“皇帝”と愉快な同期たち (カミカゼバロン)
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“皇帝”シンボリルドルフ
―――“皇帝”シンボリルドルフ。
日本ウマ娘史上初となる「無敗での」クラシック三冠制覇(無敗でなければ前年のミスターシービー含めて4人目)。天皇賞春、ジャパンカップ、有馬記念(連覇)の合計7冠。2年連続の年度代表ウマ娘への選出。
トゥインクルシリーズにおいてそれだけの戦績を収めた彼女は、日本の期待を背負ってアメリカのウマ娘レース、それも最高峰の1つであるGⅠサンルイレイステークスに出走する事になり―――コースの差に対応しきれず、着外の6着で敗北。
今は療養しつつもトレセン学園における生徒会長を務めている彼女であるが、この世代は『シンボリルドルフ』という輝きが眩すぎて他のウマ娘の影が少々薄いという印象を受けるのは、一般のウマ娘ファンからすれば已む無しというところかもしれない。
だからというわけでもないだろうが、日刊トゥインクルによる独占取材―――療養中で気を紛らわせたいという事もあり、丸1日の時間をとってくれたそれにおいて、若い記者が不意に失言をしてしまった。
「世代特集を考えていたのですが……。貴女ほどの偉業を成し遂げたウマ娘と比べてしまうと、流石に同期のウマ娘の方々の影が薄くなってしまいますね」
「えっ……?」
その言葉を受けた時の“皇帝”の反応は、まさしく鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。
しかしその驚きの表情も僅か数秒。口元には力ない笑みが浮かび、耳と尾がへにょりと垂れて顔が俯いたションボリルドルフを前にして、年嵩の記者が慌てて腰を浮かせた。失礼な若手記者を叱責し、物言いを詫びようとしたのだ。
だが、それより早く返ってきたルドルフの反応は、若手・年嵩の両記者の想像とは全く違う言葉であった。
「そうであれば、どれだけ楽だったか……」
「えぇ……?」
困惑する記者へと向けて、ルドルフは顔をあげて苦笑する。
その表情からは“皇帝”というイメージとは少々違った、同期に対する気安い稚気が感じられた。
「……百聞一見とは言いますが、まずは語って聞かせましょうか。存外、私の同期は“濃い”世代ですよ」
その言葉の真意を探るべく、行方不明だったウマ娘を探して取材班はアメリカへ飛んだ。
―――比喩ではない。ここで聞いたエピソードを特集に纏めるために、月間トゥインクルがガチで取らざるを得なかった行動だ。
これは、シンボリルドルフという一等星の輝きに飲まれてしまった―――というより、シンボリルドルフの“おかげで”奇行が目立たなかった、癖が強い同世代のウマ娘たちについての話である。
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マリキータ 1
なお、経歴の異色っぷりは割と凄い。端的に言えば「アメリカで5年行方不明になった後で発見されて帰国した」。
シンボリルドルフと同世代でデビューしたウマ娘の中に、マリキータというウマ娘が居た。
小柄で細身。黒みがかった艶やかな黒鹿毛を持ち、長いストレートヘアも相まって、日本人形といった風情のウマ娘だ。
12戦2勝という戦績は特筆するほどのものではないように感じるかもしれないが、2勝のうち1勝は重賞。GⅢ、新潟ジュニアステークスである。
しかもメイクデビューでレコードタイムでの大差勝ちを記録し、新潟ジュニアステークスでは前走で自分が出したレコードを更に1秒以上短縮するというオマケ付きだ。
ルドルフと違ってティアラ路線を志望していたウマ娘であるが、彼女がそのポテンシャルを継続して発揮できていれば。或いはこの世代はクラシック路線のルドルフと、ティアラ路線のマリキータの両者の世代と呼ばれていたかもしれない。
しかしマリキータというウマ娘は、決して身体が強いウマ娘ではなかった。
ジュニア級を走り切った後で骨膜炎を発症し、ティアラ三冠を回避。レースを得意の短距離からマイルに絞るも、クラシック以降はオープンでの入着が限界となり、シニアの夏に出たGⅢ関屋記念を最後としてトゥインクルシリーズでのレースを終えた。
―――と、ここまでであればジュニア級で非常に高いポテンシャルを発揮しながらも、クラシック以降は力を発揮できなかったウマ娘という、『よくある』とは言わないまでも『たまにある』経歴の持ち主なのだが。
彼女、ある意味ではシンボリルドルフをすら上回るトンデモ事件を巻き起こした、同期最大のお騒がせガールであったのだ。
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話は1年ほど遡り、未だシンボリルドルフがジャパンカップや有馬記念を勝利する前の5冠ウマ娘であったころ。大きなスーツケースだけをお供に連れた和服のウマ娘が初秋のアメリカ西岸カルフォルニアを訪れていた。
彼女は空港から出た彼女は燦々と照りつける太陽に対して、睫毛が長い目を僅かに細める。雑踏から聞こえる言葉が自身にとっては耳慣れない言葉であることに落ち着かないように、ウマ耳はくるくるとせわしなく動いている。
「……ここが……アメリカですのね……」
ウマ娘にとっての『最初の3年』を走り切ることなく、同期の活躍や日本のレースについてのニュースをスマホ越しに眺めるだけ。日本にいれば嫌でも同期の活躍を目にしてしまい、自身の境遇と比較して気が滅入ってしまうからと、一念発起して傷心旅行に来たマリキータである。
エキゾチックな雰囲気を持つ和服のウマ娘。その存在は周囲の耳目を集めているが、すっかり気落ちしている彼女はそれに気付くことはない。
慰留するトレーナーを振り切って中央トレセン学園を自主退学し、ルドルフなどの最上位とは比べるべくもないまでも、重賞勝者という上澄みとしてそれなり以上に通帳に振り込まれていた賞金を引っ掴んで、勢い任せの旅に来た身である。ある意味では自暴自棄とすらいえる精神状態だ。
そして勢いとスーツケースだけをお供にしてきた以上、なにか目的があるわけではない。しかし彼女の脚が向かったのは、なんの因果か或いは本能か―――サンタアニタパークレース場という、アメリカウマ娘のレース場だった。
「………」
レース場の中から聞こえてくる歓声に彼女は俯いた。レースの歓声、熱気、そういったものは日本も海外も変わらない。それにあてられて、日本でのレース生活が思い出される。
羨望、悔恨、そして『まだ走りたい』という心の奥の渇望。内心から湧き上がるそれらの感情と、どう向かい合って良いのか分からない。
そうしてどれほど俯いていたか、マリキータは覚えていない。数時間ということはないだろうが、数分で済むほど短い時間ではなかっただろう。
だが、その時間も永遠には続かない。立ち尽くすウマ娘に気付いたレース場のスタッフが、困惑した様子と共に英語で声をかけてきたのだ。
『どうしたんだい? なにか調子が悪いのか?』
「……ッ……!?」
英語でかけられた言葉と若いレース場スタッフの存在に気付き、尻尾と耳をピンと跳ねさせたマリキータは、慌てて顔を上げた。
明らかに心配した様子の、人が善さそうな異国の男性。言葉が分からなくても、自身を心から案じているであろうことはマリキータに伝わった。
(ああ、いけない。心配させてしまいましたわ……)
恥じ入りと申し訳無さが、彼女の胸中に去来する。そうして再度俯くマリキータの反応をどう捉えたのか、レース場スタッフは心配そうに、やはり英語で言葉を続けた。
『もしかして、関係者口が分からないのかな? エキシビジョンのちびっこレースの参加者とか……』
余談ではあるが、アメリカの方からすれば日本人は童顔に見える傾向があるという。それはアメリカウマ娘と日本ウマ娘の関係でも変わらない。なんならマリキータは和服が似合うほっそりとした体型である事も無関係ではないだろう。
失礼極まりない話ではあるのだが、異国の青年の目には既にシニア級までレースを走っているマリキータの年齢が、トレセン学園入学以前の年齢に見えていたのだ。
ことによれば怒られても仕方ない、少々デリカシーを欠いた異国の青年の言葉。それに対してマリキータは意を決した表情で―――
「オーケーオーケー! イエース! イエース!!」
―――力の限り精一杯、知っている英語を言ってみた。そして彼女は青年が何を言っているかを聞き取れていない。合計で見れば英語の成績は悪くないが、リスニングが壊滅的だったマリキータである。
この時彼女が発揮したのは、ウマ娘であろうとヒト娘であろうと、なんならヒト息子であろうと共有できる学生的な悪あがき精神。『分からないなら、とりあえず知っている英語でどうにかしようとする』精神である。足掻き次第でときどき部分点が入るやつだ。
なぜこのタイミングで無闇に前向きにその精神を発揮してしまったのか、後にルドルフ含めて関係者すべてが頭を抱える案件であった。
『ああ、やっぱりか! アジアからの移民ウマ娘なのかな? その服、エキゾチックで可愛いね!』
「イエース! サンキュー! アイムオーケー!」
青年は眼前の少女がなぜ困っていたかが分かったと思い、パッと顔を輝かせて頷いた。マリキータも青年の表情を見て『心配いりません』という意図が伝わった思い、笑顔で頷いた。
このとき両者の間には会話が通じたという安堵感があったが、全身全霊で気のせいである。なんなら青年の認識に至っては合っている部分を探すほうが難しいが、それを指摘できる者は誰もいない。
力強く『イエースイエース』と答えた
当然ながらネイティブがネイティブに向けて英語で喋っているので、マリキータは会話の内容をミリも理解できていない。だいぶ後の世代の話となるが、『完膚』という単語をゴールドシップから振られたトーセンジョーダンくらいの理解度と表情である。
『先輩に確認したらもう参加者は全員来てるみたいだけど……飛び入り参加希望かな?』
「イエースイエース」
『分かった、伝えておくよ。ちょっと急いだほうが良いから、そろそろ行こうか』
「オーケーオーケー」
だいたいマリキータ側がイエスとオーケーの2択で押す会話であるが、運良く、或いは運悪くやり取りの意味が通ってしまっていたのは何の偶然か。
幼い子供の手を引いて案内してあげるくらいの感覚でマリキータの手を優しく握り、関係者用の入り口からレース場へと彼女を案内していく青年。
対するマリキータは若い男性からいきなり手を握られたという事実に対して羞恥で顔を赤くしながらも、青年が向かう先が通常の入り口ではなく、『STAFF ONLY』と書かれた関係者用の入り口(リスニングが苦手なだけで、これくらいは読める)であることに気付いて瞠目した。
(関係者用の入り口。……この方はまさか、アメリカのトレーナーですの……?)
レース場の警備員さんであるが、それを訂正する者は誰もいない。
そしてアメリカ人からすれば日本人が童顔に見えるという言葉の逆に、日本人から見ればアメリカ人は年上に見えがちだ。体格差などの面もあるだろう。
トレーナー(仮)に手を引かれて、渡されたゼッケン付きの体操服(世界共通規格)に目を白黒させながら着替えて、流されるままに驚きと共に送り出されたレース場においてマリキータを迎えたのは、彼女を上回る体躯を持つ小学校高学年のウマ娘女児達だったのだ。
マリキータ視点、完全に同年代である。なんなら彼女たち視点でもマリキータが同年代か、いっそ年下に見えたやつだ。非公式のちびっこレースならではのおおらかさから、年齢確認などがされなかったのも運が悪かった。
『わぁ、お人形さんみたい! 貴女、可愛いね!』
『今日はよろしくね!』
日本人形のような雰囲気を持つマリキータに対して、アメリカ女児ウマ娘たちは気さくに声を掛けてくる。お国柄もあるだろうが、子供特有の距離の近さだ。
それに面食らったマリキータであるが、彼女は先の青年相手の会話でアメリカにおける会話方式を確立していた。
「イエースイエース!」
―――とりあえず肯定しておく精神である。
話をとりあえず合わせておこうという、和を以て貴しとなす精神を素材のままのナマの味で差し出した結果がこの有様だ。
なんにも伝わっていないのだが、アメリカ女児ウマ娘らは楽しそうにマリキータの黒鹿毛尻尾や髪を撫で回している。エキゾチックで可愛いとのことらしい。マリキータ側も彼女達の雰囲気からは全く悪意を感じないどころか剥き出しの好意が見て取れるため、『アメリカの人はスキンシップが激しい』という雑な理解で納得してしまっている。
その納得よりも先に、もみくちゃにされながらもマリキータが目をつけたのは別の部分だ。
(この子たち、体格は良いのですがトモの鍛え方も足りていないですわ。空気も弛緩しきっていますね。これからレースに挑む空気ではない……嘆かわしい)
小学生ウマ女児のちびっこレースに対する着目点としては些か不適切であるが、マリキータは大真面目である。
彼女はもみくちゃにされながらも鋭く周囲のウマ娘を観察し、マークすべき相手を見定める。更に借り物のシューズ(※ウマ娘アメリカ女児用サイズ。でもぴったり)に包まれた足で2度、3度と
(……不思議な感触のコースですわね。日本ではダートコースは砂を意味しますが、アメリカのダートコースは固い地面。しかしどちらでもなく、なんならウッドチップでもない。噂に聞くオールウェザー? ……悪くありませんわ)
オールウェザーとは主にアメリカやイギリス、ドバイなどで導入されつつある、人工素材を使ったバ場のことだ。主に電線の皮膜剤や合成ゴムの破片などをワックスで混合した素材が主流であり、
表面をならすのが容易でクッション性も高く、コストも安い。言ってしまえば『理想的なコンディションを求めて、人工的に作ったコース』である。仮にこのコースが日本に導入されていれば、URA理事長が必死になって芝を作るような事態は発生しえなかっただろう。
アメリカにおいてはダートとオールウェザーの双方のバ場でのレース結果を比較した場合、オールウェザーはダートに比べて重篤な故障が発生する比率が7割ほどであるという研究結果もある。
ただし、ワックス等の人工素材が雨などを通して土壌に流出するのではないかなどの懸念については研究・検証段階であり、日本においてはごく一部の練習コースで使用されている程度なのが現状だ。少なくともマリキータは走ったことがなく、座学のみでの知識であった。
(衝撃吸収性が高く、脚への負担が少なそう。
12歳以下のウマ娘による800mちびっこレースである。
(あのトレーナーさんが私を連れてきた意図も明白。恐らく私の脚を見て、このバ場に対する適性を見抜いてくれていたのでしょう)
警備員の青年の意図は迷子案内である。
(見ていてください、トレーナーさん。……
ちなみにGⅠやGⅢというのは日本やアメリカなどのその国だけで定められる評価ではない。レースに対するグレード付けは、国際的な機関で審査・評価されてのものである。
適性の差という問題を除けば、GⅢを獲った重賞ウマ娘であるマリキータは、理論上はアメリカの重賞ウマ娘と同格の存在であるのだ。
幾ら1年以上にわたる不振が続いていたとはいえ、ほんの1ヶ月ほど前までバリバリとシニア級で走っていたそんな存在が、小学校高学年のちびっこレースにうっかり異物混入すればどうなるか。
―――出した結果は、貫禄を通り越して大人げない大差勝ちであった。
これが非公式のちびっこレースだったから最終的には笑い話で済んだのだが、公式レースにうっかり混入されていた場合、ルドルフやURA幹部が受ける胃痛と苦労は数倍になっていただろうことは疑いない。
他国の公式レースに元URAの重賞ウマ娘が年齢詐称で入って大差勝ちとか、想像しただけでルドルフの尻尾の毛が何本も抜けるやつである。
そしてこの後、マリキータというウマ娘は暫しの行方不明期間を経ることとなるのだった。
参考資料:人工馬場の予後不良事故率は 低いとの調査結果(アメリカ)[その他]( http://www.jairs.jp/contents/newsprot/2011/3/2.html )
オールウェザー馬場については、アメリカでも導入され始めたのは21世紀になってから。実馬としては1984年デビュー組であるルドルフ世代の頃は存在しないはずですが、この辺りはウマ娘の世界ということでご容赦を。
日本では高温多湿な天候が品質に及ぼす影響なども懸念されており、実際に導入されたとしても欧米のそれと同じような効果を発揮できるかは不明のようです。
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マリキータ 2
マリキータの行方が分からない。
最初にそれに気付いたのは、翌年3月のURA広報部である。
ウマ娘にとって重要な最初の3年を終え、月間トゥインクルと協力して現時点での主要なウマ娘の戦績を纏めようとしたところで、重賞ウマ娘であるマリキータに連絡がつかなかったのだ。
傷心旅行に出たマリキータについては彼女の元トレーナーが強く気にかけており、旅行に行った直後に彼女本人から、
『アメリカのサンタアニタパークレース場という所で、走る機会を頂きました。なんと大差勝ちです! 模擬レースだったようでウイニングライブこそありませんでしたが、久しぶりの勝ちですわ!
レース場でこちらのトレーナーであるという方から出走を打診され、その方のご厚意で暫く泊めて頂ける事になりました。やっぱり私、レースが好きです! こちらのトレーナーさんのお手伝いをしながら、今後の事を考えてみようと思います!』
というメールを受け取り、涙を流して安堵していた。同じような内容のメールを受け取った彼女の家族も同様である。なんなら家族やトレーナーはその後も何度かメールのやり取りをマリキータと行っている。
―――が。
アメリカウマ娘のトレーナーの手伝いをしているという彼女について、アメリカURAに問い合わせても全く話が噛み合わないのである。所属しているトレーナーから、そのような報告は受けていないというのだ。
更に調べてみると、アメリカのサンタアニタパークレース場において、マリキータからのメールが来た日に模擬レースなどは行われていない。その日は通常のレースの後に、小学生によるちびっこレース大会が行われていただけであるという。
この事実に日本URAは愕然とした。送られてきたメールは本当にマリキータからのものだったのか? 電話ではなくメールでの連絡ということは、彼女の身を拐かした誰かがマリキータを装って送ってきたものではないのか?
―――惜しい、30点。国際電話は高いからメールで済ませただけである。
「憤慨ッ!! これは大事件である! URAの全力を以て調査し、彼女を救出するべきだ!!」
しかしそんな事実には誰も気付かず、理事長の号令一下、URAが事件解明に動きだした。ただし現地警察やアメリカURAとも協議した上で、誘拐犯(仮)に気付かれないように、彼女のメールアドレスに対して直接的に問いただすような事は避けての水面下での調査となった。
所属するウマ娘らへの精神的なショックを避けるべく、その事実はURA所属のウマ娘らにも伝えられることは1名を除いて無かった。その1名こそが、『アメリカのサンタアニタパークレース場に』遠征する事が決定しているシンボリルドルフだ。
マリキータが行方不明になったその街、そのレース場に赴く彼女に対しては、URAも事情を明かして注意喚起をするという選択をしたのである。
「……殆ど接点はありませんでしたが、マリキータのことはよく覚えています。デビューから2連続のレコード勝利をきめた彼女が……。私に出来ることはありませんか?」
「感謝ッ!! だが君は、まずは自分のレースを優先して欲しい! 君のトレーナーとも協議し、伝えるかどうかは悩んだのだ。君の性格ならば、間違いなく彼女を深く心配するだろう!!」
「当然です」
「心配ッ!! それでレースに対する悪影響が出ないか! だが、それについては君を信用するしかない! 我々が君に求めたいのは、彼女のような拐かしに遭わないかどうか注意する事だ! 彼女の捜索は我々と警察に任せてほしい!!」
「………………分かり、ました」
理事長室に呼び出され、理事長とその横に並んで座る自身のトレーナーからマリキータ行方不明事件について聞いたシンボリルドルフは、暫く悩んでから応諾した。
日本ウマ娘の模範や規範、或いは先駆けとなる。そのための海外挑戦であり、日本のウマ娘が世界に通じるということを、ジャパンカップのように迎え撃つ形ではなく、海外に攻め込むことで証明する。
それはシンボリルドルフのみならず、彼女に対して反目する立場を崩さないシリウスシンボリとも共有している大目標だ。あちらはアメリカではなく欧州への挑戦を決めている。
その大目標の前に、1人のウマ娘の事を気にする余裕は無い。―――と、割り切れないのがシンボリルドルフがシンボリルドルフである所以である。
他のウマ娘に対して優しすぎるくらいに優しいその気質は、時には過保護であると反発を受ける事もある。だが彼女が厳格な第一印象とは逆に『情』の人であることは、それこそルドルフにとっては幼馴染にあたるシリウスシンボリ辺りが小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら証言してくれるだろう。
なお実際にルドルフを馬鹿にすると、烈火の如く誰よりもキレるのがシリウスシンボリである。
ともあれURAで通達と注意喚起を受けてから数日。『専門家を信じて、自分はレースだけに注力するのだ』と並外れた克己心で自己に言い聞かせ、マリキータについて考えすぎないようにしながら、サンフランシスコに渡ったシンボリルドルフ。
既にジャパンカップで海外のウマ娘を破っていた彼女は、流石に『熱狂的な歓迎』とまでは言わないまでも、何人もの海外ファンによる空港での出迎えを受けた。
『Welcome Symboli Rudolf』
『To the eighth crown』
『ようこそシンボリルドルフ、同期の星』
アメリカ国旗と日本国旗を1本ずつ持って振っている若い女性ファンは、シンボリルドルフを歓迎する旨を手書きしたプラカードを首から提げている。ジャパンカップでの走りを見てファンになってくれたのだろうか。
『8冠へ向けて』という景気のいい横断幕を掲げている集団の中には、見覚えのある人物が居た。ジャパンカップにまで自分の『推し』を応援に来ていたディープなファンであり、客席の最前列に陣取っていたことを記憶している。
人の顔を覚えるのが特技であるシンボリルドルフは、それを見て嬉しくなった。これは明らかにジャパンカップでの自分の走りを見てファンになってくれた人と、その仲間たちである。
そして同期を歓迎する旨の旗をバサバサやっている行方不明の同期が―――
「待って。……え、ちょっと待って」
シンボリルドルフ、二度見である。鷹揚な笑みとともにファンに対して手を振りながら歩いていた所で急停止。少し後ろを歩いていたトレーナーが、ルドルフにぶつかりそうになってつんのめった。
「ルドルフ、どうした?」
「……トレーナーくん。マリキータについてのURAからの話は覚えているね?」
「ああ。だが、大一番を前にそれは一旦忘れなければならないということで、俺も君も合意したはずだ。もちろん君が望むならばレースの後に可能な限り探すことは出来る」
「……探すもなにも、あそこに居るんだけど」
「は?」
ルドルフのトレーナーを務め、彼女から『同じ視座を持つ相手』という対等の同志と評価されている、日本URAの若き俊英トレーナー。些か目つきが尖すぎる青年が、ルドルフに対して返した反応は『呆然』である。普段は鋭い目つきが、大きく見開かれてまんまるだ。ルドルフが見たことがない表情だった。
無理もあるまい。なんならルドルフの現在の反応も『呆然』である。URAにとっての重大事件の被害者とされている同期が、シニア級時代に最後に見かけた心折れかけた表情ではなく、元気に満面の笑みで旗を振っているのだ。誘拐された奴の表情と行動ではない。
記憶力には自信があるシンボリルドルフだが、流石にこの時は自己の記憶を疑った。
(……まさか私は心配のあまり、似ているウマ娘がマリキータに見えているのだろうか?)
「シンボリルドルフ―――っ! レースは絶対に見に行きますわ―――っ!
(いや、これは本人だな。本人じゃなかったら自分をマリキータと思いこんでいる別人で、それはそれでヤバい)
どう考えても同期でしかない物言いに、シンボリルドルフは自己の記憶を疑うのをやめた。同期でないのにこの物言いをしてくる奴は、自分がルドルフの同期だと思い込んだやべーやつである。流石にそんな極小の可能性は除外していいだろうし、そもそも存在してほしくない。
であれば彼女についてURAから伝えられた情報と、今の彼女の姿の差異はどういうことか。少し悩んでから、シンボリルドルフは進行方向を曲げてマリキータに向かって歩き出した。
マリキータが驚いて旗を取る手を止め、ルドルフ側も恐る恐るといった様子で声をかける。
「マリキータ……だよね?」
「あ、あら? 走る路線も違った皇帝様が、
「当然だろう。メイクデビュー、そして新潟ジュニアステークスで2度のレコードを出した君の事は、ジュニア級時代には強くマークしていた。でも待って、色々とそれどころじゃない」
どう説明して、何を聞いたものか。聡明な“皇帝”であるが、流石にここまでよく分からない事態に対して即座に対応できるほど、人生経験そのものは練れていない。実年齢より落ち着いてこそいるが、彼女は未だギリギリ10代の少女である。
結局彼女は言葉に詰まった上で、助けを求めるように背後のトレーナーを振り返る。眉を八の字にした困り顔で耳と尻尾を力なく垂らしての、世にも珍しい皇帝の完全降伏であった。人によっては『シンボリルドルフ』ではなく『ルナ』と呼びたくなる表情と行動だ。
それを受けたトレーナーが、ルドルフと入れ替わるように一歩前に出てマリキータと向かい合う。
「失礼、はじめまして。シンボリルドルフのトレーナーだ。不躾な質問だが、君は今はどこで何をして暮らしているんだ? URAでは君の居場所を掴みかねており、ちょっとした騒ぎになっている」
「あら、はじめまして。……えーと、トレーナーにメールはしたのですが。URAには伝わっていなかったのでしょうか?」
GⅠを7勝した皇帝、そしてその比翼といえるトレーナー。双方の目線を受けながら、マリキータは困惑した様子で首を傾げる。
「
嘘を吐いている様子には見えないマリキータの返答に対し、理解が及ばなくなったルドルフが『ルナ』の表情で助けを求めるようにトレーナーの顔を見上げる。
しかし10代であるルドルフより人生経験は豊富とはいえ、そのトレーナーも未だに20代半ば。世間一般にいえば『若造』でしかなく、このトンチキな状況は流石に理解が及ばない。いや、これはもう何歳であれば理解が及ぶかという問題ですら無いのかもしれない。
助けて欲しいのは自分の方であるトレーナーだが、流石に担当ウマ娘の前でそれを口に出すことはせず、代わりに口から出したのは彼の立場においては当然の疑問だ。
「君からのメールについては、俺も聞いている。サンタアニタパークレース場での模擬レースで、アメリカURAのトレーナーに出走を打診され、大差をつけての1着を取ったと。だが、当日のサンタアニタではそのようなレースは行われていない。だから誰かが君の名を騙っているのではないかと、URAでは心配していたんだ」
「えっ……?」
それを聞いたマリキータの表情が青ざめた。
自身の体験していたことが、実は存在していなかった事だと伝えられる。ホラー映画の一幕のような体験に思わず身を震わせながらも、彼女はおぼつかない手付きで和服の懐から自身のスマホを取り出して、一枚の写真を表示した。
「……そんな筈は、ございません。だって、このレースの写真は。
周囲に集まっていた他の出待ちファンが『なんだなんだ?』とでもいうように集まってきているが、それに構う余裕もない必死の表情で突き出されたスマホに表示されていた写真。
そこには確かに10名ばかりのウマ娘達が笑顔で映っており、その中央には久々の1着に思わず涙しながらも笑顔を浮かべているマリキータが居た。
このレースが、彼女たちが、存在しないとでも言いたいのか。青ざめた顔で必死に訴えかけるマリキータに対して―――
『おお、お嬢ちゃんちびっこレース大会で1着を取ったのか。いずれシンボリルドルフみたいになれるかもなぁ!』
―――横から無遠慮に覗き込んだアメリカのファンが、微笑ましいものを見るように笑って言った。
なお、ルドルフもトレーナーも英語ができる。横から聞こえてきた声に対する反応は顕著なもので、トレーナーは片手で顔を覆って天を仰ぎ、ルドルフは公共の場にも関わらず膝から崩れ落ちて能面のような虚無の表情を浮かべた。
『おいおい、どうしたんだ? 飛行機疲れか? レース本番まで日がないんだ。しっかり休んだほうが良いぜ』
『あー……失礼、ミスター。お伺いしたいのですが、彼女が見せている写真はちびっこレース大会のものなのですか?』
『そうだよ! おお、こっちのこの子は今年からサンフランシスコにあるトレセン学園の中等部に入るんだ。応援してるんだぜ!』
『……ありがとうございます。実はこの子、日本でのルドルフの知り合いでして』
『そうなのか? じゃあ、久々の再会なんだな。野暮な真似はしないで俺たちは帰るか。おーい、皆ー!』
無遠慮であるが民度は良いらしいアメリカファンが、周囲の他のファンに『ルドルフとこっちの小さい子は日本での知り合いらしい』『積もる話もあるみたいだから、俺らは解散しよう』と説明し、三々五々と散っていくアメリカのファンたち。
いつものルドルフであれば彼らに手を振ったり挨拶をしたりくらいのファンサービスはあるかもしれないが、地面に膝をついて虚無の表情をしている皇帝にそれを求めるのは流石に酷だろう。
「マリキータ、今の話は聞こえていただろうが……」
「えーと、
「……まさか君はアメリカでホームステイして生活していながら、英語が出来ないのか?」
「日常会話レベルならばどうにか。オーケーとイエスが言えれば、案外どうにかなるものですわよ?」
アメリカ慣れを誇るかのように胸を張るマリキータ。愕然とするルドルフのトレーナー。
この両者の会話が聞こえてきた辺りで、遂にルドルフは膝を地面につくどころか、両手を地面について「orz」のポーズで空港の地面に突っ伏したのだった。
ルドルフが人の顔を覚えるのが得意なのは、ウマ娘のTipsより。
史実馬のほうのルドルフも非常に頭が良く、人をしっかり見分けていたそうです。
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マリキータ 3
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ルドルフとトレーナーが聞き取った会話内容と、そこから推察される真実を英語でアメリカURAに伝え、確認された事実関係を今度は日本語でマリキータに伝えたら、
頭を抱えて羞恥にもだえ、海老のように反りながらぐねぐねと身体を左右に動かし、くぐもった悲鳴をあげている。見た目は日本人形なのに、アクションはロックフラワーの類である。音に反応してシャカシャカ動くやつだ。
ここがアメリカURAが保有する宿泊施設であり、落ち着いて話せる場所でなければ周囲の耳目を集めていたかもしれない。否、防音貫通して悲鳴が通路に漏れてたらしく、目を丸くしたアメリカURA職員が部屋を覗き込みに来たのに対して、ルドルフが『大丈夫です』と説明する必要が発生した。
ひとしきり事情を確認してみたところ、アメリカURAの方でもマリキータが警備員さんの家にホームステイしているのは把握していたので、その事自体は大きな問題にはならなかった。
では何故日本URAからの問い合わせに対してアメリカURAが『把握していない』と返答したのかというと、勿論嫌がらせや悪意ではない。マリキータの英語力の不足と、逆に過剰なくらいの思い切りの良さと思い込みの強さが主原因ではあるが、それ以外にも文化と人種の差からくるすれ違いが原因として挙げられたのだ。
―――日本ウマ娘としても小柄なマリキータの身長は140cmと少し*1。警備員さんの妹であるウマ娘(11歳と10歳)より少し背が低いくらいである。なんなら発育の良さから11歳と10歳のウマ娘姉妹をマリキータが『トレーナーさんの担当ウマ娘』と勘違いしていたやつだ。
つまり彼女はアメリカURAからは、『家出してきてレース場で保護された、小学生くらいのアジア系ウマ娘』という認識で把握されており、日本URAから問い合わせがあった『トゥインクルシリーズをシニアまで走った後でアメリカ旅行中に行方がわからなくなった10代後半のウマ娘』だとは誰も考えていなかったのである。
アメリカURAは彼女を『酷い家から逃げ出してきた家出少女』と認識しており、『こんな幼い子を虐待していた親は誰だ!?』とお怒りで、サンフランシスコにあるだろうマリキータの実家を探しているやつであった。比較的早期のこの段階で勘違いが判明したのは、誰にとっても不幸中の幸いだったといえるだろう。
「久しぶりの勝利!? 大差勝ち!? それはそうですわね! アレ、ちびっこレース大会だったのですものね! 仮にも重賞ウマ娘がちびっこに混ざって大差勝ちできなかったら、それはそれで大問題ですわね!」
「……せ、先手必勝。日本のウマ娘の力を……私に先んじて示してくれたんだな。うん……」
「この場合示されたのは
小学生と間違われてちびっこレース大会に出走し、周囲のレベルの低さを嘆きながら大差勝ち。そしてトゥインクルシリーズで2年ほど勝ち星から遠ざかっていた事もあり、久々の勝利に号泣しながら、小学生に勝ったことを誇るメールをトレーナーと家族に送信。
事実関係を正確に把握した今となっては、本気で失踪してやろうかとマリキータが思うくらいの生き恥である。武士ならば腹を切ると主張するだろうし、10年くらい後の世代の薙刀とか似合いそうな武士っぽいウマ娘*2も腹を切ると主張しかねないやらかしだ。
おおらかなアメリカURAの方々が、事実関係を知っても怒るどころか大爆笑で済ませてくれたのが救いである。『アメリカの人って本当にHAHAHAと笑うのか』と、皇帝は変なところに感動していた。なお、トレーナーの方は日本URAにマリキータ発見と事情判明の一報を入れるために離席中である。
「よもや
「なんでもかんでもイエスイエスと返答するからだよ。家出かと聞かれたときにもイエスイエスと肯定していたとのことだし、皇帝としてそこは注意させて貰うぞ。……皇帝が、肯定を注意する。ふふっ」
「……落ち着いて話すのは初めてですが、ビゼンニシキさんから聞いていた通りのセンスですわね」
胡乱なものを見るような目を向けてくるマリキータに対して、ルドルフは耳をピンと立てる。表情にこそ出ていないが、反応としては『驚き』に分類されるものだ。意外な名前が出てきた事に対するものである。
ビゼンニシキ。皐月賞まではルドルフにとって最大のライバルと目されていたウマ娘であり、皐月賞ではルドルフと最終直線で接触するほどの激闘を繰り広げながらの2着となっている。
その皐月賞での接触は日本ウマ娘のレースとしてはかなりのラフプレーとなっており、結果的に不利を与える形となったルドルフを失格処分にするかどうかという審議が発生した程のものだった。怪我にこそ繋がらなかったが、ビゼンニシキ側が最終直線での接触で外に弾かれる形になったからである。
この時ばかりはルドルフも生きた心地がせず、トレーナーや家族、ファン、そしてビゼンニシキ本人に対する申し訳無さや悔恨で、顔面蒼白かつ頭真っ白という状態でターフに立ち尽くしていたほどだ。
しかし皐月賞の前哨戦といえる弥生賞で、逆にビゼンニシキ側がルドルフに対して不利を与える形の接触をしていた*3のにビゼンニシキに対して処分が無かった事を持ち出して、当のビゼンニシキが審議に対して猛抗議。
『仮に接触がなくても勝てないほどの走りだった』*4と誰よりも強くルドルフの1着を主張して、結局はURAもそれを受け入れる形で順位確定。流石にお咎めなしとはいかずトレーナーに対する2日間の謹慎処分*5が言い渡されたものの、これによってルドルフ本人の経歴には瑕疵なく無敗三冠への道を歩むことになったわけである。
その経過とその際に見せた清廉な在り方から、ルドルフが最も尊敬している同期だと公言し、今でも会えば頭が上がらない相手だ。
残念ながらビゼンニシキは皐月賞の2000mがスタミナの限界であり、日本ダービーでは凡走。その後に短距離路線に切り替えてスワンステークスに出走するが、そこで足を故障してしまい、トゥインクルシリーズからは引退することとなった。
とはいえレースにこそ出られないものの再起不能というわけではなく、地元に戻って幼いウマ娘に走り方を教えたりしているようだ。『笑いながら走る、凄く足が速い子が居る』『この子は絶対にトゥインクルシリーズに通用する』とは彼女の弁である。*6
「……ビゼンニシキとは親しいのか?」
「あの方も
「それを知っていればURAのこの勘違いも無かったのだろうが……。いや、これは気付かなくても仕方がないか」
他のウマ娘を不安がらせたくないからと話を広めなかったURAであるが、どうやらそれが裏目に出たようである。とはいえ最悪の事態を想定する判断は必ずしも間違いではないため、運が悪かったとしか言いようがない。
「そのビゼンニシキさんに対抗して、
「そこは仕方なくはないので、どうか気付いてほしかった」
それに気付かず『妹たちと歳が近いウマ娘だから放っておけなかった』という青年に半年近くも家出幼女として保護されて、小学生に走り方の指導をしつつ家事手伝いをしていたのは、運ではなく思い込みの強さが問題だろう。
なお身振り手振りとニュアンスが頼みの指導であるが、重賞ウマ娘によるフォーム指導などは的確であった。それを受けたウマ娘女児らはアメリカにおける中央トレセン学園的な立ち位置のところに入学できそうなレベルにまで仕上がってきており、それはマリキータを保護した青年を殊の外喜ばせていた。
その辺りの兄妹のやり取りが、マリキータからは『担当ウマ娘のタイムが上がってきたことを喜ぶトレーナー』に見えていたらしい。残念ながら兄と妹のやり取りだ。後のトレセン学園における『お兄様』や『お兄ちゃん』と違って、トレーナーと担当ではなく実の兄妹である。
「だが、これで意識的に考えないようにしていた心配事も無事に解決した。レース当日までに調子を整え、乾坤一擲の覚悟で挑ませて貰おう」
「そうしてくださいませ。
「……んん?」
肩の力が抜けた様子のルドルフの言葉。それにリラックスした様子で応じたマリキータの言葉に、シンボリルドルフは首を傾げた。
この同期はまた何か勘違いでもしているのかと不安になったのは、皇帝側の立場としては致し方ないところであろう。念の為にと確認込めて、皇帝は肯定せずに否定を返す。
「何を勘違いしているのか、言葉の綾かは分からないが……。私が出るのは芝の12ハロン*7だよ。GⅠ、サンルイレイステークス。……まさか別のレースと勘違いしていないだろうね?」
「………」
しかしその否定に対して、マリキータが顔色を変えた。リラックスした表情から一気に真剣に、勘違いとはいえ半年間『トレーナーの補助』を自認して他のウマ娘を指導してきた経験が、猛烈な警鐘を鳴らし始めたのだ。
頓珍漢な経緯であるが、『いずれこの子達もこのレースで走るのだ』と思い、自分より発育が良い小学生ウマ娘のためにサンタアニタパークレース場に何度も足を運んでいるし、最初の1回以外にも幾度か模擬レース(と、本人は思いこんでいたちびっこレース大会。大差圧勝)に出走させて貰ったこともある。
―――遠くから調べるだけではわからない、サンタアニタパークの“活きた”情報と経験値をマリキータは持っていた。半年に渡る現地での下調べは、未だ海外遠征の経験やノウハウが薄い日本ウマ娘、ひいては日本URAのそれを上回るだけの活きた経験を彼女に積ませていたのである。
「シンボリルドルフ。レース、並びにレース場についての下調べはどの程度?」
「……芝12ハロン、左回り。アメリカ西海岸の芝は比較的日本の芝に近く、海外遠征の最初の目標として相応しいと考えた。25年ほど前に、日本ウマ娘が初めて海外重賞を制した*8のもここだ。縁起が良い」
「サンタアニタパークではダートコースを横切って最後の直線に入るヒルサイドターフコースが使われており、芝レースであろうともダートコースを少し走る事になります」
「それは流石に調べているよ」
一方のシンボリルドルフは困ったような顔で苦笑を浮かべるが、その落ち着いた―――悪く言えば危機感がない様子に、マリキータの中の警戒度が更に上がる。
日本から海外への遠征に関しては、まるでノウハウが整っていない。それこそシンボリルドルフやシリウスシンボリがやろうとしているのは、ノウハウの不足が分かった上でも自身が先駆けとなることだ。それそのものはマリキータも分かるのだが、恐らく現時点での遠征計画には重要情報が抜け落ちている。
「日本でもダートレースが芝コースからスタートして、途中でダートコースに合流するような形になっていることはよくありますわ。だからこそ貴女は恐らくこのヒルサイドターフを字面や映像だけで見て、甘く見てしまっている気がします。
「……話を聞こう。論旨明快であるなら、それは拝聴に値する」
両者にとって幸運なことに、シンボリルドルフは挫折を経験した上で、トレーナーや他のウマ娘に支えられて再起してきていた。デビュー当時も今も彼女は“皇帝”という称号で呼ばれているが、その在り方はかなり変わってきている。
ルドルフはシニアの一時期には宝塚記念出走を取り消すほどの長期の不調に悩まされたのだが、結局それは生徒会の業務含めた膨大な仕事とウマ娘としてのトレーニングやレース出走を平行し、それらを可能な限り独力で片付けようとしての過労によるものだった。
そこから彼女がジャパンカップと有馬記念を制するまでに復調したことは、彼女を支えたいと集まったトレセン学園のウマ娘たちが生徒会の仕事などを積極的に受け持つようになり、トレーナーもまたシンボリルドルフというウマ娘の気質や思想を理解した上で、無理をさせずに負担を分担して受け持つという担当方法を確立したからだ。
―――シンボリルドルフはデビュー以来の数年で、誰かに頼るということを覚えていた。
これがデビュー当時やクラシック期のルドルフならば、『心配無用』と逆にマリキータを安心させるような言葉をかけ、走りで示そうとしただろう。
しかし担当トレーナーと二人三脚で歩き、その背を多くのウマ娘に対して示しながらもその背を支えられてもいるという自負と理解が、この時のルドルフにマリキータの意見を聞き入れるだけの心の余裕を与えていた。
ルドルフの頷きに対して目礼を返し、マリキータは部屋に備え付けられてあったメモ帳を1枚取って、問題のヒルサイドターフの図を書く。
俯瞰図をまず描いて、その隣に高低差が分かりやすいように横から見たコースを描く。最終直線へ向けて下り坂になっているコース構造が、この形だと分かりやすい。
「ヒルサイドターフの部分までは、下り坂が続きます。貴女にレースの云々を語るのは釈迦に説法でしょうが、下り坂は速度が出ます。特に最終直線前の下り坂ともなれば、そこで加速を付けて最終直線に入るのが重要になりますわね」
「私もそう考えて、レースに臨みに来ている。それで懸念事項は?」
「そうして加速して下り坂を降りきった先が、ヒルサイドターフです。そこでウマ娘は20mほどダートを走り、そしてすぐさま芝に戻ります」
シンボリルドルフは元々非常に聡いウマ娘である。ここまで説明された段階でマリキータの懸念を察し、先程までリラックスしていたはずの皇帝は表情に緊張感を滲ませて眼前の図に視線を落としている。
「下り坂を利用してのトップスピードだと、ダート部分を横断する時間はおよそ1秒だな」
「ええ。1秒で芝→ダート→芝と足場が激しく切り替わります。そして日本のダートは砂ですが、欧米のダートは固い地面。サンタアニタで最も多くの故障者が出来る危険な場所がここです。脚にかかる衝撃は、恐らく貴女の想定より上だとお考えください。これがオールウェザーなら大分楽なのですが……」
耐衝撃性が強いオールウェザーにされている練習用のコースではない。本番で使うのは、芝とダートのコースである。つまり、脚への衝撃も相応だ。
ルドルフもトレーナーも馬鹿ではないし増長もしていない。サンタアニタパークについては当然調べていたし、レースのビデオも何度も見て対策を練っていた。ヒルサイドターフという特徴も聞き及んでいた―――のだが、マリキータのように実際に走ったことはない。
日本でシニアまで走った経験の上で、実際にこちらのレース場を走ってみたというマリキータからの、『恐らく想定より衝撃が強い』『最も多くの故障者が出る場所』という警鐘は、強い現実感がある危険として感じられた。
「……対策はどう考える?」
「サンタアニタパークのレースに慣れて、ヒルサイドターフ部分での力の入れ方と抜き方を覚えること。ですがこれは今からでは現実的ではないかと」
「だろうね。あと1週間もすれば本番だ」
「であれば走る時に、『危ない場所である』ということを強く意識した上で走ってください。それだけでも大分違います。後は負担を分散させるバンテージを推奨しますが、それは
育てられる側ではなく、まがりなりとも育てる側に立った身としての意見。それに対して、シンボリルドルフは心からの感謝と敬意を込めて深く頭を下げる。
内容も道理が通っているし、押し付けではなく懸念とした上で情報を伝え、トレーナーとルドルフを信頼して判断を預ける形だ。心情的にも受け入れやすい。
「まさしく道理だ。……ありがとう、マリキータ。現地のウマ娘、それも日本とこちらの双方のレース場で走った君からでなければ出て来ないタイプの“活きた”情報だった。
「それ最後の一文必要ですか?」
心の底から胡乱な物体を見るような同期の目に対して、何故そんな目を向けられるか理解していない皇帝は小首を傾げたのだった。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
―――結局、シンボリルドルフはマリキータが懸念していた通りの場所で足を取られ、
繋靭帯炎というウマ娘にとって厄介な故障を起こしてしまった。
だが日刊トゥインクルの記者の前でその話をするシンボリルドルフの目には暗い色はなく、包帯が巻かれている脚を優しく撫でながら同期との思い出を語る声には、ある種の誇らしさすら感じられた。
「……あの時、彼女からその懸念を聞いていなければ。私の脚は取り返しがつかなくなっていたかもしれません。この脚は、同期の仲間が守ってくれた脚です」
マリキータが伝えた懸念と情報は、無駄ではなかった。衝撃を分散させるためのバンテージを勝負服のソックスの中に巻き、問題となるヒルサイドターフでルドルフは『ここは危険だ』と警戒しながら踏み込んだ。
結果的に怪我そのものは防げなかったが、マリキータからの情報で急場ながらも心身両面から対策を取っていなければ、
「おかげで私は―――まだ走れる。来年のドリームトロフィーリーグでは、同期に支えられての復活劇をお見せしましょう」
―――夢のレースは、まだ続く。
史実:繋靭帯炎を発症して引退
この世界:事前情報のおかげで軽症で済み、ドリームトロフィーリーグに活躍の場を移しながら走る予定
夢のレースだもの。こんな事があってもいいじゃない。
……基本的に孤高の王者感があるルドルフが、同期に苦労させられたり支えられたりしている姿を見たかった。後悔はしていない。
▼マリキータ(史実馬)
・12戦2勝。主な勝鞍は(今でいうところの)新潟2歳ステークスで、GⅢを勝っている。
・2歳時(旧馬齢では3歳時)はめっちゃ走った。レコード2回出した。
・それ以降は調子を落としてしまい、『環境が変われば或いは』と馬主が一念発起してアメリカ遠征。
・遠征先でのトラブルで連絡がつかなくなり行方不明に。
・5年後、別の馬主さんが偶然繁殖牝馬セールで発見。本来の馬主に慌てて連絡し、費用を立て替えて購入。日本へ戻る。
・結果、日本とアメリカの双方に産駒が残っている珍しい馬。
なんならアメリカでは15万ドルとか30万ドルくらいは稼いでた孫も。青年の妹2人はその2頭がモチーフ。
▼マリキータ(このウマ娘世界)
・日本人形のような可愛らしい外見をしたウマ娘。しかし結構イチかバチかで話を転がす向こう見ずなところがある。思い込みも激しい。
・ジュニア級ではティアラ路線の主役かと思われたが、故障に悩まされて調子を落とし、シニア級ではオープン入着が限界となる。傷心旅行へ。
・このエピソードの後はひとしきりお騒がせした各方面に謝罪行脚(療養に入ったルドルフも付き合ってくれた)の後、再度渡米。
・5年後くらいに件の警備員氏と良い仲になり、入籍。日本に連れて帰ってくる。
その後も日本とアメリカの双方を行き来し、幼いウマ娘に走り方の基本を指導する仕事をしているようだ。
・余談ではあるが、彼女の指導を受けた後の義妹2名は双方ともにアメリカで立派にオープン級ウマ娘としての実績を残している。
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ニシノライデン 1
「マリキータさんの数奇な運命……運命? が、シンボリルドルフさんの脚を救ったんですね」
「運命と呼ぶには自己責任の自損事故感が強い案件かと。助けられた身で言うのはおこがましいですが」
若い記者の質問に対して、シンボリルドルフは割とピシャリとした反応で人騒がせな同期に対して苦言を呈した。
とはいえ口元には笑いが浮かんでいることや、URA含めたあちこちに対するマリキータの謝罪行脚に付き合ったことまで含めて考えると、これは同期ゆえの気安さからくる軽口と見るべきだろう。
これまでの“皇帝”のイメージとは少々異なる物言いに対して記者が瞠目するが、ルドルフは茶目っ気を大いに含んだ表情で小さく笑った。
「トゥインクルシリーズを走り終え、ドリームトロフィーリーグへと向かう身です。同期の友人に軽口を叩く程度の鼓腹撃壌*1は許されるでしょう」
「肩の荷が下りたということでしょうか?」
「ウマ娘誰もが幸福になれる時代を目指すという大義を下ろすつもりはありませんので、まだまだやるべき事、背負うべき責務は大きいと思っております。幾分かの荷を次の世代に受け渡す事が出来て、一息つけたという感覚でしょうか」
そう言いながら微笑むシンボリルドルフは、確かに『弛緩している』などの表現が当てはまるような、緩んだ雰囲気ではない。かといって張り詰めている風でもなく、『泰然としている』という評価が一番しっくり来るだろう。
デビュー前から大人びた少女であったが、トゥインクルシリーズを走り切った今となってはまさしく日本ウマ娘の未来を背負う大人物と呼ぶに相応しい空気を纏っている。ルドルフ本人の希望もあり、トレセン学園の生徒会長を暫く続けながら経験を積み、適切なタイミングでのURA幹部への就任が内定しているくらいである。
全てのウマ娘のより良い未来を考え、そのあるべき規範を自ら示す。ルドルフが掲げる理想に未だ陰りはない。自身のみでは成し遂げられないという挫折から、誰かに頼ることの強さと尊さを理解し、陰るどころか理想とそれに向けての情熱は輝きを増すばかりだ。
その主戦場はレース場から会議室へと変わっていくのだろうが、多くのウマ娘に背を支えられ、比翼連理のトレーナーが隣に居る以上、どんな場所であろうとも彼女は“皇帝”として在り続けるだろう。それも、無理をしていた頃よりもずっと自然に、あるがままに。
それはトゥインクルシリーズを走り抜けたルドルフが得た結果で、成果で、成長で、そして彼女にとっての宝だといえた。
「……ただ、いつまでも一息ついてはいられないでしょうね。我が麗しの同期の中にはマリキータとは別の意味で、私よりもURAに影響を与えそうな奴が居ます。そちらの制度関係がどうなるか……」
「えぇと……どなたでしょうか?」
「ライデンです。斜めに走る方の」
「ああ……」
なお、その変化の中で一部の同期に対しては気安い態度を見せるようになってきたルドルフが苦笑交じりにそのうちの1人のことを示唆してみせると、記者がなんとも言い難い困った表情を浮かべた。
正確にはそのウマ娘の戦績が相当に困ったものなので、下手な物言いをしてはそのウマ娘に対して陰口を叩くようなことになりかねないから言葉を止めたやつだ。
言いにくそうな記者に対して、気持ちはわかるというようにルドルフは頷きを返す。
「我が麗しの同期は制度変更のきっかけを作ったウマ娘として、URAの歴史にその名を刻むでしょう」
「……えぇと……」
同期という自身の宝に対して、気安さゆえの揶揄を含む代わりに容赦や遠慮が無い
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
―――ニシノライデン。
艶やかな鹿毛を首後ろで纏め、たなびく白いロングコートのような勝負服が印象的なウマ娘。長身で快活な姉御肌であり、“皇帝”シンボリルドルフ相手にもデビュー当時から物怖じしなかった数少ないウマ娘の一人だ。
「真っ向勝負で、三冠を阻みに行く」
菊花賞トライアルを制した上でそう宣言し、菊花賞本番ではルドルフに次ぐ2番人気として推され、最終直線早めで先頭に立ち、まさしく真っ向勝負というレース展開を宣言どおりに作り上げたニシノライデン。結果3着に終わったものの、そのレースぶりはファンからの喝采を浴びた。
素人目にも盛り上がるレース展開であったと同時に、専門家からの評価も高い。実況していたアナウンサーが後に自著で褒め称えるほどに、正々堂々と皇帝に対して挑む走りだったのだ。*2
クラシック後期以降に頭角を現したウマ娘であり、菊花賞以降も特に2000m以遠の『長めの中距離から長距離』といったレースについては、同期の中ではルドルフに次ぐ実力を発揮している。
GⅠ勝利こそないがGⅡには『マリキータ事件』の時点で3勝しており、強豪揃いと言われる上の世代*3と争うようになってからも着実に重賞を勝利しているその存在は、殊の外ルドルフを喜ばせた。彼女の存在と戦績は、この世代がルドルフ“だけ”の世代ではないという強い証明になっていたからだ。
シニア1年目の天皇賞(春)においては、ミスターシービーに先着しての4着。流石に1着のルドルフと共にワンツーフィニッシュとはいかなかったものの、上の世代の三冠ウマ娘相手に真っ向勝負で競り勝っている。
だがルドルフはこのレースの後、ウイニングライブ前に彼女を心配して声をかけにいっている。他のウマ娘に対して少々過保護なルドルフらしい―――というわけではなく、これに関しては他のウマ娘も気にしている者が多かった。ニシノライデンの最終直線での走りに明らかな異常があったのだ。
「ライデン、脚は大丈夫なのか? 映像を見たら、君は最終直線でかなり斜めに走っていた。どこか怪我でもしたんじゃ……」
「ルドルフか。僕は問題ないが、勝者が敗者に声をかけにくるもんじゃあないぞ。人によっちゃあ、嫌味に感じることもあるだろう。この過保護が」
「過保護……いや、私は純粋に心配をだな」
「付き合いが長いんで、流石にそこは分かってるよ。問題どころか絶好調だったんだが、君にはまるで届かなかった。君の相手はもはや僕やスズ姉妹ではなく、君自身の記録なのかもな」
レース後の控室でシンボリルドルフを迎えたニシノライデンは快活に、しかしどこか寂しそうに笑った。それを見て申し訳無さで耳と尾が垂れたルドルフであるが、その反応に気付いたライデンが立ち上がり、その髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
ルドルフも165cmと比較的長身ではあるのだが、ニシノライデンは更に高い。自分より長身のウマ娘に髪をかき回されるという珍しい体験に、“皇帝”は目を丸くした。
「わっ」
「しょげるな、皇帝。君はそのまま走り続けろ。君が打ち立てた記録こそが、僕たち同期にとっての誇りであり、証明になる。君だけに背負わせないよう、僕たちも精一杯走るけどね」
「……ありがとう。でも、髪はやめてくれ。これからウイニングライブなんだぞ」
「トレーナーにでも整えてもらいなよ」
「……トレーナーくんにこのグシャグシャの髪を見られるのが、そもそも恥ずかしいのだが」
「おやおや、乙女ぶっちゃって」
揶揄するような笑いを浮かべるライデン。ムッとしたように唇を尖らせ、不機嫌そうに尻尾でバシバシと横の壁を叩くルドルフ。他のウマ娘が見たら驚く程度には年相応の少女の物言いと反応だが、これはルドルフがライデンを一定以上に認めているからこその態度である。
庇護対象―――悪く言えば目下として見てしまっている相手に対しては、このような隙を見せる彼女ではない。完全無欠の理想像を示しているからこその“皇帝”である。
だが流石に同格ではないまでも、ルドルフに対して『勝負』の形になる数少ない同期であるニシノライデンに対しては、過労による不調が出てくる前であるこの時期から、既にルドルフも砕けた対応を見せていた。
強者ゆえに他のウマ娘を自然と『庇護対象』として見がちなルドルフであるが、ニシノライデンは同期の中でも特に気質・実力ともにそこから外れやすい存在なのである。
ゆえに『せっかくセットしていた髪をグシャグシャにされた事に文句を言う』という年頃の少女らしい反応を見せたシンボリルドルフに対して、ニシノライデンは楽しそうに笑いながらも、降参とでもいうように両手を上げた。
「皇帝様のお怒りには敵わない。セットしてあげるから座りなよ。櫛ならあるし」
「……変な髪型にしないだろうね?」
「流石にウイニングライブ前にそれはやらないって」
「学園では」
「ノーコメント」
尻尾を逆立てて威嚇するルドルフ。笑うライデン。しかし半信半疑で任せてみれば、存外丁寧にニシノライデンはシンボリルドルフの髪を梳いていく。
これならば大丈夫かと警戒を解いたルドルフの耳に、独白のようなライデンの言葉が届いた。
「……斜めに走っても、まるで届かなかった。やっぱり強いなぁ、ルドルフは」
「……ありがとう」
やはりウマ娘の本能かアスリートとしての誇りか、負けたことに対する悔しさを滲ませた言葉は僅かに震えている。しかしそれは、彼女がシンボリルドルフという絶対強者に対して『勝ちたい』と未だに思っているからこそ出てくる言葉であろう。
その言葉と存在を嬉しく思いながら、ルドルフは目を瞑って同期の櫛に身を任せることにした。
「……え、待って。なにかおかしくなかったか!?」
「……何がだ? ルドルフ」
ルドルフがライデンの発言の違和感に気付いたのは、ウイニングライブも終わった後。トレーナーが運転する車の助手席にて、トレセン学園へと帰る途中の話であった。
『斜めに走っても届かなかった』≒『真っ直ぐ走るより斜めに走ったほうが速い』という変な癖を持つウマ娘、ニシノライデン。
引退までに6回の処分を食らった稀代の癖ウマ娘。人呼んで―――『降着制度の母』である。
「ニシノライデンは真っ直ぐ走るよりも、斜めに走る方が調子が良かった」と騎手が発言していたのは、ルドルフと走った天皇賞ではなくその2年後の天皇賞ですが、そこは取捨選択ということでひとつ。
なお、騎手にそう言われるレベルで外側にカッ飛びながら走っていたことそのものは史実です。
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ニシノライデン 2
あと、折しも今回の更新で名前が出るカツラギエースの実装が発表されましたね。やったぜ。
ダブルライデンフィニッシュからのライデン失格でライデン繰り上げ勝利。
何を言っているか分からないと思われるが、先の天皇賞(春)から4ヶ月半ほど後に、GⅢ朝日チャレンジカップにて起きた珍事であった。
阪神レース場、芝2000m、良バ場。タイムは2分0秒2。
単純比較は出来ないが、これはこの時期の日本ウマ娘としてはルドルフに唯一土を付けた存在であるカツラギエース*1が前年度に同じレース場、同じ距離、良バ場という大阪杯で出したタイムより更に速いものだった。
ちなみにルドルフはそのジャパンカップでの敗北の後、およそ1ヶ月後に有馬でキッチリとカツラギエースにやり返している辺りが、なんとも“皇帝”である。引退までに国内で2敗を経験するルドルフだが、負けた相手に負けっぱなしで終わることは国内においては絶無だったのだ。
ともあれ朝日チャレンジカップにてそんな素晴らしいタイムを叩き出したニシノライデン。盛大な斜行による失格で、2番手で入線したワカオライデンが繰り上げ勝利。
これが先述の「ダブルライデンフィニッシュからのライデン失格でライデン繰り上げ勝利」の真相である。
この頃になると宝塚記念前後の過労も抜けて、秋のGⅠ戦線に向けて調子を整えていたシンボリルドルフ。彼女は生徒会室で簡単な事務をこなす傍らでレース映像をチェックしていたのだが、このレースの映像を見た時には素で困惑した声が出た。
外ラチに向かって吹っ飛ぶような斜行。それだけなら分かる。
斜行による失格。それだけなら分かる。
2000mで2分に迫る、昨年のカツラギエース以上のタイム。それだけなら分かる。
だが全部まとめて来るのは意味が分からない上に、1着と2着がダブルライデンからのライデン失格ライデン繰り上げ勝利だと、ちょっとレースの情報量が多すぎた。
「えぇ……?」
「ハッ! おいおいどうした皇帝様よ。そんな間抜け面を晒して、なにか面白いことでもあったのか?」
折しもこの時、ルドルフからすれば幼馴染にあたるシリウスシンボリが欧州への長期遠征から日本へと一時的に帰ってきて、遠征の疲れを癒やすように生徒会室のソファに行儀悪く脚を組んで座って寛いでいた。
日本ダービー制覇の後は国内路線に目を向けず、欧州ウマ娘のレースへと挑みに行っている
シリウスシンボリ側もルドルフを「型に嵌まっている」「お固い」「つまらない」と公然と批判して反発を隠さない一方で、ルドルフの事を高く評価してもいる。ルドルフ側も欧州遠征に行くというシリウスシンボリに対して、遠征に対する生徒会からの全面的なバックアップを申し出ている。
シリウスシンボリ自身がそのバックアップ自体には礼を言って受け入れていることや、シンボリルドルフのことが嫌いなのかと他のウマ娘に問われた際に『好きとか嫌いとかそう言うことではない』と答えていることから考えても、互いに人間的な部分で嫌い合っている感じはしない。
単純に優先するものが違うだけで、なんならウマ娘の中で最もルドルフと近い視座・視点を持ち、“皇帝”の理解者たりうるのはシリウスシンボリではないかとは、両者と交友があるミスターシービーの分析だ。口には出さない。出したらシリウスがうるさい。
「……ダブルライデンフィニッシュから、ライデンが失格になってライデンが繰り上げ勝利になった」
「はぁ……? まだ疲労が抜けてないんじゃないだろうな。性懲りもなくあれもこれもと背負い込んで潰れるようなら、いっそ私が潰してやろうか?」
ノウハウの無い欧州遠征では苦戦を強いられながらも、得たノウハウを少しずつURAや日本のウマ娘の元に持ち帰ってきている
しかし欧州での経験の口頭報告を終えて(勝手に)生徒会室で寛いでいたら、夏頃に過労で潰れかかったという皇帝様がおかしなことを口走るものだから、少々様子が気になったようである。
揶揄と軽蔑、そして心配をブレンドした言葉を投げつけたシリウスシンボリであるが、ルドルフ側の反応は梨の礫だ。首を何度も傾げるのみのルドルフに、いよいよ疲労でも溜まっているのではないかと思ったシリウスがソファから腰を浮かせる。
「おい、本当に疲れを溜めてるんじゃないだろうな。学習能力がないのか、“皇帝”サマは」
「うーん、このレースに関しては
「……良いぜ、見せてみな。まったく、レースの分析ひとつも出来ないなら、いっそ春まで休養していろ」
「ところでシリウス、君は私のことを面白みがないと揶揄するが、今の会話はどうだった?」
「……は? 何がだ?」
「……いや、なんでもない。厳格に、幻覚……ふむ、少々不自然だったか……?」
ルドルフが首を傾げながらもブツブツと
動画、再生開始。そして5分後。
「えぇ……?」
だいたい先程のルドルフと同じような感想がシリウスの口から漏れていた。
「ルドルフ、このレースはちょっと情報量が多すぎじゃないか……?」
「ああ、私が呆然としていた理由は納得してもらえたと思う。……ゴールに対して斜めに走ると真っ直ぐ走るより無駄に長く走る事になるだろう?」
「馬鹿にしているのか? そんなことは分かっている」
「なんでこれだけ盛大に斜行して、2分を切るかどうかというタイムなんだろうな……?」
「……それは分からん」
参考程度に、前年ニホンピロウイナーが更新していたレースレコードとの差は僅か0.4秒である。
「これは真っ直ぐ走ってさえいれば、レースレコードの更新も出来ていたかもな」
「いや、ニシノライデンは斜めに走ったほうが速いのでそれはない。必要だったのは斜めに走っても斜行を取られない位置取りだったと思う」
「……そいつ体幹歪んでるんじゃないか? 病院にでも連れて行って一回検査してもらえ」
「既に一度行ったが、何故か問題はないそうだ」
「なんでだよ……」
頭を抱えるシリウスシンボリ。自分も頭を抱えたいとでも言いたげに深い溜息を吐くシンボリルドルフ。
その実力がいよいよ本格化してくると同時に、全力で走ると何故か傾くという奇癖も本格化しつつあるニシノライデン。彼女、そして同期にとっての試練の時だった。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
朝日チャレンジカップから数日後。
流石に重賞で勝者が失格になるというのは日本URA史上初の珍事であるため、ニシノライデンの失格のみならずトレーナーの謹慎処分*2が言い渡され、流石に剛毅果断なニシノライデンも気落ちしていた。
ルドルフからの合同練習の呼び出しに応じて中央トレセン学園にある練習用のコースに来た姿からは、いつもの覇気が感じられない。耳がしおれて尻尾が垂れ、少々しおらしい雰囲気を醸し出している。
「よく来てくれたね、ライデン。今日は呼び出してすまなかった」
「ううん。トレーナーも謹慎中だし、僕としても気分転換が出来るのはありがたいよ」
「そう言ってくれると助かる。次の天皇賞に向けて、お互い調整は万全にしておきたいからね。敵に塩を贈らせてもらうとしよう」
斜行ではないとはいえ皐月賞で自分も危険走行を“やらかした”自覚があるルドルフは、ライデンの様子には敢えて触れなかった。トレーナーとの関係が良好なウマ娘であるほど、トレーナーに処分が波及するというのは堪えるのだ。
加えてニシノライデンというウマ娘の性格・気質も考えると、あれこれ聞いたり嘴を突っ込むよりは、合同トレーニングなどで気を紛らわせるのが良いだろうというのが皇帝の判断である。
とはいえ気落ちしている同期を気遣いつつも、ルドルフも処分そのものに対して否定はしない。斜行というのは一歩間違えばレースでの接触事故に繋がりかねない危険な動きだ。何かしらの処分があることそのものは正当な対応だと言えた。
一方で、この時代のURAによる処分制度はあまり成熟しているとは言い難かった。それは弥生賞・皐月賞で彼女も当事者として強く感じていたことだ。
『もし海外のレースであったならば、お前は降着していただろう』*3
皐月賞後のルドルフに対して、トレーナーが向けた言葉だった。危険なレースをしたことへの反省を促して次以降への対策を共に考えようという時の会話であり、ルドルフとしてもそれに対しては猛省して頷くしか無かったものだ。
“皇帝”に対してその存在や在り方をただ全肯定するわけではなく、間違いがあれば指摘し、共に改善点や対策を考えられる。それはシンボリルドルフという極めて高い視座と大きな夢を持つウマ娘のトレーナーとして必要な資質であるだろうし、彼女のトレーナーは正しくその資質を持っていた。
この皐月賞での失敗を経て不要な荒々しさが抜け、“皇帝”シンボリルドルフの骨格が出来上がったといえるだろう。あとはおよそ1年後に過労して周囲に助けられる事で肩の力が抜け、レース以外の部分まで含めて“皇帝”としての在り方が完成したわけだ。
そしてこの時のトレーナーの指摘どおり、海外のレースであればルドルフとビゼンニシキの接触は降着―――つまり順位の引き下げという措置が取られてもおかしくないものだった。URAでそれが取られなかった理由は単純で、その制度がそもそも存在しなかったからである。
ウマ娘に対して取られうる処分は「失格」という大振りなものであり、シンボリルドルフのような「失格にするほどではないが、お咎めなしとするには危ない動き」に対しては、結果としてトレーナーの謹慎や減給という罰則で対応されることが多かったのだ。
それらに対する疑義が取り上げられ、日本ウマ娘のレースに対して降着制度が取り入れられるようになるのはニシノライデン、及び皐月賞のシンボリルドルフが切っ掛けであると言われているが、ともあれこの時点ではまだ降格制度導入の検討がURAで始められたという段階である。
ルドルフが引退してそちらの制度制定に携わるにはまだ時間が必要であり、この時点での彼女は未だに一人の競技者、一人のウマ娘としてトゥインクルシリーズを走る身だ。
そんな彼女が次の天皇賞(秋)を前にやっているのは、上手いこと時間が合った同期の友人数名に声をかけての合同練習―――
「『敵に塩を贈る』、か。君が“皇帝”と呼ばれるだけの実力・実績を持っていることは、誰よりも同期の僕たちが分かっている。けど、次のレースでライバルになる相手に対して、その言葉選びは如何なものかな」
「……ライデン」
「今は気持ちがささくれだっているんだ。そんな『お前は格下だから手を貸してやる』みたいな事を言われては、大人の対応が出来ないくらいには」
「……いや、レース本番でまた大斜行されたらたまったもんじゃないので、本音をいえば君がなんで斜行してしまうのか確かめておきたかった」
「……あー……それは、はい。そう言われると……その通りです……なんかスイマセン……」
―――の皮をかぶった、斜行クイーンへの走り方矯正チャレンジ(ライデンのトレーナー許可済み)であった。
ルドルフの悪癖ともいえる他のウマ娘に対する上から目線の善意かと思ったら、反論のしようがない論旨をぶつけられて気まずそうに縮こまるニシノライデン。ただし、長身のルドルフよりも更に長身である彼女が縮こまったところで、あまり小さくなっていない。
なんなら胸も尻も大きい、全体的にデカいウマ娘である。マリキータではなく彼女がアメリカで保護されていたならば、家出幼女と誤認されて架空の行方不明事件が発生する事はなかっただろう。
「おーい、ルドルフー! ライデンー!」
両者の間に流れる空気が微妙に気まずくなったところで、学園の校舎の方から彼女たちの名前を呼ぶ声が耳に届いた。それに対して振り向くと、よく似た面立ちの2人の鹿毛ウマ娘が連れ立って歩いてきたところだった。
ポニーテールという髪型と面立ち、体格などはよく似ているが、立ち振舞いと雰囲気、後はワンポイントの髪色が違うために間違われることは殆どない。髪が一房だけ白く、雰囲気が活発そうなほうがスズマッハ。一房だけ黒くて雰囲気が大人しそうなほうがスズパレードだ。
この両者は本格化のタイミングの関係でデビュー年代が同期となった姉妹同士であり、寮でも同室のコンビである。双方ともにマイルから中距離を主戦場とするGⅠ級のウマ娘で、寮での部屋はスズ部屋などと呼ばれている。
双方ともにニシノライデン同様に、シンボリルドルフには劣るながらも世代を代表する実力者であり、“皇帝”に対しても気後れしていないウマ娘だ。
そしてルドルフ、ライデンの双方が出走する天皇賞に対して、スズ姉妹も出走を予定している。ファン人気も妹のスズマッハが5番人気、姉のスズパレードが8番人気と、17頭立てのレースにおいて真ん中より上の評価を受けており、ルドルフ世代においては『主力』といって差し支えない立ち位置にあるといえた。
ちなみにライデンは6番人気、ルドルフは不動の1番人気である。
「マッハ、パレード、来てくれてありがとう」
「構うこたねぇですよ。天皇賞を前に、アタシもパレード
「はいはい、頼らせてもらうよ」
敬語と呼ぶには少々崩れきった荒い敬語で語りながらも、腰に手をやって胸を張るスズマッハに対して、ルドルフは苦笑を返す。スズマッハは日本ダービーにおいては20番人気という位置からルドルフに続く2着という着順に食い込んできて、そこで頭角を現したウマ娘である。
ダービー以降もセントライト記念、京都新聞杯、菊花賞と入着を続けており、重賞勝利はGⅢエプソムカップのみであるが、どんな強敵にも安定して善戦が出来るだけの能力は高い評価を受けている。
「ニシノライデンさんの事は、私もマッハちゃんも気になっていました。あとは……私は大分ブランクがありますので、レース勘を取り戻す練習という打算もあります」
「無理はしないでくれよ? 呼んでおいてなんだが、体調に違和感があったらすぐに言ってくれ」
「ありがとうございます、ルドルフさん」
こちらは綺麗な所作で一礼するスズパレード。妹であるスズマッハがヤンチャ娘という印象を与えるのに対して、こちらから受ける印象は深層のご令嬢だ。顔立ちや体格、髪型まで同じでも、所作や喋り方でこれだけ印象は変わるという実例である。
夏合宿の余興でスズマッハが白髪染めで髪を染めておしとやかな振る舞いをしてスズパレードのフリをするドッキリをやった時には、ルドルフとライデンが引っかかり、ネタばらし後に顔を見合わせて大笑いをしたものだ。
スズパレードは戦績としてはこの時点で既にGⅢを3勝しているが、身体が強いとはいえないウマ娘であり、3月の中山記念ではレース前日に脚部不安を発症して出走取消。そこから長期休養に入っていた。
彼女にとって天皇賞(秋)は年始の金杯以来の復帰戦になるわけだが、それでもGⅠで8番人気と決して悪くない評価をされている辺り、彼女の地力の高さが伺える。
……ここまでの立ち振舞や評価、戦績などから、スズパレードは後のメジロアルダンなどと同様に『ガラスの脚』を持つタイプのウマ娘であるという印象を受けるかもしれない。
実力はある。ただし、脚が脆く無理がきかない。そういう意味では確かに、ガラスの脚と言えなくもないのだが―――
「ですが、大丈夫です。中山記念前には筋肉痛と肉離れがいっぺんに来て爪も割れましたし、なんなら骨膜炎もきましたが完治しました」
「……本当に大丈夫なんだよね?」
「私、骨折や屈腱炎のようなヤバいのをやったことは一度も無いのが自慢なんです。軽いのはだいたいコンプリートしていますけど」
「大丈夫なんだよね!?」
―――軽めの脚部不安は気軽に発症するし、なんならコンプリートする勢いでありながらも、重症にだけは発展しない不思議体質なウマ娘、スズパレード。
同期の中でのみ通じる、重症化したことがないからこそ言えるちょっと不謹慎な異名は―――『不死身の死にぞこない』であった。
調教師の富田師いわく、『骨折以外の脚部不安は、すべて経験した』というスズパレード。調べた限りですと屈腱炎は脚部不安に含まれないようですので、この世界のスズパレードは経験していない扱いです。
その辺りの逸話をコミカル路線に落とし込む感じで、
『病弱だけど回復力高いし、重症にだけはならずに割とすぐ復帰してくる不死身の死にぞこない』
という感じのキャラ付けとなったスズパレードちゃん。
全くの余談ですがウイニングポストでは初期にもらえる馬の中では格段に能力が高く、難易度次第ではルドルフとシービーとカツラギエースさえ避ければだいたい勝てる感じになります。
ウイニングポスト初プレイではお世話になりました。
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ニシノライデン 3
ルドルフが『領域未満』と評しているのは☆1固有スキルの一歩手前みたいなところにまで来ているくらいの意味合いで、ふんわりお考えください。
なお、GⅠ、GⅡなどのグレードをどうするかは悩みましたが、アプリ版からの人でも分かりやすいように、今作において大阪杯はGⅠという評価で進めさせて頂きます。物語的にも使いやすいですし。
(史実ではこの時期は大阪杯はGⅡでした)
―――
ウマ娘がいうところのそれは、定義するならば『レース中に特定の条件で到達する超集中状態』。限界の先の先にある、自分すら知らない剛脚を引き出すもの。
時代を作るウマ娘は例外なく“領域”に到達したウマ娘であるとは、とあるウマ娘の言葉である。
敢えて科学的に分析しようとすれば『火事場の馬鹿力』に近いものになるだろうが、詳細は分かっていない。
そもそも統計や分析が可能なほどの人数が到達していない上に、“領域”に入る条件も“領域”に入った際に浮かぶイメージも、ウマ娘個人によって差が大きすぎる。
シンボリルドルフが“入った”際に脳裏に浮かぶイメージは雷霆なのだが、マルゼンスキーは『高速道路をカッ飛ばしている感じ』で、ミスターシービーは『高原を自由に駆けているような』という表現を首を傾げながら絞り出していた。
見るものが見れば『こいつは領域に入った』と分かるのだが、分かるのはそこまで。入る条件や効果などは千差万別でよく分からない。
結局はそこに至ったシンボリルドルフをして、『そういうものがある』という認識で止まらざるを得ない未知の世界が“領域”だ。
或いは“領域”という現象を科学や理論で解明しようということが、とことん野暮なのかもしれない。
(……近いところに来ているウマ娘は意外と居るのが、今となっては分かる。感覚的なものだけど)
しかし上を見上げれば未知であれども、下を見れば自分が辿ってきた経験を元に俯瞰・分析はできる。
シンボリルドルフ、ミスターシービー、マルゼンスキー、或いは昨年ジャパンカップの1度のみだが、ルドルフとシービーの両者を相手に正面から打ち勝った“反逆者”カツラギエース。
そういった面々が踏み入っている鮮烈な“領域”には及ばないながらも、未分化で朧気な“領域未満”のようなものを纏う時があるウマ娘は各世代の上位にはちらほらと存在していることに、今のルドルフは気付くことが出来ていた。
(ニシノライデンは、その域には手をかけつつある)
今はスズマッハと併走しているニシノライデン。彼女のレースの映像と併走の様子から、ルドルフはニシノライデンが“領域未満”をレースで発動させていたことを確信している。
……正解であってほしくない、少なからず頭を抱える分析結果ではあるのだが。
「ニシノライデンさん。思ったより、斜めに行きませんね」
「……そうだね」
練習コース横にあるベンチに自身と並んで腰掛けているスズパレードの言葉に、ルドルフは言葉少なに頷きを返す。
クラシック期のニシノライデンの走りは若干斜めに逸れる癖こそあったものの、シニアに入ってからのように斜行クイーンと化してURA史上初の重賞1着からの失格という生き恥を晒す程の天衣無縫っぷりは存在していなかった。
そしてルドルフやスズパレード、スズマッハという面々との練習では意外なくらいに綺麗にまっすぐと走っている。日頃のトレーニングを生真面目にやっていることがよく分かる、お手本のようなフォームだ。
その事に首を傾げながらの
「天皇賞春、そして朝日チャレンジカップ。双方ともに相当な斜行を見せているが、それらは共通して最終直線での競り合いの際に起きていた現象だ。私も君もそうだと思うが、最終直線ともならば残る全ての力を振り絞って走るだろう?」
「そうですね。何か考える余力すらも脚に込めて―――……あ、もしかして」
「こういった練習ではなく実戦、それも強者と
―――結論。
ニシノライデンが無意識的に“領域未満”を発動させた際、彼女は速度を上げながら斜めに進み始める。
クラシック時期にこの問題が顕在化しなかった理由も、これならば説明がつく。その時期の彼女は“領域未満”に手が届いていなかったから、最終直線のトンデモ斜行が発生しなかったのだ。
なお、それが分かったからなにか解決手段があるわけではなく、逆にこの分析は解決手段の無さを証明するものでもある。対策がレース本番で全力を出さないくらいしかない。
強敵とのギリギリの勝負で潜在能力を開花させた結果に飛び出してくるのが加速と斜行という、三女神様も驚愕の悪質抱き合わせ商法だ。公正取引委員会はどこだろうか。
「ルドルフさんがニシノライデンさんの立場で、ご自身にそのような癖があると理解していたなら、どのようなレース運びをされますか?」
「……最終直線の展開が斜行を取られないような位置取りになることを祈りつつ、なるべく外側に出る」
「逆に次のレース……秋の天皇賞のように、ニシノライデンさんが敵に回ったレースではどうしましょうか?」
「……最終直線の展開でニシノライデンが目の前で斜行しないことを祈りつつ、なるべくライデンの後ろを避ける」
「やたら祈りますね」
「チェスでも序盤の展開は読みやすく定石化しやすいが、後半の展開になればパターンが多すぎる。ましてチェスのように動きが決まっているわけじゃない以上、最終直線でどのような形になっているかは運の要素もかなり大きいだろう。つまり、祈れ」
もはや対策を諦めてのお祈りゲー宣言をしつつ、併走するスズマッハとニシノライデンを見るシンボリルドルフ。
本番レースを前にしての調整でもあるので、疲労や消耗を残さないように7割程度の力で走るようにしようと言っていたはずが、いつの間にやら両者ともに結構本気で走っているように見えて眉を顰める。
ルドルフやスズパレードと併走した時には起きなかった現象であり、つまりはスズマッハの方が熱くなって競りかけていっている形だ。
「あれはそろそろクールダウンさせたほうが良いかな」
「ですね。もう、マッハちゃんったら熱くなっちゃって……」
「そう言わないでくれ、パレード。そうなった時の彼女の爆発力を私は高く評価している」
スズマッハは『皇帝』
勝ち星の数や賞金額ではルドルフはおろか、スズパレードやニシノライデンにもかなり水をあけられているスズマッハであるが、その爆発力から同期の中でも強豪として見做されている―――のだが、ルドルフがスズマッハを高く評価しているのは、それに加えて『ルドルフ』ではなく『ルナちゃん』的な子供っぽい、それもガキ大将的な感性が混じっている。
これにはルドルフ
―――『皇帝』と呼ばれるウマ娘と言えばシンボリルドルフのことを指すものである。
史上初の無敗三冠に加えて、クラシック級でありながらも年末の有馬記念に勝利。天皇賞春という国内最長距離にして権威あるGⅠにも勝ち、ここまで5冠。*2
ジャパンカップでカツラギエースに初めての敗北を喫するものの、有馬記念でしっかりやり返しており、勝ち逃げは許してはいない。先代三冠ウマ娘であるミスターシービーとの直接対決においては3戦全てで先着しているなど、もはやこの時点ですらその功績と実力は国内に比肩するものが居ないのが、シンボリルドルフというウマ娘だ。
しかし『皇帝』の前に『マイルの』という枕詞を付けると、途端に『皇帝』という単語は別のウマ娘を指すものとして扱われる事になる。
中長距離路線に比べると裏街道として扱われがちだったマイル・短距離路線において、圧倒的な実力とスター性を以てレースを沸かせたニホンピロウイナー。人呼んで『マイルの皇帝』である。
デビュー世代はミスターシービー、カツラギエースと同期であり、強豪だらけの同世代の一角を担っている。
全てのウマ娘が幸福になれる時代を目指すルドルフにとって、これまで脚光を浴びにくかったマイル・短距離という路線において、圧倒的な実力とスター性を持つウマ娘が生まれてその路線そのものが活気づいたというのは非常に好ましい出来事だ。
それもあって『生徒会長』や『ウマ娘の代表』という視点でのシンボリルドルフはニホンピロウイナーに対して路線開拓の感謝を直接述べているし、メディアのインタビューでは尊敬するウマ娘の一人として挙げてもいる。
一方で『一人のウマ娘』として―――より正確に言うと『シンボリルドルフ』というより『ルナ』的な幼い感性で見れば、ニホンピロウイナーというウマ娘は彼女からすれば複雑な感情を向ける対象でもあった。
短距離からマイル、特に良バ場のそれにおいては無敵といえる実力者であった彼女は、『良バ場のマイルであればシンボリルドルフにも勝てる』という評価をされていたからである。*3
目下に対しては庇護欲丸出しであるが、勝負事に対しては負けず嫌いのライオン気質を併せ持つシンボリルドルフ。その評価を耳にした時は安田記念あたりに殴り込んで白黒を付けに行こうかと本気で検討したやつである。自分より強いと言われている奴がいると面白くないという、ルナちゃんのライオンメンタルが出ている時の思考だ。*4
ちょうど宝塚記念あたりの過労で色々といっぱいいっぱいになった末の深夜テンションに近い発言であったが、あの頃のルドルフの体調とメンタルで乗り込んでいた場合は、流石に彼女であろうとも惨敗を喫していた可能性が高いだろう。
そんなわけで結局実現しなかった、『皇帝』VS『マイルの皇帝』によるマイルレースでの直接対決であるが―――。
桜花賞ウマ娘に対して1400mで7バ身差をつけたりという無双っぷり*5を発揮していたニホンピロウイナーに対して、『1600m』『良バ場』という条件でありながらも、3/4バ身差まで詰め寄ったウマ娘が居た。
「マッハちゃんの安田記念、ルドルフさんが一番喜んでいたんじゃないでしょうか?」
「同期の活躍を喜ばないのは
「それはそうなんですけど……」
それこそがスズマッハ。日本ダービーでは20番人気からルドルフに1と3/4バ身差まで詰め寄り、安田記念では9番人気からニホンピロウイナーに3/4バ身差まで追い詰めたウマ娘だ。
中長距離が得意なルドルフに対しては長めの中距離で、マイルの皇帝に対してはまさにマイルの良バ場で、各々完全に相手の得意状況でありながらも、大きな差を付けられず2着に迫っている辺りがとんでもない。
総合力は劣るが爆発力が高く、人気下位のノーマークからいきなりすっ飛んでくるタイプの奴である。上位者からすれば心臓に悪いタイプの相手だ。
「マッハちゃんの安田記念以降、ルドルフさんとニホンピロウイナーさんがマイルで対決したらという論調は減りましたよね。両方と戦って2着に追い込んだマッハちゃんがいい感じの物差しになりましたし」
「彼女の全身全霊を物差しと評価するのはどうかと思うけど……同期の力を示してくれたので、誇らしくはあるな。欲を言えば、勝ってくれれば更に最高だったよ」
「ルドルフさん的にはそうですよね」
「……パレード、なにか含みがないか?」
「いえいえ、とんでもございません皇帝陛下。……ふふっ」
妹であるマッハに対してやるのと同じように、微笑ましいものを見る目でルドルフを見ているスズパレード。明らかに含みがあるとは分かるのだが、その含みの内容は分からずに耳をピコピコ動かして落ち着かない様子の皇帝陛下。その反応がまた、スズパレードには面白い。
同期ゆえに付き合いが長く、特に過労事件後はルドルフが他者に頼ることを覚えたがゆえに見えてきた、シンボリルドルフという絶対強者が持つ子供っぽい部分が面白くて仕方ない
『
要はこの皇帝陛下、自身の同期が『マイルならばルドルフに勝てる』と評価されていた相手の牙城を崩す瀬戸際まで追い込んだことが嬉しいのだ。自覚は殆どないが『よく私の代わりにアイツと勝負して良い結果残してくれたな!』という子供っぽい称賛だ。
ガキ大将が他のガキ大将と喧嘩していい勝負してきた子分を褒めるような感性である。勿論、勝てばもっと嬉しいやつだろう。
「では、マッハちゃんを止めてきますね」
「……うん、じゃあよろしく頼む」
釈然としないまま頷いた
「ぬぉぉぁあぁぁあ!! てめぇこら、私の前を走ろうとか頭が高ぇってなモンですよぉ!!」
「だああ、本番前だから7割の力でって話だったろマッハ!?」
丁度いいことに、コースを回ってこちらに近付いてくるところだ。
これを止めて―――さて、どうにかルドルフが言っていた『祈りながらなるべく外に出る』という対策で、ニシノライデンのレース結果は改善するだろうか?
小首を傾げながら考えるスズパレードであるが、
『全身全霊での直線勝負になると、速度が上がる代わりに外に斜行する癖がある』
というルドルフの推測は、ニシノライデンからは納得とともに受け入れられた。
正確には現象そのものはライデンも把握していたのだが、どういう時に斜行してしまうのかが自分ではよく理解できていなかったので、状況が特定できて助かったという反応だ。
“領域”というものについては―――そこに到達したウマ娘に対してならばともかく、そうじゃない相手に話したら実在を疑われてただの中二病だと思われる(マルゼン談。珍しくガチ凹み)という先達の犠牲から得た経験則で、説明には含んでいない。
実際、ルドルフとしても自分が“領域”を体験する前にそれについて誰かに言われていたならば、絵空事か―――もしくはあくまでその語った個人が到達した境地として切り捨てていた可能性が高いだろう。
ともあれ、“領域”を知るが故の分析も含めたルドルフのアドバイスは、彼女自身が『対策あるのかこれ』と思っていた割に、ニシノライデンにとっては役立った。
不動の1番人気、最強の実力者ゆえに周囲からのマークが激しいルドルフと、比較的マークされにくい立場のニシノライデンという立場の差と、ニシノライデン自身のレース勘や経験によるものが大きいだろう。ライデンはルドルフからのアドバイスを上手く実戦で運用し、多くのレースで結果を残したのだ。
天皇賞秋こそ2桁順位に沈んだものの、年内のうちにGⅡ京都大賞典で2着。GⅡ阪神大賞典で1着。
そして年末のグランプリである有馬記念においては、1着シンボリルドルフから4バ身差で、1世代下の2冠ウマ娘ミホシンザン。そのミホシンザンから3/4バ身という僅差まで迫り3着に食い込んだニシノライデンは、中長距離においてルドルフに次ぐ世代No.2の立場を確固たるものとした。
シニア2年目ではルドルフの海外遠征と前後して脚を故障し、長期休養に追い込まれるが、その後に再起してシニア3年目の大阪杯での悲願のGⅠ勝利。
それは彼女個人の悲願であると同時に、シンボリルドルフ以外のウマ娘が『他の世代と争う事になるGⅠ』を誰一人として取れていない“弱い”世代と評されていた彼女たち同期全員の悲願でもあった。
特に同期の活躍を希求していたルドルフの興奮ぶりたるや、『あれはルナちゃん』『ルドルフっていうよりルナちゃん』『皇帝様もっと落ち着いてもろて』と同期の集まりでは延々と擦られ続ける鉄板ネタとなった程だ。
―――そして迎えた、シニア春三冠の2つ目となる天皇賞(春)。
三冠ウマ娘シンザンの娘にして、皐月賞と菊花賞を勝ち取っている1つ下の世代の代表格、ミホシンザンが1番人気。2年前の有馬記念では3/4バ身差での敗北だったニシノライデンは春三冠の1つを制した2番人気として、彼女とのレースに臨む事となった。
名門メジロ家が悲願とする、国内最長のGⅠレースにして天覧レース。
3200mを走り抜けた末のミホシンザンとニシノライデンの差は、長い長い写真判定になるほどのほんの僅かなハナ差で、ミホシンザンの勝利。
両者ともに全霊を出し切った素晴らしいレースだったと万雷の喝采を受けながら―――ニシノライデン、誰がどう見てもアウトな大斜行により失格。
最終直線で外側に居た後方のウマ娘の進路を塞ぐどころか、思いっきり横切って逆に進路が開いたレベルの大斜行である。最初は外側に居たウマ娘が、ゴール前では内側に居たやつだ。
重賞1着が失格となった朝日チャレンジカップも前代未聞だが、GⅠで2着にまで食い込んだウマ娘が失格となるのも前代未聞であった。なんなら今回は天覧レースである。
マリキータ事件よりおよそ1年。シンボリルドルフがまたも膝から崩れ落ちて地面に手をつくレベルのやらかしだった。これまたマリキータの時同様に、同期の謝罪行脚に自分も付き合う事にしたルドルフに対して、
しかし彼女の斜行はレースを台無しにしたり他のウマ娘に怪我をさせる程のものではないというラインものであった事から、春のシニア三冠のラスト―――グランプリレースである宝塚記念出走ウマ娘のファン投票では、まさかのファン投票1位。(前後するタイミングで引退を決めたミホシンザン除く)
同期のスズマッハ曰く、
『ゴメンでグランプリレースのファン投票1位に成り上がったのは、後にも先にもライデンくらいのモンですよ』
と揶揄混じりに言われる同情票の後押しに、本人もありがたいやら恥ずかしいやらで、レース前のインタビューでは顔を真赤にしていたやつである。
なお、彼女がやらかした朝日チャレンジカップと天皇賞(春)の2回の失格によって、URAの『失格かお咎めなしの大振りな2択しかない処罰制度』が疑問視されることとなり、降着制度が数年後に正式にURAに導入されることになる。
ニシノライデン。26戦7勝2失格。
まさしく降着制度の母として、ある意味ではシンボリルドルフ以上にURAの歴史に名を残したウマ娘であった。
・ニシノライデン
26戦7勝。GⅡを引退までに4勝。
今作においてはレースの格をアプリ版に寄せる意味で大阪杯をGⅠという設定にしているため、GⅠで1勝、GⅡで3勝となっております。
降着制度の生みの親といわれる盛大な斜行癖の持ち主で、騎手からも『斜めに走ったほうが調子が良い』といわれる稀代の癖馬だったとか……。
・スズマッハ
21戦3勝。主な勝鞍はGⅢエプソムカップ。
勝ち星の数や賞金で言えば作中で言っていたとおりにもっと強い馬も居るのですが、これまた作中で言っていたとおりに『なんか強者と相手の土俵で戦うと異様に善戦する』という馬です。
安田記念2着、日本ダービー2着という大健闘以外にも、有馬記念でルドルフ、シービー、エースの3強の次に食い込んでくるなど、相手が強くて自分が人気下位の時に限って妙に善戦しております。
なお、引退後は種牡馬のちに功労馬となっており、従兄弟のスズパレードとはお隣同士。繊細なスズパレードに比べて、心身ともにタフであるとは牧場長のお言葉です。
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ステートジャガー 1
しかし人間の都合に振り回されたステートジャガー。ウマ娘世界なので、割と立ち位置や事件そのものもコメディ寄りになっています。
やさしい世界があってもいいじゃないの気持ちで書いています。ご了承ください。
また、ドリームトロフィーリーグについてはシングレ同様の『年代順にウマ娘が登場し、引退していく』というタイプの世界観で書くにあたって、どういう立ち位置の代物か考えた結果の完全な独自解釈です。無事是名ウマ娘。
ルドルフ含めてその格差を改善しようとする者は多いが、格差そのものはある種の必然だ。単純に資金力の差があるのだ。
中央GⅠ、日本ダービー。1着賞金2億円。
南関東ローカルグレードⅠ(SⅠ)。東京ダービー。1着賞金5,000万円。
南関東以外のローカルシリーズの各ダービー。1着賞金700万~2,000万円
これが概ね、中央>南関東>他という経済力の格差であり、集客能力・動員数の差であり、ぶっちゃけていえばその地域の人口の差である。
レース場にレースを見に来る人の多さ≒入場料やレース場併設の店舗などにファンが落とす金の多さ≒そのレース場を管轄する組織の経済力というのは単純化した暴論ともいえるかもしれないが、大枠としてはそこまで的を外した話ではないだろう。
これはトゥインクルシリーズがどうしたローカルシリーズがどうしたというより、日本という国の地理や歴史からくる人口の疎密からくる必然だ。ウマ娘のレースのみならず、人を集める必要がある産業はどこも直面する問題である。
高度経済成長期の雇用の集中、交通網の収束地点、山がちで細長いという列島の形状からくる地理上の制約―――。
このあたりの経緯を語れば長くなるのだが、人口分布の偏りとそれに伴う経済格差に関しては、『そういうものだ』とご理解いただきたい。歴史に地政学にその他諸々、全て語っていてはウマ娘とレースという主題から果てしなく遠ざかっていくのである。
ともあれ人口分布からくる管轄組織の経済力の差は、設備や人材の差を必然的に生み始める。
ウマ娘にしてもトレーナーにしても、何か特段の理由がない場合は報酬が良く設備が良い場所を選びたがるだろう。賞金や設備を抜きにしても中央のレースのほうが観客動員数が多く、大勢のファンに見てもらえるというのもウマ娘からすれば魅力だ。
そうして設備や人材に差ができた状況が10年も続けば、それは格付けとして当事者たち含めた多くの人々の中の常識となる。
「……だが格差の是正といっても、ローカルシリーズに対してトゥインクルシリーズが出資をすれば良いという簡単な話ではない。それではトゥインクルシリーズの予算が目減りするだけで、皺寄せはトレーナーやウマ娘に行く……」
ニシノライデンが盛大にやらかした天皇賞の事後処理―――というか各所への謝罪行脚も終わり、シンボリルドルフは生徒会室にて眉間に皺を寄せながら、URAからの課題を考えているところであった。
いくら幼い頃から両親直々に帝王学を教わっているとはいえど、未だに実務面での経験が足りていないというのは、トゥインクルシリーズを走り終わった上でのシンボリルドルフの実感だ。
頭で分かっていたつもりのものでも、実際に体感しなければ分からないものは多い。
多くのレース、好敵手との巡り合い、同期や仲間に背を支えられること、トレーナーとの関係などなど、それらの経験とともにトゥインクルシリーズを走り抜けたルドルフは視野が広がった分、自分の未熟も目につくようになったらしい。
実績や本人の希望もあり将来的にはURA幹部への就任が決まっているルドルフであるが、ドリームトロフィーリーグに出走している間はトレセン学園の生徒会長≒学生としての立場で仕事を学ぶことを希望し、了承された。
そのルドルフに対してURA側が提示した最初の課題が、ローカルシリーズとトゥインクルシリーズの格差問題に関する解決案を提示することなのである。
「っかぁー! URA何考えてやがるんですかねぇ? それURAの長年の課題じゃねぇですか。それをまだ学生のルドルフに投げますかフツー!?」
「いや、これは大学生のレポート問題のようなものだよ。『こんな問題があります。君ならどうしますか? 実際に採用するとは限りませんが、解決案を提示してみてください』という系統だ」
生徒会室で頭をひねるルドルフに対して、歯に衣着せずに文句を言うのはスズマッハだ。鹿毛の髪からぴょこんと跳ねたワンポイントの白いアホ毛を揺らしながら、ポニーテールの元気娘は生徒会室のソファにゴロゴロと横になっている。
完全なサボりの姿勢であるが、ルドルフはそれを敢えて指摘はしない。
公人としての振る舞いは完璧だが、私人としては『親しみ易さを目指して、人形を使って腹話術で後輩に話しかける』*1『クリスマスパーティーの仮装のチョイスがクリスマスツリー』*2というボッチがロックやる漫画の主人公がやっていてもあまり違和感がない行動を熟考の末に、しかも自信満々に繰り出すという
スズマッハが先程まで生徒会室のテーブルで書いていた書類を横目で一瞥し、生徒会長は労りを込めた静かな声音で友人へと声をかけた。
「君がそれを提出するつもりなら、その後にローカルで走ってみるのはどうだ? スター性があるウマ娘がローカルで走れば、それは問題の解決に大きく繋がると思うんだが」
「ハッ! 舐めんじゃねえですよ。ああ、アタシじゃなくてローカルの子をね。……こんなガタが来たロートルが走りに行ったところで恥をかくのが関の山です」
その声に対して鼻で笑ったスズマッハがヒラヒラと振ってみせる書類は、トレーナーとの契約解除に必要な書類だった。他のチーム、他のトレーナーの元に移籍するという話ではない。引退のための書類である。
今年の秋にシニア2年目の天皇賞(秋)への出走を最後として引退。それが自身の衰えを感じたスズマッハが選んだ選択だ。とはいえシニア2年目での引退は早いというわけではなく、むしろ長く走った部類である。
結果を残せず早期引退や、或いはレースや練習中の怪我による望まぬ引退に比べれば、スズマッハのこれは円満引退といっていいだろう。
ルドルフもそれを理解しているからこそトゥインクルシリーズに引き止めるような言葉は口にせず、スズマッハのほうもこの決断を下すまでは葛藤もあっただろうが、決断を終えた今となってはどこかさっぱりした様子で引退話を口の端に乗せている。
「ルドルフよりは長く走りましたからね。クラシックの途中辺りから引退したりローカルシリーズに移籍する子も出てた中で、我ながらよく粘ったってなモンですよ」
「……確かに、残っている同期も大分少なくなったな。ライデンとパレードは?」
「あの2人は長期休養挟みながら現役続行するみてぇですね。アタシほどハッキリと衰え来てるワケじゃねぇですし」
ウマ娘の競走寿命は短い。
発揮できる身体能力の反動か、或いは他の要素が原因かは未だに不明であるが、『本格化』と呼ばれる競走能力の充実が始まるタイミングは中等部や高等部に通っているタイミングで発生する事が多く、アスリートとしての最盛期はそこから平均して2~4年ほど続く。ウマ娘にとって『最初の3年』が特に重要とされる所以だ。
本格化のタイミングは極端に早ければ初等部、極端に遅ければ20歳前後という事例があるが、やはりどれだけ本格化が遅く、そして最盛期が長くとも、20代の半ばには競走能力は衰えるのがウマ娘だ。人間のアスリートのように30歳を越えて現役という事例はほぼ無い。*3
そして早熟型と呼ばれるウマ娘であればクラシック期でピークが終わる事もあるし、どれだけ晩成型と呼ばれるウマ娘でも10年以上も現役などということは不可能なのである。
「卒業後はどうしますかねぇ。トレセン学園ではその後の進路相談も色々やってますけど、色々ありすぎて目移りするっていうか。……あっ、シンボリ家で漫画読みながら駄弁ってれば月収20万くらいの仕事ねぇですか?」
「そんな仕事があるようなら、私が父母の後を継いだら真っ先に事業仕分けするだろうな」
トゥインクルシリーズが終わった後でもレースに出るウマ娘は居る。それこそシンボリルドルフが進むドリームトロフィーリーグは、トゥインクルシリーズで好成績を残したウマ娘だけが出走できるレースシリーズだ。
サマードリームトロフィーとウインタードリームトロフィーの年2回のレースが開催されており、位置づけとしてはトゥインクルシリーズの上位とされている。
―――が、実態としては全盛期が終わってトゥインクルシリーズを引退したウマ娘たちが走るオールスター・社会人リーグ的なものである。
年2回という頻度の少なさは、全盛期を終えたスターウマ娘たちの脚に対する負担を考えての開催。『レース』としての純度はトゥインクルシリーズに比べてどうしても低く、興行やイベント、お祭りしての色合いが強い。
しかしURAは全盛期を終えたウマ娘たちが走るドリームトロフィーリーグを、『トゥインクルシリーズの上位』と断言している。そして同時に、何故そうなのかを明確に打ち出し、ウマ娘たちに訴えかけていた。
ウマ娘たちはレースに対してひたむきで、全力で、ともすれば競走生命―――最悪の場合は命すらも捧げる勢いで走るウマ娘も出てしまう。そのように若さと情熱から後先を考えなくなりがちなウマ娘達に、URAは伝えたいのだ。
―――『無事是名ウマ娘』。
それが、それこそがドリームトロフィーリーグの理念である。
トゥインクルシリーズで優秀な成績を残して走り切るのみならず、その後もレースに出走できるような、『無事是名ウマ娘』の体現者達―――大きな怪我なく走り切ったスターウマ娘たちの祭典。
それこそがドリームトロフィーリーグの目指すところであり、若いウマ娘たちに伝えたいこと、目指して欲しい姿であり、そのリーグそのものの存在意義であるのだ。
走れなくなるウマ娘が1人でも減りますように。
元々はその祈願・祈祷がドリームトロフィーリーグの発祥であるという説もあるが、定かではない。
「雇用という話なら、これまでに比べて更にトレセン学園やURAに関する業務をやろうと思ってるから、確かに秘書や補佐役が欲しくはあるんだが……。候補になるのがパレードじゃなく、ライデンでもなく、マッハかぁ……」
「おいルドルフ。その喧嘩、言い値で買ってやりましょうか?」
「その三名の中でも特に気楽に話せる相手ではあるけど、秘書になってくれても
だからこそ今後の進路の自由度が高くモラトリアム感溢れる言動をしている
「事務仕事やら書類やらに関しては昨年からは結構パレードに頼んでいたし、彼女なら色々と事務系の資格持ってたと思うのだけれども」
「パレード
「マッハ、君はそういうのなにかある? いや、すまない。無いだろうね」
「結論早っ!? 馬鹿にすんじゃねぇですよ。トレセン学園の生徒多しといえど、アタシ以外にこの資格を履歴書に書くやつァ見たことねぇです」
ゴロゴロしていたソファから身を起こしたスズマッハが、会長席に座るルドルフに対して胸を張り、不敵な笑みを口元に浮かべる。
その自信に溢れた物言いから、なにやら自分が知らない資格でも隠し持っていたのかとルドルフは瞠目する。
「ふむ、親しき仲にも礼儀ありか。これは失礼をした。なんの資格を持っているんだい?」
「そろばん10級」
「確かに見たことがないな……」
2桁の足し算、そして2桁×1桁の掛け算の問題を3割正解すれば取得できる資格である。算盤習いたての幼稚園児や小学生が取得するタイプの資格だ。
今年の春に高等部3年分の座学単位を取り終えた身でありながら、これが私だと言わんばかりに胸を張って履歴書に『そろばん10きゅう』と記入する剛の者は、確かにトレセン学園広しといえど他にお目にかかれないだろう。というより、複数人在籍していてほしくはない。
「おかんに一緒に算盤教室に通わされてたんですけど、飽きて放ったアタシと違ってパレード
「大沢礨空*4にも程がある……」
頭を抱えるルドルフ。それを見て愉快そうに笑ったスズマッハが、勢いをつけてソファから立ち上がった。
「アタシはパレード
「さっきの案……?」
「ローカルシリーズをスター性のあるウマ娘が走るようになれば、トゥインクルシリーズ側からテコ入れしなくても自力で盛り上がれるんじゃないかってやつですよ」
「君ならばと思ったのだが、他に心当たりが?」
「真っ直ぐ走るほうのライデンがローカル移籍か引退かで悩んでやがったんで、ローカルのほうに背中押してやろうかと。アタシと違って競走能力が衰えてきてる感じでもねえですし、同じGⅢウマ娘の肩書持ちですからね」
同期のダブルライデンの真っ直ぐ走る方ことワカオライデン。GⅢ朝日チャレンジカップを(曲がる方のライデン失格の繰り上げとはいえ)勝利したウマ娘であり、確かに肩書としてはスズマッハと同等だ。
さらに芝専門のスズマッハと違い、ワカオライデンは中央のダート・芝双方のレースで勝利経験がある。ダート主体となるローカルシリーズの盛り上げ役としては、スズマッハより適任であろう。
「……仕事や案件を適切な人材に振れる能力があるという面では、確かに君に補佐に
ついてもらうのもアリかもしれないな」
「マジですか? そんじゃー引退終わった後にでも改めて相談させて貰いますかね」
「そうだな。それまではレースに集中してもらって、その後に話をしようか」
肩の力が抜けた笑いを交わし合うルドルフとスズマッハ。
しかしルドルフは不意に表情を引き締め、自分が書きかけていたレポートに視線を落とす。
「ローカルシリーズを盛り上げる方法の一助はそれで良さそうだ。私の立場なら、君達の協力があればその手が現実的になりそうだというのも分かった。だが、ただそれだけでは中央から地方へ移籍したウマ娘が地方を荒らすだけで終わりかねない」
「地方も地方でスターを輩出しやがれって話ですね。例年のように地方で良い成績を残したウマ娘が中央へと挑戦してきますけど、結果を残せるのはほんの一握りです」
ルドルフが言った懸念に対して、マッハが頷きを返す。
地方から中央への挑戦は狭き門である。これは制度面で中央が地方に対して意地悪をしているわけではなく、制度を整備しても地方のウマ娘に―――特に地方で設備が整っていない芝レースで成績を残せるだけの実力がある者が絶対的に少ないのだ。
圧倒的なスター性と実力を持つ、地方からの挑戦者―――
まさか2年で日本ウマ娘のレース史に名を残す怪物とそのライバルたちが出てくるなどとは考えておらず、中長期的な視野でトゥインクルシリーズやローカルシリーズをバランスよく盛り上げる手段を考えているシンボリルドルフである。それらの案が無駄になるまであと2年ともいう。
しかしオグリキャップが出てくる前にも、中央で結果を残すウマ娘が皆無だったわけではない。特にルドルフたちの世代では、地方から出てきて春三冠の1つである大阪杯を制したウマ娘が居る。
ルドルフこそ天皇賞(春)を優先して大阪杯を回避したものの、決して層が薄いレースだったわけではない。それでもミスターシービー、ニホンピロウイナー、ニシノライデンらを破った、地方から来た2年早いシンデレラ。
その名は―――
「―――ステートジャガーが居れば」
「言うな、マッハ。彼女のことは……!!」
その名をスズマッハが口に出した瞬間、ルドルフは表情を強張らせた。口元に手をやり、眉間に皺をよせ、厳しい表情でマッハを睨む。
まるでその名が忌まわしきものであるかのように。
「……ルドルフ」
「頼む。抑えが効かなくなりそうなんだ」
爪が食い込む程に拳を握るシンボリルドルフ。対するスズマッハは静かな表情で首を横に振る。
「無かったことになんか、できねぇでしょう」
「だが、私は……っ!!」
慟哭のような、怨嗟のような。堪えきれない何かをそれでも抑えるように、唇を噛むルドルフ。
そしてスズマッハは懐に手を入れ、スマホを取り出し、お気に入り登録していた動画をスピーカーで再生した。
『―――私がレース前日に飲んだカフェオレから、コーヒーが検出されたんです!!』
「ぶフォァっ」
「普段のダジャレといい、ほんとアンタの笑いのツボってどこにあんですかねぇ……」
駄目だった。すんごい頑張って堪えていたルドルフの口と鼻から、淑女が出しちゃいけない感じの爆笑が漏れた。
爪が食い込むくらいに拳を握っても駄目だった。なんならルナちゃんの人生で一番ツボに入ったまである、GⅠレース2つを使い切った壮大なコントであった。
「ほ、本人は大真面目かつ悲壮淋漓*5だったんだ、その必死の訴えを笑う……ことなど人として、ウマ娘として、あっては……ぶふっ……!!」
「いやもう笑ってあげるのが情けじゃねぇですか? 本人、テレビのインタビューとかだともうヤケクソで持ちネタにしてますよ最近」
禁止された薬物を使用してしまったと、レース後の記者会見で泣きながら告白したウマ娘が居た。
知らずにやったことであり、トレーナーは全く関係がない旨。他のウマ娘も何も関係なく、ただ自分の不注意であった旨。泣きじゃくりながら必死に訴える彼女に対し、記者会見の場は騒然としたものである。
自身が出走を取り止めた宝塚記念の記者会見であり、それを見ていたルドルフも愕然としたことをよく覚えている。
URAにもトレーナーにも相談せず―――つまり自分ひとりで全ての責任を被ろうとしての告白が生中継の、それもGⅠレースの会見で行われたのだ。URAそのものが上に下にの大騒ぎになりかけた大事件だ。
泣きながら必死に訴える彼女に対し、代表するように月間トゥインクルの記者が蒼白な顔で問いかける姿を、ルドルフもテレビ越しに息を呑んで見守っていた。
そして彼女―――ステートジャガーはボロボロと涙をこぼしながら、こう言ったのだ。
『……わ、私……知らなかったんです……!』
後にステートジャガー事件と呼ばれるそれは―――
『カフェオレに……コーヒーが入っていたなんて……!!』
―――カフェインを禁止薬物と勘違いした、マリキータと並ぶ同期最大のお騒がせウマ娘大暴走の顛末であった。
史実おいてワカオライデンは金沢競馬・笠松競馬で素晴らしい戦績を残しましたが、それ以上に地方競馬の種牡馬として大きな貢献をした馬です。
「史上初めて地方所属のまま中央競馬の重賞を勝利する」という偉業を成し遂げたライデンリーダーという馬の父である他、産駒成績が全体的に非常に良く、金沢や笠松のみならず各地で好成績を収め、地方競馬のリーディングサイアー(要は一番優秀な種牡馬)の座に2度も輝きました。
その功績を認められて、老衰によって亡くなった後には地方競馬全国協会による特別表彰をされています。中央競馬でいうところの顕彰馬に近いレベルで貢献を認められた、地方競馬の立役者になったわけですね。
あと、書こうと思って毎回忘れてましたが、感想・評価ともにありがとうございます。なんか気がついたら結構増えていて、これ息抜きに書き始めた短編だけど良いのかコレとか戦々恐々しております。
あと数話で本編完結の見込みですが、気軽に見ていただければ幸いです。
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ステートジャガー 2
アオハル杯みたいな深い闇やら後悔やらは抱えず、他のシナリオみたいな柔和な理子ちゃんになって欲しいですね。
カフェイン。アルカノイド*1の一種であり、プリン環*2を持った有機化合物の1つ。
医学的な見地においては精神刺激薬に分類される。これはアンフェタミンやメタンフェタミンなどの『覚醒剤』と広義においては同分類であり、過剰摂取が心身に悪影響を及ぼす可能性については世界各国で指摘・議論が発生しているものだ。
主要国においては特にカナダがカフェインに対して強い反応を示し、健康的な一般成人の摂取量は日に400mgまでが望ましいとしている。*3
逆に言えば特に強い反応を示している国ですら『コーヒーは日に3~4杯までにしましょう』という提案で止まる危険度なのがカフェインだ。ただし、妊婦や授乳中の女性に対しては悪影響が報告されており*4、そういった女性に関しては上記カナダ基準の更に半分、1日に200mg以下の摂取に留めるように日本やイギリスでも推奨されている。
適量の摂取であれば集中力を高める作用や疲労軽減作用、更に最近の研究*5では記憶能力の改善作用なども報告されており、プラスの薬効も多い。
朝の一杯のコーヒーは健康に良いという論旨は、概ねこのあたりの要素が根拠となる。しかし総合感冒薬・鎮痛剤に使われる事もあるそれは立派な『薬物』の一種であり、用法用量には注意が必要だ。
それらの薬効から人間のアスリートにとってはカフェインが禁止薬物に含まれていた時代はあった。おおよそ20年くらい前までの話である。これを比較的最近ととるか、結構な昔ととるかは人によるだろう。
その後は禁止薬物からは除外され、『過剰摂取には注意してネ。あんまり目に余ると禁止しちゃうゾ』というくらいの扱いである『監視プログラム』に指定されているのが現在の状況だ。
尿検査などでヤバい濃度が検出されたら問題視されるタイプの奴であるが、五輪選手が水分補給でカフェオレを飲んだりしている昨今、そこまで目くじらを立てられるものではなくなっている。
では、人間より遥かに高い身体能力を持つウマ娘の場合はどうだろうか?
彼女たちは発揮する身体能力に比例するように、飲食量が多い。流石に質量保存の法則に喧嘩を売るような燃費劣悪なマイクロブラックホール胃袋を搭載しているよう輩はごく少数の例外*6であるが、普通のウマ娘であろうとも飲食量はヒトより遥かに多く、その分だけ薬毒―――特に自然界に存在しうる飲食物に含まれうるそれに対する耐性が高い場合が多い。
体内に取り込む飲食物の量の多さに比例するだけの耐性があるのは、生物としての進化・淘汰のメカニズム、並びにヒトとウマ娘の歴史を考えると当然のことである。というか、そうでなければウマ娘が食い過ぎで自滅して滅んでいた可能性が高い。
例を上げてみると、ヒトが普通に食べるようなものであってもニンニクや銀杏のように大量に食べると毒性を発揮するようなものが存在する。
そうである以上、ヒトと同じ食生でありながらヒトより大量に食べるウマ娘の耐性がヒトより高いのは当然の帰結といえた。生物はその食生に合わせた耐性を獲得する。ダーウィン先生の進化論である。
……アルコールは体質的なものもあるので、また別枠のようであるが。*7
―――さて、結論。
自然界に存在するアルカノイド系の薬品であるカフェインに対するウマ娘の耐性は、個人差こそあるがヒトのそれより平均して高く、ヒトに対するそれよりも規制はさらに緩い。
メジロ家のウマ娘はよくお茶会を開いているし、少し先の年代の話になるがコーヒーを愛飲している
『中央に出てきてから、初めてカフェオレを飲んで……。甘くて、美味しくて……大阪杯の前にも、私はそれを飲んでいたんです。私は、ドーピングしていたんです!!』
であれば、テレビに映る記者会見の中でこの世の終わりのように泣き叫んでいる彼女の勘違いは何が原因か。
バッドステータス『愕然』から復帰してきた当時のシンボリルドルフは、生徒会室で共に中継を見ていた2名の同期に向けてぼんやりと話を振った。
「……どうやら我々は知らず知らずのうちにドーピングをしていたようだ」
「お茶やコーヒー……あとはココア、チョコレートもアウトですね。あ、今このテーブルの上に違法薬物の入ったお茶が。飲んで証拠隠滅しませんと」
「僕、バレンタインとかで結構貰うから、かなり重度のドーピングしてたのかなぁ……」
それを受けて返答するスズパレードとニシノライデンの返答も、どこか軸がズレたぼんやりとしたものになっている。ドーピングの告白会見を見ている筈なのだが、生徒会室にはもはや緊張感の欠片もない。
なんならテレビ画面の向こうの空気も、号泣しながら崩れ落ちているステートジャガー本人以外は、どこか弛緩し困惑している。
何がなんだかよく分からないという顔をしながら他のレース入着ウマ娘がステートジャガーを宥めているという、何がなんだかよく分からない会見である。記者たちから何の質問もあがらないのは、空気を読んでいるのではなく何を聞けば良いのか何がなんだかよく分からないからだろう。
その様子を何がなんだかよく分からない表情で見ている皇帝と同期たちも、やっぱり何がなんだかよく分かっていない。
「……ローカルから移籍してきた彼女を受け入れたトレーナーって、新人だよね? しかもかなり極端な管理主義の」
「あら、ライデンさんはお嫌いですか? 管理主義」
「好きじゃないなぁ」
「それを否定はしませんけども」
話の焦点も定まらないものだから、微妙に話の軸線もズレていく。
ニシノライデンがなんとなく話題に出したのは、ステートジャガーのトレーナーについての話。それも否定的なニュアンスを含んだものである。
しかしその話を聞いたスズパレードは、顔を顰めているライデンを宥めるように、笑いながら語りかける。
「私は逆に、自主性を重んじすぎる自由主義は苦手ですね。スケジュール、体調管理、チームのルールその他、キッチリとしている方が性に合います」
「僕は自分のペースでトレーニングとかやりたいんだよなぁ」
トレーナー、ひいてはチームというものは画一的なものではなく、個人やチームごとに指導方法の特色が出る。自由型と管理型というのはその典型だ。
ウマ娘の自主性を重んじるか、トレーナーが細部まで監督するか。完全な野放しは問題だろうが、自由が全く無い管理体制も問題なので、この2つの方針の間でどの辺りのラインを目指すかという話になるだろう。
そしてどのラインが正解かというと、これまた正解は無い。正確に言えば、少なくとも現状では正解とされるものは見つかっていない。ライデンが自由型、パレードが管理型を好むように、ウマ娘によって“合う”方針が違うからである。
合う方針であればウマ娘はその実力を遺憾なく発揮できるし、そうでなければ十全なパフォーマンスは発揮できない。敢えて言うならば『ウマ娘に合わせて指導方法を変えるのが正解』というべきだろうが、現実的にはトレーナーの対応能力にも限度があるうえに、チーム内で対応の差をつけ過ぎるのは賢い方針とは言い難い。
そのため、現状では『このチームはやや自由型』『このトレーナーはけっこう管理型』というようなチーム・トレーナー単位での棲み分けが行われており、ウマ娘とトレーナーが契約を結ぶ際にはそういった方針・スタンスとの相性も重要視されている。
「樫本トレーナーだったな。今年で赴任2年目の若い女性トレーナーだ。中央のトレーナー
「私は失望しました」
「ニシノライデンのやる気が下がった」
「何故だ? 樫本トレーナーとは一度話したことがあるが、才気煥発で理路整然とした才女といった人だったぞ。会ってもいないのに失望したりやる気を下げるというのはいただけないな」
「そこじゃないんですよね」
「なんでいちいち凄い上手いこといったみたいなドヤ顔というかキメ顔してくるのさコイツ」
そして両者の話題を横から補足する
「そこはともかく……目が肥えているルドルフさんから見ても“できる”タイプのトレーナーだったっていう事ですよね」
「そうだね。ローカルから移籍してきたステートジャガーがGⅠである大阪杯を勝った事は、彼女自身の努力や才覚は勿論大きいだろうが、トレーナーの力も大きいはずだ。……各々、それは重々分かっているだろう?」
ウマ娘とトレーナーは切っても切り離せない。少なくとも彼女たちが立っているステージは、ウマ娘“だけ”の力で上がってこられるものではない。
それは既にシニアの半ばまでを走ったルドルフ、パレード、ライデンらが感じた共通認識だ。故にパレードもライデンも、皇帝の言葉に対しては頷きで答えた。
「まぁね。自由型でも管理型でも、ウマ娘とトレーナーは二人三脚だ」
「どんなに才覚に溢れたウマ娘でも、トレーナーの支えなしでは良い結果にはならないでしょう。それこそ才覚に溺れて抱え込むだけ抱え込んで潰れかけた皇帝様だとか」
「ごめんて」
ただしパレードの方はチクリと嫌味を入れる形で釘を差し、ルドルフはもごもごとした調子で謝罪を口にしながら、誤魔化すように
ウマ娘―――特にレースを走る競走ウマ娘は、実年齢よりも本格化のタイミングから来る同期関係を先輩後輩の基準とする事が多い。この辺りは種族感性やレースウマ娘の文化的な部分もあるだろう。
しかし、実年齢の上下が関係に全く影響を及ぼさないわけではない。少し後の世代になるが、ゴールドシチーはデビュー同期でありながら年上のタマモクロスを『先輩』と呼んで呼び慕っているし、タマモクロスもシチーに対しては先輩風を吹かせている。*9
そして実年齢でいえば、このメンバー+スズマッハ、あとはビゼンニシキとマリキータあたりを並べても、パレードが1つだけ年上となる。
それもあってか、レースが絡まない日常的なやり取りに関しては苦手―――というほどではないにしても、
ともあれミルクティーで喉を潤して間を取った皇帝は、小さく咳払いをして誤魔化すように状況分析を口に出す。
「それだけ“できる”トレーナーかつ、かなり強い管理主義の樫本トレーナーらしくないミスだな……。コーヒーだかカフェインだかを禁止薬物だと思い込むという事は、普通の生活をしていたら有り得ないはずだ。何かトレセン学園に入ってから、勘違いするだけの事があったという事だと思うのだけど」
「ローカルでは禁止されていたとか、実はコーヒーアレルギーで飲むなと言われていたとか、なんらかの宗教的理由とか」
「私達が見落としているだけで、なにかの制度や寮の規則なんかで禁止されてるとか」
「……うーん……」
生中継で違法薬物がどうこうの話が飛び出しているので、冷静になってみれば単なる勘違いだとしても相当な大事の筈なのだが、どうにも弛緩した空気で
だが、当の会見会場の方ではこのような呑気な空気とは逆に、大きな動きが発生した。ウェーブのかかった黒髪と切れ長の目、スラッとした身体を黒いスーツで包んだ、見るからにキャリアウーマンといった容姿の女性が必死の形相で会見に飛び込んできたのだ。
『通して! 通してください! ステートジャガー! 貴方、なんてことを……! 貴方の責任じゃない、私の責任です!』
『ぅあ……ぐすっ……
『ごめんなさい、ごめんなさい! 貴方をそんなになるまで思いつめさせてしまって……!』
泣きじゃくっているステートジャガーの瞳が彼女を捉えると、これまで以上に大粒の涙がボロボロと彼女の目からこぼれ落ち始める。樫本トレーナーと呼ばれた女性も涙を流しながら、ステートジャガーに駆け寄って抱き締めた。
そして彼女―――まだ赴任2年目の新人トレーナーである樫本理子はスーツの袖で涙を拭い、自身の愛バを庇うようにして前に立ち、記者会見の場に向き直った。
『皆様、申し訳ありません。全てはトレーナーである私、樫本理子の管理不行き届きです。事情については彼女が残していた置き手紙で知りました。禁止薬物が含まれているようなものがウマ娘の手の届くような場所にあったこと、それを摂取していた彼女に気付かなかったこと、全て私の、私だけの責任です』
そして彼女は何の躊躇いもなく、スーツの襟に付けられていたバッヂに手をかける。倍率数千倍の超難関試験を越えてようやくなれる中央トレセン学園トレーナーのバッヂを毟り取―――ろうとして力不足で中々取れず、2度3度と繰り返してようやく取れたそれを、叩きつけるように机に乗せた。
それをテレビ越しに見ていたニシノライデンが驚愕を顕にする。
「……トレーナー資格を返上するつもり!?」
「高潔無比な行動だろう? 私が評価するのも頷ける筈だ」
驚くライデンであるが、既に樫本理子という女性と話したことがあるルドルフからすれば驚くに値しない行動だ。
厳格な管理主義、そして怜悧な見た目や口調から勘違いされがちだが、本質的にはウマ娘たちの幸福を願ってやまないのが樫本理子という女性である。管理主義への傾倒は、ウマ娘達が病気や怪我で夢を諦めるようなことが無いようにという思想からくるもの。
自身の担当ウマ娘を守るためであるならば、彼女はこれくらいやりかねない。
「そうですね……発端、カフェオレにコーヒーが含まれていた事じゃなければ」
「うん……結局なんなんだろうその勘違い……」
しかし、ライデンに対してしたり顔で頷いていたシンボリルドルフであるが、パレードの指摘でションボリルドルフとなる。結局のところ、この騒動の原因がなんであるのかは未だに見えていないのだ。
樫本理子のその姿からは確かに指導者として、トレーナーとして、一人の大人としての清廉な在り方と、ウマ娘への愛情は伝わってくる。伝わっては来るのだが、そういうものをこの弛緩した場にお出しされても少々扱いに困る。
困るのはこの場のウマ娘達もだし、中継の向こうの記者の方々や、なんならこれを見ているURAの偉い人も困っているだろう。
退職理由―――カフェオレ。これを本気で退職理由の欄に書いた退職届が提出されたならば、中央トレーナーのみならず、どのような職種・職場であろうとも伝説になれるに違いない。
もしかしたら樫本トレーナー自身、なにかの勘違いでカフェインやコーヒーを麻薬かなにかとでも勘違いしているのか。あるいはアレルギー持ちのウマ娘でも所属しているのか。
そんな疑念を込めて中継を見るウマ娘たちの疑問が届いたわけではないだろうが、中継先で月間トゥインクルの記者が代表して声をあげた。
『では……樫本トレーナーにお伺いします』
『はい、なんでしょうか?』
対する樫本理子は全ての批判から自身の愛バを守ろうと覚悟を決めた悲壮な表情で応じ、
『……何故、コーヒーを禁止薬物としているのでしょうか? それともカフェインでしょうか……?』
『……え?』
樫本理子、愕然。引き締めた怜悧な印象だったが、意外とあどけないポカンとした表情もできる女性である。
そんな表情を見せた彼女は自身の後ろで泣きじゃくるステートジャガーを見て、記者を見て、周囲のウマ娘を見て、ステートジャガーを見てから、天を仰いだ。
『……その、私は控室の置き手紙でステートジャガーが意図せず禁止薬物を服用していたと告白されて、慌てて飛び込んできまして。私が来る前に会見で何があったかをお伺いしても?』
『……カフェオレにコーヒーが入っていたとは、知らなかったとのことで。恐らくコーヒーが禁止されているという認識なのかと』
『…………あー……』
怜悧のかけらもない単純な母音を呆然とした様子で呟いた理子であるが、同時に理解が及ばないという様子でもない。何かの心当たりはあるという反応だ。その後ろのステートジャガーは弛緩した空気に気付かず必死に声をあげる。
『飲んじゃ駄目だって、樫本トレーナーは教えてくれたんです! トレーナーは悪くないんです、わだ、
『……ごめんなさい、ステートジャガー。これは私の責任です。コーヒーはトゥインクルシリーズで指定されている禁止薬物などではなく、私の……チーム《ファースト》でだけ禁止しているもので……いや、禁止というか……説明不足なんですけど……』
うつむき、天を仰ぎ、右を見て、左を見て。深く息を吸い、そして吐く。
それだけの時間を置いてなんらかの覚悟を決めたらしい樫本理子は、固唾を―――別に飲んでもいない弛緩した記者団に対して、深々と頭を下げた。
『皆様、申し訳ありませんでした。チーム内で禁止していたものを、トゥインクルシリーズそのものでの禁止だと勘違いさせてしまっていたようです。転入後の説明不足が原因で、私の不始末で間違いありません』
その言葉に疑問が解けた様子の記者団、並びに同席していた入着ウマ娘たちの表情に納得と安堵の色が浮かぶ。地方から中央へ転入してきたステートジャガーに対し、当初から中央に入学してきていた子たちと比べて連絡不行き届きがあったというだけの話である。
確かにトレーナーの責任ではあるかもしれないが、資格返上云々という話にまではならないだろう。赴任2年目のトレーナーではそこまで手が回っていなかったと考えれば、ある種の愛嬌もある話だ。
よりにもよってGⅠレースの入着ウマ娘たちの記者会見でやらかした事に関しては問題といえば問題であるが、どうやら笑い話で済みそうである。
「けど、やっぱ管理主義ダメだなー。ウマ娘の健康管理があるからって、コーヒー全部禁止とか。前時代的だよ」
「……確かに少し厳しすぎますね」
中継の様子を笑いながら見るライデン、そして苦笑しながらそれに応じるパレード。
どうやら記者の中にもそれと同じ感想に至ったものが居たようで、別の記者が手を上げて発言を求め、樫本トレーナーに質問をぶつけた。
『大変失礼ですが、コーヒー党としてはコーヒーがまるで毒かなにかのように扱われる事に悲しさを覚えます。それが原因でこの騒ぎになってしまったワケですし、どうかコーヒーを許してあげてくれませんか?』
弛緩した空気ゆえの冗談交じりの質問に、記者席からもウマ娘たちからも笑いが漏れる。
しかし理子は笑わない。笑うどころか名探偵に致命的な物証を突きつけられた真犯人くらいの追い詰められた表情をして言葉に詰まる。
その様子に質問した記者の方が困惑するが、彼の方から何か言う前に理子のほうが静かに―――死を覚悟した重病人くらい静かかつ悟りきった表情で答えを返した。
『私のチームでは大きなポットに飲み物を持ち回りで用意して、それを全員で共有しております』
『は、はぁ……』
意図の分からない返答に困惑する記者。しかし彼が曖昧ながらも相槌を打ったのを確認してから、理子はゆっくりと言葉を続ける。
『……その全員というのは、私も含まれます。恥ずかしながら、私がコーヒーがダメなので、ウマ娘たちに合わせて貰っていただけなのです。飲むなという意味ではなく、共有ポットに入れるなという禁止ですね』
『あ、ああ。アレルギーですか?』
『…………』
もはや全てを諦めきった樫本理子の表情は、釈迦如来が如きアルカイックスマイルであるが、波止場にでも置いておいたら今すぐ遠洋マグロ漁船に飛び乗りそうなくらいに追い詰められた空気も出している。
いったい何の話なのか。すっかり弛緩していた筈の空気が、理子の醸し出すよく分からない緊迫感に呑まれる形で重くなっていく。
『…………んです』
『……え?』
『私が、コーヒーを飲むと眠れなくなるんです!!!』
『え!?』
『23歳にもなってコーヒーを飲んだら明け方まで眠れなくなるんです!! 赴任1年目に格好つけて飲んだら翌日にチームの子たちにも迷惑をかけてしまってから、共用ポットにコーヒーを入れないようにチームのルールとしました!!!』
樫本理子ちゃん、23ちゃい。コーヒーを飲むと眠れなくなるお年頃である。*10
クールビューティー系のキャリアウーマンがコーヒー1杯で夜も眠れなくなると、全国生中継で宣言するという惨劇であった。なんなら誰もなんの悪意も持っていないまま完遂された地獄の罰ゲームだ。
熟れたトマトくらい真っ赤になった理子ちゃんであるが、誠実な彼女としてはこれだけ大騒ぎになった事態に対して、嘘や方便で切り抜けようという思考は無かったようである。
『……殺してください。今、私は恥を知りました……』
『……いや、その……あの……ごめんなさい』
真っ赤になって震える理子ちゃん。気まずそうに首をすくめる記者。
なお、この事件の後で学園のウマ娘たちから樫本理子という女性に対する評価は、大分親しみを込めた好意的なものに変わることになるのだが、それは今の彼女にはわからない。
先程以上になんともいえない空気になった会見会場であるが、そこにさらなる第三者の声が割り込んできたのはその時だ。
『ステートジャガーさん、早まらないでください!!』
緑の帽子、緑の制服。長く艶やかな鹿毛を首後ろで纏めた妙齢の女性―――理事長秘書、駿川たづな。彼女が息を切らしながら会見会場に飛び込んできたのである。
『アレルギーですか!? 病気ですか!? いえ、何の理由でカフェインやコーヒーを禁止されていても関係ないんです! 会見が始まってすぐに、あなたの控室に向かったんですが―――』
大慌てで走ってきたらしい―――の割に何故かあまり息が切れていないが―――たづながまくし立てるが、理解はだいたい周回遅れである。
事件の真相は理子ちゃん23ちゃいの自爆で終わったので、ここで終わらせてあげるのが情けではないか。ウマ娘、記者、視聴者含めて多くの人々がそう思ったが、たづなは裁判ゲームで必殺の証拠品を突きつける時ばりの表情で、1本のペットボトルを場に出した。
『―――貴方が飲みかけてたカフェオレ、ノンカフェインです!!』
『待った!』という書き文字が付きそうなポーズで、タンポポを使ったコーヒーっぽい代用品*11を使ったカフェオレのペットボトルを突きつけるたづな。ゴンと鈍い音を立てて、画面の中のステートジャガーが机に突っ伏した。理子ちゃんの顔はもはや生物学的に心配になるレベルで真っ赤である。
そして全てをひっくり返す噴飯物のオチを見た生徒会室では―――
「ぶフォァっ」
「ルドルフさん!?」
「君そんな声出るの!?」
大阪杯、宝塚記念という春三冠のうち2つを使って完遂された壮大なコントのオチがツボにハマったらしいルドルフが、同期ですらも聞いたことがないような声をあげて腹を抑えて痙攣するように笑い出した。ルナちゃん人生最大級の大爆笑であった。
―――結局。
ステートジャガー事件後、流石にGⅠレースの記者会見でのコレは『軽率な行動である』とされて、ステートジャガーと樫本理子の両名には1週間の謹慎処分が課されることとなったが、逆に言えば影響はその程度で済んだともいえる。
その宝塚記念で勝ったスズカコバンというウマ娘*12からは会う度にネタにされて、『勝ったウチより目立った』とからかわれると嘆いているステートジャガーであるが、ある意味最大の被害者であったスズカコバンがその対応である以上は、これ以上の大きな問題になりようがないのである。
というかスズカコバン自身、『会見動画の再生数めっちゃ上がって結果的にウチの名も広まったんでヨシ!』とシービーに語っていた。ルドルフの出走取消、天皇賞春でのシービーの引退もあってスター不在の盛り上がりに欠けるGⅠという見方もあったレースが、結果的に話題になったので結果オーライの精神らしい。
なおステートジャガーは地方からの転入組、それもシニアになってからのものであるが故に、デビュー時期そのものは同期でありながらも接点が少なかったシンボリルドルフは、
人生最大級の大爆笑をする羽目になったが、それも同期に時々ネタにされるくらいだろう。マリキータやニシノライデンのときと違って、彼女が謝罪行脚に同行するような立場や関係ではなかったのだ。
敢えてシンボリルドルフがこの事件の事後処理としてやらねばならなかった事は―――
「じっくり焙煎したキリマンジャロは最高にキくわね!」
「朝はコーヒーをキメてきたわ!」
―――ノリの軽いタイプのウマ娘の間でコーヒーをキメるごっこが流行ったが、ステートジャガー事件を知らない人が見れば色々と誤解を招く絵面・表現だったので、生徒会から注意を発布したくらいであった。
前話の前書きでも書きましたが、ステートジャガー事件は競馬史では大事件です。
ですが夢のレース、プリティーダービーである以上、明るく前向きで救いがある話にしたくて、理子ちゃんが無意味に流れ弾に被弾しました。書いてる最中にロード画面で見たヒミツのせいです。
ステートジャガーは人間の都合に振り回された馬でしたが、競走成績そのものは大井・笠松の両地方競馬で優秀な成績を残し、中央でも3戦1勝。
シービーを下して大阪杯(当時はGⅡ)を取るなど、地方出身・芝レースの馬としてはとんでもない成績だったといえるでしょう。
このウマ娘世界のステートジャガーさんは、この後で地方に戻りつつも、GⅠウマ娘としてテレビ出演などいろいろと頑張っているようです。
オグリキャップの先輩として、笠松で彼女やマーチと少し面識があったらとか考えるとロマンがありますね。
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閑話 クリスマスパーティー 1
また、サザエさん時空ばりに生徒会メンバーが固定され続けているわけではない場合、生徒会がどんな感じになっているかなど含めて少々。
ルドルフがシリウスより1つ年上というのは、単純に史実の馬齢を参照した独自設定です。
今回は新たに同期ウマ娘のエピソード紹介などはありません。原作でもやらかしたルドルフの奇行はあります。ご了承ください。
「四角四面な皇帝サマは面白みが無いんだよ。息の抜き方も知らないから、ああして無様に潰れかかるんだ」
ルドルフより1つ年下の幼馴染、シリウスシンボリ。同じ『シンボリ』の一門であり、ルドルフのアメリカ遠征に先立って欧州に旅立っていた彼女は、ルドルフ引退後のこのタイミングでも未だに長期の遠征計画を立てて欧州を歴戦している。
日本ダービーでの勝利含めて、日本での戦績は6戦4勝(2着1回、失格1回)。同期にて皐月賞、菊花賞を取ったミホシンザンとの直接対戦の経験はない。シリウスシンボリが脚部不安で皐月賞を回避し、ミホシンザンが皐月賞後の骨折で日本ダービーを断念しているからだ。
仮にシリウスシンボリが遠征を選ばずに日本でのレースを続けていた場合、同世代のミホシンザンとの勝負がどうなったか。更に言えば、1つ上の世代のシンボリルドルフと勝負する機会が得られていたらどうなったか。この辺りはファンの間でも度々議論になるテーマである。
ミホシンザンはまだしも、そのミホシンザンに完勝している7冠ウマ娘のシンボリルドルフ相手では厳しいという評価が多いが―――それでも、『もしかしたら』と思わされる風格があるのがシリウスシンボリだ。
しかしそのシリウス、長期遠征といっても一度行ったら帰ってこれないというわけではなく、ルドルフがアメリカ遠征で負傷して引退を決意したという報を受け、欧州からの一時帰国中。今は主が不在の生徒会室にふらりと立ち寄ったら遭遇したルドルフの同期3名と雑談中である。
ニシノライデン、スズパレード、スズマッハ。世代上位の実力者3名は皇帝過労事件以前からルドルフに対して物怖じや遠慮が無かった数少ない同世代であり、シリウスシンボリもルドルフのレース情報を追っていればよく名前を目にした相手だ。なんならライデンは朝日チャレンジカップの話をルドルフ当人から聞いているし、スズパレードは生徒会の庶務でもあるので、遠征絡みで面識はあった。
シンボリルドルフに対してこそ対抗心剥き出しの態度を取るシリウスであるが、礼儀知らずというわけではない。むしろシンボリという名族の一員であるシリウスシンボリは必要であれば礼法に基づいた受け答えややり取りが出来るし、そこに居合わせた3名の先輩に対してはルドルフ絡みで感謝はあれど、対抗心や敵愾心がある相手ではない。戦績や実力という意味でも、一定の尊敬ができる相手だ。
故に同期トリオが療養中のルドルフから頼まれていたという書類整理の礼を、幼馴染の代わりに述べたシリウス。突っかかる相手のルドルフが居ない事もあり、相対的におとなしい対応で先輩方との歓談開始。
生徒会が彼女に行っている遠征への支援に対する礼儀として持ってきた欧州土産の菓子を場に出して、なんのことない近況報告やら、共通の友人といえる“皇帝”の話題やらという雑談の流れで出てきたのが先の言葉である。
確かにシリウスは常々からルドルフのことを『面白みがない』と公言していたが―――
「……あんな面白い奴、そうはいねぇですよ? つーかあのレベルに複数人居られたら困ります」
「クリスマスツリーが増殖していたでしょうね」
「……はぁ?」
彼女からすればシンボリルドルフは面白みがないくらいに完璧な相手だ。なんでも出来るからこそ出来ない者の視座が分からず上から目線の庇護思想に偏りがちで、だからこそシリウスシンボリは対抗心と尊敬と反発心を合わせた感情を彼女に対して抱いている。
そんなシリウスからすれば、スズ姉妹のぼやきは何の話をしているのか理解出来ない内容だった。
「僕は入学以前のルドルフを知らないけど。シンボリ本家では腹話術やったり、クリスマスパーティーで地獄を作ったりしないのかな?」
「……それは先輩方が何か罰ゲームでもさせた結果じゃあないのか? あの皇帝サマが腹話術ねぇ……さぞ渋面で下手な一発芸でもしていたんだろうな」
ライデンの疑問に対して喉を鳴らすようにして笑い、揶揄するような口調で言い放つ
それを見ながら、残りの3名は顔を見合わせた。
「……長期遠征に行っているから、オモシロ系の奇行をしている姿を見ることが少ないのかな?」
「それにしたって化けの皮を剥がせば単なるおもしれー奴ですよ? 幼馴染が化けの皮の下を知らんってぇこと、ありえます?」
「……あー、有り得るかもしれません。確かシリウスさん、ルドルフさんより1歳下でしたよね? 社交ダンスとかはルドルフさんが教えてたと、去年のトレセン学園主催のダンスパーティーの準備中に自慢してたのを聞いたことがあります」
納得いかない様子のニシノライデンとスズマッハ、そしてその横で頬に手をやって小首を傾げたスズパレード。一拍遅れてポニーテールが傾いて揺れる。
そのスズパレードの発言を聞いたシリウスは渋面を作って『ハッ』と自嘲げな笑いを浮かべた。
「あいにく、生まれの早い遅いは選べなかったんでな。遺憾ながらその通りだが……あいつまさか、私が格下だとでも吹聴してるんじゃないだろうな?」
「というより、姉な気分なんだと思います。私は
「えっ? パレード
「私の場合はおやつを切り分けたら大きい方をあげたりとか、そういうレベルですけど。逆に姉だから大きい方を貰っていくという人も居ますので、どういう態度が出てくるかは個人差だと思いますけどね」
更に嫌そうに渋面を作るシリウスを横目で見つつ、スズパレードは距離が近いと見えるようになってくる皇帝の奇行を脳内で列挙しながら、それがシリウスに知られていない理由を言葉に纏める。
クラシック級の半ばで海外に遠征を開始したシリウスはここ1年ほどは大半を欧州で過ごしており、肩の力が抜けてからのルドルフとあまり絡んでいないということもあるだろうが、それだけでは不自然なのである。
「ルドルフさん側がどれだけ意識的にやってるかは分かりませんけど……たぶんシリウスさんの前では他のウマ娘の前以上に、立場と責任ある“皇帝”としての振る舞いをしているのでは?」
「……仮にそれが事実だとして、私がそれをどう思うかを考えないのか、あいつは」
「考えてないと思いますよ。ルドルフさんぶっちゃけコミュ障の類ですし」
「えっ」
幼馴染に対するこれまで聞いたことがないような評価を耳にして、シリウスシンボリの耳と尻尾が大きく跳ねた。
今や日本で知らない者は居ないほどの名ウマ娘にして、既に指導者としての風格と視座を持つ才女に対して、出てきた評価は『コミュ障』である。
しかし驚きも束の間。シリウスシンボリの耳が絞られ*1、先程までの友好的な態度と違い、睨め付けるような視線がスズパレードを捉える。
彼女からシンボリルドルフへの反発は、悪意から来るものではない。むしろ彼女こそがシンボリルドルフという幼馴染を最も評価しているからこそ、ルドルフに対して敵意ではない悪意を向けることは、シリウスシンボリにとって最大の地雷だ。
「……先輩がたはルドルフと仲が良いと思っていたんだがな」
「たぶん仲が良いから見たくないものまで見えるんだと思うけどね、僕」
しかし不機嫌を隠そうともせず威嚇めいた笑みを浮かべるシリウスに対して、ニシノライデンは遠い目をしてぼやくのみ。怒りと威嚇に対するものがこの反応とあっては、流石にシリウスも気勢の当て所を失って鼻白む。
ルドルフ不在の場所でのこの評価は陰口の類かと思って威嚇してみれば、返ってきた反応は疲れ切った溜息とぼやきである。しかしルドルフに対する『コミュ障』という評価は、皇帝の幼馴染にして妹分からすれば根も葉もない悪口にしか聞こえない。
困惑する
「ルドルフに対して敵対的だとか勘違いされたままなのも癪だし、あの皇帝様に対する軽い意趣返しとして、シリウスになんか証拠見せていいと思う?」
「アタシは賛成ですよ。クリスマスパーティー前の生徒会会議で議事録代わりに会議風景録画したやつ、ちょうどそのタブレットに入ってやがります」
「じゃあそれで良いか」
耳をクルクルと動かす*2シリウスの前で、彼女からすれば良く分からない以心伝心のやり取りがライデンとマッハの間で交わされる。
ニシノライデンの操作でタブレットに表示されたのは、先の会話どおりに議事録兼ねて録画されていた会議風景。生徒会が主導で開催したクリスマスパーティーのものだ。
そのまま冒頭の映像が少し流れた辺りで、ライデンが困ったように首を傾げた。
「ねえ、マッハ。音量調整どうするんだっけ?」
「ああ、ちょっと貸しやがってください。……しっかし、この映像はシニアの時のだからまだマシなんですけど、クラシック期のルドルフは23日開催の有馬に出るためのトレーニング積みながら25日開催のクリパの準備も主導してたんで、正直あの時期の皇帝様はバカじゃねぇですかね……」*3
「……それについては、否定する要素は無いな」
タブレットをライデンから受け取りつつ、ぶつくさと文句を言うスズマッハ。露骨にルドルフを『バカ』と表現しているが、理由が理由だけにシリウスもこちらには反発しない。なんならシリウスも、その時期のルドルフのハードスケジュールっぷりはバカの所業だったと思っている。
ジャパンカップでカツラギエースによって初の敗北を刻まれ、有馬記念でのリベンジに向けての猛特訓をしながら、この時期はまだルドルフのワンマン体制に近かった生徒会をぶん回していたのだ。むしろ、よく宝塚前後まで不調が表面化しなかったものである。
ルドルフに対する根拠のない(と、シリウスから見える)悪意には露骨に不機嫌になる彼女であるが、理由があっての諫言であれば止めるつもりはない。逆にその内容ならばもっと言ってやってくれというのが、ルドルフの1つ年下の幼馴染からの正直な感想だろう。
「私はその前後で流石に不味いなと思って、選挙が必要なく会長が任命可能な生徒会役員である庶務に立候補したのですが……。ルドルフさんは基本的に他人に頼ろうとしなかったので、仕事を回すということをしなかったんですよね。こっちから聞きに行かなければという」
「……ったく、あいつは本当に……」
現生徒会庶務であるスズパレードによる証言もまた、シリウスから『悪意ある言葉』とは取られなかった。苛立たしげに舌打ちするシリウスも納得するしかない、単なる事実である。
シンボリルドルフという少女は何でもこなせるが、他人に頼ることや部下を育成するという事はドが付く程の下手くそだった。彼女ほどの極端な例は少ないだろうが、高水準な能力と勤勉な性質を持ち合わせた人間・ウマ娘ならば陥りがちな悪癖だ。
こういうタイプは責任・裁量の規模が小さければ非常に上手く物事を回すのだが、それが大きくなると途端に大コケする傾向がある。部下としては有能であるが、自分が上司になった途端に人使いの下手さで破綻する社会人などは、その典型だろう。
スケールが非常に大きく、能力の基準値もまたずば抜けているが、ルドルフもそれと相似・近似する傾向がある人種であった。
「これはシニアの時の映像なので、私は有馬記念に出走していなかった事もあって、クリスマスパーティーは私が取り仕切ってました。ただ、ルドルフさんは有馬もあるのに『何か仕事はないか?』と落ち着かなそうだったので、生徒会役員用の衣装の発注だけ頼んだんですよね」
「いや『仕事はないか』じゃないだろ、有馬に集中しろよ。……で、衣装の発注?」
「生徒会役員があんまりキッチリした服装で、それこそスーツとかドレスとかだと雰囲気が固くなるじゃないですか。教職員やURAが絡まない生徒会主催の気楽なものですから、率先して雰囲気を崩していこうということで。ルドルフさんには労力の必要ない仕事だけ渡して大人しくして貰おうと」
対するスズパレードは病弱ということもあり、他人を頼るのが割と上手い。生徒会庶務としてクリスマスパーティーの準備を任された彼女がまず行ったのは、生徒達に向けての協力者募集であった。
その上で必要な人員を選抜し、必要な仕事を振り分けて、『何か仕事がないか? 困っているだろう? 大変だろう? さぁ手伝おう!』という感じでウロチョロしていたルナちゃんに必要労力が少ないお手伝いをお願いして、そのトレーナーに『レースに集中する約束だったのにバカが仕事探しに来た』と通報して―――。
経費や経過の報告書を確認した後になって、ルドルフがパレードに対して教えを請う程度には、効率的に人を使って準備したクリスマスパーティーだった。
「ルドルフが手間をかけたが……パレード先輩、上手くやったな」
「いえ、最悪の失敗でした。動画を見れば分かるかと」
「あ、会話が一段落するまで待ってましたけど、もう動画再生して良いんですかね。ンじゃ、やりますよー」
しかしスズパレード自身が言っているように、失敗が皆無だったというわけではない。その最たるものがシンボリルドルフに頼んだ仕事である。
その結果がまさに、タブレット上で動画として再生されていた。
『色々と候補はあったが、親しみやすさを重視してこれにした。どうだ?』
「え……? る、ルドルフ……?」
『色合いからしても私の勝負服に近いものがある。そしてサンタのような定番衣装は主役、つまりパーティーを楽しむ他のウマ娘たちのもの。私は脇役の衣装を希望していたが、まさかこれほどのものが見つかるとは思わなかったよ』
再生された動画の中で、シンボリルドルフは誇らしげにその衣装を身に纏っていた。その姿を見たシリウスの口から、狼狽した声が漏れる。
―――まるで皇帝の勝負服のような、緑を主体としつつ赤をワンポイントに入れた色合い。
―――まるで勝負服につけられた勲章のように、随所に散りばめられた色鮮やかな飾り。
動画の中で人生語るツラでシンボリルドルフが身に纏っているそれは―――クリスマスツリー型のキグルミだった。*4真ん中あたりで顔だけ出ているが、もはやルドルフの原型が顔しか無い。*5
「僕はあの形態をシンボリクリスマスと名付けた」
「何故私はルドルフさんのセンスに任せて、何も監査せずに選ばせてしまったのでしょうか……」
「生徒会最大のピンチでしたね。原因、会長やってるルドルフですけど」
絶対皇帝。ウマ娘のあるべき規範。日本ウマ娘史にその名を刻む、7冠ウマ娘。
シリウスシンボリの1つ年上の幼馴染が、ウッキウキかつ自信満々という様子を隠そうともせず、動画の中で胸を―――いや、幹を張っていたのだった。
徐々にお気に入り数や評価数、感想数が上がるとやっぱりテンション上がりますね。
励みになっています。ありがとうございます。
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閑話 クリスマスパーティー 2
今回は過去視点で、当時の会話。この一連の流れを見たシリウスと、見せた三人娘の会話は次回。
―――時は少々遡り、クリスマスパーティー当日の生徒会室。
ここで1つの方程式が場に出された。どこぞのモジャモジャ芦毛なバナナ好きが語る勝利の方程式ではない。もう少ししょうもない方程式だ。
絶対皇帝+クリスマスツリー = ???
この方程式で何が出来上がるか。
答えとしては、混ぜれば良いというものではないという教訓が生まれるというところだろうか。少なくともシンボリクリスマスを見た同期三者の脳裏に浮かんだのは、『もう二度とこんな悲劇は起こすまい』という教訓と、あとは後悔と絶望だった。宇宙を背景とした猫が心象風景としては適切かもしれない。*1
何故絶望かというと、この会話はルドルフ(と、ニシノライデン。3着)が有馬記念を走り終わった後の話だったからであった。より正確に言えば、22日の有馬記念を終えてからの諸々が落ち着いてからの会合だ。24日、クリスマスパーティー直前の最終打ち合わせである。
クリパ開催まで、あと30分。
それまでに胸ではなく幹を張るシンボリクリスマスをなんとかせねばならなかった。
「ルドルフ、有馬記念を勝ったばかりの君がその……なんというか……奇抜な格好で登場したら、他の生徒たちがどう思うか考えないのか?」
「親しみ易いと思ってくれると嬉しいし、そうなるようなチョイスをしたつもりだ。どうかな、ライデン」
「近寄りがたいよ」
「……弱ったな。レースの時の威圧感のようなものが、この格好でも出ているのだろうか……」
ルドルフとは呼びたくないシンボリクリスマスが、眉をハの字にして困ったような表情を浮かべる。というより、感情表現が分かるのが顔と声しかない。
『耳は口ほどに物を言う』とはウマ娘の感情が耳に出ることを評した
なんならクリスマスツリーからルドルフの顔だけ出てるこの絵面も酷い。説明抜きに見せられたなら、悪質なコラ画像だと言われたとしても、世論は言った者の味方だろう。
そのシンボリクリスマスは自分が近寄りがたい威圧感を出しているのだろうとお困りであるが、この場合に出ているのは威圧感ではなく、夜道で変質者が放出しているのと同系統の近寄り難さである。
仮に夜道でシンボリクリスマスが小粋なダジャレと共に声をかけてくるような事案が発生したらどうなるか。恐らく数日中には不審者出没の注意喚起が回覧板あたりでご町内に出回るだろう。世間の対応も変質者に対するそれと同系統だ。
ただし世にはTPOという概念があるので、クリパ用の仮装で夜道がどうこうという仮定はシンボリクリスマス不利な歪曲した仮定だといえる。
では次の仮定。本来の
三人娘はこれが登場した場合のパーティーの展開を、各々脳内でシミュレートする。真っ先にシミュレートを終えた様子で、額に手を当てて天を仰ぎながら言葉を発したのはニシノライデンだ。
「……あー、なんかパパが若い頃に遭遇したすんごい困った事態と同じ系統のことになりそう」
「オメーはオヤジの事をパパって呼んでやがるんですか、ライデン」
「別に良いじゃん、僕がパパとママをどう呼んでたって」
「まぁ、そうですね。それよりライデンさん、その事態とは?」
沈思黙考する
宝塚風(レースではなく歌劇団の方)の男装が似合いそうでありながらも両親をパパママ呼びしている
「会社で鬼の異名を持つ辣腕営業部長が、唐突にカツラ外して出社してきた時の部署の中の空気」
「触れて良いのか、触れるにしてもどう触れるべきなのか分からなくて、すっげぇ怖ぇ奴ですねソレ」
「もう気にするのをやめて外す事にしたらしいんだけど、部長のほうも誰か触れてくれたほうがありがたいのに誰も触れてくれないから、部署の空気が一触即発の爆薬庫じみてたって」
「シンボリクリスマスがクリパに降臨した際に予想される未来図と近いものを感じますね……」
概ねロクな事にはなるまいという結論である。誰も好き好んで一触即発の爆薬庫でクリスマスパーティーをしたいとは思わないだろう。
爆薬庫以外にその空気を表現するならば、肝練り辺りが近いだろうか。単発の火縄銃でも遊べるように考案された日本式ロシアンルーレットであり、戦国時代の九州の南の方の魔境で流行ったとかなんとか。*2
流石にクリパの空気を爆薬庫、或いは肝練りにするわけにはいかない生徒会であるが、であれば何をすれば良いのか。それは単純明快であり、ルドルフにツリーを脱がせれば良い。
その際に間違いを認めさせるとかどこが悪いのかを理解させるとかの余分を求めることは悪手であると、数年来の付き合いである同期たちは理解していた。
シンボリルドルフというウマ娘は強固な信念に基づいて行動するタイプであり、それは裏を返せば頑固で思い込みが強いという一面を彼女が持っている事でもあるからだ。長所と短所は表裏一体である。
そして明晰な頭脳と高い視座を持つが故に、だいたいの場合は彼女の考えは大筋で正しかった。それ故に考えを修正するという経験が不足しており―――言ってしまえばシンボリルドルフは『自己の誤りを認めて方向を修正する』という事に不慣れなのである。
他者と意見や思想が相違した場合、彼女は自己の正しさを言葉と行動で証明する方が圧倒的に多かったのだ。
シニア宝塚記念前後に発症した過労と不調、そしてそこから他者に支えられて復活したことから、今の彼女は自分が間違っていた場合にはそれを認めて改める事もできるルドルフであるし、その事によって自身の可能性が爆発的に広がった事を自覚したが故に忌避感もない。
むしろ他者の視点や考えを受け入れようと、積極的に『何故?』『どうして?』という質問を投げかけてくる事は疑いなく、それはシンボリルドルフというウマ娘が『最初の3年』を走りきって得た成長であり進化の形だ。
仮に彼女に対して同期たちが間違いを説いた場合、彼女は頭ごなしに否定するような真似は絶対にしない。何故、どうしてと疑問を返してきた上で自分に非があると納得すれば、謝罪して行動を改めてくれるだろう。
―――フザけんな、あと30分どころか25分と少しでクリパだ。
もはや議論に付き合う時間も惜しい同期どもである。
皇帝の成長と進化は嬉しいことだが、それとこれとは話が別だ。なんなら何かしら誰かの信念や在り方に関わってくる話でもない、ウマ娘とモミの木の融合生物をどう遠心分離するかという話なのだ。
これが生き様、信念、在り方など誰かにとって重要な話であれば、彼女たちもクリパよりそちらを優先するだろう。しかし残念ながら今はそういう話ではない。
真面目な話は真面目な時に。TPOの考え方である。
だからこそ、この時に同期たちがルドルフ相手の対策として選んだのは、適当に言いくるめてモミの木から皇帝への進化を遂げさせることであった。
「あー……ルドルフ? そういうわけで、メリハリをつけていこう。僕らは仮装で出るけど、君はそれ脱いで普通に制服で出て貰う。全員じゃなくても仮装して出ていけば、場の雰囲気を崩すという大目的は果たせるだろう。っていうかその仮装だと手も出ないから、君がやる予定の開始挨拶の時にマイクとか持つの無理だろうし」
「そこはほら、誰かに頼んでマイクを口元に持ってきて貰えば良いだろう。大同団結。誰かを頼り仕事を任せる事で、こうして可能性が広がるんだ」
「
ライデンの提案に対して、この3年間で得た新たな知見と可能性を幹を張って答えるシンボリクリスマス。
成長と可能性を見せるにしても、少々見せ方が雑すぎやしないだろうかと思うスズパレードである。
スズマッハの言葉が効いたというわけでもないようだが、シンボリルドルフの顔が表面にひっついているクリスマスツリーは困ったように眉をハの字にし、幹をゆさゆさと揺らす。
これはどういう感情表現なのだろうか。耳、胴体、尻尾、その他全てがモミの木の内部にあるため、肩を竦めるとか腕を組むとかの一切のボディランゲージが『幹を揺らす』に変換・統一されている。
「何故そんなに怒っているんだ、マッハ」
「時間がねぇんですよ時間が! クリパまであと何分か分かってやがりますかオメー!? アタシらも自分の仮装に着替えなきゃいけないんだから、アンタはとっととそれ脱いで制服に着替えてくれますかねぇ!?」
「……分かった。九腸寸断*3の思いだが、君たちの意見を容れよう。意図せず威圧感が出てしまっているなら、他の生徒達を萎縮させてしまう可能性もあるからね」
「もうそれでいいです! アタシらの着替えどこですか!?」
「ああ、そっちのダンボールだけど……」
「ハイ分かりました! パレード
「……ルドルフ相手にあそこまで捲し立てられるのはマッハくらいだなぁ」
「こういう時は助かりますけどね、マッハちゃんのあの雑な性格」
業を煮やしたスズマッハの説得―――と呼ぶには少々知性が足りていない雑なゴリ押しで、ルドルフが衣装替えを承諾。
そのルドルフより早く、マッハがスポポポポーンと擬音が付きそうな勢いで制服を脱ぎ捨て、生徒会室で堂々と下着姿になる。色気のない灰色のスポーツブラとスパッツであるが、うっかり誰かが生徒会室に来たら目も当てられない光景であるため、ライデンが慌てて扉に走り寄って鍵をかけた。
なお議事録映像にはしっかり映っているため、後に
「雑だよこういうところも! 恥じらいを持ちなよ、恥じらいを! 教師やトレーナーだと男性も居るんだから、そういう人が入ってきて見られたらどうするのさ!?」
「しかも脱いだらちゃんと畳みなさいと言っているんですけどね、常々……」
「普段は寝る前に脱ぎ散らかしても、朝になったらちゃんと畳んでるんですよアタシ。寝ぼけてやってるんですかね」
「それ私がやってるんですよマッハちゃん?」
ライデンの悲鳴めいた非難とパレードのジト目と小言がマッハに飛ぶが、自他ともに認める雑なウマ娘ことスズマッハ、気にせず下着姿でダンボールの蓋を開ける。
―――開けた所で、非難にも小言にも一切動じなかったマッハの動きが石化したかのように停止した。
「……マッハちゃん?」
「……嘘でしょ……」
それどころか、どこぞの最速の機能美のような言葉を震える声で吐きながら、ダンボールの中を覗いて固まっている。
いったい何があったのかと後方左右から顔を出して、パレードとライデンがダンボールの中を覗き込む。そして両者、スズマッハ同様に硬直した。
ただでさえ時間が足りない状況で、1分ほどの沈黙。それこそルドルフが内側からもぞもぞと頑張ってキグルミを脱ぎ去り、シンボリクリスマスからシンボリルドルフに進化を遂げるまで沈黙が続いていた。
樹木からウマ娘へと種族分類が変わった皇帝が、キグルミに入っていた時にも中に着ていた制服の襟を直しながら、沈黙している三者に対して声をかける。
「素晴らしいだろう? これほどの物が見つかるとは思っていなかった。それも、
「………」
「………」
「………」
ダンボールの中には、恐らくルドルフが先程まで着ていたものと同型だろうクリスマスツリーのキグルミが3着入っていた。
否、正確には同型ではない。未開封のそれらは折りたたまれた状態でも見て分かる程度にデザインの差異がある。ツリー飾りの色合いが、各々の勝負服に合わせるようなものなのだ。発注者のルドルフが、『同じのを4着』などという注文をしなかったのは明白である。
恐らくルドルフはウキウキと、同期の仲間と一緒にクリスマスパーティーでそれを着る姿を夢想しながらキグルミを選んだのであろうことは想像に難くない。少なくとも皇帝の同期3人娘は、ルドルフのその姿と心情を想像できてしまった。
「……着ますかぁ。皇帝サマが選んでくれたモンですし、絶対に100パー善意で選んでやがりますよアイツ」
「……そうだね。これで僕らまで拒否したら絶対落ち込むものね、ルドルフが」
「……次以降はこのような事は起こさないようにしますけど、今回は腹を括りましょう」
そうなるとルドルフに弱い……というより甘いのがこの3人の共通点だ。
ライバルというほどの存在にはなれなかったが、だからこそルドルフを自分たちの総大将だと認め、その理想の一助になろうとして生徒会活動への協力を申し出ているのが彼女たちなのだ。
時々天然ボケやコミュ障による奇行に走る癖や、妙な所で見せる『ルドルフ』ではなく『ルナ』的な子供らしい感性まで含めて、シンボリルドルフというウマ娘の魅力だと思えてしまう程度には―――結局のところ彼女たちは、ルドルフが大好きなのである。
三者三様、苦笑と絶望と開き直りの表情を浮かべながら、3人は各々の勝負服に似せた色の装飾が付けられたクリスマスツリーのキグルミを手に取った。
「ルドルフ、オメーこれ中に制服着て入ってましたけど、暑すぎたり寒すぎたりしましたか?」
「少々暑かったが、流石に下着で入ると今時期は寒いと思う。まして、クリパ会場は広い部屋を使う分だけ暖房も分散するからね」
「んじゃー制服着直しますかぁ……」
「僕は暑がりだから、ブラウスは外して入ろうかな……って、カメラカメラ! 議事録とる為に回してるんだから、着替えが映るよ! っていうかマッハの着替えがモロ映ってるよ!」
「はァ? 何をカマトトぶってんですかライデン。こんなん見られて困るモンじゃねぇですし」
「困れよ! ああもう、録画止めるよ!!」
その段階でカメラの存在に思い至ったライデンが、慌ててタブレットに走り寄って録画を停止する。
この場の話はまだ続くが、数カ月後のシリウスシンボリが見ている議事録動画はひとまずそこで終わりを告げるのだった。
クリスマス篇というか、ルドルフと同期の学生生活的な部分は次回まで。
最終章までにやるとすればあと1名、トウカイローマンをどうするかという感じです。
トウカイローマンはトウカイテイオーの母の姉であり、伯母にあたります。
戦績的にはパレードやライデンに劣るものの、その世代でオークスを勝った牝馬ですね。
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閑話 シリウスシンボリ 1
ウイニングポスト10は久々にコーエー仕事したって感じの素晴らしい出来栄えだと思います。競走馬の能力エディットが無くなったのだけが残念。
クリスマスの話から続いて、シリウス関係です。彼女についても色々描きたかったので、ルドルフの同期の話ではないですが結構尺を取っちゃってます。
しかし割りとポエミーな言い回しをする子なので、再現性が難しいですね。シリウスっぽくなってなかったらごめんなさい。
彼女の立ち位置、史実での業績その他諸々に対する独自解釈が入っています。ご了承ください。
クリスマスからおよそ半年後の生徒会室にて、動画が停止したタブレットを眺めている4人のウマ娘の間に流れているのは沈黙だ。ただし、各々の表情や態度は一律ではない。
動画の最終フレームにて静止した画面が映しているのは、『これがアタシだ』と言わんばかりの堂々たる様子で仁王立ちするスズマッハ。ただし、スポーツブラとスパッツというあられもない姿である。
ライデンは彼女のほうが恥ずかしい様子で、朱が差した顔を片手で覆うようにしながら天を仰いでいる。スズマッハは何度も首を傾げているが、このとき彼女が考えているのは『そういやこの下着どこ行ったっけ』である。
その横でスズパレードとシリウスシンボリが、どちらともなく居住まいを正して、互いに深々と頭を下げた。
「
「いえ、
身内の恥によるクロスカウンターに対して、双方のガチ謝罪である。
オラオラ系王子様タイプなどと一部ウマ娘からは呼ばれている一方で、意外と気遣い上手で細やかな部分や世話好きな部分もあるのがシリウスシンボリだ*1。枠組みや型に嵌められる事を嫌っているアウトロー気質であるが、それは礼節の無い無法者というわけではなく、必要な時にすら頭を下げることが出来ないような人種ではない。こういう時に下げる頭は持っている。
とはいえボス気質のシリウスにとって、こういう態度は本来であれば自身を慕ってくれる後輩などの為に出てくるものである。好意と反発が複雑に入り混じった対象であるルドルフ絡みで出すことは稀有というか、シリウスにとって人生初だった。
互いにほぼ同時に頭を上げてから、頭の代わりに肩を落としたシリウスが深々とため息を吐く。それを見る対面のスズパレードの目は生暖かい。
「アイツ、ああいう行動を取ることがあったんだな……」
「本人なりに『お堅い皇帝』という自分の人物像に思うところがあるようで、親しみやすくなるために無駄な努力を重ねています」
「……無駄っていうのは酷くないか?」
「シニア1年目以降、肩の力を抜くことを覚えてからは先程のようなイベントが隔月くらいのペースで起きます。新入生の子に話しかける際に怖がられないように、人形使ったやたら完璧な腹話術を披露したり」*2
「ああ、うん。無駄だな。正確に言えば、努力の方向を間違ってるな」
再度
ルドルフの幼馴染にして同族でもあり、日本ウマ娘の海外挑戦という大目標についてはルドルフの引退まで共有・共闘してすらいたシリウスシンボリ。ルドルフの同期として彼女に挑み、三冠を阻むライバルにこそなれなかったが、だからこそ彼女を自分たちの総大将として認めており、その歩みの一助になりたいスズパレード。
両者ともに『立場や視座は違えども皇帝と共に歩む同志である』という相互理解が成立したが故に、互いに先程よりも肩の力が抜けた雰囲気である。とはいえその切っ掛けがシンボリクリスマスと色気皆無の生着替えとなれば、肩の力どころか全身の力が抜けるような脱力感もあるのだが。
「ルドルフさんはこういうお茶目な部分も最近割と、というかやたらと、もう要らないってくらいに見せるようにもなってきましたって話です。別に私もライデンさんもマッハちゃんも、ルドルフさんを嫌っているとか悪意があるわけじゃないんですよ。誤解させたなら申し訳なかったですけど」
「いや、これは誤解した私が悪かった。パレード先輩、ライデン先輩、すまなかったな」
「良いよ良いよ。僕らてっきり、シリウスもルドルフのこういう面を知っているとばかり思って言っちゃってたからね。そういう意味ではこっちも悪かったし」
「そう言って貰えると助かる。今後もあの皇帝サマが奇行に走ろうものなら、上手く止めてやってくれ。苦労をかけるがな」
シリウスがライデンの方にも向き直り、頭を下げる。しかしライデンは苦笑しながら軽く手を振って言葉を返し、シリウスの方も受け容れて顔を上げた。
三人娘がルドルフに対して陰口を叩いていたという誤解はこれにて解消され、シリウスと彼女たちの間には逆にある種の連帯感のようなものが芽生えて話は終わり―――
「え、アタシに対しては何かねぇんですかシリウス? へーい、こっちに視線をカムヒアー?」
「マッハちゃん、何か謝ってもらえる立場だと思ってるんですか? 頭が高いですよ」
「あの時の議事録にこんな光景混ざってるの忘れてた僕らも悪かったけど、主犯というか戦犯は君だよね」
「堂々と脱ぎ散らかして仁王立ちしている光景を見せられると、マッハ先輩に対してだけは頭を下げるのが癪だな……」
「頭下げたくねぇなら、良いモン見たって事で礼を言ってくれやがっても良いですよ。ヘイカモン」
「どこから来るんだよ、その図太さは。もう少し恥じらいを持てよ。というか、良いからタブレットのその画面を消せ。私たちはいつまでアンタの下着姿を見てなきゃいけないんだ」
―――終わりにならなかった。
ルドルフとは別方向でのやらかしを動画内で見せていたスズ妹が後輩に対して要らん要求をし、
そのタブレットを受け取ったスズマッハは自身の下着姿をまじまじと見て、首を傾げて小さく呟いた。
「パレード
「尻尾穴の周りが裂けたので、捨てていいかって聞いたじゃないですか。そしたら頷いてましたよ、マッハちゃん」
「あー、言われてみればそうだったような気も。いやー、疑問が1つ解けてスッキリです」
「こっちはガッカリだよ」
ライデンからジト目を向けられたスズマッハが軽く肩を竦め、タブレットの電源を切って所定の場所に戻しに行く。
ある意味ではルドルフの理想と言えるかもしれないが、近所の公園で小学生のポケモン大会に飛び入り参加してボロ負けして捨て台詞を吐いて去っていく系の親しみやすさは、皇帝が求めている理想像とはやっぱり何か致命的な部分が違うかもしれない。
なお、小学生のちびっこレース大会に飛び入り参加して、大勝ちしてボロ泣きして喜ぶ系のウマ娘は最近アメリカで発見・保護された。
「……しかし親しみやすさ、ねぇ。まさかあの皇帝サマが、そういう部分を気にしていたとはな」
「あら? シリウスさんが常々指摘していた事じゃないですか。そういうの、ルドルフさんは意外と真面目に捉えてますよ」
「……それは悪かったな」
パレードの言葉に対し、シリウスが少々バツが悪そうに目をそらしながら言葉を返す。
実際にシンボリルドルフの『親しみやすくなりたい』という願望と志向は、本人が持つ意外と人恋しい気質由来のものが半分、幼馴染であるシリウスから言われた事を真正直に受け止めすぎていること由来のものが半分というところだろう。
それを察したシリウス側としては、あまり強く反発できない話題であった。その話題を振ったのがシリウスの方だったので、墓穴を掘ったともいえるだろう。
それもあってか、シリウスは別の話題を探すことにする。あまり他人に場の主導権を取られているというのが好きではない気質なのだ。そういう点は、仕切りたがりのシンボリルドルフとも共通点があるかもしれない。*3
とはいえ都合よく繋がる話題はすぐには浮かばず。数秒ほど考えて浮かんだのは、最近ルドルフの後を追いかけ回している子ウマ娘のことであった。
「皇帝サマ本人は親しみにくいと悩んでるようだが、最近変なガキがルドルフの追っかけをやっているらしいな? 珍しい絡まれ方でルドルフ本人は嬉しいらしいが、カイチョーカイチョーってうるさい奴。『ファンの子と撮った動画』とか自慢げに送ってきてたぞ」
「「「………」」」
「おい、今度はなんだ。その顔を見合わせての沈黙は。何かあるのか、また変なネタが」
未だトレセン学園に入学するような年齢ではないヤンチャな子ウマ娘―――トウカイテイオーの話をルドルフから聞いたことを思い出し、揶揄混じりに口に出すシリウスシンボリ。
しかしそれに対する先輩3人の反応は、『えっ、それ触れるの?』と言わんばかりの表情で三者三様で顔を見合わせている。否、見合わせているというよりは、説明を押し付けあっているというべきか。先程のシンボリクリスマス事件もあったので、シリウス側も露骨に警戒を態度に出す。
尻尾でべしべしと叩き合いながら『お前が話せ』という無言の圧を互いにかけ合っていた3人であるが、程なくして諦めたようにライデンが口を開く。
「……トウカイテイオーちゃんね。レース見てルドルフのファンになったって子で、そのうちトレセン学園に入学するんだーって。社会科見学で来た時も、叔母を放置してずっとルドルフにひっついてたんだよ」
「トウカイ……って、あの旧家か。全くそれっぽく見えないが、本家だとしたらとんでもない
ウマ娘の中には名門・名家といえる存在が幾つかある。
国内路線を重視して天皇賞制覇を大目標として掲げるメジロと、ルドルフやシリウスがそうであるように国外進出路線を重視するシンボリなどが代表例だろう。それら2つは真逆の方針から特徴的で分かりやすい2大名門だ。双方ともに日本最大手の一角でもある。
これらの名門は血族の繋がりである場合もあるし、志向や目標が同じウマ娘同士が集まったものである場合もある。逆によく見る名前だから名門一族なのかと思ったら、たまたま多くのウマ娘が同じような名前なだけの無関係者ですという場合もある。最後の例はヒトでいうところの鈴木さんや佐藤さんのようなものだろう。
ややこしいものとしては、名門の家名と同じ単語がたまたま名前に入っているウマ娘というパターンもある。そして稀にそういうウマ娘がトゥインクルシリーズで活躍したりすると、名前が似ているだけで無関係の名門本家にお祝いが届くという珍事も実際にあったらしい。*4*5
ヒト息子でいうならトヨタさんという人が何かすごい事を成し遂げたお祝いが、『トヨタさんだからここの人だろ』と無関係の自動車メーカー本社宛に送られたような感覚であろうか。花とかお菓子とかの生モノであれば凄く扱いに困るやつだろう。後の笠松の怪物のような輩であれば、菓子類ならば食ってから困る可能性も高い。
そして『トウカイ』という家名は、メジロやシンボリほどではないが結構な名門である。なんなら『血筋の由緒正しさ』という評価軸で見れば、その2つより上に位置する家だ。旧家―――つまり1750年の官位定条々が制定された当時に存続していた公家のどれかから直系で繋がっている家柄なのだ。*6*7
「だが、名門だからって社会見学に家族同伴は特別扱いしすぎだな。なんなんだ、叔母同伴って。しかもルドルフにべったりで放置された叔母が可哀想じゃないか?」
「特別扱いじゃないんだよね。テイオーちゃんのお母さんとその妹がかなり歳が離れてるから、叔母とテイオーちゃんのほうが歳が近いやつで……叔母、トレセン学園の在学生だから居たってだけの話だし」
「それはそれで結局姪っ子に見てもらえない叔母が可哀想だろ。……ん? トウカイ……在学生……先輩方のその反応だと、その叔母とやらと知り合いか」
シリウスシンボリが何かに思い至ったように呟きながら口元に手をやり、考えを纏め始める。トウカイの名を持つウマ娘は多いが、レースにおいてはメジロやシンボリほどにはGⅠを勝つウマ娘を輩出できていない家だ。*8
しかし最近、それこそルドルフと同世代でGⅠを勝ったトウカイのウマ娘が居たはずである。オークスを勝った樫の女王。長い黒鹿毛をたなびかせ、和服ベースの勝負服に身を包んだ大和撫子。その名は―――
「―――トウカイローマン。……まさかトウカイテイオーって子ウマ娘、トウカイローマンの姪か? 先輩方の世代での、樫の女王の」
「そうですよ。テイオー絡むとローマンが面倒くさい事になりやがるんですよねぇ……」
「『テイオーちゃんは私と同じティアラ路線を走るのぉぉぉ!! テイオーちゃんを
「皇帝サマ相手にそんなこと言うやつ居るか? 大袈裟に言っているだろ」
「いえ、結構似てますよ。ライデンさんのそのモノマネ」
「嘘だろ……」
テイオーが絡まなければ凛とした淑女なのだが、長く艶やかな黒髪を緩く纏めた綺麗系の美女が駄々っ子のようにジタジタしている光景は、中々見れるものではないし別に見たいものでもない。
―――旧家令嬢、トウカイローマン。
後の顕彰ウマ娘であるトウカイテイオーの叔母であり、ルドルフ世代におけるオークスウマ娘であり―――ちょうどこの日、トレセン学園に不在であるルドルフと共に、ある仕事をするためにローカル開催のレース場を訪れているウマ娘の名前であった。
トウカイローマンについての話はしていますが、どうも次回くらいまでシリウス主体の話です。
余談ですが、ウイニングポストにおいてはこの小説登場メンバーの中だと、スズマッハが吐くほどキツイです。
▼オマケですらない、ハマってるゲームの話
見なくても何の問題も発生しない、ウイニングポスト10における登場ウマ娘の能力設定とそれに対する雑感。
・シンボリルドルフ
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=295913&uid=31321
・マリキータ
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=295914&uid=31321
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閑話 シリウスシンボリ 2
アプリ版のオールスター時空ではなく、年代順に進むシングレタイプの世界設定である事と合わせて、どうすれば整合性が取れるかと前々から色々捏ねてた設定です。
「当初はテイオーちゃんはローマンさんに憧れて、ティアラ路線でオークスを目指すんだと言っていたらしいんですけども……」
事情を知らないシリウスシンボリに対して、生徒会室のソファに行儀よく腰掛けながらスズパレードが説明を開始する。
対面のシリウスをはじめ残りの面々は思い思いに周りに座っており、第三者がその姿を見たならば各々の振る舞いから育ちや性格の差、あと角度次第ではマッハのパンツが見えるだろう。
ガッツリと脚を開いて、主不在の生徒会長席のテーブルにあぐらをかくように行儀悪く腰掛けているスズマッハであった。見るものが少し屈めば、本来であればスカートの中に隠されているべき領域が見えてしまう格好だ。とはいえこの場の面々は先程までの議事録動画で、もう要らんというくらい見ているのだが。
この場の誰もマッハの作法を指摘しないのは、パレードとライデンはもはや諦めの境地に達しており、シリウスから見れば斜め後方の位置で視界の外だからである。シリウスの対面のソファにて両膝を揃えて背筋を伸ばし、御令嬢のような座り方をしているパレードと実の姉妹なのだから、教育や環境が性格に与える影響というものは色々な意味でよくわからない。
シリウスも緩く脚を組んでふんぞり返った座り方であるが、教養や礼節がしっかりしているウマ娘がある程度意識的にやっている振る舞いである。斜め後方に見える素材の味を活かしきった総天然の無作法と比べると、少々パンチもパンツも足りていなかった。
最後の1人であるライデンは、パレードの横で長身を猫背に丸めて、テーブルの上に置かれた欧州土産のクッキーに手を伸ばしている。自分で淹れた紅茶に『あちち』と声を上げて慌てて息を吹きかけている事まで含めて、ある意味では一番標準的な学生少女らしい振る舞いだ。或いは他が少々変わり者ばかりなのかもしれない。
「気を良くしたローマンさんがテイオーちゃんをレース場に連れて行ったら、そこでルドルフさんのレースを見ちゃったみたいで」
「……どうなったかっていうのが分かりやすいな」
そしてスズ姉から伝えられた事情に対して、シリウスが口元を歪めるように苦笑する。
ここまで聞けば経過はシリウスの立場からも想像しやすく、そして起きた現象も概ね想像通りのものだった。
トウカイという家門は古くから続く家柄でありながらも、グレード制(GⅠ、GⅡ、GⅢなどの国際格付け)導入後には未だGⅠ勝利ウマ娘が居なかった。
そこで本家の御令嬢による初めてのGⅠ勝利―――それも格式高いクラシックのGⅠ勝利を齎したのがトウカイローマンだ。歳が近い叔母のその活躍に、姪のテイオーは憧れの目を向けていたという。
溺愛する姪っ子からのその憧れの視線に気を良くした樫の女王は『レースの解説をしてあげるので一緒にレース場に行こう』と姪を誘い、オークスの翌週にテイオーを連れてレース場へとウキウキで向かった。
オークスの翌週―――つまり、シンボリルドルフの日本ダービーである。
それを見たテイオーは、一気にシンボリルドルフの走りに魅了された。更にルドルフが菊花賞を制しての無敗三冠ウマ娘となり、通算で7冠を取って生ける伝説のような結果を残し―――。
最初にレースを見てから1年も経てば、もはやすっかりテイオーの目標は、オークスを勝った叔母から
トレセン学園に入学してカイチョーのような無敗三冠ウマ娘を目指すのだと気炎を上げているテイオーは、まだまるで身体が出来上がっていない年齢でありながらも、天性の柔軟性を活かした走りは既に見る者に才能の片鱗を感じさせている。
いるのだが、恐らく彼女がトウカイローマンの後を追ってオークスでその走りを披露する事は無いだろう。GⅠレースというものは出ることすら簡単ではないというのは前提とした上で、仮にトウカイテイオーが出てくるとしても日本ダービーの方だと思われる。
「そういえば今日ルドルフが居ないのって、そのローマンに仕事任せに行ってるからだよ。聞いてなかった?」
「所用でトレセン学園を留守にするとしか聞いてなかった。だが、やっとあの皇帝サマも他人を使うって事を覚え始めたようだな。自分が上手く出来すぎるから、大体の物事は自分がやるほうが他人に任せるより良かったんだろうが……。責任と裁量の範囲が広がってくれば、それじゃ成り立たなくなるっていうのが子ウマ娘でも分かる道理だろ」
とはいえ内容をよく聞けばルドルフの能力の高さを認めた上で、彼女が他人に仕事を任せられるようになった事を安心しているものでもある。なんともひねくれた関係である。
「ふふっ」
「……チッ」
それを聞いたスズパレードが微笑ましいものを見るような視線を向けてきているのに気付いて、シリウスは舌打ちしながらそっぽを向く。
レースでの強弱ではなく単純な対人関係においては、シリウスもルドルフもどうにもパレードと相性が悪いというか、強く出られないような部分がある。この辺りもシンボリの両名は似た者同士なのかもしれない。
「他人に仕事振るようになったってぇのもそうなんですけど、今回に限っては元々ルドルフよりローマン向きの
「へぇ、なるほどな。…………。だが少し疑問が残る」
シリウスから見れば斜め後ろ、会長席の椅子ではなく机の方にあぐらで座っているスズマッハからの声に、シリウスが振り返りながら言葉を返す。その言葉の中に含まれていた不自然な沈黙は、スカートで堂々とテーブルの上であぐらをかく姿に対しての驚愕と困惑によるものだろう。
不自然ではない程度に身じろぎして、ゆるく組んでいた脚をそっと揃えて座り直すシリウスである。自身のスカートの裾を引っ張って脚を隠そうとする動作から考えると、高度的にマッハより低い位置に座っている後輩からは、先輩のスカートの中身が見えていた可能性が高い。
人のふり見て我がふり直せ。実に優秀な反面教師である。シンボリの本家が頭を痛めているシリウスの奔放な振る舞いの矯正に、ごく一部とはいえこの短い時間でスズマッハは成功していた。したからといって、何がどうしたというわけでもない。
「そういう堅苦しそうな仕事こそ、お堅い皇帝サマの得意分野だろう。トウカイローマン先輩とは会ったことないんだが、なにか文章力でも凄いのか?」
「あー。大記録っちゃあ大記録なんですけど、GⅠ勝利とかと比べて目立つタイプの記録じゃないですから知らんのも無理はねぇですか。シリウス、アンタはURAが管轄する全10場のレース場のうち、どこで走ったことがありますか?」
質問に質問を返すスズマッハであるが、シリウスは特にそこを指摘はせずに、自身の顎に手をやって軽くレースを思い出す。
ルドルフに対する反発心のみならず、そうじゃない相手に対しても舐められる事を嫌うシリウスであるが、
そもそも些細でないことに対しても雑な基本生態なのが、スズマッハというウマ娘である。恐らく言っても暖簾に腕押しだ。
「私は日本では6戦だからな。レース場ごとに特徴・特性もあるから、メイクデビューから慣れる意味でもダービーや皐月賞が行われる東京・中山の両レース場に絞ってたんで、その2箇所だけだ」
「芝GⅠは東京、中山、阪神、京都あたりに集中していやがりますからねぇ。かくいうアタシも東京、中山、京都の3場だけです。これでも20戦近く走ってんですけど、やっぱ地の利って意味でもある程度固めるモンですね」
「僕は札幌記念行ったことあるよ。メイクデビュー中京だったし、東京、中山、阪神、京都、札幌、中京で6場。22戦だけど、結構あちこち回ってる部類かなぁ」
「あら、ライデンさんはそういえば福島には行ったことがありませんでしたか。私は16戦のうち福島で3回走ってますので、東京、中山、福島の3場ですね*1。ルドルフさんはメイクデビューだけ新潟で、あとは東京、中山、阪神、京都の主要4場だった筈です」
各々が自身の戦績・戦歴を思い出しながら、トゥインクルシリーズを走る者ならではの言葉を交わすウマ娘たち。そしてこの話題が出てきた以上、シリウス側も概ねトウカイローマンがルドルフに勝っている点というものを予想することができた。
ローマンがルドルフに勝る点。それはレース場を巡った経験数だ。
スズマッハの言う通り、レース場はそれ毎に特徴がある。『中山の直線は短いぞ!』などがその典型として挙げられるだろう。故にある程度レース場を絞り、そのレース場の特徴に合わせた走りを覚えるというのは、勝利を求めるための一般的な努力といえた。
特に芝のGⅠレースは東京、中山、阪神、京都に集中しているため、世代を代表するGⅠ級のウマ娘であれば概ねその辺りばかりを走ることになる。ルドルフなどはそのタイプだ。
むしろメイクデビューで新潟を選んだ分、GⅠを複数取るようなウマ娘の中では種類が多い部類ですらある。上の世代でいえばミスターシービーやカツラギエースなどは、上記主要4場のみしか走っていない。
トゥインクルシリーズ10レース場の中でも大都市圏にあるそれら4場は『中央場所』とも呼ばれる主要なレース場だ。逆にそれ以外の6場で開催されるレースは『ローカル戦』と呼ばれたりもする。
それとは別に笠松やら苫小牧やら高知やら大井やらにあるレース場はローカルシリーズのレース場であり、URAではなく地方のレース団体が管理・管轄している。それら地方団体のレース場であっても、地方交流重賞というレースにおいては中央のウマ娘がそちらに走りに行くこともあるため、少々ややこしい。*2
「……なるほどな。レース場の経験数っていう意味では、世代の頂点“ではない”方が多いか」
「新潟や函館、札幌に小倉、あとは中京と福島か。そういうローカル開催のオープン戦や重賞に挑みに行くことってあんまり無いからね、そういう頂点のウマ娘って」
「だからローカル開催のレース場についての紹介を書くなら、新潟以外のローカル開催は走ったことがないルドルフよりも、トウカイローマン先輩が適任ってワケだ。納得した。……だが、ルドルフとローマン先輩はトウカイテイオーって子ウマ絡みで仲が悪いんじゃあないのか?」
「テイオーちゃん絡まなければ割と友好的ですよ。だからこそテイオーちゃん絡んで狂乱した時のローマンさんは、見てる分には結構面白いのですけども」
「……段々分かってきたが、アンタなかなか“イイ”性格してるな、パレード先輩」
「ありがとうございます、性格が良いだなんて」
「そういうトコだよ……」
渋面を作る後輩に対して、パレードは穏やかなニコニコ笑顔である。
やりにくさを感じながらも、シリウスはスズマッハに話を振って本筋へと流れを戻すことにする。パレードにパスを戻さなかったのは、逃げたわけではない。多分きっと。
「……ルドルフとローマン先輩が不仲じゃないなら、私からは特に言うことはないが。マッハ先輩のさっきの話だと、6場を走ったライデン先輩とかじゃなくローマン先輩に話が行ったって事だろう。トウカイローマン先輩は何種類のレース場を走っているんだ?」
「全部ですよ」
「……は?」
「だからローマン、全部走ってます。主要4場以外に、新潟、函館、札幌、小倉、中京、福島。以上、全部」*3
てっきり7~8場くらいだろうと予想を立てていたシリウスであるが、流石にオールコンプは予想外だったようで、口から意味のない疑問符が漏れて出た。
思い出しやすいところで自身とルドルフ以外のシンボリのウマ娘のレース戦歴などを思い返してみるシリウスであるが、やはりせいぜい5~6場だ。ライデンが言っていた通り、世代上位の戦歴を持ちながら6場を転戦していれば十分に多い部類である。よしんば世代のティアラ路線の頂点といえるオークスを制したウマ娘が、よくぞそこまでドサ回りをしたものだ。
「……それって相当に凄いんじゃないか?」
「URA史上2人目の記録だって事でちょっと話題になってやがったんですよ。誇張して言えば、史上4人いる三冠ウマ娘よりレアな成績です。それに加えてオークスウマ娘っていうネームバリューもあるから、この仕事には自分より適任だろうってルドルフが言ってやがりました」
「ああ……それなら確かに、私でもローマン先輩に仕事を頼むな」
「ローマンってば旅行好きだから、レース場だけじゃなくてその周辺の話も出来るんだよね。そういう意味でもホント適任。お客さん向けの紹介だと、そういう感じで間口広げられるし。僕も6場巡ったけど、レース終わってから観光とかしてなかったから話題がなぁ」
ぼやくように言ったライデンが、『それに』と呟いて言葉を付け足す。
「引退したルドルフ相手に、そういうレース場周りの面白いトコとか仕事にかこつけて案内したり紹介したり出来ないかって、実はこっそりローマンに打診して協力の確約貰ってたり。そういう感じにしないと、今でもやっぱりルドルフって
「ハッ! 皇帝なんて言われておきながら、こんな感じに下に支えられてるんだな、アイツは。大変だったら私に言えよ? しっかり文句を届けてやる。……アイツにとってのこんな仲間、そうそう居ないだろうからな」
「ありがと。でも、逆に君の方こそ安心して欧州挑戦に集中してほしいかな。そっちはルドルフが引退しちゃった以上は、今の日本ウマ娘すべてを見回しても―――恐らく君にしか出来ないことだから」
「―――……それは」
ニシノライデンが苦笑と共に告げた言葉に対して、シリウスシンボリが言葉に詰まった。だがライデンはそれを気にせず、その場の―――或いは日本のウマ娘を代表するように言葉を続ける。
「僕やパレード、マッハは下から支える事はできるけど、君のようにルドルフに近い視座や能力が求められるような挑戦をする事は出来ない。他に可能性がありそうなシービー先輩、エース先輩は引退済み。ニホンピロウイナー先輩は適性距離が短すぎる。僕で勝負になるミホシンザンでは、まだ足りない。たぶん、君しか居ないんだ」
「……ルドルフの代わりという役柄を、私にやれってか?」
「無理を承知で、出来ればそれ以上をお願いしたいかな。それが出来る可能性があるのは、今は君しか居ないと思う」
「……ライデン先輩は、人を乗せるのがお上手なことで。良いぜ、その言葉に踊らされてやる。上手なおべっかに対する『褒美』だ」
戸惑いから解放されたシリウスが、くつくつと喉を鳴らすような笑い声をあげる。歯を剥くようにして口角を上げた、挑戦者の笑みだ。
語る言葉は先輩に向けるものとしては不遜で傲慢なものであるが、しかし彼女らしさに溢れた物言いでもある。端的に言えば、ノッてきたのだ。
彼女にとって目標でもあったシンボリルドルフが、海外挑戦の1戦目で脚を故障しての引退という結果となってしまったことに対して、彼女の方も思うところはあった。
怒りや失望ではない。ルドルフも全力を尽くしていたという信頼はあるし、かつてのようなある種の傲慢さで失策を犯したわけではなく、同期からの諫言を容れて被害を最小限に抑えたというのも聞いて、その判断は評価している。
攻撃的・否定的な感情ではなく、ふわふわと浮いたような、蹄鉄がターフを噛んでないような、そんな感情だ。いきなりゴール板が消えてしまったかのような感覚だったのだ。
シンボリの家門における共通目標であったそれを共に担う相手が、それも自身がどうしようもなく認めるルドルフが脱落したことに対して、シリウス自身もどう気持ちの整理をつけていいか分からなかった。或いはそれに対する自覚すらも、どこか曖昧だったのかもしれない。
このタイミングでの一時帰国はルドルフに対する心配もあったが、シリウス自身がどこか浮ついた精神状態になっていることを見抜いたトレーナーの判断もあった。
―――それに対する答えが、意外な相手から意外な形で与えられた。
『ルドルフに近い視座と能力が求められることであり、君にしか出来ない。できればルドルフ以上の成果を出して欲しいし、それが出せる可能性があるのも君だけだ』
概ねシリウスにとっての満点回答であり、やる気が一気に絶好調に上がる言葉だった。
ルドルフの代わりをやれと言われていたら、シリウスは反発していただろう。型に嵌めるのも嵌められるのも嫌うのがシリウスシンボリというウマ娘であり、ましてや『シンボリルドルフ』という型は誰に模倣できるものでもないと、シリウスこそが誰より高く評価している。
ルドルフより上だと持ち上げられていても、シリウスは反発していただろう。シンボリルドルフという幼馴染を誰よりも高く評価しているのは、ある意味においては彼女だからだ。その相手よりも上だと持ち上げられては、おべっかか無見識だと切り捨てられるのがオチである。
ルドルフの代わりにはならないが代打として行ってくれと言われても、シリウスは反発していただろう。ルドルフに対する評価とは別に、自分自身に対するプライドがある。同期と戦い勝ち取った世代の頂点、ダービーウマ娘の栄冠は軽くない。それごと軽く見られる事は、自分の同期をも軽く見られることだ。
シリウス自身は認めないだろうが、ルドルフと彼女の似通った部分として、自らの“群れ”と定義した相手に対する庇護欲の強さがある。ルドルフはそれがウマ娘全体という馬鹿げた広さを持っているが、対するシリウスシンボリにとっては同期や自身を慕ってくれる後輩などの比較的狭い対象が自己の“群れ”だ。そういう相手を貶めるような物言いは、ルドルフに対するものとは別軸のシリウスにとっての逆鱗である。
だが、この答えはどうだろう? ルドルフの事もシリウスの“群れ”の事も貶めることなく、それでいてシリウスに対して望むことを明確に訴えてきていた。
―――出来ればルドルフを超えてくれ。それが出来る可能性があるのは、もはや君しか居ないのだ。
なんとも上手くやる気を煽るおねだりだと、シリウスは笑みを深める。
ターフを噛んでいなかった蹄鉄が、がっちりと芝を掴んだような感覚だ。見失った
シンボリルドルフが居たとしても出せないような成果を、欧州遠征で成し遂げる。それが恐らく、シリウスシンボリというウマ娘が描くべき目標だ。
「最大限の成果を持ち帰ってやるよ。楽しみにして待っていな」
「ハハッ! 大きく出たじゃないか。うん、頼むよシリウス。楽しみにしてる」
強気で傲慢な笑みを浮かべたシリウスシンボリと、人好きのする笑顔を浮かべたニシノライデンが握手を交わす。
―――シリウスシンボリが再度の遠征に旅立つ数日前のことだった。
その後も続いたシリウスシンボリの海外遠征は、14戦して0勝という結果と終わる。
特に最大目標であった凱旋門賞における14着という大敗から、『シリウスシンボリの海外遠征は失敗だった』とする声も少なくない。
しかしそうした論調が耳に入った時には、ルドルフやライデン、スズ姉妹、あとはミホシンザンを代表とするシリウスの同期たちなどは、その意見に対して頑強に反論した。
確かに凱旋門賞は大敗であったが、そのレースは凱旋門賞史上最強とすら言われる豪華メンバーが揃ってしまっていたのだ。それに加えて遠征の不利を鑑みると、その1戦だけで彼女の遠征を総括するのは暴論であるというのが、ウマ娘たちの主張である。
加えて遠征14戦のうち9戦は入着しており、勝利こそ無かったものの多くのレースで好走という結果を残していた。
レース場や対戦相手の情報も少なく、それを調べられるツテもなく、ノウハウも全く蓄積されていない。そんな状況でGⅠでの3度の入着含めた健闘を、それも丸2年に渡って続けられる精神的・肉体的な強靭さを持ったウマ娘がどれほど居るのか。
そして何よりも重要なのが、シリウスシンボリが体感した欧州と日本のレース文化の差異という“活きた”経験が日本URAに持ち帰られたこと。それを元にシンボリルドルフらとの協議の上で対策・対案が練られ、後に1つの制度が導入されるようになったというのは、三女神様ですら覆せない事実である。
―――アオハル杯、共同創設者。
シリウスシンボリとシンボリルドルフの両名の名前は、後にURAの記念展示館にそう残される。彼女たち両名は日本ウマ娘による海外挑戦の礎を作ったウマ娘として、後世からも高く評価されることとなるのだった。
とはいえアオハル杯の設立も遠征の終了も、この時期からすればまだまだ先の話であり―――
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「ここが大通公園か。
「気をつけなさいルドルフ。あいつら人を舐めきってるから、変に食べ物を見せて歩いていると囲まれるのだわ。この付近に住んでるカラスとか、もう襲撃して実力行使で奪いにくるのだわ。奈良の鹿もそうだけど、人を舐めてる動物ほど厄介なものはギャァァァァ!! 私のじゃがバターがぁぁぁぁ!!」
「手を狙って叩き落としに来ていたな。確かに相当手慣れているようだ」
―――このときのシンボリルドルフは、同期のダービー・オークス両ウマ娘揃い踏みという豪華な組み合わせでローカル開催のレース場を視察に行っており。
隣で悲鳴をあげる
シリウスシンボリの海外遠征については、いろいろな意見や解釈があると思います。
この小説においてはこういう解釈という事で。アオハル杯がどういう意味合いや立ち位置を持つかは後々。
なお、トウカイローマンが全レース場を制覇するのは史実においてはこの翌年の話ですが、これはお話の都合ということで。
大通公園でのカラスの襲撃は実際に見た光景を元にしています。
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トウカイローマン 1
史実とデビュー年度を同期させる場合、ルドルフの引退(シニア2年目)が起きたこの時期は、メジロラモーヌが猛威を振るっている時期です。
そんな感じでデビュー年度を史実に合わせた結果、関係性の変化があります。ご了承ください。
他にはマックイーンの兄であるメジロデュレンが菊花賞を取るなど、この世代は実はメジロ黄金世代(マックイーン、ライアン、パーマー)に匹敵するくらいにメジロ豊作世代だったりします。
ラモーヌさんはイベントやサポカで受けた印象であり、独自の解釈である可能性がかなりあります。
現状、受けている印象からは「修験僧ばりのレース求道者思考」+「言葉選びや立ち振舞が意味深」というアンバランスさがある感じを受けており、そういう風に書いております。
札幌市の市街地に細長い公園―――大通公園において、戦いは三つ巴の様相を呈していた。
地面に叩き落されたじゃがバターを狙い、数羽のカラスが大柄な身体を活かして他の勢力を威嚇する。しかしそれに3倍する数のハトが集まりだしてきて、カラスの警戒を抜けてじゃがバターの破片を啄もうと、数の暴力で介入を試みる。
「あなた達、それ私の……あぁああぁ、食べ歩きからしか接種できない栄養素があるというのに、まだ一口も食べてないのだわ! 農家の人に申し訳が立たないのだわ!」
最後の勢力であるトウカイローマンは、なんとかその争いに介入しようとしたところで残り2勢力から翼をバサバサする威嚇を受け、『ぴっ!?』と悲鳴をあげて耳と尾を逆立てながら、ルドルフのところまで逃げ帰ってきた。三つ巴終了である。
その
ローマンの髪は黒に近い色合いだけに『和風』という雰囲気を醸し出しており、先端近くでリボンで結ったストレートヘア。白いブラウス、デニムのロングスカートという出で立ちは、黙っていれば旧家の御令嬢の休日姿だろう。
なお、現在の彼女は黙っていないので残念なウマ娘でしかない。立てば芍薬座れば牡丹、口を開けば残念美人である。公的な場での言動を取り繕う能力だけは高いのは、トウカイ家の教育の成果なのだろうか。
「ルドルフ、皇帝の力を見せてやるのだわ!!」
「……どうしろと?」
「こちらは平均4冠のウマ娘なのだわ。あいつら私達の凄さが分かってないから、あんな狼藉をしてくるのだわ!」
「その平均の取り方は、私が随分と不利じゃないか? ゴリッと減ったな私の冠。三冠がまるごと消えたのだけど」
ジト目で歯に衣着せぬ辛辣な言葉を吐くシンボリルドルフ。珍しい光景である。
マルゼンスキーやミスターシービーなどの自身と対等に近いと認める一部の相手以外に対しては、『守護らねば』といわんばかりに庇護欲丸出しとなるのが彼女の対ウマ娘における基本スタンスだ。
何かしらの重い話や真面目な話、或いはレース絡みの話であれば厳しい意見を言うこともあるが、日常のやり取りでこの手の辛辣な物言いを他のウマ娘に向けるルドルフは中々見られない。なんならシービーやマルゼンといった、ルドルフ自身が対等に近いと認めた相手に対しても見せない対応だ。
この辺りはやはり、力量云々以前に同期ならではの連帯感や距離感の近さがあるのだろう。クラシック三冠路線を走ったスズ姉妹やライデン相手にも、時々似たような対応が出る。
パレードはあまりこの手の対応を受けるような分かりやすい悪癖は無いのだが、ファン感謝祭の模擬レースでパレードとのマッチレース状態になり外ラチぎりぎりまで吹っ飛んでいった
逆にルドルフ側もダジャレやらシンボリクリスマスやらの奇行で同じような辛辣な態度を向けられているため、彼女たちの関係性は一方通行ではなく、互いに容赦がないトムとジェリーめいた間柄といえる。
ローマンの場合はクラシック三冠路線のウマ娘と違い、ルドルフとのレース上の接点は少ない。しかしトウカイテイオーという子ウマ娘からの憧憬の視線を巡り、この両者はある種のライバル関係にあるといえた。
正確に言えばライバルと定義するには少々一方的にルドルフが勝っているのだが、ローマンが対抗心を見せてくるとついつい釣られて対抗してしまうルドルフである。勝負になる相手が少ないから表面化し辛いだけで、実は結構な負けず嫌いだ。
そうしてトウカイテイオーの憧憬を巡ってのやり取り・勝負を幾度もやりあった結果(ルドルフ圧勝)、トウカイローマンとシンボリルドルフという両者は走る路線が違う割には距離感が近いやり取りをする間柄となっている。
「それに、もし彼らが私達のことを知っていても、今のこの姿では分からないだろう。変装しているのに偉ぶるようでは、『
「………」
「変装しているのに偉ぶるようでは、『
「リピートしなくてもいいのだわ! しかもやたら自信たっぷりのドヤ顔で!!」
ローマンがそうであるように、ルドルフの方も制服姿ではなく私服姿。勝負服と色合いが近い緑の五分袖トップスに、クリーム色のスラックス。私服のときにはブルーライトカット・UVカットの伊達眼鏡をかけることが多いルドルフであるが、今つけているのはサングラスだ。
更にいつもは縛ることがない髪を首後ろで纏めてしまえば、案外と印象は変わるようで。人の多い観光地でありながら、今のところ彼女をシンボリルドルフだと認識して写真やサインなどを求めてくるようなファンからの接触はない。
一方でローマンの方に視線を向ける人々は多いのだが、これは彼女がオークスウマ娘であるトウカイローマンだと周囲の人が気付いたわけではなく、カラスに襲撃されて食料を強奪された被害者に向ける好奇と同情の視線が大半である。
スマホで写真か動画を撮っている様子の人も居るが、被写体はローマンやルドルフではなく、じゃがバターを巡って争っているハトとカラスだ。動物の写真・動画はいつの時代も人気である。
「おや、聞き逃したら勿体ないと思ったのだが。フッ、しかしトゥインクルシリーズを引退してからは、ジョークの研究が進んでね。トウカイテイオーにも披露したら、彼女は今よりもっと私に憧れてくれるんじゃないかな」
「……そのー……やってくれた方が私の有利にはなると思うのだけれども、テイオーちゃんの夢を雑に破壊するのは止めて欲しいのだわ……」
「いや、しかし」
「ほ、ほら。走る方のルドルフに憧れて無敗の三冠ウマ娘を目指すって気炎を上げているのに、ジョークの方に憧れて噺家とか目指されても困るのだわ!!」
「……なるほど、一理ある。披露するのは彼女が明確にレースの道を志し、トレセン学園に入学した後からでも遅くはないか」
皇帝ジョークはテイオー本人ではなく、後にテイオーの同期となるウマ娘に大好評となる。それもまた、大分先の話なのだが。*1
ともあれ『テイオーちゃんの夢を壊すわけには』と何故かローマンが必死になって捻り出した詭弁に誤魔化されたルドルフが納得し、いずれ披露する時を心待ちにしながらも当面はテイオーの前での皇帝ジョークを引っ込める事を決めた。後回しになっただけともいう。
「……トウカイテイオーが入学か。2,3年後かな?」
「再来年なのだわ。そしてデビューして、私の後を継いでティアラ路線を走ってくれるのは早くて4,5年後というところかしら」
「いやいや、彼女は私に憧れてクラシック三冠路線をだな」
「今に見てなさい、きっとテイオーちゃんはティアラ路線の美しさに気付くのだわ!」
「ふふふ、どうかな? ―――だが、そうか。早くて4,5年後。その頃には勢力図はどうなっているかな」
「勢力図っていうと……」
「テイオーの前にどんなウマ娘が立ち塞がるか。早くて4,5年後となれば、今走っているウマ娘はほぼ引退しているだろう」
言いながらルドルフは周囲を見回し、空いているベンチを手で示す。座らないかという意思表示に対し、ローマンはもはやすっかりハトとカラスの胃に消えたじゃがバターの容器を名残惜しげに見てから溜息を吐く。
「少し待つのだわ」
もはや鳥類の興味を引く要素を失った紙容器に歩み寄ったローマンは、ひょいと摘むようにして容器を持ち上げた。そのまま手近なゴミ箱に歩いていき、ゴミはゴミ箱への標語を有言実行してから、ハンカチで手を拭きつつルドルフの元へと戻ってくる。
「お待たせ」
「構わないよ。むしろ私が不見識だったな。叩き落された容器のことは頭から抜けていた」
「自分で出したゴミは、ちゃんとゴミ箱へ。当然のマナーなのだわ。当然の事は当然にやらないと」
一口も食べていなかったじゃがバターを想って小さく溜息を吐くローマンであるが、ルドルフの感心は本物だ。小さな行動や所作から、育ちの良さと本人の気質の美点が自然と出てくるのがトウカイローマンというウマ娘である。
騒がしく残念な部分もあるのだが、彼女を目標としていたトウカイテイオーは見る目があるなと皇帝は内心で頷いた。その見る目がある子ウマ娘が今は自分に憧れてくれているので、尚更ルドルフの機嫌は良い。
「それで、勢力図って話だけど……。今年のメジロ家は凄いのだわ。ラモーヌは貴方も知っているでしょう?」
「彼女を知らないトレセン学園関係者は居ないだろうね」
「そうじゃなくて、貴方……雑誌の取材に呼び出されてなかった?」
「私に対しても態度を変えず、電話1本で呼び出してくる相手は彼女くらいだよ」
「あれは色々と無頓着なだけだと思うのだわ。世が世なら修験僧の系統よ」
そしてベンチに移動し腰掛けた両者の話題に上がったのは、この時期には既に桜花賞、オークスを制してティアラ2冠を獲っているメジロラモーヌ。*2
大人びた雰囲気のメジロの女傑は、妖艶とした雰囲気と泰然とした振る舞い・言い回しから性質を誤解されがちだが、言っていることとやっていることを要素分解していくと、レースに関する事しか言っていない事が多い。どこぞの最速の機能美ばりの先頭民族のような風情すらある。
ルドルフが電話一本で呼び出されたという案件もその系統である。雑誌の特集で多種多様なジュエリーと共にラモーヌの写真を撮ってそれを表紙に飾ろうとしていた時の事だ。*3
唐突にルドルフを呼び出して、両者による模擬レースを撮るように言い出したのは完全なるラモーヌのアドリブ、もしくは独断である。それを可能とするだけの行動力と、それが許されるだけの実績、そして威厳ともいうべき空気を持っているのが彼女なのだが―――
「ルドルフが呼び出された案件は私も聞いたのだけれど……。本人の話を聞くに、なんかアレ……取材をもっと良くしようと善意で本人なりに考えた結果っていうか……」
「ラモーヌから聞いたのか?」
「私はオークスウマ娘。ティアラ路線においてはダービーウマ娘に相当する立場なのだわ。同じティアラ路線という事で、直接的にラモーヌの先輩。一緒の取材とか受ける事もあるから接点も多いし、会えばそれなりに話すのだわ」
後輩であるメジロの女傑を思い出しながら、トウカイローマンは言葉を選ぶ。
女帝というより修験僧。泰然というより天然。妖艶というより浮世離れ。それが彼女から見たメジロラモーヌというウマ娘の印象だ。そしてそれは世間一般から見たラモーヌの印象とはかなり違うが、自身の考えがそう外れたものではないとローマンは確信している。
「彼女は取材陣に言っていたのだわ。『必要なジュエリーは蹄鉄と競争相手。あとはターフがあればこの通り』。そしてその発言は大きく取り上げられた」
「ああ。事実、彼女の走りは周囲を魅了するに足るものだった。勿論、当時の彼女はまだジュニア級で、私はシニア1年目の絶好調期。順当にレースそのものは制させて貰ったけどね」*4
「はいはい、貴方も大概に負けず嫌いなのだわ。……で、底を見せない妖艶な女傑の言葉として取り上げられてるけど。アレね、当人に聞いたらほんとに言葉のままだったのだわ」
「言葉のまま……?」
「ラモーヌのイメージに合うようなお高いジュエリー持ってきて、それを警備する警備員やらも付けて、物々しい取材だったのを見て思う所があったらしいのだけれども」
ローマン、頭痛をこらえるようにこめかみを揉み解しながら語って曰く、
「『あんな大仰な事をしないで、ターフでいい感じの競争相手と走ってる私を撮れば良いのでは?』と考えて、実行した。以上」
「……は?」
「だから本当に『必要なのは宝石ではなく蹄鉄と競争相手で、ターフで走った方が良い絵が撮れる』と考えて、それをそのまま口に出しただけなの。あの子、言葉選びや言い回し含めて浮世離れしてるのよ……」
がっくり肩を落としたローマンの言葉に対し、ルドルフが見せた反応は焦りだった。
「そんな……ッ! じゃあ、どういうことなんだ!?」
ローマンの肩を掴まんばかりの勢いのルドルフに目を白黒させるローマンであるが、ルドルフは必死である。
ただしその必死さの根源・理由といった部分は、同期クラシック路線の三人娘が聞いたら頭を抱えるか腹を抱えて笑うか、あるいはいっそ聞かなかった事にする系統のものだ。
「電話一本で呼び出されて、さぞラモーヌは私のことを親しみやすい先輩だと考えてくれていると思ったのに! 競争相手になる相手なら、誰でも良かった感じの奴か!? ……い、いや。そこで数ある候補の中から私を呼び出してくれたのだから、これは親しい先輩認定……?」
「貴方……後輩から親しみを持たれたいという思いを拗らせて、変なことになりつつあるのだわ……」
怒るでもなく、心底からの哀れみを込めた視線を皇帝に向ける
「そもそも別に後輩に拘らなければ、同期で気兼ねなく話してくれる相手は去年辺りから増えたでしょ。私もそうだし、ライデン、パレード、マッハとかもそうなのだわ。いえ、その3人は元からかしら」
「それは確かに嬉しいことだ。だが、私は出来ればより多くのウマ娘から気軽に声を掛けられるような親しみやすい生徒会長でありたい」
「だからといって後輩に電話で呼び出されて喜ぶのはどうかと思うのだわ……。『私を電話一本で呼び出すのはラモーヌくらい』って語る時、心底嬉しそうだったし……」
「私をパンツ一丁で呼び出してくるのはマッハくらいなのだけど、あれは嬉しくないからなぁ……」
「とりあえず全部聞いてからツッコミ入れるけど、それどういう用件でどういうシチュエーションなの?」
「パレードが脚部不安で入院していた時に、溜めに溜めた洗濯物を纏めてランドリーに叩き込んだら外に着ていくものが無くなって、英語の提出課題を代わりに持っていって欲しいと言われたよ」
どうせ碌なイベントではあるまいと、同期きっての雑なウマ娘と皇帝のやりとりを予想したローマンの想定通り。
割りと碌でもない―――ただし意外なくらいに普通の学生らしいといえば学生らしいイベントを思い出し、困ったような苦笑を浮かべるシンボリルドルフだった。
ちなみに史実においてはメジロラモーヌ、トウカイローマン双方ともにルドルフとの間に産駒が居ます。スイープとキタサン、セイウンスカイとニシノフラワーのような史実夫婦な関係ですね。
それと、総合評価がぼちぼち1000に届きます。1つの区切りというか目標でありましたが、皆様のおかげです。ありがとうございます。
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