魔王を倒した半人半魔の男が、エルフ族の国で隠居生活を送っていたら、聖女に選ばれた魔王の娘を教え子に迎えて守り人になる。 (八魔刀)
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第一章 魔王の娘
プロローグ


 

 

 嘗てこの世界には魔王がいた。

 魔王、魔族の王、魔法を極めし者、人族の敵。力で全てを支配してきた存在。

 人族は魔王とそれが率いる魔族と長い長い、それは長い戦いを繰り広げてきた。魔族の魔法は人族が使う魔法よりも遙かに強力で、戦いの果てに人族は魔王軍によって滅びの危機に瀕してしまった。

 

 その危機を救ったのは七人の勇者と呼ばれる存在だ。

 勇者は世界を創造した七柱の神様によって遣わされた若者達だった。

 彼らは『地・水・火・風・光・氷・雷』の力をそれぞれ身に宿し、その力で魔王軍の勢いを削ぎ落とした。そして瓦解していた人族の軍を瞬く間に纏め上げ、新たに勇者軍を結成して魔王軍と戦った。

 

 結果、七人の勇者によって魔王は討たれ、王を失った魔族は人族と停戦協定を結んだ。

 人族を救った勇者達は伝説となり、後世に長く語り継がれることになる。

 

 そんな戦いがあったのはたった五年前のことだ。伝説と言えるようになるには、まだまだ時間が掛かるだろう。

 勇者軍と魔王軍の戦いを『人魔大戦』と人は呼ぶ。その大戦で俺は勇者達と一緒に戦っていた。自慢じゃないが、魔王との直接対決にも俺は参加していた。

 

 勇者達は七柱の神様の力である『地・水・火・風・光・氷・雷』の七つの属性にそれぞれ特化した魔法を身に宿していたが、対する魔王はその全てをたった一人で行使し、しかも威力も勇者達と同等且つそれ以上だった。

 

 そんな魔王との戦いは正に想像を絶する戦いだった。勇者でもない俺が一緒に戦って、しかも勝って生還したんだ。さぞかし褒美だって貰えたことだろう。

 

 だが実際は褒美なんて貰っていない。

 あくまでも魔王を討ち取ったのは七人の勇者達。そう言うことに世界の国々はしておきたかったのだろう。

 

 何しろ、俺の出自はお偉いさん方にとっては少々厄介だからだ。

 

 俺は人族と魔族、その両方の血を持つ半人半魔だからだ。両親のどっちが魔族でどっちが人族なのかは知らない。育ての親も大戦で亡くした。物心ついた時には戦場で屍から剥いだ剣を振り回して生き延びていた。

 

 この黒髪と赤目が魔族の象徴であり、そんな奴が英雄視されるのは、お国としては気に食わないのだろう。

 

 だから俺は大戦が終わって軍を辞め、国を出て世界中を旅して腰を落ち着けられる場所を探し回った。人族の大陸じゃ生きづらいと感じた俺は魔族の大陸に渡ってみたりもしたが、向こうからしたら俺は裏切り者のような存在だったことを思い出させられた。

 

 結局、俺は人族の大陸にも魔族の大陸にも馴染めず、三年かかって最終的に人族と同盟関係であったエルフ族の大陸に身を寄せることになった。

 エルフ族は良い。美男美女ばかりで目の保養になるし、清らかな魔力が大陸中に満たされて大地の恵みで溢れている。掟さえ遵守していれば良き隣人として接してくれる。

 

 不満があるとすれば、掟に対して絶対遵守で融通が利かないことと、信奉心が高すぎることだ。例え誰かの命が失われるとしても、それが掟に則ったものならば仕方が無いと受け入れる。神の啓示、即ち予言とあらば簡単に命を差し出すような考えも、俺からしたら異常なものだ。

 それ以外を見れば彼らはとても友好な種族であり、俺のような奴にも友人の一人や二人は持つことができた。

 

 エルフ族は人族とは違い国を複数持たず、大陸が一つの国になっている。

 国の名をヴァーレン王国と言い、エルフの王族が住む都と多くの村が存在する。

 

 俺は大戦時代にエルフの王子と友好関係を築いており、その縁で都であるアルフに迎え入れられた。そこで学校の一教師として雇われ、エルフの子供達に外界に対する知識を教えている。主に怪物から身を守る手段や他種族の歴史、時折剣術も教えている。またいつ戦争が始まるか分からないこの時勢には必要なことでもあった。

 

「よーし、今回はここまで。来週の授業までにウォルフの生態系についてレポートを纏めるように。ノート二ページは最低でも書くこと」

『はい先生』

「よろしい。ではまた次の授業で」

 

 教室から出て行く生徒達を見送り、俺は教壇の席に腰を下ろして一息吐く。

 

 もうこの暮らしを始めて二年経つが、未だ子供達の前で教鞭たれることに慣れない。慣れないと言うか、自分にその資格があるのかといつも疑っている。この手は魔族の血で汚れきっている。この身も血を浴びて臭いがこびり付いている。戦争とは言え、多くの命を奪ってきた俺が、子供達の前で何かを教える資格があるのだろうか。

 

 いくら自問自答しても答えは見つからない。この学校の教師や生徒達は俺を快く迎え入れてくれている。結局のところは俺の心次第だ。

 

 首に提げている金の指輪を指で弄りながら耽っていると、教室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「ルドガー先生」

 

 視線を向けると、床に着きそうなほど長い金色の髪を持つ女性が立っていた。

 

「アイリーン先生。何か用でも?」

「ええ。これから昼食なのですが、ご一緒にどうかと思いまして」

 

 アイリーン先生はそう言って優しく微笑む。

 こんな美女からの誘いを断るようなら男じゃない。

 

「喜んで」

 

 俺は席から立ち上がり、緩めているネクタイを正して快く誘いを受けた。

 教室から出て俺とアイリーン先生は廊下を並んで歩く。

 

 この学校は嘗てのエルフ王が建てた巨大な城をそのまま学校にしたもので、古き歴史が溢れる内装をしている。石造りの床や壁に美しい装飾の窓ガラス、城が建てられてから飾られている芸術品等々。魔法で老朽化を防ぎ、当時のままの姿をしている。

 

「ルドガー先生、もう此処に来て二年ですが、随分と教師姿が板に付いてきましたね」

「自分じゃあ、未だに教師としての自信が持てないよ」

「そんなことありませんわ。生徒達は皆ルドガー先生を慕っておられますよ。特に、剣術を教わっている子達は」

「俺もまさかエルフに剣術を教える日が来るとは思ってもみなかったよ。独自の剣術があるのに、態々俺から学ばなくても……」

 

 エルフ族には伝統的な剣術や魔法がある。剣の太刀筋や足運びなどはどの種族でも学べるが、種族特有の個性がある。人族なら身を守ることに特化した盾術、魔族なら圧倒的な魔法、獣族なら驚異的な身体能力を活かした俊敏性と怪力。

 

 そしてエルフ族は魔力から相手の動きを読み取って動く読心術に長けている。更にそれを極めたエルフは魔力から運命を読み取り、未来までも予知することができるとか。

 

 俺が教える剣術は基本は人族の物だが盾を使わない。剣だけで攻撃を捌き、猛攻で相手の攻撃を封じる。意外にも、その剣術はエルフ族の剣術と相性が良かった。学校の生徒だけじゃなく、エルフの軍人にも手解きをしている。

 

「ルドガー先生は人魔大戦の英雄。それにフレイ王子の御友人。我がエルフの戦士達が教えを請いたがるのは当然ですわ」

「英雄ねぇ……」

 

 本当に英雄なら、俺は今頃人族の大陸で相応の地位に収まっていた筈だ。

 でも考えてみれば大きな屋敷で偉そうに踏ん反り返るような生活は性に合わない。英雄視されなくて良かったのかもしれない。勇者達が人族の大陸でどんな生活を送っているのかは知らないが。

 

「こう言ってはなんですが、人族には感謝しています。ルドガー先生を手放してくれたおかげで、我々エルフは稀代の英雄を手に入れられたのですから」

 

 アイリーン先生は誰もが魅了される笑みを魅せてそう言った。

 

 エルフ族に迎え入れられてから、こうやってやけに褒め称える言葉を投げ掛けられることが多くなった。悪い気はしないが、そう褒められ続けられると何か企みでもあるのではないかと勘ぐってしまう。

 

 おそらくだが、王子の信用を得ているからこそ、此処まで英雄視されているのだろう。

 エルフ族は掟の次に王家を何よりも大事に考えている。絶対君主、と言えば聞こえは悪いが、それ程まで王家に重きを置いていると言っても過言ではない。

 もし王子と交流を持たなかったら、エルフ族でも半人半魔である俺を受け入れてくれなかったかもしれない。

 

 俺とアイリーン先生は学校の大食堂へとやって来た。

 この学校では教師と生徒も同じ大食堂を使う。テーブルに着くといつの間にか皿が並べられており、瞬きした直後にはいつも昼に食べているチキンとスープとパンが盛り付けられていた。

 

 これはエルフ族の魔法で、別の場所で調理した料理を移動させてきたのだ。今回はアイリーン先生が大食堂に着く前に厨房へ伝えていたらしくすぐに出て来たが、本来であれば席に着いてから備え付けられている伝票に食べたい料理を書く。すると厨房にそれが伝わって魔法で即座に調理して即座に出される。

 

 今まで世界を見て回ってきたが、此処まで高度で摩訶不思議な魔法はエルフ族と魔族しか使えない。魔法、魔力の適応能力はこの二種族が抜きん出ていて、他の種族では魔法の仕組みを理解しても使えないだろう。

 

 人族も魔法は使えるが、他の種族と比べると一番劣っていると言っても良い。その分、知能が高いのか魔法を発動させる道具を生み出して文明を築き上げている。

 

 その魔力を動力源として魔法を発動させる装置のことを『魔導機』と言う。

 風の噂じゃ、最近になって鉄の馬車が走っているとか何とか聞いた。大戦時代でも魔導兵器なる物があったし、戦争が終わって兵器以外のことを考える時間ができたのだろう。この五年で随分と技術が進んだようで何よりだ。

 

 アイリーン先生はキッシュを上品に食べ、俺はチキンをパンに挟んで口に頬張る。

 

「ところで、ルドガー先生。ルドガー先生は半分魔族の血が流れてますけれど、人族とは成長速度は同じなのですか?」

「ん? いやぁ……どうだろうな。今までは同じように年食ってたけど、これから先は人族と比べたら緩やかかもしれないな。人族と同じ速度で年老いるとは思えないし」

「ではもしかしたらエルフ族や魔族のように長寿かもしれないのですね」

「だとは思うけどな。それが何か?」

「いえ……我々としてもルドガー先生と長く生きられるのは喜ばしいことなので」

 

 何だろう、何か含みのある物言いな気がする。

 

 だけどそうか……寿命のことは考えたことがなかったな。人族の寿命は長く生きられても百年程度だが、魔族の寿命はエルフ族並みに長い。半分だけとは言え魔族の血を引いているのだから、少なくとも人族よりは長生きするだろうな。

 

 それに怪我をしても一日や二日で完治するし、身体能力もどっちかと言うと魔族寄りだ。人族と寿命が違うのなら、尚のこと此処に来て良かったかもしれない。時の流れが違う存在の中で生きていくと言うのは何かと辛い。特に、自分が取り残される側であれば。

 

「ルドガー先生は、午後は授業がありませんが、何かご予定でも?」

「ちょっと王子様に呼び出されててな。また釣りにでも連れ回されるんだろうさ」

 

 エルフの王子様は少しだけ変わっている。エルフの王家は城から出たりはしないのだが、王子様だけは度々城を抜け出しては都を練り歩いたり狩りをしたりする。

 最近では俺が教えた釣りに夢中になってしまい、事あるごとに俺を誘うのだ。

 

 おかげで父君である王様に「余計なことを教えおって」と睨まれたものだ。

 

「ふふっ……フレイ王子はルドガー先生と過ごすことが何よりの楽しみですから」

「止してくれ。俺は男よりも女が好きだ」

「それはそれは、安心しましたよ」

 

 それはどう言う意味だろうか。俺が王子様とそう言う関係だと疑っていたとでも言うのだろうか。それともアイリーン先生は俺に気があるとでも言うのだろうか。後者であれば男として嬉しいものだが。

 

 正直言って、アイリーン先生は俺が今まで見てきた美女の中でとびきりの美貌を持つ。長くて美しい金髪に白魚のように美しい肌、ボンッキュッボンッとしたグラマラスボディは同じ女でも性的興奮を誘発させられるだろう。性格も奥ゆかしさの中にもはっきりと強い意志を見せ、人族で言うところの聖母と言っても差し支えないだろう。

 

 彼女が教えているのはエルフ族の魔法だが、持ち合わせている魔法の知識はエルフ族だけに留まらず、世界中の種族にまで手が届く。

 エルフ族の中でも彼女は正に逸材な存在だろう。俺がエルフ族なら迷わずアイリーン先生を口説いていたね。

 

「ルドガーせんせー! 北大陸の妖精について訊きたいことがあるんですけどー!」

「僕は獣族について!」

「あたしはゴースト退治!」

 

 生徒達が本を持って挙って集まってくる。

 勉強熱心で関心だが、もう少しだけ美女との一時を楽しませて欲しいものだ。

 だが子供達の探究心を捨て置くわけにはいかない。教師としての使命を全うするのが今の俺の役目だ。

 

 アイリーン先生と一緒に群がってくる生徒達の相手をしている内に俺の昼休みは終わるのであった。

 

 

 

 



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プロローグ2

 

 午後、俺は学校の城から出て都の一番高い場所にある王の城へと赴く。

 

 このアルフの都は広大な大自然の中にある丘の上に築かれており、自然の山と石造りの城壁で囲まれている。その周りには深い森もあれば大草原もあり、どれぐらい深いのか分からない大きな湖もある。建物には基本的に石と木が使われているが、城や神殿は全て石造だ。

 

 この都が築かれたのはもう何千年も昔らしいが、人族が此処までの都を築けるようになったのはほんの数百年ぐらい前だ。これも全て魔法の力によるものと言うのだから、エルフ族の魔法って凄い。

 

 城の門番に軽く挨拶して城門を潜り、城の敷地内を歩く。

 この城の作りは学校の城とそこまで違いは無い。寧ろ学校のほうがデカくて広い気がする。

 

 王子を探しながら中庭の廊下を歩いていると、正面から数人のお供を引き連れた緑色のローブを纏った初老の男エルフが歩いてくるのが見えた。

 

 少しだけくすんだ金色の髪を後ろに長し、蒼く輝く鋭い眼光をしたそのエルフは俺に気が付くと無愛想だった顔がより無愛想なものになる。

 

 俺は廊下の端に寄り、軽くお辞儀をするように腰を折る。

 エルフが俺の前に来ると、そのまま立ち去らず前を向いたまま立ち止まる。

 

「半魔の教師が、此処で何をしておる?」

 

 渋く、そして高貴な声でそう訊いてきた。

 

「王子様に呼び出されましてね。探しているところです」

「無闇矢鱈に城の中を歩かれても困るのだがな」

「これは失礼。王子様が居場所を教えてくれないもので」

「……アレなら城の裏手の湖におる。どこかの教師が釣りなどを教えてからというもの、いつも魚や水魔の臭いを着けて、困り果てたものだ」

 

 俺はグッと口を閉じて目を逸らした。

 

 あのアホ王子、まさかずっと釣りをしてんのかよ。エルフの王子から釣りの王子に職替えでもする気か? 釣りの前はキャンプにはまって何日も森の中で過ごしてこっぴどく叱られたってのに、何も懲りてねぇじゃねぇか。

 

 目の前のエルフは落胆したように溜息を吐き、改めて俺に向き直る。

 

「ルドガーよ、アレはたった一人しかいない我が息子だ。謂わば我がエルフ族の次代の王だ。それに相応しい振る舞いをしてもらわなければならん。王子がいつまでも遊び呆けては示しがつかんのだ。これ以上息子を堕落の道に誘おうと言うのなら、我が手でお主を息子の遊び道具に変えてやっても良いのだぞ?」

 

 キレていた。このエルフの王は完全にキレていた。目が冗談を言っている目じゃなかった。頷いていなければ俺の骨を釣り竿にして血管を釣り糸に変えて肉を餌にされるところだった。毛は浮きにでもなってたかもしれない。

 

 エルフの王は「フンッ」と鼻を鳴らして立ち去っていった。

 

 俺は王様に嫌われている。嫌ってるまではいかないかもしれないが、少なくとも気に食わない奴だと思われている。何せ、王子様の遊び癖を酷くしてしまったのは俺なのだから。

 

 所謂、悪い友達って奴だ。元々が城の中でじっとしていられるような性格じゃなかった王子様が、人族の娯楽を知って歯止めが利かなくなったのだろう。

 見た目はもの凄くハンサムだし、肉体も鍛え上げられているからまるで生きた美術品のようなエルフだ。王子だと言うのに物腰も丁寧で気さくな上にノリも良いとくる。人族の中に放り込めば、いったい何人の女が落ちるか分かったもんじゃない。

 

 実際、エルフ族の女達も城を抜け出して街を練り歩く王子様にメロメロだ。

 王子様が女遊びに興味を持たなかったのが唯一の救いだろう。

 

 城を裏口から出て、丘の下にある湖に繋がっている階段を下りていく。その先の桟橋で釣り糸を垂らしている金髪ロングの男エルフが、我らが王子様だ。

 

「王子」

「ああ、ルドガー。やっと来たか」

 

 王子はこっちを見て爽やかに笑う。

 

「王子、頼むから遊びは程々にしてくれって言ったろ。おかげでまた王様にネチネチと小言を貰っちまっただろ」

「そう言うなよ。私にこんな遊びを教えたお前が悪い。お前もやるか?」

 

 元々誘うつもりだったのだろう。釣り竿がもう一本置かれていた。

 いつもなら誘いに乗って付き合うが、今回はそうもいかないだろう。

 

「いや、いい。それより、話があるんだろう? でなきゃ、『城に来てくれ』なんてメモを飛ばしてこない」

 

 釣りに誘うなら素直に最初から釣りをしようと誘ってくるのが王子だ。その王子が用件を伏せてただ来てくれなんて、別の何かがあると言っているようなものだ。

 王子は釣り糸を垂らしながら頷いて本題に入った。

 

「知っての通り、魔族は魔王を失ったことで衰退して、以前のように戦争を仕掛けることができなくなってしまった。そのお陰で魔族が人族を始め、他の種族と停戦協定を結んで戦争を終わらせることができた。魔族にも穏健派というものが生まれたのは知ってるか?」

「いや、それは知らなかったな。俺が知る魔族は――いや、一人だけいたな。もう死んだが」

「大戦で魔族は主だった一族を殆ど失った。辛うじて種を保っていられるのはその穏健派が台頭して纏め上げているからだ。停戦協定も穏健派が提示したからこそだ」

「互いに痛み分けだったからな。人族も多くの国を失った。勇者達がいたとしても、あれ以上続ければ泥沼の戦いが続いていただけだ。人族が停戦を飲んだのも、勇者達がそれを認めさせたようなものだし」

 

 魔王を倒した後、人族の王達は魔族を殲滅しようと戦い続けさせようとしていた。

 

 だが人族も甚大な損害を被っていた。

 そもそもが大きな負け戦状態からの立て直しである。人族の大陸領土の半分以上が魔族に占領させれていた。幾つかの大国も滅び、多くの人族は殺されるか奴隷として囚われていた。

 

 勇者達が現れ、そこから何とか小さな損害を出しつつも無敗で形勢を逆転させていったのだが、最後の戦いの時点で人族の総力戦を仕掛け、既に全戦力は消耗しきっていた。それ以上戦いを続けて縦しんば魔族を滅ぼすことができたとして、人族も更に少なくない損害を受けることになる。

 そうなれば人族が国を、大陸を、生活を立て直す為の力を残しておけなくなる。

 

 それを危惧した勇者達が王達を諫め、停戦を受け入れたのだ。

 だから厳密に言えば、人族と魔族の戦争は水面下で続いている。人族や魔族だけではない、エルフ族も獣族も他の種族も、いつか再び起きるであろう戦争の準備を視野に入れている。

 

 穏健派というのは、その戦争を回避する為に尽力している者達のことを総じてそう呼ぶ。

 

「人族はいずれ魔族を滅ぼそうと戦争を仕掛けるだろう。事実、エルフ族に軍備増強の支援を申し立ててきた。ま、今はまだことを起こそうとは考えていないみたいだが」

「勇者達はどうした? アイツらが戦争を望んでいるとは思えないが……?」

「勇者達は人族の英雄だ。魔族を滅ぼす人族の英雄が、民衆から望まれたら断る訳にもいくまい。本当に民衆が望んでいるかどうかは別としてな」

「民衆は望んでないだろうな。望んでいるのは王達だろう。今の勇者達は王と民の間で板挟みになってるのかもな」

 

 嘗ての勇者達の姿を思い出す。本当に勇ましく、正しくあろうと常に前を向いていた。どんな絶望的状況でも決して諦めず、泥だらけになろうと傷だらけになろうと勝利を掴んできた。

 

 一緒に戦っていた頃が懐かしいかと問われれば懐かしいが、色々とあって今は会いたくはない。

 最後にアイツらの顔を見た時は俺が軍を辞めて国から出て行く時だった。俺を引き止めようとしてくれたが、俺は自分が出て行けば丸く収まると言って何もさせなかった。

 

 雷の勇者なんか、俺が全部諦めて出て行くと言った時にはバカって言って一発ビンタされた。

 ああ、でも光の勇者だけは何も言わなかったな。ただ出て行く俺を冷めた目で見ていた。

 アイツと俺は反りが合わないというか、いつも喧嘩ばかりしていたっけか。

 

「エルフ族は魔族との戦いよりも大戦で失った繁栄を取り戻すことが最優先だと、軍備に関しては丁重にお断りさせてもらったよ」

「懸命な判断だ」

「だがそれにはもう一つ別の理由があってね」

「別の?」

 

 魚が水から飛び跳ねた。

 

「昨日、魔族から使者が来た」

「……宣戦布告、じゃあないよな。穏健派か?」

「そうだ。魔族は魔族でかなり面倒な事態が起きている。その前に、『聖女』については知っているか?」

 

 聖女、これまた久しく聞いてない単語が出たな。

 

 読んで字の如く『聖なる女性』と言う意味の存在は、いずれかの種族に現れる神の使いだ。今まで確認されてきた聖女達は、その種の窮地を救う力を持っていた。

 

 例えば、疫病が蔓延していた時代では病を治癒する力を備えた聖女が。

 例えば、作物が実らず飢餓に瀕していた時代では豊穣の力を備えた聖女が。

 例えば、大地が干上がって乾いた時代では雨乞いの力を備えた聖女が。

 

 言うなれば、種が滅びに瀕した時に現れる女の勇者みたいなものだ。

 

 七人の勇者の中には女も二人いるが、彼女達は聖女ではない。

 聖女はその証として身体の何処かに赤い翼のような形の刻印が現れる。

 二人にその刻印は無かった。実際に俺がこの目で見たわけじゃないが。

 

「その種の滅びを防ぐ為に現れる女、ってことしか知らない」

「それで良い。実は聖女が現代に現れた」

「現れたって……おい、まさか……」

「ああ――今代の聖女は魔族だ。それもかなり厄介な立場のな」

 

 王子は端麗な顔を曇らせた。

 

「魔族に聖女が現れたことで、それは魔族を滅びから救い出す神の啓示となってしまった。それを人族の王達が知ればどうなると思う?」

「当然、面白くはないだろうな。最悪、聖女を殺しにかかるかもしれない」

「それだけじゃない。穏健派以外の魔族は、聖女を御旗にして戦争を仕掛けるだろう。魔族が滅びに直面しているとすれば、それは魔王が不在で繁栄する力を失っているからだ。魔族は魔王がいなければ力が衰退していく存在だからな」

 

 魔族は魔王がいて初めて本来の力を発揮できる。謂わば、魔王が力の動力源なのだ。

 

 魔王となった瞬間から心臓を捧げ、全ての魔族に力を齎す。心臓を失ってしまえば力は大きく削がれてしまい、繁栄力も極めて小さくなってしまう。

 

 だからこそ魔族は種が滅びる前に停戦を申し出たのだ。王達は魔族を滅ぼしたいが為に戦いを望んだが、このまま放っておけばいずれ魔族は滅ぶ。それまでに人の王は何代も入れ替わるが。

 

「穏健派は聖女が魔王の座に就かされることを避けようとしている。いずれは魔王を決めるつもりのようだが、それは他種族と共存の道を示して遂行できた後の話だそうだ」

「それは助かる」

「だからこそ、余計な刺激を与えない為、人族の軍備増強には手を貸さない。我らエルフ族も戦いを避けられるのならば、避けたいからな」

「ご立派だ」

「そこで使者の話に戻すが、我らエルフ族に助けを求めてきた」

「まさか生きている内に魔族が他種族に助けを求めるなんて、聞けるとは思わなかったよ」

 

 俺が知る魔族は排他主義で魔族以外は下等種族だと蔑んでばかりで、交流すら持とうとしなかった。

 だからこそ本当に驚いている。穏健派ができたとこともそうだが、他種族に助けを請うような姿勢を取れるようになったことは、世界的に見てもとても大きな変化だろう。

 

 だがその話がいったい俺に何の関係があるのだろうか。ただ耳に入れておきたいだけって様子じゃなさそうだが。

 

「幸いにして、聖女の存在は穏健派以外の魔族には知られていない。だから聖女を我が国に亡命させてほしいと言ってきたのだ」

「……引き受けたのか?」

 

 思わず声が上擦って引き攣ってしまった。

 

 魔族の聖女を匿うと言うことは、エルフ族にとって爆弾を抱えると同意義だ。

 人族に知られれば人族との同盟も危ぶまれ、魔族に知られれば奪い去ろうとエルフ族に牙を向けるだろう。

 二つの種族だけじゃない。獣族に水族や天族、魔族を敵視する種族からもイイ顔はされないだろう。

 そんなモノを、エルフ族が引き受ける筈なんてない。

 

 そう思いたい。

 だが現実は無情だった。

 

「協議の末、引き受けることになったよ。エルフ族は聖女を神聖視している。例え魔族だろうが火種だろうが、守るべき存在だとしている。俺もその掟には逆らうつもりはない」

 

 バチンッ、と俺は頭を抱える。

 

 そうだった、エルフ族は掟が第一で全てだ。思考の放棄に近い遵守さを忘れていた。

 掟に従った末に戦火に巻き込まれても、それを受け入れるのがエルフ族だ。

 人族と同盟を結んだのも、同じく勇者を神聖視しているからこそだ。神様が使わした英雄側に付くのが正しいと、掟に従ったまでだ。

 

「後悔することにならないと良いがな……」

「他人事みたいに言わないでくれよ。お前にも関係あることだ。と言うか、お前が一番関係してる」

「あァ? いったい何の話だ?」

 

 王子は釣り竿を置いて、いたって真面目な顔を向けた。

 

 彼からこれ以上話を聞くなと、唐突に本能が訴えかけてきた。

 これ以上聞けば、お前は一生苦しむことになるぞ、と。

 だが俺が聞いた。聞かなければならないと思ったからだ。

 

 王子はゆっくりと口を開く。

 

「魔族の聖女はな……先代魔王の娘なんだよ。つまり、彼女にとってお前は仇なんだ」

 

 俺は目の前が真っ暗になる感覚を味わった。平衡感覚を失い、吐き気も催してきた。

 逃げ続けてきた過去が、俺を追いかけてきた――。

 

 



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第1話 行方知らずの王子

 

 

 魔王は討たれるその時まで、最期の時まで魔王で在り続けた。

 

 魔王の心臓に剣を突き刺したのは俺だ。

 俺がこの手で止めを刺した。魔王の返り血を浴びた俺の腕の中で魔王は死んだ。

 

 アイツは最期、俺に何かを言った。思い出そうとしても何を言われたのか、靄が掛かったように思い出せない。

 

 だが何かを言われたのは確かだ。思い出せないのか、それとも思い出したくないのか。

 思い出そうとして気分が落ち込むということは、思い出したくないのだろう。

 

 フレイ王子から聖女について聞かされた日から既に一週間が経っている。

 

 今日、魔族の聖女がこのアルフの都にやって来る。今頃王子が迎えに行っているだろう。

 

 俺は教壇に座り、生徒達が静かに悪戯精霊の対処法をノートに書き留めているのを呆然と眺める。

 

 もし、魔王の娘が俺のことを知ったら復讐しに来るだろうか。父を殺した男が、子供達に教鞭たれていると知れば何と思うだろうか。滑稽に思うか、それとも侮蔑するのか、いずれにせよ良い思いはしないだろう。

 

 復讐によって殺されるのならまだ良い。だが子供達が復讐に巻き込まれでもしたら?

 それだけは絶対に駄目だ。この子達は関係無い。

 もしそうなった時、俺はどうすれば良い――。

 

「先生? ルドガー先生?」

「――ん? ああ、何だ?」

 

 一人の男の子の生徒が俺の前に立っていた。

 俺はすぐに笑顔を繕った。

 

「レポートを纏め終わりました」

「ああ、もう終わったのか。よろしい、言った通り提出できた者から自由にしていい」

「……先生、怖い顔してましたよ? 何かあったんですか?」

 

 ハッと手で頬を触る。どうやら随分と思い詰めていたらしい。

 

 もう一度笑みを浮かべ、何でもないよと告げる。

 

 生徒に心配されるような教師じゃ、俺もまだまだだな。

 英雄だ先生だ何だの言われても、所詮二十数年しか生きてない若輩者。多少知識と経験が豊富なだけで、まだまだ精神が未熟なようだ。

 

 過去から逃げようとしているただの臆病者――のままでいるわけにはいかないな。

 

 そんなことを考えながら時間を過ごしていると、教室のドアが開かれた。

 顔を其方に向けると、そこにいたのはエルフ族の若い戦士だった。

 

「し、失礼。ルドガー様、至急城へいらしてください。王がお呼びです」

「何? 王が俺を?」

 

 どう言うことだろうか。王が俺を城に呼ぶなど初めてだ。

 それに戦士の様子も変だ。妙に焦っているというか、まるで襲撃があったかのような危機感を抱いている感じだ。

 

 そこまで考え、ふと魔王の娘のことが頭に浮かんだ。

 

 もしや、その件で何か起きたのか?

 

 俺は生徒の一人にレポートを回収しておくようにとだけ伝え、戦士の後について城へと向かう。

 

「何があった?」

「あまり大きな声では言えませんが……フレイ王子から救援要請が届きました」

 

 どうやら俺の勘は当たってしまったようだ。

 

 大急ぎで城に駆け込み、王と重鎮達が集まっている会議室に入った。

 長テーブルに座って話し合っている王達の様子から、かなりマズい状況だというのが見て取れる。

 

「ヴァルドール王」

「ルドガーか、早かったな」

「王子の一大事と聞いて」

「ウム……フレイが近衛隊を率いて聖女を迎えに行ったのは知っているな?」

「はい」

「都の北の森で魔族の穏健派と落ち合い、聖女を引き取る予定だった。だがどうやらそこで思わぬ襲撃があったらしい」

「と、言うと?」

「魔族の襲撃だ。フレイが精霊を使わせて知らせてくれたが、聖女と共に消息を絶ってしまった」

 

 魔族に襲われた? まさか、聖女の話は嘘で王子を森へ誘い出すのが狙いだった?

 いや、そんなことをする理由もなければ、狙ったとしても穴だらけの策だ。

 だが魔族に襲われたのは本当なのだろう。だとすれば襲撃者の狙いは聖女か。

 

「強硬派によるものですか?」

「私はそう睨んでいる。聖女の話自体が嘘という可能性もあるが、少なくともフレイが巻き込まれている。相手が何者にせよフレイを見つけ出して救出せねば」

「……俺に王子の捜索をしろと?」

「そうだ。付け加えるならば、聖女の話が本当ならば表沙汰にはできない。大々的な人員を動かすわけにもいかん。お前一人で向かってくれ」

 

 王の言葉に俺は顔を顰める。一人で戦う分には問題は無い。その方が戦い慣れているし、周りを気にしないで戦いに集中できる。

 

 だが捜索となれば話は別だ。北の森と言ってもかなり広い。それに彼処は霧がよく出る。一人では王子を探し出せる可能性が低い。せめてもう数人は捜索に回して欲しいところだ。

 

「了解しました。しかし精霊での捜索は続けて下さい。流石にあの広さを一人では探し回れません」

「無論だ。見つけ次第、精霊で伝える。時間が惜しい、すぐに発ってくれ」

 

 俺は一礼し、会議室から出た。

 

 大急ぎで学校の宿舎に戻り、準備に取り掛かる。

 

 埃を被った大箱から昔懐かしい装備品を取り出し、装着していく。

 鎖帷子に胸から腹をガードするプレート、獰猛な獣の意匠をしたガントレットとレギンス、そして裏地が赤い黒のボロボロなマントを纏う。これらは特殊な魔力でコーティングされており、マントでさえ刃を通さない防御力を誇る。

 

 うん、この数年で体型が変わっていなくて良かった。いや待て、少し腹回りがキツいかも。

 

 装備の具合を確かめた後、俺は部屋の壁に飾られている大剣を見る。

 

 剣身は黒く、幅は通常の剣よりも一回り太く、長さは剣先から柄頭までで160センチはある。鍔の部分はドラゴンの頭を模しており、剣身が口から伸びているようになっている。

 

 凡そ人族が両手で振り回しても剣に振り回されるような重さの大剣を、俺は片手で軽々と持ち上げる。

 

「またお前を使う日が来るとはな……頼むぜ、ナハト」

 

 愛剣ナハトを指で弾き、背負うようにして後ろに回す

 この剣は俺の意志と魔力に反応するようになっており、鞘が無くとも背中にくっ付けて持ち運びができる。

 

 装備を整えて宿舎から出ると、白い馬と一緒にアイリーン先生が待っていた。

 どうやら俺が出ることを聞き付け、見送りに来てくれたらしい。

 

 アイリーン先生は俺に気が付くと近寄ってきて緑色の宝石を差し出してきた。

 

「これには私の魔法が込められています。ルドガー先生を邪なモノから守るようにと。その御守りよりは効果が無いかもしれませんが……」

 

 アイリーン先生は俺の首元を見つめる。そこにはもうずっとぶら下げている金の指輪がある。

 

「いや、これは単なるアクセサリーだ。ありがとう、アイリーン先生」

 

 宝石を受け取り、首から提げた。それだけで心が清められていくような感覚を味わう。

 アイリーン先生の魔法はエルフ族随一だ。きっとこの先で苦難があっても守ってくれるだろうと確信する。

 

「それじゃ、行ってくる。生徒達に宜しく」

「はい。貴方に七神の加護があらんことを……」

 

 俺は馬に跨がり、都の北側へと向かう。

 北側の門では戦士達が待機しており、胸の前に右腕を出して敬礼を送ってくる。

 戦士達の見送りを受け、北の森へと馬を走らせた。

 

 

 

 

 この北の森には様々な魔法生物が棲んでいる。通常の野生生物もいるにはいるが、殆どが魔法生物の獲物として狩られているだろう。

 

 魔法生物とは読んで字の如く、魔法を使う、もしくは魔力を持つ生物のことを指す。凶暴なものから温和しいものまでいる。北の森に棲息する魔法生物の大半は温和しいものだが、凶暴なものも少なからずいる。

 

 そんな森を魔族との合流地点に指定したのは、人目に付かないこともそうだが、魔族の大陸が北側にあるから自然とこの森になったのだ。

 

 魔族の大陸が北にあり、人族の大陸が東に、獣族の大陸が南に、そしてエルフの大陸が西側にある。それぞれ海を隔てて存在しているが、嘗ては一つの大陸だったとか。

 伝説では神々の戦いで大地が割れたとか、天変地異によって変動したのだとか色々説はあるが、どれも確証に至る証拠は無い。

 

 兎も角、北に住む魔族と合流するなら必然的に北側になる。

 

 森はかなり深く、今は霧が出ていないがそれでも薄暗くて視界が悪い。事前に聞かされた合流地点はまだ先なのだが、合流地点に近付くにつれて久しく感じていなかった魔力が大きくなっていくのが分かる。

 

 馬もそれを感じ取っているのだろう、最初軽快だった足取りが次第に重くなり始め、言う事を聞かなくなってきた。

 

「お前も感じるのか?」

 

 撫でて安心させてもこれ以上馬を奥に進めてやれないと判断し、俺は馬を下りて鞄を担ぎ、来た道へ馬を帰してやった。あれは賢い馬だ。自分で都へと帰れるだろう。

 

 俺は鞄の中から小瓶を取り出し、中に入っている黒い石を手に乗せる。軽く握り締めて魔力を体内で練り上げる。

 

「精霊よ来たれ――」

 

 そう唱え、石に魔力を込めた息を吹きかける。そして石を放り投げると、石は砂粒へと変わり、砂粒は翼が生えた小人の形を取る。

 

「王に伝えろ。森に魔族が潜んでいる。すぐに北門の守りを固めて万が一の時に備えよ、と」

 

 俺が造り出した精霊に伝言を頼み、精霊は都へと飛んでいった。

 

 さっきからヒシヒシと伝わってくるこの魔力には覚えがある。戦争の相手だった魔族のそれと同じだ。攻撃的で、心の底から凍えさせるような冷徹な魔力。

 

 王子が心配だ。王子も大戦で生き延びた実力者だからそう簡単にはやられないとは思うが、どんな強者でも死ぬ時は一瞬だ。せめて生きているかだけでも知りたいものだ。

 

 五年ぶりに味わう緊張感を噛み締めながら、俺は森の奥へと進んでいく。空は木で覆われて太陽の光が差し込まない。薄暗い森の中を、湿っている地面に足を取られないよう気を付けながら進む。

 

「……妙だな? 静かだ。静か過ぎる」

 

 小鳥の囀りも、風が葉を揺らす音も聞こえない。

 そう言えば、薄らと霧も出て来ている。

 

 背中の剣に手を伸ばし、すぐに抜剣できるように警戒する。

 

「……チッ!」

 

 俺は剣を抜くよりも先に全力で走った。風よりも素早く、木々の間を駆け抜け、後ろから追いかけてくる存在から逃げる。背後をチラリと一瞥すると、五匹のウォルフが追ってくるのが見えた。

 

 ウォルフは言ってしまえば魔力を持った狼だ。尾の数が二本以上あるのが特徴で、群れで狩りを行う。ウォルフの咆哮には仲間への意思の伝達だけでなく、獲物を撹乱させる力がある。咆哮を受ける前に先手を打たなければ厄介な怪物だ。

 

 だがおかしな点がある。北の森にウォルフは棲んでいない筈だ。ウォルフは北か東の大陸に棲息する魔法生物だ。それが此処にいるということは何者かが此処へ連れて来たということだ。

 

 ならば誰が連れてきた? この場に置いてそれは魔族しか考えられない。

 

「くそっ! 追い付かれる!」

 

 ウォルフと戦うことにはもう慣れている。だが正確な数が分からない。魔力の気配からして見えている五匹だけじゃない。ウォルフ以外の何かがどこかに姿を隠して追いかけてきている。

 

 ウォルフは黒い影になり素早く地を這って背後を追ってくる。

 

 仕方ない、このままじゃ追い付かれる。素早く見えている五匹を倒すしかない。

 

 逃げるのを止めて急停止し、背中の剣を抜いた。

 

「行くぞ、ナハト。五年ぶりの獲物だ!」

 

 俺の言葉に呼応するように、ナハトの黒い剣身が輝く。

 

 ウォルフの動きは素早い。だが襲い掛かってくる時は必ず真っ直ぐ飛び込んでくる。素早さを過信しているが故の単調な攻撃。

 

 先ずは最初に飛び掛かってきた一匹を正面から両断する。続いて二匹目の攻撃を横に動いてかわし、擦れ違い様に剣で斬り裂く。

 

 これで残るは三匹になったが、二匹やられたことで慎重になったのか飛び掛かるのを止め、俺を囲むように三方向に分かれる。

 

 来る、咆哮だ。

 

『ウォォォォォンッ!』

 

 三匹は同時に魔力を込めた咆哮を繰り出す。

 

 この咆哮を喰らえば、視界は揺れて平衡感覚を失い、最悪聴覚を破壊されてしまう。

 

 だが、最初からその咆哮を遮断しておけば何も問題は無い。

 魔法で聴覚を一時的に無くすことでこれは防げる。だがデメリットとして魔法が切れるまで無音状態で戦わなければならない。それにきちんと魔法を会得しておかなければ、一生聴覚を失ったままになる。

 

 しかしウォルフを相手にするには一番簡単で効果的な戦法だ。後は己の戦闘経験値次第だ。

 

 一匹にナハトを投げ付け串刺しに、もう一匹には腰に差していたナイフを魔力で強化して投げ付け、眉間を射貫いた。

 

 残る一匹が背後から飛び掛かってくるのを気配で察知し、屈むことで避ける。右手をナハトに向けて手元に呼び戻し、反転して飛び掛かってくるウォルフの頭に叩き込んだ。

 

 これで確認できていた五匹を倒せたが、まだ姿を見せていない相手がいる。

 五匹のウォルフを速攻で片付けたのが効いたのか、警戒して姿を見せないようだ。

 

 やがてその気配は小さくなっていき、完全に消えていった。

 

「……退いた、か」

 

 剣を血振るいし、背中に戻す。地面に置いた鞄を拾い、ウォルフの死骸からナイフを抜き取ってホルスターにしまう。

 

 実戦は本当に五年ぶりだ。少々動きに鈍りを感じるが、何度か繰り返せば現役時代と同じように動けるだろう。そんな時が来ないのを祈るばかりだが。

 

 だが状況は些か拙いかもしれない。このウォルフは明らかに訓練された怪物だ。野良のウォルフより統率が取れている。怪物を飼い慣らすことができる種族は魔族しかいない。狙いが王子なのか聖女なのか不明だが、早く見つけ出さなければ厄介だ。

 

 それに訓練されたウォルフがまだ森にいたということは、襲撃者の目的はまだ果たせていないのかもしれない。訓練されたウォルフは獲物を見付けるのに最適な怪物だ。此処にいたと言うのなら、王子は何処かに身を潜めているのかも。

 

「考えろ俺。もし王子が襲撃者から身を隠すなら何処だ? 北の森……北の森……」

 

 鼻が利くウォルフでも見つからない隠れ場所。人の目から隠れられる場所。

 

 王子が北の森に入ったことは……ある。あるじゃないか。

 

 確かあれは――。

 

 王子が身を隠している可能性がある場所に心当たりがあった。

 鞄から小袋を取り出し、その袋から黒い砂を掴み取る。

 

「我、その身を隠す者なり――ハイド」

 

 呪文を唱え、黒い砂を周囲に散蒔く。すると砂は辺りを霧のようになって広がっていき、俺の臭いと魔力を一時的に隠した。追跡の可能性を潰す為だ。黒い砂はハイドの効力を高める特殊な砂である。

 

 魔法が切れる前に急いで移動し、王子が隠れているかもしれない場所へと走った。

 

 



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第2話 森からの脱出

 

 この森には以前、王子と二人でキャンプをした場所がある。王子が誰にも見つからない場所を見付けたと息巻き、俺を強引に連れて行った秘密の場所だ。

 

 森を西に向かって移動した先に、大樹が集まった場所がある。その大樹の根が迷路のように広がっており、一種の迷宮を生み出している。何の目印も無く入ってしまえば瞬く間に道を見失い、空でも飛ばない限り抜け出せなくなるだろう。

 

 俺も王子も空を飛ぶ魔法は使えない。飛行魔法を掛けた物に乗って空を飛ぶことはできるが、生身だと翼を持つ天族か魔族しか飛べない。

 

 だから王子は目印として行く先々に許した者にしか見えない魔法の文字を根に刻んでいる。

 俺はその許された者であり、目印を辿って根の迷宮を進むことができる。

 

 この樹海は北の森の中でも特に暗く、灯りが無ければ殆ど見えない。それに大樹から発する特殊な臭いは嗅覚の鋭い生物の鼻を効かなくする。隠れるには此処しか無い。

 

 明かりを灯すわけにもいかず真っ暗な状態で進むが、半魔である俺は夜目が利く。どんなに暗い場所でも魔族の目は完璧に見通すことができる。

 この目のお陰で夜間の任務に引っ張りだこだったのは良い思い出だ。お陰でまともに眠れる時間が無く、危うく戦場のど真ん中で居眠りしてしまうところだった。

 

 いや、居眠りしてたわ。ははっ。

 

 何度も迷路を曲がりくねり、目的の場所へと辿り着く。

 此処は一つの大樹の根元で、丁度良い洞穴の形になっている場所だ。此処で王子と一週間ほどキャンプしていた。

 

「……」

 

 魔族の気配は感じられないが、念の為に剣を抜いた状態で洞穴に近付く。

 そっと入り口まで近寄り、幕のように垂れ下がっている葉をバッと開いた。

 直後、銀色に煌めく刃が眼前に迫り、それを左手で掴んで止める。

 

「フレイ!」

「――っ!? ルドガーか!? 驚かさないでくれ!」

 

 突き出されたナイフを握っていたのはフレイ王子だった。

 見た感じ、多少汚れてはいるが怪我はしていないようだ。

 

「やっぱり此処にいたか。無事で何よりだ」

「ああ。奴らの目から逃れるには此処しか思い付かなかった」

「……他の者は?」

 

 王子の他に近衛隊がいたはずだが、洞穴の中にはフードを被った一人以外誰も居ない。

 王子は首を横に振って顔を曇らせる。

 

「皆、やられてしまった……」

「……取り敢えず入るぞ」

 

 俺は洞穴に入り、幕を下ろした。

 剣を背中に戻し、右手に魔力を集めて火を掌の上に灯す。洞穴の中を火の明かりが照らし、二人から俺の姿がはっきり見えるようになる。

 

 王子は俺の格好を見て、口笛を吹く。

 

「その格好、久しぶりに見たな」

「ちょっと腹回りがキツい。太っちまったかな?」

 

 洞穴の中にはキャンプ道具を置きっぱなしにしていた。俺が近くに来るまで薪に火を灯していたのだろう、消したばかりで煙が立ち上っている薪に火を魔法で移す。ついでに洞穴の壁に垂らしてある複数のランプにも火を移し、より明るく洞穴を照らす。

 

 夜目が利くと言っても色までは鮮明に見えるわけではない。明るくなったことでフードを被っている人の銀色の髪と白い肌が見えた。

 

「……それで? 説明してもらおうか?」

 

 王子は木を椅子代わりにして座り、何があったのかを説明する。

 

「いきなりだった。穏健派と合流して聖女を引き受けた直後、魔族に襲撃された」

「穏健派とは別か?」

「ああ。穏健派諸共私達を攻撃してきた。不意打ちの急襲で、瞬く間に戦士達がやられた。穏健派達が決死の覚悟で私と聖女を守り、私は聖女を連れて此処に逃げた。精霊で居場所を伝えようと思ったが、見つかると思って何もしなかった。もしかしたらお前なら此処に辿り着くんじゃないかと思ってね」

「何とか辿り着けたよ。それで……」

 

 俺はフードの人に目をやった。

 話の通りであれば、この人が、いや彼女が聖女、なのだろう。

 

 正直言おう。俺は此処にいるのが王子だけであってほしいと、心の何処かで願っていた。

 もし聖女が一緒にいれば、否応なしに顔を合わせ言葉を交わすことになる。

 

 その時、もし聖女が俺のことを知れば……。

 俺が魔王を殺した張本人だと分かり、憎しみに染まった目で見られたら。

 

 俺はそれが怖かった。戦争中は殺して殺され続けてきた。だから恨み辛みの感覚は麻痺していた。戦いの最中、同胞の、家族の仇と言われて勝負を挑まれたこともあった。その時は何も感じなかった。

 ただの敵として、剣を振るって命を終わらせた。

 

 だが、彼女は――魔王の娘だけは別だ。彼女から憎しみをぶつけられる覚悟を、俺は持てていない。

 

 何故なら俺にとって魔王はただの敵じゃなかった。俺の人生に大きな影響を与えた人物だ。

 

 だからその娘も、俺にとっては他の魔族とは違う特別な存在だ。

 その存在から憎まれるのが怖い。

 

「そうだ。彼女が魔族の聖女――名を……そう言えば、まだ聞いていなかったな」

 

 王子は俺のそんな気持ちを知らず、気さくに名を尋ねた。

 

 聖女は両腕を動かし、被っているフードを下ろした。

 

 俺の黒髪と同じく魔族の象徴である美しく長い銀髪に、雪のように白い肌。目は俺と同じで赤く、冷たさを感じさせる目付きをしている。

 氷の美姫ようだ、そんな言葉が思い浮かぶほど彼女は美しかった。思わず心を奪われ、氷付けにされてしまうかと思うほど。

 

 彼女は透き通った声で、名を名乗る。

 

「ララ……ララ・エルモール」

 

 ――私には娘がいる。とても可愛らしい子だ。

 

 脳裏に嘗て聞いたことがある台詞が蘇る。

 すぐに消え去ったが、俺は気が動転しかけているのに気が付く。悟られないように平静さを装い、此方も名を告げる。

 

「ルドガーだ。早速で悪いが、襲撃してきた魔族に心当たりは?」

「大方、私を魔王として担ぎ上げたい一派だろう。私なら魔王になれると踏んで、他種族に戦争を仕掛けたいらしい」

 

 狙われている立場だというのに、この子はあっけからんと考察を述べた。肝が据わっているのか、それとも大した問題ではないと考えているのだろうか。

 

 俺と王子は顔を見合わせ、肩をすくめてみせる。

 

「聖女とばれてるのか?」

「さぁな。聖女だろうとそうでなかろうと、先代魔王の子なら血の力だけで魔王になれる素質があるからな。だが爺やとその周りの者は口が固い。聖女だと漏らしたとは思えない」

「……だが今回の一件で魔王の娘をエルフ族の大陸に移すことがバレた。その理由を調べ上げようとする筈だ。お前が聖女だと知っている魔族は向こうの大陸に残っているのか?」

「……いるには、いる。けど……」

 

 ララは膝を抱え、憂いた表情を浮かべる。

 

「……皆、私を守る為に口を閉じる。永遠にな……」

 

 それは、何とも言い難い決意の表れだった。

 

 魔族の穏健派は、俺が思っている以上に戦争を望まない覚悟と決意を持っているらしい。

 命を断ってまでこの子の秘密を守り抜き、魔族が戦争を起こすのを防ごうとするのは、他の種族でも簡単にはできない。

 

 そしてその思想は、『あの人』にそっくりだ。あの人の魂を、穏健派はしっかりと受け継いでいたのだと、俺は込み上がってくるこの想いを噛み締める。

 

 ならば、俺が今すべきなのは王子とこの子を全力で守り抜くことだ。

 先ずはこの森を無事に抜け出し、都へと連れ帰らなければ。

 

「王子、敵はまだ森に潜みこの子を探している。精霊で応援を呼んでくれ」

「だが居場所がバレてしまう」

「ずっと此処に隠れる訳にはいかない。少し危険だが、強引に突破する」

「……できるのか?」

 

 俺は頷いた。そしてララの前で膝を着き、左手を差し出す。

 

「この手を絶対に離すな。俺がお前を必ず守る」

「……」

 

 ララは俺の目を見つめた後、怖ず怖ずといった感じで俺の手を握り締めた。

 ララの手をしっかりと掴み、立ち上がらせて王子に目配せする。

 王子は頷き、洞穴から出て腰から魔法樹から作ったエルフの杖を取り出した。

 

「精霊よ来たれ――」

 

 杖を優雅に振るうと、杖から金色の精霊が現れて空へと飛んでいく。

 

 俺は魔力が込められた触媒を使わないと精霊を呼び出せないが、エルフなら己の魔力と願いだけで呼び出せる。

 

 精霊を空に放ったことで、森一帯を監視しているであろう敵に位置がバレただろう。

 その証拠に、敵意を持った魔力が近付いてくるのが分かる。

 

 王子に置かれていた弓矢を投げ渡し、明かり代わりの光の球を宙に浮かせて背中の剣を抜いた。

 

「頼むぞ英雄」

「任せろ」

「英雄……?」

 

 ララの手をしっかりと握る。

 

「走れ!」

 

 俺達は都の方角へと迷宮を走り出す。迷宮内なら敵の襲撃があったとしても相手の位置を搾れる。狭い通路の中じゃ、正面か後ろからしか俺達を襲えない。頭上は大樹の根で防げる。

 

 どんどん敵の魔力が近付いてくるのが分かる。先に戦ったウォルフじゃない、何か別の怪物だ。

 

「ルドガー!」

 

 前を走る王子が叫んだ。

 正面から六本足に鎌の腕を持った怪物が走ってくるのが見える。

 

「何だありゃ!?」

「キメラだ! 自然界の怪物じゃない!」

 

 ララが怪物を指してそう言った。どうりで知らない怪物な訳だ。

 怪物を人工的に作る手法は魔族の専売特許だったな。

 

「王子! 風だ! 風の魔法で奴らを吹き飛ばせ! 一々殺してる暇は無い!」

「それもそうだ!」

 

 王子は走りながら弓を構え、正面から迫り来る怪物へと狙いを定める。

 

「風の精霊よ来たれ――シル・ド・イクス!」

 

 王子の矢に風が渦巻いた瞬間、王子は矢を放つ。矢から巻き起こる突風で正面の怪物は吹き飛び、地面に転がる。その隙に隣を通り抜け、行きがけの駄賃代わりに剣を頭に刺しておいた。

 

 殺すことを狙う必要は無いが、殺せるなら殺しておいたほうがいい。

 

 正面から来る怪物は王子の魔法の矢で押し進むことができるが、後ろから追ってくる怪物は此方で対処しなければならない。走りながら根を剣で斬り落とし、怪物の道を防いで距離を稼ぐ。だが怪物は両腕の鎌で根を斬り裂いて追ってくる。

 

「ルドガー! 矢が切れた!」

 

 もう少しで樹海を抜けられると言うところで王子の矢が無くなった。

 俺は右手に握る剣に魔力を喰わせる。

 

「王子、伏せろ!」

 

 剣を正面にいる怪物らに投げつけた。剣は怪物らを纏めて串刺しにしていき、突き当たりの根に刺さって止まる。

 

「行け!」

 

 突き当たりを曲がれば樹海から出られる。剣を右手に呼び戻し、俺達は樹海から出る。

 

 当然、樹海の外で敵は待ち構えていた。

 キメラの怪物を従えた漆黒の鎧を纏った大柄の魔族が俺達の前に立ち塞がる。顔は兜で見えないが、金色の三叉角の装飾が特徴的だった。

 

「ウルガ将軍……」

 

 ララが俺の後に隠れて呟く。

 ウルガ将軍……大戦時代には聞かなかった名だ。戦後に就いた奴だろうか。

 明らかにただ者ではない雰囲気を纏っている。あれは明らかに戦場を知っている者の空気だ。

 

「ララ姫、お迎えに上がりました」

 

 将軍が手を差し出す。周りにいる怪物達は何もしてこないが、命令があればすぐに襲い掛かってきそうだ。

 

 ララは将軍の声に応じることはなく、少し怯えたように俺の後から出ようとしない。

 

 王子にも後ろへ下がるように言い、俺は剣を将軍に向ける。

 

「悪いが姫は俺達の城に招いてるんだ。横入りは止めてもらおうか?」

「……姫の前でこれ以上血を流したくはないのだがな」

 

 怪物達が鎌を広げてジリジリと近寄ってくる。

 

「……一つ聞きたい。姫をどうするつもりだ?」

「知れたこと。ララ姫は次の魔王になる御方。こんな所にいるのがおかしいのだ」

 

 その言葉から、ララが聖女であることはまだ知られていないと推測できる。ただ言わずに隠しているとも取れるが、将軍の物言いからしてララを魔王の娘としか見ていないと感じられる。

 

 その時、ララが顔を出して将軍に反論する。

 

「私は魔王なんかにならない! 魔王など、他の誰かにやらせればいい!」

 

 これには俺も王子も驚いた。てっきりこの子は将来魔王になるとばかり思っていたが、確かにこの子の口から魔王になるとか、穏健派からララが将来の魔王だとは聞かされていなかった。

 

 ララは魔王になることを嫌がっているようだ。理由は知らないが、尚更この子を渡すわけにはいかなくなった。元から渡す気は無かったが。

 

「ララ姫、貴女様は先代魔王の唯一の子。力を大きく失った我々の誰かが魔王になることは、現実的に考えて不可能な話です。魔族が再び立ち上がるには、血の力が必要なのです」

「立ち上がって戦争でも吹っ掛けようてっか?」

「それもまた望むとこだ人族の戦士……いや、貴様は本当に人族か?」

 

 将軍は訝しんだ声を上げる。おそらく俺の魔力を感じ取って戸惑ったのだろう。

 

 俺の魔力は人族よりも魔族に近い。それに臭いも人族と魔族が混じり合ったような、嗅ぐ奴によっては異臭に感じるらしい。

 

「この臭い……まさか、貴様――」

「そこまでだ! 魔族の戦士よ!」

 

 将軍が俺の正体を口にする直前、高らかな声と共に降ってきた矢の雨が怪物を射貫いた。

 

 将軍は鎧と腕で矢を防ぎ、声が聞こえた背後へと振り向く。

 

 木々の間からエルフ族の戦士達が現れ、矢をウルガ将軍へと向けた。

 王子の応援要請が届いて駆け付けてくれたようだ。

 

 エルフ族の将軍、エメドールが白馬に乗って前に出る。

 

「此処は我がエルフの領土だ! 大人しく投降すれば命まではとらん!」

「……どうやら邪魔が入ったようです。ララ姫、いずれまたお迎えに上がります」

 

 将軍は一礼すると足下から黒い煙が巻き起こり、そのまま煙の塊となって空へと飛んでいった。

 

 あれは飛行魔法の一種か? だが見たことが無い魔法だ。この五年の間に新しい魔法を開発したというのか。

 

 ともあれ、怪物は討たれウルガ将軍は撤退していったことに安堵する。

 五年のブランクを抱えた状態で将軍職の奴と剣を交え、王子と姫を守りきれる確信は無かった。正直なところ応援が間に合ってくれて助かっている。

 

 必ず守ると言った手前、どうしようかと少々焦っていたのは胸の内に秘めておこう。

 

「フレイ王子! ご無事ですか!?」

「ああ、私は無事だ。だが近衛隊が全滅してしまった……」

「王子の助けになったのなら彼らも本望でしょう。さぁ、急いで森を出ましょう」

「そうだな。姫君、参りましょう」

 

 王子はララに手を差し伸べたが、ララは俺の左手を握ったまま俺から離れようとしない。

 

 それを見た王子は「ははーん?」とニヤついた顔を俺に向けた。

 

 この顔は良くない。きっと腹の中でくだらないことを考えているのだろう。

 

 王子は俺の肩にポンッと手を置き、親指を立ててサムズアップしてきた。

 

「何だその顔は?」

「いんや、何でも」

 

 王子は戦士達に連れられて先に進んだ。

 将軍は王子の側にいたいが、聖女であるララを放っておく訳にもいかず、その場に留まっている。

 

「……お姫様、もう大丈夫だ。彼らはお前を守る為に来た」

「……」

 

 ララの手が震えていた。寒いからではない、何かを怖がっている。

 

 同胞である魔族に狙われたからだろうか。それとも嘗て敵だった者達に対する恐怖心か。

 俺の手を握り締めているということは、少なくとも俺のことは怖がっていないのか。

 

 将軍へ目配せし、王子の下へ行かせた。

 

 膝を折ってララと目線を合わせ、頬に付いている泥の汚れを拭ってやる。

 ララは顔が汚れていたのが恥ずかしいのか、頬を紅くして顔を逸らす。

 

「安心しろ。彼らはお姫様を聖女として丁重に扱ってくれる。魔族の姫君としては誰も見ていない」

「……私は……聖女にもなりたくなかった……」

 

 ララは悲しそうに目を伏せた。

 

 そこで俺はハッと気が付く。

 

 魔王の娘であるララは魔族の大陸でも次期魔王として扱われてきたのだろう。

 そして聖女となった時にはララは大きな重荷を否応なしに背負わされた。

 魔族を滅びから救う者、救世主として見られていただろう。

 ただの魔族の女の子のララとして見られたことなど、一度も無かったのではないか。

 

 その顔はよく知っている。誰にも己を見てくれなかった寂しさを、俺は知っている。

 

「……分かったよ、ララ。聖女としての扱いが辛くなったら俺の所に来い。ただの女の子として茶ぐらい出してやる」

「え……?」

「身分や立場でしか見てくれないのは寂しいって、俺も良く分かる。だけどそう言う生まれになってしまったのなら癪だが受け入れるしかない。でも息抜きは必要だ。童心に返って誰かのお菓子に、おできができる悪戯呪いを掛けて遊ぶような息抜きがな」

「……そんな呪い聞いたこと無いぞ?」

「エルフの子供達の間じゃ人気の悪戯だ」

「……フッ、それは楽しそうだな」

 

 初めて、ララが笑ったのを見た。満面じゃなく、鼻で笑うような小さな笑みだが、手の震えは止まっていた。

 

 俺はレディを案内するように手で促し、ララは漸く歩き出した。

 俺の左手は、まだ繋がれたままだった。

 

 

 

 



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第3話 思わぬ編入生

 

 

 アルフの都にフレイ王子とララを届けた俺は、王の城ではなく学校の寄宿舎に戻った。

 

 これから戦死者の遺体回収とララの今後を取り決める話し合いをするんだろうが、それに俺は参加しない。

 

 あくまでも俺は客将としての扱いであり、政務や軍務には不必要に口を出すわけにはいかない。それは英雄だろうと何だろうと関係無いのだ。

 

 久しぶりの実戦で思った以上に疲れていた俺は部屋に入るなり装備を脱ぎ捨て、椅子にドカッと座り込む。

 

 一息吐いたところで頭の中に戦いで忘れていたことが思い浮かんでくる。

 

 ララにはああ言ってしまったが、俺はララにとって父の仇だ。俺の名を聞いても反応しなかったのは、おそらく父親を殺した者の名を聞かされていなかったからだろう。

 もし知れば、ララは俺に復讐するだろうか。その時に俺はどうするだろうか。

 

「……顔は似てなかったな。髪の色と物言いはそっくりだったが」

 

 たぶん、母親似なんだろう。

 

「……さてと、明日の授業の用意をしとかないとな」

 

 休む間も無いとはこのことだ。

 

 これからどうなるのかは想像も付かない。ララは王の城で暮らすことになるだろう。俺と関わるのは、言った通り息抜きに茶を呑みに来る時ぐらいだろう。フレイ王子が余計な真似をしなければの話だが。

 

 ララと関わらない間はいつもの日常が来るはず。毎日教壇に立って子供達に授業をして、戦士達に剣の手解きをする。変わらない日常が戻ってくるはずだ。

 

「……」

 

 ――本当に?

 

 日常なんて日々変化するものだ。

 魔王の娘が聖女に選ばれるなんて、偶然なわけが無い。これには何か理由があるはずだ。

 

 この先、何かを大きく揺るがすような出来事が起きるんじゃないか?

 

 壁に掛けた愛剣のナハトが視界に入る。

 

 今日の実戦、昔と変わらないこともあったが変わったこともあった。

 新種の怪物に新しい将軍に新たな飛行魔法。

 もし魔族の力が衰えていたとしても、それを補う手段を会得していたら。

 大きな犠牲を払ってまで作ったこの一時の平和を、壊せる出来事が起こるとしたら。

 今のままでは駄目だ。何もできないかもしれない。

 少なくとも、俺には何かが起こる。それは確かだ。

 

「……過去からは逃げられない。アイツもそう言っていたな……」

 

 昔の仲間に言われた言葉。俺をビンタしたアイツも、何か変わっているのだろうか。

 

 ――コンコン。

 

 部屋のドアがノックされた。

 

「開いてるぞ」

 

 ガチャリと開けられたドアの向こうから現れたのはアイリーン先生だった。

 

「失礼しますわ。お帰りになったと聞きまして……ッ」

 

 アイリーン先生はギョッとして後ろに振り向いた。

 

 何だと不思議に思ったが、そう言えば装備を脱ぎ捨てた上に上半身は裸だった。

 

「すまない、見苦しいものを見せた」

「い、いえ。その……傷は男の勲章と言いますし」

「ん? ああ……」

 

 俺の胸には大きな傷痕がある。半人半魔である俺は傷を負ってもすぐに再生するが、この傷だけは消えなかった。

 

 これは魔王との戦いで受けたものだ。魔王の一撃だけはその特性上、俺でも傷を塞ぐのに数日掛かり、傷痕までは消えることはなかった。

 

 汗をかいた身体をタオルで拭い、シャツに着替える。

 

「……その傷は、大戦の時のですか?」

「ああ、魔王に付けられた傷だ」

「よくぞご無事で……」

「……もう大丈夫、着替え終わった」

 

 ラフな格好に着替え終わり、アイリーン先生は此方に振り向く。

 

 顔が若干赤いが、まさかこの傷だらけの身体に興奮したわけじゃなかろう。それに先生の年齢は確か二百歳ぐらいだったか。エルフ族では若者だが、男の裸ぐらい二百年生きてれば見慣れるだろうし。

 

 アイリーン先生を部屋に招き入れて椅子に座らせる。

 

「お茶でも出したい所だが、生憎此処には酒しかなくてね。全部学校の私室に置いてるんだ」

「お構いなく。ルドガー先生のお顔を見に来ただけですから」

「嬉しいことを言ってくれる」

 

 アイリーン先生はニコリと笑う。

 本当に良い女性だ。どうして特定の男がいないのか不思議なぐらい。

 

 もしかしたら既にいるかもしれないけど。

 

「森で何があったのか、お聞きしても?」

「あー、すまない。詳しくは言えない。だけど……戦死者が出た」

「……そうですか。それは……痛ましいことです」

 

 この五年の間、小さな小競り合い一つ起きなかった。戦死者が出たのは、本当に嘆かわしいことだ。これが戦争に繋がらなければ良いが、遺された家族達の心には一生消えない傷が刻まれただろう。

 

 ララだってそうだ。同胞が同胞によって目の前で殺された。その心の傷は計り知れない。

 

「こう言っては何ですが……ルドガー先生が無事に戻られて良かったですわ」

「先生の御守りが効いたかな? これ、持っていても?」

「ええ、是非!」

 

 首から提げている緑の宝石と指輪を手の中に感じながら、これから身に起こるであろう出来事から本当に俺を守ってくれないだろうかと願う。

 

 その後、少しだけ談話してアイリーン先生は部屋から出て行った。

 

 俺は寄宿舎の大浴場ではなく、部屋の浴室で身体を清めて眠りに着いた。

 

 

 

 翌朝、俺は学校の私室で授業の準備をしていると、校長室に呼び出された。

 何だろうと思いながら校長室へ向かい、ノックしてから中へ入った。

 

 校長室はかなり広く、大きな本棚や歴史的価値のある魔法道具やらが置いてある。

 

 その部屋の奥でエルフにしては珍しく白くて長い髭を生やした老人が椅子に座っている。

 

 彼こそがこのアーヴル学校の校長であり、古くから王家に仕えている老臣。

 

 エグノール・ダルゴニス・アルフォニア校長先生だ。

 

 俺の他にも学校の先生方が集められており、アイリーン先生もその中にいる。

 

 そしてこの学校にいないはずのフレイ王子とララまでもがいたことに目を疑った。

 

「おお、よく来てくれた」

 

 校長先生はニコニコと笑い、近くに来るようにと手招きする。

 俺は何だか嫌な予感がして堪らない。

 

 王子を見れば、ニタリと笑いやがった。

 

「さて、揃ったことじゃし本題に移るかの。先ず此方の子を紹介しよう」

 

 そう言って校長先生は立ち上がってララに手を伸ばした。

 

 ララは澄ました顔のまま座っている椅子から立ち上がった。

 

 そこで漸く俺は気が付いた。

 

 おい待て、何でその服を着ている?

 

 ララが着ている服はこの学校の制服だ。白いスカートに白いローブは紛うこと無きこの学校の制服だ。

 

 どうしてか、背中に冷や汗がダラダラと流れる。

 

「この子はララ・エルモール。今日からこのアーヴル学校に通うこととなった」

 

 開いた口が閉じないとはこのことだ。

 俺の驚きを余所に校長先生は話を進める。

 

「これは極秘じゃが、この子は亡き魔王の娘であり、魔族の聖女に選ばれた特別な子じゃ」

「……校長先生、今何と仰いました?」

 

 サラッと紹介されたが、先生方は当然のように驚きで顔が固まっている。

 

 辛うじてアイリーン先生が正気を取り戻し、校長先生に聞き直した。

 

「魔族の姫君で聖女じゃ。じゃが、ララは見ての通りまだ若い少女じゃ。であれば、同じ年頃の子供達とよく学び、よく遊ぶことが必要だと思うての。この学校で面倒を見ることにしたのじゃ」

 

 はいそうですね、とはいかんぞこのサンタクロース擬きめ。

 

 校長先生は何を考えているんだ。エルフの学校に魔王の娘を、それも聖女を通わせるだと?

 しかも面倒を見るって、王の城に住まわせるんじゃなかったのか?

 

 校長先生の発言にアイリーン先生も絶句しており、他の先生方に至っては腰を抜かして壁や物にもたれ掛かる者までもいた。

 

 だが校長先生はお茶目に「ホッホッホ」と笑って髭を撫でる。

 

「ルドガー先生」

「――は、はい?」

 

 校長先生から名指しされ、思わずドキリとしてしまった。

 たぶん、今の俺の顔は引き攣っているだろう。

 

「先生はララの護衛も兼ねて色々と面倒を見てくれんかの?」

「……は?」

 

 生まれて初めて変な声を出してしまった。

 

 どうして俺がと尋ねる前に、王子が先に口を開いた。

 

「アーヴル学校には王城と変わりない防衛の魔法が掛けられてるが、それでも聖女の近くで常に守る存在が必要だと考えていてな。先生方の実力は申し分ないが、それでも英雄であるルドガーが一番心強い。それに姫君の要望であるからね。流石は我が友、姫君の心を見事に射止めたと言うことさ」

「……それなら学校に通うのを止めれば?」

「ルドガー、これは既に決定したことだ。友よ、任せたぞ」

 

 その憎たらしいウィンク顔にこの拳を叩き付けてやりたい。

 

 ヒクヒクと頬を引き攣らせ、ぎこちない笑みを浮かべてそう願った。

 

「さて、そう言うわけじゃ。詳しい事はまた後で伝えよう。もうすぐ授業の時間じゃ」

 

 校長先生は笑いながら先生方を解散させる。

 

 先生方は困惑しつつも一先ずは事態を飲み込み、各自教室に向かい始めた。

 

 アイリーン先生は俺の様子を気に掛けるが、校長先生に促されて校長室を出て行った。

 

 校長室に残ったのは俺と校長先生、そして王子とララの四人だけになる。

 

 校長室のドアが閉まるのを確認した校長先生は、椅子に座って先程までとは違う雰囲気を醸し出した。王子もニタニタしていた顔を引っ込め、真面目な顔になる。

 

「さて、ルドガー先生。表向きの事情は今話した通りじゃ。此処からが本当の本題じゃ」

「はぁ……」

「ララをこの学校に通わせるのは、何も本当に学ばせるだけが理由ではない。君の側に居させることが本当の理由だ」

「……あの、仰る意味が分かりません。どうして私なのです?」

「姫君は半魔だ。それもお前と同じ人族との」

 

 王子の言葉に我が耳を疑った。

 

 魔王の娘が俺と同じ半人半魔だなんて、それは何て冗談だ? まさか、ありえない。

 

「魔族の力を濃く受け継いでいる為に他の魔族には気付かれなかったようだが、姫君の母は人族だそうだ。念の為に血を調べさせてもらったが、間違いは無い」

「……それと私に何の関係が?」

「理由は二つある。一つは守護の魔法じゃ。同じ種族でしか発動できない、その種の中で最も強い魔法。それは互いが近ければ近いほど強さを増す。その魔法を完全に発動させる為には、少なくとも一年は一緒に暮らしてもらわなければならん」

 

 確かにこの世で確認されている半人半魔は俺と、事実ならララの二人だけだ。半人半魔を種族と仮定付けるならば、確かに俺達しかいない。

 

 守護の魔法はどんな防衛魔法よりも強固な物で、死に至らしめる魔法であっても魔法なら弾き返したり無効化させることができる。当たらないようにすることも可能らしいが、謂わば最後の砦だ。

 

 しかしその魔法は最も古い魔法であり、原理が不明だ。魔法の存在は認知されているが、誰も任意で使えた例しがない。

 

 稀に守護の魔法を身に纏っている者はいるが、どうやって魔法を掛けたのか、または掛けられたのか分かっていない。

 

「校長先生は守護の魔法をお使いになられるのですか?」

「いやいや、儂にも使い方は分からん。じゃが、既に二人の間には魔法が施されている」

「何ですって?」

 

 そんな馬鹿な。俺とララは昨日北の森で初めて出会ったばかりだ。そんな魔法を使うような真似は何もしていないはず。

 

「ルドガー、何か心当たりは無いか?」

 

 王子が尋ねてくるが、何度思い返しても心当たりは無い。

 

「無い。本当に守護の魔法が掛かっているのですか?」

「左様。使えなくとも魔法を見ることは儂にもできる。間違いなく二人には縁が結ばれており、魔法が掛かっておる。だがごく最近に発動したようで、まだ不完全じゃ」

 

 ごく最近だというのなら、間違いなく昨日の内に発動したに違いない。

 

 だが俺は魔法を使った覚えは無いし、守護の魔法の使い方も知らない。何がトリガーになったのか不明だが、校長先生は魔法に関して右に出る者はいないとされる方だ。アイリーン先生も相当な実力者ではあるが、校長先生はそれを遙かに凌駕する。校長先生がそう仰るのなら、間違いは無いのだろう。

 

「二つ目の理由じゃが、ララには予言が告げられておる」

「予言?」

「そうじゃ。その予言はまだ君にも教えることはできぬが、確かなことはいずれ君とララは大いなる選択を迫られ決断する時が来る。その選択をするには、互いをより深く理解し合う必要があるのじゃ。その為の時間じゃよ」

 

 予言とは、これまた久しく聞いてなかった言葉だ。

 

 七人の勇者に関しても予言は存在したし、その通りに戦争を終わらせた。

 

 聖女であるララに関して予言があると言うのは分かる。特別な存在にはその手の話は付き物だから。

 

 だがまさか俺も予言に関わっているとはどう言うことだろうか。

 

 もう俺の頭は事態を理解することを放棄しかけていた。

 

「以上が、君にララを任せる理由じゃ。ルドガー先生、引き受けてくれるな?」

 

 優しく丁寧な口調だが、物言わせない威圧感を放ってくるのが分かった。

 此処で俺が何を言っても結果は変わらないと悟り、諦めて頷くしかなかった。

 

 ところで、一つだけ疑問がある。

 

「それで、王子はどうして此処にいるので? ララの説明には校長お一人で充分でしょうに」

「ん? お前が困る顔を見たかったから」

 

 俺は今度こそ王子の顔面に、近くにあった本を投げ付けた。

 

 王子はケラケラと笑いがなら本を受け止めた。

 

 

 

 



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第4話 変化した日常

ご愛読、ありがとうございます!


 

 校長室からララを連れて出た俺は、重い足取りで私室へと戻った。

 

 ララを私室に入れ、俺は椅子にドカリと座って天井を見上げた。

 

 何てことだ。ララと関わるのは極力避けられると思っていたのに、まさか避けるどころか面倒を見ることになるとは誰が予想できたか。

 

 もうすぐ授業が始まるが、俺の頭の中はそれどころじゃない。

 これからどうララに接していけば良いのか、不安が殆どを占めている。

 

「……迷惑だったか?」

 

 そんな声が、ララから聞こえた。

 ララは積み上げられた本を手に取り、パラパラとページを捲っていた。

 

「……そう言うわけじゃない。事態を飲み込むのに頭と心が追い付いていないだけだ」

「私も守護の魔法や予言のことは知らなかった。ただこの国に身を隠すことが唯一の道だと、私を守ってくれた爺やが言っていた。私はそれに従っただけだ」

 

 淡々と物語るララだが、その赤い瞳は揺れていた。

 何も知らない場所でただ一人、何も知らないまま置かれてしまった。

 抱く不安は大きいだろう。その不安を取り除いてやるのが、大人の役目でもあるか。

 

「それにしても、お前も半魔なのだな? 私と同じ……」

「そうだ。どっちがどっちなのかは知らん。両親を全く覚えてなくてね」

「……私も父のことは知らない。物心ついた時には、母と二人だけだった。半魔であることは教えられていたが、魔王の娘だと知ったのは父が死んでからだ。魔族の迎えが来て、城で暮らすことになった」

「……母はどうしてるんだ?」

 

 ララの手が止まる。目を伏せて表情に暗い陰を落とす。

 

「元々病弱だった。父が死んだと知り、心を病んでそのまま衰弱して死んだ」

「――そう、か」

 

 パタンッ、とララは本を閉じた。

 

 そして俺を真っ直ぐ見つめる。

 俺の心は凍て付きそうだった。

 

「お前は英雄と呼ばれていたな? なら、人魔大戦に参戦していたんだろう?」

「……ああ」

「なら、魔王と戦ったか?」

「……」

 

 何と答えたら良いのか分からない。

 俺が殺したと言えば良いのか、それとも知らないと嘘を吐くべきか分からない。

 鼓動が激しくなる。焦点が定まらなくなる。呼吸が浅く荒くなるのが分かる。

 

 ララはそんな俺を見てフッと冷ややかに笑う。

 

「安心しろ、ルドガー。私は別に父を殺された復讐がしたいわけじゃない。復讐心を抱くには、私は父のことを知らなさすぎる。だから気にするな。お前は昨日言った通り、私に茶でも淹れてくれれば良い」

「……生徒達の前では先生と呼べ」

「分かったよ、センセ」

「……授業の時間だ。教室に案内する。今日は俺に付いて回れ。明日以降のことは放課後に」

 

 俺は臆病者だ。

 言い訳を並べて問題を先送りにしてしまった。

 ララに告げることができなかった。

 そんな時間があったと言えるわけではないが、時間があったとしても言えなかっただろう。

 

 ララは口にしなかったが、彼女の目は確かに語っていた。

 父への思いは無いが、母への思いはある。

 母の死の原因を作ったのは俺だ。

 

 俺はララの両親を殺した――。

 

 その事実が、俺の肩にずっしりとのしかかった。

 

 

 

    ★

 

 

 

 ララがアルフの都に来てから俺の生活は少し、いや見様によってはだいぶ変わったかもしれない。

 

 先ず、ララが住む場所は城ではなく俺と同じ寄宿舎である。寄宿舎と言ってもララが来るまでは俺しか使っていなかった。他の先生方は当然持ち家があることだし、態々此処を使う必要が無い。

 

 ララが同じ寄宿舎で過ごすのは、少しでも守護の魔法を強固にする為の措置である。

 

 最初は年頃の若い娘がいい歳した大人と二人だけの宿舎で生活するのはどうかと反論したが、エルフ族というのはその辺の価値観というか貞操観念みたいなものが違った。

 

 ララも最初は難色を示したが、一日二日過ごしたら寧ろ自由が利いて良かったと言い出した。

 

 この寄宿舎には学校のような魔法は掛けられていない。食事も自分で作らないといけないし、掃除や洗濯等と言った家事も己でする。

 

 これは俺のポリシーというか、何でも魔法に頼らないようにする為の日課である。

 魔法で全て片付けてしまっていては、いざ魔法が使えなくなってしまった時に何もできなくなってしまう。

 

 実際、大戦の時に魔力切れや魔法を発動できない罠に嵌まってしまった時、魔法頼りにしていた者達は焚き火すら点けられなかった。

 

 話がずれたが、俺とララは此処での生活に一つのルールを設けた。

 

 家事の分担と料理当番だ。朝食と夕食は特別な理由が無い限り寄宿舎で食べる為、七日に五日は俺が担当し、二日はララが担当することに決めた。

 

 幸い、ララは何でもそつなくこなすことができた。少々面倒臭がりでだらしない所もあるが、それは俺も同じで別段咎める気も無い。

 

 毎朝洗面所で寝ぼけた顔を合わせ、二人揃って歯を磨いて顔を洗う。当番が厨房で朝食を作り、二人で静かに食事を摂る。その後は授業の準備もあって俺が先に寄宿舎を出て学校に向かい、ララがその後に出る。

 

 それが毎朝の生活リズムだ。いつも一人だった朝が、少し賑やかになった。

 

「水族と水魔の見分け方はいくつかあるが、分かりやすいのは人型をしているかどうかだ。水魔によっては人型を模しているモノもあるが、その場合は言語を話すかどうかになってくる」

 

 学校でのララは不思議な編入生という立場に収まっていた。

 

 アーヴル学校でエルフ族以外を通わせた事例は無いが、エルフ族ではない俺が教師をしていることもあり、生徒達はすんなりとララを受け入れた。

 

 ララは魔法の才能に溢れている。

 

 エルフ族が使う魔法は魔族の物とは違い、精霊を介して発動させる精霊魔法だ。

 

 精霊とはそれぞれの属性の魔力の集合体であり、ある程度の知性と力を持ち合わせている。

 エルフは精霊と契約を結び、その力で魔法を発動する。

 

 エルフ族以外の種族が精霊と契約を結ぼうとしても、エルフと魔力の質が違う為に精霊側が契約を結ぼうとしない。

 

 俺の場合、エルフ族の魔力が込められた触媒を使い、そこに自分の魔力を少しだけ加えて契約を結ぶことを可能にしている。森で使ったあの石がそれである。

 

 しかしララは精霊を虜にする魔力を備えていた。触媒無しに自分の魔力だけで精霊と契約を結び、エルフ族の魔法を使用可能にした。

 

「さて、此処で質問だ。ミフィラーという水魔の特徴は? 誰か分かる者は?」

 

 ララが手を挙げた。

 

「じゃ、ララ」

「十九本の触手と鋭い二本の牙だろ? 西側の海に棲息する温和しい水魔だ」

「正解。正確には触手ではなく、あれは全部足だ。海底や陸をウネウネと歩く。ララの言う通り、見た目は凶悪そうだがもの凄く温和しい」

 

 ララは探究心が強かった。

 

 エルフ族の書物を読み漁り、俺が外界の知識を詰め込んだ本も毎日読み耽っている。

 様々な魔法生物や他種族の生活様式、魔法、歴史等々に興味津々で毎日質問してくる。

 普段は大人びた様子のララも、その時だけは幼い子供に戻ったように目を輝かせる。

 

 そこまで喜ばれたら、俺も時間をかけて本を書いた甲斐がある。

 

 外界の本を書いたのが俺だと教えた時の驚き様は今思い出しても笑える。

 

 エルフ族の図書館には基本的にエルフ族に関する書物しか無かった。ほんの少しだけは他種族に関して書かれた物もあったが、かなり古い物だったから俺が加筆修正した物や新たに書いた本が図書館には並んでいる。

 

 一ヶ月間もの時間をかけて俺が持つ知識を本に纏められたのは、頭の中で思い浮かべた事を文字にして書き出す文章自動作成魔法があったのが大きい。

 

 あれは便利だ。複数の羽根ペンが一気に動いて一度に何冊も違う内容の本を書くことができた。学校で使う教材は複製魔法で増やした物を生徒達に配っている。

 

 それを教えたら、ララは目を丸くして「半魔も見かけによらないんだ……」と感心していたが、あれはどう言う意味だったのだろうか。

 

 だがあの魔法は便利だが厄介な所もある。

 あれは一度使えば頭の中の情報を一から十まで書き出してしまう欠点があり、他者に教えるべきではない内容も書き出してしまった。

 

 処分してしまおうと考えたが、王達と協議した結果、禁書として厳重に保管することになった。

 もし今後その知識が必要になってしまった場合、何も残っていなかったらどうすることもできないと考えたからだ。

 

 ララはその禁書の内容にも興味を示しているが、それは俺が固く禁じた。

 教えるべき時が来たら、或いは学ばせるかもしれないが。

 

 また話が逸れた。

 ララの学校生活は順風満帆のそれだった。

 既に一ヶ月が経過しているが、魔族の動きも無く、ララは平穏に暮らしている。

 

「ルドガー先生、今よろしいかの?」

 

 学校の私室で生徒達が提出した課題をチェックしていると、校長先生が入ってきた。

 

「ええ、どうぞ。御茶を淹れましょうか?」

「是非お願いしよう。茶菓子はその棚にあるハニーケーキが良いのぉ」

 

 それは俺が一人で楽しもうとしていたんだが、まぁ仕方が無い。

 

 ハーブティーを淹れ、隠していたハニーケーキを切り分けて差し出した。

 校長先生は甘いケーキに舌鼓を打ち、楽しそうにホクホクと頬を緩める。

 

「美味しいケーキじゃ。先生の手作りかね?」

「生憎と菓子作りは苦手でして。それはララが作った物です」

「ほっほ! 随分と仲が良くなったようで安心じゃ!」

「お陰様で。真実を知ったらどんな顔をされるか……」

「……まだ言うとらんようじゃな。君が魔王を討った張本人だと」

 

 日に日に言い出せなくなっている。

 

 一ヶ月間共に暮らせば、ある程度の情が湧いてしまう。真実を伝えたら最後、ララが俺に向ける笑みは消え、憎しみに染まった顔を向けてくるかもしれない。

 

 それが堪らなく、怖い。

 

「……君は人魔大戦で多くの魔族をその手で斬ってきたであろう。今更何を怖がる?」

「……詳しくは言えません。他の魔族からなら何とも……いや、戦争が終わった今であれば思わないこともない。親を殺された子供達から憎しみをぶつけられでもしたら、少しは心にくるものがあるでしょう。だが、あの子は別です。あの子からの憎しみは……堪らない」

「どうしてそう思うのか、儂は追求せぬ。じゃがいつかは知る時が来る。君の口からでなくとも、何処からか知り得よう」

「俺が魔王を殺したことは、勇者達と人族の王達、エルフ族の王家と校長先生しか知りません。勇者達は人族の大陸にいる。もしララが俺以外から知るとすれば、それは貴方達の誰かが教えたことになります」

 

 俺は校長先生に睨みを利かせる。

 くれぐれも口にはしないでくれと意を込めた。

 

「儂から言うつもりは無い。請われても、この口は開かぬ」

「そう望みます……それで、ご用件は何でしょう?」

「おおぅ、そうじゃった!」

 

 本当に忘れていたのか怪しいものだが、校長先生はポンッと手を打つ。

 一つ咳払いをしてやっと本題に入る。

 

「この一月、魔族の動きを探っておった。今、魔族の大陸ではララが拐かされたと噂が広まっておる。次の魔王として有力候補であったが故に、ララを奪還しようと戦意が高まりつつある」

「まさか戦争を仕掛けてくるつもりですか?」

「いやいや、まだそうと決まったわけではない。じゃが、このまま放置しておけばそうなっていまう可能性は高いじゃろうな」

 

 ララが攫われたと噂を煽動したのは、北の森で出会したウルガ将軍だろう。

 ララを奪還する為にエルフ族の大陸へ攻め入る大義と戦力を得ようとしたのか。

 

 確かに魔族は力を大きく削がれてしまっている。

 だが戦う力を失ったわけではない。個々の力は弱くなったが、数を集めれば一度だけの戦争を仕掛けられる力は残っている。

 

 しかし戦争を仕掛けて長引いたり負けてしまえば、今度こそ魔族は滅びるだろう。

 

 ララを奪い返し、魔王に就かせれば状況はひっくり返るのだろうが、そんな危険な賭をするような将軍ではない気がする。

 

 それにララ自身が魔王になることを嫌がっている。でもそれはララの問題であり、魔族にとっては何ら関係の無いことなのだろう。

 

「このままでは魔族は存続を懸けた大きな戦いを起こすかもしれぬ。それは儂らエルフ族も望まぬ。前回は人族の大陸が戦場だったが、今度は此処かもしれぬからの」

「それを私に教えて、何をさせようと言うんです?」

「ルドガー……正直に言おう。王は聖女を守る為ならば戦争が起きてもそれを良しとしておる。じゃが儂は違う。儂は戦争を望まぬ。子供達にあの地獄を見せてはならぬ。それは聖女を守る代価にはならん」

 

 校長先生の瞳には力強い覚悟が見えた。

 

 戦争を望まないことについては同意だ。あんな生き地獄を再び味わうのはまっぴらごめんだ。子供達は当然として、これからの未来がある若者達にも明るい道を歩いてほしい。

 

 しかし校長先生の仰ることが真実ならば、エルフ王は魔族が行動を起こすまで静観するつもりなのだろうか。

 

 あり得る。エルフ族の掟は基本的に迫り来る火の粉を振り払うようなものだ。火の粉を起こさないように先手を打つような行動は取らない。大戦の時も勇者達から同盟の声を掛けられて初めて駆け付けてきたようなものだった。

 

「私に戦争を防げと?」

「君にはそれができると、儂は信じておる」

「ですが、どうやって?」

「今、魔族の軍を統率しておるのはウルガ将軍じゃ。ウルガ将軍は穏健派を力尽くで抑え、政権をも掌握しつつある。戦争を止めるには、穏健派を将軍の手から解放せねばなるまい」

「魔族の大陸へ行って穏健派を解放して来いと?」

「左様。魔族の大陸の案内人にはララを連れて行くのじゃ」

「ララを? それは本末転倒では? 将軍達からララを匿う為に此処へ迎え入れたのでしょう?」

「じゃが、案内人にはララが一番じゃ。それに、君の側にいたほうが何処よりも安全だと儂は確信しておる」

 

 俺は頭を抱えて考える。

 

 戦争は止めなければならない。その為に穏健派を将軍から解放して政権を握らさなければならない。

 そこまでは解るし、納得もできる。

 

 だがララを連れて行くことはどうだろうか。あまりに危険過ぎやしないか?

 

 あの将軍はきっとララを何としてでも魔王にさせる腹だ。どんな手を使ってでも、ララが拒んでも力尽くで魔王にさせるだろう。今度は心臓を抉り出して別の場所へと隠すかもしれない。

 

 そんな目にララを遭わせたくはない。

 だけど、魔族の本国へ案内も無しに潜入はできない。それができるのはララだけだ。

 

 やるしかないのか……。

 

「……校長先生、この事、当然王は承知ではないのでしょう?」

「うむ。じゃが、この話は王子から持ち掛けられた。ララを都から連れ出す為に手を貸してくれる」

「……わかりました。出立は明朝に。ララには私から。それと王子に伝言を――」

 

 俺は校長先生に伝言を頼み、それを受け取った校長先生は頷いて部屋から出て行った。

 

 一人になった俺は溜息を零し、書斎の机の引き出しを開けて一冊の手帳を取り出す。

 この手帳は俺の師が日々の記録を残しておきなさいと言ってくれた物。

 古びた革製の手帳を開き、挟んであった写し絵を手に取る。

 これは模写魔法の一種で、見た物を紙に実物そっくりに写した絵だ。

 その絵には八人の若者が写っている。

 その中の一人に、若い頃の俺もいる。

 

「……過去のままには、しておけないみたいだよ」

 

 写し絵を手帳に戻し、来るその時へ覚悟を決めた――。

 



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第5話 二人だけの前夜

 

 ララへの説明は思いの外すんなりとできた。

 

 戦争を防ぐ為に魔族の大陸へと向かい、穏健派をウルガ将軍から解放する。

 

 そう伝えたらララは考える間もなく一緒に行くと答えた。

 穏健派を助け出せるのなら、何だってすると言ってのけたのだ。

 危険な目に遭うかもしれないと忠告しても、ララの決意は変わらなかった。

 

 荷物を纏めさせ、明朝に出立できるようにさせて今夜は早く寝かせた。

 

 俺はと言うと、寝付けるわけもなく、酒瓶を片手に屋根に登って月夜を肴にしている。

 

 半人半魔の身体はこんな時に便利だ。数日眠らなくても活動には支障をきたさないし、酒瓶の二、三本飲んでも少しも酔わない。

 

 酔えない酒ってのも、それはそれで味気なくて旨いとは言い難いが、それでも少しは大人の心を満たすことはできる。

 

 既に荷物は纏め終えている。明朝になれば王子が東側の門を開けてくれる手筈になっている。

 俺とララは馬に乗ってその門から都を抜け出し、海を渡る船を探す。

 

 あと数時間でララを起こすと言うところで、掛かるはずのない声が掛けられた。

 

「こんな所で何してるんだ?」

「うお吃驚した!?」

 

 俺に声を掛けてきたのは寝ているはずのララだった。

 寝巻にローブを羽織って俺の後に腰を下ろして俺を見つめている。

 

「おまっ、何で寝てねぇんだ?」

「センセこそ、何で寝てないんだ?」

「俺は半魔だから寝なくても――それはお前もか」

「ふふん」

 

 ララは何故か自慢げに笑い、俺の隣に移動して座り込む。

 ララの髪が月明かりに反射して美しく輝いている。その輝きに照らされたララは、どこか幻想的な美しさを纏っていた。

 

「それで? 何しに来た?」

「別に。ただ何となく話し相手が欲しかっただけだ」

「此処には俺しかいないが?」

「ならセンセで我慢する」

「そら光栄なこって」

「……センセは、魔族の大陸に行ったことはあるのか?」

 

 ララがおもむろにそんなことを聞いてきた。

 酒を煽りながら、昔の記憶を掘り返してみる。

 

「ガキの頃に、師に連れて行かれたことがある。もう十数年も前だ。戦争が酷くなる前かな」

「……私は最初、田舎で暮らしてた。父が死んでからは都で。ま、都で暮らしてたと言っても、殆ど城の中だったけど」

「故郷にダチはいねぇのか?」

「ダチ?」

「友達だよ。知り合いでも良いけど」

「……私は半魔だぞ。いるわけがない。城では魔王の娘だから大切にされていたが、本音は蔑んでいる者が多かっただろう。力を濃く受け継いでいなければ、母と一緒に殺されていたかもしれない」

「そうか……ま、そうだよな」

 

 半魔と言う存在は、それだけで生きづらい存在だ。

 

 半魔だけじゃない、異なる種族との間に生まれた子供はその異質さによって蔑まれる傾向にある。

 

 特に魔族は他種よりも純血を重んじる。それは力が弱まると言うのもあるが、魔族の魔力に大きな理由がある。

 

 魔族の魔力はかなり強力だが、同時に自身を蝕む毒でもある。他種族の血が流れる身体では、強すぎる魔力に耐えられない。身体は崩れていき、憐れな姿になって生きるか短命で終わるかのどちらかだ。

 

 俺とララが此処まで生きていられるのは、運が良かったからに過ぎない。

 

 更に悪いことに、俺とララは人族との間に生まれた。

 人族は魔族に恨み辛みしか抱いていない。今の魔族も同じだろう。

 

 そんな俺達に、友人などできる訳がなかった。

 

「だけど、此処じゃ友達はできただろ?」

「まぁ……」

「まぁ? まぁってことはねぇだろ。彼氏の一人や二人できても可笑しくない勢いじゃねぇか」

「ガキに興味は無い。私は年上が好きだ」

「ガキの癖に何言ってやがる」

「私は十六歳だぞ? 十六はもう大人だ」

「それは魔族のだろ。人族じゃまだガキだ」

「ふん、お前こそどうなんだ? あのアイリーンって女エルフと随分と仲が良いじゃないか」

「先生を付けろ。別に、そんなんじゃねぇよ」

 

 確かにアイリーン先生は魅力的な女性だ。一夜の過ちが起きないかと思ったりもする。

 

 だけどそれは本当に一夜限りの夢で良い。

 俺はこの先、家庭を築くつもりは無い。いずれ何処かで孤独に死ぬのが、俺の終着点だ。

 半魔である俺の苦労を、誰かに背負わせる気なんて無い。

 

 両親がどんな気持ちで俺を生んだのかは知らない。望んでいなかったかもしれない。

 今更それはどうだって良い。だけどこの重荷を誰かに継がせるなんて所業、俺には無理だ。

 

「どうだか……いっつも鼻の下伸ばしてるぞ」

「そりゃあんな美女が相手じゃ、鉄仮面ですら鼻の下を伸ばすね」

「……少しは隠そうとしろよ」

「隠したほうが下心ありそうだろ?」

「……確かに」

 

 酒瓶を傾けてると、ララの視線がそれに釘付けになっているのに気が付く。

 試しに目の前で瓶を動かしてみると、目線が瓶に釣られて動く。

 

「酒に興味があるのか?」

「……ある」

「……ませガキめ。ほら、飲んでみろ」

「良いのか? やった」

 

 ララは俺の手から酒瓶を引っ手繰ると、目を輝かせて一気に口の中へと流した。

 

 案の定、度のキツい酒に喉がやられ、ゲホゲホと咳き込む。

 

「ハッハッハ! やっぱガキじゃねぇか!」

「ふざっ、けるな! 何だこれ飲み物じゃないぞ!」

「友達にもそう言ってやれ。ほれ、返せ」

「やだっ」

 

 ララは酒瓶を俺から遠ざけ、もう一度挑戦する。

 

 まぁ、俺と同じ半魔だからこの程度の酒でどうこうなるわけじゃないしな。

 

 しかし、不思議なものだ。

 俺の隣で酒に咽せている女の子は魔王の娘で、聖女で、同じ半魔だんてな。

 

 しかもララにとっては俺は両親の仇だ。

 

 そのことはまだ伝えられていないが、何と言うかな……。

 

 これからの道中で、きっとララに真実を伝える時が来るだろうと、俺は確信めいたものを抱いていた。その時に俺はどうなるのか分からないが、もしララが復讐したいと思ったのなら、俺はそれを受け入れようと思う。

 

 ララの手で最期を迎えられるのなら、それはそれで良いかもしれないとまで思えてくる。

 

 でもそれはララを完全に守り通せてからだ。俺が死んで、ララの身に危険が及んでしまっては意味が無い。

 

「ララ」

「ゲホッ……んん?」

「……いや、何でもねぇ。それより酒返せ」

「残念、もう飲みきった」

「ったく、腹壊しても知らねぇぞ」

「大丈夫だろ。あ、そうだルドガー」

「あァ?」

「旅の途中でも私に色々と教えてくれ。本だけじゃ物足りない。実際にそこに行って、この目で直接見てみたい」

「……良いだろう。それじゃ、今から教えてやる。あの星、分かるか? あれはドラゴン座で――」

 

 俺達は出立の時間まで、星空を眺めながら二人だけの授業を続けた。

 

 この時を、俺は決して忘れることは無い。

 

 いずれ決別の時が来たとしても、この思い出は色褪せることはなく、永遠に俺の心の中で輝き続けるだろう。

 

 

 

 明朝、俺は森に出た時の装備姿で、ララを連れて寝静まっている都の中を移動する。

 音を立てずに迅速に東門へと辿り着く。

 

 そこでは王子が数人の戦士を引き連れ、一頭の馬を用意して待機していた。

 

「友よ……」

「フレイ……」

「……必ず戻ってきてくれ。生きて、だぞ?」

「……ああ。その時は湖じゃなく、海で釣りでもしよう」

「……ララ姫、お気を付けて。貴女を危険に晒すことを、お許しください。これは、餞別です」

 

 王子は白い杖をララに渡す。

 

「この杖はユニコーンの角で作られた物です。貴女に幸運と勇気を与えるでしょう」

「……ありがとう。私も戻ってきて良いか? 釣り、私もしてみたい」

 

 そう言われた王子は目を見開かせ、輝いた笑顔を浮かべる。

 目尻に涙を浮かばせ、ララの手に自分の手を重ねた。

 

「ええ! ええ、勿論! その日を楽しみにしてます!」

 

 王子はそう言うと、戦士達に頷いて合図を出す。

 俺はララを馬に乗せ、その後に俺が跨がる。

 静かに東門が開かれ、俺は手綱を握り締めて馬を進めた。

 

「ルドガー。伝言通り、私個人の伝手で東海岸の港に船を用意させている。出航するまで、できるだけ父に気付かれぬよう時間を稼ぐ」

「頼む」

「七神の加護あれ――」

 

 俺は馬を走らせた。

 

 ここから、俺とララの最初の旅が始まる。

 戦争を回避する為に、命懸けの旅に出る。

 どんな壁が立ち塞がっているのか、きっと想像以上に高い壁だろう。

 

 だがどうしてか――。

 

「ララ! 振り落とされるなよ!」

「分かってるよ! センセ!」

 

 どうしてか――今の俺の前に広がる道は、明るく見えた。

 

 



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第6話 東へ

いつもありがとうございます!


 

 アルフの都から東海岸の港まで馬を走らせて凡そ4時間は掛かる。

 ぶっ通しで馬を走らせ続ける訳にもいかず、時間は更に掛かる。

 フレイ王子が時間稼ぎをしてくれると言っても、できるだけ早く港に着きたい。

 

 もし港に着く前にバレてしまえば、精霊を使っての交信術で港の戦士達に一報を入れられてしまう。そうなれば少し厄介だ。

 

 今は山を越え、平坦な大地を移動している。

 此処から最初の村まで後ほんの数十分程度だろう。そこで一度馬を休ませるべきか否かを悩んでいた。

 

「……ルドガー、馬がしんどそうだ」

「だよな。鎧を装備した大人一人に子供一人」

「ムッ」

「失礼、レディ一人だ。此処までよく走り続けてくれたもんだ」

「私が馬に乗れていればもっと距離を稼げたか?」

「気にすることじゃない。もうすぐ村に着く。そこで馬を休ませるぞ」

 

 本当にララが気にするようなことじゃない。馬での移動を選んだのは俺だ。ララが馬に乗れないことはこの一ヶ月の間で知っていたことだ。

 

 それでも馬を選んだのは、一番身軽で早く移動できる手段だったからだ。

 

 もう少しだけ馬に頑張ってもらい、最初の村に到着した。

 

 閑散としているようだが、エルフ族の村はこんなもんだ。都が特別集まっているだけ。

 だが村がある場所では必ず自然の恵みが得られる。農作物でも狩りでも漁でも、何かしらの恩恵が得られる。

 

 この村は農作物で暮らしているらしい。各家の近くに畑が広がっている。

 

「止まれ! 何者だ!」

 

 村に入った途端、弓を携えた若者が数人現れた。

 

 村にもよるが、大抵はその村の自警団が村を守っている。

 彼らはその自警団なのだろう。

 

 俺は一度両手を上げて抵抗する気が無いことを示す。

 

「落ち着け。俺はルドガー・ライオット。フレイ王子の盟友にして戦士だ。王子から任を預かり東の海へと向かっている。この村には馬を休ませる為に来た。書状もある。だから武器を下ろしてくれ」

「え、英雄ルドガー様!? し、失礼しました!」

 

 どうやら彼らは俺の名を知っているようだった。

 

 慌てて弓を下ろし、腕を胸の前に持ってきてエルフ族の礼をする。

 

「そう畏まらなくて良い。馬を休ませたい。彼に水を提供して欲しいのだが……」

「すぐに!」

 

 若者達は道を空けて、馬を休める場所へと案内してくれた。

 

 一応、本当に事前に受け取っていた王子の証明書を見せて確認を取らせた。

 馬から下りてララを下ろし、馬に少しの間の休息を与えた。

 

「本当に此処までよく走ってくれた。名前は――ルートか。この先もよろしくな」

 

 馬の鐙に記されていた名前を確認して優しく撫でてやると、ルートは気持ちよさそうに小さく嘶く。

 

 ララが馬を撫でたそうにしていたのに気が付き、ララにも撫でさせてやる。

 そこへこの村の村長であろう老エルフがやって来た。

 

「ルドガー様、宜しければ我が家でお休みになられますか?」

「いや、構わなくても良い。先を急いでる。書状にある通り、急を要するものでな」

「そうですか。では、我が村で採れたカボチャのキッシュだけでも召し上がってください」

「ご厚意、感謝する」

 

 丁度、飯時だったのだろう。ホクホクの焼きたてキッシュが盛られた皿を受け取り、ララと分けて食べる。

 

 カボチャの甘味を堪能していると、周囲をキョロキョロと見ているララが首を傾げ、あることを訊いてきた。

 

「センセ、ずっと気になってたんだが……エルフ族はどうやって物を手に入れてるんだ?」

「物を?」

「ほら、お金とか」

「金? ああ、無いよ。基本的にエルフ族は助け合いの掟と大地の恵みで生きてる。都に市場なんて無かったろ?」

「無かった」

「それで生きていけるのは大地の恵みが他の大陸よりも圧倒的に多いからだ。何で多いか分かるか?」

 

 ララにそう質問すると、少し考える素振りを見せてから「あ……」と声を漏らした。

 どうやら気が付いたようだ。

 

「清浄な魔力が多い……」

「そう。この西の大陸は他の三大陸と違い、圧倒的に清浄な魔力が多い。それのお陰で森や水が枯れることが無く、生命で溢れている。だからエルフ族は大地から与えられる恵みだけで豊かに暮らしていける。そして何より、欲が無い。共通の掟に従い、正しく生きていく事こそがエルフの幸せと考えているから成り立っている。たぶん、他の種族が同じ恵みを貰っても成り立たないだろうな」

「……性欲も無いのか?」

 

 ズルッと、姿勢を崩してしまった。

 

 気になるところがそこかよと突っ込みたかったが、単純に知的好奇心から来ているようなので素直に答えてやる。

 

「他種族よりは少ないと思う。ただ発情期はあるらしくて、その時にパートナーが居れば……」

 

 俺は拳を前後に突き動かして性行のジェスチャーをしてみせる。

 

 ララはふんふんと頷き。「ん?」と首を傾げる。

 

「パートナーが居ない場合は?」

「……そら、自分でするだろ」

「エルフもするのか……ならアイリーン先生も?」

 

 思わず、俺はその光景を想像してしまった。

 

 あの色気溢れるグラマラスボディの美女が、熱気に籠もったベッドの上で身をくねらせている様は正に素晴らしき理想郷かな。

 

 その考えが見抜かれたのか、ララはジトーっと見つめてくる。

 

「……考えさせたお前が悪い」

「私は何も言ってないぞ」

「……言っておくが、俺は手を出したことは無い。ホントだ」

「だから、何も言ってないって」

「ったく……」

 

 キッシュの最後の欠片を口に放り込み、ララの頬に付いているキッシュのカスを指で拭い取ってやる。

 

 それから少し経ち、休息を切り上げて先へと進む。

 

 今度の村までまた暫く時間が掛かる。休息が必要かどうかはその時に判断しよう。

 

 馬を走らせている途中、ララは初めて見る景色に興味津々なのか目に付く物を何でも訊いてくる。

 

 あの山には何が棲んでいるのか、あの湖では何が棲んでいるのか、あの遺跡は何の遺跡なのか。あの鳥は何だ、あの動物は、知りたがりな子供の様に何でも指さして尋ねる。

 

 俺はまるで小さな子供を相手にするように、その一つ一つに答えていく。

 

 嘗て俺が師に全てを教えられた時のように、今度は俺がララに教えていく。

 

 気付けば剣を握り、生きる為に戦場を闊歩していた俺が、誰かに物事を教えることになるとは二年前まで考えてもみなかった。

 

 アーヴル学校の教壇に立っている時は、自分が教師に相応しくないといつも心の何処かで思っていた。

 

 だがララにこうやって教えているこの時は、教師になって良かったと思い始めている。

 

 惜しむらくは、俺がララにとって両親の仇であるということ。

 ララにその真実を伝える時が、刻一刻と近付いている予感がある。

 だけどその時まで、この不思議な幸福感を噛み締めたい。

 

「……? センセ、あれは……?」

「次は何だ……?」

 

 丘を登り切った辺りで、ララは何かに気付いて指をさした。

 

 今度は何を訊かれたのかと、其方へと視線を向けた。

 

 離れた所に黒い大きな布切れのような物がフヨフヨと浮いている。

 

 いや、あれは本当に布切れか……?

 

「……しまった! あれは悪霊だ!」

「悪霊!? うわっ!?」

 

 俺は全速力でルートを走らせた。走り続けで疲れているだろうが、どうか堪えてほしい。

 

「悪霊って、何で!?」

「ウルガ将軍の配下だろ! お前が都を出るのを粘り強く待ってやがったな!」

 

 気を抜き過ぎていた。ウルガ将軍はずっとララが都から出て来るのを、都から離れた場所に悪霊を隠れさせて待っていやがったんだ。

 

 何でその可能性を少しでも思い付けなかった。ララが都に匿われてることは、将軍は知っていただろ。手先を潜ませることぐらい予想できたはずなのに。

 

 五年間の平和に頭が呆けてしまったか、このクソッタレ!

 

 逃げる俺達を、悪霊は地を這うように飛んで追い掛けてくる。その速さは馬以上だ。

 このまま平地を逃げ続けても追い付かれてしまう。

 

「ララ! 悪霊祓いの魔法は習ったか!?」

「な、習ってない――けど自分で学んだ!」

「よし! 奴らが近付いてきたらやれ!」

 

 どこか、どこか身を隠せる場所は無いか?

 

 奴らは鼻が利かない。姿を隠して音を立てなければやり過ごせる。

 戦ってる時間は無い。グズグズしてると王に気付かれる。

 

 逃げ隠れる場所を探しながらルートを走らせていると、隠れる場所では無いが、木の壁に囲まれた集落を見付けた。

 

 しめた! 砦の中なら悪霊は招かれないと入れない!

 

「センセ! 来た!」

 

 チラリと後ろを見ると、悪霊がすぐ後ろまで追い付いていた。

 

「ララ! やれ!」

「くっ……光の精霊よ来たれ――ルク・エクソル!」

 

 ララは王子から貰った杖を握り締め、俺にしがみ付きながら後方へと伸ばし、悪霊祓いの呪文を唱える。

 

 杖から神々しい光の霞が放たれ、悪霊の一体に纏わり付いて動きを封じた。

 

「ルク・エクソル! センセ! 数が多い!」

「中級の魔法は!?」

「わかんない!」

「もっと魔力を精霊に与えて広く光を出すイメージだ! 呪文はルク・ド・エクソルズ!」

「光の精霊よ来たれ――ルク・ド・エクソルズ!」

 

 ララが呪文を唱えると、先程よりも大きな光の輝きが杖から放たれる。

 

 扇状に光が放たれていき、一気に悪霊達を押し返していく。

 

 俺はその威力に驚いた。エルフ族の中級悪霊払いでも此処まで力強く悪霊を押し返す力は無い。精々、壁となって進行を妨げるぐらいだ。間違っても押し返すことは無い。

 

 やはり魔王の娘だからか、魔法力に対して大きな才能を持ち合わせているのだろうか。

 

 しかし、今はありがたい。お陰で無事に集落へと辿り着ける。

 

「せ……せんせ……くるし……!」

「ララ!?」

 

 ララがぐったりとしていた。

 

 一目で魔力失調症を引き起こしていると分かった。急速に魔力が精霊に吸い取られている。

 

 集落の門番の制止を無視してルートを突入させた。

 

 エルフの戦士達が取り囲んでくるがそれどころじゃない。

 ララを急いで馬から下ろし、地面に寝転がらせた。

 

「ハッ――ハッ――!?」

「息をしろ! 息をするんだ!」

 

 俺はララの手を掴み、自分の魔力をララに送り込んでいく。

 

 魔力は生命の源。魔力を失えば命に関わる。失った分の魔力を補填しなければいけない。

 

 次第にララの呼吸は落ち着きを取り戻していき、青かった顔色も血色が通った良い色に戻る。

 

「ララ! ララ! 大丈夫か!?」

「せんせ……いったい何が……?」

「精霊に魔力を根刮ぎ持ってかれたんだろう……魔力のコントロールを誤れば、精霊に喰い尽くされる。俺が迂闊だった……いきなりやらせるべきじゃなかった」

「い、いったい何事だ!?」

 

 この集落の戦士の一人が槍を突き付けながら近付く。

 

 門の外へを見れば、悪霊達はいなくなっていた。

 

 俺はララを立たせ、戦士達に身分と事情を明かしてララを休ませる場所を提供してもらった。

 魔力を奪われて体温も一気に下がったのか寒そうにしていた。腰のポーチから毛布を取り出し、ララに羽織らせた。

 

「大丈夫か?」

「あ、ああ……ちょっと寒いだけ」

「……本当に悪かった。俺が祓うべきだった」

「初めてだったから加減を間違えただけだ。次は大丈夫」

「……すまない」

「そ、それより、そのポーチ……」

「ん? これか? 校長先生から特別に借りた。空間拡大魔法を掛けてある魔法のポーチだ。どんな大きさの物でもこれに入れて持ち歩ける」

 

 試しにポーチから大きな本を取り出して見せる。

 ララは寒さなど忘れて、そのポーチを食い入るように見つめる。

 

 その気持ちは分かる。俺も初めてこの魔法を目にした時は口が開きっぱなしになった。他の種族でこの魔法を使ってるのは見たことが無い。たぶん、エルフ族だけが知る魔法だと思う。

 

 でも似たような魔法で、自分自身だけの固有空間を創造して、そこに物を収納する空間魔法があったな。確か上位の魔族が使っているのを見たことがある。

 

 ララにポーチを渡すと、ララはポーチの中を可愛らしく覗き込む。

 

「……」

 

 しかし、今回は本当に迂闊だった。

 ララの魔法の素質ならどんな魔法でも操れると勝手に思い込んでしまっていた。

 

 精霊を介して使用する魔法の危険性は充分に承知していた。それを忘れて、危うくララを死なせてしまうところだった。

 

 どんな魔法にも必ず危険は伴う。どんなに簡単な魔法でも、コントロールを失えばそれは自分に牙を向ける。己の魔法に呑まれて死んだ者を何人も見てきた。

 

 浮かれていた訳じゃない、気が緩んでいた訳でもない。完全に忘れてしまっていた。

 

 しっかりしろルドガー。ララはまだ子供で知らない事が多い。俺が間違えれば、常に危険に晒されているララは簡単に死ぬぞ。

 

「……センセ?」

「……もう少し休んだら出発しよう。今度は港までノンストップだ」

「……うん」

 

 ララの頭を撫で、場所を提供してくれた主人に礼を言って外に出る。

 

 悪霊達は祓えた。一度祓った場所には当分やって来ないだろう。

 

 だが魔族に居場所はバレたはずだ。この集落の周りに増援が来て潜んでいるかもしれない。

 その前に港へ辿り着ければ良いのだが、どうにか安全を確保する手段は無いだろうか。

 

 ポーチから黒い石を取り出し、魔力を込めて精霊を呼び出す。

 

「精霊よ来たれ――」

 

 石は砂粒に変わり、小人の形になり精霊と化す。

 その精霊に付近に偵察をさせ、魔族が潜んでいないか確認してもらう。

 

 この大陸に魔族の軍がやって来ているとは考え難い。いても数人、後は怪物の類いだろう。

 軍で来ていたら、侵略行為と見なされて停戦協定違反として攻め入る口実を与えるだけだ。

 

 それは魔族も望んではいない筈だ。少なくとも、今すぐには。

 あの将軍が、そんな愚かな事を考えていないのを願うばかりだ。

 

 偵察に行かせた精霊が戻り、まだ敵らしき影は見当たらないと、吉報を持ってきてくれた。

 今がチャンスだと思い、まだ少し怠そうなララに辛抱してもらって集落を出発した。

 

 ルートはよく頑張ってくれている。人を二人乗せて走り続けてくれるコイツはきっと名馬だろう。王子が気を利かせて、できるだけ良い馬を用意してくれたんだろうな。

 

 ほんと、フレイはイイ奴だ。友人になれたことは俺の誉れだ。

 

 やがて太陽がそろそろ一番上に昇ろうとしている頃、やっと目的の港が目に入った。

 丘の下に広がる青い海に、俺は懐かしさを感じた。湖や川は何度も目にしているが、海は久々だ。この大陸に来てからは近付いていないから、二年ぐらい目にしていないのか。

 

「あれが港か?」

「ああ。北のとは違うだろ?」

「北のは何か雰囲気が暗かった」

「魔族の大陸に一番近いからな。戦士達の基地として機能してるから、彼処みたいに明るくはない。さ、ルート。あとほんの少し頑張ってくれ」

 

 ルートを走らせ、港へと急ぐ。

 



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第7話 出港

 

 此処まで魔族の襲撃などは無かった。あとは王にバレていないことを願う。精霊を使った交信術じゃ、圧倒的に精霊のほうが早く港に着く。

 

 用心しながら港へと入り、王子が用意してくれているはずの船を探す。

 ララはフードを被って顔を隠してはいるが、キョロキョロと物珍しそうに辺りを見る。

 

「……何か、都のエルフと違う」

 

 ララがふとそんな事を口にした。

 

「どう言う風に違う?」

「んー……何と言うか……ゴツい?」

「ぷっ……」

 

 ララの感想に思わず笑いが漏れてしまう。

 

 だがそう言うのも無理は無い。何故ならララの言う通り、港にいるエルフ達は筋骨隆々の者達が多い。都や此処まで来る間に見た村のエルフ達は、戦士であっても此処までゴツくない。

 

「この港は漁業が盛んだ。遠い海を航海して、数週間から数ヶ月掛けて漁に出る。歴戦の戦士ですらキツい体力仕事をする彼らが、ムキムキになるのは当然だ。決して戦士達の訓練が楽って意味じゃないぞ。それに、海には海賊がいる。海賊と戦う彼らも立派な戦士だ」

「海賊……」

「海賊の多くは水族だが、決してそれだけじゃない。厄介なのは水族以外の海賊だ。水族は種族故に海を自由に航海できるが、他の種族はそうもいかない。それなのに水族を押し退けてまで勢力を拡大しているってことは、それ程大きな力を持ってるってことだ」

「遭遇したくないものだな」

「それが一番だ。さて、王子が用意した船を見付けなくちゃな」

 

 一応、向こうも俺達を探してくれている筈だ。

 港の端から端までを探していき、目的の船を見付けた。

 

 だが少し様子が変だ。

 

 船に乗船しているエルフの船乗り達と、エルフの戦士達が睨み合っている。

 

 俺はルートの足を止めて建物の物陰に移動させる。

 

 おそらくだが、あの戦士達は王側の者達だ。きっと俺達のことがバレたんだ。

 ララをルートと一緒に隠し、俺は様子を探るため船に近寄って彼らの話を盗み聞く。

 

「退くのだ。この船に魔族の要人が乗っていると、陛下から報告があった」

「知らねぇな。この船はフレイ王子御用達の船だ。魔族なんざ乗せちゃいねぇ」

「それを確かめる為に調べるのだ」

「聞こえなかったかい? これはフレイ王子の船だ。王子の許しが無けりゃ、誰も乗せさせねぇよ」

「これはヴァルドール陛下の御命令だ!」

「こちとら王子から、例えヴァルドール王だとしても乗せるなと言われてんだよ! 文句があんならフレイ王子に言いな! 王子から許可が出たらいくらでも乗せてやらァ!」

 

 その一言で戦士達が今にも剣を抜きそうになる。

 船乗り達も決して退くことなく、剣や斧を手に取って威圧する。

 

 だが戦士側のリーダーは同族で争うことを望んでいないのか、戦士達に下がるように命じる。

 船乗り側も、武器を下ろす。

 

「……分かった。陛下と王子に今一度連絡を取る。今は下がろう」

「フン、初めからそうしときゃ良いんだよ」

 

 戦士達はその場から一度離れていき、先程まで見事な啖呵を切っていた船乗りは軽く溜息を吐いた。

 

 俺は今がチャンスだと思い、マントのフードで顔を隠して物陰から出て彼に声を掛けた。

 

「失礼、アンタが船長か?」

「……そうだが、てめぇは?」

「ルドガー」

「じゃ、アンタが……!? 遅ぇんだよ! もっと早く来れなかったのか!?」

 

 船長は野太い声で俺に怒鳴る。

 

 それも仕方が無い。もっと早く到着していれば、彼らも戦士達と喧嘩腰になる必要も無かった。彼らへの反感は、そのまま王への反感になりかねない。それは船長達だって絶対に避けたいはずだ。

 

「すまない。これでも急いだんだ。それより、出港できるか?」

「いつでも出せるように準備は済ませてある。だが戦士達の目がある。それをどうにかしねぇと面倒だ」

「分かった。彼らの陽動は俺がする。戦士達の目が離れたら、すぐに出港してくれ。出港したら、一度左手の海岸に船を寄せてくれ」

「……それは分かった。で、件の子は?」

「こっちだ」

 

 俺は船長を連れて、ララとルートが待っている場所に戻る。

 

 ララに船長を紹介し、ララとルートを船長に任せて俺は一度港の門から外に出る。

 今、戦士達は王に精霊を使わして連絡を取っているだろう。戦士達の目を船だけじゃなく港からも離しておきたい。

 

 港から少し離れた場所にある雑木林に入り、背中のナハトを抜いた。

 

「さて、ちょっとド派手にやるぞ」

 

 剣を前に構え、剣身を左手で撫でるように動かす。同時に己の魔力を練り上げ、光属性へと変換する。その魔力を剣身に纏わせていく。

 

「我、此処に不死鳥の幻影を顕現させる者なり――ラージド・ファントムフェニクス!」

 

 剣を天へと突き出すと、天へ向かって剣から光が放たれる。

 その光は雑木林を越えると眩く炸裂し、空を覆うほどの炎を撒き散らしながら不死鳥へと姿を変えた。

 巨大な火の鳥となったそれは咆哮を上げながら、空を泳ぐ。炎を雑木林に降り注ぎ、火の海をへと変えていく。

 

 これで戦士達は港から離れて此処の消火活動に回るはずだ。

 

 フェニックスを操りながら少し待っていると、戦士達が駆け付けてくる音が聞こえた。

 俺は剣を背中に戻し、海岸へと急いで向かう。

 

 狙い通りに船は出港を始めており、海岸沿いギリギリを走っていた。

 船の甲板ではララが俺を見付けて大きく手を振って呼んでいる。

 

 海岸に出た俺は、今度は魔力を氷属性へと変えて右手に集める。

 

「我、凍て付かせる者なり――アイスバーン」

 

 右手を下から上に振り上げると、海水の一部が凍り付いて船までの氷道ができた。

 滑るようにして渡り、船へと飛び移ると氷は砕けて消える。

 

「船長!」

「よし来たァ! 野郎共! かっ飛ばせ!」

 

 船長の号令により船乗り達は帆を下ろし、風の魔法で風を起こして帆に受けさせる。

 船の速度がぐんぐんと上がっていき、海岸から一気に離れていった。

 

 遠く離れていく港を眺めながら、暫しの別れを告げる。

 

「ったく、旦那も滅茶苦茶なことをしやがる。誰が大火事を起こせつったよ?」

 

 船長が燃え盛る雑木林を見て溜息を吐く。

 確かに、あれではかなりの被害が出るだろう。

 

 だが、それはあれが本当の火事だったらの話だ。

 

「安心しろよ。あれ全部、幻だから」

 

 俺は発動を続けていた魔法を解いた。

 すると空をずっと羽ばたいていた不死鳥は蜃気楼のように消え、広がっていた炎も嘘のように消えた。

 いくら人目を集める為とは言え、本当に火災を起こすつもりなんてない。

 

 船長はあれが幻だと分かり目を丸くし、ララは「凄い……」と感嘆の声を漏らした。

 

「……さ、流石英雄と呼ばれる旦那だ。エルフでも、彼処まで本物と違わない幻影を出すなんざ中々できやしねぇ」

「そうか? あんな魔法より、王子に忠を誓って戦士達に彼処まで啖呵を切れるあんたらのほうが凄ぇよ」

「ヘッ、エルフ族きっての海の戦士は何者も恐れねぇ強者ばかりよ。旦那、予定の港までは四日は掛かるぜ。だが安心しな。居心地は保証するぜ」

「ああ。世話になる。さっきも名乗ったが、ルドガー・ライオットだ」

「エルヴィスだ。英雄と航海できるなんざ光栄だ。野郎共もこんなに可愛い子を前にしてイイとこ見せようといつになく張り切ってやがる」

「……この子について、王子から何を聞いてる?」

「旦那、安心しな。船長であるからには事情は知っている。だが野郎共は知らねぇし、俺も言う気はねぇ」

 

 船長の言葉に嘘は無いように思えた。目を見て、この船長なら信頼できると確信した。

 

 船長に礼を言うと、甲板の端っこで海を眺めているララの隣に立つ。

 ララは銀髪を海風で靡かせながら、赤い目を子供の様に輝かせて景色を楽しんでいる。

 

 俺も久々の船旅に、年甲斐も無く少しだけ高揚している。

 

「エルフの大陸に来る時、船から海を眺めなかったのか?」

「ずっと部屋に閉じ込められっぱなしだった。少しでも私を守る為だったんだろうけど……」

「……目的地まで四日掛かる。その間に海釣りでも教えてやろうか?」

「良いのか!? あ、いや、でも……王子と一緒にする約束したし……」

「それもそうか。取り敢えず、船室に行こう。たぶん、驚くぞ」

 

 ララは驚くぞという言葉に首を傾げる。

 

 百聞は一見にしかずと言うことで、これから四日間過ごす部屋へと連れて行く。

 

 甲板にあるドアを潜ると、そこは長い廊下に繋がっていた。

 

 ララは一度廊下に出て、足を止めて甲板に戻って船を端から端まで見渡す。

 

 そしてもう一度ドアを潜って廊下に出て、混乱したように目をパチパチとさせる。

 

「これと同じだ」

 

 俺は腰のポーチをポンポンと叩いた。

 

 そう、この船の内部にも空間拡大魔法が掛けられている。船の大きさからはあり得ない長さの廊下が現れたのはこの為だ。

 

 当然、各船室にもこれが掛けられている。

 ララが使用する船室は王子が過ごす場所であり、他よりも広く豪華になっている。

 ソファーにベッドに、備え付けの浴室まである。

 船の揺れも感じず、快適に過ごせるように魔法が掛けられている。

 

「……エルフの魔法って凄いな」

「ちゃんと学んで訓練すれば、お前も使えるようになるさ」

「センセの部屋は?」

「向かいの部屋だ。天気の良い日で、船乗りの仕事の邪魔をしなけりゃ、外に出てもいい。波が荒い日は出るなよ」

「わかった。……センセ」

「ん?」

 

 自分の部屋に入ろうとしたらララに呼び止められた。

 ララは少しモジモジとしてから、漸く口を開く。

 

「……いや、何でもない」

「そうか? それじゃ、俺は少し休む」

「ん……」

 

 俺は部屋に入るとドアを閉め、剣を壁に立て掛けて鎧を外してからベッドに寝転がる。

 

 久々に魔法を連発して少しだけ疲れてしまった。エルフの大陸に来てからはエルフの魔法しか使ってこなかったからか、人族の魔法を、それも少し大きめの物を発動して身体が吃驚してやがる。

 

 人族の魔法はエルフ族の魔法と違い、自分の魔力だけ発動する。

 

 世界に存在する七つの属性へと用途に分けて変化させ、精霊ではなく七神に名を告げる呪文の儀式を経て魔法を発動する。

 

 火の神イフリート、水の神ティアマト、風の神ラファート、地の神テラート、氷の神ニフルート、雷の神マスティア、光の神リディアス。

 

 この七神に名を告げることによって人族は魔法を発動する力を得る。あとは己の魔力を対応する属性に変化、もしくは余所からその属性の魔力を用意して発動呪文を唱える。

 

 しかし、人族は魔法力に適応する能力が低い。多くの人族は中級までの魔法が限界であり、その上を発動できる者はそういない。

 

 だからこそ、勇者の力は凄まじい。殆ど呪文など要らず、上級を越えて最上級の魔法を扱える。

 ただし、一つの属性のみだが。

 それでも七人の勇者達のお陰で人族は救われた。

 

「……元気にしてっかな、アイツら」

 

 東の港から出港したこの船は、更に東へと進んでいく。

 



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第8話 船旅での魔法授業

 

 

 船旅は順調である。天候にも恵まれ、荒波に揉まれることも無く、海賊に見つかることも無く進んでいる。

 

 その間、俺はララの要望で授業をしていた。

 

 ララは悪霊を祓った時のことを気にしており、俺もまた魔法力が高いまま放っておくことは危険だと思い、魔法の授業に取り組んだ。

 

 アーヴル学校では魔法の授業はアイリーン先生の担当だが、それはあくまでも精霊魔法に関してだ。俺も精霊魔法は使えるが、俺の場合は触媒が必要。ララは触媒を必要としない程素質が高く、俺では役不足。だからエルフ族の魔法は教えずに人族の魔法を教える。

 

「良いか、ララ。先ずはお前の属性を見る。エルフの魔法は精霊を介せば全ての属性を使えるが、人族と魔族の魔法はそうもいかない。大抵の人は一つや二つの適正で、他の属性は余所から持ってくる」

 

 俺はポーチから掌サイズの水晶玉を取り出してテーブルに置く。

 

「これに魔力を流すと、適正のある魔力の色に変わる。火なら赤、水なら青って具合にな」

「複数の適性があった場合は?」

「少し混ざり合ったような色をする」

 

 ララは水晶玉を手に取り、魔力を流し込む。

 すると水晶玉の中心から煙のようなものが現れ、水晶玉の中を漂って広がっていく。

 玉いっぱいに広がった時、色が一色に染まる。

 

「……黒?」

「黒、だな」

 

 水晶玉は黒く染まっていた。混じりけの無い、純粋な黒だ。

 

 ララは不安そうにこっちを見てくる。

 

 正直、そうだろうと思っていた。

 何て言ったってこの子は魔王の娘だ。何も不思議なことじゃない。

 

 不安がるララを安心させる為、微笑んで頭を撫でてやる。

 

「おめでとう、お前は全属性に適性がある」

「そ、そうなのか?」

「ああ、嘘じゃない。お前は自分の魔力だけで全属性に変化させることができる」

 

 黒一色に染まるのは、七属性全てに適性がある者だけだ。

 

「センセの属性は?」

 

 ララから水晶玉を受け取り、魔力を流した。

 すると水晶玉はララと同じように黒く染まった。

 

「俺も同じだ」

「……何だ、珍しいことじゃないのか」

 

 ララはがっくりと気を落とす。

 だが俺は首を横に振る。

 

「いや、珍しい。俺とお前以外で全属性に適性があるのは、お前の父だけだ」

「そう、なのか……?」

「魔族も魔法力が高くても適正属性は人族と変わらない。特に魔族はそれが顕著だ。親の適正に左右され、その純度を高めていく。だからお前が全属性に適性があるのは、実は予想していた」

「じゃあ、何で調べた? 分かっていたんだろ?」

「半分は人族だ。もしかしたら使えない属性があるかもしれないだろ?」

「……確かに」

 

 納得したのか、ララはうんうんと頷く。

 

 一々反応が可愛いこいつに物を教えるのが、何だか癖になりそうだ。

 

 それから一冊の魔導書を取り出し、ララに初級の魔法を教える。

 

「最初はそうだな……火の魔法から始めよう。先ず呪文だが、七神に名前を告げる形になる。告げる名前だが、これは今から自分の行うことに因む。例えばこの蝋燭に火を灯したい時は……我、火を灯す者なり」

「まんまだな」

「初級は大抵そのままだ。中級、上級、最上級になるに連れて難解な言い回しになる」

「ふーん……どうして?」

「そうだな……いくつか説はあるが、解釈の仕方というのが有力だ。例えば、俺が幻影で見せた大火災。あれも火を蝋燭に点けることはできるが、蝋燭一本の為にあんな威力の火を出すわけにはいかない。だからもっと簡単に、灯すことだけを意識した言い回しが生まれた。あとはそうだな、大昔の言葉だったりだとか、七神の言葉だったとか色々ある」

 

 確実にこれだという答えは無い。人族の学者達が挙って魔法の研究をしてはいるが、学説が増えるだけで確証は持てない。

 

 今ではその答えを探している者がいるかどうかも怪しいもんだ。

 

 蝋燭を立てて先端に指を向ける。

 

「我、火を灯す者なり――フェルド」

 

 蝋燭に火が灯る。

 

「我、火を消す者なり――アン・フェルド」

 

 蝋燭から火が消えた。

 

「因みに、下級の魔法なら特訓次第じゃ無言で操れる」

 

 呪文を唱えず、蝋燭に火を灯しては消す。

 

 態々蝋燭の火を魔法で消すような奴はいないが、殆どの魔法にはそれを打ち消す反対魔法がある。それをセットで覚えることが、魔法の合格ラインだ。

 

 ララにやって見ろと、蝋燭を差し出す。

 

「いいか? 火属性の魔力に変えるには、イメージが必要だ。火を連想しろ。色、形、感触、動き、それら全てを魔力に込めろ。そうすればあとは魔力が勝手に変わる」

 

 ララは頷くと、蝋燭へと手を伸ばした。

 すると蝋燭に火が灯された。

 

 俺はジロリ、とララを見てしまう。

 

「……わざとじゃない。ちょっと無言でやってみたいと思っただけだ」

「どうやら魔力の出力コントロールから先にやったほうが良いみたいだな?」

「それは大丈夫。爺やから習ってる。無意識で魔力を垂れ流すことはしない」

「……そう言えば聞いてなかったな。魔族の魔法は使えるのか?」

 

 ララはアーヴル学校で初めて魔法を使った訳じゃない。それより前から使える。

 今の話を聞く限り、その爺やが魔法を教えていたようだが。

 

 今後魔法を教える基準点になるかもと思って尋ねたのだが、ララは目を逸らした。

 

「まさか……使えない?」

「違う、使える」

「じゃあ、何で目を逸らす?」

「…………い」

「なに?」

「……使いたくない。使ったら……誰かが死ぬ」

 

 ララは小さくそう呟いた。

 

 その様子から、ララの魔法に察しが付いた。

 

 魔族の魔法は、人族と同じで自分の魔力だけで魔法を発動する。

 人族と違うのは人族の呪文が七神への名乗りに対して、魔族は対象への命令だ。

 

 そして血族にしか現れない『血統魔法』の二つだ。

 

 前者は兎も角、後者は魔族にとって最大の武器でもある。これがあるからこそ魔族は例え適正のある属性が一つだけだったとしても、他種族に圧倒的優位でいられた。

 

 魔王の血統魔法は恐ろしいものだった。魔力に触れた生命が全て死に絶えるという、死の魔法。これに対抗するには魔王と同等の魔力で相殺する必要があった。

 

 俺は勇者程の魔力は無かったが、愛剣のナハトがそれを補う力を有していた。

 ナハトは魔王の力を唯一打ち破れる魔剣であり、魔王を殺せたのもナハトの力があってこそだ。ナハトの所有者となることで、魔王の力に対抗する体質を手に入れた。

 

 だからこそ、ララが半魔であると聞いた時に信じられなかった。

 魔王の魔力に触れても死なない人族が、勇者以外に存在していたなんて思いもしない。

 

 ララが魔族の力を使いたがらないのは、その力を受け継いでしまっているからだろう。

 

「分かった。お前に魔族の力を使わせるようなことは言わないし、させない」

「……」

「だけど困ったな。人族の魔法は魔族のそれと発動方法は基本的に同じだ。呪文が違うだけでやってることは同じだし。この分だと、人族の魔法は粗方呪文無しで使えそうだぞ」

「……でもどんな魔法があるのかは知らない。知らなかったら想像もできない」

「それもそうか。なら少し方針を変えて、どんな魔法があるかを教えて、それを一通り真似るようにしよう。その都度、解らないことがあればそれを教えよう」

「……うん!」

 

 ララは笑みを浮かべて頷いた。

 

 少し、ララの性格というか、内面的なことが解った気がする。

 

 普段のララの口調は大人びたもので、「ああ」や「~だ」のようなものだ。

 だけど心が動かされるような喜びを感じた時には「うん」や「~よ」と、年相応の子供らしさが現れる。

 

 たぶんだが、半魔ということで孤独を感じ、病弱な母と暮らしていくには大人という虚勢を張らなければいけなかったんだ。そうすることで、自分の心を守っていた。

 

 俺もそうだったから解る。孤独で生きるには、そうしないといけなかった。

 

 なのに、俺は……ララを裏切っている。

 

 やっと出会えた同族。だけどその同族は両親の仇。

 それを知った時、ララの心はどうなってしまうのだろうか。

 ララから憎しみの目で見られることは怖い。

 だがそれ以上に、ララの心が壊れてしまうのではないかと、別の怖さが生まれた。

 

 楽しそうに魔導書を読むララを見て、俺は心が潰れていくような感覚を味わった。

 

 

 

 船旅もいよいよ四日経ち、目的の港が見えてきた。

 

 ララは渡した魔導書の殆どを覚え、呪文無しに魔法を発動できるようになった。

 今は風を起こす魔法で船を進め、船乗りのエルフ達から拍手喝采を受けている。

 魔力の出力コントロールも申し分ない。これならば精霊を介した魔法でも失敗することはないだろう。

 

 本当にララは魔法の天才だ。それが血なのかはさて置き、ララ自身魔法を学ぶことが好きであり、魔法を愛し魔法に愛された存在とでも言うべきだろうか。

 

 それならそれで、気になる事もある。

 

 ララは聖女だ。それは間違いない。ララの背中一面には聖女の刻印である赤い翼があった。

 聖女はその種の滅びを救う為の力を持っている。

 

 それであるならば、ララの聖女としての力はいったい何なのか。

 魔力、魔法力、魔王の力、そのどれもが可能性として当てはまる。

 

 それに、校長先生が仰っていた『予言』についてもまだ聞かされていない。

 俺とララが大きな選択を迫られると言っていたが、それも聖女に関係するものなのだろうか。

 

 分からないことが多すぎる中、今それを考えてもどうしようもないと思い至り、頭の片隅にでも投げ捨てて置いた。

 

「嬢ちゃん! もう魔法は止めて良いぞ! あとは自然の風に任せりゃ良い!」

「わかった!」

 

 風の魔法を止めたララは、甲板の端にいた俺の隣に移動し、港を見た。

 

「私はてっきり北の大陸に行くのかと思ってた」

「それはいくらなんでも無謀過ぎる。魔王が居なくなったとしても、魔族の力は油断できない。あのウルガ将軍が使っていた飛行魔法……あれは見たことが無い。たぶん、この五年で新しい力を付けているはずだ。だから、俺一人じゃ心細くてね」

 

 東の港を出港したこの船は、北ではなく更に東へと向かった。

 

 東の大陸――人族の大陸に、俺達はやって来たのだ。

 

「私、聞いたぞ? 人族はセンセのこと、あまり良く思ってないって」

「まぁ……国のお偉いさんはそうだろうな」

「……英雄ってのに、関係があるのか?」

 

 ――心臓が破裂しそうだった。

 

 今此処で打ち明けるべきか、一瞬だが迷った。

 だけど打ち明けられなかった。

 

 その英雄という称号は、今の俺にとって海の底へ投げ捨てたいと思える物だった。

 

「……半人半魔である俺が、勇者達と肩を並べて戦っていたのが気に食わないんだよ」

 

 嘘とも本当とも取れる言葉を並べて誤魔化した。

 

 ララは「酷い国だなぁ……」と冷めた目で港を見ていた。

 

 ララに真実が伝わるのは、この大陸にいる時かもしれない。

 そんな嫌な予感が、俺の心臓を撫でた気がする。

 

 そんな俺の気持ちを余所に、船は港へと着港した。

 あまり気の進まない足取りで、俺は五年ぶりの大陸に足を踏み入れた。

 

「じゃあな、旦那に嬢ちゃん。俺達は此処で補給してから国に帰る」

「本当に助かった。ありがとう」

「船旅、楽しかった」

「……気を付けてな」

 

 俺とエルヴィス船長は握手を交わして別れた。

 ルートにララを乗せ、俺は手綱を引いて前を歩く。

 

 この港は五年前と変わっていないようだ。エルフ族の船から降りてきた俺達が珍しいのか、彼方此方から視線を向けられるが、それらを無視して港から出て行く。

 

 次の目的地は此処から一日もしない所だが、足取りが重い。

 

 永遠に辿り着かなければ良いのにと、そんな悪い考えが頭を過ってしまう。

 

 だがそうも言ってはいられない。

 俺はこの大陸に、嘗ての友に、力を借りに来たのだから。

 

「センセ、これから何処に向かうんだ?」

「……此処からそう離れていない所にゲルディアスと言う王国がある。そこに……そこに知り合いがいる。その人に力を借りる」

「……勇者?」

「そう、勇者」

 

 勇者……そう、勇者。俺と大戦を戦い、生き抜いてきた勇者。

 

 最後は喧嘩別れのような感じになってしまったが、兄弟のように育ってきた。

 

 兄弟……兄弟ね。自分で言ってて、笑えてくる。

 何が兄弟だ。俺には勇者のような力は無い。戦うことができても、同じ力は持っていない。

 アイツらだって兄弟とは思ってないだろう。

 

「……センセ、勇者と仲が悪いのか?」

「どうだろうな。まぁでも、悪い奴らじゃない」

「私が魔王の娘って知ったら、どう思う?」

 

 俺は足を止め、ルートに乗っているララを見上げる。

 

 しまった……俺はまたとんでもない間違いを犯してしまった。

 

 表向きでは勇者達が魔王を討ったことになっている。

 なのに俺は自分のことで頭がいっぱいだった。真実を知らないララにとって、仇は勇者達だ。

 

 俺はララの気持ちを置いて、先走った行動に出ていたことを悟った。

 

「ララ……すまない。お前の気持ちを考えてなかった。ああそうだよ、くそ……お前にとって勇者は……」

「センセ、勘違いするな。前にも言ったろ? 復讐心を抱くには、父を知らなさすぎるって。だから私が勇者達に対して思うことは何も無い。ただ向こうが何て思うか……」

 

 ララは不安そうに目を伏せた。

 

 きっとララは勇者達に魔王の娘として見られ、父親と同じように討たれるのではないかと怖がっているのだろう。

 

 ララを怖がらせるような真似をした俺が恥ずかしい。勇者達の事情や人柄を知っているのは俺だけだ。ララは何も知らないのに、俺はララに何も言わずに此処まで来てしまった。

 

 教師どころか、大人失格だ。

 

「……ララ。勇者達はお前を悪く思わない。それどころか、お前の優しい心に共感して力になってくれる」

「私が優しい?」

「穏健派を助け出そうとしてるじゃないか。勇者は人族の味方じゃない。正しき者の味方だ。お前は正しい。だから勇者はお前の味方になってくれる」

「……もしなってくれなかったら?」

「俺がお前の勇者になってやる」

「――」

 

 それは本心から出た言葉だ。

 

 まったく酷い男だルドガー。お前はいずれララを裏切るクソッタレだと言うのに、ララを安心させたい一心で酷い嘘を吐くなんて。

 

 だがどうしても俺は、ララの勇者になってやりたいと思った。

 

 この矛盾を孕んだ願望が、どのような悲劇を齎すのかは分からない。例え勇者達がララの敵になったとしても、俺だけは最後までララの勇者でありたい。

 

「……ありがと、センセ」

「……どういたしまして」

 

 俺はルートに上ってララの後ろに跨がる。

 手綱をしっかりと握り、ルートを走らせた。

 

 目指すはゲルディアス王国の第二首都リィンウェル。

 

 そこに、『彼女』はいる――。

 

 



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第9話 ガラスの花

読んでいただきありがとうございます!!


 

 

 人族の大陸には七つの大きな国が存在する。

 

 それぞれが七神を祀った国であり、それぞれの神が最初に降り立ったとされる場所が首都に指定されている。

 

 此処、ゲルディアス王国は雷の神マスティアを祀る国であり、七つの国の中でも一番技術革新が進んでいる国でもある。

 

 その国の第二都市リィンウェルは、円形の城壁に囲まれた都市である。それもかなりの大きさであり、街の端から端まで行くのに、乗り物に乗って一時間以上掛かると言う。

 

 五年ぶりに目にした街の様子は、昔の記憶にあるまま変わらなかった。

 いや、どこか綺麗になって明るい印象があるな。

 

 軽快な街並みが広がっており、人々も賑やかに活気づいている。あまり貧困な様子は見られず、皆それなりに裕福そうな暮らしをしている。

 

 大戦が終わるまで、人族は魔族に領土を侵略されて資源も食料も乏しい生活を送っていた。子供が餓死することなんて当たり前のようにあった。

 

 それがたった五年で此処まで変われるものなのだろうか。魔導機の技術革新が進んでいるとは聞いていたが、それも一役買っているのかもしれない。

 

 それに俺とララが一番驚いたのは、鉄の馬車だ。馬車というか、馬も無しに鉄の箱が動いて人を運んでいる。

 

 俺達以外にも馬を移動に使っている人達はいるが、大通りの真ん中を巨大な鉄の箱が多くの人を乗せて運んでいる光景に二人して目を疑った。

 

 あれは魔導機、だと思うのだが、よもや此処まで魔導機が成長しているとは思わなかった。

 

 俺の知る魔導機は使い勝手が悪く、魔力の燃費も激しくて、何より大きくて持ち運びが大変な物ばかりだった。兵器としてしか魔導機を運用していなかったから、それも仕方が無いことかもしれない。

 

 しかしあの鉄の箱は兵器じゃない。日常の移動手段として使っているようだが、あれは安全なのだろうか。爆発したり、暴走したりするんじゃないだろうな。

 

「センセ……何、此処……?」

「……どうやら俺も、これから学んでいく必要があるみたいだ」

「あれ乗ってみたい!」

「……俺は遠慮したい」

 

 ともあれ、人族が大戦から立ち直れているようで一つ安堵した。

 俺は早々とルートを歩かせ、リィンウェルの城へと向かう。

 

 確か、リィンウェルの城は大戦中に倒壊したんだったか。

 新しく建て直したとして、たぶん大きくて綺麗な建物になっているだろう。

 それを探せば辿り着けるだろう。

 

 それにしても、リィンウェルの建物もよく見れば少し変わっているな。基本的な造りはレンガや木だが、そこに鉄やらガラスやらが多く見られる。と言うか、窓が全部ガラスだ。

 

 ガラスは人族の魔法技術ではこんなにも多く作れなかったと思うが、これも魔導機の技術だろうか。

 これじゃあ、ガラス細工を生業としていた数少ない職人は廃業してしまったんじゃないか。

 

 いや、寧ろ技術が進んで仕事が増えたかも?

 

 昔は女性へのプレゼントにガラス細工の物を渡すのが、どれだけの富を持っているのかを示せる手段だったが、今じゃそれも無さそうだ。

 

 そう言えば、ララもそう言った物に興味があるのだろうか。普段からあまり装飾品を身に付けていないが、もしかしたら欲しかったりするのかもしれない。

 

 丁度良く、目の前に廃れたのではと思っていたガラス細工の装飾店が目に入った。

 

「ララ、お前ってああいうのに興味あるか?」

「ん? え、何あれ!?」

 

 おっと、どうやら興味津々らしい。

 

 俺達はルートから下りて、街灯に手綱を結んでから店に入った。

 

 店に並べられているガラス細工は見事な物だった。宝石のアクセサリーとなんら変わらない美しさに加えて、宝石では加工できないような形の物まである。色も様々あり、本当にこれがガラスなのかと疑う程だった。

 

「いらっしゃいませ。おや、お客様方は外国の方ですかな?」

 

 店主であろう、膨よかな男性がそう聞いてきた。

 

「分かるのか?」

「それはもう。この街でそんな格好をしてれば、余所から来たと一目で分かりますよ」

 

 言われてみれば、街に入ってから鎧姿の兵士を見ていない。門番も鎧を着けておらず、黒い服で統一されていた。街に入ってから視線を集めているような気がしたのは、その所為か。

 

「その背中の剣もあまり見せないほうが良いかもしれませんねぇ」

「……確かに、怪しく見えちまうな」

 

 俺はナハトを背中から抜いてポーチの中へとしまう。鎧も脱いだほうが良いだろうが、此処で脱いで着替える訳にもいくまい。

 

「ほう? 珍しい魔法のポーチですね」

「エルフ族の特別製でな。珍しいと言えば、このガラス細工も凄いな。こんな加工技術、他じゃ見たことない」

「ええ、ええ。余所の国の事情は深く存じませんが、ゲルディアス王国は魔導技術の最先端を行ってますからね。ガラスの精製も加工も、魔導機さえあればあとはアイディア次第で何でも作れます」

「それは……凄いな。もうガラス細工の魔法使いは廃れたか」

「そんな者もおりましたね。今じゃ、自力で魔法を使う物好きはこの国では見かけませんねぇ」

 

 それは寂しいことを聞いた。

 

 人族の魔法は心の表れとも言われていた。魔法を使って物を作る人は、魔法に願いや思いを込めて作り上げる。出来上がった物には作った人の心を感じられると、人々は語ったものだ。

 

 それが魔導機に取って代わられたと聞けば、この美しいガラス細工も見かけだけで中身が無いように思えてくる。

 

 だがお陰で人々が豊かになっている。それ自体は素晴らしいことなのだろうが、やはり寂しさを感じてしまう。慣れてしまえばその限りではないのかもしれない。

 

 そんな俺の心を店主は見抜いたのか、ニッコリと微笑んでカウンターの後ろの棚からいくつかのガラス細工を取り出した。

 

「ちょうど此処に、その物好きがおりましてね。ただ、少々不得意なものですから店先には並べてないのですよ」

 

 それは色んな花の形をしたガラスのブローチだった。

 

 確かに店先に並んでいる商品に比べたら、どこか洗練さが足りないように思える。

 だけど却ってそれが味を出して、他のどれよりも素晴らしい物に見える。

 

 ララはその一つを手に取ってまじまじと見つめる。

 

 美しい赤色のガラスの花で、少し花びらが丸っこい感じだ。

 

「……店主、これをこの子に」

「え?」

「かしこまりました」

「いや、悪いよ……それにこういうのって高いんじゃ……」

「気にするほどじゃない」

「……ありがとう」

 

 ララは頬を緩めて嬉しそうに笑った。

 

 店主から提示された額は、予想外に安いものだった。最初、これは店主が敢えて安くしているものだと思ったのだが、よく見ると他の商品よりもちょっと安いぐらいだった。

 

 多く生産できるから価値が昔よりも下がったのだと分かり、だけど俺は提示された額よりも多くを支払った。これ程の作品に提示された額は安すぎると思い、せめてこれだけは支払わせてほしいと、三倍の額を支払った。

 

 人族の金は、実は潤沢に持ち合わせている。エルフ族の大陸で過ごしていれば、お金は埃を被るだけだった。それに大戦の功績で得た金も結局使わず終いでいたから、腰のポーチにたんまりと入っている。

 厄介払いの為に支払われた金が、此処で役立つとは当時は考えもしなかっただろう。

 

 店から出る前に、店主はララに花のモチーフについて語った。

 

「それはアネモネという花を模して作りましてね。花言葉はご存じで?」

「……」

 

 ララは首を横に振った。

 俺も花言葉は詳しくない。

 

 店主は俺達を見てニッコリと笑う。

 

「貴女を愛す……お二人に幸せが訪れることを願ってますよ」

「いや店主!? 俺達はそういうんじゃ――」

 

 最後の最後でとんでもない発言をしてくれた店主にはいつか礼をしてやる。

 

 ララは店から出てずっとブローチを見つめて黙り込んでいる。

 

 俺はルートの手綱を引きながら、ルートの背で黙り込んでいるララを見る。 

 その顔は何を考えているのか分からないが、何かとても懐かしんでいるような気がする。

 

「……アネモネの花に、思い入れでもあるのか?」

「……母が……お母さんが好きだったんだ」

「……」

 

 ララはそのブローチを通して母親を思い出していた。

 今にも泣きそうな顔をして、ポツポツと母について語ってくれる。

 

「母は父のことをあまり話さなかった……。だけど、父から花を贈られた話をしてくれたことがある。その花が赤いアネモネで、それ以来その花が好きだって……」

「……そうか」

「花言葉なんて知らなかったけど、母と父は知っていたのかな……なんて、魔王が花言葉なんて知る訳もないか」

「……花を贈るような魔王だ。きっと知ってたさ」

「……うん」

 

 俺は立ち止まり、ララが持っているブローチを貸すように手を出した。

 

 ララは俺の掌にブローチを載せ、俺はブローチに魔法を掛けた。

 

「時よ、永遠に――ペェレマーメン・セーレヴァ」

 

 半永久保存の魔法。俺の魔力が尽きるまで、ブローチが壊れないようにする中々難しい魔法だ。この魔法に属性は無く、強いて言うなら無属性魔法と言ったところか。

 

「壊れるから物は美しいとは言うが、これは壊れてほしくないだろ? 俺の魔力が尽きない限り、このブローチは壊れない」

「……その魔法、私も覚えられる?」

「俺のオリジナルだが、お前ならな」

「……センセ、ありがとう」

 

 ララはブローチをローブの胸元に付けた。白いローブに赤いブローチが良い具合にアクセントになって似合っていた。

 

 少し湿っぽかった空気も明るくなり、俺達は城を探した。

 

 先程からずっと歩いているのだが、城らしき建物が見つからない。

 昔あった場所には巨大な塔が建っているが、まさかそれが城な訳がないだろう。

 

 念の為、その塔へと近付く。

 するとだ、塔だと思っていたそれは塔ではなかった。

 

 鉄とガラス窓で聳え立っているのは紛れもなく城であった。

 空高く聳え立つそれは城と言うには真っ直ぐすぎた。だが城であると分かる。

 

 何故なら、入り口らしき所にご丁寧に『ノクティス城』と彫られた鉄の看板がある。

 

「……何がどうなって城が塔になった?」

「凄いな……何階まであるんだ?」

 

 ララはルートの上で城を見上げ、ルートまでもが首を上げて城を見ていた。

 

 と言うか、ルートは何処に繋げていけば良いんだ?

 

 辺りを見ても馬留めも無ければ厩舎も見当たらない。馬に乗っている人もいたから、何処かにはあるんだろうが、来客用が見つからない。

 

 いや、それより何だこの城は? 城壁も無ければ城門らしき物もない。入り口、だと思う所は一面ガラス張りだしドアノブも無い。

 俺の常識が通用しない建物だと? おいおい、勘弁してくれよ。これからアイツに会うのに、余計なところで精神を消耗させたくないって。

 

「センセ、とりあえずあの人に訊いてみたら? たぶん、兵士だろ?」

 

 俺が目を回していると、ララがそう言って指をさした。その先には黒い服を身に纏った男が此方を不審者を見るような目で見ていた。

 

「……そ、そうだな。おーい、そこの人! ちょっと訊きたいんだが!」

 

 俺が手を振って呼ぶと、その男は警戒しながらもこっちに近寄ってくる。

 

「……城に何の用だ?」

「やっぱ城なのか……。あー、エリシア・ライオットに会いたいんだが、どうすればいい?」

「……雷の勇者様にいったい何の用だ?」

「えりしあ……? ライオットって……」

 

 男は左腰に差している棒状の物に左手を添えた。

 おそらく警棒の類いだろう。纏う雰囲気と足の運び方から、場慣れしていない兵士だ。

 

 此処で下手に騒ぎを起こす訳にはいかない。

 俺はあくまでも穏便に済ませようと、そもそも尋ねているだけなのだから何もしていないが、軽く笑みをみせて用件を伝える。

 

「ルドガー・ライオットが来たと伝えてくれれば、すぐに分かるからさ。ちょっと中に入って伝えてくれないか?」

「貴様!? 勇者様の家名を騙るか!」

「いや本名なんですけど!?」

 

 男は警棒を抜き放ち、俺の眼前に突き出す。

 

 分かっていたことだが、やはり俺の名前は人族の間では浸透していないらしい。

 エルフの間では英雄と持て囃されていたから、逆に新鮮さを感じてしまう。

 

 だがこのままじゃ騒ぎが大きくなってしまう。

 

 此処は諦めて一度離れようかと考えた、その矢先――。

 

「ルドガー……? おいルドガーじゃねぇか!?」

 

 少ししゃがれた声で俺を呼ぶ者が現れた。

 声がしたほうを向くと、城から褐色肌で灰色の髪を短く切った初老の男が出て来ていた。

 

 彼の顔を見て、俺は驚いた。

 

「モリソン……? おまっ、モリソンじゃねぇか!」

 

 何故なら現れたその男は大戦時代を共に戦った戦友だったからだ。

 

 モリソン・J・クリフォード、老将ではあるが実力は人族の中でも随一で、どんな時でも最前線に立ってきた兵士だ。

 

 俺にとって、彼こそが人族の英雄なのではないかと思っている。

 

 モリソンは俺に駆け寄り、拳を突き出してきた。

 

「てめぇ久しぶりじゃねぇかよおい!」

「それはこっちの台詞だ! お前、まだ引退してなかったのかよ!?」

 

 突き出された拳に自分の拳をぶつけ、ガシッと握手を交わす。

 

 このっ、あれから更に年食ってるはずなのに力が全く衰えていねぇ!

 

「あたぼうよ! ジャリ共を育て上げるまでは嫌がられようとも離れてやんねぇよ!」

「元気そうで何よりだ」

「てめぇもな。それで、こんな所で何をしてる? ああ、おめーさんは見回りに戻りな。こいつは俺のダチ公よ」

 

 モリソンは俺に警棒を突き付けていた男にそう言うが、男はこの場から退こうとしなかった。

 

「しかし、クリフォード教官! こいつは勇者様の家名を騙ったのですよ!?」

「馬鹿野郎ッ!」

 

 モリソンが怒鳴ると、辺りの大気が震えた。

 ララから「おおっ」と驚く声が漏れる。

 

「俺がダチ公っつったらダチ公なんだよ! 家名なんざ世界を探しゃ同じ奴もいらァ!」

「えぇ!?」

 

 あー、うん。正直、困惑する気持ちは分からなくはない。

 

 すまん、名も知らぬ若き兵士よ。これもこれ以上面倒事を起こさない為、その理不尽に屈して立ち去ってくれ。

 

 モリソンに一喝された若き兵士は渋々とこの場から立ち去っていった。

 

「すまねぇな。お前さんのことを知る奴は、一部しか軍に残ってねぇ」

「いや、仕方ねぇよ。あの若者には気の毒な事をした。あとで飯でも奢ってやってくれ」

「ふん、お前さん持ちだからな。それで……こっちの嬢ちゃんは誰だ?」

 

 モリソンはルートに乗っているララを見上げる。

 ララをルートから下ろし、彼女をモリソンに紹介する。

 

「この子は俺の教え子だ」

「ララ・エルモールだ」

「教え子? お前さん、今どこで何をしてんだ?」

「ちょっと学校の教師を――いや、それは良いんだ。エリシアに会いたい。魔族絡みの案件だ」

「……よし、取り敢えずこっちに来い。その馬を休ませる場所に案内してから、詳しく話そう」

 

 俺達はモリソンに案内され、城を回り込んで裏から敷地内に入った。

 

 



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第10話 勇者を訪ねて

 

 厩舎にルートを繋ぎ、モリソンの後について城の中に入る。

 

 入る時に窓ガラスが独りでにスライドして開き、俺とララは思わず驚いてしまう。

 

 魔法の類いを感じなかったが、モリソン曰く、全部魔導機が自動的に動かしているらしい。

 

 動く窓ガラス、動く階段、上層階に瞬く間に上がる部屋。

 これら全部が魔導機と言うのだから、人族はとうとう魔法を捨て去る時が来たのかと思ってしまった。

 

 だがよくよく考えてみれば、魔法を使えば窓も階段も部屋も動き出す。

 見た目に騙されて驚きが勝っていたが、手法が違うだけでやっていることは同じだ。驚いて損をした気分だ。

 

 それに、魔法力が低い人族が魔法の代わりを生み出すのは自然の摂理として正しい。

 魔法無しで魔法と変わりない力を手に入れる事ができているのは、喜ばしいことだと思う。

 

 動力源は基本的に魔力を生み出す鉱石である『エーテリオンダイト』と呼ばれる魔石であり、エーテリオンダイトは東の大陸、つまり人族の大陸に多く存在する。南の大陸にも存在するが、その総量は雲泥の差だ。

 

 モリソンに応接室へ案内された俺達は出された紅茶を飲んで一息入れる。

 

「それで? エリシア嬢に何の用だ? まさか、そう言う話か?」

 

 モリソンは小指を立ててそんなことを言ってきた。

 ララは意味が分かっていないようで首を傾げる。

 

「違う。確かにこの子に関係はするがな。で、エリシアは?」

「間が悪かったな。今、お嬢は別件で立て込んでてな。現場で指揮を執ってる」

「ちっ……勇者が態々現場に出るような案件だ。何があった?」

 

 モリソンは紅茶を啜り、声を少しだけ潜めた。

 

「……お前さん、七神の遺跡については知ってるだろ?」

「遺跡だ? ああ、当然。何せ、七つの遺跡全部を回ったんだからな」

「センセ、七神の遺跡って?」

 

 ララが興味を持ったようで、爛々とした目で訊いてきた。

 別に内緒にするようなものでもないので、素直に教えることにした。

 

「勇者ってのは、最初から魔王と戦えるような力を持ってた訳じゃない。魔王と戦う前に七神の力を、試練で勝ち取ったんだ。その試練が行われる場所が、七神の遺跡だ。七つの国にそれぞれ一つずつある。でも何で今更それが? 試練を終えて、遺跡は力を完全に失ったはずだが?」

 

 今もはっきりと覚えている。勇者達と七つの遺跡を回り、試練に挑戦したあの頃を。

 

 神々が用意した怪物に挑み、その怪物を倒して力を手に入れた。試練に挑戦できるのは選ばれた勇者のみだが、その道中にも強力な怪物が棲んでいて遺跡に入るだけで一苦労だった。

 

 勇者が試練を乗り越えて力を得た時、遺跡は役目を終えたと言わんばかりに眠りに入った。

 

 モリソンは小さく呻って腕を組む。

 そして聞き捨てならない話を切り出した。

 

「それがな……遺跡に力が戻ったんだよ。それも一つじゃない。七つの遺跡全てだ」

「馬鹿な!? あり得ない! 遺跡に力が戻るってことは、新たな勇者が現れたってことか!?」

「声がでけぇよ。嬢ちゃんが吃驚してる」

「――あ、ああ、すまんララ」

「……どうして新しい勇者が現れたって思うんだ?」

 

 ララの質問を聞き、俺は冷静さを取り戻した。

 一度紅茶を飲んで気を切り替える。

 

「人族の言い伝えだ。七神の遺跡が魔力を宿す時は、勇者が現れる時だと云われている」

「でも、勇者は健在……」

「そうだ。そしてその勇者達は既に試練を乗り越えている。新しい力ってことなら、話は変わってくるかもしれないが……」

「お嬢もそう考えて遺跡に向かった。遺跡に力が戻った理由を探りにな。今度はそっちの番だ。何があった?」

 

 俺は一度ララを見る。

 

 ララが聖女であることを伝えても良いだろうかと考えた。

 モリソンなら信頼できる相手だ。秘密は守るし、見た感じ立場もそれなりに上みたいだし、ある程度の情報を共有していたほうが良いかもしれない。

 

 モリソンに顔を寄せ、声が部屋の外に漏れない程度の大きさで話す。

 

「モリソン、魔族側に聖女が現れた」

「何だって? おい、まかさ……」

 

 モリソンは俺の隣に座るララを見た。

 俺は頷き、ララも頷いた。

 モリソンは驚いた表情を顔に張り付けるが、声を出さないでいてくれた。

 

「今、魔族は戦争を望まない穏健派と、聖女であるララを魔王の座に就かせて再び戦争を仕掛けようとする強硬派で対立してる。穏健派はララを強硬派から逃がして、今俺が守ってる。だけど魔族の大陸では強硬派のウルガ将軍が穏健派を力尽くで抑え付けて、ララを奪還しようと戦意を煽ってる。このままじゃ、また戦争が起きる」

「だがよ、魔族は戦う力を失ってるだろ? 戦争を起こしたとして嬢ちゃんを奪えなかったら、それこそ本当に終わりだろ?」

「だとしても、大きな一戦を起こすだけの力はあるだろう。それに俺は見た。新しい怪物に新しい魔法。ウルガ将軍も初めて見た顔だが、底知れない力を感じた」

「……それとお前さんが此処に来た理由と何の関係がある?」

「魔族の本国に行って将軍から穏健派を解放する。そして戦争を止める。その為には俺一人の力じゃ足りない。だからエリシアの力を借りに来たんだ」

 

 モリソンに一部を伏せて情報を伝えた。

 流石にララが魔王の娘であることは伝えられない。今教えたことだけでも、モリソンにとって、延いては人族にとって重大なことなのだから。

 

 魔族側に聖女が現れたとなれば、人族は魔族に対してどういう姿勢を取るのか容易に分かる。

 聖女を殺して魔族に立ち上がらせる機会を永遠に失わせるだろう。

 

 それでもララを連れて人族の大陸に来たのは、戦争を止める為だ。

 そしてララにとっては自分を守ってくれた穏健派を助ける為だ。

 

 その二つを達成するには、どうしても俺一人の力では足りない。少なくとも、勇者の一人か二人は必要だ。

 

 モリソンは頭を抱えて目頭を擦る。

 

「……聖女に遺跡、魔族の動き……こいつはどうも大変なことが起きてそうだ」

「モリソン、ララのことは絶対に漏らさないでくれ」

「分かってら。嬢ちゃんのことは何があっても漏らさねぇ。で、どうするつもりだ?」

「俺も遺跡のことは気になるし、ララを守って戦争を止めるにはエリシアの力が必要だ。これから遺跡に向かってエリシアと会う。力を貸してくれなかったら、別の勇者に当たる。そう時間は残されてないと思うが……」

 

 他の勇者達を探しに行く時間は多い訳じゃない。それに、一番話の分かる奴はエリシアだ。エリシアが駄目なら、他もおそらく駄目だろう。

 

 もしそうなったら、俺とララだけで魔族の本国に乗り込まなければならない。

 その時は、ララを守り切れるかどうか自信が持てない。

 

 俺の不安がララに伝わってしまったのか、俺のマントをララの手がギュッと掴む。

 

 俺はララを守りたい。いずれ裏切るとしても、ララは守り通したい。

 

「……よし分かった。お嬢が此処に戻らなくても大丈夫なように、こっちで手を回しておいてやる。お前さんはお嬢が嫌だと言っても無理矢理連れて行きな」

「それは……心強いが、良いのか?」

「なぁに、教官なんて呼ばれてるが、こう見えて爵位持ちでリィンウェルのトップツーだ。頭であるお嬢が居ない間、留守を任されるのが俺の仕事でぇ」

「……お前、貴族になったのか!?」

 

 初耳である。

 俺が知っているモリソンの実家はそこまで名の知れた家じゃない。何処ぞの貴族に使える騎士が良いとこだったはずなのだが。

 

 モリソンはニカッと笑って自慢げに言う。

 

「大戦の功績でな。まぁ、理由はそれだけじゃないが、それは黒い社会って奴よ」

「ああ、脅したのか」

「ふん、お前さんを除け者にしようとしたのが気に食わなかっただけでぇ。ってことで、こっちは任せな。それに、五年経った今でもお嬢はお前のことをずっと気に掛けてる」

「……別れ際にビンタされたよ。だけど、そうか。助かるよ、モリソン」

「今度は色々終わらせてから来な。ゆっくり酒でも飲もうや」

「ああ。ララ、行くぞ」

「ああ……じゃ、お爺さん」

 

 ララはモリソンに手を振り、俺達は応接室から出た。

 

 下の階に降りる、何と言ったか……えれべーたーに乗って、モリソンから聞いた情報を思い返す。

 

 七神の遺跡が力を取り戻した。それも七つ全部。

 

 それが意味するのは、新たな勇者が誕生したか、もしくは新しい力を現勇者に授ける為か。

 どちらにしても、勇者の力が必要な事態が迫っていると言うことだ。

 

 それは魔族に聖女が現れたことに関係があるのだろうか。

 仮に、最悪な場合として聖女に対するカウンターだったとしたら。聖女を殺す力を勇者に授ける為に力が戻ったとしたら、それはもう戦争を止めるどころの話じゃなくなる。

 

 そんなことになれば、俺は七人の勇者と全面戦争を起こすことになる。

 世界がララを排除しようとするのなら、俺は世界を排除するだろう。

 

 それをするだけの理由が、俺にはある。

 ララの両親を殺した俺が、俺だからこそ、ララを守らなきゃならない。

 

「……センセ、また怖い顔してる」

「……え? あ、ああ……すまん」

「……そのエリシアって人、どんな人?」

 

 唐突に、ララが質問を投げ掛けてきた。

 

「どんな……んー……イイ奴なんだけど、気が強いって言うか、当たりが強いって言うか……結構考え込むタイプだけど最終的には全部斬っちまうタイプ?」

「……それ、大丈夫なのか?」

「大丈夫、大丈夫。斬って良いものと悪いものはちゃんと見極めれるから」

 

 ララは少し雷の勇者に不信感を抱いた。

 

 でも案外、ララとは気の合う友達になれるかもしれない。アイツもアイツで知りたがりだし、行動派でララのように力ある者を好む性格だしな。それに可愛いもの好きで、ララの可愛さなら気に入られるだろう。同性の友達を欲しがってたし、思うような心配は無いかもしれない。

 

「……センセとその人、家族なのか?」

「え?」

「名前、同じだし」

 

 そこでえれべーたーは一階に到着し、ドアが開いた。

 えれべーたーから出てルートがいる厩舎へと向かう。

 

「まぁ……家族というか、俺と勇者達って同門の出なんだよ。血は繋がってない」

「同門……」

 

 厩舎にいるルートの手綱を引いて厩舎から出し、ララを乗せる。自分もララの後ろに乗ってルートを歩かせる。

 

「同じ家名なのは……師がそう名付けたからだ」

「……センセのセンセって、どんな人?」

 

 俺は口が固まった。

 

 ララに師のことをどう伝えたら良いのか分からなかった。

 こればかりは、まだ自分の口では言えない。

 

「……凄く強かったよ」

「……そう」

「……さ、話は一旦終わり。これから遺跡に向かうぞ」

「ああ」

 

 リィンウェルの大通りを北へと進んでいく。

 

 リィンウェルの北側にある山脈に、七神の遺跡がある。馬で走れば日が昇っている内に辿り着ける。

 そこに彼女がいるはずだ。アイツなら、きっと助けになってくれるはずだ。

 

 ララを落とさないようにしっかりと注意を払いながら、ルートを北へと走らせた。

 

 



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第11話 雷の勇者

 

 ロニール山脈。雷の神マスティアを信仰するゲルディアス王国と、火の神イフリートを信仰するファルナディア帝国の国境線として伸びる、緑が一切無い岩肌の山脈だ。

 

 その昔、世界を創造した七神が世界の覇権を巡って争っていた神話の時代がある

 雷神マスティアは火神イフリートの侵攻を防ぐ為、ロニール山脈に沿って長城を築いた。

 

 そのうねる様に長く続く姿から『ロニールの大蛇』と呼ばれた長城は、一定の間隔ごとに神殿が設けられている。本殿とされるのは長城の中央であり、山脈の中へと続く入り口が存在する。

 

 雷の勇者が試練を突破し、力を失った今でも立ち入りを禁止されている。立ち入りを許されているのは雷の勇者と、彼女に許しを得た者だけである。

 

「――ってのが、今から行く七神の遺跡だ。長城やら大蛇やら色々と呼び名はあるが、俺は分かりやすく雷の神殿って呼んでる」

「雷の神殿……山の中に入れるのか?」

「ああ。山脈の内部に空洞があってな。広いぞ」

「へぇー……。神話についても初めて聞いたな」

「まぁ、魔法について学んでいけば必然と神話時代を学ぶことになるさ」

 

 ルートの背に乗って山道を登りながら、ララに遺跡についての知識を教えていた。

 

 歴史を学ぶことは明日へ進む為の糧なり、と師から教わった。

 

 歴史を専門的に研究する考古学者みたいに詳しい訳ではないが、少なくとも直接神話の力を目の当たりにしてきた分、その他よりは詳しいと自負している。

 

 歴史を学んでいたお陰で生き延びてこられた場面に幾度も遭遇した。怪物退治がそもそも神話を知らなければ土台無理な話だ。あれらは神話時代から存在している唯一の存在だと言っても良い。倒す為にあれらについて学ぶのなら、神話を学ぶことになる。

 

 例えば有名な怪物を挙げるのならバジリスクという蛇の怪物がある。アレの血は猛毒で触れただけで死に至らしめる力を持つ。更に上位種になれば睨まれただけで魂を奪われてしまう。

 

 それさえ知っておけば対策を立てられる。下位のバジリスクと正面切って戦うのであれば、毒を浄化する霊薬を事前に飲んでおけば良いし、上位のバジリスクが相手なら鏡を用意すればいい。鏡に映った自分の眼で死んでくれる。

 

 過去、実際にバジリスクと戦ったことがあるが、対策を事前に練っていれば楽な相手ではあった。

 それにバジリスクの毒は貴重な霊薬の材料にもなる。その毒から作られる血清は凡そどんな毒をも中和することができる。

 

「さて、ルートに乗って進めるのは此処までか」

 

 もうすぐで長城に辿り着けるという所で、馬で進むには険しい道が現れた。

 ルートからララを下ろし、俺はルートの首を優しく撫でてやる。

 

「ルート……暫くの間我慢していてくれ」

 

 俺は腰からポーチを取り、ポーチの口をいっぱいに開いてルートの頭を入れるようにして被せる。するとルートはスルスルとポーチの中に入っていき、あっという間にポーチの中に収まった。

 

 ポーチの中は生物が入っても問題無い。これでポーチを無くさない限りはルートを手軽に運べる。

 

「……魔法って凄い」

「だろ? 魔法は人生を費やしても学びきれないほど溢れてる。いつかお前も新しい魔法を作り出せるかもな」

 

 ポーチを腰にしっかりと潜り点け、ナハトをポーチから取り出して背中に装着した。

 岩が剥き出しの道を、足を滑らさないように気を付けながら進んでいく。

 

 飛行魔法を用意しておけば良かったかなと少し思い始めた頃、漸く神殿へと辿り着いた。

 

 山の頂上を神の力で斬って平らにしたと云われるような場所に大きな神殿がある。その神殿の両端から城壁が遙か先まで伸びており、神殿の入り口の両脇には二体の女神像が佇んでいる。

 

 久しぶりに目にした雷の神殿に懐かしさを覚える間もなく、神殿前の広場に拠点を築いている兵士達を見て、やっとエリシアに会えると安堵する。

 

 これで会えなかったじゃ、時間をかけて山を登ってきた甲斐が無くなる。

 

「ん? 何者だ?」

 

 黒服ではなく、黒い鎧に身を包んだ兵士が俺達に気付き、警戒の色を現した。

 

 また不審者扱いされるのだろうかと軽く溜息を吐く。

 だが騒ぎが大きくなれば、エリシアが出て来るだろう。

 

「此処にエリシアがいるとモリソンから聞いたんだが、ルドガーが来たと伝えてくれないか?」

「ルドガー? 『グリムロック』のルドガーか?」

 

 兵士の一人が口にした名に、俺は背中がむず痒くなる感覚を味わう。

 

 ララは「ぐりむろっく?」と首を傾げ、何のことだと尋ねたそうにしているが、できればそれを尋ねてほしくはない。

 

 俺は目を兵士からツーッと逸らしながら、それを肯定する。

 

「そ、そう……グリムロック。そのグリムロックで間違いない」

「……少しお待ちを」

 

 兵士は俺を訝しんだ目で爪先から頭の天辺まで見渡した後、そう言って拠点の奥へと消えていく。

 

 周りの兵士達は口々に「あれがグリムロック?」「半魔の?」「いや、俺は魔族だって聞いたぜ」「もっと化け物みたいな姿だと」とか色々言っている。

 

 チラリ、とララを見ると興味津々な顔をして此方を見ている。

 さぁ教えろ、その恥ずかしい異名みたいな奴について語れと目が訴えている。

 

 それを敢えて無視し続けていると、兵士達の群れをかき分けながら此方に歩み寄ってくる女性が目に入った。

 

 紫電色の髪の毛をポニーテールにし、人族の大陸、その最東端に伝わるカタナと呼ばれる二振りの剣を腰に差した女剣士。紫の軽装にジャケット姿は、昔と変わらない。

 

 髪の色と同じ瞳で俺を見た彼女は、本当に俺が来たと分かり歩く速度を上げる。

 

 俺は右手を上げて久しぶりに会った友人に向けるような笑みを浮かべた。

 

「よ、よぉ……久し――」

「歯ァ食い縛れェ!」

「ぶりぃアッ!?」

 

 紫電を発した右ストレートにより笑顔は粉砕され、俺は激しい痛みと全身を突き抜ける痺れを感じながら地面にぶっ転がされた。

 

 そのままエリシアは俺の上に跨がり、何度も何度も俺の鼻っ柱を殴り付け、その度に雷撃が迸る。

 

「よくも! ノコノコと! 顔を! 出せた! わね!」

「ぐぎゃッ!? ちょば!? まばっ!? やぶべっ!? おちばっ!?」

 

 エリシアを止めようとするが、呼吸する間もあらず、顔面がペシャンコになっていくのが分かる。

 

「お――おい止めろ! センセが死ぬ!」

「ちょっ、離しなさいよ!」

 

 情けなくも、俺をエリシアの殴打から助けてくれたのはララだった。

 ララはエリシアが振り上げた右腕にしがみ付いて動きを止めてくれた。

 

 俺は折れ曲がった鼻を力尽くで戻し、ララにしがみ付かれて動けないエリシアを強引に退かして起き上がる。

 

 ダラダラとみっともなく鼻血を流す俺を憐れに思ったのか、兵士の一人がハンカチを差し出してくれた。

 

「このっ! 離しなさいよガキんちょ! もう殴らないわよ!」

「ガキじゃない! ララだゴリラ女!」

「誰がゴリラですってぇ!?」

「ちょいちょいちょい! そこまで! ララ、もう大丈夫だから離れろ!」

 

 ララはエリシアと睨み合い、エリシアの腕を放して俺の後に回り込んだ。そして顔だけを覗かせ、エリシアに舌を「ベーッ」と出して見せた。

 

 エリシアは頬をヒクつかせて「このっ……」と怒りを露わにしたが、兵士達の手前、これ以上の醜態を晒さないようにとグッと堪えた。

 

 どうやら二人のファーストコンタクトは失敗に終わってしまったようだ。

 

 主に俺の所為で。

 

 貰ったハンカチで血を拭い、改めてエリシアに挨拶をする。

 

「相変わらず、口よりも手が先に出るな」

「手が気に食わないなら剣を出してあげましょうか?」

「いや遠慮しておく。久しぶり、エリシア。この子はララ。ララ、こいつが雷の勇者エリシアだ」

「……どーも」

 

 ララは不満タラタラな態度で挨拶をした。

 

 エリシアもララを睨むが、そこは大人。ララをスルーして親指で自分の背後を指した。

 

 あっちで話そうと言っているのだろう。

 

 ハンカチを兵士に返し、その際「うへぇ」という声が聞こえたが、俺とララはエリシアに付いて行き、大きな天幕の中に入った。

 

 天幕の中にいた兵士達を追い出し、俺達三人だけになってエリシアは大きな溜息を吐いた。

 

「ハァ~……久しぶりね、ルドガー。ちょっと老けたんじゃない?」

「五年も経てばな。お前も年食ったじゃねぇか。今年で二十四だろ?」

「二十三よ! この三十路!」

「俺はまだ三十路じゃねぇよ。二十六かそこらだ」

「ハァ……で? 急に何? って言うか、その子、何?」

 

 えらく機嫌が悪いな。まぁ、喧嘩別れしたような形だったし、連絡も一つもしていなかったから一発ぐらいは殴られる覚悟だったが、これは思った以上だ。

 

 エリシアは机に置かれていた瓶を手に持ち、コルク栓を口で抜いて吐き捨て、中の飲み物をグビグビと飲む。

 

 機嫌が悪い時の癖だ。乱暴に飲み食いして気を紛らわせようとしているのだ。

 

 俺は無言で音漏れ防止の魔法を天幕に張り、早速本題に入ることにした。

 

「先ずはエリシア、そっちの状況を確認したい。モリソンから遺跡に力が戻ったことは聞いた」

「あっそ、それなら話が早いわね。って言っても、まだ何も分かってないの。一度、私だけで最奥に行ったけど、力が溢れてるだけで何も起きなかったのよ」

「お前が行っても何も起きない? それは変だな……なら新しい力って訳じゃなさそうだ」

「どっかに新しい雷の勇者でも誕生したのかもね。もしかして魔族に、とか」

 

 勇者ではなく聖女です。

 

 強ち間違いでもない、的を射た発言に俺とララは黙ってしまう。

 

 瓶を口に付けて傾けていたエリシアは、急に黙ってしまった俺達を見て眉を顰める。

 

「んぐ……何よ? 何で黙るのよ?」

「あー……エリシア。先ず最初に言っておく。これから話すことは絶対に他言無用で頼む」

「アンタがそう言う時は必ず厄介事よね。良いわよ、もう慣れてるし。態々防音の魔法まで張ってるんだもの。魔王が復活したとかでも驚きやしないわ」

「この子は俺と同じ半魔で魔族の聖女だ」

「ぶぅぅぅぅッ!?」

 

 エリシアの口から噴き出された水が俺の顔面に直撃した。

 

 しかもこれ酒じゃねぇか。それもかなり良い酒だな。

 

「……良い酒をどうもありがとう」

 

 皮肉を言いながらマントで顔を拭う。

 

 エリシアは怒涛の勢いで俺に詰め寄り、マントの襟を締め上げた。

 

「どぅ、どどどどど、どう言うことよ!? それ魔王復活並みの大事件じゃない!」

「魔王復活でも驚かないって言ったのはどいつだよ……」

「そんなの冗談に決まってるじゃない! ってか、この子が聖女!? しかもアンタと同じ半魔!?」

「因みに、私の父は魔王だ」

「ま――!?」

 

 今度こそエリシアは絶句した。

 

 絶句して俺を見た。その顔は信じられないものをみたと言った顔だ。

 

 そうだろうな。俺が殺した男の娘と一緒にいるのは信じられないだろうし、何より俺達にとって魔王はただの宿敵と言う言葉では片付けられない。エリシアが俺を侮蔑の目で見るのは無理もない。

 

「アンタ……どうしてその子と一緒にいるのよ?」

「話せば長い。ただ、俺とララの間には守護の魔法が掛かってる。俺の仕業じゃない。それだけが理由じゃないが、俺はララを守ると決めてる」

「……じゃあ、私がその子を殺すと言ったら?」

「お前を殺してでも守る」

 

 エリシアは唇を噛んだ。俺を締め上げる手に力が籠もる。

 

 本当にエリシアがララを殺すとは思ってはいない。だが仮にそうなっても、俺は覚悟を決めている。

 

 俺の言葉が嘘じゃないと分かってくれたのか、エリシアは乱暴に手を離し、不貞腐れたように腕を組んで机に腰を掛ける。

 

 ただ俺を睨むのは止めなかった。

 

「そう……まぁ、そこら辺は後で説明してもらうとして、此処に来た理由は何?」

「魔族とエルフ族の戦争を止める為に、手を貸してほしい」

 

 俺はモリソンに話したように、魔族がララを魔王に仕立てようとしていること、ウルガ将軍が穏健派を抑えていること、そして戦争を止める為に穏健派を助けようとしていることを伝えた

 最初は黙って聞いていたエリシアだが、徐々に難しそうな顔をして、終わり際には頭を抱えていた。

 

 おそらく、彼女の頭の中では既に何をすべきか答えを出している。頭を悩ませている理由はこの遺跡についてだろう。遺跡が力を取り戻した原因を追及しないことには、勇者である自分が現場を離れて他国の問題に首を突っ込む訳にはいかないと考えているはずだ。

 

「頼む、俺一人じゃ正直、魔族の本国に行くのはキツい」

「キツいで済ませるアンタも大概だけど。力は貸してあげたいわ。エルフ族は人族と同盟関係だし、勇者としても戦争を起こすわけにはいかないし。でも……」

「遺跡か?」

「ええ。先ずは自国の問題を片付けないと。せめて、原因が分かれば……」

 

 やはり、遺跡が問題だった。

 

 勇者として、懐で起きている異常事態を放置しておく訳にはいかない。それは理解できるし、当然のことでもある。決して他種族の問題を軽視している訳ではない。勇者は正しき者の味方であるし、穏健派を助けることはその道理に反しない。

 

 だが目の前の問題を無視する理由にはならない。もしこの異常事態が人族の危機に関わる事ならば、それを解決するまたは解決策を見出さなければならない。

 

「他の勇者も、おそらく同じでしょうね」

「だろうな」

「……ねぇ、何で私なの?」

「は?」

「だから、何で最初に私の所に来たの? 確かにリィンウェルが一番西の大陸に近いけど、それだけが理由な訳ないわよね?」

 

 エリシアの質問の意図が分からない。どうしてそれを今知る必要があるのだろうか。

 

 別に、特に深い理由は無い。あるとすれば、それはエリシアが他の勇者よりも話が分かりやすいし、エリシアの言う通り一番近い場所にいたからと言うのもある。

 

 あとは性格の問題か。エリシアは何だかんだ冷静に物事を判断できるし、今回の戦いは時間との勝負になる。迅速かつ慎重に、魔族との全面戦闘を避けての短期決戦になるだろうと踏み、エリシアを選んだ。

 

 他は駄目だ。火と土はド派手に立ち回るし、水と風は俺からの頼みだと高い見返りを要求してくる。氷はそもそも協力的じゃないだろうし、光は駄目だ。アイツとは馬が合わないと言うか、喧嘩ばかりして絶対に面倒事になる。

 

 あれ? 俺ってホントに勇者と同門で一緒に戦った仲なんだろうか?

 

 ちょっと自分の人望の無さに気付いてしまい、少しだけ落ち込んでしまう。

 

「どうなのよ?」

「ど、どうって……ん?」

 

 ララがマントを引っ張って耳を貸せという。

 素直に従って耳を寄せると、ララはエリシアに聞こえないように小声で耳打ちしてくる。

 

「センセ、こんな時はこう言うんだ――」

「……わ、わかった。あー、エリシア」

「ん?」

「――お前じゃなきゃ、駄目なんだ」

「――」

 

 ララに言われた通りにそう言うと、エリシアは真顔になった黙り込む。

 

 ララを見ると親指を立てていた。

 

 何となく気不味い空気が流れる中、やっとエリシアが反応した。

 

「――そ、そう。私じゃないと駄目なんだ。ふーん……」

「あー、まぁ……うん、お前じゃないと駄目だ」

 

 他とは上手くやっていけない気がするから嘘ではない。

 

 そう言うと、エリシアはニヤリと笑い、何故か後ろを向いて小さくガッツポーズをした。

 

「……ララ、何だか知らんがアイツ喜んでるぞ?」

「喜ばせておけ。そして後で糠喜びだったと後悔させてやる」

 

 ララもララで、不敵なニヤつきをしていた。

 

 俺は思った。絶対に碌な目に遭わないんだろうなと。主に俺が。

 

 どうしてか気分を良くしたエリシアはくるりと此方に向き直り、咳払いをして話を戻した。

 

 ちょっと顔が赤い気がするが、気のせいだろうか。

 

「よし、分かったわ! 力を貸してあげる!」

「本当か? 助かる!」

「でも遺跡の原因を解明してから。これだけは譲れないわ」

「……此方もあまり時間が多い訳じゃないが、仕方ない。俺とララも協力しよう」

「アンタは分かるけど……その子は大丈夫なの?」

 

 エリシアはララを見て訝しむ。

 

 それはララの安全を思ってではなく、たぶんララに協力できるだけの力があるのかどうかを言っているのだろう。

 

 だがそれは任せてほしい。何と言ってもこの子はアーヴル学校の優等生なのだから。

 

「大丈夫だ。ララは賢いし、着眼点も鋭い。安全なら、俺が守るから問題無い」

「……そう。なら、宜しく頼むわね、魔族のお姫様?」

 

 エリシアはララに手を差し出して握手を求めた。

 ララはその手を見て、何を思ったのか勢い良くバシンと手を叩く様に掴んだ。

 

「此方こそ、私のセンセを殺してくれるなよ?」

「へ、へぇ~……? 私の……あんま調子乗んないでよね、ガキんちょ」

「お前こそ、ゴリラ女」

 

 俺は二人からそっと離れた。

 

 何故かは分からないが、二人から不穏な空気を感じた。エリシアが怒るところは何度も見たが、ララが怒っているのを見るのは初めてだ。

 

 いや、ララは怒っているのか? 怒りとは違う何かなような気もするが、どちらにせよ怖かった。

 

 二人は俺が声を掛けるまで、握手を交わした手からギチギチと音を鳴らしていた。

 

 



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第12話 雷神殿

 

 

 雷の神殿に入るのは、これで二度目だ。

 

 一度目は、エリシアの力を高める為、試練に挑戦しに行った時だ。

 あの時、エリシアは強力な力を有してはいたが、まだ今ほどの力は無かった。

 強力な雷を体内で発生させられる彼女は七人の勇者の中でも力強く、誰よりも速かった。

 

 それでも試練を受ける前はただ雷を生み出すことしかできなかった。

 試練を乗り越えた彼女は最上級魔法を無言で放てるようになり、雷そのものになって戦場を駆け抜けた。

 

 その姿は正に伝承にある雷神マスティアだった。神罰の雷を敵の頭上から降り注がせ、瞬きする間に百の敵を薙ぎ払った。

 

 今でもその光景は鮮明に思い出せる。何しろ、その雷を受けたのは敵だけじゃなく、俺自身もだからだ。

 

 あれは強烈だった。事故でエリシアと氷の勇者の湯浴みを覗いてしまった時に受けたが、正直言って魔王との戦い以外で死を覚悟したのはその時だけかもしれない。

 

 話を戻そう。

 

 俺とララはエリシアと彼女の部隊の後に続いて神殿内へと入った。

 

 神殿の広間に入ると、すぐに地下深くへ繋がる巨大な階段がある。神殿の幅と同じ大きな階段を下りていくと、そこはまるで異空間だ。超巨大な空洞が広がっており、床の下は底が見えない暗闇となっている。此処はロニール山脈の山の中なのだが、そうとは思えない広さと深さだ。

 空洞の中は巨大な柱が山を支えているように立ち並んでおり、この柱が無くなれば山脈は崩れ落ちてしまうのではないかと、恐ろしい考えが頭を過る。

 

 柱と底が見えない崖下以外は、ほぼ何も無い空洞だ。エリシアが試練を受けた場所は真っ直ぐ伸びるこの広い通路を進んだ奥にある。一番奥にもう一つ神殿があり、その中だ。

 

「……センセ」

「ん?」

「随分と明るいが……何か魔法でも使ってるのか?」

 

 空洞の中は外と変わらず、視界が良好だ。太陽の光が差さないのに、確かに不思議なことだ。

 

「神殿内は何処もこんなんさ。俺にも探知できない魔法が掛けられてる」

「……正に神業、か」

「……止まって」

 

 先頭を歩いていたエリシアが右拳を上げて立ち止まると、部隊はピタリと立ち止まる。

 そして少しの沈黙があり、エリシアの右拳がぐるりと回される。

 

 途端、部隊は円陣形態を組み、盾を構えて周囲を警戒する。

 

 俺はララに杖を握らせ、背中のナハトを抜いていつでもララを守れるようにする。

 エリシアはカタナを一振りだけ抜き、八相の構えを取ってゆっくりと前に進む。

 

 緊張が場を支配する中、エリシアが何に反応したのかを探る。

 

 エリシアは体内で発生させる電磁波によって人の何倍もの広さを探知することができる。その能力で俺達には感じ取れない何かを察知したのだろう。

 

「……あのゴリラ女は何を警戒してるんだ?」

「そうだな……昔、この神殿には怪物がわんさかと棲み着いていた。神殿の力に引き寄せられ、凶悪な怪物が俺達に襲い掛かり、仲間を何人も殺した」

「……その怪物って、四足歩行で歩いたり天井を這ったりする奴か?」

「そうだが……何で分かった?」

 

 ララが上を指した。釣られて俺達はララの指先を見上げる。

 

 見上げた先にいたのは、鋭い牙と爪を生やし、長い尾を持った怪物が群れを成して天井を這い回っている光景だった。

 

「全員上だァ!」

「っ、シールド展開!」

 

 エリシアの指示で兵士達の盾が輝き、金属の盾から魔法の障壁が広がり、大きな一つの盾となって上から落ちてくる怪物を弾いていく。

 

 俺はララを片腕で抱き寄せ、落ちてくる怪物を剣で叩き斬りながら下りてきた階段の方へと下がる。

 

「エリシア! リザードだ! それもライトニングリザードだ!」

「言われなくても分かってるわよ!」

 

 この怪物は以前にもこの神殿に棲み着いていた大蜥蜴のリザード種。それもこの神殿の力に影響され、雷の背鰭を生やしている変異型だ。

 

 リザードは蜥蜴をそのまま巨大化させたような怪物であり、特性も蜥蜴と変わりない。巨大化した分、その特性も蜥蜴より何倍もの性能を誇る。

 更にこいつは雷の特性も兼ね備え、雷撃を吐いたり攻撃に麻痺性を付与してくる。

 

 エリシアはカタナでリザードを斬り倒していき、兵士達は覆い被さってくるリザードを盾で防ぎ、その盾の隙間から剣を突き出して攻撃していく。

 

「ララ! そこから魔法を放て!」

 

 ララをある程度下がらせ、リザードが降ってこない所から魔法による遠距離攻撃を任せる。

 

「我、数多の敵を撥ね除ける者なり――ラージド・プロテクション!」

 

 ララの周囲に外側から攻撃と侵入を防ぎ、内側からは攻撃を放てる防御魔法を敷いた。これで俺が側にいなくてもララを守ることができる。

 

「さて、怪物退治と行こうぜ」

 

 ナハトを握り締め、リザードの群れへと突撃していく。リザード達も俺に突撃を仕掛ける。

 

 漆黒の剣がリザードの首を斬り落とし、前足を斬り落とし、腹を斬り裂き、頭から尾まで真っ直ぐ両断する。

 リザードは鋭い爪を振るって俺の首を引き裂こうとするが、ガントレットで先に顔を殴り付けて剣で殺す。

 数体同時にリザードが足下と頭上から襲い掛かるが、俺の間合いに入るや否や、俺の後から飛んで来た風の刃によって斬り裂かれる。

 

 後ろを見れば、ララがしたり顔で杖を向けていた。

 

「良い腕だ」

 

 ララの魔法の援護を受けながら、リザードの群れを突破していく。

 

 通路を埋め尽くさんばかりの数に、兵士達は徐々に疲弊していく。あの盾の魔法がいつまで保つか不明だが、そう長くは掛からないだろう。それまでにリザードを殲滅するか、突破して逃げるかだ。

 

 カタナを振るい、手から雷撃を放っているエリシアの後ろに並び、背中合わせで剣を振るう。

 

「おい! このままじゃ部隊がやられるぞ!」

「分かってるわよ! ってか何なのよこいつら!? 私が入った時はいなかったのに!」

「一瞬の隙を作るからデカい一撃を撃って正面の道を開け! その後部隊を連れて奥に走れ!」

「本気!? こんな所で撃ったら道が崩壊するかもしれないわよ!?」

「そんな柔な造りじゃないだろ此処は!」

 

 リザードの首を斬り落とし、ナハトを高速回転させながら投げ付ける。ブーメランのように回転して俺達の周囲を何度も何度も旋回し、その都度リザード達を両断していく。

 

 リザード達と俺達の間にスペースが生まれ、エリシアが技を放てるタイミングを作った。

 

「もう! 知らないから!」

 

 エリシアはカタナに雷を充填していき、紫電が激しく迸っていく。

 

「撃ち払う――アラストール!」

 

 エリシアが突き出したカタナから集束された雷が放たれ、雷鳴を轟かせながら正面に群がっているリザード達を焼き払った。リザード達の肉が焼き焦げる臭いと、死骸がバチバチと放電する音が残り、進路が生まれた。

 

「前進!」

 

 エリシアが先頭を走り、その後ろから二列に隊を組み、それぞれ盾を列の外側に向けた部隊が走って前進する。

 

 俺はナハトを呼び戻し、一気に跳躍でララの下まで戻る。防御の魔法を消してララを抱き上げ、エリシアの後を追い掛ける。

 

 リザード達は大きな一撃で数を減らしてはいるが、それでも視界を埋め尽くすほど数は多い。

 

「ララ、俺にしっかり掴まってろ!」

「ああ!」

 

 だが、この数の壁程度なら力技で突破できる。

 

 ナハトを正面に突き出し、魔力を先端へと集める。ナハトの剣と同じ黒色の魔力が渦巻くように噴き出し、近付くリザード達を捻じ切るように弾き飛ばしていく。

 

「おぉぉぉぉらぁぁア!」

 

 そのままリザードの群れを押し通るよにして突破し、リザード達を置いて全速力で最奥の神殿に入る。

 

 俺とララが神殿に入ると、先に到達していた兵士達が入り口を盾の魔法で塞ぎ、追ってきたリザード達を防ぐ。

 一箇所に集まったリザード達は盾を破ろうとして更に密集する。兵士達は雄叫びをあげながら踏ん張り、リザード達を押し返す。

 

「エリシア!」

「分かってるってば!」

 

 エリシアはカタナを盾の隙間から突き出し、一気に魔力を練り上げた。

 

「アラストール!」

 

 先程と同じ放電技を放ち、密集していたリザード達は跡形も無く焼き払われた。

 

 まだ生き残っているリザードがちらほらといたが、エリシアの力を見て恐れをなしたのか底が見えない暗闇の崖下へと逃げていった。

 

 全てのリザード達の姿が見えなくなり、漸く俺達は臨戦態勢を解いた。

 

 エリシアはカタナを収めながら「ふぅ……」と安堵の息を吐く。

 ララにも怪我が無いことを確かめ、エリシアの背中をパシンと叩いた。

 

「やるじゃん。同じ属性の怪物相手をよく圧倒したな」

「そりゃ『雷』の勇者だからねぇ~、ただの電気に負ける訳ないじゃない」

「それもそうか」

「アンタも腕は落ちてないみたいじゃん。グリムロックの異名は錆びてないようで安心したわ」

 

 エリシアはニタニタした口からその名を出した。

 

 俺が何かを言う前に、ララが先に口を挟む。

 

「センセ、そのグリムロックって何だ?」

 

 俺はエリシアを睨んだ。

 折角、ララからその話題を離せていたと言うのに。

 

 自分で自分の異名を話すのはどうにも恥ずかしい。それも勝手に名付けられて勝手に呼ばれている物だとしたら尚更である。

 

 俺は一度たりとも 自分でグリムロックだと名乗った覚えは無い。

 

 俺が口籠もっていると、エリシアは兵士の一人を指パッチンで指名した。

 

「ねぇちょっと、この子にグリムロックについて説明してあげて」

「はっ! グリムロックとは、ルドガー・ライオットの異名であり恐れられる名であります! 彼の通った道には屍しか残らず、漆黒の大剣を担ぎ戦場を闊歩する様は正に死神の如く! 魔族だけではなく、人族にも恐れられた英雄であります! グリムロックの名は歴史に刻み込まれるでしょう!」

 

 その若い兵士は頭に右手を添える敬礼をしながら、そうハキハキと答えた。

 

「……態々説明どうも」

「恐縮です!」

 

 俺が皮肉を込めて礼を言ったら、若い兵士は何故か嬉しそうにした。

 どうしてそんな反応をするのかと訝しんでいたら、エリシアが笑いを漏らす。

 

「ご、ごめん……! 彼、アンタのファンなのよ」

「……ファン?」

 

 俺にファンがいるだなんて信じられないが。

 

 何しろ俺は人族のお偉いさん方から嫌われ、国の記録から抹消されるような奴だぞ。

 現に、リィンウェルで本名を名乗っても強く疑われたものだしな。

 

 俺が更に困惑していると、エリシアが笑いから落ち着きを取り戻して説明をしてくれる。

 

「あのね、確かにアンタは王のおっさん達から酷い扱いをされたけど、それが国民の総意な訳ないじゃない。アンタの戦ってる姿は戦場にいた全員が知ってるんだし、アンタが私達に並ぶ勇者だって思ってる人は少なからず居るのよ。まぁ、本名よりも異名のほうが広まっちゃってるけど」

「自分の父は嘗てルドガー様に命を救われております! その大恩人とこうして任に就けていること、大変嬉しく思います!」

 

 戦場にいれば、そんなことは少なくはない。助けようと思って助けたのではなく、戦いの中でそれが助けに繋がったことって言うのが殆どだ。

 

 あの頃の俺は確かに死神と恐れられるぐらいには戦場で暴れ回っていた。敵に一切の容赦を与えず、只管に剣を振るって敵の返り血を全身に浴びて陣営に帰っていた。お陰で血の臭いが身体に染み込み、今でも時折血の臭いが鼻について嫌になる。

 

 その戦いっぷりから魔族は当然のこと、味方ですら怖がっていた。勇者達がいなければ、半魔である俺はとっくの昔に危険因子だとして処刑されていたかもしれない。

 

 憧れに近い眼差しで俺を見てくる若い兵士から視線を逸らすと、ララが俺のマントをぎゅっと握り締めた。

 

 嫌な記憶を思い出し、それが顔にでも出ていただろうか。

 ララに軽く笑みを見せ、神殿ついて考えることにする。

 

「エリシア、神殿の様子はどうだ?」

「……前回と同じよ。もの凄い力を感じるけど、私に対して何も言ってこないわ」

「ララは? 何か感じるか?」

「……何か、引っ張られてる気がする」

「引っ張られる?」

 

 俺とエリシアは目を見合わせた。

 

 俺達の意見は合致した。この神殿に力が戻った理由は勇者が関係している訳じゃなのかもしれないと。

 エリシアに感じられず、ララに感じられるとすれば、聖女に関係しているのかもしれない。

 

 まだそう決まったわけじゃない。ララの魔法力の高さがそうさせているだけかもしれない。

 

 しかし今此処で異変感じ取っているのはララだけだ。

 

「ララ、何処に引っ張られてる?」

「……この奥だ」

 

 ララが指したのは最奥の神殿、そこにある試練の間だ。

 

 巨大な石扉があり、両脇に外の神殿と同じ二体の女神像。

 試練の間は一見すれば何てことのない、ただの円形の広場だ。

 

 だがそこで待ち受けていたのは雷神マスティア。当人ではなく、あくまでも力の集合体だが。

 

 試練の間は選ばれた勇者しか入ることはできない。扉を潜ろうとしても、見えない結界で選ばれし勇者以外は弾かれる。

 

「前回の時は、お前が入った瞬間、俺達は怪物に囲まれたっけか?」

「さぁ? 試練を終えて出て来たら、アンタ達草臥れてたもの」

「お前が最初だったからな。それ以降は楽なもんだった。俺達が来る前は入ったのか?」

「入ったけれど、何も起きなかったわ」

「……念の為、全員武器を握ってろ」

 

 俺が左側、エリシアが右側の扉に手を置き、タイミングを合わせて押し開く。

 

 ゴゴゴッ、と重い石が床を擦る音が響き、試練の間の扉が開かれる。

 

 ある程度開くと扉は独りでに開いていき、試練の間が露わになる。

 

 だだっ広い円形の広間の中心に、二体の女神像が佇んでいた。

 右側の女神像には剣が、左側の女神像には槍が握られている。

 

 あんな石像、昔はあったか?

 

「エリシア、あんな像あったか?」

「……おかしいわ。あんな像、昨日来た時には無かったわよ」

 

 それは変な話だ。それではまるで、エリシアが去った後に何者かが此処へ運んで来たみたいじゃないか。

 だけどそれはありえない。この試練の間には選ばれた者しか入ることができない。

 

 仮に第三者が置いたとして、この神殿の守りを通り抜けることができる力を持っていることになる。それは随分と穏やかじゃない話だ。

 

「……エリシア、調べてきてくれ。俺達じゃ入れない」

「……分かったわよ」

「気を付けろ。異変を感じ取ったらすぐに引き返せ」

 

 エリシアは頷き、足を広間へと踏み入れた。

 

「――いぎゃっ!?」

「はあっ!?」

 

 エリシアは結界に弾かれ、大きく後ろに突き飛ばされた。

 顔面に衝撃を喰らったのか、顔を両手で押さえて床をジタバタと転がり回る。

 

「何やってんだよお前!?」

「私の所為じゃないわよ! 昨日だって入れたわ!」

「いや、でも、えぇ……?」

 

 勇者が試練の間を弾かれた。

 

 それは俺達を驚愕の色に染めるのには充分すぎるほどだった。

 

 勇者に力を与える為の場所が、勇者を拒むことなどありえて良いものか。

 それならばどうして力が戻ったりしている。

 

 まさか本当に聖女に関係しているのか、それとも別の勇者が現れたとでも言うのか。

 

 エリシアは見えない結界を、今度は雷を纏わせた拳で殴り付けた。だが結界は変わらずエリシアを拒み続ける。

 

「どうしてよ……!? もしかして私、勇者じゃなくなっちゃったの!?」

「だったらその力も無くなってるだろうよ。ララ、本当に此処に引っ張られてるんだな?」

「ああ。開けてみてより強く感じる」

「……危険だ。一旦戻ろう」

 

 俺がそう提案すると、エリシアは「はぁ?」と眉を顰めた。

 

「何言ってんのよ? やっと原因を突き止められるかもしれないのよ?」

「考えてみてくれ。お前は試練の間に入れない。だけどララが此処に呼ばれてる。なら、ララは試練の間に入れるかもしれない」

「じゃあ試してみましょう」

「駄目だ、危険過ぎる!」

 

 俺はララを自分から離さないように肩を引っ張って寄せる。

 

 エリシアはムッとした顔をして、どういうことかを説明しろと言ってくる。

 

「もし、もしだ。ララが試練を受ける者だったら、ララは一人で試練を受けなければならない」

「そうね」

「お前でも試練に打ち勝つには苦労したんだろ? そんな試練にララ一人を送り出すのは危険だ、危険過ぎる。まだララに戦闘訓練は教えていない」

 

 色々な魔法を知っていても、それを戦闘で上手く披露して立ち回れるかどうかは別の話だ。

 ララに試練を受けさせるとしても、それはまだ早い。せめて一ヶ月、いや半月は訓練に専念させないと命がいくらあっても足りやしない。

 

 そう説明しても、エリシアは溜息を吐いて首を横に振る。

 

「アンタの気持ちは分からなくはないわ。でも、それじゃどうするって言うのよ? アンタ達の事情に関しても、時間は無いんでしょう? 私はこの件に解決の道が見つかるまではリィンウェルから離れないわよ」

「……ララ、戻るぞ」

「え? でもセンセ……」

 

 ララは驚いた声を出す。

 

 だが仕方が無い。俺は何があってもララをこのまま試練に挑ませるつもりはない。

 

 この扉を潜れば最後、試練が終わるまでララは出て来られなくなる。だから試すつもりは毛頭無い。

 ララを信じていない訳じゃない。だが楽観視も絶対にできないことだ。万が一の可能性が高い現状で、試すのはただの自殺行為に等しい。

 

 俺は動こうとしないララの手を掴み、来た道を引き返そうとする。

 

「――またそうやって逃げるの?」

 

 エリシアの声に、足を止めてしまった。

 

「……何の話だ?」

「アンタって昔からそうよね。勝ち目の無い戦いからはいつも逃げて、都合の良い言い訳ばかり並べてさ。その先に可能性があったとしても、その可能性を掴もうともしない」

「……俺の命ならいくらでも懸けてやる。だがララの命を懸けろと言うんなら断る。この子は絶対に守る」

「でもこの先、私の助けが無いとその子を助けられないんでしょ?」

「……断言できないだけだ」

「それって、できないって言ってるようなもんじゃない」

「何が言いたい?」

 

 ララの手を離し、エリシアに詰め寄る。周りの兵士達が武器を構えるが、そんなことは気にならない。

 先程からエリシアは俺を煽るような言葉ばかり並べる。何を言われようともララの命をベットするつもりは無い。俺の性格を知るエリシアなら、そんなことは分かっているはずだ。

 

 だがエリシアは挑戦的な態度を崩さない。その真意が気になる。

 

「あの日、アンタが私達の前からいなくなった日、私……どれだけ悔しかったか分かる?」

「……」

「アンタがどれだけ命懸けで戦って、どれだけ人族を救って、どんな思いで魔王を殺したのか私達は知ってる。それをアンタが半魔って理由だけで、全部無かったことにされた」

「それについてはもう終わったことだ。今更どうこうできる訳でもないし、何とも思ってない」

「終わってない! まだ終わってないのよ! 私達は今もずっと、アンタを取り戻そうとしてるのよ! なのにアンタは! アンタは最初から諦めて逃げて……アーサーがどんな顔をしてたかも知らないで!」

 

 アーサー……アイツが、何だ? 寧ろアイツは俺が居なくなったことで清々してるんじゃないのか?

 

 エリシアが俺の首元のマントを掴んで締め上げる。

 エリシアの目から涙が一粒流れ落ちた。

 

「一度ぐらいは男らしく戦って見せなさいよ! こんな所で逃げ回ってちゃ、いつまでも負け犬のままよ! アンタは!」

「っ――だからってララの命を危険に晒す真似ができるか!」

「もう既に危険に晒されてるんでしょうが! この子だっていつまでも守られ続ける訳にはいかないでしょ!」

「俺が守るって言ってんだろ!」

「どの口が言えるのよ! アンタは――」

「もういい!!」

 

 エリシアがそれを口にしようとして、俺が力尽くで黙らせようとしたその時、ララの声が木霊する。

 ララは俺とエリシアの間に割り込み、俺をエリシアから引き離す。

 

「こんな所で喧嘩してる場合じゃないだろ! 私がその試練とやらを受けて戻ってきたら良いんだろ!?」

「なっ――ば、違う! それにまだお前が受けると決まった訳じゃない!」

「うるさい! そうかそうじゃないかは試せば分かる!」

 

 そう言い終わる前にララが試練の間へと駆け出した。

 

 慌てて止めようと伸ばした手は届かず、ララは扉を潜って試練の間へと足を踏み入れてしまった。

 直後、広間の壁から雷が噴き出し、まるで松明の様に広間を眩い光で照らす。中央に佇んでいた女神像の目に光が灯り、命が吹き込まれたように動き始める。

 

 二体の女神像が握る武器に雷が纏わり、怪物のように咆哮をあげた。

 

 最悪の答えだ。神殿に力が戻った理由は、勇者に試練を与える為ではなく、聖女に試練を与える為だった。

 

 だが何の為に? 魔族を救う為には七神の力が必要なのか? それなら試練無しで力を与えるべきだろう。試練で聖女が死んでしまえば、聖女に選んだ意味が無くなる。

 いや……これは聖女を殺す為の試練かもしれない。エリシアを弾き、ララを受け入れたのはそれを狙ってのことかもしれない。

 

 そうだとすればララが危険だ。早く助けなければいけない。

 

 俺は無意識だった。結界に阻まれると分かっていたのに、ララを助け出したい一心で試練の間へと走り出してしまった。

 

 そしてララの手を引っ張り、二体の女神像から守るようにして背中に回した。

 

 ――――ん?

 

「……?」

 

 あれ、何でララの手を掴めたんだろう。ララは試練の間に入って入り口から離れていたはずなのに。

 あれ、何で俺は二体の女神像と睨み合っているんだろう。此処は選ばれた者しか入れない試練の間なのに。

 あれ、何で俺……入れてるんだ?

 

「はぁぁぁぁ!?」

「えぇぇぇぇ!?」

 

 俺と結界の外にいるエリシアの驚愕の悲鳴が重なった。

 

「センセ! センセも入れたってことは、センセも勇者なのか!?」

「いや! 俺は! そんな!? ええ!?」

「ルドガー! 危ない!」

 

 エリシアの悲鳴に近い声で今の状況を思い出し、ララを抱えてこの場から後ろへと跳び退く。

 

 直後、雷の剣がマントを掠め、標的を失った剣はそのまま床を破壊する。

 

 そうだ、今は驚いている場合じゃない。どうしてこうなったかは分からないが、分かることは俺とララは試練を受けることになってしまったということだ。

 試練を受ける以上、生きて乗り越えるしか選択肢は存在しない。どうやら試練内容はあの二体の女神像との戦いらしいが、それならやることは一つ。

 

「ララ! 兎も角、アイツらを蹴散らすぞ!」

「ああ!」

 

 ナハトを構え、ララは杖を構える。

 二体の女神像はゆらりゆらりと恐怖を煽ってくような動きでゆっくりと距離を縮めてくる。

 

「エリシア! 俺とララでコイツらを片付ける! お前は外を警戒してろ!」

「――ええい! もう訳わかんないけど分かったわ! 絶対に勝ちなさいよね!」

 

 エリシアは兵士達に指示を出して、怪物が再び襲ってきても大丈夫なように準備させる。

 

「勝つしかねぇんだよ……」

 

 剣を握る手に力が入る。

 

 今、俺の隣にはララがいる。まだ子供で、本格的な戦闘を経験していない、ただ魔法力と知識力が高い少女だ。

 俺が守るべき大切な子、大切な生徒。

 

 アイツの――忘れ形見。

 

「スー……ハー……っ!」

 

 魔力を限界まで練り上げる。

 

 何が何でもララは無傷で生還させる。試練と言うからには生半可な力ではクリアできない。

 受ける前から強大な力を持ったエリシアでさえ手子摺った試練だ。

 ならその力が無い俺は、命を燃やさなければ乗り越えられないだろう。

 

「ナハト、俺に力を……。ララ、お前は後方で魔法をぶつけ続けろ。教えた魔法、全部披露するつもりでな」

「ああ。センセは?」

「女神とダンスだ」

 

 俺は床を蹴り、一気に距離を詰めた。

 

 



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第13話 雷の試練、死の魔力

 

 

 剣の女神にナハトを振り下ろし、一撃目で仕留めようとするも、容易く受け止められてしまう。攻撃の直後を狙って槍の女神が心臓を狙って突いてくるが、左腕で軌道を逸らしてかわす。そのまま左拳で槍の女神の顔面を殴り、大きく後ろに仰け反ったところへララの風魔法が直撃し、槍の女神を吹き飛ばす。

 

 ララには船の上で人族の魔法を粗方教えた。中級までの魔法だが、ララには天性の才能があり人族の魔法なら無言で発動できる。今のは単に突風を吹かせる魔法だが、使い方によっては御覧の通り相手を吹き飛ばすことができる。

 

 槍の女神が吹き飛んだその隙に、剣の女神へと猛攻を仕掛ける。一歩も後ろに退かず、ナハトを振り続ける。向こうから攻撃を仕掛けてきたとしても、その剣を斬るつもりでナハトを振るう。

 

 俺の剣術は盾を必要としない、前進あるのみの超攻撃型剣術。防御は全て攻撃の動きで行い、相手の攻撃を防ぐのではなく攻撃で上塗りして攻め立てる。言うは易し行うは難しのデタラメな技だが、俺はこの剣術を十数年の月日で完成させた。

 

 そしてアルフの都に入ってから、その剣術は更に高みへと至ることができた。

 エルフの剣術、魔力で相手の心を読み解き、次の攻撃手順を先読みして剣を振るう技を学び、それを俺の剣術に取り入れることで技が昇華した。今までは相手の動きから行動を予測して剣を振っていたが、これならば先読みの精度を跳ね上げることができる。

 相手が石像だろうが、魔力を使い魔力を纏っているのならば例え魂が無くとも読み取れる。

 

 剣の女神の動きが手に取るように判り、先んじて剣を振るって攻めを許さない。

 

「チッ……!」

 

 だがそれでも決め手になる一撃を放てないのは、女神の攻撃が鋭くて俺の剣を押し返してくるからだ。更に言えば、女神も俺の動きに目が慣れ始めているのか対処されやすくなってきている。

 

「地の精霊よ来たれ――ノム・グラビトル!」

 

 ララが剣の女神に魔法を掛けると、剣の女神はまるで重い何かを背負わされたようにガクリと動きが遅くなる。

 

 その絶好のチャンスを逃すはずもなく、ナハトで剣の女神の左腕を肩から斬り落とした。

 

 斬って分かったが、こいつらは石像なんかじゃない。外側は石だが、内側にはちゃんと血肉が通っている。赤い血が傷口から噴き出し、剣の女神像は絶叫しながら雷を全身から迸らせる。

 

 ナハトで雷を斬り払うと、今度は戻ってきた槍の女神が剣の女神と入れ替わって襲い掛かってくる。槍を操る速度は凄まじく、ナハトで受け流したと思ったら既に次の一手が繰り出されている。

 

「センセ!」

 

 ララが杖を下から上に振るうと、その度に槍の女神の足下から床が隆起して石の槍が突き上がる。その槍に気を取られた隙を狙い、ナハトを横から薙ぎ払って女神を後退させる。

 しっかりとナハトを槍で受け止めた女神は今度は近接攻撃ではなく、魔法による攻撃を仕掛けてきた。槍を振るうと地を這うようにして雷撃が迫り、俺の後にいるララにも攻撃を仕掛ける。

 

「ナハト! 喰らえ!」

 

 俺はナハトに己の魔力を喰わせ、ナハトの力を引き出す。その状態でナハトを振り払うと、魔力が斬撃となって放たれて雷撃をぶつかり合う。衝撃波を撒き散らしながら相殺し、俺はその中へ突っ込んで槍の女神へと詰め寄る。

 

 だがそれは剣の女神も同じで、俺は剣の女神とぶつかる。左腕を失っても力が衰えることはなく、俺は足を止められてしまう。

 

 槍の女神は俺ではなくララを狙い、上に跳んで雷の槍を突き出す。槍から雷撃が放たれ、ララへと迫る。

 

 俺は剣の女神の攻撃をナハトで逸らし、そのままナハトを上に放り投げて雷撃の射線上に出す。雷撃はナハトに当たり、空中で弾けて消える。

 

 ララは杖をパッパッパッと振るって上空にいる槍の女神へ風の衝撃波を叩き込み、床へと叩き落とす。そして杖を力強く振るって強烈な一撃を与えると、槍の女神の身体に罅が入って少しだけ砕けた。

 

 その間にも俺は剣の女神の攻撃をかわし、ナハトを手元に呼び戻して今度は袈裟切りにして女神の身体に切り傷を負わせた。最後に蹴りを放ち、槍の女神が伏している所へとぶっ飛ばした。

 

 此処までは上手く事を運べている。片方は左腕を失い、片方は小さくないダメージを負っている。対して此方はまだダメージというダメージを負っていない。

 

 だがまだ向こうも本気ではないはずだ。まだ力を隠している。一見すると有利に見えるだろうが、俺は魔力を常に限界を超える力で燃やし続けている。女神との近接戦闘で渡り合えているのはその御陰だ。この状態がいつまでも続くと筈もなく、いずれは魔力も尽きてしまう。

 

 ララだってそうだ。ララの魔力にも限度はあるし、きっとララは目の前の戦闘で頭がいっぱいだ。一手二手先のことを予測する余裕は持ち合わせていない。

 

 早く勝負を決めなければ負けは濃厚。エリシアの助けは望めないし、途中退場も許されない。

 ナハトを持ち上げる腕が重い、鎧が重たい、二体の女神像の動きが徐々に読みづらくなっている。

 

 背にいるララを守るため、俺は更に魔力を燃やす。

 

 二体の女神像は立ち上がり、咆哮をあげる。女性の悲鳴のような声が響き、二体の魔力が上がった。

 来る、奴らの本気が。

 

「ララ、何があっても俺を信じろ。必ず勝つぞ」

「ああ」

 

 それは果たして本当にララに向けて言った言葉なのか。本当は自分にそう言い聞かせただけなのかもしれない。だがララは二つ返事で頷いた。その気持ちに、嘘は吐けない。

 

 二体の女神は重なり合い、周囲から雷を取り込んで一つになっていく。斬り落とした左腕も吸い込まれ、身体の大きさも膨れ上がり、二つの顔に四つの腕を持つ巨大な女神へと変貌した。更に頭上に雷の輪が形成され、おまけに背中から白い翼が生えた。魔力も先程よりも上だ。試練もいよいよ本番に入った訳だ。

 

「ルドガー!」

 

 試練の間の外にいるエリシアから声を投げ掛けられた。

 

「そいつ! マスティアの力を持ってるわ! さっきまではただの魔力だったのに、此処へ来て変質したのよ!」

「そうかい! できれば手ェ貸してほしいんだが!?」

「それはできそうにないわ! こっちもこっちでお客さんが来たみたいだから!」

 

 チラリとエリシアの方を見た。

 

 どうやら彼女の方にも怪物がわんさかとやって来たらしい。あっちは問題は無いだろうが、こっちは大変だ。マスティアの力を持っているのであれば、今までのように善戦はできないだろう。

 

 あれは雷神マスティア、それ自身だと思ってかかったほうが良い。

 

『アアアアアアアッ!』

 

 女性の悲鳴のような歌のような咆哮をあげ、雷神は一瞬にして俺の目の前に移動した。

 咄嗟にララを魔法で遠くに飛ばし、俺は振り払われた剣をナハトで受け止め、そのまま壁まで吹き飛ばされた。

 

「センセ!?」

「敵に集中しろ!」

「っ!?」

 

 雷神は既にララの前に移動していた。槍を振り上げ、ララは目の前の死に身体が固まってしまう。

 

 雷神が槍を振り下ろすよりも早く、俺は床に手を当てて無言魔法で土属性の魔法を発動する。ララと雷神の間に巨大な岩を突き出させ、雷神をララから離す。そして光属性の鎖を作り出して雷神を縛り付ける。

 

「こっちに来い!」

 

 強引に雷神を引っ張り、ララから更に距離を離す。そのまま雷神を振り回し、壁に投げてぶつける。

 

 雷神はまるで効かないと咆哮をあげ、俺の頭上から雷を落とす。雷が落ちる前に足下が光ってくれたお陰で避けることができた。落雷を避けながら雷神へと近付くが、雷神は自身の前に雷の柱を何本も形成し、それをそのまま扇状に広げてきた。

 

 最初の雷柱をかわすが、連発で放たれた雷柱をかわしきれず、ナハトで受け止める。だが斬り払うことも勢いを殺すこともできず、そのまま雷柱に巻き込まれてしまう。

 

 全身に激痛が走り、一瞬だけ気を失いそうになるものの、何とか耐えきってみせる。

 

 ナハトに全体重を乗せて身体を支え、雷神を睨み付ける。

 

 今の一撃を耐える為に魔力の大半を消費してしまった。これ以上、雷神の一撃を受ける訳にはいかない。攻撃に回す魔力が無くなってしまう。

 

 ほんの二、三手で形勢を覆されてしまった。それにまだ雷神は全てを出し切っていないはず。何とかして現状を打破する方法を見つけ出さなければならない。

 

「ララ! 自分に防御魔法を掛け――ララ!」

 

 ララは恐怖に染まった顔で雷神を見て固まっていた。さっきので雷神の恐怖を刻み込まれてしまったのか。

 

 雷神はよりによって俺ではなく、動けないでいるララを標的にした。

 

 雷神が動き出した瞬間、俺はララの下へと駆け付けようと動く。

 だが雷神のもう一つの顔が俺を見ており、剣を振り下ろして雷の壁を俺とララの間に敷いた。

 

 俺が壁をナハトで強引に斬り開いた時、雷神は既にララの目の前におり、槍を振り上げていた。

 

 ララが殺される光景が頭に過る。守ると誓ったララが、槍で貫かれて血に染まる最悪な未来が見えた。

 

「止ァめェろォォッ!」

 

 全ての魔力を脚に回し、ララが貫かれるよりも早く槍の前に移動した。

 

 ナハトで槍を逸らそうとしたが、それよりも早く槍は真っ直ぐ伸び、俺の胸の中心を穿った。

 

 幸いにも、貫いた槍はララに命中することなく、俺の血を顔に浴びただけで済んだ。

 

「せ――せんせ――?」

「――くそ――たれ――」

 

 雷神に向かって何とか振り絞って出せた声で言えたのはそれだけだった。

 

 雷神は俺を貫いたままの槍を持ち上げ、俺を上に放り投げた。

 

 そして俺は剣と槍の怒涛の突きを全身に浴びた。

 

 

 

    ★

 

 

 

 ララはルドガーの血の雨を浴びながら、信じたくない光景を目の当たりにしていた。

 自分を守ると言ってくれた人が、自分を守って串刺しにされた。

 

 アレでは生きていられない。

 

 そう思った瞬間、ララは底知れぬ恐怖と絶望を抱いた。

 

 これと似た感情を、ララは以前にも一度抱いた。

 

 それは母が死んだ時だ。魔族の重鎮達に城へと移されてから、母の寿命はどんどん磨り減っていった。やがて寿命が尽き、目の前で息を引き取った時にそれは起きた。

 

 感情のままに力を解放し、周囲にいたメイドや執事、兵士達を全て巻き込んで死に至らしめてしまった。

 

 気が付いた時には全てが終わっており、自分が魔王の力を受け継いでいることを自覚した。

 

 もう二度と使いたくない――。

 

 そう決めていた力が、再び心を支配し始めた。

 

「いやあああああああああッ!!」

 

 ララの魔力が暴走を始める。七属性のどれでもない魔力が吹き荒れ、雷神の動きを捉えて拘束した。

 雷神は手足を動かそうと藻掻くが、目を赤く光らせたララがそれを許さない。

 

 雷神は四肢を引っ張られ、メキメキと音を立てて亀裂が入り始める。

 

「うああああああ!」

 

 ララは頭を抱えながら絶叫し、それに呼応するように魔力が暴れ始める。

 

 やがて雷神の四肢は潰れていき、そしてとうとう全ての四肢が四散してしまう。

 身体を支える物を失った雷神は赤い血を噴き出しながら床を転げ回り、悲鳴をあげる。

 

 それでもララの魔力は暴走を止めない。黒い魔力が渦巻き始め、雷神の力を打ち消し始める。

 

 ララは己の命が吸い取られていく感覚を味わう。魔力に命を食われているのだと理解し、死の恐怖から身体を丸めて怯える。

 

 暴走を抑え込もうにも心が乱れ、恐怖で頭の中が真っ白になる。

 

 雷神は残っている力を使い、ララを殺そうと雷の槍を生み出す。

 

 そして放たれた雷槍は真っ直ぐにララの頭を目掛けて伸び、ララは目を閉じた。

 

 だが――いつまで経っても襲い掛かる痛みや衝撃は来なかった。

 

 ララは恐る恐る目を開くと、目の前には漆黒のマントをはためかせた男が立っていた。

 

「せ――センセ――!?」

 

 ララの前に立っていたのはルドガーだった。血だらけのルドガーが雷槍を手で受け止め、ララを守っていた。

 

 そこでララは自分の魔力がルドガーの中へ流れ込んでいるのに気が付く。そしてルドガーの魔力も、自分の中に流れ込んでくるのが分かった。

 

 その魔力を通じて、見たことも無い光景が頭の中に浮かんでくる。

 

 それはルドガーが誰かの心臓に剣を突き刺している光景だった。

 剣に突き刺されている男の人を、ララは知っているような気がする。

 自分と同じ長い銀髪で赤い瞳のその男は、自分によく似ている。

 

 ――お父さん……?

 

 無意識の内にそう口にして、ララは意識を失った。

 

 

 

    ★

 

 

 

「デェリャアアアアッ!」

 

 渾身の力で雷槍を雷神へと投げ返し、雷槍は雷神の胸を穿つ。

 

 そしてナハトを呼び寄せ、雷神へと飛び掛かる。ナハトで雷神の頭を貫き、そのまま力を込めて斬り下ろす。赤い血を撒き散らし、雷神は断末魔をあげながら身体がボロボロに朽ちていった。

 

 ナハトで雷神を両断した時、マスティアの雷がナハトに吸収され、剣身から紫電が迸る。

 

 どうやらこれで試練は終わったようだ。

 

 ナハトを背中に戻し、気を失っているララの下へと駆け付ける。魔力の暴走の影響で意識を失っただけのようで、外傷は何処にもない。だが体内がどうなっているかまではすぐには分からない。調べようにも、俺もそろそろ限界に近い。

 

 雷神に穴だらけにされた筈だが、その傷は何処にも無い。鎧は穴だらけで血塗れなことから、幻術や錯覚なんかではない。元々、剣で刺されても死なない身体だけど、あんな重傷を負ってすぐに再生したのは初めてだ。

 

 ララを抱えて試練の間から出ると、ちょうど怪物との戦闘が終わったエリシアが駆け寄ってきて目をギョッとさせた。

 

「ちょっ!? 血だらけじゃない! ガキんちょは!? 生きてるの!?」

「エリシア……後は頼む――」

「へっ!?」

 

 意識を保てたのはそこまでだった。

 

 俺はララを抱き締めながら膝から崩れ落ちて、意識を失ってしまった。

 

 



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第14話 罪の告白

 

 

 魔王は言った――いずれ世界は滅びると。

 

 魔王は言った――だから私が世界を救うと。

 

 だが魔王はその言葉とは逆に、世界の破壊を目論んだ。その破壊が世界を救う為に必要だったことなのか、それは今となっては分からない。

 

 分かっていたのはただ一つ、魔王の行いは同族以外を滅ぼすことだった。

 

 魔族の王として君臨し、世界を構成する七属性の魔力を全て操って何かを探していた。世界の支配は、その何かを見付ける為の手段だった。

 

 何かを見付けたその先に、魔王の言う救済があったのかもしれない。だがあったとしても、魔族以外は全て滅んでいた。それは救いにはならない。

 

 それを魔王は理解していた。理解していたからこそ、俺達を育てた。

 

 勇者の予言を調べ上げ、人族の捨て子を集めて篩に掛けた。各属性の魔力に適応する七人の子供だけが生き延び、魔王は己の全てをその子供達に授けた。

 

 そして魔王が破滅の道を選んだ時、彼らは立ち上がり、武器を握り、勇気と覚悟を持って魔王に挑んだ。

 

 その果てに、魔王は死んだ。七人の子供達の手によってではなく、篩にすら掛けなかった一番最初の子供に。

 

 なぁ……どうして俺を育てたんだ。勇者として育て上げた訳でもないのに、どうして最期は俺だったんだ。どうして俺に父親殺しをさせたんだ。

 

 答えてくれ……答えてくれよ!

 

「親父ィ!」

 

 気が付けば、ベッドの上だった。伸ばした手が宙を切り、力なく垂れ下がった。

 

 凄い汗だ。シーツがもの凄く湿っている。

 

 頭痛が酷い頭を抱えながら身体を起こす。

 

 いったい何があった……確か試練をクリアして、それでエリシアに後を頼んで……。

 

「……気を失ったのか。なら此処は……リィンウェルか?」

「そうよ」

「……エリシア」

 

 声を掛けられるまで気づけなかった。エリシアが部屋の隅でリンゴを囓っていた。

 

 どうやらリィンウェルに戻ってきてしまったらしい。だが気を失わなかったとしても、ララの容態や俺の状態でそのまま魔族の大陸に向かうことはできなかった。少し時間を消費してしまったが、こればかりは仕方が無い。

 

 とりあえずベッドから下りようとして、違和感に気が付く。

 

 やけに身体が開放感に包まれている。ペタペタと身体を触って見れば、何も着ていなかった。いつも首から提げている指輪とアイリーン先生から貰った御守りの緑の宝石以外、何も纏っていない。そしてその開放感は下半身にもある。

 

 おそるおそるシーツを捲ってみると、そこには立派な男の象徴が。

 

「……俺に何をした?」

「ちょっと!? 変な誤解しないでよ! 何もしてないわよ!」

「良かった……」

「……手ェ出しときゃ良かった」

「え?」

「何でも無いわよ。ほら、そこに着替えがあるから」

 

 ベッドの脇には部屋着が置かれていた。黒のズボンに灰色のシャツと、落ち着く色をしていて実に好みだ。

 

 エリシアが背を向けている間に着替えを済まし、状況を確認する。

 

「それで? ララは? 俺が気を失ってからどれぐらい経った?」

「……少しは落ち着きなさいよ。あれから一日も経ってないわよ。ただ今日出発するのは無理ね。夜だから、日が昇ってからよ」

「……ララは?」

「……」

 

 エリシアは口籠もった。

 

 その反応はララに何かあった証拠だ。もしかして暴走で悪い影響でも受けてしまったのか?

 有り得る。魔力の暴走はその殆どが悪影響を身体に及ぼす。気を失っただけかと思ったが、やはり何か体内で起きていたのか。

 

「ララは何処だ?」

「その前にルドガー……確認しておきたいの。あの子に……魔王のことは話してたの?」

「……何でそれが今関係あるんだ?」

「……話してないのね? アンタが魔王を殺したこと」

 

 急激に、魂が凍て付くような感覚を味わった。動悸も激しくなり、視界がグラつく。

 

 どうして……どうしてその話が出る。俺は一度もエリシアにそのことを話していない。なのに、どうしてそれをお前が訊くんだ。

 

「……アンタが目を覚ますよりも先に、ガキんちょが起きたのよ。それで、起き抜けに訊いてきたのよ……魔王を殺したのは誰なんだって」

「――まさか、話したのか?」

 

 我ながら、口から出た声はもの凄く冷たい印象だった。

 その証拠にエリシアがビクッと怯えた。エリシアは首を横にブンブンと振った。

 

「は、話してないわ! ホントよ! でも……様子がおかしくて。あの顔色は……たぶん……」

 

 どうして知られた……何が切欠で……!

 

 俺はララの魔力が流れ込んできた時のことを思い出す。あの時、俺の魔力もララの中に流れた。まるで混ざるようにして魔力が溶け合ったのを覚えている。

 

 魔力は生命の源でもあり、今まで生きてきた記録のような物が刷り込まれていると聞く。だからエルフ族は魔力からあらゆるモノを読み解くことができる。

 

 もし仮に、俺の魔力がララに流れ込んだ際に俺の記憶を垣間見たとすれば。

 その記憶が魔王を殺した時のものだったら。

 

 その考えに至った時、俺は全てが終わったと感じてしまった。力なくベッドに座り、何も考えられなくなってしまった。

 

「……ルドガー、大丈夫?」

「……ララは父を殺されたことを恨んでないと言った。恨むには父のことを知らなさすぎると」

「そ、そう。なら、大丈夫なんじゃないの?」

「だけど母親は別だ。母親が死んだ切欠は、俺が父親を殺したことだ。精神的な拠り所を俺が奪ってしまったが故に、母親は生きる力を失ったんだ。ララは母親を愛してる。きっと俺を恨んでる」

「ルドガー……」

 

 エリシアが俺に近寄り、俺の頬を伝うものを指で拭う。

 

 涙を流す資格など俺には無いと言うのに。嘘つきで裏切り者の俺が慰められるのは間違っている。

 それでも涙が止まらない。ボロボロと涙が流れ落ちる。

 

「俺は……俺はララを守りたい。罪滅ぼしのつもりなんかじゃない。本心から守りたいと思ってる。でも、俺にララを守る資格があるのかってずっと考えてた。ララを裏切るような嘘を吐いて、真実を隠して……どんな顔をして守れば良いんだって……!」

 

 守りたい気持ちに偽りは無い。あの子は守られるべき存在だ。聖女であることなんてどうでも良い。あの子はまだ十六歳で、両親を失って、立場のせいで辛い目にあっている。教師としてもあの子を守りたいと思う。他の生徒達と一緒に学んで育ち、いずれやりたいことを見付けて大人になっていってほしい。

 

「俺とララの間には縁がある。守護の魔法が俺達を結びつけた。今なら分かる……俺とララを結びつけたのは親父だ。魔王が、俺とララを出会わせた」

「……だったら、やるべきことは一つじゃない」

 

 エリシアの両手が俺の顔を包み、顔を上げさせた。

 

「あのクソ親父がアンタに任せた最後の頼み、責任持って最後までやり遂げなさいよ」

「……俺は怖い。ララに……親父の子に恨まれるのが。親父に恨まれるようで……怖いんだ」

「へぇ? アンタでも怖いものってあるんだ」

 

 俺の気持ちを知っても尚、エリシアはカラカラと笑う。

 

 エリシアは俺の頭を抱き締め、子供をあやすように頭を撫でてくる。不思議と、気分が落ち着く感じがする。

 

「安心しなさいって。恨まれたとしても、一緒に恨まれてやるわよ。そもそも、魔王の敵は勇者なんだし」

「……お前は……強いな。やっぱ勇者だよ」

「えぇ? 知らなかったの? 私って雷の勇者なんだよ?」

 

 バシンバシンと、俺の頭を叩いたエリシアは俺を強引に立たせ、部屋の出入り口へと押し出した。

 

「ガキんちょは城の屋上よ。モリソンが見ていてくれてるから」

「……何だよ。一緒に来てくれねぇのか?」

「アンタ……ったく、私はアンタの母親でも姉でもないの。最初は一人で行ってきなさい」

「……そうだな。サンキュ、ちょっと行ってくるわ」

 

 涙でぐしょぐしょになった顔を袖で拭い、部屋から出て行く。

 

「……はぁ、ガキんちょが羨まし」

「あ、エリシア」

「ふぇい!? な、何!?」

 

 言い忘れたことがあって戻ったのだが、どうしてかエリシアは慌てふためいた様子を見せた。

 気になったが、訊いても教えてくれないだろうと思い、用件を済ませることにした。

 

「お前に助けを求めて正解だった。ララの言う通り、俺にはお前が必要だったみたいだ」

「――」

「それだけ。じゃ、また後で」

 

 それだけを伝えて、今度こそ部屋を後にした。

 

「……そう。それは……嬉しいわね……え? ララの言う通り? ちょっ、それどう言う意味!?」

 

 

 

 城の中を走り回り、やっとこさ屋上に辿り着いた。

 屋上の入り口では、モリソンが煙草を口に咥えながら外を眺めていた。

 外、と言うよりも外にいるララを眺めていた。

 

「モリソン」

「……随分とまぁ酷い顔じゃねぇか。目が腫れてんぞ?」

「久しぶりに泣いちまったからな」

「そいつぁ見たかったぜ」

「……いつから此処に?」

「かれこれ二時間以上。まぁ、詳しくは聞かねぇが……言葉は慎重にな」

 

 モリソンは俺の肩を叩き、屋上から消えていった。

 

 俺は一度大きく深呼吸してから、屋上のベンチに座っているララの後ろ姿を見る。

 

 月明かりに輝く銀髪はこんな時でも美しく思えてしまう。

 

 彼女は白いワンピースを着て星空を眺めていた。

 意を決して足を進め、静かにララの下まで歩み寄った。

 

 ララの隣まで来ると、いつもならセンセと呼んでくれる筈が、何も反応しない。

 

 それが酷く不安に思えて仕方が無い。

 

 だがいつまでも黙ったままでいる訳にはいかない。

 俺は口を開いてみせた。

 

「……ララ。身体の具合は……どうだ?」

「……何ともない」

 

 返事を返してくれた。それだけでも俺は嬉しさと安堵を感じた。

 だがララは体調面に関して返事をくれただけで、これから話す事とは関係無い。今のは義務的に返事をしただけかもしれない。

 

 魔王との決戦前よりも恐怖と緊張を覚え、本題に入ることにした。

 

「その……ララ。俺は……お前に言わなきゃならないことがある」

「……」

「お前の……父親なんだが……」

 

 何て、言えば良いのだろうか。そのまま素直に俺が殺したと言うべきなのだろうか。だがいきなりそんな言葉を投げ掛けるのは如何なものか。

 

 しかし他に言葉が思い付かない。そもそもな話、殺した相手の家族に向かって殺したことの告白をするなんて場面はそうそう無い。辞書にだって適切な言葉は載っていない。

 

 相手はまだ十六歳の少女だ。聡明であり大人びていても少女だ。信じていた相手が実は父親を殺した人であったなんて事実は、俺でもショックが大きいと思う。

 

 それでも、言わねばならない。ララを傷付けることになるとしても、これ以上ララを裏切り続けたくない。

 

「お前の父は――――ヴェルスレクス・エルモールを殺したのは俺だ」

「……」

 

 ララの息を呑んだ声が聞こえた。口は固く閉ざされ、スカートの裾をギュッと握り締める。

 俺は此処で言葉を止めてはいけないと思い、胸の内を全部打ち明ける。

 

「俺はお前の父を殺し、母の死の切欠を生んだ男だ。今まで黙っていて……悪かった」

「……何で今になって話したんだ?」

 

 ララは消沈したような声でそう訊いてきた。

 

「この旅の中で、お前に話す時が来るとは思っていた。だけどその……話す勇気が無くて……。見たんだろ? 俺の記憶を……」

「……じゃあ、やっぱりアレは父だったんだな」

 

 やはりララは俺の記憶を見ていた。

 

 こんなことでララに話すつもりなんて無かった。自分から話を切り出す腹ではいたのだが、俺の臆病さがこんな結果を招いてしまった。

 

 いや、今更そんなことを言っても俺がララを裏切って傷付けたのは変わらない。それに例えどんなに場を用意して話したとしても、ララを傷付けていたに違いない。

 

 俺はララの正面に移動し、膝を着いてララと視線を合わせた。

 ララは泣いてはいなかった。ただ悲しみの色を灯している。

 

 俺は首から提げている金の指輪を外し、ララの手に持たせた。

 

「これは……お前の父の指輪だ。盗ったんじゃない。訳あって、彼から渡された物だ……お前に返すよ」

 

 ララは指輪を手の上で転がした。何の変哲も無い金の指輪だが、俺にとってこれは彼の形見であり、ララにとっても父の形見だ。なら、本当の娘であるララの手元にあったほうが良い。

 

 そう思って返したのだが、ララも自分の首に提げている物を取り出した。

 それは銀の指輪であり、見た目は色以外金の指輪と同じだった。

 

「それは……?」

「……母の形見だ」

「……」

 

 その時分かった。この二つは結婚指輪で、ララの両親を繋ぐ大切な物だ。

 なら尚のこと、この指輪はララに返したい。彼も妻と娘の下にあることを望む筈だ。

 

「……ルドガーはどうして……この指輪を貰ったんだ?」

「……前に言ったろ? 俺と勇者達は同門の出だって。俺達を育てたのは魔王だ」

「……何で、そんなことを?」

「詳しくは知らない。だけど魔王は……お前の父は自分を殺す存在を欲していた。自分が世界を滅ぼしてしまうことを知っていたんだと思う。そしてそれを自分では止められないことも。俺は幼い頃に戦場で魔王に拾われた最初の子供だった。魔王が望んでいたのは勇者だったのに、勇者じゃない俺を最後まで育ててくれた」

「なのに、殺したのか?」

 

 ララの言葉が重くのしかかる。言い訳はしないしできない。

 

 俺達が彼を父として見ていたのは事実だ。残酷な試練を与えて乗り越えられなかった者達の命を捨て置いたとしても、彼を父として尊敬していた。

 

 その父を、俺はこの手で殺した。それが父の望みだったから。

 

「……そうだ、俺が殺した」

「……勇者達は?」

「一緒に戦った。だけど心臓に剣を突き立てたのは俺だ」

「……父のことについては何とも思ってない。私が生まれる前に母を置いて消えた奴だ。最初に会った時に言った通り、私は父を知らない」

 

 だけど、とララは一言置き、涙を堪えながら俺の目を見つめる。

 

「母は別だ……。母を悲しませ、母から生きる力を奪ったことは許せない」

「……ああ」

「ルドガーには言わなかったけど……そいつを見付けたら殺してやろうと思ってた。勇者に会いに行くと聞いた時、父を殺した勇者だったらどうしようと思った。でもルドガーだった……お父さんを殺してお母さんを死なせたのはセンセだった!」

 

 ララから魔力が漏れ始めた。負の感情に反応し、ララの魔族としての力が表に出かけている。

 黒いオーラが身体から滲み出し、屋上にある花壇の花が全部萎れ、そして枯れて土塊に変わった。

 魔王ヴェルスレクスと同じ死の魔力をララはその身に宿している。

 

 その力の矛先が、俺に向けられた。

 

 この場でララに殺されたとしても恨みはしない。ララには俺を殺す権利がある。

 

 復讐は何も生まないと言うが、それは確かではない。生まないかもしれないが、少なくとも過去との因縁に決着を付けることができる。過去から解放され、未来へと足を進めることができる。此処で俺を殺し、その一歩を踏み出せるのなら、俺はララに殺されよう。

 

 死の魔力を滾らせるララの手を取り、その手を俺の心臓の位置に置いた。

 

 こうやって触れているだけで、俺の手は激しい痛みを感じている。すぐに死なないのはヴェルスレクスの時と同じだった。ナハトの力で守られているが、いつでも破れる程の力しか出していない。

 

「俺を殺したいなら殺しても良い。誰にも咎めさせない。お前には復讐する権利がある」

「……」

「でも……良ければもう少しだけ待ってほしい。せめて戦争を止め、お前の安全が確保されてから殺してほしい」

「……何でセンセは私を守るの? 罪滅ぼしのつもり?」

「……いいや。俺がお前を守りたいと思ったからだ。勉強好きで、心優しくて、勇敢な少女を……俺と同じ半魔のララを。お前にとっての勇者になりたい、そう思ったからだ」

 

 最初は逃げたかった。関わりたくなかった。父を殺した過去から離れたかった。ララから憎しみを向けられると考えた時、同時に父の顔が浮かんだ。殺して止めるのではなく、生きて止めてほしかったと恨み言を言われているような気になる。

 

 ララの信頼を得ていくにつれて、その恐怖心は強くなっていった。父だけじゃなく、その娘であるララを裏切るような行為が、心を押し潰してしまいそうになった。

 

 だが同時に、ララに物を教えていく内にララの存在が大きくなっていった。

 

 俺と縁が繋がった子、俺の大切な生徒、俺と同族の子、ヴェルスレクスの娘。

 

 守る理由が増えていくに連れて、本心からララの勇者になりたいと思い始めた。

 

 だから殺されるとしても、もう少しだけ待ってほしい。

 ララを守る務めを、一度で良いから果たさせてほしい。

 

「校長先生が言っていた……私とセンセの間には縁があると」

「ああ……」

「……それは父が繋いだのか?」

「……俺はそう思ってる。俺とお前を知るのは彼しかいない」

 

 ララの目を見つめ、ララも俺の目を見つめる。

 

 どれ程長い、または短い時間だったかは分からない。沈黙が続き、ララは俺の胸から手を離した。感情が落ち着きを取り戻したのか、死の魔力も形を潜めて消えた。

 

 ララは持っていた銀の指輪を襟の中にしまい、金の指輪を俺に突き返した。

 

「これはセンセの物だ。私はこれだけで良い」

「……いや、だが――」

「その代わり約束してくれ。父がお前を選んだのなら、父の代わりに――いや、父以上に私を守り続けろ。この指輪と私の指輪に誓え」

 

 ララが差し出す指輪が月明かりに照らされて輝く。

 

 まるで契約魔法だ。この指輪を受け取ったその瞬間から、俺はララを守る為だけに生きることになる。俺と言う個を捨て、ララという個を守る為にその身を捧ぐ。

 

 捉えようによっては呪いなのかもしれない。

 だがこの呪いは同時に俺にとって心の救済になる。

 

 狡い魔女だ。こんなにも断れない契約を持ち掛けるなんて、将来が心配になる。

 

 俺はララの手から指輪を受け取り、首に提げた。

 

 これで契約は結ばれた。俺は今日この時をもって、ララを守るララだけの勇者になった。

 

「……これでセンセの命は私の物か?」

 

 ララは涙を拭い、不敵に笑って見せた。

 その笑みに呆気に取られ、そして俺も笑ってしまう。

 

「ああ、そうだよ。ったく、そんな所は父親に似なくて良いのに」

「……センセ、良かったら……センセの知ってる父について教えてくれないか?」

「……長いぞ? 悪いところも良いところも沢山知ってる」

「私達は寝なくても問題は無い」

「……そうだな」

 

 俺はララの隣に座り、そのまま日が昇るまで魔王ヴェルスレクスについて語り聞かせた。

 

 魔王との出会いから終わりまで全て。

 

 思えば、こうして親父のことを誰かに語ったことは無かった。親父のことを知っているのは勇者達しかいないし、後は魔王としての側面しか知らない人達だ。俺達が魔王に育てられたなんて知られたら、立場は無くなってしまう。

 

 ララに親父のことを話していると、エリシア達と話している時とは違う感覚を抱く。勇者達以外の者に親父のことを話せて嬉しく思っているのだろうか。ずっと打ち明けられなかったことを話せて、何だか不思議な気分になる。

 

 嗚呼、そうか……ララだからだ。親父の実の娘であるララに、親父のことを教えられるのが嬉しいんだ。とんでもなくクソッタレな親父だったけど、どうしてこんな良い子を娘に持てたのか不思議でならない。きっと母親が素晴らしい女性だったんだろう。

 

「ララ、母親の名前を教えてくれないか? お前のような子を産んだ偉大な母の名を知りたい」

「……マーテル。マーテル・R・エルモール。ミドルネームの意味は教えてくれなかったけど」

「……」

 

 マーテル・R・エルモール。Rか……大方の予想は付く。

 

 親父は魔王の癖に案外女々しいと言うか、未練がましいというか、人臭い所があるものだ。

 

「ララ、親父はきっとマーテルさんのことを愛してたと思う。捨てた訳じゃない」

「どうしてそう思うんだ?」

「でなきゃ俺に託すまで大事に指輪を持ってたり、お前と俺を縁で結ぶ理由が無い。俺は終始親父のことを理解できなかったが、アレでいて割と面倒くさい性格ってのは知ってる。それに、誰かを愛する心を俺達に教えた。そんな奴がどうして世界を滅ぼそうとしたのかは知らないが……少なくとも俺達の親父は愛を知っていた」

「……そうか。ならまぁ……あの世で母と暮らしてるだろ」

「ああ……しっかりと送ってやったよ。最期に何て言われたのかまでは思い出せないけど」

 

 きっと謝罪や感謝の言葉なんかじゃなかったと思う。あの男はどんな時でも無茶な要求をしてくるような奴だ。今際の際にふと思い出したことを口にしただけかもしれない。

 

 でもその内容が、ララを俺に託すものだったかもしれない。そうであればもしかしたら、俺とララはもっと早くに出会っていたかもしれない。そうなっていれば、今の俺の生活はガラリと変わっていただろうか。エルフ族の学校で教師なんかしていなかったかもしれないな。

 

「……ところで、センセ」

「ん?」

「日が昇ってきたからそろそろ部屋に戻ろうと思うんだが……後ろのアレは何だ?」

「んー……たぶん、俺の所為?」

 

 俺達は屋上の入り口へと目をやる。そこにはバチバチと雷を漏電させながら、此方を怒りの形相で睨んでいるエリシアが立っていた。両手にはカタナが二本抜き身で握られている。

 

 そう言えば、話しに行くと言ったきりで何も連絡してなかったな。

 

 頭を抱えてどうしようかと嘆いていると、エリシアがドシドシと近付いてくる。

 

「ねぇ……こっちは寝ずに待ってたんだけど……? 何……? 心配して見に来たらどうしてイイ感じの空気が流れてんの……?」

「よーし落ち着けエリシア。寝不足で苛々してるだけだ。だから仮眠を取ろう。良い霊薬があるから、な?」

「ええ、ええ、良いわよ、そっちがその気なら容赦しないわ……雷神の試練を乗り越えたんなら私で試しなよ」

 

 目がマジだった。殺す気と書いてマジと読むぐらいのマジだった。

 

 その後、エリシアと命を懸けた追いかけっこを演じ、リィンウェル中を駆け回ることになった。都市中を雷が縦横無尽に駆け回る光景を見たモリソンからは、魔族が攻めてきたのかと思ったと言われ、俺とエリシアは深く反省することになった。

 

 だがこれで俺の中の葛藤は消え、ララとの関係も決裂することなく済んだ。エリシアの力も借りられ、いよいよ魔族の大陸に乗り込む準備が整った。

 

 あとはウルガ将軍から穏健派を解放し、戦争が起きる前に止めるだけ。

 これが最も難しく、危険なものである。

 

 しかし、新たな謎も生まれた。

 

 雷の神殿で試練を受けること担ったのは俺とララであり、成り行きで雷神の力を手に入れてしまった。ララは聖女が関わっていると予想が付くが、俺については謎だ。

 

 俺は勇者でもなければ聖職者でもない。教師ではあるが。ただの半人半魔で、力もナハトが無ければ勇者と渡り合えないような奴だ。

 

 これが校長先生が言っていた、俺とララに関わる予言なのだろうか。

 

 いずれ大いなる選択を迫られる時が来ると言っていたが、それはまだ何のことか分かりそうにない。今は目の前の戦火に意識を向けておくべきだ。

 

 そして、その時は来た――。

 

 リィンウェルで北大陸に向かう準備をしていた頃、俺の下に一羽の鳥が飛んできた。

 その鳥はフレイ王子から使わされた精霊だった。

 

 精霊は俺の腕に降り立つと、俺の中に入って王子からの知らせを伝えた。

 

『――魔族の軍勢が侵攻を開始した。ルドガー、すぐに戻ってくれ』

 

 それは最悪な知らせであった。

 

 戦争が、起きてしまったのだ――。

 



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第15話 帰還

 

 

 フレイ王子からの知らせを受け、俺とララ、そしてエリシアはすぐにリィンウェルを出発することになった。

 

 魔族の侵攻が始まってしまったのなら、本国に乗り込んで穏健派を助けても止めることはできない。それはもはや何の意味も無い。今から穏健派を助け出しても、出兵まで叶えてしまったウルガ将軍を止めることは不可能だろう。

 

 だがまだ侵攻が始まっただけで戦いは始まっていない。今ならまだ別の手段で戦争を阻止することができる。

 その為には、魔族がエルフ族の軍とぶつかる前に現地へ到着しなければならない。

 

 だがリィンウェルからアルフの都は数日掛かってしまう。それでは間に合わない。最低でも今日中に戻らなければならなかった。

 

 そこで俺達は、ある特別な手段を用いることにした。大昔に編み出された魔法で、魔法力の高い魔族やエルフ族でも、歴史上でほんの数人しか使えなかった古の転移魔法だ。普通の転移魔法では短い距離しか移動できず、加えて転移させられるのは物だけに限定される。

 

 アーヴル学校の大食堂で厨房から皿の上に現れるのも、転移魔法の一種だ。

 

 しかし、これから使う転移魔法はそのどれよりも難しく、大きなリスクを伴う。

 失敗すれば命の保証は無い。死ななくとも、身体が滅茶苦茶に壊れるだろう。

 

 だが俺達なら成功する可能性は高い。確信めいたものもある。

 

 魔法の発動は魔法力が高いララに、用いる魔力はエリシアに、そして魔法を安定させる為に俺が魔法のバランス調整を行う。伊達に親父から魔法を学んじゃいない。

 

 過去に一度、親父に内緒でこの魔法を使ったことがある。魔力が足りずに短距離しか移動できなかったが、転移自体は成功させた。その後死ぬほど叱られたのは今では良い思い出だ。

 

 ララには魔法を発動させる為の呪文と仕組みだけ教える。俺が発動するよりもララに発動してもらったほうが魔法の安定率は高いはず。

 

 城の屋上に出た俺達は互いに手を繋ぎ円を作る。

 

 これから行うのは文字通り命懸けの魔法。最悪、俺達は死体となって何処かに放り出されるかもしれない。だがこの方法しか今は移動手段が思い付かない。本当に戦争が始まる前にアルフの都へと戻らなければ、多くの犠牲者が生まれてしまう。

 

「良いか、ララ。もう一度言うぞ? 意識するのは目的地、そこへ行きたいと言う願望、そして明確な移動姿だ。移動姿は何でも良いが、鈍いのは避けろ。目的地も明確にイメージしろ。でないと下手すりゃ地面や壁の中に埋もれて即死ってこともある」

「わ、分かった」

「ちょっとルドガー! 怖がらせるようなこと言わないでよ! 私まで怖くなるじゃない!」

「大丈夫だララ。魔法の制御は俺がする。お前が発動させた魔法なら制御しやすい……筈だ」

「ルドガー!?」

「仕方ないだろ!? 俺だってガキの頃に一回しか試してないんだ! でもその時の記憶は鮮明にあるし知識もある!」

「もう! 良い!? ガキんちょ! こうなったら一蓮托生よ! アンタが失敗して死んだとしても恨みっこ無しよ! ……ごめんやっぱちょっとは恨む!」

「二人とも落ち着けぇ! 嬢ちゃんよりも大人なてめぇらが慌ててどうする!?」

 

 一緒に屋上に来ていたモリソンが一喝して俺とエリシアを止めた。

 モリソンは煙草を吸いながら頭を抱え、俺達を心配そうに見てくる。

 

 確かに俺達がしっかりしなければならない。一番不安なのはララのはずだ。

 

 ララを見ると、少し不安そうだが頭の中で必死にイメージを固めている。

 

 俺達がやることは、ララが安心して魔法を発動できるようにすることだ。その俺達が動揺してどうすると言うんだ。

 

「……ララ、俺達を信じろ。自分自身の力を信じろ。必ず成功する」

「そうよ、ガキんちょ。私の魔力を使うんだから失敗なんてありえないわよ」

「……大丈夫。やるぞ……!」

 

 ララが閉じていた目を開けると、赤い目が光り輝く。ララが魔法の発動体勢に入ったのを確認したエリシアが、魔力をララに同調させて握っている手から魔力を送る。

 

「目的地……願望……姿……目的地……願望……姿……!」

 

 ララはイメージを呟きながら頭の中で明確な物にしていく。エリシアの魔力がそれに反応し、辺りに紫電色の魔力粒子が沸々と浮き上がって輝いていく。

 

「姿……姿……姿……! センセ! 行くぞ!」

「よし……やれ!」

「我らを運べ――シーネ・フィーネ・ヴィエートルズ!」

 

 直後、魔力が爆発するような音と光が炸裂し、俺達は城の屋上から姿を消した。

 

 

 

 世界が高速で回るような感覚を味わい、気が付いた時には見慣れた部屋に立っていた。

 

 此処はアーヴル学校の俺の私室であり、この場所に出た際に生じた風で本やら教材やらが滅茶苦茶に散らばった。

 

「……」

「……」

「……」

『……!』

 

 俺達は三人同時に窓へと駆け寄り、叩き割るような勢いで窓を開けて外に頭を突き出す。

 

 そして同時に胃袋の中をオロロロッと吐き出した。

 

 転移は一瞬だったが、その一瞬だけで目が回ってしまった。

 三人仲良く吐瀉物を窓の外から撒き散らせ、どっと疲れたように床に座り込む。

 

「ルドガー……うぇ……ちゃんと安定させてよ……!」

「これでもだいぶ……うぷっ……安定させた……! ララ、いったいどんな移動姿をイメージしたんだ……!?」

「な、流れ星……気持ち悪い……」

 

 流れ星とはまた予想外なものを想像したもんだ。確かに鈍いのは避けろと言ったが、それはそれで速過ぎる。だがそのお陰で転移魔法が上手く発動できたとも言える。

 

 まだ若干目が回る状態で何とか立ち上がり、身体に何も起きていないことを確かめていると部屋のドアが勢いよく開かれた。

 

 部屋に飛び込んできたのはアイリーン先生だった。

 

「る、ルドガー先生!? いったい何が……!?」

「アイリーン先生。いや何、転移魔法で戻ってきただけさ」

「……誰? あの女」

「センセの愛人」

「は?」

「アイリーン先生! 紹介します! 雷の勇者エリシアです!」

 

 ララが変な言った変な冗談をサラリと無視し、エリシアを紹介する。

 

 何故か怖い視線を向けてくるエリシアは咳払いを一つ挟み、ものっ凄い笑顔を浮かべてアイリーン先生に挨拶をする。

 

「エリシアです。『うちの』ルドガーがお世話になってるようで」

「は、はぁ……アイリーンです。この学校で魔法学を教えております」

「よし、もういいな! 先生、色々と積もる話があると思うけど、それよりも俺達は急いで城に向かわないといけない」

「そ、そうですわ! ルドガー先生、陛下が大変お怒りですよ! フレイ王子が諫めなければ罪人として戦士達を差し向けるとことでしたわ!」

 

 うーむ、あのヴァルドール王が静かに怒るところは何度も目にしてきたが、そこまで激怒しているのは初めてかもしれないな。城へ行ったら問答無用で牢へぶち込まれる可能性だってあるかもしれん。

 

 だが魔族の軍が侵攻してきているのであれば、それどころの話じゃないだろう。

 

 まぁそこら辺はフレイ王子と校長先生が何とかしてくれるだろう。話に乗ったのは俺とは言え、持ってきたのはあの二人なのだから。

 

 俺達は急いで城へと向かった。道中で都の様子を見たが、民達には知らされていないのか何も変わった様子は見られない。だがすれ違う戦士達は一様にしてピリついていると言うか、緊張感を高めている。少なくとも異変が起きていることは知っているようだ。

 

「ルドガー様!? いつお戻りに!?」

「今さっきだ。中に入るぞ」

 

 城門の戦士達を素通りし、城の中に入る。

 どうせ王達がいるのは会議室だろう。

 

「アンタ、様付けで呼ばれてんの?」

「そう。何か文句でも?」

「ふーん……あのアイリーンって女エルフとはどう言うご関係?」

「別に、ただの同僚だ。かなり魅力的ではあるがな」

「……やっぱエロさか。エロさが足らないのか」

 

 エリシアが何かブツブツと言いながら自分の身体を弄っているが、気にしている時間はないと思い無視した。

 

 会議室に辿り着き、ドアを開いて中に踏み入る。

 やはりそこには王を初めとした重鎮達が集まっており、そこには校長先生の姿もあった。

 

 王は俺の姿を見るや否や、顔を険しくさせて腰の剣を抜いて俺に詰め寄ってきた。

 

「この愚か者が! 聖女を都から連れ出しおって!」

「父上!」

 

 喉元に剣の先が食い込み、薄く血が流れる。エリシアがカタナに手を添えるが、何もしないようにと制する。

 俺は王に跪いて頭を垂れる。

 

「ヴァルドール王、全ては戦争を止める為にしたことです」

「その行為も無駄に終わったようだがな」

「確かに当初の目的は果たせておりません。ですが収穫もありました。此度の戦争を止めることに繋がるかは別として、おそらく予言に関わる事かと」

「何?」

「しかしながら、今はそれを語る時ではないかと。今は何よりも戦争を止めることです」

 

 王は少しだけ考えた後、俺に向けていた剣を鞘に収めた。

 周りの者達から力が抜ける安堵の声が漏れる。

 

「今は貴様の口車に乗せられてやろう」

「感謝します。紹介が遅れました、此方は雷の勇者エリシア・ライオット」

「……エリシアです。エルフ族の王、ヴァルドール陛下にお会いでき光栄です」

 

 エリシアは似合わない言葉遣いを口にして畏まったように一礼する。

 雷の勇者と聞いて、王は眉を顰める。

 

「何故勇者が此処に? 人族からの援軍か?」

「私が個人的に力を借りました。今回の件には、私の戦友(とも)として来ていますので、人族とは無関係にあります。そこをご理解ください」

「……よかろう。今、軍議をしておる。話に加われ。聖女殿は別室に案内せよ」

「私も此処で話を聞く」

「……好きにするが良い」

 

 王の許しを貰い、俺達はフレイ王子側への移動する。

 王子は俺に前に立って手を軽く振り上げ、俺もそれに合わせて王子と手を叩き合う。

 

「ルドガー、よく戻った」

「悪い、フレイ……間に合わなかった」

「まだ諦めるには早い。そうだろ?」

「ああ」

「ンンッ……軍議を再開する」

 

 長テーブルの上には西大陸の模型のような物が置かれており、二つの配色の駒が散りばめられている。青は西大陸の内側に、赤は海側に配置されており、それがエルフ族と魔族の軍を表しているのだと分かる。

 

 赤い船の形をした駒が北の海域に置かれているだけで、それだけを見ればまだ大陸に乗り込んでいない思われる。

 

「ゾールズ、報告の続きを」

「はい。魔族の軍勢は凡そ三千。数だけをみればそこまで大きな軍ではありませんが、見慣れぬ怪物達の姿もあります。また、先頭の船団には新しく将軍の地位に就いたウルガ将軍の姿も確認しております」

「奴らからの要求は?」

「何もありません。ですが、狙いは一つだけかと」

 

 重鎮達はララに視線を向けた。

 

 此処にいる彼らはララが魔王の娘であり聖女であることを知っている。

 

 ウルガ将軍が聖女のことまでを知っているかは不明だが、ララが魔王の娘であり、その座を継がせようとしているのは周知の通りだ。ララがそれを望んでいないのも知っている。

 

「陛下、此度の騒動の原因は魔族の聖女様を我が国に隠した為です。戦を避けるのであれば、聖女様を魔族へとお返しするべきでは?」

 

 重鎮の一人がそんな提案をすると、ララが俺の手を握った。

 

 大丈夫だ、誰もお前を渡すつもりなんてない。

 

 俺の思いを代弁するように、王子がそれに異を唱える。

 

「姫君を我が国へ招いたのは、悪しき者の手によって魔王の座に就かせないようにする為だ。新たに魔王が生まれれば、魔族は依然と同様の、いやそれ以上の力を得ることになる。此処で姫君を返したとしても、それは戦場が我が国から世界へと変わるだけだ。より酷い未来が待っている」

「しかし、聖女様が現代の魔族に現れたのならば、それは天啓では? 我らは大戦で必要以上に魔族の力を削ぎ落としてしまったのかも……」

「だからと言って戦争を是とするのか?」

「掟では神々の御意志が絶対です。人族の時は勇者という神々の御意志が御座いました。此度は聖女様です。掟に従い、やはり聖女様を魔族へとお返しすべきです」

 

「その結果、戦争が起きてもか? だったら俺はこう言おう。掟などクソ食らえだ!」

 

「な、なんと!?」

「王子ともあろう御方が……!?」

 

 王子の発言に重鎮達は度肝を抜かれる。ワナワナと怒りで震える者もいるが、俺は腹の中で大笑いしていた。

 

 以前から王子はエルフの掟遵守の文化を嫌っている所があった。美徳で尊ぶべき所はあるが、大事なことさえも掟にだけ従って決めるようではこの先に未来は無いと。他種族と交流をしていくのなら、いずれは掟の解釈を改めていく必要があると。今がその時かもしれない。

 

 王子は言ってしまって吹っ切れたように堂々と居座る。

 

 だが流石にその発言を無視できなかった王は、テーブルを叩いて騒ぎ始めた皆を静かにさせる。

 

「静まらんか! フレイ、今までお前の遊び癖には幾度も目を零して来たが、今の言葉は許せん。掟は我らエルフ族が恵みと繁栄を得る為の神聖な物だ。それを王族であるお前が侮辱するとは何事だ?」

「では父上も聖女をウルガ将軍へ引き渡し、更なる戦火を広げようとお考えですか?」

「それが天啓であるのならば我らは従う」

「父上!?」

「だがまだそうと決まったわけではない! ララ姫は確かに聖女ではあるが、まだその力がどういったものなのか不明だ。魔王になる為の力なのか、それ以外の為の力なのか判らないのであれば……将軍に渡すのは早計であろう」

 

 陛下の言葉に、ララはホッと胸を撫で下ろす。俺も少しだけ身構えてしまったが、陛下の掟遵守が良い方向に働いてくれたようだ。王子も父親が戦争を望んでいる訳ではないと分かり、安心した顔をする。

 

 だが言い換えれば聖女の力が魔王になる為の力であれば、魔族に引き渡すと言うことだ。

 

 そんなことは絶対に無いと信じているが、確証的なものは何も無い。

 

「では陛下……我々は魔族と一戦交えるのでしょうか?」

「……その答えを持っているのは、そこにいる英雄殿だ」

「……ルドガー、ご指名よ」

 

 エリシアに肘で突っつかれる。

 

 陛下のご要望に応え、俺は前に出て王子の隣に立つ。重鎮達からの注目を集めて少々居心地が悪いが、戦場のど真ん中に立つよりは気楽だ。

 

 いや、剣で薙ぎ倒せば良いだけの分、戦場のほうが気楽かも。

 

 校長先生も目を光らせて此方を見てくる中、王が手を組んで口を開く。

 

「では聞こう。この戦いを止める手立てがあるのかね?」

「――はい。一つだけ」

「ほう?」

「それを話す前に一つだけ確認を。アルフォニア校長、魔族の軍事力を支えているのはウルガ将軍だけですか?」

 

 校長先生は長い髭を撫でて頷く。

 

「左様。儂の調べでは、戦意を煽ったのも、戦力を整えたのもウルガ将軍ただ一人。他の将軍らは穏健派ではないようじゃが、かと言って此度の騒動には見向きもしておらぬ」

「ありがとうございます。それを聞けて安心しました。ヴァルドール王、この戦いはウルガ将軍一人が焚き付けたもの。言ってしまえば、将軍が戦う理由です」

「つまり?」

「エルフ族と魔族、二つの軍がぶつかる前に将軍を退けます。それしか戦争を止める手段はありません」

 

 俺の発案に、重鎮達はざわつく。

 

 それもそうだ。俺が言っていることは机上の空論に等しい。矛盾も孕んでいる。

 戦いを止める為に戦いを仕掛けると言っている。それも将軍だけを狙い、二つの軍が戦いを始める前に成し遂げると言うのだから、そんな話をいったい誰が信じられよう。

 

 しかし、この狙いは外れていないと思う。魔族はまだ力を大きく削がれている状態だ。新しい魔法や新種の怪物などで補強できていたとしても、地盤を整えられているとは思えない。

 

 そんな状態でウルガ将軍は強引に打って出て来た。それについては正直驚いているが、付け入る隙があるとすれば此処だけ。旗印である将軍が崩れてしまえば、魔族の軍は戦いを止めざるを得なくなる。

 

 だが不安要素もある。先に考えたとおり、ウルガ将軍の強引な出兵だ。北の森で対峙した時の底知れぬ力、あんな力を持つような将軍が博打を打つような真似をするだろうか。この出兵には何か裏がありそうだが、現状として戦争を止めるには将軍を退けるしかない。

 

「では貴様が将軍を退けると? 流石英雄殿、言うことが豪胆だな。傲慢も甚だしい。貴様一人でどうにかできるとでも?」

 

 王が俺を侮蔑するような目で睨んでくる。どうやら今回のララの件で相当お冠のようだ。今までは俺が何を言っても「そうか」の一言で済ませていたが、今は何を言っても悪いように捉えられそうだ。

 

「どうやってウルガ将軍を退けると言うのだ?」

「一騎討ちです。俺とウルガ将軍で一騎討ちをします」

「将軍がそんな提案を飲むとでも?」

「飲まざるを得ないでしょう。ララを条件に提示すれば、将軍に一騎討ちを受ける以外の選択肢はありません」

「聖女殿を?」

 

 そうだ。将軍が勝てば戦力に一切の消耗もなくララを手に入れられる。少しでも力のある魔族を残したい彼らにとって、この条件の一騎討ちは喉から手が出るほど欲しくなる状況の筈だ。

 

 仮に断ろうとしても此方にはエリシアがいる。エリシアの力を今一度魔族に示せば、どれだけの損害を被るかはすぐに想像できる。一騎討ちを飲むしか選択肢は無い。

 

「……今起ころうとしている戦いは、聖女を将軍の手から守る為であると理解しておるのか?」

「無論です」

「では貴様は、我々に世界の命運を貴様一人に託せと、そう申すのだな?」

「有り体に言えば――そうなります。私が必ず将軍を退けます」

「大きく出よったな、ルドガー・ライオット……」

 

 王は椅子に深く腰を掛け、頭を抱え込む。

 

 この一騎討ちの勝敗次第で、世界の命運は大きく変わる。

 勝てば今の平穏が続き、負ければ将軍の手によって再び戦乱の世に変わる。

 

 それにララも、望まぬ宿命を背負わされる。

 

 全ては俺の手に委ねられることになる。それを良しとするかは、ヴァルドール王次第だ。

 

 最悪の場合、エルフ族を敵に回す事になったとしても、俺は単身でウルガ将軍の下へ向かうだろう。そうしてでも、戦火を止めなければならない。

 

 もし戦争になれば、俺の教え子達が地獄を見ることになる。生きとし生けるもの全てが焼け野原になっていく悪夢を、家族を目の前で失う残酷な光景を味合わせる訳にはいかない。

 

「父上、私はルドガーを信じ、ララ姫を託したいと思います」

「フレイ……何故貴様はそこまでその男を信じることができる?」

「彼に命を助けられました。彼に世界を救ってもらいました。そして彼は私の唯一無二の友です。私はルドガー・ライオットの為ならば自分の命も差し出しましょう」

 

 フレイ王子は椅子から立ち上がり、片膝を床に付けて王に跪く。

 そして校長先生も立ち上がり、王子の隣で同じように跪く。

 

「陛下、儂もルドガーを信じております。何より、彼には『予言』がある。その予言通りならば、ルドガーはララと共に必ずや戻ってきます」

「エグノール……其方は彼の予言を信じておるのか?」

「予言を信じておるのではありませぬ。ルドガーとララを信じておるのです」

 

 校長先生の言葉に、王は今度こそ頭を抱えて項垂れた。

 

 二人が言う予言とは何のことか分からないが、その予言を信じるならば俺とララにはこの先の未来があるらしい。それを聞けただけでも戦いに赴く心が軽くなる。

 

 しかし、二人だけに頭を下げさせる訳にはいかない。この策を思い付き言い出したのは俺なのだから、俺が王に頭を下げるのが道理だ。

 俺も二人の隣に並んで跪き、王に許可を求める。

 

「王よ、我が命に変えてもララを守り抜きます。どうか、ご英断を」

「――王様、私からもお願いします」

「聖女殿……」

 

 ララも隣で跪き、更にエリシアも跪いてくれた。

 

 王も聖女と勇者から請われては流石に撥ね除ける訳にはいかなくなったのか、諦めたように溜息を吐いた。ドッと疲れたような表情を浮かべ、天井を見上げてしまう。

 

「――良かろう。もしこれで聖女殿が将軍の手に渡ったとなったら、それは神のお告げであると言うことだ」

「陛下!?」

「ああ、王よ! 今一度考え直しては――」

「ええい! 黙らんか! もう決めたことだ! ルドガー!!」

 

 王は椅子を蹴るようにして立ち上がり、跪いている俺の前にズカズカと近寄る。「立て」と言われて立ち上がると、王は苦虫を潰したような顔で俺を睨む。歯を噛み締め、拳を握って何かを耐えているような、そんな様子の王はわき上がる感情を呑み込み、澄んだ蒼い目で俺を覗き込む。

 

「――私とて戦争なぞ望んでおらん。貴様を信じた我々を、努々裏切るでないぞ」

「――御意」

「――宜しい。では行け、英雄ルドガーよ」

 

 そう言うと、王は会議室から出て行った。その後を重鎮達が追い掛けていき、この場に残ったのは俺とララとエリシア、そしてフレイ王子と校長先生の五人だった。

 

 王の許しも出たことだ。後は覚悟を決めてウルガ将軍が乗っている船に突撃をするだけ。

 

「センセ……」

「ララ……大丈夫だ。俺が必ずお前を守り通す」

「……私は魔王になりたくない。この聖女の刻印も消せるなら消したい」

「分かってる。お前は俺の大切な生徒だ。だから信じててくれ」

「……うん」

 

 未だ不安そうなララを撫で、校長先生と王子へと顔を向ける。

 

「校長先生、俺とララの予言とやらは……」

「すまぬが、まだそれを明かす時ではない。じゃがこれだけは言える。君とララはここで道が終わることはない」

「……それを聞けただけでもありがたい」

 

 予言は絶対だとは思っていないが、少なくとも予言では今回の戦いで終わるとは言われていないようだ。

 

 そうだ、こんな所で終わるわけにはいかない。予言を守る為じゃなく、ララを守る為、エルフ族を守る為にはウルガ将軍に勝たなければならない。

 

 それだけじゃない。魔族をこれ以上滅ぼさないように、最低限の被害で終わらせなければならない。

 

 俺は魔族を滅ぼしたい訳ではない。それは俺が半魔だからではない。魔族にだって穏健派のように他者と共存を望む者がいる。それを知ったからこそ、魔族を滅ぼしてしまえばそれは滅ぼそうとしてきた魔族と同じだ。

 

 共存を望むのなら、俺はその手を握る覚悟がある。

 その為にも、俺は絶対に負けられない。

 



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第16話 決戦

 

 

 俺達がアルフの都に戻って半日以上が経過した。

 日は傾き始め、もうすぐすれば夕暮れの時間になる。

 

 魔族の船団が肉眼で完全に捉えられる距離まで迫り、北の港は緊張感で支配されていた。

 もし攻撃が始まれば真っ先に被害を受けるのはこの港である。北の港には魔族を警戒する為に多くの戦士と物資が配置されているが、それだけでは眼前に広がる船団を食い止めきれない。ものの数時間で魔族の旗が立てたれることになるだろう。

 

 戦士達はいつ戦いが起きても良いように準備を整え、覚悟を済ませている。

 

 俺とララとエリシアは港に入ると早速一隻の船を借りて船団に向かって進めた。

 この船には俺達三人しかいない。戦士達は港で待たせ、万が一の為に備えさせた。

 船の先頭に俺とララが立ち、向こう側からこの船に乗っているのが見えるようにする。

 

「さて……踏ん張り時だぞ。お前はいつものように不敵に構えてろ」

「センセ、それじゃ私がいつも偉そうにしているみたいじゃないか」

「それもまたお前の魅力だ」

「ふむ……なら良い」

「――来たぞ」

 

 魔族の船団から一隻の船が前に出て来た。その船には三つ叉の角を生やした兜と鎧を身に纏った巨漢が立っている。その手には巨大な戦斧が握られている。

 

 ウルガ将軍だ。まだ距離があるのに、此処まで大きなプレッシャーを感じる。

 

 ウルガ将軍が乗った船は俺達の船の目の前で停止した。

 

「何時ぞやの男ではないか。大人しく姫を引き渡す気になったか?」

「再会して開口一番がそれか。余程、ララが欲しいようだな?」

「当然。その御方は次の魔王になるべき存在。我が魔族を救済するには、ララ姫が必要なのだ」

 

 ウルガ将軍は鉄仮面の顔をララに向けた。兜の隙間から覗く赤い瞳が妖しく光り輝く。

 

 ララは将軍の目を見て、ゴクリと息を呑む。だが後ろに下がることはなく、俺の隣に立って将軍を睨み返す。

 

「……どうやら引き渡しに来たのではないようだ。ならば、何用か?」

 

 ――来た。此処が正念場だ。

 

「お前と一騎討ちの申し出に来た! 俺が負けたら、ララを引き渡す!」

「何……?」

 

 ウルガ将軍は俺の真意を見抜こうと俺を睨む。

 

 さぁ悩め、考えろ。魔族の戦力事情は分かっている。この戦いに導入したこの戦力こそが最後の力だろう。可能な限りの被害を抑えたいはず。俺に勝てば魔族は今の力を完全に残したまま魔王の力を得ることができる。

 

 それに将軍の座に就く男だ。一騎討ちを挑まれて拒むような真似はしない筈だ。

 

「……何故、私がその申し出を受けるのだ? 今此処で一斉に襲い掛かれば、姫を取り返すことができるぞ?」

「そうなれば俺だけじゃない――雷の勇者も相手になるぞ」

 

 俺は指を鳴らし、魔法で音を大きく響かせる。

 すると晴天だった空は一気に曇天の空へと変わり、雷雲が渦巻く。

 そして紫の雷が轟々と鳴り響いて海に落ちていく。俺達の船の後ろを雷のカーテンが落ち、神の雷がこの場を支配する。

 

 エリシアが船から力を使い、雷を落としている。そうすることでエリシアの力を示し、一騎討ちを受けなければこの力が相手になると脅しをかけているのだ。

 

 魔族達にとって勇者の力は苦々しい思い出だろう。魔王を打ち破った者達の力なのだから、その力の脅威を一番知っているのは彼らだ。勇者一人で一騎当千の実力を有する彼らを一人でも相手にすれば、負けることは無かったとしても甚大な被害を受けるのは確かだ。

 

 ウルガ将軍もそこは弁えているようで、先程までの威勢も形を潜めて息を呑んだ声が漏れた。

 

「何故、エルフ族の大陸に人族の勇者がいるのだ? 同盟を結んでいるのは知っているが、救援としては早過ぎる」

「それはアンタに関係無いことだ。今大事なのは俺と一騎討ちをするか、俺と雷の勇者を相手に派手に立ち回るかだ」

「……」

 

 別にエリシアがエルフ族との同盟族として来ていると言っても良いが、もしそれが人族の王達の耳に入りでもしたら、それを皮切りにエルフ族に色々と要求してくるだろう。だから大々的に言えないし、ヴァルドール王にもあくまでも俺の友人として力を借りていることにしている。

 

 だが魔族にとってそれはどうでも良いこと。大事なのは戦う相手に勇者がいること。勇者という切り札を盾に、如何に一騎討ちが魔族にとって都合の良いことかを考えさせる。勇者の力を警戒し、一騎討ちでこの戦いに終止符を打てるのなら、例え負けても魔族には再建のチャンスが残る。勝てば尚のこと、魔族の力は確固たるものになる。

 

「――良かろう。その申し出、受けて立とう」

「――上等だ」

 

 ウルガ将軍は俺の思惑通り一騎討ちを受けた。

 これで勝負の場は整った。後は死力を尽くしてウルガ将軍に黒星を叩き付けてやるだけだ。

 

「決闘の場所は、私が作ろう」

 

 ウルガ将軍はそう言うと、戦斧頭上に掲げて魔力を練り上げた。離れていても肌がジリジリと、焼けるような感覚を味わわされる強大な魔力に目を見張る。

 

 いったい何をするつもりだのだろうか。何があってもララを守れるように手を握り、後方にいるエリシアに気を付けるように警告する。

 

「フンッ!」

 

 ウルガ将軍が魔法を発動すると、大きな揺れが起こり、海面の一部が渦巻く。そしてその渦の中から地面が現れた。ウルガ将軍は海底を隆起させ、即席の決闘場を作り出したのか。

 

 何と言う魔力だ。しかも呪文無しで大地を動かしやがった。

 成る程、将軍に相応しい力を持っているようだ。一騎討ちを受けたのも、勝てる自信があるからだろう。

 

 作り上げた決闘場に船から飛び移った将軍は、戦斧の柄頭を地面に叩き付けて此方に来いと言う。

 

「センセ……」

「……行ってくる」

「……信じてるぞ」

 

 エリシアにララを任せ、俺も決闘場に飛び移る。

 

 此処は既に奴のステージだ。此処にどんな仕掛けが仕込まれているのか分からない。相手が作った戦場に飛び込むということは、これから先どんなことをされても文句は言えない。

 

 ウルガ将軍の前で立ち止まり、背中のナハトを抜き放つ。

 

「一つ、決闘のルールを決めよう」

 

 将軍がそんなことを言い出した。

 

「良いだろう。何だ?」

「勝敗は、どちらかの命が尽きるまで。負けを認めることは即ち、死を意味する」

「――良いだろう」

 

 将軍の目が光った。

 

 直後、それが合図だったのか将軍の戦斧がいきなり振るわれた。ナハトで一撃を受け止めるも、将軍の怪力によって吹き飛ばされる。飛ばされた先で岩に背中を打ち付け、全身にキツいダメージが入る。

 

「どうしたァ? 強がりは口だけか?」

「野郎……!」

 

 先手は取られたが、この程度ではやられはしない。

 

 ナハトを片手で握り締め、今度は此方から攻撃を仕掛ける。大剣によるラッシュを打ち込み、将軍はそれを戦斧できっちりと受けて弾いていく。図体に似合わず切れの良い動きで戦斧を振り回し、俺の攻撃を的確に防いでいく。

 

 パワーでゴリ押ししてくるタイプかと思ったが、どうやらそんな脳筋ではなかったらしい。

 

 どんなに素早く振るおうとも、フェイントを入れて惑わそうとも、ナハトを弾き返してカウンターを入れてくる。

 

「ぞらぁ!」

「甘いわァ!」

 

 上段から振り下ろしたナハトを横に弾かれ、将軍の拳が俺の腹に捻じ込まれる。

 ただの拳じゃない。魔力を込められた技だ。

 

「ぬぇい!」

「ごばァ!?」

 

 俺の体内をウルガ将軍の魔力が駆け巡り、内部から身体を壊そうとしてくる。

 普通の身体なら、この一撃で何もかも吹き飛んでいただろう。そうならなかったのは俺の身体が魔族の肉体を持っていたからだろう。

 

 だが危なかった。咄嗟に体内で魔力を防御に回さなければ、吹き飛ばなくても内臓を潰されていたかもしれない。

 

「ほう? 耐えるか!」

「この程度!」

「ぬう!?」

 

 俺の腹に抉り混んでいる拳を左手で掴み、将軍に胴体に膝蹴りを撃ち込む。将軍がやったように、膝から俺の魔力を衝撃波として撃ち込んでやる。

 

 鎧を通って駆け巡る衝撃波に将軍は怯み、その隙にナハトで将軍の頭を叩く。兜で切れなかったが、打撃としてダメージは与えられたはずだ。

 

 将軍はユラユラとしながら俺から離れ、俺はナハトで追撃に出る。

 

「面白い!」

 

 将軍も戦斧を巧みに振るい、俺のナハトと打ち合う。互いに魔力で刃を強化し、刃が交差し合う度に火花が迸る。剣戟の音が奏でられ、空気が大きく震動する。

 

 もう何度刃を交えたか、気付けば刃を交えた余波で辺りの地面が砕け始めている。

 

「ぜぇぇい!」

「ぬぇぇい!」

 

 互いの頭を叩き割ろうとした刃がぶつかり、衝撃が辺りに走る。

 

 ガチガチと音を立てながら競り合い、俺と将軍は睨み合う。

 

「貴様! やはり人族ではないな! だが魔族でもない! 半魔か!」

「ご名答! 半人前の魔族に手加減でもしてくれんのか!?」

「笑止! 半魔という理由だけで下に見るは、ララ姫を侮辱すると同義よ!」

 

 俺達は互いに刃を弾き、後ろに下がって距離を取る。

 

 これまでの打ち合いで、ある程度の互いの力を測ることができた。俺もだが、まだ将軍は本気の力を出していない。今までのはただ魔力を乗せた刃を叩き合っていただけ。

 

 おそらく、此処から戦いは次のステージに以降する筈だ。

 

 ウルガ将軍は戦斧をグルグルと回し、一度地面に柄頭を突いて構えを解く。

 

「まだ名乗っていなかったな。魔王軍が四天王の一人、煉獄のウルガ。貴公の名は?」

「――ルドガー・ライオット」

「――ほぅ? 貴公があのグリムロックとは! 成る程、どうりで強いはずだ……!」

 

 どうやら俺の異名はちゃんと轟いているようだ。

 

 あまり轟いてほしいわけじゃないが。

 

 俺の名を聞いて目の前に立っているのが魔王を殺した相手だと分かったのか、先程よりも更に強大な魔力を将軍は練り上げる。その魔力はまるでマグマのように赤くなり、気のせいか熱気を感じさせる。

 

「一騎討ちを申し出たのも己が力を理解していたが故か……! 面白い! 魔王様を倒したその力、我が煉獄の力とどちらが強いか! 今試してやろう!」

「――ッ!」

 

 ウルガ将軍は戦斧を両手で持ち上げ、地面に力強く叩き付ける。

 すると地面に亀裂が入り、俺の足下まで伸びる。その亀裂から強大な魔力を感じ、すぐに後ろへと大きく跳び退く。

 

「地を駆けよ! 我が炎!」

 

 亀裂から灼熱の炎が噴き出し、地面を赤く燃やした。

 

 まるで噴火に近い。噴き出す前に離れたはずなのに、魔力でコーティングされている鎧が熱で赤くなっている。火傷する前に熱を打ち消したが、まともに食らえば丸焼きどころではない。熔けて骨も残らないかもしれない。

 

「続けて行くぞォ!」

 

 その声と同時に戦斧が下から上へと振り上げられ、炎が地面を走って迫ってくる。

 

 これはナハトや鎧で防ぐのは避けたほうが良い。

 

 そう考えた俺は魔法で決闘場外の海水を操り、水の壁を前に作った。

 だが海水は炎を消すどころか、逆に蒸発して炎を通してしまう。

 

「ええい!」

 

 地面を転がって炎を避けるが、直撃していないのに火傷しそうになる。

 ナハトに魔力を喰わせ、迫り来る炎を斬り払う。熱風が頬を炙り、唇が乾燥して切れる。

 

 何て熱さだ。火の勇者ばりの力を操ってるんじゃないだろうな。

 だがナハトで斬れることは分かった。多少の火傷は覚悟の上で挑むしかない。

 

「ッ――!?」

 

 ナハトを正面で構えた直後だった。

 将軍は既に次の攻撃に移っており、戦斧を正面で高速で回転させて炎の渦を生み出して放っていた。

 

「炎竜破ッ!」

「ナハトッ!!」

 

 俺の叫びにナハトが呼応し、炎の渦に対抗できる魔力を剣身に流して盾となる。

 炎の渦を両断して直撃を免れたが、両脇から襲い掛かる熱気に体力を奪われていく。

 

 このまま防戦一方になってしまえば将軍の思う壺だ。此処から攻戦に転じないと炎で炙り殺しにされる。

 

 炎を斬り払い、全力で地面を踏み込んで将軍に突撃する。ハナトを突き出し、一つの槍となって心臓を狙う。

 

「遅いわ!」

 

 しかしナハトは戦斧に受け止められ、横へとずらされる。反撃される前にナハトを振り戻し、戦斧とぶつけ合う。そのまま力任せに将軍を後ろに押し返し、再びナハトの連撃を叩き込む。

 将軍も戦斧を両手で握って振り回し、大剣と戦斧が火花を散らす。

 

「炎竜爪ォ!」

 

 戦斧に灼熱の炎が纏い付き、そのままナハトを焼き斬ろうとしてくる。

 

 だが俺の魔力を喰らい続けてるナハトはその程度じゃ焼き切れない。此方もナハトに魔力を纏わせ、漆黒の刃と紅蓮の刃が交差する。

 

「ぬぇぇぇぇい!」

「ぐっ!?」

 

 戦斧の切り上げにナハトが大きく上に弾かれ、一瞬の隙を見せてしまう。

 その隙を突いて、将軍は戦斧を地面と水平に構え、刃を俺に向けたまま炎を纏った突進を繰り出してきた。ナハトで防御できず、そのまま鎧で受け止めてしまう。

 

 鎧の魔力を突き通って襲い来る激しい熱さによる痛みに顔を歪め、そのまま後ろに押されて岩に叩き付けられる。

 

「ぐはっ――!?」

「このまま斬り裂いてくれる!」

 

 将軍が戦斧で俺を斬り裂こうとする。

 

「させるかァ!」

 

 ナハトと左手で戦斧を押し止め、手がガントレットごと焼かれようとも力を緩めず、その状態のまま魔法を発動する。

 地属性の魔法で将軍の足下から岩の槍を突き上げ、そのまま将軍を上空へと持ち上げる。

 次に水属性の魔法で海水を操り、決闘場を囲む海が荒れ始める。

 

「この私に水など効かぬぞ!」

「我、水竜の牙をもって敵を屠り去る者なり――出やがれ、レヴィアタン!」

「何!?」

 

 膨大な量の海水を操り、海の怪物を創り出す。

 

 これには下級や中級は存在しない、俺のオリジナル魔法。威力は最上級並みで、消費する魔力も相応なものだ。

 

 一つ首の竜の姿をした水竜が咆哮を上げ、上空で水に押し止められている将軍へと口を開けて迫る。

 

「喰らいやがれぇ!」

 

 水竜は将軍を丸呑みし、そして将軍が纏っていた炎の熱によって水蒸気爆発を起こした。

 

 この爆発の衝撃で少しでもダメージが入っていれば良いが、果たしてどうだろうか。

 

 水蒸気で上空が埋め尽くされ、海水が熱湯となって降り注ぐ。

 

「――ちっ!」

 

 水蒸気の向こう側に見える赤い光を見て、将軍は健在だと確信した。

 そして水蒸気が一瞬で消え、炎の戦斧を携えた将軍が現れる。

 

「面白いぞ、グリムロック……! 我が鎧が砕けるかと肝を冷やしたぞ!」

 

 地面に落ちてきた将軍の鎧には罅が入っているだけだった。三つ叉の角にも罅が入っているが、砕くまでまだ掛かりそうだ。

 

「今度は此方の魔法を見せる番だ――一撃で消えてくれるな」

 

 ウルガ将軍の魔力が更に跳ね上がった。黒い鎧は赤く染まり、背中に炎の日輪が生まれる。

 

「我が名の下にその姿を現し、灼炎(しゃくえん)をもって葬送せよ! その名を――灼熱の巨人スルト!

 ウルガ将軍から噴き出す炎が集束していき、将軍の背後に上半身だけだが炎の巨人が生まれた。将軍と同じ三つ叉の角を生やし、右手には炎の戦斧が握られている。

 

 水で濡れた髪や鎧が一瞬で乾き、地面すらも焼ける熱量を持つ巨人に、俺は戦慄した。

 あんな強大な炎を御せる者が、火の勇者以外にいるとは思いもしなかった。

 火の勇者の力に比べたらまだ格下の炎だが、それでも今まで戦って来た魔族の中では、魔王を除いて一番強大だ。

 

「これはまだ未完成だが、貴公を葬るには充分よ!」

「生憎様……そんな蝋燭の火なんかよりもえげつない炎を俺は見てきたんでな!」

「ならば防いで見せよ! スルト! 薙ぎ払えぇい!」

『ルァァァァァァアッ!!』

 

 将軍の動きに合わせて巨人が右腕を振り上げる。炎の戦斧に魔力が集まり、空を赤く染める。

 

 強がって見せたものの、正直に言ってあのレベルの攻撃を無傷で防ぐ自信は無い。あの大きさでは避けるも何もあったもんじゃない。

 ありったけの魔力をナハトに喰わせ、文字通り決死の刃で巨人を斬り裂くしかない。

 

 それにあの程度の魔法、魔王の一撃と比べたら屁でもねぇ。

 

「灰燼と化せ!」

「来ォォォォォォォい!!」

 

 振り下ろされた巨大な炎の戦斧を、両手で支えたナハトで受け止める。

 強烈な衝撃と爆煙に呑み込まれながらも、巨人の一撃に耐えてみせる。

 

 ジュウゥ――と、ナハトが焼ける音が聞こえ、俺自身も戦斧の熱量で焼かれ始めている。

 

「ぬぅぅぅえぇぇぇい!!」

 

 将軍が更に力を込めると、ナハトにのし掛かっている炎の戦斧に力が加わる。

 

「ジィィリャァァァアアッ!!」

 

 気合いと共に炎の戦斧を受け止め続けるが、俺の魔力が底を突きかけてしまう。

 このままでは戦斧に焼き消されてしまう。

 

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!

 耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ!

 

 此処で俺が負ければララは連れて行かれる!

 ララが望まない魔王になってしまう!

 

 そうなったらララだけじゃない!

 フレイが、校長先生が、アイリーン先生が、子供達が地獄を見ることになる!

 

 やっと世界が平和の道を歩もうとしているのに、此処で俺が負けたらまたエリシア達も戦いに身を投じることになる!

 

 そんなのは嫌だ! 絶対に嫌だ! もう二度とあんな思いをアイツらにさせたくない!

 

「アアアアアアアアアアッ!!」

「キェェェェェェイ!!」

 

 襲い来る強大なパワーに、俺よりも先に地面が根を上げた。ドロドロに熔解していき、俺の足を呑み込んだ。熔けてしまいそうな熱さに気が狂いそうになるが、すぐに痛みには慣れた。

 

「俺――はァ――! 負け――ない――!」

 

 心は挫けなかった。

 

 だが心よりも先に魔力が尽きた。

 

 炎の戦斧に呑み込まれるその時、俺の耳に声が届く。

 

 ――負けるなぁぁあ!! ルドガーセンセェェェえ!!

 

「ッ――!!」

 

 直後、ナハトの鍔であるドラゴンの口が開く。目が赤く光り、稲妻を口から発した。

 空になった魔力の代わりに雷の力が満ちていき、全身からも黒い雷が迸る。

 

 その雷は音を鳴らしながらスルトの炎を穿ち、弾き、打ち消していく。

 

 あの時、神殿で雷神から吸収した力が今になって俺の物になり、俺に力を与えていく。

 

「オオオオアアアッ!!」

「何!?」

 

 雷鳴を轟かせ、スルトの戦斧を上に弾き返した。力に任せて飛び上がり、スルトの眼前まで行くと稲妻を纏ったナハトでその鼻先を貫く。雷がスルトの頭を貫き、更にスルトの頭から下へナハトで斬り刻んでいく。一振りで両断し、更に一振りで両断し、それを繰り返してスルトを細切れにしてやった。

 

「ば――馬鹿な――!?」

「ハァァァァアッ!」

「っ!? グリムロックゥゥゥ!」

 

 眼下にいるウルガ将軍目掛け、落雷の如くナハトを振り落とした。

 

 雷の魔剣と化したナハトは将軍の鎧を簡単に斬り裂き、そのまま身体を袈裟斬りにした。

 追撃として落雷が将軍に襲い掛かり、将軍の傷を更に深い物にした。

 

 将軍は兜の隙間から血を吐き出し、地面に両膝を突いて戦斧を落とした。

 

「貴様……その姿は……!?」

「ハァ……ハァ……」

 

 ナハトを握る俺の手が、異形の物になっていた。人族のような肌ではなく、黒くてゴツゴツとした腕だ。太さも増し、まるで怪物のように爪も鋭い。

 

 それに腕だけじゃない。足も、胴体も、そしてたぶん頭も。俺の姿は人から怪物のような姿に変身していた。

 

 これが、雷神の力を得た姿か。まるで怪物じゃないか。

 だが中々どうして……悪くない。そう、半魔である俺の魔の部分が表に剥き出しになった、いや、解放されたような感覚だ。

 

「貴様は……何だ……?」

「俺は……そうだな――――魔王を殺した勇者だ」

「――――さらばだ、勇者グリムロック。ルドガー・ライオットよ」

 

 将軍の最期の言葉を聞き、俺はナハトで将軍の首を刎ねた。

 身体から斬り落とした頭が兜ごとゴロゴロと転がり、将軍の身体は崩れ落ちた。

 

 勝った……将軍との一騎討ちに勝つことができた。

 

 兜の角を持ち、首を掲げて魔族の船団に見せつけるようにして宣言する。

 

「聴けぇ! ウルガ将軍は俺が討ち取ったァ! 将軍の首を持って祖国に帰るがいい! それでも戦いたいのなら、俺と雷の勇者が相手になってやるぞォ!」

 

 果たして、俺の言葉は聞き入れられた。

 

 魔族の戦士がウルガ将軍の首を受け取り、船団は引き返していった。

 

 その時、首を受け取った戦士からこう言われた。

 

 ――これは始まりに過ぎない。いずれ魔族は立ち上がってみせるぞ。

 

 その言葉に俺はこう返した。

 

 ――その時は酒でも奢ってやる。

 

 



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第17話 エピローグ

これにて第一章完結になります!
続けて第二章も投稿していきますので、これからもよろしくお願いします!!


 

 ウルガ将軍との一騎討ちから一週間が経った。

 

 俺はあの後すぐに気を失ったらしく、気が付けばベッドの上だった。

 

 一日だけだったが高熱で魘されていたようで、エリシアも雷神の力を得た時は身体に力が馴染むまで高熱を出していた。おそらくだが、俺もそれと同じような目に遭っていたのだろう。

 

 負った火傷は既に治っていた。都に運ばれた時は全身をかなり火傷していたようだが、ベッドに寝かされる時には既に再生が始まっていたらしい。

 

 目が覚めて最初に目にした光景は、寝ているベッドの隣で船を漕ぐようにカックンカックンしていたララだった。ずっと俺の看病をしていてくれたらしい。

 

 因みにエリシアもいたが、アイツは俺のタフさを知っているからか、ぐっすり寝ていた。

 

 隣で寝ているララを見て、俺はこいつを守ることができたんだと自覚できた。

 

 ララだけじゃなく、エルフの皆も守ることができた。

 当初の予定とはだいぶ違うが、戦争を止めたという点を見れば成功と言って良いだろう。

 

 それにしても、一週間足らずのこの旅は良くも悪くも充実していた。

 

 最初は俺に戦争を止められるか不安だった。ララに真実を知られるのを怖がってもいた。ララに魔法を教えていく内にその気持ちは高まり、知られたくないとまで考えた。このまま知られず、少し仲の良い教師と生徒の関係を続けたいとも思った。

 

 結局は記憶を覗かれるという形で知られたが、ララを守り続けるという贖罪で落ち着いた。 赦された、と言うわけじゃない。ララはあの時確かに俺に憎しみを持っていた。憎しみを消すことは難しい。きっと今でもララの胸の中では俺に対する憎しみがある筈だ。

 

 俺にできることは、この指輪に誓った通りララを守り続けることだけだ。その上で、ララが俺の命をご所望なら、その時はそれを受け入れよう。

 

 赦される、と言えばエリシアだ。アイツにもまだ色々と謝っていなかった気がする。

 

 結局、魔族の軍を牽制する為だけに力を借りることになったが、最初はアイツと一緒に魔族の本国に乗り込んでウルガ将軍を討とうとしていた。討てなくても、穏健派の解放だけでもしようと考えていた。解放してからは、戦争を止めるまで穏健派を将軍の手から守ろうと思っていた。

 

 実際には御覧の通り、本国に乗り込む前に将軍が行動に出てしまったからギリギリの手段を打つことになったのだが。

 

 しかし、そのほうが良かったのかもしれない。敵地である本国で穏健派を守り続けるより、一騎討ちで方が付いたのなら楽なものだ。

 

 我ながら上手くいったものだとは正直思う。あれで魔族が退かなければ、本当に戦争になっていた。俺とエリシアだけで戦って、エルフ族に被害が及ばないようにするにはかなり骨を折ったことだろう。

 

 それにエリシアから気になることも聞いた。

 

 アーサーがどんな顔をしていたとか……アレはいったいどう言う意味だったのだろうか。

 

 アーサーとは光の勇者のことで、俺と一番仲が悪かった男だ。何かと意見が食い違ったり張り合ったりして、犬猿の仲と言って差し支えない間柄だ。

 

 アイツと最後に顔を合わせたのは、俺が軍を辞めて去る少し前だったか……。

 

 他の奴らも、元気にしているだろうか。エリシアに殴られたから、他の奴らに会っても殴られるのかもしれないな。

 

「それじゃ、今日はここまで。次の授業までにちゃんと雪妖精とイエティの違いについて復習しておくこと」

 

 そんなことを頭の片隅に置きながら、教壇の上から生徒達に向けて言った。

 

 俺は目を覚まして数日もしない内に教職に復帰している。ララも生徒として前と変わらず通っている。

 

 俺はヴァルドール王からララを、聖女を勝手に連れ出した罪を追求された。だが戦争を止めたと言うのも事実であり、校長先生と王子の口添えもあって無罪放免となった。煽動した校長先生と王子も、一応の無罪が言い渡されて何も変わっていない。

 

 ただ、チクチクと小言を言われ続けたのが唯一の罰だったかもしれない。

 

 校長先生の調べによると、魔族の穏健派はウルガ将軍がいなくなったことで抑えが弱まり、自力で脱して無事に政権を動かしてくれている。

 

 元々、ウルガ将軍配下以外は戦いに目を向けておらず、己の力を高めようとしている者達ばかりらしく、政権を取り戻すには苦労しなかったようだ。

 

 ただ、ララが魔王の座に就くことが一番望ましいとは考えているようで、いつ何時にララを取り戻そうと画策する者が現れるか分からないときた。

 

 まだ聖女であることは知られていないのが幸いだ。知られたら今度こそ躍起になって取り戻しに来るかもしれない。

 

 聖女……その種を滅びから救う力を授かった者。

 

 ララがいったいどんな力を授かっているのか今も分からない。だが聖女であることは間違いない。それに雷神の試練に挑まされた理由も、俺が雷神の力を授かった理由も未だ不明。

 

 関係があるとすれば校長先生と王が口にした『予言』……それに聖女という因子が加わった何かだろう。

 

 予言というのは当人が知れば成就しないと言われることもあるが、大事件に関わるのなら早く教えて貰いたいものだ。

 

 教壇の上に広げている教材を片付けていると、教室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「やっほー」

「エリシア……まだいたのか?」

 

 底に立っていたのは何かのパイを食べているエリシアだった。

 

 エリシアはあれから国に帰らず、ずっと寄宿舎で過ごしている。

 本人曰く、久々の休暇代わりに都暮らしを堪能するとか言っているが、いつまでも此処にいたらモリソンが怒鳴り込んできそうだ。

 

「何よー? 良いじゃない別に。私だってエルフ族と魔族の戦争を止めた功労者でもあるんだから、もうちょっとのんびりさせてよ」

「お前は雷落としただけだろ」

「あー! そんなこと言うんだー? いったい何処のどいつが頼み込んできたんですかねぇ?」

「はいはい、俺が悪かった。ゆっくりしてっても良いが、モリソンが可哀想だろ?」

「偶には良いのよ。ね、それより此処って居心地良いわねー。食べ物も美味しいし、何でもタダだし」

「別にタダって訳じゃねぇよ。助け合いの掟だ。恵んで貰うだけじゃなくて恵むことを忘れるな」

「エルフ族の若い戦士を転がして鍛えてやってんだから大丈夫でしょ」

 

 エリシアはアルフの都に滞在するにあたって、ヴァルドール王から一つの条件を出された。

 

 勇者としての力量で戦士達を鍛えて欲しいと言われ、エリシアは毎日戦士達の屯所に行っては暴れ回っている。

 

 王の間違いはただ一つ。エリシアが他人に手解きできるような器用さを持ち合わせていないことを見抜けなかったことだ。エリシアは基本的には脳筋だ。ぶっつけ本番、当たって砕けろ、実戦に勝る物なし精神でやって来てるのだから。

 

 しかし不思議なことに、戦士達はどうしてかやる気を出して活き活きとエリシアにぶつかっている。たぶん、自分の力量を確かめるのにうってつけだとか思っているのだろう。

 

 つまるところ、彼らのサンドバッグである。

 

 そんなことに気付いていないのか、エリシアは頼られてると思って鼻を高くしている。

 

「それにしても、アンタが本当に教師なんてしてるとはねぇ……」

「自分でも似合わないと思うさ」

「良いんじゃない? 他の皆が見たらどう思うかは知らないけど」

「……アイツら、元気にしてるのか?」

 

 ふと、ちょうど気になっていた彼らのことを聞いてみた。

 エリシアなら、定期的に連絡ぐらい取り合っているだろうと思ったからだ。

 

「さぁ? シオンなら元気にしてるようだけど、他は知らないわよ」

「……連絡取ってないのか?」

「だってぇー、毎日忙しいしぃー。それに年に数回ある勇者会議にだって全員が揃うことあんま無いし」

「何だよ勇者会議って……」

「それぞれの国の動向を報告し合うような奴よ。そうでもしないと態々顔を合わせないわよ」

 

 嘆かわしいな。昔は八人揃って親父のしごきに耐えてたり、地獄の試練を乗り越えたりした仲だったと言うのに。お兄ちゃんは悲しいよ。

 

 エリシアは手に付いたパイのカスをはたき落とし、生徒達が座る席に腰を下ろした。

 

 ああ、こらこら、足を上げるんじゃない。

 

「ねぇ……アンタ、ずっと此処で暮らすの?」

「何だよいきなり?」

「いきなりじゃないわよ。あのガキんちょのお守りをずっとしてくつもりなの?」

「……ああ。親父が守ろうとした子だし、俺もララを守りたいと思ってる」

「…………す、好きなの?」

「は?」

 

 エリシアが変なことを言い出した。

 

 こいつは何を言っているんだろうか。俺がララを好きだって? おいおい、冗談は脳筋だけにしてくれ。

 

 確かにララは好ましい子ではあるが、それは決して恋愛感情なんかではない。親父の娘だし、良くて義理の妹ってところだ。向こうにしたって、少し特別な事情を抱えた教師って目で見てるだろ。それに俺の好みはアイリーン先生のように魅力的な女性だ。子供に興味は無い。

 

「だ、だって随分と仲が良いじゃない! それにい、い、一緒に住んでるし……!」

「仲が良いように見えるのは嬉しいが、そんなことは考えたこともない。それに一緒っつったって、同じ寄宿舎ってだけだろうが」

「……じゃあ、何で私達の所に帰って来ないのよ?」

 

 エリシアは打って変わって顔に暗い陰を落とした。

 まるで捨てられた子犬のよう、とは言い過ぎかもしれないが、とても寂しがっているように思えた。

 

「……人族の王達は俺を追い出した。あの大陸に、俺の居場所は無い」

「……ごめん。私達があの時王を殴ってでも止めてたら――」

「それを止めたのは俺だ。出て行く選択をしたのも俺だ。お前達に悔しい思いをさせたのは悪かった。出て行く時にも殴られたが、遺跡でお前に殴られた時、その悔しさがどれほど大きかったか痛いほど分かった。というかホントに痛かった」

 

 殴られた鼻を抑えて戯けてみるも、エリシアは浮かない顔のままだ。

 

 俺が軍を去る時、最後まで俺を引き止めてくれたのはエリシアだ。他の皆も何とかしようとしてくれたが、結局俺は勝手に一人で決めて出て言った。

 あの時はそれが一番だと思っていたし、親父を殺した俺がエリシア達の前にいるのも何だか辛かったという理由もある。

 

 臆病者、とエリシアが怒るのも無理はない。

 

「……ま、取り敢えずは分かったわ。アンタが此処にいるってのが分かっただけでも良しとするわよ」

「悪いな。これからは、偶には俺からも顔を出すようにするさ」

「そん時はお土産沢山持ってきなさいよ。食べ物とお酒が良いわ」

「食いしん坊め」

「さて、と」

 

 エリシアは意気揚々と席から立ち上がり、うーんと伸びをした。

 

「じゃ、私帰るわ」

「……唐突だな。今から出たんじゃ、野宿することになるぞ?」

「私を誰だと思ってるのよ? 雷の勇者よ。あの時はアンタ達がいたからできなかったけど、私一人なら飛べるわよ」

「ああ、そうだったな」

 

 エリシアは教室の窓を開けて桟に足を掛けた。

 

 外に飛び出す前に此方に振り向き、笑顔を浮かべた。

 

「それじゃ、またね――ルドガー兄さん」

「っ――ああ、またな」

 

 エリシアは手を振ると窓から飛び出し、雷となって空の彼方へと消えていった。

 

 流石は雷の勇者。俺も雷神の力を得たってことは、同じことができるのだろうか。

 

 ちょっと試してみたい気持ちを抑え、窓を閉めて教材を手に教室から出た。

 

 学校の私室に戻ると、そこには何故かララが居座っていた。

 

 ララは本を読みながら杖を振って魔法の練習をしていた。杖を振るうと小さな光の精霊が現れ、ピョンピョンとララの周りを駆けては消えていく。

 

「凄いな、精霊魔法も無詠唱でできるのか?」

「あ、センセ。いや、精霊の欠片を呼び出せるだけで、それ以上のことはできない」

「それでも凄いことだ。俺なんかこの大陸の魔石を触媒にしなきゃ精霊を喚べないんだから」

「なら、私のほうが精霊魔法については優秀だな」

「言ってろ」

 

 教材をしまい、棚から隠しておいたクッキーを取り出してテーブルに置く。

 ララに食べても良いぞと伝え、ハーブティーを淹れてやる。

 

 クッキーをモソモソと食べるララの胸元に、リィンウェルでプレゼントしたアネモネのブローチが付けられているのを見付ける。

 

「それ、付けてくれてるのか?」

「……ああ。センセからのプレゼントだからな」

「それは嬉しいねぇ。でもそれを付けてちゃ、男共が警戒して近寄ってこないだろ?」

「どうでも良いことだ。ガキには興味無い」

「ガキが何言ってんだ」

「それを言うなら、センセはどうなんだ? 聞いたぞ、アイリーン先生から御守り貰ってたんだってな?」

 

 思わず胸元の宝石に手をやる。

 別に特別な意味は無いが、何だか指摘されてしまうと気恥ずかしいく感じた。

 

 アイリーン先生は確かに賢くて献身的で美しくて魅力的な女性ではあるが、俺にそう言った考えは無い。あくまでも同僚、仲の良い女エルフって所だ。

 

「やっぱり好きなのか?」

「……どうしてお前もエリシアもそんな変なことを考える?」

「別に変じゃないだろう?」

「変だ」

「変か」

「ったく……」

 

 どうしてかざわついた心を静める為に、自分で淹れたハーブティーに口を付ける。

 

 やはりこの土地で採れるハーブで淹れた茶は上手い。

 

「――私はセンセのこと好きだぞ?」

「ぶぅー!?」

 

 勢い良く口からハーブティーを吹き出す俺。

 

 器官に入って咽せている俺を、ララはケラケラと見て笑う。

 

 まるでその笑いは魔女のように妖しいものだった。

 

「お前なー!?」

「勿論、人としてな」

「~~~っ、分かってるよ!」

 

 何を動揺してるんだか。子供の戯れ言に心を乱されるなんて、随分と気が抜けたものだよ。

 

 だがまぁ……悪くない。

 

 こうやって冗談を言いながらティータイムを過ごせると言うのは、この上なく幸福というものだ。

 

「明日は約束してた王子との海釣りだ。センセ、寝坊するなよ?」

「分かってるよ」

 

 それが親父の娘相手だったら尚のこと。

 

 俺とララの付き合いはまだまだ始まったばかりだ。

 これからこの先、色々なことが起きるだろう。

 

 聖女、予言、勇者の試練、きっと大きな困難が俺達に立ち塞がる。

 

 それならば俺はララを守る勇者として、この剣を振るう。

 

 それまではこうして、幸せな一時を過ごそう――。

 

 



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第二章 魔獣戦争
第18話 プロローグ


第二章の始まりです!


 

 

 魔王が討たれて五年の月日が流れた。

 その間、七人の勇者達は何をしているのか、誰しもが気になった。

 

 雷の勇者はゲルディアス王国に属し、第二都市リィンウェルを治めているのは有名だ。

 

 火の勇者と地の勇者はファルナディア帝国とイルマキア共和国に属してはいるが、頻繁に二人はそれぞれの領土内を行き交いして遊んでいる。

 

 氷の勇者は水の勇者と仲が大変宜しいようで、自国よりも水の勇者が治めるローマンダルフ王国に度々姿を現しているという噂も聞く。

 

 水の勇者は国に属するのではなく、小国の王に就いているのは周知の事実だ。

 

 だが、光の勇者と風の勇者の情報はかなり少ない。

 

 二人ともそれぞれの神を祀る国に属してはいるものの、その姿を見せることはあまりない。

 会いに行こうとしても、留守にしていることが殆どだ。

 

 そのお陰で妙な噂が立っている。

 

 曰く、二人とも実は国に属しておらず、世界中を流離っているだとか。

 曰く、国の王が勇者を監禁しているのではないのか。

 曰く、実は死んでしまっているのではないだろうか。

 

 噂はあくまで噂でしかない。その中に真実が混じっているのかもしれないし、全くのデタラメかもしれない。

 

 しかし、火の無い所に煙は立たないと言う。

 二人の勇者の姿を目にした民達は、この数年誰もいないのだ。

 

 勇者達が年に数回開くと言う勇者会議にも、風の勇者と光の勇者は最初の一度しか顔を出していないと言う。

 

 風の勇者と光の勇者は七人の勇者の中では一番と二番目に若い。光の勇者に至っては、まだ二十歳にもギリギリ届いていない。

 

 七人の中で一番年上である雷の勇者エリシアは、便りの無い二人を気に懸けていた。

 勇者としての実力は確かではあるが、こうも連絡が取れないとなると、何かあったのではないかと思ってしまう。

 

 現に、エリシアは何度も二人に便りを飛ばしてはいた。

 しかし返事が返ってくることは無く、未だに二人の消息は掴めていない。

 

 エリシアにとって二人は弟的存在である。幼少の頃から義理の父である魔王の下で育ってきた。できることなら今すぐにでも自分の足で二人の無事を確かめに行きたいと思っている。

 

 だが勇者の立場がそれを邪魔する。

 

 現在、勇者というのはその国の最高戦力として扱われている。

 勿論、兵器としてではなく勇者という神聖な存在として大事にされている。

 だが法の上ではあくまでも戦力として見なされており、その戦力が他国へ無断で立ち入ることは許されない。

 

 火の勇者と地の勇者、そして氷の勇者はそれぞれの国がそれを許しているからであり、エリシアの属するゲルディアス王国はそれを固く禁じている。

 

 元々、魔族との戦争が始まる前は人族間で戦争をしていた歴史がある。

 その中でもゲルディアス王国は一大勢力を築いており、エリシアを離したがらないのは人族間での戦争を目論んでいるからという噂まである。

 

 当然、エリシアは戦争なぞに力を貸すつもりは無い。

 しかし法で縛られている以上、勇者としてそれを犯すことはできない。

 

 つい半年ほど前のエルフ族の件は、自国に知られる前に方を付けることができ、モリソンという裏方の功労者のお陰でエリシアが国を開けることができた。

 

 だが今回ばかりはどうにもできない。

 

 この時ほど、エリシアは自分が勇者であることを苦に感じたことは無い。

 

 しかし、ふとある事に気が付く。

 

 自分のように勇者としての力があり、二人の勇者とも顔なじみであり、完璧とまではいかないが自由に動ける者がいることを。

 

 早速、エリシアはモリソンにほんの半日だけ留守にするとだけ伝え、窓から雷となって空へと飛び出し、西の大陸へと飛んだのだった。

 

 

 

    ★

 

 

 

「――ってな訳で、お願いルドガー。可愛い弟達を探しに行ってくれない?」

「行くわけねぇだろ」

 

 目の前で手を合わせて願い出てくるエリシアにそう言ってやった。

 

 今日は学校が休みで休日を満喫していた時、寄宿舎の庭に雷が落ちてきたと思ったらエリシアが現れた。危うく花壇が駄目になるところで、エリシアに文句を言ってやろうとしたら、いきなり勇者二人を探してくれとぬかしやがった。

 

「何よ!? アーサーとユーリが心配じゃないの!?」

 

 怒りの形相を押し付ける勢いのエリシアを手で押し返し、ララが作ってくれた昼食のサンドイッチを頬張る。シャキシャキのレタスと甘味と酸味が抜群のトマトにプリプリのチキンと黄金エッグ、特性のマスタードが口の中で踊って脳髄を旨味の一撃が走る。

 

 そのサンドイッチをあろう事かエリシアは俺から奪い取り、自分の口の中に放り込む。

 

「あ、うま」

「チッ……取り敢えず何があったかぐらい話せ。いきなり探せって言われて、はい分かりましたなんて言えないだろうが」

 

 皿の上に残っている最後の一切れを取ろうとしたが、それさえを許されずにエリシアが奪い取る。

 

「はぐっ……実は三年ぐらい……もぐっ……二人の……うまっ……顔を見てないのよ」

「へぇーそうかい。まぁ、ユーリは正に風のようにフラフラとどっか行くような奴だからな」

「んぐっ……ユーリはそうだけど、問題はアーサーよ。あの真面目なアーサーが連絡一つ寄越さないなんて、ちょっとありえないわよ」

 

 エリシアは俺のサンドイッチを完食し、俺が飲む為に用意していた紅茶も飲み干す。

 

 こいつ、まさか二人のことを口実に集りに来た訳じゃないだろうな。

 折角ララが作ってくれたサンドイッチを、俺はまだ一口しか食べてなかったんだぞ。

 

 因みに、ララは自室で薬草学の勉強をしている。

 最近、授業で霊薬作りを覚えてからは魔法学以上に興味を示し、ここ数週間はずっと薬草を煎じて様々な効果がある霊薬を作り上げている。

 

 その副作用なのか、料理の腕もメキメキと上がっていき、料理のスパイスとして薬草を使い始めた程だ。

 そのお陰でここ最近の身体の調子が頗る良い。

 

 しかし、ユーリは兎も角アーサーもねぇ……確かにそれは少し気になるな。

 

 アーサーは勇者の中でも一番若い。確か今年で二十歳になるぐらいじゃなかったか。

 性格も生真面目で、曲がったことが大嫌いな正直者だった。

 よく俺と喧嘩していたのも、当時の俺は今とは違って大雑把な性格だった。

 その性格は教師になってからと言うもの、子供達に良くないと治したが。

 

 それにアーサーはエリシアによく懐いていた。お姉ちゃんお姉ちゃんとよくくっ付いていたものだ。

 そのアーサーがエリシアに何の便りも無く、顔すら見せないのは変な話だ。

 まさか、今更恥ずかしくなったとか言うまい。

 

「それで? 何で俺の所に?」

「勇者が何の許しも無く他国に踏み入るのは法で禁じられてるのよ。国王は私が国を出ることを許してくれないし、アンタしか居ないのよ。二人の知り合いで自由に動ける奴が」

「あのな、俺だって人族の国じゃそこまで自由じゃないし、お偉いさん方には良くない目で見られる。それに俺はララを守らなきゃならない。まだ守護の魔法は完全なものになってないし、離れられない」

「何よー!? 人には力を貸せだなんて頼んできたくせに、私の頼みは聞けないっての!?」

「いや、そう言う訳じゃ……」

 

 確かに、それは筋が通らないって話だ。

 

 エリシアの立場を無視したとまでは言わないが、法を犯させるような真似をさせたのは此方だ。例え後でそのことを聞かされたとしても、それを承知の上で力を貸してくれたのはエリシアだ。此処は力を貸すのが道理ってものだ。

 

 だがこれは俺だけの問題じゃない。仮に俺が二人を探しに行くとして、そうなればララも連れて行かなければならない。まだ守護の魔法は完全なものになっておらず、そうする為には校長先生が言うには一年間は側にいなければならない。

 

 ララを連れて行くとなれば本人の同意もそうだし、何よりヴァルドール王の許しを得なければならない。

 

 だがしかし、俺も二人のことは気になる。俺にとっても二人は弟的な存在だ。向こうがどう思っているかは別として、エリシアの気持ちも充分に理解できる。

 

 ここは道理に則って俺が二人を説得するべきだろうな。

 

「……分かった。ララと王への説得は俺が何とかする。借りを返さないのは意に反するしな」

「最初からそう言えば良いのよ。はい、私が発行したアンタの身分証明書。私の印章があるから、滅多なことでは疑われないわ。それじゃ、頼んだわよ」

「おい、何も情報は無しか? それはあんまりだろ?」

 

 証明書をテーブルに置き、窓を開けて飛び立とうとするエリシアを引き止め、二人に関する情報が無いかと聞く。

 

 流石に何も無しで何処に居るかも分からない二人を探すのは骨が折れる。

 

 エリシアはうーんと首を傾げ、ある事を口にする。

 

「ユーリはエフィロディア連合王国で、アーサーはアズガル王国に席を置いてるけど、そう言えばその二つの国の情勢はあまり聞かないわね。あ、でもユーリと最後に話した時に、何だか怪物が騒がしいとか何とか言ってた気がするわ」

 

 それはあまり情報になっていない内容だった。

 二人が住んでいる国は俺も知っている。せめて最後に見た場所とか知りたかったが、無いのなら仕方が無い。

 

 だがそうなると王の説得は難しいものになるかもしれない。説得させるだけの材料が手元に無い状態で行くとなると、これは校長先生やフレイの手助けが必要になるかもしれない。

 

「それじゃ任せたわよ、お兄ちゃん」

 

 エリシアはピッとピースをしてから窓から雷となって消えていった。

 

 こういう時ばかり兄扱いするのは如何なものか。

 

 しかし、これからどうしたものか。先ずはララに話してから校長先生に助言でも貰いに行くべきか。それから王子を引き込んで王への説得に踏み込むか。

 それに勇者の問題とくれば、掟に従順な王ならば丸め込めるかもしれないな。

 

「センセ? ゴリラ女は帰ったのか?」

 

 丁度タイミング良く、ララが食堂にやって来た。

 手には薬草学の本を持っている。

 

「ああ。ちょっと頼み事をされてな……。ララ、お前……また人族の大陸に行くって言ったら一緒に来るか?」

「行く」

 

 二つ返事だった。

 まぁ、ララがそう言うと予想は付いていた。

 

 ララは学校だけじゃなく、外の世界に出て学びを得たいと常々考えているタイプであり、多少の危険があっても都から出たいと度々口にしている。

 

 それに王子の遊び癖に影響されたのか、俺が王子の遊びに付き合えない時はララが代わりに付いて行くようになり、王が俺に毎日小言を言うようになってしまった。

 

 ともあれ、ララの同意は得られた。次は校長先生か。あの人なら休日の今でも学校にいるだろう。学校が家みたいなものだしな。

 

 ララに校長先生に会いに行くと言うと、一緒に行くと言われて二人で学校に向かった。

 

 学校は休日でも無人ではない。生徒の中には休日を利用して学校内で活動している子達もいる。クラブ、なんてものも存在しており、そのクラブには顧問として教師が一人就いている。

 

 ララはクラブには参加していないが、時折クラブの生徒達と交流している姿を見かける。

 

 その時のララは実に楽しそうにしていた。魔族の大陸での暮らしでは得られなかった友達を持てて、本当に良かったと思う。

 

 校長室に到着すると、ドアをノックする。

 

「アルフォニア校長。ルドガーとララです」

『おお、ドアは開いておる。お入り』

「失礼します」

 

 ドアを開けてはいると、ティータイム中だったのか、お菓子のカスを髭に付けた校長が出迎えた。

 髭を指してやると、校長はお茶目な様子でカスを取って口に運んだ。

 

「お取り込み中すみません。少し、ご助言を頂きたいと思いまして」

「儂で良ければいくらでも助言するとも。クッキーとレモネードは如何かね?」

「いただきます。ちょうど妹分に昼のサンドイッチを盗られたところでして」

「……あのゴリラ女」

 

 ララがムキッとしてそう呟く。

 

 校長先生は手をパンパンと叩くと、何も無かった場所に椅子二つと小さなテーブル一つを出現させてその上にクッキーとレモネードを置いた。

 

 茶菓子で空きっ腹を満たし、早速本題に入ることにした。

 

「実は、エリシアから頼み事をされまして。また学校を休んで人族の大陸に向かいたいのですが……」

「ほう? 勇者からの頼み事とな? して、どのような内容じゃ?」

「数年前から光の勇者と風の勇者と連絡が取れていないようでして。最後に顔を見たのもかなり前で、それで心配したエリシアが自由に動けない自分の代わりとして探しに行ってくれないかと」

「ふむ……勇者二人を探しにか……。宛てはあるのかね?」

「いえ。最後に風の勇者からは『怪物が騒がしい』と報告を受けただけでさっぱりと。一先ず、その怪物が騒がしいという線から当たってみようかと」

 

 もし今でもユーリが口にした怪物が騒がしいという状態が続いているのなら、もしかしたらユーリはそれを調べ続けているかもしれない。その怪物を探して辿れば、ユーリの尻尾を掴める可能性がある。

 

 校長先生は髭を撫でながら思案に耽ると、おもむろに手を伸ばして本棚から本を呼び寄せた。

 その本を開きながら校長先生は口を開く。

 

「実は、儂も妙な噂を聞いての。何でも、人族の大陸の一部で伝説の神獣を見たと言うのじゃ」

「神獣?」

「風の神ラファートの眷属である『ケツァルコアトル』じゃよ」

 

 校長先生が俺達に本を見せる。

 その本には巨大な鳥の絵が描かれていた。

 

 ケツァルコアトル――空の島とも呼ばれるほど巨大な鳥であり、事実その背中には都市が築かれていたと言う。

 

 流石にそれは誇張しているとは思うが、そう言われるほど大きな鳥と言うことだ。

 鳥とも蛇とも巨人とも言われるが、その姿を正しく見た者はいないとされる。

 伝説では風神ラファートの眷属であり、人々に平和を齎すとされている。

 

 だが平和を齎す時は決まって世が乱れている時だ。

 つまり、ケツァルコアトルが現れたのが本当だとすれば、それは異変が起きていると言うことに繋がる。

 

「本当に現れたのですか?」

「確かなものは無いのぉ。じゃが……何と言うたかの? 風の勇者がおる国の名は……」

「エフィロディア」

「そうじゃ、そのエフィロディア連合王国で多くの人が巨大な鳥を目撃しておる。彼処は人族の大陸でも一番多くの生物が棲息しておる、緑豊かな国じゃ。新種の生物が誕生していたとしても何ら不思議ではないがの」

 

 その巨大な鳥が、ユーリの言った怪物が騒いでることに関係しているのだろうか。

 それを調べる為にも現地へ行くしか手段は無いだろう。

 

 俺は校長先生に本題である王の説得について頼んでみることにした。

 

「校長先生、勇者絡みの案件として、先生からも王の説得にご助力してくださいませんか?」

「ええじゃろ。じゃがその代わり一つ頼まれてくれんかの?」

「何をです?」

「もし本当にケツァルコアトルを見付けたらじゃ……羽根を数枚手に入れてくれんかの? 儂のコレクションに是非とも加えたい」

 

 俺とララは顔を見合わせた。

 

 エグノール・ダルゴニス・アルフォニアス、852歳、趣味『歴史的物品の収集』である。

 

 いや、神の眷属の羽根を毟り取ってこいとか、かなり罰当たりな真似をさせないで欲しいのだが。

 

 

 

「ならぬ」

 

 王の返事は即答だった。

 

 校長先生を伴って王城へとやって来た俺達は、謁見の間にてヴァルドール王へ旅立ちの許しを請うた。

 しかし王は無愛想な顔をしたまま俺達の願いを突き返した。

 

「貴様はまた聖女殿を危険な目に遭わせるつもりか?」

「いえ、そんなつもりは……」

「ならば貴様だけで行くが良い。そのほうが却って安全だ」

「しかしですじゃ、王よ。ルドガーとララには守護の魔法が掛けられておる。じゃがそれはまだ完全とは言い難いもの。ララからルドガーを離すのは避けねばなりませぬ」

「だったら出て行かなければ良かろう」

「王とも在ろう御方が、掟に背いて勇者を助けぬと?」

「まだ二人の勇者が危険に晒されていると決まった訳ではなかろう」

 

 王は疲れた様子で肘掛けに身体を凭れさせる。頭痛がするのかこめかみを抑え、眉間に皺を寄せている。

 

 さてはまた王子が何か仕出かしたな?

 

 俺は王の隣に座っている王子を睨む。

 

 大方、また城を抜け出して遊びに興じたんだろう。頼むから少しは温和しく城に籠もってはくれないだろうか。その所為で俺への小言がどんどん酷くなっていく一方だ。

 

 まぁ、俺も王子を強く止めたり、ララの同行を大目に見ている時点で片棒を担いでるようなものになるのか。

 

 しかし、このままでは王の許しを得られない。どうにかして王の機嫌を取らなければならないか。

 

「父上、勇者達が危険に晒されているのか調べる為にも、ルドガーを向かわせるべきです」

 

 王子が膝を組んだ状態で王にそう進言する。

 王子が話始めたことで、王はより一層ウンザリとした顔になってしまう。

 

「行くならルドガー一人で行くが良い。私はそう言っておるのだ」

「それはなりません。ララ姫を守る為にもルドガーの側にいさせるべきです。ララ姫もルドガーと一緒に外の世界へと赴くことを望んでおります」

 

 そう言って王子は俺の隣にいるララに目をやる。

 ララは頷いて、王の前に膝を突く。

 

「王様、私を守ってくださっていることには感謝しています。ですが、その所為で恩師であるルドガーの枷にはなりたくありません。どうか、聖女である私に免じて同行をお許しください」

 

 芝居掛かったような仕草でララは王に懇願する。

 

 この子は実に強かな性格をしている。聖女になりたくなかったと思いながらも、その立場を利用する時は躊躇無く利用する。普通ならプライドが邪魔をするような場面だが、ララはそんなものは投げ捨ててしまう。

 

 まったく、将来が楽しみだ。いったいどんな女性に育つことやら。

 

 王は聖女に懇願され、ウッと息が詰まる顔をする。

 

 エルフ族にとって聖女とは勇者と同等以上の神聖なる存在。そんな存在に跪かれて頼まれたら無碍にする訳にもいかず、王は頭の中で着地点を探しているのだろう。

 

 ここでもう一押しすれば、王は首を縦に振るだろう。

 すかさず、校長先生が王に進言する。

 

「王よ、ルドガーとララの旅路は予言にも読まれていることかもしれませぬぞ?」

「……どういうことだ、エグノールよ?」

「彼の予言には二人は大いなる旅をすると読まれておる。その時期は定かではないが、都を出るのは定められたことじゃ。これはその最初の旅かもしれませぬぞ?」

 

 それは俺達も初耳な情報だ。

 

 校長先生が言う予言については、未だ何も聞かされていない。

 おそらくだが、その予言の時が来るまで事前に聞かされることは無いだろう。

 

 校長先生はその予言を成就させる為に敢えて知らせず、俺達が予言から逸れた行動を取らせないようにしようとしているのだろう。

 

 つまり俺達に読まれている予言は、少なくとも最悪な予言では無いのかもしれない。

 校長先生の思想からして、そんなものを成就させようと考えているとは考えられない。

 

 しかし、その予言を校長先生と王はどのようにして知ったのだろうか。

 

 ララも知らないことから、魔族側から得た情報でも無さそうだ。であるのならば、エルフ族側が持っていた予言だと推測される。

 

 その予言はいったい誰が読んだ物なのだろうか。

 

 大いなる旅に大いなる選択、その物言いからきっと大層な物なのだろうが、何だかその予言に俺達の行動を左右されているようで少し気に食わない。

 

 そんな俺を余所に、校長先生と王は予言について語る。

 

「二人には旅が必要じゃ。掟に従い、必要以上にララを都から出さないのも必要じゃが、時には大舞台へと羽ばたかせる必要もあると、儂は思いますぞ」

「……ルドガー」

「はっ」

 

 王に呼ばれた俺は姿勢を正して返事をする。

 王は少し黙っていたが、すぐに口を開いた。

 

「ルドガー、私が聖女殿を守るのは聖女だからというだけではない。彼の予言を実現させたいという理由もある。その予言は必ず実現させなければならん。これは世界に関わることだ。その事を肝に銘じ、必ず無事に戻るとお前の信じるモノに誓え」

「……誓います。我が魂に誓って、ララを守り通します」

「聖女殿だけではない。貴様も必ず生きて戻るのだ。以上だ、私は少し休む。早々に立ち去れ」

 

 王はすくっと立ち上がり、お供のエルフ達を引き連れて謁見の間から出て行った。

 

 俺は最後に王が言った言葉に耳を疑い、王子と顔を見合わせた。

 王子も珍しいものを見たと、少し驚いた表情を見せる。

 

「……あれ、俺を案じたのか?」

「父は素直じゃないと思っていたが……」

「可愛いところもあるじゃないか」

 

 俺と王子はララの感想にゲーッと舌を出して心情を表した。

 

 ともあれ、王からの許しは得られた。これで今度は何の後ろめたさも無く都から出立できる。

 それに俺とララはどうやらこの先、大いなる旅というものを経験するらしい。

 これを機に万が一、都からララを連れ出す用件ができた時には交渉材料として活用させてもらおう。

 

 さて、城を後にした俺達は寄宿舎に戻り、出立の準備を始めた。

 前回と同様に校長先生から空間拡大魔法を掛けられたポーチを借り受け、そこに荷物を二人で押し込んでいく。

 

 ララは霊薬作りの道具一式といくつかの予備を持って行くことにし、旅の道中で材料が手に入れば実際に作ってみたいと言った。

 

 贔屓目ではないが、ララは霊薬作りに関しても抜群の才能を有している。

 

 一応、アーヴル学校では一年生として通っているのだが、一年生で学ぶ霊薬作りは基本的にはとても初歩的で簡単な物だ。

 しかしそれでも霊薬作りはほんの少しの配合ミスは許されない程に繊細な物で、初歩的であってもよく失敗するぐらいには難しい。

 

 その霊薬作りを、ララは一度も失敗することも無く課題を満点で熟している。

 

 更に二年生、三年生で学ぶ内容にも手を伸ばしており、薬草学の教師の座を奪ってしまいそうな勢いで知識を習得している。

 

 実際、俺が実験体になっていくつかの霊薬を飲んだことがある。魔力が一時的に上がる物や各属性の力を高めたり耐性を得られたりと、結果は大成功だった。

 

 霊薬の材料には人族の大陸でしか採れない物もあり、ララは霊薬作りのチャンスだと息巻いている。

 

 俺はと言うと、そんなララの力にでもなれるようにといくつかの教材を持って行くことにした。

 

 これでも教師だ。生徒が現地で学ぼうとしているのだから、それをサポートするのも仕事の内だ。

 とりあえず、俺が親父から学んだ霊薬の知識を書き込んだ本を数冊と、材料を採取する為の専門的な道具を持って行こう。

 

 それから俺は学校を留守にする間、生徒達に課題を出しておく。流石に何もさせないってのも、雇われ教師としてどうかと思うし、そこまで責任を放棄するつもりもない。

 

 アイリーン先生に、もしも生徒達から質問があった時に使ってくれと参考資料を用意して渡しておくことも忘れない。

 

 資料を渡す時、アイリーン先生はとても心配してくれた。半年前に御守りをくれた時もそうだが、アイリーン先生は本当に優しい女性だ。

 

 翌日、前回の旅でも世話になったルートを王子から託され、ララと一緒に乗って都を出た。

 此処から、ララとの第二の旅が始まる。

 目指すは、風の国エフィロディア連合王国だ。

 

 

 



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第19話 噂話

お金の話が出ますが、難しく考えないで下さい。


 

 

 前回と同様、エルヴィス船長の船で海を渡り人族の大陸へとやって来た。

 

 エフィロディア連合王国は港から南に位置する場所にある。

 リィンウェルに立ち寄れないこともないが、寄る必要も無かったのでそのまま南下した。

 

 ララは人族の大陸について俺に色々と尋ねてきた。

 

 例えば、大陸の形態について。

 

 エルフ族の大陸はヴァーレン王国と言う一つの国で、大陸全土が緑豊かな土地だ。清浄な魔力で満ち溢れており、何処に行っても気候は同じで住みやすく、アルフの都の他は集落や村だけである。 

 

 対して人族の大陸には七つの国が存在し、それぞれが領土を持ち守っている。気候も様々であり、暑い地域もあれば寒い地域もある。

 

 リィンウェルは比較的バランスの良い気候だったが、これから向かうエフィロディア連合王国は人族の大陸の中でも一番緑が生い茂り、様々な生物が棲息する場所だ。気温は少し高めだが、風の神の恩恵を受けている為か心地良い風が毎日吹いている。

 

 エフィロディア連合王国は幾つもの氏族が興した小国が集まって出来上がった国で、ラファンという国を中心に南を支配している。

 

 俺が知っているエフィロディアは風力による技術が盛んで、多くの風車が聳え立っていた。

 魔導機が普及し始めているのなら、その姿は変わっているのかもしれないが、草原に立ち並ぶ風車の光景は有名であった。

 

 また、エフィロディアは少し変わった特徴があり、それは王の決め方になる。

 通常、人族の王は血筋によって決められるだが、エフィロディアは完全実力主義。

 つまり、武力や知力だけで頂点に登り詰めることができる。

 

 どうしてそうなったかは諸説あるが、複数の氏族を従わせるのに一番分かり易くて手っ取り早いからという理由が始まりらしい。

 

 現在の王はグンフィルド・カレーラス・ラファンという女王が国を治めている。

 

 彼女はカレーラスという氏族の出で、大戦当時は氏族の当主を務めており、エフィロディアの一番槍として戦場に赴いていた。

 

 あの光景は今でも忘れられない。

 千を越える魔族を相手に、槍一本を握り締め単身で攻め入った時のことだ。

 勇者でもない彼女は、類い希な膂力と槍術で魔族の軍勢を足止めした。

 

 いや、あれは足止めなんかじゃない。俺達が駆け付けた時にはその殆どを壊滅させ、血塗れの顔で笑っていた。

 

「本当に人族なのか?」

「紛れもない人族だよ。間違っても彼女の前でそれを言うなよ? 実は結構気にしてるらしいからな」

「ふーん……」

 

 南へ進む道中は平穏そのものだった。一応、魔族がララを狙っていないか警戒しているものの、前回とは打って変わって何の問題も起きなかった。

 

 校長先生曰く、魔族は魔王無しで力を高める研究に没頭しているらしく、ララを奪いに来るような行動は取っていないそうだ。

 ただ、ララを狙っているのは間違いなく、常に警戒の必要があると言う。

 

 しかし、校長先生のその情報網はいったいどうなっているのだろうか。

 魔族の大陸にエルフを忍ばせているのか、それとも精霊を使役して情報を探っているのだろうか。

 たぶん、精霊を使っているんだろう。流石にエルフを危険な場所に配置し続けることはしないはずだ。校長先生はエルフ族きっての魔法使い、精霊を魔族の大陸まで飛ばすことなど造作も無いのだろう。

 

 ルートを軽快に歩かせていると、最初の街が見えてきた。

 遠目からだが、リィンウェルのような魔導機仕掛けの建物は見当たらない。

 やはりリィンウェル延いてはゲルディアス王国が進んでいただけらしい。

 

 此処は既にエフィロディア連合王国の領地だ。

 東の港から一番近い街は、確かマルネの街って名前だったか。

 至って普通の街で、酒場もあれば市場もある。そこで少し休憩しよう。

 

 街門から入り、酒場の馬留めにルートを繋いで酒場にララと入った。

 時間にして今は昼間だ。酒場は昼飯を食べに来た客で埋まっている。

 隅っこに空いてる席を見付けてそこに座る。

 

「いらっしゃいませ」

 

 此処の給仕係である若い娘がやって来た。

 

「オススメのランチを二つ。それから、馬の食事は此処でも用意してもらえるのか?」

「はい、ご用意できますよ」

「それじゃ、外にいる白い馬に。金は先払いか?」

「はい! 全部で1500レギいただきます!」

 

 ポーチから銅貨を十五枚取り出して給仕に渡す。

 給仕は注文を厨房に伝えに行き、俺はガントレットを外してポーチにしまう。

 

「なぁ、センセ。お金って、やはり種族によって違うのか?」

「ん? ああ、当然違う。金銀銅を通貨に使うのは人族と魔族で、お金の概念が無いのはエルフ族と天族、水族と獣族は特別な魔石を使う」

「人族と魔族は同じ通貨なのか? でも魔族じゃ『レギ』じゃなくて『アス』だったぞ?」

「人族の場合はお金という概念が生まれた時から『レギ』という通貨単位を使ってるが、流石に俺も魔族の通貨単位の語源は知らないなぁ。人族は、光の神リディアスがそう名付けたからとされてるが、魔族もそんな感じかもしれない」

 

 ポーチから金貨を一枚取り出してララに渡す。

 ララは受け取った金貨を摘まんでジロジロと見つめる。

 金貨には男性のような顔と、その金貨がいつ作られたかの製造年月日が彫られている。

 

「銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚って計算だ。これは魔族でも同じだろ?」

「ああ。でも彫られてるのは違うな。魔族はドラゴンだ」

「ドラゴンか……そっちの方が格好いいな」

 

 ララから金貨を返してもらい、ポーチにしまう。

 

 人族の金はまだまだ残っているが、もしこれから度々人族の大陸に足を運ぶことになるのならば、その資金を調達する方法を探しておかなければならないな。潤沢にあると言っても限度がある。贅沢を続けられる程は持っていない。

 

 エリシアやモリソンに相談でもしてみようか。

 いや、エリシアにしたら絶対に割に合わない見返りを求められる。止めておこう。

 

「お待たせしました! ウォータートードの丸焼きです!」

「ヒギッ!?」

 

 給仕が運んで来た料理を目の当たりにしたララは、変な悲鳴を漏らして表情を引き攣らせた。

 何をそんなに驚いているのかと思い、俺もテーブルに置かれた料理に目を向ける。

 

 すると皿の上に載っているソレと目が合う。

 

 こんがりと旨そうな焼き色が付き、匂いも空腹をそそるスパイスの利いたものであったが、それらを全て台無しにさせる姿がそこにはあった。

 

 巨大なカエルの丸焼きが皿に載せられており、顔が俺を見上げていた。

 

 待て……給仕の子は何て言ってた? ウォータートードの丸焼き?

 え? あれって食えるの……?

 

「せ、せせせせ、センセ……!? 何これ……!?」

「……エフィロディアに棲息する巨大なカエルで、ウォータートードの名前の通り、水中を泳いで魚や甲殻類を捕食する生物。中には超巨大な個体もいて、そいつは人族の子供を食べるとか……」

「た、食べられるのか……?」

「だ、出されてるから、食べれるんだろ……」

 

 エフィロディアの食文化は他と少し変わっているとは聞いたことがあるが、まさかこれを食すなんて知らなかった。

 

 確かに世の中には蜥蜴や蛇も食べる文化もあるし、昆虫食なんて言葉だって存在する。

 カエルが食卓に出たぐらいで驚くことは無い。

 

 ただ……皿の上からこっちを見ないでほしい。もの凄く食欲が失せる。

 顔を見ないように頭部を掴んで身体から骨ごとへし折って取り外す。こうすれば少しは食べやすいだろう。

 

 ララはナイフとフォークを使って肉を切り分け、口まで肉を運ぶ。

 俺もカエルを持ち上げ、肉に齧り付く。

 肉汁が口の中で弾け、スパイスと肉が舌の上で飛び跳ねる。

 

「……美味ぇ」

「……美味しい」

 

 見た目は兎も角、味は最高だった。肉が瑞々しいと言うか、もの凄く柔らかくて口の中で蕩けるようだ。

 

 カエルの肉を堪能していると、周りの客の話し声が耳に入ってきた。

 

「なぁ、聞いたか? また村が襲われたってよ」

「また? これで何件目だ?」

「さぁ、だが少なくはねぇさ」

「今度は何処だって?」

「ダール村だよ」

「おい、此処からそんなに離れてねぇじゃん! 此処は大丈夫なのか……?」

 

 何やら物騒な話だ。その感じから、おそらく死者が出ているのかもしれない。

 それによく耳を澄ませてみると、似たような話がそこら中から聞こえてくる。

 

 もしや、ユーリが言っていた怪物が騒がしいというのに何か関係があるのか?

 それにどうやら被害はかなり大きいようだし、勇者であるユーリが放っておく筈もない。

 調べて見る価値はあるか……。

 

 食事を済ませ、ララを先にルートの下へと行かせて俺は酒場の人達に起きている事件について聞き回った。

 

 聞くところによると、小さな村や町で怪物による殺人が行われているらしい。

 それも一人二人ではなく、村全ての人を殺しているという。

 しかも質の悪いことに、目的は捕食ではなくただの殺し。遺体を調べてみると、何処にも捕食された痕跡が無いそうだ。

 

 怪物が捕食以外で生物を殺すことが無いわけではないが、珍しい部類だ。

 そう言った怪物に限って、中途半端に知能があることが多い。

 

 最近被害に遭ったというダール村の場所を教えてもらい、そこに向かうことにした。

 ダール村の場所は、此処から半日の場所らしい。

 

「センセ、その怪物ってどんなだと思う?」

 

 ルートに乗って道を進んでいると、ララがそんなことを聞いてきた。

 

「正直、何も情報が無いから何とも言えない。遺体には大きく斬り裂かれた痕があったと言うが、そんなものは特徴にはならない。ただ、捕食が目的じゃないみたいだから、知能は高いはずだ」

「どうして?」

「殺しを楽しんでる。そんなことができるのは知的生命体だけだ。動物や怪物が生物を殺すのは捕食という本能、もしくは自己防衛や闘争本能からだ。決して殺しだけを目的に動くことはない」

「知能が高い怪物か……」

「それかもしくは……」

 

 俺は少しだけ言い淀む。

 何故ならこれはあまりあってほしくない事だからだ。

 これは謂わば禁忌、犯していけない生命への冒涜に近しい。

 もしそれを犯せば、人族の法では問答無用で死罪を言い渡される。

 

「センセ……?」

「……もしくは呪いだ。呪いで怪物を生み出し、人を殺させる。呪いで生み出された怪物は殺すことしか考えられず、殺しだけが奴らの快楽だ」

「……怖いものだな」

「ああ、まったくだ」

 

 世界には数多くの呪いが存在する。子供の悪戯から身の毛もよだつ恐ろしいものまで。

 呪いを解く魔法や手段は粗方開発されているが、存在しないものもある。

 もしその呪いを掛けられてしまったら、術者を殺しても止まらなければ覚悟するしかない。

 

 だが呪いにも当然リスクはある。

 その第一が術者が支払う代償だ。強力な呪いほど、自身の命に関わる代償を払うことになる。

 また失敗して呪いが跳ね返ってくることもある。

 

 だから滅多なことで呪いを使うことは無い。

 呪いを掛ける者がいるとすれば、それ程の覚悟を持たざるを得なかった悲しき者達が多い。

 稀に研究の為にと呪いを掛けようとする狂った奴もいるが、そう言う奴らは尽く死んでいった。

 

 今回の事件にも呪いが関わっている可能性は捨てきることはできない。

 ただの怪物の仕業なら退治だけで済むかもしれないが、呪いだと退治だけでは済まない。術者の発見と拿捕、呪いを解呪しなければ怪物は生まれ続けるだろう。

 

 件の村に到着する前に日が暮れてしまう。

 俺達はキャンプすることにし、ポーチからテントやら道具やらを取り出して寝床を設置する。

 テントは一つだけだが、ララに使わせて俺は見張りも兼ねて外で火の番をする。

 食事は定番のシチュー。肉は干し肉を使ったが、簡単に噛み千切れる程度まで煮込んだ。

 調理はララが行った。霊薬作りで調理自体も好きになったようで、率先して調理を始めた。

 

 食事を済ませ、あとは寝るだけだったが、ララは焚き火に当たりながら本を読んでいる。態々杖の先から光を出して熱心に本を読んでいる。

 

 何を読んでいるのかと気になり、本の表紙を確かめる。

 

「……エルフ神話?」

「ん? ああ……校長先生がくれたんだ。面白いぞ?」

「知ってる。俺も読んだ」

「へぇ……それじゃ、どの登場人物が好きなんだ?」

「それを答えたら寝るか?」

「答えによる」

 

 ララの返答に苦笑し、「そうだなぁ……」と物語を思い返す。

 その間に何故かララは俺の隣に移動して腰を下ろした。

 右隣にララの温もりを感じながら、星空を見上げる。

 

 エルフ神話は、エルフ族の誕生から繁栄までを描いた物語だ。

 最初にエルフを生み出したのは光の神リディアスだとされている。だからエルフ族は七神の中でも光の神を特に神聖視している。神の予言というのも、そのリディアスからの天啓だと考えている。

 

 エルフ神話には最初のエルフと、世界を旅するお供である精霊達が登場する。

 

 火の精霊サラマンダー、水の精霊ウィンデーネ、風の精霊シルフ、地の精霊ノーム、光の精霊ルーク、氷の精霊グラキエス、雷の精霊ヴォルト。

 

 精霊魔法の呪文は、この精霊達に向けて唱えている。

 

 最初のエルフは男とも女とも捉えられる説明書きで、そのどちらでもあったとされている。

 名前はエーヴァと呼ばれ、純粋無垢な存在で良心に溢れていたと記されている。

 エルフ族には人気の存在だが、俺はこの人物よりも印象に残っている者がいる。

 

「旅の案内人アルダートかな」

「アルダート? どうして?」

「一緒に旅こそしてないが、エーヴァの行く先々で彼を助けてる。そう言った影の主人公みたいな奴が結構好きなんだよ」

「ふむ……」

「お前は誰が好きなんだ?」

「……私もアルダートかな」

「本当に?」

「本当だ! 別にセンセと一緒でも良いだろ!」

「……そうかい」

 

 センセと一緒、か……。

 

 ――俺も親父と一緒のが良い!

 

 何処かで聞いたことのある台詞だ。

 その台詞をララの口から聞けるのは、何だか感慨深いものを感じる。

 

 まだ本を読もうとするララから本を取り上げ、テントへ入れと言う。

 半魔だろうと、眠らない日が続けば活動に支障をきたす。もう休ませて明日に備えなければならない。

 

 ララは渋々とテントに入り、寝袋に身体を収めた。

 

「おやすみ、センセ」

「ああ、おやすみ……」

 

 眠りに入ったララを見つめ、焚き火に目を戻す。

 薪を焼べて、小さくなった火を少し大きくする。

 

 野営は野生生物や魔法生物に気を付けなければならない。その為には火を熾し続ける必要がある。決して絶やさず、常に明るくしておくこと。

 

 昔は気兼ねに野営はできなかった。何故なら盗賊が沢山いたからだ。

 魔族や怪物によって拠り所を失い、生きる為に他人の財を奪うことは日常茶飯事だった。

 今でこそ、それは少なくなったかもしれないが警戒は必要だ。

 

「……」

 

 それにしても、こうしてララと旅をすることになるとは思いもしなかった。

 

 言葉にして伝える気は無いが、俺はララと旅をすることに嬉しさを感じている。

 それはララが好きだからとか、そう言う理由ではない。

 

 ヴェルスレクス――親父の娘と旅をしていると、親父と二人で旅をしていた頃を思い出すからだ。

 

 立場は今と逆。俺がララで、ララが親父の立場だった。

 

 あの頃はまだエリシア達と出会っておらず、親父とずっと二人きりだった。

 戦場で育った俺に初めて愛情を向けてくれた親父と旅をするのが好きだった。

 旅の途中で色々なことを教えてもらった。俺が持っている知識の殆どは親父が教えてくれたもの。

 

 その知識を、親父の代わりと言っては何だが、その娘であるララに授けられている。

 それがとても嬉しく感じた。

 

 親父はクソッタレな奴だったが、少なくとも俺にとっては最高の父親だった。ほんとにクソッタレだったが。

 

「……最期の言葉ぐらい、ちゃんと聞いておけば良かった」

 

 焚き火に薪を放り込み、火がパチパチと鳴いた――。

 

 



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第20話 神獣

おかげさまで毎日投稿を続けられています!
これからもご愛読お願い致します!


 

 翌朝――。

 

 朝食を済ませて道具をポーチに片付け、ルートの背に乗ってダール村へと向かった。

 

 ダール村、話に聞くところでは牛を育ててミルクやチーズを生産していたらしい。

 エフィロディアではランダルンという国に属しており、此処から売り出されるチーズは領主の好物だったと聞く。

 

 その村は、今や無惨な姿へと変わっていた。

 家は破壊され、まだ片付けられていない牛の死骸が至る所に転がっている。

 

 腐臭が酷い。半魔である俺とララにはかなりキツい臭いで、思わず嘔吐いてしまう。

 

「む? 何者だ?」

 

 ダール村で事件の調査をしているであろうランダルン戦士が俺達に気付き、警戒の色を見せて行く手を止めた。獣の毛皮とプレートを纏い、手には槍が握られている。

 

「馬上から失礼。俺はルドガー・ライオット。勇者ユーリ・ライオットを探しにこの地へと来た」

「ルドガー・ライオット? 勇者と一緒に戦ったと言う、グリムロックか?」

「そうだ」

「証明する物はあるか?」

「雷の勇者が発行した証明書がある」

 

 ポーチからエリシアが発行した身分証明書を取り出し、戦士に渡す。

 証明書を確認した戦士は姿勢を改め、書類を返してくる。

 

「失礼しました、グリムロック殿。貴殿の勇猛さは女王陛下から聞き及んでおります」

「ルドガーでいい。これは怪物の仕業か?」

「詳しくはまだ。しかし、人の仕業ではないのは確かです。魔法であるならば、その痕跡が見つかるはずですが……」

「……責任者は?」

「ご案内します」

 

 ルートから下り、ララは乗せたままルートを引いて戦士の後を付いていく。

 

 村の中に入ると、事件の残酷さがより鮮明に見えてくる。

 地面や家の壁には赤い血の痕跡があり、村の中心には被害者である村人の遺体が集められて寝かされ、布を被されていた。

 

 戦士に案内された場所はこの村の集会場だった場所で、大きな建物だが一部が破壊されている。ララを下ろして中に入ると、数名の戦士達が顔を付き合わせて話し込んでいた。

 

 案内してくれた戦士が一番屈強そうな戦士に俺達のことを耳打ちすると、その戦士はギョロリと視線を向けてくる。

 

 案内してくれた戦士は用件が済んで集会場から出て行き、俺とララは戦士達の視線を集める。

 

「グリムロック……その名を聞くのは実に五年ぶりだ。いったい何処で何をしていたのやら……」

「西の大陸で学校の教師をしてるんだよ――アーロン」

 

 その男の名はアーロン。気高きランダルンの戦士であり、二本の戦斧を握って戦場を横断する紛れもない猛者。

 身に纏いし毛皮は嘗て己が素手で殺した獅子から剥ぎ取ったものであり、今まで打ち倒してきた怪物の牙や爪を飾りにして身体の至る所に身に付けている。

 

「まさか此処の責任者がお前だったとはな」

「それほど今回の事件が重大だってことだ。そっちの嬢ちゃんは? まさか女房か? それにしては若いな」

「俺の生徒だ。訳あって一緒に旅をしてる」

「ふん、まぁそう言うことにしといてやる。で、此処に何の用だ?」

 

 アーロンは他の戦士達に此処から去るように命じ、デカい椅子に腰掛けて酒瓶を口に傾ける。

 

「勇者ユーリを探してる。此処に来たのは、アイツが最後に『怪物が騒いでる』と言ったから、それに関係があるかもしれないと思ってだ」

「ユーリねぇ……悪いが、俺も奴の所在は知らねぇ。知ってるとすりゃ、女王だけだろうよ」

「……女王に謁見は可能か?」

「……ま、お前なら大丈夫だろう。女王は強い男にしか興味がねぇからな」

 

 ほらよ、とアーロンは開いていない酒瓶を此方に放り投げ、ララには青いリンゴを投げた。

 お言葉に甘えて席に座り、酒を飲んでララはリンゴを囓る。

 

 酒を飲みながら、この事件についてアーロンに聞いてみる。

 

「この事件について、何処まで掴んでる?」

「一見すりゃあ、怪物の仕業だってのは分かる。問題はその怪物の正体だ。破壊の痕跡からそれなりのデカさだ。だが何処から現れ何処に消えたのか不明だ」

「要するに、何も分からんってことか」

「そうとも限らねぇよ」

 

 アーロンは何処からか太い葉巻を取り出し、火を点けて煙を吹かす。

 

「ふー……俺の予想じゃ、こりゃあ『呪い』だ」

「……その根拠は?」

「殺しだけを目的にしてる。それも不特定多数。そんな怪物は自然界にはいねぇ。となると呪いで生み出された怪物が暴れ回ってると、俺は考えてる」

 

 やはり、呪いか……。

 

 呪いの怪物が相手だと、ただの殺人事件とは話が変わってくる。

 それに長けた専門家が集まり、呪いによって生み出された怪物退治と術者の発見と捕縛を同時に行わなければいけない。

 

 怪物退治だって、ただ戦えば良いというわけじゃない。呪いによって生み出された怪物は基本的に不死だ。正しい殺し方をしなければ決して死なず、例え細切れにしたとしても少しすれば復活してしまう。

 

 そして一番最悪なのは、術者が既に死んでいる場合。

 呪いだけが残り、暴走してしまっている場合は更に厄介だ。呪いの解き方が分からず、呪いを封印しなければならない。封印した後も、悪用されないように厳重に保管しなければならない。

 

「ふー……せめて次の襲撃場所が分かれば、俺達で怪物を仕留められるんだがな」

「何か手掛かりは無いのか?」

 

 そう尋ねると、アーロンはテーブルの上にある物を乱暴に退かし、何かの地図を広げた。

 その地図には罰印が幾つか付けられている。

 

「これが襲われた村の場所だ。この村で五件目だ。最初の村は此処、ホドル村だ」

「どんな村だったんだ?」

「何のことはねぇ、ただの田舎村さ」

「……」

 

 地図によるとホドル村はエフィロディアの一番南橋にあり、その次に襲われた村はラールムラから北西に進んだ先にある。その次の村は北に進んだ所、その次は西……。

 

「……北西に向かってる?」

 

 地図を見ていたララがそう呟いた。

 確かに襲われた五件を繋げてみると、北や西と向かっているが、全体的に見れば北西に上っていると言ってもおかしくはない。

 だが村と村の間には別の村もある。北西しているのなら、どうして道沿いにある村を襲わず、通り越して別の村を襲ったのだろうか。

 

「襲われた村に、何か共通点は?」

「そんなもん、あったら真っ先に調べてる。北西に延びてるってのも、今回のではっきりしたばかりだ。最悪、該当しそうな場所を全て戦士で固めるしかねぇな」

「それは労力が大き過ぎるだろ。避難させる住民達だけでどれだけの時間と物資が必要か……」

「分かってるわ、んなもん。だがこれ以上被害を出す訳にはいかねぇ。女王も、ランダルンの領主も民の血が流れてたいそうお冠だ。この俺もな」

 

 アーロンは手に持っていた酒瓶を握り割った。表情にも怒りが刻まれ、どれだけこの怪物と呪いの術者に腸が煮えくり返っているのか見て取れる。

 

 アーロンの気持ちは十分に理解できる。

 俺も大切な生徒達が怪物に襲われたりしたら、その時は怪物を苦しめに苦しめてから殺したい。

 

 せめて、次の標的を割り出してやりたい。ピンポイントで戦士を配置したほうが怪物への対処の難易度は下がる。戦士達の戦力にも限りはある。分散させるより一箇所に集めたほうが断然良い。

 

 地図と睨めっこするが、地図だけでは何も情報を得られない。

 

 ここは一度村を直接調べなければいけないか。

 

「アーロン、俺達も村を調べても?」

「それは構わねぇが、良いのか? ユーリを探しに来たんだろ?」

「民達の命が脅かされてるんだ。放っては置けない」

 

 ここで力を貸さなければ、勇者達の同族として胸を張れない。

 これでも魔族から人族を守った英雄と呼ばれる男だ。そんな男が目の前で起きてる事件を無視することはできない。

 

「ララ、お前も手伝ってくれるか?」

「仕方ないな。センセに頼まれたら断れない」

「……そいつは助かるよ。仲間達にはお前達のことを伝えておく。好きに調べてくれ」

 

 俺達は村を調べる為に集会所から出た。

 

 さて、先ずは何から手を付けるべきか。一番痕跡が分かりやすいのは村人達の遺体だ。付けられた傷痕から、他では分からなくても俺なら分かることがあるかもしれない。

 

 流石にララに遺体を見させるわけにいかず、できるだけ戦士達の近くで村を見てきてほしいと伝え、俺一人で遺体が集められている場所へと向かう。

 

「さて……」

 

 近くで警備している戦士に断りを入れ、一体の遺体の布を捲った。

 

 男性遺体の表情は恐ろしいモノをみた表情で固まっていた。腹が大きく切り裂かれ、臓物がグチャグチャになっている。

 

 次の遺体も男性だ。確かめると、今度は首が切断されていた。幸いと言って良いのか、頭は綺麗に残っており、回収されて丁寧に置かれていた。

 

 次の遺体は女性の物だった。腹には大きな穴が開けられ、臓器が無くなっていた。

 

「……ん?」

 

 無くなっている臓器は肝臓だ。他は残っている。

 それから他の遺体を調べても、若い男女の遺体から肝臓だけが無くなっていた。

 

「これは……なぁ! そこのアンタ!」

「俺かい?」

 

 近くで警備している戦士を呼び止め、あることを尋ねる。

 

「他の村の遺体には、此処の彼女らのように腹部に大きな傷痕が無かったか?」

「む? いや、どうだろう……前の現場も担当したけど、そんな報告は……いや、でも確かにやけに腹が血みどろの遺体が多かった気がする」

「そうか……」

 

 鋭利な切り口を持つ怪物で、肝臓を抉り出している。

 

 その二つの特徴を持つ怪物に心当たりがある。

 もしそれが当たりなら、呪いの術者は既に死んでいるはずだ。

 

 だが、もし本当にそうなら……俺はこの怪物を殺せない。

 

 兎も角だ、この怪物の正体は予想が付いた。これをアーロンに報告して対策を練らなくちゃならない。

 

「センセ!」

「ッ!?」

 

 ララの悲鳴に近い声が聞こえた。

 慌てて声がした方へ振り向くと、ララが空を指さした。

 

 先程まで広がっていた青空がどす黒く染まっていき、黒雲に支配される。

 

 何かが空にいる。

 

 そう感じた俺は急いでララの下へ駆け付け、庇うようにして前に出る。

 異変に気が付いたアーロンも戦斧を両手に持って外に出てきた。

 

「グリムロック! いったい何が起こってんだ!?」

「さぁな! 碌なころじゃないのは確かだろうよ!」

「センセ! あれ!」

 

 ララが何かを見付けた。

 

 黒雲から超巨大な鳥が姿を覗かせた。

 あまりに巨大、巨大過ぎて全貌を視界に収めることができない。

 その大きさに俺達は言葉を失ってしまう。

 

 ――何だ、あれは……!?

 

「――ケツァル……コアトル」

 

 誰かがそう口にした。

 

 まさか、そんな……本当に実在したって言うのか?

 

 ――オォォォォォォォン。

 

 空が鳴いた。

 

 その直後、超巨大な鳥から光が雨のように降り注ぐ――。

 

「――全員伏せろォォォォオ!!」

 

 気が付いたら俺はそう叫んで背中のナハトを抜き放っていた。

 ありったけの魔力を練り上げ、今放てる最大の防御魔法を展開する。

 

「マキシド・プロテクション!」

 

 ナハトを地面に突き刺し、村全体を覆う魔法障壁を展開した。

 その障壁に光の雨が降り注ぎ、強烈な爆発を繰り返す。

 轟々と爆音が響き、大気と大地を揺らす。

 

 しかし、咄嗟の無言魔法の所為で魔法の出力が足りず、障壁に罅が入る。

 

「我、七神から授かりし盾を持ち、仇なす者から万物を守護する者なり!」

 

 後付け呪文で出力を上げ、障壁を建て直す。

 

 空から降り注ぐ光はそれでも障壁を破ろう力強く叩き続ける。

 

 これだけでは盾が持たないと判断し、危険だがもう一つの魔法を同時展開する。

 

「閉じろ! クラウザーアルチェ!」

 

 俺が知る中で広範囲に渡る魔族の防御魔法を発動する。

 村全域を魔力で形成された城壁で取り囲み、魔法障壁と一体となって強固な盾となる。

 

「アアアアアアアアッ!」

 

 全身全霊で魔力を注ぎ込み、血管がはち切れそうになったその時、光の雨は降り止んだ。

 

 気を失いそうになる感覚を味わいながら魔法を解除し、地面に崩れそうになった。

 そのまま倒れるかと思ったが、アーロンが俺を受け止めて支えた。

 

 気が付けば黒雲は消え去り、巨大な鳥も姿を消していた。

 

「センセ!?」

「おいグリムロック! しっかりしやがれ!」

 

 二つの別種の魔法を同時に使用したことで極度の魔力消耗と反動によって意識が遠退いていく。

 此処で意識を失うわけにはいかないと、ララにある物を要求する。

 

「らら……らら……あれ……あれ……を……」

「あれ!? あれって……あれか!?」

 

 ポーチを弄ろうとする俺の手を見て伝わったようだ。

 ララは俺の腰のポーチに手を突っ込み、そこから小瓶を取り出した。

 その小瓶のコルクを開け、俺の口に押し付ける。

 中の液体を呑み込むと、消耗していた魔力が沸き上がってくる感覚がやって来る。

 

「アァー!?」

 

 衝動に駆られて叫び、そのまま勢い良く立ち上がる。

 

「センセ!?」

「だ、大丈夫! 大丈夫だ! きつけの作用で身体が吃驚してるだけだ!」

 

 ララが俺に飲ませたのは、ララが作った魔力を上昇させる霊薬だ。

 俺の体内に残った少量の魔力を霊薬で強引に上げて、魔力失調を誤魔化したのだ。

 本来ならばこれは寿命を縮めるような飲み方だが、半魔である俺の身体なら耐えられる。

 誤魔化している間に魔力を回復できれば何の問題も無い。

 

「良かった……調合を間違えたのかと思った」

「いや、効果抜群だ。助かった」

「おい、グリムロック! さっきのアレは何だったんだ!?」

「何って、どっちだ? 鳥のことか?」

「それ以外に何がある!?」

 

 そう怒鳴られても、それを訊きたいのは俺のほうだ。

 

 一先ず、先程のアレで被害が出てないかを確認させ、俺とララはアーロンと一緒に集会場へと戻った。

 

 



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第21話 呪い

 

 

 集会場にはアーロン以外にも何人かの戦士達が集まり、先程現れたアレについて話し合いが行われる。

 

「アーロン隊長、アレはケツァルコアトルです!」

「あの空を覆う巨体! 間違いありません!」

「馬鹿な! ケツァルコアトルは平和の象徴! 攻撃してくる筈がない!」

「アーロン隊長! 此処は女王陛下に報告すべきです!」

 

 話し合いと言っても、彼らの中で答えは決まっていた。

 風の神ラファートの眷属であるケツァルコアトルだと言い張り、てんやわんやしている。

 

 俺はその様子を飲み物を飲みながら見ている。

 ララはまだ俺のことが心配なのか、ソワソワと落ち着かない様子で隣に座っている。

 

 やがてアーロンがダンッとテーブルを叩き、騒いでいる戦士達を鎮まらせる。

 

「喧しいぞ、てめぇら。今何を言ってもアレが何なのか確かな答えを持つ奴はいねぇ。これは報告するにしても、俺達には他にやるべきことがあんだろ。で、どうなんだグリムロック?」

 

 アーロンが俺に話を振ってきた。

 他の戦士達が俺に視線を寄越す。

 

「……ま、あの鳥のことは俺も知らない。だが、この事件には関係無いと思う」

「ほう? どうしてそう言える」

「この事件の怪物に予想が付いた。俺の知る中で一番ゲスで残酷な呪いだ」

「それは?」

 

「――ヴァーガスだ。胎児に呪いを掛けることで生まれる怪物。その力は他の怪物よりもあらゆる面で凌駕する」

 

 俺がその名を口にした瞬間、その呪いを知っている戦士達は騒然とする。

 

 顔を青くし怯える者や、義憤に顔を引き攣らせる者までいる。

 アーロンは黙って葉巻を咥え、だが沸々と怒りが内から沸き上がって来ているようだ。

 

 それもそのはず。エフィロディアの氏族達は子供を何よりも大切にする。

 子供は次第を担う大切な宝であり、何よりも尊び愛すべき存在だと教えられている。

 

 ヴァーガスはそれを踏み躙って生まれる存在。

 

 それ故、彼らは激しい怒りを感じているのだ。

 アーロンは葉巻を吹かし、静かに口を開く。

 

「グリムロック……それを口にする意味を……分かってるんだろうな?」

「ああ」

「俺達エフィロディアの氏族の中に、子供を怪物にする裏切り者がいるってことか?」

「現状ではな。もしかしたら外部の――」

 

 俺はそれ以上言葉を紡げなかった。

 

 アーロンがテーブルを引っくり返し、俺に一瞬で近寄って首を締め上げたからだ。

 そのまま柱に押し付けられ、アーロンは怒りの形相で俺を睨み付ける。

 

「俺達の魂である子供を、俺達の誰かが怪物に変えたってのか!? ええ!?」

「落ち――つけ――! まだ――そうだと決まった――!」

「例え冗談でも口にすることじゃねぇ! 憶測でもなぁ!」

「センセを離せ!」

 

 ララが杖をアーロンに向けてそう言う。

 アーロンは俺をもうひと睨みした後、俺を離した。

 

 俺は咳き込みながら息を整え、ララは俺をアーロンから庇うようにして前に立って杖を向け続けている。

 ララの手をそっと下げさせ、大丈夫だからと椅子に座らせる。

 

 アーロンの激昂は当然のことだ。

 

 エルフ族が掟を遵守するように、アーロン達エフィロディアの氏族は裏切り行為を絶対悪として見ている。

 

 つまりは仲間意識が高いとも言える。

 

 それなのに俺は彼らの前で堂々と裏切り者がいると口にしたようなものだ。

 最悪殺されてもおかしくはない。

 

 だが俺は毅然として事実を言わなければならない。

 そうしなければ救われない命があるからだ。

 

「アーロン、まだ裏切り者がいると決まった訳じゃない。外部の仕業かもしれない。だが今回の事件はヴァーガスに間違いない。若い人の肝臓だけが無くなってる。ヴァーガスが好んで食べるんだ。つまりはただの殺しじゃない。捕食だ」

「……北西へ向かっているのは?」

「それは分からない。ただの偶然かも」

「……分かった。ヴァーガスの線で考えよう」

「隊長!?」

 

「黙れ。もう五つの村が滅ぼされてる。俺達には何の手掛かりも無い。グリムロックは信頼できる男だ……嘘は言わない。だが俺達の中に裏切り者がいるとは考えていない。外の誰かがヴァーガスを生み出した。その考えで進める」

 

「……良いだろう。俺も裏切り者がいるとは考えてない」

「……悪かった。多くの子供達が殺されたんだ……」

「いや、気にしなくて良い」

 

 落ち着きを完全に取り戻したアーロンは新しい葉巻に火を点け、煙を吐き出す。

 俺は魔法を使い、散らばったテーブルを元に戻して椅子に座る。

 

 まだ魔力が戻りきっていない。ララの霊薬で誤魔化せているが、早く魔力を回復させないと効果が切れて気を失うかもしれない。

 

 それ程までにあの巨大鳥の攻撃は凄まじかった。俺の魔力の殆どを費やさなければ防ぎきれなかった。

 人族の防御魔法の中でも上級の魔法を使い、同時に魔族の魔法を使うのは身体への負担が大き過ぎた。

 あれが何であれ、あの一撃は魔王級、下手をすればそれ以上の威力を持っていた。

 

 あれが本当にケツァルコアトルなのか、俺にも分からない。

 だが何かがこの地で起きているのは確かなようだ。

 

 ユーリ……お前は今どこで何をしている?

 何を知っているんだ……?

 

 

 

    ★

 

 

 

 ヴァーガスの仕業と断定した後、アーロン達と対応策を考えた。

 ヴァーガスは夜に行動する。太陽が昇っている間は休眠状態になり、何処かで身を潜めている。隠れ場所を見つけ出すには特別な匂いを追い掛ければ良い。

 

 その匂いは嗅覚の鋭い獣族ですら捉えるのは難しい。

 だが精霊なら、それができる。

 

「ララ、頼んだ」

「ああ」

 

 ララは布で覆われている遺体の前に立ち、杖を取り出した。

 

「風の精霊よ来たれ――シル・フージェント」

 

 杖を軽く振るうと、杖先から緑色の風噴き出し、小さな犬の形を取った。

 

「頼んだぞ」

 

 ララがそう伝えると、風の子犬は遺体の周りをグルグルと駆け回り、何かを見付けたのか何処かへと走り去っていく。

 

 ルートに乗って俺とララはその子犬を追い掛けていき、村を出た。

 子犬を追い掛けて数十分、漸く子犬は足を止めて姿を消した。

 

 その場所には古城があった。随分と古い、もう誰も住んでいない廃墟と化した古城だ。

 

「此処にいるのか? そのヴァーガスってのは……」

「みたいだな。精霊はどんなに微かな匂いでも嗅ぎ取れる。ヴァーガスの匂いは特殊だ。獣族でも嗅ぎ取れないほど微かだ。この城にヴァーガスは隠れてる」

「殺すのか?」

 

 ララは背中越しに俺を見上げる。

 俺は首を横に振った。

 

「殺せない。ヴァーガスは胎児に呪いを掛けて生まれる。赤ん坊が望んでやったことじゃない」

「じゃあ……」

「……呪いを解けば助けられる、かもしれない」

 

 試した例は無いが……。

 

 だが俺は戦争じゃない限り、子供を殺す気なんてない。

 村を襲ったのはその子の意思なんかじゃない。術者が何を考えていたのかは知らないが、その術者の意志でそうさせたのだ。

 

 例え大勢の人を殺そうとも、赤ん坊は救われるべきだ。

 

「できそうなのか?」

「やるしかない。一度村に戻るぞ」

 

 ルートで来た道を引き返し、アーロン達がいるダール村へと戻った。

 

 集会場でアーロン達にヴァーガスの隠れ場所を伝え、そこが嘗てランダルンの領主が持っていた城だと分かった。

 その城は呪われていると言われ、領主の一族が不審死を繰り返した。

 その為放棄されたが、呪いの所為もあって打ち壊されずにそのまま残っているらしい。

 

「で? どうするつもりだ?」

 

 アーロンが尋ねる。

 

「城に結界を張ってヴァーガスを閉じ込める。ヴァーガスの呪いを解くには銀の鎖で縛り付けて力を失わせる。それから解呪の魔法を掛けるしかない」

「それで呪いが解けるのか?」

「……ヴァーガスの呪いを解くのは初めてだ。何が起こるか分からない」

「ちっ、結局はでたとこ勝負ってことか」

 

 仕方が無いだろう。ヴァーガスの存在自体稀有なものだ。遭遇すること自体生きている内に一度あるかないかの確率だ。文献にだって専門的な解呪方法が載っている訳じゃない。解呪の魔法だって、ヴァーガスに使う為の魔法じゃない。専用の魔法じゃなければ、解呪の成功率は低いかもしれない。呪いを解けるかどうか、それは本当にでたとこ勝負になる。

 

 だが必ず呪いを解いてみせる。赤子を助けなければ。

 

 アーロン達を引き連れ、日が昇っている内に古城へと向かう。

 

 古城の周囲を戦士達で囲み、俺が教えた即席の結界魔法を展開させることにした。常時展開し続けなければいけないが、それは交代で行ってもらう。

 

 日が沈むとヴァーガスは城から出ようと、城の何処かから姿を現すはずだ。

 そこを見つけ出して銀の鎖で拘束し、力を失わせる。

 

 やることは至って単純だ。だが実際はそんなに甘くはない。

 

 ヴァーガスの力は怪物の中でもかなり強力。単純な怪力だけでもかなり厄介だ。

 古城に突入するのは俺だけだと考えていたが、アーロンも同行すると言い出した。

 

 アーロンの腕前なら申し分ない。

 だが問題はララだ。ララを古城へと同行させるような危険を冒させたくない。

 

 最初はアーロンに警護を任せようと思ったが、アーロンは頑なに同行すると言ってきかない。

 ランダルンの戦士の実力を疑っている訳じゃないが、こうなると俺の側にいさせたほうが俺が安心する。

 

「ララ、城の中では俺から絶対に離れるな。物珍しい物があっても決して触れるなよ」

「分かった。私はそこまで子供じゃない」

「お前には力がある。それは理解してる。お前を認めてない訳じゃない。いいな?」

「……ああ」

 

 ララに危険な行動をしないと約束させ、時が来るのを待った。

 やがて太陽は西へと沈んでいき、月が出た。星が輝き、暗い世界を光で満たす。

 

 その時がやって来た。

 

「行くぞ。準備は良いか、アーロン?」

「ったりめぇだ」

「ララ」

「ああ」

 

 戦士達に合図し、教えた結界魔法を展開させる。

 

『我、汝を閉じ込める者なり――フォース・プリズン』

 

 俺達と古城を白い光の結界が覆う。

 これで展開し続けている限り、ヴァーガスがすぐに外へと出ることはない。

 

 正直言って、この結界がどれだけ役に立つかは分からない。けれどあるに越したことはない。

 

 古い木の門を開けて古城の中に入る。

 最初に俺達を出迎えたのは埃臭いエントランスだが明かりも無く、視界が暗闇で遮られる。

 

 手に魔力を灯し、光の魔法を発動する。水晶玉程度の大きさの光が手から離れ、一定間隔で分裂していって広がっていく。

 光が暗闇を照らし、古城の内部を明かりで満たす。

 

 嘗ては豪華絢爛の装飾が施されていたのだろう、朽ち果てた内装にはその面影がある。

 前の持ち主は美術品の収集家でもあったのか、おそらく価値のある壺やら武具やら絵画やらが飾られている。

 

「薄気味悪いな……」

 

 ララが辺りを警戒しながらボソッとそう言う。

 

「こういう場所にはゴーストが棲み着く。大抵は悪戯で済ませる奴らばかりだが、長年同じ場所に棲み着くと力が増す。その力に飲まれて悪霊と化すのがオチだ」

「また悪霊祓いが必要?」

「そうだな。ゴーストにも効くから、そいつらの相手はお前に任せよう」

「ふふん、任されよう」

 

 ララは可愛らしく胸を張った。

 俺はその様子を見て軽く笑い、アーロンはやれやれと肩をすくめる。

 俺の左後ろをララが歩き、右隣をアーロンが歩く。

 

「随分と仲が良さそうじゃねぇか。本当に教師と生徒か?」

「本当だよ。まぁ、知り合いの娘だからな。贔屓な部分は否定しない」

「へ、そうかい。なら女房は? いないのか?」

「は?」

 

 突然何を言い出すんだ。

 此処はもう相手のテリトリーなのだから警戒を強めてほしいものなんだが。

 

 アーロンは構わず話を続ける。

 

「お前もいい歳だろ? 身を固めて子供を作らねぇのか?」

「何を言い出すんだ……。俺は誰ともくっ付くつもりはねぇよ」

「何でさ?」

「……」

 

 半魔だから、と答えそうになったのを咄嗟に堪える。

 

 それが本当の理由だが、そう答えてしまうと同じ半魔であるララがショックを受けると思った。

 

 混血は何かと生き辛い世の中だ。それが半魔となると、世間からの当たりが強くなり、一緒に居るだけで嫌われる。

 

 それにもし俺が子供を誰かとの間に儲けたら、その子は当然魔族の血を受け継ぐ。力も受け継いでしまえば、その身が保たないかもしれない。縦しんば保ったとしても、何かしらのハンデを負わされる可能性が高い。

 

 そんな辛い人生を子供には歩んでほしくない。

 だから俺はこの先誰とも一緒にならない。

 

 だけど、そう考えるとララは? ララも一生独りで生きていくことになるのか?

 

「……グリムロック?」

 

 考えに耽って黙ってしまったのか、アーロンが訝しむ。

 何でもないと平静を装い、適当に理由を答える。

 

「いや……いい父親になれない気がするからな。お前のほうこそどうなんだ?」

「女房は三人、子供は五人だ」

「さん!?」

「あー、そういやエフィロディアの氏族は多夫多妻だったか」

「たふ!?」

 

 ララが目を見開いて驚く。

 

 そう、エフィロディアは多夫多妻という異色の文化を持つ。

 最初は一夫多妻だったが、女性の実力者が台頭してからは夫を複数人持つようになった。

 多夫多妻は力の表れでもあるし、優秀な子孫を多く残す手段でもあった。

 

 前国王なんかは十数人もの妻が居たし、歴史で見れば百人単位で妻が存在していた時代もある。

 

 そう言えば、グンフィルド女王は結婚したのだろうか。

 カレーラスの当主の頃はまだ居なかったが、女王になってからは一人や二人ぐらい夫がいるだろう。

 

「女王は結婚したのか?」

「……」

 

 アーロンは黙った。

 それも何とも言い難い顔をして。

 

「……え、してねぇのか?」

「……お前達の所為だ」

「何で?」

「女王は強い男を好む。そこで質問だ。今の世の中で最も強い男に部類される者達とは?」

「そら……あー……」

 

 そこまで口にして何故だか分かった。

 今この世で最も強いかどうかは別にして、最強の部類に入る男は誰か。

 

 それは勇者達だ。おまけで俺だ。

 つまり、女王が結婚するとしたら勇者の男共か俺しかいないということだ。

 

「なんか……スマン」

「ちょうど良い。お前、女王と結婚しろ」

「断る。ユーリはどうした? というか、アイツの居場所知らねぇか?」

 

 此処でアーロンから有益な情報が聞ければありがたいが、残念ながらアーロンは首を横に振った。

 

「三年前から姿も見てねぇ。女王なら何か知ってるかもしれねぇがな」

「ったく、何処で何してんだよアイツは」

「っ……センセ、あれ」

 

 ララが何かを見付けて杖を指した。

 その先にはユラユラと揺らめく何かがあった。

 ヴァーガスかと警戒したが、それは以前にも見た悪霊の類いだった。

 フードを被り、ボロ切れの布が辛うじて人の形に見えるその悪霊は、廊下を真っ直ぐ此方に近寄ってくる。

 

「ありゃあ、レイスか?」

「それに近いゴースト体だろ。あの程度ならララでも祓える。ララ、任せた」

「うむ……呪文は唱えたほうが良いのか?」

「無言でできるのなら、試してみな」

 

 そう言うと、ララは杖を手首でくるりと回し、悪霊祓いの精霊魔法であるルク・エクソルを発動した。

 

 以前は光の霞だったが、魔法が洗練されたのか光の壁となって悪霊を押し退けた。

 威力が随分と上がっている。低級の魔法だが中級程度の魔法に仕上がってるな。

 

 初めてララの魔法を見たアーロンは口笛を吹いて感嘆を表した。

 

「凄ぇな。無言魔法か。その歳でよくやる」

「ララは魔法力が高い。教え甲斐のある生徒だよ」

「……薄々思っていたが、魔族か?」

 

 アーロンからそんな声が上がった。

 意図して黙っていたが、長くは誤魔化せなかったか。

 

 魔法力が高いと言ったのがマズかったか? いや、そもそも銀髪の時点で魔族と言っているようなものか。黒髪と銀髪は魔族特有の色だし、人族じゃ見ないからな。

 

「……半魔だ。センセと同じ」

「……いや、すまねぇ。安心しな、嬢ちゃん。偏見な目はねぇよ」

 

 アーロンはララを否定しないでくれた。

 

 アーロンの良い所はこういう所だ。魔族だろうが何だろうが、敵でなければ懐疑的な目で見ない。懐が深いと言えば良いのか、初めて俺と会った時も、半魔である俺を戦士の一人として最初から受け入れてくれた。

 

 アーロンにララのことを言わなかったのは、アーロン以外の者達に知れ渡るのは念の為避けておきたかったからだ。

 

 その後も老朽化でボロボロになった廊下を進んでいき、その道中でゴーストが現れたらララに祓ってもらう。

 

 それにしても、本当にゴーストが多いな。そこまで危険度の高いゴーストはいないが、数が異常だ。

 

「アーロン、この城は確か曰く付きだとか言ってたな?」

「ああ。最初にこの城を所有していた当主が女絡みで問題を起こしてな。それで女の方が呪いを掛けて自殺したのさ。それ以来、当主の血縁者は不審死をこの城で繰り返した」

「いつの世も男はどうしようもねぇな。それで? 呪いを解こうとしたり何なりしたのか?」

「当然さ。だが呪いを解こうとした者は皆あの世だ。結局、城を放棄して去ったのさ」

「……ならちょっと面倒かもな。そこまで強力な呪いを掛けたのなら、自殺した女が悪霊になって棲み着いてるかもしれない。ヴァーガスだけでも厄介なのに……」

「仕方ねぇ。悪霊になってないことを祈るしかねぇよ」

 

 確かに、祈るしかない。

 だが経験上、こういう場合は必ず悪い方向へと物事が動く。

 せめてララが怪我を負わないように立ち回らなくては。

 

 そのまま廊下を進んでいくつかの部屋を探索した。そろそろ夜も濃くなる頃合いだ。

 ヴァーガスが休眠から目覚め、城から出始める。そうなれば必然と気配で居場所が判明するだろう。

 

 その内、他のとは違う印象のドアが目の前に現れた。

 かなり大きく、おそらく古城の中でも一番広い部屋に繋がっているのだろう。

 

 俺とアーロンは己の武器を手に握り締め、ララには俺達の後ろに下がっているよう伝える。

 

 そしてドアをナハトで押し開き、中へと入った。

 部屋の中はかなり広く、装飾や様式の面影から舞踏会でも開く大広間と言ったところだ。

 柱や天井が崩れ落ち、床には瓦礫が散らばっている。

 

「アーロン……こういう場所に来た時、決まって大当たりって感じたことは?」

「奇遇だな……俺もしょっちゅうそう感じる。例えば、アレとか」

 

 俺達の目の前には大広間に似つかわしくない巨大な棺がある。それは明らかに古城に最初からあった物ではない。何者かが此処に運び込んだ物だ。

 

 その証拠に、棺が置かれている床には引き摺ったような痕跡がある。それもごく最近に付けられたものだ。

 悪霊の気配は感じられない。その他の怪物の気配も無い。

 

 俺とアーロンは頷いて示し合わし、ゆっくりと棺に近付く。ララは常に真後ろに付けさせ、マントを握らせる。

 

 棺の前まで辿り着き、ナハトで棺をコンコンと突いた。

 

『……』

 

 何も反応が無い。

 ヴァーガスはまだ起きていないのか、それとも中には何も入っていないのか。

 

「……開けるぞ」

「……ああ」

 

 アーロンは両手の戦斧を握り直す。

 ナハトの切っ先で棺の蓋をゆっくりと押し開く。

 

 ズズズズッと重い音が鳴り、蓋がずれていく。

 

 いよいよ中身が見えそうになったその時、蓋が中から何かに吹き飛ばされた。

 

 

 



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第22話 勇者ならば

 

 

 俺はララを抱えて棺から跳び離れ、アーロンも同じように離れた。

 

「アーロン!」

「こっちは大丈夫だ!」

 

 棺からは巨大な腕が伸びていた。

 黒っぽい肌に黒く鋭い爪、肘からも角のような物が生えている。

 

 その腕の持ち主は棺から這い上がり、全貌を露わにした。

 膨れ上がった規格外の筋肉に鋭く並び立つ牙、獣のように伸びた口先と狼を連想させるような灰色の髪の毛を生やし、その姿はまるでウルフマンの亜種のような姿だ。

 

『グオオオオオオッ!』

 

 これは予想外だ。

 俺が知っているヴァーガスとはまるで姿が違う。

 ヴァーガスはもっと邪悪で醜い姿をしている。

 

 だがこのヴァーガスは邪悪というよりも、何処となく気品さを感じられる。

 

 違う……これは人族から生まれたヴァーガスじゃない!

 

「魔族か……!?」

 

 目の前のヴァーガスから感じられる魔力は魔族の物だ。混ざり気無しの純粋な魔族の胎児をヴァーガスに変貌させたと言うのか。

 

『ッ!』

 

 ヴァーガスが俺を捉えた。

 そう認識した時にはヴァーガスの爪が俺の眼前に迫っていた。

 

 後ろに倒れるように爪を避け、ほぼ反射的にヴァーガスを蹴り上げるようにして足を出した。蹴りはヴァーガスの腹に当たるが、固い筋肉で受け止められる。

 

 ララを魔法で更に後ろへと強制的に下がらせ、ヴァーガスの顔面に拳を叩き込む。拳は顔面にめり込むが、少し顔を動かしただけで全く効いていない。

 

 反撃の拳が俺の腹にめり込み、そのまま天井まで打ち上げられ、背中を天井に打ち付けてしまう。

 

「グリムロック! このォ!」

 

 アーロンがヴァーガスに向かって両手の戦斧を振るう。

 

『グルゥ!』

 

 ヴァーガスは俊敏な動きで戦斧をかわしていき、アーロンに蹴りを見舞いする。

 アーロンは咄嗟に戦斧を割り込ませるが、そのまま壁へと蹴り飛ばされる。

 

『ウォォォォォォン!』

「チィッ!」

 

 床に着地した俺はポーチから銀の鎖を取り出す。銀の鎖を振り回して左腕に巻き付け、即席の銀のガントレットへと変える。

 

 あれが魔族であれヴァーガスであることには変わりはない。なら銀には弱いはず。

 当初の予定とは少し違うが、少し痛い目に遭わせて大人しくさせるしかない。

 

「来い! 俺が相手だ!」

『グルァア!』

 

 ヴァーガスは素早い動きで俺に迫る。

 

 振るわれた爪を右手のナハトで弾き、左手の銀の鎖で顔面を殴る。

 鎖で殴り付けたヴァーガスの頬から肉が焼けるような音が聞こえて煙を上げる。

 その傷が痛いのか、ヴァーガスは此処で初めて威嚇ではない鳴き声を上げた。

 

 よし、銀は効く。このままコイツで殴り続ければ鎮静化できる!

 

「ララ! 俺とアーロンを魔法で援護しろ!」

「分かった!」

「アーロン!」

「おうよ!」

 

 アーロンにもう一つの銀の鎖を投げ渡し、受け取ったアーロンは銀の鎖を俺と同じように左腕に巻き付ける。戦斧は右手にだけ持ち、二人でヴァーガスと対峙する。

 

 殴り付けたヴァーガスの頬は軽い火傷の痕が残り、しかしすぐに再生された。

 再生力も高いようだ。これでは鎖で朝まで拘束なんてできたもんじゃない。何か他の手段を考えなければ、夜通し戦い続けることになる。

 そんな長時間も戦い続けることは現実的ではない。できたとしても、結界の外に出さないようにちょっかいを出してヴァーガスとの追いかけっこを披露するだけだ。

 

「フンッ!」

 

 アーロンが飛び出すフェイントを掛け、俺がヴァーガスに迫る。

 反応が遅れたヴァーガスの顔面を左腕で薙ぎ、怯んだところを更に叩く。

 皮膚を銀の鎖で焼かれる痛みに吠えながら、ヴァーガスは反撃してくる。

 鋭い爪が振るわれ、ナハトで受け止める。その間にアーロンが左腕を前にしてヴァーガスにタックルし、吹き飛ばしたところを狙って飛び込んでヴァーガスの腹に拳を叩き込む。

 

『アオォォォン!』

「くっ!」

 

 振るわれたヴァーガスの腕を左腕で受け止めるが、銀の鎖ごと左腕を掴まれて投げ飛ばされる。壁にぶつかって床に転げ落ちるも、すぐに立ち上がって体勢を整える。

 ヴァーガスは身を屈め、バネのように脚を使って突撃してくる。

 ナハトで攻撃を受け止めようとするが、咄嗟にその判断を変えて身を伏せる。

 風切る速さで突進してきたヴァーガスはそのまま爪を薙ぎ、俺の背後の壁を斬り砕いた。

 ヴァーガスは床に転がっている俺に追撃を仕掛け、俺は風の魔法を床に放ち、その衝撃でヴァーガスから離れる。

 

「オラァ!」

 

 アーロンがヴァーガスの背後から殴り掛かり、背中に拳を叩き込む。

 アーロンの怪力でヴァーガスは床に叩き付けられるが、アーロンに蹴りを放って反撃する。

 蹴りを戦斧で受け止めるが、そのまま宙に浮かされてしまう。

 無謀になってしまったアーロンにヴァーガスは爪を突き立てる。

 

「させない!」

 

 ララが杖を振るい、ヴァーガスを風の魔法で突き飛ばす。

 ダメージは通らないが、ヴァーガスの攻撃を阻止することはできた。

 

 そのままララは自身の周囲に氷の鏃を出現させ、ヴァーガスに向けて放つ。

 ヴァーガスは腕を前で交差して氷の鏃を防ぐ。その間に俺とアーロンはヴァーガスに飛び掛かり、交互に銀の鎖の拳で殴り付ける。

 

「光の精霊よ来たれ――ルク・サンクトリウス!」

 

 ララによる魔法の支援で銀の鎖の浄化力が上昇する。

 俺とアーロンは鎖を左腕から伸ばし、ヴァーガスの身体に巻き付ける。

 ヴァーガスは両腕ごと身体を鎖で縛られ、鎖と接している部分が浄化によって焼けていく。

 

『グルォォォォォ!』

「グリムロック! このままいつまでも抑えられねぇぞ!」

「分かってる! だが辛抱しろ!」

「何とかならねぇのか!?」

「この子を殺す訳にはいかねぇんだ! 泣き言言ってんじゃねぇ!」

「誰が泣き言なんか言うかボケェ!」

 

 だがアーロンの言う通り、このまま鎖で拘束し続けることは難しいかもしれない。

 俺達の力でもヴァーガスが暴れる動きに身体が引っ張られる。少しでも力を緩めれば振り回されて鎖を離してしまいそうだ。

 

 これじゃあ、解呪の魔法を発動する隙が無い。

 

「ララ! 何でも言い! 拘束魔法を!」

「えっと、えっと……! 光の精霊よ来たれ――ルク・ド・イリガーレ!」

 

 床や天井から光の鎖が現れ、ヴァーガスを縛り上げていく。

 ヴァーガスは暴れることができなくなるが、その代わり鎖を力尽くで引き千切ろうと力を込め始める。

 銀の鎖も光の鎖もギチギチと音を立て始め、今にも砕かれそうだ。

 

「くそ! アトラク!」

 

 ポーチに入っている銀の鎖を全て魔法で呼び出し、宙に浮かせる。

 

「バインド!」

 

 その鎖を魔法で操り、ヴァーガスに巻き付けていく。

 ほぼ首だけになったヴァーガスは焼かれていく痛みに堪え、絶叫を上げる。

 

『ウォォォォン!』

「よし! このまま拘束し続けられそうだ!」

「だが焼き殺しちまわねぇか!?」

「力を奪っていくだけだ! 痛いだろうが、我慢してもらうしかねぇ!」

 

 銀は邪なモノを浄化する作用を持つ。その過程で確かに焼けるような痛みは起きるが、ヴァーガスであるのならば死にはしないし、呪いが解けても精神に異常をきたすことは無い。

 

 それにそこまで気をやっていてはこの子を救うことはできない。

 此処は心を鬼に徹して痛みを与え続けるしかない。

 

 しかし、ヴァーガスの力は俺の予想を超えていた。

 

『グルォォォォォン!』

 

 ヴァーガスが吠えると、ヴァーガスから強大な魔力が発生した。

 それはヴァーガスを包み込み、ヴァーガスと一つとなって力を与えた。

 

 全ての鎖を一瞬で砕き、俺とアーロンはその反動で倒れてしまう。

 

 すぐに起き上がり、何があったのかを確かめると、ヴァーガスはその姿を変えていた。

 筋肉で膨れ上がっていた身体は萎み、極限まで脂肪を落としたような体型になり、肌は赤黒く変色していた。黒い魔力の靄を全身に纏い、まるでボロボロのローブを纏っているような姿になっている。

 

 何だ、あれは……? 身体付きは俺が知っているようなヴァーガスに近い。

 だが全身の纏っている魔力は何だ?

 あれではまるで悪霊のようじゃないか……?

 

「悪霊……?」

 

 ふと、ある考えが脳裏を過る。

 

 この古城には数多のゴーストが棲み着いていた。

 ゴーストとは霊体、つまりは魔力の塊に近しい存在。

 その存在を取り込んで己の力に転換する技も現実に存在する。

 

 そしてヴァーガスは呪いによって生み出された存在、悪霊やゴーストに反応しやすい体質だ。

 もし、仮にだ。

 

 このヴァーガスが霊体を取り込むことができたとすれば――。

 

『オオオオオオオオッ!』

 

 ――このヴァーガスは更に上位への存在に進化する。

 

 ヴァーガスの咆哮と共に魔力が衝撃波となって巻き起こり、俺達を壁まで吹き飛ばした。

 

 咄嗟にララへ防御魔法を掛けることができたお陰で、ララが壁に激突することは避けられた。

 俺とアーロンは壁に激突したが、これしきのことでは怪我を負わない。

 

 ヴァーガスは先程よりも素早く、瞬きした時には既に俺とアーロンの隣に移動していた。

 俺とアーロンに掌を向け、魔力を撃ち込んできた。

 俺はナハトで、アーロンは戦斧で魔力を防ぐ。

 

 このヴァーガスが吐き出す魔力、基が魔族だからか毒素に汚染されている!

 一度でも全身に浴びてしまえば、俺とララなら兎も角、人族であるアーロンなら致命傷に関わる!

 

 ヴァーガスは魔力を撃ち込んですぐに姿を消した。

 透明になったとか、この部屋からいなくなったとかじゃない。素早い動きで姿を捉えられないだけだ。

 

 ララの周囲に防御魔法を張り、俺とアーロンは背中合わせになる。

 

「奴は何処だ!?」

「落ち着けアーロン! 攻撃してくる時は真っ直ぐだ!」

「簡単に言うなボケ!」

 

 ヴァーガスが移動する際に生じる風を切る音だけが聞こえる。

 僅かに纏っている魔力の残り滓が移動の足跡を残し、目で追いかけても既にそこにはいない。

 

「――そこ!」

 

 右側から気配を察知し、咄嗟に攻撃を防ぐ為にナハトを振るう。

 しかしナハトはヴァーガスに触れることなく、ヴァーガスの身体を通り抜ける。

 

「なっ――霊体化!? ゴーストを取り込んだ所為か!?」

 

 聞いたことがある。

 霊体を取り込んだ際には、その霊体が持つ特性を引き継ぐことがあると。

 

 それでもまさかヴァーガスが霊体化するとか、そんなの反則だぞ!

 

 ヴァーガスは素早い動きと霊体化で俺とアーロンを翻弄し、何度も攻撃を仕掛けてくる。

 その攻撃を凌ぐだけで精一杯になってしまい、防戦一方に苦戦を強いられる。

 何とか反撃の糸口を見付けて耐性を整え直さなければいけない。

 

「ルク・ド・エクソルズ!」

 

 その時、ララから悪霊祓いの魔法が放たれる。 

 聖なる光が部屋一面を満たし、影という影を消していく。

 

 いったい何を、そう思ったがすぐにララの考えを理解した。

 今のヴァーガスはゴーストを取り込んでその特性を引き継いでいる。

 

 なら、悪霊祓いの魔法が効いても何ら不思議ではない。

 

『ウォォォォ……!』

 

 思った通り、悪霊祓いの光がヴァーガスを捕らえた。光に押し出される形で姿を現し、纏っていた魔力も剥がれ落ちた。

 

「でかしたぞララ!」

 

 砕けて床に散らばっている銀の鎖の残骸を浮遊魔法で操り、ヴァーガスへと飛ばして全身に張り付かせる。

 

 残骸とは言え銀、弱っている今なら動きを封じるぐらいはできるはずだ。

 浄化の力で藻掻き苦しむヴァーガスを見て、今がチャンスだと、解呪の魔法を使用する。

 

「我、聖なる光を持ちて悪しき力を退け、不浄なるモノを清浄へと誘う者なり――マキシド・ディスペル!」

 

 ヴァーガスを中心に六芒星の陣を描き、足下と頭上の二つに分ける。二つの陣でヴァーガスを挟み、陣から放たれる光によって呪いを洗い流そうと試みる。

 

 解呪の魔法は集中力が必要になる。術者の心に比例してその強さを変える。

 心が弱い者が使えばより弱く、心が強い者が使えばより強くなる。

 今、俺が発動したのは人族の解呪魔法の中でも上位の物だが、発動だけでも相応の心の強さが必要になる。

 

 俺はあの子を救いたい。

 

 その思いを強く持ち、魔法に込める。

 

「解ッ!」

 

 ヴァーガスを挟み込むように、手を縦に叩いて二つの陣を閉じる。

 バチバチと激しく魔力が弾け合い、強烈な光が溢れる。

 

『オォォォォォン!』

「いっけぇぇぇえ!」

 

 やがて光は弾けて消えた。

 

 ヴァーガスが立っていた所からはシューと音が聞こえ、煙が立ち籠めている。

 解呪に成功したのか否か、煙が晴れるまでは分からない。

 

 警戒を怠らず、煙が晴れるまでジッと待つ。

 

 正直言って、今の解呪魔法で俺の魔力はもう殆ど残っていない。まだあの巨大鳥に使った防御魔法分の魔力が回復しきっていない状態で、上位の解呪魔法を使用した。

 これで上手くいかなければ、撤退か最悪の結果として殺すしかなくなってしまう。

 

 やがて煙が晴れていき、ヴァーガスが立っていた場所がはっきりと見えるようになった。

 

「これは……!?」

「子供……だと……?」

 

 そこで意識を失っているのは四、五歳程度の男の子だった。

 

 俺はてっきり、呪いが解けたら赤ん坊に戻ると思っていた。

 

 これはどう言うことだろうか。怪物の姿からして、もしかしてヴァーガスでは無く、他の怪物だったということか?

 いや、だが銀の鎖は効いたし、肝臓だけを狙うのはヴァーガスだけだ。

 

 ならこの子はいったい……?

 

「グリムロック、どういうことだ? ヴァーガスは赤ん坊のはずだろ?」

「分からない……もしかして、成長した? 魔族なら成長速度が早い種もいるが……」

「……何にせよ、呪いは解けたんだな?」

「ああ」

 

 それははっきり言える。もうこの子から呪いは感じ取れない。

 

 俺達はこの子を呪いから救えたのだ。

 

 マントを外し、裸の男の子を包んで抱き上げる。

 呼吸もちゃんとしている、魔力の流れも正常だ。

 魔族の証である黒髪を撫で、生きて救えたことに感謝する。

 

「待て、グリムロック」

 

 アーロンが戦斧を握り締めて俺を止めた。

 僅かだが、彼から殺気を感じられた。

 

「……何のつもりだ、アーロン?」

「その子をどうするつもりだ?」

「……お前はどうするつもりだ?」

「……その子は多くの人を殺した」

「この子の意思じゃない。この子を利用した何者かの仕業だ」

「それでもその子に殺された同胞がいる。俺達が、俺達の法で裁く」

 

 それは一理ある話だ。

 

 この子にその意思が無かったとしても、罪を犯す行為をしたのはこの子だ。

 この子に対して恨みを抱く人が必ずいる。何の責も負わせず野放しにすることを許せない人が彼らの中に存在する。

 エフィロディアにおいて子供は至高の宝だ。だからこそこの子を正しく裁きたいのだろう。

 

 しかし、だ――。

 

 俺は彼らに一つだけ懸念がある。

 

「……アーロン、お前を信じていない訳じゃない。だが……お前達人族が、魔族に対して平等な目で見ることができるのか?」

「……」

 

 そう、この子は魔族だ。

 

 魔族は人族にとって嘗ての戦争相手。憎しみの象徴と言っても過言ではない。

 彼らが子供を宝にすると言っても、その子供が魔族ならその限りではないはずだ。

 

 この子にとって魔族という血は、それだけで人族に迫害される危険を孕む。

 

 アーロン達エフィロディアの戦士がそのような下劣な行為をするとは思いたくはない。

 だが彼ら以外の多くの人族は違うだろう。

 

 この子は漸く救われた。俺はこの子に地獄を見せる為に救った訳じゃない。

 

「それじゃあ……どうするつもりだ?」

「…………俺が引き取る」

「何?」

「ヴァーガスの呪いが解けたのはこれが初めてだ。何がこの子に影響しているか分からない。殺戮衝動が刷り込まれているかもしれない。教育が必要だ」

「……もしその子がまた殺したら?」

「その時は……俺が責任を持ってこの子を殺す」

「それだけじゃ足りねぇ。お前も死ね。それが責任だ」

 

 アーロンの条件に、俺はララに視線を向けてしまう。

 

 この命はララを守る為にあると、あの日の夜、二つの指輪に誓った。

 此処で勝手に頷いてしまえば、この子の為に命を使うと、誓いを破ることになってしまうと思ったからだ。

 

「……」

 

 ララは静かに頷いてくれた。

 アーロンに視線を戻し、首を縦に振る。

 

「分かった。この子がまた怪物になって殺しをしたら、この子を殺して俺も死のう」

「……お前だから信じてやる」

「お前のそういう所は好きだぜ」

「止せ、気色悪い」

 

 アーロンは戦斧を背中にしまった。

 

 これで一先ずはこの子を救うことができた。

 勇者の同族として、兄貴分として、ララの勇者として胸を張って誇れることをしたと思う。

 あとはこの子を怪物にしないように、覚悟を持って育ててみせる。

 

 男の子を腕に抱え、俺達は古城を後にした――。

 

 



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第23話 エフィロディアの女王

 

 

 古城での一件から数日が経った。

 

 俺とララはアーロンの協力を得て、エフィロディアの女王が住む国ラファン、その首都であるメーヴィルへと向かっていた。

 

 アーロンから馬車を頂戴し、馬も一頭貰い、ルートを含んで二頭で馬車を引かせた。

 物資も幾らか貰い、これで旅の道中はそれなりに快適なものになった。

 

 さて、件の男の子についてだが。

 

 一度、アーロンと数人の戦士達を伴って古城近くの村の宿屋で、男の子が目覚めるのを待った。

 目を覚ました途端、男の子は一番近くにいた俺に噛み付いてきた。噛まれたと言っても鎧の上からだ、傷は負わなかった。

 

 ヴァーガスの時に刷り込まれた防衛本能なのだろう、俺達を強く警戒して動物のように威嚇してきた。

 

 俺達が敵ではないと示す為に、武器は全部外して手を差し伸べた。

 再び噛み付かれたが、噛む力は子供のそれと同じで、俺の手では噛み痕が残るだけだった。

 

 そのまま男の子を抱き締めてやり、子供をあやすように髪を撫でてやると、敵意が無いと伝わったのか口を手から離してくれた。

 

 それからは温和しいものだった。俺を敵ではないと認めてくれてからは、俺の真似をするようになり、ヴァーガスのような凶暴性を見せることはなかった。

 

 男の子の安全性に一先ず安堵し、アーロン達も思う所はあるだろうが男の子を約束通り俺に預けてくれた。

 

 今は馬車の中で、俺から言葉を学ぼうとしている。

 

 男の子は言葉を理解していなかった。やはり、ヴァーガスとして生まれてから身体だけが成長しているようだった。

 それがこの子の魔族としての特性なのか、ヴァーガスになった影響なのかは不明だが、この子の状態はちぐはぐだ。

 

 赤ん坊のように泣き喚くことはせず、ちゃんと物事を考えられるぐらいには精神が育っている。だが分別の判断は付かず、子供が何でも口の中に物を入れるような行動を取る。性格も落ち着いているが、それが却って子供らしくない。

 精神年齢は見た目以上のようだが、知能は赤子に等しいという特殊な状態である。

 

 それでも教えたことはすぐに理解できるようで、まだ満足に言葉は話せないが、単語を話したり、ある程度の意思疎通はできるようになった。

 

「シンク、これは『リンゴ』だ、リ・ン・ゴ」

「り……ん……ご」

「そう、リンゴ。甘酸っぱくて美味しいぞ」

 

 俺は男の子にシンクと名付けた。

 名の意味は古代の言葉で『旅人』という意味だ。

 この子はこれから色々の旅をして大人に成長してほしい、そんな願いを込めて名付けた。

 

 シンクは俺から受け取ったリンゴをまじまじと見つめる。そして小さな口でシャクリとリンゴを囓り、モゴモゴと口を動かす。

 

「美味いか?」

「うま、い……?」

「あー……もっと食べたくなるか?」

「……うん。シンク、リンゴ、食べたい」

「そうか、そうか」

 

 シンクの頭を撫でてやる。

 シンクは言葉を覚え始めてもあまり話さない。顔も無表情に近いが、それはまだ感情の出し方を覚えていないからだろう。感情が無い訳じゃない。自ずと表情も豊かになっていくだろう。

 

 シンクがリンゴを食べる姿を眺めながら、手綱を握っているララに話しかける。

 

「ララ、そろそろ代わるか?」

「だ、大丈夫だ。やっとコツを掴んできたところだ」

 

 馬車になってから、ララは馬の操り方を学び始めた。馬も二頭に増え、シンクも旅に加わったことで、いつまでも俺に任せる訳にはいかないと言い出した。

 

 乗馬と馬車では違う勝手が違うが、手綱を握って馬を操る点に関しては同じだ。

 

 ララの運動神経は半魔ということもあり、それなりに高かった。

 最初はビクビクして腰が引けていたが、今では中々様になりつつある。

 

 旅の仲間であるララにも、シンクは敵意を抱いていない。

 それどころか、食事を作ってくれる相手として懐いている。

 ララもシンクに物を教える役を買って出て、色々と教えている。どれぐらいシンクが理解しているかは分からないが、二人の関係は概ね良好と言って良いだろう。

 

 ララは弟ができたみたいだと言って喜んでいる節がある。半分だけだが同じ魔族の血を流す者としても、親近感が湧いたのだろう。

 

「とと、リンゴ」

「ん? もう食べ……って、芯まで食べたのか? そこは食べなくて良いんだぞ」

 

 シンクに新しいリンゴを渡す。

 シンクは食欲旺盛で、大の大人が食べきれない程の量をペロリと平らげてしまう。

 教育上、間食を無闇に許す訳にもいかないのだが、これぐらいなら問題は無いだろう。

 

 ところで、シンクは俺のことを『とと』と呼ぶ。

 

 とと、とは父親のことで、ララが面白半分でシンクに俺をそう呼ばせたのが始まりだ。

 確かに俺はシンクを引き取ったが、父親になるつもりなんて無かった。そう言ったら無責任だとか言われそうだから敢えて何も言わなかったのがマズかった。

 

 シンクは俺を呼ぶ時は絶対に『とと』と呼び、ララに関しては『ねーね』と呼ぶ。

 

 まぁ、『ママ』じゃなかっただけマシである。これでママ呼びだったら、変な誤解を周囲に与えることになる。

 

「センセ、街が見えてきたぞ」

 

 馬を操るララが少し強張った声でそう言った。

 荷台から外を覗き込むと、大きな城壁で囲まれた街が見えた。

 

 エフィロディア連合王国・ラファン王国の首都メーヴィルは巨大な山々に囲まれ、都の中心を大河が流れる街だ。そしてエフィロディアの象徴でもある風車が至る所に設置されており、風力によって生活の基盤を築いている。

 

 そしてラファンを象徴とするのは風神ラファートの眷属であるケツァルコアトルを模した黄金の像が、都を見下ろすようにして山の高台に建造されている。

 

 メーヴィルの街の建物は石造で、塔のように高いのが特徴的だ。これは風の恩恵を受けるため、高度が高い場所を住処にしようとした名残だそうだ。

 

 そして女王が住む宮殿は二対から成る巨大な塔だ。

 

 リィンウェルの城も塔のような形をしているが、アレとはまるで違う。リィンウェルのはガラスと鉄の塊だが、ラファンの宮殿は全て石で造られており、形もリィンウェルのが四角に対して此方は三角形だ。

 

 その姿が昔と変わっていなくて安心した。リィンウェルみたく、姿形が変わっていたらどうしようかと思っていた。

 

 ララと運転を代わり、馬車を城へと向かわせる。

 街並みも変わっていない。いや、昔と比べてもっと活気付いているだろうか。

 それもグンフィルドが女王に就いた影響なのだろう。

 

 馬車の荷台からララとシンクが顔を覗かせて街の景色を楽しんでいる。

 今進んでいる通りは市場になっている大通りで、道沿いには様々な露店が並んでいる。

 

 皆笑顔で溢れている。

 

 大戦時代でも、この街は元気だった。空元気、と言ってしまえばそれまでだが、戦争に赴いている戦士達を応援するように、民達はいつも活気で溢れていた。

 

 あの頃とは違う、何と言うか余裕のある活気と言って良いだろうか、そう言う笑顔で溢れていた。

 

 やがて馬車は城の門前まで辿り着いた。

 聳え立つ二つの塔を前に、俺は懐かしさを感じる。

 

 前に此処に来た時は、ユーリの試練に挑む時だったっけか……。

 

 あれから五年、当時の王は現在の女王に決闘で負け既に隠居している。

 

 アーロンからグンフィルドの近状を聞いたが、相変わらず元気なようで何よりだ。

 

「止まれ。此処から先は女王陛下の領域だ。許可無き者は立ち入れん」

 

 門番である女戦士二人が道を阻む。

 

 前から思っていたが、エフィロディアの女戦士の装束は際どいな。もっと鎧とか毛皮とか纏ってほしいものだ。ララとシンクの教育に悪い。

 

 俺はエリシアから発行された身分証明書と、アーロンからの紹介状を出して彼女らに見せる。

 

「グンフィルド女王陛下の友、ルドガー・ライオットだ。陛下に謁見を願いたい」

「……暫しお待ちを」

 

 門番の一人が城の中へと入っていった。

 暫くその場で待っていると、先程の門番が戻ってきて俺の身分証明書を返した。

 

「女王陛下の許可が下りました。ご案内します。馬車は此方で預かります」

「分かった、頼むよ」

 

 馬車から降りて、ララとシンクを降ろす。ララにシンクの手を繋がせ、何処かへ行ってしまわないようにする。

 

 女戦士に案内されて門を潜り、城の中を歩く。

 城内には歴代の王達の遺品が飾られていたり、功績の証として敵から奪い取った武具などが展示されていた。

 その中に、嘗ての魔族の将軍の武器である巨大なランスがあり、懐かしさを感じてしまった。

 

 城内の階段を登り歩くこと数分、案内してくれた女戦士がドアを開く。

 

「此方でお待ちください」

「ありがとう」

 

 案内された場所は謁見の間だった。

 女王が座る玉座を中心に椅子が半円に並び、玉座の背後は巨大なテラスで都が見下ろせる。

 謁見の間には俺達の他に給仕係である女性達と、警備兵である女戦士達が脇に控えている。

 

 そこでふと、違和感に気が付く。

 

 此処に来るまで男の戦士を目にしていない。門番も、城内を巡回していた戦士も皆女だった。

 エフィロディアの王が女王だから、城内の戦士も女性になっているのだろうか。

 

 しかしエフィロディアは完全実力主義な文化だ。いくら女王の采配だからといって、城内を女戦士だけで固めるような贔屓はしないと思うが……。

 

「女王陛下、御入来!」

 

 何処からともなく吹奏楽器の演奏が謁見の間に響き、大勢の女官を引き連れた朱いドレス姿の女性が現れる。

 

 燃えるような赤い長髪に琥珀色の瞳、小麦色の褐色肌に引き締まったグラマラスボディが妖艶さを醸し出す。

 

 彼女こそがエフィロディア連合王国の女王、グンフィルド・カレーラス・ラファンだ。

 

 女王は玉座に優雅に座ると、クワッと目をかっ開いた。

 

 突然の表情に俺とララは困惑した。

 

「ルドガー! 其方(そち)……妾を差し置いて若い女と子を成したのか!?」

「ぶっ飛ばすぞてめぇ」

 

 おっといかん、女王相手に口が滑った。

 

 女王はケラケラと笑う。

 

「冗談じゃ。お主にはエリシアがおるからのぉ」

「それも違うわ」

「何? なら何故妾と番いにならぬ? ほれ、これでも男共が欲情するような身体じゃぞ?」

「子供の前でそんな話をするなよ……」

 

 あはん、うふんとポージングをする女王に呆れて頭を抱えてしまう。

 

 ララをチラリと見てみると、想像していた女王と違ったのか何とも言えない表情をして、シンクの目を手で覆っている。

 このまま女王のペースに飲まれてはいかんと、咳払いをしてから先ずは世間話から入る。

 

「んんっ……兎も角、久しぶりで御座います、グンフィルド陛下」

「止せ止せ、其方から斯様な口振りは聞きとうない。昔と同じで良い」

「……そうかい。なら遠慮無く。五年ぶりだが元気そうで何より」

 

 気遣い無用と言われたので、気を楽にして腕を組んだ。

 グンフィルドも満足そうに頷き、玉座にもたれ掛かる。

 

「まぁ、戦が終わって退屈しとるがのぉ。其方も健在そうで何よりじゃ」

「アーロンから聞いたがまだ結婚してないそうだな?」

「ふん、其方達を知ってしまえば他の男共なぞ有象無象よ。どうじゃ? 先も言ったが其方が番いにならぬか?」

「ならぬ。俺より勇者のユーリがいるだろうに」

「ユーリ……其方の用件はユーリと、グランツ将軍からの報告書に書いてあったのぉ」

 

 グンフィルドは羽毛扇を手に持ち顔を扇ぐ。

 どこか憂いたような表情を浮かべ、俺は彼女が何かを知っているのだと確信する。

 

「聞いているのなら話が早い。アイツは何処にいる?」

「ホルの森の何処かに居るよ。もう三年も顔を見ておらん」

「……都に帰ってきてないのか?」

「そうじゃ。最後に会うた時には、聖獣の研究をしておるとか言っておったな」

 

 聖獣、読んで字の如く聖なる獣。

 

 代表的なのはユニコーンとかだが、それをどうしてユーリが研究している?

 怪物が騒がしいと言うのと何か関係があるのだろうか。

 

「ユーリを呼び出せるか?」

「無理じゃな。手段が無い。此方から探しに行かねばならぬよ」

「何やってんだアイツは……」

 

 ユーリのいい加減さに頭を抱える。

 昔から一人で何処かにフラリといなくなっては、気付けば戻ってきているような奴だった。

 

 それが勇者として国に属してからも続けているとは、エリシアが聞けば説教ものだぞ。

 俺だって説教してやりたいが、大陸を捨てて出た身では何とも言えないからな。

 

 しかし、ユーリの居場所は分かった。

 ホルの森と言えば、メーヴィルからそう離れていない場所だ。彼処には怪物は棲んでおらず、聖獣や野生動物が多く棲息する清浄な森だ。

 そこに赴いてユーリを探せば、エリシアからの頼み事の一つが片付く。

 

 さっさと探しに行って終わらせるとしよう。

 

「それじゃ、ホルの森に入る許可をくれ」

「んー……」

「……グンフィルド?」

 

 グンフィルドは顎に手をやり、何やら考えている。

 そこはかとなく、嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

 

 タラリと、背中に嫌な汗が流れ、グンフィルドは「うむ」と大きく頷いた。

 

 あ、これは面倒事を押し付けられる。

 

「許可は出そう。じゃが一つ条件じゃ」

「……聞こう」

「ユーリを連れ戻してくれ。彼奴には勇者故、この地に縛り付けるようなことはせなんだが、我が国に属している以上は国の政にも目を向けてもらいたいものじゃ」

「……それだけか?」

「それだけじゃ。まぁ、ユーリに妾と番いになるよう説得してくれたらありがたいのじゃが?」

「そう言うのは当人同士だけで話してほしいんだが?」

「別に良いが……未だに相手が決まらぬとなれば、妾は総力を以て其方を番いにするぞ?」

「仰せのままに女王陛下。必ずやユーリを陛下に献上いたしましょう」

 

 冗談じゃない。グンフィルドがその気になれば例えエルフ族の大陸に逃げようが、本気で俺を狙ってくる。

 

 俺は素直にユーリを売るしかなかった。俺は悪くない。

 

「うわぁ……」

 

 だからララよ、そんな目で俺を見るんじゃない。

 

「ところで、そこの少年じゃが……」

「……シンクは渡さないぞ」

 

 アーロンの報告にシンクのことが書いてあったのだろう。僅かにだが、グンフィルドから敵意に近いモノを感じた。

 

 ララもそれを感じ取ったようで、シンクを自分の後ろに隠す。

 グンフィルドは俺達の反応を見て肩をすくめた。

 

「そう邪険にするでない。アーロンの報告で聞いておる。じゃが……努々忘れるでないぞ。その子は我が民の命を多く奪ったことをの」

「忘れはしないさ」

「……よい。この事件の怪物は討ち取られた。民達にはそう告げておく」

 

 グンフィルドは俺に警告した。

 

 シンクがまた怪物になることがあれば、その時は自ら俺を含めて殺しに行くと。

 

 ララの後ろで此方を見ているシンクに大丈夫だと微笑みかける

 

 



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第24話 ホルの森と守り神

 

 

 ホルの森はメーヴィルの西側に位置する大森林だ。山や渓谷が存在し、土地勘の無い者が足を踏み入れれば遭難してしまう程に入り組んでいる。

 こういった森はアルフの都の北の森で慣れてはいるが、子供を連れて歩き回るような場所ではない。

 しかしシンクを誰かに預ける訳にもいかず、移動に時間が掛かることを承知で森に連れてきた。

 

 此処では馬車が使えず、ルートともう一頭の馬は城に置いてきた。

 帰ったらもう一頭の馬にも名前を付けてやらないといけないな。

 

 今、俺とララとシンクの三人でホルの森の中を散策している。

 

 グンフィルドにユーリが拠点を構えている可能性がある場所を記された地図を渡され、それを頼りに森を進んでいる。

 エフィロディアの戦士達を共に付けようかと言われたが、俺とユーリが出会えば他の者に聞かれたくない会話もあるだろうから丁重に断らせてもらった。

 

 それから、グンフィルドにとある許可を貰った。

 それはホルの森に生えている薬草や魔石の採取についてだ。

 

 どうせならララの薬草学の糧になるようなことをさせたいと思い、ホルの森でしか自生していない植物を採取させて霊薬作りをさせたかった。

 

 その許可はあっさりと下り、ララは嬉しそうにした。

 今も、シンクを俺に任せて図鑑を片手に植物を見て回っている。

 

「センセ! この森凄いぞ! 図鑑に載ってる植物が何でも生えてる!」

「ホルの森は人族の大陸の中で一番清浄な魔力が満ちてるからな。此処でしか採取できない物もある」

「これなら色んな霊薬が作れそうだ!」

「植物だけじゃなく、魔石もあるからな。採り過ぎなければ良いから、採っときな」

「うん!」

 

 ララは意気揚々と森を進んでいく。

 

 ここまで喜ばれたら交渉した甲斐もあったものだ。

 俺もララのような時期があったっけな。親父に霊薬作りの知識を教えられた頃、霊薬作りに嵌まって彼方此方に材料を採取しにいったものだ。

 

 霊薬は魔法並みに面白い。材料の煎じ方、分量、組み合わせ方、様々な方法次第で魔法に匹敵する現象を引き起こす。

 それに霊薬は医療としても充分に効力を発揮する。治癒魔法なんかよりも治りが早い霊薬も存在するし、霊薬でなければ取り除けない毒や病巣なんかも存在する。

 

 俺はアーヴル学校の薬草学教師より詳しい訳ではないが、戦争中に霊薬を役立たせるぐらいには知識を詰め込んでいる。

 ララは俺以上の才能を秘めている。魔法力も俺より上だ。鍛えようによっては俺を越えて勇者に匹敵する存在になれるだろう。

 

 もしかしたら、親父よりも……。

 

「とと」

「ん?」

 

 左手で手を繋いでいるシンクが俺を呼んだ。

 見ると、シンクは何かを指していた。

 其方を見ると、鹿の親子がいた。

 

「あれ、なに?」

「あれは鹿だ、シ・カ」

「し、か……たべる?」

「食べられるが……今は駄目だ。いつか一緒に狩りでもするか」

「……?」

 

 狩りのことを知らないシンクは首を傾げる。

 

 俺も昔はこんなだったのだろうか。

 戦場で言葉も知らなかった俺を親父はどうしてか引き取り、あらゆることを教えてくれた。

 親父がやっているようなことを、まさか俺もすることになるだなんて思いもしなかった。

 

 俺と同じ黒髪に赤い目をしたシンクの頭を撫で、ララの後を追い掛けながらユーリを探す。

 

 地図に記されている最初の場所はもうすぐだ。地図によると、そこは天高く聳え立つ大樹が群生している場所で、大昔にそこを住処としていた部族の跡地がある。

 

 所謂、ツリーハウスって奴だ。木の上に家を造り、そこで暮らしていた。

 その跡が今でも綺麗に残っており、実際にユーリが此処を拠点にしていた時期があるらしい。

 

 やがてその場所に辿り着いた。

 古ぼけたツリーハウスが大樹の上にいくつも存在しており、吊り橋でそれぞれを連結している。

 

 俺は息を大きく吸い込み、大声でユーリを呼ぶ。

 

「ユーリィィィ! 居るかァァァ!?」

 

 俺の声は虚しく森に木霊するだけで、返答は帰って来なかった。

 

 一応、何か手掛かりが無いかとツリーハウスを調べることにする。

 危ないからララとシンクには地上で待ってもらうことにし、木と蔓でできたハシゴを一人で登る。

 木の板で敷かれた踊り場に到達し、近くのツリーハウスから調べていく。

 

 殆どは使われた形跡が無かったが、一つだけ最近使われた形跡があるハウスを見付けた。

 放置された鍋やランプ、焚き火の跡、使われた形跡のある寝台があった。

 

 此処で誰かが生活していたのは間違いない。おそらくそれがユーリだろう。

 

 だが痕跡からしてもう長い間此処へ帰ってきていないようだ。他の拠点に移ったのだろう。

 他に手掛かりもなく、ツリーハウスから地上へ飛び降りた。

 

「センセ、どうだった?」

「此処に居たのは間違いない。だが他の拠点に移動したようだ」

「そうか……」

 

 ララは少しだけホッとしたような顔をした。

 

「……エリシア以外の勇者に会うの、怖いか?」

「……」

 

 図星のようだ。

 

 まぁ、そうだろうとは思っていた。

 

 ララは魔王の娘だ。勇者と魔王の関係は複雑で、ララはエリシア以外の勇者からどんな目で見られるのかと不安がっている。

 

 それは杞憂って奴だ。親父の実の娘なら、驚きはするが悪い目で見ることはない。

 それどころか、きっと大切にされるはずだ。

 

「大丈夫だ。皆イイ奴だ。気難しい奴もいるけどな。勇者は魔王の敵だったが、それは憎いからじゃないって教えたろ? 寧ろ可愛がられるさ」

「……それはそれで嫌だな」

「恥ずかしがるな。次に行くぞ」

 

 ララの不安を取り除いた所で次の場所へと向かう。

 

 次はホルの森にある渓谷だ。此処は洞窟が多く、雨風を凌ぐには丁度良い場所である。

 水も川で確保できるし、食料も調達しやすい。

 それに川の付近に自生しているヤッカルの水草は毒消しに使えるし、ヌルヨモギと組み合わすと傷薬にもなる。

 

 俺達は渓谷まで辿り着き、近くの洞窟を探索する。

 此処にもユーリの姿は無く、だが拠点にしていた形跡が残っていた。

 

 時間も時間になり、今日はこの洞窟で夜を過ごすことにする。

 ポーチに入れていた食料と調理器具を取り出し、ララに食事の用意をしてもらう。

 

 その間、俺は付近に防御魔法と索敵魔法を張り、侵入者の対策を確保する。

 日が沈み、焚き火と光の魔法で洞窟内が明るく照らされる。

 

「ほら、シンク。熱いから気を付けるんだぞ?」

「うん」

 

 ララは野営の定番メニューであるシチューを器に盛り付け、シンクにそっと渡す。

 シンクは腹が減っていたのか、無我夢中でシチューを食べていく。

 

「ほら、センセ」

「ああ、ありがとう」

 

 ララからシチューを受け取り、夜風で冷えた身体を温めていく。

 

「……霊薬の材料は集まったか?」

 

 ふと、材料の調達具合が気になり、シチューを食べながらララに尋ねる。

 ララは側に置いていた肩掛け鞄を弄り、満足げに頷く。

 

「ああ、だいぶ集まったぞ。食後にでも作ってみるさ。できたらセンセにあげるよ」

「お前の霊薬なら心強いことこの上ないな」

「ふふん」

「ねーね、もっと」

「シンク、そう言う時は何て言うか教えただろ?」

「……おかわり」

「はい、よくできました」

 

 この数日でララの世話焼き加減が上がった気がする。

 

 シンクもヴァーガスになった影響が薄いようで助かる。殺戮本能や殺し続けてきたことで倫理観が損なわれでもしていたら、今のようなやりとりまでどれだけ時間が掛かったことか。

 

 しかし、分からないことがある。いったい誰が、シンクをヴァーガスに変えたのだ。

 

 それにシンクは生粋の魔族だ。両親が魔族であるのは確かであり、それがどうして人族の大陸、それもエフィロディアにいたのだろうか。

 

 呪いの術者が連れてきた? 態々此処へ? それはどうして? 何故魔族を使った?

 

 ヴァーガスはそれだけで強力な怪物だ。元から力強い魔族の子供をヴァーガスに変える必要はない。戦力増強を目的とした物だったとしても効率が悪い。

 

 だがもうそれを解き明かすのは難しいだろう。

 

 何故なら、ヴァーガスの呪いに必要なのは子を宿している母体の命と術者の命だ。

 

 つまり、術者は既に死んでいる。

 

 呪いを施した現場を見付けることができれば何か分かるかもしれないが、それを見付けるのも困難だろう。

 

 最初に被害があった村を調べでもしたら、それが分かるだろうか。

 

 ケツァルコアトルの噂、実際に現れた巨大な鳥、ヴァーガス、行方不明のユーリ。

 

 これらがどう繋がっているのはまだ分からない。何も繋がっていないのかもしれない。

 

 だが俺の胸中は妙な胸騒ぎがしている。

 何かこれから途轍もなく面倒なことが起こるのではないかと。

 

 校長先生が言っていた大いなる旅とやらを聞いたから、余計な心配をしているだけなのかも。

 どちらにせよ、俺のやることは決まっている。

 

 ララを、そしてシンクを必ず守り抜くことだ。

 これだけが揺るがなければ、どんなことが起きようとも為べき事は見失わない。

 

 また明日も、こうやって食事ができるように――。

 

 

 

    ★

 

 

 

 夜中、何かの気配を感じて目を開けた。

 寝ていた身体を起こし、ララとシンクの様子を確かめる。

 

 ララは寝袋に包まっていたが、シンクの姿が無い。

 慌てて辺りを見渡しシンクを探す。

 

 シンクはすぐに見つかった。洞窟の入り口に座り込んでいる。

 何処かへ行ってなかったことに安堵するが、どこか様子がおかしい。

 

 異変に気付いたララも目を覚まして起き上がる。

 

「シンク……?」

「シッ……」

 

 ララの口を閉じさせ、シンクの様子を観察する。

 

 シンクは座っている態勢から四つん這いになり、まるで狼のような遠吠えを上げる。

 

『ウォォォォン……!』

 

 ヴァーガスの時に聞いた声と同じだった。

 

 まさか、呪いは完全に解けておらずに再発現した?

 

 念の為、ナハトを手元に呼び寄せて警戒する。

 

『ウォォォォン……!』

『ウォォォォン……!』

 

 再びシンクが遠吠えをすると、何処からか別の遠吠えが聞こえた。

 そして次に感じたのは獣が集まってくる気配だ。

 

 シンクは獣を呼び寄せたのか?

 

「シンク……!?」

 

 シンクが洞窟から獣のように飛び出した。

 

「ララ、此処にいろ!」

「あ、ああ」

 

 ララに動かないように伝え、飛び出していったシンクを追い掛ける。

 シンクはヴァーガスの時よりは遅いがそれでも俊敏な動きで渓谷を走り抜け、森の中へと入っていく。

 

 見失わないように追い掛け森に入ると、シンクは拓けた場所で立ち止まった。

 ゆっくりとシンクに近付いていき、真後ろまで行く。

 

「シンク、何やってる……?」

「……」

 

 シンクは正面を指さした。

 そこへ視線を向けると、巨大な狼と目が合った。

 

 大きさは小屋ぐらいあるだろうか、銀色の毛に金色の眼を持つその狼は闇の中からずずいと姿を見せる。

 

 ナハトを構えようとして気が付く。この狼からは怪物の気配がしないことに。

 

 その狼の他にも通常よりも少しだけ大きい狼達が姿を見せ、俺とシンクを取り囲む。

 不思議なことに、彼らから敵意を感じない。だが友好的な気配もしない。

 

 何だこの感覚は……いったいこの狼達は何なんだ?

 

 襲い掛かられてもシンクを守れるように警戒していると、巨大な狼が口を開いた。

 

「不思議な呼び声に応えて来てみたら、魔族と混ざり者がいるとわねぇ」

 

 言葉を話した。

 

 その事実に俺は我が耳を疑う。

 

 女性的な声だ。目の前の狼が喋った。

 

「若造、貴様が我らを呼んだのか?」

 

 若造とは、俺のことだろう。

 

 だが俺は呼んじゃいない。呼んだとすれば……。

 

 シンクに視線を落とすと、狼もシンクを見つめる。

 

「ほぅ……この童か。童……ワーウルフの類いだね?」

「……?」

「おや……? 違ったかい?」

「……この子はヴァーガスにされて出自が不明なんだ」

『ガルルッ!』

 

 俺がシンクの代わりに答えると、狼は牙を向けて威嚇してくる。

 

「誰が喋っても良いと言った?」

「……」

「……ふん、ヴァーガスね。あれは忌まわしい呪法だよ。人だろうと魔だろうと、全ての命を怪物に変えてしまう。貴様が呪いを解いたのか?」

 

 俺は頷いて答える。

 

 下手に刺激すると攻撃をしてきそうな雰囲気だ。此処は大人しく聞かれたことだけに答えた方が良い。

 

「……呪いから解放された子は初めて見る。さて、童……どうして我らを呼んだ?」

「……とと、探してる、教えて」

「……? 要領を得ないねぇ……若造、どういうことだい?」

「……シンク、もしかしてユーリのことを言ってるのか?」

「ユーリ、ユーリ」

 

 驚いた、まさか俺がユーリを探しているのを理解して、探す為に彼らを呼んだというのか?

 

「ユーリ……風の勇者のことかい?」

「っ、知ってるのか?」

 

 狼からユーリの名が出たことに驚き、またもや余計な口を利いてしまう。

 咎められはしなかったが強く睨まれた。

 

 狼はその場に伏せ、他の狼たちを何処かへ引っ込めさせた。

 

「若造、貴様はユーリの何だ?」

「……一緒に育った兄弟で、共に魔王と戦った仲だ」

「貴様の名は?」

「ルドガー・ライオット」

「……ルドガー……その名の意味を分かって名乗っているのかい?」

「どういうことだ?」

 

 俺が尋ね返すと、狼はやれやれと肩をすくめるような動作をする。

 

「嘆かわしい……何も知らないとは」

「……?」

「まぁ、良いさ。それで? ユーリを探しているのかい?」

「……ああ。居場所を知ってるのか?」

「勿論、知っているとも。この森に住まう者なら、彼の居場所を常に把握している」

 

 住まう者……彼らのような動物のことを言っているのだろうか。

 

 今もホルの森に人が住んでいるとは聞いていない。聖獣や野生動物に魔法動物ぐらいしか住んでいないはずだ。

 その彼らならユーリの居場所を把握していると言う。

 

 それが本当なら是非とも教えてほしいが……。

 

「教えてもらえないか?」

「……彼をどうするつもりだい?」

「安否の確認と、メーヴィルに連れ戻すと女王に約束した」

「安否なら兎も角、連れ戻されるのは困るねぇ」

「何故だ?」

「今この森には彼が必要だからさ」

「必要?」

 

「そう……予言の日が近いのさ」

 

 予言、その言葉に思わず身構えてしまう。

 

 また予言だ。どうして俺には予言という言葉が纏わり付く。俺は勇者じゃないんだぞ。

 確かに雷神の試練を受ける資格があって雷神の力を手に入れたけども。

 

 ――って、充分勇者の資格持ってるじゃん。

 

 改めて自分の立場を理解した俺は軽く頭を抱える。

 

「彼はその予言の日に向けて準備をしている。今、彼を森から出すわけにはいかないのさ」

「……その予言について聞いても? いや、もし話してくれるなら一度寝床に来てほしい。連れがこの子を心配して待ってる」

 

 シンクを抱きかかえ、狼に提案してみる。

 狼はジッとこちらを見つめた後、のそりと立ち上がる。

 

「良いだろう。童をいつまでも夜風に晒す訳にもいくまい」

 

 思いの外、すんなりと俺の提案は許諾された。

 

 もしかして、話せば大抵のことは解ってくれるタイプの狼なんだろうか。

 いや待て、先ず狼なのだろうか。形は狼だがあまりに巨大、そして言葉を話す。

 怪物でなければ聖獣の類いだろうか。

 しかし狼の聖獣なんて聞いたことが無い。無いだけで実は居たんだろうか。

 

 狼を引き連れ、ララが待っている洞窟へと戻る。

 出迎えたララは俺の背後にいる巨大な狼に面を喰らい、小さく悲鳴を上げた。

 

 いつの間にか腕の中で眠っていたシンクを寝袋に寝かせ、俺とララは洞窟の入り口に鎮座する狼と対面する。

 

「……お前さん、魔王の血族だね?」

「っ!?」

 

 狼はララを一目見てそう言った。

 ララは息を呑み、俺の後に身を隠す。

 狼は軽く笑い、「何もしないさ」と言い、火が消えている薪に息を吹きかけると火がボウッと点火した。

 

「あのヴェル坊にこんな可愛らしい娘がいたなんてねぇ……」

「……アンタは、何者なんだ?」

「私は森の守り神。名はアスカ」

 

 狼はアスカと名乗った。

 守り神、それは七神とは別個の神であり、その土地を守護する力を持った聖獣を意味する。

 

「守り神だったか」

「センセ、守り神って?」

「与えられた土地を守護する聖獣さ。それがシンクの呼び声に応えてくれたのか?」

「不思議な声だったよ。思わず一族総出で赴く程にね」

 

 アスカは眠っているシンクを慈しむように見つめる。

 それからスッと表情を引き締め、俺達に向き直る。

 

「さて、ユーリのことだったね」

「ああ。どうしてユーリが必要なんだ?」

「ラファートの予言さ。魔獣戦争が起きるんだよ」

「魔獣? 馬鹿な、魔獣が生まれるのか? しかも戦争だと?」

「魔獣?」

 

 ララが首を傾げる。

 俺は一度落ち着く為、ララに魔獣について教える。

 

「魔獣は穢れた魔力を発する凶悪な怪物で、別名『黒きモノ』と言う。魔獣が誕生すれば、その地にいる生物は穢れに染まって魔獣の眷属に変わる。だが魔獣はもう何千年前に滅ぼされている。生き残りがいたのか?」

「いたかどうかは関係無い。重要なのは魔獣が現れることさ。ユーリは我々と一緒に魔獣と戦ってくれるのさ。だから森から連れ出されると困るんだよ」

 

 ユーリが魔獣と戦う? そんな話、どうしてアイツは他の皆に黙ってるんだよ。

 

 魔獣の危険さはユーリも知っているはずだ。勇者一人では、聖獣が一緒だとしてもそれはあまりにも危険過ぎる。どうして他の勇者に救援を請わない。

 

 そこでふと、俺はエリシアが言っていたことを思い出す。

 

 ――勇者は許可無く他国へと足を踏み入れられない。

 

 いや、でもそれは、これは人族の存亡に関わる問題だ。それで勇者を現場に派遣しない、なんてことはしないはずだ。

 

 だが実際にユーリは一人で解決しようとしている。女王にも伝えず、たった一人で。

 

 それは何故だ?

 

「何でユーリがそんな大事を一人で解決しようとしてるんだ?」

「ホルの森は清浄なる神秘な場所だ。人が踏み荒らして良い場所ではない」

「だからってユーリ一人だけに任せておけるか!」

「ではどうする? 貴様も魔獣と戦うか? 勇者でもない貴様が」

「弟一人を危険な目には遭わせられない。俺も戦ってやる」

 

 魔獣は倒さなければならない。それは絶対だ。魔獣は世界に禍を振り撒く。それこそ嘗ての魔王のように。

 ユーリが魔獣を倒すと言うのなら、兄として、勇者の同族として指を咥えて見ているわけにはいかない。

 

 俺は隣に座るララに身体を向け、頭を下げる。

 

「ララ、俺はユーリを見捨ててはおけない。だから頼む、ユーリと一緒に戦わせてくれ」

「……」

 

 魔獣と戦うと言うことは命懸けになる。

 俺の命はララを守る為に存在する。

 ユーリと一緒に戦うということは、ララ以外の為に命を懸けるということになる。

 それでは契約違反だ。シンクの時といい、二度目の勝手だが、弟を見捨てられないのだ。

 

「……センセ、顔を上げてくれ」

「……」

「センセ、シンクの時も勝手に命を懸けたな?」

「……ああ」

「また契約を破るのか?」

 

 ララからは怒りを感じた。

 

 当然だ、契約を破ろうとしているのだから。

 ララの母を死なせた俺を、ララは許していない。咎めない代わりにララを守り続けることが契約だ。

 その契約を破ると言うことは、今此処でララに母を死なせた罪を追及されることになる。

 

 契約を破るつもりはない。だけどユーリを一人にさせられない。

 

 俺は葛藤した。ララか弟か、二択を迫られた。

 

「……ふぅ。仕方ない、私も戦おう」

「は?」

 

 ララが仕方ないと肩をすくめてそんなことを言い出した。

 

「恩師を嘘吐きにする訳にもいくまい。私が戦えば、センセは私を守る為に戦うだろ?」

「え? いや、それは――」

「それとも契約を破るのか?」

「ッ……!?」

 

 それ以上何も言えなかった。

 ララは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

 その様子を見てアスカは口を大きく開けて笑い出す。

 

「クハハハ! いつの世も男は女に勝てないもんさ」

「喧しい……兎も角、俺も戦う。ユーリに会わせてくれ」

「勇者でもない貴様がどれ程のことができるか知らぬが、精々風の勇者の邪魔はしてくれるな」

「おい、このクソデカ狼」

「クソデカッ!?」

 

 ララが突然立ち上がり、アスカを前に罵倒して睨み付けた。

 アスカはまさかの呼び名に愕然とした。

 

 ララは腕を組んでアスカにズイッと迫る。

 

 最初に悲鳴を上げていた姿とはえらい違いだ。

 

「センセはな、お前が思っている何倍、何十倍、何百倍も強いんだからな。あまりセンセのことを弱い奴みたいに言うな!」

「ララ……」

 

 少し、いやだいぶ嬉しかった。思わず頬がニヤけてしまいそうになる。

 

 ララにバレないよう、口元を手で隠して顔を背ける。

 アスカは唖然としていたが、また口を大きく開けて笑う。

 

「クハハハッ! 面白い子だ! 流石はヴェル坊の血族だね」

「……その口振り、父を知ってるのか?」

「大昔にねぇ。アレはイイ男だったよ」

「ふん、どうだか。センセ、私はもう寝る。置いてくなよ」

 

 ララはそう言ってシンクの隣で寝袋に入っていった。

 俺とアスカは洞窟の外に出て星空を眺める。

 

「……若造、ユーリと兄弟だって言ったね?」

「ああ……」

「……育ての親はヴェル坊、そうだね?」

 

 俺は驚いた。アスカにそれが知られるようなヘマはしていないはずだ。

 

 アスカは口元をニヤリと歪ませる。

 

「そうかい、あの坊やはやりきったんだね……」

「……何を知ってるんだ?」

「それを語る口を、私は持たない。いずれ知る時が来るだろうよ……」

 

 いったい何だってんだ……。

 

 親父は勇者の予言や伝説を基にエリシア達を育てた。命の篩に掛け、何人もの子供が死んでいったが、エリシア達は生き残って勇者の力を得られた。

 どうして己を殺す為の勇者を生み出したのかまでは知らないが、もしかしてこいつはそれも知っているのだろうか。

 

「若造」

「何だ?」

「その名を受け継ぐことの意味と責任、しっかし考えるんだよ」

「は?」

 

 アスカは立ち上がり、図体の割りに俊敏な動きで森の中へと立ち去っていった。

 

 その名を受け継ぐ? ルドガーって名前にいったいどんな意味があるってんだ。

 せめてそれを教えてから帰ってくれよ。

 

「ってか、ちゃんとユーリに会わせてくれるんだろうなー!?」

 

 俺の叫びは夜の闇の中に消えていった。

 静寂に満ちた森を眺めた後、俺は洞窟に戻り焚き火に薪を焼べた。

 

 

 

 

 



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第25話 風の勇者

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 翌朝、洞窟前にはアスカが待っていた。

 ちゃんと約束通りユーリに会わせてくれるようだ。

 アスカの後ろを歩きながら森の中を進んで行きながら、アスカにユーリのことを尋ねる。

 

「アイツは元気なのか?」

「少なくとも、病に罹ってはいないね」

「準備をしていると言ってたが、ユーリは何をしてるんだ?」

「それは本人に聞くと良い。守り神である私がこうして人の前に現れている時点で特殊なことだ。多くを語るとは思わないことだね」

 

 一先ず、ユーリは健在のようだ。

 

 だがこのアスカと言う守り神、イマイチ性格が良く分からない。

 

 シンクの呼び声に応えて現れ、話が分かる奴だと思ったら肝心なことは話さない。敵意は持っていないがまだ友好的には思われていない。しかしどこか気に掛けているような、そんな感じの雰囲気を持っている。

 

 守り神自体、確かに人前に現れるのは珍しい。俺達とは生態系も違うし、価値観も違う。

 俺達の尺度で測れるような存在ではないのは間違いない。

 

「ほら、着いたよ」

「此処は……」

 

 アスカに案内された場所は地図にも載っていない遺跡群だった。

 

 古代都市、そう言っても良いだろう。大きな建物から民家らしき小さな建物まで存在する。

 

 ホルの森の中にこんな場所があったとは知らなかった。

 

「此処は聖域で守られている。案内人がいなければ外からも見えない場所だよ」

「……女王は知ってるのか?」

「さぁね。此処を知る氏族なら知ってるんじゃないかい。ユーリは彼処に居るよ」

 

 アスカが見る方向には一つの民家がある。その民家の窓口からは白い煙が立ち上っている。

 アスカはくるりと背を向け、来た道を戻り始める。

 

「一緒に来ないのか?」

「言っただろう? 人前に現れるのが特殊だと。くれぐれも、ユーリの邪魔をするんじゃないよ」

 

 アスカはそう言い残し、森の中へと姿を消していった。

 俺達はアスカを見送り、遺跡へと足を踏み入れる。

 

 此処はどの時代の遺跡だろうか。考古学は専門外だから正確な所は判らないが、かなり古い時代の物だとは判る。

 

 通りを渡り、目的の民家の前まで来た。ドアは無く、中の様子が窺える。

 一応、ララに杖を握らせてから民家の中に入った。

 

「ユーリ、居るか?」

 

 中は随分と散らかっている。何かの研究でもしているのか、メモや本が持ち運ばれたテーブルに山積みにされ、霊薬作りでもしているのか道具が散乱している。竈にはスープが入った鍋があり火に掛けられている。

 先程まで此処に居た証拠だ。だが姿が見えない。

 

 警戒を強めながら家の中を見渡していると、入り口にいるララの背後から気配を感じた。

 

「ララ! 伏せろ!」

「え?」

 

 ララは驚いた顔をするが身体は素直に動き、シンクを抱き締めてその場に伏せる。

 ララの背後に立っていたそいつに風の魔法をぶつけ、後ろへと退かせる。

 

「っと――」

 

 そいつはすぐに体勢を整え、両手のダガーを構える。

 ララとシンクを背に置き、ダガーを構えたそいつと対峙する。

 

「……ユーリ?」

「おっと、俺の名をご存じで? なら俺が風の勇者ってことも――」

 

 そいつは緑色の瞳で俺を見て、表情を固める。

 

 少しボサついているが長い緑色の髪を項で一纏めにし、トレードマークである黄色いロングマフラーが風で靡く。

 

「……兄さん?」

 

 風の勇者ユーリ・ライオットがそこにはいた。

 

 

 ユーリの家に入り、淹れられた薬草茶を啜る。

 テーブルには朝食として用意していたであろう干し肉のスープが盛られた皿が並べられている。

 

「それにしても驚きましたよ。侵入者が兄さんとは」

「俺も驚いたよ。まさか久々の再会で弟に襲われるなんてな」

「襲うだなんて人聞きの悪い。ちょっと用心しただけですよ。寧ろ魔法で吹き飛ばされました」

「悪かったよ」

「お嬢さんも申し訳ないね。別に危害を加えようと思っていた訳ではないのですよ」

「は、はぁ……」

 

 ララは少し戸惑いながらユーリを見る。

 エリシアとは違うタイプの勇者に戸惑っているのだろう。

 

 ユーリは基本的に紳士的に他人に接する。女性に対しては少し女誑し感が出るが、物腰は柔らかくほんわかとした空気を纏う。

 

 ただ、戦いになればエリシアと変わりない。敵陣に斬り込んでいき、風の魔法で百の敵を斬り裂く。口調は丁寧だが行動はかなり過激になる。

 

「それで、兄さん? いったいどうして此処へ?」

「お前、ここずっとエリシア達と連絡取ってなかっただろ? エリシアが心配して俺を寄越したんだよ」

「ああ、そうでしたか。姉さんに心配掛けましたね。というか、姉さんとは会ってるのですか?」

「まぁ、仲直りはしたよ。鼻が潰れるぐらい殴られたけど」

「姉さんらしい。あ、俺も怒ってますよ」

 

 さらり笑顔で気不味いこと言うなよ。

 ユーリはニコニコとしているが、その腹の内からは黒いモノが垣間見える。

 

「悪かったよ。あの時は俺が出て行くのが一番だと思ってたんだよ」

「まったく……まぁ、元気そうで何よりです。ところで……そちらのお嬢さんとお坊ちゃんは? もしかして――」

「親父の娘だ」

 

 ユーリがまた勘違いした発言をする前に答えた。

 

 親父の娘と聞き、ユーリは「え?」と声を漏らしてララを見る。

 

 ララはティーカップを置き、ユーリを見る。

 

「ララ・エルモール。魔王ヴェルスレクスは私の実の父だ」

「……驚きました。クソ親父――失礼、あの父に血の繋がった娘がいるとは……」

「俺とララには守護の魔法が掛けられてる。親父が俺とララを縁で結び付けたんだと思う」

「守護の魔法ですか? あれは同種族でないと発動できないのでは……?」

「ああ。ララも半魔だ。魔族の血と力が濃いが、俺と同じだ」

「成る程……」

 

 ユーリはララの顔をまじまじと見つめる。

 たぶん、ララを通して親父のことを思い出しているのだろう。

 

 ララは見つめられて少しムッとする。

 

「失礼、お嬢さん。それで、お坊ちゃんのほうは? 其方もまさか?」

「いや、この子は――」

「とと、おかわり」

 

 シンクのことを教えようとしたら、俺の手を引いて皿を出してきた。

 

 ユーリは信じられない光景を見たような顔になり、俺とシンクを交互に見る。

 そして最後にララを見て、ハッと息を呑む。

 

「そんな、兄さん……もしかしてお嬢さんと!?」

「違う」

「お坊ちゃんの年齢も我々と別れてからと考えるとありえる……しかしお嬢さんの年齢は」

「おい」

「兄さん! まさかそう言う趣味――」

「落ち着けアホ」

 

 空になった皿をユーリの額に投げ付け、その先を言わせないようにした。

 

 何? 俺はこれから先そう言う目で見られて誤解を与えることになるのか?

 ララが年の割には大人びているから確かにそう思えなくもないが、毎度毎度このやり取りをしなくちゃならないとか、それはちょっと勘弁してくれ。

 

「この子は魔族の子供で、ヴァーガスにされたのを助けたんだ。それで俺が引き取った」

「ってて……ヴァーガス、ですか……それは何ともまぁ……」

「そんなことはどうでも良い。本題に入ろう。お前、魔獣と戦うんだってな?」

 

 ユーリは皿にスープを盛り付け、シンクの前に出す。

 ユーリは「聞いたんですか……」と言って苦笑する。

 

「ええ。ラファートの予言書には魔獣が復活すると記されています。俺は風の勇者として、これを討つつもりです」

「……その予言書って奴のことを教えろ」

「ええ、いいですよ」

 

 ユーリは立ち上がって研究の道具が散乱している所から一冊の古びた本を持ち出した。

 緑色の革の表紙で、金色の刺繍で文字が縫われている。

 

『ラファートの予言書』

 

 そう書かれた本をユーリを俺に差し出し、それを受け取った俺は開いて中を見る。

 ララも気になったのか覗き込んでくる。

 

 その本に書かれている文字は古代の文字であり、専門家でなければ解読はできないだろう。

 俺も少しは古代語を囓ってはいるが、正しく全てを解読できる訳じゃない。

 それでも大まかだが読み取れる部分もある。

 予言書の始まりは神話時代以降のようで、神々の争いが終わってからだ。

 

「全部読めるのか?」

「不思議なことに、俺には何て書いてあるのか解るんですよ。勇者であることが関係しているのだと思いますが」

「……それで、魔獣のことは何て?」

「失礼」

 

 ユーリは俺から本を取り上げ、ペラペラとページを捲っていく。

 そしてとあるページで手を止めて、俺とララに見せてくる。

 

 そこには『黒いモノ』が森を燃やす絵が描かれていた。

 

「ここに。『真なる王討たれた時、古より魔の災禍来る。これを魔獣の復活と知れ。魔獣は聖獣が住まう森を燃やし女王が治める国を転覆す。そこを始まりとし世界を穢れで染め上げるだろう』、そう書かれています」

 

 真なる王討たれた時……。

 

 俺はユーリを見た。ユーリは頷き、俺の考えが間違っていないことを示す。

 

 真なる王、それは即ち『ヴェルスレクス』、魔王ヴェルスレクスのことだ。

 

 ヴェルスは真なる、レクスは王と言う意味がある。

 

 この書には魔王が討たれた後で、魔獣が復活すると書いてあるのだ。

 

「本当に魔獣が復活すると?」

「予言が外れるに越したことはありませんよ。しかし、魔王がいなくなってから怪物や魔法生物の様子がおかしくなっているのは事実」

「どんな風におかしいんだ?」

「何かに怯えてる。怪物ですらも、何かか逃げようと普段は出ていかない場所に現れ、人に害を為しています」

「お前が言っていた『怪物が騒がしい』ってのは、それか?」

「ええ。怪物が逃げてくる方を辿っていくと此処に辿り着きました。そして守り神に出会い、この予言書のことを教えてもらいました」

 

 怪物が逃げ出すか……。

 怪物が逃げ出すような兆候は危険度的にかなりマズい状況だ。

 

 怪物は基本的に逃走本能なんてものは極僅かしかない。己より格上の怪物と遭遇しても、所構わず縄張り争いをしてどちらか一方が命を落とす。最後に逃げたとしても必ずと言って良いほど戦いは行われる。

 

 それが怪物の摂理だ。その摂理が覆されている。

 

 怪物が尻尾を巻いて逃げ出すほどということは、魔獣かどうかは兎も角、それに匹敵する脅威が迫っていることになる。

 

 それ程までの脅威なら尚更、ユーリを一人で戦わせることはできない。

 

「ユーリ、事情は解った。俺も力を貸す」

「え、本当ですか? それはありがたいのですが……」

 

 ユーリはララとシンクを見た。

 何を考えているのかは分かる。ララは兎も角シンクの身の安全を懸念しているのだろう。

 

「ララは大丈夫。魔法の才能が桁違いだ。シンクは……どうしようか」

「私の側にいさせる。私は後方で魔法支援だろう?」

「良いのか?」

「仕方ないだろう」

「助かるよ」

 

 ララが側にいてくれるなら問題は無い。シンクはララにも懐いている。ララの言うことなら素直に聞くだろう。

 

 ララには後方で魔法による支援攻撃をさせるつもりではいるが、できるだけ戦いには参加させたくはない、と言うのは勝手が過ぎるだろうか。

 

 ララがこうしてここまで足を運んでくれているのは、俺の為であり俺の所為なのだ。契約を破るような真似をさせない為に、ララは危険を承知の上で一緒に来てくれた。

 

 シンクも幼い子供だ。本当は安全な所に置いておきたいが、ヴァーガスとして罪を犯してしまったこの子を保護責任者として手の届く範囲に置いておかなければならない。

 

 少なくとも、エフィロディアに居る間は誰にも任せることはできない。

 魔獣と戦いながらララとシンクを守り通す。

 勇者であるユーリがいるとは言え、かなり大変な絶対条件だ。

 だがそれを完璧に行うのが勇者の務め。

 俺はララの勇者だ。勇者ならこれしきの偉業、成し遂げてみせなければ。

 

「ユーリ、他に増援は頼めないのか?」

「俺もそう思ったのですが、色々と複雑な事情がありましてね。主に、国際問題とか」

「どうしてだ? 世界の危機だろ?」

「あまり言いたくはないのですが、これはあくまでもエフィロディアの問題。他国に支援を要請するとなると借りを作ることになります。そうなれば今後エフィロディアは他国に対して大きく出られなくなります」

 

 人族は決して一つの国ではない。同じ種族ではあるが、それぞれの国に王が存在し、己の国の地位を高めようとしている。

 他の種族にも氏族や部族などが存在して派閥を競い合う所は存在するが、それでも彼らは一つの国として動いている。

 

 魔族との戦争が停戦した今、人族は己が国の繁栄と存亡を懸けて水面下で競い合っている。

 

 俺が人族の大陸を出ようと思った切欠もその一つだ。魔族との戦いに明け暮れ、今度は人族同士の権力争いを目にし嫌気が差したのだ。

 

 グンフィルド女王が権力に固執するような人物だとは思っていないが、女王となった今ではそう言った厭らしい側面も見ていかなければならないのかもしれない。

 

「はぁ……人族も人族で魔族と同じく競い、争うことで発展してきたしな」

「でも兄さんなら何処にも属してないですし、問題ありませんね。そう言えば、今は何処に?」

「エルフ族の国だ。そこで学校の教師をしてる。ララはそこの生徒だ」

「……兄さんが教師を? それに半魔であるララお嬢さんが生徒?」

「あー……」

 

 どうしよう、ユーリに説明しておいたほうが良いだろうか。

 

 ユーリは風の勇者だし、俺の弟分でもあるし、それにもしかすると雷の神殿の時のように風神の試練を受けることになるかもしれない。

 どうせその時に知られるだろうし、ユーリに言っても大丈夫だろう。

 

「ユーリ、七神の神殿に力が戻ってるのは知ってるか?」

「ええ、怪物騒動の原因かと思い、一度調査しました。けれど何も起こらず、一先ず保留にしています」

「あれな……実は俺とララに関係があるようなんだ?」

「……どういうことです?」

 

 俺はユーリに雷の神殿であったことを話した。

 その過程でララが聖女であることも伝え、いずれ俺とララが大いなる旅と大いなる選択を迫られるという予言も話した。

 

 ユーリは終始驚きの表情をしていたが、最後には納得したように頷いた。

 

「成る程……通りで兄さんから雷神の気配を感じた訳ですか」

「あ、やっぱ感じるのか?」

「ええ。姉さんとは少し違うようですが、確かに兄さんから雷神の力を感じますよ」

 

 俺は右手を上げて雷神の力を少しだけ発動させた。

 バチバチと黒い稲妻が右手で迸り、ユーリは興味深げにそれを見つめる。

 

 あれから半年だが、コツコツとこの力の訓練は続けてきた。まだエリシアのように雷そのものになるようなことはしていないが、少なくとも通常の雷属性の魔力よりも大きな力を操れるようにはなった。

 

 ウルガ将軍と戦った時のような変身も、まだ完璧じゃないが三回に一回は変身できるようになったばかりだ。

 

「凄い……ただの雷属性じゃありませんね」

「ああ。これだけじゃない。雷神の力を更に高めると、俺の魔の部分が剥き出しになって変身できる」

「変身!? それは是非見てみたいものです!」

「見世物じゃないんだが。まぁ、もしかしたら魔獣との戦いで変身するかもな」

 

 魔獣が相手となれば、雷神の力を引き出す必要に迫られるだろう。

 魔獣は怪物のカテゴリーに入るが、その強さは一線を画すほどだ。下手をすれば魔王に迫るまである。

 

 俺の力は勇者よりも格下だ。魔法を使わない剣術だけなら他よりも優れていると自負はしているが、魔法を組み合わされると負ける。

 

 どれだけ剣術で抑え込もうとも、どれだけ魔法を多用して撹乱しようとしても、勇者の地力によって最終的に覆されてしまう。

 

 だが俺にも雷神の力が備わったことで、勇者と同じ強さになれたのだろうか。

 

 まだその実感は無い。

 仮に同じ力になっているとすれば、俺は勇者ということになるのだろうか。

 

 もしそうだとしたら、親父はそれを知っていたのだろうか。

 

 親父はエリシア達をそれぞれの属性の魔力の奔流へと投げ込み、生き残った子供を勇者として育てた。

 勇者はそうして生まれた。決して最初から神に選ばれ力を授けられた訳じゃない。

 

 親父は俺にそれをさせなかった。どうしてと訊いても、何も答えてくれなかった。

 何の地獄を見ないで勇者の力を得たのだとしたら、他の勇者達は何と思うだろうか。

 

 何て……アイツらがそんなこと気にするようなことはないか。

 

「それで? どうやって戦うんだ? 流石に俺も魔獣と戦うのは初めてだ」

「ある霊装が必要なんです。その霊装を見つけ出さなければ魔獣には勝てません」

「見つけ出さなければ……まだ見つかってないのか?」

「兄さんも聞いたことがあるでしょう……聖槍フレスヴェルグです」

「これはまた……どうしてそれが?」

 

 ユーリはまたラファートの予言書を開き、俺にとあるページを見せた。

 そこには魔獣に立ち向かう、槍を携えた戦士が描かれていた。

 

「『聖なる風の槍を携えし者、魔の災禍を滅するだろう』……聖槍フレスヴェルグは風の槍です。魔獣を倒すのに必要なのですが……」

「……槍は魔王を倒した後、消えちまったよな」

 

 そうなのである。

 

 聖槍フレスヴェルグは嘗て風神の試練を乗り越えたユーリが手にした霊装だ。魔王を討った後、役目を終えたのか聖槍はそのまま風となって何処かへと消え去ってしまったのだ。

 

 それが今になって再び必要になるとは思いもしなかった。

 

 だがあの聖槍は風の勇者であるユーリにしか使えない霊装だ。ユーリが望めばまた現れるのではないのか?

 

「聖槍はお前の物だろ? 喚び出せないのか?」

「兄さん、厳密にはアレは俺の物ではありませんよ。風の勇者に使える霊装って言うだけで、所有権は風神にあります」

「……所有権は神、か」

 

 ならば、聖槍は今、風神の手元にあると言うことか。

 

 しかしそれならばまたユーリに渡しても良いもんだと思うのだが、渡していないということは渡せない理由があるのか、それとも必要無いのか。

 

 いや、必要無いなんてことはないだろう。ラファートの予言書にはそう書かれているのだから。となれば、ユーリに渡せない理由があるのだろう。

 

「風の神殿は調べに行ったんだったな?」

「はい、何も起きませんでしたけれど」

「……」

 

 俺は隣に座るララへと視線を動かした。

 

 いや、まさかな。それはありえない。ララと俺は既に雷神の試練を受けた。風神の試練を受けられる訳がない。

 

 しかし、他の神殿で力が失われたという報告は耳にしていない。と言うことは今でも何かしらの役目を待っているのだ。役目を果たさない限り神殿に宿った力は失われない。

 

 ではその役目とは何だ。決まっている、力を勇者に渡す為の試練だ。

 

 だが風の勇者であるユーリが赴いても何も無かった。

 エリシアの時と同じだ。アイツも一人で調べに行った時には何も起こらず、俺とララを伴って調べに行った時には試練が発動した。

 

 今回も、もしかしたらそうなのかもしれない。

 そこに聖槍があるかどうかは別として、神殿はララ、もしくは俺を待っているのかもしれない。

 

「……調べて見るしかねぇよな」

 

 もし風神が聖槍を渡すとすれば、試練を乗り越えた時だ。

 迷っている時間は無い。グズグズしていると何の用意もしないまま、魔獣の復活を迎えることになる。

 少々、かなり危険だが、風の神殿に行ってみるしかないだろう。

 

「よし、ユーリ。風の神殿に行くぞ」

「え? ですが、何もありませんでしたよ?」

「雷の神殿の時もそうだった。エリシアが行っても何も無かったが、ララと俺が行った時には変化があり試練を受けることになった。今回もそうかもしれない」

「……」

 

 ララはあの時を思い出したのか、少し表情を暗くする。

 

 ララの目の前で俺は串刺しになり、それを見たララは魔族の力を暴発させてしまった。

 あの時、雷神に刻み込まれた死を克服することは難しいだろう。

 

 それに今度はシンクもいる。雷神の力を得たとは言え、戦えない子供を連れて神殿に赴くのは危険過ぎるか。

 

 いや、試練を受けるとなればそれは前回と同じなら俺とララだけだ。その間だけはユーリに任せることになるだろう。こればかりは、他人に頼むしかない。

 

「ララ、怖いか?」

「正直……でも、必要なことなんだろう?」

「……まだその確証は無い。だけど、それもこれで分かる」

「……うん」

 

 本当なら俺一人で神殿に赴きたい。だが二人揃わなければ試練を受けられないのかどうかも分からない。

 

 あの時、ララは引っ張られる感覚があると言った。俺にはそれが無かった。

 だから俺の中では試練はララがいなければ発動しないのではないかと考えている。

 

 だが奇妙な点もある。

 

 試練を突破した結果、力を手に入れたのは俺だけだ。ララには何も発現していない。

 試練を受けるにはララが必要だが、力を行使できるのは俺、という説がある。

 

 正直、ララに力が発現しなくて良かったとは思う。

 この力は人類には過ぎた力だ。一個人が保有して良い力ではない。

 そんな大きな力を子供が手にすれば、それこそ世界は放っておかないだろう。悪用しようと企む輩が必ず存在する。

 

 ララなら尚更だ。魔王の娘であり聖女である彼女が勇者の力まで手にしてみろ。その力を手に入れようと躍起になる馬鹿共が絶対に現れる。

 ただでさえ魔族に魔王として狙われているし、人族に魔王の娘であり聖女だと知られてしまえば命を狙われかねない立場だ。

 

 これ以上ララに危険な重荷を背負わせる訳にはいかない。

 

 だから、力の業は俺が背負う。

 

「……兄さん、すみませんが俺は神殿にいけません」

「は? 何でだ?」

 

 ユーリが困った顔でそんなことを言った。

 

「魔獣の復活が近い。俺がこの地を離れた時に魔獣が復活してしまえば、守り神だけでは魔獣を抑え込めません。だから俺が此処を離れる訳にはいかないんです」

「っ、いやだが、仮にお前が残って魔獣が復活したとしても、聖槍が無ければ倒せないんだろ?」

「はい。ですから、聖槍は兄さんに任せます」

「任せますって……」

 

 俺はシンクをチラリと見る。

 

 神殿で試練を受けることになればシンクだけが試練の間の外に取り残される。その間に怪物がシンクを襲ってしまえば、魔族の子供だろうと死んでしまう。シンクを守ってくれる存在が必要だというのに。

 

「シンクお坊ちゃんは俺に任せて下さい。魔獣が復活しても、俺と聖獣が守ります」

「いや、だがシンクは……」

「どうせ兄さんのことです。俺が責任を持って、とか考えているのでしょう?」

「……」

 

 そうだ。シンクは罪が許されている訳ではない。今こうして生きていられるのは、俺がシンクを『監視』して『教育』しているからだ。

 

 その監視役がシンクの側を離れる訳にはいかない。俺が離れてしまえば、シンクが怪物になってしまった時に責任を持って殺せない。その役割を他人に譲る訳にはいかないんだ。

 

「兄さん。兄さんがこの子の責任を取ると言うのなら、俺も弟として兄の尻拭いをしますよ」

「……何でもお前がそこまでするんだ? これは俺が勝手にしたことなんだぞ?」

「だって、俺も勇者ですから」

「――」

 

 ユーリは笑顔で言ってのけた。

 

 そうか……お前も勇者だったよな。

 

 俺だって勇者ならと、シンクを助けた。勇者なら絶対に助けると信じているから。

 

 ユーリの言葉に俺は笑みが溢れる。

 

「……そうか。なら、頼むよ」

 

 俺は相変わらず無表情のまま此方を見つめるシンクに顔を向け、頭を撫でる。

 

「シンク、ととは少しねーねと一緒に出かけてくる。それまで、あのにーにと一緒に居てくれるか?」

「……? とと、いっちゃう?」

「……絶対に帰ってくる。良い子にしてられるな?」

「……うん」

 

 シンクはユーリを一瞥してから頷いた。

 俺は微笑み、立ち上がってナハトを背中に背負う。ララも立ち上がり、シンクを撫でる。

 

「ユーリ、アレは居るか?」

「ええ、居ますよ。久々に走らせてやって下さい」

 

 ユーリはニヤリと笑った。

 

 

 

 

 



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第26話 風の神殿

 

 

 

 エフィロディア連合王国、北東――。

 そこは世界の中でも一番標高が高い山があり、その高さは雲を突き抜けるほどだ。

 

 『世界の壁』と称されるそこは、嘗て風神ラファートが己の楽園を作ろうとした場所であり、世界の風が始まる場所ともされている。

 

 壁と言われる通り、山を登るにはあまりにも直角で、その山を登ることは不可能とされている。それ故、山の頂上を目にした者は誰一人としていない。

 

 そう、勇者一行以外は――。

 

「いやっっっほぉぉぉぉお!」

「うわぁぁぁぁぁ!?」

 

 俺は五年ぶりの空をテンション高く駆け抜け、俺の背中ではララが必死に俺にしがみ付いて悲鳴を上げる。

 

 手綱を引き、天を真っ直ぐ上に駆け上らせていく。

 

「ララ! 大丈夫だ! 魔法で俺とくっ付けてるから、俺が落ちない限りお前は落ちないよ!」

「そ、そうは言っても怖いってぇ!!」

「せっかくの空だ! 楽しまなきゃ損だろ!」

 

 俺は空を駆け上がる速度を上げる。

 ララは更に悲鳴を上げてしがみ付いてくる。

 

 今、俺とララは世界の壁と呼ばれるカエルムという山を登る為に空を飛んでいる。

 

 勿論、飛んでいるのは俺達ではなく、俺達が乗っている聖獣だ。

 聖獣ペガサス、馬に天使の羽根が生えた魔法生物であり、ユーリが使役する聖獣の一つだ。

 

 ペガサスはどんな空でも飛行することができる能力を持っており、風の神殿に辿り着くにはピッタリの存在だ。

 

 ユーリはペガサスの他にも聖獣を使役することができる。風の勇者としての能力ではなく、本人が生まれ持った特別な力だ。

 

 シンクをユーリに預けた後、ユーリに一頭のペガサスを召喚してもらい、背中に乗って空を飛んだのだ。

 

 ララも最初は好奇心でワクワクしていたのだが、今では御覧の通り悲鳴を上げて折角の空を楽しめないでいる。

 

「センセぇ! もっとゆっくり飛んでぇ!」

「ったく! 仕方ないな!」

『ヒヒィーン!』

 

 ペガサスの速度を緩め、空をゆっくり散歩するように飛行させる。

 もう大地は建物が豆粒に見える程下にあり、高所恐怖症の人が見たら一瞬で魂が口から抜け出るだろう。

 

「ハァ……ハァ……!」

「ほら、ララ。ゆっくり下を見てみろ」

「み、見れるか!」

「なんだよ、魔法で安全に飛行できるようにしてるんだから、少しは景色を味わえ」

 

 通常、此処まで高度を上げると風は強く、気温も低く、酸素も少ない。

 それを魔法で補助して長時間滞空しても平気なようにしている。

 これが飛行魔法には必要なもので、空を飛ぶ者達は皆これを習得している。

 

 ララには更に俺とペガサスから落ちないようにと、一種の拘束魔法で俺と縛って落ちないようにしている。

 

「せめてもっとゆっくり飛んでよ! そうすれば慣れるかもしれないのに!」

「スマン、スマン。確かにちょっと調子に乗り過ぎたかもな。何せ、五年ぶりに空を飛ぶんだ」

「センセのバカ! アホ!」

「ほら、あまりゆっくりはできないが、落ち着く速度で飛んでやるよ」

 

 ペガサスを操り、できるだけゆっくりと空を駆け上がる。

 ララも落ち着きを取り戻し始め、周りを見渡すことはできるようになってきた。

 

「うぅ……高い……」

「高いのは苦手か?」

「ここまで高ければ誰でも怖いだろ……」

「雲の上はもっと綺麗だぞ。ほら、しっかり掴まってろ」

「う、うん」

 

 俺達は雲の中へと突入した。

 地上では味わえない雲の中の感触を肌で感じ、真っ直ぐ上へと駆け上がる。

 やがて雲から飛び出し、何も遮る物が無くなった太陽の光が俺達を照らす。

 

「ほら、目を開けて見ろ」

「……っ!? うわぁ……!」

 

 その景色はまさに神秘的で幻想的だった。

 白い雲はまるで海のように広がり、その上に太陽だけが爛々と輝き続ける。

 雲海からはカエルムの上部が突き出し、その上に大きな神殿が存在していた。

 

 太陽、神殿、雲海、三つの要素が一つの絵に収まる美しい光景に、ララだけでなく俺も見蕩れてしまう。

 

「……っ! おい、ララ! アレを見てみろ!」

「え?」

 

 俺は太陽の下辺りを指した。

 そこには雲海を泳ぐ巨大な生物がいる。

 

「何あれ!?」

「空鯨だ! 雲の中だけに棲息する魔法生物だよ! お目にかかれるなんてラッキーだ!」

 

 空鯨は絶滅危惧種に認定されている魔法生物であり、その個体は百にも満たないとされている。

 巨大な雲を空で見付けたら、その中には空鯨がいるんだと、人族の子供達は聞いて育つ。

 

「お、襲ってこない?」

「大丈夫だ。空鯨は温厚で、雲の中に充満する魔力しか食べない」

「……センセ、世界にはあんなのが沢山存在するの?」

「ああ。学校じゃ教えきれない程にな」

「……私、もっと世界を見てみたい」

「……そうだな」

 

 少しの間空鯨を眺めた後、俺はペガサスを操りカエルムの頂上へと向かった。

 

 カエルムの頂上は平地であり、ちょっとした草原地帯になっている。気候も気流も神殿に掛けられている魔法で整えられており、俺達が降り立っても問題無くいられる。

 

 心地良い風が頬と髪を撫で、太陽の温度が身体をじんわりと温めてくれる。

 

 ペガサスに跨がったまま頂上におり、目の前に建つ神殿へと近寄る。

 神殿の入り口には翼が生えた男性の石像があり、手には二叉の槍を携えている。

 これは風神ラファートを模した石像であり、彼が握っている槍が聖槍フレスヴェルグである。

 

 尤も、これはただの石像だが。

 

 神殿はただの四角い建物だが、見た目に騙されてはいけない。あの中はこのポーチと同じ、空間拡大魔法で別空間となっている。

 

 ペガサスから降りると、彼は地面に伏せて休む体勢に入った。

 

「さて……ララ、神殿の中では――」

「勝手な真似はしない、だろ?」

「――分かってるなら良い。行くぞ」

 

 俺達は風の神殿の入り口から中へと入った。

 

 中は雷の神殿と同じで明るく、歩くのに不自由はしない。ただ高低差がある道や、石柱が倒れて通りづらかったりと、不自由は無いが少し大変である。

 遺跡の内部の筈なのだが、川が流れていたり木が生えていたりと、外なのか中なのか時折分からなくなる光景は続く。

 

 今のところ、怪物の気配は無い。五年前には風の属性を取り込んだウォルフやら鳥形の怪物であるシルフバードとかいたものだが、不思議なことに影の一つさえ見つからない。

 姿を隠しているのか、それともいなくなったのか不明だが、襲ってこないことに越したことはない。

 

「っと……」

 

 俺は足を止めた。今まで道が続いていたが、此処に来て道が途切れたのだ。

 しかも、途切れた道の先は空が広がっていた。宙に道らしき残骸が浮かんでおり、まるで意図的に崩されたように散らばっている。

 

「道が無い……」

「……五年前と様子が違うな。前はこんなんじゃなかった」

「どうするんだ? まさか、飛び移るのか?」

 

 ララは顔を青くする。まだペガサスに乗ってきた時の恐怖が拭えていないようだ。

 

 確かに飛び移れないことはない。俺の脚力なら容易に届くだろうし、ララを抱えても問題は無い。

 だが、神殿の内部が以前に比べて変化しているのには何かしら理由があるはずだ。

 

 そう、例えば侵入者に対する防衛措置とか。

 

 落ちている掌サイズの石を拾い上げ、試しに空へと放り投げてみる。

 すると急激に突風が吹き、投げた石は空の彼方へと飛ばされてしまった。

 

「うわぁ……」

「飛び移るのは無しだな。となると、道を直すしかないか」

 

 さてさて、どの魔法なら適しているだろうか。

 修復魔法? 時間逆転魔法? それとも風魔法で瓦礫を移動させて道にするか?

 

 試しに修復魔法を道に掛けてみることにする。

 

「我、その姿を戻す者なり――レペアー」

 

 魔法を発動したが、道は修復されなかった。

 魔法を発動できなかったのではなく、何かに邪魔をされたような感覚があった。

 時間逆転魔法を掛けてみようとも考えたが、その魔法はごく短時間しか戻すことができない。この道がいつからこうなったのか不明だが、少なくともそのごく短時間内ではないことは確かだろう。

 

 なら、風魔法で瓦礫を操って道を作るしかないか。

 

「センセ、私がやってみる」

「ん? そうか、頼む」

 

 ララが杖を取り出し俺の前に出る。杖を振るい、風を起こして瓦礫を動かし始める。

 

 いい出力コントロールだ。力の維持加減も申し分ない。

 

 ララは一つ目の瓦礫を俺達の前まで運び、途切れている道に連結させた。

 

「上手いぞ」

 

 ララが連結させた瓦礫を、俺の氷魔法で凍結させて固定する。

 ララは次の瓦礫を動かし、また連結させては俺が氷で固定する。

 それを繰り返し、前にどんどん進んでいく。

 

「っ、ララ、ストップ!」

 

 俺はララを後ろから抱き締め、ナハトを道に突き刺す。

 

 直後、突風が俺達を襲い、道から吹き飛ばそうとしてくる。

 

 ナハトを掴んでその場で踏ん張り、何とか突風をやり過ごすことに成功した。

 

「ふぅ……」

「ありがとう、センセ」

「いいさ。さ、あともう少しだ」

「ああ」

 

 ララの風魔法で道を連結し、俺達は空を渡ることができた。道を渡りきり、少し歩いた先で待っていたのは、今度は瓦礫も何も無い空だった。

 

 行き止まり? そう考えたが、道を間違えたとは思えない。それに向こう側に通路が見える。

 

 また試しに石を投げ入れてみると、石は上に押し上げられるようにして飛んでいった。

 

 どうやら下から上に魔法の風が吹いているようで、これをどうにかして向こう側に渡るしかないらしい。

 

「センセ、どうする? 魔法で道を作るのか?」

「……いや、作ったところで壊されそうだ。たぶん、風を利用して渡れってことだろ」

「え?」

 

 俺はニヤリと笑い、ララの後ろからララの両手を手に取る。

 

「せ、センセ?」

「大丈夫、俺の言う通りに。ゆっくりと前に進め」

 

 ダンスを教えるような体勢になり、ララと一緒に前に進む。

 

 使う魔法は地属性と風属性の魔法。足下に風を操る魔法を展開し、頭上から重力を加える魔法を展開する。

 

「センセ? センセ? このままじゃ落ちる――」

「大丈夫――そらっ」

「きゃっ!?」

 

 途切れた道ギリギリで踏ん張っていたララを後ろから押し、俺とララは空に身体を放り出す。

 だが空から落ちることなく、また上に吹き飛んでいくこともなく、俺達はその場に滞空している。

 

「……あれ?」

「足下で風を調節して、上から重力を加えて宙に留まってるんだ。ほら、ゆっくり前に歩いてみろ」

「う、うん」

 

 ララは恐る恐ると足を前に出す。大地を歩くように空を歩き始め、ララは驚いた表情を浮かべて高揚する。

 

「す、凄い! 空を歩いてる!」

「下から吹く風のお陰だ。飛行魔法とはちょっと違うけどな」

 

 下から吹く風を魔法で微調整しながら、時折上から重力を加えて浮きすぎないようにする。

 

 言ってることは簡単だが、二つの魔法を同時に行うことは実は難しい。

 体内で魔力を二種類に変換しなければいけないし、魔法の操作も二つ同時に行う。

 

 俺は二つまでなら同時に行えるが、魔法力の高い者なら三つ四つと操ることができる。

 

 魔王は七つ同時に操れた。流石に七つ同時は魔王でも疲れるようで乱用はしなかったが、ララならそれも可能かもしれないな。

 

 空の散歩を終え、俺とララは道無き道を渡り終える。

 

「っと、どうだった? 空の散歩」

「すっごい楽しかった!」

「それは良かった。なんなら、お前なら一人で飛べるようになるさ」

「飛行魔法は難しいのか?」

「まぁ、複数の魔法を一度に発動して繰り返し使うようなもんだからな。だから基本的には物に主だった魔法を仕込んで自動的に発動させて、残りの魔法は自分で発動して調整するんだ。ただ、空を飛ぶ方法はそれだけじゃないからな。いつか、自分なりの飛び方を覚えるさ」

 

 例えばエリシアの雷や、ウルガ将軍が使っていた煙になって飛んでいくような方法がある。

 将軍の煙になる魔法は知らないが、そんな風に飛ぶに適した姿へと変える手段だ。

 

 だがその難しさは群を抜く。己の存在定義を改竄するようなものだからな。失敗すれば二度と元に戻れなくなることだってある。実際に、それで死亡した者だって何人も存在するのだから。

 

 ララの魔法力なら、いずれ一人で飛行できるようになるだろう。それも新しい方法を見付けるかもしれないな。

 

 その後も道を進んでいき、怪物と遭遇することなく、目的の試練の間まで到着した。

 

「ララ、どうだ? 何か感じるか?」

「……ああ。あの時にも感じた、引っ張られるような感覚だ」

 

 やはり、ララには感じ取れるものがあるようだ。

 俺には何も感じられない。

 

 試練の間は、雷の神殿と同じように円形のコロシアムのような形だ。

 此処も選ばれた者しか入れないようになっている。

 

「……先ずは俺が入る。もし試練が始まったら、お前は入らず防御魔法を展開しろ」

「でも……」

「ララ」

「……分かった」

 

 渋々と頷いたララの頭を撫で、俺はナハトを手に持った。

 

 見える範囲には何もない。怪物らしき姿も、試練で戦うであろう相手の姿も無い。

 ゴクリと唾を飲み込み、意を決して試練の間へと足を踏み入れた。

 

「……」

 

 ――何も、起きない。

 

 だが入ることはできた。つまり俺には試練を受ける資格があるが、俺だけでは始まらない、ということなのかもしれない。

 

 後ろに控えているララに顔を向け、こっちに来るようにと伝える。

 

 ララは頷いて、杖をギュッと握り締めて足を踏み出した。

 

 ララが試練の間に入った瞬間、試練の間がゴゴゴッと音を立て始める。

 

 試練が始まったのだ。

 

 やはりララの存在が試練には必要不可欠のようだ。

 

 鍵はララ、剣は俺、という具合か。

 

「ララ! 常に防御を忘れるな!」

「あ、ああ!」

 

 ララを後ろにし、ナハトを両手で構える。

 

 試練の間に小さな竜巻が幾つも現れ、壁に沿って動き出す。

 

 そして俺達の正面に風が一つに集まっていき、超巨大な緑色の獅子が姿を見せた。

 

 

 



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第27話 風の試練

 

 

『グルァァァァァァアッ!』

 

 これが試練の相手か。

 ただの怪物に見えるが油断はできない。どんな姿であっても風神の力を有する存在の筈だ。

 

「ララ! 奴が俺に引き付けられてる間に好きなだけ魔法を放て!」

「分かった!」

 

 俺は床を蹴り、獅子へと突撃する。

 ナハトを獅子の顔目掛けて振り下ろす。獅子は後ろにずれてナハトをかわし、右前足を振り下ろしてくる。その足を、身体を捻りながらジャンプしてかわす。

 

「サラ・ド・イクスズ!」

 

 ララの杖から火花が放たれ、獅子の身体に着弾する。その途端、着弾した所が大きく爆発し、獅子にダメージを与え、獅子は身体を怯ませる。

 

 その瞬間を逃さず、ナハトで横薙ぎにする。獅子の左前足に刃が食い込むが、毛皮の硬さで斬ることができなかった。そのまま足を弾き、返す刃で顔面に叩き付ける。獅子の顔面も硬く、ただ殴り付けるだけになってしまう。

 

「硬っ!?」

『グラァァ!』

「センセ! サラ・ド・イクスズ!」

 

 獅子が俺に噛み付こうとしたところを、ララの魔法が割り込み、獅子は大きく仰け反る。

 俺は一度獅子から距離を取り、今一度ナハトに魔力を喰わせる。俺の魔力を喰ったナハトは黒い刃を爛々と輝かせる。

 

 獅子は黄色く輝く眼光で俺を睨み付けてくる。俺も負けじと睨み返し、ナハトを握り締める。

 

「デリャアッ!」

『ラァァァッ!』

 

 俺と獅子がぶつかり合い、剣と爪が火花を散らす。

 俺がナハトを振るうと獅子は器用に前足の爪で捌いてくる。獅子が俺の攻撃に気を取られていると、そこにララの魔法が炸裂しダメージを通していく。

 獅子はララの魔法を嫌がったのか、後ろに飛び退いて俺から距離を取る。

 そして獅子は鬣を逆立たせ、風の魔力を練り上げた。

 

 ――魔法が来る!

 

「ララ! 防御だ!」

 

 ララにそう命じると、ララは無言で人族の防御魔法を展開する。俺には展開しなくても良いのに、ララは俺の分まで障壁を展開した。

 

『ガァァァァァアッ!』

 

 獅子は最大限まで魔力を練り上げると、大きな咆哮を上げて鬣と口から竜巻を吐き出した。

 竜巻は真っ直ぐ俺達に襲い掛かり、ララの障壁に激しく音を立てながら直撃する。

 俺は魔力を風属性に変換し、魔力を練り上げる。

 

「我、風の竜を生み出し敵を喰らう者なり――ラージド・ウインドラグーン!」

 

 魔法で生み出した風と獅子の攻撃によって吹き荒れる風を利用し、風のドラゴンを召喚して獅子に攻撃を跳ね返す。獅子の風を巻き込んだことで威力が倍増したドラゴンの顎が獅子に喰らい付く。

 

 獅子はその衝撃で後ろに吹き飛ぶも、硬い毛皮のお陰でそこまで大きなダメージは通っていないようだ。

 

「ちっ……!」

「センセ! 全然攻撃が通用してないぞ!」

「あの硬い毛皮をなんとかしなきゃな!」

『ガルルゥ……!』

 

 獅子は立ち上がり身体を捩らせる。

 俺が放った魔法はそれなりに強力な物だった筈なんだが、傷一つ付いていない。

 

 あの毛皮の強度は中位の魔法じゃ突破できない程か。上位の魔法を放つことはできるが、流石に上位になると放つまでに少し時間が必要になる。その時間をあの獅子が許してくれるとは思えないな。

 

 此処で雷神の力を使ってみるか……? 相手がまだ『本気』を出していない間に速攻で方を付けたほうが良いか。

 

「よし……使うか」

 

 俺の中の魔力に意識を集中させ、雷神の力に切り替える。

 イメージするは黒い稲妻、圧倒的力で相手を焼き貫く神罰の雷……!

 

「見様見真似! アラストール!」

 

 エリシアが神殿で放った雷の集束砲を放つイメージでナハトを思いっ切り突き出す。

 

 黒い雷がナハトから迸り、強力な雷を放――――。

 

「……」

「……」

『……』

 

 ――――何も、起こらなかった。

 

「あれぇ!?」

「センセ! 何やってるんだ!?」

「っ!?」

 

 獅子の口から風の大砲が放たれ、俺は慌ててナハトで風を斬る。風の大砲は掻き消え、直撃は免れたが、俺にはそれに安堵する余裕が無かった。

 

 雷神の力が使えなかった――。

 

 確かに魔力は雷神の物に切り替わった。それは間違いない。

 だが身体の外に魔法として放とうとしたら、蝋燭の灯火を吹き消すようにフッと消えた。

 

 俺が雷神の力をコントロールできなかった、という訳じゃない。

 第三者による妨害を受けたような感覚だった。

 

 もう一度、雷神の力を使おうと手から雷を放つ。

 やはり同じように力が消え、手からは何も放たれなかった。

 

「何でだ!?」

「センセ! 危ない!」

『ガァァァ!』

 

 ララの叫びで獅子が飛び付いてくるのに気が付き、後ろに飛び退いて攻撃を避ける。

 ララの隣まで後退し、ナハトを構え直す。

 

「センセ、どうしたんだ!?」

「分からん! 雷神の力が使えない!」

「え!?」

「まさか……試練は勇者の力無しで挑めってことか!?」

 

 だとしたらかなり面倒だ。あの獅子はまだ本気を出していない。魔法だってちょっと漏らしてる程度の力だ。あれが本気になれば、また雷神の時と同じようなことになるかもしれない。

 

 俺がやられたら、ララが死ぬ――。

 

 脳裏に嫌な未来が過る。鼓動が荒くなり、呼吸がしづらい。

 落ち着け、落ち着け。雷神の力が無くても俺は魔王を倒した。やることをきっちりやれば、間違いを犯さなければ風神の試練だろうがなんだろうが乗り越えられる。

 

 だから落ち着け、落ち着いてナハトを握り締めろ。

 

「センセ! センセ!!」

「っ!?」

 

 思考の海に飲まれていた俺を、ララの声が掬い上げた。

 ララは以前の時とは違い、強い眼光を持ったままそこに立っている。

 

「センセ! 私達なら勝てる! だって聖女と勇者なんだから!」

 

 そう言うララは、目の力は強くても足が少しだけ震えていた。恐怖を必死に抑え込んで強がっているんだ――。

 

 ――違う、ララは信じてるんだ。

 

 しっかりしろルドガー・ライオット! 大切な生徒がこんなにも頑張ってるんだ!

 俺がここで臆していったい何ができる!

 

「悪い、ララ! ちょっとへこたれてた!」

「……センセ! 指示をくれ!」

 

 今一度、獅子を観察する。

 

 獅子が本気を出すまでにつけ込めるだけつけ込んでおきたい。本気を出しても覆せないアドバンテージを掴んでおくのが確実な勝利に繋がる一手だ。

 

 考えろ、獅子は風の魔法を使う。毛皮は硬いが石や鉄で構成されている訳じゃない。風の魔法なら跳ね返すことも可能。あとは魔法を使う際には鬣が逆立つ動作が入る。

 

「サラ・ド・イクスズ!」

 ララが獅子に牽制として火の精霊魔法を放つ。獅子の鬣付近に着弾し、大きな爆発を起こす。

 獅子は嫌がったように声を上げ、身体を捩らせる。

 

 ……そう言えば、その魔法だけやけに反応が大きいな。ダメージは通っていないように見えるが、もしかしてそれは表面上だけか?

 

 俺は試しにと魔力を火属性に変換し、火の魔法を放つ。攻撃力が高い、魔族の魔法を選ぶ。

 

「我が敵を焼き貫け――フレイムランス!」

 

 炎の槍を生成に、獅子に投擲する。

 獅子は魔法で防ぐ訳でもなく、爪で叩き落とす訳でもなく、今まで一番大きな動きで炎の槍を避けた。

 

 まるでそれには絶対に触れたくないと言わんばかりな反応だ。

 

「……なるほど」

 

 獅子の攻略方法の一つが思い浮かんだ気がする。

 

「ララ、使える火の魔法で一番デカいのは何だ?」

「……火の精霊魔法で、炎(えん)雲(うん)召喚」

「ちょうど良い。俺が合図したら放てるよう、準備してろ」

「……ああ、分かった」

 

 ナハトを肩に担ぎ、獅子に近付いていく。

 

 さぁ、いっちょ派手に立ち回ろうじゃないか。

 

「行くぞ、化け獅子。できるだけ派手な技を頼むぞ」

 

 魔力を練り上げ、身体能力を向上させる。一歩で獅子の懐に潜り込み、下からナハトで突き上げる。

 

「ドォォリャァァ!」

 

 そのまま獅子を宙に浮かせ、更にナハトへ魔力を集束させてもう一度突きを放つ。

 魔力による衝撃波を獅子に浴びせるが、獅子は少し怯んだだけに終わる。

 獅子は空中で体勢を整え、俺に向けて風の砲弾を放つ。

 

 違う、これじゃない。

 

 砲弾を斬り裂き、落ちてくる獅子をかわし、ナハトで顔面を殴り付ける。

 

『ガオォォォォ!』

 

 獅子は牙と爪を立てて俺に反撃してくる。

 爪に風の魔法が纏わり付き斬れ味を増大させているが、望んでいるのはその魔法じゃない。

 

 爪をナハトで受け流していき、隙を見付けては反撃してナハトで殴り付ける。

 

 ガキンッ、ゴキンッ、と硬い物を殴る音が響き、鳴る度に火花が散る。

 

「ゼリャァ!」

 

 ナハトに魔力を喰わせ、衝撃波を放ちながら獅子の前足を大きく弾き、顔面にナハトを突き立てる。切っ先が獅子の眉間に直撃し、そのまま獅子を突き飛ばした。

 

 獅子の巨体はそのまま壁まで吹き飛び、壁に激突して床に転がり落ちる。

 ただ、見た目に反してやはりダメージが通っていない。頑丈な硬さで全身を守っていやがる。

 

『グルゥゥ……!』

 

 獅子の鬣が激しく逆立つ。風が獅子の周りで吹き荒れて集まっていく。

 

 来た、この魔法だ。この魔法に合わせて反撃すれば!

 

『ガァァァァァァッ!』

 

 獅子が咆哮を上げ、巨大な竜巻が砲弾となって放たれる。

 俺はナハトで正面からその砲弾を受け止める。

 

「ララ! 今だ!」

「火の精霊よ来たれ! サラ・フォル・フラマヌーベスディア!」

 

 ララの魔力が一気に高まり、広範囲に紅蓮の炎が生み出される。その炎は大地に走る雲のように広がっていき、俺が受け止めている竜巻の砲弾に襲い掛かる。

 

「ナハト! 喰らえ!」

 

 ナハトの鍔であるドラゴンの眼が紅く光り、獅子の風とララの炎を喰らい始める。

 二つの魔力がナハトの物となり、獅子から竜巻の制御を奪い取る。ララの炎も制御し、巨大な炎の竜巻をナハトに纏わせ付けた。

 

「返すぞ化け獅子! 炎竜破!」

 

 嘗て戦ったウルガ将軍が使っていた炎の技。それを俺なりにアレンジした物を獅子に向かって放つ。ララの炎で倍増された威力の炎の竜巻が砲撃となって獅子を呑み込む。

 

『グギャアアアアア!』

 

 今までダメージというダメージが入らなかった獅子が絶叫する。

 

 やはり、こいつには火属性の魔法が効くようだ。通りでララの魔法だけ大きく反応していた訳だ。弱点である火を本能的に嫌っていたのだ。

 

「燃えろォ!」

『グルァァァァア!』

 

 魔力が大きく爆ぜた。獅子は全身を燃やし、床にぐったりと倒れる。

 

 これで終わった、とは思ってはいない。

 試練の第一段階が終わり、次の段階へと移行するはずだ。

 

 そう考えている間に、それは起きる。

 

 燃えていた獅子から炎が掻き消され、焼けていた肉体が再生していく。獅子は立ち上がり、鬣の隙間から二つの首を生やす。三つの頭を持った獅子へと変貌し、更に背中から一対の翼を生やしやがった。

 

 



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第28話 炎の魔剣

 

 

『ガァァァァァァァッ!』

 

 三つの頭から耳を劈く咆哮が上げられ、俺とララは耳を塞ぐ。

 獅子は翼を羽ばたかせ、宙を浮いて周囲に風の槍を展開した。

 

 ここからが正念場だ。ここを乗り越えれば試練を突破できる。

 

「ララ! 踏ん張れよ!」

「センセこそ!」

「我、大地の怒りを以て敵を貫く者なり――ラージド・アースランス!」

「火の精霊よ来たれ――サラ・ド・トゥルボーズ!」

 

 俺が床から大岩の槍を生み出して射出し、獅子が放った風の槍とぶつける。そしてララが発動した炎の竜巻が獅子を呑み込む。獅子は翼を動かして風を起こし、炎の竜巻を掻き消して広間を飛び回る。

 

 デカい図体して頭上を飛び回りやがって。アイツに大ダメージを与えるには一度床に叩き落とさなければいけないか。

 

 なら地属性の重力魔法だ。それも威力の強い魔族の奴でいくか。

 

 飛び回る獅子に手を翳し、魔力を一気に練り上げる。

 

「大地に這い蹲れ――グラヴィタス・ディアボロス!」

 

 獅子の頭上に魔法陣を展開し、巨大な黒い球体を生み出す。その球体から発生させた重力で獅子を上から押し潰す。獅子を床に勢い良く叩き付け、そのまま重力で押し潰してしまおうと更に力を高める。

 

 これは魔族の中位魔法だ。魔力の消費が激しいが、その分威力は高い。

 

「そのまま潰れろ……!」

『グル……グラァァ!』

 

 最初こそ獅子は苦しんでいたが、咆哮と共に魔力を瞬間的に爆発させ、重力の魔法を強制的に解除させられた。魔法を壊され、制御していた左手にその反動で激しい痛みが襲い来る。

 

「くっ……!?」

『ガァァア!』

 

 獅子は風を全身に纏い、回転しながら突撃してくる。

 ララを抱き上げ、獅子の突進を避ける。ララは俺に抱えられながら杖を獅子に向けた。

 

「サラ・ド・ハスタズ!」

 

 炎の槍が一本、杖から放たれて獅子に迫る。しかし獅子に直撃する前に纏っている風によって掻き消される。

 

 ララを獅子から遠ざけた場所で降ろし、ナハトを構えて獅子に立ち向かう。

 獅子は三つの口から風の砲弾を乱射し、俺とララに当たる砲弾だけを見切ってナハトで斬り裂く。

 

 先程よりも威力が増している。ただ数が増えただけじゃないようだ。ナハトが魔剣じゃなければ打ち破れなかっただろう。

 

『グルォォォォォオ!』

 

 獅子が雄叫びを上げると、広間中に幾つもの竜巻が発生した。その力で試練の間の天井が破壊され、蒼天と太陽が俺達を照らす。天井の瓦礫を巻き込んだ竜巻が乱雑に移動し、俺とララを呑み込もうとする。

 

 更に天井が壊れたことで試練の間の結界が破れたのか、獅子は空高く飛び上がって神殿から飛び出て上空で力を高め始めた。

 

 マズいな、空のアドバンテージを取られたら戦況が不利になってしまう。

 地上に落とすか、もしくは俺達も空を飛べれば――。

 

「――っ、そうだ! ララ、こっちへ!」

 

 ララを近くに寄せ、俺は魔法で音を大きくした指笛を吹く。

 指笛の音が響いてすぐ、馬の嘶きが聞こえた。

 壊れた天井を見上げると、そこからペガサスが現れて目の前に降り立つ。

 

「え、センセまさか!?」

「そのまさかだ!」

 

 顔を若干青くしたララをペガサスに乗せ、俺も乗ってララの後ろから手綱を左手で握る。

 

「ハイヨォ!」

「いやああああっ!?」

 

 ペガサスを走らせ、急加速で上空へと飛び上がる。

 

 同時に獅子から風の衝撃波から放たれるが、ペガサスを操ってそれをかわす。衝撃波は神殿に直撃し、神殿に大きな損傷を与えた。

 

「ったく、貴重な歴史的遺産なんだぞ!」

「センセ! そんなのはいいから前!」

 

 前から獅子が突撃してきた。それを寸前でかわし、獅子の周りを旋回する。

 獅子も俺達の様子を窺いながら、まるで空の王者だと言わんばかりに翼を羽ばたかせる。

 

「行くぞララ! 振り落とされないようにしっかり掴まってろ!」

「何に!? 落ちない魔法は!?」

「それに割いてる余裕は無い!」

「そんな――きゃああああっ!?」

 

 ペガサスを急加速させ、獅子を追い掛ける。ペガサスの速度は獅子が飛ぶ速度よりも速く、追い付くことは簡単だった。

 

 此処からは近接戦闘ではなく魔法戦闘が主体になる。

 俺とララは残っている魔力を総動員して魔法を獅子に向けて放っていく。

 今の魔力残量では魔族の魔法は使えず、人族の魔法を使う。威力は下がるが、魔力消費量は此方のほうが少ない。

 

 雷神の力もまだ使えないか試してみるが、結界が壊れた今でも使えなかった。

 

「ラージド・フレイムバーン!」

「サラ・ド・イクスズ!」

 

 俺の炎とララの爆発が獅子を攻撃し、獅子はそれらを纏う風で防いでいく。

 

 あの風に炎を混ぜ込ませればと思ったが、そうは問屋が許さないようだ。風が鋭い刃のようになり魔法を斬り裂いてしまう。

 近寄って斬ろうにも風が邪魔で近付くことができない。同じ空というステージに立ったのは良いが、これでは無駄に魔力を消費するだけで終わってしまう。何とかしてあの風を突破する方法を考えないと。

 

「センセ! どうするんだ!?」

「……あの風をナハトで断ち切るしかない!」

「どうやって!? うわっ!?」

 

 獅子が風の砲弾を放ってきた。ペガサスを駆って砲弾を避け、獅子の後ろを追い掛けるようにして空を走らせる。

 

「ララ! 俺がこれから教える魔法を、合図したら放て!」

「何をする気なんだ!?」

「奴に斬り込む! それしか勝つ方法は無い!」

「でもアイツの身体硬いんじゃ!? それに風の結界だって!」

「賭けになるが……やってみるしかない!」

 

 ペガサスを急加速させ、獅子の上空へと向かわせる。その途中でララに呪文を教え、ペガサスの手綱を握らせる。

 

「いいか! 魔法を放ったらすぐに離れろ!」

「センセ! 信じて良いんだな!?」

「嘘吐いたことあるか!?」

「隠し事はある!」

「そうだったな! ――今だやれ!」

 

 ララにそう合図した俺はペガサスから下を飛んでいる獅子へ目掛けて飛び降りる。

 ララはペガサスの上から杖を構え、空に向けて魔法を唱える。

 

「我、此処に天照らす日輪を具現させし神の巫女なり――マキシド・ソリス!」

 

 ララが魔法で赤い太陽を創り出した。これで空に自然の太陽と魔法の太陽、二つの太陽が存在することになる。

 

 太陽は月と同じく魔法的要素が強い。それが片方は擬似的とは言え二つ、俺の頭上に存在する。

 

 つまり、強大な魔法を使える準備が整ったということだ。

 

「我、火神に捧ぐ! それは我が右手! 我、火神に捧ぐ! それは二つの太陽! 我が剣に宿れ! 火神の剣! その名は魔剣――倶利迦羅!」

 

 直後、二つの太陽から強大な魔力が俺の右腕に注ぎ込まれる。その魔力は凄まじい熱を発し、俺の右腕がガントレットごと真っ赤な炎に染まる。灼熱による激痛が襲うがすぐに慣れ、注ぎ込まれた魔力をナハトに全て喰わせる。灼熱の魔力を喰らったナハトの刀身が真っ赤に染まり、炎を凝縮したような刀身に形を変える。

 

「オオオオオオオッ!」

 

 右腕が完全に焼け落ちる前に勝負を決める。

 

 倶利迦羅と化したナハトを振り上げ、眼前に迫る獅子の風へと力を解放しながら斬り払う。

 

 一瞬の拮抗があったが、倶利迦羅は獅子が纏う風の結界を焼き斬り、ズパンッという音を立てて結界は砕かれる。

 

「ハアアアアアアアッ!」

 

 がら空きとなった獅子の背中に倶利迦羅は簡単に突き刺さり、獅子の体内に灼熱の炎を一気に送り込む。

 

『グギャアアアアアッ!!』

 

 体内に炎が流れ込んだ獅子の口や目から炎が噴き出し、全身の内側から炎が漏れ出す。

 

「燃えろぉぉぉぉオ!」

 

 全ての力を流し込んだその時、獅子は内側から弾けて爆発した。

 

 決着がついたのを確認し、すぐに魔法を終了させる。右腕は殆ど炭と化し、シューシューと音を立てている。

 

 これが人族の身体なら右腕はもう使い物にならず、即座に切り捨てるべき状態だが、都合良く俺の身体は半魔だ。時間は少し掛かるが、治癒魔法も加えたら元通りに治る。

 

「っ……!」

 

 空を落ちながら獅子が爆発した煙を眺めていると、中から緑色の光が見えた。

 

 まさか、獅子を倒しきれなかったのか?

 

 俺は焦りを覚えたが、それは杞憂だった。

 煙の中から現れた光は煙から飛び出し、俺の炭と化した右腕に飛び込んできた。

 

 その途端、風属性の魔力が全身を駆け巡り、俺の中の魔力を刺激した。

 

 瞬間理解した――これは風神の力だと。

 試練を乗り越えた証として、風神から力を授かったのだと。

 

 右腕はガントレットごと元通りになっていた。痛みも無く、問題無く動かすことができる。

 

「……」

 

 俺は落ち着いて風神の魔力を意識する。風を纏い、自由に操れるようなイメージを強く持つ。風で身体を持ち上げるように操り、落ちていく身体を支えた。

 

「……ふぅ! やればできるもんだな!」

「センセ!」

 

 滞空に成功したことに安堵していると、ペガサスに乗ったララが泣きそうな顔でやってきた。

 俺があのまま空から落ちていってしまうとか思ったのだろう。

 空に立つようにして身体を起こすと、ララがペガサスから俺の胸に飛び込んできた。

 

「おいバカ!?」

「バカはセンセだ! 落ちていくかと思ったじゃないか!」

「悪い悪い……それまでにお前が来てくれると思ってたんだよ」

「……でも空飛んでる」

「あー……風神の力を手に入れたみたいだからな」

「……やっぱりセンセって勇者?」

「……そろそろ否定できないかもな」

 

 ララをペガサスに戻し、俺も背中に乗り込む。

 

 空の上から風の神殿を見下ろすと、神殿からは力を感じなくなっていた。

 役目を終えたのだろう。力は俺に授けられた。

 そして聖槍フレスヴェルグも、その存在を俺の内に確かに感じる。

 

 魔獣を倒す武器は手に入れた。ついでに風神の力も。

 

 どうして雷神の力を持っているのに風神の力も授けられたのか、俺にはまだその理由は分からない。

 

 だがこれが俺に課せられた予言なのだろうか。

 だとすればいったい俺に、ララに、この先で何が待ち受けているんだ。

 

 ……今はそれを考える時じゃないか。魔獣を倒さなければならない。

 

「さ、ユーリとシンクのところへ帰ろう」

「ああ……安全運転で頼むぞ?」

「……ニヤ」

 

 俺はペガサスを全速力で走らせるのだった。

 

 

 



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第29話 前哨戦

 

 

 ユーリとシンクが待っている遺跡へ戻ると、何やら様子がおかしかった。

 守り神アスカを筆頭にその一族である狼の群れと動物達が遺跡に群がっていた。

 

 ペガサスを遺跡へ降ろし、ちょうど外にいたユーリとシンクと合流する。

 

「兄さん!」

「とと、ねーね」

 

 ユーリと手を繋いでいたシンクがトコトコと此方に歩み寄り、足下に来たところで抱き上げる。

 

「ただいまシンク。良い子にしてたか?」

「うん」

「……何かあったのか?」

 

 俺とララが戻ったことに安堵の表情を浮かべたユーリだが、すぐにその表情を引っ込めて少し険しい表情になる。

 

「魔獣の復活が……始まったようです」

「っ、遂にか」

 

 魔獣がとうとう復活するのか……!

 

 今度はウルガ将軍の時と違って何とか間に合ったようで良かった。聖槍もあれば風神の力もある。それに雷神の力と風の勇者であるユーリの力を合わせれば心強い。

 

 俺は右手に風神の魔力を集中させ、内にある聖槍を引っ張り出す。

 

 右手に現れた槍は二叉で、全体的に緑掛かっている。風の魔力が膨大に秘められており、選ばれた担い手が持てば強大な力を振るえるだろう。

 

「ユーリ、これを」

「これは……兄さんが?」

「俺が持つより風の勇者であるお前が相応しいだろ。使い方もお前のほうがよく知ってる」

「……分かりました」

 

 聖槍はユーリに渡した。元々、これは風の勇者にしか使えない槍だ。俺に渡されたとしても、風の勇者であるユーリこそが担い手に相応しい。力の引き出し方も俺なんかよりも余っ程慣れているし詳しい。

 

 聖槍を手にしたユーリはそれを魔力に変えて身体に内包した。

 

「若造が聖槍を、ねぇ……」

 

 アスカが俺を見てそう呟く。

 

「若造、貴様……自分が何をしたのか理解しているのかい?」

「……さぁな。誰に聞いても教えてくれないもんでね」

「ククク……いずれ理解するさ」

 

 アスカはニヤリと笑った。

 

 気にはなるが、今はそれよりも魔獣だ。復活が始まったと言うからには、何か影響が出ているのだろう。だからこそこうして聖獣達が集っているはず。

 

 ユーリに現状がどうなっているのか確認する。

 

「現在、メーヴィル周辺で怪物が出現しています。それも大群です。グンフィルド女王は全軍を導入して都への侵入を防いでいます」

「何だと? 被害は出てるのか?」

「そこまでの情報はまだ。ただ、このままではいずれ……」

 

 チラリとアスカを見た。

 

 アスカはユーリが魔獣を倒すのに必要だと言い、ホルの森から出されるのを嫌がっていた。

 だがユーリは勇者だ。属する国じゃなかったとしても、目の前で人が怪物と戦っていれば駆け付けて助けるのが勇者の役目だ。

 

 アスカはそれを許してくれるだろうか。いや、許されなかったとしてもユーリは向かわなければならない。

 

「行くのか、ユーリ?」

「ええ、当然です。まだ魔獣は復活していません。せめて復活するまで、犠牲者は出させませんよ」

「……」

「……何だい、若造?」

 

 アスカと目が合う。アスカは尊大な態度のまま俺を見下ろす。

 

「止めないんだな?」

「止めたところでユーリは行くだろう。ただ、魔獣討伐はやり遂げてもらうさ」

「任せてください。それでは兄さん、俺はもう行きます。兄さんはどうしますか?」

「当然、俺達も行くさ」

「では急ぎましょう」

 

 俺はシンクを前に抱えてペガサスに跨がり、ララを後ろに乗せる。

 ユーリは風を足下に集めてボードのような物を作り、その上に乗るようにして風を操って空を飛んだ

 これからまた大きな戦いが待っている。その戦いでは多くの命が犠牲になるだろう。

 

 勇者探しの旅が、まさかこんな大事になるとは思ってもみなかった。

 

 俺達はこれから――魔獣と戦う。

 

 

 

 

 俺達がメーヴィルに到着した時、都の様子は緊迫した雰囲気を纏っていた。

 

 城壁には戦士達が投擲機や弩弓、大砲などを用意して配置についており、既に城壁間近に迫ってきている数体の怪物を相手に戦っていた。

 

 空から見えた怪物達は全て黒い魔力を身から漏れ出している。

 

 あれが穢れた魔力……既に魔獣によって存在を変えられてしまった怪物達だ。

 

 俺達は城へと急いだ。先ずは女王に会って状況を確かめなければならない。

 

 城の庭に降り立ち、城内を知っているユーリの案内で女王がいるであろう謁見の間へと向かう。

 ドアを開けて中に入ると、女王を初めとする女戦士達とアーロンを初めとする男戦士達が睨めっこしている場面に遭遇した。

 

「あー……間が悪かったか?」

「グリムロック!」

「ルドガー……ん? ユーリもおるではないか!」

 

 グンフィルド女王は朱いドレスではなく、朱い鎧と動物の毛皮を身に纏っている。

 

 ユーリに気が付いた女王はニッコリと笑い近付き、そして――。

 

「こぉんのたわけめがぁ!」

「いたぁっ!?」

 

 そしてユーリの頭を拳でどついた。

 ユーリは床に沈み、目をグルグルと回した。

 

「勇者のくせに三年間も姿を消しおって! それでも勇者かァ!?」

「い、いえ……それにつきましては申し訳なく思ってます。ですが事情がありまして……」

「問答無用じゃ! 此度の戦が終われば、貴様にはたんまりと仕事をしてもらうからの!」

 

 女王はズカズカと元いた場所に戻り、椅子にドカリと座り込む。

 ユーリの腕を引っ張って立たせ、俺達も会議の輪に加わる。

 

「で? 貴様が戻ったからには何が起こっているのか説明できるのだろうな?」

「はい、陛下。魔獣です。ラファートの予言書に記された魔獣が復活します」

 

 魔獣、とユーリの口から出た途端、戦士達が騒然とする。

 

 当然だ。神話の中でしか名前を聞かない最悪の怪物。それが振り撒く禍とくれば、それは魔族との戦争並みの被害が予想される。

 

 それに事はこの国だけに留まらない。この国が破れてしまえば被害は世界的規模へと拡大する。言ってしまえば、この戦いは世界の命運を懸けたものになるのだ。

 

 彼らがただの怪物退治だと思っていたのは、そんな大きな戦いへと変わった。

 

「魔獣……それは真か?」

「はい。ラファートの予言書にはそう書かれています。ホルの森の守り神も、聖獣達も魔獣の復活に備えています」

「……そうか、魔獣か。貴様が森に籠もっていたのも、それが理由か?」

「はい。魔獣について調べ、戦いの準備をしてきました」

「なら策はあるのだろうな?」

 

 ユーリは頷いた。そして両手に聖槍フレスヴェルグを出現させて女王達に見せる。

 

「魔獣を倒す為の武器は此処にあります。予言では魔獣はホルの森を最初に燃やすと読まれていました。であれば、ホルの森を魔獣との最初にして最後の決戦場所にします。その為の準備も済ませております」

「うむ……じゃが先ずは目の前の怪物らだ。アーロン!」

「はっ」

 

 アーロンは椅子から立ち上がり、女王の前に跪く。

 

「全軍を率いて怪物の掃討に当たれ。指揮は全て貴様に任せる」

「仰せのままに。陛下は如何されます?」

「決まっておろう」

 

 女王も立ち上がり、ギラギラした笑みを見せる。

 

「妾も出るぞ!」

「ハァ……言っても止まらないでしょうな」

 

 アーロンは溜息を吐いて立ち上がる。

 

 何だろう、アーロンから苦労人の気配が漂っている気がする。

 

 女王という立場からしてあまり前線に出てほしくないだろうが、それでも女王が戦場に赴くのなら頼もしいことこの上ない。

 

「者共! 久方ぶりの戦じゃ! 怪物を一番多く殺した者には褒美を与えようぞ!」

『オォー!』

 

 戦士達は叫び、各自の持ち場へと向かっていった。

 アーロンは部下に指示を出して行かせ、俺達の前で立ち止まる。

 

「グリムロック、ユーリ、お前らも来るんだろう?」

「ああ、勿論だ」

「勇者として力添えしますよ」

「……そうか。なら、俺達にも獲物は残しておいてくれよ。この戦で功績を挙げにゃ、男共の立つ瀬が無いからな」

「……男なら獲物を奪ってみせろよ」

「へっ、上等だ」

 

 俺とアーロンは拳をぶつけ合い、アーロンは謁見の間から出て行った。

 

 俺達も戦いに出ようと謁見の間から出ようとしたが、そこに女王から待ったをかけられた。

 正確には、俺達ではなくユーリを引き止めた。

 

「ユーリよ、お前は少し残れ」

「……はい。兄さん、先に行ってください」

「分かった。ララ、シンク、行くぞ」

 

 俺達はユーリと女王を残して謁見の間から出る。預けていたルート達を返してもらい、跨がって戦いが行われている城壁へと向かう。

 

 余談ではあるが、もう一頭の馬にはフィンという名前を付けた。

 

 ルートにはララを、フィンには俺とシンクが乗り街中を移動する。

 

 街中では民達が戦士達の助けになろうと、物資を運んだり食事を作っていたりしている。

 随分と頼もしい民達で、城壁の向こう側には怪物達が押し迫っているのに怖がっている様子を見せていない。子供や老人は避難場所に身を寄せているのか、流石に姿は見当たらない。

 

 彼らの為にも、怪物を、魔獣を倒さなければならない。

 

 城壁に辿り着き、貨車に乗り込んで城壁の上部に到着する。

 城壁の上では戦士達が大砲と弩弓で迫り来る怪物達を迎撃している。上から外を見れば、先程よりも怪物の数はドッと増えており、地平線を埋め尽くそうとしていた。

 

 怪物達が迫ってきている場所は切り拓かれた場所で、一番奥の森の中から洪水のように現れている。こんなに大量の怪物達がいったい何処から現れているのか皆目見当も付かない。

 

「……あれが魔獣に穢された怪物の成れの果てか」

 

 怪物達は黒い魔力に身を侵され、黒い影のような姿に赤い目だけが光っている。

 

 ざっと見ただけで怪物の種類は三種類。獣型と異形型、そして巨人型だ。

 

 獣型はウォルフのような見た目をしており、異形型は複数の昆虫が合体したような姿だ。

 そして巨人型は数は少ないが一番小さな個体でも五メートルぐらいはある。

 巨人とは何度か戦ったことがあるが、馬鹿力とタフさが厄介だった。あの巨人もその特性を持っているんだろうか。

 

「センセ……」

「……大丈夫だ。お前はシンクと一緒に城壁の中に隠れてるんだ」

「私も戦える!」

「分かってる。だけど試練で魔力を消耗してるだろ? だから回復を待ちながらシンクを守れ」

「……分かった。じゃあ、これだけでも持って行って」

 

 ララは肩から掛けていた鞄から霊薬の入ったアンプルを取り出して渡してきた。

 その霊薬を受け取り、ララとシンクを城壁の中に向かわせる。

 

 城壁からもう一度怪物達を見下ろしていると、ユーリが風に乗って現れた。

 

「来たか」

「……いよいよですね、兄さん」

「ああ……腕は鈍ってないよな?」

「兄さんこそ。勝負でもします? どっちが怪物を多く倒せるか」

「上等」

 

 俺とユーリは風を起こして城壁から怪物達に向かって飛び出した。

 

 

 



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第30話 乱戦

これで一旦毎日更新はストップです。
できるだけ早く次の話を更新していきますので、少しの間お待ちください!

ご評価、ご感想あればよろしくおねがいします!



 

 

 ユーリは飛ぶことに慣れているが、そうでもない俺は少々出遅れて空を飛ぶ。

 迫る怪物達に向けて、ユーリは魔法を発動する。

 

「纏めて薙ぎ払う! トルネードディザスター!」

 

 ユーリが発動した魔法は複数の巨大な竜巻を生み出し、怪物達の群れに突っ込んで竜巻に巻き込んでいく。怪物達は竜巻によってミンチになっていき肉片が散らばっていく。

 

 いや、肉片は残らなかった。命を終えた怪物達はそのまま魔力の粒子となって消えていった。

 

 あれは穢れた魔力に侵された怪物達じゃない。取り込んだ怪物をベースに魔力のみで生み出された魔力集合体、謂わば穢れた精霊に近い。

 

 どおりで数が尋常じゃない訳だ。魔力の塊なら、魔力があるかぎり何処からでもあの怪物を生み出すことができる。

 

 だが何故此処を狙う。ホルの森を焼き払うともあるが、どうして魔獣は最初にそこを狙う。

 何かまだ隠された事実があるんじゃないだろうか。

 

「ちっ……考える暇も無いか」

 

 ユーリより出遅れた俺も魔法を発動する。風神の力はぶっつけ本番だが、使い方は通常の魔法を使う時と同じのはず。どれだけ魔力を持っていかれるのか知らないが、一度に多くを薙ぎ払ってやる。

 

「トルネードディザスター!」

 

 ――シーン……。

 

 何も発動できなかった。

 

「なんっでだよ!?」

 

 風神の力は確かに発動している。なのに魔法は不発に終わった。

 今度は邪魔された訳じゃない。単純に魔法を発動させることができなかった。

 

 魔力が足りないから? それとも上位魔法を放てるほど力を貰えなかった?

 

「くそっ!」

 

 魔法を上空から使えないんだったら俺にできることは一つだけ。

 

 ――地面に降りて直接叩き斬る!

 

 地上の怪物に目掛けて直滑降で落ち、ナハトで怪物を両断する。

 

 そもそも俺は魔法での殲滅戦タイプじゃない。堂々と正面から相手をぶった斬るのが俺の戦い方だ。

 

「おら来いやァ!」

 

 上位魔法を放てなくても風自体は操れる。

 ナハトの剣身に黒い風を渦巻かせ、触れるだけで木っ端微塵にできる風の魔剣に変化させる。

 

『ガァァァァッ!』

『オォォォォンッ!』

『キシャァァァァッ!』

 

 怪物の軍勢が咆哮を上げながら突撃してくる。

 ナハトを一振りするごとに強烈な鎌鼬が発生し、ナハトが触れることなく怪物らを細切れにしていく。攻撃されてもナハトの一撃で上塗りして逆に斬り裂く。

 

 数は圧倒的に怪物のほうが多いが、それがどうした。この程度で俺が止められるものか。

 

 怪物らをぶった斬っていると、城門から激しい太鼓の音が響いてきた。城壁からの砲撃も止み、俺は城壁へと振り返る。

 

 見ると城門が開き、グンフィルド女王を戦闘にアーロン達が武器を手に現れた。

 

「者共ォ! 戦じゃァ!」

『オォォォォォッ!』

 

 女王達が一斉に突撃を仕掛けた。戦士達が走り大地が激しく揺れる。

 あっという間に戦士達の津波が俺を通り過ぎ、怪物達を喰らっていく。

 

 人族特有の盾を使う部隊が先に突撃して怪物に体当たりし、衝撃で怯んだ隙に盾の後ろから剣や戦斧を持った戦士達が怪物を討ち取る。

 決して一人で戦わず、最低でも盾役と攻撃役の二人組で行動して怪物を叩いていく。

 

 その勢いは凄まじく、ユーリが幾分か殲滅しているとは言え、怪物の軍勢を呑み込んでは進軍していく。

 

 これがエフィロディアの戦士達。恐れを知らず、痛みを知らず、仲間を信じ、ただ敵を喰い尽くす。

 

「グリムロックゥ!」

 

 アーロンが怪物の首を戦斧で斬り落とし、俺に吠えた。

 

「何チンタラやってんだてめぇ! 俺が全部喰っちまうぞ!」

「……残しておけって言ったの誰だよ!」

 

 俺も負けじと怪物の身体を両断する。

 

 久々に戦の血が滾ってきそうだ。怪物を殺す度に口角が吊り上がり、身体が熱く火照る。

 

 忘れていたこの感覚――そうだ、俺は戦場で生まれて戦場で育った戦人。

 

 向かってくる敵は全部魔剣で斬り殺す。敵が怪物なら容赦する必要なんかねぇ……全部喰らっちまえ。

 

「ナハト――喰らえぇ!」

 

 風の魔力を開放してナハトを振り払う。すると風が斬撃となって放たれ、正面にいる怪物らを纏めて薙ぎ払う。

 

 巨人型の怪物が俺に拳を振り下ろしてくるが、その拳をナハトでかち割り、そのまま身体を縦に両断する。

 

 遠くの方で穢れた魔力が結集していき怪物の姿に変わる。数は増えていかないが減ってもいかない。いつまで人と怪物の軍勢がぶつかり合って命を喰らい合う。

 

 左手に黒い稲妻を宿し、怪物らに向けて手を伸ばす。戦士達も射線上にいるが、怪物だけに的を絞って雷を地面に打ち込む。

 

「駆け抜けろ!」

 

 轟ッ! と雷鳴が響いて黒い雷が地面を四方八方に走り抜ける。雷は怪物だけを的確に貫き、確実に殺す。

 

 雷神と風神の力の使い方が少しだけ理解できた。

 

 エリシアやユーリのように上位魔法を使うことはできないが、力そのものは自在に操れる。魔法に変換できないがそれ単体だけで如何様にもでき、引き出せる力は中位程度まで。

 

 だがそれだけでも充分に強い。無言で操れる力の限界を大きく引き上げている感じだ。

 これなら魔法を使えなくても替えが効く。

 

「ソラァ!」

 

 俺の目の前を赤い女性が飛来する。その人は怪物を押し倒し、足で首を踏み潰した。そして槍で周りにいる怪物を斬り裂いていき、槍を投擲して一度に怪物を貫いて殺す。槍はある程度飛んでいくと、独りでに女性の手に戻った。

 

「フハハハハッ! 怪物などこの程度か!」

 

 グンフィルド女王が赤い魔力を滾らせながら高笑いした。

 

「随分とご機嫌だなグンフィルド!」

「おうとも! 久方ぶりの戦に血が騒いでおるわ!」

「そんなだから貰い手がいねぇんじゃねぇか!?」

「ハッ! いつの話をしておる! この戦が終われば、妾は婚儀を挙げるぞ!」

「は!? 誰と!?」

 

 予想外の話に驚きながら怪物の首を斬り落とす。

 グンフィルドはとても楽しそうに笑い、怪物を槍で穿つ。

 

「ユーリとじゃ! 言質は取ったぞ!」

 

 マジで!? アイツにそんな気があったのか!?

 え、じゃあグンフィルドが俺の義妹になるってことなのか!?

 俺の義弟が勇者で一国の女王が義妹って何それ!?

 

「さぁ! 者共! このまま怪物らを呑み込んでしまえ!」

『ウォォォォ!』

 

 女王の声に戦士達が雄叫びを上げ、怪物達への猛攻を続ける。地上の怪物達はどんどん森側へと押し返されていく。

 

 その時、空に無数の黒い影が現れる。注視すると、それは鳥形の怪物の群れだった。

 

「アーロン!」

「はっ!」

 

 女王に命じられたアーロンが空に魔法で光の球を放つ。光は上空で弾けて大きな音を鳴らす。

 

 その直後、城壁から無数の矢が放たれた。それもただの矢ではない。風の魔法で強化された大砲並みの威力を持った矢だ。

 その矢は空を飛ぶ怪物らに襲い掛かり、穿つどころか身体を弾けさせて撃ち落としていく。

 

 そして矢はそのまま地上で戦っている俺達の上から降り注いでくる。

 

「おいおいおいおい!?」

 

 俺は慌てて防御魔法と風を張って矢を防ぐ。他の戦士達は矢が降り注ぐ寸前に盾を上に構え、その下に盾を持っていない戦士達が入って矢をやり過ごす。

 盾を持っていない怪物らに矢が降り注ぎ、一気にその数を減らした。

 

 こいつら、やってることが無茶苦茶だろ! 下手すれば味方を巻き込んでたぞ!

 

「かかれぇ!」

『オオオオオオッ!』

 

 戦士達が一気に怪物を押し返す。数が減ったことで攻勢が更に強まり、もう少しで怪物を全滅させられるところまでやってこれた。

 

 しかし、それもすぐに止まることになった。

 

 ――ゴゴゴッ!

 

「何だ?」

 

 激しい地鳴りが起こり、森から何かが生まれた。

 

 それはあまりにデカい。都の城壁よりも高く、まるで山そのものだ。

 それは巨人だった。巨人の中でも更に巨大な怪物だ。

 

 二本の足と二本の腕で身体を支え、その巨人は咆哮を上げる。

 

『ゴォォォォォオ――!!』

 

 咆哮だけで大地が揺れた。

 あれほど巨大な怪物は見たことが無い。

 

 まさか、あれが魔獣なのか?

 いやだが、穢れた魔力の気配が弱い。魔獣ならもっと強いはずだ。

 

 巨人は両腕をゆっくりと振り上げた。

 

 背筋が凍った――。

 

「我、七神から授かりし盾を持ち、我に仇なす者から万物を守護する者なり!」

 

 全力で魔力を練り上げ、ナハトを地面に突き刺した。

 効果範囲を可能な限り広げ、防御魔法を展開する。

 

「マキシド・プロテクション!」

 

 広範囲に防御魔法を展開し、戦士達を包み込む。

 

 直後、巨人の両腕は大地に振り下ろされた。

 それにより発生した衝撃波が俺達に襲い掛かり、発動した防御魔法に激突する。

 

「ギィッ――!?」

 

 その威力に魔法が崩れ落ちる。できるだけ多くの戦士達を守ろうとして力を広げ過ぎたのが悪かった。ある程度は攻撃を凌いだが、衝撃波が防御を貫き、他の怪物ごと俺達を呑み込んだ。

 

 衝撃波が全身を鞭打ち、吹き飛ばされたのか地面に身体を打ち付けて転がってしまう。

 

 頭を強く打った……気絶しなかったのは幸いだ。

 

 ボタボタと頭から血を流しながら立ち上がり、舞い上がっている土煙を風魔法で吹き飛ばす。

 

 そして見えたのは壊滅したエフィロディアの戦士達の姿だった。

 

 壊滅した、というのは正しくない。比較的俺の近くにいた戦士達は吹き飛ばされているものの、まだまだ戦える状態に収まっている。

 

 だが離れていた戦士達はもろに攻撃を受け、全滅していた。

 

 グンフィルドは大丈夫だ。アーロンも女王の盾になっていたようだが、少し怪我をしているだけで問題無い。

 

 しかし、今の一撃で軍の大半がやられてしまった。これでは戦線を維持できない。

 

「兄さん! 陛下!」

 

 ユーリが隣に降りてきた。空を飛んでいたお陰で攻撃を免れていたようだ。

 

「俺は大丈夫だ……俺よりグンフィルドを心配しろ」

「何言ってるんですか!? 陛下より怪我が酷いですよ!」

「怪我ならすぐに治る!」

 

 言ってる間に頭の傷は塞がった。どうも力を得てから怪我の治りが異常だ。これも恩恵と捉えて良いのか分からないが、今の状況ではありがたい。

 

「それより、あれは何だ?」

「分かりません。魔獣でないのは確かなようですが……」

「何にせよ、アレは俺達で止めなけりゃいけねぇな……」

 

 あれは人の手に負えない。いくら女王でもあれは倒せないだろう。

 

 俺とユーリは女王とアーロンの下へ移動した。

 

「グンフィルド! アーロン!」

「ルドガー……助かったぞ」

「だが守り切れなかった。一度お前達は下がれ」

「何だと!? 妾に撤退せよと申すか!?」

 

 女王は激昂した。魔力が昂ぶり、足下の地面が割れる。

 

「最終防衛線まで下がれ。まだ生きてる戦士達を助けろ。あれは俺とユーリが相手する」

「巫山戯るでない! エフィロディアの女王たる妾が、怪物相手に背を向ける訳にはいかん!」

「あ、おい待て!!」

 

 グンフィルドは俺の制止を無視し、槍を握って新たに生まれて向かってくる怪物らへと突撃する。

 

「ちっ! あの脳筋馬鹿が! アーロン! 動けるならお前が軍を下がらせろ! 生存者を救出して後ろで怪物の侵入を防げ!」

「だが陛下が――ぐっ!?」

「俺とユーリが行く!」

「くそっ……! 頼む!」

 

 俺とユーリはグンフィルドを追い掛ける。

 

 再び穢れた魔力から生まれた怪物を葬りながら、グンフィルドは巨人に飛び掛かった。地面に着いている巨人の片腕を駆け上がながら槍で斬り裂く。巨人はグンフィルドを腕から払い落とそうと、もう片方の腕を動かした。

 

「舐めるなァ!」

 

 グンフィルドはその腕を正面から受け止め、巨人の腕を止めた。

 

「おいおい……!? 無茶すんじゃねぇよ! ユーリ!」

「はい!」

 

 グンフィルドが腕を止めている間にユーリと接近し、グンフィルドの隣まで腕を駆け上がった。グンフィルドが止めている腕に目掛けてユーリと一緒に蹴りを放つ。

 

『はぁぁぁっ!』

 

 巨人の腕は大きく跳ね上がり、正面の道が拓く。

 俺とユーリとグンフィルドは更に腕を駆け上がり、巨人の頭まで到達する。

 

 俺はナハトに、ユーリは脚に、グンフィルドは槍に魔力を込め、巨人の顔面に向かって一斉に攻撃を仕掛ける。

 

『おおおおおっ!』

 

 攻撃は直撃し、巨人の頭部を破壊することに成功した。

 

 これで巨人を倒せたかと思った直後、巨人の腕によって纏めて横から薙ぎ払われた。

 俺とユーリで防御魔法を咄嗟に張ってグンフィルドを庇うが、俺達はそのまま地面に叩き落とされる。

 

「ぐぞっ……!? 痛ぇ……!?」

 

 右の脇腹に激痛が走る。手をやると、破砕されて鋭く尖った石が後ろ側から脇腹を貫いていた。ちょうど鎧のプレートが無い部分で、鎖帷子も貫いていた。血が大量に流れ、地面を赤く染めていく。

 

「兄さん! 大丈夫ですか!?」

 

 ユーリが瓦礫を退かして下から出てきた。そこにはグンフィルドもいて、傷だらけだがまだまだ元気そうだった。

 

「だい――丈夫だっ!」

 

 石を抜き取ると、徐々に傷が再生されていく。傷は塞がり、痛みも完全に消えた。

 

 ナハトを握り締めて立ち上がり、頭部を破壊しても尚動き続ける巨人を見上げる。

 

 あれは生物じゃねぇな……何か別の力があれを動かしてやがる。

 

 巨人の正体を探っていると、破壊した頭部から何かが出てくるのが見えた。

 

 それは男の姿だった。魔族特有の黒くて長い髪に、細くも引き締まった肉体を持つそいつは、背中から黒い鳥の翼を生やした。

 

 そいつは巨人の上から俺達を見下ろし、自分の髪を後ろに掻き上げる。

 

「おやおやぁ……? 今の一撃で死ななかったのですかぁ?」

「魔族……!?」

「どうして巨人の中から……!?」

 

 魔族は何が面白いのか顔を歪めて笑い、興味深げに俺達を見下ろす。その間、巨人の動きは止まり、怪物も生まれてこなかった。

 

「まさか私の作品の一撃を受けて死なない人族がいるなんて! もしかして、貴方達が勇者なのですかぁ!?」

「てめぇ……いったい誰だ!?」

 

「私ですか? 私こそ魔王軍の四天王が一人、暴嵐のルキアーノ! 以後、お見知りおきを」

 

「四天王だと!?」

「魔族が我が国を攻めてきたのか……!」

 

 馬鹿な、何で魔族の四天王がエフィロディアに攻撃を仕掛けてきた!?

 まさか、ララを狙って? だとすればどこから情報が漏れた? それとも別の目的が?

 

 ルキアーノと名乗った魔族は巨人の上でお辞儀をした。

 

 一々動きが癪に障る奴だ。俺が嫌いなタイプだ。

 

「魔族が此処に何の用だ!?」

「それを答える必要は……ありませぇん! でもどうしても知りたいと言うのなら、もう少し私を楽しませてくださいよぉ!」

 

 ルキアーノは再び巨人の中へと姿を消していった。巨人は命を吹き込まれたように再び動き出し、俺達に接近してくる。

 

 くそ、あの野郎ォ……ぜってぇ泣かしてやる!

 

 魔族の四天王が相手になっちまったが、やることは何も変わらねぇ。あの巨人をぶった切ってついでに中にいるクソ野郎を気が済むまで殴り続ける。

 

「ユーリ! グンフィルド! 気合い入れろよ!」

「分かってますよ兄さん!」

「誰に物を言っておる!」

 

 俺達は同時に地面を蹴り、巨人へと突撃した。

 

 



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第31話 激闘! 巨人兵!

 

 

『潰れろ!』

 

 巨人が拳を振り上げる。振り下ろされれば衝撃波だけで致命的だ。

 なら攻撃を全て未然に防ぐしかない。

 

「ユーリ!」

「風よ――巻き起これ!」

 

 ユーリが特大の風を集めて振り下ろされる巨人の拳にぶつける。風とぶつかった拳はそのまま押し止められる。その間に俺とグンフィルドは巨人へと近付き、俺は右脚、グンフィルドは左脚へと分かれる。

 

「ナハト!」

「我が槍よ!」

『斬り裂け!/焼き貫け!』

 

 雷神の力を発動し、ナハトから稲妻を発生させる。雷の刃となったナハトは巨人の右脚を斬り付け、黒い雷を巨人の右脚全体に走らせる。グンフィルドの槍は紅い炎を纏い、巨人の左脚に突き刺さって内部へと炎を送り込む。

 

 頭を吹き飛ばしても倒れない以上、この巨人の動きを止めるには足下を崩す他無い。巨大な岩のような脚を雷と炎で破壊する。

 

 脚を無くした巨人はそのまま身体が崩れ落ち、両手で身体を支えようとする。

 

『何とぉ!?』

「次はその腕を貰います! ストームランス!」

 

 ユーリは上空で緑色の魔法陣を二つ展開し、それらの中心から激しく風が渦巻く緑の魔力の槍を巨人の腕目掛けて放つ。槍は巨人の両腕を貫いて砕き、巨人の身体を地面に転がす。

 

 激しい地鳴りを起こしながら倒れた巨人の中から、ルキアーノの楽しそうな声が聞こえる。

 

『ヒィヤーハー! やりますねぇ! 今度は此方の番ですよぉ!』

 

 崩れ落ちた巨人の手足が瞬く間に修復されていく。最初に破壊した頭部も時間が巻戻るようにして修復され、巨人は再び立ち上がる。

 

 成る程、あれはゴーレムの類いか。ならコアとなる部分が何処かにあるはずだ。ルキアーノ自身がそうだという可能性もあるが、魔族の将軍がコアになるとは思えない。あくまでもルキアーノはゴーレムの操縦士ってところだろう。

 

 完全に修復された巨人は再び両腕を大きく振り上げる。

 

「そう何度も何度も同じ攻撃が通用するか! 芸がねぇぞ!」

 

 もう他の戦士達の撤退は済んでいる。今この戦場にいるのは俺達だけだ。

 

 巨人の拳が振り下ろされる瞬間、俺とグンフィルドは上に大きく跳躍する。拳が地面に叩き付けられた時には巨人の腕に乗っており、そのまま上に駆け上る。

 

「駆け抜けろ――迅雷!」

 

 全身に黒い稲妻を纏わせ、雷の速度で巨人の頭部に接近する。ナハトを額に突き刺し、雷を流し込む。大量の黒い雷が激しく迸り、巨人の身体を駆け抜ける。

 

「我、猛炎を以て焼却せし破壊者なり――スカーレットレーザー!」

 

 人で言うところの心臓部分にグンフィルドが炎の集束砲を槍から放つ。それは巨人の胸を焼き穿ち、巨人の胸に大きな穴を開けた。だが穴はすぐに塞がり始める。

 

「それは許しませんよ!」

 

 ユーリが風を巨人の穴に集め、風の結界を作り出して修復を阻害していく。

 

 風を彼処まで高密度に、それも瞬時に集められるユーリの力は相変わらずデタラメだ。普通の魔法ならもっと時間が掛かると言うのに。

 

「ユーリ! そのまま風を維持するのじゃ!」

 

 グンフィルドが地上で槍に炎を込め、投擲の構えに入る。そのグンフィルドに向かって巨人が踏み付けようと脚を上げる。ゴゴゴッと、大気を振動させながら脚が降ろされる。

 

「やらせるかよ!」

 

 上位の防御魔法を発動する魔力はもう残っていない。だったら俺にできることはただ一つ。

 

「おおおおおおっ!」

 

 稲妻を纏ったまま巨人の脚へと突進し、横から渾身の力で脚をナハトで打ち付ける。脚をグンフィルドから大きくずらし、そのままナハトで巨人の巨大な脚を両断する。

 

「天を焦がせ――鳳凰天照破!」

 

 グンフィルドの槍が炎の鳥となって放たれる。鳳凰は巨人の胸に展開されている風の結界に飛び込み、そのまま風で炎が増長される。巨人の胸で炎が溢れ、巨人を内側から劫火で焼き尽くしていく。

 

「これで――終わりです!」

 

 ユーリが炎の風を操り、巨人を内側から大爆発させた。巨人の上半身は吹き飛び、身体を構成していた瓦礫が四散する。

 

 俺はその瓦礫を一欠片も逃さず注視する。

 

 ――あった!

 

 瓦礫に埋もれている巨大な水晶を見付け、稲妻を纏わせたナハトで両断する。

 

 水晶は雷によって砕かれ、込められていた魔力が弾ける。

 巨人の身体は修復されず、残っていた下半身も崩壊していった。

 

 やはりあの水晶が巨人のコアだったようだ。

 

 俺はグンフィルドとユーリの近くに着地した。

 

「奴は!?」

 

 俺達はルキアーノを探した。コアは破壊したが、完全のルキアーノの姿を確認していない。

 巨人の瓦礫を見渡すが、ルキアーノの姿も無ければ魔力も気配も感じられない。

 

 逃がしたか……くそっ、巨人に集中しすぎていつの間にかルキアーノの離脱を許してしまっていた。

 

 だが、逃げてくれて正直ホッとしている部分もある。予想以上に魔力を消費し過ぎた。このまま魔族の将軍と戦闘になれば消耗している俺達が不利になる。怪物もこれ以上現れず、一先ずは俺達の勝利ってところで良いだろう。

 

「グンフィルド、すぐに軍を立ち直らせろ。将軍が出て来たからには、この先も油断ならないぞ」

「言われずとも分かっておる」

「ユーリ、俺とお前は魔力の回復に専念するぞ。魔獣だけじゃなく将軍も相手にすることになる。いくらお前でもだいぶ消耗しただろ」

「これぐらい何とも……って言いたいところですけど、ええ、そうしましょう」

 

 ユーリも額から汗を流している。いくら勇者と言えども上位魔法を連発すれば疲れはする。

 

 しかし、どうして俺は上位魔法をユーリのように使えない?

 もしかして、俺が手に入れたこの力は勇者とは別のモノなのだろうか?

 属性自体は操ることができる。威力も上がっている。

 

 そもそも、二つの試練を受けていること自体がおかしい。今までの歴史でも勇者の登場は何度かあった。だが彼らでさえ力は一つだけだ。

 

 俺に全属性の適正があるからか? 分からない……もっと調べる必要がありそうだ。

 

 新たな謎を残して、俺達は城壁の内側へと戻った。

 

 

 

    ★

 

 

 

 撤退した戦士達は負傷した戦士達の治療と武器の補充に勤しんでいた。

 

 兵器の補充はもう間もなく完了する。

 

 しかし、負傷者が多すぎる。城壁内の部屋に負傷者がぎゅうぎゅう詰めに集められ治療を受けているが、治癒魔法が追い付いていない。治癒士の数もそうだが、全員を治すには魔力が足りないだろう。

 

 魔法を施せない者には医療品で手当をするが、それでは次の戦いに満足に挑めない。

 

 次の攻撃がまた怪物の総攻撃なのか、それとも将軍自らやってくるのか、はたまた魔獣が来るのか分からない。可能な限り完璧な状態まで戦力を戻しておきたいところだ。

 

「次! 三番から六番までの霊薬を負傷者に使え!」

「……ララ?」

 

 ララが髪をアップに結んで戦士達の治療を行っていた。動ける戦士達に霊薬の精製方法と使い方の指示を出して統率している。

 

「裂傷には二番のを! 骨折には四番! 一番の霊薬は!?」

「もう間もなく完成します!」

「材料が足りない! もっと集めて班ごとに作って!」

 

 ララは負傷者の血で白いローブを汚しながらも、テキパキと鬼気迫った様子で霊薬を使って治療していく。

 

 ララの霊薬を施された戦士達の傷は見る見る内に再生していく。霊薬は確かに強力な薬だが、治癒魔法と比べたら遅効性なものが基本だ。

 

 だがララの霊薬は治癒魔法と同等の即効性を持っていた。

 これなら治癒士が足りなくても何とかなりそうだ。

 

 治療しているララを見つめていると、ララが俺に気が付いた。

 

「センセ!? 血が!?」

「あ、ああ……大丈夫だ。傷はもう塞がってる。それより、戦士達を治療してくれてるんだな」

「……守られてるだけじゃ、嫌だったからな。今の私にできることはこれぐらいだ」

「充分凄いことだ。ありがとう。シンクは?」

「向こうの部屋で待ってもらってる……。センセ、何か霊薬要るか?」

「……大丈夫だ。お前から貰った霊薬がある。ただ少し疲れた。シンクのところで休んでるよ」

 

 ララに無理はするなとだけ伝え、奥の部屋へと向かう。扉を開けると、小さな鉄格子から外を眺めているシンクがいた。

 

 シンクは俺に気が付くとトコトコと寄って来て、脚に抱き着いてきた。

 シンクを持ち上げ、俺は床に腰を下ろした。

 

「とと、おかえり」

「ああ……ただいま」

 

 霊薬のアンプルを取り出し、蓋を開けて中の液体を飲み干す。これで少しは魔力の回復を早められるだろう。

 

 シンクを腕に抱き、シンクの温もりを感じる。

 

 嗚呼……何とかこの子達を守れたんだな……。次もまた、シンクとララを置いて戦いに出るのか……。

 

「……なぁ、シンク。次も良い子で待ってられるか?」

「……? うん、シンク、まつ」

「……そうか。待っててくれるか……」

 

 瞼が重い。このまま少し眠りに入ろう。次もまた激しい戦いになるだろう。

 その時にしっかりと暴れられるように疲れを取っておかなきゃ……。

 

「……」

「……」

 

 俺はシンクを抱いたまま眠りに着いた。

 その時、シンクが何を考えていたのか知らないまま。

 

 ――目覚めた時、シンクは俺達の前から姿を消していた。

 

 

 



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第32話 勇者の使命

 

 俺とララはシンクを探してメーヴィル中を探し回った。シンクの姿は何処にも無く、とうとう日が暮れてしまった。

 

 俺が眠ったのはほんの一時間程度だ。幼い子供の足ならそう遠くまで行けないはずだが、シンクを普通の子供の範疇で考えても良いのか迷った。魔族の子供なら幼くても身体能力は人族の子供よりも高いし、ヴァーガスだった頃の影響もある。

 

 もし都から出てしまったとすれば、いったい何処に行ってしまったのか。都の人に訊いても誰もシンクの姿を見ていない。

 

 もしかして攫われた? だとすればどうして?

 

「センセ……」

「……お前は城に居ろ。シンクが戻ってくるかもしれない」

「センセは……?」

「城壁の外を探してくる」

 

 ララを城に残し、俺は城壁の外へとルートに乗って飛び出た。都の周りを走り、シンクの手掛かりを探した。日は暮れているが、俺の目なら夜でも見える。

 

 一通り走り回ってみたが、手掛かりらしき物は見つからなかった。

 

 いったい何処に行ったんだ、シンク……。

 

「……まさか」

 

 ふと、シンクがアスカを呼び出したことを思い出す。あの時もシンクはふらりと外に出ていった。今回も森へ行ったのかもしれないと頭を過る。

 

 俺は森へ探しに行こうとルートを操る。だがそこへ空からユーリが降りてきた。

 

「兄さん、すぐに城へ戻ってください」

「……何があった?」

 

 

 シンクの捜索を中断して城に戻った。ララはシンクが見つからなかったことに落ち込んでいたが、状況が状況なだけにグッと堪えた。

 

 今、俺達は城の謁見の間に集まっている。グンフィルドを筆頭に、戦士達が顔を突き合わせ、深刻な表情を浮かべていた。

 

「……強大な魔力が此方に向かっているとな?」

 

 それは一人の戦士が齎した一報だった。その戦士によると、魔法による遠視で西の空から強大な魔力の塊が移動してきていることが分かった。それは真っ直ぐ此方に向かってきており、此処に到達するのにそう時間が掛からないとのことだ。

 

 その魔力の正体が何なのかまでは判らず、こうして会議を開いている。

 

「属性は判るのか?」

「報告によれば、風属性だと。ただ、邪気を感じるとも」

 

 戦士の報告を聞き、俺と、この場にいるアーロンはある心当たりに辿り着いた。

 

 ダール村の空に突如として現れた超巨大な鳥――ケツァルコアトルと思われるアレだ。

 

 ダール村に現れてから一度も他で現れたという報告は聞かないが、空に浮かぶ強大な魔力の正体がケツァルコアトルという可能性は高い。

 

 だが邪気を感じる……その言葉に引っ掛かりを覚える。

 

 あの時のケツァルコアトルは凄まじい力を持っていたが、邪気までは感じなかった。観測されるまでに何かあったのだろうか。

 

「……例の報告にあった超巨大な鳥か」

 

 グンフィルドもその可能性に気が付いた。

 

 ケツァルコアトルが此処へ向かっている。

 それを知った戦士達は騒然とする。

 

 ケツァルコアトルは平和を齎す存在だが、同時に異変を齎す存在だ。それにダール村では何の前触れも無く攻撃を仕掛けてきた。俺が全力で防御しなければ俺達は村ごと消滅していた。

 

 もしあの力が此処で振るわれでもしたら、都全体を守ることは俺でも、ユーリがいてもできやしない。

 

「陛下、もしケツァルコアトルだった場合、我らはどう対処すべきだと思いますか?」

 

 アーロンがグンフィルドにそう尋ねる。

 ケツァルコアトルは風神の眷属だ。怪物として処理する訳にもいかないだろうし、かと言って見過ごす訳にもいかない。民達を避難させるなり防衛策を取るなり、何かしらの行動を起こさなければならない。

 

「知れたこと。眷属であれ神獣であれ、我が民に害をなすなら敵として討つまでじゃ」

「しかし斯様な存在、果たして我らの力が通用するか……」

「エフィロディアの戦士、それもランダルンの出がよもや憶している訳ではあるまい?」

 

 グンフィルドはアーロンに挑発めいた言葉を投げる。

 アーロンはそれに強く反応することはなく、ただ淡々と現実を述べる。

 

「陛下、我ら戦士が戦うことに異論はありません。しかし、現実問題として民達のことを考える必要があります。ケツァルコアトルが此処に向かってくるのであれば、避難させるべきかと」

「……お前は奴の力を目の当たりにしているのであったな。それ程か?」

「はい。グリム……ルドガーがいなければ死んでおりました」

 

 グンフィルドは玉座で肘を突いて思案する。

 

 アーロンの意見には俺も賛成だ。此処が戦場になるのであれば、戦えない者達は避難させるべきだ。幾人かの戦士達も一緒に避難させ、最悪エフィロディアの戦士の血を後世に遺さなければいけない。

 

 グンフィルドは溜息を一つ吐き、俯かせていた顔を上げる。

 

「良かろう。歳が二十に満たない戦士達を民の避難に回せ。これは勅命だ。有無を言わさず従わせるのじゃ」

「ご英断です」

「さて、これで問題がまた増えたな。将軍ルキアーノに魔獣、そしてケツァルコアトル。この三つの問題をどう片付けるか……」

 

 グンフィルドは頭を悩ませる。これは確かに厄介な状況だ。

 

 魔獣の問題だけでも世界的危機なのに、そこへ魔族の将軍が乱入し、ケツァルコアトルまでもが戦場にやって来る。

 

 異常事態が三つも同時に発生するのは、どう考えても偶然じゃない。

 一見、無関係そうに見えても、この三つは何処かで繋がっているのではないだろうか。

 

 予言された魔獣復活、目的が不明な将軍、ケツァルコアトル……。

 

 何か、何か大事なことを俺達は見付けられていないんじゃないだろうか。

 

「ユーリ、魔獣は其方に任せても良いのじゃな?」

「はい。兄が聖槍フレスヴェルグを手に入れました。それで魔獣を倒せるはずです」

「ルドガーが? 聖槍は勇者である其方しか使えないのでは?」

「あー……まぁ、色々とあんだよ、色々と」

 

 俺だってその理由を知りてぇよ。

 

 グンフィルドは俺を訝しんだ目で睨み、俺に答える気が無いと解ると「そうか」と言ってそれ以上何も聞かなかった。

 

「では、魔獣は任せるとして将軍ルキアーノじゃが……」

「それも俺達に任せてくれ」

 

 俺は手を上げてそう言った。

 

「良いのか?」

「態々魔族の将軍が此処に現れたんだ。きっと魔獣と何か関係がある。魔獣と戦うことになれば、望まずとも奴とぶつかるだろうさ」

 

 魔族の将軍という立場の魔族が、大きな目的も無しに人族の国に現れて行動を起こすはずがない。タイミングも魔獣が復活する直前だ。きっと何処からか魔獣のことを知ったに違いない。魔獣を狙っての行動なら、何処かで必ずぶつかる。

 

 今度はウルガ将軍のような一騎討ちにはならない。魔獣を巻き込んだ、何が起こるのか予想できない戦いになるだろう。

 

 それでも俺とユーリは勝たなくちゃならない。負ければ世界が再び争いに呑まれ、多大な犠牲を払うことになる。これはそういう戦いなんだ。

 

「……よし、ならばケツァルコアトルは妾達に任せよ」

「因みに、具体的にはどうやって?」

「そんなもの……こう、一気呵成にドォーンっとやれば良かろう」

『……』

 

 俺とユーリはグンフィルドに背中を向け、腕を組みながら顔を寄せる。

 

「なぁ、やっぱケツァルコアトルも俺達でどうにかしたほうが良いんじゃないか?」

「正直、手一杯ってところですけど……並みの戦士では対抗できないでしょうし……」

「最初にケツァル、次に将軍もしくは魔獣って流れで行くか?」

「それでいきましょう。全部終わったら祝言の前に惰眠を貪りたい……」

「婚約おめでとう、弟よ。アレが妹になるなんて驚きだよ」

「まぁ……僕もいい歳ですからね。此処だけの話、彼女のように主張の激しい人は好ましい」

「お前にはお似合いだよ」

 

「これ、何をコソコソと話しておる?」

 

 俺とユーリはくるりと振り返り、咳払いを一つして口を開く。

 

「んんっ、あー、ケツァルも俺とユーリが対処する。お前達は後方での支援と民達の避難を任せたい」

「何? 妾達戦士に戦いをさせぬつもりか?」

 

 グンフィルドの目は険しかった。言ってみれば、確かに彼女達に戦いをさせないようにしているようなものだ。それがエフィロディアの戦士にとってどれ程の屈辱になるのか、容易く想像できる。

 

 けれど、戦士のプライドを尊重したところで、彼らがアレに勝てるとは思えない。

 

 縦しんば勝てたとしよう。だがそれに支払うことになる犠牲は計り知れないだろう。

 であれば、勇者であるユーリと同門である俺が彼らよりも前に立つべきだ。

 

 勇者は誰よりも前に立ち、誰よりも傷付き、誰よりも多くを守らなければならない。

 

 それが勇者の使命なのだから。

 

 勇者と共に戦場を駆け抜けるのが戦士の本願なのかもしれない。勇者と共に戦場で果てることこそが至高なのかもしれない。

 

 だが勇者は決してそれを許さない。共に戦うことはあれど、彼らを死なせることは決してあってはならない。

 

 勇者とは、そういう存在なのだ。

 

「戦いはしてもらう。民達を守る戦いをな。先駆けは勇者の特権だ」

「……其方は勇者ではなかろう」

「これでも勇者の兄なんでね。兄の特権だ」

「……ハァー。分かった分かった。好きにせい。じゃがこれだけは言うておく――死ぬなよ」

『当然』

 

 

 会議が終わり、俺達は謁見の間から出て行く。

 これからすぐにケツァルコアトルの対処に向かい、魔獣が現れる前に方を付ける。

 

 だが俺とララには別の問題がある。

 

 シンクをまだ見付けられていない。森にいるかもしれないとまで予想したが、これから探しに行く時間が無い。すぐにケツァルコアトルの方へと向かわなければならない。

 

 俺が頭を悩ませていると、ララが決心した表情で口を開く。

 

「センセ、私が探しに行く」

「なに? ダメだ、一人じゃ危険過ぎる」

 

 昼間に戦った怪物が森に潜んでいるかもしれない。怪物じゃなくとも、獰猛な野生動物に遭遇するかもしれない。いくら守護の魔法が施されていると言っても、そんな場所に一人で向かわせる訳にはいかない。

 

 それに今は夜だ。ララも俺と同じで夜目は利くが、夜の森はあまりにも危険過ぎる。

 

「シンクだって一人かもしれないんだ。それに私だってある程度は戦える」

「だがな……」

「……兄さん、ララお嬢さんに任せましょう」

「ユーリ……」

「聖獣達にララお嬢さんを守って貰えるよう頼みます。もしかしたらシンク坊ちゃんも、聖獣達のところにいるかもしれない」

「……くそっ」

 

 俺は首から提げている、アイリーン先生から貰った宝石を外し、それに俺の魔力を込めてララに渡す。

 

「いいか? これに俺の魔力を込めた。ちょっとした防衛魔法なら自動で発動する。お前を見付ける目印にもなる。絶対に無くすな」

「……他の女から貰った物を渡して良いのか?」

「お前を守る為なら軽蔑されたって良い」

「……」

 

 ララは少し目を見開いて、宝石を手に取った。

 

 俺はララを一度抱き締める。

 まじないみたいなものだ。ララが無事にシンクを見付けられるように願い、ララの背中をポンポンと叩く。

 

「無事でいろよ……」

「……せ、せんせもな」

 

 ちょっと上擦った声でララがそう返す。

 ララを離し、俺はユーリと一緒に城壁の外側へと向かう。

 

「……兄さん」

「ん?」

「エルフの国に行ってから、誑しになりました?」

「はぁ?」

「いえ……姉さんも大変だ」

 

 何かユーリが呟いたが、どうせくだらないことだろう。

 

「さてと、ユーリ。覚悟は良いか? こっからは休み無しだぞ?」

「望むところですよ。勝負はまだついてませんからね!」

 

 俺とユーリは地を蹴り、風の魔法を操って夜空へと飛びだった。

 

 

 



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第33話 遺跡にて

 

 

 ララはホルの森の中を走る。白いローブが泥で汚れることも構わず、額に汗を流しながら暗い森を見渡す。

 

 弟のように思っているシンクが森の何処か、もしくは遺跡にいることを願って探し回る。右手に握っている杖の先に光を灯し、シンクが見付けられるようにする。ララ自身は夜目が利き、どれだけ森が闇に染められようとも、遠くまで見通すことができる。

 

 此処まで怪物にも獰猛な動物にも遭遇することはなかった。代わりに見たことが無い動物がララの目に付いた。

 

 鳥の羽のような耳をした兎に、毛深い白い鹿のような動物、角が生えた小熊のような動物。

 

 魔法生物のようだが、アレがユーリの言っていた聖獣なのだろうと、ララは察した。

 聖獣達はララに何をする訳でもなく、遠巻きにララを見守っているようだ。

 

「ハァ……ハァ……見てるだけじゃなくて、探すのも手伝ってほしいものだがな」

 

 流れる汗を袖で拭い、聖獣達に文句を呟く。

 

 夜だというのにこのエフィロディアは気温が高い。森の中は更に熱が籠もっている。魔法で水を生成して水分を補給し、脱水症状に気を付ける。

 

 シンクがもし一人でこの森にいたら、この気温の中で水に飢えているかもしれない。

 そう考えるとララは焦心に駆られる。あんな幼い子供では体力が保たない。

 

 ララは何とかしてシンクを見つけ出す方法を考える。

 自分にできることは魔法と霊薬作り。魔法でシンクを探せないかと、使える魔法を頭の中から探す。

 

「痕跡を見つける……ダメ、範囲が広すぎる。ならシンクの魔力を探知する……探知系の魔法……アレなら使えるか?」

 

 ララは杖の光を消し、頭上でくるんと振り、呪文を唱える。

 

「精霊よ来たれ――デプレーション」

 

 探知対象をシンクの魔力にして、ララは精霊魔法を発動する。

 

 特定の属性精霊を介する魔法ではなく、全ての精霊を使役して発動する魔法。習得難易度はそこまで高くないが、術者の力量次第で探知範囲は左右される。

 

 ララの魔法力は言わずもがな、探知範囲は広範囲になる。

 

 精霊によって範囲内の魔力をララに教える。複数の反応があるが、それらは魔法生物や魔石の魔力だ。

 

 ――何処だ……頼む、見つかってくれ……!

 

「っ、あった……!」

 

 シンクの魔力を見付けた。ララは魔力の反応があった方向へと走る。

 その途中であることに気が付く。この道は遺跡へ向かう時に通った道だと。

 ならシンクは遺跡にいるのだろう。遺跡にいるのなら守り神であるアスカと一緒にいるはずだ。少なくとも、シンクの安全は保障されているだろう。

 

「シンク……どうして一人で遺跡に……」

 

 木々を掻き分け、シンクがいる場所へ急ぐ。

 

 早くシンクを見付けてやりたい。センセの下へと連れて帰ってやりたい。

 

 その一心でララは夜の森を駆けた。

 そして遺跡へと辿り着き、ララはもう一度探知魔法を発動する。

 この遺跡の何処かにシンクがいるはずだ。ララはシンクの魔力を探した。

 

「……魔力の反応が……無い?」

 

 ――おかしい、確かに魔力は此処から感じたはずなのに。

 

 遺跡は結界で守られていると、アスカはそう言っていた。その結界の作用なのだろうか。

 そう言えば、聖獣の姿も見えない。

 何か変だと気付いたララは杖を握り締めて警戒した。

 

「落ち着け……常に周りを意識して……両手はいつでも動かせるように……心を落ち着かせて……」

 

 ララはルドガーに教わった通りに、戦闘時の心構えを口にする。

 

 この場にルドガーはいない。自分を守ってくれる勇者は今回はいない。自分の身は自分で守らなければいけない。

 

 ララはルドガーから渡された緑の宝石の首飾りに手をやる。身を守ってくれると言っていたが、それも何処までの力があるのか分からない。

 

「……センセ、力を貸してくれ」

 

 ララは意を決して遺跡の中へと足を踏み入れる。

 

 遺跡の中は不気味なまでに静かだった。夜の遺跡ということもあり、不気味さは更に増している。虫の音すら聞こえないことにララは不信感を抱き、何か異変が起きているのだと確信する。

 

 早くシンクを見付けて此処から出なければならないと思い、ララは急ぐ。

 

 最初に探したのはユーリの家だ。中に入って杖に光を灯し、シンクがいないか探す。

 

「いない……」

 

 ララは手当たり次第に遺跡内の建物を探し回る。粗方小さな建物は探し終わり、残ったのは遺跡の中心にある大きな建物だけだ。不気味に佇む建物を見てゴクリと唾を飲み込み、ララは意を決して建物に近付く。

 

 神殿か何かだったのだろうか。中は広い空間で柱や壁にビッシリと文字が彫られている。壁画もあったが、掠れて何が書かれているのか分からない。ユーリが研究をしていたのだろうか、何かの資料や道具が山積みにされている。

 

「……魔力?」

「おんやぁ?」

「っ!?」

 

 ララが神殿の奥から魔力を感じたその時、背後から男の声が聞こえた。ハッとして振り返ると、上半身裸で白いコートを着た長い黒髪の男性が立っている。赤い瞳に歪んだ笑みを浮かべたその男性は、ララを面白そうに見つめる。

 

「おやおやおやぁ? 何処かで見た顔ですねぇ? そう魔王様の城で……」

「……ルキアーノ……将軍……!?」

「ああ! ララ姫じゃあないですかぁ!」

 

 ララはその男性を知っていた。城に住んでいた頃に顔を何度か合わせている。

 

 魔王軍の将軍、ルキアーノ――暴嵐のルキアーノ。

 

 どうして魔族の将軍が此処にいるのか。この遺跡は特別な結界が張られているのではなかったか。

 否、それは今はどうでも良い。問題なのは、ララの目の前に魔族の将軍が立っているということだ。

 

 ララは自分がどう言う立場なのか理解している。次期魔王の候補として挙げられており、魔族に力を取り戻す心臓として狙われている。

 

 半年前はウルガ将軍が狙ってエルフの国にやって来た。アルフォニア校長の話では、他の将軍はララを積極的に狙っている訳ではないと言っていた。

 

 だがこうして目の前に現れたら話は別だ。目の前に格好の獲物がいて見逃すハンターはいない。

 

「これはこれは姫様ァ……こんなところでお目にかかれるなんて。エルフ族の大陸にいると聞いておりましたが、どうしてこんな所に?」

「お前こそ……何故此処にいる……!?」

「私はぁ、研究でこの遺跡に用があるんですよぉ。何やら邪魔者もいましたけどぉ、ご退場願いましたよぉ」

「アスカに何をした!?」

 

 ララは杖をルキアーノに向ける。いつでも攻撃魔法を放てるように魔力をセットし、ルキアーノを睨み付けた。

 

 ルキアーノはニヤニヤと笑いながら、「チッチッチ」と舌を鳴らして指を振る。

 

「誤解しないで下さいぃ……確かに殺そうとしましたけどぉ、その前にワーウルフに邪魔されて逃がしてしまいましたからぁ」

「ワーウルフ……?」

 

 ふと、ララの頭にシンクが過った。だがアレはヴァーガスの呪いだったはずと、その考えを頭から消した。

 

「聖獣、でしたかぁ? 私の研究材料に丁度良いかと思いましたけどぉ、逃げられたのなら仕方ありませんねぇ」

「……」

「――代わりに姫様を材料にしましょうかぁ?」

「サラ・ド・イクスズ!」

 

 ララはルキアーノに火属性の爆発魔法を放った。炎弾がルキアーノに直撃する寸前、ルキアーノの背中から黒い翼が生え、盾になってララの魔法を防いだ。

 

 爆煙でルキアーノの視界が遮られている内にララは出口へと振り返って全力で走った。

 

 しかし出口に辿り着く直前、ララの後頭部に衝撃と痛みが走り、ララは力なく床に転がってしまう。

 

「いけませんねぇ、魔王様のご息女が精霊魔法を使うだなんてぇ……。ただでさえ混ざり者だと言うのに、それ以上穢れてどうするんですかぁ?」

「くっ……!」

 

 ララは何とか身体を動かし、杖を振るってルキアーノを吹き飛ばそうとする。

 だがルキアーノはララの魔法を簡単に手で弾いた。

 

「おんやぁ? 殺すつもりで攻撃したのに、何で生きてるんですかぁ?」

 

 ルキアーノは首を傾げ、倒れているララに近付く。首を掴もうと手を伸ばすと、激しく光が迸り、ルキアーノの手を弾いた。

 

 弾かれたルキアーノの手からは煙が立ち上がり、ルキアーノは驚いた顔で焼かれた手を見つめる。

 

「これは……防御魔法? いえ……その程度で私の手が……まさか、守護の魔法ですかぁ?」

「……ッ!」

「これはこれはぁ! 珍しい魔法をお使いで! でもまだ不完全のようですねぇ! 完全な守護なら弾かれるだけでは済みませんでしたからァ!」

「くそっ――」

「おそぉい!」

 

 ララの杖がルキアーノによって蹴り飛ばされ、見えない力によってララは壁まで吹き飛ばされる。防御魔法と守護の魔法によって致命的なダメージは負わないが、衝撃で全身に痛みが走る。

 

 ルキアーノが両手をララに伸ばすと、ララは首を絞められたように持ち上げられ、宙で藻掻き苦しむ。

 

「がっ――!?」

「この程度ならば私の力で上から押し潰せますぅ。でもぉ、姫様をこの場で殺すよりもっといい事を思い付いたので殺しませんよぉ! 少しの間眠ってもらいますねェ!」

「くがっ――!?」

 

 ――せ、センセ……たすけ……。

 

 ララはそのまま意識を失った。ぐったりとしたララを魔法で浮かばせたまま、ルキアーノはララを連れて遺跡の中へと姿を消してしまう。

 

 魔族が、魔王の娘を手中に収めてしまったのだ――。

 

 

 



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第34話 供物

 

 

 星が輝く夜空を俺とユーリは全力でかっ飛ばしていく。最初はユーリにおくれを取っていたが、風で飛ぶコツを掴めば並んで飛行することができた。

 

 これならエリシアみたいに雷にならないで済む。まぁ、上位の魔法を使えなかった時点でそれはできなかっただろうが。

 

 ともあれ、今出せる最速で報告のあった場所へと向かっている。

 

 ララは大丈夫だろうか……。渡した御守りじゃ、大きなダメージは防ぎきれない。守護の魔法だって不完全だから何処まで通用するのか不明だ。戦えると言っても、まだまだ素人の域だ。怪物に襲われでもしたらどうなるか……。

 

 ユーリが聖獣達に声を掛けてくれたが、聖獣は聖獣でやれることに限界がある。

 やはり一人で行かせるべきではなかったかも……。

 

「っ、兄さん見えました!」

「……やはり、あの鳥か」

 

 俺達の正面で空を飛んでいるのは、あの村に現れた超巨大鳥だった。

 

 島が一つ飛んでいると錯覚しそうなほど巨大なそれは、悠々と翼を羽ばたかせて此方へと向かってきている。

 

「ユーリ、アレが何だか分かるか?」

「……あれからは風神の力を感じます。陛下達が言うように、ケツァルコアトルかと」

「風神の眷属……本当にいたとはな」

 

 校長先生に羽根を持ち帰ってほしいとか言われたが、あんな巨大な羽根をどうやって持ち帰れと。

 

 しかし、あれがケツァルコアトルなら討伐するのは流石にマズいか。できるできないは兎も角、あれでも一応平和の象徴。神獣と言っても過言ではない存在を殺す訳にはいかないだろう。何とかして巣に戻ってもらうしかないか。

 

「……様子が変です」

「なに?」

「ケツァルコアトルなら魔力に神性さが感じられるはずです。ですが、あれからは邪悪な気配を感じます」

「ケツァルコアトルじゃ、ないってことか?」

「いえ、アレは間違いなくケツァルコアトルです。でも何だ、この感じ……」

 

 確かに、アレからは邪気が感じられる。風神の眷属ならそれに相応しい神性さを纏っていなければならない。平和の象徴である存在から邪なモノが発せられているのは明らかにおかしい。

 

 だが何れにせよ、アレを止めなければいけない。正体がケツァルコアトルでなくとも、俺達の目的はアレを撃退することにある。

 

「ユーリ、兎も角アレに乗り込もう」

「……ええ、そうですね」

 

 謎を抱えながらも、俺達はケツァルコアトルに近付く。

 

 ケツァルコアトルの巨大さは異常だ。この巨体で飛ぶには一対の翼では不可能だ。何か魔法を使っているのだろう。

 

 ケツァルコアトルからの迎撃は無く、俺達は難無くケツァルコアトルの背中へと回り込めた。

 そこで目にした光景は予想外なものだった。

 

 町だ、町がある。正確には町の残骸、と言ったところだろう。ケツァルコアトルの背中に町の残骸があった。背中だけじゃなく、翼や尾の部分にも背中よりは小さいが町らしき残骸がある。

 

 本当に島が鳥となって飛んでいると言って良い光景に、俺とユーリは言葉を失う。

 

 これがケツァルコアトル……流石に神獣ともなると人知を超えてきやがる。

 

 俺達は背中の町に降り立ち、辺りを警戒する。

 するとケツァルコアトルが大きな咆哮を上げた。

 

 ――オォォォォォォォン!

 

「――っ!? 何だって!?」

「どうしたユーリ?」

 

 ユーリが驚きの声を上げた。

 

「今、ケツァルコアトルの声が……!」

「声? 咆哮のことか? おいおい、聖獣だけじゃなくて神獣とも心を通わせるのか?」

「もしそうだとすれば、何てことだ……!?」

「おい、俺にも分かるように話してくれ」

「――ケツァルコアトルが魔獣です!」

「は?」

 

 直後、頭上から黒い怪物が降ってきた。

 

 俺とユーリは左右に分かれて跳び退き、武器を構える。

 怪物はメーヴィルを襲撃したのと同種で、穢れた魔力で構成されている奴だった。

 

「何でコイツが!?」

「兄さん! 後ろ!」

「っ!?」

 

 背後から殺気を感じ、ナハトを振り払う。背後に迫っていた怪物を両断し、怪物は魔力の塵になる。

 周囲を見渡すと、ケツァルコアトルの背中から怪物達が次々と生まれてくるのが見えた。

 

「おいおい、どういうことだよ……!?」

「ケツァルコアトルが魔獣化しているんです! 先程の咆哮は、俺達に助けを求める声でした!」

「はぁ!?」

 

 神の眷属が魔獣化!? それ何て冗談だ!?

 

 襲い来る怪物達を斬り倒しながら、ユーリは叫ぶ。

 

「何とかしてケツァルコアトルの魔獣化を止めなければ! まだ完全に魔獣になった訳じゃありません!」

「何とかって何だよ!?」

「何か外的要因があるはずです! それを見付けなければ!」

「ええいくそぉ!」

 

 黒い雷を放ち、周りに群れる怪物を一掃する。

 

 外的要因つったって、何処をどう探せば良いんだよ。魔獣なんて相手するのは初めてだし、神獣が魔獣化するなんて前代未聞だろうが。

 

 愚痴ったって仕方がない。怪物を倒しながらその要因ってのを探すしかねぇ。

 

「ユーリ! 二手に別れる! お前は右側! 俺は左側! 何か見付けたら対処しろ!」

「分かりました!」

 

 怪物を薙ぎ払い、俺はケツァルコアトルの左側を走る。町の残骸の中を駆け、道を塞ぐ怪物を斬り、魔獣化の要因を探し回る。

 

 だがどんな要因が魔獣化を引き起こしているのかが分からない。闇雲に走っても見つかりそうもない。

 

 落ち着け、こういう時に役立つのは今まで頭の中に詰め込んできた知識だろうが。

 

 魔獣、穢れた魔力を宿す災厄の獣。穢れた魔力は自然に発生するものじゃない。負のエネルギーが清浄な魔力を侵食して生まれる代物。

 

 もしケツァルコアトルが魔獣化させられているのであれば、負のエネルギーによって侵食されていることになる。

 

 その負のエネルギーとはいったい何だ? 神の眷属を侵食できるような負のエネルギーの正体……ダメだ、分からない。

 

 だがその負のエネルギーさえ見付けられれば、後はそれを取り除くなり破壊するなりすれば良い。

 

 なら俺が今すべきことは――。

 

「魔力の流れを見定めて場所を特定すること!」

 

 この怪物達が生まれる場所に穢れた魔力がある。その魔力が何処から流れてきているのか調べれば、後はそれを追い掛けていけば――!

 

「大当たり!」

 

 怪物らを倒しながら進んだ先に、ケツァルコアトルの身体に埋め込まれた巨大な瘤のような物があった。それは紫色に光っており、そこから負のエネルギーがケツァルコアトルに流し込まれているのが分かる。

 

 いったい何だこれは……? 何かの魔力タンクのようだが、中に何が入っているんだ?

 

 斬れば分かるだろうと思い、黒い雷を纏わせたナハトで瘤を斬り裂く。

 

 斬り裂かれた瘤の中からドロドロとした液体が流れ出し、それと一緒に流れ出てきたのは人型のナニかだった。

 

「これは……!?」

 

 それは何人もの魔族の遺体だった。それもこれは、呪いによって生み出された子供達――ヴァーガスの遺体だ。細く痩せ細り、骨と皮だけしかないような姿は見間違いようがない。

 

 なるほど、呪いによって生まれた存在ならば負のエネルギーにはもってこいだ。

 

「――ふざけるなよっ」

 

 俺は唇を噛み締めた。瘤から零れ落ちてきたヴァーガスの数は十人近い。

 

 つまり、十人近い子供達の命が奪われた。更に言うなら、母胎である母親も死んでいる。

 

 それにもっと最悪なことに、この瘤はこれだけじゃない。魔力を探ればケツァルコアトルの至る所にいくつも存在している。

 

 胸糞悪い――! 魔獣なんて存在を生み出す為にいったいどれだけの子供達を犠牲にした? どれだけの命を弄びやがった!?

 何処のどいつだ、こんなクソッタレな真似をしやがった奴はァ!?

 

「クソッタレがァ!」

 

 近付いてくる怪物を斬り殺し、次の瘤へと向かう。

 

 もうエネルギーにされた子供達は死んでいる。シンクのように救うことはできない。俺にしてやれることはその亡骸を解放してやることだ。

 

 瘤を守るようにして何体もの怪物が生まれて立ち塞がる。その全てを薙ぎ払い、また一つ破壊する。

 

『グガァァ!』

「退けぇぇぇえ!」

 

 怒りしか湧いてこない。此処まで怒りを覚えたのは生まれて初めてだ。大戦中ですら、仲間が殺されても憎しみに囚われることはなかった。

 

 だがこれだけは別だ。今の俺は怒りだけで剣を振るっている。こんな惨いことを仕出かす奴を見つけ出して必ず殺してやる。必ずだ。コイツだけは怒りと憎しみだけで殺してやる。

 

『ゴアアアアッ!』

 

 目の前に巨人型の怪物が現れる。殴り掛かってきた拳を俺の左拳で殴り返し、木っ端微塵にする。そして首を斬り落とし、その先にある瘤をまた一つ斬り裂く。

 

 これで三つ目。まだまだ瘤は存在する。此方側だけでもこんなにあるのなら、ユーリ側にも複数存在するだろう。

 

 ユーリなら瘤の存在に気が付いてくれるはずだ。そしてユーリも真実を目の当たりにして怒りで震えるだろう。

 

 何個目かの瘤を破壊した時、ダガーを両手に怒りの形相をしたユーリと対面した。

 

「兄さん、これは……何でこんな……!?」

「分かってる……早く残りも楽にしてやろう」

「はい……っ!?」

 

 突如、ケツァルコアトルが大きく身体を動かした。俺とユーリは身体から振り払われないように気を付け、何が起こっているのか確認する。

 

 ケツァルコアトルは移動速度を速め、高度を上昇させた。雲の上に飛び出したと思えば、今度は魚が水面を跳躍するようにして雲の中に沈み、急降下を始めた。

 

 雲を抜けた先には、森が広がっていた。

 

 まさか、ホルの森!? ならあの遺跡は……!

 

 ケツァルコアトルはそのまま遺跡の隣の森へと墜落した。森を薙ぎ倒し、大地を揺らしながらケツァルコアトルは動きを止めた。

 

「くそっ……! ユーリ、無事か?」

「はい……!」

 

 俺達は立ち上がり、急いでケツァルコアトルから飛び立つ。まだ瘤は破壊しきれていないが、何が起きているのか把握するのが最優先だ。

 

 上空から森を眺めると、ケツァルコアトルの墜落で森の一角が破壊されてしまっているものの、遺跡には被害が出ていなかった。

 

 瘤を破壊したことでケツァルコアトルの力が弱まって墜落したのだろうか? しかしまだケツァルコアトルから放たれる邪悪な気配は消えていない。

 

「……兄さん、おかしいです。遺跡に聖獣の気配がありません」

「なに?」

「――ま、待ってください! 遺跡からルキアーノの魔力と、ララお嬢さんの魔力が!」

 

 それを聞いた俺はケツァルコアトルを放置し、遺跡へと飛んだ。



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第35話 魔人ルドガー

 

 

 遺跡の上空を飛びながら、ララの魔力を探す。

 

 ララとルキアーノが鉢合わせたらマズい。いや、もう鉢合わせているかもしれない。ララのことが知られたら、何に利用されるか分からない。

 

「っ、そこか!」

 

 遺跡の中で一番大きな建物からララの魔力を感じ取れた。ララに渡した御守りの魔力もそこから感じられる。

 遺跡に飛び込む形で降り、ナハトを握り締めてララを探す。中に入ってもララの姿は無く、ルキアーノの姿も無い。

 

 しかし魔力は確かに此処から感じる。この空間の何処かにララがいるはずだ。

 

「何処だ!? ララ!」

 

 その時、建物が揺れた。建物だけじゃない、遺跡全土が揺れている。

 

 地震? いや違う、何かが下から来る!?

 

 建物から飛び出し、空へと上がる。

 その直後、建物が下から瓦解していく。地鳴りを起こしながら周囲の建物も巻き込み、地中から巨大な黒いナニかが現れた。

 

 それは獣だ。漆黒の皮膚と漆黒の鬣、巨大な二本の角、闘牛と獅子が組み合わさったような風体の黒い獣だ。大きさはケツァルコアトルよりも若干小さい程度だろうか。それでもかなりの大きさだ。

 

 その獣の目は閉じられ、ただ静かにそこに鎮座している。

 

「何だ……あれは……!?」

「兄さん! あれを!」

「――ララ!?」

 

 獣の額部分にある大きな赤い石にララがぐったりとして埋もれていた。

 その側に、黒い翼を羽ばたかせてルキアーノが降り立った。

 

「ルキアーノォ!」

「おんやぁ? あの時の男じゃないですかぁ」

「ララに何をした!?」

 

 ルキアーノはニタリと嗤い、ララの顎を汚らしい手で掴んだ。

 

「この子は魔王様のご息女……魔王様に迫る力を有している……。これを動かす為の動力源としては利用させてもらいましたぁ!」

「てめぇ……!」

 

 腸が煮えくり返る。

 

 ララを動力源と抜かしやがったなぁ……!? てめぇだけは生きて帰さねぇ!

 

 頭に血が上ったのを自覚したまま、ルキアーノに目掛けて突進する。ナハトで首を斬り落とそうと振るうが、ルキアーノは翼を羽ばたかせてヒラリとかわす。

 

 ルキアーノがララから離れたその隙にララを助け出そうと手を伸ばす。だがララは石の中に引き摺り込まれ、俺の手は空を切る。

 

「ララ!」

「大切な動力源を手放す訳ないでしょぉ!」

 

 ルキアーノから風が放たれ、それをギリギリで避けて空に飛び上がる。

 

「てめぇ……いったい何が目的だ!?」

「ふぅむ……もはや目的は達成したも同然ですから? 教えて差し上げましょう!」

 

 ルキアーノは獣の頭部に立ち、両手を大きく開いて見せる。

 

「私の目的はそうズバリ『魔獣』を我が手中に収めること! そして私の足下にいるのが遙か昔に封じられた最後の魔獣ベヘモス! 今此処に蘇ったのだァ!」

「アレが魔獣……!? ならあのケツァルコアトルは!?」

「それは私の研究の成果でしてねぇ! 人為的に魔獣を造り出そうとして神の眷属を実験体にしたんですよぉ! 結果は先ず先ずと言ったところ……ま! 貴方達に倒されてしまったようですがねぇ!」

 

 ルキアーノは嗤う。

 その反面、俺は激しい憎悪を胸に抱く。

 

 コイツが……アレをやったのか。多くの子供達を呪いの犠牲にして、魔獣なんて最悪な物を作ろうとしたってのか。

 

 そしてララまで魔獣を動かす道具にしようってのか……?

 

 ――ふざけるな……ふざけるなよ……!

 

「ふざけてんじゃねぇぞ貴様ァ!!」

「失敬な! 私は至って真剣さァ!」

「命を何だと思ってやがる!? テメェを気持ちよくさせる道具じゃねぇんだぞ!」

「私はねぇ! 私の心を満たす為なら己の命でさえ材料にするんですよぉ! 貴方の命もくださいよぉ!」

「この外道がァ!」

 

 殺す。アイツだけは全身全霊で殺す。何が何でも殺す。死んでも殺す。殺しても殺してやる。

 あのクソ野郎だけは俺のこの手で必ず殺してやる。ララを道具にしやがった報いを、子供達をヴァーガスに変えて殺した報いを――。

 

 待て――奴がヴァーガスの呪いを掛けたのだとしたら、何故生きている?

 

 呪いの代償は母体の命と術者の命のはずだ。ルキアーノが術者なのだとすれば、ルキアーノは死んでいなければならない。

 

 何か抜け穴があった? それとも術者は別に用意して犠牲にさせた? 奴の思考ならあり得る。あり得るが、そうだったとしてもアイツを殺すことには変わりない。

 

 ナハトを構え、隣では俺と同じように激しい怒りを顔に出しているユーリがダガーを構える。

 

 ルキアーノはニタリと嗤い、魔獣の中へと姿を消した。

 

 途端、魔獣の目が開き、赤い眼が光り輝く。額と四肢にある赤い石も光り出し、魔獣は命を吹き込まれた。

 

 ――ブォォォォォォォ!

 

『さぁ! 魔獣ベヘモスの力! 貴方達で試させてもらいますよぉ!』

「ララを返してもらうぞクソッタレ!」

「兄さん……アイツをぶっ殺しますよ!」

「ああ!」

 

 俺とユーリは雷と風を纏って魔獣に突撃する。

 

「斬り裂け!」

 

 ユーリが凄まじい鎌鼬を生み出し、魔獣の額にぶつける。鎌鼬は直撃するが、額には傷一つ付かなかった。

 魔獣は咆哮を上げ、周囲に魔力で構成された黒い球体を生み出した。それを俺とユーリに向けて放ってくる。

 

 俺はナハトで斬り裂き、ユーリは風で明後日の方向へと球体を弾く。斬り裂いて解ったが、この球体は穢れた魔力そのもので、一瞬でも身体が触れたら体内の魔力を汚染されて怪物に成り果ててしまうだろう。

 

 続けざまに放ってくる球体を避け、ナハトに黒い雷を込める。雷の魔剣と化したナハトで魔獣の身体を斬り付ける。

 

「固っ!?」

 

 ナハトは容易く弾かれてしまう。

 雷神の力を持ってしてでも傷付けられない防御力を誇るとか、いったい何の冗談だ?

 

 ――オオオオオオオ!

 

『魔獣の力を思い知りなさいぃ!』

 

 魔獣の魔力が高まり、空に曇天が広がる。その黒い雲から紫色の雷が生まれ、俺とユーリを落雷が襲う。空を飛び回り落雷を避けていくが、落雷の数が多い。

 

 だが雷が相手なら打つ手はある。俺とユーリに直撃しそうな雷だけを選定し、命中しないように雷を操っていく。

 

「返すぞ!」

 

 落雷を操作し、魔獣の身体に直撃させる。自身の力は通用するのか、雷が直撃した魔獣の体表には焼跡が残る。

 

『やりますねぇ! 他者の魔法を操るなんて、並大抵のことではありませんよ!』

「喧しい! 隠れてないで出てきやがれ!」

『魔獣の力がこの程度とは思わないでくださいよぉ!』

 

 ――ボォォォォォオ!

 

 魔獣の身体に付いている赤い石が強い光を放つ。それと同時に魔力が高まり、魔獣の全身から魔力の波動が全範囲に放たれる。不快感を抱かせる甲高い音が鳴り、穢れた魔力が迫り来る。

 

「ナハト! 喰らえ!」

 

 俺の魔力をナハトに喰らわせ、斬撃の威力を高める。目の前に迫る波動を大きく斬り裂き、裂け目に飛び込んで波動をかわす。波動は周囲の遺跡を破壊しながら広がっていき、森を呑み込んでしまう。波動に呑み込まれた森は枯れていき、黒い霧が立ち籠める。

 

『さぁ! 生まれなさい!』

 

 ルキアーノの声が響いた直後、枯れた森から黒い怪物が生まれ始める。その数は凄まじく、メーヴィルに迫った時よりも多い。

 

 もしあれがメーヴィルに迫ってしまえば、今度こそメーヴィルは怪物の大群に呑まれてしまうかもしれない。

 

「くそっ! ユーリ! お前は雑魚共を一掃しろ!」

「そんな、でも!」

「殲滅に関してはお前のほうが上だ! 頼む!」

「っ――分かりました! ならこれを!」

 

 ユーリの手から聖槍が現れ、それを此方に投げてきた。聖槍を受け取った俺は左手で構え、一人で魔獣に立ち向かう。

 

 果たして俺に聖槍が使えるのだろうか? 聖槍を託されたのは俺だが、これは本来風の勇者にしか使えない霊装だ。勇者でない俺がコイツの力を引き出せるのか不明だ。だが無いよりマシだろう。これ単体でも邪悪なモノにはそこそこ威力を出せる。

 

『さぁ! 行きますよぉ!』

「てめぇをぶっ殺してララを返してもらう!」

 

 ――オオオオオオ!

 

 魔獣の口が開き、そこからブレスが放たれる。高度を上げて空に狙いを逸らし、攻撃の隙を見て急接近し、聖槍で魔獣を斬り裂く。

 

 今度は聖槍の力が働き、魔獣の体表を斬り裂くことに成功し、緑色の血液が流れ出す。

 だが傷が浅い。もっと深く斬り付けたと思ったが、巨体からしてほんの掠り傷程度にしかなっていない。

 

 何か、何か弱点とかは無いのか? いくら何でも攻撃が通用しなさすぎる!

 

『そらそらそらぁ!』

 

 また赤い石が光り輝き、今度は紫色の槍が何本も精製されて射出される。ナハトと聖槍で槍を叩き落としていき、攻撃をかわしていく。

 

 あの赤い石……さっきから攻撃を放つ時に力を高めてやがる。もしかして……。

 

 俺は上空から急降下し、地面すれすれを疾走して魔獣の右前足に迫る。その足にある赤い石に目掛けて聖槍を突き出し、石に切っ先を突き刺した。

 

 ガキンッ、と音を鳴らして聖槍が石に穴を開け、その傷口からバチバチと魔力が迸る。

 

「せぇぇい!」

 

 聖槍を抜き取り、傷口を狙ってナハトと聖槍の連撃を叩き込む。すると巨大な赤い石は爆発と共に砕け散り、大量の魔力がそこから噴き出した。

 

『あああ!? 何と言うことを!?』

「やっぱりこれが制御装置か!」

 

 この赤い石は魔獣の力を制御する類いの物のようだ。攻撃を放つ時に魔力が高まるのはその所為だ。

 なら、残りの石を全部破壊すれば魔獣を止められるかもしれない!

 

『よくも私の研究成果を……! 許しませんよぉ!』

「なっ!?」

 

 ――ブォォォォオ!

 

 魔獣が天に向かって咆哮を上げる。その巨体が徐々に持ち上がっていき、前足が大地から離れる。骨格が変わっていき、四本足の獣だった魔獣は、二本足で立ち上がった。

 

「立つのか……!? その巨体で……!?」

『ボォォォォォォオ!』

 

 魔獣は更に魔力を高め、背中から一対の黒い翼を生やした。

 その姿はまさに怪物の王、それに相応しい禍々しさと恐ろしさを持っている。今まで多くの怪物をこの目で見てきたが、これほど邪悪な存在は見たことがない。

 

『虫けらのように潰して差し上げますよぉ!』

 

 魔獣が拳を振り上げた。超巨大な拳が俺に迫ってくる。風を切る音が聞こえ、拳を振るうことによって生じる衝撃波が襲い来る。

 

 まともに喰らえば防御なんか無意味だ。此処は回避するしかない。

 

 横に大きく飛んで拳自体はかわしたが、拳が大地に叩き付けられた衝撃波までは避けられず、俺はそれに呑み込まれてしまい全身を強く打たれる。鎧は木っ端微塵に砕け、全身の骨が折れて砕ける音と痛みが襲う。

 

「兄さん!?」

 

 ユーリの悲痛な声が微かに聞こえた。

 

 俺は今どうなっている? 空を飛んでいるのか? それとも倒れているのか?

 

 朦朧とする意識の中、自分の状況を確認しようと目を動かす。

 

 視界の半分が真っ赤に染まっていた。呼吸もしづらい。空を見上げている。どうやら地面に倒れているようだ。

 

「……?」

 

 立ち上がろうとしたが身体が動かない。腕も足も動かない。首だけは何とか動かせ、ゆっくりとナハトを握っている筈の右腕を見る。

 

 右腕は曲がってはいけない方向に捻じ曲がり、血が噴き出していた。

 

 空が暗くなる。見上げると、魔獣の拳が迫っていた。

 

 ――やるしか、ねぇ……!

 

『終わりですよォ!』

 

 拳が鼻先まで迫った時、俺は魔力を一気に高めた。黒い雷が爆ぜ、魔獣の拳を受け止める。

 動きを止めた魔獣の拳に向かって、俺の黒い右拳を叩き付ける。大量の雷が拳と一緒に放たれ、魔獣の拳を大きく弾き返した。

 

『な――何ですかァ!?』

「あれは……!?」

『フゥー……ッ!』

 

 振り抜いた異形の右腕を引っ込め、全身の傷が無くなった異形の身体を起こす。右手にナハトを握り、左手に聖槍を握る。聖槍を握ると聖槍から力が流れ込み、俺の中の魔力を強く刺激した。

 

 そしてその力は俺の力に変換され、黒い翼となって背中に現れる。

 

 黒い雷と黒い風を纏い、俺は魔の力を解放した姿で魔獣に睨みを利かせる。

 

『そ――その姿は!?』

『さぁ……第二ラウンドと行こうか』

 

 



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第36話 魔の力

お待たせしました。


 

 

 生えた翼を動かし、空へと駆け上がる。飛ぶというイメージで翼を動かすだけで空に舞い上がれる。翼が飛行魔法を独りでに発動して操作してくれているようだ。

 

 咄嗟に一か八かの勝負で変身能力を使ってみたが、何とか上手くいった。

 

 だがこの形態は身体に掛かる負担が大きすぎる。魔力の消費量もえげつない。常時変身し続けるのは不可能だ。

 

 保って二分……身体のことを度外視すれば三分。その間に勝利の一手を打ち込まなければならない。

 

 魔獣の弱点は判明した。身体の数カ所にある赤い石、あれを壊せば魔獣の力が四散する。

 

 ララが呑み込まれた額の石を先に壊すか、それとも確実性を高める為に一番最後に壊したほうが良いか。

 

 いや、ララがあの中にいるとは限らない。この形態になって初めて奴の体内に流れる魔力がはっきりと見える。魔獣の魔力、ルキアーノの魔力、ララの魔力がごちゃ混ぜになっている。

 

 ララの正確な位置が分からない。持っているはずの御守りの魔力を追うにも他の魔力がそれを阻害してはっきりと分からない。やはり他の石から破壊するのが賢明か。

 

 ――ララを助けるまで保ってくれよ、俺の身体!

 

 振るわれた魔獣の腕を飛んでかわし、次に破壊する石を狙い定める。

 右前足――今は右腕か、それは破壊した。残りは左腕、両脚、胸、背中にもあるな。なら次は両脚から破壊させてもらおう。

 

『墜ちなさい!』

 

 ――ウォォォォォオ!

 

 魔獣の背後に幾つもの円陣が浮かび上がり、そこから魔力の光が放たれる。

 俺は風の力を翼に集束させ、大きく翼を羽ばたかせて黒い突風を放つ。風の防壁により光は阻まれ、弾かれて大きく射線が逸れていく。

 

 ナハトに黒い雷を纏わせ、俺自身も雷を全身から放ちながら魔獣の右脚へと下降する。ナハトを突き立て、右脚の石を貫く。そのまま雷を石に流し、内部から爆発させる。

 

 これで右脚の石は破壊できた。魔獣の力が大きく四散するのを感じる。

 

 次に左脚へと飛び移り、今度は左手の聖槍を石に突き刺す。黒い風を渦巻かせ、爆ぜさせることで石を木っ端微塵に破壊する。

 

 これで両脚の石は破壊できた。残るは左腕、胸、そして背中と額だ。

 

『よくもぉ!』

『ッ!?』

 

 魔獣の右手が俺を鷲掴みにする。拳の中に閉じ込められたまま持ち上げられてしまう。

 

『このまま握り潰して差し上げましょうかぁ!』

『――誰がァ!』

 

 雷と風の力を体内で高め、一気に体外へ排出する。爆発力を備えた魔力の放出に魔獣の拳は耐えられず、内側から破壊して外へと脱出した。

 

『手が!?』

『そのまま腕置いてけ!』

 

 聖槍を正面に突き出し、ナハトを横に突き出す。雷と風の力を纏い、身体を高速回転させて嵐の弾丸と化す。その状態で砕け散った右腕目掛けて突っ込み、右腕を傷口から粉砕していく。右腕の石まで到達し、そのまま石を右腕ごと巻き込んで破壊する。

 

 これで残るは胸と背中と額の三つ。

 

『おのれぇ! っ、なにぃ!?』

 

 魔獣が膝から崩れ落ち、大地に左手をつく。

 

 どうやら石を立て続けに破壊したことで魔獣のコントロール性が失われたようだ。魔獣は手をついた状態から動きだそうとしない。

 

 これはチャンスだ。空を駆けて魔獣の背中側に回り込む。背中の赤い石に目掛けて飛翔すると、石の周りから黒い怪物が生み出される。

 

『ええい! させませんよぉ!』

「それは此方の台詞です!」

 

 地上の怪物を相手にしていたユーリの声が聞こえると、魔獣の背中に緑色の竜巻がいくつも発生し、怪物達を呑み込んでいく。ユーリの風魔法が石までの道を切り拓いてくれたのだ。

 

 俺は聖槍を左手でグルグルと高速で回し、怪物を呑み込んだユーリの竜巻を一つに集束させていく。竜巻は黒く染まり、巨大な一つ首の竜と姿を変える。

 

『抉れ――ヴリームニル!』

 

 ユーリの力と俺の力が合わさり、強大な一撃となって背中の石に噛み付かせる。石は背中の一部ごと抉り取られ、そのまま砕け散っていく。

 

 残り二つ。胸の石を破壊すれば魔力が大きく削れてララの居場所を探知できる。ララを見つけ出して助け出せば最後の一つを破壊して魔獣は終わりだ。

 

 だが、此処へ来て変身形態の反動が身体を襲う。

 

『――ッ!?』

 

 全身を走り抜ける激痛、数時間も全力で泳ぎ続けたような疲労感、止まりそうになる呼吸、身体中の血管や筋肉が破裂しそうな圧迫感。

 

 それらをに気合いと根性で身体を慣らす。元からそんな状態だったと誤認させ、ゼロから力を絞り出させる。

 

 此処で止まる訳にはいかない。此処で止まってしまえばララを失ってしまう。大切な教え子を、守ると誓った女の子をあんなクソ野郎の手によって奪われてしまう。

 

 それだけは駄目だ。例え此処で命を落とすとしても、それはララを助け出してあの野郎をぶち殺してからだ。

 

 だからまだ耐えろ。もう少しだけ堪えろ。まだ先へ、限界を超えて更にその先へ足を踏み入れろ。

 

『――グッ!』

 

 翼を動かし、上空に舞い上がる。

 

『動きなさぁいぃ!』

 

 魔獣が再び動き始める。巨体を動かして立ち上がり、空を飛ぶ俺を睨み付ける。

 

 何だよクソッタレ……俺にガンつけてんじゃねぇよ。

 テメェは俺からララを奪ったんだ。ララを苦しめてんだよ。そのテメェがなに怒り狂ってんだ。怒り狂ってんのはなぁ……!

 

『こっちなんだよォォオ!』

 

 限界を超えて力を引き出し、魔獣の正面から突撃する。

 

 魔獣は胸の赤い石を強く光らせ、魔力を集束していく。

 バチバチと魔力を迸らせ、耳を劈く轟音を鳴らしながら極大の魔力が放たれる。

 

 ナハトと聖槍を重ね、正面に突き出す。雷と風の二つを合わせ、放たれた魔力とぶつかる。

 

 衝撃と衝撃が衝突し、その余波が全方位に飛んでいく。

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

 魔獣の穢れた魔力が全身を侵食しようとしていく。雷神と風神の力を以てしても身体が崩れ去りそうになってしまう。力を放出すればするほど身体の内側から破裂しそうになる。

 

 それでも力の放出を止めない。此処で止めたらクソ野郎を殺せない。

 

 もっとだ……もっと……もっと……!

 

『もっと力を! 俺に力を寄越せェ! ナハトォォォ!』

 

 ナハトの鍔であるドラゴンの眼が赤く光った。ナハトが魔獣の魔力を喰らっていき、その力を俺に還元していく。力が泉のように身体の底から湧いてくる。黒い雷と風が膨れ上がり、魔獣の攻撃を押し返していく。

 

『オオオオオオオオオオオッ!』

 

 まるで怪物のような咆哮を上げ、俺は魔獣の攻撃を打ち破り、その勢いに乗って胸の石を穿つ。両手を力強く開き、胸に大きな一文字の傷を与える。

 

 これで額以外の石を全て破壊し終えた。その結果、予想通り魔獣から大きく力を削ぐことができ、魔獣の体内にある魔力を感知しやすくなった。

 

 ララの魔力と俺が渡した御守りの魔力の場所を見つけ出し、斬り開いた胸の傷口から魔獣の体内に侵入した。

 

 体内はまるで異界だ。凡そ肉体の中とは呼べない空間になっている。所々肉塊の壁や床があるが、それ以外は遺跡のような石で構成されている。

 

 どうやら魔獣ってのは生物ではなくゴーレムのような造られた存在のようだ。

 

 変身形態が続く内にララの魔力の反応がある方向へと飛んでいき、進行を邪魔する障害物は斬り崩して進んでいく。

 

 そしてやっとの思いでララがいる場所まで辿り着いた。

 ララは巨大な赤い石に身体を埋もれさせてぐったりとしていた。

 

『ララ! ぐっ――!?』

 

 変身形態の維持が限界を超え、元の人の姿に戻ってしまい地面に転がり落ちる。鎧はあの一撃で砕け散っており、中に着ていたインナーとズボンと辛うじて形を保っているレギンスだけだった。

 

 変身が解けたことで今まで異常に疲労とダメージが身体を襲い意識を失い掛けるが、そこはグッと堪えて立ち上がり、ララの元まで歩いて行く。

 

 その時、俺の目の前に黒い翼を生やした黒髪の男が何処からともなく現れる。

 そいつはララの前に立ち、翼をララの首元に添えた。

 

「ルキアーノ……!」

「よくもやってくれましたねぇ……せっかく魔獣の力を手に入れたと言うのに」

「ハッ、何が魔獣だ。ただの巨大なゴーレム擬きじゃねぇか。大したことねぇよ」

「……言ってくれますねぇ。まぁ、魔獣本来の役目は戦闘ではなく穢れを世界に撒き散らすこと。まだ魔獣はその機能をなんら損なっていません。このまま穢れを放ち続ければやがて世界は再び暗黒時代に戻るでしょう。そうなれば生き残るのは魔力に適正の高い力ある魔族だけ。我々魔族が世界を手に入れる野望は果たされるでしょう!」

 

 ペラペラ、ペラペラとよくもまぁ訊いてもないことを喋るもんだ。それになんだ、世界征服が本当の目的だったのか? 呆れた……まだそんな馬鹿でも夢を見ないようなクソッタレな妄言を吐けるもんだ。

 

 殆ど握っているのかどうかも分からないナハトと聖槍を持ち上げ、息も絶え絶えな身体に鞭を打って構えを取る。

 

 こいつを……こいつを殺しさえすれば万事解決だ。ララを助け、ルキアーノを失った魔獣ならユーリ一人でも倒せる。外に溢れ出している怪物だって、グンフィルド達に任せれば問題無い。

 

 問題はこいつだけなんだ。こいつを……こいつを……!

 

「テメェは此処で殺す。俺のララに手を出した、多くの子供達を呪い殺したその罪……心臓を抉り出して報いを受けさせてやる!」

 

「そんなボロボロな姿で何ができるのですかぁ? この私、暴嵐のルキアーノに勝てるとでも思いですかァ!」

 

 ルキアーノはそう叫ぶと体内の魔力を爆発させた。ドス黒い緑色の魔力の光に包まれ、その姿を変えていく。

 

 身体は肥大化し、大きな二本の角が生え、鋭い牙と爪が伸び、醜い形相をした怪物へと変身した。その姿は一見するとまるでオーガだ。背中の翼も二枚から六枚に増え、大きく開いて吠えて見せた。

 

『これが私の真の姿だァ! 人族よ! 私に跪けぇ!』

「さて……ファイナルラウンドだ」

 

 待っていろララ、今助け出してやる。

 

 



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第37話 決死

 

 

 ルドガーが魔獣の体内でルキアーノと対峙している同時刻――。

 

 風の勇者ユーリは、魔獣が撒き散らす穢れた魔力から生み出されてくる怪物の大群とただ一人で戦っていた。

 

 魔獣は最初よりも動きが鈍くなり、四つん這いの状態になって穢れを撒き散らし続けている。獣型に戻ることはしなかったが、今の様はそれこそ獣のようだった。

 

 ユーリは風を操り、怪物の群れを殲滅していくが、殲滅速度よりも怪物の生成速度のほうが速く、徐々に殲滅の勢いを失い始めていた。

 

 更に、魔獣化したケツァルコアトルの様子にも変化が現れ始め、のそのそと動き出した。このままでは魔獣とケツァルコアトル、そして怪物の相手を一人でしなければならなくなる。そうなれば流石にユーリでも手が足りなくなり、今の状態が瓦解してしまうだろう。

 

「ええい……!」

 

 ユーリはルドガーが魔獣の体内に侵入したのを確認している。この戦いの黒幕であるルキアーノを直接叩きに行ったのだ。

 

 ならば己がやるべきことは、ルドガーがケリをつけるまでの間、怪物らの相手をして足止めしておくことだ。勿論、ユーリも勇者の端くれ。足止めで終わらせるつもりは無く、外の戦いに決着をつけるつもりでいた。

 

 しかし予想外にも怪物が生まれるペースが速く、魔獣本体からも少なからず攻撃があり手を焼いているのだ。

 

「呻れ烈風――ダウンバースト!」

 

 上から下に風が吹き荒れ、怪物達を風の衝撃波で薙ぎ払っていく。

 

 勇者にだって魔力の上限は存在する。桁違いに魔力を保有しているとしても、上位魔法を連発していれば、いずれ魔力切れを起こしてしまう。

 現に、ユーリは己の体内から魔力が空になっていく感覚を味わっていた。先程放った魔法も、本来であればもう少し威力が高く、広範囲に渡るものであった。だが残りの魔力量を考えてセーブしてしまい、満足のいく攻撃にならなかった。

 

 もうこれ以上魔法による殲滅戦は厳しいと判断し、ダガーによる近接戦闘に切り替える。ダガーを両手に逆手に構え、風のブーストで動きを速くして怪物達の急所を的確に斬り裂き突いていく。

 

 体力にも限界がある。此処までまともな休息もなく戦い続けてきたユーリは肩で息をしており、夥しい汗が流れている。

 

「流石の俺もこれじゃキツい……! 見栄張らず救援要請を飛ばせば良かったかな……」

 

 メーヴィルでは今頃、民達の避難に人員を割いているだろう。当初ならいざ知らず、今の状況なら救援に回せる人員もいるだろう。

 

 だが勇者が一度口にしたことを曲げるわけにもいかず、何とかして此処は保たせてみせるとユーリは意気込む。

 

 もう何十、何百もの怪物を屠った頃、とうとうユーリに魔力は尽きてしまう。体力も限界を超えており、ダガーを握り締めて立っているのが精一杯という状況だ。

 

 眼前には新たな怪物が次々と生まれ、ユーリを喰らおうと咆哮を上げながら走り出している。

 

 そんな状況でも諦めないのが勇者だ。

 ユーリは強引に不敵な笑みを浮かべ、怪物達へと正面から突撃していく。

 

 その時、何処からか狼の遠吠えがユーリの耳に入る。

 直後、ユーリの目の前にいた怪物の首が何者かに食い千切られた。

 

「え――?」

 

 目の前の怪物だけじゃない。ユーリに迫っていた怪物達が次々と何かの影に噛み千切られていく。

 呆然と立ち尽くすユーリの後ろに、巨大な影が差した。

 

「おや? 随分と満身創痍じゃあないか? それでも勇者かい?」

「――アスカ!?」

 

 それは巨大な銀色の狼――守り神であるアスカだった。アスカの背後には同胞である狼の群れが広がっている。

 

「アスカ! 今まで何処に!?」

「魔族の厄介者に手を焼かされてね。この子が助けてくれなきゃ今頃あの魔獣の腹の中さ」

「ん」

「シンク坊ちゃん!?」

 

 アスカの背中から顔を覗かせたのは、今まで行方不明だったシンクだった。

 

 いったいどういうことだとユーリは混乱するが、そんな暇を怪物達は与えてくれなかった。

 新たに生まれた怪物達が再びユーリ達に迫る。

 

 ユーリはダガーを構えるが、そのユーリの前にアスカが出て喉を鳴らす。

 

「アンタは後ろで魔力を回復してなさいな。此処は我らに任せなさいな――」

 

 ――アオォォォォォォン!

 

 アスカが吠えると、他の狼たちも吠え、一斉に怪物に向かって走り出す。狼は風のように地を走り、擦れ違い様に怪物達を牙で噛み千切り、爪で斬り裂いていく。

 

 アスカもシンクを背負ったまま走り出し、怪物達を一掃していく。銀色の魔力が爪に宿り、腕の一振りで怪物を薙ぎ払う。咆哮を上げると衝撃波となり、怪物を殲滅していく。

 

「童! アンタもその力を見せてみなさいな!」

「――うん」

「ぼ、坊ちゃん――!?」

 

 なんと、シンクがアスカの背中から飛び降りた。

 

 次の瞬間、シンクは緑色の光に包まれ、その姿を変えたのだ。

 

 緑色の体毛をした、屈強なワーウルフへと。

 

『ウオオオオオ!』

 

 シンクであったワーウルフはその鋭い爪で怪物達を斬り裂いていき、掴んでは怪力で引き千切っていく。

 

 まさかヴァーガスへと変わってしまったのかとユーリは思ってしまったが、そんな様子ではないと考えを改める。

 

 アレはシンクが本来持つ魔族としての能力なのだと察する。ワーウルフ族の子供なら、あの姿になれるとユーリは知っている。

 

 まさかの出来事にユーリは脱力してその場に膝を着いてしまう。

 

 シンクがルドガーの側から居なくなってしまったのは、遠く離れたアスカ達に危険が迫っていると察し、一人で助けに行ったのだとユーリは理解する。

 

「ハハ……」

 

 乾いた笑いが口から漏れる。

 

 ともあれ、今はアスカ達に救われたことに感謝する。これで少なくとも戦況の維持はできる。後は不完全ながらも動いている魔獣と、復活しつつある魔獣化したケツァルコアトルの動きを封じればいい。

 

 最後は兄であるルドガーが片付けてくれると、ユーリはこの戦いの勝利の道筋が見えた。

 

「兄さん……こっちは任せて、あのクソッタレをぶん殴ってください」

 

 ユーリは早く戦線に戻るため、魔力の回復に努めた――。

 

 

 

    ★

 

 

 

「おおおおおお!」

『ハアアアアア!』

 

 ナハトと黒い翼が火花を散らす。

 

 此方は限界を超えて怒りと気力だけで身体を動かしている状態。対して相手は魔力を完全に解放した全力の状態。分が悪いのは明らかに俺だ。戦いが長引けば負けが濃厚になるのは明らか。短期決戦でいきたいところがだ、そうは簡単にはいかなかった。

 

「でえええい!」

『遅いですよぉ!』

 

 ナハトと聖槍を振るうが、それよりも速く力強く六枚の翼が振るわれて身体を斬り裂いていく。付けられた傷は深くはないが、再生速度がかなり遅い。おそらく、再生力の限界を先程から超えているんだろう。このまま大きな傷を喰らってしまえば再生する前に死んでしまうかもしれない。

 

 魔力の限界は超え、体力の限界も超え、残っているのは怒りと気力だけ。根性で武器を振るい、何とかルキアーノと戦えている状態だ。

 

『砕け暴風――ジェットストリーム!』

 

 六枚の翼が羽ばたき、そこから複数の鎌鼬が放たれる。

 

 ナハトで鎌鼬を斬り裂き、そこに込められているルキアーノの魔力をナハトに喰わせる。それを俺の中に流し込み、魔力の回復に回す。

 

 本来、魔族の魔力を取り込めば強すぎる故に身体が崩壊していく。だが俺は半人半魔であり魔族の魔力を取り込むことができる。

 

 このままルキアーノが魔法を連発してくれたら、魔力の回復が捗って助かるんだがな。

 

『吹き荒れ蹂躙せよ――ヘルゲート!』

 

 俺の足下に亀裂が入り、そこから風が吹き出す。

 

「だからってもうちっと加減しやがれ!」

 

 上に跳んでナハトと聖槍を盾にする。

 

 直後、亀裂が広がり十字に鋭い刃の風が噴射する。ナハトで風を喰らい、聖槍で風を無効化していくが、範囲が広くていくらか風の刃を受けてしまう。

 

 腹と肩が斬り裂かれ、血が流れ落ちる。激しい痛みを感じるが、この程度で立ち止まれない。

 

『このモードに入った私は誰にも止められませんよぉ! 暴嵐の異名、その身に刻みなさい!』

 

 ルキアーノは翼を広げ、風を指先に集束させていく。たぶん更に大技を発動するつもりなのだろう。

 

 ナハトで喰らえて聖槍で風を無効化できると言っても一度には限界がある。魔力の回復が先か力で押しきられるのが先か、我慢比べになってしまう。

 

「上等だよ……!」

『嵐よ巻き起これ――テンペスト!』

 

 竜巻と鎌鼬が一斉に生み出される。直撃する風だけを見破り、ナハトと聖槍で防いでいく。

 風の数は凄まじく、武器を二本使っても捌ききれない。身体の肉を斬り裂いて血が吹き荒れる風に呑まれていく。

 

 迫り来る竜巻をナハトで受け止め、魔力を喰らっていく。

 

「オオオオオオオ!」

『チッ――押し切れない……!』

 

 竜巻を斬り裂き、ある程度の魔力が回復したのを感じる。魔力を全身に流し、負った傷をある程度回復させた。

 

「行くぞルキアーノ!」

『くっ……ハハッ! 来なさいぃ!』

 

 ナハトに雷を纏わせ、聖槍に風を渦巻かせてルキアーノに斬りかかる。ルキアーノは翼と爪を振るい、俺と斬り結ぶ。

 

 コイツ、研究研究ばかり言ってたから肉弾戦は不得意だと勝手に思ってたが、腐っても魔族、この程度の肉弾戦ならお手の物と言える程には対等に斬り結べている。変身前は弱そうな雰囲気を出していたが、やっぱり見た目で判断するのは良くないな。

 

『風狼牙ァ!』

 

 ルキアーノが掌底を繰り出すと、そこから風でできた狼の顎が飛び出し、俺を突き飛ばす。

 

「ぐはっ!?」

『絶空ゥ!』

 

 突き飛ばされたところにルキアーノが迫り、風を纏った爪で腹を切り裂かれる。夥しい血が流れ出るが、補充した魔力を練り上げることで傷をすぐに再生させる。ルキアーノが爪を振り抜いている隙を狙い、顔面に蹴りをぶち込む。そのまま地面に叩き落とし、聖槍を投擲してルキアーノの翼一枚を貫く。

 

『くぅ!?』

「爆ぜろ!」

 

 聖槍に渦巻かせている風を破裂させ、ルキアーノにダメージを与える。ルキアーノの翼が二枚ボロボロになったが、俺と同じようにすぐに傷が再生される。

 

 チッ、やっぱりそうだよな。魔族ってのは魔力があれば傷の再生ぐらい何てことないか。

 半人半魔である俺がそうなんだ、純粋な魔族なら俺以上に再生力は高いはずだ。なら再生できない傷を、首を刎ねれば奴を殺せるだろ。

 

 聖槍を手元に呼び戻し、ルキアーノと睨み合う。今の俺に奴を一撃で殺せる力は無い。チャンスを窺ってジッと堪えるのも良いが、この戦いに時間をかける訳にはいかない。俺の体力もそうだが、ララの体力が保たない可能性が高い。

 

 今こうしている内にララの魔力が魔獣の動力源として使われている。いくら膨大な魔力を持つララでも吸われ続ければいずれ空になる。魔力が空になれば命に関わる。

 

「くそっ……!」

『焦ってますねぇ! 急いていますねぇ! 目の前に救いたい者がいるのに手も足も出せない。嗚呼、なんて楽しいんでしょうぅ!』

「この下衆野郎が……!」

『諦めなさい! 半人半魔如きが純粋な魔族に勝てる訳がないでしょう!』

「これでも魔王を殺したんでな。てめぇ如きに負ける気はサラサラねぇよ!」

 

 ルキアーノの笑みが消えた。目が鋭くなり、獣のように唸り声を上げる。

 

『そうか……貴様が魔王様を殺した勇者か』

「何だ? 気付いてなかったのか? 厳密に言えばそん時は勇者じゃなかったけどな」

『ならば貴様を殺せば私は魔王様よりも強いと言うことですかァ!』

「ハッ、ほざけ。あの男の足下にすらてめぇは届いてねぇよ!」

『その減らず口、今すぐ止めて差し上げますよぉ!』

 

 ルキアーノは翼を広げ、正面から迫ってきた。跳び退いてかわそうとしたが、足がガクンとかくついてしまい動けなかった。ルキアーノは俺の顔面を鷲掴みにして持ち上げる。

 

「ぐぅ……!?」

『このまま握り潰して差し上げますぅ!』

 

 鷲掴みにしている手に力が込められ、頭が締め付けられる。

 

 このままじゃ頭がミンチになって流石の俺も死んでしまう。どうにかして振りほどかないといけない。武器で殴ったり蹴ったりして振りほどこうとするが、翼で邪魔されてしまう。

 

「がぁっ――!?」

 

 ギチギチと頭から音が鳴る。このままじゃいけない。何か、何か手を考えなければ!

 

 くそっ、やるしかねぇ!

 

 俺はナハトを後ろへと放り投げる。ある程度離れたところで、俺はナハトを此方に呼び戻した。切っ先を此方に向けさせ、俺の背中に突き刺さるようにして戻す。ナハトは俺を貫き、密着していたルキアーノの腹をも貫く。

 

『ぐおっ!?』

「かはっ――ナハト、喰らえ!」

 

 ルキアーノに突き刺さったナハトはルキアーノから魔力を貪り喰らう。その魔力を俺に流し込み、魔力を回復させていく。奪った魔力で聖槍に風を纏わせ、衝撃波を放ってルキアーノを俺から突き放した。

 

 俺は地面に落ち、ナハトを背中から押し出して引っこ抜いた。血がドバドバと流れるが、傷は忽ち塞がっていく。

 

 もう身体を酷使し過ぎている。いくら再生能力があると言っても、身体に大きな負担を掛けていることには変わりない。間違いなく寿命を縮めるような行為だ。

 

 だがそれがどうした。ここで寿命を縮めようが、ララを救い出せるのなら本望。ついでに奴をぶち殺せるのなら尚更だ。

 

 必ず奴は此処で殺す。そしてララを助け出す。その為なら命なんて惜しくはない。

 

 聖槍を地面に突き刺し、使い慣れているナハトだけを構えて起き上がるルキアーノを睨み付ける。

 

 魔力はごっそりと頂いた。これなら一瞬だけだがあの力を使える。もうその一瞬で勝負を決める。それ以上は身体が持たない。もう身体の彼方此方の感覚が無い。視界も半分以上霞んで見えない。

 

 此処で、これで、この一撃で奴の首を斬り落とす。

 

 ナハトに黒い雷を纏わせ、意識をルキアーノの魔力に集中する。奴の魔力から次の動きを読み取る。確実な一撃を叩き込む為に、一瞬先の未来を完全に読み取ってみせる。

 

『この――下等生物がァ!』

「テメェは此処で殺ォす!」

 

 俺とルキアーノの刃が交差する――。

 

 

 

 

 



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第38話 終戦

ちょっと駆け足気味かもしれませんが……。

誤字脱字報告ありがとうございます!


 

 

 ルキアーノは六枚の翼と爪を振るってくる。その一つ一つを見極めるのは至難の業だ。

 だから俺は奴の魔力を読み取る。どれが本命なのかを見極め、最低限の動きだけでかわす。

 

 答えは――全部だ。全部の攻撃が俺の心臓を狙ってきていた。時間差でどこに避けても命中するように奴は攻撃を放った。

 

 全てをかわすにはもう一度限界を超えて動かなければならない。奪い取った魔力を完全に解放し、雷神の力を発動する。

 

 黒い雷が体内から吹き荒れ、俺の魔の部分を剥き出しにさせる。限界を超えた状態で更に限界を超えて変身し、ルキアーノから繰り出された攻撃よりも速く、雷速で全ての刃をギリギリでかわす。

 身体が悲鳴を上げ、肉体の彼方此方が内部から破裂して血が噴き出す。息をすることすら叶わず、痛みに声すら上げられない。

 

 それでも俺の目はルキアーノを捉え、ナハトを握っている腕を動かす。攻撃の間を掻い潜り、下から上に振り上げたナハトがルキアーノの上半身に食い込み、赤い血が迸る。

 

『なっ――!?』

『――ハァァァァァアッ!!』

 

 ナハトが雷を発し、ルキアーノの身体を斜めに両断する。ルキアーノは両断された身体を再生させることなく、地面に転がり落ちる。

 

 まだしぶとく、身体を再生させようと藻掻いているが、再生可能な域を超えた傷に苦しんでいるだけだった。

 

 首と心臓を切り離したんだ。いくら魔族でも、魔王じゃない限りそこから再生することはできない。

 だが念には念をだ。俺はルキアーノの心臓にナハトを突き刺し、雷で焼き払う。

 

『ばか――な――!? このわた――しが――暴嵐のわたし――が――』

「ハァ……ハァ……地獄に堕ちろ、クソッタレ」

『――ァァァアアアア――!!』

 

 ルキアーノは絶命の声を上げながら身体を塵へと変えていった。

 

 これでルキアーノは死んだ。俺達の勝ちだ。

 

 ナハトを引き摺りながら拘束されているララの下へと向かう。残っている力で石を砕き、ララを助け出して抱きかかえる。

 

「ララ……ララ……頼む、起きてくれ……」

「……ぅ、ぅぅん……せんせ……?」

 

 ララは薄らと瞼を開き、ボンヤリとした顔で俺を見上げる。

 

 良かった……無事で良かった……。

 

「帰ろう、ララ……」

「せんせ……ごめん……わたし……」

「大丈夫、もう終わった」

 

 ララの髪を撫で、背中に背負う。正直、人一人を背負う体力すら残ってないが、ララに格好つける為にもやせ我慢する。

 

 聖槍を広い、ナハトを操って壁を破壊させた。ララを解放したからか、魔獣は沈黙して動いていなかった。破壊した壁から外に飛び出し、高く上った太陽に照らされる。

 

 外ではユーリ達が待っていた。いつ来たのか、アスカとその同胞達もおり、シンクもそこにいた。

 シンクは俺を見付けるとトコトコと駆け寄り、俺の足にしがみ付く。

 

「シンク……どこ行ってたんだ……!?」

「アスカ……危なかった……」

「……? まぁ、お前が無事で良かった……」

 

 流石にシンクまで抱き上げる力は残っていなかった。シンクの頭をガシガシと撫で、待っているユーリの下へと向かう。

 

「兄さん……」

「奴は殺した。もうこれで魔獣は動かない」

「――ハァ……、お疲れ様です」

「ああ、ホント、疲れたよ」

 

 ――オォォォォォン!

 

『ッ!?』

 

 全てが終わったと思い安堵していると、甲高い咆哮が空を駆け巡った。

 何だと警戒すると、大地に横たわっていたケツァルコアトルが起き上がり、今にも飛び立とうと翼を動かそうとしていた。

 

 それも、穢れた魔力を帯びたままでだ。

 

 ケツァルコアトルはまだ魔獣化の状態だったのを完全に忘れていた。このまま逃がしてしまえば、穢れた魔力を世界に散蒔く第二の魔獣と化してしまう。

 

 漸く終わったと思ったのに、まだ大きな問題が残っていた。

 

 こちとらもう魔力も体力もスッカラカンだと言うのに、これ以上俺達に何をさせるつもりなんだよ。

 

 その時、手に握っていた聖槍が脈打ち、緑色の光を放ち始めた。

 それは俺に魔力を流し、何をすべきなのかを聖槍が伝えてくる。

 

 その意図を理解した俺は溜息を吐き、舌打ち一つをしてユーリにララを預ける。

 

「ユーリ、ララを頼む」

「兄さん、何を?」

「どうやらラファートの予言を俺が遂行させられるようだ」

 

 ナハトも預け、聖槍フレスヴェルグを強く握り締める。

 

「アスカ、あのデカブツの所まで乗っけてってくれないか?」

「守り神を乗り物扱いかい? 良い度胸だねぇ……。でも今回だけは特別だ。乗りな」

 

 地面に伏せるアスカの背中に乗り込み、アスカはケツァルコアトルに向かって走り出す。

 

 魔力は聖槍から送られてきて回復し、ある程度は身体を動かせるようになった。聖槍から伝えられたことをすれば力尽きるだろうが、俺がやらないといけないのなら仕方が無い。

 

 俺は勇者の長男で、ララを守る勇者なのだから。

 

「若造、何をするつもりだい?」

 

 アスカは走りながら俺にそう尋ねる。

 

「聖槍でケツァルコアトルの魔力を完全に浄化させる。どうやらその役目はユーリじゃなくて俺のようだ」

「……やはり、『ルドガーの名を継ぐ者』だねぇ」

「それ、どう言う意味だ?」

「いずれ知る時が来るさ」

 

 アスカはケツァルコアトルに飛び移り、そのまま身体を駆け上がって背中まで移動する。

 ケツァルコアトルの背中に辿り着いた俺はアスカから降り、アスカはそのままケツァルコアトルから離れていく。

 

「後は任せたよ」

「帰りはどうする?」

「迎えは寄越してやるさ」

 

 残された俺は聖槍を両手で握り、力一杯ケツァルコアトルに突き刺す。回復して僅かしか残っていない魔力を聖槍に送り込み、聖槍が力を発揮できるようにする。

 

 ケツァルコアトルに突き刺さった聖槍は清浄な緑の光を強く放ち、ケツァルコアトルを包み込んでいく。

 

 ――オオオオオオオ!

 

 ケツァルコアトルの声が頭に響く。ケツァルコアトルの穢れた魔力が清められていき、まだ身体に残っていた穢れの塊が消えていくのが分かる。

 

 ヴァーガスにされた子供達……安らかに眠れ。お前達の仇は取ってやった。もう苦しまなくて良いんだ。新しい命に生まれ変わって今度こそ幸せに生きていけ。

 

 ――オオオオオオオ!

 

 光はケツァルコアトルの全身を包み込み、穢れた魔力を完全に浄化していった。

 

 俺はそこで力尽き、その場に倒れ込んでしまう。

 

 もう無理、もう限界、立っていられない。空を見上げながら大の字で寝転び、意識が薄れていくのを感じる。

 こんなに疲れたのは魔王との戦い以来だ。ユーリを探しに来ただけだったのに、どうしてこんな目に遭ってるんだろうか。

 これからアーサーを探しに行く? いやいや冗談じゃない。一度アルフの都に帰って休んでやる。アーサーならどうせユーリと同じように無事だろうさ。ちょっと探しに行くのが遅くてもエリシアは許してくれるだろうさ。

 

 そんなことを考えていると、ケツァルコアトルの翼が動き出し、空へと羽ばたこうとしているのが見えた。

 

「おいおいおいおい……まだ降りてないんだけど……!?」

 

 薄れていく意識もはっきりとし、動かない身体を必死になって動かす。

 

 このまま空を飛ばれたらどこへ連れて行かれるのか分かったもんじゃない。早く此処から離脱しないと……!

 

 だが身体は言う事を聞かず、寝返りさえもうてない。

 このまま何処かへ連れ去られてしまうのか、そう諦めかけた時、俺の目の前に獣が降り立った。

 アスカが迎えに来たのかと思ったのだが、彼は二足歩行で此方に歩み寄ってくる。体毛も緑で、狼ではあるが守り神ではなくワーウルフだった。

 

「ワーウルフ? 誰だ……?」

 

 そのワーウルフは俺を抱えると、聖槍も抜き取ってその場からもの凄い速度で走り出す。ケツァルコアトルから飛び降りると、俺を地面に降ろして聖槍を落とした。

 

 ――オオオオオン!

 

 正常な状態に戻ったケツァルコアトルは翼を羽ばたき、空高く飛び上がる。飛び上がったケツァルコアトルは翼から魔力の粒子を大地に散布した。その粒子が大地に降り注ぐと、荒れに荒れ果てた森が再生していき、遺跡は破壊されたままであるが元通りの姿へと変わった。

 

 撒かれていた穢れの残滓も綺麗に払われ、清浄な魔力で再び溢れかえった。

 

 迷惑を掛けた詫びのつもりなのだろうか。それにしては割に合わない気もするが、神の眷属の考えが人如きに分かるはずもないかと諦める。

 

 ところで、このワーウルフはいったい何者なのだろうか。というか、彼の魔力にはもの凄く身に覚えがあるんだが。

 

 ワーウルフは小さく声を上げたかと思うと、その身体をブルブルと縮めていき、人型の姿へと変わっていった。

 

 そしてその姿はシンクだった。

 

「シンク……? え、シンクなのか?」

「うん、シンク、だよ」

「……え、どう言う事だ?」

 

 ヴァーガスに変わってしまったのかと一瞬だけ考えたが、どうやらそうじゃないみたいだ。

 なら何だ? この子が持つ本来の力? そう言えばアスカもワーウルフの童とか言っていたような……ああ、駄目だ、頭がもう回らない。

 

「兄さん!」

「……ユーリ、俺はもう休む。後は全部任せた」

 

 駆け付けてきたユーリにそう託し、俺は目を閉じた。

 もうこれ以上は起きていられない。もう戦いは全部終わった。

 

 俺は意識を落とすのだった――。

 

 



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第39話 エピローグ

これにて第2章は終了です!


 

 エフィロディア連合国を騒がせた一大事件から一週間が経った。

 

 俺は既にアルフの都へと帰還し、休暇を取ってボロボロになった身体を休めていた。

 

 あの後、事後処理は全てグンフィルドが引き受け、魔獣の残骸などの片付けはエフィロディアの戦士達が行った。

 俺はその間死んだように眠っていて、目が覚めた時には事後処理の殆どが終わっていた。

 

 結局、ルキアーノの目的は魔獣を使って世界中に穢れを撒き散らし、魔族以外の全てを滅ぼすことだった。ヴァーガスはその過程で生み出されたものであり、シンクはルキアーノの実験体にさせられたのだろうと結論付けた。

 

 これは後で気付いたことなのだが、ルキアーノはいったいどのような手段でヴァーガスを生み出していたのか。ヴァーガスの条件は妊娠した母体と呪いの術者の命だ。そう都合良く多くの妊婦を用意できるものかと疑問に感じたが、ワーウルフに変身したシンクの魔力を見て理解してしまった。

 

 口にするのも悍ましく、考えただけでも藁渡が煮えくり変えることなのだが、今言えることはただ一つ。

 

 シンクはルキアーノの子だ。術者は別の者を用意したのだろう。

 

 本当に狂気の沙汰だ。何が奴をそこまで掻き立てたのだろうか。奴は魔族の中でも相当な下衆野郎だった。奴を彼処で殺したのは間違いではなかった。

 

 勿論、シンクは俺が引き取ってアルフの都へと連れ帰った。父親面をする訳じゃないが、シンクが俺を父と呼ぶのなら、まぁ仕方が無い。シンクは俺が責任を持って育てる。

 

 奴の話は此処までにして、明るい未来の話をしよう。

 

 最初に、ユーリとグンフィルドについてだ。

 

 あの二人は宣言通り夫婦の誓いを立てた。結婚式はまだ挙げていないが、俺が動けるようになったら結婚式に招待してくれるそうだ。弟の結婚式に出席することになるなんて、今まで考えたことが無かった。

 

 まぁ、あの二人なら何だかんだ上手くやっていけるだろう。

 

 ユーリは風の勇者としてエフィロディアで暮らしていく。今まで仕事を放棄していた分、グンフィルドに扱き使われるだろう。

 

 次に、俺の立場の話。

 

 俺は人族の大陸では厄介者扱いとしてお偉いさん方に嫌われているが、今回の件でエフィロディアは俺の後ろ盾になってくれた。本来ならとうの昔にそうしたかったのだとグンフィルドは言っていたが、その時はまだ女王じゃなかったからできなかったらしい。

 

 現在は女王として君臨しているし、何より国を救ってくれた英雄をいつまでもほったらかしにする訳にはいかないと言ってくれた。

 

 後ろ盾を得たからと言って、俺のこれからの生活に劇的な変化が起こるわけでもない。今後、人族の大陸で活動する際に他の国でぞんざいな扱いがされ難くなるようになった、その程度の話だ。

 

 あと、これは余計なお節介だったが、グンフィルドが俺に所帯を持たせようと何名かの女性を紹介されたが全て断った。全員が美人で強い女だったが、今の俺にそのつもりはない。

 

 まぁ、そんな感じで一週間が経ち、俺は寄宿舎で静かに休んでいる。

 学校からは暫くの間休暇を貰い、療養せざるを得なくなっていた。

 

 限界に限界を超え、身体を酷使した結果、俺の身体は酷い有様だった。身体の半分以上は動かせず、右腕と左脚でしか生活できない。ほぼ全身の骨は折れ、筋肉や血管、内臓なども酷く傷付いていた。

 今でこそ魔力が回復してほぼ再生し終えているが、大事を取って休ませてもらっている。

 

「んで、ユーリは元気だったんだ?」

「ああ。まったく人騒がせな奴だよ」

 

 ベッドで寝ている俺の隣で、リィンウェルにいるはずのエリシアがリンゴを剥いている。

 今朝方、どうやってか俺が都に戻ったことを知ったエリシアは雷となってやって来た。俺の状態を知った時は酷く同様していたが、今では落ち着いていつもの様子を取り戻している。

 

「はー……エフィロディアが騒がしかったのは知ってたけど、まさか魔獣が現れてたなんてねー」

「……一応お前の国の隣だったんだが?」

「余所は余所、ウチはウチってのが人族の国だから」

「それで良いのかよ」

 

 もし俺が負けていればエフィロディアだけの問題じゃなくなっていたんだがな。

 ま、負ける気はしなかったけど。

 

 エリシアは剥き終えたリンゴを皿に載せ、串で刺して俺の口元に運ぶ。

 

「ほら、愛しい愛しいエリシア様がルドガーの為に剥いたリンゴはいかが?」

「……今食欲無いんだけど?」

「何よもー。私が頼んだからこうなってるって責任を感じて剥いてあげたのにー」

「リンゴ一つで割合とれねぇよ」

 

 シャクリ、と差し出されたリンゴを口に頬張る。

 

「この分じゃ、アーサーのほうでも何か問題抱えてそうよねぇ」

「止してくれよ……もう予言とか勘弁してほしいんだが」

 

 俺が項垂れていると、部屋の扉がノックして開けられる。

 入ってきたのはララで、シンクと一緒にいた。

 

「ん? 何だいたのかゴリラ女」

「何だ帰ってきたのガキんちょ」

 

 二人はバチバチと視線を交わす。

 おいおい、止してくれ。喧嘩するなら余所で頼むよ。

 

 二人を放置してシンクがトトトと歩み寄ってくる。

 

「とと、元気?」

「ああ、元気元気。明日はリハビリを兼ねて散歩にでも行くか」

「うん」

 

 シンクをベッドの上に乗せ、頭を撫でてやる。

 

 何だかんだ言って、シンクとこうやって接するのは嫌いじゃない。今まで子供相手は教師と生徒としてだけだったが、擬似的にとは言えこうやって親子のように接するのも悪くない。

 

 シンクを撫でていると、皿が落ちる音が隣から響いた。

 見ると、エリシアが口をあんぐりと開けて俺とシンクを見つめている。

 

「え? え? え? とと……? え? どういう……?」

「……ん? ああ、紹介がまだだったな。この子はシンク。俺が――」

「シンク・ライオット。センセの子供だ」

 

 何故かララが答えた。それもニタリと黒い笑みを浮かべて。

 それを聞いたエリシアは雷に打たれたような顔をして立ち上がり、頭を抱えて奇声を上げる。

 

「いやあああああ!? 子供!? 誰の!? 誰との!? まさか!?」

 

 ハッとしてエリシアはララを見る。

 ララは何も答えず、ただ笑っている。

 

「――してやる」

「おい、エリシア?」

「――殺してやる! 兄さんを殺して私も死んでやるぅ!」

「おい馬鹿!? こんな所でカタナ抜くな! ララも笑ってないで誤解を解け!」

 

 シンクを抱えてベッドから飛び起き、カタナを振り回して追い掛けてくるエリシアから逃げ回る。

 

 どうしてお前が来るといつも騒がしくなるんだよ! せっかくの休みなんだから静かにさせてくれよ!

 

「兄さんの馬鹿ァ! 私の気持ちも知らないでぇ!」

「ああもう! いったい何なんだよぉぉぉぉ!」

「とと、がんば」

「センセー! あまり無理するなよー!」

 

 俺はエリシアの癇癪が収まるまで、都中を逃げ回ることになるのだった。

 

 

 

 

 



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第三章 後継者
第40話 プロローグ


第三章の始まりです!


 

 

 その青年は、愛に飢えていた。

 

 物心が付いた時には掃き溜めの中で暮らしていた。家族は居らず、ゴミ漁りをして飢えを凌いでいた。

 村の通りを歩く家族を見ると、どうして自分には家族がいないのかといつも疑問に感じていた。どうして自分は独りなのだと、どうしてゴミを漁らなければいけないのだと嘆いていた。

 

 青年が少年だった時、焼け野原となった戦場を漁っていた。何か食べ物に換えられる物はないか、運が良ければ食べ物がないかと泥だらけになって亡骸を引っくり返す。

 

 そんなある日、少年の日常は転換する。

 

「何してんだ、お前?」

「え……?」

 

 少年の前に、少し年上の黒髪の少年が現れた。ぶっきら棒で少年にしては険しい目をしている彼は、泥だらけになっている少年をまじまじと見つめる。

 

「どうした、ルドガー?」

 

 その少年の後ろから、白銀の髪をした美丈夫が現れる。腰の差す剣や装いからして兵士だろうか。だが何処となく高貴な雰囲気を纏い、兵士にしては綺麗な格好をしていた。

 

 その美丈夫は泥だらけの少年を見ると、「おや?」と声を漏らして歩み寄る。

 少年に手を伸ばした瞬間、少年は怯えたように身体を縮こまらせた。

 

「おやおや……大丈夫。手荒なことはしないよ」

「……あぅぁ……ぅあ……?」

 

 少年は言葉を話せなかった。誰にも教えてこられなかったからだ。

 

 美丈夫は少しだけ顔を暗くすると、すぐに優しい笑みを浮かべる。そして懐から何かを取り出して少年に差し出す。それは紙に包まれた菓子だった。

 

 菓子を受け取った少年は美丈夫を見上げ、美丈夫が頷くと一心不乱に菓子に食いつく。

 少年にとってちゃんとした食べ物はこれが初めてだった。あまりにもの美味しさに少年の目からは涙が流れる。

 

「ルドガー、この子を連れて行くぞ」

「分かった」

 

 少年は二人が何を話しているのか分からなかった。黒髪の少年の手が自分の手を掴み、そのまま歩き出す。手を引かれる少年は少しだけ恐怖心を抱いた。

 

 黒髪の少年が振り返り、小さな少年に笑いかける。

 

「俺、ルドガー。お前、名前は?」

 

 これが、後に光の勇者となるアーサー・ライオットと魔王を殺すことになるルドガー・ライオットの出会いだった――。

 

 

 古ぼけた建物の中にある古い書庫で、金髪の青年が棚から本を取って開く。静かに本に目を通すその姿は、まるで芸術家が描いた絵のようだ。

 凜々しくあり美しい顔立ちである青年の腰には煌びやかな剣が差されている。

 

 本のページを捲っていると、青年の後ろにフードを被ったローブ姿の女性が影から現れる。

 

「我が君――」

「……収穫はあったか?」

 

 女性は金髪の青年を我が君と呼び、青年は本から目を離さずそう訊いた。

 

「兄君様は雷神と風神の力を手に入れたようです。しかしながら、他の勇者様のように上位の魔法を使えない模様です。代わりに、元素そのものの扱いに秀で、更に魔の部分がより強力になるようです。まるで純粋な魔族のように」

「……そうか。やはり遺跡の力は兄さんの為のモノか」

「現在はアルフの都に帰還して療養しております。如何なさいますか?」

 

 青年は本を閉じ、棚に戻した。

 蒼い瞳を女性に向け、静かに命じる。

 

「何もするな。まだその時ではない。兄さんにはもっと力を高めてもらわなければならない」

「――御意のままに」

 

 女性は青年に一礼すると、再び影の中に姿を消した。

 

 一人残った青年はおもむろに首から提げているペンダントを取り出した。小さな盾のような形をしているそれを、青年はどこか寂しそうに見つめる。

 

「父さん……僕は……兄さんを……」

 

 ペンダントを握り締め、額に当てる青年の声は掠れて消えていった。

 

 

 

    ★

 

 

 

 エフィロディアでの戦いから二ヶ月が経過した。

 

 ルドガーの身体はすっかり元通りとなり、今ではいつものようにアーヴル学校の教壇に立って生徒達に授業を行っている。

 

 何週間も授業を休んでしまった分、生徒達からの質問攻めに遭い、当初はそれだけで時間が潰れてしまう程だった。与えておいた課題も当然とっくの昔に終わっており、ルドガーの授業が好きな生徒達は水を与えられた魚のように食ってかかった。

 

 ルドガーも教師として責任を果たすべく、アーサーを探しに行くことよりも生徒達を優先し、授業に腰を入れて専念した。

 

「暴れ木であるトコヤニの木を静めるには蜂蜜酒を一壺用意すればいい。側に置いておけば、勝手に飲み干して酔い潰れる。トコヤニの木から何が作られる?」

「はい!」

「よしヤーベン、答えてみろ」

「トコヤニの木は頑丈で弾力性が高いので、弓の材料に使われます。また火に耐性が高く、建築素材にも活用されます。地属性の魔力に適正も高く、魔法の杖の素材にも好まれます」

「正解だ。トコヤニの木の性質上、枝一本採取するのにもかなり危険だ。油断すれば命を落とすことだってある。だからトコヤニの木を採取する職人達には蜂蜜酒は欠かせない物であり、彼らの村は蜂蜜酒の名産地になる。酒を売るほうが安全に金を稼げると思うけどな」

 

 こうして教壇で教鞭たれるのが幸せなことだと思える日が来るとは思わなかった。今まで俺には教師が向いていないんじゃないかと思い、どこか後ろめたい気持ちが見え隠れしていた。戦場で手を血で染めてきた俺が子供達に教える資格はないんじゃないかと。

 

 でもララのお陰でその気持ちは消えた。親父の娘であるララに物を教えることで、教える者としての喜びを本当の意味で知ることができたし、ララとの契約で気持ちの踏ん切りも付けることができた。

 

 今は子供達に授業をすることが楽しみになっている。今までが嫌々だった訳じゃないが、以前と比べたら気持ちの明るさは雲泥の差だ。

 

「トコヤニの木と似た性質を持つヤエヤナギは蜂蜜酒ではなく葡萄酒を飲ませれば良いが、此方は適量を見極めないと即座に枯れてしまう。ヤエヤナギは枝先が鋭く大昔ではその頑丈さと切れ味から剣の代わりにされてきた。今でも充分使える優れものだ」

 

 従業終了の鐘が鳴り、開いていた教科書を閉じる。

 

「さ、今日の授業は此処まで。また近い内に先生は学校を空けることになるから、それまでに質問があればしておくように」

『はーい』

 

 生徒達は荷物を纏めて教室から出て行く。板書した物を消して自分の荷物を纏めていると、教材を持ったアイリーン先生が現れた。

 

「ルドガー先生、宜しいですか?」

「アイリーン先生、ええ、どうぞ。あ、どうせなら俺の部屋で御茶でも?」

「まぁ、いただきますわ」

 

 教材を手に教室から出て離れた場所にある俺の私室へと向かう。道中では最近の授業の様子や、日常生活での他愛ない会話をしつつ話を弾ませる。

 

 私室に招き入れると、アイリーン先生を座らせて紅茶を淹れる。茶菓子にはいつも隠している棚からマカロンを取り出してテーブルに置く。

 

 二人で紅茶を啜り、俺は一つアイリーン先生に謝罪する。

 

「あ、そうだアイリーン先生。いただいた御守りだけど、勝手にララに渡して申し訳ない。せっかく俺の為にくれた物なのに……」

「ああ、いいえ。確かにアレはルドガー先生を守る為に差し上げた物ですけれど、ララさんを守れたのならそれはそれで本望です。お気になさらずに」

「まぁ、その……必要なことだったとは言え、女性からのプレゼントを他の女性に渡すってのも……」

「私は気にしておりませんわ。ですが、先生が気にしてくれているのなら、今度は先生から何か贈り物が欲しいですわね。それで手打ちとしましょう」

 

 アイリーン先生はニッコリと微笑む。

 

 む、アイリーン先生への贈り物か……。困ったな、そうなると都で手に入れられるような物じゃ駄目か。ララにプレゼントしたようなガラス細工とか、リィンウェルにあるような此処じゃ手に入れられないような物じゃないと相応しくないか。

 

「んん……それでアイリーン先生、何か御用があるようで?」

「ああ、そうでした。ルドガー先生とのお話が楽しくてつい忘れていましたわ」

 

 んん……アイリーン先生はワザとやっているのだろうか。一々男の心を惑わせるような言動をしてくる。心臓に悪い。本当に一夜の過ちが起きてしまうのではないかと内心バクバクしてしまうじゃないか。

 

 結婚なんて考えていないが、だからこそそれは宜しくない。エルフは高潔な存在でもある。結婚しない相手との行為なんて禁忌に等しいものだ。

 

 もし俺と先生が過ちを犯してしまったら、俺は責任を取ってアイリーン先生と誓い立てをしなければならない。

 

 別にアイリーン先生が嫌だっていう訳じゃない。先生なら男としても個人としても最高の女性だ。何ら不満は無いし、寧ろ勿体ない気がするほどだ。

 

 問題は俺自身。半人半魔である俺は普通の人族とは生きる時間は違うだろうし、子供ができたとしたらその子には魔族の血が混ざる。純粋な魔族じゃなければ保有する魔族の魔力に身体が付いていかない可能性がある。身籠もった母体にも影響がでるかもしれない。

 

 だから俺は結婚なんて考えていない。

 

 ――あれ? でも待てよ? 子供云々は兎も角、生きる時間ならエルフ族であるアイリーン先生は問題無いのでは? エルフ族の寿命は千年を超えると言うし、少なくとも俺よりは長生きするよな? そう考えるとアイリーン先生はあり、なのか……?

 

「お話というのは私の妹のことなんですが……先生?」

「……え? あ、ああ! 何でもない! って、妹? 妹がいるのか?」

 

 それは初耳だ。アイリーン先生と出会って五年になるが、先生の口から妹という言葉は聞いたことがない。

 先生の妹さんだ、さぞかし美人なんだろう。

 

「はい。もう五年も会っておりませんが、文通はしているんです」

「五年も……。妹さんは何をなされて?」

「それが、妹は父に似て武芸に秀でてまして。父と一緒に大陸中を旅して剣術の修行をしているんです」

「へぇ、アイリーン先生の父君の話も初耳だ。父君は戦士なのか?」

 

 思えば、アイリーン先生の家族構成を知らないな。初めて先生の口から家族の事を聞くかもしれない。これも友好関係が深まったからなのだろうか。

 

「ええ。立派な戦士でしたわ」

「……でした?」

「大戦で負傷してしまいまして。戦士は引退したんです。もしかしたら先生と顔を合わせているかもしれませんね」

 

 そうか、大戦の参加者だったのか。それなら確かに何処かで顔を合わせているかもしれない。

 エルフ族とはフレイ王子を初めとして幾度も共闘してきたから、同じ作戦に参加していても何らおかしくはない。世間は広いようで狭いというのは正にこの事か。

 

「それからは妹が父の後を継ぐと言って。私は見ての通り戦士としての才能はありませんから」

「でもアイリーン先生の知識や魔法に関しては素晴らしいじゃないか。どのエルフにも引けは取らない」

「そんな褒めてくださっても、先生には敵いませんわ」

 

 いやいや、俺なんか広く浅く知識を得ているだけだから、専門的になればなるほど通用しなくなるし、魔法だってたぶんアイリーン先生の足下に及ばないかもしれない。先生の魔法の知識量には敵わない。

 

 俺の魔法の知識は魔王である親父仕込みだが、全部使える訳じゃない。確かに適正は全部にあるが、それでも得手不得手がどうしても出てきてしまう。魔力量もそうだし、精度だって粗い物もある。

 

 その点、アイリーン先生の魔法は素晴らしい。俺の知らない魔法も知っており、精霊魔法だって上位の物でも杖の一振りで発動してしまう。その精度も美しく、芸術作品を見ているかのように目を奪われてしまう。

 

「それで、その妹なんですが……近々帰って来ることになりまして」

「それはそれは。五年ぶりの再会はさぞ嬉しいでしょうね」

「父は田舎で過ごすことになって、妹だけ帰ってくるんです。でもその……ちょっとした問題が……」

 

 アイリーン先生は苦笑いを浮かべる。

 妹が帰ってくるのに、どうして問題なんかが出て来るんだろうか。

 あ、もしかしてアイリーン先生にイイ人がいて、それを妹に知られたくないとか?

 いやいや、それは無いか。別に知られたところで何が起こるわけでもない。

 ああ、でも俗に言うシスコンって奴で、大好きな姉を盗られたくないと癇癪を起こすとか?

 

 いや、そんなまさか――。

 

「その……手紙にルドガー先生のことを書いていましたら、妹が勘違いをしまして……私を誑かす男になってしまっているようで」

「ブゥー!?」

 

 思わず口に含んでいた紅茶を窓の外に向けて吐き出してしまう。

 

 え、なんでそうなったの……!? なんでまさかの考えに近い事象が起きてやがんの?

 

「……ど、どうしてそうなったんで?」

「いえその……それは言えませんけど」

 

 あ、アイリーン先生の顔が赤くなった。

 駄目ですよ先生、そんな反応しては世の男共はすぐに勘違いしてしまうので。

 

 しかしまぁ、俺がアイリーン先生のそういう人と勘違いされてるとして、いったい妹さんに何をされると言うのだろうか?

 

「それで、どう問題に?」

「……先にも言いましたが、妹は戦士として少々荒っぽくて……帰ったらルドガー先生を斬りに掛かるしれません」

 

 テヘッ、と笑うアイリーン先生は可愛かった。

 だが笑ってる場合じゃない。どうやら俺はアイリーン先生の妹さんに命を狙われているようだ。

 

「はは……」

 

 乾いた笑みが出てしまう。

 

 まぁ、命を狙われるのには慣れっこだしそれはいい。斬りかかってくるのならそれなりに応戦してやり過ごせば良いだけだ。

 

 問題なのは、何故だか無性に嫌な予感がするということ。それももの凄く面倒そうな予感がする。具体的に言えと言われたら言えないが、何故だがもの凄くそう思うのだ。

 

 またエリシアが乗り込んでこないだろうかと心配になってしまう。

 

「ですので、妹が帰ってきたら気を付けてくださいとご忠告を……」

「止めては……」

「ごめんなさい、言っても聞かない子なので……」

 

 軽く頭を抱えた。

 

 まぁ、たぶん、大丈夫だろう……。

 

 俺は何となしに、そんな風に考えてしまった。

 それが、俺の頭痛の種になるとは、この時本気で思ってもみなかったのである。

 

 

 



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第42話 プロローグ2

ご感想ご評価、お待ちしてます。


 

 

 数日が経った頃、俺はララとシンクを連れて街を散歩していた。

 

 アルフの都では市場が存在しないが、それは店が無いというだけであり、生活に必要な物を供給する場所は存在する。

 

 以前にも説明したことだが、エルフ族は助け合いの精神で生活している。エルフの大陸では清浄な魔力が溢れ恵みに溢れており且つ掟に従って不必要に欲を持たない。それ故に成り立っている生活様式であり、助け合い以外に対価を要求しない。

 

 街に出ると、生活に必要な道具や衣服、娯楽品などが置かれている場所がある。娯楽と言っても何てことはない。本や子供達が暇潰しで遊べる玩具等だ。それにエルフ族にだって美意識が存在する。女性が着飾るアクセサリーや美容を保つ用品等を作れるエルフがいて、それを提供している。数は少ないが、酒場のような場所もあり、夜には賑わったりしている。

 

 狩りや漁に出てて糧を手に入れる狩人達、持ち帰った糧を物に変える職人達、治安を守る戦士達、次代に知を授ける教育者達、それぞれが己の仕事を全うして支え合っていくのがエルフ族だ。

 

 話は逸れたが、俺達は散歩しながら物色していた。アルフの都で教師として過ごす俺は勿論のこと、生徒であり子供であるララとシンクも物の提供を受ける権利がある。子供は成人になるまで必然と権利がある。

 

 散歩がてら、ララとシンクの服や生活必需品を手に入れに街へ出ているのだ。

 

「センセ、これなんかどうだ?」

 

 ララは藁で編まれた帽子を手に取り、カポッと自分の頭に被る。

 

「んー? 似合ってるよ」

「あ、でも私帽子は好きじゃないや。髪型が崩れる」

「何だ? お前でも髪型を気にするんだな?」

「どう言う意味だ?」

 

 ララは頬を膨らませる。だがすぐに機嫌を元に戻してシンクに似合いそうな帽子を探す。

 

 それにしても、五年前俺がこの都に来たばかりの頃は、此処まで物の種類が多くはなかった。殆ど一緒のデザイン、と言うか同じ物ばかりが並んでいた。

 それが今はどうだろう。人族との交易が始まってから向こうの職人芸を盗んだエルフがいたのか、瞬く間に種類は増えていった。何と言うか、色が増えたというか静かな所に喧しい若者が入ってきたと言うか、そんな感じに変わっていった。

 

 良いことだとは思う。他種族の文化を取り入れ、己の文化を高めていく行為は種が進化していく上で必要なことだし、それは自然の摂理に則っていると思う。

 

 ただ、掟に厳格な王達がいつまでこの光景を黙認していられるかだ。今はまだ物の姿形が変わっていくだけに留まっているが、これが思想にまで及んでいくと話は変わるだろう。

 

 まぁ、変わり者の王子がいることだし、そう悪いようにはならないだろう。

 

「……ん?」

 

 何処からか視線を感じた。何だかジッと見られているような気がして辺りを見渡す。

 通りを歩いている女エルフ達と視線が合うと、彼女達はニコリと笑って手を振ってくる。

 

 自惚れているわけではないが、俺と言う存在はエルフ族にとっては英雄視されている身だ。ああいう風に色目で見られるのは良くあることだ。

 

 さっきの視線もその一つだったのだろうかと、深くは考えないことにした。

 

 必需品などを手に入れた俺達は食事を提供する場所で休息することにし、軽食を食べる。

 

 物の種類もそうだが、料理の種類も増えた。エルフ族の料理は素材そのものを味わう調理法を用いているのが多いが、最近は人族の料理も取り入れている。学校の食堂でもその料理は出されており、今ではそれが主流だったりする。

 

 エルフと言えど、人族と同じ舌を持ち同じ物を食べる。好みの差はあれど、自ずと美味しい物にはどうしても手が伸びてしまうのだろう。あまり贅沢な物には掟に従って手を出さないが、それ以外なら何でも取り入れた。

 

 それにしても俺の舌は肥えてしまったかな。ララの手料理を食べていると、此処の料理でも満足感を得られなくなってしまったのかもしれない。いや、マズくはない。かなり美味いのだが、こればかりはララの腕前が良過ぎるのだろう。

 

「……?」

 

 ふと、此処でも視線を感じた。先程と同じ視線だと感覚で理解する。

 

 誰かが後をつけてる……? 誰だ? 生徒か……?

 

「センセ、どうかしたのか?」

「いや……何でもない」

「……?」

 

 何者だ? 俺を見ているから狙いは俺なんだろうが、万が一と言うこともある。ララを狙った魔族の手先かもしれない。四天王だったルキアーノの子であるシンクを狙っている可能性も否めない。

 

 だがアルフの都の内部まで魔族の手先が入り込めるか? 魔族なら都に近寄っただけで分かる。魔族に抱き込まれたエルフ? 分からない……用心したほうが良いか。

 

 その後も視線を感じながら街を歩き、寄宿舎に帰るまで終始それは続いた。

 

 夜、ララとシンクを寝かせた後も視線の主は寄宿舎の周りに潜んでいた。

 ナハトを手に寄宿舎の外へ出ると、俺は姿無き視線の主に声を掛ける。

 

「昼間からコソコソと嗅ぎ回ってる奴、出て来い」

 

 そう声を掛けると、そいつは隠れ続けることなく、何処からともなく現れた。

 フードを被り、ローブで身体を隠した人物だ。

 

「……何者だ?」

「……」

 

 その人物は何も答えず、ローブの下から細剣を抜いた。一瞬身体が見えたが、大きな胸をしていたことから女だと判る。

 

「目的は、俺か?」

「……お命、頂戴する!」

 

 女は目も止まらぬ速さで目の前まで迫ってきた。振り払われた剣をナハトで受け流し、蹴りを放つ。女は猫のようにしなやかな動きで蹴りをかわし、再び剣で高速の突きの連打を放ってくる。ナハトを盾にして剣を弾いていき、隙を見てナハトを振り払う。

 

 女は俺から距離を取り、剣を低めに構えて対峙する。

 

「……?」

 

 そこで違和感に気が付く。

 

 殺気はある。敵意もある。だが悪意が感じ取れない。魔族の手先ならば少なからず悪意を持っている筈だ。しかし彼女からは愚直なまでの殺気と敵意しか感じ取れない。

 

 まるでそう……怒りで癇癪を起こしているような、そんな殺気。

 

 まさか――。

 

「お前……」

「ハァ!」

 

 女の手から光が放たれる。それは砲弾のように俺に襲い掛かる。

 避ければ寄宿舎に直撃すると判断してナハトで斬り裂いて喰らう。

 女は俺が砲弾を斬り裂いている間に急接近しており、懐に飛び込んで突きの構えを取っていた。

 

烈光(れっこう)――」

「遅い」

「え!? きゃああ!?」

 

 女の剣が光り輝き技を放つ直前、その動きを見切って女の腕を掴み、後ろに捻り投げる。女は地面に背中から落ちて転がり、ローブが開きフードが捲れ上がる。

 

 垣間見えた通り、胸元がパックリと開いた大胆な服に短いスカートという戦闘装束の格好で、薄金色の長い髪をポニーテールにした女エルフの顔が現れる。

 

「うぐぐぐ……!」

「……」

 

 俺は頭を抱えた。

 

 この子はたぶん、というか絶対にそうだろう。

 

 女エルフは痛みを堪えながらバッと立ち上がり、再び剣を構える。

 

 うーん、見れば見るほど似ていると言えば似ている。

 

「なぁ、君……お姉さんいるよな?」

「黙れ! 姉さんを誑かす色情魔め! 貴様はこの私! リイン・ラングリーブが成敗してくれる!」

 

 ラングリーブ……アイリーン先生のファミリーネームはラングリーブだ。

 つまり、彼女、リイン・ラングリーブはアイリーン先生の妹さんである。

 

 おいおい……本当に斬りかかって来たよ。俺、どうすりゃいいんだ?

 

 夜の虫の音が聞こえる中、俺は夜空を仰ぐのだった――。

 

 

 



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第42話 新人教師

 

 

 俺、ルドガー・ライオットの教師としての一日は多忙だ。

 

 一日数回に渡って違うクラスの授業を受け持つ。これは他の教師も同じだ。アーヴル学校の生徒達は決して少なくはない。都中の子供達が集まるのは勿論のこと、都外からも態々やって来て通う子供達もいる。

 

 一クラス十五人程度が五クラス、学年は六学年まで存在する。それぞれの学年、クラスに合った授業内容を設定し、振り分けられた時間に授業を行う。同じようで違う内容もあれば、全く同じ内容の時もある。それぞれの生徒に合った教え方も考えなければならない為、頭を悩ませることもしばしばある。

 

 そして、俺だけは他の教師と違うところがある。それは担当する授業が二つあるということ。

 俺がメインで担当するのは一言で言えば雑学。正確に言えばヴァーレン王国の外の知識や怪物に対する防衛術と言ったところだ。人族との交流が始まったことで、エルフも大陸から出て他の大陸へ渡る機会が増えてくる。その時に必要な知識を俺が教えるのだ。

 

 それでもう一つの授業が護身術だ。外に出れば危険が伴う。ある程度の戦闘技術を身に付けておかなければ、やはり生きてはいけない。俺が此処に赴任する際、校長先生に護身術も生徒達に教えてやってほしいと頼まれ、雑学と護身術の二つを担当することになった。

 

 因みに、本格的な戦闘技術を教えることもあるが、それは戦士達の鍛錬の時であり、学校の仕事の合間を縫って城で戦士達を訓練している。

 

 つまりだ、本来俺はかなり忙しい毎日を送っている。学校、城、学校、城、と行ったり来たりして仕事をしている。そこにララの件も加わり、多忙では済まされない生活をしているのだ。

 

 これが人族の生活であればそれなりの給金を貰っていることだろう。金を使う間も無く貯まっていく一方になること間違い無しだが。エルフ族には金という概念は無いため、無給ということになる。

 まぁ、それで生活に困ることは無いのだから、社会の違いって凄い。

 

 そんな生活を送っている俺だが、ここに一つ新たな悩みの種を抱えることになった。

 

「……」

「……」

「あらあら……」

 

 アーヴル学校の校長室で、俺は一人の女エルフに睨まれていた。側には校長先生と、困ったように笑うアイリーン先生もいる。

 

 俺を睨んでいるのはアイリーン先生の実妹、リインである。

 

 昨晩、俺はリインにストーカー紛いなことをされた上に斬りかかられた。それだけを見るとリインの行いは悪行に等しいもので、当初はアイリーン先生に激怒されていた。

 

 あんなに激しく怒りを露わにしたアイリーン先生を見たのは初めてだ。一応事前に忠告されていたとは言え、俺も先生もまさか本当に斬りかかられるとは思ってもみなかった。

 

 俺に怪我は無く、ララやシンクにも被害は出ていないし、俺からは特に何も言うことはなかった。狙われるのは慣れているし、この程度でとやかく言う気は起きない。ララやシンクが巻き込まれていたら話は別だが。

 

 それで、どうして俺達が校長室に集まっているかというと、なんとリインがアーヴル学校の教師見習いとして招かれるというのだ。それも担当教科は護身術。戦士として修行してきた腕を、生徒達に護身術を教える為に振るおうと言うのだ。

 

 そうさせたのは校長先生であり、俺が可能な限りララを守ることに専念してほしいという配慮らしいが、果たして何処までが本当の話なのだろうか。

 

「ホッホッホ……ルドガー先生には本当に驚かされてばかりじゃ。もう既にリイン先生と交流があったとはの」

「交流? 今、交流と言いました? ストーカーに斬りかかられるのを交流と言うのは止めていただきたい」

「だ、誰がストーカーよ!?」

「リイン?」

「うっ……ごめんなさい、姉さん。こいつがどんな男なのかをこの目で確かめたくて……」

 

 アイリーン先生が黒い笑みでリインを威圧した。

 

 ふむ、アイリーン先生の新鮮な反応が見られるだけでも、ストーカーされた甲斐があったと言うもんだ。

 しかし、どんな男ねぇ……いったい俺はどういう風にその目に映ったのやら。

 

「で、どんな男じゃったかの?」

「年端もいかない魔族の女の子を孕ませて生ませたクズ男」

「ちょぉい!?」

 

 何だそれは聞き捨てならないぞ!? いったい誰が誰を孕ませたクズ男だと!? 誤解って話じゃすまねぇ濡れ衣だぞおい!

 

「何よ? 昨日家族で街に出てたじゃない」

「ララは俺の生徒で護衛対象! シンクは確かに俺が引き取った子だが誰とも血は繋がってない!」

「……そうなの、姉さん?」

「はぁ……そうよ。ララさんはルドガー先生の教え子で、事情があって先生が面倒を見てるの。シンク君も同じ」

「……なーんだ、そうだったの」

 

 リインは納得したのか「紛らわしいわね」とボソッと呟いてそっぽ向いた。

 

 分かった、俺こいつ嫌いだわ。酷い勘違いしたくせに一言も謝罪無しとか、何も咎めない俺に対して少しは誠意を見せようとは思わないのか?

 はぁん? アイリーン先生に似て美人だからって何でもかんでも許されると思うなよ。俺より年上なんだろうけどエルフ族からしたらお子様のくせに。

 

 と、心の中で鬱憤を晴らしたところでさっさと本題に入らせてもらおうことにする。こうしている間にも従業の開始時間が迫っているのだから。

 

「それで、校長先生? どうしてここに集められたんですか?」

「おお、そうじゃった。リイン先生は教職に就くのが初めてだからの。いきなり担任を任せる訳にもいかんのじゃ。そこでじゃ、護身術の引き継ぎにも丁度良いから、ルドガー先生の副担任として少しの間行動を共にしてほしいのじゃ」

「――は?」

 

 頬がピクリと引き攣った。

 

 おっと落ち着け、俺は大人だ。いくら相手が気に食わないガキだとしても、大人である以上仕事に私情を持ち込む訳にはいかない。俺達の一番上の上司である校長先生の指示なら従わざるを得ないしな。

 

 何とか心を落ち着かせた俺は改めて校長先生の顔を見る。

 

「それは、護身術の授業の時だけですよね?」

「いやいや、生徒達との交流もしてほしいからの。ずっとじゃ」

 

 爺さん、髭を毟り取ってやろうか? 俺がケツァルコアトルの羽根を持ち帰らなかったことに実は腹を立ててるとか言うんじゃないよな? 仕方ないでしょう、あんな状況じゃそこまで気が回らないんだから。

 

 俺が顔から表情を失わせていると、リインが横から非難の声を出す。

 

「えぇー? お爺ちゃん、私嫌よ。姉さんを誑かすような男の下に就くのは」

「お爺ちゃん?」

「こら、リイン! 校長先生に向かって何て口を利くの! もう貴女はここで働くのだから、立場を弁えなさい!」

 

 アイリーン先生がリインの頬を抓る。

 

 まぁ、校長先生は長生きしてるし、他のエルフ達にとってはお爺ちゃんみたいな存在なんだろうけど。

 

 しかし、ここでそんな考えをしているのなら、この子に教師なんてできるのだろうか?

 教師ってのは生徒達に道を示す大きな存在だ。子供染みた勝手な考えを持つような子に、とても務まるとは思えないが。

 

 もしかして、それを俺に矯正させようとか思っていないだろうか? だとすれば明らかに人選ミスだ。この子は俺をどういう訳か姉を誑かすクズ男と認識している。大人しく言うことを聞くようには思えない

 

「ホッホッホ、ここでは校長先生で頼むの。リイン先生、ルドガー先生は君が思っているような者ではないぞ。一日二日、一緒に居れば自ずと分かるでな」

「……はい」

 

 リインは俺を睨んだ後、渋々と頷く。

 どうせ俺には拒否権なんてものは無いだろうから、頭を抱えて溜息を吐く。

 

 校長先生の話は終わり、俺達は校長室から出る。

 アイリーン先生との別れ際、彼女はとても心配そうな顔をして俺に頭を下げてくる。

 

「ルドガー先生、妹が失礼なことをしましたら、遠慮無く叱ってください。リイン、昨晩のようなことをしたら、お父様に言い付けますからね?」

「は、はい」

 

 ギロリと睨まれたリインは背筋を伸ばして何度も頷く。

 

 凄いな、今朝だけでアイリーン先生の知らない顔が何度も見られる。ある意味役得だったのかもしれない。

 

 アイリーン先生と別れた俺とリインは、そのまま教室へと向かう。リインは俺の後を黙って付いてくる。何やら視線を感じるが、ここで何かを言って変わる訳でもなし、一先ず今日は特に何もなければ口は出さないでおこう。

 

 



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第43話 護身術

 

 

 担当の教室に入ると生徒達は既に揃っている。今回はララがいるクラスであり、ララは一番後ろの席に座っている。

 

 そう言えばシンクだが、あの子もこの学校にいる。この学校には幼いエルフ達が集まるクラスがありそこで遊んで学んでいる。

 もうヴァーガスの心配は無いし、シンクの賢さなら迷惑をかけることもない。何かあれば同じ学校の敷地内にあるからすぐに駆け付けられる。

 

 俺が教壇に立つと、リインは教室のドアの側で立ち止まって生徒達を見渡す。生徒達も見知らぬ顔に首を傾げる。

 

「あー、んん……さて、授業を始める前に彼女を紹介する。彼女はリイン・ラングリーブ先生。先生と言っても見習いで、いずれは護身術の担当教師になってもらう。これから少しの間俺の補佐で入ってもらうから、皆仲良くしてやってくれ」

 

 リインに教壇前に来て挨拶するように言うと、ムッと睨んで来るが言われた通りに教壇の前に出て挨拶を始める。

 

 今更だけど、男の眼には悪い格好をしているよな。胸元はパックリ開いてるし、スカートだって結構短いぞ。生徒の中には健全な男の子もいるのだから考えてもらったほうがいいか?

 いや、エルフの子供って思春期は来るんだろうか? 来るとしてもそれはいつだ? 人族と同じなのだろうか?

 うーむ、流石にそこらへんのことは学んでこなかったな。まだまだ俺にも学ぶべき部分があると言うことか。

 

「アルフの戦士、アドラスの子、リイン・ラングリーブです。早く一人前の教師になれるよう頑張るので、皆よろしくね」

「……じゃ、軽く交流ってことで、質問タイムだ。何かあるか?」

 

 生徒達に聞くと、何人からも手が挙がる。全員に質問させる時間は無いが、数人を指名して質問させることにしよう。

 

「歳はいくつですか?」

「164よ」

「趣味は何ですか?」

「そうね、剣術の鍛錬ってところかしら」

「アイリーン先生と姉妹なんですか?」

「そうよ」

 

 リインは生徒達の質問に愛想良く答えていく。

 

 なんだ、ちゃんと生徒達の目を見て笑って話せるのか。その愛想を俺にも見せてくれたら、こっちは気が楽なんだけどな。

 

 質問タイムもそこそこにして、授業を開始していく。このクラスの今回の授業は地生生物についての続きだ。リインには教室の隅で授業の様を見学してもらう。校長先生は彼女に教師の仕事がどんなものかを教えさせるつもりなのだろうから、補佐と言っても基本は見学で済ませる。

 

 生徒達に教科書とノートを開かせて講義を始める。

 

 地生生物、それは文字通り地中の中に生息する生物だ。無害なものから有害なものまでその種類は様々。その多くは魔法生物であり、通常の野生動物もいるにはいるが数は少ない。

 野生動物の代表例としてモグラが存在するが、それが生息しているのは人族の大陸だけ。他の大陸では魔法生物が殆どで、野生動物はいないといっても良い。

 

 地生生物の中でも怪物の枠組みにされるのはワームやボラスが有名だ。ワームは巨大なミミズみたいな怪物で、ボラスは地中を泳ぎ回るワニみたいな怪物だ。

 

 他にも、植物に擬態して地上の生物を捕らえて餌にする魔法生物や、地中の中に群生する植物も存在する。

 

「――このように、実は地中には地上と違った生態系が広がっている。言ってしまえば、地上の海ってところか」

「先生、ヴァーレンの下にも地生生物はいるんですか?」

「まぁな。だけど怪物の類いは魔族の大陸と獣族の大陸にしかいない。大地に含まれる魔力が合わないからな。それに地生生物が地上に上がってくることは無い。海や湖に棲んでる魚だって上がってこないだろ? それと同じだ」

「へぇ~」

 

 逆を言えば、魔族の大陸と獣族の大陸では地中には怪物が棲んでいる。その怪物だって滅多なことでは地上に出て来ないが、どうして怪物なんて呼ばれるかと考えれば分かるだろう。餌を求めて地上に這いずり出て、地中へ引き摺り込むからだ。

 

 獣族の大陸に足を運んだことがあるが、その時に何度か地生生物の巣の上で野宿してしまって大変な目に遭ったとこがある。あれは生きた心地がしなかった。あっちの大陸に住む彼らはエルフ族や人族と違って日常の中にかなりの危険が潜んでいて生きていくのが大変だ。

 

「この大陸に居る限りは地生生物と遭遇することは殆どないだろうけど、君達が大人になって他の大陸に行くことがあれば、目にすることがあるかもしれない。その時に正しい行動と考えを持っていれば安全でいられる。しっかりと学んでおいて損は無いぞ」

『はい、先生』

 

 その後もいくつか質問を交えながら授業を進めていき、最初の授業を無事終えることができた。

 リインは終始無言でいたが、何度か俺を見つめ続けていたようで、視線をかなり感じた。

 少しは俺がまともな男だと理解してくれたら助かるんだけどな。

 

「センセ」

「ん、何だララ?」

 

 次の授業に向かう生徒達の間からララが抜け出し、俺に話しかけてきた。

 

「……あの女、ずっとセンセを睨んでたけど」

「ああ……どうも俺をアイリーン先生を誑かす男だと思ってるようでな。昨日、お前が寝てる間に斬りかかられた」

「は?」

 

 ララの目付きが細くなり、リインを睨み付ける。

 

「大丈夫だ、子供の癇癪を鎮めたようなもんだから。そう睨むな睨むな」

「……まぁでも、アイリーン先生に鼻の下伸ばしてるのは確かだし」

「誰がだ、誰が。馬鹿なこと言ってないで、ほれ、次の授業に行ってこい」

 

 ララを教室から出させ、板書したものを消していく。別クラスの授業も次の時間で此処で行われる為、急いで準備をしていく。

 

「……随分と仲が良さそうね、あの子と」

「驚いた。会話してくれるんだな?」

 

 リインがまさかの会話を投げ掛けてきた。

 俺はてっきり口を利きたくないのかと思っていたが、どうやらそうとは限らなかったらしい。

 

「別に。会話しなきゃ、貴方の形をしれないもの」

「それは良い考えだ。で、仲が良いかって? まぁな。ただの生徒って訳じゃないし、一緒に命懸けの旅をしてきた仲だからな。学校じゃ贔屓しないように気を付けてるが」

「……? 護衛っておじい――校長先生が言ってたけど、どういう子なの?」

 

 それを知らないと言うことは、校長先生が話していないということだ。校長先生が話していないのなら、それは何か訳あってのことだろう。此処で俺が伝えられる真実を伝えてしまうのはよろしくないかもしれない。

 

 では何と説明したら良いものか。あまりテキトーな言葉で説明する訳にもいかないし、そんなことをすれば築かれようとしている信頼関係を崩してしまう可能性だってある。

 

「まぁ……魔族のやんごとなきお姫様ってところだ。訳あってとある魔族の一派に狙われてると言うか、魔族の穏健派から匿ってほしいと頼まれた。で、一応此処では英雄視されてる俺が彼女を守る役を担ってるって訳だ」

「その英雄って肩書きを利用して姉さんに近付いたのね?」

「そんなことは一切してねぇよ。いったいアイリーン先生の手紙にどんなことが書かれてたんだ?」

「そ、そんなの言える訳ないじゃない!」

 

 えー、なんでそこで顔を赤くするんだ? いったい先生は俺のことを何て伝えたんだ?

 そんな反応されちゃあ、酷い勘違いをしそうだ。

 

 とりあえず、もうそっちのことは深く考えない方針で行くとして、まだまだリインの中では俺はどうしようもない男だという認識らしい。会話をしてくれるだけまだマシか。

 

 その後の雑学の授業でもリインは黙って見学していた。ただずっと黙らせておくのも忍びなく、時折リインに質問して答えさせたりしてみせたが、やはりというか外の世界につての知識はそこまで深くはなかった。

 

 だが分からなかったことで生徒達と一緒に学ぶという機会をやることができ、それなりに生徒達と会話も挟みつつ馴染んでいくことができたようだ。

 

 此処までの俺からのリインへの評価は、子供っぽいがある程度は大人の考えを持ち、俺やアイリーン先生が関わらなければだいぶ真面なエルフだということ。

 

 この分なら慣れていけば少なくとも教師として働いていけるだろう。

 ま、それもこれから行う護身術の授業でどれだけ教師としての適性を見せられるかだが。

 

 生徒達に教える護身術は剣を使うものから徒手空拳まである。上級生になれば弓術や馬術等と言ったものも触り程度で教えるが、今回教えるクラスはララがいる三年生だ。皆動きやすい服に着替えて整列している。

 

 三年生は十六歳の子供達からなる学年で、今は剣術を教えている。

 

 思えば、エルフで十六歳と言えばかなり幼い子達になるだろう。エルフの成人年齢は十八歳からだが、都に住まう大人達は殆ど百歳を超えている。年齢に対して子供の出生率は低いみたいだが、今通っている子供達が学校を卒業してしまえば、次に入学してくる子供達はかなり少ない。もしかしたらいないかもしれないのだが、そうなった場合学校は休校になるのだろうか。

 

 今は教師として働けているが、休校になった場合、俺は戦士として働くことになるかもしれないな。じゃないとこの国で生きていくことができなくなる。

 

 そんなことはさて置き、護身術の授業ではメインで俺が教えるが、今回はリインにも働いてもらうことにする。できるだけ早くリインには担当授業を引き継いでもらいたいからな。

 

「さ、じゃあ前回と同じように二人一組になってくれ。引き続き、相手の動きを魔力から読み取る訓練だ」

 

 エルフの剣術は相手の魔力から行動を先読みし、それに合わせて剣を振るう読心術だ。魔力に関しては魔法の授業で習っているし、読み取ることぐらいはこの学年ならできる。

 

 生徒達は布を巻いた木剣を手に握り、交互に攻撃と防御を役割を変えて木剣を振るっていく。

 

 俺が護身術で教えるのは身体の動かし方や基本的な型、力の入れ方や防御の仕方等だ。本格的な戦闘術は此処では教えない。そんなものを子供達に教える気は無いし、教えたところで怪我人が続出してしまう。

 

「そうだ。身体は半身に、余計な力を抜け。腕で振るおうとするな。全身で振るえ」

 

 木剣を振るう生徒達を見て回り、指摘する場所があれば口を出し、見事な動きをする子達には素直に褒め称える。

 

「ララ」

「ん?」

 

 女の子と組んでいるララを呼び、こっちに来させる。組んでいた女の子には別の組と合流してもらう。

 

「何だ、センセ?」

「リイン、この子と組んで剣技を見せてみろ」

「はぁ?」

「……」

 

 ララとリインを向かい合わせ、リインに木剣を投げ渡す。

 

「お前の実力は昨日の晩にある程度分かった。だけど他人に教えられるのかを知りたい」

「何? 私を疑ってるの?」

「そう言う訳じゃない。教師としてちゃんと引き継げるか見極めなければならない」

「……ま、それもそうね。良いわ、掛かって来なさい」

「……」

 

 ララは木剣を構えるリインを険しい目で睨み付ける。木剣を正眼に構え、足を踏み込んだ。木剣を上から振り下ろし、リインはそれを身体を横にずらして避ける。

 

 ララの運動神経は悪くない。半人半魔であるが故に魔族の身体能力を備えている。俺と比べたら魔力側に能力を割いているが、少なくとも人族よりも運動能力は高い。俺が教えた動きも基本的には習得していき、まずまずではあるがかなり良い動きができる。

 

 魔力に関しても俺より強く、エルフのようにまでとはいかないが、読心術も少なからず会得している。

 

 だからこそ、リインは驚いている。避けた先にはララが繰り出した木剣が既に待ち構えていることに。

 

 リインは木剣でララの木剣を逸らし、反撃を繰り出す。ララは少しぎこちない動きでリインの木剣を受け止め、鍔迫り合いの形に持っていく。

 

「驚いた……貴女、エルフの剣術が使えるの?」

「くっ……」

「でも駄目ね。基礎的な動きを理解してるようだけど、身体がそれに追い付けてないわ」

 

 リインはララを木剣ごと後ろに押し返し、距離を取って片手で木剣を構える。

 

「限界まで打ち込んできなさい。軽く揉んであげるわ」

「チッ……センセを斬ろうとした奴が、生意気言うなっ」

 

 ララはリインに向かって斬りかかる。リインはそれを最低限の動きだけで捌いていき、時折反撃も交えてララの反応を見ていく。

 リインの動きは落ち着いている。物腰も軽く、しなやかに動き回って直撃を許さない。それに剣の筋も綺麗だ。何度も剣を振るって自身の一部にまで昇華させている証拠。

 

「くそっ」

「はいはい力みすぎない。何も一撃で相手を倒す必要は無いんだから。軽く何度も斬り付けていけば良いの」

 

 リインの剣術は言葉を選ばずに言うと軽い。細剣で繰り出す最速の攻撃で相手にダメージを蓄積させていく攻撃手段のようだ。俺のように一太刀で葬り去る力の剣技とは対局に位置するものだ。それなら力に不利な女性でも確実に相手を倒せる。

 

「ハァ、ハァ……!」

「あら? もう体力切れ? 無駄な力と動きをするからよ。もっと的確に、素早く、それでいて丁寧に」

「あっ……!?」

 

 ララの木剣が手から弾き飛ばされ、後ろに転がり落ちる。リインの木剣をララの首に添え、ペシペシと軽く叩く。

 

「動きは良いけれど、まだまだね。先ずは基礎体力を付けたほうが良いかも」

「……私の本分は魔法だ」

「優れた魔法使いは身体が資本よ」

 

 パチパチパチ――!

 

 リインとララの組み手に目を取られていた生徒達が拍手を送る。

 リインは照れたように舌を出して笑い、頬を赤くする。

 

 ふむ……教えるべき場所を確りと見極められているし、やはり剣術の腕前も申し分ない。

 護身術の授業であれば問題無く教えられそうだな。

 

「リイン、剣術は合格だ」

「当然よ」

「じゃ、剣以外のも見せてもらおうか」

「え?」

 

 俺はボキボキと拳を固め、リインの前に立つ。

 護身術の授業は剣だけじゃない。槍に弓に馬に素手、まだまだ試すことは多いぞ。

 

「センセー、私の仇を取ってくれー……割と本気で」

「よぉし皆ー。今日はこれから俺とリインの組み手を見学してもらうぞー」

『はーい!』

 

「……え、ちょっと待ってよ。私、剣以外はそこまで――」

「安心しろ。戦士なら数日で叩き込んでやる」

 

 ララが魔法で組み手開始のゴングを鳴らした――。

 

 

 



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第44話 新たな同居人

この作品を読んでくださっている方々、この作品についてどう感じてくれているのだろうか……。


 

 

 リインが来てから最初の一日が終わった。夕方を過ぎ、俺は寄宿舎で食事の用意をしている。

 ララが積極的に料理を作ってくれるとは言え、毎日頼りっぱなしもいけない。今日は俺の当番であり、鹿肉のステーキを焼いている。

 ララはラウンジでシンクの相手をしながら寛いでいる。

 

 ――ドンドンドンドンドンッ。

 

「ん?」

 

 寄宿舎の玄関のドアを叩く音が聞こえた。誰か来たのだろうか。

 

「ララー。誰か来たみたいだから出てくれー。手が離せない」

「わかったー」

 

 夕飯時にいったい誰だろうか。まさかフレイ王子か? 城から抜け出してきたとか言わないだろうな? もしそうだったら小言を言われるのは王子じゃなく俺なんだけど。

 焼けたステーキを皿に盛り付け、サラダとスープも食卓に並べる。

 

 すると仏頂面をしたララがやって来た。

 

「誰だったんだ……って、え?」

 

 ララの後ろに立っていたのはリインだった。それも大きな鞄を背負った状態でだ。

 何故だか唐突に嫌な予感がしたが、取り敢えず何の用なのかを尋ねる。

 

「あー……どした?」

「……――む」

「な、何だって?」

 

 声が小さくて聞き返すと、リインは何故かキッと睨み付けてきた。

 

「私! 今日から! 此処に! 住むの!」

「…………ぇぇ?」

 

 彼女が何を言っているのか分からなかった。というか理解したくなかった。

 

 ララはムスッとしてシンクを食卓へと連れてきて席に座り、我関せずと言った態度を取る。

 リインは少し顔を赤くして憤りを示し、俺は何でこんな目に遭っているのかと、泣きたくなる。

 

 一先ず、考えるのは後にして夕食を済ませることにした。折角のステーキが冷めてしまう。

 リインの分が無いのはどうかと思い、夕食はいるかと尋ねると「……いる」と静かに頷く。

 新たにステーキを焼き、俺達四人で食卓を囲って夕食を食べる。

 

 この日の夕食は実に静かだった。気まずささえ感じた。シンクのもぐもぐとステーキを食べる姿だけが唯一の癒やしだった。

 

 食事を終え、ララにシンクを湯浴みに連れて行かせ、俺とリインは話し合いを行う。

 

「えーっと……それで、何で此処に住むと?」

「……私、都に家が無いの。姉さんの家に住もうかと思ってたけど、大人なら一人で暮らしなさいって……。それで校長先生に相談したら、寄宿舎があるからって」

 

 そうだった。この寄宿舎は学校の教師が使う場所だった。誰も住む必要性がなかったから俺しか使わなかったから、そのことをすっかり忘れていた。リインが此処に住むことは何ら可笑しな話ではない。

 

 ちょっと焦ったが、通常のことだと自覚し、落ち着きを完全に取り戻した。

 

「そうだった……悪い。ずっと俺一人だったから此処はそう言う場所だと忘れていた。なら話は早い。俺とララとシンクの三部屋しか使ってないから、そこ以外の好きな部屋を使うと良い。部屋にも浴室とトレイはあるが、大浴場もある。キッチンはそこで、後は好きに見れば良い」

「……念の為に訊くけど、あの子とそう言う関係って訳じゃないのよね? 私がここに住むって言ったらもの凄く睨まれたんだけど」

「違う。大切な子だが、そういうのじゃない」

 

 どうして皆そんな風に勘繰るんだ? 仲が良いように思われるのは嬉しいことだが、俺とララは十歳ぐらい歳が離れているし、間違われても兄と妹だろうに。確かにララは大人びていて実際の歳よりも上に見えるかもしれないが、大人と子供だ。ララだってそんな感情は持たないだろう。

 

 でもそんなに勘違いされるのなら、ララとの接し方を少し考え直したほうが良いかもしれないな。行く先々で勘違いされるのもララだって迷惑に感じるかもしれないし、一々誤解を解くのも手間だ。

 

「……ま、いいわ。ところで、此処の食事は貴方が作ってるの?」

「いや、当番制だが、基本はララだ。買い出しは当番じゃない方、掃除や洗濯は各自だ。今日はもう休んで、それは明日話そう」

「分かったわ。ともあれ、今日からよろしく。あ、変な真似したら許さないから」

「しない。お前が思ってるような男じゃない」

「どうだか。それじゃ、おやすみ」

 

 リインは荷物を持って二階へと上がっていった。

 俺は椅子に深く座り込み、天井を見上げて脱力する。

 

 思わぬ展開に心が安まらない。今日は本当に精神的に疲れた。こういう時って、面倒事が立て続けに降り注いでくるのが定石だと、今までの人生経験で身にしみている。明日か近い内に来るんだろうなぁ。

 

「……あー、あるじゃん。面倒事……」

 

 そう言えばあったわ。アーサーを探しに行くっていう大きな出来事が。

 でもそれはリインが護身術の担当教師に正式に任命されてからの話だし、まだそれまでに猶予はある。アーサーに何か起きたという知らせも無いし、予言だの何だとのと校長先生が話題を振ってきていない辺り、まだこの平穏は保たれるだろう。

 

 あー、今日は疲れた。さっさと片付けて湯浴みして寝るか。

 

 俺は立ち上がって夕食の片付けを始めた。

 

 

 

 翌朝、俺達はララが作った朝食を食べながら、これからの生活について軽く話し合う。

 

「昨日も言ったが、家事は全部当番制だ。料理当番はイフ、ラファ、ティア、テラの曜日がララ、リディとニフの曜日は俺、マスティの曜日はリイン。大浴場の掃除は俺とリインで交互にやる。それで良いな?」

「この子に負担掛かってない?」

「良いんだ。料理は私が好きでやってる。お前こそ、料理できるのか?」

「ず、随分と生意気な子ね……。できるわよ。伊達に大陸を旅してないわ」

「どーだか」

 

 ララは未だリインが俺に斬りかかったことを根に持っているようだ。リインに対する態度が少々冷たい。俺はもう気にしていないし、これから一緒に暮らすんだから仲良くしてほしいものだが、まぁ時間が経てばそれも解決するだろう。

 

「部屋の掃除と洗濯は各自でしてもらうが、週末は全員で寄宿舎全体の大掃除をする。これが決まりだ」

「ええ、分かったわ」

 

 基本的な決まりを共有し、朝食を片付けて学校に向かう準備をする。

 俺はワイシャツにループタイといったいつもの服に着替え、鞄を手に部屋を出る。

 ララも学校の制服である白いローブ姿に、シンクも学校の白ローブを来ている。

 教師に制服は無いが、だらしない格好は常識的に考えて駄目である。

 

 だがしかし……。

 

「……」

「……ちっ」

「……何よ?」

 

 リインの格好はどうにかならないだろうか。

 

 昨日と同じ、胸元が開いた服で丈の短いスカートを履いている。加えて言うならノースリーブで腕はアームガードと、男の眼を引っ張るような扇情的な格好をしている。

 

「なぁ……他の服は無いのか? ちょっと目のやり場に困るんだが……」

「なっ!? どこ見てるのよ!? この変態!」

「変態なのはお前だこの牛女! 腋出し胸出しで喧嘩売ってるのか!?」

 

 ララが怒りで興奮して叫びだし、リインの胸を鷲掴みにして振り回す。リインの大きな胸が伸び縮みし、非常に目に毒である。シンクの両目を手で塞ぎ、二人の言い争いが終わるのを待つ。

 

「きゃあ!? 何するのよ!?」

「昨日は敢えて何も触れなかったが、学校の教師の格好じゃないだろう! お前の姉でももっと慎ましい格好をしてるぞ! 何か? その大きな胸を自慢したいのか? アアン!?」

「ち、違うわよ! これは由緒正しい戦士の装束よ! ちょっと改造してるけど……立派な戦士の格好よ!」

「お前それでセンセを誘惑してみろ! その無駄な脂肪を削ぎ落として霊薬の材料にしてやる!」

 

 安心しろララ、俺は子供には興味無いから。身体は大人でも中身が子供なら全く以てそう言う目で見ることは無いから。

 

 でも以外だな。ララでも胸の大きさとか、そう言うのを気にするタイプだったのか。エリシアもそう言うのを気にしていたし、此処に彼女がいればララと同じようなことをしていたかもしれない。

 

「くぅ~……!? 胸が取れるかと思ったわ……!」

「そんなもの取れてしまえ」

「はいはい、朝から喧嘩するな。だがな、リイン……生徒には健全な男の子達もいるんだ。装束だったとしても、過激なのはどうなんだ?」

「はぁ? そんなの誰も気にしないわよ。何言ってるのよ?」

 

 俺とララは首を傾げて顔を見合わせる。

 

 もしかして、この格好を気にしているのは俺とララだけなのか?

 思えば、校長先生もアイリーン先生もリインの格好について何も言わなかった。それに確かにエルフの女戦士達の格好も、肌を露出する面積が多いと言えば多いような気もする。

 

 俺はエルフについて何でも知ってる訳じゃないし、もしかしたらリインのような格好はエルフにとっては何でもない日常なのかもしれない。性欲も他種族よりは少ないと言うし、種族の違いなのかも。

 

 だがそれなら俺がとやかく言うことではないな。此処はエルフの国であり、エルフのルールで生きるのが筋だ。郷に入っては郷に従えと言うし、リインが問題無いと言うのならそれが正しいのだろう。

 

「分かった。たぶん、俺とララの文化の違いだな。じゃ、早く行くぞ」

「……ちっ」

「……え、何? 私何で怒鳴られたのよ!?」

 

 リインの言葉を右から左へ受け流し、俺達は学校へと向かった。

 

 



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第45話 黒き魔法

感想待ってます。


 

 

 リインが来てからは俺の授業にリインが常に付いて回り、護身術の授業の時には実際に教えさせたり、俺との組み手を見せて生徒にリインの実力を示させたりした。

 

 リインの実力は現役の戦士達と同等かそれ以上と言ったところだ。俺の戦い方とは違うが、読心術もきちんと身に付けており授業を受け持つ分には何の問題も無いだろう。生徒達もリインに対して壁を作ることなく、親しく接してくれている。リイン自身も生徒達、つまりは子供達を相手にすることに慣れているのか、年の近い姉のような感じで接している。

 

 彼女が来て数日が経ち、そろそろ正式に護身術の担任を噛ませても良いかと学校終わりに校長先生へ進言しに向かった。

 校長室ではアルフォニア校長が椅子に座って書類を読んでおり、何やら真剣な顔を浮かべていた。

 

「校長、宜しいですか?」

「おお、ルドガー先生。良いとも、そこに座りなさい」

 

 校長のデスクの前に置かれている椅子に腰掛けると、校長先生は手を翳す。すると何処からともなく小さなテーブルとティーセットが現れ、淹れ立てのミルクティーが差し出される。

 

 相変わらず校長先生の魔法はよく分からん。たぶん、物体を転移させているんだろうが、呪文も無しに簡単に使えるモノじゃないと思うんだが。

 

「最近は書類整理が忙しくての。老体には堪えるわい」

「左様で」

「さてさて、今回は何の用じゃね?」

「リインの件です。俺に付かせてから一週間が経ちましたが、そろそろ正式に引き継いでも問題無いかと」

 

 ミルクティーを飲み、喉を潤す。

 誰が淹れたのか知らないが、中々美味いじゃないか。

 

「ホッホ、そうかの。あの子は優秀な子じゃ。ルドガー先生のお墨付きなら間違いないじゃろ」

「……校長、本当にリインは俺の後釜の為だけに呼んだので?」

 

 此処で一つ、気になっていること訊くことにした。

 

 校長先生は自分のミルクティーを啜り、目を怪しく光らせた。

 ああ、やっぱり何か別の企みがあったのかと察し、一人溜息を吐く。

 

「やはり分かるかの?」

「まぁ……状況が状況ですからね。聡明で誰よりも先を見据えている大賢者様が、ただ後釜を用意するだけとは思えませんでしたし」

「君は賢いの。そうじゃ、あの子はきっとルドガー先生の役に立つはずじゃ」

「はぁ……」

 

 校長先生は引き出しから封書を取り出して渡してきた。

 また何か面倒事を頼まれるのだろうと観念し、封書を手に取り中身を確かめる。

 中に入っていたのは何かの報告書のような物で、長ったらしく文字の羅列が続いていた。

 目を通してその内容を読んでいく内に、俺の心は驚きと不穏に包まれる。

 

「校長、これは……」

「読んでもらった通り、君の弟君であるアーサーについてじゃ」

 

 アーサー、アーサー・ライガット。歳は今年で確か二十歳。光の勇者であり俺達の末弟。

 エリシア曰くもう三年以上も連絡が取れていない。もうすぐ探しに行くところではあるが、まさか校長がアーサーの情報を手に入れているとは思いもしなかった。

 

 もう一度報告書に目を通して最初から読み直す。

 

 アーサーが最後に目撃されたのは光の神殿であり、中に入っていくのが確認されている。時期はちょうど連絡が取れなくなった三年前付近。それまでは属しているアズガル王国で勇者として務めていたらしいが、神殿に入ってからは一度も国に帰っていないと。

 アーサーはずっと何かを研究していたようだが、その全貌は明らかにされていない。魔法に関わる何かのようだが、アーサーの異様な警戒心によりそこまでしか確かめることができなかった。

 

 あのアーサーが何かを研究している? 確かにアーサーは勤勉だったが、いったい何を調べている? アーサーは俺と同じで親父から全てを学んだ。それこそ魔法の全てを教わったと言っても過言ではない。

 もし魔法を研究しているのであれば、それは親父ですら知らなかった何かなのだろう。

 

「報告によればアーサーは何かを探しておる。それも良からぬことじゃ」

「良からぬ? どうしてそうだと?」

「アーサーが調べておるのは――『黒き魔法』じゃ」

「……」

 

 黒き魔法……親父から一度聞いたことがある。

 

 その昔、魔法の属性……元素は七つではなく八つだった。だがその一つはあまりにも力強く、それでいて邪悪だったという。神々はその力を世界の果てに封じ、未来永劫この世から消し去った。

 言い伝えでは、その力を手にした者は神々をも殺し、世界を破壊するとされている。

 

 それが黒き魔法――。

 ただ親父は作り話だと言って、それ以上は話してくれなかった。

 

 それをアーサーが探している? 何故アーサーが? 勇者であるアーサーが世界を破壊する力を探す理由がどこにある?

 

「儂の伝手で調べられたのはそこまでじゃ。じゃが何か途轍もないことが起ころうとしておる」

「……」

 

 頭を抱えた。

 またもや弟の捜索から一変、世界に関わる一大事件へとなろうとしている。

 

 これも何か? 俺に読まれている予言の一つなのか? だとしたら俺はどんな呪われた星の下に生まれたんだ? 全く以て嫌になる。大人しく此処で教師として余生を過ごして、ララやシンクがそれぞれの家庭を築く様子を眺めていたいもんだ。

 

「それで、俺にどうしろと?」

「今こそ君とララに読まれている予言の一部を話そう。君とララはいずれ黒き魔法と対峙することになる。そしてその予言には、リインも含まれておる」

「何ですって?」

 

 校長先生の口から思いも寄らない内容が飛んで来た。

 俺とララが黒き魔法と対峙することも重大だが、そこにリインも読まれているというのか。

 

 いったい俺達は何に巻き込まれてしまっているのだろうか。そんな御伽噺みたいな存在を相手に俺達は何をさせられ、何を試されるというのか。

 

 そして校長は、国王は、いったい何をどこまで知っているというのだ。

 

「あの子を都に戻したのは、あの子にも運命が待ち受けておるからじゃ。君と共に旅をする仲間として、あの子はその力を振るわねばならぬ」

「貴方が呼んだからそうなっただけでは?」

「先生は運命というものを信じておらんのじゃな?」

 

 俺は頷く。

 

「運命なんて所詮は結果論に過ぎない。己の行動次第で結果は変えられる。過程だって変わる。何でもかんでも運命だと言って未来を切り拓こうとしないのはただの怠慢だ。運命だからと、その生き方に従うのはただの操り人形だ。予言ってのは、一つの過程と結果を示した物に過ぎない。運命を決め付ける物じゃない。示されたそれを参考にして生きるのは良い。だけどそれに従って生きるつもりは俺には無い。俺の道は俺の手で拓いて進む。それだけだ」

 

 もしも、もしも仮に俺が運命に従って生きているというのなら、俺は親父を俺の意志ではなく運命に従って殺したことになる。

 それは違う。断じて違う。親父をこの手で殺したのは俺の意志で、俺が決めたことだ。親父にそうさせらたことは否定しないが、最後にそう決めたのは俺だ。この手で親父を殺したことを運命なんかの所為には決してしない。

 

 俺は今まで自分の意志で生きてきた。これが定められた運命だとは誰にも言わせない。

 

「……先生の気持ちはよく理解した。ならば、年寄りの頼み事として聞いてくれんかの?」

「……内容によります」

「……一月後、人族の国、アスガル王国へと行ってくれんか?」

「……命懸けですか?」

「左様。これから儂が頼むことは全て命懸けじゃ。言えぬことも多い。味方と思えぬ時が来るやもしれぬ。じゃが儂は最後まで君の味方で居たいと思っておる」

 

 命懸け――か。

 

 俺自身、命懸けの戦いはもう慣れきっている。戦いの中で命を落とすことに戸惑いは今更無い。ララと契約したことで勝手に死ぬことは許されないが、既に覚悟はできているし今までも多くの修羅場を潜ってきた。

 

 だがララは別だ。あの子はまだ子供だ。魔王の娘だの聖女だの何だのと背負ってはいるが、まだ十六歳の女の子だ。これから幸せに生きる未来が待っているはずだ。

 

 そんな子を命懸けの戦場に連れ出さなければならない。果たしてそれは正しいことなのだろうか? いくら世界の命運が懸かっていると言われても、子供を戦いに赴かせる道理は何処にも無いはずだ。

 

 一月後……まだララの守護の魔法は完全じゃない。まだもう数ヶ月はかかる。守護の魔法さえ完全になれば、悪意を持った存在はララに触れられなくなる。それまで待てないだろうか。

 

「校長、守護の魔法が完全になるまで待てませんか?」

「残念じゃが、それはできぬ。こうも言っておこう。例え守護の魔法が完全になったとしても、君とララが離れることはできぬ。君が戦いに出ればララもそこに身を置く。それは逆も然りじゃ」

「それではララが安心して過ごせるのはいつになるんですか?」

「全てが終わったらじゃ。勘違いするでないぞ? あの子を危険な目に遭わせたいと思っておる訳ではない。君とララは予言の中心におる。儂が何もせずとも、君達は運命に飛び込むことになる」

 

 俺とララが中心にいるかぎり、ララは安全な人生を歩めないと言うのか。

 

 どうして俺とララなんだ。どうしてララが危険な目に遭わなければならない。ただ彼女が笑って過ごせるだけの人生を、どうして歩ませてやれない。

 

 いったいその予言は何を読んでいるんだ。俺だけじゃ駄目なのか。

 

 今此処でそれを自問自答しても答えは明白にならない。どうせ此処で校長に何を言っても俺とララをアスガルに向かわせる。

 

 なら俺が考えるべきことは、ララを必ず守り通すことだ。ララに危険が迫るというのなら、俺がその全てを斬り捨てる。それしかララを守る術は無いだろう。

 

 更にそこへリインが加わる。リインは戦士としての実力があるから、そこまで大きな心配はしていない。戦士ならば命懸けの戦場など覚悟の上のはずだ。

 

 だがも