キンジとネモの共依存 (はちみつレモン)
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1話

 

ここは一体何処なんだ。俺とネモが漂着した海岸には、見渡す限り何もない。朝焼けの空では高湿度の強風で雲が吹き飛ばされており、恐ろしいほどの速さで天候が変わっている。まるで映像を倍速以上の速さで見ているような気分だ。雨雲の間からは、薔薇色の空が覗き始めた。少し歩くと、さっきよりも島を広くみれる場所にたどり着く。サンゴ礁に囲まれている。象牙色の砂浜。ここに来る前にいた場所とは全く違う光景が眼前に広がる。。波がザザッと揺れており、鳥の囀り声が心地よい。こんな状況じゃなければここで宿泊したいと思う。もしここが観光地になれば、多分高い金を支払っても来るんじゃないかなと思った。

 

 

確かに彼女の移動を邪魔して、本来飛ぼうとした場所から違う場所に移動させてしまったのは、俺が彼女の胸を揉んでしまったことが原因だ。ネモの意識が揉まれた胸にいきながら瞬間移動したことで、緯度も経度も全く違う場所に飛んだのだろう。ネモの方に戻ると、彼女はまだ意識を取り戻していない。俺は彼女を見ていらいらしていた。失神して普段の険のある表情ではなく、眠り姫のような、気品のある顔つきだ。ネモのことを何も知らなかったら、女嫌いの俺が絵本から出た可愛いお姫様と思うレベルで顔立ちが整っている。

 

(ただお前は許さないけどな。殺そうと思えば俺を殺せたのに、何度も拳銃で死なない場所を撃って痛めつけるとか……。こいつはサディストなのかもしれない。かなりニヤッとした顔で引き金を引き続けていたし…)

 

溜息をついてネモの介抱をする。こんな嫌な奴だが、何か情報や手段を持っているかもしれない。ここで死なれたら遠からず俺も死ぬ。本当に癪だが、ネモが呼吸しやすいように仰向けにする。失神した者には服の締め付けを解くのが優先なので、武偵校で学んだ緊急マニュアルを思い出しながらネモのベルトを緩める。…顔立ちが凄い整っていると思っていたが、体つきもアリアに大分近い。濃紺色のコートの金ボタンを外し、前を開くと合わせ目にフリル飾りの色ブラウスは海水でビショビショになっている。白地にポチポチと何かのプリント柄のある、無縁の下着が透けて見えていた。本当にアリアと体格が近い。ただ鍛えられているのはアリアの方だ。こいつはどこにでもいる少女のような身体にしか見えな…っ! まず! ヒする!

 

俺は勢いよくネモから視線を外して海を見渡す

 

(こんな奴にヒするとか…真面目に自殺を視野に入れるか?)

 

 

俺にはヒステリア・サヴァン・シンドロームという体質がある。これは、神経伝達物質により中枢神経の活動を高めることで、思考力・判断力・視力・聴力・反射神経等が通常時の30倍ほど上がる。発動条件は「性的に興奮すること」だ。この条件を満たせば、βエンドルフィンが分泌されるため、これを使える。遠山家一族に遺伝する体質で、父も兄もこの体質を持っている。発動条件は俺とは違うらしい…詳しいことは知らないが。俺はこれをヒステリアモードと呼称している。

 

俺はヒステリアモードを極力使いたくない。俺の場合、ヒステリアモードになると「子孫を残すため」という根底から「女の子ことを最優先にして思考を行う」という特徴がある。例え女側が無茶苦茶な、ヒステリアモードが終わった後にも続くようなお願いをされても、この状態だと受け入れてしまう。これを無下にしようとしたら、女はキレて俺のことを陰険に扱う。以前この力が周囲に知れ渡ると、女達は俺にあの手この手で誘惑してきた。結果、俺は彼女達の願いを何でも叶える傀儡になり、責任も全て俺が取ることになった。自分ではない自分がしたことなのに、責任や労力を使わないといけない。これがどれだけストレスになるか…分かるだろうか。

 

これをネモに知られたら、間違いなく碌な目に合わない。俺だけならともかく、師団の情報を抜かれるのだけは…。あいつは、超能力で移動が出来る以上、メヌエットのように、何か情報を喋らせる超能力があってもおかしくない。

 

海を眺め続ける。綺麗だ。このまま母なる海に飛び込めば全て終わるのかと考えていると大分血流の流れが収まった気がする。何度か深呼吸してネモの方を見る。近くにあるポーチを開封する。中身は…水色のヘアゴム、ミニ香水瓶、お金、クレジットカード、お守り、眼鏡、分度器、万年筆、手帳…銃やナイフのような武器は無い。

 

手帳に何か無いかと思いながら開くと、海水でインクが溶けていた。何か書いてあった形跡は伺えるのだが、何も分からない。はぁー、つっかえと思いながら何か組み合わせると違う道具になるのではと思いながら道具を弄っていると

 

「手を挙げろ」

 

憎たらしい声が聞こえてきた。俺の首に、後ろから小さな銃口が突きつけられている。

 

ネモだ

 

(くそが)

 

ブラウスは開けたが、スカートの方は調べていなかった。おそらくスカートの中に隠し持っていたのだろう。ヒステリアモードになるのを防ぐために、調べなかったことが仇になった。大人しく両手を上げる。後ろからは腰のベルトがカチャカチャと音が聞こえた。

 

「わ、私の着衣が乱れていたぞッ。遠山キンジ、貴様……私が気を失っていた間に、て、抵抗できないのをいいことに、何をしたッ! この汚らわしい卑劣漢め……!」

 

俺が介抱してやろうとベルトや服のボタンを外したことを、気絶したのをいいことに悪戯したと考えているようだ。

 

(助けたのに…助けたのになんで責められるんだ。あのままだとお前は死んでいたのに…くそが。やっぱりこいつを助けても良いことないのか)

 

そんな内心を抑えながら

 

「お前が息をしやすいように、緩めたんだ」

「そのような話が信用出来るかッ、貴様は未婚の淑女の胸をいきなり触る野獣なのだ!」

 

(不味い、引き金に力を入れている気配がする。流石にヒステリアモードなしでこの距離だと避けるのも防ぐのも逸らすのも難しいぞ)

 

「あれは事故だ。本当は肩を突き飛ばそうとしたのだが、本当に済まなかった。それに俺は海に浮かんでいるお前を助けるために泳いで介抱までしてへとへとなんだ。男は元気がないと厭らしいことは出来ないぞ」

 

こちらが焦っていることを悟らせないように、平常心を保ちつつ答える。こういう状況では強く言い返したら女は自分の言い分が間違っていると感じて更に感情的になる。一度感情的になると、落ち着かせるのが面倒だ。

 

「そ、そういうものなのか」

 

きょとんとした声。怒鳴って言い返してこなくて本当に良かった。

 

「そうだ。だからお前が考えたような事はしていない。むしろ死にかけていた所を助けられたのに、拳銃を向けるとは…それがNの礼儀か? ここはどこだ? 教えろ」

 

ネモは俺の質問に答えることなく、俺の身体を弄り始めた。何か探している?銃?

 

この状況ならお得意の超能力で俺を殺せるだろう。例えば瞬間移動で俺を海や火山に放り込むとか。

 

(まぁ海や空や水中でも一度も負けたことないんですけどね。理子にリサにジーサードにカツェにサイオンに…ほんと碌な目にあわないな俺)

 

というか、もたもたしていた銃が回収される。流石に魔女みたいな女相手に銃無しは不味い。銃口が俺から逸れる瞬間を狙って…!

 

「っ!」

 

振り向いてネモの左腕を抑えようとすると、俺の首のすぐ横に弾が飛んできた! ここに来る前あれだけ俺に撃ったのにまだ弾が残っていたのか! でも弾はもう少ないだろ!

 

俺はネモに取っ組み合いをしかける。ネモの左腕を押さえたまま、ネモが右手に持っていた銃のスライドとストライカーを全力で握って駆動を阻み、再発の発砲を防ぐ。ネモの右手首を銃ごと巻くように捻ると、銃は砂浜に落ちた。弱っている女相手なら、ヒステリアモードなしでも遅れは取らない。

 

「アリアよりもちっこいマイクロ女子が! 革命ごっこなんてお部屋の人形でも使って遊んでろ! なんなら幼稚園や小学校からやり直せ!」

 

銃を封じたとはいえ、まだ超能力が残っている。挑発をして注意をひきつける

 

「何だとっ!? 私は15歳だ! 初等教育などとっくに終えたわ! 国家学位も取得している! 高校中退の貴様に言われる筋合いはないっ!」

 

侮辱されるとマジ切れするタイプのようだ。こういうところもアリアと似ている。俺はネモから離れて銃を海の方へ蹴り飛ばす。暴発した銃が火を噴き、浜に当たった弾丸が白い砂を飛び散らせた。ネモには銃や刃物が通用しないのは知っていたのだ、素手で捕まえようとするも、ネモは割とすばしっこく、捕まえるのが難しい。俺の手足を搔い潜って両手を振るい、俺にビンタを喰らわせてくる。これが全く痛くない、本当に超能力以外はただの女って感じだ。醜い争いにお互い体力が尽き始める。俺から少し離れた場所で、軍帽とポーチのある辺りに倒れたネモは、ショートソードを取り出す。もちろん刃は丸裸だ。

 

「ミニチュアみたいな剣だぜ。刃渡り35㎝ってとこか。ちっちゃなお前にお似合いだ」

 

向こうが剣を取り出したので、俺もポケットからナイフを取り出す。ネモはヨロヨロと上体を起こし、人形姫座りになって剣の切っ先を向けてくる

 

「気高きネモ家の剣を侮蔑したな。この白い浜を、貴様の血で赤く染めてやる」

 

妙だ。さっきは挑発で取っ組み合いになったが、今は少し落ち着いている。なぜすぐに魔術を使わないのか。時間がかかるタイプの魔術をしようとしているのか?

 

「立つ余力もないくせに、時代がかったセリフでイキリがって。お前なんか踏みに不法投棄された粗大ごみみたいに、そこで転がってろ…」

 

魔術を使わないのはありがたいが、こちらも余裕がない。俺もヨタヨタと立ち上がり、ネモにナイフを向けたまま後ずさる。もし時間をかけて発動する魔術なら、もう使えてもおかしくない。俺は後ずさる。

 

「…逃げるのか、卑怯者っ……」

「お前みたいな…得体の知れない女と、一緒にいられるかよ……」

 

俺はネモから十分な距離を取り、白い砂浜から黒い岩場へと身を隠す。

 

(くそが、ネモめ。言えば言い返されるのはしょうがないが、俺を卑劣漢だと卑怯者だの散弾言ってくれやがって…。高校中退まで馬鹿にされてマジ切れしちまった…。ていうかあのチビ…、かなでと大差ない慎重だから10歳ぐらいかと思ってたのに、15歳だったのか。まぁ胸があるのは図らずも触って確かめちゃったし、アリア的なコンパクト女子高生ってことなんだろう。アリア胸ないけどな。どっちにしろそんな歳で人類文明を過去に戻そうとスケールの大きな事をしてるわけだし、とんでもない女だよ)

 

 

俺はネモから離れて磯の方に走り出した。ネモは撃ってこなかった。

 




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2話

ネモから離れて磯を歩く。空は抜けるように青く晴れていた。清浄な風邪には排気ガスはおろか有害物質の気配が全くせず、一呼吸ごとに肺が洗われるようだ。海は波打ち際では、太陽光に象牙色の砂浜を透過し、沖は光の屈折でエメラルドグリーン、外海はコバルトブルーと美しいグラデーションを見渡す限りに描いている。ネモと戦った砂浜とは違う砂浜に移動する。殴り合いで砂の偏りがあるわけでもない平坦で綺麗な砂浜だ。水はけのよい砂は早朝の雨を吸い込み、日差しで蒸発させ、快い歩き心地になっている。後ろを見ると、島の森が見えた。

 

空、海、浜、森。どこを見ても言葉にならないほど美しい。時々理子と一緒に見ていた映画やアニメで、このような景色が描かれているのを見たことがあるが、こうして自分がその場に来て見るのは初めてだった。自分以外の声がしない。しばらくの間、ただ突っ立っているだけだったが、さきほどのネモとの争いを忘れさせてくれ、穏やかな気持ちを思い出させてくれた。密林と砂浜の境界にある木々にはいくつかの鳥が鳴いている。鳥の視線がこちらをむいていた。

 

(なんて言ってんだろうな)

 

自分の姿を見ると、この美しい光景とは反対だ。所々服が破けているし、血が付いているし、海に入ったから濡れているし…ある意味不細工だ。思わず笑ってしまう。全く笑いどころじゃないのに笑ってしまうとは、自分でも何で笑ったのか分からない。もしかしたら自分が想像している以上に、自分は追い込まれているのではないかと思ってしまう。

 

あてもなく歩く。携帯電話を取り出すが、圏外だ。ローミング先の通院会社で国を判別できるかと期待したが…携帯電話を閉じてポケットにしまう。今はとにかく街が人家を探そう、どこか船が着ける波止場があるはずだ…海岸沿いに進もう

 

海岸沿いに進んで歩いたが、街どころか人家すら見当たらない。洞窟や植物はかなりあるのに、人が見つからない。そのまま歩き出したところに戻ってしまった。砂浜に沿って進んでも人がいない以上、密林の中に入るしかない。歩いて10歩ぐらいで、そこは砂浜とは全く違う光景だ。蔓植物に幹を覆われた樹木、密集して生えた大きな扇形の草葉、地表にウネウネト出て罠のように足を躓かせる板のような根、雨にぬかるんだ土のせいで極めて歩きにくい。

 

さっきの観光地っぽい外観から、一気にサバイバルっぽい外観へと早変わり。邪魔な蔓をナイフで切りながら散策する。虫も沢山いて、縄張りに入ってきた俺を攻撃しようと機会を伺っているようだ。耳もとで羽の音が聞こえる。ナイフを振って威嚇するが、体力が更に少なくなっていく。もしこのまま暗くなれば、間違いなく俺は…いやそれを考えるのは後だ。

 

「!」

 

足跡を見つけた。近くで見ると、ブーツのような足跡だ。歩幅も小さく、女性のように見える。

 

「誰か…いやこれ」

 

ネモが履いていたブーツとこれが当てはまるか脳内で照合すると、かなりの確立で一致した。思わず溜息が出る。ついさっき景色を見て心を綺麗にしたのに、一瞬でここまで暗い気持ちにさせるとは…そこは認めてやるぜネモ。

 

泥まみれの汗だく状態で林を抜けると、岸に出た。ここにも足跡が1つも無い美しい砂浜があり、蟹が何匹かちょこちょこと横歩きをしている。

 

「可愛いな」

 

ここに来る前のいつもの時間、横になって動物が愛嬌を見せている時と同じ気持ちになった。やはり小動物の癒しは計り知れない。浜には所々木々からはみ出るように岩場が伸びており、複数の入江を形成している。その一か所ごとが自然にパーティションされたプライベートビーチに出来そうだ。周囲を探すと足跡を見つける。足跡の土を触ると柔らかい。ついてからそこまで時間が立っていない。第一村人発見と思い、ホッと息を尽きながら歩くと

 

「…」

「…」

 

お前かよ。その言葉が喉元ギリギリで出てきたが、急いで胃の中に戻す。向こうも俺に気付くまでは「助かった」と見た事のない明るい顔をしていたが、俺だと分かった瞬間すぐに陰のある表情でぎろりと睨んでくる。ネモは俺と違い、行儀よく軍装を整えている。それだと苦しくないのかと思っていると

 

「遠山キンジっ! 貴様は私の近くを歩くなっ!」

 

大股でナイフを振り回し怒鳴りながら近づいてくる。ナイフの切っ先には枝がついており、俺と同じようにナイフで邪魔な枝や蔓を切っていたようだ。こいつと同じことをしていたと思うと、溜息が出る

 

「溜息をつきたいのは私だ! いいか愚かで乱暴で淫らがましい獣よっ、高潔な私の半径10㎞以内に侵入することを禁じる! もしもその圏内に踏み込んだら、貴様を射殺する! 分かったか!」

「お前から近づいてきたらどうすればいいんだよ」

「…~~~!」

 

国家学位が高校中退に負けた瞬間であった。俺を睨みながら「ううぅ〜」と強く唸っている。一周回ってこいつアホなのかと思えてきた。どう返すのかと国家学位さんの反応を見ると

 

「そもそも詰められるようなことをするなっ!」

 

そっぽをむいてどこかに歩き出した。初めてネモに口論で勝ったかもしれない。俺はよっしゃぁと拳をぐっと握っていた。自分の顔を見れないが、多分笑顔だった。

 

結局は渡場を見つけることができなかった。次に探すとしたら、ヘリポートか通信施設だ。高潔(笑)なネモ様から近づくなと言われたし、出てきた陽を避けるため、再び密林に入る。太陽の向きで方角を確認しながら、邪魔な蔓を切って、転ばないように足下にも注意を向けて、蛇行しながら歩く。植生は日本のものではない。杉や檜が全く無い。四苦八苦しながら歩き続けると、足元に火成岩が増え、植物も減ってきた。岩山になっている辺りには水蒸気と思われる煙も見られる。

 

登山を続け、山頂に至る。東西南北あちこちに目を向けるが、一目でこれはやばいと気付いた。どこにも建物が見当たらないのだ。通信施設も、ヘリポートも、電波塔も、車道も、歩道も、家すら見当たらない。森と岩と砂浜しか見当たらないのだ。ここ以外に高いところはない。つまり現時点で一番高いところから見る景色でこれなのだ。

 

俺の額に、暑さではない汗が滲む

 

ここは絶海の孤島

 

無人島だ

 

 




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3話

ネモが来る方向を限定出来る場所に移動する。もう太陽は西に傾いていると思った瞬間に空が黒くなった。雲の陰に入ったようで、湿った海風に巻かれた雲は特売に駆け込む主婦のようにデッドヒートしており、灰色に染め上げていく。そしてポタポタと水滴が落ちてきた。最初は小雨だったが、数秒後にザーザーと土砂降りになる。

 

(島の天気は急に変わると聞いたことがあるが、これほどとは…)

 

実の無いバナナの木に駆け寄り、大きな葉っぱの下で雨宿りをする。向こうの方では、木々に飛び散った雨粒が白い霧のような湯気を濛々と立ち昇らせているのが見える。俺は思い切って服を脱いで下着一枚になる。海水に当たった塩が身体にべたついているのを洗うためだ。塩は爛れや擦り傷の原因になるので、この天然シャワーで肌から落としていく。顔も洗っておこうと上を向くと口に雨水が入ってきた。

 

「あ…水…」

 

飲み水が無いことに気付く。これほど探して家が無いなら、水道も無いだろう。この雨水を溜める方法を考えるが、今手元にあるものではどうしようもできない。ここは水はけの良い砂地だから雨は地面に浸水していく。深く掘ろうとすると海水が出てきた。

 

雨雲が通り過ぎた空は、見惚れてしまうような薔薇色へと変色していた。美しい夕焼けだ。

 

「…」

 

言葉が出ない。ここに来てから景色に良くも悪くも圧倒されている。夕焼けだが、空の一部が暗くなってきている。さっきの雨から豪雨になったところを見ると、すぐに寝床の準備をしなければ、本当に身動きがとれなくなってしまう。下着もずぶ濡れ出し、ズボンも上着も何もかもが濡れている。気持ち悪い。もうこのままパンイチで動く? いや、流石にそれは危険すぎる。俺は渋々ズボンだけ履いて寝床の確保に動く。

 

サバイバル環境で最初に必要なのは火だ。人間は食料を摂らなくても2週間ほどは死なないし、水を飲まなくても3日ほどは死なない。ただし、これは獣に襲われない限りの話。ここは獣がうじゃうじゃいるから、火を焚いて接近を防がないと死んでしまう。ライターやマッチは無いが、火を起こす方法ならある。ベレッタのホルスターの底にメタルマッチを常備しているのだ。偉いぞ俺

 

メタルマッチとは、マグネシウムを主成分としたやすりのような棒だ。それをナイフの背でがりがりとするとあら不思議、摩擦熱で火花が出る便利アイテムです。これサバイバルでは重宝しますので皆さん覚えておいてください、テストに出ますよ?

 

…あれ? 確かにこの辺りに入れてたよね俺?

 

探して見るが見つからない。なんでやとホルスターをひっくり返すと小さな紙が出てきた。イタリア語で書かれている

 

「借金の利息に貰っておいたわ♡ 借金ブタへ ベレッタより」

 

…そういえばイタリアでベレッタに身ぐるみはがされて、色々な武器を勝手に弄繰り回されましたね。あの日本マニアが…余計なことをしやがって…

 

メタルマッチが無くても大丈夫です皆さん。火起こしには他の方法もあります。火打石さえあれば割と何でも解決できます。沈みゆく夕日の中、地面を這いずり回りながら石を手に入れる。それをズボンのポケットに入れて温めたら、海水で冷やして岩場に叩きつけた。思ったよりすぐに火花が出たことに安堵し、急いで薪を回収する。

 

流木は伐る必要がなく、水分が抜けているのが理想的だ。さっきの雨で表面が濡れているのがほとんどだが、中は乾燥しているため使えそうだ。いくつか流木を持って焚火の所に戻る。素早くそれを折っていき、大きさを揃えて組み上げる。この薪の組み方は、閉じかけの傘のように薪を並べて、円錐状の形にする。この組み木の内側に、焚きつけとなる小枝と葉っぱを置いていく。ズボンのポケットにあった糸くずを取り出し、糸くずに火花が通るようにして

 

「おっしゃ」

 

糸くずから薄い煙が上がった。枯葉の皿をそっと持ち上げ、火口の糸くず・木くずに優しく息を吹きかけて酸素を送ると…ボッと枯葉が燃え上がった。この火種を先ほど組んだ薪の内側に差し込んで

 

火が焚けた

 

焚火が燃えだしたと同時に一気に空が暗くなる。あと少しでも遅かったら手元が見えなくてお陀仏だっただろう。寝床は手抜きになるが、風雨だけは防げるA字型シェルターを作る。疲れた身体に鞭を打ってなんとか寝床を完成させた

 

ぐぅ~

 

腹が減った。何か食べたいが食料が無い。暗い中動くのも危険だ。何もしないで横になって少しでも体力回復した方が懸命だろう。

 

「…ちくしょう」

 

なんで自分がこんな目になっているのか、この先どうなるのかという不安が一気に心を占めている。このままだとまたマイナスの気持ちになると判断した俺は、身体を起こして鞄の中身を点検することにした。

 

高認テストを受けるための参考書、ノート、筆箱、女児のセーラー服…

 

(この状況で女子のセーラー服を持っている俺って…)

 

ま、まぁ布はこの状況なら汎用性が高い。何かに使えるかもしれないしとっておこう。点検を終えて空を見上げる。空は数え切れないほどの星が輝いている。赤や青の星もあるし、天の川も自己主張が強い。北極星はどこかと探していると南十字星が挨拶してきた。

 

(ここは南半球のどこかだ…まじですか…)

 

見える光はその星々だけで、島も海も恐ろしいほどの暗闇だ。焚火の周りだけが地上として存在していて、他の部分は消えてしまったみたいだ。さっきまで砂浜と密林と岩と流木が見えていたのに、そのどれもが見えない。自分一人だけが取り残されている感覚。まるで星の向こう側に誰かがいて、こっちを見て笑っているかのように思えた。

 

(いかん、いかんぞキンジ。そんな考えはやめないと)

 

さっきからマイナスの感情と思考しか出てこない。波の音しか聞こえず、静寂な空間に身を置いていると、どこからか枝を踏む音が聞こえた。

 

音が聞こえた方を向くと、そこにはネモがいた。

 

 



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4話

「き、貴様はなぜ上半身裸なのだっ!? 原始人かっ!?」

 

木を杖代わりにしてヨロヨロと近づいてきた。これまでの疲労とストレスが重なっていた所為か、ネモの接近に気付くことが出来なかった。今まで不可能を可能にしていた俺がこんな初歩的なミスをするとは…メヌエットに笑われそうだぜ

 

「なんのようだよ」

「ふん、貴様に用はない。用があるのはその焚火だ。頂くぞ」

 

ネモは俺が必死こいて作った焚火を当たり前のように取ろうとしてきたので、近くに落ちていた小石をネモに投げつける。

 

「いたっ! 何をするんだこの野蛮人が!」

「それはこっちのセリフだ。お前こそ何してんだ」

「貴様には不必要なものだろう? 私が有効活用してやるから感謝しろ」

 

イラっ

 

あぁ…本当に…もう…

 

自分の中で何かが溜まって行くのが分かる。そしてこれは吐き出さないと自分が崩壊する類のものだ。ソースは俺。以前兄さんが死んだと報道され、そのときに民衆は兄が悪いと罵り、弟の俺にまで突撃訪問してきて、取材させろの一点張り。あのときのストレスと似ている。

 

「うるさい」

 

もう一度ネモに小石を投げつけると、ネモは木でガードした

 

「ふん、原始人が。ここが貴様の墓場だ」

 

俺は無言でネモに石を投げ続けると、ネモの持っていた木に当たり、木が折れてしまう。

 

「出ていけ」

「何度も言わせるな。これは私が」

「出ていけ!」

 

ここに来て一番の怒鳴り声を上げる。ネモはヒッと小さく怯えた声を出したが

 

「出ていけ!」

 

怯えて動けなくなっていたネモの隙をついて、拳銃を取り出すと

 

「ふ、ふん。貴様など明日には死んでいるだろう。せいぜい最後の夜を迎えるんだなっ!」

 

ネモは逃げるように去って行った。いなくなったのを確認した後に、ネモの行動に疑問を持つ。超能力を使えるネモが、一切超能力を使ってこない。これまで一度も使っているところを見たことがない。敵の俺に近づいてきたということは、本当に超能力を使えないということだろうか?

 

「…これはチャンスか?」

 

超能力が使えない。その状況はいつまで続くのか。明日には使えるようになっているかもしれない。もし使えるようになれば、銃しか持っていない俺は敗戦濃厚だ。なんせ奴は弾を相手に反射させていた。飛行機で理子と戦った時にやった銃弾逸らしとは違い、直線で返ってくるのではなく、歪曲して返ってきている仕組みのようなので、こちらが撃った瞬間に自分に銃弾が貫通するだろう。

 

だがそれはネモが俺に敵対心を持っている場合の話だ

 

もしネモを俺の言う通りにすることが出来れば、それを防げるかもしれない

 

あいつがあそこまで大きく出ることが出来るのは、超能力があるからだ。逆いえば超能力を使えないあいつは大きく出ることができない。現にすぐに去っていたのが証拠だ

 

「…やるか」

 

重たい腰を上げる。ネモを俺の人形にする。それしか生き残る術はない。そのためには、ネモを怖がらせ、弱らせて、もう立ち直れないと思っていた状況で俺がネモを助ける。これを繰り返せば…

 

「っはは」

 

思わず笑ってしまう

 

あぁ、そうか。飛行機ジャックで理子が俺に兄さんが生きていると伝えて誘導した時こんな気持ちだったのか…。理子、今になって分かるぜ。これは確かに笑うな。笑わない方がおかしいよなぁ。

 

そしてこれは確実に決まるだろう。理由は2つだ。

 

1つ目は俺が実際に経験したことからこの行動がどれだけ影響があるかを把握していること

 

そして

 

「俺が不可能を可能にする、ネモが可能を不可能にする…面白れぇじゃねぇか。絶対お前には負けねぇよネモ」

 

自分と相反する存在。どちらが上なのかはっきりさせないと気が済まない

 

俺はネモが去っていた方向に向かって歩き出した

 



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5話

ネモの足跡を頼りに歩いていると、小さな小屋を見つける。小屋の窓から明かりが漏れており、そこにはネモがお手製の簡易ベッドで横になっていた。他にも家具が置かれている。

 

「?」

 

家具をよく見ると、明らかに人工的に出来ている。何か刃物で切り取ったような形跡も見える。何か刃物が落ちていたのだろうか?

 

そんなことは後回しだ。今はネモを…

 

頭の中でネモをめちゃくちゃにする。殴って痣をつくるのも良いし、縄で縛って動けないようにするのもありだ…どうしてやろうか

 

これは俺の能力、ヒステリアモードの1つだ。感情が高ぶっていると俺自身が凶悪になるという諸刃の剣だが、通常のヒステリアモードよりも火力は上がる。もうチャンスが来るか分からないため火力を高くしたいのと、本当にネモをぐちゃぐちゃにしたい欲求が合わさったのだ。

 

10分以上息を潜めて様子を見るが、ネモは寝たままだ。仕掛けるなら今だろう。

 

俺が小屋に侵入したその瞬間

 

「っ!」

 

足元に何かが出てきた。咄嗟にバックステップして回避する。地面から銀色の釘が飛び出してきた。これには見覚えがある。オスプレイのときにいた奴だ。荷物にくっついてたのかもしれない。そいつは俺に近づいてくると、形を変形させてきた。鋸や剣、槍などと形を変えて俺を攻撃してきたが、そこはヒステリアモードの俺。負けるわけがない。

 

形態変化する直前に掌に抑え込む。奴は全身を刃に変えて抵抗してきたが、暴力衝動に駆られている俺なら痛くも痒くもない。

 

「ネモが弱っている。俺はそれを助けに来たんだ」

「?」

 

あぁすごい。心の中は殺気立っているのに、まるで喫茶店で談笑しているように穏やかな声が流れるように出てくる。

 

「俺の所に来た時、とても疲れているようでな。ほら、ネモの顔が少し傷ついているだろう? あのままだとネモが死んじまう」

「!?」

「お前が思っている以上に人間の身体は脆く簡単に壊れる。ここは病院が無いから早めに治療しないとあいつは…」

「…」

「だから協力してほしいんだ。俺もここで1人になるのは嫌だからな。ネモを助けるために協力してくれ」

 

そいつは刃状態を解除してくれた。ピンポン玉のような形になり鎮座している。

 

なるほど。お前は女か

 

色々な奴に根暗だの女たらしなどと言われていたからな。俺のいう事をすんなり聞くという事は、お前は雌確定だ。

 

「いいか。これからネモが確実に生きるためには、必ず俺の言う事を従ってくれ。ネモが何を言っても、それはあいつが自分の弱みを見せたくないからだ。今までもネモが弱みを隠そうとしていたことがあったろ?」

 

そいつには思い当たる節があるのか、ジャンプして応えてくれた。言葉が通じないようだが、そこはボディランゲージでどうにかするしかない

 

「お前いつから見ていた? 俺がネモを砂浜に移動させて救助したことは知っているか?」

 

ぽよんぽよん

 

「見ていたんだな。さっきも言ったが、ここは一切の治療する手段や施設がない。そのためにも一瞬の油断が命取りだ。いいか、俺の命令は絶対だ」

 

ぽよんぽよん

 

さっきよりも強く跳ねている気がする

 

「治療が出来ない以上、予防を徹底的にするしかない。その予防をするために、これから指示をする。まずはネモの両手足を縛れ」

 

ぽよんぽよん

 

そいつはネモの上に乗っかり、餅のように伸びて両手足を拘束した

 

「治療が苦手な奴は、大きな声や動きで抵抗して来る。ネモがそうか俺は知らないが、もしそうなったとしても、ネモが生きるためだ。絶対に解かないでくれ」

 

ぽよんぽよん

 

「ゆっくりと首を締めてくれ」

 

そいつがリングのような形になりネモの首に巻き付いた。ネモは苦しそうに眉を潜めるが起きる気配はない。もちろん両手足は拘束したままだ。

 

ギリギリ起きないところまで首を絞めてから

 

「ゆっくり緩めろ」

 

俺はネモの耳に口を近づける

 

「大丈夫だネモ。俺がいるから大丈夫だ」

「ん…ぅう」

「もう一度ゆっくり締めてくれ」

 

ぽよん

 

苦しそうにしていた後に、大きく息を吸うネモの耳に、何度も大丈夫だと刷り込ませていく

 

「繰り返しごらん。ネモはキンジの言う事が絶対」

「ネモは…んぅ」

「ほら。もう一度。ゆっくりでいいんだ。ネモは」

「ネモは…」

「キンジの」

「キンジの…」

「言う事が」

「…いう…ことが…」

「絶対」

「絶対…すぅ…」

 

笑いを応える

 

俺はこれを空が明るくなる直前まで繰り返してから、自分の拠点に戻った。

 



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