みみたぶがり (佐那木じゅうき)
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プロローグ
心あらず


説明回


 この世界で初めて聞いた言葉はなんだっただろうか。

 

 薄暗いどこかの部屋の中、その言葉を紡いだ人。

 私を見つめるその母親らしき人物は、目を細めて私に微笑みかけていて、正直パニック寸前だったけれど、それのお陰か私は幾分か状況を整理するだけの冷静さを取り戻す事が出来た。

 それでも暫くは気持ちが悪かった。ぼんやりとした私の本来の記憶に、誰かの思想が、知識が流れ込んでくる感覚が酷く不快だったのだ。

 

 それは私の前世の記憶のようであった。

 

 通り過ぎるのは大抵が灰色の空の光景で、焦げ臭い。ある日を境に秩序が崩壊してしまった世界で。定住も出来ずに私は私の仲間達とその日その日の安息を得る為逃げ続け、時には銃を手に取り、夜は皆で身を寄せ合って眠っていたらしい。

 

 印象的だったのが、私を含め皆が大人ではなくあどけなさの残る子供であった事だ。

年齢は定かでは無かったが、考えている内に記憶が馴染み、少なくとも年長者であった私という人間は18年くらい生きたのだと思い出した。ついでに仲間とはぐれて一人銃で殺された最期も思い出してしまった訳だけど。

 

 まあ、そんな感じで。

 私「曜引 五花(ひびきごばな)」は人生の微睡を楽しむ幸せな時を、冷水をぶっかけられたかの如く失ってしまう事になったのだった。

 

 

 

 時に、この世界はどうやら現代日本ではないようだ。

 

 「現代」日本と表現したのは、私の服や両親の服が和服のようだったからである。

 しかし、よくよく観察してみると、実際の和服とは微妙に違うように見受けられた。生えている見覚えの無い草木や知らない習慣。おまけに両親はおおよそ日本式とは思えない神社のような所で神職をしている。だから私はそれを見て、ここは日本に似たような国なのだろうなぁと何となく思っていた。

 それと、近くにあるという港町には普通に電化製品の類があるそうで、携帯電話、テレビ局、インターネットすらも普通に存在するらしい。村長のおばあちゃん家にパソコンが置いてあった時は度肝を抜かれたものだ。どうやら私の村はとんだ田舎に位置している様子。それで私は、国の文明レベルは少なくとも平成時代に入っている位なのだろうと推測した。

 

 私が3歳になった頃、そろそろ大丈夫だろうとふにゃふにゃした口で言葉を喋り始めると両親は狂喜した。流石に親バカが過ぎるんじゃないのかと思ったが、それまで喋ろうという姿勢すら見せなかった私を大層心配していたらしく、言われてみれば不自然だったなと、少し申し訳なく思った。

 

「おかあ、おとお」

 

 神事から帰って来た両親に指を差してそう言ってやると、2人はとても喜んだ。

 こんなので褒められるなんてつくづく幼児は楽である。こんなに嬉しそうにしてくれるならば、もっと笑顔にしてやりたいと思うのが人心。今世の私は、この精神を利用して世紀の天才……は無理にしても、せめて大人になるまでは神童と呼ばれるくらいの人間になって親孝行をしてやろうと思った訳だ。

 

 勉強、勉強、勉強。

 そうと決まれば話は早い。子供特有の体力が尽き果てるまで続く無尽蔵なやる気と中学生レベルの前世学力を武器に、私は5歳にもなると高校生くらいの範囲まで勉強を進めていた。勿論不自然であっても不可能な成長はしないよう、初歩の初歩からちゃんと段階を踏んで勉強を始めていたので問題ない。新しい教材を買って貰えるように家族サービスとして毎日愛想を振りまくのも忘れない。

 言語の微妙な違いや歴史には少し苦戦したが、それ以外の教科は概ね元の世界と変わらず、途中まで復習のようなものだったからそれほど大変では無かった。

 

 

 さてここで、この数年で私が把握したこの異世界の事について整理しておこう。

 

 この世界は普通に「地球」と呼称される惑星に存在し、幾つもの知っている国名があるようだが、その実地形がかなり異なっている。前世で慣れ親しんだ世界地図の面影は一切なく、あえて特徴を言うならば元のそれよりも海面の割合がより多く、大陸と呼べる物が少ないくらいだろうか。

 

 ここ「日本」も元々の面影は無いに等しく、その国土は大きな5つの島で構成されている。

 

・中央の島 「白江田島(しろえだじま)」  ──白島

・北の島  「青網引島(あおあびきとう)」  ──青島

・東の島  「黄押桐島(きおうとうじま)」  ──黄島

・南の島  「緑賀崎島(みどりがさきとう)」  ──緑島

・西の島  「赤曜引島(あかひびきじま)」  ──赤島

 

 

 長いので、今後は両親がよく使っている略称を採用する。

 

 まず、首都は中央に位置する白島である。5つの中で一番小さい島なのだが、基本的に政府機関などの国の中枢はこの島に集められていて、国民の中で都心といえばこの島の事を指す。

 

 次に青島。白島とは逆に5つの中で最も大きな島で、畜産業や農業が最も盛ん。国の食糧庫と呼ばれる事もある。広大な平地は前世での北海道を連想させるが、気温はそれほど低くなくて住みやすい。

 

 そして緑島。起伏が大きい地形の島で、綺麗な浜辺、幾つもある温泉地。絶景スポットも数多く。観光地として海外からの観光客も多い島である。私も是非行ってみたい。そこには「背袋鯆」というイルカの上位互換のような滅茶滅茶可愛い生物が沢山生息しているようなので、可能ならば一生そこで遊びたい。本当に可愛い。両親に写真をねだって部屋に飾っている程に私はメロメロだ。ペットとして飼いたいが、富豪以外無理な話だったので泣く泣く諦めた。

 

 続いて赤島。私が今住んでいる島である。沢山の神が住んでいたという神話が根付いているだけの、特筆して書くべき事も無い普通で平和な島である。「赤曜引島」という名称であるが、私の苗字の「曜引」がその中にあるので父親に関係があるのか聞いてみた所、私達家族は昔から続く一族の末裔の1つらしかった。神主なんかやっている訳である。

 

 ……最後に黄島。

 簡単に言うとあそこは、ファンタジー色全開の危ない島である。

 

 

 最初に。あそこは「所縁石(ゆかりいし)」という物が採れる世界有数のスポットである。

 

 「所縁石」とは何か? それは教本によると、「神々との所縁(リレーションズ)を持つ人間が触れるとその能力を引き出してくれる神の依り代」であるらしい。能力────神通力と呼ばれ、その種類は身体強化や火炎操作など多岐に渡るが、基本的には神力という謎のファンタジー的エネルギーを基に変質させて行使している。これを使った犯罪も時たま発生するし、国の部隊や兵器にも採用されている。果てには競技なんかも存在していて、民間にも浸透している始末。黄島ではそんな競技場がいくつも置かれ、スポーツの聖地になっているのだ。

 つまりその……どうやら私は能力バトル漫画のような世界に来たらしく、私はその事実を未だ受け入れられて居ない。

 

 まあここは赤島で、しかもそのド田舎である。関わらない様に生きていけば関係の無い事なのだ。

 

 私はそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅっ」

 

 神社の土地の一角で物思いに耽っていた五花の頭の上に、不意に何かがのし掛かる。

 無視していると、抗議の為かぺちぺちと首を叩いてくるので、彼女はそのプニプニした尻尾を掴んで目の前に吊るす。

 

「けものくさいのよ。わたしに飛びつくなら行水でもしてから来なさい」

 

 そう言うとプニプニ尻尾はコクンと頷くと森の中に走って行き、五花はウンザリとそれを見送った。あの生物「尾袋鼬(おぶくろいたち)」が纏わりついて来たのはこれで何度目だろうか、と。

 この世界では、人の言葉をあからさまに解している動物が普通に存在するらしい。ファンタジーである。そのまま帰って来ないでくれ。五花は内心でそう吐き捨てて本を閉じ、身体を洗うべく風呂場に向かった。

 

「髪がどろだらけ……まったく、わざとやってるの?」

 

 彼等のような身体にプニプニとした腫瘍のような物を持つ生物は「聶獣(じょうじゅう)」または「使徒」と呼称されることがある。

 聶獣はこの世にある神域との唯一の繋がりであり、耳朶のような腫瘍で人々の祈りを受け止めそれぞれの神へと届けてくれる存在なのだ……と本には書いてあった。こんなファンタジー世界だとガチっぽくて困る。と、五花は思わず天を仰いだ。

 

 そして当然それらを狩る「耳朶狩り」は昔から神を怒らす禁忌とされ、彼らは聖獣として国が手厚く保護をしている。そんなわけで如何に纏わりつかれようと、追い返そうとして下手に傷つける訳にはいかないのだ。まあ、それだけならまだ良い。臭い獣がじゃれて来るだけだ。

 問題は────聶獣は対応する神の「所縁石」に素質がある人間を好む傾向がある。という最悪な話。

 

 五花としては、あの獣が能力バトルという地獄からの使者に思えて仕方なかった。

 強制ではないが、研究者や軍人など、適合者のなるべき職に就く事を国に望まれるだろう。

 

「やだやだ、今のうちに訓練でもしておくべきなのかしら」

 

 そう言いながら湯舟に顔を浸しブクブクさせる。

 因みに彼女の好きな背袋鯆という聶獣が存在するが、イルカは前の世界でも若干の知性を有していたので彼女の中では別枠なのである。要は前世と余りにかけ離れているファンタジー的現象を嫌っている訳で、断じてダブスタではない筈だ、と彼女は思っている。

 

 気持ちに整理を付け、来週からの事に思いを馳せる。

 五花は今年で6歳になる。この事から家を離れて港町の小学校に通う事になっているのだ。

 

 正直、今更小学校でやる事なんてあるのかと思っていたが、ファンタジー的現象を始め、まだこの世界の常識には疎い所がある五花には行く意義が十分あるし、両親の事もある。まずは手始めにここで優秀な成績を収めるとしよう。そう彼女は改めて決心し風呂場から出ると、居間で神妙な顔をした両親が座っていた。

 

 やけに空気が重い。

 

「おとう、おかあ、どうしたの?」

「五花……最近、森の動物にじゃれつかれているって、本当か?」

 

 どうやら先程の一幕が見られていたらしい。

 所縁石に適性のある人間なんてその辺にゴロゴロと居る。なのにそれがこんなに重苦しい空気になる事なのかと五花は困惑しつつも、父の質問に答える。

 

「そうだけど……それがどうしたの?」

「お母さんが言ってたけど、動物さんとお話を良くするんか?」

 

 これは、つまり私が頭のおかしい子だと思われているのか? と彼女は推測した。

 動物にしか話し相手の居ない寂しい子。なるほど確かに普段から勉強ばかりで近所の子と遊んだことなんて無いけれど、はたしてそれが今更になってこんなに深刻な空気になる事なのだろうか。

 どうにも違う気がすると思っていると、父親が唐突に立ち上がった。

 

「三鶴……僕らの娘は天才だぞオイ!」

 

 母親も立ち上がった。

 

「ええ!有人さん……!! まさか聶獣様と意思疎通が出来るなんて!この子は「神憑き」に違いないわ!」

 

 

 そうして二人は抱き合った。なにこれ?

 その言葉を発し五花は放心した。

 

 そうやって先程の空気から一転。五花を置いて2人して大喜びする祝福ムードに。

 彼女が戸惑っている内にあれよこれよと適合者が集まると言われる赤島の養成学校への手続きを始めていた。

 

 どうやらあの獣と意思疎通が出来ていたのは世界がおかしいのではなく、自分がおかしかったようだ。と彼女は理解した。

 理解したが……彼女の二度目の人生も前世と同じく急転換。良くしてくれている両親の期待を裏切れる訳も無く、晴れて能力バトルコース確定となった。

 ファンタジーである。吐き気を催した彼女は便所に駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後から聞くに、どうやら「神憑(かみつ)き」というのは所縁石に選ばれた人間の中で、格別に才能のある者の事を言うようだ。適合者の大多数が神に所縁があるだけの者だとすれば、「神憑き」はその上に神の寵愛を受けている者。という事らしい。大分珍しいんだとか聞いたけど、私としては知った事じゃないと叫びたい。

 

 そんな経緯でノロノロと入学の準備を進めているある日、部屋の中にまたも聶獣が入り込んで来た。今度は私が言った通り水浴びをしてから来たらしい、誇らしげに滴る水を部屋の畳やわたしの服にまき散らしていく。

 

 私の機嫌が悪かったら怒りのままに尻尾を掴んで部屋の外に放り投げる所だ。しかし思い直してタオルで身体を拭いてやる。ファンタジーと向き合うのなら、まずはコレと向き合わなければならないのだろうから。そうしてすっかり乾いた獣はヌルっと両手から抜け出して頭の上に乗った。

 

 もしかして定位置のつもりなの。とぼやくと返事の代わりにペチペチと首を叩かれた。

 重い。しかも無駄にモフモフしてうざったい。剝がそうとするも髪の毛にしがみついて抵抗するので、そのまま無視して荷づくりを再開した時、部屋に母親が入って来た。

 

 母は私の頭に乗っている聶獣を見て「あら」とか言って微笑んで、玄関の方を指差した。

 

「五花。四葉が来たわよ」

 

 その言葉を聞いて、今日は丁度四葉……適合者である母の妹、小海四葉(こうみよつば)叔母さんが家に来る日だった事を思い出した。

 存命の親戚の中で所縁石に適合している唯一の人で、母に負けず劣らず結構な美人。そして代々神職をしている母の実家「小海家」で当主をしている多忙な人だった。今日はあの人に、私が何の神の所縁があるのかを調べるために来て貰ったのだ。出迎えなければ礼儀知らずである。そう思って私は頭の獣の事を忘れそのまま玄関まで急いでしまい、父と叔母さんにも「仲良しだねぇ」と笑われた。

 

「四葉さん、今日はわざわざありがとなあ」

「良いんですよぉ曜引さん、私、可愛い姪が自分と同じ適合者だって聞いて、ワクワクなんですから!」

 

 叔母さんはそう言うと、私の頭に居る聶獣を撫で回して威嚇されていた。四葉叔母さんとはこれまであまり話した事が無かったが、案外お茶目な人であるらしい。

 

「私、お茶淹れて来るわね。居間にどうぞ?四葉」

「良いよ三鶴、久々の姉妹再会だ。俺が淹れてくるからゆっくり話していると良い」

「あら、良い旦那さんねぇ姉さん」

 

 叔母さんは去っていく父を見てぽやぽやとそんな事を言ったが、あの人が率先して厨房に入って行くのは珍しい事だった。

 母が冷ややかな視線を厨房に送っているのを横目に、私達は居間に向かった。

 

 

 

「五花ちゃん、まずはこれを右腕に当ててみて」

 

 居間について暫く世間話が続いた後、叔母さんが私に金属製の輪っかを渡して来た。

 縁門(アーチ)という、異能の力を行使する際に必要になる器具である。大体の国民は小学校に入った際にこの器具を使って所縁があるかどうかを検査されるらしいが。……ともかく、私はこれを本で見たことがあるので、躊躇わず言われた通り宛がった。

 

 何も起きない。

 

天神(あまつかみ)ではない」

 

 叔母さんは何でもないようにそう呟く。

 縁門が反応する場所は、関わる神の種類によって違う。天神(あまつかみ)なら両腕、海神(わたつみ)なら両脚、土神(くにつかみ)なら胴体。他にも分類が色々あるが、大体がこの三種類のどれかである。

 

 続いてお腹に宛がった所で、輪っかからほのかに光が湧き上がった。

 私はそれを見て、なんだ土神かぁと思って叔母の方を見るが、彼女はなんだか難しい顔をしていた。

 

「五花は土神(くにつかみ)様に所縁があるのかぁ」

「……四葉、これは」

「赤い、わねぇ」

 

 呑気に言っている父とは対照的にどんどん表情を曇らせる母と叔母の姉妹。

 この時、恐らく私も微妙な顔をしていただろう。なんせ赤色だ。私は本の内容を思い出した。

 

 縁門(アーチ)から発せられる光の色には意味がある。

 所縁のある神が適合者に友好的であるかどうかを意味しているのだ。好意的なら緑、無感情なら黄色、といった具合で。そして赤は悪感情であり、滅多に見られない。何故なら神は人ごときのやる事にいちいち腹を立てないから、と聞いた事がある。しかし、赤である。そうなると随分と器の小さい神であるらしい。

 

「普通なら……儀式に連れて行ってお帰りして貰う必要があるけど……」

 

 だけど、と叔母は言った。

 

 そう、不思議な事に私は寵愛を受けている「神憑き」なのである。

 ならば土地神様が五花を嫌っている訳が無いと父は言い。仮に嫌われているからと言っても特に害がある訳ではないと叔母さんは言った。しかしそれでも私は不安が拭えなかった。

 

 

 そして、その不安が現実になるのは何年も後になってからの事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 五花は1人自分の父親が宮司をしている神社の境内に入り込んでいた。

 

 階段に座り込み、縁門(アーチ)を腹部に宛てると、やはり溢れるのは赤い光。暗闇の中でより鮮明になる光は、よくよく見るとうねうねと蠢き、ちょうどイソギンチャクのような形をしていた。

 叔母が言うに、これが彼女の神力そのものらしいが、五花自身はその形状に顔を顰めて縁門(アーチ)を懐にしまい込む。

 この力が何の能力を有しているのかはまだ分からない。自分に合った所縁石を手に入れない限り、養成校に行って特別な訓練をした後に初めて発現する物だからだ。

 

 春になったとはいえまだまだ寒い季節。

 家に帰ろうと立ち上がった時、五花の首筋に冷たい風がひやりと通った。それは不意に前世の頃を想起させ、思わず星空を仰ぐ。

 

 あの子達は生きてくれているだろうか。

 

 今となっては、知ってもどうする事も出来ないあの世界の出来事。守りたかった仲間たち。

 

 ああ。

 かの世界で最期に聞いた言葉はなんだっただろうか。



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第1章 青い島と神々の所縁
碧海の学び舎


 国立青網引特殊業高等学校。

 略して「青特」と称されるこの学校は、日本国の青網引島(あおあびきじま)、その南方。

 白島があるであろう方面の海沿いの土地に位置している。

 

 特殊業学校とは、現代では神に所縁のある「適合者」が、その神力の安全な使い方を学ぶ為の学校である。またこの学校は、社会人が学ぶ為に専門学校こそあるが、中学校や小学校には存在しない。中学校までの子供が神力を扱おうとするのは大変危険であるためだ。

 尤も、最近の「適合者」の爆発的な増加により、中学からのカリキュラムに組み込む動きがあるらしいが。

 

 「青特」の他にも、黄島、赤島、緑島、白島にそれぞれ国の運営する特殊業高校は存在するのだが、青特はそれらよりも殊更学業のレベルが高い。

 自慢ではないが、中学から素質のある適合者の中でも、優秀な者の多くが通っている学校である。

 

 僕は今日、ここの新入生として校門をくぐっていた。

 

 時間は7:00。

 新入生説明会が9:00なので、かなり早めの登校になった。逸る気持ちを抑え切れずに来てしまったのだ。

 だって仕方ない。今まで中学生だった僕は、今日に至るまで神力なんて大っぴらに使えなかったのだから。

 

 「神々との所縁(リレーションズ)」なんてのは、この世で最も神秘的な物だ。

 まだ幼かった僕はこの神秘にハマった。大いにハマった。この時ばかりは「適合者」であったことを両親に心から感謝したものだ。

 

 暇さえあれば所縁学についての関連書を読み込んだ。様々な適合者のもとに赴いて、様々な力を見せて貰っていた。しかしそれらで好奇心が満たされる事は決して無かった。

 

 神力使用の年齢制限という決まりが、神々との所縁(リレーションズ)のあらゆる方面の探求を邪魔していたからだ。

 まず「所縁石」が手に入らない。そして僕の両親は、そういった決まりに非常に厳しかった。ありえないほど柔軟性を持ち合わせていない人間だった。しかも、神力という物を2人揃って嫌っていた。幾ら説得しても取り合わず、故郷の赤島から遠く離れたここに入学したのだって「特殊業学校に進学するのなら一番頭の良い所しか認めない」という条件を突き付けられたからだ。

 もっとも両親としては、所縁学にしか興味の無い所縁バカが受かる筈がないと考えての条件だった様だが、死ぬ気で勉強したらなんとかなるものであった。その後合格通知を突き出してやった時の父の渋顔は痛快であった。所縁バカらしく馬鹿笑いしてやった。調子に乗るなと奪われ燃やされそうになって肝を冷やしたが。

 

 ともかく、今の時間でも校舎が開錠されている訳だし、一番近い校舎内にそろりと入ってみる。すると全体的に灰色な学舎の内装が目に入った。

 

 ひんやりと冷たい空気を吸い込んで、廊下を歩く。

 今は早朝、当然であるがこの辺りは静かだった。遠くで喧騒が聞こえるのは、部活動か何かの朝練習であろうか。なんというか、中学の頃とあまり変わらなくて些か拍子抜けした。

 

「……」

 

 このまま何も面白いものを見ずに入学式を迎えたくはないので、廊下に貼り出されている案内図を眺めてみると「演習場」「神秘実験室」等々見慣れない文字が並んでいる校舎を発見した。学校説明用に配られていたパンフレットで見た所に違いない。

 とりあえずそこに行こうと場所を確認したが、どうやら他の校舎と違って学校の敷地の外れにあるらしい。少し歩くことになりそうだが、今更だ。

 

 外廊下から外れて、芝に石畳のみがある整備された道を歩くと、徐々に周囲の木々が増えて来た。おまけに陸地側に向かっているからか、若干上り道になっている。

 暫く歩いたからか額に滲んだ汗を腕で拭った。そんな場面で、森の奥の方にようやく大きな棟の一角が見えて来た。それに僕は思わず「お」と声を漏らして小走りで建造物の方へ向かうも、その入口の辺りまで来て肩を落とし、思わず溜息をついた。

 

 手前の門が閉まっていたのだ。

 嗚呼。ここまで歩かせておいて、それは無いだろう……。

 

 

 確かに今は早朝。例え一般棟が開錠されている時間だとしても、この棟まで開いている保証は無かったのだ。

 僕は徒労感に襲われながらも来た道を引き返していく、そんな時。

 

「どういう事よ!このボケ珍獣!」

 

 森の中から怒鳴り声が聞こえて来た。

 

「どうやら時間を間違えたようじゃな」

「他人事みたいに言うな!馬鹿!!なーにが『ワシ、失敗しないので』よ! というかなんでまだこの島に居るのよ!?」

「少し時間を読み違えただけでこの言われよう……五花酷くないかの? 儂泣いちゃうよ?」

 

 女の声と……よく分からない、芝居がかったような作り声のような不思議な声だ。

 近寄ってみて分かった。不思議な声の方は動物が喋っている。聶獣の「尾袋鼬(おぶくろいたち)」だ。何故人間の言葉を喋っている? 解している? ありえない。いや実際に喋っている。女の神通力? そういう個体? どちらにせよ今はどうでも良い。呼吸が止まりそうだ。

 こんな世界がひっくり返るような衝撃的な光景、神力が発見されて以来ではないだろうか? しかとこの会話を目に焼き付けなくては。そう思った僕は意識を更に前に集中させ────

 

「1時間以上も間違えて開き直るんじゃないっ! このっ投げるわよ!」

「投げてから言うなぁぁぁぁあ!!」

 

 ────次の瞬間、目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

wmmw  mwmwmwm

 

 

 

 

 

 

「あまずい」

 

 曜引五花は平坦な声色でそう呟いた。

 

 害獣を投げつけた先に人が居るとは思わなかったのだ。

 獣は男子生徒の顔に張り付くようにして着弾し、彼はそのまま仰向けに倒れた。

 慌てて駆け寄って声を掛けたが反応が無い。まさか死んでしまったかと思い血の気が引いたが、幸い息はしているらしくホッと息をつく。

 気を失って居るのは地面に頭を強く打ち付けたからだろうか。

 

「都合よく記憶飛んでないかしら……」

「五花お前最低じゃな」

「……反省してるわよ、今度は川か海に投げるわ」

「やめてください」

「それよりもどうしよう、まず間違いなく聞かれてたんだけど……何処の何奴よ……」

「五花と同じ新入生のようじゃけど」

「なんで分かるのよ」

「腕章にラインが一本しか付いとらん」

「はあ、これ学年表してたんだ」

「ぷぷぷ、今気づいたんかの痛たたやめべひん」

 

 そもそも、こんな面倒くさい状況になった原因は全てこの獣のせいである。と考える五花は獣を抱き上げて、そのぷにぷにした尻尾を抓り上げた。

 

 故郷から青島に行く際、自分に黙って勝手に付いてきた獣。

 しかも昨夜取った学校近くのホテルで突如荷物から飛び出し、従業員にペットを連れてくるなと半ギレ対応されてから、五花の機嫌は底を打って突き抜けていた。沈黙する彼女を恐れ、ご機嫌取りをしようと思った獣は昨夜、入学式の日程を調べてどうにか五花のサポートをしようと動き回っていた。

 しかし尾袋鼬の限界なのか、正確な日時を覚えていた彼女を咎め、良かれと間違った時間を教えていた。

 

 それに気づいた時、五花は信じた自分が悪かった。確かめない自分が悪かった。獣相手に責任を追求するのは無意味だ。そう思って怒りを沈めようとした。彼女の視界に例の獣がチラつくまでは。

 因みに、当然学校は聶獣であろうがペットの持ち込みを禁止している。

 

「この人どうしようか」

「いや儂に聞かれても」

「それもそうね、人呼んで来るわ。……アンタは……ここに来た時みたいに密航して帰ってなさい」

「嫌じゃ」

「いや本当に迷惑なのよ、帰って」

「うう嫌じゃ」

「夏と冬には顔見せるから」

「ううう~」

「何度言わせるの……さっさと帰りなさい」

「……ホントに帰ってくるのかの?」

「そう言ってるじゃない!」

「……分かった……これ以上困らせてもじゃし……帰るの」

 

 そう言い残し、獣が森へとトボトボ去っていくのを五花は微妙な気持ちで見送った。

 

(まわり)……黙って出ていったのに……こんな所まで付いてくるなんて……」

 

 ようやく折れてくれたので、辛く当たり続けた甲斐があったが、あの獣はもう12歳であり、人間で言うと80近い。しかも自分に懐いているのは間違いなく自身が「神憑き」である事が原因だと気付いていた。今更になって老体の(まわり)に無茶をした罪悪感が湧き上がるが、ああでもしないと帰りそうもなかった。

 五花としては、せめて両親の元で穏やかな余生を送って欲しかったのだ。

 

「さて人を……」

 

 気を取り直して周囲を見回してから、五花は開いた口を閉じる。

 ここは人目を嫌った自分が移動してきた場所であり、当然周囲に人の気配はない。一度一般棟の所まで人を呼びに行くのは些か時間がかかるのだ。学校の敷地内と言っても林の中、何が潜んでいるのかも分からない。彼女としては、こんな所に気を失った人間を放置するのは気が引けた。かといって引き摺って行くのは忍びない。

 

 腕時計を確認してもまだ時間はたっぷりとある。

 静かな場所で頭を冷やしたかったというのもあり、彼女は男子生徒が起きるまで近くに座っていることにした。

 

「喋る聶獣!!!!」

「ぎゃあ!?」

 

 しかし、その時間はすぐに終わりを告げた。

 

 勢いよく起き上がった男子生徒は、大声に若干身を引いた五花の事を目で検めると突如両手を掴み取り、顔をぐいと近寄らせたのだ。

 

「聶獣! 使徒が、喋っていたな!?!?」

「……離せ! この変態ヤロー!!」

 

 頭でも打ったのか? いや、打ってたわ。

 一瞬何が起きたのか分からなかった五花はそう呟いて、自身の体を後ろに反らせて後方に変質者を投げ飛ばした。

 べしゃっと。

 

「しゃ……しゃべ……」

「な……なんの事だかわかりませ~ん! 喋る聶獣!? ここには私一人だったんですけどぉ!? 貴方が急に倒れたから心配してたのに……サイテーですぅっ!」

 

 しかし投げ飛ばされて尚追求する気の男子生徒に五花はそう捲し立て、これ以上何か聞かれる前に逃げることにした。



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隠匿の神通力

 尾袋鼬の(まわり)は、私が中学に通っていた頃に突如人の言葉を喋りだした。

 

 廻自身は、これを「神憑き」程の強固な神々の所縁(リレーションズ)が自身を進化させたのでは無いかと言っていた。そういう事もあるのかと納得しかけたが、神憑きであっても普通にそんな前例は無かったらしく、後ろで会話を聞いていた母親により緊急家族会議が開かれた。

 結果、この事は家族だけの秘密になったのだ。

 

 きっかけは分からない、ある日部活から帰って来た時に何の前触れもなく「おかえり」と話し掛けてきたのだ。いよいよ能力バトルが始まるのかと戦慄したが、数日経っても特に何も起こらず、今考えると身構えていたのが馬鹿なのではと思うほど穏やかな三年間を過ごせたと思う。

 

『では新入生代表挨拶。1-1 曜引五花』

 

 ふと意識を戻すと、丁度司会の教員に自分の名前を呼ばれた所だった。

 新入生代表は入試の試験成績で選ばれる。そう、つまり私は主席なのである。

 

 むふ。

 

 前世は最終学歴が中学校だったので高校受験は不安だったのだが、まさか主席になるだなんて思ってもないことだった。だからニヤケるのも仕方ない事なのだ。

 さて、私は舞台袖の中、スカートを外から軽く叩いて原稿が確かにある事を確認し、壇上に上がって紙を開く────と、そこには〈入学式次第〉という文字。

 えーっと……目を擦ってみても、校長挨拶だとか、開会の言葉だとか、本文らしきものが見つからない。

 

「曜引さん?」

『はい! すみません大丈夫です!』

 

 慌てて探した原稿は反対側のポケットに入っていた。

 

 

 

 

mw mw

 

 

 

 

 

「なぁ曜引。朝のことで聞きたいことがあるんだが」

「うわ」

 

 

 なんとか入学式を乗り切った五花。

 

 しかし、やれやれと教室に入った途端に入り口の横から誰かに話し掛けられた。目をやると今朝の男子生徒である。マジか。とか、名前覚えられててウケる。とか、様々な自嘲の思考が頭を巡ったが、何より同じクラスだったという事実に彼女は思わず天井を見上げた。

 

 しかし何時までもこうしている訳には行かない。

 彼女は擦り減った精神を労りながら口を開いた。

 

「……なんですかぁ?」

「今朝起こったことをもう一度詳しく教えてもらいたいのだよ。やっぱり、喋っていたような気がしてな……」

「……」 

「おっと、名乗って無かったな。僕は沙村、沙村 綾間(さむら あやま)だ。」

「いや、そういうんじゃないけど……何が喋ってたって?」

「獣が」

 

 佐村は簡潔にそれだけ返す。

 心なしか怒っているような雰囲気に五花は内心焦った。

 

「……ああ~、あの時言ってたやつ。それで……沙村くんね。えっと、今朝はごめんね?私驚いちゃって」

「気にしていない。それより教えてくれ」

「えーっとぉ……ちょっと顔近くない?やめてよ」

「……何故話を先延ばしにしようとする? やはり虚偽だったのか? 話をしていたのか?」

「んな訳無いでしょ。だから獣なんて居なかったのよ。言い合いしてたのも沙村くんの勘違い────」

 

 しまった。

 そう思った五花は口を噤み、沙村の口は端が釣り上がった。

 

「おや『言い合い』?僕は獣が話した、あるいは喋ったとしか言っていなかったが……何故僕が「君と獣の口論を見た」と思った?」

「いや、言ってたわよ言ってた言ってた。あの時沙村くんは……こう……「口論してたな!?」みたいに言ってたわようん」

「言ってないぞ。見苦しい」

「言ってたわ。ニュアンスから判断出来たもの」

「それ結局言ってないって事ではないか?」

「あー、今の無し」

「今の無し!?」

 

 どうしよう、完全に怪しまれている。

 呆気にとられた沙村を余所に、今朝の事で押し通せると思っていた五花は唇を噛んだ。

 

「……そう。だから結局、沙村くんの勘違いだったって事ね」

「急に締めに入って騙せると思ったのか?」

「チッ」

「思ったのか……」

「あー、あのね、言った言わないとかもう良いでしょ? 言葉尻を捕らえてもそれだけじゃ証拠にはなりません。そうね……私は記憶違いをして佐村くんを誤解させた。そして佐村君は幻覚を見た。うん、こうしましょう。これで話は終わりよね?」

「もうこれ自白しているようなものではないか?」

「なんの事だかわかりませ~ん!……ん?」

 

 ふと、教室がやけに静かだなと思った五花が周囲に目をやると、クラス中の視線が自分達に突き刺さっている。

 沙村も気付いたのか黙りこくり、それで妙な沈黙が教室内を暫く支配していたが、幸いすぐに担任らしき先生が教室に入って来る事によって皆の注意が霧散した。

 

 五花は話が終わって嬉しいと思う反面、さっさと会話をブツ切りにして終わらせるべきだったと後悔しながら席に着くのだった。

 彼女は気を取り直して、入ってきた担任教師の姿を見る。

 

 

 

「はい、1-1の皆さんはじめまして。これから3年間君たちのクラスを受け持つことになった余目(あまるめ)です」

 

 髪を短く切り揃えた快活そうな容姿とは裏腹に、やたら平坦な声を出す男教師である。

 話は簡単な校内の説明から学生証などの支給品の説明、学校生活のルールへと淡々と進んでいき、最後は学生寮の話になった。

 

 青特には、他の島から来ている生徒の為に学生寮が用意されている。

 

 そこで新入生の歓迎会が夕方にあるそうで、当日組は早めに自室の荷解きを済ませておくように。といった話だった。明日以降の学校生活をスムーズにするため既に入寮している「前乗り組」の新入生も居るのだが、五花は両親の手伝いをしていた為に当日組となっている。

 

「えー、まあ。数ある特殊業学校から、せっかく名門である青特に来た君達なのですから、ここでしか学べない事を沢山覚えていってくれると先生嬉しいです。各教科の先生方も僕もね。できる限りのことはしてあげたいと思っているので、聞きたいこととか相談とかあったらどしどし聞きに来てねー」

 

 そんな言葉を最後に余目先生は手を2回パチパチと叩いて教室から出ていった。

 

 

 

 

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「なんか覇気の無い先生だったね」

「覇気が無いと言うか……心がこもって無いと言うか……」

「あはは、確かに。曜引さんって結構容赦無いね!」

 

 急に話し掛けられ、思わず返事をしてしまった。

 隣の席を見ると、髪を後ろに束ねた知らない女生徒。というか名前覚えられてるし。

 

「えっと……」

「私、小野 美祈(おの みのり)っていうの。青島出身!曜引さんは?」

「私は赤島。それじゃあ小野さんは通いの子?」

「そうだよ! 寮生活、憧れてたんだけど……定員がね。だから今年の青島組は強制的に通いになるのだよ……」

「ああ……今年からクラスが2つ増えたみたいね」

 

 話を聞くと、小野さんは合格通知を貰った後、直ぐに入寮の申請をしていたらしいのだが、後から学校側にそう言われて泣く泣く通生になったらしい。これなら他の島に行けばよかったとボヤいていたが、寮の為に離れた場所に行くのは何か違うと思うんだ。

 

 日本の適合者は近年増加の一途を辿っている。

 

 その関係で、青島だけではなく他の特殊業学校の定員も増えているらしく、数年前は全寮制だったという学校も、今では通いの人間が多く含まれている。

 それでも他の島からの受験者の多い青島は七割ほどが寮生になるのだが。

 

「ところで、曜引さんってあの男子と知り合いなの?」

「え?」

「さっき口論してたじゃん!あのキッチリ七三分けしてる奴だよー」

 

 小野さんの指差す方を見れば例の男子生徒が教室を出る所だった。どうやら廻の事を追及するのは諦めたらしい。良かった。

 ……っていうか。

 

「いやいやいや、ぜんっぜん知らない人です」

「……とても初対面には見えなかったけど……まあいいや。寮の中どうなってたか明日教えてね!」

「え? ああうん。帰るの?」

「うん、午後からじいちゃんの手伝いしないとなんだー」

 

 小野さんはそう言って机の上に置いた鞄に配布物を詰め込んでいく。

 今日の新入生全体での行事は午前中で終了になる。考えてみれば通生の彼女はもう下校する時間に差し掛かっていたのだ。

 

「その代わり街に行くときはまっかして!案内するよ!」

「うん、また明日ね」

 

 私がそう言うと小野さんはひらひらと手を振って軽やかに教室を出て行った。人当たりの良い子が隣で良かったなぁ。

 周りもちらほらと教室を出ていく人が目立って来た。時計を見ると11時も中ごろに差し掛かった所、適当なグループに混ぜて貰って食堂に行くとしよう。こういうのは初日の友達作りが肝心なのだ。

 そう思って鞄を背負い女子が集まっている所に行こうとした時、校内に放送が流れた。

 

『1-1 曜引五花さん。曜引五花さん。至急職員室まで来てください』

 

 いや入学1日目から呼び出される事なんてある?

 しかしこうやって名指しされてしまえば行くしかない。嫌だなぁと思いつつ女子の集まりから回れ右して、私は教室を出て行った。例の獣が脳裏を過るが、気のせいであってくれ本当にお願いします。

 

 

 

 

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「君、神通力使った?」

 

 開口一番これである。

 否定すると、職員室の入口で待ち構えていた余目先生はまったりとした声色で部屋の中に使って無いってさーと声を掛けた。態度には微塵も感じないが、入口に立って居た辺り急を要する事なのだろうか。

 一体なんだっていうのか。

 

「実は今朝、高須名……ほら、この学校のすぐ近くにある町。知ってる?」

「はい、昨日泊まった所なので」

 

 というか、青島の玄関とも言われる大きな港のある町なので、他の島から来た生徒でも大抵は知っている筈だ。

 

「実はその街中で宙を浮く猫を目撃した生徒が居てねー」

「宙を浮く猫」

 

「曜引の神通力って透明化でしょ」

「ええ、そうですけど……違いますよ?」

 

 えっと、つまり。

 私が神通力を使いながら猫を抱えて街中を走り回っていたのかと先生は疑っているらしい。なんだその不審者。

 

「そもそも私のは、触った生き物も透明にしますし……」

 

 『隠匿の神通力』

 これが登録された私の持つ神通力の名称だ。

 

 息を止めている間、自身と自身が触れている者の「位相をずらす」能力。

 便利な力に思えるが、使用中に息をしてしまうと気を失ってしまう微妙な能力である。

 

 私が赤い神力を持つ事を心配した四葉さんの勧めで早期に検査していたので、他の学生と違い小学生の頃から既にこの神通力は国のデータベースに登録されている。先生が知っているのもその為だ。

 

「だよねー、まあ。一応所縁石が無いか荷物検査だけさせて貰っても良いかな」

「良いですけど……」

 

 背負っていた鞄を渡し、先生が職員室に入って行くのを見てからため息を吐く。

 

 しかしこの一件。気の抜けた事件だが、実は結構重大な事態だったりする。

 仮に私がやってないとして……いや、やってないのだが、未確認の神通力を使う者がいるケースと「祟り」の前触れであるケースの二つが考えられる。

 「祟り」とは、誰とも所縁の無い神力がこの世界に顕現し、拡散して起こると言われる特殊自然災害の事である。有名な物だと、数年前に「浮遊」の性質を持つ祟りが緑島で発生し、家屋や人が空中に投げ出され大きな被害を出した事件が思い浮かぶ。

 

 今回の事象はその「浮遊の祟り」っぽいので、こんな騒ぎになっているのだろう。だけどちょっと考えすぎなんじゃないかな? と思わずにはいられない。前触れだとして、祟りにまで発展するのは稀らしいし。

 そんなことよりお腹がすいた。お昼ご飯食べたい。まーだ時間かかりそうですかね~。

 

 

 

 

 

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 青網引島。

 高須名町の外れに位置するとある民家。そこに革の黒いジャケットを着た男がどこからかフラリと現れ、玄関のインターホンを押した。

 しかし、暫く経っても反応が無い事に眉を寄せて、鍵が開いていたドアを開き中に入って行く。

 

「不用心だな」

「あー、こら旦那。お久しぶりっすね」

 

 部屋には灰色のスウェットを着た小柄な男が一人。男の方を見て並びの良い歯を見せて来る。

 その顔目掛けて男は思い切り自分の足を突き刺した。

 

「ガッ……ッ…………!!」

「おい、言ったよな。俺達は明日動くと。どういうつもりだ? 返答次第じゃ……」

 

 そう言った男の腕から黄色の光がチラつくのを見たスウェットの小男は血相を変えて声を荒らげた。

 

「ま……待ってくだせえ! 確かに俺ぁ間違いなく手順を踏んで、アンタ達の計画を実行したんだ! 今日! ちゃんと今日だっ! それなのに発生しなかったんだ!! 猫が一匹浮いて騒ぎになっただけ……!何が「浮遊の祟り」だよ! 先ずは話を聞いてくれよ!!」

 

 その予期せぬ言葉に男は考え込んだ。

 

「ふむ……青島と緑島では条件が違うのか」

「お、俺のミスじゃねえっつうのに蹴られたんじゃ身が持たねえよ旦那。な、やり方変えてみたらどうなんだ」

「確かにその必要があるな。悪かった、顔を洗って来ると良い」

「ちっ……」

 

 彼は男の態度に苛立ちながらも洗面所の方に向かう。

 その後ろで、男の腕から黄色い光が湧き上がっていた。

 

 



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平和の祈り ①

 結局お昼を食べ損ねた私は、悲鳴を上げるお腹に手を当てながら自身の寮へと向かっていた。

 

 というのも、荷物検査があれから散々待っても終わらなかったからだ。痺れを切らした私がドアを開けて中を覗き込んだら談笑していた余目先生と目が合った。え?検査は?と思っていると気まずそうに忘れてたと私の鞄を返して来た。この人嫌いだ。と思ったけどお詫びに貰ったクッキーが美味しかったので許そうと思う。それにしても、友達作りも小野さん以外と碌に会話も出来ていない始末だし、これからの生活が憂鬱である。

 

 荷ほどきが終わったら購買で何か買い食いしようと決心した所で、特徴的な外観の建物が見えて来た。周囲の携帯で写真を撮っている新入生らしき人達に便乗して自分も写真を撮ってみようかなと思ったけれど、今の私には余裕が無いのでさっさと入口に向かうことにした。

 

 

 青特の寮は、度重なる増築の為に非常に奇妙な形をしている。

 

 外から見ると乱雑に積んだ積み木のようにあちこちが飛び出しているし、中身だって玄関の中にもう一つ玄関があったり、男子トイレが二つ並んでいたりする。古い建物と新しい建物が融合したような建物は、随所に使用禁止の黄色いテープが貼られている。

 それらを横目に私は自身の部屋を探し、間もなく振り分けられた部屋に着きそのドアを開けると、既に部屋の中で誰かが寛いでいた。

 

「はる子?」

「ごばちゃんっ!」

 

 私の呼びかけにそう叫んで思いっきり身体に突っ込んで来た女生徒は「日里(ひさと) はる子」という、私の今世の中学時代の友人であった。

 部屋割りには同じ出身の生徒を合わせる意図があるのか、同じ赤島の出身であるはる子が私のルームメイトであるらしい。中学の頃から同じ「神憑き」であるという理由からか、彼女とは結構仲が良い方であった。うん、とりあえず変な人では無くて良かったなぁ……って。

 

「はる子って『赤特』行くんじゃなかったの?」

「いやぁ、ダメ元で受けてみたらはる子も合格しちゃって~」

「何で黙ってたの……?」

「ごばちゃんが驚くかなぁって~」

 

 いや、はる子って大分変な人だったわ。

 授業中は殆ど寝ているし、不思議な発言で同年代の女子に距離を置かれていたし、だけど身体能力はかなり高くて、部活の後輩には慕われていたし、先輩には一目置かれていた。素直で私なんかよりずっと良い子なのだけど、神憑きはどこか性格がおかしいという風説の補強に大きく貢献していたような少女だった。

 

 話を聞くと、彼女のクラスは1-3。入学式の時私は舞台袖に居たし、お昼も私は職員室に呼び出されていて会えなかった為、ネタばらしが今になってのタイミングになったらしい。いや、同じ部屋じゃなかったらどうするつもりだったんだろうか。下手したら翌日、翌々日じゃないのか。

 

「常識的に考えても、これは運命だよね~」

 

 そんな事を言って引っ付いて来るはる子を雑に引き離し、部屋に置かれている自分のダンボールを片付けていると、廊下の方でぽんぽんぽん、と変な音がした。

 怪訝な顔をしていると、はる子が寮内の食堂が開いた音だと教えてくれた。大体16時半から食事の提供が始まって、20時半に閉じてしまう食堂は、事前の希望者には作り置きもしてくれるのだとか。やけに詳しいねと聞いてみると、先程談話室で新入生女子の集いがあったのだとか。参加したかった、おのれ余目。

 

 結局あの後、新入生の歓迎会に出て寮の簡単なルールを聞かされた後、お風呂に入って日課のお祈りを済ませたら普通に寝た。

 寮生活ってこんなものなのかぁなんて中卒並みの感想を抱きながら現在は朝。洗面台の前で髪を整えている。暫く寝癖と格闘していると滅茶苦茶眠そうなはる子がとろんとした声で話し掛けて来た。

 

「おはよ~」

「おはよう。時間不味いんじゃない?」

「え~? まだご飯まで20分もあるよ?」

 

 なんてお互いの私生活のギャップを感じながら支度をしていると、話題は受験時の適性値検査の話に変わる。

 

 適性値検査。

 縁門(アーチ)を専用の測定機械と接続し、その名の通り対象者の適性値を測定する検査である。

 数値の「1」から「999」まで測定が可能で、一般的に100以上が「適合者」。そして900以上の表示が出た人間は「神憑き」と呼ばれる。またこの数値は「適合者がどの程度神力を制御出来るか」に直結する。例えば、神力を「神通力」として行使するには少なくとも神憑きかそれに準じる「800」に近い適性値が必要になるらしい。

 そして、小学校の時に一度だけ行うこの測定は、特殊業学校の生徒になる際にもう一度行われるのだ。

 

「はる子、試験の時は961だったんだ~。ちょっと下がったけど……ごばちゃんは~?」

「えーあー、どうだったかなぁ覚えてないわね」

「……また999だったりして?」

「えっ、え?いやー、下がってたような気がするかなぁ?」

 

 普通、神憑きであっても適合値は日によって変動する。確かに私は変わらず999であったのだが、大体40前後は変動する良く分からない指標なので、多分小学生の時みたいにまた上振れを引いたのだろう。だからあんまり言いたくないのだ。

 はる子が疑いの目を向けて来るので「970くらいだった様な気がする」と言ったら「やっぱり999だったんだ!?」と驚かれた。何で?

 

 

 

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 沙村綾間は憮然とした表情で朝餉の味噌汁を啜っていた。

 

 

 思い返すのはやはり昨日の喋る聶獣の事ばかり。

 それに対応する適合者らしき曜引はあの様子で意地でも話さなさそうであったので、どうにか別の切り口を探していた所、後ろから何者かに声を掛けられた。

 

「よお沙村」

「……白比良だったか?おはよう」

 

 振り返ると昨日隣の席だという事で少し話していた白比良 幸甚(しらひら こうじん)が立って居た。

 何か様子がおかしい、というか、顔がおかしい。額にマジックか何かで良く分からない模様が書かれている。

 

「どうした?」

「……いや、さっき寮の廊下歩いてたら占いしてやるって言われていきなり落書きされたんだよ。坊主頭の3年だ、お前も気を付けろよ」

「は? なんだそれは……?」

「俺もまだ理解が追いついてないぜ、因みに死の宣告された」

「さ、災難だったな……なあ、この学園は変人が多すぎる。そう思わないか?」

「お前が言うのか」

「自作の暗号でしか喋らない男、それどころか一切を喋らない男、唐突に1人ミュージカルを始める男、奇声を発しながらお菓子を配る男、動物と会話をする女……」

「あー、その辺りはお前に比べたら濃いよなぁ……」

 

 白比良は遠い目をしてそう言った。

 どうやら僕と同じく昨夜の歓迎会と言う名の地獄を思い出しているのだろう。さっきからズケズケと喧嘩を売っているのかと思ったが、憔悴しているような表情を見る限り心の声が漏れただけのようだ。それはそれで失礼なのだが……。

 

 話を戻すと、男子寮は変人の上級生がそこらを練り歩いている魔境であったのだ。

 食事も出ると言うので半ば強制的に出席になった我らが1年生も中々の曲者ぞろいで、それら上級生と意気投合をし、それはそれは酷い事になっていたのだ。爽やかそうに撮られていたパンフレットで得た男子寮のイメージはもう跡形も無い焦土と化していた。

 

「まあ僕だって中等学院の頃は変人と呼ばれていたが……ここはレベルが違いすぎる、段違いだ。濃すぎて逆に君みたいな地味な男が目立つ始末……!」

「地味ってお前なぁ……いや、個性的よりかは良いか。……あぁ格好悪ぃ……マリアに会いたいぜ……」

「なんだその人物は」

 

 唐突に会話に出て来た英名に疑問を呈すると「見るか?」と嬉しそうに白比が言うので差し出された携帯の画面を見ると服を着たカラスのような鳥が映っていた。白比良、君もそっち側だったのか。

 

 

 

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 昨夜は風の強い日だった。

 

 朝早い夫を家から送り出した三鶴は、自分の支度をしてから境内に行き、そこで案の定散らばっていた桜の花びらを箒でかき集めていた所、ひょいひょいと茶色い毛玉が足元に駆け寄って来た。

 

 

「帰ったぞ~」

「廻ちゃん。お帰りなさい、どこ行ってたの?」

「ん?いや、ちょっと青島までな」

 

 その言葉を聞いた三鶴は箒を取り落とし、廻に駆け寄って身体を抱き上げた。

 急に持ち上げられた廻は驚きの声も上げずに自分の尻尾を丸めた。

 

「ちょっと……危ないじゃない……! 怪我は無かった?  五花の所について行ったのね?」

「……ビックリしたわい。ヘーキヘーキじゃよ。ワシも透明になれるもん」

「まあ」

 

 三鶴は表情を凍らせた。

 それに対し廻はしまったと彼女の手から逃れようとするも、尻尾をしっかりと掴まれていて逆さ吊りのような格好になってしまう。

 

「どうして? その力は使っちゃダメって言ったじゃない。いい?貴方がそれを使っている所を誰か悪い人が見てしまったらどうなると思う?私も有人さんも何度何度も言ったわよね??ねえ???一昨年の事、もう忘れたの?????聞いてる?ねえ廻ちゃん。私、貴方の為を思って言ってるのよ??????」

「すみませんでした」

 

「いーえ、許しません。今日はお説教です!」

 

 その言葉に廻は震えあがる。

 廻は聶獣の身でありながら、何故か「隠匿の神通力」を扱える獣であった。最も触れた他者に干渉できるほどの力は持って居なかったが、いざとなればどんな場所からも逃げる事が出来ると言う自負を持っている。

 

「五花ー!早く来てくれーっ!!」

「五花は居ません。さあお家に行くわよ」

 

 しかし、大抵の場合怒った三鶴からは逃げられないのだ。



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平和の祈り ②

「おはよー!曜引さん!」

「おはよう、小野さん」

 

 青特での生活も二日目。

 いよいよ高校の授業が始まると浮足立った空気の教室で、小野さんはそう言って私の隣の席に座ると、返す言葉にへへへっと笑った。はる子で慣れたとはいえ、元来根暗な私にとっては朝から眩しすぎる仕草である。溶けるかと思った。

 

 小野さんは昨日祖父を手伝いに行くと言って帰っていったのでその事を聞くと、どうやら彼女の祖父は大農家で、そこの畑仕事に駆り出されて半日鍬を振っていたらしい。こんな小柄な女の子に何をさせているのかと思ったが、彼女はその事を楽しそうに語っているし、「豊穣の神通力」を使う祖父の事を誇りに思って居るらしく、寧ろ自分から進んでやっているかのように感じた。

 

 

『豊穣の神通力』

 この神通力は、実は結構保持者が存在する。

 というのも、土神(くにつかみ)の神憑きは大抵この神通力を発現するらしいのだ。その名の通りこの力を使った土地はみるみるうちに肥え、植えた作物はとても病気に強くなるという物であり、農家にとってそれはそれは重要な神通力なのである。

 

 その後、昨日の約束通り寮についても話していたが、言葉の合間合間に「へぇー!」とか「そうなんだ!」とか文字に起こすと何ともわざとらしい相槌も、小野さんの声色を乗せて聞くと不思議と嫌味が無かったので、話しているこちらとしても気持ちの良いものだった。話す度にポニーテールがぴょこぴょこと揺れるのを何となく目で追っていると、「もしかして寝癖付いてた……!?」と頭を抑えて焦りだしたのでもう駄目だった。溶けた。

 

 

 

「私、通生だから友達出来ないか不安だったけど……曜引さんの隣で良かったぁ」

 

 そしてHRの始まる間際、小野さんはそう言って私にへにゃと笑いかけたのだ。

 

 

 ……いやいやいやいや。昨日は分からなかったけど、あざとすぎるわこの子。今正面、正面向いてなかったら私即死してたわ。直視してたら蒸発する所だった。あれはヤバすぎる。

 もしやわざとやっているのではないだろうか。もうそれでもいいか。

 なんて考えている内に教室に入って来た余目先生が授業に入る前に何点か連絡がありますだとか言って昨日の浮遊猫騒ぎの注意喚起とか、明日は第1回目の特別課外授業があるとか、部活勧誘会があるだとか言っていたような気がするけど、全部頭を通り抜けてしまった。

 これでは授業にも集中できなさそうだったので、私は余目先生の顔を見て気分を萎えさせることでなんとか事なきを得た。

 

 

 

 

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 その後、中学のおさらいのような授業をこなし、無事にクラスの子複数とご飯を食べ、はる子にせっつかれて部活勧誘会に行ったりした。

 

 授業中に上級生が歌いながら乱入して来たとか、そのまま数学の先生とその上級生とのラップバトルが始まったとか、中庭に居る謎の男子学生のデモ隊のせいで外廊下の窓の一つが割れたりとか色々な事が起きたが、概ね悪い事が何にもない良い日だったと思う。ただ……この学校の男子は大変そうだなぁと部活勧誘会を見て思った。強く生きて欲しい。

 

「ごばちゃん。昨日も思ったんだけど……それ、何やってるの~?」

 

 回想に浸りながら寝る前に日課のお祈りをしていると、布団から顔だけ出したはる子が話しかけて来た。

 

「……ん……お祈り」

「へぇ~、どんなお願いしてるの?」

 

 なんてことはない、ただ両手を繋いで空を拝んでいるだけなのだが、いざ聞かれると、私って何を祈ってるんだっけ?という疑問が湧いて来た。いや違う。なんというか……言葉にするのが気恥ずかしいだけであるのだが。

 

「…………世界平和?」

 

 うん、世界平和。

 何処のロックスターだよと言われそうだけど割と本気で言っている。らぶあんどぴーすである。

 私は別に神様とか目に見えない物を信じる気など無かったのだが、この世界だと普通にいそうなので一応やっているのだ。神主の娘で神憑きだからご利益があるかも知れないし。

 

 考えても見て欲しい。祟りだの神通力だのが飛び交い神の存在が身近にある不穏なこの世界。何かの拍子で一気にモヒカンが蔓延る世紀末を迎えてもおかしくないと思わないだろうか。

 少なくとも幼年期の私は思った。だから前の世界のようにならないように「平和なままでありますように」と空にお祈りするのを習慣にしていただけなのだ。

 

 ただ……最近は大分惰性でやっていたような気がする。

 

 だって仕方ない。な~んにも起きないんだもの。

 高校生まで生きて来て、そろそろ前世の年齢を追い越しそうな今世の私。今の所は廻がおかしくなった以外、無事に平穏な生活を送っているのだから。慣れという物は恐ろしい物である。まあ、今日からちゃんと身を入れて祈ろうかなぁとは思うけど。

 「はる子もやる~」等と言って自分の成績が良くなることを祈り始めたはる子を見て、私も祈りの続きに戻るのであった。

 

 

 

 

 

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 深夜。

 山風の強く吹く、街の灯りも道を形作るのみとなった港町。

 

 とある民家のインターホンが静寂に際立ち鳴った。

 続いてドアを開けようとする音を聞いて、中に居たスウェットの男は慌ててドアを開くと、そこには日中現れた黒ジャケットの男が立っていた。

 

「どうだ」

「へ、へぇ……そろそろ完成しますが、中で待ってて貰えますかね旦那」

「ふん、思ったより早いな。貴重な所縁石をやったんだ、そうでなくては困るがな」

 

 その黒ジャケットの言葉に、スウェットの男はあからさまにホッとした顔をして、ではこちらにと家の中に招き入れた。

 散々脅されていたスウェットの男は額に脂汗を垂らしながら何か飲みますかと尋ねるも、相手の男が勝手に冷蔵庫を開けて中に入っていた水を徐に飲み始めたのを見て、表情を消して作業台に戻る。

 

 

 ここ高須名町の外れには、青網引特殊業高等学校が建っている。

 非常に敷地の広いこの学校は、一般の高等教育に加え「適合者」に神力を扱う術を教える教育機関の一つだが、その実国内に産まれた適合者を集めて管理しやすくし、他国に比べ遅れ気味である「神々の所縁(リレーションズ)」の研究をする機関でもあった。

 

 当然、国家機密にもなる「神々の所縁(リレーションズ)」の研究内容は一般的に公開されていないのだが、その研究所には指導用だけでない様々な種類の「所縁石」が保管されている。

 

 そして最近。青特の一角にある研究所に所縁石の中でも特別な性質を持つ「3番金鉱石」が運び込まれたという情報が流れて来た。

 

 そこで彼らは以前緑島でやったように「浮遊の祟り」で騒動を起こし、その最中に所縁石を奪う計画を立てていたのだ。しかし以前のように上手く祟りが起きない。ジャケットの男に命じられ彼がこの地を検証した結果、どういう訳か現在の青島は祟りが非常に起こりにくい性質の土地に変わっている事が判明した。

 例えるならば、火を起こそうにも薪が水を吸って湿気っている。あるいは、部屋に水蒸気が充満しているような状態。この報告を受けた黒ジャケットは渋い顔をしていた。

 

 スウェットの男には良く分からなかったが、彼等はどうやら焦っているらしく、あれから計画は直ぐに修正され、メンバーの「神通力」を用いての奪取計画に変更されたらしい。

 

 

 

「それが適性値の上がる縁門(アーチ)か?」

 

 集中している所に、後ろから声が掛かる。

 心情的には無視したかったが、スウェットの男は努めて明るく応対することにした。

 

「へぇそうです! 中はもう調整したので、後はガワを仕上げるだけ────ちょっと!?」

 

 説明している途中で、いつの間にか近づいていたジャケットの男は彼の手元から円環の形をした機械を掠め取り、興味なさげにそれを懐に収める。

 

「良いんだよ、どうせ使い捨てだ。一度使えればいい」

「そ、そりゃあ……それなら……良いですが……」

 

 奪われて痛めた自分の手を揉みながら、彼が下を向いてそう言うと、男は鼻を鳴らし。

 

「問題なければ報酬は振り込んでおく。また頼むぜ」

 

 そう言い残して家から出ていった。

 ドアの閉まる音を聞いて、暫く経った後、微動だにしなかった家主のスウェットの男は顔を下に向けたまま震えだす。

 

 

 

「……ひ、ひひひ……バカ、馬鹿が……俺を舐めやがって。お、俺を、俺を舐めやがってよぉ……ひひひひひひっ……!」

「この俺に『祟りの正体』なんて教えたのが運の尽きだったなぁ……?ひひひっ……へへへへへへっ…………!! 嬉しいだろうなああアイツっ! 「自分自身が祟りそのものになっちまう」んだから……っ! これで派手にやらかしたアイツ等は全員死ぬか、良くて豚箱……っ! ひひひっ終わりだ……終わりだよ全員!! 報酬ぅ? 金なんかいらねーよ!!! バァァァァァァカ!!! くふふひひひひっひひひっ!! ひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        「みつけた」                                                        「みつけた」    「わるいひと」          「わるいこと」  「みつけた」 「いつおこる?」「いつかかる?」「いつとどく?」             「みつけた」             「みつけた」




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平和の祈り ③

 寮生活三日目の朝。

 

 窓から覗く木々が揺れているのをボーっと見ながら手元の焼き団子を箸で掴み、あむとかぶりつく。

 肉の油で両面きつね色に焼かれた小判状の団子は、ジューシーさとモチモチ感を同時に味わう事の出来る素晴らしい食べ物だ。ただ米と一緒に出されているのだけは納得いかないが。

 

 そんな感じで脳内でレビューをしながら朝からのご馳走を楽しんでいると遅れていたはる子が食堂にやって来てカウンターの方に小走りで向かっていく。

 決して起こさなかった訳じゃない。彼女が布団にへばりついて起きなかったのだ。と自分自身に言い訳をしつつ味噌汁の具を掬っていると隣にそのはる子が座って来た。そうして彼女はおはよー、とか今日は課外授業だねーとか言いながら、ウトウトしながら箸を持って食事をやっつけ始めた。

 

 そう、第一回特別課外授業。

 詳細は良く分からないが、入学して間もない青特の一年生には、毎年この行事が待っているらしい。 

 寮の先輩方は示し合わせたかのように「行ってのお楽しみ」としか答えないし、とにかく朝のHRの時間に教室に居ろという話だったので昨日とやる事は変わらない。私はお茶を啜りながら隣の食事が終わるまでゆったりとする事にしたのだった。

 

 

 

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 教室の前に着くと、まず、教壇に妙にカラフルな抽選箱が置いてあるのが目についた。

 ざわざわしている室内に潜り込むと、黒板には「1人1枚引いてまえ」と言う文字が大きく黒板に書かれていた。引いてまえ?

 

 どうやら先に着いていたクラスメイト達は既にくじを引いていて、紙の中身を見て色々話しているようであったので、私も箱に近づいて、中から一枚紙を拾い上げた。

 

 「4」

 

 うん、よく分からない。

 

「曜引さん、おは~」

「おはよう!」

 

 席に戻って紙を眺めていると、背後から声を掛けられたので振り返る。どうやら小野さんと金髪のピアスを付けた女生徒────確か安納さん。の声だったらしい。

 

「おはよう……これ、何?グループ分けでもするの?」

「いやぁアタシ等もわかんね。十分前? くらいに教室にアマセンが来て「先に引いとけ」ってあの箱置いていったんだよね」

「曜引さんは何番だった?」

 

「4」

「っし」

「やった!」

「え、何々。明らかに「わかんね」って反応じゃないじゃん。それ」

 

 喜色満面の二人にそう聞くと、どうやら先に来たクラスメイト内で番号の大きさを競っていたらしく。私より番号の高かった二人は見事私に勝利したのだという。

 負けちゃったよ。意味分からん。

 

 因みに小野さんが5で安納さんが7だった。接戦だった。というか、自分がボコボコにやられたからって勝てる人間を探していたな? この人達。

 その後、小野さん達と紙の奪い合いをしたり男子共の死闘を眺めていると余目先生が手を2回叩いて教室に現れた。

 

「はいじゃあ斎藤と加満田はこれ配ってー」

「うーす」

「はいなー」

 

 余目先生は蜘蛛の子を散らして逃げるように席に戻り始めた私達の中から近くに居た生徒を2人捕まえてプリントの束を渡し、「なんだこれ」と言いながら黒板の文字を消し始めた。やっぱり誰かの悪ふざけだったらしい。

 

 

 

mw mwm

 

 

 

 余目先生が持ってきたプリントを見ると、やはりと言うべきか、そこには各番号のグループ割当が書かれていた。僕は自分の15と書かれている紙をちらりと確認してそこに向かうと、曜引五花(ひびきごばな)がそこに居た。そうして曜引は僕を見ると「うわ」の一言。

 

「おい、人の顔を見て何度も「うわ」と言うのは止めたまえ」

「えー?私そんな事いってませんけど」

 

 何だコイツ。

 呆れて返す言葉も無いので僕が黙っているとそのままにらみ合いの格好になった。いや、何しているんだ僕は。

 

 気を取り直してツンツンとしている曜引にどうすれば教えてくれるか聞いてみたがやはり取り付く島もない。グループ毎に集まった後は校庭に集合しろという余目先生の言葉に、仕方なく僕達Dグループもノロノロと教室を出ていった。

 

 しかしあからさまに塩対応である。これはもう正攻法では無理だなと考えていると、校庭に向かう途中の茂みが揺れて、そこから尾袋鼬が顔を出した。

 同じグループの男子がイタチじゃん!とかテンションを上げたり、女子が可愛い~!とか言っている最中、曜引の方を見てみると完全に静止していた。騒ぎに驚いた獣が逃げ出して、再びグループが歩きだしても立ち尽くしている。

 女子の一人が「曜引さんどうしたん?」と聞きながら肩を揺すっても反応もなく獣が逃げ去った一点を見つめているもんだから少し面白くなって。

 

「おや、あの模様。この間の尾袋鼬じゃないか!?」

 

 と適当に言ったら体が跳ね上がっていた。

 

「ちちち違うしー!? あれは赤島の尾袋鼬じゃないもん! そ、そうだ、背中に白い模様が見えたしきっとこの島の尾袋鼬だもん! 私は詳しいんだ!」

「だもんて」

「随分勉強したな……まるでイタチ博士だ」

「曜引さんどうしたの?」

「沙村、これなに?」

「知らん」

 

 そう、知らん。

 だって教えてくれないのだから。

 

 

 

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 沙村アイツ許さない。

 からかわれた事に気づいた私がそう誓ってから数分後、グループ毎校庭に並んだ私達の前には各クラスの担任の教師が立っていた。1組の担任である余目先生以外を見るのはなにげに初めてかもしれない。

 そんな事を考えていると、前の方から大きめの箱が回ってきた。両手で受け取って中を見ると、そこにはベルトに付いた縁門(アーチ)が詰まっている。

 

 それぞれ身に付けるようにと言われたのでそのとおり制服の上からお腹に巻くと、そこから見慣れた赤いイソギンチャクがぽっこりと現れた。ので、すぐに引っ込める。

 

 ……あんまり人目のつく所でこれ付けたくないんだよなぁ。

 なんせ不吉な赤色である。同世代の子は大抵気にしないので学校でやるのは少し抵抗感があるくらいだけど、お年寄りとか信仰深い人がこの海産物を見るとあからさまに距離を取ってくる。ついさっきまで楽しく話していたおばあちゃんが急に手のひらを返してくるのだ。そう、心に大ダメージである。だから自分から縁門を付ける事は無かったし、付けた時と言えば神力について四葉さんから色々教わっていた時期ぐらい。ましてこれを最大限出してみるのはやったことがない。

 まあ、普通の人も日常生活で縁門とか使わないので、あんまり不自由はしていないのが幸いか。

 

 さて、全員がこれを付け終わった所で前の方から説明が始まった。

 

『はーい、皆さんおはようございます! 私、1-3の梧桐(ごどう)です! はじめましての人ははじめまして。そうでない方はごきげんよう』

 

 どこかの配信者のような切り出しでメガホンを持った梧桐先生の話は続く。

 

『これから地下演習所に向かいます! あなた達はAからFのグループに分けられていますが、演習場も丁度AからFまであります! 同じ記号の演習所に集合してくださいね! えーっと、演習所は先生の左の方にある森を抜けた所! 

 

あー、そう! あそこにチラリと見える研究所の手前ですね!』

 

 

 

 



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平和の祈り ④

 辺りは曇天。しかし夜の闇はすっかり灰色の中に消え、木々のざわめきと共に朝の潮風がほのかに香るここは青網引特殊業高等学校────通称「青特」の敷地内。

 研究室と隣接するように存在する神力使用の為の地下演習場。そこに沢山の生徒が入って行くのを見た女は眉を潜めた。

 

「何かあんの? 今日」

「ちょっと待って下さいよ……あった。特別課外授業?ですって」

「うげっ、あれか」

 

 懐にあった何かの紙を広げそう言った童顔の男に対し、女は望遠鏡から目を離さずうんざりした声を上げ、背後に居る黒いジャケットの男を片方の手で小突いた。

 

鍵屋(かぎや)ぁ……偵察するにも今日じゃなくても良かったじゃねーか」

「そうも言ってられん、今夜を逃せば「3番金鉱石」は中央に戻ってしまうからな」

「ん? ……あー、そういう事か」

美登利(みどり)さん、聞いてなかったんですか?」

「聞いてねーよ……あーもう、どうしてこんな行き当たりばったりになったのかねぇ」

 

 美登利と呼ばれた女は望遠鏡から目を離し、クルクルと手元で回し始めた。

 

「おい、下に落として気付かれたらどうする。殺すぞ」

「あ? 殺してみろよハゲ」

「あーあ、2人とも落ち着いてくださいよぉ」

 

 そうして流れるように睨み合いを始めた鍵屋と呼ばれた男と美登利と呼ばれた女の2人に対し、うんざりとした声でそう言った童顔の男は本当に何故こうなったのか。と暗雲立ち込める灰色の空を見た。

 鍵屋が担当していた現地協力者のいかにも胡散臭い小男が言った「今の青島には、どういう訳か祟りを起こし辛い土壌が出来ている」という想定外の話に、折角練っていたプランの殆どが水泡に帰してしまったのだ。

 初めに聞いた時は何を馬鹿な事を、と思ったが。

 

 童顔の男は手元の適性値を上げると言う基盤が剥き出しの縁門(アーチ)を見た。拠点で一度試してみたが、これが中々具合が良く、800に届かない程度の数値しか無い自分が神通力の制御を完璧に行うことが出来ていた、これほどの腕がある人間の言う事ならば、悔しいが確かに説得力がある。

 

 

 三人は所縁石「3番金鉱石」を手に入れる為、夜に忍び込む算段を実際に現地を見ながら話し合っていた。

 

 この所縁石は、伝承で「原初の神に対応する」と言われている「3番金鉱石」の中でも、特にその色が淡く、そして透き通りさえしている光そのもののような性質を持っている宝石であるらしく、もし対応する所有者が現れた時、その者に如何なる神通力をも跳ね除ける加護と絶大な程の神通力の強度を与えるのだという。

 これを手に入れる事の出来る可能性は今夜しかない。童顔の男は気を引き締めた。

 

 青特の研究所は他の特殊業学校に比べ築年数があり、その為セキュリティにもいくつかの穴があった。だからやりようは幾らでもあるように見え、三人はそう掛からない内に侵入経路を導き出した。

 そして打合せも大詰めになったその時、不意に鍵屋が後方を向いた。

 

「……ん?」

「どうしましたか?」

「いや……そこに何か居たような気がしたんだが……」

 

 鍵屋の目線を追いかけてみると、そこには貯水タンクの物陰。 

 

「やめて下さいよ。目撃者とか洒落になりませんって」

木田(きた)、お前ちょっと見て来いよ」

 

 そう美登利が言い、鍵屋は黙ったまま。

 木田と呼ばれた童顔の男は、2人からの圧を感じながら仕方なくそこに向かうが、幸い物陰には何も居なかった。一応縁門(アーチ)を開いて神通力を使ってみても、何の存在も感じない。

 

 木田の神通力は「洞見(どうけん)の神通力」と呼ばれるものだった。

 

 これは「周囲の人間が何処に居て何をしているか感知・把握し、また直接見ればその本質をも見抜く事が出来る」という能力であり、世界に数人しか居ないとも言われる珍しい神通力であった。最も、自分のようにデータベース上に記載の無い保有者の事を考えなければ、だが。

 

「居ませんよ、勘違いじゃないですか?」

 

 木田がそう言いながら戻ると、2人は黙りこくっている彼の顔を見て後ずさった。

 

 なんだ? 

 どうも様子がおかしい。嫌な予感がする。そう思いながらも状況が読めない。

 

「何ですか、僕は今神通力を使っているんだ。後ろに何も居ないなんて分かりますよ。揶揄うにももっと────」

「い、いや……お前、顔、デコ、あ、頭にも」

 

 木田は怪訝な顔で自分の顔を触り、そこでようやく異常に気が付いた。

 

「はぁ…………?……あぁッ!?」

 

 額に、頭に腫瘍が出来ていた。

 

 続いて視界の隅に映った自分の神力が赤くなっているのを見て、それで何が起こったのか理解した。その合間にもそれら腫瘍はどんどん膨らみ増え続け、彼の体からあらゆるものを吸い起こし意識が遠のきそうな鈍い痛みを彼に与え続ける。その最中、辛うじて働く彼の脳は直ぐにその理由を導き出す。

 

「やられた……ッ! あのジジイッ! やりやがった!! ぁぁあの技術を流用しヤがったんダぁッ!! よりによって僕の「洞見」を……!! は、早く二人共僕かア────」

 

 そう言って絞られていき瞼すら閉じられなくなった自身の視界から二人が辛うじて見えた。見えてしまった。

 間もなくその二人も短い悲鳴と共に、同じく体中から泡ぶく腫瘍に呑まれ始めた。

 

 

 祟りは広がる。

 周りにあるもの、見たもの、障るもの。

 

 元々の性質によって条件は様々あるが、共通する事がもう一つ。

 

 それは波紋が揺れる水面のように。

 それは粉塵が巻き上がる空間のように。

 

 その時が来るまで連鎖は続き、終わらない。

 

 

wmwm mwmwmwm mwmwm w

m m m m m m m m m m m m m m m

w w w w w w w w w w w w w w w

 

 

 

 あの後校庭で他クラスと合流し、我らがDグループは24人となって演習場に向かった。

 と言っても、演習場同士はFを除き近くに固まっていて実質学年でゾロゾロと移動していたのだが……。とにかくその場所についた時、各所から聞こえてきた雑談は自然と減っていき、最後には沈黙が辺りを支配するばかりになった。

 

 だって、パンフレットで見たものとあまりに違う印象を受けたのだから。

 

 特筆すべきはそのスケール感。

 その建物……いや、遺跡のような大きな石壁は、こちらへ進むにつれてどんどん背の高くなっていた木々のそれより遥かに高く、上が見えない。

 そしてその石壁の近くから更に下るとなんとも重厚感のある鉄扉が5つ並んでいるのだ。

 因みにこの裏のゆるい崖の上に研究所があるのだという話だが、ここからだと全く見えない。

 

 それにしてもまさか傍から平面的に見えていた森が、その実すり鉢状の地形をしているとは思わなかった。後に先生に話を聞いた所、中央に行けば行くほど日の当たらなくなっていく地形の関係上、木々が日を浴びようと遥か長い時間を掛けて伸びていった結果こうなったのだという。

 水は何処に流れていっているのか気になったのだが、石壁の周囲には地下空洞があり、そこを介して海に流れているらしい。中々知的好奇心を刺激される場所なので、今度また来てみようと思う。

 

 その後「D」と書かれた大きな鉄扉の前に行き、どうやって入るのか辺りを見てみると物陰に普通の扉があり、なんとも微妙な気分になった。

 先んじて中に入ってみると、石壁に照明設備がしっかりあるのか思ったよりもそこは明るく、しかし洞窟のようなひんやりとした空気が停滞している普通の体育館ほどの大きさの空間だった。

 

「ちょっと失礼しますよー」

 

 その声がした方を見ると、校庭で最後に話していた梧桐先生が何やら重そうな大きな箱を持ってひょっこりと現れた。それを見た1-3の面々は「あゆみ先生手伝いますよ!」「うおおお」などと続々駆け寄っていき、最終的に7人で1つの箱を持つ格好になっていた。絶対逆に運びづらいだろう、それ。

 

 




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平和の祈り ⑤

 青特の教諭である梧桐 亜弓(ごどう あゆみ)は持ってきた大きな箱から名簿の載っているバインダーを取り出すと、簡単な点呼を始め、生徒等が全員揃っている事を確認した後本題に入った。

 

「この箱には、様々な種類の所縁石(ゆかりいし)が入っています」

 

 この切り出しに、梧桐は最前列の生徒の息を呑む音を聞いた。他の生徒も真剣な顔で箱の方を見入っており、ここ演習場D室は緊張感に包まれた。

 

 この国において「所縁石」という物は、危険物に定義される。

 

 縁門(アーチ)が適合者であれば誰でも神力を安全に出力・制御することの出来る装備であるのに対し、この石は単純に「使用者の神力の出力」を上げる。それだけの目的で昔から使われてきた。そんなものを────神憑きは兎も角として、平凡な適性値の人間が扱えばどうなるか。勿論、神力の暴走が待っている。

 

 祟りにまで発展することこそあり得ないが、制御の出来ない神通力がいきなり発現する可能性があり、怪我を負ってもおかしくないのだ。

 生徒たちは概ねこれから行う事を察していた。

 

「皆さん縁門(アーチ)を開いて下さい。これは怪我の防止です。絶対に、閉めることの無いように」

 

 先程の優しげな雰囲気から打って変わり、硬い表情で指示を飛ばした梧桐に対し、Dグループの生徒たちは無言で各々身につけていた縁門を開いていく。その最中1-3の生徒の1人に向けて彼女は口を開いた。

 

「貝崎さん。縁門(アーチ)から神力を出しているとどのようなメリットがあるか、わかりますか?」

「は、はい。えーっと、神力の暴走を抑えられる……ですか?」

「……違います。私は縁門(アーチ)から「神力を出していると」と言っています。そもそも暴走は縁門(アーチ)を開いていなければ起こり得ないことです。勿論縁門(アーチ)は神力の制御の為にある物なのですが……すみません、そうですね「神力を排出している間、使用者にはどのようなメリットが産まれるのか」という質問に変えましょう。他に誰か────」

 

 そう言いながら梧桐が生徒を指名しようとする前に、端の方に立っていた男子生徒の1人が手を挙げた。確か1-1の生徒の筈だ。彼女はその生徒に発言を促した。

 

「1-1の沙村です。まず、神力というエネルギーを排出する行為によるメリットは全部で3つあると愚考します。

 

 1つ目は「他者の神力に対する耐性の獲得」。

 2つ目は「非常に微弱な身体能力の向上」。

 そして3つ目は────神憑きやそれに準じる適性値が必要になりますが、「神通力の行使が可能になる」です」

 

 沙村の説明に、梧桐は大きく頷く。

 

「よく勉強していますね、その通りです。特に先程沙村さんの言った1つ目の「他者の神力に対する耐性の獲得」。これがなければ今日の検査によって起こる誰かの神力の暴走で最悪死に至る事もあると理解して下さい。先程の質問はこれから座学で習うことなので知らない人が多いのも当然仕方ありませんが、これだけは理解して、決して縁門(アーチ)を閉めないで下さい。……前フリではありませんよ? 絶対! 開けたままにしてくださいね! ……くどいようですが皆さんの安全に関わることですので念のため言わせて頂きました。その上で────」

 

 梧桐は自身の左腕についていた縁門(アーチ)を開き、緑色の神力を滾らせた。

 

「所縁石の適性を調べる検査を始めます」

 

 

 

wmwmwm

w mwm mwmwm mwm

mwm mwm

 

 

 

「曜引。曜引五花さん。こちらに来て下さい」

「あ、はい」

 

 検査のトップバッターは私だった。

 なんか雰囲気出るなー、なんて呑気に考えていたから唐突に名前を呼ばれて軽く肩が震えてしまった。お陰で隣りにいる沙村が怪訝そうな目で見てきた。何見てんだコラ。というか何で隣に居るの? なんて言う雰囲気でも無いので、私は梧桐先生の隣りにある大きな箱の前に普通に向かった。

 

 お腹に付いている縁門(アーチ)がちゃんと「少しだけ」開いている事を確認してから背中に回し、先生に促されるままに箱の中身を覗く。

 

 中には、丁度貴金属のお高い指輪のように、等間隔で収められた様々な色の所縁石があった。実際問題、そこらの貴金属より遥かにお高いのが所縁石である。それらの下には番号が書かれた金属製のプレートがあり、無くしてもすぐに分かるようになっているし、ここまですれば持ち去る気の起こす生徒も居ないだろう。

 それにしても綺麗だなーと思っていると、梧桐先生が「ちょっと待ってください」とその箱に手を入れ、その上部だけを持ち上げて隣に置いていった。なんだかお弁当のようである。

 

「では1番から順番に手にとってみて下さい」

 

 そう言われたので、言われた通り一つずつ取り出してにぎにぎしてみる。と、あんまり握るのは止めてくださいと注意されてしまった。手に乗せるだけで十分らしい。最初に言って欲しかったよ。

 そうして何十個目かの所縁石を取り出した所で、ようやく私のぷっくりと出している神力が一際強い光を発し始めた。……私としては正直、やっぱりこれか。という感想しか出てこなかった。

 

別羽山珊瑚(べつわやまさんご)

 黄島の山奥で産出される濁った赤い石である。

 

 聶獣は対応する神の「所縁石」に素質がある人間を好む傾向がある。

 尾袋鼬(おぶくろいたち)がやたら絡んでくる私に対応する所縁石など、最初からこれに決まっているのだった。それを見た梧桐先生が手に持ったバインダーに何かを書き込むと、もう大丈夫ですと言われたので他の生徒のもとに戻ることにした。

 

 

 

mw m

 

 

 

 

 我らDグループの面々は、演習室の壁際に座りながら順番に呼ばれ検査をしている生徒を見ながら順番を待っていた。正直そんなに危険な検査なら屋外で待たせたほうが良いんじゃないかと最初思ったが、恐らく防犯上の観点から僕等が出入りしないよう同じ部屋に置いて居るのだろう。それだけ所縁石は貴重な物であるし、こうやって屋内でやっているのも、万が一にも誰かが「燻み真珠」「3番金鉱石」等の特殊な所縁石に対応していた時、その事実が広まらないようにしているのかもしれない。

 

 何が不味いって、最悪拉致される。

 例えば今言った「3番金鉱石」など最たるもので、対応する適合者が持っていたら、その人間は凡そ100人分くらいの神力の出力が可能になるし、何故だか制御力も上がるらしいので、持っている間はただの適性値の低い適合者であっても神通力を使えるようになってしまうのだ。扱いの未熟なうちに捕まえて教育してしまえば戦略兵器の完成である。

 

 そんな事を自身の足に付いた緑色の光を見ながら考えていると、検査を終えた曜引がこちらに歩いてきた。

 

「曜引さん、何の所縁石だったー?」

「なんか赤い石だったよ」

「へぇ、イメージぴったりかも」

「神力も赤いしね、揃えてる訳だ」

 

 いや、揃えてるわけじゃ無いと思うが、と。僕は呆れつつ、クラスメイトと話している曜引の背から溢れる赤い光を盗み見する。

 

 赤い神力。

 

 かなり珍しい代物である。

 赤色の神力を持つ人間は大抵小学生の検査の時点で悪いものだからとお祓いに連れて行かれ、その後縁門を付ける機会がなくなるからだ。祓われていないのは……普通に考えて彼女が「神憑き」だからなのだろう。

 そして、凶兆を知らせる赤色を隠すように曜引はそそくさと壁にもたれた。

 

 赤い神力は昔から「祟り」の前兆の1つとして嫌われている。現代では激減し、なりを潜めている特殊自然災害であるが、当時を覚えている高齢者などからは特に恐れられ嫌悪されているのだ。

 先程名前を呼ばれた時彼女はボサッとしているように見えたが、その実過去に何かあり、自分の神力を晒しているこの状況にかなりのストレスを感じ放心していたのかもしれない。もしそうだとして、こういう時に何かを聞こうとしたら本当に口をきいてくれなくなりそうなので、うん。触らないでおこう。

 

 そう思った所で、僕の番になった。

 

 

 

「では1番から順番に手にとってみて下さい」

 

 ずらりと並んだ箱の中には絶景が広がっていた。

 どれも図鑑で見たことしかない希少な所縁石が目の前にズラリと並んでいるのだ。これに興奮しない人間など存在するのだろうか? 石の名前は番号でしか書かれていないが、僕には分かる。あれは「2番鉄鉱石」で、これが「黒曜硝子」。お、あれは間違いなく「燻み真珠」だ! いやぁ、あるとは思っていたがまさか────

 

「沙村くん?」

「……や、失礼」

 

 先生の一言で思考が霧散した僕は我に返り、思わず咳払いをして、箱の中に手を伸ばす。

 そうして事務的に手を動かしていったのだが、なんだか雲行きが怪しくなって来た。そういうのも既に8割ほどの所縁石を調べたのに、今の所自分の神力に反応が無いのだ。

 

 一つ一つ取り出しては戻していく。その手の動作が無意識に早くなっていく。

 まさか、と思った。だがしかし、自分の神力はそれでも反応せずに、石を戻す。

 

 そうしてようやく最後の石を取り出した時、足に付いている緑の光が強く光りだした。顔を上げるとぽかんと口を開ける梧桐先生と目があって、暫し見つめ合った。

 

 手に持っていた石の名称は「3番金鉱石」。

 まさしくそれだったのだ。

 

「と、とりあえず……箱に戻して下さい」

「あ、ああ……」

 

 我に返った先生が顔を反らしてそう言ったので、僕は生返事をして石を見つめる。

 そんな時、妙な声が聞こえた。

 

『こわい』

「……?」

 

 女の声だ、それも聞き覚えのある……。

 それが誰の声なのか考えながら辺りを見回す……までもなくそこに居て。

 

『わるいこと』

『へいわ』

『こわい』

『こわい』

『わるいこと』

 

 思わず思考が止まった。

 

「ぅ……あっ!?」

「沙村さん?」

 

 尾袋鼬だ。それも────何匹……いや、数えるのも億劫になるほどの。

 この部屋「演習場D室」の隅の至る所に、彼らが。まるで最初からそこに居たかのように。

 

『ゆるさない』

『へいわで』

『わるいこと』

『わるいこと』

『わるいひと』

『わるいこと』

『わるいこと』

『もういやだ』

『へいわでありますように』

 

 梧桐先生が僕から石を取り上げようとする。

 しかし反射的にそれを避けてしまった僕は、尚も辺りを見回す。何が起こっているのか理解できなかったが、それは間違いなく神々の所縁(リレーションズ)の神秘を知るために必要な事だと思ったから。

 

 そして────

 

 

 

『わるいこと』『こわい』『こわい』『ゆるさない』『こわい』『わるいこと』『あしためんどい』『こわい』『わるいこと』『こわい』『おやしょくたべたい』『きっとへいわでありますように』『ゆるさない』『へいわ』『ゆるさない』『ゆるさない』『きっとへいわでありますように』『しね』『みんなしんじゃえ』『ゆるさない』『ゆるさない』『しね』『ゆるさない』『ゆるさない』『おやしょくたべたい』『あしたもきっとへいわでありますように』『こわいよ』『もういやだ』『あしたもへいわでありますように』

 

『あしたもきっとへいわでありますように』

 

『あしたもきっとへいわでありますように』

 

『あしたもきっとへいわでありますように』

 

 

 ────彼らは誰かの祈りを反響させているだけなのだと、そう朧気ながら理解したその時。

 凄まじい轟音の中、外から何か大きいものが入り込んで来た。

 

 



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耳を掩いて鐘を盗む

 

 木田 各理(きだ かくり)が「適合者」だと判明したのは、大学を卒業してすぐ後の事だった。

 

 泥酔した元同級生との悪ふざけで町中を歩いていた「緑特」の女生徒をナンパし連れていた際に、偶然にも彼女の持っていた縁門(アーチ)を何気なく手にとった所、その輪から僅かに緑色の光が溢れ始めたのだ。

 

 それを見た木田は酔いが一気に醒め、手持ちの薄い財布から札を女生徒に幾つか渡し、そして、脇目も振らずに家に帰った。

 

 子供の頃に憧れた「人々を助け、巨悪や祟りに立ち向かう神通力使い(ヒーロー)」になれるかもしれないと、これまで生きてきてずっと隠して、壊れないように持っていたハズの大切な夢が。彼の根源であるハズだった物が、失われずに目の前にあったのだ。

 

 だから、もう一度手を伸ばしてみたくなった。

 それだけだった。

 

 

 木田は天涯孤独の身だった。

 

 それでも彼の生活は貧しくはなかった。ただ、仕事を辞め、専門学校に通えるほど裕福とも言えなかったのだ。

 それで「一か八か、検査だけでも受けて、そこでもし、もしも自分の適性値が800以上であったのなら、そうしたら、借金でもなんでもして絶対に夢を掴んでやる」と。そう決心した。

 

 しかし実際の所、小学生での検査で適性が無かった人間が「神通力」を使える程の適性を持っている事例は希少も希少だった。

 

 だから彼は、心の何処かで「これっきり」と。

 自分の中で折り合いを付け、夢を抱いていたという、その気持ちを思い出として大事に。胸を張ってこれからを生きていくつもりだったのだ。

 

 

 そして、来たる検査の結果は「786」。

 

 これがいけなかった。

 

 神通力が使えるかもしれない。

 だけど、使えないかもしれない。

 

 もしも、ここで迷わずに。

 すっぱりと諦めていれば。または、恐れず飛び込んでいれば。彼の人生は全く別の物になっていたのだろう。

 

 

 

 

wmw wmwmwmwmwmwmm...wmwmwmmwm

w mwmwmwm....mwmwmwmm ww

mwmwmmwmm.........mwmwmmwmm

 

 

 

「きゃあーーーッ!!!」

 

 目の前に居る誰かの鋭い悲鳴が聞こえる。

 見える、けれど自分が何をしているのか、ここが何処なのか。それすら分からなかった。

 

 立ち止まっていると、息ができないほど苦しかった。

 1人になろうとすると、体がバラバラになりそうだった。

 

 だから、誰でも良い。

 彼はひたすら「人間の居る方へ」歩いていた。

 

 他の2人は、何処に行ったか分からない。

 そもそも、その2人とは何の事だったのかも、よく分からない。

 

 そんな朧気な状態だったけど。

 幸いにも、人のいる場所に迷うことは無かった。だって視界だけは透き通るように晴れ晴れとしていて、本当に調子が良かったのだ。

 

 それこそ、心の声まで見えてしまう程に。

 

『化け物』

『ふざけるな』

『気持ち悪い』

 

 彼は思わず立ち尽くした。だが、苦しくなってすぐに再び動き出した。

 嫌でも動かなければ、苦しくて苦しくて死んでしまう気がしたから。

 

『嫌だ』

『化け物』

 

 同族が増えていく。

 自身を視てしまった子供達が、自分と同じようにこの地獄に堕ちてしまった人間が増えていく。

 

『痛い』

『苦しい』

『嫌だ』

『助けて』

 

 叫びたかった。だけど、彼の口はもう既に無かった。

 耳を塞ぎたかった。だけど、彼に寄り添う耳朶は空虚な孔になっていた。

 

 違う。違う。

 なりたかったのは、こんなのじゃない。こんなのじゃないんだ。

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 助けて。

 

 助けて。助けて。誰か、誰か殺して。

 

 殺して、殺して、殺してくれ。

 

 彼は最早本能で次の人間を求め、近くの部屋に突っ込んだ。

 

 その刹那────。

 

 

 

 

 

 

『うわっなにこれ』

 

 ────何かに踏み潰されて死んだかのような錯覚に陥った。

 

 しかし、生きている。その事実に恐怖した。彼は心から恐怖したのだ。

 まるで自分が酷くちっぽけな虫以下の何かだったかのような気がして、そうして目の前の気の遠くなるような大きさで有ることしか分からない正体不明の"ソレ"が、自分を認識するまでも無く足を上げて、そして自分の頭上に向かって来るような。

 

 今までの痛みなど消え去った。苦悩など、全て吹っ飛んだ。

 彼は生き残るため本能で踵を返し、訳も分からずその場から全力で逃げ出した。

 

 

 

 

mwmmw wm

 

 

 

「皆さん、目を塞いでッ!!!」

 

 沈黙の走る「演習場D室」で、いち早く立ち直ったのはやはりというか教員である梧桐だった。

 それに対し僕は呆然としていた。だって「視て」しまったのだから。

 

 先程の腫瘍の塊のような大型の異形は、間違いなく「祟り」に遭った人間の末路のそれだった。

 「祟り」は感染る。しかし、どのように感染るのかはパターンがあった。

 

 近くに居るだけで感染する場合。

 視覚から感染する場合。

 空気から感染する場合。

 接触して感染する場合。

 

 

 1番上が最も質の悪いパターンで、今回は一つ下の2番めに質の悪いパターンだ。どのように見分けたのか? 簡単だ。今回のアレには「目が沢山くっついていた」。

 

 僕は素早く自分の身体をくまなく確認する。そして、腫瘍のような物はまだ見られなかった。そうして、一先ずは大丈夫そうだ。と一息つく。

 

 余裕ができたので周りを見てみても、それらしい症状の出始めた人間は居ない。

 どうやら、縁門(アーチ)を開いていればどうにかなる代物だったらしい。……しかし、そうなると。今のは────。

 

「痛っ」

 

 思考している最中、不意に尾袋鼬の一匹が僕の足に噛み付いた。なんだこの獣は。というか先程の事態がショッキングすぎて獣達の存在を忘れていた。それに怒っているのだろうか。なんて場にそぐわない思考をしてしまい、自然と苦笑いが出た。

 

「あれ、沙村君は大丈夫だったんだ」

 

 その声に獣を見ていた顔を上げると、そこには曜引が居た……ん? 曜引? ……曜引、だよな?

 いや、今の発言も気になるが、それよりも。

 

「なななんだその状態は、どうなっている」

「え? 何が? 失礼な奴」

 

 失礼にもなるってもんだ!

 なぜならだって、曜引の全身に無数の尾袋鼬が蠢いている!

 

 

「沙村君は祟り大丈夫そうだし、ここで皆と一緒に居てあげてよ」

 

 …………文字にしてみても、意味がわからないな。……うん、なんというか。その……。頭の上に、肩の上に、腕の周りに、胴の周りに、足の周りに。それぞれ複数の尾袋鼬がしがみつき、互いをすり抜けるようにして存在していたのだ。

 

「私はちょっと外見てくるから……いや何?」

 

 そう、そうだ。例えるのならば、3Dゲームか何かでキャラクター同士が重なって変な化け物に見えるかのような、そんな状態になっている。

 正直言って、見れば見るほど正気で居られなくなるような造形だ。さっきの異形よりも恐ろしい。

 

「それ、大丈夫なのか?」

「ぇえ……? ああ、神力の事?」

 

 そうではないのだが荒ぶっている獣が怖くて言及できない。 

 

「大丈夫大丈夫。私「神憑き」だから。まっかせときなさいよ」

 

 別のナニカが憑いていそうだ。いや、憑いている。

 そう言葉にする前に、フルアーマー曜引は忽然とその場から姿を消した。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 突拍子の無い「祟り」の出現。

 意味不明な光景。

 突然消える人間。

 

 ────ああ、そうだったのか。

 全て繋がった。ようやく何が起きているのか理解した。

 

 全く、どこからだ? はぁ……。

 早くこんなくだらない夢から醒めなければ。 はぁ……。そもそも「3番金鉱石」が僕の所縁石な訳が無いのに。全く。ぬか喜びさせるなよ……。

 

 

 




お気に入り、評価、感想ありがとうございます
励みになります。

また、多くの誤字脱字報告もありがとうございます。
息を吸うように誤字脱字誤用をするので助かります……。

作者はこのハーメルン・ショウセツで誤字と脱字をアホ程こさえとったんや。
その数……20箇所。


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洞見の祟り

 曜引五花は、目の前の異形を目にした瞬間、すぐさま頭のスイッチを切り替えた。

 

 そうして躊躇なく神通力で自身を隠し、同じ部屋に居る生徒を周ってそれぞれに寄生した祟りをすぐさま掻き消していく。

 逃げていく異形を処理するのを後回しにし、生存者を如何に増やすかを最短距離で、効率的に。

 

 自分の脳を超集中状態────所謂「ゾーン」に意識的に切り替えるそれは、前世の自分が積み重ねた生き残るための術の一つであった。

 

 容姿からして「視ると障る」タイプの祟りなのだろう。と、彼女は祟りを潰しながらも判断し、自身がこの場に居た事に一先ず安堵した。

 

 

 曜引五花は「隠匿(いんとく)の神通力」の保有者である。

 

 「息を止めている間、自身と自身が触れている者の位相をずらす事が出来る」。

 これがこの国のデータベースに載っている「隠匿」の能力であり、実際にそれが全てである。

 

 で、あるならば。

 何故「祟り」を掻き消す事が出来るのか?

 

 そんな物は簡単である。

 

 ただ、彼女は触れたものをずらした後。

 それを「ずらしっ放しに出来る」だけだった。

 

 つまり、着ている服を一緒に隠すか否か、という操作と同じ感覚で祟りだけを向こう側に持って行くことが出来たのである。

 当時の父親はそれを聞いて「じゃあ五花は一瞬で服を脱ぐことが出来るのか!」と言っていた。ので、その時は思わず引っぱたいて親子喧嘩に発展した。

 

 ……それにしても、こんな事が出来るのは「999」という適性値に起因する制御力の高さがあってこそなのかもしれない。と、彼女は思っている。

 

 曜引の頭の中で、まだ見ぬもう1人の「隠匿」の保持者の事が過ぎった。リスト上でしか知らないその人に、もし会うことが出来たならば聞いてみたいことが沢山あるのだ。

 

 

 その後、五花は何故か無事だった沙村と言葉を交わした後、気を失っている梧桐先生をチラリと見て、保険として近くの箱から「別羽山珊瑚」を拝借し、そのまま外に飛び出した。

 

 移動する最中、彼女の中で叔母である四葉の言葉がふと蘇る。

 

『祟りには滅法強そうね!』

 

 五花が昔、物は試しと自分の服に付いたシミを消していた時の台詞である。

 当時は発想の突拍子の無さに苦笑いしていたが、もしこの言葉が無かったら自分は直ぐには救助に動けなかったであろう。彼女は自分の師匠に深く感謝した。

 

 

 

 

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(嘘でしょ……っ!!)

 

 先程室内に乱入してきた異形が他の演習場や校内に入る前にどうにかしなければいけない。私はその一心で外に躍り出る。しかし、そこには既に何名かの被害者が出てしまっていた。

 

 幸い祟られてから少しだけしか時間が経って居ないようで、皆はその場で蹲っているだけだった。お陰で早急に祟りを取り除く事が出来たけれど、こんなに走り回っていたからか少々疲れた。

 

 ……いや、嘘。疲れてない。

 

「……あれ?」

 

 どうにも自分の身体能力が異常に上がっているような気がする。

 夢中だったので気づかなかったが、思い返せば息を止めていても全然苦しくならなかったし、小走りの感覚なのに全力疾走よりかなり早くないだろうか、これ。なんで?

 

 ……とはいえ、今は気にしている場合じゃないっぽい。

 考え事をしていたお陰で大きなものを引き摺ったような足跡を見つけた事だし、さっき逃げた祟りの発生源であろう異形を仕留めよう。そう決めて私は再び走り出した。

 

「曜引ーーーッ!!戻ってこいッ!!!」

 

 そうしたら間もなく背後から誰かの怒声が聞こえた。

 

 しまった。隠れるの忘れてた。

 戻る気のさらさら無かった私だが、思い直して踵を返すと、そこには余目先生が立っていた。

 

「これは、曜引がやったのか?」

「はい。それよりも先生、今さっきいた肉団子みたいなやつ、アレが元凶ですか?」

「恐らく、そうだ」

「アレが学校に到着するまでの間に、救助は来ますか?」

「……曜引、ちょっと待て」

 

「許可を下さい」

 

 構わず続けざまにそう言うと、余目先生の表情のない顔に珍しく眉間のシワが現れた。

 

 言った後で生意気だったかな? と思ったけど緊急事態だから仕方ないのだ。うん。

 

「…………その通りだ。間に合わないだろう。曜引、出来るんだな?」

「出来ます」

 

 間髪言わずに返すと、余目先生は大きくため息を付いて。そしていきなり頭を掻きむしった。そうして急に落ち着いたかと思ったら。

 

 

「じゃあ俺が全ての責任を持つ。行って来なさい」

 

 凄く嫌そうにそう言った。

 

 

 ……ヨシッ! これでお咎めなし!

 やっと聞けたその言葉を受けて、私は今度こそ走り出したのだった。

 

 

 

 

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 余目(あまるめ) 聡太朗(そうたろう)は、走り去っていく女生徒が突然消え去ったのを見ながら入り口の外で立ち尽くしていた。

 

 「厄除(やくよけ)の神通力」を持つ余目は、ただ1人、外の様子を最初から見ていた。

 

 突然姿を表し、また消える。

 自分の目が確かならば、間違いなくあれは自分が受け持っているクラスの曜引五花である。

 

 目を疑うのも仕方のない事であった。

 彼女は「隠匿」の能力である癖に、なぜか自分と同じように祟りに対し耐性があり、しかも、状況から辺りに居た生徒の祟りを鎮めていたからだ。

 

 五花が透明になっていただろう故に、どのように鎮めたのかは分からなかったが、状況的に見て彼女の仕業であることは間違いない。

 

 最初彼女の姿を見たときは、勝手な事を。そう思った。

 しかし、その後彼女が何をしたのかを理解した時、余目は自身の無力を呪った。

 

「くそ……っ!」

 

 余目は最初、その場の誰よりも早く例の異形を確認していた。

 

 崖から転がり落ちてくるそれを見て、彼はすぐにまだ外に居た生徒を室内に誘導した。しかし、それでも9人あまりの生徒が祟られてしまい、それを見た彼はそれらを見捨ててドアを閉じ、速やかに警察に通報した。

 

 基本的に、祟られた人間はまず助からない。

 

 まず、人体の至る所に腫瘍が生まれ、それらは宿主の身体から栄養素を吸い取って膨らんでいく。

 「厄除」の上位互換とも言える「破邪の神通力」を持っている人間の処置を受けられたとしても、30分後にはほぼ確実に手遅れになっているのだ。

 

 だから余目は、何故だか症状が収まり横たわっている生徒たちを見て、困惑しながらも安堵して、それ以上に何も出来ない自分が酷く情けなくなっていたのだ。

 

 

 

 

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 私が足跡を追ってから元凶である異形を見つけるのに、それほど時間は掛からなかった。

 何故か飛躍的に上がっている身体能力だが、本当に助かっているけれど……本当になんなんだろうこれ。

 

 まあ、それはさておき。

 場所は丁度、森の坂を登りきった所であった。

 

「ォォォォォォァア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 

 向こうが私が追っているのに気づき、両手で地面を掻いて礫を飛ばしてきた。

 なので、私は息を止めてすり抜ける。

 

 それを見た異形は奇声を上げながら更に歩みを早くしていたけれど、私は隠れてすぐに奴の真横につけ、そのブヨブヨとした腫瘍の中から特に大きくて乾いてそうなやつを掴んだ。

 

 おぇ……。

 なんだか状態のマシなミイラを掴んだような感触。

 

 しかし、余目先生にあれだけの事を言ってしまった以上、泣き言なんて出していられない。だから、身を捩って逃れようとするそいつに構うこと無く、それらを一気に消し飛ばした。

 

 

 かくして、そこには痣だらけの裸の男性が倒れているばかりになったのである。

 

 

 

 

 




次回更新は明後日になりそうです。


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誘導とお膳立て

お知らせ:拙作第一話において、本作品の世界が「昭和時代の後期」という記述がありましたが、これを「少なくとも平成時代の中頃」という記述に変更いたしました。よろしくお願いします。


 辺りには穏やかな風が流れている。

 五花は制服の上着を脱いで地面に敷き、倒れ伏したままだった男をそこに仰向けに寝かせた。

 ……が、股間にあるブツを直視してしまい、ひええと狼狽えてうつ伏せにして、それから制服にソレが接触している事実に気づき、やっぱり仰向けにして落ち葉を上からぶっかけた。

 

 そうしてやっと、彼女は脱力した。

 ここは、学校のグラウンドが目の前に見える森林の入り口の辺り。左の緩やかな丘を越えた先に見える青網引島の港を眺めながら、五花はやれやれと座り込んだ。

 

 とはいえ、懸念すべき事がまだ一つある。

 

 それはこの祟りの発生源であろう男が、何処から来たのかという事だ。

 学校側も、速やかにその辺りの確認を進めるのだろうし、それに救助隊も来ているかもしれない。彼女は一先ずこの男を背負って演習場に戻ろうかと考え、伸びをする。

 

 

 

 そうして小休止を取っていると、木陰から一匹の尾袋鼬が現れた。

 

 彼女はこのパターンを知っていた。

 過去に2回ほどあった、このパターンを。

 

 自分が何か致命的な何かを見逃している時。そして嫌な胸騒ぎを抱えている時。

 決まってこうして目の前にひょっこり尾袋鼬が現れて、そうして自分に付いて来いと言わんばかりに、背を向けて尻尾をブンブンと回すのだ。

 

 思わず立ち上がり、獣の元に行こうとしたそのタイミングで。

 絞り出したような男の声が彼女の耳朶を打ち。

 

「…ふたり、ぃる」

 

 その言葉を理解した刹那、五花はその場から消え去った。

 

 

 殆どうわ言だったのだろう。

 

「ぁ…ぁと、2人、居るんだ。ぉねがいします……おねがいします。アイツらはクズですけど……だからって死んで良いはず無いんだ……」

 

 1人残された男は、それに構うこと無く声を発し続ける。

 

「死んでほしくないんです……だって……だって僕なんかよりずっといい奴らなんだ……だから助けて下さい……神様……おねがいします……おねがいします……」

 

 

 その無意識の言葉は、願いは。

 誰が聞くでもなく、空気のゆらぎの中に消えていった。

 

 

 

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 私はこれ以上無い全速力で走っていた。

 

 もう走るというより、跳んでいると言っても過言では無いほどの歩幅で、一気に木々が生い茂る下り坂を駈けていく。

 やっぱり校庭に集合する前に見せたあの獣は、あの時目の前に出てきたのはそういう意味だったのか。と、ようやく理解した私は、歯噛みしながら目の前のあり得ない速度で走っていく尾袋鼬を追いかけていた。

 

 演習場に戻ってみたら、皆が祟りに────なんて悪い予感がしていたのだが、幸い杞憂だったらしく、丁度通報を受けて来た救助隊と話している余目先生を横目に、私は「隠れた」状態のまま、緩やかな崖を駆け上がっていく獣の後を追う。

 

 跳躍し、手を伸ばして周囲の岩を「少しだけ消し飛ばして」から一回転して作った足場に乗り、また跳躍する。

 我ながら頭のおかしいことをしているなと思うのだが、なぜだか身体能力も意味不明な程上がっているし、今なら「何でも出来そう」だったので躊躇なく実行する。

 

 そうして一気に崖を駆け上がると黒い大きな建物がすぐに視界に入り込んできた。写真で見たことがあるが、これが青特の「神秘研究所」なのだろう。しかし、今はそんな所に用は無いので、私はすぐに獣の方へ顔を向けて足を回す。

 

 ここまで息継ぎゼロである。

 いや、ここまで息継ぎしないで済むのならこの神通力って実はかなり使える部類の能力なのかもしれない。と、私は人知れず苦笑いした。

 

 正直自分の変化に恐怖すら軽く覚えるのだけど、小心者の私は身の回りで人死が起きる方が嫌なので、それを一切考えないようにして、崖から丁度演習場の真上にある石壁の中へと入っていった。

 進入禁止のガチガチに固定された鉄柵をすり抜け、広々とした室内空間の中にある天空通路を突き進む。

 

 ここは遥か昔からある石造りの遺跡であるらしい。

 

 余談だがこの世界の遺跡。そこらかしこにあるせいなのか特に保護とかはされていない。

 そもそも下にある演習場なんて、この遺跡の根本を昔の人が改造して作った施設であるらしいし、ここもよく見るとあちこちに侵入した生徒の落書きであろうものが目に入る。

 このようにあんまり沢山あって、取り壊すのも大変だからと再利用、又は放置されている遺跡は日本に多々存在するのだ。

 

 獣の案内を頼りに走って、下って、また走る。

 そんな事を繰り返していると、ようやく下の方に何か蠢いている物が見えてきた。

 

 どこかから落ちたのだろうか。

 プールのような四角い穴の中に囚われているような格好でそれらは2つは居て、重なるようにしてその場でモゴモゴと揺れていた。

 

 祟りの末期症状である。あれじゃあ間に合わないかもしれない。

 けど、やれるだけやってみるしかない。

 

「……うしっ、やるぞ」

 

 獣が立ち止まってこちらを見たので小さく礼を言ってから、私は3階程の高さのあるその場から飛び降りて、着地した瞬間に足元の石をスカスカにして衝撃を殺し、口の中にその粉が入ったのでそれらも消し飛ばす。

 

 そうして、私は悍ましい悲鳴を上げて逃げようとしたそれらに手を伸ばしたのだった────────

 

 

 

 

 

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 国立青網引特殊業高等学校で起きた特殊自然災害「洞見の祟り」。

 

 終わってみれば、この事件は軽症者が33人。重傷者が2人と、少なくない被害が出てしまったが、何故か奇跡的に死者も無く終息するに至った。

 この災害は人為的に起こされた可能性があると発表され、祟りの原因と考えられる二人の男女の回復を待って取り調べを進めていく事になる。

 

 被害者は軽症とはいえ一度は祟られてしまった。よって彼らは精密検査を受けることになり、近隣の高須名総合病院に入院することになった。その関係で一週間ほど「青特」は休校となり、インターネット上では祟りの様々な憶測や、学校への誹謗中傷や謂れのない陰謀論が少なからず書き込まれていたのだった。

 

 

 あれから3日ほど経ったある日の夜。

 

 

「夢じゃなかったんだが!!?」

 

 白比良 幸甚は、唐突に叫んだ沙村の方をちらりと見て欠伸をした。

 

「おう、沙村……」

「適性があったんだが!!」

「はいはい」

「はいじゃないが!」

「うるせーな……俺、今凄い身体ダルいんだよ。また明日にしてくれ」

 

「ああ!おやすみっ!」

 

 そうして沙村は軽快に走り去っていった。

 

 白比良は、いつもどおりの変人具合を発揮している彼を律儀に見送った後、鼻の付け根を揉みながら大浴場へと向かった。

 歩きながらも、今でも現実味の無いあの異形が突っ込んでくる光景を思い出していた。

 

縁門(アーチ)開いて無かったのに……なんで無事なんだろ、俺」

 

 彼はそうぼやく。

 

 あの事件の後、被害を受けた生徒達は奇跡的に全員縁門(アーチ)を開いていたから本格的な祟りに遭わなかったのだと説明を受けていた。

 確かに、影響力の弱い祟りならばそういう事もあるのだろう。

 

 しかし彼は、自分の記憶が定かであれば縁門(アーチ)を閉じたままにしていたのだ。

 ぼんやりとしながらも考えてみたが首を捻って。

 

「かっこ悪ぃけど……まあ、無事だったし何でもいいか」

 

 そう結論づけて、彼は脱衣室の中に消えていったのだった。




明後日と言いましたが
投稿できそうなので投稿します。


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波乱に残る疑念

 場所は青網引特殊業高等学校、職員室。

 窓に目をやれば日もとっくに沈んでいるこの時間帯。部屋の中にはまだ何人かの職員が残っていた。

 

 その一角にある大きな机に座る中年男性の前に、余目と梧桐は本日起こったことの説明と事実確認の為、揃って立っていた。

 

 

「えー、これが以上になります」

 

「ごめんちょっと待って、ちょっと待って余目くん。ちょっと待とうか。何その説明……?」

「何と言われましても……」

 

 その突拍子もないあんまりな説明に思わず立ち上がってしまった年配の中年男性のその勢いに、余目は腹の痛みを気にしながら言い淀む。

 

「ごめん、もう一度説明してくれる?」

 

 余目はその言葉に「はい」と平坦な言葉で応じると、表情を変えずにもう一度説明を始めた。

 

「まず、幾つかのグループの検査が始まった頃。突然祟りにとりつかれた人間が1人研究所の方から来ました」

「うん」

 

「それを確認し直ちに避難誘導を始めましたが、力及ばず9人程が祟られてしまいました」

「うん」

 

「しかし、ウチのクラスの曜引がそれらを消してくれました」

「うん?」

 

「その後救助隊が来ました」

「うんうん、早かったよね。ねぇ」

 

「祟りを全て消し去った後だったので、スムーズに被災した生徒の保護が行えました」

「え、あのさ、余目く」

 

「しかし、もう2人取り憑いた人間が居たようで、曜引がそれに即対応しました」

「……」

 

「緊急だったので、祟りを消してその場に残していた1人が逃げてしまいました」

「うん、うん」

 

 言い終わり「いかがだったでしょうか?」と役に立たない解説サイトのような決まり文句を付け加えた余目に対し、男は尚もうんうんと深く深く頷いて。ゆっくり口を開き。

 

「勿論生徒に降り掛かった被害は軽微なもので、それ自体はとっっても喜ばしい事なんだけどさ」

 

 椅子にどかんと座り込んだ

 

「意味分かんないよね。え? 君達大人が女の子1人に全て任せたって事にも多分に言いたいことがあるんだけども、まあそれは特殊なケースだしある程度仕方ない事だから置いといてさ、────え? 曜引さんの神通力は「隠匿」だよね?」

「そう登録されてるらしいですね、私は教頭から聞きましたが」

「いや私もデータベース閲覧しただけだし」

 

 そう言って教頭と呼ばれた中年の男は天井を見上げてふぅと深く息を吐いた。

 

「何かの手違いかな……曜引さんはもう帰したの?」

「はい、夜も遅いので寮に居ると思いますが……」

「じゃあ、休校明けの放課後に検査ね。研究所には話し通しておくから本人に言っておいて」

「あ、はい」

 

 そうして話をどうにか終わらせた教頭は、背もたれに寄り掛かり足を上げながら、もう一度深呼吸をして隣に立っていた梧桐をチラリと目の動きだけで視界に収める。

 

「それで、梧桐先生は他に話があるんだって?」

「実はですね「3番金鉱石」に適合した生徒が居まして」

 

 

 

「はい研究所送りーーーーっ!」

 

 限界に達した教頭は叫んだ。

 叫んで、勢いのまま床に転げ落ちた。それを見た近くの職員は笑いそうになったが、何とか突然咳が出たようなふりをして乗り切った。

 

「……ごめん、この後の事後処理を考えたら何か頭おかしくなっちゃって」

「い、いえ……」

「大丈夫です」

 

 教頭は、その床の冷たさに辛うじて正気を取り戻し、床に這いつくばったまま謝罪した。梧桐はドン引きし、余目は見ないふりをした。

 

「因みにそれ、どのクラスの誰?」

「1-1の沙村君です。」

「うわ」

「「うわ」とか言うのはやめたまえ。とにかく、その子も曜引さんと同じく放課後研究所ね、余目先生言っておいて」

「はい」

 

 寝転がりながらそう締めくくった教頭を見ながら余目は思った。

 なんか悔しさとか、そういうの無くなっちゃったなぁ、と。

 

 

 

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 翌日、太陽もまだ空の真ん中に座している昼間。

 

 高須名町の外れ、閑静なこの地には現在、一つの真新しい白い車が停車していた。

 

 それにもたれ掛かる小茂呂 悌太(こもろ ていた)は、戻ってきた部下の姿を確認すると、吸っていた煙草を落とし足で踏み躙った。

 

「小茂呂さん。屋根裏まで探しましたが……やはり何もありませんね」

「そうか」

 

 やはり、と男は思った。

 身分証の偽造、不審な点もなく数年前から住んでいたとされる近隣からの証言。あの最低限の家電以外何も存在しない家の中を思い浮かべ、鼻を擦り上げる。

 

 余りにも計画的過ぎるのだ。

 

「ここにはもう何もないだろう、行くぞ」

「はい」

 

 そうして彼らは、その場を後にする。

 

 小茂呂達は青網引南警察署に置かれている「特殊犯罪対策部」に在籍する警察官である。

 

 彼らは先日辛うじて意識の回復した容疑者の男女2人の内、女の方が意識を回復し「ここに今回の祟りを起こした首謀者が居る」と証言したのを受けて、急遽この場所に来ていたのだ。

 

「この分だと、もう島外には出ているかもしれませんね」

「運航会社の返事は来たか?」

「まだです」

 

 部下のその言葉に小茂呂は小さく舌打ちし、軽くなった煙草の箱を取り出す。

 

「ウチの島で舐めたことしてくれやがって、絶対に落とし前つけさせてやる」

「ま、まあけど、良かったですね。死者もなくて」

 

 死者も無い。ね、と。

 煙を大きく吸い込んだ小茂呂は、大きく息を吐いてから大きく鼻を鳴らした。

 

「……あれか? 「隠匿」のお嬢ちゃんが全部やったってやつ! ありえねえだろ。だって「隠匿」だぜ?」

 

 「隠匿の神通力」を持っているという青特の一年生、曜引五花。

 丁度取り調べの場に居なかった小茂呂は、彼女の証言を全く信用していなかった。

 

「けどデータベースの「隠匿」を見た限り、理屈では不可能では無さそうでしたけど」

 

 かなり無理矢理な解釈ですが、と部下の男はそう笑ったが、小茂呂の表情は一転して神妙な顔になった。

 

「いや、不可能だ」

「どうしてです?」

「俺は見たことあるんだよ「隠匿」使ってる奴を。くだらねぇ奴だったぜ」

 

 小茂呂の言葉に、部下はへぇ、と相槌を打つ。

 年季の入った彼は、実際に様々な神通力と対面した経験を持っていて、時折話すソレに部下は毎回惹き込まれていた。

 

「どんなだったんですか?」

「そうだな、まずソイツが大抵出没するのはプール施設や温泉地で────」

 

 

「あ、大丈夫です大体分かりました」

 

 今回はその限りでは無かったが。

 

「オイ、聞けよ。……まあ、お察しの通り女の着替えを覗いたり盗む変態だった訳だが、犯行現場を見られてもすぐ着替えごとその場から消え去って手に負えなかった訳よ」

「はぁ」

「そこで、俺は奴の行動パターンから出没するであろう施設にアタリを付けて、その時居た女の部下に張らせてたんだが、これが見事にハマってな。逃げ場の無い部屋に追い詰めた後は出口を塞ぐように立ってたらソイツ、息が続かなくなって気絶したからそれを捕まえた訳さ」

 

「え? それで捕まったんですか?」

「ああ「位相をずらす」ってのはな、要は視界だけの話だ。物や人を「通り抜け」たり「消す」なんて事までは出来ない。幾ら隠しても「そこには必ず実体が存在する」んだ、ましてや祟りを取り除くなんて……それ絶対違う神通力だろ?」

「へぇ……となると、何かおかしいですね」

「まあこれから現場に行くんだ。証拠は嘘を付かない、その「隠匿」のお嬢ちゃんが嘘を付いてるのか付いていないのか直ぐにハッキリするだろうさ」

「なんだかややこしくなってきましたねぇ」

 

 窓を開け、吸い殻を外に飛ばした 小茂呂はふわと欠伸をしてシートの角度を下げ、……また戻した。

 

「おい。ソイツの名字、曜引って言ったか?」

「え? はい」

「家族構成とかは……調べたか?」

「いえまだ……どうしたんですか?」

「いや、聞き覚えがあるんだが……もしかして、ソイツの親戚に「小海」が居たりしねぇよなぁ……って」

「小海? 小海って誰ですか?」

 

 部下が聞き返す。

 しかし小茂呂はそれきり何か考え事を始め、現場に到着するまで車内は無言のままだった。

 

 

 

 

 

 



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高須名すてーしょん

 朝の気配も霧散して暫く経った午前中。

 開けっ放しにしていた窓から暖かな日差しとともにピヨピヨと小鳥の鳴き声が聞こえてくるような平穏な時間。

 

 私は特にやることも無く、漠然と授業の予習でもしておこうかと思って寮の自室の机に座っていた。高校の一般科目は一通り独学で勉強してしまっている私であったが、それくらいやる事が無いのである。

 

 というのも「青特」は今日から一週間の休校に入っているからだ。

 

 原因は勿論、先日の祟り騒ぎのせいである。何とかなったとは言え、今回祟られてしまった生徒はそれなりに居て、人によっては2、3日入院する必要が出るまでの大事になってしまっている。

 

 薄暗い部屋を見遣ると、同じく暇を弄んでいるはる子が購買で買って来た漫画を見ながら布団にくるまっている。先程までドタバタと騒がしかった彼女のぐうたらを見ていたら、なんだか昨日のが夢だったような気がしてきてイマイチ頭が働かない。

 

 あれでも昨夜、はる子はやたらと私に纏わり付いてきて、最後にはベッドの中にまで入り込んで来た。怖い思いをしたのだろうし仕方ないなぁ、と思ってそのままにしていたら、朝になって彼女が唯一他の演習場から場所の離れていたFグループに居た事が判明した。なんだったんだろう。

 

 

 ペンを動かしながら、午後は図書館でパソコンでも弄っていようかなと思っていた時、ベッドに放ったままだった携帯が不意に振動した。

 ゆったりと椅子から立ち上がって通知を確認すると、そこには教室で隣の席の小野さんからのメッセージが表示されていた。

 

<今日暇? 私は暇!>

 

 うん、その通り。私も暇である。

 ので「暇」とだけ返すと、数人で高須名の方に遊びに行こうというお誘いを受けた。駅前に大型のショッピングモールがあり、そこで時間を潰そうというのである。

 

 断る理由も無いので、私はすぐさまそれに了承の旨を送った。が、背後に気配を感じて振り向くと、いつの間にかはる子が背後に居た。

 ……あー、ビックリした。音を消して動くのは止めてほしい。

 

「えー、ごばちゃん出かけちゃうの?」

「はる子も付いてくる?」

 

「え? うーん……いきなり知らない子が来ても、向こうに迷惑だよ~」

 

 提案してみたが、なんだか乗り気ではないはる子。

 彼女は少し考える素振りをしてから携帯を取り出すと、何か操作を始めた。

 

「いいもん、はる子ははる子でサトっちと遊んでくるよ~」

「サトっち?」

「同じクラスの子~」

「ふーん」

 

 よく分からないけれど、それはともかくとしてはる子も順調に同年代と交友関係を広げているようで良かった。

 中学の頃を思って正直ちょっと心配していたのだ。お節介かも知れないけども。

 

「昨日あんな騒ぎが遭ったばっかなんだし、気を付けなさいよ」

「うん。けど、はる子的にはごばちゃんの方が心配かも」

 

 なんだと。

 そう言葉にしなくても察したのか、逃げようとしたはる子を捕まえて、その寝癖だらけの髪をワシャワシャしてやると、きゃあきゃあとなんだか不毛なじゃれ合いに発展してしまった。

 

 

 

 

 

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 高須名町。

 

 青網引島で最も大きい港がある「島の入り口」であるこの町は、何本かの鉄道路線が走っており、島内の他の町へのアクセスする際には、大抵の旅行客が経由する場所にもなっている。

 そのため人通りも多く、緑島ほどではないにしろ行楽施設が充実し、大型のショッピングセンターは勿論、陸の方には大きなビルが幾つも立ち並んでいた。

 

 あんまり都会なので、この町に初めて来た時は赤島の何とも言えない港町を思い出し微妙な気分になったものだが、二回目ともなると純粋に色々と見て回りたい気持ちが湧き上がってきた。

 青特の校門を抜けて暫く下り坂を歩き、到着した「南網引駅」から2駅先の「高須名駅」で降車する。どうもこの駅に大きなショッピングモールが隣接しているらしいのだ。

 

「曜引さーん!」

 

 教えられた通り改札前で待っているとちっちゃい可愛い子がこちらに手を振りながら近づいてきた。

 小野さんは私の手前で立ち止まると、後ろから追いかけて来たもう2人に「居たよー!」と見れば分かる報告をしてぴょんぴょん跳ねた。

 

 小野さんは何でこんな自然にあざとい動作が出来るのだろう。いや、悪い意味ではなくて。そう、何か動物カフェに来店した時みたいなほっこり感がある。ぴょこぴょこ揺れるポニーテールが犬の尻尾のように見えるのだ。

 

「おっす~曜引さん」

「昨日ぶりやなぁ」

 

 そう言って小野さんの首根っこを掴んだ金髪の子が安納(あんのう)さん。ポケットに手を突っ込んでこちらに笑いかけてきたキャップ帽の子が加満田(かまた)さんである。

 話を聞くに、2人も青島出身だったようで、安納さんの方は小野さんと中学校からの付き合いがあるらしい。どうりでよく一緒に居るのを見る筈である。

 

 そんなこんなでお互いの出身の事について、4人でお店を見て回りながら話していると、加満田さんの出身の話になった。

 

「加満田さんはねぇ、この島の北側に住んでるんだよ」

「え、結構遠いんじゃないかしら、それ」

「めっちゃ遠いで。釜伊里(かまいり)って言うんやけど」

「電車で一時間半でしょ。ヤバすぎるな~。今日もそっから来たの?」

 

 安納さんの言葉に、もう流石にアパート借りてるわと笑う加満田さんであったが、実際そうやって学校の近くに引っ越して一人暮らしをしている青特の新入生は割と居るらしい。何かとお金が掛かるので親の負担になってしまうだろうけど、5つの中で土地面積の最も多い青島での通いは特に辛そうであるから仕方ない。

 なんて考えていたら、今度は私の番になった。

 

「曜引さんて赤島出身なんだっけ?」

「そう、この中で唯一の赤島出身なのよ?」

 

 そう言って丁度持っていた扇子を広げて胸を張ったらなんか沈黙が流れた。

 

「……誇らしげやな」

「希少価値? はあるかも!」

「ごめん、なんかあたかも私が滑ったみたいな空気やめない?」

「滑ってるんやで」

「とんでもない大事故だったわ今の」

「あははっ!」

 

 なんて調子で、とりとめの無い話は続いていって、喫茶店で休憩することになった私達は、各々注文を済ませ。買い物した店の事について話し合っていると、何かの取っ掛かりから話題が昨日の事件の事に移ってしまっていた。

 

「ウチはFグループやってん。知らんけど実際結構ヤバかったん?」

「私はもう室内入っちゃっててよく分からなかったなー。絶対外に出るなって先生に言われてちょっと怖かったかも!」

「こっちも同じ。曜引さんのとこは……」

「ええ、部屋の中に入ってきて大変だったよ」

「Dの演習場にだけ入ってきたんだっけ? 曜引さんと後1人だけ残して祟られちゃったから、単純に良かったねとは言いづらいけども、大変だったね」

 

 

 ……うわ、凄いしんみりとした空気になってしまった。

 

「ま、まあけど何とかなったから良かったわよね? 死者も出なかったし、うん」

「大事に至るヤツが居なかったのも縁門(アーチ)開いてたお陰なんやっけ? 神力ってのはやっぱ凄いんやなぁ」

「話には聞いていたけど、私「他の神力への耐性」とかイマイチピンと来てなかったからさ、いい勉強になったかも」

 

 加満田さんの言葉を安納さんはそう言って繋いで、コーヒーをふうふうして口に含んだ。

 

 うん。実はそういう事になっている。

 というのも昨日の事について 私は余目先生に頼んで公表せずにいてもらっていて、学校側としても、生徒の保有している神通力の情報をあまり漏らしたく無かったらしく、今回は「縁門開いていてよかったね」という話で押し通されることになったのである。

 

 ……まあ実際、祟りの種類によっては本当に縁門を開いているだけである程度予防出来るみたいだし。

 有名な「浮遊の祟り」だってその類の物だった訳だからね。

 

 

 そんな事を考えていたら、ここまで私達の話を聞きながらゴクゴクとジュースを飲んでいた小野さんが「あ」と思い出したかのような声を上げて。

 

「そういえば知ってる? 何かー、休み明けから学校にいる間、皆縁門(アーチ)着用したままになるんだって!」

 

 と言った。

 なにそれ、私全然聞いてない。

 

 

 

 

 




お気に入り・評価・ご感想ありがとうございます。
励みになります。


せっかくですので自家発電で絵を描いてみました……。

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青網引神秘研究所

 あれから。

 降って湧いた一週間もの休日を私達青特の生徒は思い思いに過ごしていた。私の居る女子寮もドッタンバッタンと男子寮程ではないが毎日くだらない騒動が起きていて退屈はしなかったと思う。そしてとうとう明日は登校日という7日目の夕方、寮内は談話室や食堂で教科書とにらめっこしている生徒がちらほら目につくようになった。

 というのも私達生徒は、学年問わず授業で受けるはずだった内容の宿題をドッサリと出されていたからである。

 いや、最終日になって何してんの? とは言わない。何を隠そう、前世の私も夏休みの宿題は毎回先延ばしにする人種だったからだ。

 

「ごばちゃん、聞いてる~……?」

「あ、ごめん。何?」

「ここ全然分かんないの。答え教えて~」

 

 まあ、こうしてはる子の宿題を見てあげていると言いたくもなってくる訳だけど。

 

 仕方ないので手を合わせて懇願するはる子から、ドリル形式になっている冊子を手にとって内容を見てみると、丁度現代文の問題をやっている所だった。

 

「えっと……ハナが母親に捨てられた理由は何でしょう?」

 

 ああ、数日前に解いた覚えがある。

 

 問題になっているこの作品は、父が死に、唯一残った肉親の母親がある日、主人公である「ハナ」をバス停に置き去りにしてしまう所で話が終わっている胸糞悪い代物である。そして選択式の回答が必要になり。

 

 A 特売に間に合わないから。

 B 愛人が出来たから。

 C 母は直ぐに戻ってくるつもりだったが交通事故で死んでしまっていたから。

 D 父親の元に行きたかったから。

 

 という候補がある。答えはDである。

 

 

「はる子的にはCだと思うんだけど」

「なんでよ」

「あー違うか~ ……じゃあB?」

「教えないわよ?」

「Dでしょ」

「……教えないって言ってるんですけど~?」

 

「よし、Dね。ありがと~」

「は?」

 

 ……はる子はこうしてたまに私の心を読んでくるのだ。なんで? そういう神通力をお持ちでいらっしゃる??

 そうして唖然とする私を余所に、はる子は今みたいな手法を交えて回答を進めていき、得意の古文に突入した所で一気にペースが上がって、予想を裏切り夕食前には宿題を終わらせる事が出来たのだった。

 

「おわった~!」

「ちゃんと問題文見て解かないと試験苦労するわよ……」

「その時勉強するからいいよ~」

「一夜漬け宣言かい……。私寝たいんだから徹夜とかやめなさいよ」

「常識的に考えてテスト前に徹夜なんてしないよ~」

 

 君ちょくちょく中学時代にやってたよね?

 一気に不安になった私は、試験前日までにアイマスクを購入しておくことを決心した。

 

 

 

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「ごばちゃん。それにしてもさっきのお話。なんでDだったの?」

「え?」

「いや文章読んでたらさぁ、どうしてもお母さんがハナちゃんから離れると思えなかったから」

 

 あれから場面は変わって食堂。

 彼女は「常識的に考えてさ~?」とか言って夕食の乗ったトレイを受け取りながら首をかしげた。

 

「問題文をよく読んでみることね。父親の事をボソリと呟いたりして、母親の心が疲弊してる描写が3つもあるんだから」

「けどさぁ、突然の事故で亡くなってる可能性もあるよね?」

「あのねぇ、ハナちゃんの荷物に何故か入っていたお金。あれはどう説明するつもり? お金を入れたのは母親。どう考えてもハナちゃんを捨てる罪悪感からの行動でしょう?」

「後でお使いを頼む予定だった可能性もあるよね?」

 

 もうなんなんだ。

 私が黙って箸を取ったら向こうも同じように食事を始め、この会話はモヤモヤする形で終わってしまう。

 

 ……結局その後、何か私も気になって来て、それを寝る前までなんとなく考えてしまっていた私は、話の続きをしようとはる子に声をかけようとした。が、よく見たら彼女は既に爆睡していたのだった。

 

 はははコイツめ……明日の朝は起こさないでおこっと。

 

 

 

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 青特の登校がまた今日から始まる。

 僕は欠伸を噛み殺しながら自分の髪を撫で付けると、今日の予定を確認してから男子寮を出発した。

 

 正直この7日間、どのように過ごしていたのかよく覚えていない。

 

 理由としては、僕が3番金鉱石に適性を持っているというのが8割。祟りの遭ったあの時の光景が2割といった所だろうか。とにかく人間、強烈過ぎる出来事に立て続けに襲われると、生活に現実味が無くなって夢心地になるらしい。

 

 とはいえ、今日から普通に授業が始まる。

 僕は成績が良い方だとは言えないので、こんな調子で勉強をしていたら全く身に入らないだろう。切り替えて行かなければならないな。

 

 

「曜引と沙村は放課後、研究所の方に来るように」

 

 と思っていた朝のHR。

 担任のその言葉のお陰で僕は一気に目が醒めたのだった。

 

 

 

 

 

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 青網引神秘研究所について語っておかなくてはならない。

 

 ここは、青特の敷地内に存在する「神々の所縁(リレーションズ)」についての研究機関であり、国の機密にまでなる最先端の技術を取り扱っているのだ。

 このような施設は他の特殊業学校にも存在していて、いずれも同じ敷地に居る学生の協力を得て効率的にデータ収集を行っているらしい。

 

 ……まあ、僕もこのくらいしか分からない。

 論文だって当たり障りの無い物しか出回らないのだから仕方ない。そんな秘密しかない非常に興味深い所だと言うのに、普通の生徒は大抵「なんか研究してる施設」という認識しかしていないのは不思議な話である。

 

 そこに、今。

 僕は向かっている。

 

「興奮でおかしくなりそうだ……」

「ちょっと、気持ち悪い事言わないでよ」

「む。だって神秘研究所だぞ? 人類の夢だぞ?」

「これ以上無いほど主語でかくない?」

「あのなぁ……いや、今はいい。君は黙っていたまえ」

「さっきから1人でブツブツ言ってんのは沙村くんなんですけど~?」

 

 やれやれうるさい女だ。

 ……と、面と向かって言おうとしたが、不意にあの光景を思い出して、なんとなくやめておいた。

 

 

 結局あの獣達は何だったのだろうか。

 

 曜引はあれで気付いていなさそうな調子だし、いっそ僕の幻覚だったんじゃないかと疑いかけたが、どうもそれにしては生々しい質感を帯びていた。

 

 と、なると。

 やはりもう一度「3番金鉱石」を手にとって確かめてみなければならない。

 

 赤い神力の関係であるのだろうが、彼女が一緒に呼ばれていて助かった。あの所縁石を学校内とは言え施設の外に持ち出せるとは到底思えなかったからだ。

 

 僕等はそうして施設の入り口を潜り、受付で情報の取り扱いに関する契約書にサインをしてからようやく実験室の立ち並ぶ深部に足を踏み入れた。

 

「ぉぉぉおおおお……!!」

「えっと、なんて部屋だっけ」

「『実験室2』だっ! 行くぞっ!!」

「はいはい」

 

 

w.......w

w.......w

 

 

 

 意を決して部屋の中に入ると、そこにはパソコンの並んだ机が4つ壁に設置されていて、案外小さい。

 しかしその奥に大きなガラスの中窓があり、よくよく見るとそっちはかなり大きい実験場になっている。恐らくここで奥の広い部屋のモニタリングをしたりデータ収集を行っているのだろう。

 

「やあ」

「どうも……」

 

 そして椅子に座っていた小太りの男と、眼鏡を掛けた三編みの女がこちらを見て声を掛けてきた。

 

「い、1-1の沙村、だ」

「同じく1-1の曜引です」

 

「待ってたよ! ほんっっとうに! いやぁーこの7日間は地獄かと思ったぁ!!」

 

 急に手を広げてオーバーな仕草をした小太りの男に曜引が眉を潜める。のを見ていた三編みの女はアワアワと立ち上がって手をばたつかせる。

 

「あわわ……ごめんなさい。所長は珍しい実験体が来るってずっと楽しみにしていたんです……」

「駒井くん!? 何そのフォローに見せかけた止めの一撃!? 俺そんな事一度も言ってないよ!?」

 

 ……正直そう思っても仕方ないと僕は思うぞ。所長。

 だって、僕が同じ立場ならそう思うだろうし。

 

 そのまま僕が所長だったならと妄想している間に、曜引が棒読みの悲鳴を上げて部屋を出ていって、それを所長が追いかけていってから直ぐに2人して戻ってきた。

 案外ノリ良いんだな、曜引。

 

 そんなこんなで、僕等は奥の実験場に移動して、駒井さんから何か紙を受け取った。

 内容は、今回行う検査について。

 

 そう、神通力の「種類の特定」だ。

 

 



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回帰

 変な事になっちゃったなぁ。と私は思わずぼやいた。

 

 というのも、私の神通力について何やら検査する必要が出たらしく、放課後に研究所に行くよう余目先生に言われてしまったからだ。

 

 確かにでしゃばったかなぁとは思うけども、私は非常時なので仕方なく「隠匿」を使っただけに過ぎないのだ。

 だからわざわざ検査する必要があるとは思えない。まぁ、もしかしたら赤い神力に関する事なのかもしれないけど。

 

 そんな感じでモヤモヤを抱えたまま、私は朝からやけにハイテンションだった沙村と共に放課後、神秘研究所という施設に向かった。

 やっと着いた建物を潜ると、そこには格好いい系のお姉さんが受付に居て、何か紙を手渡された。見ると「内部で見聞きした情報をネット上は勿論、家族友人にも漏らしません」というような内容が書かれた誓約書であった。

 

 自分の神通力をひけらかす気はサラサラ無いので普通にサインし、中に進んで行くと、そこには眼鏡を掛けた女の人と所長という小太りの男の人が待っていた。

 

 

「えっと、それじゃあ奥の部屋に行きましょう……」

 

 駒井と呼ばれた女の人がそう言って奥の部屋に繋がるドアに視線を向けると、沙村は意気揚々とそのドアを開いて中に入って行く。のを見て駒井さんがまたアワアワして追いかけて行った。

 

 私もその後を着いて行き部屋に入ると、そこには用途の分からない大き目な機械が沢山並んでいて、なんだかその雰囲気にちょっと緊張して来た。大掛かりな検査なのだろうか。なんて思いながらキョロキョロと周りを見ていると、所長が後ろから声を掛けてきて。

 

「ごめんごめん、曜引さんは一旦こっちで待機してて」

 

 と言われた。

 ……なんかこう言うの多いよな、私。

 

 仕方ないので所長とモニタリング室に戻ると、間もなく駒井さんもこちらに来てドアをしっかりと閉めた。ガラス窓の方に目を向けると、いつの間にか縁門(アーチ)を脚に付けていた沙村が、そこから緑色の光を溢れさせながら手に何かを持っていた。多分所縁石だろう。

 

『沙村、沙村綾間くん。じゃあお願いします』

 

 向こうの部屋の中に所長さんの声が響いているのだろう。それに沙村は「はい」と返事をすると、緑の発光が強くなっていく。

 

『……はい、一旦止めて下さい』

 

 暫くモニターと睨めっこしていた所長が、何かボタンを押して再び向こうの部屋に声を掛け縁門を閉じさせる。と思ったら数秒後また縁門を開けるように指示を出し、光を強くさせる。

 

 そんな事を3度ほどやった後、駒井さんがドアを開いて向こうに行って、縁門を外した沙村を連れてきた。

 ……なんか、検査はこれで終わりっぽい。

 

「これで終わりなのか?」

「えっと……はい。さっきので神力のパターンと出力が分かるんです」

「あぁ、なるほど」

「あとちょっとで結果出るから待っててねっと……」

 

 パターンかぁ……なんて私も言ってみるが、実のところ全然分からない。

 ので、モニターを少し覗いてみると幾つかの曲線が複合した波型が表示されていた。なおさら分からなくなったので見るのをやめた。

 

 後で聞くと、神力のパターンというのは、このように幾つかの内包された要素の反応によって線形を作ることが出来るのだという。

 また、それは神通力の種類によって異なる。そのため、この検査で大抵はデータベースに登録されているパターンのどれかと一致するらしく、そこで何の神通力なのかが分かるのだ。

 

「うん、うんうんうんうん」

「おお……」

 

 ピッ、と機械から音がした後、所長と駒井さんが急にモニターに釘付けになり、沙村がソワソワしだす。そんなに結果が楽しみなのかと思っていると、どうやら私の方を見ているようだった。ん?

 

「え、何?」

「あ、ああいや。曜引、頭のソレは、見えないのか?」

 

 やけに怯えたように言う沙村。

 言われてすぐに自分の頭に手をやるが、そこには今朝梳いた私の髪の毛があるばかりである。

 

「んー、ゴミでも付いてる?」

「いや、見えないのなら良いんだが……」

 

 いや。

 いやいやいや、背後霊か何か?

 

「……もしかして、からかってるの?」

「そんな訳ないだろう」

「いや、そんな訳あるでしょ」

 

 なんて言い合いをしていると、不意に所長がモニターに向いていた身体を180度回転させて、沙村の方を見た。

 

「沙村くん……沙村くんの神通力は「回帰」だ!」

「かぁ……かか回帰ッ!?」

 

 

 え、怪奇?

 

 

 

 

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 突然飛び跳ねて喜び始めた沙村を横目に、駒井さんに渡された縁門(アーチ)をお腹につけながら、私は何時か読んだ神通力の本の内容を思い出す。

 

 「回帰(かいき)の神通力」。

 

 「投げ飛ばした物を再び手元に引き寄せる」。または、その物を投げずに「触れ続けると、それを元ある形に修復する」能力の神通力である。

 

 これは大変珍しい神通力で、修復出来る対象は無機物有機物も関係なく含まれており、そのため古代遺跡の発掘物の復元などに大活躍する能力なのだとか。

 将来は神々の所縁(リレーションズ)の研究者になりたいと言っていた彼からすればこれ以上無いほどの大当たりだったのだろう。

 

『曜引さん。お願いします』

 

 向こうの部屋から合図が飛んできたので、お腹にある縁門(アーチ)をくいっと開ける。

 そうして神通力を使う時みたいに、自分の神力に意識を集中させて赤い光を強くさせる。この状態で数秒間。

 そしてさっき沙村がやっていたみたいに合図に合わせて一旦縁門(アーチ)を閉じ、また開くのを繰り返す。

 

「はい、ありがとうございましたぁ」

 

 指示が途切れた所で、駒井さんが中に入ってきて縁門(アーチ)を回収。そうして私もモニタリング室に戻って検査の結果を待つ。

 暫くすると、所長がこっちを見て首を捻りながら。

 

「「隠匿」だねぇ」

 

 と言った。

 そりゃそうでしょ。

 

 ……そういえば、結局私は何でここに呼ばれたんだろう?

 「神通力の種類の特定」だなんて言われて検査を受けたけど、もう特定されてるじゃんって話なわけで。

 

「いや「隠匿」とは明らかに違うんだよ、それ」

 

 そんな疑問を口にしたら所長はそう言った。横に居た沙村も頷いている。なんだお前。

 試しにやってみようかなんて所長に言われたので2人で実験場の中に入り、彼は縁門を付けた私に神通力を使うよう促した。合図のタイミングで「隠れる」と所長は私の方に歩いていき、そのまますり抜けた。

 

「今のね「隠匿」じゃあり得ないんだ」

「どういうことですか?」

「うーん……つまり、本当に「隠匿」ならね、物や人をすり抜けるなんて出来ないんだよ」

 

 え?

 

「壁抜けも?」

「出来ないよ、当然」

 

「じゃ、じゃあ物を「ずらす」のも?」

「出来ない出来ないっ! ……というかね、本来その「ずらす」って見た目だけの話なんだからね!? 壁や物や、ましてや「祟り」を「ずらして」消すっていう意味不明な事は「隠匿」じゃあ出来ないの!」

 

 え、え?

 ということは、つまり。

 

「私「隠匿」じゃない……?」

「それを調べるために今日来て貰ったんだけど、ああまでパターンが「隠匿」と一致してると何とも言い難いなぁ……」

 

 それから、モニタリング室に戻った私は引き続き「隠匿」として登録しておくのは何か不都合が起きるだろうという事で「隠匿(仮)」という名の未発見の神通力として処理される事が決定した。

 

 「隠匿(仮)の神通力」かぁ……。

 いやー、なんか凄い収まりの悪い名前になっちゃったなぁ。

 

 ウキウキの沙村とは対象的に、憂鬱な気分で私は寮に帰るのであった。

 

 

 

 

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 青網引島。

 

 高須名町から北西に30km程進んだ所に位置する森に囲まれた「山先(やまさき)町」という小さな町に、人知れず不審な男が足を踏み入れた。

 未だにガクガクと震える足を殴りつけ、なんとかその街にあった拠点に到着した彼は、絵に書いたように疲労困憊であり、そのまま布団の中に倒れ込むようにして横になった。

 

 頭の中にあるのは、自身が祟りになった時の記憶と、何か恐ろしいものに遭遇した恐怖、そして。

 

「許さない……あのクソジジイ……」

 

 荒らされた室内の犯人であろう、ある男への怒りだった。

 

 

 

 



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地下大回廊

 今日の授業は、先週行っていた第一回特別課外授業の続きであった。

 

 その為私達生徒は、既に検査をすませていた生徒を除き直ぐに昨日のグループ分けのまま演習場に行くことになっていた。

 そして、言うまでもなく私は自習組である。

 

 しかし、いざ自習をしろと言われても、正直何をやればいいのか悩むから困る。

 周りを見ると、これ幸いと宿題を今頃やっている生徒、だらんと机に突っ伏して寝ている生徒、持ち込んでいた漫画を読み始める生徒……いや、誰も真面目に自習やってないんだけど。良いのか青特生。

 

 そうやって閑散とした教室を眺めていても仕方ないので、図書館にでも行こうかななんて考えながら私は鞄を持って席を立った、所で後ろから誰かがこちらの方に来た。

 

「……曜引」

 

 沙村である。そういえばコイツも検査を受けていたな。

 無言で言葉の続きを待っていると、彼は意を決したように息を吸った。

 

「神の存在は、不特定多数の適合者の証言によって保証されている」

「いや急に何」

 

 想像していた50倍は突拍子も無い切り出しであった。

 私がその言葉の意味を飲み込む暇もなく、彼の話は続いていく。

 

「確かに神力の色は、適合者への神の心象を表すものであるが、そもそもの話だ。神は人間の1人1人を一々覚えて感情を持つことはあまりない。その証拠に、大規模な耳朶狩りを行うくらいの事をしない限り、色の変化なんて見られないのだよ。となると、基本的に色は神の性質を表しているらしい。所縁を結んだままにしているんだ。基本的に友好的か、そうではない無関心か。その2つだけだが」

 

 長いし。というか「赤色」の私は喧嘩を売られているのだろうか。

 そんな様な事を私が言うと、沙村は慌てて掌をこちらに向けた。

 

「待て待て、僕が言いたいのは、禁忌を犯していないのに最初から赤色なんてのは、普通の性質の神じゃありえないって事だ」

「……よく分からないわ、変わり者って事?」

 

「変わり者……まあ、そうだな。嫌いな人間と縁を結ぶ、しかし何故か尋常ならざる寵愛を授ける神。……これは仮説だが、君のそれは、愛憎が入り混じった、極めて人間的な性格をしているぞ。だから僕はコイツを人間に近しい所に位置する「新生したばかりの神」と見ている」

 

 ふーん、新生したばかりの神、ね。

 確かに低レベルな次元に居るしょうもない神な気がしてきた。最初から嫌われてるのとか意味分かんないし。なんて事を言ったら罰が当たりそうなので喋らないけど。

 

「だからな。案外、その内仲良くなれるかもしれないぞ」

 

「え?」

「人間的な性格をしているんだ、人間同士の関係であるみたいに、何かの拍子にコロリと好意的になってくれるかも知れない。そうは思わないか?」

「あーうん、それは確かに?」

 

 ……ん?

 なんか、慰められてる?

 

「言いたい事はそれだけだ。じゃあなっ」

 

 そう言ってそそくさと自分の席に戻って行く沙村。

 

 いや。

 私そんな赤色を気にしているように見えたか……? 別に言うほど気にはしてないんだけど。

 

 ふと、自分のお腹に付けている赤いイソギンチャクを見た。

 休校明けから、縁門(アーチ)の着用が義務つけられている私達生徒。だから私が相変わらずウネウネと動いてるそれをこんなに長い間出しているのは初めてで、見慣れるとちょっと可愛い、かもしれない。

 

 そうして暫く突っ立っていた私だったが、何か急に沙村にムカついたので教室を出る前に一応礼を言って頭を軽く叩いておいた。

 そうして直ぐに図書館に向かったのだった。

 

 

 

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 青網引島釜伊里(かまいり)町。

 

 高須名町から電車でおおよそ1時間半程の距離があるこの町は、青網引に存在する古代遺跡群が特に密集している場所でもあり、少し離れた場所から街並みを望むと、露出した遺跡に半ば埋もれているような印象を受ける。

 

 その町の中心地。

 「釜伊里駅」に降り立った背の高い女に小男が急ぎ足で近づいて来た。

 

「待ってましたよ」

「あの人達の溜め込んでいたブツ(所縁石)は?」

「俺の拠点に保管してますわ」

 

 小男の返答を聞き、背の高い女は小さくため息を付く。

 

「及第点……とは言えませんね」

「……仕方ねぇじゃないですか、「アレ」は間違いなく起きていたでしょう?」

「起きてはいましたけど、ね」

 

 そう言って女は駅舎を出て、街灯と店の明かりが照らす街中へと歩き出した。それを見た小男は一拍遅れてその後ろをついて行く。

 

 一週間前、「青特」にて発生した「洞見(どうけん)の祟り」。

 女は現在の状況に内心苛立っていた。

 

 確かに3人共始末するつもりだった。

 

 だがそれは秘密裏に、である。

 肝心の祟りが妙なタイミングで暴発してしまい、「青特」の生徒を巻き込んだ大事になってしまったのでは、デメリットが大きすぎる。

 更に、祟りとの相性がすこぶる「良い」筈の洞見でもあの程度の被害にしかならず、また肝心のあの3人は生きていて、その上1人は逃走中だという。

 

 

 女はこれを目の前の小男の技術不足が原因だと結論付けていた。

 

 頻繁にどうでも良い話を振って来る小男を無視しながら舗装された道を歩き、やがて街灯の明かりすらまばらになって来た所で、女は大きめのライトを取り出し、フェンスを抜け、暫く歩いた先にあった建造物にライトを向ける。

 

 照らした先は釜伊里でも一際大きな「釜伊里南地下大回廊」と呼ばれる遺跡の入口。

 

「この先で採れるんですか」

「へえ、……てっきり俺ぁ、あの粉を持っていたあなた方は知ってると思ってましたがね」

 

 そう言って男は懐から何やら小さなチップを取り出した。

 

「これがそこの遺跡の深部で採れた「呪物(じゅぶつ)」ですわ」

「これが?」

「へぇそうです。これに「アレ」を引き起こす成分が含まれている」

「では、適合者の私は触らない方が良さそうですね」

 

「別にこのままの状態なら大丈夫ですがね。ちょっと待ってくださいよ」

 

 そう言って小男は懐から丁度指輪くらいの大きさの金属の輪を取り出す。そうして得意げにそれをチップの上に乗せると、直ぐに輪から「青い光」が沸き立った。

 

「なるほど、それは縁門(アーチ)ですか」

「へぇ、呪物専用のになりますがね。要するに、遺跡に眠る物……まあ、大抵こんな金属片とかですが、その中の一部にはこうやって祟りを誘発する「青い神力」が含まれているって事ですわ」

 

 

 青い神力。

 女の所属する組織ではこれを「呪い」と呼び、それが含まれる物質を「呪物」と呼んでいる。

 

 「青い神力(呪い)」は適合者の放つ神力に触れることで「祟り」を引き起こす。

 女は詳しく知らなかったが、神域に存在すると言われる上位存在を刺激し、その怒りを簡単に引き出せる唯一の物だという事だけは知っていた。

 

「ところで、何故この町を拠点に?」

「そりゃ小さい遺跡の浅い所じゃ採れないからですわ。日光か、外気か……まあ、とにかく人目に付くような場所にある遺物の中に、呪物の類は殆どありませんね。だが、ここは凄いですぜ!? 呪物の宝庫だ! もしこれだけの数の「呪い」を外に出したら、世界はあっという間にひっくり返るでしょうねぇ」

 

 そう説明した小男の楽しそうな顔を見て、女は無表情のまま。

 

 

「その技術、それを引き換えに何を要求するつもりですか?」

 

 そう言ったのを聞いて、小男は吊り上がった口の端から空気を漏らした。

 

 

 組織は「呪物」を欲しがっていた。

 それを知った小男は今回、所縁石の回収に来た末端の女に持ち掛けたのだ。

 

 呪物を集めるのも、「青い神力」を抽出するのも、俺の技術があれば直ぐにでも始められるぞ、と。

 

 

「ちーっとばかしの開発資金と……ささやかな援助をね」

「援助?」

 

 そう聞き返した女に、小男は写真を1枚取り出し見せつける。

 

「赤い神力を持った子供……神憑きでしょ? 聞いた事がねえんですわ」

「……ええ、「隠匿」持ちの。丁度昨日会いましたね」

 

 何が言いたいのかは、女は直ぐに理解した。

 自分の手を汚すのはあまりやりたくなかったが。

 

「なに、人気の少ない所に誘導するだけで良い。学内に居るアンタならなんてことないだろう?」

 

 上は私に指示をするだろう、と、彼女はその見飽きたにやけ面を視界から追い出すために目を閉じて、気だるげに両手を上げた。

 

「ひとまず話を上に持っていきます。もし取引が成立したら、その時は考えますよ」

「へぇ、期待して待ってますぜ」

 

 

 




投稿遅れました……。
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その理由は

 夜も更け、辺りの地形すら朧げになってきたような時間。

 

 場所は見慣れて来た女子寮の自室……ではなく、風の少ない屋上。

 私ははる子と共同の洗濯機に放り込んでいた自分達の洗濯物を干すため、段々になっている無駄に広いそこに備え付けのカゴを持って訪れていた。

 

 普通は朝に干して夕方取り込むのが良いのだが、昨日は特別に寮生の洗濯物が多く、洗濯機の空きが無い状態になっていてこんな時間になってしまった。もしかしたら、今年から一気に受け入れる生徒が増えた影響もあるのかもしれない。

 

 そうして2人して制服やらタオルやらを干しながら今日あった特別課外授業の事を話していると、はる子はふと手を休めてこちらを見つめて来た。

 

「どうしたの?」

「えっとね~、ごばちゃん、やっぱり部活には入らない?」

 

 部活。

 はる子の言う部活とは私が中学の頃彼女と所属していた「パドリング」という競技の部活を指している。

 

 パドリングとは、「乗用機(パドル)」と呼ばれている水陸両用の乗り物を操り、トライアスロンのようなレースをする競技の事である。

 

 この乗用機(パドル)。半球型の本体の真ん中に、長いレバーが上に伸びているような変な形をしているのだが、これが中々小回りも効くしロードバイク程度には速度が出るので結構面白い。

 

 ただ、これ。

 元々は古代遺跡から発掘された「神力を動力として動く機械」を基に再現された物なのだ。

 

「今の所は入るつもり無いかな。中学までの乗用機なら続けたかも知れないけど……」

「うーん、そっか~」

 

 そう、高校で球技が野球やテニスが軟球から硬球に移行するように、パドリングもまた電動の乗用機(パドル)から、適合者の持つ神力を使って動かす乗用機になってしまう。

そしてこの適合者の力で動く乗用機。なんと動かしている間は使用者の神力がライン状に外から見える無駄に近未来的なデザインをしているのだ。古代の産物の癖に。

 

 つまり、私は赤い乗用機で走らなければならないという事で、そんなの悪目立ちする事この上ない。

 要は、それだから入部したくないのだ。

 

 しかし、私は「青特」でもその部活を続けるつもりは無く、入学して直ぐにあった「部活勧誘会」でもはる子には入部しないとは言った筈なんだけど。

 

「何かあったの?」

 

 改めて私を誘うなんて、何かあったのだろうか。

 ……人間関係とか。

 

「いや~? そういう訳じゃないんだけど……うーん、あのね?」

 

 そう言って切り出したはる子の話によると、1-3に私の事を知っている赤島出身の子が居て、私が何時部活に来るのかとはる子に何度も聞いてくるのだという。

 誰なのか聞いても私の知らない名前の子だった。だけど向こうは私の事を知っているらしい。

 

 何か尚更入部したく無くなってきたが、ともかくはる子曰く、私が来ることを凄く楽しみにしている様子だったので、中々「入部しない」と言い出せずにいるらしい。

 

「というか、もう結構日にち経ってるんだから入らないって薄々分かるもんじゃないの?」

「いやぁ、そこははる子が頑張って誤魔化してるから~」

 

 誤魔化すって。頑張ってって。

 

 もしかしてその子、入らないって聞くと面倒な事になるのかな? それこそ騒いだり、暴れたりしたり。

 ……なんで見ず知らずの人がそんなに私に執着してるんだよ。

 

 いや、けどそうじゃなきゃ、はる子の性格上スパっと言って終わるはずの状況だし……よく考えなくてもかなり面倒臭い状況になっているのかも知れない。

 なんか怖くなった私はそれ以上聞けず、そうして会話は終わって私達は洗濯物を黙々と干す作業に戻った。

 

 

 

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「明かり消すぞー」

「ああ」

 

 同室の声に、そう返すと直ぐに部屋の中が暗くなる。

 何も見えなくなった部屋の中は、段々と月明かりに目が慣れ、その輪郭を現していく。

 

 僕の神通力は「回帰」であった。

 

 その事実に相当舞い上がっていた僕であったが、ようやく今になって高ぶりが収まってきたようだ。

 

 

 収まって来ると、最近起こった色々な出来事から見えてくる物がある。

 

 僕が初めて「3番金鉱石」を触ったあの時、祟られなかったのは無意識に発動していた「回帰」のお陰だったのだろう。

 知識としても知らなかったが、「回帰」は「厄除」のように常時自分を「元の状態に戻す」効果を発揮する作用があるらしい。試したくは無いが、例えばあの状態で大怪我を負っても生きている気がする。それくらい「回帰」はとんでもない性能を持っているらしい。

 

 そしてそれは、神秘研究所に居た時にも居た溢れんばかりの「尾袋鼬」の群れが、何故僕にだけ見えて居るのか、という疑問も解消してくれる。

 

 僕が思うにあの時「回帰」が「隠匿」の効果を打ち消し続けていたのだろう。

 まあ、そもそも聶獣が神通力を使っているのが意味不明なのだが、曜引の「隠匿」は特別性らしいので、ここは考えるのをやめておく。

 

「……」

 

 聶獣は本来、神へ願いを届けるための「耳」の役割を担っていると言われている。

 

 あの、僕が「3番金鉱石」を確かに握っている間に再び聞こえた尾袋鼬たちの合唱は、やはりまるきり曜引(ひびき) 五花(ごばな)の声だった。

 そして、曜引の力に対応する聶獣は、本人の反応からして尾袋鼬で間違いない。

 

 それならば。

 

 あの、悲痛とも言える祈りの合唱の全ては、確かに本人が自分の聶獣達に言っていたという事になる。

 

 何故、そんな事をする?

 彼女の姓は「曜引」で、後から聞き回ると、赤島のある神社を管理している家の娘のようだった。

 そんな家庭環境の問題も無さそうな彼女が、何故、あんな泣きそうな声で平和を願ったのか、呪ったのか、祈っていたのか。

 それは彼女にしか分からない。

 

 そして。

 

 

『お母さんは何でハナを見捨てたの?』

 

 

 それが何故だか、妙に癇に障るのだ。

 

「…………赤島の神社、か」

 

 僕は仰向けのまま、月明かりを覗かせる窓を見遣って呟く。

 

 神職の家系には「適合者」が居る事に大きな意味がある所も多い。

 なにせ神々との所縁(リレーションズ)を持つ人間だ。大きな家であればそれだけで他の派閥より優位に立てるし、それが、例えどれだけ血の薄い者であっても、跡目を継ぐ候補に十分なり得る場合もあるのだろう。

 

 だから、「神憑き」だと分かった子供を養子に受け入れるケースも、裏では結構あるのかも知れない。

 その子供の実の親が、手放すならば。

 

『嫌だ』

『なんで赤いんだろう』

 

 

 ────あの赤い神力が原因で、か?

 

 

「……胸糞悪い、な。全く」

 

 憶測に過ぎないが、脳裏に浮かび上がっていたのは、何ともしっくりと来る話であった

 

 

 

 

 



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山珊瑚の箱入り娘 ①

「という訳で、これから研究所に行ってくれ」

 

 どういう訳なのか知らないが、放課後。

 寮に戻ろうとする私に対し、余目先生が呼び止めそう言った。

 

 反応に困り、私が何も言わずに居ると先生は「ああ」とか言い出して、もう一度検査をしたいと向こうが言っていると説明してくれた。うん、情報量がまるで増えていない。

 

「まあ、俺もよく分からないけど。そういう訳だから」

 

 どういう訳だこのコノヤロウ。

 

 

 そう言葉に出かかったから我慢しようとしたけれど、余目先生はそれだけ言いさっさと教室から出ていったので、うん。そのまま口に出しておく。

 

 

 ……いやもう、ほんと。急に言わないで欲しかった。

 

 私は廊下を歩きながら、遊ぶ約束をしていた小野さん達にメッセージを送り、そうして研究所のある棟へだらだらと歩を進めながらげんなりとそう思っていた。

 

 

 この間の検査は、もう一週間くらい前だっただろうか。

 

 あれからはもうとても平凡な生活を送っていたと思う。

 相変わらず学内で生徒同士のくだらないトラブルは頻発していたけれど、特に自分に害があるわけでも無かったので微笑ましくすら思っていた。

 

 気になる事と言えば例のパドリング部の事だけど、まあ放っておいていいだろう。

 

 

 

 そんな事を考えていながら歩いていたものだから、気持ち早めに神秘研究所の前に着いた。

 

 中に入ると、また受付の格好良い系の女の人が見覚えのある誓約書を渡してきたので、それを再び書く事に。

 毎回やるの面倒だなぁなんて思いながら一応内容を検めていると、その女の人が声を掛けてきた。

 

「曜引さん、神力が赤いんですね」

「え? ああ、そうなんですよ。ウケが悪いので困っちゃいます」

 

 面倒な話題である。

 案の定、大変ですね。なんて女の人が同情のような何かを向けてくれるが、そのリアクションはもう飽きたので止めてほしい。

 

「そう言えばなんだけど」

 

 しかしそこで終わると思っていた会話は、意外な方向に進んで行った。

 

 

「今朝、駅の裏で沢山の尾袋鼬が屯しているのを見たの。曜引さんの聶獣もアレでしょ? 一応言っておこうと思って」

「え゛」

 

 

 ……マジか。

 

 なんで?

 (まわり)か? 廻なのか?

 

 

 いや、それよりも。

 

「えと、何で私の聶獣を?」

「『別羽山珊瑚』なんでしょ? 私も研究員の1人ですから」

 

 浮かんだ疑問を素直に聞くと、聞き覚えのある所縁石の名前が出てきた。

 この人、受付専業の方じゃなかったのか。

 

 言われてみれば目の前の女の人は、服はスーツとかじゃなくて私服だし、長いであろう髪はお団子状に纏めてあって、そのまま実験室とかに居そうな見た目をしていなくも無かった。

 

「ありがとうございます。……まぁ、対応しているってだけの話なので、私には関係ないとは思いますけど」

 

 なんにせよ、受付のお姉さんなんて口走る前に分かって良かったと思った。

 

「一応ですよ。だって曜引さんの適性の数値。凄いことになってましたので」

 

 なんか変な事を言われた気がするが、私はそれを曖昧に頷いて返し、さっさと誓約書を書き上げて、そそくさと実験室の方へ進んで行ったのだった。

 なにせ、頭の中はもう「駅の裏に居た」という尾袋鼬の事で一杯だったからだ。

 

 

 

 

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 場所は学舎の入り口近くにある多目的棟、その一階にある休憩スペース。

 

 僕が所属している所縁学歴史研究会──「縁歴会(えんれきかい)」の活動も休みだと言うので、図書館で借りてきた神々の所縁(リレーションズ)関連の本をそこで読んでいる時の事だった。

 

 ふと本から目を離すと、目の前に見覚えのない女生徒が佇んでいた。

 

 腕章を見るに僕と同じ一年生。

 ウェーブの掛かった栗色の髪を肩まで伸ばし、妙にニコニコとした華やかな印象をもった少女が、無言でこちらを見ている。

 そうして張り付いた笑顔の表情はそのまま、彼女は何も言わず僕の隣のソファに座ったのだ。

 

 

 何故だろうか、首筋に冷たいものを感じる。

 

「君が沙村くん?」

「如何にも、僕が沙村だが……」

 

「私、日里(ひさと)はる子って言うの。「日里さん」でいいよ~」

「あ、あぁ。……日里さん?」

 

 思わず返してしまったが、何なんだこの女は。 

 というか、その呼称ですら許されないと使えないと言うのか。

 

(フッ……)

 

 しかしこの程度の変人、まだまだ低レベルだと言わざるを得ない。

 

 これ以上の魑魅魍魎……いや、逸材がこの地には溢れるように存在する。今更何を恐れようか、初対面で圧を掛けてくるだけの人間に今更及び腰になる僕ではないのだ。

 

「それで、日里さんはなんの用だ?」

「いや、ごばちゃん……あ、曜引五花ちゃんと仲良いんだなぁって思って。はる子、沙村くんとは一回話しておきたいと思ってたんだ~」

 

 曜引絡みか。

 ……いや、いや。

 

 この状況。何かおかしくないか?

 曜引とはそこまで親しくしているつもりは無いし、ここまで詰められる事をした覚えもない。絶対に勘違いをされている気がする。悪い方向に。

 

 そうして緊張感の中、自分の名前が一人称の女と当たり障りの無い会話を暫くすると、やっと向こうは満足したのか「また会おうね~」なんて剣呑な雰囲気と裏腹なゆるい声を発して去っていった。

 

 

 なんというか、熊と遭遇した登山者のような気分だった。

 

 

 

 そうしてようやく平穏な読書の時間を取り戻した僕は、先程の一件のせいでやけに喉が乾いたので、やれやれと立ち上がり、壁際にある自販機で何か飲もうかと財布を懐から取り出す。

 

 

 その時、全力疾走で廊下を走る曜引が視界に入った。

 

 噂をすればなんとやら。

 何となくそれを目で追うと、彼女は学校外に出ようとしている事が分かった。

 

 寮生が学校外に出るには「外出届」を書く必要がある。

 校門に最も近いここ「多目的棟」ではそれを書く受付があり、曜引はそこでその届けを書いているようだったのだ。

 

 無事に外出が受理されると、申請した生徒には番号の付いた札が渡され、校門に常駐している警備員にそれを見せ、そうしてようやく外に出ることが出来る。

 不便だが、僕達は学生なのだから仕方ない。

 

 

 自販機から出てきた珈琲を飲みながら、焦って紙に文字を書きなぐる彼女を見ていると、ふと、それが初日の暴力的な一面と重なった。

 今ではひっそりと鳴りを潜め猫を被っていた曜引だが、ここに来て化けの皮が剥がれそうになっているのは何故なのか。

 

 

 そう考えた時、例の喋る獣の事が頭を過ぎった。

 

 

 

 



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山珊瑚の箱入り娘 ②

 その男は、裏の世界ではそこそこに知られている技術屋であった。

 

 古代の遺物である本来の縁門(アーチ)の構造を知り尽くしている数少ない人物であり、以前には五島の神秘研究所に勤めていた人間であったのだ。

 

 しかし、いささかその研究内容は倫理観が欠けており、度々非難を受けていた彼は。

 それならばと表舞台から姿を消し、複数ある拠点を行き来しながらあらゆる犯罪組織と接触するような生活を始め、そこで得た資金を元に好きなように研究を続けていた。

 

 所縁に関する神秘の全てを丸裸にする事。

 それだけが彼の生きる原動力であったから。

 

 

 ある日、依頼人である黒ジャケットの男────鍵屋からの依頼で、盗みの為、騒ぎを起こすのだと彼と繋がりのある組織からある物を譲り受けた。

 

 

 それは「浮遊の祟り」を起こすと言われている、小瓶に入った青い粉であった。

 

 当時、その「組織」と何のかかわりの無かった男は、以前から祟りを意図的に起こす物質が存在するという話に酷く興味が湧いていた。

 だからその「呪いの粉」と呼ばれる物を貰った時、早速それを解析し、その粉の出所を探った。

 

 そして、運の良いことに、縁門(アーチ)の作成の為に丁度部屋に持ち込んでいた古代の遺物に、同じ反応を持つ物質が見つかったのだ。

 

 彼は狂喜した。

 

 早速それを抽出する専用の縁門(アーチ)を作り出し、その青い光が零れ出す光景を初めて見たときには、日が暮れるまでそれをウットリと眺めていた程には夢中になった。

 

 

 しかし、一方で肝心の依頼の方はサッパリだった。

 

 

 部屋の中で何かに噛まれて転倒し、作業台の上をぶちまけたり。

 

 愛人でないと言っていた女を口説いていたら激怒した鍵屋に胸倉を掴まれ。 

 決められた手順で青い粉を使用しても、祟りは起こらない。

 

 特に祟りが起こらない点が最悪であった。

 

 

 だから機嫌の悪い依頼主が自分の価値も分からず暴力を振るって来た時、心底嫌になって、依頼を半ばで放り投げることにした。

 

 まず、「組織」と接触した。

 

 丁度青い粉を受け取ったときに現れた女は、男の年の離れた後輩であった。

 だから彼女を窓口にして取引をしたのだ。

 

 あのチンピラ共を切り捨てて、持っている「所縁石」を全て奪ってやらないか、と。

 

 

 

 返事は、想像以上に早く来た。

 おまけに向こうも手を余していた連中だったらしく、親切にも彼らに「洞見」持ちがいることも教えてくれた。

 

 だから男はすぐに縁門に遺物の鉄片を仕込み「洞見の祟り」を起こしてやろうと画策したのだ。

 

 

 男が違和感を感じ始めたのは、ここからだった。

 

 今まで居た拠点を引き払い、釜伊里にある拠点に着いた頃。口座を確認すると報酬が入金されていた。

 あの機械を使えば直ぐに全員祟られるはずだった。だから男はそれに、あのチンピラ共は縁門を試さずに送金してきたのだと判断し、不思議に思いながらもただ、馬鹿な奴らだと思った。

 

 しかし次の日、ラジオで「青特」内で特殊自然災害が発生したという速報を聞いて驚いた。

 それは死者がゼロ。更に殆どが軽症者で、唯一の重症者である実行犯達が病院に搬送されたという内容だったからだ。

 

 青特に「破邪の神通力」を持つ者は存在しない。

 

 であるならば、生徒の中に「破邪」か若しくは大変に珍しい「回帰」「浄化」「罪穢」のどれかを持つ適性者が居る事になる。

 男はそれに興味が湧き、大して意味が無いにも関わらず、なんとなく青特に足を運ぶ事にした。

 

 最近、現在いる拠点で良く分からない物音が頻発していて、気味が悪くなっていたのも原因の一つであった。

 例え何も情報が入らなくても、敷地入口近くにある多目的棟の一般者も入れるカフェで気分を入れ替えれられれば御の字であったのだ。

 

 

 そして、結局大した情報も得られずに注文した紅茶を飲みながら「青い神力」の事を考えていると、ある女生徒の集団が店内に入ってきた。

 それに、男は目を剥いた。

 

 なぜなら、その中に「赤い神力」を持つ学生が居たからだ。

 

 この年になっても赤い神力を持つ人間は普通存在しない。

 それこそ学校にすら通っていない浮浪者同然の子供ならばそういう存在も居るかもしれないが、普通は小学校の時点で祓われて神力を失うものなのだ。

 

 となれば、出される結論は一つ。

 

「神憑き、か……?」

 

 あり得ない、訳じゃない。

 小学生時点で、たまに居る赤い神力を出す子供の適性値は大抵1から80までを行き来している物なのだが、稀に100を超える子供も居るというデータを見たことがある。

 

 あの子供は、その稀の中の稀であるという事だ。

 

 

 当然の話であるが、五島の神秘研究所に属していた頃は、その実験データは特殊業学校の生徒の物しか扱うことは出来なかった。

 珍しい神通力持ちならばともかく、黄や緑の適合者なんて、その昔男が所属していた頃にはとっくに豊富なデータ群が揃っていたのである。

 

 しかし、赤は違う。

 小学生のデータを貰う機会がまるで無いため、大昔のデータを漁るくらいでしかその方面のアプローチが出来なかったのである。

 

 そこで男は昔、春の検査に立ち会い、機材を持ち込みデータを採ろうとした事もあったが、その時は禁止されていたことを強行したことで大問題となり、長い謹慎を貰う羽目になった。

 

 

 そこまでして欲しかった実験体。

 それが、しかも「神憑き」の子供が、目の前に居る。

 

 

 男はその子供を見ているうちに無意識に唾液が垂れて、手に持っていた残り少ないカップの中は、微妙にその色が薄まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 青網引南警察署、その三階にある「特殊犯罪対策部」。

 

 入港者のリストに目を通していた小茂呂(こもろ)の机の電話が鳴り、彼は手慣れた様子で受話器を手に取った。

 

「はい、こちら小茂呂です。 はい、はい。あー、そうですか。すぐに行きます」

 

 そう言って受話器を下ろすと直ぐに立ち上がり、自身の後輩に声を掛けてすぐに現場に向かう準備を始める。

 

「何処に行くんですか?」

「近所だよ、高須名の佐後(さご)だ。また『噛まれた』らしい」

「うへぇ」

 

 思わず顔を顰めた後輩に、小茂呂は小さく笑う。

 

 数年前───もう十年前程に差し掛かった頃から、様々な犯罪者がその凶悪度に依らず「噛まれたような痛み」を感じて足を取られ転倒し、その隙に被害者や居合わせた一般人によって取り押さえられる。というケースが五島全ての地域で多発している。

 

 不思議な事に、その噛んだ跡などは一切見つからないのが常であった為、最初は犯人の気のせいだと思われていた。

 しかし、同様の供述が何十件何百件もあるならば話は違ってくる

 

 

 その当時、事態を重く見た本部はこれを特殊な案件と認定。

 

 

 実際に行ってみても、毎回証拠も何も無いので行く意味が無いのが現状であったが、そういう背景もあり、この現象が起きる度に通常の刑事事件の担当からこのように連絡が行くのだ。

 

「珍しく今は忙しいんですから、行かなくても良いんじゃないですか」

「そういう訳にもいかねえよ……つか、珍しく忙しいってお前……まあいいや」

 

 近年、神通力を用いた事件はどういう訳か激減しており、特対の人間は暇を持て余しているのは事実であった為、小茂呂は口を尖らせるだけに止め、そのまま後輩を待たず部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

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 私は焦っていた。

 

 あれから研究所で前回と同じような検査をした後、受付に直行。

 校門で警備員に身に着けていた縁門と外出届を渡し、青特の敷地から出ると、一目散に最寄りの「南網引駅」へと走った。

 

 そして、いざ到着すると。

 その駅舎の入り口の前で何やら人だかりが出来ていたのだった。

 

 私は(まわり)が不特定多数の人間に対し喋り倒している光景を幻視して血の気が引ける感覚を引き摺りながらその人ごみの中にかき分け入ると。

 なんてことは無い、そこには背の白い青島の尾袋鼬が数匹、並んで地面に座っているだけであった。

 

 どうやら、随分と前から大人しく座っているその様子が可愛くて見物人が集っているだけの様子。

 

「あー、良かったぁ……」

 

 そうして最悪の事態を回避した私は脱力して、思わずその場に座り込んだのだった。

 

 

 だけど、受付のお姉さん……あ、いや。研究員のお姉さんの話だと「駅の裏」に屯しているんじゃなかったのかな?

 

 そう疑問が浮かんだが、周りの人に聞いても鼬はここにしか居ないらしく、どう考えても言っていたのはこれの事であったらしい。

 人騒がせな奴等だなと思いつつ、なんとなく人差し指を獣たちの前に遣ると、その中の一匹がそれに自分の鼻を付け、スンスンとやる。

 

 なんだか和むな。

 

 こんなに人だかりが出来ているのも分かる気がする。

 あ、今写真撮られた。私写ってないよな?

 

 なんて考えていると、その臭いを嗅いでいた一匹が唐突に駆け出して、人ごみを抜け、駅の中に入ると、こちらをチラリと向く。

 

 ……そう、まるで先週の祟り騒ぎの時みたいに。

 

 これは、まさか。

 あのパターンなのか?

 

 

 一転、緊張感が走った私は獣の後をついて駅舎の中に入ると、獣は改札を抜けてホームの中でこちらを振り返る。

 どうやら獣の癖に電車に乗るつもりらしい。

 

 

 

 

 

 




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山珊瑚の箱入り娘 ③

 

 

 あの喋る尾袋鼬が見られるかも知れない。

 

 

 僕はハッとしてソファから立ち上がり、曜引が去ってすぐの受付に入り外出届を書き殴ると、その後を追う事にした。

 

 まだ放課後とはいえ太陽の明るい日中。

 夏はまだまだ先だと言うのに嫌に温い空気を肌で感じ、これは汗をかくかも知れないなと上着を脱いで、鞄に仕舞う。

 

 そうして僕は遠くに居る曜引の姿を視界に捉えたまま校門まで走って、そこに居る警備員に縁門(アーチ)を渡して番号札を受け取った。

 

 さあ、目指すは神秘の喋る獣。

 

 木の陰を選びながら、下り坂を暫く走っていると、彼女の目的が何処にあるのか何となく分かって来た。

 

「ごばちゃんは駅に向かってるみたいだね」

「……っは、なんで君まで、ふっ、来てるんだ?」

 

 不意に聞こえた声に右を向けば、先程話した熊女が居た。

 名前はなんだったか……ひ……ひ……日高だったか?

 

「それははる子の台詞なんだけど~」

 

 ああ、はる子だ。そうだ。

 自分で名乗ってくれるのは大変助かるな。

 

「廊下ですれ違ったの。あんな顔して目の前を通り過ぎていったんだもん、心配になるよ~。沙村くんは?」

「僕は、ふっ、純粋な知的好奇心によって行動している、はっ」

 

「なにそれ。……ごばちゃんの為にもここで処しちゃった方が良いかな~?」

 

 処すってなんだ?

 始末すると言うのか? この女が言うと冗談に聞こえないんだが。冗談だよな?

 

 

 そうして曜引の姿を追いながら、何故か殺伐とした空気を感じながらも二人して走っていたが、暫くすると無念にも僕の体力は尽きかけになっていた。元来運動は苦手なのだ。

 それでも気力を振り絞っていたが、不覚にも意識が朦朧としていた時、僕は石畳みの隙間につま先が引っかかり思い切り前方に転倒した。

 

「うわぁ!?」

 

 そしてその先にははる子が居て、巻き込み事故と相成ったのだ。

 

 

 ここは坂道。

 そうしてぐでんぐでんと二回ほど僕等は転がり、石畳の上に広がった。

 

 

 嗚呼、空が青いな。

 

 

「さ~む~ら~……」

 

 その声に現実に引き戻された僕は直ぐに立ち上がり、巻き込み先の方を見る。

 しかし、はる子は特に何処か痛めたような様子は無く、元気に僕を睨みつけているのを見て安堵……安堵? した。

 

 先程派手に転んだのは石畳の上であったので心配したが、どうやら幸運にもお互い怪我は無かったようだ。

 

 

 

「常識的に考えて、今のはあり得ないよね~……?」

 

 ただ、僕はこれから大怪我を負うかも知れないが。

 

 

 

 唸りながらゆらりと立ち上がり、光の無い目でこちらを見据えたはる子を前に、僕は急いで口を回す。

 

「待て、落ち着け。争っている場合ではないだろう。僕達の目的はなんだ? そう、曜引の行方を追うことだ。であれば、そうだな。うん、さっさと行くぞ!」

 

 喋っている間にもじりじりと距離を詰めているはる子の様子を見て、早々に話を逸らす事を諦めた僕は駅の方向へ再び走り出した。

 

 

「まて~っ!」

「待てと言われて待つかっ! 逃げるがか痛い痛いいたいやめろォっ!!!」

 

 

 

 

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 南網引駅。

 

 「青特」の最寄り駅であるこの駅舎は、その規模の小ささに反して思いの外利用者が多い。

 朝や放課後に生徒が利用するのもあるが、この駅の周囲はそこそこ発展しており、更に高須名にて働いている人々のベッドタウンとしての役割も持っているからだ。

 

 だから。

 平日の昼間と言えど、町中で何かが起きれば割りかし人が集まる。

 

 僕ははる子と共にその駅に到着した頃、駅の前にはちょっとした人集りが出来ているのを見て、顔を見合わせた。

 

 当然だが、曜引は見失った。

 ここまで来たは良いが、影も形も無い。

 

 だから、もしやこの人々の中に……と思い、隙間から中を覗くと、そこには尾袋鼬。

 尾袋鼬だ。

 

 急いで中に入り確認したが、例の喋るヤツでは無かった。

 曜引の言う所のごく普通の「青島の尾袋鼬」である。そして彼女の姿もない。

 

 ただの獣と戯れている暇はないので人混みを抜け、外に居たはる子に居なかったと伝えると、僕等は今度は駅の周囲を探すことにした。

 

「もう高須名行きの電車が出た時間だし、もしかすると普通に町の方まで行ったのかも知れないね~」

 

 同感である。

 そうして内心もう見つからないだろうと思いながらも諦め悪く周囲を探して居るわけだ。

 

「もう電話してみれば良いんじゃないか。はる子は番号を知っているだろう」

「うーん、それが今さっき掛けたんだけど繋がらないんだよね~」

 

 そう話しながらも最後、ここで見つからなければ帰るかと駅舎の裏に入った時。

 急にはる子が消えた。

 

 

 

「……はる子?」

 

 曲がり角の前で立ち止まっているのだろうか。

 そう考えて僕が踵を返したタイミング。そこで僕の視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

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 終点である高須名駅に到着すると、私の膝に乗っていた尾袋鼬はぴょんと床に降り、軽快に降車していった。

 

 随分と都会派な獣である。

 階段を登り、通路を通る。さて、ここで何かがあるのかなと思いながら彼の後を追っていると、その先には違う番線の電車。

 

 どうやら、さっきまで乗っていた高須名-青網までの「青網線」から、高須名-釜伊里の「鴨凪線」に乗り換えをしなければならないらしい。

 

 

 私、今日そんなにお金持ってないんだけど。

 

 不安に駆られたが、ええいと電車に乗り込んで財布の中身を確認する。

 ……よし、なんとか行き帰りは出来そうだ。

 

 

 そこでようやく車内を見渡す。

 

 平日の帰宅ラッシュとは微妙に外れた時間、先程の電車と同じく席はそこそこ空いていた。

 だから手近な席に座り、安心ついでに足元でウロチョロする尾袋鼬をサッと抱き上げて膝に載せてやると、獣は呑気に欠伸をする。つられて私も欠伸をしてしまった。

 

 それから暫く経っても電車は動かない。

 発車時間までそこそこ掛かるのかな、と窓から外の電光掲示板をどうにかして見ようとしていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 

「よっ、五花」

「……悠里かぁ」

 

 クラスメイトの加満田(かまた) 悠里(ゆうり)である。

 あの一週間の休校の時に高須名で遊んだ後から、向こうが五花五花と下の名前で呼ぶようになったので、それならばと加満田さんの事は悠里と呼ぶことにしているのだ。因みに小野さんの事はまだ恐れ多くて美祈(みのり)と呼べていない。

 

「悠里かぁってなんやねん。もっと嬉しくせえ」

「悠里かぁ……!!」

「うわ、めっちゃ嬉しそう!」

 

 なんて適当な会話のような何かを続けていると、悠里は当然の疑問として何故この電車に乗っているのか聞いてきた。

 寮生の私が平日のこの時間にこんな所にいるのは確かに不審である。

 

 で、良い言い訳が思いつかない私は「ちょっと用事があって……」一辺倒で押し通した。そして暫くそうしていたら悠里もそれ以上聞いてこなくなった。

 不味い、変人に思われたかも知れない。

 

 逆に悠里に釜伊里に帰るのかと聞いたら、彼女は頷いて、普段白島に居る父親が帰ってきているから一家で揃って夕食をするために呼び戻されたのだと話してくれた。

 こんな素直に話されたら、なんか私も素直に話した方が良いんじゃないかと一瞬思い、しかし精神病院を勧められる未来が見えたので閉口した。

 

 

「それで、その膝に乗ってる可愛いのは何なん」

「あ、これ? ……なんだか知らないけど……懐かれたわ?」

 

 そう言うと、悠里はあからさまに怪しむ素振りを見せる。

 見せるが、その間にもチラチラと尾袋鼬を見ていたので、それを指して撫でる? と聞くと無言で頷いた。

 

 そうしてとりあえず追求を逃れた私は流れる景色を見ながら一体何処まで行くのかと不安になりながら徐々に落ちていく太陽に目を細めたのだった。

 

 

 




青島の地理が分かりづらいかもなので、はる子の絵と共に地図を投下しておきます。
と言っても、青島内でここまでに出た地域以外を描写する予定は今の所ありませんが……

【挿絵表示】


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山珊瑚の箱入り娘 ④

 祟りを受けた人間が生存した場合。その殆どは神々の所縁(リレーションズ)を喪失する。

 それには「祟り」を、唯一現実的に鎮静出来るとされている、ある神通力が関係していた。

 

 

 「破邪(はじゃ)の神通力」である。

 

 それは日本に十数人程居るとされ、保有者は様々な場所に在籍し名を上げている。

 

 広範囲に渡り広がっている祟りを収める事の出来る「破邪」は、それら祟られていた人間が元々持っている神々の所縁(リレーションズ)までも滅してしまうのだ。

 

 

 

 どのくらい集中していただろうか。

 種類も分からない鳥が鳴く声が不意に聞こえ、童顔の男はそれでようやく自分の口の中が乾ききっている事に気が付いた。

 

 木田 各理(きだ かくり)は、人目に付かない森の中。長時間閉じていた目を開き、ふと脚に湧き上がる赤い光をチラリと見る。

 見れば見るほど禍々しい、暗く腐った血を思わせる赫色だ。

 

「洞見は……なんとか使えますか……」

 

 木田は意外に思った。

 なんせ、祟りだ。自分の神を怒らせたのだ。

 

 それなのに未だに自分には「洞見」との繋がりがある。おまけにあの忌々しい縁門(アーチ)を使っていないのに制御力が心做しか上がってすら感じるのだから意味がわからない。「破邪」無しで祟りから生還した人間はそういう物なのだろうか。と納得しようとしたが、何とも釈然としない。

 

「何か、口に入れないと……何かあったかな」

 

 しかし制御出来るようになったとはいえ、彼にとって神通力の行使は非常に集中力の要る物だった。

 

 体力の限界を感じながら、自分の持ってきた大荷物を解き、急いで詰め込んだ為ぐちゃぐちゃになっている中身を手で探った。

 そうしてペットボトルの感触を見つけ引き出すと、勢いで赤いリボンが一緒に引っ張り出された。

 

「……」

 

 赤いリボン。

 木田はひとまず水が入っていたペットボトルの蓋を開け、少し口に含んでから地面に落ちたそれを拾い上げた。

 

 自分が目を覚ました時、下敷きになっていた制服と共に落ちていた物だ。

 

 捕まる前に急いでその場から離れてしまった木田であったが、今思うと、このリボンを付けていた女生徒が自分を介抱してくれたのだろう。

 そして、思わず持ってきてしまったこれのせいで彼女は今頃困っているかも知れないな。とふと思い、あの時からずっと強張っていた表情が少しだけ和らいだ。

 

 

 小休止が終わり、再び木田は目を閉じる。

 

 「洞見」には自身を中心に、広範囲の物や人が何処にあるのか、何処に動いているのかを把握する「千里眼」とも呼ばれる能力を有している。神憑きであっても訓練の必要な難しい技である。

 

 しかし、使わなければならない、あの小男の居場所を知るために。

 

 現在、彼はまだ不慣れなそれを使い、近くの人里に居る彼と繋がりのある別の犯罪組織の動きを観察している所であった。

 しかし、千里眼こそ成立しているものの、肝心の成果は芳しくない。

 

「もう……間に合わない、か」

 

 小男を探していたのは、ただ復讐の為ではなかった。

 「三番金鉱石」を手に入れられなかった今、木田には盗まれた大量の所縁石の中にあった貴重な所縁石が必要であったのだ。

 

 「誰でも神憑きになれる薬」。

 そんな胡散臭い物と交換するために。

 

 

「……ははっ」

 

 拙いながらも、自分がそんな物が無くても既に神通力を使えている現状に乾いた笑いがこぼれ出る。

 

 尤もあの2人は、自分達でない、誰か共通の知り合いに使いたかったようだった。だから木田はもし、あれらの所縁石でその薬が手に入るならば「せめてその知り合いに」とも思ったが。

 

 今日が交換の期限だった。

 

 

 だから、せめてアイツ等の無念を晴らしてやろう。と木田は思うのだ。

 あの男をボコボコに殴って、所縁石の序に他の金品も盗ってやり、警察に突き出し檻に叩き込む。

 

 なんとも、痛快な光景じゃないか、と。

 

 

 

「────ん?」

 

 その時「洞見」が妙な動きを捉えた。

 小さな反応。よく見るとそれは青島ではあまり見られない「尾袋鼬」。

 

 それが大量に、この大森林のあらゆるところから急に出現して、同じように移動していて。

 それらが向かうは、ある一点。

 

 

 木田は立ち上がった。

 

 尾袋鼬といえば聶獣だ、あの小男は何かと神力に精通している。

 だから何か関係があるかもしれないと、そう考えた彼は荷物を急いで片付けた。

 

 

 

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 気がつくと、目の前にはる子の顔があった。

 口に何か黒い布を巻かれ、喋る事すら出来ないのだろう。それで、ただこちらを見ていたらしい。

 

 ……いや、なんで見てるんだ?

 

 居心地の悪さを感じ、体制を変えようと身体を動かすと、当然手足が縛られているようで、ウネウネとしか動けない。

 状況の確認のため、暫くそうして蠢いて周りを見ていると隣に鼻で笑われた。誘拐されたっていうのに、やけに余裕のある女である。

 

 そして、先程から揺れているこの場所。

 どうやら僕達は、大きな車か何かの荷台に放り込まれ運ばれている。

 

 

 この現状に対し、僕が出来ることと言えば情報収集以外に無い。

 壁に耳を付けようとしてみたり、車種を特定してみようと記憶の引き出しを開けてみたり、積まれている他の荷物から何か手がかりを得ようとしてみたり。

 

 しかし、駄目だった。

 芋虫のように動き回った所で何も出来ないとは思ったけど、ここまで無力だとは思わなかった。

 

 諦めて動くのを止めていると、またはる子に鼻で笑われた。苛立つ感情すら湧かない程惨めな気分になった。

 

 ……というかさっきから何なんだこの女は。

 さっきのは嘘だ、なんだか非常に苛ついてきたのでゴロゴロして体当たりを仕掛ける。それに対してはる子も自身の身体を捻り僕の身体を抉るような体当たりを仕掛けてくる。

 

 そうして始まった不毛な喧嘩を続けていると、いつの間にやら車は静止していたようで、いきなり荷台のドアが開かれ強い光が荷台の中に差し込んだ。

 

 

「何してんだ? コイツら」

「無意味に暴れてたんだろ。逃げられないってのに健気なもんだな」

 

 無意味に暴れてたのは事実であった。

 

 

「まあいいや、さっさと運ぼうぜ」

「おい、どっちかがお目当ての神憑きだ。縁門は絶対近づけるなよ」

 

 お目当ての神憑き。

 なるほど、ターゲットは元々明確な1人だったらしい。

 

 となると、あの場所で待ち受けていたのは、その神憑きがここに来るという確証を持っていたからだということで。あー……もしかしなくても曜引の事ではないだろうか?

 あんなに急いでいたのも、なんだか妙な事を吹き込まれて……だったとか。

 

「分かってるさ。もう外して席の上に……」

 

 考えを整理しているその時、黒い服を来た男が言葉を止め、急にあらぬ方向を向いた。

 

「あぁ! パン泥棒だ!」

「何……?」

「俺のメシ! あの畜生共が咥えて持って行っちまいやがった!」

 

 パン泥棒?

 畜生共?

 

 二人組が後ろを向いているのを良いことに僕も身を捩って見ると、そこでは尾袋鼬がビニル袋を咥えてその場でクルクルと回っていた。

 あぁ、これ曜引絡みだ。間違いない。

 

「俺の焼き鳥クンも入ってる袋じゃねーか!」

「ああクソッ! 俺の「昏倒」でぶち殺してやる!」

 

 獣に煽られ激高した2人はそう言うと、その獣を追う為に、僕等の居る荷台を再び締めた。

 そうして勢いよく閉められたそれ越しに聞こえる怒声がどんどんと小さくなっていく。

 

「キッキッ」

 

 謎の展開に脱力していると、唐突に耳のそばで何かの鳴き声が聞こえた。

 思わず大きく仰け反ってそれを見る。暗くてよく分からないが、またも尾袋鼬がそこに居て、何かを咥えている。

 

「んむ~」

 

 それを見たはる子が声を上げる。

 すると鼬は彼女の方に行き、それを脚の上に乗っけたのだった。

 

 間もなく湧き上がった緑色の色を見ながら、ふと思う。

 ……喋る個体と言い、もしかして尾袋鼬というのは神力関係なく、元々非常に知能の高い生き物なのだろうか。それこそ喋ってもおかしくないほどに。

 

 

 盲点だ。

 この15年間、奇跡的にその情報が僕の目や耳に入って来なかっただけの天文学的確率を引いていた可能性があるじゃないか。

 

 よし、帰ったら調べてみるか。



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山珊瑚の箱入り娘 ⑤

 国営青網引鉄道─鴨凪線。

 

 高須名駅から釜伊里駅までの計20駅を通過するこの路線は、特急を選ばない場合、終点まで凡そ3時間という長い乗車時間を要する。

 現在、曜引五花(ひびきごばな)とそのクラスメイトの加満田(かまた)悠里(ゆうり)が乗車しているのは特急であったが、それでも終点まで乗ろうとすると1時間程の移動時間が掛かる路線であった。

 

 最初こそ色々と喋っていた二人であったが、この長い距離である。30分も経過してくれば話題は尽きるもので会話は終わり、2人して無言になっていた。

 

 電車という物に乗り慣れていない五花は、隣で文庫本を広げた悠里を見て、自分も何か暇を潰せるものを持ってくれば良かったと後悔しながら視線を下に落とす。

 そこに居る尾袋鼬は、当分降車はしないという事なのか、自分の膝の上で身体を丸めて呑気に熟睡していたので、何となく髭の先端を触っていたら、その獣は片目だけ開けて迷惑そうに鼻を鳴らしてきた。謝罪の意を込めて頭を撫でてやると、また目を閉じて夢の中に旅立っていったのだが。

 

「まさか、釜伊里まで行くんじゃないでしょうね……」

 

「ん、何か言った?」

「ううん、なんでもない」

 

 危ない。聞かれていたら完全に頭のおかしな人の発言だ。

 既に手遅れであったのだが、それに気付かない五花は姿勢を正し、丁度トンネルを抜けた外の様子を見遣った。

 

 

 背後で陽が落ちている所なのだろう。

 既に周りは夕暮れに赤く、畑を黄色に染め、海を白く輝かせている。

 

 一体自分は何処まで行ってしまうのだろうか。そして何をやっているのだろうか。彼女は、前方の綺麗な景色とは裏腹にそんな風にげんなりとした気分になっていた。

 

 

「海。そろそろ終点やん」

「えっもう!?」

 

 悠里の言葉に、五花は慌てて身を乗り出し車内の時刻表示を確認する。既に時間は17時半を指していた。

 

 どんどん減速していく電車。五花が立ち上がったのに合わせて起き、床で呑気に伸びをする尾袋鼬。

 そうして降車した2人と1匹は、そのまま駅舎の外に出た。

 

 

 どうやらここからの乗り換えは無いようだ。と一人安心する五花に、別れ際悠里は振り返った。

 

 

「……五花、もしかして乗り過ごしたか?」

 

 そんなもの、目的地の知らない五花には知りようの無い事である。

 

 

「そんな筈は無いと思うけど……」

「……な、五花。理由はもう聞かんけどホントに大丈夫か? 今日寮に戻るんやろ? ちゃんと1人で帰れるか?」

 

「かっ帰れるし……多分……ね?」

「いや、イタチに聞いてどうすんのや」

 

 既に五花の奇行の理由を追及するのを諦めていた悠里は、最悪自分の家に泊まっても良いから困ったら電話しろと、無理はするなよと、そう言って釜伊里の街の中に消えていった。

 

 それを見送った五花は、手を振るのをやめて目の前の街並みに目を向ける。

 

 

 

 釜伊里(かまいり)町。

 

 青網引島の南方に位置する、遺跡に半ば埋もれたような景観を持つ街である、らしい。

 

 その評判に反しこの街は南部で最も人口が多く、ここから見ても駅前には雑居ビルが幾つも建って居て、聞いていたような寂れた感じはあまりしない。

 埋もれていると言うよりか、大きなモニュメントが散りばめられている地方都市といったような印象を五花は感じていた。

 

 

 そうやって辺りを見ていた五花の足に、尾袋鼬は自分の身体を擦りつけると、歩くのを止めて再び駆けだした。

 

 その方向は、遺跡の中心地へと。

 

 

「また走るのかぁ……」

 

 曜引は、縁門(アーチ)を持ってこなかった事を酷く後悔しながら、遠くに見える一際大きな遺跡の方へ一歩踏み出すのであった。

 

 

 横断歩道を2つ程渡り、傾斜の緩やかな坂道を暫く登っていくと、周りの建物の背はどんどん低くなっていき、やがて遺跡の立ち並ぶ整備の行き届いていない山の入口に差し掛かる。

 フェンスの破れているところを何とか潜り抜け、そうして森の中に入って間もなく、何かが視界に入り込む。

 

 それに五花は反射的に身を屈めた。

 

「……なんだ?」

「鹿か何かだろ」

 

 すぐ近くに地味な色のボロの服を着た男が2人居たのだ。

 尾袋鼬も彼女の動きを見て立ち止まり、辛うじて向こうから見えない所でこちらを振り向いている。

 

『大きな遺跡には浮浪者が住み着いている事があるから危ないの。絶対に近寄っちゃ駄目よ』

 

 五花は、いつか言われた母の言葉を思い出していた。

 あの2人もそういったホームレスなのだろうか、と彼女は茂みの隙間から男たちを観察する。みすぼらしい格好で、靴はサンダルと、穴の空いた黒い革靴。どちらもボサボサの髪の毛で、その内1人の腕には縁門(アーチ)が巻かれている。どうも片方は少なくとも適合者であるようだ。

 

 暫く観察していると、彼らは何か見張りでもしているかのように周囲を見渡しながらその場からゆっくりと去っていった。

 ……いや、見張りだ。間違いなく、誰かに雇われている。

 

 五花はそう分析して、彼らの姿が完全に見えなくなってから立ち上がると、それを見ていた尾袋鼬は、意を汲んでくれたのかゆっくりと歩き出し。

 

 

「何してるのかな、お嬢ちゃ────」

 

 その言葉を最後まで聞く前に、五花は後方に脚を突き出した。

 

 

 運良く腹か何かに当たってくれたようで、確かな感触がするのを確認し、跳ぶように前方に歩を進め、身体を捻って着地と同時に後方を確認する。

 三人。

 

「……ぐ、何すン、だ……てめぇ」

「おい、捕まえるぞ」

「指図すんなよ」

 

 さっきの2人組ではない、これで合計5人の見張りだ。

 とうとうキナ臭くなってきたと五花は眉間にシワを寄せて、その場から思い切り駆け出した。

 

 駆け出して、尾袋鼬が茂みの中に隠れているのを確かめ、そのまま走り続ける。

 後方からの足音から、追手は2人。先程蹴りを入れた男は来ていないようだ。

 

 彼女が走っているのは最初に見た見張りの2人が歩いていった方面で、間もなくお目当ての人影を見つけると、その内の1人の縁門(アーチ)を巻いている腕に抱きつき。

 

「ぁあ?……なん────」

 

 その男の位相をずらして消した。

 

 

 

「…………お、おおおおっ前ッ!」

「離れろっ! 何かの神通力だ!」

 

 そして五花は残しておいた縁門(アーチ)を腹に当てながら距離を取り、こちらを見ている三人の男を見ながら出方を探るその時、彼らの内の1人が懐に手を入れた。

 

 

 その動きは、彼女にとっては見慣れていたもので。

 

「は……?」

「消えたァ!?」

 

 だから、撃ち込まれたソレを紙一重のタイミングで「隠匿」を使い避ける事が出来た。

 暫し、姿を消した状態で呆然と立ち尽くした彼女であったが、直ぐに我に返り。

 

 

(冗談じゃない! なんで銃なんて持ってる訳っ!?)

 

 そう心の中で悪態を付いた。

 

 この世界でも、「日本」には銃刀法が存在する。

 銃や刀の類の所持は厳しく取り締まられていて、だからこの国でそれを持っているのは警察と軍人だけである筈なのだ。有象無象の犯罪組織が、ましてやその辺の浮浪者が簡単に手に入れられる物では断じてない。

 

 今世で銃なんて、祖母の家にある小さな猟銃くらいしか見たことが無かった五花である。

 体中の鳥肌が立つのを感じながら、迷いなく縁門(アーチ)を最大まで開き、神力を目一杯放出した。今まで躊躇ってやった事の無かったその行動は、赤色への本能的な嫌悪感が原因であったが、命の危機に直面した事で、今回。生まれて初めてそれを行う事になる。

 

 

 そうして。

 イソギンチャクのようだった彼女の赤い神力は。

 細長い数多の赤い触手となって目の前の男達に殺到し、反応する間も無くそれらの姿を消し飛ばした。

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 なんだ、今のは。

 

 五花は呆然とした。

 彼女自身、出来るような気がしたから実行したのだが、何がどうなったのかまるで理解が追いつかなかったのだ。

 

 普通、こんな悍ましい触手みたいに排出した神力の形状を保つことは不可能だし、ましてやそれらを手足の代わりに操るなんて聞いたこともなかった。

 ……しかし、しかし。今は非常時だ。

 

 暫く深呼吸をして心を落ち着けた彼女は、「向こう」で呼吸してしまい意識を失った男たちの位相を元に戻して裸の姿で地面に落とし。

 

「良く分からないけど……使わない手は無いわね」

 

 置いてきてしまった尾袋鼬の元へと一直線に戻るのだった。

 

 

 

 

 

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 青網引神秘研究所。

 

 日も暮れようかという時間帯、その建物の「実験室2」のモニタリング室にいた所長の(わたり) 創輝(そうき)は、隣の駒井(こまい) (ここの)と共に机の上に置かれた紙を前にうなだれていた。

 

「駒井くんはさ、これどう思う?」

「どうと言われましても……」

 

 2人が目を落としたその紙には、一週間前程に測定をした2人の被験者の適性値の印字がされている。

 

 

 

 対象:沙村 綾間 1年 青網引 :   21641

 対象:曜引 五花 1年 青網引 : 808000020

 

 

 

 

「普通の適合者なら900台が限度。例外として「三番金鉱石」に対応している人間は持っている間の適性値が100倍程度になるんでしたよね。沙村さんの入学時の数値は……ええと」

「274、だね。歴史上最高の適性値を持っていた人間も「三番金鉱石」持ちで、あっちは8万くらいだったかなぁ」

 

 彼のその言葉の後、再び沈黙が場を支配した。

 

 正直な所。

 渡も駒井も、目の前にある前代未聞の結果を直視出来ず、どうして良いか分からなくなっていた。

 

 

 なにせ、こっちは通常の神憑きの100万倍である。

 

 

「沙村君は所縁石のお陰だとして問題ないんだけど…………ねぇ、やっぱり機械の不調かなぁ?」

「けど所長、それを確かめる為に今日測定したんじゃないんですかぁ……?」

 

「うんうん、そして出てたね。前回と寸分変わらず同じ数値が」

 

 渡は天井を見上げて頭を抱える。

 

「こんな馬鹿げた数字ある? 本部に連絡すべきかなぁ? けど、もし機械が本当に故障してたなら俺赤っ恥だよ。どうしよっかなぁ」

「まだこの子も一年生ですし、様子見で良いのでは……?」

「君もそう思う? これ、黙っててくれる?」

「はい……私、責任とか負いたくないので……」

「駒井くんって時々凄い発言するよね」

 

 そうして2人は問題を先送りにすることにした。

 駒井は言った通りの事しか考えていないようだったが、所長の渡としては、貴重な研究対象を本部の白島の連中に取られたくないという気持ちがあって、むしろそれが大部分を占めた本音だったのだが。

 

 

 

「私は言いふらしたりしませんけど……望月さんにも言っておいたほうが良いですよ?」

「望月さんねぇ、なーんかあの人真面目っぽいからなぁ」

 

 



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踏み入れる者

『五花』

『はい』

 

 赤曜引島。

 その、酒水(さかみ)という山奥の村にある森の中。

 

 いつかの日、当時まだ小学生であった私は四葉さんと2人向かい合うような格好で立っていた。

 と、言っても疲れ果てていた私はその姿勢でいるのが精一杯で、四葉さんの顔をしっかりと見ることで何とか意識を保っている状態だった。

 

 ある日、森の奥の池で子供が溺れていた。

 練習終わりの夕暮れだった。そこへ鼬に連れられて来た私は、その子を助けようと慣れない神通力を使い。逆に殺しかけてしまったのだ。

 

 おまけに自分の身体能力を見誤った私も溺れかけ、駆けつけた母のお陰で命からがら助かったのだけれど。

 それから私は神通力の練習に身が入らず、「向こう側」に行くたびに私の中にはあの光景が浮かんで、心臓が掴まれるような動悸が襲うようになり、毎回無意識に息を吸い込むようになってしまったのだ。

 

 どうしようもない自分が許せなくて、四葉さんとの練習を初めて休んだ私はひたすら走って。自分を追い込もうとしたけれど、効果はなくて。やがて体力を使い果たそうという時の森の中。

 

 四葉さんはそこに居た。

 

 

『まだ、怖い?』

 

 その言葉を吐き出した師匠の表情は、もう覚えていない。

 

『こわい、こわいです』

 

 私はあの人の顔を見ながらお腹に持っていた縁門を抑え、そう言った。

 「隠匿の神通力」は、気を抜くと直ぐに人を殺してしまえる程の危険な物で、だから使っている時の、あの色素の薄い世界を見るのが怖くて、真っ赤な自分の神力を見るのが怖かった。

 

 

『なら、要らない?』

 

 それを聞いた四葉さんは、俯いている私に近づいてそう言った。

 この悍ましい力を祓うことは、彼女の持つ神通力ならば容易いことだったのだ。

 

 だけど私は。

 

『いえ』

 

 不穏なファンタジーが蔓延る世界で、どんな理不尽が降りかかるかも分からないこの世界で。

 この力をなんとしてでも物にする必要があったんだ。

 

『こんな力が世界中にある。当たりまえのようにつかえる人が沢山いる。それにあらがう力がない方が、よっぽどこわいから』

 

 

 大切な人達を失う事の方が何よりも怖かったから。

 

 

 そう言った時、ふらつく身体を支えるようにして四葉さんは私の両手を優しくとった。

 

『偉いよ、五花ちゃん』

 

 顔を上げると、そこには何時もと違う柔らかい笑みを浮かべた叔母の顔がそこにあって。

 

『だったら、怠けてちゃ駄目だよ』

『え?』

 

 だから一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 

『初めて会った時からそんな感じだよね、今に始まった事じゃない。貴方に昔、何か辛いことがあって。そして、それのせいで怯えている。怖がっている。今はそれが分かりやすく表に出て来ているだけなんだよ』

 

 四葉さんの目は私の心を見透かしているかのように捉えて離さない。

 

『ねぇ、五花ちゃん。貴方が何を抱えているのかは私には分からないけれど、それってきっと素敵な物だったんだよね。だって、そんなに悔やんで、ずっと苦しんで、それでも手放せない物なんだから。大切な、大切な貴方の宝物だったんだなって私は思う。だからね、ほら。考え方を変えましょう』

 

 そう言って彼女は私の頭をわしゃわしゃと力強く撫でた。撫でると言うよりか、揉むように。両腕で思い切り。

 

『いたっいたい、ですよ!』

『頭が硬いんだよ、こんな歳から難しい事を考えちゃって……可愛げの無い! いい? 捨てられないのなら、全部持っていくんだよ、この脳味噌で! 全部覚えたまんま糧にするんだ、次に繋げるんだよ! 貴方が言ったように世界は怖くて、ウジウジと立ち止まっている子を悠長に待っていてくれるほど優しくないんだから!』

 

 そう言いながらも四葉さんは容赦なく私の頭をもみもみし続けた。

 頭蓋にヒビが入るかと思う程痛かったので、そのせいかこの出来事は今も強烈に覚えているのだ。

 

『……それが出来ないって言うのなら、抱えているもの全部話してよ。五花』

 

 そう言った四葉さんの寂しそうな顔が。

 

 

『独り立ち出来ない癖に周りの人を頼らない中途半端な人間に、私は何も教えられない』

 

 本当に痛かったから。

 

 

 

 

 

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 青網引北警察署長手(ながて)交番。

 

 釜伊里駅から遺跡の多く残る大釜(おおかま)山の方面に少し歩いた所に位置するその交番所には、現在2人の警官が勤務していた。

 つい先程交代要員として来た彼らは、最近大釜山の遺跡群に住み着いている浮浪者の数が増えている事を受け、青網引南署の方から増員として来ている勤務員であった。

 そしてある程度この辺りの土地勘を掴んできた、そんな時期。

 

 

「聞いたか?」

 

 短髪の警官がそう言った。

 もう片方の眼鏡の警官は、それを聞いて先程交代間際に所長から言われた言葉を思い出す。

 

「『山の方で不審な目撃情報がある』ってやつですか? 嫌ですよねぇ」

「違ェよ。銃声だ」

 

 そして、帰って来たのは思いもよらない返答だった。

 

「……は?」

 

 眼鏡の警官は、窓を見る目の前の男の視線を追って、慌てて立ち上がり交番所の外に出る。

 そこを見れば、すぐにフェンスに閉ざされた森の入り口が視界に入る。夕暮れで日も沈もうかという時間帯。今からあの中に入っても何も見えないだろうと彼は後ろを振り向いた。

 

「猟……じゃあないッスよね」

「ここは狩猟禁止」

 

 その言葉を聞いた眼鏡の警官は直ぐに本部へ連絡するために受話器を手にとって。

 それを見た短髪の警官は視線を奥の物入れの方へと移し、懐中電灯の点検を始める為に席を立ち。

 

「あのフェンスから向こうはもう無法地帯と思ったほうが良いな。全く……野生動物よりも質が悪い」

 

 そう呟きながら、備品の入った物置の中を物色する。

 

 

 

 ────1人の浮浪者が飛び込んできたのはそんな時だった。

 

 

 

「た……助けぇ、助けてぇ!!」

 

 大人の男が出すには酷く情けない声色で、半ば這うような体で入り込んできたその男に2人は一瞬呆気にとられた。

 

「大丈夫ですか、どうしましたか?」

 

 しかし、緊急事態である。

 直ぐに我に返った短髪の男は浮浪者に声を掛け続きを促す。すると床の方を見ていた男は突然顔を上げ、そして声を掛けた短髪の警官の方を向く。

 

 黒く汚れた額からは脂汗が滲み。目は焦点が合わず。立つこともままならない。

 明らかに怯えている彼は、震える手を合わせて。

 

「祟りだ……! 祟りが出たんだ! 赤いウネウネとしたバケモンだ! 皆殺されちまう……なっなっ何とかしてくれぇ!!」

 

 そうして耳を疑うような事を言った男の前で、警官の2人は思わず互いの顔を見合わせるのであった。

 

 

 

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 真っ暗な空間に足音が近づいてくる。

 

 それは鉄の扉を挟んで直ぐ側で止まり、間もなく金属の擦れる音が聞こえ、そして。

 

 そのタイミングで荷台の中の停滞した空気の全てが外に出ようと出口に圧力を与え、丁度支えの無くなったその鉄の扉を勢いよく押し開いた。

 

 想像以上の暴風に耐えてから、立ち上がった僕が外の様子を伺うと、そこには扉に思い切り身体をぶつけたのか地面で悶える男が1人。顔を抑えている辺り、直ぐに起き上がっては来ないだろう。

 

「うまく行ったね~」 

 

 後ろから聞こえた声の方を見ると、いつの間に拘束を解いていたのか、先程の下手人である彼女が僕の手を縛っていた紐を何かで千切った。

 

 腕が自由になったので、口に巻かれていた布を取り払い、足の紐に取り掛かっていると、はる子が起き上がろうとした男に右足を叩き込み再び寝かせているのが目に入った。状況が状況なだけに何も言わないが、うん。彼女だけは怒らせないようにしようと思う。

 

 

 僕はそうして拘束を解きながら彼女、日里(ひさと) はる子の神通力の強力さに内心舌を巻いた。

 

 

颶風(ぐふう)の神通力』

 自身の周囲にある空気を操作し、強烈な風を起こす程度の、それほど珍しくもない神通力である。

 

 しかし「風を吹かせる」だけの単純な神通力とはいえ、密室であんな風に威力を出すためにはかなりの綿密な操作が必要だ。一年生がこんなに使いこなせる物なのだろうか? もし以前から練習していたとしても、彼女の適性値はかなり上位の方にあるのかも知れない。それ程難しい事をやってのけているのだ。

 

「もう1人の姿が見えない。見つかる前に早く逃げるべきだな」

「分かってるよ、とりあえずあっちかな~?」

 

 そう言ってはる子が視線を向けた先には、割れた遺跡の入り口。

 ひとまず物陰に隠れよう、という事なのだろう。早速そこに移動すると、丁度周りに見えない石壁の影があったので、二人してそこに腰を下ろす。

 ああ、縛られていたせいで体中痛いな。

 

「ここ何処なんだろうね~? 沙村くん分かる?」

「青島で、森の中。こんなに大きな遺跡が幾つもある場所は限られている。十中八九、釜伊里町の「大釜(おおかま)山」だろうな」

「おおかま……あ~、地下大回廊のある?」

「そうだ」

 

 釜伊里南地下大回廊。

 

 青島にある最大級の古代遺跡の1つである。

 数年前までは観光地として一般開放されていた有名な建造物だったのだが、大きな円柱のような形で地下に広がっているその空間は、自殺スポットとして知られてしまったのか一般客の落下事故などが頻発し、近年立ち入り禁止となってしまった曰く付きの建造物だ。

 

 観光客が居なくなり、風通しの悪くなった今では周囲の古代遺跡群含め浮浪者などが住み着いて危険な場所になっていると聞いたことがあるが……。

 

 

 そんな風に考え事をしていた。

 その時。

 

 

 

「君達、ちょっといいかな?」

「はる子!」

 

 不意に横から聞こえた男の言葉に僕は身をのけぞらせると、はる子は「颶風」を使い思い切り男を─────

 

 

 

 

 

「まった、待って! 僕は敵じゃないって!」

 

 

 ────吹き飛ばす前に。

 男はそう言いながら慌てて地面に体を伏せて両手を上げた。

 

 まるで、こちらの手の内が分かっているかのような、まさしく風をやり過ごす為の体勢で。

 



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釜伊里ぶるーすとーむ ①

 青網引島、大釜山。

 そこにある日本四大遺跡の一つ「釜伊里南地下大回廊」の最深部。

 

 やけに乾燥した冷たい空気が淀むその空間。

 数年前に立入禁止となり、誰も居ない筈のそこには、持ち込まれた大量の明かりが床や壁を照らし、そしてそこに散乱する様々な鉄塊の姿を浮き上がらせていた。

 

 その中に、人影が4つ。

 この遺跡の中に簡易的な拠点を作り上げていた小男は、配下の2人を引き連れた巨漢にある物を手渡した。

 

「それで三都橋(みつはし)先生、これが適性値を上げるっていう縁門(アーチ)かい」

「へえ、そうですわ」

 

 三都橋と呼ばれた小男は、その名前に先生を付けられた事に若干顔を顰めたが、気を取り直し目の前の威圧感のある大男に応じて首肯した。

 

「妙な仕込みも勿論してねぇですが、不安でしたら確認してくれて構いませんよ。それで取引の話ですがね……」

「ああ、分かってる。俺達はこれを人数分手に入れる。その代わり、用意するまでは先生の護衛と、「ささやかな手伝い」をすれば良いんだろ? 任せときなぁ」

 

 その返事を聞いた三都橋は内心安堵した。

 噂には聞いていたが、目の前の巨漢────反社会的組織の「炉旗会」を率いる炉旗(ろばた) 虎雄(とらお)はかなり単純な性格をしているようだったからだ。

 

 十数個も縁門(アーチ)を作るのは骨だが、警察や殺し損ねた「洞見」持ちがこちらを脅かす危険を思えば悪い取引ではない。三都橋は小さく溜息を吐いた。

 後輩とはいえ、青特内に潜伏している「あの組織」からの紹介であったのでかなりの不安があったが、対面した限り凡そ要望通りの集団であった。という事は、ちゃんと自身に利用価値があると組織が認めたという事だ。三都橋はそう思った。

 

「「洞見」持ちのゴロツキが私を狙っている……ってのは話しましたよね? 一応その辺のホームレスを雇って見張りはさせていますがね、仲間を呼んで来られたら辛いものがある。炉旗の旦那にそういって貰えるとありがてえ、助かりますわ」

「がっはっは! なんてことはねえ、これは取引だろ? 貰えるもんが貰えるなら、俺達もやる事はやってやるさ」

 

 炉旗はそう言って三都橋の背中をバンバンと叩くと、子分の2人に声を掛け遺跡の出口の方に歩いて行った。

 それを釈然としない気分で見送っていた三都橋であったが、彼らの姿が見えなくなって、それからようやく思い出したかのように顎まで垂れていた冷や汗を拭った。

 

 炉旗 虎雄という人物は、「業火の虎」と呼ばれ、この裏業界の中でもかなりの大物であった。

 豪快で、身内には優しく、しかし約束事を守らない人間には誰よりも残虐な一面を見せる。相手が何処に逃げようとも必ず追い詰め、自慢の「燐火の神通力」で消炭にしてしまう。

 そんな話を噂で知っていた三都橋は一先ず話が上手く纏まった事に安堵していたのだ。

 

 そうして彼がやれやれと折り畳みの椅子に座り、脱力した。

 その時だった。

 

 

 カタン。

 

 

 自分以外誰も居なくなった部屋の中で、その決して小さくない物音が響き渡った。

 続いてひたひた、ひたひたとそこら中を何かが張っているような湿った音が暫く続き、彼は無意識に自身の骨の浮いた両手を握り締める。

 

「……大丈夫、大丈夫」

 

 最近の彼を襲う怪奇現象の数々は、日に日に酷くなる一方であった。

 

 「洞見」の事もあり、釜伊里にあった拠点を飛び出しこんな所に場所を移したにも関わらず現象は収まらない。その内彼は、これらの怪事が神々の所縁(リレーションズ)の神秘に近づく人間への警告なのだと思うようになっていた。

 しかし、この生き方しか知らない三都橋は突き進むしかない。

 

「ヒヒッヒヒヒ……。音を出したり、物を落としたり、その程度かぁ? クソ共がよぉ!」

 

 震えないように、大声を張り上げる。

 自分の怒鳴りが空しく辺りに反響して彼は鼻を鳴らした。

 

 焦る必要はない。アイツ等は自分を害する事は出来ないのだから。そうに決まっている。

 

 そう思い直し、三都橋は卓上に意識を戻した。

 この最深部にある遺物は「呪い」────青い神力が豊富に含まれる遺物の中でも更に濃く、昏い光を灯す物ばかりだ。非常に濃度が高いのであろうそれらは彼にとって財宝と同じで、最高の研究対象でもあったのだ。

 明日にでも届く筈の赤い神力の実験動物の事もある。三都橋は、これから一気に進むであろう自分の研究に思いを馳せながら縁門(アーチ)の作成に取り掛かるのであった。

 

 

 

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 あれから、木田 各理はやっとの思いで尾袋鼬が集っている場所に着いた。

 

 場所は大釜山。

 その中にある「釜伊里南地下大回廊」の内部のずっと深くに獣たちは集っているようだった。目的の分からない奇妙な聶獣たちの行動は、その場に到着してようやくその理由の一端を知る事ができた。

 

 

 「洞見」が、ずっと探していた目的の男を捉えたのだ。

 

 

 場所は、この遺跡の最深部。

 正直、木田は彼らとあの男が繋がっているとはあまり思っていなかった。勿論心のどこかで「もしかして」と考えたからこその追跡であったが、こんなに上手く事が運ぶとは思えず、まるで掴んだ頼りない藁が、実は鉄線の束だったかのような釈然としない気分で。

 

 だから彼は状況の確認に少しの時間を要した。

 荒い息を整えながら罠の可能性も考えていたが、それもなさそうだった。

 

 というのも、警備が余りにも厳重すぎるのだ。

 

 この辺りの浮浪者でも雇ったのか、そこらを見張りが歩き回っているし、入り口付近にも縁門(アーチ)をもった人間が複数うろついている。こちらを罠に掛けるつもりだったのなら、あんなに堂々と周囲を警戒させる必要も無い。

 そう考えた彼は、次に侵入経路を探った。

 

 しかし、3つしか無い地下回廊の入り口には見張りが交代でついているようだったし、仮に忍び込めても身を隠しながら奥に侵入するのは不可能に思えた。

 

「……こんなに警戒してるなんて、思わなかったな」

 

 思わずそう愚痴を零す。

 

 憎たらしい小男を襲うだけのつもりだった。

 しかし、こうして隙もなく護衛がついていると、視ることしか出来ない「洞見」としては、余りに無力であったのだ。

 

 そうして何か突破口は無いかと周囲を探っている時、ある言葉が耳に入ってきた。

 

『頼まれていた子供を攫ってきました』

『おう、早かったな。……間違えてないだろうな?』

『ははは、ちゃんと駅裏に来た青特生を連れてきましたよ。女でしたよね? なんか近くにいた男のガキに見られたっぽいんで二人いっぺんに連れてきましたけど』

『またヘマを……まあいい、それで足はついてないんだなぁ?』

『勿論です!』

 

 おいおいマジか。

 

 木田は声に出さず口を動かした。

 幾らここが多少派手にやってもバレない立ち入り禁止の山だったとしても、派手に動きすぎでは無いだろうか。あの小男は何か焦っているのだろうか。彼はそういう印象を受けた。

 それにしても青特生がここに連れてこられた。という事は、これは間違いなくあの小男の為であり、何か実験に使うのだろう事は明白。それ以外にわざわざ力を持った適合者を狙う理由は考えられない。

 

 木田は、とりあえずあの男の邪魔をしてやろうと思った。

 場所は割れたのだ。いつまでこの場所に留まるつもりなのかは知らないが、ここまで来たら持久戦で、急ぐ必要も無い。

 

 あの顔もわからないリボンの女生徒の事がちらりと頭を過ったこともあり、彼は攫われてきたであろう学生たちの居場所を探った。そして────。

 

 

「まった、待って! 僕は敵じゃないって!」

 

 現在に至る。

 

 颯爽と助けて、軽やかに去る。

 木田の正義の味方のような救出プランは、もう既に2人が脱出していた事から早くも破綻していた。

 

 分からなかったのだ。遺跡の陰に居たことから、縛られて一時的に置かれているものだとばかり思って、よく見ずに声をかけてしまったというのが顛末だった。

 

 しかも最悪な事に、二人の学生共は僕を奴らの仲間だと思っていてひどく警戒していた。

 ここはひとまず「洞見」を使って会話を上手く誘導してやるしかない。木田はそう決心すると、伏せた顔を少し上げ、前にいる男子生徒の顔をチラリと見た

 

『赤い神力……この間の祟り騒ぎと何か関係が? 縁門(アーチ)が足にあることから海神。先ほどの反応から「洞見」の可能性が非常に高いな。それならばこの思考も読まれている危険性もあるが……』

 

 最悪だ。

 自分が赤い神力を出している事を忘れていた。というか、早速手の内がバレていた。

 

「あ、あのー。信じられないのは当然だけど、僕は彼らとは違いますからね?」

「そうなんだ~」

 

 そうなんだ~、じゃねえよ。

 思わず暴言が飛び出しそうになったのは置いておいて、木田は内心苛立ちながらこれっぽっちも話を聞いていなさそうな女生徒の方を見る。

 

『……』

 

 無だった。

 

 木田はこれを知っている。

 今の会話、ひいては状況に毛ほども興味を抱いていない人間のソレである。

 

 しかし、警戒心が無いのはまだマシな方。

 木田は男子生徒の方に向き直り、とりあえず彼を納得させて事を抑えようと口を開く。

「さっきので分かっちゃいました? 僕の神通力」

 

 

 とりあえずはもうバレてしまっている手の内を自ら明かすことで警戒心を緩める。

 

「やはり「洞見」なのか」

「ええ。だから余計に怪しいとは思いますけど……安心してください。僕はあなた方を助けに来たんです」

 

 目の前の男子生徒の出所不明な自信ある態度に、先ほどから思わず敬語が出てしまっているが、選択を間違えたら最悪吹き飛ばされ、そうして山中の急斜面を転がって行くことになる。だから一応口調はこのままにしておくべきだな、と彼は思った。

 

『胡散臭すぎる』

『……』

 

 まあ、殆ど意味は無い。というか、下手したら逆効果のように思えたが。

 

「と、とにかくこの場から離れましょう。釜伊里はこっちです。僕がこの「洞見」で先導しますよ」

 

 

 木田はそう言って立ち上がり。

 曖昧に頷いた彼らを誤魔化すように背を向け歩き出そうとした、その時。

 

「……」

 

 「洞見」が何か異常な物を捉えた。

 

「なあ、どうしたんだ? 先導するんじゃ」

「静かにして下さい、悲鳴です」

 

 それだけ言って木田は男子生徒を黙らせる。

 銃声、叫び声。明らかに穏やかじゃないそれらは間違いなく一直線にこちらへ向かっていて。

 

『赤いのがっ……ぎゃああっあああっ!!』

『ば、化け物……!』

『聞いてねぇよぉ!こんなのっ!』

『たっ……たた祟りぃ……?』

 

 

「赤い……化け物……祟り……?」

 

 祟り。

 拾えたその単語だけで十分だった。

 

「祟りだって?」

「もしかして、ごばちゃんかなぁ」

「いや、そんな訳無いだろう……祟りだぞ? ははっ……無いよな?」

 

 静かにしろと言っているのに子供の2人が何かを喋っている。

 苛つく木田であったが、しかし再び注意する余裕なんて無かった。

 

 このままじゃ鉢合わせである。木田は彼らを一瞥すると、自身の脚に巻いてある縁門(アーチ)を縛り直した。

 

「逃げましょう。「近くに居るだけで障る」タイプだったら取り返しが付かない」

 

 

 

 

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「あぎゃああああああああっ!!」

 

 いや……そんな怯えなくてもいいじゃん。

 

 私はそう思いながらも、最後の命乞いする見張りを行動不能にした所で神力の触手を緩め、足を止めた。

 そうして自身の周りをゆらゆらと揺れている触手をまじまじと見て、乾いた笑いが出た。

 

 確かに、傍目から見たら物凄い多脚の……蜘蛛の化け物……いや、巨大な芋虫のように見えたのかも知れない。

 

 

 

 しかし。

 しかし、これは銃弾がどこから来ても大丈夫なように試行錯誤した結果なのである。

 

 それにこうして縁門(アーチ)を全開にしてみて初めて知ったのだが、私の赤い神力はなぜだか人や物に触れる事が出来るらしかった。

 「位相をずらす」という能力の応用なのだろうか、私が無意識にやっているのかは分からないが、とにかく物理干渉が可能なのだ。

 

 そして私は思った。

 

 「これ、移動に使えそう」と。

 

 そう思って早速縁門(アーチ)を背中に回して脚代わりの触手を生やし、それらを操作して移動してみたら、これが面白いほどうまく行った。

そうして中でぶら下がりながら走って……走って? 走っていたらなんか先導している尾袋鼬が物言いたげな目で私を見てきたけど。

 

 うん、楽なのだから仕方ないよね。

 

 確かにずっと隠れて行動するのも手ではあったが、相手を消そうとする一瞬、自分も姿を現さなければならず、そこに必ず隙が生まれる。それならばずっと神力に包まれていたほうが都合が良かったのだ。後、楽だし。

 それにこんな山の中。どうせ私のことを知っている人間もいないだろう。

 

 

 

 そうして何とも言えない気分に折り合いを付けた私は、目の前に意識を向ける。

 

 先導していた尾袋鼬がその案内を止めたのは、山の中にある遺跡群の中でも、一際大きいドームのような建造物の前だった。

 

 舗装された道と、植物が絡み、色褪せた案内看板の数々。

 どうやらここが数年前まで観光地として開放されていたという「釜伊里南地下大回廊」であるらしい。

 

 

 




お気に入り・評価・ご感想ありがとうございます。
お陰様で拙作のお気に入り者数が2000を突破しており感動しています……!


投稿間隔が開く日々が続いていて申し訳なく……。
早速次話の修正に取り掛かりたいと思います。


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釜伊里ぶるーすとーむ ②

 

 周りの人が、皆馬鹿に見えた。

 

 同年代の子供も、大人も。みんなみんな私より劣っている。

 嫌がらせをしてくる女の子達。人の物を隠して笑う男の子。気味悪そうに私を遠巻きに見ながら失礼な事を言う施設のおばさん。

 

 だけど、私はそんな事でいちいち怒るなんて無駄な事はしなかった。

 

 なぜならあの人達は、みーんな哀れな馬鹿だったから。

 低知能な故に鬱憤が溜まるのも仕方ないんだろうなぁって思っていた。

 

 

 今の両親に引き取られた後も、それは変わらなかった。

 恩は感じなかった。私が「神憑き」であることが判明してすぐの時期であったから、それが目当てなのかな、と。両親の顔を初めて見た時、ただ、それだけ思ったのを覚えている。

 

 

 そうして、自分に親密に接してくる人達が出来た。

 

 彼ら夫婦は中々子供が出来ないでいたらしく、だから代わりに私を引き取ったのだという。

 まるで、愛玩動物か何かのような理由でここに来た私は、その話を聞いて「それなら、もっと愛想の良い子を選べば良かったのに」と思っていた。

 

 両親を名乗る人達の居る家と、小学校を往復する。

 「どうでもいい人」達に振り回される煩わしい日々。

 

 

 そうこう過ごしているある時、私に弟が出来た。

 

 

 

 その知らせは余りにも唐突で、内心とってもビックリしたけれど。

 喜んでいる両親に、私も喜ぶ演技をして皆で楽しい楽しいお祝いをした。

 

 その最中、こちらを見た母は困ったような顔をして。

 

「はる子も私の大切な娘で、それは変わらないのよ」

 

 口にしたその言葉を聞いた私は。

 自分の演技が見破られたのかなと、ただそれだけが気になった。

 

 そうして、何ヶ月か経って。

 無事に母親が出産した。

 

 彼女が幸せそうに抱いている男の子を見て、私は赤ん坊って思ったより気持ち悪い見た目をしているんだなと思った。

 そして、その赤ん坊も段々と成長してきて。私に懐いたのか、どこに行くにもトテトテと付いてくるものだから最悪だった。

 

 煩わしい日々が、もっと煩わしくなった。

 私の周りはお荷物ばっかりで、それが私の脚に絡まっているようだった。動こうにも、上手く動けなくて、段々身動きが取れなくなって、息苦しくて。

 

 

 

 そのうち私は、なんとも思っていなかった自分の家族を憎たらしく思うようになっていた。

 

 

 

 ある日両親の帰りが遅く、弟と2人でいる時。

 ぐずる弟をあやしていた私は、無意識に彼の首を絞めようと両手を伸ばしていたのだ。

 

 思い留まったのは奇跡だったのかも知れない。

 

 初めての感情だった。

 これが「嫌い」なんだと、その時に初めて理解して、それと同時に自分のしようとした事に恐怖した。

 

 

 

 だから。

 だから、私は馬鹿になることにした。

 

 人懐っこい性格を作って。

 他人を心配するふりをして。

 お馬鹿だけどいい子に見られるように。考えるのをやめて暮らせるように。

 

 身近な人を、嫌いにならないその為に。

 

 

 

 そうしたら「どうでもいい人」しか居なかった私の世界に「嫌いになりたくない人」のカテゴリが増えた。

 

 

 

 

 

 

 

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 日も落ち切った山奥。

 自分の足元も満足に見えない程の暗闇に包まれた大釜山の森の中。

 

 そんな場所であったから、不審者の男とはる子、そして僕の3人の移動速度は著しく下がっていた。

 光源は木々の隙間から来る僅かばかりの月光と赤と緑の神力の光のみ。そんな中での事である。

 

「あぁーっと、僕は用事を思い出したので戻りますね!」

 

 先導していた不審者が唐突にそんな事を言って来た道をダッシュで戻り、貴重な光源が一つ減ってしまったのだ。

 余りにも急な事だったから、僕らはその場で暫し立ち止まり、遠くの方でだんだん小さくなる赤い光を眺めている事しか出来なかった。

 

「どうする~?」

「……とりあえずこの道を歩いて行けばいいんじゃないか。今は寂れているが観光用に用意されていた道だ、暗闇でもこれを辿れば問題無く釜伊里には着くだろう」

「ううん、そうじゃなくて……」

 

 その返しにはる子の方を見るが、暗闇でどんな表情をしているか分からない。

 

「そうじゃなくて?」

「戻るか、進むか。だよ~、あやや。さっきの人は「洞見」を持っているんだから今の行動ってさ、つまり────」

 

 

 その時、目の前に彼女の手が伸びて来た。

 そこに伸ばされた指は2本。

 

「近くのどこかに、何か無視出来ない物を見つけた」

「この先の方向に、何かとても危ない物を見つけた」

 

 ……はる子の懸念も分かる。

 確かに、あの不審者が僕らを助けようとした保証はない。

 

 そもそも、男の言う「祟り」が本当に来ていたのかも分からないのだ。分かるのは「遺跡から僕らを遠ざけようした事」と「何かを察知してその場から消えた事」の2つだけ。

 

「それでさ、今の状況を考えると……」

 

 その言葉を待たずして、前方の方から白い光が幾つか現れた。

 恐らくはる子の放つ緑色に気付いたのだろう、チラチラと光るそれらは間違いなくこちらに向かっていて。逃げる間もなく僕ら二人は眩しいそれに照らされ、視界が真っ白になった。

 

 

 

「制服?」

「子供だ、こちら阿原、未成年の学生を発見」

 

 その言葉を聞いて、僕は足の力が抜けふらついた。

 警察だ。

 

 

 思い返せば、特徴から見て間違いなくあの男は例の祟り騒ぎに関係している不審者なのであって、だから彼らに出くわすのは都合が悪いに決まっていたのだ。

 

 こうして保護された僕達は阿原と名乗る警察官に幾つか事情を聞かれた。

 

 どうしてこんな所に居たのか。

 何をしていたのか。

 

 それらに対し、僕はこの先の遺跡を根城にした奴らに誘拐されていた事を話していたが、説明している最中。彼は怪訝そうな顔をして。

 

 

「もう1人の子はまだ遺跡の方に居るのかな」

 

 聞かれたその言葉に。

 跳ねるように後ろを向いた僕だったが、そこにはもう誰も居なかった。

 

 

 

 

 

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 釜伊里南地下大回廊。

 正直、本で見たことしかないこの遺跡の構造は、何層かに別れた円柱のような形状になっていたと朧気ながら記憶している。

 

 さて、そんな遺跡に意気揚々と突入した私であったが、一層目で早くも足止めを食らっていた。

 

 

「俺こそが! 『業火の虎』炉旗(ろばた) 虎雄(とらお)だァ!!」

 

 もう帰りたい。

 

 如何にも能力バトル物のキャラみたいな名乗りを挙げた目の前の大男は、咆哮しながら黄色い光を身に纏ってこちらに突進してくる。

 「燐火の神通力」に限らず、周りに影響を及ぼす部類の神通力は、対象者との距離が近ければ近いほどその能力を上げるのだ。

 

 そう、恐らく。

 というかほぼ確実に目の前の男は『燐火の神通力』を持っている。

 これは、自身の周りを発火させたり、火の玉を作って飛ばしたり出来る結構危ない神通力で、さっきから私の服や髪の毛が発火しそうになっている。

 

 そうして走りながら火の玉を生み出した大男は、こちらにそれを投げつける。

 それと同時に私の制服が発火しそうになるが、距離とタイミングが分かっているのなら何てことはない。発火した瞬間火種の神力を消し飛ばして対処する。

 

「……っと、危な」

「逃げんじゃぁねぇよっ!!」

 

 火に気を取られている間に、目の前に男が迫っていた。

 どうやら私が纏っている触手に触れても大丈夫だと、既に確信してしまっているらしい。

 

 それに対して私はなんとか身体を掴まれる前に地面に触手を突き刺して高所に避難した。

 油断しすぎだ。全く、ちゃんとしろ私。

 

「せぁあっ!!」

 

 なんて考えている間にまた火の玉が飛んできたので火種を消す。

 服保つかな。髪の毛もダメージが心配だ。

 

 

 ……それにしても、本当に埒が明かない。

 私はうんざりと目の前の大男の後ろに控えた部下らしい男の黄色い神力を見る。

 

 あれは『厄除の神通力』だ。

 祟りや神力からの耐性を得る効果を持つ神通力で、私の「隠匿」から大男を守っているらしい。そのせいで触手でペチペチしても彼らを消せない私は、だからこうして彼らの消耗を待っているのだが。

 

 

 

「俺こそが! 『業火の虎』炉旗 虎雄だァ!!」

 

 さっきからずっとこの調子で、全く疲れの色が見えないのだ。何なの?

 もう名前覚えちゃったよ。



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釜伊里ぶるーすとーむ ③

 

 風も無く、日も完全に沈んだ大釜山。

 青網引島の北方に位置するこの低山は、観光名所でもあった「地下大回廊」の閉鎖に伴い、人の立ち入る事の無くなった、静かな山であった。

 

 国内でもそこそこ有名であった「地下大回廊」である。 観光地としての大釜山を復活させようという働きは、何回もあった。

 転落防止の為に手摺を付ける、建物の中に入ること自体を止め、周囲の遺跡群含め外から見て貰う。等々直ぐに出来る対策をとれば、直ぐにでも客を再び呼び込む事が出来る。

 彼らはそう考えていた。

 

 ある日、地下大回廊内部に柵を設置する為、ある業者が立ち入った時の事。材料を運び込もうと車両を動かしていた彼らは、屋外の何でもない石造りの床に大穴が出来ていたのを発見した。

 覗き込んで明かりを照らしてみても何も見えず、どのくらい深いのかも不明。観光客の歩く道がこれでは不味いだろうと、業者は町の役人を呼び、そうして本格的な大穴の調査をする事になった。

 

 

 穴は予想より遥かに大きく、しかも横に広がっていた。

 

 また、調査を進めていくとそれはまるで「地下大回廊」のように多層になっている事が判明し、それが山全体にまで行き渡っている。

 つまり大釜山は、土に覆われただけの一つの大きな遺跡なのであった。

 

 同時に、山の何処で底が抜けて落下してもおかしくない危険性を孕んでいることが判明し、結果、工事は中止。

 扱いに困った自治体は麓をフェンスで囲み、こうして大釜山は無人の土地になったのである。

 

 

 その後、誰も立ち入る人間の居なくなったこの山には、何時しか生活を追われ、世を捨てた浮浪者がポツポツと住み着くようになった。

 様々な動植物が潜んでおり、飲み水として使える清潔な渓流が幾つか近くにある。また歩いて数分で釜伊里の町にたどり着ける。夏場は涼しく、冬は遺跡の屋根壁が風を凌いでくれる。彼等にとってここは非常に居心地の良い場所であった。

 

 

 

 

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 木田 各理は、釜伊里の方からやってきた数人の警察から逃れるべく、踵を返し遺跡の方向へ歩を進めていた。

 

 これであの変な学生2人も保護されるだろうし、それならばこれ以上一緒に居る意義も無い。変な緊張で重くなっていた肩の荷がようやく降りた。そう思う彼であったが、その表情は浮かない物であった。

 

 

 警察が来ている。

 

 「祟り」の目撃情報を受けたのか、それとも誘拐事件の足取りを追って来たのか。発端は分からないが、ウカウカしているとあの遺跡の中に応援を呼んで乗り込んで来るだろう。

 

 その場に自分が居れば間違いなく捕まる事を思えば、もうあの小男に報復する事は難しい。おまけに祟りのようなナニカも現在地下大回廊の中で暴れ回っている。もう滅茶苦茶だ。

 

 そのお陰でかなり警備が薄くなっているが、あの状態の中報復の為に突っ込むなんて自殺をしに行くような物。木田は思わず足を止め、その場でしゃがみ込んだ。

 

 長期戦を覚悟していたのに、時間はもう欠片も残っていなかったらしい。

 

 せめてあの祟りが小男を殺してくれるよう祈っておこう。と彼はそう思い、悪目立ちする赤い光を仕舞おうと縁門(アーチ)に手を伸ばした、その時。

 

「……移動している」 

 

 「洞見」が小男の動きを掴んだ。

 隠し通路でもあったのか、彼は地下大回廊の最深部から横に移動を始めているようだった。よく注視してみると、確かに細い空洞の線が存在している。

 

 祟りが大暴れしている事に恐れ逃げ出したのだろう。

 木田はその道筋を追い、集中して空洞の線が何処に繋がっているのかを調べる事にした。

 

「どうしたの?」

「待って下さい、今大事な所なんですから」

「は~い」

 

 天然の洞窟なのだろうか、真っ直ぐとは言えない歪なその空洞の線。

 その方向は遺跡群の北西。その先にある比較的大きな建造物の地下に繋がっていた。続いて建物の中を見通し無人であることを確認する。それならば侵入するのは容易だろう。

 

「はぁ、はぁ────おいっ! 探したぞ……」

「あやや」

「その渾名はやめたまえ」

「んーじゃあ、むらあま?」

「あー、僕の言い方が悪かった。渾名自体をやめるんだ」

 

 しかし懸念すべき事が1つ。

 同時に大量の尾袋鼬が男に追従する形で大移動を始めているのだ。

 

「やだ。これからは「むらあまん」ね~」

「『ん』は何処から出て来た? より変な方で固定するんじゃあない!」

 

 あそこなら今から徒歩で向かえば十分待ち伏せできる位置関係である。すぐさま向かいたい所であったが、この不審な動物達の行動が木田を躊躇させている。

 

「そう? 常識的に考えて「あやや」の方がヘンテコだと思うけど~」

「はぁそんな訳……いや、うーん……そうなのか? ふむ……君はどう思う?」

 

 

 

「知らねーよっ!」

 

 木田はここ1カ月で一番大きな声を上げた。

 

 意図的に触れないようにしていたが、向こうから触れて来るのだからどうしようもない。彼は意を決して後ろを見ると、案の定警察に保護されている筈の例の変な学生達が居た。

 何なんだこのクソガキ共は。そういう台詞が出掛かったが、なんとか飲み込む。

 

「……何で居るんですかアンタ等」

 

「はる子?」

「えっとね、教えて貰いたい事があるんだ~。警察さんもあややを探しに来るだろうし手短に言うね」

 

 少女の方はそう言って怪訝な顔を浮かべている木田から目を見つめながら、彼の身に着けている縁門(アーチ)を指差した。

 

 

 

『尾袋鼬が集まっている場所を教えて。じゃないとここでお縄だよ?』

「────うげっ」

 

 

 

 

 

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 あれから結構時間が経った。

 私が躱して、躱して、躱すだけの不毛な時間が、である。

 

 何もかも「厄除の神通力」のせいだ。

 あれは任意に祟りや神力の耐性を与えるだけじゃなくて、触れた者の神力を弱める特性まである。姿を消して不意打ちするにしても、安易に近づいたら「隠匿」が弱められて終わる。本当に面倒臭い。

 

「はぁー、はぁー……ぐっ」

「と、虎雄さん……」

 

「────まだだぁっ!」

 

 それにしても、かなりタフな人達である。

 もう無視して下の方に床抜けしようかな、とも思ったが、あれだけ先へ行く通路を守った立ち回りを徹底している辺り、すぐに追いかけて来て袋小路になる可能性がある。命が掛かっている場面、不用意な事は出来ない。

 

 私は動き回りながら、いつの間にか部屋の隅にシレっと佇んでいた尾袋鼬をチラリと見遣る。

 「今回」も彼らの導く先に碌でもない事が起こる……又は、起こっているのだろう。

 

 どういうつもりで彼らがそのような行動をするのか未だに分かっていない。しかし、何故どうしてなんて考えている時間も今は無さそうだ。

 

 

 

 なんて、考えている時だった。

 

 唐突に数本の触手が壁から剥がれ、私は支えを失って地面に着地し、立ち上がれずに地面に手を付いた。

 大きな縦揺れ。ギシギシと遺跡の軋む大きな音。

 

「……?」

 

 

 地震?

 

 

 この世界に来てから久しく経験していなかった自然災害。

 ハッとして対峙していた2人の方を見ると、向こうも揺れに耐えきれず蹲っているようだ。

 

 この世界は地震が非常に少ない。

 

 前世での「日本」は地震大国であったものの、この世界では日本ですらもごく稀に発生する程度の珍しい現象。という扱いで、またその揺れ自体小さい物ばかりなのだ。

 ということは、近くで大きな爆発か何かでもあったのかもしれない。

 

 ちょっと、不味いかも。

 

 外の様子が大変気になるけれど、非常に気になるけれど、それどころじゃない。依然収まる気配の無い縦揺れが遺跡の軋む音を大きくさせていき、遂には私の居る遺跡の天井が崩落を始めたのだ。

 

 とりあえずこちらに飛び込んで来た鼬を抱きかかえ、触手でドームを作って降って来る瓦礫を全て消す。落ち着いたら触手を地面に突き刺しながら移動し、男2人の方に行ってみれば、大男……「燐火」を使っていた方が片足を潰していた。もう片方は、頭でも打ったのか、頭から血を流して意識を失っている。

 

 当たり前だ。

 石造りの天井が崩落したらこうなるに決まっている。むしろ運が良い方だろう。

 

「……なんだ、中身は子供だったのか」

「その人、生きてるの?」

 

 もう戦う雰囲気でもない。

 思わず聞いてしまったが、その問いに大男はニヤッと歯を見せた。

 

「生きている。だが、なんだ? 見逃してくれるってか?」

「この先に行くのを邪魔しないなら何もしないわ」

 

 こんな状態で「隠匿」を使ったら止めにもなりかねない。

 なので私はそれだけ言って先に進もうとしたが、大男は勢いよく立ち上がり、こちらを掴もうとして来た。

 

 私は自分をずらし、それを回避する。

 内心凄いビックリした。いきなり何すんのコイツ。

 

「それなら、俺を倒していけや」

「「厄除」も無しで、そんな足で続けるの?」

 

「関係ねぇ。この先には誰も入れないって契約をしちまってるんだ。この『業火の虎』炉旗虎雄。約束は死んでも守る男だ!」

 

 「燐火」の火種が飛んでくる。

 

「それになぁ! こんなガキにまで舐められたら『炉旗会』は終わりなんだよーーーっ!」

 

 今までで一番激しい猛攻。

 さっきまでは「厄除」の男と先に続く通路を庇いながら戦っていたからなのだろう。動きが全然違う。

 

 

 ……だけど、私とは相性が悪い。

 私は飛んできた火種全てを消し飛ばし、何本かの触手を使い追い込んで、直ぐに大男の位相をずらす。

 そうして気絶した大男を元に戻し、銃器と身に着けていた縁門(アーチ)を回収した。

 

 覚悟を馬鹿にするつもりは無いけれど、こういう神通力なんだから仕方ない。

 ともなく呆気ない幕引きだった。

 



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釜伊里ぶるーすとーむ ④

 

 地面が揺れる。

 まるで途方もなく大きな爆発が遠くで起きたかのような大きな、ゆっくりとした縦揺れ。

 

 沙村 綾間は、地面に手を付き、生涯で初めて遭遇した地震という現象に、少しワクワクしていた。

 

 「地鳴(じなり)の神通力」が引き起こす現象と似た、それよりも遥かに規模の大きな揺れだ。この神通力は希少で、彼自身、どんなものか体験したいと常々思っていたのだ。こうして実際に体験出来るとは思わなかったが、貴重な経験だ。彼はしっかりとこの感触を覚えることにした。

 

「ぅああっあ~!?」

「な、な、な、なんだぁ……なんだぁっ!?」

 

 コイツ等うるさいな。

 

 地揺れの轟音に負けず劣らずの悲鳴を上げる2名に、内心そう思って若干不機嫌になった沙村であった。だが、直後。

 

 その気分は跡形もなく吹き飛ばされた。

 

 見つめるのは、視線の横。

 10m程離れた所の地面が、何やら青く光り始めていたのだ。

 

「なんだ、あれ?」

 

 ただの光ではない。それは神力に似た性質のエネルギーだと、すぐに分かった。

 だとしたら、これは祟りの「先触れ」か何かだろうか? 彼はそこまで推測して、小さくなってもなお続く揺れに構わずその光の元へ歩を進めた。

 

「ダメだよ」

 

 はる子の声。

 それと同時に「颶風」の向かい風を受けて、沙村は尻もちをついた。

 

「……痛いな、何をするんだっ!」

「多分、あれ触ったら不味いよ~」

 

 そう言いながら、はる子は沙村の襟を掴んで引き寄せると、自分の周囲に風を循環させ始めた。

 

「……?」

「青い光……か。何か知ってるんですか?」

「ううん、勘だけど……」

「僕は勘で吹き飛ばされたのか」

「うるさい。とにかく触っちゃダメだよ。それに……」

 

 そう言い淀んだはる子に、木田は不審に思い、変わらず移動を続けている小男から意識を外し、周囲を確認し始め、顔を顰めた。

 あれと同じような青い光が、遺跡群のあらゆるところから噴出し始めていたからだ。

 

「そんなヤバい物には見えないですけど、確かに触らないに越したことは無いでしょう。それにしてもこれだけの規模だと、大事になりそうだ」

「うーん」

「おい、どっちか僕に分かるように説明しろ」

「山がヤバいよ~って事」

「理解させる気があるのか?」

 

 全く……と、言いながらぶつくさと言い始める沙村を無視して、彼女は木田の方を見た。

 

「常識的に考えたら、すぐに下山したほうが良いと思うな。はる子的にはこのまま進みたいけど……どうする?」

「幸い目的地はこの遺跡の端っこ。囲まれて逃げられないって事は無いんじゃないですか。……尤も、アンタ等が付いてこない方が僕は嬉しいんですけどね」

 

 目の前の少女は、帰る。と言って納得する存在ではない。

 木田は最後の望みを込めて一言付け加えたが。

 

「勿論付いていくよ~、あややは戻る?」

「蚊帳の外でよく分からんが……あの青い光が神々の所縁(リレーションズ)に関係していることだけは分かる。だとするならば、僕は当然付いていくさ」

「はぁ……どうしてこうなっちゃったんだ」

 

 不可解な災害があったにも関わらず、結局変わらず移動を始める一行であった。

 

 

 

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 ヤバい。

 何がヤバいかって。それはもうヤバい。

 

 あれから、次の階層に向かおうと通路を進んでいた私の前に、急に視界いっぱい、青い光が殺到してきたからだ。

 普通に呑まれた。そうして次に、なんだかムカムカするような不快感が私を襲って来て、だから反射的に確認出来る範囲全ての青い光を消し飛ばした。

 

 あれは、きっと良くない物だ。

 

 本能? で感じると言ったところだろうか。鳥肌が立つような、そんなチャチな物じゃない。うええと思いながらも身体の中に入り込んでいた光の残滓を消すと、何ということだろう。間もなく地の底の方から青い光が再び湧き上がってきた。

 

 冗談じゃない。後ろの部屋には、地上には私が気絶させた人間が沢山居るのだ。

 

 触手を全て前方に向かわせ、私も前に進む。

 消す、消す、消す。感知できた光を手当たり次第に潰しながら階段を降りていく。

 

 3層目、4層目。

 記憶にある「釜伊里南地下大回廊」は全部で5層だったはずだ。4層の広い空間を埋めていた青い光をすぐさま消し、ようやく最後の階層だと思った時。不意に背中で何かがバツンと切れる音がして、操っていた触手全てが消失した。

 

 縁門(アーチ)が壊れたらしい。

 

 見ると金属で出来た輪っかが捩れるようにして千切れていた。そんな事ある? いや聞いたこと無い。不良品にも程があるでしょ。ふざけんな。

 

 私は心の中で悪態をつきながら、慌てて先程大男から拝借した縁門(アーチ)を身に着け、勢いを取り戻しつつあった光を再び押さえつけた。そうして5層……最奥の空間にあった青い光を全て消し去って、ようやくその根本の原因を見つけたのだったが。

 

 それは、最奥の最奥。

 壁にポッカリと空いた横穴の先にあった。

 

 中はかなり大きく、なにやら黒い物が大量に積み上がっていて、そこから例の光が湧き上がっていたのだ。

 私は迷う間もなくそれらを消し、そうすると青い光はそれきり湧いてこなくなった。良かった。一応しばらく黒い物の山があった場所を睨んでいたけれど、光は湧いてこない。

 

 安心したら欠伸が出てきて、足元がふらついた。

 

 

 ……あれ?

 

 

 何かがおかしい。

 なんで、私はこんなに眠くなっているのだろうか。……他にも青い光が無いか、ちゃんと確認しないといけないのに。なんで?

 

 しかし違和感に気付いても、意思に反して頭はぼおっとする。これではどうしようもない。

 

 

 何も考えられない。足に力が入らず、その場で横になる。

 

 目は、勝手に閉じていた。

 

 

 

 

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 それは突然起きた。

 

 まず浮遊感が全身を襲い、間もなく視界が上下にブレている事に気が付いた。

 ウチは何が起きたのか分からないまま隣に座っていた祖父に引き込まれ、食卓の下で抱えられるように丸くなっていた。

 

 後から聞くに、これは地震という自然現象らしい。

 奥の本棚から本がどさどさ落ちて来て、うわーっと思ってたら次は上にあった食器が周りに降って来た。建物も何かギシギシ言ってるし、そのうち急に照明が切れて、部屋の中が真っ暗になった。

 この世の終わりかと思って耳を塞いでいたら、揺れは段々小さくなって静かになってくれた。

 

「悠里っ! ジジイ! 生きてるかー!」

 

 そうして呆然としていると、父の声。

 その呼びかけに祖父とノロノロとテーブルの下から這い出てみると、父が母に肩を貸してリビングに現れた。

 

「かーちゃん大丈夫?」

「大丈夫……これは腰抜けちゃって……いや、凄い揺れやったなぁ。お義父さんも大丈夫でした?」

「アカンわ、ワシ今ので寿命100年くらい無くなってもうた」

 

「おもんないわアホ! ……地震だ地震! 加満田家はこれから家の外に避難するぞー!」

 

 なにがなにやら。

 ただ、家族が何時もどおりでなんだか安心した。

 

 そして、その号令に従って家族揃って家の外へ。

 真っ暗な中だったから手探りで靴を履き、玄関をくぐる。街灯も全部消えていたから、通りは懐中電灯の明かりだけがポツポツと光っていて、ざわざわと、先ほどの地震について話し合っているのか、思ったより騒がしい状況であった。

 

「あれなに?」

「大釜の方だよな……」

 

 そんな時、ざわめきの中でそんな言葉を拾う。

 大釜、大釜山。

 

 

 その方角を見ると、シルエットでしか見えないその山の中腹辺りで、薄ぼんやりとした青い光が揺らいでいた。

 

「青い……光……」

「じっちゃん?」

「悠里、悠里は『滅亡の予言』って知っとるか?」

 

 滅亡の予言?

 

「おいジジイ。さっきから縁起でもない事言うのやめろ」

「いやぁ、すまんな。ついつい」

「なぁ、なにそれ?」

 

 ウチが聞くと、父親は鼻を鳴らして黙りこくった。

 なんやねん。教えたくないならそう言えや。と、思ったが。どうやら話してくれるらしい。父親は静かに語りだした。

 

「名前の通り。ちょっと昔、日本は滅亡するーとか適当ほざいてた予言の事だ。ま、予言通りなら十数年前に日本は滅びてるがな。確か……最初に赤島。島中が豪雨と津波に飲み込まれて、沢山の人が死ぬ。それが白、緑、黄、青の順番で起きて、五島が沈むって内容だったか」

「悟、嫌ってる割に詳しいやん」

「俺は職業柄知識として必要だから覚えてんの!」

 

 え、青い光は?

 やいのやいの言い合いを始めた二人を他所に、暇を持て余していたウチは携帯を開き、自分で滅亡の予言について調べることにした。

 単語を入力し、一番上に出てきたサイトを開く。

 

 

『滅亡の予言とは ──狂言だった?真実だった?──』

 

 

 当時「逆睹(げきと)の神通力」を持つとされていた適合者の言葉から始まった「滅亡の予言」騒動は、雑誌やテレビで報じられ、専門家が多数出張って議論するまでになった。らしい。そう言えば、以前じっちゃんがこの話をしていたような気がする。そう思いながらも次のページを開く。

 

 

『太古より我が国を守護してきた5つの龍。

 相次ぐ祟りに、最後の龍が見切りを付ける。

 

 一年後に、赤島が。

 まもなく、白島が。

 暫くして、緑島が。

 同時に、黄島が。

 そして、青島が。

 

 恐ろしい雨と津波が、全てを飲み込む。

 

 生き残ったとて、油断はならない。

 最後に、青い光を讃えた龍の使徒が全ての命を絶つだろう。』

 

 

 「滅亡の予言」というのは、名前通りかなり物騒な内容であった。

 おまけにかなり胡散臭い。これを言った女性は現在失踪しており、足取りも掴めないのだという。

 

 ただの都市伝説の一つ。そう結論付けた時だった。

 

 

 気付くと、周囲にどよめきが広がっていた。

 今度はなんだと視線を上げると、例の青い光に変化が起きていた。

 

 

 誰かの息を呑む音が聞こえる。

 

 

 辺りを青く照らしながら、徐々に膨らんでいくその光は、まるで。人の形を象るように。

 その輪郭を作り変えていった。

 

「ヤバくないか?」

「離れたほうがええんちゃう」

「ははは」

「避難、避難しよう」

「落ち着け」

「嫌っ……」

「おいっ押すなや」

 

 理解の追いつかない光景だ。

 周りの人々はこの異常な事態に困惑し、笑い、怯え、更にざわめきを大きくする。

 

 だって、目の前の。あの大釜山で。

 佇んでいる「青い巨人」が、こちらの方を向いたのだ。







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釜伊里ぶるーすとーむ ⑤

 青網引島。

 

 釜伊里町の南に位置する低山「大釜山」。

 その地下には最近、大規模な遺跡が眠っており、多層の空洞が無数に存在する事が発見されている。

 

 そんな地下遺跡の、更に下。

 どのように出来たのか、まるで切れ目のような小さな天然の洞窟が人知れず存在していた。

 

 横は大人1人が肩を張れば両脇に岩が付くくらい狭いが、縦は見上げる程の高さで、成人男性が立って歩くには十分なスペースがある。

 そんな空洞が、ある遺跡と「釜伊里南地下大回廊」を繋いでいる。

 

 三都橋 堅留は、数日前に偶然発見したそれを、避難用の通路として確保していたのだが、現在。不本意にも早速それを利用する事態になっていた。

 

 

 

「聞いてねぇ……聞いてねぇよ……」

 

 そう呟きながら、フラフラと暗がりの岩道を進む三都橋は、背後から聞こえるペタペタとした自分の物ではない無数の足跡を無視して頭を抑える。

 

 来るとしたら、「洞見」持ちのあの男だと思っていた。

 

 警察は明らかな異変が起きなければこんな場所にはわざわざ来ない。浮浪者の溜まり場と化していたこの山を下手につついても、釜伊里の治安が悪くなるだけ、だという事なのだろう。

 この辺りの様子は、拠点を作る前から知っていた。

 

 最も、あの男が陽動するか、炉旗という協力者が派手にやらかすかして、来る可能性があるとは思っていたが、いや、しかし。これはないだろう。そう呟く三都橋はいますぐ卒倒してもおかしくない程の精神状態になっていた。

 

 それも。

 

 襲撃に来たのが「洞見」でも警察でもなく。

 正体不明の悍ましい化け物であった為だ。

 

 

 「祟り」ではない。

 三都橋は呆気に取られ、炉旗を囮にすぐに避難したが、確かにソレを目視していた。

 

 まず実体が無いのだ。「触ると障る」タイプの物と形状こそ似ていたが、あれは完全なエネルギー体のようであり、祟りの特徴である膨張した肉の塊のような体表は確認出来なかった。

 最も、ここは灯りを配置しているとはいえ地下深くの暗所。あの中に何かが居たのかも知れないが、今となっては確かめようの無い事である。

 

「くそっ……くそっ……くそっ……」

 

 彼にとって「正体不明」はなによりにも勝る恐怖の対象であった。

 祟り自体は、何度も目にしてきた。人間(実験体)が苦しんで死ぬ様も、何度も観察してきた。

 

 だけど、あんな物は知らない。

 普通の生き物じゃない。祟りでもない。見たことがない。

 

 触手のような形状の毒々しい赤い神力が無数に蠢き、多脚の虫を思わせる形状を取って此方に突き進んでくる、そんな理解の追いつかない化け物が、まるで自分を殺しに来た神域からの刺客のような気がしてきて、震えが止まらない。

 数日前から起きている霊障など些事だと思わせる恐怖がそこにあった。

 

 ともかく、アレが仮にただの祟りだったとしても、幾ら「適性値を上げる縁門(アーチ)」持っているとは言え、「燐火」と「厄除」持っているだけの炉旗達では手に余る。どのみち離脱以外の選択肢は無かった。

 三都橋は自身が一先ず命の危険を脱した事に少しだけ安堵した。

 

 

 

 そうしてフラフラと歩き続け、ようやく洞窟の終わりまで幾ばくかとなった時。不意に猛烈な縦揺れが彼を襲った。

 

 咄嗟に頭を庇ったのは正解であった。

 訳も分からず反射で手を当てた直後、彼の身体は宙に投げ出され、岩壁に激突したのだ。

 幸いにも軽傷で済んだ彼は、痛みを抱えながらも地面にしがみ着いてその場をやり過ごすことにした。

 

 まさか「地震」だろうか、それとも。あの正体不明の化け物が何かをしたのか。

 恐怖で頭が一杯になる前に、必死で現状把握に努めようとする三都橋の思考は、すぐに停止する事になる。

 

 視界全体が、青くなったのだ。

 

 しかし、直後に轟音が起き、背後数mにある所が土砂で完全に埋まった事で視界は元の暗闇に戻った。

 これは、発生源が「地下大回廊」にある事を意味している。その事実に、三都橋は逆に落ち着きを取り戻した。

 

 

「……」

 

 ────青い神力(呪い)

 今のは本体じゃない。それらが発生させているただの光だ。しかし、こんなにも強く発光する事など、今迄の実験で一度も無かった。

 

 脳裏に過るのは、置いてきた最深部の遺物の山の事。

 

 あれらは青い神力(呪い)の中でも、特に密度が濃いのか昏く色が変わるほどの呪いが抽出出来る貴重な実験材料で、彼はその観察用の縁門(アーチ)を山の近くの作業台の上に複数置いたままにしていたのだ。

 そして、それらは抽出の経過を見る為に、遺物の鉄片から極小に削り取ったテストピースを乗せていた物。当然出力は全て全開にしてあった。

 

 もし、あれが。

 今の揺れで遺物の山に触れてしまったとしたら。

 

 三都橋は、背後が土砂で完全に埋まった幸運に感謝し、外の様子を確認するために、地上へと急ぐのであった。

 

 

 無数の足音は、未だに着いて来る。

 

 

 

 

 

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 所々で噴出している青が視界に映る。

 

 僕は現在、ずんずん進む2人になんとか着いて行く格好で目的地へと進んでいた。はる子曰く「尾袋鼬がたくさん居るところ」だそうだ。なるほど確かに曜引が居そうな場所である。しかし、今になって考えると、本当にこんな遠方まで来ているのかは大分疑わしいように思える。それとも別の何かが居るとでも言うのだろうか。そう、例えばあの喋る聶獣とか。

 

 まずいな、ちょっと興奮してきた。

 僕は額にかいた汗を服の袖で拭い、幾ばくか見えやすくなった地面を草をかき分け進んで行く。

 

 

 ところで、青い光は「洞見」を使っても尚正体の分からない物であるらしい。

 

 木田に言わせれば「ただの神力」だという事以外分からないとのことだ。

 これはつまり、神力の色が緑だとか黄だとか、赤だとか。未だに科学的にハッキリとした区分が付けられていないこれら色の中の一つでしかない、という事なのだろう。「青い神力」と呼称して差し障りは無さそうだ。

 

 そんな事を考えながらひたすら足を前に出していると、前方の二人が停止した。どうやら目的地に着いたらしい。

 見ると、そこは石が積み重なって出来た建造物の一つ。

 

「丁度出て来るところです」

 

 ほう、ほうほう。

 

 さて、何が出てくるのか。

 曜引か? 喋る聶獣か? それとも喋る聶獣なのか?

 

 そうして期待で胸いっぱいの僕の前に現れたのは、なんと。

 息も絶え絶えな中年男性であったのだった。

 

 

 

 

 

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 目の前の人が物騒な物を取り出すのが見えた。

 

 想像はしていた。だから私は、遠くで動かしていた空気を一握り引き寄せて、今出てきたばかりのオジサンの横面に当てた。だけど、少し遅かったから体勢を崩しながらも引き金を弾いたみたいで、辺りに小さくない発砲音が鳴り響いた。

 

「じゅ、銃!? 聞いてないぞ!?」

「今更何いってんだアンタは……!」

 

 二人共怪我はないみたいだ。

 そう確認しながらも、倒れたオジサンの手を蹴って危ない物を弾く。

 

 やっぱり居るなぁ。

 

 周りに沢山。それも空気のゆらぎが出来るほどの浅いところに居るみたいだ。

 何のため? 理由が全然見えてこない。

 

「ねぇ、ごばちゃんはどこ?」

「ぐっ……はっ……?」

 

 何にも答えてくれない。質問がいきなり過ぎたかな?

 そう思って違う聞き方を考えていると、足元のオジサンへと、別の足が伸びてきた。確か木田っていう人だ。

 

「この、クソッ、ジジイ!」

 

 脇腹に、何度も、何度も、何度も蹴りを入れている。……殺す気は無いみたい? だけどこれじゃあ質問しても答えてくれなさそうだ。

 困ったなぁと思っていると、尾袋鼬の一匹が姿を現してこちらを見ていることに気がついた。

 

 それはまるで「こんな危ない所に来るな」って言っているみたいで。

 本当に……本当に気に食わない、嫌いな生き物だと、再確認する。

 

 そうして睨み合っていると、背中をバンバンと叩かれた。痛い。

 

「おいっ上! 上だっ!」

「うえ?」

 

 そう言いながら叩いてくる手を払って顔を上に上げてみると。

 

 お空が一面、青く光っていた。

 



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濁水の社

 

 日里 はる子は自分の操れる範囲の空気全てを以て暴風を発生させた。

 イメージしたのは、自分たちに行き先が向かない上昇気流の渦。竜巻である。そして幸いにも、狙い通りエネルギー体は風に靡き、静止した。しかしそれだけで、光はその場に留まり続けている。

 彼女はそれを見て冷や汗を垂らした。

 

「きださ~ん! 青いやつが湧いてない方向は~!!」

「ちょ、丁度アンタの背後!」

 

 返答は早かった。

 はる子はそれを聞いて、真後ろに居た沙村の二の腕を掴んでどけ、逃げの手を打つことにした。 

 

「ジャンプして~!」

 

 彼女はそう言って竜巻を収めつつ、跳んだ木田の背中に突風を当てた。

 蹴られていた小男は横になりながら地面を転がっていく事になるので、より強い風を当てる。下手をしたら死ぬが、何もしなければ確実に死ぬ。彼女に人を気遣う余裕はほとんど残っていなかった。

 そうして最後に沙村の腕を内側から掴み、その場から離脱する。

 

 

「あれは……足、か?」

 

 着地して、フラフラとした沙村がそう呟いた。

 それを聞いて、振り返る。

 

 

 足、足だ。本当だ。

 胴体も手もあって、まるで人間の形をしているみたいだ。

 

 彼女は、そんな風にぼんやりと思いながら、その場に腰をストンと下ろした。

 

 

 

 

 

 

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 やけに湿った感じの空気だと、最初にそう思った。

 

 目を開けると、そこは岩と沼しか無い場所。下を向くと、その沼の一つに私の足は膝下まで浸かっていた。

 

 遠くは霧がかっていて何も見えない。空も一面灰色だ。

 それなのに、周囲は妙に明るい。

 

 そんな光景が、ここは現実世界ではないのだという事を私に理解させた。

 恐らくここは神々の所縁(リレーションズ)が睡眠中の自分の意識と繋がって見せる幻想世界というやつなのだろう。実際に見るのは初めてだ。

 

 「幻想世界」という物は、適合者の一部が見るとされている特殊な夢だ。

 

 見られる条件に適性値などは関係しておらず、謎。

 空の上だったり、草原だったり、洞窟の中だったり。人によって景色は違うけれど、聶獣がその辺を歩いていたり、真ん中に決して入れない建造物のような物がある。という共通点がある。

 そして、この建造物こそが神の住処「神域」へと繋がっていると言われている。

 

 ……まあそんな事はともかく、ここが幻想世界だったとしても夢は夢である。

 現実の状況がアレなだけに呑気に寝ている場合じゃないのだ。一刻も早く目を覚まさなければならないんだけど、どうしよう? 考えて自分の頬を抓ってみたら痛かった。幻想世界凄いな。

 

 

 そんな事をやっている内に、目の前を真っ白な鹿が横切っていった。

 

 確かあれは絶滅危惧種で聶獣の黒子鹿(ほくろじか)だ。

 ちょっとビックリしたけれど、よく考えたら「隠匿」は別に尾袋鼬としか関係が無い訳じゃないのだ。他の生き物だってちゃんと来るし、尾袋鼬も尾袋鼬で、他の神の元へ赴く事もあるのだろう。

 

 ともかくこのままジッとしていても何も始まらないので、体重を思い切り横に掛けて何とか足を沼から引き抜き岩肌へと脱出。神域の建造物とやらを探しに行く。

 

 そうして泥まみれの裸足で歩いている内に、先程の鹿を発見。

 コイツに着いていけば神域に着くのでは? と思い歩いていると鹿は嫌そうにこちらを2、3度振り向いたが、諦めたのかそれきり振り向かなくなった。

 

 何かごめんね。なんて呟いてペタペタと岩肌を歩く。

 岩の感触がなんとも心地良い。砂利があったら最悪だったなぁと思いながら進んでいくと、噂の建造物は、思ったよりも近い所にあったらしく、すぐに着いてしまった。

 

 

 建物の外観はぼんやりとしていて良く分からない。霧で見えない訳じゃないのに目を凝らしてもさっぱり分からないし、なんだか気分が悪くなってきたので観察するのはやめた。

 

 それで、これからどうしよう?

 やることが無くなった。例の鹿は建造物の扉らしき壁を通り抜けるようにして消えたのでもう居ない。

 それで、「隠匿」ですり抜けて中をちょっと見てみようという気になった。

 

 今更だが、私の服装は靴下と靴が消失した以外一切変わっていなかった。

 だからこうして神通力が使えるのだが、考えてみたら神の御前でその神の力を使うのって結構罰当たりなのでは無いだろうか?

 まあ……それはそうと中が気になるので普通にくぐり抜けて入った。

 

 直後、何かに抱きしめられた。

 私と同じ灰色の髪の毛の、私と同じくらいの背丈の少女。引き剥がすと、私と同じ黄色の目でこちらに人懐っこい笑みを向けてくる。

 

 ……私じゃん。

 うん? いや、私こんな顔しないから私じゃないな。

 

「……誰?」

 

 そう聞くと、少女はキョトンとして、口を開いて息を何度か吐いた。

 首を捻ってもう一度吐く。まるで声が出せないみたいだ。

 

 しばらくその光景を眺めていると、彼女は何か閃いたようで、その場にしゃがみ込み床を指差した。

 その指は床を滑り、『ま』の字を書き、次に『わ』。

 最後に『り』を書いて、期待するようにこちらを見た。

 

「ごめん、もう一回書いて」

 

 そう要求すると、少女はもう一度3文字丁寧に書いて、目をキラキラさせながらこちらを見た。

 

「ごめん、もう一回書いて」

 

 同じ事を言うと、少女は少しムスッとして物凄くゆっくりと『まわり』と書いた。

 

「ごめん、もう一回書いて」

 

 そう言うとのけぞってから地団駄を踏んだ。ヤバい、面白い。

 笑っていると頬を思い切り抓られたので適当に謝って、恐らく(まわり)であろう少女へ違う疑問を投げかけることにした。

 

「なんで此処に居るの?」

「……」

「いや、ホントごめんなさい。茶化さないから教えて?」

 

 促してようやく廻は床に手を付けた。

 曰く『わからん』。そっかー、分からんのか。

 

「じゃあ、なんで私の姿になってんの?」

 

 質問を変えてみると、またもや『わからん』。

 

 そんな調子で質問を続けていった。

 廻は赤島の実家で今まで寝ていて、気がついたらこの状況になっていた、らしい。表情が分かりやすくコロコロ変わるので、恐らく嘘はついていないだろう。

 

 そうして結局。この状況については、分からんという事が分かったのだった。

 

 

 私は途方に暮れ、床に座りながら周囲を見渡す。

 白い壁、木の梁。そして背後に木製のタンス。部屋の隅に置かれた何枚かの座布団に、水の入っている瓶、更にはヤカンまで置いてある。私は人にここが神域ですと言われたら相手が神でも帰る自信がある。

 

 しばらく部屋の中を漁ってみたが、後は湯呑とか皿とかそのくらいで、結局目を覚ますヒントはどこにも転がっていなかった。

 仕方ないので一度最初に居た場所に戻ろう。そう思って引き戸を開けて外に出ると、廻が物凄い顔でこちらを見ていた。

 

「え、何?」

『あかずだったから』

 

 開かず? ああ、開かなかったのね。

 確かに入るのに「隠匿」を使う必要があった特別な空間なのに出る時はやけにあっさりだなぁとは思ったけども。まあ、そういうものなんじゃないと言いながら外に出て振り返ると、あんなにぼんやりとしていた建物の外観がボロい日本家屋で固定されていた。はぁ、まさに夢って感じだ。

 

 

 帰り道でも発見があった。

 

 前世で見たことのある植物がポツポツと生えていたのだ。確か山に生える植物。じゃあここが山の中なのかと言われれば何とも言えないが、とにかく今の世界では存在しない植物である。前の私の名前と同じだったので、興味本位で調べて、ちょっとがっかりした記憶がある。

 

 だから少し得したような気分になって、そのちっちゃな白い花を一つ摘んでしげしげと眺めた。私の記憶からこんなに精巧なものが作れるとは、なんとも不思議な気分である。

 そうして感傷に浸っていると、隣に居た廻が心配そうに肩を叩いてきた。なので見てみろという意図でその花を渡すと、口に入れて咀嚼しだしたので思わずすっ転びそうになった。

 

 仕方ないのでもう一つ摘もうとしたその時、視界が急に白くなって来た。

 ああこれ、ようやく目が覚めるやつだ。へんてこな夢だったなぁと廻の方を見ると、向こうもこちらの方を向いて目を擦っていた。

 

 

 そうして視界は真っ白になった。

 

 握っていた手の感覚もなくなり、後は目覚めるのを待つだけ。

 だけど、なんだか妙に時間が長い。

 

 

 

 

 ……そういえば、さっきの花。

 前の世界では、一回も実際に見たことが無かった。

 

 大体は、写真で。そう、そういえばその写真を貰ったんだ。

 私と同じ名前の花だなって事で。

 

 

 誕生日のプレゼントだった。

 幸せな記憶。だけど、今になっては私が。

 

 私が祈りの度に思い出していたのはいつも。

 

 

 

 

 

「もういやだ」

『死んじゃ嫌だよ』

 

 

 

 あの時。

 

 最期に見たあの景色で。

 ぼんやりとした意識の中、沈むように遠くなっていく世界で。

 応えられない私自身への憤りで。

 

 

「ゆるさない」

『───さん』

『───っ!』

『───ちゃん!』 

『───……』

『───さんっ!』

『───!!』

『───!』

 

 

 もう思い出せない私の名を呼ぶ皆の顔で。

 

 

 そっか。

 

 

 私があの世界で、最期に聞いていた言葉は。

 自分の名前だったんだ。

 

 

 



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なおざりの心で

『はる子は折角だから、中学校は準宕に行ってみたら?』

 

 

 母親を名乗る人がそんなことを私に言ったのは、私が小学5年生になる頃だった。

 

 準宕(じゅんとう)学院は、通常の学校教育に将来神職の資格を得る為の助けになるカリキュラムがくっついているだけの小中一貫の養成校。しかし適合者ならば、神に失礼があって祟りに転化でもしたら困るという考えを持つ親が多く、正しい作法を教えてくれるここに中学から子供を入学させる家庭も沢山居るのだという。

 

 私は断る理由もなかったので、それを承諾し、入試に確実に受かるように勉強をして無事に入学した。

 そうして入学した初日、隣の席にあの人は居た。

 

 曜引五花(ひびきごばな)

 

 最初にした会話は、当たり障りも無く。

 よろしくね~、なんて感じだった。正直細部は覚えていない、あの時は他の人と同じ印象だったから。

 

 

 だけど、あの人はその後一々私の目に留まった。

 ほかの皆から一線引いて見ている感じで、それを隠そうとしない。皆が近寄りがたい空気を出していて傲慢な感じ。だから、ちょっと前の私みたいな人だなと思った。

 なのに他の皆はそれを見て「かっこいい」とか「凄い」とか特別扱い。確かに勉強も運動も成績が良かったけれど、あんなつまらない態度で持て囃されるなんて、おかしいと思った。

 

 私はこんなに頑張って周りに合わせているのに。

 

 

 その状況がとっても嫌で、くやしくて。

 私は、他者を遠ざけようとするあの人に、しつこく付き纏うようになった。

 

 だってあの人は、私が初めて会った「嫌いになってもいい人」だったから。

 人ウケの良い笑顔を作り浮かべて、しつこく絡んだ。

 

 お陰でどんどん嫌いになった。

 スカしてるし、母親みたいな事を言うし、すぐに手が出るし、無愛想で、なのに騙されているのにも気付かず私に笑いかけてくる。

 

 そうしている内に、彼女の態度がおかしくなった。

 目を合わせなくなって、名前も呼ばなくなった。おまけに私を露骨に遠ざけようとしてくる。

 

 

 気づいちゃったのかなと思った。

 陰口を言ってる事を、一回靴を隠して困らせた事を、私が貴方を嫌いな事を。

 

 嬉しかった。

 

 あの人を傷付けられた事が。嬉しかった。

 だけど翌日、何故か体が動かせないくらいやる気が出なくなって一日中布団から出られず、初めて学校を休んだ。

 

 そして、これでこの関係も終わりかぁなんて、つまらなく思いながら登校すると、急にあの人は変わっていた。

 

 やけに社交的になったのだ。

 性格はそのままのように見えるのに、色んな事に積極的に参加するようになった。変わりように戸惑っているクラスメイトに分け隔てなく話し掛けて、結果直ぐに仲良くなって、馴染んでいった。

 

 私にも話し掛けてきた。「避けてごめんね」なんて、申し訳無く言った。私が原因だと思っていたのに、実はあの人自身の思い悩みが原因だったのだ。

 

 それが気に入らなかった。

 私が今まで生きてきて、一番気に入らない出来事だった。

 

 そんな風に思っていたある日、あの人はこう言った。

 

『聶獣が背袋鯆ってホント?』

 

 唐突な話だった。

 聞くにどうやら、私が休みに家の近所の岬でこっそり「颶風」で周りの空気をゆっくりかき混ぜて遊んでいる所をクラスメイトの誰かが見ていたらしい。

 稀に背袋鯆が近くに寄って来て居たので、見られたのはその時だろう。

 見られても良いように縁門はズボンの内側に入れていたので、焦ることは無かったけど、自分の聶獣がソレなんて、関心もなく調べたことも無かったので困惑して居ると、あの人はそれを肯定に受け取って、放課後目をキラキラさせて私の手を引っ張り、例の岬まで着いてきた。

 

 あの人は破天荒な所があった。

 

 思い付いた事を実行してしまう無駄な行動力があり、時々私はそれに付き合っていたけど、それにしたって今日は特に突拍子が無かった。

 

 そうして、2人で海を覗きこんで数十分。

 背袋鯆は、当然出て来なかった。

 

 

『出て来ないじゃない』

『当たり前だよ〜……。常識的に考えて、緑島に住んでるイルカちゃんがわざわざ赤島まで来るのって凄く珍しい事なんだから』

『そうなの? 神憑きなのに』

『ごばちゃんは神憑きを一体何だと思ってるの?』

『……じゃあ、水族館』

『え?』

『港町の水族館、そこなら居るでしょ! お金は私が出すから、今から行きましょう。よし、決まりね』

『えっあっ、待って〜!?』

 

 そう言ってあの人はダッシュで駅の方面に消えていった。

 今考えると、私はあの時点で帰っても良かったのに、あの時は何故かそんな気にはなれずに付いていくことにした。

 

 

 赤島の水族館、『乙海港水族館』は赤島で一番の大きさの水族館だ。

 

 イルカも確か2、3種類飼われていて、その中には聶獣である背袋鯆も居る。これは緑島の水族館にも無い乙海港の売りでもあるらしい。あの人は千円もする入場券を2枚買いながら、時々来るのだと、そんな事を話していた。

 

 お金持ちなんだねと言ったら、月のお小遣いは2千円で、月に2回行くのに全部使っているのだという。狂っていると思った。

 そう言うと、お年玉は貯めているからと、良くわからない言い訳をした。

 

『はる子、なんか今日毒舌じゃない?』

『そうかな〜気の所為じゃないの?』

 

 だって機嫌が悪いのだから当たり前だ。

 誤魔化そうと思ったけど、どうしても角の立つ言い方になってしまう。なのにあの人はそれを聞いてニヤリと笑う。

 

 私はムカッとしたので顔を背け、チケットを受け取った。

 

 

 そうして水族館に入り、さてイルカだとその一際大きな水槽に近寄ると、六匹ほどのイルカが種類に関係なく思い思いに泳いでいた。

 

 その中の一匹が、私の方を見た。

 

 

『き、来たっ! はる子、ねぇ、来たっ!』

『うん』

 

 そして、普段の様子からは考えられない程興奮したあの人は、ガラス面に額が付きそうなほど手すりから顔を出し、こちらに来た背袋鯆を眺めて。

 こう言ったのだ。

 

『はる子が神憑きで良かったなぁ』

 

 と。そうして、私の様子を見てさっきの悪い笑顔を見せてきた。

 どういうつもりで言ったのかは明白で、だから自然に言葉が出た。

 

『どうして』

『だって、こういう事言うと貴方嫌がるでしょ』

 

 だからさっきから言ってるの。と、あの人は水槽を見ながらそう言った。

 

『喧嘩、売ってるんだ?』

『ええ、売ってるけど?』

 

 その受け応えの後、私達は黙って水族館を回って、そして外に出た時にはもう夕方になっていた。

 

『はる子って私の事嫌いなんでしょ?』

 

 駐車場で、あの人が言った。

 つまり、やっぱり今までの私の行動は既にこの人には伝わっていたんだ。と、事情がようやく飲み込めた私は、なんだか安心して。

 

『うん、大っ嫌い』

 

 素直にそう言った。

 

『でも、私は好きよ』

 

 すると、あの人が返してきた。

 意味が分からず、言葉に詰まっていると、あの人は続ける。

 

『私ね、朝何気なく登校して、授業を受けて、美味しいお弁当を食べられて、こうして貴方と喋る事が出来て。毎日とっても幸せだなって、そう思ってたのよ』

『何が言いたいの~? はる子は全然────痛っ!』

 

 「話は最後まで聞きなさい」と言いながらこの人は前に出した自身の右手を後ろに隠した。

 急に頭を叩いてくるなんて。やっぱり嫌いだ。

 

『だから私、このままじゃいけないと思ったの。ほら、もう私達2年生になるでしょ? 変わらないといけないと思った。今の関係じゃ終わりたく無かったのよ。ね、はる子。これだけは覚えておいてよね』

 

 そしてあの人が。

 

『仮に貴方が私を嫌いでも、私は、絶対貴方の事を嫌いになったりしないって事』

 

 そう言ったから。

 

『なんで?』

『なんでって、それははる子がとっても良い子だからよ。現に私が我儘言って引き摺り回して、嫌な事も言ったのに、こうやって水族館も最後まで付き合ってくれたでしょ。最近だって、私の様子がおかしいってずっと心配してくれてたみたいだし。ほら、この前だって────』

『そうじゃない』

 

 なんだか良く分からなくなってきた。

 私の言いたいことが、上手く出てこない。

 

『分かってない、はる子の気持ちなんて、分かってないよ。……そうだよ、この間からやけに皆に話しかけてるのって、なんで?』

『……なんでって、心境の変化?』

『やめてよ、向いてない。ごばちゃんはそんな事しなくても、皆に認められてるじゃん、痛々しい、見てられない、戻してよ』

『ええ……そこまで言う……?』

『とにかく戻してっ!!』

 

 そうだ。

 私はこの人が「嫌いになってもいい人」の枠から外れるのが嫌だったんだ。しかも最悪な事に、かつての私みたいに周りにレベルを合わせようとしている。そんな気がした。

 そんなの。

 

『戻して……』

 

 このままじゃ「顔も見たくない人」になってしまう。

 それは「嫌い」とかじゃなくて、別のナニカだって思ったから。絶対に、嫌だと思った。

 

 

 

 

『えーっと、じゃあ戻しまーす……』

 

 

 少しの沈黙の後。

 ごばちゃんはそれだけ言った。そうして少し考える素振りを見せてから。

 

『私がはる子みたいに振る舞うのが、嫌?』

『違う、はる子が嫌なだけ』

 

 そんな事を言うから、つい反射で返して、しまったと思った。

 

『それ肯定してるじゃん……私は別にはる子の振る舞い、嫌いじゃないというか、見習わないとって思う部分がかなりあるんだけどなぁ』

『……見習わなくていいよ、こんなの』

 

 

 返答に困って、なんとかそれだけ言うと、ごばちゃんは困ったように笑って「仲直りしよう」と言い出した。

 私はなんでそんな結論に達したのか分からなかったけれど、仕方ないので小さく頷いた。

 

 

 

 そうしたらごばちゃんは急に「仲直りの印に良いもの見せてあげる」だと言って、周囲を見回して。

 

『廻ー? 居るー?』

 

 誰かを呼んだ。

 もしかして、今の会話を隠れて聞いていた人が居るのかと、周囲を見渡すと、そこには毛むくじゃらの動物が一匹、私の足元に座っていたのだ。

 

『おるぞ』

『やっぱ居たか、大人しく森に居るか留守番してなさいよ。本当に』

『だって彼奴等、いつもワシの事避けるし暇なんじゃもん』

 

 意味がわからなかった。

 聶獣が、いや、動物が喋っていた。そしてその得体の知れない動物は、ごばちゃんの身体をよじ登って肩に乗ってこちらを見た。

 何を考えているのか分からない目。

 

『これ、尾袋鼬の(まわり)ね』

『あ、うん……わまり……』

『廻じゃ。なあ、これ出てきてよかったのか? 三鶴怒ったりしないかの』

『大丈夫よ、怒られるのは私じゃないし』

『ええー!? ワシ帰るっ! 五花のアホー!』

 

 なんだか良くわからないまま、動物はそう叫んでどこかへ走り去っていった。

 とっても、嫌な感じのする動物だった。

 

 

 そんな衝撃的な光景を見てしまったから、私は夢うつつな気分でごばちゃんと別れると、その日は早めに寝て、翌日、あの動物について問い詰めた。

 やっぱり昨日のはごばちゃんの聶獣で、その中でも昨日会ったのは最近喋るようになった何時も家に居着いている個体なのだという。

 

 話を聞いても全然納得できなかったから、その日は釈然としないまま部活の練習をして。

 

 だからいけなかったのだろう。

 その日、私は何でも無い所で乗用機(パドル)から落ちた。

 

 だけど私はその日部活を休んでいる筈のごばちゃんに受け止められていて、不思議に思っていると「鼬たちが教えてくれた」なんて言い出した。

 

 こういう事は、以前にもあったのだという。 

 同じように鼬に案内されて、溺れた子供を発見し池に飛び込み、一緒に溺れたなんて話だ。

 

 本人は笑い話のように言っていたけれど、全然笑えなかった。

 尾袋鼬は、所縁のあるごばちゃんの良心をつついて、危険な場所に駆り出していたのだから。私の場合はイルカちゃん達だけど、彼らは絶対にこんな事をしない。常識的に考えて、神憑きが近くに居たら寄って来るだけで、普通、それ以上の事は一切しないんだ。

 

 

 そうしてその後。

 あれから「鼬の案内」は無かった。

 私が割と頻繁に話題に上げて「無い」って聞いていただけで、本当はあったのかも知れないけれど、どちらにせよ、ごばちゃんは「心配してくれてるんだ」なんてヘラヘラするばかりで、危機感がまるで無かった。

 

 だから少し前に、演習場で例の「祟り騒ぎ」が起きた日は恐怖した。

 祟りに恐怖したわけでなはい。そこらかしこを走り回る小さな生物を「颶風」が感じ取ったので見れば、そこには姿を消している最中の尾袋鼬の群れが居たからだ。

 

 廻という個体が何故か「隠匿」を使える事は聞いていたけれど、まさか他の全ての鼬も姿を消すことが出来るなんて。なんでもありだ。

 その日の夜「あの子達が案内してくれなかったら誰か死んでいた」なんて、寮の部屋でごばちゃんが呟いていたのを聞いた時は、どうして良いか分からなかった。「危ない事をしないで」なんて言っても、また心配したことを茶化されるだろうと思ったからだ。

 

 

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 そうして現在も、ごばちゃんはどこかで走り回っているに違いない。

 私は、唐突に地面に生えてきた数え切れないほどの赤い触手を見ながら、半ば呆れにも似た感情で、そう思った。

 

「やっぱり、はる子じゃ、駄目なのかな」

 

 呟く。

 

 願わくば、嫌いなあの人が誰かの為に傷つくことがないように、近くに居たかった。だけど、これはちょっと。今回に限っては破天荒が過ぎる。

 あんなに恐ろしく見えていた青い巨人が、まるで熱した鉄板の上に居るかのように忙しなく足踏みしているのを見て、私はなんだかもう眠たくなり、仰向けになって寝転ぶことにしたのだった。

 

 

 

 




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これからを宣べる

 

 

 

 "あの子達も、この世界に来ているかもしれない"

 

 

 そう私がそう思い至ったのも、今考えれば自然な事だった。

 

 赤島の養成校に入った後すぐの日、私は両親に祖母の家に行きたい行きたいと駄々をこね、実家の田舎から出て来た。そして祖母と二人になるやいなやすぐに転生や、それにまつわる話がどこかに転がってはいないかを調べ始めた。しかし、見つかるのは信憑性の薄い記事ばかり。

 宗教家や自称霊能力者には居たが、記事を見てみても、そこには私の時と一切合致しない体験談。到底信じる気にはなれなかった。

 

 そうして現在。私以外に「転生」した人がいるのかは、結局わかっていない。

 

 ……いや、おそらく存在しないのだと思う。

 神々の所縁(リレーションズ)なんて変なものが存在するこの世界でも、住んでみればそんな中でもこれは「在り得る」か「在り得ないか」という常識があるもので、それに照らし合わせてみると「転生」は思いっきり在り得ないとされるファンタジー的な現象であったのだ。

 

 しかし、それでも。

 あの頃の私はそれが受け入れられず、養成校に入った後も、度々転生について調べていた。

 授業で教わった祈祷のやり方や祝詞を実践して「隠匿」の神とどうにかコンタクトが取れないか試したりもした。

 

 さみしかったからだ。

 

 あの頃の私は新しい両親の元で愛されて暮らして居た癖に、勝手に自分は一人ぼっちだと、そう考えていたからだ。

 

 

 祈りの習慣は、この頃から始まった。

 中学生……いつも付き纏っていた(まわり)が喋りはじめるくらいまでは、本当に真面目に祈っていたと思う。

 

『明日もきっと、平和でありますように』

 

 なんて台詞、一体脳味噌のどこから出てきているんだか。

 

 勿論、この世界が前世のようになって欲しくないって思いが始まりだったけど、それをこんなに続けていられたのは、きっとそれを思い出して、私があの日々を忘れたくなかっただけで。

 簡単に言えば、孤独を埋めたかっただけだったんだ。

 

 だから、今までの。

 この祈りは、私が、私の為に行って来た訳で。それは大分前から自覚している所でもあった。

 

 でもさ、祈りってそんなものじゃないの?

 それに勝手にやってる行動を「誰かの為」だなんていうのはどうかと思うし。だからこれでいい。最近は寂しいと感じる機会も少なくて、この行動も意味が薄くなって来たような気もするけれど、私はこれからも私の為に、この祈りをずっと続けて行こうと思ってる。

 

 『わるいこと』が起きませんように。

 『わるいひと』が誰かを傷つけませんように。

 

 『あしたもきっと、へいわでありますように』って。

 

 

 あの頃の記憶は、あの頃の気持ちは、貰ったものは。

 思い出す度に元気を貰える、大切な私だけの糧だから。

 

 

 

 

 ねえ、見ていらっしゃいますか。

 私の神よ。

 

 

 この願い、貴方が叶えてくれなくても良い。

 まあ「赤」を示す貴方はきっと何もしてくれないのでしょうけど。これを言ったら更に怒るのかも知れないけれど。

 

 

 

 

 それでも。

 恐れながら申し上げます。

 

 どうか、どうか。

 お願いいたします。

 

 

 縁だけは。

 

 

 このまま嫌いな私と。

 縁だけは結んだままでいて下さい。

 

 

 

 

 

「……なんちゃって」

 

 そう呟いた私は合わせた手を降ろして、息をつく。

 

 

 というか、どのくらい経ったのだろう。

 あれから視界は相変わらずの真っ白で、一向に目が覚める気がしない。

 

 暇なので、上を見て、下を見る。うん、真っ白だ。

 

 そうしてぼんやりしている内に、私はさっきの神域の入口? の光景を思い出し、その場に居なかった「隠匿」はいったい何処に行ったのだろう、と考える。

 こんな世界だし、適性値もそこそこあるんだし、なんか何処かで会う事が出来るんじゃないかと密かに期待していたのだけど、全然そんな事はなくて。

 まあ、そんなもんか。とは思うけど。今回はちょっとだけ期待していた所ではあったのだ。

 

「あーあ……?」

 

 声を出して伸びをしてみる。

 その途中で、違和感を覚えた。

 

 何故か真っ白な筈の周囲の様子が、分かるのだ。

 広い場所。石造りの床で、石の壁……というかここ、私が眠る前に居た場所「釜伊里南地下大回廊」の最深部だ。

 

 なんだか妙な感覚だ。

 言葉にすると「何も見えないのに、何でも見える」みたいな感じで、モヤモヤする。

 

 思えばさっきからこんな変な気分になっているのは、あのロバタトラヲ? から拝借した縁門を付けた時からな気がする。

 よく考えると普通のとなんか形も違っていたし、変な機能でも付いてたりしていたのかも知れない、例えば所有者以外が使うと死ぬとか……。それって、不味くない?

 

 いや、そうと決まった訳じゃない。

 私はどこにあるのかも分からない首をぶんぶんと回してから、この妙な感覚で周囲を探ることにした。

 

 遺跡、土の中、地表の森の中。

 探っている内に分かって来た。

 

 おそらく。

 私は今、自分の神力で出来た触手の方に意識が移っている。

 

 

 意味が分からないけれど、私の身体を起点として、動かせる腕が沢山あるのだ。これはもう、そうとしか考えられない。

 もしかして夢の途中なのかも知れないけれど、もし現実だったらたまらない。何故なら、地表。森の中であちこち青い光が噴出していたからだ。

 

 逃げ回っている熊や猿などの野生動物。私が眠らせた浮浪者と、これまた眠らせた恐らく反社の構成員。集団で身を寄せ合っている警察の制服を着た人たち。……見知った顔もチラホラと。

 そして今にも青い光に呑まれてしまいそうになっている命が沢山あると、知覚した。

 

 それで私は、とにかく触手だけでも地表に出そうと意識を向けた。

 上へ、上へ、上へ。

 

 地下大回廊の通路を通っていたんじゃ間に合わない。触手の大きさに合わせて壁を消し、土を消してその全てを上へ突き進ませる。

 夢中でやっていたから、なんか触手の本数が滅茶苦茶増えているだとか、さっきはこんなに伸ばせなかったとかは粗方消した後から気付いた。別羽山珊瑚(べつわやまさんご)を使ってもこれ程の馬鹿げた出力は出ないだろう。だから、とても運が良かったと思った。あの時、鼬について電車に乗らなかったら、沢山の人が死んでいたことは容易に想像できる。

 

 

 

「まあ、夢なんだろうけどね」

 

 私は何処から出ているのかも分からない口で、溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

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 高須名町。

 

 勤務を終え、自宅のあるその町に戻って来た青網引神秘研究所、その所長である(わたり) 創輝(そうき)は、帰宅する前に一杯引っ掛けようと馴染みの居酒屋に寄る事にした。

 

「いらっしゃい」

「どもー、席空いてる?」

 

 いつもの台詞を言って、渡は店主の返事も待たずに目に入った空席の並ぶカウンターの一つに座った。

 

「おや、先生この間ダイエットするとか言って無かった?」

「ん? 酔ってたから覚えて無いなぁ」

 

 そう言いながら店主の苦笑を交わして何時ものメニューを注文すると、彼は座り直して、ボーっとテレビを見ながら今日の仕事中の珍事を思い出していた。

 

 

 

 対象:曜引 五花 1年 青網引 : 808000020

 

 

 早めに仕事を切り上げた主原因が、これだ。

 

 彼はこの数値について、あれから一人で悶々と考えてみたがさっぱり分からず、他の業務にも差し障りそうなので一度帰って思考をリセットする事にしたのだった。

 

 それにしても8億って。

 

「頭おかしいだろ」

 

 出て来たビールを一気に煽り、思わずそう呟く。

 

「お疲れですね」

「ビール!」

「はいはい」

 

 それにしても、とお通しとして出された煮豆を摘まんで彼は考える。

 馬鹿げた数字は一旦置いて、他にも気になる事があったのだ。

 

 

 同じ数字だったのだ。

 

 と言うのは。検査はミスを防ぐため2回行ったのだが、彼女に限ってはその両方が全く同じ数字だったという意味だ。

 

 これがおかしかった。

 普通、神力の計測なんてものは、数値の5%程のブレが必ず存在するものであり、それは今年、同じ検査を行った沙村という3番金の男子生徒も例に漏れず、800程のブレがあったのだ。

 

 それなのに、あの女生徒は寸分違わず同じ数値だった。

 これが何を意味するのか。

 

 計測の限界ではない。アレは理論上画面が一杯になるまで正確な数値を出せる装置であって、その可能性は早々に排除した。そうなると、考えられるのは一つだけ。

 

 すなわち「到達点」である。

 

 「適性値」というのは、神々の所縁(リレーションズ)の繋がりの太さを意味すると言われている。事実、そのまま神力の「制御力」と言い換えても差し支えのない適性値というものは、研究者の間であってもその表現が認められている所であった。

 

 

 

 それならば「繋がりの太さの到達点」とは。

 対象者が対応している神そのものである事以外、考えられないのだ。

 

 

 

「あーくっそ」

 

 こんな荒唐無稽な仮説すら出て来てしまう程、あの数値は現実離れしていた。

 

 あれは、浪漫の塊だ。浪漫を超えた浪漫だ。

 解き明かすまで絶対白島の連中には渡したくねぇ。そう思いながら2杯目を飲み干し、3本目を注文する。

 

「なんか今日の酒美味くなぁい? なんか変なの入れてる?」

「失礼な事言わないで下さいよ」

 

 段々と良い気分になって来た。

 店主がぶつぶつ言っているのを無視して、次のつまみに手を伸ばす。

 

 そんな時、視界が縦にブレた。

 

「おお?」

「地震……だねぇ」

 

 大分大きい揺れだ、震源はここから近いだろう。

 そう思い、いつの間にかバラエティから緊急放送に切り替わっていたテレビをぼうっと見る。

 

 震源、青網引島、北方沖。

 

 高須名の裏側かよ。

 思わず渡はそう呟いて、中継に映っている釜伊里の様子を見る。

 

『見て下さい! 現在釜伊里の町は暗闇に包まれています! 一部の家屋は倒壊しており、住民の避難が進められていますが、ここに居ても現地からの動揺の声が聞こえてきます!』

 

 どうやら余りに大きい揺れのせいで停電が起きているらしい、カメラに映っているリポーター以外殆ど見えない。

 

『ここまで大規模な地震は100年以上遡り……?』

 

 ここでリポーターの声が途切れた。

 何か、マイクの故障だろうか、スタジオから現地へ声を掛けているが反応が無い。

 ここで渡は酒を口に流し、同時に固まっていたリポーターがハッとしたように動き出した。

 

『何かが! 山、何かが! 青い何かが山に居ます! ちょっカメラ! カメラ向けて!』

 

 明らかに緊急事態といった感じだ。

 彼はなんだか映画でも見ているような心地でテレビの画面を見ていると、すぐに向けられたカメラの映像がテレビに映し出された。

 

『な、なんという事でしょうか! 巨人です! 青い巨人が山……大釜山の方面、大釜山に佇んでいます!』

 

 ここで渡と店主は同時に立ち上がった。

 両者とも、2人の年代では余りに有名な「滅亡の予言」騒動の事が頭に浮かんでいた。直後、映像がスタジオの方に切り替わる。

 

「あーっ! なんだよくそっ映せよ」

「先生、あれ不味いんじゃないの。専門家でしょ?」

「いや、俺だって知らないよぉ、何だよあれバッカじゃねえのぉ」

 

 そう言って直ぐ、渡の携帯が揺れた。

 テレビ局からだ。以前取材を受けた時の番号を登録していた渡は、「ATV」と表示された画面を渋い顔をして眺めた。

 

 しかし、自分は五島に一つずつしかない神秘研究所の責任者である。おまけに渦中の青島のである。応じるほかは無かった。

 深くため息をついてから応答しようとした彼は、しかし、テレビから流れる叫び声を聞いて手を止めた。

 

『ああ見て下さい! 巨人が足踏みを始めてっ……釜伊里の町に移動を始めたのでしょうか……え、違う。その場で足踏みをしています!』

 

 ちゃんとリポートしろよ。

 彼は若干苛々しながら取り落とした携帯を拾い上げる。そうして再び画面に目を移そうとした時、店主がボソッと呟いた。

 

 

 

「なんか光ってない?」

 

 

「光ってるって、巨人が?」

「いやいや、違うよ、山。 山が微妙に光ってるように見えるんだけど」

「えー? 本当かよぉ」

 

 なんそう言って半笑いで画面に目を移し、数秒後。結果渡のその表情は凍る事になった。

 

 

『今度は山! 山全体が赤く光っています!! それによって巨人が苦しんでいるように見えます!! 一体何が、何が起きてるんでしょうか!! 我々の手に負えない何かが、起こって居るのでしょうか!! 一体青島は、どうなってしまうんでしょうか!! あっ! 見て下さい! 巨人が赤い何かに絡まって、苦しそうにもがいています!! これは! いったいどういう事なのでしょうかっ!!』

 

 

 

 

 

 

「どういう事なの?」

「俺に聞くなよぉ」

 



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青い島と神々の所縁

 

 最初はよかった。

 

 望む設備を与えられ、所縁学、とりわけ神力を動力とする太古の遺物に強い興味があった男は、それらが何に使われたのか、何故作られたのかの研究に没頭した。

 あらゆる反応を試し、動かし。寝る事も忘れてひたすら検証を繰り返す。

 

 やがて、男の居る研究チームは縁門(アーチ)を始めとした様々な遺物の解明に成功し、それまで神力について骨董品を使うしかなかった現代に革命を齎した。

 様々な人に賞賛されていた。名誉があった。しかし、それらは全てチームの代表である「縁動遺物の父」とまで呼ばれた上司にのみ集まる事になった。

 

 当時はそれでも良かった。

 男にとってただ研究する事が、この世の神秘を紐解く事が楽しく、それが彼の全てだったからだ。

 

 

 地位も名誉も要らなかった。ただ、設備さえあればいい。

 

 そんな彼であったが、何時しかその実績が認められ、自分のチームを持つまでになった頃、その研究は行き詰まるようになる。

 それは縁動遺物の、そもそものエネルギーとして使われる「神力」の更なる解明を行っている所であった。

 

 当然成果は出なくなり、予算は減らされた。

 そうこうしている内に、上から規模の縮小までチラつかされる。

 

 以前の上司はもう病気で死んでいて、研究にしか目が言って居なかったその男は、当然組織内での発言力も低迷していたのだ。

 男はここでようやく焦った。方々に顔を出して頭を下げ、士気の薄くなったチームの人員を何とか宥め。ともかく存在感を上げようと、出版社の人間に勧められるがままになんとか絞り出した研究成果の本まで出した。

 

 しかし、様々な人に暗に言われるのだ。

『見苦しい』と。

 

 なんだ、それは。

 

 男は呆然とした。

 足掻いても、足掻いても、誰にも認められない。研究を続けるには、地位も名誉も必要だという事に気付いたのは最近で、だけど、何をしても周りの冷めたような視線は無くならない。

 

 

 それは。

 誰も彼も「お前には価値が無い」と言っているようで。

 

 

 だから、更に研究にのめり込んだ。

 

 見落としが無いように、非難など承知の上でグレーな事にも手を出した。

 この研究が、やはり必要だったという証明を得る為に。そうしていつか、その先にある神域の全てを丸裸にする為に。

 

 

 

 そうしてある日。

 あっけなく男の守ろうとしたものは無くなった。

 

 

 その朝、自宅を出ると複数のパトカーが止まっていて、時が止まったかのような心地で取り調べを受けてみれば、どうやら部下の誰かに隠れて聶獣を何匹も実験に使っていた事を告発されたらしかった。

 

 

 幸い大事にはならず釈放され、フラフラと自宅に帰ってみれば出発前に玄関で見送ってくれた妻はそこには居らず、家財も幾つか無くなっていた。

 電話をかけてみても、耳に届くのは機械的な台詞だけ。

 

 男は「やはりお前は無価値だったんだ」と、世界に言われた気がして。

 

 

 

 

 肩の荷が下りたような、そんな気がした。

 

 

 

 考えてみれば単純な事だった。

 環境なんて、自分で作ればいい。研究成果なんて、誰も知らなくて良い。

 

 自分の価値も分からない社会など、どうでもいいのだから。

 そんな奴らの言う名誉も、地位も、技術の進歩も、自分にとっては必要の無いものなのだから。

 

 

 ただ、探求を。

 視界が開けるような、あの湧き上がるような喜びだけがあればそれで良かったのだ。

 

 そう悟った男は、今では馬鹿馬鹿しいとすら思える組織の処分も待たず、表舞台から姿を消した。

 

 

 

 

 

wmmwmwmwm

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wmwmwmwmwmwmmw

 

 

 

 

 三都橋は、地面の至る所にびっしりと生えた赤い神力の触手の上に横半ば埋もれるようになりながら、空を覆う青い巨人が暴れ回っているのを見ていた。

 まるで浅い海底の中に居るかのような、幻想的とすら感じる理解不能で、悍ましい光景だった。

 

 そんな中、近くで口論のような会話が聞こえてくる。1人は、「洞見」の男の声である。

 

 

 自分はこれから殺されるのだろう。

 

 何もかもが分からず朦朧としながらも、男はただそれだけ。諦めのような表情でぼんやりとそう思って、目を閉じる。

 死にたくは無い。しかし、もう自分は心身ともに疲弊していて、こちらに向かって来る足音を黙って聞く事しか出来なかった。

 

 そうして。

 

 

「もしかして三都橋、三都橋 堅留教授ではないですか?」

「は……?」

 

 

 思いもよらない言葉に、目を開く。

 そこには顔も知らない子供が立って居て、後ろに不機嫌そうな様子の「洞見」の男がそれを睨みつけている。

 

「聞いたんだ。三都橋という名前を。問いただしてみたら縁動遺物の技術屋だと言うじゃないですかっ! ……で、どうなんですか?」

「た、確かに俺はその名前だが────」

 

 もう教授じゃない。

 その続きを言う前に、子供は興奮気味に後ろを振り返った。

 

「ほぉら! やっぱり三都橋先生だっ! 木田ァ! 君はなんて大変な事をしたんだ!」

「五月蠅いなアンタ! 話聞いてたのか!? 僕は! 仲間ともどもコイツに殺されかけたの!」

「三都橋教授! 貴方の本を読みました。当時僕は非常に感銘を受けて……ああ、なんて言ったら良いのか。まさか本人に会えるなんて!」

「聞けよっ!!」

 

 理解の追いつかない会話。その中身をぼんやりと聞いていた三都橋はピクリと動いた。

 今。この子供は何と言った?

 

「……本を、読んだ?」

 

「ええ、ええ! 読みましたとも! 他には無い視点で神力の本質を追っている他とは一線を画いたあの研究は現在でも最先端を行っている! それに、あの後書きの最後の一言は今でも覚えています!」

「そう、か……もう、何を書いたのか、覚えてもないが」

「おい木田ァ! 僕は分かったぞ! 全部君が仕組んだ事だったんだな! 先生の研究成果は渡さないぞ!」

「いらねーよそんなもん! 何が分かっちゃったんだよっ!!」

 

 そう言って「洞見」を使っても尚理解不能なのか頭を抱える男を見ながら、彼は先程の言葉をゆっくりと頭の中で繰り返す。

 

 覚えている。

 確か、後書きの最後に書いたあの言葉は。

 

神々の所縁(リレーションズ)なんてのは、この世で最も神秘的な物だ』

 

 

 本。あの発行した部数も殆ど無かったあの苦し紛れの。

 それでも自分が先頭に立って行った、道を違う前の自分の全てが入った本。

 

 それを読んで、しかも賞賛するような人間が目の前に居る。

 しかし、どうして子供があんな10年以上前の古いものに興味を持つ? 「洞見」の男と打ち合わせて嘘を付いているのか? ああ、そうに違いない。

 

 

「嘘じゃないぞ」

 

 男がそう結論付けようとした時、そんな声が聞こえた。

 見れば木田と呼ばれた「洞見」持ちの男で、三都橋は、心を読まれた事も気にせず呆けてその顔を見た。

 

「ムカつくけど……なんか、もういいや。 別に元々殺そうなんて思っちゃいなかったんだ。一発ぶん殴って……盗られた物とかを取り返せればよかったんだ」

 

 

 

 

 

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 木田は疲れていた。

 

 数日かけて、目の前の小男を捜索していたのだ。それに現在目の前で繰り広げられている巨人が触手に絡みつかれてのたうち回る様を見ていてなけなしの精神まで摩耗してきていたし、おまけに横に居る頭のおかしい青特生のせいで喉が痛い。

 忌々しい「颶風」持ちの女生徒が後ろで目を光らせていなければボコボコに殴りたい気分であったが、それが出来ない以上、彼の中に残った物は眠気と、勢いの失った憎しみだけで。

 

「……って何だかわけわからない事が起き過ぎて有耶無耶になっていたけど、そうだよ、所縁石とか大回廊にあるんだよな?」

「ぁあ……それは、もう無い。 お前等の上に居たあの『組織』に全部引き渡した」

「はぁ? もう無いとか……って何で奴等が出て来るんだ? それじゃあまるで────」

 

 そこまで言って木田は言葉を止める。

 目の前の男の心を読んで、そしてどういう経緯があったのか調べて。

 

「最初は俺が、持ち掛けたが」

「あーはい、そういう事ねっ! クソが!」

 

 警察に追われているだけじゃない自分の現状に、思わずそう吐き捨てた。

 

 彼は理解した。「組織」は自分達を用済みとして処分しようとしていたのだ。そして1人捕まりもせずにこうして潜伏している今もまだ機会があれば敵性存在として殺しに来る可能性がある。

 

 なにせ、処分しようとしていたのだ。

 「洞見」はもう利用価値が無いとされているのは確実で、そしてこうなった以上、向こうとしては生き残った自分は敵視してくる不安分子の一つとみなされているに違い無い訳で。

 

 

「なぁ、何の話をしてるんだ?」

「……ややこしくなるから話しかけて来ないでくださいよ」

 

 もう帰ろうかな、と。

 木田はもう見る影も無く小さくなった青い巨人を見て思ったのだった。

 




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込められた思い ①

 大釜山に突如出現した「青い巨人」。

 

 その見る者の多くに終焉を予感させる青い神力(呪い)の塊は、直後に発生した山を覆いつくす程の赤い神力の触手によって執拗に舐り削り取られ、そうして呆気なくこの世から消え去った。

 

 一連の騒動は、地震災害の中継に来ていたカメラに全て記録され、五島全ての国民に激震と「滅亡の予言」についての議論を再燃させることになるが、それはまだ先の話。

 

 

 

 曜引 五花は、その巨人の放つ青い光が完全に消滅したのを確認した後、気が付けば元の身体の方に意識が戻っていた。

 2匹の尾袋鼬が寝ている自分の髪の匂いを嗅いでいるのを軽くあしらい、起き上がる。意識は不思議とスッキリとしていて、特に体調に問題はなさそうだ。と考え意識を自身から周囲に移す。

 

 

「うわっ」

 

 そして思わず、広がっている光景に声が出た。

 

 何故なら、四方の壁の大部分に小さな穴が無数に空き、見る人が見れば集合体恐怖を抱きそうな見た目になっていたからで、それが天井にまで続いているのを確認した時、五花は青褪めた。

 

 これらの光景は先程起きた事は全て現実だったのだということを雄弁に物語っていたし、なにより、有名な遺跡をこんな風に穴だらけにしてしまったという事実が、彼女に重く圧し掛かったのだ。

 

 

 

 ────下手したらこれ、凄い賠償請求が来るのでは?

 

 そう思い至り、慌てて穴の一つの位相を元に戻し、壁を埋めてみる。

 しかし直後にその穴から埋めた物が滑り落ちて来るのを見て、乾いた笑いが出た。

 

 演習場上の遺跡の時はまだいい。人命救助の為に行った事であるし、あそこはそもそも価値の無いありふれた遺跡で、損傷の規模も今回に比べたら全然小さかった。それに比べてこっちは閉鎖されていたとはいえ有名な観光地で、地震も相まって今にも遺跡全てが瓦礫と化しても不思議ではない有様だ。

 

 両親になんと言えば良いのか。

 五花は逃走も視野に入れつつも、取り調べの際の言い訳を考えながら、重い足取りで穴だらけの階段を登るのであった。

 

 

 

 ぺたぺた。と、後ろから足音が聞こえる。

 

 振り返ると、先程近くに居た2匹の尾袋鼬。

 胴長の身体を斜めにして、ジグザグに階段を登りこちらを追って来る姿を見ながら、そういえばと五花は思う。

 

 

 今日ここに至るまでの事、その全てをこの獣たちは予期していたのか、と。

 

 考えてみれば今までも全てそうだった。廻以外の尾袋鼬が自分の前に姿を現す時、それは決まって何かよからぬ事が起きる時で、彼等は自分をそこに誘導する。そうしてアクシデントがあっても、足止めがあっても、終わってみれば全て無事に済む。

 

 今回なんて、最初から地震が来ると分かっていなければ、まずは自分のクラスメイトと、同室の友人の元へ案内するべきだろう。野生のカンなのか、ただ今までが幸運だったのかは分からないが、とにかく上手く行きすぎている気がしたのだ。

 

 

「……神々の所縁(ファンタジー)に理由なんか考えても無駄か」

 

 しかし結論の出ない事を考えていてもどうしようもない、とため息をつく。

 

 

 怖いのだ。

 

 五花は子供の頃、この子たちが色んな事を手伝ってくれたら良いのに、と冗談交じりに思う事があった。

 しかし、こんな危険な場所にまで来て無理をして欲しい訳じゃなかった。そもそも「神憑き」だから懐いているだけの自分の為に動く姿なんて本当は見たくも無い。

 カンでも幸運でも関係無い。今は上手く行っているが、こんな事をしていたらその内何匹かは死んでしまうだろう。彼女はそれが嫌だった。

 

 

「未来予知でもしてくれていれば、ねぇ?」

 

 それならば怪我もしないだろう。と、五花は1人自嘲気味に呟いた。

 そうして彼女はしゃがみ込み、付いて来た2匹を腕から肩に乗せ、外に向けて歩き出したのだった。

 

 

 

 

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 釜伊里の南方に位置する遺跡群の端。

 ほぼ森の中と言っても良い大釜山のその場所で、ふと僕は視界の悪くなった周囲を見渡した。

 

 

 突如地面全てを覆うように出現した謎の赤い触手は、あの青い巨人と共に完全に消えたらしい。

 人間、理解不能な事が立て続けに起きて許容量を超えると思考が停止するらしい。しかし研究者を目指すものとしてそれは不味いだろう。僕は近くで座り込んでいる教授を見た。

 

 ……流石だ。教授はこんな中でも思考を続けている。

 

 やはりあれだけ高度な研究を進めていた人物なだけある。そうやって僕が気付きを得ていると、教授と目が合った。そうして彼の人物は直ぐに視線を青い巨人が居た場所へと移す。

 

 「お前の考えを聞かせてみろ」と。そう言っているのだろう。

 僕は慌てて上手く働かない頭を再び回転させる事にした。

 

 

 まず、青い巨人。

 謎だらけの存在で、これを構成している青い神力という物自体、見た事も聞いた事も無い物だ。勿論国の機密だと秘匿されている可能性もあるが……仮にそうだとしても、今は知りようの無い事だ。

 僕の中の知識だけで考えるならば、アレは何か「青い光を生み出す」類の祟りだったのではないか、という可能性だけが残る。

 

 「祟り」は、基本誰とも所縁の無い神力がこの世界に顕現し、拡散して起こると言われている特殊自然災害だ。この間の「洞見の祟り」のように、人と所縁のある神力が転化して祟りになるケースはあまり存在しない。

 今に至るまで誰にも確認されていなかった未知の種類の「祟り」。これが先程の青い巨人の正体である。と、僕は思う訳だ。

 

 次に、赤い触手。

 赤い神力はそれ即ち「祟り」だと紐付る人も多いが、あれは青い巨人と違いどうも人に害のある物ではないらしかった。最初、急に地面から湧き出て包まれた時は死を覚悟したが……。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 一体何だったんだアレ。

 

 全く分からない。大体祟りでないのなら接触までして障らないのはおかしいし、それならばあの現象は誰かの神通力か何かという事になるが、そんな物全く現実的じゃない。未発見の神通力だという事にしたって「破邪」以上の範囲であれだけの神力を放出するのは無理だ、控えめに言って人間を辞めている。

 

 ……それにしても赤い神力といえば曜引の姿がチラつくが。まさか……いや、何を考えているんだ僕は。「隠匿」でこんな事は出来ないだろうが。

 いやしかし、そうなるとやはり。

 

「────青い光で人型を形成し、そして赤い触手で勝手に自滅する作用を持った『祟り』ですか? 教授」

「……何を言っているんだ?」

 

 どうやら的外れだったらしい。

 

 薄々無理筋だとは思って居たが、もう僕の頭ではこれ以上の仮説は出てこない。

 ここは教授の考えをお聞きするしか無いなと思っていると、後ろの方で足音が聞こえて来た。それも複数で、振り返れば白い光が幾つかチカチカと動いている。

 

「警察さんかな~」

 

 はる子が地面に寝ころびながらそう呑気に言った。

 そういえば少し前から木田の姿が見当たらない。これを予期して逃げたのだろうか、全く不遜な男であった。そう思い腕を組んでいると、背後の教授が僕に声を掛けて来た。

 

「ひっひっひ……はぁ、ここまでか。おい」

「はい、何ですか?」

「これをやる」

 

 そう言って教授はこちらに何かを投げて来た。

 暗闇で上手く受け取れず落とし、それを拾い上げてみると、それは少し変わった形状をしている縁門(アーチ)だった。



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込められた思い ②

 ここは釜伊里町、その南方。

 先程の光景が嘘だったかのように、かの山の麓は静寂を取り戻し、月明かりに照らされている。

 

 そんな中、辺りの住民は避難の為東方の鴨凪町方面に避難を始めており、人気のなくなったそこで、警察官の青年が一人、通信機を片手にジッと山の方を睨みつけていた。

 春も後半に差し掛かり、早くも初夏の気配が漂う優しい風に、ノイズが乗った通信音が流れてくる。

 

『こちら具藤。消失した祟り反応、未だ再現の兆候ありません。遺跡群はどうですか』

『阿原です。こちらでも祟り反応確認出来ませんので引き続き学生の捜索を続けます。「厄除」は到着しましたか?』

 

 到着していない。

 そう伝えようとした時、背後から何か車両が近づいてくる音。

 

「あと数分で……っと、今登山口前に救助隊到着しました。退路は気にせず進めて下さい」

 

 彼は話しながら振り返り、その姿を確かに確認する。

 間違いなく青島の救助隊が乗る白と緑の車両であった。

 

『了解』

『了解』

 

 その返事を聞いた警察官は無線を口元から離し、腕に付いている簡易計測機に目をやる。

 そうして反応が無い事を自分でも確認してから溜息をつき、後ろで待たせている2人の救助隊の方を見た。

 

 そこには大柄な男性と、刺又を持った小柄な女性が1人づつ。

 

「お疲れ様です。『厄除』は……」

「私です。それでこっちは」

「ただの適合者です……当初近くに居た隊員がこれだけしかおりませんでしたので、すみません」

 

 手を上げたのは男性の方。

 

 続いて小柄な女の方が頭を掻いてそう言った。しかし地元警官の男としては、こんな大事になっているのに、これだけしか来られないのか。という苛立ちがまず湧いた。だが先の大地震と停電により本部の高須名から釜伊里までの交通状態は非常に悪くなっているのは事実。

 

「いえ、来てくださりありがとうございます」

 

 緊急の要請を受けて来て貰っている仕事仲間である。

 男は故郷の危機に苛立っていた事を自省して、頭を下げる。だが、それでも。

 

「……しかし『厄除』は1人ですか」

 

 最低でも2人は欲しかった。

 特殊災害の際に活躍する「厄除」は数が多く、青島の救助隊に在籍している「厄除」の所有者は10人以上居ると聞いた事がある。それを考えると、どうしても「何故」という思いが溢れてしまうのだ。

 

「急ぎ追加の人員がこちらに向かってはいますが……いやはや」

「1人でも皆さんの安全くらいは保証して見せますよ、バッチリとね! 何せ私は『神憑き』ですから」

「……『厄除』の神憑きとは……頼りにしています」

「ええ、ぜひ頼りにして下さい」

 

 「神憑き」だからなんだと言うのか。

 男はそう言いかけて、自己嫌悪した。

 

 危機に直面した時、矢面に立つのは彼だ。

 暗い雰囲気を払拭しようとした彼なりの気遣いであろう言葉に、後ろで守られていることしか出来ない自分が何を言えるだろうか。

 

 せめて自分の役割は確実に果たそう。

 そう思い直した彼は、早速二人に現在の状況を共有しようとする、その時。

 

 

 

 

 

「あの」

 

 その声に警察官の青年が振り向くと、そこには灰色の髪を後ろで束ねた女性が居た。

 年齢はわからないが、そのしっかりとした佇まいから、恐らく逃げ遅れただけの住民ではないと青年は判断する。

 

「……すみません、一般の方ですか? 今ここは大変危険なので避難を……」

「いえ、何かお力になれること無いかなと思いまして……あ、ちゃんと『神通力免許』もありますよ!」

 

 彼女はそう言ってわたわたと肩に掛けていた薄い鞄をしゃがんで探り、一枚のカードをこちらに見せて来た。

 

 動くと残念な美人という感じだ。

 青年はその動作に拍子抜けしつつもそれを受け取る。

 

 

 この国には「神通力等認定特殊能力使用免許」というものがある。

 略して「神通力免許」と呼ばれるこれは、一部の大変危険な神通力を除き、その効果や範囲を検証した上で社会で使っても良いと国から認められた人間が持つ資格を保証する物である。

 

 また、この資格には3つの区分があり。

 

 区分A:禁止区域以外のどこでも使用が可能

 区分B:指定された場所と、特殊災害時またはそれに準ずる時の使用が可能

 区分C:原則使用禁止だが、特殊災害時またはそれに準ずる時の使用が可能

 

 上記によって分けられている。

 そして、目の前の女性が持っている免許は「区分C」。また肝心の神通力は────。

 

「『浄化(じょうか)』ですか」

「おお『浄化の神通力』! 私どもとしても是非お願いしたい所です」

 

 青年がそう呟くと、救助隊の男がそれに反応してホッとしたような顔を見せる。その反応を見るに、やはり無理をしていたのだろう。しかし青年には懸念する事があった。

 

「確かにご協力いただけるなら有り難いですが……区分Cというと」

「あー、もう10年ぐらい使って無いですね……けど、大丈夫ですよ」

 

 何が大丈夫なのか。

 青年が断ろうとカードから視線を外すと、そこには薄く微笑む女性が。

 

「私こう見ても以前『特殊犯罪対策部』の刑事だったんです。特殊災害だってお役に立ってみせますよ」

 

 そう言ったので、青年は少し混乱した。

 近年特殊犯罪や祟りが激減したせいで、「特殊犯罪対策部」といえば、事件現場に顔だけ出して特に何もせずに帰る連中というイメージの強かった若手の彼としては、ここでその名前が出てくるとは思わなかったのだ。

 

「勿論ブランクはありますけど……それで、どうでしょうか?」

「どう、とは?」

「災害対応に協力させて貰えるかどうかの話ですが……」

「……あ、はい。そうですね……いや……元刑事の方でしたら大丈夫です。それではご協力お願いします」

 

 しかし、自分たちの組織に居た人物ならば問題ないだろう。

 そう思い至った彼が言ったのを、聞いた女性は「まっかせてください!」と返事をし、彼の持っていた自分の免許をつまみ取った。

 

 

「免許の方にも書いてあったと思いますが、私は小海(こうみ) 四葉(よつば)と言います。よろしくお願いしますね」

 

 

 

wmwmwmwm

wmwm mwm

 

 

 

 

 階段をコトコト登る。

 両肩に掴まっていた2匹の尾袋鼬は、私の髪や服の匂いを嗅いでいたっぽいがそれ以外目立った動きもなく大人しく、そうして歩いている内に月明かりの反射が私の視界に現れた。

 

 やっと地表に出てこれた……。

 

 私は若干感慨に耽り、少し夏風が紛れているような温い空気を吸い込んで伸びをした。何だか寝起きみたいに清々しい。……今日寝られるのかな。

 

 そんな事を考えながら、山を出ようと一歩外に出た所で、遠くの方で白い光がチラチラしているのが見えた。

 それに私はさっき山全体を俯瞰していた時に見た警察の集団がそれらしい懐中電灯を持っていたのを思い出し、合流するためそちらの方に歩き出したのだった。

 

 

「嬢ちゃんよ、オメェ一体あの場所で何やってた?」

 

 その結果がこれである。

 

 事情聴取だと言われ、釜伊里の最寄りの交番に連れて行かれる事になった私であったが、それに待ったを掛けたのがこの刑事のオジサンである。

 曰く、青特の演習場の時にも深く関わっていた私を怪しんでいるらしい。

 

小茂呂(こもろ)さん……話なら後で良くないですか?」

「うるせーな具籐(ぐどう)。いいか? こんなガキンチョでも見ろ、服で分かりづれえが背中に縁門(アーチ)を付けてやがる。凶器を持っているんだよ」

 

 あ、付けっぱにしてたわ。

 そりゃ疑われるわ。なにしてんだ私。

 

「……あ、ホントですね」

「お前ら俺達が釜伊里に来てなかったら見過ごしてたろ。ナワバリ云々のレベルじゃねぇミスだ。ちゃんとしろよ!」

 

 そうしてオジサンの説教が始める。

 私は何を見せられて居るのだろうか、そう思ったけれど、しかし口を挟める状況ではないのでただそれを見ていると、ひとしきり怒鳴ったオジサンが疲れたようにこちらを見た。

 

「……それで、青特の緊急措置だかは学内の話だろ? なんでそんなモン持ってる? とりあえず寄越せ」

「はい……どうぞ……えっと、これはその……あそこで倒れている人からお借りした物です……」

 

 そう言って私が遺跡の入口前で倒れている反社っぽい人をを指すが、視線の鋭さは増す一方だ。どうしようこれ、嘘泣きでもするか? あんまりやった事無いけど有耶無耶になるのでは?

 よしやろう。

 

「うぇーん……うぅぅ……」

 

 いい感じに嗚咽を漏らし、ちらりと向こうの様子を伺う。

 

「……馬鹿にしてんのか?」

 

 馬鹿にしてません。

 

 ……ダメだった。オジサンの隣りにいる背の高い人は鼻をほじってあらぬ方向を見ているし、背後に居る他の人達も何だかシラケた目で見てくる始末。

 うん、もう金輪際嘘泣きはやめよう。

 

「とにかく危ない縁門(アーチ)は渡したんですからもう良いですよね? 早く山降りましょうよ」

 

「うわ、開き直った」

「釈然としねぇな……」

 

 




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込められた思い ③

 サラサラと、紙の上をペンが滑る音。

 ジージーと、蛍光灯の劣化から来る軋みの音。

 

 沈黙が満ちる中、それらだけが聞こえてくるような空間で、ペンを走らせていた長身の警官はようやく何かを書き終えたのか、バインダーの上に乗った紙の束をカサリとめくった。

 

 

「それで……結局君は友達を探しに山に入っていたらあの『青いの』に襲われかけて、止む無く倒れていた奴から縁門(アーチ)を剥ぎ、『隠匿』でその場を凌いでいた、と」

「そうですぅ……とっても怖かったです……」

 

 場所は山を下りてすぐの交番の応接スペース。

 

 直ぐに山の方に戻った4人を除き、大人3人と私が入って少し狭くなったその部屋で、私はパイプ椅子に座らされて事情聴取を受けていた。

 そうして説明を聞いていた長身の警察官は無言で頭を掻く。

 

「……どう思います?」

「山があんな滅茶苦茶じゃあ真偽も確かめられねぇなぁ……」

 

 後ろを向いたその人に、小茂呂と呼ばれているオジサンがそう返す。

 ……縁門付けていたせいで1ミリも信用無くて笑えない。というのはともかく。

 

「……まあ、仮に嬢ちゃんの言ったことが全て本当だとして、何で先に警察に通報しなかった? 遺跡の周りは怖い人が一杯だから近寄るなってご両親に教わらなかったのか?」

「すみませんでした」

 

 実際2割くらいは嘘である。

 

 だって、聶獣に案内されて山に来ました! なんて言ったら確実に嘘扱いされてしまうからである。綻びがないように喋るのは大変しんどい。

 なので今度からは最後まで見つからないようにしよう、なんて思いながら頭を下げる。

 

「小茂呂さんまあそのくらいで。……今度から気を付けてくれれば良いよ。ご両親は青島の人?」

「いえ、両親は赤島に住んでます。赤島の酒水(さかみ)です。あの……少しお手洗いお借りしてもいいですか?」

「あ、ごめんね。そこの通路入ってすぐ左だから」

「すみません」

 

 そう言って席を立ってトイレに入る。正直催してはいなかったのだけど、両親の話に移って私の精神はギリギリだ。そういう意味でも一度リフレッシュしたかった。

 うー、いよいよお母さんにやらかしたのがバレてしまいそうだ。

 

「酒水? ってどの辺でしたっけ」

「なんか聞いた事あるよなぁ」

「夏にお祭りやってるとこですよ」

 

 トイレに向かう私の背後からそんな会話が聞こえる。

 あー私の地元、意外に知っている人居るんだなぁ。なんていう風に、私は若干現実から目を逸らしつつトイレに向かうのであった。

 

 

 

 

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 部屋に戻ると、警察の人達がなにやら外に出ていた。

 

 何かあったのかと私も入口から顔を出すと、そこには十数人程の人。

 半分くらいは警察で、後は救助の人や、私服や制服を着ているのも居て、何の集まりか分からない……ん? 制服?

 

 人混みの中、私はその青特の制服を着た人の顔を見ようとした所で、横から何かが思い切りぶつかって来た。

 

「はる子?」

「……」

 

 はる子だ。山に居たのは分かっていたけれど、そうか。別の捜索班がこちらに合流した所であったらしい。

 しかしこの友人、声を掛けても黙ったまま、私のお腹を絞めつけて来る。いや、凄く痛いんだけど?

 何か生命の危機を感じるので、腕を引き剥がそうとするが、中々剥がれない。そうやって攻防を繰り広げていると、徐にはる子が口を開いた。

 

「……ごばちゃん、携帯は?」

 

「え? 携帯……あれ? 携帯……落としたみたい」

「落としたみたい、じゃないよ~!!」

「痛い痛い痛いっ!!」

 

 そういえば携帯……。

 電車乗ってる時から持ってなかったような気がする。連絡が付かなかったから心配させてた? それなら、まあこうされるのも別に不服ではないけれど。

 

「はぁ……そういえばなんでこんな所に居る訳?」

「誘拐されて、気が付いたらここに居たんだよ~」

「え、誘拐?」

 

 それなら何でこんな遠くまで来れたのか。そう聞こうと思ったところであまりにも不穏な単語が彼女の口から発せられた。その言葉に思考を止めていると、いつの間にか隣に居た沙村が腕組をしていた。

 

「そうだ、誘拐だ」

「あれはビックリしたね~」

 

 明らかに誘拐されましたって人間の物言いじゃ無いでしょ。

 と、一々言うのも無駄な気がしたので、詳しく話を聞いてみる。

 

 曰く、向こうは神通力を持つ「青特の女生徒」を狙う為、駅の裏に網を張っていたらしく。

 そこに彼等2人が通りかかったので、2人とも連れ去られた。という話だった。

 

 うーん「青特の女生徒」ね……。

 はる子は「颶風」で神憑きだけど、本当に彼女狙いだったのだろうか。

 明確な狙いが居たのは間違いなさそうだけど、今回の結果がもし取違いだったとしたら本命は……うーん、分からない。

 

「もしかして私狙いだったりして」

「少なくとも僕はそう……痛っ! おいっ!!」

「そんなの言いがかりじゃん。適当言わないでよ~」

「ふーん、本当に私狙いって?」

 

「ああ!」

「ああ! じゃないよ~!!」

「ちょっと邪魔をするな、僕は今コイツに借りを作ろうとだな……!」

「……」

 

 それ言うのかよ。一気に信ぴょう性無くなっちゃったよ。

 

 そうして、沙村は不穏な空気を感じその場から逃亡。はる子と決死の追いかけっこを始めた彼を視界から外し、私は服のポケットを確認する。ハンカチ、財布等々。だけどやっぱり携帯は無さそうだ。はー、しくじった。

 取り調べ終わったらついでに遺失物届も出しておこうかな、なんて考えていると、さっきの取り調べに居た長身の警察官とオジサンが一人の女性を連れてこちらに来た。

 

「久しぶり五花」

「四葉さん。……え? 四葉さん?」

「うん、正真正銘四葉だよ」

 

 小海(こうみ) 四葉(よつば)さん。私の叔母で、普段は緑島に住んでいる筈の人物がそこに居た。

 

 

 

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 釜伊里町。

 その西方にある鴨凪町の近く。九重(ここのえ)という土地にあるスポーツ施設に、釜伊里の避難民の一部が受け入れられた。

 

 海岸に近い場所に立っているその大きな施設は「九重ドーム」と呼ばれ、千人程度なら問題なく収容出来る程のスペースがあり、件の怪しい学生も、その学友と共にそこで一夜を明かす事になっていた。

 

 

 夜も更けに更け。避難民の会話も全く聞こえなくなった頃。小茂呂は夜風に当たる為に建物の外に居た。

 やれやれと息を吐き、煙草を吸って腕時計を見遣れば、もう単針が0時を指している。そんな時。

 

「久しぶりですね、センパイ」

「小海」

 

 かつての後輩が建物の中から出て来た。

 

「いや、ビックリしちゃいました! 青島とはいえここは高須名から大分離れていますし、センパイとは会わないだろうなと思って居たので」

「……お前の姪も終始疑問だったみてぇだが、小海。お前こそ何で青島の、それもこんな北方に居るんだ?」

「姉さん……あ、五花のお母さんがですね、この間の……青特の祟り騒ぎ。あれ見てとても不安がっていたので私が代わりに姪の様子を見に行く事になってたんです」

 

 小茂呂のその疑問に、四葉は苦笑いをして耳を掻いた。

 その仕草に彼は懐かしい気持ちが湧いて来るが、直ぐに顔を逸らして次の煙草を箱から取り出し、続きを促す。

 

「それで青島に?」

「はい、明日青特に行こうと思いまして、ついでの諸用もあったので今日は鴨凪の方に宿を取っていたんですが……アレでしょ? ビックリしましたね……」

 

 青特から一番近い「高須名」じゃなく「鴨凪」に宿をとった事に小茂呂は少し違和感を持ったが、この元後輩が言う「諸用」には大体当たりが付いたため、溜息を付く。

 

「洋菓子か? 和菓子か?」

「今回は洋菓子です、焼き菓子なんですけどね? これがまた────」

 

 そうして始まった彼女の菓子評を聞き流しながら「太るぞ」と以前よく言っていた言葉を返し、立ち上がる。

 

「どうしました?」

「俺はもう帰る。しかし四葉、俺ぁてっきりお前の仕事は激務だと思って居たんだが、随分と暇そうじゃねえか」

「ええ、私『お飾り』なので。結構暇なんですよ?」

 

「それじゃあ、今の俺と同じくらいかもな」

「……いや、センパイには暇の度合いでは負けますよ。辞めて正解です」

「ハッ『引き留めてくれないんですか』とか言ってた奴が何言ってんだ」

「まあ、私も若かったって事で」

 

 四葉のその言葉を聞き、小茂呂はここで会話を打ち切って車へ戻ろうとする。

 事後処理はまだ山ほどある。明日に向けて早めに寝なければならない。しかし、数歩歩いた所で四葉が再び彼に声を掛けて来た。

 

「センパイは、どう思います? 『青い巨人』について」

「知らねーよ、研究所の連中に任せておけば良いんだ」

「私は思うんです」

 

 その言葉に、小茂呂は怪訝そうに振り返る。

 

「思うんです。神力は、神様の私達への思いが込められた結晶だって。『緑』は親愛。『黄』は無関心。『赤』は悪感情。……そしてあれは青い神力で、だとしたら『青』を思う神様は、私達にどんな感情を向けているんだろうって」



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込められた思い ④

 憧れていた人が道を踏み外していた。

 

 聞けば、人体実験を何度も行い、数え切れない罪を犯していた。

 なんともまぁ、ここまで踏み外す人もいないのでは無いだろうか、というくらい踏み外していたのだ。

 

 僕は失意のどん底だ。

 

 おまけに教授の、あの人の気持ちが少し分かってしまうのも何だかモヤモヤする。否定したくない。嘘は付けない。倫理は勿論大切だが「それを破った先に何かがあるかもしれない」という可能性はとても甘美なのだ。

 

 何に変えても全てを知りたかった。と、あの人は言っていた。

 その気持ちはもう偽物になってしまっていた。ともあの人は言っていた。 

 

 あの人に何があったのか、どんな人生を歩んできたのかを僕は本の経歴でしか知らない。

 だとしても僕は、僕は思う。

 

 

 

 ────背中がチクチクすると。

 

 いや異様にチクチクする。痛い、何なんだこれは。

 

 今の僕はとても疲れていて、おまけに精神に大ダメージを受けているのだ。だから今すぐにも寝直したいのに、忌々しい背中の刺激のせいで中々意識がぼやけてこない。

 そうやって数分くらい悶々としてから、仕方ないので身体を起こし、地面を確認する。

 

「敷いていたシートは……?」

 

 思わずそう呟いてから周囲を確認すると、目的の物は直ぐに見つかった。隣りで寝ていた爺が僕のシートを掛け布団代わりにしていたのだ。

 ……ペラペラのそれを掛け布団代わりにして何になるというのか。

 

 僕は直ぐにその掛けシートを引っ張り奪還を試みるが、ヤケに力が強い爺のようで、これが中々手放さない。

 それでも何とか徐々にシートを手繰り寄せていると、突然爺が怒鳴り声を上げた。

 

 その物凄い怒鳴りはドームの中に響き渡って、周りの困惑の物音が聞こえてくるものだから恥ずかしい。「おい君」と声を掛けてみても、信じられない事に先程のは寝言だったらしく、むにむに言うばかりで反応が無い。

 これではまた下手に刺激したら怒鳴り声だろうし、必然シートは諦める他ないだろう。しかもお陰で目が完全に覚めてしまった、最悪だ。

 

 そうして僕は薄ぼんやりと光るドームの天井を見ながら、不本意だが余ったシートを貰いに、ついでに用を足しにでも行くかと目を擦った。

 

 

 

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 ここ「九重(ここのえ)ドーム」は現在釜伊里町から避難してきた人を受け入れており、ロビーには芝生の上に敷くシートや、布団。それに水の入ったボトル等が積み上げられて居る。

 

 僕は一人、そのロビーに戻ってきて必要な物を拝借し、さて寝直そうかと欠伸をした所で、階段の方から何か緑色の光が壁に反射しているのを発見した。

 この上は観客席用のスペースと、それぞれの席に至るための通路しかない筈だ。

 

 ここで「まあいいか」と確認しない人間がいるだろうか? いや居ない。

 僕は迷うことなく階段をそろりと上り、2階観客席のスペースまで息を殺して登ると、そこには人影が2つ。

 

 一人が神力の緑を滾らせて、座っているもう一人の頭に手を翳している、そんな場面だった。

 

 ……なんだか穏やかじゃなさそうだ。

 縁門(アーチ)を開いて頭に手を翳しているというのは、そのまま銃口を頭に向けているような物で。……というか、これを見ているのが向こうにバレたら不味いことになるかも知れない。

 そう考えた僕は忍び足はそのまま、1階に戻ろうと背を向ける。そうして歩みを再開させた所で背後から声が聞こえて来た、それも。

 

「しかし『浄化の神通力』って凄いですよね」

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 

 

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 寝る前。というか、目を閉じて横になり、もう寝そうだった私を小声で起こす人が居た。

 目を開けばそこには外に行っていた四葉さんが居て、何の用かと尋ねれば、どうも「隠匿」の調子を見たいそう。

 

 私の持つ「隠匿の神通力」は「対象の位相をずらす」、いわば空間操作のような性質を持った神通力である。

 そして、ずらしている間のあの色素の薄くなった空間に居ると、少なからず身体に毒素のような物が溜まっていく、らしい。

 

 らしいというのは「浄化の神通力」を持つ四葉さんからそう聞いているだけで、私自身「隠匿」では把握出来ない良く分からない物であるからだ。

 

 「色素の薄い空間」の曖昧な空気を身体に取り込むと気を失うのは、私自身嫌というほど経験しているので息は完全に止めている。しかし人間には皮膚呼吸という物があるので、どうしても使っていると身体の中にその「曖昧な物」が蓄積していくのだそう。

 使わなければ数時間で抜けていくっぽいので心配は要らないと言ったのだが、せっかくだからと押し切られ、私達は一目の付かない2階の観客席まで移動してきた。

 

「どうですか?」

 

 背後に居る四葉さんにそう聞いてみる。

 

「……うん、思ったよりは溜まってないみたい」

 

 すると、そんな返答が帰ってきた。

 思い返せば変な縁門を使ってしまったせいで今までに無いくらい神通力を使ってしまっていたのだ。少し不安だったのだが、まあ大事にはならなかったようで良かった。

 

 ……そういえばアレは結局何だったんだろう。

 

 「幻想世界」に行って、夢の中で神域の入り口に無理やり入って。そうしたら(まわり)が中に居て。あの後から意識が神力の方に移った私は、正直全てが夢見心地だったのだけれど、現実で。

 今考えても訳が分からない話だ。没収されたあの変な縁門(アーチ)が発端だったのなら、明日にでも研究所で聞いてみれば何か分かるだろうか。

 

 そこまで考えた所で、私の両肩に手が置かれる。

 

「よし、良いよ五花。寝よっか」

「はい、四葉さん」

 

 とりあえず、眠い。それに尽きる。

 

 私は一言礼を付け加えてから立ち上がり、四葉さんに続いて一階の寝床へと戻るのだった。




ちょっと短いですが……。
その分次話は割と早く投稿する予定です。


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込められた思い ⑤

「おーい五花(ごばな)

 

 翌朝。

 避難先として使われていた「九重ドーム」の中。

 

 真っ白な天井が太陽の光を幾ばくか透過して白く光り、室内を柔らかく照らしているのを見ていると、私に背後から話し掛けてくる人が居た。クラスメイトの加満田(かまた) 悠里(ゆうり)である。

 

「悠里。ここに来てたんだ」

「まあな。それよりも結局寮に帰れんかったのな」

「……電車が止まっちゃうとねぇ……仕方ないよねぇ」

 

 そう呆れ顔で言った彼女に、あくまで地震のせいで帰れなかったんだというアピールをしておく。これ以上変な奴と思われるのも不本意なのだ。

 

 それから最近の青島怖いな、とか。民家の被害状況だとか、私に寮からなんか門限破り朝帰りの罰則があるんじゃないかとか気分の沈む話題を二人で淡々と話していると、隣で寝ていたはる子が唐突に起き上がり、深刻そうな顔でこちらを見た。

 

「罰則ってはる子にもあるのかな……?」

 

 聞いてたんかい。とツッコむ間もなく、向かいに居た悠里が彼女を見て大げさに仰け反った。

 

「うわ、日里(ひさと)っ!」

「うわって、酷くない~?」

「……ん? 知り合いなの?」

「ユーリンもはる子と同じ部活なんだ~。……だったよね?」

「いや、そこは断言せえや。後ユーリンやめろ」

 

 なるほど、悠里もはる子と同じくパド(パドリング)部に入っているらしい。

 結構喋った気がするけど初めて聞いた。まあまだ一カ月もない付き合いだし当然か。

 

 それからパド部での事を暫く話していると、ふと悠里が私の方を向いた。

 

「ウチの部活と言えば五花、入部せんの? 経験者みたいやけど」

「ごばちゃんはね~はる子より下手だよ~」

「全く参考にならん情報やな」

 

 ……なんだかはる子が失礼な事を言っているが。

 まあ実際彼女は、同年代から突出した実力を持っている。なにせ中学の全国大会に二回ほど出て、どっちも良い線を行っていたのだ。ちなみに私は早々に脱落して応援に回っていた。はっはっは……あ、脱線してる。入部するしないの話だったよね。

 

「入部はしないつもりよ。だって赤い乗用機(パドル)とか乗りたくないし」

「……そういう事か。中学のと違って光るもんな」

 

 そう言って腕を組み、うんうんと納得した悠里は直後「ん?」と声を出してはる子の方を見た。

 

「日里。そういや五花と同中よな?」

「そうだよ~」

「じゃあ代大(よだ)の言ってる奴って……」

「あー、うん。ごばちゃんがカナちゃんの言ってる人だよ」

 

 ヨダ。

 

 その名前が出た途端、はる子がスンっと真顔になった。

 え、何? 怖いんだけど。

 

「カナちゃん……ああ、そう。代大(よだ)(かなめ)っていう日里と同じ中学だった奴な。アタシはここでライバルを待っているとか変な事言ってるけど、お前の事やったんか……」

 

 ヨダ。少し前にはる子からも聞いた名前だった。

 しかし私には聞き覚えの無い生徒である。ヨダ、カナちゃん、ヨダカナメ……。いや、怖いって。前聞いた時は深入りしなかったけど、いい加減向き合った方がよさそうな気がして来たよ。……それにしても。

 

「そんな奴居たっけ……?」

「その台詞アイツ聞いたら泣くぞ」

「えっとね~、3年の時転校して来て入部した子居たよね? ほら、ごばちゃんその時もうあんまり部活に来てなかったけど」

「……あ、タイヨウ!?」

 

 「転校」というワードで思い出した。

 他校で中学生選抜に出ていた事もあって、かなり乗用機の扱いが上手いタイヨウだ。たまたま居合わせた自己紹介の時に「自分の事は太陽と呼んでくれ」とアホな事を言っていたので、タイヨウとしか認識していなかった。

 

「というかはる子。中学の頃はタイヨウの事「サンちゃん」って呼んでなかった?」

「本人がやめてくれって言ったから変えたの」

 

 そうか、どうやら無事に黒歴史となったらしい。

 

「……いいや、それで何でライバル? 私あの子と戦った事無いんだけど。はる子何か聞いてる?」

「ううん、何か怖いから聞いてない」

「怖いって」

 

 いや、その気持ちは痛いほど分かるけども。

 それから私達のやりとりを見ていた悠里が「なんかアイツ可哀想に思えて来たわ」とか呟いていたけども、私にどうしろと言うんだ。

 そんな時、話題を変えたかったのか、はる子がそう言えば、と私の方を見た

 

「ごばちゃん、おばさんは?」

「今朝早くに出て行ったよ」

「……ふーん」

 

 四葉さんの事だ。

 昨日の夜、あれから何故青島に来ていたのか、とあの人に聞いてみると、どうやらお母さんからの要請で私の様子を見る為だけに来ていたらしく、「用事は済んだから」と、迎えの車で慌ただしく早朝に出て行ったのだ。

 

「叔母さん? 釜伊里にまで来た用事ってそれやったんか?」

 

 悠里の推測は違ったが、それで納得してくれると嬉しいので、私は曖昧に頷いておくことにした。

 

 

「あ、これ違うな」

「違わないし!」

 

 

 

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 青網引島(あおあびきとう)の北部に位置する釜伊里町沖に発生した記録的な大地震。

 それに伴って発生した大釜山の「青い巨人」騒動。これは事件後、様々なメディアで連日取り上げられる事になった。

 

 「逆賭」の神憑きが言った「滅亡の予言」にある大規模な祟りが始まったのではないか。

 地震のせいで密かに地底に存在していたエネルギーが噴出したのではないか。

 政府の隠していた実験体が暴走したのではないか。

 

 等、様々な憶測が飛び交い、果てには青特での「洞見の祟り」に関連付ける人まで現れていた。

 これに対して五島の研究所は最初「原因を調査中」として、白島から多くの調査員を派遣し大釜山の調査を行っていたのだが、程なくして原因を突き止めたと声明を出した。

 その発表は以下の通りである。

 

 ・大釜山の地底深くにある「特定の遺物」から、白島にて非公開で研究していた青い神力を発生する金属が多分に検出された。

 ・大地震に起因した何かしらのショックにより、眠っていた大量の「特定の遺物」から青いエネルギーが溢れ出てしまった可能性が非常に高い

 ・調査を続けるが、「特定の遺物」は他の遺跡では一切確認されていない。

 ・山をボロボロにし、青い巨人を消滅させた赤い触手については、引き続き調査中

 

 

 

 図書館のパソコンでニュースサイトを漁っていた曜引(ひびき)五花(ごばな)は、そこまで読んで溜息を吐いた。とりあえず自分に繋がりそうな物は一切無かったからだ。

 

 現在、このような発表が出され「滅亡の予言」の正体の一端が分かった影響で、各地にある遺跡全てを即刻排除するべきだ、という機運が高まっているらしい。今見てるニュースサイトのコメント欄もその意見で埋め尽くされている。実際「他の遺跡には無い」なんて言われても信用出来るものではないだろう。

 

 日本にある遺跡は小さい物を含めれば数えきれない程にある上に地下に幾らでも存在していると以前聞いた事がある。もしこれら全てを排除したら、日本には「白島」しか残らないんじゃないだろうか。と五花は毛先を弄りながらコメント欄をスクロールしていき、あるコメントを見て顔を顰めた。

 

「青い巨人から私達を守ってくれた守護神様へ祈りを捧げましょう。私達に出来る事はそれしかありません。共感して頂ける方はこちらのサイトに来てください→https://※※※※」

 

 こんな所にも出張して来るのか、と五花は吐き気を催した。

 

 誘導しているリンク先は、最近発足した妙なカルト宗教の交流サイトである。

 今回の事件で不安に思った人が多く入会しているらしく、なんだか自分のしたことが独り歩きして悪さをしているような事態に、五花はうんざりとしてブラウザを閉じた。

 

 

 最近は事件が立て続けに起こり、危ない事が沢山起こるようになって来た。

 「隠匿」にはお世話になったが、彼女的には本当を言えば能力バトルなんて一切したくないし、慣れ始めたとはいえ、常識の通じないファンタジー現象に自分の身を預ける事に少なからずストレスを感じるのだ。

 

「もうさ、なんかもうアレだ。水族館行こう」

 

 そう言葉に出してから、背袋鯆の居る水族館が青島に無い事に気付いた五花はその場に立ち尽くしたが、まあいいかと普通のイルカを見に図書館を後にするのだった。

 

 

 




 前々話で釜伊里町の事を青島の南方と記載していましたが、正確には北方です。
 該当箇所を修正しました。

 混乱を招きかねない描写ミス等は、今後も後書きに都度記載いたします。また今回からこちらの活動報告に纏めさせて頂きますのでよろしくお願いします。


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明日もきっと、その先だって

 目を開けると、そこには既に何回も見ている薄茶色の天井。

 そのまま身体を横に倒すと、目の前の茶色の頭が窓からの風に当たって一本ぴろぴろと揺れている。

 

 どうやら昨日の夜、はる子は窓を開けっ放しで寝たらしい。

 注意する気も起きないのでそのまま揺れるアホ毛を見ながら目だけで壁際の時計を見遣ると午前の9時半。学校が休みでなければもう二時間目に入っている時間である。

 

 しかし今日は授業が休みの土曜日。

 

 門限を破った私達は寮の監督生に大層怒られたが、はる子の誘拐事件のお陰で罰らしい罰は私にも与えられなかった。しかし、代わりにはる子をちゃんと病院の検査へ連れて行くようにと、はる子の担任である梧桐(ごどう)先生に言い付けられている。

 という訳で、受付時間に遅れるわけにはいかない。

 時間的にギリギリである。私は起き上がって、隣でムニャムニャ言っているはる子をベッドから引きずり出した。

 

 

 

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 休日に寮で出てくるご飯は作り置きの簡素な物になっているらしい。

 私服で部屋のある棟から出て来た私達は、食堂のカウンターにギリギリ残っていた握り飯を2つ取って、平日だったら食べそびれていたね、なんて言いながらそのまま寮の外に出る。

 病院は高須名にあるので、行きの電車で食べてしまおうという訳だ。

 

「そういえば、携帯は見つかったの?」

 

 電車に揺られていると、はる子がそう言った。

 確かにまだ警察から連絡が無い。とはいえ昨日の今日であるので、焦ることは無いだろうと思いつつ私は一口食べたおにぎりの断面を見た。おかか。

 

「ん、見つかってない」

「じゃあ今日帰る前に買おうよ。はる子が選んであげる~」

「買うのは様子見て明日にしたいのよ。学校の近くに携帯買える所あるし、後あんまりお金使いたくないし」

「えー」

 

「けどどんな機種があるか確認はしたいかも」

「おお~」

 

 おお~ってなんだ。

 余りにも上の空な返事に気になって横を見ると、はる子は手に持っているおにぎりの断面を見ていた。シャケ。

 

「あ、ズル。私のおかかなんだけど」

「これも、はる子の日頃の行いが良いからかもね~」

 

 聞けや。

 と、言う間も無くシャケのおにぎりははる子の口の中に納まったのだった。

 

 

 

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 高須名町、高須名駅。

 その駅舎から徒歩10分程の場所にある高須名総合病院の受付で、私は待合席に座り新聞を読んでいた。

 普段読まない所の新聞だったのだが、一面に「青い巨人の正体とは」なんて書かれていたので思わず手に取ってしまったのだ。

 

 そして事件から全く経っていないのに思ったより事細かに書かれている内容に内心ビクビクしながら目で追っていたのだが、やはり核心には至っていなかった。そりゃそうか。

 

 そうして溜息をつき、流れで次のページを見ている時。視界の端に誰かがこちらにやってくるのが映った。

 

「なんだ、はる子の付き添いか」

「うわ」

 

 沙村である。

 そういえばコイツも一緒に誘拐事件に巻き込まれていたのだった。

 

「毎回『うわ』と言わないといけないのは義務か何かか?」

「ごめん、反射的に言っちゃったのよ」

「尚悪いんだが」

 

 その返しに確かに。なんて考えていると沙村は私の横に腰を下ろしていた。え? 何で隣に座るの?

 

「あの赤い触手。君だろ」

 

 

「……チガイマスケド。いきなり変な事言いますね~?」

 

 ビックリした。

 唐突にそう言われたのでとりあえず否定すると。沙村は信じられないような物を見る目でこちらを見てきた。あれ、なんでそんなに狼狽えてるの……?

 

「う、嘘だろ?」

「嘘じゃないんですけど?」

「本当に滅茶苦茶だな……じゃあどうやってあんな事をしたというんだ? ……いや、聞いても教えてはくれないんだろうが……」

 

 うん、会話が嚙み合ってない感じが凄い。

 これ以上墓穴を掘りたくないので、考えに耽る沙村を横目に逃げるかどうか検討しているタイミングで奥からはる子が出て来た。

 

「終わったよ~……あややだ」

「昨日ぶりだな」

「そだね~。じゃあごばちゃん携帯買いに行こっ」

 

 おおう。

 なんというか、思ったより二人の仲は冷え切っているようだ。

 もしかしたら吊り橋効果で良い感じになってるのかなと、勝手に思ってたりしてたんだけど。……うーん、考えてみたらはる子だしそういうのは無いか。

 

「いやお金無いから見るだけね? じゃそういうことで」

 

 それはそうと好機である。

 私はそう言って立ち上がり、はる子を口実にしてその場から離脱する。この件はうやむやになる。完璧な作戦だ。

 しかし、入口手前まで行ったところで沙村に呼び止められ。

 

「おい君、所持金に不安があるのか?」

「いや……え?」

 

 謎の質問をされた。

 戸惑っているうちに沙村は続けて口を開く。

 

「携帯を無くしているのは聞いているぞ。そんな中懐が寂しいのは実によくないな、うん。曜引、実は簡単に稼げるバイトがあるんだが興味は無いか?」

「なにそのいかがわしい誘い文句」

「しかも短時間で数万稼げるバイトだ。少し身体を委ねているだけで────」

「えいっ」

 

 そして聞き終わる前にドサリという音もなく沙村の身体は崩れ落ちた。

 

「常識的に考えてあれは無いよ」

「ちょっと。いや、私も引っ叩こうかと一瞬思ったけども……生きてる?」

 

 

 

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「データ収集?」

「そう、データ収集だ。青網引神秘研究所で神通力に関する『機能確認』に協力するバイト」

 

 あの後。

 流石に衆目のある院内での出来事であったので受付に助けを求めようとした所で沙村は起き上がり、はる子に何かグチグチ言った後にバイトの内容を私に説明し始めた。

 

「けどさ、協力なら何回もしてるよね。無償で」

「あれはあくまで『検査』だ。この間の隠匿(仮)みたいに、検査は生活や授業カリキュラムへの影響が懸念される場合に学校の要請で受けさせられる物であって、そんなの基本的に研究的に価値の低いゴミデータだろ?」

 

 ふむふむ。なんとなく分かった。

 つまり神通力の「機能確認」……種類によるんだろうけど、例えば出力・有効射程・効果時間・挙動・それによる影響とか、いろんな項目をデータ化する作業に協力するという話なのだろう。

 

「しかしおかしいな。曜引ほどの奇妙で奇怪な神力ならあの時データ収集の要請を受けていると思っていたが」

「酷い言われようね。もしかして需要無いんじゃないの?」

「まあ確かに需要が無ければバイトの話も無いだろうが……それはありえないだろ。僕が保証する」

 

 その保証、言うほど安心出来ないんですけど。

 そうは思ったが、お金が欲しいのも事実。わざわざ言う必要もなかったのでその後バイトの申請の仕方を軽く教えてもらっていると、後ろから肩に手を掛けられた。

 見るとそこには如何にも不満ありますという風に頬を膨らませたはる子。待たせすぎたらしい。

 

 そうして言葉を交わさずとも解散する空気になって、私達は沙村と別れ、近くの家電量販店に向かうのだった。

 

 

 

 

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「……見た目は完全に縁門(アーチ)だな」

 

 検査を受けた日の夜。

 鴨凪に実家があるという同室が帰省している土曜。僕は机の上にあの日教授に貰った妙な縁動機械を置き、それを眺めていた。

 

『特別製だ』

 

 それしか聞いていない謎の機械だ。

 当然警察に出すべきものなのだろうが、もしこれを渡してしまったら二度と自分の元には戻らないだろう。だから僕は黙ってポケットの中に入れたまま持ち帰って来てしまったのだ。

 故に、これは誰にも見せる訳にはいかない。

 

 僕は思い切ってそれを太腿の上に乗せ、バンドで固定し、ゆっくりと開いてみた。

 すると、やはりそこからは緑の光が湧き上がってくる。縁門であることは間違いないらしい。

 

 よしやろう。

 そう決心して分かったことを纏めようとノートを開き、ペンを取り出そうと引き出しに目を向ける。

 

 そんな時ベッドの方に何か茶色いものがチラついた。

 

尾袋鼬(おぶくろいたち)

 

 思わず呟いて立ち上がり、僕のベッドの上に鎮座しているそれを持ち上げると、聞き覚えのある声が頭に響いた。

 

『明日もきっと平和でありますように』

 

 ……状況を整理しよう。

 と僕は、持ち上げられ大人しくしているイタチを床に置き、頭を掻く。

 

 試しに「使う」と念じてペンをベッドの方に放る。するとペンは僕の足元まで戻ってきて転がった。

 

 なるほど。

 つまり、僕は今「回帰」を使用出来る状態にあるのだろう。

 

 原理はまるで分からないが、適性値が一時的に上がっている。という線が濃厚だ。僕は夢中になって他の可能性を粗方ノートに書き込む。

 

 書き込んだ後で、床をゴロゴロしているイタチを見遣る。直後に響く声。

 

『明日もきっと平和でありますように』

 

 先ほどノートを見ていた時には聞こえなかった。以前まではサンプルが少なく判断出来なかったが、これで「祈りの声」は彼女の聶獣を見ている間にのみ聞こえる物だと判断。ノートに書き込む。

 

 書き込んでいる間にふと思う。

 では、この声はどうやって僕に届いているのか。

 

 最初はただ念話の類だと思っていたが、どうにもそれは違う気がするのだ。

 入学式の時に見た喋る聶獣の不思議な声や、念話のような事が出来る神通力の其れとは感覚的に異なっている。例えるならば、そう。

 

「何かを思い出すかのような……そんな感じ、か?」

 

 口に出してみて、しっくりくるような。しっくりこないような。

 判断出来ないので、ともかく言語化出来たものをノートに書き込む。

 

 

 検証。その結果。所感をノートに書き込む。その繰り返し。

 

 そんな風に僕が「回帰」の性能確認を一通りした頃には、辺りは明るくなっていた。

 伸びをして窓を開けると、一層温くなった風が部屋の中をかき混ぜる。

 

 夏が近いな、と。

 欠伸をしながら何気なく部屋を見渡してみると、ベッドで寝ていた尾袋鼬は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『明日もきっと平和でありますように』





 ここまで読んでくださりありがとうございます。
皆様のお陰で「みみたぶがり」はこちらで1章終了まで話を進める事が出来ました。重ねて御礼申し上げます。

 評価・お気に入り・ご感想大変励みになっております。このまま第二章「赤い島の逆さ巫女」の投稿も間を開けず始めて行きたいと思っておりますので、完結までお付き合い頂ければ幸いです。



 


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第2章 赤い島の逆さ巫女
「隠匿」ほるだーず ①


 休み明けの月曜日。

 あれから結局私の携帯電話は見つからず、やむなく両親に電話して前のと同じ携帯電話を購入した私は、例のバイトが受けるために売店で申請書を書き、放課後に神秘研究所を訪れていた。

 

「あー、機能確認ですね」

 

 受付に居た大人っぽい女の人……望月(もちづき)さんは私の持って来た紙を見て、苦笑いをする。

 

「やっぱり、私は無理そうですか?」

「いや、むしろ大歓迎したい所なんだけど……ちょっと時期が」

 

 望月さんはそう言って隣の方でテーブルに座り何かを話し合っている職員を意味ありげにチラリと見る。私がそれを疑問に思っていると、彼女は私の耳元に顔を近づけ、向こうに聞こえないくらいの声量で「実はね」と切り出した。

 

「あの人たち、白島から派遣されて来てるのよ。この間の釜伊里の事件ね、本部の方で調べるって一方的に言われたみたいで。それで、ここの機材も一部貸してるの」

「じゃあ、そういう訳で今は忙しいんですか……」

 

 なんと、当てが外れてしまった。

 まあ確かに直近でこんなに謎の災害があったらゴタゴタもするのだろう……とはいえガッカリ。半分私のせいだけども。

 

「そういう訳じゃないんだけど……まあ、それもあるね。曜引(ひびき)さん、機能確認自体は後で絶対行いたいと所長も言うと思いますからこれ、預かっていてもいいかな?」

「? 分かりました」

 

 そういう訳では無い?

 良く分からないけれど、バイト自体は受けられそうでよかった。お金はあるに越したことはない。……とはいえ、直近でお金が手に入らないのは痛い。別のバイトでも探すべきだろうか。

 

 そんな事を考えながら研究所を後にしようとした時、建物の奥から誰かが出て来る。そして私の姿を見るやいなや駆け足でこちらに来たのは、検査で数回会った(わたり)所長であった。

 

「曜引さん、バイトって興味ないかなぁ。夕方だけの短期なんだけど」

 

 これは間違いなく「機能確認」の話では? と、私が口を開こうとした所でカウンターに居た望月さんが所長に声を掛けた。 

 

「その話。先程曜引さんが申込書持ってきてくれましたよ」

「えっ! ありがたいなぁ!」

 

 声が大きいです。

 お陰でテーブルに座っていた白島の職員の人達が怪訝そうな顔でこちらの方を見て来て一気に居心地が悪くなった。

 しかし所長は気にもせずに話を続ける。

 

「早速なんだけど、明後日。放課後に多目的棟の一階に来てくれないかな?」

「多目的棟ですか? ここじゃなくて?」

 

 望月さんが思わず、と言った感じで声を上げた。

 

「ちょっと野外で試したいことがあってさ。行けそう?」

「行けそうですけど……所長が来るんですか?」

「そうだよ。まあ普段は望月さんとか他の職員に任せているんだけど、皆忙しくてね。……じゃ、帰る所で引き留めてごめんね、よろしく!」

 

 そうして言い終わると、所長はまたせわしなく建物の奥に引っ込んで行った。妙にイキイキとしていたが、随分と忙しそうである。……というか。

 

「所長は忙しくないんですか? 明後日」

「いえ、とっても忙しい筈だけど……それだけ気になるのかもね。その『神通力』」

 

 後半、声が囁きみたいになってましたけど。

 もしかしてテーブルの人たち……白島の人達に聞かれない為なのだろうか? 良く分からないけど、神秘研究所というのも色々あるのだろう。

 

 まだまだ私も子供である、こういうのには疎いのだ。

 ……うん。前世と合算の年齢でも四葉さんより年下だし、誰が何を言おうと子供なのである。

 

 

 

 

wmwmmw

w

wmmw

 

 

 

 夏が近づき、私の居る女子寮の中もピリピリとして来た。

 いつも悲鳴やドスンドスンと暴れる音が聞こえてくる男子寮とは違い、普段から和やかな空気が流れていた私達の女子寮。

 それが今日。露骨に会話も少なくなり、いつも明るく元気な先輩は、食事後部屋にすぐ引っ込んでしまった。談話室の入口には「私語厳禁」の文字が貼られていて、中を覗くと皆机に向き合って何かを書いている。

 

 そう、今週末から中間テストがあるのだ。

 

 私も成績を維持する為毎日勉強しているが、この光景を見る限り、確実に1年首位は陥落するだろう。と、内心諦めながら自身も勉強をするために部屋に戻る。すると、はる子まで机に座って勉強をしていた。

 

「なんか、赤点取ったら退学でもするのかって空気ね」

「ごばちゃんは勉強しなくていいの? 余裕だね~」

「いつも勉強してるし今日もするわよ。今日から急にやりだした人に言われたくないんですけど」

「過去に囚われていたら何も出来ないよ~」

 

 なんじゃそりゃ。

 教訓めいた謎の言葉に呆れていると、はる子は会話が終わったと思ったのか再び視線を机の方に戻す。

 

 どこの範囲をやっているのか気になって覗いてみると、そこには漫画。ルーズリーフに書かれた手書きの漫画を読んでいる。は?

 

「おいお前、現在進行形で娯楽に囚われてんじゃないの」

「あ、勝手に見ないでよ」

「はる子が書いたの?」

「クラスの子の書いた漫画だよ。評価して欲しいんだって」

 

 ふーん。ほお。

 

「ちょっと私にも見せてよ」

「ダメ」

「えぇ、良いじゃん」

「恥ずかしいから他の人には見せないでって言われてるの。ダメ」

 

 それなら仕方ないか。

 パッと見て凄く絵が上手かったのでちょっと気になったのだがそれなら仕方ない。……というか、はる子本当に勉強しないな。大丈夫なんだろうか。

 

 まあ、明日にでもちゃんとテスト対策してるのか確認してみるか。

 そう決め私は自分の机に座る。首位陥落するにしても一桁には残っていたいのである。

 

「そういえばごばちゃん、夏祭りの手伝いは行くの?」

 

 意気込んだ所で、はる子に水を差された。

 夏祭り。私の実家、赤島の酒見(さかみ)で7月に行われる年に一回の山社満曜大祭(さんしゃまんようたいさい)という祭りのことである。

 

「随分と気が早いわね、当然行くけど。年々人が増えてて、手が足りないんだから」

「はる子もお手伝い行こうかな~」

「それは助かるけども、その頃赤点取って補修受けてるような事態にはならないでよ」

「大丈夫~はる子にまかせなさい!」

 

 何が大丈夫なのか分からないけれど、まあいいや、任せた。

 そうして今度は携帯を弄り始めたはる子を横目に、今度こそ私は勉強を始めるのであった。

 

 

 

 

wmwmwm

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wmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmwmmwmwmwmwmwmw

 

 

 

 ぼんやりとする。

 

 頭が上手く働かないが、なんとか周囲の把握をする。

 覚えのある湿った空気。足元は沼の中。そして辺りに転がっている岩と白い花。

 

 うん、うん。

 恐らく今、私は「幻想世界」に来てしまっているらしい。

 

 あれから私は勉強した後、明日に備えて早めに寝た。なので身体は普通に寮のベッドの中にある筈だ。ということで、何時まで居られるかは知らないけれど、今回は朝までのんびり探索してみる事にする。

 そう決めて、前回と同じ方法で足を沼から出し陸に上がる。そしてとりあえず「神域」の入口だと言われるあの建物に行こうと歩く。

 

 建物が何処にあるのかは忘れた。

 しかし、何となくここかな。という方向に歩みを進めると、間もなくそこに到着する事が出来た。

 

 だけど、再びその建物は閉ざされてしまっているようで、その外観は「ボロい日本家屋」から「ぼんやりとしていて良く分からない状態」に戻っていた。

 ここで問題が一つ。

 

 というのも、この前は「隠匿」を使って中に入る事が出来たが、今の私は寝間着なのである。なので当然縁門(アーチ)も装備していない。困った。

 いきなり暇になった私はどうしようかなあ、と建物に寄りかかる。

 

 すると、真後ろの壁が後ろに倒れた。

 

 そうして支えを失った私は転がるような体勢で部屋の中に入場。若干混乱しながら起き上がると、建物は完全に以前のボロい日本家屋のような見た目になっていた。

 どうやら丁度寄りかかった壁の場所に引き戸があったらしく、それを外してしまったらしい。

 

「いや、ボロいにも程があるでしょ」

 

 思わずそう呟き、引き戸をガタガタと元の場所に戻して部屋の中をもう一度見遣る。

 白い壁、木の梁。木製のタンスと何枚かの座布団。そして背の低い机の上に湯呑が一つ。中身を見ると、お茶のようなものが中に入っていたので臭いを嗅ぐ。ほうじ茶かな、分からない。

 

 ……なんというか、さっきまで誰かが居たような感じがする。

 お茶はまだ温かいし、角に積まれていた筈の座布団は凹んだものが1枚机の横に置いてあるのだ。明らかな異変である。

 

 他に何か無いかなと周囲を見ていた私は目を疑った。なんとタンスの陰に奥へと続く通路があるのだ。

 

 明らかにこの間は無かったスペース。不審に思ったけれど、しかし暇なので行かない選択肢は無い。

 直ぐに入ってみると、そこは引き戸が何個もある玄関のような所であった。

 

 木の床から一段下がり、石を並べたようなすべすべの床に素足を乗せ、なんとなく引き戸の一つを開けてみるが、そこには先程見た沼地があるばかりである。どうやらただの裏口であるらしい。

 いや、むしろ私の入って来た所が裏口なのかな。なんて思いつつ次の引き戸を開けてみる。

 

 すると、そこには見知らぬ女の子が立っていた。

 

「え!?」

 

 いや、驚きたいの私なんですけど。

 

「……もしかして、神?」

「え、え? わたしは、えと、その。ただの人間です。15歳で……学生で……い、いやそんな事よりもっ」

 

 同年代らしい女の子。眼鏡を掛けていて制服を着ている。確かにこんな外見の神なんて居ないか、なんて考えながら話を聞いていると、いきなり彼女は私の両手を握って来た。

 

 

「貴方が、私と(ゆかり)のある土神(くにつかみ)様ですか!?」

 



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「隠匿」ほるだーず ②

曜引(ひびき)さんですか……先程はすみません。わたし動揺しちゃって」

 

 目の前の女の子は、ぺこりと頭を下げてそう言った。

 確かに先程の取り乱し方は凄かったけれど、こんな場所で自分以外の人間に会ったのだ。驚くのも無理は無いだろう。私も内心相当ビビっている。

 

「気にしてないよ。私も最初営野(えいの)さんの事神かと思ったし」

「ふふっ、こんな制服着た神様なんて居ませんよ」

 

 寝間着を着た神の方がよっぽど居ないと思うんだよね。

 

 さて、今会話している同年代らしき女の子……営野(えいの)香織(かおり)は、どうやら私と同じくこの「幻想世界」に迷い込んだ適合者であったらしい。

 という事は、今さっき開けた引き戸の先にある沼地が彼女の「幻想世界」なのだろうか。ちょっと気になるが、彼女の目の前で入ってみるのもなんだか気が引けた。

 

 ともかく立って話すのも悪いので、奥の部屋に彼女を案内し、座布団を二枚引っ張り出してそこに座る。

 

「それにしても、この建物は何なんでしょうか……」

「『幻想世界』にある建物って言ったら神域の入口じゃないの?」

「それはそうなんですが……神域の入口にしては何か……」

 

 まあ、見た目ボロい民家だしね。困惑するのも分かる。

 ……というか確かにここ、本当に神域の入口なのだろうか。言われてみれば不安になって来る。家主であろう神も居ないし。

 

「とりあえずお茶淹れよっか?」

「……お茶淹れられるんですか!?」

「多分」

 

 水瓶とか湯呑とかあるし、茶葉もありそうだし。

 そうして思わずと言った感じで立ち上がった彼女と箪笥や棚の中を漁ってみると、それは直ぐに見つかった。箱を開けて中の匂いを嗅いでみると完全にお茶である。

 

 お湯は沸かせないので急須に水を入れて暫く彼女と雑談していると、不意に奥の方から大きな物音が聞こえて来た。

 

「なんでしょうか……?」

「ちょっと見て来る」

 

 そう言って立ち上がり、先程営野さんが入って来た玄関の方に目を遣ると、その通路から誰かがひょっこりと姿を現した。

 今度は男の子である。寝間着にしているのだろうジャージを着て、髪の毛はボサボサ。部屋の中が静まり返っている中そうやって彼の事を観察していると、男の子は我に返ったように身構えた。

 

「まさか我が主神が2柱だったとは……!」

「違う違う」

 

 なんだそのファインティングポーズは。まさか挑む気なのか。

 

「へぇ……なんか面白い人が来ましたね。戦うんですか?」

「!!」

 

 営野さん? 一気に剣呑な空気になったんだけど。

 能力バトルでも始まるのかな?

 

「誤解を生む発言をするんじゃないの。待って、違うからね?」

「いざ!」

「いざじゃないっつーの!」

「痛ッ! クソっ……2人掛かりとは卑怯な!」

「戦ってるの曜引さんだけですけど……」

 

 いや私も戦ってないからね。

 そう言う間も無く芝居掛かったような物言いで私の方に突っ込んで来た馬鹿の方に足を伸ばそうとすると、急にその馬鹿の姿がブレる。

 それを知覚した瞬間、後ろに下がると直ぐに目の前を馬鹿の拳が通過して行った。

 

 今の「隠匿」か。

 確か小刻みに自分の姿をずらしているとこんな風に相手をかく乱できる効果があった筈だ。

 

「オレの"幻影拳"を避けるとは……やるな」

「やるな。じゃ、ない!」

「ぐふっ!」

 

 お、当たった。

 とりあえず転がっている馬鹿の腹をもう一度蹴って、隠し持っていた縁門(アーチ)を回収。ついでに部屋の中にあった紐で腕を縛って無力化しておく。

 

「中々手馴れてますね曜引さん」

「ちょっとは手伝ってくれても良かったんじゃないの?」

 

 そう言うと、営野さんは「私は体力に自信が無いので……」とかなんとか言ってお茶を湯呑みに注ぎ始めた。この子もかなりの大物、というか変人である。

 なんかすごく帰りたくなってきた。

 

 

 

w

 

 

 

営野(えいの)香織(かおり)です。制服を見てもらった通り学校は『黄特(おうとく)』で、一応適合者ですね。」

 

 営野さん。

 眼鏡を掛け、髪の毛は肩の辺りで切り揃えた見た目をしている。実家も学校も黄押桐島(きおうとうじま)出身。それで……何故かこの時間に制服を着ている女生徒。後で聞いてみると、帰って部屋で本を読んでいる内に寝落ちしてしまっていたらしい。先にシャワー浴びれば良かったのに。 

 

「……太田(おおた)信太(しんた)。学校は『緑賀特(みがとく)』。神憑きじゃあないけど、適性値は880もあるんだぜ。まあ、隠匿の神のお眼鏡に適った挑戦者ってところか」

 

 馬鹿。

 如何にも寝起きですみたいなボサボサの髪でジャージを着ている男子生徒。言っている台詞は半分くらい意味が無い。寝る時も縁門(アーチ)を付けている辺り、多分神通力を手に入れて少し遅い厨二病にでも掛かってしまったのだろう。話があんまり通じなさそうなクソガキである。

 ……おっと、私の番か。

 

「私は曜引(ひびき)五花(ごばな)。学校は『青特』適性値は……まあ神通力を使えるくらいにはあるよ。勿論人間。そこの営野さんも人間。……人間だよね?」

「人間ですよぉ!」

「人間だってさ、太田は人間?」

「ある意味では神に近い存在と言ったところかな」

「はい私達三人、ただの人間って事ね」

 

 自己紹介を済ませ、お茶を一口。うんうまい。

 

「あ、オレにもくれよ。ずるい」

「あげてもその恰好じゃ飲めないでしょ」

「じゃあほどけよ」

 

 暴れるから駄目です。

 と言っても納得しないだろうし無視して次の話題に移る。

 

「太田と私が『隠匿』持ちって事は、営野さんも『隠匿』って事でいいのかな」

「私、適性値は300くらいしかないので分からないですけど……状況から見るに、恐らくそうなんでしょうね。となると、やはりこの建物は「隠匿」の土神様の元に繋がる入口のようですけど……大丈夫なんでしょうか?」

「何が?」

「だってほら、こうやって勝手に侵入してお茶飲んでる訳ですし……」

 

 言われてみれば確かにそうかも。

 

「……やっぱ罰当たりだったかな?」

「そうじゃない事を祈りますけど……まあ『隠匿』の神様はお優しいですし大丈夫ですよきっと」

「お優しいって、お前会った事あるのかよ」

 

 すると営野さんは口を挟んで来た太田の方と見て、キョトンとした。

 

「知らないんですか? 自分の(ゆかり)のある神を? 伝承で残ってるのに。びっくりしました。挑もうというのに全然調べて無いんですね」

「ぐっ……」

 

 この自然に煽る感じはわざとやっているのだろうか。

 太田もそれを聞いてぐうの音も出ない様子。いや、半分は出ているか。

 

「この無知な馬鹿に教えてあげてよ営野さん」

「くっそー……このロープさえなければオレの幻影拳でお前等も神も一撃なのに……」

 

 調べてもない神に会えるの?

 なんて煽るのも不毛なので黙っておく。

 

「え、ホントに知らないんですか……? えっと、それじゃあさわりだけ説明しますね。まず、『隠匿』の土神(くにつかみ)様は、黄島にある村の守り神と言われています」

 

 そう前置きし、営野さんは「隠匿の神」について説明を始めた。

 

 

 遥か昔。黄島のある集落で、権力者の愛人の一人であった女性。

 その人物は特に権力者から好かれており、そのせいで権力者の正妻から酷く恨まれていたらしい。そしてある日、このままだと近々子供諸共殺されてしまうという側近の一人の助言により、産まれて間もない自分の子供を抱えて山の中に逃げ込んだそうだ。

 しかし、それに気付いた正妻は、直ぐに追手を差し向けて彼女を殺してしまおうとする。

 

 徐々に追い込まれる中、彼女は山の中腹にある大きな湖までたどり着く。

 

 「このままでは我が子も自分も殺されてしまう」

 そう思った彼女は、息子を抱いたまま湖に入水。そうして懐の小刀で自らの胸を掻っ捌き、命を絶った。

 

 すぐにその場にやって来た追手は、一面血で染まった湖と浮かぶ彼女の遺体を見て、親子共々心中したと判断し帰っていく。

 しかし血の濁りで隠されていた彼女の息子は服の中に溜まっていた空気のお陰で生き延び、やがて権力者の跡を継ぎ村を治めた。

 そうして彼女は息子の手により祀られ、いつの日か息子の治めた村をいつまでも見守る土地神「にごりさま」として後世にまで残った。

 

 

「というお話です」

「ほぉ……」

「グロすぎんだろ……」

 

 久々に聞いたけどやっぱり中々グロテスクだなと思って居たら、悲しい事に太田も同じ気持ちだったらしい。

 

「分かってませんね、太田さん。とっても慈愛に溢れた素晴らしい神様じゃないですか!」

「そうじゃなくて……いいや。戦うって感じじゃないし。オレもっと筋肉ムキムキのカッコいい奴かと思ってたのに。逃げるだけの奴じゃん。ダッサー」

 

 言動に違わず小学生みたいな価値観の奴である。あとここ、その神の御前なの分かってるのかな。罰当たっても知らないからな。

 しかしそれはそうと、結構ツッコミどころが多いお話かも知れない。

 

「思ったんだけど、死後硬直で息子も腕の中から出て来れなくて死ぬんじゃないのかな、この話。空気が溜まってるっていうのも謎だし」

「伝承にそんなリアリティ求めないで下さい曜引さん。……とはいえ恐らく、実際は長い時間を掛け、お話が脚色されていったのかも知れませんね」

 

 確かに私の実家の神社に祀ってあるのも大概おかしな伝承が残っているし、殆ど誇張されたものだったりするのだろうか。

 

 なんて考えていると、突然太田が後ろの方を見た。

 

「どうしたの?」

「いや、なんか物音が」

 

 ……また誰かが来たのだろうか。

 

 正直これ以上来ないで欲しいんだけど。なんて思いながら太田と営野さんを部屋に残して玄関の方に確認に行ってみる。

 しかしそこには誰も居らず、異変といえば私が最初に開いて閉じた扉が開けっ放しになっているくらいである。恐らく太田はここから入って来たのだろう。

 

 何か風で戸が揺れたのだろう。そう結論付けて元の部屋に戻ろうとする。

 

 その時、一瞬。

 小さな人影が岩の陰にこちらを見ているのが見えた。

 

 閉じようとした戸を止め、再び開けると察した人影は私から逃げるように走り出した。なのでとりあえず私は太田から奪っていた縁門(アーチ)を取り出しながら追いかける。

 

 そうして体格差もあり、間もなく正体不明の人陰を捕まえた。

 

 やはり子供である、それも小学生も上がりたてのような年齢の。

 ちんちくりんな着物を身につけて男か女かは分からないけれど、かなり怯えたような表情でこちらを見ている。

 なので安心させようととりあえず頭を撫でてやると。

 

「助けてぇ! 何方か助けてぇええ!」

 

 不本意にも泣き叫ばれたのだった。




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「隠匿」ほるだーず ③

 突如泣き叫び暴れ出した子供。

 このままでは会話もままならないので、私はその子供が暴れ疲れるのを待ってから腕を引っ張って2人の待つ部屋の中まで連れて行くことにした。

 そうして建物の中に入ると、突然子供は弾かれたように私の手を振りほどいて前の方に逃げて行った。

 

 不覚である。逃げられたら敵わないので急いで部屋に入ってみると、子供は営野(えいの)さんの後ろに隠れながらこちらを睨みつけていた。随分な嫌われっぷりである。

 

 とりあえず頭の上に疑問符が浮かんでいる2人に事情を説明する。

 

 

「曜引さん……その話を聞いた限りだと、この子の頭を撫でたんですよね……縁門(アーチ)開きっぱなしで。頭に手を置いたら怖がられるのは当然ですよ……しかもこんな幼い子に……」

「『殺される』とか泣きながら入って来たぞ。こんな小さな子供虐めんなよ、ダセーな」

「あー」

 

 ……それで怖がっていたのか。これは全面的に私が悪い。

 言い訳すると、私自身よく四葉さんにされているのでそういうのに抵抗が無かったのだ。

 

「大変申し訳ありませんでした。ごめんなさい」

「ごめんなさいだって。ほら、お姉ちゃん謝ってるよ?」

「……別に、此方(こちら)は気にしてないが」

 

 私が謝罪すると、営野さんが促した事もあり、そう涙声で呟く子供。営野さんありがとう、めっちゃ気にしてそうではあるが、彼女のお陰でどうやら許してくれそうな感じである。良かった良かった。

 

「それにしても曜引さん。この子も適合者ですか?」

「聞けてない。ろくに会話も出来ていなかったし」

「そうですか……あれ? というか見た目からして文化が違うような……あれ? えっと、もしかして」

「うん」

「うん。じゃないんですが……」

 

 そうなのだ。

 もしかしなくても「隠匿の神」っぽいのである。

 

 神としてはあんまりにあんまりな言動の子供であったので時間が掛かったが、ここに来て営野さんも薄々気づいたのだろう。私が答えないのを見て、1人「そうですかー」とか言って外の沼地の方を眺め出した。絵に描いたような現実逃避である。さっき完全に子供をあやすような接し方してたもんね、分かるよ。

 私? 私はもうダメかもしれない。神力が真っ赤っかなのも納得の嫌われっぷりである。

 

「聞いてみる?」

「……失礼な事は言わないで下さいね?」

 

 それは手遅れな気がするんだ。主に私が原因で。

 ……しかしそれでも本格的な罰が当たるのは怖いので、この神っぽい子供を下手に怒らせないように立ち回ろうというのは同意である。私は営野さんとアイコンタクトを交わすと、相変わらず彼女の背に隠れている推定神の方を見た。

 

「んー、小学生の適合者か? よく見りゃかなり変な服着てるけど」

「此方の着てる服は変じゃない!!」

 

 おい太田。

 

「あ! こら訂正してください太田さん!」

「そーだそーだ! 変な服じゃないんだけど!」

「なんなんだよ急に? 変ながもが……」

 

 馬鹿が懲りずに推定神の服を貶そうとしたので、慌てて口を塞ぐ。

 どうしよう。コイツに推定神だって伝えても状況が悪くなる展開しか見えないんだけど……。むしろ口を塞いでるついでにもう聞いてしまおうか、そうしよう。

 

「あのー……もしかして『にごりさま』であったりしますか?」

「『にごりさま』? 良く分からないが……此方は其方達(そちらたち)の事は良く知っているよ。子供達がいつも教えてくれるからな」

 

 推定神はそう言って沼地の方を愛おしそうに眺めた。

 何だろうと思ってみると、そこは黒子鹿がこちらに歩いて来る所であった。この間の個体かな。なんて考えていると、推定神はその鹿の元へ駆け寄って、頭を優しく撫でた。

 

 その光景は、この子供が「隠匿の神」だという事を如実に示していた。

 

「色んな事を知っているよ。どんな考え方なのか、どんな事をしてきたのか。子供達はいつでも教えてくれる。だから此方は其方達が嫌いではないよ」

 

 そう言うと、推定神は縛られ口を抑えられている太田の方を指差した。

「此方と繋がりのある『鉄鉱石』の人間」

 

 次に、営野さんの方を指差す。

「同じく此方と繋がりのある『葡萄石』の人間」

 

 最後に、私の方を指差す。

「此方の権能の大半を奪った『山珊瑚』の化け物」

 

「は?」

「え?」

「ん?」

 

 推定神から放たれた言葉に、思考が止まる。

 どういうこと? 言葉通りに受け取るなら、私かなり不敬な事してないか? もうこれ祟りに転化してもおかしくないでしょ。いや「権能」とやらを奪っているからこそ大丈夫なのかな? それって本当に大丈夫なのかな?

 

「言っているよ、其方達は嫌いではないと。それは五花、其方も例外ではないよ」

「あ、そうなの? いや、そうなんですか?」

「そうだよ。いや、諦めたと言ってもいいか……?」

 

 それって嫌いなのでは?

 

 

 

 

w

 

 

 

 

 曜引さんが神様と問答をしている中、わたしは先程の言葉を吟味してみる。

 「大半の権能」を奪った「化け物」。ふむ、曜引さんは少なくともただの人間では無い、と。

 

 一旦「化け物」という表現は置いておき、その「大半の権能」とは何を指すのかが気になる所。曜引さんもあの驚きようですし、彼女自身も奪ったという自覚が無いのでしょうか。ともかく、わたしは意を決して背後にいる神様へ話しかける事にしました。

 

 

「あの……少し良いでしょうか?」

「なんだ?」

「先程曜引さんに『大半の権能』を奪われたとおっしゃられましたが……。それは具体的にはどういったものなのでしょうか?」

「む、そうだな……。其方の化け物も自覚が無いようだし、説明するよ」

「人の事化け物化け物ってさぁ……」

「其方が人間だと言うのなら人間なのだろうよ、とびきり悍ましい人間だよ」

 

 酷い言われっぷりですね曜引さん。

 

「えっと……」

「ああ、奪われた権能の話だった……。そうだよ、まず一つ。此方の『子供達』である(いたち)が奴に持っていかれたんだよ。お陰で現世(うつしよ)との繋がりが大分減ってしまった」

 

 鼬。

 なるほど、先程曜引さんが「山珊瑚」と呼ばれていたのを踏まえれば聶獣である尾袋鼬(おぶくろいたち)の事を指しているのでしょうか。そこまで解釈した所で曜引さんの方を見てみると、彼女はポカンとしたまま。それを見るにこれも身に覚えが無いようです。そう思って居ると、彼女が口を開きました。

 

「えと、尾袋鼬を動かしてるのって貴方じゃないんですか?」

「? 繋がりが無くなったのだから、そんな事は出来ないよ。出来てもそんな可哀想な事はしない」

「あ、そう……」

 

 今のやり取りはどういう意味でしょうか。

 考えている内に、神様は私の肩を握る手を離し、隣に座ります。 

 

「他にも色々あるが……とにかく、不便でならないよ」

「あのー……それって返す事は出来ないんですか? 盗ったのは曜引さんも不本意だったみたいですし……」

「わざとでは無い事は知っているよ。それで……返してもらう事は出来るが」

「あ、出来るんだ」

 

 他人事みたいに言わないで下さい曜引さん。

 

「最も、その時は五花の身体が耐え切れず、まず間違いなく絶命してしまうと思う」

 

 ふむ、それが所謂「祟り」の仕組みだったりするのでしょうか。

 神々の所縁(リレーションズ)を無理に切ろうとすると、祟りが起きる、と。なるほど。言い伝えで禁忌になっている「耳朶狩り」で起こる祟りもそういう仕組みなのだとすると、しっくり来ます。知見が広がりました。

 

「それは嫌です……」

「そうだろう? せっかく繋がりがあるんだ。此方としても身内の其方達には少しでも長生きして欲しいと思って居る。まあ、人の命なんて短い物だ。その時まで待つよ」

「ありがとうございます!」

 

 そう言って綺麗に頭を下げる曜引さん。

 良く分かりませんが、一件落着みたいな空気が漂っています。

 

「あれ、曜引に聶獣を奪われたのなら、なんで神は曜引の事に詳しいんだ?」

 

 そう思っていると、声を発したのは太田さん。

 意外にも静かに聞いていたようで、その事実に少し驚いてしまいました。……それにしても、確かに彼の疑問も最もです。

 

「ああ、一匹だけ繋がりが途絶えていない鼬の子が居てね。五花は(まわり)と呼んでいるらしいが」



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「隠匿」ほるだーず ④

「ええっとつまり……(まわり)が、私と関わっていた唯一の貴方の聶獣ってことですか?」

「そうだよ」

 

 あれ?

 

 私はなんだか痛くなってきた頭を抱えて、今までの対話で得られた情報を整理する。そして気付いてしまった。

 「隠匿の神」はさっき聶獣を操る事を「繋がりが無いから出来ないけど、出来ても可哀そうだからやらない」と言ったのだけれど。

 

 翻って考えると、これは「私に彼等を使役する力がある」という事。

 

 今まで私を案内してくれていた廻以外の尾袋鼬(おぶくろいたち)達は「隠匿の神」が操っているのかなと考えていたのだけど、この状況を踏まえると、まるで奪った私が使役していたみたいじゃないだろうか。

 

 ……だけど使役だなんて、全く以って身に覚えがないし、不本意だ。

 ただの道案内ならまだしも、この間みたいな祟り騒ぎなんて特にそう。危なすぎる。私の望みであの子達が傷付くってだけでも気分が悪くなるのに、命令で死ぬかもしれない場所にまで行かせるなんて、本当にありえない。

 

 そう、そんな事はありえないのだ。

 

「曜引さん?」

 

 よって「私が使役していた」という線を探るよりかは、「第三者が干渉している」という線を探った方が現実味がある。だけど、それを考えるには情報があまりにも少なすぎる。

 母は大反対するだろうけれど、もういっそ研究所に聶獣の事を廻含めて明かして頼った方が良いような気がしてきた。

 気持ちが悪いし、このまま知らないままにして鼬達が傷付くのを見るのは嫌なのだ。

 

「なんか自分の世界行っちゃってるぜアイツ。なあ神様」

「なんだ?」

「ここってどうやって現実に戻るんだ?」

「知らんが大抵の人間は朝になれば帰っていくな」

 

 まさかとは思うが、漠然とした毎日の「平和の祈り」だけで動いていたみたいなとんでもない話ならもうお手上げだけども、それにしたって私の把握していない事を把握して動くのは不可能だろう。

 

「夢ですし、普通に目が覚めたタイミングで戻れる筈ですよ太田さん。ええっと……なので長くても数時間もすれば勝手に戻れると思います」

「数時間ってなげーな。このまま縛られてたらオレ暇すぎるんだけど……。おい曜引。これ外せよ」

 

 ……そもそも「『隠匿の神』の権能」って何だろう? これを聞かないと何も始まらない気がするんだけど。「幻想世界」で起きた事象として、今の状況自体かなりのイレギュラーだろうし、聞くことが多すぎる。そもそも本当に「幻想世界」なのだろうかこれ、ただの夢とかじゃないよね?

 

「ひ-びーき!」

「うっさい、何?」

「いい加減これ外せよ」

「……あーうん、いいよ」

「良いんですか……?」

縁門(アーチ)もってるの私だし、うるさいし。そこの神様に挑むのもやめたんでしょ?」

 

 それにまた暴れたら最悪「隠匿」で寝かせばいい。

 最後の台詞を伏せて私が言うと、太田がブンブンと首を縦に振ったので、縁門を開いてロープを消し飛ばした。

 

「うおっなんだその神力……は? ていうか今どうやってロープ解いた?」

「曜引さんそれ……」

「真っ赤っかでしょ」

 

 そういえば、私の神力はやっぱり赤いままである。

 神様的にはあれか、嫌いじゃないけど苦手ですとかいうアレなのだろうか。

 

「えっと、前から赤だったんですか?」

「うん、産まれてからずっと赤だよ営野(えいの)さん。……えっと、神様。もしかして『権能』を奪ったっていう話。私が産まれた時だったりします?」

「……産まれた時かは知らないが、繋がりを感じて間もない頃だったと此方は記憶しているな」

 

 じゃあそれ産まれた時じゃん。

 と思っていたら妙に神様がビクビクしているのに気が付いた。しまった。縁門(アーチ)開いてたからかな、閉めておこう。

 

「断っておきたいのだが、此方が現世の事を知る事が出来るのは子供達の言伝と縁を介するしか手段がない。だから向こうの事はそれ程良く知らないのだよ……それで、まあ、そうだな。感覚的な事しか言えないが」

 

 そう言って神様は顎に自分の手をやって唸った。

 

「よく覚えている、ここ最近で最も驚いたからな。まず、新しく縁が出来たのを感じた。ここまでは他の人間とそう変わらなかったのだが、直後にその繋がりがぷっつりと切れてしまったんだ」

 

 切れた?

 

「それってどういう事ですか?」

「どういう事も何も、一度死んだという事では無いか?」

 

 今、この神なんて言った?

 

「それで、直ぐに切れてしまった事に此方はとても残念に思った。山珊瑚の人間が此方と繋がりを持つのは珍しいからな」

 

 珍しい。

 うん、確かに別羽山珊瑚(べつわやまさんご)に選ばれる人間の神通力は大抵「地鳴(じなり)」とか「稲光(いなびかり)」だと言われている。後は珍しいのだと「逆睹(げきと)」とかで、「隠匿」は聞いたことが無い。

 ……というかそんな事よりも。

 

「死んだんですか? 私」

「恐らく。例え死の淵を彷徨っていたとしても、その魂が現世を去るまで縁は消えないのだよ。明確な死か、誰かが縁切りをしたか。そのどちらかだ」

 

 ……そういう事か。

 

 普通なら縁切りの方を疑う。だけど私に限っては……何処からかやって来て死んでしまった赤ん坊と入れ替わった。もしくは最悪の場合私がその子を殺して成り代わったのだと考えた方が自然なのだ。余談だが産まれた当時はこの件で結構悩んだのを覚えている。

 

「しかしその後、何故だか直ぐに『五花』とまた縁が出来た。その時だ。此方の「権能」が一気に持っていかれたのは。此方はそれ以上は知らないが、そこに関係しているんじゃないのか?」

「曜引さんは何か心当たりが?」

「その死んだっていうのはあるけど、奪った方は全然無いよ」

「……死んだ方はあるんですか」

 

 そう言った所で、何かを考え始めた営野さんを横目に、行き詰った私はお茶を啜ろうとして、湯呑が空っぽになっているのに気が付いた。

 急須は何処かなと見渡すと、視界の隅で太田が自分の分のお茶を淹れているのが見えた。お前かい。なんかミスマッチな光景だなとそれを眺めていると、太田は急須を持ったままこちらの方を向いた。

 

「それにしてもその神力。赤いって事は奪った? てのが関係してるんだよな。いいよなぁ」

「何羨ましがってるんですか太田さん……」

「だってカッコいいじゃん」

 

 そんな阿呆な事を言っている太田と諫める営野さんを微笑まし気に見ている神様。

 それで良いのか隠匿の神。もっと威厳見せた方が良いんじゃない? 第一印象で大分やらかしてる気がするけれど。

 

 そんな事を思いつつ、太田から急須を受け取って自分の湯呑にお茶を注いでいると、ふと自分の視界がぼやけているのに気づいた。

 意識してみると、どうも視界の端からどんどんと白い靄に覆われていっている。私はこれに覚えがあった。

 

「あー」

「何だよ急に」

「いや、なんか視界が真っ白になってきたんだけど。多分私これで帰ると思う」

「本当だ、なんかお前透明になって来てるぞ」

「へー、そうやって帰る感じなんですねぇ」

 

 私を見てそう呑気に言う2人。

 へー、客観的に見るとそんな感じなのかー。なんて思いつつ、現実でも会えるといいねー、なんて営野さんと短い話をして、さて帰るぞという時。

 私の手を誰かが握りしめた感覚があった。

 

「言おうか言うまいか、迷っていたんだが。とりあえず言わないことにした。どうなるか此方じゃ想像もつかないから」

 

 何を言っているのだろうか。

 囁くような声で、隠匿の神は続ける。

 

「もっと早くこうやって会うべきだったのかな、五花。一つ聞いてほしい」

「はぁ……?」

 

 訳が分からない。

 私はその状況に困惑しながら瞬きをすると、次の瞬間には、視界は一面寮の天井に移り変わっていた。

 

『困ったら早まらず、一度此方の元へ必ず来てほしい』

 

 そのただ一言を残して。

 

 

「……? ……んん?」

 

 寮だ。

 完全に目が覚めた感じがする。

 

 ……よく分からないけれど、困ったら自分を頼れとかそういう意味合いの言葉なのだろうか。私の事を嫌っている辺りリップサービスのように思えるんだけど。

 そんな事を思いながら薄暗い部屋の壁に掛かっている時計を睨むと、時刻はまだ4時半。熱心な運動部でもまだ起きていないような微妙な時間であった。

 

 どうにも寝直す気になれなかったので、とりあえずトイレに行こうとベッドから出て、部屋を出る。そうして用を足した後になって、結局「神の権能」の内容を聞きそびれていたことに気づいた私は、頭を抑える代わりに、顔を洗うことにした。

 

 ばしゃばしゃと早朝の冷や水を顔に受けて、ふと。

 先程あの場所に居た太田と営野さんはちゃんとこの世界に存在しているのだろうか、と少し不安になったのだった。

 




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肝心かなめ

 この日の天気は、今にも雨が降るんじゃないかと言うほどの曇天だった。

 

 普段の様子からは想像もつかない程の静寂の中、青特で行われた春の中間テストは、私としては特に問題なく答案を埋めて行くことが出来たと思われる。歴史が少し怪しかったが、明らかなミスが無い限り各テスト90点台は固いだろう。一桁は貰ったでしょ流石に、多分。大丈夫だよね?

 

 そうして全ての試験が終わり教室が俄かに騒がしくなって、向こうがやっぱり都合が付かないという事で当面バイトも無いし、どう過ごそうかなと私が思案していた時、突如として教室の引き戸を物凄い音で鳴らして誰かが入ってきた。

 また上級生の悪ふざけか、とクラスメイトは思ったのだろう。かくして再び沈黙が支配しちゃった部屋の中に入ってきたのは予想外にも見覚えのある女子生徒。その鬼気迫る表情を見て私はとりあえずこう言った。

 

「タイヨウじゃん、久しぶり」

「その呼び方やめろって言ってんでしょーーーッ!?」

 

 そうして私は激高した代大(よだ) (かなめ)に胸倉を掴まれたのだった。

 ……なにこの状況。

 

 目の前のタイヨウは興奮しているのか息が荒いし、私を掴んでいる手は震えている。え? 私何かした? 言ってんでしょって言われても、そんな注意一度も聞いてないし……そもそもあだ名で呼んだだけだよね、これで怒るなら同じクラスのはる子なんて毎日キレ散らかされてるでしょ。……あ、だから「サンちゃん」呼びやめたのか。

 

「ひ、曜引さんに酷いことしないで!」

「や、やめなさいっ! アタシは今コイツと話をしているの!」

 

 私がタイヨウの顔を見ながら困惑していると、隣にいた小野さんが立ち上がってタイヨウの掴んでる方の手を離しに掛かった。思わずホッコリし掛けたが、小野さんに危害が及ぶのは頂けないので、タイヨウの手首を掴んでちょっと力を加えると、彼女はバっと手を離してこちらを睨みつけてきた。乗用機(パドル)に乗るのに利き手は大事なのである。

 

「ごめん、なんで怒ってるの?」

「アンタが! いつまでも部活に来ないからに決まってんでしょ!」

 

 なるほど。うんうん、そっかー。

 

「あのさ、恥ずかしいから外で話さない?」

「恥ずかしいって何よ!」

「外で話さない?」

「うるさいうるさい!」

「外で話さない?」

「なんなのよ! ぶっ飛ばすわよ!」

 

 大事な事なので三回も言ったのだが、彼女の場合逆効果であったらしい。いやホント恥ずかしいんだけど。あっちの方で「痴情のもつれかな?」「曜引さんウケる」「数学逝ったあああ」とか言っている声が聞こえるし、「2年生かな?」「今度はなんだよ」「演劇の練習じゃない?」とか未だに上級生のイタズラと思っている人もいる。クラス中の視線を奪い取っているのはタイヨウなのだが、それに私を巻き込まないで欲しいのだ。

 

 そうして話がイマイチ通じない中、彼女ははる子から私が部活に入るようだと聞いていて、それをずっと待っていたのに全然入部しなかったのに腹を立て、忙しいテスト期間が終了したのを見計らってこうして教室に来たのに、あだ名を呼ばれて頭に血が上った。……という経緯を彼女の感情的な言葉からどうにか解読した。概ね予想通りであった。

 そこまで整理したところでチラリと(かなめ)と同じ部活だという悠里の方を見ると、奴は肩を震わせて机に伏せっていた。なんて薄情な奴なんだろう。

 

「それで(かなめ)は私にどうして欲しいの?」

「もう入部はいいわ。その代わり勝負しなさい!」

 

 勝負、勝負か。

 現実逃避気味にその言葉を反芻していると、タイヨウは私の腕をグイグイと引っ張って「ん!」とか言いながら親指で教室の外を指した。なんだろう、殴り合いでもするのかな。そう思いながら私は憂鬱な気分で彼女の後に続いて部屋を出て行った。実にバトル漫画的な展開である。

 

「勝負って?」

「勝負は勝負よ!」

 

 内容を聞いているんだけど、そう言ってもまた怒り出すだけだと思ったので、私はそれ以上口を開くのをやめた。

 

 

 

 

wmwmwm

wmwmwmwmwmwmwmmw

 

 

 

「ごばちゃん、ようこそパド部へ~」

「ちょっはる子! なんで居んのよ!」

 

 連れられてきたのはやはりというか、要の所属しているパドリング部の部室である多目的棟の一室であった。

 以前はる子を迎えに行くために一度外だけはチラリと見たことがあるが、中に入るのは初めてである。そして部屋の入口をくぐると、そこに待ち構えていたのははる子。要の話だと今日は部活が休みらしいのだが、普通に部屋の中に居て何やら肘のサポーターを弄っていた。

 

「なんでって、分かんない? カナちゃんが教室を勢い良く出て行ったからだけど~……ふわぁ」

 

 そこまで言ってはる子は大きな欠伸を一つ。

 昨日の夜、この同室は一夜漬けを試みていたので寝不足なのだろう。正直部屋が明るくて非常に寝苦しかったので普段から真面目に勉強して欲しい所である。

 ……まあ、それはさておき、はる子はこうなる事を見越していたのだろう。様子を見に来てくれたようだ。どこぞの方言を話すクラスメイトとは大違いである。

 

「わかんないわよ……。まあいいわ、はる子。アンタの道具ちょっと借しなさい」

「いいよ~、その為に来たんだし」

 

 ……ん? コイツどっちの味方だ?

 そう思い警戒する間もなく私の手に乗せられていくサポーターとヘルメット。なるほど、つまりレースで勝負をしろという事らしい。マジで?

 

「乗用靴は向こうのロッカーにあるから、じゃあごばちゃん頑張ってね~」

「えー」

「ほらっ行くわよ曜引(ひびき)!」

 

 どうしてこうなったのか。そうしてズルズルと要に引き摺られ、私たちは部室から歩いて5分程度の所にあるので遠くは無い場所にある、学校の一角に用意された林間のレース場まで移動した。ここも実際に見るのは初めてだ。

 

 ところでパドリングのレース場は、上り坂、下り坂は勿論「水上」と「陸上」のコースを融合したような複雑な造りの物が殆どである。

 これは神力をエネルギーとした縁動機械である乗用機(パドル)が非常に汎用性の高く、また馬力のある乗り物だからこそ、その機械を如何に使いこなせるかを主軸に置いた競技だからである。

 最近では単純に先着した人間が勝つレースではなく、如何に技術力のある走りを見せるかでタイムの加点減点を加えるルールが施行されたらしいのだが、正直あまり詳しくはない。私は電動で動く乗用機(パドル)の、中学限定の小規模なレースしかやるつもりはなかったのだ。

 

 一応聞いたが、レース場と乗用機使用の許可は取ってあるらしい。

 そこそこ大きな胸を張る要を横目に、私は溜息を付きながら、近くにある倉庫から乗用機(パドル)を一つ引っ張り出す。出せない。

 あたふたしていると、隣に居た要が「何してんの……ほら」と後ろの方に付いていたフックを外してくれた。どうやら乗用機はあれに引っ掛かっていたらしい。

 

「まあ、アタシも初日はやらかしたんだけどね。どう? 電動じゃない乗用機(パドル)も大した物でしょ?」 

 

 そうドヤ顔で言ったタイヨウの視線を追って、彼女の取り出そうとしている乗用機の方を見ると、メインレバーの首に紫と赤の紐が括り付けられていた。

 

「それ、中学の時のやつ?」

「そうよ! アンタと違って卒業するときに貰ったやつ。……そうだ、ちょっと待ってて」

 

 要はそう言って倉庫の奥の方に引っ込んだ。

 待てと言われても、やる事が無いのでその間に手に持った乗用機をレース場に引っ張って行こうと外を見ると、そこには追い付いたはる子が居た。

 

「カナちゃん、ごばちゃんにパドリングの楽しさを思い出して欲しいんだってさ~」

「入部して欲しい、じゃなくて?」

「うん、だからごめんね? 別に止めなくても良いかなって」

 

 楽しさを思い出して欲しい、か。

 正直な話、それは完全に見当違いな空回りだと言っても良いだろう。別に乗用機(パドル)を動かすのは全然嫌いではないし、レースも危ないという一点を除けばかなり好きだ。入部しない理由にそれは当てはまらない。

 

 ただ、赤くなった乗用機を操って目立ちたくない。それだけなのだ。

 

 それに人生二回目なのもあって、前世には無かったスポーツとはいえ学生に混じって競い合うのも正直気後れしてしまうし、何処かで熱くなりきれない自分もいる。

 なんともやりきれない気分になっていると、戻って来た要は、私の手に何かを握り込ませてきた。彼女の乗用機にも付いていた中学の頃の赤と紫の襷である。

 

「これね、アンタの分! 私が預かっておいてやったんだから感謝しなさいよ」

「あ、ありがとう」

 

 思わずお礼を言ってしまった。

 フラッと部活に来なくなってしまった人間にも用意してくれていたとは思わなかった。

 

「それ、付けてレースしましょうよ。中学の頃のリベンジよ!」

「リベンジってさ、私一回もタイヨウと戦った事無いんだけど」

「グダグダ言ってないで付けなさい!」

 

 もう言っている事が滅茶苦茶である。

 仕方ないので私は襷を付けて、自分の借りた乗用機をコースにまで持っていき、設置する。

 

「コースは陸のみ赤3ね。アンタも知ってるコースでしょ?」

 

 そう言いながら後に続いた要も隣に乗用機(パドル)を置くと、襷を付けて設置を始めた。

 「陸のみ赤3」というのは、陸上のみのコースで、中学生大会の時にも頻繁に使われていた赤島公認レース場にある第三コースの事である。縁動機械を使う高校生以上のレースでは最も短いコースではあるが、正直水上が無いのは大変ありがたい。私制服だし。

 

「これさ、負けたら何かあるの?」

「ふんっ……弱気ね。今から負ける事を考えるなんてっ!」

「どうでも良いけど、後出しはやめてよね」

 

 誤魔化されたので釘を打っておくと、彼女は「勿論よ!」と返してきた。どうも本当にただレースをするだけで良いらしい。

 まあ、それはそれで何だか気が楽になったし俄然やる気になってきた。そうして私は背中にあった縁門(アーチ)乗用機(パドル)のホースを取り付けて、手元のレバーを握り込む。そうして真っ赤な光を宿す乗用機が出来上がった。

 

 実際に見るとやはり目立つ。

 全くあの神め、ちょっと位許してくれてもいいんじゃないの? そう思いながら隣を見ると、黄色く光った乗用機に乗った要が私の方を見て固まっていた。

 

「どうしたの?」

「いや……その……ええっと! 良いレースにしましょうね!」

 

 ……。

 

 あそっか、色の事。要知らなかったのか。

 はる子は……まあ、そんな事言いふらすような子じゃないか……。

 

 正直微妙な空気になってしまったので私も「お手柔らかに」と返して前を見て、息を吐く。

 

 

「じゃあ行くよ~」

「頑張りやー」

 

 その言葉に身構える。

 なんか野次馬(悠里)の声が聞こえたが気にしない、部室に居た時はまるでやる気が無かった私だけど……なんというか。

 それよりも先程の(かなめ)の表情は同情……ではない、彼女がしたのは何というか寂しそうな目。

 正直に言って物っ凄く苛々する表情だった。

 

 ここで私が適当に負けて「元々熱意も無かったし」と言っても彼女は私に怒る事もなく、私の元から離れていくのだろう。それは私も望む所であった筈である。

 

 だけど、本当にそれで良いのだろうか?

 何故要が私に執着していたのかは分からない。私が目立ちたくないから乗用機(パドル)に乗るのを止めたのだって、部活に来なくなったのだって、今となれば漠然としていて分からない。だけど。

 

 勝って。

 あんな腑抜けた顔をした奴を完膚なきまでに負かしてやらなければならない事だけは分かるのだ。

 

 そして、その上で言わなきゃいけない事がある。



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伝えられる事なんて

 静まり返った林間の練習場。

 いつの間にか空を覆っていた分厚い雲は薄らいで、逆光が少し視界を霞めるそんな中。何倍にも引き延ばされているような時間の中で、アタシはそのただその音を待つ。

 

 ピッ

 

 そして来た。

 開始を告げる電子音、乗用機(パドル)のロックが外れる僅かな振動が来る前に、私はレバーを大きく前に倒して加速を始めた。

 動揺なんてするもんか。

 

「フゥー……」

 

 曜引がなんで部活から離れたのか、その理由が分かって驚いたのは確かだけど、今は試合中。これが最初で最後の真剣試合。

 相手ははる子程じゃないけど、全国大会まで行った強者。高校の乗用機(パドル)に慣れていないかもしれないけれど、迷って勝てる相手じゃない。

 

 最初の120度カーブ。アタシは内側ギリギリをついて問題なく乗用機(パドル)の端を地面に付くか付かないかのギリギリまで傾けて滑らせる。中学にもあったコースだ。数えきれないほど練習はやって来た。お互いミスは無いだろう。そうして短い上り坂に差し掛かった時。

 アタシに降っていた日光が、突如何かに遮られた。

 

 思わず視線を横にずらす、その刹那。

 宙に浮いた赤い乗用機(パドル)が私の前に滑り込んで来たのだ。

 

「なっ……」

 

 短い坂を一気に上るのにジャンプをするのは普通だ。寧ろ馬鹿正直に坂を上るのは、そのままタイムを無駄食いするのと同義。そのまま私の進路の妨害をするのもセオリーだ。

 驚いたのは、内側の最速ルートをミスなく進んでいたアタシが抜かされたっていう事実。つまり、そう。ただ早すぎるって事で。

 

 レバーを倒しっぱなしで、最高速のままあのカーブを曲がり切ったという事に他ならない。

 

 乗用機(パドル)に流し込む神力は、一定の推進力になった所で余剰分が排出される。だから、人によって違うその神力の出力差は、競技のタイムには影響しない。

 

 したがって重要なのは、安定して「一定の速度の供給」を続ける事。

 

 走行中に掛かる振動、呼吸、その一つで供給量は容易く変わる。そして、連動して乗用機の使用感もまた変わってくる。乗用機(パドル)の最高速を出し続けるには、心と体をしっかりと重ね続ける強い集中力が試されるんだ。

 

 ……いや、待ってよ。

 それなら、なんで中学の電動パドルしか乗ってこなかった曜引の方が早いの?

 

 その疑問は頭に残ったまま、だけど私はこの時、分かり切った答えから目を逸らしていたのかもしれない。

 

 私は動揺してない。

 私は動揺なんてしていない。

 

 その自己暗示は、彼女から徐々に距離が離れて行く度に弱くなっていく。

 

「ぐぅ……ぅぅう!」

 

 なんなのよ。

 

 アタシは何をやっているの?

 だけどこんなのだって、想像付くわけない。

 

 知らなかった、知らなかったのよ。

 何で教えてくれなかったの。

 

 アタシは肩に掛けた襷を握り締めて、ずっと遠くなっていく彼女の背を睨みつけた。

 

 

 

 

 

mwmwmwmmwmwmwm

mwmmw mwm

wmwmwmwmwmmwmw

wmm w

 

 

 

 

『アタシは代大(よだ) (かなめ)!最後の一年だけだけど、この部活に参加させてもらうわ!』

 

 考えていた台詞を一息で言うと、向かい合っていた十数人の生徒が思い思いに感嘆の声を発して、拍手をしてくれる。

 赤島。適合者の中学生が集まる準宕(じゅんとう)学院という学校での一幕だった。

 

『代大さんは、家の都合で赤島に引っ越してきました。この間の白島選抜大会で個人ベスト16にもなっていた強い選手なので、君達も負けずに練習するように』

 

 そんな顧問の先生の言葉にアタシは得意になって、今思えば恥ずかしい事を付け加えてしまった。

 

『アタシの事は、名前の(だい)(かなめ)から大要(たいよう)って呼んでよね! 団体戦では、きっとチームの大要な存在になるんだから!』

 

 

 かましてしまったら、皆がポカンとした顔になった。

 これでいい、有言実行。ここでアタシはもっと強くなって、何時か世界大会の天辺を獲ってやるんだ。

 

 そう決心した日から数日。

 アタシは夏にある大会に向けて練習をしていく中で、部に居るとんでもない奴を探していた。

 日里(ひさと) はる子という、去年のインターミドル個人2位の化け物である。何度か見てみて分かった、あれは別格だと。今は無理でも、あれに勝てるくらいになれば、私はもっと上のステージに行ける。そう思っていたのに。

 

 日里は何か家の用事で休んで、少し前から部活を休んでいた。

 

 話を聞いても「あー……あの子ね」と濁されるばかりで相手にされない。

 なんとか得られた情報と言えば、練習をさぼりがちで、部で少し浮いているという話だけであった。

 

 それもその筈。個人の一枠はアイツで確定。そういう空気で残りの席を皆で争っている状況なのだ。そして私自身は日里とあまり戦えていないことに焦りを覚えていた。

 

『太陽ちゃんって、熱血だよねー。なんかこう……ぐわぁー! ってさ。貪欲って感じ?』

 

 同じ部活の子に言われた言葉である。

 この部は評判通り他の学校に比べてかなりレベルが高かった。だけどそれは「凡人の中では」という言葉が付く。

 所詮部活動だからという事も分かっている。だけど、アタシは奴がこの部活に来なくなった原因が朧気ながら分かった気がした。この部は比較的ふわふわとしていて、真剣にやっている人間からしたら居心地が悪いのだ。

 

 だから私は自主練を増やすことにした。真剣に、難しい区間を何度も繰り返して、撮った動画を見てフォームを修正したりして少しでも強くなるために、日里が部活に来たくなるような選手に少しでも近づく為に頑張った。

 

『タイヨー? じゃあサンちゃんね。サンちゃんよろしく~はる子だよ~』

 

 そして数日後。

 部活にやってきた日里は、部の中で飛び抜けてふわふわとした人間だった。

 

 あの時はまさかそっちの方面で浮いているとは夢にも思わず。肩をがっくりと下ろしてしまったのを覚えている。

 

 しかし、やはり個人全国2位は別格だった。

 まさに天才。何時もの様子とは違い、感覚派というよりかは理論派で、どうしてそんなに速度が出るのかも一見すると分からないような精密な乗用機(パドル)の操作を可能にしている、異次元の走りを見せる選手。

 

『チームのタイヨウって、チームの柱って事? よく分からないけど「ごばちゃん」みたいに?』

 

 そんな存在が、そんな事を言った。

 

『ごばちゃんって?』

『お? 太陽ちゃん。数日前から来なくなった子が居るって話したじゃん、それが元部長の五花(ごばな)ちゃん。確かに私も同じかな。太陽ちゃんは、「大要」ってより「太陽」ちゃんだし。めらめらぁ~ってね!』

『あ、曜引さんの話? この間クラスで聞いたらもう部活来られないって言ってたんだよね。今年の団体不安だなぁ』

『ごばちゃん先輩、引継ぎしたからって取り合ってくれないんですよね……』

『去年は全国行けたけど、今年は難しそうだよね』

 

 私が思わず聞き返した言葉に、近くに居た部員がそう口々に言ってくる。

 去年のチームの精神的支柱だった曜引(ひびき) 五花(ごばな)という存在を、私がはっきりと認識したのはその時だった。

 

『今年はアタシが居るでしょ! 何弱気になってんのよ!』

 

 思わず叫んだが、望んだ反応は得られずにその日の練習は終わり、後になって聞いてみると、日里には及ばないものの、一回戦落ちとはいえ個人戦で全国大会に歩を進めた実力のある選手であった。

 

 なるほど実力はアタシくらいはあるらしい。

 そう考えてから、ふと同じクラスに「曜引」という名前の生徒が居ることを思い出したアタシは、彼女にどうして部活を止めたのか聞くことにした。

 こんなに面白いスポーツを、最後の大会の前に自ら辞めるような人種にアタシは少し興味が湧いたのだ。

 

 

 

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『何って……タイヨウが入部してきたから?』

 

 なんで辞めたのか、曜引にそれを聞いた答えがこれだった。

 なんてことの無いように言われたその台詞は、受け止めるのに少しの時間が必要になった。

 

『なんでアタシが入ってきたら部活を止めるのよっ!』

 

 そうして思わず声を荒げて聞くと、彼女はふと目を逸らして溜息をついた。

 

 

『なんか、楽しくなくなっちゃったんだよねぇ』

 

 それは前の学校で、私が過去に耳にしていた言葉だった。

 

 才能が無いとか、やる気が無くなったとか言って、挫折を覆い隠す言い訳の言葉。その時のままの言葉を彼女は紡ぎ、事実その口調からは嘘の臭いがした。

 幼馴染の、アタシがこの競技を始めたきっかけになった、大切な親友「だった」人もそうだった。今思えば、それは一方的な押し付けで、思い込みだったのかもしれないけれど。

 

 あの時は。

 その後も「ちょうど良いかなと思って」なんてふざけた事を並べる曜引に、最終的にアタシは思わず啖呵を切ったんだ。

 

『むしろそんな腑抜け居なくなってくれてせいせいしたわ……見てなさい、今年も準宕(じゅんとう)は団体で全国に行くわよ!』

『応援してる』

 

『そ・し・て! 去年よりも上に行く! 全国一位を狙うわっ!』

『すごい』

『そうなったら、悔しい?』

『……』

『悔しいわよね!?』

 

 そこまで言うと、曜引はさっきまでのふざけた生返事をやめて黙りこくり。

 

『……まー、悔しいかもね』

 

 そう言って、ニヤリと笑ったから。

 「アイツ」とは違うって思ったから。

 

『アンタ、高校は?』

『青特』

『同じね!』

『マジか……もしかして高校も続けるの?』

『当たり前よ! 曜引も勿論やるんでしょ!?』

『あー、いや。私はなぁ』

『やらないの?』

『うーん……ま、実際進学してから考えるかな』

 

 まだ、続けてくれると思ったのに。

 

『……曜引、乗用機走(パドリング)は今も好き?』

『好きよ。嫌いになるなら最初から入部なんかしてないっつうの』

 

 アタシのライバルになってくれると思ったのに。

 

 

wmm w

mwmwmwmmwmwmwm

mwmmw mwm

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 対戦相手に突き放され、一人で走る。

 自分がどのくらいの速度が出ているのかも分からないまま走って、そうしてゴールに辿り着いた頃には、はる子と、何故か加満田が近くに来ていて、そうしてアイツは乗用機(パドル)から降りて、こちらをジッと見ていた。

 

 何を言おうかと口だけ先に開いてみても、何を言えば良いのか分からなくて。情けない声にもならない息だけが身体の外から出て行った。

 それを見ても曜引は変わらず私を見ていて、こう言った。

 

「タイヨウ、乗用機走(パドリング)は好き?」

 

 好きだ、好きに決まっている。

 だけど言葉にならず、目を閉じて首を縦に振る。そうしたら。

 

 私は胸倉を掴まれていた。

 

「そんな実力で、よくも私のライバルなんて言いふらせたわね」

「……」

 

 曜引が半身を乗せている私の乗用機は向こうに傾いて、体重を向こうに預けている状態。目の前で見るアイツの目は澄んでいて、こちらの考えを全て見透かして、いるように見えて。

 

「お陰でとっても恥ずかしいよ。どうしてくれるの?」

「……何よ」

 

 苛々した。

 

「何よ、何よ! こっちの台詞よっ! そんな真っ赤だなんて、教えてくれなかったじゃない! 乗用機走(パドリング)が好きだって言ったじゃない! アンタがそんな曖昧だから勘違いしちゃって、アタシの方が恥ずかしいわよ!!」

「ごばちゃん……?」

「あれ?」

「……これ曜引が悪いんちゃう?」

「そうよ! 全部アンタが悪いのよっ! 続けないなら続けないって────」

 

 最初から言いなさいよ。

 そう続けようとした時、曜引は私の口を抑えてきた。そしてそのまま近くに立っている残りの二人の方を向いた。

 

「私が高校で部活に入らない理由ってなんだと思う?」

「え、赤色だからやろ? 実際そう言ってたし」

「目立ちたくないから、でしょ~?」

 

「そうそう、悪目立ちするから。でもさ? さっき走る前、改めて考えてみたら、別に続けてきた部活をやめる程の理由にならないなぁって思ったんだ。中三の頃に部活を辞めたのだって、今になっては『どうして辞めたんだろう』って思うくらいで」

 

 それで分かったの、と。

 曜引はそう言ってアタシの掴んでいる手をパッと放した。

 

「多分、熱くなれるライバルが居ないからだと思うのよね」

「んなっ!」

「……ほー、そこの奴は兎も角として、私とはる子はライバル足りえないって言ってんのか? 大きく出たな」

「悠里の事はよく知らないし……はる子は、うん」

「うんって何ぃ」

「気持ちは分かるわ」

 

 曜引の言葉に、思わず乗用機から落ちたアタシは焦って立ち上がる。

 そのくらい聞き捨てならない言葉だった。だからアタシはだらだらと雑談を始めた曜引を睨みつけた。

 

「さ、さっきはアタシも本領じゃなかっただけで万全ならむしろアンタなんか全然私の敵じゃ!!」

「団体、全国行くんじゃなかったの?」

 

 そして、その言葉に一気に冷水を被ったかのように頭が冷めたのだった。

 

「ねえ、(かなめ)は今年の大会出られるの?」

「……出られる……かはまだ……いや、出る! 出るに決まってんでしょ!」

「因みにはる子は出られま~す」

 

 アンタは当然でしょ。

 そう言って絡んできたはる子を交わし、アタシは目の前の灰髪の少女を見据え。

 

「インターハイ、出るくらいのライバルなら燃えると思うんだよね」

「望むところよっ!」

 

 言った。

 そして今度は確かに、約束をした。

 

 そうしてアタシは、その時初めて曜引の顔をちゃんと見た気がした。

 

 

 

 

 

 

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 夕暮れ。

 もう寮の門限も近くなって来るような時間帯。私は悠里と要の2人と別れ、はる子と寮への帰り道を歩いていた。

 

 いやー、なんかドッと疲れた。

 今考えると何様だよって発言をたくさんしてしまった気がするけれど、あれでどうにか丸く収まってくれたので、その安堵で気が緩んでいるのもあるのだろう。良かった良かった。

 そう思ってふと横を見る。

 

「はる子、ねえはる子?」

「……」

 

 まだ怒っているのか。

 あのよく分からない試合の後、私たちは黙々と片づけをしていたのだけど、その時から既にこんな感じのはる子である。

 私なんか怒らす事言ったっけ。

 

「……あれって嘘?」

 

 そう思っていたら、はる子は徐に口を開いた。要とした約束の事だろうか。

 

「嘘じゃないけど」

「え~、嘘だったらよかったのに」

 

 なんだと言うんだコイツは。

 

「全然分かんないんだけど。嫌な事は嫌って言いなさいよ」

「言われなくてもはる子はごばちゃんにはそうしてるよ~。ねえ、ごばちゃん。もし部活に入るんだったら。秋? それとも来年? 別にそれは何時でも良いんだけどさ」

「何よ」

「その時は、はる子がごばちゃんよりも上手いって所をタップリ教えてあげよう!」

 

 ……はは、何が不満なのか分かった。

 

 だけどそれは仕方ないじゃん。この娘強すぎるんだもん。

 今年インターハイ優勝しても私は驚かないぞ。

 

 私はすっかり調子の戻ったはる子を横目に苦笑いして、寮の入り口をくぐったのだった。

 



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神降ろし ①

 その薄暗い会議室の中では、ある一つの映像が投影されていた。

 男は、大釜山を覆いつくさんばかりに伸びた数多の赤い触手が蠢き、食事をするかのように突如現れた「青い巨人」を削っていくその光景を見て、目を擦る。

 

 ここは、白島の南東に位置する「河際(かわぎわ)統括防災センター」という救助隊の本部がある建物の一室。

 その大会議室では現在、五島各地から正規の救助隊員が集められ、講習として例の大地震から連なる特殊災害の映像が流されていた。

 

 今回の災害を受けて、政府は今後の災害発生件数が増加する事を危惧したらしく、近年の特殊災害の現象によって縮小されていた組織の再拡張を検討しているらしい。と、白髪交じりの男は小耳に挟んだのを思い出す。

 

 眉唾物だな、と欠伸を一つ。

 人伝手に聞いただけの話であるので「今後実際に増えていったら」という前提の話がどこかで抜け落ちたのだろう。だからこの世界が「もうずっと平和なまま」だと考えている男にとっては、完全にデマだとすら思っていた。

 

 今回の講習も実際形だけである。皆考えるのは同じなようで、何のためにやるんだと不満を露にする正規隊員もちらほら見かけた。

 しかし、危機感を覚えさせ、祟りと向き合う心構えだけでも改めてさせておくのは大事なのだろう。彼は自身の鼻を弄りながらそう思っていた。自身も真面目に聞く気は無かった。

 

 そうこうしている内に映像は終わり、配られた薄い教材に書いてある見知った災害対応の方法を眺めていると、視界の隅に見覚えのある人物が居る事に気が付いた。

 直ぐには分からなかったが、よく見たら学生時代の同級生で、そこから暫くは関係の続いていた親友だった男。確か今も青島に配属されている筈だと記憶を掘り起こし、その同級生に白髪交じりの男は、講習の後で声を掛ける事にした。

 

 

「よっ」

「ん……加子母(かしも)か?」

「あア、お前老けたなぁ夕森(ゆうもり)

「そんなに白髪を増やした奴に言われたくはないよ」

 

 見れば見るほど懐かしい顔であったが、その後の会話が続かず、加子母(かしも)と呼ばれた白髪交じりの男は話題を変える事にした。

 

「青島配属だろお前、行ったのか?」

「ああ、丁度近くまで来ていたからね。私含めて二人で」

「二人? それはまた随分だな」

 

 加子母はそう言い眉を潜めると、直ぐに思い当たったのか苦笑いにその表情を変える。

 

「地震なんてセットでくればそうなるか」

「そうそう、えらい目に遭ったよ。しかも片方は神通力の扱えない地元の非正規。途中から現地の人も手伝ってくれたが……あの後は何も起きなくて本当に助かった」

 

 当時の事をそう切り出して語り始めた夕森を見て、加子母は大丈夫そうだと口を開く。

 

「なア……あの巨人の事なんだが」

「明日香の『予言』にあった『青い光を讃えた龍の使徒』だと、私は思ってる」

 

 食い気味に返され、次の言葉に詰まった加子母は「だよなぁ」と息を吐いた。頭の中で思い出すのは、その言葉を紡いだ女性の顔。

 

「じゃあ、あの赤いのが、アレなのかね」

「……そうだろうね、予言が起こらないというだけじゃ実感も湧かなかった。今回の事件のお陰で兄として、妹の死が無駄ではなかったと実感する事が出来たよ」

 

 全然嬉しそうじゃないな。

 そんな言葉を思わず呟きそうになった加子母は、しかし救助隊員として余りに不謹慎な事を言う夕森の脇を突いた。

 

「馬鹿言え、俺らは災害から市民を守る救助隊員だぞ。祟りを肯定するなよ。それに……お前はアイツが勝手に死んだ事を肯定するのか?」

「そう、だね。悪かった」

 

 謝るのは自分にじゃないだろう。と、苛立ちを隠せなくなってきた加子母は次の瞬間、耳を疑うような言葉を捉えて。

 

「加子母。加子母は、明日香に会いたくはないか?」

「……何言ってんだ? お前」

 

 そう返すしか、彼にはできなかった。

 夕森はその言葉に嬉々として口を開き、堰が切れたかのように口を動かす。

 

「付き合っていたんだ、恋人だったんだ。私よりも大切だった筈だ。当然そう思うだろうね」

「何を……」

「だから私も必死で考えたよ。明日香を取り返すために何をするべきか、でも何も分からなかった。毎日藁を掴むように探したけど、何も分からなかった。だけどね、見付けたんだ。見つけたんだよ加子母。きっとこれで明日香を僕たちの元に────」

 

 それ以上は聞きたくなかった。

 唾を吐くのも気にせず喋るその顔に加子母は拳を叩き込み、信じられないような目で倒れた男を見て、辛うじて開いた口で言葉を紡ぐ。

 

「明日香は、死んだんだよ。馬鹿野郎」

「……」

 

 返事は無い。

 そうして暫く経った後、ようやく目の前の男が気を失っている事に気が付いた加子母は、夕森を近くのベンチに引き摺って行くと、そのまま早足でその場から離れた。

 ショックだった。かつての親友が、恋人だった存在の兄が、ここまでおかしくなっている事に。直視したくなかった。それに気付かずのうのうと暮らしていた自分の事を考えたくなかったのだ。

 

 

「『神降ろし』は成功していた」

 

 そう彼が寝言のように呟いた、唯一実感の籠った短い台詞は、暫くの間加子母の頭の中に残っていた。

 

 

 

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 今日の授業が全て終了し、担任から直近の予定についての話を聞き終えた僕は、壁に掛けられている時計を見て席を立った。

 

 午後3時。

 約束の時間が近い事を確認した僕は、用のなくなった教室を出て、「縁歴会」の活動場所である多目的棟の3階に向かっていた。

 

 一年生の教室が集まる棟を出て、外通路に足を踏み入れた僕は、夕方の湿っぽい空気を顔いっぱいに感じてしまい、思わず顔を顰める。

 

 6月も半ばになった。

 

 生徒それぞれの神通力の扱い方を学ぶ為の「第二回特別課外授業」も先週行われ、その時は特にアクシデントも起こらず無事終わった。思えば春は色々と事件が起きすぎたな、先生方がやたらとピリピリしていたのを思い出す。

 そうしてその時、夏休み明けから「特別課外授業」は「所縁学」として座学を含め、本格的な神力の扱い方を学ぶという話が出た関係で、数日経った今日も未だに教室は「神通力」の話題で持ちきりだ。

 

 現在僕のクラスで神通力をまともに扱える人間は、所縁石が必要になる僕を除けば、曜引(ひびき)の「隠匿(?)」と白比良(しらひら)の「厄除」の2人くらいのものなのだが、それ以外の生徒にだって神通力を行使できる縁者や知り合いくらいは居る。少なくとも話の種を持っていない生徒は見受けられなかった。

 

 当然の事なのだが、政府が個人情報だからとやたら神通力の所有者情報、それに関連して神通力自体の詳細を基本的に秘匿しているので、皆その手の情報には飢えているのかもしれない。最も警察や研究所、救助隊等の関係者が身内に居ればそうとも限らないのだろうが……まあ、流石に家族であっても情報を漏らしてしまう関係者なんてそうは居ないと思う。

 

 まあ、とにかく。

 たまに深く知らない神通力の話をエピソードを交えて聞けるので、僕も便乗してその話に参加している。願うならば、少しでもクラスでこの話題が続いて欲しい所だ。

 

 そんな事を考えながら多目的棟に入ると、そこには研究所の(わたり)所長と、曜引が何やら立って話をしている所であった。



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神降ろし ②

 晴れていると言うのに、いやに湿っぽい空気だった。

 

 夜中に降っていたのだろう、寮の窓を開けて朝の風を部屋の中に取り込むと、土の湿った雨の匂いが部屋の中に微かに広がる。

 梅雨だなぁ、なんて思いながら私は洗面所の方に向かおうとすると、机の上に置いていた、まだ新しい私の携帯が黄色いランプを付けていた。

 

 開くと、すっかりと音沙汰の無かった研究所からのメール。

 早速読んでみると、時間が空いたが今度こそ「機能確認」を始めたい旨と、可能なら今日の放課後にでも行いたいという打診が書かれていた。

 

 私はそれに「急すぎ」と思いつつも承諾の返事をして、そうして放課後、多目的棟の一階に向かうとそこには所長である渡さんが居た。 

 

「お久しぶりです」

「曜引さん。ごめんねぇ、中々時間が取れなくて……お、沙村君」

 

 その名前に、私も渡さんが向いた方を見ると沙村が居た。

 こちらはさっきぶりである。あれ?

 

「あの……今日は『隠匿』の機能確認ですよね?」

「『隠匿(仮)』ね、カッコカリ。……それで今日だけど、確かに機能確認をするつもりで俺も来ているよ。彼は手伝いの1人ね」

「そういう事だ」

 

 どういう事よ。と突っかかるのも話が進まないので、仕方なく私は渡さんの後ろについて階段を登って行った。

 ん、階段? 野外で確かめる事があるって言って無かったっけこの人?

 

「あのあの、屋内でやるんですか?」

「え? そうだよ? ……あー、うん。あの時はちょっと嘘付いたんだよね。ほら、屋内でやるなら研究所内でやれって話になるしね」

 

 ……そういえば、渡さん達は白島の人達に私の事を隠しているっぽいんだっけ。最近研究所に行っていない私だけども、大釜山の調査は未だに終わっていないという話くらいは聞いている。

 大人の事情というやつなんだろうけども、それにしたってここまでコソコソしていると、何だか悪い事をしているような気分になってくる。

 

「曜引さんはさ、仲の良い友達とか学校に居る?」

「はい? ……え、居ますけど」

 

 そんな事を考えていると、急に渡さんがそう言った。

 

「曜引さんも察しているみたいだし、今後やり辛くなるのも嫌だしね。この際だから正直に言うよ。今研究所で曜引さんの機能確認なんかしちゃった日には、間違いなく『白特』に転校になるんだよね」

「えっ」

 

 予想外の言葉に声を出すと、渡さんは「せっかく仲の良くなった友達と離れるのは嫌でしょ?」と頭を掻いた。うーん、それは確かにそうだ。ここに至るまで言ってくれない辺り何か別の理由も混ざっているような気もするけれど。

 そう思って渡さんの目を見たら逸らされた。おい。

 

「それじゃ、そこの奴の『回帰』も大概なんじゃないですか? 3番金だし」

「そこの奴とはなんだ……言っておくけどな君、『回帰』持ちで3番金鉱石に適性があるって程度の希少性だけじゃ白特に転校する程の理由にはならないんだぞ」

「まあ……そういう事だね。曜引さんのはちょっと特殊過ぎてね……主に適性値とかが」

 

 出た、適性値。

 

 なんなの? ホント。望月さんも言っていたけれど「凄い事になってる」とか「おかしい」とか散々言っておいて、その実際の数値自体は私から隠すのだ。言えないなら最初からそんな事言わないで欲しい。

 

 その後も転校の可能性について聞くに、実際その心配があるのは1年生の内だけらしく、向こうにバレる前に2年生にさえなってしまっていれば転校の可能性は限りなく低くなるらしく、とりあえずそれまではコソコソと「機能確認」を行っていくらしいのだけど……果たして私は一年間以上もデータ収集が必要なほど珍しい適合者なのか。

 ……私自身、心当たりがない訳じゃないのが余計にモヤモヤする。

 

 そうしていじけてながら歩いていると、ある部屋の入口の前で前を歩く彼らは止まった。

 扉に付いている窓にはぴっちりと「縁歴会」と書かれた紙が貼りつけられていて中を見る事が出来ない。なんて読むんだろうなんて思いながらドアの前に立っていると、部屋の入口が唐突に開かれた。

 

「はっはァ! 教授、お疲れ様です!」

「今日は急にごめんね後藤君」

「いえいえェ! 我々縁歴会は、神々の所縁(リレーションズ)について知見を深められるのならば、幾らでもご協力いたしますよ!」

 

 うわ、と思わず声を上げそうになるほどのハイテンションである。

 そうして自身を会長と名乗るスキンヘッドの先輩らしき学生は、私たちを部屋の中に招き入れたのだった。

 

 

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小茂呂(こもろ)さん、それ何ですか?」

「あん?」

 

 夕方。

 高須名警察署にて自身の机と向かい合っていた小茂呂は、同部署の後輩の声を真後ろから聞いて、ようやく意識を外に移した。

 

「ちょっと気になってな」

「それ……過去事件のファイルですよね、……隠匿? あ、例の覗き魔ですか?」

「おい、勝手に見るな」

「痛っ!」

 

 小茂呂は遠慮も無く後ろからファイルをのぞき込む後輩の頭を叩くと、周りの様子をチラリと見て息を吐く。

 その様子を不審に思った後輩であったが、これ以上頭を叩かれるのは嫌だと渋々自分の席に戻るのだった。

 

 小茂呂はそれを見て再び思考に耽る。

 

(あの時『隠匿』を実際に捕まえたのは俺だが、追い詰められたのは小海の協力があったからこそだった)

 

 思い出すのは自身が下らないと一蹴した犯人────「隠匿の神通力」を使っていた犯人の様子。

 姿を隠すことが困難になり、呼吸も荒く表れたあの男の表情は何とも情けなく、鼻水を垂らして床に這いつくばっていた。

 

 こうして昔集めた資料を見ていると、忘れかけ曖昧になった記憶も多少は繕える。

 

『見つけてくれて、ありがとうございます』

 

 引き渡す前、確かにその男にはそう言われた。

 当時、聞いたその言葉も、ただ気色が悪く感じただけであったが、それが今になって引っ掛かる。今となっては神々の所縁(リレーションズ)も完全に祓われ、白島で生活している筈のあの男。

 

 当時の調査では、例の男は以前の足取りが全く掴めなかった。

 5年前に勤めていた会社を辞めたのを皮切れに、一切の痕跡が残っておらず、犯人だと絞り込めたのも国のデータベースに「隠匿」持ちだと記録されていたからだ。犯行自体は兎も角、もしあれが本人の意図する所でなかったとするならば。

 

「神通力の、その副作用か」

 

 それに思い当ってから、向こう百年近くにもなる記録を漁った。その中に「隠匿」の記録が無いか探して探して、ある失踪事件が一件だけ見つかったのだ。

 

 「隠匿の神通力」はサンプル数が少なく、まだ解明されていない所が数多くある。例えば体の老化が早くなる「罪穢(つみけがれ)」のように、その機能によって保持者に悪影響を及ぼす神通力は少なからず存在する。

 

 要は、そう。

 「隠匿」は、使い続けた保持者を何時しか「向こう側」から戻れなくしてしまうのではないか。という事。

 

 あの日の晩、何故小海四葉(こうみよつば)が大釜山に居たのか。それは分からないが、幾ら何でも怪しすぎる。事件自体は既に収束しているが、彼女は巨人騒動に多少でも関わっているか、あるいは何かを知っていた。

 小海は稀な「浄化」持ちである。そうなれば、あの事件に居合わせた彼女ならば、姪の身体の為にあの場所に居たのかもしれない。

 

「……いや、違うだろが」

 

 小茂呂はそこまで思考を進めた所で首を振った。

 いつの間にか推理に私情が入り込んでいたのを一喝するように、自身の頭を叩く。今日はもう帰ってしまおうか。そう思いながら椅子にうなだれていると、ふと机の隅に置いておいた彼女の姪についての情報が目についた。

 

 あの山に潜伏していた三都橋という元研究者の男が狙っていた少女。

 使用者を向こう側に連れて行ってしまうかもしれない「隠匿」という危うい神通力、その神に嫌われている少女。

 

 噛み合いそうで噛み合わないピースを動かしながら、小茂呂はこれからの嫌な予感に眉を顰めるのであった。



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神降ろし ③

 縁歴会(えんれきかい)

 

 青特にある同好会の一つであり、神々の所縁(リレーションズ)に関する神秘を歴史や遺物から読み解こう……みたいな活動をしている倶楽部、らしい。

 

 部長を名乗る坊主頭の先輩に招かれるまま室内に入ると、まず棚一杯に積み上げられたガラクタの山が壁の全てを覆い隠しているのが目に入った。

 窓のある向かいの壁にまで浸食しているそれは、よく見ると分厚い本であったり、縁力機械のような物であったりが混ざっていて、神々の所縁(リレーションズ)に関係する物が集まった物だという事が辛うじて分かる。

 威圧感凄いなあと思いながら勧められた椅子に座ると、各々机に向かい合っていた部員がこちらをチラチラと見て来た。

 

 こんな所で「機能確認」をすると言うのだろうか……。

 何か歓迎されてない気がするんだけど。

 

 そんな事を考えながら引き続き周りを見ていると、後から来た渡さん達が何やら膝丈ほどの高さの機械を運んできた。なんだか重そうな運び方である。

 良く分からずにいると、唐突に部長が声を掛けて来た。

 

「挨拶が遅れたな! 3ー2の川西(かさい)だ!」

「……1-1の曜引(ひびき)です。あの、今日はよろしくお願いします……?」

 

 やはり声のでかい先輩である。

 いや、本当に大きい。他の部員は何とも無さそうなのに不審に思って彼等をよく見てみると殆どの人が耳栓を付けていた。……それで良いのか縁歴会。

 唖然としていると、渡さんが運んできた機械の電源を付けて、なにやら操作を始めた。

 

「それじゃ手早く始めようか、まずはこれ書いてね」

「あ、はい」

 

 そうして機械を弄りながら手渡された例の誓約書にサインをし、それを返すと代わりに縁門(アーチ)を開けるよう指示をされたので、シャツの上から巻いてあるそれを少しだけ開ける。

 

「本当に赤いのか」

「何か形が変じゃない?」

「神力が何かしらの形状を象っている適合者はそれ程多くないよな」

土神(くにつかみ)なら別に言うほど珍しいって訳じゃ無いよ?」

 

 ビックリした。

 代り映えのしない赤いイソギンチャクのような神力が出て来たのを確認して前を向くと、いつの間にか机に座っていた4人の部員達が私の前に集まってそれを見ながら議論を始めていたのだ。

 

「おいお前等! 曜引くんと所長のお仕事の邪魔をするなら出て行って貰うぞ!」

 

 部長の川西先輩がそれを咎めると、部員達はすぐさま散って座っていた椅子に戻り何かの作業を再開した。余りにスマートに撤退していったものだから逆に怖い。大丈夫なのだろうかこの倶楽部。

 

「はっはァ、すまんね! ここは方向性こそバラバラだけど神力とか、伝承とか、神々の所縁(リレーションズ)に興味のある学生ばかりなんでね!」

 

 つまり、沙村みたいな奴ばかりだという事なのだろうか。

 話を聞くに、こうして部屋と人手と設備を研究所に貸しているのも、ああやって見学したいっていう下心が部長含めあるからなんだという。……なんというか、それで衆目に晒される私の事も考えて欲しかったよ。別に良いけど。

 そう思って居ると、沙村がちゃんと皆秘密保持の契約書を書いているから大丈夫だと言って謎のフォローをした。そういう問題ではないのだ。呆れて渡さんの方を向くと苦笑いしていた。渡さん?

 

「あの」

「申し訳ない。これは俺が事前に言っておくことでした。延期する前は演習場を借りようと思って居たんだけど使えなくなっちゃってね……」

「は? 所長、彼女ここに来るの知らなかったんですかァ!?」

 

 部長は私に連絡が行っていた物だと思っていたようだ。その言葉に暫く硬直してからこちらに謝罪をして、出ていったほうが良いか聞いてきた。私としては別に問題ないのでそれを断ると「じゃあ見学させてもらうよ」とばつが悪そうに頭を掻いた。……なんというか、失礼だけど意外にマトモそうな人でちょっと驚いた。

 

 それはともかく、渡さんの話を聞くに今回のは単純な連絡忘れによるものだったらしく、場所を勝手に変えたことを重ねて謝罪された。因みにそこの「厄除」持ってる部長さんと「回帰」持ってる沙村については最初から手伝ってもらう予定だったらしい。それも聞いてないよ……。

 

 ちょっと嫌になったので、この後滅茶苦茶バイト代の値上げ交渉をした。

 数分のやり取りの末に五割アップしてもらったので真面目にやろうと思います。

 

 

 

 

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 何やら良く分からない計測を一通り済ませた後。いよいよ神通力の機能確認が始まった。

 

 私の「隠匿(仮)」の計測は今回、「隠匿」とどのように違うのかが主要な項目となるらしく、妙なボールを持ったまま自身をずらしてみたり、「厄除」との相性を見てみたり。最後には側面の一つだけだけ開いたケースの中の物をずらしたりした後、どうやら渡さんが持って来たらしい3番金鉱石を携えた沙村が「回帰」を使ってその経過を確認したりしていた。

 それを見てやっと終わったと思っていたら、待ち時間に大量の細かい質問の回答を書かされる事になった。主に聶獣に関することが多かったのは、やっぱり私の適性値が変だったからなのだろうか。

 

 そうして窓の外が大分暗くなって来た頃、ようやく渡さんは今日の分の「機能確認」の終了を告げた。

 

「お疲れさま。今日出揃ったデータを纏めて検討してから次の計測項目を決めるから、次回の日時は追って相談しようか」

 

 その言葉に時計を見るともう19時近くを回っている。3時間程度の計測だったが、それでも最初は18時過ぎくらいと聞いていたので大分オーバーしていた。

 伸びをして機材を片付ける渡さんを見ていると、それを手伝っていた沙村が首を捻って呟いた。

 

「『隠匿』というのは良く分からないな……」

「うん、『位相をずらす』っていう曖昧な表現が未だに使われているだけはある。サンプルが少ないんだよ。だから適性値の事を置いておいても今回のデータはとっても有意義だったかな」

 

 サンプルが少ない。

 その言葉に私はこの間の幻想世界で会った「隠匿」持ちの男子生徒の顔をぼんやりと思い出す。

 

「そういえば、緑賀特にも一人『隠匿』がいるんですよね?」

「えっ? ……確かに居るけど、知り合いだったの?」

 

 そうして何気なく言った言葉に、渡さんは思いの他驚いた。

 だから帰り支度をしている「縁歴会」の面々も手を止めてこちらを見て来ている。余計な事言っちゃったかもしれない。いやけど、この際だから聞いてしまおう。

 

「えっと、実はこの間幻想世界で会って」

「幻想世界で……って、え? は? どういう事?」

「だから、幻想世界で会ったんです」

「……どういう事?」

 

 どういう事って、私が聞きたいのだけど。

 そうは思ったが確かに私の説明不足であることは否めないので、渋る部員が全員退出した後、私は渡さんにこの間の出来事を全部喋ってしまうことにした。私としても意味不明な出来事であったため、喋って肩の荷を下ろしたかったのだ。

 

 そうして全部喋り終えて前の方を見ると、渡さんは頭を抱えて下を向いていた。

 どうやら荷物は全部向こうに行ったようだ。本当に申し訳ない。

 

 部屋の中が沈黙に支配される中。何かぶつぶつと独り言を始めた渡さんの声だけが聞こえてくるよな状況で、ようやく彼は鼻の根元を摘まみながら椅子から立ち上がった。

 

「……まあ、何が起きても不思議じゃないとは思っていたけど……とにかく、その件は僕だけの手におえない。明日大丈夫?」

「明日ですか? 大丈夫ですけど……」

 

 渡さんの言葉にそう返すと、彼は携帯を取り出してどこかに電話を始めた。ん?

 なんだか深刻そうな顔をしているけど、どうしたのだろうか。少し不穏な空気を感じつつ、電話が終わるのを待っていると、通話を終えた渡さんが青い顔をして口を開いた。

 

「幻想世界の専門家呼んでくるから。本当は今日にでもやりたい所なんだけど……今の話さ、もし本当ならちょっと不味い事になっているかも知れないんだよ」

 




投稿遅れました……。
次話は早めに更新できると思います。


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神降ろし ④

 何かが擦れる音がした。

 

 見ると、開けたままにしておいた寮の部屋の窓。そこから僅かに風が差し込んでいるのだろう、カーテンがしきりに動き、同時にぱたぱたと何かを打つ音が入り込んでくる。

 また雨が降り出したらしい。私はカーテンを開いて窓の戸を閉め、そうして外に映り込んだ自分の姿をはたと見た。

 ぼんやりとした表情の自分の顔。そこには特に何の感情も乗っていない。

 

『太田君。曜引くんの言っていた男の子ね。数週間前から入院しているらしいんだ』

 

 帰る前に渡さんの言った言葉を思い返す。

 数週間前。詳しく聞くとそれは私が幻想世界に行って彼等と会った時期であり、彼はそれからずっと目を覚まさずにいるらしい。

 営野さんの事も聞いた。しかし「隠匿」である事が判明していない彼女については向こうも把握していなかったらしく、私の言葉を受けて調べて貰えることになったのだが、今の所不明。

 

 この事態に、渡さんは直接的な事は言わなかったが、色々聞くに、どうやら「神域」の入口に私が彼らを連れ込んだのが原因かも知れないという事が分かった。

 

 「神域」はすなわち死後の世界の事ではないか。という説がある。

 

 以前に聞いたことがあった。「ふーん」なんて思いながら、だけど確かに授業で触れているのを聞いていた。

 それなのにぼんやりと、軽い気持ちで彼らを招き入れた馬鹿がここにいるのだ。

 

 ファンタジー的現象の「一歩間違えれば」。その危険を理解しておきながら。

 

 肝心の「隠匿」の神様は無害そうであったが、権能とやらを無くしているらしいので正直過度な期待は出来ない。

 ただ今は、こんな事になっているなんて思いもせず、一人戻って呑気に生活を送っていた自分をぶん殴りたい気分だった。

 

 幻想世界に入る事の出来る条件は未だに解明されていない。

 なので私が今一人で悩んでも全くの無駄だというのは分かっているけれど、悩む事しか出来ないというのだから仕方ない。また、それを仕方がないとスッパリ切り替える事も難しい。私の脳内は今の季節のようにジメジメとしていた。

 

「ごばちゃん、どうしたの?」

「んー?」

「どうしたの」

「いや、考え事」

 

 はる子に心配を掛けたくない。というよりかは自分が落ち込んでいるのを見せたくなかったので、私はそこでようやく思考を止めて、カーテンを引いて窓に映る少女を視界から消し、ベッドに腰かけた。

 

 日課のお祈りもまだである。

 はぁ、本当にもう。なんだか。ムカつく、自分にムカつく。

 

 

 

 

 その時背中に違和感を感じた。

 振り返ると、そこには尾袋鼬が一匹。

 

 どこから入り込んだのか、「わ」なんて小さい声を出したはる子が手引きしたようには見えないし、ついさっきまで外に居たかのように湿った土の匂いがする。

 

「はる子、あっちの窓開けてた?」

「開けてないよ~。いつもみたいに突然パッと現れたの」

 

 手を横に大きく振って否定するはる子。

 ……いつもみたいに? 廻の事を言っているのだろうか。

 

 いや、それはともかく。

 廻以外の鼬が現れたという事は、また道案内をしてくれるのだろう。無邪気に体を転がし布団を毛まみれにしていく目の前の獣を見て、私は心底ホッとした。

 

 きっと、酷いことにはならない筈だ。

 

 根拠の薄い理由であったが、私を慰めるには十分な事だった。

 しかし幻想世界へ案内なんて、どうやってやるのだろう。

 

 そんな事を考えながら机の上の縁門(アーチ)を手に取ると、不意に視線を感じて振り返る。

 

「どこか行くの?」

「……多分」

「多分って何。言っておくけどはる子も行くから」

 

 そう言いながら足に付いた縁門(アーチ)をこちらに見せてくるはる子。どうやら鼬の道案内の事を知っている様子。……そういえば私が中学生の時にそれっぽい事を言ったような気がする。

 

 心配してくれているのだろうか、分からない。

 私は「ありがとう」と冗談気味に言う余裕すらなくて、ただ彼女から顔をそらして時計を見る振りをした。

 

 そんな中、傍らにいた鼬の尻尾が「白く」光り出した。

 

「なにこれ」

「……」

 

 いや、本当になんだこれ。

 

 聶獣が聶獣と呼ばれる所以。それらが持つ耳朶のように柔らかく大きな腫瘍を抱えた尻尾。

 そこから溢れ出した白い光が、何か輪っかのような形をとり、ゆらゆらと浮かび上がったのだ。

 

 神力なのだろう。しかも自ら形取っている「白」。

 青もそうだったが、白色もまた見聞きした事が無い。

 

 ……今更なのだが、こんな世界では本当に今更なのだが、なんかとんでもない超常現象が起きているような気がする。しかも徐々に私の方に向かってきているし、正直どうしていいのか分からない。

 はる子が横から手を伸ばして掴もうとするが、神力なので当然無理。一部が霧散した後すぐに元の形に戻る。

 

 何とも言えない空気の中、白い輪っかは徐々にその形を変えて外側に無数の短い突起を生やしていく。

 

 ちょうど歯車のような形状。

 それは遂に私の元に到達し、お腹に入るようにその姿は隠れた。

 

「入っていった?」

「ぽいけど……うーん、駄目だ『隠匿』でも分かんない」

「常識的に考えて、そんな変な物受け入れちゃ駄目だよ~……」

 

 ごもっともである。

 しかし案内の一環なのかも知れなかったから避ける気はさらさら無かったのだ。

 

 そうして二人で顔を見合わせていると、いつの間にか尾袋鼬は消えていた。どうやら今回はこれだけが目的であったらしい。これで寝れば向こうに行けるって事なのだろうか?

 

「よし寝よう」

「寝るんだ」

 

 ポカンとしているはる子に断って照明を消して、布団に潜り込んだ私は目をギュッと瞑る。

 そして次に目を開いた時には、期待通りとは行かず、普通に次の日になっていたのだった。

 

 

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 朝になり、寮を出た私は一直線に研究所に向かっていた。

 人命の関わる事だ。研究所には朝から人を集めてくれるらしかったので私は昨夜の内に余目先生に事情を説明し、その日の授業を休む事になっている。

 

 約束の時間より一時間も早く着きそうだったが、それくらいが丁度いいだろうと渡り廊下を歩いていると、陰から現れた大きな人陰にぶつかってしまった。

 

「やっすみません」

「んぉ?」

 

 良く分からない返事だったが、私は急いでいた。だからそのまま脇を通り抜けようとしたのだが、何故か少し歩いた所でその人物に手首を掴まれた。

 

「お前……占いに興味はないか?」

「占い? ないです」

 

 そう言って掴まれた手を離そうとするが、向こうは逃がす気が無いらしくガッチリと掴んだままで。

 

「そうかそうか、助かるなぁ、最近俺が寄ると皆逃げるのよ」

 

 あれ? なんか占いをやる体で話が進んでるんだけど。

 その人物……先日会った縁歴会の部長のような坊主頭で、ゴツく、非常に人相の悪い男子生徒の先輩は、ニタリと笑って懐から小さな水晶を取り出した。そんな時、入学当初の頃に新入生の男子を狙った占い魔の噂が流れていたのを思い出した。恐らくコイツである。

 

「どれ、一年坊の未来を見てやろう。なに、昔は違ったらしいんだが今や外れる事も多いんだ……この『逆睹』はな。そんなに身構えるな。最近は特に的中率がゴミだしな、手短に終わるから参考に聞いて行け」

 

 そうして私が何か言う前に腕の縁門(アーチ)を開き、黄色い光が湧き上がるのを見ながら何かブツブツとしだした。まあ……手短に終わるなら良いか、とそう思って私は逃げるのを諦めた。因みに、校内の許可されていない場所での神通力の使用は基本的に禁止されているのだが、指摘する気も起きない。

 

 そして数分が経過した。

 いや、長いわ。この間彼が唸っているだけで終わったんだけど、どこが手短なんだ。

 

 そう思ってからも暫く経ち、このまま「隠匿」使って逃げてしまう事を考え始めていた頃、目の前の先輩はポツリと呟いた。

 

「……見えない」

 

 そう言ってどんどん表情を硬くしていく先輩。

 「逆睹」は神通力だし、私の変な適性値が邪魔でもしているのだろうか。

 そんな事を考えていると、彼は唐突に私の掴んでいた手を開放し、両手を上げ「やれやれ」と言ったような仕草をした。

 

「では占い料500円。……と言いたい所だが、これでは金は受け取れないな。時間を取って悪かった」

 

 本当だよ。

 しかも何か見えてたら500円請求される所だったらしい。押し売り通り越して最早カツアゲである。

 

 ……もういいや、何でも良いから離れよう。

 そう思い「それじゃあこれで」とその場から離れようとした時、後ろの方から誰か女生徒が走って来た。

 

「てめゴリラぁぁぁぁあああ! 復学早々何してんだオラぁ!」

 

 そう叫びながら向かって来た女生徒の先輩は、隣に居た占いゴリラの胸元に飛び蹴りを放ち、倒れ込んだ彼にマウントを取って顔を殴り始めた。

 

 よく見ると女子寮の監督生その人であったのであるが、いい加減時間が惜しくなった私は、命乞いを始めるゴリラを余所にその場から逃げるように研究所へと向かうのであった。

 

 

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 青網引神秘研究所。

 その建物に入り、言われた広い部屋の中に入ると、幾人かの研究者が既に居て。中には春の検査の時に所長と一緒に居た研究者の女性……駒井(こまい)さんも居た。思ったより大規模な事をやるらしい。

 

「ご無沙汰してます……」

「お、お久しぶりです」

 

 駒井さんは何やら準備をしていたらしく、入って来た私の返事を聞いた後「少し待っていてください」と言って、手に持った書類を机に戻してバタバタとモニターの前で何かをし始めた。

 

「お、曜引さん早いね」

 

 その声に振り返ると、渡さんが入口に入って来る所であったので、私は思わず小声で話し掛ける。

 

「おはようございます。あの、ここでやって良かったんですか? さっきも白島の人達が居ましたけど……この部屋にも多分居ますよね?」

「……ああ、今日は神通力自体の事は調べないからね、つまり仮の付いてない方の『隠匿』として来てもらってるから大丈夫。ま、そこは心配しなくて良いよ」

 

 それに人の命が掛かっている事だしね、と渡さんは言って、持っていた荷物を机に置くために机の方に向かっていった。

 今回の件は白島の本部にも、緑島の方とかとも連携しているらしい。よく見ればこの間受付の隣のテーブルに座っていた人もいるし、なんだか改めて大事になっていることを実感した。

 

「じゃあ少し早めだけど始めましょうか」

 

 仕切るのはやはり渡さんであるらしい。

 彼がそう言って一旦部屋が静かになると、次にはそれぞれの席に座り、そこに駒井さんが資料を配っていった。そうして私も一部貰ったのでとりあえずはそれに目を落とすと、駒井さんの名前が書かれていた。専門家この人だったんだ……。

 

・「幻想世界」にて「隠匿」の神と接触したという女生徒(私)が居る。

・その証言から、現在緑賀崎特殊業学校一年生である「太田(おおた)信太(しんた)」の精神が「神域」に入り込んでいる可能性が浮上。

・以上の状況から、これから彼の精神を戻す為に行うアプローチの説明。

 

 簡単に言えば、それだけの事が書かれている冊子であった。

 駒井さんの説明を聞きながら読み進めていき、最後には肝心のアプローチの内容。

 

 まず私が「幻想世界」に入り「神域」の状況を絶対入らずに確認。その後私に詳細な聞き取りを行った後、良く分からないが緑島の方で精神に干渉するいくつかの「神通力」を使用するらしい。

 

 えっと、あれ?

 「幻想世界」に入る方法というか、法則、判明してたんだ……。

 

 思ったよりもこの国……というか海外も含め、この手の情報漏洩を頑張って防いでいるみたいだ。なんて思っていたら、どうやら本当に最近分かって来た最新鋭の技術らしい。

 私がこれ聞いてていいのだろうか、なんて思ったりしながら説明を聞いていると、間もなくいよいよ始めると言う事になった。

 

 部屋の隅にあった簡易ベッドに寝かされると、心拍やらを測るための装置や頭にヘルメットのような物を付けられる私。

 これちゃんと眠れるのかな? と心配していると、どうやら向こうに行くための麻酔のような物を打つらしい。

 

 そうして何時打つんだろうと次はドキドキしている私であったが、いつの間にか意識が途切れていたらしい。

 次の瞬間には何度か見た沼の中に嵌っていた。

 



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神降ろし ⑤

 なんで私はいつもいつも沼に嵌っているのだろうか。

 

 風もなく、暑くも寒くも無い霧の世界。岩と沼と白い花を付けた植物が生えているこの場所に来るのは既に三度目。たまには地面に立っているか座っているか……まあ、最悪寝ていても良いからマトモな足場のある所に居たいものである。

 

「……?」

 

 そう考えながらいつものように沼から抜け出そうとして、違和感。

 沼がいつもより硬いようで、重心を左右に前後に振っても足が全く動かないのである。

 

 眉間に皺を寄せて水面……水面を見るが、黒ずんでいるそれを良く見ると沢山の小さなヒビが入っている。どうやら酷くカピカピの沼に嵌ってしまっているらしい。というか沼じゃなく最早地面に埋まっていると言った方が正しいのではないだろうか。

 

 仕方がないのでお腹の縁門(アーチ)を少し開き足回りの土を消して抜け出し、辺りを見回す。グダグダしていたが、こんな事をしている場合じゃない。私は「神域の入り口」の様子を身に行かなければならないのだ。

 

 そろそろ見慣れて来た「幻想世界」ではあるが、未だに入口の方角は何となくでしか分からない。だから前回のように歩きながら方向を探っていると、丁度前方に人影が立っているのが見えた。

 

「五花」

 

 その人陰────「隠匿の神」は、感情の読めない表情で私の方を見ながら続いて何か口言いかけて、そして大きなため息を付いた。

 

「来てしまったか、思ったより早かった」

 

 以前の別れ際の言葉に反し、まるで来て欲しくなかったかのように出したその台詞はやはり平坦で、少し異常な感じがした。

 

 

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「白状しよう。此方は其方から『権能』を取り返さないと言ったが、違う。本当は取り返せなかっただけで、奪い返そうと何度も何度も試した。殺そうとしたんだ」

 

 案内する。と、それだけ言われて神様の後ろを歩いていると、神は急にそんな事を呟いた。

 

 驚きはあまりなかった。

 私はこの神に本当は嫌われているって「赤」がいつも示していたから。

 

 ただ、何故今それを言う気になったのかが分からない。

 そんな事よりも太田や営野さんの事を聞きたいのだが、まるで私の言葉が聞こえていないかのように神は自分の事を話し続ける。

 

「全ては『お前』に、本当は此方との繋がりなど無いからだ。それに、最後になるかもしれないからな」

「最後?」

「此方なりのケジメだよ。曜引五花(ひびきごばな)

 

 そう私の問いを交わして、神は立ち止まる。

 目の前まで来た神域の入口は前回とは違い、最初からボロい日本家屋に固定されている。その戸は開いていて、その中から誰かが出て来た。それは私と同じ容姿で。

 

(まわり)……?」 

 

 私が声を掛けると、廻は嬉しそうにこちらに寄って来て引っ付き、その後神の方を見ていかがわしそうな顔をした。

 

「廻、こうして起きている時に会うのは初めてだよ……。いや、ある意味今も夢の中で会っているに過ぎないのだが……はぁ、いよいよ限界か」

 

 限界?

 その単語に私が疑問に思っていると、神は腰を折って警戒していた廻の両頬に手を置き、額を合わせる。

 この間、黒子鹿(ほくろじか)にやっていたのと同じ動作だ。あれで記憶を読み取っているのかもしれない。そんな事を思っていると、事が済んだのか神は眠ってしまった廻を大事そうに抱えた。

 

「この子だけが其方(そちら)との繋がりだ、これは前に言ったな」

「ええ」

「中に寝かせておいてくれ。その内向こうに戻るだろう」

 

 こちらを見ず、廻の髪を撫でながらそう言った神に相槌を返す。

 自分の姿をしたものが撫でられている光景に少し不思議な気分になったが、とりあえず私は神から廻を受け取ると、畳のある神域の入口に運ぼうとして、ふと足を止めた。

 

『絶対「神域の玄関」には入らないと約束して下さい』

 

 幻想世界……この場所の専門家である駒井さんの言葉である。

 なので私はとりあえず抱えた廻を外壁に寄りかからせた。神はそれを見て不思議そうな顔をしたが、直ぐに何かを抑えるように自身の胸元に手を遣って上を見た。

 私もそれに倣って上を見るが、相変わらず霧がこもっていて一面真っ白だ。

 

「聞きたい事は何となく分かっているつもりだ。この間残った2人の事だろう」

「えっと、はい。大丈夫なの?」

「大丈夫だ。その内向こうに戻るだろう、それよりも────」

 

 その内って、もう数週間寝たきりだから私が来ているんだけど。

 そんな事を考え私が微妙な顔をしていると、目の前の神は両手で顔を覆い、俯いた。

 

(まわり)は、今日死ぬぞ」

 

 今、なんて言った?

 

 

「本来、子供達は夢を見ながらこの世界に来る。それが普通だよ。彼らが確りと現世で生きている証だ。なのに意識がはっきりしている。どういう事か分かるか?」

 

 その神の問いに、私ははっきりした事が言えず曖昧に相槌を打つ。

 

「最近はその頻度も多くなって来たと思っていたが……今日、此方の子がまた1つ居なくなってしまう。なあ五花、どうしよう」

「どうしようって……」

 

 そんなの私が聞きたいことである。

 

 

 というか……そうか。

 

 今日。

 そんなにすぐ来るのか。

 

 もっと生きてくれると思ったのに、ああ、そうだ。

 夏には帰るって、顔を見せるって言ったのに。

 

「どうにもならないの?」

「ならない、ならないんだよ。五花。ああ、此方が代われれば良いのに」

 

 そう言ってしゃがみ込む暗い紫の着物を着た子供の姿を見て、少し冷静になる。

 そういえばこの存在は、長い時を生きている神である。今まで数えきれないほどの別れを経験してきている筈だ。毎回こんなに悲しんでいるのだろうか。正直、なんだか違和感がある。

 

「あの、なんというか……何時も貴方はそんな感じなの?」

「……いや、いや。全て其方のせいだよ五花。此方(こちら)は本来別の位置に居て、全く違うものに目を向けている存在だ。こんなに怖くて、悲しくて、苦しいのは……五花が此方の『格を下げた』からだ」

「私のせいって事」

 

 思わず呟く。

 また私のせいか。なんかもう無意識にやらかした事が多すぎて嫌になって来るな。……うん、まあこんな事を考えている場合じゃない。廻の事は確かにショックだが、そもそもこんな会話をしている場合じゃないのだ。人命が懸かっているのだし、いい加減ここに来た問題を解決しなければならない。

 とにかく状況を、とそう思い口を開こうとする私に、目の前の神は歩み寄ってきた。

 

「廻が言っていたぞ。そこが欠点なのだと」

「……何言ってんの?」

「話はまだ終わっていないという事だ」

 

 答えにもならない事を言った神は、尚も私に歩み寄り、私の片方の手首をちっちゃい手で掴んだ。

 

「勘違いするな。何、悪いことばかりじゃなかったよ。悲しい事も、苦しい事も。それによって出来る傷も……嘗ての自分を忘れたという事を思い出せたのも。だからな、其方が気に病む事は何一つないのだよ。いいな?」

 

 こちらの方を見ずにそう言った神は、私の手をにぎにぎして「うん」とかなんとか言って離す。何の動作なのかは意味不明だが、どうやら気を使ってくれたらしい。

 

「えっと、はい」

「では本題だ。まず今この空間、誰が作っていると思う?」

 

 この空間、「幻想世界」は私の夢の中の領域だ。だから理屈では私が作り上げている。

 

「私」

「そうだよ、では『そこ』は?」

 

 言いながら神はボロい日本家屋の方に視線を向ける。

 そこ……つまり「神域への入り口」は、「其処に居る神」の領域である。となれば。

 

「貴方?」

「本来はそうだ。しかし現在は此方(こちら)と、此方の権能を奪った其方(そちら)。双方の力が干渉しあって維持されている空間に過ぎない。……割合はそう、半々ほど」

 

 お陰で以前の部屋が随分様変わりしてしまった、と目の前の子供は表情を曇らせた。うーん? あの建物、私の影響を受けて今の形になったの? だとしたらそこは本当に申し訳ないと思うけども。

 まあとにかく……そこの神だけで作っている、という訳ではないらしい。

 

「そこで問題が一つ。廻が此方から離れた場合、この場所。どうなると思う?」

「どうって……え? つまり、分離するって事?」

「『分離』か。それで済めば良いがな……恐らく、全て無くなるだろう。」

 

 そうポツリと呟いた神を見て、ようやく気が付いた。

 (まわり)は私が「隠匿の神」と繋がっている唯一の聶獣。となれば、その存在が居なくなった後、私はこの世界との縁が完全に切れてしまうのだ。

 ……住処を構成する権能の半分を持ち逃げしたまま。

 

 あれ、もしかしてこの状況。物凄く不味くない?

 

「此方も、最初はそのまま消えて行くのも良いと思ったよ。このまま在り続けるのに疲れてしまっていたからだ。もはや子供達も少なく、またこれは感覚的なものだが、縁を切るのではなく此方自身が消えるのであれば、繋がりのある人間も、子供達もそのまま生きていける筈だよ。……あの時困ったら何時でも来いなどと言ったが、もう二度と会わないと思っていたんだ。だから今思えばアレは……此方が心の何処かで、消えたくないと思っていたからなのかも知れない」

 

 そこまで言って、目の前の神は不意に笑った。

 暗い柴の着物がザワザワと動き、中から数多の白い触手のようなものが現れる。

 首元から、足元から、裾から、生地の裏から。

 

「あの二人に説得されてしまってな、だから曜引五花。此方が消える前に其方がここに再び来るのであれば、足掻く事を選んでみる事にしたんだよ」

「あの二人って……」

 

 太田と営野さんの事だろう。いや、というか話の流れがおかしくない?

 

 そうやって動揺している間にも、私の神力と瓜二つの形をした白い触手はどんどんと増えて来て、いよいよ一つの巨大なイソギンチャクの形が成された時。

 正面の方に巨大な三日月型の口が現れた。

 

『山珊瑚の化け物……いや、此方の同類、山珊瑚の「逆さ人」よ』

「いや、ちょ、どうしてそうなるのよ!?」

 

 その良く分からない言葉を吐きながら目の前の白い触手が私の目の前に殺到する。

 私は何とか反射的にそれを避けるが、途切れなく次の手が伸びて来る。相手は「隠匿」の力の源泉。間違いなく触れただけでアウトである。戻れない程の位置にずらされるか、良くて細切れだろう。

 

『僕と一戦願おうか』

「攻撃する前に言えっ、つーの!」

 

 向こうが何を考えているのかはハッキリ分からないが。どうも私を直接殺して「権能」を取り戻す。という事なのだろう。

 兎に角、私もこんな所で訳も分からず死にたくはない。縁門(アーチ)を全開にして、大量に湧き出て来た赤いそれを試しに一本、襲い掛かって来る白い触手に合わせてみる。すると双方の触手の長さ半分程が弾けるように消え失せた。

 

 ……うん、こちらだけが一方的に「隠匿」を通され消される。という訳では無さそうだ。

 次々来る攻撃を交わしながら私が少しばかり安堵したその時。

 

 頭上に、何か白い光がチラついた。

 

 

 

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 青網引神秘研究所の一職員である駒井(こまい) (ここの)は、人生最大のピンチを迎えていた。

 

 始まりは昨日の夜、白島の出張から定期船で帰って来る途中だった。

 海を見ながら自宅に置いて来たままのハムスターの心配をしていると、所長である渡からある報せを受け取ったのだ。直帰せずに一度来いと言われるのかなと戦々恐々としながら電話に出ると、予想は遥か斜め上に飛んで行った。

 

 渡によると、ある「隠匿」持ちの女生徒が「幻想世界で神や他の適合者と会って来た」と言ったらしい。

 

 その言葉だけではではただの夢か、子供の戯言だと思われていただろう。

 しかし、その報せを受け取った駒井は、直ぐに緑島で寝たきりになっている「隠匿」持ちの存在を思い出し、眉間に皺を寄せた。

 

 五島の研究所では、各学校の生徒達の神通力や練度は勿論、神々の所縁(リレーションズ)が関わる「特殊な事案」は基本的に共有されている。

 

 その中でも脳波も肉体的にも問題が無いのに、ただ眠ったままだという件の男子生徒は間違いなく「特殊な事案」で、それも駒井の専門である「幻想世界」関連の、おまけに命に関わる「緊急的」な問題だ。

 

 元来重い責任というのが嫌だった駒井にとっては、悪夢のような事件である。

 白島に出張に行っていたのもその件があったからであり、そこで聞いた黄島のある女生徒も同様の症状が出ているという事実は、彼女の青くした顔を真っ白にさせた。

 「幻想世界」関連の研究は。近年ようやく脳幹のある箇所に神力が溜まる事で入る事が出来るというのが分かった以外、特に進歩の無い分野である。身体の何処を調べても夢を見ている状態と変わらない事から、他人のデータはそれぞれの証言という不確かな物からしか収集する事しか出来ないのだから仕方ない。

 

 駒井は予算もあまり出ないこの分野が好きだった。

 なにせどうやっても実利に結びつかないのでチームすら組まれないのだ。そのくらいの注目度であるから、進捗さえキチンと出せていれば問題は無いのである。

 余計なプレッシャーもなく一人のめり込むのは心地が良く、収入も多くは無いが、研究所に所属しているので年老いた両親の事を考えても少ないという事も無い。これが自身の天職だとすら思っていた。

 

 しかし、今回の事件において。

 初めて各所から頼りにされた彼女は、大した成果も出せなかった事に自覚無く落ち込んでいた。

 

 だからその報せを聞いた時、駒井は大変な事になったぞと思いながらも両手を強く握り締めていたのだが。

 

「今の何だッ!?」

 

 所長の手助けを受けながらも準備を重ねて挑んだ現在。

 

 不意に室内に響き渡る怒声に、脳波を見ていた彼女は、協力してくれている自校の女生徒の方を見て絶句した。

 あり得ない事が起きているのだ。

 

 身体は細かく痙攣し、その額の右に小さくない(こぶ)が出来ている。

 それは、まさにこの間の事件のような────

 

 

 

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神力の逆循環現象(リレートバックフロー)……」

「……そんな」

「離れろ! 『触れると障る』タイプだ! 除去装置は!?」

「はい! 準備しています!」

「祟りへ転化しているのか……?」

「転化のそれに酷似しています……だけど、赤くない……?」

「どちらにしろ、危険な状態に変わりはないな」

 

 眼前の事態に様々な言葉が飛び交う中、渡は彼女に現れた瘤を見る。

 

 反循環現象。

 向こう側から一方的に来るだけの神力が、逆に向こう側へと行こうとした結果。身体中を駆け巡る神力が導線を逆流し、全身に尋常ではない速度で腫瘍を大量発生させる現象であり、通常「祟り」に障ってしまった人体に見られる物だ。

 神通力操作に関係する適性値がこれに関係していると考えるのは難しい。で、あるならば、今回使った「導入剤」……安全が証明されたとはいえ試作であったこの薬品に原因があると考えたほうが自然である。

 ちらと奥の方でモニターを凝視している部下の駒井を見遣る。顔を真っ青にしている彼女は、見るからに焦っている。

 ……ともかく、この場は除去装置でどうにかなるだろう。渡は大きく息を吐いて、椅子に座り直す。

 後で曜引五花に後遺症の有無があるか検査を行う必要があるが、この程度ならば跡も残らず完治出来る筈。

 

 兎にも角にも今回の試みはこれで失敗だ。

 そう結論付け、次はどう動くべきか考える彼であったが、そのタイミングで耳を疑う台詞が前方から聞こえて来た。

 

「除去装置……効果ありません」

「……はあ!?」

 

 効果がない。

 あり得ない事態であるが、渡はすぐに次の指示を出す。

 

「やむを得ない『破邪』を────」

 

 

「『神降ろしの儀』に似た現象ですね」

 

 その言葉を言い終わる前に、背後の開かれたドアから誰かが入って来た。

 何か違和感を感じた渡は振り返り、その人物……自身の研究所の職員である望月(もちづき) (はるか)の方を見た。



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繋がっている

 幻想世界。

 「隠匿の神」が持つ神域の入り口、その内部────何の変哲もない民家の玄関のような内装の部屋の上がり(かまち)に二人の子供が座り込んでいた。

 

 だから必然。

 彼等の視界にはこの部屋の唯一の違和感である、ずらりと並んだ玄関口が否応なしに入り込む。

 全開になっている1番左の扉。

 半開きになっている2番目の扉。

 そして、未だに閉じたままの3番・4番・5番目の扉。

 

「他の扉さ、開いたらどうなるんだろうな」

 

 太田(おおた) 信太(しんた)は、目線をそのままに半ば独り言のようにふと呟いた。

 

「……開かないで下さいよ。絶対碌な事になりませんから」

 

 その言葉に、隣で膝を抱えていた営野(えいの) 香織(かおり)は僅かに眉間に皺を寄せる。

 

 二人は「隠匿の神」由来の神力を受け取る事が出来る適合者である。

 数時間程前だろうか。そこまで共に居た曜引(ひびき)五花(ごばな)が本来決して開くことの無い扉を開け、そこから入って来てしまった2人は、いざ帰るという時に神から「ある言葉」を聞き、こうしてただ待機しているのだが。

 

「やらねーよ。大体ここ、崩れるかも知れないんだろ? それなら……」

 

 そこまで言った所で、遠くの方で轟音が鳴り響く。

 太田はそれに肩を短く震わせ後ろを振り向き、隣に居た営野は抱えていた膝を思わず離し、顔を上げた。

 

「来たんですかね」

「来たんだろ。凄い音だったぜ……」

 

 パラパラと、小さな粒が天井からこぼれ頭に当たったのを太田は一つ摘まんで目を凝らす。

 光っているような、光っていないような。「粒」としか言えないその物体はどうも建物を構成していた一部なのだろう。彼は小さく鼻を鳴らしてそのまま床に落とし、そしていよいよ現実染みて来たなと「居間」のあるであろう方向に顔を向ける。

 一方隣の営野は眼鏡を掛け直して天井に目を凝らす。

 

 「隠匿」の力が作り出した「神域の入口」の崩壊。

 微動だにしていない木目のような天井は、それがまだ始まっていない事を告げていて、営野はホッと息を吐き、下を向く。

 

「なあ、本当に崩れたとして『幻想世界』ごと無くなっちゃったとしてよ、そうしたらやっぱりオレの神通力も無くなっちゃうのかな」

「だとおもいます。そもそも神々の所縁(リレーションズ)を経由して神様からお借りしているのが『神力』ですからね。それと……それ聞くの、もう5回目ですよ」

「だって気になるだろ」

「……一応言っておきますけど、見に行かないで下さいよ? 他でもない神様がここに居ろって言ってるんですから」

「『崩壊し始めたら戻れなくなる』だっけ? けどここで待ってるっていうのも情けなくなって来るぜ」

「あのですね、私達無理言って残してもらってるんですからね? 大人しくするというのを条件にです。忘れてないですよね?」

「うるせーな、分かってるよ」

 

 そう言って、嫌だなぁと木目の床に寝転ぶ太田を横目に、営野は再び視線を落とす。

 実のところ彼女自身、その気持ちは十分に分かるのだ。

 

 神域の入り口たるこの世界の崩壊と「隠匿の神」の消滅。その可能性を当の神から告げられた時は頭が真っ白になった。

 

 繋がる先にある神が居なくなるのだから当然自分たちは神々の所縁(リレーションズ)を失い、今の学校に在籍している意味もなくなってしまう。大好きな神話に触れる機会が無くなってしまう。

 

 しかし、今となってはそれらは彼女にとって大した事でなかった。

 そんな煩悩の為に、小さくあどけない顔立ちの土神(くにつかみ)の、怯えながらも笑みを浮かべる顔、あんな表情をさせてしまったから。

 彼女は痛む胸を埋めるように両脚を抱き寄せた。 

 

「……曜引さんも私達の神様も無事だと良いのですが」

 

 隣から聞こえたその言葉に、太田は思わず立ち上がる。

 

 

 あの時。

 五花が帰っていった直後。最後の別れになるかも知れないと告げた神に、思わず二人は理由を聞いた。

 

 この世界は現在かの神と、権能を奪った曜引五花の2人によって維持されている場所である事。

 彼女と唯一繋がっている聶獣「尾袋鼬(おぶくろいたち)」の最後の一匹の寿命が近い事。

 その聶獣が死んでしまえば、恐らくこの世界を維持する事が出来なくなり、「隠匿」の力の源泉を持った神が消えてしまうという事。

 

 だから、営野は半ば諦めたような態度の神に思わず言った『どうにかならないのか』と。

 それを受けた神は首を横に振って言った『藁にも縋る物しかない』と。

 その言葉に、太田は『諦めるなよ』と半ば懇願するように言った。

 

 結果、今に至っている。

 

「……オレさ、身勝手だったかも知れない」

「……待ってください。落ち着きましょう。ね?」

「『諦めるな』って無責任な言葉だったよな。言われたら嫌だぜ、オレ。何もしない奴が言ってきたら猶更さ」

 

 こんなの卑怯で、弱虫のやる事だ。そう結論付けたらもう、駆け出すしかない。

 彼の性格上、今の状況は耐えられない物だったから。

 

「待って下さいって!」

「こんな場所に居て、何かの役に立つのかよ!」

 

 苛立ちに腕を振り払い、目指すは自らが修羅場に送った今にも潰れてしまいそうな神の元へ。

 

「やっぱ分かって無いじゃないですか! ちょっと、ああ……もう!」

 

 だから残った営野もたまらなくなって、何が出来るかも分からないのにその場所へ走りだす。

 

 狭い廊下を抜けて。

 居間のような部屋に入り。

 開け放たれた戸を潜って。

 

 そして辿り着いた先では。

 

 先を走っていた彼が立ち尽くしていて。

 その遥か向こうに、遠くからでも見える程の巨大な白い光を放つ存在が2つ。

 

 よく見ないでも分かる。

 戦っているとはとても言えない様相の、一方が攻撃を与え続けているだけの場面。

 

「『隠匿』の土神(くにつかみ)様が……」

 

 白いゴテゴテとした何か不気味な形を成した存在が、もう一方の白い巨大な存在を蹂躙している。

 絞り出そうにも言葉が続かない。それほどの酷い光景であった。

 

 

 

wmwm

mwmwmwmw

mwmwmwmwmwmw

mwmwmwwmwmwmwmwm

 

 

 

 青網引神秘研究所。

 その一室の中にいきなり入ってきた研究員の一人……望月(もちづき)(はるか)を見て一時動作を止めた所長の(わたり)であったが、再び言い損ねた指示を出そうとして。

 

「状態回復しました!」

「回復って、どういう事ぉ!?」

 

 背後から聞こえた職員の一人の声に思わず体の向きと声が裏返る。

 慌てて「祟り」現象の発生した女生徒……曜引五花(ひびきごばな)の方に向かいその顔を見れば、額に発生していた腫瘍が目に見える速度で小さくなっている所であった。

 

「……『破邪』使ったの?」

「あー、使ってません」

 

 問われた白島から派遣され来た「破邪」持ちの半研究職の男がそう言って両手を上げるのを見て、渡は軽い眩暈を覚えたが、ここで気を失っている場合ではない。渡は気合を入れ直し、モニターを凝視している駒井の方を向いた。

 

「脳波は?」

「せ、正常です……」

「じゃあ意識の引き上げを……いや逆に危険か。そのまま経過見てて、何か異常があったら直ぐに言うように」

 

「はい……」

 

 その返答を皮切れに、部屋の中で張りつめていた空気が弛緩する。

 渡自身も、予想外な事態の一応の収束に途轍もない疲労感を覚え壁にもたれ掛かり、そうして先程の言葉を思い出して、入口の近くに手持無沙汰に立っていた望月に声を掛けた。

 

「『神降ろしの儀』って……あの昔話題になったやつだっけ。っていうか望月さん。ここ今立入禁止なんだけど。危ないんだけど?」

「それはすみません。ですけど……非常時だったみたいなので思わず」

 

 そう言って苦笑いする望月を見て、渡は眉間に皺を寄せる。

 もし先程起きた「祟り」現象が収まらず、外に広がったら大惨事である。幾らこの部屋に「破邪」持ちが居たとしても、追いきれない可能性だって十分にある。

 

 よって今すぐにでも怒鳴って部屋から追い出したい気持ちがあった。

 あったが、今さらまた扉を開いて追い出すのは逆に危険だと思い直す。

 

「見たことあるの? あの『服毒自殺』」

「はい」

 

 何でもないように答えた望月を見て、渡は眉を顰めた。

 

 神降ろしの儀。

 百年余りも昔、黄島の遺跡から発掘された物に書かれていた馬鹿げた方法で、その名の通り、神を現世に降ろそうとする儀式。

 

 手順は理解不能な祝詞や手順を省けばシンプルな物で、

 適合者自身が、自分に対応する聶獣が備えている腫瘍。それを切り取って生のまま食べるだけ。

 

 腫瘍には摂取すると人体を死に至らしめる猛毒がある。

 それを食べた適合者の命を以って供物とし、然る後その適合者の身体に神が宿るという。

 

 当時、この方法が書かれた遺物を発見してしまったのは近くに住んでいた庶民だったらしく、彼は自分の家族を実験台にしてそれを実行し死亡させた。

 事態が明るみになる前に国は箝口令を敷いたが、この野蛮な儀式はどこから漏れたのか今になっても噂話として残ってしまっている為、数年に一度その手の事故、或いは事件が起きている。

 

 だけど、と渡はマスク越しに顎を掻く。

 

「さっきのどこかにあの儀式に似た所あった?」

「白く発光した所です。赤は祟り現象そのものですけど、どうもあれやった時は暫く身体中が白く光るみたいですよ、だけど……通常は最後に絶命しますので、今回のとは違ったみたいですね」

「ふーん……」

 

 噂程度であったが、その現象は所長である渡も聞いたことがあった。

 「なんだか神秘的な感じで死ぬ」そんなアホみたいな言葉を。

 

 「白」色は他の色の神力と違い、その意味合いがハッキリと違う。

 適合者が使うような借り物じゃない、「神自身が自分の力を使う時の色」だと言われているのだ。

 

 だからあの遺跡に書かれている手順だって、恐らく尽く間違っていなくて、そうして発光した「なんだか神秘的な感じの雰囲気」を昔の人がそれを見て神が降臨しただの言っていただけなのだろう。

 それを命と引き換えにやるというのだから本当に下らない。

 

 渡は「分かった」という風に右手を挙げて、望月との会話を終わらせた。

 

 今は前代未聞の試みの真っ最中である。

 真面目だと思っていた彼女がこんな事をするとは思わなかったが、恐らく適当な理由を付けて自分もこの場に立ち会いたかったのだろう。渡はそう結論付けてあからさまに大きなため息をつく。

 

「居て良いから終わった後の片付け手伝ってよ。重めなやつ」

「すみません、ありがとうございます」



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「隠匿」ほるだーず ⑤

 「隠匿」が持つ神域の入口。

 その前段にある曜引五花(ひびきごばな)の幻想世界に今、目に見えた異変が起きていた。

 

 沼は干上がり、白い花は枯れ、岩は風化して。

 色が無くなった地を覆う霧が、闇と溶け合って灰色のグラデーションを見せていて。

 

 そんな中で現在、対峙している「白」と「赤」が何度か衝突。

 その度乾いた音が鳴っていた。

 

 ぱん。

 

 何度かそうしてお互いの力で構成された「手」を打ち合った所で、両者が見合う形になる。そして目の前の五花に張り付いている自身の子供達だった半透明の尾袋鼬(おぶくろいたち)が何匹か飛び出し、慌てたように周辺をぐるぐると駆け出した。

 

 思ったよりも遥かに手強い。

 

 隠匿の神は、大きな三日月の口から深く息を吐き、反撃を始めた彼女の動きを決して見逃さぬように触手の中に埋もれた大きな雙眼を細める。直後。

 

『!』

 

 右下から。

 上空から。

 背後から。

 地中から。

 

 様々な方向から襲い掛かってくる赤を自らの触手であしらってやり過ごす。

 そうして何本かの赤い触手が狙いを外し地面を叩いた事で、目の前のどす黒く赤い暗光が目視出来なくなる。

 

 土煙だ。

 世界の寿命を告げるように枯れ果ててしまった浅い沼の底から、二人を隔てるように乾いた粒子が立ち昇って。

 

 それを撫でるようにユラリと動かした白い触手が、煙の中から勢い良く飛び出して来た赤のそれを、1つ残らず受け止める。

 

 瞬間。

 炸裂音が連続して鳴り響き、双方の触れ合った場所が空気ごと消滅する。

 

「こうするしか、無いの!?」

 

 それら真空を埋めるように暴風が駆け抜けて。

 なおも色濃い煙の向こうから、(まわり)を通して何度も聞いた声が聞こえてくる。

 

『無い』

 

 神は短く息を吐くよう簡潔にそれだけ返して、攻勢に出る為に身を前に傾けた。

 前面にある全ての触手を押し出して、とても数えきれない程のそれを一斉に。まるで崖がそのまま迫って来るかのような面の攻撃に、対する五花は縁門(アーチ)から出ている全てを使って身を庇う。

 

 轟音と共に地面が抉れ、空気が滅茶苦茶に千切れて世界が揺れたかのような錯覚を覚える程の衝撃。

 それを受けながらも何とか全ての攻撃を捌き切った彼女は、抉れた地面の中で立っては居たが、肩で息をして明らかに疲弊しているようだった。 

 

 対する「隠匿」も、既に体力の限界が近づいていた。

 現在、無理をして本来の姿を維持している神は、それだけでも少なくない力を消費する。

 

 「隠匿」は大きな歯を食いしばり、相手の出方を窺う。

 それは向こうも同じだったようで、ゆっくりと起き上がった五花は、しかし体勢を低くしたままの回避の構えを取る。

 そんな中、こちらの世界から「ずれるように」存在している半透明の聶獣達が、自分達に危害が及ばないと分かっていても恐怖を感じたらしく、もう既にかなりの数が彼女からの退避を始めていて。

 

 「それ」を見て隠匿の神は手を止めた。

 

 身体が、数多の手がザワつく。

 恐怖を抑えるように地面にそれらを突き立てて、堪えるように睨み付ける。

 

 何故なら。

 自分と同じ白い神力────「化け物」のみが持つことを許された力の源泉。

 しかし何故かそれを目の前の化け物を差し置いて勝手に濫用し、今もなお自分から奪った子供達を苦しめ続けているその存在が。

 

 

 彼女の直ぐ上に「本命」が現れたからだ。

 

 

 

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 隠匿の神は、幼少期の彼女に「縁切り」を何度も試みた。

 しかしそれは成功せず、ただ神の中に得体の知れない恐怖を植え付けた。

 

 自分の子供達であった尾袋鼬を奪い、常に何匹も身に纏わせている異常で冒涜的な存在である。

 だから数週間前に、不本意ながら遭遇してしまった時は自身の終わりを覚悟したが、しかし、直に会って、言葉を交わして、そして。

 嗚呼、もっと早く会っていれば良かったと。

 

 彼女の「背後に居る存在」に気付いた時に、心からそう思った。

 

 

 隠匿の神は今回、曜引五花(ひびきごばな)を殺す気は無かった。

 

 実際に手を握ってみて、確かめてみて。

 今まで彼女から力を奪い返すことが出来なかったのはそもそも「そこに無かった」から上手く行かなかったのだと理解したからで。

 

 同時に、目の前の存在は自分と同じ化け物に違いは無かったが、しかしそれだけだったと。

 彼女は他の縁を持つ者たちと同じく祈りを持ち合わせた1つの人間として生きているのだという事を理解したからだ。

 

 だから。

 「隠匿」は(まわり)の記憶の中の五花を信じる事にした。

 

 彼女を追い詰めて背後の存在を引き摺り下ろし、そこから力を奪い返す。

 「隠匿」の目的は、始めからそこにあった。

 

 かくして、それは半分達成した。

 

 

『く、そ……!』

 

 しかし半分である。

 目の前の「ソレ」は顕現して間もなく彼女と一体になってしまい、赤が消え、白一色の光を纏いだしたその異形はゆらりと動き出した。

 眼の付いた円盤のような物を幾重に重ねたような形容し難い見た目の内から、自身と同じ白い触手を超速で繰り出して来る。それは先程とは一線を画くような鋭い攻撃で。

 

 何十手、何百手の先を見ているのか、彼女の動きの全てに一切の無駄が消え去り、「隠匿」の神をゆっくりと、しかし確実に追い詰めていく。

 当然、消耗していた「隠匿」は碌な抵抗をする事が出来ずに防御に徹して、ただされるがままに転がされる。

 

 叩かれ。

 突かれ。

 飛ばされて。

 撃ち落される。

 

 必死に探る起死回生の一手は、悉くが潰された後で。

 既に、体力は毛程も残っていなかった。

 

 姿が保てなくなり、再び人の形に戻ってしまった「隠匿」は最早これまでと、自身の終わりを受け入れる。

 

 

 そんな時。

 神は何かに抱えられ、その場から「ずれて」消えた。

 

 

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「生きているんですか」

 

 神域の入口。

 営野香織(えいのかおり)は、満身創痍の「隠匿」を抱えて建物の中に避難してきた太田信太(おおたしんた)を見て、どうにかそれだけの言葉を絞り出す。

 

「息はしてる」

 

 淡々とそう告げられた言葉を聞いて、そうして初めて床に寝かされた神の元に駆け寄った彼女は、生傷だらけで横たわる子供の姿を見て、それから何も出来ずに座り込んだ。

 

「すげー戦いだったよな。なんつーか……」

「無茶ですよ、あんなの」

 

 太田の声を塞いで、営野は堰を切ったように口を開く。

 

「曜引さんの後ろに潜んでいる『何か』をどうにかするという話でしたけど、あんなの無理ですよ……! さっき見て分かりました……あれは『戦いに慣れ過ぎて』います。正攻法じゃどうやっても……」

「あいつ、オレの事が見えて無かったんだ」

 

 しかし挟み込まれた彼の台詞に、営野は言葉を途切れさせた。

 

「逃げてる途中にチラっと見てたんだけど、わざと追って来なかったって感じではなかった。だから多分、『隠匿』で隠れたものまでは見通せないんだと思う」

「……そうだとして、それで何が出来るんですか? ただ殴っても、絶対微動だにしませんよ」

 

 震えた声で反論すると、太田は「だよな」と頭を掻いた。

 営野はその平然とした態度を見て絶句した。まさか戦う気なのだろうか、アレと?

 

「死にますよ。ジュッて感じで、蒸発した方がマシな死に方を」

「戦わずに逃げてもやっぱり神は死ぬんだろ」

 

 その疑念はやはり正解だったようで、営野は自分の額に手を当てた。

 しかし、彼の言う通りこのまま隠れていても結果が変わらないのは事実。

 

「だったらオレが戦って勝つさ。……ふっ、元々我が主神を打倒しに来たんだしな」

 

 だとしてもイカれている。

 馬鹿としか言いようがない発言だった。

 彼女がそう思っていると、太田は開いて緑色の光を零れさせていた縁門(アーチ)を見遣って、その場に座り込んだ。

 

「だからさ、なんか良い案ない?」

「今の台詞は何だったんですか……」

 

 営野はその言葉に肩の力が抜け、ガックリと下を向く。

 そうして心に余裕が出来たからか、ようやく思考が回り出す。

 

 

「────あの姿……『目』がいっぱい付いてました」

 

「目?」

「神力が『祟り』に転化する時、それを持っていた人が特定の形を取ることは知っていますよね? そして、自然発生する通常の『祟り』とは違い、それぞれ見た目で分かるパターンがあります」

 

 触れると障る形は『手が沢山生えている物』。

 近寄ると障る形は『球体に近いもの』。

 そして、視られると障る形は『目が沢山付いている物』。

 

「言われてみれば似てるけど、それが?」

「はい。だから人に発生した祟りは、神様の本来の形を模しているんじゃないかと思うんです……それで言いたい事なんですが、その祟りの性質。そのまま神様の方にも適用できるんじゃないか、という話です。現に『隠匿』の力は触れなければ発生しないようでした」

「じゃあ、さっきの奴は神様を『見る』事で何らかの能力を使っていたって事か?」

 

 そう言いながら太田が指を立てると、営野は小さく頷く。

 

 

「名前は分かりませんが、恐らく非常に強力な『予測』のような能力です」




長くなったので2分割します……。
後半は近い内に。


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冴えない結末

 

「『予測』のような能力?」

 

 営野(えいの)の言葉にそう聞き返して来た太田(おおた)の横に伏していた「隠匿の神」がピクリとその言葉に反応する。

 どうやら意識を取り戻したらしい。一先ず大丈夫そうだとホッと息を零す彼女は会話を休止し、神が何か外の方を見ているのに気づいて、その方向に目を遣る。

 そこには丁度、暗い灰の髪の毛を伸ばした一人の少女が顔を覗かせている所であった。

 

曜引(ひびき)?」

 

 隣に居た太田は警戒の色を強めて呼びかけた。

 そう、今この場に居ない筈の曜引五花(ひびきごばな)がそこに居たのだから当然である。

 

 幻想世界の性質のせいなのか、かの円盤を多重に重ね合わせたような姿の怪物は変わらず外に存在しているのがここからでも分かる。では目の前の彼女は何者なのだろうか。

 

 そんな思考をしている内に、曜引の姿をした少女は片手を上げて何やら口を動かしてから少し考えるような素振りを見せて苦笑いしながら部屋に上がって来た。

 いや、普通に入って来るのかと営野は動揺した。

 

「誰です?」

「オレに聞くなよ」

 

 思わず太田に聞くも、当然知らず。必然二人の視線は何やらただならぬ表情をしながら壁にもたれ掛かっている「隠匿の神」の方に注がれた。

 曜引の姿をした少女はそんな三人を不思議そうな表情で見て、机の開いている所に腰掛けた。

 

「行儀悪いですよ、座布団に座ってください」

 

 営野がそれに若干混乱しながら言うと、彼女は素直に机から腰を浮かしキョロキョロと辺りを見回し始めたので、部屋の端に積まれていた座布団を一枚畳床に置いてやると、嬉しそうにそこに座り込んだ。

 そこにやけに不愛想な五花の面影は一切無い。

 

「コイツ絶対曜引じゃないよな?」

「ああ、この子は五花じゃないよ。此方の子供達の一人、五花と繋がりのある聶獣(じょうじゅう)だ。何でこんな姿を取っているのかは……まあ、凡そ察しが付いているが」

 

 太田の言葉に、今まで口を閉ざしていた神がそう言った。

 こんな姿を取っている。という言葉から本来は別の姿をしていると推測した営野は、しかし半信半疑で口を開き。

 

「……ええっと、つまりこの方は尾袋鼬(おぶくろいたち)なんですか? 人間ではなく」

「そうだよ」

 

 あっさりと肯定され、寧ろ情報の整理が追い付かなくなってきた営野は、隣で考える事を止め茶を飲んでいる太田をジトっと睨んでから息を吐き、ここに至るまでやけに静かな少女の方へと目を遣る。

 眠たいのか、しきりに目を擦り欠伸をしてうつらうつらと頭を揺らしているその姿は、「寿命が近い」という話を聞いていなければ寧ろ微笑ましく感じていただろう。しかし今の営野には、それが死の瀬戸際にあるように思えてならなかった。

 

「時間が、無いな」

 

 そう、ポツリと呟いた神の方を向く。

 しかし目の前の子供の姿をした存在は、眠っているように目を閉じていた。営野はそれに一瞬死んでしまったのかとギョッとしたが、僅かに肩が上下している事を確認して安堵して。

 

「今は置いておきましょう。ええっと……そう。『予測』のような力なんです。しかし、それは視られなければ使われる事はない。そう考えても良い筈です」

 

 兎にも角にも、話を詰めなければ始まらない。

 

「ん……じゃあ営野。オレがさっき言ったみたいに『隠匿』で隠れながら近づけば、問題なくそれで不可避の攻撃を与えられるって事だ。それで? 肝心の攻撃は」

「太田さん『隠匿の神通力』には最大どのくらいの効果範囲があると思いますか?」

「効果範囲?」

 

 営野は丁度両手でボールを持つかのような形を取って大田に見せる。

 

「『触った所から10尺ほど』が正解です。それ以上の物は上手く隠す事が出来ず、傍から丁度球体の形に抉れているように見えるそうです」

「お前、自分が『隠匿』持ってるって知らなかったのにやけに詳しいな……。まあ、それなら知ってるぜ。新技とか色々試してるし。さっきの戦いみたいに実際に抉ってる訳じゃなくて、あくまで見た目だけな」

「黄島由来の神様の事なら大抵知ってますよ、こういうの好きですから。まあそんな事は良いんです、先程太田さんが言ったように近づいて、『隠匿の神通力』でずらせば何とかなる……筈です」

 

 そう淡々と言った営野に、太田は一瞬納得しかけたが、額に皺を寄せる。

 

「それだけ?……無理だろ。いや、可能ではあるんだけど、効果が不明じゃん。『ずらし』た所で何が起きるんだよ」

「もしかしたら起きないかもしれません、でもあの姿。太田さん覚えてますか?」

「覚えてるけど」

「目の沢山付いた円盤が連なって、その沢山の隙間から触手があふれ出しているような見た目。その触手が生えている大本には恐らく曜引さんが居ます」

 

「いや、それって大分博打だぞ」

 

 太田が察した営野の作戦は、纏めてみればシンプルな物であった。

 「隠匿」でかの怪物に近づき、そして「隠匿」の「ずらし」で怪物から曜引五花を少しでも引き離す。

 

 幾ら怪物が「視る」事を起点とした能力を有しているとしても、隠した所で効果があるのかは不明。

 そもそも引き離された五花が何か出来るのかも分からない。

 賭けとも言い難い、余りにも勝算の無い作戦。

 

「やるか」

「ちょっと待ってください」

 

 なにを思ったのかやる気になった太田に、営野は手を上げて押し留める。

 実際の所、発案した営野もこんな粗末な作戦では通る筈がないと思っていたのだ。

 

 そもそもまだ未完成。あの怪物をどうにかする材料がこれ以上出て来ないのはそうなのだが、神通力の使えない自身は安全場所で見ているだけ。だから彼女としては少しでも成功率を上げたかった。

 それに自分で喋っている内に考えていても、今の状態では奇跡が起きない限り通らないような馬鹿げた作戦のままだった。

 

「考えましょう。これじゃ余りにも無謀ですから」

 

 営野はそう言うが、時間は迫っている。

 この様子だともう策は出ないだろう。と、太田は机に突っ伏してしまっている灰の髪の少女を見遣り、焦りを覚え、立ち上がる。

 

「おい、もう────」

 

 そんな時だった。

 

 唐突な炸裂音。

 それに伴って部屋の中の空気が暴れ回り、照明が落ちたのか暗くなる。

 太田は直ぐに上を向き、無くなった天井から覗く「数多の目」を認めた。刹那。

 

「走れっ!」

 

 視界一面の白。

 

 壁際。怪物の死角に居た「隠匿の神」は、僅かに回復させていた力を使い覗き込むそれをただ一本の触手で抉り飛ばし、灰髪の少女を引き寄せて適合者の2人に怒鳴りつけた。

 

「おい営野! やるからな!」

 

 太田はその言葉通り駆け出し、しかし営野の居る方向にそう叫ぶと縁門を開き、返事も聞かずに手早く怪物の死角に入ると、走りながら「隠匿の神通力」を使い、自らの位相をずらした。

 

 2歩、3歩。

 そして大きく踏み込んで、半壊した建物の上に一息で駆け上がり。

 

 

 そうして神を追い、白い触手を前方に向けていた怪物の背後に両手を付けた。

 

 

 

 

 

 

 

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mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm

mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm

 

 

 

 

 

 ……なんだろう、この感覚。

 頭は気持ち悪いくらいに冴えている気がするのに、なんか意識が朦朧とする。

 

 というか私、さっきまで神様と戦ってたのだけど。

 白いのが上に見えて、それで……ん? あれって向こうの触手だよね? 私、死んでる? 

 

 そっか……。

 そうか……。

 

 まあ……仕方ない気もする。

 今まで散々「隠匿」の神様に迷惑を掛けてたっぽいし、私が死ぬことで問題が解決するなら……とは思うのだが。

 こう、心構えとかさ……別れの言葉くらい言いたかった。他の人は知らないけど、お父さんも、お母さんも、(まわり)も悲しむかも知れない。先に死ぬつもりは無かったのだけど。

 

 思えばあの世界は結局、神様とかが普通に存在してたんだよね。

 神通力の種類の数だけの神様が。

 

 それだったら私が死んだ後も、皆そのまま平和に暮らして行くんだろう。

 半分以上はビクビクして過ごしていた今生も、今思えばなんとも馬鹿らしい。ビクビクしながら、そう。二回目の生を受けている癖に思春期みたいな事を考えていた。

 

 

 ────そこまで考えた所で、私の思考はブツ切れになる。

 

(あれ……私生きてる?)

 

 と思いながらも覚える違和感。

 どうも何故か私の身体を勝手に動かしている「誰か」が居るようなのだ。

 

 少し不快なので身体に力を込めると、普通に抵抗が出来るらしく動きが止まる。「両手」を使い自分がどうなってるか確かめようと輪郭をコシコシと擦ると、何かがボロボロと取れる感覚がした。

 

 んん? いや違う。これ私の手じゃないぞ。

 えっと……そう、私の手はこれだ。と、認識し直した両手を握って感触を確かめる。そうして初めて私は何か大きなものに覆われている事が分かった。

 そしてどうやら縁門(アーチ)は変わらず開きっぱなしになっていたようなので、相変らず赤々とした触手を使ってやたら分厚い前方の壁を控えめの大きさでずらして消す。

 

 そして薄暗いがようやく外側の光源を手に入れた私は、どうも生物じゃない機械のようなそれの邪魔になりそうな所を消して外に出た。

 

「曜引!」

 

 切羽詰まったような声。

 見ると、太田が土まみれで地面に仰向けになっていた。

 

 どういう事だと思い辺りを見回してみると「神域の入口」はボロボロになっているし、営野さんは泣きそうになっているし、人形態に戻った神様と廻は離れた所でこちらを見ていた。

 構図を見るに、完全になんかこの目の付いた良く分からない奴が暴れ回った跡である。そしてそれに入っていた私は……うーん。

 

「帰るか」

「オイっ!」

 

 地平線の見える方に歩き出した私に太田は勢いよくツッコミを入れた。

 現実だと意識不明の太田である。営野さんも無事そうでよかったなぁ。あー、これだって、絶対私が何かしたやつじゃん……。

 

「どういう状況なの? 私操られてたから被害者なんだけど」

「最初に言う事がそれかよ……あー……なんか曜引の中に何か変なのが居て、そいつが悪さをしたらしい?」

「えらくフワッとした説明ね……ん? 私の中に?」

「いや、中? 背後? 確かそんな感じ……っていうかもう知らねーよ。神に聞けよ」

 

 仰向けに寝たまま説明を投げ出した太田。

 釈然としないが、とりあえず泣いている営野さんの方に行くかと足を進めた所で周囲になにやら沢山の気配が現れた。

 

 尾袋鼬だ。

 何匹居るのだろう。観察してみると、どうもわらわらと動かなくなった眼付きの機械から出て来ているらしい。

 

 それが私の周りを取り囲んでいた。

 

 私が奪った覚えのない尾袋鼬達。必然「誰が」彼等に指示を出していたのかは何となく分かった。だから、私が今言うべき「最適解」はこれだろう。

 

此方(こちら)に付きなさい」

 

 そう言うと、群れは分かりやすく動いた。

 頭を頻りに動かして、周囲をキョロキョロと見ているのが半分くらい。残りは私の足元にてくてくと歩いて来て、どこかに消えた。

 消えたのは多分「私の支配下」になった。なんだか分からないけれど、分かる。

 

 どういう事だろう、何だか頭が冴えわたってて凄い。

 だから急に襲い掛かって来た沢山目の付いた機械も、余裕を以って対処することが出来た。

 

 ただの鉄くずのようにそこに佇んでいたのがいきなり私を潰そうと襲い掛かってきたのだ。「ずらして」も生きているような気がしたので、縁門(アーチ)から出した全ての触手を合わせて、細かくずらして木端微塵にする。

 

 そうして粉のようになった機械は地面に降り積もって灰のようになり。

 後にはもう何も残っておらず、同時に私の気持ちの悪い冴えも無くなった感じがした。

 

 この後、どうすれば良いのか。

 その「最適解」だけを頭に残して。

 

 

 

mm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうして?』

 

『どうして?』

 

『どうして?』

『どうして?』

『どうして?』

 

『どうして?』『こわい』『こわい』『どうして?』『こわい』『ゆるさない』『ゆるさない』『こわい』『こわい』『どうして?』『こわい』『どうして?』『ゆるさない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうして私はこんな所に居るんだろう。

 

 小さい頃、大抵は1人で居る時、漠然とそう思っていたのを覚えている。

 第二の人生……だなんて割り切る事も出来なくて、ただ前世に残して行った仲間達(後悔)を思い出しては、胸が苦しくなったから。

 

 せめて自分に出来る事をと色々と頑張ったつもりではあったけど、どれもこの心残りを埋める術にはならず苦しくて、自分がここに居る意味を見付けられないまま中学生にまでなってしまって居た時。

 

『おかえり五花』

 

 帰宅した私を、聞きなれない不思議な声が迎えた。

 玄関に居たのは家を出入りしている(まわり)だけで、後から出て来た母親の話を聞いて、それで漸く目の前のこの獣が喋っているのだと理解した。

 理解したけれど、意味は分からなかった。あの身体のどこから声が出ているのかも不明だし、本人に聞いても自分でも分からないようだった。また訳の分からないファンタジー要素が増えたと頭を抱えたくなったけど、もう産まれて十年以上も経っている頃であったので、私は開き直る事にした。

 

 今まで一緒に過ごしていた思い出の話をした。結構雑に対応していたのですこし気まずくなった。

 私が学校でのなんでもない出来事を話した。何故か廻が知っている話があって、聞くと度々忍び込んでいるようだった。

 廻が入り浸っている麓のお祖母ちゃんの家での話を聞いた。やっぱりお祖母ちゃんはかなり廻を可愛がっているようだった。

 ラジオやテレビの話をした。廻は昼ドラをよく観ているようだった。あと、私と父親がニュースや政治討論ばかり観るのを廻は不満に思っていた。

 そうやって寝る直前まで夢中で会話し、私達は布団の中でいつの間にか眠ってしまっていた。

 

 ああ、私って今までずっと寂しがっていたんだな。

 

 そう、眠る間際に初めて分かって。

 目が覚めた後、どこまでも利己的な祈りをしていた自分に苦笑いしながら、寝ている廻の頭をゆっくりと撫でた。

 

 (まわり)尾袋鼬(おぶくろいたち)だ。

 私が成人してくれるまで生きていてくれるかも怪しい、そういう種だった。

 

 例え私が「神憑き」だから懐いてくれているのだと、そうだとしても、少なくとも私の方はもう廻は大事な家族の一員で、大事な存在だった。

 だから「その日」が来るのがたまらなく怖くなっていたのだけど、いざその終わりを告げられた時「そうなのか」と、それだけしか言葉が出なかった自分を意外に思って、ショックだった。それが前世で何度も覚えた感情と同じだという事に気が付いたからだ。

 

 身近な死に慣れてはいけない。その気持ちは間違っている。

 「命の価値は、重くなくちゃいけない」。

 

 平和な世界で、値段が付けられないくらいに、尊く、かけがえのない物じゃなければいけない。

 だから私は彼女を最後まで惜しみながら看取らなくてはならない。

 

 

 そう、思っていたのに。

 

(まわり)

 

 声を掛けると、目の前の私の姿をした廻はゆっくりと目を開き、目だけでこちらの方を向いた。

 

「私は、貴方が幸せに生きて、それで最期には、穏やかに眠って欲しいと思ってた。……だけど、だけどさ。ふざけた事に、どうにかなる手段が見つかったみたいで、分からなくなったの。ねえ、その姿」

 

 言いながら、傍に居た「隠匿の神」の方を見て、そうして開いた両の手を見つめる。

 私が本来持っていたらしい「神力の源泉」。その残滓である白い円盤のような形をした光がぽつぽつと現われ、同時に出した小さな、しかし一際強い輝きを放つ「白い線」で一つに纏める。

 

 やり方はさっきの気持ちの悪い「冴え」が教えてくれた。

 

「何時からかは分からないけれど、貴方には元々私の一部が入っていたみたい。そのせいで言葉も話せるし、「隠匿」が使えるくらいに神様からの繋がりも強固な物だったんだと思う。だから廻。私と似た魂をしている貴方にだけ、これを渡すことが出来る。……「隠匿」の権能、そして私の少しの寿命」

「!」

 

 そこまで言ったら廻は目を見開いて、僅かに身体を後ろに反らせた。

 

 何か変な事を言っただろうか。

 そう考えていると、後ろから背中をパチンと叩かれた。「隠匿」の神様である。

 

「言葉が足りないよ五花。……気にするな、それを其方が受け取ったとてこの化け物の本来の寿命など、毛程も減らないからな」

「あのぉ、いい加減化け物って言い方やめてくれません?」

 

 一応、苦言を呈するが、聞くつもりは無いとばかりに顎で続きを促してくる神。

 クソ……まぁとはいえ、神様もこれからする事を認めてくれるらしい。

 

「こんなの、命を冒涜している。価値を貶めている。『運命を捻じ曲げている』。だからこれは私の我儘。だけどもし、もし貴方がもう少しだけ生きても良いと思ってくれるのなら……いや、違う」

 

 ここまで言って思い出した。私は神憑きで、廻は聶獣である事実。

 無条件で懐いてくれているのだろう存在に対し、「お願い」という体にするのは、余りにも卑怯だと、そう思った。

 

 

「つまり、こう言いたいの。『私の為に、受け取っ────あ!?」

 

 だけど。

 

 言い切る前に私の手元から白い光を取り上げた廻は。

 流れるようにそれを口の中に放り込んでしまって。

 

 少しばかり、その場に沈黙が流れた。

 

 私は廻の後ろに居た営野さんと顔を見合わせて、それからもう一度廻の方に視線を移す。

 

「……ははは、いい食べっぷりだよ」

「なんというか私、凄い場面に立ち会ってませんか?」

「今更だなーッ!」

「最後まで言わせてよ……」

 

 「隠匿」の神様は笑っているようだった。

 相変わらず現実逃避気味に営野さんが呟いて、太田が仰向けに倒れたままヤケクソ気味に叫んでいる。

 

 歯応えでもあるのか何故か咀嚼している廻の顔から目線を外し、周りをふと見遣ると、半分くらい苦笑いだけど、皆一応笑っていた。

 

 どうにも締まらない終わり方である。

 だけど「最適解」を選ばなくて良かったな、と。そんな事を思いながら。

 

 幻想世界がカチャカチャとパズルのように創り替わっていくのを私達はただ、眺めているのだった。

 

 

 




近い内に(2週間経過)


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深緋の伝承島 ①

 梅雨が明け、朝日に干された温い空気が木々を揺らし始める季節。

 聞き覚えのある虫の鳴き声に男が一人、手で日差しを避けながら青々とした山の並ぶ景色を眺めながら目を細める。

 

「おー、良い天気だな……」

 

 五島の一つ、赤曜引島(あかひびきじま)

 その西方の山奥に位置する酒見村の「種踏(くさふみ)神社」。

 

 その小規模な神社を管理している宮司の曜引(ひびき)有人(ゆうと)は、溜まっていた雑務の合間を縫い、気晴らしにと建物に傷んだところは無いか一人敷地を回っていた。

 

 娘の五花が学校で何かあったようで、妻の三鶴が青島に向かっていったのが一昨日。

 

 その報せを聞いた時、何も手に着かず生きた心地がしなかった有人であったが、昨日掛かって来た妻からの電話によると大事無かったようで、大変安堵した。

 とりあえず三鶴だけ向こうで一泊してから帰って来るという話を聞いたので、彼は久々の一人の時間を密かに楽しもうとしていたが、しかし別の心配事が出て来てしまい、結局今に至るまでぼんやりとしていた。

 

 そんな時、我が家に住んでいる聶獣様────尾袋鼬(おぶくろいたち)(まわり)が地面の蟻の行列を眺めているのを発見する。

 

「……廻、具合は良いの?」

「有人? 全然元気じゃけど?」

 

 その何でもないような言葉を聞き、有人は自分の腰に手をやってから、地面を見ている(まわり)の傍にしゃがみ込む。

 心配事とは、この聶獣の事であった。

 

「本当か? この間から何でもない所でこけたりしてるのを何度も見掛けたし、昨日は夜にふらっと何処かに行っちまうし」

「少し風邪を引いていただけじゃし、もう治ったぞ」

「治ったってオイ、病み上がりなら余計にウチで大人しくしてろよ。……母さんの所に行ってたのか?」

「そんなとこじゃな」

 

 ふむ、母さんの所に行った訳ではないのか。

 有人は廻のはぐらかしに暫し考え込んだが、無理に追及する事ではないか。と判断し立ち上がる。

 

「まあ、あんまり三鶴を心配させるなよ。その内ケージに閉じ込められるぞ」

「ケージ……! まさかまた買ったのか!?」

「いや、まだ買ってないようだけど」

 

 有人がそう言うと、跳ね上がった廻はホッと息をついて、ぐでっと地面に伸びた。まあ、ケージは嫌だよな。と彼は一昨年の惨事を思い出して乾いた笑いを出していると、廻は寝そべったままゆっくりと空を見上げ鼻を鳴らしていた。

 

「廻?」

「いや……そろそろ夏じゃなぁって」

「ああ、満曜(まんよう)の季節だ。そろそろ人も増えて来るぞ」

「お空がキラキラしてるの、ワシ眩しくて嫌じゃ」

「ほんの数日なんだ、我慢しとけ。あと……去年も言ったが、観光客には気を付けろよ。この間みたいな騒ぎになったら面倒だ」

「分かっとる」

 

 一昨年の夏。

 酒見村では、呪いの叫びを発する怨霊が出たと大騒ぎになった事がある。

 発端は、夜の散歩に外に出ていた観光客が鼻歌を歌っている廻と遭遇してしまった事から始まり、興味本位で問題の場所に訪れた学生達もその声に何度も遭遇。結果、近くにある湖───酒見湖で大昔に無理心中した一家の子供「酒見河良(さかみかわら)の怨霊」として、爆発的に話題が広がってしまったのだ。

 

 幸い客足に影響は無く、去年も祭りの季節に沢山の観光客が来ていたが、この騒動は今でもネットの片隅でオカルトなサイトに残されてしまっている。

 

「全く、人の鼻歌を亡者の叫びとは失礼な奴等じゃ」

 

「まあな。窮屈な思いをさせて悪いが頼んだ……それより廻、背中に蟻んこがいっぱい乗って来てるぞ」

「じゃーっ!? 有人取って! 取って!」

 

 その元気な反応に有人は杞憂だったかとくつくつと笑っていたが、グルグルと回り出した廻から登っていた蟻が撒かれ、それどころではなくなったのだった。

 

 

 

 

m m m

mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm

m

 

 

 

「おはよう曜引さん……大丈夫?」

「うん……大丈夫。おはよう小野さん」

 

 顔を上げる活力も沸いて来ず、机に突っ伏したままの私は、隣の席に着いたらしい小野さんの挨拶に返事をする。

 

 幻想世界の騒動が終わった後、……つまり、昨日の昼間。

 目覚めた私は、何故か傍に座って居た母親に抱きしめられ、その後夜まで延々と付き纏われていて、一夜明けた今でも心身ともに疲れていたのだ。

 嬉しいし有り難い、そしてあんなに心配を掛けてしまって申し訳無いとは思っているのだが、心配性もあそこまで来ると疲れる。昼休みに会ったはる子は笑顔で「自業自得だよ」と言って助けてくれないし、正直勘弁して欲しかった。

 

 そんな中、中々帰ってくれない母親に何時まで居るのかと聞いてみると、どうやら高須名で宿を取っていたらしく、結果終電間際まで色々と世話を焼かれたのだった。だけど、それも仕方ない事なのかもしれない。

 

 どうにも、あれから2日も経過していたらしいのだ。

 

 世界が壊れかけていたのが原因かも知れない。

 実際私が最初に1、2回あそこに入っていた時は時間はそれ程経過していなかったし、単純に時間の流れが違うとかでは辻褄が合わないのだ。時空が捻じれてなんかこう……こうなったのだろう、うん。多分。

 

 そして言いつけを守らず「神域の入口」に入ったのかと静かに怒っていた駒井さんに慌てて詳しい状況を説明すると、目の色が変わった彼女によって本格的な聞き取りが始まってしまい小一時間掛かってしまった。

 

 ……ともかく、確かに向こうに居た2人に「現実で寝たきりになっているよ」と伝えたら驚いていたからまさかとは思っていたけれど、自分も少しとはいえ寝たきり状態になるとは思わなかった。

 

 

 しかも「隠匿の神」に詳しく話を聞く前に目覚めてしまったから結局アレが何なのかもよく分からず仕舞いで、踏んだり蹴ったりである。

 ともかく、当面は何とかあの世界は大丈夫になったらしいので、また会う時に聞こうと思う。

 

「曜引さん? 聞いてる?」

「うん……?何?」

 

 そうして、考え事をしながら伏せっていると、隣から小野さんに呼ばれたので何事かと顔を上げる。

 そして席の近くにいつの間にか、陽子(ようこ)────小野さんと同じく青島出身の安納陽子と、悠里(ゆうり)が居て、何かを話しているようだった。

 

「おう五花」

「おはー。五花研究所で酷い目にあったんでしょ? 急に教室来なくなってビックリしたよ」

「まだ体調悪いの? 大丈夫?」

 

 時計をチラリと見ると、HRまでまだ時間があるようだった。

 

「あー、大丈夫。ごめん聞いてなかった、何の話?」

「ええっとね。私達、満曜大祭(まんようたいさい)行こうかなって思って! それで、曜引さん赤島に住んでるんでしょ? 一緒に行きたいんだけど……どうかな?」

 

 満曜大祭。

 小野さん言ったその単語を聞いて、目を擦った私はキラキラした表情でこちらを見てくる彼女に「行きたい」と即答しようと思って口を開いたが、よく考えなくても私は手伝いで運営側の方に居るだろう。

 

「……私の実家、酒見(さかみ)なんだよね」

「酒見ってどこ?」

「開催地やん……あっ、手伝いとかで忙しいって事か?」

「えっと、そうなの?」

「うん。お祭りの手伝いとか、当日ちょっとね。だから少し抜けるくらいなら出来るんだけど……因みに何日目のに来るの?」

「3日目」

「3日目だねー」

「3日目だよ!」

 

 3日目か……小一時間くらいなら抜けられる、筈。

 私が思案していると、小野さんは残念そうな顔を切り替えて、両手をぱんと合わせた

 

「そっか……じゃあ絶対行くから! その時は一緒に遊びに行こうね!」

「うん、ありがと。来たら電話してね」

 

 そう答えた所で、授業開始のチャイムと共に余目先生が入室して来た。

 この人毎回ギリギリに教室入って来るよな……。



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深緋の伝承島 ②

 

「また『嚙まれた』って?」

 

 高須名、青網引南警察署。

 節約の為と、クーラーの運用が先延ばしとなっている温い部屋の中、何処かから掛かって来ていた受話器を持ったまま、こちらの方を向いた自身の後輩に、小茂呂(こもろ)は手に持っていた紙に付箋を付けながら問いかける。

 

「はい。ですけど……今回は少し違うようで」

「あん?」

 

 その言葉に小茂呂は作業を中断し、怪訝そうに後輩の持っている受話器を受け取り耳に当て。

 

「はい、小茂呂です」

『お疲れ様です。例によってまた「噛まれ」が出たんですけど……まあ、とにかく直ぐ現場に来てくれませんか? すこーし物騒な事になって来たんですよ』

「それは直ぐ行くが、物騒?」

 

 その歯切れの悪い言葉に眉を寄せ、続きを促す。しかし続けて飛び出してきた情報に、小茂呂は驚愕することになった。

 

『簡単に言うと、全身噛まれての失血死になってます』

「そりゃあ……妙だな。本当にいつものやつか? 祟りの『先触れ』じゃないだろうな……場所は?」

鴨凪(かもなぎ)の南町です。コンビニが一件だけあるでしょ? そこの裏で……状況的にどうやら強盗を計画していたようですね。黒のボストンバックに、拳銃が入ってました。あと、そこから見ても今回は異質ですね。なにせ「犯行前に噛まれている」ので。勿論今回はいつものやつとは違う可能性も────』

「いやいい、直ぐ行く。続きはそっちで聞くから……おい、行くぞ」

『はい』

 

 小茂呂は短い返事が返って来た受話器を下ろし、既に準備を終えている後輩の姿を確認して足早に部屋を出た。

 

 何かが動き出した。と、彼は予感する。

 いつもの痛みだけではない。「失血死」になるまで噛まれたという事は確実に噛み跡もある訳で、間違いなくこの何年にも渡り続いていた「噛まれ」も進展があるだろう。

 

 何せ歯形が分かるのだ。こんな不可解な現象を起こすのは間違いなく神力が関わっていて、必然下手人は聶獣だ。それが種まで分かってしまえば、もしかしたらそれらと何かしら関係のある「適合者」も炙り出せるかもしれない。

 

 とうとう尻尾を出したな。と彼は漸く見つけた犯人の影を決して見逃さないように気合を入れ直した。

 

 

 

w w

m m

 

 

 

 

 青特の演習場。そのD室。

 本日は特別課外授業があるらしく、この前のチーム分けの通り僕たちは並んでその場所に集まっていた。

 

「それでは、先程言ったように今回はとうとう実践的な事を行います。皆さんは私の指示に従って、決して勝手な事をしないように。お願いしますよ?」

 

 梧桐(ごとう)先生の真剣な言葉に、訓練場の中が静かになる。

 これから僕達は「神力の変質」についての訓練を行うことになっていて、これは特殊業高等学校に通う生徒が卒業までに最低限身に付けなければならない技能である。

 

 年々増えていく神々の所縁(リレーションズ)を持つ人間の増加。

これからの時代、それらの犯罪が適合者の人口に比例して増加した時、少しでも自衛を出来る人間を養成するのが近年の目標なのだというこの学校。

 

 その為に必要な1つが神力の「変質」だ。

 

 分かりやすく言えば神通力。

 「神通力」は自身の縁門(アーチ)から受け取った神力を「変質」させて行使する超能力である。

 

 しかし、制御力と言い換えてもいい適性値が少ない適合者でも「神通力」こそ使えなくても「神力の変質」自体はコツを掴めば誰でも出来るようになる。

 要は、縁門(アーチ)から受け取った自身と縁のある力だけではない。外部から届いた神力をも制御下に置き「中和」させる事が目的の技能なのである。

 

 最も最初から集中していないと強烈な「祟り」なんかは防げないが、これが出来るのと出来ないのとであれば、死亡率が全然違うらしい。特殊業学校からしか行けない多くの就職先では、不安要素のある神力を扱う事から、前提として自衛出来る事が求められるのだ。

 

「皆さん縁門(アーチ)を開いて下さい。これは怪我の防止です。絶対に、閉めることの無いように」

 

 先生の言葉に、生徒が各自縁門(アーチ)を開いていく。

 ふと曜引の方を見れば、相変わらず真っ赤な色の神力を出していて、その事について周囲と少し何か話しているようだった。

 

「沙村」

「ああ」

 

 その声の方を振り向き応じて、右から回って来た箱を受け取って中から一つ取り出し、左に回す。

 取り出したのは大きな木のスプーンのような棒の形をした「縁匙(レードル)」という昔からある実験道具である。研究所でも見ないし、こうして実際に見るのは初めてである。

 

「まずは『変質』の前段階。その縁匙に自分の神力を溜める事を目指します。腕に縁門を付ける天神(あまつかみ)に所縁のある方以外は最初、難しいかもしれませんが……今言ったコツと配った手順を意識して、慎重に試してみてください。分からない事があれば他のお友達や、勿論私に遠慮なく聞いて下さい。それと使用中、匙を逆さにするのだけは止めてくださいね。絶対ですよ? それでは始めてください」

 

 ……しまった。コツを聞きそびれた。

 しかしまだ慌てる段階ではない。先生の言葉に、生徒は皆各々匙や説明書きと睨めっこを始めているので僕もとりあえずとそれを見る。

 

「ねぇ」

「ん……うぉっ」

 

 最初の数行を読んだ段階で、声を掛けられた方を見ると曜引がそこに居た。向こうから声を掛けてくるのが相当珍しいので、思わず声が出てしまった。

 

「うぉって何? 失礼ね」

「いや君にだけは言われたくないが……なんだ?」

「沙村ってさ、『サカサビト』って聞いたこと無い?」

 

 サカサビト。

 

「逆さの……人と書いて逆さ人か?」

「いや、書き方は知らないけどさ。前にえっと……知り合いがそう呼ばれてて? 気になったんだよね」

 

 あからさまにはぐらかしてそう言った曜引の台詞は置いておいて、考える。

 

「正直聞いたことが無い単語だな。ただ……昔から『逆さま』っていうのは死後の世界……正直、信憑性もないからこの手の話はあまりしたくないんだが、現世から鏡写しのように存在する幽世(かくりよ)の事を指している事が多い」

「死後の世界って事?」

「そうだ。だから逆さ人っていうのはシンプルに『死者』って事だと僕は思うがな。罵倒か何かじゃないか?」

「罵倒……罵倒かぁ……そうか『死者』ね。なるほど、ありがとう」

 

 そう言って曜引は釈然としない顔で元居た場所に戻って行った。

 ……態度からして絶対本人が言われた言葉であるが、えらい回りくどい罵倒もあったものである。いや、本当に罵倒なのかは定かではないが。

 

 気を取り直して説明の通り匙を持ち、縁門から神力を持っていこうとする。

 

「……?」

 

 するが……うんともすんとも言わない。これは難しいぞと何度も試すも無理そうなので、既に成功している生徒の方に行ってコツを聞くことにしたが、それでも分からずに、他の数人の分からない組の生徒と共に演習場内をウロウロする羽目になった。

 

 そうして僕は、授業終了ギリギリで漸く匙に自分の「緑色」を溜める事に成功するのだった。

 

 

 

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m m m m m m

 

 

 

 

 7月に差し掛かった青特の寮内。

 まだまだ夏序盤の癖に、熱帯夜のように気温が高く、しかも窓を開けても無風で湿度も高い。なんとも寝苦しい夜。

 

 私は照明の落ちた部屋のベッドの上で、この不快な感覚に耐えながら何度か寝返りを打ち、最後には仰向けになってうすぼんやりとした天井を眺め「あ゛ー」と呟く。

 

 とにかく何が言いたいかというと暑いのだ。

 

「ねぇねぇ、はる子風起こしてくれない?」

「校則違反で~す」

 

 向こうの方から返事が返ってくる。やはりはる子も寝付けていないようだ。

 

「中学の頃から隠れて使いまくってるくせに」

「はる子、そんな事してないよ~。……扇風機借りに行く?」

 

 その言葉に、私は思わず上体を起こした。

 

「あれ、もう借りれるの?」

「さぁ? けどこんなに暑いんだから、持って行っても何も言われないと思うなぁ」

「確かにそうかも……。よし、借りに行こう」

 

 正直、このまま寝たら干からびてしまいそうである。そんな提案を聞いてしまった以上、借りず我慢するという選択肢は最早ない。

 なので私達は深夜にこっそりと部屋を出て、別棟にある備品倉庫に向かうことにした。

 

 階段をこそこそ降りて、通路を少し歩き、食堂を通過して内装が古くなった区画に出てすぐ右手の扉に入る。

 

 そこには既に何人か先客が居た。

 

 こんな茹で上がるような夜である。同じ考えに至っている人もやはり多いのだろう。そんな事を思いながらその集団に近づくと、中に居た生徒が一人、こちらに気づいて声を掛けてきた。三年生の先輩で、我らが女子寮の監督生の網浜(あみはま)さんである。

 

「やぁやぁ少女たち。扇風機取りに来たの?」

「はーい」

「寝れなくて……借りられますか?」

「勿論。ちょっとこの暑さは異常だね……だから今、3年で集まって各部屋に扇風機を配ろうかと画策している所なんだけど……ごめん、少し手伝ってもらって良いかな? 食堂で冷たい麦茶も出すよ」

「やります」

「凄い前のめりだねごばちゃん」

 

 だって冷たい麦茶なのだ。

 駄目だ、喉が渇いていたのを今の今まで忘れていたのに今そんな事を言われたらたまらない。

 

「良い返事だね。じゃあこれから私達は上の階から配っていくから、君たちは下の階からお願いね……よーし、お前ら! やるぞ!」

 

 そうして網浜さんの一言で小さく掛け声を上げた3年生たちが各々扇風機を持って上の階に上がっていったのを横目に、私達も階下の近い部屋から扇風機を置いていく。

 そうして冷たい麦茶を飲んで上機嫌で部屋に戻った私達であったが、直ぐに寝入ったはる子とは対照的に私だけ目が冴えて暫く寝付けなかったのだった。 




今年最後の更新になります。
本年はありがとうございました。見てくださっている皆様のお陰様でここまで進めることが出来ました。

来年もよろしくお願いいたします。


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深緋の伝承島 ③

本年もよろしくお願いいたします。


 

 赤曜引島(あかひびきじま)

 

 五島の中でも西方に位置するこの島は、緑島程の観光地でもなく、黄島のように所縁石が多く採れる訳でもなく。

 また青島程一次産業が発達している訳でもなく、特筆するべき所といえば土地の多くが緑で囲まれているくらいの、他の4島の平均をとったような、有体に言えば特色の少ない土地であった。

 

 びゅうびゅう、と。

 深夜、夏の海上を滑る激しい風を煩わしそうに目を細めた木田(きだ)各理(かくり)は、この島の最も大きい港町────乙海岩都(おとみいわと)町の灯りを遠くに認め、呑気に酒盛りをやっている船室に声を掛ける。

 

「炉旗さん、そろそろ着きますよ」

 

 そう言い終わり、ドアから出て来た嫌に酒臭い空気に吐き気を催したが、顔には出さずに居ると、その中でも一層ベロベロに酔っぱらった様子の炉旗(ろばた)虎雄(とらお)が何かを彼に放る。

 

 受け止めた手を広げると、そこには炉旗組のシンボルである虎をモチーフにした腕飾り。

 

「……各理、それはやる」

「あっと……ありがとうございます」

 

 それは貴重な組員の一員である証であった。

 ヤクザとして働いていることに抵抗があった木田にとっては正直微妙な物であったが。それでもこれを渡して来た意味の大きさを受け止め恐縮した。

 

 そうして立ちすくんでいると、炉旗に顎で指示された組員の一人が何か名刺を木田に押し付け、彼の背中を叩いて出て行った。

 見るとそこには何の変哲もない一般企業の名前。

 

「それと……そこは小せえ会社で悪いが知り合いのトコだ。話は通してあるし『あそこ』には繋がってない。俺達は一眠りして酔いを醒ましたらオジキの所に行くが……用が済んだら青島に帰る。お前は好きにしろ」

「!」

 

 

 青島・釜伊里での巨人騒動。

 

 洞見(どうけん)の神通力を持つ木田は、一部始終が終わった時。自分の今後の身の振り方を考えていた。

 

 取引していた組織に裏切られ、下手すれば命すら危うい立場になっていた木田は、後盾を欲していて。

 そんな時、「洞見」で例の裏切り者の護衛をしていた集団に目を付けた。

 

 その場で雇っていたような浮浪者とは違う、縁門(アーチ)や銃器を装備している間違いなく日陰者の集団。この連中に恩を売ってひとまずの隠れ蓑にしようと考えたのである。

 

 そして幸運な事に、この集団────「炉旗組(ろばたぐみ)」はかなり律儀な連中であった。

 

 警察の捜索が始まる前に意識の無い状態で散らばっている彼ら全員を起こし、見つからないように逃がすというのは「洞見」持ちの彼にとっては不可能な事ではなく、そうしてやっとの思いで成し遂げた木田は、かくして彼らの信頼を勝ち取ったのである。

 

 しかし彼は元々ヤクザをやる気が無かった。

 狙われていることを恐れ、今の今まで仕方なく炉旗組の中で働いていたのだ。幸いな事に彼等にとって「洞見」持ちの木田は非常に有用な人材であったが、それが逆に抜けたいと言い出せない原因となっていた。

 なので内心もうここでずっと生きていく覚悟でいたのだが。

 

「良いんですか……?」

「確かにお前はつくづく失うには惜しい人材だ。だがな、お前……堅気に戻りたいんだろ? それなら借りは返さなきゃならねぇ。これは今日までよく働いてくれたお前への礼だ」

「炉旗さん……!」

 

 そうして船室内は俄かに騒々しくなる。

 木田の船出を組員は囃し立て、それぞれ激励を口にしたり、組長である炉旗を称える。

 

「てめぇ木田! アニキの面に泥塗ったらただじゃおかねぇからな!」

「達者でやれよ!」

「くそっ……焼き鳥クンがしょっぱいぜ……アニキはやっぱり最高だ!」

「アニキ!」

「アニキ!」

「オォ! 俺こそが『業火の虎』炉旗 虎雄だァ!!」

「炉旗さん……お世話になりましたァ!!」

 

 感極まった木田はその場で涙を流し、それは深々と腰を折ったのだった。

 

 

 

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 乙海岩都町(おとみいわとまち)

 

 赤島の中でも一二を争う大きさであり、青島で言う高須名(たかすな)のような、島の玄関とも言える港町である。

 

 他の島から初めて赤島に来る人間は、大抵この港町を目にして最初に、建物を縫うように配置され異常に密集した看板広告の多さに驚くことになる。

 赤島と言えばここ、というほどに印象深いこの「看板の町」には、赤島の様々な機関が集まっており、また緑島ほどではないが多くのレジャー施設が揃っている。

 

 そんな町にある乙海港水族館という場所で私、曜引五花(ひびきごばな)は入口のイベント告知を凝視して固まっていた。

 だってしょうがない、先ずはこちらを見て欲しい。

 

 

『背袋鯆の子供! エルドルフィンの「クーちゃん」本日限定公開!』

 

 魅力的なデザインで描かれたポップな見出しに、愛くるしい生き物の写真が前面に押し出され、正に目が眩みそうなこの素晴らしいポスターを。

 

「うぁ、あ あ あ」

 

 思わず意味の無い呻き声が口から洩れる。

 前々から赤ちゃんが産まれた事はニュースで知っていたし、公開された動画も何度も見て頬を綻ばせていたのも記憶に新しい。

 

 まさか、本当に実物が見られるなんて。

 

 夏休みの入る直前の土日。

 急遽水族館のホームページに掲載されたこのイベント告知を見た私は研究所の「機能確認」で得た泡銭を手に、朝から定期船に乗ってここまでやって来たのだった。

 

 誰か誘おうとも思ったが、今はテスト前最後の連休。

 それなので結局一人で来てしまった訳なのだけど、私は一切後悔していない。行く以外の選択肢などなかったのだから。むふ。

 

 変な声が出てしまったせいで近くの人にチラリと見られてしまったが、最早そんな事どうでもいい。クーちゃんの頑張る姿を目に焼き付ける事で私の頭はいっぱいだ。

 入ったら先ずは応援用にグッズの購入、いや、正午のイベント席の確保を先にした方が良いだろうか? そんな事を考え、思わず整理券を握る手に力が入る。

 

「なんだ? あれ」

 

 そんな声が後ろから聞こえたのは、そんな時だった。

 我に返った私は、周囲の人達が一様に上を向いているのを見て、それに倣い空を見上げる。

 

 そこは沢山の野鳥が一斉に南方に飛んでいく場面であった。

 渡り鳥の類ではなさそうな、色々な鳥。

 

 祟りの「先触れ」だろうか。

 ざわめきの中、何事かとそれを眺めている私の足元に何かが当たって、見るとリスのような動物がぶつかって来たらしい。鳥だけではなく他の生き物も一斉に森から出て来て大移動を始めていた。

 

「誰か来て」

 

 そう静かに呟くと、赤島の尾袋鼬が一匹私の足元で停止し、何の用かと見上げて来た。

 

「なにか森であったの?」

 

 続けて質問すると、イタチは首を傾げてそのまま走り去って行ってしまった。

 ……うーん、彼等にも分からないという事なのだろうか。

 

 まるで何か天災が迫っているかのように、島中の生き物が逃げ出しているような異常事態。

 嫌な予感を覚えた私は、水族館から出て来た飼育員らしき人が受付の人やスーツ姿の人と何か話しているのを凝視する。

 

 間もなくスーツ姿の人は難しそうな顔で頷くと、開館を待つ私達に向かって拡声器を構えた。

 

「申し訳ありません! 今日のイベントは生き物達の体調が悪い為中止にさせて頂きます!」

 

 予想通りの言葉が飛んできて、私は眩暈がした。

 土日の二日間限定公開であるクーちゃんのショー。なんとその半分が失われてしまったのだ。

 

 控えめに言って最悪である。

 

 ……だけど中止は今日だけ。

 そう、今日は土曜日。まだ日曜日がある訳で、それならばまだ傷は浅い。

 

 私はとりあえず、今日は近くの祖母の家に泊めて貰おうと懐から携帯を取り出したのだった。

 

 

 

 

m

 

 

 

 

「という訳で、泊めて欲しいの……」

「よかよか、泊まって行きなさい」

 

 乙海岩都町の南端。

 小さい裏山の麓に建っている祖母の家の玄関で私がそう言うと、お祖母ちゃん────曜引笠音(ひびきかさね)はそう返し部屋の奥に消えて行った。

 

 お茶を淹れに行ったのだろう。

 私は小さくお礼を言って靴を脱ぎ、洗面所で手を洗った後に居間に行って、湯呑をテーブルに置いている祖母に水族館内の土産コーナーで買って来たプリントクッキーを手渡した。

 

「青島のじゃなくて悪いんだけど」

「いやいや十分じゃ。お茶請けにするかい……しかしイルカのショーねぇ、ハナちゃんが昔からイルカが好きだったのは知ってるけど……まあ変わらないのは良い事じゃねぇ」

「ただのイルカショーじゃないのよ? イルカが親子で出て来るの。凄くない?」

 

 祖母がそう言っていやはやと箱のパッケージを眺めているのに補足をして、急須で二人分の湯呑にお茶を注いでいた私は、ふと部屋の片隅に置いてあった動物用のベッドに目を留める。

 

(まわり)は最近来てるの?」

「来とるよ。ちょうど昨日おやつを食べて昼寝していったわ。まだまだ元気いっぱいじゃで、安心したわ」

 

 入れ違いだったか。

 と、私は湯呑に口を付ける。

 

 幻想世界のあの一件以来、電話越しに話すくらいで、私はまだ廻の様子を見れずにいた。

 妙な力を押し付けてしまった訳で、なにか良くない異常があれば「ずらして」取り除くか四葉さんに相談したいのだが……本人……人? 本鼬は平気だとしか言わないものだから心配になる。

 

 それでも周辺の人から変な話が出て来ない以上、表面上は健康そのものなのだろう。

 

 夏休みになったら出来る限り相手をしてやろう。

 そう思ってクッキーを齧った私は、ここで祖母が考え込んでいるのに気が付いた。

 

「どうしたの?」

「いや……どうも怖くてねぇ。動物たちが一斉に逃げていたんじゃろ? 青島でもあんな事があったし、この島にも何か恐ろしい事が起きそうで……」

「考え過ぎよ。それに、あんなのただ何か山が光ってただけじゃん」

 

 そう言うと祖母はキョトンとして、それからくつくつと笑い出した。

 

「最近の子はなんだか頼もしいのぉ、それもそうじゃね。どれ、明日のイルカショーっておばあも一緒に行って良いか?」

「もちろんいいよ。ただ、並ぶだろうからすこーし早めに行って待つ必要があるから、それで良ければ……」

 

 水族館は一人で行くのも楽しいが、他の人と一緒に行くのも楽しい物だ。

 そうして私は年甲斐も無くはしゃいで当日のスケジュールを祖母に説明しながら、そのまま夕食まで2人お喋りしてしまったのだった。



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深緋の伝承島 ④

 青網引島(あおあびきじま)

 「青い巨人」騒動の調査も落ち着き、出向して来た職員のその大部分が減って、漸く普段の様子を見せ始めて来た青島神秘研究所。

 

 その建物には現在、2人の警察官が所長である(わたり)と対面になるように座っていて。

 

「えー、それで捜査協力ですか。今回はどのような?」

「忙しい所申し訳ない。とにかく、この動物について学者先生の見解をお聞きしたいんだ」

 

 そうして向かいでそう喋った小茂呂(こもろ)が、テーブルの上にある写真を広げた。

 監視カメラだろうか。不鮮明な映像の切り出しのような画像を、渡は「どれ」と一枚摘み取って朧げになっている動物の姿を検める。

 

 体毛は灰色、中型犬くらいの大きさ。

 尾は丸く小さくて、代わりに手足が不釣り合いなほど大きく広がっていて、白い。

 

灰毛熊(はいげぐま)でしょうね。どこの映像?」

鴨凪(かもなぎ)だ」

「それじゃ、青島に生息しているそれとも合致しているし、まず間違いないですね」

 

 渡はそこまで言って、望月に持って来てもらったコーヒーを一口飲んだ。

 

 警察────特に特殊災害を担当している目の前の彼等は研究所の持つデータベースの大部分を共有している。

 こうしてわざわざ聞きに来たという事は、残りの共有されていない部分である「検証中の情報」か「非常に重要な機密」が目当てだという事。

 職業柄、小茂呂とはそれなりに付き合いの長い彼であるが、これは下手な事を言えないぞと緊張による口の中の渇きを潤した所で、再び小茂呂が口を開いた。

 

「灰毛熊といえば『厄除(やくよけ)』『豊穣(ほうじょう)』『焦爛(しょうらん)』……そして『隠匿(いんとく)』と繋がった事もある神無木石灰(かむなぎせっかい)の聶獣だ」

 

 その分かりやすい台詞に、渡は「隠匿」……最近更にとんでもない事が判明した「ある学生」の件が目的なのかと若干げんなりとした。

 彼女の場合は尾袋鼬(おぶくろいたち)別羽山珊瑚(べつわやまさんご)なのだが、そんな事は百も承知だろう。

 

「本人とはもう何回か喋ったんでしょう?」

「……今回俺が聞きたいのは『先生の見解』だ。色々調べているんでしょう?」

 

 そう言って小茂呂は懐から透明な袋に入った黒い塊を取り出す。

 

 渡は目を見開いた。

 今現在、白島の研究所が総動員を上げて調べている「青い神力」の発する金属。彼が持っているのは正にそれであったからだ。

 

「今、五島の特殊災害や、それに係る犯罪数が異常に少ない原因。知ってるよな?」

「『噛まれ』ですよね」

「ああ。そして、その原因がこの熊じゃないかって話になっている」

 

 小茂呂は渡に今回死亡が確認された人間のついて、続けて簡単に説明をする。

 

 鴨凪のコンビニエンスストアの横で、全身を噛まれ失血死していた事。

 その遺体の歯形と、コンビニの防犯カメラに何匹かの灰毛熊らしき影が確認された事。

 そして状況的に、被害者は向かいにある銀行を狙った強盗を働こうとしていた事。

 

「その仏さんが持っていたのがこれだ」

 

 その話を聞いた渡は、いよいよ大きくなって来た話に神妙な表情を作る。

 

「ええ、まあこれくらいなら話しても良いでしょう……それは『所縁石(ゆかりいし)』です。我々もまだ確認していなかったね。新種なので検証は終わっていませんが」

 

「この石っころに聶獣を興奮させる性質は?」

「まだ分かりません。まぁ確かに聶獣に対応する所縁石を近づけると様子がおかしくなる現象はありますが、今回は「神無木石灰(かむなぎせっかい)」の「灰毛熊」。この石が特定の条件で「青い神力」を放つような異常な物質だといえ、その事件に関係しているとはまだ言えない」

 

 所縁石「遺存不銹鋼(いぞんふしゅうこう)」。

 それが今回、新たに所縁石として登録された物質の名称である。

 

「いつ頃分かりそうなんだ?」

「白島の人に聞いて貰わないと何とも……ただ、聶獣を介した実験を行わないとどうにもならないらしく、その申請さえ通ってしまえば早いと思いますよ」

「その結果は聞ける話なんだよな? ……それじゃ、それはまた聞きに来ますっと。それじゃこれが本題なんだが……おい」

「はい」

 

 今のが本題じゃなかったのか。

 と、渡は内心苦笑いを浮かべ、小茂呂の後輩が鞄から取り出したクリアファイルを見た。

 

 そこには何枚かの紙に、思わず渡の微笑が凍り付くような一枚のイラスト。

 

「これ、『巨人』騒ぎの時に山に取り残されていたホームレス何人かの話を聞き取って書いた似顔絵。それとこの文字だけの方が当時の状況で……」

「────これ本人には?」

「まだだが、あんまり女子高生に付き纏ってもよくねえだろ。どうなんだ? 知らねぇならそれこそ本人の所に行くしかねぇが」

「……はい、お答えしますよ。ただ、少し本人に電話してきても良いですか?」

「あー、分かった」

 

 渡は聞いていた。聞いてしまっていた。

 

 つい先週のことである。

 何度目かになる「機能確認」の最中、件の女生徒が測定中に縁門(アーチ)を少ししか開けていない事に気づき、ちゃんと全開にしてくれないと困ると、そう言ってしまったのだ。

 結果、異常な神力の出力が部屋に満ちてしまい、視界が真っ赤になった後彼は放心しながら黙っていると、何を思ったのか焦った彼女の方から自白を始めたのだ。

 

 「幻想世界」の件含め、胃に悪いという次元ではない。

 

 幸いにも、縁歴会(えんれきかい)の生徒が帰った後で聞いたことであったのでこれは渡しか知らない事であったが、データベースに嘘はつけない。

 「隠匿(仮)」含めいつ情報を明かすべきかの考えを、先延ばしにした翌週すぐにこれである。

 

 しかし別に警察に話したところで公になる訳でもないし、小茂呂という警官の人柄を知っていた渡は観念して全てを話すことにしたのだった。

 

 それでようやく満足したらしく、いよいよ彼等が帰るとなった去り際。

 小茂呂は去り際に「そうだ」と呟いて、渡の方を振り向いた。

 

「妙な目撃情報があってな」

「はぁ」

 

「地元の住民の話だが、現場周辺を妙な集団がウロウロしていたらしい。気になったから調べてみたんだが、付近にコレと同じ黒い石みたいなものが落ちていた。ご丁寧に紐でアクセサリーのようにしてな」

 

 それがこれ。と、突き出された黒いキーホルダーのようなものを渡は受け取ると、あからさまに大きなため息をついた。

 どう考えても彼等にとっての今日の本題はこれである。

 

「また厄介ごとですね。とりあえずこれは調べておきますけど……」

 

 なんとも、まあ。

 渡はそう言わんばかりに受け取った危険物を服の中に仕舞った。

 

 つまり、この「青い神力」を生み出す「所縁石」を何かの目的で実用化……もしくはそうしようと目指している集団が居るという事だ。

 

「分かったらまた取りに来る。最近青島は突拍子も無い事が連続して起きているが……先生も気を付けろよ。色々とな」

 

 そして物騒な事を言い残した小茂呂が去り、静かになったエントランスで渡は呟く。

 

「何から手を付ければいいのやら」

 

「所長? どうしたんですか」

「ああ、望月さん。今後の事を考えてたんだよ」

「……なんか穏やかな話じゃないですね? さっき警察の方々が出て行ったみたいですけど……」

 

 そう言って何かに思い至ったような望月を見た渡は、慌てて手を振った。

 

「いや違う。そういう意味じゃない」

「そうですか、所長上の階で呼ばれてましたよ。急ぎみたいですので捕まる前に行ってあげてください」

「ああそう……すぐ行くから……いやホントに何もしてないよ? 変な事言いふらさないでね?」

「冗談です。早く行ってあげてください」

「はい……」

 

 

 

 

mmmmmmmmmmmmmmm

 

 

 

 

 真昼間。

 窓から差し込む光が絞られて、赤い反射光が充満する冷たい部屋の中。

 自分の荒い息遣いだけが聞こえる。

 

 俺は今、赤島から白島を経由する「青網引島」行きの定期船に乗っている。

 しかしただの定期船ではない。一日に2、3回しか渡航しない上等席付きの定期船である。

 

 そして、ここには赤島のさる地方議員が搭乗しているのだ。

 

 俺はコイツに人生を壊された。

 ギャンブル依存症対策だのなんだの宣ったコイツのせいで岩戸乙海(いわとおとみ)町での規制が厳しくなり、慌てて他の島や店に段々と拠点を移そうとしていたが、グレーゾーンに片足突っ込んでいた俺の経営していた遊戯店は全て見せしめに選ばれて、即座に摘発されて潰れてしまったのだ。

 

 刑期を終え、世間に復帰した俺の手元に残ったのは何一つ残されていなかった。

 ただ勝たせる客を選んで少し工作していただけだと言うのに、この仕打ち。

 

 

 そうしてこの世を恨みながら路上を歩いていた時に、俺は運命と出会った。

 

『神通力に興味はありませんか?』

 

 神通力。

 神様とやらに選ばれ適性を得た人間の更に上位だけが使えるという、トンデモな超能力の事だ。

 

 俺は首を縦に振った。

 力が欲しかったからだ、俺を嵌めたあのクズ議員と、それがまかり通る腐った世界を暴力で変えられるような。

 

 そうして言われるがまま行った青島のある町で、縁門(アーチ)と適性を得る事が出来る「黒い石」を得た。

 

焦爛(しょうらん)の神通力」。

 

 俺が得た神通力の名前である。

 しかし、「焦爛」はただ触った物を熱して焦がすだけの物なのだが、俺のそれは違った。

 

 何故か生物を蒸発させる程の超高温を出力する事が出来たのだ。

 おまけに気体を介する事で、威力こそ低い物だが触れずに相手にその力を押し付ける事すら出来るらしい。

 

 初めて神力を得て、その神通力を使ってみて、癖になりそうな全能感が俺を襲った。今なら何でも出来る気がした。

 それは力を与えた代わりにと、俺達を指図する大男すら一瞬で殺せそうな程であったが、同じ事を思った他の奴がそれで無惨に殺されたので、大人しく従う事にした。

 

 そうして貰った初めての指示が、今この船に乗るあのクズ議員の抹殺である。

 

 正直感激した。

 奴等「組織」が何を考えているのかは知らないが、俺の願いを汲んでくれたというのは分かったからだ。手始めにこの仕事を終わらせ、今後もこの「組織」の元で働いても良いと思えるくらいには、俺の心は動いていた。

 

 作戦は単純。

 まず、定期船の近くに「組織」の船が肉薄する。

 原因不明の民間船だ。そうして騒ぎになったどさくさで俺は議員を殺し、その船に乗り移る。

 

 そうしてその時が来るまで待っていた俺だったが、約束の時間が来てもまだ外は静かなままである。

 

 ……まあそれでも良い、先に殺してしまおう。

 そう思った俺は、腕時計を最後に確認してから両手で顔をパチンと叩き、人の寄り付かない機械室をコッソリと出る。

 立入禁止の柵を超え、人気のない通路を早足で進んでいると、目の前に誰かが居るのに気が付いた。

 

 灰髪の少女だ。

 中学生か、高校生かは分からないが、不気味に佇んで、感情の読めない瞳が此方を映している。それはまるで鏡のようで。

 

「……なんだお前」

「いや……」

 

 そう言って何か言いたげな少女を見た直後。

 俺は何か異様な存在が口を開けて、こちらを飲み込もうとしている、そんな得体の知れない恐怖を感じ、反射的に姿勢を落とした俺は勇気を振り絞って腹の縁門(アーチ)を開ける。

 

「あ、縁門(アーチ)

 

 そうすると少女は軽く驚いたようにここで初めて表情を変えた。

 小馬鹿にしているような、そんな口調で。

 

「ァアアアアアああああ!!」

 

 両手を前に突き出す。

 

 力を使うと毎回覚える全能感は即座に消えた。

 全身が怒りと恐怖で満ち溢れる。

 

 出力の上限いっぱいに出した神力を「焦爛の神通力」に変換。

 制御の事など度外視の、自滅覚悟で放出した渾身の放熱。

 

 紛れもない全力に、通路の壁や天井が熱で黒に、赤に染め上がる。

 

 

 そうして目の前の「ナニカ」に駆けだした次の瞬間、俺の視界は真っ白になった。

 

 

 

 

m

 

 

 

 

「えぇ……」

 

 そう漏らした声は、船内で空しく反響し私の耳に返って来る。なんなの、とか。意味が分からない、とか。そんな言葉がすぐ出る余裕すらない。

 多分大抵の人が私と同じ場面に遭遇したらこうなるだろう。

 

 赤島の水族館を堪能した私は祖母と別れ、そのまま青特に帰るための定期船に乗っていたのだが、まさかテロリスト? が居るとは思わなかった。

 予想外過ぎる。やっぱりこの世界、全く安心できないじゃん。

 

「それにしても何だったの今の……壁溶けてるし……」

 

 恐らく高温を発する神通力。

 あんなヤバそうな能力、正直種類は分からないけど一歩間違えれば船の動力炉が壊れて大惨事である。

 

 夏場の定期船の中は冷房が効きづらく、過ごしにくいのでちょっと最下層に涼みに来ただけなのに。

 何故か暴漢に襲われるし、むしろ暑い目に遭ってしまった。

 

「とりあえず引戻して……縁門(アーチ)回収して……?」

 

 そこまで呟いた所で、違和感に気付く。

 私、縁門(アーチ)付けてたっけ?

 

 上着の下から手を入れて身体を(まさぐ)ってみても何も無し。

 そう、私は反射的に迎撃で「隠匿」を使った訳なのだが、縁門(アーチ)無しで何故使えたのかが分からないのだ。

 

 そうして悩んでいると、戻した男の裸体の横に、何か黒いキーホルダーが落ちている事に気が付いた。

 

 これ……なんか持ってると不思議な感じがする。

 でもなんだっけなこれ。

 

「────あっ、大釜山の時の」

 

 そうだ。

 地下大回廊の奥にあった黒い物。あれと同じ感覚がする。

 

 あの時は量が多かったせいなのか、立っていられなくなる程ふら付いて倒れてしまった訳だけど、この位の量であれば少しぼうっとする程度で済むらしい。

 

 となると、そう。

 あの時、色々不思議な体験をしたのは例の変な縁門(アーチ)が原因かと思っていたけど、そうではなくこれが近くにあるのが原因だったようだ。

 

 ともかく、こうしてずっと持っているのもあんまり良くない気がするので、さっさと確かめる事を確かめてしまう事にした。

 

 先ずは、こうしてキーホルダーを持ったまま念じる。

 ……うん。神力がお腹から出て来る。

 

 次に、キーホルダーを床に置いて少し離れてから念じる。

 ……おお、出て来ない。

 

 結論。

 この石は縁門無しで神通力が使えるようになる物質でした!

 という事になるわけだけど。

 

 ……いやいやいや、なんか常識がぶっ壊れそう。

 

 私は首を左右にブンブンと振って持っているキーホルダーを眠っている暴漢に投げつけた後、船の職員の方に不審者が寝ていると報告すべく、上の階に登って。

 そうして諸々が終わり物凄く疲れたせいか、座っていたらいつの間にか寝てしまっていた。

 

 尚、その後やっと起きたのは青島の高須名に到着した時であった。

 明日は期末テストだから早めに帰ったのに、もう勉強する気力ないよ……。

 




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深緋の伝承島 ⑤

 室内を見渡す。

 蛍光灯の白い明かりに包まれた作業室の壁は、キチンと整頓されているが、しかしぎっしりと何かのファイルや本が詰まった背の高い棚にその殆どが覆われていて、唯一の窓すら、その隙から三分の一程顔を覗かせ開かずとなっている。

 

 テスト期間の真っただ中。私は放課後にまたもや神秘研究所に呼ばれていた。

 その中の一室。駒井(こまい)さんの最近もっぱら籠っているという作業部屋。私はそこに座らされ、彼女の持って来た物を見る。

 

「これ、何ですか?」

「え? えへへ……実はですね、とうとう解析出来たんです! 脳波から読み取った夢の内容!」

 

 私の言葉に、やけにテンションの高い駒井(こまい)さんは、四角い機械を弄りながらモニターに私がこの間「幻想世界」に居た時のものだというぼやけた白黒の画像を表示させ、内容の説明を始めた。視覚野での活動がどうとか、脳活動パターンがどうとか、最近のブレイクスルーのお陰とかなんとか……。うん。

 

 意味が良く分からないので映像の方を注視することにした。

 すると次に切り替わった画像に、見覚えのある岩や荒地が写っている。

 

「……凄いですねこれ」

「そう思いますよねっ!?」

 

 うわ、ビックリした。

 

 身を乗り出して満面の笑みを浮かべる駒井(こまい)さんに、こんな人だったっけ? と思いつつも映像と記憶が合致しているか聞かれたので、とりあえず首肯する。

 

「えへ、えへへ。いっそがしくなって来たぞ~!」

「あの……今日の用事、これだけですか……?」

 

 そうして立ち上がり、部屋の中をくるくると歩きながら今後の展望に思いを馳せている駒井さんに、私は恐る恐る問いかけると「ああ……」と露骨にテンションの下がった彼女は再び機械を操作し始めた。

 落差が激しすぎて怖いよ……。

 

「えっと……実験中、曜引さんの身体に異変が起こった事はどこまで知ってます?」

「祟りに似た反応が出たんですよね?」

「そうです。それじゃあ話は早いかな……あれが発生した時について教えて貰えますか」

 

 そう言って彼女が表示した画像は、大きなウネウネとしたシルエット……恐らく「隠匿の神」が映った画像であった。

 

「しばらく大きくブレたりぼやけた物が多かったんですけど、画像の直後、数日に掛けて真っ黒な画像ばかりなんですよ」

「あー……私、多分その時気絶してますね」

「……気絶……ですか、意識が無かったと」

 

 駒井さんが頷きながらメモを走らせるのを横目に、私はどうした物かと考える。

 

 実のところ、私は彼女に対し今回の騒動について簡潔に言えば「『隠匿』の神域が崩壊しかけていて、最終的に神様が何とかしてくれたから残りの二人と共に戻って来れた」という程度の事しか説明していない。

 

 「権能」だとか、神様が言っていた台詞とか。その辺りの自分でも分かっていない物は省いているのだ。

 営野さん達とは向こうで口裏合わせしておいたし、それが露見する事も無いだろうと思っていたのだが……正直こんな技術があるとは思わなかった。

 

「確認しますね? 曜引さんは『幻想世界』に入った後、推定『隠匿の神』と再会。その後、隠匿の神々の所縁(リレーションズ)で構成されていた世界に異常が発生している事を彼……彼としましょう。彼から告げられる。意識を失っていたのはその後で間違いないですよね? ……そうですか。えっと、その後に元凶らしき物を神が撃退。最終的にその元凶から取り返した力を以って、事態は解決したと」

 

 改めて聞くと本当に意味の分からない経緯である。しかし、多少省いたりもしたが、最後の「神が撃退した」以外の所は概ね事実。

 もやもやと微妙な気分になっていると、駒井さんは再び画像を何枚か差し替える。

 

「それでは、暗転中に度々出て来るこの人物には覚えはありませんか?」

 

 そう言われ、目の前に表示されたのは何か人の形をした影であった。

 

 長い間映っていたらしく、何枚も何枚も順番に切り替わっていく。そうして一枚、ついに顔がハッキリと映っている画像にまで行きついた。

 後ろ髪が腰にまで伸びているストレート。目元の垂れた20台の年若い裸の成人女性……だろうか。正直全く見覚えが無い。

 白黒なので分からないが恐らく黒髪で、直立してこちらを無表情でただ見ているような画像。

 

「全然ありません……誰ですかね? これ」

「……そうですか。そもそも意識が途絶えているということは。視覚情報としての記録が残って居る筈が無いので、曜引さんが向こうで見ていた夢か何かの物なのかもしれませんね。『幻想世界』というある種の夢の中に滞在しながら、また更に夢を見るなんてとても興味深い事ですが……それでしたら説明がつきます」

 

 駒井さんの見解を聞き、もう一度モニターを見てみる。

 

 ……ゾッとする。

 完全にホラーである。しかも、パニック系とかではなくじんわりと恐怖を煽って来るやつだ。

 

 そのまま手前に歩いて来て画面の中から出て来そうだなと思い私が身震いしていると、駒井さんは眠たげな目を擦りながら画面の電源を落としてしまった。

 

「もし何か、この人物について分かったらまた教えて貰って良いですか? 私じゃなくても誰でも良いです」

「分かりました……」

 

 と答えてみたが本当に心当たりが無い。

 こうして私は呼び出しに応えた事を後悔しながら寮に戻るのだった。

 

 

 

mmm

 

 

 

「はる子は怒っています」

 

 げんなりとしながらやっとの思いで部屋に戻ると、はる子が何か面倒臭い事を言い始めた。

 

「なんで?」

「それはごばちゃんが考えて下さい」

 

 彼女がこう言う時は、かなりくだらない理由だったりする。

 ある種のじゃれつきである。しかし謎のホラー体験をした直後の私としては結構ありがたいタイミングであった。

 

「んー、今日の数学のテストが上手く解けなかった」

「違うよ」

「じゃあ、所縁学」

「……テスト関係は禁止とします」

「えぇ、じゃあヒント頂戴」

「ノーヒントで~す」

 

 ……ヒント無しで解ける訳無いじゃん。

 と、会話を終わらせても良かったが、あえてクイズを続行させる。

 

「テスト中机がガタついて集中できなかった」

「テスト禁止だって~……けど、それちょっとあったかも」

 

 あったんかい。

 そして何故か正解扱いにしてしまおうか悩みだしたはる子を横目に、机に置いたカレンダーをふと見る。

 

「テストもあと一日ね」

「……これが終わったら夏休みだね~。ごばちゃんは直ぐ帰っちゃうんだよね?」

「うん。今年ははる子は大会で青島残るんだっけ?」

「そうだよ~、……あっカナちゃんも出るよ」

 

 一瞬誰だと思ったが代大要(タイヨウ)の事である。

 

「えっ、ホント?」

「本当だよ~。もしかしたら秋には部活入りかもね?」

 

 マジか。

 青島って割とパドのレベル高いと思っていたんだけど……エントリーする事になっても来年だろうと思っていた。だって一年生が大会に出られるのって相当上手くならないと無理な筈だ。

 

 高校からの乗用機走(パドリング)は団体戦が無い。

 単純に縁動機械としての乗用機(パドル)を扱う人口が少ないから……という訳でもなく、寧ろ中学よりも競技人口は微増している。

 そもそも中学から乗用機(パドル)を乗ろうという生徒が少ないからだ。

 

 では何故団体戦が無いのかというと、単純に所縁学の専門学校が少なかったのが理由らしい。

 全国大会の前哨戦である島内の大会は、青特生と、そうでない創立してそれ程経っていない私立や島立の専門に居る生徒。そして専門でない外部から来た少しの高校生のみである。

 

 よって青特の中で大会に出られる実力があるのなら、上級生に交じって島内大会を通過し、全国大会に出るのは全然無い話ではないのだ。

 

 ……約束だからその時は勿論守って入部するけど、なんか私、この分じゃ置いて行かれそうな気がするなぁ。

 大口叩いた手前不甲斐ない実力晒すのも嫌だし、実家帰ったら隙間時間に練習でもしておくべきかもしれない。

 そんな事を考えていると、不意に懐に入れていた携帯が鳴り出した。

 

「もしもし?」

『もしもーし。あ、五花? 四葉です』



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成就

 ごうごうと。

 船の機関が動く音だけが聞こえる客室内に到着を知らせるアナウンスが流れた。

 

 ジトッとした室内でうつらうつらとしていた私はそれで目を覚まし、眠気覚ましに入口を開け海原駆ける潮風とは反対に顔を向けると、丁度遠目に乙海岩戸(おとみいわと)の街並みが見えるようになった所であった。

 通り過ぎる船からも見える為なのだろう。特大の看板が大量に並び、その隙間を縫うように大小様々な形状の看板が詰まっているのがここからでも見える。

 

 これが赤曜引島(あかひびきじま)の玄関である。

 先週水族館に行ったのもあり、それ程感慨深くも感じない。だけど、やっぱりこの眺めが一番「帰って来た」という感じがするのだ。

 そんな全体的にカラフルな街並みから目を外して、船が徐々に減速するのに合わせて下船口に行き、係員に切符を見せて、すたっと降りると、磯の香りが鼻元を掠める。

 

 夏休みが始まった。

 

 学校での生活も一旦終了。

 私達学生はこの一ヶ月ほどの長い休みをどう過ごすかと考えるにも、まだ十分間に合う最初の一日である。

 

 朝のピークが過ぎた午前中だからなのか、乙海港は人が思ったよりもまばらで新鮮な気分になる。

 そう思いながら着替えを詰めた大き目の荷物をカウンターの上に乗せ、6番ゲートをくぐったら、もうそこは乙海岩戸の街中。私は携帯にメモしておいた四葉さんとの待ち合わせ場所を再度確認する。

 

『深海Cafe沈没船』

 

 船に乗って来た相手にこの店名はどうなんだと思いながら、恐らく喫茶店であろうそこに向かうため、差し当たって私は肩に掛けた荷物を預ける為に最寄りの駅に向かうのだった。

 

 

 

 m

 

 

 

「久しぶりね五花。何飲む?」

 

 店名を意識したのか全体的に薄暗く青い灯りが満ちた店内で、やっと見つけた四葉さんは私にメニューを差し出して来た。

 

「一カ月ぶりくらいですかね、えっと……ブレンドコーヒーで」

「一カ月半。ケーキセットで良いよね? ここの『黒いモンブラン』気になってるんだ」

 

 なるほど、今回はこれ目当てで店を指定したらしい。

 私は「じゃあそれでお願いします」と答え、持っていた荷物を足元のボックスに入れていると、四葉さんは通りかかった店員に声を掛けていた。

 

「ちょっと頭貸して?」

 

 注文が終わった四葉さんがそう言うので、疑問に思いながらも少し頭を前に倒すと、彼女は両手で私の左右のこめかみに手を当てる。

 

「……はい、良いよ」

「四葉さん、縁門(アーチ)付けてるんですか?」

「さて、どうでしょう」

 

 その言葉にテーブルの下を見る。

 ワイドパンツというのだったか、四葉さんが今日履いているのはやけにだぼったいズボンであったので、これは付けているなと思わず苦笑いしてしまった。中学時代のはる子みたいな事をやっている。

 確かに免許のある四葉さんは縁門自体は持ち歩いていても大丈夫なのだが、身に付けて行使しているとなれば話が変わってくる。

 

「捕まらないで下さいね?」

「ごめん、今日忙しくって……お昼には緑島に戻らないといけないの。トイレでやるのも嫌でしょ?」

「それはそうですけど……」

 

 うん、トイレは嫌だ。そして、そもそも私の為にやってくれている事を理解しているので余り文句も言えない。どうも四葉さんは今日、例の「幻想世界」での件を母から聞いて私の様子を見に来てくれているのだ。

 

 そうして先程までの和やかな雰囲気から一転。

 四葉さんは真剣な顔になって何か考え始めた。

 

「四葉さん?」

「五花、最近その……釜伊里での後。自分自身を『ずらし』た事は何回ある?」

 

 自分自身を「ずらした」事。

 頭の中で反芻し、振り返ってみる。

 

 基本的に「特別課外授業」では神通力を使わない。

 二年から選択授業になる「神通力の使い方」まで進んではいないし、あの騒動でもなんだかんだそういう事はしなかった。

 そこまで考えて、研究所での「機能確認」で沢山使った事を思い出す。

 

「神秘研究所のバイトで結構使いました。回数はあんまり覚えて無いですけど」

「正直に言うと、ちょっと酷かったよ。まだ五花が子供の頃は沢山使っても問題無い感じだったんだけど……何万回とか使ってたとかじゃないよね?」

「そんなにですか? ……100回も行って無いと思います。多分」

 

 「ちょっと酷い」か。

 正直大釜山のあの件の時の方が神通力を酷使していたような気がするが、どういう事なのだろう。

 四葉さんもそう思って居るらしく、丁度テーブルに置かれた飲み物に口を付けつつも、視線は何もないテーブルの角に固定されていた。

 

「やっぱり行ってもそのくらいだよね? ……うーん。アルバイトもやるなとは言わないけど……いい? 何かおかしいな、と感じたらすぐに使うのを止める事」

 

 自分自身に使い過ぎると曖昧になって戻って来れなくなってしまう。

 イメージしづらい状態ではあるが、私は度々彼女にそう言われてきた。四葉さんが言うならそうなのだろう。私は神妙に頷いた。

 

「多分五花は、もう自分の『隠匿』が普通じゃないと気付いてるよね?」

 

 頷いた所で、気になる事を問いかけられた。

 確かに私が聞きたかったことである。

 

「知ってたんですか?」

「黙ってたのはごめんなさい。そうね、多分そうなんじゃないかな、と思ってたの」

 

 そう言って四葉さんは続ける。

 私の使う「隠匿(仮)」は、ただ「ずらす振れ幅が非常に長いだけ」なんじゃないかと。

 それは概ね休み前に「機能確認」の際に聞いた所長の見解と一致していた。私としても、「隠匿の神」が全く同じ能力を使っていたのを見ているので腑に落ちる所であった。

 これは間違いなく「隠匿の神通力」であると。

 

 そういえば、と。幻想世界の一件の事を思い返す。

 

「『神力の源泉』」

「源泉?」

「言われたんです。私の使っている神通力は、『神力の源泉』から直接引き出しているって。効果が大きいのもそれが原因……なんですかね」

 

 両親と同じくその方面に詳しい四葉さんである。誰に言われたのかとは言わず、そう伝えると。

 四葉さんは携帯を取り出して私に画像を見せて来た。そこには見慣れた草踏(くさふみ)神社の祭壇があり、彼女は奥に書いてある文字の所を拡大した。

 

「これ、お義兄さん……五花のお父さんの居る神社の……ああそう、ここ『かなえと』って書いてあるでしょ? 祝詞でも結構出ると思うんだけど」

 

 中学で習った単語なので、私も知っていた。

 確か、全ての神々の更に上に位置する原初の神「成就(じょうじゅ)」。その神通力の別称であった筈だ。

 

「良く分からないけど、『神力の源泉』って事は叶通(かなえと)の事かもね。神話だから定かな話じゃないけど……」

 

 実際の所、神々の所縁(リレーションズ)によって存在がなんとなく担保されているそれら神と違い、「成就(じょうじゅ)の神」の存在はそれ程信じられていない。

 言うなれば、私の前世における神くらいの扱いであった。まあ、国によって違いがあるだろうから正確には「前世の日本」では、という所だけども。……正直私としては、普通に存在していると思ってる。寧ろこれだけあり得ないファンタジー的現象で溢れかえっているのに、逆に居なかったら驚く。

 

「五花なら知ってるだろうけど、『成就の神通力』を受け取ったそれぞれの神が各々、望みを叶えるための形に変えたのが『叶通力(きょうつうりき)』。それを経由して聶獣から人へ『神通力(じんつうりき)』が来る訳だけど……五花は段階を飛び越えちゃってる訳だ」

 

 そこまで言った四葉さんは苦笑いを浮かべる。

 

「そう考えると、今回蓄積が酷かったのは五花が『幻想世界』に行っていたのが原因かもね」

「えーっと、源泉────『叶通』に近い所で神通力を使ったから、って事ですか?」

「そういうこと」

 

 釜伊里の騒動以降、幻想世界で自分自身を隠した場面は無かった筈だけど、確かに気を失った時に使った可能性もある。

 引っ掛かるが、あり得ない話じゃない。私はとりあえずその仮説に賛同することにした。

 

「何か大変だったみたいだから責めるのも違う気がするけども兎も角。もうそんな場所でヤンチャしない事ね。師匠命令よ?」

「すみません……」

「謝らなくてよろしい。返事は?」

「はい」

「うん、あと何日になるか分からないけど……一度、お祭り前に酒見の方に様子を見に行くね。その頃なら結構予定空いてるから……」

 

 そう言いながら指を立て、四葉さんは静止した。

 

「四葉さん?」

「……」

 

 問い掛けて暫く沈黙していた彼女であったが、急に頭を抱えだし「何でもない」と言った。

 絶対何でもある態度なので追求しようとするも、直前に四葉さんは口を開いた。

 

「そういえば、学校はどう? 新しいお友達は出来た?」

「へ? うん。まあそこそこ、ですかね」

「……なら良かった。困ったことがあったら何時でも電話してきてよね……じゃあ私、ちょっと早いけど行く。お会計済ませとくからゆっくり食べてね」

「え? あ、はい」

 

 そう言って立ち上がった四葉さんの近くのテーブルを見ると、既に皿は空になっていた。

 ずっと話していたのに何時の間に食べたんだろうか、と考える間もなく歩き始めてしまった四葉さんの背中にお礼の言葉を言い、意味も無くテーブルに残された食器を再び眺める。

 

 何か予定でも忘れてたのかな?

 

 そう結論付けた私は四葉さんの先程の慌ただしい様子を思い返す。やはりかなり忙しい時期なのだろう。

 正直四葉さんが実際どんな仕事をしているのかふんわりとした事しか聞いた事がないのだが、それだけは分かる。なのでこうして時間を見つけて会いに来てくれたのは感謝しかない。私は申し訳なさを感じつつ飲み物に口を付け、息を吐く。

 

 それにしても、勝手に源泉使ってる分際で「隠匿」の神には悪いがやっぱこれ、微妙な神通力である。

 私も「浄化」とかが良かったな……なんて思ったら罰当たりなのでここまでにしておくけど、なにせ爆弾付きの回数制限があるのだ。

 

 ……そういえば、同じ「隠匿」持ちの太田とか幻想世界でバンバン「隠匿」使ってたっぽいけど、大丈夫なのだろうかアレ。

 廻のように使い放題なら良いけど、アレだって聶獣じゃなく人間である。今度それとなく確認してみよう。

 

 私はそう決心して、炭のような見た目に反し、ふんわりと柔らかいケーキにフォークを入れた。

 



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酒見びれっじ

 その時間帯のバス便は、利用者があまり居なかった。

 

 電車の方を利用する人間が多いのだろう。港のある乙海岩戸(おとみいわと)から松鳴(まつなり)という街を経由して酒見村に至るその路線バスの待合所は閑散としていて、とても夏休みシーズンには見えない程だ。

 

 だから、その子供が目に留まったのかもしれない。

 

 隅の椅子に座り壁に全身を預けながら時計を見ている男児。遠目から見ても汚れているシャツを着て、サイズの合わない大き目のズボンを履いたその子供は、私が眺めているのに気が付いたらしく、首を傾げてこちらを見ている。

 気まずいので小さく手を振ってやると、その様子を見た子供は興味を失ったのか再び視線を時計の方に戻してしまった。……えっと。保護者は近くにいるのだろうか?

 

 そんな事を考えていると、遂に子供の親は現れず目当てのバスがやって来る。

 私がそのバスに乗り込もうと立ち上がると、その男の子も乗るらしく立ち上がった。大丈夫かなと思いながら乗車して後ろの方の席に着くと、その子が辺りをキョロキョロと眺めながら入って来るのが見えた。整理券を手にするのを忘れたらしく、運転手に注意されている。

 

「君、お父さんお母さんは?」

「向こうで待ち合わせしてるんだ」

 

 その言葉に怪訝そうな顔をした運転手であったが、気にするのを止めたらしい。男の子が最前列に座ったのを見届けてから出発のアナウンスをすると、ドアを閉めてバスを出発させた。

 

 なんだ向こうに親が居るのか。と思う一方違和感が残る。

 知らない子供だから目的地は私の住む酒見の奥地ではなく、松鳴町か酒見の手前の方に住んでいるのだろう。だけど……正直、とても普通の家で生活しているような風貌の子供ではなかった。なにせホームレスのような恰好をしているのである。

 

 不審者のようで気が進まないけど、この子の後をつけて親と合流するのを見届けるべきであろうか、と。そう思う程には危なっかしい雰囲気を纏った男児は席に着いた後は大人しくしているようで、後ろからでは姿が見えない。

 

 そうやって、停車場所が近づく度に男児が降りるか確認するのを繰り返している内に、とうとう松鳴(まつなり)町を越え、酒見(さかみ)村に入ってしまったらしい。私は窓の外から見える懐かしい大き目の神社を見て、あの子が一体どこで降りるのか思案した。

 

 酒見村は、大雑把に分類すると手前の「酒見河原(さかみがわら)」と奥の「酒見(さかみ)(だいら)」に集落が分かれている。

 ちなみに、私の実家のある方が「酒見平」である。

 

 酒見河原の方は比較的人が多く、他の町とあまり変わらない街並みを見せてくれるが、酒見平はドの付く田舎。当然住む人も少ないので私が知らない住民は居ない筈なのである。

 

 そう思っていたのに、バスが酒見河原を通過し、トンネルに入る頃になっても何故かその男児は乗車したままでいた。

 こうなってしまえば、必然降りる停車場は終点の「草踏(くさふみ)」である。

 

 ……えぇ。

 

 一体村の誰の子供なのだろう、と考えて幾つか隠し子が居そうな近所の人をピックアップしてみるが、ちょっと失礼なので思考を打ち切る。

 まあ、ともかく狭いコミュニティだ。近所に虐待疑惑のある人間が住んでいると私が出しゃばっても問題ないだろう。そう私は男児をストーキングする事を決心して腕を組み目を閉じた。

 

 

 

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 酒見村には「赤島山社」と呼ばれる神社が4つ存在している。

 

 酒見河原(さかみかわら)にある「埋葉(まいよう)神社」と「酒見(さかみ)神社」。

 そしてトンネルを挟んだ酒見平(さかみだいら)にある「草踏(くさふみ)神社」と「遠岳(とおがく)神社」である。

 

 村の最も手前の埋葉(まいよう)神社から奥に行けば行くほど周辺の人口密度は少なくなっていくが、観光客は大抵最奥の遠岳神社を目指し全ての神社を訪れるので、参拝客の数は四つの神社でそれほど変わらないのが実情。また近年満曜大祭(まんようたいさい)の時にはその人数が激増している。

 

 現在、そんな赤島山社の一つである草踏神社(くさふみじんじゃ)

 その境内から、用事を済ませた宮司の妻である曜引三鶴(ひびきみつる)が商店に向かおうと歩を進めていた時、横の方から自分の娘が走って来た。

 

「あら、五花おかえりなさい! 無事に帰ってこれたのね。これからお家よね? お母さんもこれから帰る所だから、一緒に行きましょ?」

「えっと……お母さん。こっちにこのくらいの男の子が走ってこなかった?」

 

 困ったようにそう返して来た五花に、三鶴ははてと首を傾げる。

 そのくらいの背であると、小学生低学年くらいの子供である。現在そんな歳の子供がこの集落に居ただろうか。

 

「男の子どころか誰も見なかったけど……その子がどうかしたの?」

乙海(おとみ)から同じバスに乗ってたんだけど、その子お金持って無かったみたいでさ……私が立て替えたんだけど、その流れで両親はどこにいるのか、とか一緒に付いていこうかとか聞いても『待ち合わせがあるから』の一点張り。それでちょっとしつこくしてたら逃げられちゃって……お母さんどこの子か心当たりはない?」

「うーん……残念ながら知らないわね。今日来てる観光客の誰かの子かしら……? 五花以外の子供と言っても今いるのは2人だけだし、厚太(こうた)君はまだ赤ん坊、毎美(ことみ)ちゃんは今年で中学生でしょ?」

「毎美、もう帰って来てるの?」

「帰って来てるわよ。あっちももう夏休みで登校無いみたい」

「ふーん、じゃあ後で顔でも見に行こ……ってそんな場合じゃなかった。お母さん、交番の花芽見(かがみ)さんに一応『迷子が居るかも知れない』って伝えておいて。私ちょっと(まわり)に会ってくる」

「分かったわ。今日も本殿の裏に居るわよ」

「ありがとう」

 

 先週あった乙海岩戸での「先触れ」といい、最近赤島でも奇妙な事が増えてきている。三鶴はその「迷子」に妙なざわつきを感じ胸元を抑える。

 短い礼を返して境内の方に入っていった自分の娘を見送った後、彼女はひとまず村の交番の方に向かうのだった。

 




短めですがここまで
次話は近日中に更新します。


赤曜引島

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浄化の祟り ①

「ワシ、見とらんぞ。他の奴も見ておらんようじゃ」

 

 草踏(くさふみ)神社。

 その本殿の裏で日向ぼっこをしていた(まわり)に、私は件の男の子の行方を聞きに来たのだが、以上の返答が返って来た。

 

「皆は今森の中に居るの?」

「んーそうじゃな。赤島では基本的に集落から西に行ってすぐの辺りに集まっておるが、他の方面にも住んでいる奴は居る。人里から離れておれば目撃されとるじゃろうから……少なくとも人里に居ると思うぞ」

「そっか……建物の中にでも居るのかな」

 

 幻想世界での一件の後。

 廻は「隠匿」の所属となった尾袋鼬(おぶくろいたち)と離れていても意思疎通が出来るようになったらしい。「権能」のお陰なのか同じ隠匿に連なっている尾袋鼬だからなのかは分からないが、電話で聞いた限りの廻の異変はこれくらい。こうして会ってみて、とりあえず見た感じ、特に病気とかの異変も感じず至って健康体であったので、少し安堵した。

 

「見た子が現れたら、また教えてくれる?」

「分かったぞ」

 

 そうして私と一言二言交わしながら、だらけた体勢で顔を上に向けた廻は、ピクリと思案する私の顔から視線を外し、後方を見た。

 その方向に私も首を向けると、そこには懐かしい顔が覗いていた。

 

五花(ごばな)ちゃん、帰って来たのね!」

毎美(ことみ)

 

 近所。といっても私の家から歩いて15分くらいの場所に実家のある橋詰(はしずめ)毎美(ことみ)という名前の女の子。

 他の多くの子供のように港の方の学校に通っている中学生2年生……つまり私の2個下である。そんな彼女は、笑みを浮かべ大きな屋台のような物を牽きながらこちらの方に歩み寄って来る。屋台?

 

「廻ちゃんも昨日ぶりね!」

「きゅーん」

「あっ」

 

 屋台から手を離し、流れるように廻を持ち上げ撫で回し始めた毎美に対し、廻は尾袋鼬のそれとは微妙にずれている鳴き声で返して森に早足で去って行った。

 毎美は廻を会うたびに撫でまわして来るらしく、かなり苦手にしているのだ。……まあ、それは今は良いか。

 

「えっと、その屋台何?」

「お客さん……一杯いかがですか?」

 

 疑問に答える代わりに、毎美は仰々しく屋台から缶ジュースを取り出して私に一つ手渡して来る。

 なんてことはない、普通の冷えたサイダーだ。

 

「これでお祭りに来るお客さんにドリンクを売りつけるのよ。一獲千金だわ!」

「ああそういう……」

 

 ビジュアルが完全におでん屋のソレなので一瞬意味が分からなかったが、彼女はどうやら観光客に対しての小銭稼ぎを画策しているらしい。

 随分と地道な一攫千金である。私は呆れながら缶のプルタブを起こしてサイダーを口に含んだ。

 

「まいど! 100円ね!」

「お金取るのね、えっと……はい」

 

 屋台に「一本100円」と書かれているのを悪戯っぽく指差す毎美に私はちょうど懐にあった硬貨を彼女に渡す。そして狼狽えた彼女を見ながらもう一口。シンプルに美味しい。

 

「えー……ありがとう!? けど今のは冗談だから返すわ!」

「返さなくて良いよ。というか何でウチの境内に?」

「五花ちゃんのお父さんがね、ここで練習して良いよって言ってくれたから来てるの! けど……あんまり人が来ないわね?」

 

 そう言って毎美は本殿の方をチラリと見遣る。

 どうやら先程まで表の方で屋台を展開していたらしい。話を聞くと、今は余りに客が来なくて休憩中らしく、私が裏手に向かっていったのを目撃したのでここまで来たらしい。……廻と会話してたの聞かれてないよね?

 

「平日昼間ならこんな感じよ。多い方が困るんじゃないの?」

「そうなんだけど、練習にならないのも悲しいわ……本番上手く行くかしら」

 

 彼女らしくなく悲観するのを聞いて、今日何本売れたのか聞くと私のを合わせて2本らしい。

 因みに残りの一本はお父さんが購入したそうで……うん、つまり結局まだ参拝客の誰も買ってくれていないようだ。そりゃ手ごたえも感じないよね。

 

 そうして実家の倉庫から出して来たという屋台をサイダー片手に見ていると、今度はお父さんが此方の方にやって来た。

 

 ……?

 真剣な表情だ。何かあったんだろうか。

 

「五花……帰ったなら俺に顔くらい見せたらどうなんだ? お父さん悲しいんだけど」

「ごめん。後で行こうと思ってたのよ、ただいま」

「本当かぁ? おかえり……あーえっと……毎美ちゃん、ちょっと良い? 今、表の方に君のお母さんが来てる。屋台は僕が片付けておくから、先に行っててくれるかな」

「? うん、わかったわ!」

 

 何かあったのだろうか。

 お父さんの言葉に不思議そうな顔で了承した毎美は、屋台から自分の荷物を取り出して表の方に走り去っていった。

 その姿を2人で見送っていると、お父さんが一言。

 

「橋詰の祖母さんが死んだ」

「……」

 

 何となく悪い報せなんだろうと思っていたが、そうか。

 橋詰のお祖母さんといえば、毎美の祖母の橋詰(はしずめ)登代子(とよこ)さんである。子供の頃からよく世話を焼いてくれて……そうだ。毎美が産まれてすぐの頃に、3歳にも満たない私に毎美と仲良くしてくれなんて会うたびに言って来たのが記憶に残っている。

 

「毎美、お祖母ちゃんっ子だったから……辛いでしょうね。具合は前から悪かったの?」

「いや……今朝はピンピンしてたよ。まさかこんなコロっと逝っちまうなんて……はぁ、俺は(もがり)の準備があるから五花。あの子に着いてやっててくれ、頼んだ」

 

 そう言って屋台を折り畳み始めた父親に頷いて、私は橋詰家に向かうべく歩を進めるのだった。

 もう、迷子の男の子を捜している余裕はなかった。

 

 

 

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 この世界では、人が死んだ時に話したり、泣くのは良くない事だとされ、その葬儀は驚くほど静かに行われる。

 昼間だというのに、深夜のような静けさの中、人の影が音も無く並んでいるのは正直、時が止まったかのような光景に見える。

 

 橋詰の家に私が着いた頃には、もう沢山の人が集まっていて、入口に固まっていた。

 

 なんとか家の中に入ると、そこには毎美の両親と、叔父と、毎美が座って布団に眠っている登代子さんと、その近くに居る見覚えの無い若い医者を見つめている。

 近くの川の遠い音だけが聞こえる空間。父親に着いてやってくれなんて言われて来たものの、両親と身を寄せ合って座っている毎美の傍に、私が入る余地はないように思えた。

 

 そうして所在なさげに部屋の隅で佇んでいると、部屋に入って来た私の母親と目が合った。母は私に薄く微笑むと、どうやら登代子さんを(もがり)のため、村の安置所に移すらしい。橋詰家の人達に身振りで説明をすると、毎美の叔父と父親が彼女の遺体を専用の担架に移し、間もなく家から運び出されていった。

 毎美の母親もそれに着いて行こうとしたが、毎美がその場から動かず、その場に留まる。部屋には最早私達3人しか残っていなかった。

 

「まだ、仲直りもしてなかったのよ」

 

 ポツリと毎美が呟いたその声は、喉につっかえ非常に言いづらそうで。

 私は思わず毎美の母親とは逆の方に座って手を握った。途切れ途切れの言葉を聞くに昨日、毎美は祖母に酷い言葉を言ってしまい、それきり口を利いていなかったらしい。

 

 人が死ぬとき、残された人は後悔を口にする。 

 けどさ毎美。残してしまった方にだって、きっと後悔がある筈なんだ。

 

 橋詰の広く古風な家の中はその後もバタバタとしていた。

 そうしていつの間にか(もがり)の為にやるべき事が全て終わり、私は俯いたままの毎美にポケットに入っていた飴を渡して家に帰ることになった。

 草踏神社の隣にある私の実家の姿が見えて来た時には、なんだか自分の事がたまらなく嫌になった。なので、なんとなく家に入らず、母親に断って裏手にある森の中の空き地に入る。

 

 時刻は夕暮れ。

 木々の間から差し込む夕暮れの赤い光は、目に入ると痛いくらいに眩しい。

 空き地の真ん中にある切株に布を敷いただけの椅子に腰かけて、私は光が入らないようにオレンジの草の絨毯を眺める。その視界に小さな影が入り込んで来た。

 

(まわり)

「落ち込んどるのか?」

「別に。ただ……うん、(いた)もうとしてるだけ」

「悼もうと思って悼むのはどうかと思うんじゃが」

「分かってるわよ、馬鹿」

 

 

 

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 (みどり)賀崎(がさき)(とう)

 その三賀張(みかばり)という街の、とある豪邸の地下。

 

小海四葉(こうみよつば)が10日に酒見を訪れる」

「いよいよか」

 

 小さなテーブルと椅子が不規則に散らばった大部屋に、まばらに座っていた人々が顔を上げる。

 

「人死が出るが」

 

 控えめな抗議の声が上がり。

 

「100人も居ない程度の集落だ。祭りの前に全てを終わらせば、それ程数も伸びないだろう」

「小海四葉、3番金の『罪穢(つみけがれ)』持ち、そして────『逆睹(げきと)』。満曜の日に、図らずもこれだけの材料が揃った……この好機、見逃す理由は無い」

「……ならば必要な犠牲だな、致し方ない」

 

 予定調和のように、それらの説得がされる。

 初老の男は、それを待ってから立ち上がり、仰々しく両手を広げた。

 

「それでは私が出ます。異論はありませんね?」

「ああ」

「夕森、妹の無念を晴らすと良い」

「ありがとうございます」

 

 男は感極まったような振りをして、襟元を正す。

 そんな様子を見た周りの人間は頷いて、1人が紙に包まれた物を彼の前に差し出したのを受け取り中身を検める。

 

 所縁石(ゆかりいし)「3番金鉱石」。

 

 掌の上にあるその石は、部屋の照明を受け、毒々しいまでに光り輝いていた。

 

「『罪穢』は既に現地に向かわせた」

「承知しました」

 

 男は金鉱石を懐に仕舞い込み、首元に下げた「黒い石」を握り締める。

 

「逆睹の『叶通力(きょうつうりき)』を奪い、神々の所縁(リレーションズ)の撲滅を」

「神を騙る者共から人の世を取り戻す」

「我々はその為だけにここまでやってきた。いいな?」

 

「ええ、必ずや成し遂げてみせましょう」

 

 

 

 

 

 

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 その後。

 青島への夜間定期船にて、汽笛の音を聴いた夕森は背後に座る女性に声を掛ける。

 

「『成就』と繋がった生徒は居ませんね?」

「はい。幻想世界で会っていたという二人にもその兆候はみられず、現在繋がりを持っているのは『明日香』と繋がる貴方を除けば未だ1人だけでしょう」

 

 その言葉を受けて、夕森は顔を伏せ笑う。

 

「ククク……例えそれが神と呼ばれる存在だろうと、手の届くところに落ちてくるような紛い物。あぁ明日香……あの子がそれを証明してくれた……! そしてこれから私がやるべき事の手助けさえも……出来た妹だよ……本当に」

 

 

 

「明日香に代わりこちら側に落ちて来た『逆睹』の神擬き……アレが妹の代わりというのならその力、私の所有物でない訳が無い」



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浄化の祟り ②

 もう何年前だったかも忘れた話。

 

 二鷹(ふだか)兄さんが死んだという報せが届いたのは、私が夜勤を終え帰宅した直後の事であった。

 もう縁も希薄になっていた実家からの電話は、久しく忘れていた幼少期の緊張を思い出し、更にそんな事を言われてしまったものだから、心臓が止まったかのような錯覚を感じた。

 

 そして報せの後には「家に戻ってこい」というだけの素っ気ない一言が付いて来た。

 

 部屋の窓を開ける。

 入って来た冬の冷たい風を肺いっぱいに吸い込んで、身体の中の空気を入れ替える。

 

 吐いた息が白くなったのを見て、幾分か心を落ち着かせる。

 そう、単純な話。姉はもう嫁いでしまった後だったし、急死した兄の後の代わりになる人物が必要だったのだ。

 

 仕方ない事だった。

 私は生き甲斐に感じていた職を手放し、まもなく用意された後継者候補と婚姻した。仕方ない事だったけど、自身がこれまで積み重ねて来た物が全部無くなった気がした。

 

 相手は悪い人では無かった。

 ただ、その頃はお互いに半分初対面のような人物であったので、最初の頃私は与えられた席の中で心許せる人も無く、独りぼっちで過ごしていた。

 

 だから赤島で幸せそうにしている姉さんが気に障りだした。

 

 何がきっかけだったのかは分からない。

 連絡は普段から取り合っていたし、兄さんの葬式で再会した時には身を寄せ合って悲しむ程に仲は良好であった。

 孤独な私と、幸せそうな姉さん。その環境が段々と、蝕むように私の中に染み込んでいったのだろう。

 

 私が家に戻り3カ月ほど経過した時、姉さんが身籠っていた子供が産まれそうだという連絡を受け取って、私はすぐに酒見村へと向かった。両親を含めた家はそれに関心が無いようだったので、私だけで行ってやったのだ。

 

 姉さんは私の顔を見て「来てくれてありがとうね」と言った。

 私はそんな姉さんを見て「当たり前だよ」と笑いかけた。

 馬鹿みたいなやり取りだと思った。

 

 その日のうちに陣痛が酷くなり、産まれる兆候を見せたので、曜引さんのお義母さんと私は姉さんの傍にずっと居て、そのあまりの修羅場に目が回りそうだった。

 末っ子だった私は、出産に立会うのが初めてであったのだ。

 

 だけどその時だけは、長く抱えていた心のモヤモヤも晴れていたような気がする。

 逆子であったため長丁場になってしまい、一時は姉さんの命も心配する程であったので、産まれて来た子供の姿を見た時にはとても安心したのを覚えている。

 良かった。良かった。素直にそう思える自分が嬉しかった。

 

 

 だけど産まれた子供は息をしていなかった。

 

 

 どうしても泣き声を上げず、医者が詳しく見ると呼吸すらしていなかった。

 気絶するように眠る姉さんの傍で、崩れ落ちた曜引のお義母さんが静かに死んだ赤子の頭を撫でているのを見ながら、私はその場に呆然と立っていた。

 

 そうしている内に、部屋の中に曜引のお義兄さんが入って来た。

 何かあったのだと察したのだろう、最初に姉さんの元に行き、直ぐにお義母さんが抱えている赤子の元に行きそれを静かに受け取って。

 私の方を見てこう言ったのだ。

 

『今日は来てくれてありがとうございました、四葉さんも赤ちゃんの顔、見ます?』

 

 心底嬉しそうな顔で言うものだから、一瞬彼の気が狂ってしまったのかと思った。

 しかし、状況が分からないまま視線を彼の懐にある赤子に映すと、そこには目を開きこちらを見ている「何か」が居た。

 

 目と目が合っていた。

 

 パチリと開かれた瞳は、光を反射して、まるで鏡のように私自身を写していて、それがとても嫌な感覚であった。

 まるで無機質な機械のようなソレは、自分の内心を暴き、突き付けて来ているようで。

 

『五花……』

 

 逃れるように、口にした。

 

 そう、名前は知っている。

  五花(ごばな)だ。

 曜引(ひびき)五花(ごばな)。その筈だ。

 

 しかし目の前のソレは、とてもその名を与えられた赤子には見えなかった。

 

 その後、暫く酒見村に滞在した。

 元々無いに等しい仕事である。夫に秘書を通して連絡を送り、姉さんの家に戻ると、赤子は眠っている姉さんの腕の中で何か声を発する事も無く、無感動に服に印字された文字を指でなぞっていた。

 

 五花(ごばな)は、一度息が止まっていた事から脳に何かダメージが入っている可能性がある。

 私達は医者にそう伝えられていた。

 

 しかし、動作を見れば見るほどそれは何かしらの意図を感じるものばかりで、妙に落ち着いていて。

 「お人形さんみたい」と笑う姉さんとお義兄さんには悪かったが、ソレは泣くことも無く、笑う事も無く、そう。

 

 ただ機械のように何かを学習していた。という表現が合っていた。

 

 

 

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「縄()ってるの?」

 

 その声に顔を上げると、庭に興味深そうにこちらを見るはる子が立っていた。

 大きな荷物を手に持っている辺り、ついさっき来たばかりのようだ。……電話で今日来ると聞いていたけど、もうそんな時間だったっけ。

 

「うん、こうやって何本も作って大きな輪にするのよ」

「手作業で作るんだね~」

「業者に頼む所も普通にあるんだけど、出来れば材料はこの辺りの物を使わないといけないから……とりあえず荷物はそこに置いて。あと、冷たいお茶があるけど」

「飲む」

 

 即答したはる子に苦笑いして私は手に持っていた草の束を置き、縁側から立ち上がった。

 

 うーん、夢中で作業してしまっていた。

 いつの間にか母は出かけて行ったようだし、先程まで家には私一人だったらしい。来客を忘れるなんてやらかしたなと思いながら、冷蔵庫から冷やしておいたお茶を持って縁側に戻ると、はる子は私が半ばまで作っていた草の縄を興味深そうに眺めていた。

 

「どうしたの?」

「どうって?」

「なんか珍し気に見てるからさ……見たことない?」

「うん。お祭りとかあんまり興味なかったから」

 

 へー、お祭りに興味無かったのか……。

 うん……なんか彼女の闇に触れそうだし、話題を変えた方が良いだろう。そう思っていると、彼女は積んであった草を一つ取り出して私に笑いかけた。

 

「これもお祭りの準備なんでしょ?」

「ん、じゃあ手伝って貰ってもいいかな」

「はる子に任せなさい!」

 

 途端にテンションを上げて来たはる子が意気揚々と縄を綯いだしたので、慌てて作り方を説明しようとしたが、なんか指摘する事もなかったので私も隣で作業を開始する事にした。

 というか私より作るの上手いんだけど、え、初めてだよね?

 

「そういえば、あのイタチちゃんはどうしたの?」

 

 黙々と作業をしていると、はる子がふと私に問いかけて来た。

 (まわり)の事である。

 

「廻は今は神社の方だと思う。最近本殿の裏の日陰でだらけてる事が多いんだよね」

「そうなんだ。う~ん、ちょっとお話したいことがあったんだけど」

「ちょっと……親の居るとこではやめてよ? 四葉さんにだって秘密にしてるんだからね」

 

 

 

mmmmm

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 赤曜引島、酒見村。

 木々が密集し、大人1人も通る隙間の無い暗い森の中。

 

 獣のような何かがそれに紛れ動き回っている。

 草を踏みしめる音、荒い息を吐く音────何かを抉る音。

 

 時折動物のような短い唸りが聞こえるのを、様子を見に来た壮年の男は顔に笑みを張り付けたまま見つめていた。

 そんな時、音の発生源……小さな男児が血まみれの格好で茂みの中から姿を現す。

 

「なんだ、お前か」

 

 男児は鋭い目つきでにやつく男の姿を検めるとそう吐き捨てて、ナイフを手に低くしていた姿勢を戻す。

 

「何匹殺しましたか?」

「まだ10匹」

 

 そう言って男児はその場で手に持っていた兎の首を落とし、柔らかい角から発せられた赤い光に手を翳した。

 すると、その小さな光は残らず手の中に吸い込まれていった。

 

糊角兎(こつのうさぎ)は絶滅危惧種。ですが推定して200はまだ生きているようです。祟りになるには後15匹程が必要になるでしょうね……ですから……」

「『兆候が見えたら後は生け捕り』でしょ? 分かってるっていうか、こうして自給自足する羽目になってんの、お前の到着が遅いせいだからな。なあ、なんか差し入れくらい持ってきてるんだろうな?」

「食糧を選ぶくらいは出来たでしょう?」

「うるっせーな! この辺の獣でガキに殺せるのこういう警戒心のない雑魚だけなんだよ。鼬の生息域に行って良いっていうのなら話は別だけどな!」

 

 男児はその反論にナイフを男に突き立てまくし立てると、男はやれやれと手に持っていた鞄から紙袋を取り出した。

 男児はそれを奪い取って袋を開け、その中身に初めて狂気を孕んだ表情を消し、年相応の笑みを浮かべた。

 

「私は君の『罪穢(つみけがれ)』の許容量を超えないかが心配なんですよ。これでも親代わりですからね」

「よく言うぜ、カスが」



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浄化の祟り ③

 早朝。

 祭りも近く、はる子が家に来た翌日。

 

 まだ冷たい霧が立ち込めた外気を吸って、私は家の傍の倉を訪れていた。

 懐かしい順序を踏んで鍵を開け、その中に入れば、見慣れた祭具や壊れかけの家具。そして未だに使い道の分からない大きなガラクタなんかが整理して収まっているのが視界いっぱいに入る。

 空気が停滞し、少し埃っぽい室内を気にせず奥に進むと、間もなく目当ての物は直ぐに見つかった。

 

 乗用機(パドル)である。

 競技の練習用としてではなく、幼い私が神通力の制御を覚えるのに良いからと四葉さんがおばあちゃんから譲り受けてきた「縁動機械」の乗用機(パドル)

 何故私がこれを探していたのかというと、島内大会で代大(よだ)(かなめ)が全国大会に出場することが決まったという話を昨日の夕飯時に聞いて焦った為である。

 

 そう。

 練習しとくかー、みたいな感じで呑気にお祭りの準備をしながらダラダラしてきた私は焦っていた。あんな態度をとっておいて無様を見せれば(かなめ)の性質上、無言で失望されること請け合いである。そんな事になったら効く。正直「曜引(ひびき)弱(笑)」と笑われた方がまだマシだ。恥ずかしいけど。

 という訳で、まだ長い夏休みを使い、今日からリハビリをしようという訳なのだ。

 

五花(ごばな)ー」

「うわっ……ビックリした」

 決心を胸に機械を引っ張り出そうかという最中。急に(まわり)が背中に張り付いてきた。まだ薄暗いのに元気いっぱいである。そういえば尾袋鼬(おぶくろいたち)は本来夜行性なんだったか。

 

「この時間に珍しいの。何かするのか?」

「ええ、ちょっと久しぶりに乗用機(パドル)に……って、昨日家に居なかったけど(まわり)、また港町の方に行ってたの?」

「ん? 行ってたが……どうかしたのか?」

 

 えぇ……迷子見つかったらすぐ教えてって頼んでた筈なんだけど……そっかぁ、忘れたのかぁ。そういえば(まわり)ってこういう所あったよね。まあいいや。

 

「ううん、一緒に行く?」

「行くぞ!」

 

 こういう時間も有限なのだ。走った後で改めて伝えておくことにしよう。

 私は(まわり)を頭の上に乗せたまま乗用機を倉庫から引っ張り出して、縁門(アーチ)代わりのベルトを腰に巻き付けて、その機体に赤い光を通した。

 

 足で地面を蹴り、その勢いを増したまま、私有の林の中に入っていく。

 刺すような冷たさを頬に感じながら、私は平常心を保つように姿勢を低くして、やがて木々の間をすり抜けるように下っていく。

 子供の頃は毎日やっていた事だったので身体が覚えている。そうやって無心で進んでいるうちに、ふと「隠匿の神」と話した事を思い出した。

 

 今の私は、これまで通り少し特殊な「隠匿の神通力」を使えるだけの人間である。

 そしてこの力は、私が神から奪っていた半分の「神力の源泉」を(まわり)に渡したことで、私と(まわり)だけで完結しているもう一つの「隠匿」となった。

 

 だから、もう私は幻想世界(あそこ)に行くことは二度と出来ない可能性が高いらしい。

 廻を通しまだ繋がり自体は残っているけれど、それもどうなる事かも分からないらしくて、それを聞いた時私はそうなんだ。ちょっと寂しくなるな。とかしんみりと考えていたのだが……ちょっと待って欲しい。

 

 何でまだ神力が「赤」のままなんですかね。

 いやホント。ねえ。会えて良かったとか言って震える声で別れを惜しんでたあれはポーズだったのだろうか。私が帰った後「よっしゃああああなのだよ!!」とかはしゃいでないよね? 軽く人間不信になりそうだ。相手神だけど。

 

 

五花(ごばな)! 前前前前前まえぇ!!」

 

 その声にハッと気づくと、目の前に目視しづらい細い木が迫っていた。

 

 ヤバい。

 反射的に体重を出来うる限り後ろに倒し、傾いた乗用機(パドル)の底盤を木に合わせ、思いっきりレバーを倒してスピンすることでそれを回避した私は暫く回り続けてから停止した。

 

「あっぶな……」

「クェ」

「うわあ! 頭に吐かないでよ!?」

「吐かん……吐かんから降ろして……」

 

 どうやら自力で降りる余裕すらないらしい。

 私が恐る恐る両手でそっと廻を茂みにおいてやると、間もなく嘔吐の音が聞こえてきた。本当に申し訳ない。

 

 暫くしてようやく落ち着いた廻に平謝りすると「もう二度とぱどりんぐにはついて行かん」と、その動物は言ってその辺でふて寝を始めた。なのでそっとしておこうと再び走ろうと乗用機を起こした所で、私達が既にゴール近くまで来ている事に気が付いた。

 

 寝た体勢のまま微動だに動かない(まわり)を乗用機に乗せそこまで牽いていき、その川辺にあるちょっとした広場に着くと、少し滲んだ顔を川の水で洗い落とし、持ってきていたタオルで拭く。

 

 少し考え事をしてしまってハプニングがあったが、思ったより走れた、うん。

 毎朝やってれば勘も戻るかなと見通しが立ち、さて家に戻るかと立ち上がったところで、林の中から枝を踏む音が聞こえてきた。この感じは人の足音である。

 

 そんな事を考えながら音のする方向を見ていると、直ぐにその人は現れたのだった。

 

「四葉さん?」

「ん、五花……奇遇だね。何、それで走ってたの?」

 

 そう言ってクスっと笑いかけてきたのは小海四葉(こうみよつば)さんである。

 そういえば祭りの前に一度顔を出すと聞いていたけれど、どうして連絡も無く、早朝にこんな場所に来たのだろうか?

 そんな私の疑問を察したのか、ああ。と四葉さんは手に持っていた鞄の中身をごそごそとやり、中からなにやらパンのようなものを取り出した。

 

「家に行く前に、なんだか懐かしくなっちゃって。よくここで五花の訓練に付き合ってたから。それにここ、眺めも中々良いでしょ? 朝食を摂りに来たの」

「朝食……ですか。家で朝ごはん食べていかないんですか?」

「ちょっと急用が入っちゃって時間取れなかったんだ。だからこっそり五花に会ってそのまま帰ろうと思ってたんだけど……手間が省けたね、五花も食べる?」

「食べます」

 

 うーん? なんだか変だ。

 違和感を覚えながら受け取ったサンドイッチを食べる。おいしい。

 確かに母は色々と世話焼きだから時間は取るだろうけど、それならわざわざこんな場所に来る時間も無いだろうに……うまっ。あ、そうだ。

 

「この子、廻。この間言ってた件なんですけど、ちょっと診てくれないですか?」

「ええっと……居ないみたいだけど……」

 

 その言葉に振り返ると、乗用機(パドル)の上に居たはずの(まわり)の姿が消えていた。

 

 さっきの回転に怒っていたにしては変なタイミングで消えるなぁと思いながら。

 食べ終わった後、私は心なしか焦っている雰囲気の四葉さんの診断を受けて、特に症状が進んでいないという事を伝えられた。

 

「それじゃ、またね!」

 

 そう言って四葉さんは足早に村の方に戻って行こうとしたのだが、直後。

 廻が全速力で走って来たかのように背後から走って来た。

 

「五花! 五花! 何かが来とる! 祟りじゃ! 多分祟り!」

「は……え? 喋ったぁ!?」

「え、あ、祟り!? ちょ、待って」

 

 ヤバい。四葉さんに喋るのバレた……じゃなくて!

 口を開くも、今の言葉の意味を問いただす前に廻は村の方に駆け出していた。

 

「ちょっとまっ……待ってよ!」

「色んな方向から! 『赤い』のが迫ってきておる! 他の奴(尾袋鼬)は隠れた! だが他の動物は呑まれた! 直ぐに里までやって来るぞ!」

「なんだっての!?」

「ちょ、五花! そのイタチ喋ってない!? 喋ってるよね!?」

「喋ってます!」

 

 走りながらヤケクソ気味に叫ぶ!

 

 廻の言葉が本当なら、相当大規模な「祟り」が発生している事は間違いない。

 下手すれば有名な「浮遊の祟り」以上の、いや、それよりも酷い事になるかも知れない!

 

 「幻想世界」で一瞬手に入れたあの予知のような力があれば防げただろうか? いや、そんな事を考えている暇さえない。

 

「四葉さん!縁門(アーチ)持ってますか!?」

 

 四葉さんは「浄化」。私は「隠匿」。この局面であれば「隠匿」でどうにか皆を向こうにずらして「仮置き」する以外の選択肢が無い。

 私は後ろを走っているだろう四葉さんに声を掛ける。が、返事が返ってこない。

 

「四葉さん?」

 

 

 振り返ると、そこには赤い光を帯びた四葉さんが遠くに蹲っていた。

 

 

 

 

 

 

 

mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm

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 「みみたぶがり」をしてはならない。

 

 遥か昔。

 もう誰も覚えていない事だが、この星に住む人間が皆、空を逃れて暮らしていた時代から残る教え。

 

 それは宗派を越えて、人類に浸透していて。

 聶獣(じょうじゅう)狩りは禁忌であると、いつしか星の人間はみんな知っていた。

 

 腫瘍の部分に毒があり、死ぬとそれが全身を巡り食べられないから。

 死んだ所が「祟り」の発生地になる可能性があるから。

 

 その教えが星中に広がったであろう理由はいくらでも考えられると、ある研究者は言った。

 

 

 しかし聶獣だって生き物。

 

 「みみたぶがり」をしなくても。

 高い所から落ちたり。

 重いものに挟まれたり。

 飢えたり、凍えたり。

 寿命で死んでしまったり。

 

 その「神々の子供(使徒)」達は容易く命を落とし、時にこの星に呪いを落とす。

 では、地上に住む今の人々は、そんな「祟り」をどう乗り越えて今を生きてきたのか。

 「神通力」だ。

 

 そんな神力を変質させて行使させる数多の神通力の中でも、神力自体を祓ってしまう「龍神」と呼ばれる特別な5柱が存在する。

 

 天神(あまつかみ)の「厄除(やくよけ)」と「破邪(はじゃ)

 海神(わたつかみ)の「浄化(じょうか)」と「回帰(かいき)

 土神(くにつかみ)の「罪穢(つみけがれ)

 

 嘗て五島が一つの大きな島だった時代、その土地を守護していたと伝えられる大きな龍の形をした神々である。

 

 そして今でこそ神々の所縁(リレーションズ)を介し、「祟り」から国を守るのに手を貸してくれている彼等であるが、一柱を除き、遥か昔に大きな恐ろしい祟りによって人類を脅かしたことがある。

 

 「神に手を伸ばそうとした傲慢な人類を見限って『厄除』と『破邪』は宙に隠れ、『回帰』と『罪穢』は星の懐に還ってしまい、島は『国割り(くにわり)』と呼ばれる大厄災により平穏を失って五つに隔たれた」

 

 これは今の「日本」に伝わる最古の神話の一節である。

 

 歴史研究の第一人者は、国内外に同様の記録が残っている事から、これを半ば事実とし、恐らくはるか昔に、これら四つの大変広範囲な「祟り」が同時期に発生し、天変地異にて多くの命を奪ったのだろうと言った。

 

 これらの「龍神の祟り」は星を揺るがすほど大変強力で恐ろしく、その時、残る1柱「浄化」の祟りまで起こってしまっていた場合、人類は現在まで生き残っては居なかったであろうと予測される程のものであった。

 

 「厄除」が存在するほとんどの神力を抑え込み。

 「破邪」が星にあるその発生源を全て絶ち。

 「回帰」が星をあるべき姿に戻して。

 「罪穢」が命あるものに呪いを落とした。

 

 そして「浄化」はそれらにより辛うじて残ったものを「存在しなかった」事にしたのかもしれない。



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浄化の祟り ④

 霞む視界に、遠のきそうな意識を抑えながら、しかし彼女の思考は冷めていた。

 

 やられた。と、小海(こうみ)四葉(よつば)は肺に溜め込んだ空気をなんとか吐き出し、下手人であろう人物の姿を思い出す。

 

 数年前この村で会った事のある怪しげな男。

 「逆睹」を持っていた死んだ彼の妹を偲ぶために草踏神社を訪れたというその胡散臭い人物は、彼女にその狙いの一端を晒していたのだ。

 

 あの男は。

 いや、あの男の所属する集団は明らかに五花(ごばな)を狙っているようだった。

 

 四葉は自分の原型の無いほどに変質した「浄化」の事を誰にも話したことが無い。

 それこそ姉にも、五花にも、自分の夫にすらも。

 

 そしてその正体こそ知らないが、その変質を起こしえる因子自体も「隠匿」の副作用と偽り定期的に「洗い落として」いた。

 

 しかし知っていた。

 

 五花(あの子)が。

 他者の「神通力」を一歩先のステージに進ませる事が可能だという事を。

 

 どのように知り得たのかは分からない。

 だが、それに悩んでいる時間も無い。近い内に来ることが分かっていたからだ。そうして上空に途方も無い量の神力が発生する「満曜」の季節を狙うだろうと気付いた彼女は彼らの狙いをへし折ろうと奔走していたのだが。

 

「迂闊、すぎたなぁ……」

 

 先に狙われたのが自分の方だとは思っていなかった。

 

 耳朶狩り。

 考えてみれば自身に対応する聶獣である糊角兎(こつのうさぎ)の生息地であるこの場所に来ること自体が下策であったのだ。

 

 彼女が今の状況が彼等の狙いそのものだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 

 

 

 mmm m m m

mmm m m m

 mmm m m m

mmm m m m

 mmm m m m

mmm m m m

 mmm m m m

mmm m m m

 mmm m m m

mmm m m m

 

 

 もう何年も前の出来事。

 

 私は曜引のお義兄さんの家に久方ぶりに訪れていた。

 前職の関係で免許を持ち、合法的に縁門(アーチ)を所持する事の出来る私に姉から「五花に適性があるか調べて欲しい」という依頼が話の流れで来たからだ。

 何も焦って調べなくても、少しして小学校に入学する直前に検査があるのだからそれを待てば良いのにとも思ったが、正直な所、あの子がどのくらいの適性があるのか、私としても少し興味もあったので二つ返事で了承した。

 

 とにかく聶獣によく懐かれている。という話をよく姉から聞いていたが、実際に家の中から尾袋鼬(おぶくろいたち)を頭に乗せて出て来た時には思わず笑ってしまった。

 

 五花(ごばな)は、普通の子供になっていた。

 

 具体的には、そう。感情表現が表に出るようになっていた。不愛想で、なのに妙に大人びている所は赤子の時の面影を残していたが、自分の足で立ち、喋るようになった彼女は笑ったり、恥ずかしがったり。あの頃の存在感が嘘みたいに普通の女の子であった。

 

 その日の暮れ。そのまま家に泊めて貰った私は、夕焼けの濃緋に満たされた部屋の中、少し張って来た自分の腹を見て、まだ動くような気配も無いそれを優しく撫でていると、部屋の襖から不安そうな少女が入って来た。

 不安そうな表情で、躊躇いがちに口を開く。

 

『あの……』

「大丈夫だよ。ただ『赤い』神力が出ただけ。それが判明せず学校の入学まで無事に育った子供は沢山いるし、死んだ例も無いんだから。適性値を見てから判断しても遅くないと思わない?」

「それはそうなんですが……そうですね、なんというか」

「怖い?」

 

 予想とは少し違う反応。

 

『どちらかと言うと「神力」なんて原理の解明されていない力を、平気で利用しているこの世界が「怖い」です。「神通力」なんて超常現象を起こしえる性質すらある、こんな力を「神憑き」なら平気で使えるとも聞きました。四葉さんは「浄化の神通力」を使う事が出来るんですよね?』

『えっと……使えるけど』

 

 そして、とても目の前の幼い子供から出て来たとは思えないその物言いに少し面食らってしまった。だけど。

 

『「神通力」があれば、使いこなせるようになれば。こんな世界でも私は自分や周りを守る事が出来ますか?』

『守れる……かぁ。それは言い切れない。私も、五花のお父さんもお母さんも、どんなに強い人間だって、差し伸べられる手には限界があるんだよ』

 

 ────きっと、抱え込んでいる「それ」は。

 両親にすら打ち明けていないのだろう。

 

 ただ一生懸命に見えた。

 頑張って背伸びをして、何かに駆られるように力を求めようと真剣だった。だから私も真剣に応えなきゃならない。

 

『「後少し強ければ」「気を配れていれば」「知っていれば」そういうのが色んな事を乗り越える瀬戸際になる。勿論それはきっとどんなに強くなっても無くならない。生きていれば絶対に後悔する場面が訪れる────だけどね、上がるんだ。限界は頑張れば頑張るだけ上がる』

『守れなかったかも知れない人が、守れる』

 

 そう呟く少女は、異質だった。

 これで彼女が中学生くらいの年齢だったら姉さんの教育を疑う所であったが、この歳でこんなに(いびつ)な性格にはまずならない。

 最早とても「普通の子供」とは言えない。人の形をした「何か」だと思える程に異質で、だけど。

 

『それで、五花(ごばな)はどうしてこんな話を私にしてきたの?』

『神通力の使い方を、私に教えて欲しいからです。四葉(よつば)さん』

 

 それは後悔を抱えて生きて来たような「普通の人間」のようだった。

 

 

 

 

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mmm m m m

 

 

 

 赤い光を身体中から湧かせながらしゃがみ込み、下を向いたままの叔母の元に駆け寄る。

 何が起こっているのか理解が追い付かない。そんなフワフワとした心持ちのまま彼女の鞄から縁門(アーチ)を取り出して、とにかく「隠匿」でその光を除く。

 だけど、除いた先からその光は湧いて来るようで、ただ消すだけじゃどうしようもない事が分かった。

 

 神々の所縁(リレーションズ)から来ているそれは。

 紛れも無く「浄化」が祟りに転化した物だったのだ。

 

五花(ごばな)。急いで家に戻りなさい」

「……」

 

 どうする。

 

「……だいじょーぶっ。知ってるでしょ? 『浄化』も『厄除』とかみたいに、最低限自分に障った『祟り』は抑える事が出来るってさ。だから、私は暫く大丈夫。それよりも、急いで」

 

 と言っても、そんなのは決まっている。

 

 縁門(アーチ)を付けて、私の身体能力は多少上がっている。

 「手」の数に余裕が無い訳じゃない。

 

「じゃあ、一緒に行きましょう」

「え? わぁ、あ!?」

 

 私はそう言って何か困惑した声を出す四葉さんをひょいと両手で抱え、廻が消えて行った方に全力で駆けだした。

 何か「私に構わず行って」みたいな状況になっていたが、ふざけないで欲しい。明らかに大丈夫じゃないし、制御不可能な神力を「浄化の神通力」として使える訳が無い。いくら四葉さんが私よりも強くて頼りになるからと言っても、この状況ではどうにもならない。

 

 その証拠に、間もなく四葉さんはぐったりと気絶してしまった。

 ……まあ、私が彼女の体内を巡る残りの神力を根こそぎ消したせいなんだけど。さて。

 

 「祟り」が起こるパターン。

 先触れがあったのかは分からない。だけどこういった広範囲に発生したという事は確か。

 

 ・繋がりの無い未知の種類の神力が自然発生した。

 ・繋がりのある既知の種類の神力に関連した聶獣が大量死した。

 

 大体前者なのだけれど、今回は恐らく後者。

 近くにそれと同種の力を持つ適合者が居た場合、共鳴するようにいち早く祟られるからだ。

 

 だから、押し寄せて来ているというのは「浄化の祟り」の可能性が高い。

 

 浄化の神通力は「隠匿」と同じく基本触って干渉する能力。だから「祟り」も触って障るタイプ。

 つまり私が村まで四葉さんを担ぎこんでも他の人に触らせなければ何も問題はないのだ。

 

 

 私は大きく息を吸い込んだ。

 

 祟りが落ち着くまでの間、皆をずらし「向こう」に避難させる。

 いつか大釜山で自分の意識が神力自体に移った時みたいな、山を覆ったあの時のイメージ。それを再現できれば、麓の方を含めた酒見村全体をカバーする事くらいは簡単な筈だ。

 

 問題はその状態になれるかどうか。

 あの「黒い石」があれば直ぐにでも出来そうではあるが、「青い巨人」が産まれる程ヤバい所にしかないアレを都合よく持っている筈も無く。

 

五花(ごばな)っ!」

 

 これでは最悪地道に家を回るしかないと内心焦りを浮かべながら村に到着した私は、一気に見晴らしのよくなったその場所で(まわり)と合流し。

 少し遠くの方────酒見村の最奥「遠岳神社」の近くの、確か大きな湖のあった辺り。

 

「何じゃあれ……?」

「……」

 

 そこに見覚えのある神力の青いヒト型が徐々に立ち上がっている所を目にし、暫し硬直してしまった。

 

 色々起き過ぎでしょ。

 

 祟りに呼応して発生したのだろうか、いやそんな事よりどうする?

 アレの根本には恐らく「黒い石」がある。強行して取りに行くべき?

 

 何時か青島で見たのと同じような風貌のそれは、今こうして眺めている間にも湖の上で徐々に大きくなっている。

 

 折角の降って湧いた好機だけど、再び暴走する恐れのある四葉さんを抱えて抑えながらあの中に入って、それで駄目だった時どうする?

 先に両親だけでも避難させて────いや、そんなの駄目だ。その選択肢を取ったら、間に合わない誰かが出てしまうかもしれない。

 

 お祭りがあるんだ、これからの日常があるんだ。

 こんな形で人が死んでしまったら、そんなのは「平和」じゃない。

 

 

 

 ────そんな事を考えていると、突如巨人の身体に大きな風穴があいた。

 

「えっ」

 

 そんな声が漏れるくらいの時間差の後、周囲に物凄い暴風が発生したらしく、ここからでも空気の捻じれる音が聞こえて来た。

 まるで、空間ごとずらして消した時みたいな……いやだけど、混乱して来た。何が起きているの?

 

 目を細め巨人の方を見ると、続けて身体のあちこちに風穴……球状のえぐれが発生し、それがどんどん増えていってとうとう巨人はその場から跡形もなく姿を消してしまった。

 

 私じゃない。だけど、この消え方は……

 

「ごばちゃん!」

 

 その声にハッとなり、横を見ると急いで来たのか、服装の乱れたはる子がこちらに向かって駆けて来るのが見えた。

 

 そうだ、迷っている暇なんてない。こうなったらやる事は一つだけだ。

 体勢を曲げ、縁門(アーチ)を付けた背中をはる子に見せる。

 

「はる子、あそこに連れて行って」

「! うん」

 



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