難聴系ぼっち (アザミマーン)
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やっぱり出会う、カルマだから。

最近ぼっちちゃんに色んな設定生やすの流行ってるから便乗。


 

 

 窓から差し込む夕日は、最近になって如実に昼の時間が伸びたことを私に教えてくれる。

 

 時刻は午後5時半。

 部活に所属せず友達もいない私にとってこの時間は、先日までならば既に帰っている筈だった。しかし今日、いや最近は未だ学校に残っている。特に勉強しているわけではなく、図書室で本を読んでいるわけでもないのに。いや勉強はするべきだけど。

 

 では何故私が居残りすることになってしまったのか。その原因は今も目の前にいる。

 

『ごめんね、付き合わせちゃって…』

 

「あ、いやあの、だっ大丈夫…です…」

 

 ひと目見ただけでよく手入れされていることが分かる赤髪、漂う甘い良い香り。

 そしてナチュラルメイク? というやつにも関わらず、テレビに出るようなアイドルを軽く上回るほど可愛い顔。

 

 我らが秀華高校が誇る(らしい)超絶美少女、喜多さんだ。

 

 容姿端麗歌ウマ運動神経抜群(予想)陽キャな喜多さんと、コミュ障人見知りぼっちくそ雑魚陰キャの私、後藤ひとり。

 はっきり言って何もなければお互い一生関わらない人種だ。私もこうなるまでは自分が喜多さんという陽キャ代表みたいな人と関わるとは思っていなかった。

 

 ではそんな正反対の2人が、こんな時間に音楽準備室という人気のない場所で何をしているのか。

 

『難しいわね…上手く弦が抑えられない〜』

 

(私もあんなだったなぁ…)

 

 私が喜多さんにギターを教えているのだ。

 

 いや改めて状況を整理してもやっぱり意味不明だけど…

 

 

 どうしてこうなってしまったのか、その理由を説明するには少し時を遡らなければならない。

 

 

 ──────────────────

 4月頭のこと。

 

 高校の入学式、私はギターを持って登校していた。

 

 いや誤解しないで欲しいんだけどこれは決して高校では今度こそバンドを組みたいからギターを持っていったら誰か話しかけてくれないかとかバンド女子感をアピールしたかったからとかそんな不純な意味はなくてただギターがないと私の精神が耐えられないというのとどうしようもない時のための実用的(・・・)な意味も兼ねているというのがあってだからその

 

 って、誰に言い訳してるんだろう。そういうところが陰キャなんだよ…

 

 そしてごめんなさい。普通に不純な動機もありました。あわよくば誰か1人くらい話しかけてくれないかなと…

 

 そんな私の目論見は、ある意味で成功した。

 音楽系の雑誌を読んでいると、誰かが席の横に立った気配がする。

 顔を上げると、横の席に座る女の子が私の読む雑誌を指差していた。

 

「あ、な、なんでしょうか…」

 

『その表紙に写ってるの、〇〇だよね? 私も好きなんだ』

 

「!! あっそっ、そそそうですね!」

 

 話しかけてくれた!!! 

 やったよ私! 中学校のときからは考えられない大躍進だ! よ、よし、ここから話を広げて友達を…

 

 そう思ったのだが、人と話すのが久しぶりすぎて続く声が出てこない。

 そして、そんなことをやっている内に、いつの間にか周囲を囲まれていたことに気づいた。

 

「え」

『後藤さんギターやってるの?』

『もしかしてバンド組んでたりする?』

『いいなーちょっと演奏してみてほしいかも!』

『○×△、×□○!』

『〜〜〜〜!!』

『……? ……!』

『〜、〜〜?!』

 

あっ、あのっ、ちょっ、まっ…

 

 ヤバい! そんなに一気に話しかけられても対応できない! な、何か返さなくちゃ…あ、待って意識が…

 

 

「知らない天井だ…」

 

 気づいたら私はベッドに寝ていた。

 私が起きたことを察してこっちに来た先生に教えて貰ったところ、どうやら私はあの場で気絶し、ここ保健室に運ばれてきたらしい。

 

(ああ…終わった…)

 

 こうして私は公衆の面前で突然気絶するヤベーやつとしてクラスメイトに認識され、次の日から遠目で見られるだけの存在と成り果てた。

 午前中で終わる入学式の日なのに1人学校で午後まで過ごしていた私は、足取りも重く2時間かけて来た道を再び2時間かけて帰るのだった。

 

 

『ギター…?』

 

 

 

 

 翌日以降も、一縷の望みを持ってギターを引っ提げて登校するが、今度こそ誰にも話しかけて貰えなくなってしまった。

 かと言って自分から話しかける勇気はコミュ障には無いのです…

 

 入学してから1週間ほど経ったある日のことだった。

 

(学校辞めたい…)

 

 入学したばかりだというのに既にメンタルが崩壊しかけている始末。

 

 しかし学校を辞めたところでなんのビジョンも見えないため高校中退に踏み切ることもできない。

 毎日毎日、口を動かして何事かを言う先生の授業を必死にノートに取り、でも内容を理解するところまでは行けず。

 

 その日も午前中の授業が終わり、階段下の謎スペースでお弁当を食べていた。

 

「ここは落ち着くなぁ」

 

 いつもギターを弾いている押入れの中の環境と似ている場所を学校でも見つけられたことは僥倖だった。上の階段もあまり人通りが多くなく、私みたいなコミュ障陰キャにはピッタリの場所だ。…自分で悲しくなってくるけど。

 

「…誰もいないよね」

 

 キョロキョロと周囲を確認し、良し誰もいない。

 傍に立てかけていたギターケースを開け、黒いギターを取り出す。父から借りているもので少し古いが、そのラックや錆びが愛嬌のように見えて私は好きだった。

 

「…」

 

 ギターを持ち、集中する。

 無音(くらやみ)だった世界に、段々と(いろ)が流れ込んでくる。

 

 ああ、この瞬間は好きだ。

 

 こう(・・)なってしまったときは、一体これからどうなるのだろうとも思ったけど。

 

 全身が鋭敏になるような、世界の流れが遅くなるような、そんな感覚。

 

 これを知ることができたならば、その甲斐もあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 私、後藤ひとりは耳が聞こえない。

 

 

 

 

 

 難聴というやつだ。

 昔からストレスに弱く、突発性難聴は何度も起こしてきた。しかし中学のある事件以降、ついに全く聞こえなくなってしまったのだ。心因性のものらしく、治る可能性はあると医者には言われたが。

 

 ただこの難聴、実は条件付きのものだ。普段は全く音が聞こえないけど、ギターを弾いているときや、弾く直前の集中した状態になると音が聞こえるようになる。

 ギターが心の拠り所となっているかららしい。なので、心の拠り所が増えれば治る可能性も上がると言われた、けど。

 

「ネットだけが友達…」

 

 こうして現実に打ちひしがれるたびに動画サイトで【guitarhero】として活動する回数が増えていく…私にはもう現実で花開く可能性は残っていないというのか。

 ヤバい、このままではメンタルが死んでしまう。暗い気持ちを曲に込めて吐き出してしまおう…

 

「聞いてください、【陰キャの人生ベリーハード階段下の謎スペース弾き語りver】」

 

 

 

「うぅ…」

 

 暗い気持ちを吐き出したはずなのに涙出てきた…でもその甲斐あってか何だか気分が少し良くなった気がする。

 ギターもいつもより音がノッてたし。たまにあるんだよね、こういう日。ゾーンってやつなのかな? 今日は押入れじゃないところで弾いたからかな。

 薄暗く狭いという環境自体はそこまで変わらないはずなのに途中からものすごく甘い良い匂いしたし…

 

 もう昼休みも終わるだろうし教室に戻ろう。ここで憂鬱な気分を一度吐き出せたのは大きい。午後の授業もこれで頑張れるかも。

 集中が解け、また音が潜んでゆく。勿体無いような寂しいような、でもこの感覚も嫌いじゃない。また夜に弾くからそのときまでお預けだ…

 

「わぁ、すごーい!!」

 

「ぴぎゃああああああああ!!!!???」

 

 なになになになに?!?! 

 なんか音が聞こえなくなる直前に後ろから声がしたんですけどおおお?! 

 え? 何? 幽霊?! というか何で後ろから??? 

 私物置を背にして弾いてたよねぇ?! 

 

『2組の後藤さんよね?私は5組の喜多っていうの!』

 

あっ、ぇ、ぁの…その。ぁぅ…

 

 恐る恐る振り向くと、そこには陽キャを体現したかのような女の子がしゃがんでこっちを見ていた。か、可愛い! って、違う違うそうじゃなくて。

 一体いつからそこに…

 

『私? 後藤さんが弾き始めてから少ししてからだと思うわ、ギターの音がしたからこっちに来たんだし』

 

 喋ってないのに察された?! 

 というか、私の名前覚えてくれてる。この子は良い子だ…

 

『ギター弾けるのね! 凄い! 何か感動しちゃった!』

 

「あ、えへへ」

 

 しかも褒めてくれる。絶対いい子だ…

 聞こえないけれど口元を見れば読める。昔から突然耳が聞こえなくなることが多かったから、読唇術だけはかなりできるようになった。密かな特技である。披露する機会は殆どないけど…しかも2人以上の人の会話を同時に見ることはできないし、こっち向いてないと何言ってるか分からないし、ずっと口元を見なきゃいけないから目を見て話すなんてできないし…使い勝手の悪い技術である。まぁそもそも目を見て話すなんてできないけど…

 

『後藤さん?』

 

あっ、すみませんすみません聞いてませんでした!?

 

 つい1人の世界に入ってしまった、ドン引きされてないかな…

 

『怒ってないよ! それでね、私憧れの先輩がバンドのギターボーカルを募集してるのを知って、この前つい勢いで応募しちゃったの!』

 

(こ、行動力が凄い)

 

『歌にはそこそこ自信があるんだけど…実は私、ギター全く分からないのよね。こっちジャンジャンするだけじゃないのね。ちょっと調べてはみたんだけど…メジャーコード? マイナー? 野球の話?』

 

(分からないの次元が違う)

 

 どうやら引かれてはいないようだった。

 そこから話を聞くと、喜多さんはギターを弾けないことをバンド仲間に明かしていないらしい。ギター弾けないのにギターボーカル応募すぎるの度胸強すぎでしょ…

 このままではライブどころか音合わせすらできないため、どうにかギターを弾けるようになりたいとのこと。行動力が凄いだけじゃ解決できないこともあるんだなぁ。

 

『後藤さんはどこでギター習ったの?』

 

「あ、私は殆ど独学で」

 

 そう話すと喜多さんは目を輝かせる。うおっ眩しっ! キターン!!という効果音がどこからか聞こえてくる。おかしいな、何も聞こえないはずなんだけど…

 

『えー凄ーい! 独学じゃ限界があると思ってたのにこんなところに先駆者が…。そうだ! ねぇ、後藤さん良かったらなんだけど…』

 

 喜多さんは両手を顔の前で合わせ、私に向かって頭を下げてきた。

 

『〜?! 〜〜!』

 

「(口元が見えないから何言ってるか分からない…!)あ、えと、その」

 

『他に頼れる人もいないの! お願い、私にギター教えて下さい!』

 

(あ、そういう話…いやいや無理無理無理! 人に教えられるほど上手くないと思うし、何よりコミュ障陰キャがコミュ強陽キャにギター教えるなんてハードル高すぎ?!)

 

『……』

 

 喜多さんは目を輝かせながらこっちを見てくる。ヤバい眩しい! 顔を見れない! 

 

 キターン!!

 

「うっ…目がっ」

 

『放課後とか後藤さんが都合のつくときだけでいいから!!』

 

あぁ、あう、分かりました…

 

『本当? ありがとう!!!』

 

 キタキターン!!

 

ヤバい死ぬ…

 

 くそぅ…真のコミュ障は断ることすらできない…

 というか教える以前に私は喜多さんの光に浄化されてそのまま消えるんじゃなかろうか。

 

『後藤さん、今日は空いてる?』

 

「あ、空いてます…」

 

『本当? ならギターを一緒に選んでほしいの! どれがいいかとか分からなくて!』

 

ひいいいいいいヤバいヤバいこの人ぐいぐい来る止まらない!!

 

『あ、お昼休み終わっちゃうわね! じゃあ放課後迎えにいくから!』

 

「あ、ちょ!」

 

 教室に戻ろうとする喜多さんをギリギリで呼び止める。見逃せない発言があったからだ。

 

(え、待て待て喜多さんみたいな人気者(推定)に教室に来られたら…)

 

 

 [え、なんで後藤さんみたいなコミュ障陰キャのミジンコが喜多ちゃんみたいな美少女と?]

 [もしかしたら喜多ちゃん脅されてるのかも?!]

 [私たちで喜多ちゃんを守ろう! 後藤は排除だ!]

 [後藤を消せ! 後藤を消せ!]

 

 

『後藤さん、作画崩壊してない?!』

 

「(絶対こうなる〜)あ、あの喜多さん、わ、わざわざ教室、まで来なくても大丈夫ですので、裏門前で待ち合わせとかにしませんか…」

 

『じゃあそうしましょう! あ、後藤さんLOINEやってる? 友達登録しましょ!』

 

 そして喜多さんは流れるように私のスマホを操りLOINEの友達登録を済ませていった。何という早業、私には見えなかった…

 

『じゃあ後藤さんまた放課後ね!』

 

「あ…はぃ…」

 

 言うや否や喜多さんは階段を駆け登って自分の教室まで帰っていった。

 

「嵐、いや流星のような人だった…これからあの子にギター教えるのか…教えられるの? 私…耳も聞こえないのに?」

 

 吐きそう。プレッシャーで。

 

 こうしてその日に喜多さんと一緒にギターを買いに行き、翌日から毎日練習することになってしまったのだ…

 

 

 

『後藤さん、これとかどう? 良くない?』

 

「あ、その、喜多さん、それ多弦ベースです、ギターじゃないです」

 

え?

 

 なお、ギターは無事買えた。

 

 

 

 

 あれからもう3週間経った。

 

 今日も今日とて喜多さんのギター練習を見ている。私は喜多さんが弾く手元を見て音を想像し、ぎこちないところやミスがあったところを指摘する。幸い私もギター始めたての頃はミスばっかりしてたし、初心者の喜多さんも同じようなところで手間取っているので教えられることは多い。

 

 あと、教えているけど結構私が学ぶことも多い。特に、他の人と音を合わせるのが難しいことを知れたのは良かった。…バンドを組んでからこれに気づいてたら、絶対「ド下手ですみません…」とか言いながら切腹する羽目になっていた。

ギター教えるとか言いつつ合わせるの下手ですみません喜多さん…少しは手本になっていると信じたい。

 

 ただ、私の教え方はともかく、本人のモチベーションが高いせいか上達がとても早い。ついこの前は持ち方すら覚束なかったのに、今はなんとなく弦を弾くのが様になってきている。教えている私としても鼻が高いというものだ。いや100%喜多さんの素質だと思うけど…

 

 しかし、問題が一つ。

 こうして喜多さんがどんどん上達していく中、私は未だに喜多さんに耳が聞こえないことを話せていない。本当はもっと早くに白状して教えるのを辞めようと思っていたんだけど…いやあの、頼られるのが思ったより心地よかったんです…。

 喜多さん凄く褒めてくれるし、承認欲求も満たされるし。

 

 でも耳が聞こえないなんて言ったら…

 

 [後藤さん耳が聞こえなかったの? そんな人が自慢げに私に教えてたなんて…許せない! 私の広くて深い人脈を駆使してこれからの高校生活を全力で台無しにしてあげるわ!キターン

 

 ってなるかも…中指立ててるロックな喜多さんの幻覚が見える…

 そうならなくても、喜多さんは優しいから私に遠慮して他の人を探しにいくかもしれない。うん、喜多さんならこっちの方が可能性が高そう。

 ごめんなさい喜多さん、貴女がキラキラした目で見ている私は、貴女で承認欲求を満たしている最低なギタリストです…

 どうかこれからも気づかないで…そして私の承認欲求を満たして下さい…

 

『〜』

 

「あっ、ど、どうかしましたか…」

 

 そんなことを考えてたら、喜多さんが浮かない顔で口に手を当てて悩んでいる。今日は初めて曲を通しで出来たのに、何かあったのだろうか。

 

『〜〜? 〜…』

 

「…?」

 

 その状態のまま何事か話しているようだが、読唇できないと何も分からない! ギターを教えている最中ではあるけど、別に私が集中して弾いている訳ではないから耳は聞こえないままだ。

 

『〜? 〜?』

 

(ヤバい何か話さなきゃ?!)

 

 ついにこちらを訝しむような表情になってしまった! 何か答えなきゃ何か答えなきゃ何か答えなきゃ…

 

『後藤さん、大丈夫? 聞いてた?』

 

「あああすすすすみませんすみません私は耳が聞こえないんですううう聞いてませんでしたあああああ!!」

 

 あ。

 

 いいい勢い余って本当のことを言ってしまったああああ!!! 

 ヤバいヤバい何とか誤魔化さないと!? でもそんな急に言い訳なんて出てこない! 

 

「ああいやちがくてこれはそのアレですあの」

 

『あはは、何を言うかと思えば、後藤さんって冗談も面白いのね!』

 

「…へ?」

 

『こんなに流暢に話してるし、会話も成立してるじゃない! そんなこと言われても信じられないわ?』

 

「…あ、そそそうですそうです! ううう嘘です嘘! や、やだなー本気にしししないで下さいよよよ??」

 

『分かってるわよ! それでね、さっき言ったことなんだけど、私バンドではギターボーカルを任される予定なの。今日は確かに初めて通しで弾けたけど、よく考えたら私はこれに加えて歌も歌わなきゃいけない訳じゃない? ギターを弾くのに必死になってるのに、歌も歌うなんて出来るのかなって…』

 

「あー…」

 

 よ、良かった誤魔化されてくれた。ふぅ〜…

 

 でも…信じて貰えなかったのは少し、悲しいかもなんて。

 

 いやいやそうではなく、今は喜多さんの悩みに応えなければ。

 でも私も歌いながらギター弾いたことなんてないしなぁ。クソみたいなオリジナル曲弾いてるとき以外は。

 

「そ、そうですね…あっ、ライブは来週でしたっけ?」

 

『そう。だからそれまでに何とか形にしたいんだけど…』

 

「うーん…」

 

 来週までにギターと歌を同時に出来るようになる…いや無理だ、少なくとも私なら挑戦しようとも思わない。それをやろうとしている時点でやっぱり喜多さんは凄いと思う。

 でも今回は流石に無謀な気がする…

 

「喜多さん、い、幾らなんでも無謀な気が…。バンドの方に話して、今回は…インストバンドとして参加したらどうですか…?」

 

『インストバンドって、歌わないバンドのことだっけ? 確かに、下手に歌を入れて大失敗するよりはそっちのほうがマシなのかも…』

 

「き、喜多さんもここ最近は上達が凄いですし…今回は、ギターだけでも…」

 

 実際、歌なしならば喜多さんは今回バンドでやる曲を弾き切る実力が既にある。確かにそんなに難しくはない曲ばかりだし、それしか練習していない。それでもギターを始めて1ヶ月も経っていないのにここまでの力をつけたことは素直に尊敬できる。凄い。

 

『…そうね、一回相談してみようかしら。そのときに、私があんまりギター弾けないことも正直に言おうかな…』

 

(ウソを正面からちゃんと謝れる…コミュ障にはできない…)

 

『よし、そうしましょう! あ、後藤さん。方針も決めたことだし、ちょっと休憩したいのだけど…』

 

「も、勿論いいですよしましょう休憩」

 

『その前に、また後藤さんのお手本見せてくれない? 完成形を見て修正しておきたいの』

 

「え、ええ…?」

 

『お願い!』

 

 キターン! 

 

「あうぅ…」

 

 人前で弾くの緊張するぅ…でも聞くのは喜多さんだけだし、前にもやったし…何よりかわいい生徒のためだ、一肌脱げ後藤ひとり! かっこいいとこを見せるんだ!! 妄想では何度もアリーナライブしてきただろ?! あああでも心臓ががが…

 

「わ…分かりました…」

 

『ありがとう! 私後藤さんのギター大好きなの! かっこいいし、何か惹かれるっていうか!』

 

うぇ、うぇへへへへ

 

 もっと褒めて〜

 

 ────────────────

 

「じゃ、じゃあやります…」

 

 後藤さんが遠慮がちにギターを構える。相変わらず顔は青ざめ視線は下を向き、お世辞にもギターが得意そうには見えない。でも、後藤さんのギターがとても上手で、心に響くメロディーを奏でることを私は知っている。

 

 後藤さんにギターを教わり始めてから3週間ほど経った。強引なお願いだったにも関わらずこうして親身に教えてくれてとても感謝している。私が練習で詰まるたび、吃りながらも的確な指摘で助けてくれた。「私もそこで躓いたので…」と言っていたけれど、そのおかげか指導も実感が篭ったもので分かりやすい。

 

 まだ後藤さんと友達になってからそう時間は経っていないけれど、かなり独特で、それでいて面白い子だ。禁句があるようでそれに触れると顔面崩壊したり自分の世界に引きこもってしまうが、個人的にはそれも魅力の一つだと思う。

 さっきのように耳が聞こえないなんて斜め上の言い訳をしたりはするが、基本的には真面目な良い子だ。特にギターに対する姿勢はとても誠実で尊敬している。

 

 後藤さんが目を瞑り集中し始めた。これが彼女が音を奏でる合図。次に目を開けたときには、自信なさげな普段の彼女を忘れさせるような姿になっている。

 

 借りてきた猫のようだった後藤さんの纏う空気が一変する。世界が後藤さんを中心に変わってしまったかと錯覚してしまう。

 

 目を細く開け、その視線は自らの手元を注視。

 力強く、それでいて丁寧なストローク。

 彼女が独学だと言っていた通り、以前に私が手本にしていた動画と比べるとかなり癖のある弾き方だと思う。しかし、それすらも魅力となってその音を引き立てる。

 

 ギターの音に乗り、後藤さんの体も自然と動く。姿勢は猫背のままだ。

 でも、目つきは鋭く、まるで獰猛な虎のような雰囲気。視線を逸らせばそのまま食い殺されてしまいそう。

 

 音の暴力が私の心を突き抜ける。どこか恐ろしく、それでいて別の感情を抱かせる。

 

(ぞくぞくする…!)

 

 体が震えてくる。寒いんじゃない、これは興奮してるんだ…! こんな凄い子に教えてもらっているんだと考えると、時間を使って貰って申し訳ないと思うと同時に、なんだか優越感を感じる。

 

 曲が終盤を迎えた。ああ、もう終わってしまう。まだ行かないで…

 

 少しの余韻を残して演奏が終わる。それを機に、後藤さんの雰囲気も元に戻った。少し残念かも。

 

「あ、終わりです…」

 

「…」

 

「あの…?」

 

「っごめんなさい! 凄く良くて…。ちょっと余韻に浸ってた」

 

「え?! そ、そうですか…えへへ」

 

 素直に感想を言うと、後藤さんが限界まで表情を緩め、くねくねと体を捻る。原型を無くしかけているがそれも愛嬌だろう。

 

 後藤さんは凄い。でも、後藤さんは私といるとき以外、いつも一人だ。誰もその凄さを知らない。

 どうして? と思う。

 勿体無いとも思う。

 私には後藤さんがこんなに輝いて見えるのに。

 他の人にも、後藤さんの凄さを知ってもらいたい。この気持ちを共有したい。

 何か方法は無いのかな…

 

 

 

 

 

 次の日、伊地知先輩の音合わせの誘いに、初めて参加した。そこで、本当はギターを弾けないのにバンドに参加してしまったことを正直に告白した。

 

「ごめんなさい…」

 

「あーだからこれまで頑なに練習の誘いを断ってた訳ねー。納得したよー」

 

「正直に話せたのは偉い」

 

 リョウ先輩…優しい! 素敵! やっぱりリョウ先輩最高!! 

 

「先輩…許してくれるんですか?」

 

「まぁ気づかなかったあたしたちにも問題あるしね。でもそっかー、喜多ちゃんギターできないのかー」

 

「ギター覚えるまではボーカルだけやって貰うとしても、新しいギターを探さないといけない」

 

 伊地知先輩がフォローしてくれる。ただ、私の言い方が悪かったせいで2人とも私がまだギターをできないと勘違いしてしまった。補足しないと。

 

「あ、でも今は教わりながら練習したので、今回ライブでやる曲のギターはできます!でも、歌と同時にやるのはまだ無理なので、今回のライブはインストバンドとしての参加にできないか相談しようと思って」

 

 そう言うと2人は驚いた顔をする。うん、私も3週間前の自分に言ったら絶対信じないと思う。

 

「え、バンドの募集に手を上げてくれたのってまだ1ヶ月も経ってないよね? それなのにそこまでギター弾けるようになっただなんて…凄く頑張ったんだね!」

 

「本当に凄い。それなら、一回音合わせしてみようか」

 

 そんなわけで一度通しで弾いてみることになり、先輩たちと演奏する。しかし、いつも後藤さんと2人きりで練習してるときとは違い、リズムも音も気を使うことが多く、たくさんミスしてしまった。

 

「す、すみません。ミスしてばかりで…」

 

「いやーしょうがないよ。初めて音合わせした訳だしね。あたしもそんな上手いわけじゃないし!」

 

「いえ、そんな…」

 

「私は上手い」

 

「はいっ! リョウ先輩はとっても上手で素敵です!!」

 

「あれーなんか疎外感。反応違いすぎない?」

 

 リョウ先輩が上手いだなんて太陽が東から登って西に沈むくらい当たり前なことじゃないですか? 

 ジト目でこちらを見ていた伊地知先輩が表情を明るいものに戻して私を褒めてくれる。

 

「でも喜多ちゃん、思ってたより全然ギター弾けるじゃん。始めて3週間でこれは凄いよ! そういえば教えて貰ったって言ってたけど、誰に教わってるの?」

 

「もしかして、売れない下北系イケメンバンドマンに…?」

 

 リョウ先輩がよろしくない方向に勘違いしてる?! 大丈夫です! 私はリョウ先輩一筋です!!! 

 

「違いますよ! 同級生の女の子です!!」

 

「え、そうなんだ。高一で初心者にギター教えられるくらいギターできるなんて珍しいねー。運が良かったね喜多ちゃん、身近にそんな人がいてさ」

 

 伊地知先輩の言葉に内心同意する。私は本当に運が良かった。あの日後藤さんを見つけていられなかったら、私はきっと今でもろくにギターなんて弾けず挫折して、バンドから逃げていたかもしれない。

 本当に、後藤さんにはお世話になってばかりだ。何かお返ししたいな。

 

「はい、それは本当にそう思います」

 

「その子もバンドやってるの?」

 

「いえ、後藤さん…後藤ひとりさんというのですが、バンドには入っていないと聞いています。組みたいとは言っているのですが…」

 

 後藤さん…寂しそうにしてたな。

 その私の呟きに、伊地知先輩が指を立てて「閃いた!」という表情をする。

 

「それならその子もバンド誘ってみようよ! ギターボーカルを喜多ちゃんに担当して貰うにしても、リードギターも欲しいしね!」

 

「3週間で初心者をここまで育て上げたその手腕、見てみたい」

 

「どうかな、喜多ちゃん?」

 

「そっ…」

 

「そ?」

 

「その手があったか!!!」

 

 キターン!!!!!

 

「うわ声でかっ!しかも眩しっ」

 

 自分がバンドに対して負い目があったから気づかなかったけど、そうよ! 後藤さんもこのバンドに誘えばいいじゃない! 

 

「早速明日誘ってみます!」

 

「うんうん、よろしく頼んだよ」

 

「待ってる」

 

「はい! 楽しみにしてて下さい!!」

 

 待っててね後藤さん! 

 一緒にバンド、やろう!! 

 

 




(例の全方位中指見てたら思いついた一発ネタなので続きは考えて)ないです。

追記
なんか帰ってきたら物凄い評価になっていたので続きを考えてみます…
ただ本当に何も考えてなかったのでかなり遅くなると思います。期待しないで待ってて


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制限を経験で塗り替えたい

おかしい…ぼ虹が好きなのに、気がついたらぼ喜多になろうとしている…ぼ喜多の引力が強すぎる。

てか話が進まなかった。


 

 

 

下手だ…(流石は喜多ちゃんに教えてる腕前だね!)』

 

『虹夏、逆』

 

「ぐふぅっ!!!」

 

 クリティカルヒット!! 直撃した言葉に私は崩れ落ちた。

 こうして後藤ひとりは灰となり、バンドを組むどころか、もう二度とギターを持つことはなかったのでした…

 

 難聴系ぼっち・完

 

 ミドリムシ 後藤ひとり

 ドラマー 伊地知虹夏

 ベーシスト 山田リョウ

 

 

 

『ちょちょちょ! ちょっと待ってよ!』

 

「どうもー…プランクトン後藤でーす…」

 

『売れないお笑い芸人みたいな人出てきた!?』

 

 へへ…ギターもできない私なんて存在価値ないですから…

 ごめんね喜多さん、喜多さんの期待には応えられないや…

 

 

 

 

 数時間前

 

『後藤さん! 私と同じバンドに入らない?!』

 

「はぇ…?」

 

 お昼休み。

 私が音楽準備室でギターをチューニングしながら待っていると、扉を開けた喜多さんが開口一番に言った。

 

 え? ちょっと衝撃的すぎて聞き取れなかったんですけど…何て? 

 

「なん、何です? 何の話ですか?」

 

『だから、私と同じバンドに入らない?! 後藤さん、バンド組みたいって言ってたじゃない!』

 

「………バンド?!

 

『珍しく大きい声出たね』

 

 読み間違いではなかったようだ。

 私を、バンドに? 

 

 ほ、本当に?! いや、確かに学校にギターを持ってきてるのは誰かバンドに誘ってくれないかなと考えてたのもあるからだけど、こんなに上手くいっていいの?! 

 いや待て罠かも…でも喜多さんが私を罠にかけるメリットなんてない…? そもそも私が知ってる喜多さんは人を罠にかけるような人じゃないし、なら本当に私を誘って? 

 

 そのとき目の前で手が振られ、喜多さんを置き去りにして考え込んでいたことに気づく。

 

「ああっ、すみませんすみません! また話を聞いてなくて」

 

『ううん、大丈夫よ! 急に言われても驚いちゃうわよね』

 

 喜多さんがニコニコ笑顔で返してくれる。や、優しい…気遣いが心に刺さる。こんな陽キャに私もなりたかった。

 ん? あれ、喜多さんと同じバンド? それならギターは既に喜多さんが担当しているのでは…

 

「すみません…。あっ、で、でも、喜多さんがギターで入ってるということは、お、同じギターの私は必要ないのでは…?」

 

『そんなことないわよ! 私は所詮ギター始めて1ヶ月も経ってない初心者だし、ギターでメインを張れるほどの実力はないわ。だから、リードギターが欲しいって話になったの』

 

 な、なるほど。

 だから私の力が必要…ふへへ

 

 確かに私はネットでは上手いとか言われてるし、3万人近いチャンネル登録者数があるし…これは、いける!? 

 

 しかし、私の臆病な心がそれに待ったをかける。

 

(でも…いきなり知らない人とバンド組んでやっていけるの?)

 

 喜多さんは良い人だ。それは知ってる。私が話を聞いていなくても、嫌な顔もせず同じことを言ってくれるし、目を見て話せなくても気にしない。正直、こんなに優しい人は家族以外では見たことがない。

 

 でもそれは他のメンバーが良い人である保証はない。

 

(他の人が怖い人たちだったら…)

 

へー、お前ギターやんの? なかなか見どころあるじゃん? ]

あのいや、そのあの

洋楽聞く? 何、聞かない?! そんなやつこのバンドに要らねェ!! Fu⚪︎k you!! 

ぴぃやぁぁぁぁぁぁ!!!???

 

ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!

 

『〜? ──、──?』

 

「はっ?!」

 

『あ、大丈夫? 後藤さん。そんなに顔青褪めさせて』

 

「す、すみません何度も…やっぱり、やめたほうが。あの、わ、私なんかが入ったら、ほ、他のメンバーの方がなんて言うか…」

 

 やっぱり駄目だ。もし私が入って雰囲気悪くなっちゃったら私を紹介した喜多さんに迷惑かけちゃうし…

また(・・)中学のときのようになったら。そう考えるだけで体が動かなくなる)

 

 でも、喜多さんはそんな怯える私に笑顔で言った。

 

『大丈夫よ!』

 

「え…?」

 

『他のメンバー、みんな優しい人だから! 私がギター弾けないのを正直に告白したときも、笑って許してくれたもの! だから、きっと大丈夫よ! 私も一緒にいるし!』

 

「喜多さん…ど、どうしてそこまで、私に優しくしてくれるんですか…?」

 

 こんなことを聞くのは失礼だと分かっている。でも、ただちょっとギターを教えているだけの私になんでこんなに良くしてくれているのか、不思議で仕方なかった。

 

 そんな私に、喜多さんはそれこそ不思議そうな表情で言う。

 

 

 

 

『そんなの、後藤さんが友達だからに決まってるじゃない!』

 

「え…」

 

 

 

 とも、だち? 

 

 私と喜多さんが、友達?! 

 

 

私…初めて友達できたんだ…!!!

[おめでとう!]

[おめでとう!]

 

 イマジナリーフレンドたちもリアルフレンドが出来たことを喜んでくれてる。

 そうか、私たちはもう友達だったんだ…! 

 ネットにも書いてあった、友達は「なってください」と言ってなるものじゃないんだって! こういうことだったのか! 

 苦節15年、私にも遂に友達が…

 

『それに後藤さん、ギターとっても上手じゃない! きっと喜んで入れてくれるわ!!』

 

え、えへへぇそんな〜褒めてもらうほどのものじゃ…」

 

 あぁ満たされる…承認欲求が…

 

『とりあえず、後藤さんが乗り気なら、今日メンバーと顔合わせしない?』

 

ヴェエ、今日!?」

 

『そう! 後藤さんもどんな人たちなのか早く知りたいでしょ?』

 

 そ、そんないきなり?! 衝撃の発言が多すぎて展開に着いていけない!! せめてこ、心の準備をさせて!! ちょちょちょ、ちょっと待って…あああ明日とか、いや来週とかになりませんかね…? 

 

『よし、そうと決まったら放課後、裏門前集合ね!!』

 

(まだ何も言ってないのに! でもこんな善意の提案、断れない…。それに、これを断ったらもう高校でバンド組むチャンスなんてないかもしれない。今だけでいい、勇気を出すんだ後藤ひとり! 初めての友達の頼みだろ?!)

 

『じゃあよろしくね!!』

 

わ、分かりましたぁ…

 

 そんな訳で喜多さんのバンドメンバーに会いに行くことになってしまった。

 だ、大丈夫だ私。今日の私は一味違う、なんせ友達ができたんだから! 顔合わせ、やってやる!! 

 

 

 

『あ、バンドなんだけど、下北沢で活動しててね?』

 

あ、バンドメンバーの皆さんいい人達でしたねありがとうございました今日はこれで失礼します…

 

『まだ駅にすら着いてないわよ?!』

 

 心折れそう…

 

 

 

 程なくして下北沢駅に到着。

 喜多さんの話では駅前で待ち合わせという話だ。

 

『まだ来てないみたいね…』

 

「そそ、そうですか、なら今日は辞めにしませんか…?」

 

『ここで帰ったら失礼でしょ! …ん? ごめんなさい、ちょっと電話』

 

 喜多さんがスマホを取り出して電話に出る。バンドメンバーの人からなのかな。まだ待ち合わせ時刻にはなってないけど、もし遅刻しそうとかなら今日は無しってことにならないかな…

 

 あれ、喜多さん電話先の相手に怒ってるみたいだけど、どうしたんだろう。こんなに優しい喜多さんを怒らせるなんて、電話先の相手は一体なにをやらかしたんだ…

 

 喜多さんが電話を切り、スマホを操作する。そしてこちらを向き、顔の前で手を合わせる例のポーズで頭を下げてきた。

 

『〜ー! 〜〜!!』

 

「え、え?」

 

 こういうとき聞こえないのは本当に不便だ。どうやら謝ってるみたいだけど、理由が全く分からない。な、なんて返せば…

 オロオロしているうちに喜多さんが顔を上げる。よ、良かったこれで聞き直せば…

 

『本当にごめんなさい! バンドメンバーには言っておいたから!! じゃあ私、急がなきゃだからこれで!!!』

 

「へ?」

 

 そう言い残し、喜多さんはダッシュで駅の方へ走って行き、電車に飛び乗って行ってしまった。

 

え?

 

 い、一体何が? 

 も、もしかして私、喜多さんに置き去りにされた…? 下北沢なんてお洒落タウンで1人…? 

 しかもバンドメンバーには言っておいたって、私だけで知らない人に会いに行けと?! 

 

む、無理無理無理無理!!

 

 ダメだ、喜多さんがいるならって思ってたけど一人で行くなんて絶対無理だ!? 

 に、逃げなきゃ。待ち合わせ時間までもうすぐだし、ここに止まってたら喜多さんのバンドメンバーの人が迎えに来てしまう…! 

 おおお落ち着け私、し、下北沢ならギターを背負ってる人なんてそう珍しくないし、めめメンバーの人だって、探し人が私だなんて分からないはず! 

 幸い駅はすぐそこ、静かに、そして速やかに、いつものように存在感を消してここを立ち去るんだ…! 

 

 しかしその瞬間、肩を叩かれた。

 

びゃっ?!

 

『おーい、さっきから声かけてたのに全然反応しないからさ。あなたが喜多ちゃんの言ってた子?』

 

ひひひひひ人違いでは?!?!

 

『いやー上下ピンクのジャージでギターケース背負ってるなんてそうそうないし、間違いってことは無いでしょ!』

 

 きき、喜多さんんんんん! なんでそんな間違えようのない特徴を教えてちゃったんですか?! 

 どうしようどうしよう、もはや誤魔化すのは無理か…?! 

 

『あなたが後藤ひとりちゃん?』

 

「(なな名前まで抑えられてるぅぅぅ)あ、そ、そうでスゥ…

 

『やっぱそうなんじゃん! あたし、伊地知虹夏! 下北沢高校2年! バンドではリーダー兼ドラム担当でーす!』

 

あ、後藤ひとり秀華高校1年…です…

 

 無理だー! そこまで特定されてたら弁解の余地もない! あれ、自己紹介返したけどこんな簡潔で良かったのかな…もっと何か面白いことしたほうが

 

『うん、よろしくね! じゃあとりあえず、私たちが活動してるライブハウスまで行こっか! STARRYって言うんだけど…』

 

 あっ置いていかないで! お洒落死する!? 

 それにしてもライブハウスか…行くの初めてだ。あれ、なんか心臓ヤバい? 

 

『ひとりちゃんはさ』

 

「(いきなり名前呼び?! 陽キャの喜多さんですら苗字で呼ぶのに!)な、なんでしょうか…」

 

『喜多ちゃんにギター教えてるんだよね? やっぱギター結構弾けるんだよね!』

 

「ア、ソコソコカトォ…」

 

『そうなんだ! あとさー…』

 

 そうして話しているうちにライブハウスに着いた。ただ、会話内容に関しては虹夏ちゃんが私を先導する形で前を歩いていることが多かったので大半は分からなかった。でもそこで横に並ぼうとする程のコミュ力は無い…

 

(魔境…?)

 

 建物の地下に構えられたドアを意気揚々と開けた虹夏ちゃんに続き中に入る。外観は恐ろしげだったけど、中は薄暗く圧迫感がある。押入れの中みたいで安心する…

 

「わ、私の家!」

 

『〜?!』

 

 虹夏ちゃんが何事か言っていたようだが咄嗟の発言までは見えない。

 ただ、所詮バンドマンなんて陰キャの集まり…という思い込みは虹夏ちゃんに紹介されたPAさんのイケイケ具合に抹消されてしまった。イキってすみません…

 

『あ、帰ってきた』

 

(怖い! え、睨まれてる…?)

 

『ひとりちゃん、これがウチのバンドのベース、山田リョウだよ! リョウ、この子が後藤ひとりちゃん。喜多ちゃんが言ってたギタリスト!』

 

『よろしく』

 

よよよよろしくお願いします大変申し訳ありません!!!

 

『どうした急に?!』

 

 続く紹介を聞くに、別に怒っている訳ではないらしい。よ、良かった…。変人と言われたリョウさんは嬉しそうにしてた。そ、それでいいの? 

 

 どうやらバンドメンバーはここに喜多さんを含めた3人で全員らしい。喜多さんのことを話す様子を見るに、とても仲の良さそうなバンドだ。私の入る隙ないんじゃないかな…

 

『よし、今は練習スペース空いてるし、次回のライブでやる予定の曲をみんなで合わせてみようか! 元々喜多ちゃんと一緒に練習するつもりだったし』

 

「え?」

 

『喜多ちゃんに教えてるなら、曲も知ってるかな? これスコアね。大丈夫?』

 

(いきなり合わせるの?! …あれ?)

 

 渡されたスコアは喜多さんの持っているものと同じだった。でもこれは喜多さんが弾くパートの筈。喜多さんがリードギターをやるなら少なくとも今回私のパートはリズムギターになるのでは? 

 

「あ、あの。こ、これは喜多さんのパートでは…?」

 

『あーうん、そうなんだけど、喜多ちゃんも昨日の今日で連れてくると思わなかったからリズムギター用のスコア用意してないんだよねぇ』

 

「あ、なるほど…」

 

 こ、これはラッキーだったかも? いきなり知らないスコアを見て弾くのはちょっと難しいし。これなら弾ける! 

 

『初心者をたった三週間であそこまで育て上げたギターの腕前、楽しみ』

 

『喜多ちゃんも上手いって言ってたからね〜期待しちゃっていいのかな〜?』

 

あっあっそんなことはあの…

 

 喜多さん?! 何でそんなにハードル上げてるの…そんな期待の目で見られたら緊張する〜!!! 

 

『準備できたかな? じゃあ始めようか! 行くよ?』

 

(え、待って待って心の準備が)

 

 

 

 

 

 そして今に至る。

 

『〜〜? ──!!』

 

もうダメだ…お終いだ…

 

 初めての音合わせは散々な結果に終わった。喜多さんとの練習で他の人と合わせるのが難しいことは知ってるけど、合わせる人数が1人増えただけで難易度が数倍に跳ね上がってる…

 

 というか集中出来なくてそもそも何も聞こえない。なんとかドラムとベースの動きを見て合わせたけど、二つの楽器を見ながらリズムを合わせるなんて無理だ…。

 いつもは喜多さん1人に合わせれば良かったからまだマシだったんだなぁ…というか、そもそも虹夏ちゃんもリョウさんも楽器がギターじゃないから動きが全然違う。

 

『──!!』

 

「は、はいぃ…」

 

 ゴミ箱に入って落ち込んでいると、虹夏ちゃんが私の肩を叩いてくる。あ、近いといい匂いが流れ込んでくる。防虫剤の匂いがする私とは大違いだ…

 なんだろ、ダメダメな私を吊るし上げようとしてるのかな…

 顔を上げると、想像とは反対に笑顔の虹夏ちゃんが立っていた。

 

「え…」

 

『しょうがないよ、今日は初めて合わせたんだし! それに、最初はみんな下手なところから始まるんだしさ?』

 

『私は最初から上手かった』

 

『あーソウデスカー』

 

「あ、あの…」

 

『?』

 

「げ、幻滅しないんですか…? 喜多さんが言ってたみたいな上手いギタリストじゃなくて…こんなド下手が喜多さんに偉そうに指導してたなんて…」

 

 いつもの実力全然出せなくて、しかもゴミ箱に引きこもるようなダメ人間なのに。そんなのが虹夏ちゃんの大事なバンドメンバーであろう喜多さんの指導してたなんて、私が虹夏ちゃんだったら怒って追い返してもおかしくない。

 いや私がその立場でも追い返すほどの勇気は出ないか…

 

『まーそりゃ、少しはガッカリしたけど…』

 

「や、やっぱり」

 

『でも幻滅なんてする訳ないよ! 喜多ちゃんがあそこまで弾けるようになるには、本人の素質もあるかもだけど指導者が良くないと絶対無理だって!』

 

「!」

 

 げ、幻滅するどころか褒めてくれてる! 虹夏ちゃん…好き…

 

『うん。本人の腕前と指導力が合ってないのはよくあることだし』

 

『それはフォローになってなくない…? っ、それに、人に教えるっていうのは、自分も同じところで躓いてないと上手く教えられないもんだよ。だから、ひとりちゃんがこれまでギター頑張って努力して弾いてきたってことはよく分かるよ! でないと喜多ちゃんに教えられないもんね! そんなに躓いてもバンド組むために1人で努力するのを辞めなかったんだから、やっぱりひとりちゃんは凄い子だよ!』

 

「虹夏ちゃん、リョウさん…」

 

『え、リョウの言葉に感じ入るところあった?』

 

『バンドマンの鑑たる私の言うことに心を打たれるのは当然』

 

『…まぁライブまで一週間あるしさ、これからまた一緒に頑張っていこうよ。今日がダメでも、練習する機会はまだあるんだから!』

 

 また…一緒に。

 私、このバンドに居ていいんだ…

 ギターしか取り柄がなくて、そのギターすらもこんな有様な私に、現実での居場所なんてないと思ってた。

 でも、この人たちはそんな私に、一緒にやろうなんて優しい言葉をかけてくれた。

 

 喜多さんがきっかけをくれて、虹夏ちゃんたちがそれを繋いでくれて…こんな奇跡、絶対、私には今後一生訪れない! 

 

 ライブ、絶対成功させたい!! 

 

あ、あの!!!

 

『うぉうビックリした』

 

「あ、すみません声の大きさ間違えました…。あの、も、もう一度! もう一度セッションしてくれませんか!!」

 

『いいよ』

 

『…おー良いね良いね! ひとりちゃんも乗り気になってきたじゃん! 今日はまだ時間あるし、ギリギリまでやってこー!!』

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 このままじゃグダグダなライブで終わる。ここに喜多さんも合わさるんだし、少しでも練習して合わせられるようにならなきゃ! 

 でも耳が聞こえない今の私じゃ、虹夏ちゃんとリョウさん、それに喜多さんと同時に合わせるなんてできない。

 

 それなら────!! 

 

『!!』

 

『…おお』

 

「っ!」

 

 虹夏ちゃんのドラムに視線を固定する。

 目を見て演奏なんて陰キャコミュ障の私には出来ないし、でもリズム隊を両方同時に見ながら合わせるなんて器用なこともできない。なら虹夏ちゃんのドラムにだけでも、今は合わせるんだ…! 

 

 以前バンドを組むのに他の楽器の知識も必要だと思って勉強したことがある。…ベースはギターと似ていて両方弾けるかと思ったけど、勉強してみたら全然違う楽器で諦めたのは黒歴史だ。

 いやそんなことはどうでもいい。

 さっき合わせて、見た感じ失礼だけど虹夏ちゃんよりリョウさんのほうが上手かった。なら、虹夏ちゃんに合わせればリョウさんはそれに合わせてくれるはず! 

 これでどうにか…!! 

 

 

 

『…おぉ〜、最初より全然良くなってるよひとりちゃん!』

 

『良くやった、ひとり』

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 一曲弾いただけで疲労が半端ない。ギター弾くだけじゃなくて他のことに気を遣い続けるってこんなに疲れるの…?

 でも、バンド組んで一緒に合わせるの、凄く楽しい! 

 

(今はドラムを目で追って音を想像するだけだけど、いつかは本当の音を聴きたいな…)

 

 とりあえず、他の楽器のスコアも貰って想像の音を補強しよう。

 

 そのまま何回かセッションして、今日の練習は終わった。虹夏ちゃんたちとLOINEも交換して、ドラムとベースのスコアも貰って解散した。

 いや本当は虹夏ちゃんに歓迎会に誘われたけど、今日は複数人と話しすぎて疲れたので終わりにして貰った。

 

 よし、明日は私がライブで実際に演奏するリズムギターのスコアも用意してくれるって言ってたし、また明日から頑張るぞー!!! 

 

 

 

 

 

 

 

「行っちゃった。喜多ちゃんが言うような実力はちょっと分からなかったけど、まぁ今日初めて合わせたし仕方ないか!」

 

「そうだね」

 

「私たちの分のスコアも欲しいなんて、勉強熱心な子だなー。…まぁ、人の話を聞かなすぎるきらいはあるけど。今日何回『聞いてる?』て言ったか分かんないや」

 

「…」

 

「…? どしたの、リョウ。なんかあった? もしかして、ひとりちゃん入れるの、反対?」

 

「そういうわけじゃない。確かに下手だったけど、こっちに合わせようとする努力は見られたし、何より面白いし」

 

「だよねー! ちょっと、いやだいぶ独特だけど、面白い子だったね! 声かけた時も全然気づかなくて、肩叩くまで一人でブツブツ言ってたし」

 

「そう…」

 

「…リョウ? 本当に大丈夫?」

 

「いや、何でもない。気のせいかもだし」

 

「なんだよー! そこまで引っ張ったなら言ってよ!」

 

(虹夏は気付いてないけど、ひとりは虹夏のドラムを見て(・・)ギターを合わせてた。私が虹夏のドラムとわざとズラして弾いたときも、虹夏にだけ合わせてた。あんなあからさまなズラし方したら、普通はギターも乱れる筈なのに。…もしかして、ひとりは…)

 

「明日からは喜多ちゃんとも一緒にできるし、ここからが本格始動だね!!」

 

(流石に考え過ぎかな。それに、虹夏に言ってないなら私からとやかく言うこともないか。多分、最初の合わせで私たちの実力を大体把握して、私の方が上手いと思ったから虹夏に合わせてるんだ。私ならそれに合わせられると信じて。それなら、私が虹夏にしっかり合わせればいいか。虹夏に合わせてるひとりも合うだろうし)

 

「がんばるぞー!!」

 

(今はただ、ひとりの信頼に応えよう。虹夏が気付いたら…そのとき考えるか)

 

 

 




次はもっと遅くなるかと。喜多いしないで待っててね。

あ、返信してないけど感想は見てるよ。ありがとうございます!


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ボリュームを振り切って、君の音をエスコート

目を離したすきに物凄い評価になっててプレッシャーでやばい。

てかぼっちちゃん視点難しすぎません?
これを制御しているはまじ先生はホンマすごいんやなって…

肝心な時にしか役に立たない女って評価好き。


 

 

 

『昨日はごめんなさい後藤さん、急に帰っちゃって…』

 

「あ、いや大丈夫、です…」

 

 バンドで顔合わせを終えた翌日。

 昼食を食べてから音楽準備室に向かうと、今日は珍しく喜多さんのほうが先に来ていた。

 そして挨拶もそこそこに謝罪の一言。LOINEでも謝ってたし、そんなに気にしなくて良いのにな。それに、き、昨日は何とかなったし…えへ

 話を聞くと、どうやら喜多さんのお父さんに呼ばれたとのこと。喜多さんがギターを始めたので、その勉強にもなるからと有名なバンドのライブチケットを買ったのだそうだ。

 

 そこまでは良いのだが、問題はそれを喜多さんに伝えていなかったらしい。ライブは昨日の夜で、当日に突然伝えられた喜多さんは予定を変更せざるを得なかった。

 

『もう! 前もって言ってくれれば予定を空けたのに…』

 

「ま、まぁ過ぎたことですし、そ、そんなに怒らなくても…あ、バ、バンドのライブはどうでしたか?」

 

『それは凄く良かったわ! 正直レベルが違いすぎて参考にはならなかったけど、最近ギターの練習ばかりしてたから息抜きにはなったわ。ギターも凄く良い音してた〜』

 

「それは、良かったですね。れ、レベルが高い演奏を聞けば、目指すところもはっきりしますしね」

 

 喜多さんのレベルアップに繋がるなら、私が置いてきぼりになった甲斐もあったというものだ。

 しかしバンドのライブか…生演奏だと私は聞こえないからなぁ。

 録画とかなら一人で押入れに篭ってギター抱えてれば聞けるけど、ライブ会場でギター鳴らすわけにもいかないし…

 

『そうね! 後藤さんの演奏をいつも聞いてる身で贅沢かもだけど…』

 

「わ、私なんか全然!」

 

『そんなことないわよ! 後藤さんのギターは本当に凄いんだから!!』

 

えへへえへぇ

 

 あ、とけるう…

 

『バンドでも頑張りましょうねっ!』

 

あっ

 

 はっ、溶けてる場合じゃない。

 思い出せ後藤ひとり、昨日の無様な演奏を…虹夏ちゃんとリョウさんとの音合わせを。音が聞こえなくてボロボロだったセッションを! 

 今日は全員で合わせる予定だし、そのときに上手く合わせられないのがバレたら失望、もしかしたら音が聞こえていないことまで知られてしまうかもしれない。

 それだけは絶対に避けなきゃ。難聴だなんて知られたらバンドに居られなくなるだろうし…

 

 よし、今のうちに喜多さんに言うんだ。合わせるのが下手すぎて喜多さんが思うような演奏をバンドではできないんだって…いや合わせるのは多分難聴関係なく下手だから嘘ではないんだけど…

 とにかく、こう言えば上手く合わせられないのは音が聞こえないせいとは思われないはず。

 

 でもそれは別の問題を発生させるんだよね…喜多さんに失望されかねないという…

 うぅ、こんなキラキラした目で見てくれる生徒を失いたくないぃぃ…もっと先生ヅラしてたい…

 でもでも、それで見栄張ってバンドを組めなくなる、さらには唯一の友達を失うなんてことになったら本末転倒だ。

 

 だから言え、言うんだ…今しかないんだ…

 

『!!!』

 

 キターン!! 

 

ヴッ!! 期待の視線!!)

 

 やっぱりもうちょっとだけ言うの遅らせても…ダメだダメだ! 考え直せ! どうせ数時間後にはバレることなんだ!! その暴れる承認欲求モンスターを心に鎮めるんだ…! 

 

「き、喜多さん、あの…」

 

『なに、後藤さん?』

 

 キターン! 

 

ア゛ァ゛ッ…じ、実は私………あ、合わせるの下手なんです! だ、だからその! き、喜多さんがそ、想像してるような演奏はバンドでは出来ないんです…き、昨日もバンドメンバーの方と音合わせしたんですけど、リズムを揃えるだけで精一杯で…

 

 い、言えた! よく言えたぞひとり! 

 あ、後は失望の目で見られませんように…神様お願いします…! 

 

『なんだ、そんなこと? 知ってるわよ!』

 

エ?

 

『だって後藤さん、私に教えてる時も1人で演奏する時とは全然違うじゃない!』

 

あ、そうですね…

 

 良かった…良かった? これって最初から合わせの技術には期待されてなかったってことでは…

 そ、そうだよね…私みたいなコミュ障の音合わせが下手くそなんてそんなの合わせる前から察せるよね…ま、まぁ失望されてなかったから良しとしよう…さよなら虚像の中の自分…

 

『後藤さーん』

 

ンはッ?!」

 

『戻ってきたわね! じゃあ今日も練習しましょう! ライブのためにも、ね?』

 

「あっ、はい。そうですね…

 

 き、気を取り直そう…これ以上この話題について考え込んでいたら負の思考のループに飲み込まれてしまう。

 そういえば、虹夏ちゃんが今日には私の分のスコアを用意してくれるって言ってたな…それなら、明日からの練習はそっちのスコアを弾いたほうが本番のライブに近い練習になるかな? 

 

「あ、そ、そうだ。き、喜多さん、実は今日、虹夏ちゃんに私のパートのスコアを貰えることになっていまして…」

 

『…虹夏ちゃん…?』 

 

「な、何か…?」

 

『ううん、何でもないわ! 続けて?』

 

あ、ハイ。ま、まあ喜多さんも自分のパートはもう通して弾ける、くらいには上達してきましたし、明日からは私は自分のパートを弾いて喜多さんに合わせる感じにしようかなと…」

 

『あ、そっか。同じスコアを弾くわけじゃないものね。…良いんじゃないかしら? 後藤さんにも自分の練習が必要だろうし!』

 

 喜多さんの言う通り、私自身の練習にもなる。ライブまでそう時間はない、何とかみんなと合わせられるようにしないと! 

 

 

 

『…もうちょい頑張ろっか』

 

ふぐぅッ…!!」

 

 合わせられるように…しないと…

 

『すみません…』

 

『とりあえずはドラムとベースのリズムに合わせるところからかなー。ひとりちゃんは段々合って来てはいるんだけど、体感ワンテンポ…いや0.3テンポくらい遅いかな?』

 

頑張りましゅ…

 

 放課後。

 4人で集まって初の練習なのだが、早々うまく行くはずもなく。

 やはりというか、聞こえない私は虹夏ちゃんのドラムを見て合わせているので若干の遅れが出てしまう。

 そしてドラムに遅れるということは、それと合わせるリョウさんのベースにも遅れてしまうということで…うう、聞こえないことが露骨にハンデになっている…

 目を見て呼吸を合わせればいい? そんなことコミュ障にできるわけない。ただでさえ昨日初めて会った人たちだと言うのに…。それに、そんなことができてるならとっくに自分のバンドメンバー集めてる…

 

『喜多ちゃんは…ひとりちゃんには合ってるんだけどね』

 

『うっ…普段から後藤さんと2人きりで練習してるので…』

 

 そして、喜多さんは私のギターに合わせている節があり、私がズレている分、リズム隊からはさらに遅れてしまう。不甲斐なくてすいません…

 

『ギターはリズム隊に合わせて欲しいかな。今からその癖をつけないと今後直すのが難しくなっちゃうからね』

 

努力します…

 

『大丈夫。1ヶ月弱でここまで弾けるようになったならすぐに出来る』

 

絶対出来るようになります!!!

 

『テンションの差おかしくない?』

 

 今更だけど、喜多さんの憧れの先輩というのはリョウさんだったようだ。確かに、リョウさんは顔が良いしベースを持っている姿がとても様になる。憧れてもおかしくない。

 

 それはともかく。

 直近の私の目標は、虹夏ちゃんのドラムに遅れずに音を取れるようになること。

 幸い、段々と虹夏ちゃんのドラムの叩き方の癖を掴めてきている。癖を完全に掴めれば、遅れも無くなるし万が一途中でズレても修正しやすくなる。

 ライブまで後4日、グダグダにならないように頑張らないと…!! 

 

 

 

『そういえばライブでなんて紹介すれば良い? ひとりちゃん。本名でいい?』

 

あ、いや、それは、ちょっと…

 

『なんかあだ名とかないの? 学校で呼ばれてたりは…』

 

「き、喜多さんと練習してる、とき以外は…誰とも……あだ名で呼び合うような交友関係を持ったことは……

 

『ああああごめんごめん!!』

 

『ひとり、ひとりぼっち…【ぼっちちゃん】とかは?』

 

お゛ぅまたデリケートな所を…』

 

『リョウ先輩、流石にそれは…』

 

ぼ、ぼぼぼぼぼっちです!!!

 

『喜んでるし…なんか涙出てきた。…喜多ちゃんは? どうする?』

 

『あ、私は喜多で…』

 

『郁代でいい?』

 

絶対やめてください

 

(喜多さん、郁代って名前なんだ…てか真顔だ)

 

 

 

 

 それから毎日4人での練習を続け、ついにやってきたライブ当日! 

 メンバーのみんなに許可を取って録音した音源で自主練も欠かさず、昨日は虹夏ちゃんから『今までで1番良かった』という言葉も貰えた!! 

 その勢いのまま控え室に到着した私は────!!! 

 

『ぼっちちゃーん、そろそろ出てこない?』

 

やっぱり無理です…

 

 ゴミ箱に身を収めていた。

 いや無理…さっきチラッと見ただけでも結構な数のお客さんがいた。あんな人数の視線に耐えられる訳がない…! 

 

『大丈夫だよー、今日私たちを見にきてるのなんて私の友達くらいだから…』

 

『あ、私の友達も来てくれるみたいです!』

 

ふ、ふへ、へへ、へ

 

『とりあえずゴミ箱から出てきて〜』

 

 そう言われても、私が人前で演奏したことがあるときの最大人数は4人(父、母、妹、おばあちゃん+犬)なのに…

 今日見にきているお客さんは最低でもその10倍はいる。虹夏ちゃんや喜多さんの友達だけでも10人はいるだろう。急にハードル上がりすぎ…!? 

 

『ぼっちちゃん』

 

「…な、何でしょうか…」

 

 怖気付いて動けなくなった私の肩を虹夏ちゃんが叩く。あ、良い匂い…

 

『さっきも言ったけど、今日あたしたちを目当てにしてるのはあたしとか喜多ちゃんの友達だけだからさ、そんなに緊張することないよ。普通の女子高生に演奏の良し悪しとか、分かんないって!』

 

『私は分かる』

 

『…流石先輩!』

 

『リョウは普通じゃないから…とにかく、今日は演奏を楽しもうよ! ちょっと練習したとはいえ、あたしたちまだ結成してから一週間も経ってないんだし、技術を求めるのは次のライブからで良いって!』

 

「虹夏ちゃん…」

 

『音は凄く感情が出るからさ、上手い演奏ができなくても、楽しむことだけは心がけよう?』

 

 そういえば、初めてここに来たときも、虹夏ちゃんがゴミ箱に隠れる私を励ましてくれたっけ。こんなミジンコ以下の私にも優しい言葉をかけてくれるなんて、虹夏ちゃんは天使なのかもしれない。

 …折角夢にまで見たバンドを組めたのに、変われないままで良いの? 

 良い訳ない。そんなの頭では分かってるんだ。でも、分かっていても恐怖で体が動かない…

 

「わ、分かってるんです…このまま隠れてても、な、何も変わらないって。でも、おおお客さんの目がこ、怖くて、体が…」

 

『なら、これ被る?』

 

 リョウさんが取り出したのは烏龍茶のペットボトルが入っていたであろう大きな段ボール。確かにアレに入れば視線は気にならなくなるだろうけど、私の場合視界が塞がれることは合わせられなくなることに直結している。

 

「そ、それなら視線は気にならなくなるかもし、知れませんが…視界が」

 

『…なら、こうするか』

 

「え…」

 

 リョウさんが何処からかカッターを取り出し、段ボールを手際よく切っていく。

 そうして出来上がったのは、頭が入る部分の背面と右側面だけ切り取られた段ボール。

 

『ぼっちの立ち位置は客席から向かって右側。だからこうすれば、お客さんの視線を防ぎつつ後ろの虹夏や横の私たちの様子を確認できる』

 

「た、確かにこれなら…!」

 

『え、ほんとにそれで出るの? …まぁ最初のライブだしぼっちちゃんがそれで出られるならいっか』

 

『もしもぼっちが野次られたら私がベースでポムってするから』

 

「ベースってそんなファンシーな音しましたっけ…それはしなくて大丈夫です…」

 

 どうせ私は野次られても聞こえないし。でもリョウさんなら本当にやりかねないし一応止めておこう…

 

「あ、そういえば、今更ですけどバンド名まだ聴いてなかったです…」

 

ゔっ

 

『結束バンドだよ』

 

 結束バンド…結束バンド? あの縛るやつ? 

 

『ぷふ…傑作…!』

 

『サムいし! 絶対変えるから!!』

 

『え、可愛いよね?』

 

「あ、ハイ」

 

うあああぁぁぁ…

 

 

 

 そうして本番の時間が近づき、ステージへと旅立つ時がくる。

 段ボールに隠れた私は少しマシな状態になったけれど、依然緊張は解けていなかった。

 このとき、言葉にはしていなかったけど、虹夏ちゃんやリョウさんもそれなりに緊張していたのだと思う。

 

 だからだろう。

 

「……」

 

 喜多さんの発言が極端に少なくなっていたことに、誰も気づけなかった。

 

 

 

『結束バンドでーす! 今日はみんなも知ってる曲を幾つかやるので、聴いていってください!』

 

 虹夏ちゃんのドラムを合図にギターをかき鳴らす。よ、よし。少なくとも虹夏ちゃんのドラムに視線を固定している限りは横目にお客さんの顔が入ることもないし、これならいける! 

 

「〜♪」

 

 今のところ遅れはなし。今日はかなり調子がいい。いつもの練習だとこの辺から少し遅れ始めるんだけど、初ライブを失敗させたくないという気持ちが集中を生み出してるのかも…

 

 精神的に余裕ができ、少し視線を上げる。皆、演奏中はどんな顔してるんだろう。

 笑顔を期待していた私の視界に入ってきたのはしかし、難しい表情を浮かべた虹夏ちゃんの顔だった。

 

(え…な、何で?)

 

 改めてドラムと自分のギターを見比べるが、遅れもズレもない。いや、ドラムに所々ミスがあるからそのせい? でもリズム自体は大丈夫だし…

 お客さんの顔が視界に入らないように慎重に視線をずらしてリョウさんのベースもチラ見するが、リョウさんは完全にいつも通りで調子が狂った様子はない。

 なら何で、いやまさか…

 

(喜多さん──?)

 

 お客さんの目が視界に入るのも気にならず、喜多さんのいる中央を見る。

 

 そこには、顔を青ざめさせている喜多さんの姿があった。

 

 手元を見ると、明らかに虹夏ちゃんのドラムとズレている。虹夏ちゃんとズレているということはリョウさんや私ともズレているということ。特に今回喜多さんが担当しているパートは主旋律であるリードギターだ、そのズレは致命的になってしまう。

 

(練習ではできてたのに…もしかして、喜多さんも緊張して…?)

 

 これは後から考えたことだが、喜多さんが緊張するのも当然のことだ。何せ喜多さんがギターを始めたのはたったの1ヶ月前で、人前での演奏は今日が初めて。そして、知り合いがいない私とは違って、喜多さんには喜多さんを見に来たお客さんがいる。

 そんな中、無様な演奏をするわけにはいかないというプレッシャーが喜多さんにはあったはずだ。

 

 しかし、このときの私にはそんな事情を考える余裕はなかった。ただでさえ自分が虹夏ちゃんのドラムに合わせるのが精一杯なのに、他人の背景まで思考は及ばない。

 

 ただ、背景にまで考えが行かなくとも、どうにかしてこの場を乗り切りたいとは思った。

 

 だって結束バンドでの、初めてのライブ。

 こんなに優しい人たちが集まったバンドなんてもう二度と組めない。

 失敗して、終わらせたくない!

 

 広がった視野の中で、リョウさんが喜多さんにアイコンタクトを送っていることに気づく。

 落ち着いてベースに合わせて欲しいと合図してるんだ。

 でも、喜多さんは演奏に一杯一杯でリョウさんのアイコンタクトに気付いてない!

 

(喜多さん…涙が)

 

 このままじゃズレる一方だ。何とかして喜多さんを助けられないかな。

 どうしよう、何か無いかな、何かできないか…喜多さん…

 

 

[わぁ、すごーい!]

[お願い、私にギター教えてください!]

[私と同じバンドに入らない?!]

 

 

[そんなの、後藤さんが友達だからに決まってるじゃない!]

 

「っ!」

 

 ……いや、違う! 

 

 

 何か無いか、できないかって。私には元々これ(ギター)しかないじゃないか!

 なら方法なんて一つしかない! 

 

 ボリュームペダルを踏み込む。

 私には聞こえないけど、これで私のギターの音が不自然に大きくなったはずだ。

 多分お客さんからは変に思われただろう、なんせ主旋律でもないリズムギターが出しゃばってるんだから。

 でも、烏龍茶の段ボールのおかげでこっちからその様子は殆ど見えないし、もし野次が飛んでても私には聞こえないから関係ない! 

 

 喜多さん、大丈夫だよ。自信を持って! だって喜多さんはあんなに練習頑張ってきたんだから。

 私に合わせて、練習のときみたいに…

 虹夏ちゃんも言ってた、音には感情が出るんだって。下手でもミスしてもいい、だから今は楽しもう?

 気づいて、喜多さん────!! 

 

 ────────────────

 

(手が、震える…)

 

 結束バンドとしての初ライブ。

 憧れのリョウ先輩と一緒にライブをすることになって、浮かれすぎていたのかもしれない。

 

 調子に乗って友達を呼んだ。

 強気な言葉も吐いた。

 後藤さんに、自分の練習をしていいなんて強がりも言った。

 

 それは、今回のライブのギターを弾き切る自信があったから。人と関わることが好きな私なら、人前で演奏することも大丈夫だと思ったから。

 

 でも結局、この様だった。

 

(指が重い)

 

 練習ではできたことができない。

 簡単だと思っていたところでミスが出る。遂にはリズム隊と完全にズレてしまっている。

 

(どうしよう…このままじゃ…)

 

 焦っても事態は変わらない。私の音が遅れたことで、結束バンドの初ライブは大失敗で終わるんだ。

 

 頭が真っ白になる。

 次に弾くべき音が思い出せなくなる。

 

(あ、指止まった)

 

 涙でボヤけた視界に映った手。自分のことなのに、他人事のように思えてしまう。

 

(終わりだ…)

 

 そう思って半歩後ずさった。

 

 そのときだった。

 

 

 〜〜〜〜〜〜〜!!!! 

 

 

「えっ…!」

 

 大音量のギターが鳴り響く。

 あまり音の大きさに目の前のお客さんたちが顔を顰めている。

 しかし、その音のおかげで私のギターが一瞬止まったことには誰も気づいていないようだった。

 私もその音で正気に戻り、飛んでいたスコアを思い出す。

 

(後藤さん)

 

 後藤さんの方を見るが、後藤さんはこちらを一瞥することもない。

 徐々に音量は元に戻った…と思いきや、少し大きいままだ。でもこれは…

 

(もしかしなくても、合わせろってことよね)

 

 私は後藤さんと2人きりで弾いた時間がかなり長いから、リズム隊よりも後藤さんに合わせる方が容易だ。

 後藤さんも私の音がズレてることに気づいて、合わせさせるためにこんなことをしたんだろう。

 

 しかし、その代償は大きい。

 

あの段ボールのギター、へったくそだな…

喜多ちゃんの演奏聞こえなくなったじゃん

なにやってんだ?

 

「っ…!!」

 

 小声だが野次が飛ぶ。ステージの上は、思っているよりも周囲の声が届く。

 私に聞こえているということは、私の隣にいる後藤さんにも当然聞こえているはずだ。

 それでも、後藤さんのギターは乱れない。いつも通り、いやいつも以上に安定してリズム隊と合っているように思う。

 

(後藤さん…ごめんなさい、ありがとう)

 

 リズム隊に合わせたギターの旋律は、後藤さんが一人で弾いている時よりは、確かに下手だ。

 でも、みんなで演奏している今の方がずっと楽しそうだった。

 

(そっか。下手でもいい、楽しむことが大事って、こういうことなんだ…)

 

 そのまま曲は終盤へと向かい、終わりのタイミングを合わせるために伊地知先輩のほうに体を向け、旋律を止めた。

 

 それなりの拍手が起こる。

 

 そして、それなりの批判の呟きが聞こえる。

 

「…っ、ありがとうございました! 続いて2曲目──」

 

 

 

 そこからは特に大きなミスは無くライブは終わった。

 結果だけ見れば、成功とまでは行かなくとも、なんとかライブとしての体をなしていたと思う。

 

「ミスりまくった〜」

 

「MC、滑ってたね」

 

「ふふ」

 

 伊地知先輩もリョウ先輩も、初ライブが終わったことで緊張が抜けたのか笑顔だ。

 …あんなに野次が飛んでいたというのに、後藤さんも表情を変えていない。

 

「っ、後藤さん!」

 

お゛ぉ゛ア゛ッ…な、何でしょうか…」

 

 後藤さんの眼前に飛び出すと、後藤さんは大きくのけぞった。確かに、野次の原因となった私が急に近づいたら不快かもしれない。でもこれだけは言いたかった。

 

「後藤さん、ごめんなさい、そして本当にありがとう…! 私、動揺して指が動かなくて…」

 

「おお〜そうそう、ぼっちちゃん、ナイスフォローだったよ!」

 

「ぼっち、よくやった」

 

 先輩達も口々に後藤さんを褒める。

 普通に考えたらボリュームペダルの踏み間違いだが、あの状況なら後藤さんがフォローのためにわざと音量を大きくしたのは明らかだ。先輩たちもそれを分かっていたんだろう。

 

いや、そ、そんな…わ、私こそかか勝手なことして、すすすみませんでした…!

 

「いやいや、ぼっちちゃんがやってくれなかったら今頃あたしたちボロボロだったって!」

 

「褒めて遣わす」

 

「そうよ! あんな、野次まで飛んでたのに冷静に最後までギター弾いて…」

 

 本当に尊敬する。

 私なんてお客さんの前に立っただけで震えて指が重くなってしまったんだ、野次なんて入れられたら動けなくなってしまっただろう。

 

「や、野次なんて飛んでたんですね。き、聞こえませんでした」

 

「もうっ、またそんなこと言って!」

 

「あはは、ドラムのあたしのところまで聞こえてきたんだから、前に立ってたぼっちちゃんが聞こえてないはずないだろうに…優しいねえぼっちちゃんは」

 

「……」

 

あああ、や、やや野次飛んでましたねそそそういえば!も、ももももちろん聞こえてましたよ?!

 

「やっぱり聞こえてたのね、ごめんなさい私のせいで…」

 

ああいやそんな頭上げて…!!

 

 震える言葉と同じように後藤さんの体を構成する線が物理的に震え始める。原型がなくなり始めた。

 その様子に思わず笑いが出てしまう。

 

「ちょちょ、ぼっちちゃん体が崩壊してない?!」

 

「後藤さんはいつもこんな感じですよ!」

 

「あ、そうなんだ…」

 

 後藤さん初心者である伊地知先輩はダイラタンシー流体と化した後藤さんに驚いているようだが、彼女の変化は良くあることなので慣れてもらうしかない。

 

 打ち上げの話もあったが、私も後藤さんも疲労していたためまた後日となり、今日は解散となった。

 

 …今日はたくさん後藤さんに助けられてしまった。いや、今日だけじゃない。今までもだ。

 いつか、後藤さんを助けられる側になれたらな…

 そんなことを思いながら、私も帰路に着いた。

 

 

 

「……」

 

 やけに真剣な目で後藤さんを見つめるリョウ先輩にも、その視線の意味にも、私は気づけなかったのだった。

 

 それを知るのは、もう少し先のことだ。

 

 

 




なんか耳が聞こえない設定というより、喜多ちゃんとぼっちちゃんの加入順が逆だったらのifみたいになってきてるな…
ま、まぁ次くらいから難聴設定も生きてくるって(未来に丸投げ)

次回のお話は〜?
・山田の言い訳が実は全部本当だったら
・ぼっち・ざ・ろっく・ぜろ!〜廣井きくり編〜
・タイムリープから抜け出せない喜多ちゃんを救うguitarhero
の三本でお届けします(大嘘)

誰か書いて


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耳塞いでも重大な問題は消えず

生wきwてwまwーすw

ではなく、投稿が遅れました。まぁ元々遅筆だけど。
遅い時は忙しいか内容を充実させようと試行錯誤してるかどっちかなんで多めに見てくだされ…

あと新しい試みでぼっちちゃんの聞こえてない所にぼかしを入れています。


 

 

 

『はい、というわけで第一回結束バンドメンバーミーティングを開催します。拍手!』

 

 虹夏ちゃんの声掛けに、私と喜多さんが拍手で返す。リョウさんはいつも通り特に何も反応を返さない。我が道を行くなぁ…

 

 無事(?)初ライブを終えた私たちだったが、今後のバンドの方針などを何も決めていないということで話し合いをすることになった。

 

『ぼっちちゃんが加入してからライブまでずっと練習してたからねー。交流も兼ねて今後の活動方針を定めてしまおうと! …でもまだ全然仲深まってないから何話せばいいかわかんないや』

 

(身も蓋もない…)

 

『そんな時のためにこんなものを』

 

『さっすがリョウ先輩!』

 

 すかさずリョウさんが取り出したのは、お昼の番組でよく見るようなサイコロ。…なんかバンジージャンプって書いてあるの見えるけど大丈夫かな…

 サイコロを受け取った虹夏ちゃんが転がし、最初に出た目は。

 

『学校の話、略してガコバナ〜

 

『はいどうぞっ』

 

「えっ」

 

 が、学校の話?! し、しかも私にいきなり振られた?! 

 そんなこといきなり言われても、学校じゃ喜多さんにギター教えてる以外は基本一人な私に話題提供なんて…他の人の話を盗み聞きしようにも聞こえないから分からないし…あ、そうだ。

 

「そ、そういえばお二人とも同じ学校…」

 

『そ、下高〜』

 

『二人とも家が近いから選んだ』

 

『私も下北沢高校なら家はそんなに遠くないですし、リョウ先輩が下高だって知ってたなら頑張ってそっちを受験したのに…』

 

「あ、皆さん下北沢周辺にお住まいで…」

 

 下北沢にみんな物怖じしないのは生まれた街だからなのかな…私も下北沢出身だったら今頃おしゃれな女子高生だったんだろうか。

 

【見て、あの子! めっちゃお洒落じゃない?】

【背中にギター背負ってるし、ギターも上手いんだろうな〜かっこいい!!】

ちょっと、そこのお嬢さん方。私のギター、聞いてかない?

 ぎゅいいぃぃいいん!!! 

【【きゃー素敵ー!! 後藤様ー!!】】

 

 なんて展開もあったかも。う、うへ、うへへへ

 

『後藤さん』

 

はっ!?」

 

『帰ってきたねー』

 

 ま、また話を聞いてなかった。隣に座ってる喜多さんが肩を叩いてくれなかったらあと5分は帰ってこなかったかもしれない…

 

「す、すみません!!」

 

『いいよーだんだん慣れてきたから。で、ぼっちちゃんは喜多ちゃんと同じ秀華高だよね? 家ここら辺じゃないの?』

 

「あ、いえ、県外で家から片道二時間です…」

 

『二時間』

 

『え、なんで?!』

 

高校は誰も中学の私を知らないところに行きたくて…

 

『こ、この話はもうやめにしましょう?!』

 

『そ、そうだね! ガコバナ終ー了ー!』

 

 とにかくできるだけ遠くの学校に行きたかった。私の中学時代のあの件(・・・)を知る人がいないところに。

 万が一あの件について知っている人と同じところに進学してしまったら、私が難聴であることがバレ、そしてバンドなんて絶対に組めなくなってしまっただろうから。

 本当はもっと遠くの高校に行きたかったんだけど、親に家から通える距離にしなさいと言われ、選んだのが秀華高だった。

 秀華高は学力的にはギリギリだったけど、猛勉強して何とか滑り込めた。そのおかげなのか、秀華高に中学の同級生は一人もいなかった。

 

『つ、次は好きな音楽の話〜略して?』

 

オトバナ〜

 

『オトバナ〜!!』

 

 再びサイコロが振られ、音楽の話になる。どんな音楽が好きか、か…

 虹夏ちゃんはメロコア(メロディック・ハードコア)とかが好きらしい。虹夏ちゃんはドラマーなのに、ギターメロディに重きを置くメロコアが好きとはちょっと意外かも。

 

『私はドラマーだけど、おねーちゃんがギターやってたからギターの音が好きなんだー! 最近だと、みんなも知ってるかもだけど、動画投稿サイトの【guitarhero】さんとかよく見る! あたしファンでさー、新着通知もONにしてるんだ』

 

(【guitarhero】…私?!

 

『え、それって…』

 

『私もおすすめに出てくるから見たことあるけど、凄い上手かった』

 

『でしょー! ぼっちちゃんも喜多ちゃんも聞いたことなかったら、後でURL送るから聞いてみてよ、もう最高だから!!』

 

『…後藤さん、顔…』

 

 ウェヘヘへへ…

 そ、そっかー…ファン、私の、ファン!に、虹夏ちゃんは私のファンなのか〜。さ、サインとか求められたらどうしよう。ま、まだ決まってないんだよねサイン! 

 …い、いや待て後藤ひとり。今のところ虹夏ちゃんの前では無様な演奏しか出来てないし、言っても信じてもらえないんじゃないか。信じてもらったとしても、それこそ幻滅されてしまう…こんなコミュ障陰キャが憧れの人なんて知ったら、いくら天使の虹夏ちゃんでも激怒して魔王になってしまうかも…?!

 

 …正体を明かすのは、コミュ障を治してからにしよう、うん。特に、ファンだと言ってくれた虹夏ちゃんには絶対にバレないように…

 

『私はテクノ歌謡とか、最近はサウジアラビアのヒットチャートを『そこ嘘つかないー』…ほんとだもん』

 

『私はブギウギとか結構好きです!』

 

 な、なんかみんな結構意外というか…いやロックバンドらしくはあるの、かな? 

 

『ぼっちちゃんは?』

 

「あっ、…青春コンプレックスを刺激しない曲なら…何でも…

 

『ん? 青春コンプレックス?』

 

『あっ青春コンプレックスっていうのは…』

 

 う゛っ…陽キャで青春の塊みたいな喜多さんに改めて説明されるとダメージが半端じゃない…メンタル死にそう。

 

『禁句があるってそういうことねー。…あ、いいこと思いついた!』

 

 好きなバンドが学生時代から人気者だったなんて知ったら急に遠い存在に思えてくる…いやそもそもロックは負け犬が歌うから心に響くのであって成功者が歌ったらそれはもうロックとは

 肩を揺すられる。

 

はっ?!

 

『後藤さん大丈夫?』

 

『ぼっちちゃん聞いてなかったでしょ』

 

すすすすみません!!な、なんでしょうか?!」

 

『要約すると、バンドは売れるまでライブの度に毎回お金かかるからみんなでバイトするって話』

 

 リョウさんが短くまとめてくれた。…って

 

バイト?!

 

『おおう今日一声出たね』

 

『大丈夫よ後藤さん! 皆でここSTARRYでバイトするんですって! 私も一緒よ!』

 

 絶対嫌だ…! 働きたくない怖い、社会が怖い! 

 私耳聞こえないから仕事にも支障出るだろうし、それに喜多さんと一緒にバイトなんてしたら…

 

あ、あああああのあのええとその

いらっしゃいませ! 本日はどのバンドを見に来られましたか? 良ければフライヤーもどうぞ!

あの新人使えるな。それに比べてあのコミュ障は…おい、こっちこい!

ななななんでしょうか?!?!

お前を[お客様に不快感を与えたで賞]で警察に突き出す!!

ひいいいいいいいい

 

(こうなるに決まってる〜!!)

 

『おーいぼっちちゃーん』

 

『後藤さん!』

 

「はっ…む、むむ無理ですバイトなんて…」

 

 そ、そうだ、お母さんから預かってる病院への通院費を使えば…いやだめだ、月に一回くらいしか行かないから足りないし、そもそもこれ以上病状を悪化させられないしお金の出どころを聞かれたら難聴がバレる…詰んだ…

 

『ぼっち、私もできるだけフォローする』

 

『リョウがそんなこと言うなんて珍しいね? でもそうだよ、私たちが一緒だから大丈夫だって!』

 

『後藤さん、一緒にがんばりましょう!!』

 

 キターン!! 

 

う゛う゛頑張りましゅ…

 

 バンドメンバー全員からの善意の圧力…こ、断れない…

 こうして私がバイトをすることは確定してしまったのだった。

 

『バイトは来週からね! あ、この後時間あるなら皆で遊びに行かない? ぼっちちゃんも加入してメンバーが揃ったってことで、歓迎会も兼ねて!』

 

『いいですねそれ! カラオケとかどうですか?』

 

「え」

 

 どうしよう、歓迎会とかされたことないし行ってみたい気持ちはあるけど、今日は色々ありすぎて正直帰りたい…

 それにカラオケなんて行っても私歌上手くないと思うし、そもそも何も聞こえないから自分の歌声の音程が取れているかどうかすら分からないし、人前で歌うの怖いし…

 

『か、カラオケかぁ…あたし歌下手なんだよね。いやでも、ボーカルの喜多ちゃんの実力を見るにはいい機会かも?』

 

『行きましょうよ! ね、リョウ先輩も!』

 

『眠いしパス。…ぼっちも、今日は疲れたんじゃない?』

 

 り、リョウさん…! ナイスフォロー! よ、よし、この流れに乗って私も参加しない方向で…

 

『後藤さんは来るわよね?!』

 

 キタキターン!!! 

 

「うっ」

 

『あたし、ぼっちちゃんともっと仲良くなりたいな〜?』

 

「ううっ!」

 

 光の波状攻撃?! これは…断れない…

 

分かりました…

 

 下北沢に生まれてたら、コミュ障にもならなかったんだろうか…ああ、NOと言えない日本人とは私のことです…

 で、でも仲良くしたいとは私も思ってるし、自分から誘うなんてできないからいい機会ではある、かも?

 

『…やっぱり私も行く』

 

『ホントですか? やったー!!』

 

『郁代がボーカルにしても、コーラスやるの私だし。一度合わせておくのも悪くない』

 

 結局全員で行くことになってしまったけど、人数が多い方が私に歌う順番が回ってこなくていいかも…

 

 

 

 そんな私の心配は無用なものとなった。

 カラオケでは虹夏ちゃんが実力を見たいと言ったように喜多さんが主に歌うことになったからだ。

 それに、たまに私に順番が回ってきそうになったときにはリョウさんが割り込んで歌ってくれた。

 

(リョウさん…変な人かと思ってたけど、もしかして凄く気遣いできる人なのかも…)

 

〜♪

 

『リョウ…誰も知らない曲流して場を盛り下げるのやめて』

 

(やっぱり気のせいかも…)

 

『さっすがリョウ先輩! そんなところも素敵! 歌もとっても上手〜』

 

『それは同意だけど…』

 

(そうなんだ。みんなの歌声もいつか聞いてみたいな…)

 

『あ、各員の役割なんだけど、リョウは作曲として、ぼっちちゃんに作詞やってもらおうと思ってるんだ。いいかな?』

 

「…はぁ………私?!

 

『歌詞に禁句が多いなら、ぼっちちゃんが書けば大丈夫でしょ? さっきのミーティング中に思いついたんだけど、いやー我ながら名案だと思ったよ。よし、任せたぞ作詞大臣!』

 

(小中9年間休み時間を図書室で過ごし続けたのはこのための布石…?)

 

『あ、それなら私宣伝係やります! よくイソスタに写真あげてますし!』

 

『じゃー喜多ちゃんはSNS大臣に任命します!』

 

『虹夏は何するの?』

 

『…あ、次あたしが入れた曲だー』

 

『流された』

 

 耳が聞こえないのにカラオケなんて、って思ってたけど、なんだかんだ楽しめたと思う。

 ただ、一度だけ歌ったときは皆の顔がものすごく微妙なものになっていたのでやっぱりもう二度とカラオケには行かないと決めた。

 

 

 

 

 そうしてやってきたバイト初日。

 …ついに来てしまった。先週のミーティングから昨日までずっと現実逃避し続けていたけど、時間の流れを止めることはできない。

 現実逃避のために動画編集したり歌詞考えたりしてたせいで、今週はもう2本も動画上げたし、歌詞も一応いくつか出来た。

 しかしなんの解決にもなっていない。逃避したところでバイトがなくなる訳ではないのだ。

 

 今日はいつも一緒に来る喜多さんがいない。用事があるそうで、少し遅れてくるらしい。…あれ、もしかして私STARRYに一人で入るの初めて…? 

 どうしよう、私みたいな芋娘が入ったら「なんだコイツ?」的な目で見られるだろうし、誰かと一緒に入りたい…誰か来ないかな。

 

 そう思うも誰も来ずにはや5分経過した。ど、どうしようあと10分くらい待っちゃダメかな…い、いやそんなに待ってたらバイトに遅刻してしまう…!

 や、やるしかない、私が自分で、あああ開けるしかないんだ…

 

 扉に手を掛ける。あとはこの扉を開けるだけ…! 

 ぼっち頑張れぼっち頑張れぼっち頑張れぼっち頑張れぼっち頑張れぼっち頑張れぼっ

 

 ガシ

 

ヒィぃぃぃぃ

 

『何度呼びかけても反応しないからだろ…チケットの販売は5時からですよ。まだ準備中なんで』

 

 す、スタッフさん?! ヤバい、周り見てなくて反応できなかった…あ、怪しまれてるよね? こ、っここはどどどうにか誤解を解いて…

 

お、おおおお落ち着いてっててて

 

『お前が落ち着け』

 

 

 

 

『新しいバイトの子か。なら最初からそう言いなよ。アタシ、ここの店長だからよろしく』

 

よ、よろしくお願いしますぅ…

 

 なんとか怪しまれずに? 中に入ることができた。というか店長さんだったんだ…ちょっと雰囲気が怖いな、苦手なタイプかも…

 

『ていうか、この前段ボールに入ってライブしたギターの子じゃん。名前は確か…【ウーロン・マスク】?』

 

「! うううう【ウーロンマスク】です!」

 

 新しいあだ名…店長さん好き! 

 …あれ? そういえば店長さんの匂い、虹夏ちゃんと一緒? 見た目もちょっと似てるしもしかして…

 

「あ、あの。もしかして店長さんて虹夏ちゃんのお姉さまですか?」

 

『様って。そうだよ。アタシ、伊地知星歌。虹夏から聞いてた?』

 

「あ、お姉さんがいることは…あ、あとは、虹夏ちゃんと似てたので…匂いも…」

 

『…ふーん。まぁ、ここでは店長って呼んで。困ったことがあったら言いな。ただ、仕事に関しての細かいことは虹夏から聞いてね、ちょうど来たみたいだし』

 

 店長さんの言葉に後ろを振り向くと、確かに虹夏ちゃんとリョウさんが扉を開けたところだった。で、できればもう少し早く来てほしかった…

 

『あれ、ぼっちちゃんもうおねーちゃんと仲良くなったの?』

 

『ぼっちちゃん? ウーロンマスクじゃなかったか』

 

『そんなあだ名じゃないでしょ。おねーちゃんも適当なこと言わないで』

 

『ここでは店長と呼べ、仕事に私情を挟むな』

 

 続く話を見るに、どうやら虹夏ちゃんは私に既に説明していたらしい。STARRYに初めて来るときに。あの時は虹夏ちゃんが先導してたからあんまり話が見えてなかったんだよね…

 

『とりあえず、早速仕事しよっか! まずは掃除から…あれ?』

 

『すみませーん、遅れました!』

 

『おー喜多ちゃん! 思ったより早かったね、これからぼっちちゃんに教えるところだったしちょうどいいや。一緒に教えるからすぐ準備して!』

 

『はーい!』

 

 虹夏ちゃんの目線の先に喜多さんがいた。遅れて来るという話だったけど、どうやら用事が早く終わったみたい。

 喜多さんもバイトは初めてだって言ってたし、一緒に頑張ろう…! 

 

 まず掃除からか、でも掃除道具の場所わからないな…

 

『虹夏ーメモする時間ぐらい待ってやりなー。ぼっちちゃーん、掃除道具そこだから』

 

「あ、はいっ」

 

『えーなにー?遠くて聞こえないー!』

 

『だからメモする時間くらい取れよって』

 

 様子を察したのか店長さんが場所を教えてくれた。道具一式を持ってくると、リョウさんが同じようにモップを持ってやってくる。

 

『ぼっち、まず机を片付けて掃き掃除。郁代は準備できたら道具持ってきて』

 

「は、はいっ!」

 

『わかりました!』

 

 よ、よーし、どんどん覚えて目指せ即戦力…!

 

 

 

 しかし厳しい現実が私を襲う! 

 

『ふんふーん♪』

 

『喜多ちゃん要領いいねー。受付も覚えちゃう?』

 

『やります! 私人と関わるの大好きなんですよ!』

 

『ぼっち、大丈夫?』

 

あ、あは、あははは…

 

 ドリンクを覚えるのも一苦労の私に対し、喜多さんは次々と新しいことを覚え、任されていく…

 頑張ってメモしたドリンクの位置も、喜多さんは聞いただけで把握してしまったようだ。私の存在意義って…? 

 

「聞いてください、【同じ日に仕事を始めた同期の半分以下の仕事しかできないダメバイトのエレジー】…」

 

『ちょおおどっから出した?!』

 

 あははは、もうだめだ…おしまいだ…

 

 

 

 

 

『ぼっちちゃん、見て見て?』

 

あ、はい…

 

『大丈夫、ライブ始まったら暇になるから!』

 

 接客が始まってからしばらく。虹夏ちゃんの示す先にはステージの上のバンドと集まったお客さんの姿があった。

 結局、ここまで一度もまともな仕事なんてできてない。ドリンクを出すことはできるけど、注文を受けるときは口元を注視してるから目を見れないし、そうでなくとも怖くて目を見ることなんてできない。

 

『お疲れ』

 

『お疲れ様です!』

 

 リョウさんと喜多さんが合流する。喜多さんとリョウさんは二人で受付をやっていたけど、どうやら問題はなかったみたいだ。…虹夏ちゃんに任せきりだった私とは大違いだ。

 

『お疲れー。あれ、受付は?』

 

『店長さんが代わってくれました! 今日のバンドはどれも人気があるし、勉強になるから見たほうがいいって!』

 

『郁代が有能だったからサボる余裕までできてしまった…』

 

『おねーちゃんに言っとくから』

 

 リョウさんがサボれるくらいには、喜多さんは活躍していたらしい。喜多さんはいつでも明るいしかわいいし、きっと来た人が笑顔になるような接客ができていたに違いない。同じ立場のはずなのに…私、使えないな…

 

「す、すみません、戦力にならないどころか、お客さんと目も合わせられなくて…」

 

『これ使う? 烏龍茶じゃないけど』

 

『使わない使わない』

 

『だ、大丈夫よ後藤さん! 私たち、まだバイト初日なんだし、これから慣れていくわよ!』

 

 そうなのかな…でも、即戦力になっている喜多さんに言われても説得力が…

 だめだ、少しでも前に進まないと。一対一の接客でこの調子じゃ、沢山のお客さんの前でライブなんて成功するはずもない。

 

『オレンジジュースで』

 

「は、はいっ!」

 

 ライブが始まったとはいえ、お客さんの注文が0になる訳じゃない。

 喜多さんを見習い、目を見て笑顔で接客することを意識する。少なくとも、このままの私じゃいつまで経っても成長なんてできない。

 うう…でも目を見て話すのは…おっかなびっくりになって下から見上げるようになってしまう。

 

 頑張れ私。

 

 お客さんの目を見て…

 

 笑顔で、接客! 

 

「ど、どうぞ…」

 

『! あ、ありがとう!』

 

 なんかお客さんの顔が赤かったような…気のせいか。

 そ、それよりへ、変な接客になってなかったかな…? で、でもこれで私も千歩くらい成長できて

 

『カシオレ1つ』

 

『はい! 少々お待ちください!』

 

 できて…

 

『お待たせしました! 今日はどのバンドを観に来られましたか? アレキサンディズム、いいですよね! 私も好きなんです〜!』

 

 できて、ない…

 

 私、いつになったら成長できるのかな…

 

『…』

 

 

 

 

 

『お疲れ、今日は帰っていいよ。気をつけてね』

 

「あ、お疲れ様です…」

 

『お疲れ様です!』

 

 店長さん達に挨拶し、帰路に着く。その前に、肩を叩かれて振り返る。

 なんだろう、あまりに使えなかったから次から来なくていいよとか…? 

 

『ぼっちちゃん』

 

「な、なんでしょうか…やっぱりクビですか…?」

 

『いや違うから。…成長速度は人それぞれだしさ。そんなに心配しなくていいよ』

 

「えっ…」

 

 店長さん、優しい…

 私みたいなミジンコ以下の使えないバイトにこんな優しい言葉を…

 

『そうそう! まだ初日だし、これから慣れていこう!』

 

『次は私もフォローする』

 

『明日も一緒に頑張ろう、後藤さん!』

 

 虹夏ちゃん、リョウさん、喜多さん…

 

「あ、ありがとう、ございます…!」

 

 やっぱり、結束バンドのみんなは優しい。フォローの言葉に胸が温かくなる。

 

「それじゃ、ま、また明日!」

 

 もっと頑張らないと。

 店長さんはああ言ってくれたけど、私の成長が遅いことに変わりはない訳だし、それなら人一倍努力するしかない。

 

 それに…気を使われすぎて、また(・・)私のせいで結束バンドが内部崩壊、なんてことになったら…

 

 ううん、ネガティブなことは考えないようにしよう。

 今日はただ、初めてのバイトを乗り切ったことを喜ぼう! 

 

 今度こそ私は、このバンドで成功するんだ。

 足手まといのままじゃ、終われない。

 

 

 

 

 

「リョウ、ちょっといい?」

 

「店長?」

 

「ぼっちちゃんについてなんだけど」

 

「…もしかして、店長も気づいた?」

 

「確信はないけどね。その感じだと、やっぱりお前も察してたか。お前なんだかんだ勘はいいしな」

 

「虹夏はまだ気付いてないよ。郁代も」

 

「まぁ…あの子らはそういうところあるから。ただ、あんだけ呼びかけてんのに気づかなかったり、逆に虹夏が聞こえてないのに同じ距離にいるぼっちちゃんと会話が成立したり…怪しさの塊だろ」

 

「…一回ちゃんと聞いたほうがいいかな」

 

「確かに、難しい話ではある。…ただ、いきなりリーダーの虹夏にバレるってのも相当な圧力になりそうなんだよね。ぼっちちゃんは隠してるみたいだし。一旦リョウを挟んでおくってのも悪くないんじゃない?」

 

「うん、そうだね。…近いうちに聞いてみる」

 

「そうしな。なんかあったらアタシもフォローするからさ」

 

「お願いします」

 

 

 




関係ないけど某笑顔動画のコメントってたまに天才がいるよね。

あ、この話は思いつきの突発ネタなのでそろそろ話が終わります。

あと二、三話だと思います。

そのあとはウマ娘に戻るか、ぼざろ熱が引いてなかったらもう一本短編書くかも。


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変われない僕も、少し明るくなれたら


先に予防線を。
今回の話、解釈違いが結構出るかもしれんです。特にリョウ。
「山田はクズ、それ以外認めない」って方はそっ閉じしてください。
「かっこいい山田がいても良いじゃん、二次創作なんだから」って思ってくれる方は、作者と同じ気持ちです。見てください。

ぼ喜多、ぼ虹はあっただろう?
ぼリョウもそうさ!必ず存在する!


 

 

 

ぼっちは、さ……耳が聞こえないんでしょ?

 

 その言葉を理解することを、脳が拒んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 数時間前のこと。

 

 昨日でバイトを始めて2週間が経った。まだまだ慣れないことも多くて、みんなに助けてもらってばかりだ。開店前の準備もまだ一人で出来ないし、ドリンクの位置もメモがないと不安が残る。

 

 昨日は店長さんから「今までで一番良かった」なんて言われたけど、フォローされることも多かったし、そもそも同じ新人の喜多さんの働きぶりを見てると自信がなくなる…私、本当に前に進めてるのかな。

 

 今日のバイトは休みで、朝からSTARRYのスタジオで練習のはずだった。空は曇って雨が降りそうだったけど、練習は屋内だから関係ない。

 …なんて思っていたら、虹夏ちゃんに急用ができてしまい、練習に参加できなくなってしまった。もちろん練習そのものが取りやめになった。

 

 解散になった時点で喜多さんは直ぐに別の予定が入り、リョウさんはいつの間にかいなくなっていた。コミュ障でバンドメンバー以外友達のいない私に新しい予定なんて入る訳もなく、一人ポツンと下北沢の街に取り残されしまった。

 

 なら一人気ままにこのお洒落タウンで買い物でも────なんて、出来たらコミュ障やってない…。薄暗い曇天のなか、気配を消した私は人目を忍ぶように移動し、周囲に廃屋が多い寂れた公園へと身を隠した。

 

「どうしようかな…」

 

 本格的にやることがない。このまま家に帰ってギターの練習をするのでも良いけど、それじゃいつもの休みの日とやってることが変わらないしなぁ。

 

 あれ、そういえば歌詞っていつまでに書き上げれば良いのかな? この前虹夏ちゃんに作詞大臣とやらに任命されて以降なにも連絡とかないけど、こういうのって完成してたら自分から見せに行ったほうがいいんだろうか…

 

 任命されてから今日までに歌詞はいくつか書き上げている。とは言っても、暗い歌詞ばかりになってしまったけど…陰キャコミュ障に陽気な歌詞なんて書ける訳ないんです…

 一応、これでも加減はした、と思う。あ、でも一番新しい奴は、バイトが出来ない私自身に対する鬱憤が詰まりまくってるから、改めて見たらめちゃくちゃ暗いな…

 

 や、やっぱり売れ線バンドの歌詞を参考にした明るいやつとかの方がいいかな。実際、歌うのは陽キャの喜多さんなんだし。いやでもそんな歌詞書いてたら、書き上がるよりも先に私のメンタルが死んでしまう可能性が高い…

 

 と、とりあえず今あるものを誰かに見せてしまおう。

 それで意見とかもらって、ダメだったら書き直せばいいかな? こんなでも私なりに真剣に書いたし、いきなり没にするのはちょっと…

 あ、でも気を使われて励まされでもしたらいたたまれなくなるしメンタルへのダメージもヤバい。そうなると…

 

 リョウさんに見せよう。リョウさん作曲担当だし、はっきり自分の意思言うし、ダメだったらダメって言ってくれそう。よ、よし、そうと決まれば連絡を…

 

 肩を叩かれる………?! 

 

ひぃぃぃぃいすみませんすみません怪しいものじゃありませんちょっと人目を避けたいだけで

 

 目を瞑って首をこれでもかと言うほど横に振るが、目の前の人の気配は消えない。

 …ん? でもこの匂いって…

 恐る恐る目を開けた。

 

ぼっち、私

 

「…あれ? リョウさん?」

 

『そう』

 

 開けた視界の中に、私の数少ない知り合いが映っていた。

 あぁ…こんなところで一人歌詞ノートを抱えてブツブツ独り言を呟いてたから警察が職質しに来たのかと思った…よかった知ってる人で…

 

「あ、でもなんでリョウさんはこんな寂れた区域に…」

 

『廃墟探索。趣味なんだ』

 

あっ、そっ、そうですか…

 

 そんな趣味あるんだ…ちょっとよく分からないけど。…いや、それを言うなら理由もなくこんなところに居る私の方がもしかして怪しい…? やめよう、このことについて考えるのは。

 で、でもちょうど良かった。これから連絡取ろうとしてたところだったし、このまま歌詞を見てもらおう。

 何事かを考えているリョウさんに声を掛ける。

 

「あ、リョウさん、い、今お時間ありますか…? か、歌詞作ったので、みみ見てもらいたいんですけ、ど…」

 

『…うん、いい機会かな。私もぼっちと話したいことあったし、ちょっとその辺で話そう。着いてきて』

 

「え…?」

 

 え、なになになに?! リョウさんが私に、話したいこと? 

 なんだろ、も、もしかして使えなすぎてバンドメンバー除名とか…?! い、嫌だ、せっかく仲良くなれてきたと思ったのに…

 

 私がその場で硬直していると、首をかしげたリョウさんが私の手を取って歩き出す。ま、待って心の準備が…あ、指先、硬いな。ベーシストの手だ。

 やばい、私手汗大丈夫かな…気になったら急に滲んできた気がする。い、一回手を拭わせてもらえません? 

 

 もちろんそんなことを言い出せるはずもなく。リョウさんに連れられるがまま、ボーッと歩いていく。

 ふと、斜め後ろからリョウさんの顔をチラ見するけど、美形だなぁと思う。喜多さんじゃなくても憧れる人は多そうだ。

 

 …というか、ひ、一言も話さない。口が動いてないから間違いない。いや口元が見えないと内容が分からない私にとっては好都合ではあるんだけど、それはそれとして物凄く気まずい…! 

 

 あ、顔に雨粒が…降ってきた? 

 

『…着いたよ』

 

 そう思ったと同時にリョウさんが立ち止まり、こちらに振り向いて言う。

 ここって…お、お洒落カフェ?! 一人じゃ絶対入れないところだ…で、でも今日はリョウさんと一緒だし、良い機会かも? こ、こういうところ入ってみたい、とは思ってたし! 

 降り出した雨から逃げるように二人で店内に入る。

 

『いらっしゃいませ』

 

『二人で。奥の方空いてます?』

 

『こちらへどうぞ』

 

 さ、流石に慣れてるなぁ。すごいスムーズだ…

 店の前の看板にオープンしたばかりと書いてあったけど、今はまだお昼にもならない時間帯だし、立地も駅から遠いのもあってか店内に人はあんまりいない。雨降ってきたから増えることもなさそう。

 店員さんの案内に着いて行き、奥の方のテーブル席に二人で座る。

 

 リョウさんはメニューを流し見すると、もう決まったのか直ぐに私に手渡してきた。

 

『ぼっちは何にする?』

 

「い、今見てみます」

 

 美味しそうなメニューを見たら小腹が空いてきたかも。で、でもメニューに乗ってる気になるスイーツは、名前がオシャレすぎて注文できる気がしない…

 もうコーヒーでいいかな、と思っていたらメニューがリョウさんに持っていかれた。

 

『すみません』

 

『はい!』

 

『本日のおすすめカレーと…このアプフェルシュトゥルーデルで。ぼっち、あとは?』

 

「えっ? あっ、こ、コーヒーで…」

 

『かしこまりました!』

 

 え…トゥクン

 リョウさんが私の見てたメニューを注文してくれた…! 

 メニュー表を店員さんに手渡すリョウさんがとてもかっこよく見える…あの名前を噛まずに注文できるなんて。

 というか、私の視線を見て頼みたいのを察してくれたのかな。や、やっぱりリョウさんって、良い人…? 

 

『あれで良かった?』

 

「あ、ありがとうございます!」

 

『なんでもいいけど、一口ちょうだい』

 

「あ、はい。も、勿論です」

 

 待つこと20分ほど。焼き立てのお菓子がコーヒーと一緒に運ばれてきた。お、美味しそう…! 

 リョウさんのカレーは先にきていて、既に半分ほど無くなっている。私はお皿に2つ乗せられたお菓子のうちの1つをナイフで切り分け、小皿に乗せてリョウさんへと差し出した。

 

 暫く美味しいスイーツを堪能し、食べ終わった後本題へと移る。

 

『で、ぼっちは私に何か用があったんだっけ』

 

「あ、そ、そうでした。歌詞が出来たので、一度見てもらおうと思って…」

 

 リョウさんに歌詞ノートを渡す。すると、リョウさんはポーチから音楽プレイヤーとイヤホンを取り出してテーブルの上に置いた。

 

『私もぼっちに用があるって言ったよね。曲作ってきたんだ。私が歌詞読んでる間にちょっと聞いておいて』

 

「え?! あ、は、はい…」

 

 え、ええええ?! きゅ、急展開に着いていけない?! 

 ま、まずい音楽プレイヤーなんて渡されてもどんな曲かなんて分からない…! 

 

「りょ、リョウさん、スコアとかあります…?」

 

『印刷してない』

 

 あ…詰んだ…

 こ、こうなったらもうそれとなく雰囲気を褒めるしか、ない?! 

 役に立たない耳にイヤホンをあて、再生をタップ。

 曲名は…『test4』。だめだ何も推測できない…

 

 3分程度の曲が再生し終わり、停止する。

 それとほぼ同時にリョウさんがこちらに問いかけてくる。

 

『どうだった?』

 

あ、あああのええとそうですねとっとても良かったとお思いますハイ

 

『どの辺が?』

 

そそそそうですねベースラインがとても…

 

『…そう。それは良かった』

 

 え、なんですかその間…なんか変なこと言っちゃったのかな…

 

 リョウさんは手元の歌詞ノートから目を逸らさないままだ。

 なんとか乗り切れた、かな…? 

 あ、そうだ。歌詞はどうだったかな。

 

「あ、りょ、リョウさん。歌詞はどうですか…?」

 

『…うん。感想を言う前に。ちょっと確認したいことがあるんだけど』

 

「あ、はい」

 

『それを先に話してもいい?』

 

「あ、どうぞ…」

 

 確認? なんかやらかしただろうか、私…ギター差し出したら許してもらえるかな…

 それとも、や、やっぱり除名勧告? いやでもそれだったら歌詞見るなんてことしないだろうし…敢えて私を絶望させるために? いや、い、いくらリョウさんでもそんなことはしないか。

 

 リョウさんの口元を注視して待つ。

 いやにゆっくり時間が流れる中、リョウさんがようやく口を開いた。

 

 

 

 

 

 

『ぼっちは、さ。

 

 

耳が聞こえないんでしょ?』

 

 

 

 

 

 

 リョウさんの一言に。

 まるで世界が停止してしまったかのような、そんな錯覚を覚えた。

 

 

 衝撃のあまり二の句が出てこない。

 固まる私をよそに、リョウさんは淡々と語り出した。

 

『実は前から気になってはいたんだ。ぼっちは声をかけられても気づかないことが多かったり、演奏のときにずっと虹夏のドラムを見てたり…でも、それだけじゃ確信はできなかった。偶然かもしれないし、それがぼっちの演奏スタイルなのかもしれないしね』

 

「…そ、そうですよ! そ、そんな、み、耳が聞こえないなんて、そんなことああある訳ないじゃ、ないじゃないですか? だ、だって、わわ私はこうして普通に話せてるんですよ?」

 

 言葉とは裏腹に、リョウさんの表情を見れば確信していることは分かる。そんなリョウさんを見て私の口から出たのは、自分でも弱々しいと感じる言い訳だった。

 

『うん。私もそれが一番疑問だった。…でも、聞こえなくても、ぼっちには見えてるんじゃないの?』

 

「…っ!」

 

『読唇術っていうのがあるって。私はその名前までは知らなかったんだけど、私と同じようにぼっちを疑ってた店長から聞いたんだ』

 

 ああ。

 もうそこまで調べられてしまっていたんだ。

 

『でも、これはこじつけって言われたら、そうだねって返すしかない。だから、私は確信を持つために、ちょっと嘘をついたんだ』

 

「…嘘、ですか?」

 

 断罪を待つ咎人のように、じっとリョウさんの言葉を待つ。

 

『ごめんね、ぼっち。その音楽プレイヤー』

 

 リョウさんがスッと私の手元を指さす。そして、トドメの言葉を放った。

 

 

 

『新曲なんて入ってないんだ。3分くらいの音のないファイルが入ってるだけ。だから、それを聞いてベースラインがどうとか、そんな感想が出る訳ないんだ』

 

 

 

 その言葉を見て、全身から力が抜けた。

 そっか、さっきの不自然な間はそういう…。確認だったんだ。

 やっぱり、難聴を隠すのなんて無理だった。少なくとも、私には難しすぎた。

 

 ああ、これで終わりか…せっかく、頑張ろうと思える場所を見つけたと思ったんだけどなぁ…

 このまま結束バンドにいられるなんて、所詮私の都合の良い妄想だったんだ。

 

「…そうです。リョウさんが思っている通りで、私、み、耳が聞こえないんです。ごめんなさい…今まで隠してて」

 

 もう誤魔化すのは無理だと悟ったからなのか、思ったよりスルスルと言葉が出てくる。同時に、涙も。騙してたのは私の方なのに、私が泣くのはおかしい。でもどうしても止まらなかった。

 

「やっぱり除名、ですよね…耳が聞こえないギタリストなんて。音を合わせるのも、意思疎通すら、簡単には成功しませんし…あ、そ、その前に、虹夏ちゃんに報告ですかね…」

 

『え、なんで?』

 

 

 

 

 

 

え?

 

『だから、なんで? 別に除名なんて思ってないけど。虹夏に言いもしないよ』

 

「…え?」

 

 

 

 

 え? 

 頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。同時に涙も引っ込んでしまった。

 

『今のところそんなに困ってなくない? ぼっちが耳が聞こえなくても。読唇術で会話はできてる訳だし』

 

「あ、え? じゃ、じゃあなんで私に耳が聞こえないかなんて聞いたんですか?」

 

『知りたかったからだけど』

 

ええ…

 

 この人は何を言っているんだろう。そう思った私は悪くないはずだ。

 え、じゃあ私はリョウさんの好奇心で無駄に秘密を暴かれたってこと? む、虚しい…

 

それに…知ってる人がいた方がぼっちも少し安心できるでしょ

 

「あ、な、なんですか?」

 

『ううん、なんでもない。あと、私は別に耳が聞こえないギタリストがいてもいいと思うよ』

 

「えっ?」

 

『だって、耳が聞こえないギタリストなんて、凄くロックじゃない?』

 

 リョウさんが僅かに口角をあげて言う。

 た、確かに言われてみればそう、かも? 

 耳の聞こえないロックスター後藤ひとり。彼女は音が聞こえず、なんの頼りのないまま、それでも音を弾く…か、かっこいい!! 

 いや、でも一人ならともかくバンドだとやっぱり欠点にしかならないような…

 

『ぼっち』

 

「あ、はい?」

 

『難聴もさ、一つの個性なんだって、私は思うんだ』

 

「個性…ですか?」

 

『うん』

 

 リョウさんが雨模様の窓の外を見る。その目はどこか遠くを見ているような、ガラスに映る自分を見ているような…そんな曖昧な目だった。

 

『バンドっていうのはさ。バラバラな個性が集まって、一つの色になって…そうやって出来ていくんだ』

 

「一つの、色に…」

 

『逆に、個性を捨てたら、死んでるのと同じだよ。…ぼっちには言ってなかったっけ。私、前は別のバンドに入ってたんだ』

 

 そうしてリョウさんから語られたのは、リョウさんの過去の話。入ってたバンドの歌詞が好きだったリョウさんは、売れようと歌詞を変えていったそのバンドと方向性が合わなくなり、脱退。その後、バンドも結局解散してしまったらしい。

 

 リョウさんが私の歌詞ノートを軽く掲げる。

 

『ぼっちの書いた歌詞さ』

 

「あ、はい」

 

『私は、ぼっちらしくて良いと思うよ。特に、私はこれとか好きかな。一番ぼっちらしさが出てると思う』

 

 リョウさんがノートを開いて指し示したのは、一番新しく書いた歌詞。

 いつまでも成長できない、どうしようもない私のことを書いた、暗くて情けない歌詞だ。

 そのタイトルは…

 

『【小さな海】、いいと思うよ。少なくとも、私にはこの歌詞は書けない。ぼっちだけの発想で、個性で。すごく良いと思う』

 

「あ…ありがとう、ございます」

 

 その言葉は、何故だかストンと私の心に入ってきた。

 

 良いのかな。

 聞こえなくても。

 コミュ障でも、陰キャでも。

 

 少なくとも、この歌詞を肯定してくれたリョウさんの前では。

 私は等身大の私でいて、良いのかもしれない。

 

「リョウさん」

 

『何?』

 

「あ、その。わ…私の話も、聞いてくれませんか?」

 

『自分語り始めたのは私だし、暇だし。いいよ』

 

「あ、ありがとうございます。ちょっと、長くなっちゃうんですけど…」

 

 そうして私は自分のことを全部話した。

 昔からコミュ障でプレッシャーに弱かったこと、突発的な難聴にずっと悩まされてきたこと、ギターを始めたきっかけ、そして────中学の、私が音を失ったあの件のことも。

 

 ──────────────────────────

 

 

 中学3年生の時の話だ。

 その頃の私は、まだ音が聞こえていた。緊張すると聞こえなくなることが多いけど、それでも日常生活に支障は殆どなかった。

 

 私は今と変わらずコミュ障陰キャで、教室の隅で静かにしている奴だった。

 私のクラスは、結構仲が良かったと思う。いじめもなく、私以外の仲間外れはいない。いや、私も最初は仲間だった。

 

 私は今とは違い、中学の時は難聴であることを隠していなかった。教師に公表されていたからだ。今だから思うけど、あれは必要な措置だったのだと思う。中学生なんて多感な時期に、難聴であることを隠していてそれがバレた時の方が事態がややこしくなるだろうし。

 

 クラスメイトはそんな私を受け入れてくれていた。積極的に話しかけるとかは無かったけど、無視するわけでもなく、クラスの一員として。ただ自然体だった。私も常に聴こえないわけではないし、変に気を使われすぎるのは嫌だから、居心地は悪く無かった。

 

 それが崩れたのは、新しいクラスになって数ヶ月経った後。体育祭でのことだ。

 

 元々体育祭は嫌いだった。運動できないし、強制参加させられるイベントだし。

 ただ、それまでの2年間とは違ったのは、クラスの仲がよかったこと。良すぎたことだった。

 

 クラスメイトたちはみんな運動ができた。私を抜けば、簡単に学年優勝できてしまうくらいには。

 

 私は足手纏いだった。

 

 それはこれまでも同じ。でも、クラス仲が良すぎたからか、私をどうにか活躍させようとクラスメイトは躍起になった。止めようにも、コミュ障の私にそんな勇気はなかった。

 

 適当に個人競技に出場させて捨て試合にしてくれれば良いのに。

 リレーも、応援団も、組体操も。緊張しないわけもなく、練習で私はずっと何も聴こえていない状態だった。元々運動ができないのに、そんな状態では余計上手くいくはずはなかった。

 

 クラスメイトたちは私をずっと励ましてくれた。私のせいじゃないと、きっと活躍できると。いっそ私に全部責任を押し付けてくれた方が楽だった。これまではそうだったから。

 

 そんな不健全な状態が長続きするわけもなくて、暫くしてクラスがピリピリし始めた。それでも私に責任はないと言うクラスメイトたち。

 

 そして体育祭の数日前、唐突に崩壊した。男子は怒鳴り、女子は泣き。仲が良かったはずのクラスメイトたちは責任を押し付け合い。

 

 でも、誰も私のせいにしない。

 

 気持ち悪かった。どう見ても足手纏いの私のせいなんだから、私のせいにして欲しかった。

 そのあまりにもおかしい光景を前に、私は吐き気を抑えられず、クラスメイトの目の前で嘔吐して気絶した。

 

 私はそのまま数日学校を休み、体育祭も休んだ。

 その休み明け、教師の話では私たちのクラスは優勝したとのことだった。

 でも、教室の扉を開けても、体育祭前の和気藹々としたクラスはもう居なかった。

 崩壊したものは、元の形には戻らなかった。

 

 

 

 

 

 そしてその日以来、私は音を失った。

 

 

 

 

 ──────────────────────────

 

 

 リョウさんは静かに、一言も話すことなくじっと聞いていた。

 

「あ…終わり、です」

 

『そう』

 

 リョウさんはそれだけ言うと、おもむろにこちらに手を伸ばした。

 

『頑張ったね、ぼっち』

 

「あ…」

 

 頭を撫でられる。いつぶりだろう、撫でられたのなんて。それに、家族以外にされたのは初めてだ。

 

 でも、嫌な気はしなかった。

 

 いつの間にか雨は止んでいた。

 

 

 

 

「そろそろ出よう」

 

「あ、はい」

 

 リョウさんが席を立つ。もう飲みものも食べるものもないし、何より結構長い時間居座ってしまった。

 

「あ」

 

「ど、どうかしました?」

 

「ごめん、足りない。ちょっと多く払ってくれない?」

 

「ええ…」

 

 なんでこう、良い話で終わらないんだろうか…

 

「本当にごめん。来月返します」

 

「あ、い、いつでも良いので…」

 

 リョウさんと並んで歩きながら話す。こちらに気を遣ってくれているのだろう、話すときはこっちを向いてくれる。…あれ? 

 

「虹夏たちには、まだ言わない方がいい?」

 

「え? あ、そ、そうですね。や、やっぱりまだ、ちょっと勇気が出ないというか…」

 

「うん、ぼっちのペースで良いと思うよ。私からは言わないでおく。あ、店長には言う」

 

「あ、は、はい。店長さんももう知ってるんですよね」

 

「確信してたから隠しても多分無駄だと思う」

 

「な、なら大丈夫? です」

 

「じゃあ、私はここで。歌詞、新しいのも作っといてね。私も今度はちゃんと曲作ってくるから」

 

「あ、はい、がんばります」

 

「がんばれ。…また明日ね」

 

「あ、ま、また明日!」

 

 リョウさんはそうして下北沢駅とは逆方向に歩いて行った。

 私もリョウさんに背を向け、駅の方に向かって歩き出す。

 

 

 

「…やっぱり聞こえない、よね?」

 

 相変わらず周囲は音のない世界。水溜まりを弾き飛ばすタイヤの走行音も、歩行者用信号機の音も、人の喧騒も、何も聞こえない。けど…

 

「リョウさん…あんな声だったんだ」

 

 何故か、気遣い上手なベーシストの声だけは、聞こえるようになっていた。

 

 

 




文字のぼかしに関してですが、透明文字にした方がいいですかね?
見づらいという意見があったので。見返したら確かにちょっと見づらいですね。

あ、前回後二、三話って言ったんですけど、予定ではあと3話で終わります。

それまでどうぞよろしく。


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誰かのギプスには、なりたくなくて

導入でふざけてたら投稿が遅くなってしまった。でも楽しかったので反省はしてません。

透明と滲み、どっちも試したんですけどどっちも微妙だったので、お試しで今回ぼっちちゃんが見えてないセリフは薄くしてます。

文句は受け付ける。


 

 

 

「に、虹夏ちゃん…な、何でわ、私なんですか?!」

 

 こちらに伸ばされた虹夏ちゃんの手を、震える手で払おうとする。

 しかし、それは成功することなく虹夏ちゃんのもう一方の手に捕まってしまった。

 

ひぇ…

 

『えー? だってさー…ぼっちちゃんのソレ(・・)、もっと欲しいなーって思って』

 

っそそそそんな…き、喜多さんだっているじゃないですか! 

 

 虹夏ちゃんが私の手に指を絡めて逃げられないようにする。あ、握力が強い…! これがドラマーとギタリストの筋力差…?! 

 残った手で喜多さんを指さすが、虹夏ちゃんは見向きもしない。

 

『喜多ちゃんには無いしねー。それに、喜多ちゃんはぼっちちゃんを助ける気なんてサラサラなさそうだよ?』

 

 咄嗟に喜多さんの方を向くと、喜多さんは眉尻を下げて困った風に見せながらも笑顔で私に手を振る。

 

『ごめんね、後藤さん。今回は助けてあげられないかな…それに、私と伊地知先輩は、どっちかというと同盟関係だから…』

 

「そ、そんな! き、喜多さんだって、虹夏ちゃんの暴挙を許したら、この後標的になるのは喜多さんじゃないんですか…?」

 

 私が悪あがきするが、喜多さんは揺るがなそうだ。うう、前後を挟まれてる…も、もう打つ手なし…? 

 

『伊地知先輩、私にも少し分けてくださいよ?』

 

『もっちろん。ぼっちちゃんたら、こーんなに実ったものを抱えちゃってさ…そりゃ、欲しくなるってもんだよ』

 

 虹夏ちゃんの視線が下がり、いやらしい目つきになる。

 

あ、あ…や、やめ…

 

『観念しなよーぼっちちゃーん…それで、私はさらに発展させちゃおうかな…?』

 

こ、これ以上…?! 

 

『さぁてこれでトドメ、かな?』

 

あぁ、あああ…だめ、ダメ…! 

 

 

 

 

 

はいっ! 発展!! そしてここに街道建設だーーー!!! 

 

ああああああああ!!! 

 

『これで後藤さんの進路が塞がれちゃいましたね』

 

『さっきのターンの独占でぼっちちゃんの小麦も貰ったし、しばらく発展の素材には困らないなー!!』

 

…もう勝ち筋が…

 

『伊地知せんぱーい、小麦分けて下さい! 鉄と交換で!』

 

『いーよー。最長街道も今の所あたしだし今回は貰ったかな〜』

 

『いえいえ、まだ最大騎士数は私ですし勝ち筋は残ってます!!』

 

 これで私は脱落…狙ってた最長街道も取られちゃったしな…

 

 何をしているかというと、カタンだ。今日はこの後リョウさんが作った曲を持ってくると言うので、それまでの暇つぶしに残った3人で遊んでいる。

 あ、でもせっかく作ってもらった曲だけど、私はその場では聞けないな…ま、まぁ後でデータ貰えばいいか…

 

『10! …あーあたし10だと何もないんだよねー』

 

『10だと…私は羊だけですね。後藤さんは?』

 

「あ、はい。10だと…羊と小麦ですね」

 

『じゃあ次は私で…11かー、私何もないんですよねー』

 

『あたしも何もないや』

 

「11だと…小麦と鉄ですね。…あれ?」

 

 今手元に…あ、あれ、もしかしてまだチャンスあ、ある? 

 

「じゃ、じゃあ私振りますね…じゅ、11です」

 

『えーぼっちちゃんだけ資源獲得してずるーい』

 

「え、ええと…まず手に入れた小麦2と鉄3で都市を作ります。そ、それで、残った小麦と羊と鉄で発展します…あ」

 

 引いた発展カードを見る。え、ええと今2、4、5、6…あ。

 

「あ、えっと…今引いたポイントカードと、伏せていたポイントカードで合わせて3点、都市2つと開拓地3つで10点なので…私の勝ち、です」

 

『『ええええええええええ!?! ?!? 』』

 

 か、勝てた? 5戦目にしてようやく…!! 

 

「や、やった!」

 

『ちょっとーダイスイカサマしてない? 11ばっかり出るじゃん! せっかくぼっちちゃんから小麦巻き上げたのに!!』

 

『抑えてた8が全然出ませんし!!』

 

「あ、ええと…」

 

 そ、そんなこと言われても…

 二人がこっちに詰め寄ってくる。ち、近い…! 

 

『『ぬ゛〜〜〜ん』』

 

ひ、ヒェ…

 

「曲作ってきたんだけど…何やってるの?」

 

 二人からなんとか遠ざかろうとしていると、後ろからリョウさんの声が聞こえる。

 

『あ、リョウ』

 

『リョウ先輩! お疲れ様です!!』

 

「お、お疲れ様です」

 

 先日リョウさんの声が聞こえるようになったのは偶然ではないようで、あれからずっとリョウさんの声は聞こえる。他の人の声とか自分の声も聞こえないのに、なんでリョウさんだけなのか。

 主治医の先生に聞いてみたところ、どうやらリョウさんもギターと同じで心の拠り所になったのではないかとのことだった。

 …後輩に多めにお金を出させるような先輩が心の拠り所というのは何だか釈然としないけど、でもきっと心では信頼しているのだと思う。

 

「とりあえず一曲だけ出来たけど、まだ構想があるから何個かできそう」

 

『凄いです先輩! 素敵!!』

 

『おお〜さすがリョウ! 曲名は【小さな海】か、早速聞いてみよう!』

 

 他のバンドメンバーの声も聞こえない。虹夏ちゃんや喜多さんのことを信頼してないわけじゃないんだけど…

 

 […ぼっち、LOINEでスコア送っておいたから見といて]

 

 リョウさんが口パクで伝えてきたので頷く。LOINEを見ると確かに今回の曲のスコアが個人トークに送られてきていた。

 

 リョウさんが空のゴミ箱の上に音楽プレイヤーを置く。どうやらゴミ箱をスピーカー替わりにするようだ。

 しばらくして曲の再生が終わる。私もその間に、全員分のスコアを見て、頭の中で合成して曲を作って流した。

 

『素敵ですね…穏やかで、なんというか綺麗なメロディーでした。それでいて段々盛り上がってくるから飽きも来ないし』

 

『あたしも凄い良い曲だったと思う…けど…』

 

「けど?」

 

『なんというか、結束バンドとして初めて出す曲としては…』

 

「言われてみれば、そうかも。作ってる時はその辺考えてなかった」

 

 …た、確かに、言われてみればそうかもしれない。

 この曲、前半は穏やかというか、穏やかすぎて序盤ドラムのパートが無い。で、穏やかで綺麗な曲だからこそ、主体であるボーカルの負担がすごい。喜多さんはボーカルを完璧にこなして、なおかつギターのミスが絶対に許されない。音の数が少ないからこそ、一つ一つが目立っちゃうんだ。

 他にも、この曲は後半になればなるほど盛り上がるけど、ライブという限られた時間の中で曲をフルでやる余裕はあるんだろうか…? 

 

『良い曲なんですけどね…』

 

『それはあたしも凄く思うよ! もちろんこの曲だってあたしたちの曲として練習はしておきたい。でも、やっぱり一発目に出す曲はもっとインパクトが欲しいんだよね…。意地悪言いたいわけじゃなくて、あたしは、その、この結束バンドを大事にしたくて、そのためには最初で勢いづけたいし、だから…その…』

 

 虹夏ちゃんの言葉の勢いが段々落ちていく。

 でも、その口調と真剣な表情から虹夏ちゃんがどれだけ結束バンドを大事にしているか、成功させたいと思っているかが分かる。

 

「虹夏の言いたいことも分かる。うん、そういうことなら、もう少し考えてみる。まだ構想はあるし」

 

『お願いね! リョウのそういうところだけ(・・)は信用してるから!』

 

「だけ?」

 

『だけ。…あれ? そういえばリョウ、インスピレーションが浮かばないとか言ってなかったっけ? なんで急に曲書けたの?』

 

「ぼっちが書いた歌詞見てたら思い浮かんだ」

 

『ん? 歌詞?』

 

あ。

 

 りょ、リョウさんにだけ見せて皆に見せた気になってたあああ!!! 

 

ぼっちちゃ〜ん? 

 

あ、ああいや、そのこれはその

 

『あたし悲しいな〜? リョウが作曲とはいえ、あたしたちを仲間外れにするなんてさ〜?』

 

そそそそんな意思はは

 

『そうですよ〜、もしかして、私たちのこと忘れてたなんて言いませんよね〜?』

 

いいいいやいやいや忘れただなんてそんな

 

 二人がずずいと寄ってくる。

 ひ、ひぃ…さっきゲームで勝った時より迫力が…! 

 

「あれ、ぼっち皆に見せてなかったんだ。もう一週間くらい前のことなのに」

 

 りょ、リョウさん?! つ、つつ追撃しないで下さい?! 

 

『ぼっちちゃんの書いた歌詞見たいな〜』

 

『私も見たいです!』

 

「みみみ見せます! 見せますからちょ、ちょっと離れて…」

 

 迫り来る二人に対しアタフタしながらどうにか抜け出そうとする。

 そんな中、リョウさんがカバンから一冊のノートを取り出した。

 

「あれ? ぼっちの歌詞ノートなら私が預かってるけど」

 

 その声に反応して虹夏ちゃんたちの首がぐりんとねじ曲がる。こ、怖い…

 リョウさんがそれを避けるようにノートを軽く投げると、亡者たちがそれに群がっていく。

 

おお〜良いじゃん! 

 

私このフレーズ好きです! 

 

 おそらくノートを見て感想を言っているのであろう二人を尻目にリョウさんがこっちに来た。

 

「で、さっきああ言ったってことは新しい歌詞書いたんでしょ? 見せて」

 

「あ、はい」

 

 差し出されたリョウさんの手に新しい歌詞ノートを乗せる。前回リョウさんに見せてから今日までに、新しい歌詞を書いたり前に書いたものを書き直したりした。今までのノートはリョウさんに貸していたので、新しく一冊買った。

 

「ど、どうですか?」

 

「…うん。いいと思う。これなら今構想にある曲ともマッチするし、早めに出来そう。ぼっち、これ借りてくね」

 

「あ、はい」

 

「じゃあ私、今日はもう帰って曲作るから。私の代わりにバイトよろしく」

 

「あ、はい。…はい? ちょ、ちょっとリョウさん?! 

 

 リョウさんは私に片手をあげてシュタッと去っていってしまった。

 引き留めようとするも私が止めようとした程度でリョウさんが止まるはずもなく、ドアベルの音が無常に響く。

 その音で歌詞ノートを見ていた二人が気づいたのかこっちを向いた。

 虹夏ちゃんが周囲を見回して言う。

 

『あれ、リョウは?』

 

「…私に、今日のバイトを押し付けて、か、帰ってしまいました…」

 

『…あんのバカ…!』

 

 上機嫌だった虹夏ちゃんが一転する。前髪で顔が隠れて見えないけど、見えなくてよかったかもしれない…こ、怖い! 

 い、いやそれより一番の問題は、私に押し付けられても私のバイトスキルが拙すぎてリョウさんの抜けた穴を埋められないということだ。

 リョウさんの信頼の証かもしれないけど、今そんな形の信頼は要らなかった…! 

 

『ご、後藤さん! それなら私もシフト入るわ!』

 

「あ、ありがとうございます」

 

 喜多さんが入ってくれるならリョウさんが抜けても大丈夫か…というかそれなら私要らないのでは? 

 よ、よし、私は帰ろう! 

 

あ、あの喜多さ

 

『後藤さんと一緒のシフト久しぶり! 楽しみね!』

 

アッハイ

 

 だめだ、これは逃げられないやつだ…

 

 その日のバイトは無事に終わった。いや喜多さんと自分との差を見せつけられてメンタルに大ダメージを負ったことを抜きにすればだけど…さ、差が埋まらない…

 

 

 

 翌日。

 喜多さんと一緒にSTARRYに来ると、そこには既にリョウさんと虹夏ちゃんの姿があった。

 

『お疲れ様でーす!!』

 

「お、お疲れ様です」

 

『お疲れー二人とも! 待ってたよー』

 

 虹夏ちゃんが返事を返してくるが、リョウさんの方からは何もない。少し様子がおかしい…? な、なんか表現は悪いけどゾンビみたいな…50m走した後の私みたいな顔色をしている。

 

『珍しいですね、リョウ先輩が先に来てるなんて…リョウ先輩?! 大丈夫ですか?!』

 

『あー大丈夫大丈夫。リョウ昨日勝手に帰ったじゃん? そのまま徹夜で作曲してたみたいでさー。学校では目を開けたまま寝てるし、しょうがないから今日はあたしが引っ張って連れてきたんだよ。顔色は寝不足のせい』

 

 虹夏ちゃんの説明の間にもリョウさんはこっちに反応を示さない。時折頭を前後に揺らしているけど…あ、もしかして今も寝ていらっしゃる…? た、確かに目は開いてるけど焦点があっていない…! 

 虹夏ちゃんが苦笑しながらリョウさんの肩をゆすると、大きくビクッと震えてリョウさんの目に光が戻る。

 

「あれ、どこ、ここ」

 

『起きないからSTARRYまで連れて来ちゃったよ。それで、新曲出来たんでしょ? 聞かせてよ!』

 

「新曲…そうだった。徹夜で作ったんだった。…郁代、手伝って」

 

『はいっ!』

 

 リョウさんはふらりと立ち上がると、覚束ない足取りで昨日と同じようにゴミ箱スピーカーを用意しようとする。喜多さんはその設置を手伝い、虹夏ちゃんは全員分の飲み物を準備し始めた。

 や、やばいこのままだと私だけ何もしてない人になる…! と急いで虹夏ちゃんの手伝いに向かう。

 

「に、虹夏ちゃん、運びます」

 

 カルピス、オレンジジュース、コーラ、レモネード…別々の飲み物が入ったカップだ。も、もしかして虹夏ちゃん、全員の好きな飲み物覚えてる? 話したことなんてないはずなのに…こ、これが”出来る女”というやつ?! 

 

『お、ぼっちちゃんありがとー。全く、リョウも普段からあのくらいやる気出してくれるといいんだけど。まぁ、今回はよっぽどぼっちちゃんの作った歌詞が刺さったんだろうねー』

 

「そ、そうですか、ね」

 

『そうだよー! あんなに頑張ってるリョウなんて久しぶりに見たよ。受験の時以来?』

 

 虹夏ちゃんはカップを二つ私に手渡し、自分でも二つ持つ。

 

『だからさ、ありがとね、ぼっちちゃん。リョウがやる気出してくれたのも、元はと言えばぼっちちゃんが良い歌詞描いてくれたおかげだし!』

 

「あっ…えへへへ

 

 欲求が満たされる〜

 

『ぼっちちゃーん輪郭が歪むのは良いけど溢さないでね』

 

はっ!

 

 リョウさんたちのところに戻ると、ちょうど準備ができたようだった。

 喜多さんとリョウさんに飲み物を渡す。

 

『ありがとう、後藤さん!』

 

 [また送っといたから見といて]

 

 その口の動きに、スマホを確認すると確かにリョウさんからの通知があった。

 曲名は【青春コンプレックス】、自分でつけておきながらひどい曲名だ…

 

「流すよ」

 

 リョウさんの言葉に、私もスコアから曲を組み立ていく。

 これは…昨日の【小さな海】とは全然違う曲調だ。小さな海はしっとりとした始まりで、中盤から力強くなるような曲だけど…この青春コンプレックスは最初からアップテンポ。

 全体的に見てパンキッシュ、Jポップ寄りで、でもそれでいてギターを全面的に推すギターロックの心を忘れない。語彙力が少なくて言い表せないけど、複雑でかっこいい曲だ。

 

『これ…いいね! 流石リョウ、やるじゃん!!』

 

『かっこいいです!』

 

ドヤ

 

 虹夏ちゃんや喜多さんの褒め言葉にリョウさんがドヤ顔しているが、それが許されるレベルの良い曲だ。

 これは、昨日虹夏ちゃんが言っていた「結束バンドとして出す最初の曲」に相応しいんじゃないだろうか? インパクトがあって、キャッチーなメロディーで、テクニカルな各パート…凄い、完璧な出来かもしれない。

 

 ただ、問題が一つ…

 

「あ、あの、これ…多分、喜多さんの担当するリズムギター部分も、け、結構難しいですけど、大丈夫ですか…?」

 

『え?』

 

「これスコア」

 

『…え?』

 

 曲の難易度がかなり高い。私のやるリードギターも、ソロ部分は勿論、他のところもそこそこ難しそうだけど…リズムギターも決して簡単ではない。

 合わせるのが死ぬほど下手くそな私とギター初心者の喜多さんで、この難易度のギターを弾けるのだろうか…

 

『…うん! 曲に関しては練習頑張るしかないね!』

 

『そ、そうですよね!』

 

「郁代はかなり上達早いし、すぐ弾けるようになるよ」

 

『先輩〜!!』

 

『ぼっちちゃんは…頑張ろう!!』

 

「あ、はい…」

 

 フォローできないレベル…つらい…

 い、いや落ち込んでる暇はない。とりあえず、今日はバイトもないしもう帰って一人で弾いてみよう。曲の感覚は掴まなきゃだし…

 

『よし、新曲もできたことだし、おねーちゃんにお願いして来月のライブに出させてもらおう!』

 

『あれ、まだ言ってなかったんですか?』

 

『うん、オリジナル曲できてからと思って! 大丈夫、前回もすぐ出させてくれたから!』

 

 あ、あれ、もしかして思ったより時間がない? なら余計に無駄な時間は使えない…! 

 私が早く帰って練習しようとドアに視線を向けたそのとき、丁度店長さんが入ってきた。

 

『お疲れー』

 

『あ、おねーちゃん。丁度良かった! あのね、来月のライブに出たいんだけど…』

 

 新曲ができて上機嫌な虹夏ちゃんがニコニコ笑顔で店長さんにお願いするが、店長さんは不思議そうな表情だ。

 

『え? 出す気ないけど』

 

『え?』

 

 

 

 

 え? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ライブの前に、まずオーディション。前は思い出作りのために特別に出してやったけど、今後も活動するってなら話は別だよ。言っとくけど、本来あのレベルのバンドが出演なんてありえないからな。五月のライブみたいなクオリティだったら出さないから』

 

『そんな…』

 

『あのさ。アタシだってこのライブハウスを遊びでやってんじゃないんだよ。お前らみたいな放課後仲良しクラブと違ってさ』

 

『何、その言い方!!』

 

『何だよ、違うのか?』

 

『違うに決まってんじゃん!!』

 

『なら尚更だ。…一端のバンド名乗りたいなら、オーディションくらい実力で抜けて見せろ』

 

『…!』

 

『何にせよ、来月のライブはもう予定が埋まってるし出るなら8月のライブだ。オーディションは今から丁度一ヶ月後、出たいならそれまでに形にしとけ』

 

『…分かった』

 

 あの日、そんな会話があった。

 厳しい言葉だったけど、店長さんの言ったことは正しいと思う。

 店長さんから見れば、私たちはまだ放課後仲良しクラブで、バンドになっていないのかもしれない。

 

『もー、おねーちゃんったらあんな言い方しなくても…』

 

『でも、オーディションに合格すれば出してもらえるんですよね!』

 

『その通り。だから、オーディションに向けてみんなでたくさん練習するのだ!』

 

『おー!!』

 

 虹夏ちゃんの言う通りだ。今はとにかく練習あるのみ。

 実力をつけて、成長して、私たちが『結束バンド』なんだってことを証明して見せる!!! 

 

 

 

 

 で、それから三週間経った。

 え、時間経つの早すぎ…?! うそ、もう今週末オーディション?! 

 

 この三週間、かなりの時間を練習に費やした。それは個人練習も、集まってやるセッションも両方だ。私も最近は中学の頃くらい練習してた。

 結果、各人、それぞれのパートを演奏する分にはかなり安定して来たと思う。リョウさんは元々かなり弾けるから問題なく、虹夏ちゃんも一週間もすれば形になっていた。

 難易度を心配されていた喜多さんも、リョウさんが言っていた通り驚異の成長速度で弾けるようになっていった。上達したギターを嬉しそうにリョウさんに披露する喜多さんはとても微笑ましかった。

 

 問題は…

 

『ぼっちちゃーん、また走ってるよー』

 

すみません…

 

 私だ。

 引くこと自体の難易度は問題ない。ただ、分かっていたことだけど、元々走り気味の演奏に加え、音が聞こえないことで合わせるのがさらに難しくなっている。

 …リョウさんの声は聞こえるのにベースの音は聞こえるようにならないらしい。リョウさんに貸しているお金がまだ帰って来ていないことと何か関係があるのだろうか。

 

 一応、ドラムだけならば見ながら演奏できるので、練習期間が前回のライブよりも長いことと相まって、そこだけはかなり正確に合わせることができている。

 

 でも、喜多さんは初心者なのにもうドラムとベースの両方と自然に合わせることができるようになっている。それなのに、喜多さんよりずっとギター歴が長い私は満足にみんなと合わせることが出来ていない…こ、これもコミュ力の差? 

 

「ごめんなさい…」

 

 謝罪の言葉ばかり口から出る。うう、虹夏ちゃんたちも苦笑いだ。謝って欲しいわけじゃないだろうに…もっと上手く合わせられるようにならなきゃ。

 このままじゃまた、私だけ足手纏いだ。

 

「もっと頑張れ、ぼっち」

 

「はい…」

 

 リョウさんの激励が身に沁みる。言葉はぶっきらぼうだけど、リョウさんの声色は優しい。本心から、もっと頑張れと言っているだけだ。そこに嫌味も呵責の感情もない。

 

『ちょっとリョウ、厳しすぎない?』

 

「ぼっちが合ってないのは事実」

 

 リョウさんは言葉を飾らないけど、それが嬉しい。私にとっては、変に気を使われる方が辛い。

 私が上手くなれば良い話であって、他の人に責任は無いからだ。中学の時の二の舞なんて嫌だ。

 結束バンドでは絶対にそんなこと起こさせない。

 

 

 

 しかし、そう思った時だった。

 

 

 

『だ、大丈夫よ後藤さん! 後藤さんだけのせいじゃないわ!』

 

『そうそう、どうしてもダメそうならあたしたちもぼっちちゃんに合わせに行けばいいし…』

 

「え? い、いや、私のせいで…」

 

 そう、どう考えても私が合ってないせいだ。

 だから虹夏ちゃんや喜多さんに非は全くなくて…

 

『私もまだ合ってないところあるし!』

 

『あたしとリョウもズレるときあるしねー! ぼっちちゃんもあたしたちに文句言って良いんだよ?』

 

『後藤さん、そんなに気にしないで? 一緒に頑張ろう?』

 

 

 あ、だめだ。

 この流れは、あのときと同じ。

 私のせいじゃないなんて、私が悪いのに。

 一度そう考えてしまうと、思考が囚われてしまう。

 

 

 フラッシュバックする。

 

 

 違う、私のせいなんです。私が。私が! 

 

「ち、ち違うんです。わわ、わた、私が。私のせいで」

 

『ぼっちちゃん落ち着いて? ぼっちちゃんのせいじゃないよ!』

 

『後藤さん、深呼吸!』

 

 

 訳もわからず呼吸がおかしくなる。

 大丈夫、私は大丈夫ですから。だから他の人のせいには…

 

 

リョウ! リョウが変なこと言うからぼっちちゃんがまた壊れちゃったじゃん!

 

そうですよ、リョウ先輩! あんまり後藤さんを責めすぎないでください! 

 

いや、これは…ぼっち、違う。落ち着いて

 

 

 だめ、だめだ。喧嘩しないで、私が悪くて、私のせいで。

 涙で視界がぼやける。

 

ひとり! 聞いて!

 

うるさっ! リョウの大声なんて久しぶりに聞いたかも。そんなに大きな声出さなくても目の前にいるんだから聞こえてるでしょ

 

 そして。

 

 

 

『そうですよ。 

耳が聞こえない訳じゃないんですから』

 

 

 

 それだけが鮮明に見えた。

 

 

 

郁代!!!

 

え?

 

 後から考えれば、冗談だったと分かる。

 でも。

 

「う」

 

 そのときの私には。

 

「う、おえ、うええええ…」

 

ぼっちちゃん?!

 

後藤さん?!

 

 耐えられなかった。

 

「あ、ご、ごめんなさ…」

 

 怪訝そうな目、目、目。

 ああ、もう知られてたんだ。じゃあ、ここには私の居場所は、もう…

 

「っ!!!」

 

ぼっちちゃん!!

 

 

 

 口を拭うこともせず、ギターを掴んで私は全力でSTARRYから逃げ出した。

 あてもなく、ただ、どこか遠くに行きたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぼっちちゃん、行っちゃった…」

 

「何かまずいこと言っちゃいましたかね…」

 

「とりあえず、床を掃除して…あれ、リョウ。自分から掃除なんて珍しいね」

 

「…虹夏、郁代。二人に話したいことがある」

 

「何、そんな改まって」

 

「ぼっちのこと。今まで秘密にしてたから」

 

「後藤さんの、秘密?」

 

「うん」

 

「え〜何それ。喜多ちゃんなんか心当たりある?」

 

「無いですけど…?」

 

「…ふざけないで、聞いてほしい」

 

「? 分かった」

 

「はい」

 

 

 

「ぼっちは────耳が聞こえない。難聴なんだ」

 

 

 

「え…?」

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

 




後2話くらいで終わる予定です。


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前借りした命を使い切ってそうな人と出会う

お待たせ(小声)

作者も展開全く覚えてなかったから読み直した方がいいよ(ダイマ)


 

 

 

 走って、走って、走って。

 とっくに思考は吹き飛んだ。

 走り疲れて、それでも歩いて距離を稼いで。とにかく少しでも離れたかった。

 

 周囲が暗くなり始めた頃には疲れ果てて歩く気力もなくなり、気がつくとどことも知れない路地裏に辿り着いていた。

 

「…」

 

 動くのが億劫になってその場に座り込む。

 自分の吐瀉物で汚れたジャージを脱いで横に置いた。中から現れたのは、推しバンドのレア物Tシャツだ。最近は毎日日替わりでレアなTシャツを着て来ている。…これを話のきっかけにお喋りなんて、そんな出来もしない理想を抱えていた。

 

「全部、無駄だったのかな…」

 

 ぎゅう、と父から借りている黒いギターを抱きしめる。

 3年もの間、このギターとずっと一緒に頑張ってきて得た演奏技術。何もなかった私が唯一手に入れたものであり、ついさっきまで唯一では無くなったと思っていたものであり…そして今となっては私の全てと成り果てた。

 他にはもう何も持っていない。何も、持っていないんだ。

 

 現実での居場所を見つけた。

 人生で初めて友達が、仲間ができた。

 ギター以外の心の拠り所が増えた。

 

 でも結局、私は壊したんだ。他ならぬ自分自身の手で。

 

(中学の時から全然成長出来てないな…)

 

 私が悪いのに、私が気を使われるせいで内部崩壊。中学の苦い経験を何も活かせないまま終わってしまった。結束バンドの皆や店長さんは成長しているなんて言ってくれたけど、私なんかじゃその期待にも応えられない。

 コミュ障じゃなかったら、難聴じゃなかったら、もっとまともな関係を築けていたんだろうか。

 

 さっきの喜多さんの言葉を思い出す。

 

「耳が聞こえないわけじゃないんだから、か」

 

 STARRYから、皆から逃げて少しだけ冷静になった今なら分かる。喜多さんはきっと、冗談のつもりで言ったんだろう。喜多さんは優しいし、無意味に人を傷つけるような発言はしない。普通に考えて最も可能性がないことを口に出しただけ。

 

 

 ただそれは逆に、「耳が聞こえないバンドマンなんて存在するはずがない」と喜多さんが無意識下で思っているという証拠にもなる。

 

 

 当たり前だ。私だって自分がこんな状態じゃなかったら考えもしなかっただろう。

 喜多さんだけじゃない。虹夏ちゃんだって、他の誰だって考えないと思う。例外的にリョウさんや店長さんが鋭すぎるだけだ。

 

 でもだからこそ、あの発言は喜多さんの本心だったはずだ。

 

「痛い…」

 

 本当に痛い。

 走り続けた足じゃない。

 喜多さんの言葉が本心だと分かっているからこそ、胸が痛い。心が痛い。

 無意識の言葉で傷ついた? 

 最初はそうだったけど、今となっては違う。

 難聴という重大な障害を隠して、喜多さんを、騙して。あんなに優しい人たちを騙してバンドをやっていた。

 

 今更になって、その事実こそが一番私の心を苛んでいた。

 

 難聴がバンドでギターやるなんて、無理、無茶、無謀以外の何者でもない。

 そんなこと分かってた。

 

(でも、憧れちゃったんだもん…)

 

 こんな陰キャの、コミュ障の、耳に障害を持つ自分でも何かを成せたらって。

 あのときテレビで見たバンドのように輝けたらって。

 家族の勧めもあって、私は一歩踏み出し、進み始めたはずだった。でもそれもここで打ち止めだ。

 

 迷惑をかけてしまった。

 本当ならもっと早くに察するべきだった。バンドメンバーを集めるなんて無理だと諦めていれば。

 遅くとも、私は喜多さんに声をかけてもらったあの時に、誘いを断るべきだったんだ。

 

「これで、終わり」

 

 こうして逃げてきて、きっと不自然に思われただろう。

 その理由を追求された時に、難聴であるという真実を話さずに言い訳できるとは思えない。もしかしたら、リョウさんが既にみんなに言ってしまっているかもしれない。

 もし何も聞かれなくても、きっと私は自分から話すだろう。自業自得なのに傷つくなんて勝手すぎるけど、一度自覚してしまった以上、みんなを騙し続けるなんて私にはもう耐えられない。

 

 自分に言い含めるように心の中で呟く。

 いい機会なんだよ。諦めようよ。バンドなんて向いてなかったんだって。

 憧れだけでは出来ないことがある、それを知れただけ良かったじゃないか。

 何度も何度も繰り返す。

 

 

 そしてその度、目から温かい何かが溢れ出す。

 

 

 無理だ、心の整理なんてつく訳ない。

 無駄だと分かっているのに、頭の中はまだ結束バンドのみんなと活動することでいっぱいだ。考えないようにすればするほど、より強く思考が記憶に塗りつぶされる。

 

 ダメな私を何度も引っ張ってくれた虹夏ちゃん。

 悩みを聞いて心の拠り所になってくれたリョウさん。

 そして、私を結束バンドに引き入れてくれた、喜多さん。私の初めての友達。

 

 

 

 

 

 ああ。

 未練たらたらだ、私。

 

 

 

 

 

 だめだ、一度休もう。

 ぐちゃぐちゃな頭の中身を落ち着かせるためにも、今は時間が必要だ。深呼吸でもして精神を安定させなければ。

 そのまま外界の情報をシャットアウトするように、ゆっくりと目を伏せた。

 

 1分か、10分か、1時間か。

 どれだけそうしていたかは分からないけど、隣に誰かが座った気配がした。

 …そこから動かないけど、知り合いではないはずだ。初めて嗅ぐ匂い。甘い香水、それとそこに混ざる特徴的な、何故か懐かしさを感じるような香り。

 昔、お父さんが飲み会から帰ってきたときに同じような匂いが…これは、お酒? 

 

 目を開いた先には、やはり見覚えのない、臙脂色の髪のお姉さんがあぐらをかいて座っていた。

 その人は糸目を少しだけ開いて、手に持ったミネラルウォーターのペットボトルをこちらに差し出し。

 

『君ぃ、大丈夫?』

 

 そう言ったのが見えた。

 

 

 ──────────────────

 

「難聴…? ぼっちちゃんが?」

 

「そう」

 

「は、え、いや…冗談、じゃないみたいだね…」

 

「冗談なんて言わない。ぼっちは確かに耳が聞こえない。これは店長も知ってる」

 

「お、おねーちゃんが? でもそんなこと一言も…」

 

 伊地知先輩が確かめるように聞き返すのを、私はただ呆然と聞いていた。

 頭が情報を処理しない。

 後藤さんが、ナンチョウ? なんちょうってなんだっけ? 

 

「それに聞こえないって、ぼっちちゃんはあたし達と普通に話してたじゃん」

 

「ぼっちは、私たちの口の動きを見て会話を把握してた」

 

「そんな、漫画みたいなことが…」

 

 難聴、音が聞こえない? 本当に? 

 そこでようやく頭が追いつく。

 嘘、いやリョウ先輩がそんな冗談で済まないような嘘つく訳ない。

 

「待って、じゃあぼっちちゃんは今までどうやってギターを弾いてたの? 最初のライブだって、今までの音合わせだってちゃんと出来て…」

 

「虹夏は疑問に思わなかった? ぼっちがずっと虹夏の方を見ながら演奏してたこと。あれは、虹夏のドラムを見てギターを合わせてたんだよ」

 

「え…それじゃ、ぼっちちゃんの演奏が速かったり遅かったりで微妙にズレてたのは?」

 

「合わせるのが単純に下手ってのもあると思うけど、理由の大部分は音が聞こえてないから。それにドラムしか見てないから、アイコンタクトにも反応できない」

 

「い、いくらなんでも、そんなこと出来るわけ…」

 

 聞こえないまま演奏だなんて、そんなのリズムが揃うはずがない。むしろそれが本当なら、今まで演奏として成り立っていただけでも奇跡的、絶技と言って差し支えないほどだ。普通なら失笑してしまうような話。

 

 でも私は知っている。

 

「後藤さんは…」

 

「喜多ちゃん?」

 

「後藤さんは、本当はとても上手いんです。素人の私でも分かるくらいに…」

 

 私は、後藤さんのギターの腕前がプロ級だということを、知っている。

 後藤さんなら何も聞こえない中でも、リズムの中核であるドラムを見て、辛うじてギターを弾くことが出来ても不思議ではない。

 

「…薄々そうなんじゃないかと思ってた。実際、ぼっちは一回も音を外してないし」

 

「そういえば、そうかも…」

 

 考えてみれば、今までリズムやタイミングこそずれることはあったけど、音程やそれ以外の演奏技術で後藤さんが指摘されたことは一度もない。

 

「後藤さんが言ってました。合わせるのは苦手なんだって。でも、一人で弾いているときの後藤さんは、圧倒的なんです」

 

「っ、発音とか、聞こえない人は変になったりするんじゃない!?」

 

「それは努力で変わることもあるし、何よりぼっちは後天的な難聴だから、発音は普通の人と同じ。その辺のことは、今から説明する」

 

 ぼっちに了解を取らないで話すのは少し気が引けるけど、とリョウ先輩が呟く。

 続くリョウ先輩の話で、私は完全に打ちのめされることとなった。

 

 リョウ先輩の口から聞こえるのは、後藤さんの過去の話。

 元々突発的な難聴に苦しめられていて、中学の時に起こった不和が決定的な要因となり完全に耳が聞こえなくなったこと。今回の私たちの状況はそのトラウマを刺激してしまったかもしれないこと。

 

「そんなことが…あ、あたし、今までぼっちちゃんに酷いこと言ってたかもしれない。どうしよう…!」

「虹夏、虹夏はこのバンドのリーダーなんだから、和を大切にしようとするのは当然だし、今回は間が悪かっただけ」

 

「そう、なのかな…」

 

「うん。そんなに責任を感じすぎる必要はない」

 

 伊地知先輩とリョウ先輩が何事かを話している。

 でも、全く頭に入ってこない。

 後藤さんが難聴になったのは、グループ内の不和が原因だった。それも、後藤さんが自分の責任だと勘違いしてしまうような方向の。…まるっきりさっきの状況と同じだ。後藤さんは、また自分のせいだと思ったに違いない。

 

 そして、そんなトラウマが刺激された彼女に私は。

 

 

【耳が聞こえない訳じゃないんですから】

 

 

 トドメを刺した。

 

「ぅぷっ…」

 

「喜多ちゃん?! 大丈夫?!」

 

 足から力が抜け、その場にへたりこむ。

 胸の奥がムカムカして、気持ち悪い。

 

「私……最低だ…」

 

「郁代、落ち着いて。郁代のせいじゃない」

 

「違う!! 私のせいなんです! 私の…」

 

 伊地知先輩が私の背中をさすり、リョウ先輩が私を慰める。それを咄嗟に否定した。

 きっとリョウ先輩は、魔が悪かっただけだと言うんだろう。だけど違う。私は、私はこれが初めてじゃない。確かに、私は後藤さんから聞いていたはずなのに! 

 

「後藤さんに言われたことがあるんです」

 

「言われた…?」

 

「耳が聞こえないんだって。でも、そのときのわ、わたしは…!」

 

 涙で視界が滲む。ぼやけた視界の向こう側に、いつの日かの後藤さんの姿を幻視した。

 

【私は耳が聞こえないんです!】

 

 その必死の言葉に対して私は。

 

 

「面白い冗談だって…笑って……」

 

 

 変だとは思った。斜め上の冗談を言う娘だなって。

 今思えば、私が冗談だと笑ったとき、後藤さんは悲しそうな表情をしていた。

 その時点で気づいていれば。他にもたくさん思い当たることはある。

 

 お父さんとライブに行った話をした時も。

 カラオケに誘った時も。

 口元が見えないような話し方をした時も。

 

 後藤さんはどんな顔をしてた? 

 

「私…!!」

 

 何が、合わせるのが得意、だ。

 周りに合わせて、分かった気になっているだけだった。一番近くにいる大切なものさえ、見えていない。

 

「ごめんなさい後藤さん…本当にごめんなさい……」

 

 相手のいない謝罪の言葉は、とても軽く響いた。

 まるで、そんなもの今更何の意味もないのだと暗に告げられているような気がして。

 

 

 本当に、救いようのない、最低な女だ。

 

「あれ…」

 

「喜多ちゃん?!」

 

 そして視界が闇に包まれた。

 

 

 

 

 ────────────────

 

ギター少女、こんな時間にどうしたのさ? ほらぁ、お水あげるよ。吐いちゃったんでしょ? お酒飲みすぎた? あたしもよくあるからさ〜分かるよ〜

 

え、ええええとななななんなんなななんですか急に

 

 え、初対面ですよね? 距離の詰めかたがおかしいと思うんですけど…

 勿論そんなこと言えるはずもなく、謎のお姉さんはハイテンションのまま私に水を手渡してくる。

 

『え? だって路地裏にうずくまって吐いてるギタリストなんて、十中八九酒に酔ってるに決まってんじゃーん! 吐いた口のままじゃ気持ち悪いだろうし、素直に受け取りなよー』

 

「え? あ、はい。あ、ありがとうございます…」

 

 私はお酒飲んでた訳じゃないんだけど…なんて言葉が出るはずもなく。慄きながらも受け取ってしまう。

 お姉さんはそんな私に気付かず話を続ける。

 

『いいっていいって! あたし予定してた路上ライブが急に中止になって暇しててさー。ライブ前はいつもお酒飲んでんだけど、ちょうど切らしちゃって。で、コンビニに調達に行って、たまには酔い覚まそうと思って水も一緒に買ったところだったから!』

 

 貰った水で口を濯ぎ、手を洗う。

 あははーと笑う目の前のお姉さんは、お酒が入っているのか確かに顔が赤かった。そしてどこからか取り出した紙パックのお酒を飲み出す。あれ、今酔いを覚まそうと思って水を買ったって言ってましたよね? どうしよう、もしかしてちょっとやばい人に目をつけられちゃった…? 

 というか、路上ライブ? あ、よく見たらギターケース持ってる。ってことは、こ、この人楽器やる人なんだ…大人のバンドマンと話すの初めてだけど、な、なんか怒られないかな。お酒飲んでるし何言われるか…

 私の視線に気づいたのか、お姉さんは背中に回していたケースから中身を取り出した。

 

『あ、これね。あたしのマイベース、スーパーウルトラ酒呑童子EX!! かっこいいでしょ! これでもインディーズでは結構人気なんだよ? あ、その目、さては信じてないな〜?』

 

「あ、えと、いえ、そういうわけでは…」

 

『よーしそれじゃ君…えーと何ちゃんだっけ?』

 

「あ、後藤ひとりです…」

 

『ひとりちゃんのために一曲弾いてあげよう! …なんか落ち込んでたみたいだしさ、これでも聞いて元気出してよ! まー、ベースソロなんだけど! あははは!!』

 

「え…」

 

 お姉さんはそう言うと、ささっと機材を準備し始める。

 変な人かと思ったけど、思ったよりまともな人なのかな。こんな路地裏でうずくまってた私のために一曲披露してくれるなんて。

 でも、折角演奏してもらえるのに、私は音が聞こえない。それは流石に申し訳ないので演奏に入りかけているお姉さんを止めた。

 

「あ、あの!! …折角ですけど、大丈夫、です」

 

『え? あ、もしかして、迷惑だったかな…』

 

「ああいいいやあの、そうじゃなくて私、耳が聞こえなくて…」

 

『…え?』

 

 あ、つい勢いで言ってしまった。ま、まぁでもどうせ信じてもらえないだろうし今からでも否定すれば…

 

『そっか…落ち込んでたのも、それに関係してたり?』

 

「え? あ、は、はい…」

 

 あ、あれ? あっさり信じてもらえた? 

 ど、どうしよう今までこんなことなかったからここから先の展開が読めない…! 

 何も言えずにいると、お姉さんの方から私に言葉がかけられた。

 

『あ…あのさ! そのー、良かったらあたしに話してみない? 一回全部ぶちまけたら楽になるかもしれないしさぁ。それに、悩み事って下手に知り合いに話すよりも知らない人の方が話しやすくない?!』

 

「え?」

 

『あー、嫌だったら全然良いんだけどね! それにあたしもダメ人間だし、アドバイスとか全然出来ないかもしれないけど!』

 

 お姉さんは慌てて手を目の前でバタバタさせ、否定のポーズを取る。そしてガラじゃないなーと口元が動いたのが見えた。

 

『…でも、一応楽器やってる身としては先輩だから。後輩が困ってるなら助けてあげられたらなー…なーんちゃって思っちゃったりして!?』

 

 手を頭の後ろに当ててお姉さんは笑う。だけど、さっきは一瞬目を開いてとても真剣な表情で…曲について話してるときのリョウさんの表情とダブって見えた気がした。

 

 …確かに、誰かに話してしまうのもアリかもしれない。正直、自分でもまだ全然心の整理がついていないし。いつもだったらよく知らない人に事情を打ち明けるなんて考えもしないけど、迷惑をかけてしまった結束バンドのみんなにはこんなこと話せない。…もう、戻れるとも思ってはいないけど。

 それに、ちょっと変な人だけど、音楽には真摯そうだし、お姉さんが悪い人には思えない。騙すにしても、私なんて騙す価値もないだろうし。

 

「あの…」

 

『な、なに?!』

 

「少し、時間がかかっちゃいますけど…聞いてもらえますか?」

 

 そう切り出して、私はお姉さんに、今まであったことを全て打ち明けた。

 

 

 ────□□麤麤◯◯驫驫(かくかくしかじかまるまるうまうま)────

 

うう…なるほど…ひとりちゃんは悲劇の少女だったわけか…』

 

「いえあの、私が悪くて…」

 

『うんうん、自己嫌悪で訳わかんなくなっちゃうんだよね、分かるよ』

 

「えっと…」

 

『思いのすれ違いだね、皆誰も悪くないのにさぁ』

 

「あの」

 

 お姉さんは再びどこかから取り出したお酒を飲みながら号泣している。

 あれ、もしかして聞こえてない? 今の話を聞いて私に同情する要素はなかったと思うんだけど…

 お姉さんは涙を袖で雑に拭い、ようやく泣き止んだ。

 

『ごめんねー話聞くとか言ってアタシが泣いちゃって』

 

「あ、いえ」

 

 お姉さんは大きく音を立てて鼻をかみ、改めてこちらを向く。

 その表情は既に笑顔に戻っているが、どことなく真剣でもあった。

 

『ひとりちゃん』

 

「あ、はい?」

 

『ひとりちゃんから見て、結束バンドの皆はどんな人たち?』

 

「えっと…」

 

 虹夏ちゃんはいつも明るくて面倒見がいいし、リョウさんは音楽に真摯で周りをよく見ていて、喜多さんはコミュ力が高くて私なんかにも声をかけてくれて…

 

「凄い人たちです」

 

『でも、信じられない?』

 

「え?」

 

『だってさ、そんなに凄い人たちなら、ひとりちゃんが事情を話したところで崩壊なんてしなそうじゃん?』

 

「それは…」

 

 そうかもしれない。現に、リョウさんは話したところで何が変わるわけでもなかった。

 もしかしたら私の心配は全部杞憂で、虹夏ちゃんも喜多さんも、私が難聴でも受け入れてくれるかもしれないし、私のせいで結束バンドが壊れてしまうなんてこともないのかもしれない。

 

 でも。

 もし杞憂じゃなかったら? 拒まれたら? バンドが崩壊したら? 

 そう考えただけで体が震え出す。

 自分でも難儀だと思うけど、可能性があるだけで私はその選択肢を取れない。

 ならば、私がいなくなって、元に戻った方がいい。それなら壊れる可能性は0だ。

 

 ただ、それは私が結束バンドでの活動を諦めるということで。

 

「…」

 

『雁字搦めになって、動けなくなっちゃった?』

 

「…はい」

 

『そっか』

 

 一番いい選択肢がどれかなんて分かりきっているはずなのに。

 なんて自分勝手なんだろうか。

 お姉さんはそんな私の情けない答えを聞いても薄く微笑んだままだった。そして少し考えるような仕草をした後、スマホの画面を操作した。

 

『…よし!』

 

「な、ど、どうしたんですか?! きゅ、急に立ち上がって」

 

 カラコロとお姉さんの履いている下駄が音を立てる。

 立ち上がった勢いで空気が流動し、お酒の匂いと甘い香水の匂いが周囲に振り撒かれた。

 

『あたしとセッションしよう!』

 

「…え?」

 

 お姉さんの突拍子のなさすぎる発言にポカンとしてしまう。

 

『なんかタメになるようなこと言えればーとか思ってたんだけど、やっぱ無理! 頭ん中ぐちゃぐちゃなときは、何も考えずに楽器鳴らすのが一番だって!』

 

「ええ…」

 

『あたし適当に合わせるから、好きに弾いてよ! 頭ん中全部絞り出しちゃおうぜ!』

 

 さっきお姉さんが私に一曲弾こうとした時のままなので、機材は揃っている。

 お姉さんがコードを手渡してきたので、慌てて受け取ってギターに繋いだ。

 え、な、なんかなし崩し的にセッションが始まりそうなんだけど、こ、これほんとにこのまま始めるの? 断れない感じ? 

 

ああああのこここんなところで急にギター鳴らしたら怒られるんじゃ

 

『大丈夫大丈夫! ここ殆ど路地裏だし、前の通りもそんなに人通り多くないし! いけるいける!』

 

 確かに周囲に人影は余りなく、いても通り過ぎる人だけだ。これなら多少うるさくしても平気かもしれない。

 人目を避けて逃げてきたのがこんなところで仇になるとは…

 

「でも私お姉さんのベースの音聞こえませんし…」

 

『あたしが合わせるって! ひとりちゃんは好き勝手弾きなよ。それに集中すれば聞こえるかもしれないんでしょ? それまではこの天才ベーシスト、廣井きくりにまっかせなさーい!』

 

 あ、そういえばお姉さんの名前聞いてなかった。って、今はそんなことはいいか。

 

 周囲にはお姉さんしかいない。路地裏の入り口であるここは狭くて、辺りは暗くて…あれ、いつも弾いてる環境と変わらない、かも? 

 これなら集中できるかもしれない。

 

「わ、分かりました。じゃあ、やりますね…」

 

 もはや逃れることはできないか…不本意なことだけど、諦めるのは得意だ。

 

 ふぅ、と一つ大きく息を吐く。

 いつものように、抱えるようにしてギターを構えた。

 背を曲げ俯き、周囲の様子が見えないように。自分を空間に孤立させ、ここがホームなんだと頭に認識させる。しばらくそのまま思考をギターに預け…

 

 

 ス、と意識が切り替わる感覚。

 

 

 周囲の音が過敏に、それでいて遠く聞こえるような不思議な状態。

 なんだって出来てしまいそうな万能感に、体が浮き上がりそうになる。

 気付けば私は、自ら作り出した極限の集中に飲み込まれていた。

 

 弦を弾き、音を立てる。

 何も考えていない適当なイントロから、流行りの曲へとメロディーを変えていく。

 

 さっきまでバンドなんて無理とか考えていた自分のことも。

 急にセッションなんて無茶振りだという弱気も。

 

 全部どこかへ飛んでいき、ただ一心に音を奏でる。

 

(やっぱり、ギター弾くのは楽しい。あ、ベースの音)

 

 横でお姉さんが弾くベースの音も自然と耳に入ってきて、そこで今自分がセッションをしていたことを思い出した。

 自信に溢れて安定した、それでいて私のギターの音を阻害しない心地いいベースは、天才ベーシストという名乗りに違わない。

 それに合わせてギターの音をリズムに乗せるのは決して難しくない。思えば、誰かと一緒に弾いているのにこんなに集中できたのは初めてだ。

 何も考えず、自分の出す音だけに集中できる環境だった。自分だけで弾いているのと殆ど変わらないのに、音が重なって聞こえる快感。これがセッションの究極系なんだと思わされてしまうような、お姉さんの技巧。

 

 なのに。

 

 

 どこか、物足りないだなんて。

 そんなことを思った。

 

 

 いつもの演奏より余裕ができて周りを見回しても、そこにあるのはお姉さんがベースを引く姿だけ。

 食い入るように見ていたドラムと金髪も、自分の世界に浸る青髪のベースも、普段の気配りが消えて余裕のない赤髪のギターもそこには無い。

 整っていて、私の演奏を邪魔をするものは何もなくて…そして、とても寂しい薄暗い路地裏。

 

(そうだ)

 

 足りない。足りない。

 強くそう感じながら二曲目へ。

 

(たとえ音が聞こえない状態だったとしても、不完全な音の重なりだったとしても、私は)

 

 今度もまた流行りの曲。でも、完璧に弾けたギターソロも、合わさるベースも私の心を満たさない。

 

(もう満足できないよ…)

 

 その気持ちを叫ぶように激しくギターをかき鳴らす。

 頭の中を吐き出しているはずなのに、音が紡がれるほどに感情が強くなっていく。

 

結束バンド(みんなと)の演奏じゃなきゃ、ダメなんだって…!)

 

 ラストの小節を乱暴に弾き切る。

 息が切れて、涙が溢れて、疲労で顔が上げられない。

 それでもまだまだ弾き足りなかった。

 

「次行かないの? ひとりちゃん!」

 

「っ、行きます!!」

 

 

 

 

 

 

 

「いやー弾いたねぇ!」

 

「も、もう無理です…」

 

 指が動かない。こんなに弾いたのはいつぶりだろうか…練習ではここまで全力で弾き続けることは少ないし。流石に集中も途切れ、また周囲の音が小さくなっていく。

 あ、私ここから帰らなきゃいけないんだよね? ど、どうしよう全く考えてなかった…

 

『あ、終わりでーす! ありがとうございましたー!』

 

「え?」

 

 お姉さんが手を振る方を見ると、人集りが出来上がっていた。

 い、いつの間に?! 全然気づかなかった…! 

 

「あ、あああそのななななんていうかすみませんもう終わるので通報とかそういうのは…

 

『すっごく良かったです!』

 

「やややめてほし…え?」

 

 目の前にいる女の人の顔を改めて見ると、いつかの喜多さんのように目をキラキラさせていた。ど、どういうこと? 

 

『どこの箱でライブやるんですか?』

 

「あ、えっと、ら、ライブハウスでのライブはその、まだやったことなくて」

 

『そうなんですか、初ライブ楽しみにしてます! また路上ライブやりますか?!』

 

「えええとそそその」

 

『……!!』

 

「(む、無言の圧力…!)や、やりまぁす!!」

 

 勢いでやるとか言ってしまった、どうしよう何も予定なんて決まってないのに…

 そんな私の様子に気づかなかったのか、隣にいた茶髪の女の人が畳み掛けてくる! 

 

『良かった〜! そうだ、なんていうバンドですか?』

 

「あ、そ、それは…結、いや…」

 

 言葉に詰まる。

 咄嗟に出そうとした名前は、私が名乗ってもいいものなんだろうか。

 横にいるお姉さんを見る。だめだ、上機嫌でお酒飲んでる。こっちを見てすらいない。

 

『…?』

 

 首を傾げて不思議そうにしている二人組の女の人を前に固まる。

 頭の中身を絞り出しても、もう一人では満足できないなんて結論を出しても、結束バンドに居られるかを決めるのは私じゃない。

 結束バンドって言ったら嘘になるかもだし、でも否定もしたくない。どうしよう…

 優柔不断で結論が出せずにいたその時だった。

 

 

 

『「結束バンドだよ」』

 

 

 

 前に立つお客さんの後ろから、最近聴き慣れ始めた声がした。

 

 

 




相変わらず次回は未定ですが次でラストの予定です。


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最終話 (私+難聴ー固定観念)×結束=

お待たせ致しました。
というわけで最終話です。

クソ長いので注意。


 

 

『「結束バンドだよ」』

 

 無音の世界に突然響く声。一つだけのはずが、何故だか重なって聞こえた。

 前にいるお客さんたちが振り返る。やけにゆっくりと時間が流れていく中、その隙間から見えたのは見慣れた青と金の髪だ。

 

結束バンドって言うんですね! 

 

『はい! 今は8月のライブに向けて練習中で! またちゃんと決まったらSNSで告知しますね! あ、これが広報用アカウントです、フォローよろしくお願いします!』

 

 金の髪、虹夏ちゃんが長い茶髪のお客さんにすかさず宣伝している。愛想良くお客さんに営業する様からは、私に対する怒りや不信の感情は見受けられない。

 

絶対見に行きます! えーと…?

 

『あ、私、ドラム兼リーダーの伊地知虹夏って言います! で、こっちがベースの山田リョウ。あとここには居ないんですけど、この広報アカウントを使ってるギターの喜多ちゃんって娘がいて、それで──』

 

 お客さんが言い淀んだのを察したのか、虹夏ちゃんがテキパキとメンバーを紹介していく。喜多さんまでいったところで、隣にいる青い髪のリョウさんが台詞を遮り、こちらを指差した。

 身体中から汗が噴き出て、ドクンと心臓が一際大きな音を立てたような気がする。

 私は────何? 

 

 

 

 

「そこで路上ライブしてた酒飲んでない方が、ウチの(・・・)リードギターの後藤ひとり」

 

 

 

 

『そうなんですね! もう私すっかりひとりちゃんのファンになっちゃって! 覚えて帰ります!!』

 

「よろしく」

 

 足元が覚束ない。そうか、私は。

 

 一員でいいんだ。

 

『今度は結束バンド4人全員で(・・・・・)やってるとこも楽しみにしといてくださーい!』

 

『楽しみにしてまーす!!』

 

 普段なら舞い上がるようなお客さんの一言も、今は意識が向かなかった。

 お客さんたちが帰っていく。それと同時に、私の足から完全に力が抜けた。

 

『ぼっちちゃん!!』

 

 崩れ落ちた私に虹夏ちゃんが飛びついてくる。女子高生らしい良い香りが朦朧とした私の頭に届き、堪えていたものが決壊した。感情が溢れ、目からこぼれ落ちる。

 

「う、ぐす、に、虹夏ちゃん、リョウさん、わたし、本当にすみません」

 

「早く帰ろう? 探すの疲れたし」

 

リョウ! 一番心配してたくせに…もう、素直じゃないなー

 

 虹夏ちゃんがリョウさんを咎めているようだけど、涙で視界が滲んで何も見えない。ああ、本当に不便だ。

 目元に何か当てられた。ハンカチだ。虹夏ちゃんが涙を拭いてくれている。

 しばらくされるがままになって、ようやく涙が収まると、虹夏ちゃんが改めてこちらに向き直る。

 

『ごめんね、ぼっちちゃん。リョウから色々聞いた。不安にさせちゃったんだよね?』

 

 虹夏ちゃんの言ったことに、私は少なくない衝撃を受けた。何せ、それは私の内心ほぼ全ての要約だ。

 リョウさんが私の難聴のことやその原因を話していたとしても、そこから心情を察することができるかはまた別の問題のはず。

 実際私は、この障害(なんちょう)が露見することで全てが崩壊してしまうのではないかという不安を持っていて、それが私の足を縛り付けていた。

 じっと私を見つめるその大きな瞳に、吸い込まれそうになる。虹夏ちゃんの目は充血し、そして僅かに震えていた。

 

『ぼっちちゃんは、私たちとじゃ、嫌?』

 

「っそ、そんなこと!!! あり得ません! でも…」

 

 嫌なわけはない。それはだけは強く否定する。

 しかし、私の行動が伴うかは別だ。私は自分を、自分だからこそ信用できないんだ。

 

「私、きっとまた怖くなって、踏み出せなくなって、逃げます」

 

「いいんじゃない?」

 

「え…?」

 

 どうしようもない私の弱音に、間髪入れずリョウさんが呟いた言葉が耳に届いた。

 私が唯一聞こえる落ち着いた声は、驚いて顔を向けた私に、普段通りの平坦なトーンで、当たり前のことを言うように続ける。

 

「次からは一人ぼっちじゃないわけだし。めんどいけど、背中押すくらいならしてあげるよ」

 

 押すだけならタダだし。

 僅かに口角を上げ、冗談めかしてリョウさんはそんなこと口にする。

 思わず唖然としてしまう私に、虹夏ちゃんは明るく笑った。

 

『そうだよ! ぼっちちゃん、迷惑かけてるー、だなんて思わないの! いいんだよ、頼って』

 

「逃げられてギター再募集するの面倒だし」

 


『山田ァ!!

 

「嘘」

 

 リョウさんの言葉を虹夏ちゃんが咎める。でも、それが冗談だなんてことは直ぐに分かった。リョウさんの声色もそうだけど、雰囲気が二人とも柔らかい。

 でも、それでもしつこくネガティブな感情が心に浮かんでくる。

 こんな手間をかけて貰ってまで私が求められる? そんなことあり得るんだろうか? 

 不信から形作られた言葉がそのまま飛び出す。

 

「…け、欠陥だらけで、演奏も下手で。そ、そんな私でもですか?」

 

『うん!』

 

 即答だった。

 笑顔でなんの陰りもなく、虹夏ちゃんは私のことが必要なのだと言う。

 

『演奏下手でも、耳が聞こえなくても、それが治らなくても。私は、ぼっちちゃんが良い』

 

 どうしよう。

 嬉しすぎて、一度は止まった涙がまた溢れ出しそうになる。

 

『だって私、ぼっちちゃんのギターも、ぼっちちゃんのことも好きだし!』

 

うぇっ?!

 

 しかしその涙も衝撃発言の前に引っ込んでしまった。

 受けたことがないストレートな好意に思わず顔が赤くなる。

 え、す、すす好きってあああああのあのあの

 虹夏ちゃんは自分の発言に何も思うところはなかったようで、特に表情が変わることもない。こ、小悪魔…! 私の純情を手玉に?! 

 

『それに、下手っていうのはさっきの演奏聴いててちょっと思うところもあったしねー!』

 

「うん。オーディションもその調子でよろしく」

 

「え? あ、はい…」

 

 いやあの、あれはお姉さんが超絶技巧で私に合わせてくれたからなんです…なんてことは当然言えず。

 リョウさんはともかく、虹夏ちゃんが期待の目でこっちを見ている。やばい、初めて会った時の喜多さんと同じだ…

 あれ、喜多さんといえば、姿が見えない。

 

「あ、あの、喜多さんはどうしたんですか? や、やっぱり私が難聴だって知って怒っちゃいましたかね…?」

 

『あー、喜多ちゃんは、ねー…』

 

「今は虹夏の家で寝てる」

 

「寝てる?」

 

「気絶した」

 

「き、気絶?!」

 

 ど、どういうこと?! 私が逃げ出したことと喜多さんの気絶に関連性が見られないんですけど…

 虹夏ちゃんが私に上着をかけ、ついでに吐瀉物で汚れたジャージを火バサミでビニール袋に回収している。準備がいい、お、お母さんかな? 

 

『その辺は喜多ちゃんが起きたら聞こっか。ぼっちちゃんを追いかけてきたとはいえ、気絶した喜多ちゃん置いてきちゃったわけだし。というわけで、一旦STARRYに帰ろー!』

 

「帰ろ帰ろ」

 

「あ、はい」

 

 気絶してたとはいえ、動けない喜多さんを置いてまで探しにきてくれたんだ…少し申し訳なくなると同時に、とても嬉しくなる。

 そういえば、虹夏ちゃんは追いかけて来たと言ってたけど、どうやって場所が分かったんだろう? 私も結構な時間ここでライブしてた訳だし、総当たり? いや、それにしては早すぎる。

 

『あ、廣井さん、今回はありがとうございました!』

 

『いーよぉ、先輩によろしく言っといてねぇ』

 

「え、っと、どういうことでしょう…?」

 

『ぼっちちゃんの居場所、廣井さんがお姉ちゃん経由で教えてくれたんだよ』

 

「い、いつの間に!」

 

『あたしSTARRYの店長と知り合いなんだよね。で、ひとりちゃんがあそこで活動してるって言ったからさぁ、一応連絡入れといたんだー』

 

 お姉さんが画面の割れたスマホを軽く掲げて見せる。あ、もしかしてライブ前にスマホいじってたのって、そういう…

 何だろう、すごく、スマートだ…!! わ、私もお礼しないと。

 

「お姉さん、今日は、その、あ…ありがとうございました!」

 

『あはー、また一緒にセッションしようねー。あ、あたし新宿で活動してるから、ライブ見に来てくれると嬉しいなー』

 

「も、もちろんです!」

 

 お姉さんはヒラヒラと手を振る。やっぱりバンドマンって、かっこいいなぁ…

 そんなことを思っていると、リョウさんがずずいとお姉さんの前に出る。

 

「あの、SICKHACKのベースの方ですよね! 私、ライブ見に行ったことあります!!」

 

えー君ィ見る目あるねー!

 

「飲酒パフォーマンス最高でした! 酔っ払って観客に酒吹きかけたり、顔面踏みつけられたのもいい思い出です!」

 

あはははは!! 新宿ありがとー! カスどもサイコー!! マザー〇〇〇〇!!!

 

 かっこ、いい…? 

 

 

 ────────────────

 

 

 

 

 

 

「おっはようございまーす!」

 

 いつも通りSTARRYのドアを開け放って元気よく挨拶。開店前のホールには、伊地知先輩と愛しのリョウ先輩が椅子に腰掛けて雑談していた。

 伊地知先輩はともかく、リョウ先輩がもういるのはちょっと珍しいかも。いつも大体私の方が早いのに。

 

「リョウ先輩、伊地知先輩、おはようございます! リョウ先輩、今日は早いですね!!」

 

「うん。虹夏に早く集まれって言われたし」

 

「遅刻されたら堪らないしねー。ていうか、喜多ちゃんにも連絡入れたよ?」

 

「本当ですか? すみません、見てませんでした」

 

 スマホを確認すると、伊地知先輩に言われた通り結束バンドのトークルームと個人宛の両方に連絡が入っていた。

 …入っていたが、何故かその文字だけがぼやけて見えない。

 

あれ、見えない…? えっと、なんで早く集まったんですか?」

 

「今後の方針について話し合おうと思ったんだよ」

 

「今後の方針…? ああ、ライブのオーディションが近いからですか?」

 

「それもあるんだけど…まぁ、とりあえず全員揃ったし、ミーティング初めよっか」

 

 伊地知先輩はどこか複雑そうな表情で言う。て、え? 全員揃ったって、まだ後藤さんの姿は見えない。またどこか狭いところに隠れているんだろうか。

 

「伊地知先輩? 後藤さんがまだ来てませんけど…?」

 

「え? …郁代が言うの、それ」

 

 その言葉に反応して顔をこちらに向けたのは何故かリョウ先輩だった。眉根を寄せて険しい顔をしているのは、見間違いではなさそうだ。でも、私にはリョウ先輩がなんで怒っているのか分からない。

 

「ええっと…喜多ちゃん?」

 

「な、何ですか?」

 

 伊地知先輩が苦笑いして私を呼ぶ。そういえば、用事がない時は放課後いつも後藤さんと一緒に来てるはずなのに今日はいなかったっけ。あれ? 今日って何曜日? 学校ある日だっけ。そもそも、私はどうやってSTARRYまで…

 

 

 

 

「ぼっちちゃんならバンド辞めちゃったじゃない?」

 

 

 

 

 思考が止まる。

 

 

 

 

「というか、喜多ちゃんがぼっちちゃんに『耳が聞こえないのにバンドやってる人なんていない』とか言ったんじゃなかったっけ?」

 

「…私は、郁代のことまだ許してないから」

 

「いや、ちがっ」

 

「何も違わないでしょ? 耳が聞こえないぼっちちゃんにあんなこと言って。傷つかないわけないよ」

 

「そのせいで、ぼっちはバンド辞めた」

 

「そんな、わたし」

 

 そうだ。私が後藤さんに酷いこと言ったんだ。

 いや違う、そんなつもりは無かった。私は冗談のつもりで。

 でも後藤さんは本当に難聴だった。じゃあ私の言葉はどう聞こえた? どう考えても致命的な一打になっただろう。

 

 足がふらつく。

 世界が歪む。

 先輩たちの姿が黒く染まる。

 

 お前のせいだ

 ぼっちは

 

「いや…」

 

 もはや黒い輪郭しか分からなくなった先輩たちから、私を咎める声が次々と投げかけられる。

 耳を塞いで蹲るけれど、意味をなさなかった。まるで声が頭の中に直接響いているかのようだった。

 

                傷ついて

 可哀想に

 STARRYから走り去って

 泣いてた

 

「いやああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああ!!!??」

 

 叫び、思い切り上体を起こした。…え? 

 両手には掛け布団が掴まれている。状況が掴めない、さっきまでSTARRYにいた筈で…

 

「あ。ゆ、め?」

 

 そうだ、私は。

 リョウ先輩に後藤さんの事情を伝えられて、目の前が真っ暗になって、そして…そこから記憶がない。

 もしかして、気絶していたんだろうか。

 

「私…」

 

 思い出し、吐き気が込み上げる。

 今のは夢だった。でも、最低なことを言ってしまったという事実は消えない。

 アレが夢で終わってくれる保証なんて何もない。

 

(後藤さんが、辞める?)

 

 全身が冷え込み、思わず体を両腕で抱きしめた。

 怖い。

 震えが、涙が止まらない。

 そこまで来てようやく、自分が考えていたよりもずっと、後藤さんのことを大事に思っていたことに気づいた。

 

(だって、仕方ないじゃない)

 

 音楽にそこまで興味のなかった私でも心を動かされるほどカッコいいギターの実力を持っている、同い年の女の子。

 そんな子がつきっきりで、メリットなんて殆ど無かっただろうに、自分の時間を削って私のためにギターを教えてくれた。

 きっと考えているよりもっと前に、後藤さんは私にとって特別な存在になっていたんだ。

 

 

 最初はギターの先生で。

 段々と大事な友達になって。

 自業自得で窮地に陥っていた私を救ってくれた、救世主(ヒーロー)

 

(謝らなきゃ)

 

 後藤さんに謝りたい。しかし、私の発言を聞いた(よんだ)後藤さんはどこかへ走り去ってしまった。ならば今直ぐにでも探しに行かなければ。

 許してくれないかもしれない。もう友達とは言って貰えないのかもしれない。そう考えると怖くて堪らない。

 

(いや、だなぁ)

 

 傷つきたくない。傷つけたのは私のくせに。

 …私がこのバンドを抜けたら、丸く収まるだろうか。それは逃げでしかないと分かっていても、そんなことを考えてしまう。

 

(怖い。でも、逃げたくない)

 

 ここで逃げれば、きっと後藤さんと会うことはもう二度とない。そう思えば、竦む足も前に出せる。

 涙を拭う。頭の中をミキサーにかけたみたいにぐちゃぐちゃだけど、後藤さんを探しているうちに少しは落ちつくかな? 

 とにかく、今は行動しなければ。

 …というか、そもそもここはどこだろうか? 私の家のベッドではないし…

 そう思い、周囲を見回そうとして首を横に向けると。

 

 

 

「あ、その…だ、大丈夫ですか?」

 

 

 

 今、一番会いたくなくて、一番会いたい人がそこにいた。

 

 

 ────────────────────────

 

 Q.めちゃくちゃ顔がいい友達が急に抱きついてきて離れなかったらどうすればいいですか? 

 A.どうしようもない! 諦めよう!

 

 私の頭の中にはそんな無能QAが駆け巡っていた。

 

 待て、と、とりあえず状況を整理しなければ。

 お姉さんとのセッションを終えた後、私たちはSTARRYに一旦戻ってきた。

 で、虹夏ちゃんは買い出しに行き、リョウさんはいつの間にやら居なくなっていたので、私が気絶していた喜多さんを虹夏ちゃんの部屋で見守っていたのだが…

 さっき突然喜多さんがガバッと起き上がった。しばらく泣いたり青ざめたりと忙しい様を黙って(錯乱した人に声をかけるなんてコミュ障にはできない)見ていたら、喜多さんがこっちを見て硬直した後、急に抱きついてきて、今に至る。

 

 うん、状況を整理しても意味不明だった。誰か助けてください…

「あ、あの…喜多さん?」

 

ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいごめんなさい許してなんてもらえる訳ないのは分かってるでもせめて謝罪の言葉だけでも本当にごめんなさい後藤さん

 

 声をかけるが、一向に体勢が変わらない。一応、胸元から伝わる振動で喜多さんが何かを話しているのは分かるけど、口が見えない現状では何を言っているかはさっぱり分からない。な、何を言っているんだろう…分かる分からないはともかくとして、くすぐったいからそろそろやめて欲しい…

 

「(なんで皆抱きつくんだろうか…)き、喜多さん? お、落ち着きましたか…?」

 

『…』

 

 やんわりと肩を押し上げると、抵抗は無く顔を上げてくれた。

 しかし、沈黙の状態は続く。あ、あの、コミュ障に無言の時間は辛いので何か話して欲しいです…

 

「その、大丈夫でしたか?」

 

『…』

 

「えっと」

 

『…』

 

ああああ間がもたないいいい

 

 それから5分ほど喜多さんは何も話さずに視線を下に向け、険しい顔をしていた。最初は私も間を持たせるために話題を振ろうとしたが、私とは真逆の性質を持つ陽キャの喜多さんにどんな話題を振っていいか分からずに、結局謎の緊張状態を保ったまま喜多さんの様子を見ていることしか出来なかった。

 

(うーん、顔を顰めているはずなのに可愛い…)

 

『後藤さん』

 

「はっ、はい?!」

 

 黙っていた喜多さんが急に顔を上げて私に呼びかけ、反応が遅れた私は盛大に声が裏返ってしまった。やばいめっちゃ恥ずかしい。そしてそれまで喜多さんの顔を凝視していた手前、視線を外すこともしづらい…! 

 そんな動揺しまくっている私の内心には気付かなかったのか、喜多さんは袖口で目元を乱暴に拭い、充血した赤い目でずいっと近寄り、私と向き合った。

 

 目と目が合う。

 

 視界いっぱいに広がる、喜多さんの決意の籠ったその表情があまりに真剣で、そして綺麗で。

 いつもは目を見て話せない私も、この時はそんな考えすら浮かばなくなってしまった。

 

 私の視線は喜多さんに固定され、喜多さんはそれを確認してから、ゆっくりと、はっきりと、大きく口を動かして言葉を紡ぐ。

 

『ごめんなさい』

 

「──」

 

『言い訳なんてできない。私は…あなたを最低な言葉で傷つけた。許して、なんて言える立場じゃないことは分かってる。でも、謝罪の言葉だけは言わせて欲しいの。本当に…本当にごめんなさい!!』

 

 そう言って喜多さんは頭を下げた。

 ごめんなさい。つまりは、謝罪。何について謝罪しているかは、流石に私でも分かる。

 ただ、傷ついたとか、私の気持ちを考えろだとか、そんなことを言うつもりは毛頭なかった。そもそも喜多さんが悪いだなんて私は思ってもいない。むしろ謝るのは私の方なのに。そんなことを色々と頭に思い浮かべる。しかし、対人経験の少ない私には、頭を下げ続ける喜多さんにかける言葉が思いつかなかった。

 それでも、何も言わないなんてこともできず、恐る恐る口を開く。

 

『…』

 

「…ないです」

 

「…」

 

「許すとか、許さないとか、その、無いです」

 

『…!』

 

 喜多さんが頭を上げるが、その表情には困惑が浮かんでいる。それはそうだ、実際私自身も何言ってるかあんまり分かってない。あれ、な、何を言ってるんだろう私?! 

 どう伝えようかと脳内に積まれた段ボールの山を漁るが、適切な言葉は見つからず、結局まとまらない考えをそのまま喜多さんに話した。

 

「確かに、言われたときは、あ、頭が真っ白になって、思わず飛び出して。『耳が聞こえない人がバンドやるなんてありえない』って思い知らされた気がして」

 

 それを聞かされた喜多さんは再び俯いてしまう。ああ、なんでこんなに説明が下手なんだろう。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。

 

「で、でも、その言葉に傷ついたから逃げた、訳じゃないんです」

 

『え?』

 

 最初はショックを受けた。でも、それはきっかけだ。私が逃げ出さなきゃいけなかった本当の理由は。

 

「り、リョウさんから聞いてるかもしれないんですけど…私、前に難聴が知られたせいで居場所を壊してしまったことがあるんです。なので、難聴がバレた今、私がいたら、ま、また周りの人に気を使わせてしまうって。私が居続けたら結束バンドも壊してしまうんじゃないかって思ったんです」

 

 結束バンドは、本当に居心地のいい、私の宝物だ。もう今後一生こんな居場所が手に入ることはないだろう。

 

 だからこそ私は怖かった。耐えられなかった。私のせいでバンドが無くなってしまうなんて認められなかった。だってそれは、難聴の私がバンドに参加すると判断したこと自体、間違いだったということになってしまう。

 そして、無意識のうちに、答えから遠ざかるために逃げ出したんだ。

 

 まぁ結局、自分で気づいてしまったけれど。

 

「も、もしかしたら壊れないかもしれない。私が何食わぬ顔で戻ったところで、喜多さんも虹夏ちゃんも、これまで通り接してくれるかもしれない。でも、わ、私は、確かめられませんでした。そんな勇気は、ありませんでした。ただ少なくとも、私がいなくなれば結束バンドは元通りになる。だって結束バンドに私は元々いませんでしたから」

 

『…』

 

「どうしても嫌で、怖くて。それでその、逃げたんです。喜多さんが悪く無いっていうのは、許すとか許さないとか無いっていうのは、そういう意味です」

 

 喜多さんは何も悪くない。そもそも罪がないのに、許すも何もない。きっかけなんて、それこそ些細なものだ。今回は偶々喜多さんが私の地雷を踏んだだけで、これが無くてもそのうち誰かが踏んでいただろう。私が自爆していた可能性だってある。そして、それまでに私が自己申告出来ている可能性は…ここまでの日々を見るからに明らかだろう。

 そう言うと、喜多さんは黙ってしまった。こんな、一歩踏み出すこともできない弱い私に、喜多さんは失望しただろうか。

 喜多さんが私を頼ってくれていたことは知っている。最初は承認欲求を満たすために、喜多さんにギターを教えていた訳だし。

 

 再び沈黙。処刑が決まった死刑囚のような、焦りと諦念が混ざり合った不快な感覚が私を包む。

 心臓がうるさい。喜多さんに聴こえてないと良いのだけれど。

 

『後藤さん。ううん、ひとりちゃん』

 

「…は、はい、えっ?」

 

 しばらくお互い何も言わない時間が続いていたが、喜多さんが私に声をかけ、と、というか、な、名前? えっ?! 別の意味で心臓がうるさくなってる…!?

 そしてそのまま喜多さんは私の手を両手で取った。ちょっまっ?! 

 

 

 

 

『ありがとう』

 

「!」

 

 

 

 名前を呼ばれ、手を取られ。そして突然の感謝の言葉に体が硬直する。

 

『私たちのこと、結束バンドのこと、大事に思ってくれて本当にありがとう』

 

『ひとりちゃんが走り去った後、私、もしひとりちゃんがバンド辞めたらって考えたら、すごく怖かったの。もう私、ひとりちゃんがいない結束バンドなんて考えられない』

 

『だから、お願い。いなくなるなんて、言わないで…』

 

 段々と声が震え、最後には喜多さんは泣き出してしまう。

 私は手を喜多さんに取られたまま、身じろぎ一つすることもできなかった。喜多さんの言葉が、あまりに衝撃的だったから。夢、じゃないよね? 

 ありがとうなんて。こっちのセリフだった。私だって辞めたくなんて無かった。

 

「喜多さん」

 

『何…?』

 

「私、コミュ障で、陰キャで、…耳が聞こえなくて。それでも、結束バンドでギター、やりたい、です。い、いいですか…?」

 

『いっ…良いに決まってるじゃない!! 難聴なんて関係ない、ひとりちゃんがいいの!』

 

「あ、その。これからもよろしくお願いします…あわわっ」

 

 同時に喜多さんが抱きついてくる。あ、あ、だ、だからその場合の対処の仕方がわからないんですって…! 

 でも、じわりと、胸が暖かくなる。もちろん抱き付かれてるからって訳じゃない。心がだ。

 

 …喜多さんの気持ちを聞いて、酷く安心した。喜多さんが最後だったけれど、誰か一人でも嫌がるなら、私は辞めるつもりだったからだ。

 

「そ、それにしても、良かったです。喜多さんがそう言ってくれて」

 

柔らかい落ち着く匂いがするなんでこんなに柔らかいのかしら本当に同じ生き物なの私にもちょっと分けて欲しい…え?』

 

 私の胸に頭を埋めていた喜多さんが顔を上げる。ちょっと赤くなってるけど大丈夫だろうか…? 

 

「あ、安心しました。喜多さんが反対するなら、私は辞めようと思ってましたから」

 

『言わないわよ、そんなこと…。ていうか、私が嫌って言ったらってことは、私のことをそんなに重要視してくれたってことよね!!』

 

「あ、いえ、喜多さんが最後だったので」

 

 そう言った瞬間、暖かかった喜多さんの雰囲気が急変した。笑顔のままのはずなのに圧が凄い。抱きしめたままだった腕が万力のように私の胴体を絞り上げる。

 

……は?

 

ひぃっ?! いいいいいだだだあだだだっだききき喜多さんやめやめ辞めてくださささ

 

『ちょっと詳しく話してくれる? 私が最後って、どういうこと?』

 

あああああ話します話します話しますからいったんうでを解いてててて

 

 恐ろしい笑顔で迫ってくる喜多さんに、私はSTARRYに戻ってくるまでに起きたことを話すのだった。

 

 

 

 

 ──────────────────

 

 

 

 日付が変わって翌日。

 今日からは、週末のオーディションに向けて練習を詰めていくことになっている。

 まだ日曜日の午前中なのでお客さんはいない。いつも通り適当な席に座っていると、STARRYの扉から風が吹き込む。誰かが新たに来店してきたようだ。

 

『おはようございまー…す?』

 

「あ、おはようございます…」

 

『おっはよー』

 

「…おはよ……ぐぅ」

 

『ほら起きろー揃ったよー』

 

 扉を開けたのは喜多さんだった。知ってた。というのも、他のメンバーは全員揃っているからだ。

 ところで、いつもの休日練習は午後開始になることが多い。まぁ上階が家になっている虹夏ちゃんやこの辺に住んでいるリョウさんや喜多さんに対し、私だけ来るのに二時間かかってしまうから午前に開始できないだけなんだけど…。

 ただ、今はまだ昼には程遠い時間。普通ならこの時間にSTARRYに来ようとすれば5時起きでもギリギリな私が、何故喜多さんよりも先に来れたかと言うと…

 

『ひっ、ひとりちゃん?! 昨日伊地知先輩の家に泊まったってホント?!』

 

「え? あ、は、はい。そうですけど…」

 

『大丈夫だった? 変なことされてない?!』

 

『するか!』

 

「だ、大丈夫でしたよ。そ、それに、ご飯も頂いてしまって…」

 

 昨日私が虹夏ちゃんの家に泊まったからだ。喜多さんが起きた後、もう夜も遅かったので家が遠い私は急遽泊まることに。それは良かったのだが、LOINEで家族にバンド仲間の家に泊まると連絡したら、やたら存在を疑われた。バンドやってることは伝えてるはずなんだけど、も、もしかして信じられてない…? 

 

『い、一緒にお風呂入ったりとか?!』

 

『ウチのお風呂は二人で入れるほど広くないよ…』

 

「zzzz」

 

「りょ、リョウさん、起きてください…」

 

『そこっ! もう練習始めるよ!』

 

「っは…寝てない、寝てない」

 

『リョウ先輩の寝ぼけ顔…激写!!』

 

 虹夏ちゃんがリョウさんを引き摺っていき、喜多さんがテンション高くそれに追従し、私もついて行く。

 …何か、アレだ。私、戻って来たんだなぁ。

 いつもの光景を見て、そんな実感が湧いてくる。色々あったのは昨日だが、今になって気持ちが追いついた感じがした。

 

『ひとりちゃん? どうかした?』

 

「あ、いえ。大丈夫です」

 

『本当? やっぱり伊地知先輩に何かされたんじゃ…』

 

『そこ、聞こえてるぞー。ぼっちちゃーん、喜多ちゃんの言うことなんて気にしなくていいからねー』

 

 喜多さんが反応のない私を心配して声をかけてくれる。喜多さんも虹夏ちゃんも元々気遣い上手だ。特別私に気を遣っていた訳じゃなくて、二人はこれが普通なんだろう。息をするように周囲を見て、優しくすることができる、その人に合わせることができる。ただ、それだけ。

 

 そうだ。そうだよね。

 結局、昨日のことは全ては私の固定観念からくる杞憂だった。虹夏ちゃんや喜多さんは必要以上に私に気を使うなんてことは起こらないし、当然それが原因でバンドが崩壊することもない。

 私が案じるまでもなく、この結束は弱くない。それをようやく私は理解できた。

 

 

 コミュ障でも、陰キャでも、耳が聞こえなくても。

 押入れじゃなくても、階段下謎スペースじゃなくても、路地裏じゃなくても。

 息が合うんだか合わないんだかは分からないけど、皆と一緒なら。

 

 私は自然体でいられる。

 

 

 ここが、私の居場所(ホーム)なんだ。

 

 

『ぼっちちゃん? ぼーっとしてるけど、ほんとに大丈夫?」

 

「あ…はい」

 

 練習機材の設置が終わった虹夏ちゃんが声をかけてくる。確かに少し考えてはいたけど、気分が悪い訳じゃない。むしろ──

 

「何だか…今日は行けそうな気がします」

 

 肩にかけたギターの重さが心地良い。すーっと深く潜るような感覚。これは、良い流れだ。

 

「ひとりちゃん、なんかかっこいいわ!」

 

「エンジンかかった?」

 

「なら早速始めようか! いい? 行くよ!」

 

 いつものようにスティックを叩いて虹夏ちゃんがカウントする。

 そしていつもならそのカウントを食い入るように見ながらギターを鳴らすのだけど、今日はその必要はなさそうだ。

 

「──」

 

「「!!!」」

 

「?」

 

 聞こえる。

 ドラムの動きを見るまでもなく、聞いてギターでイントロを奏でる。

 かといって走ることもなく、遅れることもない。これなら、もう少し主張してもいい…? 

 

「暗く狭いのが好きだった──」

 

 歌詞部分に差し掛かり、喜多さんの歌が聞こえてくる。

 ああ、初めて聞いたけど、喜多さんはこんな声で歌うんだ。イメージしてたのとちょっと違って、でも凄くかっこいい。

 そのインパクトに負けないように、歌がない部分ではしっかりと強調して音を飛ばす。

 

「かき鳴らせ──」

 

「っ」

 

 サビでは歌を潰さないように、でもギターの主張が消えすぎないように。

 音が聞こえるようになったことでいつもよりも気をつけることが増えるけど、不思議と今日は負担に思わなかった。

 その難しさすら、面白い。一人でギターを鳴らしているだけでは一生味わえなかった感覚。

 

 

 ああ、バンドって。

 

 楽しい!!! 

 

 

 以前の練習ではここまでで終わっていた。ろくに合わせができず、この先まで進めなかったからだ。

 実はここから先も、このまま合わなそうなら、サビをもう一度繰り返してそのまま曲を終えると言う話になっていた。

 けど、今日の私なら!! 

 

「っ!!」

 

「「!」」

 

ぁ──!

 

 サビの終了直前にギターをかき鳴らし、ちらっと虹夏ちゃんにアイコンタクト。ソロパートへ移行する意思を見せる。

 そんな急な転換にもリズム隊の二人はついて来てくれて、喜多さんは一瞬驚きながらも合わせてくれた。

 

「────!!」

 

 リョウさんが考えてくれたこのソロパートは、全体的に難しい。でもそれも、私なら出来るって信じてくれたんだと考えれば嬉しく思う。

 

 集中するにつれて背中が丸まる。目つきも悪くなっているかもしれない。

 9小節目の速弾き、指が追いつかなくなりそうだ。

 

 余裕は無い。けど、何故かここで失敗するイメージが浮かばなかった。

 

 

 

「! っふう────…

 

 何とかソロを超えた。

 

「私俯いてばかりだ」

 

 喜多さんの歌がCメロに移る。この部分は、書いた当初はこうなればいいなという願望だった。でも今は違う。

 

「「それでいい」」

 

 俯いたままでもいい。だって、私は。

 

「猫背のまま」

 

「虎になりたいから──!!」

 

 

 

 

 

 

「すぅぅぅぅぅぅぅ…フゥゥゥぅぅぅぅぅ」

 

 無事に曲を弾き終わり、深呼吸で乱れた息を整える。本気になってギターを弾くとそれだけでエネルギーを使い、息が切れる。

 で、でも、その甲斐あって、今までで一番良かったんじゃないかな? え、えへへへ

 

「「ひとり(ぼっち)ちゃん!!!」」

 

「すぅぅぅぐふえええ!!??」

 

 ゲホッごはっ、な、何事ぉ?! な、内臓飛び出る!!! 

 左右からの同時衝撃により呼吸が中断されて咳き込む。あ、虹夏ちゃんと喜多さんが飛びついて来たのか、何が起こったのかと思ってしまった。

 二人分の体重の乗ったタックルにもやしが耐えられるはずもなく、床に尻餅をついてしまう。あ、あの、抱きつかれてると身動きができないんですけど…

 

「げほ、ど、どうかしましたか?」

 

「どうしたもこうしたもないよ! 最高だった!!』

 

『やっぱり凄いわ! ひとりちゃん!!』

 

あ、えへ、ふへへ、あああんまり褒めると、ちょ、調子に乗っちゃいますよ、うへへへ

 

「あとはオーディションでそれができればね」

 

「あ、そうですね、ハイ」

 

 二人からのベタ褒めでいい気分になっていたところにリョウさんから冷ますような指摘が入る。そ、そうですね、これまでの演奏を考えればマグレって事になるし…調子乗ってすみません…

 でも、まだオーディションまで数日ある。今までに比べたら大きな進歩だったし、あとは詰めていけばマグレじゃなくなる…と思いたい。

 虹夏ちゃんが私を介抱しつつフォローしてくれる。

 

『もー今回くらいはいいんじゃない?』

 

「虹夏はぼっちに甘い」

 

『でも本当に良かったわ! 初めて私に教えてくれた時よりも、ずっと!』

 

「あ、ありがとうございます。き、喜多さんの歌も、初めてちゃんと聞けましたけど、凄くかっこよかったです」

 

 喜多さんの歌、本当にかっこよかった。これまで一度もあれを聞かずに演奏していたんだと思うと、かなりもったいなく思う。

 これから先、私の耳が良くなったら。普段の会話ももっと自由にできるようになるかな。

 

『!! 聞こえたの?!』

 

「あ、はい。も、もっと聞きたかったんですけど、今はもう何も聞こえませんね…やっぱり不便、ですね」

 

〜〜! ひとりちゃん! 今すぐ二人っきりでカラオケでも何でも行きましょう!! いくらでも聞かせてあげるから!!!

 

あああいやそそそのしゅしゅしゅ集中しないと聞こえないのででで

 

 喜多さんに肩を掴まれてそのままガクガクと揺さぶられる。うう、気持ち悪くなってきた…

 抵抗できずに顔を青くしていると、虹夏ちゃんが喜多さんを引き剥がしてくれた。

 やばい吐きそう。

 

『ほーら、ぼっちちゃん死にそうになってるよー』

 

『あ、ごめんなさい! ちょっと興奮しちゃって』

 

「だ、大丈夫です…うぷ

 

『ちょっと、全然大丈夫じゃないじゃん! これ! 袋!』

 

「あ、りが」

 

 あ。

 

 

 

ひ、ひとりちゃーん!?!?

 

 

 

 〜〜〜しばらくお待ちください〜〜〜

 

 

 

 

 

 オーディション当日。

 

 あれから練習を続け、私は皆との演奏の時は、一人の時と同じように集中できるようになった。

 合わせ技術もずいぶん上達したと思う。あの日の練習のように完璧に、とは行かなかったけど。

 

 でも、たとえあの時ほどの演奏ができなくても、合格が貰えるラインには到達したんじゃないか…、と言う希望的観測ができるくらいにはなった筈だ。あ、私が緊張して何も聞こえなくなった時は多分無理です…

 

『ひとりちゃん大丈夫?』

 

「深呼吸、深呼吸」

 

「あ、はい…」

 

 既にチューニングは終わっていて、あとは虹夏ちゃんが呼びに行ってる店長さんたちが来たらオーディションスタートだ。

 喜多さんとリョウさんが私を気にかけてくれる。そ、そんなにひどい顔してたかな…? つい顔をむにむにと揉んでしまうが、いつも通りの陰キャ顔をしていると思う。

 

 ただ、自分で言うのも何だけど、今日は大丈夫な感じがする。

 だってこんなにも──

 

「ひとりちゃん?」

 

「大丈夫です」

 

「!」

 

 よく聞こえる。

 

 

 

 暫くして、虹夏ちゃんが店長さんとPAさんを伴ってやってきた。

 虹夏ちゃんがドラムを軽く叩いて最終確認をしているのを横目に、一度だけ深呼吸する。

 ギターの重さが心地いい。

 世界が自分を中心に回っているような感覚。

 

「じゃ、やる曲名、言って。あとバンド名も」

 

 店長さんが肘をつきながら気怠げに言うが、よく見ればその目は鋭く、真剣だ。

 でも、その程度ではもう怯まない。

 

「はい! 【青春コンプレックス】って曲、やりまーす!!」

 

 虹夏ちゃんが元気よく宣言する。少し緊張しているみたいだけど、表情は笑顔だ。

 リョウさんはいつも通り。既に自分の世界に浸っている。

 喜多さんは、と視線を向けたところで、目が合った。

 

「!」

 

 少し驚いていたけど、私にウインクしてくれた。余裕がありそう。

 一瞬意識して目を閉じ、そして開く。

 その時にはもう、世界はこれまでにないほど鮮明だった。

 

 

 

 行こう。

 

 

 

 

「結束バンドで!」

 

 

 

 

 




これにて終わりです。

期間が空いてしまいましたが、待っていてくださった方々、お付き合いいただきありがとうございました。


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