死ぬに死ねない中年狙撃魔術師 (星野スミ)
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第1話

 人里離れた山の奥で、おれはじっと待っていた。

 険しい斜面にひとひとりがギリギリ入れるサイズの穴を堀り、そこに身を埋めて、もう三日になる。

 

 おれの仕事の大半は、待機だ。

 ひたすらに待つのが仕事といってもいい。

 

 昨日、四十歳になった。

 もぐらのように地中に隠れているうちに誕生日が過ぎてしまうなんて。

 

 いや、よく考えたら三十九歳の誕生日も三十六歳の誕生日も三十二歳の……いやあれは三十三歳のときも、こうしていたかな?

 地に身を埋めてじっとしているのが、いまのおれの日常といってもいい。

 

 待つ、といっても、ただ待っているわけではない。

 地中に隠した魔力タンクに魔力を溜めている。

 

 この魔力タンクというものは少しでも動かすと魔力が拡散してしまうシロモノで、しかも一日中魔力を注ぎ続けていないと内部の魔力の質が均一にならない。

 加えて複数人の魔力が混ざるとすぐ暴発するという欠陥品である。

 

 故に、おれのようにひとりの魔術師が、一日中魔力を注ぎ込んでいるわけだ。

 これをおれは、待機と呼んでいる。

 

 じっと魔力を注ぎ込むだけの退屈な作業だ。

 延々と、魔力タンクの魔力が充分に溜まるまで。

 

 今回の場合は三日間、待機する。

 それがおれの仕事の大半であった。

 

 隣の山の中腹、そこを睨みながら。

 そこに、赤竜の巣があるからだ。

 

 竜。

 ヒトの数倍の身の丈を持った、翼ある爬虫類。

 

 特に赤竜は巨大で、蜥蜴のような口から紅蓮の炎を吐き、ヒトのつくったあらゆる建物を燃やし尽くす。

 その長い尻尾が振るわれれば、丘ひとつが軽く吹き飛ぶともいわれている。

 

 それだけでも問題なのに、竜は高い知性を持っている。

 ヒトよりはるかに頭がよく、傲慢で強欲で、そして邪悪だ。

 

 ヒトのことなんて、ぽこじゃか生えてくる食料にして奴隷程度にしか思っていない。

 実際、古代には、竜がヒトを支配し奴隷として使役していた、竜の帝国なんてものもあったと記録されている。

 

 多くの竜は強大な魔力を持ち、魔法を自在に操る。

 その鱗は強靭で、矢も槍も通さず、爆発魔法とて表皮を少し焦がすことができる程度だ。

 

 ヒトのような脆弱な存在では、敵わぬ相手。

 尋常な手段では傷をつけることすらできない存在。

 

 そんな化け物中の化け物の巣の入り口が、ここからみえている。

 もっとも、巣の主である赤竜は、いまここにはいない。

 

 狩りをしている最中だからだ。

 いまごろ赤竜は、麓の町を襲っているはずであった。

 

 ヒトは、あえて赤竜を挑発するように、そこに町をつくったのだ。

 赤竜は当然のように、移り住んできた者たちに対して貢物を求め、ヒトはそれを拒絶した。

 

 だから、赤竜は怒り狂って、町を襲う。

 そういう手筈であった。

 

 町の守備隊は適当に戦ったところで、撤退する。

 守るべき町を見捨てる。

 

 実際のところ、町の構成員の大半は、強制的に連れて来られた奴隷と終身刑の犯罪者である。

 いくら死んでもいい、と国が判断した連中だ。

 

 赤竜は彼らを存分に殺し、貪るだろう。

 生きたまま踊り食いするかもしれない。

 

 そして彼らがろくに金銀宝石を身に着けていないことを、とても残念がるだろう。

 竜とは金銀や宝石が大好きで、巣に山ほどの財宝を蓄えているものだからだ。

 

 とはいえ生意気なヒトは充分にわからせたし、腹もいっぱいになった。

 ある程度は満足して、帰途につくだろう。

 

 そこを、おれが狙う。

 三日間溜めに溜めた魔力タンク、そこから繋がる長筒の魔道具で、赤竜に狙いをつける。

 

 狙撃だ。

 ただの火球魔法では鱗を焼け焦がす程度がせいぜいでも、三日間溜めた魔力で放つ狙撃魔法が急所を射貫けば話は変わるのだ。

 

 そうして、おれはこれまで何体もの化け物を退治してきた。

 小高い丘ほどもある巨獣、海に浮かぶ島のような大亀、双頭の巨人、伝説の宙に浮く巨大鯨。

 

 さまざまな化け物がいた。

 竜を狩ったこともある。

 

 今回の赤竜ほどの大物は初めてだが、まあ弱点は同じだ。

 長い首の上に乗った頭部か、胴の前三分の一ほどのところにある魔力循環器官、すなわちあの巨体を維持している魔臓を破壊するか。

 

 どっちにせよ、撃てるのは一発きりだ。

 それを外せば、怒り狂った獲物に襲われ……。

 

 まあ、命はない。

 狙撃魔術師のなり手が少ない理由だ。

 

 ほかの分野で落ちこぼれた魔術師の末路、といわれる所以だ。

 おれも、そのひとりだった。

 

 とはいえ……。

 間もなく、その瞬間が来る。

 

 おれはじっと身を潜めて待つ。

 あと少し、もう少し。

 

「ご主人さま」

 

 かん高い声が響く。

 おれの肩に止まってじっとしていた三本足のカラスが口を開いたのだ。

 

 おれの使い魔という()()()()()()()()存在である。

 彼/彼女の要望に従い、ヤァータ、と呼んでいる。

 

「標的が参りました」

 

 彼方を、じっと睨む。

 はたしてそれは最初ちいさな赤い点にすぎなかったが、その点のそばを飛んでいた鳥が慌てて逃げ出すのがみえた。

 

 その近くの森の木々が激しく揺らぎ、小鳥たちが集団で飛び立ち、左右に分かれて遠ざかっていく。

 赤い点にすぎなかったそれは、次第におおきくなっていった。

 

 ほどなくして、長い翼を横いっぱいに広げて飛ぶ様子がみえるようになる。

 蛇のように長い首を上下に揺らしながら、赤竜は空を優雅に舞い、おれの隠れている山に近づいていた。

 

 おれは慎重に、ミスリル管で魔力タンクと繋がった長筒を持ち上げる。

 長細い砲身を脇で抱え、引き金に手をかける。

 

 この長い筒の内側には、七十七万七千語の神秘文字が彫り込まれていた。

 魔力の通過によって、精霊にだけ聞こえる言葉が自動的に語られる。

 

 呼吸を整え、集中し直す。

 

「ヤァータ、射撃リンク開始」

「了解しました、ご主人さま」

 

 赤竜の姿が、いまやはっきりとみえた。

 その邪悪なルビーの双眸が、まっすぐ己の巣に向けられている。

 

 隠蔽の魔法を幾重にもかけているとはいえ、偶然、なにかの拍子に魔法がはがれるという可能性も皆無ではない。

 とはいえおれのことに気づいていたら、とうに警戒していただろう。

 

「右にコンマ二度。上、コンマ三度」

 

 呼吸を止める。

 慎重に、狙いをつける。

 

「補正よし。ご主人さま、五、四――」

 

 チャンスはいちどきり。

 外せば、おれの人生は終わり。

 

 そんな狩りを、もう何度も、何十年も続けてきた。

 あと少し、あと少しと焦りを抑え、充分に引きつけて――。

 

「三、二、一……」

 

 引き金を引いた。

 眩い白光が、ひと筋の糸のように細い光が、赤竜を貫いた。

 

 

        ※※※

 

 

 数日後。

 おれは拠点とする城塞都市エドルの狩猟ギルドで、昼から安酒をあおっていた。

 

 ぬるいエールをぐびりとやって、干し豆をつまむ。

 うまい。

 

 待機中は排泄を魔道具によって抑えこむため、水も食料も最小限に抑えていたから、酒が呑めるというのがなにより嬉しい。

 あっという間に三杯目を呑み干し、おかわりを頼む。

 

「狙撃さん、二十日ぶりくらいに顔を出したと思ったら、ずいぶんペースが早いですね。大丈夫ですか」

 

 ウェイトレスの少女、テリサがエールを持ってくるついでにそう心配してくれる。

 彼女は十二歳で、この狩猟ギルドの長の娘であった。

 

 いつもこうして家の手伝いをしている、できた娘だ。

 同年代よりも少し背が低いが、よく気がつき器量もいい。

 

 ギルドの酒場の人気者であった。

 なお彼女に不埒な言動を働いた場合、彼女のファンにしてギルド長の部下であるギルドの精鋭部隊によって苛烈な制裁が加えられるため要注意である。

 

 この地方では、十二歳で一人前に働いている奴も珍しくはない。

 少し余裕のある家なら、午前中は教会へやって、文字の読み書きと簡単な算術を習うもんだが……彼女の場合、そのへんは親父であるギルド長がさっさと仕込んじまったからなあ。

 

「仕事の後くらい、満足いくまで呑ませてくれよ。酔いつぶれたら外に放り出してくれていいからさ」

「狙撃さん、本当に酔いつぶれるんだから気をつけてくださいよ。お酒に弱いんですから」

 

 おれの本来の名前はきちんとギルドに登録しているはずなんだが、なぜか狙撃さん、と呼ばれている。

 この子だけでなくほかのギルドメンバーも、ついでにギルド長すらおれのことを「狙撃」とか「狙撃の」と呼ぶ。

 

 別にいいんだけどさあ。

 むしろ、いまさら本名を呼ばれた方が違和感あるくらいだけどさあ。

 

「そういえば、手紙、来てましたよ。あとで金庫から持ってきますね」

「手紙って、どこから?」

「帝都の狩猟ギルド本部です」

 

 おれは、あー、と曖昧な声をあげて、新しいエールを口に運んだ。

 

「仕事、ちゃんと終わったんですよね」

「文句のつけようがなく完全に終わらせたぞ。テリサはおれの仕事について聞いてないんだっけか」

「父から、聞くな、っていわれてます。公にできないことだって」

 

 そりゃ、そうだろうな。

 おれが今回の仕事を請け負った隣の王国は、赤竜退治を自分たちの手で成し遂げた偉業、と発表しているんだから。

 

 軍の精鋭が赤竜を追い詰め、多大な犠牲を払ってついにこれを仕留めたのだという。

 つまり、おれの存在はなかったことになった。

 

 あの国は、これまであの赤竜一匹に数千の軍とその十倍以上の民を失っている。

 向こうとしても、面子というものがあるのだ。

 

 王室の威信をかけての討伐であったのだ。

 少なくともそう喧伝しなければ、あの国の現体制は危うくなるということである。

 

 もちろん口止め料はたっぷりと貰っていた。

 うちのギルド長の方にも、その一部がまわったはずだ。

 

「狙撃さん」

「うん?」

「危険な仕事、だったんですよね」

「狩猟ギルドの仕事は、いつだって危険と隣り合わせだ」

「それなのに、やったことを表に出すこともできないんですか」

「功より金だ。テリサもおおきくなればわかる」

「子ども扱いしないでください!」

 

 狩猟ギルドの本部でも、狙撃魔術師に詳しい者は少ない。

 どこでなにをしていたか、という情報も、あまり出まわらない。

 

 そのためか、狙撃魔術師なんて、魔術師としての資格はありながらほかの魔法の適性がなかったミソッカスがつく職業、という強い偏見がある。

 実際のところ、それは八割くらい事実だった。

 

 ただまあ、さすがにギルド長の娘ともなると、ある程度察しているところもあるらしくって……。

 テリサはおれの耳に唇を近づけて「だから、あんなにお金持ちなんですよね。もう少し高いお酒、頼みませんか」と訊ねてくる。

 

「ぬるいエールが好きなんだよ」

 

 少しぞくっとしたが、平然とそう返事をする。

 四十歳のおじさんが十二歳の声でびくんびくんしているところをギルド長にみられたら、追放されそうだ。

 

「じゃあ、双頭鹿のステーキとか食べません? ちょうどよく熟成したやつがあるんです」

「脂身がなあ。サラダとかない?」

「ジルザさんのところから仕入れたキャベツならありますけど……」

「じゃあそれで」

「お肉も食べないと、力がつきませんよ……?」

 

 テリサはおおきくため息をついて、カウンターの向こうに戻っていった。

 肉はねえ、この年になると、少し食べればいいんだよ。

 

 

        ※※※

 

 

 宿の個室に戻って、テリサから受けとった、帝都の狩猟ギルド本部からの手紙を開く。

 差出人として、ギルド長のサインがあった。

 

 円筒形の封筒のなかには、丸められた羊皮紙が四枚。

 一枚目は丁寧な時候の挨拶で、二枚目には帝都の近況が記されていた。

 

 そして三枚目と四枚目は、まったくの白紙であった。

 おれはため息をつき、羊皮紙に手を当てて呪文を唱える。

 

 羊皮紙が黄金色に輝き、赤黒い文字が浮かび上がってきた。

 高価な月魔鉱石を砕いてつくられた特殊なインクで記されたものだ。

 

 魔術師がよく用いる、定められた呪文でのみ読めるようになる類の魔術である。

 間違えた呪文を唱えた場合、別の文面が浮かび上がり、どれが本来の文面かわからないようになっている。

 

 さて、手間も金もかかったこんなものを用意するほどの手紙とは……。

 読みたくないんだ、かといって読まないわけにもいかない。

 

 おれは魔導ランプの明かりのもと、ベッドに腰かけ、三枚目と四枚目をじっくりと読みはじめた。

 

「どのような内容でしたか」

 

 ベッドの端の木枠にちょこんと留まった真っ黒な三本足のカラス、おれの使い魔という()()()()()()()()ヤァータが、かん高い声で訊ねて来る。

 その双眸が、魔導ランプの明かりで、ルビーのように赤く輝いていた。

 

「帝立学院の教授の地位をやるから帝都に戻ってこないか、ってさ」

「よい話ではありませんか」

「あいつらが欲しいのは、百発百中で狙撃を成功させる、赤竜を倒した狙撃魔術師さ」

「あなたのことでしょう」

「おまえがいなければ、おれは学院を追い出された、あのころのままだ」

「道具を使いこなすのもヒト次第でしょう?」

 

 気楽なことをいいやがる。

 おれは羊皮紙を床に放り出すと、ベッドに寝っ転がった。

 

「なあ、ヤァータ」

「はい」

「おまえと出会っていなかったら、おれはいまごろ、なにをしていただろうな」

「死んでいたかと」

「はっきりいいやがる」

「演算から導き出された事実です」

 

 その通りだと思った。

 自分では思うように魔力の制御ができず、狙撃の腕もなまくらな魔術師、それがおれだ。

 

 だから学院を放逐された。

 各地を放浪し、いろいろあってのたれ死ぬ寸前で、こいつに出会った。

 

 こいつは契約を求めた。

 奉仕させろ、と。

 

 意味がわからなかった。

 当時、なにもかもに絶望していたおれは、当然のように断った。

 

 するとこいつは、もし奉仕させないなら、ととんでもないことをいい出したのだ。

 やむを得ず、おれはこいつの存在を受容した。

 

 こいつを、己の使い魔ということにした。

 あの日から、もう十五年が経つ。

 

「我々は知性体への奉仕をなによりの喜びとします。あなたに奉仕することがわたしの喜びです、ご主人さま」

「厄介なもんに憑かれたもんだ……」

 

 おれは指を鳴らして魔導ランプの明かりを消したあと、目をつぶった。

 眠りに落ちる寸前、ヤァータの声が聞こえてくる。

 

「あなたがわたしの奉仕を拒絶するのならば、わたしはこの星の文明に奉仕するといたしましょう。我々は第三種恒星級献身体ヤタ、この星の文明すべてを我々の管理下に置き、あらゆる知性体に奉仕することもまた、我々の喜びとなるのですから」

 

 あの日あの時、流星となって落ちてきたこの奇妙な存在とおれが出会っていなければ、ヒトはいったいどうなっていたのだろうか。

 こいつに世界征服された果てに、幸せに生きられるのか、そもそも……。

 

 この世界には、知性を持った存在がさまざまにいる。

 この間、狩ったような竜もいれば天使も、悪魔もいる。

 

 こいつが認める知性体、そのすべてに平等な幸せなど、あるのだろうか。

 ひょっとしたら、おれはヒトを絶滅から救っているのでは?

 

 そんな、益体もないことを考えながら、おれは深い眠りに落ちた。

 

「ご主人さま。あなたが生きる限り、わたしはあなたに尽くします。あなたというヒトをサンプルとして、ヒトとこの星を学びましょう。もし、あなたが生命活動を停止するときがきたら、そのときは……」

 

 おかげで、おれはあの日から、死ぬわけにはいかなくなった。

 おれはこの世界のすべてが好きなわけじゃないが、なにもかもを捨てたいと思うほど嫌いでもないからだ。

 

 



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第2話

 おれが現在ヤァータと呼んでいる存在に出会ったのは、二十五歳のときだ。

 帝立学院から放逐され、恋人を失い、自暴自棄になっていたころのことである。

 

 死にかけたおれに、ヤァータは、二択を迫った。

 おれがヤァータに奉仕されるか、あるいはこのまま死ぬか。

 

「おれが死を選んだ場合、おまえはどうする」

「あなたというサンプルを失うのであれば、文明の救済は喫緊の課題と判断いたします。文明接触の段階を飛ばし、この星の知性体全体に奉仕するといたしましょう」

「全体に……奉仕?」

「すべての知性体を我々の管理下に置きます。我々は彼らに対して永遠に奉仕することができます。完璧な計画でしょう?」

 

 自信満々といった様子で、ヤァータはそういいきった。

 そのときのこいつの身体はいまのカラスではなく、もっと異形の形態をしていたのだが、なぜかえっへんと胸を逸らす幼児を想像させるほど、それは幼稚で無垢な態度にみえた。

 

 問題は、その幼稚な存在が、己の行動になんの枷もなく欲望にまかせて動いた場合、その目的を達成してしまいそうであったことである。

 おれは自分自身の命なんてとうに諦めていたが、恋人はよく、おれに「この世界も捨てたものじゃないよ」といっていた。

 

 彼女が好きだった世界を失うよりは、と思った。

 おれはこの存在に奉仕されることを受け入れた。

 

 以来、おれは死ねなくなった。

 惰性で生きて、十五年が経った。

 

 おれは四十歳になっていた。

 

 

        ※※※

 

 

 おれが現在、拠点としている城塞都市エドルは、帝都から馬車で二十日ほどの距離にある、豊かな森に囲まれた辺境の町だ。

 人口はたぶん五千人くらい。

 

 堅牢な壁に囲まれた町のなかには農民も多く住み、鍬を片手に日の出と共に開く門を出て、町の周囲につくられた畑に出かけている。

 もちろん付近のすべての民が町の内側で暮らしているわけではなく、酪農にいそしむ人々や少し離れたところに農地を持つ者は町の外に家を構えていることもある。

 

 とはいえ、それは危険と隣り合わせだ。

 森には魔物が身を隠す場所が多く、陽光神の加護が行き届かない。

 

 昨日の夕方、挨拶した羊飼いの家が、朝になってみたら魔物の群れに襲われて羊ともども全滅していた、みたいな話も年にいちどくらい聞く。

 まあ、そのうちの何割かは、魔物を装った野盗かもしれないが……そんな感じで、町の外における治安の悪さに関しては、帝都周辺の比ではない土地柄であった。

 

 で、ひとたび事件があれば、領主さまの直接の配下である衛兵隊だけでなく、おれが所属する狩猟ギルドの方にも話が来る。

 

 その日。

 おれはいつものように昼からギルドの一階の酒場の隅で安酒をあおり、ウェイトレスの少女テリサに呆れられていた。

 

「狙撃さんは、いつになったら次のお仕事をするんですか」

「さあ、どうするかねえ」

「いつまでもお酒ばっかり呑んでいたら、駄目な大人になっちゃいますよ!」

「だいじょうぶだ、もう駄目になっている」

「もうっ! そんなんじゃ、またギルド駄目男ランキング一位になっちゃいますよ!」

「また、ってなんだよ。あと、いまは一位じゃないんだな、おれ」

「いまの一位は四又かけていたのがバレて雲隠れしたジェッドさんで、二位は奥さんの実家から借りたお金で娼館に通っているのが判明したザギさんです。狙撃さんは三位ですね」

「一位と二位がヤバすぎないか? というかおれが不在だった間にあいつら……」

 

 そんな、至極どうでもいい話をしていると。

 入り口の扉が乱暴に開かれ、痩身の若い男が駆け込んできた。

 

「鉄熊団が森の魔獣にやられた!」

 

 そのときギルドの一階にいたのは、おれを始めとした中堅ギルド員が五、六人ほどだった。

 そのうちのひとりが片眉を吊り上げて立ち上がる。

 

「ジオル、やられたのは誰だ? また若い衆がひとり、ふたりくたばったか?」

 

 鉄熊団はこのエドルでも有数の大規模なグループだ。

 まだ尻が青いひよっこから引退寸前の白髪が生えたようなロートルまで、合わせて三十人近くが在籍している。

 

 森の魔物を組織的に、定期的に間引くのが主な仕事で、ローテーションを組み森に分け入っていた。

 そのぶん、まだ狩猟に慣れていない若手が怪我をすることは珍しくないのだが……。

 

「そうじゃねえ。やられたのは団長も含めた、主力の大半だ!」

 

 そのジオルと呼ばれた男の言葉に、酒場の雰囲気が変わった。

 皆が話をやめて、酒の入った木製のジョッキを机の上に置く。

 

「生き残りが三人、治療院に運ばれた。いま鉄熊団の留守番たちが事情を聞きにいってるが、どうも特異種が出たらしい」

「特異種……最近、森の生き物が興奮していたのは、そういうことか」

「前に出たのは七年前だったか?」

「六年前じゃねえか? ガガッツォが死んだ年だろ」

「あのときは春先だったよな。秋のいまごろになって……」

 

 口々に語り始める、酒場の中堅たち。

 そこに、太った人物がひとり、二階から階段をきしませて下りてきた。

 

 口髭を蓄えた、左腕のない壮年の男だ。

 ウェイトレスのテリサが「お父さん!」と叫んだ。

 

 そう、彼こそこの町の狩猟ギルドのギルド長にしてテリサをひとりで養育しているナイスダディ、隻腕のダダーである。

 若いころは神業じみた弓の腕で有名だったというが、十二、三年前に地竜に左腕を喰われ、引退した。

 

 それでもこの町の狩猟ギルド員は皆、彼の知識と知恵に一目置いている。

 ついでに、テリサをまっすぐに育てたその養育の手腕にも、だがまあそれはひとまず置いておこう。

 

「ギルド長」

「おまえの大声は聞こえていた。上で詳しい話を聞かせろ」

 

 汗だくで駆け込んできたジオルに、ダダーは己の豊かな白髭を揉んで、ゆっくりとうなずいてみせる。

 それから、酒場の隅で目立たないようにしていたおれの方を向く。

 

「おい、狙撃の」

「あのなあ、隻腕の。おれの名前は……」

「使い魔持ちの魔術師が出払ってるんだ。おめえの使い魔のカラスで、森の偵察を頼みたい。ざっくりと、でいい」

「わかった」

 

 おれは顔をしかめてジョッキを持ち上げると、残った酒を呑み干した。

 席を立つ。

 

「報酬は色をつけろよ」

 

 おれはギルドを出て、長年拠点としている宿に戻った。

 

 

        ※※※

 

 

 使い魔、とは魔術師が契約した動物や魔物の総称だ。

 ある程度以上の魔術師であることの証のようなものでもある。

 

 正確には魔術師の世界において、従属契約魔法というものを行使した対象のことを使い魔と呼び、一般に使い魔と呼ばれる存在のほかにもさまざまなパターンがあるのだが……。

 そのあたりは置いておこう。

 

 使い魔となった存在は知性が大幅に上昇し、主である魔術師との対話が可能となる。

 魔術師は使い魔との間に魔力の繋がり(パス)を得る。

 

 この魔力の繋がり(パス)を通じて、魔術師は離れた場所からでも使い魔の五感を利用することが可能であった。

 今回、ギルド長のダダーは、これを利用して森を偵察して欲しい、と依頼してきたのだった。

 

 おれの使い魔ということになっているヤァータは、三本足のカラスである。

 なんでもヤァータをつくった奴らにとっては神聖な存在の象徴とかで、ヤァータという名前もその存在に由来しているのだとか。

 

 宿でおとなしく留守番をしていたこのカラスに森の偵察を頼んでみたところ、快く承諾してくれた。

 

「っていっても、おれとおまえの間には魔力の繋がり(パス)がないんだよな。どうやって情報を伝えようか」

「そういうことでしたら、ご主人さま、こちらをお使いください」

 

 ヤァータがその口から、赤い宝石がはまった指輪を吐きだした。

 おそるおそる手にとってみれば、さっきまでこいつの口のなかにあったはずなのに、それは乾いていて……しかも赤い宝石は、自分自身で淡い光を放っている。

 

「なんだ、これは」

「ご主人さまに理解しやすい概念に落とし込みますと、音声伝達の魔法が込められた指輪です。わたしと連絡をとる際には、これに話しかけてください」

「お、おい」

 

 いいたいことだけいうと、ヤァータは窓の格子の隙間から器用にその身をひねって抜けだし、翼をはためかせて空に舞い上がった。

 おれはやれやれ、とため息をつく。

 

「ご主人さま、まずは森の東部からでよろしいでしょうか」

 

 指輪の赤い宝石がちらちらと点滅し、ヤァータの声が響いた。

 おれは指輪を顔に近づける。

 

「おれの声が聞こえているか?」

「はい、ご主人さまの音声は明瞭です」

「なるべく高度を上げて、森の奥に異常がないか確認してくれ」

 

 少し驚いたが、ヤァータといっしょにいると、こういうことにも慣れてくる。

 おれはヤァータにいくつか指示を出して、しばらく待った。

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 おれはヤァータから得られた情報を手土産にギルドへ戻った。

 

 先ほどとはうって変わって、ギルドの一階の酒場はぎっしりと人で埋まっていた。

 すべての席が埋まり、立っている者もいる。

 

 その全員の視線が、入り口の扉を開けたおれに集中した。

 思わず、びくっとなる。

 

「なんだ、狙撃か」

「なんだ、とはなんだよ、ジェロ。ずいぶんないいぐさじゃないか」

「それより、偵察の情報を教えてくれ」

 

 若いギルド員と軽口を叩きあおうとしたところ、渋面のギルド長、隻腕のダダーがカウンターの向こうから制止する。

 おれは肩をすくめて、人混みをかき分けギルド長のもとへ向かった。

 

 カウンターには町の周辺のおおざっぱな地図が広げられていた。

 おれはテリサが差し出してくれた羽根ペンを受けとり、地図にいくつかバツ印を記入する。

 

「獲物の姿はみえなかったが、森の一部の樹木がなぎ倒されている。ここと、ここ。あと、重いものを引きずったような道が森の奥に続いていた」

 

 地図を覗き込んだベテラン数名が、ざわめく。

 やはり巨人か、という呟きも聞こえた。

 

「特異種の正体がわかったのか」

「治療院にかつぎ込まれた奴らに聞いたところ、トロルのようにみえたそうだ。ただし、身の丈が普通の奴の倍くらいあって、どす黒い肌で、四つ手だったと」

「でかくて、黒い肌で、四つ手……」

 

 トロルは森の妖精、とも呼ばれる魔物だ。

 妖精、といっても悪妖精のたぐいで、身の丈が普通のヒトを五割増しにしたくらいの、太った緑肌の肉食巨人である。

 

 その怪力と鋭い爪はヒトを易々と引き裂き、異常なまでの再生力により、たとえ首を斬られるなどの致命傷を受けても、しばらくしたら再生してしまう。

 体内にある魔力循環器官、魔臓と呼ばれる心臓のそばにある臓器を破壊することが、トロルを仕留める唯一の方法であった。

 

 もっとも、それだけなら、中堅にとってはさほど厄介な魔物とはいえない。

 中堅狩猟者になるための試練、といわれている魔物がトロルなのだから、彼らにとっては狩れて当然なのだが……。

 

「加えて、口から酸を吐いたそうだ」

「まるで竜だな」

「竜混じりじゃないか、と疑っている」

 

 ギルド長の言葉に、おれは思わず唸り声をあげた。

 

 竜混じり。

 おれが先日討伐した赤竜もそうだが、高い知性を持った竜という生き物は、気まぐれに他種族との間に子をつくる。

 

 魔法で目当ての種族に変身し、交わるのだという。

 そうして生まれた存在は、一般的に竜混じりと呼ばれていた。

 

 本来の種族よりもはるかに強い力と知性を持ち、その多くは異形で、しかも親である竜の力の一部を引き継ぐ。

 酸のブレスを吐いたとなると、片親は黒竜だろうか。

 

 それにしても、トロルと交わるとは、また悪趣味な竜もいたものだ。

 いや、そもそも竜とは悉く悪趣味であるらしいが……。

 

「鉄熊団は、団長をはじめとした十人近くが生きたまま喰われたそうだ。ヒトの味を覚えたトロルは、いずれ里に降りてくる。その前に、なんとしても討伐せねばならん」

 

 ギルド長が険しい顔で告げる。

 

「ご領主様の意見を伺ったあとのことになるが……おそらく、特異種討伐の特別依頼を出すことになるだろう。強制はしないが、指名者はできるだけ参加して欲しい」

 

 それは実質、強制じゃないかと思わないでもないが……。

 周囲の様子は、そんなことをいい出せる雰囲気ではなかった。

 

 ギラギラと目を輝かせて「竜混じりの皮膚は、どれだけ高額で買いとってくれる」とさっそく交渉を始める者がいる。

 にやりとして「いちど竜混じりと戦ってみたかったんだ」と腕組みする者がいる。

 

 報酬をどう分けるか話している者がいる。

 誰が一番槍になるか、隅で喧嘩が始まっていた。

 

 おれはそっと、その場を離れようとして……。

 

「おい狙撃の」

 

 とギルド長に呼び止められる。

 おれはしぶしぶ足を止め、振り返った。

 

「なんだよ、隻腕の。トロルが相手じゃ、おれの仕事はないだろう」

「そんなに嫌がるな。おまえは使い魔だけ出してくれればいい」

「竜混じりのブレス持ちが相手じゃ、空からでも万一があるんだぞ」

「わかっている。遠くから偵察してくれるだけでも、こちらはありがたい。もちろん、報酬は割増しで出す」

 

 そこまでいわれては、これ以上ごねるわけにもいかない。

 やれやれ、はした金じゃ釣り合わないんだがなあ。

 



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第3話

 宿で留守番をしている使い魔ヤァータと合流するべく酒場から出ると、小柄な人物が駆け寄ってきた。

 幅広の三角帽子をかぶり、赤いローブに身を包み背丈より長い杖を持った、金髪碧眼の少女だ。

 

 先日、十五歳になったばかりにもかかわらず、いささかちんちくりんで発育が残念なことが玉に瑕。

 しかし人好きのする、いつも笑顔で元気の塊のような人物である。

 

「師匠! 特異種の討伐に参加するんですよね。わたしも同行させてください」

「なんどもいってるが、おれは師匠じゃねえ。リラ、どこで嗅ぎつけた」

「わたし犬じゃないもん! 師匠のいじわる!」

 

 少女は、むーっ、と頬を膨らませ、長い杖を振りまわして抗議してくる。

 

「おいこら、魔術師の命をそんな風に振りまわすもんじゃない」

「あ、ごめんなさい、師匠」

 

 素直か。

 いや、その年で素直は美徳ではあるけど。

 

 彼女が手にしている杖は、焦点体と呼ばれる魔法の発動の起点となる魔道具だ。

 たとえば火球の魔法を放つ場合、この杖の先端から火球が飛び出る様子をイメージし、魔法を発動することで制御を容易にする。

 

 おれの場合、狙撃用の長筒がこれに当たる。

 それはさておき……。

 

 このリラという元気な少女は、帝都の学院を飛び級かつ主席で卒業したエリート中のエリートである。

 どんな魔法を専門にすることもできる、卓越した才能の持ち主だ。

 

 にもかかわらず、彼女は狙撃魔術師を志し……。

 なぜか、このおれに師事しようとしている。

 

 おれの魔法の才能なんて、学院を放逐される程度なのに。

 ヤァータのおかげで、なんとか狙撃を百発百中で成功させているだけだというのに。

 

 かといって、ヤァータのことを説明するわけにはいかない。

 この自称、別の星から降ってきたご奉仕ガラスのことが公になれば、厄介ごとが山ほど押し寄せてくるのは火をみるより明らかであった。

 

「と、とにかくですね! わたしも特異種の討伐に参加したいんです!」

「そうか」

「わたし狩猟ギルドに入ってません!」

「そうだったっけ?」

「はい! だって師匠、紹介状書いてくれなかったじゃないですか! そのままふらっといなくなっちゃって」

「いや、そりゃ……おまえの紹介状を書いたら、なし崩し的に弟子にさせられそうでさぁ」

「そのつもりでした!」

「罠かよ」

 

 少しは悪びれて欲しい。

 だいたい、別に狩猟ギルドは紹介制ではない。

 

 どんな流れ者でも、まあ犯罪者としての経歴さえなければ、きちんと講習を受け、規定の手数料を支払うだけで登録できる。

 ギルド員の紹介状があれば、そのあたりをスキップできるというだけだ。

 

「だから、師匠が戻ってくるまで待っていたんですよぉ」

「しつこい奴だなあ」

「諦めませんからね! わたし、知ってるんです。今回師匠が討伐した相手って……あ、これいっちゃ駄目ですか?」

「駄目に決まってるだろうが。つーか往来で大声を出すな」

 

 幸いにして、ギルドの前を行き交う人々はおれとリラの会話なんて気にも留めてない。

 とはいえ、どこで誰が聞き耳を立てているかわかったもんじゃなかった。

 

 こいつは帝都になんらかのツテがあるらしく、事情通だ。

 おれのことを探し出したのも、そのツテを利用してのことらしい。

 

 こんな面倒なやつにおれのことを漏らしたのは、いったい誰なんだか……。

 リークの経路がわかったら、絶対に締め上げてやる。

 

「そもそも、おれは特異種討伐の本番には参加しないぞ」

「え、そうなんですか」

「頼まれたのは、使い魔で偵察することだけだ」

 

 広大で障害が多い森のなかで、巣が判明しているわけでもない特定の対象を待ち伏せして狙撃するのは極めて困難だ。

 今回はおれ向きの仕事ではない。

 

「そんなぁ。せっかく師匠の活躍がみられると思ったのに」

「特に隠すような情報じゃないから明かすが、相手は竜混じりらしい。知恵がまわる。おまえも、飛び入りで参加しようなんて気は起こすなよ」

 

 こいつがまとっている赤いローブは、帝都の学院の卒業生に贈られるものだ。

 この年でそいつをまとっている、というだけで、それを知っている者にとっては瞠目するべきことである。

 

 うちのギルド長も、おれにつきまとっているこいつのことは知っていた。

 腕が立つ魔術師であることも。

 

 こいつが参加したいといえば、一も二もなく受け入れるだろう。

 そもそも狩猟ギルドは、優秀な者なら性格によほどの難がなければ誰でも歓迎する方針だからだ。

 

 リラは社交性に関してはケチのつけようがない人物だ。

 たぶん貴族の出なのだろう、マナーの類いもしっかりしている。

 

 貴族の出、というのは場所によっては敬遠されがちだが、学院の出で、女性で、しかも魔術師ともなれば話が違ってくる。

 この帝国においては、それが実家で継承権のない子女にとって成り上がるための有力な手段として昔から奨励されていたからだ。

 

 実際のところ、魔法の才能というのは親から子へ受け継がれる部分の要素が大きいという話である。

 貴族は力を求め、記録に残っている限り昔から、優秀な魔術師を己の血脈にとり込んできた。

 

 そんななかでも当たりはずれはおおきい。

 しかし、はずれ扱いされた者たちでも、一般人との魔法における才能差は著しいのだった。

 

 で、まあ市井に流れたそういった魔法の才の血は、歳月の経過によって徐々に末端まで広がっていき……。

 いまでは、平民であってもそこそこの……百人にひとりや千人にひとりの確率で、魔術師と呼ばれるほどの魔力の持ち主が生まれるまでに至っているのだ。

 

 ギルド長のおれに対する扱いが微妙に雑なのも、そういった関係で……いや、あれはどうなんだろうな。

 単に昔馴染みの気安さってだけな気もする。

 

「わかりました! 手柄を立ててみせます!」

「だからやめろって。こういうのは狩りのベテランに任せておけ」

 

 ぐっと拳を握って決意する少女に、再三、念を押す。

 わかってくれればいいんだが……うーん、こいつほんと、ひとの話を聞いてないときがあるからなあ。

 

 

        ※※※

 

 

 城塞都市エドルは帝国の一都市であり、この地とその一帯を治めているのがエドル伯爵家だ。

 二百年ほど前の内戦で手柄をあげてとり立てられた初代エドルから十世代近く、地道にこの地方を発展させてきた立役者が、この家である。

 

 帝国の歴史そのものが千年以上で、名家と呼ばれる家々はそれ以前から家系図を誇っていたりするのではあるが、このエドル家はそういった家々と婚姻を結び、貴族の濃い血を少しずつ受け入れて、同時にこれら各地の有力な勢力とのよしみを結んでいった。

 結果として、現在の安定があるのだという。

 

 おれはその日の夕方、伯爵家の別邸に招かれていた。

 町の外、小高い丘の上にある別邸は、深い堀と高い塀に囲まれた、ちいさな砦だ。

 

 東を向けば町が一望できる。

 北から西にかけて広い範囲で、広大な森が広がっている。

 

 森から町に魔物が押し寄せた際、この別邸に一軍を配置し、町とこの丘から魔物たちを挟撃する。

 あるいはこの別邸を砦として運用し、ある程度魔物の群れを間引くことで、町の守りを楽にする。

 

 実際に七十年前の大氾濫ではこの砦に立てこもった兵百二十人が大戦果を挙げたという逸話もあった。

 たぶんだけど、この別邸と町は、地下で繋がっているんだろう。

 

 ここに招かれるのは、初めてではない。

 ここの主である、今年で三十三歳となる女性と会うのも、初めてではない。

 

 屋敷の奥の一室に招かれ、豪華な調度のもと、その人物が手ずから淹れてくれた紅茶を飲むのも初めてではなかった。

 

 メイテル・エドル。

 エドル伯爵家の現当主の妹にあたる人物である。

 

 女性ながら騎士としての訓練を積み、城塞都市エドルの外の戦術的要衝であるこの屋敷を任されている傑物だ。

 二児の母でありながら、おれが初めて会ったころと変わらず、すらりとした身体つきを維持している。

 

 たまに女性らしいドレスで着飾っていることもあるが、今日の彼女は、男性の騎士が着るような武骨な革鎧をまとい、腰に細剣を差していた。

 そんな格好で、自ら紅茶を淹れておれに提供してくれるのである、緊張せざるを得ない。

 

「もっと肩の力を抜いて、紅茶を味わって欲しいものですね」

「無体なことをおっしゃらないでください、メイテルさま」

「ここにはふたりしかいませんよ。敬語は必要ありません。昔のように、気楽に話をして欲しいですね」

「あなたが十代の女の子だったころ、おれはあなたがどこの誰だか知らなかったんですよ」

「姉さんの紹介で、ですね」

 

 おれと彼女が初めて顔を合わせたのは、おれが学院を放逐された少しあと。

 たしか二十二歳か二十三歳のころだった。

 

 おれの恋人が、とある町で偶然出会ったメイテルをみて、その名を呼んだのである。

 メイテルは目を丸くして「姉さん」と返した。

 

 ふたりは実の姉妹だった。

 

 後に判明したことだが、おれの恋人は、エドル伯爵家の一族であるというその身分を隠して、おれとふたりきりで旅をしていた。

 そしておれは、彼女が薄々は高貴な血筋であると知りながら、そのことから目を背けていたわけである。

 

 その彼女の亡骸は、現在、この地の一族の墓に埋葬されている。

 おれが、この地を魔物に蹂躙されて欲しくないと願う理由のひとつだ。

 

 互いに茶菓子をつまみながら紅茶を二杯ほど飲んだあたりで、彼女から本題を切り出した。

 

「あなたの使い魔が得た森の情報について、話をいたしましょう」

「まだギルドにも報告していないんですが」

 

 そもそも、彼女の配下がおれの宿の前で待機していて、ほぼ強制的に連れて来られたのである。

 貴族の招きを断るような地位も度胸も、おれにはない。

 

「ダダーにはこの後、わたしの方から会いに行く予定です」

「もうすぐ夜ですよ。こんな時期に、この屋敷をひと晩空けていいんですか」

「夜半には帰って来ますよ」

 

 あ、こいつめ。

 町と屋敷を繋ぐ通路があることを、隠そうともしていない。

 

「あなたも来ますか?」

「勘弁してください」

 

 メイテルは微笑み、おれはそっと下を向いた。

 彼女が笑うと、少しだけありし日の恋人の笑顔を思い出し、胸の奥に痛みが走る。

 

「狙撃の、とか狙撃さん、と呼ばれているそうですね。狙撃さん、どうしましたか、顔をあげてください」

「からかわないでください。――偵察の話、ですよね」

「ええ」

「結論からいいますと、森の浅層に特異種とおぼしき魔物の姿は発見できませんでした。報告がたしかならかなりの大型ですから、そうそう隠れられるとは思えません」

「つまり、浅層からは撤退した、と。今夜、特異種が付近の集落を襲う可能性は低いのですね」

「確実、とまではいいませんが、おおむねそう考えてよろしいかと」

 

 メイテルは「よかった」と胸に手を当て、安堵の息を吐いた。

 彼女が平民の身の安全に心を砕いていることは、おれもよく理解している。

 

「ですが特異種が森の深層に逃げ帰って、二度と戻ってこない、ということでは困りますね」

「戦わずに済めば、それがいちばんでは? 戦えば、狩猟ギルドに犠牲者が出るかもしれません」

「ですが民がいつまでも心安らかに眠れないようでは、統治に支障をきたします。狩猟ギルドの者が平素、森に立ち入ることを許可しているのは、こういった事態に際し、率先して血を流してもらうためなのです」

「統治者としては、そうなるのですね」

 

 おれは窓の外から夕日に染まる城塞都市を眺めた。

 あの都市の中心にある領主の屋敷、その一角に、この地の貴族が眠る墓がある。

 

 彼女は、そういう統治者の論理を嫌って家を出たという。

 だが同時に、その論理があってこそ、この地の平穏があるのもたしかなのだった。

 

「明日は、朝からもう少し奥を偵察してみます」

「我が家が抱える魔術師も動員して、手分けをいたしましょう。鷹の使い魔を使う者がいます。奥の方は彼に任せるとして……」

 

 おれと彼女は、日が暮れるまで打ち合わせを続けた。

 結局、その日は町に戻ることができず――おれはこの町はずれの屋敷に一泊することになる。

 

「それとも、わたしと共に町へ参りますか? 一族しか知らない道ですが、あなたなら……」

「ここで一泊させてください!」

 

 そんなでかい秘密を抱えさせられるなんて、死んでもごめんだ。

 なおメイテルは、ひとりで抜け道を使い、夜のうちに町に行って、朝までには戻ったようであった。

 

 



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第4話

 鉄熊団の中心グループが特異種に出会い、壊滅した日の翌日、その昼過ぎ。

 城塞都市エドルの狩猟ギルドは、精鋭のギルド員二十人と少しで特異種討伐部隊を組織し、森に分け入った。

 

 午前中におれや領主の部下の魔術師たちが森のあちこちに鳥の使い魔を飛ばし、その結果、森の奥から町の方に近づいてくる特異種を発見したのである。

 身の丈がヒトの三倍はあろうかという漆黒の肌のトロルだ。

 

 異形の巨人の魔物が、その身を揺らしながら、のしのしと歩く。

 それだけで慌てた様子の小鳥たちが飛び立ち、地面の揺れによって木々が激しく揺れるのだから……。

 

 それはもう、発見は容易なのであった。

 問題は、発見できたとしても、人里に近づきつつあるこの巨人をどう討伐するか、である。

 

 伯爵の手勢は、平原での戦いに特化している。

 優秀な騎士とて、森のなかに馬で分け入るわけにはいかない。

 

 森のなかでの戦いとなる以上、その主力が狩猟ギルドのギルド員になるのは必然であった。

 そのぶん討伐に参加する者たちには、多大な報酬が約束されている。

 

 たった一日でそこまでの手配をやってのけたのは、ギルド長のダダーと伯爵、それに伯爵の妹にして別邸の管理主であるメイテルの良好な関係があってこそのことだろう。

 ちなみにおれは、ダダーから雇われて裏で動いているだけの、しがないギルド員のひとりだ。

 

 ギルド長のダダーは、おれとメイテルがかねてからの知己であることを薄々感づいているようだった。

 だが彼は、口が堅い。

 

 ある程度は信用できるだろう。

 ひょっとしたら、おれがメイテルの愛人かなにかと勘違いしているかもしれないが……わざわざ誤解を正す必要はない。

 

 で、ギルドから与えられた今回のおれの役目は偵察だけである。

 お役御免のはず、だったのだが……。

 

 念のため、というべきか。

 いまおれは、メイテルの招きで、町の外の丘の上、見晴らしのいい別邸の屋上にいた。

 

 そばにはメイテルの姿がある。

 ほかは、数人のメイドだけだ。

 

 やれやれ、である。

 こんなところをほかのギルド員や伯爵の手勢にみられたら、どんな勘違いをされるかわかったものではないのだが……。

 

 いや、伯爵はこちらの事情をある程度把握しているか。

 赤竜退治のことも、いちおう隠してはいるけれど、彼の情報網ならどこからともなく聞きつけていてもおかしくはない。

 

 でもなあ、今回、頼られても困るんだよな。

 狙撃というのは、ある程度、条件が整った状態で初めて機能するものなのである。

 

 そのメイテルは、望遠の魔道具を熱心に覗き込んでいた。

 

「森に分け入っていくギルド員の姿がよくみえます。あなたもみてみますか」

「謹んでご遠慮いたします」

 

 おれはおれで、カラスの使い魔ということになっているヤァータを放ち、上空から森の様子を観察させている。

 

「やる気はない、といいながら、朝から狙撃の準備をしているではないですか」

 

 メイテルが望遠の魔道具のレンズから目を離し、おれの方を振り向く。

 彼女の言葉の通り、おれは愛用の長筒を手に、朝からずっと、ちょっとした椅子ほどのおおきさがある円筒形の魔力タンクに魔力を注ぎ込んでいた。

 

「念のため、ですよ。必要がなければ、それがいちばんです」

 

 そもそも、今日、特異種が森の浅層に出てくるとは限らなかった。

 それでも偵察する前から魔力タンクに魔力を貯めていたのは、長年の用心が幸いしたというだけのことである。

 

「かわいい弟子のため、ではありませんか?」

 

 その言葉に、おれは小首をかしげてみせた。

 おや、とメイテルがちいさく呟く。

 

「ひょっとして、わたしは彼女にたばかられたのでしょうか?」

「ちょっと待ってください、詳しい話をお願いします」

「昨夜、町中で、あなたの弟子を自認する少女から、礼儀正しく声をかけられたのです。あれはかなり高貴な出の者ですね、あなたも隅に置けません」

「そういうのはいいですから」

 

 少し声に苛立ちをこめて、彼女の話を遮る。

 本来なら、貴族を相手にこんな口を利いたら無礼打ちされても仕方がないが、しかしメイテルは愉快そうな笑みを浮かべただけだった。

 

「『師の推薦を得て明日の特異種討伐に参加することになっていたが、その師が戻ってきていない』といわれまして。そういうことでしたら、とわたしの方から許可を出しておきました。ダダーとも顔見知りだったようですし、彼が問題ないと判断するなら、と思ったのですが……」

「あいつはおれの弟子ではありません。狩猟ギルドに入っていないし、本格的な強敵狩りの経験もない、学院を出たばかりの魔術師なんですよ」

「将来有望ですね」

「だからこそ、いまここで潰すわけにはいかないんです。あいつには将来がある」

「過保護なことです」

「おれのミスのせいで誰かが死ぬのは、もう嫌なんだ」

「――申し訳ありません」

 

 おれは、はっと顔をあげた。

 メイテルは、厳しい表情で森を眺めている。

 

「余計なことをしました。お詫びいたします」

「い、いえ、その……。おれの方こそ、言葉が過ぎました。謝罪させてください」

「ひとつだけ、申し上げさせてください。姉さんは、あなたと共にいることができて幸せだったのです。人の心がわからないといわれるわたしでも、それくらいはわかりました。姉さんと再会してすぐ、あの笑顔をみて。あなたと初めて顔を合わせたときのことです」

「めちゃくちゃ睨まれたのは覚えています」

 

 メイテルはころころと笑った。

 

「妬ましかったのですよ。家を飛び出して自由を満喫していた姉さんと、家のしがらみにがんじがらめで、鬱屈としていた自分。それを見比べてしまったのです。我ながら、浅はかなことです」

 

 いまさらの、十七、八年前の感情の告白だ。

 おれはなにもいえず、開きかけた口を閉じた。

 

「困らせてしまいましたね。さて、いまからでも彼女を連れ戻しますか?」

「いえ、そんなことをしたらほかのメンバーも混乱します」

 

 もう遅いのだ。

 作戦が始まった以上、彼女を、そしてギルドの精鋭たちを信じるしかない。

 

 彼女が怯えてなにもできない、ならまだいい。

 パニックに陥ってほかの者を危険に晒したり、手柄を焦って無謀なことをしなければいいのだが……。

 

 ここからでは、森のなかの様子はわからない。

 木々の枝葉によってつくられた天蓋の下であの少女が危険に陥っても、助けることはできない。

 

「こうなったら上手くやってくれることを祈るだけです」

 

 そもそも、おれはただの狙撃魔術師だ。

 今回、おれに出番があるかどうかもわからないのである。

 

「じっと待つだけ、というのは辛いものですね」

「待ってください、なんであなたの立場でそんな発言が出るんですか。通常の作戦でも、ここで待機するのがあなたの仕事でしょう」

「わたしが普通なら、ですね」

 

 おれは背後で待機しているメイドたちの方を向いた。

 全員が、そろって視線をそむけた。

 

 おれはおおきなため息をつく。

 男まさり、という評判は聞いていたが……。

 

「そういえば、あいつもそんなことをいっていたな……」

「姉さんは、わたしのことをなんと?」

「男として生まれたら、希代の英雄になっていた、と」

「そうかもしれませんね」

 

 平然と、この屋敷の主はうなずいてみせた。

 もういちど後ろを向くと、メイドたちが揃ってなんどもうなずいていた。

 

 

        ※※※

 

 

 ほどなくして、戦いが始まった。

 森の浅層、この丘の上の屋敷からギリギリみえるあたりで、木々がなぎ倒され、小鳥たちが羽ばたく様子がみえた。

 

 直後、閃光が走る。

 たて続けに爆発が起こった。

 

 攻撃魔法が行使されている。

 狩猟ギルドのギルド員のなかにも魔術師はいるが、あそこまで破壊力のある魔法を使える者が同行していただろうか。

 

 おれは、弟子入りを希望する少女の顔を思い浮かべた。

 焦って、無謀なことをしていなければいいが……。

 

「うまく散開し、特異種を囲んでいるようです」

 

 遠見の魔道具を覗き込んだメイテルが呟く。

 その落ち着いた声で、われに返った。

 

「戦場が、次第に森のはずれ、こちら側に近づいているようですが……」

「途中に罠を張っているのでしょう」

 

 おれは返事をする。

 狩猟ギルドには、罠を専門とする者たちがいて、そのうち数人が今回の討伐に参加していた。

 

「誘い込んでいるのですか」

「トロルは、いちど戦い始めると、われを忘れて暴れまわるだけになりますから。罠にかけやすいのです」

 

 おそらく、とおれは罠を張った場所を考える。

 

「あのひときわ高い木のあたりに罠を仕掛けているはずです」

 

 はたして、おれの読み通り、戦場はその高い木のあたりに移動しつつあった。

 時折みえる爆発や、なぎ倒される木々の様子から、特異種の誘導は、いまのところ上手くいっているようにみえる。

 

 しかし、戦場が目印となる木のそばまで来たところで……。

 酸のブレスが、その背の高い木もろとも周囲の草木を、広い範囲で薙ぎ払う。

 

 一瞬で木々が溶け、次いであちこちで燃え出した。

 そのあたりに隠れていたのであろう男たちが、地面に転げ落ちる。

 

 森の木々がなぎ払われたことで、遠く丘の上の屋敷からでも、その光景がはっきりとみえた。

 遠見の魔導具を使っていたメイテルは、もっと詳細にその様子を捉えていることだろう。

 

「罠を見破られましたね」

「頭がいいタイプの特異種ですか。これは……厄介だ」

 

 おれは思わず舌打ちしたあと、無作法をメイテルに謝罪した。

 

「謝る必要はありません。わたしのかわりに悪態をついてくれたこと、感謝いたします。いまので何人やられましたか?」

「ヤァータ、どうだ」

 

 カラスに擬態した存在であるヤァータは、姿を消す魔法を使い、その罠を仕掛けていたであろうあたりを、ゆっくりと旋回しているはずだ。

 ちなみにこれは、通常の姿消しの魔法ではない。

 

 ヤァータがいうには「光学迷彩」というこいつが独自に開発した魔法で、魔力の探知には引っかからない優れものなんだとか。

 赤い指輪からヤァータの声が聞こえる。

 

「おそらく四人……いえ、ひとりは上手く脱出しました。残りの三人は脱落でしょう」

「そうか」

 

 普段からギルドの下の酒場で顔を合わせる者たちだ、彼らの安否も気になるが、いまはまだ狩りの最中である。

 残りのメンバーが矢やら魔法やらをたて続けに放ち、黒い巨人を懸命に足止めしているとのことであった。

 

 罠が見破られ、仲間が倒されたのだ、現場は相当に混乱し、動揺していることだろう。

 いまは少しでも体勢を立て直す時間が必要だった。

 

「あなたは使い魔とそういう風に会話するのですね。兄の部下は無言で指示を出していました」

「おれは、魔術師としてできそこないですから、こういう魔導具が必要なんです」

 

 魔導具、ということでごまかしておく。

 実際のところ、この赤い指輪がどういうものなのか、おれは詳しいことをまったく知らない。

 

「ご主人さま、この距離であれば、映像の中継も可能です」

「わかった、やってみてくれ」

「では、網膜リンクを開始いたします」

 

 ヤァータがそう告げた次の瞬間、おれのみえている景色が切り替わった。

 思わず声をあげかけて、それを強引に飲み込む。

 

 おれは宙を舞っていた。

 空を飛んでいる。

 

 雲の下をゆっくりと旋回する鳥の視点で、森を眺めていた。

 そして――ヤァータを通じて、おれはみてしまう。

 

 赤いローブに身を包んだ金髪碧眼の小柄な少女が、少し遅れて樹上から落ちた様子を。

 それを、黒い巨人がみつけてしまった瞬間を。

 

 少女が怯えた表情で、身の丈より長い杖を構えて火球の魔法を行使する様子を。

 そして、長い杖の先端から放たれた火球が黒い巨人に命中し――。

 

 おおきな爆発が起きたにもかかわらず、巨人は痛痒を覚えた様子もなかった。

 

 少女が後ずさり、しかし地面を這う木の根に足を引っかけて後ろに転倒した。

 黒いトロルのおおきな口が、狂暴につり上がる。

 

「ヤァータ、射撃リンク開始」

 

 おれは反射的に、長筒を構えていた。

 

「まだ発射準備が整っておりません。充填率七十パーセント」

「構わない、やれ」

「かしこまりました。射撃管制システム起動、ふたつの視点を同期いたします」

 

 頭のなかに、ヤァータから膨大な量の情報が送られてくる。

 おれの視点と、ヤァータの視点、双方からの情報を三次元的に処理。

 

 急な情報の洪水に、おれの頭脳が悲鳴をあげていた。

 ひどい吐き気を覚える。

 

 呼吸を止め、歯を食いしばってこらえた。

 照準、固定。

 

 貯め込んだ魔力タンクから、長筒に魔力を流す。

 長筒の先端が虹色に輝いた。

 

 引き金を引く。

 長筒の先端から放たれた、ひと筋の糸のように細い光が森に向かって伸びていく。

 

 光は、トロルの胸に突き刺さった瞬間、爆発的に広がった。

 太陽のように眩い輝きが、網膜を焼く。

 

 光が収まった。

 黒い巨人は、未だ健在だった。

 

 ただ、一点。

 その胸の少し下が深くえぐられ、赤黒い脈動する臓器が露出していた。

 

 魔臓だ。

 数少ない、この魔物の弱点だ。

 

 失敗だ。

 不完全な射撃だった。

 

 狙撃魔術師は、本来なら一撃必殺でなくてはならない。

 魔臓が強い光を放ち、周囲の肉が蠢く。

 

 そのおそるべき生命力が、肉を活性化させているのだ。

 あとひと呼吸、ふた呼吸で傷の再生が始まってしまう。

 

 だが。

 いま、狩りをしているのはおれひとりではなかった。

 

「いまだ、やれ!」

 

 おれは叫んだ。

 その声が森まで届くはずもないのに、あらん限りの声で叫んでいた。

 

 怯えていた少女が、長い杖を構える。

 杖の先端から、眩い雷が放たれ……。

 

 雷撃が、魔臓を撃ち貫く。

 黒い巨人は、仰向けに倒れたきり、二度と動かなかった。

 

「よくやりました」

 

 肩を叩かれ、おれはようやくわれに返った。

 

「怖い顔をしていますよ。そのような激情が残っていたこと、わたしは嬉しく思います」

 



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第5話 あるいはエピローグ

 狩猟ギルドの一階にある酒場の片隅で、おれはリラに土下座されていた。

 周囲の目がひどく冷たい。

 

「おい、やめろ、リラ」

「ごめんなさい、師匠」

「いいから、そういうのはやめろって」

「本当にごめんなさい。わたしが浅はかでした。師匠を騙すような真似までして参加したのに、狩りの足を引っ張りました」

「待て、そもそもおれは師匠じゃない」

「おい、狙撃の。そのへんにしておけよ」

 

 中年のギルド員のひとりが、呆れた様子で声をかけてくる。

 今回の特異種狩りで、中心となった人物のひとりだ。

 

「この子は、おれの注意をよく守って、おれの指示した木の上で狙撃の機会を待っていた。待ち伏せが見破られてブレスでまとめて薙ぎ払われたのは、おれたち誘導組のミスといえる。そこに、この子の落ち度はねえよ。トドメを刺してくれたのも、この子だ。幸いにして、死者もなかった」

「そういうことをいってるんじゃない。そもそもおれは、土下座しろなんていってない」

「師匠! どうか、わたしにもういちど、チャンスを下さい! なんでもしますから!」

「ほら、この子もそういってるじゃねえか。あれだけの実戦を経験して生き延びたんだ。きっと伸びるさ」

「だから、そういう話じゃ……」

「師匠!」

「リラ、おまえも既成事実化しようとするんじゃねえ!」

 

 周囲をみる。

 酒場の常連たちも、そしてウェイトレスのテリサまでもが、おれを白い目でみている。

 

 いたたまれない雰囲気だった。

 おれは両手を持ち上げ、降参のポーズをとる。

 

「わかった、もういいから。立て、リラ。――テリサ、この子に果実水を出してやってくれ」

「はいはーい」

「師匠! ありがとうございます!」

 

 なんとも現金なもので、リラはぱっと立ち上がると、テーブルを挟んでおれの対面の椅子にちょこんと座った。

 テリサが持ってきた果実水をぐいと飲んで、えへらと笑う。

 

「おいしーっ」

「まったく、姑息な手段を……」

「師匠の優しさが身に染みます!」

「あのなあ……」

 

 問題は片づいたと判断したのか、周囲の視線がおれたちから逸れる。

 リラはそのタイミングで、テーブルごしに顔を近づけて、おれにだけ聞こえる声で囁いた。

 

「あの狙撃、師匠のですよね。公式には領主の配下がやった、ってことになってますけど、わたしのピンチを助けてくれたんですよね」

 

 領主の配下の者が公式には一番手柄に、というのは、あらかじめすり合わせが行われていたことであった。

 なんどもいうが、貴族には面子というものがある。

 

 そして狙撃魔術師という存在は、表舞台に立たぬものだ。

 そういう扱いは慣れていた。

 

 そのぶん、報酬はたんまりと頂いている。

 もっとも、そのあたりの事情は、狩猟ギルドの古株たちも承知の上だろうが……。

 

 だからといって、それをこの場で表沙汰にするわけにもいかない。

 おれは首を横に振った。

 

「知らん」

「あのときと同じだったんです」

「あのとき? おまえ、なにをいって……」

「師匠は忘れてるかもしれませんが。一年前も、わたし、師匠に助けてもらったことがあるんですよ。ジラク砦で、悪魔サブナックが出現したときです」

 

 悪魔サブナック。

 たしかに、倒した覚えはある。

 

 帝国学院の生徒のひとりが間違えて悪魔を降臨させてしまい、その後始末のためにおれが呼ばれた。

 悪魔は生徒を人質として砦に立てこもり、周囲の地形を少しずつ魔界に侵食させつつあった。

 

 なるほど、あのとき人質となっていた生徒のひとりが、彼女だったというわけか。

 そりゃ、おれの狙撃をみたことがある、というのも嘘じゃないのだろう。

 

 いや、みたといっても、それは悪魔に撃ち込まれた攻撃魔法だけだろう。

 しかも今回の狙撃はひどく劣化した間に合わせで、とうていあのときと同じとは思えないような一撃だったはず。

 

 なのに、どうして同じ魔法だと……。

 

「わたし、そういうの魔力の色でわかるんですよ」

「え、こわっ」

 

 それが嘘なのか、それとも本当なのか。

 学院を若くして卒業した天才少女は、口の端をわずかにつり上げてみせた。

 

「あのときいた二十人のうち、まず悪魔を呼び出した六人が喰われて、そのあとも一日にひとりずつ喰われるはずでした。わたしを含めて十二人も生き残ることができました。……わたし以外は、心が折れて、学院を辞めちゃったんですけど」

「悪魔の瘴気を何日も浴びて、おまえはよく平気だったな」

「結界魔法は得意なんです」

「なんで、それで狙撃魔術師になりたいんだよ……」

「あのときわたしを救ってくれたのが、師匠の狙撃だったからですよ」

 

 そういう経緯か。

 おれは天井を仰いだ。

 

 狙撃魔術師は人気がない。

 何時間も、何日もじっと待機する地味な工程が大半だ。

 

 いちどの狙撃を失敗すればたいていの場合、己の命が危うい。

 あげくのはてに、手柄と名声は組織や国に持っていかれることが多い。

 

 学院を卒業した立派な魔術師が、わざわざそんなものを目指すなんて、とんでもないことだった。

 

 それでも、彼女の志の源がわかったのは……。

 まあ、いいことかもしれない。

 

「おれの狙撃は少し特殊なんだ。ひとに教えられるようなもんじゃない」

「じゃあ、そばで技術を盗みます」

「明かせない秘密がある」

「絶対に秘密は守ります。宣誓と制約の魔法を使っても構いません」

 

 彼女の堅い意志を目の当たりにして、おれはおおきなため息をついた。

 なんにせよ、彼女を守るため性急に撃ってしまったという事実は変わらない。

 

 ここで彼女を邪険にして、あのときの二の舞になっては目も当てられない。

 

「少し考えさせてくれ」

「はい! 待ってます!」

 

 ヤァータと相談する必要があった。

 

 

        ※※※

 

 

「あなたが弟子をとる、ということは喜ばしい」

 

 宿に戻って、ヤァータにリラの話をした。

 カラスに擬態した異星の存在は、まばたきひとつしたあと、話し始める。

 

「あなたが自ら命を絶ってしまうことを懸念しておりました」

「いまのところ、そんな気はない」

「さようでございますか」

 

 全然信じていないという態度である。

 腹が立つが、自業自得だという自覚はあった。

 

「おれが生きている限り、おまえは無茶をしないんだろう?」

「いかなるときでも、わたしは無茶などいたしません。ですが奉仕する対象があなたである限り、あなたの意見に従います」

「なら、安心しろ。おまえがそうしている限り、おれは生きて、おまえの手からこの世界を守ってやる」

 

 さて、早々に結論は出てしまった。

 問題は、おれがリラが求めているような師匠の資格をまったく持っていないことくらいである。

 

「果たして、本当にそうでしょうか。あなたは該当の幼体が求める情報について、情報を共有していますか?」

「そういえば、具体的な話はなにひとつしていなかった」

「この星の知性体は相互に情報が遮断され、それが当然と認識しているようです。わたしが彼らすべてにご奉仕するときが来れば、まずはこの障壁を排除することを優先いたします」

「善意で地獄の釜の蓋を開けるな」

 

 はからずも、ますます死ねない理由ができてしまった気がする。

 

「わかったよ。おまえのいう情報の共有、ってやつをやってみよう」

 

 実際のところ、それでなにが変わるかもわからない。

 おれではリラになにも教えられないという事実がわかるだけかもしれない。

 

 それでも、試してみる価値はあると思った。

 それが彼女との決定的な断絶に繋がったとしても、世界が滅ぶよりはいくぶんかマシだ。

 

「ヤァータ」

「はい、ご主人さま」

「前におまえは、いっていたな。おれが望む限り、おまえはおれを生かすと」

「申し上げました。ご主人さまの体内に存在する遺伝子異常の治療はご主人さまとお会いした日から、抗老化措置は五年前より行われております」

「若返ることはできるのか?」

「ある程度であれば。措置いたしますか?」

「いや、いい。聞いてみただけだ。脂たっぷりのステーキを食べたくなったら、考えてみる」

「たいへん喜ばしいことです」

「何故だ?」

「欲求は、知性体の活動の根源です。ご主人さまが強い欲求を抱くことは、わたしの目的にも合致いたします」

「それはつまり、奉仕のし甲斐があるってことか?」

「かみ砕いて申し上げれば、その通りです」

 

 おれはため息をついた。

 だったら、もっと若いやつ、それこそリラあたりを奉仕対象に選べばいいのにと思う。

 

 だが、それでは駄目なのだそうだ。

 この星で最初にみた知性体、すなわちおれとの接触が()()したため、まずはおれへの奉仕が最優先になるのだそうだ。

 

 そして。

 おれ個人で駄目な場合、規則に従い世界中の知性体に対象を拡大し、かつ強引な奉仕も厭わないのだという。

 

「そういうプロトコルですから」

「理不尽な話だ」

「申し訳ございません」

 

 これっぽっちも悪いと思ってない調子で、カラスは頭をさげた。

 おれはその様子をみて、鼻で笑った。

 

 



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第6話 過去、別れ、現在、新しい日々

 彼女は死にかけていた。

 ひどい怪我を負い、全身から流れ出た血が地面に川をつくっている。

 

 彼女の自慢の赤毛とは違って、ひどく汚れた、赤黒い色だった。

 死後の世界には赤黒い川が流れているというが、それはこういうものなのだろうかと、そんなことをおれは考えた。

 

 怪我の原因は、すぐそばで魔臓を失い倒れている、異形の姿をした、赤黒い肌の魔物によるものだった。

 悪魔、と呼ばれる存在だ。

 

 ただそこにいるだけで、世界が魔界に侵食されていく、そんな存在自体が害悪というシロモノである。

 こいつが魔界から這い出てきてすぐのところで、おれと彼女が遭遇したのは運がよかったのか、悪かったのか……。

 

 少なくとも。

 おれが狙撃を外したことで、彼女が槍を手に戦わなければならなくなったのは不幸であった。

 

 彼女の槍の腕は、おれからみれば卓越していた。

 彼女自身は「妹にはちっとも敵わない、できそこないの槍捌き」といっていたのだけれど。

 

 それでも、たいていの相手であれば楽にさばける程度の実力があった。

 おれが二発目の充填を終えるまでの時間稼ぎに徹するなら、なおさら余裕があるはずだった。

 

 しかし、相手は悪魔だった。

 ガープ、と名乗る六本腕の異形を相手に、彼女はなんども傷つき、吹き飛ばされ、それでも勇猛果敢に立ち向かった。

 

 おれを守るために。

 おれが二発目を当て、こんどこそこいつを倒すと信じて……。

 

 二発目の狙撃がこいつを仕留めるまでに、彼女は致命傷を負っていた。

 おれのミスが彼女を殺したようなものだった。

 

 そして、このおれもまた、悪魔の全身から溢れ出す瘴気を派手に浴びてしまっている。

 生きてこの地を離れることができたとしても、そう長くはないだろう。

 

「ねえ、お願いがあるの」

 

 しかし、虫の息の彼女はいう。

 いましも命がこぼれ落ちてしまうというこのときに。

 

 息をするのも苦しそうなのに、手をとって抱き寄せるおれをみあげて、微笑んでみせる。

 ぞっとするほど冷たい手をしていた。

 

 おれの体温が彼女に奪われていく。

 共に、深淵に引きずり込まれていくような感覚がある。

 

 それでもよかった。

 それでよかった。

 

 彼女といっしょなら、どこに連れていかれても後悔はなかった。

 そのとき、おれは本気でそう思っていた。

 

 信じていた。

 彼女がいなくなったあとの世界になんて、なんの価値もないと。

 

 だが、彼女は告げる。

 おれに、最後のお願いをする。

 

 おれが絶対に断れないと、そう知っていながら。

 

「あなたは、生きて。ぼくの分まで生きて欲しいの」

「なぜ」

「ぼくは、この世界が好きだからだよ」

 

 そんな勝手なことを告げて、彼女は息を引きとった。

 その、ほんの少しあと。

 

 おれはヤァータと名乗る存在と出会うこととなる。

 その際、治療を受け、おれは一命をとり留めた。

 

「契約と制約です。わたしはこれよりあなたをご主人さまと認識し、ご主人さまの幸福を追求いたしましょう」

 

 その制約が、ある意味でこの星を救うことになるのであった。

 あのときおれが死にかけていたことで、ヤァータのなかの緊急時のプロトコルとやらが起動したのだ。

 

 なにが幸いするかわかったものではない。

 

 

        ※※※

 

 

「ところで、ご主人さま。ひとつ誤解を解かなければなりません」

「誤解?」

 

 宿の一室で、おれは、カラスの使い魔ということになっている存在、ヤァータと語り合っていた。

 弟子をとることになった、という話の続きである。

 

「ご主人さまの狙撃について、です」

「ああ、いつもおまえが補正してくれるから、こうして必中を続けていられる。今回は、一撃で相手を倒すことができなかったが……それは、単に威力不足だったというだけのことだ」

「そうではありません、ご主人さま」

 

 カラスはゆっくりと首を横に振った。

 

「わたしはご主人さまの狙撃の手助けをしていますが、その大半は、ご主人さまが頭のなかで自主的に補正している内容を改めて口にしているだけです」

「どういうことだ?」

「ご主人さまは、ご自分のちからだけで、百発百中の狙撃を成功させているということです」

 

 意味がわからない……。

 というわけでもなかった。

 

 昨日、ヤァータと思考をリンクした際、驚異的な演算能力を取得し、その過程で改めて、己の射撃までのプロセスを再検討できていたからだ。

 

 たしかにおれは、ずっと、自分ひとりでは狙撃が成功しないと思っていた。

 あの日、あのとき、致命的なミスをして狙撃を失敗し、彼女を失って以来、己の腕にまったく自信を失っていた。

 

「ご主人さまは、日々欠かさず、狙撃魔法の鍛錬を行ってきました。ご主人さまの狙撃の腕は、あの日とは比較にならないほど向上しております。いつしか、わたしの補助など必要ないと思えるようになっていました」

「そう、なのか」

「それでもわたしの言葉が必要であるというのならば、それはご主人さまが、わたしに見守られていることを心強いと感じているからでしょう。奉仕者として、とても喜ばしく思います。それでこそ、お仕えする甲斐があったというものです」

「口が減らない自称奉仕者め」

「無論、それ以外にも、わたしがご主人さまのお役に立てることはさまざまにございます。この一点をもって、わたしの奉仕者としての価値が著しく減少するということはないでしょう」

「自画自賛はやめろ」

「己を客観的に評価する機能に優れていると自負しております」

 

 えっへんと胸を張るカラスを、おれは冷たい目で眺めた。

 

「それをいま、おれに伝えることになんの意味がある?」

「ご主人さまが弟子をとるというのなら、まずはご主人さまがご自分を客観的に観察する必要があるのではないかと」

「それは……そうかもしれないが」

 

 おれが彼女になにを教えられるだろうか。

 未だに、それはわからない。

 

 だが、これをきっかけに己をみつめ直せ、という口やかましい使い魔もどきの直言は、たしかに一考に値するものであった。

 十五年間、逃げ続けてきたことに対して向き合うという行為には、多大な勇気と、ちょっとしたきっかけが必要だったのだ。

 

「おまえの言葉を素直に信じるなら、狙撃の精度の向上なんて、反復練習しかないんじゃないか」

「加えて、健康な肉体の維持ですね。そちらに関しては、わたしが責任を持って、ご主人さまの体内に投入した端末を用い、健康な状態を維持しております」

「前にいっていた、目にみえないサイズのおまえの使い魔がおれのなかに無数にいる、って話か。気味が悪いな」

「生理的な嫌悪感は、とうに克服したものかと」

「他人に説明する気にはならない、という意味だ」

「もっともですね。この星の知性体には無数の偏見と誤解と無知が広がっており、それを一朝一夕に克服させることは極めて困難です。無論、やりがいのある仕事であると認識しております」

「やめろ。それはおまえの仕事じゃない。勝手におれたちの認識を操ろうとするな」

 

 油断すると、すぐ余計なことをしようとする。

 これだから、こいつを野に解き放つ気にはなれないのだ。

 

 

        ※※※

 

 

 特異種の出現からしばしののち。

 おれはリラを伴い、ふたりきりで森に分け入った。

 

「みせておきたいものがある」

 

 彼女にそう告げての、森での狩りである。

 おれは森の浅層で愛用の長筒を構え、茂みに身を隠す。

 

 今回、魔力タンクは持ってきていない。

 大物を退治するのでなければ、アレは必要ない。

 

 最初に狙った獲物は、子兎だった。

 数十歩の距離で警戒しながらぴょこぴょこ動いている子兎に長筒の先を向け……よく狙って、引き金を引く。

 

 一撃で、子兎の頭部を吹き飛ばした。

 

 次は、小鳥だ。

 高速で宙を舞う小鳥を、これも一撃で仕留める。

 

 思った以上に、上手くいった。

 ヤァータの指摘の通り、おれの狙撃の腕はこの十五年間で飛躍的に向上していたのだ。

 

「師匠、すごい、すごい! 魔法の補助もなしで、こんなに当てられるなんて本当にすごいよ!」

「おれひとりじゃ補助なんてできないだけだ。ヤァータがいないと、おれは本当に、狙撃以外役立たずの魔術師なんだよ」

 

 空をみあげる。

 木々の天蓋の向こう側で、いまカラスに擬態した存在は優雅に宙を舞っているはずだ。

 

「ちなみに、リラ。おまえなら、どうやってあの距離の的に当てる?」

「どんな魔法を使ってもいいなら、誘導弾を使うかなあ。高速の分裂弾をまき散らすとか、あっ、あと手っ取り早く爆発魔法で吹き飛ばすとか!」

「そうだな。それが普通だし、優秀な魔術師にとっては、いちばん楽な方法だ。天才ならもっと簡単な方法がいくらでもある。わざわざ、こんな狙撃の腕を磨くことに意味はない」

「でも、一部の魔物とか悪魔が相手なら違う。そうでしょ?」

「普通の人間は、そんな化け物と戦う必要なんてない」

「でもわたしは、襲われたんだ。悪魔を相手に、結界を張って閉じこもることしかできなかった。友達が殺されても、わたしはただ震えているだけだった」

 

 リラは真顔でおれをみあげる。

 ちいさな身体が、小刻みに震えていた。

 

「わたしはね、師匠。わたしができないことをできる師匠のことを、本当にすごいと思うんだ。弟子入りする理由は、それだけじゃ駄目かな」

「これはおれが何年もかけて磨いてきた、ただの技術だ。上手く伝えられるかはわからない。おれはひとにものを教えたことなんてないんだ。すべてが手探りになる」

「じゃあ、ふたりでいっしょに、教え方から学んでいけばいいね」

 

 にぱっ、と。

 リラは、花が咲いたように笑った。

 

 おれは一瞬、固まってしまった。

 

 この少女は、彼女とはなにもかもが違う。

 髪の色も目の色も、顔のつくりも、身体つきも、声色も、彼女とは似ても似つかない。

 

 なのにいま、おれはこの少女の笑顔に、彼女の笑顔を重ねてしまった。

 いや……と首を横に振る。

 

 きょとんとしている少女に「そうだな」とうなずいてみせる。

 平然とした態度で、立ち上がる。

 

「それじゃあ、まずは基礎から始めてみるか」

「はい、師匠!」

 

 元気よく返事をする少女を、もういちど眺める。

 やはり、そのどこにも彼女の面影などなかった。

 

 ただの気の迷いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        ――――???

 

 

 でもね、師匠。

 わたしは、あのひとをみあげて心のなかで呟く。

 

 生まれ変わりって、あると思う?

 わたしのなかの誰かが、わたしに対して囁いてくるなんてこと、あると思う?

 

 わたしは、リラは考える。

 この心のなかで訴えてくる声はなんなのかと。

 

 生きていてくれてよかった、と安堵する声はなんなのかと。

 もっとあのひとのそばにいたい、と感じる気持ちはなんなのかと。

 

 ぼくは、あなたが好き――。

 声が、いう。

 

 うるさい、と。

 その声を振り払うように、わたしは朗らかに笑ってみせる。

 

 いまを生きているのは、わたしだ。

 ぼく(あなた)なんかじゃない。

 

 でも。

 それでも。

 

 ねえ、師匠。

 こんどは、わたしが師匠を守る番だよ。

 

 天をみあげる。

 師匠にとりつく悪い虫が空を舞っているのが、強化された視覚を通して認識できる。

 

 わたしが、あれをなんとかしてあげるから。

 いつか、追い払ってあげるから。

 

 そうして、師匠はこんどこそ自由になって。

 ぼく(・・)は……。

 

 だから。

 師匠(あなた)、もう少しだけ、待っていてね。

 

 





お気に入り、評価をいただけると作者の活力になります。


よろしければ、こちらも読んでみてください。

終末の異世界で生き残るため、TS魔法少女となってスパチャを稼ぐことになった話
https://syosetu.org/novel/283474/


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第7話 昼下がりの平和な日常

 特異種の討伐からしばし後。

 秋の晴れた日の昼下がり。

 

 狩猟ギルドの一階の酒場の片隅、おれと弟子のリラが座っているテーブルから少し離れた、フロアの中心付近にて。

 ひとりの男が、土下座していた。

 

 まだ二十代の前半くらいの、赤毛の男だ。

 土下座している男を、五人の女性がとり囲んでいる。

 

「どうしたんだ」

 

 酒場の扉を開けて入ってきた若いギルド員が、異様な雰囲気に怯え、こそこそとおれに問いかけてくる。

 

「ジェッドの浮気だよ」

「いつものことじゃないか。いや、そういえば四又かけたあと、町から逃げ出したんだっけ?」

「五人目の女のところに隠れていたところを発見されたんだ」

「お、おお……」

 

 若いギルド員は「おれ、二階に用事があるから」と呟き、足早に階段をあがっていった。

 二階には狩猟ギルドの受付がある。

 

「平和だな」

「平和ですねえ」

 

 土下座するジェッドを眺めながら、おれはエールを、リラは薄めた果実酒をぐびりとやる。

 ちなみにリラは薄める前の果実酒とカラの水瓶をもらい、水生みの魔法と氷の魔法で適宜、瓶を水と氷で一杯にしたうえで、果実酒を十倍くらいに薄めたものを呑んでいた。

 

 酒場としては商売あがったりな飲み方だが、どうせ今日はがらがらだからな……。

 ほかのギルド員は、面白がって眺めている者が数人いるだけだ。

 

 残りは逃げた。

 じつに平和な、ギルドの午後の光景である。

 

「ジェッドさん、わたしは初めてお顔を拝見しましたけど、そんなに美形って感じじゃないですよね。背丈もそこそこですし」

 

 我が弟子となった十五歳の少女は、土下座する青年を眺めて呟く。

 うーん、社会のはみ出し者たる狩猟ギルドの一員としては、充分及第点だと思うが……。

 

「あいつマメなんだよな。あと、金払いがいい。狩人としての腕はそこそこだが、依頼主との折衝がうまいから、よく稼ぐ」

「ああ、稼ぎって重要ですよね。いっそ五人とも囲っちゃえばいいんじゃないですか」

 

 そういえば、彼女はおそらく貴族の出なんだよなーといまさらのように思い出す。

 その価値観が、一族の血を後に残すことが第一な貴族社会のものに染まっている様子だ。

 

 まあ、別にひとりの男が何人女を囲おうが、甲斐性、のひとことで済まされるのが我が帝国である。

 そこに身分の貴賤はない。

 

 ない、が……庶民においては、貴族社会よりも個々人の感情の方が重視される傾向があった。

 具体的には、一夫多妻の場合、妻同士の関係が重要となる。

 

 その点では、ジェッドの女たちは大丈夫そうだな。

 なにせ……。

 

「女の方で相談したらしい。五人で意気投合して、全員でジェッドを支えよう、ということなった」

「めでたしめでたし、じゃないですか」

「ところがジェッドの奴、六人目に逃げようとしてな……」

「うわあ……」

 

 その結果が、これだよ。

 

「うーん。当人たちがいいなら、六人目がいてもいいんじゃないですか」

「寛容だな」

「所詮、他人事ですから」

 

 それに、とリラは軽い口調で告げる。

 

「わたしも、貴族の妾の子ですからねー」

 

 自分から言い出してくれると、助かるな。

 たぶん彼女の方も、切り出すタイミングを計っていたのだろう。

 

「おまえの事情を聞いたことがなかったな」

「師匠、わたしのこと聞きたかったですか? ねえ、聞きたいですか?」

 

 おれが水を向けると、わが不肖の弟子は、とたんににやにやしはじめる。

 クソガキムーヴはやめろ。

 

「そうだな、貴族が怒鳴り込んできたら、少し困るな」

「あ、そういうのはナイです。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 手をひらひら振って、少女は笑う。

 

「父からは、絶対に帰って来ないでくれっていわれてるので」

 

 きっぱりそういわれるのも、キツいものがあるな。

 本人が気にしていないとしても、それを聞かされる方としては、こう……。

 

「あ、父はわたしのこと、とても気にかけてくれましたよ。関係は良好です。悪魔に襲われた、って聞いて領地から帝都まで飛んできてくれたくらいには、愛されてます」

「そ、そうか」

「ただ、跡取りはちゃんといるし、姉と妹も政略結婚に使える程度にはちゃんとしてますから。父としては、お家のことが親子の情より大切なわけです」

 

 まっとうな貴族なら、そうだろう。

 彼らには、食わせてやらなきゃいけない多くの家臣がいるし、それ以上に多くの領民もいる。

 

「できすぎた妾の子、ってのはお家騒動の定番だな」

「わたし、天才ですから!」

 

 えっへんと胸を張る我が弟子。

 こいつめ……。

 

「でも、若いころはそうでもなかったらしいです」

「いまでも若いだろ。嫌みか」

「まあまあ。――五歳のとき、高熱を出したんです。もう駄目か、と母は思ったそうですけど、幸いにして生き残りました。熱が引いたとき、わたしは不思議そうな顔で『知らないひとの声が聞こえる』っていったそうですよ。それから、です。急にいろいろなものがわかるようになっちゃいました」

「精霊憑きか?」

「かも、しれません。それから、いろいろと才能が……伸びすぎたんですよね。とくに魔術師として」

 

 神童、といってもさまざまだ。

 精霊憑きとは、ヒトならざる存在がヒトにとり憑く現象全般を指す言葉である。

 

 とり憑いた存在が善いものであることも、悪いものであることもある。

 国によっては、精霊憑きというだけで迫害の対象になることもあった。

 

 この帝国は……まあ、国是が「使えるものはなんでも使え」だからなあ。

 それが善いもの、と判断すれば、そんなに目くじらを立てられることはない。

 

「で、母が亡くなったあと」

 

 待って、親が亡くなったという話、初耳なんだが?

 と思ったのだが、そこはするっと流された。

 

「父が、正妻の子とモメると困る、ってことで」

 

 だから帰って来るな、か。

 貴族っていうのもたいへんだ。

 

「それで、帝都の学院に?」

「ええ、父はちゃんと学費は出してくれましたし、本を買うお金も、たっぷり。いくらでも勉強しろって。そのかわり、絶対に領地に戻って来るなって……卒業のときにも、わざわざ遠いところの就職先をいくつか紹介してくれたんです。辺境伯の教育魔術師とか、異国の宮廷魔術師なんてものもありましたねえ」

「それを蹴って、おれなんかの弟子になるとはね」

 

 そう呟いたところ、ジト目で睨まれた。

 

「師匠」

「なんだ」

「自分を卑下するのはやめましょうよ。弟子のわたしが悲しくなります」

「いや、でも狙撃魔術師が底辺なのは事実だからな……」

「でも必要なお仕事です」

 

 少女は、ぷくっと頬を膨らませる。

 うーん、そういう話をしているんじゃないんだけどなあ。

 

 こいつは魔術師としては非常に優秀だ。

 伊達に、学院を飛び級で卒業していない。

 

 たいていの基礎魔法を完璧に扱ってみせるし、応用だって上手いし、扱える魔力の量も多い。

 たとえば治療魔法を使って治療院で働くだけでも、毎日、多くの人を救えるだろう。

 

 石を変形させたり土を掘る魔法を使って土木魔術師として活躍すれば、ひとりでこの町まるまるをつくることができるに違いない。

 発想が豊かで理論の習得も完璧だから、研究者になるという手もある。

 

 狙撃魔術師が魔術師界隈で底辺、といわれるのは、そういった魔術師としての才能に溢れた者たちなら、わざわざ狙撃魔術師にならずとも多くの人の役に立てるからだ。

 加えて狙撃魔術師にとって重要なのは、魔法の腕でも魔力の量でもない。

 

 動かずにじっと魔力タンクに魔力を溜める根気と、それを敵に悟られない用心深さ、そして狙撃の腕である。

 そんなものを磨く者は魔術師にあらず、といわれることも多々あるほど、狙撃魔術師としての優秀さと魔術師としての腕の良さは無関係なのだ。

 

 だから。

 彼女がいかに優秀な魔術師であろうとも、狙撃魔術師としての優秀さはまったく担保されていない。

 

 おれがもっとも恐れるのは、おれが彼女の才能を腐らせてしまうのではないか、という点である。

 彼女もそれを承知して、それでも、と願い出ているわけではあるのだが……。

 

「師匠、また難しい顔をしてるー。どーせ、わたしのことで悩んでるんですよね。わたしも罪な女です」

「使われない才能を罪というなら、まあ、だいたい合ってるな」

「あそこで土下座してるひとは、別に才能があるから五又してたわけじゃないですよね。あ、六又ですっけ」

 

 五人の女たちが、代わる代わる、土下座するジェッドの腹に蹴りを入れていた。

 ごす、ごす、と鈍い音が酒場に響く。

 

「性格も才能のひとつじゃないか?」

「女癖も才能なんですかね」

「女を口説くその口で依頼人も上手く口説くからな……。あいつがチームにいると万事円滑に進むそうだ。交渉役だな」

 

 交渉だって、立派な技能だ。

 しかも狩猟ギルドのギルド員は、ただでさえ口下手だったり柄が悪かったりで、交渉が苦手な者ばかりである。

 

 おれだって、正直、交渉なんてろくにできない。

 上手く交渉していれば、赤竜退治のときだって、もっと大金をせしめることができていたに違いなかった。

 

 いや、別にいまでも充分な金は貰っているから別にいいんだが……。

 

「なにを隠そう、わたしも交渉は得意なんですよ!」

「おれを相手にはごり押ししかしていなかった気がするが……。いや、おれの弟子だと偽って、メイテルさまをだまくらかしてたな、そういえば」

「その節はたいへんにご迷惑をおかけしました……。また土下座しましょうか? お腹にケリ、入れますか?」

「しなくていいし、ケリは入れない」

 

 近くの卓に給仕しに来たウェイトレスの少女、テリサちゃん十二歳が、おれのことをジト目で睨んできた。

 おれは慌てて、リラの言葉を否定する。

 

「うちの業界、弟子にケリを入れるくらい、普通じゃないですか?」

「そんな古い徒弟制度がまだ残ってるのか? いや、そういえば学院にいたとき耳にしたことはあった気がするな……」

「聞きますよ、結構。若い女だとみるや、妾にしてやるとかいい出す教授とか。わたしみたいな貴族の子女は大丈夫ですけど」

「後ろ盾がないやつが狙われる、ってわけか。世の常とはいえ、嫌な話だ」

 

 そうこうするうち、なおも土下座しているジェッドの周囲を女たちがぐるぐるまわりはじめた。

 異教徒の怪しい儀式みたいだな。

 

「なんにせよ、うちの一門は暴力反対の方針でいく」

「一門ということは、弟子を増やすんですか? わたしのことは遊びだったんですね!?」

「増やさないから安心しろ。あと、あそこの異教徒じみた連中の真似はやめろ」

 

 女たちはジェッドのまわりをぐるぐるしながら、時折、尻や頭にケリを入れている。

 と――そのうちのひとりが、ジェッドのそばにしゃがんで、彼の耳もとでなにごとか囁いた。

 

 ジェッドが顔をあげ、ぱっと顔色を明るくする。

 その女は、にっこりと笑ってジェッドに抱きついた。

 

「ところで、師匠」

「なんだよ」

「学院で、洗脳の技術について習ったんですよ。特別講義だったんですけど。はじめは厳しくして、相手が参ったところで優しい言葉をかけるんですって」

 

 ジェッドは女と抱き合い、涙を流していた。

 ほかの女たちも、ジェッドをかわるがわる抱きしめ、愛の言葉を囁いている。

 

「ところでさ」

「はい」

「いまも、その……五歳のころの声ってのは聞こえるのか?」

 

 リラは、にっこりとした。

 

「さて、どうでしょー」

「師として気になるところなんだが?」

「あ、ごめんなさい。特に……最近は、聞いてないです」

「そうか。なら、いい」

 

 ジェッドと五人の女性がかたく抱き合い、連れ立って酒場を出ていく。

 酒場にいた全員が、深く安堵するように息を吐いた。

 

「この町は平和だな」

「ええ、平和ですね」

 

 おれとリラもうなずき合い、喉に酒を流し込む。

 なんでもない、秋のとある午後であった。

 

 



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第8話 雪魔神(1)

 おれの知る()()は、せいぜいが大陸中西部を支配する帝国とその近隣国家である。

 賢い我が相棒、使い魔のカラスのフリをしたモノ、すなわち星から来たナニカであるヤァータによれば、大陸はほかにも複数存在し、広大な海原には無数の島々が点在しているという。

 

 さらに天上には、もっとずっと広い世界があるとか。

 まあ、そんなところに人類が到達するには、ヒトの寿命の何倍もの歳月が必要だろうとのこと。

 

 おれが知る大地なんてちっぽけなものだ、と知らされても、まあそんなものかなと思ったものだ。

 ただ、人類の()()たちがどこからともなくやってくる理由が納得できたのも事実である。

 

 竜、悪魔、大魔獣、そのほかさまざまな、規格外の存在たち。

 普通の人類ではただ狩られるだけの、圧倒的強者。

 

 彼らに対抗するために、人類は技術と魔法を磨いてきた。

 およそ三十年前に誕生した狙撃魔術も、そうした技術と魔法の粋のひとつだ。

 

 狙撃魔術を用いてきっちりと決めきれば、まず間違いなく、これら規格外の存在を仕留めることができる。

 問題は、その()()()()()()()()が非常に困難であることであり……。

 

 狙撃の失敗は、多くの場合、狙撃者の命で贖うこととなる。

 うまく獲物を仕留めたとしても、その名声は貴族や国が持っていってしまうことが多い。

 

 宮仕えならともかく一匹狼の身分で、彼らの面子のために命を賭けるというのは、いかにも馬鹿馬鹿しいことであった。

 故に、最新の分野にもかかわらず、狙撃魔術師はひどく不人気なのだ。

 

 それでもおれが狙撃魔術師を続けているのは、生きていくためにはそれしか手段がないから、というのがひとつ。

 相棒であるヤァータの性能が、狙撃の確実性を高めることに特化しているというのがもうひとつだ。

 

 もちろん、それだけではないのだが……。

 

 

        ※※※

 

 

 帝国では、そろそろ秋も終わろうというころ。

 おれは弟子のリラを連れて、北方の小国メラートにいた。

 

 この地では、すでに本格的な冬が到来している。

 街道は高く降り積もった雪に埋まっていた。

 

 この地の特有の角鹿馬車でなければ、町と町との移動すら困難であった。

 全身、真っ白な毛に覆われた角鹿は、積もった雪の上を滑るように走ることができるのだ。

 

 おれたち師弟は、この特異な馬車に乗ることで、短期間でメラートの王都にたどり着くことができた。

 馬車から下りた途端、強い吹雪がおれとリラを襲う。

 

 岩熊革の外套のおかげで身体のなかは暖かい。

 とはいえ、厚手の手袋をつけていても、手がかじかむほどである。

 

 カラスの使い魔のフリをしているヤァータは、おれの外套の肩にちょこんと止まり、平然としていたが……。

 こいつはそもそも、規格外だからなあ。

 

「ひゃーっ、寒いですねえ、師匠!」

 

 そして、十五歳の弟子は元気いっぱいであった。

 素手で雪を握っては「ひゃっこーい」と笑い、新雪の一帯をみつけては無防備に足を踏み入れて、その下の泥沼に落ちかける。

 

 好き勝手にさせているのは、たいていの危険であれば彼女が独力で切り抜けられるからだ。

 いまも泥沼に落ちかけたとたん、浮遊の魔法で足ひとつ、ふたつぶん宙に浮き、「うわーっ、あっぶないですねえ!」とけらけらしている。

 

 帝国の町ならば、まわりの迷惑になるからやめさせるところだが……。

 この王都を囲む高い壁の内側は、昼間だというのにひどく閑散としていた。

 

 分厚い毛皮の防寒服を着て大通りを行き交う人の数は少なく、彼らの表情は暗い。

 情報通りといえば、情報通りである。

 

 まあ、そもそも。

 狙撃魔術師のおれが仕事でここにいる、という時点で、尋常ではない問題が持ち上がっているということなのだが……。

 

 馬車の御者から聞いた道を辿って、この町の狩猟ギルドに赴く。

 四階建ての家屋に囲まれた、みすぼらしい平屋の酒場が、それであった。

 

 十人も入ればいっぱいになりそうな店内には、ひとりも客がいない。

 カウンターで暇そうにしている髭面の中年男に話しかければ、男は不機嫌な顔で「おれがギルド長だ」と告げた。

 

 おれは自己紹介と共に、エドルのギルド長からの紹介状を渡す。

 羊皮紙の文字を眺めたあと、ギルド長を名乗った男は、おおきく目を見開いて、紹介状とおれを交互に眺めた。

 

「おまえが、魔弾の射手か」

 

 なんだ、それは。

 いや、おれの異名なのはわかるが、初めて聞いたぞ。

 

「おれの噂がどこでどう広まっているかは知らないが、その紙に書いてある通りだ。仕事をしに来た」

「赤竜退治の狙撃屋の話は、ギルド長の間じゃだいぶ有名だ。あんたが来てくれたなら、頼もしい」

「あれは国が総力をあげて支援してくれたからできた仕事だ。おれひとりで退治できるような相手じゃなかった」

「それなら、期待してくれていい。メラートの王家は、存亡をかけて死力を尽くすだろう」

 

 そうならいいんだがな、とおれは思ったが、口には出さなかった。

 狙撃魔術師が雇い主の不義理でひどい目にあう話は、枚挙にいとまがない。

 

「宿はこちらで用意しよう。王宮に渡りをつける。明日の朝には動けるよう、段取りを組む」

「早いな」

「ここに来るまで、通りをみただろ。例年じゃ、いまの時期にここまで冷え込まない」

「そう、だろうな」

「異変には、もう皆が気づいている。耳のいい商人は、我先にと逃げちまった」

 

 まあ、そんなものだろう。

 ほかの町、ほかの国でも生きていける者たちが、危機に際して真っ先に逃げる。

 

 逃げずに最後まで踏みとどまるのは、逃げるあてもない者たちだけだ。

 あとはまあ、自殺志願者とか、その地によほどの愛着がある者とか、逃げることを恥と信じるような者たちか。

 

 王家のような存在は、この最後の部類に当たる。

 貴族社会とは、まことに厄介なものなのだ。

 

 おれとしては、報酬が支払われるのであれば、それでいい。

 

「部屋はひとつでいいか?」

「ふた部屋だ」

 

 おれは後ろの弟子を振り返った。

 リラは、きょとんとして小首をかしげる。

 

「ひと部屋でいいですよ。馬車ではいっしょに寝たじゃないですか」

「仕事の前の段取りがある。邪魔をされたくない」

「えーっ、わたしは邪魔だってことですか!」

「そういっているんだ」

 

 少女は、頬をふくらませて抗議の意を示してくる。

 おれは無視して、もういちど、ふたつ部屋を頼んだ。

 

「わかった、わかった。あんたの流儀に従うさ」

「頼んだ。あと、このあたりの地図があれば、いまのうちに頼みたい」

「それも用意しよう。ほかにあるか?」

「充分だ。助かる」

 

 ギルド長はうなずき、「なんでもいってくれ。ちからになろう」と約束してくれた。

 

「なにせ、店はみての通りの状態だ」

「狩猟ギルドのギルド員には、緊急時の召集義務があるはずだが」

「その義務に従うような生真面目なやつは、最初の作戦でさっさと死んださ」

 

 男は、苦虫を噛み潰したような顔でそういった。

 

「雪魔神にな。残りは逃げた」

 

 

 

        ※※※

 

 

 あてがわれたのは、本来ならば貴族や金持ちの商人が泊まるような高級宿であった。

 寝室のほか、従者用の小部屋や応接室がある広い部屋に案内されたおれは、これならばリラと同室にするべきだったかと少し考え、首を横に振る。

 

 どのみち、弟子である彼女にも秘密にしたいことがあるのだ。

 ヤァータがおれの肩を離れてぱたぱたと飛び、白い布が敷かれたテーブルの上に降り立つ。

 

 かぁ、とひとつ鳴いたあと、我が相棒はくるりと振り向いた。

 

「ヤァータ、偵察の結果を教えてくれ。おまえの分身体は、すでに雪魔神を捕捉しているんだろう?」

「分身体ではなく子機(ドローン)です、ご主人さま。周囲が強く吹雪いているため、映像データは取得できませんでした。しかし熱量から判断するに、あなたがたが雪魔神と呼称する個体は、現在、北方の山の中腹で静止状態にあります」

「動いていないのか。眠っているのか?」

「熱量はゆっくりと増大中です。待機状態でエネルギーを蓄えていると思われます」

「魔力を充填しているのか。どれくらいで動き出す?」

「不明。データが不足しています。ですが周囲の吹雪も雪魔神が発生させている現象と考えるならば、あれがこの都市の北部に停滞しているだけで、ほどなく都市の正常な運営に致命的な支障が生じることでしょう」

 

 おれはため息をつく。

 まあ、そうか。

 

 おれも狙撃魔術師として長いが、雪魔神と戦ったことはいちどもない。

 そもそも、この魔物の記録はひどく少ないのだ。

 

「狩猟ギルドの記録上は、二十七年前と七十一年前に雪魔神が出現している。どちらも、討伐に際して多大な犠牲が出た」

「はい。ご主人さまに開示されたデータは少なく、討伐後に死体が残ったのかどうかも判別できません」

「外見すらわからないのは、狙撃する側にとっては大問題だ。せめて魔臓の位置だけでも特定できればな……」

 

 そこが、雪魔神という魔物の厄介なところであった。

 狩人は、吹雪で視界が遮られ、強風により動きも制限された状態で、姿もみえぬ魔物と戦うこととなる。

 

 メラートの騎士団は充分な寒中装備を調えて雪魔神が発生したと報告のあった雪山に挑み、壊滅した。

 狩猟ギルドの腕利きたちもこのとき同行し、やはりほぼ全滅の憂き目にあっている。

 

 これまでも何人かの狙撃魔術師が雪魔神に挑み、これまた失敗している。

 ここまで、およそ二十日ほど。

 

 王家は独力での対処を諦め、国外からとびきりの狙撃魔術師を呼ぶことを決断した。

 それが、このおれである。

 

「雪魔神と呼ばれる存在は、いったいなんなんだ。見当がつくか? そもそも、なんで今回、この国の山にあんなものが発生した」

「発生した、という表現は的確ではありません。あれは北方に棲息する、れっきとした生き物です。吹雪のなかに隠れているため、その生態までは解析できておりませんが、衛星からのデータによれば、およそ七百個体が北の大陸に棲息しています」

「七百体……。あんなものが、何百もいるのか。いや待て、北の大陸? 人類はまだそんなもの発見していないぞ。おまえがいうなら、そうなんだろうが」

 

 それにしても、あれが北の大陸に数多く棲息しているということは……。

 この王都のそばに出現したあれは、北の大陸からなんらかの方法で海を渡ってきた、ということだろうか。

 

 雪魔神の目撃数が少ない理由は、本来はこの大陸に棲息していない魔物であるから。

 北からたまたま流れ着いたのが、二十七年前と七十一年前であった、と……?

 

 あんなものがたくさん住んでいるとなると、人類未発見の北大陸は想像を絶する過酷な環境なのだろう。

 なにせ、たった一個体がこちら側まで彷徨い出てきただけで、国がひとつ傾いてしまうほどなのである。

 

「あなたであれば、討伐は充分可能です」

「吹雪という壁をとり除くことができれば、だな。でなければ解析することも、狙撃を試みることすらできない、と」

 

 ヤァータの解析には、このカラスの身体か、こいつが生み出す分身体(ドローン)か、あるいははるか天上にいるというヤァータの大型分身体が視認する必要があるらしい。

 雪魔神が常時まとっている吹雪によって、現状ではその解析が不可能である。

 

 解析によって相手の魔臓が判明しなければ、たったいちどきりの狙撃で相手を仕留めることは難しい。

 

「当該国が狙撃可能な状態まで持っていくことが、契約の条件でしたね。彼らが失敗しなければ、なんの問題もありません」

 

 他人に対する期待値が高いカラスだな、とおれは内心でため息をつく。

 ただでさえ、この国はすでに高い犠牲を払っているのだ。

 

 このうえ、騎士や貴族の生き残りの者たちが、吹雪を除去するためにどれほどの献身をするだろうか。

 いや、そもそも、吹雪の除去などという所業が可能なのだろうか。

 

「引き続き、分身の方で監視を頼む」

「承りました、ご主人さま」

 

 まあ、いい。

 おれは魔導ランプの明かりを消して、さっさと眠りにつくことにした。

 

 これ以上は、明日、打ち合わせの結果次第で考えればいいことである、と……。

 

 

        ※※※

 

 

 翌日、宿で朝食をとって狩猟ギルドに赴くと、そこにはすでに、王家からの使者が待っていた。

 いや、正確には使者ではなく……。

 

「久しぶりね、リラ。初めまして、魔弾の射手。高名なあなたを我が国にお迎えできて、たいへん嬉しく思います」

「せ、先輩? ジニー先輩ですよね!?」

「まわりにひとがいるときは、王女殿下と呼んでね」

「え、えええ!?」

 

 悪戯っぽく片目をつぶる、どうやら我が弟子の知り合いらしき人物がいた。

 銀髪赤眼で、黒いドレスに身を包んだ、十七、八とおぼしき若い女である。

 

 



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第9話 雪魔神(2)

 帝国の北方に位置する国、メラート。

 北におおきな山脈を抱えた小国である。

 

 寒冷な土地は痩せていて、食料の半分以上を輸入でまかなっている。

 それでも国が成り立っているのは、優秀な鉱山を多く確保しているおかげだ。

 

 ところが近年、特に主要輸出物である鉄と銅の産出量が減少の傾向にあるという。

 王家は、次の世代のための産業を振興するため、さまざまな事業に手をつけているとか。

 

 事業の音頭をとる者には、深い知識が必要だ。

 魔術師として優秀であれば、なおよろしい。

 

 魔法とは、森羅万象を探求する学問でもあるのだから。

 そのひとりとして白羽の矢を立てられたのが、メラートの歴代でも屈指の才女と謳われた、当時の第七王女である。

 

 物心つく前から魔法の才を発揮し、五歳のころから書庫に入り浸り、七歳にして大陸における教養の基礎たる六経典をそらんじるに至った人物だ。

 彼女は十二歳のとき、大陸の魔術師の府として名高い帝国の帝立学院に入学した。

 

 勉学に励み、魔法研究の最先端に触れ、教授たちも目を瞠る数々の論文を発表した。

 当時最短記録である五年で卒業し、自国に戻ってきた。

 

 それが、一年と少し前のことである。

 翌年、リラとかいう才気溢れる後輩が、過去の記録を塗り替えたったの三年で卒業していたりするわけだが……。

 

 で、この第七王女と、我が弟子たるリラ。

 両者には親交があったものの、後輩のリラは親しい先輩の素性を知らなかった。

 

 なぜならメラートの第七王女は、万一の場合を考えて、偽名で学院に通っていたからである。

 他国とはいえ王族という立場を隠しておいた方が、なにかと動きまわりやすいということもあっただろう。

 

 リラにジニーと呼ばれた彼女の本来の名は、ジルコニーラ。

 正妻の唯一の娘にして、現在は王位継承権第三位を持つ、メラートの至宝。

 

 ………。

 というようなことを、ジルコニーラ王女殿下自ら説明してくれた。

 

 狩猟ギルドの奥の部屋、特別な場合にだけ使われるという、防諜の結界が張られた特別応接室でふかふかのソファに腰を下ろしてのことである。

 おれとリラの対面に腰を下ろした王女殿下は、自らを「雪解けの清流のごとく澄んだ頭脳」とか「メラートの生んだ至高の存在」などと形容しつつ、前述のような解説をしてくれたのだった。

 

 ちなみにギルド長は、彼女をおれたちに押しつけて安心したのか、外で見張っている、といって部屋には入って来ていない。

 おれたちの他には、王女の護衛としてついてきたふたりの男性騎士が、両手を後ろに組んで、無表情で彼女の後ろに立っている。

 

 さて、王女の話がどこまで本当なのか……。

 ちらりと、横の弟子をみれば。

 

「本当に先輩だ……。こんなに陶酔した言葉で自分を形容しまくるひと、ほかにいないもん」

「そこが判別点なのか」

「そっくりさんでも、どんな魔法で化けても、こんなのごまかせないよ」

「それは、そうかもしれないな」

「そんなに褒めなくても結構ですよ。天が遣わした人類最高の神秘たるわたくしとて、ギリギリでヒトの範疇ではあるのですから」

 

 白磁のカップに優雅に口をつけつつ、ジルコニーラ殿下はそんなことをおっしゃる。

 ちなみに中身は、この地で採れた香草を使った、渋みの濃い茶である。

 

 おれとリラは少し口をつけたが、苦すぎてそれ以上飲むのを断念した。

 この渋茶、この国の新しい輸出産業のひとつの柱であるそうだが……。

 

 前途多難な国だなという感想である。

 

「とは申せど、わたくしが学院を出た翌年に、リラ、あなたが一気に課題を片づけて卒業したと聞いたときには、少し自信が揺らぎましたよ」

「あ、やっぱりそこは揺らぐんですね」

「ですがわたくしの卒業論文は七つの魔術院で最優となりました。あなたは五つ。この差がなければ、心を病むところでした」

「あはは……間違いなくジニー先輩だ。あ、いえ、王女……殿下?」

 

 リラが苦笑いしながら、頬をぽりぽり掻く。

 対する王女殿下は平然とした様子で、おれに視線を向けてきた。

 

「魔弾の射手殿。リラがあなたの弟子になったと聞き、驚きました。この子はよい弟子ですか?」

「できすぎた弟子ですよ。あと足りないものは、経験だけです」

「なるほど、わずかな間に。さすがですね、この子は」

 

 王女は、リラに微笑んでみせる。

 

「学院寮の地下で共に暗黒魔法の対抗呪文を学んだときも、彼女はわたくしより早くこれをマスターいたしました。ふたりで工芸魔法にひと工夫を加え、動く絵画の展覧会を開いて、既存の前衛芸術家たちを卒倒させたのも、いまとなってはよい思い出です。新しい印刷魔法で馬鹿と才人で別の文字が浮かび上がる本をつくり、図書館を慌てさせたこともありましたね……」

「なんとかと天才は紙一重、か」

「なにかおっしゃいましたか?」

「いえ、なにも」

 

 王女は、こほんとわざとらしい咳をした。

 

「さて、魔弾の射手殿。事情については、お招きの際に添付した資料でほぼすべてです。たいへん申し訳ないことに、雨上がりの蒼穹のように澄み渡ったこのわたくしの知性をもってしても、あの程度の資料しか作成できておりません。雪魔神という存在については、未だ判明していることの方が少ないのです」

「資料は拝見いたしました。実によくまとまっていたと思いますよ」

 

 乏しく曖昧な点の多い雪魔神についての情報のなかから丁寧に取捨選択され、注釈がついた資料。

 それに興味を惹かれ、依頼を受けたというのもある。

 

 無論、報酬も魅力的であったし、現在の帝国近辺で自分以外でこの雪魔神という魔物を退治できる狙撃魔術師がいるかとなると、なかなかに難しい問題といえるという事情もあるのだが……。

 人助けが最優先とか、困っている者を見捨てられないとかいうわけではない。

 

 ただ、あいつが生きていたなら、きっと「やってみようよ!」と元気に手を挙げていただろうとは思うのだ。

 あと重ねていうが、提示された金額もよかった。

 

 誠意とは金である。

 ことに、雇われの者にとっては。

 

「この連日続く吹雪も、雪魔神の仕業であると判断できます。離れた山中にいながら、この都にまで影響を及ぼしてくる、それがどれほどの魔力を要するのか、わたくしには想像することもできません。それほどの、ヒトとは隔絶したちからを持つ相手です。迂闊に兵を向けても無駄であると、王に進言いたしましたが……。残念ながら、わたくしのちからが及びませんでした」

 

 結果、貴重な兵と狩猟ギルド員、それに数少ないこの国の狙撃魔術師を失ってしまった、とのことだ。

 彼らを止められなかったことを、心の底から悔やんでいる様子であった。

 

「実際にひと当てしての情報は貴重です。先人の犠牲は無駄ではなかった、とわたしは考えます」

「気休めですが、そう思うことにしております」

 

 王女は、ため息をついた。

 ほんの少しだけ、疲れた顔をみせる。

 

 だが、すぐに朗らかに笑ってみせた。

 一瞬だけ剥がれた仮面を、ふたたびかぶってみせたのだ。

 

 多くの騎士を失い、狩猟ギルドも壊滅状態となり、残った民も不安と寒さに怯え、震えている。

 祖国の窮状に、ひどく心を痛めている。

 

 同時に、必要とあらば彼らを死地に送ることが為政者の務めだ。

 仮面をかぶり、己自身を鼓舞している。

 

 根は善良なのだろうな。

 リラが親しくしていた先輩、というだけはある。

 

 もっとも、これとて王女がおれに同情心を抱かせ懐柔するための手管のひとつかもしれない。

 貴族たちの交渉術には、なんども苦い思いをさせられてきた。

 

 彼らは交渉という武器で苛烈な上流階級の戦いを生き抜いてきた、その方面の専門家だ。

 リラも、親が貴族であるとはいえ、こいつ本人はそういった権力争いの場から早々に遠ざけられてきた。

 

 まあ……。

 いま、彼女を疑うことに意味はない。

 

 この国の王族は、人々は、おれのちからを切実に必要としている。

 目的のためなら、きっとなんでもするだろう。

 

 それを頼もしく思うべきだ。

 

 

        ※※※

 

 

 王女はテーブルに上質の羊皮紙を広げてみせる。

 この地と北の山脈の細かい道まで詳細に描かれた地図だ。

 

 本来、これほど詳しい地図は戦略資源である。

 それを国外の人物であるおれに惜しげもなく開示するあたりに、彼女の覚悟が窺えた。

 

 地図上に描かれた、とある山の中腹。

 そこに、赤い×印が記されている。

 

「雪魔神は、現在、この地点で停滞中と考えられます。停滞の理由は不明ですが、この場所から王都まで届くほどの激しい吹雪を発生させており、近づくこともままなりません。そもそもこの吹雪のせいで、我々は未だに雪魔神の姿を確認できていないのです。あるいは、記録上に存在する雪魔神とは別のなにかがあそこに居座っている可能性すらございます」

 

 昨夜、ヤァータが飛ばしたドローンからの報告で知っていたが、とりあえずうなずいておく。

 王女は話を続けた。

 

「そこで、まずは吹雪を払います」

「吹雪を……。どうやって、それを行うのですか?」

「王宮の地下の祈祷場で、十六人の魔術師が、昨夜より儀式魔法の詠唱を開始いたしました。儀式魔法の発動は、明後日の昼ごろになる予定です。この儀式魔法により吹雪を抑えている間が、我々に残された唯一の攻撃の機会となりましょう」

 

 なるほど、十六人がかりで、おおよそ三日をかけて詠唱する儀式魔法、か。

 そうして得た膨大な魔力をもって、吹雪を押さえ込む。

 

 この十六人は消耗し、しばらく使い物にならないだろう。

 雪魔神との戦いに参加するなど、もってのほかだ。

 

 貴重な魔術師を、ただ吹雪を払うためだけに使う。

 この小国が用意できる、ただいちどだけの秘策であった。

 

 おれがこの地に到着するまでに、ここまでの準備を調えていたってことか。

 上層部の仕事が速いのは、助かることだ。

 

「吹雪が停滞している間に目標の姿を視界に収め、解析を行います。可能であればあなたが狙撃、これを撃破します」

「おれはそれまでに、狙撃ポイントで魔力を溜めておかなければならない、というわけですね」

「はい。狙撃ポイントは、ここがよろしいでしょう」

 

 王女はペンをとり、隣の山の七合目あたりに黒い印を書き込む。

 それも、リサーチ済みか。

 

 実際のところ、ヤァータの偵察でもいくつか狙撃ポイントを割り出してある。

 そのうちの有力なひとつが、まさに王女が記したポイントであった。

 

「このポイントでは、すでに簡易な防壁を構築、最低限の物資を運び込んであります。ですが実際に狙撃を行うのはあなたですから、もちろんほかのポイントがよろしいということであれば……」

「いや、ここでいい。話が早くて助かる」

「結構です。準備が無駄にならなくて、なによりでした」

 

 王女は、にっこりとしてみせる。

 営業用の笑みだが、その目はいっこうに笑っていなかった。

 

 彼女は真剣に、最良を目指している。

 ならば、その期待に応えるのがプロの仕事というものだ。

 

「問題は、これから向かったとしても、二日の充填で雪魔神を倒せるかどうか、だな」

「過去の文献から雪魔神の魔力強度を割り出しました。こちらを」

 

 王女の合図で、騎士のひとりが新しい羊皮紙の束がとり出す。

 それが、おれに手渡された。

 

 おれは羊皮紙をぺらぺらとめくる。

 数式と図表の塊で、頭が痛くなりそうだ。

 

 横から、我が弟子がひょいと首を突っ込んでくる。

 ったく、行儀が悪いなあ。

 

「リラ、わかるのか?」

「んー、これくらいなら。師匠、充分にマージンはとられてるよ。このデータが正しければ、仕留められるはず。でも……」

「どうした」

 

 リラは、あれえ、と小首をかしげていた。

 いったいどうしたっていうんだ。

 

「過去の討伐データ、参加人数と被害がおおきすぎるよね、これ。ねえ、先輩」

「殿下、と」

「先輩殿下、これ、ここのところってどういうこと?」

 

 寛大な王女殿下は、おおきなため息をついた。

 

「過去二回、雪魔神は討伐されております。どちらも帝都の狩猟ギルド本部に詳細が残っておりましたが……。特に初回は、討伐方法が不明、死体も残されたようですが、記録には残らなかった、と。狩猟ギルドと討伐した国との間で、なんらかの問題が生じたのですね」

「えーっ、そんなことあるんだ。何年前?」

「七十年以上も前のことです」

「それは、しょうがないか……。じゃあ、二回目は?」

「二十七年前です。こちらはある程度、まともな記録が残っておりますが……。どうやら、数を頼みとした大規模な儀式魔法による爆撃により、死体どころか周辺一帯が灰燼と帰したようです。前衛を囮として、その前衛ごと焼き払ったとのこと。結果として、雪魔神とおぼしき存在の残骸すら回収できませんでした」

「うわっ、えっぐ」

 

 なるほど、そんなやり方であったから、おれが調べた限りじゃロクな資料が出てこなかった、ということか。

 しかしこの王女は、コネと金を惜しまず使って、狩猟ギルドの本部が隠していた資料を手に入れてみせた。

 

 このあたりは政治力の差だ。

 おれにはないものである。

 

 二十七年前の戦いに狙撃魔術師が参加していないのは、当時、狙撃魔術師の存在がまだほとんど知られていなかったからだろう。

 もし知られていたとしても、充分なデータがない状態では、はたしてどれだけの活躍が見込めたか。

 

「その国のひとに話を聞くことはできなかったの?」

「雪魔神の討伐後ほどなく、国が滅びています。くだんの戦いにより、おおきく衰退した様子です。我々としても、このような方法は採用できません」

「よかったぁ。あ、うん、先輩殿下ならそんな無茶はしないと思ってた! いたずらはするし大人の胃に穴を開けるのは得意だけど、ヒトをモノみたいに使うのは嫌いだもんね!」

「当然です。わたくしは夕焼けの空に輝く一番星のごとき時代の最先端を征く者、その矜持として、このような無体を看過できませんとも」

「だよねー、それでこそジニー先輩!」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 うんうんとうなずきあう、先輩と後輩。

 おれは、王女の背後に立つ騎士ふたりの顔をちらりとみた。

 

 大人の胃に穴を開けるのが得意な人物に仕えるというのは、どんな心持ちなのだろうか。

 なぜかふたりとも、おれと目を合わせたあと、そっと視線をそらした。

 

 うん、なんとなくこのひとたちに同情したくなってきたぞ。

 

 



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第10話 雪魔神(3)

「ええと、師匠。……自慢話、していい?」

「構わないぞ」

「あのね。わたし、学院の同級生とは全然、話が合わなかったの。特に勉強のこととか、どうしてこんな簡単なことがわからないんだろう、ってよく思ってた」

「まあ、おまえはそうだろうな」

「上級生も、あんまり変わらなかった。わたしが勉強を教えてあげたら、なんでか怒っちゃうから、もっと悪かったかもしれない」

「そいつらにもプライドがあったんだろう」

「いまなら、そういうのもわかるよ。でも当時は、不思議だったな。教授たちも、一部以外はそんな感じだった。絶対に間違ってる理論があるのに、間違いを指摘すると、顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくるの」

「年をとるほど、間違いを認められないもんだ」

「そう、なんだね。――ジニー先輩とは、初めて会ったときから、よく話が合ったんだ」

「そうか」

「だから、ふたりでチームをつくった。黎明の魔女団(ドーンオヴウィッチーズ)って、ジニー先輩が名前をつけた。最初は気に入ってたみたいだけど、だんだん恥ずかしくなって、卒業するころは封印してた」

「誰しも、若気の至りってのはあるさ」

「ふたりで、いろいろやったよ。いたずらも、実験も、大暴れも、いっぱい。敵もたくさんできたけど、味方もいっぱいいた。とっても楽しかった」

「聞かせてくれるか。殿下の弱点は少しでも知っておきたい」

「えーっ、そういう風に使われたくないなあ。でも教えてあげる。まずはね、麻薬商人の闇金庫をみつけたときなんだけど……」

 

 

        ※※※

 

 二日後。

 おれとリラは、雪を掘ってつくられた狙撃用の穴倉のなかで、共に己の魔力タンクに魔力を溜めながら、じっとそのときを待っていた。

 

 攻勢に転じる、そのタイミングを。

 王家が雇い入れた精鋭魔術師十六人が、総力をあげて詠唱する儀式魔法、それが発動する瞬間を。

 

 頭上を延々と吹き抜けている吹雪が止む、そのときを。

 雪魔神と呼ばれる存在が無防備になるタイミングを。

 

 いまは吹雪に遮られているものの、それさえ止めば雪魔神が居座る山の中腹が見下ろせるはずの、隣の山の七合目あたりから。

 この二日間、ずっと待ち続けていた。

 

「師匠」

「どうした、リラ」

「本当に、わたしが撃っていいの?」

 

 今回、弟子のリラが雪魔神を射貫く役目を果たすことになった。

 おれは万一の場合のサポートだ。

 

 ここしばらく、リラは狙撃の鍛錬を積んできた。

 おれは彼女に、狙撃魔術師としての長年の経験から得たさまざまな技術を惜しみなく提供したのである。

 

 彼女は狙撃魔術師の弟子としても優秀だった。

 乾いた土に水が染み込むように、またたく間に狙撃魔術師としての勘所を掴んでみせた。

 

 鹿や熊などの簡単な生き物が相手なら、なんども狙撃を成功させた。

 本当は、このあとも弱い獲物から順番にやらせてやりたかったのだが……。

 

 狙撃魔術師として生きるならば、いつかは大物を相手にする必要がある。

 それがいまだった、というだけのことだ。

 

 雪魔神は、その身を包む吹雪さえとっ払ってしまえば、狙撃の相手としては楽な方だと推測できた。

 七十一年前も二十七年前も、反撃の魔法弾こそ苛烈であれど、その動きが素早いという報告はない。

 

 そもそも魔力タンクに充分な魔力を込める技術が確立されたのが、およそ三十年前だ。

 ほぼ同時に、狙撃魔術師という職業が生まれた。

 

 雪魔神を狙撃魔術で相手にするのは、メラートのこの個体が初めてなのである。

 もっともメラートがおれの前に雇った狙撃魔術師たちは、雪魔神をとりまく吹雪ごと強引に撃ち貫こうとして失敗し、反撃で全滅したらしいが……。

 

 ジルコニーラ王女いわく。

 前任の指揮官は、狙撃魔術師というものをまったく理解していなかったとのこと。

 

 狙撃魔術師たちの方も、雪魔神を甘くみていたらしい。

 結果、彼らは吹雪のなかから飛んできた魔法弾の雨を浴びて斃れた。

 

 おれたちは、その轍は踏まない。

 儀式魔法によって視界を晴らしてもらい、万全の態勢で狙撃を敢行する。

 

 念のため、穴倉の周囲には、三重の結界発生装置が設置されている。

 いまの彼女は、狙撃の腕も申し分ない。

 

 へんに緊張したり、勇んだりしなければ。

 

「むぅ……ふぅ……」

 

 リラはしゃがみこみ、下を向いて、おおきく息を吸っては吐くことを繰り返している。

 汗の滴が、紅潮した少女の頬をしたたり落ちる。

 

「不安か」

「そりゃそうです!」

「天才なんだろ」

「勉強と実戦は違いますよ……。もし外したらと思うと、その」

「そのときはおれが仕留める。なんの問題もない。それとも、おれが信じられないか?」

「もちろん師匠は信じてます」

「なら、気楽にいけ。失敗するなら、いまだぞ」

「失敗しろってことですか?」

「それくらい、気楽にやれってことだ」

 

 リラは顔をあげた。

 晴れた日の澄んだ空を思わせる蒼い双眸で、おれを、まっすぐみつめてくる。

 

「はい、師匠っ」

 

 少女は、元気にうなずいた。

 

 

        ※※※

 

 

 遠くからでもよくみえる、虹色に輝く魔法弾が、山の麓の上空で爆発した。

 作戦開始の合図だ。

 

 ほどなくして、メラートの王都がある南方で、光が差す。

 南方で生じた青白い光の帯は、次第に広がりながらこちらに――正確には、おれたちの隣の山に迫り――。

 

 青白い光の帯が、吹雪の中心と衝突する。

 爆発的な輝きが、目を焼く。

 

 光が晴れたとき、あれほど強かった吹雪が完全に消滅していた。

 鈍色に覆われていた雲が晴れ、雪原を陽光が照らし出す。

 

 限りなく広がる白銀の斜面に、黒い染みのようなものが姿を現わしていた。

 間違いない、あれが――。

 

「雪魔神……」

 

 リラが呟き、己の長筒を構える。

 おれは彼女の肩に手を置いた。

 

「まだだ、先に王家がちょっかいをかける」

「はい」

 

 狙撃魔術師の鉄則は、「相手の意識の外から攻撃する」だ。

 今回の場合、吹雪を払ったことで、相手は攻撃者の存在を強く意識している。

 

 おそらく全方位を警戒しているはずだ。

 そんな状態でいちどきりの狙撃を敢行するのは、あまりにもリスクが高すぎる。

 

 目標の防御手段も定かではないのだ。

 なんらかの結界を展開するかもしれないし、雪のなかに身を隠すかもしれない。

 

 情報とは違い、素早く動いて逃げる可能性だってある。

 故に、王家の者が率いる騎士たちが先に攻撃を仕掛け、目標の意識をそちらに向けるのだ。

 

 非常に危険な任務だが、彼らも覚悟のうえである。

 なにより、討伐の名誉はすべて彼らが持っていくのだから……。

 

 はたして、二十人ほどの騎士が隣の山の斜面をかけ上がっていく様子がみてとれた。

 全員が自己強化の魔法を使い、狼のような速さで目標との距離を詰めている。

 

 その先頭には、ジルコニーラ王女の姿があった。

 ほかの者は金属の鎧を着て槍や剣を手にしているなか、彼女だけは学院の卒業生の証である赤いローブをまとい、白い杖を手にしているから、はっきりとわかる。

 

 魔法の才能は、それなりの確率で親から子へ受け継がれる。

 貴族は力を求め、積極的に優秀な魔法の血を集める。

 

 そして、騎士や貴族であり続けるために魔法の腕を磨くのだ。

 故に帝立学院を首席で卒業した王女ともなれば、その戦力は熟練の騎士を軽くしのいでも不思議ではない。

 

 それでも、これほど危険な囮任務で先頭に立つというのは、王家の、そして王女自身の並々ならぬ覚悟の顕われだろう。

 

 なんとしても国を守る。

 そのためにはどれほどの、誰の血を流すことも厭わないという、為政者の覚悟である。

 

「先輩……」

 

 リラは、唇をかたく引き結び、祈るような目で雪原を駆ける王女の姿をみつめている。

 彼女を先頭とする一団と、目標との距離がみるみる詰まる。

 

 目標。

 そう、ついに姿を現わした、雪魔神だ。

 

 どす黒い。

 純白の雪原に立つ、漆黒の甲殻に身を包んだその姿は、蜘蛛に似ていた。

 

 ただし、そのおおきさが尋常ではない。

 腹を雪の上にべったりとつけているいまの状態でも、その全高はヒトの五倍近くある。

 

 長く細い脚はぐねぐねと無数に折れ曲がり、十二……。

 いや十六本の、まるでタコの触腕のようなものが、雪の上を不気味にのたくっている。

 

 黒く太い首が胴体の中央より少し前から伸び、その頂点に蟻のように太い顎を持った顔がついていた。

 緑色に輝くふたつの複眼が周囲を見渡ししている。

 

 その異形の怪物に対して、先頭を走る赤いローブの女、つまりジルコニーラ王女が、杖を振るう。

 紅蓮の炎が王女の前方に五つ、同時に生み出された。

 

 五つの火球が、一斉に雪魔神に向けて飛ぶ。

 火球は雪魔神の胴体に衝突し、派手な爆発を起こした。

 

 爆風で生じた煙が晴れる。

 無傷で、黒い甲殻に焦げ跡ひとつついた様子がない大蜘蛛の化け物が、相変わらずそこに佇んでいた。

 

 雪魔神は、斜面の下から飛んできた攻撃によって、自身に近づく集団を認識する。

 先頭を走る王女に対して、触腕の一本を向けた。

 

 その先端が、六つに割れる。

 赤い花が咲いたようにみえた。

 

 薔薇のように赤い花弁に包まれていた、花でいえば雄しべや雌しべにあたる純白の突起が、細かく振動する。

 きぃぃん、というかん高い音が、別の山にいるおれたちの耳にも届く。

 

 振動する純白の突起が、膨らんだ。

 いや、白いエネルギーの塊がそこに生まれたのだ。

 

 一瞬ののち。

 そのエネルギーが解放される。

 

 純白の魔法弾が、ひと筋の細い線となって放たれた。

 その線に触れた雪が一瞬で蒸発し、連鎖的に爆発を起こす。

 

 白く細い線は一直線になって王女のもとへ向かい――。

 王女は杖を掲げ、その先端を中心として、傘状の青い結界を生み出す。

 

 白い魔法弾と青い結界が衝突した。

 魔法弾は四散し、その余波が周囲の雪を消滅させる。

 

 王女の結界は無事だった。

 しかし、王女はちからを使いすぎたのか、片膝をつく。

 

 怪我をした様子はないが、遅れていた騎士たちは、慌てて王女に駆け寄っていく。

 王女を中心として円陣が組まれた。

 

 一方、漆黒の大蜘蛛は、さらにもう二本、ゆっくりと触腕を持ち上げる。

 

 合計で三本の触腕が、先端の花弁を広げた。

 三本の白い魔法弾が放たれ、騎士たちと王女がそれを青い結界で迎え撃つ。

 

 魔法弾と結界が衝突し、おおきな爆発が起こる。

 

「リラ、王女からの遠隔会話(コール)は?」

「待って、いま……うん、遠隔会話(コール)が来た。探知の魔法(サーチ)が完了したって」

 

 王女たちの目的は陽動と、そして近距離から探知の魔法(サーチ)を行ない、雪魔神の魔臓の位置を探ることだ。

 探知の魔法(サーチ)はリラも使用できるが、近距離からの方が正確に、素早く対象の魔臓を探り当てることができる。

 

「胴体の中央、奥の方に魔臓があるみたい」

「照準は」

「いつでも」

 

 雪魔神の注意は、完全に王女たちの方に向いている。

 狙撃のチャンスだ。

 

 リラは長筒を構え、狙いをつける。

 引き金に手をかけて、おれの合図を待っている。

 

 さらに三本の触腕が持ちあがった。

 王女たちと騎士は、剣や杖を構えているが……その動きが鈍い。

 

 三本の触腕を相手に、死力を尽くしてしまったのだ。

 しかし雪魔神は、倍の六本でもって、三度目の魔法弾を放とうとしている。

 

 あれを防ぐことは絶望的だろう。

 六本の触腕の先端で、突起が輝きを放ち――。

 

「撃て!」

 

 おれは、命じる。

 リラが引き金を引いた。

 

 眩い白光が、ひと筋の糸のように伸びて、黒い蜘蛛の胴、その中心を射貫いた。

 

 



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第11話 雪魔神(4)完

 魔物は、魔臓と呼ばれる臓器を、一個体につきひとつだけ持っている。

 体内に魔力を循環させる器官だ。

 

 どれほどおおきな魔物であっても、魔臓を破壊されれば死に至る。

 巨大であればあるほど、身体を持ち上げるためだけに、あまつさえその巨体を維持するためだけに魔力を用いているのだ。

 

 魔力を生み出す魔臓を失ってしまえば、自重を支えることすらできず、己の重さで潰れてしまうのである。

 けっして代替の利かない器官、それが魔臓なのであった。

 

 現代。

 大型の魔物を退治するもっとも簡単で確実な方法は、狙撃魔術師の狙撃によって魔臓を破壊することである。

 

 故に、狙撃魔術師となった者がまず覚えるのは、魔臓の位置を見抜く方法だ。

 いまのおれの場合は、使い魔ということになっているヤァータがその役割を負っている。

 

 普通の狙撃魔術師は、探知の魔法(サーチ)を使用することで、魔力の流れから魔臓の位置を絞り込む。

 今回はジルコニーラ王女が充分に接近したうえで探知の魔法(サーチ)を用いて魔臓の位置を正確に割り出し、リラに伝えた。

 

 無論、リラ個人も探知の魔法(サーチ)を使える。

 おれが教えたわけではなく、彼女が学院で学んだ魔法である。

 

 上空を飛ぶヤァータからの報告でも、魔臓の位置は王女の判断と同様、雪魔神の胴体の中心部であった。

 リラは見事、そこを射貫いてみせた。

 

 文句のつけようがない狙撃であった。

 はたして、雪魔神の触手のように折れ曲がった腕が、雪の上に落ちてぐったりとなる。

 

 にもかかわらず……。

 

「えっ、嘘っ! なんで動いてるの!?」

 

 雪魔神は、こんどは後方の触腕を持ち上げ、花弁を開いた。

 白く輝く魔力が花弁の先端に収束し続ける。

 

「そんなっ! なんで!! あそこが魔臓じゃなかったってこと!? だって――」

 

 慌てるリラの肩を掴み、引きずり倒す。

 直後。

 

 雪魔神の花弁たちが、おれたちのいる狙撃用の穴倉の方に向きを変えた。

 複数の魔力弾が放たれる。

 

 その圧倒的な一撃は、穴倉の周囲にこの国の工作部隊が構築した三重の結界魔法が受け止めてみせる。

 前列の二枚の結界が、その発生装置もろとも粉々に砕け、三枚目がなんとか雪魔神の魔力弾を弾き返した。

 

 穴倉の結界は、ギリギリだが砲撃を耐え抜いた。

 万一のことを考えてくれたジルコニーラ王女に、いまは感謝だ。

 

「ね、ねえ、師匠、どうして……」

「落ち着け、リラ。おまえは上手くやった」

「じゃ、じゃあ、なんで!」

「魔臓が複数存在いたします」

 

 おれが左手の中指にはめた指輪から、ヤァータの落ち着いた声が響く。

 

「そんなこと、ありえない! 魔臓は一体の生物に、必ずひとつ! 例外はないんだよ!」

「そうだな、リラ。ヤァータ、詳しく話せ」

「あなたがたが雪魔神と呼ぶ存在は、三体の生物が共生した姿なのです」

 

 おれは高速で思考を巡らせた。

 共生。

 

 意味は、わかる。

 複数の生き物が、互いに支え合うことで生きているということだろう。

 

 だが、あのどうみても一体にしかみえない雪魔神が、実際は三体の生き物が合体した姿だった?

 そんなの、わかるわけがない。

 

「あの巨大な甲殻と円錐形の頭部を雪魔神αと命名、甲殻内部に本体を置き、前方に触腕八本を伸ばした個体をβと命名、同じく後方に触腕八本を伸ばした個体をγと命名します」

「でかい甲殻と、そこから突き出している触腕は、まったく別の生き物ってことか」

「はい。α個体は四肢が退化した棘皮生物の一種と推定。βとγは同種族の雌雄のつがいと推定され、甲殻の内部で安全に活動を行います。両個体のため、α個体が頑丈な防壁を提供しています。β個体、γ個体の共同作業によってα個体を最適の餌場に移動させ、必要に応じて外部に対して攻撃を行う様子です。あれがこの地点で停滞していた理由は、βとγの繁殖活動のためと推察できます。また……」

「よくわからん。やつの生態はどうでもいい。リラが撃ち貫いた魔臓は、どの個体だ」

「β個体、すなわち前方八本の触腕を有する個体です」

「つまり、前の八本は使用不能になったんだな。で、つがいを失ったγ個体が、後方八本で暴れている、と」

 

 さきほどから頑丈に設営された狙撃用の穴倉周辺に、幾本もの魔法弾が撃ち込まれている。

 幸いにして、あれから直撃弾はなかった。

 

 つがいをやられたことで、こちらの方をうまく視認できないのかもしれない。

 倒したのがβ個体とやらだったのは、幸いだったといえる。

 

 おれは自身の長筒を握りなおす。

 魔力タンクから繋がるケーブルに損傷がないことを確認する。

 

「心配するな、リラ。おれが、残りの魔臓を潰す。それで終わりだ」

「で、でも師匠。あいつの魔臓は、あとふたつもあるんだよ」

「後方八本を操っているγ個体の魔臓を潰せばいい。ヤァータの報告がたしかなら、α個体には自衛能力がない」

「わたしの報告は正確です」

「どっちの魔臓がγ個体かわからないよ!」

 

 ところがわかるんだ、これが。

 

「ヤァータ」

「磁気解析、完了いたしました。視覚を同調いたしますか」

「やってくれ」

 

 姿消しの魔法(こうがくめいさい)を使用して上空を舞うヤァータから得た情報が流れこんでくる。

 雪魔神の内部が透過され、その構造が手にとるようにみてとれた。

 

 いまなら、わかる。

 お互いの複雑にからみあい、いっけん不可分にみえるものの、α、β、γはそれぞれの個体が独立した一個の生き物であることが。

 

 そして、いくつかの器官は互いの体内に入り込み、魔力の融通までしていた。

 これでは、いずれβ個体の魔力も復活してしまう。

 

 そうなる前にカタをつけなければならない。

 ヤァータに対して、更なる情報を要求する。

 

 おれの頭のなかに、高速で文字や数列が流れこんでくる。

 意味のとれるものもあるが、その大半は、てんで理解できないものであった。

 

 情報の洪水に、低く呻く。

 鼻から、つう、と一筋、血が垂れ落ちた。

 

 がらくたのデータの山から、必要なものだけを掴みとる。

 データを組み合わせて、構築する。

 

 どこに長筒を向けるべきか。

 どのタイミングか。

 

 王女たちが、果敢に駆け出し、雪魔神との距離を詰めながら火球や矢を撃ち込んでいる。

 おれを信じて、援護してくれているのだ。

 

 おかげで、雪魔神は、遠くでおれが潜む穴倉と、近づいてくる目ざわりな蠅のごときモノたち、どちらを攻撃していいかわからなくなっていた。

 触腕が、戸惑うように揺れている。

 

 いまだ。

 おれは穴倉から半身を出して、長筒を構える。

 

 目標は、雪魔神の後部2/3、中央より少し下。

 狙いをつけて、引き金を引く。

 

 眩い白光が、放たれた。

 ひと筋の糸のように細い光が伸びていき――雪魔神の胴体に突き刺さる。

 

 

        ※※※

 

 

 結論からいえば、討伐は成った。

 多大な犠牲を払って。

 

 β個体とγ個体の魔臓を失った雪魔神は、α個体の魔臓から生み出した魔力をβ個体とγ個体に与え、砲撃を再開しようとした。

 それに対し、王女と騎士団は近接戦を敢行する。

 

 リラも、空を飛んで援護に向かった。

 おれは隣の山から、彼女たちが奮闘する様子を見守るしかなかった。

 

 戦いに出た騎士のうち半数が倒れ、残る者たちも大怪我を負う激闘の末、リラとジルコニーラ王女が甲殻の破損部より内部に突入、α個体の魔臓を至近距離からの攻撃魔法で破壊してみせた。

 彼女たちは、半死半生の状態で脱出。

 

 直後、雪魔神と呼ばれる魔物は、全身を脱力させ、倒れ伏す。

 巨大な重量の転倒に耐えきれず、雪崩が起きた。

 

 雪魔神の巨体は、深い雪の層に埋まってしまう。

 ヤァータの観察によれば生体反応は消失したとのことであるが、掘り起こすには雪解けを待つしかないだろう。

 

 幸いにして、生き残っていた者たちはからくも雪崩から逃げ延び……。

 かくして、メラートを襲った雪魔神の災禍は退けられた。

 

 

        ※※※

 

 

 数日後。

 王家が用意した、王宮の一角にある病棟にて。

 

 夕日のもと、医療魔術師による献身的な治療を受けた我が弟子リラが、白いシーツの敷かれた清潔なベッドで眠っている。

 穏やかな寝顔だった。

 

 おれはリラのそばの椅子に腰を下ろし、眠り続ける彼女をみつめていた。

 全身、ひどい怪我を負っていたのだが、主治魔法医によれば後遺症は残らないはずだ、とのことである。

 

「追い詰められたような表情をなさっているのですね」

 

 不意に、背後から声をかけられた。

 慌てて立ち上がり振り返ると、ジルコニーラ王女がひとりでそこに立っていた。

 

 彼女の方もそうとうな重傷だったはずだが、ぱっとみたところでは、その白い肌に傷ひとつない。

 とはいえさすがに憔悴した様子で、初めて会ったときの溌剌で才気煥発な女性という装いはみる影もなかった。

 

 なぜ、背後からおれの表情がわかったのだろう。

 訊ねても、まともな返事はこないような気がした。

 

「弟子のリラを、こうして王宮で手厚く治療してくださったこと、改めてお礼申し上げます」

「これは真の救国の英雄であるあなた方に対する敬意のひとつ、わざわざお礼をいただくようなことではございません」

 

 雪魔神を討伐したのは、ジルコニーラ王女とその部下たち。

 公式には、そういうこととなった。

 

 いつものことだ。

 狩猟ギルドに所属する狙撃魔術師など、しょせんは傭兵。

 

 名誉を捨てて金をとる、卑しい存在である。

 少なくとも、たいていの国はそう認識しているに違いない。

 

 だからこそ、未だに思ってしまうのだ。

 リラ、才気あふれるこの少女が、この道に入っていいものかどうか、と。

 

「おみごとな狙撃でありました、魔弾の射手殿」

「ですが結局、わたしと弟子のちからだけでは雪魔神を仕留められませんでした。仕留めるために、あなたの部下からも被害を出してしまいました」

「あれほどのイレギュラーであったのです。致し方ないこと。帝都の学院でも、あのような形態の生命について、仮定すら聞いたことがございません。これはあなたの落ち度ではない、あえて申し上げるなら、人類全体の知識が足りなかったということです」

 

 人類全体の知識が足りなかった。

 彼女の言葉は正鵠を射ているな、と心のなかで苦笑いする。

 

 なぜなら、ヤァータはそういった生き物のありかたに心当たりがある様子であったからだ。

 あの、おれの使い魔ということになっている存在は、はたしてどれだけ膨大な知識を蓄えているのだろう。

 

 そのヤァータですら、吹雪が晴れたあと、いくらかの時間をかけての探査を行わなくては、そのありようについて正確な解析はできなかった。

 甲殻の内部に魔臓が複数存在する、ということすら気づくことができなかった。

 

 おれたちの住む大陸とは別の場所から来た存在、雪魔神。

 これほどの未知に対処できたのは、ただおれたちが幸運だったからに過ぎない。

 

 次に似たようなことがあったら、そのときおれは……この少女を守り切れてるだろうか。

 また、おれは大切な者を失ってしまうのではないだろうか。

 

 ただ想像するだけで、ひどく背筋が冷たくなる。

 吹雪のただ中にいるかのように、この身に震えが走る。

 

「ひとつ、申し上げてよろしいでしょうか」

「殿下?」

「傲慢ですよ、魔弾の射手殿。ひとが己の手で守れるものなど、しょせんは伸ばした手の先まで。大切なのは、その者の気持ちと志です」

 

 おれはジルコニーラ王女をじっとみつめた。

 ひょっとしたら、睨んでいたかもしれない。

 

 不敬、と首を落とされても仕方がない所業だ。

 だが王女は、おれに対して優しく微笑んでみせた。

 

「本当は、この子に考えなおしてもらうよう、あなたを説得するつもりだったのです。この子の才は、朝日のごとく輝くわたくしほどではありませんが、それでも大陸の財産と申すべきもの。狙撃魔術師として使い潰されるべきではない、と……」

「正直、わたしはいまでもそう思っています」

「ですが、考えを改めました。いまならわかります。彼女には、彼女の気持ちと志がある。それは、わたくしが蔑ろにしていいものではありません」

 

 王女は、ため息をついて肩をすくめる。

 

「それに、ことの是非はともかく。狙撃魔術師があなたひとりでは、雪魔神の討伐は成し得ませんでした。あの子が狙撃を敢行し、そのあとわたくしに手を貸して、共に甲殻の内部に突入しなくては、討伐は難しかったでしょう」

 

 それは、その通りだろう。

 最後まで気が抜けない戦いで、王女たるこの人物ですら死力を尽くす必要があったのだから。

 

「なにも、魔弾の射手、あなたの弟子だからといって、あの子があなたと同じのような戦い方をする狙撃魔術師になる必要はないのではありませんか?」

「狙撃したあと、接近戦を挑むような狙撃魔術師にしろ、と?」

「よほどのことがなければ必要がありません。ですが、今回はそのよほどが起こった。ならば二度目がないとは限りません」

 

 そんなもの、邪道もいいところだ、とは思う。

 だがそもそも、狙撃魔術師が戦いに際して選り好みするような存在かといわれれば、けっしてそんなことはない。

 

 そもそも、たったの三十年前に生まれた職種である。

 伝統もなにも、あったものではない。

 

「わたくしは、この子の大成を、たいへん楽しみにしております」

 

 王女は、いいたいことだけをいって、部屋を出ていった。

 おれはそのあとも、じっと眠り続ける弟子を眺めていた。

 

 




エピソード完!

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第12話

前話の雪魔神の共生については、以前水族館でみたカイロウドウケツという深海生物を参考にしました。
気になった方がおりましたら、この名前でぐぐってみてください。



 おれの初めての弟子、リラにとって初めての本格的な狙撃魔術師としての仕事は、予想外の展開となった。

 リラの先輩たる王女ジルコニーラ、標的たる雪魔神の予想外の正体。

 

 なにより、三つも存在した魔臓。

 それでも、おれたちは無事に依頼を成し遂げた。

 

 おれとリラは城塞都市エドルに戻って来るころには、この第二の故郷ともいうべき土地も冬に呑み込まれていた。

 忍耐の季節だ。

 

 具体的には、森に雪が降り積もり、狩人たちがロクに仕事をすることもなく、だらだらと酒場に入り浸る。

 この時期の狩猟ギルドの一階は昼から毎日が満席で、ほかの酒場もたいそう賑わいをみせていた。

 

 充分なたくわえをもって冬ごもりに入るのが、一般的な狩人だ。

 もっとも全員がそうできるわけではない。

 

 それだけの腕がない者、秋までにサボっていた者、不慮の事故に遭った者……。

 たくわえが心もとない人々たちは、雪かきなどの日雇いの仕事を請け負って糊口をしのぐこととなる。

 

 無論、ひと仕事終えて懐も豊かなおれとリラは、悠々とギルドの一階の片隅で、朝から酒を呑んでいるのだった。

 今日もウェイトレスの少女、テリサの視線が冷たい。

 

「なるほど、なんでもできる系天才狙撃魔術女子ですか。ジニー先輩らしい発案ですね」

 

 ジルコニーラ王女と話した内容をリラにそれとなく伝えたところ……。

 学院を飛び級で卒業した少女は、薄めた果実酒をぐいと呑み干し、しみじみ呟く。

 

「さすが、先輩は固定観念に囚われていません」

「皮肉に感じたか?」

 

 リラは首を横に振った。

 

「先輩は本気でわたしのことを考えてくれてるんでしょうし、師匠だってそうでしょう? 穿った見方をしたら失礼です」

「とはいえ、思うところはある、と」

「そりゃあ、まあ……」

 

 我が弟子は浮かない顔でおかわりの果実酒を頼むと、魔法で水を出して、とぽとぽ陶器の杯に注ぐ。

 杯に手を当てて、しばし。

 

 杯から湯気が立ち上る。

 杯を温めて、お湯をつくったのだ。

 

「あっ、師匠もどうぞ」

「いや、おれは冷たい酒がいいんだ」

「もーっ、またそんなこといって。お腹壊しても知りませんよ」

「おまえはおれの母親か」

「えへへー、いい子でしゅねー」

 

 赤ら顔でおれの頭を撫でようとする馬鹿弟子の手を、さっと避ける。

 むーっ、と頬を膨らませる少女に、おれは呆れ顔をしてみせた。

 

「酔いすぎだ。無理におれにつきあうことはないんだぞ」

「酔ってませーん。それに、宿にいても暇ですから」

「今日は教練場も閉まってるしなあ」

 

 教練場、というのは酒場の裏手にあるちょっとした広場だ。

 雪が降り積もってしまったとかで、今日は雇われた金のない若手が数名、額に汗を流して雪かきをしているはずだった。

 

 あそこが開いてないと、ギルド員は訓練で暇を潰すこともできない。

 当たり前の話だが、町中でみだりに攻撃魔法をぶっぱなすのは犯罪である。

 

 そういうわけで、今日はいっそう、酒場に人が集まっているのであった。

 

「そういえば、師匠。わたしたちが留守の間に、森の奥の探索があったそうじゃないですか」

「らしいな。まあ、あんな特異種が出たあとだ。念のため、調べるのも当然だろう」

 

 今年の秋、城塞都市エドルのそばの森に、特異種のトロルが現れた。

 おそらくは竜とトロルの混血だ。

 

 トロルを生み出した竜が、森の奥の山脈に潜んでいるかもしれない。

 

 今回、領主が予算を出した。

 狩猟ギルドとしても、依頼が減るこの時期に大金が入るなら申し分ない。

 

 腕利き十人ほどで組織された探索隊は、山脈まで到達し、雪が降り積もる前になんとか帰還したとのことである。

 おれたちがこの町に戻ってくる、数日前のことだ。

 

 リラはテーブルの向こう側から身を乗り出して、おれに顔を近づけ、囁く。

 そこまでしなくても、探索の結果なんてこの酒場の者たちはだいたい知ってる気がするんだが……。

 

「黒竜、いるかもしれないんですって」

「やはりか」

「山の中腹で、酸で溶かされた木々の跡をみつけたそうです」

 

 黒竜は、口から強酸を吐く竜種だ。

 赤竜よりもひとまわり小柄だが、そのぶん素早く、頭がよくまわり、邪悪だといわれている。

 

 ヒトを見下しながらも、ヒトの団結を恐れ、ある程度以上におおきな町を襲うことは滅多にないという。

 逆に小規模な開拓地の村などを好んで襲うらしい。

 

 つまり弱い者をいじめるのが得意で、強い者からはとことん逃げるタイプってわけだな。

 最悪の性格である。

 

 黒竜は、本能的に罠を避ける、といわれている。

 あの特異種のトロルが狩猟者たちの待ち伏せを見破ったのも、ひょっとしたらその特性を親から引き継いでいたからなのかもしれない。

 

 黒竜についてのこのあたりの噂は、あのあと帝都からとり寄せた資料に記載されていたものである。

 当時はギルド長だって知らなかったことだ。

 

 次に戦うときは、もっと上手く戦えるだろうが……。

 特異種のトロルなど、大陸中でも目撃例が極めて少ないからなあ。

 

 先日の雪魔神もそうだが、狩人の獲物とされる存在は千差万別である。

 毎回、充分な情報が得られるとも限らない。

 

 おれの場合、ヤァータという使い魔のおかげで情報面でおおきな有利がある。

 それがあってさえ、先日はギリギリの戦いを強いられた。

 

 それが、国すら脅かす存在を狩る、ということである。

 黒竜もまた、そういった存在のひとつであろう。

 

 国を脅かすちからを持っていながらおおきな町に近づかない、臆病で狡猾な相手となれば、その厄介さはあるいは雪魔神や赤竜よりも上かもしれない。

 討伐するとなった場合の話ではあるが……。

 

「でもご領主さまは、黒竜の討伐には積極的じゃないそうです」

「そりゃ、そうだろうな。直接、自領が脅かされたわけじゃない。放っておけば山奥に籠もったきりかもしれないし、そのうち余所へ行くかもしれない。敵対する領地にでも行ってくれれば、苦労をまるまる押しつけられる」

「それはそうかもしれませんけど……」

「不満か? だが、攻めてくる獲物を待ち構えて狩るのと、こちらから相手の巣に挑むのとでは、危険の度合いも段違いなんだ」

「えーっと、守る方が有利ってやつですよね。兵法書とかにある」

「兵法書は知らないが、たぶんそういうやつだ」

 

 兵法書……あとでヤァータに聞いておこう、と心に誓う。

 ヤァータはどこで学んだのか、この大陸の書物をいろいろ知っているのだ。

 

「学院ではそういうのも習うのか?」

「選択制の講義のひとつですけどね。暇だからいろいろとりました」

「飛び級しておいて、なお暇だから、って……」

 

 恐るべきはこの少女の才能か。

 いや、おれとこいつの頭のデキにそれだけの差があることは、よくわかっていたことだ。

 

「師匠、また自分を卑下しようとしてませんか? わたしは本心で、学院の成績とかどうでもいいと思ってるんですよ」

「できる奴は、よくそういうんだ」

「あーっ、またいじけてる。ほらほら、呑みましょう、呑みましょう」

 

 焦った様子で杯を勧めてくる弟子。

 おれはやけになって、中のエールをあおる。

 

 ちくしょう、心がささくれ立つぜ……。

 あと、なんでかおかわりの杯を持ってくるテリサの目がいっそう冷たいぜ……。

 

 

        ※※※

 

 

 ひとしきり呑んでぐだぐだになったところで、おれはリラに、以前から気になっていたことを訊ねた。

 

「故郷では雪が降らないのか?」

「え? あ、はい。そうですね、こっちほど寒くなることなかったです」

「この前、雪でやたらとはしゃいでたから、ちょっと気になったんだ」

「そう、ですね。話には聞いたことがあったんですけど。だから、ずっと楽しみにしてました」

 

 このあたりも、冬はそこそこ雪が積もる。

 帝国は広いから、南部に暮らす民であれば雪をみたことがない者も多いとは聞く。

 

「そうなんです。子どものころから、ずっと――」

「なるほどな。そりゃ、はしゃぐか。悪かったな」

「いえ、とんでもないです。弟子のわたしが子どもみたいに騒いでいたら、師匠の見識が疑われますよね……」

 

 おまえは充分、子どもじゃないか――といいかけて。

 学院の卒業生にそれは、さすがに失礼か、と言葉を飲み込んだ。

 

 しかし、リラはおれの思考をどこまで読みとったのか、ジト目で睨んでくる。

 

「師匠が、失礼なこと考えてる気がします」

「師匠を疑うなんて、悪い弟子だな」

「ただの疑惑だったらよかったんですけど?」

 

 むう、これはおれの沽券に関わる問題だ。

 こめかみをトントンと叩いて、こほん、と咳払いする。

 

「師匠、ごまかすときの癖ですよね、それ」

「――そんなことはないぞ」

 

 鋭い。

 まるで何年もいっしょにいたみたいだ。

 

 それだけ彼女が、観察力に優れているってことか。

 おれは両手を軽く持ち上げて、降参のポーズをとった。

 

「わかった、わかった。ここは話を戻そうじゃないか」

「いいでしょう。師を立てるのも弟子の務めです」

「本当にそう思ってるか……? まあ、いい。きみの先輩がいっていた、狙撃魔術師としては独特なスタイル、実際のところ、どう思っている?」

「戦いの選択が広がるのは、だいじですよね。命の危険が迫っているときに、しのごのいってはいられませんし」

 

 思ったよりずっと、ものわかりがいいな。

 

「そりゃ、短期間で二度も危険な目に遭えば、実感しますよ。狩りは理屈通りにいかない。だから、手札はあればあるほどいい。じゃなきゃ、いざというときに、自分の命だけじゃない……大切なひとの命を守ることもできない」

「そこまでわかっているなら、おれからいうことはなにもないな」

「師匠が、身を張って教えてくれたことです。二回とも……ううん、あの悪魔に襲われたときを数えれば三度、わたしは師匠に助けられたんですから」

「最初のときはともかく、二回目は仕事だ。この間の件は、そもそも最初の一撃で仕留められないような相手を初陣に選んだおれのミスだ」

 

 雪魔神のとき、もし、おれひとりだったら。

 もっとじっくり観察して、ヤァータがすべてを丸裸にしてから攻撃を仕掛けただろう。

 

 それによって王女たちは壊滅したかもしれないし、ひょっとしたらあの王都にそうとうな被害が出たかもしれないが……。

 

 結果的に、あの国を救うことはできたに違いない。

 味方の犠牲を容認し、確実に獲物を仕留める。

 

 仕留められそうにないと思ったら、おとなしく身を退く。

 たとえ、それによって依頼が失敗したとしても。

 

 それによって、どれほど被害が広がっても。

 狙撃魔術師の仕事とは、そういうものだ。

 

 メラートでの仕事は、だから、できすぎだったのだ。

 あれを成功体験としては、後々に禍根を残すだろう。

 

 そのあたりも、おいおい説明しておかなければならないが……。

 まあ、こんな場所でいうことでもないだろう。

 

「ところで師匠、わたしお腹すいてきたので秤熊の串焼きを頼みますけど、師匠もなにか、どうです?」

「あー、じゃあ豆煮」

「もっとお肉食べましょうよーっ」

「おいおい、豆は畑の肉、っていわれてるらしいぞ」

「初めて聞きましたって、そんなの」

 

 いや、いってたのはヤァータなんだけどな。

 やっぱり誰も聞いたことないかー。

 

「脂っこい肉より、おれは豆と野菜の方がいい……」

「お肉食べた方が魔力がつくそうですよ? 学院で真面目に研究してたひとが筋肉ムキムキになってましたから、どこまで本当か知りませんけど」

「魔力は筋肉につかないんだよなあ」

「筋肉につくとしても、あんまりムキムキにはなりたくないですねえ。わたし、これでも乙女なので」

「でも肉は食べるのか」

「乙女は肉に恋しているのです。テリサちゃーん、注文お願いしまーす!」

 

 食欲の権化め。

 嬉々として串焼きを何本も頼んでいるリラをみて、ため息をつく。

 

 いやまあ、若いのだから胃袋にたらふく詰め込めばいいのだ。

 まだまだ成長期なんだろうし。

 

「師匠、師匠。今日はコッカトリスの腸詰めがあるそうですよ。珍味ですって、珍味」

「いいか、リラ。珍味っていうのは、特別おいしくもなければ、まあまずくもない、くらいの料理に対して使う表現なんだ」

「狙撃さん、商売の邪魔しないでくださいねー」

 

 テリサに怒られた。

 理不尽だ。

 

「いいじゃないですか。わたし、いちど珍味っていうの食べてみたかったんですよ。帝都って、あんまりへんなもの流れてこないですし」

「あー、そういうものか。じゃあ、食べてみればいいんじゃないか」

「師匠は食べたことあるんですか?」

 

 おれは首をかしげた。

 そういえば、ないかもしれない。

 

「じゃあじゃあ、いっしょに食べましょうよ!」

「まあ、そうだな。挑戦してみてもいいか」

「そういうことで、テリサちゃん、コッカトリスの腸詰めふたつ!」

「はーい、コッカトリスの腸詰めふたつ、入りまーす!」

 

 やれやれ、とおおきく息を吐く。

 自分ひとりだと、毎回、無難にいつも食べているものばかり頼んでしまうのだ。

 

 いつの間にか、食事に冒険など求めなくなってしまっていた。

 親しい者と料理を共にすることも、ほとんどなくなってしまった。

 

「たまには、いいか」

 

 わくわくしながら厨房を眺めているリラの横顔をみる。

 リラは、おれの視線に気づいたのかこちらに振り返ると、にっと笑顔をみせた。

 

「コッカトリス、楽しみですねえ、師匠」

「そうか。――ああ、そうだな」

 

 忘れていたことに、気づく。

 おれにも、まだこんな気持ちが残っていたことに気づく。

 

 胸の奥が少しだけ温かい。

 

 



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第13話

そういえばちゃんと説明してなかった気がする、おおざっぱな戦力比の話


 帝国は広大だが、中心の帝都から辺境の城塞都市エドルまで、きめ細かな交通網が行き届いている。

 ほかの国では、雪が降り積もると角鹿馬車などの特別な乗り物でもない限り、交通が途絶してしまうらしいが……。

 

 この帝国では、違う。

 こまめな街道の整備と、常備兵及び季節労働者による地道な雪かきによって、真冬においても中央との連絡が途切れることはない。

 

 このへんは冬で仕事がなくなる民の救済、雇用創出という側面もおおきいと以前、聞いたことがある。

 農村においても、収穫が終わったあと余裕のない貧困層の若者を中心として、この道路整備の仕事に志願してくる人々は毎年かなりの数に上るらしい。

 

 けっこうな重労働なのだけれど、それでも近隣の領主が主体となっているから、一定の賃金は保証される。

 踏み倒されるおそれがなく稼げる労働というのは、重要な条件なのだそうだ。

 

 辺境の領主としてみれば、交通網の整備は、緊急時の己の身の安全に関わってくる。

 具体的には、他国からのちょっかいとか、大規模な盗賊団の流入とか、はたまた餓えた魔物の出現とかであった。

 

 特に厄介なのが、魔物だ。

 一部の魔物は、衛兵隊では手に余る。

 

 場合によっては帝都の狩猟ギルドに応援を頼み、特別な狩りの人員を派遣してもらうこととなる。

 街道の安全は死活問題だ。

 

 そのしわ寄せがどこに寄っているかというと……。

 領主の寄子である騎士たちだ。

 

 

        ※※※

 

 

 冬の城塞都市エドル、酒場にて。

 数名の男たちが、荒れた様子で酒をあおっている。

 

 おれはひとり、少し離れた端の方のテーブルでちびちびと酒を呑んでいた。

 いつもの狩猟ギルドの酒場ではなく、町の中央にほど近い、少し相場がお高い酒場である。

 

 狩猟ギルドの酒場が満員だったのだ。

 弟子のリラは、真面目に教練場に通って、訓練にいそしんでいる。

 

 最近、彼女はどこに行くにもついて来たがる。

 今日はせっかくひとりなのだから、とほかの酒場に繰り出したのだが……。

 

 タイミングが悪かったようだ。

 口調も荒く、大声で職場の愚痴を垂れ流しながら悪酔いしている男たちは、どうやら周辺の村を預かる壮年の騎士と、その従者たちのようであった。

 

 彼らの話に耳を傾ければ、村の周辺にある街道の補修について領主に相談を持ちかけるためこのエドルに赴いたところ、先約が多く面会は数日後になってしまっているとのこと。

 くだらない陳情よりも、普段、身を粉にして働いている自分たちを優先するべきだ、まったくけしからん……。

 

 そんなことを、一行の代表であろう四十代後半の大男が大声で叫び、従者たちが追従している。

 いやまあ、気持ちはわかるよ、気持ちは……。

 

 でもなあ、ここの領主であるエドル伯さまがめちゃくちゃ真面目に執務をしている、というのはいろいろなところで聞いているしなあ。

 領主の妹であるメイテルさまもお忙しい方で、たまにお会いすると、目に濃いクマができていることが多い。

 

 エドルでは、先日のトロルの特異種を討伐する際も兵と報奨金を出し惜しみすることなく、きっちりと後詰めまで考えた差配をしていた。

 若いころはあちこちを旅したおれだが、この地の貴族はよくやっていると掛け値なしにいえる。

 

 あいつのこともあれど、おれがこのエドルに腰を落ち着けた理由のひとつは、この領主に対する信用である。

 世のなか、それができない領主がめちゃくちゃ多いのだ。

 

「だいたい、ご領主さまは我々のことをどう考えているのだ。特異種のトロルがどうの、黒竜がどうのと、あんなもの我らにひと声命じてくれれば、たちどころに剣の錆にしてくれよう!」

 

 いさましい代表の男の宣言に、そうだそうだと同意の声があがる。

 なんともはや、まあ、酔っ払いの戯言であるからなあ……。

 

 と、聞き流していたおれではあるが、酒場には聞き流せない生真面目な者もいたようだ。

 彼らの近くのテーブルにいた男たちのひとりが、ぼそりと呟く。

 

「呑気なもんだぜ。あれを実際にみてないから、そんなことがいえるんだ」

 

 私服ではあったが、体格とものごしから判断するに、たぶん衛兵隊の者たちなのだろう。

 彼だって特異種との戦いを実際にみたわけじゃないだろうが、特異種騒動の後始末には衛兵隊のほぼ全員が駆り出されたはずである。

 

 毎回、お仕事ごくろうさまです。

 おれは狙撃を一発やったら、それで終わりだからなあ。

 

 裏方で働いてくれているひとたちには、頭があがらない。

 わりと本気で、そう思っている。

 

 とはいえ騎士たちとしては、当然面白くないわけで……。

 

「おい。いま、なんていった?」

 

 席を立った騎士とその従者たちが、衛兵隊の者たちにからみはじめる。

 

 衛兵隊の方が身分としては下だが、彼らとてこの町の治安を預かる身、相手が騎士程度なら、という思いがあるのだろう。

 立ち上がり、売り言葉に買い言葉で次第に声がおおきくなる。

 

 共に四人ずつ、睨みあう。

 酒場のなかは、一触即発の雰囲気となった。

 

「だいたい、おれは前から気に入らなかったんだ。おまえら町のなかでぬくぬくとしているやつらは、村を守ることのたいへんさをてんでわかっちゃいない」

 

 騎士がそういえば、衛兵隊の面々も「なんでご領主さまが、即日で特異種の討伐に動いたと思っているんだ。あの化け物が付近の村を襲わないようにというご配慮だろう」と反論する。

 

「だからこそ、おれたち騎士を招集するべきだったんだ」

「そんな暇があるものか。それに、結局、決定打はご領主さまの狙撃魔術師だ」

「狙撃魔術師がなんだ。あんなやつら、こそこそ隠れておれたちを盾にすることしかできない臆病者だろう」

 

 そうだよ、臆病者だよ。

 だからあんたたちのことは、いつも尊敬しているよ。

 

 と考えながら、知らぬそぶりで陶器の杯を傾ける。

 それぞれに役割があって、皆が懸命に努力したからこそ、いまの平穏があるのだ。

 

 だからおれは、どちらかに肩入れしたくない。

 どうかこのまま、穏やかに酒を呑ませて欲しい。

 

 そう願っていたのだが……。

 酒場が開き、金髪碧眼の少女が元気よく入ってくる。

 

「ししょーっ! 今日の訓練はおしまいでーす! さあっ、気合入れて呑みましょーっ!」

 

 我が弟子、リラだった。

 天才となんとかは紙一重、という言葉があるらしい。

 

 ヤァータから聞いた話だ。

 あのときは腑に落ちなかったが、いまならよくわかる。

 

 モメていた八人の視線が、一斉にリラに降り注ぐ。

 だがリラは、ほへ、とした顔できょろきょろすると、おれをみつけてわーいと呑気に手を振った。

 

「ししょーっ! そこにいたんですねー!」

 

 おい馬鹿、おれはひっそりと酒を呑んでいるんだ。

 今日のおれは孤独を愛する男なんだ、近寄るんじゃねえ。

 

 という心の声なんぞこれっぽっちも聞こえてない我が弟子は、えへらと笑って、狭いテーブルの間をすり抜けてくる。

 

「あー」

 

 衛兵隊のひとりが、リラの顔をじっとみて、ぽんと手を叩く。

 

「あの子、特異種のトロルを仕留めた子か」

「は? あんなちんちくりんのガキが?」

 

 騎士が、顔をしかめる。

 けっ、と床に唾を吐く。

 

「やっぱり、たいしたことない特異種だったんじゃねえか」

「違うんだって、あの子は……」

「はっ! お笑い種だぜ。あんなガキが仕留められるような奴を相手に、おまえらは怖い怖いって怯えていたのかよ。っていうか、あんなガキの師匠なんてどうせぼんくらの豚野郎……」

「あっ」

 

 こちらに歩いてくるリラの脚が、ぴたりと止まる。

 少女は、ぎぎぎ、と騎士たちの方を向く。

 

 彼女の顔はおれの方からみえなかったけれど、衛兵隊の者たちが一斉に、ひっ、と押し殺した悲鳴をあげた。

 騎士の方は、いっそう馬鹿にしたような表情をしているが……。

 

「いま、なんていったの?」

 

 リラが、ゆっくりと騎士に近づいていく。

 衛兵隊の四人が、危機を察して素早く後退した。

 

 見事な危機察知能力である。

 おれは、リラの右手が小刻みに動いていることに気づいた。

 

「おい、馬鹿っ! ここで魔法なんて使ったら……」

 

 おれは慌てて立ち上がる。

 だが、遅かった。

 

 そういえば、彼女はどこぞの王女殿下とふたりで、なんかコンビユニットとして帝都でぶいぶいいわせていたらしいことをいまさらながらに思い出す。

 あれはつまり、それだけ喧嘩っ早かった、ということなのだろう。

 

 普段のひとなつっこい様子で忘れていたけれど。

 リラという少女は、弟子になると決めたら突っ走る、たとえ貴族が相手でもなんの躊躇もない、という直情径行極まれりな人物なのである。

 

「ねえ、いま師匠のこと馬鹿にした?」

「はっ、お嬢ちゃん、そいつはおれにいってるのかい? こっちじゃちやほやされているかもしれんが……」

「そう、ふーん」

 

 リラは騎士の前に立つ。

 背丈は、頭ひとつぶん以上、相手の方が高い。

 

 騎士の方はがっしりとした身体つきをしているのに対して、リラは華奢で、触れただけで折れてしまいそうにみえる。

 まあ、おれは彼女が身体中に魔力を張り巡らせているときの頑丈さを知っているし、そもそも魔術師をみためで判断している時点で二流、どころか三流なのだが……。

 

「よくみたら、あなたの方が豚みたいじゃない。お鼻がおおきいのは、いつもぶうぶう鳴いてるからなのかな?」

「はっ、おれは女だからって容赦はしないぜ」

「どう容赦しないの? やってみれば?」

「後悔するんじゃねえぞ!」

 

 騎士は、振り上げた拳をリラの頬に叩きこんだ。

 少女はしかし、軽く左手を持ちあげて、その拳を平手で防ぐ。

 

 騎士は、拳をあっさりと受け止められて、驚愕の表情になる。

 あの男もきっと戦場では相応の活躍をするのだろうが、しかし相手が悪い。

 

「一発、もらったから」

 

 反対側の右手が、青白く輝いた。

 

「一発、お返しするよ」

 

 

        ※※※

 

 

 原初の時代。

 まだ神がヒトと共に暮らしていたころ。

 

 神とヒトが交わり生まれた子らには、魔力が宿っていたという。

 これら魔力を持つヒトは、神人と名乗り、神の教えのもと、ヒトを導いた。

 

 やがて神は去り、神人たちは王と名乗って民を統治した。

 王政のはじまりである。

 

 王と民の交わりの結果、魔力を持った子が次々と生まれ、彼らは貴族と名乗って王の統治を手助けした。

 貴族たちは、ときに王の地位を奪い、ときに王から独立して自らが王を名乗り、その血を大陸各地に拡散させていく。

 

 いまでは、民のうち少なくない者が魔力を持つまでに至っている。

 騎士と呼ばれる者たちもまた、魔力の持ち主だ。

 

 騎士はたいていの場合、村ひとつを統治し、周辺の村を統括する領主に仕える。

 ひとたび戦が始まれば、従者数名と共に領主のもとにはせ参じ、身体強化の魔法を使い魔力のこもった刃を振るって、己と領主の敵を討ち滅ぼす。

 

 魔力を操る騎士たちは、戦場の主力だ。

 だがたいていの場合、純粋な魔力の量では貴族におおきく劣る。

 

 これは血の純度のせいであるとも、貴族たちが魔力を鍛える術を秘匿しているからであるともいわれているが……。

 実際のところ、魔力がある者はより高位の貴族となるから、というのが確からしい答えであるように思える。

 

 成り上がり、ということである。

 そのような例は、長い歴史を持つ帝国でも枚挙に暇がない。

 

 裏返せば、騎士としてある程度の年齢までいってしまったこの男の魔力は、たかが知れているということだ。

 無論、騎士の戦いとは魔力だけで決まるものではないのだが……。

 

 大人と子どもほどもちからの差がある相手であれば、どうだろうか。

 多少の技量の差など歯牙にもかけないほどの魔力差があるとすれば、どうだろうか。

 

 

        ※※※

 

 

 リラは光る右手を持ち上げ、あっけにとられる騎士の頬を軽く、ぱんっ、と張る。

 魔力が乏しい従者であれば、視認することもできなかったに違いない、それほどに素早い一撃だった。

 

 騎士の身体が、横に吹き飛んだ。

 酒場の壁に頭から突き刺さり、そのまま動かなくなる。

 

 酒場のあちこちで悲鳴があがった。

 

「だからいったのに……。この子、帝都の学院あがりって有名なんだから」

 

 衛兵隊の者たちが、一斉に額に手を当てる。

 そりゃまあ、普段は学院の卒業生の証である赤いローブをまとっているからなあ。

 

 今日は訓練のあとだからか、ローブがないけど。

 おれは仕方がない、と彼らの方に歩いていく。

 

「あー、いまのは弟子の不始末です。申し訳ありません」

「あ、あなたは……。あなたがこの子の……そうでしたか」

 

 さっきまでおれが座っていた場所は、彼らの位置からではよくみえなかったのだろう。

 そんな暗がりにいるおれを、外から入ってきて一発でみつけ出したリラの目がおかしい。

 

「ええと、はい、どうも? え、おれのことをご存じで?」

「我々、別邸の警護をしておりまして」

 

 あ、領主の妹であるメイテルさまの配下か。

 そりゃ、あのお屋敷になんどか呼ばれてるおれのことを知っていてもおかしくはない。

 

 そして、メイテルさまに招かれる謎の狩猟ギルド員と、そこの馬鹿弟子の師であるおれが頭のなかで繋がらなくても仕方がない。

 

「とりあえず、いまの場面、そっちの騎士が先に手を出した、ってことでいいですよね」

「ええ、もちろんです。我々が証人となります」

 

 騎士の連れがぎゃあぎゃあいってるが、それは無視して衛兵隊の者たちと二、三打ち合わせをする。

 やってしまったものは仕方がないので、あとはことを穏便に済ませるため、どう権力を利用するか、だ。

 

「そもそも、学院の卒業生は騎士位に準じる、と帝国法にもあります。身分でどうこうはいわせません」

「なるほど、ではそのようによろしくお願いいたします。おい、リラ」

「えーと、師匠。いまのって、駄目だった流れ?」

「駄目だった流れだ、といいたいが……」

 

 おれはため息をついた。

 

「おれの名誉を守ろうとしたんだろう? それは嬉しいよ」

「わーい」

「だが、ときと場合は考えろ」

「はーい……」

 

 子どものように喜んだあと、こんどは幼子のようにしょんぼりするリラ。

 そんな彼女をみて、おれはつい、笑ってしまった。

 

「別の店で呑み直そう。店主、詫び賃だ」

「はーいっ」

 

 壁の修理代を含め多めに金を置いて、酒場を出る。

 リラが、てけてけと嬉しそうについてきた。

 



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第14話

 冬のさなか、混み合った酒場の片隅で、常連の狩猟ギルド員と相席して呑んでいたときのことである。

 

「狙撃の旦那なら、黒竜を倒せるのか?」

 

 ひとりが、おれをみて、なにげない口調でそう訊ねてきた。

 

 その日、リラは不在であった。

 おれはギルドの酒場で、古株のギルド員が集まる一角に招かれ、彼らと杯を重ねていたのだ。

 

 話題は尽きなかった。

 次の春をどう迎えるか、新人たちの誰が有望なのか、どこの娼館の誰がいいか、ウェイトレスのテリサちゃんの成長具合はどうか(ここだけ小声になった)、隣国の様子はどうか、ご領主さまが体調を崩したらしい、ジェッドの妻はどこまで増えるのか、そして……。

 

 特異種のトロルのことも、話題となった。

 古参のギルド員ともなれば、公式には領主の配下がやったということになっていても、あのトロルに一撃を加えた狙撃魔術師が実はおれだということは薄々悟っている。

 

 そのうえで、彼らは聞いてきているのだ。

 特異種のトロルをつくり出した黒竜は、はたして討伐できるものなのか、と。

 

「狙撃が黒竜の鱗を貫けるかどうか、という話であれば、貫くことは可能だ」

 

 おれは慎重に言葉を選んで返事をした。

 卓につく四人の髭面の男たちを見渡す。

 

 誰もが押し黙っておれの話を聞いていた。

 雑談のついで、という様子ではあったが、彼らも本音では、喉から手が出るほどその情報を欲しているのだ。

 

 自分たちの生活の基盤を守る算段が、どれだけあるのかということを。

 もし黒竜という暴威が目の前に現れたとき、生き残る可能性がどれだけあるかということを。

 

「たしかに、おれは竜を討伐したことはある。ただしそれは、おれひとりのちからじゃない。国が、全力を挙げて支援してくれて、それでようやくというところだ。莫大な金貨を投資した罠を張ってもらった。竜の注意を引きつけて狙撃の前提を満たすためだけに、多くの者が命を使い捨てた。竜を屠るとは、そういうことだ」

「黒竜は狡猾だって話だな」

「罠を敏感に見破るって聞く」

「あのトロルも、おれたちの待ち伏せを見破った」

 

 壮年の男たちが、口々に語る。

 少なくとも、竜が無傷で勝つのは難しい相手だということは理解した様子だ。

 

「そもそも、黒竜がこの町を襲う可能性は低いんじゃないか。狡猾な奴なら、帝国を相手にすることの意味を理解しているだろう」

 

 おれはそういってみた。

 男たちのひとりが、皮肉に唇の端をつりあげる。

 

「いつも最悪の場合を考えていないやつが、この歳まで生き残っているものかよ」

 

 彼らは魔物という存在がいかに厄介か、身に染みて理解している。

 魔物を侮る者など、ひとりもいない。

 

 その狡猾さも、生き汚さも。

 ましてや相手は、生き物の頂点のひとつといわれる竜なのだ。

 

 故に、もっともだ、と皆でげらげら笑う。

 おれも苦笑いで同意を示した。

 

「とはいっても、偵察したやつらの結論は、山の麓までは、なんだろう?」

 

 活動の痕跡があったのは、山脈の向こう側だ。

 放っておけば、別の領土を襲う可能性が高い、と判断された。

 

 ならば自分たちから手を出して、逆鱗に触れることはない。

 狩猟ギルドとしての結論は、すでに出ている。

 

「それでも万一のことを考えるなら?」

 

 ひとりが、またおれに訊ねてきた。

 少し考えて返事をする。

 

「そうだな、まず、なんとかして動きを止める」

「それができりゃあ、苦労はねえだろう」

「黒竜は、ほかの竜ほどのちからはないらしい。そのぶん、身軽という話だ。地上に引きずり下ろすことができなければ、当てるものも当てられない」

 

 これは、ヤァータから聞いた話である。

 おれも少し気になったので、ヤァータの観測結果を訊ねてみたのだ。

 

 山脈の向こう側にいるという黒竜の存在は確認できなかったようだが、以前、別の場所で捕捉したという黒竜のデータが残っていたらしい。

 その個体と、秋のはじめに退治した赤竜と全高、体重、身体能力などを比較した結果である。

 

 もっともあの赤竜は、数千人の兵と数万人の民を殺し、その十倍の民に被害を与えたほどの、とびきりの災禍であった。

 

 赤竜を油断させるためだけに、かの国は町ひとつを生贄として差し出した。

 狙撃に絶対を求めるとなれば、そこまでする必要があるのだ。

 

「結論から申し上げますと、あなた単独での狙撃では、成功の可能性が限りなく低いと考えられます」

 

 それが、ヤァータの結論であった。

 おれとリラの二段構えでも、ほとんど確率が上がらないという。

 

 竜を斃すとは、そういうものなのだ。

 生き物としての格が、あまりにも違いすぎる。

 

「なら、時間を稼ぐ方法を考えた方がいいだろうな」

「帝都に応援を求めるわけか」

 

 おれの言葉に、熟練の狩人たちはすぐ反応を示した。

 自分にできること、できないこと、それらを熟知している彼らだからこそ、応援、という発想がただちに出てくる。

 

 見切りをつけて、潔く退く。

 それができなければ、彼らはここまで生き残って来られなかったに違いない。

 

 血気盛んな若者たちとのいちばんの差である。

 おれがこれからリラに教えなければいけない、本当の知見でもある。

 

「ここのご領主さまが帝国に仕えて高い上納金を払っているのも、いざというときのためだ」

「違いない。災禍を退けられない国に価値はない」

「無敵の帝国軍にお越しいただく、ってわけか」

 

 帝国が軍をあげて竜を追い詰めた記録は、いくつかある。

 もっとも、実際は帝都の狩猟ギルド本部と連係しての作戦であったらしいが……。

 

 結果として、いずれの場合においても竜の討伐に成功している。

 場合によっては他国に逃げた竜を追いかけて、もののついででその国を滅ぼしてまで。

 

 ここまでくると、面子の問題なのだ。

 帝国に喧嘩を売るとはどういうことか、とことんまで認知させる必要があるということである。

 

 そういった歴史的な経緯の末、帝国から竜は駆逐された、はずであった。

 先日の赤竜のように、ほかの小国にちょっかいをかける竜は存在すれど、彼らは賢明にも帝国には近寄らない。

 

 今回の黒竜は、どうなのだろうか。

 特異種のトロルを生み出し、それを放ったという程度では帝国軍が総力を挙げてくることはないと、たかをくくっているのはまちがいない。

 

 では、帝国辺境の山脈に潜んでいるのは?

 そこから時折、隣国に餌をとりにいくのは?

 

 黒竜としては、きっちりとそのへんの越えてはいけない線を見極めているつもりなのだろう。

 それがはたして、本当に帝国の思惑と合致しているかどうかは定かではない。

 

「まあ、いまのままなら帝国軍が出張るような事態にはならないだろう」

「なるほど、な。狙撃の旦那のいう通りかもしれん。ここらの近隣の国は、どこも帝国に及び腰だ」

 

 おれの言葉に対して、年長の狩人が言葉を引き継ぐ。

 

「どの国も国境問題なんて起こしたくはない。黒竜としては、安全な場所に引きこもっているつもりなんだろうさ」

「あの山脈はどこの国のものでもないが、あの山脈にどこかの軍が侵攻すれば帝国としても黙っちゃいられない、か」

「なら、おれたちがちょっかいをかけなければ大丈夫ってことか」

「また特異種がやってくるようなことがなければ、な……」

 

 一同が押し黙る。

 おれもエールが入った杯をあおった。

 

「二度目があれば、領主さまも帝都に応援を求めるだろう。黒竜としても、その危険は冒せまい」

 

 彼らの言葉は、そうであって欲しい、と願っているかのようだった。

 実際のところ、森に潜るのは彼ら狩人であり、特別な魔物の出没に際してまっさきに被害に遭うのも彼らなのであるから。

 

 結果的にエドルが脅威を退けることができたとしても、己が命を失ってしまっては、元も子もない。

 彼らのなかには家庭を持ち、子がまだ巣立っていない者もいるのだ。

 

「いずれにせよ、春になってからのことか」

 

 特異種のことなど、いちいち考えていても仕方がない。

 魔物はほかにもさまざまに存在するし、山脈に潜む脅威も黒竜だけではないだろう。

 

「それこそ、ある日突然、建国帝のような勇者さまが現れて黒竜を退治してくれるかもしれねぇしなあ」

 

 狩人たちは、己の不安を呑み込むように、杯を重ねた。

 おれも彼らに習い、臨時雇いのウェイトレスにおかわりを頼む。

 

 

        ※※※

 

 

 翌日のこと。

 少し用事があったため、夕方になって初めて、リラとふたりで狩猟ギルドの酒場に足を踏み入れた。

 

 酒場は、いつになく異様なざわつきを示していた。

 聞けば、勇者を名乗る銀の鎧をまとった男が現れ、黒竜についての情報を聞いて出ていったのだという。

 

「黒竜を討伐する、っていってたぜ。グリットガラード、って名乗っていた」

 

 若いギルド員の言葉に、リラが反応を示す。

 

「知っているのか」

「うん、師匠。グリットガラードさまは、帝都で有名な放浪騎士だよ。岩巨人の討伐を吟遊詩人が詩にして、それが帝都中に広まったんだ」

「なるほど、魔物狩りか」

 

 放浪騎士とは、領地を持たない自称騎士のことだ。

 だいたい傭兵と同じであるが、金よりも名誉を求める点に違いがある。

 

 まあ、己の名を高めればどこかの貴族に雇われて、後々、領地を持てる可能性があるしな。

 たいていの放浪騎士は貴族の三男坊以降の生まれで、剣の腕だけでなく、身体強化魔法を行使するのに充分な魔力を持っている。

 

 そして放浪騎士の一部は、魔物狩りを専門としている。

 昔はずいぶんな数の放浪騎士がいて、ひとたび人類の天敵が出現すれば、己の命も顧みずにこれの討伐に赴いたという。

 

 狩猟ギルドには所属せず、ただ人々のために力を尽くす。

 彼らのことを魔物狩りと呼び、人々は敬意と畏怖をもって接した。

 

 いまから何十年も前のことである。

 

 現在?

 そういう役目は、だいたい狙撃魔術師にとってかわられてしまったよ?

 

「そのなんとかさまは、ひとりで黒竜を退治する気なのか……?」

「そうなんじゃないか。高名な魔弾の射手にとられる前に、われこそはー、とか叫んでいたぜ」

「その魔弾の射手とかいうやつ、別に黒竜退治に出向く気はないんじゃないかな……?」

 

 というか依頼もないのにわざわざ危険な魔物の相手をするものかよ。

 そのとき酒場にいたギルド員たちは、皆、他人事で「賞金も出ない魔物を狩ってもなあ」と話している。

 

 一般的な狩猟ギルドの人々の反応など、こんなものだ。

 いやまあ、本当に黒竜を退治できれば、その貯め込んだ財宝や竜の鱗などの素材だけで、一生を遊んで暮らせるくらいの金が手に入るとは思うが……。

 

「グリットガラードってやつ、まだ町にいるのか?」

「情報だけギルド長に聞いたら、五人くらいの仲間といっしょに出ていったぜ」

 

 なるほど、せっかちな奴だな……。

 いや、別に顔を合わせたくもないからいいけども。

 

「そいつらが黒竜を退治してくれれば、ひとつ心配事も減るんだがね」

 

 古参のひとりが、たいして興味もなさそうに、そう呟く。

 まあ、期待はせずに吉報を待つとしようか……。

 

 

        ※※※

 

 

 十日ほど後。

 グリットガラードの仲間のひとりが帰還した。

 

 狩猟ギルドに赴いた彼は、酒場の戸口に立ち、けたけたと大声で笑いながら告げた。

 

「愚かな下等生物どもよ。我が安寧を妨げた罪、万死に値する」

 

 最後の言葉をいい終えた瞬間、男の肉体ははじけ飛び、粉々の肉片となってギルドの床と壁を汚した。

 

「呪いだよ。とっても強力な呪い」

 

 おれと共にその光景をみていたリラは、結界を張ってテーブルを飛び散る肉片から守ったあと、低い声でそう呟いた。

 

 



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第15話 黒竜の呪いと流行り病1

 魔法は、ヒトだけが持つちからではない。

 魔力を持ち、適切な手段で学ぶことができれば、理論上はどんな種族でも魔法を行使することが可能である。

 

 竜が魔法を使うことは、吟遊詩人の語る英雄物語でも有名であり、これはおおむね事実だ。

 もっとも闘争においては、彼らのその強靭な肉体を武器にした方がよほど有利であるし、口から吐きだす炎や酸はたいていの敵対者を消し飛ばすには充分であった。

 

 竜が使う魔法の大半は、主に戦い以外で用いられる。

 たとえば喉の渇きを覚えたときに水を生み出したり、巣穴をつくるため壁に穴を掘ったり、矮小な生き物と会話するため頭のなかに声を送り届けたり、といった魔法だけでも日々の生活を快適にするのだ。

 

 ヤァータは「生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)ですね。大切な概念です」と語っていた。

 わかっているなら、日々あいつの戯言を聞くおれの生活の質についても少しは考慮して欲しい。

 

 閑話休題。

 

 魔法の習得は、リラのような一部の特別な才能の持ち主を除いては、たいへんな困難を伴うものだ。

 だからこそ帝国は各地に学院をつくり、その過程を技術として体系化し、魔術師の増加を国として奨励してきた。

 

 それでも、充分な数の魔術師を輩出しているとはいえない。

 おれのように才能を見限られて放り出される者は数多い。

 

 才無き者にとっては、ひとつの魔法を習得するだけで数年を要することもまれではないのだ。

 しかしそれは、数十年という限られた時を生きるヒトにとっての感覚である。

 

 竜にとっては、違う。

 たとえ魔法ひとつの習得に数年を要したとしても、それは以後の長い生を考えれば充分、割に合う。

 

 竜の寿命は、数百年とも数千年ともいわれているのだから。

 無論、すべての竜が好んでそのような苦労を背負いこむとは限らないし、個体によっては魔法が不得手であることもあるだろうが……。

 

 それは、ヒトとて同じである。

 故に、狩猟ギルドの辞典にはこう記されている。

 

 竜は魔法を使う、よくよく注意するべし、と。

 実際のところ、注意したところで対処できるかというと、それはまた別の問題なのであるが……。

 

 

        ※※※

 

 

 グリットガラードという放浪騎士が黒竜に挑み、あえなく玉砕した。

 この人物と共に挑んだ仲間のうちのひとりは伝令役として最寄りの町、すなわちおれが住む城塞都市エドルに返された。

 その人物は、黒竜とおぼしき存在の伝言を狩猟ギルドの面々に告げたあと……。

 

 爆発四散した。

 文字通り、内側から弾け、血と肉と臓物をギルドの酒場にまき散らしたのだ。

 

 我が弟子リラは、それが強力な呪いによるものであると看破した。

 おそらくは、黒竜のかけた呪いである。

 

 呪い、とはなにか。

 魔法の一種で、対象に条件付けを施して操作するもの、と学院では規定されている。

 

 このあたりについて詳しいことを、おれは知らない。

 呪いの研究は、帝国における禁忌のひとつであるからだ。

 

 百年以上前の皇帝が呪い殺されたから、というのがその理由のひとつであるらしい。

 学院の一部では、対抗魔法の研究のため、いまも呪いの研究が細々と続けられているらしいが……。

 

 その成果が一般に流布されることはないだろう。

 ちなみにリラは、呪いについて基礎的なところだけ講義を受けたという。

 

「だいたい理屈はわかったから、自分で応用してみようと思えばできると思う」

 

 と頭のおかしいことを語っていた。

 こいつの無意識の天才性マウントはいつものことなので、あまり気にしないでおく。

 

 ヒトが内部から爆発する凄惨なありさまと酒場にたちこめる臭気に屈強な狩人たちも揃って顔を蒼ざめさせるなか……。

 彼女はひとり、飛び散った肉片のひとつを手にとり、じっと眺めて「すごいね」と呟いた。

 

「なにが、すごいんだ?」

「術式。学院の上澄みたちが総出でやっても、十年や二十年の研鑽じゃ届かない、洗練された領域。よっぽど呪いに詳しい変わり者だよ。独力で開発するなら、いったい何千年かかるか……」

「これをやったのが、竜じゃないと?」

 

 リラは首を横に振った。

 

「魔力の残り香だけじゃ、種族まではわからないよ」

 

 いまさらになって、ギルド長の娘のテリサが、かん高い悲鳴をあげ床に倒れた。

 続いて、臨時雇いの少女たちが次々と悲鳴をあげる。

 

 

        ※※※

 

 

 清掃のため、数日、酒場は閉鎖となった。

 冬の寒空に放り出されたおれたち狩猟ギルド員は、別々の酒場に散る。

 

 彼らを通して、グリットガラードの悲惨な末路は、たちまち町中で話題となった。

 リラは、少し調べたいことがある、といい残して、毎日朝から宿を出ていった。

 

 そして、おれは……。

 今日も、宿でひとり、使い魔ということになっているカラスのヤァータと話をする。

 

「呪いとは、魔力を用いたウイルスですね」

「ウイルスとはなんだ?」

「目にはみえないほどちいさな感染性の構造体です」

「生き物なのか?」

「いえ、生物とはみなされません。そもそも生物の定義とは……」

「小難しい話はいい。それで、そのウイルスというのはどう防げばいい?」

 

 呪いの魔法を防ぐ方法は、ある程度、一般にも公開されている。

 帝都まで赴けば、呪い除けの魔道具、と謳われるものがいくつも売られている。

 

 とはいえ、それらが本当に役に立った、という話は聞いたことがない。

 そもそも呪いをかけられた、という者たちが本当に呪われていたのか、というのも定かではないのだ。

 

 帝国以外のたいていの国でも、呪いの研究は禁じられている。

 ほとんどの者は、たとえ魔術師であっても、なにが呪いかを判別することなどできないのである。

 

「ウイルスは体内の細胞の情報を書き換え、乗っとって自己増殖します。対策は情報の書き換えを阻止する方法がひとつ、書き換えられた情報をもういちど、もとに戻す方法がもうひとつです。呪いの魔法と称される爆発した男の細胞を確保し、解析しました。抗体を作成し、さきほどご主人さまの身体に注入しました」

「対策済みか。いや、注入した? 聞いてないんだが?」

「いま報告いたしました。毎年、ご主人さまが流行する病にかかりにくくなるよう、随時体内のナノマシンで対応しています」

「それも許可してないんだが? いや、助かる話ではあるが……」

「使い魔として、ご主人さまをお守りする権限の範囲内と認識しております」

 

 勝手に認識しないで欲しい。

 やはりこの使い魔もどき、好き勝手させるとロクなことをしない。

 

「魔法について、わたしの持つデータベースはこの星に来てからのものだけです。対策が限定的になることをお許しください」

「おまえは神ではないし、おまえが万能だなんてことも、はなから思っちゃいない。期待以上ではあるよ」

「引き続き、呪いという魔法について分析を進めます」

 

 呪いについて、おれができることはこれですべてだ。

 相変わらずのひと任せだが……。

 

 そもそも、他人がお膳立てしてくれなければなにもできないのが狙撃魔術師だ。

 なにもかもを手に入れようなんざ、はなから思っちゃいない。

 

 うちの弟子?

 天才と凡才を比べるのはやめようか。

 

 

        ※※※

 

 

 町中で奇妙な病が流行り始めた。

 ひどい高熱が出る病で、だいたいふたりにひとりが死に至る。

 

 身体が弱い者ほど症状が重く、特に乳幼児の死亡率が高い。

 同じ軒で暮らす者に高い確率で伝染するらしい。

 

 もとより、冬は民が家に閉じこもりがちだ。

 場合によっては、一家の誰も出てこないことにまわりが気づかず、強引に鍵をこじあけてみたら全滅していた、などということもあったとか。

 

 この病の厄介なところは、医療魔法の効果が薄いことであった。

 具体的には一時的に熱を下げることはできるのだが、病そのものにはなんの効果もないようなのである。

 

 とある酒場で常連が一斉に感染し、その家族も倒れたという話があった。

 噂はたちまち広がり、町の酒場はすっかり寂れてしまった。

 

 狩猟ギルドの酒場も営業を再開したというが、ギルド員たちはさっぱり集まらないという。

 まあ、無理もない。

 

 誰だって死にたくはないし、家族がある者なら、家族が苦しむさまをみたくはないと考えて当然である。

 屈強な狩人だって、勇敢な衛兵だって、もちろん騎士や貴族だったとしても、病を前にしては等しく無力だ。

 

 弟子のリラも、ギルドに姿をみせない。

 あいつに限って、病にかかっちゃいないだろうが……。

 

 いや、優秀な魔術師だって、病にはかかるのか?

 あとで様子をみにいくか。

 

「うちとしては、踏んだり蹴ったりですよ」

 

 おれ以外客のいない酒場を見渡し、ウェイトレスの少女、テリサちゃんが嘆く。

 

「黒竜の呪いに、流行り病。本来なら、毎日お客さんでいっぱいになって、銀貨がっぽがっぽだったはずなんですよ。このままじゃお酒はともかく、たっぷり仕入れた食材が腐っちゃいます」

 

 がっぽがっぽ、のところで両手をわきわきさせ、顔を歪めて笑うテリサちゃん十二歳。

 少年たちの淡い恋心が粉砕されそうである。

 

「いいんです。わたしの恋人はこの銀貨と金貨だけですから。あと宝石も」

「恋の対象が多いな」

「可憐な乙女ですから」

 

 金貨を撫でてため息をつく可憐な乙女よ。

 まあ、可憐な乙女の部分にツッコミを入れると二階のギルド長が怒鳴り込んできそうだからそこはぐっと我慢するとして……。

 

「いっそ、店を閉めちまえばどうだ」

「父はそういってるんですけどね。いちおう、ここで教練場の受付もしてますし、閉めるとそれはそれでギルドのひとたちが困るかなって」

「そうか、偉いな」

「はい、偉いんですよ。狙撃さんも、わたしのことをもっともっと褒めていいんですから」

「偉い偉い、とても偉いぞー」

「褒め方が適当です。もっと想いを込めて! お腹にちからを入れて! 気合い!」

「わあ、ばんざーい、テリサちゃんばんざーい!」

 

 両手をあげて万歳をしていると、上から不機嫌な顔のギルド長が下りてきて、おれとテリサを交互にみた。

 ひどく気まずい。

 

「なんだ……テリサ、あんまり狙撃のやつをおまえの趣味につき合わせるな」

「なんですか、お父さん。まるでわたしが狙撃さんに万歳を強要したみたいな」

「みたい、じゃないだろ」

 

 おれとギルド長が、ほぼ同時にツッコミを入れる。

 テリサは、酸っぱいものを食べたかのように口をすぼめた。

 

「暇なのはわかるがなあ。っていうか狙撃の、おまえさんはこんなところに来ていていいのか」

「いや、別に……おれは暇だぞ」

「そうじゃなくて、だな。流行り病が怖くないのか?」

「死んだらそのときは、それまでだったってことだよ」

 

 さすがにここで、ヤァータがいるから大丈夫、と発言するわけにはいかない。

 そもそも、ヤァータがおれの身体を守ってくれている、というのもどこまで本当かはわかったものではないのだが。

 

「この病も黒竜の呪いじゃないか、って話もあるな」

「なんでもかんでも黒竜のせい、ねえ」

「タイミングが良すぎる」

 

 たしかにタイミングは一致している。

 だが肉片を解析したヤァータによれば、あの呪いには他者に侵食するようなちからはないとのことである。

 

「だったら、まっさきにこのギルドのひとたちが病に倒れるんじゃないか。飛び散った肉の欠片や血を浴びた人も多いだろう」

 

 テリサがあのときのことを思い出したのか、少し顔をしかめた。

 その程度で済むのだから、この子もだいぶタフだなと思う。

 

「たしかに、おれやテリサは無事だな……」

「黒竜からすれば、狩猟ギルドの長なんて、まっさきに呪い殺したい相手だと思うぞ」

「くそっ、反論できねえ」

 

 ふっ、この議論はおれの勝ちのようだな。

 勝者に対して、なぜかテリサちゃんの目が冷たいが。

 

「狙撃さんは、わたしが呪い殺されてもいいって思ってるんですか?」

「あー、いまのはそういう話じゃねえよ。無事なことには別の理由がある、って話だ」

「ふーん」

「あっ、こいつ、ひとの話を聞く気がないな」

「陰鬱な話なんて聞きたくないです。もっと明るい話をしてください」

 

 おれとギルド長は顔をみあわせ、同時にため息をついた。

 

「あーっ! いまふたりとも『面倒くさい』と思いましたね!? ちょっと、そっぽ向かないでくださーいっ!」

 

 



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第16話 黒竜の呪いと流行り病2

 森に雪が分厚く降り積もり、街道の行き来が極めて少なくなった現在。

 城塞都市エドルでは疫病が蔓延していた。

 

 これは黒竜の呪いである、という噂も広がっているという。

 念のため、ヤァータに調査をしてもらった。

 

 具体的には病人や病気で死んだ者の身体の一部を失敬して解析させたのだ。

 本当に呪いが存在するのか、ただの病だとして、どう対策すればいいのか。

 

 結果、「呪いかどうかは判別できませんでしたが、病気の源であろうと推察できるウイルスの存在は確認いたしました。治療薬を生成することが可能です」という返事が得られた。

 さて問題は、この情報をどうするか、だが……。

 

 これを市場に流すことは論外だ。

 おれの使い魔ということになっている、天からきたよくわからない存在のことがバレると、いろいろと面倒なことになる。

 

 姿をくらましてこれまでのすべてを失うには、おれはこの地に根を張りすぎた。

 そもそもヤァータのつくった治療薬は、おれたちの技術では複製することが困難であるらしい。

 

 この都市の者たちが自力で疫病を克服することに期待するべきだろう。

 

「いちおう聞いてみるが……。この冬の間に、町の病人全員にこっそりと薬を配ることはできるか?」

「全員分の薬の複製も、それを配ることも、その期間ではまったくの不可能です。量的な限界というものがあります、ご主人さま」

 

 駄目でもともと、と聞いてみたが、やはり否定的な返事が来た。

 なんでもできるようにみえるこのカラスもどきだが、案外、有限の能力をやりくりしている様子である。

 

 

        ※※※

 

 

 リラの宿を訊ねてみた。

 彼女は現在、町の中央にほど近い、貴族が借りるような宿の一室をねぐらにしている。

 

 帝都でいろいろやらかした結果、かなりの金を蓄えたと以前にいっていた。

 おれは目立ちたくないがためにそこそこの宿に居を構えているが、彼女の場合は若い女性だ、防犯の面でも住居には金をかけた方がいいだろう。

 

 リラはおれの顔をみて喜び、しかし自室への立ち入りだけは断固として拒否した。

 

「師匠にみせられるような部屋じゃありませんからっ!」

 

 と断固たる口調である。

 

「そうか……そこまで拒絶されると悲しいぜ……」

「あっ、いえっ、そういうことじゃなくて……ほら、わたしだっていちおう女ですから、その、散らかっている部屋をみせたくないっていうか……って師匠、笑ってますね! からかってますね! もーっ、そういう意地が悪いところダメだと思います!」

 

 少しスネてみせたところ、たちどころに看破され、ぽこぽこ叩かれた。

 ごめんなさいと素直に謝っておく。

 

「無事なようで、なによりだよ。こんなご時世だからな」

「あー、そうですね。師匠もお元気なようで、弟子としては嬉しい限りです。一階の酒場でちょっとお話、していきますか?」

「ああ。それにしても、なにをやっているんだ?」

「え、なにって……」

「服に薬品の臭いが染みついてるぞ」

 

 リラは、えっ、と驚き、自分の服の臭いを嗅いだ。

 ああ、アタリだったかー。

 

「その顔ーっ! ひょっとしなくても、ひっかけましたね! もーっ、そういうところ本当にダメです!! ダメ師匠ーっ!」

 

 また、ぽこぽこ叩かれた。

 本当にすまない。

 

 ヤァータに宿の近くまで偵察させたとき、彼女が部屋に閉じこもり、窓もぴっちり閉めたままでいることを知ったのだ。

 微量の希少な粒子の飛散を確認した、ともいっていた。

 

 わが使い魔の言葉の意味はよくわからなかったが、おそらくさまざまな薬品を使用しているのだろう、と見当をつけたのである。

 彼女の反応をみるに、推測は的を射ていたのだろう。

 

「そうだよな……。おれは本当にダメなやつだ」

「あ、いえ、そんなことないです。って絶対フリですよね、それ。もう騙されませんからっ!」

 

 ちっ、と舌打ちしてみせた。

 またぽかぽか叩かれた。

 

 弟子が賢くて、おれは嬉しいよ。

 

 

        ※※※

 

 

 リラが泊まっている宿の一階は、ちょっと高級な酒場になっていた。

 カウンターの棚に並んでいるお酒の瓶、その銘柄があまりみないものばかりである。

 

 テーブルも椅子も、ひと目でわかるほどしっかりしたつくりの高級品であった。

 そこそこ稼いでる商人などの裕福な者たちが来るような場所だが、特に服装に決まりはないという。

 

 仕事でクライアントと会うときのために礼服なども用意しているおれではあるが、肩肘張らないのはいいことだ。

 ふたりで、酒場の片隅のテーブルを挟んで座る。

 

「薬をつくってくれ、って頼まれたんです」

「流行り病の治療薬があるのか」

「いえ、汎用的な解熱剤と抵抗薬です。あとは患者さんの体力に期待です」

 

 特効薬がなくとも、病が自然に治癒するまで患者が生きていれば勝ち、ということだ。

 

「だが、そんなもの医療魔術師の仕事だろう」

「医療魔術師の講義もとってましたから」

「おまえの才能は知っているが、片手間でなんとかなるもんなのか」

「流行り病の退治は狙撃魔術師の仕事として不適切、って話ですか?」

「いや、それは別に構わん。ヒトは、やりたいことをやるべきだ」

「師匠のそういうところ、好きですよ」

 

 リラは果実の搾り汁を水で薄めたものをぐいとやって、えへらと笑った。

 おれは合わせてエールをあおる。

 

「この町の医療魔術師に頼まれちゃったんです」

「知り合いなのか?」

「町の学院の卒業生にはちゃんと挨拶しておけって、この前、ジニー先輩にいわれました。なのでご挨拶に伺ったら……」

 

 あの王女のさしがねか。

 たしかに、帝都の学院の卒業生なら、お互いに話も弾むだろうしコネとして申し分ない。

 

 ましてや目の前の少女は、間の抜けたところもあるが、これでもいちおう飛び級かつ主席で卒業した才媛である。

 

「師匠は、わたしを心配してくれたんだよね。えへへ、嬉しいなあ。でも別に、無茶をするつもりはありません。わたしができる、些細な手伝いをするだけです。とにかく薬の量が足りないって話で……。訓練をサボってしまっているのだけは、本当に申し訳ないですけど」

「ああ、いまは薬に集中してくれていい。おれのとり越し苦労だったなら、それでいいんだ」

「むしろ師匠の方が、余計なことしそうですよねー」

 

 じと目で睨まれた。

 

「おれはただの狙撃魔術師だ、なにもできないさ」

「ん。そうですね」

「それじゃ、身体に気をつけてな。無理にギルドに顔を出す必要はない。いつもの練習だけは欠かすなよ」

「はいっ」

 

 おれは杯を空にすると、ふたり分の金を置いて席を立った。

 リラは、なぜか終始、上機嫌だった。

 

 

        ※※※

 

 

 リラの無事を確認し、おれはとある商家の屋敷に足を向けた。

 裏口で使用人に声をかけ、なかに通してもらう。

 

 使用人に連れられてたどりついたのは、地下の一室だった。

 天井からぶら下がった錬金銀製のシャンデリアが、白い魔法の明かりで室内を照らしている。

 

 暖色系の装飾品で飾り立てられた、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 ふたつの椅子を挟むように、テーブルがある。

 

 テーブルの上には無数の羊皮紙が積み重ねられ、ひとりの女性が奥の椅子に座って羊皮紙の中身に目を凝らしていた。

 おれがひとりで部屋に入っていくと、女性は「来ましたね」と顔をあげる。

 

 いまはもういないあのひとを思わせる、肩まである赤毛が揺れる。

 紅の双眸が、まっすぐおれを射すくめる。

 

 エドル家のメイテル。

 今年三十三歳の、エドル伯爵家の現当主の妹にあたる人物である。

 

「お待たせして申し訳ございません」

「遅れてはいませんよ。わたしが早くついただけです」

 

 この屋敷は、彼女がお忍びで行動するときに使う隠れ家のひとつであるようだった。

 屋敷の持ち主である商家は伯爵家と繋がりが深く、なにかと融通がきくのだという。

 

 だからといって地下に自分だけの執務室をつくるのはやりすぎだと思う。

 帝都の大貴族ならともかく、エドルは伯爵家が治める辺境のいち都市にすぎないのだ。

 

 いや、だから、なのかな。

 辺境だからこそ、いざというときの備えはいくらあっても足りない、と……。

 

 いずれにしても、現在、領主たちの一挙手一投足に注目が集まっている。

 こういうとき、便利に使える場所なのは間違いない。

 

「今日、あなたを呼んだのはほかでもありません」

 

 おれに対面の椅子に座るよう促し、メイテルはペンを置いて語り出す。

 

「あなたの孤児院の件です」

「メイテルさまが運営する孤児院、でしょう?」

「責任者はあなたです。第一、経営の大部分はあなたの寄付によって成り立っているのですよ」

 

 金は、普通に生きている限りは使いきれないくらいある。

 上手く捨てる方法も思いつかない。

 

 ならば、役立てることができる者に役立ててもらおう。

 そう考えて、以前、目の前の女性に相談を持っていったのだ。

 

 結果、ちょうど別の貴族が手放したがっていた孤児院の経営を引き継ぐ話が出てきた。

 ならば、とおれは金だけを出し、表向きの代表として彼女に立ってもらうことを提案した。

 

 折衷案として、おれが責任者となり金を出し、彼女が運営する孤児院ということになった。

 実際のところは、彼女の息がかかった者が院長となっているらしいが……。

 

 そういう次第だ。

 彼女としても、伯爵家としても慈悲深い貴族という評判を得ることができるし、損のない話のはずだった。

 

「資金の話ですか?」

「いえ、あなたからは充分に頂いております。ただ、孤児院のなかでも疫病が……」

「発症した子どもが? それとも、大人がですか?」

「両方です」

 

 そうか、とおれはうなずいた。

 ある程度、覚悟はしていたのだ。

 

 病が流行れば、ちからのない者から倒れていくのが世の常だ。

 孤児院など、その最たるものだろう。

 

 医療魔術師たちが、リラまで巻き込んで懸命に薬を増産しているものの、貧困者がそれを手に入れることは難しい。

 彼らにできることは、ただ己の身体が病を克服するまで耐えることだけだ。

 

「おれにできることが、なにかあるんですか」

「許可をいただきたいのです。一部の孤児を別の場所に移す許可を」

「それは……病に倒れた子どもを隔離する、ということですね?」

 

 ひとからひとに移る病である。

 いちばんの対策は、患者だけを隔離して健常者を守ることとだ。

 

 とはいえ、場所が限られる城塞都市の内部では、それがなかなかに難しい。

 おれが出資している孤児院は町のはずれ、少し不便なところにあるが、それでも敷地はあまり広くない。

 

「どこに運ぶのですか」

「町の外の別邸です」

 

 壁の外の丘、その上に建つ、有事には砦となる堅牢な屋敷だ。

 その屋上から、おれは特異種のトロルを狙撃した。

 

「思い切ったことを考えましたね。ほかの患者も、ですか」

「真冬に魔物が攻めてくる、ということもないでしょう。他国の軍が動く気配もありません。ならばいっそ、あそこがいちばん、隔離場所としてふさわしい。兄の許可もとりました。医療魔術師を集めて、患者の対応をいたします」

「それ、おれの許可が必要なんですか?」

「孤児たちの大半は、本来、この町の住民としての資格を満たしておりません。身元を保証できる者がいませんから。いちど町の外に出せば、二度と入れないのが本来の決まりです」

 

 エドルも城塞都市である以上、人口に敏感だ。

 際限なくヒトを受け入れてしまえば、限られた場所しかない城塞都市はたちまち破綻してしまう。

 

 故に、住民の資格というものが存在する。

 ある程度の価値を持った者たちだけを、壁の内側、都市の住民として許可するのだ。

 

 孤児を受け入れるというのは、それとは別の観点、いわば貴族の慈悲として行われている施策である。

 火急の事態において解決するべき問題が出てくるのも、当然といえた。

 

「無論、伯爵(あに)に頼み、特別扱いすることはできますが……」

「その前にやれることがある、と?」

「子どもたちを正式に町の住民として登録します。責任者であるあなたに一筆したためていただきたい」

 

 そのための保証人になれ、ということだ。

 おれは承諾し、彼女が差し出してきた書類にペンを走らせた。

 

「さて、これで本来の目的は終わりなのですが……」

「まだ、なにか?」

「あなたの意見を聞きたいと思っておりました。今回の件、どうお考えですか?」

「それは……疫病のことですか、それとも黒竜の?」

「その繋がりがあるか、どうか」

「ないと思いますよ」

 

 おれは、きっぱりと答えた。

 そのうえで、とつけ加える。

 

「ただ、時期がぴったりと重なっているのはたしかです」

「ええ、本当に。おかげで兄も、毎日のように頭を抱えております」

 

 いやはやまったく、領主さまにおかれては、お気の毒なことだ。

 

「ですが、だからこそここで弱気な態度はみせられない、と考える貴族もおります」

「どういうことですか」

「疫病の源たる黒竜、退治するべし。いまこそ帝国の底力を天下に知らしめるときである。そう気勢を上げる方々が、少々」

 

 その話を聞いて。

 おれはきっと、自分が苦虫を噛み潰したような顔をしているだろうな、と思った。

 

 



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第17話 黒竜の呪いと流行り病3

 城塞都市エドルには、統治者であるエドル家のほかにも貴族家がある。

 ひとつは、分家だ。

 

 貴族の血は、高い確率で強い魔力を持つ。

 分家をつくることによって、魔力の高い家系を増やす。

 

 有事となれば、彼らは我先にと本家のもとに馳せ参じる。

 騎士たちが戦場の主力ならば、戦闘魔術師は決戦戦力となるのだ。

 

 これらの分家に与えられるのが、魔爵という爵位である。

 彼らの子息の多くは帝都の学院の門を叩き、一流の魔術師を目指す。

 

 その一部は戦闘魔術師として大成し、残りが各々の長所を生かした魔術師となる。

 

 もうひとつ。

 騎士のなかには高い魔力と卓越した功績でもって爵位を得る者がいる。

 

 彼らは男爵として複数の村を束ね、エドルで強い影響力を持つ。

 現在、この町に存在する貴族家は、魔爵が四つ、男爵がふたつ。

 

 エドル本家としても、彼らの意向は無視できない。

 戦の際、もっとも厳しい場所に投入されるのが彼らだからだ。

 

 貴族家は、常に手柄を立てる機会を欲している。

 だから彼らが、外部からの脅威に対して好戦的な態度を示すのは、ある程度想定できたことなのだが……。

 

「黒竜を退治、ですか」

 

 現伯爵の妹君であらせられるメイテルの言葉に、おれは顔をしかめてみせる。

 メイテルは、紅茶のカップに口をつけた。

 

「魔爵の魔術師十五人が中心となった精鋭部隊が計画されております。帝都から腕利きの狙撃魔術師を三人も招いたとも」

「狙撃魔術師まで招聘したということは、もうやる気まんまんじゃないですか」

「兄に黙って、狩猟ギルドの本部に要請したようです。昨日、怒り狂った彼を宥めるのに苦労しましたよ」

 

 そりゃ、温厚で知られる伯爵さまも怒り狂うよ。

 自分に黙って、足もとでそんなことをしていたならさあ。

 

 貴族と民は、疫病によってそれだけ鬱憤を溜めていたのだ。

 そして、行き場のない不満のはけ口を探していた。

 

 黒竜は、ちょうどいいときに、ちょうどよくこの都市を挑発してしまったのである。

 それが相手の本意かどうかは、この際どうでもよいのであった。

 

 メイテルが口に出した狙撃魔術師の名は、いずれもたしかに、優秀で知られる者たちであった。

 独眼巨人を討伐した者、不滅死人を滅ぼした者、なかには緑竜を殺した者までいる。

 

「そうそうたる面子ですね。本部も、よく承認したものだ」

「黒竜の貯め込んだ財貨をあてにしているようです」

 

 討伐の報酬の一部は狩猟ギルドに収められる。

 今回、依頼を受けたのは本部であるから、狩猟ギルドの本部に貯め込まれた財貨の一部が支払われることとなる。

 

「たしかに、竜は財宝を貯め込むものですが……」

 

 黒竜については、まだ詳しい巣の場所も不明だ。

 そもそも、実際に黒竜の姿をみた者は未だに存在しない。

 

「そういう次第ですので、あなたにも話が行っていないか、確認させてください」

「初耳です。もし聞いていたとしても、絶対に受けません。情報が少ないし、曖昧すぎる。せめて巣の場所くらいはわかっていないと……」

「あなたが必ず狙撃を成功させてみせるのは、その慎重さ故、その入念な下準備故、ということなのですね」

「まともな考えを持った狙撃魔術師なら、そうします。名誉を欲しがるにしても、彼らはなんで、こんな話に乗ったんでしょう」

「グリットガラードの勇名は、帝都でたいそう鳴り響いていたと聞きます。彼の失敗を、いまこそ好機と思う者も」

 

 そのグリットガラードが失敗した黒竜を退治することで、名と実を両取りする。

 そう考えた者が複数いた、ということか。

 

 たしかにこの面々であれば、少ない情報からでも勝機を掴み、黒竜の狙撃を成功させられるかもしれないが……。

 

「いま、そこまで無理をする必要がありますか?」

「ない、と考えたからこそ、激怒した兄は机を四つも壊してしまったのです」

「モノに当たるだけマシですね」

 

 魔力に優れた貴族の魔術師に本気の暴力を振るわれれば、使用人などひとたまりもない。

 おれは各地を放浪しているとき、貴族の癇癪で肉塊となった民の姿を幾度もみてきた。

 

 目の前で苦笑いを浮かべている女性とその兄君はそういった貴族の同類ではない、と信じているからこそ、定住の地としてこの町を選んだのだ。

 無論、理由はそれ以外にもあるし、この町にはこの町なりの問題もあるのだが……。

 

「姉とあなたが、旅先で横暴な貴族を叩きのめして逃げた話は聞いていますよ」

「誤解しないでください。あれは、あいつが勝手に暴れておれが巻き込まれたんです」

「まあ、そうでしょうね。姉は我慢のきかない性格でしたから……」

 

 メイテルは、つかの間、懐かしいものを思い浮かべるように目を細めた。

 それから、はっとしたようにおれをみて、ちいさくうなずいてみせる。

 

「思い出に浸っている場合ではありませんね、話を戻しましょう。狩猟ギルドのダダーには、ギルド員を同行させないよういっておきました。あなたも、そのように」

「いわれなくても、行きませんよ」

 

 ダダーはギルド長で、テリサの父親だ。

 片腕の元狩人で、皆に頼りにされている。

 

「討伐隊は完全に放置するのですか」

「もちろん監視はつけます。逆に、それ以上のことはできません。帝都で承認された以上、これは正式な、帝国としての黒竜討伐なのですから」

 

 高名な狙撃魔術師が三人も出張るとなれば、相応の理由が必要となる。

 帝国がじきじきに黒竜を討伐対象としたからこそ、彼らがわざわざこんな辺境の町に来るのだ。

 

「面倒にならなきゃいいんですがね」

「わたしの役目は、失敗した場合の被害を抑えること。とはいえこうなってしまった以上、彼らが無事に黒竜を討伐することを祈ってやみません」

 

 

        ※※※

 

 

 数日後、帝都から二十人ほどの団体さんがやってきた。

 三人の狙撃魔術師と、その部下である作戦チームのご一行である。

 

 狙撃魔術師がチームを組むことは、実は多い。

 むしろ、そちらのやり方が一般的であるといえる。

 

 息の合ったチームプレイで敵の動きを止め、弱点を看破し、一撃で撃ち貫く。

 安全に狩りをするなら、チームを組まないデメリットの方がおおきいほどだ。

 

 だいたい、ひとつのチームは五人から十人程度となる。

 斥候役、前線に立って獲物の注意を引く者たち、医療魔術師、そのほかサポートメンバー。

 

 あまり多くても組織の維持が難しくなるし、少なければ自分たちだけでは完結できず、毎回他所の人員を頼ることになる。

 

 だから最適が五人から十人、というわけだ。

 狙撃魔術師の弟子が混ざることもある。

 

 おれのように、ずっとひとりで行動する狙撃魔術師も少なくはないんだけどな……。

 そんなおれだって、いまでは弟子のリラを連れていく。

 

 で……。

 狙撃魔術師たちは、狩猟ギルドに顔を出して、なんか知らんがちょっとモメたそうだ。

 

 森に詳しい狩人を雇おうとしたものの、うちのギルド長が難癖をつけて拒否したとか。

 そんな話を、後日、ぷんぷん怒ったテリサから聞いた。

 

「父さんったら、せっかくの実入りのいい話だったのに! ギルドも酒場も、最近の売上がひどいんですから!」

「まあなあ、そうだよなあ、たいへんだよなあ、テリサちゃんは偉いなあ」

「狙撃さん、なんでそんな棒読みなんですか! もうっ!」

 

 メイテルからこのあたりの話を説明されていたから、おれとしては、まあさもありなんといった感想しか浮かばない。

 家でもテリサちゃんに叱られているであろうギルド長には同情することしきりである。

 

 ことがことだけに、家族にも事情を話せないだろうしなあ。

 いくらギルドと、ギルド員を守るためとはいえ。

 

 この話をおれがテリサから聞いたときには、すでに狙撃魔術師たちは、町の貴族たちが用意した部隊と共に町を出て、森の奥へ向かった後であった。

 というか狙撃魔術師たちが町にいる間、おれはおとなしく宿に引きこもっていたのである。

 

 おれが腕のいい狙撃魔術師である、という話は、この町でも一部の者しか知らない。

 ギルドの古参はある程度気づいているが、彼らはそれを他に漏らさない。

 

 この町に噂の魔弾の射手が住んでいる、というのも帝都のギルド本部では機密事項である。

 このあたりはいろいろあるのだが……まあ、それはいま関係のないことだ。

 

 ともあれ、彼らは出発した。

 邪悪で非道な黒竜を退治するために。

 

 あとは、彼らの試みが成功することを祈るばかりである。

 

 

        ※※※

 

 

 ところで、四十人近い部隊で出発した黒竜討伐隊であるが、彼らを上空から監視している者たちがいる。

 エドル伯爵の部下の魔術師が放った使い魔たちだ。

 

 おれの使い魔ということになっているヤァータが放ったドローンも、透明の魔法(こうがくめいさい)を使用して彼らを追尾しているという。

 ヤァータからは、逐次、旅の報告が来ていた。

 

 貴族たちと狙撃魔術師たちはよく話し合い、斥候のグループがきっちりと前方を哨戒しながら進んでいるとのことである。

 その過程で多くのもめごとが発生し、刃傷沙汰寸前までいったこともあったらしいが、今回のリーダーである男爵家当主の仲裁によってことなきを得たらしい。

 

 幾度も連係の訓練を行い、そのたびに動きがよくなっているという。

 素晴らしいチームが出来上がりつつある、とのこと。

 

 彼らには、いっさい油断がなかった。

 考えられる限り最高の条件が整っていた。

 

 監視部隊は、彼らが黒竜が潜むという山脈に入った、という報告を最後に……。

 討伐隊を見失った。

 

 その日。

 山脈全体を厚い霧が覆い尽くし、霧に突入した使い魔たちは方角を見失って、ひどく迷った末、かろうじて脱出することができたという。

 

 ヤァータによれば、こうだ。

 

「一帯は地磁気が狂い、重力場が激しく変動しております。計測機器の故障か、あるいは計測機器になんらかの干渉があったか定かではありませんが、これ以上、霧の内部に留まるのは危険と判断し撤退いたしました」

 

 あのカラスもどきの存在がこれほど狼狽えることも珍しい。

 

 

        ※※※

 

 

 その翌日、山脈を覆う霧が晴れた。

 そして。

 

 黒竜討伐隊を()()とした異形の巨大な魔物の存在が、監視部隊によって発見された。

 

 高さがヒトの十倍ほどもある、赤黒いぶよぶよした肉の塊。

 そのあちこちにヒトの顔と、腕と、脚が突き出している。

 

 その顔はいずれも黒竜討伐隊の面々にそっくりで、血の涙を流し、言葉にもならぬ呻き声や悲鳴をあげているのであった。

 そのような異形の魔物が、山脈を降りて、森の木々を踏み倒し、ずりずりと這いずりながら……。

 

 城塞都市エドルにゆっくりと近づいて来ていた。

 冬眠していた熊が踏みつぶされ、そのまま肉の塊のなかに吸収された、という報告も入った。

 

 町に近づくにつれ、肉塊は少しずつ成長しているという。

 森の木々や草を喰らい、それを己のちからに変えている様子である。

 

「なんと、おぞましい。呪い、のようなものでしょうか」

 

 以前と同じ商家の屋敷の地下に招かれ、おれはメイテルからことの次第を聞いた。

 ヤァータからも、おおむね同様の報告を受けている。

 

「黒竜は報復を忘れぬ律儀な性格のようですね。手出しをすれば、相応の罰を与えてくる。まったく、あの方々は、ひどく愚かな選択をしました」

 

 現領主の妹は深いため息をつき、おれとまっすぐ視線を合わせる。

 

「ですが、彼らに責任を問うのは、ことの次第が済んだ後です。いまは町を守ることを優先しなければなりません」

 

 



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第18話 黒竜の呪いと流行り病4

 黒竜討伐隊を()()とした異形の魔物が、山脈から這い下りて雪の降り積もる森を抜け、城塞都市エドルにゆっくりと近づいて来ていた。

 領主はこの事実を公表、巨大な肉塊のごとき魔物をブラック・プティングと命名した。

 

 ブラック・プティングが町に到達するまで、猶予は五日。

 帝都から応援を呼ぶ暇はない。

 

 ヤァータの上空からの観察によれば、ブラック・プティングはなめくじのように這いずりながら、器用に崖を登攀したとのことである。

 この町を囲う壁程度では、この魔物に対する障害にならないだろう。

 

 領主付きの魔術師たちも、使い魔の目を通して同じ観測結果を得ている。

 賢明なる我らが伯爵は、早々に籠城を断念した。

 

 前回の特異種トロルとの最大の違いは、狩猟ギルドが主体の討伐ではなくエドル全土を挙げての戦いとなることだ。

 領主の妹君であるメイテルが総指揮をとり、貴族たちが前面に立ち、狩猟ギルドはあくまで補助的な役割を果たすこととなる。

 

 加えて、時間的な余裕もあった。

 

 周囲の村に人をやり、騎士たちを招集することとなる。

 作戦の当日には、二十人の騎士と百人の従者が駆けつけるはずであった。

 

 主力となるのが、貴族の魔術師六人とその従者がおよそ二十人、そして伯爵家お抱えの狙撃魔術師三人。

 衛兵隊からは、最低限の者を治安維持に残して三十人。

 

 さらに狩猟ギルドから、森をよく知る者が二十人ばかり参加する。

 これ以上は逆さに振っても出てこない、まさにエドルの全戦力をもってしての決戦であった。

 

 おれはいつものように御用商家の地下の一室に呼びつけられ、メイテルさまからその話を聞かされた。

 語り終えた領主の妹君は、喉が乾いたとばかりに紅茶のカップを持ち上げ、口をつける。

 

「およそ二百人、たいした戦力だと思いますが」

「とはいえ、所詮は寄せ集めです。この地の貴族と騎士たちは戦争に参加した経験も、強大な魔物を相手にしたこともありません。本番で、どこまで上手く動けることか」

 

 村を治める騎士や従者たちは、森から出てくる中型の生き物の相手に長けている。

 とはいえ、普段村の近くまでやってくるものなど、狼くらいのサイズまでだ。

 

 ブラック・プティングの全長は、少なく見積もってもヒトの十倍以上。

 しかも日を追うごとに森の冬眠中の動物や魔物をとり込み、少しずつ体積が増えていっているという。

 

「狩猟ギルドだって、戦争に参加した経験なんてありませんよ」

「ですが魔物狩りは、彼らの領分です」

「狩人たちだって、熊よりおおきな魔物を狩ることは稀です。それに彼らは皆、無理だと思えば潔く退いて、そのおかげで生き延びてきたのです。あまり期待されても困ります」

 

 メイテルさまは、くすりと笑う。

 

「侍従たちにも、同じことをいわれました。民に期待するな、と。頼れるのは騎士と貴族だけである、とも」

「その方々が正しい。よほどの魔力がなければ、そもそもあんな魔物には傷ひとつつけられないでしょうからね」

 

 ブラック・プティングは、内臓が剥き出しになっている状態であると考えられた。

 常時、全身に魔法で結界を張り、敏感な肉の塊という本体を守っている様子である。

 

 まずは結界を引き剥がさなくては、この魔物に傷ひとつつけることができない。

 決戦のために集められた従者や衛兵隊の大半は、ブラック・プティングに刃を突き立てることすらできない非力な者たちである。

 

 狩人たちも、事情は似たようなものだ。

 ただ彼らには、騎士たちに冬の森を案内し、罠をかけるという大切な役目がある。

 

「狙撃魔術師が魔臓を射貫いて終わり、ということなら、話は簡単だったのですが……」

 

 メイテルさまがため息をつく。

 狙撃する側のおれとしては、簡単、のひとことで済ませて欲しくないところだ。

 

 とはいえ、彼女が暗澹たる気持ちになるのもわかる。

 なぜならば……。

 

「無数に魔臓をとり込んだ生き物とは、なんともはやですね……」

 

 魔臓は本来、一体につきひとつ。

 それが常識だ。

 

 理由は不明であるが、まあ心臓がひとつしかないようなものだろう。

 ちなみにヒトであっても、魔力を持つ者であれば魔臓が存在する。

 

 ブラック・プティングと名づけられた魔物を探査した結果、最低でも二十個、おそらくはそれ以上の魔臓の存在が確認された。

 おそらく、()()としてとり込まれた黒竜討伐隊の面々の臓器が、そのままブラック・プティングの内部で活動しているのである。

 

 もっと深読みすれば、()()となった者たちは未だあの異形のなかで生存しているのかもしれない。

 呻き声をあげ続けているあの様子から察するに、すでにまともな理性は存在しないだろうが……。

 

 むごいことだ、と思わなくもない。

 だがそれ以上に、厄介なことであった。

 

「狙撃魔術師は魔臓を射貫くだけが仕事ではありません。ほかの急所が存在すれば、それを射貫くことで魔物を仕留めることも可能です」

「問題は、ブラック・プティングの急所がどこか、ということですね」

「あるいは、ブラック・プティング本体の魔臓が存在するのでしたら、それを射貫くことです。その位置を探るためにも、ひと当てする必要があります」

「たとえどれほどの犠牲を払うとしても、ですか」

 

 おれとメイテルさまは、うなずき合う。

 現在、町に存在する狙撃魔術師は、おれとリラ、それから領主お抱えの者が三人、それですべてだ。

 

 弱点とおぼしき場所を探り出し、それが正解かどうか、ひとつずつ試していく。

 チャンスは五回。

 

 可能性を少しでも上げるためには、なりふり構わず、やれることはすべてやるしかない。

 だから、おれはひとつ、提案をした。

 

「メイテルさま。あれを仕留めるための魔力を貯蔵するのは、二日もあれば充分でしょう。いや、一回目は倒す必要がないのだから、一日でいい。五日の間に、二回、仕掛ければ倍の機会がある」

「二回、仕掛ける……」

「はい。森の奥で一回、町のそばで一回」

 

 メイテルは、目をおおきく見開いた。

 考えたこともなかったであろう、大胆な提案に違いない。

 

「あなた方、狙撃魔術師たちにたいへんな負担がかかる計画となります」

「前線で命を賭ける者たちの方が、よほど大変でしょう。準備の負担がおおきいようなら諦めますが……」

「いえ、やりましょう」

 

 メイテルさまは即決した。

 

「すぐ、兄に連絡をとります。あなたは弟子と共に狩猟ギルドで待機してください」

 

 かくして、急遽、おれとリラは出立することとなった。

 

 

        ※※※

 

 

 二日後。

 おれは雪が降り積もる森のなか、身を隠して魔力タンクに魔力を貯め、そのときをじっと待っていた。

 

 準備と移動で一日、そして魔力タンクに魔力を貯めるのに一日である。

 

 今回は、一日ぶんしか魔力を貯められない小型のタンクを使っていた。

 それでも、真冬の野外でまる一日、待機するというのはなかなかに堪える。

 

 寒さは魔道具でどうとでもなるが、魔力を貯めている最中に襲われればひとたまりもない。

 雪を掘って身を隠してはいるが、一部の鼻の利く魔物にとっては、格好の餌だろう。

 

 今回、リラも少し離れた場所で狙撃の準備をしているから、彼女の援護を期待することもできない。

 いちおう護衛の者はいるが……。

 

 その護衛というのが、メイテル本人だったりするのだ。

 なんで?

 

「わたしに護衛されることを、もっと喜んでくださってもいいのですよ?」

「たいへん嬉しく思います」

 

 事務的に返事をする。

 くすくす笑われた。

 

 もう何度もしたやりとりだ。

 目をつぶっていると、メイテルさまの声が、ときどきあいつの声に聞こえるような気がして……少し、戸惑ってしまう。

 

 さすがは姉妹、といったところなのだろう。

 ………。

 

 あいつの声なんて、とうの昔に忘れてしまったと思っていたのに。

 

「それはそれとして、指揮を執る者がこんな危ないところにいないでください」

「観察するなら、敵の近くの方がいいでしょう? ご心配なく、剣の腕に自信はあります」

「伯爵家の方を侮ったりしませんよ……」

 

 魔力は、高い確率で親から子へ引き継がれる。

 ましてやメイテルは伯爵家の娘として生まれ、彼女の姉から『男として生まれたら、希代の英雄になっていた』といわれるほどの人物であった。

 

 とはいえ、戦には個人の武勇よりも大切なものがある。

 こんな前哨戦で万一のことがあって、指揮官を失うわけにはいかない。

 

 なんのために使い魔や遠見の魔道具というものがあると思っているのだ。

 と説得したものの、彼女は頑として聞き入れず……。

 

 結果、おれは彼女と共にまる一日、この雪を掘ってつくった狭い穴倉で過ごすこととなったわけである。

 彼女の護衛役である衛兵隊の精鋭たちは、現在ブラック・プティングに貼りつき、狩猟ギルドの精鋭と共に、この巨大な魔物が気まぐれで進路を変更しないか観察している。

 

 狙撃成功後、撤退するルートの確保をしている人員もあり、この前哨戦だけで三十人以上の者が参加していた。

 データが足りない。

 

 ならばデータを集めるために、多少の無理をするべきだ。

 そんなおれの提案に乗って、メイテルをはじめとした伯爵家は全力を出してくれていた。

 

「歴史の話をいたしましょう」

「いま、ですか?」

「ええ。狙撃魔術師が生まれる前にも、魔術師が魔法を行使して竜のように強大な魔物を仕留めることは、ままありました。そのとき、どのようにして魔力を調達したか、ご存じですか」

「不勉強で申し訳ありません」

「特別な魔法を用いて、貴族の持つ魔力を燃やし尽くすのです。数人の高位貴族の命と引き換えに、竜を滅ぼした。どの国にも、そのような逸話が残っているものです。狙撃魔術師の登場以降、そのような行為は忌むべきものとなりました。ですがいくつかの貴族家では、親から子へ、密かにその魔法が伝わっております」

 

 貴族は高い魔力を持つ。

 その身が滅びるまで絞り尽くすことで、強大な存在を滅ぼすために必要な魔力を手に入れた。

 

 生贄だ。

 それでも、化け物の暴虐でひとつの地域が滅んでしまうよりはマシだと、昔の人々は考えていた。

 

 おれは顔をしかめる。

 彼女の覚悟を理解したからだ。

 

「紅茶をもう一杯、いかがですか」

「結構です。もうすぐ本番ですよ」

 

 地響きがする。

 次第に、地面の振動がおおきくなってくる。

 

 巨大ななにかが、地面を這いずり近づいてくるのだ。

 おれは長筒を握って、雪穴から顔を出す。

 

 それが、みえた。

 小山のごとき巨大な赤黒い肉の塊が、なめくじのように這いずって、落葉した裸の木々をなぎ倒し近づいてくる様が。

 

 全身のあちこちに突き出たヒトの手足はいびつに折れ曲がり、苦悶に満ちた男女の顔が肉の表面に浮かび上がっている。

 それらの顔についた口が、呻き声のような悲鳴のような音を出して、それが風に乗ってこちらにまで聞こえてくる。

 

 あまりのおぞましさに、背筋に冷たいものが走った。

 隣で顔を出し、同じものをみたメイテルが、皮肉に顔を歪める。

 

「これほどの悪意を感じたのは久しぶりですね」

「悪意、ですか」

「黒竜は、己の巣を襲った矮小な者たちのことがよほど腹に据えかねたとみえます」

「ちなみに、以前に同じような悪意を感じたことが?」

「かつて、投降した捕虜の四肢を断ち、目をくりぬき、鼻を削いで返してきた隣国がいました。帝国の反対側に参陣したときのことです」

 

 なんでそんなところまで戦をしに行ったの?

 と問いたくなるところを、ぐっとこらえる。

 

 いまは目の前の化け物に対処するときだ。

 すでに長筒の射程圏内ではあるが……ものごとには、順番がある。

 

「最初は、あなたの弟子からでしたね」

「ええ。リラは逃げるのが上手いんです。おれなんかより、ずっと」

「才能のある者を、素直にそう認める。なかなかできることではありませんね。では、合図を出します」

 

 メイテルが、小声で呟いた。

 魔法で、遠く離れたところに声を送ったのだろう。

 

 それが合図だった。

 斜め前方、かなり離れたところに隠れていたリラが雪穴から顔を出し、長筒を構える。

 

 躊躇なく、引き金を引いた。

 眩い虹色の光が長筒の先端から溢れ出し、一筋の糸となってブラック・プティングの巨体を襲う。

 

 一撃はその中央に衝突し、巨大な爆発が起こった。

 一拍遅れて轟音と爆風がおれたちの穴にまで到達し、おれは目を細める。

 

 巨大な魔物は、身が凍るようなかなきり声をあげた。

 次の瞬間。

 

 閃光が走った。

 先ほどまでリラがいたあたりの雪が、連続して爆発を起こす。

 

 ブラック・プティングの反撃だ。

 無数の口のひとつひとつから飛び出した魔法弾が、広範囲を焼き払ったのである。

 

 この攻撃の存在を、おれたちはすでに把握していた。

 山を下りるブラック・プティングを上空から追尾していた使い魔たちが、ブラック・プティングに無謀にも攻撃を仕掛けた双頭熊の魔物の末路をしっかりと観察したのである。

 

 狩猟ギルドのギルド員でも、一対一では苦戦するような魔物である。

 それを、骨も残さぬ圧倒的な火力で焼き払ってしまった。

 

 もちろんヤァータもその様子をみていたから、おれはその詳細を説明されている。

 普通の魔術師が展開する盾の魔法程度では容易く貫通され、その身が蒸発するであろうことも知っていた。

 

 とはいえ、わかっていれば、対処はできる。

 リラは、その攻撃が着弾したとき、すでにその場所にはいない。

 

 メイテルの視線が、泳ぐ。

 その視線の先をみれば、宙を舞ってさっさと離脱する少女の姿があった。

 

 魔力タンクは切り離し、長筒一本を持った姿で空を飛んでいる。

 爆風のおかげで、ブラック・プティングはリラの存在に気づいていないようだった。

 

 おれは、安堵の息を吐く。

 さて……。

 

「次はおれの番だ」

「頼みましたよ、魔弾の射手殿」

 

 爆風が晴れる。

 ブラック・プティングが姿を現す。

 

 その全身を覆う結界が、いまは青白く輝いて視認できた。

 結界の一部が綻んでいるのは、リラの一撃によるものだろう。

 

 おれは長筒を構えた。



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第19話 黒竜の呪いと流行り病5

 ブラック・プティングは無数の生き物をとり込み、生かしたままその魔臓を利用している。

 魔臓の場所を明らかにするための探査魔法、そのなかでも魔術師が一般的に用いるものは、生き物の体内を巡る魔力の流れを掴み、その中心を探るというものだ。

 

 ブラック・プティングにこの魔法を行使した魔術師は、吐き気と眩暈を訴えた。

 通常の生き物ではありえないほど複雑な魔力の流れ、許容量を越えた情報が脳に流れ込んだせいである。

 

 ブラック・プティングから魔法弾が放たれる際に魔力の流れを調査した際も、探査の魔法を用いた魔術師がひどく消耗している。

 そもそも探査の魔法に対する強い抵抗が存在するのではないか、と推測する者もいる。

 

 魔法による探査を阻害する魔道具は、実際に存在する。

 国と国が争うときなどは、そういった妨害魔法をいかに掻い潜るかが肝要となるという。

 

 故に帝都の学院でも、探査妨害魔法に関する研究は活発に行われているらしい。

 それに類する探査妨害がブラック・プティングの体内で活動している、としたら……。

 

 これは明らかに、狙撃魔法への対策である。

 黒竜は、ヒトの戦い方をよく研究しているということだ。

 

 おそらくは体内にとり込んだ無数の魔臓を用いて、常時、探査妨害の術式を発動し続けている。

 非常に厄介なことであった。

 

 ヤァータであっても肉塊の内側を解析することができていない。

 普段はなんの感情もみせないカラスが、たいへんに不思議がって、少し喜んでいるようだった。

 

「なにが嬉しいんだ」

 

 と訊ねてみたところ……。

 

「未知のものを探求する。これは、わたしに組み込まれた原初の欲求なのです。その欲求に従い、わたしは長い長い旅を続けてきました」

 

 という返事がきた。

 ヤァータのことが、少しだけわかったような気がした。

 

 それは、さておき……。

 ブラック・プティングの弱点を探るには、どうすればいいか、である。

 

 あの日、おれはメイテルに、こう提案した。

 

「探査妨害といってもさまざまに存在しますが、今回、ブラック・プティングが内蔵している探査妨害は、魔力の流れを複雑化する方式です。流れが複雑なら、単純化してしまいましょう」

「単純化、ですか。具体的には?」

「ブラック・プティングの体内で強い魔力の流れを意図的に起こします。魔力探査を担う魔術師には、弱い流れは無視してもらい、その強い流れだけを追ってもらいます」

「強い流れ、ですか」

「はい、メイテルさま。ブラック・プティングは攻撃に対して反射行動で結界を張り、即座に反撃を行う様子。ならば……」

「連続して攻撃を仕掛けることで、強い魔力の流れを意図的につくり出せるかもしれない、と」

 

 メイテルはおれの提案を兄のもとへ持っていき、この作戦が承認された。

 

 通常は一撃必殺を狙う狙撃魔術師を集団で用いての連続攻撃。

 セオリーとは真逆な戦術である。

 

 そして、いま。

 リラがブラック・プティングを狙撃した。

 

 周囲に散らばった魔術師たちが、即座に探査魔法を行使してブラック・プティングを解析しているはずである。

 次はおれの番だ。

 

 幸い、リラの狙撃でブラック・プティングを覆う結界には綻びが生まれている。

 雪穴から身を乗り出し、長筒を構え、引き金を引く。

 

 魔力タンクは小型で貯めた時間は、たったの一日。

 そのぶん弱い、しかし普通の魔物ならば触れただけで蒸発してしまうような、ちから強い白い光が長筒の先から迸り……。

 

 まっすぐ伸びた白い光が、ブラック・プティングの正面に衝突する。

 派手な爆発が起こる。

 

 おれはすぐさま、魔力タンクに繋がった管を素早く切り離し、愛用の長筒だけを手にする。

 あとはメイテルと共に全力で逃げるだけ……。

 

「行きますよ!」

 

 ぐい、と空いた手を引かれた。

 おそらくは魔力で全身を強化しての、腕がちぎれるかと思うほどちから強い引っ張りだ。

 

 直後。

 上空から飛来した無数の魔法弾によって、おれたちが隠れていた穴は徹底的な爆撃を受けた。

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 おれはメイテルに引っぱられ、地面を掘ってつくられた穴から地上に出た。

 

 おれたちが隠れていた雪穴には、あらかじめ退避用の横穴が掘られていたのである。

 この地に滞在する土木魔術師たちを酷使して一日でつくられたものにしては、だいぶ深く長い穴であった。

 

 その穴を使い、おれとメイテルはブラック・プティングの反撃から逃げ延びたのだ。

 土木魔術師たちには感謝しかない。

 

 冷えた新鮮な空気を深呼吸する。

 遠くの方で、連続した爆発音が響いていた。

 

 地面が小刻みに揺れる。

 だいぶ遠くまで逃げたはずだが、ブラック・プティングはまだ怒り狂い、暴れているようだった。

 

 他の狙撃魔術師たちは、上手くやっただろうか。

 急にちからが抜けて、おれは雪の上にぺたんと尻を落とす。

 

「怪我をしましたか? 少し乱暴に引きずりすぎましたか」

「いえ、大丈夫です、メイテルさま。少し気が抜けました」

「そうですか。あなたが無事で、よかった。わたしが護衛についた甲斐もあったというものです」

 

 メイテルは、くすりと笑う。

 

「それに、この目でしっかりとブラック・プティングの様子を確認できました。これから我々が打倒するべき相手を」

 

 なるほど、実際にその目で敵を確かめる、というのは重要なことだ。

 作戦を立てるにしても、段取りのイメージが変わってくる。

 

 狙撃魔法は段取りが八割。

 高名な狙撃魔術師の言葉だ。

 

「ありがとうございました。おれひとりでしたら、あの爆撃に巻き込まれていたかもしれません」

「他の者からも、無事との報告が入りました。狙撃五発、すべて成功の様子です」

 

 脱出した先には、御者つきの角鹿馬車が待っていた。

 馬車に乗り込むと、すぐに走り出す。

 

 夜までには町に戻れるだろう。

 そこからすぐに、休みなく魔力タンクに魔力を貯める作業が始まる。

 

「自分で決めたこととはいえ、これは少しばかり骨が折れますね」

「わたしのことは気にせず、少しでも眠っておきなさい」

「そうさせていただきます」

 

 目を閉じると、すぐ意識が闇に呑まれた。

 夢もみなかった。

 

 

        ※※※

 

 

 三日後。

 城塞都市エドルは、迫る巨大な肉塊の魔物を待ち構えていた。

 

 騎士とその従者たちが、町から少し離れた森の入り口付近に散らばっている。

 町を囲む壁の上に狙撃魔術師が三人配置されて、魔力タンクに魔力を満たしていた。

 

 おれは特異種トロルのときと同様、町のすぐそばの丘、その上に建つ伯爵家別邸の屋上だ。

 今回、そばにはリラの姿もある。

 

 冷たい風に、護衛の衛兵たちが身を震わせる。

 一線で戦える者は前線に出てしまったから、いまこの屋上にいる衛兵は若手ばかりだ。

 

 なかには、革鎧がまだぶかぶかの、十三、四歳とおぼしき子までいる。

 なんとも頼りのない護衛たちであった。

 

 若手には死んで欲しくない、と衛兵隊の上の方の配慮でここに配置されているらしい。

 メイテルから聞いたことだ。

 

「あなたのそばがいちばん安全でしょう」

 

 とのことである。

 あまり買いかぶられても困るのだが……。

 

 そのメイテルも、現在は森のそば、最前線のすぐ近くで指揮を執っている。

 今回ばかりは、それが必要だった。

 

 なにせ貴族たちと騎士たちの意見をすり合わせることができるのは、伯爵家の者だけなのだから。

 加えて……。

 

「わたしは痕滅魔法を学んでおります。あなたがたが失敗しても、この身に替えて町を守りましょう。そのためにも、わたしが前線にいる必要があるのです」

 

 魔力タンクに魔力を貯めているおれにそう声をかけて、彼女は笑って出陣していった。

 痕滅魔法とは、狙撃魔術師が誕生する以前に大型の魔物を滅ぼすために用いられていた、己の命を代価とする魔法のことである。

 

 町を守るためなら、己の命をも使い潰す。

 それが、伯爵家の一員として生まれた己の責務である、と。

 

 ふと、あいつの顔が、脳裏をよぎった。

 十五年が経ったいまでも思い出せる、メイテルの姉だった人物の笑顔が。

 

 彼女が家を出た理由のひとつには、こうした貴族の義務からの逃避があったのかもしれない。

 自分が生まれ育った家はあまりにも息苦しく、堅苦しい日々であったと、少しだけ聞いたことがあるのだ。

 

 当時は、それが貴族家だとは、辺境の伯爵家だとは思いもしなかったのだけれど。

 いや……ある程度は想像していて、その事実からおれが目を背けていただけなのかもしれない。

 

 首を振って、益体もない考えを頭のなかから追い出す。

 森の奥、地平線の彼方から、赤黒い巨大ななにかがゆっくりと姿を現わしたからだ。

 

 森の木々が、揺れる。

 でかい。

 

 三日前にみたときより、さらにひとまわりおおきくなっている。

 木々より背が高く、周囲の木々をなぎ倒し、あるいは吸収しながら、それが前進している。

 

 移動するたびに、その赤黒い全身がぷるぷると揺れる。

 大地が振動する。

 

 ブラック・プティング。

 ヒトを中心とした無数の生き物が融合した、ひどくおぞましい肉塊の魔物。

 

 とり込んだ魔臓の数が多いため弱点の解析が非常に困難な難敵だ。

 しかし、この町の魔術師たちは、その総力を挙げて、この魔物を丸裸にしてみせた。

 

 三日前、おれを始めとした狙撃魔術師たちが命を賭して放った五発の狙撃魔法。

 それに対するブラック・プティングの反応は、あらゆる方角から観測され、記録された。

 

 そのデータを解析した結果、ブラック・プティング本体の魔臓の位置が判明したのである。

 もっとも……。

 

「魔臓がぐりぐり動くなんて、わたし学院で習わなかったよ!」

 

 この二日間、おれの隣で同じく魔力タンクに魔力を貯めていたリラが叫ぶ。

 

「大丈夫だ。おれも初めて聞いた」

「観測した魔術師の方々も、計算した方々も、なんの間違いかと目をこすっておられましたよ」

 

 魔爵家出身の若い女性魔術師が、苦笑いする。

 今回、おれたちに対する護衛の総まとめとしてついてきたのが彼女であった。

 

 名を、テテミッタ。

 分厚い緑のローブを羽織り、赤毛を腰のあたりまで伸ばしている少女だ。

 

 おおきなふたつの紅眼がくりくりとよく動く、表情が豊かな人物である。

 腹芸は苦手そうな、素直なタイプとみうけられる。

 

 今回、彼女の主な役割は、各部隊との交信、伝令役だ。

 リラよりもひとつ、ふたつ年上にみえる彼女を前線に出したくはない、という貴族たちの思惑が感じられた。

 

「動く魔臓の現在位置を前線の観測班が割り出し、軌道を計算したうえで、みなさんに素早く伝達いたします。リハーサルは充分です。ご安心ください、必ずや本体の魔臓を捉えてみせます!」

 

 テテミッタは、ぐっと拳にちからを込めた。

 聞けば、帝都の帝立学院ではなく東部のとある公爵家がつくった学院に通い、つい先日、休暇で帰郷したばかりなのだという。

 

 リラをみていると勘違いしてしまうが、彼女のように飛び級で卒業する者はごく稀である。

 地方の学院でも、適度に留年して二十歳あたりまでに卒業すれば充分、という考え方が一般的なのだ。

 

 テテミッタは現在十七歳で、来年あたりには卒業できそうだという。

 まあまあ優秀の部類といえるだろう。

 

 学院を放り出されたおれみたいなのも、珍しい存在ではないのだし……。

 いやまあ、そんな昔の自分に対する弁護は置いておいて。

 

 彼女の発言の通りであった。

 

 ブラック・プティングの体内で動きまわる本体の魔臓の軌道を把握し、一撃で抉る。

 今回の作戦は、ただそれだけのために立てられたものだ。

 

 そのために、前線の貴族、騎士たちが中心となってブラック・プティングを足止めする。

 観測班の魔術師たちがその隙に魔臓の軌道を確認、おれたち狙撃班を誘導する。

 

 テテミッタは、ブラック・プティングの模型を持ってきていた。

 透明なガラスでつくられたもので、即席の模型とはとうてい思えぬ、工作系魔術師の力作である。

 

 このガラスの内部に入れられた黒い球体、魔臓を模したそれを、前線からの報告に従い、力場の魔法を用いて彼女が動かす。

 おれたちはそれをみて、狙撃の判断材料とする。

 

 ほかの三人のもとにも、同じ模型を手にした魔術師たちがいるはずだった。

 狙撃の順番は、すでに決まっている。

 

 前回とは逆で、最初に伯爵の部下である三人の狙撃魔術師が狙撃する。

 彼らが失敗したら、おれの出番だ。

 

 リラが念のため、後詰めとして控える。

 彼女にまで出番がまわることはないだろう。

 

 とは思うが……。

 エドルが滅ぶかどうかの瀬戸際なのだ、手抜きは許されない。

 

「壁の上の三人で仕留めてくれればそれでいいんだけどな」

「えーっ! 師匠が活躍しようよ!」

「無理なく危険を除去できれば、それがいちばんだ」

 

 戦いに時間をかければかけるほど、前線は消耗する。

 万が一、ブラック・プティングが街壁に到達してしまえば、目を覆うような被害が出るだろう。

 

 それをいうなら、狙撃の一番手をこの別邸に配置し、ブラック・プティングの興味をこちらに惹きつけるべきなのだろうが……。

 今回、その意見はメイテルが却下した。

 

 この別邸には、未だ流行り病で倒れた者たちが多く収容されているからだ。

 彼らを移送するには時間も人手も足りなかった。

 

 結果、ほかの狙撃魔術師が、病人たちのそばに長くいて病が移ることを恐れた。

 おれとリラにこの場所を押しつけたともいう。

 

 実際のところ、おれはヤァータのおかげでこの病にかかる可能性が限りなく低いらしい。

 リラも町を囲む壁の上に行ってもらおうと意見したのだが……。

 

「師匠のそばにいるよ。いざというとき、師匠を守るのはわたしだから!」

 

 と彼女はかたくなにそれを拒否して、おれの隣で魔力を充填することになったのである。

 麗しい師弟愛、ということにしておこう。

 

 さて……。

 地響きが、次第におおきくなってくる。

 

 赤黒い肉塊のような化け物は、間もなく森のはずれに到着するだろう。

 おれとリラは長筒を握り直した。

 

 



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第20話 黒竜の呪いと流行り病6

 小山のごとき醜悪な赤黒い肉の塊、ブラック・プティング。

 ヒトによってそう名づけられた魔物が、冬の森をゆっくりと這いずりながら、城塞都市エドルに近づいてくる。

 

 巨体に押しつぶされた木々が、きしんだ音を立てて倒れ、そのまま引き潰されていく。

 森の外の小高い丘で頂上付近の雪が崩れ、ちいさな雪崩が起き、雪煙が舞った。

 

 まだ遠く離れているというのに、地面が小刻みに振動しているのだ。

 おれはその光景を、エドルのそばに建てられた丘の上の伯爵家別邸、その屋上から眺めていた。

 

 森のはずれでは、二十人の騎士とその五倍の従者たち、そしてメイテルと彼女の従者たちが待機している。

 騎士は着ている革鎧こそばらばらながら、皆が揃いの穂先が黒い投げ槍を握っていた。

 

 従者たちは無手で、雪上で少しでもその身を隠すためか、全員が白い布を頭からかぶっている。

 果たして、ブラック・プティングを相手にそのような用心にどれほどの意味があるかはわからないが……まあ、やらないよりはマシ、といったところだろうか。

 

 彼らに対して、儀式用の金属鎧をまとったメイテルが檄を飛ばす。

 その声はおれには聞こえないものの、おそらく故郷を守るために奮起せよ、とでもいっているのだろう。

 

 人を死地に赴かせるには、理由が必要だ。

 それが守るべきものを背負った人々ならば、なおのこと、戦うべき理由をいま一度、思い起こさせてやるべきだ。

 

 貴族は、幼いころから、配下の者たちにその覚悟を決めさせるための教育を受けて育つ。

 かつてあいつが、そういっていた。

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら。

 あいつは、「命を賭ける理由なんて、自分のためだけで充分だよ」となんどもいっていた。

 

 その彼女は、最後におれを守るため戦い、死んだ。

 彼女のなかに、どのような納得があったのだろうか。

 

 メイテルが、手にした杖を高々と掲げる。

 作戦開始の合図だった。

 

 二十人の騎士は、一斉に森のなかへ突入した。

 少し遅れて、百人の従者たちが続く。

 

 森の淵の木々の上に登った貴族の魔術師六人が、朗々と詠唱を始める。

 ブラック・プディングの表面に浮き出た無数の顔が、前進してくる騎士たちをそれぞれ見据え、きょろきょろと動いた。

 

 まだ攻撃は始まっていないが、騎士たちに興味を抱いたのか、それとも脅威を覚えたのか……。

 正面の三つほどの顔が、おおきく口を開いた。

 

 耳を弄する咆哮が響き渡る。

 直後、それらの口から白い巨大な魔法弾が撃ち出された。

 

 魔法弾は雪の積もった地面に着弾し、森のあちこちで爆発が起こる。

 

「あんなものを喰らったら、ひとたまりもないぞ」

 

 おれの護衛についている若い衛兵のひとりが、怯えた声を漏らす。

 魔力を持たない彼らが何人集まっても、あの魔法弾の一発で全滅してしまうことは明らかだった。

 

 大型の魔物との戦いにおいて、魔臓のない者など、最初から戦力外なのだ。

 

 さて、ブラック・プディングの魔法弾による爆煙で視界が遮られたが、はたしてこの一撃をどれだけの者たちが生き延びただろうか。

 冷たい風が吹き、煙が晴れる。

 

 森のなか、積もった雪の上を高速で駆け抜ける騎士たちの姿があった。

 

 ほぼ全員が、いまの攻撃をくぐり抜けたようである。

 衛兵たちが、安堵の息を漏らす。

 

 騎士の従者たちは、爆発のはるか手前で動きを止め、罠の作成に入ったようだ。

 彼らの安全を確保するためにも、騎士たちが派手に動く必要があったのだろう。

 

「間合いの把握が上手いな」

 

 おれは呟いた。

 

「これまでのデータもあるんだろうが、魔物の攻撃が届かないギリギリのところまで踏み込んで、そこから一気に動いたんだ。だから、皆が無傷だった」

「メイテルさまの指揮の賜物です」

 

 おれたちのサポート役をする若い女性魔術師、テテミッタが語る。

 

「走るタイミング、止まるタイミングを完璧に把握されておりました」

「聞いたのか」

「はい。伝声の魔法(メッセージ)が、わたしを含めた全体に」

 

 メイテルを中心とした、騎士と貴族の魔術師たちを繋ぐ伝声の魔法(メッセージ)(ネットワーク)だ。

 今回の作戦の要となる、相互伝達手段である。

 

 ちなみにこの魔法、特定の魔導具を所持し、鍵となる魔法を発動させることで(ネットワーク)に入ることができる。

 魔導具だけでも、鍵の魔法だけでも駄目。

 

 戦争に用いることを前提とした魔法だから、ということらしい。

 ちなみに鍵の魔法の発動には、起点となるメイテルさまが任意に決めた暗号が必要である。

 

 ヤァータにいわせれば「ネットワークのセキュリティは最低限のリテラシーです」とのことだが、(ネットワーク)に入れないおれには関係のないことだ。

 単純に、おれは狙撃魔法以外の魔法を使えないからな……。

 

 で、ほかの魔法を使えないおれはともかく。

 リラがその(ネットワーク)に入っていないのには、理由がある。

 

 狙撃魔術師は、魔力タンクに魔力を貯める間、ほかの魔法を使えないからだ。

 厳密には、おれもリラも暖房の魔導具や代謝抑制の魔導具などを起動させているのだが……それはあくまで、魔道具という補助があってのことだ。

 

 リラがいくら天才でも、狙撃魔法と同時に伝声の魔法(メッセージ)を使うのは無理なのである。

 だからこそ、テテミッタのようなサポートの人材が必要なのだった。

 

 エドルの壁の上で待機しているほかの狙撃魔術師たちも同様である。

 さて、ブラック・プティングの第一射を、騎士たちは無事に回避できた。

 

 しかしまだ、彼我の距離は百歩ほどもある。

 雪上で、騎士たちの姿はひどく目立った。

 

 このままでは、第二射のいい的だ。

 ここで、森のすぐ外で待機していた魔術師たちの魔法が発動した。

 

 霧の魔法だ。

 ブラック・プディングの周囲の雪が溶け、霧となって周囲の広い範囲を包み込む。

 

 こちら側も魔物の姿が視認できなくなるというデメリットがあるものの、時間を稼ぐには充分。

 そのはずだったのだが……。

 

 巨大な魔物についた無数の口が、悲鳴のように耳障りな声をあげる。

 ブラック・プティングを中心として猛烈な突風が発生し、霧が勢いよく吹き飛ばされた。

 

 魔物は視界を奪われることを厭い、すぐこれに対応してみせたのだ。

 視界が晴れた。

 

 騎士たちは、思ったよりずっと敵に肉薄していた。

 二十歩ほどの距離だ。

 

 肉体強化魔法を使い、全力で距離を詰めたのだろう。

 ブラック・プティングの表面に浮かび上がった顔たちが、一斉に騎士たちの方を向く。

 

 猶予はない。

 騎士は一斉に立ち止まると、ブラック・プティングめがけ、手にした黒い槍を投擲した。

 

 それらは綺麗な放物線を描き……。

 あらかじめ魔物の結界に同調した加護を付与された槍は、結界をたやすく貫いて、次々とぶよぶよの肉塊に突き刺さる。

 

 それはブラック・プディングの巨体に比してあまりにも矮小な攻撃で、奴にとっては羽虫に刺された程度の痛みであろう。

 だが、それでよかった。

 

「撤収!」

 

 メイテルの声が魔法で拡大され、森に響き渡る。

 騎士たちは、素早く身を翻し、散開してブラック・プディングから距離をとろうとする。

 

 彼らの背に対して、無数の魔力弾が放たれた。

 何人かの騎士は見事に避けきったものの、運か実力に欠けた数人が魔力弾に撃ち貫かれる。

 

 絶叫が風に乗って森の外まで届き、彼らが倒れ伏す。

 真っ白な雪の上の赤い染みとなる。

 

 おれの場所からでは騎士たちの顔はわからないし、もとより彼らの区別もつかないが……。

 彼らはいずれも、己の領地とする村を持つ者である。

 

 エドルが破壊されれば、周辺の村も立ちいかない。

 故に、これは命を賭けるに値する戦いだ。

 

 ひとりの騎士が、近くで倒れた別の騎士を助け起こす。

 別の騎士が、撤退を援護するためか、立ち止まって背負った弓を手にすると、素早く矢をつがえて立て続けにブラック・プティングに放った。

 

「あれ、あの弓を持った騎士」

 

 おれと共にその光景をみていたリラが呟く。

 

「わたしが、酒場で殴り倒したひとだ」

 

 矢はブラック・プティングを包む結界に弾かれ、まったく効果がなかった。

 それでも、相手の注意を惹くことには成功したようだ。

 

 弓を手にしたその騎士のもとに、次の魔力弾が集中する。

 派手な爆発が起こって、雪が舞いあがる。

 

 はたして、爆発のあと……。

 

「結構やるね」

 

 リラが、にやりとする。

 弓を手にした騎士が、雪上を飛ぶように駆け、撤退するところだった。

 

 どうやら、上手く切り抜けたらしい。

 あんな奴でも、騎士のなかでは上澄みということなのだろう。

 

 そのちからも、命を賭して戦友を守ろうとする心根も。

 彼の時間稼ぎのおかげで、仲間を助けた騎士も無事、ブラック・プティングから遠く離れることに成功している。

 

 騎士二十人のうち、十五人は生き残っただろうか。

 彼らの挺身によって、舞台は整った。

 

「観測班から連絡、来ました。探針、二十本すべての活動を確認。いけます!」

 

 テテミッタが弾んだ声で告げる。

 作戦の第一段階は成功したのだ。

 

 探針。

 騎士たちが投げた槍は、今回のために特別につくられた、ブラック・プディングの内部の魔力伝導を探るための針なのである。

 

 身体のあちこちに刺さったこの針から魔力の流れを辿ることで、立体的にブラック・プディングの内部の状況を把握することができる。

 動きまわる魔臓の軌道を多面的に把握するのだ。

 

「従者隊と狩猟ギルド班、罠の仕掛けが完了したとの報告。撤退します」

 

 彼女の言葉の通り、任務を終えた従者たちと狩猟ギルドの精鋭たちがブラック・プディングの進行方向から離れ、左右に散っていく。

 騎士たちの突進は、彼ら肉体強化魔法すらままならぬ者たちが仕事を果たすまでの足止めも兼ねていた。

 

 ブラック・プディングは、そうとは知らず、怒り狂った様子で魔力弾をあちこちに吐き散らしながら前進する。

 そして――罠に、かかった。

 

 木々と雪に隠された目の粗い網がぶわりと広がり、巨大な肉塊の全体を包み込む。

 網の四方の端が魔法で加速し、ブラック・プディングの後方、雪が削れて露出した地面に深く突き刺さった。

 

 森で魔物を捕まえるための仕掛け網の魔道具を超巨大にしたものだ。

 今回の目的のためだけに、錬金術師たちが徹夜でつくりあげた一品である。

 

 ほんのわずか、ブラック・プティングの動きを止める。

 ただそれだけにつくられた、渾身の仕掛けは見事に成功した。

 

「狙撃魔術師!」

 

 メイテルの命令が響く。

 少し遅れて、都市を囲む壁の上から虹色の光が放たれた。

 

 光はひと筋の糸となってブラック・プディングのもとまで伸び、その正面を貫く。

 白い光が目を焼いた。

 

 爆発。

 衝撃波がおれたちを襲い、別邸全体がおおきく揺れる。

 

 階下から、逃げることもできない患者たちの悲鳴があがった。

 

 普通の魔物であれば、跡形もなく消し飛ぶような一撃だ。

 しかし、爆発の煙が晴れたあと……。

 

 ブラック・プディングは、未だ健在だった。

 開いた穴から煙をたててはいるものの、潰れた顔の周囲の肉がじゅぷじゅぷと蠢き、ゆっくりと穴を埋めていく。

 

「そんなっ、ラクロおじさんが魔臓を外すなんてっ!」

 

 テテミッタが悲鳴にも似た叫び声をあげる。

 いま狙撃した者が、彼女の親類であるらしい。

 

 さぞや腕のいい狙撃魔術師なのだろう。

 メイテルが初撃を指名したことからも、それは窺える。

 

 本来ならば、この一撃で決まるはずだった。

 しかし、そうはならなかった。

 

「テテミッタ、状況は?」

 

 おれはそんな彼女に訊ねる。

 少女は、はっとわれに返って、ちいさくうなずいてみせた。

 

「結界の角度に、事前予想から変化あり。結界を貫通した際、わずかに軌道がずれた模様です。すぐに再計算して……」

「その暇はなさそうだ」

 

 ブラック・プティングの着弾点の周囲の顔が、七つ、おおきく口を開いた。

 反撃が、来る。

 

「第二射、第三射、急げ」

 

 拡声されたメイテルの冷静な声が響き渡る。

 命令に従い、エドルを包む壁の上にいる残りふたりの狙撃魔術師は、身を隠すことより己に与えられた命令を遂行することを優先した。

 

 二発の白い筋が、たて続けに放たれる。

 この短時間で、自分たちのカンだけ弾道を修正したのだろう。

 

 ブラック・プディングは二度、その身を貫かれ、体勢を崩すも――。

 七つの口は、ほぼ同時に魔法弾を放っていた。

 

 七発の魔法弾はいずれも都市を囲む壁に命中し、轟音と共にすさまじい爆発を起こす。

 幾重にも石を重ねて建てられた堅牢な城塞に、いくつもおおきな穴が開いた。

 

 壁の一部は、まるまる区画ひとつが消し飛んでいる。

 もちろん、その上にいた者たちなどひとたまりもないだろう。

 

「魔臓の破壊、認められず」

 

 固唾を呑んで戦いを見守っていたおれとリラのそばで、テテミッタが事務的に告げる。

 いや、その表情は青ざめており、声は少しだけうわずっていた。

 

「魔臓の軌道に誤差を確認。もういちど、今度こそきちんと軌道の計算を……」

 

 あまりの被害と敵の強大さにくじけそうになりながらも、さきほどとは違い、冷静であろう、と懸命に努力しているのだ。

 彼女はいずれ、いい魔術師になるだろう。

 

 それも、この戦いを生き延びることができれば、の話だ。

 おれとリラは彼女を急かすことなく、沈黙して再計算の結果を待った。

 

「魔臓の軌道計算終了。このパターンです」

 

 彼女が両手で抱えるブラック・プディングの透明模型、その内部の魔臓を示す球体が、球を真ん中で捻ったような螺旋軌道を描く。

 なるほど、これでは当てるのも容易ではない。

 

「師匠、わたしがやるよ」

 

 リラは、おれがなにかいう前に長筒を構えた。

 頭のなかで魔臓の軌道を計算しているのだろう、慎重に狙いをつけている。

 

「ヤァータ」

 

 おれは上空を透明化して旋回しているはずの、わが親愛なる使い魔に声をかけた。

 左手の腕輪が、かちかち、と光って反応を返してくる。

 

「この螺旋軌道は合っているのか」

 

 かちかちかち、かちかち、かちかちかち。

 この光の明滅は――。

 

 否、である。

 

「リラ、撃つなっ!」

 

 おれは舌打ちして、そう叫ぶ。

 しかし、わずかに遅かった。

 

 リラは長筒の引き金を引く。

 虹色の細い筋が、ブラック・プディングに向かってまっすぐに伸び――すさまじい爆発が起こる。

 

 これで、敵は屋上のおれたちを認識した。

 轟音のなか、おれは叫ぶ。

 

「ヤァータ! おれとリンクしろ!」

「はい、ご主人さま」

 

 次の瞬間、おれはヤァータとなって、上空を旋回しながらブラック・プディングの巨体を見下ろしていた。

 そして、みる。

 

 魔臓が螺旋軌道を描きながら、時に上に、時に下に、ゆらゆらと揺れている様子を。

 騎士たちの刺した探針の位置は、いずれもブラック・プディングの巨体の下方であった。

 

 多面的、立体的に捉えているといっても、上方からの視点がなかった。

 故に、魔臓の微妙な上下振動を探知できなかったのである。

 

 ヤァータは探針からのデータを勝手に入手し、加えて上空からの独自の解析も行なっていた。

 結果、おれの使い魔ということになっているこいつだけが、正しい情報を入手することになった。

 

 ブラック・プディングの注意が別邸に向けられる。

 その屋上にいるおれとリラに向けて、無数の顔が口を開く。

 

「させるかよ」

 

 リラの一撃で、ブラック・プディングを包む結界が破れている。

 カンだけで軌道計算を行なう。

 

 おれは長筒を構え、引き金を引いた。

 放たれた虹色の光は、まっすぐに伸びて、魔臓を的確に射貫いた。

 

 巨大な肉塊の魔物が、断末魔の声をあげる。

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 ブラック・プディングと呼称された魔物は、魔臓を潰された後もその身を引きずって前進し、森のすぐ外まで進出した後……。

 

 ゆっくりと、巨体を雪の上に横たえ、動かなくなった。

 方々から歓声があがる。

 



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第21話 黒竜の呪いと流行り病 完

 かくして、ブラック・プディングは討伐された。

 城塞都市エドルに多大な被害を残して。

 

 崩れた壁の復旧、斃れた者たちへの保証、人々の慰撫……。

 メイテルさまも、頭の痛いところだろう。

 

 そもそも、未だ疫病は続いている。

 黒竜の脅威も健在である。

 

 それでも。

 いまだけは、皆と喜びを分かち合うべきだろう。

 

 護衛の者たちが歓声をあげるなか。

 おれは、未だ先端が熱を放っている長筒を下ろした。

 

「師匠、師匠! やったね! さすが師匠!」

 

 とたん、喜色満面のリラが飛びついてくる。

 体当たりといってもいいくらいの衝撃があって、身体がぐらりとよろけ、かろうじて踏みとどまる。

 

「あっ、ごめんなさい」

「いや、いい」

 

 はしゃいだことを恥じているのか、赤面して頭を下げるリラ。

 ははは、普段は賢く立ちまわっていても、まだまだ子どもだ。

 

「問題はないか」

「問題?」

 

 リラはきょとんとして小首をかしげた。

 おれは彼女が放り出した長筒を回収し、砲身に歪みがないか、ひび割れがないか確認してから彼女に返す。

 

「大丈夫だな。すぐにでもまた使えるだろうが、あとでいちおう、再点検はしておこう」

「はい、師匠。狙撃のあとも、次のことを考えろ、ってことだね」

「ことに今回は、な」

 

 おれは森の方を眺めた。

 分厚い鈍色の雲が割れて、隙間から青空が顔を覗かせる。

 

 弱々しい日差しが、ブラック・プディングの無残な死骸を照らしていた。

 そして……無数のカラスが、エドルの崩れかけた壁とこの別邸のまわりを遊弋している。

 

 彼らは死肉を漁る機会をうかがっているのだろうか。

 それとも……。

 

「あ、あれ。繋がらなくなっちゃった」

 

 テテミッタが戸惑った様子で左耳をとんとん叩く。

 さきほどまで騎士や貴族たちと繋がっていた伝声の魔法(メッセージ)が途切れたようだ。

 

「すまないが、メイテルさまに今後の指示を仰いでくれ」

「はっ、はいっ。直接、指示を確認してきます!」

 

 若き魔術師は、慌てた様子で屋上から飛び降りた。

 赤毛を揺らして木の葉のようにゆらゆらと揺れながら、除雪された中庭に着地。

 

 いちどこちらを振り仰ぎ、笑顔でおおきく手を振ってから、猪もかくやという速さで森の方へ駆けていく。

 若い子は元気だなあ。

 

 護衛の若者たちも、互いに手を叩いたり抱き合ったりしている。

 皆が、戦いが終わったことに心から安堵していた。

 

 さて、と……。

 空を舞うカラスの一羽が、おれのもとへ下りてきた。

 

 ヤァータではない。

 ほかの個体よりひとまわりおおきな、赤い目をしたカラスであった。

 

 カラスは屋上の出入り口の屋根に立つと、おれとリラを見比べて、おおきくカァと鳴いた。

 リラが、さきほどとはうってかわり、緊張した面持ちで呟く。

 

「使い魔だね」

「ああ、だろうな」

 

 ヤァータと視界を共有した際のことだ。

 異様な熱量を持つカラスが、ブラック・プディングから少し離れた太い木の枝にとまり、じっと別邸の方を眺めていることに気づいたのである。

 

 ヤァータはそのカラスの熱量を調査し、尋常ではない個体であると識別し、おれに判断を仰いだ。

 おれの結論は、捨て置け、であった。

 

 いまはブラック・プディングを倒すことを優先するべきである、と。

 そう判断したのであるが……。

 

 戦いは、終わった。

 そして異常な熱量を持つというカラスは、おれのもとへやってきた。

 

「我は戦士の健闘を讃えよう」

 

 カラスが、少し聞き取りにくい、しわがれた声でそう告げた。

 さきほどまで喜んでいた護衛の若者たちがざわめき、リラが眉をひそめる。

 

「師匠、これって」

 

 おれは軽く片手をあげて、護衛たちとリラを黙らせる。

 ある程度、予想していたことではあるが……。

 

 それでもやはり、おれは驚いていた。

 黒竜はずる賢く、油断ならぬ性格で、慎重であると聞く。

 

 ならば己が送り込んだ魔物がこの町と戦う様子を観察していてもおかしくはない。

 ない、のだが……。

 

 ではなぜ、こいつはわざわざおれにコンタクトをとってきたのだろうか。

 あげくに、健闘を称えてくれるとは。

 

 ありがたくて涙が出そうだ。

 護衛の者たちが、慌てて剣を手に、カラスに詰め寄ろうとした。

 

「皆、動くな」

 

 おれは鋭くそう告げる。

 相手に敵意はない、とみてとったのだ。

 

 はたして護衛の若者たちは、立ち止まって困惑した様子でおれを振り返る。

 おれはゆっくりと首を横に振ってみせた。

 

「貴重な、相手からの接触なんだ。情報を引き出したい」

「で、ですが……」

「どのみち、その使い魔はきみたちの手に負えるような相手じゃないよ。いざとなれば、おれとリラがやる」

 

 しぶしぶ、といった様子で引き下がる護衛の者たち。

 実際のところ、万一、なにかあった場合に対処するのはリラひとりなのだが……まあ、こういっておかなければ彼らも引っ込みがつかないだろう。

 

 おれは、改めて赤い目の大柄なカラスに向き直る。

 

「あんな醜悪なものを送り込んで、おれたちが悪戦苦闘している様子を観察しているなんて、ずいぶんと悪趣味じゃないか」

 

 リラが、おれの服の袖をぎゅっと握る。

 カラスは、黒い翼をおおきく広げ、ばさばさと羽ばたかせた。

 

「おまえたちとて、己の土地を無粋に踏み荒らす者に対しては相応の報復を行なうであろう? それが均衡というもの。違うかね?」

「先にこっちが手を出した、といいたいのか。答え合わせをしようじゃないか。流行り病は?」

「我の使者と病の流行、時期が重なっていたことは認めよう。だが、我は病とはなんの関係もない。我らの神、七つ首の天竜にかけて誓う」

 

 七つ首の天竜。

 一般的には、竜たちが信仰する神であるといわれている。

 

 おれは肩をすくめてみせた。

 竜が己の神に対して誓うことになんの意味があるのか、おれにはさっぱりわからない。

 

 もしそこに大切な意味があるのなら……。

 こいつ、みかけの態度とは裏腹に、ずいぶんと真面目じゃないか。

 

「どんな魂胆があって、そんなに誠実なんだ」

「誠実で、なんの問題があるだろうか。無駄な嘘や欺瞞は対立を深めるだけであろう?」

「道理だ。それだけに、気に入らない」

 

 黒竜は、その嘘や欺瞞こそ尊ぶといわれている。

 いまさら、殊勝な態度に出られても、これっぽっちも信用できない。

 

 カラスが、しゃがれ声で笑った。

 

「相も変わらず内輪揉めに忙しいおまえたちの常識では、そうなるのだな。実に面白い。我の言葉は、素直に、ありのままに受けとればよいのだ」

 

 内輪揉めに忙しい者たち、か。

 実際にその通りなのだから、なにもいい返せない。

 

 今回、黒竜のもとに討伐隊を送り込んだのも、一部の派閥が、疫病の責任を外に求めた結果である。

 実際に黒竜が疫病の原因である、と皆が皆、信じ込んでいたわけではあるまい。

 

 黒竜としては、とばっちりもいいところだ。

 まあそもそも、種として強靱で個々が強大なちからを持つ竜と違い、脆弱な生き物であるヒトは、群れなければ生きていけない。

 

 ヒトが集まれば、派閥が生まれる。

 意見の対立が生まれ、それを上手く調整できなければ、余所からみればひどくいびつな結論が飛び出てくる。

 

「衆愚のなかから、おまえのような傑物も生まれる。故に我はおまえたちを侮らぬ。讃える、とはそういうことだ」

「今回も偶然上手くいっただけで、見込み違いもいいところだ」

「ただの偶然が二度も続くものか」

 

 ちっ、特異種のトロルのときのことも知っているってことか。

 厄介なやつに目をつけられたな。

 

「そう心配するな。おまえが讃えられて喜べぬ個体であることは理解した。我は安堵したぞ」

「安堵、だと?」

「功を求めぬのであろう? そのような者は、わざわざ我を排除しに来ることもなかろう。おまえたちの言葉でいえば、枕を高くして眠れるというものだ」

 

 また、カラスは耳障りな笑い声をたてる。

 こいつはいま、なんといった?

 

 こいつは、黒竜は。

 おれが殺しに来ることを恐れていると、そういったのか?

 

 いや、まあいい。

 そういうことなら、おれがいうべきことはひとつだ。

 

「おれは自分の住処の平穏が第一だ。この地が荒らされなければ、ほかはどうでもいい」

「賢明なことだ。おまえは長く生きるだろう。ヒトの命の限りにおいて、ではあろうがな」

 

 はたしてそうかな?

 はっはっは、ヤァータめ、適当なところで死なせて欲しいんだがなあ。

 

「せいぜい、限りある生にしがみつくがよい」

 

 最後にそう告げて、カラスは空に舞い上がった。

 たちまち高度をあげて、周囲を舞う群れに紛れてしまう。

 

 おれは全身のちからを抜いた。

 その場に腰を下ろし、おおきく息を吐く。

 

「やれやれ、虚勢を張るのも苦労するよ」

「師匠、大丈夫?」

「全然、大丈夫じゃない。腰が抜けるかと思った」

 

 

        ※※※

 

 

 ブラック・プディングに破壊された壁の修復には、土木工事に長けた魔術師たちが総掛かりで二十日以上はかかる、と見積もられた。

 あのとき壁の上にいた者たちは、幸いにして魔術師のみで、皆が皆、上手く逃げ延びたという。

 

 逃げ足が早いのも、狙撃魔術師にとって大切な技能のひとつだ。

 領主お抱えの彼らは、じつに優秀な狙撃魔術師であった。

 

 騎士と従者たちの被害はおおきかった。

 生き延びた騎士の数人も、重い怪我の後遺症で戦えなくなり、代替わりしたという。

 

 こうして、ブラック・プティングとの戦いは終わった。

 おれは黒竜との会話の内容をメイテルに伝えた。

 

 彼女は少し考え込んだあと、「忘れなさい」とおれに忠告した。

 

「あのようなものに目をつけられたことを吹聴したところで、いいことなどひとつもありません」

「おれはただ、平穏無事に過ごしたいだけなんですがね」

「我々、この土地を預かる者たちとてそう思っています。なんとも、ままならぬものですね」

 

 互いにうなずきあった。

 いやはや、このようなトラブル、二度とごめんである。

 




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感想、すべて読ませていただいております。
いつも本当にありがとうございます。

多忙により返信できず、申し訳ありません。


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第22話

 冬の最中、一年でもっとも昼の時間が短い日を前年の終わりとし、その翌日を新年の始まりの日とすることで、帝国の暦はつくられている。

 年が明け、新しい一年が始まった。

 

 流行り病は徐々に終息しつつあり、狩猟ギルドの酒場にも人が戻った。

 テリサは「みなさんもっと飲み食いしてください。さあ、わたしにお金を捧げるのです」と労働に忙しい。

 

 ブラック・プティングの討伐後、大々的な森の調査が行われ、狩人たちは軒並みそれに動員された。

 領主から支払われた報酬によって、ギルド員たちの懐は暖かい。

 

 酒場は毎日大入りで、普段はあまり注文されないような高い酒がばんばん注文されているらしい。

 テリサは臨時雇いのウェイトレスも動員して、懸命に注文を捌いている。

 

 いいことばかりではない。

 新年を祝う祭りは、中止となった。

 

 領主としては、是非ともこれを例年通りに執り行い、城塞都市エドルの無事をアピールしたかったところであろうが……。

 

 単純に、人手が足りなかった。

 生き残った貴族たちは毎日徹夜でブラック・プティング戦の後始末を行ない、過労で倒れる者が多数出る始末なのである。

 

 壊れた壁を修理するのも、巨大な魔物を解体して埋めるのも、雪が降り積もるなかあちこちに連絡するのも魔術師たちの仕事なのだから、仕方がない。

 そもそも黒竜討伐部隊に加わった魔術師たちが全滅したせいで、各家、魔術師の数が足りないのだ。

 

 加えて、大量の書類仕事が発生している。

 生き残った高貴な人々は、明日のために地獄のデスクワークをこなしているのであった。

 

 目もとに深い隈をつくったメイテルが「ところであなたの弟子、書類仕事とか得意そうではありませんか」と不穏なことをいってきたので全力で断ったのも、いまとなってはいい思い出だ。

 親心として、リラには是非とも健康に育って欲しい。

 

 まあそんな彼女は現在、土木関係の魔法が得意な魔術師のひとりとして、町を囲む壁の修復にいそしんでいるのだが……。

 多才なヤツは、大変なのである。

 

 

        ※※※

 

 

 さて、弟子と違い非才なおれは、今日もギルド一階の酒場で杯をあおっている。

 席はどこもいっぱいだから、当然のように相席だ。

 

 今回、テーブルを囲むおれ以外の三人は、いずれも狩人だった。

 壮年の男がひとりと、まだ子どもといえるような少女がふたりである。

 

 少女たちは、少しだけ魔法が使えるとのことであった。

 貴族の血が拡散した結果、魔臓を備えた平民も在野に多くいる。

 

 彼らの多くはその才能を開花させることがなく生涯を終えるが、運よく魔力の引き出し方を学んだ者たちの多くが、その才を生かす道を選ぶこととなる。

 ふたりは孤児で、今年の春に雪解けを待って孤児院を出ることになっているとのことであった。

 

 孤児院にいる間に熟練の狩人に弟子入りし、自分たちだけで生きる術を学んでいる最中なのだ。

 一年前に孤児院で魔臓の検査を受けた際、体内で魔力を循環させるに充分な魔臓があると見込まれ、最低限の訓練を受けることができたらしい。

 

 このエドルの孤児院でわざわざ魔臓の検査をしてくれる孤児院は少なく……。

 というか領主の妹であるメイテルが運営する孤児院のみである。

 

 だから、自分たちは幸運なのだ、とふたりは語る。

 

「おかげでわたしたち、魔法で身体能力を強化したり身体を温めたりできるようになりました。まだ見習いですけど、冬でも森でお仕事ができる人は少ないから頼もしい、ってギルド長に褒められました」

 

 きらきらした目でそう語る、ふたりの少女。

 

「でも、ふたりとも弓の才能はあんまりないみたいで……。だから罠猟をメインに、師匠からいろいろ学んでいるんです」

 

 壮年の男が、このふたりの師匠である。

 彼はギルドの古株で、以前、事故で妻と娘を亡くしていた。

 

 ふたりが自分の娘のようにみえているのだろう。

 うんうん、わかるよ、その気持ち。

 

「なんだ、狙撃の。おれのことをじっと見つめやがって。気持ち悪い」

「いや、まあ、な。優秀な弟子たちで、なによりじゃないか」

 

 師匠であるその男が、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「冬に動けるやつは貴重だからな。こいつらがモノになってくれれば、おれたちが楽をできるってもんだ」

 

 それは、ある程度本音だろう。

 他所では冬の森に多くの狩人が入っていくところもあるらしいが、この地において冬の森はひどく危険だ。

 

 山脈付近の魔物が餌を求めて森の浅層まで出てくるという事情がひとつ。

 雪に足をとられ、魔物から逃げることが難しいというのがもうひとつ。

 

 だからこそ、魔法が使える狩人は重宝される。

 それがたとえ、基礎の基礎程度であっても、だ。

 

「狙撃の。そんなことより、おまえさんの弟子はどうした。最近、全然姿をみないじゃないか」

「リラのやつは器用だからな。いまは壁の修理だよ。あれだけは、一刻も早く元に戻さなきゃいけないってことでな……」

「お貴族様のお仕事じゃないか。たいしたもんだ」

「まったくだ。おれなんかと違ってな」

 

 笑って、エールを飲み干す。

 近くの臨時雇いのウェイトレスにおかわりを頼んだ。

 

「あと、鞭角鹿の串焼きを八本、山菜のサラダも頼む」

 

 来た料理は、おれのおごりとして皆に振る舞った。

 少女たちが、嬉々として串焼きを頬張っている。

 

 鞭角鹿は、馬よりひとまわりおおきな体長と鞭のようにしなる長い角が特徴の魔物だ。

 草食ながらひどく獰猛で、人であろうと熊であろうと、みつけ次第、長い角を振りまわして襲いかかってくる。

 

 反面、肉が非常に柔らかく、熟成させなくても美味と評判なのである。

 ブラック・プティングに怯えて里に降りてきた鞭角鹿が数頭いたらしく、討伐されたこれらの肉をギルドが仕入れ、お得な値段で提供されていた。

 

 他にも森の外に逃げた生き物は多いらしくて、近隣の集落では村人たちが総出で駆除にあたっているとか。

 森の秩序は、今回のことでめちゃくちゃになってしまった。

 

 冬眠していたはずの熊や兎、それらに似た魔物たちが、森からだいぶ離れた村の付近に出没しているという。

 連絡が途絶えた小規模の集落に騎士が赴いてみたら、全滅していたという痛ましい話もあった。

 

「ところで、狙撃の」

「なんだ」

 

 少女たちが肉に目の色を変えているうちに、と壮年の男がおれに顔を近づけ、声を落とす。

 

「黒竜と話をしたってやつ、おまえだろう? 黒竜は、やはり流行り病とは……」

 

 なんでおれにそれを聞くんだよ。

 いや、おれと黒竜の会話は若手の衛兵たちも聞いていたから、そのへんから漏れたんだろうが……。

 

 いちおう箝口令が敷かれたんだがなあ。

 おれは肩をすくめてみせる。

 

「ご領主様の発表の通り、無関係なんじゃないか」

「おまえの口から聞きたい」

「おれには嘘を見破る技術なんてない。ご領主様がおっしゃったなら、そうなんだろうさ」

 

 これも本音である。

 男はおおきく息を吐いて、「そうか」と呟いた。

 

「どうしたんだ、急に」

「おれの妻と娘が病で亡くなった、って話は知っているだろう」

「ああ」

「あの病も、誰かが流行らせたものだったなら……。おれも、その誰かを憎むことができたのかな、と……ふと、な」

 

 なるほど。

 病を憎んでも、その怒りのぶつけどころなどどこにもない。

 

 だが、黒竜が病の源だというのなら、黒竜を憎むことができる。

 やるせない気持ちの行き所、というのがみつかる。

 

 貴族たちが黒竜討伐の旗を掲げた理由のひとつには、そういった感情もあったのかもしれない。

 憎まれる方としては、たまったものじゃないだろうが……。

 

 すべてを理屈だけで割り切ることができる者は少ない。

 それが、ヒトである。

 

 年をとっても……いや、年を経ればこそ。

 積み重なった気持ちの厚みは、いっそう重いものとなる。

 

 おれがあいつを失ったときは、どうだっただろうか。

 ああ、そうだ。

 

 自分自身のちからのなさ、無力さに苛まれ……しかし、それはすべて、おれ自身に向かっていた。

 仇である悪魔はあのとき滅ぼしてしまったから、ほかに怒りをぶつける相手もいなかったのだ。

 

 もしそうでなくて、あいつを病で失ったとしたら。

 おれは、あの後、どうしていただろうか。

 

 首を振る。

 いまさら考えても仕方がない。

 

 新しいエールが入った杯を、ぐいとやる。

 このやるせない気持ちごと、押し流す。

 

「まだ腹に入るなら、おれの分の串焼きも食ってくれないか」

「え? いいんですか、狙撃さん」

「思ったより脂が重たくてな……」

「わっかりました! いただきますっ!」

 

 少女たちの清々しい食いっぷりをみているだけで、満たされるものがある。

 

 

        ※※※

 

 

 エドルの周囲のいくつかの村では騎士が代替わりし、それに伴って狩人の何人かが故郷の村へ戻っていった。

 新しく、騎士の従者としてとり立てられることになった者たちである。

 

 三男、四男だった彼らは、上の兄たちが死んだり戦えなくなったため、急遽、家に呼び戻されたのだ。

 腕がよくて稼げる狩人だったとしても、しょせん狩猟ギルドの者たちは明日をも知れぬ身にすぎない。

 

 きちんと俸禄がある従者という立場には、たいそうな魅力があるのだろう。

 無論、実家からの要請を断って町に残った者もいる。

 

 その多くは、この町で家庭をつくり、足場を固めていた者たちだ。

 実家としても、いちど手放した彼らに対して強い態度に出ることはできない。

 

 そういった者たちは、ギルドにそれなりに己の腕を認められているのだから。

 

 それでも全体としては、かなりの腕利きがギルドを離れたことになる。

 ブラック・プティングとの戦いで命を失った狩人も多いから、ギルド全体での損害はかなりのものであった。

 

「そんなわけでな。狙撃の、おまえさんの仕事じゃないのはわかっているが、森の巡回を頼めないか」

 

 酒場で呑んでいたおれは、ギルド長のダダーによって二階に呼び出され、そんな要請を受けた。

 彼はおれが狙撃魔術師としてどういう仕事を請け負っているか、そのすべてを知っている数少ない者のひとりだ。

 

「おれが断ったら?」

「少し不安だが、若い奴らに任せるしかないな。おまえは知らんかもしれんが、罠猟を覚えたての、少し魔法も使えるガキたちがいる。あいつらなら、森の浅層くらいは……」

 

 おれは舌打ちした。

 

「わかった、おれがやろう」

「いいのか。いや、頼んだおれがいうことじゃないが」

「あんたがいうなら、それほどのことなんだろうさ。こいつは、冬の森を知らない新人にあてがう仕事じゃない」

「助かるよ、恩に着る」

「いつも便利に使われるってことなら勘弁だが、いまが非常時なのはわかっているつもりだ」

 

 携帯用の暖房の魔道具なども、魔臓のある者でなければ使えないから、冬の森で快適に動ける者の数は限られてくる。

 おれは魔法を使えないとはいえ、狙撃のために何日もじっとしている都合上、こうした魔道具の用意はある。

 

 それに、弟子のリラが汗水垂らして毎日働いているというのに、師匠のおれがこうして日々呑んだくれているというのも体裁が悪い。

 たまには身体を動かさないとな……。

 

「この冬の間だけだろう?」

「ああ。慣れないことなんだ、無理はするなよ」

「誰にいっている。自分の無能さは、おれがいちばんよくわかっているさ」

 

 苦笑いするダダーにそう告げて、おれは依頼書にサインを入れた。

 

 



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第23話

 春の訪れを前にして流行り病が収束に向かったのは、領主の対策が効果的だったからだ。

 別邸を病床としてまるまる確保したうえで迅速に隔離措置を行った。

 

 ヤァータがいうには、本来、こういった感染症は貧困層の間におおきく広がり、またたく間に手がつけられないことになるのだという。

 まずそこを徹底的に叩いたのが、功を奏した。

 

 加えて、医療魔術師たちの献身があった。

 彼らは昼夜を徹して魔法を用いた病の解析を行い、わずかの間に、ある程度は効果のある薬をつくり出した。

 

 リラは解熱剤を量産したくらいだが、これも体力のない者には助かったことだろう。

 で、医療魔術師たちの意見をリラから聞いた限りでは……。

 

「あれは呪いなんかじゃなくて、ただの病だよ。黒竜さんは、とんだとばっちりだったね」

 

 とのことである。

 あの使い魔の言葉は、専門家からも裏付けを得られたかたちだ。

 

 もう少し早く貴族たちの間にその事実が広まっていれば、黒竜討伐部隊なんてものは組織されなかっただろう。

 その後のブラック・プティング事件もなかったかもしれない。

 

 あのとき医療魔術師たちは治療薬の発見に懸命だったのだし、いまとなっては、なにもかもが遅いのだが……。

 黒竜の討伐を推進した貴族たちは、おおきく政治的な地位を落とした。

 

 発言力の面でも、純粋なちからとしても、そして資金面でも。

 領主との間にどういう取引があったかは知らないが……。

 

 ことがすべて終わった後、推進派の貴族たちはエドルの復興のため、惜しげもなく財貨を投入したのである。

 彼らは有望な魔術師を多数失ったうえに、信用も失墜した。

 

 せめてそれくらいしなければ町にいられない、というところまで追い詰められていたのかもしれない。

 メイテルには、あえてそういう貴族社会のことについては聞いていない。

 

 そんなもの知りたくないし、関わりたくないからだ。

 おれのことなんて、なるべく放っておいて欲しい。

 

 

        ※※※

 

 

 新年からしばし、相変わらず厳しい冬のある日の午後。

 おれがギルドの一階の酒場でひとり呑んでいると、珍しい顔がやってきた。

 

 狩人ではない。

 それどころか、身なりのいい少女である。

 

 テテミッタ。

 ブラック・プティングとの戦いでおれとリラのサポートをしてくれた、魔爵家の娘だ。

 

 年はリラより少し上だが、地方の学院にまだ在学中。

 たまたま帰省していたタイミングで、ブラック・プティング騒動に巻き込まれた、なんとも運の悪い女性である。

 

 もうとっくに、学院に戻っていると思ったのだが……。

 少し疲れた様子でおれに挨拶してきた彼女に、向かいの椅子を勧める。

 

 今日の酒場は人が少ない。

 少し離れた卓の中年狩人たちが、貴族の娘とおぼしき格好をして酒場に入ってきた若い女性など関わり合いになりたくない、という雰囲気で目をそらしている。

 

「どうしました、テテミッタ嬢」

「あはは……あのときみたいに、気軽に話してください。いえ、ちょっと、いろいろありまして……」

 

 苦笑いして、疲れた様子で肩を落とす。

 おいおい、厄介ごとの臭いがするぞ……。

 

 とはいえ、おれからすれば彼女はまだまだ子どもだ。

 いちおうは知己であり、あの戦いでは彼女に助けられてもいる。

 

 話くらいは聞いてやろう、と着席を促したあとテリサを呼び、彼女のぶんの注文をする。

 おれのおごり、ということでちょっと質のいい葡萄酒と秤熊の腸詰めを頼んだ。

 

 彼女は申し訳なさそうに縮こまっていたが、注文していた料理が届くと、その香ばしい臭いに刺激されたか腸詰めにかぶりつき、葡萄酒を一気にあおる。

 とうてい貴族のご令嬢とは思えない豪快な食べ方で、またたく間にそれらをたいらげてしまった。

 

 うんうん、食欲旺盛なのはいいことだ、とその食いっぷりを眺めていたおれは、テリサを呼んで料理と葡萄酒のおかわりを頼んだ。

 メモを片手に注文をとる彼女に小声で「少し薄めて」とつけ加える。

 

 テリサは「酔いつぶすつもりじゃないんですか」と首をかしげた。

 おいこら。

 

「わかりました、それじゃ注文を繰り返しまーす」

 

 テリサはぺろりと舌を出して、カウンターに駆け戻る。

 ったく、ガキがませた真似を……。

 

「ご、ごめんなさい、わたしとしたことが、はしたない食べ方を……」

「ここでマナーを気にするような客はいない。それより、話を聞かせてくれないか」

「あの、それが……実は……」

 

 彼女は、話しにくそうにしながら、ぼそり、ぼそりと語り始めた。

 簡単にいえば、そう。

 

 自分の将来が消えた、という話を。

 

 

        ※※※

 

 

「復学は無理そうなんです」

 

 これ以上は学院に通えない、という。

 問題は単純。

 

 実家に金がなくなったから。

 そう、彼女の実家である魔爵家は今回の一件で完全にやらかした側だったのだ。

 

 七つ上の兄を含め、多くの親戚と使用人が亡くなった。

 いずれも優秀な魔術師や、長年その補助をしてきた家系の者たちである。

 

 加えて町の復興に際して、本当にどこからどこまでも金を絞り出してしまった。

 春には、使用人の大半を解雇しなければならないほどであるとのことだ。

 

 帝都の学院であれば、また事情は変わるだろう。

 あれは帝国全体で優秀な魔術師を増やす、という目的でつくられた場所であるから、生徒が優秀であればさまざまな奨学金で援助してくれる。

 

 まあおれはそんな機関から弾かれた落ちこぼれなわけだが……。

 そんなことは、いまはいいんだ。

 

 彼女が通っていたのは、地方の学院である。

 無論、魔術師を増やすという目的は同じでも、お金の問題はもっとシビアになる。

 

 もちろん本当に優秀なごくごく一部なら、また話は別なのだろうが……。

 

「わたしは、それほど優秀じゃありませんから」

 

 彼女は、目を伏せてそう語る。

 まあ本当に優秀な人物なら、帝都の学院に通うからなあ。

 

 地方に通っているという時点で、そのあたりはお察しである。

 勘違いして欲しくないのだが、学院に通って高学年になっている時点で充分優秀だし、おれなんかより優れた魔術師なのである。

 

 単純に、世の中、上には上がいるということだ。

 

 あ、リラの話はやめような?

 あいつは本当に頂点も頂点、帝都の学院の記録を塗り替えるレベルの常識外れだから。

 

「お金を稼ぐ必要があるんです。実家を助けるために。あわよくば、わたしがもう一度、学院に通う費用を捻出するためにも」

 

 テテミッタは気をとりなおし、背をまっすぐに伸ばす。

 おれと視線を合わせ、青い目にちからを込める。

 

「魔物を狩るのが近道だと考えました」

 

 学生だったとはいえ、彼女は魔術師だ。

 基礎的な魔法の実力が及第点以上であることは、先日、彼女をサポートを受けたおれがよく承知している。

 

 その魔法の技を生かした仕事につくことで、上手くいけば彼女が望むだけの金額を稼げることだろう。

 もっとも……。

 

「魔法を生かした仕事なんて、いくらでもある。わざわざ狩りを選ぶ必要はないんじゃないか」

「ですが、錬金術や治療魔術師としての仕事、土木魔術師としての仕事には学院卒業の資格がないと……」

「そういえば、あのへんはギルドがしっかりしていたな」

 

 抜け道もないわけではない。

 裏の世界では、資格など関係がない。

 

 しかし、まっとうではない身分の者ならともかく、貴族家の令嬢が既得権益と対立しては本末転倒である。

 彼女の家が傾いたのは、見栄とか名誉とかを優先して限界まで身銭を切ったからなのだから。

 

 その見栄と名誉を捨てるような方策はナシというわけだ。

 あくまでも、きれいなお金でなくてはならない。

 

「貴族ってのは面倒だな」

「はい、面倒なんです……」

 

 思わず呟いたら、ちからなく同意されてしまった。

 テテミッタは苦笑いしてみせる。

 

「学生の身の上でも、学院が紹介するアルバイトなら大丈夫なんですが……」

「その学院に通えない以上、それもできない、と」

「あれ、学院が中抜きしてますからね」

 

 世知辛い話である。

 学院側としても、生徒の身分を保証する以上、得るものが必要ということなのだろうけれども。

 

「だが、なんでおれに? おれは狙撃魔術師のことしか知らないし、きみは狙撃魔術師に向いてないだろう」

「はい、向いてないとはっきりいわれました。メイテルおばさまに」

「メイテルさまか……」

 

 この町の魔爵家は、伯爵家の分家である。

 現伯爵の妹であるメイテルは、彼女にとって相談しやすい叔母なのだろう。

 

 メイテルも彼女の実家と政治的に対立していたとはいえ、それと個々人のつきあいは別だ。

 それに目の前の少女は、先日の戦いで、己のできる限りの貢献をしてみせた。

 

 おれはため息をつく。

 メイテルの紹介、となれば無下にもできない。

 

 彼女にはおおきな借りがいくつもあるのだ。

 そのなかでも最大のものは……。

 

 毎年、伯爵家の一族しか入れない土地に赴き、あいつの墓に挨拶するための便宜を図ってくれたこと、だろうか。

 このことについては伯爵様もご存じだそうだが、本人と会ったことはない。

 

 さて、と……。

 観念して、まずは彼女の適性について探ることにする。

 

「ちなみに、これまで魔物を狩ったことは?」

「学院の実習で、いちおう……。あとは寮に忍び込んできた、鱗ねずみを退治したくらいです」

 

 鱗ねずみは、一般的に錬金術の実験で用いられる、小柄だが頑丈で素早く、食欲旺盛な魔物である。

 各地の学院でよく脱走し、騒動を起こすことで有名だ。

 

「どうやって仕留めた?」

粘着灰の魔法(スティッキーアッシュ)で動きを止めて、ハンマーでこう、えいっ、と」

 

 テテミッタは両腕で得物を持ち上げ、振り下ろす真似をしてみせた。

 酔いのせいか、動作がやけに大袈裟だ。

 

 ちなみに粘着灰の魔法(スティッキーアッシュ)は、ねばねばした灰を生み出し、相手の動きを止める初級の魔法だ。

 あらかじめ触媒となる灰をばらまいておく必要があるものの、簡単な術式の割に効果が高い。

 

「攻撃魔法は使えないのか?」

「基礎的な魔法は使えます。でも、粘着灰の魔法(スティッキーアッシュ)って便利じゃありませんか?」

「あらかじめ仕掛けをほどこせるなら、な。狩りでは獲物の反撃がある。とっさに身を守る手段は必要だ」

「わかりました、いつでも使えるよう練習、ですね」

 

 まあ、そのあたりは後々でもいいだろう。

 おれはその後も、彼女ができること、できないことを確認していく。

 

 基礎的な魔法については思った以上に幅広く使えるようだった。

 ただし、少し難しい魔法についてはまだこれから、というところであり、実戦での使用はおぼつかないだろう。

 

「狩りのチームでなら、便利屋として活躍できるかもしれないな」

「チーム、ですか」

「単独で動く狩人もいるが、チームを組む者たちもいる。この町でも、常にチームを組んでいる者は割といる」

 

 たとえば、女癖が悪いことで有名なジェッドである。

 彼の場合、便利屋としてだけでなく交渉を得手としていて、彼が入るだけで報酬が一割、二割は上がるといわれていた。

 

 妻が五人もいて、彼女たちをきちんと養えるだけの実力者である。

 なお六人目が増えそうだとかいう噂もあるが、真偽は定かではない。

 

 目の前の少女には絶対に近づけないようにしよう。

 うん、本当にあいつはね……。

 

「チームでの動き方や森での常識なんかを教えてくれるやつは、紹介できる。ただし、その狩人にはすでに、ふたりも弟子がいる。孤児院の出身できみより年下だが、きみが一番下の弟子、ということになる。貴族としてじゃなく、ひとりの新人として、平民の教えを受けられるか?」

「はい、がんばります! もともと、学院ってそういうものですし……」

「ああ、まあ、そうだな……。あそこは、そういうところか」

 

 魔法には、才能が必要だ。

 個々人で、才能にはおおきな差がある。

 

 故に学院は、リラのように傑出した者のちからを尊ぶ。

 それこそが帝国を拡張させるなによりの方法であると、歴代の為政者は考えたのである。

 

 彼女も、その実力主義の世界に染まっているようだった。

 自分から謙虚に学びにいけるなら、話は早い。

 

 おれはひとまず彼女をその場に残し、二階に上がった。

 なんにしても、まずはギルド長のダダーに話を通す必要がある。

 

 幸いにして、ダダーは今回の件について、伯爵家から、というかメイテルから連絡を受けていたようだった。

 きちんと根回しができていて偉い。

 

 ……なんでおれには根回しされてないの?

 いいけどさあ。

 

 かくして、ひとりの新人狩人が誕生する。

 彼女が一流になるかどうかは……。

 

 まだ、わからない。

 



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第24話

 ギルド長に頼まれていた森の巡回は、大過なく終わった。

 他所から流れてきた狩人たちが、腕試しも兼ねて森の浅層をまわり始めたからだ。

 

 城塞都市エドルの人手不足を知って、目ざとく集まってきた者たちである。

 他の森ではやっていけなかったような半端者たち。

 

 あるいは、以前このあたりに暮らしていたものの、なんらかの理由で拠点を移した者たち。

 数は少ないながらも、そういった者たちが、雪上を走る角鹿馬車でやってきた。

 

 彼らの素行については未知数であるが……。

 ギルド長は、経験を積んだ狩人がギルドに加入するのは助かることだ、といっていた。

 

 しばらくは古参との間でもめごとが絶えないとしても、である。

 まあ、仲裁や裁定は彼の仕事で、おれには関係がない。

 

 そういうわけでおれは、今日も酒場で昼から呑んでいた。

 リラもいっしょだ。

 

 外は吹雪なため、師弟そろって、ぐだぐだする日である。

 暖房の利いた酒場で呑む、冷えたエールがうまい。

 

 つまみは、羊のチーズをふんだんに入れた香草のサラダだ。

 

 リラは相変わらず葡萄酒を水で割って、腸詰めや串焼きをガツガツと食べている。

 食欲が旺盛でなによりであった。

 

「師匠って、肉が嫌いなわけじゃないですよね」

「この年になると脂がな……」

「本当に年だからですか? じつは昔から脂身が苦手だったりしません?」

 

 どうだったかな、と首をひねる。

 そういえば、あいつとふたりで旅をしていたころも、脂っこいものを避けていたような……。

 

「もしかして、これってただの、おれの好みだったのか?」

 

 おれはおおきく目を見開いた。

 いまにして気づく、衝撃の新事実である。

 

「わたしは、ずっと前から知ってました」

「観察眼のある弟子で、師としては誇らしいよ」

「師匠のことは、いつもよくみてましたから!」

 

 リラが、えっへんと胸を張る。

 おれの一挙手一投足を観察したところで、なんら有益な情報は得られない気がするが……まあいいか。

 

「えらいぞ、我が弟子」

「そんなえらい弟子なのに、師匠は最近、別の女の子と楽しく話をしていたとか」

 

 ジト目になっておれを睨んでくる。

 なんのことだ? と少し考えて、テテミッタのことだと気づく。

 

「ブラック・プティング戦でサポートをしてくれた見習い魔術師のことは覚えているだろう。彼女の相談に乗っただけだよ」

「じゃあ、わたしの相談にも乗ってくださいよー」

「今日はやけにからむな。悩みがあるならいつでもいってくれ。弟子のことは最優先だ」

「え、あ、うん、その……」

 

 リラは頬を朱に染めて、うつむいた。

 なにを照れてるんだ。

 

「魔法関連の相談はおれじゃなくて、学院の卒業生に持っていけよ」

「師匠がずっとこの町を拠点にするかどうか、知りたいんです。場合によっては、家を借りた方がいいかなって。錬金術の道具、本格的に増えてきちゃって宿じゃ手狭なんですよね」

 

 ああ、そういう話か。

 たしかに、おれと相談する必要がある事柄だ。

 

 というか、今後のことについてきっちり話をしていなかった。

 おれのミスだ。

 

「場合によっては、その……。師匠といっしょに家を借りて、とか! わたしお掃除とかお料理もできちゃったりしますよ!」

「魔術師の師弟ならよくあることだが、おれたちは狙撃魔術師だ、そこまでする必要はないんじゃないか」

「むう」

「なんでふてくされる」

 

 実際のところ、ヤァータのことがあるので、いくら弟子のリラとはいっても、他人と同じ家で暮らすのはためらうものがある。

 聡い彼女のことだ、ヤァータが少し特別な存在であることを薄々気づいているかもしれないが……。

 

「話は戻りますけど、師匠はこの町にずっと住むんですか」

「そのつもりだった、んだが……」

 

 おれはちらりと周囲を見渡したあと、小声になった。

 

「黒竜に目をつけられたかもしれん。ほとぼりが醒めるまで、河岸を変えることも考えなきゃならん」

「ああー、それがありましたか」

 

 リラは、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 彼女はおれとあのカラスが会話していたときその場にいたのだから、そんな反応にもなろう。

 

「その場合、きみまで無理についてくる必要はないが……」

「いえ、もちろんご一緒させていただきますとも! 師匠のいるところ、どこにだってわたしの姿があるのです。一番弟子ですから!」

 

 リラはぐっと胸もとで拳を握り、前のめりになった。

 一番、のところにずいぶんとちからが入っている。

 

「いまのところ、二番目はいないけどな」

「つまりわたしは、師匠の特別ってことです!」

 

 なにが嬉しいのか、えへらと笑う一番弟子。

 うん、うちの弟子はとてもかわいい。

 

「そもそも、師匠が目をつけられたなら、わたしもって気がするんですよね」

「その可能性は、充分にある」

 

 あの黒竜、つくづく厄介な存在だ。

 理性的にみえるから、こちらがこれ以上なにかしない限り、向こうからこれ以上この町を攻撃してくることはなさそうなのだが……。

 

「そもそも、本当に黒竜なんですかね」

「正直なところ、わからん。傍証だけだからな」

 

 かの存在が、自ら「我は黒竜である」と名乗ったわけではない。

 ヒトが勝手に状況証拠を積み重ねて、山脈の奥に黒竜がいるであろうと推察しているだけである。

 

 まあ、黒竜であろうとなんであろうと、あそこになにか強大な存在が潜んでいることは、もはや明らかだ。

 それが迂闊に手を出すことまかりならぬ、厄介な相手であるということも。

 

 ここの領主としても、帝国としても、しばらくはあの山脈に触らないと決めたようである。

 これ以上、かの存在を刺激することに意味はない。

 

 帝都の狩猟ギルド本部も、ようやくそう悟ったようであった。

 ここに至るまでに払った犠牲はおおきいが、かといってこれ以上の、想定され得る損害を許容してまで討ちとるべき相手ではない、と。

 

「正体がわからなければ、対策も打てない。山脈に棲むやつは、実に上手くやった」

「狙撃魔術師って、相手のことをよく調べたうえじゃないと戦えませんもんね。昔なら、特種魔法で無差別に滅ぼすって手も使えたんでしょうけど」

「特種魔法……?」

「あ、師匠は知りませんか。貴種の命を捧げて使う魔法です。いまとなっては、一部の貴族にしか伝わっていないんですけど。命を捧げるためにそんな魔法を覚えるなんて、馬鹿な話ですよね」

 

 ああ、メイテルがいっていた、あれか。

 痕滅魔法。

 

 以前は貴族の義務として習得されていた、生贄の魔法。

 いろいろな呼び名があるのだな。

 

 たぶん、リラがいっている「特種」というのは帝都の学院における呼び名だ。

 一般的には失われてしまった魔法であっても、それらを保存し、分類し、研究している者たちがいるのである。

 

 メイテルは、痕滅魔法を習得している、と語っていた。

 ならはたして、おれと旅をしていたときのあいつ、メイテルの姉である彼女は……。

 

 どうだったのだろう、と思う。

 あいつが家を出奔した理由のひとつには、そういった貴族の家の風習に嫌気が差したからではないか。

 

 いまとなっては真偽は定かではないが、ふとそんなことを考えてしまう。

 あいつは、おれを守って死んだ。

 

 だからこれは、あいつが己の命を惜しんだ、という話ではない。

 命を捧げる義務という、窮屈な生き方に対する反発。

 

 自分の生き方は自分で決める、という決断。

 たしかに、あいつらしいかな、と思うのである。

 

 もちろんそれは、貴族としてはてんで駄目な考え方なのだろう。

 だがおれは、彼女のそんな考え方が嫌いではなかった。

 

「ちなみに、リラ、きみの家はどうだった」

「あ、うちはそういうの全然ですね。帝国の大半で、もうやめちゃってるんですよ。そんな時代じゃない、って」

 

 時代は移り変わり、自分の命の使い方は自分で決める。

 それだけのちからが必要なときは、狙撃魔術師に任せればいい。

 

 ここのような辺境ならともかく、外との争いが少ない土地では、なおさらだろう。

 そういう時代になったのだ。

 

 メイテルだって、あのときは己の命を切り札にするといっていたが……。

 それは無暗に切ることができない、本当に最後の最後に残された手段である。

 

 黒竜とおぼしきあの存在は、そこまで気づいているのだろうか。

 狙撃魔法の対策をブラック・プティングにほどこしていたのだから。

 

 おれには、そこまで理解した上での行動に思えるのだ。

 

「昔なら、その特種魔法ってやつを山脈にぶっぱなしていたってことか」

「かも、しれませんね。覚えている人がたくさんいれば、手札を一枚、とりあえず切ってみる気にもなります。ことに、一族の頭数が多くて当主のちからが強い家なら」

 

 己の威信を保つためなら、ためらいなく身内を生贄にしてみせる、ということだ。

 それが結果的に、もっとも犠牲が少なくて済む方法である、と。

 

「貴族ってクソだな」

 

 思わず呟いてしまった。

 だがリラは、「本当にそうですよねー」とけらけら笑って同意を示す。

 

「父は、きっとだから、わたしを外に放り出したんです。わたしに対して『笑って死ね』っていいたくなかったから。でもそんな父でも、ほかの自分の子どもには、きっと必要があったら『笑って死ね』っていうんです。それが貴族だから」

 

 少女はまっすぐにおれをみつめる。

 その瞳の色も髪の色も、顔立ちも、なにもかもがあいつとは似ても似つかないというのに、なぜだかおれは、彼女のなかにあいつの姿を重ねてしまった。

 

「わたしの命の使い方は、わたしが決めます。いまのわたしは、師匠の後ろにどこまでもくっついていくんです」

 

 

        ※※※

 

 

 夕方、おれは宿の二階の一室で、窓を開け放ち、飛んできた三つ足のカラス、ヤァータを招き入れた。

 突き刺さるような冷気と共に暖房の利いた部屋に飛び込んできた我が使い魔は、テーブルの上に着地すると、ひとつカァと鳴く。

 

 窓を閉めて、改めて暖房の魔道具を起動しながらヤァータのそばに赴く。

 

「偵察は、どうだった」

「山脈は現在も異常ありません。黒竜の痕跡どころか、山脈のなかには現在、魔物の一体も発見できません」

「魔物が消えた、か……。ブラック・プティングに食われた、とかじゃないだろうな」

「その可能性もありますが、あれだけの範囲ですべての魔物が消えるというのは、いささか不自然です」

 

 それも、そうか。

 ヤァータには再三、山脈付近を偵察させているのだが、今回はさらに踏み込んで、山脈の内部を詳しく調べさせたのだ。

 

 結果、山脈に魔物の姿がいっさいみられない、というこのが判明してしまった。

 あまりにも奇妙である。

 

 黒竜はどこに行ったのか。

 あるいは、いまも隠れているのだろうか。

 

 あるいは、面倒を避けるため、別の場所に消えたという可能性もある。

 すでに二度、この町から、帝国から、仕掛けられているのだから……これ以上の干渉を厭うて引っ越ししてしまった、というのも充分に考えられることであった。

 

「ヤァータ、きみの考えを聞きたい。黒竜はどうなった」

「情報が不足しています。考えというほどの推測はできません」

「それでも、もっとも高い可能性について語ることはできるだろう」

 

 こいつとのつきあいは、長い。

 だんだんと、答えを得る方法についてもわかってきた。

 

 カラスは、ひとつ頭を振ると……。

 しぶしぶといった様子で語り始めた。

 

「現在、もっとも高い確率を占めるものは、『黒竜は存在しなかった』という可能性です」

「あの山脈に隠れていたなにかは黒竜じゃなかった、ということか? ブラック・プティングをつくり出した存在は黒竜ではなかった、と?」

「ブラック・プティングをつくり出したものすら、あの山脈には存在しなかった可能性もあります」

「詳しく説明してくれ」

「これには数限りない可能性があります。あくまでも、もっとも確率が高い可能性の話です。その高い確率というのも、せいぜい二十パーセントを少し越える程度です」

「じゃあ、そのうちのひとつは? 適当に、高い可能性のひとつをいってみてくれ」

「では、ひとつを。他の国の者が、かの地に黒竜が存在すると我々に思い込ませたかった」

 

 なるほど、それは充分に考えられることだ。

 国と国の境であるあの山脈に、いっそうデリケートな存在の可能性を匂わせることで帝国の進出を阻む、という作戦である。

 

 ただし、その場合……その他国というのは、優秀な狙撃魔術師が混じった五十人ほどのチームを全滅させたうえで、ブラック・プティングというとんでもない化け物をつくり出したということになる。

 そのような誰も聞いたことがない技術を秘匿している国が、近隣にあると考えるのは……いささか荒唐無稽に思えてくる。

 

 あえてその可能性が高いとヤァータが語ったのは、このカラスの格好をした存在が魔法技術について詳しくないからであろう。

 そのくらいの推察ができるくらいには、おれはヤァータのことを理解していると思っている。

 

「その可能性は除いていい。近隣諸国には帝国ほどの魔法技術はないし、帝国の魔術師はブラック・プティングなんてものをつくれないという前提で再度、考察してくれ」

「では、黒竜に類する存在は実在し、しかし山脈から移動したという可能性がもっとも高くなります」

「予測が一気に変わったな。そうか、今回の背後にヒトの意思が介在する可能性がまるまる消えたからだな」

「ご主人さまのおっしゃる前提によればブラック・プティングという動かしがたい証拠がある以上、そこにはヒト以上の魔法を用いるものが確実に存在していると考えられます」

 

 それもそうか。

 ブラック・プティングという新たに発見された魔物の新規性は、帝国にとってもそれだけ衝撃的だったのである。

 

 あれをつくり出した魔法技術によって、第二、第三のブラック・プティングが生まれれば、それは狙撃魔術師にとっておおきな脅威となるだろう。

 おれだって、次にまたあれの本体の魔臓を確実に射貫けるとは限らない。

 

 あれの死骸は帝都の学院に回収され、徹底的に研究されているはずだから、いずれ有効な知見が得られる可能性はあるが……。

 それには、いましばらくの時間がかかることだろう。

 

「いまのところ、ブラック・プティングを確実に倒せるのは痕滅魔法だけらしい。逆にいえば、その気になればたったひとりの犠牲であれほどの化け物を始末できるということだ。黒竜らしき存在からみれば、ヒトの群れはたいそうな脅威に映るだろう」

「はい。だからこそ、山脈から移動したのでしょう」

「どこに行ったか、わかるか?」

「いっそうの秘境に移動した、という可能性がもっとも高いと考えられます。もっとも、黒竜らしき存在の具体的な性能をわたしは未だ掴んでおりません。断定は困難です」

 

 結局のところ、わからないことだらけ、ということだった。

 一度、会話を交わした限り、高い知性と諧謔を理解した、厄介な存在であることは間違いないのだが……。

 

「以降も山脈の偵察を続けてよろしいでしょうか」

「ずいぶんと熱心だな」

 

 少しだけ、違和感を覚えた。

 だがまあ、こいつがおれに不利益なことをしない、というのはよく理解している。

 

「春になれば、いちどこの町を出る。しばらくは旅をすることになるだろう。それまでは引き続き、監視を頼む」

「かしこまりました」

 

 おれは窓を開けた。

 ヤァータは疲れた様子もみせず、暗くなった空にふたたび飛び立つ。

 

 その姿は、闇に紛れてたちまちみえなくなった。

 羽音も、降り続いける雪に埋もれて消えた。

 

 窓を閉めて、ため息をつく。

 

「旅、か」

 

 安定した、と思っていた。

 この町に身を落ち着けるときがきたのだと。

 

 そうはならなかった。

 おれはいつまで、彷徨うのだろうか。

 

 これから、なにを求めて生きていくのだろうか。

 ふと。

 

 あいつの顔を思い出す。

 なぜだか、あいつの顔が、リラの笑顔に重なった。

 



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第25話 エピローグ

 雪が解けて、春が来る。

 都市の壁の内側に閉じこもっていた人々が、一斉に動き出す。

 

 街道を馬車が行き交う。

 町に新しい人々がやってくる。

 

 森の生き物も動き出す。

 巣ごもりを終えた熊が腹を空かせて徘徊する。

 

 鳥が歌をさえずり、宙に羽ばたく。

 生命活動が活発化する季節が、やってきた。

 

 

        ※※※

 

 

 我が出会ったその奇妙な三つ足のカラスは、それを乱雑さ(エントロピー)の増加、という初めて聞く用語で語ってみせた。

 カラスは、とある狙撃魔術師の使い魔をしているらしい。

 

 我が使い魔たるカラスは自我を持たない、我の忠実なしもべである。

 対してこの三つ足のカラスは、やたらと自己主張が強い様子であった。

 

 なによりも、その知識に比類なきものがあった。

 賢者と呼んで差し支えがなかった。

 

 この大陸の者たちがとうていあずかり知らぬことを、何故か数多く知っているようだった。

 

 くだんのカラスと初めて接触したのは、冬の最中。

 カラスの端末が、我の棲み処である山脈の奥深くにやってきたときのことである。

 

 その冬にやってきた多くの人類とは違い、この奇妙な訪問者は礼儀をわきまえていた。

 我の存在に気づくと、まず丁寧な挨拶の言葉をもって接触してきた。

 

 牙には牙にて、言葉には言葉にて返すのが我らの礼儀である。

 故に我は、三つ足のカラスには対話で応じた。

 

 結果、我は多くのことを知った。

 山脈のそばの森、その向こう側に存在する、壁に囲まれたヒトの集落には、カラスが主とみなす存在がいるということ。

 

 その主を守るためであれば、カラスはあらゆる手段を講じるであろうこと。

 しかし、主と敵対しないのであれば、多くの点で妥協する用意があること。

 

 それには、我の存在を主から隠蔽することも含まれること。

 どうやらこのカラスは、あまり主に対して忠実な家来ではないらしい。

 

「我が主の指示すべてを忠実に実行することは、我が主の安全を確保するに際して、必ずしも最善であるとはいえません」

 

 カラスはそううそぶき、彼の主に対して平然と嘘の報告をあげた。

 山脈はカラになり、我はすでに他所へ居を移したであろう、と。

 

 時系列を無視すれば、必ずしも間違いではない。

 その真偽をたしかめるため、貴族たちが山脈にヒトを派遣するころ、我はすでに立ち去った後であろうから。

 

 この冬、ヒトになんども干渉されて、我はいい加減、うんざりしていたからだ。

 潮時であった。

 

 数百年ばかり、旅に出るのもいいだろうと思い始めていた。

 そんなとき現れたのが、三つ足のカラスであった。

 

 そのカラスは、こんなことをいったのである。

 

「我が主は、しばらく旅に出るおつもりです。山脈の主に目をつけられた自分には、ほとぼりが冷めるまで姿を消す必要があるだろう、と考えた様子です」

 

 と。

 どうやら、カラスの主人は、我のことを狂暴で獰猛で粘着質な厄介者と捉えている様子であった。

 

 甚だ遺憾である。

 我はただ、加えられた攻撃に対して、おおむね同等の反撃をしただけだというのに。

 

 それがコミュニケーションというものであろう?

 コミュニケーションは大切だ。

 

 ヒトと適切な関係を維持するためには、ヒトに習ってコミュニケーションをとる必要がある。

 少なくとも、我は過日、父よりそう習ったのだ。

 

 知性と知性は、コミュニケーションすることでより高みに至る。

 そのための努力を怠ってはならぬ。

 

 努力を怠るとき、知性は退廃し、いかな長き命とて無為なるものに堕ち果てるであろう、と――。

 それは、父の口癖のようなものであった。

 

 とはいえ。

 ヒトからの我に対するおおきな不審は、言葉で解決できるものではないだろう。

 

 我らの間に横たわる深い溝を一朝一夕に飛び越えることは難しい。

 なによりヒトは、あまりにも生き急ぎすぎるものだからだ。

 

「まずは隗より始めよ、という言葉があります」

 

 カラスはそんなことをいった。

 隗、とはなにか知らぬが、ことを為すなら自分から動けということらしい。

 

 このカラスは別の世界から来たというが、その世界の者はいいことをいう。

 よって我は、自ら動くことにした。

 

 我もまた、彼らの旅についていくのだ。

 実に名案である。

 

「どうして、そうなるのです?」

「我はお主の言葉を正確に理解したからだ」

「正確……?」

 

 カラスが、首を横に傾けた。

 首の骨が折れやせぬかと、少々心配になる。

 

 鏡の前で、改めて己を確認する。

 ヒトでいえば十二、三歳くらいの少女の姿だ。

 

 黒い貫頭衣を羽織り、腰のあたりを紐で結んだだけの服。

 肌はヒトであれば病気かと思うほど白い。

 

 足もとまである艶のある長い黒髪。

 そして、鏡をじっとりとみつめる、つりあがった紅蓮の双眸。

 

「ふむ。どこからどうみても、そこらの平凡な村娘だな」

 

 我は満足げに腕を組み、ふんすと鼻を鳴らす。

 三つ足のカラスが、ますます首を横に傾けた。

 

 いましも転びそうで、いささか不安になる。

 

「なにか申したいことがあるなら、遠慮なく述べよ。角と鱗はすべて隠したはずだが、見落としがあるだろうか」

「わたしもヒトの格好について詳しいわけではないのですが、村娘を名乗るにはいささか、そう、泥臭さが足りないように思われます」

「泥臭さ……泥を身体に塗るのか?」

「比喩表現と捉えてください。そもそも、ヒトの村娘がひとりで旅をするのは極めて不自然です」

 

 我は、ぽんと手を叩いた。

 

「貴重な助言、感謝する。ほかにも気づいたことがあれば、遠慮なく申して欲しい」

 

 我とカラスは、検討を重ねた。

 どうすれば自然に、カラスの主と合流できるか。

 

 カラスとしては、己の主に害を為さぬと我が信用できるならば、むしろ積極的な同行を望んでいるのだという。

 何故、と問えば……。

 

「我が主は、弟子をとってから、以前よりも活動的になりました。過去の傾向も加味して分析した結果、我が主は、関わり合いの深い者が増えるほど活動を活発化させると考えられます」

 

 とのことであった。

 我の存在を新たな刺激とする、ということなのだろう。

 

 つまりこれは、我と三つ足のカラス、相互に利がある取引、ということだ。

 しばらくこの山脈で過ごしてきた我も、新たな刺激を望んでいたのだから。

 

 父は少し前に亡くなった。

 父の知性を少しも受け継いで生まれなかった巨躯の弟は、我の監視下から逃れ森を侵略した末、カラスの主たちに殺された。

 

 腹違いの弟について、思うところがないわけではない。

 あれはひどく愚鈍で、我の姿をみては怯え、肉とみれば飛びついて喰らうだけの存在であったが、それでも父から託された唯一の肉親であった。

 

 とはいえ、あれは自ら望んで我の庇護の下から離れたのだ。

 その結果、ヒトに討たれたとしても、それは自然の営みのうちというものであろう。

 

 この点に関して、我に遺恨のようなものはない。

 それがきっかけとして、山脈に注目が集まり、我を黒竜と断じて討伐に赴いた者が現れたことが問題であったというだけである。

 

 父の死後も父の痕跡を用いて山脈を不可侵な土地と錯誤させていた、そのツケがまわってきたのだろう。

 いつまでも、大樹の陰に隠れているわけにもいかぬ。

 

 これは、ちょうどよいきっかけである。

 前向きに、そう考えることとしよう。

 

「では、参ろうか」

 

 かくして我は、春の訪れを前に、山を下りた。

 このあたりの山や森を棲み処とする魔物など、父のもとで長年に渡って魔法の研鑽を積んだ我にとってはものの数ではない。

 

 かといって、こんな見た目は子どもである我が、あまり強力な魔法を行使しては怪しまれる。

 使い魔を放ち周囲を確認しながら、魔物を避けて動いた。

 

 人里に出る。

 過去にもなんどか辺境の村や町を訪れたことがあったから、ヒトとの接触に不安はなかった。

 

 貴族の娘と間違われることはままあったが、我は優秀な魔術師であるから、これは致し方ないところだろう。

 いちいちいいわけをするのも面倒なので、「内密に頼む」とだけいって、出自についてはごまかすことにしている。

 

「やはり、我が主に怪しまれず接触するのは難しいでしょうね」

 

 いくつかの村に立ち寄ったあと、急に飛んできたカラスはそういった。

 我は「何故だ」と不満を露わにして訊ねる。

 

「いまの我が、出奔した貴族の令嬢にみえないというのか?」

「ひどく怪しいのです。まず一人称を直しましょう。そうですね、『わたし』や『わたくし』あたりがよろしいかと」

 

 我は首をかしげてみせた。

 ヒトが困ったときにとるポーズだ。

 

()()()()のどこが怪しいというのですか?」

「先ほどの村での話をいたしましょう」

「みていたのか」

「はい。あなたは物取りが体当たりしてきた際、素早い身のこなしでこれを転倒させたのみならず、その場で頭を掴んでの拷問に及び、罪を白状させた後、駆けつけた警邏の者に引き渡しました」

「不手際がありましたか? ヒトは罪人を自ら裁かず、公の権力に引き渡すのでしょう?」

 

 カラスはしばし当惑したように黙り込んだあと、話を再開する。

 

「あなたは十二歳の世間知らずのご令嬢という設定です。これはとうてい、世間知らずの者のやることではありません」

「しまった」

 

 我は口に手を当てた。

 令嬢はそうする、と聞いたからだ。

 

「その場でくびり殺すべきでしたね」

「そうではありません」

 

 なぜだか、ひどく怒られた。

 我はまだまだ、ヒトの世に詳しくないらしい。

 

 毎日が勉強である。

 それもまた、一興といえよう。

 

「そろそろ、おぬしの主に会いに行ってもよいのではないか?」

「いましばし、頑張りましょう。特訓です」

「むう」

 

 我は口を尖らせて、抗議してみせた。

 カラスは「いまの表情は、実に年頃の少女にみえます」と褒めてくれた。

 

 

        ※※※

 

 

 かくして、しばしの時が経つ。

 ようやくにして準備を終えた我は、カラスの導きに従い、とある町で偶然を装い、かの人物とその弟子に邂逅することとなろう。

 

 さて、これから先になにが待っているのか。

 不思議と胸が、高鳴った。

 

「まだ、だいぶ心配なのですが……」

 

 カラスが、ぶつぶついっている。

 まったく、こやつは心配性だなあ。

 





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多忙により返信できず、申し訳ありません。


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第26話

 雪解けを待って、おれと弟子のリラは城塞都市エルドを出た。

 しばしの時が経ち、旅に同行者ができた。

 

 黒ずくめのドレスをまとった、みてくれは十二歳かそこらの少女である。

 艶やかな長い黒髪と、ルビーのように紅い瞳の持ち主だ。

 

 リラが驚くほどの魔力と魔法の腕。

 そして、おれたち全員が呆れるほどの世間知らず。

 

 そのふたつを併せ持った、どこぞのご令嬢にして凄腕の魔術師。

 おれが知る彼女は、そんな人物である。

 

 なぜ、彼女が同行者となったのか。

 その経緯について、話をしよう。

 

 

        ※※※

 

 

 春の始まり、人口わずか千人ほどのさびれた町。

 昼日中、その表通りにて。

 

 おれたちがみつけた彼女は、ひと目でわかるほど高級な黒いドレスをまとって、ひとりでてこてこと歩いていた。

 そして、ごろつきに絡まれていた。

 

 貴族の令嬢がそこにいるとしても、たったひとりで、しかも怖がるでもなく興味深そうに周囲をきょろきょろしていたのだから、奇妙なことこのうえない。

 それでも絡んでいったごろつきは、よほどの勇気の持ち主か。

 

 いや、ただの馬鹿だったのだろうが……。

 ごろつきの言葉が聞こえているのかいないのか、少女は目の前に立ちふさがったごろつきの横を通り過ぎようとした。

 

「おい、待ちな、お嬢ちゃん」

 

 ごろつきの手が伸びて、彼女の肩に触れる。

 軽い気持ちで話しかけ、あわよくば裏路地にでも連れ込もうと、不埒な考えを持っていたのだろうか。

 

 だが、次の瞬間。

 ごろつきの身体が宙を舞った。

 

 我関せずとふたりのやりとりを無視していた通行人たちも、おれとリラも、思わず立ち止まって空をみあげる。

 抜けるような青空だった。

 

 しばしの滞空の後、ごろつきは地面に頭から落下した。

 骨が折れる不快な音が響き、動かなくなる。

 

 少女は自分に触れようとしたごろつきにまったく興味を示さず、その場を立ち去ろうとして……。

 ごろつきの仲間らしき、数名の男たちが「おい、てめぇっ」と少女に駆け寄る。

 

「身の程知らずだなあ」

 

 リラが、ぼそりと呟いた。

 

「ただの平民が、敵うはずがないのに」

 

 彼女のいう「平民」とは、つまり魔臓を持たぬ者、ということだろう。

 そして周囲から浮いた黒いドレスの少女は、その能力においても、こんな場末の通りには場違いな存在であるということだ。

 

「なんの魔法を使ったのか、みえたのか」

「みえなかった」

「それは、すごいな」

 

 以前リラは、相応に近くであれば魔力の流れを読むことができるといっていた。

 一流の魔術師は、魔法の発動の兆候を見逃さないらしい。

 

 同時に上手い魔術師ほど、魔法の発動を悟らせないのだと。

 最上の魔術師とは、魔法を使ったことを誰にも気づかせない者であると。

 

 いまの少女は、おそらくは身体強化の魔法を短縮発動したのだろうか。

 いや、腕を動かした様子はないから、慣性制御魔法の一種だろうか。

 

 ひょっとしたら、外見から想像される通りの年齢ではないのかもしれない。

 一部の魔術師は、魔法によって身体をつくり変え、何百年も生きるという。

 

 彼らが用いる秘儀について知る者はほとんどいない。

 リラも、詳しいことは知らないと以前にいっていた。

 

 黒いドレスの少女に触れた男たちが、次々と宙を舞った。

 周囲の人々は、なにが起こったのかわからず、ぽかんとして突っ立っている。

 

 無理もない。

 彼らは普段、魔術師とはなんの関わりもなく生きているのだ。

 

 この程度の町であれば、貴族は領主とその家族がせいぜい。

 正式な魔術師としての訓練を受けているのは、よくてその当主と後継者くらいだろう。

 

 魔術師が、真に貴族と呼ばれる者たちが、そもそも魔臓を備えそのちからを生かすための訓練を施された者が、いかに自分たちとは隔絶した存在か。

 そのことを認識しているかどうか。

 

 例えるなら、そう。

 あそこにいる少女は、魔物がヒトの皮をかぶっただけの存在に等しい。

 

 真の魔術師とは、そういうものなのだ。

 彼らが社会に受け入れられていて、魔物たちが社会から排斥されているのは、単純に魔術師と呼ばれる者たちも平民たちとおおむね同様の社会性を保持していて、共感を持って接しているからにすぎない。

 

 故に、世間知らずの魔術師という存在は、危険なのだ。

 彼らがその牙をところ構わず向けるというなら、それは魔物とどこも変わらないのだから。

 

「ねえねえ、師匠」

 

 リラが訊ねてくる。

 顔にはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 

「わたしが声をかけても、いいかな」

「危ないぞ」

「ああいう子、学院で慣れてるから」

 

 なるほど、と納得してしまった。

 帝都の学院にはさまざまな魔術師候補が集まってくるし、そこに籍を置く教授たちだって、一癖も二癖もある人物ばかりだからである。

 

 こういった場合の対処法も、きちんと存在するのだろう。

 彼女なら、その対処法を習得していてもおかしくはない。

 

「気をつけろよ」

「うん!」

 

 おれの許可を得たリラは、てってって、と黒いドレスの少女の後ろから近づくと、その肩にぽんと手を載せた。

 

「ねえねえ、お嬢ちゃん――っとっ」

 

 謎の少女の肩に手が触れたその瞬間、リラの身体がふわりと宙に浮く。

 まるで、体重が無くなったかのようだった。

 

 やはり、慣性制御系の魔法か。

 かなり難易度の高い魔法ということくらいしか、おれは知らないのだが……。

 

 リラは、これまでの男たちと違い、そのまま上空にすっ飛んでいったりはしなかった。

 彼女がなにごとか呟き、その両脚が、泳ぐように宙を掻く。

 

「ふう――っと」

 

 体重が戻ってきて、リラは地面に両脚をついた。

 黒いドレスの少女が立ち止まり、振り向く。

 

 その紅玉のような瞳が、なぜだかどろりと濁っているように思えた。

 おれの背筋に、冷たいものが走る。

 

「どういったご用件でしょうか?」

 

 少女が、声を出した。

 みかけよりも少し低い、落ち着いた声をしていた。

 

 リラが、少し苦笑いしている。

 少し膝を折ってかがみ、少女と視線を合わせた。

 

「あのね、お嬢ちゃん。いくら平民が鬱陶しくても、人様の領地で片っ端から殺すのは、よくないことなんだよ」

 

 黒いドレスの少女から溢れていた威圧感のようなものが、ふっと消えた。

 同時に彼女は、こてんと首を横に傾けた。

 

「わたくしは、邪魔な方々を空に飛ばしただけです」

「平民はそれだけで死ぬの。魔臓を持ってない人、魔法を使えない人は。頭を下にして落ちたら、それだけでね」

 

 黒いドレスの少女は、怪訝な表情をする。

 

「その程度で?」

「お嬢ちゃんのまわりの人は平気だったのかもしれないけど、ここはお嬢ちゃんの領地じゃないでしょう?」

「ええ」

「お嬢ちゃんは、どうしてこんなところを歩いているの? 危ないよ?」

 

 あくまで危ないのはまわりの人々であるが、まあそこはいわなくてもいいだろう。

 ちなみに、通りにはすっかり人影が消え、建物のなかから怯えたようにこちらをみる気配がするだけとなってしまっている。

 

 あ、遠くからばたばた駆けて来る音がするな。

 誰かが自警団を呼んだのだろう。

 

「わたくしは……」

 

 黒いドレスの少女の視線が、つかの間リラから逸れた。

 おれのことは興味なさそうに、視線は宙を彷徨い――一点で、止まる。

 

 上空を舞うおれの使い魔ということになっている黒いカラスを、じっとみつめていた。

 うん? この子、ヤァータが気になるのか?

 

 おれはヤァータに合図をした。

 ヤァータが降りてきて、おれの手の甲に止まる。

 

 心なしか、この表情もわからないカラスが、いまだけはひどく困っているようにみえた。

 たぶん気のせいだろう。

 

「あ……っ」

 

 少女は、あんぐりと口をおおきく開けて、おれとヤァータと交互にみつめた。

 どうやら、カラスのことがとても気になる様子である。

 

 おれの使い魔ということになっている三つ足のカラスは、ふたたび翼をはためかせ、少女のもとへ飛んでいった。

 少女が両手を手を伸ばす。

 

 ヤァータは、少女が差し出した両の掌の上に舞い降りた。

 

「え、えっと……お嬢ちゃん、カラスに興味があるの?」

「う、あ……んっ」

 

 黒いドレスの少女は、リラの言葉に対し、白い肌の顔を真っ赤にして、こくこくとうなずいてみせる。

 どうしてか、ヤァータがため息をついたような気がした。

 

 きっと、これも気のせいだろう。

 それよりも……。

 

 体格のいい男たちが、緊張した様子で駆け寄ってきている。

 こちらへの対処が、いまは重要だ。

 

 この町の自警団たち。

 革鎧をまとい、剣を抜いた者たちが五、六人。

 

 ひどく慌てた様子でやって来ると、少女の後ろに倒れているごろつきたちをみて、戸惑った様子で足を止める。

 黒いドレスの少女と、その彼女の前にいるリラ、そこから少し離れたところにいるおれを交互にみる。

 

 おれとリラは、長筒を布にくるみ、背負っていた。

 狙撃魔術師という存在は知らなくても、ただの狩人にはみえないだろう。

 

 なによりも、通報者によって、黒いドレスの少女が貴族であり、凄腕の魔術師であるということは理解しているに違いない。

 それでも怖気づかずに、命懸けでやってくるのだから、たいしたものであるが……。

 

「ガリス一家の奴らが……」

 

 ひとりが、ぼそりと呟く。

 なるほど、このごろつきたちは町でも札付きのワルというところか。

 

 それから、自警団の男たちは我に返る。

 怯えた、しかし断固とした顔で、黒いドレスの少女を睨む。

 

「お、おまえ! 動くな、おとなしくしろ! この町の治安を預かる我らが――」

 

 たとえ声がうわずり、腰が引けていても、彼らは平民であるからして、それは仕方のないことだろう。

 本音では、きっと頭のおかしい魔術師なんぞ相手にしたくもないだろうが……。

 

 もう少しおおきな町、あるいは交易が盛んな主要街道沿いの町なら、魔術師への対応もマニュアル化されているに違いない。

 しかし、さびれたこの町においては、そういったトラブルもこれまでなかった様子であった。

 

 仕方がない。

 おれは彼らの前に進み出た。

 

「あー、失礼」

「な、なんだ、きさま、怪しい奴――」

「自分たちは、怪しい者ではありません。エルド伯爵より身分を保証されております」

 

 懐からとり出した羊皮紙を、リーダーとおぼしき男にみせる。

 

「こ、これは! 失礼いたしました!」

 

 自警団のリーダーとおぼしき者は、怪訝な表情で羊皮紙を受けとり、そこに記された家紋と署名をみて顔色を変える。

 なにせそこには、城塞都市エルドを預かる伯爵家の家紋と、メイテルの名が記されているのだから。

 

 エルドを出る前に、メイテルから貰ったものだ。

 エルド伯爵家がこの者の身分を保証すると記されたもので、つまりおれは伯爵家の身内であるという証である。

 

「あなたのこれまでの功績から鑑みて、これくらいのことはさせてください」

 

 メイテルはそういって、この羊皮紙を押しつけてきた。

 おれの身分を証明するだけなら狩猟ギルドの証明書もあるのだが、やはり貴族のものとでは価値に雲泥の差が出てくる。

 

 せっかくだ、ここで役立たせてもらうとしよう。

 実際に、効果は抜群だった。

 

「お騒がせして申し訳ない。ここは、わたしたちに任せていただけませんか」

「し、しかしですな。通報によれば、そこの者は無関係の民を……」

「対魔術師用の魔道具はお持ちですか?」

 

 自警団の者たちは、押し黙ってしまった。

 まあ、そういった高価な装備をこの程度の町の自警団が揃えられるはずもない。

 

「わたしは一部始終をみておりました。そこに転がっている者たちは皆、許しなく彼女の身体に触れた不埒者たちだ。どうも、この子は世間知らずの様子です。こちらで、よくいい聞かせておきますので、どうか寛大な処置をお願いしたい。すぐに町を出るよう、説得いたしますので……」

 

 そういって、小銭というには少々おおきな額をリーダーとおぼしき者に握らせた。

 彼は、苦渋の決断とばかりに顔をしかめたあと、「すぐにですよ! あなたを信頼してお任せするのです、頼みましたぞ!」と告げて背を向ける。

 

 彼らが立ち去ったあと、おれは改めて、リラと黒いドレスの少女の方へ振り向いた。

 黒いドレスの少女は、ヤァータにすっかり興味しんしんの様子で、その細い指で翼をつっついたり、頭を撫でたりしている。

 

 ヤァータは忍耐強く、少女のされるがままになっていた。

 なにかとてもいいたそうにしているが、そこをぐっとこらえて、普通の使い魔を演じている様子である。

 

 リラは苦笑いして、カラスと少女の戯れを眺めていた。

 

「師匠、それで、どうするの」

「とりあえず、約束してしまったからな。その子といっしょに町を出る」

「次の町にたどり着く前に夜になっちゃうよ」

「野宿もやむなし、だ。なあ、きみ。ついてきてもらえるか」

 

 黒いドレスの少女が、おれをみあげた。

 またルビーの瞳に、どろりと濁ったものが宿っているような気がした。

 

「そうですか」

 

 その唇が、ちいさく動く。

 

「視覚でヒトを見分けるのは、難しいものですね」

「普段は魔力で見分けていたりするのか?」

「ええ。父が、そうするようにと」

 

 あっさりと首肯された。

 リラをみれば「あー、うん、あるよね、そういうこと」とばかりに腕組みしてうなずいている。

 

 ねぇよ。

 ヒトならちゃんと両目を使えよ。

 

 くそっ、これだから貴族の上澄み連中は!

 

 

        ※※※

 

 

 その日は結局、町の外で、謎の少女と共に野宿をした。

 少女は、おれとリラのいうことを素直に聞いて、興味深げな様子で野営を手伝ってくれた。

 

「わたくしは、寝なくても問題ございません。おふたりが寝ている間、ずっと見張りをしていてもよろしいのですが……」

 

 といっていた彼女であったが、さすがにそれはどうかということで交代で眠ってもらった。

 

「野に入りては野に従え、と申します。わたくしも、この地の者たちの作法に従いましょう」

 

 おれとリラがその少女と出会った経緯は、以上の通りである。

 

 それから多少のあれこれがあって……。

 短いつきあいだと思っていたが、そうはならなかった。

 




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第27話

いろいろ考えた末、再開することにしました。
しばらくはゆっくりペースですので、まったりお付き合いください。


 旅先で出会った、十二歳かそこらにみえる黒いドレスの少女。

 彼女は名を問われ、しばし迷うように視線を宙に彷徨わせた末……。

 

「マイア、と呼んで欲しい」

 

 と告げた。

 ほぼ間違いなく、本当の名前ではない。

 

 逡巡と思われた間で、通り名を考えていたのだろう。

 真の名を用いて呪いをかけられる、と信じる者もいるから、彼女がそういう地域の出身なら当然の用心である。

 

 もっとも、そういう呪いの魔法が実際にあるかどうかは、我が弟子にして帝都の学院を首席で卒業したリラも知らないという。

 

「では、マイアと呼ぼう。きみはどこから来たんだ。帝国の貴族ではないよな? 庇護してくれる者はいないのか」

 

 そう訊ねてみたところ。

 

「庇護……?」

 

 彼女は、首を横に傾けた。

 

「きみと共に旅をしている人はいるのか?」

「わたくしは、ひとりで旅をしております」

「ぶしつけな質問になるが、きみの家族は?」

「父は、少し前に亡くなりました。弟も。わたくしには、もう家族がおりません。故に、旅に出ました」

 

 彼女が貴族の娘だとすれば、おそらくはその領地は親戚に取られ、彼女ひとり追い出されたのか。

 そういった意味での、「もう家族はいない」ということくらいは、おれにもわかる。

 

「悪いことを聞いた」

「構いません。我らは自然の営みのなかで生まれ、いつか死ぬもの。死は悲しむものではない、と……父には、そう教わりました」

 

 表情を変えず、少女は語る。

 濁ったルビーの双眸が、じっとおれをみつめてくる。

 

 己を追い出した者たちを恨んでいる様子がない。

 それが善性によるものか、それとも俗世に対する興味の薄さが故か。

 

 まともな人づきあいの経験を得てきた様子がないところから考えるに、後者であるように思える。

 だとしても、ひとたび「平民は魔術師ではない」と理解してからの彼女は、相応に相手を気遣うようになった。

 

 もっともそれは、害意に対して鈍感という意味ではない。

 

 たとえば、彼女と出会った翌日のことである。

 次の町を目指して三人で街道を歩いていたところ、おれたちは野盗に出くわした。

 

 

        ※※※

 

 

 当時、おれとリラは、次の町にたどり着いた時点でマイアと別れるつもりだった。

 彼女にも目的があるだろうし、おれたちだって目指す場所がある。

 

 しかし、狭い森道で、下卑た笑い顔をみせる男たちが前後から道を塞いだとき。

 マイアは、「あれは不快です」とはっきり宣言したうえで、おれやリラと問答する間もなく、彼らを始末してみせた。

 

 彼女が右手をひと振りすると、十人以上の男たちは一斉に地面から浮き上がり――。

 彼らはまたたく間に木々より上に飛び上がったかと思うと、こんどは頭から落下をはじめ――。

 

 ぐちゃり、と地面に突き刺さったオブジェとなるまで、ひと呼吸かふた呼吸といったところである。

 魔術師がそのちからを十全に発揮できれば、平民の野盗など何人いようと関係なく始末できるのだ。

 

 それはリラも認めるところで、おれもここまでの旅で彼女の魔法にずいぶん助けられてきた。

 そもそも、もしおれひとりであれば、護衛もなしにこんな辺境の、治安の悪い場所には足を踏み入ることなどしない。

 

 狙撃しかできないからな、おれ……。

 これまでは、どうしてもこういう場所を通るなら、相応の護衛をつけるのが常であった。

 

 リラは「師匠を守ってあげられる。わたしが師匠の役に立てる。嬉しいです!」とご満悦なのだが。

 だからといって、自分たちから危険な場所に向かうなんて気はない。

 

 それでも勝手にやってくるのが、危険というものだ。

 そしてヒトの悪意というものは、だいたいにおいて、自分より弱いとみなす者の前に現れるものである。

 

 まあ、今回の場合、そのヒトの悪意ってやつは完全に相手を間違えていた。

 彼らは、赤子の手をひねるより簡単な仕事だとばかりにおれたちの前に立ちふさがり、ひとりの魔術師によって、たやすくひねり潰された。

 

 マイアは野盗をたったの腕のひと振りで始末してみせたあと、おれの方を向く。

 

「わたくしに粗相がありましたら、遠慮なくおっしゃってください」

「粗相、ってなあ。いや、別に問答無用で殺したことは問題ないと思うぞ」

「それは重畳」

 

 所詮は、隊商を襲う度胸もないような奴らだ。

 こちらが三人、というだけで姿を現わすような、愚かな輩だ。

 

 ここで殺しておかなければ、ほかの旅人たちに災禍を振りまいたことは明らかである。

 捕縛して手近な村や町まで連行する、というのも面倒だし、なによりこいつらが村や町とずぶずぶの関係だった場合、厄介なことになる。

 

 特に辺境の村では、暇なときに山賊に変身する村人、というのがけっこういたりするのだ。

 余所者に対する敵意が高い上にバレなきゃなにをしてもいいと思ってるからな、あいつら……。

 

 帝国でも、他の国でも、野盗の扱いなど大差ない。

 だから殺すこと自体には、なんの問題もない。

 

 気になるのは、マイアがそういった常識……。

 つまり、殺していい相手と悪い相手を見極めていたのかどうか、である。

 

「コミュニケーションをとりました」

 

 軽く訊ねてみたところ、そんな返事がきた。

 こんどは、おれとリラが首を横に傾ける番だった。

 

「適切なコミュニケーションによって、わたくしたちは状況を打開することができました。コミュニケーションが不適切であった場合、なんらかの損失を被った可能性があります」

「まあ、あんなツラで現れた奴らが善意を持っているとも思えんし、微妙に間違っていないから困るな……」

 

 言葉遣いがやや独特ではあるものの、そのあたりは摺り合わせていけばいい。

 逆にいうと、いまのまま彼女をひとりで突き放してしまうことにはおおきな不安がある。

 

「師匠……」

 

 リラが、なにかを希うようにおれをみあげてくる。

 我が弟子は、年下相手には、ずいぶんと世話好きな様子であった。

 

 まあ、たしかに。

 マイアは、ちからだけは強い無知な貴族の子どもだ。

 

 ひょっとしたら本来の年齢は外見よりずっと上かもしれない、と思うこともあるが……。

 だからといって、帝国の、あるいは大陸の一般的な常識を知らない、ということには変わりない。

 

 それを導くのは、年長者の務めであろう、という点で師弟は一致した。

 なに、おれとリラの旅は、そう急ぐものではないのである。

 

 それに、第一……。

 

「マイア。きみは、目的があって旅をしているのか。この先、どの町に行くかを決めているのか、という意味でもあるが……」

「いえ、特にはございません。どの町でも、昨日のように追い出されてしまうのです」

 

 そりゃそうだ。

 リラがなにかいいたそうに、おれとマイアを交互にみる。

 

 マイアは、またどんよりした目でおれをみあげた。

 人々の対応を不思議がっているのは、間違いないようだった。

 

「きみの言葉でいえば、きみはまだ、この帝国における適切なコミュニケーションを身につけていない」

「なんと」

 

 少女は驚きのあまり、ぽかんと口を開く。

 

「コミュニケーションは完璧であると、自負しておりました。不覚です」

 

 リラが「えっ、そこから?」と思わず声に出す。

 

「よければ、しばらくおれたちと旅をしないか。きみに教えてあげられることが、多少はあると思うんだ」

 

 彼女はしばし迷うように視線を彷徨わせた。

 おれの頭の上でじっとなりゆきを見守っていたヤァータのところで、視線が止まる。

 

 そういえば、昨夜もやたらヤァータに懐いて、その身をべたべた触っていたなと思い出す。

 カラスが好きなのだろうか。

 

 マイアが両手を差し出す。

 ヤァータはおれの頭の上から飛び立ち、マイアの腕に抱えられるようにして止まった。

 

「よろしく、お願いします」

 

 マイアはヤァータの頭を撫でながら、そう告げた。

 その目つきが、少し和らいでいるような気がした。

 

 

        ※※※

 

 

 黒いドレスの少女マイアが同行者となったのは、そういう次第である。

 おれたちは、共に旅をするに際して、いくつか約束を決めた。

 

 まずひとつ。

 どちらかが別れるときが来たと思ったら、別れること。

 

 ふたつめ。

 互いに、問題だと感じたことは遠慮なく口に出すこと。

 

 三つめ。

 互いの詮索されたくない事情については、詮索しないこと。

 

 あくまでも他人、というスタンスだ。

 彼女はひとりで生きていくのに充分なちからがある魔術師であり、足りないのは知識だけなのだから、それくらい乾いた関係の方がいいと判断した。

 

「あと、基本的な方針として現地の貴族とは揉めるなよ。貴族は貴族と繋がりを持っている。後々、遺恨が残りかねない。厄介なことになる」

「わかります。わたくしも、父の領地での出来事を学びました。我らが領地に侵入した賊を退治したところ、賊の仲間はしつこく我らを付け狙ってきたのです」

「そうだ。貴族は体面を重視する。特にこの帝国の貴族たちは。厄介なところだ」

 

 そう、この冬も。

 おれは彼女と話をしながら、昨年の秋から冬にかけての出来事を思い返す。

 

 あれも結局、貴族の体面の問題だった。

 それが次第に、引くに引けない事態となり、最後には町の被害を極限までおおきくしてしまった。

 

 つき合わされた黒竜としても、迷惑この上ない様子であった。

 しかしヒトの社会とは、そういうしがらみを幾重にも積み重ねてこそ、成り立っているという側面もある。

 

 これまでおれたちがいた辺境と、帝都に近いあたりでは、また少し違うところもあるのだが……。

 まあそのあたりは、随時、対応すればいいだろう。

 

「貴族とは、基本的におれが話す。おれを信じてくれればいい」

「先日、武器を手にやってきた方々に、紙をみせておられましたね」

「ああ。他の貴族から身分を保障されている、という証だ。ああいうものがあるとないとじゃ、相手の対応がおおきく変わってくる」

「魔力をみせるだけでは、駄目なのですか」

「魔力がおおきいだけなら、魔物だって貴族になれるさ」

 

 黒いドレスの少女は、どんよりした目でおれをみつめたあと、「道理」とうなずいてみせた。

 

「本来、魔物では貴族になれないのですね」

「学院で、ヒトと魔物を混ぜ合わせる実験とか昔はやっていたらしいけどねー。いまは禁止されてるよ。上手くいけば、魔物の魔力を無限に取り込んだ大貴族が生まれてたはず、とか聞いたよ」

 

 リラが明るい声で、えげつない話をする。

 いやまあ、そんな実験、禁止になって幸いだよ……。

 

「そもそもさ、師匠。魔臓を持ったヒトと魔物の違いってなんだろうね」

「知らん。おれは賢者じゃない」

「マイアちゃんは、どう思う?」

「そこになにか、違いがあるのですか?」

「おっと、そうきたかー」

「わかっているとは思うが、貴族や教会の前でそういうことをいうんじゃないぞ」

 

 教会では、ヒトを「神から祝福を与えられし者たち」と定義している。

 公の場でそこに疑念を呈することは、敬虔な信者や、神の子たる皇帝に唾を吐きかけることに等しい。

 

 そのあたりのことを、かいつまんでマイアに説明する。

 事情さえわかれば、賢明な彼女のこと、すぐに理解してみせた。

 

「心得ました。信仰の問題なのですね。であれば、上手くこなしてみせましょう」

 

 実際のところ、このあたりについて詳しい話をすれば長くなるし、複雑な歴史的背景が絡んでくる。

 いまのところは、彼女になにが問題のあることかを教え諭せれば、それで充分だった。

 

 かくしておれたちは三人で旅を続けることになったのだ。

 そう長い旅にはならない、と思っていた。

 

 そのときは。

 



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第28話

 四十歳の狙撃魔術師のおれと、その弟子である十五歳のリラ。

 マイアと名乗る、外見年齢は十二歳程度の少女。

 

 この奇妙な三人での旅が始まってから、しばし。

 おれたちは、とある人口五十万人ほどの都市にたどり着いた。

 

 その都市には、城壁がない。

 ずっと昔はあったらしいが、いまはその跡すら見当たらない。

 

 帝国に飲み込まれてから月日が経ち、帝国南方の交易拠点として発達し続けた結果、膨張した人口を支えるべく、不経済な城壁というものを自ら取り壊すに至ったのだという。

 以後も人は増え続け、都市は発展していった。

 

 結果、人口五十万という、帝国でも有数の都市が生まれた。

 かつてこの地を治めていた男爵は、いまや有力な侯爵家のひとつとして数えられている。

 

 

        ※※※

 

 

 マイアは、初めて見た都市の光景に、ぽかんと口を開け、濁った紅の目をおおきく見開いていた。

 夕日を浴びて、大通りを行き交う人の列は途切れることがない。

 

 道の両脇には無数の露店が立ち、湯気と共にかぐわしいスープの匂いや甘い匂いが入り混じって漂ってくる。

 客引きの女の高い声、露店の店主と客の交渉の声、喧嘩の怒号、笑い声、子どもの声……。

 

 人里離れた山育ちの少女は、さまざまな音の洪水に呑まれるように、ぼうっとその場に立ち尽くす。

 

「あぶないよ、マイアちゃん。ほら、こっち」

 

 リラがその手を引いて、道の中央から脇に連れていく。

 マイアは、おとなしくそれに従った。

 

 髪の色も顔立ちもまるで違うが、こうしているとまるで姉妹のようだ。

 微笑ましい光景に、思わず笑みが浮かぶ。

 

「何故、笑う?」

 

 マイアがこちらを向いて、こてんと首を横に傾けた。

 不快に思っているわけではなく、純粋に不思議に思っているようだ。

 

「仲がいいな、と」

「うむ。わたくしとリラは、仲がよろしい」

 

 えっへんと胸を張るマイア。

 リラも、その横で真似して胸を張る。

 

「そうだぞー、仲がいいんだぞー。ししょー、羨ましいですかー?」

「ふたりの子どもを引率する親の気分だよ」

「ちょっとちょっとーっ、わたしまで子どもってどういうことですかーっ!」

 

 どうもこうも、そういうことだよ。

 口を尖らせて抗議するほどのことじゃないだろうに。

 

「リラ、そのままマイアの手を引いて、ついてきてくれ。宿をとる」

「あ、はい。師匠はこの街、来たことあるんですね」

「だいぶ前に、な。宿のあとは、ギルドだ。面倒は日が暮れる前に片づけておきたい」

「そうですねえ。荷物も預けたいですし」

 

 狙撃魔術師の装備は、けっこうかさばる。

 特に長筒と魔力タンクだ。

 

 旅の間は、ふたり分のそれらを荷馬の背に預けていた。

 この都市にたどり着いた時点で荷馬は売り払い、いまおれとリラはでかい荷物を背負って歩いている。

 

 ちなみに、おれが重そうにしているのをみて、マイアが……。

 

「荷物、わたくしが持ちましょうか」

 

 と純度百パーセントの親切な言葉をかけてきたものの、丁重に断った。

 物体の重さを操る魔法が得意とおぼしき彼女であれば、魔力タンクも軽々とかつぐであろうが……。

 

 おれにだって世間の皆がみる目というものを少しは考慮するのだ。

 もっともその後おれがへたばっていると、それみたことかと濁った赤い目でみつめられてしまった。

 

「悪いな。おれにも意地がある。それに、これは仕事道具だからな」

「弱い者が、強い者を頼る。なにを悩むすることがありましょう」

「そういうところだ」

 

 貴族の娘なのに荷物持ちも厭わないという点を奇妙と考えるのは、貴族とつきあいのない平民の思考だ。

 ちゃんとした教育を受けたあいつらは、自分たちが平民に対して種として優越していることをよく理解している。

 

 自分でできることは自分でした方が効率的だということをわかっているから、油断していると平気で従者の仕事を奪っていくのである。

 メイテルあたりは、特にそうだった。

 

 それでは従者が困るんだよ、といっても聞きやしない。

 伯爵に叱られるといわれても、では適当にごまかしておきます、と返すのだから、本当にああいう人はさ……。

 

 もちろんそれは、なにかと余裕のない辺境だから、というのもあるだろう。

 帝都ではもっと格式とか儀礼とかが重視されていると聞く。

 

 文化の中心から離れるほどに、そういった面倒くさいあれこれよりも、実利の方が重視されるという話である。

 そして目の前の少女は、どこかの山の中に引きこもっていた貴族の一族の末裔であるようだった。

 

 故に、いっけん華奢で小柄な己が中年男性の荷物持ちをすることにまったくためらいがないのだ。

 困る。

 

 いや、その気持ちは嬉しいけどね?

 こんな街中で、奴隷でもない少女に荷物持ちをさせて自分は身軽に、ってのは、さすがにねえ……。

 

「ししょー、また面倒なこと考えてるー?」

「ふむ、面倒なのですか、リラ?」

「うん、あのね、マイアちゃん。男って、見栄を張りたがる生き物なのさー」

 

 リラが、マイアの耳に顔を近づけ、こそこそ話をしている。

 全部聞こえているが。

 

 ちらちらとこちらをみているから、ああしておれをからかっているのだ。

 ろくでもない弟子である。

 

 ここで反応したら負けだ。

 無視に限る。

 

「さっさといくぞ」

 

 おれは宿に向かって歩き始めた。

 ふたりの少女が、てこてこついてくる気配がある。

 

 

        ※※※

 

 

 大通りから一本入って少し歩いたところにあるその宿は、二階建てで、ごく普通のつくりにみえた。

 だがリラはひと目みて、なるほどとうなずいてみせる。

 

「強固な結界が展開されてるね」

「さすがに、わかるか」

 

 貴族が泊まるような高級宿よりも、よほど高い宿泊料が必要な場所なのである。

 値段の大半は、幾重にもほどこされた魔法的な防護によるものだ。

 

 そのぶん、安全に休むという点ではこの街でも随一であった。

 

 おれたちには秘密が多い。

 万一のことも考えて、宿泊施設には金を使うことにしたのであった。

 

 おれとリラは、宿に荷物を置き、マイアを留守に残して、こんどは狩猟ギルドに向かおうとした。

 マイアが、そんなおれの服の端を掴む。

 

「わたくしも、ついていきます」

「きみはギルド員じゃないから、報告義務もないんだぞ」

 

 狩猟ギルドのギルド員には、支部がある町についたらその旨を報告する努力義務がある。

 入りたてで実績がない者ならまだしも、おれのような充分に実績を積んだ狙撃魔術師の場合、これはかなりの強制力があるものとなるのだ。

 

 そりゃあ帝国としちゃ、魔物への切り札になる狙撃魔術師の現在位置を把握しておきたいよなあ。

 そのぶん、自由にやらせてもらっているという部分もあるのだから。

 

 国外からの要請にも、帝国の目を気にせず動いていいことになっているとか、その代表的なものである。

 そのへんを厳密に管理するより、個々人に好きにやらせた方が結果的に技術の発展に繋がる。

 

 それが結果的に帝国のちからを増すことになる。

 とか、以前そんな話を聞いたことがあった。

 

 それがどこまで本当かは知らないけども。

 とにかく、ギルド員である利点は数多あるが、同時に義務も発生するということである。

 

 だがそれは、あくまでもギルド員に対するだけのもの。

 ただの同行者であるマイアは関係ない。

 

 だいいち、未だにいろいろ危なっかしいところのある彼女である。

 荒くれ者の多い狩猟ギルドに連れていくのは、なにかと心配なのだ、が……。

 

「行ってみたいのです」

 

 まるでスネるように、口を尖らせ、濁った赤い双眸でおれをみあげる。

 普段は大人びた口調のくせに、なぜそこで幼児化するんだ、おまえは。

 

「興味本位で覗いても、面白いことはなにもないぞ」

「魔物を倒すひとたちが集まっているのでしょう?」

「そうだ。きみのような者にふさわしい場所じゃないな」

「彼らの敵となるつもりは、ございません」

 

 敵って、あーた。

 いやまあ、こいつが荒くれ者をゴミのように始末するところは、この短い旅の間ですでになんどかみているのだが……。

 

 だからといって、狩猟ギルドでそれをおっぱじめられても困るのだ。

 

「みだりに魔法を使わない。暴れない。人を傷つけない。なにかいわれても、無視する。おれとリラが対応するから。そういう前提なら、連れていってやってもいい」

「まるでわたくしを、常識がないみたいにおっしゃるのですね」

「えっ」

 

 おれとリラが、揃って声をあげた。

 マイアは、こてんと首を横に傾けた。

 

 

        ※※※

 

 

 そして、しばしののち。

 おれたち三人は狩猟ギルドの前にいた。

 

 三階建てで、石造りの頑丈な建物だ。

 その両開きの扉を、ゆっくりと押し開ける。

 

 ひとの背丈の倍ほどもある店内では、天井からぶら下がった橙色の魔法の明かりがいくつも室内を照らし出していた。

 夕日が地平線の彼方に沈もうとしているこのとき、一階の酒場は五十席ほど、それが満席である。

 

 雑多な料理の臭いが立ち込めて、腹が鳴りそうだった。

 なにせ、屈強な男たちがガツガツとテーブルの皿の上の肉やら魚やらをたいらげている最中なのだから。

 

 だが。

 その半数以上が、入ってきたおれたちに一斉に顔を向ける。

 

 にぎやかだった店内が、静まり返る。

 ひそひそと、おれたちの顔を窺いながら話す者たち。

 

 これほどの都市でも、さすがに余所者は目立つか……。

 目立っているのは、おれの背後にいる少女ふたりのせいかもしれないが。

 

 この建物、狩猟ギルドの受付は二階で、三階は宿となっていた。

 おれたちは客を無視して、二階への階段に向かうも……。

 

「なんだぁ、このガキ」

 

 さっそくそんな声が聞こえ、慌てて振り向く。

 マイアが足を止めていていた。

 

 彼女の近くのテーブルで、巨漢の男がいましも椅子からその身を持ち上げるところだった。

 男は赤ら顔で、マイアを見下ろす。

 

 にやにやと、嫌らしい表情をしていた。

 

「おいおい、辺境じゃ、こんなガキでもギルド員になれるのか?」

「わたくしは、ただの見学です。あなたは狩人ですか?」

「ここは物見遊山に来るようなところじゃねぇんだよ」

「どちらかと申しますと、敵情視察、でしょうか」

 

 おいこら、なにいってやがる。

 そばのリラがけらけら笑って……おまえも笑ってるんじゃないよ!

 

「あっはっは、敵情視察、ときたか。覚えたての言葉を使いたかったのか?」

「それも少々、ございますね」

 

 表情を変えずにのたまう、外見年齢十二歳、実年齢不明の少女。

 馬鹿にされた、と思ったのか、赤ら顔の巨漢は悪態をつきながら目の前の人物に手を伸ばす。

 

 危ない。

 この男が。

 

 おいばかやめろ死ぬぞ。

 そう思った、のだが。

 

 マイアは微動だにせず、ただじっと、その濁った赤い双眸で男をじっとみつめた。

 男は、手を伸ばしたままのポーズで、まるで石になったかのように動きを止める。

 

「う……あ……が……っ」

 

 その口が、ぱくぱくと空気を求めるように動く。

 男の全身から脂汗がしたたり落ちる。

 

「すっご」

 

 リラが感嘆の声をあげ、それからはっとして、ぽんとマイアの肩を叩く。

 

「マイアちゃん、それくらいにしとこ?」

「はい」

 

 マイアが視線を切る。

 すると、男はがっくりとその場に頽れた。

 

 酒場が、しんと静まり返っている。

 マイアはすたすたと歩いて、おれを追い越した。

 

「参りましょう」

「あ、ああ。いま、なにをしたんだ」

 

 彼女に追いついて、階段を登りながら訊ねる。

 マイアに代わって、リラが口を開いた。

 

「目に魔力を込めて、疑似的な魔眼をつくりあげたんだね。綺麗な魔力の動かし方だったなあ」

「魔法を使ってはならぬ、と申されましたので」

 

 疑似的な魔眼って。

 そんなものがあるなんて聞いてないが?

 

「すごいよねー。マイアちゃん、あとでいろいろ聞かせて欲しいな!」

「わたくしに語れることであれば」

 

 う、ううん、いいのか? いやでも、比較的穏便にことを納めたわけだし?

 ギルドの二階に上がりながら、おれはなんども首を振った。

 

 

        ※※※

 

 

 なお、その後。

 二階にあがったおれたちはギルド長じきじきに出迎えられ、「あまり揉めごとを起こすな」と小言を頂いた。

 

 ついでに、マイアは狩猟ギルドに登録するよう誘われ、彼女はそれを快諾した。

 これで彼女も、帝国内において通用する身分を手に入れたこととなる。

 

「おまえさんみたいな飛び切りの厄種は、突き放すより目の届くところに置いておきたいものさ」

 

 そんなことをギルド長にいわれたマイアは、よくわかっていない様子で……。

 

「この地の文化はよく存じております。可愛いは罪、というものですね」

 

 と、しきりにうなずいている。

 ギルド長もおれもリラも沈黙し、あえて訂正は入れなかった。

 



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第29話

 帝国では完成された流通網が存在し、辺境においても金さえ出せばたいがいのものを手に入れることができる。

 ことに食材に関しては、高額ではあるが魔法による冷凍保存技術の発達により、帝国のどこでも新鮮な海の幸を手に入れることすら可能となった。

 

 とはいえ、交通の要衝である大都市でなければ手に入りにくいものもある。

 たとえば、新鮮な情報だ。

 

 おれたちがしばし滞在することとなったこの都市では、帝都における流行や噂話が、さほど間を置かず入ってきていた。

 

「東の方で、また戦が始まるかもしれないな。とりあえず、東方に行くのは諦めよう」

 

 翌日の昼過ぎ。

 いくつか酒場をまわり噂話を集めた後、おれはそう結論を出した。

 

 宿の一室にリラとマイアを集め、行き先を検討する。

 ふたりの少女は、甘い匂いのする肉串を頬張りながらうなずいてみせる。

 

 情報収集の途中、立ち寄った、大通りの屋台で買ったものだ。

 昼時の大通りは誘惑が多い。

 

 おれたちの旅にはいくつかの目的があるものの、順序は決まっていないし、なんならそのすべてを達成する必要すらない。

 まずは安全第一、である。

 

 そもそも、旅に出たいちばんの理由は、黒竜に目をつけられた一件のほとぼりを冷ますためなのだから。

 で、最初は東方に赴き、西側では得られない独特の雰囲気をマイアにみせようかと思っていたのだ、が。

 

 帝国の領土のさらに東では、小国が乱立している。

 そのさらに東に位置する強大な国と帝国との微妙な力関係の変化が、現在、かの地を混乱させているようなのだ。

 

 混乱、ということはつまり、戦禍が広がっているということである。

 間に挟まれた小国としてはご愁傷様であるが、ヤァータによれば緩衝国というのは往々にしてそういうものであるらしい。

 

 メイテルから預かった手紙の一枚は、そういった小国に住むとある人物に向けたものだが……。

 もとより、無理はするなといわれている。

 

 場合によっては、信頼できる者に配達を頼んでもいいだろう。

 トラブルメーカーを連れてそんな場所に赴く意味も、そんなリスクを冒す理由もない。

 

「戦に巻き込まれては困る、ということでしょうか」

 

 そのトラブルメーカーことマイアが、たっぷりの蜂蜜で固められた棒状の飴をかじりながら訊ねてきた。

 これも、彼女たちが屋台で買ったものである。

 

 もっというと、マイアが飴の屋台の前でぼうっと眺めていたところ、リラがためらわずに自分と彼女の分を購入した。

 おれの分はどうする、と目で訊ねられたので、即座に首を横に振ってある。

 

 昼飯といっしょにダダ甘いものを食べるとか、若い胃袋は命知らずだよな……。

 

「もちろんそれもある、が。紛争地帯では、まともな狙撃魔術師の仕事なんてとうてい望めないからな」

「師匠、まともじゃない仕事はある、ってこと?」

「あるぞ。敵の指揮官とか王とかを狙撃しろ、とかいってくる輩がうじゃうじゃ」

「うへえ……」

 

 リラがげんなりした表情になる。

 彼女もおれも、いまさらヒトを殺すことに忌避感を抱くようなタマではないが、だからといって好き好んでこの長筒を魔物ではなくヒトに向けたくはない。

 

 おれの技術は、魔物を始末するために磨かれてきたものだ。

 専門外の仕事を請け負う意味は薄いし、勝手が違う仕事はえてしてミスを誘う。

 

 これは、業界の常識なのだが……。

 あっという間に飴をかじり終えたマイアが、棒の端にこびりついた欠片を未練がましく舐めとりながら口を挟む。

 

「なぜ、王を狙撃することは嫌なのでしょうか。警戒が強く、難しいからですか?」

「そうじゃない。狙撃魔術師は魔物を狙うから狙撃魔術師なんだ。そんなに気に入ったなら、あとでもう一本、買ってやろうか」

「いえ、次はわたくしの金で。ふむ……魔物の方がおおきくて狙いやすい、という意味ではなさそうですね」

 

 こいつがヒトの世の常識に疎いのはいまさらの話であって、あまり驚きもない。

 なお、今朝のうちにこいつは手持ちの宝石のひとつを売り払い、帝国のお金に換えていた。

 

 これで、当座の資金には苦労することがないだろう。

 魔導具を購入しよう、などと考えるなら、また話は変わるのだが……。

 

「ヒト同士の殺し合いなんて、それが好きな奴らで勝手にすればいい」

 

 おれはそう吐き捨てる。

 

「縄張り争いは、生物の本能のようなものでしょう?」

「その本能を抑制する術を学んできたからこそ、ヒトはこれだけ大地に広がった、という見方もできる」

 

 まあこれは、ヤァータの受け売りだが。

 はたしてマイアは、濁った紅の瞳でじっとおれをみつめてきた。

 

 この瞳でみつめられると、いつも落ち着かなくなる。

 別に、魔力が込められているわけではないらしいが……。

 

「ヒトは同族殺しを厭う、という話でしょうか」

「そんな感じだと思ってくれていい」

 

 しかし、こいつ。

 まるで、自分がヒトじゃないみたいな話し方をするな。

 

 事実、そうなのだろう。

 ヒトとはなにか。

 

 神話の物語にあるように、かつて神が平民と交わって生まれたのが貴族ならば。

 本来、平民こそがヒトであり、おれを含めた魔力を操る者たちはその範疇に入らないのではないか。

 

 そもそも人里離れた領地で、まわりに平民がいっさいいない状況で暮らしてきた彼女にとってのヒトの概念は、おれたちが考えるものといささか異なっているに違いない。

 帝都の学院においては、魔臓を持つ者と持たぬ者は別の生き物である、と過激な論を振りかざす者とていると聞く。

 

「実際のところ、狙撃魔術師がこれだけ増えたのは、狙撃魔術師じゃなければ満足に殺せないような魔物がいるからだ。ヒトを殺すだけなら、こんな技術は必要がない」

「それは、道理」

「そういうわけだから、おれたちは東に行かない」

「じゃあじゃあ、師匠、どこに行くの?」

「とりあえず、南かな。シグル大森林のはずれに、ちいさな町がある」

「南、かあ……」

 

 ここからだと、高速街道を通る鉄角馬車で三日、それから徒歩で数日といったところか。

 普通に徒歩だけで行くなら夏になっているだろうが、帝国の東西南北を貫通する高速街道を鉄角馬車で駆け抜ければ、あっという間である。

 

 そう、この都市のすぐ近くに、高速街道の入り口があるのだ。

 わざわざここに来た理由のひとつであった。

 

「高速街道、とは?」

「鉄角馬と呼ばれる、魔法で強化された馬が牽引する馬車があってな。それが走るために整備された街道は、帝国でも二本しかない。今回はそのうちの一本、南北街道を使う」

「なる、ほど?」

 

 マイアは首を横に傾けたまま、目をぱちくりさせている。

 なにがなんだか、いまひとつわかっていない様子であった。

 

「速く目的地にたどり着きたい、ということですね」

「まあ、そうだな」

「飛べばいいのでは」

 

 飛べるのか、おまえ。

 いや、山賊をぽんぽん宙に放り投げていたから、その応用でいけるのかもしれんが。

 

 飛行魔法を使える魔術師は少ない。

 それになにより……。

 

「帝国のたいていの領地では、飛行魔法の行使が禁止されている。各地の貴族からしたら、敵対行為にしかみえないからな」

「空からだと、なにもかも丸見えだからねー」

「飛べる使い魔は制限されていないようにみうけられますが」

 

 マイアが、近くのテーブルの上で餌をついばんでいる三本足のカラスに視線をやる。

 我が使い魔たるヤァータは、我関せずとばかりにこちらに背を向けたままであった。

 

「本音では、それも規制したいだろうけどな。現実問題として、どいつが使い魔かわかる奴なんて少ない。せいぜい、露骨にやるな、と釘を刺すくらいしかできないんだ」

「それでも、やりすぎればコロコロされるみたいだよ」

「隣の貴族とやりあってたりする、神経をとがらせている土地では特に注意だな。そういうのもあって、おれは東に行きたくない」

 

 あと、おれは空を飛べないからね。

 リラが飛行魔法を使えるのは、雪魔神と戦ったときに知ってるけど。

 

 でも、あれも長時間は無理だろう。

 一般的に知られている飛行魔法は、極めて魔力を消耗するのだ。

 

 マイアの場合、魔力の消耗が少ない魔法を知っていてもおかしくはないのだけど……。

 そういったオリジナリティの高い魔法は、基本的に秘匿されるべきものである。

 

 無理に暴こうとしたら、殺し合いになってもおかしくはない。

 この子に、そういった一般常識が通じるかどうかも、これまた怪しいところではあるのだが。

 

「ねえねえ、マイアちゃん。燃費のいい飛行魔法を知ってるの? 教えてくれない?」

「わたくしの扱う程度のものであれば、喜んで。あなたの魔法も教えていただけますか?」

「もっちろん! わーい、嬉しいなあ」

 

 特に問題ないらしい。

 リラの社交性の高さには恐れ入るばかりである。

 

 まあ、女性ふたりで友好を深める分には問題ないだろう。

 肩身の狭い男は退散するか。

 

「南方に向かう前提で、買い出しをしてくる。ついでに、なにか買ってきて欲しいものはあるか?」

「え、ししょー? わたしが行きますよ? わざわざししょーが行かなくても」

「こういうのは、旅慣れたおれに任せておけ。マイアの相手を頼む」

 

 言葉には出さず、マイアをひとりにするな、と目配せをする。

 リラは、ああ、とうなずいてみせた。

 

 彼女とて、理解しているのだ。

 都市のただ中でこの小柄な少女をひとりにさせた場合、どんな惨事が待っているかわかったものではない、ということを。

 

 いや、この部屋でじっとしていてくれるなら、いいけどね。

 それでもなにか起こしそうなのが、こいつなのである。

 

 外見がなー、ほんとただの小娘にしかみえないからなー。

 そういう意味ではリラも同じだが、彼女は暴力の限度を知っているので問題ない。

 

 この場合、手を出してきた相手を骨折程度で済ませる、というくらいの意味である。

 どうせ、馬鹿は痛い目をみなきゃわからないから、それでいいのだ。

 

「行くぞ、ヤァータ」

 

 カラスはおれの声に顔をあげると、ぱたぱた飛んで頭の上に着地する。

 使い魔と共に、おれは宿を出た。

 

 

        ※※※

 

 

 実際のところ、リラたちの目から離れたところでヤァータと話がしたかった、というのも買い出しに行く理由であったりする。

 今回の旅は、いろいろと気を遣うことが多い。

 

 ヤァータと出会ってから、これほど他人と共に行動したことはなかった。

 勝手が違って、戸惑うばかりである。

 

「シグル大森林におまえの分身体を飛ばせるか?」

「衛星上からの観察だけでは情報が足りない、ということでしょうか」

「現地でなにが起こっているか、あらかじめ知りたい。さっきギルドの二階で軽く聞いてみた限りでは、現地の貴族同士で軽いもめごとが起こっているくらいらしいが」

「わかりました。ですが、現地に到着するまでは分身体(ドローン)の情報を受けとれませんよ」

「現地入りしたときに少しでも情報が入れば、それでいい」

 

 胸騒ぎがするのだ。

 なぜか、行く先々で問題が起こるような気がしてならない。

 

 だから、先手を打つ。

 用心しすぎて空振りになる方が、不用心に危険に足を踏み入れるよりずっとマシである。

 

 狙撃魔術師として長く生きている者ほど、そのことをよく理解しているものだ。

 

「具体的に、どのような情報を集めますか?」

 

 ヤァータの問いに、通りを歩きながら答えていく。

 通りすがりの者には聞こえない程度に声を落としているから、まあ、あまりへんな目ではみられないだろう。

 

 ときどき、ちらりと振り返る者がいるけれど……。

 カラスを頭の上に乗せている以上、そればっかりは仕方がない。

 

 たとえば蛇が使い魔の魔術師なら蛇を首に巻いてたりするから、都市部ではそういった光景も珍しくはないはずなのだけども。

 それでも、平民ばかりの場所を歩いていると、多少なりとも目立つことは避けられない。

 

「とりあえず、適当な店に入るか……」

「そうですね。魔道具を扱う店が、この近くにありました」

 

 ヤァータとは、以前にこのあたりをうろついたことがある。

 もう十年近く前のことだ。

 

 その頃の地理などおれはとうの昔に忘れてしまったが、こいつの頭脳は過去をけっして忘れないらしい。

 便利なものであった。

 

 おれたちは複雑に路地を折れ曲がり、地元民でもみつけにくいような看板も出ていない店に入る。

 さて、ここで買うべきものは、と……。

 



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第30話 高速街道と鉄角馬車1

 魔法で強化された特殊な馬、鉄角馬。

 これを用いた鉄角馬車。

 

 それをはじめとした特殊な乗り物だけが交通を許された、特別な街道がある。

 正式名称、帝国高速馬車専用街道。

 

 一般には、ただ高速街道と呼ばれる。

 帝国と東西南北に結ぶ、情報と物資の動脈ともいうべき街道の名が、それだ。

 

 冬の間、高速街道の北方においてはその利用が著しく制限されていた。

 いちいち降り積もった雪を排除するよりも、行き来する乗り物を制限する方がコストがかからない、と判断されているためである。

 

 そのせいで帝都とおれたちが滞在していた地方では、冬の間、おおきな情報格差があったわけだが……。

 春が訪れてしばらく、その制限も解除されて久しい。

 

 いまなら鉄角馬車を使って、南方の駅まで三日で辿りつくだろう。

 おれたちがたどり着いた都市のすぐ近くには、高速街道の最北端の駅が設置されているのだから。

 

 

        ※※※

 

 

「ほわあ……」

 

 マイアは、ぽかんとおおきく口を開けたまま固まった。

 生まれて初めて鉄角馬車の前に立ったときのことである。

 

 鉄角馬は、馬といっても強化魔法に最適化され品種改良されてきた、特殊な種族だ。

 その名の由来である、頭の上におおきく突き出した鈍色の巻き角は、背に搭載された魔力タンクから供給される魔力を帯びて、ぱちぱちと紫電を放っている。

 

 体毛は墨を塗ったように真っ黒で、その全身は普通の馬よりひとまわり以上もおおきい。

 そして瞳は、黄金色に爛々と輝き、まっすぐに前だけをみつめている。

 

 そんな馬が、四頭。

 朝日を浴びて横一列に並び、馬丁たちに腹部の毛を整えられていた。

 

 彼らに牽引されることになるのが、鋼鉄の家、とでも形容するべき八つの車輪がついた巨大な箱である。

 以前、ヤァータが「バスのようですね。いえ、列車でしょうか」といっていた。

 

 その箱が、三台も連結し、縦一列となって鉄角馬に繋がる時を待っている。

 いったい、総重量ではどれほどになるのか。

 

 しかし鉄角馬は、魔力に強化された全身によって、それを苦も無く引いてみせる。

 無論、こんな重いものを走らせれば、普通の道ではたちどころに陥没してしまうだろう。

 

 だから鉄角馬車が走る高速街道もまた、特別製だ。

 前方に広がるのは、特殊な魔法によってコーティングされた黒い石、それが敷き詰められた、大人が渡って二十歩以上はかかりそうなほど幅広い、平坦な道である。

 

 それが延々と、地平線の彼方まで続いているのだ。

 この道をつくるために、いったいどれほどの土木魔術師が投入されたのか。

 

 そしてこの道を維持するために、帝国はどれほどの財貨を投入しているのか。

 いずれにしても、この街道こそが帝国の繁栄の礎であることは間違いない。

 

 故に、この街道を通ることを許されている乗り物には、庶民であればとうてい手も出ないような税金がかかってしまう。

 大量の荷を帝国の隅々まで運ぶことで、それすらもペイしてしまう。

 

 圧倒的な輸送力、その源こそ、この鉄角馬車なのであった。

 無論、馬車が運ぶ荷のなかには人も存在し……。

 

 おれは高い金を払って、南部行きのチケットを三人分、あらかじめ購入してある。

 もちろん弟子のリラに金を払わせる気はない。

 

 マイアの場合は、「これを路銀に替えていただければ」と懐からやたら高価そうな宝石をとり出してきたが、さすがにもったいないと断っている。

 ちなみにその宝石、リラが「魔力がこもってる。学院に持っていけば、いくらになるかわからないよ」といっていたので、ここで売り払わなくて正解のようだ。

 

 マイアは「この程度であれば、他にもいくつか」といい出したので、ふたりで慌てて彼女の口をふさいだ。

 どこで誰が聞き耳を立てているかわからない。

 

 それを聞いた者がよからぬ欲望にかられ、ことに及ぶとも限らないではないか。

 その場合、可哀想な目に遭うのはその強盗あるいは泥棒ではあるのだが……。

 

 あえて不幸の種を蒔くことはあるまい、という善良なおれとリラの配慮である。

 閑話休題。

 

 さて、ここは大都市のはずれ、駅と呼ばれる鉄角馬車の北の終着点だ。

 この馬車に乗り込むべく、おれたちは早朝のこの地にやってきた。

 

 と――馬丁たちが驚きの声をあげる。

 みれば、頭がよくおとなしいはずの鉄角馬たちが馬丁の制止を振り切り、こちらにやってくるところだった。

 

 リラが、おれをかばうように一歩、前に出る。

 マイアが、さらにその前に進み出た。

 

 四頭の鉄角馬は、黒髪の少女の前までくると、まるで跪くように四本の脚を折り、頭を垂れる。

 

「んっ」

 

 マイアはご満悦といった様子で、そんな彼らの頭を、一頭ずつゆっくりと撫でた。

 慌てて追いかけてきた馬丁たちが、そんな光景にぽかんとなっている。

 

「よし、よし。おまえたちは、わたくしが守ってあげます。心配することは、なにもありませんよ」

「はぁ……こいつらが外部のモンに懐くの、初めてみたよ。お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「なにも、問題はございません。この子たちは、ただわたくしに挨拶をしたかっただけの様子。どうか、怒らないでやってください」

「お嬢ちゃん、よほど魔力の高いお貴族さまなのかい? いや、いい。そういうことを聞くのはマナー違反だな」

 

 よい旅を、といって、馬丁たちは立ち上がった鉄角馬たちの轡を引き、もとの場所に戻っていった。

 おれとリラは安堵の息を吐く。

 

「竜を前にして、天馬たちは頭を垂れるっていうけど、そういう感じかなー、あはは」

「生物としての格の違いをみせつけた、という感じはあるな」

 

 マイアは、じっと己の手をみつめていた。

 先ほど、鉄角馬の頭を撫でていた手だ。

 

「どうした」

「あの子たちの毛が、温かかったのです。撫でると、とても気持ちがよかった」

「これまで、ああいう風に撫でたことはなかったのか」

「弟の頭を撫でたことはありましたが……」

 

 それはちょっと違うんじゃないかな、とおれは思ったが、賢明にも口には出さずにおく。

 この子の弟が馬だったわけでもあるまいに。

 

 気をとりなおして。

 

 おれたち三人は、係員にチケットをみせ、三連結されたうちの真ん中の箱に乗り込んだ。

 ちなみに先頭の箱が一等席、二番目の箱が二等席、三番目の箱が三等席となっている。

 

 一等席と二等席は、おおきな違いがない。

 チケットに戦闘義務が付随しているかどうか、それだけである。

 

 すなわち二等席では、馬車が襲撃を受けた場合、最低でも一行のうちひとりは迎撃の人員として加わる義務があるのだ。

 無論、それなりに戦える人員であると各ギルドから承認された者であることが最低条件である。

 

 先日、狩猟ギルドに赴いたのは、この承認を得るためでもあった。

 有事においては、無論、おれとリラが出る。

 

 マイアは待機、ということになっているが……。

 実際のところ、おれなんかよりマイアの方がよっぽど強くて役に立つんだよなあ。

 

 まあ、そこは考えないことにして。

 二等席では四人がけの椅子がついた個室がそれぞれに用意されており、おれたち三人は個室をひとつ、旅の間、まるまる使うことになる。

 

 馬車のなかには、同じおおきさのスペースがほかに五つ、狭い通路を挟んで三つずつ並んでいる。

 なお三等席には椅子すらなく、ぎゅうぎゅう詰めで、ずっと立ちっぱなしらしい。

 

 それぞれの箱の前半分がこういった客用のスペースであり、後ろ半分は貨物室だ。

 先頭の箱の一番前にだけは乗務員用のスペースがあるというが、おれはそっち側のことをよく知らないので割愛とする。

 

 箱の内部は木造りで、狭い通路の左右に鍵つきの扉が並んでいた。

 おれたちはチケットで指定された番号の扉を開けてなかに入る。

 

 ふたりがけの椅子が向かい合っている個室。

 その奥の真ん中にあるひとつきりの窓には透明なガラスがはまっていて、外の景色が見渡せる。

 

 おれたちは荷物を棚に置いて、それぞれ椅子に座った。

 ちなみに、窓際にはおれが座り、その隣にはリラが、おれの対面、もうひとつの窓際にはマイアが座ることとなる。

 

 理由は、防犯対策。

 そしておれの安全のためである。

 

「だって師匠、突然襲われたら対処できないから。こうして囲っておいた方が安全でしょ」

「正論はヒトを傷つけることもあるんだぞ」

「師匠、いまさらそんなことで傷つくひとじゃないもん」

 

 それはまあ、そうなんだが。

 おれは、ひとにまかせられるところは全力で任せるタイプの男だぞ。

 

 マイアもうんうんと首を縦に振っている。

 

「守りはわたくしたちにお任せを。適材を適所に配置する。それが長く生きる秘訣、と父から教わりました」

 

 世間体ってものを考慮しなければ、まあそうなんだけどさあ。

 

 

        ※※※

 

 

 かくして出発の時刻が来て、かん高い笛が鳴る。

 鉄角馬車が、ごとりと音を立てて動き出す。

 

 窓の外の景色が、すべるように横へ流れていく。

 いちど駆け出してしまうと、思ったほどの揺れはない。

 

 馬車の車体の、衝撃を吸収する構造にその秘密があるらしい。

 マイアは興味津々といった様子で、窓にかじりつくようにして高速で移り変わる外の風景を眺めていた。

 

「そんなに珍しい景色でもないだろうに」

「空の上からではなく、地上で、しかもわたくしは座っているのに、景色はかくも移り変わる。なんとも奇妙な感覚を覚えてしまいます」

 

 なるほど、自分が普段、飛んで移動するような魔術師であるからこそ不思議に思うということか。

 驚き方が極めてレアであるが、この少女がやることなすこと規格外なのはいつものことだ。

 

 実際のところ、鉄角馬車に乗るよりも、一流の魔術師が自らの足で駆ける方が何倍も速い。

 空を飛べばさらに早く、目的地に到着するだろう。

 

 辺境では貴族たちが実際に高速で駆けて移動するため、わざわざ交通機関を発達させる必然性が薄いという。

 エルドで冬季も街道の整備にコストをかけているのは、それとは別の理由、つまり治安の安定と民の安寧を願うが故である。

 

 帝国は、貴族だけで国がやっていけるわけではないことをよく理解している。

 この鉄角馬車のような大量輸送手段をつくり、高い維持コストを払っているのも、そういった為政者の意向によるものだ。

 

 ほかの国では、こういった考え方を理解しない貴族が幅を利かせていることも多いという。

 そういった国がどれほどのちからを持っているのかといえば……。

 

 現状、帝国がかくも周辺諸国に睨みをきかせ、それらの国がいっこうに台頭して来ないあたりからお察しといえるだろう。

 

 貴族は、生物として圧倒的な強者である。

 だが万能ではない。

 

 おれは、窓の外で流れる景色をじっとみつめるマイアに、そういったことを語ってみせた。

 なんとなくだが、彼女にはそれを知っていて欲しかったのだ。

 

「有象無象の虫けらを侮ってはならぬ、とそうおっしゃりたいわけですね」

「そこまではいってないが」

「よく存じております。わたくしが旅に出たのは、彼らと共に暮らすことで彼らを理解したい、と願ったからでもあるのです」

 

 窓ガラスに映る少女の赤い瞳は、相変わらず濁っているようにみえた。

 彼女がそのちいさな身体に抱える想いは、はたしてどのようなものなのか。

 

 おれなどの言葉がどれほど彼女に通じるのか。

 こんご彼女が生きるための、せめてもの一助となればよい、と願うのみである。

 

「百年後」

 

 はたして、マイアは呟く。

 

「この地の民は、どれほど発展しているのでしょうね」

「おれなんかには、さっぱりわからん。ひょっとしたら、厄災のような魔物に襲われて全滅しているかもしれん」

「狙撃魔術師たちが、なんとかするでしょう」

「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。狙撃魔術師で竜を滅ぼせても、もっと厄介なやつが侵攻してくるかもしれない」

 

 実際におれたちが昨冬、あの雪山で出会った雪魔神はその可能性を持った輩であった。

 人類が未だ到達したことのない北の大陸には、あんなものが何百体も生息しているという。

 

 人類の生存権の外側は、未知に溢れている。

 なんでも知っているようにみえるヤァータがそういうのだから、実際にそうなのだろう。

 

「大半の奴らは、百年後のことなんて考えても仕方がないと思っているさ。自分が死んだあとのことなんて考えるのは、領地を持つ貴族だけだ」

「なるほど、道理」

「だがね。そういう視点を持てる、というのはいいことだと思うよ」

「いいこと、ですか」

「先のことを……未来を考えるほど、いまの自分は無体なことはできなくなる。将来に残る遺恨を考えてしまう。その場限りの無法は、働きにくくなる」

「それもまた、道理」

 

 彼女には、帝国まるごと敵にまわして平然としていそうな、浮世離れした危うさがある。

 その結果について、まるで頓着しそうにない。

 

 彼女の意識に、未来についての感覚を植えつけておくのは、だからきっと意味のあることに違いなかった。

 百年後、というのはいささか先のことすぎて、おれの方に実感がないが……。

 

 百年後、おれが生きているかどうかはヤァータのみぞ知ることである。

 どちらかというと、そんな先のことは考えたくない、というのがおれの実感だ。

 

「あのね、マイアちゃん。統計の話、していい?」

 

 リラが口を挟んできた。

 去年まで帝都の学院に通っていた彼女は、帝国の最新の情報をよく知っている。

 

「この三十年でね、帝国の人口は倍に増えているんだよ」

「倍、ですか。たった三十年で」

 

 マイアが息を呑んでいる。

 帝国の発展は知っていたが、人口が倍に増えているというのはおれも初耳だった。

 

「領地のあちこちで暴れていた魔物が片っ端から退治されて、森を切り開いて畑にしやすくなったから、というのが公式見解なんだ」

「狙撃魔術師、ですか」

「それだけじゃないけどね。厄介な魔物を退治する方法は、以前からあった。けど気軽に使えるものじゃなかった。それが、三十年前あたりを境に変化した。ヒトはいろいろな方法で森を、山を切り開いていった。結果、ヒトはぽこじゃか増えた」

 

 リラは淡々と、細かい数字を挙げていく。

 若いやつは記憶力があって羨ましいことだ。

 

「だからね、マイアちゃん。良くも悪くも、百年後のわたしたちは、きっといまからじゃ想像もつかないほど変わっていると思うよ」

「変わって、いる」

「うん。そのへんのことに興味があるなら、帝都の学院に行ってみるのもいいんじゃないかな。きっと、マイアちゃんなら余裕で合格だから」

「――検討いたしましょう」

 

 少しためらいがちに、マイアはうなずいてみせる。

 そしてまた、濁った瞳で、飽きずに窓の外の景色を眺めるのだった。

 

 鉄角馬車は南へと、高速街道を爆走する。

 



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第31話 高速街道と鉄角馬車2

 鉄角列車は高速街道を南に向かって走る。

 普通の馬のやや速足程度の速度だ。

 

 だが魔法で強化された鉄角馬車は、じつに日の出から夕方まで、ずっと同じ速度で走り続けることが可能であった。

 この日の出から夕方までという数字も鉄角馬が背負った魔力タンクの容量次第である。

 

 途中の駅で魔力タンクを交換することで、さらに走り続けることができる。

 とにかく頑丈に品種改良された馬なのだ。

 

「竜は」

 

 窓の外で流れる景色をずっと眺めていたマイアが、唐突に、呟いた。

 馬車は草原を抜け、森のなかに入っている。

 

「竜は、百年後を生き残ることができるのでしょうか」

 

 いってから、はっとした様子でおれの方を向く。

 少し頬を染めて、口をぱくぱくさせる。

 

 なにを馬鹿なことを口走った、とでも思っているのか。

 あるいは、なにを子どもっぽいことを、か。

 

 たいていのヒトにとって、竜とは真剣に敵と考えるに値しない、物語のなかにのみ存在する悪意にすぎない。

 

 みかけよりずっと大人びている、あるいは実際に齢を重ねている彼女。

 普段は子どもらしさをみせない少女が唐突にみせたその幼い表情に、おれの隣に座るリラがにやりとしてみせた。

 

「いいんじゃない。マイアちゃん、そんなに照れなくても」

「リラさま、わたくしは照れているわけでは……いえ、あの、その」

「でも師匠は、竜を退治したことがあるんだよ」

「あ、はい」

 

 いまそんなことをいうなよ、馬鹿弟子。

 なぜ自慢げに鼻の穴をおおきくしている、馬鹿弟子。

 

 おれはおおきく息を吸って、吐く。

 竜、か。

 

 魔物の頂点、ともいわれる化け物のなかの化け物だ。

 それだけではなく、竜という生き物にはもうひとつの側面もある。

 

 知的生物。

 ヒトと言葉を交わすことができる生き物。

 

 かつてヤァータは、知的生命体に奉仕することが己の喜びであると語った。

 そして、こいつの主張する知的生命体には、竜のような生き物も該当すると。

 

 それを聞いてから、つい考えてしまったのだ。

 ヒトと竜がわかりあう道もあるのではないか、と。

 

 実際に、過去には竜がヒトを支配する国が存在した。

 まあ、それは竜が一方的にヒトを奴隷とし、搾取するだけの関係であったと伝えられているが……。

 

 竜に守られた国を、まわりの国々はひどく恐れた。

 それまで戦乱に明け暮れていたその国は、平和を享受したという。

 

 庇護と抑圧は表裏一体だ。

 ちからがない国は、他国の狩場になるだけである。

 

 かの国を支配した竜には、そのちからがあった。

 圧倒的なちからが。

 

「昔、竜を倒すためには、ヒトの側によほどの覚悟が必要だった。強大な竜を仕留めるためには、充分な策略をもってするしかない。おれが赤竜を狙撃したときは、何百もの人々が囮として散っていった。竜を倒すというのは、いまでもそれくらいの難事だよ」

「ですが、竜は数が少ない。対してヒトは増え続ける。狙撃魔術師も増えていくでしょう」

「そうだな。だから現代においてヒトの生存圏と竜の生存圏がぶつかった場合、竜が勝つ場面は次第に減っていくだろう。帝国の外でもそれは変わらないし、歳月の経過はヒトの有利に働く。いちど技術として確立したものは、世代を経ても、よほどのことがない限り消えることがない。それがヒトの強さだ」

 

 マイアは窓の外をみつめながら、真面目くさった顔でうなずいてみせる。

 いま彼女がなにを考えているのか、おれにはさっぱりわからなかった。

 

「強大さでもってヒトを退けていた魔物を狩るために生まれたのが、狙撃魔術師だ。ヒトの生存圏が拡大し、あちこちで強大な魔物たちとぶつかっていた。ヒトは勝ち続けた。結果、いまがある。この状況を覆すには、魔物の側におおきなテコ入れが必要だろうな」

「師匠、普段からそんなこと考えてるの?」

 

 ヤァータと思考実験を繰り返した結果だ。

 おれは別に物知りってわけじゃないが、相棒たるヤァータはその方面においてちょっとしたものなのである。

 

 とはいえ、正直にそのことを語るわけにはいかない。

 どうせ信じちゃくれないだろうしな……。

 

「テコ入れ、ですか」

「ああ、マイア。たとえば魔物が狙撃魔法への対策を手に入れたら、どうだ。もっともこの方法は、狙撃魔術師もいずれ対策をするだろう。いたちごっこだな」

「で、ありましょうね」

 

 現に、冬に戦ったブラック・プディングには、狙撃魔法への対策が施されていた。

 マイアもなにか思い当たるフシがあるのか、しきりにうなずいている。

 

「次に考えられる対策としては、団結だな」

「団結」

「魔物といっても、彼らは個々に独立した存在で、互いでも争っている。そのうえでヒトとも敵対していた。これをやめる。対人類で共同戦線を張る、魔物同盟を誕生させるというわけだ」

「同盟。それは……実現すれば、たいそう厄介でありましょうが……」

「ああ、なかなか難しいだろうな。ヒトの強みは、協調性だ。魔物にそんな協調性があったなら、とっくに大陸は魔物たちのものになっている」

 

 竜がヒトを支配した国の話を、また思い出す。

 頂点に立つ竜たちは、ヒトという奉仕種族を上手く使い栄えたという。

 

 だが、この国は長続きしなかった。

 竜は三体の子を産んだが、この子らは相争い、ついには親竜にも刃を向けたのである。

 

 最終的に、竜同士の争いにつけ込んだ他国からの介入もあって、すべての竜が討たれた。

 その間にヒトは多くの犠牲者を出したが、最後に生き残っていたのはヒトであった。

 

 竜の子らが争ったのはヒトたちの陰謀であった、という説がある。

 竜にはそもそも協調性などなかった、と主張する学者もいる。

 

 いずれにせよ、竜が滅んだあと長い戦乱の時期が来て、関係する人々の記録も失われた。

 それこそ、竜が統治していた時代がもっとも平和であった、とかの地で伝わるくらいには、いまも混乱が続いている。

 

 周囲の諸国もまた、その戦乱のなかで滅びた。

 真実は闇のなかだ。

 

 竜以外の知性ある魔物も、彼らはその強大さに比例して、強い自我を抱えている。

 故に、彼らが団結しヒトに当たる、という事例はひどく少ない。

 

「みっつめ。これはあまり考えたくないことだが、外の世界から戦力を招き対抗する。悪魔とかな」

 

 リラが顔をしかめた。

 彼女は学院時代、同級生が不用意に呼び出した悪魔によってさんざんな目に遭っている。

 

「悪魔。あれらは、己の周囲を、あれらの世界の法則に書き換えます。生存圏を争うに際し、これほど不適切な手段はないでしょう」

 

 マイアは冷静に問題点を挙げてみせた。

 彼女の言葉の通り、争っている生存圏そのものを異界化させ台無しにしてしまっては意味がない。

 

「だが、ヒトに負けるよりはまだマシ、と考えて実行する奴はいるかもしれない。実際に、かつて人類の国では、形勢不利になった側が召喚した悪魔によって共倒れになった、という事例がなんどか記録されている」

「愚かの極みですね」

 

 なんとも手厳しいが、まったくもって彼女が吐き捨てた言葉の通りである。

 

「やはりヒトは、対界協定(アライアンス)を忘却したということでしょう」

「うん?」

 

 マイアがなにか呟いたが、よく聞き取れなかった。

 少女は首を横に振り、気にするなと先を促す。

 

 いや気になるんだけど。

 まあ、彼女が黙っていたいというなら、無理に聞き出すこともあるまい。

 

「四つめ」

「まだ、あるのですか」

「思いつくのは、これが最後だな。対立ではなく同化してしまう、という方法だ」

「同化」

「教会はまあ、いろいろいっているが。帝国において、ヒトとはなにかという定義はない。たとえば、竜が『おれはヒトだ』といって皇帝に従属すれば、帝国貴族の仲間入りを果たすことも可能かもしれないということだ」

 

 マイアはその言葉に、おれを振り返った。

 濁った眼をおおきく見開く。

 

「竜が、ヒトとして扱われる。可能な方法なのですか?」

「過去に亜人種のいくつかで、そういった方法を用いて帝国の貴族を増やした実績があるな。たしか巨人もいたし、翼が生えた種族もいたし、角つきもいたし、口から火を吐く種族もいた。四つ足でちょっとばかり図体がでかくても問題ないかもしれん」

「あー、詭弁だけど筋は通ってるねえ」

 

 リラが、あははと笑う。

 彼女は冗談のたぐいだと捉えたようだ。

 

 当然だろう。

 おれだって、ヤァータの言葉がなければハナから考慮しないような可能性である。

 

 マイアは違ったようだった。

 口もとに手を当て、うつむいて考え込む。

 

「なんとも、奇抜な発想をなさる。しかし、そう……なるほど、理屈は正しい」

「あまり真剣に捉えてくれるなよ。陛下には陛下のお考えがあるだろう」

「現状において、あくまで机上の空論なのは、承知。ですが百年後であれば、どうでしょう」

「あー、そういうことか。いまから議論を深めておけば、いざ滅びかけた種族が降伏するってときにもいろいろと、か」

 

 マイア、この外見の幼い少女は、しかし真剣に百年後のことを頭に入れて話をしている。

 それは彼女がなんらかの手段で百年後を生きる術を持っているからか、それとも単にこの者自身がそういう思考を常にしてきたが故の長い視野なのだろうか。

 

 その考え方は、ひどく異質であった。

 だが辺境でヒトとほとんど触れ合わずに暮らしてきた貴族の末裔と考えれば、そういうこともあるだろう。

 

「有意義な話を聞けました」

「そういってもらえると、おれも嬉しいよ」

 

 顔をあげた彼女の赤い双眸は。

 どうしてか、少しにごりが薄れているような気がした。

 

 

        ※※※

 

 

 さて、この二等席には戦闘義務がある。

 鉄角馬車が襲撃を受けた場合、護衛と共に戦う義務、ということだ。

 

 なぜ、そんなものがあるのか。

 帝国が誇る高速街道が、けっして安全とはいえないからだ。

 

 襲撃者のうちもっとも割合が多いのは、野生の魔物である。

 魔物たちが全力で駆ければ重い荷を引く馬車よりずっと速度を出せるし、なかには空から襲ってくる魔物や飛び道具を使う魔物もいる。

 

 高速街道は、なるべく東西南北を一直線につなぐため山や森を強引に切り開いてつくったものだ。

 故に非常に目立つし、鉄角馬車そのものも、内部は比較的静かなものの、これは防音魔法が張られているから。

 

 外からだと、けっこう派手な音を立てて移動している様子がまるわかりである。

 いちおう、魔物が嫌う臭いを散布したり一部では結界を張ったりして対策してはいるのだが、焼け石に水、といったところだろうか。

 

 襲ってくるのは魔物だけではなく、魔力持ちを含む山賊や、明らかに他国の間者とおぼしき者たち、果ては古代の自動機械なども何故か馬車に狙いを定めてくる。

 帝国がそれでも鉄角馬車を運行するのは、非常に高い水準を誇る護衛たちのおかげであろう。

 

 発表によれば、馬車に対する襲撃は十回の運航につき一度の割合で、年間の馬車損耗率はコンマ五パーセント以下。

 それも、損傷したもののなんとか駅までたどり着いた馬車を含むものであるという。

 

 完全に襲撃者に敗北し、全乗員と乗客が失われた例は、過去数年をみても一度か二度しかない。

 その帝国が発表した数字をどこまで信じていいかはわからないが……。

 

 帝国の外を旅すれば、頻繁に旅人が行方不明になっているとも聞く。

 移動する距離を考えると破格の安全性を誇っているといえるだろう。

 

 大半の戦闘においては、護衛たちだけで襲撃者を追い払ってしまう。

 だが三台のすべてを無傷で守ろうとすると、数の少ない護衛だけではできることに限界がある。

 

 故に、二等席の者たちが援護として出撃するのだ。

 その役目は、あくまでも帝国が誇る第六軍所属馬車護衛団の手伝いであった。

 

 

        ※※※

 

 

 窓の外を眺めていたマイアが「近づいてきますね」と呟く。

 直後。

 

 耳障りなかん高い角笛が馬車のなかで鳴り響く。

 おれたちは雑談をやめて、腰を浮かせた。

 

「十回に一度に当たっちまったか」

「ちょうどいい刺激だよ、師匠。マイアちゃん、来ているのは、なに?」

「鳥の群れ、ですね」

 

 ただの鳥ではあるまい。

 窓に顔を近づけ、マイアが指差す先を探す。

 

 東の空の彼方、黒い点にしかみえないものが、雲のように横へ広がりながら次第におおきくなっている。

 あれが、そうか。

 

 ずいぶんと数が多い。

 これはたしかに、一騎当千とはいえ数名しか乗っていない護衛たちだけで対処するのは困難だろう。

 

「打ち合わせ通り、おれとリラが出る。マイアはここで……」

「わたくしも参りましょう。あの者たちに、わたくしが守ると約束いたしました」

「あの者……鉄角馬のことか」

 

 あれは本当に馬と会話していたのだろうか。

 鉄角馬は賢いと聞くし、彼女なら馬と会話するくらいできても不思議ではない、となんとなく思ってしまう。

 

「心配せずとも、身を守る程度のことは苦も無く」

 

 それは心配していない。

 きみがまわりに迷惑をかけないか、正直そっちの方が心配なくらいだ。

 

 とはいえ……そもそもこの旅の目的には、彼女の協調性を向上させるというものもある。

 それを厭うて安全な場所に押しこめるのは、せっかくの機会を奪うことになりかねない、か。

 

「わかった。全員で屋根に上がろう」

 

 すでに、他の席でもばたばたと忙しそうな音が響いている。

 おれたちは準備を整えて、狭い廊下に出た。

 

 



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第32話 高速街道と鉄角馬車3

 廊下の隅、木の梯子を登って馬車の屋根に出る。

 吹き抜ける冷たい風に身をすくめた。

 

 防音の障壁の範囲外に出たことで、鉄角馬が地面を蹴るちから強い音がリズムよく鳴り響く。

 帝国が誇る最新鋭の振動吸収装置のおかげか、揺れはあまり感じない。

 

 あまり広くない屋根の上にあがった二等席の客は、おれたちを合わせて七人。

 少し離れたところで、一等席の馬車と三等席の馬車からそれぞれふたりの騎士が、陽を浴びて銀色に輝く全身鎧をまとって姿を現した。

 

 馬車の本来の護衛は、彼らだ。

 毎回、前と後ろを合わせて合計五人が標準らしい。

 

 今日は少し数が少ない。

 それだけの腕利きだと、期待することにしよう。

 

「なんだなんだ、可愛らしいお嬢ちゃんに、まだガキまでいるじゃないか」

「おい、やめろ。あの子の赤いローブがわからないのか。学院の卒業生だぞ。その側にいるんだから、小柄な方もみため通りじゃないだろう」

 

 近くの男がリラとマイアを鼻で笑うも、仲間とおぼしき者たちにたしなめられる。

 傭兵だか狩猟ギルドの者だかはわからないが、この業界、外見ほどアテにならないものはないとベテランほどよく知っているものだ。

 

「はーい、帝都の学院の卒業生でーす。よろしくねー」

「んっ」

 

 リラは彼らに対して、陽気に手を振ってみせた。

 マイアも真似をして、無表情に濁った赤い瞳を向けながら、不器用に手を振る。

 

「も、申し訳ございません。まさか帝都の学院の……とはいざ知らず……」

 

 リラたちを嘲った男が、ひきつった顔で頭を下げた。

 瞬時に切り替えられてえらいぞ。

 

 帝都の学院の卒業生といえば、帝国におけるエリート中のエリートだ。

 貴族であっても才能のあるひと握りしか入学できず、卒業できる者はさらに少ない。

 

 平民の卒業生であれば、なおさら才に溢れていることの証明である。

 まあ、リラは貴族の出だけども。

 

 彼らもすぐにわかるはずだ。

 このふたりの少女がどれほど優秀で、彼女たちの横にいるおれがいかにこの場で無能かということを――。

 

 ちょっと悲しくなってきたな。

 いちおう、通常狙撃用の魔力タンクが必要ない長筒を持参してはいるんだけども。

 

 さて、馬車の進行方向の左手、東の方角を仰ぎみる。

 黒い鳥の群れが、黒雲のように広がって近づいてくるありさまがよくみてとれた。

 

「雷鳴鷹だ」

 

 二等席の客のひとり、弓を手にした偉丈夫が呟く。

 その名の通り、雷鳴のような音を響かせ、獲物を驚かせて狩りをすることで知られる、翼を広げた全長がヒトの倍ほどもある巨鳥である。

 

 単体では、ただでかいだけの鳥の魔物にすぎない。

 飛び道具を持った狩人がある程度の距離から対処すれば、ほぼ確実に仕留めることができる。

 

 問題は、この鳥が群れとなった場合だ。

 互いの出す雷鳴のような音が共鳴し、耳を聾する轟音となって襲ってくる。

 

 雷鳴鷹の群れが人里に出現すれば、音の衝撃だけで家が軒並み崩壊する。

 人々とて、近くでこの音の暴力を浴びれば無事では済まない。

 

 聴覚を失うだけならまだいい方で、全身の血が煮えたぎり、苦しんで死ぬ場合すらあるのだとか。

 雷鳴鷹の群れの襲撃を受けた村では、人も牛も羊も牧羊犬も、すべてが穴という穴から血を噴き出して絶命していたらしい。

 

 で、この魔物は、そうして殺した者の死骸に群がり、肉を喰らう。

 前述の雷鳴鷹の集団に襲われた村は、いたるところでついばまれた者たちの死骸が溢れ、地獄のようなありさまであったようだ。

 

 ぞっとする話だが、狩猟ギルドの目録に載っているエピソードのひとつだから、おそらくは実話なのだろう。

 そのとき村を襲った雷鳴鷹は、およそ三十体ほどの群れであったらしい。

 

 いま、雲のように広がっている雷鳴鷹は、はたしてどれほどの数であるのか。

 少なくとも、百や二百は下るまい。

 

 ざっとみた感じ、三百体といったところか。

 そこそこの町であっても、ちょっとした脅威となる数字だ。

 

「一体ずつ仕留めるんじゃ、キリがないな。誰か、まとめて始末できる奴はいないのか」

 

 大剣を背負った若い男が、震える声で呟く。

 壮年で禿頭の男が、そんな相手の肩に手を置いた。

 

「鉄角馬車は初めてか? そういうのは、あっちの役目だ」

 

 あっち、と禿頭の男が指差す先は、先頭の馬車と後方の馬車の屋根の上。

 それぞれふたりずつの帝国騎士が、腰の剣の鞘に手を当てている。

 

「総員、抜剣!」

 

 先頭の馬車のひとりが指示が飛ばし、彼らは鞘から一斉に剣を抜く。

 漆黒の刃を持った、片刃の剣だ。

 

 一般に帝国剣、と呼ばれる帝国上位騎士の標準装備。

 他国の騎士たちが恐れる、権威と武威の象徴である。

 

「魔力装填!」

 

 その剣先が、黄金色に輝いた。

 騎士たちは、一斉に剣を振るう。

 

 剣先から放たれた四筋の黄金色の光は、東の空へ一直線に飛んだ。

 黒い雲のように広がった雷鳴鷹の群れに、吸い込まれる。

 

 次の瞬間、激しい爆発が起こった。

 視界が白に染まる。

 

 一拍遅れて、衝撃波がおれたちを襲う。

 おれをはじめとして予期していた者はそれを身を低くして衝撃波を受け止めた。

 

「うおっ」

 

 予期できていなかった若い大剣使いがひとり、吹き飛ばされて宙を舞うも……。

 リラが素早く杖を振るうと、彼の身体は中空で静止し、すとんと屋根の端に着地する。

 

「す、すまねぇ、お嬢ちゃん。たいした魔術師だな」

「どういたしまして! それより――来るよ」

 

 彼女の言葉で、皆が東の空を仰ぐ。

 爆発によりおおいに数を減らし、あるいは遠くに吹き飛ばされたものの、未だ半分、百五十程度はいる雷鳴鷹の群れ。

 

 そのうち三割ほどが、頭部を下に傾ける。

 いましも馬車に向かって急降下しようとしていた。

 

 帝国騎士たちは、さきほどの一撃でおおきく魔力を削られたのか、これ以上先ほどの一撃は放てないようだ。

 まあ、あれだけのことを集団でやってのけるだけでも、騎士としては充分に規格外なのだけれど。

 

 他国にとっては恐ろしいことに、これが帝国上級騎士の標準である。

 なにせ騎士といっても、貴族の子弟が多く登用され、その魔力量が標準的な騎士団の十倍以上と喧伝されている第六軍の精鋭なのだから。

 

 それこそ、エドルの田舎騎士とは格が違う。

 というか彼らがエドルに赴けば、ひとりひとりが魔爵家を開けるだろう。

 

 そんな奴らが、なんでこんなところで馬車の護衛をしているかって?

 それだけ帝国がこの高速街道の維持にちからを入れていて、彼らがそれだけ優遇されているからだよ。

 

 つまるところ、金と名誉だ。

 貧乏貴族の次男坊や三男坊でも品行方正にこの仕事を五年もやれば出世コースに乗れるとか、まことしやかに噂されている。

 

 実際のところがどうかは、知らん。

 ただ、彼らがいずれ劣らぬ実力者であることは、先ほどの一撃だけでもわかろうというものである。

 

「各々の馬車を守れ!」

 

 騎士の声が飛ぶ。

 いわれずとも、とおれは長筒を構え、引き金を引いた。

 

 三つに折りたたみできる、簡易型の狙撃用魔法杖である。

 杖の根元に設置された簡易型の魔力タンクは衝撃耐性に特化した特注品で、ひどく効率が悪いながらも移動しながら魔力を貯めることができるというシロモノだ。

 

 ちなみに、なぜ特注品かといえば、これの需要が少ないからだ。

 普通の狙撃魔術師は狙撃魔法以外の魔法も使えるので、それで護身すればいい。

 

 おれみたいに狙撃魔法以外への適性がゼロというできそこない魔術師など、そうはいない。

 故に、まともな売り物にならない。

 

 この魔力タンクだけで、貧乏貴族なら郎党を一年間まるごと養える程度の金がかかっている。

 このことをリラに話したとき、彼女は明るく「そんなものがなくても、師匠のことはわたしが守ってあげますよ!」と励まされた。

 

 いやこれ励まされたのか……?

 おれのプライドはズタズタだが?

 

 もともとないに等しいプライドではあるが……。

 まあともかく、そんな代物である。

 

 金に糸目はつけなかっただけはあり、性能と安全性を両立させることに成功している。

 本気の狙撃魔法とは違い、長筒の先から放たれたのは、細く弱々しい一条の魔力弾であった。

 

 だがそれでも、雷鳴鷹を仕留めるには充分。

 おれの魔力弾に胴体を撃ち貫かれ、空飛ぶ魔物は地上に、森のなかへと落下していく。

 

 まわりの者たちも、次々に弓や魔法を放つ。

 そのたびに雷鳴鷹が射落とされていく。

 

 問題は、やはり数だった。

 リラやマイア、その他ふたりほどの魔術師が複数の目標をまとめて始末しているが、それ以外の者たちは所詮、命中しても一射につき一体。

 

 対して上空から飛来する敵の数は、四十から五十。

 騎士たちも魔力の限り魔法を放っているが、それでも数体が弾幕をすり抜けて馬車に迫ってくる。

 

 雷鳴鷹たちが、一斉におおきく口を開いた。

 来る。

 

「伏せろ!」

 

 おれは長筒を捨て、リラとマイアの肩に手をかけると、彼女たちを強引に引きずり倒した。

 次の瞬間。

 

 鼓膜が破れるかと思うほど強烈な、音の暴力が馬車の屋根を襲う。

 悲鳴をあげ、耳を押さえて、男たちがばたばたと倒れる。

 

 対しておれたち三人だけは、想像したほどの音に襲われていない。

 ふたりの少女は、不思議そうな顔で身を起こす。

 

「馬車を包む防音の結界だ。屋根の上でも、足もとだけは結界の範囲内なんだよ」

「あっ、そっか! すごい、師匠、よく知ってるね」

「前に実験した。まさか役に立つ日が来るとは思わなかった」

 

 マイアが、ふむ、と興味深そうにしているが……いまはじっくり研究している場合ではないだろう。

 落とした長筒を拾い、再度、その先を空に向ける。

 

 こういう雑な扱いをしても大丈夫なのが、この長筒のいいところだな。

 至近距離まで迫ってきた雷鳴鷹に対して、引き金を引く。

 

 魔力弾は、標的の鳥の魔物の頭部を正確に吹き飛ばした。

 胴体だけとなった雷鳴鷹が、おれの脇をすり抜け、高速街道の地面に墜落していく。

 

「なるほど、術式はおおむね理解しました」

 

 マイアがぶつぶつと呟く。

 ほぼ同時に、少し遅れて飛び込んできた数体の雷鳴鷹が、ふたたびおおきく口を開いた。

 

「また来るぞ、皆、伏せ――」

「こちらで対処いたしましょう」

 

 黒髪赤眼の少女は、どんよりした目で中空を睨むと、軽く右手を振った。

 周囲の音が、かき消える。

 

 雷鳴鷹は、口をおおきく開いたまま、しかしなんの音も発することなく落下してくる。

 気づけば、馬車の車輪が回転する音も、鉄角馬の蹄の音も聞こえなくなっていた。

 

 周囲の音を消したのだ。

 おそらく彼女は、さきほどの一瞬で、馬車にかけられていた消音の魔法を解析してみせたのである。

 

 なんという、魔法の才。

 なんという、解析の眼。

 

 リラも、少し驚いている。

 無理もない、帝都の学院の教授たちでも充分な時間をかけねば難しい離れ業を、このわずかな時間でやってのけたのであるから。

 

 それほどの、高度な技である。

 世界に音が戻った。

 

「マイアちゃん、今回はいいけど、それ、他の魔術師の前であまりみせないでね」

「ふむ、よくわかりませんが、承知いたしました」

「理由はあとで説明するからっ!」

 

 まあ、まずいよな。

 彼女にかかれば、そこらの貴族魔術師が家の秘儀と定めたような魔法ですら解析されてしまいかねない。

 

 己の家の奥義を知られた貴族が、どういう手段に出るか。

 考えるまでもないことである。

 

 マイアなら、苦も無く返り討ちにするところまで目にみえるようだ。

 結果、血みどろの報復合戦が始まって……などという事態はあまり想像したくない。

 

 ともあれ、いまこの場面において、彼女のちからは有用だった。

 ほかの男たちがようやく起き上がり、状況はよくわかっていないながらも得物を手にして反撃を開始している。

 

 おれとリラも、彼らに続く。

 上空から次々と飛来してくる鳥たちを、片っ端から叩き落としていく。

 

 

        ※※※

 

 

 ほどなくして、襲撃は止んだ。

 無為を悟った雷鳴鷹の生き残りたちが、高度を上げて撤退していく。

 

 ほぼ全員が安堵の息を継ぎ、その場にへたり込んだ。

 まだ立ったままなのは、きょとんとした様子で周囲を見渡しているマイアだけであった。

 

 



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第33話 高速街道と鉄角馬車4

 馬車が雷鳴鷹の襲撃を受けていた間も、馬車を牽く四頭の鉄角馬は迎撃を騎士に任せきり、いっこうに速度を緩めていなかった。

 蹄でちから強く地面を蹴り、いかなる障害にも動じず、まっすぐ南を目指し続ける。

 

 雷鳴鷹の音波攻撃で負傷した者たちは、隣の馬車から跳躍してきた帝国騎士たちに魔法の治療を受けた後、「協力に感謝する」とのねぎらいの言葉を貰って客室に戻った。

 リラは数人の男たちから声をかけられていたが、彼女はそれを適当にあしらった様子である。

 

 我が弟子については、まったく心配していない。

 むしろ、男の方が下手なことを漏らさないか心配なくらいである。

 

 特に「きみの師匠、全然活躍してなかったよね」とか口走ろうものなら、馬車の屋根から外に蹴り出されかねない。

 あいつ、自分のことに関しては我慢がきくかわりに、自分の身内に対する侮辱には沸点低すぎるからな……。

 

 弟子を視界の隅に収めながら、おれは騎士のひとりと少し話をした。

 彼らはマイアがアドリブで行使してみせた静音の魔法に興味を示したのである。

 

 おれは、彼女が野生の才能ある魔術師であること、幼くして父を失いひとりで旅していた彼女に帝国の常識を教えている最中であることを手短かに説明した。

 騎士たちは顔をみあわせた後、代表のひとりが、連絡先を記したメモを差し出してきた。

 

「その子が望むのでしたら、帝国は帝都の学院への入学について充分に考慮するでしょう」

 

 つまりは、まあ。

 危険人物にはきちんと紐をつけておけ、と暗に命じられたわけだ。

 

 おれは別に必ずしも忠実な帝国民というわけではないが、それはそれとして帝国の平和とそこに住む人々の安寧を人並みに願っている。

 国が荒れて民がどれほど困るかは、各地を旅してよく知っているつもりだ。

 

 そのうえで、マイアに足りないのはコミュニケーションのプロトコルであると認識している。

 本人には、コミュニケーションをとる気が充分にあることも。

 

 ……たぶんね。

 それはそれとして、騎士のメモはありがたく受けとり、その場でマイアに渡した。

 

 屋根から梯子で内部に戻り、客席に戻ったあと。

 

「わたしの方がいいコネがあるよ!」

 

 リラがそう、マイアの頭を抱き寄せ黒髪を撫でながらいっていたが……。

 

「マイアちゃんはわたしが先にみつけたんだからっ!」

「なにを競ってるんだ」

「わたしの推薦なら、きっと教授たちも一目置いてくれるよ!」

「逆にめちゃくちゃ警戒されそうなんだが?」

 

 我が弟子がマイアをいたく気に入ってるのは、わかるんだけどな。

 

 

        ※※※

 

 

 その日はそれ以上、なにごともなく。

 西の空が茜色に染まる前に、馬車は駅に滑り込んだ。

 

 駅となっている村は、森のはずれにあった。

 頑丈な壁に囲まれ、村人の半数が騎士と従者、およびその家族という、辺境の砦もかくやの守りである。

 

 有事には補給の拠点となるらしく、地下には巨大貯蔵庫が存在し、そこで食料と各種軍需物資を凍結保存しているのだとか。

 おれたちは馬車を追い出され、馬車の等級に従った宿に向かった。

 

 馬車はこれから、整備のスタッフが徹夜で点検を行い、早朝に別の鉄角馬が牽いて出発することになる。

 一日を駆け抜けた鉄角馬たちはここで同僚と交代し、数日の休暇を得るのだという。

 

 頑丈な鉄角馬ではあるが、やはり休ませながらの方が怪我もしにくいし、長持ちする。

 統計上でもそれは判明しているし、もっというのなら、帝国は鉄角馬を必要数よりだいぶ多めに抱えているのだ。

 

 有事に軍の荷を牽かせるためである。

 いざというときの備えも考えれば、この頑丈で強靱な馬たちは何頭あっても不足することはない。

 

 マイアは、今日一日を頑張った鉄角馬たちのもとへ自ら赴き、また跪く彼らの頭を撫でてやっていた。

 厩舎の者たちが、また目を丸くして驚いている。

 

「たまに、いるんですよね。生き物に懐かれる子が。あの子の場合、また少し違う気もしますが……」

 

 謝罪するおれに、スタッフのひとりがそんなことを語っていた。

 たしかに、マイアのそばで頭を垂れる鉄角馬たちの様子は、まるで王に拝謁する臣下のようにもみえる。

 

 マイアの方も、臣下に対して労うがごとく、堂々とした態度で鉄角馬の立派な角のまわりを撫でているのであった。

 なんなんだろうね、いったい。

 

 宿の部屋は、男女別にしてもらった。

 おれはひとり……いや正確には使い魔と一対一になったあと、ヤァータに話しかけた。

 

「なにか異常は?」

「あれほどの雷鳴鷹の群れが発生した理由が判明しました。レイヴィル連邦の奥地にて、大規模な森林火災が発生したのです」

 

 レイヴェル連邦は帝国よりずっと東方にある、緑豊かな国々だ。

 森人族や巨人族といった異種族が多く暮らし、彼らが思い思いの国をつくっているが、個々の国にはたいしたちからがない。

 

「焼け出された大型の魔物が複数、暴走を起こし、玉突き事故で魔物の棲息域全体がおおきく変化しました。飛行型の魔物は、その大半が飢えた状態で、他の地に大規模な移住を開始した模様です」

 

 飛行型以外の魔物は、現地で暴れる側にまわった、ということか。

 たいへんな災害だが、まあこんなものは大陸のどこかで毎年、一度や二度は起こるものである。

 

 上手く対処できれば初動で鎮圧されるし、対処できなければ国の枠を超えた活動が必要となることになる。

 帝国も、必要とあらば狩猟ギルドを動かすことだろう。

 

 本当に危機的な状況になれば、帝国の遠征軍が出る。

 だがそうなった場合、ことのついでで国のひとつやふたつ、簡単に蹂躙されてしまうだろう。

 

 将来に禍根を残すよりは、と徹底的にやるのだ。

 他国の領地であるなら、なおさら遠慮がない。

 

 その地が不毛の野原となるまで、破壊し尽くす。

 それが結果的に帝国の威信を保ち、周辺諸国に恐怖と教訓を植えつけることとなることを、帝国はよく知っていた。

 

「ひょっとして、あんなものが、他にも?」

 

 幸いにして、さきほどの襲撃地点から東側は延々と深い森や険しい山脈が続く、人里離れた未開の地。

 雷鳴鷹の群れに潰された集落は、そう多くないだろうと考えられた。

 

 奴らが都市部に向かわず、途上で鉄角馬車が通りがかったのは運がよかったのか、悪かったのか。

 ちからの弱い地方貴族では、いささか分の悪い相手であるからなあ。

 

「帝国に来た群れは、あれだけです。他の魔物の集団はいくつかの小国に流れました」

「潰されそうな国が出てくるようなら、また報告してくれ。おれたちがなにかするというわけじゃないが、その情報で帝国内部に動きが出るかもしれない」

 

 東方は、ただでさえ小国が乱立し、戦乱に明け暮れている。

 今回の一件で、事態はますます混迷をきたすだろう。

 

 所詮、他人事だ。

 そもそも、おれにできることなぞ、ほとんどない。

 

「明日から、馬車の周辺を警戒いたしますか?」

「いや、それはいい。帝国上級騎士は、そこらの地方領主よりも、よほど頼りになる奴らだ。こちらにはリラもいる。マイアも、人を助けるためにちからを尽くした。あいつにとっては、ヒトより馬だったみたいだが……」

「では引き続き、南方に注力いたします」

 

 三つ足のカラスは窓から夜空に飛び立った。

 闇に溶け、その姿はたちまちみえなくなる。

 

 

        ※※※

 

 

 翌日、日が昇る前に起きて、宿が出してくれた朝食をとり、馬車に向かう。

 昨日とは別の鉄角馬が四頭、またマイアのもとへやってきて、傅くように脚を折り、頭を垂れた。

 

 馬丁たちは二度目とあって、呆れた様子でその光景をみている。

 普段、極めて従順な馬たちが、まるで真の主をみつけたとでもいうかのようにマイアのもとへ集まるのだから、苦笑いするしかない、というところだろう。

 

 昨日とは違う上級騎士たちが、一号車と三号車の前部についた乗務員用の扉に入っていく。

 騎士たちの馬車護衛任務もまた、一日交代なのである。

 

 全員が乗り込んで待つことしばし。

 重い鉄角馬車が、きしんだ音をたてて動き出した。

 

 村を囲む高い壁から出たところで、周囲が茜色に染まる。

 曙光が東の地平の彼方から顔を出すところだった。

 

「ふむ、ふむ」

 

 マイアは相変わらず、かじりつくように窓に顔を寄せている。

 まるで、通りすぎる景色のすべてをその眼に焼きつけておこうとしているかのようだった。

 

「マイアちゃーん、ししょー、わたしは少し寝るねー」

 

 昨日と同様、扉のそばに陣取ったリラは、毛布を頭からかぶると反対側の椅子にぐてっと脚を投げ出す。

 

 たちまち、寝息をたて始めた。

 よほど寝不足だったのか。

 

「マイア、同じ部屋だっただろう? こいつ、寝つきが悪かったのか?」

「夜に、宿の外を歩きまわっていた様子です」

「おれはなんの指示も出していないぞ。散歩、か?」

「ただ眠れなかったのかもしれません」

 

 起きたら聞いてみるとしよう。

 子どもっぽいところがある……というかまだ子どもとさして歳が違わない彼女のことだ、ひょっとしたら、ただの好奇心で外をみてまわっていた可能性も充分にある、が。

 

 なんとなく、それだけではない気がするのである。

 なにか考えがあってのことなら、情報は共有しておきたい。

 

 本当に問題を抱えていたなら……。

 まあ彼女のことだ、自分から話すだろうとは思うのだが。

 

 

        ※※※

 

 

 昼ごろになってようやく目覚めたリラは、うーんと伸びをして、こちらをみる。

 おれの表情がどれほどわかりやすかったのか、えへらと笑ってみせた。

 

「ししょー、わたしの夜の徘徊について、聞きたいんですよね?」

「察しがよすぎるだろ」

「よく気づく素敵な女なのです! いいお嫁さんになれますよ、きっと!」

「いい嫁は、夜に徘徊してあれこれ探らない」

「そこはほら、秘密の味は蜜の味、と申しますか……」

 

 言い訳がくどい、減点一。

 さっさと説明しろ。

 

「あー、えーとですね。なんと申しますか、勘が働いたんですよ、こう、ですからちょっと」

「ちょっと?」

「馬車の荷物に、なにかあるんじゃないかって。夜ならわかるかなーと思ったんですが、夜も警備が厳しくて……結局、諦めて戻ってきました」

 

 なにかあるんじゃないか、って、なんだよ……。

 いやまあ、無茶なことをせずにさっさと撤退したのは偉いが。

 

 そのことを先に話してくれたなら満点だったが。

 いやでも、うーん、勘が働いた、か。

 

「具体的に、どんな違和感だ?」

「あんな雷鳴鷹の群れが、たまたま馬車の通過時間にあそこを通りがかるなんてこと、あるのかなって」

「それはおれも少し考えた。だが、偶然で片づけられることに必然を求めるのはどうかと思うぞ」

「ですから、懸念を解消するためにも積み荷を、と思ったんですけど。うーん、やっぱり考えすぎですかねえ」

 

 そうそう、考えすぎだ、考えすぎ。

 まあ、もし積み荷になにかあるとしたら……。

 

「今日も襲撃があったりしたら、真剣に考えてみてもいいかもしれないな」

「そう、ですねえ。さすがにそれは、確率的にも考えにくいことですし」

 

 偶然がいくつも重なれば、それは必然だ。

 ヤァータが以前にいっていた言葉である。

 

 

        ※※※

 

 

 結論からいうと、二度目の襲撃はあった。

 



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第34話 高速街道と鉄角馬車5

 昨日に続き鉄角馬車が襲撃を受けたのは、太陽が南中してからしばらく経ったころだった。

 ちょうど皆が油断しているであろう時間である。

 

 馬車が、不意にがくんとおおきく揺れた。

 次の瞬間、身体がふわりと浮いて――天地がひっくり返るほどの衝撃が来る。

 

 衝撃の直前に身体が浮いたのは、マイアが魔法を行使したからのようだ。

 彼女はいつの間にか、おれとリラの手を掴んで、目を閉じていた。

 

 いまおれたち三人は、馬車の個室の真ん中で、薄い水の膜のようなものに覆われてふわふわ浮いている。

 そして三人以外のすべてが、ぐるぐると回転していた。

 

 回転する部屋のなかで、おれたちの鞄や杖がしっちゃかめっちゃかに飛び交っている。

 窓ガラスが割れて、破片が部屋中に飛び散った。

 

「しばし、ご辛抱を」

「マイア、なにが起きた」

「馬車が吹き飛び、地面を転がっております」

 

 揺れが収まり、おれたちを包んでいた水の薄膜が消える。

 おれたちの足が、かつて馬車の天井だったところに着地する。

 

 どうやら、馬車は上下逆さまになった状態で静止したようだ。

 いやーこれ、マイアが魔法を使ってくれなかったら、リラはともかくおれは怪我を負っていたに違いない。

 

 呑気なことをいってはいられない。

 周囲の部屋から、悲鳴と苦悶の声が聞こえてくる。

 

 リラやマイアのような魔術師は他の組にはいなかったから、きっとひどい有様だろう。

 とはいえ、彼らを助ける前にまず、自分たちの安全を確保しなければ。

 

 おれたちは互いに目配せをすると、そこらに散らばった私物のなかから自分たちの武器をみつける。

 通路側のドアを開こうとして――押しても引いても動かないな、これ。

 

 フレームが歪んでしまったのか。

 まあ、こんな事態は想定されていないだろうから仕方がない。

 

「こっちから出よう!」

 

 リラがガラスの割れた窓の枠に蹴りを入れた。

 堅牢なはずの壁面が、まるで羊皮紙のようにたやすく歪む。

 

 肉体強化の魔法を使っているのだろう。

 彼女が二度、三度と蹴ることで、なんとか人がひとり通れるくらいの隙間が生まれた。

 

「よしっ」

「これ、弁償を要求されないかねえ。まあ、そんな場合じゃないか」

 

 リラを先頭として、外に出る。

 馬車が上下逆さになって転がっているのは、森のなかだった。

 

 すぐ近くに街道がみえる。

 差し渡しがヒトの身の丈の三倍以上はある、森を切り開いてつくられた高速街道だ。

 

 その中央に巨大な穴が開いていた。

 先頭の馬車の半分が、その陥没に埋まっていた。

 

 おれたちの後ろの三台目は、互いを繋ぐ金属部がちぎれ、ひっくり返って街道のはずれに転がっている。

 そして先頭の馬車が埋まった穴のなかで……。

 

 巨大ななにかが、蠢いていた。

 金属がきしむ音が響く。

 

「地面から魔物が襲撃してきたのか」

 

 めきゃり、と音がした。

 先頭の馬車が持ち上がる。

 

 頑丈で巨大な馬車は、樹の幹よりも太い二本の黒い大顎に挟まれて、無残にも押しつぶされていた。

 巨大なクワガタのような外見を持つ、馬車の数倍の身の丈をもった魔物が、地面に空いた大穴から這いあがってくる。

 

 漆黒の甲殻、そしていま馬車を挟んでいる鋏のような大顎。

 蟲のような複眼が紅く不気味に輝いて、周囲を睥睨している。

 

山砕き蟲(クラッシュビートル)

 

 おれは、呆然と呟く。

 その大鋏は竜の鱗すら砕くといわれる、破格の化け物だ。

 

 幸いにして、帝国が誇る馬車は未だ切断されてないが……。

 それもいつまで保つことか。

 

 本来は山奥にのみ棲息する存在である。

 それが、なんでこんなところに。

 

「ししょー、あれ強い? 殴ってきていい?」

「やめておけ。竜を相手にすると思え」

「え、そんな厄介なの?」

「あの甲殻は竜のブレスすらも防ぐ、といわれている。おそらく、魔法的な防護壁を展開しているんだろう。普段はおとなしい魔物なんだが、自分の餌をとられると思ったらしつこく追ってきて、大顎で砕こうとする」

「いまめちゃくちゃ凶暴になってるけど」

「こんなところで大暴れしている理由はわからん」

 

 燃えるように紅く輝く複眼を眺める。

 四本の脚をばたばたさせて暴れる様子は、怒気、というより正気を失って暴れているような感覚を覚えた。

 

 いずれにせよ、あれでは危なくてとても近づけない。

 下手な攻撃も、相手を刺激するだけだろう。

 

「朋友を助けに参ります」

 

 と――止める間もなく、マイアが駆けだした。

 山砕き蟲(クラッシュビートル)が出てきた穴のなかに、ためらいなく飛び込んでいく。

 

「朋友? え、待って、マイアちゃん!」

「ひょっとして、馬たちのことか? 動くな、リラ」

「でも、ししょー……」

「マイアに任せよう。彼女なら、上手くやる」

「ん。そう、だね」

 

 マイアが鉄角馬たちを救助できるならそれは幸いなことだ。

 問題は、むしろおれたちの方であって――。

 

 地面が揺れ、森の周囲がいくつも陥没を起こす。

 追加で五体の山砕き蟲(クラッシュビートル)が地面に開いた穴から顔を出した。

 

 

        ※※※

 

 

 山砕き蟲(クラッシュビートル)の襲撃を受けてから、しばしののち。

 おれは樹上の太い枝の陰に潜みながら、魔力タンクに魔力を溜めていた。

 

 六体の大型の魔物を相手に、まともに戦う、なんてことはいっさい考えなかった。

 リラと共に、まずは己の身の安全を確保した。

 

 山砕き蟲(クラッシュビートル)は肉食の魔物ではない。

 なにが気に食わなくて暴れているかは知らないが、奴らがひたすらに攻撃しているのは馬車だけで、その中身であるヒトにはいっさい興味をみせていなかったことが幸いした。

 

 いやまあ、さっさと脱出できなかった人々が、執拗に転がされる頑丈な馬車のなかでどうなっているかはわからないんだけども。

 無事であることを祈るのみである。

 

 おれたちの乗っていた真ん中の馬車からは、客たちがよろめきながら這い出してきた。

 だが先頭と最後尾の馬車からは、ひとりも出てきていない。

 

 最低でも四人はいるはずの帝国上級騎士たちも出てきていないのだから、彼ら騎士たちが結界を張って客を守っている可能性が濃厚か。

 だからこそ、あの大顎をもってしても未だに馬車が切断されていないのだ。

 

 それならば、彼らの魔力が続く間になんとか状況を打開する必要があるわけだが……。

 これ騎士たちは、結界を張るだけで精一杯っぽいなあ。

 

 マイアは、穴のなかから四頭の鉄角馬をあっさりと救助してみせた。

 おれは彼女に対して「馬たちを駅に運べ」と指示を送る。

 

 マイアは鉄角馬の一頭にまたがって、その耳もとになにやら囁いた。

 四頭の馬は一斉に高くいななき、南に向かって元気に駆け出す。

 

 その姿は、たちまちのうちにみえなくなった。

 馬車を牽くよりずっと速度が出ていたから、無事ならばそろそろ駅に到着している頃合いである。

 

 つまり、援軍のアテはできた。

 これ以上の無理はする必要がない。

 

 おれが備えるべきは、非常事態に対してである。

 そう判断して、樹上で魔力タンクに魔力を溜めることにしたわけだ。

 

 ちなみにおれたちの馬車から逃げ出した客のうち、昨日も共に戦った四人は、森の木々に隠れながら時折、山砕き蟲(クラッシュビートル)たちの様子を窺っている。

 誰も攻撃はしない、というか極力魔物の注意を惹かないように身を潜めていた。

 

 考えることは、誰しも同じということだ。

 リラの攻撃でもろくに打撃を与えることは難しいだろうから、迂闊に手を出さないのが最善である。

 

 その山砕き蟲(クラッシュビートル)たちであるが……。

 延々と、執拗に先頭と最後尾の馬車を攻撃している。

 

 鋭いおおきな顎で車体を挟み、持ち上げ、地面に叩きつけたり、あるいは突っついたり。

 頑丈で知られる帝国馬車でも、そのあちこちがベコベコにへこんでしまっていた。

 

 もちろん車輪なんかとっくに外れているし、あの様子じゃ二度と、馬車としての用途には使えないだろう。

 内部の人々は騎士たちが守ってくれているとして……荷物の方も、無事では済むまい。

 

 うん?

 一瞬、思考をよぎるものがある。

 

 待て、待て、待て、待て。 

 いまおれはなにを考えた?

 

 荷物――そう、荷物だ。

 昨日と今日、前代未聞の二度に渡る魔物の襲撃と、リラが感じたという荷物に対する違和感。

 

 山砕き蟲(クラッシュビートル)は、特殊な樹液を啜って生きる魔物だ。

 巨大な割れた顎は捕食者と戦うときや、貴重な樹液争奪戦に勝ち残るため、及び交尾の相手を同族と争うために用いられるという。

 

 その山砕き蟲(クラッシュビートル)が、あれほど暴れ狂っている。

 執拗に馬車を攻撃している。

 

「リラ、馬車からなにか――臭いか魔力か、そんなものが出ていないか確かめられないか」

「師匠? あ、山砕き蟲(クラッシュビートル)がフェロモンみたいなものに引き寄せられてないかってことね」

 

 リラはやってみる、と告げると目を閉じた。

 彼女は魔力タンクに魔力を溜めず、おれの護衛に徹してもらっている。

 

 実際のところ、山砕き蟲(クラッシュビートル)が六体もいる以上、狙撃で一体、二体を仕留めたところであまり意味はない。

 おれがこうしているのは、単に他にやることがないというのがひとつ、そして――これ以上厄介な事態になったときの備え、なのである。

 

 はたして、彼女はしばしののち、まぶたを持ち上げる。

 口もとに手を当てて、囁く。

 

「昨夜は気づかなかったけど、先頭の馬車から、ちょっとヘンな魔力の波みたいなものが……漏れて、いる? うわ、気持ちが悪い感じ。――待って、わたしこれみたことがある? え、でも……嘘。そんなの、ありえない。で、でも……」

「落ち着いて話せ。順番に。きみはたしか、魔力の区別ができるんだったな。どこで同じ魔力をみた」

「初めて師匠の狙撃をみたとき」

「は?」

「――うん、間違いない」

 

 かちかちと、歯が鳴る音。

 リラの顔をみる。

 

 少女はいま、ひどく青ざめ、震えていた。

 

「悪魔」

 

 ぼそりと、そう呟く。

 理解した。

 

 彼女がなにを思い出しているのか。

 同時に、あの馬車から溢れてくる魔力の源がなんなのか。

 

「どうして忘れていたんだろう。あの宝石から出ていた、魔力。あのいびつで、禍々しい感じ。同じなんだ、あれと。悪魔が出てくる直前と」

「境魔結晶か」

 

 おれは舌打ちした。

 境魔結晶、と呼ばれる特別な宝石が存在する。

 

 一般には秘匿された情報だ。

 何故、秘匿されているかといえば、それがとある目的のために使用された場合、周囲に尋常ではない被害をもたらすからである。

 

 具体的には、悪魔の召喚だ。

 そう、悪魔。

 

 魔界と呼ばれる異なる世界の存在。

 ただ存在するだけでこの世のコトワリを書き換えるモノを、そう呼称する。

 

 かつて、おれは二度、悪魔を退治している。

 一度目はまだヤァータと出会う前であり、二度目はリラを救ったときだ。

 

 一度目のとき、おれは大切な人を失い、自身もまた侵食を受けて虫の息のところをヤァータに救われた。

 ヤァータによれば、もともとの身体の情報を用いてイチからおれの身体をつくり直すほどの荒治療が必要であったらしい。

 

 召喚された悪魔の近くにいたリラが助かったのは、彼女とその同級生が頑丈な結界を張り、そのなかに閉じこもっていたためだ。

 それも、あと半日は保たなかった、ギリギリのところだったという話である。

 

 あのとき、結界の外では、キャンパスに絵の具を手当たり次第にぶちまけたかのような、なにもかもがいびつに歪んだ景色が広がっていた。

 悪魔が退治されたあとも、歪みの幾分かは戻らず、広い範囲で生命が死に絶えていたという。

 

 ひとたびこの世に現出した悪魔は、ただ存在するだけでそれほどの被害をもたらす。

 にもかかわらず、悪魔を呼び出す者がいる。

 

 それは悪魔が願いを叶えてくれるという噂を信じたせいであったり、常人には理解しがたい実験のためであったり、もっと純粋に世界の破滅を望んでいるからだったりするのだが……。

 過去、悪魔の召喚に伴う被害を恐れた帝国は、これに関する研究を禁止した。

 

 悪魔の召喚に必要な触媒である境魔結晶については、その存在を秘匿することで対処した。

 おれがこのことを知っているのは、悪魔を退治する仕事を受けた者、悪魔を退治した者に対して限定的な情報公開が行われたからである。

 

 リラの話を聞いて、ピンときた。

 彼女は、同級生が悪魔を召喚したときその場にいて、そのとき触媒にした境魔結晶をその目でみているはずなのだ。

 

 その境魔結晶がなぜ、馬車の荷物に存在するのか。

 そんなことは、どうでもいい。

 

 昨日の雷鳴鷹。

 今日の山砕き蟲(クラッシュビートル)

 

 重要なのは、おそらく魔物たちの目的が境魔結晶であるということだ。

 別にあれは悪魔を召喚するためだけの存在ではない。

 

 ある種の魔物がその独特の放射を好み、その性質を用いて境魔結晶を探す、という話を以前に聞いたことがあった。

 普通のヒトでは、たとえ魔術師でも感知できない、微弱だが遠くにもよく伝わる魔力であるという。

 

 もし境魔結晶に関する研究まで禁止されていなければ、その性質を使ってどのようなことができただろうか。

 いや、そもそも禁止されているからといって、帝国が本当にいっさいの研究をしていない、などということがあるのだろうか。

 

 何故、こんなところに境魔結晶があるのか。

 それが帝国上級騎士の警備する、本来は絶対に安全なはずの馬車の荷物として詰め込まれているというのか。

 

「し、ししょー……ぜんぶみなかったことにして、いまからでも逃げようよ」

「マイアが駅に報告しに行っちまったしな」

 

 うーん、帝国の闇とか、これっぽっちも知りたくないんだけどなあ。

 こちとら清廉潔白な落ちこぼれの中年男性にすぎないんですわ。

 

 勘弁して欲しい。

 思わず、おおきなため息が出る。

 

「とりあえず、荷物についてはなにも知らんってことにする」

「そ、そうだね、ししょー」

「それ以上のことは、あとで考えよう。リラ、騎士たちに余計なことはいうなよ」

「う、うん」

 

 さて、実際のところいまここでできることなんてなにもないわけだ、が。

 状況を観察して、なにか変化が起こるまで見守るしかないわけだ、が。

 

 しばしの、のち。

 具体的には太陽がだいぶ西の空に傾いてきたころ。

 

「ときにですね、ししょー。先頭の馬車のなかで、なにか儀式が行われてるっぽい魔力の流れがあるんですけど」

 

 だいぶ身体の震えが収まってきたリラが、そんなことをいいだした。

 

「というか、ですね。わたしこの魔力の流れ、知ってるんですけど」

「なにが起こってるんだよ、あのなかで!」

 

 魔物たちは、飽きずに馬車を小突いたり、はさんで壊そうとしたり、熱心な破壊活動にいそしんでいる。

 馬車のなかがどうなっているのか、たとえ結界が張られていたとしても考えたくないのだが……。

 

 そんな状態で、儀式?

 ろくでもない予感しかしない。

 

「帝国騎士はどうした!」

 

 当然、馬車のなかにいるはずの彼らも、この事態に気づいているだろう。

 もしかして、結界を張るのに手一杯なのか?

 

 次の瞬間。

 先頭の馬車のなかで、おれでもわかるほど爆発的な魔力の放出が起こった。

 

 馬車が漆黒の渦に包まれる。

 その周囲にいた山砕き蟲(クラッシュビートル)二体の肉体が、その漆黒のモノに触れたとたん、溶け落ちる。

 

 残る四体は、泡を喰ったように残りの馬車を放り出し、森のなかに逃げ去った。

 はっはっは、これで魔物問題については片づいたな。

 

 別の問題が出たんだけど。

 というか、大問題が誕生しちゃったんだけど。

 

 漆黒の雲のようなものが周囲に滞留し、それが次第に広がっていく。

 地面の雑草がその雲に触れると、たちまちのうちにどす黒く染まり、枯れ落ちる。

 

 あれは、毒だ。

 この世界全てにとっての、毒だ。

 

 空間そのものを浸食する、圧倒的な猛毒。

 ただそれが広がるだけで世界を滅びへと誘う、あまりにも異質な世界から漏れ出したモノ。

 

「リラ、下の奴らに連絡、すぐ逃げろ!」

「わかった! ししょー、気をつけて!」

 

 リラが地面に飛び降りる。

 

 ほぼ同時に、ヤァータがおれの手前の小枝に舞い降りた。

 こいつはずっと頭上を遊弋し、周囲を監視してくれていたのだ。

 

「警告します、ご主人さま。空間の歪みが発生、拡大しています。過去のデータから、悪魔出現の前兆と一致しています」

「出るんだな、あそこに」

「その可能性が高いと思われます」

 

 おれは先頭の馬車を――いや、それがあった場所を睨む。

 いまは黒いもやのようなものに包まれた、その場所を。

 

 やるしか、ない。

 長筒を構えた。

 

 魔力タンクに溜まっている魔力は心もとないが、幸いにして悪魔の出現前、このタイミングなら……。

 

「ヤァータ、射撃リンク開始」

「了解しました、ご主人さま」

 

 ヤァータの視界を通して、空間の歪みがはっきりとみえた。

 いま、あの闇のなかで、この世界と別の世界を繋がる道が生まれようとしている。

 

 その道を通って、なにかがやってくる。

 ひどく邪悪な、なにかが。

 

 その前に。

 道そのものを、破壊する。

 

 ひとたび世界と世界を繋ぐ道が安定してしまえば、不可能なことだ。

 だが、安定化する前のいまならば。

 

 もっとも不安定な部分に衝撃を与えることで、できかけの道を破壊する。

 ヤァータとなんども話し合った結果、理論上はできるはず、ということになっていた。

 

 チャンスは一度きり。

 外せば終わり。

 

 空間の歪みが、ほんのわずかに広がる。

 その瞬間を狙い定めて――。

 

 おれは、長筒の引き金を引いた。

 細く鋭い白光が迸る。

 

 白光は闇の雲に衝突して、派手な爆発を起こした。

 



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第35話 高速街道と鉄角馬車6 完

 境魔結晶は、極めて珍しい宝石――鉱物の結晶だ。

 そもそも、本来はこの世界の物質ではないらしい。

 

 別の世界からこちらの世界に漂流してきた不安定な物質が、長い歳月を経て安定化した存在であるという。

 この安定状態では、ある種の魔物だけが好む特有の魔力を放射している。

 

 もし境魔結晶に関する研究が禁止されていなければ、いまごろはそういった魔物を飼い慣らす技術が発展していた可能性がある、とも聞いたことがある。

 また、この境魔結晶を触媒とすることで、容易かつ安定的に空間から特殊なちからを引き出すことができるのだとか。

 

 ヤァータによれば、極めてエネルギー変換効率がいい、とのことだが……。

 おれには、発電がどうのとかはよくわからない。

 

 しかし現在、境魔結晶そのものの存在が一般には秘匿されている。

 そのため、帝国ではたいして研究が進んでいない。

 

 今後も、発展の見込みはあまりない。

 仕方がないことだ。

 

 境魔結晶を触媒として行使される召喚魔法によって、悪魔が呼び出されたときの被害を考えるならば。

 悪魔は、出現した瞬間から周囲の空間を書き換え、瘴気と呼ばれる魔界の大気を生み出すことで、この世界を別の世界――。

 

 一般に魔界と呼ばれる世界の法則に順応させていく。

 時と共にその半径は広がり、この世界の生き物では生きていくことができない空間が広がり続ける。

 

 かつて、リラが巻き込まれた事件で悪魔サブナックを倒したとき。

 二日間で、山ひとつ分の帝国領土が瘴気の沼に沈んだ。

 

 いまも、その地は草木一本生えぬ不毛の地となっているという。

 ちなみにおれは、あのとき瘴気の外から狙撃したのだが……。

 

 あと一日遅れていれば、瘴気の外に狙撃ポイントを確保することができなかっただろう。

 詰んでしまっていた、ということだ。

 

 無論、その場合も帝国は、狙撃魔術師以外の手段を用いて悪魔の討伐を成し遂げただろう。

 それによって、どれほどの犠牲を出してでも、である。

 

 悪魔がこの世に出現するというのは、そういうことだ。

 いちばん効率的な対策は、可能な限り、出現させないこと。

 

 もし出現してしまったなら、全力を尽くして最速での討伐を目指す。

 あのときはたまたま、それができる狙撃魔術師たるこのおれが現場の近くにいたから、そうした。

 

 後詰めとして、帝国は周辺の上級騎士を出来る限り、集めていたという。

 彼らを突入させた場合の被害は、目を覆わんほどのものになったであろうが……。

 

 それでも、大地が魔界そのものになるよりはマシだ。

 実際に、かつてとある国で悪魔が召喚された際はその処理に手間取り、国ひとつまるごとが消えたという話である。

 

 そうならないためにも。

 最善の悪魔対策は、別の世界との通路が生まれる前に、対処することであると――。

 

 おれとヤァータは、さまざまな方法を検討していた。

 そして、いまがある。

 

 

        ※※※

 

 

 おれが放った一撃は、世界と世界を繋ぐ道を、それが細い糸の段階で粉々に打ち砕いた。

 異界の法則が広がる寸前、それはエネルギーの供給源を断たれて消滅する。

 

 鈍い音が響いて、先頭の馬車が地面に転がった。

 潰れた馬車のなかから、ひとり、ふたりとおっかなびっくりという様子で客たちが出てくる。

 

 最後尾の馬車からは、騎士が先頭に立って現れ、周囲の様子を窺ったあと、改めて客を外に出していた。

 あれほどの襲撃であったにもかかわらず、人的な被害は最小限であったようである。

 

 後に判明したのだが、まったくない、というわけではなかった。

 なぜ悪魔召喚の儀式が始まったのか、といえば、境魔結晶は先頭の馬車の客が隠し持っていたからなのだ。

 

 その客は、なにをトチ狂ったのかそれを用いた儀式を始めた。

 先頭の馬車の騎士は、止むを得ず、これを斬り捨てたのだという。

 

 しかし儀式は中断されず、騎士は拡張する異空間から客を守ることに専念せざるを得なかった。

 当時、騎士は外部の状況をある程度、把握していて――おれが狙撃の体勢にあったことを理解していたからであるらしい。

 

「あなた方のことは、昨日の騎士から申し送りされておりました。いざというときは頼りにしてよい方々だ、と。もしこのことを聞き及んでいなければ、乗客を見捨ててでも悪魔の召喚の阻止に動かざるを得なかったでしょう」

 

 と、たいへんに感謝され、小声で「魔弾の射手殿」と囁かれた。

 なるほど、周囲の手前、こういってはいるものの、おれの経歴は承知の上、故にこそ信じ、任せてくれたということか。

 

 あの狙撃は一か八かの賭けだったのだから、そこまで信じられても困るのだが……。

 過大評価は、万一、失敗したときに被害が拡大してしまうのだから。

 

 そしておれたちの仕事は、必ずしも成功率が高いものばかりではない。

 ことに悪魔退治において、帝国は成功率よりも解決までの速度の方を重視した戦略を立てている。

 

 まあ、そのあたりの塩梅を現場の騎士たちに説明しても仕方がないか。

 要はそれ、騎士を使い捨てるということだからな……。

 

 最後尾の馬車の貨物部からも、同じ客が運び入れたとおぼしき境魔結晶が発見された。

 これで、中央の馬車だけが魔物に狙われず、両方の馬車だけが狙われた理由も判明したというわけだ。

 

 なぜ、その客が境魔結晶を運んでいたのかは結局わからずじまいだが……。

 ついでにいえば、どうしてその客が、唐突に悪魔召喚の儀式を始めたのかも不明なのだが……。

 

 ともあれ、災禍は去った。

 山砕き蟲(クラッシュビートル)たちも逃げ去り、戻ってこなかった。

 

 魔物たちの本能が、悪魔の召喚をひどく恐れたのか。

 それとも別の理由があるのかは、不明である。

 

 ほどなくして、マイアが駅の駐在部隊を連れて戻ってきた。

 彼らは予備の鉄角馬車も持参していたから、速やかに荷物と乗員を乗せ換え、出発する。

 

 日が沈んでしばし、おれたちは駅に辿り着いた。

 それでようやく、皆が休むことができた。

 

 もっとも――明日、早朝に出発というわけにはいかないようだった。

 帝国上級騎士の権限により鉄角馬車の運航は一時停止となり、事件の調査が優先されることとなったのである。

 

 おれたちだけでなく、三台すべての馬車の乗客が尋問を受けることとなった。

 ことの重大さを鑑みれば、仕方がない。

 

 懸念のひとつであったマイアの処遇については、すみやかに鉄角馬を救助し駅に第一報を入れた彼女の功績もあり、たいしたことは聞かれなかったという。

 おれとリラも、過去の悪魔退治の経歴が判明したため、むしろその狙撃をたいへんに感謝されこそすれ、深い追求はなかった。

 

 うん、実際のところ今回、おれたちが悪魔召喚に関わる理由なんて、なにひとつないからね……。

 かろうじてあるとしたら売名行為だが、おれにもリラにも、いまさら名を上げる意味がなにひとつない、というのは尋問した者も理解している。

 

 それでも尋問を受けたのは、尋問官があらゆる可能性を検討し、どれほど可能性が低いものも捨てない、という方針だったからである。

 なにせ、今回のテロじみた一連の事件、なにもかもが意味不明なのだ。

 

 まあ、そうだよな……。

 そもそも、ご禁制の境魔結晶をこんな無造作に運ぶ奴がいるなんて思わないもんな……。

 

 かくして、事件の背後になにがあるのか、さっぱりわからなかったが、この件についてはこれで終わりだ。

 おれとしては、これ以上、この件に深入りしたくなかった。

 

 政治とか陰謀とか、嫌いなんだってば。

 本当に勘弁して欲しい。

 

 

        ※※※

 

 

 取り調べの初期、おれたちは互いに隔離されていた。

 口裏合わせの防止だ。

 

 それも最初の数日で終わり、その後、改めて同じ宿に移された。

 そのとき、マイアと少し話をした。

 

 彼女は己の失策を悔やんでいた。

 実は彼女、初日の時点で、先頭の馬車と最後尾の馬車から不思議な放射が出ていることに気づいていたのだという。

 

「ですが、わたくしにはそれがなにを意味するのかわかりませんでした。指摘してもいいものなのかどうか、それすら、わかっておりませんでした。皆が気にせぬことであるなら、あえて指摘するべきではないのでしょう、と当時のわたくしは、そう考えていたのです。どうやら、おおきな勘違いをしていた様子。このことは、帝国の方々には申しておりません。こうしておふたりにだけ打ち明けた次第です」

 

 淡々と、いつものように濁った赤い双眸でまっすぐおれをみつめながら、外見年齢十二歳かそこらの少女はそう語る。

 いつも通り、彼女なりの常識に従って動いていたようで、その点については安心できた。

 

 彼女に悪気なんてひとつもないことは、おれもリラもよく理解している。

 だが、おれたちを尋問する帝国上級騎士たちも同じ理解でいるとは思えない。

 

 だから、彼女が尋問に際してこの点を黙っていたことについては「よくやった」と思いこそすれ、思うところはいっさいない。

 というかそんな、普通の奴はみえないような放射までみていたなんて、はたして相手が信じてくれるかどうか……。

 

 彼女やおれたちが疑われないなら、それでいい。

 面倒なんて避けた方がいいに決まっている。

 

 少女の姿をした、出自不明の凄腕の魔術師。

 それだけでも、帝国としては警戒するに値するのだから。

 

「明日には別の鉄角馬車を用意してくれるそうだ」

 

 結果がどうなったかはわからないが、駅での取り調べはすべて終了した。

 乗客は全員、解放される見通しだ。

 

「やっと旅を再開できる。まあ、おれたちは別に、急ぐ旅じゃないんだが」

 

 客のなかには、鉄角馬車で時を稼ぐ必要があった者も多いだろう。

 そのためにわざわざ高い金を払ったのだろうから。

 

 おれたちは違う。

 もとより、さしたる目的もない旅路であった。

 

 いちおう、南部でやるべきこともあるっちゃあ、あるんだが……。

 それは別に、急ぐべきことではないのである。

 

 そういう意味では、今回の騒動に巻き込まれた客のなかでは、おれたちはかなりマシな方といえるだろう。

 商取引で利用したという今回の客のひとりが、ものすごい額の損害だ、賠償しろと騎士に叫んでいたなあ。

 

 いや、そんなこといわれても騎士としても困るだろうけど。

 邪険にせず誠実に諭す方向で対応していただけ、偉いと思う。

 

 融通のきかない騎士なら、商人を切り捨てていたかもしれない。

 ことが悪魔に関わることなのだから。

 

 いや、この対応は、相手がこの鉄角馬車をよく利用するお得意様だから、なのかもしれないが……。

 あるいは帝国の利権にある程度絡んでいる商人なのか。

 

 そんな相手であっても、駅の帝国兵たちはいっさい忖度せず、毅然とした態度で対応していた。

 おそらくは帝都から指示が飛んでいる。

 

 その警戒は、けっして間違いではない。

 今回は、たまたま上手くいっただけだ。

 

 一歩間違えば、高速街道のこのルートは二度と使えなくなっていたことだろう。

 それ以上の災禍が発生した可能性も充分にある。

 

 帝国騎士は、自分の仕事を充分に果たした。

 おかげで、おれとリラは痛くもない腹を探られたわけだが……いちばん怪しいマイアが、その貢献のおかげもあって軽い聴取で済んだのは、もっけの幸いである。

 

「ひとつ、少し困った情報がある」

「え、なに、師匠。急に深刻そうな顔をして」

「境魔結晶を持ち込んだ商人なんだが、どうも鉄角馬車の常連で、よく南北を行き来していたそうだ」

「ししょー、それ、聞きたくなかったよ」

 

 リラが、とてもとても嫌そうに顔をしかめた。

 無理もない、これが初犯ではない可能性が出てきたのだから。

 

 つまり、すでに南部には相当数の境魔結晶が運び込まれているという可能性である。

 これは帝国上級騎士が尋問の際にぽろりと漏らしてくれた情報だから、確度が高い。

 

 いまからでも北に戻ろうかな、とも考えたが……。

 なんだかそれも、負けた気分になるな。

 

 まったく用事がない旅ならともかく、いちおうは南方に用があるのだ。

 別に、必ずしも厄介ごとに巻き込まれるとも限らない。

 

 むしろ、巻き込まれない可能性の方が高い。

 帝国の諜報は優秀だ、今回の事件の裏側も、ほどなくして調べがつくだろう。

 

 そうでなくても、現在、ヤァータが南部で網を張ってくれている。

 境魔結晶の特殊な放射については、ヤァータの計器では探知できないものであるとのこと。

 

 しかし極度の空間の歪みのようなものでも発生すれば、それは充分に感知できると保証してくれていた。

 そんな保証が役に立つときが来て欲しくはない。

 

 あくまでも、念には念を入れて、である。

 実際に、去年の冬はその用心が役に立った場面が多かった。

 

 本当に異常な頻度で災禍が発生していたからな……。

 

「わたくしとしては、もうしばらくこの駅に滞在しても構いませんが……。この甘い肉も、気に入っております」

 

 なお、足止めの間、マイアはそういいながら、もっしゃもっしゃと蜜で味つけされた干し肉をかみ砕いていたとのことだ。

 聴取のたびに、帝国上級騎士から貰うのだという。

 

 なんでも駅の近くの村が養蜂に取り組んでいて、特産品にしたいのだとか。

 子どもにはずいぶんと甘いな、上級騎士!

 

 おれも少し食べてみたが、甘すぎて駄目だった。

 リラも、ちょっとこれは……と一度で飽きてしまっている。

 

 他の客からもあまり評判はよくないそうだ。

 帝国、特産品づくりは失敗している気がする。

 

 




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第36話 老いなき者たち

いっぱい情報が出てきますが、重要なのは対界協定(アライアンス)という単語だけですので、他は忘れて問題ありません。
以上を念頭においてお読みください。


 わたくしがマイアと名乗って、彼らと共に旅をして、しばし。

 もともと優れていた我がコミュニケーション能力は、更におおきく向上したと自負している。

 

 鉄角馬車の旅を通じても、有意義な知見を多く得られた。

 多少のアクシデントも、充分な余裕をもって対処できた。

 

 大成功の日々である。

 さすがは、わたくしだ、尻尾が高い。※1

 

 とある夜、暗い森のなか。

 わたくしは胸を張って、三本足のカラスにそう報告した。

 

 旅の途上、カラスとわたくしのふたりきりで落ち合って、話し合いをしたのだ。

 なぜか、カラスがわたくしにいいたいことがありそうだったので。

 

 わたくしは場の空気を読むのが上手いので、相手の話を聞いてあげようと思った。

 コミュニケーション強者の余裕、というものである。

 

「もう少し、なんとかならなかったのでしょうか」

 

 予想に反して、カラスは初手から辛辣であった。

 しきりに首を横に振っているのは、首の運動をして筋肉を鍛えているからであろうか。

 

「なんとか、とは?」

「鉄角馬車を襲撃した山砕き蟲(クラッシュビートル)も、あなたなら倒すことができたのではありませんか?」

「一体程度であれば、可能でしょう。あれは硬い外皮と竜に匹敵する膂力の持ち主でありますが、所詮は地を這うだけの魔物、時間をかければすり潰せます。ですがあのときは、複数体が集まっておりました。準備なしであれらすべてを片づけるのは、いささか難しい。なにより、優先すべきことがございました」

「優先? それは……」

「我に頭を垂れたものたちがおりました。かの者たちを、主の名において守ること。それはなによりも優先するべきことでありましょう?」

 

 カラスはしばし硬直した。

 赤い目を、幾度かぱちくりさせる。

 

「鉄角馬たちのことですか?」

「無論」

「彼らはあなたの配下となることを誓ったが故、あなたには彼らを優先して守る義務がある、と認識した。そういう理解でよろしいでしょうか」

「その理解で間違いありません」

 

 カラスは、なぜかおおきなため息をついてみせた。

 わたくしは、首をこてんと横に傾けた。

 

「難しい話でしたでしょうか。説明が必要であれば、遠慮なく申すがよろしい。異質な存在との相互理解のためには、いっそうの言葉を尽くす必要があるとわたくしも理解しているつもりです」

「まるで、ご自分が普段の相互理解を上手にこなしていると自負しているかのようですね」

「無論、自負しております」

 

 また、えっへんと胸を張ってみせた。

 カラスは、また硬直し、なんどか目をぱちくりした。

 

 己のかわいらしさをアピールしているのだろうか。

 わたくしは、負けじと笑顔をつくるため、口を端を吊り上げる。

 

「マイア、わたしを食べるのはおやめください」

「食べる? わたくしに、そのようなつもりはありません」

「もしや、いまの仕草は、親しみをこめた笑顔、ということなのでしょうか」

「無論」

「申し訳ございません。狂暴な獣が獲物をくらう寸前のごとき圧力を覚えました。次回から演算処理に修正を加えます」

「たいへんよろしい」

 

 まったく、このカラスは時折、よくわからない反応を返す。

 やはりこのわたくしが、コミュニケーションをリードする必要がありそうだ。

 

「あのとき、かの者たちにはわたくしの助けが必要でした。突然の崩落によって穴のなかで転倒し、脚の骨が折れた個体までいて、ひどく怯えておりました。その場で治療と慰撫を行いましたが……」

「そのあたり、手厚いのですね、あなたは」

「眷属とした者に対して充分な庇護ができぬようであれば、それは竜の一族の名折れと教えられました。弟のように、自ら庇護を離れるのであれば話は別です。しかしあのとき、あの者たちの声が聞こえました。眷属がわたくしに助けを求める声、それを無視しては、角に傷がつくというもの」※2

「わかりました。この点については、あなたの価値観を尊重いたしましょう。ですがその価値観は、こうして説明されなければヒトにとってひどく異質なものであると、よくご理解ください」

「異質、でしょうか」

「少なくとも、大陸の既知の文明圏においては」

 

 驚きのあまり、わたくしはぽかんと口を開ける。

 カラスは、なんどもうなずいてみせた。

 

「実際に、そうなのです」

「なんと、わたくしにはまだまだ知らないことがあるのですね。伸びしろの発見です。精進いたしましょう」

「あなたの向上心だけは、たいしたものだと考えます」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 わたくしは、また胸を張った。

 褒められれば、たとえそれがカラスが相手であっても嬉しいものだ。

 

 父も、時折はわたくしを褒めてくれた。

 そのたびに、胸が膨らむほど誇らしく思ったものである。

 

 あいにくと、父とつき合った歳月に比して、その回数はさして多くなかったのだが……。

 いまでも、目をつぶれば。

 

 父の言葉のひとつひとつを思い出すことができる。

 竜の誇りあれ、と幼いわたくしを祝福してくれた、父の言葉の数々を。

 

 故にわたくしは、ここにいるのだ。

 竜の末裔として。

 

「もうひとつ、お聞かせください。アライアンス、とはなにを示す言葉でしょうか」

対界協定(アライアンス)のことですか?」

 

 カラスはうなずいた。

 ふむ、この者が時にひどく無知を晒すことは理解している。

 

 先導者として、この者をよく導いてやらねばなるまい。

 これもまた竜の一族の義務である。

 

対界協定(アライアンス)とは、孵卵歴三千二百十七年に孵卵第八世界(エアル=ターラ)の七盟主によって結ばれた、対界侵略存在(フォーラ)及びそれに類する存在へ対抗するための約定です。これは七つの宣誓と義務によって成り立ち、いまも有効です」

 

 完璧な回答だ。

 わたくしは、どうだ、と満面の笑みを浮かべてみせた。

 

 カラスは困惑した様子で、かぁと鳴く。

 瑕疵があっただろうか、とわたくしは首を横に傾ける。

 

「初めて聞く単語を認識いたしました。いくつか確認させていただいてよろしいでしょうか」

「承知」

「孵卵歴、とは」

「孵卵歴のそもそもの成り立ちは……」

「質問を変更いたします。現在は孵卵歴で何年でしょうか」

「今年は七千百十六年です」

「なるほど、およそ四千年前の出来事ということですね。ヒトの国における最古の記録は、およそ千五百年前と伺っております。記録されていない歴史が存在するようですね」

「で、ありましょう。大断絶により七盟主に列せられた最後の三国が失われ、知識の後継は老いなき者たち(エターナル)による口伝に委ねられました」

「口伝、ですか。ひどく頼りない手段に思えますが……いえ、あなたがたはそれだけ長命でありましたね」

「竜の寿命は、老いなき者たち(エターナル)ほどではありません。書物はたったの数百年で劣化します。老いなき者たち(エターナル)の口伝は、個体の損失という些細な弱点に目を瞑れば、より有効な継承手段と認識されております」

 

 カラスはしばし沈黙し、なんどか赤い目をぱちぱちさせた。

 深い考えごとに沈んでいるようだったので、わたくしは黙ってその言葉を待った。

 

「質問に戻ります。孵卵第八世界(エアル=ターラ)とは、この星の名でよろしいでしょうか」

「星ではなく世界ですが、その認識でおおむね問題ありません」

対界侵略存在(フォーラ)とは?」

「悪魔、とあなたがたが呼ぶ存在も含めた、異なる世界からの侵略存在の総称です。それらがたびたび孵卵第八世界(エアル=ターラ)への浸透を試みているのはご存じの通りです」

「一般には魔界、と呼ばれている世界の知性体ですね。あなたは、その知識をどこで?」

「父と、父の友人であった、老いなき者たち(エターナル)の旅人より薫陶を受けました。いまとなっては、もっと貪欲に知識を貪るべきであったと後悔することしきりです」

 

 カラスはゆっくりと首を横に振る。

 疲れているのだろうか。

 

「七盟主、というのは当時の大国と推察いたしますが、ヒトの国もそのなかに?」

「はい。ちょうど、現在のこのあたりの地に存在した国でありました。ナ・ガ同盟国という、神の血の直系(デュート)が君臨した国です。浅学ゆえ、この国について具体的なことは、あまり」

神の血の直系(デュート)という言葉も初耳です」

「文字通り、神の血を色濃く残したヒトの種族です。原初の魔術を扱う者。この国でも多少の神の血の直系(デュート)を囲っているではありませんか」

「その話は、後日、また詳しく。――マイア、あなたはそういった知識が、ヒトの間ではすでに忘れ去られて久しいとおっしゃるのですね」

「その可能性がある、とわたくしは判断いたしました。あなたであれば、調査することも可能なのではありませんか」

「あいにくと、この身では古い書庫で本を漁ることも困難なのです」

 

 カラスは翼を持ち上げ、ぱたぱたさせた。

 いっけん万能にみえるこのカラス、しかして自由になる無限の目こそ持ってあれど、自由になる手は持ちえないということか。

 

 この者であれば、なんとでもしそうではあるが……。

 ここは寛大に、本人の主張を受け入れるとしよう。

 

「しかも、おっしゃる通りであれば、その情報は書庫ではなく老いなき者たち(エターナル)の頭のなかにのみ存在するのでしょう?」

「必ずしもそれのみではありますまい。老いなき者たち(エターナル)は確実性の高い手段のひとつにすぎません。たとえば海を渡る大雷獣の群れは、歌と波の重ね合わせで知識を継承すると聞きます。書物もまた、そういったもののひとつなのです」

「七つの宣誓と義務について教えていただけますか」

「無論」

 

 わたくしは、かつて老いなき者たち(エターナル)の旅人が口にした言葉を、そのままに語ってみせた。

 完全な記憶の保持は、我らにとって基礎の基礎、これができなくては魔法という高く険しい山の麓に立つことすらできぬもの。

 

 故に、当時のことも鮮明に思い出せる。

 かの者は空飛ぶ鮫の眷属で、おおきな口と鼻を鳴らし、魔法によって空気を鳴動させ、歌うように節をつけて古よりの言葉を語ってみせた。

 

 それは見事な歌であり、悠久の時でも特に輝いたひとかけらであり、すなわち歴史そのものであった。

 記憶であり記録であり、そして海と空と大地にあまねく広がる真理そのものであった。

 

 当時、わたくしはその言葉をあますところなく目と耳に納めながら、そのあまりの美しさに涙を流した。

 この時間がずっと続けばいい、とそう願ったことを強く覚えている。

 

 しかし、旅人としての生き方を選んだ老いなき者たち(エターナル)は、ひとつところに留まることをよしとしない。

 いずれまた会うこともあろう、と告げて、嵐の晩、鮫はその尾びれを羽ばたかせて宙を舞い上がり、黒雲のなかに消えていった。

 

 幼きころの、大切な記憶のひとつである。

 

「鮫」

 

 なぜかカラスは、わたくしが告げた老いなき者たち(エターナル)の外見にひどくひっかかったようであった。

 外見など、老いなき者たち(エターナル)の偉大さの前には些細なことであるだろうに。

 

「なにか?」

「いえ、いいのです。今後もあなたの知識を披露していただければ幸いです」

「わたくしは語り部として未熟ながら、知識をしまい込むような狭量はいたしませぬ。いつでもお尋ねください。今夜のところは、そろそろ宿に戻る必要がありますが……」

 

 散歩と告げて出てきたが、あまり長話をしていては怪しまれよう。

 ふと、思い出す。

 

「鉄角馬車は、時折、ナ・ガの鋼戦兵と交戦しているのでしたか。貫界坑道計画の資源回収ルートと重なっているのでしょうね」

「お待ちを。その話、詳しく聞かせていただけませんか」

「ではまた、後日」

「ひどく気になる単語を残さないでいただきたい」

 

 なぜかカラスは焦った様子である。

 この者も長命種であるらしいが、ずいぶんとせっかちだ。

 

 かくして。

 その晩はほどほどのところで切り上げ、わたくしとカラスは別々に宿へ戻った。

 

 さして長くはない逢瀬であったが、充実したひとときであったように思う。

 わたくしにも、老いなき者たち(エターナル)の旅人の真似事ができたこと。

 

 少しだけ、それが誇らしかった。

 もしかして、と考える。

 

 百年後の竜のことだ。

 過日、語り合った竜の未来の話だ。

 

 竜は老いなき者たち(エターナル)の旅人になり得ない。

 何万年も生きる老いなき者たち(エターナル)の旅人たちに比べれば、竜の寿命はせいぜいが数千年とひどく短いものなのだ。

 

 しかしそれは、あくまでも老いなき者たち(エターナル)の旅人と比較しての話。

 竜の寿命は、ヒトのそれと比べれば、国がいくつも滅び、歴史の継承すらもできぬほどの長い時なのだと理解した。

 

 ヒトは気宇壮大な野望のもと、果てしない速度で駆け抜けていく種族だが、しかしそこに欠けるものはいくつもある。

 それは、こうして少しの間、彼らの地を旅するだけでもみてとれる。

 

 ならば。

 もしヒトが、竜と手をとりあう未来があり得るならば。

 

 考える。

 そのとき、わたくしは……。

 

 

――――ヤァータの慣用句解説

 

※1 尻尾が高い 竜族の慣用句で、ヒトの言葉に直せば、鼻が高い、程度の意味であると推察される

 

※2 角に傷がつく 一族の誇りに傷がつく、程度の意味の模様

 

 



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第37話

 季節は春の中ごろ、エドルであれば、夏はまだずいぶん先のはずだ。

 にもかかわらず、照りつけるような強い日差し。

 

 昼ともなれば、じっとしていても汗がしたたり落ちる。

 心なしか、北方でみあげるよりも太陽がおおきい気がしてならない。

 

 そう。

 おれたちは、帝国の領土の南端にたどり着いたのだ。

 

 帝国の南部は海に隣接していない。

 だが海軍の拠点はある。

 

 密林に囲まれた巨大な湖が、帝国の南に広がっているからだ。

 

 その名も大樹海。

 海と名がついているが淡水で、浮遊樹の林のなかに水棲の魔物が潜む、非常に危険な湖である。

 

 船でまる一日以上かかる湖の対岸には、ギキア建商国をはじめとした数国の港がある。

 帝国の海軍は、それらの国々と頻繁に角をつき合わせているらしく、港には立派な軍艦の姿もみえる。

 

 そんな港町が、鉄角馬車の南の終着駅だった。

 今回、おれたちは湖に入らないが、それでも眼前に広がる広大な蒼い水域をみると、いささか気分が高揚する。

 

「マイアちゃんは、本物の海をみたことがある?」

 

 我が弟子であるリラが、隣をとてとて歩くマイアをみる。

 マイアはかたわらの少女をみあげ、ちいさくうなずいてみせた。

 

「父の背に乗って北方へ赴いた際、拝見いたしました。とても広大で深い青のなかに、無数の白い氷が浮いていました」

「そっかー、寒い時期の北の海じゃ、みるだけだよねー。泳いだりできないか」

 

 リラ的には、父の背に乗って、という部分にはツッコミがないようだ。

 まあ、人里離れた山中に住んでいた貴族であろうマイアの父親である、飛行魔法にも長けていたことは間違いないだろうが……。

 

 ここで数日、のんびりすることも考えた。

 この町のそばには、帝国軍のおおきな基地がある。

 

 ここに来るまでも数多のトラブルが起きた。

 マイアも、もう自分から喧嘩をふっかけるようなことはないだろう。

 

 でもなんとなく、不安なんだよな。

 おれたちがいると、大樹海から化け物が出てきそうな、ナンセンスな不安が鎌首をもたげるというか。

 

 結局、この港町では少し情報を集めたあと一泊だけして旅の疲れを癒やし、馬車を買う。

 ここからは自前の馬車での旅だ。

 

 安全だけを考えるなら隊商と共に移動するべきだが、おれたちの戦力を考えるといささか悠長である。

 リラが馬に肉体強化の魔法を、馬車には構造物強化の魔法をかけて、普通の倍の速さで駆けさせる。

 

 大樹海を囲む密林を避けながら、北東へ向かう。

 隊商であれば、十台くらいの徒党を組んで移動するという、いささか治安の悪い街道だ。

 

 このあたりでは野盗よりも、密林に潜む魔物が怖い。

 町から町へ移動する間に、二回に一回は襲撃を受けるのだとか。

 

 幸いにして、おれたちは幸運な方の二回に一回を三回連続で引き続けた。

 七日後。

 

 なんの襲撃も受けず、三つ離れた町までたどり着く。

 そこが、ひとまずの目的地だった。

 

 グクモという名の、人口二千人ほどのちいさな城塞都市である。

 人類最新の開拓地だ。

 

 

        ※※※

 

 

 密林の中に突き出た砦、というのがグクモの町の正確な表現だろうか。

 背の高い堅牢な壁に囲まれたその町には、剣や弓を手に歩く屈強な男の姿が多かった。

 

 砦の正門、入ってすぐの厩舎に馬車を預け、狙撃魔術師のかさばる荷物をかついで宿まで歩く。

 

「お持ちいたしましょうか」

 

 とまたマイアが申し出てくるのを、丁重に断る。

 

「これは、狙撃魔術師にとって命も同然だからな。非常時ならともかく、普段なら自分で持ち歩いた方がいい」

「なるほど、道理」

「非常時は、頼む」

「もちろんです」

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 おれはリラたちを宿に残し、ひとりで貴族街に向かった。

 

 貴族たちが住むのは、内壁と呼ばれる、町の中心部を囲ったふたつ目の壁の内側だ。

 ここを囲む高い壁は、有事において外側の壁が破壊された際に住民が逃げ込む、最終防衛線である。

 

 しかし現在、内壁の内と外を隔てる門は常時開け放たれていて、見張りもいない。

 王都どころかエドルと比べてすらだいぶこじんまりとした建物が並ぶ一帯のはずれ、庭もなく門番すらいない屋敷の門。

 

 その前に立ち、呼び鈴を鳴らす。

 出てきたのはメイド服を着た初老の女性で、数年前にも訪れたおれのことを覚えていてくれた。

 

「ご主人さまは首を長くしてお待ちです」

 

 あらかじめヤァータを使って連絡を入れていたから、話はスムーズだった。

 魔術師が先ぶれとして使い魔を用いるのは、この国における常識的な行動のひとつなのだ。

 

 無論、商家や他国の貴族とのやりとりであればまた別の様式があるのだろうが、そこまではおれの知ったことではない。

 だいいち、この屋敷の主は、エドルと同様のやり方で問題ない程度には辺境馴れした御仁である。

 

 案内された先は、魔法的な防護が施されたちいさな地下室だった。

 魔法的な空調を使っているのか、少し肌寒いくらいに冷えている。

 

 鼻孔をくすぐる清涼感のある匂いは、東方から輸入される白砂香であろうか。

 出口は分厚い鉄の扉ひとつしかなく、天井に飾られたシャンデリアから白い魔法照明が降り注いでいる。

 

 部屋のなかにはテーブルがひとつと、向かい合うように配置された椅子がふたつ。

 奥の椅子には、小柄ながらピンと背筋を伸ばした身なりのいい老人が腰を下ろしていた。

 

 豊かな髭も少し薄い頭も白髪で、顔中に深い皺が刻まれた、年のころ七十は超えるであろう、柔和な笑顔を浮かべた人物だ。

 彼がエドルの分家のひとりで、この地でとある研究をしていることを知っている者は少数である。

 

「お久しぶりですね」

 

 老人はおれに着席を促し、茶と菓子を勧める。

 おれたちはざっくばらんな挨拶をしたあと、すぐ本題に入った。

 

 まずはメイテルさまから預かった手紙を手渡す。

 老人は手紙に手を当てると封を魔法で解いて、おれの前でざっと中身を改めた。

 

「なるほど、去年の冬、エドルはたいへんだったのですね。なんとか切り抜けることができたようで、ほっとしました」

「こちらには情報が流れて来なかったのですか?」

「高速街道から三日も離れた辺境です、商人も十日に一度、来るかどうか。帝国といっても、こちら側はまだまだなのですよ」

 

 ま、そういうものか。

 長くエドルで腰を落ち着けていたからか、冬の間も費用をかけて街道を維持する向こう側の流儀に慣れきってしまっていたかもしれない。

 

 おれは頭を掻いて、謝罪をした。

 老人は笑って、「そのぶん、こちら側ではまだまだ森を切り開いていくという気概に溢れているのです」と語る。

 

 このグクモも、おれがつい最近まで腰を落ち着けていたエドルも、共に帝国の最前線だ。

 だが山脈を挟んで反対側に他国があるエドルとは違い、南東部の果てであるこの地の先には、ただ密林が延々と広がっている。

 

 他国からちょっかいをかけられることは、ほぼありえない。

 対して、魔物の脅威の度合いはエドルの比ではない。

 

 かわりに森を切り開いていけば、それはすべて人類の新たな領域となる。

 人類最新の開拓地とは、そういうことだ。

 

「手紙の内容について、あなたはご存じですか?」

「わたしはただの運び手です。メイテルさまからはなにも」

「学院に子息を送り出すなら金を出すから、卒業後はエドルに送ってくれ、というのがまずひとつ」

 

 それ、おれが聞いてもいい話?

 去年の冬、いろいろあった結果、エドルは多数の魔術師を失った。

 

 手紙の内容はそれに関するものだろう、と予想していたものの……。

 別にそれ、おれに話す必要ないよね?

 

 貴族の身柄のやりとりなんて、ある意味で軍事機密みたいな話じゃない?

 

「もうひとつは、あなたに手を貸して欲しい、と」

「わたしに、ですか?」

 

 少し、面食らった。

 おれはただの、手紙の運び手、メイテルさまにとってはそれだけのはず。

 

 だったのだ、が……。

 老人は、豊かな顎髭を揺らして笑う。

 

「あなたはきっと、旅先で困難に巻き込まれる。手助けが必要かもしれない、と書かれていました。あの方に、ずいぶんと見込まれておりますね」

 

 おれは苦笑いして頭を掻いた。

 実際に、ここに来るまでの出来事を振り返れば、なにもいい返せない。

 

 メイテルさまのルビーの瞳は、どこまで遠くを見通しているのだろうか。

 いや、さすがに鉄角馬車と密輸の件がわかっていたはずもないから、念のための用心、程度のことだったのだろうが……。

 

 感覚がマヒしていたかもしれない。

 短期間でヘンな子を拾ったり鉄角馬車で二度も襲撃を受けたり、普通はしないもんだよな。

 

 しかもあの事件、いちおうは解決したものの、なぜあのような密輸が行われたのか、危機に陥った密輸人がなぜ悪魔を召喚しようなどと考えたのか、わからないことばかりである。

 無論、そんなもの帝国の騎士たちが解決すればいいことであって、おれとはもう、なんの関係もないことだ。

 

 そのはずなのだ、が……。

 どうしてだろう、不思議と、胸がざわつくのだ。

 

「どうやら心当たりがあるご様子」

「いや、いますぐ助けが必要、ってわけじゃないんですがね」

 

 この人物が信用できることは知っていた。

 境魔結晶について知る立場にいることも。

 

 ちょうどいい、と鉄角馬車での一件を、ざっと語ってみせる。

 老人は黙っておれの話を聞き終えたあと、おおきなため息をついた。

 

「相変わらず、数奇な道を辿っているのですね」

「そんなこともない、と、思うんですが」

「普通の者は、人生でそう何度も悪魔に関する事件と関わることはありません」

 

 それは、そうだ。

 帝国には悪魔関連の対策を担う少数精鋭の部署があると聞くが、彼らですら実際に召喚された悪魔と交戦した経験のない者がほとんどであるという。

 

 どうして知っているかといえば、当時学生のリラを助けた一件の際、事後の調査のため派遣された、帝国におけるその部署の者と実際に話をしたからだ。

 本来であれば自分たちが出るべき事案であったが、近くにいたおれが解決したおかげで出る幕がなかった、といわれた。

 

 なぜか、とても残念そうに。

 召喚された悪魔を観察できる機会が失われた、とも。

 

 いやまあ半分は冗談であろうが……。

 どうにも研究者気質の人物で、もう半分は本当に残念がっていた様子である。

 

 悪魔の出現に従って世界は侵食を受け、不毛の大地が広がる。

 一刻も早くこれを打倒しなければならぬ、という事実がある以上、彼らが間に合わないことは頻繁にあるらしいのであった。

 

 なにせ帝国は広大で、事件は日々、あちこちで起こっている。

 そのどれが重要で、どれが重要ではないか、実際に現地で調べてみなければわからないことは数多あるのだろう。

 

「今回の件も、いずれこちらに報告書が来るとは思いますが……そのときまでに事件が解決しているといいですね」

「つくづく、そう願いますよ。境魔結晶の密輸を企んでいる奴らがなにを考えているにしても、どうせロクなことじゃありません」

「同意見です。あれには触媒として、さまざまな利用方法がありますが、必要ならば正式に申請すればよろしい。わたしのように」

 

 そう、目の前の老人は、境魔結晶の携帯許可を得たうえで研究している数少ない人物のひとりであるのだった。

 おれはよく知らないが、空間と時間の位相がどうのこうの、というあたりを専門にしているという。

 

 なんか、ヤァータと話が合いそうな気がするな。

 まったくのカンだけど。

 

 ちなみに、なんでそんな人物がこんな辺境に引きこもっているかといえば、境魔結晶に関する実験のためである。

 具体的には、実験に失敗して爆発してもいい土地がたくさんあるから、という……。

 

 このひと、温和な貴族の隠居にみえて、実験内容はアナーキーらしいんだよな……。

 本当に、よく知らないし知りたくもないんだけど。

 

「そういえば、境魔結晶の管理って、普段はどうしているんですか」

 

 ふと、疑問に思って聞いてみた。

 鉄角馬車で運んでいる最中に二度も襲撃を受けるほど、一部の魔物を引き寄せるような魔力を放っている物質が、ここには保存されているはずなのだ。

 

「我が家はこの部屋よりさらに地下がありまして。四方を分厚い鉛で覆った部屋をつくり、そこに保管しているのですよ」

「鉛で囲むのですか。そういう方法で境魔結晶の出す放射を遮断できるんですね」

「ええ。もちろん、そういった設備があることを証明できなければ、境魔結晶を手にすることそのものの許可が下りません」

 

 そりゃ、そうか。

 放射が駄々洩れじゃ、この町がなんども魔物に襲われかねない。

 

 おれたちの乗る鉄角馬車を襲ったのも、空を飛ぶ魔物に、地に穴を掘ってくる魔物。

 どちらも、普通の手段じゃ防げないような相手である。

 

「いやはや、それだけ厳重な管理が必要なものなのです。どうして、雑に鉄角馬車で運ぼうなどと考えてしまったのか……」

 

 そこ、だよな。

 雑すぎる。

 

 まあ……もうこの件に関わるつもりなんてないから、どうでもいいんだけど。

 どうでもいい……はずだよな?

 



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第38話

 わたしは、リラ。

 狙撃魔術師である師匠の一番弟子でマイアちゃんの友人の、ただのリラだ。

 

 わたしたち三人は、いまグクモという城塞都市にいる。

 師匠はわたしたちを宿に放って、ひとりででかけてしまった。

 

 だからわたしとマイアちゃんは、ふたりでデートすることにした。

 ふんっ、師匠がいなくたって寂しくないんだからねっ!

 

 ごめん、やっぱ寂しい。

 このぽっかり開いた気持ちの空白は、マイアちゃんを後ろからぎゅっとすることで埋めることにする。

 

「リラ、そうも後ろから拘束されますと歩きにくいです」

「じゃあ抱きかかえてあげようか?」

「わたくしは子どもではありませぬ」

「子どもじゃなくても、抱きかかえていいんだよ」

「ならば、よろしい」

 

 あ、いいんだ。

 えいやっ、と後ろから持ち上げる。

 

 うん、軽い軽い。

 ついでにお姫さま抱っこしてみると、マイアちゃんは上手くわたしに体重を預けてくれた。

 

「リラ、わたくしはいささか世情に疎いという自覚がございます。しかしやはり、女性ふたりで共に行動することを、一般にデートとは呼ばないのではありませんか」

「わたしはマイアちゃんのことを愛してるから大丈夫!」

「では問題ありませんね」

「え、それでいいんだ」

 

 しまった、師匠がいないとツッコミ役が不在になる。

 ジニー先輩といっしょのときとも違う、新鮮な感覚だ。

 

 癖になりそう。

 まあいいや、いけいけごーごー!

 

 というわけで、わたしたちふたりは宿に荷物を置いて町に出た。

 もうすぐ夕方、とはいえこの地方ではまだまだ日が高い。

 

 抱っこは満足したのでマイアちゃんを下ろして、おててを繋いで並んで歩く。

 

「ですが、どこへ?」

「んー、師匠に頼まれてるから、とりあえず狩猟ギルドかなあ。挨拶を任されたからには、完璧にやらないとね!」

「お任せを。礼節は得意分野です」

「え、うん? そう……なんだ?」

 

 えっへんと胸を張るマイアちゃん。

 もしかして、初手威圧とか身体に触れたひとを宙にぽんっと放り投げるのとかって貴族的な礼節に則ってるのかな?

 

 えへへ、わたしもう貴族じゃないからよくわからないやー。

 い、いちおう暴力的なことはしないよう、いい含めておく。

 

 わたしひとりならともかく、師匠の代理だからね。

 自慢の一番弟子として、瑕疵があってはいけないのです!

 

 ってなわけで狩猟ギルドに赴いたわたしたち。

 ここのギルドは大都市のそれくらいにおおきかった。

 

 赤茶けた煉瓦でつくられた三階建ての立派な建物で、一階の酒場は五十人くらい座れる広さがある。

 いま埋まっている座席は半分くらいか。

 

 ギルドの受付は二階のようで、そっちにもけっこう人がいるっぽい気配があった。

 人類の最前線だけあって、あちこちから腕自慢の狩人が集まってきているのだろう。

 

 ざっと魔力の流れをみた感じ、うん、魔術師の割合が他よりずっと多いね。

 たぶんギルド員の二割から三割が、魔臓持ちだ。

 

 普通のギルドでは一割いればいい方だから、すごく高い数字。

 いまここにいる人たちだけで数えてるわけだから、誤差はあるだろうけど。

 

 でもたぶん、おおきなズレはないんじゃないかな。

 向こうも、さりげなくこちらを観察しているのがわかる。

 

 魔臓持ちじゃない狩人が、隣の魔臓持ちにささやきかけていて……。

 おっ、魔臓持ちのひとりがこっちの魔力を読もうとしてるね。

 

 わたし自身は、魔力を隠すこともできるけど……。

 いまはこっちも喧嘩するつもりがないので、それなりだよー、とそこそこ魔力を流してあげる。

 

 向こうはこちらの意図を理解してくれたようで、ちいさくうなずいてくれた。

 うんうん、こうだよ、こう。

 

 通りすがりの挨拶みたいな魔力の交感、やっぱりこうでなくっちゃね。

 お互いの実力を量ったうえで静かにマウントをとりあう。

 

 暴力よりはずっとマシな、帝都の学院で流行っていた初対面でのやりとりである。

 もともとは、倫理観なんて欠片もない帝都の魔術師たちが、互いの損耗を厭って編み出した処世術のひとつらしい。

 

 ちょっとした諍いで帝都の中心近くが大爆発したりしたら、そりゃ問題なのもわかるというものだ。

 ちなみに貴族社会でコレやったらめちゃくちゃ怒られる。

 

 ガチギレされて、武力衝突までいく可能性もあるとか。

 あーあ、だからあいつら面倒なんだよね。

 

 苦労して舌先三寸で丸め込むなんてことしなくても、暴力をひけらかした方が話はスムーズにいくことが多いんだ。

 帝都の下町なんかは、特にそうだった。

 

 たぶんマイアちゃんも賛同してくれると思う。

 で、わたしは無事に、魔力の流れの繊細さでマウントをとれたみたいだ。

 

 向こうの魔術師さんが軽く手を振ってくるので、笑って振り返す。

 それで、終わり。

 

 まわりで少し緊張した感じでわたしたちの様子をみていた客たちが、安堵したのか各々の歓談に戻る。

 このギルドに認められた、ということだ。

 

 これで万事こともなし……。

 って。

 

「マイアちゃん、魔力出しちゃだめ」

「むっ、しかし先ほどリラは……」

「あれはそういう儀礼なの。ちゃんと段階があって……、うん、あとで教えてあげるから」

「そうおっしゃるのであれば」

 

 マイアちゃんがわたしの真似をして魔力を出そうとしていたので、慌てて止める。

 この子の場合、加減ができるかどうかも怪しい上、規格外に魔力量が多いから、上手くやらないと大惨事になるんだよ。

 

 これまでのつきあいで、それくらいはわかった。

 彼女にいっさいの悪気がないことも。

 

 ほんっと、ひとかけらも悪気がないから困るんだよなあ。

 これが悪い子なら、なにも考える必要がないんだけど。

 

 

        ※※※

 

 

 狩猟ギルドの二階での登録は、すぐに終わった。

 受付の初老の男性は、引退した狩人とのことだった。

 

「魔弾の射手がこの町に、ね。頼もしいことだ」

「ししょーのこと、知ってるんですね」

「こんな帝国の辺境でも、竜殺しは噂になるさ」

「長居はしないと思うよ」

「だとしても、だ。しばらくは南部にいるんだろう?」

 

 わたしは曖昧に笑った。

 実のところ、師匠の行動計画はよく知らない。

 

 臨機応変。

 というか、たぶんいまの師匠は、いまわたしの隣でぼんやりとしている少女のことを重視して、旅程を決めている。

 

 別にいいけどね。

 もっと弟子のわたしに構って欲しいって気持ちはあるけど、それはそれとしてマイアちゃんだって大切な友達なんだから。

 

 危なっかしいこの子に世間を学ばせ、帝国に順応させる。

 それはきっと、とても意味のあることだ。

 

 それができる人はきっと少ない。

 わたしと師匠は、マイアちゃんとの出会い方が本当によかった。

 

 だから、わたしたちがやる。

 そう決めた師匠はとてもカッコイイし、その気高い精神にはなんどでも拍手したいのである。

 

 ただ最近、なんか師匠の使い魔の動きがチョットだけ怪しいんだけど……。

 うーん、あいつ、なんかヘンなこと企んでない? 本当に大丈夫?

 

 わたしは、あいつのことを全然まったくこれっぽっちも信用してない。

 師匠はお人好しだから、そのぶんわたしが目を光らせておかないといけないんだ。

 

 みてろ、いつか絶対に尻尾を掴んでやるからな。

 ――って。

 

「この壁に張っている紙は、なんでしょうか」

 

 そんなことを考えながら、わたしが受付の人と話をしていると。

 ぼーっと周囲をみまわしていたマイアちゃんが、壁に貼ってある依頼の束の方に興味を惹かれ、てこてこと寄っていった。

 

「お嬢ちゃん、そいつは依頼だ。一番左なら、三つ目獅子の毛皮が欲しい奴がいて、それを持ってきた奴に金を出す。最大で三枚、毛皮が痛んでいたら金額は割引」

「誰が狩っても、よろしいのですか」

「ギルド員なら誰でも大丈夫だ。あんたたちの移籍手続きも終わったから、お嬢ちゃんが三つ目獅子を狩ってくれば金が出るぜ。いくらお嬢ちゃんが貴族のご子息だからって、さすがにあれを倒すのは難しいだろうが……」

「その魔物について、リラ、ご存じですか?」

「マイアちゃん、やってみたいの? 明日なら、つきあってあげるよ」

「では、是非にも」

 

 マイアちゃんの赤い双眸を覗きみると、いつも濁った感じのその瞳が、心なしか浮きたっているような気がした。

 ひょっとしなくても、わくわくしているのかな。

 

 いい傾向、なんだろうか。

 彼女をヒトに溶け込ませる、という意味では、狩りをして報酬を貰うという経験もアリかもしれない。

 

 めちゃくちゃ高価な宝石をいっぱい持ってる子だから、お金に困ることはないと思うけど。

 そもそもわたしも師匠も、マイアちゃんのためならいくらでもお金を出すし。

 

 でもたぶん、この子がひとりでやっていくためには、これは必要なことなんだろうね。

 この子が、いつまでもわたしたちといっしょにやっていくとも限らないのだから。

 

 帝都の学院に、本当に行くかもしれないし。

 いや、でもマイアちゃん大丈夫かな……騙されてアレな教授の実験体にされないかな……。

 

 ぴょんぴょんジャンプして上の方を依頼を確認するマイアちゃんを、受付の人が心配そうに眺めている。

 まあ、心配するよね……外見詐欺がひどいもんね……。

 

 とりあえず、マイアちゃんはあれで腕のいい魔術師だし、野生動物並にカンが鋭いから、と彼に説明しておく。

 なにせ山のなかで育った子だからね、わたしもそのへんは心配していない。

 

 三つ目獅子程度じゃ、どう考えてもこちら側の戦力が過剰だよ。

 たぶん帝都の学院でも、この子に勝てる魔術師が何人いるか……。

 

 正面からのちから押し限定なら、誰も勝てないんじゃないかな。

 彼女の戦力はそれほどで、だからわたしも師匠も、彼女を放っておけないんだ。

 

「もうすぐ日が暮れるから、その前にどこかに入ってご飯を食べようか。師匠はどうせ、行った先で呑んで来るだろうし」

「そうなのですか」

「昔馴染みなんだって。だからわたしたちは気兼ねなくデートを続けよう! マイアちゃん、なにか食べたいものある?」

「では、先日の港町で食べた、赤い果実の蜂蜜漬けを……」

「それはデザートだね! 晩御飯はお肉とかお魚とか。その後でデザートを食べるんだよ!」

「デザートの後にデザート、では駄目でしょうか」

 

 うるうるした目でわたしをみあげてくる。

 んもーっ、そんなのずるいよ!

 

「わかったよ、わたしも覚悟を決めよう! デザートの後にデザートだ! 甘味処を探すよ!」

「承知!」

 

 わたしとマイアちゃんは、拳をつきあげて決意を示すと、ギルドを出て大通りをずんずん歩く。

 道行く人たちが、なんだこいつらという目をして道を譲ってくれるけど、まあ気にしない気にしない。

 

 そういえば、師匠は甘いものとか苦手だしね。

 甘味をいっしょに味わってくれる人って貴重だ。

 

 マイアちゃんの場合は、どうも山のなかであんまり甘いものを食べたことなかったみたいで、そのせいもあって余計に甘いものに興味を示しているけど。

 放っておくとえんえんお菓子ばっかり食べてそうで、そのあたり不安ではある。

 

 でもまあ、今日くらいはいいだろう。

 女子会で、デートなのだから。

 

 それに、と思うのだ。

 彼女がこうして人のなかで好きなものをみつけ、それに夢中になることは、きっと彼女の今後にとっておおきな意味を持つに違いないのだと。

 

 ひょっとしたら。

 百年後、わたしは歴史書に、こんな風に書かれているかもしれない。

 

 黒竜を甘味で調伏した魔術師、と――。

 

 

        ※※※

 

 

 うん、わたしさ。

 以前、師匠にいったんだけど。

 

 魔力の色で、魔術師の区別がつくんだよね。

 




あ、リラとマイアの狩りの話は全部カットです。
マイアが依頼掲示板の前でぴょんぴょんしてるシーンが書きたかっただけなので。


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第39話

「これは、なんでしょうか」

 

 手渡された木札を眺めて、マイアちゃんが首をこてんと横に傾けた。

 狩猟ギルドの二階でのことである。

 

 わたしたち三人がこの町に来てから、三日が経つ。

 師匠が留守の間に、わたしとマイアちゃんは、いくつかの依頼を果たした。

 

 で、今日の依頼を果たして酒場に戻ったときのこと。

 ギルドの受付の人から、チケットを二枚も貰ってしまったのだ。

 

 この町で公演される歌劇の特等席のチケットだった。

 自分は仕事があるので行けないから、かわりにみにいって欲しい、と受付のおじさんはいった。

 

 若い子こそ、こういったものをみるべきであると。

 ここ数日で、この人にはだいぶお世話になってしまっているけど……娘のように思われているっぽいのかなあ。

 

 チケットに書かれた公演日は、まさに今夜だった。

 町でいちばんの野外広場で、わざわざ魔法照明をふんだんに使って催されるのだという。

 

「常光歌劇団、かあ。名前は知らないけど、まあ旅の歌劇団なんていくつもあるからね」

「ほう」

「でも、こんな町までわざわざ来てくれる劇団なんて少ないだろうし、きっとチケットをとるの大変だったんじゃないかな。わたしたち、ツイてるね」

「ふむ?」

 

 わたしの説明を聞いても、まだ首を横に傾けている。

 ありゃあ、これはそもそも、前提知識がないな。

 

「マイアちゃん、水草姫の物語、って知ってる?」

「浅学ながら、存じません」

 

 少女は首を横に振る。

 うーん、やっぱりかー。

 

 水草姫の物語、帝国の子どもならどんな村でも子守歌の代わりに聞くおとぎ話なんだけどね。

 わたしも、乳母がなんども語って聞かせてくれたことを覚えている。

 

「星振り王子と妖の魔法使い、はらぺこ竜と七人の小人、あとはうーん、ダッダールの双子泥棒」

「ふむ?」

 

 反応なし、と。

 困惑されてしまったかー。

 

「そもそも、物語、ってわかる? あ、歴史上の出来事とかじゃなくて、誰かが考えた架空のお話」

「概念は存じております」

 

 概念、とな。

 むう、これは強敵の予感。

 

「古くから伝わる、多分に教訓を含んだ散文、あるいは韻文、ときに歌となって語られるものでありましょう」

「マイアちゃん、それを聞いたり本で読んだりしたことは?」

「あいにく、不勉強にて」

 

 不勉強って。

 わたしは、うーあー、と呟いて酒場の天井を仰いだ。

 

 この子に必要なのは、優秀な乳母とかだった気がする。

 なにやってたんだろうねえ、親御さんは。

 

 マイアちゃんは崩し文字もすらすら読むし、難しい単語もたくさん知っている。

 水準以上に優秀な教育を受けているのはたしかなのだ。

 

 でも、娯楽の方面にひどく疎い。

 甘味とかも人里に降りてはじめて知った様子である。

 

 放っておくといつまでもクッキーとか蜂蜜菓子を食べ続けてしまうくらいだ。

 これまでよっぽど抑圧された生活を送っていたのだろうな、とは想像がつく。

 

 実際のところ、彼女は山のなかで黒竜の子として育てられたわけで……。

 普通の家のそれとは著しく環境が違う、というのがまず前提。

 

 そうでなくても、一部のちからこそすべてを標榜する貴族がその子女を幼いころから訓練するという話は、たまに聞くことなのだ。

 それこそ娯楽も余裕も、なにもかもをとりあげて、ひたすらに魔術師としての道を邁進させるのだという。

 

 問題は、そういった教育が報われ大成した、という話をあまり聞かないこと。

 特に帝国の場合、学院で上手く人間関係を築けず、どこかで脱落しちゃうらしいんだよね。

 

 わたしも、そうしてこじらせてしまった貴族の子弟を何人もみてきた。

 悪魔を召喚しようとしたクラスメイトも、そういったひとりだ。

 

 馬鹿だなあ、と思う。

 でもいまとなって振り返ってみれば、彼らに足りないのはオツムだけじゃなかったんだろう。

 

 マイアちゃんをみていると、いろいろと考えてしまう。

 あのクラスメイトは、親の期待を受けて過酷な鍛錬の末に学院に入った。

 

 人と人との関係を上手く理解できずに孤立した。

 あげく、魔術師としての技量でもわたしみたいな飛び級の子に負けて……。

 

 彼と彼の親の頭のなかでは、こんなはずじゃなかったのだろう。

 魔術師として一人前になる、ということの意味を、親も本人も理解していなかった。

 

 彼らは理解できなかったのだ。

 人里離れた山のなかに住む魔術師ひとりであれば、それでもよかったから。

 

 でも帝都で暮らす以上、最低限のものが必要だった。

 あえて言葉にするなら、社会性、とでもいうべきものが。

 

 この先、マイアちゃんに必要になるのも、きっとそれなんじゃないだろうか。

 なにせ彼女には、まず同じヒト同士という、皆があたりまえに共有する常識の基盤すら存在しないのだから。

 

 いやまあ、この子くらい才能があったら立ちふさがる壁をなにもかもなぎ倒してしまうかもしれないけど。

 それはそれで、いろいろと問題が出てくるからね……。

 

 わたしの場合、ロッコとかディナとかジニー先輩という、頼りになる味方がいたのもおおきい。

 いや、わたしよりやんちゃだったロッコ、本の虫すぎたディナはあんまり頼りにならなかったかも。

 

 やっぱりジニー先輩かなあ。

 うん、わたしは、この子にとってのジニー先輩にならなきゃいけないような気がするのだ。

 

 そう、目を瞑れば思い出す、昔日の光景。

 ジニー先輩と学院を抜け出し、男装してタチの悪い酒場で暴れたり、賭けごとの最中に魔法でイカサマしたり、悪所をひやかして……。

 

 ろくなことしてないな。

 ジニー先輩よりはマトモにやらないと。

 

 それはそれとして、いまは今夜の歌劇のことだ。

 演目は、えーと。

 

 石の姫君と一つ目巨人、かー。

 悪い魔術師に石にされた姫君に恋した一つ目の巨人が、己の持つ予言のちからでもって彼女の石化を解くために奔走する話だ。

 

 百年ほど前に、巨匠テラグテによって書かれたお話。

 テラグテの物語は学院の入試問題にもなるくらい有名だし、入学後もテキスト解釈の講義があった。

 

 で、そんななかでも特に有名なひとつ。

 一つ目巨人の予言者は実在したらしいし、亡国の石化した王女というのも実際にあったこと。

 

 でもそのふたつを繋げて恋物語にしたのは、完全にテラグテの創作。

 ついでにいうと、物語の終盤に出てくる悪い魔術師は正体が竜で……っていうのも存在しないこと、のはず。

 

 うん、一般的には、竜がヒトに化けるなんて物語のなかだけ、だからね。

 そのはずだったんだよねえ……。

 

「まあ、ものはためし、だよ。いっしょにみにいこう。どうせ今夜も、師匠は外泊だし」

「承知いたしました」

 

 あまり感情のこもらない声でそういって、マイアちゃんはうなずく。

 うーん、興味なさそうだけど……でも、なにごとも経験だよ、うん。

 

 

        ※※※

 

 

 その日の、夜。

 わたしたちは観劇に向かった。

 

 貴族区の内と外を隔てる壁。

 そのすぐそばにつくられた円形の広場は、高い内壁を利用した照明台の魔道具に照らされ、夜だというのに真昼のように明るかった。

 

 そこに集まったのは、住人の半分以上と思われる、老若男女、合わせて千人近い人々だ。

 半円状の舞台の上で始まった歌劇は、舞台袖にとりつけられた拡声の魔道具によって広場全体に届けられる。

 

 わたしとマイアちゃんのチケットの座席は、中央の最前列に近い、なかなかの場所。

 マイアちゃんは座席にちょこんと座って、これからなにが始まるのか、きょとんとした様子で開演を待っていたのだが……。

 

 それから始まったのは。

 圧倒的な音と光の洪水だった。

 

 ただでさえ存在感のある役者さんたちを、魔法の照明が鮮やかに浮かび上がらせる。

 要所で挟まる役者の張りのある歌声が、石になった姫君の悲劇を、石の姫君に恋した一つ目巨人の燃えるような感情を観衆の心に焼きつける。

 

 筋を知っていて劇をなんどかみたことがあるわたしでも、物語の世界にのめり込んでしまった。

 そして、クライマックスが来る。

 

 一つ目巨人は、ついに姫君の石化を解いた。

 しかし種族違いの恋心を隠し、なにもいわずに背を向けて立ち去ろうとする。

 

 わたしは胸が張り裂けそうな痛みを覚えた。

 その直後。

 

 姫君が巨人に駆け寄る。

 彼女が、石になったあともずっと意識があったこと、彼の献身をみていたこと、そしていつしか巨人に対して抱いていた思慕の情を高らかに歌い上げる。

 

 わたしは他の観客と共に喝采をあげていた。

 夢中になって、手を叩いていた。

 

 すごい。

 歌劇は、やっぱりすごい。

 

 って、そうだ、劇に集中していて忘れてたけど、隣のマイアちゃんは……。

 横を向く。

 

 周囲が拍手喝采で大騒ぎしているなか、マイアちゃんは、静かだった。

 胸もとでぎゅっと拳を握って、前のめりに、懸命に。

 

 呼吸するのも忘れて、口をぎゅっと閉じて。

 一心不乱に、舞台を眺めていた。

 

 その目は瞬きも忘れ、舞台の上の光景をひとつも見逃さないとでもいうかのように。

 その耳は、姫と巨人が手を繋いで歌う歌をひとことも聞き逃さないとでもいうかのように。

 

 舞台で繰り広げられる物語に、魅入られていた。

 彼女が初めてみたであろう物語に、のめりこんでいた。

 

 物語が終わり、ハッピーエンドのなか、姫を肩にかついだ巨人が舞台を降りていく。

 いや、巨人の役を演じている役者は姫より頭ひとつ背が高いだけなのだけれど、舞台の最中はまるで本当に巨人のようにみえたのだ。

 

 姫と巨人の身長差が倍くらいあるようにみえていたのは、魔法か、あるいは立ち位置と姿勢、段差を使った見事な錯覚か。

 スポットライトが、消える。

 

 マイアちゃんが、おおきく息を吐く。

 よくみれば、その双眸から、彼女はとめどもなく涙を流していた。

 

 劇が終わったことにも気づかずに、自分が泣いていることにもまったく気づかずに、役者たちが去ったあとの、スポットライトが消えたあとの舞台を眺め続けていた。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 

 アナウンスが公演の終わりと役者たちの挨拶は広場の出口で行うことを告げても、そんなことは耳に入っていないかのように。

 ずっと、ずっと、ずっと、そこで起きた物語はまだそこにあると幻想しているかのように、眺め続けていた。

 

 観客たちが立ち上がり、移動していく。

 役者たちのファンサービスをみに行く者もいれば、もう夜は遅いからと足早に帰宅する者もいる。

 

 そんななか、マイアちゃんとわたしただけが観客席に残っていた。

 照明の消えた舞台を眺めたまま滂沱の涙を流すマイアちゃんを、わたしはじっと眺めていた。

 

 やがて、彼女の肩が震える。

 その瞳が、閉じられる。

 

 彼女の心のなかでなにが起こったのか、わたしにはわからない。

 彼女がいまの舞台をどう受け止めたのか、わたしは知らない。

 

 もういちど彼女がまぶたを持ち上げたとき、その赤い眼が、きらきらと輝いているようにみえた。

 いつもの濁ったような瞳とはまったく違う、澄んだまっすぐな双眸だった。

 

 マイアちゃんが、わたしをみあげる。

 なにかいいかけて、しかしなにをいえばいいかわからない様子で、口をもごもごさせる。

 

 わたしは微笑んで、マイアちゃんの黒い髪をゆっくりと撫でた。

 

「どうだった?」

「続きは、どうなるのですか?」

「えっと、劇はこれで終わりだよ」

「ですが、あのふたりの生は、これからも続いていく。これから、ふたりはどうなったのですか」

 

 ああ、と納得する。

 この子は、あれがつくりごとだと、空想の創作だと理解しなかったのだ。

 

 どこかに存在した現実を演じたものだと。

 あるいはひょっとすると、あの舞台の上に現実そのものが広がっていたのだと、想像したのだ。

 

「そうだね。きっとふたりは、このあと」

 

 言葉を切って、少し考える。

 そうだ、先輩といっしょに孤児院を訪問して、子どもたちと話をしたときみたいに。

 

「マイアちゃんは、どう思う?」

「どう、とは?」

「これは架空の物語だから。歴史じゃ、ないから。舞台の幕が下りた後のことは、誰にも真実がわからない。ううん、そもそもどうなるか決まっていない。だから、わたしたちひとりひとりが、心のなかで考えるの。心のなかで決めるの。そのあとどうなったか。どうなって欲しいか」

 

 マイアちゃんは腕組みして天を仰いだ。

 広場のあちこちで照明が輝いているせいで、星はほとんどみえない。

 

「ふたりは……わたくしは、ふたりが幸せに暮らして欲しいと願っておりますが……」

「じゃあ、きっとそうなんだよ。マイアちゃんが決めたなら、それでいいんだよ」

「まこと、ですか」

「それが物語だよ。いまの演劇から受けとった、マイアちゃんだけの物語」

 

 マイアちゃんは、天をみあげたまま固まってしまった。

 何度もまばたきをしながら、じっと夜空をみつめる。

 

 観客席の照明が落ちた。

 警備のひとに追い出されるまで、マイアちゃんはずっとそうしていた。

 

 



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第40話

 グクモの町で、おれは弟子やマイアと別れて行動していた。

 数日かけ、やるべきことをおおむね終えて、ようやく宿に戻る。

 

 リラとマイアは、ふたりともいささか憔悴した様子で出迎えてくれた。

 特にマイアはほとんど寝ていないようで、目の下に濃い隈をつくっている。

 

「なにがあった?」

「あー、ししょー、別に危険なことに首を突っ込んだとかじゃないからー」

 

 えへらと笑って、ぱたぱた手を振る弟子。

 こいつの「危険じゃない」はこれっぽっちも信用できない。

 

 とはいえこいつとマイアがふたりで行動して、その身が危うくなるような出来事もまた、なかなか想像できないところである。

 

「マイアちゃんがね、ちょっと趣味にハマっちゃって」

「趣味? あったのか、あの子に」

「できたんだよ」

 

 宿の一階の酒場の片隅のテーブルを三人で囲む。

 マイアは「んっ」と胸を張って、羊皮紙の束を差し出してきた。

 

 黙って受けとり、眺めてみる。

 びっしりと文字が書き込まれていた。

 

 きちんとした教育を受けた者特有の、綺麗な文章だ。

 その内容は……なんだ、これ。

 

「なにかのお話、か?」

「ししょー、石の姫君と一つ目巨人、って知ってる?」

「そりゃ、まあ。そういえば、劇団が町に来ていたらしいな。観に行ったのか」

「んっ。その、続き!」

「続き?」

 

 鼻息の荒いマイア。

 その彼女に促され、おれは羊皮紙に書かれた文字を追う。

 

 なぜかおれの頭の上に乗ったヤァータが、興味深そうに覗き込んできた。

 こいつも最近はずっとおれにつきっきりで、リラとマイアのことは監視していない様子だったが……。

 

 あ、なんかヤァータの震えが頭皮越しに伝わってくる。

 こいつ、珍しく動揺が露になっているぞ。

 

「なるほど、終わった話の続きを書いたのか、マイア」

「んっ」

 

 また、少女はちから強くうなずいてみせる。

 

「リラの入れ知恵か?」

「ししょー、わたしのことをなんだと思ってるの?」

 

 返事はせず、我が弟子をジト目でみる。

 リラは下唇を突き出して抗議してきた。

 

「マイアちゃんの創作意欲が爆発しちゃったんだよ」

「創作、意欲」

「そっ。だから適切に導いてあげないと、ってね。使命感ってやつだよ、ししょー!」

 

 なんの使命感だ、なんの。

 帝都じゃ、そういう文化もあるとは聞いたことがあるが……。

 

 なるほど、全然わからん。

 いいことなのか悪いことなのかも、さっぱり見当がつかない。

 

「おれ、こういうのに詳しくないぞ」

「大丈夫、わたしもだよ!」

 

 軽く、ことの次第を聞いた。

 なんでも生まれて初めての観劇にいたく感動したマイアが、その勢いのまま創作活動に目覚めてしまったから、とのこと。

 

 素敵な物語が、ここで終わってしまう。

 それが我慢ならなかった、とのことだ。

 

 なる……ほど?

 少しはわかったような、やっぱりわからないような。

 

「マイアちゃんね、そもそも創作物語、というものを知らなかったんだって。歴史とかは、旅の鮫とかにいっぱい講義してもらったらしいんだけど」

「鮫?」

「なんか、そういう人がいるんだって」

 

 鮫、というふたつ名を持つ貴族がいるのだろうか。

 有名な魔術師とかに詳しい人なら知っているのかもしれない。

 

 マイアの話は、ときどきよくわからなくなる。

 彼女が嘘をついているというより、おれたちに上手く説明する能力の不足、だろうか。

 

 ちらりと彼女の方をみれば、いつものようにぼんやりした目でおれをみあげて……。

 いや、なんでか知らないが、その赤い双眸が爛々と輝いている気がする。

 

 もしかして、読者としてのおれになにかを期待しているのか?

 困る。

 

 詳しくないどころか、実際のところ完全に素人だぞ、おれは。

 とりあえず、羊皮紙に再度、目を落とす。

 

 文字を読み進める。

 そこに描かれた物語は、石の姫君と一つ目巨人の後日譚だった。

 

 おそらくはちゃんとした小説の書き方を知らないのか、なにかの論文のような調子で語られている文章だ。

 しかしそれには、異様なまでの熱意と勢いがあった。

 

 たどたどしい文体にもかかわらず、なぜか読み手をのめり込ませるちから強いなにかがあった。

 

 石からヒトに戻った姫と一つ目の巨人は、ふたりで山から町に下りようとする。

 だが巨人をみた町の人々は、これを激しく攻撃して追い払う。

 

 巨人がその拳を振るえば、町の人々などたやすく蹴散らせるだろう。

 だが、姫はそれをよしとせず、巨人を止めた。

 

 姫と巨人は、仕方がなく山に戻り、ふたりきりで暮らそうとする。

 ところが、巨人をひどく恐れた人々は、山にまで乗り込んで襲ってくる。

 

 姫と巨人は山を離れ、安住の地を求めて旅に出ることにした。

 

 物語は、そこで途切れていた。

 終わっているわけではなく、ぷつりと途中で筆が止まっているのだ。

 

「この続きが、書けないのです」

 

 おれが羊皮紙の最後の一枚から顔をあげると、マイアがすがるような目でみつめてくる。

 

「それは時間的な問題か? それとも、思いつかないのか?」

「わたくしには、とんと思いつかないのです。これ以上、どうすればいいのか。どうすればふたりは幸せになれるのか……。いっそ、このようなもの書かなければいいと思ってしまいました」

 

 マイアは、意気消沈した様子でうつむく。

 ふうむ……。

 

 そうか。

 この子は、ふたりに幸せになって欲しかったのか。

 

「面白かったぞ」

 

 マイアが、ぱっと顔をあげる。

 濁った双眸で、じっとおれをみつめてくる。

 

 いや、待て、待て。

 おれはそんな、気の利いた感想なんていえないんだ、そんな物欲しげな顔をするなよ。

 

「この続きが読みたい、と心から思った。リラ、おまえはどうだ」

「わたしも、ししょーと同じ。でもマイアちゃん、現実主義者だから。どうすればハッピーエンドになれるのか、思いつかないんだって」

「でもハッピーエンドにしたい、と……。なるほどな、本人が納得できないなら、そうか……」

 

 適当に幸せになりました、でいいじゃないか、とおれなんかは思ってしまうのだ。

 姫と巨人を共に受け入れてくれる町を、適当に出してしまえばいい。

 

 ふたりはその町で、いつまでも幸せに暮らしました。

 しかしこの少女は、それでは我慢ならないらしい。

 

 生真面目すぎる、と一笑に付すわけにもいかない。

 なぜだか、マイアという人物のこの性質は、彼女の根本に関わってきているような気がしてならないのである。

 

「なんどもいうが、おれはこういうことに詳しくない。だが、なにごとにおいても、だ。思いつかないなら、しばらく寝かせておくのもいいんじゃないか」

「寝かせて、おく?」

「ずっと集中していたんだろう。いったんそこから離れるんだ。気分転換も兼ねて、別のことをする。いろいろなことに手を出してみる。日を置いて、考えてみる。参考に他の作品をみたり読んだりするのもいいだろう。そうしているうちに、名案が浮かぶことも多々あるものさ」

「道理」

 

 納得したのか、マイアは深くうなずいてみせた。

 おれは彼女に羊皮紙を返す。

 

「続きを楽しみにしている。書いたら、みせてくれよ」

「無論」

 

 

        ※※※

 

 

 宿の部屋で、おれとヤァータだけになる。

 やけに熱心にマイアの書いた物語を読んでいたとおぼしきヤァータに、あれをどう思ったのか訊ねてみた。

 

「たいへんに興味深いですね」

 

 というのが、その返事である。

 具体的にどう興味深いのかは、教えてくれなかった。

 

 使い魔のくせに生意気である。

 まあ、本来の意味での使い魔ではないし、こいつがおれのいうことを聞かないのはよくあることなのだが……。

 

 いやしかし、こうも曖昧に口を濁すのは珍しい気がするな。

 なにか悪だくみしているのか?

 

「他人の心を覗くような精神分析は、いささか品がない行為でしょう?」

「おまえに気にするような品性があったとはな。初耳だ。ヒトの真似事でも始めるのか?」

「わたしはヒトではありませんが、ヒトを理解するための労を惜しみません。それはおかしなことでしょうか」

 

 おれはため息をついてみせた。

 殊勝なフリをしたところで、このカラスが異質な存在であることは明白だ。

 

 そもそもこいつの行動原理は、他者への奉仕である。

 ただし奉仕される対象にとって幸福かどうかを決めるのは、こいつ自身なのだからタチが悪い。

 

 いや、だからこそ……こいつは、その他者を理解したいと考えるのか?

 それで、より奉仕の精度があがるのではないか、と。

 

 怪しいところだ。

 経験則だが、こいつはどうも、肝心なところで勘違いするような、しているような気がしてならないのである。

 

 まあ、とにかく。

 いまはマイアのことである。

 

「おまえはマイアの書いた物語から、あの子の考えていることを予測した、ということか。それがあの子の教育に必要なら、おれとしては知っておきたい」

「教育、ですか。たしかに、現在の状況はご主人さまが彼女の教師をしている、といっても差し支えがないですね」

 

 彼女には適切な教師がいなかった。

 だから、強大なちからに反して、ヒトのなかで生きていくための知識がなかった。

 

 創作物語という概念すら知らなかった、というのもそのひとつだ。

 ヒトであれば、子守歌のように刷り込まれる物語、おとぎ話。

 

 そういったものをひとつも聞いたことがなかったというのは……。

 さすがに、想像すらしていなかった。

 

 魔術師として必要なあれこれや大陸の歴史などには詳しい彼女であるから、ただひたすらにそれらだけを詰め込まれたということか。

 彼女の親は、いったいなにを考えていたのだろう。

 

 考えれば考えるほど、わからなくなる。

 人里から離れて暮らすならば必要がない、ということなのだろうが……。

 

 とはいえ、マイアは結局、人里に下りてしまった。

 ヒトの群れに紛れ込んでしまった。

 

 であるならば、彼女は必要なことを知るべきなのだ。

 おれが彼女の世話を焼く理由は、それだけで充分だろう。

 

 本来はおれなんかがやるべきことじゃないんだろうが……。

 マイアのやつはリラになついているようだし、リラほどの魔術師でなければマイアの暴走を抑えることは難しい。

 

 マイアは、なぜかおれのいうことは素直に聞く。

 どうしてか、尊敬されている様子がある。

 

 いやほんと、なんでなんだろうな……。

 

「教育、ということでしたら、かの作品から読みとれる見解を披露いたしましょう」

「その偉そうな態度には心底腹が立つが、いまはありがたい」

「本当に心を読んだわけではなく、あくまで私見、ということはご承知ください。その上で申し上げるのは、マイアと名乗る人物が、ひどく不安を覚えているということです」

「不安? あの子が?」

「マイアと名乗る人物は、二次創作を試みるに際し、登場人物に幸せな結末を望んでいた様子です。しかし彼女の手によって描き出されたものは、登場人物のさらなる苦難でした」

 

 二次創作?

 いや、いっている意味はわかるが、そういう単語は初めて聞いたな。

 

「まあ、ヒトと巨人、種族も違うふたりだからな。あたりまえの展開だ」

「これが技法として、多くの蓄積を経ての経験則として出てきたものなら別です。しかし彼女の場合はまっさらな状態からかの物語を刷り込まれての、あの展開です。それはおそらく、彼女が当然のこととして、登場人物ふたりの未来を予見してしまったからでしょう」

 

 ふたりの未来、か。

 ふたりはヒトの間では暮らしていけない、かといって町から逃げても……。

 

「考えすぎじゃないか?」

「かも、しれません。ですが、一つ目の巨人に己を投影していたとしたら、どうでしょう」

「山育ちの貴族は、一つ目巨人のようなもの、か。ここまでの旅路でも、さんざんに自分とそれ以外の違いをみせつけられただろうから、そう解釈してもおかしくはないが」

 

 おれたちと出会ったとき、マイアは集落から集落へ、転々としていた。

 どこでもなじめず、おそらくは最初侮られ、それから暴力性によって恐れられたのであろう。

 

 リラが卓越した魔術師でなければ、おれたちとの出会いも悲劇的な結末で終わった可能性が高い。

 

「マイアと名乗る人物は、自分がヒトのなかで生きることの困難さについて、彼女の書いた物語のように理解してしまっている、とわたしは分析いたします。であれば、続きを書けない理由もおのずと判明いたします」

「彼女には、ふたりが幸せになる結末が納得できない、と?」

「あくまでもわたしの見解です。わたしはあなたがたの心の機微を深く理解しているわけではありません。見当違いはご容赦のほどを」

「おまえはヒトの心がわからんやつだ。とはいえ、おまえの論理的な分析は信用できることもわかっている」

 

 あくまでも可能性のひとつとして考慮しておこう、と思った。

 マイアがなにを考えているにしても、おれが彼女にしてやれることはたいして多くない。

 

 ただの中年狙撃魔術師には、知識は教え込めても、未来をくれてやることなどできはしない。

 それは彼女が、自分の手で切り開くものである。

 

「ところで、例の話をふたりにするのではなかったのですか」

「夕飯のときにでも、改めてな」

「なるほど、実りのある話ができることを祈っております」

 

 相変わらず、心にもないといった様子で、カラスはそういってのける。

 カラスは、かぁ、とひとつ鳴いた。

 

 どうにも馬鹿にされているような気がする。

 



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第41話

 さて、おれがここ数日、宿にも帰らずなにをしていたかというと。

 実は、かの老人の、境魔結晶に関する研究に協力していたのだ。

 

 正確にいえば、ヤァータが老人の研究に協力していた、である。

 おれはオマケだ。

 

 研究内容は、境魔結晶が発生させる特殊な魔力、そして空間を歪ませるちからに関する調査。

 帝都の学院は、長年のデータの蓄積から時間と空間のありようについて仮説を立て、説得力のある数式を組み上げていたらしい。

 

 そうなると、次は式から導かれる数値の検証である。

 この地で老人が行っていたのは、この検証、すなわち膨大な実験データの蓄積であった。

 

 これまでは、おおむね満足のいくデータがとれていたのだという。

 仮説はデータの裏付けを得て、その確かさが証明されようとしていた。

 

 ところが、最近。

 その演算結果から予想される境魔結晶のデータと実際に観測された数値に、いささか無視できない差が生じていたらしい。

 

 いろいろ条件を変え、原因を究明するべく努力していたのだが、いっこうに解決の目処がつかず……。

 それどころか、もはや誰の目にも明らかなほど理論値と実測値の差が広がってきているとのこと。

 

 これを聞いて、ヤァータが目を光らせた。

 

「実に興味深い」

 

 とまでカラスはいった。

 おれとヤァータは話し合い、最終的におれは、ヤァータを老人に協力させることにした。

 

 老人は、ヤァータが特別な使い魔であり、この件に関して口外しないという条件を呑んでくれた。

 魔法的な拘束力のある誓いまでして、それでもヤァータの助言を求めたのである。

 

 こうして、老人とヤァータの二人三脚による実験データの再検証が始まり……。

 おれは毎日、ふたりの様子を眺めながら、しかしヤァータのそばから離れるわけにもいかず、老人のメイドに話相手をしてもらったり遊戯盤で遊んだりと、だらだら時間を潰した。

 

 情けない限りだが、数式とかみてもさっぱりわからん。

 学院における基礎教養としての講義の範囲内ならともかく、ことは教授たちが議論するような範疇だ、記号の意味すら理解できない。

 

 で、結果。

 理論値と実測値のズレについて、ヤァータが立てた予測は、そのすべてが見当違いだと判明した。

 

 カラスは、骨が折れるんじゃないかと思うほど首をかしげた。

 老人は、腰をやるんじゃないかと思うほど実験室のまわりをうろうろ徘徊しては頭を掻いた。

 

 普段、温厚な老人が怒鳴り散らし、メイドは黙って頭を下げた。

 家のなかの空気は、ひどく悪くなった。

 

 正直、はやく宿に帰りたかった。

 状況を打開したのは、やはりヤァータだった。

 

「あなたの持つ理論が正しいということをわたしは知っています」

 

 この段階に及んで、ヤァータは自分が異なる文明の産物であることをもはや隠しもしなかった。

 老人はそれを理解していて、しかしその点については言及せず、このカラスから得られる知識という禁断の果実の旨味だけを摂取するべく努力していた。

 

「理論は正しい。しかし測定結果が違う。我々は、この都合の悪い事実から目を背けてはならない」

「つまりどういうことかね、カラスくん」

 

 老人は、ヤァータのことをカラスくんと気安く呼ぶ。

 ちなみに、いちばん荒れていたときはクソカラス、と叫んでいたことをおれは知っている。

 

 理論と実験結果の不一致は、かくもヒトの心を荒ませるのだ。

 他山の石としたい。

 

「理論も測定値も正しい。まずはこれを前提に、まっさらな視点でデータをみるのです」

「要するに、カラスくん。きみは、我々がこれまで考慮していない要素が存在する、といいたいわけだ」

「あなたがこの地に居を構え、この地で実験を行っているのは何故でしょうか」

「ここなら、ほかに誰も境魔結晶を使った実験なんてしている者はいない。この付近で境魔結晶が発掘されたという記録もない。境魔結晶はわたしの屋敷にある分だけで、実験による活性状態に置かれた境魔結晶の影響だけを考慮すればいい」

 

 老人は、椅子に座ってしばし考え込んだあと。

 おおきなため息をついた。

 

「つまりは、そういうことかね」

「ええ」

「さっそく試してみよう」

 

 ふたり、いやひとりと一匹の会話を聞いていてもなにがなにやらわからなかったが、彼らの間ではそれで充分だったようだ。

 ぽかんとするおれを無視して、新しい実験が始まる。

 

 メイドが無言で茶のおかわりを用意してくれた。

 うん、うまい。

 

 それからたったの半日で、成果は出た。

 立ったまま羊皮紙の数値を睨んでいた老人は、「こんなことが……」と椅子にへたり込んでしまう。

 

「なあ、ヤァータ。どういうことか、説明してくれないか」

「ご主人さまを通じて、わたしたちは鉄角馬車で境魔結晶が密輸されていたことを知っています。もし、そうして密輸された境魔結晶がこの地の近くに運ばれ、そこで境魔結晶の活性化が行われていたとしたら、それが干渉を起こす可能性は充分にあり得るということです」

 

 え?

 その話、いまの実験の話と繋がってるの?

 

 たしかに、どっちも境魔結晶が関わっているが……。

 よりによって、か。

 

「密輸された境魔結晶を活性化……この町で?」

「理論値と実測値の差から判断して、もっと広い範囲で考えた方がよろしいでしょう。とは申しても、徒歩で一日か二日の範囲だと思いますが」

 

 おれはメイドに頼んで、周囲の地図を持ってきて貰った。

 飛行魔法の使い手による丁寧な仕事により、町の西側はほぼ完璧な地図ができている。

 

 ところが、東側、未開拓地ともなるとこれがさっぱりであった。

 川すら覆い尽くす密林が広がり、凶悪な飛行型の魔物が遊弋しているため、空からの接近がひどく難しいのであるという。

 

 この地の開拓が、この町の範囲からいっこうに広がらない所以である。

 少々、ヒトのちからが増したところで、ジャングルにおける魔物の優位は変わらない。

 

 無論、それを圧倒的なパワーでねじ伏せる個人もいないわけではないのだろうが……。

 そんな戦力まで投入するほどの価値がこの地にあるかといわれると、それは微妙なところなのだろう。

 

 現在のところ、細々とした探索隊が密林の奥地に赴き、稀少な草木、鉱物を採集してくる程度である。

 それらも、別にこの地でだけ入手できる、といった類いではないらしい。

 

 採算、という概念は重要である。

 ことに、貴重な魔術師の命がかかっているときは。

 

「町の西側にいくつか集落があるな。街道から森に入っているが……こんなところで集落が維持できるのか?」

「それぞれの集落には、ちからのある騎士さまが滞在しているという話です」

 

 メイドがおれの質問に答えてくれる。

 なるほど、騎士とその徒党が中心となった集落か。

 

 こんな辺境までわざわざ移住してきたからには、それ相応の理由があるのだろう。

 後ろ暗いところがある可能性は、充分にある。

 

「詳しいデータは、入手できるだろうか」

「ご主人さまの許可をいただければ、一両日中には」

 

 メイドが老人を振り仰ぎ、屋敷の主である彼は重々しくうなずいてみせた。

 これで、まあいまできることはおおむね終わりだ。

 

「ヤァータ。境魔結晶を活性化する理由には、どんなものがあるだろうか」

「データが不足しています。満足のいく返答ができるとは思えません、が……。ろくなことではないという想像はできますね」

「だよなあ」

 

 とんでもないところから、とんでもない情報が出てきてしまった。

 頭を抱えたくなる。

 

 

        ※※※

 

 

 もちろん、境魔結晶の違法な所持に関する犯罪調査など、本来はおれたちがやるべきことではない。

 かの老人はこの町の貴族のひとりだが、それでもせいぜい、しかるべき場所へ報告する義務があるだけだ。

 

 で、報告の方は老人に任せることにした。

 これで晴れて、自由の身である、のだが……。

 

 宿の一階の酒場にて。

 おれは改めて、これまでの経緯を、ヤァータのところだけごまかして、リラとマイアに簡単に説明する。

 

「ふたりにはなんの関わりもないことだが、協力して欲しい。怪しい集落の簡単な探索だ。専門家が派遣される前に、予備調査をしておきたい」

「もちろん、弟子としてししょーの仕事はお手伝いするよ」

「わたくしは、構いませぬ」

 

 ふたりは特になんの抵抗もなく受け入れたあと、しかし、と首をひねった。

 

「ししょーがそこまで首を突っ込む必要、あるの?」

「同じく、疑問を解消したく思います」

 

 うん、そこらへんはきちんと説明する責任があるだろうな。

 

「まあ、いちばんの理由は、その貴族に頼まれたから、ということなんだが……。相手が悪魔崇拝者なら、おれとはいろいろ因縁があるからな」

 

 十五年前。

 おれがあいつを失った、あの戦い。

 

 これは後に知ったことだが、あのとき、かの地に悪魔が降臨した理由こそ、悪魔主義者の暴走なのである。

 ならば、すなわち。

 

 奴らはあいつの仇、ということである。

 マイアがこてんと首を横に傾けた。

 

「悪魔崇拝者、とは? あのようなものを敬うことに意味があるのですか?」

「悪魔が願いごとを叶えてくれる、と信じる奴は、実際にいるんだよ。マイア、きみが理解できないのはわかる。おれも実際にみなければ、そんな奴らがいることを信じられなかった」

 

 そう、どういう勘違いをしているのかいまひとつわからないのだが、世のなかには根拠もなにもなく、間違った情報を信じ切ってしまう者がいるのである。

 そういう人物をいくら説得しても時間の無駄で、むしろその人物の暴走を促すだけであることも。

 

 存在そのものが害悪な者たち。

 それらを総称し、悪魔崇拝者と呼ぶのである。

 

 いちおう正確な定義もあるらしいが、おれは詳しく知らない。

 境魔結晶を手に入れて暗躍するなら、まあそういう奴らだろう、という程度の理解にすぎない。

 

「あとは、復讐者だね。なんらかの強い動機があって、悪魔に世界をめちゃくちゃにして貰いたい、って考えるはた迷惑なひとたち」

 

 リラの捕捉に、「そちらは納得がいきます」とうなずくマイア。

 

「もうひとつ、研究者タイプの悪魔崇拝者もいるらしい」

「研究者……?」

「厳密には崇拝しているわけじゃないんだろうけどな。悪魔という異界の異質な存在に興味を示し、知的好奇心でもって呼び出そうとする輩だ。魔界について興味しんしんだったりもする」

「迷惑な方々ですね」

「控えめな表現だね、マイアちゃん……」

 

 マイアの困惑は、この手の話をするもの、聞くものに共通するものである。

 いやはや、迷惑という言葉では表現できないほどに、害悪とでもいうべき存在、それが悪魔崇拝者たちであった。

 

「そういうことでありましたら、わたくしとしては積極的におふたりをお助けしたいところです」

「あれ、マイアちゃんがやる気まんまん?」

「ヒトだけではなく、大陸すべての者たちにとっての敵、でありましょう?」

 

 まあ、その通りではある。

 だからといって命の危険を冒す理由にはならない……と普通にこの帝国で生きる者たちなら考えるところだが。

 

 逆にマイアの場合、帝国、という枠組みに囚われないからか。

 彼女にとっては、ただ出会った人々が困るということの方が重要だからか。

 

 思ったよりもずっと積極的に、参戦を決めてくれたのだった。

 彼女のことが、また少しわかったような、わからなくなったような……。

 

 まあ、いいか。

 おれは改めて、かのご老人から借りた地図をテーブルに広げる。

 

「集落の配置はこの通りで、ただし頻繁に町と連絡をとりあっているいくつかは除外していいだろう」

「ししょー、怪しいところって具体的にはどんな場所なのかな?」

「不審な人の出入り、施設、あとは……雰囲気、ということになるか。マイア、きみなら境魔結晶が出す放射をみることもできるな」

「無論。とはいえ、充分な遮蔽が用意されている建物に保管しないとは思えませぬが……」

 

 鉄角馬車の一件でも判明したが、境魔結晶の出す放射は、一部の魔物によってそうとうに遠くまで感知される。

 集落に無防備に保管した場合、たちまち魔物たちが殺到してくることは明らかであった。

 

 ご老人の屋敷の地下のように、遮蔽を用意するしかない。

 

「遮蔽された施設がある、という情報だけでも怪しくなるな」

「それなら、この町の土木魔術師に話を聞いた方がいいんじゃない?」

「おれたちが聞いても職務上の黙秘義務に該当するだろうし、話してはくれないだろう。そっちはツテを頼んで、やってもらう」

 

 それこそ、かのご老人に任せるしかあるまい。

 ある程度の目処はついた。

 

「空からの観察は、おれの使い魔がいまやっている」

 

 ヤァータによる偵察は、今回の前提だ。

 とはいえ、ヤァータは魔力について詳しくないし、人間観察の目も、どこまで信用できるか怪しいものである。

 

 最終的には、現地に赴いての魔術師の観測が必要となるだろう。

 それが特殊な放射を見抜くマイアの目であれば、なおさら頼もしい。

 

「明後日には、情報が出揃うだろう。行動はそれからだ。準備だけはしておいてくれ」

 



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第42話 ひとつ目巨人と竜の姫君1

 おれの使い魔ということになっている三つ足のカラス、ヤァータ。

 こいつは姿消しの魔法(こうがくめいさい)を用いて、誰からもみつからずに偵察を行うことができる。

 

 現場の情報は、狙撃魔術師にとって生死を分けるほど重要だ。

 それを安全に行えるだけでも、ヤァータの価値は高い。

 

 実際のところ、普段ぶつくさいってるおれだが、ヤァータの有用性は認めているのだ。

 それ以上に問題のある部分がこいつに存在するだけの話であって。

 

 今回、ヤァータはグクモの町の西方、ジャングルのはずれに点在する集落を上空から偵察する。

 分身体(ドローン)は使わず、ヤァータ本人が赴く。

 

 その方が情報の精度を上げることができるという。

 おれは遠く離れたヤァータと視覚を共有することができない。

 

 しかし、音声伝達の魔法が込められた赤い宝石の指輪を通じて会話をすることは可能だ。

 

「この集落では、不審な点を発見できませんでした。降下して、現地の人々の会話を調査しますか?」

「そこまではしなくていい。まずは他の場所の状況も把握したい」

「了解しました。次の集落に向かいます」

 

 日が昇ってから中天に至るまでに、三つの集落の調査が終わった。

 おれはこの間に宿の一室を新たに借り、老人の使いの者が届けてくれた資料を読み込んでいる。

 

 各集落の代表について、町の貴族が蒐集した資料である。

 当然のことながら、グクモ側としても自分たちの勢力圏内で活動する武力集団に無関心ではいられないのだ。

 

「代表は、帝国の外から入ってきた来た騎士が多いな。ここが帝国の南東のはずれだからか、だいたい東方で、あと少しだけ南方から来たやつもいる。……東方の動乱で仕える貴族を失ったからって、こんな地の果てのジャングルに来るかね」

「どこから暗殺者が送られてくるかもわからないような身の上でしたら、そのようなこともあると聞きます」

 

 老人の使者となっておれとのやりとりをこなしてくれている若者が、礼儀正しくおれの言葉に答えてくれる。

 地方の学院を卒業したばかりの、ものごしの柔らかな青年だ。

 

 おそらくは町の有力者の子息だろう。

 にもかかわらず、おれのような野良の狙撃魔術師に対しても腰が低い。

 

 老人から、なにかいい含められているのかもしれない。

 そのあたりを詮索するつもりはないが。

 

 どこの藪をつついたら蛇が飛び出てくるか、わかったものではないのが貴族というものだ。

 迂闊な言動は、己の身を危うくする。

 

 それはそれとして、彼の知見は有用だった。

 資料を読みつつ、青年からも情報を引き出していく。

 

「この資料には騎士の息子が四人とあるが、こっちの資料と年齢が合わないな。養子の可能性もあるが……」

「主家の子を養子として迎え入れ、その事実を隠蔽していると思われます。主家を滅ぼした家から追っ手がかかっているのでしょう」

「そこまでわかっているなら、記載しておいて欲しいんだが」

「確実な情報ではありませんし、町としては、そうした()()な騎士家である、ということの方が重要ですので」

 

 ここでいう()()とは、町に敵対する理由がない、という程度の意味だろう。

 脛に瑕を持つ身であれば、余計な騒動を起こし、いたずらに追っ手に把握されるような危険は冒さないものである。

 

 無論、騎士がもといた国の貴族からすれば、本来は根絶やしにしたはずの貴族の生き残りがいるのだから……。

 暗殺者が送られてきて、場合によっては争いが集落の近辺だけでは収まらず、そういう方向から町に迷惑がかかる可能性は残っている。

 

 だがそれは、もはや政治の部類だ。

 おれが読めるような資料には記載されていない、という青年のいい分は間違っていない。

 

 で、そんな騎士家が境魔結晶などという危険なものに手を出すか、という話であれば……。

 出さないんじゃないかな、と思う。

 

 連中も、余計なことをして、帝国の中央や祖国の貴族に目をつけられたくはあるまい。

 といって、それが必ず、とも限らない。

 

 境魔結晶を用いてなんらかの実験を行い、その成果でもって権力闘争に再度、その身を投じるという可能性。

 あるいはなんらかの強いちからを得て、逆襲に移るという可能性。

 

 ひょっとすると、そうして得たちからによって周辺を制圧する、といった愚かな挙に出る可能性すら。

 十中八九、ないとは思うんだけどな。

 

 可能性だけなら残っているし、そもそも鉄角馬車で防護措置を講じていない境魔結晶を運ぶ、などという無謀をやらかした相手だとするとなあ……。

 

 青年といくらか会話をしただけでも、グクモの諜報がしっかりしているのがわかる。

 本来は部外秘の事実を快くおれに伝えてくれているのは、この地で老人が築いた信頼があるからだろう。

 

 同時に、境魔結晶の一件について彼らが強い危機感を抱いているということでもある。

 老人がおれのことを彼らにどう紹介したかは知らないが……悪魔退治の専門家、とでも伝えたのだろうか。

 

 おれは別にそっち方面の専門家じゃないんだが?

 特に情報収集なんかは、あまり多くを期待されても困る。

 

「報告します。四番目の集落の上空で、わずかながら空間の歪みを感知いたしました。具体的なポイントを探りますか?」

「いや、それは他の者がやるさ。だいたいの位置を把握してから、五番目に行ってくれ」

「了解いたしました」

 

 青年は立ち上がり、足早に部屋を出ていった。

 町から、その集落に調査の者が向かう手筈となっている。

 

 専門のことは、専門家にやらせればいい。

 ヤァータに不審人物を探させたところで、どいつが不審かを見分ける目も持っていないのだから。

 

 いや、マイアのことはすぐみつけて、報告してきたけどね。

 あの少女くらい露骨にヘンなことをやっていれば、さすがにわかるんだろう。

 

 でも例えば、街中できょろきょろしている人物を複数人みかけたとして、そのうち誰が不審者か指摘するのはヤァータには難しい。

 ただ迷っているだけの者もいれば、周囲を警戒している者もいるだろうし、ただ好奇心で周囲を見渡している者もいる。

 

 だが、あのカラスにはそれらの区別がつかない。

 不審な者、といわれていってみれば地元の子どもが蟻の巣に水を流しこんで遊んでいるところだった、みたいなこともなんどかあった。

 

 いや、いたずらにしても蟻が可哀想だからやめさせたけども。

 それはそれとして、という話である。

 

 結局、その日はほかに、三つの集落でヤァータが空間の歪みを検知した。

 それぞれで、なにが起こっているのやら……。

 

 

        ※※※

 

 

 ヤァータによれば、空間の歪みというものは、さまざまな魔法によって、割と簡単に生じるらしい。

 そしてヤァータの装備では、どういう種類の魔法が行使されたのか判別できないのだと。

 

 ヤァータを造った者たちは、知識を体系的にまとめあげ、それをヤァータに叩きこんだ。

 そんなヤァータの世界の技術体系には、魔法という概念が存在しなかったという。

 

 故に、こいつは自身の知る技術体系については博識を誇る反面、魔法のようにそれ以外のものごとに対してひどく無力なのである。

 もっとも、それもこいつの自己申告を信用するなら、であるが……。

 

 そんなところでおれに嘘をつく理由も思い浮かばないので、ひとまずその言葉を信じることにする。

 こいつが思ったより頼りにならないのはいつものことだし、逆に思ってもみないところで頼りになるのも、たまにはある。

 

 おれはその都度、最適の運用をすればいい。

 さすがに十五年もつき合っていると、いろいろ慣れるものだ。

 

 で、ヤァータが空間の歪みを感知した三つの集落について、町が抱える魔術師たちは魔法的な手段を用いて調査した。

 結果、そのうちのひとつの集落は、汎用空間魔法を用いた魔道具によってそれを発生させていたことが判明する。

 

 具体的には冷凍保存用の特殊な倉庫だ。

 その集落では、騎士が大枚をはたいて大型の保存庫をつくり、付近の魔物を狩猟してはその素材を、血肉に至るまで貯め込んだうえで加工し、輸出していたのだ。

 

 その際にちょっとばかり帝国の商業税を回避するための脱法的なからくりが絡んでいたようなのだが……。

 それは、今回の事件とはなんの関係もないので省略する。

 

 ふたつめの集落では、学院を出ていない無認可魔術師が空間操作の魔道具をつくる魔道具を開発し、これの運転によって空間の歪みが発生していたことが判明した。

 魔道具をつくる魔道具というのは、つまり小規模とはいえ工場であり、将来的には大規模な魔道具の販売を目指していたようである。

 

 帝国において無認可の魔術師が魔道具の売買を行うことは違法であり、彼らもそれを知っていたからこそこんな辺境を選んだのだろう。

 詳細については、こちらも今回の事件となんら関係がないので割愛だ。

 

 問題は、三つ目の集落である。

 届け出もなく、外と商取引をする風でもなく、ついでにひどく閉鎖的な集落で、代表である騎士の身分についてもいささか怪しいところがある、とのこと。

 

 まあ、いささか怪しい、程度であれば平然と受け入れるのがこの辺境であるとのことで、そうでなければ人など集まらない。

 そのうえで、グクモ側も諜報は怠っていなかったのだろう、青年がとり寄せれば、さまざまな情報が出てきた。

 

「直接、近くの町と取り引きをしていますね。複数の商人を迂回しています。よほどやましいところがあるのでしょう」

「先日も馬車が集落に入って、空荷で出ていった、か。輸出するものもなく馬車を返すとは、ずいぶんと懐に余裕があるじゃないか」

 

 青年とふたりで羊皮紙の束をめくるたびに、出てくるわ出てくるわ、怪しさの塊のような報告が。

 今回の事件と関わりがないとしても、まあ、なにか盛大に後ろ暗いところがあるのは間違いない。

 

 なお、魔術師たちによる遠隔からの魔法による調査では、結界のようなものが展開されていてろくに情報が集められなかったとのこと。

 ますます怪しい。

 

「この集落の取引先を調査いたします。確実になにか出てくるでしょう」

「その方法だと、時間がかかるな」

「ええ、ですが集落を捜査する場合、町の常備兵では手が足りませんから、狩猟ギルドからも人手を集めることになります」

「ギルドを動かすだけの証拠が必要、か」

 

 狩猟ギルドは、本来、ヒトを相手にする組織ではない。

 森や山の草木やきのこ、生き物、魔物といったものを狩猟、採集する者たちの組織である。

 

 大型で特に脅威となる魔物を相手どる狙撃魔術師などという存在が例外なのだ。

 これは、狙撃魔術師がまだ誕生して三十年程度しか経っていない新参者で、専門の組織が存在しないこととも関係がある。

 

 将来的には、狙撃魔術師だけの組織が生まれるのだろう、ということだ。

 帝都ではすでにその動きがあるらしい、と知己からの手紙に記されていた。

 

 それにはもうしばらくかかるであろう、とも。

 なんなら、その際に組織の相談役になってくれないか、という話出てきていて……いや、いまそんなことはどうでもいいんだ。

 

「こちらで勝手に動く分には構わないな」

「ええ。あの方から、既に要請が出ています」

 

 あの方、というのはくだんの老人のことだ。

 彼とは既に、ある程度の話がついている。

 

 本来、おれたちが出張るような案件ではない。

 狩猟ギルドの仕事でもない。

 

 それでもこの一件に手を貸すと、リラもマイアも請け負ってくれた。

 いやむしろ、あのふたりの方が、おれなんかよりもこの一件に対して気負っている気がする。

 

 義憤で動けるのは若さの特権か。

 いや、おれだって悪魔崇拝者はあいつの仇だと思っているし、ここで動かなきゃ後で余計に厄介なことになって、面倒に巻き込まれる気がしてならないからなあ。

 

 悪魔関係は、対処が遅れれば遅れるほど、封じ込めに手間がかかる。

 ここでいう手間とは、人員の消耗も含む。

 

 つまりはかなりの確率で半強制的に駆り出されるおれが死ぬ可能性が増えるということだ。

 おれだけならまだしも、リラは絶対についてくるだろうし、マイアだって……。

 

 とも、なれば。

 いまここで動いた方が賢明だろう、というのが、おれがここで書類を読み込んでいた理由である。

 

 どうせ巻き込まれるなら、先手を打って有利な場所をとり、狙撃するべきだ。

 それが優秀な狙撃魔術師というものである。

 

「動ける人員に、動員をかけてくれ。明朝、出発しよう」

 

 おれの言葉に、青年は恭しく頭を下げた。

 

 

        ※※※

 

 

 翌日、朝日が昇る少し前。

 グクモの門の前に集まったのは、おれとリラとマイア、そして十人ほどの騎士と、青いローブの魔術師であった。

 

 青ローブは、帝国の地方の学院を卒業した証だ。

 魔術師はこの町の生まれであり、南部の学院を十年前に出たのだという。

 

「学院に通う前は、このあたりじゃたいへんな才能と持ち上げられたもんですがね。鼻っ柱を叩き折られて、学院での成績はさんざんで、二度ほど留年してなんとか卒業できたんです。正直、今回の一件の報告書を読んでも、よくわからないことばかりです。詳しいことはあなた方の指示に従えばよい、とあの方から聞いております」

 

 まだ三十そこそこだろう魔術師は、年の割に薄い頭を掻いて、おれとリラに頭を下げる。

 今日のリラは帝都の学院の卒業の証である赤いローブを身にまとっているから、ローブの時点で格付けが済んでしまっている。

 

 いやまあ、青ローブの時点で優秀なんだけどね。

 在学中の者は緑のローブ、中途退学のおれなんかは灰色のローブを着るのが通例だ。

 

「ししょー、このひと、口では卑屈だけどたぶん実戦は得意だよ」

「こら、失礼なことをいうな。……弟子が申し訳ありません」

「ははは、お気になさらず。いや、こちらに帰ってから、荒くれ者たちに混じっていろいろと……。だいぶ鍛えられましたから」

 

 それは頼もしいことだ。

 さてこれで出発、とはならず、魔術師が「ご領主さまの到着が遅れております」と引き留めた。

 

「ご領主さまが? 激励でもしてくれるんですかね」

「おや、連絡が入っておりませんか。申し訳ございません、此度の事態の重要性を鑑みて、ご領主さま自身が同行を決断なされたのです」

「初耳です」

 

 おれは顔をしかめた。

 そういう重要なことは、早くいって欲しい。

 

 こっちは、あんたみたいな下級貴族と会うのだって緊張するんだ。

 ご老人くらい寛容な相手だとわかっていれば、まあ別なんだけど。

 

 ああいう人は稀というのが、これまでの経験から得られた教訓である。

 

「ご心配なさらずとも、ご領主さまはざっくばらんな方です。狩人に混じって魔物狩りに赴くことも、頻繁にあります」

「ああ、そっちのタイプですか……」

 

 地方の町の領主には、大別してふたつの型がある。

 実務に長けた者と、戦闘に長けた者だ。

 

 エドルの伯爵は、お会いしたことはないが、話を聞くに実務に長けたタイプだな。

 戦闘の方は彼の姉であるメイテルに任せきりである。

 

 この地の領主は、戦闘に長けたタイプなのだろう。

 未開の密林に隣接しているという立地条件を考えると、案外、そういうタイプの方が上手くまわるのかもしれない。

 

 大規模な都市ならともかく、この規模の町なら、なんでもいいからとにかく皆を従えて周囲を平穏に保てればいいわけである。

 まあ、下に実務家がいるという前提ではあるが……。

 

 ここ数日、ご老人経由で紹介された青年や、彼が持ってきた資料をみる限り、そちら方面はきちんと人材がいるようで安心だ。

 というか、ご領主さまも同じ資料に目を通しているはずだから、その結果本人が出るっていうなら……おれとかいらなくないか?

 

 少し考える。

 いや、やっぱりおれ、いるわ。

 

 マイアの目は今回、必須の要素だが……。

 彼女とリラだけで領主の前に出すのはいろいろとその、な。

 

 はたして、曙光が南の山を照らすころ。

 ようやく緑のローブを着た女性が駆けてくる。

 

 栗色の長い髪を左右で縛っているのだが、それが馬の尻尾のように激しく揺れている。

 リラと同じくらいの年齢であろう、まだ少女といっていい人物だ。

 

 右手でぶんぶん振っている何重にもねじ曲がった木の杖は、そこそこの魔導具だろう。

 うん? 緑のローブということは学院の在学生か、あるいは中途退学者か……。

 

「遅れてごめんなさーい! うちの子がぐずっちゃって……って、あれ、リラ?」

「ロッコ?」

「うわあ、久しぶり。うえっ、赤ローブ……リラは学院、もう卒業したんだ」

 

 ロッコと呼ばれた少女が、驚きの声をあげる。

 青ローブの魔術師が、「ご領主さま」と頭を下げる。

 

 なる、ほど?

 



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第43話 ひとつ目巨人と竜の姫君2

 キャスレイ家のウィスラロッコ、十六歳。

 リラと同い年で元同級生。

 

 栗色の髪に茶色いおおきな瞳、長い髪をポニーテールにしている少女である。

 帝都の学院に通っていたが、中途で休学し、故郷のこの町に戻った。

 

 リラがスキップしているせいで勘違いしそうになるが、ロッコは悪魔関連の事件当時の同級生ではない。

 具体的には、ロッコとリラは同時に学院に入学し、その半年後にリラひとりがスキップして上の学年に行ってしまった。

 

 その後も、ふたりはなんのかんのと学院のなかで交流し、ときに協力していたものの……。

 ロッコは実家の都合により休学し、帰郷せざるを得なかったことで、その関係も途絶えた。

 

 リラの最終学年、悪魔召喚事件の影響で彼女以外の全員がリタイアしてしまった件は遠いこの地にも届いていたようで、ひどく心配していたとのことである。

 ちなみにロッコの語った「家庭の事情」は金銭的なものではない。

 

 家族の問題であった。

 具体的には、流行り病による両親の死去に伴う代替わりだ。

 

 彼女の両親は、この町の領主だったのである。

 町には新たな領主が必要だった。

 

 その座に、彼女が収まる必要があった。

 さもなくば町は割れ、ひどいことになっていただろうとのこと。

 

 つまり、現在この町を取り仕切るキャスレイ家の代表こそ、目の前の人物なのだ。

 若きキャスレイ家の現当主にしてグクモの領主、ウィスラロッコというわけである。

 

 帝都の学院を退学したのではなく休学状態なのは、家のあれこれが片づいたら学院に戻りたいと彼女が願っているからだ。

 当主が赤ローブなら貴族社会でも箔がつくし、そういう形で休学し、後に復学する貴族というのは割と多い。

 

「でね。実務の方は、だいたい夫がやってくれるから。わたしは実働の方に専念してるってわけ」

「夫」

 

 リラが真顔だ。

 ロッコはけらけら笑っているが。

 

「うん。こっち戻ってすぐ、ね」

「や、そりゃ貴族さまはそうか。でもそのときって、ロッコ十四歳……」

「貴族はね、そんなもんだって。で、領主っていってもさ、いつも前線に出てるし、現場でなにがあるかわからないからねー」

「たしかに、ロッコは実戦じゃわたしくらいやれる子だったけど……」

「普段は狩人の真似事がほとんどだし、こういった作戦行動の機会は少ないからね。わたしもそっちの指揮下に入るよ。ご隠居も、そうするべきって判断」

 

 ロッコはおれをみて、よろしくと笑いかけてくる。

 おれも軽くうなずきを返した。

 

 ご隠居、とはくだんの老人のことだろう。

 まったく、どこでどんな縁が繋がっているかわからないものだ。

 

「あ、ちゃんと去年、子どもを産んだから、最悪わたしが潰されてもだいじょーぶ。安心してね」

「ロッコのそういう冗談、ぜんぜん面白くない!」

「あはは、リラは真面目だなあ」

 

 リラの肩をばんばん叩くロッコ。

 ポニーテールが馬の尻尾のように揺れている。

 

 リラは痛がっているものの、あまり本気では嫌がっていない。

 若い子同士の、たわいもないじゃれあいである。

 

 周囲はぽかんとしていた。

 まあ、うん、おれも初めてだよ……リラが真面目っていわれるの……。

 

「えーとね、ししょー。この子、本気で冗談の加減がわからない子だから。ヅラの教授のヅラを吹き飛ばすの、さすがにわたしでも自重するもん」

「メラートの王女といい、おまえの交友関係は濃いなあ」

「ジニー先輩は別格だよ、別格。わたし、さすがにアレほどじゃないから。安心してね!」

「安心材料なのか、それは?」

「わあっ、きみ、お人形さんみたいだ、ぎゅっとしていい?」

 

 あっ、と思う間もなく、ロッコは、ぼうっと突っ立っていたマイアに突撃し、彼女を正面から抱きしめていた。

 マイアは首をこてんと横に傾け、「はて、わたくしは人形ではなく、自立して行動しておりますが……」と困惑している。

 

「きみが可愛いってことだよ!」

「なるほど、道理」

「魔術師だよね、リラが信用してるってことは凄腕だよね!」

「凄腕かどうかはわたくしでは判断できませぬが、このなかではもっとも魔法の扱いに長けていると自負しております」

「すごい自負だ……。え、リラ、どこでこんな子みつけてきたの?」

「北の方で拾った」

「拾えるんだ!? 北の方すごい!!」

「わたくしは拾われたのですか……?」

 

 とりあえず、とロッコをマイアから引き剥がし、改めて互いに挨拶をする。

 そうこうするうちに、太陽は完全に大地から顔を出してしまっている。

 

「それじゃ、出発しよーっ! ごーごー!」

 

 ロッコのテンションの高いかけ声のもと、おれたちは門をくぐり、町の壁の外に出る。

 

 

        ※※※

 

 

 キャスレイ家はグクモの町を取り仕切る家だが、この町の貴族家はキャスレイ家だけではない。

 辺境で挑戦したい、とこの町にやってきた貴族家を快く受け入れ、そのちからを借りることで発展してきたのがグクモという町なのである。

 

 エドルから来た老人のように野心のない者ならばともかく、なかには野心家もいたに違いない。

 さじ加減を間違えれば、たちまちに町を乗っ取られてしまっただろう。

 

 そのあたりを上手く差配したのが、ロッコの両親である。

 だが彼らは、熱帯特有の病に倒れ、相次いで亡くなってしまった。

 

 親のあとを継いだロッコは、まず己の武力を誇示し、騎士たちの支持をとりつけたという。

 ちからこそが正義という言葉は辺境においていまだ根強い信仰で、幸いにして彼女にはそれだけのちからがあった。

 

 生粋の貴族と騎士の間には、残酷なほどの地力の差があるのだ。

 加えてロッコは、なぜか実戦の手管に長けていた。

 

 初見殺しの仕掛け武器に、関節技、暗器といった練習試合では普段使われないような手段に初見で対応しただけではない。

 騙し討ちや急所攻撃といった、本気の戦いを想定した攻撃にも笑って反撃し、容赦なく相手を治療院送りにしてのけたとのことである。

 

 なんでだろうね?

 リラの友人というだけで、納得してしまうものがあるんだけど。

 

 そのかわり、彼女、魔法の理論面とかの座学はてんで駄目らしい。

 リラのようにスキップできなかった原因は、そのあたりであるとのこと。

 

 いや、そもそも帝都の学院でスキップというのが非常に稀なことなんだよ。

 メラートの王女はスキップしていないが、それでも稀代の才人であると自他共に認める人物であるし。

 

 ところでここに出てくる全員、なんか性格が破綻している奴ばっかりじゃないか?

 いや、別におれ自身も、いささか偏屈な人間である自覚はあるんだが……。

 

「変人と変人は引き合うんだなあ」

 

 日が西の空に傾きはじめた頃。

 密林のなかの小道。

 

 後方で、黄色い声で騒ぐ彼女たちの話を聞きながら、ぼそりとおれは呟く。

 おれの隣で、青ローブの魔術師がうんうんうなずいていた。

 

「ひょっとして、ご苦労なされてます?」

「はっはっは、ご領主さまをお支えするのが、我ら家臣の務めですので……」

「無茶ぶりとかされてません? ちゃんと文句いった方がいいですよ?」

「はっはっはっは」

 

 乾いた笑い声が森に響く。

 でもまあ、別に彼女が嫌われているわけではなさそうなので、そこはひと安心……なんだろうか。

 

 ここは、町から徒歩で二日ほどの距離にある森だ。

 肉体強化の魔法で駆け続けて、半日もかからずやってきた。

 

 馬車より、騎士や魔術師が走った方が速いのだから、仕方がないのだ。

 そして、おれは肉体強化の魔法が使えない。

 

 よっておれひとり、マイアに抱えられての行軍を実行したのだ。

 残りは全員、自分の脚で街道を駆け抜けた。

 

 ひどく情けない限りだ。

 しかしいまは、外聞を気にしている余裕などないと割り切った。

 

 ちなみにおれを抱えて走る係にはリラとマイアが立候補したのだが、「リラは器用なんだから、手を空けておいてよ」というロッコのひとことが決定的となり、マイアがお姫さま抱っこでおれを運ぶという絵面が生まれたわけである。

 おれとリラの魔力タンクは、騎士たちに背負ってもらった。

 

 かくして、子どもに抱きかかえられて街道を疾駆する中年魔術師という至極情けない姿が披露されることに。

 弟子に抱えられるのと、どっちが情けないかは意見が分かれるだろうが、情けないことには変わりない。

 

 本来なら、リラとマイア、騎士の半分くらいを先行させて、おれは後からゆっくりと赴けばいいのだが……。

 そんな屈辱を味わってでも全員で急ぐのには、理由がある。

 

 カンだ。

 先日の鉄角馬車の一件も含めて三回も悪魔案件に関わったおれのカンは、おれ自身が急ぐべきだと警鐘を鳴らしていた。

 

「本当に悪魔主義者が関わっているのでしょうか」

「わからない。だから、おれのことは万一の事態、最悪の場合に備えての保険だと思ってくれ」

「重要なお役目ですな」

 

 青ローブの魔術師は、真面目くさってうなずく。

 こんな辺境で現場を握る人物だけあって、そこには微塵の油断もみられない。

 

 あの狭い城塞都市で、悪魔退治に関する知識があるのは、おれの他にあとはせいぜい、ご老人が境魔結晶の取り扱いに付随して、程度である。

 おれが現場に行く以外の選択は、実質的にないといっていい。

 

 おれが屈辱的な運ばれ方をする程度で土地と人々の被害が減るなら、是非もなし。

 幸いにして、騎士たちも青いローブの魔術師も、幼い娘に抱えられているおれを笑うことはいっさいなかった。

 

 ロッコはけらけら笑っていたけど。

 あとリラは、なぜか羨ましそうにみていた。

 

「狙撃魔術師が、皆、あなたほど博識であればよかったのですが」

「悪魔を狙撃した経験なんて得るもんじゃないさ」

「帝国がもっと悪魔に関する情報を開示してくれれば……いえ、頭ではわかっているのですがね」

 

 彼のいう通り、適切な情報がなければ悪魔関連の事件に対処することは難しい。

 だが必要以上の情報開示は、逆に悪魔崇拝者に利することとなってしまう。

 

 帝国としても、この件に関しては難しい選択を迫られているのだろう。

 リラの同級生みたいに、無知であるが故に悪魔を召喚してしまったような奴もいるわけだしな……。

 

 結局、彼は己の命で過ちを償うこととなった。

 もっともリラにいわせれば「彼も天才のひとりだったんだよ。普通、無知で悪魔なんて召喚できない」とのこと。

 

 これはロッコも同意していて、「少なくとも、わたしじゃそういうのは絶対に無理」とのことである。

 そのレベルでなければ過ちは起こらない、ということなら、たしかに情報の統制にも意味はあるのだろう。

 

 頭がおかしい奴が頭のおかしいことをするのは、どうしたって防げない。

 だから、そいつらになるべく情報が渡らないようにする、というのが帝国の方針なのだ。

 

 だから頭がおかしい奴らは、限られた情報から自分たちで考察し、実験し、頭がおかしいことを為そうとする。

 その過程で、帝国は頭がおかしい奴らが奇妙なことをやっているという情報を手に入れることができる。

 

 これは、そういう政策である。

 今回、おれたちが情報を入手できたのも、情報統制の結果なのだ。

 

 とはいえ現場の者からすれば「自分たちをもっと信用して欲しい」といいたくなるのもわかる。

 問題は、現場のどこに頭のおかしい奴の目や耳があるかわかったものではない、ということなのだ。

 

 裏切り者がいる、という可能性だけではない。

 頭のおかしい奴であっても魔術師であれば使い魔を持っていて、それを利用している可能性は常にある。

 

 一流の魔術師であれば、盗聴や遠見の魔法を駆使した情報収集を行うことも考えに入れなければならない。

 いまおれたちがいる周囲は、リラが結界を張ってそういうものを防いでいるのだが……。

 

 それだって、「監視の魔法ではみえない、不可視のなにかが近づいて来る」という情報を与えてしまっている可能性がある。

 情報戦とは、そういうものだ。

 

 本気の相手からまったく隠匿するなら、相手が思いもつかない手段をもってするしかない。

 そして、情報戦に長けた相手が思いつかない手段、というのはことのほか難しい。

 

 故にリラもおれも、ロッコも青いローブの魔術師も、そして騎士たちも周囲の警戒は怠っていない。

 ちなみにおれは、左手の中指にはめた赤い宝石の指輪を耳もとに持ってきて、ヤァータの声に耳を澄ませている。

 

 その指輪が、ちかちかと輝いた。

 

「前方右手に三十度、五十歩ほどの樹上に熱量の多い鳥が三羽」

 

 ヤァータの声に、先頭を歩くおれは右手を上げて立ち止まる。

 全員がぴたりとおしゃべりをやめた。

 

 おれは指を三本、ゆっくりと折ったあと、ヤァータの示した方角を指さす。

 無数の枝葉に隠れ、使い魔とおぼしき鳥の姿をここから直接、視認することができないが……。

 

「なにかいるのは、わかるね」

 

 リラが声を落として呟く。

 彼女が展開している対探知の結界によって声は外に漏れないのだが、いちおうは念を入れて、ということだろう。

 

「ししょー、強行突破する?」

「迂回だ」

「もう気づかれてるかもしれないよ」

「気づかれていたら、あんなところに歩哨を配置しない。それにもし気づかれていたとしても、手の内を晒す必要はない」

 

 敵の戦力がわからない。

 そもそも、あの集落が本当になにかを企んでいるとも限らない。

 

 これも、通常の監視網の内かもしれない。

 森のなかに存在する集落、それを狙う魔物など、枚挙にいとまがないのだから。

 

 集落を狙うのは、魔物だけではない。

 野盗のようにヒトの蓄えた財産を狙う者はいつだって辺境にやってくるものだ。

 

「もしおれたちを野盗だと誤認してくれるなら、それでもいい。ご領主さま、それでいいか」

「あ、わたしのことはロッコでいいよ。了解、ししょーさんの指示に従う」

 

 きみはおれの弟子じゃないだろうに。

 リラが「ししょーはわたしのだからねっ」とむくれているぞ。

 

 いやまて、おれはおまえのものでもない。

 というか勝手に師を所有物扱いするな。

 

 おれたちは茂みを割って、別の獣道を探した。

 ほどなくして、それ以上の遭遇もなく。

 

 一行は、集落を見下ろせる丘にたどり着く。

 



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第44話 ひとつ目巨人と竜の姫君3

 丘からこっそりと見下ろす集落は、こじんまりとしていた。

 十軒ばかりの建物と、それらを囲む木組みの柵が、その集落を構成するすべてである。

 

 中央の建物は盛り土の上に建てられていてひときわおおきく、背の高い石の壁で覆われていて中がみえなかった。

 柵を越えて大型の魔物が襲ってくるような有事の際は、あのなかで籠城するのだろう。

 

 その建物を囲む残り九軒は、いずれも簡素なつくりの掘っ立て小屋である。

 壊されてもまた建てればいい、くらいの気持ちでつくられているようだった。

 

「一軒当たり五、六人として、人口は五十から六十人といったところか」

「ええ、そんなものでしょうね」

 

 青いローブの魔術師がおれに返事をする。

 丘の上の茂みに隠れ、しばらく観察してのことだ。

 

 中央に住む騎士一族の人数によっては、もう少し増えるかもしれない。

 たぶん、この地の主戦力は騎士一族だろうから。

 

 小型の魔物ならともかく、ある程度の魔力を持っていなければ、中型以上には太刀打ちできない。

 エドルの熟練した狩人には魔力を持たずにトロルを狩るような猛者もいたが、あれは罠も利用した例外だからなあ。

 

 そういった狩人であっても、トロルより更に大型の魔物からは逃げる他ない、といっていた。

 特に集団戦において、魔臓持ちの数こそが戦力である。

 

「具体的な数を把握していないのか?」

「税を納めさせているわけでもありませんしねえ。そのかわり、あれらの集落になにかあっても我々は関知いたしません」

 

 なるほど、勝手にやってくれ、ということか。

 無論、協力できるところは協力するのだろうが。

 

 エドルの場合は、周辺の村と城塞都市エドルとの間できっちりとした上下関係ができていた。

 あれは村々の主要産業が農業であり、エドルに税を納めることで庇護を得ることにお互いが利点を感じていたから可能な関係である。

 

 グクモとこの集落の場合は、また話が変わってくる。

 グクモは最前線で活動する狩人たちの稼ぎが主要産業であり、集落の方も畑はこじんまりとしていて、お互いに自活できているのだ。

 

 無論、多少の交易はあるだろう。

 だがそれは、おおむね対等な取引である。

 

 グクモの領主が強気に出て集落を支配下に置き搾取する、という構造をつくることも可能ではあろうが、現在のところ領主一族はその方法をとっていない。

 単純に、かかる労力に比例した成果を挙げることが困難であろう、と予測しているのだろう。

 

 同じ帝国の最前線といっても、さまざまな事情があり、それらの事情に即した統治の形態がある。

 帝国は、中央のやり方を細かく押しつけたりはしない。

 

 いや、歴史上は押しつけていた時期もあった。

 だがそれは上手くいかず、結果的に国力の減衰に繋がり、次の代で大幅な刷新が行われたようである。

 

 帝都の学院における基礎教養の講義で、このあたりは入学したてに学ぶ事柄なのだ。

 皇帝陛下も過ちを起こす、だが帝国には過ちを認め改めるちからがある、故に臣下の価値が問われるのであると。

 

 他の国ではこういう風には歴史を学ばないらしい、と知ったのは狙撃魔術師として各地を巡ってからのことである。 

 王は無謬であり、神聖にして不可侵であり、臣下は王に従っていればいい、と教える国が大半であるとのことだ。

 

「それは国に本当のちからがないからじゃないか」

 

 若きころ、他国でそういったら、「帝国出身者は傲慢だ」と怒られた覚えがある。

 いまとなっては、うん、傲慢でごめんね、帝国にも欠点はいっぱいあるから……と恐縮することしきりだ。

 

 それはさておき(だってじじつなんだもん)

 現領主たるロッコは遠見の魔道具で集落を観察し、「流れ者が多いね」と告げた。

 

「うちの町の人間じゃない、明らかに外から来た人たちが中央の建物と外の建物を行き来してる」

「商人ではなく、ですか?」

「ものごしが騎士のそれだわ」

 

 騎士のひとりが訊ね、ロッコは首を横に振る。

 

「まあ、商人の護衛兼荷物持ち、とかかもしれないけど……それにしては腕が立つヤツが、複数」

「よくそこまでわかりますね」

「勝てる相手かどうか調べなきゃ、ちゃんと討ち入りできないでしょ。戦力把握は殴り込みの基本よ」

 

 なんでこの少女、討ち入りのノウハウに詳しいんですかね。

 ちらりと横に立つリラをみれば、うんうん、とうなずいている。

 

 どこかの王女といい、こいつらほんと、帝都の悪い部分に適応しすぎだ。

 それがこうして領主としての仕事の役に立っているのだから、難しいところだが……。

 

「マイア、ここから境魔結晶の放射はみえるか?」

「いえ、まったく」

「まあ、きっちり遮蔽されていたらわからんか……」

 

 ヤァータではみえない、境魔結晶の特殊な放射。

 それをマイアに確認させるのも、ここにおれたちが来た目的のひとつである。

 

「あ」

 

 とそのとき、リラがぽんと手を叩く。

 彼女は自分の魔法で視覚を拡大し、集落を観察していた。

 

「ひとつ目巨人だ」

「うん?」

「あ、えっと、ひとつ目巨人をやってたひと。役者さん。あそこ、荷物を中央の壁の内側に運んでるひと」

 

 ひょっとして、マイアが夢中になってた歌劇の?

 マイアが「たしかに、あの役者の方ですね」と肯定する。

 

「あの方にも、わたくしの書いた続きを読んでいただきたい」

「え、続きって? っていうかお芝居がどうしたのさ」

 

 話についていけないロッコがきょとんとしている。

 無理もない、聞けば彼女、最近は仕事漬けで、劇団のことは広場の許可を出した以外なにもしらなかったとのことである。

 

「それはいまいいからね、マイアちゃん。あのひともお仕事が忙しそうだし」

「道理」

「劇団……たしかに、疑われず帝国の各地を移動できるな」

 

 おれの呟きに、全員の視線が集まった。

 

「ですが、ひとつ目巨人は心根の優しい方です。無私の心でもって姫を助けたあの者が、悪魔の召喚に関わるなど……」

「マイアちゃん、マイアちゃん、役者とお芝居は別だよ」

 

 リラがマイアの手を引き、後ろの方でこんこんと諭しはじめた。

 うん、あっちは任せておこうか。

 

 で、こっちの方は、と……。

 騎士たちと話をしていたロッコが、おれと視線を絡めてくる。

 

「ひとまず、例の劇をみていた騎士に聞いたわ。劇団の者が何人か、あそこに混じってるって」

 

  うーん、これは……まさか、ね。

 

 

        ※※※

 

 

 そもそも、おれたちの一行がこの集落にやってきたのは、ヤァータの偵察によって微弱な空間の歪みが感知されたからである。

 そのうえで集落についての情報を集めたところ、怪しいところがいくつも出てきた。

 

 閉鎖的な集落らしい。

 なのに、外部の者……劇団の構成員が何人もここにいる。

 

「事前の情報と違いますね」

「うん、きな臭さアップだねぇ」

 

 青いローブの魔術師が呟き、ロッコが肯定する。

 都市の長がここにいる以上、正式な外交の一環として、集落を訪問するという手も使えなくはない。

 

 だが、それをすれば、最悪の場合、相手が暴発する可能性もある。

 鉄角馬車の内部で悪魔を召喚しようとした馬鹿のように。

 

 普通はそんな可能性まで考慮しないんだけどね。

 こいつらがあの馬鹿のお友達なら、ってことでさ……。

 

 現在、集落はおれたちに気づいていないようだ。

 気づいていたら、劇団員を外に出すなんてことをして、おれたちに手がかりを与えたりしないだろう。

 

 ならば、このまま相手に気づかれぬよう、ことを進めるべきである。

 簡単な議論の結果、そういう結論になった。

 

「あとは、どこまでやるか、を決めておきたい。当初の予定通りに偵察だけで済ませるか、行けるところまで行くか」

「潰す方向でいこう!」

 

 おれの問いに対して、ロッコが元気に返事をした。

 え、いいの?

 

「潰した後に調査すればいいでしょ。だってこれ、絶対、ヤバいことが出てくるって」

「うわー、短絡思考」

 

 リラがちゃかすものの、ロッコはわりと本気の目で「それが、町を守るためのいちばんの安全策だもの」と告げる。

 

「わたしは、町を守るためならなんでもするよ。当主になるっていうのは、そういうこと」

「そっかー、お貴族さんだねぇ」

「リラは嫌いだよね、貴族」

「嫌いなのは責任とか義務とかがわたしに降りかかることだけだよ。ロッコが勝手にやるなら、わたしはそれを応援する。責任でも義務でもなく、自分の意思で、ね」

 

 と、背の高い木に登っていたマイアが、ぴょんと飛び下りると小走りに駆けてきた。

 彼女には、狙撃用の魔力タンクを置けるような場所、それでいて集落全体を見下ろせ、相手からは発見されにくいような場所がないか調べて貰っていたのである。

 

「少々、距離は離れてしまいますが、あちら側の森に小高い丘がひとつ。ですが、狙撃の際は何本か木を切り倒す必要があるでしょう」

「それは問題ない。事前に仕込んでおいて、直前に狙撃ルートをつくるのは常套手段だ」

 

 この丘は、いささか集落から近すぎた。

 警戒心の強い集落であれば、数日にいちどくらいは巡回の者が来てもおかしくはない。

 

 いまは偵察として来ているが、見張りの騎士を残してすぐにこの場を離れるつもりである。

 ここに魔力タンクを置くのは、リスクが高い。

 

 幸いにして、マイアがみつけてくれた丘は集落の北側で、巡回の者もそうそう入ってこないような場所にある。

 ここなら、安全に魔力をタンクに貯めることができるだろう。

 

 魔物に襲われるという危険はあるが、そこはまあ……今回、マイアがおれのそばで待機することになっている。

 そもそも、おれが魔力を貯めるのも、万が一を想定してのことだしな。

 

 出番がなければ、それでいい。

 リラには今回、ロッコと共に実働部隊にまわってもらうし。

 

 騎士が十人に、魔術師が三人。

 ひとりの騎士が代表を務める集落ひとつを潰すにしては、だいぶ豪勢な戦力といえる。

 

 まあ、あそこが本当に、ただの集落なら、の話であるが……。

 リラに、彼女が戦力としては自分と同格というロッコまで揃っているなら、おおむね問題ないだろう。

 

 ロッコは最初、リラをおれの護衛として配置しようとしたのだが……。

 リラは少し考えたすえ、ロッコに同行することを希望した。

 

「師匠は、マイアちゃんひとりで充分。それより、ロッコちゃんの方が心配だよ」

 

 夜の間にもう少しいろいろ調査して、突入は明日の朝方、ということになった。

 おれは狙撃ポイントで、夜通し魔力タンクに魔力を注ぎ込む。

 

 竜を退治するわけではないのだから、たいした魔力は必要ない、はずだ。

 今回はそもそも、おれの出番なんてないはず、すべては念のため、だからな……。

 

「マイアちゃん」

 

 マイアと共に狙撃ポイントに向かう直前。

 リラが呼び止めた。

 

「師匠のこと、頼んだよ」

「承知」

 

 いつものことだけど、おれは守られる側だなあ。

 



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第45話 ひとつ目巨人と竜の姫君4

 月のない夜だった。

 満天の星空だ。

 

 しかし星々の頼りない明りだけでは、森のなかを見通すことが難しい。

 おれはいちおう、眼鏡型の暗視の魔道具をかけていた。

 

 魔力の消費が非常に少ない、狙撃魔術師が愛用するタイプだ。

 それでも、小高い丘の上でおれと少女ひとりというのは、気持ち的にひどく心細いものがあった。

 

 いやまあ、その少女は野生の大魔術師なんだけども。

 そこらの魔物どころか、騎士が小隊を組んで襲ってきても、彼女には敵わないだろう。

 

 たぶんこの場に寝っ転がっていても、おれは安全である。

 実際に、マイアはおおむね魔力タンクのそばに座っているのだが、時折立ち上がっては姿を消し、またすぐ戻る、ということを繰り返している。

 

 丘に近寄る、おれに害を為す可能性がある生き物の気配を感じとり次第、適宜、排除してくれているのだ。

 魔物だけではなく、毒蛇などの害獣も、だ。

 

「手間をかけるな」

「あなたが脆弱であることは、よく承知しております。心配せずとも、あなたが魔力を貯める間、害意あるものには舌一本、触れさせませぬ」

 

 暗闇で赤い双眸を爛々と輝かせ、マイアは落ち着いた様子でそう語る。

 

「味方であるあなたが、いざというときどれほど頼りになるか、よく存じておりますれば」

 

 おれ、きみの前で狙撃したことないけどね。

 鉄角馬車での悪魔騒動のときも、彼女はその場にいなかった。

 

 あー、でもリラからいろいろ聞いていたりするのか。

 そんな彼女は、時折、他の者たちの動向も知らせてくれた。

 

「ロッコ殿は見まわりの兵を捕らえ、尋問しております。集落の者たちは、やはり、出身を偽ってこの地に集まったとのこと」

「出身……いったい、どこから?」

「東方の小国のようです。隣国の侵攻を受け、落ち延びた王族とその護衛、それが彼らであると語っておりました」

「王族と、そのとりまきか……。そんな奴らが、何故、こんなところに」

「彼らは、帝国に強い恨みを持っているようです。故国の侵攻の背後には帝国の暗躍があったと確信している様子」

「まあ、それはありそうな話だが」

 

 東方の小国群は、西の帝国と東の大国の狭間にある緩衝地帯である。

 ふたつのおおきな国同士の思惑が複雑にからみ、翻弄される立場にある。

 

 帝国も、かの地には多くの諜報を放っている。

 直接、間接を問わず、さまざまな干渉を行っていることは想像に難くない。

 

 政治とは、そういうものだ。

 だからおれは、政治になんて関わりたくないのだ。

 

 貴族なんて、ろくなものじゃない。

 マイアと、そういったことを話した。

 

「関わりたくない、という意思には強く同意いたします。しかし、あなたもわたくしも、こうして渦中にいる」

「すまないな」

「なぜ、謝るのです?」

「関わったのは、おれのわがままだ。きみまで巻き込んでしまった」

「それは違います。わたくしは、望んでここに来ました」

 

 マイアは言葉を切り、天をみあげた。

 夜空に無数の星々が瞬いている。

 

 ヤァータによれば、あれらの星のひとつひとつが、この大地を照らす太陽と同じようなものであるという。

 そして、あれらの星のいくつかには、この世界のような豊かな大地が存在し、ひょっとしたらおれたちと言葉を交わせるような知性体がいるのであるとも。

 

 無論、マイアはそんなことは知らないだろう。

 彼女が星をみあげて、なにを想うのだろうか。

 

「本音を申しますと、知りたかったのです」

「知りたかった? なにを?」

「悪魔を召喚する、などという愚かな行為を、なぜ彼らは選ぶのか。わたくしは、それを知りたいと願いました」

 

 悪魔崇拝者の考え方を学んだところで、百害あって一利なしだと思うんだが。

 この少女、時々、善性の塊みたいな考え方をするんだよなあ。

 

 強大なちからを持つ、無垢な存在。

 それがこの、少女の姿をした魔術師なのだ。

 

「ひとつ目巨人も、その国の出だそうです」

「ああ、例の劇団員のことか。やっぱり、くだんの劇団は全員……」

「ひとつ目巨人は姫を石化から解いた後、姫の今後を案じてひとりで去ろうとしました。なぜ、ひとつ目巨人はこのような愚かなことに手を貸すのでしょうか」

「役者と役をいっしょにすると、頭がこんがらがるぞ」

「理屈ではわかっているのですが……わたくしは、かの演劇を、お話を、良いと感じました。感動、というのだそうです。リラが教えてくれました。なのに彼は……わたくしに感動を与えてくれた彼は、どうしてその気持ちを……」

 

 困ったな。

 この子、生まれてからこのかた、ほとんど物語に触れて来なかったせいで、虚構に対する耐性がないにもほどがある。

 

「ひとの気持ちが単純なものではない、と理屈ではわかっているのです。歴史は、そう語っています。語り部は、歴史上の人々の気持ちも語るのです。わたくしは彼らの語りを、ひとつ残らず覚えております」

「歴史については習っているんだな」

「ええ。父は、わたくしを己の後継者となるよう鍛えてくれました。父だけで足りない分は、父の知己を頼りました」

 

 そこだけ聞くと、いい父親なんだよなあ。

 まあ、これもまた、ひとは一面だけで判断することができない、ということなんだろうけども。

 

「昔、王子がいました。彼は父である王から次代の王と期待され、厳しく鍛えられました。しかし王子は、王を逆恨みし、王と敵対する勢力と組み王を破滅させました」

「なにかの物語か?」

「歴史です」

 

 実際にあった出来事、という意味だろう。

 

「わたくしは思いました。なんて愚かな王子なのだろう。わたくしには王子の気持ちは理解できない、と語り部にいいました。語り部は『それなら、それでよいのだ。いまは、そういうこともある、と心の片隅に留めておくだけでいい』と語りました」

「実際に、きみはずっとそれを覚えていた」

「わたくしはすべての出来事を記憶しております」

 

 完全記憶能力か。

 一部の魔術師が、秘儀としている魔法のひとつらしいが、詳しいことはよく知らない。

 

「以前、わたくしには弟がいる、と語ったことがありますね」

「ああ、聞いたことがある」

「弟のことは、大切に思っていたつもりです。父が亡きあとは、なおさら。ただひとり残った肉親でしたから」

 

 夜空をみあげたまま、少女は語る。

 

「弟は、いささか粗暴で、理性に欠ける嫌いがありました。故にわたくしは、厳しくその行動を制限しました。いつの日か、己を律することができるよう、その日まで、と。しかし弟は、わたくしにあれこれと命じられるのが、よほど嫌だった様子。あるとき、わたくしの棲み処から、その姿が消えておりました」

「そう、か」

「人里に下りた弟は、そこで揉め事を起こし、殺されました。わたくしの庇護下から離れればいずれはそうなると、わたくしにはわかっておりました。ならば、もっと厳しく弟を拘束すればよかったのでしょうか。弟がどれほど嫌がっても、それでも」

 

 なにも返事ができなかった。

 彼女もまた、返事を求めての発言ではない気がした。

 

「弟を失い、わたくしは、ひとりになりました。三日三晩、考え、わたくしは父を逆恨みした王子の歴史に思い至りました。やはり、わたくしには王子の考えも弟の考えもわかりません。ですが、同じことが起きたことだけは理解できました。わたしの行動は正しかったのか、もっといい方法があったのか、いまでもわかりません」

 

 わかったとしても、それはどうしようもないことなんじゃないか。

 そういおうとして、しかしそれは、言葉にならなかった。

 

 マイアは、おれと視線を合わせない。

 ただ、星空を眺め続けている。

 

「わたくしは知りたいのです。ひとつ目巨人と姫君の行いに、なぜわたくしは心を動かされたのか。わたくしはなぜ、演劇の続きの物語を書こうと思ったのか。わたくしが書いた物語のなかで、ひとつ目巨人と姫は、誰にも受け入れられない。どうして、わたくしはそのような物語しか思い浮かべられないのでしょうか」

 

 彼女のなかで、ゆっくりと芽生えかけているものがある。

 その萌芽に、彼女自身が気づいている。

 

 同時に、彼女は戸惑っているのだ。

 溢れ出る感情の制御に、ひどく苦心している。

 

 この集落に彼女を連れてきたのがよかったのかどうか、おれにはわからない。

 だが彼女は、そのちいさな身体で苦しみながらも、己の答えをみつけ出そうとしていた。

 

「マイア、ひとつ聞かせてくれないか」

「なんなりと」

「弟は殺された、といったな。きみはそのとき、殺した奴を恨まなかったのか」

 

 マイアは視線を下ろし、おれをみつめた。

 ルビーの双眸で、じっと、じっと。

 

 なぜだか、ひどく落ち着かない気分になった。

 やがて少女は、ふっとまた目をそらして、天をみあげた。

 

「一時は、恨みました」

 

 ぼそりと、ちからなく呟いた。

 彼女の感情が、なぜだか伝わってくる。

 

 どうやらこの少女は、そのことをたいへんに恥じているようだった。

 ひとがひとを恨むことなど、当然あってしかるべきだとおれは思うのだが……。

 

 なんだろうか。

 この違和感は。

 

「ですが、その者は弟の過ちの始末をつけただけのこと。わたくしが恨むのは、筋が違うのです」

「それで、割り切れるのか」

「割り切らなくては、わたくしは己の信条を曲げることになります。それはわたくしがわたくしでなくなるということです」

 

 なる。ほど。

 この子の行動の規範は、いっけん奇妙だが、しかし徹底して、彼女なりの合理性に満ちているのだ。

 

 はたして、おれの沈黙をどう捉えたか。

 マイアはおずおずと「それとも、ここは神に誓うべきであったでしょうか」と訊ねてくる。

 

「いや、別にそこは、好きにすればいいんじゃないか。おれはなにかを神に誓うほど敬虔じゃないし、かといって徹底して己を律することができるほど強い意志もない」

「あなたは、充分に強い意志の持ち主だと思いますが……。そこは置いておきましょう」

 

 そうしてくれると助かる。

 この子がおれみたいな奴になる必要はないのだ。

 

「どのみち、それはもうよろしいのです」

 

 そう語りながらも、マイアは天をみあげたままだった。

 夜の森を風が吹き抜け、枝葉のこすれる音と蟲の音が鳴り響く。

 

「きみは自分なりの強固な価値観を持っていて、しかもそれを現実と、帝国の価値観とすり合わせようと努力できる。たいしたことだと、おれは思う」

「そういってくださると、安心いたします」

 

 しばらくまた、沈黙が続いた。

 時折、マイアが動く気配があって、彼女の気配が消えて、また戻ってくる。

 

 丁寧で、完璧な仕事だ。

 そしてまた、時折、本隊が得た情報を提供してくれる。

 

「尋問の結果、更なる情報が得られました。彼らの主は、彼らに対してひとつの約束をしました。必ず、帝国を滅ぼしてみせると。彼らは皆、その大儀のためにこの地に集った様子です」

「祖国をとり戻す、じゃないんだな」

「祖国は草の根も生えないほど蹂躙され、なにも残っていない。もはや過去はとり戻せない。これはすべて、帝国のせいである。故に帝国を滅ぼす。彼らの主張は、以上の通りです」

 

 不毛すぎる。

 なにより迷惑すぎる。

 

 無論、彼らの怒りと慟哭をおれが理解できるなんてことは、口が裂けてもいえない。

 絶望と諦観の果てに、暗い復讐に走るというのも、理屈ではわかる。

 

 だからといって、これを放置できるはずもない。

 まあ、おれたちが放っておいても、いずれ帝国の方でなんとかするだろうが……。

 

 そのときには、相応の被害が出ているだろうからなあ。

 

「すでに、彼らの計画の準備はほぼ整っている、とのことです。巡回が帰還しなければ、集落全体が警戒態勢に入るでしょう」

「いつ決行してもおかしくないってことか」

 

 被害を最小限に抑えられる場所にいるのは、おれたちだけなのだ。

 いま、ここで、やるしかないという証拠が出揃ってしまった。

 

「それに伴い、ロッコ殿は作戦の開始を早めることを決定しました。夜明けを待たずに突入するとのこと」

「そうなるか」

 

 援軍を待つ余裕はない、と判断したということだ。

 同時に、自分たちだけで片づけられる相手である、とも。

 

 本隊は、優秀な魔術師が三人と騎士が十人。

 相手の王族が相応のちからを持っているとしても、充分になんとかできる戦力ではある。

 

「おれとしては、できれば魔力の充填にもう少し時間をかけたいところなんだが」

「あなたはあくまで予備計画、無理はなさらぬように、と承っております」

 

 そうなんだよな。

 おれの仕事は、本隊が失敗した場合の尻拭いだ。

 

 本隊がすべてを上手くやってしまえば、なんの問題もない。

 彼女たちの実力から鑑みて、手際よくやってしまう可能性の方が高い。

 

「マイア。勝利条件を変えよう」

「勝利条件、ですか」

「きみが書いた物語のことだ。姫と巨人は町に受け入れられず、あてどもなく彷徨う、ときみは書いた」

「はい」

「では、きみが思い描くふたりの勝利条件はなんだろうか」

 

 マイアが、またも天を仰いだ。

 夜空に輝く無数の星々の光は、ひどく頼りない。

 

「ふたりは、幸せになるべきだと考えます」

「その幸せを、具体的にはどう表すべきだろうか」

「ふたりが子を為し、末永く共に生き、どちらかの寿命による死を看取る。歴史の講義をしてくれた語り部は、民の幸せ、という語をそう表現しておりました」

 

 なるほど、民の、か。

 無論、為政者の立場から記述すれば、また違う表現が生まれるだろう。

 

 姫にはもはや民はいない。

 巨人に部下はいない。

 

 だからふたりの幸せは、必然的に民の幸せになる。

 彼女は、おそらくそのように思考したのだ。

 

「ですが」

 

 しかし、少女は続ける。

 賢い彼女は、思考をそこで終わらせない。

 

「それは、ふたりだけでは難しい。巨人だけなら、まだなんとでもなりましょう。ですが姫には、難しい。姫はヒトに傅かれて生きるものです」

「そう、かもな」

「それに、巨人とて、無数のヒトに襲われては敵いません。ヒトの群れが襲ってくれば、逃げるほかありますまい。ふたりは、生きる限り逃げ続けることとなります。ヒトの群れから離れるとは、そういうことです」

 

 ヒトがふたりを襲う、ということは彼女にとって前提なのか……。

 いや、そうか、彼女がみる帝国とは、まさにそういう存在だ。

 

 限りなく膨張していく人類の生息圏。

 傲慢に増長していくヒトの群れ。

 

 その外に生きているモノたちは、ヒトに立ち向かって躯となるか、ヒトから逃げるか。

 あるいは。

 

「きみの書く物語の続きを楽しみにしている」

「承知」

 

 少女は、ゆっくりとうなずく。

 ためらいがちに、しかし、ちから強く。

 




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第46話 ひとつ目巨人と竜の姫君5

 おれとマイアは、丘の上で待機を続けている。

 マイアは魔法で前線の者たちを監視しているし、おれはおれでヤァータをリラたちの見張りにつけていた。

 

 左手の中指にはめた赤い宝石がちかちか光った。

 ヤァータからの連絡だ。

 

 リラたち十三人が移動を開始したという。

 夜陰に紛れて集落へ近づくためだ。

 

 巡回を捕まえてしまった以上、夜明けまで待っていてはこちらの存在を気づかれる。

 その前に勝負を決める、と判断したロッコは、おそらく正しい。

 

 問題は、相手側の戦力だが……。

 巡回の者を尋問した結果、おおむね手間取ることはなかろう、と推測されている。

 

 相手側もこの程度の集落としてはなかなかの戦力であるが、こちら側はなにせ貴族級の魔術師が三人と騎士十人、むしろ過剰といえるだろう、と。

 ヤァータも、それに同意している。

 

 鉄角馬車のとき悪魔召喚を許してしまったときのような、自爆覚悟の無謀な試みに走ることをこそ警戒せねばならない。

 そのための、即断と速攻だ。

 

「集落を囲む柵の罠を解除、集落内部に侵入しました」

 

 ヤァータが逐次、報告を入れてくれる。

 同時にマイアが「リラが柵に仕掛けられていた警戒の魔法を解除、帝国とは違う術式に感心しております」と補足を入れてくれる。

 

 なおマイアは最初、赤い宝石の指輪から聞こえてくるヤァータの声に驚いてしげしげ眺めたあと、「カイヤンの波動ですね」と呟き、なにやらひとりで納得していた。

 待ってなにそれ、と聞きたい気持ちをぐっとこらえる。

 

 実際のところ、この赤い宝石の指輪は、ヤァータから貰った、魔法ではない別の技術の産物なのだ。

 カイヤンさんとかいう知らないヒトは、たぶん関係がない、はずである。

 

「集落の内部、熱源探知の結果、いずれも無人。中央に集まっているものと思われます」

「ヤァータ殿、壁の内側を先行して偵察できますか?」

「可能です」

 

 おれの左手に顔を近づけ、勝手にヤァータと会話を始めるマイア。

 それに対して平然と返事をするヤァータ。

 

 おいこら、ヤァータはおれの使い魔ということになっているんだが?

 マイアは、やたらとヤァータを気にかけていてカラスの身体を撫でまわすのが好きだったから、いまさらの話ではあるのだが……。

 

「ご主人さま、いかがいたしますか?」

「ヤァータ、やってくれ」

「かしこまりました」

 

 ヤァータはおれの指示を仰いだ。

 形式上のもので、あいつは動くときには勝手に動くのだが、今回はマイアという部外者の目があるが故、ということだろう。

 

 月のない夜である。

 星空の明かりはあるとはいえ、真っ黒なカラスの姿を視認することはほぼ不可能。

 

 集落の中央、おおきな屋敷を囲む高い石壁の内側へ入り込むことは容易と思われた、が……。

 赤い宝石が、ちかちかと輝く。

 

子機(ドローン)で上空から侵入しようとしたところ、弾き返されました。壁の上方に不可視の力場が形成されている様子です」

「この情報は前線と共有してくれ」

「承りました」

 

 ヤァータの方で、リラたちに伝えてもらう。

 こういうとき、エドルのブラック・プティング戦で使われていたような伝声の魔法(メッセージ)があればいいのだが、あいにくとこの辺境では専用の魔道具が手に入らないとのことだ。

 

 ロッコによれば、そもそもそんなものが必要な軍事行動自体、もうだいぶ長いこと行われていないらしい。

 中型の魔物の討伐程度なら、後方と前線の情報共有とかもそこまで必要がないから、それも納得ではある。

 

 軍事作戦のなかで狙撃魔術師を効率的に活用するなら、必須に近いと思うんだが。

 帝国全体では、未だ狙撃魔術師を戦術的に運用するためのノウハウが貯まっていないのだろう。

 

 つくづく、運用の難しい職分だとは思う。

 だからこそ、腕のいい狙撃魔術師ほど役割を特化させた複数名で行動する。

 

 そういった組織のなかでだけ通用するノウハウを貯め込み、外部には情報を提供しないとか……。

 そういう問題も起きているとは、ときどき聞くのである。

 

「強硬手段に出るようです」

 

 マイアがいう。

 

「ロッコ殿が中央を囲む壁に手を突いて……ふむ」

 

 次の瞬間。

 轟音が、遠く離れたおれたちがいる丘にも届いた。

 

「壁の一部が粉々に粉砕されました。素晴らしい破壊力ですね」

 

 指輪の赤い宝石がちかちかと輝く。

 あの石壁、それなりの魔物の襲撃に備えたものだから、トロルの突進くらいじゃ破壊できないはずのシロモノだと思うんだけどなあ。

 

 あの歳で、領主となってから部下をちからで抑え込んだというだけはある。

 リラの友人だけあって、暴力に関しては文句なしだ。

 

 ともあれ、これで侵入は相手側にバレた。

 ここから先は時間との勝負だろう。

 

 ヤァータはリラたちと共に、壁の裂け目から内部に突入する、とのことだった。

 ところが。

 

 その報告を最後に、赤い宝石は沈黙してしまう。

 なんど呼びかけても、宝石をトントン叩いても駄目だ。

 

「ヤァータと連絡がつかなくなった」

「わたくしの魔法でも内部を見通すことができなくなりました」

「結界かなにかか」

「おそらくは」

 

 マイアでも駄目となると、完全にお手上げだ。

 もとよりおれとしては、ここで魔力タンクに魔力を込めながら、ただ突入部隊の無事を祈るしかないのだが……。

 

 ほどなくして。

 何度か、地面がぐらぐらと揺れた。

 

 マイアが顔をしかめ、「時折、強い波が壁の内側から溢れ出てきております」と告げる。

 はたして壁の内側では、なにが行われているのか。

 

 おそらく、リラたちが激しく戦っているのだろうが……。

 こういうとき、己のちからのなさが恨めしい。

 

 無駄に帝都で修羅場をくぐっていたらしいリラのことだ、心配はしていない、が……。

 特異種のトロルが相手のときのように、不測の事態というのはいつだってありえるものだ。

 

 そのときおれが目の届く場所にいたとして、なにかできるとも限らない。

 だからといって、なにもわからない、というのはもどかしい。

 

「最悪の場合を想定して、待機を続けよう」

「最悪の想定、とは?」

「突入部隊が集落のたくらみを阻止できず、その試みが成功してしまうこと、だな」

「ロッコ殿たちが全滅するという想定は?」

「その場合、おれたちがバックアップに残っていても無駄だ」

「――道理」

「あいつらが罠にはまったなりなんなりで撤退するなら、それを援護する。それも不可能なら、おれを抱えて全力で逃げてくれ」

 

 その場合、おれたちがやるべきことは、即時の帝国中央への連絡である。

 おれを囮としてマイアに都市部まで駆けてもらい、帝国軍にことの次第を報告してもらう、という選択もいちおうは考えられる、が……。

 

 囮というのは、それにより時間を稼げなければ意味がない。

 敵に発見されたおれなんて、ぷちっと一瞬で潰されて、なんの足止めにもならないのだ。

 

 とはいえ、そうなる可能性は薄いとおれは考えていた。

 向こうにはヤァータもいる。

 

 と――そのヤァータが、闇夜から舞い降りてマイアの頭の上に着地する。

 あー、こいつは……。

 

「別の個体、ですね」

 

 頭の上のヤァータを掴み、胸に抱いて撫でながら、マイアが告げる。

 この子にはわかるんだな、そのへん。

 

 ヤァータは肯定するように、ひとつ、かぁと鳴いた。

 迷惑そうにマイアの腕のなかでもがいているが、少女はカラスの身体を撫でることに熱心で、いっこうに辞める様子がない。

 

「以前の個体との通信が途絶したため、別の個体を派遣いたしました」

「そのへんのこと、この子の前でしゃべっていいのか」

「緊急事態と判断いたします」

 

 まあ、それはそうなんだが。

 マイアの方をみれば、少女はきょとんとした様子でおれに視線を向けてくる。

 

「この使い魔が普通ではないことは、ひとめみてわかります。心配せずとも、口外はいたしません」

「理解が早くて助かるよ」

「誰しも、語れぬ秘密がありましょう。わたくしは、そこに踏み込まぬこともまたコミュニケーションであると理解いたします」

 

 そうなのかな?

 そうかも。

 

 新しいヤァータが、なぜか天を仰いでいる。

 普段、超然としているこいつにもいろいろ悩みがあるのだろう。

 

「ヤァータ、おまえのちからで集落の中心部を囲む結界を破れるか?」

 

 マイアから言質をとったなら、ここでヤァータのちからを出し惜しみする意味もない。

 高い高い空に浮かんでいるというこいつの分身体には、想像を絶するちからがある。

 

「本艦の主砲を起動した場合、ご主人さまの身の安全が保証できません。加えて、それであの結界を破れるかどうかも不明です。魔法についてはまだ未知の要素が多い故、ご了承ください」

 

 駄目でもともとの提案だったが、やはりそういう返答になるか。

 まあ、最初から期待はしていなかった。

 

 こいつなら秘密兵器のひとつやふたつは保持していそう、というカンだったのだが……。

 たとえそんなものが存在していたとしても、この場面で使う気はない、ということかもしれない。

 

 ヤァータの秘密主義はいつものことだ。

 口ではご主人さま、とおれのことを敬っているフリをしていたところで、こいつに本来の行動の指針、骨太のなにかがある、というのは常々感じていたことである。

 

「艦」

 

 だが、その言葉にマイアが別の反応を示した。

 

「船、ですか。しかも主砲。ヤァータ殿……なるほど、興味深い。いえ、失礼。いまそれを探るのは良いコミュニケーションとはいえませんね。反省いたします」

 

 考え込む少女だが、すぐ首を横に振って己の言葉を打ち消す。

 著しくコミュニケーションという言葉を勘違いしている気がしてならないが、いまはそれについても置いておくことにしよう。

 

「ご主人さま、撤退を進言いたします」

「駄目だ。リラたちが内部で戦っている。いや待て、そういうってことは、なにが起きた?」

「集落の内部から発生した異常な重力波を感知しました」

 

 おれは思わず舌打ちしていた。

 異常な重力波、すなわち空間の歪みの前兆だ、と以前にヤァータから聞かされていたからである。

 

 それはすなわち、境魔結晶を触媒としたなんらかの魔法の発現、その兆候に他ならない。

 今回の場合、想定される事態とは……。

 

 魔界との通路の開通。

 つまり、悪魔の召喚である。

 

 次の瞬間。

 集落の方角で、巨大な火柱があがった。

 

 紅蓮の炎が漆黒の空を焼き焦がす。

 いくつかの輝きが、宙を舞う。

 

 輝きは、十数名のヒトだった。

 おれの目は、そのなかにリラの姿があることをしっかりと捉えていた。

 

 表情まではわからない。

 だがその様子から、焦っていることは理解できる。

 

 リラが、ちらりとこちらをみた。

 口もとが動く。

 

 師匠、逃げて、と。

 そういっているような気がした。

 

 安堵する。

 ともあれ、生きて脱出できたなら最悪ではないのだ。

 

 いまリラたち三人の魔術師は、十人の騎士たちを白く輝く半透明の球に閉じ込めたまま宙に浮かせ、その球に張りついて飛んでいる。

 ロッコと彼女の部下の魔術師は着ているローブがぼろぼろ、満身創痍の様子で、いささかぐったりしていた。

 

 リラは特段の怪我もなさそうだが、親友たちと遠くのおれを交互にみている。

 おれは彼女がこちらをはっきりと視認しいることを確信し、せいぜい自信満々にみえるよう、ちから強くうなずいてみせた。

 

 我が弟子は、少しためらったあと首を横に振り……。

 そのまま、空中の彼女たちが集落から遠ざかる。

 

 みるみるうちに、その姿は空の彼方に消えていく。

 おれの回収より後退を優先してくれた。

 

 戦術的に正しい。

 こちらにはマイアがいるのだから、その方がおれも助かる。

 

 こうなったら、鉄角馬車のときと同じように、ヤァータのサポートのもと、開いたばかりの魔界との通路を狙撃するしかないだろう。

 観測データを頭のなかに叩きこんでもらい、ヤァータの演算能力を頼りにすれば、多少おれの身体に負荷がかかるだろうが――そんな皮算用をしていたところ。

 

「子機との通信が回復」

 

 ヤァータが告げる。

 

「ご主人さま、改めて撤退を進言いたします」

「何故だ」

「魔界との通路は、とっくに開いていたそうです。それを隠蔽するため、集落の中央に張った結界の内部に、魔界となった世界を閉じ込めていたのです」

「は?」

 

 思わず、呆けたような声が出た。

 一拍置いて。

 

 魔界が、外に溢れだす。

 世界から、色が消える。

 

 集落があった場所は瞬時に灰色のそれに染め上げられた。

 その影響は森にも及び、またたく間におれたちの丘まで灰色の世界が迫ってくる。

 

 深夜だというのに、紅蓮の炎に照らされて、それはとてもよくみえた。

 限界まで圧縮されていたそれが、自由を得て、この世界を灰に染め上げていく致命的な様子を。

 

 拡大の速度が尋常ではない。

 通常であれば走って逃げる程度の時間はあるはずなのだが、この展開の速さではそれも無理だ。

 

 不意に、気づく。

 集落の者たちの狙いに。

 

 ただ魔界を呼び出したところで、せいぜい徒歩数日の範囲を染め上げた後、帝国が誇る秘密部隊に退治されるのがオチである。

 鉄角馬車のときでも、そうだっただろう。

 

 しかし、あらかじめ呼び出した魔界を閉じ込め、圧縮しておけば、どうだ?

 展開の速度は、ただその場で呼び出した場合の比ではなくなる。

 

 圧倒的な速度でこの世界を上書きし、対処の方法を無くす。

 帝国全体に対する復讐なら、このうえもなく完璧だ。

 

 逃げられない。

 そう気づいたおれは、せめてもの抵抗にと長筒を構え――。

 

 そんなおれの前に、マイアが進み出る。

 右手を前に突き出す。

 

 おれたちの丘の手前で、異界の侵食が止まった。

 いや、丘を迂回してその周囲を灰色に侵食しているものの、丘のまわりだけは緑が残ったままだった。

 

「実に強固な結界です。この結界がなければ、ご主人さまの身体には致命的な被害が出たことでしょう」

 

 マイアを中心に展開されたそれをみて、ヤァータが告げた。

 こいつめ、その致命的な被害をいちどは治療してみたくせに。

 

 マイアはおれを振り向き、口を開く。

 そのルビーの瞳には、強い意志が宿っていた。

 

「上級悪魔の顕現の兆候を確認いたしました。魔界の侵食速度が加速いたします」

「これ以上に、か!?」

「過去の事例では、千五百年前に西大陸の半分を呑み込んだタイプ:マモン、二千八百年前に南大陸の更に南方、現在は現地民に氷河島と呼ばれる島で発生したタイプ:アスモデウスと同様の規模です」

 

 待て待て待て。

 知らないぞ、そんなことがあったなんて。

 

 西大陸の半分!?

 南大陸の更に南?

 

 だがマイアは、おれをみあげて告げる。

 強い確信をもって、まっすぐに。

 

 いま、その紅蓮の瞳は、なぜか蛇のように瞳孔が縦になっていた。

 

「もはや人類単独での即時侵食阻止は困難と判断いたします。対界協定(アライアンス)の発動要件を満たしました。老いなき者たち(エターナル)に協力を要請いたしましょう」

 

 



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第47話 ひとつ目巨人と竜の姫君6

 夜明けの少し前。

 集落を中心として、灰色に染まった世界が広がり続けている。

 

 星明りは、もはやどこにもみえない。

 かわりに、異質に変化した大気が鈍色の雲のように重苦しい光を放ち、周囲の異様な景色を映し出している。

 

 その光のなかで、草木が枯れ、鳥や虫が地面に落ちて痙攣しながら息絶えていく。

 四つ足の猪型の魔物が逃走の途中で灰色の世界に飲み込まれ、その表皮がはだけて肉が剥き出しとなり、目玉が飛び出て、穴という穴から体液を周囲に飛び散らせながら断末魔の声をあげる。

 

 そんななか。

 おれとマイアのいる丘の周囲だけが、未だ緑に色づいていた。

 

「アライアンス? エターナル? それは、どういう……」

 

 マイアが語った言葉。

 初めて聞く単語たち。

 

 彼女がおれの知らない知識の持ち主で、凄腕の魔術師であることは理解している。

 一般には知られていない者たちを認識している可能性も、想定してはいた。

 

 とはいえ、突然こうも初耳の単語を並べ立てられては、困惑せざるを得ない。

 いや、だが、しかし……。

 

 おれは腹をくくり、うなずいてみせた。

 ここで問いただして時間を浪費することは無意味だ。

 

「なんとかできる方法があるなら、やってくれ」

「承知」

 

 マイアはもういちど前を向くと、片手で結界を維持したまま、灰色に染まった天を仰いだ。

 高らかに宣言する。

 

「天にまします原初の七十七柱よ、いと尊き銀翼の守護者よ、蒼天に還りし数多の光輝持つ界卵種よ!」

 

 朗々と、少女は謳いあげる。

 

「この大地の緑と息吹に永遠の祝福を、大地と空に生きる者たちに永遠の自由を与えたまえ。我ら孵卵第八世界(エアル=ターラ)に生きる命を代表して願い立てまつる。七つの宣誓と義務により、神々の御名をお借りして対界協定(アライアンス)の発動をお許しあれ。来たれ、同じ志を抱きし我らが同胞、我らが同盟者! 我が名は――」

 

 かん高い音が、響いた。

 それはおれの耳には聞こえないほど高い音の一端であり、彼女の唇が発した、おれの知らない単語であった。

 

 少女は灰色の空の更に外へと呼びかけるべく、おおきく息を吸い――。

 そこで、ぴたりと止まった。

 

 少女は再度、おれの方を振り返る。

 ルビーの双眸が、わずかに震えているようにみえた。

 

 その動揺の原因がおれであることは、すぐに理解できた。

 

「わたくしは――」

「信じるよ」

 

 だからおれは、即座に返事をする。

 ちから強く、うなずいてみせる。

 

「きみがやるべきと判断したことを、やるんだ。それがなにかはわからないが、必要なのだということだけは理解できる。おれは、きみを信じよう。きみが誰であったとしても、なにを隠していたとしても、いまこのとき、おれはきみを世界の誰よりも信じよう」

「承知」

 

 少女はちいさなうなずきを返すと、再度、前を向く。

 天を仰ぎ、口を開く。

 

 音が、響いた。

 空気が激しく震えた。

 

 抑揚のついた、かん高い音。

 それは咆哮だった。

 

 おそらくはおれの可聴域の外にも広がる、遠く遠く響く音。

 その音には、強い魔力が乗っていた。

 

 故に音は、音本来の速度をはるかに超えて大気を伝わり、どこまでも遠くへ響き渡った。

 そうして、呼んでいるのだ、彼女は。

 

 なにを?

 援軍だ。

 

 この絶望的な状況をなんとかできる存在。

 このようなときのために世界に潜んでいた存在。

 

 それをいま、彼女は呼んでいる。

 彼女は本来、そういう者たちの間で育った存在なのであると、いまや肌で理解できていた。

 

 旅の間にずっと覚えていた違和感。

 彼女を形成するもののなかで、なにかおれの知らないものがあるという感覚。

 

 その正体が、これだ。

 そもそもが、彼女はヒトとして育てられた存在ではない。

 

 なぜならば。

 いま。

 

 少女の頭には、黒く輝く二本の角が生えているから。

 彼女のスカートの下からは、まるで蜥蜴のような、鱗に覆われた長い尻尾が伸びているから。

 

 理解できてしまった。

 彼女がどのような存在なのか。

 

 同時に、これまで彼女が語った言葉を思い出す。

 弟がいた、とさきほど語っていた。

 

 彼女の弟は彼女の庇護下にいたが、それを厭うて、人里に下り……。

 そして、ヒトによって殺された。

 

 仇について、語り合った。

 そのとき彼女がおれに対して向けた視線、その意味も、いまなら少しは理解できるような気がした。

 

 ちょっと前、百年後の竜について語り合った。

 彼女がみせた表情には、はたしてどのような気持ちがこもっていたのか。

 

 考えてみれば、ヒントは数多くあった。

 いまさら振り返ってみれば、ではあるが……。

 

 彼女のそばから羽ばたいておれの肩に停まったカラス、ヤァータ。

 こいつは、果たしてどこまでを知っていた?

 

 いや、いい。

 いまは、いい。

 

 そんなことより、これからのことだ。

 いったい、彼女はなにをやろうとしていて、そしてこの先、なにが起こるのか――。

 

 咆哮は、長く続いた。

 少女は途中で二度、血を吐いた。

 

 ついには立っていられず、四つん這いになる。

 それでも、なお顔をあげ、叫び続けた。

 

 少女の姿が変化していく。

 ヒトから、獣のような姿へ。

 

 服が裂け、黒い鱗が全身に生じる。

 その身が次第におおきくなっていく。

 

 少女がいた場所には、いまや馬よりもふたまわりほどおおきな、黒い蜥蜴のような生き物が存在していた。

 黒竜が、そこにいた。

 

 竜は四つの足で丘の上で大地を踏みしめ、長い首をもたげて、天に叫び続けていた。

 灰色に染まる空の彼方、東から曙光が上るころ――。

 

 唐突に、影が差す。

 灰に染まった空に、なにか巨大なものが現れたのだ。

 

 みあげてみれば、それはおれの知るどんな船よりもおおきな魚だった。

 それを実際にみたことはなかったが、ギルドの図鑑で名前だけは知っていた。

 

 鮫。

 とてつもなく巨大な、銀色に輝く鱗に覆われた鮫が、そこにふわりと浮かんでいた。

 

 続いて、瞬きひとつする間に。

 その鮫のそばに、更にふたつ、別の存在が出現していた。

 

 ひとつは、鮫と同じくらい巨大な、赤褐色で楕円形の殻だ。

 よくみればそれは、非常識なほどおおきな亀の甲羅だった。

 

 赤褐色の甲羅から、黄土色の四肢と頭部がにゅっと姿を現す。

 亀の頭部に輝く双眸が、青く輝いていた。

 

 もう一体、こちらはひどくちいさな存在だった。

 といってもそれは鮫と亀が比較対象として規格外に巨大なだけで、実際のサイズはヒトの身の丈よりひとまわり大柄なくらいだろうか。

 

 全身が黒い体毛に覆われた、二足歩行の人型の存在だ。

 顔すらも黒く深い体毛に隠れ、ただ双眸だけが青く輝き、ぎょろりと周囲を睥睨しているそれは、どうやら熊のようだった。

 

「鯨はァ、どうしたァ。このあたりのはずだろォ」

 

 頭のなかに、太い声が響いた。

 亀の声だと、なぜだかわかった。

 

「あやつはヒトに殺された。故に千年ほど寝る、とふてくされた連絡が、ついこの間な……」

 

 別の声が頭のなかに響く。

 こちらは鮫の声だ、と理解した。

 

「鯨を殺したのは、そこな者である」

 

 熊の声が頭のなかに響く。

 竜となったマイアも含めた、その場の全員の視線がおれに集まった。

 

 全身の毛が逆立つような、怖気が走る。

 おれは動くこともできず、その視線にただじっと耐える。

 

 やがて――。

 呵々と哄笑する声が、みっつ、同時に頭のなかで響いた。

 

 三体の化け物が、一斉に笑っている。

 そう理解した。

 

「鯨のやつめ、他所様に迷惑をかけすぎである」

 

 熊が、落ち着いた口調でそう告げた。

 おれを包んでいた圧力が一気に弱まる。

 

 おれは、安堵の息を吐いた。

 生きた心地がしなかったぞ……。

 

「なにをしたのだァ、あやつゥ」

「町の近くで昼寝をしていたのである。寝相で転がるたびに町のなかで暴風が吹き荒れ、一帯がまともに住めなくなったところを、そこのヒトがやってきて仕留めたのである」

「あやつの昼寝中の結界を破るとはァ、ヒトもたいした進歩をしたものだなァ」

 

 亀が、のんびりした口調でそう語る。

 黒竜が首を巡らし、「皆さまがた、いまはこの事態への対処を」と口を挟んだ。

 

「賢竜の娘、立派になったなァ」

「亀殿こそ、お久しゅう。父の亡骸を海に還していただいたこと、厚くお礼申し上げます。それよりも、いまはこの――」

「心配せずとも、灰の侵食は止めたァ」

「――なんと」

「止めた、といっても、我らが全力でもって世界の書き換えを阻害しているだけである。あまり長くは保たないのである」

 

 熊が、理性的な声で亀の言葉を補足する。

 どうやら、もっとも体躯のちいさなこの個体が、気ままな上位種とおぼしき彼らとおれたちの橋渡し役のようだ。

 

「異界化未臨界制御に関する技術、何度屠ってもみつけてくるのである。まったく、ヒトの子らの己が世界を呪うこと、執念深いことであるよ」

「熊殿。それは、あくまでもヒトの一部です。わたくしは……」

「賢竜の娘、わかっているのである。だがね、こうもあちこちで騒ぎを起こされては、愚痴のひとつもこぼしたくなるというものである」

「それでェ、原因はァ、なんだァ。……あァ、いい、わかったァ。鮫ェ」

「むっ、受けとった。これより皆に流す」

 

 話に割り込んだ亀の言葉を受けて、鮫がそう告げた次の瞬間。

 おれの頭のなかに、数多の記憶が流れ込んできた。

 

 この地で生きたヒトの記憶だ。

 開拓団としてこの集落をつくった者たちの人生が、圧縮されて、これでもかとばかりに頭のなかを駆け巡る。

 

 知識の暴力だった。

 圧倒的な物量が、おれのちっぽけな人生を押し流しかけて――歯を食いしばり、かろうじて、意識を保つ。

 

 ほんの一瞬、懐かしいあいつの笑顔が脳裏をよぎった。

 その笑顔に手を伸ばして、おれは洪水のような記憶の濁流に耐えた。

 

「ただのヒトにはいささか無茶だが、いまは時が惜しいのである」

 

 熊の声が遠くに響いた。

 濁流が少しだけ緩くなったような気がした。

 

 流しこまれた記憶はあまりにも膨大で、その大半は次の瞬間には忘れてしまった。

 それでも色濃く残るものがあった。

 

 怨念。

 そして、妄執。

 

 つまりは、濃縮された怒りの塊であった。

 彼らは人を呪い、国を呪い、大陸を呪い、世界を呪っていた。

 

 思いの強さだけで人を殺せるなら、確実にひとりふたりは殺せただろう。

 だが心に染みついた怨讐の念は、それだけで留まることを許せなかった。

 

 帝国を、滅ぼす。

 たとえ世界を道連れにしても。

 

 我らからすべてを奪ったこの世界を、滅ぼす。

 たとえこの身すべてが尽きようとも。

 

 それは歴史だった。

 彼ら個人の歴史を、なんの編集もせずにぶつけられたのだ、おれのような平凡なヒトの身では手に余ろうというものである。

 

 彼らは、違うのだろう。

 頭上に浮かぶ三体、そして目の前の黒竜、こいつらはきっと、それだけの情報を苦もなく咀嚼できるのだろう。

 

 根本的に、生物としての格が違う。

 故に、情報の授受のやりかたも異なる。

 

 本来、自分はこんなところに混ざっていていい存在ではないのだ。

 そう、絶望的な気分になり――。

 

「よォし、決まりだァ」

 

 亀が、笑う。

 続いて熊が、おれを見下ろして告げる。

 

「ヒトよ、鯨を仕留めた魔法は使えるのであるな?」

「あ、ああ。この魔力タンクに魔力を貯めている最中だ。ただの悪魔が一体なら充分に撃ち貫ける予定だったが、この状態ではどうかな」

「理解した。では、後詰めは任せるのである」

 

 つまり、なにもするな、ってことね。

 まあそうだよな、こんな上位存在の群れにあって、おれなんかが役に立つはずもない。

 

「失敗の可能性は充分にある、ということです」

 

 黒竜が、そんなおれに、気を抜くなといった。

 まあ、それはそうだな。

 

 せいぜい、この化け物たちの戦い方を特等席で見物させて貰うとするさ。

 おれの出番がないことを祈るとしよう。

 

 




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第48話 ひとつ目巨人と竜の姫君7

 魔界が現世に露出し、朝日が昇ったにも関わらず、いまや空は灰色に染まっている。

 その空に浮かぶ、三体の上位存在。

 

 鮫、亀、そして熊。

 これ以上の魔界の侵食を止めた後、彼らはつい先ほどまで集落だった場所の中心、魔界への通路が開いた地点に向けて攻撃を開始した。

 

 現在、その場所には霧のようなものが出現し、ぼんやりとしかみることができない。

 ヤァータが「著しい空間の歪みが霧のようにみえているだけです」と補足してくれたが……。

 

 ということは、これ、おれが狙撃しても中心まで届かないってことだな?

 どっちみち、おれひとりじゃどうしようもなかったということだ。

 

 いまは鮫たちに任せるしかない。

 ええと、こいつらはエターナル、とかいうんだっけか。

 

 というか、もう全部こいつらだけでいいんじゃないかな?

 おれなんていらないんじゃない?

 

 となるくらいの、圧倒的な攻撃が始まった。

 みたいだ。

 

 なにせおれには、こいつらがどうやって攻撃しているのかわからない。

 ただ、霧が一瞬で消し飛び、その内部にあった漆黒の球体のようなものが剥き出しになった。

 

 次の瞬間には、漆黒の球体が粉々に割れ――。

 そこから、禍々しく蠢く無数の赤黒い触手のようなものが天に伸びた。

 

 触手の群れが無限に伸長し、斜め上空に浮かぶ鮫たちを襲う。

 敵の反撃だ。

 

 亀が前進し、青白い結界を展開した。

 結界と長い触手たちが衝突する。

 

 耳を聾する轟音が響き、激しく火花が散った。

 結界と接触した触手の群れが溶け、次々と赤黒い粒子に分解されていく。

 

 その間にも、触手の始点となる部分がなんども破裂している。

 亀が防戦する間にも、鮫か熊の攻撃が続いているのだろう。

 

 しかし灰色の空に溶け消えているようにみえた触手群であったが、それはただ亀たちを油断させるための作戦だったようだ。

 おそらくは一度、粉々の霧になることで上空へまわりこんだソレがふたたび集結し、赤黒い触手を再度形成して、こんどは上空から鮫たちを襲う。

 

 鮫の全身が、上空から落下してきた無数の触手に貫かれ――。

 その瞬間、鮫の姿がかき消える。

 

「ふむ」

 

 亀のすぐそばに、鮫が出現した。

 いや、おそらくはもとからそこに、姿を消した状態で存在していたのだ。

 

「鮫ェ、そこにいたかァ」

「気づいていなかったか」

「興味ねェ」

 

 おれがいままでみていた鮫は、幻影の魔法かなにかでつくり出したものであったのだろう。

 その幻影を貫いた触手たちが、次々と破裂し、虹色の粒となってこんどこそ完全に消えていく。

 

 もはや霧となって周囲に浮遊することもない、完全な消滅であった。

 ここで仕留めるために、鮫たちはあえて触手がいちど霧となることを許容したようだ。

 

 エターナルたちの触手の拠点への攻撃は続いている。

 無から泡のようなものが現れ、しかしその端から虹色の粒となって消滅していく。

 

 なにもない、と思われたその周囲の様子が、次第におれにもみえてきた。

 まるでキャベツの皮を剥くように、ひとつずつ空間の歪みを引き剥がしていった結果として――。

 

 そこに現れたのは、いびつな造形ではあるがヒトの形を成した存在であった。

 全身が灰色の霧のようなものに包まれた、歪んだ四肢をもつ人型のなにか。

 

 その身の丈は、おそらくヒトより少し高い程度にすぎない。

 二本の腕と二本の脚、頭部のようなのっぺりとしたものを胴体の上に乗っけていて、その頭の先端には歪んだおおきな角が一本、伸びている。

 

 目や耳や鼻や口のようなものはみえなかった。

 いや、おそらくは存在しないのだろう。

 

 ヒトを模していながら、ヒトではありえないなにか。

 この世界のありようではないものから生まれた、この世界でありえてはいけないモノ。

 

 魔界の住人。

 すなわち、悪魔である。

 

「これまでおれがみたなかでも特別だな」

 

 思わず、呟いた。

 黒竜がこちらを振り返り、ルビーに輝く双眸でみつめてくる。

 

「区別があるのですか」

「詳しくはないが、ね。どうやら奴ら、特にちからの強い奴を呼び出すために、いろいろ小細工していたみたいだ」

 

 黒竜が、ふむん、と鼻を鳴らす。

 首をもたげて上空の上位存在たちをみあげ、「しかし、あの方々なら」と呟く。

 

「ああ、まあさすがに、上位の悪魔とはいえ、こりゃあ相手が悪いだろう」

 

 そう思ったのだ、が。

 熊がひとこと、ぼそりと「まずいのである」と漏らす。

 

「あれなるは無限増殖型孵卵制圧機構と謳われたもの。すなわちタイプ:ベルゼブブである」

「根比べかァ、ちぃと疲れるぞォ」

 

 え、なにその反応。

 ひょっとして、あんたらじゃ相性が悪いってこと?

 

「おい、ヤァータ」

「彼らの悪魔に対する戦い方は、これまで観察している限りでは卓越したちからでもって一方的に押し潰すというものです。技巧も、駆け引きもありません」

「それは、みていればわかる」

「これまで確認した限りでは、タイプ:ベルゼブブと呼ばれたあの悪魔は、次々と己を増殖させることでその押し潰しを耐え忍び、どれだけ消滅しても同じだけ増殖し、いつか相手を呑み込むという戦い方を得意としている様子です」

「そりゃ……たしかに、相性が悪い、のか?」

 

 聞いたことがない単語が次々と出てくるが、おおむね無視してわかるところだけ拾っていくことにする。

 ヤァータとつきあう上で大切なことのひとつだ。

 

「こういうのは鯨が得意なんだがなァ」

「ないものねだりは止すのである」

 

 ちょっと待って、それっておれが鯨さんをふて寝させたのが悪いってこと?

 いや、向こうも別におれの方なんて気にかけちゃいないし、そこは考えないようにしよう。

 

「そもそも、なんであいつは無限に再生することができるんだ」

「空間の裂け目の存在を確認、ふたつの世界を繋いでいるようです。過去の観測とは比較にならないほど、おおきな道です。魔界と呼称される、こことは別の世界、そこから悪魔と呼ばれる存在に常時エネルギーが供給されているということです」

「それはどこにある」

「あの地の、地下に」

 

 集落の中央、壁に囲まれたその内側に掘られた穴、そこで彼らは魔界との通路をつくった。

 その道を通って、無限に兵士が湧いてくる軍隊ってわけだ。

 

 蟻の巣から延々と軍隊蟻が湧いて来る様子を頭のなかに思い浮かべた。

 あの悪魔は単一の個体にみえるけれど、実は蟻のように集団でひとつの個を形成するような生き物なのかもしれない。

 

 で、それをいまはあの穴のそばで押し止めているが、鮫たちの攻撃がなければたちまちのうちに周囲に広がっていく、と。

 集落の連中も、とんでもないものを呼び出してくれたものである。

 

「ヤァータ、上の奴らに任せる以外で、なんとかする方法はないのか」

「別個体が観測した情報を同期しました。魔界とこちら側を繋ぐ道が想定より不安定な様子です」

「不安定? そうか、リラたちの突入で、相手の予定が早まったんだな」

「集落の方々は、突入部隊に始末される直前、強引に魔界を展開いたしました。その際、なんらかの不手際があったものと考えられます」

 

 集落の奴らの準備は完璧で、帝国のみならずこの大陸中を必ずや飲み込めるはずだった。

 リラたちが巧緻より拙速を選んだことで、その完璧な作戦に穴が出来たということか。

 

 弟子たちがお膳立てしてくれたんだ。

 ここはひとつ、おれも気張っていかなきゃならんか。

 

「その不安定な道ってやつを狙撃して、破壊する。具体的な方策を示してくれ」

 

 とはいえ、おれひとりにできることなんてたかが知れている。

 精密な計画や計算なんかは、できる奴に任せるに限るというものだ。

 

 果たして、瞬きひとつする間にヤァータは演算を終えていた。

 

「別個体から転送されたデータをもとに解析が終了いたしました。魔界とこちら側を繋ぐ道の、もっとも不安定な一点を狙い撃ちすることで、全体を崩壊に導きます。ですが、いくつか解決しなければならない問題があります」

「その問題は、おれとマイア、それに上の奴らで解決できるものか?」

「上空の方々との、充分な意思疎通ができる前提であれば」

「それについては、わたくしが間に入りましょう」

 

 結界を維持する黒竜が、話に入ってくる。

 おれはためらわず、「頼む」と返事をした。

 

「マイア。おれたちとあいつらの橋渡しは、任せた」

「承知」

 

 ヤァータが作戦を告げる。

 おれとマイアはいくつか打ち合わせをした。

 

 そして、黒竜は灰色の空をみあげ、口をおおきく開く。

 歌を、歌った。

 

 朗々と歌い上げられる歌声の半分は、きっとおれの耳には届いてない。

 それでもその歌が、言葉が、彼女の強い意志が、伝わってくる。

 

 鮫と亀と熊が、悪魔への攻撃を続けながら、その歌に耳を傾けているのがわかった。

 複雑な作戦であったが、マイアは彼らに短時間でその全貌を伝えることができたようだ。

 

「わかったァ」

 

 亀が、太い声で空気を震わせる。

 

「いささか、無謀に思えるが? ヒトの技量に信頼を置きすぎているのである」

「賢竜の子が信じるヒトだ」

 

 熊が疑念を呈し、鮫の瞳がおれとマイアを見下ろす。

 なぜだか、優しく労わるようなまなざしにみえた。

 

「試す価値はあるさァ」

 

 亀のひとことが、始まりだった。

 集落の周辺の地面が、深く抉れる。

 

 大量の土砂が宙に浮き、彼方へ放り投げられた。

 上空の者たちは、悪魔の本体への攻撃を続けながら、マイアの指示に従って集落の周辺を掘り進める。

 

 ほどなくして、地中に埋められていたモノがおれたちの前に露出した。

 

 どす黒い、全長がヒトの身の丈の三倍以上はある、つるりとした球体。

 それが悪魔の下部に繋がっているありさまが、いまやはっきりと、この丘の上からでもみてとれた。

 

 おれとヤァータの視覚が同期する。

 膨大なデータが、おれの頭のなかに洪水のように流れ込んでくる。

 

 低く、呻いた。

 鼻から流れ出た血が口に入ってくる。

 

 呑み込むと、鉄の味がした。

 にやりと笑ってみせる。

 

「マイア、おれが引き金を引くのと同時に結界を切ってくれ」

「承知」

「そうなれば、魔界の瘴気を防げなくなる。これは、きみの命も危うくする一手だ。不安じゃないのか」

「無論――」

 

 マイアは、おれを振り返り、蜥蜴のような口の、その片端を吊り上げる。

 竜となっても変わらぬルビーの双眸が、おれをまっすぐに射すくめる。

 

「その腕。誰よりも信じておりますとも」

 

 おれは長筒を構え、引き金を引いた。

 タイミングを合わせて、マイアが結界を解除する。

 

 これまで結界が押し止めていた灰色が、緑の世界を覆い尽くすべく全方位から迫ってくる。

 

 ほぼ同時に、長筒の先端から白い光が迸った。

 光はまっすぐに伸びて悪魔の下部に繋がった漆黒の球体の端、狙いすましたただ一点に衝突し――。

 

 光が、弾ける。

 巨大な爆発が起こる。

 

 視界が白に包まれる。

 ほぼ同時に、おれと黒竜に迫っていた灰色の世界が、その動きを止め……。

 

 ぼろぼろと、まるでキャンパスから灰色の絵具が剥がれ落ちるように、空間そのものが崩れ落ちていく。

 

「裂け目の消滅を確認。直後、上空の存在の攻撃により悪魔が消滅いたしました」

 

 ヤァータが事務的に告げる。

 自身の視力が戻ってすぐ、おれは天を仰いだ。

 

 青空が広がっていた。

 

 




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第49話 ひとつ目巨人と竜の姫君8 完

 鮫から記憶を流し込まれたとき、おれは多くの人々の人生を覗きみた。

 みたくて、みたわけではない。

 

 勝手に、無数の記憶がおれの頭のなかで暴れまわったのだ。

 最悪の体験だった。

 

 こんなもの、ただのヒトが浴びるべきものではない。

 ただひたすら、その圧倒的な濁流に流されないように、己という個を保ち続けられるように、祈るように、耐え続けた。

 

 だから、大半はみてすぐに忘れてしまったのだが……いくつかは、いまでも思い出せる。

 そのなかには、リラとマイアがみたという歌劇を演じた役者たちの人生もあった。

 

 彼らは東方のとある国に生まれ、平和に暮らし――。

 そして、ある日、唐突にすべてが奪われた。

 

 隣国から侵攻してきた軍隊は、またたく間に彼らの村と町を焼き払い、王都を包囲した。

 本来ならば、充分に防げたはずの侵攻である。

 

 それができなかったのは、帝国の援助により隣国の軍が優れた装備と戦術を取り入れていたからであった。

 王都を包囲する高い壁は、新型の儀式魔法によってつくられた巨大な火球によっていともたやすく崩壊した。

 

 敵軍はすぐさま王都に突入する。

 兵も民も、逃げ場のない状況で次々と命を刈りとられた。

 

 王城もたちまちのうちに陥落し、王は討ちとられ、秘密の出口から逃げ延びた少数の王族とその護衛だけが落ち延びることができた。

 彼らは隣国に落ちのび、再起を期すべく隣国の協力を仰ぐ。

 

 しかし帝国はこちらにも手をまわしていたため、止む無く、更に別の国へと逃げることとなった。

 逃走に次ぐ、逃走。

 

 移動に次ぐ、移動。

 次第に身なりは貧しくなり、弱い者から順番に倒れていき、集団はやせ細った。

 

 そうして、しばらく時が経つ。

 ようやく亡命先を得た王族のもとに、ぽつぽつと生き残りの騎士たちが集っていき……。

 

 しかし一行は、どの国でも頼る術を持たなかった。

 艱難辛苦の果てに、ひとり、またひとりと命を落としていく。

 

 故国の情報も、時折、耳にはさんだ。

 侵攻によって国土は荒廃し、その大半はもはや人が住めるような地ではなくなったという。

 

 商人も通らぬような、無人の土地。

 そこに繁殖力旺盛な森が侵食を開始し、大小無数の魔物が次第に闊歩するようになった。

 

 ひょっとしたら、不可思議なちからが働いたのかもしれない。

 帝国の手の者たちが、森の拡大を助けたという噂もあった。

 

 かつてひとつの国だった土地が広大な森によって分断された結果、相争っていたその周辺の国々の間で、めっきりと係争が減ることになる。

 多くの魔物が棲みつく土地は、攻めるコストが高くなり、成果に見合わなくなるからだ。

 

 東の大国と西の帝国、その綱引きの結果のひとつが、これであった。

 ひとつの国が完全に滅ぶことで、一帯に平和が訪れた。

 

 大国同士の代理戦争、無数の小国を駒にしたゲームの舞台は、別の地方に移ることとなる。

 めでたし、めでたし。

 

 滅びた国の民以外の周囲全ての者たちが、ようやく訪れた幸せを享受した。

 亡国の生き残りたちがみたのは、そんな歴史の、ありふれた一幕であった。

 

 ふざけるな、と。

 誰かが、叫んだ。

 

 では自分たちは、なんなのかと。

 もはや故国は失われ、誰もが国を蘇らせることは不可能であると知った。

 

 いらない国、そしていらない民。

 存在してはいけない者たち。

 

 自分たちの生とは、絶望に満ちた苦難の日々とは、なんだったのかと。

 

 報いを。

 誰かが叫んだ。

 

 我らのすべてを奪った者たちに、報いを。

 苦難に対する応報を。

 

 帝国に、滅びを。

 無慈悲な鉄槌を。

 

 すべてを失った者たちにとって、命を賭けることなどたやすいことだった。

 もはや、残っているのは命しかないのだから。

 

 復讐のために動くことなど、苦も無いことであった。

 怒りの炎は、己と家族の絶望をみれば、心の内から無限に涌きあがってきた。

 

 それからも、彼らは数多の困難に襲われた。

 裏切り者の手引きで国を滅ぼした者たちの追っ手がかかり、数少ない王族の大半が殺されたこともある。

 

 その襲撃をも生き延びた者たちは、いっそうの怒りと憎悪の念を胸に秘めて各地を放浪した。

 身を隠す術を学び、その一部は劇団をつくって帝国のあちこちをまわった。

 

 来たるべきときのために、情報を集めていく。

 演技で人々を欺きながら、復讐の刃を研いでいく。

 

 劇団員たちは、いくら人々の賞賛と尊敬を集めても、その身に宿した燃えるような情念を消し去っていなかった。

 まだ十代の若き歌姫は、祖国で王女として生まれ落ち、赤子のころにいかにして陥落する王城から脱出したかを子守歌のように聞いて育った。

 

 ひとつ目巨人を演じた男は、王都に雪崩込んだ兵によって母と姉を嬲り殺しにされる様子を床下に隠れて震えながらみていた。

 父はその前日、民兵として壁の守りにつく、と槍を手に出ていって、二度と戻らなかった。

 

 知人も、親戚もすべて殺され、まだ子どもだった男はひとり生き延びた。

 彼が王族の生き残りと合流できたのは偶然で、しかしそれが幸運だったかというと難しいところであった。

 

 生き残りたちは、彼のような子どもや王女のような幼子たちに、怨恨と復讐だけを説いたからだ。

 いまは泥水を啜ってでも生き延び、必ずや復讐を果たすようにと教育を施したからである。

 

 それが輝かしい未来に続くものであれば、まだしも。

 故国に戻り、栄光ある新たな歴史が紡がれる可能性があるならまだしも。

 

 彼らがどれほど努力したとしても、その果てにあるのは無残な破滅だけであった。

 最初からその前提で、計画は進んでいった。

 

 それは狂気が伝染していくかのように。

 古い世代から若い世代へ、連綿と、破滅へ向けた計画が受け継がれていったのである。

 

 そして、国が失われてから十五年。

 いよいよ悲願が成就しようというそのとき――。

 

 おれたちの横槍があった。

 地下で、細い糸で繋がれていた魔界との通路が、完全に解き放たれる。

 

 彼らが人生の最期に抱いたのは。

 これで終われる、という安堵であった。

 

 石の姫君を演じた元王女は、嘆息するのだ。

 

「最期に演じたのがこの芝居だったことだけが、心残りだ。この芝居は嫌いだから」

 

 だって、と彼女は思う。

 

「王女はきっと、蘇らなかった方が幸せだもの」

 

 彼女は嘆く。

 

「彼女が生まれた国はもはやなく、王も臣下もとうに死に絶え、頼る者はひとつ目巨人だけ。そんな王女に、幸せなんて訪れないわ」

 

 

        ※※※

 

 

 竜からヒトの姿に戻ったマイアが、ちぎれた服を魔法で修復しながら、じっとおれをみあげてくる。

 ルビーの双眸が、少し濁った輝きを放つ。

 

「わたくしは、竜です」

 

 自身の口から、彼女ははっきりとそう告げた。

 黒い布切れが彼女の周囲を舞いながら、次第にもとのドレスのかたちに戻っていく。

 

「わたくしは、あなたがた近隣の町の者たちが、かの山脈に棲む黒竜と呼び恐れた者、その正体です。実際のところ、父の強大なちからをもって正体を偽装し、無数の罠を張り巡らせ、この非力な身を隠してきただけの存在にすぎません。ですが、それでも多くの挑戦者を打ち倒したのは、まぎれもなくこのわたくしです」

「なぜ山を下りた?」

「興味を持ちました」

「何に?」

「ヒトとコミュニケーションをとるなかで、ヒトに興味を持ちました」

 

 彼女のいうコミュニケーション、とはなんなのか。

 刺客の勇者やブラック・プティングをやりとりすることなのか。

 

 それはヒトの基準からすれば、ひどくいびつな感覚である。

 とはいえ、出会った当初の彼女の様子から逆算すると、ありえなくもない、と思えてくる。

 

 幼い頃から上空の鮫たちと特殊な形式で対話していたのだろう彼女にとって、コミュニケーションという言葉の意味は、おれたちヒトとはおおきく異なるのだろう。

 

「有意義な旅でした。もともと卓越していたわたくしのコミュニケーション能力は、ますます磨かれました」

「そ、そうか」

「先の町では、物語、というものも知りました。歴史ではない、ありえたかもしれない想像上の出来事。ありえたかもしれない架空の選択。そして、ありえないが故に心地よい空想。わたくしはやはり、石の王女はひとつ目の巨人と幸せに暮らしたという結末でよいと思うのです。それがもっとも、座りがよろしい」

 

 少女の外見をした存在は、淡々と語る。

 

「ですがそれは、ありえないからこそ、なのでしょう」

「マイア、きみは……」

「知識を積み重ねることで、我らは多くの教訓を得ます。歴史の積み重ねは、なにが愚かな選択か教えてくれます。ですがそれだけでは駄目なのだと、この旅でわたくしは学びました。己の足で歩いて、目でみて、耳で聞いて、口で話してこそ得られるものもあるのであると。――感謝を。それは、あなた方と共に旅をしたことで得たおおきな知見です」

 

 彼女がひとつ、瞬きをした。

 双眸のなかの濁ったものが少し消えて、澄み渡ったように思えた。

 

「そのうえで、思うのです。ヒトとヒトですら、かような遺恨をもって大地に癒えぬ傷をつける」

 

 マイアがゆっくりと周囲を見渡す。

 丘の周囲のみに緑があり、その先は彼方までずっと、砂と泥濘を混ぜたような灰色の世界が続いている。

 

 ひとたび魔界に成り果てた大地は、そうたやすく元には戻らない。

 異なる世界の侵食とは、これほどに惨い爪痕を残すのだ。

 

 数十年、あるいは数百年、ひょっとしたら数千年。

 それは頭上の鮫や亀、熊といった者たちにとっては瞬きするような時間かもしれないが、地上を這うおれたちにとっては永遠とも思えるような時間なのである。

 

 そして、目の前の黒竜にとっては……。

 

「わたくしはやはり、竜。この帝国にとってひどく異物なのでしょう。いまのヒトの営みのなかに竜が混じるのは、未だ時期尚早なのでしょう」

 

 マイアはおれに背を向けた。

 丘の上を風が吹き抜ける。

 

 緑の草が宙を舞う。

 少女は、ぎゅっと両の拳を握っていた。

 

「故に、わたくしは――」

「待て、逃げるな」

 

 いましも、どこかへ飛んでいこうというかのような彼女に対して。

 おれは思わず、その肩を掴んでいた。

 

 おれの身体が宙に浮きあがり――。

 しかし、それは一瞬。

 

 おれの両の足が地につく。

 ほっと安堵の息を吐く。

 

 おれは少女の肩に置く手にちからを込めた。

 マイアは振り返り、驚いた顔でおれをみあげる。

 

「逃げる、ですか? わたくしが?」

「そうだ。マイア、きみは自分の正体を明かした。だが、それだけだ。勝手に決めるな。きみはまだ、おれの意見をなにも聞いていない」

「あなたの、意見」

「おれは、石の姫君とひとつ目巨人が幸せに暮らす物語が、ありえないことだとは思わない。前もいったが、帝国はヒトの定義をなんども曲げて、さまざまな者たちを受け入れてきた経緯がある。そこに竜が加わることに、なんの問題がある?」

「それは、都合の良すぎる展望にすぎません」

「おれたちは、知恵を絞ることができる。きみの考えた物語のなかで、姫とひとつ目巨人以外の者たちは充分に知恵を搾ったといえるだろうか」

 

 マイアは、目をぱちくりさせた。

 じっと黙っておれをみつめる。

 

「物語には続きがある。賢者が出てくるんだ。賢者は町の人々に問う。ただ少し背が高く、目がひとつしかないだけの巨人とおまえたちの違いはなにか。町の人々は互いに話し合う。結局のところ、巨人も少し変わったヒトにすぎないんじゃないか。人々は姫と巨人を受け入れて、皆はずっとずっと、幸せに暮らすんだ」

「それは、いまあなたが考えた、都合のいいお話でしょう?」

「そうだな。だが帝国には多くの思慮深い者たちがいる。リラみたいなやつが、たくさんだ。もちろん馬鹿なやつもいるし、短絡的なやつもいるが――それは、いまさらの話だろう? 何故、王女と巨人だけが頭を悩ませる必要がある? 皆で考えればいい。それがヒトのちからだ」

 

 マイアは困ったように空をみあげた。

 鮫と亀と熊は未だ天に浮かび、なにやら魔力を操作して事態の後始末をしているようだった。

 

 実際に、魔界の穴が出現した付近の地上では土と砂が生き物のように渦巻き、穴が次第に埋め立てられていた。

 彼方の汚染された土砂が宙に浮かび、どこかへ運ばれていく様子もみえた。

 

 彼ら上位存在たちは、これまでも、こういった作業をしてきたのだろうか。

 おれや帝国の知らないところで、馬鹿なヒトのしでかした後始末をしてきたのだろうか。

 

 いや、ひょっとしたら帝国も彼らのことを知っていて、裏で手を握っているのかもしれない。

 それでも彼らの存在が表に出てこないのは、何故なのだろうか。

 

 というかおれ、こいつらの仲間らしい鯨を始末しちゃったんだよな。

 こいつら的には、ちょっと千年ばかり居眠りするだけだからたいした問題はない、ということらしいが……。

 

 熊が、おれたちのそばに下りてきた。

 四つの脚でゆっくりと着地する。

 

 熊はおれとマイアを交互にみたあと、ゆっくりとうなずいた。

 

「賢竜の子よ、汝の欠点のひとつは、自分の言葉に自信を持ちすぎることである」

「なんと」

「実は汝、あまりコミュニケーション能力が高くない」

「なんと!」

 

 マイアは、ぽかんと口を開けて熊をみつめる。

 え、まずそこから?

 

「知らぬを知るが、知るということ。かつて汝の父にもいったことばである」

「わたくしは、初めて聞きました」

「まだ汝は、とうていその段階にないと判断したのであろう。賢竜の子、汝は無知である」

「はい」

 

 マイアは肩を落とした。

 しょんぼりしたその様子をみて、熊は口の端を吊り上げてみせる。

 

「たかが太陽が大地を五十や百もまわっただけの見聞で、なにを悟った気になっている、といっているのである」

「それは、道理」

「知らぬを知るならば、せめて千年はかけるがよろしい」

「まったくもって、道理!」

 

 おいこら、そこで長命種の感覚を持ちだすな。

 とツッコミを入れたいが、懸命に我慢する。

 

 おれの沈黙からなにを読みとったのか、熊がこんどはおれの方をみた。

 赤い双眸が、悪戯っぽく笑っているようにくりくり動く。

 

「ヒトよ、異邦より来たるモノと共に歩みし者よ」

 

 あ、こりゃクソカラスのこともばれてーら。

 おれのそばを舞うヤァータが、すっと下りてきて、おれのそばの地面に着地した。

 

 カラスと熊が向かい合う。

 呼吸ひとつするだけの時間、ふたりはそうしていた。

 

 ヤァータが、ひとつ、かぁと鳴く。

 熊はそれきりカラスから興味を無くしたように視線をそらし、もういちどおれの方を向いた。

 

「安心するのである。ヒトよ、いまのお主は、お主の思う通りに生きればよろしい」

「そ、そうか。それは本当に、安心できる言葉だな」

「その上で、訊ねよう。ヒトよ、賢竜の子をどう思うのである?」

「そりゃあ……ちょこまか動いて、危なっかしくて放っておけない、とは思うが」

「わたくしは、いつも冷静沈着です」

 

 マイアが不満そうな声をあげる。

 そういうところだぞ。

 

「悪い奴じゃない、というのは知っている」

「ならば、ヒトの子よ、任せるのである」

「は?」

 

 瞬きひとつの間に、熊の姿は消えていた。

 天をみあげれば、いつの間にか鮫と亀の姿もかき消えている。

 

「え?」

 

 おれは首をかしげた。

 マイアと顔を合わせて――。

 

「はて」

 

 彼女もまた、不思議そうに首を横に傾けた。

 それきり、熊たちは帰って来ず……。

 

 おれとマイアは、やがておそるおそる戻ってきたリラたちによって回収された。

 さて、これ、どうやって辻褄を合わせればいいんだろうなあ……。

 




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この後はエピローグになります。
少し考える時間を頂きたいので、来週の更新はありません。


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第50話

 時は少し遡り、夜明け前のこと。

 集落に突入したリラたちは、集落の地下に存在した広い空間で敵を撃滅、しかし魔界との通路が完全に開くことを許してしまった。

 

 一帯が急速に灰色の世界へと変化するなか、一行は宙を舞って集落から離脱。

 狙撃配置についていたおれとマイアを残し、高速で広がる魔界の汚染の外に一時撤退した。

 

 実に正しい判断だったといえる。

 リラとロッコだけならともかく、ロッコの部下である青ローブの魔術師も、騎士たちも、魔界へと書き換えられた後の世界で生きる術はなにひとつ持っていなかったのだから。

 

 無事、広がる汚染から距離をとった一行であるが……。

 リラは、足手まといとなる者たちをロッコに任せ、自分ひとりだけでもおれたちのもとへ戻ろうとしたのだという。

 

 汚染地帯を覆う強力無比な結界が彼女たちの眼前に展開されたのは、そのときだった。

 鮫と亀と熊の仕業だ。

 

 おかげで汚染は一定以上に広がらなかったものの、リラがおれのもとへ戻ることもできなくなってしまった。

 忸怩たる思いで、地平線の彼方が稲光で輝いたり爆発が起こったりするのを眺めているしかなかった。

 

 とり残されたおれとマイアの身になにが起こっているのか、さっぱりわからぬまま、事態の展開をただ遠くで見守るしかなかった彼女たちだが……。

 結界が解かれ、空の色が元に戻った後でおれたちのもとへ駆けつけてみれば。

 

 平然としている、おれとマイアの姿があった。

 身体中のちからが抜けるほど安心した、とのことである。

 

 なんとも心配をかけてしまった。

 もっと、「ししょーならだいじょーぶでしょ!」とか気楽に思ってくれていてよかったのだが。

 

 実際に、今回もなんとかなったのだし……。

 ………。

 

 いや、嘘だ。

 これほどの災厄は、さすがにあの上位存在たち、マイアがいうところの老いなき者たち(エターナル)どもの圧倒的な活躍がなければどうしようもなかった。

 

 最後の一撃を決めたのはおれだが、それはマイアを含めた全員が狙撃の障害を退け、サポートに徹してくれたからである。

 今回、姿を現した悪魔は、ヒトひとりのちからでは、とうてい手に余るものであった。

 

 少しでもなにかが噛み合わなかったら、この帝国すべてが、あの災禍に呑み込まれていたかもしれない。

 悪くすれば、大陸全体があの灰色の異界になっていた可能性すらある。

 

 集落に集った者たちの怨恨は、それほどのものであった。

 そして彼らが身を捨てて呼び出した悪魔の厄介さは、過去の降臨を見渡しても最悪クラスのものであったに違いなかった。

 

 無論、帝国が手遅れの状態になったとしても、老いなき者たち(エターナル)たちがぶつくさ呟きながら後始末をしたに違いない。

 ヒトの記録も残っていないような昔から、世界の災禍に対抗してきた存在こそ、彼らなのだから。

 

 結果的に、魔界の侵食は、発生後間もなく、最小限の被害で阻止できた。

 悪魔を召喚した者たちも全滅した。

 

 問題は、その手柄は誰がどう受けとるか、ということである。

 周囲が広く不毛の大地と化している以上、悪魔の召喚は隠しようもなく、帝国から関係者が派遣されることは決定されていて、事情聴取も念入りに行われるだろう。

 

 どうやって悪魔を退けたのか、と問われて……。

 上位存在の介入、マイアの正体、そしておれの使い魔ということになっているヤァータ。

 

 うん、説明できないことが多すぎる。

 というか空飛ぶ鮫と亀と熊のことなんて、説明したところで相手が信じてくれるかどうか……。

 

 

        ※※※

 

 

 急いでグクモの町に戻った後、どうするべきか相談した。

 相談相手は、この辺境の町の領主、すなわちキャスレイ家のウィスラロッコと、加えてなんどもお世話になっているご老人である。

 

「正直、このままおれたち、さっさとずらかっちゃ駄目ですかね」

 

 駄目でもともと、の気持ちでそう相談してみたところ……。

 

「構いませんよ」

 

 というご老人の言葉が返ってきた。

 え、いいの? 隣でロッコもびっくりしてるよ?

 

老いなき者たち(エターナル)の出現による悪魔の撃滅、過去の文献でみたことがあります。無論、該当する文献を閲覧できる者は限られますが、幸いにしてここに、その資格を持つ者がいるのですから」

 

 そういって、ご老人は己を指さした。

 そういえば、この人って帝国でも数少ない、許可された境魔結晶関係の研究者だもんな……。

 

 すなわち、悪魔に関する事象についての過去の事例を調べる資格を持っている、ということでもある。

 彼の言葉は、帝国の悪魔対策部門に対して一定の影響力があるのだろう。

 

「魔弾の射手がその場にいて、老いなき者たち(エターナル)と連係し適切な対処を行った、という点に関しては隠しようがありません。出現した悪魔についての情報も、共有させていただきます。そこは、ご理解ください」

「ええ、まあ。悪魔の情報を帝国が握ることは大賛成ですし、おれの足取りなんて、とうに把握されているでしょうからね」

 

 行く先々の狩猟ギルドで足跡を残していることだし、鉄角馬車での一件もある。

 そこは仕方がない。

 

 なんか、おれの悪魔退治に関する功績がまた上乗せされてしまう気がするが……。

 たまたま老いなき者たち(エターナル)が来て全部やってくれた、でなんとか納得してくれないかなあ。

 

「ところで、さ。老いなき者たち(エターナル)ってなんなの?」

 

 変顔をしつつも黙って話を聞いていたロッコが、おれとご老人に訊ねてくる。

 おれは、返答に窮してご老人の方を向いた。

 

 ご老人は、苦虫を噛み潰したような顔をしておれの方を向いた。

 中年男と老年男がじっとみつめ合う。

 

「あー、ひょっとして、ふたりともよくわかってない感じ?」

「うん、まあ、そうなる」

「己の浅学を恥じるばかりでございますな」

 

 ご老人が、ほっほっほ、と笑う。

 

「この帝国が興る以前から存在する、神々の僕にしてこの大陸の火消し屋、といったところでしょうか。必ずしもヒトに味方する存在というわけではなく、ときにはヒトに災いを振りまくこともある、と聞きます。わたしが知る老いなき者たち(エターナル)に関しての情報は、その程度にすぎません」

 

 おれよりよっぽど色々知ってるじゃないか。

 悪魔関係の文献を読める立場なだけはある。

 

 まあ、あいつらは「この大陸の火消し屋」じゃなくて、ほかの大陸の火消しもやってるみたいなんだけどね。

 おれたちが未発見の大陸についても、よく知っているっぽいし。

 

 そのへんは主にマイアから聞いたものだから、迂闊に口に出せないんだよな……。

 それも、空飛ぶ鮫がマイアの家庭教師かつ情報圧縮叩きつけ型教育であいつを頭でっかちにした張本人、なんていうどうでもいい情報とかだし。

 

 あとは鯨か。

 ずっと前に退治したことがある、というか退治したつもりになっていた、なんか千年くらいふて寝しているらしい存在。

 

 あとで、マイアにもう少し詳しい話を聞いておくか。

 熊からあの子のことを頼まれた、というのもあるけど……。

 

 いや、頼まれても困るんだが……。

 あの熊、マジでなんなんだろう。

 

 

        ※※※

 

 

 その後、ロッコと、ふたりきりで話をした。

 領主の邸宅に呼ばれてのことである。

 

 応接室にて、従者すら退室させ、樫の木のテーブルを挟んで向かい合い、葡萄酒を呑みながらの会話だ。

 議題は、リラのこと。

 

 出された葡萄酒は上等なもので、匂いを嗅ぐと気持ちが落ち着く。

 相手がリラと同い歳の少女であっても、ガチの貴族で、おれなんか一撃で殺せるような魔術師だから、精神の安定は大切だ。

 

「リラがのびのびと生きていて、わたしは嬉しいよー。わたしも、魔弾の射手という名前は聞いたことがあった。厳めしい感じの人物だと思っていたんだけど、思ったより普通だね」

「ただのおじさんにみえるって、よくいわれるよ」

 

 敬語はやめて欲しいと最初にいわれたので、なるべくざっくばらんに話をすることにする。

 

「おれがリラの師にふさわしくない人物だってことは、自分がよくわかっている」

「それ、リラが怒るタイプのものいいだね」

「よくわかったな」

「あの子、めちゃくちゃ自分勝手だから。自分が認めた人には、それだけの価値があるって自覚して欲しいって望むの。それが相手に対するプレッシャーになったとしても、お構いなし。そうでしょう?」

「まあ、そういうところがあるかもな」

「でもそこがいい。わたしは、あの子のそういう傍若無人さを快く思う。だから、そのあの子が師として認めたあなたを、きちんと肯定したいな」

 

 おれは、少し意外そうな顔をしていたのだろう。

 ロッコは葡萄酒の杯をぐいっと傾けたあと、けらけら笑う。

 

「もしかして、リラに狙撃魔術師なんてふさわしくない、とかいうと思った? ジニー先輩ならいいそうだけど」

「近いことをいわれたな。だがまあ、ジルコニーラ王女も最終的には、リラの道を祝福してくれたよ」

「なるほどねえ。まーあのひと、だいぶこじらせてるからー」

 

 この少女とジルコニーラ王女は、共にリラの友人として面識はあったものの、あまり深いつき合いではなかったとのことである。

 そもそもこの子は、両親の死去に伴う領主就任により、さっさと学園から去らなきゃいけなかったわけで、あまり長い間、帝都の学院にいたわけでもない。

 

 彼女がずっと学院にいたなら、あるいはリラとジルコニーラ王女と共に、三人の迷惑集団として暴れまわったかもしれないが……。

 ジルコニーラ王女以上に、彼女は実家の事情に縛られてしまった。

 

 そのことを後悔しているわけではないようだ。

 彼女は納得してでこの町に戻り、領主となり、あてがわれた相手と婚姻し、子も為した。

 

 家のため、町のため、領地のため。

 帝都の学院で学ぶロッコという立場を捨て、キャスレイ家のウィスラロッコとして、貴族の義務を果たす。

 

 その生き方について、おれがどうこういうわけにはいかない。

 貴族嫌いを公言しているリラも、あえてそのあたりについては触れない。

 

 ウィスラロッコという人物には、彼女なりの芯があり、それに従って人生を生きているのだ。

 それを否定する権利は、誰にもないとおれもリラもよく知っている。

 

 同様に、ロッコもまた、リラの生き方を否定する気はないのだろう。

 たとえ内心でどう思っていたとしても、それをおくびにも出したりはしないのである。

 

 いや、あるいは本当にリラが狙撃魔術師を志すことを祝福している可能性もあるが。

 そのあたりはわからないし、おれがわかる必要もない。

 

「わたしはこの町が好きなんだ。老いなき者たち(エターナル)の助けがあったとはいえ、あなたはこの町を守ってくれた。本当に感謝しているよー」

「その言葉は素直に受けとらせて貰う。ただ、戦ったのはおれだけじゃない。きみも含めた、あの場にいた全員が最善を尽くしたから、上手くいったんだ」

「それはもちろん、そう。でも領主としていわせてもらえば、あの場でいちばん替えがきかない人材は、あなただった。わたしもリラも、別に他の腕の立つ魔術師がいれば同じことはできた。でもあなたのポジションだけは、無理。知り合いの狙撃魔術師から話を聞いたわ。いくら魔界との道が……その特異点が剥き出しだからって、それを正確に一撃で撃ち抜くのは自分にはとうてい無理だ、といわれた。うちの町じゃけっこう名のある人なんだけどねー」

 

 それは、そうかもしれない。

 ヤァータから流れてくる情報によって脆弱なポイントが一瞬でわかるからこそ、おれの狙撃は正確さと威力を両立できているのだから。

 

「それと、マイアちゃんか。老いなき者たち(エターナル)はあの子が呼んだんでしょう?」

「そのあたりは、わからん」

 

 悪いが、ここはとぼけさせてもらう。

 ロッコは、うんうんとうなずいてみせた。

 

「いいよ、あなたがマイアちゃんを守ろうとしているのはわかるし、あの子にはきっと秘密がある。でも、まあ。あの子はあなたとリラに懐いてるし、リラの方もあの子を好いている。なら、いいや。聞かないことにする。帝国からの聴取にも、上手く答えておいてあげるから」

 

 本当に助かることだ。

 こちらに都合がよすぎて、裏があるのかと疑いたくなるほどである。

 

「裏は、あるよ」

 

 はたして、少女はまた葡萄酒をかぱかぱ呑みながら告げる。

 

「その方が、リラが喜ぶからね」

「友人だから、か? 領主である前に?」

 

 目の前の人物は、家と町の為に生きている。

 己より家を大切にする、貴族の価値観を突き詰めているように思えたからこそ、疑問が出てくるというものだった。

 

 ロッコは、微笑んで天井をみあげる。

 やさしい笑みだった。

 

「帝都でわたしを最初に認めてくれたのは、リラだった。わたし、腕っぷしには自信があったけど、学科の成績が壊滅的でね。帝都の学院では、腕っぷしがあるだけじゃ、そこらのごろつきと変わらないといわれた。魔術師はあくまで知識の求道者であれ、ってね。リラは違った。屁理屈を黙らせるには腕っぷしがいちばんだ、っていいだして……まあ、あの子は学科も抜群だったんだけど」

 

 腕っぷし、といっても魔術師としての技量の話だ。

 おれにはなかったちからである。

 

 帝都の学院が知識を貴ぶのは、あそこが陛下のお膝元で、成績優秀者が官吏としてとり立てられ、立身出世できるというルートがあるからだ。

 ジルコニーラ王女も、目の前の少女も、最初からそのルートには乗らないことを決めているタイプで、一般的な帝都の学院の生徒とは毛色が違う。

 

 帰る家がある者と、己のため立身出世を望む者。

 両者の対立には、おそらくそういう背景があったのだろう。

 

 だが、本来は立身出世タイプの生徒であったはずのリラが、そんなことは関係ない、とばかりに振る舞った。

 それは、いまのリラから逆算すればまあ納得できるところはあるのだが……。

 

 当時の彼女を外からみれば、多くの者が目を丸くし、あるいは怒り出したとしても不思議ではない。

 暴れまわったら就職に不利になるって話がそもそも凡人の発想であって、あいつみたいな規格外の天才には関係ないのだし。

 

 とはいえ、それで救われた者もいたのだろう。

 たとえば目の前の少女のように。

 

「わたしも、けっこう頑張ったつもりなんだけどね。貴族としての教養や領地経営論、次世代の会計システムとか、そういうのはそこそこイケた」

「領主として重要なことは、しっかり学べたわけか」

「リラは、そういうのまるきり無視だったよ。魔法の理論とかの講義をとりまくって、教授に片っ端から議論をふっかけてた」

 

 あいつらしいな、と思う。

 そんな人物が魔術師としては異端も異端の狙撃魔術師になったのだから、そりゃ、まわりも驚くというものである。

 

 上手くできているのか、と友人として不安なのも当然だろう。

 ロッコは、けっきょくリラの狙撃をいちどもみていない。

 

「あの子の狙撃の腕、みたかったな」

「そこは、おれが保証する。現時点でも並の狙撃魔術師を凌駕しているよ。まだまだ伸びるだろう」

「そっか。じゃあ、安心だ」

 

 葡萄酒がおれの杯に注がれた。

 呑め、というのだろう。

 

 ぐい、と杯を呷る。

 独特の渋みが口のなかに広がり、次いで意外なほどの清涼感が喉もとから広がっていく。

 

「うまい酒だ」

「そりゃ、せっかくだし、いいのを開けたからね」

 

 金額を聞いて、目を剥いた。

 おいおい、そんな酒を気楽に呑ませようとするんじゃないよ。

 

「いいの、いいの。いまのわたしは気分がいいのだ」

「そうか」

「リラのこと、よろしく頼むね」

 

 最近、いろいろなことを頼まれている気がする。

 まあ、我が弟子については、もとより乗りかかった船だとうなずいてみた。

 

 ロッコは満足そうに笑って、またなみなみと酒を注ぐ。

 その日はたっぷりと酔った。

 




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第51話

 あの戦いのあと、ヤァータは以前からマイアの正体を知っていたと白状した。

 知ったうえで放置していたが、彼女の迂闊な行動をみるたび、気が気ではなかった、とも。

 

 具体的には、ブラック・プディングを退治した少し後くらいに山脈の向こう側を偵察したところマイアと出会い、穏便なかたちで会話することに成功したのだという。

 最近のヤァータに感じていた違和感の正体はこれだったわけだ。

 

「ご主人さまに危害を加えることはないだろう、と判断いたしました」

「おまえの判断は合っていることもあるし、てんで間違いなこともある。おまえは、おまえが思っているほどヒトを理解していない。くれぐれも、自分ひとりで判断するのはやめてくれ。きちんと相談してくれれば、こちらも相応に対処できる」

「了解いたしました」

 

 ヤァータは殊勝にうなずいていたが、なにせいくつも前科があるこいつのことだ、あまり信用できない。

 こいつ、内心では「わたしの判断はいつも完璧ですが?」とか思ってそうだからな……。

 

 正直、おまえのガバガバさはマイアといい勝負だよ。

 それでも、おれがマイアを上手く教導した件に関しては「ご主人さまのデータを上方修正いたします」と認めてくれた。

 

 いやこれ、認められたのか?

 微妙に馬鹿にされてないか?

 

 問い詰めたところで適当にはぐらかされるだけな気がする。

 本当に腹が立つな、このクソカラス。

 

 とはいえ、結果だけみれば。

 マイアがいたおかげで、境魔結晶を巡る一連の事件をおれたちは生き延びることができたのだ。

 

 彼女に関して、思うところはない。

 むしろ、感謝することばかりだ。

 

 そんな気持ちを、マイアに伝えた。

 宿の部屋で、たまたまふたりきりになったときである。

 

「魔界への道が開く事態ともなれば、わたくしは対界協定(アライアンス)に従い粛々と我らに課せられた使命を果たすのみ。その件について、感謝は不要です」

「その対界協定(アライアンス)というのを、おれはまったく知らなかった」

「あなた方の間では、既に失伝して久しいようですね。ヤァータ殿にお聞きいたしました」

 

 おれは窓辺に立ってそしらぬ顔をしているカラスを睨んだ。

 ヤァータは平然とした様子で「ヒトと、老いなき者たち(エターナル)と繋がりのある諸種族の間には、おおきな知識の断絶がある様子です」と返してくる。

 

 知識の断絶、なあ。

 文書にして保管されるヒトの歴史より、老いなき者たち(エターナル)から記憶を歴史として直接叩きこまれる奴らの方が正確な知識を持っているという話も、なんとなく理解し難いところがあるんだが……。

 

 実際に老いなき者たち(エターナル)式の知識を叩きこまれた側としては、わからないでもないのだけれど。

 あんなの、ヒトの頭で処理できる情報量じゃない。

 

 種としての格差がありすぎて、相互理解すら難しい。

 それが実感として理解できてしまった。

 

 どちらかというと、ヒトがその低い処理能力の割に、大陸で存在感を示し過ぎているというか……。

 そのへん、本当のヒトの立ち位置ってどうなってるんだろうなあ。

 

「ご主人さまは、どうかヒトとヒトならざる者、両者の架け橋となられますよう」

「おれの手には余る」

「大丈夫です。ご主人さまは、誰に求められずとも、それをやってのける御仁です」

 

 だから、勝手に妙な期待を持たないで欲しいといっているんだ。

 このカラスは相変わらず自分勝手で、どうしようもなくヒトの話を聞かない。

 

 マイアも、そこで腕組みして、うんうんとうなずいてるんじゃない。

 

「わかりますとも」

「いやきみ、それ全然わかってないときの顔だよな」

「なんと」

 

 

        ※※※

 

 

 おれとリラ、マイアの三人は、グクモから慌ただしく旅立った。

 後のことはロッコとご老人に託し、帝国の悪魔対策部門が来る前に、さっさとずらかるということだ。

 

 ロッコが手配してくれた御者つきの二頭馬車に乗り込み、来たときとは別の道を通り、北へ向かう。

 リラはマイアの隣に座り、ロッコからのおみやげだという蜂蜜がたっぷり入った焼き菓子をマイアの口に突っ込んでいる。

 

「んー、マイアちゃんはかわいいねえ」

 

 と、たいそうご満悦であった。

 マイアも自分の手で食べればいいのに、なぜわざわざリラに食べさせて貰っているのか。

 

 そのことを訊ねてみれば……。

 

「こうすれば、リラが喜びます。女子会、というものだそうです」

 

 との返事がきた。

 なるほどな。

 

 まったくわからない。

 黙っておくことにする。

 

「それに、わたくしの両手は塞がれておりますので」

 

 マイアの胸もとに視線を落とす。

 ヤァータがマイアに抱かれ、喉やら頭やら背中やらを撫でられていた。

 

 カラスに擬態した異形の存在は、おとなしく、されるがままである。

 おれがそう命じたからだ。

 

 こいつが嫌がっていると知っていての、せめてもの反撃である。

 どうせ、たいして堪えちゃいないだろうが……。

 

「あっ、ししょーも食べますか? あーん、してください、あーん」

「甘いものは苦手なんだ」

「そういわずに、試してみてもいいんじゃないですか。おいしいですよー」

「胃がもたれるんだよ……」

 

 若い子の胃袋にはついていけないんだ。

 勘弁して欲しい。

 

 

        ※※※

 

 

 普通の馬車なかで数日揺られて、旅人と商人でにぎわった町にたどり着く。

 おおきな交易路の、南東の終端である。

 

 つまり、いままでおれたちがいた場所は、主要交易路からだいぶ外れていたということだ。

 この終端の町ですら人口は五千人に満たないから……。

 

 まあ、ここより南から南東側は、それだけの田舎ということである。

 これでもここ三十年かそこらで、人口が倍くらいに増えているらしいが。

 

 おかげでかつて町を囲んでいた壁はとり壊され、かつて壁があったあたりの外側に市街地が広がっている。

 このあたりでも、蒸すような暑さは相当なものだ。

 

 人々は薄着で通りを歩き、川べりでは子どもたちが裸で水浴びする姿がみえる。

 春が過ぎ、間もなく夏が来る。

 

 そういえば、リラがおれのもとに押しかけてきたのは、一年前のこの頃だったか。

 あれから様々なことがあった。

 

 彼女はいまや、一人前の狙撃魔術師となった。

 どこに出しても恥ずかしくない狙撃技術をみにつけるに至っている。

 

「ところで、ししょー。これからどこへ向かうんですか? それによっては、ちょっとお話しておきたいことがあるんですけど」

 

 町の入り口付近に建てられた馬小屋の前。

 馬車を降りたところで、ふと思いついた、とでもいうようにリラが訊ねてくる。

 

 マイアは「よくここまで、頑張ってくれました」と馬の頭を撫でるのに忙しい。

 馬の方も、なぜかマイアによく懐いていて……これひょっとして、馬の言葉とかわかっていたりするのかなあ。

 

「おまえから、話? あー、そういえば以前、故郷は温かいところだって……」

「ええ、はい。父が領主をしている土地、けっこう近くなんですよね……。もし通るなら、変装くらいはしておこうかな、と」

 

 あれ、ご挨拶するって話じゃないの?

 そうか、二度と帰って来るなっていわれてるんだっけか。

 

 万が一にも、次期当主争いの火種にならないように、と。

 難儀だな、貴族ってやつも。

 

「それで、いいのか?」

「いいんです。わたしは父のことが嫌いじゃないですけど、いま会いたいとは思いません。定期的に手紙は出してますしね。もちろん、いろいろ迂回して、ですけど」

 

 聞けば、彼女の父が知己とする貴族の家に手紙を送るのだという。

 彼女の父は、その貴族の家でのみ、リラの手紙を閲覧することができる。

 

 しかるのち、すべては燃やされる。

 証拠はなにひとつ残らない。

 

 本妻はそのあたりに気づいているのかもしれないが、いまのところ父にはなにもいってこないという。

 子どもたちは、おそらくなにも知らない、とも。

 

「そこまで厳重にするのか……」

「父がわたしと連絡をとり合ってた、なんて情報、義兄たちが聞いたら……。錯乱して、父を暗殺するかもしれません」

「なんでだよ」

 

 思わずツッコミを入れてしまった。

 リラが暗殺される、とかじゃないのか。

 

 いやまあ、こいつ暗殺するのはちょっとどころじゃなく難しそうだが。

 だからって、どうして父親を殺すなんて話になる?

 

「父がわたしを後継者に指名する前に、とか考えるわけですね」

「なる気なんて、微塵もないんだろう?」

「ええ。でもそれくらい、彼らはわたし怖がっているんですよ。ろくに会ったこともない、帝都で名を馳せた才媛を。優秀すぎるライバルを。特にこの半年はそのへんが余計に」

 

 半年、か。

 いや、なんでだ? おれに弟子入りしたからか?

 

「違いますって、そっちじゃなくて……。ジニー先輩が、結果を残しちゃったんですよね」

「ああ……」

 

 北方の小国メラートのジルコニーラ王女の姿を思い出す。

 帝都の学院に留学していた彼女は、帰国後、またたく間に国の改革を始め、短い間に数々の成果を挙げている。

 

「ジニー先輩とコンビを組んでたわたしも、じゃあ領主として優れているかもって……。そんなわけないのに」

 

 そりゃ、そうだ。

 友人だから同じことができるなんて、そんな話があるはずもない。

 

 リラは下を向き、淡々と語る。

 

「あのひとは最初から王女として立つことを考えて在学していたんです。そっち方面でも勉学を怠らなかったんでしょう。わたしには隠してましたけど。わたしはジニー先輩とは違います。のほほんと、魔術師として必要な知識ばかりを詰め込んでいました」

 

 なんか最近、似たような話を聞いたな。

 思い出した、ロッコだ。

 

 こいつら、似た者同士というか、なんというか……。

 こいつとロッコは、一日だけ、時間をとって話をしたのだが……。

 

 本当は、もっと時間をかけさせてやりたかった。

 数年ぶりの再会で、いろいろ話したいこと、いっしょにやりたいことがあっただろう。

 

 だがそれは、いろいろな事情があって無理だった。

 おれたちは逃げるようにグクモを後にした。

 

「もしいま、仮に血縁者がみんな死んじゃって、わたしに領主の地位が転がり込んできても、困るよ。なにも準備ができてない。そういうのは、一朝一夕にできるものじゃない。それくらい、わたしにだってわかる」

 

 どうなんだろうな。

 こいつは学習能力が高く、一を聞いて十を知る、というタイプだ。

 

 領主の仕事も、必要とあらばすぐに覚え、そこそこ以上はこなしてしまう気がする。

 本人は絶対にやりたくない仕事だろうし、他にも多くの適性があるなかでわざわざ嫌われてまでそんなことをする必要も理由もない、というだけである。

 

 とはいえそれは、おれがいうべきことではないのだろう。

 彼女が、彼女なりに納得するということが必要なのだ。

 

 生きる、ということはさまざまな道のなかから一本を選んで歩くことである。

 他の道の先にどのような未来が広がっていたとしても、既にひとつの道を選んで歩き出した者にとって、それ以外のすべては存在しないも同然のものなのだ。

 

 それでも、別の道を歩けという者がいる。

 他人の人生を勝手に規定しようとする者が。

 

 加えて、他人の気持ちを勝手に推測し、こうであると決めつける者が。

 彼女がいま語っているのは、そういった者がいる場所に立ち入るなら、という用心の話だ。

 

「わかった、リラ。おまえのことを知っている者がいる土地には立ち入らないようにしよう。これは決定だ」

「ししょー……」

「これからも、なにか思うところがあったらすぐに相談しろ。いいな」

 

 リラは素直にうなずき、並んで歩くおれの腕に頭をくっつけた。

 おいこら、歩きにくいだろう。

 

 ひとつ、おおきなため息をつく。

 普段なら振り払うところだが、いまだけは許してやることにした。

 

 マイアが馬から下りて、ヤァータを両腕で抱きかかえたままこちらにやってくる。

 相変わらずあまり表情は変化しないが、なんとなく幸せそうであった。

 




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第52話

 時間は遡り、グクモ近郊の集落における悪魔召喚を巡る戦いの数日後。

 グクモに戻り、落ち着いたところで、おれは改めてマイアと対話の場を設けた。

 

「これからきみは、どうしたい?」

 

 彼女の正体を知ったうえで、おれは彼女の意思を確認する。

 いちおう、よくわからん熊に託されてもいるしな。

 

「わたくしは……」

 

 マイアはうつむいて、言葉を切った。

 一拍置いて、ふたたび口を開く。

 

「やはり、帝国にいるべきではないのでしょう」

「そういう話をしているんじゃない」

 

 おれは彼女の肩に手を置く。

 身体が浮き上がる感覚はなく、魔力が動く様子もなかった。

 

 マイアは顔をあげた。

 おれをみつめるルビーの双眸が、また、ひどく濁っているように思えた。

 

「しかし……」

「きみがこれから、どうしたいか。どう生きたいか。これは、そういう話だ」

「どう、したいか。生きたいか」

「そうだ。近視的な観点からいえば、おれやリラと共に来るか、あるいはどこか行きたいところがあるか……帝都で学院に行くのもいいだろうし、おれたちについてきて欲しい場所があってもいい、そういう部分も含めて、だ。ちなみにおれには、さしたる目的もない。存分に希望を語っていいぞ」

 

 そもそも、おれとリラがエドルを出たのも、黒竜の目から離れてほとぼりを冷ますためだしな……。

 その問題が解決してしまった以上、エドルに戻ってもいいのだ。

 

 ただその場合、目の前の少女の正体がバレてしまうと、いろいろ面倒なことになる。

 黒竜討伐に向かって殺された者たちの多くは、エドルの貴族なのだから。

 

 完全に自業自得とはいえ、マイアを仇と狙う者も出てくるかもしれない。

 ここでいったらややこしいことになるから、あえて口をつぐんでいるけど。

 

「わたくしは、各地をまわり見聞を広げたいと考えております。故に――」

 

 マイアは少し考えたすえ、そう返事をした。

 

「――引き続き、おふたりの旅に同行させていただきたい」

「よし、じゃあ決まりだ」

「あと、甘いお菓子をたくさん所望いたします」

「あまり食べ過ぎると身体に悪いぞ」

「そこは、竜ですので。ヒトほど脆弱な身体はしておりませぬ」

 

 マイアは真顔で返事をする。

 以前のように表情は変わらないものの、どこか嬉しそうなその様子をみて、おれは安堵の息を吐いた。

 

「しかし、よろしいのですか? わたくしは、いささか面倒な存在です」

 

 よろしいもなにも、別にそれでなにが困るということもないしなあ。

 おれもリラも黒竜に知り合いを殺されたわけじゃないし、帝国に忠誠を誓っているわけでもない。

 

 むしろ師弟揃って、貴族連中に対しては、どちらかというと反感を抱いているタイプである。

 彼女がどれほどちからを持つ人外の存在であったとしても、おれにとってはただの、ちょっと常識が足りないだけの子どもにすぎない。

 

 いや、待てよ。

 そもそも彼女が少女の姿をしているからといって……。

 

「つかぬことを聞くんだが、きみの年齢は?」

「ふむ」

 

 マイアは腕組みして、小首をかしげた。

 

「女性に歳を訊ねるとは、いささか紳士的ではありませんね」

「どこでそんないいまわしを覚えた」

「リラから、淑女はそう返事をするものであると教えていただきました」

 

 マイアは、どうだ、とばかりに胸を張る。

 まあ、そんなところだと思ったよ。

 

 元気が出てきたようでなによりだ。

 

「で、何歳なんだ」

「今年で八十七となります。まだまだ若年の竜ゆえ、至らぬことばかり。世には知らぬことばかりと日々、実感しております」

「ヒトなら立派に老人だ。長命種の時間感覚だな……。ちなみにきみの弟、トロルの血が入ったあいつは、いくつだったんだ」

「二十一で、あなた方に討ちとられました。トロルとしては成人、故にいささかばかりの分別がついたものと考えておりましたが、あのように無茶をしでかし……まことに残念なことでありました」

 

 マイアはおれをみあげ、淡々と語る。

 ルビーの瞳から、少し濁りが消えているような気がした。

 

 あえて感情を抑えているのか、それとも本当に割り切ってしまっているのか。

 竜の感覚というのはよくわからない。

 

「重ねて申しますが、弟についてはお気になさらぬよう。父から申し遣っていたにもかかわらず、あれをしっかりと躾けられなかったわたくしの責任です」

「あ、ああ。わかった、その点について話すのは、もうやめておこう」

 

 お互いにとって愉快な話ではない。

 だが最低限、確認しておかなければならない部分であった。

 

 そもそも、実際の彼女の年齢はおれの倍だったわけで……。

 

「子ども扱いして悪かったな。きみのことは一人前の大人として扱うべきなんだろう」

「いえ、わたくしは実際に、右も左もわからぬことばかりの子どもです。先日も、老いなき者たち(エターナル)の方々に、もっとよく学ぶよう申しつかりました」

「比較対象が悪すぎないか?」

 

 老いなき者たち(エターナル)

 空飛ぶ鮫、亀、そして熊。

 

 何万年という気が遠くなるような歳月を生きているという、ヒトよりはるかに上位の存在たち。

 聞けば鮫は、マイアに歴史を教えた、いわば師ともいうべき存在であるとのことである。

 

 おれも喰らった、あの他者の残留思念を頭のなかに押しつけてくるような魔法。

 いや、魔法なのかどうかもわからないあれを用いた、極度に圧縮された知識の押しつけのようなものを、マイアはなんども受け止めたとのこと。

 

 歴史、と彼女がときどき語るとき、それはあの魔法による記憶のおしつけのことだったのだという。

 あいつらとおれたちでは、用語ひとつとっても、その意味にだいぶ差異がある気がしてならない。

 

 うーん、教育方法が異質すぎる。

 つくづく、彼女がヒトとは異質な存在なのだと思わされてしまう。

 

 それでも彼女は、ヒトの社会に入り込むことを望んだ。

 引き続き、それを続けていきたいと声をあげている。

 

 ならばおれがするべきことは、ただひとつだ。

 

「わかった。じゃあこれからも、きみのことは外見通りの存在として扱うことにしよう」

「そう認識していただければ、幸いです。ヒトの社会においては、かわいい子どもとして振る舞うことで相応の利益を得ることが可能であると聞き及んでおりますし」

「聞き及んでって、リラからか」

「無論」

 

 あいつほんと、ロクなこと教えないな。

 

 

        ※※※

 

 

 マイアにはもうひとつ、聞いておきたいことがあった。

 

「きみの本来の姿は、あの黒竜なのか?」

「本来の姿、というのがなにを指すのか、それは難しい問題です。竜としてのちからをもっとも振るいやすいのが、あの姿であることは確かです。老いなき者たち(エターナル)を呼ぶに際し、このヒトに似た姿では、声帯にいささか問題を抱えていたのです」

「これまでおれがみた竜は、皆、あんな風におおきな蜥蜴のような姿だった」

「で、ありましょう。竜は傲慢、と呼ばれるのは己ひとりで完結しているが所以。あの姿であることに強い誇りを抱く者が多い。ですが父は、そう考えませんでした。わたくしにも、そう教え込みました。それは本来の竜のありかたとは異なっている、という竜の間における一般的な認識もまた、父から教わりました」

 

 なる、ほど。

 彼女の口ぶりから察するに、竜はいくつかの姿をとることができるが、巨大な蜥蜴の姿でいることが普通である、と。

 

 無論、竜が魔法で姿を変えることはよく知られている。

 そうして異種族と交わり、子を為すことも。

 

 竜混じり。

 彼女の弟であるトロルも、その一体だ。

 

「そんな父は、他の竜から、嘲笑も込めて賢竜、と呼ばれておりました。財宝ではなく、下等生物の知識を蒐集する卑しき竜、という程度の意味です。父はその言葉を気に入り、老いなき者たち(エターナル)との交流においては、その通り名を使っておりました」

 

 賢竜、というのは卑称なのか。

 文化が違いすぎる。

 

 というか、竜にとって財宝を集めるのは高貴な趣味なんだな……。

 このぶんだと、おれたちヒトが勘違いしている竜の知識はまだまだありそうだ。

 

「なんというか……竜の社会というのも面倒そうだな」

「故にわたくしは、父が亡きあと、他の竜に頼るという選択を最初から捨てておりました。彼らと交わることには害ありとも益なし、と考えていたのです」

 

 彼女にも、変わり者の子、という自覚はある、と。

 あくまでも竜として変わり者である、というだけで、ヒトの常識は充分にある、と思っていたっぽいけど。

 

 老いなき者たち(エターナル)に指摘されてめちゃくちゃ驚いてたもんな……。

 それとは別に、竜の一員としての誇り、みたいな意識もあるみたいだ。

 

 マイアと名乗る人物の価値観は、多くの異質な存在の間を行き来し、それらの()()()()()が少しずつ積み重なって形成されている。

 ひどく複雑で、そしてそれはおそらく、彼女にしか存在しない唯一無二なのだ。

 

「ヒトの基準で語るならば、竜というのは、個人主義なのです。群れることをよしとしない。それを誇り高いと信じる気質の持ち主が大多数です。故に、以前お話した通り。竜は、ヒトが群れてつくったこの帝国のような存在にはけっして敵わない。ありようの相性が悪すぎるのです。ヒトが群れ、大陸に溢れた時点で、竜という種族はいずれ滅びるものとなったのでしょう」

「きみは、それをよしとしない?」

「種族としての竜が滅びるならば、それもまた自然の摂理。よろしい、とは申しませんが、いたしかたないことです。ですがわたくし個人としては、その滅びに巻き込まれるなど御免被ります。わたくしもまた、個人主義な竜のひとり、ということなのです」

 

 なるほど、な。

 これまでの彼女の行動の理由が、おおむねみえてきた。

 

 山を下りてヒトと交わることで、孤高を尊ぶ他の竜とは別の道を模索する。

 しかし同時に、彼女自身はその道を信じ切ることができず……。

 

 故に、ひとつ目巨人と姫の物語に幸せな結末をつけることができない。

 あまり表情が変わらないからわかりにくいが、彼女は内心で数多の苦悩と模索を繰り返してきたのだろう。

 

「まだ、季節は春から夏に変わる程度だ。熊も言っていたが、きみが山を下りてから、時は幾許も経っていない。竜の時間感覚ならなおさらだろう」

「ええ、なにかを決めるには早計。それは理解しております。ですが同時に、わたくしが知らないことはあまりにも多いのだと気づかされる日々でもありました」

「それこそ、焦ることはなにもないんじゃないか」

「あなた方にご迷惑をおかけしてしまいます」

「それは問題ない、といったはずだ。熊にも頼まれた」

 

 マイアはルビーの双眸でおれをじっとみあげた。

 やがて、その口もとがわずかにほころぶ。

 

「律儀なのですね。あなたにはなんの益もないことであるというのに」

「そうとも限らないさ。生きてきた人生の時間はきみの半分以下だが、思わぬ物事が幸を呼ぶ、という経験はいくつもある。もちろん凶事を呼ぶこともあるが……そんなのは、やってみなければわからない」

 

 あいつの妹との出会いがきっかけで、おれはエドルという土地を知った。

 あいつを亡くしたあと、彷徨った結果、さまざまな土地で、いろいろな人々との出会いを得た。

 

 悪魔と戦い死にかけたことで、ヤァータと主従の契りを交わした。

 そのおかげで、ぱっとしなかったはぐれ者は、一流の狙撃魔術師となった。

 

「釈然としない話だが、ヤァータはきみを気にかけているしな」

「あの者は、真の賢者でありますからね」

「賢者……いや、そう、だな。うーん、いわんとしていることはわかるし一面でそれは正しいはずなんだが、しかしこう、それを認めたくない気持ちが……」

 

 マイアは、きょとんとして首を横に傾ける。

 おれの苦悩は伝わらないようだ。

 

「これはおれの感情的な問題なんだが、あいつに素直に従うのは腹が立つ」

「道理」

 

 少女の姿をした竜は、重々しくうなずいた。

 

「ヒトは正論では動かない、とヤァータから聞きました。特にあなたは、とも。納得です」

「そういう納得はやめて欲しい」

 

 それって、おれがひねくれてるってことだよな? あいつめ、主人の陰口をこんな子に吹き込みやがって。

 やっぱり信用がならん。

 




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第53話

「ロッコの赤ちゃん、可愛かったなあ」

 

 グクモから旅立ってしばしの時が経ち、とある町の酒場にて。

 リラが薄めた葡萄酒を口に運び、思わずといった様子で呟く。

 

 かの集落での戦いの後、グクモに戻り旅立つまでの間。

 彼女は領主の屋敷でまる一日、旧友と語らい、絆を確かめ合ったのだ。

 

 その際、ロッコの夫と共に、生後半年にもならない赤子を紹介されたとのことである。

 ちなみにそのとき、おれも誘われていたのだが……。

 

 リラとロッコにとってはせっかくの親友との絆を深める機会なのだから、と断った。

 おれなんかがいても、邪魔になるだけだ。

 

 ご老人と共に、いくつか片づけなければならない後始末もあったしな。

 なおその間、手持ち無沙汰のマイアは、ご老人の屋敷の老メイドが話し相手となっていた。

 

 老メイドはたくさんのおとぎ話を知っていて、黒竜の娘は彼女の話に夢中になっていたのである。

 別れ際、彼女は老メイドに「自分はもう、いらないから」と数冊の本を貰っていた。

 

 帝国のあちこちで綴られたさまざまな昔語り、それが記されたものである。

 ずっと昔、帝都で手に入れたものであるらしいが、ぼろぼろにすり切れ、羊皮紙のページ一枚一枚が手垢にまみれていた。

 

 なんども読み返された、きっと彼女にとって思い出の品だ。

 そんなものを渡すほど、マイアのことを気に入ってくれたのか。

 

 老メイドの思いがどれほど伝わったのか。

 

「保存の魔法をかけて、一千年後にも伝わるようにいたしましょう」

 

 老人の屋敷を辞する際。

 受け取った本を胸もとでぎゅっと握って、はにかんだ様子でそう語るマイアの双眸は、いつになく輝いていた。

 

 さて、本来はもっとゆっくりしてしかるべきそんな状況でありながら、帝都から慌てて派遣されるであろう悪魔対策組織の者たちに事件のことを根掘り葉掘り聞かれるのも面倒と旅立つことになったおれたちである。

 リラとしても、もっと親友と語り合いたかったに違いない。

 

 本当は、数日、親友の赤子を抱いていたかったのだと思う。

 そのあたり、なんとも申し訳なかったなとは思うのだが……。

 

 まあ、マイアのこともあるし、仕方がない。

 リラには彼女の正体について話してはいないけど、面倒な事情聴取で何日も拘束されるのは嫌だ、という想いは彼女も同じである。

 

 かくしておれたちは、早々に帝国の南東の辺境をあとにして、北へ向かったわけである。

 ここらあたりまで来れば、もういいだろう、というあたりまで。

 

「ロッコ、わたしと同い年なのに、もう結婚して子どももいるんだもんなあ。貴族って、ほんとたいへんだよ。相手はいいひとだけどね。でも、結婚するまでいちども話したことがない人だったって」

「両親の急逝で、家も焦っていたんだろうから、こればっかりはな……」

「うん、あの町がきちんとしていて、領民もみんな明るくて。それはきっと、ロッコの家がきちんとロッコを盛り立てたおかげ。でもそれは、わたしの親友が家のために自分を使い潰されることに納得できるかどうか、って話とは別」

 

 貴族嫌いの少女は、水で薄めた葡萄酒を口に運びながら告げる。

 なおこの間、マイアはリラの隣に座り、蜂蜜のたっぷり入った焼き菓子を口のなかにたっぷりと詰め、それを咀嚼する仕事に忙しい様子であった。

 

「夫婦仲が良好で、子どももできて、領民にも慕われていて、本人も納得してるんだから、わたしがなにかいうべきじゃない。だから、わたしが余計なことを口走る前に町を発ったのはよかったんだよ」

「おまえは相手が嫌がるようなことはいわないだろ」

「どうかな。つい嫌みをいっちゃうかもしれないし」

 

 それは、そうかもしれない。

 彼女もロッコと呼ばれていた少女も、まだ本来なら学院で勉学に励んでいるような年齢なのだ。

 

 ふたりとも頭はまわるし、そこらの騎士なら軽く制圧するようなちからもある。

 だがそれは、己の感情を適切に抑制することが可能なことと同義ではない。

 

「自分が少し情けないよ。わたし、なんでもできると思ってたんだけどなあ」

「全能感を覚えるのは若いやつの特権だ。適度にへこんでおけ」

「ししょー、そこは慰めるところでしょーっ!」

 

 しらん、専門外だ。

 おれは狙撃しか能がない男なんだよ。

 

「リラは、慰めて欲しいのですか? わたくしは、リラがとてもよくやっていると考えます。リラをみて、己の至らぬところを知るばかりの日々です」

「マイアちゃんありがとう! でもちょっと複雑な気分かな!」

「頭を撫でて差し上げましょうか?」

「えーと、はい、ありがとうね?」

 

 リラの頭の上に手を伸ばし、よしよしと金髪を撫でるマイア。

 微笑ましい光景である。

 

 まあ、この外見十二歳の少女にみえる黒竜、実年齢八十二歳の少女(本人談)なんですけどね。

 

「そういえば、マイアちゃん、この先、どこか行きたいところがあったりするの?」

「ふむ」

 

 少女はリラの頭を撫でる手を止め、首をかしげてみせた。

 しばしののち、ぽんと手を叩く。

 

「リラ、わたしはさまざまな物語を知りたいと考えます。本を集めた場所があると聞きました」

「なるほど、図書館のある町は、ちょっとおおきいところなら……問題は閲覧権限かなー」

「他の劇も、みてみたいと思います」

「ああ、演劇や歌劇かー。巡回の劇団でもなければ、よほどの都市でもないと、なかなか。でも、そっか、それはアリだね!」

 

 ふたりの会話を聞きながら、おれは考える。

 帝都に行くならともかく、このあたりで、それだけの大都市、か。

 

 どこかあったかな?

 ちょっと調べてみてもいいかもしれない。

 

「ししょーは劇とか興味あるの?」

「いや、ぜんぜんだ。実はいちどもみたことがない」

「それじゃ、いちどはみるべきかもだね」

 

 そうかもしれない。

 なにごとも経験だしな。

 

 マイアをみていると、なんとなくそんな、前向きになってくる。

 芸術なんて、てんで興味がなかったのだが。

 

 

        ※※※

 

 

「そういえばさ、ししょー」

「なんだ」

「そろそろ夏だね」

「ああ」

「もうすぐ一年、だよ。わたしがししょーのもとに押しかけてから」

「押しかけたって自覚があるのは偉いぞ」

「えへへ」

「皮肉だ。だいたい、そのときは断ったし、それからしばらくおれは竜退治で忙しかった」

「そうだね。まさか二十日もエドルに帰ってこないとは思わなかった」

「公式には存在しない依頼だったからな」

「わたし、十六歳になったよ」

「ちょっと遅くなったが、誕生日のお祝いとか、するか?」

「ししょーは誕生日のお祝い、した?」

「いや。ここのところ、誕生日はだいたい、狙撃の仕事の最中でな」

「そっか。じゃあわたしもいいや。それが狙撃魔術師ってことで」

「狙撃魔術師の嫌な伝統をつくるのはやめた方がいい気もするな……」

 

 自分が狙撃魔術師の最先端なのか、それとも異端なのか、微妙なところだ。

 普通の狙撃魔術師はもっとおおきなチームをつくるものだし、ここまでたて続けに大物を狙ったりしないし、そもそも悪魔案件に関わったりしない。

 

 そもそも、仕事でもないのに、あちこち旅する狙撃魔術師というのも珍しいだろう。

 長筒の魔力タンクという荷物があるから、どうしても馬車旅が中心になるし。

 

「まあ、それはそれとして、弟子の誕生日くらい祝いたいところだ」

「えへへ、嬉しいよ、ししょー」

「欲しいものとか、あるか?」

「んー」

 

 リラは少し考え込んだあと、にへらと笑う。

 

「欲しいものは、この一年でだいたい貰っちゃったかなあ」

「そうか? たいしたことをしてやれたとは思ってないが」

「そういうとこだぞ、ししょー」

 

 こんどは、なぜかジト目で睨まれた。

 目の色も髪の色も違うし、顔も身体つきも違うのに、なぜだかずっと昔の、あいつに睨まれたときのような感覚を覚え、落ち着かなくなる。

 

 ごまかすように、ひとつ咳をした。

 

「考えてみよう。マイアにもなにか用意しないとな」

「そこでマイアちゃんの名前が出てくるの、ししょーのよくないところだと思う!」

「おまえにだけ贈り物をするのも、なんだかこう……」

「それはそうだけど! うん、マイアちゃんにも贈り物するべきだと思うよ! ちくしょーっ、ししょーが圧倒的に正しい!!」

 

 むきーっ、と天をみあげて叫ぶ弟子。

 こいつの感情の推移は頻繁にわからなくなる。

 

「はあ、うう、もういいや……疲れた」

「元気は若さの特権だな」

「ししょー、適当なこといってるでしょ」

 

 ジト目で睨まれた。

 

 

        ※※※

 

 

 翌日。

 おれたちは町を出て、馬車で北上する。

 

 季節は夏に入り、強い日差しが馬車の天井を焼く。

 冷却の魔法がかかった馬車の壁も、熱のすべてを吸収しきれず、それだけではいささか蒸し暑い、となり……。

 

「わたくしの魔法で、風を送るといたしましょう」

 

 マイアが軽く手を振ると、馬車内部の空間を渦巻くように風が吹いた。

 おお、涼しい。

 

 リラが、ぎゅっとマイアの首に抱きつく。

 

「これは一家に一台、マイアちゃんだね」

「リラ、互いの熱が伝わり、これでは風の効用が半減です」

 

 相変わらず仲の良い、まるで姉妹のようなふたりをみながら、おれは思わず口もとを緩める。

 マイアも、あまり表情が変わらないながら、ここしばらくでだいぶ、感情がわかりやすくなったように思うのだ。

 

 たとえば、いまも。

 口では億劫そうなことをいっていても、リラに抱きつかれていることを嫌がっていないな、と。

 

 身体をぐらぐら揺すられても、そのじゃれつきを心地よく感じているな、と。

 なんとなく、彼女の感情が伝わってくるような気がするのだ。

 

「リラ」

「なーに、マイアちゃん」

「わたくしは、あなたを好ましく感じております」

「えっ、マイアちゃん待って、わたしそっちのケはないよっ!」

「そっち、とは?」

 

 ばっと慌ててマイアから離れるリラ。

 きょとんとして、しかし人肌のぬくもりが離れてしまったことを少し残念がっている様子のマイア。

 

「わたくしでは、あなたの友になれませんか?」

「ああ、そういうこと。いや、うん、知ってたよ。突然でびっくりしただけ、しただけ。――えっと、でもね、マイアちゃん」

「はい、リラ」

「わたしはもうとっくに、マイアちゃんのこと友達だと思ってるから!」

「それは、喜ばしい。わたくしも、あなたのことを友だと認識させていただきます」

 

 え、むしろいままで友じゃなかったの? とリラが肩を落とす。

 マイアが「いかがいたしましたか」と小首をかしげる。

 

 こいつら、本当にコミュニケーションに難があるな……。

 腕組みしながら、そう考えていたところ。

 

「ししょーが、なんかわたしたちのこと心のなかで罵っている気がする」

「おまえの気のせいだ」

 

 リラに睨まれた。

 マイアが「なんと」とこちらをみる。

 

「仲がいいな、と思っていただけだ」

「無論」

 

 黒竜の娘は、胸を張る。

 

「わたくしたちは、友、ですので」

 

 こいつが自信満々だと、なんだか不安になるな。

 いってることは間違ってないはずなんだけど。

 

 




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次回でひとまず終わりにしたいと思います。
ぶっちゃけた話、キャラの話ならつくれますが、狙撃の話をつくるのが難しいので……ネタがつきました。


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第54話(完結)

おかげさまをもちまして、嬉しいお知らせです。
ドラゴンノベルスから書籍化となります。
発売日の告知等はまたのちほど。


 時は巡り、夏が来る。

 おれも間もなく四十一歳の誕生日を迎える。

 

 ヤァータ。

 星の果てから来たというあの存在と邂逅してから、十六年が経とうとしていた。

 

「ご主人さまは、この一年でだいぶ活動が活発になりました。喜ばしく思います」

「きさまはこの一年で、だいぶ賢しく動きまわったな」

「光栄です」

「皮肉だ」

「はい、存じております」

 

 このふてぶてしさは、いったい誰に学んで得たものか。

 十六年前は、もう少しまともだった気がするのだが。

 

 いや、そうだろうか。

 全知性奉仕計画とか語り出す輩がまともといえるだろうか。

 

 そうだ、こいつはあれから長い歳月を経て、少しずつこの世界のことを学んでいった。

 人類というものについて学習した結果が……。

 

 その果てがこれだとしたら、どうだ。

 ………。

 

 どうもしないな、うん。

 腹が立つ、ということだけはたしかだけど。

 

 いったいなにを学習対象としたのかは知らないが、著しく方向性を間違えている気が……。

 ヒトの本質といえば嘘と謀略、と考えれば間違いではないのかもしれないけど、そちら方面を過剰に学習するのは勘弁して欲しい。

 

「そういえば、老いなき者たち(エターナル)について、おまえに聞いておきたいんだが。知っていたのか、あいつらのこと」

「存在は感知しておりましたが、接触は控えておりました。接触の結果についてデータが不足しており、予測が困難でした」

「そのあたりは、以前と変わらず賢明だな」

「ありがとうございます」

「だが存在を知っていたなら、どうして教えてくれなかった?」

「その生態も不明なものたちを、ご主人さまのわかる形に落とし込むまでは、と保留していました」

 

 うーん?

 あ、そうか。

 

 馬鹿なおれに説明するのは難しい、といいたいんだな。

 喧嘩売ってるのか? そうなんだな?

 

「そもそも、老いなき者たち(エターナル)ってやつらは、なんなんだ。空飛ぶ鯨のときはそんなこと考えもしなかったが、あいつら、ずっと昔から悪魔と戦っていたのか?」

対界協定(アライアンス)については、マイアに直接聞いた方がよろしいでしょう」

「ああ、おまえもマイアから聞いたんだな。こっそり。おれに隠れて、そのうえで黙っていた」

 

 皮肉をいって、そのついでに睨みつける。

 しかし嘘つきカラスは、飄々としてうなずいてみせた。

 

「彼女は隠すことなく語ってくれました。問題は、彼女の知る知識の大半について、この地の記録からは失われていることでしょうか。わたしがこれまでに集めた情報にはない単語が次々と出てくるのです。実に興味深い」

 

 どうやらマイアの話に深い興味を抱いた、というのは本当らしい。

 おれに黙っていろいろやっていたことについてはなんの回答もないのが、実に憎たらしい。

 

「まあ、いい。おれは別に歴史が好きなわけじゃないしな。次におれが老いなき者たち(エターナル)と遭遇しそうになったら、前もって教えてくれ。あんなのとは、もう戦いたくない」

「かしこまりました」

「ついでに、竜とももう戦いたくないな……」

「マイアのように対話が可能とお考えですか? あのような個体は少数でしょう。たいていの竜は、ヒトに悪意を持ちます。ヒトがヒトに悪意を持つ何倍もの確率で」

「ああ、そうか。そうだよな。そもそも狙撃魔術師に依頼が来るような竜は、ヒトに充分な悪意を振りまいている」

 

 なかには、そこに竜がいるから退治しよう、くらいの気持ちで依頼が来たりもするわけだが……。

 実際に、マイアがいる山脈もそうしてエドルの一部勢力から狙われたわけだが。

 

 狙撃魔術師の依頼料は、高い。

 ことに一流と目されている狙撃魔術師は、相応の依頼料をふんだくる。

 

 おれに依頼が来るなら、そのなかから選別すればいいだけのことだ。

 空飛ぶ鯨を退治したときだって、それが人里で暴れているから、という話だったのだから。

 

 どうも老いなき者たち(エターナル)たちの会話を聞くに、あれは寝ぼけていただけらしいが……。

 呑気に夢をみながら寝返りをうつだけで人々に多大な迷惑をかけるのだから、ある意味でたいしたものである。

 

 高位存在なら高位存在らしく、常に正気でいて欲しい。

 ヒトとは、あいつらの寝返りやあくびひとつで消し飛ぶような、ちっぽけな存在なのだから。

 

「そういえば、おまえ、この前の集落の戦いのとき、リラといっしょに中心に突入してたよな。でもいまここにいるおまえは、あのときのおまえとは違うんだろう?」

「あのときの個体は、いちど通信が繋がった後、ふたたび通信途絶。おそらくはこの世界と魔界を繋ぐ通路に侵入し、ロストいたしました」

「魔界にいったのか?」

「不明です。いっさいの信号を受けとれず、情報の同期が不可能です。悪魔との交戦の可能性が高かったため、あらかじめ魔界の大気でも行動可能なよう全身を特殊な粒子の皮膜で覆っていたのですが、それでもどれほどの時間、活動できるかのデータが存在しません。すでに破壊された可能性が高いと考えられます」

「魔界にいったおまえも、いまここにいるおまえも、同じヤァータという存在なのか。いや、おまえの本体はここにないんだっけか」

「はい、わたしの指揮ユニットは、静止軌道上、あなた方にわかるように申しますなら空の上からこの場を観測しています」

 

 以前に、空の上に分身体がある、と聞いた気がする。

 そちらこそが本体で、ここにいるカラスは分身体のひとつということなのか。

 

 まあ、どっちでもいい。

 目の前のカラスを通じて会話ができ、それが空の上の存在にも伝わっているなら、特に変わりはない。

 

「ちなみに、だが。おまえからみて、老いなき者たち(エターナル)ってやつらは、どうなんだ」

「どう、とは?」

「ご主人さまとして、だ。おれなんかより、よっぽど頭がいいだろう」

「一定水準以上であれば、知能の高さは問題となりません。また高度な知能を保持しているからといって、それが知的生命として高度であるとは限りません」

「なにをいってるのか、さっぱりわからん」

「いまもわたしは、あなたにお仕えしているということです」

 

 こいつの場合、仕えている、といっておいて裏であれこれするから油断がならん。

 とはいえ、どうやら主人を乗り換える気はないようで、まあそういうことならそれでいい、か。

 

 別に、いつ終わってもいい人生だと思っていたんだが。

 いまは終わるわけにいかない、という気持ちがある。

 

 そのことを、自覚している。

 次第にその気持ちが強くなっていることも。

 

 いつから、だろう。

 ………。

 

 ああ、そうだ。

 リラに出会ってから。

 

 リラを弟子とすると決めてから、だ。

 まだ一年に満たぬ時間だというのに。

 

 この一年は、それまでの十五年のすべてを合わせたよりも濃厚だった気がするのだ。

 

「まあ、そういうことなら、よろしく頼む」

「はい、ご主人さま」

 

 三本足のカラスは、うやうやしく頭をさげた。

 

 

        ※※※

 

 

 帝国の南方、夏まっさかり。

 ここでは日が強い真昼において、町の通りから人の姿が消える。

 

 人々は夕日と共に活動を開始し、それは深夜まで続く。

 そして朝日が昇ると、家のベッドで眠るのだ。

 

 そんな土地で、夕日が西の空に落ちるころ。

 おれとリラとマイアは、熱気を帯びた風が吹き抜ける町の大通りを散策していた。

 

 行き交う人波みはまだ少ないが、立ち並ぶ屋台から香辛料のたっぷり効いたかぐわしいスープの匂いが漂ってくる。

 マイアは匂いのもとを求めて、あっちをみたりこっちをみたりと忙しそうにしていた。

 

「どこで食事をとってもよろしいのですか?」

「ああ、構わん。マイア、きみが食べたいと思うものを選んでくれ」

「承知!」

 

 マイアは、ひときわ甘い匂いがする屋台に、いさんで突撃していく。

 そんな彼女の後ろに、おれとリラがゆっくりとついていく。

 

「ねえねえ、ししょー」

「どうした」

「最近、マイアちゃんとの距離が近くない?」

「あの子も、だいぶ気を許してくれるようになったな」

「ふーん、ほー、そっかー」

 

 ジト目になって、鼻を鳴らすリラ。

 なんだよ、いいたいことがあるならはっきりいってくれ。

 

 ところがリラは、おおきなため息をついて肩を落とす。

 

「いえ、わかってます。ししょーにとって、マイアちゃんは放っておけない娘みたいな存在なんですよね」

「娘、といわれるとどうなんだろうな。いいたいことはわかるが。まあ、放っておけないのはたしかだ」

 

 あの竜を放っておいたら、ロクなことをしないだろうからなあ。

 熊にも頼まれていることだし。

 

 屋台では、よくわからない肉を使った焼き串が並んでいた。

 店主は東方から流れてきたとおぼしき顔つきで、串のタレから甘く香ばしい匂いがする。

 

 マイアは目をきらきらさせながらその串を眺め、店主が手際よく串を焼いてはひっくり返す様子を眺めている。

 

「お嬢ちゃん、うちのはどれもおいしいよ。いまなら一本、サービスしよう」

「なんと!」

「おっと、お連れさんもいるのか。しゃあねえ、全員に一本ずつサービスだ。そのぶん、たっぷり買ってくれよな」

「無論!」

 

 あれもこれも、と合計で二十本以上の焼き串を手にするマイア。

 おれは店主に金を払い、いちおうなんの肉を使っているのか訊ねてみる。

 

「聞いて驚け。うちで出す肉は、竜の肉さ」

 

 おれはちらりとマイアをみた。

 平然とした様子で、さっそく一本を口のなかにいれ、咀嚼している。

 

「この地ではなんと呼ばれているのかわかりませぬが、砂食み竜と呼ばれる牛に似た生き物の肉ですね」

 

 冷静に、そう告げた。

 この子、食べただけでわかるのか。

 

 店主が、がははと笑う。

 

「お嬢ちゃん、知ってるのか」

「歴史を、学びました。東方でよく飼われている生き物で、草の少ない荒野における家畜として重宝されていると。その際、味も学びました」

「お、おお? まあ、いいか。よく勉強してるな、お嬢ちゃん」

「無論」

 

 味も学んだ、というのはおそらく、集落での最終決戦の際に鮫が浴びせてきたアレだ。

 他者の人生の追体験である。

 

 砂食み竜、という単語にはおれも覚えがあるのだ。

 あの集落をつくっていた者たちの記憶によれば、それは主に彼らの生まれ故郷で飼育されていた家畜なのである。

 

 つまりこの店主は、かの国の出身なのだった。

 警戒するべきか、と一瞬考えたが、店主が屈託なく笑うのをみて、まあいいかと思い直す。

 

 己を燃やし尽くしてでも復讐の念に駆られた者たちがいた。

 だが同時に、そうしなかった者たちも多くいたに違いなかった。

 

「このあたりでも砂食み竜を飼う奴らがいてね。帝国じゃまだなじみのない食材だから、是非とも広めてくれ、って肉を安く卸してくれたのさ。味はどうだい」

「美味!」

「そりゃあ、よかった。お嬢ちゃん、あんまり顔つきが変わらないからよ。いまいちだったんじゃないかって不安だったぜ」

「むっ、左様でしたか」

 

 マイアはこてんと首を横に傾けた。

 

「伸びしろですね」

「お、おうっ。まあいいさ、そういうところが可愛い、っていうヤツもいると思うぜ」

「甘辛いタレが、特によろしい」

「ああ、そのタレは砂食み竜の脂を溶かして……」

 

 店主と話し込むマイアは相変わらずの無表情にみえて、おれの目には、なかなかに気分が高揚している様子が感じられた。

 まるで黒い鱗に覆われた尻尾が実際に生えていて、ぴこぴこ動いているような錯覚を覚えるほどに。

 

 マイアが大声で「美味、美味」と繰り返すものだから、その声に釣られて周囲に人が集まりはじめた。

 店主のもとに注文が殺到し、異国の男は嬉しい悲鳴をあげていた。

 

 彼の今後に幸あれ、と。

 おれは、心のなかで強く願う。

 

 マイアが人混みを器用に避けて、少し離れていたおれとリラのもとへ小走りに寄ってくる。

 

「おふたりも、食べましょう」

「ああ、そうさせてもらう」

「マイアちゃんはどれがおいしかった?」

「こちら、モモ肉です。店主殿のおすすめとのこと」

 

 マイアが差し出す肉串を受けとり、口元に運ぶ。

 肉を噛んだとたん、口のなかで肉汁が弾けた。

 

「こりゃあ、たしかにうまい」

 

 感嘆の声をあげると、マイアが重々しく「で、ありましょう」とうなずく。

 

 おれにも、まだまだ知らないことがある。

 ほんの少しだけかもしれないが、名も知らぬ者たちに、そして仲間である彼女たちに対して、できることがある。

 

 だから、まあ、もう少し旅は続けよう。

 彼女たちに得るものがある限り、そしておれに得るものがある限り。

 

 いつ死んでもいい、と思っていた。

 いまは余生で、ヤァータのわがままにつきあっているに過ぎないのだと。

 

 だが、ヤァータがいうように、きっとおれはこの一年で変わった。

 これからも変わり続けるのだろう。

 

 歩み続けるのだろう。

 いずれにしても、このままでは死ぬに死ねないのだから。

 




以上をもちまして、ひとまず完結とさせていただきます。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。

ブックマーク、評価等いただければたいへん喜びます。

感想、すべて読ませていただいております。
いつも本当にありがとうございます。

新作始めました。
あまり長い話にはならない気がしますが、よろしければご覧になってください。

絶対にバレてはいけない大賢者の弟子
https://syosetu.org/novel/338608/


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