何かなければ困ります」

 ゲルトはやれやれ、と手を組み合わせながらしばらく考えて言った。

「もうすぐ祭りですね。きっと良い日になるでしょう。本当ならその日にご挨拶に伺いたかったのですが、あいにく所用で出かけねばならず今日参りました」

「では」

「考えておきます。祭りが終わった後、また伺ってお伝えしましょう」

 ゲルトは手を上げ、いつの間にやら差し込み始めた夕陽を浴びながら去っていった。家に戻るとソフィアがなんだか嬉しそうに笑っている。クロエもなぜか楽しくなって、今度は二人でこそこそと何の話をしているか、堂々と同席してやろうと思った。

 ゲルトは祭りの後に来ると言った。

 冬の終わりを喜び、短い春を惜しみ、訪れる初夏を楽しむ祭りはアグニアの名物でもある。確か二十日後くらいだ、と考えたあたりでギルド長に呼び出されていたことを思い出した。

 もしすぐにダンジョンへ行けと言われれば準備の期間も合わせてちょうど祭りとかぶるかもしれない。

「ま、なんとかなるか」

 呟きながらクロエは深く考えず、いつもの日課をこなそうと自室に戻った。そして例の金貨(ソル)相当の魔石を取り出す。

 山の夜は早い。あっという間に暗くなり始めた空を追うように、クロエは窓から屋根に登った。そしてあぐらを組んで座し、魔石を持ったまま目を(つむ)る。

 両手に包まれた魔石は静かに翠光を放ち始め、間もなく光はクロエの全身に走り始めた。

 

 —— 浮かび上がるのは彼女の全身に刻み込まれた魔力の刺青(タトゥー)。幾何のようにも絵画のようにも見える、不可思議な紋様。

 

 やがて魔力の香りに誘われ、概念が固まる前の妖精の破片が周囲を踊り始めた。

 

*1
風神フェードは空の化身アクラウルクの五人娘のうち三女。浮気性で怒りやすく、舞台劇や物語では告げ口を繰り返して騒ぎを大きくするのが典型的な役割。平凡な日常が続くとつまらなそうにため息をつくとされ、それは本人の意図に反して爽やかで清々しく人々に喜ばれると伝承されている。

*2
バルカは正しくはバルカ・ブラルと表記する。伝説上の存在であらゆる生き物と言葉を交わすことができ、またどのような存在にも変身できたとする両性具有の人。百の生き物と交わり子を産ませ、または産んだ。それらが獣人の由来であるとされている。獣人にとって信仰の対象ともなっており、敬虔な者たちは自らを「バルカの子」と自称する。転じて獣人それ自体を意味する言葉としても用いられている。

*3
子育てについての格言。マルカ州を含むドーコル地方では子育ての際、手の込んだレリーフを彫り込んだ木製のゆりかごを用意するというのが習わしとなっている。しかしいくら手間をかけて用意したゆりかごも、子どもが歩き始める頃には使わなくなってしまう。だがそれを惜しんでゆりかごを持ち歩けとも言えないことから、子離れの重要性を説く言葉として広く知られている。

*4
ヴァリの整備した全土直接支配君主制への反省から、各自治領また一部都市は都市法を根拠に自ら領主を任じている。これを自主領主と呼ぶ。自治領や都市は皇国の所有物ではないということを表しているが、小規模な都市や直轄領は皇国の領土法にもとづき宮から派遣される。その場合は派遣領主と呼び代官を置くことが通例。アグニアは派遣制である。なお戦時に前線を支えるために指揮権を集中させた構造は今でも残置されており、アグニア領主の権限の一部はこの街だけではなくマルカ州全域に及んでいる。

*5
子どもが謝る時によく使う定番の言葉。例えば皿を割った時にこの言葉で謝り、草むしりをするようなこと。親が叱る時にも「一ついいことをしなさい」などと言う。大人が大人に使う場合は素朴ながらも誠実な謝罪として受け取られる。



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第三話 フィバル・レバン

 母の夢を見た。夢を見ているとわかる夢だった。

 幼い自分はただ腕の中。上下に左右にあやす動きに心地よく眠るだけの夢。

 劇的なことは何一つなく、穏やかで曖昧な時間が過ぎるだけの他愛もないものだった。

 現実と同じように安らかな夢もたやすく崩壊した。

 目覚めは唐突に訪れた。頬を打つ風にわずかな水が混じったのだ。まるで涙のように頬を濡らす雨粒。青年は快速で走る騎獣にまたがったままぐっと伸びをした。

 

 ——青年は名をフィバル・レバンという。

 

 日に焼けた肌、灰色がかった髪の色はいずれも北方の山地に住む者たちによく見られる容姿だ。しかしその容貌は一般とは隔絶していた。絶世の美男子と断言して差し支えなかった。

 鼻梁も口元も絵で描いたよう。だが何よりもその瞳だった。

 無数の星を閉じ込めたような輝きにあふれた目には愛であれ野心であれ、あらゆる情熱が常人の幾倍も秘められていると思わせる迫力がある。

 その星も今でこそ穏やかであるが、一度激情に駆られれば烈火の如く燃え盛るであろう。

「もしかして……寝ていました?」

 隣を走る——騎獣とさして変わらぬ速さで軽々と走る人影が呆れたように言った。目深に被った帽子で顔は隠れているが、その声は少女のものである。そして快速中型の騎獣と並走する時点で明らかに獣人だった。

「ああ、ぐっすりだった」

「振り落とされて頭を打っても笑えないですよ」

 騎獣の上で器用に足を組み直し、あくびを噛み殺しながらフィバルは答えた。

「俺がそんな間抜けに見えるか? セルイ」

「残念ですが」

「ひどいやつだ。なぁウィジャ」

 ウィジャは彼がまたがる騎獣の名前である。北の言葉で《青い月》を意味する。

 セルイと呼ばれた獣人はやれやれと首を振った。確かに殺しても死にはしない男だが釈然とはしない。心配する身にもなってほしい、とばかりに。

 フィバルは荷に押し込んでいた上着を引っ張り出して頭からかぶった。雨は名残さえないが空気が冷えてきた。いよいよだろう。

 二人は林を切り開いて作られた道を進み、大きく弧を描きながら丘を越えた。すると一気に景色が転換し、巨大な山が眼前に迫ってきた。

 山の冷気が清々しく、青年はあえて深く息を吸った。

 白く(けぶ)る視界の中でさえなお雄大なラヴォイドの山。その裾野に広がるアグニアの街を見渡す。

 街とはいうものの防備に重点を置いた城塞都市という方が近いだろう。

「あれがかのアグニアか」

 

 ——思いを馳せるのはここで繰り広げられたと聞く激戦。

 

 標高3000シャード超のラヴォイドを越えて飛来してきたと言われる魔族空軍の群れ、そして地を埋めたとされる魔族の地上軍にアグニアは完全に包囲された。

 総数は十万とも二十万とも言われているが、正確な数字は誰にもわからない。全人類の総力を上げて迎え撃ったと聞くが詳細は全く伝わっていないのだ。古来の魔術を操る達人が助力しただの、魔族同士の内紛があっただの、天使の御業が降臨しただのの噂ばかりが聞こえてはくるがどれも眉唾だ。

 そしてフィバルの興味は正確にはどう守ったかではなかった。

 逆である。魔族でさえ陥とせなかった街、自分ならどう攻める?

 人口は多くて三万人といったところだろうが、まず城壁の造りもなかなかのものだ。()とすなら正攻法ではダメだろう、兵糧攻めにしても時間がかかりすぎる。大兵を導くにしても隘路が多く罠を避けられそうもない……などと益体もないことをつい考えてしまう。

「フィバル様、そろそろ」

 時間切れだった。セルイに促されて速度を落としたウィジャから飛び降りると、手綱を握って入城を待つ長大な列に並んだ。

 戦後、加熱する地下遺跡(ダンジョン)開発競争の最前線の一つがこのアグニアだった。ビルダニアまでの近さ、そして発見されるダンジョンの多さから魔石や魔道具の類の産出量が頭一つ図抜けている。

 レイヴダム皇国が他国に対し非常に有利に振る舞える大きな根拠の一つでもある。

「まず宿を探されますか?」

 ふん、とフィバルは鼻を鳴らした。

「まずギルドだ。用事は先に済ませる。宿はどうとでもなるだろう」

「かしこまりました」

「話は変わるが、もう少し対等な感じで話せないか。変に勘繰られてもつまらん。いざという時にボロが出れば危険にもなる」

「嫌です」

「命令でもか?」

 セルイは小さくうなだれた。帽子をかぶっていなければ耳を垂らしているのがはっきり見えただろう。尻尾も腰に隠しているので獣人であることはすぐにはわからない。

「別にタメ口でも構わんぞ。普段の鬱憤を吐き出してもいい。ムカついたからといって後で罪になぞ問わん」

「まずその絡みが面倒くさいです」

「お、いいぞ。もう一息だ」

「……やはりできません。これは私の性格ですから。無理に変えればいざという時にボロが出て危険です。良いですよね? フィバル様」

「ああ言えばこう言うやつめ」

 だが初めの頃よりだいぶ可愛げも出てきた、とフィバルは思う。

 自分の命を狙って寝所に忍び込んできたところを斬り合った仲であることを考えれば、大親友と結論づけても良いだろう。

 そうしてしばらくセルイをからかって遊んでいると、列はあっという間に進んでいった。

 受付での滞留も大したことはなかった。来訪目的を聞かれ冒険者と答えたが珍しくもないのだろう、ほとんど素通りで入ることができた。

 アグニアの街は想像よりもはるかに賑やかだった。

 単に隆盛しているわけではなく、どうやら祭りが近いらしいということはすぐにわかった。屋台の客引きも声に力がみなぎっており、いざ売らんかなの気合いがものすごい。

 セルイが手を引かなければとっぷりと時間を費やしてしまったかもしれない。

 フィバルが特に面白いと思ったのはほとんどの獣人が素顔のまま歩いていることだった。

 地域によっては獣人に対して辛く当たる——はっきり述べるのなら差別的な街も多い。そのようなところでは隠せるのであれば獣人は皆顔を覆ったりして人目から逃れようとする。

 だがアグニアでは何も隠さず堂々と歩く獣人が珍しくなかった。魔族との戦争、そしてビルダニア開拓という大きな事業を推進する仲間として受け入れられているというのがよくわかった。

 フィバルがうながすと、ほんの少しだけ躊躇った後にセルイも顔を包むように覆っていた帽子を取り、服の中で押しつぶしていた尻尾を出した。

 白い毛に覆われた長い耳、ふっさりとした尻尾——狐狼の魂をあわせ持つのがセルイ・シャーランだ。*1

 

 複数の店舗が軒を連ねており、中には冒険者向けらしい物騒な店もあった。棺桶屋にいたっては祈祷札*2まで叩き売りしているのだから呆れてしまう。

 ひときわ大きな建物が組合(ギルド)本部で間違いあるまい。

 途中、暇そうな一人の男を捕まえ銀貨(ルナ)十枚を見せながら荷物の管理を任せた。五枚くれてやり残りを後払いと告げる。持ち逃げされるのが怖くて自分なら絶対できないとセルイは毎度困惑するが、不思議なことにフィバルが人物を見誤ったことはこれまで一度もない。

 組合本部の前まで来ると、フィバルとセルイはしばし立ち尽くした。

「……本当によろしいのですか?」

 セルイが怖気付いた、というより呆れたように聞いた。

 視線はギルドの入り口に掲げられている看板に向けられている。

 

 ——『野蛮なお困りごとは冒険者組合へ!』

 

 思わず笑ってしまうような謳い文句だった。

 今の己にぴったりではないか。笑い声をあげながら重々しい扉を開いてフィバルはギルドに足を踏み入れた。

 笑いながら入ってくるのもそうだが、その美貌もあって周囲の視線が一気に集まった。フィバルは気にもせずに大股で真っ直ぐ窓口に向かった。

「ギルド長殿と約束をしている。ドン・モリスンの名で」

 フィバルは紹介状を渡した。受付の妙齢の女性は急に顔を赤らめ緊張させた。法都アルバの全土職業組合本部長の名はやはり伊達ではないらしい、とフィバルは思った。が、隣のセルイは違う理由であろうと確信しており主人の朴念仁ぶりにため息をこぼす。

 おそらく要人向けであろう待合室に通されしばらく待った。

 質実剛健、という感じで戸棚にある酒瓶とグラスを除けば無駄な装飾はほとんどないが、フィバルは逆にそこが気に入った。

 まもなく勢いよくドアが開いて見事な体躯の男が入ってきた。後ろに立ったままだったセルイがわずかに足の重心をずらして即応の体勢に入る。それもわかっているだろうに、巨躯の男は笑顔でずけずけと間合いに入ってきた。

「ヴァータル・アシドだ。良くぞお越しになられた」

「フィバル・レバン。後ろはセルイ・シャーラン」

 セルイは会釈さえしなかった。

 ヴァータルへの警戒を解いていない。事実、相当出来る武人だろう。

「ヴァスキル*3はお好きかね?」

 セルイは首を振ったのでヴァータルとフィバルだけで杯を交わした。一口の量をなめるように少しずつ口にする。ヴァスキルは漬け込む薬草の種類でかなり味が変わるが、この瓶にははどうやらがっつりと辛みを効かせる材料も入っているようだ。

「これは効くね」

「吐き出すやつもいるがね」

「気に入った」

 大仰に笑い、さて、とヴァータルは話を切り出した。

「この度はアグニアギルドにお声がけ頂き感謝する。モリスン会頭からは事前に連絡を受けている。ご用向はダンジョンに挑戦したいということで変わりはないか?」

「相違ない」

「これまでギルドへの登録は?」

「ない」

「ならばこの書類に記入を」

 名前、年齢、出身地、種族、死亡時の連絡先、保険金の受取先、装備品の貸与希望の有無などかなりの項目が並んでいる。

 誓約書も分厚くざっと見ただけでも内容は多岐に渡っていた。無用な破壊を慎む、依頼人に誠実である、死者の認識票は可能な限り回収する、冒険者同士の諍いは裁判で決着する、など。

「意外としっかりしている。裁判、というのが特に」

「もっと荒くれにやってると思ったかい?」

「何でも決闘で決めているのではと」

「それじゃ戦闘狂(バトルジャンキー)だらけになっちまう」

 テーブルの下から新参者への講義に使うらしい資料が束になって出てきた。

「そもそも我々はダンジョンを貴重な資源と考えている。同時に冒険者の命も非常に重視している。そのために必要なのが何よりも情報だ。当然斥候(スカウト)探索者(シーカー)製図者(マッパー)の協力は不可欠。彼らに不利な環境で人が集まるわけもない。腕っぷしは二の次だ」

 腕っぷしでのし上がったような見た目ではあるが、ヴァータルはいたって真剣であった。

 資料をめくるとダンジョンの精緻な地図、出現する魔獣(モンスター)、拾得物の履歴などが見てとれた。果てはダンジョン内部から魔獣の解剖図まで無数の素描(デッサン)もある。これだけですでに一級の書物だ。

「なるほどね。殴り込むだけが能じゃないというわけだ」

「破壊するなら焼き払いながら進めばいい。だか俺たちの目的は違う。わかるな?」

 お前もそうだろ、と言外にヴァータルは言っている。

 法都アルバの組合会頭に根回しをする男を警戒しないはずもない。ヴァータルは快活な性格を装いながらはじめからこちらを疑い、値踏みしていた。

 フィバルは無駄に誤魔化す手間を省くことにした。

「……そんなに怪しいだろうか。いかにもボンボンが金にものを言わせてダンジョン行楽をしてみよう、という風に見えるはずだが」

「見えるというか、見え透いているぞ。なぁ?」

 ヴァータルが聞いたのはセルイで、セルイはなんと肯定の頷きを返している。どうやらこの部屋に味方はいないらしい。フィバルは両手を上げていよいよ観念した。

「ひどい従者だ……ま、確かに目的はある。が、無論言うつもりもない。不純な動機があると不合格かな?」

「まさか。ギルドの秩序を乱さないのであれば何も問題はない。ただ私的な理由で気になった」

「というと?」

「事前の要望通りにあんたと旅隊を組むのに適したやつを見繕っている。ギルドとしても高く評価してる冒険者で、何より俺個人も気に入っている」

「で?」

「滅多なことはないだろうが……とはいえダンジョンだ。何か不慮の事態が起きないか心配でね。もしものことがあれば、やけ酒でも飲んでしまいそうだ。それで釘を刺しておいた」

 ドポン、と音を立ててヴァスキルをもう一杯注ぎヴァータルは一息であおった。腕にまとわりついた大蛇のような筋肉、そして刻まれた無数の傷。

 なるほど、()()()()()()()

「アグニアのギルド長は面倒見がいいんだな」

「褒めてるんだろうな?」

 鼻で笑い、フィバルは同じようにヴァスキルを並々と注いで一息で空けた。

「……企みはあるがやましくはない。信用は不要だが、心配も無用だ」

「信じよう。明日の昼に引き合わせる、書類を持ってまた来てくれや」

 紙の束を抱えてフィバルは立ち上がった。ヴァータルは有能な男だった。彼が推すのなら案内してくれる人物というのも期待できるだろう。

「楽しくなってきたなセルイ。どうだ、屋台も出てるじゃないか。さっきの酒で腹も温まった。飲み歩くぞ。金をよこせ」

「また……そうくると思いましたよ。ヨミ様の予想通りだ。でもだめです。せめて全部終わってからにしましょう」

「お前も偉くなった、俺に逆らうんだからな」

「タメ口じゃないだけ感謝してください」

 銀貨五枚を右手から放ってフィバルは笑った。銀貨は荷物を預かっていた男の手のひらに吸い込まれるように落ちていった。

 

 

*1
獣人(バルカ)の姿形は様々な獣の要素が身体に表れた容姿をしているが《魂をあわせ持つ》と言うのは最上の敬意を持った表現の一つ。なお差別的な表現は枚挙にいとまがない。

*2
聖教会の教えでは、死者を弔う葬儀では僧侶が同席し、祈りを捧げることで死後の安寧を得られるとしている。だが僧侶の人数や地理的な事情からすべての葬儀に対応できない問題がある。そのため聖教会は棺桶に祈祷文を書いた札を貼ることで同様の効果があるともしている。なおアグニアの街の規模から僧侶がいないことは考えられず、安価な祈祷札で済ませてしまおうというアグニアの人々の横着さが見て取れる。

*3
ヴァスキルは薬草を漬けこんで独特の風味を加えたこの地方の蒸留酒。酒精(アルコール)もきついが体があたたまるということで広く親しまれている。




ネタバレなんですが、重要人物です


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第四話 邂逅

 夜明け前に目が覚めた。

 セルイはしばらくベッドの中でもぞもぞと姿勢を変えた。冬の早朝ほど()()()()()であることに感謝することはない。

 だがまもなく踏ん切りをつけて寝床から起き上がった。アグニアの朝は寒い。白い息を吐きながらセルイは服を着込んでいく。*1

 上衣の下には防具も兼ねて革製の胸当てを締める。以前より少し苦しく感じたが、セルイは力任せに締め直して上衣をかぶった。

 こんな部分いらない、と思っているのにいつの間にやら育っている。

 セルイの外見は比較的()()*2に近く世の中に溶け込みやすいが、不満だった。内心もっと激しく獣化した容貌になりたいと考えているというのに、気づけばどんどん女らしい体になっている。*3

 階下に降りると宿屋《安眠亭》*4女将(おかみ)が驚いた表情でこちらを見た。

「何か?」

「いえね、昨日はたんまり飲んでらっしゃったもんだからお昼までぐっすりだろうと思ってたんですよ。お強いんですねぇ」

「えぇ、まぁ」

 昨夜はフィバルがえらく上機嫌だったので長い夜になった。宿屋に併設の酒場で居合わせた客らに二十杯はふるまい酒を配ったのだから相当だ。

 ヨミ・デボンから渡された金はまだ十分あるとはいえ、気を引き締めなければ今度は稼ぐ側としてダンジョンに潜る羽目になりかねない。

「できれば先に朝食を頂きたいのですが」

「もちろん。すぐにご用意を」

 宿屋の酒場は朝と昼は食堂になるらしい。

 昨夜酒を注いでいたのは宿の親父だったが、食堂は女将が切り盛りしているようだ。朝のメニューは一種類しかないらしく、座ると黙って料理が運ばれてきた。

 味付けしたひき肉が中身の卵の包み焼き、見たことのない果物が丸々一個、手羽先と香草を煮たスープ、そしてパンにはバター。

 飲み物には熱い湯で割った蜂蜜酒(ミード)が出されたが、妙に強い香りが気になった。

「この香りは?」

「ビルダニアで採れる香辛料(スパイス)でしてね、飲んだ次の日に最適です」

 細かく刻んだ香草(ハーブ)のようだ。草花でさえも根こそぎ食用に利用しようという貪欲さに思わず笑いそうになる。

 セルイは女将の目を盗んで蜂蜜酒に息を吹きかけて冷ましながら少しずつ口にした。酒にも毒にも無類に強いが熱い飲み物だけは苦手だった。香草のおかげで蜂蜜酒特有の甘ったるさが消え、舌にピリリと辛味だけが残り爽やかである。目が覚めるような味だった。

 続いて食事にも手を伸ばしたが、どれも妙な風味が必ず混じる。同時に美味い。おそらくそれが最適解だろうと予測して卵をパンに挟んで口に運んだが……案の定抜群に合う。蜂蜜酒で流し込めば完全に仕上がった。

 昨夜の酒席でも思ったが、アグニアの食事は滋味に富みながら同時に刺激的だ。様々な地域から人が集まるからか、調理の発想(アイデア)が自由で多彩なのだ。中には新奇で突飛すぎる味もあるが総じて悪くなかった。

 完食し、二杯目の蜂蜜酒を冷まし始めたところでフィバルも下りてきた。胸元まで開いたあられもない姿で頭をかいている。見るからに二日酔いの体たらくだ。

「風邪ひきますよ」

「ああ……」

 わかってはいてもどうにもならないらしい。

 従者だが使用人ではないので()()はしても身の回りの世話までする義理はない。セルイは長椅子でぐったりするフィバルを横目に引き続き蜂蜜酒を楽しんだ。

「あらやだ、旦那様そんな格好で」

 女将は恥ずかしそうに手で顔を隠しながらもしっかり目は向けていた。アグニアでは到底拝めない美しき痴態であろう。

「悪いな女将……飯は食えそうもない。水だけくれるか?」

「それは構いませんが、湯で割った蜂蜜酒もいかがです?」

「セルイ?」

「美味しいですよ。二日酔いにも効くらしいです」

「なら、くれ」

「良ければ風呂屋も呼びましょうか」

「風呂があるのか?」

()()()、です。一時間銀貨(ルナ)一枚ですが」

 フィバルの目に生気がよぎった。香辛料より好奇心が先に二日酔いに効いたようだ。

「是非頼む」

 あんた! と大声を上げて女将は主人を使いに走らせた。

 フィバルほどではないがさすがにセルイも興味がある。風呂屋を呼ぶというからには設備を持ち込んでくるのだろうか? 相当な代物になりそうではあるが。

 はたして十分と待たずに風呂屋はやってきた。

 大型長毛種が()騎獣荷車(ワゴン)に乗って現れたのは、真っ赤な帽子をかぶった少年だった。こんなに寒いというのに膝を出したままの薄着で、上着は逆に大きすぎて袖を折って着ているという不自然な格好。

 少年は手綱を放すと荷台に飛び乗り、商売人らしい笑顔を浮かべた。

「へへーい、まいど! 冒険者兼、魔道具屋兼、今は風呂屋のキャナン・レッカ参上! ラクスカブルスカ!」*5

 キャナンと名乗った少年は荷台から飛び降りると女将から料金を受け取り支度に取り掛かり始めた。積んでいた大きな風呂釜を宿屋の中庭に据え付け、さっそく魔石を並べ始める。

 アグニアでは街中に石造りの水道が走っており、川の水を巡らせている。キャナンは宿屋の真下に通っているそれを風呂の湯として利用するようだ。

「これはどういう仕組みだ?」

「魔石で湯を沸かすんですよ、旦那」

「それは見ればわかる。聞いているのは水の汚れをどうするか、だ。水の魔石を使うんだろうが、沈めて清めるだけでは日が暮れるぞ。どうする?」*6

 ああ、とキャナンは笑った。

「決め手はこいつ」

 キャナンが懐から取り出したのは格子模様に穴の空いた丸い板だった。

 確かに精巧な細工ではあるが……とよく見たところでフィバルはうなった

「これは……水の魔石を格子にしているのか? なるほど、水の通り道にこれを置けば素早く水を浄化できるというわけか」

 少年は口笛を吹く。

「御名答! 旦那、いい目利きをしてらっしゃるね? そう、水の魔石の効力ってのは大概が接している面の大きさによるんでさ。じゃあ穴を開けて当たる面を増やせば効率が上がるってわけ。あとはこれを火の魔石で沸かせば仕上がり」

「見事だ。加工も君がやったのか?」

 へへん、とキャナンは胸をそらせる。

「手先は器用な方でして。さてではお客様、そろそろ湯浴みのご用意をば」

 石の水道管を通り、綺麗に濾過された水がみるみるうちに風呂釜へ溜まり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湯上がりのフィバルが食堂に戻ってきた。

 女将がまぁ、と歓声を上げる。 

「ご立派になられて!」

 (ひげ)も当てて着替えも済み、長い髪を編み上げたフィバルの姿は確かに見違えた。

 褐色の肌に艶も戻り、鋭く大きい瞳が輝いている。

「だいぶ良いようだ。朝食はまだ出せるか?」

 もちろんと答えて厨房に引っ込もうとする女将に、二人分頼むとフィバルは付け加えた。

 食卓に朝食が並び始めると、片付けを完了させたキャナンにフィバルは声をかけた。

「少年、朝飯はまだだろう? いい湯を馳走してくれた礼だ。時間があるなら食っていけ」

「いいんですかい? やったぜ!」

 キャナンは相当空腹だったようで少年らしい頬張り方で勢いよく平らげていく。

「さっきの水を綺麗にした魔石の網、あれはお前が作ったのか?」

「これですか?」

 キャナンが差し出した板をフィバルは手に取りまじまじと見る。

「よく出来ている。魔石の加工は難しいと聞くが」

「ま、手先は器用な方なので」

 ラクスカブルスカ、と唱えて右手に握っていた果物を消す。あっ、と言った時には左手に握られていた。いたずら小僧らしい笑みを浮かべて、キャナンは皮ごと果物を勢いよくかじった。

「面白い。率直に言うが、売って欲しい。いくらなら買える?」

 ええ、といかにも嫌そうにキャナンは顔をしかめた。

 

 ——さて……と、果物をかじりながらキャナンは考える。商売道具を手放せば次に手に入れるまでの間は収入が途絶える。もちろん他にも稼ぎの口はあるが……

 

 キャナンは断るつもりで親指を立てた。法外な値段と言えるだろう。宿の女将は出入りの業者が上客に吹っかけたもんだから、怒鳴り散らそうと腕まくりする。

 しかしそれをフィバルの声が遮った。

金貨(ソル)一枚だな? よし払おう」

「いや、旦那!? マジ?」

()()さ」

 今度はフィバルが唱える番だった——ラクスカブルスカ。

 袖から無造作にこぼれ落ちてきた金貨は、狙いすましたように少年の手のひらに収まった。キャナンは目を剥いた。お目にかかったことはある。だがこいつを自分が手にする日がくるなんて!

 少年は手元の輝きと、目の前の男の顔を交互に何度も見比べた。まばゆいばかりの金貨より、この男の笑顔の方がまぶしく見えるのが不思議で仕方がなかった。

 フィバルは言い聞かせるように言う。

「キャナン、手先の器用さもそうだが発想が気に入った。どうだ、俺についてこんか」

「えっ?」

「作りたいものがもっとあるのではないか? だが金や他の事情で十分とはいえない。そうだろう? 俺と来ればその全てを解決してやる」

 たらしめ、と隣で聞いていたセルイ・シャーランは無表情のまま毒づいた。自分の美貌に無頓着でありながら押しの強い男という生き物ほどたちの悪いものもそうはない。さらに金払いもよく、人の気持ちを汲む能力まであるとなれば手がつけられない。ダヤバディードの街でどれほどの女がこれで人生を誤りかけただろうか。

「あの、旦那……」

「もちろんすぐにとは言わん。いつでもいい話だ。だからまずは俺を上客として扱ってくれ。決して損はさせん。あらためて言っておこう。俺の名はフィバル・レバン。良い出会いであると信じてほしい」

「へ、へい!」

「もう一つ言っておく。その金貨には手付けの意味も含まれている。次も()()のは許さんからな?」

 なぜかフィバルはキャナンの帽子の上に手を置いた。それは、偶然人も彼の父親そっくりの手付きだった。戦傷で一昨年死んだ父も、事あるごとにこうしてよく頭を撫でてくれた……

 

 ——やられた、と思いながらキャナンは一歩後ずさった。そして帽子を取って敬意を示す。商売人が人に惚れちゃおしまいだ、というのもまた父の教えた言葉だったから。しかしこんなに清々しいというのは教えちゃくれなかった!

 

 去りゆくキャナンを見送ると、フィバルは書き物を始めた。

 手帳に軽やかにペンを走らせながら、時おり足を組み替えては思慮に耽る。

 ぞんざいなくせに華麗な所作だった。宿屋の女将もうっとりと見惚れている。

 セルイが見たところ、二日酔いはすっかり失せて本調子である。

「面白い街だ」

 話しかけるのは相槌が欲しいということだろう。

「気に入られましたか」

「創意工夫に満ちている。いまだ旧態依然としたダヤバディードとは大違いだ」

「国に持ち帰るおつもりですね」

「これからの我が国の行く末に色々と役に立ちそうじゃないか、なあ?」

 まるで国を左右する力を持っているかのような物言いだった。

 さもありなん。

 彼は名をフィバル・レバンと名乗ったがそれは一部でしかない。

 

 ——正しくはフィバル・ゴルンバシュア・ボーバン=ラオ・レバン・ダヤバディード。*7

 

 ラザン帝国第七代今上帝(きんじょうてい)、その立太子であるズファーファン紅緑王の御落胤こそが彼フィバルなのだ。*8二兄三姉二弟二妹に囲まれた第六子。王位継承順位第九位。ガーダンフント州の都ダヤバディードにて州全域を従える総督でもある。

 その美貌と力を評し、ラザンの人々は彼を《メジャの灮鳥(フォーン)*9と称賛する。

 

 正真正銘の帝王の血。

 そして野心と異才を秘めた砂漠の獣。

 昨年の内戦では自ら新設した魔杖騎兵を先頭で駆り、反乱を企てたメライダス王の軍を粉砕、鎮圧した。すでに高齢にあらせられる今上帝の後代を継ぐであろうズファーファン紅緑王即位の際は、その右腕に不足なしとして余人の評価はとどまるところを知らない。

 しかし若き獣はいまだ奔放で、恐ろしいまでの好奇心と行動力ですぐに城を飛び出てしまう。

 彼はいま、自らが知るべき事実を知るため、国境を越えてアグニアにやってきた。セルイはそのお目付け役を仰せつかった、彼がもっとも信任する幕僚の一人であった。

 手帳を閉じるとフィバルは立ち上がり、外套(マント)を翻して歩き始めた。

「出るぞ」

「どちらへ?」

 答えもせずにさっさと外に出てしまった。表情は始終穏やかなのでかなり上機嫌なようだ。セルイもまた一歩も遅れずにその後ろにピタリとついた。

 広場の塔に掲げられている大時計*10を見るが、約束の時間にはまだ少し早い。

「昨日はろくに見て回りもせずに帰ってしまったからな。せっかくだ、冒険者という仕事をもう少し知っておきたい」

 本当に冒険者として登録しかねないな、とセルイは聞こえないようにため息を吐いた。

 

 ——昨日も思ったが組合は活気に満ちていた。ここに来れば仕事がある、というのがまず大きい。活気とはつまり収入のあてがあるかどうかで決まるのだから。

 

 所狭しと貼られている応募紙をかたっぱしから見て回る。

 日時と期限、業務内容、報酬、条件、必要となる技能(スキル)などの記載がある。

 それぞれ番号が振られており、その数字を応募用の別紙に記入するという仕組みらしい。剥がしてもいいようにどの案件も複数枚が束になって貼られていた。

 ダンジョン攻略だけが仕事でもないようだ。輸送の護衛から害獣の退治、なんと土木工事の請け負いまである。土木建築の職業組合は別にあるというのにわざわざここに貼られているということは、危険で特殊な業務ということなのだろう。

 二人でまじまじと応募の束をながめて回った。興味が先走って長居をしてしまったのだろう、やがて背後から声がかけられた。

「どいてもらえる?」

 

 ——振り返ると少女がいた。

 

 背はセルイよりも低い。

 子供に見えるほどだが立ち振る舞いに隙はない。書類に目を通しながらも周囲を警戒していたセルイが気づかないほどの気配のなさ。

 常人の見方では見目麗しいと言えるだろう。黒髪をざっくりとまとめ、武装は腰の短剣だけ。

 フィバルとセルイが場所を譲ると、ざっと目を通して二、三枚の依頼書を剥がしていった。どれも高報酬、高難易度だ。いずれもダンジョン内部への侵入を前提にした依頼(クエスト)である。

 即座にきびすを返して去ろうとする少女。だがここでフィバルが動いた。

「待たれよ」

 少女は立ち止まり、振り向きもせずに答えた。

「なに?」

「その依頼(クエスト)は君が受けるのか?」

「用紙ならまだあるでしょ」

 壁を指差す。絡むんじゃない、と背中が語っていた。

 だがそんな空気をフィバルが読むわけないことをセルイはうんざりするほど知っていた。

「うむ。だが君の実力が気になった。荷が重いのではないか? それとも旅隊(パーティ)の仲間と相談するのか?」

 少女はあらためて向き直った。やはり隙がない。怯えは欠片(かけら)も見えず、怒りはあるだろうに押し隠してしまっている。この歳でここまで自分を律することができるものなのだろうか。

「私は基本的に単独(ソロ)だけど?」

「ほう。では名のある冒険者と見たが」

「おのぼりさんに名乗る必要はない、かな」

「これは手厳しい」

 セルイ・シャーランは戦慄した。

 フィバルが牙を剥き、獣のように笑っていた。

 いつも何かを真剣に欲した時、彼はこの表情を見せる。先程の水の魔石の加工品の時でさえ見せなかった顔だ。

 フィバルの思惑を測りかねていたセルイもようやく得心がいった。

 

 ——()()()、ということか。

 

 つまりこの小柄な少女が()()()()()、とフィバルはそう判断した。

 セルイが主人の眼力を疑うことはもはやない。

 そうでなくては、ダヤバディードに揃った面々の説明がつかない。中には星辰名簿(ゾディアックリスト)*11に名を連ねる者が四人もいるのだ。

「俺たちと組まないか?」

 声をかけられた少女は胡散臭そうにフィバルの全身を見回して顔をしかめた。

「アホなの? 初対面で隊を組むやつなんているわけない」

 少女はにべもない。フィバルは怒りもせず、引きもせずに声を張る。

不躾(ぶしつけ)な挨拶だったゆえその返答も当然のこと。だがぜひお時間をお借りしたい。我が名はフィバル・レバン! このような組合にはほとんど初めて来たのでな。俺には君の力が必要なようだ」

「……無理。先約がある」

 去ろうとする少女を、笑いながらフィバルは追う。是が非でも引かないつもりらしい。

「奇遇だな。私も先約があるのだがそれを押してでも君と話したいと思っている」

 言葉が通じないと判断したのか、少女は半身になり腰に手を伸ばした。ここでセルイも前に出た。ビンタくらいなら是非見たいが、もし武器に手をかけるのであればフィバルの護衛として仕事にとりかかることになる。

 少女は初めてセルイを見た。

「……あんた、そいつの護衛?」

「だったら何か?」

「苦労してそうな顔」

「今まさに、ですけど」

 フィバルも止めない。試してみろというところか。いざとなれば()を使うことにもなり得るだろうが、さて——セルイがそう考えた時だった。いやらしい罵詈雑言が四方から飛び交ってきた。

 何か面白げなことが始まったらしいと物見高い冒険者たちが集まり始めたのだ。

 物騒で下品なひやかしが応酬し、笑いが起こる。決闘を煽る声まで聞こえた。周囲からすればフィバルとセルイがまるで因縁をつけているようにしか見えだろうし、事実そうなのだからどうしようもない。

 やがて聞き覚えのある第三者の声が飛んできた。

「おいおいどうした、なんの騒ぎだ? 喧嘩ならよそでやれや!」

 ギルド長であるヴァータル。粗野な人間が多い冒険者組合で揉め事は尽きないのだろう、手慣れた様子で人だかりをかき分けてやって来た。

 少女とフィバルとヴァータルが同時に叫ぶ。

「助かった! なんかヤバいやつに絡まれて……今から例の打ち合わせでしょ? こいつ追い払って!」

「ヴァータル殿! 俺はこの人を気に入った。すでに対応頂いたところ申し訳ないが、同行者はこの方に変更して頂きたい」

「なんだあ? あんたら先に会ってたってたのか。よくやったクロエ、手間が省けて助かるぜ!」

 三者三様の表情で首を傾げる。

 だがやがてフィバルは満面の笑みを浮かべ、少女は顔を青ざめさせ、ヴァータルは満足げに頷いた。

 ヴァータルが斡旋した冒険者とは、この少女だったのだ。

 フィバルは高笑いを上げ、奇縁と運命に向けて派手な感謝をあらわし先陣を切って歩き出した。クロエと呼ばれた少女はヴァータルに引きずられるように歩く。

 さすがにセルイも同情した。

 

 

 ——この出会いが全ての始まりであることを、今はまだ誰も知らない。

 

 

 

*1
それぞれ差はあるものの体毛が発達している獣人の場合は寒さに強く睡眠時は服を着ない場合が多い。中には汗腺のない獣人もいて、着替えの頻度も少ない。獣人にとって衣服は社会生活のためだけに着るものと考えるのが一般的。

*2
この場合は獣人でも魔人でもない、普通の人を意味する。

*3
獣人の身体的特徴は両親どちらとも異なる場合もある。中には変化に戸惑い苦しむ者もいるが、獣人共同体に所属しない個人では悩みを共有する場もなく自己解決するしかない。身体への違和は多くの獣人にとって生涯付きまとう問題である。

*4
アグニアには各地から人がやってくるため、店の看板や広告は非常に簡単な言葉で書かれるが多い。店名も同様である。レストランであれば《うまい屋》など。

*5
ガナリス・ホーデンが収集、編纂した口承民話に『ゴドノの魔女』という話がある。西の果て、ゴドノという名の丘に人の願いを叶える魔女があり、遠方からも訪ねるものが絶えなかった。魔女は願いを叶えると依頼者に必ず同じことを言った。月に一度、晦日の夜に「ラクスカブルスカ」と唱えよ、と。ある日大金を手に入れた男が呪文を唱えるのを怠った。すると翌月から突如として商売は滞り、男は次のひと月の間に全ての財産を失った。復讐に狂った男がナイフを手にゴドノの丘に行くと、あったはずの屋敷もなくもちろん魔女も現れなかった。この話を原型に様々に派生した物語が各地に伝えられたが、いずれも「ラクスカブルスカ」という呪文だけは変わらず、まじない遊びの言葉として人々に広まった。ヴァリ統治時代以前に成立した話とされている。

*6
水の魔石は一般的に飲料水の確保のために用いられる。魔石を浸して術士が魔力を込めれば飲料水程度であれば数分程度で用意ができる。

*7
フィバルは名、ゴルンバシュアは《偉大なる炎》を意味する古語でありラザン帝を賛美する称号、つまり帝位継承権を持つことを意味している。ボーバンは父名、ラオは母名、レバンが家名、ダヤバディードは都市名だがこの場合は領主であることを表している。

*8
ラザンでは当代の帝は死後に諡号されるが、各地を収める王は即位の際に吉兆を得るために称号を賜るのがならい。

*9
ラザン建国神話に登場する全身を火に包まれた三つ首の鳥。ヴァリ打倒後、二分した大陸をわかつメジャ山の頂きに現れ、光り輝きながら初代帝であるマーハーンの元に現れ鳴いたという伝説がある。生涯に三度鳴くとされ、その一度目は栄光の始まり、二度目は帝国の絶頂、最後は終焉に鳴くとされている。呼ぶ者とは、つまり帝国を最高の繁栄に導く者という賛辞。なおラザンでは火を神聖視し、光と同一視することから本作では「光」ではなく異体字の「灮」を採用した。

*10
魔石は封入された魔力の量によって出力される現象をある程度操作できる。さらに形状を加工することで魔力の流路を操作する機能を与えることもできる。原始的ではあるがつまり回路である。低出力長時間魔力を放出する魔石と、その魔力がある一定量蓄積すると瞬間的に発振する機能を持つ魔石を組み合わせることによって、いわゆる燃焼時計となる。つまり、この世界では一秒は定義されている。

*11
琥珀柱(ラ・ホース)が公表する名簿。当代各分野の最高峰と認定された者が名を連ねる。物語現在時点で六十五名。




設定はいずれどこかでまとめるつもりです。


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第五話 共犯

 騒ぎを嫌ったヴァータルはうるさい子猫*1放り込むように全員を上階の自室に押し込んだ。

 いかにも片付けるのが不得手であろう彼の私室には書類が山と積み上げられており、一行が蹴り込まれた拍子に紙束があちらこちらでドサドサと崩れてしまう。

 階下からはやんやと囃し立てる声が止むことなく聞こえてくるが、騒ぎは間もなく酒の肴として供されるに違いない。クロエは組合でも目立つ存在だ。明日にはアグニア中の噂になっているはず。

「……ったくもう!」

「んっ、面目ない」

 生返事のフィバルに反省の様子は見えない。

 だが非難はクロエよりも先に室内の先客から上がった。

「るっさいなぁ! 一体なんの騒ぎだっつーの!」

 美しい栗色の髪を両脇で結んだ可愛らしい少女が腰に手を当て呆れている。

 小柄ながらも腕組みしている姿は威風堂々である。立ち居振る舞いと啖呵の切り方に隙はないが、だからなおのこと左足の義足が目を引いた。

「おうヴィヴィちゃん。客だ。悪いがなんか飲み物頼む」

「別にいいけどさぁ、普通に入ってきなよヴァータル! せっかく片付けたってのに……」

「ヴィヴィちゃん、バタバタとごめん」

「あっ、クロエちゃんもいたんだ! ッシャ行くぞオラ!」

 右手の平、右手甲、右拳(うぇいうぇいうぇーい)

 握ったまま上に下に(よいしょよいしょ)

 円を描いて右肘左肘(イヤホイホイ)

 気合を入れながら二人にしかわからない複雑な握手を決めるヴィヴィとクロエ。長年の悪友のようなやり取りである。

「うっし、飲み物ね。私も入れて……五人分! 了解!」

 たちまち機嫌を直したヴィヴィはカツンカツン、と足音を立てながら部屋を出ていった。

 セルイが不思議そうに聞く。

「……今の方は?」

「ヴィヴィ・グンター。俺と同じ旅隊だった。現場は半分引退してるようなもんで、ここでは俺の秘書だ。クロエとも古いな?」

「うん。女の冒険者仲間っていうのもあるけど気が合って。基本ずっとダチんこ」

「ヴィヴィ殿は」

「ヴィヴィちゃん」

「ヴィヴィちゃんだ。あと絶対に年齢は詮索するな」

 クロエとヴァータルがほとんど同時に注意した。

 どうやら間違えてはならないところらしい。セルイは息を飲んで言い直した。

「……ヴィヴィちゃん殿は左足の怪我が原因で現役を退かれたのですか?」

「いや、あれはもっと前からだ。あいつは片足義足でダンジョンに潜っていた。なぜそんなことを聞く?」

「かなりの使い手と拝察しましたので」

 ふうん、とヴァータルはセルイを見た。出来るやつとは思っていたがやはりただの供回りではないらしい。

 あの身なりと義足からヴィヴィの実力を見抜く者は少ない。ヴィヴィはヴァータル隊でも前陣配置の速攻役だった。本人は嫌がっているが凶悪な二つ名まで持つ。

 並の冒険者なら十人からでも()()()()()しまうだろう。

 そのようなヴィヴィの実力をフィバルはどう評価するかと思いヴァータルは目を向けた。

 ヴァータルの目利きではフィバルもただのボンボンではなく相応の使い手——クロエにいきなり声をかけたその観察眼に一目置くところもあったからだ。

 しかしちらりと盗み見た褐色肌の美男子の視線は、ヴァータルでもヴィヴィを追うでもなく、目の前の不貞腐れた少女にだけ向けられていた。

 

 ——()()()()()()

 

 それははっきりしたものではなく、曖昧で、たゆたう揺らぎのようなもので、実態のない陽炎にも近しい何か。

 だがフィバルには見えた。優れた人ほど必ず、そして激しく。

 それが武力であれ、知力であれ、はたまた魔力であれ。一頭地を抜くような人材は誰であれ。

 その力があったから地獄のような宮中の(やしろ)で生き残ることが出来たのだと確信している。

 目の前に座る少女を見ながらフィバルはこれまで志を共にしてきた仲間たちの顔を思い浮かべた。おそらくミーヤッタ、あるいはヨミ・デボン以来の人物ではないかと。

「……なに?」

 どうやら嫌われたようではあるが。

 ヴァータルが笑いを噛み殺しながら言う。

「そう尖るな。変人でも変態でも金さえ払えば依頼主だ」

 隣でセルイ・シャーランが顔を伏せて獣人特有のピンと張ったひげを震わせているが、こらえてるのは怒りではなく笑いであることはひと目でわかった。

 後で仕置きを与えてやる。セルイにどんな無理難題を吹っかけてやろうかと想像してフィバルは他人事のように笑った。クロエだけが「何が面白いんだ」と腕を組んだまま憮然としている。

 そうこうしているうちにヴィヴィがお盆片手に戻ってきた。土色の素朴な焼きもののカップに注がれているのは茶を獣乳で煮出したもので、この地域ではよく飲まれるものだ。安物の茶葉でも味わい深く楽しめるので重宝されている。

「で? そこのゾッとするような美男子と見覚えのない獣人(バルカ)ちゃんはどちら様?」

 デン、と椅子にあぐらをかいてヴィヴィがうながした。

 ヴァータルは渡された飲み物にたっぷり砂糖を加えながら話し始めた。意外と甘いもの好きらしい。

「法都アルバからの紹介状を持って来られたフィバル殿とその従者のセルイ殿だ」

「ああ、ハゲ頭のドン・モリスンから紹介されたやつね。そんな胡散臭い縁故案件にクロエちゃんを見繕ったわけ?」

「お前だったらどうする? ヴィヴィちゃん」

「……ま、ガルファンやコルスローって選択肢もあったろうけどね」

 歯切れは悪いがヴィヴィにも異論はないようだった。ガルファンもコルスローも優秀な冒険者だが癖が強い。他には出払っている、旅隊は固定が条件、同行者を殺しかねない荒くれ者などケチが付く冒険者ばかり。

 ヴァータルは傷だらけの大きな手で自分の膝をがっしりと掴み、あらためて言った。

「では依頼主殿。少しバタバタしたが約束通り紹介しよう。我らアグニア組合が推薦する冒険者、クロエ・ファルクだ」

 雑に足を組み、カップに口を付けながら少女はよそ見をしたま会釈した。砂糖なし。渋い顔にぞんざいな仕草。雇い主に愛想の一つもない。しかしギルド長から太鼓判を押される冒険者。

「気に入った」

「気に入らない」

 なおのこと気に入った。

 とは口には出さず、フィバルは小さじ半分だけの砂糖を加えて卓上の地図に指を立てた。

「ならば俺もあらためて依頼内容と条件を提示しよう。目標はスピナ湖から北北東二十五リートに位置する通称ミレイと呼ばれる地下迷宮(ダンジョン)だ。目的は最深部までの探索、そして道中得た成果物の確保だ。同行した上で無事に連れ帰って欲しい」

「それが不思議なんだけど、なんでわざわざ依頼主がダンジョンにもぐる必要が? 自分で行くなら依頼すんなし」

 難癖をつけるヴィヴィにフィバルはもっともらしく頷いた。

「金持ちの道楽だと思ってくれて構わない。ダンジョンにもぐったことがある、それを郷里の仲間に自慢したいのだ」

 独立都市ヤイシュ*2から陸路で諸国漫遊の旅に出てはや半年、各地で見聞を広め珍品を買い漁った。最後の目的がここアグニアから魔境ビルダニアに足を踏み入れ地下迷宮(ダンジョン)に挑戦するというもの。郷里の父と親友らに武勇伝を持ち帰り、商家の後継ぎとして盤石だと認められたい。

 

 ——そういう設定だ。

 

 朗々と歌い上げるように言ったフィバルは最後に親指から順番に指を五本立てた。

「報酬は経費込みで金貨五枚を前払い」

 あらまぁ! と途端にヴィヴィが色めき立った。ヴァータルもひげをしごきながら思案の様子。

 疑いの余地なく破格。

 この条件で断る冒険者などいるわけない、と誰しもが思う。一階に張り紙を貼ったなら人死にが出る勢いで奪い合いが発生するだろう。

 しかしまるで他人事のように頬杖を突いたままクロエは手を上げた。

「断る」

 あぁー、とヴァータルは天を仰ぐ。そっと手を上げ立候補しようとするヴィヴィ。侮辱されたように顔を(しか)めるセルイ。

 何一つ動揺していないのはクロエとフィバルだけだった。

「クロエ殿、理由を聞いてもいいだろうか」

「胡散臭い」

「もっともだ。だが断る理由にしては弱いと思うが」

「信用できない依頼は身に危険を及ぼす。十分すぎる理由でしょ。他を当たれば?」

 いいや、とフィバルは身を乗り出して言った。

「人を指弾するのなら告発者はせめてその理由を正確に述べるべきだろう。本当は何が気に食わない? それを聞かないままでは納得がいかんな」

 クロエは手元のカップの中身を飲み干した。いつでも帰ってやる、という気持ちが仕草に現れている。

 そのまま席を立っても良かったろう。だがフィバルの熱意は本物だった。クロエは最低限の誠意を示すように答えた。

「ときめかないから」

 しん、と場が静まった。

 この言葉を聞いたなら、中には笑う者もいるだろう、とセルイは思った。だがその場の誰も笑う者はいなかった。それほどクロエの表情は真剣だった。

「おしゃぶり咥えてお()りをしてもらいながらダンジョンをぶらついて、それで冒険者を気取りたいって? バカバカしい。私はそんな遊びは手伝わない」

 座ったまま前のめりになり、クロエは言葉を続けた。次第に熱がこもる。

「このアグニアは魔族との戦争じゃあずっと最前線だった。たくさんの人が命を落としていった。戦争が終わった今でもここはビルダニア開拓の最前線だ。のんびりした金持ちたちが金貨(ソル)銀貨(ルナ)をちらつかせて貼り付けた依頼に、私たち冒険者は命を賭けて挑んでいる。それは、いい。納得しているから。けど物見遊山で遊びにくるやつは嫌いだ。私は魂を預けられる人としか組まない。旅隊(パーティ)の絆は血よりも濃いんだ」

 静かな怒りだった。まだ十五か十六だろうに、冷たく沈んだような黒い瞳の色も相まってセルイは思わず気圧された。凄みがあった。それは戦場に立つ一級の将が持つものに匹敵する迫力だった。

「それにあんた、嘘ついてるでしょ。ギルド長だって気づいてるよね? そんなんでいいの?」

 うっ、とヴァータルは言葉に詰まった。確かに危険が少なく金払いのいい依頼者は組合にとっても得しかない。何せ組合の取り分は報酬の二割なのだ。その隣では挙手しようとしていた手をさりげなく引っ込めてうんうんと頷くヴィヴィ。

 ヴァータルもクロエに無理強いするつもりは毛頭なかったが、金貨の量に目がくらんだ——いや、それよりもフィバルの人柄かもしれない。奇妙な魅力がこの男にはある、その美貌だけではなく人をその気にさせてしまうような、異様な魅力が。

 なぜだ? とヴァータルはフィバルではなくクロエを見た。なぜクロエは冷静でいられた? あるいはこの娘は自分が考えているよりも、もっと大きな何かを持っているのかもしれない。

 これでしまいだ、とばかりにクロエは言った。

「お金は欲しい。けどボンボンが酒飲みついでに披露する慰み話のネタにされるくらいなら、未開拓の大地に一歩でも深く突っ込んで行く方を選ぶよ」

 生意気だが真っ直ぐで筋が通っている。そして賢くも熱い。

 セルイは感情を飲み込んでカップを手で包んだ。まずいな、と憂鬱になっていた。いかにもフィバル好みの性格だ。借金してでも……いや、この街を攻め落としてでも連れ帰りたいなどと言い出しかねない。ようやく猫舌の自分にも飲めるほどまでに冷めたカップに口を近づけ、セルイはちびちびと舌を伸ばして茶を飲んだ。無茶なことになればヨミになんと言い訳しよう? だがもう無理だ。なにせ()()()()()()()()

 フィバルの顔からはもう先程までの軽薄な——見せる用の笑顔はすっかり消え去ってしまっていた。彼が何かに本気になる時になった時だけ見せる顔、本当の笑顔がそこには浮かんでいた。

 神話に登場するような美貌の持ち主は、しかしその優美な宝を力任せにひしゃげさせていた。怖気をもよおすような、欲望を全面に出してしまったあられもない獣の顔。いやらしくもおぞましい獰猛さを滲ませているというのに、されど美しい異様な笑み。

 気の狂った賭博人が地獄の鉄火場で浮かべる顔でフィバルは言った。

「目的は天使の聖鎧だ」

 

 ——立ち去ろうとしていたクロエの足が止まった。

 

 セルイが息を飲む。まさかそこまで言ってしまうとは! ことの重大さに戦慄し、全身の体毛が戦闘時のように逆だった。帝国の行く末さえ左右する話かもしれないというのに!

「……正気? あれっておとぎ話でしょ。先史時代の天の兵装。神が遣わした天使の鎧。けど天使は梯子を降りれなくなってもう助けてはくれなかった」

「冒険者の心意気を説いた者が正気を問うのはやめることだ。問うのならば狂気を問え。狂気の()をな。天地戦争について教会は真実を伝えてはいない。天使はいた。人はその技術を模倣し武器とした。ダンジョンに眠る先史時代の失伝魔道具(アーティファクト)が何よりの証拠だ」

 金持ちのボンボンなど嘘だ。ここに座っているのは狂人だった。聖教会の述べる事実を全て否定している。聖職者が聞けばたちどころに異端審問所に引きずられ、大陪審にかけられる程の発言だ。

 野心にとりつかれたあまりに美しくも狂った男が続ける。

「俺は本気だ。俺と来い。俺を連れて行け。そして俺とともにそれを探し出せ。天使の墓を暴き、世界の(ことわり)を覆す」

 ときめいたか? とフィバルが聞く。

 浮かんだ笑みが、クロエの答えであった。

 神話に逆らう共犯がここに成立した。

 

 

 

 

*1
猫はいる。

*2
ラザン帝国、レイヴダム皇国の間に位置する小国。山間の要害に位置しており、両大国の攻勢に耐え続けた。銀を豊富に算出するため経済的にも豊か。




3月1日に転職してもうめちゃくちゃ忙しくなってしまってなかなか書く時間がありませんでした。ちょっとずつですが頑張ります。


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