閃の軌跡 Northern War ――エレボニア帝国潜入記―― (ヒアデス)
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第1話 紺碧への招待(前編)

 『ノーザンブリア自治州』。

 

 ゼムリア大陸北西部に位置する北国であり、かつては歴史ある大公家が統治する『ノーザンブリア大公国』として、土地柄ゆえの寒冷な気候に見舞われながらも、隣接する国々との間で行われていた貿易によって富を得て、精強な《大公国軍》によって独立を維持していた。

 

 しかし七耀暦(しちようれき)1178年7月1日。何の前触れもなく、突如現れた《塩の杭》によって大部分の国土が“塩化”し、多くの国民もそれに巻き込まれた。

 後に『ノーザンブリア異変』もしくは『塩の杭事件』と呼ばれる“災害”である。

 

 その混乱の最中、当時の大公バルムントは国民を捨てて我先に『レミフェリア公国』に亡命し、主君に失望した国民達と残された公国軍は大公が住んでいた宮殿を占拠し、大公制の廃止と民主制への移行を宣言した。

 その後レミフェリアから戻ってきた大公率いる近衛軍と旧公国軍との間で激しい戦闘が起こるが、その詳細は省かせてもらう。

 

 それから幾ばくかの間を置いて、七耀教会の総本山『アルテリア法国』の承認と各国からの支援を得て、ノーザンブリアは自治州として再び歩き始めた。

 だが、《塩の杭》がもたらした爪痕はあまりに大きく、ほとんどの国民はその日食べる物に困るほどの極貧にあえぐようになり、多くの民がノーザンブリアを捨てて他国へ流れて行った。

 その窮状を憂いた旧公国軍は、彼らが食する食料とそれを得るための外貨を得るべく他国へ身を投じることを決断した。ミラ()さえ積まれればどんな任務でも請け負う《猟兵》として。

 

 それが旧ノーザンブリア公国軍にして、今日(こんにち)まで大陸最大の猟兵団と呼ばれている――《北の猟兵》の発足である。

 

 

 

 そして、七耀暦1205年4月。

 ノーザンブリアから、《北の猟兵》に属する数人の男女が“ある密命”を帯びて、南に隣接する大国――『エレボニア帝国』へと潜入していた。

 

 

 

 

 

 帝国有数の大都市にして『紺碧の海都』と呼ばれる、オルディスで最も豪華なホテル『オルテンシア』では、貴族や豪商など街の名士達を集めたパーティーが開かれていた。

 そのパーティーの会場に向かって、高そうな黒スーツを着た男と、彼の腕につかまっている整った容姿の女が歩いてくる。

 二人は会場の前で足を止め、音楽と談笑の声が漏れてくる扉をじっと眺める。それを見て受付の男が声をかけた。

 

「こちらは本日祝賀パーティーが行われております。ご参加には招待状が必要ですが……」

 

 それを聞いて二人の男女は男の方へ顔を向けた。連れの女に腕を貸しながら、赤髪の男は薄い顎髭を生やした顔をしかめる。その男の目から放たれる鋭い眼光に受付はひるみかけた。

 だがそこで金髪の美女が赤髪の男の腕を揺らした。それを受けて男は「ああ」と声を漏らしながら表情を緩め、懐に手を入れる。

 

「そうだったそうだった。招待状を見せる必要があったんだったな…………ほら、これでいいか?」

 

 警戒心を解かずに見つめ続ける受付に、赤髪の男は懐から“招待状”を取り出し受付に差し出す。

 受付は招待状を受け取り、それに目を滑らせてから二人に視線を戻した。

 

「失礼しました――どうぞ中へ。ごゆるりとお楽しみください」

 

 そう言って受付は扉を開け、一礼しながら二人を促す。二人組の“招待客”は笑みを浮かべ、礼を言いながら扉をくぐって行った。

 

 

 

 

 ちょうど同じ頃、これまた二人の若い男女がホテルの屋根を滑りながら現れた。

 二人は軽やかに屋根を滑り降り、ホテルのバルコニーに降り立つ。

 

 バルコニーに降りた青年と少女は先ほどの二人組より若く、黄緑色の髪に紫色のメッシュを入れた青年は二十代近く。くすんだブロンド髪を下ろした少女は十代半ばに見える――実際その通りの歳だが――。

 

 青年――タリオン・ドレイクはバルコニーに張られた窓から部屋の中を見下ろす。

 二階ほどの吹き抜けが設けられた部屋の中には、高そうな服を着た紳士淑女がオルディスの海産料理に舌鼓を打ちながら談笑し、部屋の一角では派手なドレスを着た美女たちがステージ台の上に立ち、近々富裕層向けに販売する予定のドレスとそれを見にまとう自身を見せつけるようにゆっくり歩く。

 そしてそれ以上に注目を集めていたのは、会場の隅に置かれた(みどり)色の翡翠をあしらったネックレスだった。それを眺める賓客達の中には先ほど会場に入った二人組もいる。

 

 彼らを見てタリオンは口を開いた。

 

「マーティンさんもイセリアも案外決まってますね……まあ、ドレスコードがあるからって長い時間選んでましたから」

「…………」

 

 タリオンの言葉を聞いて少女――ラヴィアン・ウィンスレットは細い眉を寄せる。

 ここに来る前、街のブティックでイセリアから様々な服を着せられたのを思い出したからだ。もっとも、そのうち一着は購入しており、帝国にいる間は着続ける予定でいるが。

 

 それを思い出しながら、ラヴィは不満そうに漏らす。

 

「……パーティーと《帝国の英雄》に関係なんてあるはずがない」

「さて、どうでしょうかね。内戦を終結させた英雄ともなれば、帝国中あちこち引っ張りだこかもしれません。“相手”の方もはっきりこのパーティーを指定してきたそうですし」

「“相手”って……?」

 

 不満そうなまま尋ねるラヴィに、タリオンは双眼鏡から目を離し、困ったようにうめいた。

 自分達にこの密命を下した上官にして《北の猟兵》の副首領――ジェイナ・ストームにパーティーの事を伝えたらしい“相手”……その人物についてはタリオンどころか、隊長のマーティンにさえ知らされていない。そんな“相手”がもたらしてきた情報が信じられるかと言えば、首をひねりたいところだった。

 もっともマーティン達が怪しまれることなくパーティーに潜入できたのは、その“相手”が用意してくれた招待状のおかげなのだが……。

 

 そう思いながらタリオンは再び双眼鏡を目に当て、中の様子を窺う。

 すると無数の羽根をあしらった、豪奢なコートを着た禿頭の老人が美女たちに言い寄っているのが見えた。かなり高い地位の貴族らしく、美女たちは顔を引きつらせながらも愛想笑いで応じる。

 彼らを見て――

 

「ああいった場に相応しくない輩もいるみたいです。あのような者までいるとは、いったいどういう趣旨のパーティーなんでしょうかね…………教官?」

 

 返事が聞こえてこない事を訝しみ、タリオンはラヴィの方に目をやる。だがすでに彼女はそこにおらず……。

 

「教官――ラヴィ教官! 一体どこに?」

 

 

 

 タリオンはさっきまで隣にいた上官を探し、きょろきょろ見回す。そんな彼を会場内から見上げている、青色の少し露出の高いドレスを纏った黒髪の女がいた。

 

(――あら、()()()二人いたみたいね。“北から来たお客様”はこれで四人かしら。……“公女様”が予測した通りの流れね)

 

 

 

 

 

 

 『北通り』と呼ばれるオルディスの街中、夕暮れに染まったそこをラヴィは機嫌悪そうに歩いていた。

 

 なぜ帝国なんかに来て、覗きみたいな真似をしなくてはならないんだろう。私はみんな(ノーザンブリア)を守るために《北の猟兵》に入ったのに。

 そう思うといけないと分かっていても、これ以上あそこにいるのは我慢がならなかった。

 

――それもこれも腰抜けな政治家達や、いるかどうかもわからないのに彼らを怖じ気づかせている《帝国の英雄》のせいだ!

 

 

 

 胸中で毒づきながらラヴィは顔を上げ、故郷とは程遠い――平和と豊かさにあふれる街に目を戻す。

 すると、何組かの親子が露店の前に集まっているのが見えた。はしゃぎながら待つ子供達の前で、若い店主がポップコーンを作っては子供達に配っている。

 ラヴィは好奇心のままに子供達と店に近づいていった。そこである女の子が自分の後ろにいるラヴィに気付き――。

 

「おねえちゃんもたべる?」

 

 そう言って、女の子はラヴィに向かって山盛りのポップコーンを差し出す。

 ラヴィは戸惑いながら母親を見るが、母親は微笑みながらうなずくだけだった。

 そんな親子と未知の食べ物への誘惑からラヴィはおずおずとポップコーンを一つつまみ、それを口に入れる

 その瞬間、甘さと塩辛さの混じった味が口の中に広がった。そして思わず――

 

「――おいしい!」

 

 ラヴィがそう言った途端、女の子はニカッと顔をほころばせながら「でしょ!」と返す。

 それを聞いてポップコーン屋は笑いながらラヴィに声をかけた。

 

「ポップコーンを食べるのは初めてですか?」

「……え、ええ、まあ」

 

 店主の問いにラヴィはギクリとしながらそう答える。だが店主は怪しむそぶりを見せずに言った。

 

「そうですか……じゃあせっかくです。あなたの分も一つ作りますから、少しだけ待っていてください」

「えっ!? で、でも――」

 

 今まで余分な物を買ったことがないラヴィは慌てて断ろうとする。だが店主は気にせず、

 

「いいですいいです。ちょうど店じまいの時間ですし、一つだけサービスさせてもらいますよ。あなたにポップコーンを分けた女の子にならってね」

 

 そう言ってウインクしてから彼はポップコーンを作り始める。唖然としながらそれを見ているラヴィの足元から声がかかってきた。

 

「よかったね、おねえちゃん」

 

 ポップコーンを分けてくれた女の子にそう言われ、ラヴィはどうしたらいいのかわからず視線を宙に泳がせた。

 ちょうどそこで――

 

「あっ、こんなとこに――なにやってるんですか、突然いなくなって」

 

 青年の声が聞こえて、ラヴィも女の子も店主もそちらを見る。

 そこには紫のメッシュが入った黄緑色の髪の青年――ホテルに置いてきたはずのタリオンがいた。

 タリオンはラヴィに近づき、声を潜めながら言った。

 

「戻りますよ。そろそろ《英雄》が現れるかもしれませんし、あのパーティーの事を伝えた者が我々に接触してくるかもしれません」

 

 そう言ってラヴィを説得しようとするタリオンだったが、彼女は――

 

「これも任務」

「はぁ?」

 

 上官の口から出た言葉にタリオンは怪訝な返事を返す。ラヴィは続けて、

 

「帝国の情報を集めに来た私達にとって、この国の現状を見て回るのも大事な仕事じゃないの?」

「それは……そうかもしれませんが……」

 

 ラヴィの言葉にタリオンは反論できず、考え込む。

 そこでメーカーの中からパンッとポップコーンが弾ける音が鳴った。それを聞いた途端、タリオンはとっさに後ろへバク転し、拳を構えた。

 それを見て周りからおおっと歓声と拍手があがり、タリオンは頭に手をやりながら照れ笑いを見せる。

 そんな中――。

 

「はいお待たせ。ポップコーン出来上がりましたよ」

「ありがと――じゃ、私はもう行くから」

 

 そう言ってラヴィはポップコーンを片手に、もう片手を上げて別れを告げる。そんな彼女に、

 

「できればまた食べに来てくださいねー!」

「バイバーイおねえちゃん!」

 

 店主と女の子に手を振られながらラヴィはその場を駆けだす。タリオンもそれに気付き、慌てて彼女の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくの間、しつこく追って来る部下(タリオン)から逃げ続けて……ラヴィはとある区画で辿り着く。

 そこでは『みっしぃ』というマスコット達が風船を配りながら、子供達を集めていた。

 集まった子供達の前でピエロの仮装をした男が声を張り上げる。

 

「さあ、みんな見ていっておくれ! 楽しいお話やってるよ! かっこいい英雄の大活躍が見られるよ!」

 

 その言葉に子供達は顔を輝かせる。一方ラヴィは……。

 

「“英雄”……」

 

 ピエロの言った一言にラヴィは足を止め、子供たちの後ろに立って、彼らが設置したであろう垂れ幕に目をやった。

 

 ピエロが隅に下がるとともに幕が上がり、絵で描かれた街が表れる。その後ろから声がかかってきた。

 

『ここは『ケルディック』。この町には大きな市場(いちば)があって、その市場を中心にみんな仲良く暮らしています。でもそこに、悪い領主様が送り込んだ鉄の兵隊達がやってきました』

 

 そこまでナレーションがかかったところで市場の上に火の絵が被り、その横から緑色の鉄人形が現れて、人々の悲鳴――を模したスタッフの声――が上がる。そこで絵で描かれた町人が浮かんできて、子供たちに語りかけてきた。

 

『うわー。このままじゃ僕達の町が焼かれちゃうよ! どうしよう? みんな、領主様の兵隊相手に僕達はどうしたらいいか教えて!』

 

 その問いかけに子供達はうなる。その中である男の子が言った。

 

「――“えいゆう”!」

 

 それを聞いて、他の子供たちも声を上げる。

 

「そうだ! “えいゆう”をよぼう!」

「わるい兵隊をやっつける“えいゆう”!」

 

『そうだみんな。英雄を呼んで僕達の町を守ってってお願いして!』

 

 町人の呼びかけにつられて、子供達は口々に『えいゆう!』と叫んだり『まちをたすけて!』と懸命に声を上げる。

 すると天から剣を持った白い鉄人形が現れて、領主の兵隊達に向かっていく。

 それを見て子供達は歓声を上げ、後ろにいる親たちも感嘆の息をついた。

 そんな中で……

 

「白い……機甲兵……」

 

 誰にも聞こえない声量でラヴィはその名をつぶやく。英雄と呼ばれている白い鉄人形は、《帝国の英雄》が乗っている《機甲兵(パンツァーゾルダ)》とまったく同じだった。

 彼女を含む観衆の前で、“英雄”は緑色の鉄人形に剣を振るって彼らを追い払い、見事町を救い出した。

 

『ありがとう、英雄!』

『あなたのおかげで僕達の町を守れたよ!』

 

 領主の兵隊達と入れ替わるように町人達が出てきて、口々にお礼を告げる。“英雄”は剣を掲げてそれに応え、そこで幕は下りて紙芝居は終わった。

 

 そして子供達は親に連れられてこの場を後にし、何組かは帰るついでにみっしぃが両手に持っているシルクハットの中に硬貨を入れる。

 それらを呆然と眺めるラヴィの横から、

 

「あれは内戦中の出来事を元にした芝居みたいですね」

「……」

 

 いつの間にか隣に立っていたタリオンは話を続ける。

 

「去年帝国で起こった内戦中、馬鹿な領主が自分の治める領地内の町を焼き討ちしたそうです。あのお芝居では《英雄》によって助けられた事になってますが、実際に《英雄》が駆けつけた時には、すでに町の目玉である市場は焼け落ちてて、町の有力者もそれに巻き込まれて死んでしまったとか」

「――っ」

 

 その説明を聞いて、国民を捨てて逃げ出した大公が脳裏に浮かび、ラヴィは唇を噛む。

 そんな彼女に気付き――

 

「まあ、その領主も仲間や息子に見捨てられた挙句、“白い機甲兵”に乗った《英雄》に捕まったんですけどね。……そろそろ戻りますよ。さすがにこれ以上あそこを空けるわけにはいきません。気持ちは分からなくもありませんが、あれも立派な猟兵の務め――」

 

 そう言ってタリオンは年下の上官を引き戻そうとする。さすがのラヴィも彼に従おうとしたが――

 

「見たか、子供達の反応を?」

「ああ。やはり()()()()()英雄が必要だ!」

 

 耳に届いた二つの声のうち、片方は子供達を集めていたピエロのものだった。

 熱のこもった――しかしどこか陰のある声にラヴィは不穏な予感を覚える。そして彼らが資材を片付けながらどこかへ向かっていくのを見て――。

 

「ごめん! あなたは先に戻ってて! 私もすぐに行くから!!」

「あっ――教官! 今度はどこへ――!?」

 

 タリオンの腕を振りほどき、ラヴィは怪しげなピエロ達の後を追う。彼女を呼びながらタリオンも彼女に続いた。



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第2話 紺碧への招待(後編)

1話上げた直後からずっと積みゲーやってました。また執筆活動に専念しますので読んでみてください。


「あーん……んー、おいひぃ!」

 

 潜り込んだパーティーで、イセリア・フロストは大きく口を開けてステーキを平らげる。それを見てマーティン・S・ロビンソンは思わずつぶやいた。

 

「よく食うねえ。がっつきたくなる気持ちはわかるが、状況を忘れんなよ」

 

 指揮官として“潜入中”だと言外に忠告するものの、イセリアは気にも留めず口に入れたステーキを噛み砕きながら言った。

 

「こんなご馳走、故郷じゃ絶対食べられないでしょ。せっかくパーティーに参加したんだから、好きなだけ食べさせなさいよ! 《帝国の英雄》っぽい奴もいないみたいだし」

「……」

 

 そう言われると、貧しい国(ノーザンブリア)で育った同郷人としては何も言えず、マーティンはため息をつく。

 そんな彼らの元へ豪奢なコートを着た禿頭の老人が寄ってきた。

 

「はははっ! 楽しんでおるようだのう。どうだオルディスの料理は。帝国一と言っても過言ではないほど絶品であろう! わっはっはっ!」

「……ん?」

 

 無遠慮に話しかけ笑い声とともに唾を飛ばす邪魔者に、イセリアはステーキを飲み込みながら顔を向け、マーティンは神妙な表情で尋ねた。

 

「……失礼ですがあなたは? かなり身分が高い方とお見受けしますが」

 

 その問いに老人は不快そうに眉を吊り上げるも、オホンとわざとらしい咳払いをして言った。

 

「これは失敬、申し遅れた。ワシはヴィルヘルム・バラッド。現侯爵にして、不肖の甥に代わりラマール州の統括をしている。つまり“カイエン公爵代理”というわけだ。覚えておきたまえ」

「カイエン――これは失礼しました、閣下!」

 

 老人がカイエン家の者と知り、マーティンは慌てて頭を下げる。

 

 カイエンといえば、オルディスをはじめ、ラマール州の大部分を治める大貴族にして、帝国(エレボニア)貴族を代表する《四大名門》の中でも最有力の家系だ。先の内戦で『貴族連合軍』を率いていたのも、カイエン家の当主――クロワール・ド・カイエンだったという。

 つまりバラッドは、現在のカイエン公爵といっても過言ではない人物。機嫌を損ねていい人間ではない。

 

 遅まきながらそれを察するマーティンに対して、バラッドはふんと鼻を鳴らしてからイセリアに顔を向けた。

 

「ところでお嬢さん、料理もいいが酒の方はどうかな? この宴に出されている酒もなかなか良い物が揃っておるぞ。今ワシが飲んでおるのも、ノイエ=ブランから仕入れた30年物のグランシャリネでな」

「……えっと……それってもしかして…………」

 

 イセリアが言ってる間にもバラッドは彼女に赤らんだ顔を近づけてくる。それを前にしてイセリアは額に冷や汗を浮かべた。

 

 まさか潜入中に、祖父ほどの老人に言い寄られるとは……。

 

 

 

 

 

 

 夜が来てすっかり街が暗くなった頃、怪しいピエロとみっしぃ達は『北通り』から『港湾地区』に広がる倉庫の一つに身を移していた。彼らを追ってラヴィとタリオンも壁際にある勝手口の近くに身をひそめる。

 その隙間から彼女たちが見張っている中、みっしぃ達は中央に置かれた飛行船に集まり、ピエロは船の足場に乗って声高に告げていた。

 

「今こそ復讐の時! 腐りきったこの街(オルディス)の体制に一矢報いる時が来た! 『ホテル・オルテンシア』に集う驕りたかぶった商人、それにへつらう官僚、“平民出身の宰相”と“裏切り者の公子”に実権を奪われた情けない貴族ども――奴らに、誰がこの街の英雄か思い知らせてやろうじゃないか!!」

「イーー!!!」

 

 鼻息荒く演説するピエロに対して、みっしぃの着ぐるみを着た手下達が腕を振り上げる。それを見てタリオンがつぶやいた。

 

「あいつら、パーティー会場を狙って……」

 

 そのつぶやきにラヴィがうなずき。

 

「あのピエロ達、芝居が終わった後、英雄が必要だと言ってた」

「英雄……まさか、《帝国の英雄》を引き合いにして――」

 

 タリオンが言おうとしたところで倉庫の屋根が開き、二人は上を見上げる。

 屋根が開き、露わになった夜空の下でピエロは手下達に向かって言った。

 

「お前らは予定通り……いいな!」

 

 その指示に、手下達は再び「イー!」と応える。それを聞いてからピエロは左腕を振り上げ――

 

「では――出発!!」

 

 彼の号令とともに固定用の(ひも)は外れ、船はピエロを乗せたまま上空へ浮き上がる。一方、みっしぃに扮した手下達は空に浮く船に目もくれず、大扉を開き続々と外に向かって行く。

 それを見てラヴィは倉庫に飛び込み、船から垂れている紐に掴まった。

 

「ラヴィ教官! ――っ」

 

 タリオンは彼女に続こうとするが、外へ出て行った手下達の事を思い出し踏みとどまる。

 彼らはボスとは別になにかをしでかそうとしている。パーティー会場は気になるが、放っておくわけにもいかない。

 

――仕方ないですね!

 

 そう思うやいなや、舌を打ち鳴らしながらタリオンはみっしぃ達を追った。

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、見てあれ!」

「飛行船? こんな時間に?」

 

 その頃、港湾地区から突如浮かび上がった飛行船を見て、人々はどよめきの声を上げる。

 そんな彼ら彼女らを見下ろしながら、飛行船は高級ホテル『オルテンシア』がある商業地区へと向かっていた。

 市民のみならず街を巡回している衛兵達も、突然現れた飛行船に気付き駆けつけようとするが、そんな彼らと市民たちの前にみっしぃ達が現れた。

 みっしぃ達は彼らの前で――

 

「ミッ……シー!!」

 

 みっしぃが腕を振り上げると、手首の先がパカッと取れ、中から火のついた花火が出てくる。みっしぃはそれを街中に向けて放り投げた。

 花火は街の中でまばゆい光を放ちながら爆発し、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。衛兵達も謎のみっしぃ達や自分たちに投げられる花火の対処をせざるを得ず、飛行船どころではなくなった。

 

 

 

「よおし、予定通り衛兵どもはあちらに釘付けになってるな。俺はその間に……」

 

 眼下で起こる騒ぎを見下ろしながら、ピエロはほくそ笑む。

 

――もうすぐだ。もうすぐで自分達を見捨てた強欲人どもに復讐できる。

 俺はこの身を賭して、この街の……オルディスの“英雄”に――。

 

「させない!」

 

 覚悟と復讐心で自らを奮い立たせたところで、ふいに声が響き、手すりをよじ登りながら、くすんだ金髪の少女が眼前に現れた。

 

「な――なんだお前?」

 

 ピエロは思わず問いを放ちながら、銃を取り出す。

 だが少女――ラヴィは即座に彼の腕を蹴り上げ、銃を弾き落とした。

 ピエロは蹴られた腕を押さえながら……

 

「貴様、一体どこから湧いて出た――」

 

 そう言いながら、ピエロはラヴィに殴りかかる。それを避けながらラヴィも反撃を始めた。

 

 

 

 

 

 

 ラヴィとピエロが戦っている頃、街ではみっしぃ達が無差別に花火を投げつける。

 そこへタリオンが出てきて、みっしぃに肘鉄を食らわせた。

 

「見た目と裏腹にやり放題ですね――」

 

 みっしぃを倒しながら毒づくタリオンの前で、別のみっしぃがあらぬ方に花火を投げつける。

 そこには車椅子に乗った老婆と、椅子を押している少女がいた。

 思わぬ出来事に少女は動きを止め、逃げる事もできず祖母とともに身をすくめている。それを見た途端――

 

「――おおおおおおっ!!」

 

 タリオンは勢いよく駆け出し、花火を蹴り飛ばす。その瞬間花火は赤い閃光を放ちながら爆発し、熱風と火が彼の体に当たった。

 それを見て少女は「あっ」と声を漏らすが、タリオンは一度大きく腕をふるってから、みっしぃに扮した悪漢達に向かって行く。

 そんな恩人を少女は熱い眼差しで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 一方、上空に浮かぶ飛行船の上で、ラヴィはピエロを取り押さえようと、ピエロはラヴィを突き落とそうと、互いに拳を振るいながら戦っていた。

 そこでピエロの眼前に目的地が映った。

 

(ちっ、もうホテルまで来たか。これ以上こんな小娘の相手をしてられるか――)

 

 ピエロは意を決したような顔を作って、再びラヴィに殴りかかる。ラヴィはそれを難なく避けてピエロに蹴りを入れるが、ピエロはそれを避けて二人は入れ替わる形になり、今度はピエロがホテルを背にし、ラヴィがホテルとピエロを視界に入れる形になった。

 

(もうホテルの敷地内……このままこいつを足止めすれば、ホテルに被害が及ぶことはないはず。もちろんすぐに捕まえるに越したことはないけど……)

 

 そう思いながらラヴィはじりじりと足を摺り、ピエロににじり寄る。

 そこでピエロはおもむろに懐から楕円型の『導力器』を取り出した。

 

(オーブメント――《エニグマ》とは少し違う……)

 

 思わず動きを止めるラヴィに対し、ピエロは帝国製のオーブメントを開きながら詠唱を唱えた。

 

「《アークス》駆動――いでよ光球(ゴルトスフィア)!」

 

 その瞬間、オーブメントから金色の球が飛び出し、ラヴィはそれをまともに食らう。

 その隙を縫ってピエロは彼女に背を向け、手すりに片足を乗せた。

 

(まさか――)

 

 ラヴィがそう思った瞬間、ピエロはもう片足を手すりに乗せ――躊躇なく飛行船から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

「どうかのう、そこの無知な連れは放って、ワシと一献。ここだけの話じゃが、ワシは遠くないうちに正式なカイエン公に襲名する予定でな、(よしみ)を繋いでおけばなにかと得になるぞ。それを思えば、酒の相手ぐらいしてもいいと思うがのう……」

「えっと、それはありがたいんですけど、彼が……」

 

 ずいずいと迫ってくるバラッドから目をそらし、イセリアは助けを求めるようにマーティンを見る。しかし、マーティンもグラスを揺らしながらどうするべきかと頭を悩ませていた。

 

 仲間を差し出すような真似はしたくない。しかし、ラマール州の代表であるバラッドと一悶着起こすわけにもいかない。よしんば酒の相手だけなら認めるとしても、バラッドから帝国政府に自分達の情報が漏れる可能性も十分考えられる。

 はたして、どうするべきなのか……。

 

 

 

(あらあら、厄介なのに捕まったわね。噂には聞いてたけど、傲慢な所は甥そっくり。私の方から助け舟を出してあげた方がいいのかしら)

 

 老侯爵に絡まれている二人組を眺めながら、黒髪の美女はそんなことを考える。

 しかし、妙な予感を覚えて、「あら」と思いながら彼女は上の方へ顔を傾けた。

 

 そこで突然ガラスが割れ、“何か”が会場に降ってきた。

 会場内の皆は思わずそちらに顔を向ける。無論イセリアとマーティンも、イセリアに言い寄っていたバラッドもである。

 

 ガラスを突き破り、会場に乱入してきたのは長身のピエロだった。

 高度から降ってきたにもかかわらず、ピエロは難なく着地し、立ち上がりながら会場内を見回す。

 そして彼は高らかに両手を広げ、芝居がかった口調で挨拶を始めた。

 

「やあやあ、高貴なる紳士淑女。強欲な商売人に、善人ぶった貴族の皆々様……パーティーをお楽しみのところ、お騒がせして誠に申し訳ありません。(わたくし)は見ての通り、取るに足らないしがないピエロ……貴方がたの内輪喧嘩にもてあそばれ、すべてを失った哀れな道化(ピエロ)にございます」

 

 丁寧な、しかし溢れ出る憎悪を隠しきれない口調でピエロは告げる。

 そこへバラッドが出てきて、闖入者に対して声を荒げた。

 

「な、なんじゃお前は? 突然空から降って来て、訳のわからんことを抜かしおって! 余興にしても不躾にほどがあろう!!」

 

 怒気もあらわにまくしたてる老侯爵を見ても、ピエロは動じず。

 

「おやおや、カイエン家の莫大な財産を手にしながら、困窮している民に手の一つ差し伸べず、ラクウェルで散財ばかりしている公爵代理様ではありませんか。先日もノイエ=ブランを店ごと貸し切ってお楽しみになられたようで」

「――なっ!? ど、どうして貴様ごときがそれを――」

 

 そこまで言いかけて、バラッドは慌てて口をつぐむ。しかし、そこまで言えば認めているも同然だった。

 そんな公爵代理を一礼して、ピエロは改めて告げた。

 

「パーティーに水を差した事は重ね重ねお詫びします。その代わりと言ってはなんですが、皆様につたない芸を披露させて頂きましょう――煉獄を垣間見るほどの華麗なショーをね!」

 

 不気味な笑みと、それを浮かべるピエロの口から出た“煉獄”という言葉に客達――特に荒事に慣れたマーティンとイセリアの顔が引きつる。

 そこへ、割れたガラスから金髪の少女が飛び降りてきた。

 

「はあああああっ――!!」

「――お前は、――ぐはああああっ!!」

 

 空から蹴りを撃ち込まれた衝撃でピエロはその場から吹き飛び、テーブルを巻き込みながら後ろの壁に激突する。

 その一方で、会場に飛び込んできた少女を見て、マーティンとイセリアは思わず声を上げた。

 

「ラヴィ!?」

「もー、ラヴィちゃんサイコーすぎー!!」

 

 戸惑いと声援の混じった声を背に、ラヴィは立ち上がり態勢を整える。

 ピエロもまた、うめき声を漏らしながら立ち上がった。

 

「きさま……せっかくのショーに…………水を入れやがってーー!」

 

 吼えながらピエロはラヴィに殴りかかる。

 ラヴィは横に跳んで攻撃をかわし、ピエロに向かって接近するが、相手は空を切った腕をそのまま伸ばし、ラヴィの細い体に叩きつける。

 しかしラヴィはすぐさま飛び上がり、ピエロの顔面にするどい蹴りを入れた。

 息を飲みながら二人の戦いを見守る客達の中で、マーティンとイセリアは加勢の機会を窺っていた。

 

 あのピエロを放置しておくわけにはいかない。ラヴィが戦っているとなればなおさらだ。しかし、極力自分達が猟兵だと気付かれないようにしなければならない。

 どうするべきか……。

 

 

 

 マーティンが考えている間も、ラヴィとピエロは一進一退の攻防を繰り広げ、とうとうピエロはラヴィの体を捕まえ、彼女をテーブルの上へ叩きつける。

 それを見て衆人達が悲嘆の声を上げる中、ピエロはすぐ後ろのテーブルに乗り、自らが纏っていたジャケットをはだけた。

 そのジャケットの裏には大量のダイナマイトが――。

 

「きゃあああっ!」

 

 たまらず悲鳴を上げる女性客。その悲鳴を聞きながら、ピエロは狂気の色を含んだ笑い声をあげた。

 

「ふっはっはっはっ! ざまあみろクソガキめ! もうお遊びはここまでだ。ポンコツ貴族に強欲商人ども――貴様らの内輪もめに巻き込まれた人間達の怒りをその身に受けるがいい!」

 

 高らかに言いながら、ピエロはダイナマイトを一本取り出しそれに火をつける。それを見て、多くの客が隅まで逃げる。バラッドも逃げようとするもののマントにつまずいて尻餅をつき、立ち上がろうとしながらピエロを見上げた。

 それを見て、ピエロは口を大きく吊り上げる。

 

「――ま、待て! 金ならいくらでもやる! それに次期カイエン公たるワシに何かあれば貴様もただでは――」

「知ったことか! 俺もお前らもここで終わりだ。公爵代理様、仲良く煉獄へ行こうじゃないか――くらえ!!」

「ひぃ――!」

 

 火のついた導火線を投げつけられ、バラッドはたまらずその場にうずくまる。

 そんな彼の前でダイナマイトは大きな音を立てて――

 

『――Mitescere(鎮めよ)

 

 爆発せず、ダイナマイトはカランと音を立てながら床に転がった。

 

(火が――突然消えた?)

 

 ダイナマイトを見て呆然とするラヴィ。それに対して――

 

「くそ……火の勢いが弱かったか。ならばもう一本――」

「はああっ!」

 

 自然に火が消えたと判断し、もう一度ダイナマイトに火を付けようとしたピエロに、イセリアが飛びかかる。ピエロはダイナマイトを手放し、両腕で体をかばうことで攻撃を受け止めた。

 そこへ――

 

「――ああああああっ!」

 

 イセリアに気を取られ、がら空きになったピエロの背中にラヴィは渾身の蹴りを入れる。

 鈍い悲鳴を上げながら、ピエロはその場に倒れた。

 急いで立ち上がろうとしたピエロだったが……。

 

「動くな……お前の負けだ」

 

 少女の声とともに首筋に冷たいものがあてられる。それはラヴィが懐から取り出したナイフの感触だった。

 その切っ先と、『動けば本気で切る』というラヴィの眼光を受けて、ピエロは力なくその場に倒れ伏した。

 

 

 

 諦めたように寝そべるピエロ、彼を組み敷くイセリア、取り出しかけた銃をしまう素振りをするマーティン、そんな彼らを見下ろしながらたたずむラヴィ。

 客達はしばらくの間、ぼんやりと彼らを眺めていたが……やがて一人が両手を鳴らし、もう一人も拍手を始め、何人かがそれに続き、あっという間に皆がラヴィ達に大きな拍手を送るようになった。

 

「ありがとう!」

「かっこよかったわ!」

「おかげで助かったよ」

 

 少女に惜しみなく注がれる感謝の拍手と激励。

 ラヴィは彼らを見渡し、一人の女に視線を止めた。

 長い黒髪を垂らし、露出の高い青いドレスを着た、紫色の瞳と左目の下にある泣きぼくろと特徴的な美女だ。

 ラヴィの視線に気付くと、美女は左目をパチンとまばたかせウインクをくれた。

 

(さっき火が消えた時に女の声が聞こえたような……まさか……)

 

 ラヴィは鋭い目で女を睨む。そんな彼女に、支配人らしき男がネックレスを掲げながらやってきた。

 

「これはテロからお客様達を守ってくれた、ささやかなお礼だ。どうか受け取ってほしい」

 

 そう言いながら、支配人はラヴィの首にネックレスを掛ける。

 それを見てイセリアは興奮の声を上げ、他の客達は拍手を続けていた。バラッド侯や例の黒髪の美女も含めて……。

 

 

 

 

 

 

「あのピエロ……半年前までは相当でかい劇団のオーナーだったらしいんですが、パトロンをしていた貴族が内戦で捕まり、そのせいで劇団も他人の手に」

「その恨みを晴らすため、か……帝国にもああいうのはいるんだねえ」

 

 衛兵たちに連行されていくピエロとみっしぃの着ぐるみを着た手下達を眺めながら、タリオンとマーティンはそんな言葉を漏らす。同情できなくはないが、ノーザンブリアではそれより悲惨な話はいくらでもある。正直、自分の命を投げ出してまで復讐するほどの事とは思えなかった。

 

 マーティンはタリオンに顔を向けながら尋ねる。

 

「ところで大丈夫か? あちこち火傷したって話だが……」

「ええ、ちょっと花火が当たっただけですから。三日もたてば完全に治りますよ」

 

 タリオンはそう言って、包帯を巻いた腕を掲げて見せる。それに対してラヴィはため息をつきながら、

 

「もう少し鍛えた方がいい。着ぐるみ相手にそんな傷を負うようじゃ」

「――誰のせいで」

 

 心配どころか辛辣な一言を放つ上官に、タリオンは文句を言いかける。

 そこへ「あの」と少女が声をかけてきた。

 

「君は……確か悪漢に襲われていた……」

 

 つぶやくタリオンに少女はうなずき。

 

「さっきはありがとうございました……おばあちゃんもお礼を言いたいって」

 

 それを聞いて少女とともに彼女の後ろを見ると、車椅子に乗った老婆が笑みを浮かべながらお辞儀をしているのが見えた。

 

「あっ……いえ別に、大したことは……」

 

 二人からの謝辞にタリオンは照れくさそうに頭を搔きながら笑う。

 

「まっ、らしいっちゃらしいよね。いかにもタラオって感じ」

 

 彼を見ながらイセリアはそんな感想を漏らす。

 ラヴィもうなずきながら。

 

「つまらない事ばかり気を回す奴」

 

 その一言を聞いて、タリオンはラヴィの方を振り返りながら言った。

 

「つまらない事じゃないです。あなたが回さなさすぎるんですよ、ラヴィ教官」

 

 その指摘にラヴィは答えず……。

 

「……“ラヴィ”でいい」

「えっ……」

 

 突然呼び捨てを要求され、タリオンは戸惑いの声を漏らす。

 ラヴィは続けて言った。

 

「“教官”なんて私の柄じゃないし、そういうつまらない取り柄でも、私にないものをもってるのは確か。だから今後は同じ立場の仲間ってことで、よろしく……タラちゃん」

 

 勝手につけたアダ名を言いながらラヴィは彼の肩を叩き、宿に向かって歩いていく。それを眺めながら……

 

「……どういう意味です?」

 

 タリオンのつぶやきにマーティンは「さあな」と言い、

 

「認めてくれたってことじゃない。おめでと――」

 

 そこでイセリアは言葉を止め、マーティンとともに――

 

「「タ・ラ・ちゃ~ん♪」」

「~~、勘弁してください、ラヴィきょうか――ラヴィーー!!」

 

 からかってくる二人から逃げるように、マーティンはラヴィの後を追った。

 

 

 

 

 

「こちら《黒兎(ブラックラビット)》。対象はオルテンシアを離れて宿へ…………わかりました。では彼らの監視は《白兎(ホワイトラビット)》に任せて、私は《灰色の騎士》のサポートに戻ります…………別に嬉しくはありません。ただの任務ですから。それでは失礼します……《かかし男(スケアクロウ)》さん」

 

 空中にて、黒い傀儡(くぐつ)に乗った少女は、相手(かかし男)からの冗談を流しながら通信を切り、アークスを仕舞う。

 兎のような長い耳が付いた、黒い装束を着た十代前半ぐらいの少女だ。

 銀色の髪を二つに分けた少女は、金色の瞳でじっと“客人達”を見下ろし、傀儡とともにいずこへ飛び去って行った。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ホテル・オルテンシアの部屋で二人の女が椅子に座って向かい合っていた。

 一人は左目の下の泣きぼくろが印象的な黒髪の美女――ヴィータ・クロチルダ。

 もう一人は短い緑髪と紫色の瞳の美しい少女――ミュゼだった。

 

「150年前にバルアレス海で採れた宝石をポンとプレゼントするなんて、随分気前がいいわね。おかげであれ以上“あの子”から睨まれずに済んだけど。そんなに“あの子”が気に入った?」

「うふふ。否定はしません。もちろん、この街を守ってくださったあの方達へ、せめてもの感謝のしるしを贈りたかったのは確かですが」

 

 ヴィータの問いに、ミュゼは微笑みを浮かべながら答えを返す。

 そんな“協力者兼新弟子”に、ヴィータも笑みを返しながら手元にあるワインを口に含んだ。

 

「それだけじゃないでしょう。祖国を守るために《帝国の英雄》と相打つかもしれない、彼らにエールを送りたかったんでしょう――最初から敗北が決まってるとしても」

「……“支度金”のようなものです。あの方達には()()()()()()()()()()()()()期待していますから。さすがに全員は加わっていただけないでしょうけど」

「例の“作戦”ね……こんな所で言ったらまずいかしら」

 

 わざとらしく声を潜めるヴィータに、ミュゼも苦笑しながら自らの口の前に人差し指を立てた。

 “敵”は、このエレボニア帝国を支配している《鉄血宰相》と彼が育てた《子供》達だ。他にも《黒の工房》なる組織も存在するという。

 部屋のまわりに簡易な結界を張っているとはいえ、油断できる相手ではなかった。

 それだけではない――。

 

「……お尋ねしますが、《結社》の方はどうでしょう? 『幻焔計画』がどういうものにせよ、宰相が完全に帝国の実権を握った以上、その実行は極めて難しくなったと思いますが……」

 

 ミュゼの問いにヴィータは笑みを浮かべながら肩をすくめ、大きく首を縦に振った。

 

「ええ。鉄血宰相とあの《筆頭》が相手では、計画を行うことは不可能に近いでしょう。だから結社内――《蛇の使徒(アンギス)》達の間では、宰相達との協力――いえ恭順が持ち上がっているわ……()()()()()()()()にね」

「宰相や傘下にあった組織に恭順してでも、ですか……計画に関して、《盟主》は関与せず、《使徒》達の合議によって方針が決められ実行される……それは確かですね?」

 

 ミュゼの問いにヴィータは首を縦に揺らす。

 結社――《身喰らう蛇(ウロボロス)》の計画や作戦に際して、盟主は計画の始動のみを命じ、《蛇の使徒》達の主導で実行される。リベール王国で進められた『福音計画』も、クロスベルと帝国で進められていた『幻焔計画』も例外ではない。

 

「ならばやはり、使徒達が宰相達への恭順を決めるのは間違いないと思います。私もすべての使徒を知っているわけではないので断言できませんが、《根源の錬金術師》と《博士》、《鋼の聖女》は絶対に賛成すると思います……この時点で三人も賛成側に回ってしまうことになりますね」

「ふふ。《破戒》も賛成するわよ。“世界大戦”なんて、大枚をはたいてでも見たがる人だから……なるほど。数の上では、宰相への恭順は()()決まってしまっているというわけね」

 

 ミュゼとヴィータが挙げた四人は間違いなく賛成側に入る。仮にヴィータをはじめとする他の使徒が反対したとしてもたった三人。多数決ではもう決まってしまっているのだ。

 

 もっとも、実際にはまだそうとは限らない。

 他の使徒より位の高い《第一柱》が“拒否権”を出すかもしれないし、他ならぬ盟主が別の方法を命じる可能性もある。

 しかし結社にとって『幻焔計画』を確実に進める方法は、鉄血宰相に従うより他にない。

 何より、《盤上の指し手》たるミュゼが“予測”してしまっている――結社が鉄血宰相に降り、ともに《巨イナル黄昏》を進めると。

 

 

 

「……忠告ありがとう。そうならないように頑張ってみるわ。でも、“その時”が来たら改めてあなたのお世話になるかもしれないわね、公女様」

「喜んで歓迎させていただきます、魔女さん。“将軍”には私から話を通しておきますので」

 

 そう言ってからミュゼは立ち上がり、部屋の片隅に置いたバッグを持ち上げる。

 それを見てヴィータが口を開いた。

 

「もう学院に戻るの? 家庭の事情を口実に明日まで休んじゃってもいいと思うけど」

 

 ヴィータの提案にミュゼは笑みを返しながら。

 

「できるだけ真面目にした方がいいんですよ。カイエン公の縁者という事で肩身が狭くなっていますから。……それに、大叔父様には()()顔を覚えられたくありませんので」

 

 その返答にヴィータは苦笑を漏らす。

 ミュゼの大叔父――バラッドはすでにカイエン公になったつもりで、オルディスを始めラマール州を取り仕切っている。浪費や遊興癖など色々問題はあるものの、政財界に太いパイプを持ち、決して無能なだけの人間ではない。

 今は彼を“次期カイエン公”に据えておいた方が、ミュゼにとって都合がいいのだろう。彼女の“作戦”にも影響するのかもしれない。

 

 

 

 そうこうあって、ラヴィ達に続き、ミュゼこと――ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン公女も密かにオルテンシアを発った。

 

 彼女の言う“作戦”はすでに水面下で動き始めているものの、それが日の目を見るのはまだ先の話である。



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第3話 歓楽都市(前編)

 七耀暦1205年4月某日。20:00。

 エレボニア帝国最東端・クロスベル州

 

 帝国による『無血併合』以来、総督府となったオルキスタワーの20階にある総督執務室では、長い金髪を後ろに束ねた青年と、白髪交じりの黒髪に顎髭を蓄えた壮年の男がいた。

 二人は執務机の前にあるソファに座り、互いに向かい合う形で腰を下ろしている。

 

「併合から一月(ひとつき)、クロスベルの統治は順調に進んでいるようだね。ルーファス・アルバレア総督殿」

 

 貫禄と威圧感をにじませた声で黒髪の男が言葉をかける。

 彼に対し、ルーファスと呼ばれた金髪の青年は流すような笑みを浮かべた。

 

「ええ、従順にして賢明な市民達の協力のおかげで。むしろこちら(帝国)の兵が問題を起こすことがありました。クロスベル市民を属州民と軽んじた憲兵が、市民に不当な要求を行おうとしたことが幾度か。彼らには厳正な罰を与えた上で治安活動に復帰させる予定ですが、反省の色の薄い者達は『軍警』に出向させ、クロスベル籍の軍官の下につけるつもりでいます。そちらについてもご了承のほどを。ギリアス・オズボーン宰相閣下」

「ふふ。市民の支持を得つつ、クロスベル警察を取り込むつもりか。相変わらず抜かりのない事だな。……警察といえば、『特務支援課』の方はどうだね? ジオフロントで取り逃がして以来、音沙汰がないとのことだが……」

 

 オズボーンはあたかも今思い出したという様子で、『特務支援課』について尋ねる。

 その問いにルーファスは肩をすくめ、しかし笑みを絶やさぬまま答えた。

 

「お恥ずかしい事に影も形も掴めないままです。それに、帝国の統治を支持している市民の中にも支援課を快く思っている者は予想以上に多い。支援課を無理に排除して、ようやく取り付けた市民の支持を失いたくないというのが本音です……共和国との“大戦”に備えるためにもね」

 

 最後の一言に、オズボーンも「フフッ」と苦笑を漏らした。

 

「確かにな……だが、このまま好きにさせておくつもりもないのだろう。たかが警察官の身で独裁者の野望を阻止した者達だ。彼ら――特にロイド・バニングスを侮れば、手痛い目を見るやもしれんぞ」

「承知しています。彼らの“動きを止める”策はすでに立てております。ただ、入念な準備がしたいのでしばし時間を。半端な手ではそれこそ痛い反撃を食らうでしょうから」

 

 ルーファスの答えにオズボーンは鷹揚にうなずく。

 彼の言う独裁者――ディーター・クロイスらが支援課を捕らえた時も、彼らへの警戒を緩めた隙をつかれて取り逃がす羽目になったと聞く。散り散りに分けて軟禁しておくというのは悪くない手だったと思うが……。

 

「任せておこう。――もう一つ。ジュノーで籠城している貴族連合軍の残党との交渉も、君に任せたいと思う。彼らの指揮を執っている《黄金の羅刹》達とは知らない仲ではないだろう」

「ええ。内戦の時に、貴族連合で何度も顔を合わせています。ですが、“裏切り者”の言葉に彼女達が耳を傾けてくれるかどうかは……」

 

 力ない風を装って首を横に振って見せるルーファスに、オズボーンは腕を組みながらほくそ笑み……。

 

「あの者達も内心では落とし所を探っているはずだろう。“次の戦”で、汚名の払拭と皇帝陛下のお許しを得る機会を与えてやるとしよう。それを材料に君の方からうまく説得して見せたまえ。できるかね、鉄血の子供達(アイアンブリード)が筆頭――《翡翠の城将(ルーク・オブ・ジェイド)》」

 

 その言葉にルーファスは「フフッ」と笑みを漏らし、慇懃に頭を下げて言った。

 

「それがあなたを超えるための“課題”とあらば、必ずや成し遂げて見せましょう。吉報をお待ちください――()()

 

 血の繋がりはおろか養子でさえないにもかかわらず、『必ずあなたを超える』という意思を込めて、ルーファスはオズボーンを“父”と呼ぶ。

 そんな彼に――

 

「期待しているぞ……“息子”よ」

 

 オズボーンはそう答えて彼の奮起を促しながら、胸中で付け足した。

 

(願わくば、本当に私を超え――そして、この身に宿る《黒》を打ち破ってほしいものだな)

 

 そこでふとルーファスは思い出したように声を上げる。

 

「そういえば……ノーザンブリアから《北の猟兵》が四人、帝国に潜入しているとのことですが。彼らは現在何をしています? すでに掴んでいるのでしょう」

 

 その問いにオズボーンは不敵に腕を組みながら、部屋一面に張られた窓ガラスから帝国の方を見ながら言った。

 

「ああ、レクターとミリアム達が見張っておるよ。道化どもが起こした騒ぎを鎮めてから、オルディスを発ったらしい。おそらく今頃は…………」

 

 

 

 

 

 

 オルディスから伸びる渓谷地帯の中腹に、『ラクウェル』という町がある。

 帝都ヘイムダルやオルディスを始め、ジュライ、ノーザンブリアに繋がる街道まで合流しているこの一帯は、古くから交通の要所として栄えており、彼らを相手に商売する店が建てられるようになり――いつしか、帝国でも有数の“歓楽都市”が形成されるようになった。

 

 昼間は静かな街並みだが、夜になれば町中のイルミネーションがライトアップして歓楽街としての様相を露わにする。

 ラヴィ達がこの町を訪れたのもそんな時刻だった……。

 

 

「そこのお兄さんとお姉さん! 見ない顔だけど観光客?」

「よかったらうちのカジノで遊んでいかない。運がよければ大儲けできるかもよ♪」

 

 町に入ってすぐ客引きのバニーガールに捕まり、彼女らに腕を掴まれたマーティンとタリオンは、視界に飛び込んでくる胸の谷間と腕越しに伝わる感触にあたふたしながらも必死に理性を保ち、彼女達から逃れようとする。

 そんな男どもをラヴィとイセリアは冷ややかな目で見るものの、あの二人はまだいい方だ。

 

 歓楽街だけあってその手の誘惑などこの町では至る所で行われており、向こうではガラの悪そうな茶髪の男が肩や背中をむきだしにした水商売風の女と肩を組んでいた。

 そんなものを見ていたところで……

 

「まあまあ、ものは試しという事で! お姉さんたちもこっちこっち!」

「それじゃあ――四名様ごあんな~い♪」

 

 バニー二人の勢いと好奇心に負け、マーティンとタリオンはカジノに引っ張り込まれていく。ラヴィとイセリアは顔を見合わせ、仕方ないと嘆息しながら彼らについていくことにした。

 

 

 

 

 

「…………」

「あららー。あの人たち運がないねー。あそこに捕まった客は有り金全部取られた上に、身ぐるみまで剥がされるってウワサのとこでしょー。こないだも帝都から来た観光客がパンツ一丁で放り出されてたっけ」

 

 茶髪の男の腕に捕まっていた水商売風の女は、カジノに連れ込まれる観光客を見て憐れむような言葉を漏らす。

 その隣で男は「そうだな」と答えながらも、考えるように件のカジノを眺めていた……。

 

 

 

 

 

 

「お見事! お客様の勝ちです!」

「よっしゃ! これで3連勝!!」

「残念。チップを回収させていただきます」

「くそっ。さっきまで勝ってたのに」

「おーし! あと一つ揃えば……」

 

 

 カジノに入ったラヴィ達の目に飛び込んできたのは、無数のスロット台やカジノテーブル。それらの前に座り込んでいる客達や彼らの相手をしているディーラー達だった。

 それを眺めながら数歩進んだところで、バニー二人は片手を上げて――

 

「じゃ、私達は表に戻るから」

「お兄さんたちもお姉さんたちもゆっくりしていってね♪」

 

 と言ってマーティン達から離れ、店の前へ戻って行った。

 マーティンは惜しむような、タリオンは安心したような素振りを見せながらカジノの中に顔を戻し……。

 

「まあ、せっかくだから少し遊んでいくか。旅費も余裕があるし」

「少しぐらいならいいけど。もし旅費がなくなったら、私達ずっと帝国で過ごすことになるのよ。ノーザンブリアに連絡したところで助けも旅費の追加もこないだろうし」

 

 そう釘を刺しながらもイセリアも中を見渡し、大量のぬいぐるみが入れられているクレーンゲームに目を留めた。

 

「あら――ラヴィちゃん見て見て! みっしぃのぬいぐるみがいっぱい!」

「……」

「…………」

 

 イセリアにつられ、ラヴィとタリオンもみっしぃのぬいぐるみに目を向けるが、喜ばしい気分にはなれない。つい昨日オルディスで、みっしぃの着ぐるみを着た悪漢達とやり合った記憶が残っているからだ。

 しかし、イセリアはそんなこと気にも留めず――

 

「よーし、じゃんじゃんゲットするわよ! ラヴィちゃんも手伝って!」

 

 そう言ってラヴィを引っ張りながら、イセリアはクレーンゲームに硬貨(コイン)を入れる。

 タリオンもそれを一瞥してからスロット台に近づき……

 

「じゃあ自分は、これを使わせてもらうとしましょうか。三つの絵柄を合わせればいいんですかね……」

「揃いも揃ってお子ちゃまだねえ。ギャンブルといえばやっぱカードだろう……おいディーラーさん、俺と一勝負してくれねえか」

 

 鼻歌を歌いながら、マーティンもディーラーを相手にしたカードゲームを始める。

 そうして四人は各々遊戯や賭け事に興じ始めた……。

 

 

 

 

 

「ラヴィちゃん頑張って…………よし、あと少しで………………あ~ん、また落ちた! ちょっと、これ、どうやっても取れないようになってんじゃないの!?」

「うわっ! また7が揃った……よく当たりますね。台がいいんでしょうか?」

「――スリーカード! また俺の勝ちだぜ! これで100万ミラ。ギャンブルってこんなに儲かるのか~♪」

 

 ラヴィとイセリアが二人がかりでクレーンゲームに苦戦している横で、タリオンとマーティンは順調に勝ちを重ね、チップを増やしていく。

 それを見て、周りの客も彼らに好奇の目を注ぎ始めていた。

 

「見ろよ。あいつら、ここに来てからずっと勝ちまくってるぜ」

「見た限りじゃ、カジノなんて初めての素人なのに」

「ただの運だろう。そのうち負けるようになるさ」

「……そういやここって最初は勝ちが続くのに、途中からボロ負けしていくようになるんだよな。この間の旅行客もそうだっただろう」

「ああ、有り金どころか服まで取られた奴だろう。ありゃ気の毒だったぜ」

「……?」

 

 観客達の話の中に不穏なものが混じってることに気付き、ラヴィは思わず顔を向ける。

 流れが変わったのはそんな時だった――。

 

 

 

「フォーカード。お客様の負けです。それではチップを回収させていただきます」

「あっ、くそ――もう一回! 5万ミラ賭けてもう一回勝負だ!」

 

 5万分のチップを取られ、それを取り返そうとマーティンは同額のチップを賭けてもう一度勝負を持ち込む。スロットをしていたタリオンも――

 

「――また外れた。速さは変わってないのに急に揃わなくなりましたね。まあもう一度……」

 

 絵柄が揃わなくなり、嘆きの声を上げながらもタリオンは再びスロットを回す。

 ラヴィがそれに違和感を覚えている間もマーティンとタリオンは負けを重ね、今まで得たチップを失っていった。

 そしてついに……

 

「フラッシュ。ではチップを回収させて頂きます」

「あーー!! せっかく手に入った100万ミラがー! もう一度だ! この50万ミラをチップに代えてもう一度勝負してくれ!!」

 

 勝った喜びも見せず、淡々とチップを回収するディーラー。それとは対照的に勝ち分を取り戻そうと、マーティンはついに旅費から50万ミラもの大金を取り出す。

 それを見て、イセリアもクレーンゲームを放ってマーティンの肩を捕まえた。

 

「ちょっと、マーティまずいよ! 50万なんて失ったら――」

「大丈夫だ! これに勝ちさえすればさっきのミラが半分戻ってくるんだ! それで終わりにするから!!」

 

 すっかり勝ち分を取り戻すしか頭になくなったマーティンは、旅費のほとんどをチップに代え、ディーラーに勝負を挑む。

 だがしかし……。

 

「……私の勝ちです。それでは約束通りチップを……」

「あーー!! 待て、待ってくれ! それを持って行かれたらーー」

 

 恥も外聞もなくディーラーにしがみつこうとするマーティンだが、ディーラーは素知らぬ顔でチップを取り上げる。

 

 あっという間に有り金のほとんどを溶かし、さすがのマーティンも冷静さを取り戻した。

 しかし、時すでに遅く……。

 

「ちょっと、どうすんの? これで私達、帝国を回るどころか、故郷に帰ることすらできなくなったじゃない!」

「……すみません。つい熱くなって……」

 

 すっかり気弱な様子でタリオンは謝る。

 観客達は彼を嘲るように嗤い、タリオンもスロットをやめて青ざめた顔でマーティンを見ていた。

 一方、ディーラーの向こうで、カジノのスタッフ達はこちらを……ラヴィとイセリアを見てひそひそ話し、やがて彼らの中から初老の男がやってきた。

 

「失礼。(わたくし)、当カジノの支配人を務めている者です。何やらお困りのようですが……」

「――支配人!? ちょうどよかった。じつはさっき取られた50万ミラなんですが、仕事で帝国を回るために必要なお金でして、それを取られると非常に困るんですよ。だから、なんとか50万だけでも返してもらえませんか?」

 

 意気消沈としていたマーティンは支配人と聞くや一転、体ごと彼の方を向き、事情を説明しながら頼み込む。

 それを聞いて、支配人はあごに蓄えた白い髭を手でなぞり……。

 

「そうでしたか、それはお気の毒に……しかし、あれはお客様の方から賭けてきたミラですからな。他のお客様からも同様に掛け金を頂いておりますし、あなた方だけ特別扱いするわけには……」

「そこを何とか! あれがないと仕事ができないばかりか、故郷に帰ることすらできないんです。50万以外にもクレーンやスロットで結構落としたし、そっちは十分得したと思うんですがね……」

 

 マーティンは食い下がるものの、支配人は難しそうな顔でうなるばかりだった。

 

「そう言われると否定はできませんし、何とかして差し上げたいとは思うのですが……こちらにも規則がありましてな。一度回収した掛け金を返すわけには……」

「だ、だったら――俺が働いて返します! 何日かタダ働きすればそれなりになるはずだ。足りない分は国に帰ったら払う! だから頼む! 俺が勝手に賭けちまった50万ミラ、返してくれないか!!」

 

 そう言って、マーティンは土下座のようにテーブルに手と頭をこすりつける。

 しかし彼が顔を伏せた瞬間、支配人はニヤリと口を吊り上げた。

 ラヴィはそれに気付くも、彼女が何か言う前に――

 

「頭を上げてください。わかりました。そこまで言うなら、一度だけチャンスを差し上げましょう」

「――チャンス。本当ですか!?」

 

 支配人の言葉にマーティンはがばっと顔を上げる。その時はもう、支配人の顔に笑みはなかった。

 

「はい。50万ミラを賭けて、うちのディーラーともう一度だけ勝負をするというのはどうでしょう。お客様が勝てば50万ミラをお返しします……ただし」

「た、ただし……?」

 

 最後の一言にマーティンは背筋が凍るものを感じて、思わず聞き返す。

 それに対して支配人はぎらりと目を光らせて……

 

「もし私達が勝てば、あなただけでなく、後ろのお三方にも働いていただきましょうか。この町や近くの鉄鋼山には、見目のいい女性方やたくましい男性にうってつけの仕事がありましてな」

「――!」

 

 支配人の口から出た言葉にマーティンも、イセリアとタリオンも、支配人の言ってる言葉の意味を理解し、目を見開く。

 しかし……。

 

「……嫌なら結構。50万ミラはこのまま頂きますので、お客様達はどうぞお引き取りください。故郷へ帰れないのなら、どの道ここで仕事を探す羽目になると思いますがね」

 

 顔を歪めるマーティン達を前に、支配人は勝ち誇った笑みを見せる。

 マーティンはしばらく沈黙していたが、やがて意を決したように言った。

 

「――やってやろうじゃねえか。最初みたいにあっさり勝って、50万ミラ返してもらうぜ!」

 

 そう息巻きながらマーティンはドスンと椅子に座り直す。

 一方、支配人はマーティンにうなずきをしてから、ディーラー達の方を見て、目線だけで若い赤毛のディーラーを呼びつけた。

 

(……あいつら、もう勝利を確信した顔をしてる。考えてみれば最初からおかしかった。カジノなんて入ったばかりのマーティンがいきなり100万ミラも儲けるなんて。でも途中から連続で負けるようになって旅費のほとんどを奪われた。タラちゃんのスロットも同じ頃から全く揃わなくなったみたいだし。しかも、カジノ側はこの勝負に負けるなんて少しも思ってない。これってもしかして……)

 

 ラヴィが考えている間に、ディーラーは席につきカードを切り始める。

 

「勝負方法は先ほどまでと同じ、ポーカーでよろしいですか?」

「ああ。じゃあさっそく――」

 

 

「――待ちな」

 

 

「――っ!」

 

 突然かかってきた声に、マーティンもディーラーも、ラヴィ達や支配人、他の客やディーラー達もそちらを見る。

 気が付けば、入口の方に茶髪の男が立っていた。カジノに入る前にも見かけた、ガラの悪そうな男だ。一緒のいた水商売風の女はいない。

 

「おい、あいつ“アッシュ”じゃねえか?」

「“ラクウェルきっての悪童”アッシュ・カーバイド……いつかここにも来るんじゃないかと思ってたが」

 

 観客達がざわつく中、アッシュという男はファッション用の伊達眼鏡を面倒そうに外し、こちらに向かってまっすぐ歩いてくる。

 

「はっ、田舎上がりのド素人がまんまとハメられたみてえだな。もうほとんどミラを巻き上げられて、旅費を取り戻すためにてめえらの体を賭けて最後の勝負――ってとこか?」

「……あ、ああ」

 

 アッシュの言葉にマーティンはこくりとうなずく。すると彼は――

 

「俺も混ぜてもらうぜ。あんただけじゃ“サマ”も見抜けず、また負けちまうのがオチだ」

「えっ、おいちょっと――!」

 

 聞き返す間もなく、アッシュはマーティンの隣に腰かける。

 赤毛のディーラーは面食らいながらも、冷静なまま言った。

 

「あなたもお客様とともに50万ミラを賭けて勝負……という事でよろしいですか?」

「ああ、別に構わねえだろう。……それとも、プロのディーラーが雁首揃えて、俺みたいなガキに怖気づいたのかよ?」

 

 その挑発にディーラーは青筋を立てかけるも、それを抑えながら指示を仰ぐように支配人を見る。

 支配人は彼とアッシュを見比べながらしばらくあごに手を乗せ、首を大きく縦に振った。勝負を受けろという事だ。

 それを受けて、ディーラーはマーティンとアッシュに向き直り。

 

「わかりました。では、お客様のどちらかが勝ったら50万ミラをお返しします。ただし、私が勝ったらあなたも借金返済のためにここで働いていただきます。それでは早速ゲームを――」

「――待ちな」

 

 アッシュの一言に、ディーラーはカードを切る手を止め、マーティンも怪訝そうにアッシュを見る。

 アッシュはぞんざいに足と腕を組みながら言った。

 

「カジノと客の対決っていや、()()に決まってんだろう。最後の勝負はポーカーじゃなく――“ブラックジャック”で決めねえか!」

 

 その言葉にディーラーは目を見開き、マーティンもあぜんと口を開いていた。



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第4話 歓楽都市(後編)

「それでは、カードを配らせていただきます――」

 

 そう言ってから、ディーラーは自身を含めたそれぞれに2枚のカードを配り、表になった状態でテーブルの上に公開される。

 ポーカーなど他のゲームと違い、ブラックジャックは、手持ちのカードが他のプレイヤーやディーラーにも見える形で行われる。ただし、ディーラーだけは決着の時まで二枚目のカードを伏せておくルールになっているのだが。

 

 

 ディーラーの手札は伏せ札と9。

 対してアッシュは4と7。マーティンは(ジャック)と5だった。

 それを確認しながら、ディーラーはマーティンに尋ねる。

 

「ロビンソン様の番です。『ヒット』なさいますか?」

「まだ15だからな。もちろんヒッ――いでっ!」

 

 『ヒット』と言おうとした瞬間突然奇声を上げ、マーティンは飛び上がりそうになるのを抑えながらうめく。アッシュに足を踏まれたからだ。

 

(――てめえ、どういうつもりだ?)

 

 恨みのこもった視線でマーティンはアッシュを睨む。しかし、アッシュは『待て』と言いたげに一瞥をくれるだけだった。

 

(俺が“+1”、おっさんが“0”……そしてディーラーが“-1”。伏せ札をのぞけば“全体のカウント”は0なんだが。俺の勘じゃ、あの札の中身は……)

 

 わずかに考えてから、アッシュはわざとらしいあくびをしてみせる。マーティンはそれを『なにもするな』と捉えて……。

 

「……『スタンド』。俺はこのままでいい」

 

 半信半疑なまま、マーティンは『スタンド』を宣言し、憮然と腕を組む。

 ディーラーはわずかに眉根を寄せながらも、アッシュに向かって尋ねた。

 

「カーバイド様の番です……ヒットなさいますか?」

「ああ。一枚引かせてもらうぜ」

 

 マーティンとは逆に、アッシュはあっさり『ヒット』を宣言し、ディーラーから一枚もらう。

 『ヒット』を防がれたマーティンはアッシュを半目で睨むものの、アッシュの手札は11。ヒットするしかないのは彼にもわかった。

 アッシュが引いた数は……。

 

「……ちっ、8か」

 

 数を見てアッシュは思わず舌打ちを鳴らす。その一方――

 

「なに言ってんだ、19じゃねえか! これであいつが18以下なら、俺達の勝ちだ!」

 

 興奮を隠しきれない様子でマーティンははしゃぐ。ちなみに、もしマーティンが『ヒット』を宣言し、あのカードを引いていたら、彼の手札は『23』となり、バースト負けしているところだった。

 

「カーバイド様はもう『スタンド』でよろしいですね……それでは、私のカードを公開させていただきます」

 

 そう言いながらディーラーは伏せられていた、自分のカードをめくる。

 その数字は――

 

(クイーン)――もう一枚の9と合わせると『19』……アッシュと同じ数かよ」

 

 これだけハラハラさせておいて、まさかの引き分け。その事実にマーティンは思わず悲嘆の声を漏らす。

 一方、アッシュの方は冷静に相手を観察していた。

 

(腐ってもプロだな。こっちの流れを読んでいやがった。あの様子だと向こうも“カウンティング”できるみてえだな。とはいえ、こんな奴らのために働くなんてまっぴらごめんだ。次で勝負をつけるしかねえ――)

 

 

 

 マーティンが落ち着きを取り戻したところで再び勝負が再開し、ディーラーは2枚ずつカードを配る。

 

 今度はディーラーが6と伏せ札。

 マーティンが6と4。アッシュが3と9だった。

 

「あー、たった10か。ついてねー!」

(俺が“0”、おっさんが“+2”、ディーラーが“+1”と伏せ、か……全体のカウントは+3前後。多少危険だが、今度は『ヒット』するしかねえな)

 

 目先の数字に嘆くマーティンの隣で、アッシュは冷静に場を分析する。

 一方、ディーラーも5の手札を見て顔を固くしていた。もし伏せ札が絵柄や10、Aだとしても17以上にはならない。勝つには『ヒット』するしかなくなるが、バーストの危険も十分ある。

 

「……ロビンソン様の番です。『ヒット』なさいますか?」

 

 その問いにマーティンは身を固くしながらアッシュを見るも、彼が何かしてくる様子はない。そもそもこの手札で『スタンド』すれば確実に負けてしまう。

 

「『ヒット』するぜ……4か……」

「カーバイド様の番です。『ヒット』なさいますか?」

「ああ……」

 

 嘆くマーティンをよそに、アッシュもカードをもらい、それをめくり上げる。

 数字は『4』。

 これでマーティンの手札は14、アッシュの手札は16。勝つにはまだ心許ない数字だ。しかもこの『ヒット』でカウントは2増えて『+5』。絵柄が出てバーストしてしまう危険も高まった。

 

「次はロビンソン様ですが……『ヒット』なさいますか?」

「っ……」

 

 14とあって、マーティンも慎重にアッシュの顔色を窺う。

 しかし、アッシュは『さっさとやれ』と言いたげにマーティンに一瞥くれるだけだった。

 

「『ヒット』……3か」

 

 配られたカードをめくり、マーティンは安堵とも落胆ともとれぬため息を漏らす。手札は『17』……勝つには心許ない、しかしこれ以上は引きたくない数字だ。

 

「次はカーバイド様……『ヒット』なさいますか?」

「ああ…………もらうぜ」

 

 ディーラーの問いに、わずかに肩を震わせながらもアッシュはうなずき、一枚もらう。

 その数字は……

 

「4――これで『20』だ!」

 

 その宣言にディーラーは目を見張り、観客達も沸く。

 

「――やった!」

「あれなら相手がちょうど『21』を出さない限り、負けることはないわ!」

「……」

 

 イセリアとタリオンもあまりの興奮に抱き着きながら喜びをかみしめる。一方、ルールを知らないままのラヴィはぽかんと棒立ちしたままだった。

 

 そんな中、ディーラーは苦々しく口を噛みしめ、ゲームを進めるために口を開いた。

 

「両者とも『スタンド』でよろしいですね……では、私のカードを公開させていただきます」

 

 そう言ってから、ディーラーは自分の伏せ札をめくる。――その数字は『(キング)』!

 

「……」

 

 自らへの裁定者のごとく現れた“(キング)”を見ながら、ディーラーは顔をしかめる。

 アッシュに勝つにはここから『5』を引くしかない。

 

(50万なんてはした金どうでもいいが、ここでカモ達を逃がせばディーラーとしての俺の名が泣く。こいつらごときに使いたくなかったが……)

 

 ディーラーはしばらくの間、呼吸を整えて……

 

「それでは……引かせていただきます」

 

 そう宣言して、彼はデッキを手で包み込むように取り、そこから一枚のカードを引き抜こうとする。

 その時、アッシュがおもむろに彼の手を掴み上げた。

 

「お、お客様――なにを?」

 

 思わず文句を上げるディーラーだが、アッシュは憎らしい笑みを浮かべ……

 

「……おいおい、デッキの()()()からカードを取るなんて反則じゃねえのか?」

「――なに!?」

 

 その言葉にマーティンは目を剥き、ディーラーが引こうとしたカードを見る。

 ディーラーが引こうとしたカードは『5』だが、そのカードはアッシュの言う通り――山札(デッキ)の“一番下”から抜かれようとしていた。しかもそのカードの角は切り傷が付けられており、分かる者には見分けがつくようになっている。

 

「い――イカサマだ!!」

「負けそうになった途端それかよ!」

「てめえら、まさか今までの勝負でも……」

 

 イカサマしようとしていたディーラーを見て、今まで歓声を上げながら成り行きを見守っていた客達もディーラーや支配人達に罵声を浴びせる。

 するとディーラーは――

 

「ぐっ……それならそっちも反則だ! お前、さっきからずっと“カウンティング”をしていただろう! あれはれっきとした反則行為だ!!」

 

 アッシュを指さしながらディーラーはわめく。しかし、アッシュは涼しげな顔で頭を掻きながら言った。

 

「あー、それは否定できねえ。昔、毎日のようにブラックジャックをやってた時期があってよ、テクニックを得るうちに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がついちまったんだ。――でもよ、隣のカジノじゃカウンティングなんてイカサマじゃねえ。あそこじゃカウンティングしそうな客の勝負を断るくらいしかできねえんだが……この店じゃ違うのか、支配人さんよお!」

 

 後ろに佇んでいた支配人にアッシュは鋭い声を浴びせる。

 すると支配人は「クククっ」と不気味な笑い声を漏らした。

 

「……確かにそうでしたな。当店でも、我々にできるのはカウンティングをした客との勝負を打ち切るだけだ。だから――この勝負はここで終わりだ! 悪いが、お前達には今すぐここから出て行ってもらう!」

「そんなのアリ!? そっちは明らかな反則をしておいて! だったら、せめてあたしたちの50万ミラ返しなさいよ!!」

「黙れ! ゲームは途中で終わった。50万ミラは私達の物だ! 今の勝負の掛け金は免除してやるから、さっさと出て行け!」

 

 イセリアの文句も意に介さず、支配人は掛け金が入ってる『金庫』の前に立ちふさがる。そこへさらに、屈強そうな黒服達がマーティン達のまわりを取り囲んだ。

 

「お客様、支配人もああ言っていますので、すぐにこの店から退出してください……さもないと」

「力づくで追い出すしかないんですが……」

 

 何人かが威圧するように、拳を鳴らしながらにじり寄る。

 それを見た観客達はすぐさまカジノから逃げて行く。

 そんな中、アッシュは不機嫌そうにドカっと音を立てながら椅子から立ち上がった。

 ようやく逃げる気になったのかと黒服達が思った、その時――。

 

「――おらぁ!」

「ぐはぁ!」

 

 アッシュはおもむろに腕を突き出し、傍にいた黒服の腹を思い切り殴りつけた。

 

「こ、こいつ――ぐあっ!」

「ぐふっ……」

 

 残りの黒服が戸惑っている間に、アッシュは残りの黒服も殴りつける。

 

「そっちがその気なら俺も遠慮はしねえぜ。あからさまなイカサマを仕掛けられた上に、勝負をふいにされたとあっちゃ“悪童”の名が廃るからな!」

 

 アッシュの名乗りに黒服達はすくみ上り、ある者が声を上げた。

 

「こ、こいつもしかして……あいつじゃないのか。内戦中わずか14で《ファフニール》という隊を組織して、ラクウェルを襲おうとした夜盗を壊滅させた――」

「なに!? どうしてそれを言わなかった! だが、こいつ一人で俺達にかなうはずが――」

「ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねえ! 来ないならこっちから行くぞ!!」

 

 アッシュは瞬く間に黒服達に肉薄し太い拳を叩きこむ。

 そこへ――

 

「このガキ、調子に乗るな――ぐあっ!」

 

 背後からアッシュに不意打ちを入れようとした黒服だったが、足元に伸びた何かにつまずいて床に倒れ、背中を思い切り踏まれた。

 

「お、お前は――!?」

「ひゅう♪」

 

 黒服をつまずかせ、彼を踏みつけたラヴィを見て、何人かの黒服は戸惑い、アッシュは軽い口笛を鳴らす。

 そこへさらにイセリアが蹴りを、タリオンが正拳を黒服達に叩きこんだ。

 

「イカサマしようとしてたんだから、ゲームはこっちの勝ちでしょう。約束通り50万ミラ返してもらうわよ!」

「我々の旅費を返してください。その方がそちらのためですよ」

 

 二人がそう言ってる間にも、アッシュとラヴィは黒服達を次々に倒し、イセリアとタリオンも残りの黒服を蹴散らしていく。

 その奥で支配人は手際よく金庫を開けて、掛け金の入った袋を抱える。

 

「このカジノはもうおしまいだ……せめてこの売上だけでも――ひっ!」

 

 入口に向かって逃げ出そうとした支配人の前には、いつの間にかマーティンが立ちふさがっていた。その手には銀色に輝く拳銃が握られている。

 銃口を見てさすがにおののく支配人に、マーティンは告げた。

 

「悪い事は言わねえ、大人しく俺達の旅費を返してくれ。ろくな成果もないまま50万もの大金を失ったなんて言ったら、“上”が激怒しちまうんでな。黙って俺達のミラを返せ。その方があんたらの身のためにもなる。それが聞けねえって言うなら……」

「――わ、わかった。50万は返す! だからもうその銃を下ろしてくれ!」

 

 マーティンが引き金にかけた指に力を込めるのを見て、ついに支配人は観念し、袋から50万ミラを差し出す。

 カジノ内ではちょうど黒服を片付けたところで、アッシュは銃を仕舞うマーティンと怯える支配人を神妙な面持ちで見比べていた。

 

 

 

 

 

 

「アッシュっていったっけ。ありがとよ、お前さんのおかげでなんとか旅費を取り戻せたぜ」

「……はっ、仲間内でゆるゆる賭け事しかやった事のないド素人がイカサマカジノなんかに入るからだ。まっ、隣のカジノはさっきのとこに比べたら()()()()まっとうだ。次からはそこで慣らしておくんだな」

「忠告はありがたく受け取っとくけど、もうカジノに行くつもりはないわよ。明日から列車に乗って別のとこへ行かないといけないんだから」

 

 片手を上げながら礼を言うマーティンに、アッシュは妙な間を空けながら憎まれ口を叩き、イセリアが肩をすくめた。

 そこでラヴィがさっきのカジノ()を見ながら口を開く。

 

「あのカジノはどうなるんだろう? あんな騒ぎが起こった後じゃしばらく営業できないと思うけど」

「しばらくどころか明日には廃業だろう。イカサマがバレちまったんだからな。今頃は車で逃げ出してる頃だと思うぜ。――それよりお前ら帝国を回ってるらしいが、今度は帝都へ行く気か? オルディスを出てここからだと、そこしかないが……」

「ええ、そうなんですよ。この町にもほんの寄り道のつもりで来たんですが」

 

 アッシュの問いに、タリオンは隠すことなくこれからの予定を告げる。

 それを聞いて、アッシュは「へえ」と笑いを漏らし……。

 

「帝都ねえ、まっ、観光客なら誰しもが寄る所だな……《灰色の騎士》もいるかもしれねえし」

「灰色の騎士……?」

 

 聞きなれない言葉にラヴィは思わずおうむ返しを漏らす。

 するとアッシュは意外そうに聞き返した。

 

「……知らねえのか? 帝国の内戦を終わらせたってことで有名なんだが。たしか、“白い鉄の人形”に乗ってるって噂の……」

「――《帝国の英雄》! そいつが帝都ってとこにいるの?」

「ああ、あんたらはそう呼んでんのか。あくまで“かもしれねえ”ってだけだ。政府の命令で帝国中あちこち回ってるって話だし、今んところ、誰もそいつを見たことがねえ。ただまあ、宰相や皇帝から何度か勲章をもらってるって話だし、帝都ならそいつに会える可能性ぐらいあんだろう」

「帝国の英雄……いや、《灰色の騎士》――」

 

 アッシュの説明も届いてない様子で、ラヴィはただその名をつぶやく。

 

(どっかの国の猟兵がうちの英雄サマを訪ねにか……くくっ、またずいぶんきな臭い話じゃねえか……こいつらを利用すればこの国のお偉いさんにも近づけるかもな……うまくいけば“あの日の真実”にも――)

「アッシューー!! やっと出てきた!」

 

 ()()()()()()()()()ある考えを抱くアッシュだったが、横から黄色い声を聞こえてきて、ラヴィ達ともども彼女の方に顔を向ける。

 彼女はアッシュがカジノに踏み込むまで、一緒に連れていた遊び相手だった。露出の高い恰好をしており、一目で水商売の女とわかる。

 彼女を見て四人、特にラヴィとイセリアの目が白くなった。

 

「ったく、今日はもう帰ってろって言っただろう。まあ、今から口直しってのも悪くねえか……あんたらも一緒に行くか? ちょうど男女三人ずついることだし、夜の町での過ごし方ってのを教えてやるぜ」

 

 女の肩に手を回しながら誘って来るアッシュに、四人はぶんぶん首を振る。

 確かにこちらも男女二人ずついるが、いずれもそういう関係ではないし、アッシュ達についていけば想像以上にいかがわしい所に連れて行かれるに違いない。

 

「遠慮しておく……明日は早いから。あなたも未成年なんだし、あまり羽目を外さないように……それと、さっきの事は感謝しておく。じゃあ――」

 

 ぶっきらぼうにそう言ってラヴィは宿泊所へと向かって行き、他の三人もアッシュに声を掛けながらそれに続いた。

 彼らを見送りながら……

 

(釣った魚を逃がしちまったか……いや、あいつらについていっても得るものは少ねえ気がする……もっと手ごたえのある得物を捕まえねえと……それこそ《灰色の騎士》のような……)

「――ねえアッシュ、どうしたの? 左目痛い?」

 

 無意識に再び()()()()()()()()()ところで声を掛けられ、アッシュは我に返り、首を横に振った。

 

「なんでもねえ。さっさと行こうぜ。今日も寝かせねえからな」

「やあん! アッシュのエッチ♪」

 

 

 

 

 

 

「……おうミリアム、“客人達”の監視お疲れさん…………そいつは危ねえとこだったな。こんなとこで破産するタマじゃなくてよかったぜ。………………それってマジか………………わかった。引き続き監視を頼むぜ」

 

 ミリアムという妹分からの通信を切り、赤毛の男はアークスを手前の机に置きながら、ふぅとため息を吐いた。

 

「アッシュ・カーバイド……“ハーメルの生き残り”がここで絡んでくるとはねえ…………」



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第5話 緋の帝都(前編)

 『緋の帝都 ヘイムダル』。

 エレボニア帝国の都であり、リベール王国の王都グランセルやアルテリア法国と同じ名を持つ聖都アルテリアに並んで、千年以上の歴史を持つ都市でもある。

 

 帝都は16もの街区によって構成され、住民の人口に至っては80万を超える。

 ヘイムダルの中央には、現皇帝ユーゲント三世を初めとする皇族達が居を構える『バルフレイム宮』がそびえており……。

 

「『宮殿を始め、多くの建物が赤く染められている事から『緋の帝都』と呼ばれている』……って書いてありますね」

 

 帝都内の街区を行き来するための『導力トラム』の中で、タリオンはパンフレットを読み上げる。

 そこで椅子に座ったまま、窓の向こうに広がる街を眺めていたイセリアが口を開いた。

 

「どおりで赤い建物が多いわけだ。もっと色々な色にしたらいいのに」

「緋は皇帝のシンボルカラーでもあるからな。皇帝への忠誠を示すために、他の建物もそれに倣ってるんだろう。俺達が探してる《帝国の英雄》も常に赤い服を着ているって話だ」

 

 頭の後ろに手を組んだまま説明するマーティンに、イセリアは「ふーん」と返す。

 その隣で、ラヴィもヘイムダルの街並みを眺めていた。

 

(この街のどこかに《帝国の英雄》……いや《灰色の騎士》が。あくまで“かもしれない”だけど……)

 

 

 

 

 

 ラヴィ達の後ろには『帝国時報』が発行している新聞を広げている、白衣を着た紳士風の男が座っていた。

 彼らの話とラヴィの胸ポケットからはみ出ている人形を目にして、彼はふむとあごに手を乗せた。

 

(《帝国の英雄》という呼び方、それにあの猟兵の人形…………なるほど、あの四人が副首領殿が送り込んだ若者達か。……どれ、彼らへの挨拶も兼ねて、再びこの街の“美”を盗んでみようか)

 

 

 

 

 

 

 それからほどなくして、ラヴィ達はトラムを降りて『アルト通り』に着き、他の乗客も何人か続く。その中に白衣を着た男はいない……()()()()()()

 

 アルト通りは、帝都の中では比較的落ち着いた雰囲気のある住宅街だった。

 その一角にある小さな建物を見て、マーティンは足を止めた。

 

「……マーティ? 何してんの? まさか、空き巣にでも入るつもりー?」

 

 イセリアの声に、マーティンは前を歩く三人に顔を戻す。

 

「バカ、人聞きの悪い事を言うな。ボロボロなところだったから気になっただけだ」

「言われて見ればそうですね。空き家でしょうか? ……あれは何でしょう? 籠手のエンブレム?」

 

 建物の看板にかかっているエンブレムを見て、タリオンは首をかしげる。

 しかし、マーティンはどうでもよさそうに肩をすくめた。

 

「ただの絵だろう……先行こうぜ。こんなところに《英雄》がいるわけねえ」

 

 その言葉に三人もうなずき、再び足を進める。

 だが、数歩進んだところでマーティンはまた足を止め、建物を振り返った。

 

(閉鎖された《遊撃士協会(ブレイサーギルド)》の支部か……帝国じゃ遊撃士が活動できる所なんてほとんどなくなったと聞いてるが、“あのお嬢さん”は今頃どうしてるかねえ?)

 

 

 

 

 

 無人の協会支部を後にして、四人は昼食を摂ろうと喫茶店に向かう。

 そんな時だった……。

 

「フィオナちゃん、やっぱり見つからなかったかい?」

「ええ、家中探したんですけどどこにも……そう簡単になくなるようなものでもありませんし、もしかして本当に……」

 

 ラヴィがその声に耳をかたむけると、二階建ての家の前で若い女と中年の男が話し込んでいるところだった。だが、話の内容はよくある失せ物のようだ。

 構わず喫茶店に行こうとするラヴィと他の三人だったが……。

 

「ああ、楽器がなくなった時と同じぐらいの時間に、おかしなカードが家の中にあったんだろう。どういう意味だろうな……“異国から渡ってきた四人の旅人に助けを求めるべし”って?」

「――っ!」

 

 フィオナという赤毛の女から借りたカードを摘まみながら、男はその一部分を読み上げる。それを聞いて“異国(ノーザンブリア)から来た四人”は思わずその場に立ち止まる。

 それに気付いたように、男は四人の方に目を向けて口を開いた。

 

「んっ……なんだい? ああ、別にあんたたちに言ったわけじゃないぞ。勘違いさせたみたいですまんすまん」

 

 ラヴィ達が()()組であることに気付き、男は手を振りながら笑って否定する。その際に指先に掴んでいた“Bが書かれたカード”も宙に揺れた。

 

「あっ、それって――もしかして《怪盗B》の予告状じゃない!」

「怪盗B……?」

 

 カードを見て声を上げるイセリアに、ラヴィも“怪盗B”という言葉をそのまま口にする。

 それにマーティンが続いた。

 

「――聞いた事あるぞ。大陸のあちこちに出没しては、芸術品や宝石といったお宝を盗んでいく奴じゃねえか。うちの国でも大公様が残していったお宝が盗まれたって聞いたぜ!」

 

 そこまで言ってマーティンはあっと口をつぐむも、男は怪しむそぶりもなく鷹揚にうなずいた。

 

「ああ、俺もそれぐらいは知ってるよ。何を隠そう、怪盗Bの被害に一番遭ってるのがこの国だからな。去年もサン・コリーズって店から国宝級のティアラが盗まれそうになったんだ。フィオナちゃんも覚えてるだろう」

「ええ、夏至祭の時に帰ってきたうちの弟とクラスメイトの子達が、そのティアラを探し回っていました。でもまさか、あの怪盗Bがうちのものを盗んでいくなんて……」

「何が盗まれたの?」

 

 頬に手を当てながら考え込むフィオナに向かって、ラヴィは率直に尋ねる。盗まれた前提で聞いてくるラヴィにフィオナは気分を害する様子も見せずに言った。

 

「……楽器です。今朝から、家に置いてあったヴァイオリンがなくなっていて。……だから家中探している途中でそのカードを見つけました」

 

 そう言ってフィオナは男が持っているカードに視線を向ける。男はラヴィにカードを向けながら言った。

 

「これに書かれてあったのさ。

 『麗しのフィオナ・クレイグ嬢。貴女らの母君とともに長き年月(としつき)を重ねた、旧くも良き鳴り物はこの怪盗Bが頂戴した。これを返してほしいのなら、間もなく貴女の元を訪れる“異国から渡ってきた四人の旅人”に助けを求めるがいい。言っておくが、憲兵などに通報しても徒労に終わるだけだろう。素直に我が忠告どおり“旅人達”に助けを乞うことだ』……とさ。あとは意味のわからない文章が続いてるだけだ」

 

 そこまで言って男は肩をすくめながら苦笑する。

 しかし“異国から渡ってきた四人”と聞いて、ラヴィは真剣な顔でフィオナ達に向き直った。

 

「そのカード、私に見せてくれる?」

「あ……ああ、俺は構わねえけど……」

「え、ええ。私にもちんぷんかんぷんですし、誰かに聞いてみた方がいいと思っていたところです」

 

 フィオナと男の同意を得てラヴィはカードを受け取り、先ほどの続きを読んだ。

 

 

『塩によって一度滅びた国より来たる旅人達――そして“汚名を着せられた英雄の孫”たる娘よ。クレイグ家の至宝たる鳴り物を取り戻し我の元へ来たくば、以下の謎を解くがいい……』

 

(……間違いない。このカードの持ち主は私達の事を知っている。しかも私の祖父のことまで……もし奴が憲兵とかに捕まったら、私達の事を帝国の連中に話してしまうかもしれない)

 

 そこまで考えて、ラヴィはカードを握りしめる。

 

(私達の手で怪盗Bを捕まえなければならない。そして必要とあったら、この手でそいつを――)

 

 そんな決意を知ってか知らずか、ラヴィを一瞥してマーティンはフィオナ達に言った。

 

「フィオナさん、でいいんですよね? ……もう気付いてるかもしれませんが、俺達よその国の人間で、帝国に観光で来たんです。しかも何の偶然かちょうど四人。これに書かれてる“異国の旅人”にぴたり当てはまる。ちょうど帝都をぶらぶらするつもりだったし、駄目元で任せてもらえませんか。俺達もこのままじゃ気になって観光する気になれない」

「えっ、手伝ってくださるのは嬉しいですけど……本当にいいんでしょうか?」

 

 フィオナの問いにマーティンはこくこくとうなずき、他の三人も続く。タリオンは純粋な善意でフィオナ一家の楽器を取り戻してやりたいと思っているようだが。

 フィオナはしばらく迷っていたが、自分を真っ直ぐ見てくる四人を見て、ついに言った。

 

「……では、お願いします。街を見て回るついでで構いませんので、どうかヴァイオリンを見つけてきてください。あれは母が遺した、私にとっても弟にとってもとても大切なものなんです。もし見つからなかったとしても、皆さんを責めるつもりはありませんから……」

 

 そう言って、フィオナは深々と頭を下げる。

 そんな彼女にラヴィ以外はそれぞれ答えながら、彼女達と別れた。

 その時、フィオナと一緒にいた中年の男は、彼女に見えないように唇の端に笑みを作った。

 

(ではゲームスタート。お手並み拝見と行かせてもらうよ。“英雄ヴラドの孫娘”――ラヴィアン・ウィンスレット君)

 

 

 

 

 

「それで、フィオナさんの家から盗まれた楽器は一体どこにあるんでしょう? 何か手掛かりのようなものはないのでしょうか?」

 

 フィオナ達の姿が見えなくなったところで、タリオンは尋ねる。それに対して、ラヴィはカードを見ながら口を開いた。

 

「このカードの続きに、楽器のありかと怪盗の居場所に繋がる“謎”が書かれてるみたい。『鳴り物と我が元に至るための“鍵”はすべて“緋の名を持つ都”にある。最初の“鍵”は『この世で最も速く走り続ける獣が先頭を競いあう草原』。そこを見渡せる場所にあり』……だって」

 

 そう言って、ラヴィはタリオンにカードを渡す。

 タリオンはそれを受け取りながら、他の二人は彼の後ろから覗き込むようにカードを見た。

 

「この世で最も速く走る動物って、魔獣をのぞけば……チーターのこと? チーターがいる草原って、帝都からどれだけ離れてるのよ」

「楽器と怪盗Bに繋がる鍵はすべて“緋の名を持つ都”……つまり帝都にあると書かれてるんですがね。どちらかが嘘なんでしょうか……?」

 

 そう言い合うイセリアとタリオンの横で、マーティンはピンときたような顔をして、荷物の中からパンフレットを取り出した。

 そして……。

 

「ふふふ……バカだなお前ら。チーターが全速力で走り続けられるのは10秒くらいだけだ。それに対して、チーターの半分ほどの速さだが、奴よりはるかに長く走り続けられる“あの動物”こそ、この世で最も速く走り()()()獣と言えるだろう。そいつらが走る草原こそ――」

 

 そこでマーティンはパンフレットを裏返し、「ここだ!」と言いながら三人に見せる。

 

 そこには大きな文字で『帝都競馬場』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

『ゴー―――ル!!』

 

 ラヴィ達が競馬場に着くと同時に、中央のコースにて、先頭を走る馬と馬にまたがる騎手が白線(ゴール)を通り抜ける。それとともにスピーカーから甲高い声が響き、構内からも歓声が響いた。

 ちょうどそれが収まった頃に……。

 

『これにて第5レースを終了します。次はメインレースとなっており、皇族アルノール家から下賜された名馬クリムゾンローズが出場する予定になっております。出走は20分後ですので、それまでに馬券をお買い求めください』

「――おっ、ちょうど次がメインレースか。せっかく来たんだし、俺も一口――」

「バカ!! カジノで旅費を失いかけたばかりなのに、まだ懲りてないの!」

 

 メインレースと聞くや、目を輝かせて馬券売り場に首を巡らせるマーティンの頭を、イセリアは容赦なく叩く。

 またギャンブルなんかで旅費を失うことになったらたまったものじゃない。しかもこの競馬場は帝都庁によって運営されており、ラクウェルのイカサマカジノみたいにごり押しや力ずくで取り戻すという手が使えない。

 ここに来たのはレースを観るためでも、ましてや再び賭け事をしに来たわけでももちろんない。

 

 “この世で最も速く走り続ける獣が先頭を競いあう草原の近く”。

 あのカードに書かれていた通りなら、この観覧席のどこかに“鍵”とやらがあるはず。

 

 メインレースの前とあって、構内は多くの人でごった返していたが、カジノなどと違って整然としている。少し意外だが、これなら探し物くらいはできるだろう。

 それからしばらくの間、観客達の怪訝な視線を耐えながら、四人は“鍵”を探す。

 そしてメインレースが始まる直前に、構内の隅の壁に張られたカードを見てイセリアが声を上げた。

 

「――あ、これじゃない! フィオナさんちに置かれてたのと同じ、“B”が書かれたカード!」

「本当ですか!?」

「こんなところに――」

 

 “鍵”が見つかったと聞いて他の三人が駆け付け、彼らが来るのを待たずイセリアはカードを裏返した。

 

『Congratulation! この程度は簡単だったかな。第二の“鍵”は『御所へと続く通り。その道中で舞い踊る二匹の猫の後ろ』にある。時が経てば猫たちはいなくなってしまい、“鍵”も誰かに取られてしまうだろうから、なるべく早く見つけ出すことだ』

 

 

「またなぞなぞ~。しかもまた意味わかんないことが書かれてるし~~!」

 

 

 

 

 

(おや、あのカードは……)

 

 貴賓室で席につきながらレースを眺めていた金髪の男は、眼下を見て眉を上げる。

 それに気付いて軍服姿の男が声をかけた。

 

「どうされましたオリヴァルト皇子、なにか気にかかったことでも?」

 

 その問いにオリヴァルト皇子は首を横に振った。

 

「いや、客の中に見慣れない格好の人達がいたから気になっただけさ。ところで一つ頼みがあるんだが、レースが終わるまでの間、私を一人にさせてくれないか。“元愛馬”の晴れ舞台、誰の目も気にせずに応援したいんだ。()の隣に座って、一緒に酒を飲みかわしながら観戦してくれるというなら話は別だが」

「い、いえ、そんな恐れ多い事は…………わかりました。それでは私どもは別室で待機していますので、ご不足の物がありましたら部屋の前にいる衛兵にお申し付けください」

「ああ、お願いするよ。君もしばらくの間、私の事は忘れて羽を伸ばしてきたまえ」

 

 皇子の言葉に、護衛は恐縮しながら一言口にして部屋を出て行く。

 それを見送ってから、オリヴァルトは伸びをしながら椅子から立ち上がり、部屋の片隅に置いたままのケースの元まで足を進めた。

 

「あの《怪盗紳士》が動き出したか……ならば僕も『オリヴァルト』ではなく、彼の好敵手――『オリビエ・レンハイム』として参戦させてもらおうかな」



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第6話 緋の帝都(後編)

「『御所へと続く通り。その道中で舞い踊る二匹の猫の後ろ』……これが次の“鍵”の場所らしいですね。まず……御所ってどこの事なんでしょうか?」

「御所ってのは王様とか偉い人が住んでる所の事だよ。うちの国じゃ元は大公の住み処で今はマスターグラークがいる『議事宮』。帝国じゃあ皇帝が住んでる『バルフレイム宮』のことだ」

 

 カードを見ながら問いかけるタリオンに、マーティンは頭の後ろを搔きながら答える。

 それを聞いてから――

 

「宮殿の前たって、かなりの広さじゃないの――その道中に猫なんて何百匹いるのよ!?」

 

「ちょっとなになに? 痴話げんか?」

「なんかヤバそうじゃね。見るからにヒステリーっぽい女だし」

 

 イセリアの金切り声を聞いて、通行人達が何事かとこちらを見る。

 それを見て、マーティンがまずいと思った時だった。

 ポロロ~ンと調子はずれな楽器の音と軽そうな男の声が聞こえてきたのは――。

 

 

「美しいお嬢さん、こんな街中で大声を上げてはいけないよ。道行く人達の注目が君に集まってしまうじゃないか」

 

 

 弦を鳴らしながらイセリアに声をかけたのは、白いコートを身にまとった長い金髪の男だった。

 突然湧いて出た男に戸惑う観衆を気にせず、彼は口を開き続ける。

 

「何やら悩み事を抱えているようだね……そんな君達に歌を送ろう。荒れた心を癒し、湖のような穏やかさを取り戻す、優しくも切ない歌を……。~~~~♪」

 

 そう言うやいなや、男はラヴィ達の返事も聞かず、勝手に楽器を鳴らしながら歌を歌い始める。

 聞く限り結構上手いのだが……。

 

「……ねえ、ほっといて向こう行かない?」

「ああ、関わり合いになりたくねえしな……」

 

 路上で歌い出す怪しい男を前に、カップルらしき二人組をはじめ通行人達はそそくさと男やラヴィ達から離れる。

 しかし、ラヴィ達は楽器を持っている怪しい男を放っておくわけにいかず、しばらくの間謎の金髪男の路上ライブを聴かされる羽目になっていた。

 やがて、男は数十本の弦を一気に弾きながら最後のフレーズを口ずさむ。

 そして、彼は前髪をかき上げる仕草をしながら――

 

「……ふっ、判ってくれたようだね。なにより大切なのは愛と平穏ということを――今風に言えば、ラブアンドトランクイリティー!!」

「――ちょっと、そこのあなた!」

 

 決まったかのように口上を上げる金髪の男に、ラヴィが迫り――。

 

「そのヴァイオリン、どこで手に入れたの? それってもしかしてフィオナさんの家から――」

「フィオナさん? なにか勘違いしているようだが、これはヴァイオリンではなく“リュート”という楽器で――」

「待て。落ち着けラヴィ!」

「ごめんなさい、うちの連れが……実は……」

 

 困惑する男になおも問いをぶつけるラヴィを、マーティンが後ろから羽交い絞めにし、タリオンも彼と一緒にラヴィをなだめる。

 その一方でイセリアは謝りながら、やむなく金髪の男に簡単な経緯を話すことにした。

 

 

 

 

 

「……なるほど。君達は、フィオナさんという人のヴァイオリンを探しにここまで来たのか……こんな競馬場の前まで」

「え、ええ……手がかりくらいあるかもしれないと思ったのよ。そこへあなたが楽器を鳴らしながら声をかけてきたもんだから。本当ごめんね」

 

 意味深な笑みを浮かべながら復唱してくる金髪の男に、イセリアは引きつった笑みを返しながら謝る。

 そんな彼女に男はさも思い出したように言った。

 

「そういえばさっき、なぞなぞみたいなことを言ってたね。『御所へと続く通り、その道中で舞い踊る二匹の猫の足元』だったかな……もしかして、それが“次の手がかり”を示す場所だったりするのかな?」

 

 オリビエの指摘にイセリア達はギクリとする。

 そんな中、ラヴィが測るような目を向けながら男に声をかけた。

 

「耳と記憶力がいいんだね、一度読んだだけなのに。それにあの時、あなたはまだ私達の近くにいなかったはずだけど」

「見ての通り演奏家だからね。耳も記憶力もよくなってしまうのさ。それに君達が持っている“B”が書かれたカード……もしやと思うんだが、君達、《怪盗B》を追っていたりするのかい?」

「――い、いやあたし達は――」

 

 怪盗Bという言葉を聞いて、イセリアは目に見えてうろたえを見せる。

 それを見て男は笑い声をあげた。

 

「はっはっはっ。隠さなくてもいいよ。何を隠そう、あの怪盗とは因縁があってね。美を巡って意見を戦わせたこともあれば、君達のように彼に盗まれた物を探した事もある……ちょうどいい。僕もしばらく君達に同行するとしようじゃないか」

「――はあっ!? あんたが俺たちと一緒に来るだと?」

 

 マーティンの問いに男はこくりとうなずく。

 

「ああ。楽器を探すのに“演奏家”を連れて行かない手はないだろう。それにぐずぐずしていると、カードに書かれている“二匹の猫”もいなくなってしまうよ」

「まさか――解けたんですか? このカードに書かれている“謎”が」

 

 驚くタリオンにも男はうなずきを返し――。

 

「ああ。その“猫”とも一度だけ会ったことがあってね。もう一度会いたいと思っていたところだったのさ――善は急げだ。さっそく向かうとしよう(護衛達が気付く前にここを離れたいところだしね)」

「――待って」

 

 ラヴィに声をかけられ、男は「なんだい?」と言いながら彼女の方を振り返る。

 

「あなた……何者? 怪盗Bと何度もやり合ってるって、ただの一般人じゃないでしょう」

 

 その問いに金髪の男はリュートを弾く仕草をしながら言った。

 

「ふっ、それほど大層な者ではないが隠す名前でもない。僕は漂泊の詩人にして不世出の演奏家――オリビエ・レンハイムさ。短い間だけどよろしく、“旅人”君たち」

 

 

 

 

 

 

 競馬場から導力トラムで20分ほど移動して、オリビエとラヴィ達が辿り着いたのは『ヴァンクール大通り』と呼ばれる通りだった。

 ちょうど北にバルフレイム宮を臨むこの大通りは、カードに書かれてある『御所へと続く通り』に相応しいところだ。しかし、この場所だけでも猫など何十匹もいそうなものだが……。

 

「ほう……スタインローゼの96年物が入荷されているのか。“鍵”を取りに行く前に一本買っていってもいいかな」

「なに言ってるんですか! 早くしないと“猫たち”がいなくなってしまうかもしれないんですよ」

「そうよ! お酒買うなら、あたしたちに“鍵”がある場所を教えてからにしなさい!」

 

 『プラザ・ビフロスト』というデパートに貼られているポスターを見ながら立ち止まるオリビエに、タリオンとイセリアが抗議を入れる。

 その後ろでラヴィがマーティンに小声でささやいてきた。

 

「いいの? あの人連れてきちゃって」

「断ったところで無理やりついてくるだろうしな。怪盗Bを知ってるのは確かみたいだし、今のところ追い返すほどの理由はねえだろう」

「でも、もし怪盗Bが私達の事を知ってたら――」

「そんときゃそんときで考える。まだそいつをどうこうする気はねえしな……それに、少し気になる事があんだよなぁ」

「気になる事?」

 

 マーティンが付け足した言葉に、ラヴィは首を斜めに傾ける。

 そこで件の演奏家が声を響かせた。

 

「おお、あそこだ――君達も来たまえ! ちょうど始まるようだ」

 

 

 

「みししっ。ボクは『みっしぃ』。今日は帝都のみんなに会いにクロスベルからあそびにきたヨ!」

「みししっ。わたしは『みーしぇ』。お兄ちゃんだけじゃ不安だから、わたしもいっしょについてきたヨ」

 

手招きしているオリビエの元へ行くと、デパートの隣に設けられた野外ステージで二体のマスコットが、ステージの前に集まった子供達と親達に自己紹介しているのが見えた。

 『みっしぃ』と名乗っている兄の方は見覚えがある……。

 

「あれは……」

「オルディスでピエロの手下達が着ていた着ぐるみ……」

「おや、君達も知っているのかい。さすが『みっしぃ』君。ちなみに隣のピンクの子が、妹の『みーしぇ』君という。僕も見るのは初めてだ」

 

 みっしぃとみーしぇはぽっちゃりした外見とは裏腹の、軽快なダンスで観客達を楽しませる。

 マーティンはそれを半目で見ながら……

 

「……なあオリビエさん、もしかしてあの着ぐるみが、カードに書かれている“二匹の猫”っていうのか?」

「もちろん! “御所に続く通りで舞い踊る猫”なんて、ヴァンクール通りでダンスをしているみっしぃ君達以外にいないだろう。それに、彼らの後ろに立てられているパネルにカードのようなものが貼られているのが見えないかい?」

 

 言われてパネルの方に目を凝らしてみると、そこに一枚のカードが張られているのが見えた。

 ちょうどそこで最後のサビに入り――

 

『それじゃあみんな、最後に“あの掛け声”でしめくくるヨー――エンジョーイ、みっしぃ~~!!』

『エンジョーイ、みーしぇ~~!!』

 

 みっしぃとみーしぇが右手を上げながら決め台詞を叫び、子供達と一部の大人もそれに続く。しれっとオリビエも同じ決め台詞を叫び、ラヴィ達に向き直った。

 

「ちょうど終わったところのようだ。僕はみっしぃ君達と話してくるから、その間に君達はカードを回収してきたまえ」

 

 その指示にラヴィ達は黙ったままパネルの方に向かい、イセリアはオリビエとともにみっしぃ達の方に向かって行った。

 

『よくぞ第二の“鍵”を見つけ出した。クロスベルのマスコットを知らない君達には少し難しかったと思うが、帝都で知り合った演奏家の助けを借りたのかな。彼にはよろしく伝えておいてくれ。続いて第三の“鍵”は――』

 

 怪盗Bからのメッセージと次の場所のヒントが書かれているカードを見て、ラヴィとマーティンはうんざりした顔になった。

 いったい、いつまでこんなことを続けなくてはならないのか。

 

(怪盗Bがいそうな、もしくは彼が楽器を隠しそうな場所さえわかれば、そこに行くだけで済むんだけど……そうだ!)

 

 ラヴィはもしやと思い、オリビエの方を見る。

 彼はみっしぃと握手をしているところだった。

 

「みししっ。また会えたネおにーさん。クロスベルで一緒に踊って以来かナ」

「おおっ、まさか僕の事を覚えているのかい!? 嬉しいな、再びみっしぃ君に会えた上に“中の人”まで一緒とは!」

「中の人ってだれのコト? みっしぃはボクだけだヨ。そうだ、みーしぇのことは知ってル? ボクの妹なんだけド」

「みししっ。はじめまして、お兄ちゃんがお世話になったみたいだネ。みっしぃお兄ちゃんの妹のみーしぇだヨ」

「君がみーしぇ君か。噂通り可愛い子だ。会えてうれしいよ。どうかな、せっかくだしこのまま三人でコラボライブでも……」

 

 みーしぇも交えてオリビエとみっしぃは楽しく歓談している。止め役だったはずのイセリアまでみっしぃにハマったらしく、彼らの写真ばかり撮っている有様だった。

 それを見てラヴィは肩を震わせる。

 

「……お、抑えろラヴィ。こんなところで目立つわけには――」

 

 マーティンはとっさに彼女を抑えようとするものの、彼の手は空しく空を切り――

 

いい加減にしろ! 演奏家気取りのプータロー!!

 

 そしてつんざくような怒鳴り声と、オリビエが吹き飛ぶ音があたりに響いた。

 

 

 

 

 

 

 あれから少し時が過ぎて、ラヴィ達は『ガルニエ地区』にいた。

 『帝都歌劇場』があるこの地区は、楽器関係の店や施設も多く建てられている。

 ラヴィ達はオリビエの案内で劇場の隣にある建物に来ていた。

 

「ここは? 全然人がいないけど」

「ここは劇場が所有している保管庫さ。劇場内にも保管庫はあるんだが、そことは別に修理に出す予定だったり演者が帝都を離れたりして、しばらく使われなくなった楽器がここに集められているらしい」

 

 イセリアの問いにオリビエは奥を指しながら答える。あの奥に預けられた楽器があるのだろう。そしておそらく……。

 ラヴィはそこへ足を踏み出す。

 だが、ちょうどそこで係員らしき男が声をかけてきた。

 

「失礼ですが、どちら様でしょうか? ここから先は関係者以外立ち入りとなっています。貴重な楽器が保管されてありますので……」

「……それが――」

 

 ラヴィが悩みながら事情を説明しようとするが、そこへオリビエが二人の間に割って入ってきた。

 

「いやすまない。実は知り合いの楽器が怪盗Bと名乗る者に盗まれたんだが、僕達の予想ではここに置かれてあると思ったんだ……違うかい、《怪盗B》!」

「えっ――怪盗Bって、この人が?」

「まじで言ってんのか?」

 

 オリビエが最後に放った一言に、イセリアとマーティンは戸惑いながら問いをぶつけ、ラヴィとタリオンも目を見張りながら驚いていた。

 そんな中、怪盗Bと呼ばれた係員は肩を震わせる。

 いきなり怪盗Bなどと呼ばれ、怒っているのかと思いきや……

 

「ふっ……フフフ…………ハーハッハッハ! さすがは我が“好敵手”。よくぞ見抜いた!」

 

 笑い声をあげたかと思うと、係員はどこからともなく取り出した白いマントを羽織り、目元を仮面で隠した白衣の紳士に姿を変える。

 

「あなたが――怪盗B」

 

 思わず彼の名を呼んだラヴィに、怪盗Bは一礼し……。

 

「お初にお目にかかる、“異国からの旅人”達、そしてラヴィアン・ウィンスレット嬢……といっても、私の方は君達の姿を何度か見かけているがね。トラムで君達を見つけ、その次はフィオナ嬢の近所に住む男に変装して、彼女とともに君達に会っていたのだよ」

「――あの人が?」

「怪盗本人が盗品を取り戻すように頼んできたというんですか?」

 

 戸惑いを隠せないイセリアとタリオンに、怪盗Bはうなずきを返す。

 

「その通り。我が手中に落ちた“美”を取り戻そうと足掻く君達の姿もまた、私が求める“美”に他ならない……それに、できれば我が好敵手にも約半年ぶりの挨拶がしたかったのでね」

「……」

 

 そこで怪盗Bはオリビエに顔を向ける。その一方、オリビエは堅い顔で怪盗Bを見据えていた。

 その理由が分かっているかのように怪盗Bは「……フッ」と寂しげに肩をすくめ、ラヴィ達に顔を戻す。

 

「ここまで来たことは素直に称賛しよう……だが、君達は私がこの街の各所に置いてきた“鍵”を集めていないようだが、どうしてここがわかった? この場所につながるヒントは、最後の“鍵”にしか書かれていないはずだが……」

「別に……楽器を隠すなら、他の楽器が置いてある場所に隠しそうだって思っただけ。だから二枚目の(カード)を見つけてからすぐ、オリビエさんに帝都の中でたくさん楽器が保管されそうな場所に案内してもらったわけ。予告状やさっきの様子からして、あんただって本気で盗む気はなかったみたいだし」

 

 ラヴィの指摘に、怪盗Bは納得するようにあごに手を当てる。

 

「ふむ……確かにいつもに比べて手心を加えてしまった感は否めない。もっとも、母君の死去以来、一度も公の場で奏でられる事がなかったあの鳴り物も、私が解放すべき“美”であるのも確かだったがね」

「何を勝手なことを――とにかく、ここで捕まえて今まで盗んだ盗品を返してもらいます!」

 

 そう言って怪盗Bに向かってタリオンが飛びかかるが、怪盗のまわりに赤い花びらが舞うと同時に、彼の姿が掻き消える。

 その直後――

 

「残念だがそれはできない相談だ。あれらはすでに私の手を離れ、新たな舞台で“美”としての輝きを放っているだろう」

 

 あらぬ方から怪盗Bの声が響いて、ラヴィ達はそちらに体を向ける。見れば、怪盗Bは三階ほどの高さの窓の間に立っていた。

 

「だが、私の居場所を探り当てた事に敬意を表し、約束通りクレイグ家の鳴り物はお返ししよう。好敵手の推理通り奥の保管室にあるから、フィオナ嬢の元へ送り届けてあげてくれ。――それと我が好敵手、これを受け取りたまえ」

 

 そう言って怪盗Bはオリビエに向かって何かを投げつける。

 ラヴィ達は一瞬身構えるが、それは何事も起こさずふわりとオリビエの前に落ちた。

 

「黄色い花……?」

 

 つぶやくイセリアの隣でオリビエは花を拾う。

 彼に笑みを向けてから、怪盗Bは言った。

 

「弟君への見舞いだ。“以前”のお詫びにならないと思うが、君から渡しておいてくれ――では私はそろそろ失礼させてもらおう」

「――逃がさない!」

 

 怪盗のまわりに竜巻のような風が舞うのを見て、ラヴィは銃を構える。しかし怪盗Bは臆する様子をなく――

 

「そう急くことはない。諸君とはそう遠くないうちに、君らの祖国にて再び相見える事になるだろう。それまでこの国を回って見聞を広めておくがいい――それでは、さらばだ!」

「――!」

「待てラヴィ、ここで撃つのはまずい!!」

 

 さらばと言った瞬間にラヴィは銃を撃とうとするが、マティに腕を掴まれる。

 その間に怪盗Bは高らかな笑い声を残しながらこの場から掻き消えた。

 

「……な、なんだったのあいつ?」

「さ、さあ……少なくともただの泥棒ではないみたいですね」

 

 怪盗Bがいた場所を見上げながらそんな言葉を口にするイセリアとタリオン、そんな彼らの横でオリビエは怪盗が残した花を眺めていた。

 

(ゲインブルーメ、『回復を祈る』か……確かに受け取った。今夜にでもセドリックに渡しておこう)

 

 そう思いながら、オリビエはゲインブルーメからカードを剥がし、コートのポケットにしまった。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、ラヴィ達はヴァイオリンを手にアルト地区に戻り……。

 

 

「ありがとうございます皆さん。母のヴァイオリンを見つけていただいて」

「いや、そんな大げさにしないでくださいよ。俺達は帝都を回るついでにヴァイオリンを見つけただけなんだから」

「うん。私達も個人的な理由で怪盗Bを捕まえたかっただけだし、感謝されるほどの事じゃない」

 

 頭を深く下げるフィオナにマーティンは両手を振りながら、ラヴィは何でもないように答える。イセリアとタリオンも笑みとうなずきを返していた。

 

「いえ、それでも皆さんのおかげで母の形見が戻ってきたのに変わりありません。本当にありがとうございます。……ところであなたは……まさかと思いますけど……」

 

 そこでフィオナはラヴィ達の横に顔を向ける。その視線の先には……。

 

「ふっ、初めましてお嬢さん。僕はオリビエ・レンハイム。各地を回っている演奏家で、偶然出会った彼らと怪盗Bに興味を持って同行させてもらっていたのさ。――ちなみに帝都の行事なんかで“僕のそっくりさん”を見たことがあるかもしれないが、あくまで彼とは別人さ。そこのところよく理解しておくように♪」

「は、はあ……そうさせてもらいます」

 

 ウインクしながら釘をさすオリビエに、フィオナは冷や汗を浮かべながら同意を示す。

 そこでオリビエは表情を引き締めてから、言葉を続けた。

 

「ただ、同じ演奏家として言わせてもらうが、怪盗Bはそのヴァイオリンが弾かれずにずっと戸棚にしまわれているのを嘆いているようだった。たまには棚から出して、家族や近所の人たちの前で弾いてみてもいいんじゃないかな。その方が女神(エイドス)の元にいる母君も喜ぶと思うよ」

「…………そう、かもしれませんね。ちょうど夏至祭も近いし、そこで行われる演奏会で弾いてみようと思います」

 

 フィオナの返事にオリビエは満足げな笑みとうなずきを返す。そんな彼にマーティンは訝しげな目を向けていた。

 

(“弟君”に“帝都で見かけるそっくりさん”ね……まさかと思っていたが、やはりこいつ……)

 

「――ところでオリビエ、フィオナさん、帝国の……《灰色の騎士》って知ってる?」

「えっ――?」

「ほう……」

 

 ラヴィからの突然の問いにフィオナは目を見開き、オリビエは声を漏らす。

 そんな二人にラヴィは問いを続ける。

 

「半年前まで帝国で起こってた内戦を終わらせた英雄って聞いてるんだけど、二人は知らない? 名前とか年とか、あるいは性別だけでも――」

「「…………」」

 

 彼女の問いに、二人は顔を見合わせ、困ったように、もしくは推し測るように沈黙を続けた。

 

(《灰色の騎士》って、エリオットのクラスメイトだった“あの子”の事よね……でも今のところ、“あの子”の事は内戦を終わらせたという事と《灰色の騎士》という名前ぐらいしか公表されてないし……勝手に話しちゃまずいわよね。でも母さんのヴァイオリンを見つけてくれた恩もあるし……)

 

 フィオナは悩ましげに頬に手を当てる。

 その時、彼女とともに問いをかけられたオリビエが口を開いた。

 

「すまないが《灰色の騎士》に関しては公開されている事が少なくてね、僕も多分フィオナ君も知っていることはほとんどないんだ……ただ」

「ただ……?」

 

 繰り返すラヴィに、オリビエは記憶を掘り起こすように顎に手を当てながら言った。

 

「帝都から東……『ケルディック』という町に続く街道で魔獣が現れたらしくてね。政府の要請でその魔獣の対処に向かったという話を聞いた気がするな」

「――ケルディック!?」

 

 ケルディックという名前にラヴィは驚きに目を見張る。確か、オルディスのピエロたちが見せていた紙芝居の舞台だった町だ。内戦中に悪い領主に焼き払われたという……。

 

「……ケルディックか。まさかそこに行く羽目になるとは」

 

 マーティンは不機嫌そうに小さく吐き捨てる。

 ちょうどそこへ――

 

「――そ、そうなの。教えてくれてありがとう。そっちに行く機会があったら探してみるわ! さっ、もう遅いし、私達は宿へ向かうわよ!」

「そ、そうですね。そうしましょうラヴィ。マーティさんも」

「あ――ああ、そうだな」

 

 誤魔化すようにイセリアとタリオンが割って入り、ラヴィの腕を引っ張る。

 そうしてフィオナとオリビエに別れを告げてトラムに乗り、四人はアルト地区から去っていった。

 

 

 

「それでオリ…ビエさん。あなたの方はいいんですか? そろそろ戻らないと大変なのでは……」

「う~ん。いつもなら親友が迎えに来る頃なんだが、彼がいた頃のようにはいかないらしい」

 

 その話を聞いてフィオナはおおよその事情を察する。

 フィオナは、父親の部下にあたるナイトハルトという士官と親しくしているのだが、その士官の同僚に“ある皇子”の護衛を務めている人物がおり、ナイトハルトを通して彼の苦労話を聞いた事があるからだ。

 

「その人は今はどちらに?」

「うむ、それがノルド高原の方に行かされたみたいなんだ。僕の手綱を握れる人間がそういるものでもないし、こればかりは采配ミスとしか思えないんだが――」

「――あっ、いたぞ!」

 

 向こうから男の声が届き、オリビエとフィオナはそちらに顔を向ける。そこではスーツを着た男達がこちらを指さしてあれこれ言い合っているところだった。

 

「……さすがに数時間あれば、彼らでも僕の居場所を掴むことぐらいはできるらしい。名残惜しいが今日はこれでお別れだ。今日の事はくれぐれも内緒に頼むよ……僕の事もだが、できればあの四人の事もね」

「…………はい。そうしておきます」

 

 フィオナの返事を聞くや、オリビエは逃げるように彼女の元を立ち去る。それを見て男達が彼の後を追いかけて行った。

 

 

 

 そうして、帝都ヘイムダルでのラヴィ達の活動は終わりを告げた。




 ここからはTVアニメ版の5話に続く設定です。アニメではこの後ルーレ、ユミル、レグラムの順に行って、その後ケルディックに向かう流れなのですが、位置的にだいぶ無理がありますので。

 それと勝手ながら当小説は当分休止とさせていただきます。申し訳ありません。
 この先は原作沿いになって話を作るのが難しくなってきたのと、お気に入り・アクセスの数がまったく伸びず書いてて空しくなってきたので。リリなのの「愚王シリーズ」も早く進めたいし、当分はそちらに専念します。ご容赦ください。

 私の方からはここまでです。それではまた今作を再開する時がありましたらよろしくお願いします。
 ご愛読ありがとうございました!


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