武偵校の吠えぬ狂犬 (全智一皆)
しおりを挟む

序章「吠えぬ禍狗」
#0


 

■  ■

 武装探偵―――それは、武力行使による犯罪者、犯罪組織の逮捕を可能とする者達の事を指し示す。

 世間は彼等の事を『武偵』と略し、その武偵が在学する高校『東京武偵高校』に在る『超能力』という類の力を扱う武偵は『超偵』と呼ばれている。

「はっ、はっ…!」

 武偵は武力を行使出来るが、人を殺す事を許可されている訳ではない。

 しかし、それは詰まるところ―――人を殺さぬ範囲であれば、如何なる暴力も許されるという事でもあった。

 故に、男は駆けていた。

 息を荒らげながら、兎に角、必死に、何とかして自分を追い掛けてくる狗から生き延びようと、街を其処ら中、逃げ回っていた。

 男は犯罪者だ。と言っても、殺人犯という大罪人でも、大物の詐欺師という偉人という訳でもない、ただの強盗犯だ。

 たった一人で犯行を実行し、そしてたった一匹の狗に追い掛けられている最中だ。

「はぁ、はぁ…!」

 人混みの中を必死に掻き分けて、男は逃げる。まるで、溺れて海面へ慌てて上がろうとする子供のようだ。

 周りの目など眼中にも無い。今、この男の頭の中に有るのは、たった一つ―――『死にたくない』という、人間なら誰もが抱く感情だった。

 男を追っているのは武偵だ。故に、男が殺される、などという事は絶対と断言出来る程に無い。

 だが、それなら何故、男はこうも焦っているのだろうか。

 自身が殺される事はないと確信出来るにも関わらず、何故、死にたくないという切望を抱いて逃げ回っているのか。

 そんな答えは、実に単純だ。

「はぁ、はぁ…此処まで来れば、大丈夫だよな…」

 身を投げるように路地に入り込み、冷たい壁に熱くなった体を預けて、男はその場に下手れるように座り込む。

 肩で息をしながら、耳に聞こえる程に五月蝿い心の臓、その鼓動を何とか抑え込もうと、自分の気を落ち着かせる。

 もう大丈夫だ、心配無い。あの人混みの中だったんだ、きっと見失った筈だ。

 そう何度も呟いて、恐怖に支配されている自分を冷静にさせようと必死になる。

 だが、

「能無しの愚者にしては、善く足掻いた。」

 その辛辣な罵倒と共に、男が安住の地とした路地裏に現れた一匹の狗によって―――それは、砂の城の如く呆気無く崩れ去った。

「あ、ぁあ…」

 恐怖で頭が埋め尽くされ、最早、言葉を交わす事すらも出来なくなる。

 研ぎ澄まされた刃物の様な鋭い眼光が、男を穿く。

 睨まれている。だが、ただそれだけの行動で、男は自身の死を実感していた。

「僕は暇では無い。故に、早々に貴様の命を喰らうとしよう。」

「ま、待て待て! そんな事をすればお前は刑務所行きだぞ! お前は自分の人生を全て棒に振る事になるんだぞ!?」

 男が命を乞うように、声を荒らげながら必死に説得を試みる。

 武偵が殺人を犯せば、その罪は通常のものよりも更に重くなる。それは確かな事実である。

 実に御尤もで、正論らしい意見ではある。

 だが、しかし。

「それが如何した。高がその程度の罰に、僕は屈さぬ。そも、貴様の様な愚者の命など奪ったところで、僕には何の害も無し。故に―――疾く失せろ、罪人よ。」

 死の宣告。

 貴様は此処で命を喰らわれ、無様に死に果てるのだと、男は眼の前の狗に告げられる。

 ―――狗が身に纏う灰色の外套、その背後から突如として顔を出した獣が、唸りを上げながら口を大きく開く。

 それは肉を噛み千切り、骨をも砕く顎を持った悪食の獣。

 男の体を、一瞬にして、そして肉片の一つも残さず喰い尽くしてしまう事など―――容易だろう。

 男は、眼の前で大きく口を開いている獣によって、自身の体が隅の隅まで喰らい尽くされる事を想像し―――

「あ」

 目を向き、失神した。

 獣は大きく開いた口をゆっくりと降ろし、巣に戻るかの如く狗の外套の中へと戻って行った。

 狗は失神した男の両手に手錠を嵌め、外套のポケットに手を入れ、中から携帯電話を取り出し、電話帳を開き、ある人物へと連絡を送る。

『どうした、芥川。』

 男性が、狗の名を―――「芥川龍之介」という名を呼ぶ。

「強盗犯を捕らえた。至急、此方に警察を向かわせるよう願いたい。」

『もう捕まえたのか。疾いな。』

「貴方程ではない。…では、警察へ連絡頼みます。」

『あぁ。直ぐに連絡しておく。』

 電話を切り、折り畳んでポケットの中へと戻す。

 連絡が行くなら、もう此処は用済みだ。

 そう確信し、芥川は薄暗く、そして湿っぽい路地から明るい街の方へと確実な一歩を辿った。

 

 東京武偵高校在校生―――芥川龍之介。

 異能力――――――羅生門。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#1

 

 がやがやと、教室の中では少年少女が集団を作って、和気藹々と様々な事を話し合っている。

 そんな中でも、芥川は誰かと集まる事もなく、ただ一人、目を閉じて椅子に座っていた。

 此処は東京武偵高校、その超能力捜査研究科―――通称、『SSR』と呼ばれる学科の教室である。

 芥川のみならず、超能力や超心理学を持っている武偵が所属する学科であり、彼等はそれ等を駆使して犯罪捜査を行っている。

 だが、芥川のような攻撃的な超能力を持っている人間というのは非常に稀であり、SSRは基本、サイコメトリーやダウンジングといった超能力を主にして超能力捜査を行うのだ。

 そんなSSRにおいて、非常に珍しい攻撃的な超能力―――芥川やSSRの担任をしている教師が『異能』と呼んでいるソレを持っている芥川は、とても優秀な『超偵』であった。

「…」

 だが、それ故に。

 芥川龍之介という一人の少年に、Sランクの超偵という立場に立つ優秀な人間に、他の生徒達は畏怖と尊敬の下、ほぼ関わろうとしないのだ。

 まぁ、それ以前に。

 芥川の眼光が、まるで悪鬼羅刹を思わせる様な鋭いものであるからというのが、彼に人が近付かない最もな理由なのだけれど。

 しかし、当の本人は気付く事も無く、そして、これからもそれを知らぬのだ。

 だが、そんな彼にも、友と呼べる人物が居ない訳ではないのだ。

「よっ、芥川。昨日も活躍したんだって?」

 芥川が席に着いている所に、遠慮無く近付いて親しく話し掛ける少年が居た。

 少年の名前は〝松岡譲〟。芥川の同級生であり、このSSRに席を置く超偵の一人である。

 松岡の問に、芥川は目を閉じたまま答え始めた。

「活躍した、などと言える程の事などしていない。僕は只、逃げ惑うだけの愚者を捕えたに過ぎん。」

「相変わらず謙虚だなぁ、お前は。もう少し自慢っぽくすれば良いのに。」

「あの程度、自慢話にも成りはしない。」

「はは、さいですか。」

 大した事ではない、と答える芥川に、松岡は相変わらずだな、と言って笑う。

 この二人は、武偵における『戦兄弟』というものに属される、謂わば『コンビ』ではない。

 そう、この二人は、別にコンビを組んでいるという間柄などでは、ない。

 二人の関係は、ただの友人関係に過ぎないのだ。

 芥川龍之介に遠慮なく話し掛ける事が出来る友、芥川龍之介が遠慮なく話す事が出来る友。

 それが、松岡譲という人間なのだ。

「そういえば、〝遠山〟が倫敦のSランク武偵をパートナーにして〝強襲科〟に戻って来たって話し、聞いたか?」

 思い出した、と話題を変えて芥川に問う松岡。

 芥川はその情報に、「何だと?」と、閉じていた目を開いて、即座に食い付いた。

「神崎・H・アリア。倫敦じゃ、超有名な強襲科のエリートだ。狙った相手を九九回連続、しかも武偵法の範囲内で全員捕まえ、その間一度も犯罪者を逃した事がないんだと。」

「ホームズ…最初の武偵、その子孫か。」

 芥川は呟く。

 ホームズ―――シャーロック・ホームズ。

 最初の武偵にして最高の武偵と呼ばれる、武偵の偉大なる祖。

 汎ゆる武術を我が身に納め、それだけに留まらず剣術や拳銃にも手を伸ばしている武偵の原型ともなった天才だ。

 その名前を聞き、神崎アリアがシャーロック・ホームズの子孫なのだろうと、芥川は予測した。

 松岡は「よく知ってるな。」と、少し驚きながら、その予測が正解である事を肯定した。

「松岡、その噂、真偽の程は?」

「確かな事実だ。もう全体に広まってる。」

「そうか。」

 答えを聞いた芥川は席から立ち上がり、灰色の外套を翻して教室の出口へと歩を進め始めた。

「行くのか?」

 松岡は問う。

 遠山金次と神崎アリアの元に行くのか? と。

 芥川は、こう答える。

「無論だ。」

 ただそれだけを残し、芥川は早足で、遠山金次と神崎アリアの下へと向った。

 

「ドンマイ、金次。俺からは応援する事しか出来そうにない。」

 

 東京武偵高校SSR在席――――――松岡譲。

 異能力――――――「地獄の門」。




松岡譲(まつおか・ゆずる)
オリキャラ。現実における芥川龍之介の学友であり、小説家。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#2

 

 その日の夜、芥川は目的の場所である武偵高校の第三寮まで辿り着いていた。

 芥川が眼の前にしている扉の向こう側には、件の遠山金次“だけ”が居る。

 少なくとも、この時までは、芥川はそう思っていた。

 チャイムのボタンへと手を伸ばし、細い指で強く押せば、ピンポーン…と、チャイムが鳴る。

 五秒と経つ。足音は聴こえない。

 一分と経つ。足音は聴こえてこない。

 三分と経つ。足音は全く聴こえてこない。

 芥川の蟀谷に、一筋の青筋が立つ。

「遠山。居るのは判っている。疾く此の扉を開けよ。三秒以内に開けねば切り裂く。善いな?」

 芥川がそう宣言した瞬間、ドタドタと、急ぎ足だと直ぐに分かる騒がしい足音が鳴り響いた。

 がちゃ、ではなく、ばんっ! と、勢い良く扉が押されるように開かれた。

「今晩わ、芥川先輩!」

 冷や汗を舁いている少年―――部屋の主である〝遠山金次〟が、焦燥と疾走感に駆られていた事を一切として隠すこと無く、部屋から顔を出した。

 彼の眼の前には、持ち前の地獄の番犬が如き鋭い眼光を放つ猟犬、芥川が立っていた。

「…五秒経過だが、素直に従った為、扉を切り刻む事は辞めにしよう。」

「あ、有難う御座います…」

「だが僕の呼掛けを無視した事は許さぬ。故に、夜路は背後に気を付けよ。」

「本当に申し訳御座いませんっ…!!」

 直角の如く綺麗な姿勢で、金次は恐怖と緊張を抱えながら芥川へと頭を下げる。

 この際、はっきりと言えば、遠山金次は芥川龍之介が苦手である。

 決して嫌いではない。幾度か助けられた事は有るし、一年の頃に稀にではあったが現場でも協力した事が有る。

 芥川龍之介の力の強さ、頼もしさ。そういった点を金次は知っている。故に、嫌いではない。

 だが、だが―――嫌いでなくとも、とても苦手なのだ。

 己が力の在り方を隠さず、そして誤魔化さず、例えどんな異能であろうと、それが人を救う為の力となるなら気に留めない芥川。

 己が力を、力の在り方を嫌い、隠し、誤魔化し、自分の為に弱者を演じる金次。

 力は互角。しかし、その力の在り方が、二人は対極なのだ。

 芥川が自分の事をどう思っているか、等という事は金次には判らぬ。

 だが、自分が芥川を苦手としている事は、自分で確信が着く程に明確だ。

「と、ところで…今日は、如何いったご要件で…?」

「貴様が異国の女子と共同を組み、強襲科に復帰したと、松岡から聞いた。」

(松岡先輩っ…!)

 金次は激怒した。必ず、あの(芥川とタメで話す事が出来る)凄い先輩をぶん殴らなければならない、と。

「嘘か真か。何方だ?」

「…」

 金次は、芥川から目を背け、沈黙した。

「答えぬ、か…そうか。貴様が答えたぬと言うならば、仕方無い。」

「え」

 金次は、芥川から発せられたその言葉に、つい驚愕してしまった。

 あの芥川が、基本的に答えが確実になるまで如何なる手段も使って問おうとする芥川が、金次の意図を汲み取ったのだ。

 金次は感動した。

「貴様が答えぬのであれば貴様のパートナーに聞くとしよう。」

「…」

 金次は落ち込んだ。

 芥川は別に、意図を汲み取ってなどいなかったのだ。

「ちょっと、バカキンジ! あんた何時まで話してるのよ!」

 そんな話しをしていれば、部屋の奥から少女の可愛い声と小さな足音がした。

「あのバカッ…!」

「噂をすれば…か。」

 そうして部屋の奥より廊下に現れたるは、一人の少女。

 薄紅色の長髪を二つに束ねた、深紅色の瞳を持った小柄な少女。

 倫敦の武偵―――強襲科Sランクの武偵、〝神崎アリア〟である。

「貴様が神崎アリアか?」

「そうだけど。そういうアンタが、アクタガワ?」

「如何にも。僕は芥川龍之介。この東京武偵校のSSRに属する者だ。」

 《双剣双銃(カドラ)》と呼ばれる少女は。

 

 《吠えぬ禍狗》と呼ばれる一匹の狗と邂逅を果たした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#3

 

 東京武偵高校、第一三寮に有る部屋の一つ、その室内にて。

 部屋の主である遠山金次は、頭を抱えていた。

 苦手な先輩にして来訪者である芥川龍之介と、強制的にパートナーを組まされる事となった神崎アリアが部屋に居るのだ。

 苦手な先輩と、そもそも苦手な分類としてる女子。

 苦手としている者が二人も居るなど、金次にとっては耐え難い苦痛であった。

「ロンドンでも、貴男の話しはよく耳にしてたわ。SSRのエリート、芥川龍之介。」

「そうか。異国にも僕の名は届いていたのか。それは畳々。皆と積み重ねた甲斐が有った。」

 金次が出した烏龍茶を飲みながら、芥川は平然とそう語った。

 皆と積み重ねた甲斐―――それが指し示すのは、芥川が同僚や担任―――否、仲間と共に、今日まで解決してきた様々な事件の事である。

 芥川が解決した事件の殆どは、それこそ『強襲科』が担当するような、戦場有りきの事件ばかりだ。

 集団強盗の事件や立て籠もりの人質事件、飛行機ハイジャック事件など様々。

 芥川は、その全ての事件を同僚や担任と共に解決した。

 決して、芥川が一人で解決したという訳などではない。

 確かに、芥川には一つの荒事を一人で制する程の実力が有る。過去、未だ芥川が一年の時は、そのようにして過ごしていた。

 だが、芥川は師たる担任や、共に事件に取り込む仲間達によって、その在り方を変えた。変えてくれた。

「皆って…一人でやった訳じゃないの?」

「あぁ。過去…一年の時は、確かに独りだった。ただ只管に、復讐に疾走るだけの狂犬だった。」

 復讐。その言葉に、神崎と金次は反応した。

 芥川の過去話。それなりに長く芥川と先輩後輩としての関係を持つ金次は、しかし一度として、芥川の昔の話しを聞いた事がなかったのだ。

「独りで戦場を駆けていた。復讐の為に、“妹”の為に、近路ばかりを探っていた。ただ吠え、ただ喰らうだけの狗だった。」

 妹。家族。復讐。

 それは、その在り方は、今の神崎に近しい在り方でもあった。

 神崎アリア。彼女が武偵として活動している理由、その目的とは、武偵殺しと呼ばれる犯罪者の罠によって有罪とされ、死刑宣告を言い渡された母親の無罪を証明する事である。

 対して、芥川は妹の為に戦場を、事件現場を駆け回ったという。

「我が恩師は、僕に力の在り方を教えてくれた。我が友は、僕に獣の飼い方を教えてくれた。その果てに、今の僕が在る。その意味では…神崎。貴女は僕と似ている。」

 仲間と共に戦う事を知る芥川と、高い実力故に孤立してしまった神崎。

 仲間が居る芥川。仲間が居ない神崎。

 確かに、この二人の在り方というのは対極だ。いや、どちらかと言えば、神崎の方が自然だと言える。

 しかし、芥川はそうではない。そうでは、なくなっていたのだ。

「これは人生の先輩からの教訓であり、我が師から教わった言葉でもある。遠山、貴様もしかと聞け。」

「…はい。」

「“己という獣を追うな”。僕が復讐にばかり囚われていた時、師から言われた言葉だ。」

「復讐…わたしは、」

「神崎。貴女が母親の為に活動している、という事は松岡から聞かされた。」

 彼女の言葉を遮って、芥川は続ける。

「…そう。」

「貴女の気持ちは、僕も共感出来る。何せ僕は、妹を奪った相手への報復、復讐が為に吠えていたのだから。」

 母親の為に動く神崎の心情に、妹を奪った相手への復讐の為に生きていた芥川は共感した。

 確かな差こそあれ、しかし家族という関係と、救いたいという気持ちには一寸の狂いも無し。

 互いに、必死の気持ちだ。

「故に心せよ。決して獣に囚われてはならぬ、と。」

 その言葉の重みは、決して軽いものでははなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#4

 

 朝日が天に登る此の日、芥川はとある騒動に巻き込まれていた。

「……」

 『武偵殺し』と呼ばれる犯罪者によって、武偵高校へと向かうバスがジャックされてしまったのだ。

 一定のスピードで走行しなければバスは爆発すると武偵殺しは宣言し、今は車輌科の武藤が何とか走らせている状態にある。

 皆が騒ぐ中、しかし芥川だけは冷静だった。

「……」

 あいも変わらず修羅の如き形相ではあるが、芥川は冷静に事を対処する為の手段を思考しているのだ。

 爆弾が何処に仕掛けられているのか。どのような対策がされているのか。

 それらを思考しているのだ。黙考しているのだ。

「……行くか」

 決断する。

 作戦は至って単純―――爆弾が爆発するよりも速く、爆弾を処理する。

 確実な成功を目指し、芥川はバスの窓の前まで進み、

「異能力―――――――――

『羅生門』

 己が力を、使いこなす。

 灰色の長外套から一本の帯が顕となり、そしてその平たい布を刃の如き鋭い鋒へと変化させて窓へと突っ走る。

 帯刃はいとも簡単にバスの窓硝子を穿いて粉砕し、最初の自由を芥川の下へと届け外套へと戻っていく。

 芥川は長外套の懐に突っ込んでいた両手を出し、窓の上縁を両手で掴み下縁に足を乗せ、我が身の半身を風息吹く外へと放り出す。

「ふっ」

 外套が風に煽がれ、翼のようにはためてく。

 だが、これは決して愚行などではない。芥川龍之介ともあろう男が、そのような愚行を働く訳もない。

 芥川は両腕に力を込め、二本の腕のみで風に打たれる己が体を引っ張ってバスの屋上へと綺麗に着地する。

「爆弾を設置するのであれば、爆風の範囲が広がり易く、尚且つ最も爆破の影響を受け易い場所だ。『武偵殺し』ともあろう犯罪者が、適当な場所に設置する等という愚行を働く訳も無し。となれば―――」

 バスの底、その裏側以外に適確な場所はない。

 早々に終わらせ、早々に学校に向かおう。芥川は爆弾処理という大きな仕事を前にして、尚も冷静だった。

 すると―――

「あら、アクタガワ先輩じゃない。」

 こと、と背後に誰かが立ち、声を掛けてきた。

 これが数年前の芥川―――もとい、力の使い方を教わらなかった恐ろしき灰の禍狗であれば、振り向く事もなく即座に彼女の首を跳ねていただろう。

 背後に立った者には容赦なき帯刃の一振りが飛ぶ。そして、その頬を掠めるか首を跳ばす。それが、かつての芥川龍之介という一匹の狂犬だった。

 だが、今はそうではない。

「神崎か。到着が遅れたな。」

「ふぁるわっわへ(悪かったわね)! へいうははふしなはいよ、ほれ(ていうか外しなさいよ、これ)!」

 無数の帯でその身柄を拘束するまでには大人しくなっているのだ。それだけ成長しているのだ。

「済まん。だが、以後心に刻んでおけ。決して僕の背後には立つな。かつての僕であれば首を落としている。」

「キンジも言ってたけど本当に理不尽ね、アンタ!?」

「雑言など聞くに足らぬ。武偵ならば早々に仕事に取り掛かれ、神崎。」

「分かってるわよ! でも、アクタガワ先輩にも手伝ってもらうわよ!」

「無論だ。僕が貴女を護ろう―――其処な絡繰からな。」

 無数の帯を刃に変えて、芥川は道路の端へと目を配る。

 其処を駆けるは、現代兵器の代表たる自動小銃を兼ね備えた小さな機械。

 バスと並走して、銃口をバス側へと向けている複数の機械が、其処に居た。

「武偵殺しの差金だろう。僕が片付ける故、早急に爆弾を解除せよ。」

「…感謝するわ!」

 神崎はすぐに駆け出し、バスの底へと落ちるように入っていった。

 全ての銃口が、芥川からバス底へと一斉に向けられる。

 彼等にとって、最も優先して行うべきは爆弾を解除しようとする一人の少女という意思の証明だろう。

 だが、それ故に好都合だ。

「絡繰を相手にするなど初めてだが…意思無き者に恐怖無し。貴様等は狗の餌にも事足りぬ」

 獣の影が、大きく口を開く。

 白い獣。灰色の怪物。それは空間をを喰らおうとする悪食の猛獣。

 相対するは意思も宿らぬ只の機械。即ち玩具。そんなものに、そんな道具に、狂犬が恐怖を抱く事など絶対に皆無。

「僕の前から疾く失せろ。」

 鋭い罵倒と殺気と共に、芥川は飼い慣らした三匹の白狼を解き放って玩具の元へと奔らせる。

 三匹の白狼に反応を示し、只の玩具はその銃口を自らに襲い掛かろうとする獣へと向けて数多の鉄塊を撃ち続ける。

 火花と共に放たれた紅蓮の鉄を、しかし白狼はものともせずに呆気なく喰らい、呑み込んで消化する。

 勢いを失わず、三匹の白狼は用意された玩具へと、その鋭い刃の如き牙を突き立てる。

 玩具の装甲は、白狼の牙によって紙屑のように散り散りとなって凹み、そのまま機能を停止して道路に倒れ、爆散して消え失せる。

 ものの数秒。そんな僅かな時間で以て、武偵殺しが用意した複数の機械は消し去られたのだ。

「餌にもならぬ玩具よ。その道半ばで朽ち果てよ。貴様等は役目も満足に果たせぬまま、其処に伏せるのが似合いだ。」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#5

 

 《武偵殺し》によるバスジャック事件は、神崎アリア率いる遠山キンジ、レキの三人と芥川龍之介の四人によって解決されたとされている。

 だが、神崎アリアは武偵殺しの罠と遠山の失敗によって怪我を負い、自分を理解してくれる相方を失い、倫敦へ帰還する破目となった。

 更には、抑々として超偵である芥川が居たならば、彼等が居る必要など無かったのでは? という意見すら出る始末となってしまった。

 そんな世間の目に対し、芥川は―――

「……」

 何時もよりも鋭い眼光を走らせ、目に見えて明らかな程の殺意と苛立ちを纏って席に座っていた。

 その形相は最早、修羅などという生温い存在では言い表せない。

 それこそ羅刹の域だ。悪鬼羅刹の如き凶悪な形相である。

「おいおい…今日はいつにも増して不機嫌だな? やっぱり世間の評価が気に入らないか?」

 だが、そんな芥川にも恐れる事無く、松岡は何時もの調子で話し掛けた。

「………あぁ。」

 間は長く、そして放つ言葉は短く。だが、その短い言葉に込められた感情は錨の様に重たく。

 声色すら非常に低く、今の芥川は正しく完全な狂犬状態であった。

 何時、誰に咬み付くか。何処に喰らい付くのか分からない程に、憤っているのだ。

「まぁ、そりゃそうだよな。神崎とか遠山も頑張ったのに、二人は酷い評価貰って、お前だけが褒められてるんだから。」

「……」

「しかも、神崎は倫敦に帰還だとさ。まぁ、誰にも理解されないってのは悲しいよな。しかし、遠山も男じゃないな。引き留めようとはしないもんかね。」

「……」

「あぁ、そういえば―――《武偵殺し》は、もう終わったも同然らしいぞ。」

「何だと?」

 その言葉に、その事実に、芥川は即座に反応を示した。

 あの悪名高き《武偵殺し》が、あの数多の武偵を葬ってきた《武偵殺し》が、終わったも同然であると言われたのだから。

 だが、それは当然の事であると、これから芥川は思い知るだろう。

 何故ならば―――

「今回のバスジャック事件を切っ掛けとして…遂に、《猟犬》が動き出した。」

「…《猟犬部隊》か。」

 軍警最強の異能力者集団―――特殊制圧作戦群・甲分隊《猟犬》。

 生きる伝説「福地桜痴」。

 異能力――――――「鏡獅子」。

 血荊の女王「大倉燁子」。

 異能力――――――「魂の喘ぎ」。

 無名の王「条野採菊」。

 異能力――――――「千金の涙」。

 隕石斬り「末広鐵腸」。

 異能力――――――「雪中梅」。

 幻の五人目「立原道造」。

 異能力――――――「真冬のかたみ」。

 政府が誇る最強の特殊部隊であり、最高の異能力者を集めて結成された史上最高の異能力者部隊。

 彼が動き出した時、その事件は必ず解決されるだろうと誰もが思う程の絶対的信頼があり、その事件の解決成功率は100%である。

 これだけでも、《武偵殺し》が終わったも同然であると言える理由ではあるのだが―――それ以上の理由を、松岡は知っていた。

「でも、これだけじゃない。にわかには信じ難いが――――――あの《鬼神》すら、《猟犬》と共に動き出したそうだ。」

「《鬼神》だと!?」

 ガタッ、と芥川は席を立ち上がり、目に見えて驚愕した。

 軍警最強の異能力者集団が《猟犬》であるならば―――《鬼神》は元軍警最強の異能力者である。

 現在でこそ軍警を辞めているものの、しかし元は軍警を纏め上げていた最強の異能力者である。

 かつて、数多の国同士が互いを殺し合った大戦を経験し、そして生き残った数少ない《不死身の兵士》―――それが、《鬼神》。

 即ち、「舩坂弘」。

 異能力――――――「英霊の絶叫」。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#6

 

 武偵の名誉というのは尊大で、しかし其れ故に僅かな負傷すらも許されない。

 それがSランクの武偵ともなれば、一度の敗北も三日天下へ繋がってしまう事も有り得る。

 そんな現状に陥り、さらにはパートナーにすら見捨てられたSランクの武偵、神崎アリアは倫敦(ロンドン)へと帰還する羽目となった。

 評価されるべき者が評価されない理不尽な世論。さらには相方への助言すら出来ない後輩の不出来。

 それらが重なりに重なった結果として―――

 

「……」

 

 芥川は、もはや地獄の閻魔すらも怯えるのではないかと思ってしまう様な、悪鬼羅刹の如き形相を浮かべたまま、廊下を歩いていた。

 憤りと苛立ちから殺気すらも滲み出ている狂犬の歩みに、廊下に立っている者達はみな揃いも揃って端へと寄り、座り込んでいた。

 だが唯一、彼の友人である松岡だけは彼と歩幅を合わせて隣に立っていた。

 

「まずは遠山の所だな。彼奴は何処に居るのかね?」

「寮だ。」

「確信か。なら間違いなさそうだ。で、会ったらどうする」

「二回殴って五発撃つ」

「それは遠山が死ぬだろ。『天魔纏鎧(てんまてんがい)』で五回殴る、それで勘弁してやれよ」

「……」

「不服か? でも仕方無いだろ、遠山が死んだらお前が捕まる。そんな事になったら俺も銀ちゃんも悲しい。やるとしたら、瀕死一歩手前だ」

(二人揃って何て物騒な会話してやがる――――――!!!)

 

 生徒達の反応は尤もだが、芥川達は知った事ではないと先を急ぐ。

 仲間を失う。仲間に見捨てられる。其れがどれだけ辛く、どれだけ苦しい事であるかを芥川は識っている。

 あの街で、あの廃れた汚い場所で、子供達と一緒に生きてきた芥川だから分かる。

 ―――独りが、何れ程までに辛く苦しいものであるのか。

 遠山は、それを神崎にした。彼女の事情を知りながら、両親と会えず孤独を過ごした彼女の気持ちを知りながら、孤独を再び味合わせた。

 芥川は、それが断じて許せなぬのだ。

 

「まぁ、今回ばかりは俺も止められないな。思いっきり殴ってやってくれよ、芥川」

「無論だ。全力で殴る」

「遠山が如何(どう)かしたのか?」

 

 突如、先程まで誰も居なかった筈の二人の背後から声がした。

 何も無い筈の空洞から突如現れた気配。それに対する二人の行動は、話しを合わせていたかの様に、丁寧かつ綺麗に一致した。

 芥川は即座に異能力を発動し、その外套から帯刃を顕現して背後の敵の首を裂かんと、素速い一閃を繰り出す。

 松岡はその一閃に合わせる様に体を屈め、懐からナイフを取り出し、逆手に持ち構えて太腿へと突きを放つ。

 が、その総攻撃は全てが虚しく空振って終わる。

 背後の敵は、己の首目掛けて振り抜かれた鋭い帯の刃と、血管が張り巡る太腿へ放たれた刃物の突きを、まるで最初からそれを読んでいたかの如く、体を僅かに逸らす事で、それらを事もなげに躱した。

 そして、

 

「何か、苛立つ事にでも遭ったのか?」と、首を傾げる様にして二人に問い掛けた。

 二人は改めて、背後に立った男の全貌をその目に映す。

 赤銅の髪、顎下に生やした無精髭が特徴的な、砂色の長い外套を着た男。

 その男こそ、二人が所属する超能力捜査研究科、通称《SSR》の担当を務める教師の一人―――織田作之助(おださくのすけ)であった。

 

「織田先生」

「なんだ、オダセンっすか…」

「あぁ、織田だが」

 

《東京武偵高校・超能力捜査研究科担当教師――――――――― 

「織田作之助」

異能力―――――――――天衣無縫(てんいむほう)



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。