不老になった徐福と、最期まで騙された男の話。 (鴉の子)
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1節:黒絹の女

幻覚を詰め込んだ欲望の塊。


 あれは、生真面目な黒猫のような女だった。猫に真面目さなど、と思うかもしれないが、漆のような艶やかな髪と、闇の中で光る金眼が尚更にその矛盾した印象を強めていた。

 

 何より、その声を憶えている。人の事を心底馬鹿にしているのか、あるいは媚びているのか。腐った果実のような甘い声を。

 

 人は他人のことを声から忘れるというが、つまりは俺は彼女を忘れる事は死してすらもなかったのだろう。

 

 ────まぁ、馬鹿な男と、愚かな女の話だ。

 

 

 

 

 

 

 後漢とも呼ばれていた比較的安寧としていた時代……の終わり頃。世は荒れ果て、天命は尽き、戦乱が死毒のように国を蝕んでいく予兆を感じながら人々が生きる世だった。

 

 薄らと流れる滅びの予感を他人事のように受け止めながら、俺はここ徐州で豪族として過ごしていた。豪族つったって大したものでもない、役人もどきの地位とそれなりの金と、それなりの土地、まぁ立派な屋敷があるだけ。

 武勇も、智慧も、特筆することはないただの男だ。

 

 ただ、少しばかり運が良かった。生まれつきの考え無しと大金の使い道など思いつかぬ愚かさが偶然にも、親戚にやらせた幾らかの商売を上手く行かせた。

 

 人に恵まれたのか、運に恵まれたのか、あるいはその両方か。そのおかげか、役人の仕事もそこそこに、書を読み、酒を飲み、日がな一日、街角から聞こえる旅の芸人の琴の音を聞いて過ごすことができた。

 

 日々、掌にマメを作りながら鍬を振る農民や、金勘定をしては頭を捻る商売人達を考えれば幸福極まりない生活だ。とはいえ、洛陽の役人連中と比べれば慎ましいとも言えなくはないが。

 

 幸いにも、遊びの少ない男だと思われていた。当時の役人は真面目一辺倒か、賄賂ばかりを要求するロクでなしかのどちらかだっただろう。少々やる気がないが、金遣いもそこそこに大人しい商家の主とでも思われていたのだろう。一応役人まがいの仕事もしていたのだが、まぁ誰もそんな事を気にも留めなかった、何せ言われた通りに書類を通し、あとはもっと偉い奴に投げるだけだった。

 

 ────そんな日々を過ごして暫く。

 

 遠い場所で、黄巾被った連中が暴れていただかで家の周囲に人も増えた。人が増えればそれなりに儲けも増える。気をよくした親戚に酒宴に招かれるのも当然といえば当然のことだった。

 

 しんしんと雪の降る日だった、外に出るのは億劫だったが人付き合いが嫌いなわけでもない、酒場に連れられ、酒を飲み、出された料理を食べる。

 

 そして人並みに酔い、人並みに笑い……恙無く宴会は終わる筈だった。

 

 ふと、窓辺を見る。見知らぬ女がいた。

 

 少なくとも一通りに挨拶はしたはずなのだが、その女の存在に今の今まで気づくことはできなかった。人混みに紛れる薄い靄の様な気配、限りなく黒に近い、濃い藍染の薄い漢服。身体に張り付くように、扇情的に作られているようなそれを身に纏いながら、女は決して目立たなかった。

 容姿が凡庸なわけではない、寧ろ極めて美しい部類に入るだろう。だが、瞳は金色に輝きながらも、錆びた鋳鉄のように澱みを帯びる。

 

 そして、それが酷く目を引いた。

 

 誰だ、と周りに聞けば、最近逗留している方士であるとか。

 

 方士、方士と来た。怪しげな術を使い、現世利益を謳う。個人的には口煩い儒者よりは好ましいが、世の人としては大仰にありがたがるか、遠巻きにする程度には疎ましいかだろう。

 

 珍しく、名を覚えたくなる人間に会えた気がした。親戚の酌をすり抜けて、女に近づいていく。予感があった、何か自身にとって致命的なものを持っているだろうというものが。

 

「やぁ、そこの人。随分とつまらなさそうだな」

 

 隣に座り、声をかける。女は他の誰とも混ざらずに黙々と酒を飲み続けていた。

 

「……はい? ああ、ここの主人でしょうか?」

 

 静かな声、だが聞き覚えのない色を含んでいた。枉惑(おうわく)や欺瞞の薄い場所からはしない匂い。花園の中で咲く毒花の色だった。

 

「主人ってほどじゃない、血筋と、金を動かす権利があるだけだ。■■でいい」

 

「はぁ、■■様と。謙遜なさらずとも、随分と評判よろしいですよ。ええ、本当」

 

 紅の乗る(まなじり)が猫の笑みのように歪む。媚びるような、あるいは小馬鹿にしたような、混然とした甘い声が耳に響く。ふと見れば、細長い指がこちらの袖を引いていた。

 

「つまらなそう、ではなくてつまらないので。商売の手伝いで誘われたのですが、どうにも……」

 

 女は、杯に残る酒を飲み干す。袖を引いていた手がいつの間にかこちらの手に重なっていた。

 

「どうです? あなたも退屈そうですし、この場を抜けて、一杯」

 

 甘える猫のような声が響く、重ねられた手から少し暖かい体温が伝わる。いつの間にか、女の顔が目の前にあった。香と薬草の匂い、女の匂い。鈍い金色の瞳がこちらを覗き込む。夜道で黒猫に覗き込まれた時のような不気味な愛嬌を帯びていた。

 

「なんだ、詐欺か。別に金なら欲しけりゃやるぞ。どうせ使い道もない」

 

 なるほど、厄介な生き物である。そんな生き物が、こんな凡庸な人間に近寄るというのは大抵騙す時と相場が決まっている。

 

 だが、予想と反してぴしり、という音が虚空から聞こえる気がした。女の貼り付けた笑顔が固まった。

 

「……ごほん、失礼な。これでもれっきとした、きちんと道術を修めた道士ですよ。詐欺を働くよりもっと簡単に稼げますとも」

 

 それは確かに、少しばかり浮いた金を持っているだけの小金持ちを騙して吸い上げるよりはもっと派手な稼ぎ方はできるだろう。もっと上の権力者に取り入ったり。とはいえ、何の企みもなしにいきなり距離を詰めてくる人間はいない。

 

「……まぁいいか、うちの屋敷にでも来るか? どうせ部屋は余ってる。泊まりたきゃ貸すし、飲み直すなら誰かにつまみも作らせる」

 

 呆れて、重ねられた手を取る。騙りの気配は未だ消えていないが、構わない、と思った。

 

「あんた、名前は?」

 

「……徐福、と申します」

 

「なんだ、方士で徐福と来たか。本当に詐欺師じゃないか」

 

 騙りの代名詞、かの始皇帝を欺いて財と人を持って東に逃れたその人だ。そんな名前を名乗り、詐欺師じゃないとは。

 

「……あの件はまぁ若干申し訳なさがないでは……ごほん、いえいえ、こう名乗ると逆に皆さん信用してくれますのでぇ?」

 

「だろうな、ま、いいよ別に」

 

「あら」

 

「まぁ、出来れば命までは取らないでくれよ、それだけは困る」

 

「凶悪犯だと思われてます?」

 

「……まぁ、毒を盛られる可能性はあるだろ?」

 

 冗談混じりの言葉を投げかけて、手を引いた。立ち上がる姿は思ったよりも随分と背が高い。華奢な姿と相俟って、手折れそうな花を想起した。

 

「盛りませんよぉ? ……まぁ、多分?」

 

「多分かよ」

 

 気づかれない様に外に出る、いつの間にか雪が降っていた。空から降る白いそれが、喧騒を遮って、足音と隣の女の息遣いだけが聞こえる。刺す様な寒さが、手の中の体温を殊更に感じさせた。

 

「あ、ちなみに抱くならこれくらい頂きますからね」

 

「金貰っても嫌だね」

 

「でしょうね、冗談です」

 

 にへら、と徐福を名乗る女は笑う。嘲る様な、擦り寄るような笑みだ。それを見て、呆れたような気持ちになった。初対面の人間には思わないような、仕方ないな、というそれに首を傾げながら。

 

「……ちなみに、好きな酒は」

 

「老酒!」

 

「……この辺だと高いんだぞ」

 

「でも出してくれますでしょう?」

 

「…………甕が二つある、出すよ」

 

「どうもぉ」

 

 

 

 

 

 

 

 ────まぁ、これが出会いだ。

 

 まぁ、この云十年したら騙されて死ぬんだけど。でも楽しかったからいいのいいの。

 

 ……好きだったかって? どうだろう、少なくとも、俺はそうだったのかもな。あっちは……まぁ、多分そうじゃないだろうけど。

 昔のことだからあんまり覚えてないな、その辺は。でも、綺麗だったよ、それは本当に。




愛ではないでしょう、おそらくは。
友情でもないでしょう、確実に。


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2節:独り酌んで相親しむもの有り

めちゃくちゃ評価頂いていてびっくりしています……いやマジでびっくりした。
この小説は作者の幻覚みたいなものなのでそういうものだと思って見守っていただけると助かります。



玄関先で雪を払い、屋敷の自室に戻る。数人の使用人が怪訝な顔をしているが客だと言った。簡単な料理と、酒の用意を頼む。宴会の途中で抜け出した故、まだ夜は深くない、使用人たちが遅めの夕食の準備をしているところだったらしい。気を遣わせるのも申し訳がない、同じものでいいと言っておく。

 

自室に招き、椅子をもう一つ持ってこさせて共に席についた。酒と肴が運ばれ、お互いに杯を突き合わせ、飲み始めた。

 

「────ところで、方士って酒飲まないんじゃないのか」

 

「人に寄りますねぇ、僧とは違って、各々の裁量が大きいので」

 

互いの杯に酒を手酌で注ぐ、誰かに酌を頼むのはお互い好まないのか、自然とそのようになった。つまみは醤と大蒜に茹でた肉、煮た考麩。

 

「……揚州のあたりの料理じゃないです?」

 

「うちの使用人がその辺の出身だからな」

 

他愛もない話をしながら、酒を飲み、肴を食す。普段なら一人でやる事だったが、話し相手がいるというのも存外悪くない。

 

「私も好きですよ、暫くいましたし」

 

「ふむ、方士というからにはあちこち行ってるのか?」

 

「ええ!地元はここですが、咸陽に逗留していたこともありますし。会稽の方で出入りの船に乗せてもらっていたりもしました。他にもあちこち」

 

その細い体のどこに入るのか、という勢いで酒と肴を腹に収め、頬を赤らめて軽薄に笑う。甘える猫の様な声はわざとらしいものを感じるが、耳障りではなかった。

 

「そうか、そりゃ凄い。生薬売ったり長寿だの、金満だのそういうの吹聴して回るんだろ。俺なら三日三晩で詐欺師と呼ばれてタコ殴りだ」

 

「顔がよろしいと得しますね、なんて」

 

「よくもまぁそんな枯れ木みたいな見た目で言えるな。……冗談だ」

 

普段口から出ないような悪態が漏れる。どうにもこの女の前にいると、気が緩むようだ。こちらの放言に腹を立てたかと目をやった。鈍い金色がこちらの視線と交わる、逆さ月の様に歪む瞳には荊に触れた人間を嘲笑う薔薇の様な喜色が浮かんでいる。

 

「さっきはああ言いましたが。枯れ木かどうか、試してみます?」

 

「いやいい、後から何を取られるかわからん」

 

「……部屋に招いたのってそういう事では?」

 

「さっきも言ったろう、金を払っても嫌だ」

 

一度手を出せば、それなりの縁が生まれる、良きにせよ悪きにせよ。ただ、それは出会ったばかりの今に結ぶものではないと思った。

それにきっと、どんなに金を積んでも()()()()()()。そんな言葉を気の迷いだなと思考の片隅に放り投げる。

 

「うーん……これでも行く先々では持て囃されたのにな……」

 

「美人には違いないさ、何より瞳がいい」

 

鈍い黄金の様な瞳には澱の様な情念が込められている気がした。それがどうにも目を引いた、ここではない何かを、常に見つめているような瞳の影が。

 

「月並みな褒め言葉をどうも」

 

「素直に受け取れねぇのか」

 

「……ごほん、いけませんね。普段ならもうちょっとおべっかも出るんですけど。うーん」

 

目の前で首を傾げる姿を見て、笑う。どうにも調子の崩れる女だった。国を傾けるに足るであろう容姿と人の心に触れる手管を持っているようだったが、同時にそれら全てを扱いかねているような、有り体に言えば、雑な所が見え隠れしていた。

 

「必要ない相手に態々するほど愚かでもないからさ。人間、その辺の機微は無意識だろ」

 

「……つまり無意識に舐め腐ってると?」

 

「よくそんな堂々と言えるな」

 

「やだなぁ、これ以上褒められても何も出ませんよ?」

 

一瞬、細まった目が誘うような笑みを浮かべて、消える。目の前にいるのは酔いが回っているのか、朗らかにからからと笑う女が一人。

 

出会って数刻しか経っていなかったが、間違いなく、この女の素顔はこうなのだろう、と確信した。同時に、それが全てでは無いのだろうということも。

 

「────あんた、旅は長いのか」

 

「え、うーん……」

 

細く白い指先が、紅で照る口元に乗る。数瞬、考え込んで。

 

4()1()2()()

 

口元が、猫のように釣り上がる。あるいは、悪童が友を揶揄うような、悪性と、無邪気さを併せ持った笑みだった。濁り切った金色の瞳がこちらを試すように覗き込んでいる。

 

「──────」

 

息を呑む、おそらく、ほんの冗談。名乗る名前と、今の時代の年代を重ね合わせた悪い冗談。

 

「ふ、冗談ですよ。十数年でしょうか、ええ、私の父も方士でしたので連れられて────」

 

続けられる言葉、辻褄の合う、道理に合った言葉。嘘の匂いがした。俺は人を見る目に自信もない、才覚を埋めるほどの経験を積んだとも言い難い。だが、今、この瞬間『これは嘘だ』と確信にも近い感覚を覚えた。

 

「──いいよ、本当だろう?」

 

「え」

 

「多分、本当だろう、412年。信じるよ」

 

嘘だ、信じてはいない。ただ、信じようと思っただけで。何故かはわからない、衝動にも似たようなそれが、胸を裂くような勢いで喉を通り、口から吐き出された。きっと、この選択は間違いではないのだろうと、俺は思った。

 

「しかし……いいな、412年。俺もそれくらい生きてみたいもんだ」

 

これは本当。何はともあれ、長生きはいいことだ。読める本は増えるし、変わる音楽も聴いていける。しかし人にそれほど長生きは出来るのだろうか?仙人となるなら話は別だろうが、目の前の女は肉も食い酒も飲む。

 

目を瞑って、そんな益体もない疑問を杯の酒と共に飲み干して、目の前の女……徐福を見る。

 

一瞬、彼女の瞳に深い悔恨が浮かんだ気がした。大きな古い傷跡が、鈍い痛みを想起させるような苦痛の色だ。

それはすぐに消えた、その代わりに、媚びる様な笑みが浮かんだ。出逢った時に浮かべていたそれを、より蠱惑的にしたものを。

 

そして、気がつけば彼女はすぐ隣に席を寄せて近づいていた。今度は手を添えるのではなく、こちらの手を強く握り込む。爪痕すら残るかもしれないそれと、先ほどより強く伝わる体温に少し驚いた。

 

「本当に、信じてみます?」

 

挑戦的な含みのある言葉だった。進むのなら帰れなくなる、そんな気がした。無論、迷う気もなかった、どうしてそう思ったのかはわからないけれど。

 

「おう、信じてみるよ。お前が騙し切れるか、本当になるかは、知らないけどさ」

 

「わ、潔〜い。もしかして結構損する人?」

 

「お前が来るまではそうでもなかった」

 

「ふ、そっかー。でも、安心したまえー、これでも取引相手にはちゃんと利益は出すから」

 

「始皇帝は?」

 

「あれは別、それに、()()()()()()

 

「失敗?」

 

「あ、これ以上は秘密。それで……そうだなあ、信じてくれたお礼をあげるとしましょう」

 

大袈裟に、有難いとは思ってないだろうに彼女は言った。

 

「一晩、何の貸し借りも無し。これでどう?」

 

漢服の帯を緩めながら、目の前の女は言う。それに笑みを返してから、言い放つ。

 

「やだ」

 

「えっ」

 

困惑する目の前の女に盃を置き直し、酒を注ぐ。

 

「大蒜食った口で出来るか?」

 

「…………確かに!」

 

二人して、酒が入って頭が緩くなっていたらしい。ひとしきり大笑いをした後、まだ二人だけの酒宴は続いた。

 

 

 

 

 

────翌日。

 

「あったまいたい……」

 

「俺もだよ……」

 

二人して、寝台に死に体で転がっていた。服はぐちゃぐちゃ、寝台の布団も同様だ。無論、色気づいたことは何もない。

 

「……あ、しばらくここ泊まっていいですか?」

 

「……部屋なら余ってるからいいぞ……気持ち悪……」

 

「……薬持ってきます、薬。すぐ効くから」

 

「おう……助かる……ん?」

 

気がつけば、変な女が勝手に逗留していた。もしかしたら既に色々と騙されていたのかもしれない。

 

「────当然、あと、直感だけど、付き合い長くなりそうだからここまで言ったから。そこのところ、よろしく」

 

薬を飲んで元気になった後、そう言い放った女の笑顔は、出逢ってから初めて腹立たしいと思った。

 

 

 




考麩(コーフー)ってこの時代あったんですかね、わかんないけど呂布ロボいるし多分あるでしょう。醤油で煮ると美味しいのでおすすめです。三国時代の資料は当たりますが、地図感覚が終わってるので地名とかはガバい。

徐州は焼けます、多分次か、次の次。
大丈夫、まだ元気です。


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3節:美人珠簾を巻き深く坐して蛾眉を嚬む

遅れました。バレンタイン良かったですね。良かったですね、ええ、本当に。
好きな子が好きな子にチョコ渡すのって嬉しいけどめちゃくちゃ悲しいですね、誰のこととは言いませんけど。
俺じゃダメなんでしょうか、ダメです。


 変な女が屋敷に住み着いて2週間。空いている部屋に私物を持ち込み、完全に長居をする気になっていたのを微妙な顔で眺めていた。

 

 別段、それに特に文句はない。美人が家にいるのに悪い事はないし、何よりたまに家賃代わりに仕事を手伝えば極めて仕事が早い。

 

 ……不慣れな仕事をやらせるとそれなりに酷いことが起こるが、意外と普通な奴だと少しだけ安心した。

 

 使用人や、周りの人間も突然現れた怪しげな女を多少は警戒していたが、しばらくすればそれも薄れた。そのあたり、やはりこいつは詐欺師じゃないのかと思わないこともないが、構わなかった。

 

 そうして空いた部屋に住み着いただけでなく、俺の部屋にこの女が平気な顔で出入りするのにも慣れた頃の話だ。

 

 まだ冬も深い、外に雪は降りしきり、火鉢には何度か炭を入れる事になる。籠に入った炭を読書の合間に入れる。がり、がり、と薬研が薬草を潰す音、紙を捲る音、ぱちりと炭の燃える音だけが部屋に響いた。 

 

 次の頁に紙を捲る少しの間、薬を作る女の手を何度も見た。火鉢の近くとはいえ、石の薬研を握る以上、手は冷えていく。赤らんだ細い指を時々火に当ててはまた作業に戻っていた。

 

 身体の心配をする気などなかったが、少し居た堪れなくなった。

 

「……今、何を?」

 

 目線は本に向けたままで、ただそう尋ねた。

 

「胃薬と、熱冷まし。あとは……数人に頼まれたの夜のあれこれの」

 

「……誰が頼んだかは聞かないでおく、知り合いの事情とか聞きたくねぇ」 

 

「知っておいた方がいいですよ、いつかは役に立つので」

 

「どうせ使わん」

 

「心の余裕になりますよー」

 

 あはは、と笑って目の前の女は潰した生薬を小分けにしていく。紙に包む様子はいやに様になっていた、長いことやっていたのだから当たり前なのだろうが、その生真面目な様子がどうにも目の前の女の姿から浮いているように見えた。

 

 一通り作業が終わったのか、徐福は小分けにした薬を一纏めにして、火鉢に手を当てる。先ほどよりも指先の赤みは増していた。

 

 ──思わず、手を取った。

 

「わ」

 

「火に当てるよりこっちの方がいい」

 

「意外とやりますね、他の女の子にもこんなこと?」

 

 にへら、と女は笑った。いつもの、本心の見えない甘い笑顔だった。それがどうにも癪に障った。

 

「やらん」

 

「なんだ、つまんなーい」

 

 今度は、一転してケラケラと子供のように。暫く過ごしていても、相変わらずに掴み所のない女だった。

 

「……あ、でもあったかい。あんまりこういう事されなかったから、新鮮かも」

 

「……? 家族とかならあるだろう」

 

「……あー……あんまり覚えてないかな」

 

「そうか」

 

 しばしの無言、お互いの息遣いだけが部屋に満ちた。冷たかった手から次第に血の通った熱を感じるようになるくらいの時間が経つ。

 

 伝わる熱から逃げるように、手を離した。

 

「作業、火に寄ってやれよ」

 

 それだけを伝えて読書に戻った。先程の行動がどうにも、慣れないことをして気恥ずかしい。

 

「ん、出来るだけね。温めると困るのもあるから」

 

 幾らか砕けた口調で、それだけ言って。ふと、寂しげな目をした気がした。ただ、それには気が付かない方がいいと、目を逸らした。

 

「……今日はもう終わりか?」

 

「大体」

 

「そうか」

 

 ただ、それだけを伝えて。火鉢を囲んで隣に座る。気がつけば日は暮れていた。雪のせいか、静かな夜だった。

 

 ただ二人で並んで座る、炎の熱とお互いの熱が触れる肌から伝わった。

 

 この屋敷に来てから1週間ほど経った頃から、こうしている時間が増えた。何をするわけでもなく、ただ隣り合って暖を取るだけの時間。どちらかが言い出したわけでもない、気まぐれの猫が暖をとるように、火鉢の横で本を読む俺の横にいつの間にかこの女は並んでいた。

 

 こうなると、お互いに言葉は交わさない。こちらは、ただ本を読むだけ。徐福は、その時々によって違う。本を読んでいることもあるし、ただ何もせずに燃える炭を眺めていることもあった。鈴の鳴るような声で静かに歌っていることもある。僅かな時間だが、気まぐれなそれが心地よかった。

 

 今日は隣から小さな声で口遊む歌が聞こえてくる。夜の森に吹く風のような、静かな歌だった。文字を追う目が揺らいだ。少しだけ、本を閉じ、隣にいる女に体重を預け、声に耳を傾けた。

 

 歌う女の顔は、綺麗だった。どこか楽しげではあったが、憂いが何処までもついてくるような薄笑い。遠くを見るときだけ澱みが薄まって、星のように金色の瞳が煌めいていた。

 

 その歌は、遠い所に置いてきた何かをを想う古い歌で。大切なものがない自分には些か苦手なものだったが、それでも彼女が歌うそれを、綺麗だと思った。

 

 ……ただ、彼女の想うモノは、もう無いのか、あるいは遠く離れているのであろう。歌う声に混ざる声音に、僅かな悲しみと、後悔の色があった。

 

 だが、それを伝えることはなかった。ただ、耳を傾けて、窓から外を眺めた。月明かりに照らされて、積もる雪が全てを白く染めていた。

 

「良い歌だな」

 

「どうも、古い恋の歌ですよ。知ってます?」

 

「少し離れたとこの諸葛のやけに博識な子供が色々と本が入り用らしくてな、頼まれて集めたやつに載ってたよ」

 

 随分と古い歌だ、失ったもの、届かなかったもの。そういったものへの悲しみと、思い出を語る優しさが込められている歌。

 

「そうしてれば、文句無しに美人なんだがなぁ」

 

「何言ってるんですか、普段から美人ですよ?」

 

「態度のでかさと胡散臭さを除けばな」

 

 喉の奥で笑い声を抑える、おそらくバレているとは思うのだが。本を片付けて、寝台に潜る。

 

「部屋、戻るなら────」

 

 ひたり、と首筋に何かが触れた。細い指だった。

 

「ね、寒いですし一緒に寝ます?」

 

「何もしないぞ」

 

「何もしなくても、もう噂は立ってますけど。それならした方がお得じゃありません?」

 

 どういう理屈だ。確かに噂はもう随分と立っているが、どうしても目の前の女とそういう風になるのは受け入れ難いと感じていた。自分でも、ここまで頑なになる理由はわからない。

 

「とにかく、眠いから寝るぞ」

 

「ツレないな〜」

 

「…………大体、なんで俺をそうやって嵌めようする。渡せるものなんてないぞ」

 

「……お金?」

 

 ニヤケ面で布団に潜り込んでくる女を、払いのける事もできず、溜め息を吐いた。

 

「欲しけりゃ額面と用途を書面で出せ」

 

「うげー」

 

「嫌そうだな、そうだろうと思って言った」

 

 へっと笑って、精一杯の嫌味と皮肉を。背中の体温からは意識を逸らして。好意は無い、敵意もない、警戒心も、本当のところは殆どない。

 ただ、どうしても離れ難いという感覚と、どうして彼女は離れないのだろうという疑問が頭の中でぐるぐると回り続けていた。

「なぁ、聞きたいんだが」

 

「んー? なんです?」

 

「いや、いい。寝る」

 

 お前がどうしても大事なものは、なんなのか。お前は何をしたいのか。それを聞くには、まだ時間が足りない。

 

「……? おやすみなさーい」

 

 それを最後に、背中合わせに伝わる呼吸だけが炭の灯りだけが灯る部屋に残った。

 

 ────灯りが灰になる様に、時間が終わるのが少しだけ悲しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも、終わるのは悲しいものだ。それがなんであれ、特に、命とか。

 ──────だが、冬の静けさですら、いつかは終わる。

 

 春と共に、土の中から湧いてくる蟲のように、騒乱と死の気配が近づいていた。無論、それは二人を飲み込んで。

 

 だからこそ、ただ二人でいようと、決めたあの日が近づいていた。

 

 

 ……まぁ、結局叶わなかったけれども。どんなに一緒に長生きしても、一人を置いて逝くって中々くるもんだね。




理性「────古代なんだから窓ねぇじゃん!」
理性2「うるせぇ!ロボいるんだぞロボ!ペルシャから窓ガラスくらい入ってきててもおかしくないだろ!」
理性「そうかな……そうかも……」

実際は窓すらない家が殆どみたいですね、まぁ武侠ドラマとかも木枠の窓とか、たまに窓ガラスあるしいいんじゃないかな、多分。

次回はおそらくめちゃくちゃ遅れます(ここから1週間ほどリアルが修羅場なので)


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断章:黒猫のタンゴ

ちょっと短め、ようやく忙しいところから抜けたのでサクッと。


 

 いつだって道を間違えていた。何も気がつかないまま、ただ走り抜けていたら、望んでいた方向からは遠ざかっていて。

 

 私は、そうやって間違えた。

 

 航海は失敗した、不死殺しはなし得ず。ただ、不老だけを得て。数百、年を数えては、ただ放浪した。不老の霊薬を餌にして、ただ奪って、奪って、奪って、不完全な不死殺しを抱えて彷徨って。

 

 ────ふと、故郷に帰りたくなった。

 

 故郷に未練はない、それに、大した思い出もない。もう何も残ってすらいないのに。

 

 手持ちの資産を隠して、ただ足が向くまま旅ができるくらいのお金と……まぁ、方士として怪しまれないような薬師道具と道中はいい感じに道術で。ひぃひぃ言いながらなんとか故郷に辿り着いて。

 

 街並みは殆ど見る影もない。400年という月日は全てを擦り減らしていた。

 

 物珍しがられ、とある商家の人間に宴会に誘われる。特に目的もなかった、別に地元のお酒は好きでもないけれど、飲むこと自体は嫌いではない。酩酊は、どんどん渇いていく自分を誤魔化せる気がするから。

 

 酒宴は賑やかに、私一人を置いて進んでいく。話しかけられはするけれど、応対に思考は割かず、ただ反射的な世間話が口から返されるだけだ。

 

 ────ふと、視線を向けた、こちらを見ている男がいた。

 別段、特筆するところがあるわけでもない、才気や、美貌を持つわけでもない。

 

 ただ、瞳の色だけは、見覚えがあった。黒々と、澱んだ瞳の中に私の顔が映っていた。奥には、何かを求める子供のような鈍い光があった。それが何かは、わからないけれど、少しだけ興味が湧いた。

 

 男は近づいてくる、随分とつまらなそうだな、とこちらの余所行きの顔を簡単に見抜いて。でも、全くと言っていい程に裏の無い匂いがした。

 

 信用できる、などでは無い。ただ、そう言った場を過ごしていなかったか、あるいは無自覚にすり抜けてきたような、ある種の朴訥さのようなものだった。

 ただ、明るく、野に咲いている草花のようなそれにどうしてか、自身のような諦観が混ざっていた。

 

 男は周りの話からするに、この家の主らしい。なるほど、不自由無く育ったのだろう、となんとなしに思う。

 仲良くなれれば、いくらか便利なこともあるだろうと話しかける。少しばかり混ざる誘いは、長く生きている内に身についてしまった悪い癖だった。

 

 触れた手のひらから、感じた熱は、これまで何度も知った他の男のそれと大差なくて。

 

 ふと、誘いに乗らないで欲しいな、なんて考えが過ぎる。気の迷いだと思った。

 

 ……そしたら、乗るどころではなく、詐欺師呼ばわりされた。

 

 内心、ふざけんなよと思ったけれど、こういう相手もいないではない。いや、初対面でいきなり言ってくる奴はあんまりいなかったけど。

 

 ちょっとムキになって、じゃあ本当に何か奪ってやろうと考えて。困ったことに、特に欲しいものがない。

 とりあえず、気に入られて当面の宿とちょっとした商売が出来る場所を貰って、いつか資産も貰っちゃおうかななんて考えて。

 

 体は薄いけれど、顔とか、器量にはそれなりに自信があった。長く生きていると、自分のこういったものを武器にすることも何度かあったから。

 

 だから、同じように武器を使って、絡め取ろうとしたけれど、どうにも引っかからない。その癖、隣に潜り込むことを嫌がろうとしない。老人でも、もう少し色気つくというのに、どうしてなのか。首を傾げながらも、ちょっとだけ気に入っている自分がいた。

 

 だって楽だし。

 

 一緒にお酒を飲んで、歌を歌って、少しばかり薬師の仕事をして。気楽な日々だった。

 

 何より■■という男は、気が合った。そういう相手はそれなりにいたかもしれないけれど、今回は特にそんな気がした。

 

 雪の中で話すことも悪くない、お酒の趣味とかもまぁ悪くはない、余計なことを聞かないのも悪くはない。

 

 ……聞かないのではなく、聞けないのだろうけど。その弱さも、案外嫌いじゃない。

 

 束の間の休息で近くにいる人間にしては、悪くないとは思っていた。

 

 そうして数ヶ月が経とうとしたころ。

 

 ────────戦乱の匂いがした。

 

 ああ、そろそろ離れなきゃな。なんて乾いた感想が浮かんで、荷造りを始めた。故郷がきっと酷いことになるのだろうけど、私はもうそんなに悲しむこともできないくらいには擦り切れていた。

 

 次の行き先と、資産の回収と……とまで考えて、隣の男がどうするのか気になった。

 

 多分、残るのだろうと思った。

 

 薄情なようで、家族とか、友人とか、そういうのをそれなり以上に大切にしている人間だったから、きっとこの事を伝えても残るのだろうと思っていた。

 

 だから、世間話の様にそう伝えて、数日もすればお別れですね、なんて言おうとしたところ。

 

「一緒に逃げるか」

 

 なんて言われてしまった。

 

 …………もしかして、私のこと好きなのか? 

 

 まっさかあ、なんなんだろうこいつ? 

 

「逃げた先で商売する、財産半分好きに使っていいぞ」

 

「一緒に来てくれ、でなきゃ困る」

 

 

 …………困ったなぁ。

 

「えへ、いいでしょう。財産は共同でいいですよ」

 

 なんでこんなふうに答えちゃったんですかね? わかんないな。



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4節:我只在乎你

 

 ────数ヶ月後のことだった。

 

 彭城国で虐殺が起こった、と徐福は言った。軽薄に残念がる女は、部屋の私物を纏めていた。

 

「このままだと間違いなく死にますけど、どうします?」

 

 今日の夕食はどうするか、そんな程度の気軽さで彼女は言った。実際に彼女にとっては、そのくらいの話なのだろう。

 

「逃げるか」

 

 自分でも少しは迷うかと思ったが、口から出た言葉は淀みなく吐き出された。故郷よりも、目の前の女を追う方がいいと思った。

 

「お、本当に? どこ行きます?」

 

「財産全部と使用人連れて、北に逃げる」

 

「北〜? 道中でバレたら死ぬよ?」

 

「どうにかしろ、詐欺師だろ」

 

 その辺誤魔化すのは世界一得意だろう、おそらく。

 

「方士です〜バカにするなよ〜。ま、なんとかするけど、タダじゃ嫌ですよ」

 

「逃げた先で財産半分好きに使っていいぞ」

 

「行った先で金だけ貰って私が逃げたらどうする?」

 

 ニコニコと、悪戯っぽく目の前の女は笑う。冗談なのか、本気なのか、わかる?と言わんばかりの試すような色が瞳に浮かんでいた。思わず、それを鼻で笑う。

 

「いいさ、どっちみち死ぬのには変わらん」

 

 笑む女の手を握った。ふと、そうしなければいけない気がした。

 

「一緒に来てくれ、でなきゃ困る」

 

「私は困りませんよ?」

 

 そう言われてしまうと、困ってしまう。何せ、渡せるものなど何も無い。俺という人間には、この女に役に立つ様な事など何も持ち合わせておらず、せいぜいがこの家にある家財程度だろう。

 

「…………頼む」

 

 縋るような気持ちだったのかもしれない、そうだったとしたらあまりに情けないけれど。それでもただ手を握って、頼むことしかできない。

 

「えへ、いいでしょう。財産は共同でいいですよ」

 

 にこり、と、女は笑った。いつもの人を馬鹿にしたような、黒猫のような笑みではなく、人懐っこい少女のような笑みで。

 

「でも、破産したらお前のですからね」

 

「……なんだそりゃ、俺は商売できんからお前のせいだぞ」

 

「投資する方が悪いんだよ、基本的にはね?」

 

 にへら、とまた性格の悪そうな笑みに戻った。やっぱり詐欺師だと思う。

 

「さーて、じゃあ引越しの準備だ! 荷物纏めるよー」

 

「もう始めてるよ、3日もすればもう出れる。あっちに知り合いがいるんだ」

 

「……え、友達とかいたんですね」

 

「意外とな、人付き合いは好きでもないが嫌いじゃない」

 

 昔、冀州で商売しに行ったと思ったら、何故か医者になったとか抜かしていた友人がいた。まだ息災なのは知っている、要領のいい男だったから、きっとそれなりに頼りになるだろう。

 

「道中、危険な気もするが、どうにかできるか?」

 

「無茶言うなよーむむむ……道中、大勢が通れるような場所はやめた方がいいかな。今の魏の軍なら、多分黄巾党の残党抱えてるから会ったらすぐ殺されちゃいそうだし」

 

「……なんだ、滅んでたのか黄巾党」

 

「うん、とりあえず冀州なら暫くいたし、私が洛陽から来た道を辿れば生きて辿り着けるでしょ」

 

 洛陽とな、なんとまぁ都会から来たものである。

 

「ま、途中で死んだら置いてくからね」

 

「そうしてくれ」

 

 俺は多分、そうしない気がするが、相手がそうしてくれるとわかるのは気楽だった。

 

 そうして、二人して荷物をまとめ始めた。二人とも、自分の荷物は少ない。いや、書物は幾らでも持って行けるだろうが、気に入ったもの以外は友人や、親戚に渡した。

 

 彼らにも、事情は伝えた。少なくとも、知り合い皆は逃げ延びるだろう。

 

 中原に入ろうとしたのは、おそらく、徐福が向かうであろうとした場所だったから。少なくとも、南に逃げ延びて、田舎暮らしをしようという気はないだろうな、と思ったからだった。

 

 使用人達も、どうせ逃げるなら都会のほうがいいでしょうし、と話す。多少の危険があっても、そうする事に疑問はなかった。

 

 当時は、何も知らなかったが、この選択は間違いではなかった。西側から大勢の軍隊が迫ってはいたが、北側は比較的それも少なく、それ故にどうにか辿り着けたのだろう。

 

 当然、大人数で資産を持っての道行は危険だ。食い詰めた賊に殺される危険性も高い。

 しかし、「え、大丈夫大丈夫、そういう事にならないように色々してますから」なんて方位と睨めっこしながら、徐福は言った。それを疑いながら、馬車に乗りながら進んでいた。

 

 数日もすれば、本当だったのか、と少し感心する。どういう理屈なのかてんで理解できないが、賊にも会わず、道中では小さな村で食事を貰えすらした。

 

「本物なんだなあ」

 

「本物なんですよ」

 

 夕暮れの空の下、馬車の中、村のはずれで分けて貰った粥を隣で啜りながら、自慢げな顔で笑う女の顔を見る。本当に悲しそうな顔の似合わない女だな、となんとなしに思ういい笑顔だった。

 

「ま、着くまではみんな死なないと思いますよ。その辺はちゃんとやりますとも」

 

「そうか……ところでこの粥」

 

「まずい……」

 

「うむ……」

 

 ちょっとした物々交換で貰った食事だが、驚くほどまずい。まぁこんなものだろうという諦念と、それはそれとして襲いかかる無味と青臭さが織りなす飲み込めなくもない程度の味。捨てる程薄情でもないのだろう、目の前の女と二人して無理やり飲み込んだ。

 

「……寝る」

 

「おう」

 

 苦々しい表情を浮かべて、荷台に敷いた布の上に寝転がり呻く女の不貞腐れたような声がなんだか愉快だった。

 

 気がつけば、日が沈む、火を焚く家もいくらかはいるが、早々に眠りにつくのが殆どだ。旅の疲れで、連れてきた使用人たちも皆眠りについている。

 

 隣で寝転がる女の呼吸と、風の音だけが聞こえる。隣に眠る女の顔を眺める、笑みもなく、白い肌が死人のような静謐さで照らされていた。不安になるほど、美しい姿だった。

 

「…………どうして、一緒にいてくれたんだろうな」

 

 胸に残る不安感は、目の前のそれの姿だけではなかった。目の前に現れたこの女が、隣に居ることが、いつの間にか随分と大事になっているような気がした。

 

 だがそれは、離れれば耐え難い何かが己を襲うだろうという確信にも似た不安となっている。

 

 釣り合うだけの何かがない、報いるための術がない。ただ、それでも、隣に居る事だけが欲しかった。

 

 おかしな話だ、俺はこの女のことを何も知らない。何も聞かず、何も見ようとしていないというのに、こんなことを思うなんて。

 

 袋小路に入りそうな思考を断ち切って、身を横たえた。荷台は狭い、触れる体温が暫しの間不安を誤魔化してくれた。ほんの少しだけ、自分とは違う温度、香と薬の匂いに混じる汗の匂い。

 

 もし、出会わなければ、この全てを知らずに故郷で一人死んでいたのだろうか。

 

 ああ、それは少し嫌だなと、笑って目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流血と、不完全な不死。

 

 死ぬまで共にいようと決めた日。あるいは、一緒に死にたくなった、愚かな欲が生まれた日の前の夜のこと。



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5節:傷の数を数えて

なんと日刊ランキング5位に乗ってました、みなさんありがとうございます……!
いやマジでびっくりしましたね、パソコン開いてひっくり返りました。


 

 いつの間にか冬が終わり、春が来ていた。

 肌を撫でる風は温く、緑と花の匂いが混ざる。

 

 旅路には特に異常もなく、目的の街へとあと数日といったところだった。平原の開けた道を馬車が進んでいく。車輪の転がる音を聞きながら座り心地の悪い荷台の上で、空を眺める。しばらく雨も降らないだろ、と雨避けの幌は畳まれていた。

 

 昼下がり、青空を眺める。隣にいる女の鼻歌を聞きながらそうしているだけで、何故か笑みが浮かんだ。

 

「……なにニヤニヤしてんの?」

 

「……してない」

 

「してたけど、なんかいいことありました?」

 

「ずっとここで一日寝てただけだろうが、お前も」

 

 旅というのは、暇なものでもある。長い移動時間は持ち込んだ書物を全て読み終え、2周目に入る程度には退屈をもたらしていた。

 

「……あと二日もすれば着くだろうってよ」

 

「お、やったぁ。取り敢えずお酒飲もうお酒、禁酒しすぎた」

 

 ケラケラと笑う女の声が、よく響く。甲高いというわけでもないが、可愛らしいと人は言うのであろうその声が好きだった。

 

「うーん……昨日の占いだと今日は一日晴れるだろうし、寝ちゃおうかな」

 

「まだ寝るのか……」

 

 昼まで寝こけておきながら、食事を終えた昼下がりにまたすぐ寝ようとする姿は自堕落な飼い猫のようで、呆れて笑ってしまう。

 

 言った通りに寝転んで、目を瞑っている女を横目に、ただ遠くの空を眺める。流れる雲と、遠くを飛ぶ鳥の群れをひたすらに見送りながら、ただ無心でいた。

 

 一羽の大きなカラスが、視界を横切った。立木に留まったそれが、鈍い鳴き声を響き渡らせて黒い目でこちらを覗き込んでいた。

 

 何か、嫌な予感がした。しかし、その正体はわからない。首筋が疼くような感覚だけを残して、視線を外したその時にはもう、カラスは消えていた。

 

 あれは、そう、確か屍の多い場所でよく見た。あの時は獣だったが、不吉な予感が脳裏に張り付くようにして剥がれない。

 

 風の音がする。遠くから吹き荒ぶ風が、遠く弱り果ててたどり着いたような冷たい風の音。

 

「……おい、起きろ」

 

「んぅ、なんですか、せっかく寝ようと……」

 

「雨だ、多分な。準備しろ」

 

「はぁ? そんなわけないでしょー? ……えっ」

 

 女の訝しむような顔が歪む、驚きと、過ちに気がついた時の青褪めた時のそれを浮かべる。

 

「嘘、嘘、なんで!? あっ、最初の条件間違えた!?」

 

「天気くらい、誰でも読み間違えるだろ」

 

「ちーがーうー! もしかしたらこの道行くと危ないかもだから!」

 

 おそらく占具……だろうか、袋から雑多に取り出したそれらをがちゃがちゃと弄り回しながら焦る彼女の姿と、不吉な予感が重なる。

 

「なぁおい、危ないって言ってもこんな開けた所で襲われたりなんて────」

 

 

 

 何かが、風を切る音がした。

 

 ぐずり、と肉が裂ける音がする。

 

 ────目の前の女が、血を吐いていた。

 

 胸に、何かが突き刺さっていた。何か、ではない、矢だ。何かを殺す為に使うモノ、それが、確かに女の命を貫いていた。

 

「──────」

 

 ひゅう、と肺から空気の漏れる音がする。咄嗟に抱き抱えた身体に力は無い。流れる血が掌を濡らす、生暖かい温度と、鉄の匂い。

 

「おい、おい、なんの冗談だ」

 

 周囲を見る、木陰に襤褸を着て、頰の痩けた男が一人、弓を構えている。男は血と泥に汚れていて、飢えた犬のようにギラギラとした瞳がこちらを見つめていた。

 おそらく、一人逃げ延びた逃亡兵か、山賊。偶然街道を進む無防備な商人の馬車を捨て鉢で襲いかかったのだろう。

 

 やけに冷静な頭が現状を把握する。抱える掌に温かい血流れる。ぽつり、ぽつりと、雨が降り出した。

 

 そうだ、殺そう。

 

 抱きかかえた女の身体を静かにと横たえる。使用人たちの悲鳴がどこか遠くに聞こえた。飢えと、疲労で男の動きは緩慢だった、恐らく、自分のしていることもはっきりとわからないのかもしれない、きっと、矢が当たったのも偶然だろう。

 

 走れば数秒の位置だ、木陰で泥に塗れた男の姿は確かに見えにくい、だからここまで気が付かなかったのだろう。

 

 何も考えずに走って、身体ごと男にぶつかった。人を殴ったことなど経験がない、だが、とにかく目の前の人間を動かなくさせたかった。

 

 足元のおぼつかない男は簡単に地面に転がって、俺は馬乗りになっていた。手近に落ちていた岩を掴んで、迷いなく顔に叩きつけた。

 

 

 一度、二度、三度、と振り下ろす。ばきり、と骨の折れる音がして、悲鳴が聞こえた。

 

 四度目から声を上げなくなった。

 

 五度、六度、七度、八度、段々と殴る石からぐちゃり、と水音がする。気がつけば、雨が降り始めた。

 

 九度、十度、そこから先は数えるのをやめた。

 

 雨と、泥に混じって、男の頭は無くなっていた。石を手放して、掌を見つめた、黒々と汚れている。

 

 ────酷く、体が冷える。雨のせいなのだろう。

 

「…………あ」

 

 そうだ、あの女のところに行かなければ。しかし、泥に塗れた手で触れたら嫌がるだろうか、どこか場違いな考えが残る。

 

 陰に隠れて様子を見ていた使用人達が寄ってくる、心配する声を他所に、荷台に近づいた。

 女は横たわっている、胸から血を流し、どうにかしていたか細い息すら失われていた。

 

 矢は体を貫いていたから、折って背中側から引き抜いた。

 

 もう一度、抱きかかえる。まだ熱がある、ただ、苦痛に染まった表情で目を閉じている。

 

「…………こんなので死ぬのか、お前」

 

 数百年を生きたんだから、もっと丈夫かと思ったのに。強く抱きしめてみる、いつも隣で感じていた鼓動がしない。どうにも現実感がなかった。少し揺すってやれば、また減らず口と文句を言い出すんじゃないか、なんて考えが消えない。

 

「おい、おい、冗談じゃないぞ。まだ返してもらってないぞ、俺一人だと一文無しになる」

 

 雨が女の血を流していく。ここから、熱さえも奪っていこうとするのか、と怒りにも似た気持ちのまま、強く体を抱いた。

 

「……頼むよ、お前がいないと……」

 

 いないと、どうなのだろう。きっと、問題はないはずだ、だって、他人なのだから。このまま進んでいけば、きっと新しい土地でそれなりに生きてはいけるだろう。

 

 運悪く知人が亡くなった、そんな不幸はありふれていて。幾度か、経験はあった。だが、何故だろうか、どうにも納得がいかなかった。

 

 だって、こんなにも痛い。何も傷を負っていないはずなのに。わからない、これがなんなのかなんて何もわからなかった。

 

 嫌だ。俺は、とにかく嫌だ。こんな理不尽を許してはいけない、と泣いたのかもしれない。あまり、記憶にない。

 

 ただ、雨の中で抱いている身体から感じる熱を逃さないようにして────そうしていたら音が聞こえた。

 

 聞こえないはずの鼓動が聞こえる、都合のいい錯覚ではない、確かに、いつも聴こえていたそれで。

 

 まさか、と顔を覗き込もうとして。

 

「いっっっっっっったぁ!!!? 心臓止まった! 死ぬかと思った!!!」

 

 ────甲高い叫び声と共に、何故か徐福は目覚めた。ごつん、と俺の頭に跳ね上がった彼女の頭がぶつかる。痛い。

 

 びっくりしたので取り敢えず殴った。何やら文句を言っている、雨が降っていて良かった、この女に泣き顔を見られるのだけは本当に嫌だったから。

 

 ─────安心した、置いていかれるのも、置いていくのも嫌だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………死ぬのは嫌だ、悲しいし、痛いし。

 

 でもね、一生のうちには一人くらいは一緒に死んだ方がマシだなって思える相手が出来るものさ。

 

 それがこの日、わかったんだ。

 ちょっと情けないし、馬鹿な話だろう?



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6節:さよならの準備

こんなタイトルですけどさよならはもっと先です。死が二人を分つまで!!
まぁ分つかどうかもわからないけど……(不穏)


 

 偶然外れていたなどと言い訳して、使用人達を追い出しそれぞれ野営の準備と簡易的な天幕を貼って休ませた後。幌を貼り直した馬車の荷台の中、徐福と向き合って座る。血と泥で汚れた服は共にすでに着替えていた。

 

「で、なんで生きてる」

 

「不完全ですけど、不老不死の薬飲みましたからねぇ。主要な内臓をやられると暫くは動けなくなりますけど」

 

「…………本当に不老不死なわけじゃないのか」

 

「ええ、頭と心臓と……あと体の半分くらい無くなれば死ぬんじゃないですかね? 多分」

 

「そうか……」

 

「いやーしかし、バレなくてよかった。バレてたら石投げられて追い出されてましたね」

 

「大丈夫だよ、別に。金と恩があるうちはその辺気にしないのがいいところだ」

 

 誰にだってに言える事だ。利益と面子さえ立てていれば、人は基本的にわざわざ裏切ったりはしない。

 

「えー、昔やられましたよ」

 

「運が悪かったんだろ。……で、傷はもういいのか」

 

「勿論! 跡も残りません。色々迷惑かけましたね、いやー占いの最初の条件間違えちゃったみたいで」

 

 さらさらと紙に何やらよくわからない紋様を描きながら目の前の女は笑う。

 

「大人数の道行を占うのって大変なんですよー周りの人との関係も勘案しないといけないので。あなたの分だけ間違えたみたいですね」

 

「……どう間違えたんだ」

 

「いえ、皆を友人って事にして占ってたんですけど、もしかして私のこと嫌いだったりします?」

 

「………………何をどうしてそうなる」

 

「え、だって、それ以外だったら好きなことになりますけど」

 

 どうして否定するのも肯定するのも嫌なことを言い出すのだこの女は。

 

「…………………………」

 

 長い沈黙、どう答えても負けな気がした。

 

「…………お?」

 

 目の前の女は少しだけ首を傾げて、その後にたり、と笑う。腹の立つ笑みだった。

 

「そっか〜〜〜〜そうですか、そうですか。そういうことにしちゃお」

 

「何も言ってないぞ」

 

「じゃあ嫌いなんですか?」

 

「殴るぞ」

 

「さっき殴ったでしょ、まぁじゃあそういうことで」

 

「おい」

 

 人を馬鹿にしたようないつもの猫の様な笑み、その筈だった。それを咎めようと手を伸ばして、腕を掴んで。その時に、眼を見た。

 渇いた瞳だった、何もかもを諦めた様な、荒涼とした風に吹き曝されたような色だった。冷たくはない、ただ、寂しい色をした瞳がこちらを見ていた。

 

「……なんで、そんな顔をする」

 

 手は離さない。離したら、本当に離れていってしまう気がした。

 

「あんなの見て、まだ本気で同じこと思ってます?」

 

 笑みは消えない、試す様な声音だった。きっと、何度も言った言葉なのだろう。そして、何度も諦めたのだろう。

 

「……なぁ、死にたくなったことあるのか?」

 

 そうか、なら、聞こうと思った。俺にとっては何よりも優先される、彼女の事を。

 

「え、全然? 急に何?」

 

「……そうか、じゃあいい。なら別に、何も変わらん」

 

「へ?」

 

 安心した、なら、何かを変える必要はない。長く生きるのに苦労がないのなら、自分の存在が、彼女の通り道に過ぎないのなら、俺が何かをする必要はないと思った。

 

「辛いのなら、ここで道を別れるべきだと思った。それか、生き方そのものが苦しいのなら」

 

 そこまで言って、口を噤む。出来るかどうかわからないこと(殺す事)を、口にすべきではないと思ったから。

 

「────」

 

 彼女はきょとん、とした顔でこちらを見つめる。彼女にとっては、月並みな言葉だと思うのだが、何をそんな顔をするのだろう。

 

「……こういう風になりたい、とか言わないの?」

 

「なれるならなりたいが」

 

「えっ」

 

「当たり前だろう、長生きはしたい」

 

 出来れば一緒に。

 

「薬くれ〜とかは?」

 

「言ったらくれるような慈愛の精神の持ち主になら言ってたな」

 

「……ほら、なんでも財産渡すから〜とか」

 

「もう半分やってるんだぞ、誰がやるか」

 

 何を言っているんだこいつは、これ以上あげたら不老でも意味がない、ただの世捨て人だ。生憎、世の中が嫌になる程擦り切れてもいない。

 

「えー……なんか、そんなのでいいの?」

 

「いい、返せるものがないのに求めるのは不義理だ」

 

「そっちもそうだけどさー……好きなんでしょ?」

 

「………………」

 

 目を逸らす、絶対に肯定はしない。意地でも。というかそういう質問をするところは嫌いだ。

 

「こう……黙ってやるから〜とかは?」

 

「誰がするか、悪徳官吏か!? 大体お前に何度も誘われておいて手出してないんだぞ!?」

 

「ヘタレほどこういう時に危ないんですよ。経験上」

 

「マジかよ、何度かあったのか?」

 

「あったあった、もう鬼の首を取ったかの様に性欲を……じゃなくて。まぁもういいや、ありがとね」

 

 彼女の腕を掴んでいた手を包む様に握られる。思わず、掴んでいた腕から手を離した。

 

「態度だけでも、出さないってのはありがたいんですよ? ちょっと許してやろうと思ってる時にも」

 

 天幕を雨が叩く音に混じって、帯を解く音がした。目の前の女の服が、いつの間にか服を取り去って。

 

「やっぱりお礼に」

 

「いや無理、風呂入らないと嫌だ」

 

「は?」

 

「血塗れ泥まみれになったばかりだぞ、嫌に決まってるだろ」

 

「……うわ最っ悪、くたばれ」

 

 無言で、顔に張り手を入れられる。ぱしん、と派手な音を鳴らして、少しばかりの痛みが、頬に走った。

 

 どうせ近くで話を盗み聞きしていたであろう昔馴染みの使用人を馬車から頭を出して探す。案の定、天幕の縁で聞き耳を立てていた、小声で話しかける。

 

「なぁ、俺が悪いと思うか?」

 

「最悪です、私だったら包丁で頭殴りつけますよ」

 

「そうか……どのあたりが?」

 

「女性に汚いから嫌ですって言って許されると思います?」

 

「俺が汚いから嫌だろう」

 

「言いなさいよ、言い方最悪ですよ」

 

 兄弟よりも付き合いの長い世話係に言われては仕方がない。全面的に悪いのであろう、いや言われなくても俺が悪いなこれは。

 

「謝ってくる」

 

「そうしなさい、私は寝ます」

 

「おう……ちなみになんて言えばいいと思う」

 

「誠心誠意、当たって砕けて」

 

「頼りにならない助言どうも」

 

 幌から顔を戻し。不貞腐れた顔で横になる女に近づく。

 

「すまん、誤解させた、あれは俺が汚いだろうってことでだな……」

 

「知ってる」

 

「はい」

 

「……」

 

「……」

 

 気まずい沈黙が天幕の中を支配する。とりあえず、諦めて隣に横になった。呆れた視線が投げかけられる。

 

「どういう神経してたら隣に寝れるの?」

 

「ここしか寝る場所がないからな」

 

「……そう」

 

「おう」

 

 また沈黙、呼吸の音とぱたぱたと天幕を叩く小雨の音だけが響く。

 

「……もしかして細身には興奮しない方?」

 

「何故そうなる」

 

「だって私がこうして乗らない奴いないよー?」

 

 それはそうだろう、美人だから。大抵の人間はそうなるに違いない。だが、欲望を大きく上回る、恐れがあるならばそうではないだろう。

 

「……仮に、仮にだぞ。もし乗ったら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 あの渇いた瞳が、あの澱んだ黄昏の光の様な瞳が、美しい花の様な枉惑に隠されてしまうのではないかと恐れていた。いや、もしかしたら、自身が見ているそれすらも、偽りなのかもしれない、という恐れ。

 

 だから、出来るだけ触れたくなかった。言い訳は色々あるにしても、いつもそうだ。

 

 この言葉を、どう思ったのだろう。情けのない男の弱音だと思って笑うだろうか、それならそれでありがたい。

 

「────そんなこと?」

 

 驚きと、軽い呆れの込められた声で。そのあと腹の底から出る笑いを堪える様に、ぷるぷると震えて、そうして耐えきれずに笑い出した。

 

「あはっ、あはははは! 馬鹿だ! 馬鹿じゃん!」

 

「わかってるよ、そんなの」

 

 ひとしきり笑い終えて、女は諭す様に語り出した。

 

「……変わるよ、変わる。身体を重ねるのって、そういう事だから。でも、悪いことじゃないよ」

 

「打算がなけりゃな、あるだろう」

 

「もっちろん! でもいいでしょ、あっても。何が本当か、何が嘘かなんて、誰にもわからないんだからさ」

 

 いつの間にか、背中合わせに横になっていたのが向かいあって。一枚の毛布を分け合っていた。目の前の女は、まだ服を殆ど直していない。

 

 向き合って、腕が巻かれて、抱きしめられて。

 

「これで、離れがたくなるのが嫌なんです?」

 

「……そうかもしれない」

 

「じゃあ、やめるー?」

 

「…………」  

 

「お前が死ぬまでは付き合ってもいいよ?」

 

 願ってもない話だ、きっと、そう言って俺が死んでからまだ彷徨うのだろう。あるいは、もっと前に目の前から消えているのかもしれない。それは少し嫌だった。

 

「信用できない約束は苦手だ」

 

「信じられないだけじゃない?」

 

「……何を信じればいい」

 

「これからすること?」

 

 自分の帯が外れていた、いつのまにか、外されていたのだろう。

 

「こんなものを?」

 

「こんなものに騙される人も多いんだよ」

 

「他にないのか」

 

「んー……はいこれ。これで刺すと私死ぬよ」

 

 懐から取り出した短剣を握らされる。見た目はなんの変哲もない。

 

「騙されたと思ったら、使っていいですよ?」

 

 鼻の触れるような距離で、にへら、と甘く、爛れるような笑みを浮かべた。ああ、きっと騙されているのだろうな、という確信を持った。

 

 ただ、騙されておくのもいいのかもしれないと思った。

 

 

 そうして、言葉に従って、目の前の女を抱いた。折れそうな、細い身体と重なって、初めて、泣きそうな程に寂しい気持ちになった。

 

 ────腕の中の女は、金木犀の香りがした。

 

 




欲望なのか、想いなのか、区別するべきなのか、区別しないようにするべきなのか。難しい話です、難しい話。


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7節: ne vivam si abis.

体調不良とか色々と忙しくて更新遅れて申し訳ない。
今回も拗らせた話を続けていきます。


 

 数日して、たどり着いた鄴の街で、空いた建物を買う。何やら曰くのある場所らしいが、その辺りは全て任せれば問題ないだろうと安く買い叩いた。

 

 医者の友人がいるのだ、評判を広めて貰いながら、薬売りか、薬膳でも出しておけばいいだろう。仕事は丸投げする、帳簿の管理くらいなら出来るから問題ないだろう。

 

 ────あの日以来も、別段関係性が変わることはなかった。

 

 ただ、二人でいる時間が増えた。あの女がやる仕事の手伝いをすることの方がよっぽど多くなったからだろうか。

 

 ……定期的に、そういう事をする日があるけれど、態度自体は変わらない。気が向いたら布団に潜り込んでいるのはいつもの事だったし。

 

 そうして、この街に居着くための仕事が落ち着いた頃。色々と便宜を図ってくれた友人に誘われて茶を飲むこととなった。こいつな卓につき、杯に茶を注いだ開口一番に訳の分からない事を言い出す。

 

「で、いつ祝言を挙げるんだ」

 

 こいつは一体何を言っているのだろうか? 

 

「は?」

 

「いや、あの方士とだよ。早めの方がいいぞ、色々とな」

 

「……いや、あれはそういうのでは無いが」

 

「ブッ」

 

 男は茶を噴き出した、医者の癖に汚い奴だな、と思わず笑った。

 

「お前マジで言ってるのか? あれで?」

 

「あれで、とは」

 

「腕組んで歩いてたろ」

 

「あいつがああいうことをしている時は碌なことを言わない時なだけだ。大抵何かやらかしている、いつのを見たのか知らんが全部思い出せるぞ」

 

 やれ備品が壊れただの、面倒な人間にに絡まれただの、大抵どうでもいいことばかりだったが。

 

「……まぁ、別にいいならいいけどよ。こんなご時世だ、めでたい事なんてやるだけやっておいた方がいいぞ」

 

「だからそういう奴ではないと……」

 

「お前なぁ、いつ死ぬかわからん世の中だぞ。惚れてんだろ?」

 

「違うが……」

 

 話の通じない奴である、だがまぁ確かに、些か説明しづらい関係ではある気がしていた。少なくとも、あの女には俺なんぞよりよっぽど大切なものがあるのだろうし、それを押し退ける気もなかった。

 

「……まぁ、そういう事にしても悪くはないか」

 

 周りからどう思われるかというのはどうでもいい、と言いたいところだが、気にしておけば案外都合がいい。

 

 その後、近況の話をしたのち、しばらく離れてるうちに家族が出来ていた友の自慢話が長くなる前に家に戻る。

 

 街は騒がしい、故郷も豊かではあったが、ここはそれ以上だった。大きな荷物を担いだ人間が往来を行き来し、酒を飲んで転がる男や、見回りをする官吏、雑多な、好ましい騒がしさだった。

 

 一人、道を歩く。人混みを避け、物を売りつけてくる商人を愛想笑いでいなして、家へ戻る。

 

 まだ引越ししたばかりで片付けきれていない屋敷を忙しなく使用人達が動き回る。通りがかる一人一人を労いながら階段を登り、自室……にしようとしている部屋に入った。

 

 棚に本と、方士の道具を並べている徐福を見て、先ほど言われた言葉が思い浮かんだ。

 

「結婚しないか」

 

「えー……いいよ?」

 

 振り向いた。顔色は変わらない、心底めんどくさそうな顔と声音で、なぜか疑問系で返答が返ってくる。

 

「どっちだ」

 

「どっちがいい?」

 

 また、いつもの笑みだ。だが、いつもより渇いている気がした。

 

「……忘れてくれ。そっちの方が体裁がいいと思っただけだ」

 

「そっか」

 

 それだけ言って、黙り込む。ふと、そういえば、この女にはそういう相手がいたのだろうか? と気になった。

 

「……なぁ、随分と長い事あちこち行ってるんだろう」

 

「ええ、そうですけど」

 

「……結婚とか、したことあるのか?」

 

「え、ないですけど、めんどくさいですし」

 

 呆れた顔で言う。……本当だろうか、疑っても仕方がないのだが、どうにも気になる。

 

「一人もか?」

 

「うん、だって自由に動きづらくなるし」

 

「そうか」

 

 そうして何も言えなくなって、手持ち無沙汰になって本を一冊手に取り、寝台に座る。まだ日は高く、読むのに灯りは必要なかった。私物を棚に仕舞う音を聞きながら、一枚ずつ頁を捲った。

 

 だが、思ったよりも頭に入らない。珍しいことだった、文字の上を目が滑り、内容は頭に入らない。

 

 ふと、音が止んだ。横目で片付けていたはずの女を見ようとして、いつの間にか隣に女は座っていた。

 

「……気になります?」

 

「……そこまでは」

 

「本当に?」

 

 紙面に目を向ける、それでも、ニヤニヤと笑っているのは見なくてもわかった。

 

「……そういえば、何も知らないと思ったんだ」

 

「え?」

 

「俺は、お前の事を何も知らない。それが、少し嫌だ」

 

 何が好きなのか、は少しわかる。何が嫌いなのかも、なんとなくは。でも、俺はこの女の人生を何も知らない。初めは、知らなくてもいいと思った、きっと、その方がいいと信じていたけど。

 

「……順番がおかしいかもしれないけど。お前の話を、聞かせて欲しい」

 

「……ふふふ、いいですよ、その代わりだけどアンタの話も聞かせてね!」

 

 明るい、嬉しそうな声で女は言った。綺麗な顔だった、いや、いつも綺麗な顔はしていたけれど。

 

 そうして、彼女の話を聞いた。不老不死の霊薬を目指して、方士をしていた事。そうして、旅をしていたら、本当の仙女に会った事。彼女に恋をした事。彼女は死にたがっていたこと。だから始皇帝の元で詐欺して、不死を殺せる方法を考えようとした事。

 

 そして、失敗した事。

 

 船と、人と、何もかもを失ったこと。

 

 諦められずに、時間を稼ぐために、不完全な不老不死の霊薬を大急ぎで作った事。

 

「……いやぁ、困ったんですよ。船が運悪く嵐に襲われて、連れて行った子達もみんな死んじゃって」

 

 あはは、と笑うその笑みは、空虚なもので。ああ、この女はきっと、ずっと後悔しているのだろうと思った。だけど、それでも諦めないのは、らしいなと感じた。

 

「……全部なくなってもね、どうしても諦められないから。それに、私が諦めたら、あの子達も可哀想だから」

 

「そうか」

 

「……信じる?」

 

「信じるよ、ずっとそう決めている」

 

 騙されてもいい、と出会った時から思っている。これが全て嘘偽りであっても、いつか彼女が致命的な何かになったとしても、きっと後悔しないだろう。

 

「────ありがと」

 

「出来れば、騙さないでくれよ」

 

「もっちろん!」

 

 何がもちろんなのだろうか、二人して笑って。そうして最後に、彼女が恋した人の話をずっと。

 

 可憐で、優美な、野に吹き荒ぶ風の様な、荒野に咲く一輪の気高き花の様な人だったと。『でも少し……ちょっぴり雑だったなー! 色々』との事だが、きっと良い人だったのだろう。ああ、もしかしたら先に会っていたら、俺も恋をしてしまうかもしれないな、なんて。

 

 そうしたら、私の方が先に好きになったんですからね、ときた。どうにもこの女は、その人の話になるといつもよりおかしい様で、それが如何にも面白かった。

 

 日が暮れるまで良さを語り続けて……あれ、これってなんの話だったのだろうか? なんて思う頃には夕食の時間だった。

 酒が入っても、同様にその語りは止まる事なく、酔いつぶれて寝台に運ばれるまで続いた。

 

 どうやら、この女は俺が知っていたのよりも随分と愉快だったのかもしれない。眠りこけた女の横に体を横たえて、少し笑って目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──何故、この女に会いに来ないんだろうか? 

 

 ──何故、この女は報われないんだ? 

 

 

 ふと、そんな声と共に胸の奥に、黒い炎が見えた気がした。




サブタイトル:もし君が去っていくなら、私は生きたくはない



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8節:fragile


長引いた体調不良もようやく完治!!というわけで遅ればせながら続きの更新です。



 

 眠りから覚める、隣にはまだ寝こけている女がいた。静かな呼吸とともに、ゆっくりと胸が上下する。そっと頬を撫でて、寝台から降りた。

 

 窓を開ける、まだ日は昇ったばかりだが、流れる風が何処か湿気を含んでいる。

 

 春が、終わろうとしていた。

 

 この場所の春は短い、次第に暑くなっていき、雨の多い茹だるような熱がやってくるのだろう。

 

 彼女の過去を知って、また少しの時間が流れていた。結局、俺たちの関係に名前はつかないままだった。

 

 ただ、少しだけ、あの女の笑顔から繕いが消えている気がした。どうにも、よく笑い、よく騒ぐ女だったらしい。時折、出る笑い声が出会った頃よりもぞんざいで、騒がしい。

 

 それがどうにも、むず痒く、嬉しいものだった。そして、この心を安心させてくれるものだった。

 

 あの日以来、静かに眠るこの女を見ていると、日に日に昏い気持ちが浮かぶようになった。

 

 この女は、いつまで彷徨い続けるのだろうか。いつまで、夢を追うのだろう。そして、何故、これほどまでに追い続ける者を、追われる者は報おうとはしないのだろうか。

 

 嘆きだったのかもしれない、憎しみにも似ていたのかもしれない。そして、これが筋違いであることも理解していた。

 

 だって、この女はずっとその人が好きなのだから。きっと、死ぬまで恨まないのだろう。

 そして、もし、この女が夢に追いつけなければ、憧れは気儘にまた歩き出すのだろう。

 

 ────納得がいかなかった。

 

 重苦しい心に呼応するように、粘ついた夏の空気がまとわりつく。思わず、顔を顰める。

 

 気分を変えようと寝室を出て、井戸へ向かい、水を浴びた。

 

 幾分かマシになった、使用人たちはもう何人か、朝が特に早い者たちは動き出している。軽く挨拶をして、自室へ戻る。今日は特に用事がない、久しぶりに書を読みながら時間を潰そうかと思った。

 

 歌が聞こえた。

 

 扉の向こうで、歌っている声がする。それは静かな声で、きっと起きたばかりなのだろう。

 

 扉を開けた。徐福が寝台に座る姿が見えた、窓からは朝日が差し込んでいる。何処か遠くを見る瞳は、恨みがましいほど綺麗だった。

 

「……ん、おはよう」

 

「おはよう、今日は何処か出るのか」

 

「んー、別に」

 

「そうか、じゃあ俺はここで……」

 

「遊び行こう、どっか」

 

 はて、珍しいこともある。基本的に、何処へ行くにしてもフラっと一人で行ってしまう女のはずだったのだが。

 

「……いいが、どうした、急に」

 

「そういう気分だったから?」

 

 そう言いながら、他所行きの服に着替える女を見て、どうやら冗談でもないらしいと俺も着替える事にした。

 

 しかし遊びに行くと言っても、この街に来てまだ長くは経っていない。何処で何をやっているのかも近場しかわからないのだが。

 

「一緒に回るんだよ、それくらいわかるでしょ。遊ぶ場所探すのも遊びだからね」

 

「……道理だな」

 

 それはそうなのだが、しかし何故急に二人で遊ぼうなどと言い出したのだろうか。首を傾げたまま、手を引かれ朝の街に繰り出した。

 

 街はもう人混みができるほどの騒々しさで、活気がある、というのはこういう事なのだろうと思うほどだった。粥や油条を売る人や、旅の人間に売るのだろう、よくわからない土産を道端で売る人間、大荷物を荷車に積んで忙しなく走る男たち。

 

 そんな中を、手を繋いで進んでいく。小さな手が、楽しげな笑顔と共に俺を連れていく。

 

 しばらく街の中を歩き回る。流しの芸人達が音楽と共に踊るのを見て、二人で笑う。街のはずれにある芙蓉の花を見に行こうと行きがけに焼餅を買って、花を眺めながら昼食を取る。

 

 多分、人から見ればなんの変哲もない一日なのだろうが、新鮮な感覚だった。思えば、出会ってから、二人で何かをしたという記憶もない。独りが、ただ寄り添っていたような、そんな感覚が常に二人にはあった。

 

「ねぇ、楽しい?」

 

 いつもの様な笑顔で、女はこちらに問いかけた。だが、少しだけ、気のせいでなければ、初めて不安の様なものが混じっていた。いや、もしかしたら、いつもそうだったのかもしれない。いつだって自信のある女ではあるが、思い返せば、いつも何処かで上手くいかない事を怖がっていた気もする。

 

「……そりゃあ楽しいだろうよ、景色は綺麗だ、飯もまぁ……悪くはない。あと、お前がいる」

 

「口説いてる?」

 

「……違う」

 

「えへへ」

 

「……それで、なんで急に?」

 

「んー……やりたかったから?」

 

 なんだそりゃ、と首を傾げる。そんなふうな、少女のようなことをするような女だっただろうか。

 

「……そうかい」

 

「ん、そうだよ」

 

 昏い、濁った金色の瞳が、こちらを見つめている。何かを試しているような、何かに怯えているような目だった。それが、なんだか酷く悲しいと思った。

 

「……いつでも行こう」

 

「え」

 

「俺はただ、一緒にいられればいいけど。それで何か不安になるのは、俺の方がそうだから」

 

 ただ、二人でいるだけで十分だったけれど、それだけでは何処か足りない気持ちもある。お互いを知るほどに、恐れは強くなる。

 

「ああ、すまん、そういう話でもないか。俺はそうだってだけだ、お前はもっと図太いかな」

 

 ほとんどは、自分の話だ。目の前の女が、そんな風に考えるほど感傷的なのかどうかは些か疑わしいと、冗談混じりの言葉が口をつく。

 

「んなわけないでしょ、立ち直るのが早いだけ」 

 

 そう反論する女が、本当は、同じことを想っていて欲しいとは口に出さない。言ったところで仕方のないことだし、そんな事を伝えてしまうこと自体が、傲慢な気がして嫌だった。

 

「それを世は図太いって言うんだ」

 

 代わりに言った言葉に、二人で笑う。

 

 夏の風が、笑い声を包むようにして吹いた。夕暮れになる前、紫影の空の下で、草花とともに、風に靡く黒い髪が彼女の笑い顔に掛かる。ああ、うん、永遠に続けばいいのだろうなと心底から思える景色だった。

 

「ねぇ、永遠に続いたら、いいと思う?」

 

 目の前の女が、微笑んだまま言った。同じことを思っていたら、本当は嬉しいけれど。でも多分そうではないのだろう。

 

「……お前の行きたい場所には、行けないだろ」

 

「そうだね」

 

 寂しそうに笑った気がした。気がつけば、紫がかった青い空は消え、日は沈み、夕暮れに空は染まり始めている。俺はその笑みを寂しいと感じたのは、そのせいだと思うことにした。だって、そうでなければ。

 

 そこまで考えて、頭の中の言葉を止める。きっと、それを思ってしまったら、ダメだ。

 

「────帰ろっか」

 

「そうだな、帰ろう」

 

 時が経てば、帰らなければいけない。今は、その道が同じな事に安心する。

 

 帰路につき、食事を屋敷で摂る。そして、月明かりの下で、同じ寝台で横になる。

 

 同じ寝台でも、体はいつも少し離れていた。その筈なのだが、俺の左手が彼女の右手に包まれる、珍しいことだった。

 

「寝てます?」

 

「起きてる」

 

「ん、じゃあこのままで」

 

「……なぁ」

 

「────言わないで」

 

「わかってる」

 

 手を引いた、向かい合って、細い体に手を回して。お互いの、心臓の音が響く。その音と、お互いの体温だけを感じて、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 願わくば、二人で永遠にと思った。でも、この女の願いが叶わぬままだ。

 

 ──────ならば、と考えて。

 

 ああ、でも結局のところ、俺には無理だった。意気地のない男だろう? 

 

 ああ酷く、悲しい結末になったって? 

 

 そうだな……君はそう思うかもしれないけれど。でも、俺は、酷いやつだから。

 

 嬉しかったんだ。少しズレたけれど、終わりは一緒に選べたんだよ。

 

 精一杯を生きる君には、わからない話だろうけど。

 

 

 

 




このお話は、両方死にます。

でもまた会えないとは言ってないよ。


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9節:二人で見る夢



お久しぶりです。
フェスのASMR実装などで大変に情緒が大変ですが私は元気です。最終話とその後の話が出来つつあるのでそれまでが大変ですね。

ところでペーパームーンも大変でした。

今回は軽めな繋ぎ回です。ちょっとした内心の話。


 皆、何かを愛しているのだと言う。何かを生きることとは、何かを愛することなのだと。昔、誰かにそんなことを言われた気がする。

 

 なるほど、その通りだと今でも思う。人の営みは、誰かへの、あるいは己へのそれで成り立っている。

 

 なら、己はどうだろうか。自分を愛していると言えるほどの厚顔でもない。さりとて、誰かを愛していると自分で信じられもしなかった。

 

 隣にいる女には、愛する人がいるのだという。長い人生をかけて、殺そうとしている女がいるのだと。

 

 ふと、そう望まれて、別れてからそれっきりだったのだろうかと思った。もしかしたら、どこかで会っているのかもしれない。

 

 二人で花を見たあの時からしばらく、日々は変わらない。今日も、お互いの仕事を片付けて、部屋に戻り、他愛もない話をして、寝床で横になる。

 

 そうして、月の浮かぶ夜、二人で寝るにはやや苦しい暑さの中で、肌着だけで蚊帳の張られた寝台に二人で寝転がっていた。

 

「……そういえばなんだが」

 

「何?」

 

「お前の言っていた人、虞美人にどこかで会ったことないのか? それこそ、楚にいた頃なんかは有名人だっただろ」

 

「…………会えなかった。項羽……様が死んだ後、少しだけ会える機会はあったけど」

 

 徐福は、目を逸らした。嫌な記憶だったのだろうか。

 

「……声をあげて泣いているあの人のこと、

 受け止められなくて。それで、彼女に何もしてあげられないから、逃げた」

 

「……そうか」

 

 多分、本当は、そこで殺してあげたかったのだろう。そう出来ない辛さは、俺にはわからなかった。

 

「それで、進んでるのか、研究」

 

「ん、それなりにね。薬師仕事しながら、どうにか。そろそろ大掛かりに始めないとね」

 

「そうか、頑張れよ」

 

「あ、帳簿、どんな感じ?」

 

「余計な金使える程度には余ってきてる、評判いいから」

 

「そっか」

 

 それだけ言って、懐に転がり込む女の体温が熱い。ただでさえ寝苦しいというのに。

 

「暑い」

 

「わかる、でもちょっとだけ」

 

「……変なものでも食べたか?」

 

「は? 人が構ってやろうとしてるのにそういう言い方するぅ?」

 

 どうやら気まぐれらしい。相変わらず猫のような女だと思った。困ったことに、最近はどうにも離し難い。思わず、腕を回していた。

 

「……変なものでも食べました?」

 

「こいつ」

 

 二人で笑う。お互い、どうにも器用に生きてきたがこういう時には不器用な人間だった。触れている体温とベタつく肌の感触を、お互いに振り解けないでいる。

 

「……研究、まぁ、実はあとちょっとなんですよね。あとは、実際に実験を繰り返せば、多分終わると思うんです」

 

「そうか、よくわからないが、いいじゃないか」

 

「終わったら、どうする?」

 

「……どうもしない、お前についてく」

 

「──本当に?」

 

「それ以外何かあるのか?」

 

「……いえ」

 

 何故、目を逸らしたのだろうか。……笑っているような気もしたが、暗がりの月明かりではよく見えなかった。

 

「そっか、じゃあ一緒に行こっか」

 

「何処へ?」

 

「ぐっ様探しに行かないといけないから、何処かはわかんないけど」

 

「……見つかるまで?」

 

「うん、目立つ人だから、そんなに難しくないと思うけど」

 

「そうか」

 

 見つかって、それが終わって。それが終わったら、どうするのだろう。そうしたら、この女は、何処へ行くのだろう。

 

「あ、でも、すぐって言っても結構かかるよ? 私からしたらすぐだけど」

 

「……何年だ」

 

「早くて……30年くらい……?」

 

「死ぬぞ、俺が」

 

 人生なんて50年ぽっちもしたら病気か、それまでに殺されるかの二択がこの乱世間際の世の中だ。何が短いだ。

 

「えー、じゃあ……なる? 私みたいに」

 

「…………」

 

「冗談冗談、付き合わせるのも悪いもんね。死んだら全部貰っとくから安心しなよー」

 

「元々、やるつもりだよ。どうせなら有効活用してもらったほうがいい」

 

「……ほんとに、ならなくていい?」

 

 何処か、縋るような声だった。目の前の女が、そんな声で言葉を紡ぐのに驚く。

 

「……一人で、生きてきたんだろ」

 

「ん、そうだけど」

 

「じゃあ、俺がいなくなっても、変わらんだろ。何度も、あったんじゃないのか、こういうの」

 

「……そうだけど」

 

 そうなのか、言ったはいいが、それは少し嫌だなと思う。ただ、それを言うのはあんまりにも情けない気がして、黙り込む。

 

「……もう寝る」

 

「おやすみ、また明日な」

 

「…………うん」

 

 それだけを言って、眠りにつく。腕は、離さなかった。振り解かれもしなかった。わかっている、自分の言い訳がましい言葉が、きっと何かから逃げているだけに過ぎないことを。ずっと一緒にいるということは、ずっと彼女が夢を見ているところを見るということで。

 

 目を瞑っても、腕の中の女と同じ夢は見れなかった。こんなにも近くにいるのに、彼女の見ているものは見えなくて。

 

 目を開けている間だけは、きっと同じ(世界)にいれるのだろうか。なら、きっとそれが醒める時が来るはずで。

 

 会いにも来ない人の為に、夢を見続けて。それが終わったら、夢から醒める。ああ、それは、どうにも納得がいかない。

 

 きっと、彼女はそれでいいのだろう。彼女は、それで、満足に夢を終わらせて。そうして、どうなるのだろう? 

 

 また、いつものように、この浮世を歩き回るのだろうか。一人で、何もかもが変わる世界で、浮かぶ泡のように。

 

 一緒にいられれば、いいのだろうか。

 

 息を吐く。何もかもが煩わしかった、この女を夢に繋ぎ止めている全てが無くなればいいのに、と。

 

 果たして、それはどうしてなのか。それだけは考えないようにして。

 

「……おやすみ、また明日」

 

 また明日、と言い聞かせるように呟いた。明日も、まだ、一緒にいられることを信じられるのは、少なくとも悪くはなかったから。

 

 そうして、眠りにつく。

 

 やっぱり、目を瞑っている間には、同じ夢は見れなかった。ああ、やっぱりこの時間が一番寂しいのかもしれない。

 

 




最近は春はゆくを聴きながら書いています。お互い許されない方が幸せだと思う。


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10節:Overdose

 
 あと2週間くらいしたらFGO fesですね。抽選当たったので乗り込んできますが、徐福の声聞いた瞬間倒れるかもわかりません。




 

 夏の盛りが近づいてくる。照りつける日差しが外の空気を焼いて、茹だるような暑さが襲いかかる。そんな暑さから逃げるように、屋敷の地下に作られた徐福の研究室に二人でいた。

 

 部屋の真ん中で、人形がのたうち回っている。限りなく人間っぽい人形が地面で跳ねるのを見るのはかなり不気味だった。

 

「……何が起きてるんだ、これ」

 

「え、人形に死を体験させてる。これを繰り返すの」

 

「そ、そうか……」

 

 これが実験らしい、数十、いや数百体並べて繰り返すのが目標だそうだが、取り敢えずは3体から始めるらしい。

 

「……やっぱり土地がいるなー、色々隠さないといけないし」

 

「ここじゃ無理だぞ、金は稼げるがな」

 

「だよねぇ、船はツテで用意できるし、人かな」

 

「……また行くのか?」

 

「うん、蓬莱は嘘だけど、東に国はあるしね。そこなら1からやれると思う」

 

 巻き込まれてここまで来たが、次は船か、と思う。生きてきてそこまでの長旅をする事になるとは思っていなかったが。

 

「いつ出るんだ?」

 

「さぁ、暫くはここでかな。何年かかるかな」

 

「さぁな、始皇帝だったらすぐ揃えられたんだろうけど」

 

「あの人圧強いから苦手……」

 

「そうなのか……」

 

「完璧超人って感じ、歳取ったらだいぶ錯乱してたみたいだけど」

 

 少し嫌そうな、しかし、懐かしそうな表情で笑う。

 

「……ま、長生きする気はないからさ、こっちは心配するなよ」

 

「…………なんでそういうこと言うかなぁ」

 

「なんだよ、ただの冗談だ」

 

 だって、本当はめちゃくちゃ長生きしたい。早死にしていいことなんて何にもないからな、どんなに世が荒れても、生きてた方がいいこともあると思っていた。

 

「最初の航海、失敗したんだっけか」

 

「うん、嵐で流されて座礁して。いやーあの時は本当に死ぬかと思った」

 

 けらけらと笑っている。彼女の笑い声が地下の部屋に響いた。

 

「……その後、行こうとしなかったのか?」

 

「いやー? 死んじゃったことになったから身は隠せたし」

 

「……じゃあ、なんで今更?」

 

 その言葉を聞いて、こちらを見た。瞳の鈍い黄金の光が、にやりと歪む。揶揄うような目つきだった。

 

「さぁて、なんだと思います?」

 

「……俺の知らないうちに、なんかやらかしたか?」

 

「…………ハァ〜〜〜〜〜こいつ」

 

 先ほどまでの楽しげな様子が一変して、突然に機嫌を悪くした。訳がわからない。

 

「間違えただけでそこまで怒ることないだろ」

 

「うるせーばーか、阿保、間抜け」

 

「は???」

 

 なぜ突然馬鹿にされたのだろうか、理由はわからないが腹立つので小突いておく。

 

「いたっ、てめー……」

 

「急に悪口言った方が悪いだろ」

 

「あんたがクソ鈍いのが悪いんでしょー!?」

 

 ぽかぽかという音が鳴りそうな非力でこちらの体を叩く。正直まるで痛くはないが、その感覚が少しだけ鬱陶しかった。それに、この女に怒られるのは、少し寂しい。

 

「わかったわかったよ、謝るから」

 

「ダメ、誠意がないので」

 

「……一番いい酒出すよ、仕方ないな」

 

「ん、よろしい」

 

 どうやら、許してくれたらしかった。少し安心して笑って、階段を上がる。また新しく頼まないとな、と外に出て、ふと空を見上げた。

 

 まだ昼下がりだったから、空は何処までも青かった。陽射しは強く、ひどく眩しい。地下にいたせいか、尚更にそう感じるのかもしれない。

 

 遠くの空に入道雲が見えた、夕立の匂いがする。空の匂いだった。

 

 いつのまにか、隣に徐福が立っていた。暑さにうんざりしているのか、服の袖で汗を拭った。そうして、遠くからやってくる雨の気配に気がついたのか空を眺めていた。

 

 そうして痛みを堪えながら、誤魔化すような笑みで、左手の中指に嵌めた指輪を摩って、くるりと回した。

 

 思わず、彼女の手を取った。

 

「……何?」

 

「いや、すまん。……その、嫌か。指、痛むのか?」

 

「いいよ。……ちょっと、指の大きさ合わないの買っちゃっただけ」

 

 多分、嘘だったのはわかった。最近、女の嘘が下手になっている気がした。握る手のひらがやけに冷たい。その冷たさが、何か、致命的なモノが迫る予感だけを伝えている気がした。

 

「そうか」

 

 それでも、問いただす気はなかった。この女の嘘には、出来るだけ騙されていたかったから。手を握り直す、冷たさが消えるまではこうしていたかった。

 

「……うん、そう。じゃ、暇だし、お酒でも飲む?」

 

「まだ昼だぞ」

 

「どうせ雨だし、お客さんも来ないでしょ」

 

「……店番はいつも頼んでるだろ。これから在庫と税の……いや、いい」

 

 何かが痛む人間を、放っておいてはいけなかったから。二階へ登って、二人で部屋に戻って、一番にいい酒を取り出した。

 

「……目ざといくせに、聞かないんだ」

 

「俺は、気の利かない方だ。なんのことだかわからん」

 

 いつだって、自分の都合でしかモノを考えられない男に、そんな気遣いが出来る訳がないだろう、少なくとも、俺はそう思っていた。構わずに、机に杯を並べ、棚から菓子を少し置いて、杯に目一杯酒を注いだ。

 

「……痛むのには、これが一番いい」

 

「ダメな奴の言い草じゃん」

 

「一人じゃな、二人いれば変わるものだろ」

 

「一緒にダメになるだけじゃない?」

 

「……じゃあ、いいだろ。二人ともなら悲しくない」

 

 自然に笑みが漏れた、ああうん、二人でいるなら別にそれでもよかった。

 

「ダメですよ、ダメだからね」

 

 それだけ言って、目の前の女は杯を一息に空にする。次を注いでやる。

 

「何がダメだ」

 

「一緒にダメになったら、どっちも助けられないだろー普通に考えて」

 

「そりゃそうだな、気が楽なのは違いないだろうが」

 

 当たり前の話だ、当たり前の話を酒を飲み交わしながらこの女と喋るのが少し面白くて、笑ってしまう。

 

「……それに、それって私と道連れだよ? 嫌でしょ」

 

 あはは、と笑う女の頬をつねる。

 

「いひゃい」

 

「誰もそんなこと言ってない」

 

「あ、やっぱ道連れはダメか。言うだけ言って……」

 

「嫌じゃない」

 

 雨が、降り始めてきた。降りしきる雨粒が、ざぁざぁと音を立てていた。

 

「……やめてよ」

 

「……」

 

「黙んないでって……」

 

 無言のまま、杯を傾ける。雨の音だけが二人の間に流れていた。謝る気も、言葉を続ける気もしなかった。

 

 小さな甕一つを二人で無言のまま飲み干して。目の前で座っていた女が俺の胸ぐらを掴んだ。

 

「なに……」

 

 唇を、強く噛まれた。机に血が飛び散った。肉が少し抉れたらしい。

 

「じゃあ、これも許す?」

 

「いってぇ……」

 

「許せるんですか?」

 

「口つけるだけも下手くそになったな……」

 

「言えって!」

 

 初めて、声を荒げたのを見た。思わず驚いて、

 

「いいよ、別に。でも、もうやめてくれよ……いってぇ……」

 

「……バカですね、本当に。信じるとかじゃないですよ、それ」

 

「そうかな、信じるならこれくらいするだろう」

 

「私以外に騙されたら、酷いことになるよ、うん」

 

「お前以外信じないよ、誰と会っても。……これ、どうにか出来ないか、血が止まらん」

 

 口を押さえるが、ぼたぼたと血が床に流れる。こうも深くまで噛まれるとは、人間の噛む力というものは意外と強いのだなと、普段の噛み跡よりもずっと痛む傷で思った。

 

「……今やる」

 

「頼むよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────今、考えると。

 

 どっちも死にたかったのかもね。ああいや、もっと正確に言えば……

 

 どっちも、殺したかったんだろう、きっと。自分も含めてね。

 

 こんな風になっても、彼女の傷を全ては理解はしていない男だったから。痛むなら訴えて欲しかった、痛むなら、止まって欲しかった。

 

 まぁ、わかってたんだろう、きっと。

 

 だからあの終わりは納得してるよ。

 

 




次回で、補足の断章。
何が痛んでいたのか、何を考えていたのか。

あと少しで……終わる……かな……?


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断章:Pain Pain Pain

ごく短い内心の話。




 

 夕立の記憶はいつだって痛みと共にあった。彼女と別れたあの日。船が沈んだあの日。そう、いつだって私の痛みは、夏の痛みすら覚える日の光と、責めるように打ち付ける雨と共にあったのかもしれない。

 

 もう一度、全てをやり直す準備をした。あとは、モノを揃えて、場所を移すだけ。

 

 ただ、隣で困った顔をしている男の為でもあるけど、なんとなくそうしようと思った。陣地を作るのなら、誰もいなくて霊脈の良い場所が良いから。

 

 いつも横にいて、何も聞かない男の事を考えることが増えた。怖がっているわけでもなく、警戒しているわけでもない。ただ、こちらの言うことを信じようと決めているらしい奴だった。

 

 馬鹿な男だと思ったけれど、ここまでやられると随分と寄りかかり心地も悪くないと思えるようになったんだ。

 

 だから、目の前で首を傾げているこの男は脛を蹴るだけで許してやることにした。

 

 そうして、そいつの腕を掴んで一緒に階段を登ると雨の匂いがした。夕立の匂いだった。

 思わず、中指にした指輪を撫でた。

 

 いつだって、夕立は私を傷つけるばかりだったから。あの人(虞美人)と別れた時も、夏の雨が降っていた。

 

 船が沈んだ時も、夏の嵐の日だった。

 

 ああ、うん、いつだって私が誰かを死なせた時はそうだった。

 

 夏の強い雨は、いつも私を責め立てるようで嫌いだった。どうしても、痛みばかりを思い出してしまうから。何年経っても、痛みは酷くなるばかりで、いつからか指輪を回して気を紛らすようになった。

 

 金の指輪、ずっと変わらないまま持っていられた数少ないもの。随分と昔にあの人に貰ったもの、多分、気まぐれだったのだろうけれど。

 

 そうして、痛みをやり過ごそうとしていたら、手のひらが私の手に添えられた。

 

 暖かい。顔を上げれば、どうしてか、私よりも痛そうな顔をした男がいた。

 

「……その、嫌か?」

 

「ううん」

 

 少し、指輪がきつかっただけだからと嘘をついた。でも、嘘をつかなくてもいいような気がしてしまった。口から偽りを吐き出すのが痛い。言葉が、棘を纏っているように、自分を灼き溶かすような痛みが走る。

 

 弱くなった。弱くなった。◾️してしまった? 

 

 過った思考に誤魔化すように、冗談を言って。二人で部屋に戻った。

 

 雨の音だけが部屋に響いた。ざぁざぁと雨が窓を叩く音を二人で聞きながらお酒を飲む。痛むのを誤魔化す為に、一緒に。

 

 冗談を言って、いつものように笑って。

 

「……それに、それって私と道連れだよ? 嫌でしょ」

 

 もしかしたら、一緒に、何処までも行ってくれるのかな。ありえない話だなんて自分でも少し笑って。

 

 笑って、嫌じゃないという男の眼がこちらを覗き込んでいた。なんの変哲もない黒い瞳が、私の貌を映し出していた。

 

「……やめてよ」

 

 やめて、やめて。嫌だ。

 

 また、◾️なせるのは嫌だ。

 

 黙らないでよ、憎まれ口でいいから話せよ。

 

 ────怒りにも似た気持ちで、胸ぐらを掴んだ。口付けをして、彼の唇を思い切り噛み切った。

 

 口の中が血の味でいっぱいになった。赤黒い血が机の上に飛び散っている、なんでこんなことをしたのか、自分でもわからなかった。血と少しの欠片を飲み込んで、少しだけ何故か安心してしまった。

 

 ただ、これで許すなんて、そんな事を言わなくなってくれたらよかったのに。

 

 これも、許すのかよ。なんで。

 

 やめて。

 

 どうか、私を許さないで欲しい。

 

 私は、どうしようもない奴だから。あれだけ死なせても、傷ついてないから。自分のためにならずっと図太い女で居られるはずだから。悲しくなんてないはずだから、まだきっと、私はやれるはずだから。

 

 なのに、こいつは。

 

 私の悪い事なんて聞こうともしないで、私の良いところも半笑いで聞き流すくせに。

 

 どうして……

 

 私、あの人以外を◾️したくはないのに。

 

 




内心の話をしている時が一番大変かもしれません。というかあとちょっとでフェスなのに全然イラスト出ないので気合い入ってるのか……と戦々恐々としています。

ちなみに、感想でも言われてましたが、普段から寝る時には肩とか噛むタイプだと思う。


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11節:蜩

AC6、皆さんやりましたか?私はトロコンしました。
はい、色々とありまして遅れましたが色々の理由の8割はAC6です。
ここから投稿ペースは戻しておきたいですね…………


 夏の盛りはあまりに暑く、それでも人は忙しなく動き回る。

 

 徐福という女も同様だったようで、あの日以来殊更元気に動き回っている。噛み切られた唇は傷もなく治ったが、まだ痛むような気がした。それで、悪くないとも思っていたけれど。

 

 こちらといえば、日がな一日来る客の相手をして、帳簿をつけて、役人に怒られない程度に袖の下を渡して付き合いをしたりと特になんの変哲もない日々を過ごしている。

 

 あの女のやることには特に文句はつけない、薬師仕事の利益は日に日に少しずつ増えている。彼女の為に幾らか金を割いて……時折、何処からか出所のわからない金が舞い込んでくることがあるが、深くは追及しなかった。

 

 ……いや、正確には個人的に聞きはしたが、帳面には残さなかった。抱いている時に道術で色々と危ういところから引っ張ってきた話をされると頭が痛くなるのでやめて欲しい。

 

「それで、ここ最近は……やけに元気だな」

 

「んー? そう?」

 

「そうだ、上手く行ってるのか?」

 

「そうだねぇ。次の春には船出せるんじゃない?」

 

 数年かかるはずだったが、随分と早い知らせに驚くと、ニヤリと目の前の女は笑った。

 

「ふふん、船の準備が一番困ったんだけどね。早めに欲しいってゴネたらなんと一隻見つかったんだ。まぁちょっと……曰くつきだったけど」

 

「だからか」

 

「安いんだもん」

 

 頬を膨らませていう彼女に、苦笑いをして。まぁ、幽霊くらいならばなんとかなるだろう。

 

「なら仕方ないな」

 

「でしょ〜いやー寧ろこの手腕を評価して欲しい」

 

「俺の知ってる中で、一番凄いやつだよ、お前は」

 

「……お、おう」

 

「照れるな、俺が恥ずかしくなるだろ……」

 

「じゃあ言うなよ」

 

 そりゃそうである、誤魔化すように咳払いをして、茶を急須から注ぐ。今日は珍しく暇な一日だった、軒下で二人で茶を啜り、これからの事をぼんやりと考えるくらいには。

 

「暇」

 

「暇だなぁ」

 

 お互い緩く流れる時間は嫌いではないが、続けば飽きが来るものである。とはいえ、この暑さの中で何かをする気にもなれない。

 

「……抱k」

 

「昼間からするか、阿呆」

 

「えー……外出たくない」

 

「六博か囲碁は」

 

「弱いじゃん」

 

「よわ……お前も大概だろうが」

 

 特にやりたい事も思いつかない、お互い、本を読んだりして時間を過ごす事も多い。外に出るのも嫌いではないが、こうも暑いと二人で外で何かしようと思っても、何か祭りでもなければ思いつく事もなかった。

 

「……あ、仕入れた材料余ったし、お菓子作る?」

 

「……月餅しか作れんぞ」

 

「じゃあそれで、日持ちもするし」

 

 とんとん拍子でやることが決まり、使用人に聞いて台所を借りる。一応は彼らの仕事場なので断りを入れておく。

 

「では餡を練ります」

 

「……火を焚いたら外より暑くないか?」

 

「誰が水飴作りからするんだよー買ってきたに決まってるでしょ」

 

「小豆は」

 

「あっ」

 

 何故忘れていたのか、目の前で固まる徐福を置いて、火を焚く。当然死ぬほど暑いが、一度言い出したので当然やる、どうせ暇なのである。

 

「あつい」

 

「お前が言い出したんだろ、我慢しろ」

 

「忘れてたんだよぉ」

 

「焼くくらいならすぐ済むと思ってたのか……」

 

 鍋に水を入れ小豆を煮る、一度水を捨て、もう一度水が減って炊けるまで、途中で水飴を入れてまたしばらく。

 

「あづい」

 

「脱ぐな!」

 

 ほぼ上裸で鍋と向き合っているこちらが言えたことではないが、上着を殆ど脱いで生地を練っている姿は相当である。

 

「できたー……」

 

「こっちもできたぞ」

 

 豚脂(ラード)を練り込んだ餡子に松の実を入れて生地で包んで、竈門にいれる。砕いた松の実を餡に入れるのは、母親が作っていたものと同じだった。

 

「焼けるまで待ちます」

 

「既に死にそうだぞお前」

 

 何やら楽しげだが、体力のない目の前の女に水を飲ませる。

 

「まだいける」

 

「無駄に頑張るな、倒れるぞ」

 

 この女が倒れると色々と困る。何より、こちらの心労が増えるのが嫌だった。楽しげな顔を見る、最近は笑顔が多い。冷たい夜に咲く花のような笑顔が減って、温かい笑みが増えた気がする。

 

「……暑いが、楽しいな」

 

「でしょう? 誰かと作るのは久しぶりだけどさ、料理とかお菓子作りって楽しいよ?」

 

「……そうだな」

 

 そういえば、母と作っていた頃は楽しかった気もする。自分一人になってからはそうでもなかったと思うけれど、彼女と作るのはとても楽しいと思う。それを伝えるのは少しばかり癪だから言わないけれども。

 

 遠くで使用人たちが心配そうに眺めているのをしっしっと追い出して、火を眺める。

 

「……完成!」

 

「ようやくか……」

 

 苦労して作り上げた月餅は少し焦げていたが、まぁ問題ないだろう。

 

「あむ、美味しい!」

 

「うむ、美味しい」

 

 纏めて大量に作ったので余ったのは使用人達に分ける。割と喜んでいたので多分美味しいのだろう。

 

「……よく食うなぁ」

 

「うるひゃい」

 

 気がつけば三つ目を食い始めている彼女を見て、呆れる。甘いし、重いものを三つも四つもよく食べれるものだとある意味尊敬する。

 

「……それだけ食ってその細さか」

 

 無言で脛を蹴られる、あまりふくよかにならないのを気にしていたらしい。別にそのままでも美人なのだから気にしなくてもいいと思うのに。

 

「その細いのが好きなやつに言われたくないですー」

 

「……好きではない」

 

「はー!?」

 

「いっっやめ、ひっぱるな」

 

 耳をつねられる、なんてことをするのだ、というか油のついた手で人に触るとはなんてやつだ。

 

 ひりひりと痛む耳をさすって、何やら満足げな顔をしている女の頬についた食べかすを拭き取る。

 

「それで、楽しかったか?」

 

「ん、まだやることあるけど。余ったのは全部紙で包んで」

 

 テキパキと使用人に渡さなかった数個を油紙に包んでカゴに入れていく。

 

「そろそろ冷えてくるでしょ、そうしたらこれを持って出かけよう。近くに行きたいとこあるんだ」

 

「どこへ?」

 

「内緒」

 

 そう言って笑う女の顔は、夕暮れの紅に染まっていた。いつのまにか、暑さは薄れ、少しだけ風が涼しい。(ひぐらし)の声が聞こえた。

 

「そうか」

 

 そして、また振り向いて菓子を包む手に後ろから手のひらを重ねた。重ねた手に指が絡む、顔は見えないが、多分、また笑っているのだろうと思った。

 

 そうして、しばらくしていると少しして日が沈み始めるあたりに灯りがつき始める前に夕食の準備をしようとする使用人たちに追い出され部屋に戻される。

 

「追い出されたんですけど」

 

「まぁ、邪魔だからな」

 

 家主がいたら邪魔で仕方ないだろう、なんとも扱いの悪いものである。気を遣われるのも嫌なので、構わないのだが。

 

「出来るまで、少し飲みますか」

 

「好きだな、お前も……」

 

 誘われるままに甕から汲んできた酒を杯に入れて飲み交わす。

 

「我が儘、多かったけど怒らないんだ」

 

「なぜ怒る」

 

「えー、だって暑いの嫌なんでしょ。顔に出てたよ」

 

「寒いのよりは好きだよ、それに」

 

「それに?」

 

「楽しかったから、いいんだ」

 

「……ふーん」

 

 蜩の鳴き声が響いている。

 頬の赤さは、酒と、夕暮れの色だと思うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 ───夏の盛りは終わる。あとは季節は冷えていくばかりだ。

 

 ああでも、一番暖かいのはこの頃だったのかもしれないな。燃える灯や薪と……側にいたことの記憶が多い。

 

 

 うん、俺としては、春の記憶は血の匂いばかりが思い出されるからね。




日常回、しばらくは日常回で、春にみんな死にます。


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12節:金木犀

投稿ペースが……遅い!!!!
という訳で遅れました、Lies of P面白かったよ(小声)


 

 いつのまにか、風が冷たくなっていた。冀州の秋冬は寒い、というより乾いている故か風が痛い。

 

 とはいえ、まだそこまででもない、手仕事をする必要からか手が赤くなりがちな女が俺の袖に腕を突っ込んでいることを除けば特に問題はなかった。

 

「そんなに寒いか」

 

「別に」

 

「何故俺の袖に手を入れる」

 

「薬湯を濾した布洗ってたから手が冷たいんだよー」

 

「やらせればいいだろう」

 

「みんなに仕事割り振ってるの私だけど」

 

「……そんな忙しいのか」

 

「帳簿しか見てない奴はこれだから〜なんてね、そんなに忙しくないかな。ただ今日は、出掛けたいからさ」

 

 冷えた指がむにむにとこちらの手のひらを握る。

 

「あんたもだからね。やることあったら終わらせといてよ」

 

「……出納帳は一通り整理を、今日来る役人に袖の下と酒を飲ませて帰らせるように指示はした」

 

「よぉし、じゃあ籠とこの前作ったお菓子持って後でね」

 

 そう言って、笑顔で駆け出していく。以前よりずっと、陰のない笑みが増えた。

 

「……」

 

 ただ、夜になると閨の中で、泣くことが増えた。いや、泣くような女ではなかったが、その瞳の金色が濡れて揺れているような気もした。勘違いだと飲み込んでいるが、最近はそれも難しい。

 

「……茶の用意でもするか」

 

 そろそろ夜は冷える。沸かした茶の用意をして……遠出するなら持ち出せないのと気がつく。仕方なしに水筒に入れる。そこまで遠くまで行かないなら大丈夫だろう。

 

「お、偉い。鉄観音だ」

 

「好きだろう」

 

「うん、好きだよ」

 

「そうか」

 

 それだけ言って、この前に作った菓子を持って歩き出す。街を外れて、少し郊外へ。寺の多い場所で、そういう場所は花が多い。極楽を思って、その場所へ少しでも近づこうとするのが彼らの常だった。

 

 多種多様な花の香り、秋が近づけば様々なものが咲く。

 

 彼女に連れられて歩き続ける。風は冷たい。空はどこまでも突き抜けるような青い空だった。

 

「なぁ、どこに……」

 

「あとちょっとだから」

 

 そう笑って、彼女は俺の手を引く。指が少し冷たかった。

 

 しばらく道を歩いて、木々が減っていく。坂道を登り、丘に上がって下を見下ろした。

 

「はい、これ」

 

 一面に、白菊が咲いていた。近くには金木犀が咲いていた、甘い香りが何処までも漂っている。

 

 それを見て、彼女は笑っていた。

 

 夜空のような濡羽色の髪が、風に揺れている。笑む瞳の金色は、茜の空に見える月の様な赤みがかった色をしていた。

 

「ね、綺麗でしょ」

 

「……綺麗だな」

 

「だろー? この前見つけたんだ」

 

 周りには誰もいなかった。徐福は抱えていた大きな布を地面に広げて座り込む。

 

「ここで、一緒にお茶がしたくて」

 

 つられて座り込んで、持ってきた杯に茶を注ぐ、少し冷めていたがまだ暖かい。持ってきた月餅を齧って、彼女は花を眺めていた。

 

「金木犀を、よく摘んで来るんだ。ずっと旅をしていたけど、色んなところにあったからね。なかったら、買ったり」

 

「そうか」

 

「葡萄酒に漬けたりね、美味しいんだよ。……うん、それに、昔から香りだけは変わらないから」

 

 笑みに、翳りが混ざった気がした。

 

「長いこと過ごしてると、ずーっと不安になる時もあるんだよ。でも、花の香りだけはずっと変わらないから」

 

「……そうか」

 

「うん、思い出も、思い出せなくなったり。私が死なせた人のことも、本当はもうあんまり覚えてないんだ」

 

 喋りながら、構わずぱくぱくと月餅を食べていた。あまりにもいつも通りに、明るい声だった。

 

「でもね、この匂いがすると気持ちだけは思い出すから」

 

「必要か?」

 

「……必要だよぉ。そんな薄情に見えるー?」

 

「尚更だろ」

 

 苦い記憶は思い出せなくなるくらいがいい。それが出来るのが人間で、そうでもしなければ生きてはいけないのが人間なのだから。人の悲しみは降り積もる雪の様だが、それは時間で溶けるからこそなのだから。

 

「そうかなぁ」

 

 彼女はそれだけ言って、俺たちは二人して黙り込んでしまった。

 

 突然、風が吹いた。菊は風に巻かれて揺れるだけで、桜の様には花は散らなかった。それを見て、何故ここを彼女が気に入ったのかがわかった様な気がした。

 

「散らない花か、気にいるわけだ」

 

「ん」

 

 俺も持ってきた菓子を齧る、甘い。甘さをお茶で流して、隣に座る女と肩を寄せ合った。

 

「花の様に、ただ積もるだけの悲しみはいつ消えるんだ」

 

「……消えないんじゃないですか? 多分ね。何もかもが終わった時には、わかるかな」

 

「いつ終わるんだよ?」

 

「さぁ? わかんないけど。付き合ってくれるなら見れるかもですね」

 

 カラカラと笑う女が、いつの間にか俺の手を取っていた。道を歩いていた時よりもずっと暖かい手のひらだった。だけど、少しだけ震えている様な気もした。

 

 多分、気のせいだろう、そんなに弱い女ではなかったはずだから。

 

「なぁ、最初に会った時から一度も会ってないんだろう?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、やめてもいいんじゃないか」

 

「……え?」

 

「そこまでやってて、会いにも来ないやつに……いや、いい。聞かなかったことにしてくれ」

 

 彼女がぎゅっと、手を握る。彼女の左手の中指に嵌められた指輪が、俺の手に食い込んだ。

 

「……やめてよ」 

 

「……すまん」

 

 泣きそうな声だった。何かを堪える様な、滲む諦めと情を噛み潰すような、そんな顔をさせたい訳ではなかったのに。

 

 空は、俺たちを省みず、何処までも青が広がっていた。太陽は暖かな光を落とし、冷たい風を和らげている。

 

 鉛の様に重く、二人の間には何かがのしかかっていた。

 

 息を吐いて、俺の右手を握りしめらていた彼女の左手の指を触った。

 

「これ、その人に貰ったのか」

 

「……うん」

 

「そうか」

 

 綺麗な指輪だった。多分、長い年月を経っているのだろうけれど、くすみも無く綺麗に手入れされていた。それが、彼女の想いの塊の様に綺麗で。

 

 そして、美しい呪いの様に見えた。

 

「大事にしてるんだな」

 

「ええ、もちろん。私の……大事なものです」

 

「そうか」

 

 ────この指を切り落としてしまえたら、少しばかりはこの女の背負っているものは軽くなるのだろうか? 

 

 少しだけ、そんな考えが脳裏をよぎった。

 

「ダメです」

 

 女は笑った。彼女の右手が俺の頰を撫でた。

 

「これは、私のもの。だから、お前がそんな顔しなくていいんです」

 

「嫌だ」

 

「え」

 

「俺は嫌だ、お前がそんな顔するのは見たくない」

 

「えー」

 

「えーってなんだよ」

 

「そこは納得するところじゃない?」

 

「そんなこと言われても嫌なものは嫌だ」

 

「子供か!」

 

 触れていた手が俺の頰を抓る。割と本気でやっているらしく、結構痛い。いや、爪が食い込むのでかなり痛い。

 

「いでででででいだ」

 

「ふんだ、カッコつけるなばーか」

 

 なんだとこいつ、と思いつつも確かに少しばかり配慮が足りなかったのかもしれないと思った。誰であっても踏み入られるのは憚られる大事なものというのは、あるだろう。

 

「……すまん」

 

「そんなに落ち込まなくても」

 

「いや、配慮に欠ける思考だった」

 

「いーんですよ、どうせ私もおんなじこと考えるし」

 

 そう言って、彼女は笑う。そして、左手の指輪を、すぽんと外してしまった。

 

「……?」

 

「あげる」

 

「いや、大事なものなんだろ?」

 

「だからあげる、代わりに」

 

「代わりに?」

 

「アンタのそれ頂戴」

 

 いつもつけている、俺の翡翠と金の指輪を指差した。俺の家族がお守りだと残したものだった。特別高価なものを持たない家にある唯一の宝物だったのだろう。

 

「交換、これなら割に合うでしょ」

 

「……わかった?」

 

 俺の指に彼女は指輪を嵌める、中指にしていたそれは俺の薬指にちょうど合うものだった。

 

「お前のは……小指につけてたのにちょっと太いなー? 薬指でいっか」

 

 お互い、左手の薬指に指輪を嵌めていた。

 

「あ、お揃い」

 

「……いいのか? これ?」

 

「うん、お前が持ってるなら別に一緒でしょ」

 

「そういうものか?」

 

「そういうものです」

 

 なんと無く腑に落ちない話に転がってしまった。

 

 だがまぁ……悪くない気分だった。

 

「指落とすなんて思うなよー」

 

「そしたら今度は俺の指が落ちるな」

 

「ならいいや、私だけは損だもんね」

 

 お前は多分自分の指くらい治せるんじゃないか? と今更思ったが、まぁ細かい話だ。

 

「……お菓子まだ残ってる?」

 

「後一個、半分にするか」

 

「ん」

 

 菓子を食べ、茶を啜る。空はあいもかわらず曇りなく、ただ眩しい。

 

「花、摘んでいこう」

 

「おう」

 

 金木犀の花を最初に、飴に漬けたり、酒に漬けたりすれば美味しいらしい。長く旅をしていると色々と知るものだなと思う。

 

 

 ────ああそれと。

 

 数本の白菊を摘んで、頭に飾って戯れる女の姿を、多分俺は一生忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────え、あれ今だとそういう意味なの。

 

 …………そうかぁ…………。

 

 まぁ、じゃあ……今度やり直すか……うん。

 

 




最終話のプロットを練りなおしたり書き直したり。
どうやっても二人で死ぬのは確定なのですけれど。


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13節:星が瞬くこんな夜に

あけましておめでとうございます。
私の時間はバルダーズゲート3に奪われてしまいました……。

今年の抱負は水着徐福実装です。


 

 雪が降れば、あらゆることが止まる。街の営みもゆっくりと停滞していく。

 

 必然、二人で過ごす時間は増える。部屋に火を焚いて、理由もなく寄り添って座ることが多くなった。

 

 いや、理由はあるのだが。単純にこの場所はとにかく寒い、雪が降る時の方がまだマシな寒さと言えるくらいは寒い。

 乾いた風は皮膚を裂くように冷たく、その結果として厚着をして火鉢の前に二人で並ぶことになる。

 

「さむい」

 

「ぱぱっと道術であっためられるけど」

 

「それはみんなに悪いだろ」

 

「えー」

 

 半分は嘘だった。なんとなく、こういった時間が無くなるのが嫌というのが実際のところである。女々しいな、と思うが実際そう思ってしまったのだから仕方がない。

 

「夏でもこんなもんだったし、別に離れないよ?」

 

「ごほっ」

 

「図星かー」

 

「違う」

 

「ほんとぉ?」

 

「……」

 

「あ、黙った」

 

 耳が赤いのは寒いからで、それ以外ではない。本当に。

 

「ふふ、いいよ別に。今日はどうせ雪で、出来ることもないし、このままいよっか」

 

「そうか」

 

「とはいえ暇ですねぇ」

 

「暇だなぁ」

 

 書を読もうにも火鉢の側で読むと火花や燃えたチリが飛んでくる為あまりやりたくはない。二人で寝ようにも、そもそも朝まで一緒だったため今更そんな気も起きない。

 

「あ、じゃあこんなのは」

 

 徐福はがりがりと火鉢の灰に火箸で模様と文字を書く、おそらくは方術の何かなのだろうが、今だに意味はあまりわからない。

 

「あれか、方術か」

 

「本家本元じゃないですから、思想鍵紋を使ったのはあんまりですけどねー言ってもわかんないだろうけど」

 

「うん、わからん」

 

「教えましょうか? 仙人になるのは無理ですけど」

 

「……俺でも出来るのはあるのか」

 

 一応、聴いてみる。折角なので面白いことが出来るかもしれんと、好奇心に負けた。思えば、今まで一度もこういったことは聞かなかった気がする。自分で出来るとは思っていなかったのもあるが。

 

「あるよー、簡単な呪いか、死ぬやつのどっちかだけど」

 

「なんて極端なんだ……というか死ぬのか」

 

「うん、命というか……死ぬくらいの色々を賭ければ色々出来るよ。私も3回くらいやったことある、すっごい痛かった。治るのに三日かかった」

 

「……3回も、何でやったんだ」

 

「……あ」

 

 あはは、と思わず口を滑らしてしまった事を誤魔化すような、困った笑いをこぼす。

 

「……はぁ、聞かんぞ」

 

「いやー別に大した事じゃないんだけど。 襲われた時に半分自爆でやったのが2回と……一回は何でだっけ……?」

 

「覚えてないのか……」

 

 もしかして結構大変な目に遭った事をあんまり言ってないのではないだろうか、いや、気にしていない可能性も十分ある。

 

「あ、思い出した! あれだ、試しに何処までやったら死なないか確かめた時だ。馬鹿やったなぁ」

 

「……何処まで大変になった」

 

「えーと、足と腕と内臓が何個か……治ったけど。それで出来た礼装、お前にあげたよ」

 

「は?」

 

 あげた? そんな大層な物を貰っただろうか。そう思った時ふと、あの時渡されてから、常に持ち歩いている懐の小刀の冷たさを思い出した。

 

「これか」

 

「そうそれ、ぐっ様は殺せないけど私くらいは殺せるから」

 

「そのために作ったのか」

 

「そそ、失敗作だけどいつでも持ってたんだ」

 

 何故、とは聞かない。少なくとも死にたいと思った事など一度もないと言ったからそういう理由ではないのだろうとは思った。

 

「何でかはわかんないんだけどね、何となく。よし、描けた」

 

 彼女は火箸を脇に置いて火鉢の上に黒い粉を振りかける。パチパチと赤く火鉢の上でそれが弾けて舞う。

 

「お、夜晴れるって。星でも見に行く?」

 

「なんだ、天気読みか」

 

「反応薄ーい」

 

「いつもと方法が違うだけだろう」

 

 天気読みくらいなら普段からなにやらやっているのを見たことがある。別に驚くようなことでもなかった。

 

「……そういえば、これ、もう要らないぞ」

 

 懐の短刀を取り出して、隣の女に返そうとする。別に、もうこの女を疑うこともないのだから持っている必要なんて全く必要のない物だった。

 

「────」

 

 取り出した刃を見る彼女の瞳が揺れた。少なくとも、俺にはそう見えた。

 

「……おい」

 

「持ってて」

 

「いや、要らないと……」

 

「あげる」

 

 こちらの目を見て、微笑まれる。瞳の金色はいつもの様に綺麗なままだったけれど、どうにも悲しい色をしている気がした。

 

「……わかった」

 

「ん」

 

「……使わないからな」

 

「知ってる、でも持ってて」

 

「何でだ」

 

「お前が死ぬ時に使うでしょ?」

 

「いつ俺が自刃するって言った……?」

 

 物騒な冗談を言うものだと、鼻で笑って懐にしまう。まぁ、小刀として普段使いする分には構わないだろう、なんて思って。

 

「一緒に来るでしょ?」

 

「────」

 

「あれ」

 

「冗談がきつい」

 

「冗談じゃないのになー」

 

「……やることが終わるまで死なないだろ、お前は」

 

「そろそろ終わりそうだからね、任せたらもういいかなって」

 

 あははと女はいつものように笑う。何故、そんなことを言うのだろうか、この女が全霊をかけてやってきた事を任せる事など出来るのか、と思ってしまう。

 

「……ここまでやって来て、任せるなよ」

 

「んー、そうだねぇ、色々と連れていく子達集めたりしてて思ったんだけど……まだ死ぬ暇はないかぁ」

 

「そうだぞ、それに、東への船旅だぞ船旅。着いてからの方が大変だろう」

 

「そうだねぇ、何処まで行こうか。龍脈がちゃんとして人がいなければ何処でもいいんだけど。出来れば、誰もいないところがいいから……やっぱりずっと東かな」

 

 こてん、と首を傾げて体をこちらに預ける。どうにも、寒さと火鉢の熱でお互いにぼうっとしていた。

 

「あそこにも国はあるけど、手付かずの場所も多いし。そこまで行ったら、村を作って……人払いを貼って……そしたら……」

 

 そこまで言って、徐福は黙り込む。

 

「そしたら?」

 

「……お前も来るんですよね?」

 

「当たり前だろ」

 

「うん、そっか、ならいいや」

 

「……そうか」

 

 何に納得したか知らないが、まぁ、彼女がいいならいいと思う。ただ、やっぱり隣に座る女が何かを恐れているような気がして、手を取った。

 

「何が嫌だ」

 

「うーん……上手く行ってるのが?」

 

「そうか?」

 

「うん、というか……上手く行って、終わったらどうするんだろうって」

 

「終わったら……好きに生きればいいだろう」

 

「……無理だよ」

 

 消え入るような声だった。常のような明るい声をどうにか保とうしていた分、余計に悲しい色を帯びていた。

 

「なんでだ、次にやりたい事でも見つければいいだろう」

 

「……長く生きてると、そうも行かないんですよ。500年もいると特にね、私仙人じゃないし」

 

 長く生きれば生きるほど、目的を失った時の喪失は大きい。多くの場合、それは死ぬのと同義で、死ねない方がよっぽど酷い目に遭う……らしい、と彼女は語る。

 

「ふむ」

 

「長く生きるほど、死ぬのは怖いから。その頃にはどうなってるのかなって。先の長い話だから、無駄な悩みだけど」

 

 そう言って笑い飛ばそうとする女を、手を引いて立ち上がらせる。

 

「よし、もう晴れたか?」

 

「え、何急に。晴れましたけど」

 

「少し外に出るぞ」

 

 外、と言ってもこの屋敷の3階部分……と言っていいのだろうか。2階より少し高いところに少し張り出した露台に火鉢を使用人に運ばせた後に向かう。

 

「……こんなのあったんだ」

 

「誰も使わんからな」

 

「……わ」

 

「気分転換だ。鼓星が綺麗だな、今の時期は」

 

 空を見上げる、冬の空は星がよく見えた。一人で見上げていた時はそれなりに綺麗だなという感想ばかりだったが、今は違う気がした。

 

「……綺麗」

 

「何年も生きて、何度も見てもか?」

 

「うん、綺麗」

 

「そうか」

 

 そうして二人、いつものようにただ隣にいるだけで。冷たい空気の中で吐く息が白く煙った。

 

「────俺が死んだら、あそこで待つよ」

 

 星を一つ、なんでもない小さな光のものを指さしてそう言ってみる。

 

「……え」

 

「それならお前も怖かないだろ……いや、俺がいても仕方ないか」

 

 そういえば人生賭けて殺したい人がいるのだから、そっちに行った方がいいのだろう。まぁ、それならそれで別に構わなかった。

 

「それでもダメなら……うーん」

 

 首を捻る、あまり頭の回る方でもない、どうすればいいのかポンと出るわけではなかった。

 

 ああうん、任されたのだから、一個だけできることがあった。これなら何も俺が死ぬのを待たなくていい。

 

「お前殺したら、一緒に死ぬよ。それなら俺にも簡単だ」

 

「────はは、出来ます?」

 

「さぁな、いざとなったらダメかもしれんが」

 

「そこは断言しなさいよ、なっさけないなぁ」

 

 今度は、哀しそうじゃない笑顔だった。ああ、その顔をしてくれるなら別になんだってしてやってもいいと言うのは本当にそう思ったのだけれど、痛いのも怖いのも嫌なのでそこは勘弁して欲しい。

 

「じゃあ、私はあそこで」

 

 指を指したのはすぐ隣の赤く明るい星で。なるほど、らしいなと素直に思う。

 

「……あー、スッキリした。ちょっと寒くて落ち込んでたのかも」

 

「そりゃよかった」

 

 寒さを堪えるために、手を繋いでいた。それを離さないで、しばらくの間二人で星を眺める。

 

「嘘ついたら、許さないからね」

 

「おう、許さなくていいぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────赦さないから。

 

 ────それでいいよ。

 

 




すでに書き上げた最終話、丸々改訂することになるかもしれない。
まぁでも少なくともこの二人は死ぬね。
もともとみんな(二人)の意味だからね!


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14節:独りぼっちのロンサム・ジョージ


 遅れて申し訳ありません……ちょっとスランプだったり色々忙しかったり……ちょっと短めですが更新です。


 

 空を見ながら、死んでもいいと言ってくれる男がいた。

 殺されてもいいのだと笑って言う姿を、私は見た。

 

 寝床の中で、二人。外の白い世界は音を吸い取って、私と彼の心音と呼吸だけが響いた。

 

 今、彼を殺したらどうなるのだろうか。私は、またいつものように歩み始められるのだろうか。

 

 空の星は、私たちを見下ろしている。その光は、太陽のに灼くような熱さもない、月のように冷たさもない。ただ、優しい、遠い光だった。

 

 隣にいる男の目の色もそうだったように思う。ただ、あるがままに、私を見つめていた。どうしても、手が届かないようなものを見つめるような、そんな瞳だった。

 

 男の手を握る。なんの変哲もないけれど、人よりはだいぶ大きくて指の長い手を握る。嘘をついたら、許さないからと言って。ただ寄り添っていた。

 

 でも、本当は嘘でもいいと思っていた。長く生きれば生きるほど、死ぬのは怖い。だから、私が死ぬには誰かが殺してくれないといけないような気がずっとしている。

 

 でも、多分この男はそんなことできない筈だから。多分、何かが死ぬのに耐えられないだろうし、ましてや私をという気持ちもある。

 

 ああ、そうか、だったらうん。

 

 船には乗ろう、遠くへ行こう。若者や子供たちを連れて、村を作って、研究が出来るように。そうしたら、彼が私を殺す前に死ねるようにしないと。

 

 ああ、でも、怖い、怖いな。死ぬのは怖い、やっぱりやめようかなんて思ってしまう。

 

 ああ、そうしたなら、呪いを作ろう。たった一つの呪い、仕組みは簡単で、だからこそ効力のあるものを。

 

 双子の星がお互いを食べて、消えてしまう様なそんな呪い。あなたの命が潰えたときに、私の何もかもが失われるように。

 

 隣にいる男の胸に触れる。少し、戸惑っている様だった。

 

「少し、お呪いです」

 

 ────()()()()()()を励起。

 

 確実に、間違いなく私を殺害できるように。正道での特権領域への接続は私の学んだ方法では叶わないけれど、この500年の研鑽はそれに匹敵するズルは出来る。これだけやっても、真の神仙を殺すには至らなかったけれども、私くらいなら間に合ってしまう。

 

 命を結び合わせる、交換した指輪を起点にして十分にお互いが死に至るように術式は完成する。

 

「ん、終わり」

 

 彼が死んだら、私は死ぬだろう。私が死んだら彼も死ぬだろうけど、まぁ私はよっぽどがなければ死なないだろうしほとんど考えなくていいことだ。

 

「……呪いか何かか?」

 

「ふふ、そうです」

 

「……冗談だろ?」

 

「いえ?」

 

 すごく嫌そうな顔をしている、何か悪いことでもしたのだろうかなんて考えているのだろう。腕を取って頭を預けて、繋がった感覚を確かめる。

 

「あなたが死んだら、私も死ぬ様になりました」

 

「……そうか」

 

「だから、いつでも死んでいいですよ」

 

「そうか」

 

 表情は見えない、そっけなく答える声は少しだけ嬉しそうなような、悲しそうな様な。

 

「いいの?」

 

「やってから聞くなよ……」

 

「それはそう」

 

 あはは、と二人で笑って。明日のことを考える、まだ雪は深い。色んなものを用意しなければならないし。

 

 きっと、どこまで行っても隣にはこの男がいるのだろうなんて思いながら未来のことを考えるのは、悪くなかった。

 

 悪くなかった……のだと思う。少なくとも、頭の底を焦がす様な痛みはなかったし、船が潰れた日の夢も見ない。

 

 だから、せめてもの贈り物をしようと思った。

 

「────こういう気持ちって、なんて言えばいいんでしょうね?」

 

「さぁ、ただ……」

 

「ただ?」

 

「俺でよかったのか?」

 

「今更?」

 

 別に、死ぬのに必要なのが彼である必要もなかったけれど、それでもいいと思ったのだから仕方ない。

 

「ここがいいなと思ったから、ここにいるんだよ」

 

「そうか」

 

 一言だけ、そう言ってそっぽを向く。

 

「嬉しい?」

 

「……」

 

 あ、嬉しそうだ。相変わらず、素直ではない人だった。でも、こんなので本当に嬉しいのは変な人だとも思う。

 

「ふふ」

 

 握る手に力を入れて、撫でる。男の割にはふしくれだっていないし、細く長い指先に通る熱が暖かい。

 

 雪はまだやまない。ただ、今はそれでよかった。世界に誰にもいないような気がして、冷たい空気と雪が生む静けさは永遠を感じさせてくれるような気がした。

 

 寒さも感じないままに、ただ二人で寄り添っていた。

 

 星空が雲に包まれる。また、雪が降り出した雪が降り積もる。

 

 しんしんと降り積もる。

 

 悲しみを埋め尽くすように。きっと、まだ遠い春の暖かさを待たせるように。

 

「────ねぇ」

 

 瞼を閉じて、背を抱き締めて。

 

「……なんだ?」

 

「……やっぱり、いいや」

 

 うん、愛しているかなんて、聞くのは怖い。

 

「……そうか」

 

 何も言わず、彼はたただ振り向いて、ただ私の手を握った。

 

「……明日も早い、寝る」

 

「ん」

 

 ああ多分、この人も怖いのかもしれないと思って、安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────結局一人で死んでしまったのは、あなたでした。

 

 ああ、優しいけれど弱い人。赦さないから、どうかずっとこのままで。

 

 私の夢と彼の想いを飲み込んで、苦界と化した場所で微笑んでいた。

 

 

 

 




愛とか、簡単に言うのには難しい言葉って沢山ありますよね。


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15節:冬のころ芽生えた◼︎

オチを書くのに作者が辛くなりすぎて止まってるってマジですか?
マジなんですね。
なので最近少し短いです、最終話まであと少し。



 

 星の下にいる夜は終わる。

 

 雪が消える。だが、空はまた灰色に染まっていた。

 

 いつものように、昼食を終えて自身の仕事をこなす。自分でなければ通せない書類や、使用人達の陳情を聞いて、空いた時間には好きな書を開いてぼんやりとしている。

 

 冬が終わりそうな日だった。太陽の光は弱々しく、人々は部屋に篭りがちで熱い茶を炊かなければ行かないような寒々しさだったが、それでも、微かな暖かさを感じる日。

 

 もうそろそろ、春が迫る気配がした。

 

 今、部屋に彼女はいなかった。朝に笑って港へ出かける彼女を見送って、部屋で窓から外を眺める。港で船に積む資材や水夫の手配などをしているのだろう。春には船は出ると言っていたから。

 

 ああ、あの女がいなければ自分はつまらない人間なのだな、とぼんやりと外を眺めながら思う。

 

「……」

 

 2人で、いや、皆を引き連れて遠い果てへ向かうのだろう。それについていく気はあったけれど、それでいいのだろうかとずっと考えていた。

 

 その果てに、彼女の欲しいものは得られるのだろうか。あるいは、そもそも、本当に彼女が好きな人を殺せたとして。

 

 それを、望まれなかったのならばどうするのだろう。黒く、燻る炎のようなものが胸に宿る。

 

 それでも、追いかけることを止められはしない。走り続けている彼女の姿が一番綺麗だと、思ってしまっているから。

 

 だからそう、考えてみれば彼女の為にやれることはまだあった。既にこの命は彼女に繋がっているのならば、やるべき事はある。

 

 彼女の夢を、きっと永遠にしなければいけない。叶えて傷つくのなら、彼女が夢を信じたままいられるように。彼女が夢を失わないように。

 

「……駄々を捏ねているだけかもなぁ」

 

 別に、受け止められる女なのかもしれない。こちらの思うことは全部余計な事で、きっと聞いたら怒るだろう。

 

 だけどまぁ、ああ言った方が悪い、うん。

 

 長年付き合いのある使用人を呼び出し、頼んで、(したた)めた文を箱に入れて預ける。遺言状じみているが実際にはもっと面倒なものだ。何せ、自身に何かあったら彼女に何もかも預けるという話なのだから。

 

 桜の咲く頃には、きっと皆海を越えていくのだろう。それは華々しい門出で、きっと彼女も笑って行けるのだろう。

 

「……さて」

 

 時間も空いた、あの雪の日、徐福に言われたらことを思い返す。自身の命を繋げたのだと、ならばやれることはあるだろう、と彼女に貰った呪い(まじない)の研究書の内容をなどを思い出しながら筆を取る。

 

 あいにくと呪いの才能は殆どないらしいということだけはわかっている。となればまぁ、命を賭けることにはなるだろう。机の上に置いた一枚の布に、幾つかの文字と記号を書き込んでいく。彼女が持っていた幾つかの書物に描かれていた通りに。

 

「ただいま〜」

 

 扉の開く音と、帰る声が聞こえた。最近は陰の消えた、鳥の奏でるような声だった。黒い服でどこかで買ったのか、あるいは作ったのか、白菊の髪飾りを揺らしている。

 

「……機嫌がいいな、今日は」

 

「殆ど準備も終わったからね、あとは人頭が集まればかなぁ」

 

「そうか」

 

 声は明るい、ただ、笑みには何処か寂しさがあるような気がした。

 

「……あと、一応だけど。書くならそこ間違ってるから」

 

「げ」

 

「よそで書きなよ〜、それで、いつやるの?」

 

 ケラケラと笑う。こちらに、真意をわからせないようにしているような気がする笑い声だった。初めて会った時のことを少しだけ思い出す。

 

「……向こうについてから」

 

「そう」

 

「……聞かないのか?」

 

「見ればわかるもん。何年やってたと思うの」

 

「そうじゃなくてだな……」

 

「ありがと」

 

 突然の感謝の言葉。面を食らって、思わず黙り込んでしまう。なぜ、そんなことを言うのだろうか。だって、これは彼女の願いからは外れてしまう。

 

「お前の思う通り、15年もあれば私は出来るよ、多分ね」

 

「……やめろって言わないのか?」

 

「……んー」

 

 にへら、と諦めたような笑みをこちらに向ける。黄金色の瞳が燃える様な色味を湛えていた。

 

「本当に、やれる?」

 

 試す様な台詞だったのに、そんな意図はまるで感じられなかった。どちらかといえば、懇願なのかもしれない。だけど、そんな弱さを信じられなくて、都合のいい勘違いだと思うことにした。

 

「わからん」

 

 なので、率直に言う。何せ、やった事がないから。本当だったら、誰よりも死ににいくのは嫌な人間のはずなのに。

 

「こういう時は出来るって言えよぉー」

 

「仕方ないだろう、怖いものは怖い」

 

 嘘だ。多分、目の前の女のためなら怖くはないけれど。ただ、彼女が泣くだろうかなんて事だけが心配だった。あるいは、涙も見せずに生きていくのだろうか、それも嫌だな。

 

「……というか、どうやって思いついたのさ」

 

「お前が持ってたのを全部読んだ、冬は暇なんだ」

 

「本当に暇だったんだね……まぁ、やるなら私が術は回すけど。こういう呪いは本人が言うのが大事だからね」

 

 勝手に筆を奪い、さらさらと勝手に書き加える。読んでみれば、俺の想定した時間よりギリギリの“制限時間”だ。

 

「30年もいらないよ、15年あれば足りると思ってるけどおまけしてくれたんでしょ。要らないよ。あと、この書き方だと死ぬほど痛いからね」

 

「……そうなのか?」

 

「うん、でもこれだけやれば、多分私のことなんとか生かせるんじゃない?」

 

「ふむ、そうか」

 

 彼女の不老を殺しながら、生かす。彼女の研究が、彼女の手を離れるギリギリの時間まで。ただ託されたと思えた俺が出来る唯一のことだと思ったから。

 

「…………えいっ」

 

「いひゃい」

 

 何故頬をつねるのだこの女は。いや、怒るのも当然かもしれない。

 

「怒るか?」

 

「うん、すっごい怒る。一緒に死なないんだ」

 

「……まぁ、結果的には似た様なもんだろ」

 

「全然違う」

 

「むぅ」

 

「……あっちに着くまで、一緒にいろよぉ」

 

 射抜くような視線が、こちらの目に刺さる。ああ、怒らせてしまったなとも思ったが、怒ってくれるのかと少しだけ嬉しいような気もした。

 

「わかった」

 

「ん」

 

 そして体を寄せ合う。まだ、互いの心臓の音が聞こえている。いつか、聞こえなくなる日のことを思って、少しだけ泣きたくなった。

 

 だから、いつもより少しだけ強く抱きしめてみた。

 

「……ね」

 

「ん」

 

「そんなに、私が夢を見ているのが好き?」

 

「……嫌いだ」

 

「そっか」

 

「でも、綺麗だと思う」

 

「馬鹿だなぁ」

 

 まだ、2人は涙は流さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────許さない。許さない。きっと永遠に。

 

 ────許さないから、一緒に居るのです。

 

 血と暗闇の中で、白菊が揺れている。




夢は託して、願いが叶ったかなんて知らないまま2人で死ぬのがいいなと思いました。お互いに最大限の配慮をした結果がこれだと嬉しいですね、胃が痛いです。

ちなみにうちの徐福はアルターエゴではなくアヴェンジャーです。


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16節:Can you keep A secret?


別視点のおまけみたいな話。
だいぶふんわりした話になっちゃったかも。



 

 私は、寝静まった彼を置いて寝台から離れる。机の上、男が書き上げた呪符を見る。

 

 15年、なるほど、それはなんて優しくて残酷な事なのだろう。

 

 ずっと生きてきたのに、たった15年、それが随分と長く感じる時間だった。きっと、耐え難い時間だろうから。

 

 あなたは私を置いて死ぬのだろう。でもまぁ、結局は殺してくれるのならいいのかなと思いながら、手元の呪符に更に数文字を書き込む。元々は死後、自身の肉体を呪詛にする呪いの方法だった。本来は人柱を使って行うものだけれど、それを少しだけ改悪する。

 

 遠い西方では、魔術刻印という形で肉体に術式を刻むそうだ。似たようなものを呪いで再現する。死して呪いと化した血肉を他人に融合する。

 

 それは、いずれ遠い未来で神秘主義者達が編み出した概念。形成(イェツィラー)、魂と水の属性を持つ霊的融合と呼ばれる術理。

 

 遠い、揺らぐ世界の神話では“融血呪”と呼ばれるモノ。

 

 死して尚、永劫自らを苛む毒に、男を変質させる最悪の魔術。

 

「────ごめんね」

 

 ああでも、この事を教えても、あの男はきっと笑って許してしまうのだろうなと思う。だから、うん、船に乗る前に殺してしまおう。

 

 私を赦さないように、私が、赦さないように。

 

 涙は流さない。だって、涙を流すにはあまりに酷い事をしているから。

 

「さようならは、言いたくないもんね」

 

 最後に、呪符を自らの血で染め上げる。笑って許してくれるだろう男の顔を、思い浮かべないようにしながら。

 

 二人で地獄に行くのならば、それもいいだろう。どうせなら、二人しかいない場所がいいのかな、ああでも、そうすると虞っ様には会えないなぁなんて思ってしまう。

 

 うーん、それは嫌だなぁ。嫌だなぁ、頑張って、子供達があの人を殺してくれればいいな。そうすれば、きっと虞っ様(私のかみさま)は許してくれるかな。

 

 ああ、そうだ。やっぱり、あの人と子供がいなくてよかったな。こんな不幸にしちゃ、悪いもんね。どうだろう、あの人もそんなふうに思っているのかな。

 

 3279人、私が殺してしまったあの子達の声が聞こえるような気がする。そんな人のような幸福は、許してくれないだろう。

 

「────ごめんねぇ」

 

 うん、声は聞こえるけれど、もう随分と顔も思い出せない。やっぱり薄情かな。寂しく海で死んだ子達のことを思う。それでも。

 

「それでも、寂しいのは嫌だなぁ」

 

 死ぬのなら、暖かい方がいい。

 

 人肌のように微温い血と、呪いの中で、死ぬのがいいなと思う。

 

 だってそれは寂しくない。誰かに囲まれて、暖かく死んだ未来もあったかもしれないし、何もかも上手くいったら、きっとそうなるだろうけど。

 

 それでも、やっぱり寂しい気がするから。

 

 だから、連れて逝くのだ。

 

 殺して、殺されて。それがきっと私達にはいいのだろう。

 

 多分、お互い痛いのは嫌だけど、だからこそこの方がいいと思う。馬鹿な男だったから、私にはずっと優しい男だったから。

 

 ああ、どうして、こんなのがいたのだろう。いなければ、きっともっと上手くやれたし。もっと上手く……。

 

 ああ、上手くできて、それで。どうなのだろう? 私のかみさまを殺して、それで……。

 

 ああ、そうか、この人は。

 

「────夢から、私を守りたいのか」

 

 なんて、傲慢で、無知で、愚かな人なのだろう。何で、こんなに優しいのだろう。

 

 わからなくて、分からなくて、解らなくて、わからなくて(分かってしまって)

 

 顔を、引き裂いてしまうほど強く指が食い込んだ。裂ける皮膚から血が、頬を垂れた。

 

 涙は、流さない。

 

 血が涙の様に流れていても、涙は流さない。

 

「許さない」

 

 何を? 

 

「赦さない」

 

 誰を? 

 

「────許してよ……」

 

 一体、何を? 

 

 分からない、分からないけれど。

 

 何も、恨めなかった私の心に、何かが灯った。

 

 何もかもが私のせいだったとしても、何もかもが彼のせいだったとしても。

 

 それでも、許してはならないと思ってしまったのだ。

 

 なんて理不尽、なんて身勝手なのだろう。それでも、そんなことはわかっていても。

 

 ああ、ただ、かみさまを愛しているだけでよかったというのに。ただ、そうあるだけの(アルターエゴ)でよかったのに。

 

 あなたの(りそう)を叶えてあげたかっただけなのに。それが、私の夢だったのに。

 

 そうだ、なら、私は果てに走るしかない。

 

「そうだ、そうしなきゃ」

 

 燃え尽きるまで、走らなければいけない。そうだ、果てまで、この身を燃やしながら。そうだ、私の愛は、全て彼女の為にあったのだから。だから、彼に与えられるのはそれしかないじゃないか、だって。

 

 私が彼を◼︎してしまったら、彼は私を◼︎してくれないと思ったから。

 

 いいや、うそだ。

 

 そうじゃないだろう。

 

 私が、彼を◼︎していないと思ってしまうのは、許せない。

 

 そうだ、あの男は証明した。

 

 なら、私もしなければならない。

 

 呪いを更に書き換える、融血呪の呪いを、更に強固に。そうだ、仮に、私が死んでも死体が呪いとなる様に。

 

 死の蒐集、その基点。

 

 ここから始まる全ての死と呪いが、全て私と彼に集まる様に。

 

 そうだ、消えない、消せない、永遠に、消させない。

 

 この焔を、私の最高傑作にする。この焔で、彼女(理想)未来(永遠)を永劫に焼き尽くす。

 

 これが、私の◼︎だ。





融血呪はゆらぎの神話からです。
なんでアヴェンジャーなの?って話がこういう感じになりました。
急に怖くない?作者もそう思う。


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17節:花に風


次回、最終回。



 

 ────春が近づく。

 

 空気は生命の腥い匂いを孕んで、暖かい風を吹かせる。

 

 まだ、桜は咲いていない。

 

 二人、寝台で融けるように微睡んでいた穏やかな日だった。握る手の温かさを、永遠に続く物だと勘違いしてしまいそうな日だった。

 

「……そろそろですねぇ」

 

 冬が終わる、冬が終われば、多少は波も穏やかになる。そうなれば、もう船は行くのだろう。

 

「数日後にでも、行こうかなと」

 

「そうか」

 

「はい」

 

 彼女の頭が、猫のように体に擦り付けられた。

 

「……終わりですねぇ」

 

「そうだなぁ」

 

 何がとは聞かなかった、その必要はなかったから。

 

「はい、終わりです。……ありがとう」

 

 何か、決意したような声だった。多分、俺が知らない何かを決めてしまったような、そして、優しげな声だった。ずっと昔に、童の頃泣いていた俺を慰めた誰かの声に、随分と似ている気がした。

 

 思わず、それを聞いて、彼女の体を抱き寄せた。何故かはわからなかったけれど、どうしてもそうしたくなった。

 

「……ん」

 

 少し驚いた顔をして、そしてまた腕の中の女は笑った。

 

「ねぇ、やっぱり、やめよっか」

 

 彼女の指が、とんとんと俺の胸を叩く。

 

「全部やめてさ、二人で……何処にでも行こうよ。ほら、別にさ、これでも色々できるし。何処でだって……」

 

「いいよ、いいんだ」

 

 多分、俺のことを思っているのだと思う。ああうん、それだけで本当は嬉しいし、出来るならば頷いてしまいそうだけれど。

 

「いいんだ、これで」

 

 だってほら、どっちにしたって、後悔が残る。それならせめて、お前の為に生きていたいじゃないか。

 

「夢を、諦めちゃいけない。何も、お前が捨てる必要があるものなんて、ないんだ」

 

「────お前は」

 

「ああ、いや、いい。それは、言わないでいい」

 

 止めはするけど、多分言ってしまうのだろう。それは、残酷なことをしてしまったなと思う。

 

「お前を、捨てるのは嫌だ……」

 

 ああ、畜生。

 

 こんなことを、言わせたくはなかった。こんなことになるなら、出会わなければよかったと思ってしまう。こんなことになるなら、出会わなければ彼女はきっと完璧に、歩いて行けたのに。

 

「だから、連れて行く」

 

「────?」

 

「あの後、書き換えたんだ」

 

 ああ、アレをか。ふむ、それは困る、だって、俺はお前の足を止めるわけにはいかなかったからああしたのに。

 

「お前が死んだらお前は呪いになるけれど、私に融ける」

 

 言いながら、彼女の指が、体に食い込んでいた。痛みはない、痛みがない? 指先には赤黒く、暗い光が宿る。

 

「だから、お前は一人にならない。死しても、お前は……」

 

「……そうか」

 

 なんとなく、何を言っているかを理解する。元々、俺が死んで、それで起こる呪いで殺すはずだったのだが。なるほど、俺を呪いそのものに変えてしまうのだろう、まぁ、生兵法なりに理解するとそういうことになる。そうなっても、意識はないだろうし、まあ、死体を運ぶ手間は無くなるかもしれない。

 

「手間をかけるなぁ」

 

「手間じゃない」

 

「ああ、そうだ。もうみんなには伝えてあるから、連れて行ってくれよ」

 

 遺言には全部、これからする事を書き連ねていた。付き合いの長い者達からは、呆れられてしまったが、それでもわかってくれた。皆、彼女のことも気に入っていたようだから、きっと助けになってくれるだろう。

 

「……あのですねぇ」

 

「ん?」

 

「結構、大事な話をしてるんですけど」

 

「ああ、そうだなぁ」

 

 まぁ、大事な話だ。でも、なんというか、今日は酷く穏やかだった。暖かい陽光の下で、目の前の女を抱き寄せている。それはなんというか、悲しくはなかった。少し、彼女が悲しんでいるのかもしれないことだけは気がかりだったけど。

 

「……心臓に、術式を繋げました」

 

「そうか」

 

「明日にでも、多分起動します」

 

「そうか」

 

「……怖くない?」

 

「ん、結構怖い。でも」

 

「でも?」

 

「結構、幸せかもな」

 

「────」

 

 目を見開いて、泣きそうな顔になる。ああ、どうにも上手くない、どうしたら笑ってくれるだろうか。俺としては、この天気にそんな顔なんてして欲しくないのだけれど。

 

「この馬鹿」

 

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは」

 

「阿保」

 

「……はぁ」

 

 ずっと、泣きそうな顔で笑う女の顔を眺める、多分、誰よりも綺麗だと思う。なんだか今日は素直にそう思えた。

 

「なぁに、ほら、地獄とかで会えるだろ。ろくな死に方じゃないんだし」

 

「そりゃ、そうだけど」

 

「ならいいじゃないか」

 

 ごろん、と抱きしめていた手を離して、大の字になる。空は酷く青い、突き抜けるような青空だった。

 

「良い、青空じゃないか」

 

「うん」

 

 憎たらしいくらい綺麗な天気を眺めて笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ああ、やっぱり赦してくれるんだ。

 

 腕の中で、ぼんやりとそんな事を思う。もう、2度と触れられなくなる体温と、香と体の匂いがした。

 

 そういえば、一度も、◼︎しているなんて言われたことなんてないな、と思う。頑なに、その言葉だけは言わない男だった。というよりも、それを言うことをひどく恐れているような人だった。

 

 ああ、きっと。最後まで言ってくれないのかもなぁなんて思って、寂しくなった。

 

 でもまぁ、私も言えなかったから、お互い様なのかな。でも、それでもいいと思った。

 

 それが、最後の心残りで、私がこの男に唯一赦されない僅かな事なのだろうと思う。それがあるだけで、ほんの少しだけ私の痛みは減る。私が彼に与えられなかったもので、彼からも与えられない、釣り合いが取れている、数少ないものだった。

 

 そうして、良い青空だなんて笑ってこちらを向く、目の前の男に口づけをして笑う。本当に、何処までいっても、私にだけは優しい男だと思った。

 

 そうして、目の前の男の側にいる。穏やかな1日は、それだけで終わった。





次回最終回とは言ったけれども、当然、サマーキャンプはね。


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最終節:はじめての愛だったから、お前を忘れてしまいたい


 生前としては……最終回!
 ここまで長かったでしたがお付き合い頂きありがとうございます……あまりにも欲望すぎる小説がこんなに評価をいただいて、皆様に読んでいただき、ありがとうございました。
 あ、とはいえまだ少し続くので、よろしくお願いします。



 

 桜が、咲いていた。

 

 空は青く、雲一つなく、遠くで漣が聞こえていた。

 

 いつも通りとは少し違う朝だった、使用人たちは皆船へ行き、屋敷の家財は皆積み込まれるか、売られるかして、随分と閑散としてしまった。

 

 二人、いつものように朝に茶を淹れて、笑いあって。二人で、桜を見ようかなんて手を取って外へ出る。

 

 遠くで、鐘が鳴っている。何を告げるものなのか、わからなかった。

 

 屋敷の中庭には、降り積もる雪の様に、桜の花びらが降り積もっていた。桜の降る夜はあまりに静かで、世界には誰にもいないようだった。

 

 目の前の女は俺の顔を覗き込む。最初に会った時よりも、随分と人懐こい笑顔だった。二人で向かい合うと、暖かい風が撫でるように吹いた。

 

 何も言わずに抱き合って口付けをして、しばらく。数秒だったのか、あるいはもっと長かったのか、ただ永遠にも思える時間が終わって。

 

「ね、どういう風がいい?」

 

「……死に方を聞かれるのって意外と嫌だな……」

 

「自分で言い出したのに」

 

「まぁ、任せるよ」

 

「わかった!」

 

 やけに元気そうな声で答える。多分、空元気なのだろうけど。

 

 指先に、赤い光を灯して、術を刻んでいる。なんとなくしかわからないが、多分呪殺にまつわるものというのだけはわかった。

 

「はいこれ持ってて」

 

 呪いの描かれた布を持たされ、くるんと巻かれる。とんとん、と身体に巻かれたそれを指で叩く。

 

「……特に何もないが」

 

「うん、効くのはゆっくり。最後だから、話そうよ」

 

 庭の長椅子に二人で腰掛けて、空と、花を見る。隣で、手を結んだまま。

 

「長かったなぁ」

 

 きっと、何も後悔がないのだと言うように女は笑う。そんな筈はない、でも、それを言う気はなかった。

 

「……ね、なんで?」

 

「なんで、か」

 

 なんでこんなことをしたのか、こんなことをしようと思ったのか。それは少し難しい、あまり、理屈で考えるようなことでもなかったし、それに、あまり言いたくもないことだった。

 

「……お前に、夢を見ていて欲しかったのは本当だけれど」

 

「うん」

 

「進んで、迷って、迷って、一人で生きて、さ。会ってもくれない人のために、死なないでいるのは……それは悲しいじゃないか」

 

 悲しい、ただ悲しいと言うのは嘘だ。少しだけ、わがままもある。

 

「────そっか」

 

 呆れたような、喜んでいるような、そんな顔で徐福は笑む。

 

 話しながら、少しずつ、指先の感覚が無くなっている。多分、これが最後まで進めば、終わりなのだろう。

 

「……ほんとうは、死にたくも、殺したくもなくてさ、一緒にずっと生きたい」

 

 今更、言っても仕方ないことだ、それに、こうすると決めたから。

 

「でも、さ。それだと、きっとお前はずっと辛いままだから」

 

 俺がいても、多分彼女はずっと、何処かが痛むままだから。それは、何よりも嫌だった。

 

「────」

 

 顔は、見ない。ただ、青い空に浮かぶ花びら達を眺めていた。段々と、意識はぼんやりしていく、春の微睡のようだった。

 

 ただ、結ぶ手の体温だけが熱い。ぼんやりとした頭のまま、その熱に任せて、譫言の様に言葉が溢れた。

 

「本当は、会った時から好きだった」

 

「……嘘だぁ」

 

「嘘じゃないよ、綺麗だった」

 

「……そう」

 

「……いつも、遠くに、知らない誰かを見てるのが嫌いだった」

 

「うん」

 

「いつも俺の寝床で菓子食うのは腹立ってた」

 

「それは、ごめん」

 

 うへぇ、と怒られた子供の様な困った顔をしているのだろうのがわかる声だった。別に、今は怒っていないけれど、いない間は気をつけて欲しい。

 

「もうしないよぉ、今度一緒に寝るときには気をつける」

 

 今度って、気軽な約束みたいな言い方をするなと笑ってしまう。バツの悪そうな、叱られた子供みたいな顔で謝る女の唇に、口をつけた。

 

「そっか、今度か。待ってるよ」

 

 律儀な女だから、きっと約束は守るだろう。

 

「…………ああ、それと」

 

 まだ、何かあった気がする。

 

 ああ、そうだ。

 

 こんなになるまで言えなかったコトが一つだけあった。うん、ここまでしたし、きっと言っても許されるんじゃないか、と思う。

 

 本当は、言って欲しい言葉で、気兼ねなく言いたい言葉だったけれど。

 

 俺じゃ、こんな時にしか言えない言葉だった。

 

「ああ……うん、きっと、愛してた」

 

「なんだよぉ、最期に、それ?」

 

 眠るように、意識は落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠る様に、男は息絶えた。穏やかな表情で。その体を横たえて。

 

「────なんで」

 

「なんで、最後に」

 

 きっと、愛してた。なんて、情けのない言葉だった。にへらと、情けのない笑顔で、本当に嬉しそうに口にした言葉だった。

 

 金色の瞳が濡れて、揺れている。血の様な、熱い、涙が溢れた。涙を流すまいと思っていた筈なのに。赦されないと、思っていた筈なのに。

 

 どうしてか、涙は止まらない。

 

 横たえた身体に、桜の花が積もる。払われることがないそれが、否応なしに、死を教える。

 

 肉体は既に呪いへと変化しつつある、骨と血肉は泥の様に、あとは、それを取り込むだけだった。

 

 涙を拭う。拭っても、止まらないそれを無視して、横たわる呪いへ()()()()()。融血呪を取り込む為の儀式は、他にもあった。だが、関係がない、噴き上がる衝動が、そうさせる。

 

 涙と血が、混じり合う。呪いは、痛みを伴う、灼けるような、いや、実際に呪いが喉を焼いていた。痛みで叫ぶ声すら、苦痛を増す。それでも、関係がなかった。飲み込んだ呪いが毒のように身体を蝕んでも、皮膚に触れた血と呪いが肌を焼いても。痛みへの防衛反応で、体が全てを吐き出そうとしていても。

 

 関係がなかった、なにも、関係がなかった。

 

 そこにあるものを、世界のどこにも置いて行きたくなかったから。

 

 血と、泥と、桜の花びらに塗れて、二人は遂に一人になった。

 

 消え去っていくことも、一人でできなかった己と、一人にさせなかった男への憎悪と愛はカタチとなる。

 

 青い空と散る桜だけが、ただ、二人を見ている。

 

 あとには、涙に暮れる女の悲しみのように、泣き叫ぶ声を隠すように、桜が積もっていく。

 

 二人の罪も愛も、何もかもを顧みず、春は過ぎ逝く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────十と余年の後。

 

 彼女の育てた誰かが、遠い極東の島で、名も刻まれぬ誰かと、彼女の二人の墓を建て、祀ったという。

 

 

 これで、この話はおしまい。

 

 ああ、この後? それは君の方が詳しいんじゃない? 

 

 




惨憺たるheavenly feeling 愛だけ残ればいい。





次回、サーヴァントサマーキャンプ!ドキッ!呪いだらけの最悪リゾート!(台無し)


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