ドレスだけじゃ物足りない (フユキ )
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ドレスだけじゃ物足りない①

「あら……それは大変ね」

 

 すっかり秋の深まった土曜日の休日。唯我家の居間には電話をする花枝の声と、成幸のシャーペンの音が響いていた。

 特別VIP推薦を目指すことをやめた以上、今までよりも勉強に打ち込まなければならない。音羽体育大学でのオープンキャンパスなどを通して大学生活をイメージし終えた成幸は、以前にも増して自主学習に打ち込んでいた。

 

「わかった、聞いてみるわ。成幸ーちょっといい?」

「いいけど何?」

 

 そんな成幸に花枝が呼びかけ、成幸は勉強の手を止めて返事をした。貴重な勉強の時間とはいえ家族の頼みであれば聞かない理由もない。

 

「あんた店長さん覚えてる? 天田千代子さん。何度かバイト行ったと思うんだけど」

「ああ、あの店長なら覚えてるけど」

 

 何度かバイトに行った店長と聞いて、成幸の頭にランジェリーショップとマッサージ店でのバイトの思い出が浮かんだ。またバイトの誘いだろうかと、トラブルばかりだったことを思い出して自然と警戒するような顔つきになっていく。

 

「店長さんまた別の仕事してるみたいなんだけど、そのバイトお願いしてた人が急に電車が止まって来れなくなっちゃったみたい。うちの近くだから代わりに来てくれないかって言ってるんだけどあんたこれから行かない?」

「これから!? いやでも勉強が……」

「いいじゃないテストが近いわけでもないし。バイトも2時間くらいで終わるって話よ」

 

 2時間だけであれば大した負担ではない。母親が世話になっている相手でもあるので成幸には助けてあげたいという気持ちもあったが、今までのトラブル続きのバイトのことを思うと行きたくないなと渋る気持ちのほうが勝っていた。

 

「でもそんな急に……」

「バイト代は1万円出すって」

「……それならまあ」

 

 たったの2時間のバイトで一万円。貧乏学生の成幸にとっては抗いがたい魅力だ。それだけあればしばらくは家族で豪華な食事が取れる。仕方ないなという雰囲気を出しつつも、内心ではすでに行くつもりで満々だった。

 

「あ、もしもし店長さん? 成幸行くそうだから……え? そうなの? うん、じゃあ代わるわね。成幸、代わってくれる?」

 

 花枝から差し出された受話器を成幸が受け取る。バイトが始まる前から何を頼まれるのかと、早くも受けたことを少し後悔し始めていた。

 

『もしもし』

『成幸くん! ごめんね急に! ありがとう! それで急ついでにもう一個お願いなんだけど』

『なんですか?』

『同世代くらいの仲のいい女の子もいれば連れて来てくれない?』

『仲のいい?』

『そう、一緒に写真撮れるくらい。女の子もお願いしてたんだけど、その子も一緒に来れなくなっちゃったみたいでさー。最悪ウチのスタッフでもいいんだけど、なるべく学生のほうがいいのよね』

 

 一刻を争うような切実な声で千代子が成幸に頼み込む。成幸はこの人はトラブルを招く才能でもあるのではないだろうかと失礼なことを考えながらも、思ったより大変なことではなかったのでほっと安堵のため息を付いた。

 

『まあ聞いてみますけど……バイトっていつどこでなにをやるんですか?』

『七緒中の近くにホテルあるでしょ。場所はあそこで、君たちが着いたらすぐに始めるから! 仕事はモニターみたいなもんよ。持ち物とかも特になし! 連れてきてくれたらバイト代5千円アップするし、その子にも同じだけ払うからなんとか探してみてちょうだい!』

『ちょ、ちょっとゆっくり……』

 

 千代子に早口で勢いよくまくし立てられ、成幸は焦りながら一つ一つ頭に入れていく。場所とバイト代はわかったが、肝心の仕事内容が随分とあやふやだ。最後に聞けばいいかと、とりあえずメモ用紙にボールペンを走らせる。

 

『あ、バイト代出るから連れてくるのは高校生以上で! 労働基準法とかめんどくさくてさー』

『めんどくさいって……それでモニターってなんの』

『じゃ、これから準備あるからよろしくね! これから電話も出れないから、女の子来れそうだったらそのまま連れてきてくれればいいからなるべく早く来てねー!』

「ちょ、ちょっと店長!? うわ、切られた」

 

 仕事内容を聞く前に切られてしまったので、どうしたものかと成幸はため息をつく。引き受けた以上自分は行くつもりだったが、仕事内容がわからないのに誘って来てくれるだろうかというと悩ましい。

 

「店長さんなんだって?」

「仲のいい女の子も連れてきてくれないかってさ」

「そう。アテはあるの?」

「うーん……」

「お、お兄ちゃん! 女の子誘いづらいなら私がお兄ちゃんと一緒に行くけど! 家計を助けるためにもなるしどう!?」

 

 成幸と花江の会話を聞いていた水希が勢いよく口を挟む。女の子という言葉に水希は何か不吉なものを感じて、成幸が誰かを誘う前にと身を乗り出して目を血走らせている。

 

「家計のこと考えてくれるのは嬉しいけど中学生がバイトしちゃダメだろ。店長も中学生はダメって言ってたし」

「黙ってれば大丈夫だから!」

「ダメに決まってるでしょ」

 

 なおも食い下がる水希を花江が容赦なく切り捨てた。水希は頬を膨らませて母親を睨んだが、花江が相手に迷惑がかかるのだと諭すと渋々諦めた。

 

「お兄ちゃん、それで誰誘うの?」

 

 水希が眉間にシワを寄せながら成幸を見て誰を誘うのかと問いかける。成幸はさして考えるでもなく一人の女子の名前を口にして、それを聞いた水希は途端に顔を綻ばせると「なんだ、それなら早く誘って」と安心したように促した。

 

「……まあ聞くだけ聞いてみるか」

 

 これからすぐのバイトで、場所は七緒中の近く。場所と時間を含めて考えれば成幸の頭に思い浮かぶのは一人だけだった。急な誘いで仕事内容もわからない。聞くだけ迷惑かもしれないとか、断られたら仕方ないとか思いつつ、成幸はスマホでその相手に連絡をした。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「あ、成幸! お待たせ!」

「うるか。急にすまん。来てくれてありがとな」

「ゼンゼンいいって。バイト代も出るし、ちょうどヒマだったし!」

「受験生がヒマっていうのもどうなんだ……まあ人のことは言えないけどさ」

 

 ホテルの前で待っている成幸の前に、自転車に乗ったうるかが勢いよく到着した。千代子の言う条件に条件に当てはまる女子は成幸にはうるかしか思い当たらなかった。

 成幸の急な誘いにもうるかは二つ返事で了承して、急いで身支度を整えてここへ来ていた。赤と白のボーダーのTシャツに短めの丈の青いシャツ。ボトムスはカーキのスキニーと動きやすめの服装をしていた。

 

「んでなんでホテルなん? モニターとか写真とか言ってたけどコーコーセーが来るようなとこじゃなくない?」

「俺もそう思うけど……まあ中に店長がいるだろうし聞いてみよう」

 

 うるかの当然の疑問に成幸も同意してホテルの中に入っていく。これから何をさせられるかもわからないのによく来てくれたなと、成幸は改めてうるかに感謝した。

 

「あ、成幸くん! 待ってたわー!! そっちの子が連れてきてくれた子?」

 

 ホテルに入った成幸とうるかが周りを見渡していると、2人に気づいた千代子が駆け寄って来て声をかける。走り回っていたのか秋だというのに汗をかいている。成幸の知っている千代子のおおらかな雰囲気とは違う焦った様子で、予定していた人が来られなくなったのは本当に突然だったんだなと成幸は実感した。

 

「はい! 武元うるかって言います! よろしくお願いします!」

「お、元気いいわね! よろしくうるかちゃん! それじゃあ早速だけど」

「店長、その前に俺たちバイトって何するんですか?」

「うんゴメン! 時間押してるからとりあえず着替えが先で! 着替えながら説明するから。成幸くんはこっち! うるかちゃんはこのスタッフに着いていけばいいから!」

 

 挨拶もそこそこに成幸とうるかはそれぞれ別の場所に連れて行かれた。

 

「じゃあここに座って! 簡単に髪のセットとメイクするから」

「え? え?」

 

 成幸は混乱したまま鏡台の前に座らせられると、されるがままに千代子の手でメイクをされていく。鏡の前で整えられている自分の姿に困惑しながらも何をされているのかと声を上げた。

 

「な、なんで急にこんなことされてるんですか!?」

「これ? モニターになってもらうって言ったでしょ? チラシにも載せるからちゃんとセットしておかないとね。はいメイク終わり」

「チラシに載せる!?」

 

 成幸が叫び声を上げると同時にメイクが終わる。千代子は成幸の顔をジロリと見つめると、右から左からじっくりと眺めて、それから満足そうに笑みを浮かべる。

 

「うん、かっこよくなったわね! じゃあ次は着替え! ちょっと体型測るわよ」

「え!? なんですかこれ白いスーツ!?」

「これはタキシード。うん、これなら体型に合うのがあるから良かったわー」

 

 そう言って強制的にタキシードを渡されて着替えるように促される。成幸は反論するのを諦めて大人しくタキシードに着替えることにした。

 着替え終えた成幸は鏡を見る。付けたことのなかった整髪料をつけて大人びた雰囲気にセットされた髪。何着も吊るされていた中から選ばれた、体にピッタリと合うタキシード。成幸はなんとなく察しがつきつつも、恐る恐る千代子に尋ねる。

 

「なんでこんな格好を……?」

「え? ああ、高校生とか大学生向けに結婚式体験させる企画を考えたのよ。それでそのモニターになってもらうから」

「結婚式体験!? 先に言ってくださいよ!?」

「いいじゃない。結婚式体験なんて説明してたら時間かかっちゃいそうだったからとりあえず後でいいかなーって」

 

 冷や汗をかいて焦る成幸と対照的にからからと笑う千代子。成幸は千代子の軽い調子に毒気を抜かれてしまった。

 バイト代に釣られて詳しく聞かずに受けてしまったのだからしょうがないかとため息をついて、それから改めて説明を求めた。

 

「成幸くんにモニターになってもらったのは若い子向けの企画だからなの! 10代でウェディング体験! みたいな」

「いくらにするかわからないですけど学生向けで採算取れるんですか……?」

「無理無理! でも今のうちにやっておけば将来本番でもやってみたいって思うでしょ? 今結婚式しない人も多いから」

「なるほど……」

「そして体験した人は将来ここで結婚式すれば最大10万円割引のサービス付き!」

「おお、凄いお得じゃないですか!」

「でしょー! まあどーせ高校生のときの恋人と結婚することなんてほっとんどないし、実際結婚するときに別の人とやったお試し結婚式の割引きなんて使えないだろうけど!」

「ちょっと」

 

 撮影場所であるチャペルへと向かう途中で会話しながら、千代子のあけすけな言葉に成幸がツッコむ。10万円割引という言葉で釣っておいて結局のところ使わせる気がないのは成幸には一種の詐欺のように思えた。そもそもが採算度外視でやっていることなのだからそういうわけではないと理解はしていたが。

 

「まあだから実質割引はないようなもので、単に体験してもらって結婚式っていいなって感じてもらうためのものよ。後はこれで話題になればここの式場選んでくれる人が増えるかもしれないし」

 

 将来に向けた種まきと宣伝を兼ねてと思えば成幸にもようやく理解ができた。結婚式をやらないカップルも増えている。成幸にはそれを何とかするためにこういう変わったことをやってみるのは千代子に合っていそうに感じられて、そのバイタリティは尊敬できるなと感心した眼差しで千代子の姿を見ていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「もうちょっと顔上げて……うん、そんな感じ!」

 

 シャッター音がチャペルに響く。チャペルへと到着した成幸と千代子は、うるかが到着する前に、時間が押しているからと花婿である成幸だけで撮影を始めていた。

 千代子の指示に従って成幸がぎこちなくポーズを取る。まるでモデルのようなことを2人きりでしていることがなんとなく気恥ずかしくて、成幸は千代子に雑談を振った。

 

「店長は結婚式したんですか?」

「そうねー。一応したわよ。なに、興味あるの?」

「い、いやそういうわけじゃ……旦那さんはなんて言ってましたか?」

「ん? 旦那はしてよかったって言ってたわよ。やるまではめんどくさそうにしてたけど」

「へー、よく男の方は乗り気じゃないとか聞きますけど、実際そうでもないんですね」

「まあほんとのとこどう思ってるかまで分かんないけどね。成幸くんはやってみたいと思う?」

「どうでしょう……? あんまり考えたことなかったですけど、相手がやりたいって言うならやろうかなとは」

「あーそのテンションだとお嫁さん怒らせるから気をつけたほうがいいわよ」

「そうなんですか!?」

「めんどくさそうなのが見え見えだもん。そりゃー怒るわよ」

 

 「めんどくさいってわけじゃ」と慌てて言い返す成幸を見てクスクスと笑いながら、千代子が撮影した写真を見直す。写真の出来に満足しているのか、一通り確認をして頷いている。

 

「うん、いい感じで撮れてるわね!」

「チラシ……俺の顔出すのはいいですけど、うるかが嫌がったらそっちはやめてくださいね」

「大丈夫。急なお願いしたのはこっちだしね。そこまで無理は言えないって。ていうか別に成幸くんも顔出しなしでいいわよ?」

「うーん……いやバイト代はちゃんと貰うんですし大丈夫ですよ。別に悪い事してるわけじゃないですし」

 

 成幸は少しだけ悩んでその提案を断った。顔出ししなくてもいいと言われても、結婚式体験のチラシで顔が出ていないのは想像すると不自然だった。急に言われたバイトとはいえ、そのせいで怪しいチラシと思われて結婚式体験というサービスが頓挫してしまうのは夢見が悪い。

 チラシに載っていることがバレると騒ぎになりそうなうるかは断るだろうから、せめて自分くらいは顔出ししようと成幸は思った。

 

「そう? まあ後から嫌になったら来週中くらいまでに言ってくれればいいから。……あ、うるかちゃんが来たみたいね」

 

 千代子の言葉で成幸は入り口の方を振り向く。軋んだ音を立てて開いたドアの隙間から、ヒールの音を響かせて、うるかがゆっくりとチャペルに足を踏み入れた。

 うるかはシンプルなマーメイドラインのウェディングドレスを身にまとっていた。胸元にあしらわれているロールカラーが清楚な印象を与える。肩ほどまでの長さのショートヴェールと白い薔薇の髪飾りもうるかの美しさを引き立たせていたが、恥ずかしそうに背中を丸めてうつむいていることがそれらを台無しにしていた。うるかの隣のスタッフはその花嫁にあるまじき姿勢にたまらず手を添えて姿勢を正させようとしていた。

 

「あ、あのでもちょっとこれ日焼けの跡が目立つっていうか」

「そんなのあっても十分綺麗だから大丈夫! それより背中丸めてる方がみっともないから。ここまで来たんだから覚悟決めて背筋伸ばしなさい!」

 

 胸元の日焼け跡を隠そうとしてまごつくうるかを励ますように隣のスタッフが声をかける。距離が離れているので成幸には会話は聞こえなかったが、その代わりじっとうるかを見つめていた。

 うるかは成幸からの視線に気がつくと、覚悟を決めるために深呼吸を一つして、それからピンと背筋を伸ばして成幸の方へとゆっくりと歩き出した。

 カメラのシャッター音も会話も途切れた静謐な空間に、うるかの鳴らすヒールの音だけが響く。

 身長を高く見せるためにヒールの高いウェディングシューズを履いている。履き慣れていないためかぎこちない足取りではあったが、普段の鍛え方のたまものなのか姿勢が崩れることはない。

 スッと伸びた背筋と高いヒールがマーメイドドレスのシルエットを美しく見せている。うるかの女性らしいメリハリのあるボディライン。その曲線美をシンプルなマーメイドドレスが上品に華やかに際立たせている。膝のあたりから広がるトレーンは柔らかに床を覆って幻想的な空気を演出していた。フリルやレースの少なめなデザインはいつものうるかとは違う大人びた魅力を引き出して、彼女に楚々とした雰囲気を纏わせている。

 ステンドグラスから漏れる光がうるかを照らす。ウェディングドレスが光を反射していて、成幸にはうるか自身が輝いているように見えていた。うるかは緊張した面持ちでゆっくりと歩みを進める。その姿を成幸はぼうっとした様子で見つめていた。

 

「わあ綺麗! うるかちゃんすっごい似合ってるわよ! やっぱり素材がいいと映えるわねー!」

「あ、ありがとうございます。こんなキレイなドレス着るの始めてなんで緊張しちゃって……」

「緊張する必要なんかないわよー。まるで本物の人魚みたいで、ドレスもうるかちゃんに着られたんなら本望だから! ほら成幸くんも花嫁さん来たけど感想は?」

「え、あ、そ、そうですね!?」

 

 うるかに見惚れていた成幸は千代子の声で気を取り直し、いつのまにか目の前に来ていたうるかの姿を改めて確認した。

 直接顔を見るのが気恥ずかしくて目を逸らした成幸の視界に、遮るもののないうるかのデコルテが映った。胸元のロールカラーでは隠しきれない、日焼けした肌と白い地肌のコントラストが伺える。純白のウェディングドレスには本来似合わないコントラストだが、成幸にはそれが普段のうるかと今のうるかの姿を結びつける目印のように感じられて、心なしか安心させられた。

 落ち着いた成幸が胸元から目線を上げると、うるかの朱に染まったかんばせが、期待と不安の入り混じった感情を滲ませているのが目に飛び込んだ。自分の感想を期待しているのだと気がついて、早く何か言わなければと焦りを覚える。

 成幸の頭に可愛いという言葉が浮かんで、けれどそれは違う気がした。普段と違う装いだから、いつもとは違う言葉をあげたいと思った。

 綺麗という言葉はそれなりに相応しく思えた。だけどそれは水泳に臨むうるかに感じるものと同じ言葉だから、もっと別の言葉があるのではないかと思った。

 記憶の中に何かないかと脳をフル回転させて、ふと思いついた台詞が口から溢れた。

 

「お姫様みたいだ」

「ふぇ」

 

 うるかが固まった。

 成幸は固まったうるかを見て初めて自分が何を言ったのか気づいたように焦り始めて、慌てて早口でまくし立てる。

 

「あ、や、ほら! 前に商店街でお姫様だっこ大会したときお姫様みたいかって聞かれたからあれ思い出してな!? あのとき結局言えなかったし! あのときのも似合ってたけど今日のはもっとお姫様みたいだから!」

 

 これは羞恥心を増すだけだなと説明する途中で成幸は気づいたが途中で止めるわけにもいかなかった。感想なんてどうでもいいと言われていたのに、まだ気にしていたのかと思われそうで顔が熱くなる。

 

「覚えててくれたんだ……。あ、ありがと成幸」

 

 朱に染まっていた顔を更に赤くして、うるかがぽつりと呟いた。素直な感謝の言葉で二の句が継げなくなった成幸は頬を掻いて黙り込んだ。

 恥ずかしさからそっぽを向いていたうるかはちらりと成幸の方へ目線を戻すと、何度か口を開閉してから勇気を振り絞るように叫んだ。

 

「あ、あのその、な、成幸もカッコいいよ! お、王子様みたいっていうか……あ! ふ、普段がカッコよくないってわけじゃなくってね!?」

「え!? お、俺はそんなカッコいいなんてことないって! まあ店長がメイクやってくれたけど……」

「はい、そこまで! 成幸くんはちゃんとカッコいいし、うるかちゃんは本当に綺麗よ。ってことで! そろそろ撮影始めよっか!」

「「は、はい!!」」

 

 うるかの言葉で慌て始めた成幸を見て、これは長引きそうだと思った千代子が手を叩いて2人の会話を遮る。拍手の音で我に返った2人は、恥ずかしさから揃って身を縮めていた。



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ドレスだけじゃ物足りない②

 カメラのシャッター音と千代子の声がチャペルを騒がせる。成幸とうるかは指示に従って忙しなくポーズを取っていた。最初こそ緊張してぎこちない笑顔をしていたが、次第に慣れて自然な表情ができるようになっていた。

 

「オッケー! 成幸くん、うるかちゃん下ろしていいわよ。お姫様だっこ経験者だけあってサマになってるわね!」

「あんなこと口走るんじゃなかった……」

「ご、ごめんね成幸。あたしが重くって……」

「い、いや重いとかじゃないからな!」

 

 色々なポーズを撮影した後、先程の成幸の言葉を耳聡く聞いていた千代子がお姫様だっこをしてみないかと提案していた。最初は断った成幸だったが、うるかが思いの外乗り気だったので観念して抱えると、その柔らかな感触や綺麗に着飾ったうるかが密着していることを強く意識させられて、ずっとどぎまぎしていた。

 千代子は撮影した写真を確認すると満足そうに頷いた。それから満面の笑みを浮かべてうるかと成幸の方に振り返ると衝撃的な台詞を発した。

 

「じゃあ次でチャペルの撮影は最後ね。最後は誓いのキス行ってみよっか!」

「はあ!?」

「ええ!?」

 

 成幸とうるかは同時に大声を上げて、千代子は笑顔のまま期待した様子でカメラを構えている。冗談だと言い出す様子もない。成幸とうるかは顔を見合わせて固まって、少し前にしたキスの感触をお互いに思い出していた。

 

「ああ恥ずかしかったらフリでいいわよ。こっちでいい感じに編集するから」

「最初からそう言ってください!! 恥ずかしいとかそういう問題じゃないですから!」

「そんな怒らなくってもよくない……?」

「怒りますよ!?」

 

 「最近の子は恥ずかしがり屋なのねえ」などと呟く千代子に何を言っているのかと文句を呟きながら、成幸は改めてうるかに向き直る。うるかは顔を赤くしたまま、今も成幸のことを見つめていた。キスをしなくて済んだことに安堵しているようには見えなくて、心なしか残念そうにも見えて、成幸の心臓はドキリと跳ねた。

 

「じゃあ顔を少し寄せてみて」

 

 千代子の指示で顔をゆっくりと近づける。唇が触れなければいいと思っていた成幸はそれが間違いだったことに気が付いた。

 成幸と息がかかるほど近づいたうるかからは甘い香りが漂っていた。いつもより長いまつ毛も赤い唇も間近に見える。薄くメイクした肌はきめ細やかで美しい。目を閉じて目の前にいるだけの姿もなぜだか蠱惑的で。蝶が花の香りに誘われるようにうるかに近づいてしまいそうになるのを、成幸は理性で必死に抑えていた。

 早く写真を撮ってくれないかと願う成幸の目が、知らずうるかの唇に引き寄せられる。キスをしたときにもこれほど近くで見ることはなかった。華やかな衣装に合わせてはっきりとメイクされた赤い唇がひどく魅力的に見える。

 うるかはキスは普通の挨拶だと言っていたからこのまましてもいいんじゃないかとか、キスしたこともそんなに気にしていなかったから事故でしてしまっても構わないんじゃないかとか、そんな邪な考えが成幸の蕩けた脳に浮かぶ。

 成幸の理性はいつの間にか本能に負けていて、ゆっくりとうるかの唇へと近づく。うるかは成幸が近づいて来ているのを感じていながらも、目を瞑ったままじっとしていた。

 

「はいオッケー! おかげでいい写真が撮れたわ!」

 

 2人の唇が触れる直前に千代子の声が掛かる。2人は体を震わせて弾けるように離れた。成幸は全力疾走した後よりも早鐘を打つ心臓にいまさら気がついて、今自分が何をしようとしていたのかを思い返して罪悪感に襲われていた。

 

「ところでうるかちゃんはチラシに顔出してもいい? 出さないほうがいい?」

「顔ですか……成幸はどうしたん?」

「お、俺!? 俺は、その、別に出してもいいって言ったけど!?」

「そっか。ならあたしも出していいです」

「え? いいのか?」

「うん。どーせザッシとかでいくらでも出てるし」

 

 うるかはそう言ってあっけらかんと笑って、成幸はそういう問題なのだろうかと首を傾げる。馬鹿みたいな速度の鼓動はその疑問のおかげで少しずつ収まっていった。

 

「それじゃ次は中庭で撮影するからよろしくね」

「はーい!」

 

 成幸はもう一度確認しようとしたが千代子とうるかの声に遮られる。釈然としない気持ちを抱えながらも、中庭に向かう千代子とうるかの後について行った。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「いやー今日はありがとね。急だったけどいいモデルが来てくれて助かったわ」

 

 あの後中庭とホールでも撮影を済ませ、バイトを終わらせた成幸はうるかよりひと足早く着替えを終えて千代子と一緒にうるかを待っていた。

 

「いえ、こちらこそバイト代助かりました。……それとうるかはそうでしょうけど、俺は別にいいモデルってことないですよ」

「何言ってんの。花嫁をこんなにいい笑顔にさせてるんだから自信持ちなさい! お似合いのカップルだと思うわよ」

「いや俺たちカップルじゃないですよ」

「え?」

「付き合ってないです」

「え?」

 

 あふれんばかりの笑顔で写真を見せつける千代子の台詞を成幸がすげなく否定する。呆気にとられた様子で固まった千代子は成幸の言った言葉の意味をしばらくしてからやっと理解して、取り乱した様子で謝った。

 

「ご、ごめんなさい!! 2人でお姫様だっこ大会に出たって言ってたしすっごく仲良いし、てっきり付き合ってると思って……!」

「それで誓いのキスとか言ってたんですか……」

「許してー……知らなかったの」

「まあ貴重な体験もできましたし、俺は怒ってないですけど……」

 

 なぜ急にキスをしろなどと言いだしたのか不思議に思っていた成幸は、千代子が誤解していたことがわかってようやく納得がいった。確かにお姫様だっこなんて普通しないのだから誤解しても仕方がないかと、あまり怒る気にはなれなかった。

 そもそも付き合っていたとしてもキスシーンを写真に撮るのはどうなのかという気もしたが、そこまで触れる気力はなかった。

 

「ごめんね、ありがとう! ……ちなみに体験してみてどうだった?」

「……良かったなって思いました。でも、多分結婚式のいいところだけ体験させてもらいましたから」

 

 千代子はほっとため息を付いて感謝して、それから成幸の振った話題に乗っかった。

 成幸もどさくさ紛れにキスしようとした自分に謝られる資格なんてあるのだろうかと、少し居心地の悪い思いをしていたので積極的に話を続けた。

 

「まあそれはそうね。……でもさ、好きな子のあんな綺麗で素敵な姿が見られるなら、ちょっとくらい面倒でも結婚式やりたいって思ったでしょ?」

「…………面倒なのってちょっとくらいなんですかね?」

「さあ? 面倒だったのがどうでも良くなるくらい私は楽しかったけど!」

 

 好きな子、という言葉を肯定しているように思われてしまうのが躊躇われて、成幸は話を逸らしてごまかした。

 一般的な意味で言っているのかうるかを特定して言っているのか成幸には判断がつかなかったが、どちらの意味で言ったとしても、肯定してしまった後でうるかとまともに顔を合わせる自信がなかった。

 

「成幸、お待たせ!」

 

 ホテルに集合したときと同じセリフで同じ格好。けれど成幸にはそのときとは全く違ったように見えて、心臓の鼓動が高鳴った。

 

「今日はありがとう! それと2人が恋人って勘違いしててごめんなさい!」

「うえぇぇ!? そ、そんな風に見えてたんですか!? そ、そっか……えへへ……」

 

 千代子の謝罪にうるかは頬を緩ませて恥じらう。恋する乙女そのものといった、甘酸っぱい表情だった。

 並んで帰る成幸とうるかを千代子が見送る。先程の成幸の反応とうるかの表情を思い返して、恋人だと思ったのは本当に勘違いだったのだろうかと、首を捻って見送っていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「チラシに顔出して良かったのか?」

「え? なんで?」

 

 ホテルからの帰り道。成幸は撮影中に聞けなかったことを改めてうるかに尋ねた。

 

「だって俺と一緒だし……それにほら、うるかは有名だしさ。スポーツの特集ならともかく結婚式場のチラシなんて騒ぎになるんじゃないか?」

「うーん……まあ知らない人には別に見られたっていいし、それに知ってる人ならさ、成幸顔出すんでしょ? その隣に日焼けしてる女子がいたらそれもうあたしじゃん。だったらどっちでも一緒かなって」

「あっ!? す、すまんそうだよな!! 悪い気づかなかった!」

 

 苦笑するうるかを見て成幸は慌てて謝る。うるかの日焼け跡は良くも悪くも目立ってしまう。成幸とうるかのことを知っている人が見れば、うるかの顔が隠れていたとしても誰なのかは一目瞭然だろう。そんなことにも気が回っていなかったのかと成幸は自己嫌悪した。

 

「今からでも顔隠してもらうように言っとくよ」

「いいってば。今からじゃ迷惑かもだし。……ほんと全然気にしないから言わないでよね!」

 

 携帯電話を取り出した成幸に、絶対言わないでと念を押すようにうるかが言う。なんでそこまで止めようとするのか成幸には腑に落ちなかったが、そこまで言われてしまっては言わないほうがいいだろうと思い、手にした携帯電話をポケットに戻した。

 

「わかったよ。……それと今更だけど、ウェディングドレス着るの知らずに誘って悪かったな」

「え? なんで? キレーなドレス着れたし楽しかったけど?」

「いやほら、結婚前にウェディングドレスを着ると婚期を逃すとか言うから……」

 

 迷信のたぐいではあるが、うるかはそういうものを気にしそうなタイプだと成幸は思っていた。うるかは成幸が何を言っているのか考え込みながら目をしばたたかせると、ようやく理解したあとに大声で笑った。

 

「あはは、何言ってんのもー! そんなメイシン真に受けなくても。とりあえずあたしに限ってはそんなんないかな」

「そうなのか? 割と気にしそうだと思ってたんだが」

「まあ割と気にするほうかもしんないけど……あれってドレス着れてマンゾクするからでしょ? あたしは別にドレスだけ着てもマンゾクしなかったから」

「へー……。それは」

「それは?」

「……すまん、なんでもない」

「えぇ!? なにそれ気になるんだけど!!」

 

 満足していないのは相手が自分だからなのか、なんてことを反射的に聞こうとした成幸が寸前で思いとどまる。

 うるかが何を言いかけたのか教えてよとせがむのも構わず、成幸は笑ってごまかす。

 違ったら嬉しいのか。当たっていたら悲しいのか。それすらわからないのに聞いていいことではないと思った。

 

「ほんと別になんでもないんだよ。気にしてないんならよかった」

「うん。まあそれに友達も家族もいないし、ケッキョクのとこ本物じゃないしね。好きな人と今度はちゃんと本物の結婚式をやるまではマンゾク出来ないっていうか……あっ、や、今度はって別に深い意味はないかんね!?」

「そうか。……どんな人が好きなんだ?」

 

 成幸は思いついたまま口にしてから、まるでうるかを狙っていると思われそうなことを言っているなと思った。先日好きな相手がいるとか全部ウソ、と面と向かって言われた相手に言うようなことではなかったと、内心で冷や汗を流している。

 うるかは自分の台詞に成幸が反応を示さなかったことに不満そうに口を尖らせて、それから少し考えて口を開いた。

 

「そうだなー。うーん……あたしのこと見てくれる人?」

「国体優勝までしてるんだしいくらでもいるんじゃないか?」

「結果を見て祝ってくれるのもゼンゼン嬉しいんだけど、そういうんじゃなくてさー」

 

 うるかは手を振ってそれは違うと否定する。結果を残したことを褒められるのは嬉しいことではあるが、好きになるかどうかはうるかにとって別物だった。

 

「あたしだってイチオー練習してるし、水泳以外にもしたいこともあるし、そういうことちゃんと見てくれる人」

「そっか。努力してるとこを見てほしいんだな」

「そうそう! そういうの見せないのがカッコいいのはわかってるけどさー。やっぱ努力すんのってキライじゃないけど大変だし、そういうのも好きな人には見てて欲しいっていうか」

 

 あのとき「ずっと見ててね」と言った意味を理解されてしまうだろうかと、心臓をドキドキとさせながらうるかが話す。ウェディングドレスを着て気分を良くしていたから、つい匂わせるようなことをしたい気分になっていた。

 

「……すまん。俺もお前と初めてちゃんと話したとき、たくさん努力してること全然知らずに天才はいいなとか思ってた」

「え? 初めてって……え、中学のとき!? オオムカシのことなんて今更謝んなくっても!?」

「いや、まあそうかもしれないけどずっと気にしてたんだよ」

 

 予想とは全く違う反応をされてうるかが慌てる。うるかは謝って欲しくて言ったつもりは全くなかったが、成幸の心にはずっと引っかかっていた。逆に迷惑になるだろうとも思っていたが、この機会に言わなければずっと言えないだろうから、今言わないといけないと思ってしまった。

 

「まあ成幸らしいっちゃらしいけど。そんで今はどう思ってんの?」

 

 気を取り直してうるかが尋ねる。昔そう思っていたなら、今はどう思っているのか。軽い調子で聞いていたが、緊張で震えてしまわないように手はギュッと握りしめられていた。

 

「凄い才能があって、それ以上に得意な水泳も苦手な勉強も誰よりも頑張れるやつ」

 

 間を置かずに成幸が答える。うるかが得意なことはもちろん、最初は逃げていた苦手な勉強も今は全力で頑張っているのをずっとそばで見ている。得意なことも苦手なことも同じように頑張れることをずっと尊敬していて、だから考えるまでもなくすぐに答えた。

 それがうるかにはどうしようもなく嬉しくて、同時にそれ以上の感情は伝えてくれなかったことが少しだけ寂しかった。

 

「……へへ、あんがと! まだまだこれからも頑張るから、約束どおりずっと見ててよね!」

「ああ、前にも言ったけど当たり前だろ。ずっと見てるよ」

 

 満面の笑みを作ったうるかが明るく伝える。軽快な足取りで成幸の先を歩いて行く。

 成幸は遅れないように後を追って、分かれ道に辿り着くまで2人で一緒に帰っていった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

後日談。

 

「そういえばあのときのバイトのチラシ全然見ないけど母さんなんか聞いてる?」

「ああ。あの結婚式体験やめたみたいよ」

「え? なんで?」

「違う相手とした結婚式体験の割引きが使いづらいんだったら、同じ理由で結婚式体験したのと同じ式場使おうと思わないんじゃない? って」

「ああ……」

 

 そりゃそうだ。成幸は心の中で呟いて、自分の心配は何だったのかとため息をついた。

 成幸が後でうるかにそのことを伝えると、うるかは残念そうに肩を落として、成幸はその姿を不思議そうに見ていた。



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