キヴォトス今日のご飯事情 (羽化したミカゼミ)
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第1話「光の勇者とマンガ肉風豚肉ロール」


 ブルーアーカイブのご飯ものってまだ無かったよな……なら書くか!の精神で初投稿です。
 もし面白かったり続きが読みたいと思ってくださったら評価や感想、お願いします。




 

 

「ちょっと、ミドリ! 私に攻撃当てないでってば! せっかくコンボを繋げようと思ったのにのけぞってキャンセルされたじゃん!」

「マルチプレイなのにのけぞり無効スキルを付けてこなかったお姉ちゃんが悪いよ。スキルスロット1つくらい余裕あるでしょ?」

「無いっ! 私の火力を極めたロマン装備にはそんな無粋なスキルを付ける余裕なんて1つたりとも無いっ!!」

「お姉ちゃん、マルチやめたら……?」

 

 キヴォトスの中でも随一の技術力を誇り、数多く存在する学園の中では新参でありながらも、あのゲヘナ学園やトリニティ総合学園と肩を並べるほどの影響力を誇るキヴォトス屈指の学園、ミレニアムサイエンススクール。

 その影響力を示すかのように広大で、キヴォトスの中でも最も先に進んでいるとされる技術力故か他の学園やキヴォトス中心地と比べても近未来的な校舎が立ち並ぶその中の1つ。

 キヴォトス三大学園と呼ばれるだけあって、他の部活動たちが使っているような立派でしっかりとした部室──ではなく、ミレニアムサイエンススクールの建造物としては少し寂れた雰囲気のある場所に、その部活動は存在していた。

 その名も「ゲーム開発部」。

 文字通りゲーム開発やゲームで遊ぶことを生業にしている部活動であるものの、彼女たちが好んで遊び、そして作っているのは主にレトロゲーム。

 キヴォトスではメジャーな五感没入(フルダイブ)型ゲームやARゲームといった精巧なポリゴンと臨場感あふれるBGMで彩られる最新鋭のゲームとは違う、画面の全てがドット絵や8bit音源で表現されたいわゆる「ひと昔前の」ゲームである。

 技術力に重きを置いている校風故か、なにかと「最新鋭」だの「最先端」だのと言った言葉を好むミレニアムにおいて風変わりな部活動だと目されている彼女たちだが、紆余曲折を経て作成された彼女たちのゲーム「テイルズ・サガ・クロニクル2」は先日開催されたミレニアムプライスにて特別賞を受賞するという輝かしい成果をあげている。

 その成果もあって、廃部の危機を乗り越えたゲーム開発部は現在、次なる神ゲーの開発に向けて絶賛企画会議中……と、言いたいところなのだが。

 

「わ、罠にかかったよ、アリスちゃん!」

「はい! 魔力充填100パーセント……いきます!」

「ひどいよミドリ! この装備のロマンを理解する前に──ってああ! 私の超強力な一撃を見せる前にアリスがトドメさしちゃった! ぐぬぬぅ……!」

「ほら、悔しがってないで素材を剥ぎ取るよお姉ちゃん。前のクエストみたいに損するのは嫌でしょ?」

 

 ご覧の通り、現在ゲーム開発部は煮詰まってしまった次のゲームに向けての企画会議を中断して、全員でゲーム用端末をつき合わせてゲームのマルチプレイを楽しんでいるのであった。

 ゲーム開発部の部員であるモモイ、ミドリ、ユズ、そしてアリスの4人がプレイしているのは人間の居住地に被害をもたらすモンスター達を狩猟し、その死骸から剥ぎ取った素材を用いて装備を強化することで強くなっていく有名モンスターハンティングアクションゲームの最新作「モンスハントガールライジング:ムーンブレイク」だ。

 新たなやり込み要素として追加された、繰り返すほど高難易度化していくクエストの記念すべき220回目のクリアを終えたモモイたちは、アリスの操作するキャラクターが繰り出した大剣の一撃によって脳天をかち割られたモンスターから皮やら鱗やらを剥ぎ取りながら、クエストが終了して拠点へと帰還するまでの待機時間でわいわいと会話を楽しんでいた。

 

「ガンソードはただでさえ必殺技がフレンドリーファイアしやすくて地雷武器って呼ばれがちなんだから、せめてマルチ向けのスキルくらいは積んどこうよ、お姉ちゃん」

「嫌だね! 火力ロマンには多少の犠牲はつきもの! たとえマルチに向いてなくたって、ロマンは追い求めることにこそ価値がある! それにそもそも、この4人以外でマルチプレイすることなんてそうそうないんだからいいじゃん!」

「アリスもモモイの言う事に賛成します! ズドンと強力な一撃を撃ち込むことに全てを捧げる、その行為には何物にも代えがたいロマンがあると思います!」

「アリスちゃんは実用性も兼ね備えた抜刀大剣だから大丈夫だけどさ。お姉ちゃんの……なんだっけ? 狂気奮闘魔力共鳴狂竜病豪鎧氷気錬成ガンソード? 流石にやり過ぎだと思うよ」

「いいじゃんかー! 最大火力のロマンを求めたってー!!」

 

 クエストが終了してから拠点に帰るまで、このゲームはかなり余裕を持った待機時間が設けられている。基本的にこの時間を利用して、プレイヤーはフィールドに自生する植物を採取したり鉱脈から鉱石を掘ったりするのだが、アリスは双子の装備談義に参加せず画面の端で黙々と何かを行っているユズに気が付き、そちらへと近付いた。

 

「ユズは何をしているんですか?」

「あっ、アリスちゃん。これはね、さっき狩ったモンスターから採れた肉を使ってスタミナ回復用のこんがり焼き肉を焼いているの」

「なるほど、アリスは普段支給品のジャーキーで回復していますが、こういった方法でスタミナ回復用のアイテムを作成することも出来るんですね!」

「うん。こうやって焼いた肉は支給品に比べて効果量も多いし……私は槍使いでスタミナ管理も大事だから、こっちの方が都合が良いんだ。──よし、成功」

「なるほど、プレイスタイルに応じて様々な準備が必要なのですね……アリスは知識を得てレベルアップしました!」

 

 ユズが行っていたのは、一定確率でモンスターから採取できる骨付き肉を携帯用の肉焼き器で焼いて、次のクエストで使うためのスタミナ回復アイテムにする作業だった。

 アリスの端末からはフィールドの環境音しか聞こえてこないが、ユズの端末からは肉を焼くキャラクターの動きに合わせてやたらとポップな音楽が流れており、その音楽に合わせてタイミングよく肉焼きを止めることで回復アイテムの出来栄えが変わるシステムなのだそう。

 広大で美しいフィールドのど真ん中で、モンスターに囲まれていようがお構いなしに勢いよく肉を振り上げたキャラクターに合わせて「上手に焼けましたー」とどこからともなく天の声が聞こえる様子は、とてもシュールで何とも言えない笑いを誘う。

 これはモンスハントガールシリーズを通して実装されている歴史あるシステムであり、このシリーズを愛するプレイヤーの中ではシリーズを代表する要素だとも言われている。

 

「アリスちゃんも肉焼き、やってみる?」

「はい! アリスも勇者として、肉焼きをマスターしてみせます!」

 

 携帯肉焼き器自体は、全プレイヤーがゲーム開始時に持っているデフォルトアイテムだ。

 クエスト数回分の肉を焼き終え、待機時間にまだ肉焼き数回分の余裕があることを確認したユズは、隣でいそいそと肉焼き器を展開し始めたアリスの初肉焼きを見守ることにした。

 そして、記念すべきアリスの初めての肉焼きは。

 

「……し、失敗しました」

「うん、まあ初めてだとそうなるよね。気を落とさないで次、頑張ろう……!」

 

 見事、支給品と同じくらいの回復効率である生焼け肉となって終わった。

 しっかりと音楽に合わせて肉を焼き上げたはずなのに、どうしてなのだろうか。不思議に思ったアリスだが、気を取り直して再び生肉を取り出し火にかける。

 

「おっ、なになに、お肉焼いてるの?」

「そういえばそんな機能もあったね。もう私はめんどくさくて食事屋さんの猫シェフに焼いてもらってるよ」

「うん、それも1つの手だよね。私はこうやってお肉を焼くのが楽しいから、毎回自分の手で焼いてるんだ」

 

 装備談義という名の口喧嘩も一段落したのだろう、ユズたちの方へとやってきたモモイとミドリも、アリスの肉焼きを見守る体勢に入る。

 真剣な面持ちで、端末から流れる音楽に耳を傾けるアリス。

 曲も終盤へと差し掛かり、軽快なメロディを奏でていた木琴が最後の1音を奏で、肉焼きの曲が終わりを迎えた、その刹那。

 

「──ここですっ!」

 

 アリスはボタンを押し、キャラクターが肉を焼いていた手を振り上げた。

 寸分の狂いも無い、肉焼きの曲が終了する完璧なタイミングでの振り上げ。これは成功しただろうと確信したアリスが、結果発表の表示をじっと待ち……。

 

《生焼け肉 が 出来上がった!》

「な、なんでですか!?」

 

 出来上がったのは、前回と同じ生焼け肉だった。

 愕然とするアリス。すぐに生肉を取り出してリベンジしようとしたが、不幸にもそこでタイムアップ。クエスト完遂を喜ぶキャラクターのムービーが挟まり、報酬の清算画面へと移ってしまうのだった。

 レアアイテムが報酬欄に出現しているにもかかわらず、会心の肉焼きを失敗したショックで呆然とするアリス。

 そんな彼女の肩をポンポンと叩き、得意げな様子でモモイは口を開いた。

 

「実はね、アリス……肉焼きでこんがり焼き肉を作る時は、肉焼きの曲が終わる瞬間じゃなくて、曲が終わってしばらくして肉の色がほんの少し変わった瞬間に肉焼きを止めないといけないんだよ! 残念!」

「きょ、曲がある程度の目安になるのは本当なんだけど……うん」

 

 イイ笑顔でサムズアップしてみせるモモイと、少し申し訳なさそうなユズ。

 ちょっとした悪戯心でそのコツを教えなかったのだが、彼女たちもまた初めての肉焼きを失敗しているハントガールであった。

 

「ひ、ひどいです! 詐欺です! あまりにも無慈悲な初見殺しです! アリスは今、テイルズ・サガ・クロニクルのチュートリアルでゲームオーバーになった時のような気分です!」

「がふっ」

「」

「アリスちゃんそれはちょっと酷くないかな!?」

 

 半泣きのアリスが放った一言が、ミドリたちの繊細な作り手心を貫く。

 シャーレの先生からも「あれは流石に酷いかな」と言われ、密かに気にしていた点をクリティカルに抉られ血を吐いて倒れたモモイと、かつてのトラウマを刺激され言葉も無く白目を剥いて泡を吹くユズ。

 姉の死体を抱えながらアリスに向かってそう叫ぶミドリだったが、実際自分も同じような事を思ったしそれが原因で猫シェフを頼っているところもあるので、何とも反論し辛いのであった。

 ちなみに、後日改めて挑戦した肉焼きで、アリスは見事こんがり焼き肉を焼き上げたことをここに記しておく。

 

 

 さて、そんなあれこれがあった日から数日後のこと。

 本日もゲーム開発部は生業であるゲーム開発を他所に、各人思い思いのゲームをプレイして遊んでいるのであった。

 そんな中、モンスハントガールをプレイしていたアリスの口から、ポロリと漏れ出るように一つの呟きがこぼれた。

 

「アリス、こんがり焼き肉を食べてみたいです」

 

 その言葉にピクリと反応したのは、ゲーム開発でグラフィック全般を担当しているイラストレーターのミドリ。

 イラストレーターとして日々様々なゲームのグラフィックを鑑賞……もとい研究している彼女は、当然モンスハントガールのこんがり焼き肉もグラフィック鑑賞をしたことがある。

 というより、モンスハントガールシリーズはモンスターの狩猟に主軸を置いているわりに食事描写がやけに精巧なことで有名で、当時の新型ハードに移行したおかげでグラフィック技術の著しい向上が見られた作品では、見ているだけで涎が出てきそうなほど美味しそうな多種多様な料理を見ることが出来る。

 もちろん、ただ見るだけの料理ではなく食べることで様々なバフ効果を得られるシステムなのだが、それにしたって歴代ハントガールたちの良い食べっぷりと合わさって美味しそうに見えるのだ。

 年頃の女の子として、普段はあまりステーキを始めとしたガッツリめの肉料理は好まないミドリであるが、モンスハントガールの料理グラフィックを研究した日はそういう系統のご飯を食べてみようかと思うくらいには、このゲームの料理描写は凄い。

 初代から連綿と受け継がれているこんがり焼き肉も、ハードが更新されていくごとにグラフィックの改良がなされており、最新作では三人称視点ゆえ画面に映るサイズこそ小指の爪程度であれど、立ち上る湯気や焼けた肉の色合いなど、見る人が食べてみたいと思うことも止む無しの外見をしていた。

 などと考えているうちに、ミドリの胃袋が空腹を訴えていた。

 見れば、時刻は午後3時を少し回ったところ。おやつを求めて小腹が空く時間帯だ。

 

「こんがり焼き肉か……まあ、あるならおやつ代わりに食べてもいいんだけど」

「アレっていわゆる『マンガ肉』だよね? ああいうお肉ってそもそも存在するのかな?」

 

 ミドリの言葉に疑問混じりの返答をしたのは、端末でソーシャルゲームのデイリー任務を熟していたモモイ。

 ミドリと同じく、こんがり焼き肉の食欲そそるグラフィックを思い出したのだろう。無意識のうちに、彼女の手は自らの胃袋のあたりをさすっていた。

 

「マンガニク……ですか?」

「そう。基本的にゲームや漫画なんかで出てくる、両端から骨が突き出た肉塊を指す言葉だね。いつからそう呼ばれるのかは知らないけれど……常識的に考えて、マンガ肉みたいな形の肉は存在しないんじゃないかな」

「人間の足とかは? あのユウカのふっとい太ももとか、輪切りにしたらマンガ肉っぽい見た目になるんじゃない?」

「お姉ちゃん……それ、ユウカに聞かれてたらまた廃部云々って言われちゃうよ? あと結構スプラッタなこと言ってるからね」

 

 以前あったゲーム開発部の存続を巡る騒動のせいか、モモイたち姉妹はミレニアムの生徒会であるセミナーの会計担当である生徒、ユウカに対する当たりが強い。

 もし本人に聞かれていたら間違いなく彼女の持つ2丁の短機関銃(ロジック&リーズン)が火を噴いていたであろう暴言に冷や汗をかきつつ、ミドリは同性の目から見ても少し太めなユウカの太ももに想いを馳せる。

 

「……確かに、人の太ももみたい場所を輪切りにすればマンガ肉に近しい見た目にはなるけど。それでも骨の両端まで肉はあるし、マンガ肉に近い外見にするためには両端の肉を削ぎ落として加工する必要があるだろうね」

「つまりミドリが言っているのは、マンガ肉は実際には存在しない……ということですか?」

「まあ、簡単に言えばそうなるかな。似たようなものを作ることは出来るだろうけど、完璧なマンガ肉の外見をした肉は存在しえない。再現するとしても、あの形に整える感じになるんじゃないかな」

「確かに、こんがり焼き肉も両端の肉を削ぎ落したような見た目だ」

 

 ミドリの言葉を裏付けるように、ゲーム端末を立ち上げてモンスハントガールをプレイしたモモイがそう言った。

 マンガ肉はあくまでフィクションの産物であって、現実にはそんな見た目の肉は存在しない。

 そう結論が付き、これでアリスの呟きから始まったこんがり焼き肉の話題は終わるかに思えたが。

 

「──それでも!」

 

 アリスの目は諦めの光を宿していなかった。

 澄み切ったその瞳が湛えるのは、ゲームで幾度となく世界を救った勇者たちと同じ不退転の覚悟。

 かつてディヴィジョン:システムと相対した時にゲーム開発部の皆と分かち合った、無情な現実に対して何度だって「それでも」と言い続ける、諦めの悪い者のそれだった。

 

「それでもアリスは、こんがり焼き肉が食べてみたいです!」

 

 ……いや、ただ彼女の胃袋が「こんがり焼き肉モード」になっているだけなのかもしれない。

 そんな彼女の食欲──訂正、気迫にあてられたのか、空腹そうな表情になってきたモモイとミドリ。

 あの美味しそうな肉汁滴るこんがり焼き肉を食べてみたい気持ちは確かにある。しかし、こんがり焼き肉のあの特徴的なフォルムを再現出来るような肉が、はたしてキヴォトスに存在する精肉店やスーパーで売られているのか否か。

 と、完全に肉の気分になった3人がそこまで考えた時、ゲーム開発部部室の隅に置いてあるロッカーがひとりでに開いた。

 その中から出てきたのは、これまで会話に参加せず、彼女にとっての安地(安全地帯)であるロッカーに籠って1人黙々と格闘ゲームのオンライン対戦で白星を積み重ねていたユズだった。

 参加せずとも、アリスたちの会話を聞いていたことで食欲を煽られたのだろう。アリスたちと同じく肉の顔をしていた彼女は、端末のブラウザで開いたあるページを彼女たちに見せる。

 

「こ、こんなものがあるんだって……!」

「「「……これだ!!」」」

 

 それを見て、彼女たちゲーム開発部は行動を開始した。

 

 

「……で、シャーレの食堂を借りたいと」

「そう! 出来上がったマンガ肉は先生にも分けてあげるから、お願い!」

 

 行動開始から小一時間ほど。

 ゲーム開発部の4人はミレニアムを離れ、連邦捜査部シャーレのオフィスへとやって来ていた。

 目的は居住区にある食堂。ゲヘナ学園の給食部などがたまにやって来て料理を振舞う事もあるそこで、マンガ肉を作ろうという魂胆だ。

 なぜ、母校であるミレニアムに存在する調理実習室を使わないのかというと「最先端の技術を用いた最先端の料理」なるものを研究する生徒たちによって日々爆発騒ぎが起きるからである。

 そうでなくても、有り余る技術力が暴走しがちな生徒たちの意味や実益の無さそうな実験によって毎日どこかで爆発騒ぎが起こっているのだ、そんな危険地帯で悠長に料理などしていられない。

 苦笑い、というべきか何とも言えない表情でモモイたちを見つめるシャーレの顧問である先生に、モモイは勢いよく両手を合わせて頼み込む。

 

「あー……うん。シャーレの食堂は元々生徒たちの調理実習を行う名目も兼ねているし、モモイたちが使う分には問題ないよ」

「本当!? やった、先生ありがとうっ!」

「ありがとうございます、先生!」

「完成したら、アリスたちと一緒にマンガ肉を食べましょう! きっと美味しいはずです!」

「それじゃあ、しっ、失礼します……!」

 

 とはいえ、相手は生徒の願いであれば大抵のことは(それが世間一般の倫理から外れていない限り)叶えようと動いてくれる大人だ。

 モモイの頼みに快く許可を出した先生の言葉に、ゲーム開発部の4人は色めき立つ。

 お礼を言うのももどかしそうにオフィスを後にしたモモイたちは、居住区にある食堂へと足早に向かった。

 ──なんというか、元気が良いなあ。

 そんなモモイたちの後ろ姿を、孫を見守る祖父母の気持ちでほんわかとした微笑みを浮かべながら見守っていた先生だったが、直後背後から聞こえてきた大きなため息に今度こそはっきりとした苦笑いを浮かべて振り向いた。

 

「はぁ……。まったく、あの子たちは本当に……! マンガ肉だかなんだか知らないけど、私に気付かないまま食堂に行っちゃうなんて!」

「その言い方、まるでゲーム開発部のお母さんみたいだよ、ユウカ」

「なっ、いくら先生でも、言って良いことと悪いことがあります!!」

 

 先生の座るデスクの向こう。

 モモイたちの背丈では先生の使うPCのデュアルディスプレイの影に隠れて見えなかったその場所に座り、本日の当番として先生の業務を手伝っていたユウカが、大きなため息を吐きながら頭痛を堪えるように額に手を当てて立っていた。

 先生のからかいの言葉に顔を真っ赤にして怒って見せるユウカ。そんな彼女に笑いながらごめんごめんとおざなりな謝罪を述べた先生は、ふと頭に浮かんだ疑問を彼女に投げかけてみることにした。

 

「そういえば、ユウカはマンガ肉に対する憧れってあったりするの?」

「はい? まあ、確かに現実に存在するならどのような味がするのか、気にならない訳じゃないですけど……そういう先生はどうなんですか?」

「それはもちろん。めちゃくちゃ気になるよね!」

「……」

 

 ニカッ、と歯を見せて笑い、サムズアップまでしてみせる先生の言葉に「ああ、そう言えばこの人そういう子供っぽいところがあるんだった」と半ば呆れたような表情を浮かべるユウカ。

 月の生活費を計算に入れず、超合金ロボットのおもちゃを購入するような人物なのだ。きっと今まで思いつかなかっただけで、放っておけばいつかマンガ肉が食べたいからとゲーム開発部に代わって試行錯誤を繰り返していただろう事は想像に難くない。

 これでアリスとディヴィジョンシステムを巡る危機では立派に活躍してみせたのだから、人間とはよく分からないものであると改めて思う。

 

「──とにかく、今日中に先生の処理が必要な書類はこちらでまとめておきました。私の方で済ませても問題なさそうな会計処理なんかはこの報告書内で詳細をまとめていますので、後でチェックと連絡をお願いしますね」

「ああ、ありがとうユウカ。流石はセミナーの会計担当だね、ユウカが当番の日はいつもより仕事がやりやすくて助かるよ」

「……っ! え、ええ。当然です。じゃないと当番の意味がないじゃないですか!」

 

 ユウカが手渡したバインダー、そこに収められた書類を手慣れた様子で精査しながら何でもない様子で呟かれた先生の言葉を聞いて、ユウカは心の中で「この唐変木は!」と柄にもない悪態を吐くのであった。

 そう、この教師、ポツリと何でもないかの如く生徒たちの褒めてほしい部分をクリティカルに打ち抜く賛辞を贈るので質が悪い。その癖、そうやって褒められたり自分たちの抱える悩みやトラブルを共に乗り越えていく中で生徒たちが自分にどういった類の感情を向けるかに関しては演算処理の限界を迎えたCPUの如く鈍いのだ。

 ……いや、わざと気付かない()()をしている可能性もあるが、そうなると更に質が悪い。

 赤く染めた頬を見られないよう、足早に自分の席へと戻ったユウカ。高ぶる感情を落ち着けるために啜ったコーヒーはブラックのはずなのに……心なしか甘く感じる。

 それが自分の誤魔化しようがない気持ちを自覚させるようで、なんとなく悔しくて歯噛みするユウカの様子に唐変木(せんせい)が気付くはずも無く。

 

「そうだ、ゲーム開発部の皆がマンガ肉を作り終わったら、ユウカも一緒に食べに行かない? 気にならない訳じゃないんでしょ、マンガ肉の味」

「……ええ! 行きましょうかっ!!」

「なんでそんなに語気が強いの……?」

 

 どうにもできない歯痒さを抱えたユウカの口調は、ついついツンケンとしたものになってしまうのであった。

 

 

 さて、そんな(一方的に)甘酸っぱいやり取りの繰り広げられているオフィスの下では。

 厨房のテーブルにマンガ肉の材料となる薄切りの豚肉パック、そして秘密兵器である()()()()()を広げて準備万端といった様子のゲーム開発部の4人がいた。

 それぞれシャーレの備品であるエプロンと三角巾を身に着けており、特別髪の毛の長いアリスはモモイとミドリの手によってお団子状に髪を纏めてしっかりと料理をするための体勢を整えている。

 

「そ、それじゃあ、これからマンガ肉を作っていきます……!」

「「おー!」」

「アリスはモンスハントガールで肉焼きをマスターしました! なので、今回は完璧なこんがり焼き肉を先生に食べさせてあげることが出来ると思います!」

「その意気だよ、アリス!」

 

 やはり言い出しっぺだからだろう、4人の中でも特にアリスのやる気はすさまじく、アクションゲームで極悪な難易度のステージに挑む時のような真剣な表情を浮かべて材料たちを見つめていた。

 フンスフンスと鼻息荒いアリスとそれに同調するモモイの隣で、ミドリは今でも信じられないといった様子で秘密兵器を手に取り、まじまじと見つめていた。

 

「それにしてもウタハ先輩、よくこんなもの作ってくれたね……。というか、こんなにもすぐに出来るようなものなんだ。()()()()()()って」

「ウタハ先輩曰く『ミレニアム謹製セラミック3Dプリンターでそれっぽい形を出力するだけだから片手間ですらない』らしいよ? まあ、その骨の形とか色とかで喧々諤々の言い争いを繰り広げていたのはエンジニア部らしいこだわりだけど……」

 

 そう、今回モモイたちが用意した秘密兵器。それは「マンガ肉の骨」だった。

 マンガを嗜む全人類が一度は憧れるマンガ肉。それを再現しようと試行錯誤したのは、どうやらゲーム開発部だけではないらしく。

 骨付き肉をあれこれ加工するのではなく、もうこちら側で()()()()()()()()()、という逆転の発想で開発されたのがこの「マンガ肉の骨」なのだそうな。

 安全に加熱が出来るように、また衛生的な管理が簡単に出来るようにセラミックで作られた骨は、フィクションで良く描かれるマンガ肉の骨そのままに端がハート型となっており、それでいながら食材である肉が巻き付けやすいように全体的な加工が施されている。

 全てが「あのマンガ肉を再現したい!」という思いを受けて形作られたものであり、開発者らしき生徒の個人ブログには、マンガ肉に対する憧れというか狂気というか、煮えたぎるマグマにも似た()が長々と綴られていた。

 そういった訳で、マンガ肉を再現するにはこれ以上ない程に最適化された食器だったのだが……運の悪いことに、今からの郵送では早くても数日後にモモイたちの手元にやってくる。

 だが、モモイたちは「今」マンガ肉を食べたいのだ。

 それでは間に合わないと、モモイたちはエンジニア部に直行。エンジニア部部長であるウタハに頭を下げ、エンジニア部謹製マンガ肉の骨を手に入れたという次第だ。

 予備も含めて人数分の骨を手に入れ、意気揚々とシャーレに向かうゲーム開発部の4人を尻目に「Bluetooth機能から自爆機能まで、多種多様な機能を兼ね備えた食器か……良いかもしれないね」などとウタハが呟いていたのが少し気がかりではあるが、それはまた別の話。

 

「作り方は? 骨にお肉を巻いていくだけ?」

「う、うん。基本的にはそれだけみたい……。お肉1枚1枚に塩コショウを振りかけると味が濃すぎて大変なことになるから、全部巻き終わってから外側だけに振りかけましょう、とは注意書きがしてあるけど」

「まあ、マンガ肉って要するに肉を焼いただけのシンプルなものだからね。あんまり難しすぎても私たちみたいな素人じゃ作れないだろうし、これくらいが丁度いいんだと思うよ」

「よーっし、じゃあ張りきって作ろー!」

「アリス、頑張ります!」

 

 そんなこんなで、ユズが調べたマンガ肉のレシピを基にゲーム開発部の料理という名の肉巻き作業がスタート。

 背の低い女生徒4人が黙々と骨の形をした陶器に肉を巻き付けていく光景は少しシュールだった。

 数分後、モモイたちの手元には「ザ・マンガ肉」とでも言うべき骨付きの肉塊が6つ出来上がっていた。

 流石に少女の身としてフィクションそのままの量の肉を食べる気は起きなかったのか、自分たちの手元に置いている肉塊は控えめなサイズだが、代わりに先生へと渡す予定の2つのマンガ肉はフィクションで良く描かれるマンガ肉そのまんまと言っても差し支えないほどにボリューミーなものとなった。

 肉を巻き始めた当初は、自分たちで始めておきながらも「こんなものが本当にマンガ肉になるのか?」と内心疑いの目を向けていたモモイたちだったが、完成したものを見れば一目瞭然。

 どこからどう見ても完璧な「マンガ肉」の肉塊が鎮座していた。

 アリスはモンスハントガールで見たまんまのものが出来上がって嬉しかったのだろう、感動のあまり肉を触った手で口を覆おうとして、慌ててモモイとミドリに止められるといった一幕があったものの、おおむね順調にマンガ肉の作成は進んでいた。

 

「塩コショウは……あんまり掛け過ぎてもアレだし、これくらいかなあ?」

「う、うん。それくらいでいいと思う。後はお肉を焼くだけなんだけど……」

「はい! 肉焼きはアリスがやりたいです! たとえ肉焼きの曲が無くても、完璧なタイミングで肉を振り上げて見せます! こんがり焼き肉Gです!」

 

 そんなこんなで、マンガ肉の料理は大詰めである肉焼きの過程へと突入。

 一応、自分たちが料理の素人である自覚はあるのか、それとも日頃からお世話になっている人物に下手なものは食べさせられないという考えからか、控えめに塩コショウを振って味付けをしたモモイとユズがマンガ肉を見つめる中、待望の肉焼きにアリスはやる気十分と言った様子で手を挙げた。

 だが、残念そうな表情を浮かべたミドリがアリスの肩を叩く。そしてアリスが振り向いたのを見ると、少し芝居がかった様子で首を横に振った。

 

「大変言いにくい事なんだけどね、アリスちゃん。お肉を焼くのは私達じゃなくて──」

「まあ、お腹を壊さないようにしっかり焼いてもらえばいっか!」

「うん……でも、あんまり焼けすぎてお肉が固くなってもいけないから、ミディアムくらいの焼き加減で……!」

『焼き加減:ミディアム。焼き上がりまでしばらくお待ちください』

「──オーブンが自動でやってくれるの」

「そ、そんなぁ!?」

 

 モモイとユズがマンガ肉を手早く配置して、厨房に備え付けられたオーブンのスイッチを押す。

 腐ってもミレニアムの学生と言うべきか、機械の操作はお手の物といった様子で適当な焼き加減を決めたユズ。そんな彼女の指示に従ってキヴォトス最新鋭のオーブンは火を灯し、自らの腹の中に収めたマンガ肉たちをこんがりと焼き始めるのであった。

 脳裏で見事なこんがり焼き肉を振り上げる自分の姿を想像していたアリスは、憧れていたモンスハントガールのような肉焼き器ではなく、普通に文明の利器を使って調理することにショックを受けた様子で固まる。

 しかし無情にも時間は進み、オーブンは焼き終わったことを示すジングルを流す。

 焼きたてのマンガ肉は陶器製の骨も含めて高温になっているため、やけど防止のミトンを両手に付けたモモイとユズがオーブンを開き、中から大皿を取り出すと──。

 

「……おお!? これは中々美味しそうなんじゃない!?」

「う、うん。これは、完璧なマンガ肉……!」

 

 2人の両手には、ほかほかと湯気を立てつつ同時に凶悪なまでに食欲をそそる匂いを振り撒くこんがり焼き肉の姿があった。

 肉の焼ける匂いという、原始的な食欲を殴りつける匂いと共にアリスたちの視線を釘付けにするのは、7割焼き(ミディアム)の指示通り全体に火を通していながらも骨の周辺はまだ肉の赤みを残している美味しそうな肉塊。

 焼いている最中に漏れ出たのだろう、大皿には肉の脂が垂れて水たまりのようになっているが、今はそれすらも視覚的な作用となってミドリたちに「ぼくを食べて!」と訴えかけてくる。

 食欲のあまり無言となった食べ盛りの少女たちはいそいそ大皿を厨房のテーブルに置き、そこから4人でそれぞれの取り皿にマンガ肉を取り分けた。

 

「じゃあ、先生に出来上がったって連絡するね……!」

「は、早く食べたいです! アリス、早く食べてスタミナゲージを満タンに回復したいです!」

「気持ちは分かるけど、アリス、ステイ! こういうのは、ちゃんと待ってからみんなで食べたらもっと美味しくなるんだから!」

「そうだよ。だから、どれだけ食べたくなっても我慢……」

 

 ミドリの言葉が終わる前に、ぐう、と4人のお腹が同時に鳴った。

 あまりにも狙いすましたタイミングに、思わず顔を見合わせて笑う少女たち。

 ここに異性かつ4人が憎からず想っている先生がいたなら話は別だったが……幸いなことに、今は身内であるモモイたちしかいないので微笑ましい出来事で済んだ。

 と、お腹の音が良い緩衝材となったのか、先程よりも幾分か柔らかくなった表情のモモイが悪そうな笑顔を浮かべた。

 先生の分と取り分けられていた大きなマンガ肉を2つ、骨の端を持つようにして立たせるとニヤリと笑って、

 

「──ユウカの太もも」

「ブフッ、おねっ、それは反そ……ヒッ」

「んぐっ……!」

「……?」

 

 渾身のギャグを言い放つ。

 すぐに前の会話を思い出したのだろう、笑みを堪えるように表情を歪めたミドリは思わずといった様子で吹き出して。

 しかし次の瞬間、顔を青ざめさせて後ろを向いた。

 見れば、ユズは反応してはいけないとでも言うかのように必死の形相で口を押さえてプルプルと震えている。

 良くギャグの真意を理解していないアリスの反応は置いておくとしても、会心のギャグだと自負していたモモイとしては少し消化不良な反応。どうかしたのか、とモモイが口を開こうとしたその時──。

 

「へえ……。その肉が、誰の、何、ですって?」

「アッ」

 

 ごりっ。

 モモイの後頭部に硬いナニカが押し付けられる感触とともに、この場にいるはずの無い絶対零度の声が聞こえてきた。

 ギギ、ギギ、と錆びたロボットのような動作で振り返ったモモイの視界に映ったのは……セミナーの制服に身を包み、穏やかな微笑みを浮かべつつも短機関銃をモモイの頭に突きつけるユウカと、その後ろで苦笑いを浮かべている先生の姿だった。

 ──モモイよ、死んでしまうとはなさけない! 

 そんな天の声が聞こえてきたような気さえしたが、モモイはこれまでの人生でシナリオライターとして活用してきた己の全語彙力を総動員して起死回生の言い訳を探し。

 

「えっと、その、えっと。ゆ、ユウカに限らず人間の太ももってこれくらいだよね~って、あはは……」

「──そういう事でしたか! アリス、完全に理解しました! この前モモイが部室で言っていた『ユウカの太い太ももを輪切りにしたらマンガ肉になる』を踏まえたギャグだったのですね!」

「あ、アリスちゃん!」

「へえ……?」

「アッアッ」

 

 悲しいかな、生き残りをかけた勇者モモリアの決死の言い訳は、無垢なる仲間アリスの絶妙なキラーパスによって潰されたのであった。

 

「先生。マンガ肉を食べる前に少しお時間いただきますね。外でモモイと『お話』してくるので」

「ああうん。行ってらっしゃい……その、お手柔らかにね?」

「見捨てないでよ先生!? あああぁぁぁ……!!」

 

 悲痛なモモイの叫びが消えた少し後。

 シャーレ居住区には、1人の少女の断末魔が響いたとかいないとか。

 口は禍の元。これからは考え無しに変な事を言うんじゃなくてもう少し考えて喋ろうと思ったとは、先生の談。

 

 

 おお モモイ! 

 しんでしまうとは なさけない! 

 

 

 






※モモイの分のマンガ肉はゲーム開発部の生き残った3人が美味しくいただきました。

・参考資料「瀬戸焼 マンガ肉の骨




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第2話「回るお寿司と迷えるお尋ね者たち」


 思いのほかシリアスな雰囲気になったけど初投稿です。
 良かったら評価・感想よろしくお願いします。





 

 

 

 キヴォトス3大学園の1つであり、その中でも随一の歴史と伝統を誇るのが、トリニティ総合学園である。

 元々はトリニティ自治区に存在していたいくつかの学園が合併して出来たトリニティは、パテル・フィリウス・サンクトゥスという前身となる3つの学園が基となる分派を主要とした3頭政治が特徴で、各分派の代表者たちが集まることで「ティーパーティー」と呼ばれる生徒会を形成しているのだ。

 もっとも、長きに渡っていがみ合っていたゲヘナとトリニティ、その間で締結されようとしていた平和条約──エデン条約を巡る騒動の後にパテル分派の代表生徒だった聖園ミカは失脚。

 後任が決まるまではティーパーティー所属の身となっているものの、自身のティーパーティーメンバーとしての権限は無いに等しいものとなり、現在は他2分派による2頭政治とでも呼ぶべき形態になっている。

 さて、そんなトリニティ総合学園に、連邦捜査機関シャーレの顧問である先生がやって来た理由はというと、件のティーパーティーから助けてほしいという連絡が入ったからだ。

 蛮ぞ……自由な校風が特徴のゲヘナに比べると、お嬢様学校というイメージが先行されがちなトリニティ。しかしエデン条約を巡る事件の中で見せたように、同じ学園の生徒同士であっても分派同士での揉め事や陰湿かつ狡猾ないじめといった行為が日常的に行われているという黒い側面もある。

 キヴォトスに暮らす全ての生徒の幸福を願う先生にとって、トリニティの黒い側面はなんとかして解消したい懸念事項であったため、今回もそれに関連した呼び出しなのだろうか、と身構えながらティーパーティーの茶会席へと赴いた先生だったが。

 

「……飲食店の利用マナーが低下している?」

「はい。全くもって嘆かわしい事に」

 

 今回の呼び出しは、全くの別件らしかった。

 訝し気に呟かれた先生の確認に、フィリウス分派の代表であり、かつティーパーティーのホスト代理として実質的な生徒会長の役割を担っている桐藤ナギサは、嘆かわしいといった様子で溜め息を零す。

 詳しい状況を説明するためナギサは紅茶で唇を湿らせると、懐から取り出した自分の携帯端末を先生へと手渡した。

 どうやら端末に映っている情報が今回の呼び出しに関係があるらしく、一言断りを入れた先生がその画面をのぞき込む。

 

「これは……」

「そちらの動画に撮られているような行為が、最近トリニティの生徒の間で流行してしまっているらしく。代表として嘆かわしい事ですが、どうやらこういった形態のSNSにおける知名度が集まりやすいのだとかで」

「うん。可愛く撮れてるね。これなら流行るのも納得だけど……何か問題でも?」

「はい? いえ、そんなはずは」

 

 いまいち噛み合っていない会話に首を傾げるナギサ。

 先生の手から端末を回収し、今自分が彼へ見せた画面を確認するとそこには。

 

『私の歌を聞け~! イェーイ☆』

 

 楽しそうな笑顔で歌って踊る、ミカの姿が映っていた。

 思わず端末をテーブルに叩きつけるようにして伏せてしまうナギサ。しかし、いくら機械に八つ当たりしたところで自分のミスが消えてしまうことは無い。

 微笑ましいものをみたような表情でこちらを見つめてくる先生。その絶妙に腹立たしい視線を努めて無視しながら端末を操作してお目当ての動画を再生したナギサは、今度こそ間違いがない事を確認して先生へと手渡した。

 ナギサが見せたかったという動画を確認した先生は、今度こそ眉根を寄せてナギサを見る。

 

「……なるほど、飲食店での迷惑行為。それを動画に撮ってSNSに流すことでリアクションを集める、いわゆる『バズり』を狙った炎上商法かな」

「ええ。そちらの短い動画を投稿する形式のSNSは以前からトリニティ内外のコミュニティで利用されていた物なのですが……。エデン条約の騒動によって私たち3分派のバランスが崩れてしまった現在、変に注目されることで各派閥にダメージを与えてバランスを戻そうとする動きがあるそうで。そのような迷惑行為による自治区内の飲食店の被害が多数報告されているのです」

「炎上商法で、自派閥ではなく他派閥にダメージ? ……まさか」

「ええ。例としてご覧にいれたそちらの動画に映っている生徒。制服こそサンクトゥス分派のものですが、加工を外し、生徒名簿との照会を行ったところパテル分派の生徒だということが判明しました」

「なるほどね。そして流行してしまった、ということは工作に気付いたパテル分派以外の生徒たちも似たようなことを始めちゃっている訳だ」

「……お恥ずかしながら」

 

 自分がしでかした事ではないが、自らが代表する学園の不祥事に恥じ入るように俯いたナギサへ「ナギサが謝ることじゃないよ」と先生は優しく声を掛けた。

 とはいえ、この事態を放置しておくわけにはいかない。

 このままだとトリニティ総合学園のイメージダウンは免れない上に、迷惑行為の被害を警戒した自治区内の飲食店が撤退し、生徒たちが食べるものに困る最悪の状態になってしまう可能性だってあるのだ。

 だが、先生には1つだけ気になることがあった。

 そもそもシャーレに頼らずとも、トリニティには有力な自治組織があるはずなのだ。

 

「そういえば、正義実現委員会はどうしたの? こういった事態の鎮圧には一番向いている、というより、私が出るまでも無いような気がするけど」

 

 そう、正義実現委員会の存在だ。

 ティーパーティーの傘下にある治安維持組織であり、トリニティを代表する武装集団でもある彼女たちの力を以てすれば、このような迷惑行為を取り締まることなど朝飯前なのでは、と考えた先生の言葉だったのだが。

 それは、と口を開いたものの、非常に言いにくそうな表情で固まったナギサ。なにやらのっぴきならない事情があるようで、少し身構えた先生の背後から鈴を転がしたような声がきこえてきた。

 

「──それについては私から説明しようか、先生」

「セイア」

「ああ、お疲れ様ですセイアさん。……今回はどうでしたか?」

 

 先生に声を掛けつつティーパーティーのバルコニーへとやって来たのは、サンクトゥス分派の代表生徒であり、ナギサと同じくティーパーティーに所属している百合園セイア。

 何やら一仕事終えてきたところらしく、セイアの背後にはトリニティの生徒たちの健康管理や怪我の治療を目的として活動している救護騎士団の団長、ミネが控えていた。

 ナギサの問いに首を横に振ることで答えたセイアは、席に着くとおもむろに口を開き、先生へ現在のトリニティの状況を詳しく説明し始めた。

 

「先生に頼みたい物事の本質は既にナギサが説明したようだから、私の方からは『何故正義実現委員会や救護騎士団ではなくシャーレを頼ることになったのか』についての説明を行おう。先生も知っての通り、現在トリニティ自治区内では飲食店に迷惑行為をはたらく生徒が増加傾向にある。嘆かわしい事だがね。そこで、その傾向を把握した当初から私たちティーパーティーは正義実現委員会を通じて事態の収拾に務めたのだが……」

「何か問題が発生した?」

「その通りだ、先生」

 

 セイアは紅茶を啜り、一呼吸おいてから説明を再開する。

 

「私は既に予知夢を使えない。……いや、こんなくだらない事件の解決にあまり予知夢を使いたくはないんだが、とにかく私は次に自治区内のどの飲食店で迷惑行為による被害が起こるのか、を把握することが難しくなってしまった」

「セイアさん。この一連の流れをくだらない事件とは呼べません。トリニティの政治的問題が発端となっているのですし、最悪の場合、我が校の品位を自らの手で貶める事になるのですから」

「失礼、ナギサ。しかし君も心の底ではくだらないと感じているはずだよ、私たちはエデン条約を巡る事件を経て互いの宗派や考え方といったものをひっくるめて相互理解を得ることが出来た。こんな幼稚な足の引っ張り合いを思いつき、あまつさえ真剣にその行為に勤しむような段階はとうの昔に乗り越えているのだから」

「……それはそうですが。とにかく、先生への説明を続けてくださいな」

 

 母校の生徒、それも自分たちが代表する宗派の子も含まれているだろうに辛辣な物言いを隠そうともしないセイアの言葉に、苦い表情を浮かべつつも同意を示すナギサ。どうやら、今回の件はティーパーティーの中では相当腹に据えかねている案件らしい。

 話が逸れていることに気が付いたセイアは、失礼、と一言謝りながら説明を続ける。

 

「さて、どこまで話したのか……ああ、そうだ。私は予知夢が使えなくなった。代わりというべきか、第六感とでもいうべき()が鋭くなりはしたのだが……これがまた扱いにくい代物でね。()()()()()()()()という予感はするのだが、それがどこで起こるのか、どのくらいの被害を生むのかは教えてくれないんだ。更に言えば私たちが被害を把握するまでに『アップロードされた動画を確認する』という過程を挟むせいで、この勘がはたらいてから迷惑行為が行われるタイミングも計れない」

「自治区内の飲食店を正義実現委員会が警護する、というのは?」

「もちろん思い付き、真っ先に実行した。しかしこの方法には問題があってね、先生。正義実現委員会が全ての人員を余すことなく投入しても、トリニティ自治区は()()()()。更に言うと、年頃の少女たちが集まる街だから飲食店の数も多くてね。救護騎士団や非公認であるトリニティ自警団に依頼したとしても、全ての飲食店を同時に保護することは難しい。ただでさえ正義実現委員会や救護騎士団は日常で起こるトラブルの仲裁や負傷者の救護という通常業務もあるから、こればかりにかまける訳にもいかないのさ」

「かといって、通常時と同じく巡回形式にしては常に後手に回ることになりますし……ただ、警護をした飲食店から『お客が緊張して商売にならないから止めてくれ』という苦情も来たため、現在は後手に回ることを承知で巡回形式にしているという訳です」

「それは……確かに、トリニティだけで対処するのは難しそうだね」

 

 いちおう、今までにアップロードされた迷惑動画の実行犯は正義実現委員会と自警団によって逮捕、拘留されているようなのだが……相手はキヴォトスで1、2を争うマンモス校の生徒たち。次から次へと模倣犯や愉快犯が現れ、キリがない状態なのだそう。

 生徒の手にはおえないレベルの事件へと発展しかけている惨状を聞いて、先生の表情は厳しいものへと変わった。

 もちろん、迷惑行為を行った生徒であっても、先生にとっては教え導く対象だ。しかし、だからといって今はまだ罪のない生徒たちが誤った道へ歩みを進めるのを黙って見過ごすかというと、当然そうではない。

 それに……と、先生はちらりと脳裏に過った美食研究会(テロリスト)の暴挙を思い出す。

 こんな事態が起こっていると彼女たちが知った瞬間、美食を冒涜しているとしてトリニティを襲いかねない。もしそんな事が現実になろうものなら──先生や生徒たちが文字通り血と汗を流しながら形にしたエデン条約が、色々な意味で台無しになる。

 

「うん。分かった。私の方でもどうにか出来ないか探ってみるよ。ナギサたちはこれまで通りの対応でいいから、これ以上道を踏み外す生徒が増えないように見守ってあげて」

「はい、もちろんです」

「ありがとう先生。私たちの方でも引き続き、何とかできないか方策を練ってみるよ」

 

 こうして、連邦捜査部シャーレはトリニティの迷惑行為問題を解決することとなった。

 

 

 さて、シャーレのオフィスへと戻った先生は、さっそくナギサたちから預かったこれまでの迷惑動画を確認していたのだが。

 

「うわぁ……これはひどい」

 

 予想よりも遥かに悪質な迷惑行為の数々に思わず絶句していた。

 コンビニのアルバイトやワンオペのファストフード店員などが若気の至りではっちゃけた動画を投稿し大炎上するのが一時期流行ったが、今回の迷惑動画はこれまでのそれと同等、もしくはそれ以上の被害を飲食店に与えるであろう内容だ。

 容器に入っている割りばしを全て取り出し、醤油を付けて戻す。

 他人の頼んだ寿司を取り出して勝手にわさびを塗りつけては元に戻す。

 醤油差しの口を舐め、消毒も拭くこともせずにそのまま戻す。

 挙句の果てには寿司の流れるレーンに私物らしい消毒スプレーを噴霧するなど──。

 

「あれ?」

 

 と、そこまで確認した先生は、ある違和感を覚えてこれまでの動画をもう一度見返してみた。

 幸いにして迷惑動画の流行は始まって間もないらしく、総数はさほど多くない動画を見返すのに時間はかからなかったが、

 

「アロナ」

『はい、先生! なにかご用ですか?』

 

 先生はある確信をもって、タブレットの中で一緒に迷惑動画を鑑賞していたアロナに声を掛けた。

 

「これらの動画に映っている飲食店の取り扱う食品について、統計を取ってくれないかな」

『それくらいならお安い御用です! ちょっと待ってくださいね……むむむ』

 

 先生からのお願いは比較的素直に聞いてくれるアロナが、崩壊した教室のような空間でなにやら手を滑らせる。

 原理不明の超高性能端末(オーパーツ)、シッテムの箱の常駐OSであるアロナがその権能を遺憾なく活かしてテクニカルに統計を作成しているのだろうと思いがちだが、実はアロナは動画を目視で確認して手作業で統計を取っている。

 きゅっきゅ、とどこからか取り出した小型のホワイトボードにマーカーで書き込むアロナを微笑ましく見つめた先生は、その間にシャーレに持ち込まれた他の仕事を済ませていた。

 

『──終わりました! こちらが被害に遭った飲食店の商品に基づいた統計グラフ、そしてこちらがそれらの業務形態と座標をまとめた表です!』

「お疲れ様、アロナ」

 

 そして、数分後。

 成し遂げました! と言わんばかりの笑顔で端末に統計グラフを表示するアロナにねぎらいの言葉をかけつつ、先生は己の確信が正しかったことを悟る。

 統計グラフの横に被害に遭った飲食店の取り扱う食品に加え、業態からトリニティ自治区内の座標まで併記してくれたアロナの情報によると、迷惑行為の被害を最も受けているのは──。

 

「回転寿司屋? また、なんでそんな所が……」

『他にも焼き肉店やラーメン店などといった飲食店が主に被害を受けているようです。逆にスイーツ店やお洒落なランチが楽しめるお店といった、トリニティでも人気の飲食店ではいまのところ被害が見受けられませんね』

「ふむ……もしかして、自分たちが良く使うような場所は避けたかった、とかかな?」

『他にも、下手に人気店に手を出した場合周囲の生徒たちからも盛大なバッシングを受ける可能性を考えたのかもしれません』

「そもそもお店に迷惑をかけた時点で同じことなんだけどねえ……」

 

 トリニティ自治区内ではあまりメジャーなジャンルとは言えない、どちらかというと先生のような大人の男性が好むであろうジャンルの食品を提供しているような飲食店が主な被害を受けているようだった。

 それらの飲食店のSNSや公式ホームページを確認してみると、既に迷惑行為について認知自体はしているようで、対策として小皿の類まで注文制にしたり、割り箸を入店時に配布するような対応をしたりしているようだ。

 とはいえ、対策を講じただけで被害が無くなるようならここまでの大ごとにはなっていない。

 迷惑行為が行われた店を利用していた客は、迷惑行為が行われたことを認識した瞬間からその店では自分たちが食べるものに何かされるのではないかという疑念を持ってしまい──そして質の悪いことに、一度抱いてしまった疑念は中々消えることが無い。

 

『ふむ……被害を受けたお店の名前や食べ物の名前で検索してみたところ、やはり商品に細工がされるのではないかと警戒してお店に行くのを止める、もしくは別のお店に行くといったケースが多数見受けられます』

「まずいな、早めに手を打たないと」

 

 このままでは客足が途絶え、店は撤退し、減った残りの店の中からさらに被害が出て、またその店から客足が遠のき……という負の連鎖が起こってしまう。

 そうやって最悪の事態に陥った時、店に出た被害についてトリニティの代表であるティーパーティーが矢面に立たされるのはもちろんの事、実行犯である生徒たちも企業からの損害賠償請求でただでは済まないだろう。

 残念ながら既に被害は出てしまっている。だが、これ以上の被害を出さないようにすることで、新たに道を踏み外す生徒を減らすことは出来るだろう。

 

「早急に対策を取る必要があるね……アロナ、これから私の言う条件に当てはまるトリニティ自治区内の飲食店をリストアップ。そして──」

 

 生徒の道を正すため、そして生徒の未来を守るため、先生は動き出す。

 そんな彼の指示に従って、アロナは1つのメッセージを送信するのであった。

 

 

「……で、なんで私たちに白羽の矢を立てた訳?」

 

 それから数日後。

 セイアから「おそらく近日中に迷惑行為が起こる」というメッセージを受け取った先生の姿はトリニティ自治区のとある回転寿司チェーン店にあった。

 アロナとシッテムの箱の演算能力を遺憾なく発揮し、飲食店が被害に遭った時期とその場所を関連付け、次も同じような商品を提供する店が狙われるのであれば、という予測が出た第1候補の店である。

 迷惑動画の件が広まってしまっているのだろう、通常時であれば決して少なくない客が入っていたであろう店内には人の姿が無く、発券機の音声案内と店内BGM、そして寿司の流れていたレーンの稼働音が空しく響いていた。

 今となっては貴重な客だからだろう、普段よりも数割増しで愛想のよいロボットの店員に案内されて入り口近くのテーブル席に座った先生は、彼の前──向かい側の席に座った少女に苦笑交じりの説明を行う。

 

「ははは……トリニティ自治区内を動ける生徒の中で、問題の生徒たちを安全に制圧できるほどの実力と私と一緒に行動できる自由度を持つ生徒たちが君たちしかいなかったからだよ──ミサキ」

 

 そう、今回の作戦で先生が戦力兼護衛として白羽の矢を立てたのは、エデン条約に関する騒動の際に敵として戦った事もある少女たち、アリウススクワッドの3()()だった。

 先生の説明を受け、どこか苛立たし気に溜め息を吐いたのは、アリウススクワッドの参謀役で現在は一時的なスクワッドのリーダーも兼任している戒野ミサキ。

 耳に付けたピアスと黒いマスクが特徴的な彼女は、苦笑いを浮かべる先生に「今の私たちはこんな陽の当たる場所に出られる身分じゃないって事、理解してるはずだけど」とマスク越しにも分かる迷惑そうな表情を隠そうともせずに呟いた。

 悪い「大人」からの教育を受けていたせいではあるが、キヴォトスが滅びかけるほどの事件に加担してしまった彼女たちは現在指名手配犯としてキヴォトス中を隠れながら渡り歩く生活をしている。

 特に発端となったトリニティにいることがバレてしまえば、自治区全土を巻き込む大騒ぎになるのは間違いないのだが……そこは先生がティーパーティーへの根回しと、飲食店の客足が遠のいている事を利用して隠し通す算段だ。

 

「わ、私たち、もうおしまいなんでしょうか……。突然先生から呼び出されたと思ったら、こんな高級そうなお店に連れてこられて……。最期の晩餐には美味しいものを食べさせてあげるよという事でしょうか、辛いですねえ、苦しいですねえ……」

 

 ミサキの呟きを聞いたからだろうか。先生の座った席の隣、回転レーン側に座っていた陰鬱そうな少女が引きつった笑みを浮かべながら自分たちの将来を嘆いた。

 彼女の名前は槌永ヒヨリ。スクワッドの狙撃担当であり、日頃からネガティブな思考と発言の目立つ挙動不審な少女であり、

 

「うわぁん! このタブレットで注文すればいいんでしょうか!? じゃあ特選大トロと新鮮活〆鯛と山盛りウニまみれ軍艦と特大生ズワイガニのボイルと……あとあと、この3種のマグロ食べ比べセットもお願いします……」

「姫。姫はなに食べる?」

 

 中々強かな少女でもある。

 比較的安価なラインナップで統一されている回転寿司のネタの中でもかなり高価格路線なネタばかりを選んで注文したヒヨリに、流石の先生も笑顔が少し引きつった。

 トリニティからの依頼を遂行するための必要経費として落とせないかな、などと未来で自身が食らうだろうお財布管理担当の怒り(ユウカのカミナリ)に怯える先生が思考を巡らせる前でヒヨリからタッチパネルを受け取ったミサキは、自分の隣に座って回転レーンを見つめているアリウスの「姫」──秤アツコに注文を聞いた。

 生まれて初めての回転寿司ということで店内の設備が珍しいのだろう、レーンの他にもあちこちを見渡しては静かに瞳を輝かせる世間知らずの()()()は、ミサキの問いに首を傾げつつ注文用の端末を覗き込んだものの、どのネタを頼めばよいのか分からなかったのか首を横に振って答えた。

 

「私はよく分からないから、ミサキと同じものを食べるよ」

「……分かった。じゃあ、これで」

 

 言葉にはしなかったものの、アツコからの期待を悟ったのだろう。少し悩む素振りを見せたミサキは、寿司のネタとしてはオーソドックスなマグロの赤身とサーモンを2皿ずつ頼んでひとまずの注文を終えた。

 

「せっかくのお寿司なんだから、サっちゃんも来れば良かったのにね」

「別に。相変わらず家出に夢中になってるリーダーなんて放っておけばいいでしょ。はい、先生」

「はは、サオリからは今日は外せないアルバイトがあるからって聞いてるよ。後で持ち帰り用のパックを買うつもりだから、渡しておくね」

「そうしてあげて。きっとサっちゃんも喜ぶ」

 

 そして最後に端末を回された先生は、自分が回転寿司を食べる時のお決まりのセットを慣れた手つきで注文すると、テーブル下のスペースに端末を仕舞う。

 通常営業であれば、注文した寿司は客の座る席を示す専用のカップに皿ごと載せられてそのままレーンを流れてくるのだが、迷惑行為による被害を警戒して様々な仕様を変更している現在は店員が直接寿司を運んでくるらしい。

 注文した寿司が運ばれてくるまでの間、テーブルにはアリウススクワッドの3人と先生による不思議な沈黙が生まれていた。

 ──まずいな。

 そんな沈黙の中、先生は内心この状況に焦りを感じていた。

 ダウナーな少女の多いアリウススクワッドとの会話が弾まないことに対してではない。

 張り込んだ寿司屋の客足が予想以上に遠のいていたことに対してである。

 もっとも次の被害が出る可能性の高い店を選び張り込むにあたって、普段と比べれば半分以下には客足が遠のいているだろうと予想していた先生だが、まさか貸し切り状態になっているとは思っていなかったのだ。

 ここまで客の入りが悪い状態だと、目立つことを嫌った生徒たちが別の場所で犯行に及ぶ可能性だって出てくる。そうなった場合、今回の張り込みが無駄足になるどころか、また新たな被害を生む羽目になりかねない──。

 

「お待たせしました、ご注文の特選大トロ、新鮮活〆鯛、山盛りウニまみれ軍艦、特大生ズワイガニのボイル、マグロ&サーモン、赤身4皿にサーモン4皿です」

 

 と、そこで先生の思考を聞き覚えのある声が遮った。

 どうやら全員の注文した寿司が届いたらしい。所々機械の手が入っているおかげか、注文した品が届くのが早いと感心しながら顔を上げるとそこには、

 

「……え、サオリ?」

「先生? ……それと、3人とも。何故ここに」

 

 何故か黒いヘルメットの上に寿司職人の白い帽子を乗せるという、奇天烈な格好をしたアリウススクワッドのリーダー、錠前サオリの姿があった。

 服装から鑑みるに、どうやら彼女の言っていた「外せないアルバイト」とはこの回転寿司屋でのアルバイトの事だったようだが……まさかの偶然である。

 サオリの方も驚いているのか、スモークのかかったヘルメットで遮られ表情こそ窺い知れないものの、女子としては低めなその声音からは驚きを隠しきれていない。

 とはいえ、注文した寿司を受け取らない訳にもいかないので、先生がサオリの抱えた桶から寿司の乗った皿を取り出し、それぞれの前へと配膳しようとしたその時。

 おもむろに懐へと手を伸ばしたミサキが拳銃を取り出すのが見えた。

 

「……」

「ストップ! ミサキ! 気持ちは分かるけど流石に店内で発砲するのは止めてくれないかな!?」

 

 先生の言葉を聞き、ミサキも冷静さを失ってはいなかったのだろう、地獄の底から這い出たような溜め息を吐きながら拳銃を懐へと戻す。

 迷惑行為を止めに来たはずが迷惑行為を起こす側へとなりかけた事態に安堵する先生を他所に、彼の手から自分の分の寿司を受け取ったアツコはマイペースな笑みを浮かべてサオリへと話しかけた。

 

「また会えたね、サっちゃん。これも自分探しの1つ?」

「あ、ああ。運良くここの求人情報が流れてきたのを見つけて、稼ぎも良さそうだし……」

 

 彼女がここでアルバイトをしていたのは本当に偶然だったらしい。

 とはいえ、何故ヘルメットをしているのかはよく理解できなかった先生だが、元気そうなら良かったと、ひとまず格好の事は棚上げすることにした。

 

「これがお寿司なんですね……雑誌で見たことはあったので知ってはいましたが、まさか最期の晩餐で食べることになるなんて思いもしませんでした……へへ、辛いですね。最後の最後でこんな美味しそうなものを食べられるなんて、上げて落とされて、とうとう奈落の底に……」

「ヒヨリは……いつも通りだな」

「あれ、リーダー? ほ、本物ですか? なぜこんな所にリーダーが……まさか、リーダーも先生には逆らえずに最期の晩餐を食べに来たんですか!? リーダーの外せないアルバイトでさえも外させてしまうなんて、やっぱり先生は恐ろしい人だったんですね!」

「いや、私は単にここでアルバイトをしているだけなんだが」

 

 一方、ヒヨリは未だに回転寿司屋で寿司を食べるという状況に理解が追いついていないらしく、サオリの存在に気が付いた後もなにやらトリップしてぶつぶつと世を儚んでいる。

 その点自分の頼んだ寿司のラインナップはお高いものばかりなのだから、何というかこれからもヒヨリは強かに生き続けるんだろうなあ、と先生は苦笑いとともに考えるのであった。

 

 

「……ふむ、なるほど。飲食店に対する迷惑行為の防止と実行犯の制圧。つまりは()()()()のためだという訳か」

「まあ、そういう事になるね」

 

 そんなやり取りがあってからしばらく。

 サオリもアルバイトの身であるため長話を続ける訳にはいかず、先生たちはサオリが運んできた寿司を食べ始めていた。

 相変わらずお高いネタを頼むヒヨリに釣られてか、段々と注文する品に遠慮が無くなっていくアツコとミサキに内心冷や汗が止まらない先生は、再び寿司を運んできたサオリに手短に状況を説明した。

 聖徒会の複製(ミメシス)という反則を用いていたとはいえ、アリウススクワッドはゲヘナとトリニティ両方を敵に回しても一時優勢になっていたほどの猛者たちだ。サオリがいなくても不良生徒の1人や2人どうにかなったとは思うが、戦力は多いに越したことは無い。

 先生の説明によってスクワッドが何故寿司屋に来ているのかを理解したサオリは、静かに頷くといざという時の助力を確約してくれた。

 彼女としても、ブラックマーケットで請け負う普段の裏稼業より断然労働環境の良いアルバイト先を潰したくはないのだ、協力しない理由はない。

 

「ところで、先生はさっきから赤身とサーモンしか頼んでいないようだが……実は金欠だったりするのか?」

 

 援軍となることを了承したはいいものの、先程から注文された品を運んでいるサオリとしては気になっていた点を先生に質問することにした。

 カニやらウニやら大トロやら、日頃の質素というには些か貧層が過ぎる食事の穴を埋めるかのように高価なものや、ハンバーグに生ハムなど物珍しい変わった寿司ネタを興味と食欲の赴くまま食べ続けるスクワッドの3人は別として、先生は先ほどからマグロの赤身とサーモンが一貫ずつセットになった寿司しか注文していないのだ。

 まさか本当は金欠で、他の3人が食べる分自分は質素な食事にしているのだろうか、と彼女たちを纏めるリーダーとして心配になったサオリだが、そんな彼女を宥めるように先生は微笑んで首を横に振った。

 

「サオリ、覚えておいて。大人になると、というか年を取るとね──大トロとかの高級な寿司ネタは、ちょっと脂っこくてキツいんだ……」

 

 その言葉には余りにも切ない大人の悲哀が込められていた。

 

「そ、そういうものなのか……?」

「サオリも私と同じくらい大人になったら分かるよ。もう唐揚げだけをおかずにご飯を食べる事なんてできないし、トンカツの横にあるキャベツがただ邪魔なだけの彩りではなくなるんだ。寿司も大トロより赤身の方が脂を感じなくて美味しいと感じちゃうんだよね……」

「た、大変そうだな……?」

 

 強がりでもなんでもなく、ただ純粋に食べられないといった様子で物悲しく微笑む先生の様子に、何も言えず頷くサオリ。

 

「美味しいですう! 食べてもお腹を壊さない食事ってこんなにも美味しかったんですね……! ううっ、こんなに美味しいのに、食べ終わったらまた元のひもじい生活に戻っちゃうんですね。はっ、まさか先生の狙いはそこですか!? 美味しいものの味を覚えさせて、私たちの味わう苦しみを更なるものにしようと!?」

「ヒヨリ、流石に先生もそこまで性格が終わってないから、多分。まあ確かに、この味を覚えた後にいつもの食事を食べると思うと少し気が滅入るけど……」

「本当に美味しい。お魚って、焼いても美味しいけど生で食べてもこんなに美味しいものだったんだね、知らなかった」

「アツコ、流石にそこらへんで捕まえた魚とかを生で食べたら駄目だからね……? お腹を壊すだけじゃすまないよ?」

 

 そんな先生の悲哀などなんのその。スクワッドの3人は初めて食べる寿司の味に舌鼓を打っていた。

 客足が遠のいたとはいえ、その原因は店の出す商品のクオリティには何ら関係のないものだ。

 飲食店が多いと言われるトリニティ自治区内で生き残っているだけあってチェーン店と馬鹿に出来ないクオリティの寿司は、キヴォトスの海で獲れた新鮮な魚とこだわりの米、そして職人の手捌きを完璧に再現する機械の手によって少女たちの舌を存分に楽しませている。

 栄養豊富な海で育ち、その身にたっぷりと脂と旨味を貯め込んだマグロの大トロは口に入れた瞬間溶けたかのような錯覚をもたらし、それでいながら確かに口の中に在ったのだと実感させる芳醇な旨味と風味を暴力的なまでに舌に叩きつけてくる。

 そこにこだわりの刺身醤油や絶妙な力加減で握られたシャリの塩気や酸味がコントラストとなって、そのままでは食傷気味にもなりかねない強い大トロの味を引き締めていた。

 鯛は味こそ淡白なものの、その分醤油自体の味が引き立ち、海を泳ぎ続けたことで引き締められた身のぷりぷりとした食感は大トロにはないはっきりとした歯応えで違う味の楽しみ方を教えてくれる。

 ズワイガニやウニは食事自体にあまり関心を持たないアリウススクワッドでも普通のものよりも高価で贅沢な食材として名前を知っている程に有名だが、決してその前評判に見劣りすることのない、ともすれば期待以上の味を少女たちに提供してくれた。

 

「うわあん! こんな美味しいものを知ってしまったらもう腐ったリンゴや生の野草なんて食べられません! ものの見事に先生の策略に嵌っちゃいました!」

「ミサキ、次は鉄火巻きっていうのが食べたいな」

「これ、ただマグロの赤身を巻いただけみたいだけど……それなら同じ魚だし、マグロでも大トロを頼んだ方が美味しいし得なんじゃない?」

「ううん、どんな味なのか気になって。それに、4本セットだから皆で分けられるでしょ?」

「……分かった。じゃあ私は赤身の握りを頼もうかな」

「あ、ミサキさん。ついでにエンガワと生タコと活〆大海老の2貫セットをお願いします」

 

 最初は恐る恐るといった様子だったものの、やはり憂いなく美味しいものを食べられるとなると日頃からあまり良いものが食べられていない身としては止まらなくなるのだろう。

 寿司が一口サイズで次々に食べやすい事も相まって、今やスクワッドは皿の山を作らんとする勢いで寿司を食べる寿司イーター集団と化していた。

 次から次に、寿司屋のメニューを制覇する勢いで注文が届く状態に厨房は嬉しい悲鳴をあげ、機械は久しぶりの全力稼働で注文を受けた寿司を量産していく。

 まるでバケツリレーのように先生とスクワッドの3人の下へ寿司を運んでいたサオリだったが、流石に注文しすぎだと思ったのか寿司を運ぶ間を縫って心配そうな声色のサオリが先生の下へやって来た。

 

「お待たせしました、ご注文の品です。……なあ、先生。提供する側の私が心配するのもおかしな話だが、その……本当に金銭面は大丈夫なんだな?」

「ははは、うん。大丈夫。サオリも心配せずにバイト頑張って」

「なら、良いんだが……」

 

 監視カメラや人の目を気にしてか、相変わらずヘルメットを外すことのないサオリだが、先生の言葉に渋々といった様子で引き下がる。

 一方の先生は、次々に積み上がっていく死体の山……ではなく、寿司皿の山を見て、流石に冷や汗を隠せなくなっていた。

 サオリの手前格好つけたものの、おもちゃ屋で見つけた良さげな超合金のロボフィギュアを買ったばかりの先生の財布は若干心許なく、今のまま会計金額が積み上がれば先生の財布の紐を握りしめているユウカの背後に般若の面が現れ、先生は再びひと月の間に使える金額を彼女に管理される生活へと逆戻りするだろう。

 寿司折り持っていったら許してくれないかな……などと淡い希望を抱いていた先生だったが、ふと視線を外に向けたその時。

 

「いらっしゃいませ。何名様のご来店でしょうか?」

「あ、3名でーす」

「……来た!」

 

 トリニティの制服に身を包んだ少女たちが、先生たちが張り込んだ回転寿司屋にやって来たのだ。

 即座に気を引き締める先生。

 そんな彼の雰囲気の変化を感じ取ったのか、スクワッドの3人と新しい寿司を運んできていたサオリも入店してきた少女たちに悟られぬよう視線を向けた。

 所属する派閥によって制服の違うトリニティ総合学園。そんな彼女たちの制服は、一見するとサンクトゥス分派の者に見えるのだが、

 

「アロナ」

『はい! 注文用端末の外部カメラをハッキング、彼女たちの顔とトリニティの生徒名簿のデータを照合します……出ました! 彼女たちはどうやらパテル分派の生徒さんだそうです!』

「ビンゴだね」

 

 ティーパーティーから生徒名簿へのアクセス権を一時的に渡されている先生とアロナの目を誤魔化せるはずも無く。

 少女たちは奥のテーブル席に座り店内の監視カメラからだと角度的に厳しかったため、ハードウェア自体は市販のタブレット端末と同じだった注文用端末の外部カメラからアロナが確認したところ、少女たちは()()だった。

 生徒が目の前で道を踏み外そうとしているという悲しい気持ちと、先生の財布が無駄な犠牲とならなかったことにほんの少し安堵する気持ちがないまぜになった複雑な表情で、先生はそっとハンドサインをスクワッドに見せる。

 寿司を楽しんでいたところを邪魔されたせいか、どこか不服そうな表情を浮かべたミサキたちは、食べかけの寿司を口の中に放り込むと、流石の練度を伺わせる身のこなしで容疑者である少女たちのいるテーブル席へと近付き。

 

「じゃあ撮るよ。せーの……」

「そこまで。もう現場は抑えたから、余計な抵抗はせずに大人しく捕まって」

「素直にお寿司を食べに来ていれば別だったんだろうけれど……残念だね」

 

 カメラを構え、何をするつもりだったのか刺身醤油と甘だれの容器を両手に持っていた少女たちに拳銃を向けて制圧した。

 突然の展開に理解が追いつかないのだろう、一瞬の空白の後、取り出した銃火器と共に何事かを叫ぼうとした少女たちだったが──。

 

「お客様困ります。当店内は火気厳禁、発砲も当然の如く厳禁なので」

「がっっっ!?」

 

 そこそこの高さのあるレーンを飛び越え、少女たちの背後を強襲したサオリによって即座に無力化された。

 音も無くテーブルに降り立つと同時に少女のこめかみに押し当てられた消音機(サイレンサー)付きの拳銃から弾丸が放たれ、その脳を揺らす。

 キヴォトスの住人にとって銃弾1発など掠り傷にもならないとはいえ、その衝撃は別だ。

 平衡感覚を失い、体から力の抜けた1人の少女は銃を取り落とし、それに視線を向けてしまった他の2人もミサキとアツコによって再度制圧された。

 戦闘と呼ぶことも出来ないような束の間の攻防を終え、結局蚊帳の外となったヒヨリはおどおどと周囲を見渡して、

 

「あ、えっと……終わっちゃいました、かね?」

 

 ただ、そう呟くのであった。

 

 

 後日、ティーパーティーを代表してナギサから感謝のメッセージが届いた。

 どうやら生徒たちの間でシャーレが対策に動いたことを広めたようで、シャーレ側でもSNSを通じて注意喚起を促したところ、被害が収まったのだという。

 もちろん、トリニティの派閥間にまたがる疑心暗鬼は根深いためまだ気を抜くことは出来ないが、アロナがトリニティの生徒たちのSNSを暫く監視して迷惑行為をする生徒が再び現れないかどうか調べてくれている。

 

『ですが先生、SNSに投稿して炎上しようとする動きが収まっただけで、もしかすると表沙汰にならないところで迷惑行為を行っている生徒がまだいるかもしれませんよ?』

「そうだね。そういう子が出てくる可能性は確かにあるよ」

 

 結局のところ、張り込みの日にアリウススクワッドの3人が食べた寿司の会計金額は先生の財布が許すラインを大きく超えており、泣く泣く大人のカードを使った先生は後日ユウカの雷を甘んじて受け、再び財布の紐を締め上げられる生活を送っている。

 自分の好きなように散財することが出来ないのは少し心苦しいが……散財することで自分の首を絞めることになる事も良く理解している先生は、この生活もアリかな、と自分を納得させることにした。

 

『だとしたら、ここで手を引くのはまだ早いのでは……』

「いや、私たちが手を出すのはここまでだよアロナ。後のことはティーパーティーや正義実現委員会の皆で問題なく対処できる。彼女たちもそう言っていたしね」

 

 机のスタンドに立てかけられたシッテムの箱の中で不安げな表情を浮かべるアロナの言葉に、先生は微笑んで否定の意を示す。

 

「それに、あまり私が手を出すと、それはあのアリウスのようにトリニティを大人の支配下に置こうとするのと同じだからね」

『ですが先生、今回のケースは致し方ないのでは? 先生が動いた後にまた被害が起きてしまったら、企業から責任を追及されるのは生徒の代表であるティーパーティーだけでなく、先生まで……』

「そうなった時は、私が喜んで責任を引き受けるよ──私はキヴォトスの生徒全員の『先生』だからね。そうすることが私の大人としての義務であり、何より……私の生徒を信じたいという()()だから」

 

 そう言って、先生は机の上に積まれた書類を捌き始めた。

 とその時、先生の携帯端末にモモトークのメッセージ機能の着信が入る。

 端末を取り出した先生がトーク画面を開くと、そこにはどこかの海岸なのか、岩場の上で釣り糸を垂らすアリウススクワッドの少女たちの姿が映っていた。

 

『今晩も焼き魚の予定です』

 

 あれからどうやら魚を食べる事にハマったらしいスクワッドは、それぞれアルバイトなどで稼いだお金で釣竿を購入。最近定期的にメンバーたちの近況を報告してくれているアツコ曰く、海川問わずの魚釣りに凝っているそうだ。

 全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。

 その教えに憑りつかれ、今を楽しむ事も無くただ生きることに後ろ向きだった少女たちが、1つ趣味と呼べるものを見つけたことに笑顔を浮かべつつ、先生は指を走らせる。

 

『毒魚とかには気を付けて。特にフグとか』

『フグ。可愛いよね』

『本当に食べちゃダメだからね!?』

 

 分かっているのかいないのか、ふわふわとしたアツコの返信に不安になりながらも、先生は彼女たちの行く末に幸あらんことを願う。

 たとえ罪を犯してしまった彼女たちの進む道が険しいとしても、彼女たちの行く末までもが厳しく、救われないものである必要などどこにもないのだから。

 

 

 

 







 次回はタピオカミルクティーパーティーです。


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第3話「ミルクティータピオカと茶会の少女達」



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 百合園セイアの勘は良く当たる。

 いや、正確には良く当たるように()()()、というのが正しいか。

 以前までのセイアは、勘などという生易しいものでは無く、予知夢という形でそっくりそのまま「未来」を予知することが出来た。

 明日の天気から他者との会話の内容、トリニティ総合学園内で行われた新しい試みが成功するのかどうかから、将来自分たちを待つ辛い現実やキヴォトスの終焉を示す未来まで。

 未来を()る、というよりは未来を()()()()()に近い、個人が持つにはあまりにも強大過ぎたその(しんぴ)について、今のセイアは良くも悪くも思っていない。

 エデン条約についての騒動が解決する以前の彼女ならば、定められた破滅やそれに付随する数多の悲劇を見ることしか出来ない自分の力と世界に絶望し、予知夢などいらなかったと言うはずだが──。

 キヴォトスの外からやって来た「大人」であり、周囲の人間を信じるということの尊さと大切さを教えてくれた先生と出会い導かれた今、セイアは強大な力を持っていたが故に背負っていた苦しみさえも受け入れ、未来ではなく「現在(いま)」を生きることを選んでいた。

 ──たしかに辛いことや苦しい事もたくさんあったし、力に振り回され窮地に立たされることも少なくは無かった。しかし、私は予知夢という力を持って生まれたことをもう後悔しない。

 疑心暗鬼と虚飾、そして憎悪渦巻くエデン条約事件の中でそのような考え方を身に着け、諸事情により予知夢の力と引き換えに鋭くなった第6感を手に入れたセイアなのだが。

 

「──駄目だ。猛烈に予知夢に帰ってきてほしい」

 

 ペットとして可愛がっているシマエナガのさえずりが響く清々しい朝。

 遠い目をしたセイアは自室のベッドの上で、カーテンの隙間から差し込む朝日に目を瞬かせながらそんなことを呟くのであった。

 

 

 嫌な予感がする。

 その日、目覚めた時から放課後に至るまでセイアを包んでいたのは、そんな漠然とした悪寒だった。

 ひょっとすると風邪を引いたのかもしれないと、トリニティ総合学園で生徒たちの体調管理や治療を受け持つ救護騎士団の本部を訪ねたセイアだったが、健診の結果は「至って健康」というもの。

 長い間昏睡状態だったことや、目覚めてからも「色彩」に触れてしまったせいで存在が崩壊しかけたことから、セイアの体はキヴォトスの世間一般における健康体からは一歩遠いところにいる。

 それを加味しても体調が悪くなったという訳ではないそうなので──体調不良による悪寒が否定されたセイアの不安は自然と、これから自分が巻き込まれるだろう()()()()に向けられた。

 

「まったく、避けようがない不幸を見せられるのも精神的に辛いが、こうして()()()()()()()()()と内容の曖昧な予告だけされるのは常に気を張ってしまってより疲れるな……」

「ご安心ください、セイア様。何があろうと、私がセイア様の身をお守り致しますので」

 

 憂鬱そうに溜め息を吐くセイアの3歩後ろで励ますように声を掛けるのは、救護騎士団の団長でありヨハネ分派というトリニティの一派閥の首長も務める蒼森ミネ。

 以前とある人物がセイアの持つ予言の力を疎み、彼女の命を狙った凶行の際に襲撃を受けたセイアと共に姿をくらましてその命を守った経歴から、今でも時折セイアの護衛役として周辺の警護を買って出ている。

 基本的にキヴォトスでは生徒が銃火器を携帯している都合上、生徒同士の揉め事も規模が大きくなりがちだ。それはここトリニティ総合学園でも同じで、銃弾の飛び交うさながら戦場とでも呼ぶべき中を駆け回り、渦中の生徒たちを制圧──もとい「救護」していくミネの戦闘能力はキヴォトスの中でも上位に入るのだが、そんなトリニティ最上級の護衛ともいえる彼女の言葉を受けて、セイアは逆に気疲れしたように首を横に振る。

 

「いや、今回は君の出番は無いと思うよ、ミネ。私の勘が今回も当たると仮定した場合、私が巻き込まれる騒動というのはそのような暴力的で悲惨な代物ではなく……そうだな、分かりやすく言うのであれば、いわゆるコメディチックな日常の一騒動、とでもいうべきか。武力が必要のない場面で君の力は分不相応、過剰戦力という奴だ。そして君の性格から今回の件に対してほぼ間違いなく君は無力だ。予知夢で詳細な内容を識る事が出来ない今、どのような騒動が私を待っているのかは分からないが……とにかく、今回君は大人しくしていてくれ」

 

 セイアが予知夢の代わりに手に入れた第6感は、自分や所属する団体に起こる出来事を予知夢のように正確なものではないが大まかに知ることが出来る。

 識ろうとする内容によっては、榴弾砲による砲撃の座標指定などの詳細な指示が可能なレベルで勘を働かせることが出来るが……今回のような場合は、漠然とした内容しか教えてくれないのだ。

 それでも幼い頃から予知夢と付き合ってきたセイアには分かるものがあり、今回は誰かが血を流すような方向の災難ではないとは理解している。そうはいっても災難な事には変わりないので、巻き込まれたくないというのが本音だが。

 そういう訳で、荒事に対する適正は十分なものの何かにつけては「救護」を最優先するその性格から、日常のトラブルに対する適正は無いに等しいミネには大人しくしていてほしいセイアの発言だったのだが……そんな言葉に「はいそうですか」と素直に頷くようなミネではなく。

 

「それは出来ません、セイア様。例え貴女の言う通り日常的なトラブルで終わるとしても、些細なことから私の救護が必要な事態に発展する可能性はゼロではありません。それにもし再びセイア様の身に何かが起こってしまえば、取り乱したミカ様を始めとした方々による騒動が拡大し、キヴォトス全土に救護が必要となりかねませんので」

「だから、そういった事態は起こらないと言っているのだが……っと、そうこうしているうちに到着だ。願うならばこの茶会で、あまり心が波立たないようなささやかな騒動のうちに終わって欲しいが……まあ、()()ミカがいるんだ、そう簡単に終わる訳がないか」

 

 トリニティの校舎内だというのに特製のライオットシールドとショットガンで武装したミネの意気込みを受けて、思わず遠い目をしてしまうセイア。そんな彼女の呟きが聞こえているのかいないのか周囲の警戒を怠らないミネと共に歩いていたセイアは、とうとう目的地であり嫌な予感がはっきりと騒動の存在を示す場所へと到着した。

 そんな2人が向かっていたのは、セイアが所属しているティーパーティー、その会合兼お茶会が常日頃から開かれている校舎のテラスだ。

 そのテラスの入り口であるガラス張りの扉。その両脇に立つ警備の生徒から扉を開けてもらったセイアがテラスへと入ると、そこには既に到着していた先客たちがなにやら言い争っている様子が見える。

 それを見た瞬間に、セイアは回れ右をしてこの場から立ち去ってしまいたい気分に駆られたが、そうしてしまえばこの嫌な予感が示す騒動がどんな形で降りかかることになるか分からない。

 ある程度自分でも対応できる形で嫌な予感を収めるためにも、セイアはティーパーティー全体の護衛役としてテラスの入り口に控えたミネを置いて言い争う2人の下へと歩み寄った。

 

「……やあ、2人とも。夕食の時間にはまだ遠いというのに元気なことだね。授業後の小腹をそこにある茶菓子で満たしたからかい?」

「いきなり不躾ですね、セイアさん。私とミカさんは曲がりなりにも『ティーパーティー』の名を冠する団体に所属する者として、真剣に紅茶に対する姿勢を話し合っていただけです。決して無駄な口喧嘩をしていた訳ではありません」

 

 これから起こる騒動の種とでもいうべき2人が相手だからだろう、少し棘のある物言いで登場したセイアに対して毅然とした態度で言い返したのは、現在ティーパーティーのホストを務め、トリニティ総合学園の3大派閥のうちの1つ、フィリウス分派の首長として日々学内の勢力バランスの調整に勤しんでいる桐藤ナギサ。

 紅茶の注がれたティーカップを持つ手捌きは優雅の一言であり、洗練された立ち居振る舞いや制服の着こなしはトリニティ総合学園に対する世間一般の評価である「お嬢様の通う学校」を体現したかのような姿だ。

 そんなお嬢様然としたナギサの近くにいたもう1人の少女もセイアの言葉を受けて、こちらはナギサとは反対のややお転婆な印象を受ける動きでセイアに抗議した。

 

「そうだよセイアちゃん! 私とナギちゃんは今真剣に紅茶についての議論を交わしてたんだから! 聞いてよセイアちゃん、ナギちゃんてばせっかく私が今日のお茶会のために自分のお金で買ってきたのに、すごい怒って紅茶に入れさせてくれないんだよ!? 酷くない!?」

「当たり前です! そんな……そんなものを紅茶の中に入れるなど、ジャムや砂糖とは訳が違うのですよ!? それに、ミカさんもまだ食べたことが無いというではありませんか! きちんと自分で毒見を済ませてから持ってきてください!」

「あー! ナギちゃん今私が持って来たものを毒って言ったー! ひどいよナギちゃん、それじゃあまるで私がナギちゃんを殺そうとしてるみたいじゃん!!」

「貴女、自分に前科があることをお忘れですか!?」

 

 段々とヒートアップしていく口論に、ナギサは普段己に課している「いついかなる時も、落ち着いて優雅に対応するように」という自律を破っていた。

 お嬢様然とした振る舞いを忘れ、武器の代わりかロールケーキ片手にミカと激しく口論をするナギサはティーパーティーのホストとして日々政治的交渉に明け暮れる生徒会長ではなく、1人の少女としての姿を見せている。

 もちろん、それは幼少の頃からの幼馴染であるミカと話しているからという事もあるだろうが──それ以上に、トリニティのトップとして君臨するうちに年頃の少女たちが身に着けてしまった、互いに対する遠慮というものをシャーレの先生が取り払ってくれたからだろう。

 そのことが、避けられない悲劇に耐え切れずに夢の世界へ逃げ続けていたセイアとしては我が事のように誇らしく。

 ……そして、セイアと2人の間には無い確かな絆を垣間見た気がして少しの寂しさを覚える。

 

「……まったく。ナギサ、ロールケーキを下ろしたまえ。そしてミカ、私はこの場に来たばかりで君の持ってきたものを目にしていないから、まだ君が何を持ってきたのか分からない。つまりナギサの言い分しか正しいと判断できる証拠がない訳だが、これは私にも毒だと判断されても仕方ないと思わないかい?」

「もー、私セイアちゃんのそういう所キライ! 見せてほしいならちゃんと見せてって言うべきだよ!」

 

 使い方によってはトリニティを救うことも、滅ぼすことも出来る強大な予言の力を持つ巫女として、これまでセイアは迂闊な事を喋ることは許されない立場にいた。

 だからこそこういった遠回りで言葉足らずな喋り方をする癖がついてしまったのだが、ティーパーティーとして共に過ごした時間があるからだろう、ミカとナギサは──特に本能的に動くところのあるミカはセイアの言葉が意図するところをちゃんと理解してくれる。

 まあ、互いの理解が足りていなかったエデン条約事件以前はこの喋り方が原因で喧嘩に発展したり、すれ違いを生み続けたりしていたのだが……今となっては些細なことだ。

 そんなセイアの言葉を受けて、彼女の小難しい喋り方が気に食わないとぶつくさ文句を垂れながらも、ミカはテーブルの下から今日のお茶会に持ってきたという代物を取り出した。

 ドサッと重たそうな音を立てて置かれたそのビニール袋の中に入っていたのは、

 

「……ミカ、それは毒だ。いや、君が私たちに害を与えようとはもう考えていないだろうから実のところ毒ではないのかもしれないが、その量と見た目は間違っても紅茶に入れてはいけない類のものだ」

「ちょっと! セイアちゃんまで見ただけで毒認定しないでよ! 最近キヴォトスで流行ってるって、この前シャーレに行ったときに聞いたんだから!」

「いいえ! もっと言ってやってくださいセイアさん! こんな、こんなっ……キャビアのようなものを紅茶の中に入れるなど、それは紅茶への冒涜といっても過言ではありません!!」

「だから、これはキャビアじゃなくて『タピオカ』なんだってばー! 先生だって美味しそうに飲んでたんだからー!」

 

 1つ1つの大きさはキャビアよりも大きめなものの、黒い色味や粒状になっている形など、ぱっと見た際に乾燥したキャビアと呼ばれても致し方ない見た目をした大量の粒々だった。

 トリニティのトップとして何回か高級食材であるキャビアを口にする機会のあったセイアだが、こうも大量のキャビアもどきを見せられると少々──いや、かなり気味が悪い。

 ドン引きした様子のセイアと、ロールケーキは下ろしたものの未だ憤慨した様子のナギサにうんざりした様子で叫ぶミカ。

 最終的に、ミカがモモトークで先生を呼び出してタピオカについての説明を頼むことでこの事態を収めることになるのであった。

 

 

「……なるほど、それで私が呼び出された、と」

「ごめんね、先生。ナギちゃんとセイアちゃんの思い込みが激しいばっかりに」

「貴女にだけは言われたくないのですが?」

「君にだけは言われたくないな」

 

 数十分後。

 ようやく落ち着きを取り戻した茶会の席には、5人の姿があった。

 ティーパーティーの3人に、彼女たちにタピオカについて教えるためシャーレからはるばるやって来た先生。そして、揉め事の気配を察知して3人を『救護』しようとしたミネだ。

 過去の大暴走を棚に上げたミカの発言に青筋を立てるナギサとセイアの様子に、あはは……と乾いた笑みを浮かべる先生。そんな彼の言葉にトラウマ(ファウスト)を刺激されたナギサの顔色が若干悪くなったが、それは置いておくとして。

 

「それで、先生。私もよく理解できていないのですが……ミカ様の持つ()()が、本当に今キヴォトスの生徒たちの間で流行していると? 失礼ながら、私にはその……間違っても紅茶に入れて一緒に飲むようなものには見えないのですが」

「ははは。そうだね、私も最初見たときはそう思ったよ。でもミカの持ってきたこれはタピオカといって、しっかりと紅茶……そうだね、ミルクティーなんかに入れて一緒に飲むものらしいんだ」

 

 恐れ知らずにもティーパーティーに殴りかかろうとした狂戦士(ミネ)からの問いかけに、先生は微笑みと共に首肯した。

 ミカが持ってきた黒い粒々の正体は、先程ミカ自身が叫んだ通りタピオカ──より正確に言うと、タピオカを球状に加工した「タピオカパール」と呼ばれる食品だ。

 今は乾燥している()()を煮込んで戻し、ミルクティーなどに入れて飲む「タピオカティー」という飲み物が、最近キヴォトスの女子高生たちの間で流行しているのだ。

 流行の元となったのは、SNSの投稿から推測すると山海経(せんがいきょう)高級中学校自治区内のカフェらしく、現在流通しているタピオカの大半も山海経に住まう商人たちの連合、玄武商会が卸しているという。

 かくいうミカの持つタピオカも玄武商会謹製の品で、ティーパーティーとしての権限を失ったミカが今日のためにシャーレ経由で取り寄せた中々に良い値段のするものだったりする。

 という一通りの説明を先生から受けた4人は、未だに信じられないといった面持ちでまじまじとタピオカの入った袋を見つめた。

 

「なるほど。よく見れば、キャビアというよりは干したヤマモモの果実に似ていますね」

「煮戻してから使う……というと、春雨のようなものか。……いや、そうだとしてもわざわざ紅茶に入れる必要はあるのかい?」

「んー、その春雨だって山海経が主に作ってる食材だし、あそこがそういう食べ方をする文化なんじゃないかな? その中でもタピオカミルクティーが自治区を飛び出して流行ったっていうだけで」

 

 ミネは漢方薬などの薬剤方面で触れたことがあったのだろう、乾燥したタピオカパールを改めて見るとヤマモモを連想したらしく、その隣ではタピオカがどういう食材かを理解したセイアが、紅茶に入れて一緒に飲むというタピオカミルクティーの在り方について疑問を呈していた。

 その考えについてはミカも同様で、初めてタピオカミルクティーを見た際には「ティー」の名を冠する飲み物とは思えないその見た目にぶつくさと文句を言ったものだが、今では難しく考えずそういうものだとして受け入れていた。

 感覚派のミカの言葉は、時として物事の本質を捉えていることがある。

 彼女の言葉に納得しかけたミネとセイアに待ったの声を掛けたのは、やはりと言うべきか常日頃から趣味と実益を兼ねて数多くの紅茶を嗜んできたナギサだ。

 もちろんナギサとて、紅茶の淹れ方に自分なりの拘りこそあるものの、あくまでもエゴであるそれを他人に押し付けようなどとは思わない。

 しかし、ミルクティーやスパイスティーが紅茶(ティー)の名を冠するのにはまだ納得がいくとはいえ、タピオカというれっきとした「食べ物」が入ったタピオカミルクティーはもはやスープと呼んだ方が良いとナギサは思ったのだ。

 

「私はまだ受け入れることが出来ませんね。やはり、飲み物として嗜むための紅茶にこのような無粋なものを入れるなど、先人たちの積み上げてきた紅茶という文化への冒涜──」

「補習授業部の子たちも飲んだことあるんだっけ? 先生」

「うん。トリニティの郊外にタピオカミルクティー専門のカフェが出来たらしくて、先週あたりに私も誘われてみんなで飲みに行ったかな」

「──と、言いたいところですが。やはり保守的に伝統を守るばかりでは時代に乗り遅れ、周囲から取り残されていくもの。特に保守的な()()()のあるトリニティではトップである私たちがこうした新しい文化を認め、広めていく事も大事なのでしょう」

「ナギサ、君という人はまったく……」

 

 タピオカミルクティー万歳。

 ナギサの紅茶への愛は、彼女が偏愛を向ける補習授業部の生徒、阿慈谷ヒフミへの愛に成す術もなく敗れた。

 一瞬前までタピオカミルクティーへのヘイトスピーチを行っていた口でスラスラと自分を納得させるための言い訳を述べ始めるナギサに、セイアは呆れた表情を向けるのであった。

 

 

「では、ミカさんの持ってきたこちらを使ってタピオカミルクティーの実食と参りましょうか。折角ですから先生も一緒にどうですか? ミカさんが買って来たものですからタピオカの味がどうなのかは保証しかねますが、ミルクティー自体の味は私が保証いたします」

「もう、ナギちゃんってば疑いすぎ! ちゃんと美味しいって評判のタピオカを買ってきたんだってば!」

 

 さて、そんなこんなでタピオカへの誤解や偏見がとけた少女たちを見て、先生は今回の自分の役目が終わったことを悟る。いつもであればナギサの誘いに乗って彼女たちと一緒にタピオカミルクティーを楽しむのだろうが……この場にはミカがいた。

 彼女自身の性格もあるのだろうが、エデン条約事件やその後の学校生活でトリニティの生徒たちから受けた仕打ちやミカを含めた生徒の救済に奔走した先生との関わりから、ミカは少なからず先生に依存している節がある。

 その事を彼女自身が自覚しているのかどうかは分からないが、生徒たちが自立し、かつ穏やかに日常を享受することを願う先生としてはミカが自分に依存しきり世界を閉ざしてしまうのは避けたい事態だった。

 では、ミカの世界を広げるにはどうすればいいのか。

 簡単な事だ。先生以外にも信頼し、軽口を言い合えるほど仲の良い友人の輪を広げればよい。

 そういう訳で、今回は身を引き、自分のいないところでミカとナギサたちが触れ合う時間をもっと増やしてほしいと考えた先生は、ナギサからの誘いに申し訳ないという表情を浮かべ首を横に振る。

 

「いいや。ご相伴にあずかりたいのは山々だけど、残念ながらまだ書類仕事が終わっていなくて。帰って仕事を終わらせないと、色々と怒られちゃうから」

「あら、そうですか。残念です」

「──えっ、先生、まだ仕事があったの……?」

 

 社交辞令というわけではないが、先生のミカに対する態度(スタンス)を薄々察しているのだろう。ナギサは大したショックを受けた様子も無く軽く頷き、納得してみせる。

 それに対して、しまったという表情を浮かべたのはミカだ。

 なにせ、ナギサとセイアの剣幕に押されたとはいえ先生をこの場に呼んだのはミカ自身。ただでさえ先生が忙しい身であることはシャーレの当番などで知っているのに、仕事の残っているという先生に負担を掛けてしまった事でミカの脳内にぐるぐると自己嫌悪の濁流が溢れ出す。

 仕事を中断してまでも自分の所に来てくれたことを喜ぶ自分と、己の所業を棚上げするそんな感情を「醜い」を切って捨てようとする自分。

 そんなぐちゃぐちゃの感情に飲み込まれようとするミカに気付いた先生は、彼女を安心させようと微笑んで見せた。

 

「大丈夫。キリの良い所でミカのメッセージに気が付いたから、休憩がてら寄っただけだよ。今度シャーレの当番で来た時に、みんなで飲んだタピオカミルクティーの感想を聞かせてほしいな」

「う、うん……。でも、先生、ごめんね」

 

 先生のとりなしを受けて、一応の納得を見せるミカ。

 しかし、まだまだ不安定な所がある彼女を見て、セイアは内心大きな溜め息を吐きたい気分だった。

 無垢で純真そのものだったミカの心に刻まれてしまった大きな傷。その最たる原因は、他ならぬセイアなのだ。

 1度目は必要に迫られ、自らの死を完璧に偽装したせいでミカに要らぬ十字架を背負わせ。

 2度目は色彩に触れ、その狂気に飲まれかけていたとはいえ彼女を不必要に糾弾した上に目の前で血を吐き倒れてしまった。

 この2つの出来事がミカの心に決定的な楔を打ち込んだのは、エデン条約事件終息後に先生の口から語られた顛末から明らかだ。

 その責任と罪悪感を感じているセイアからすれば、先生に尻拭いをさせるというのは非常に避けたいことだったのだ。

 

「それじゃあ先生、ミカのレポートを楽しみにしていてくれたまえ。きっちり原稿用紙10枚以上の感想を書かせたうえで、先生の下へ持っていかせよう」

「あら、良いですわね。それならばミカさんの持ってきたタピオカが美味しくなかった場合にはミカさんへの罰となりますし……それに、一学生として出来の良いレポートの提出は身につけておいて損はありませんから」

 

 とはいえ、先生の配慮を無に帰すわけにはいかない。何でもない様子を装いながら、セイアは慣れない軽口を叩いてみせた。

 セイアの心情を理解したのかナギサからの援護射撃もあり、ミカの表情は幾分か柔らかくなる。

 

「……もう、2人ともひどすぎるよ。いくら私がバカだからって、そんな事しなくても感想くらいちゃんと伝えられるんだから」

「うん、そうだね。楽しみにしてる。……それじゃあ、後はよろしく」

 

 ミカの表情の変化を見て大丈夫と判断したのだろう、先生はミカ以外の3人にそう言い残してシャーレへと帰っていった。

 さて、突然の訪問だった先生の対応を終え、いざタピオカミルクティーの実食に臨むこととなったナギサは、少し湿っぽくなった空気を変えるように手を鳴らし、笑顔を浮かべる。

 

「それでは、調理実習室へと向かいましょう。今の時間であればどこの団体も使用していないでしょうし、私たちの自室で行うよりもしっかりとした設備で調理を行えますから」

「いちおう念のために聞いておくが……ミカ、君はまさか自分で持ってきたタピオカの詳しい調理法を知らない、なんてことはないだろうね? 私たちはタピオカミルクティーなるものに対して全くの素人だ。更に付け加えると、私とミネに至っては普段から料理を嗜まないから、こうした料理に関して力になることは出来ないだろう」

「セイア様、流石に私も自炊程度なら出来るのですが……」

 

 幼い頃から他者に(かしず)かれ、自分の手で料理をするという経験の少ないまま成長した自分はともかく、ナチュラルにミネを同類の料理が出来ない人間だとしたセイア。

 そんな彼女の失礼千万な言葉に、流石のミネも不満そうな表情を隠すことなく反論した。確かに救護騎士団の団長として日々「救護」に明け暮れる日々を送っているミネだが、野外での救護活動中に栄養補給として食事を摂ることもあるため、必要最低限の料理スキルは持ち合わせているのだ。

 確かに、タピオカに対する議論の際にはあまり口を挟まなかったが、それはあくまで護衛役としての役割を全うする為であり、決して料理に対する知識があまり無くて口出しすることが出来なかったから……などではない。

 などと、どこか言い訳のような考えを内心で巡らせるミネを他所に、セイアからの問いかけを受けたミカは笑顔で可愛らしく小首を傾げる。

 

「──え? これを煮込んでミルクティーの中に入れれば完成! ってことじゃないの?」

「「「……あっ」」」

 

 聖園ミカ(コイツ)、タピオカについてなにも理解していない。

 ミカの笑顔を見て即座にそう悟った3人は、先生からもっと詳しくタピオカについて──その調理法について詳しく聞いておくべきだったと後悔した。

 だが、後悔とは「後に悔やむ」からこそ後悔と書くのであって。

 こうして、タピオカ素人4人によるタピオカミルクティー作りが始まったのであった。

 

 

 インターネット。

 それは人類の英知の結晶とも呼べる代物であり、ここキヴォトスに暮らす生徒たちの生活を支えるインフラの一種でもある。

 多種多様なコンピュータをネットワークで繋ぎ、そのデータを通信・共有することで得られる恩恵は計り知れず。

 

「これで完成……だと、思うのですけれど……」

 

 インターネットの集合知の中には、当然というべきか「タピオカの調理方法」もあるのだ。

 火にかかり、ぐつぐつと煮えたぎる鍋を見ながら不安そうに呟くナギサ。

 無理もない。彼女の目の前で煮える鍋の中には、初めてタピオカを目にしたときに言った「キャビアのような」見た目の真っ黒な粒々がぎっしりと詰まっているのだから。

 いちおう自分の端末でタピオカの調理法を検索し、分かりやすく一連の流れを載せていた動画でも確認をした後なのだが、それでもやはり実際に目の当たりにしてみると、これが本当に正しい方法なのか自信がなくなってくる絵面だった。

 ナギサたちがいるのは、トリニティの校舎に設けられた調理実習室。

 お嬢様学校として名を馳せるトリニティとはいえ、そこに通う生徒たちは寮生を除きそのほとんどが自炊を必要とする一人暮らしだ。最低限の生活スキルは身につけられるようにと、教育カリキュラムの中に家庭科が組み込まれている。

 その中の1つ、調理実習で用いるのがこの部屋なのだが……。

 

「ナギちゃーん、私のタピオカミルクティーまだー?」

「ナギサ、慣れない食材を調理し、他者に振舞う不安は分かるが今はそれを忘れる時だ。君はしっかりとインターネットで情報収集を行い、そうして立派にタピオカを煮戻してみせたのだから、後はそれをミルクティーに投入し件のタピオカミルクティーを完成させて私たちと共にいただくだけ。違うかい?」

「初めてのタピオカにも関わらず見事な手腕です、ナギサ様。試食ならお任せください」

「貴女たち……他人任せで良いご身分ですね……!」

 

 ミカ、セイア、ミネの3人はこれ幸いと試食用に設置されたテーブルに陣取って傍観の構え。

 不服ながらも、料理スキルの低い3人に任せればタピオカがどんな暗黒物質(ダークマター)に化けるか分からなかったため、ナギサが1人でタピオカミルクティーを作る羽目になった。

 他人事だと思って好き勝手な言葉を言い放つ3人に青筋を立てながら、ミカの持ってきたタピオカパールを煮戻していくナギサ。

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋の熱で少し汗ばみながらも、振る舞いだけは優雅にあろうと努力していた彼女が違和感を覚えたのは、ミカが持ってきたタピオカパールを半分ほど煮戻した時だった。

 ──何か、少し量が多いような……? 

 ふと、暑さからではなく眉をひそめるナギサ。

 ミカが用意したのだから、と疑いもせずに用意された分をそのまま使おうとしていたナギサだが、今もぐつぐつと煮える鍋の横にこんもりと作られたタピオカの山を見て少し疑問を抱いたのだ。

 ここに先生がいれば、間違いなくナギサが煮戻しすぎる前にストップをかけたのだろうが、時すでに遅し。

 ティーパーティーとミネの4人で消費するには少し……いや、尋常じゃなく多すぎる量のタピオカパールが煮戻されて艶やかな黒色を取り戻していた。

 例えミルクティーに入れなかったとして、4人でこの量のタピオカを食べきれるのか? という考えが頭を過り、自分の間違いを薄々悟ったナギサだが、

 

「……ま、まあ、これはそういう物だとミカさんも言っていましたし……」

 

 そのまま押し通すことにした。

 そうして、煮戻したタピオカを用意した大きめのコップに()()、ミルクティーを()()()

 

「……ミルクティーが全く入りませんね」

 

 そうして完成したタピオカミルクティー()()が、ミカ達の待つ試食スペースに爆誕したのである。

 

「……」

「……」

 

 出来上がったタピオカミルクティーを前に調理実習室に生まれたのは、歓声ではなく沈黙。

 ……いや、もう誤魔化すのは終わりにした方が良いだろう。

 ミカ達の前にお出しされたのは、申し訳程度にミルクティーの茶色が滲む、コップ一杯の()()()()だった。

 

「ナギちゃん」

「……こ、これが、現在キヴォトスで流行しているというタピオカミルクティーですか! やはり紅茶として見ることは出来ませんが、こういった形の飲み物もあるのです──」

「ナギちゃん、こっち見て」

「……はい」

 

 それを見たミカはというと……笑顔だった。

 ただし、目は笑っていない感じの笑顔だ。

 どうにか勢いで誤魔化せないかと踏んだナギサだったが、静かに問い詰めるミカの雰囲気に観念し、がくりと肩を落とす。

 

「インターネットで調べたんだよね?」

「調べはしたのですけど、写真では気付けない発見もあったと言いますか……」

「私の買ってきたタピオカパール、きちんと袋に『業務用』って書いてあったはずだけど?」

「どうりでおかしいと思いました! 煮戻しても煮戻しても量が減らないと思って」

「ナギちゃん?」

「ごめんなさい」

 

 認めよう。

 ナギサは萎れていたタピオカパールが、黒く艶めくタピオカとなっていく過程を見るのが少し楽しくなっていた。

 つい調子に乗ってコップ4杯では足りない量のタピオカを煮戻してしまったのは事実だが、これについては言い出しっぺのミカの監督不行き届きとも言えるのではないか。

 そのような反論が浮かんだナギサだったが、今のミカには何も言い返せそうにない。

 粛々とミカの怒りを受け止めるナギサを横に、セイアは目の前のタピオカを見て確信を抱き頷いていた。

 

「──なるほど。今日の嫌な予感はこれだったか」

「セイア様、この量のデンプン──炭水化物を一度に摂取するのは健康の上でも非常によろしくないです。今からでも小分けにして、数回に分けて消費するべきかと……」

 

 生徒たちの健康を守る救護騎士団としてタピオカミルクティー改め炭水化物の塊を見過ごせないミネの言葉を、セイアは諦観を滲ませた表情で否定する。

 

「いや。先生も言っていたが、タピオカを含め一般的に煮戻した食品は長期間の保存が出来ない。出来れば今日中に消費しきるのが望ましいだろうね」

「であれば、今からでも注ぎ直して一般生徒たちに配布するなど」

「こんな馬鹿馬鹿しい失敗を喧伝する行為、エデン条約事件の影響でトリニティにおけるティーパーティーの権威が失墜している今では自殺行為だと思うが?」

「もはや体裁とかは関係ないと思いますが……。では、まさかとは思いますが、ここにいる私達で……?」

 

 健康とかそういったものの前に、人間として大事なものがごっそりと削られていきそうな未来を予感して、ヒクリ、とミネの表情筋が思わず引き攣る。

 テーブルに着いた全員の前に置かれたタピオカ(+ちょっとミルクティー)と、その中央にまるで祀るかのように置かれた5つ目のそれ。

 全員から等しく距離を置かれたそのコップを見つめながら、セイアは苦渋の決断を下した。

 

「……サクラコだ」

「はい?」

「ミネ、今からシスターフッドの本部へ行って、サクラコをここに呼んできてくれ。……せっかくコップが5つあるのだから、彼女も生贄に捧げて(まきこんで)しまおう」

「……了解です」

 

 こうして、トリニティの幹部たちによるタピオカとの連合作戦が幕を開けた。

 哀れサクラコ。頑張れサクラコ。君の覚悟が少女たちの血糖値やら体重やらを救うだろう。

 

 

 後日「もうタピオカはこりごりだよ~!」と先生に泣きつくミカの姿があったとか、無かったとか。

 

 






※煮戻したタピオカはトリニティ幹部陣とマリーが美味しくいただきました。



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第4話「こってり豚骨ラーメンと債務少女たち」



 作者はこってりした豚骨ラーメンが好きです。
 面白かったら感想とか高評価とかお願いします。



 

 

 その話がアビドス対策委員会に持ち込まれたのは、秋も半ばを過ぎ、徐々に近づいて来る年の瀬に合わせて肌寒さが増してくる、とある寒空の日だった。

 

「対策委員会で『キヴォトスラーメンエキスポ』に出店?」

「そう!」

 

 ナイスアイデア、と言わんばかりの輝かしい笑みを浮かべているのは、対策委員会の定例会議にて先述の提案を自信満々に述べた黒見セリカ。

 普段のセリカであれば、グラフィックボードで仮想通貨を発掘だの再生可能石油を畑で栽培するだのと、いかがわしい商売に引き寄せられては委員会の書記である奥空アヤネに説教されているのだが……今日の彼女は一味違った。

 今日もまたどこかの怪しげな集まりで紹介された詐欺まがいの提案をするのだろうなと雑に流す姿勢を取っていたアヤネは、きちんとした商売の香りがする提案を持ってきたセリカに驚いて思わずオウム返しに聞き返す。

 いつもであれば、いつになく真面目に提案したのに面食らった反応をするアヤネに対して反論の一つでも言うセリカだったが、今は機嫌が良いのか特に反応を示さない。

 そんな彼女が通学鞄から取り出した一枚のチラシを受け取って、対策委員会の委員長を務める小鳥遊ホシノはふむ、と考え込んだ。

 

「今度、復興が終わったシラトリ区で記念に行われるらしくて、ラーメンの売り上げのほかにお客さんの投票を一番多く集めた出店には賞金も出るんだって! 私が柴関ラーメンでバイトしてるし、けっこういい所までいけるんじゃないかと思って!」

「ん、柴関ラーメンでいつもラーメンを食べてる私たちなら、いける」

「なるほど~! アイドル活動はいったんお休みして、みんなでラーメン屋さんを開こうという訳ですね☆」

「そもそも私たちアイドル活動やってないからね!?」

 

 セリカの言葉に感情の読みにくいフラットな表情で同調したのは、アビドス対策委員会で遊びに行く以外にも趣味のツーリングの合間などで柴関ラーメンに寄ることの多い砂狼シロコ。

 これまで美味しいラーメンを食べ続けて来たおかげで、ラーメンの完成形が分かっている自分たちなら優勝確実……とはいかないものの、そこらの出店には負けないだろうという心意気のようだ。

 そんな彼女たちの後ろでなにやら怪しげな設定を持ち出している十六夜ノノミは、これから自分たちがやろうとしている事を理解しているのかいないのか、ほんわかした笑顔を浮かべたままだった。

 ノノミの言う「アイドル活動」とは、アビドス対策委員会とトリニティ総合学園にもう1人いるメンバーで構成された強盗団(ノノミとホシノ曰く昼はアイドルグループ)である「覆面水着団」の事を言っているのだとは思うが……。

 セリカとしては、たとえシャーレの先生が乗り気だとしても、自分たちがアイドルグループをやるつもりもやっているつもりもさらさらなかった。

 

「あわよくば賞金を狙いつつ売り上げも借金返済に充てられるとすれば、確かにこれまで私たちが提案してきたやつよりも健全でちゃんとした案かなぁ。でも……うへえ、おじさん飲食店の切り盛りなんて出来ないよ~。ふわあ」

 

 乗り気な他のメンバーを他所にそう言うと、大きな欠伸と共に机に伏せて昼寝の姿勢を取るホシノ。

 明らかに忙しくなりそうな気配を察知した昼行燈の無言の抗議だったが、対策委員会として5人一丸となって様々な学校存続の危機を乗り越えてきた今、そんなものを気にするような遠慮をホシノに持っている者はこの場に存在しなかった。

 

「じゃあ皆からの反対意見は無いし、ラーメンエキスポには参加決定ってことで。ホシノ先輩はアヤネや私と一緒に接客担当ね。ラーメンの調理はノノミ先輩とシロコ先輩に任せるから」

「うへえ、一番大変な所じゃ~ん! セリカちゃん、おじさんは試食担当が良いなあ……なんて」

「試食役って、出店する前にお役御免じゃない! いっつもぐーたら昼寝してるんだから、たまには真面目に働いてよね!」

「……うへ~、これは逃げられないかもなあ」

 

 さり気ない抗議をスルーされた上に、繁盛すればするほど忙しさが増していく接客を任されたホシノが抗議の声をあげるも、ぴしゃりとその反論を封殺したセリカの剣幕にすごすごと引き下がるしかなかった。

 と、半ばシロコたちを置いてけぼりにしたまま決定したキヴォトスラーメンエキスポへの参加であるが、セリカはふと、ここまでの会話に一番参加してきそうだったアヤネが一切参加していないのに気が付いた。

 普段から委員会の書記として、世間一般の常識からは()()ズレているらしい自分たちを根気強く説教したり働きに出させたりしているアヤネが、降って湧いたこの儲け話に無反応なのはどうしたことかと気になったセリカが彼女の方を見ると。

 

「セリカちゃん……! こんなに、こんなに立派になって……!」

「いや、なんで泣いてるの!?」

 

 普段からネズミ講や仮想通貨、投資詐欺など怪しい商材に引っ掛かっては胡散臭い提案ばかりをしていたセリカの成長を受けて、感動の涙を流していた。

 委員長であるホシノはギャンブルで一山当てるやら埋蔵金を発掘するやら実現性の低い一発を狙うばかりで、シロコは銀行を襲うだの他学園の生徒を攫ってくるだの犯罪まがい──いや、完全に犯罪行為を提案してくる。

 一番常識人に思えるノノミは週末に皆でピクニックに行こうとか、もう完全にアビドス高等学校の借金返済など眼中にない様子で金策なんて提案しないため、近頃のアヤネは半ば諦めの境地で自分の探してきたアルバイトに委員会のメンバーを派遣する日々が続いていたのだ。

 それだって失敗しては生まれた被害を対策委員会名義で弁償する羽目になるような事態が良くあったというのに……ここにきてセリカの提案した、ラーメンエキスポへの出店。

 犯罪でもない、賭けの悪いギャンブルでもない、まともで稼ぎの良さそうな金策。

 それを、自分が教えたのでもなく()()セリカが持ってきたのだ。

 まず最初に夢かと疑っていたアヤネはまるで、自分の産んだ赤ん坊が初めて立つのを見守ったかのような感動に打ち震えていた。

 

「ようやく、ようやく、私が求人雑誌を読み漁ってそれぞれ先輩たちでも失敗しなさそうなアルバイトを見つけることも、送り出している間中、先輩たちのバイト先から怒りの電話が来ないか怯えながらアルバイトをする必要も無いんだ……!」

「……その、なんかごめん。アヤネ」

「おじさんたち、これからはもうちょっとしっかり定例会議で提案するね……」

 

 アヤネの言葉に思い当たる節がいくつもあったのだろう。

 セリカたちは罪悪感から思わず目を逸らしながら、もうすこし委員会活動を真面目に頑張ろうと心に刻むのであった。

 

 

「ん。とりあえず、このラーメンエキスポで優勝を狙おう」

「うんうん! 幸いなことに柴関ラーメンのご主人からも協力を受けられるみたいですし、この勢いのまま優勝を狙っちゃいましょう!」

 

 さて、そんな一幕がありつつもキヴォトスラーメンエキスポへの参加と、優勝への挑戦を決めたアビドス対策委員会。

 お世話になっている柴関ラーメンの主人にエキスポへの出場を伝えると、どうやら柴関ラーメンは今回の出場は見送る予定だったらしく、対策委員会への協力を申し出てくれたのだ。

 日頃から柴関ラーメンで様々なラーメンを食べており、それを通じて美味しいラーメンとは何なのかを知っているセリカたちであっても、作り方に関しては素人。

 その道に生きる職人の支援が受けられるなら、それは願っても無い幸運だった。

 そういう訳で、アビドス分校の校舎にある調理実習室を使って早速ラーメンの試作を、と意気込んだ対策委員会だったが、ここである問題が発生した。

 

「……あ~、そういえば、普段はおやつとか購買部で済ませちゃうからここは使わないんだよねえ」

「今から掃除したとしても、砂が積もっていた場所で料理をするのは衛生的にちょっと……」

「人手が少ないっていう弱点がさっそく足を引っ張ってる感じね……」

 

 分校といえ、しっかり学び舎として建てられた校舎には調理実習室がある。あるのだが、対策委員会の5人で普段使っている本棟から離れた別棟にそれは設けられていたため、掃除の手が行き届かず砂に埋もれてしまっていた。

 浪費を避けるためにシャットアウトしていたガス栓や水道の整備などもしなくてはいけないが、ここにいる5人で今から掃除をすれば一日でなんとか使えるレベルにまでは復旧できるだろう。

 しかし、ラーメンエキスポで対策委員会が狙っているのは優勝。ただでさえ素人である彼女たちにとって一日でも時間が惜しい上に、掃除したとはいえ砂の積もっていた場所で料理をするのは些か抵抗感が強い。

 どうすれば、と砂まみれの調理実習室を前に悩む4人を他所に、シロコはスカートのポケットから端末を取り出すとどこかへと連絡を取り始めた。

 

「──ん、ありがとう先生。それじゃあ、皆で今からシャーレに向かうから」

「……もしかしてシロコちゃん、今の電話の相手、先生?」

 

 少しのやり取りのあと通話を終えたシロコに、ホシノが質問する。

 ただでさえ対策委員会の顧問として迷惑をかけているのに、先生にこれ以上の負担を掛けるのは、と及び腰なホシノを他所に、シロコは何でもない様子で彼女の質問に首肯した。

 

「うん。シャーレの食堂を使わせてくれないかって聞いたら、良いって言ってくれたから」

「そういえば、シャーレには調理実習用も兼ねた食堂がありましたね~。私も何回かあそこでお昼を食べました!」

 

 シロコの連絡した相手は、他でもないシャーレの先生。

 丁度デスクワークに勤しんでいた彼は、食堂を使いたいというシロコの願いに快く許可を出したのだ。

 どうして対策委員会が総出で料理をするのか、詳しい事情の説明はまだ受けていない先生だが……生徒が困っているのを前にして、みすみす放っておくような人物ではない。

 そして生徒の抱える問題を解決することを特に手間だとか面倒だとか思うような人物でもないため、今回のようなちょっとしたお願いなど、これまでに先生が奔走してきた諸問題に比べれば可愛いものだった。

 そういう訳で、アビドス対策委員会はしばらくの間、シャーレの厨房にてエキスポに出品するためのラーメン開発に勤しむこととなったのである。

 

 

 それから数週間後。

 今日も今日とてアロナたちの力を借りつつシャーレに持ち込まれた大量のデスクワークを終えた先生は、仕事の疲れを癒すため居住区にある食堂にやってきていた。

 体を激しく動かすようなことはないものの、頭を使いながら書類やディスプレイと睨めっこし続けるデスクワークは中々に体力を消耗する。これも生徒のためということで、デスクワーク自体に拒否感は無い先生だが……それはそれとして、疲れはたまるのだ。

 このところ立て続けに起こった騒動で過労気味だった先生に対し、自主的に健康面のサポートを行ってくれている生徒の1人である鷲見セリナからは「仕事を終わらせた後はしっかりと休養を取るように」とも言われているため、先生は仕事終わりの休憩がてら対策委員会の様子を確認しようと思い立ったという事である。

 

「あ、先生! 今日も来てくれたんですね~☆」

 

 食堂に入ると、先生に気付いたノノミが笑顔で出迎えてくれた。

 そのほんわかした笑顔に癒されながら、先生が案内された席に座ると、厨房の奥からヨロヨロと干からびた何かが歩いてきて、

 

「……あ、先生だ。うへ、元気? おじさんはねえ……ガクッ」

「ほ……ホシノッ!?」

 

 席に着いた先生にへらりと笑いかけると、そのまま事切れるように食堂の床に倒れ込んだ。

 尋常ではない様子のホシノに慌てて駆け寄り、彼女の小柄な体を抱き上げた先生だったが、自身の腕の中で力尽きたように寝息をたてる横顔を確認して、安堵の息を吐く。

 

「ううん、ラーメンはもう……。おじさん、血が豚骨になっちゃうよ……うへえ……」

「いったい今まで何が……」

「ん、先生。待ってた」

 

 食堂の椅子を何個か寄せ集め、簡易的なベッドとしてホシノをそこに横たえた先生。

 だが、そこで寝ている間も時折苦しむようにうわごとを呟くホシノの様子を見て頬を引きつらせる先生の下へ、シロコがやって来た。

 ノノミやホシノも同じく服装は普段の制服から一変。アビドス高校指定の体操服に着替え「らぁめんあびどす」なる屋号のプリントされた腰巻きのエプロンと白タオルを頭に巻いたその姿は、立派なラーメン職人へと変貌している。

 そんなラーメン職人シロコの手には出来立てと思わしきラーメンの丼があり、彼女はそれを先生の前へと置くと自信たっぷりといった表情で口を開いた。

 

「今日のは自信作。さっき試食したホシノ先輩も美味しいって言ってた」

「そのホシノは今そこで魘されてるんだけど……」

「違うよ、先生。あれは余りの美味しさに夢の中でも感動しているだけ」

「そうなんだ……」

 

 ラーメンが追いかけてくるよ~、おじさんの匂いが豚骨になっちゃう~など明らかに感動の類ではない寝言がホシノの横たわる場所から聞こえてくるが、そこにツッコんではいけないのだろう。

 アビドス対策委員会の闇を垣間見て内心冷や汗を流した先生だったが、目の前に置かれたラーメンの香りに惹かれてそちらに視線が引き寄せられる。

 先生の意識がラーメンに吸い寄せられたのが分かったのか、悪夢に魘されるホシノを少し楽しそうに介抱していたノノミがラーメンの説明を始めた。

 

「そちらが、今回出品予定のアビドスラーメン(仮)(カッコカリ)です☆ 柴関ラーメンのご主人の協力の元、試食役を買って出たホシノ先輩の意見を参考に何回も試作を重ねて作り上げた、現時点で最高の一杯ですよ~! ささ、ズズッといっちゃってください!」

「ああ、うん。ホシノがなんでそうなっているか大体分かったよ……。そういえば、アヤネとセリカは?」

 

 ノノミの説明で、ホシノが魘されている理由の一端を知った先生。

 軽い気持ちで試食役を買って出たホシノの自業自得、といえばそこまでなのだが、それにしたってこのように魘されるまでラーメン漬けになるのは可哀そうな気もする。

 なんとも言い難い目をホシノに向けつつこの場にいない2人の行方を聞いた先生に、一旦休憩するのだろう、頭に巻いていたタオルを外しながらシロコが答える。

 

「ん、2人は柴関ラーメンでアルバイト。セリカだけがラーメン屋での接客を学んでいる状態だったから、アヤネにも柴関ラーメンでバイトしてもらって接客面の隙を無くす」

「その間に私たちで最高のラーメンを開発する、という分担です☆」

「なるほど、よく考えてるね」

 

 どうやら、セリカたちは一時的に柴関ラーメンでのアルバイトを増やしてもらって接客の仕方を学んでいるらしい。

 百聞は一見に如かずというように、知識を蓄えるのも大事だがセリカたちのように実地であれこれ試行錯誤するのは良い成長のカギとなる。

 トリニティで補習授業部の顧問をしている()()としても上手いと思う的確な役割分担に、思わず感嘆する先生。

 同じ接客担当であるはずのホシノは柴関ラーメンで学ばなくて良いのかという疑問が無いわけではないが……まあ、ホシノの性格を考えればこうして試食役をさせるのが良いのだろう。

 そうして出来上がったらしい香ばしい豚骨の匂いを漂わせるラーメンを前にして、先生は自らの空腹を自覚した。おやつとしてお気に入りのチョコチップクッキーを食べてはいたものの、それはあくまで小腹満たし。

 こうしてガッツリ食べられるものを目の前にお出しされると、胃袋が反応してデスクワークで忘れかけていた先生の食欲を呼び起こすのである。

 

「うん。それじゃあ、ありがたくいただこうかな」

「は~い! どうぞご賞味ください☆」

「ん、味はホシノ先輩が保証する」

 

 自覚した途端、我慢できそうにない程に湧き上がってきた己の食欲に従って、対策委員会謹製のラーメンを食べることにした先生。

 食前の合掌ももどかしく、箸を手に取ると麺を啜った。

 実験台(ホシノ)によって最低限の味の保証はされているとはいえ、やはり日頃から世話になっている先生に食べてもらうとなると緊張するのだろう。

 固唾を呑んで見守るシロコとノノミの視線の先で、しばらくの間先生の麵を啜る音だけが響く。

 麺を啜り、上に乗っていた焼豚(チャーシュー)を齧り、こってりと濃厚なスープを飲み。

 最後に両手で持ち上げていた丼をテーブルに置いた先生は、一呼吸置いた後に笑顔で呟いた。

 

「うん、とても美味しいよ」

「本当? 嬉しい」

「わあ! ホシノ先輩が頑張って試食した甲斐がありました~!」

 

 柴関ラーメンの主人からラーメンの作り方を習っているということで、ベースとなっているのはやはりあの店の目玉商品である「柴関ラーメン」だ。

 しかし細かな風味や使われている具材など、所々に先生も食べたことのある柴関ラーメンとの違いがあり、十分なオリジナリティを持ったこれは「対策委員会のラーメン」だと言える。

 提供するのに必要な時間を短縮する為だろうか、キヴォトスでは珍しい硬い麺でしっかりとした歯応えがある。

 だが時短のために味を犠牲にしたわけではなく、硬くとも麺がほど良くスープを吸っている事によって、ラーメンの本分ともいえるスープの味をしっかりと麺に寄り添わせる事に成功していた。

 焼豚も市販品のもので済ませた訳ではないらしい。

 一口齧ればはっきりと分かる、先生がいつも忙しい時に食べるカップ麺に入っているフリーズドライ焼豚では絶対に出せない柔らかい歯ごたえと、対照的にさっぱりとした味わいが豚骨スープの濃厚な旨味とのコントラストとなって、非常に印象深い味わいとなっている。

 また、長時間煮込まれた豚骨のコラーゲンがたっぷり溶け込んだ特製のスープは少しのとろみを感じさせる舌触りとなっており、本家よりも明確な豚骨の風味と濃厚な旨味を楽しむことが出来る。

 デスクワーク主体で体はあまり疲れていなかった先生には少し塩気が強いと感じたものの、キヴォトスラーメンエキスポの当日は、会場を訪れた客はみな外で食べるという。

 であれば、この塩気の強さは会場を歩き回る客にとっては良い刺激となるのではないだろうか。

 また、本家よりもスープが濃厚になったことで豚骨スープの持つ独特の匂いは強くなっており、先生のように豚骨の匂いに忌避感の無い者であれば気にすることはないだろうが、反面嗅覚の敏感な人や豚骨の匂い自体を嫌う人には好かれないだろう。

 総合的に評価すれば、確かに美味しいが()()()()()()()()()()()()、といった所か。

 しかし、万人受けしないということは、裏を返せば明確なターゲットが存在するという事。

 そしてそのターゲットは恐らく、ラーメンエキスポというラーメンが主役であるお祭りに来てまでラーメンを食べるほどのラーメン好き。

 つまり──()()()()()()()()()()だ。

 勝ちに来ている。

 アビドス対策委員会は、このキヴォトスラーメンエキスポにおいて、本気の本気で優勝を狙いに来ていた。

 

「まさか、ここまで狙いすました『ラーメン』をお出しされるとは思わなかったよ。これも柴関ラーメンのご主人から?」

「ううん、私たち──というより、アヤネとセリカが考えた。素人が最初から万人受けするラーメンを作ろうとして成功するはずがないから、最初からターゲットを絞って、多少ムラが出来ても良いからそれに合わせたラーメンを作るべきって」

「本気だね、2人とも……」

「ん、だからこうして私たちも、ホシノ先輩も頑張ってる」

 

 先生とシロコの目が、ノノミの膝枕で安らかに眠るホシノへと向けられる。

 ここ数日の集中ラーメン漬け生活で魘されているのは本当なのだろうが、そうなっても逃げだすことなくラーメンの試食を続けていたのは、やはり後輩たちが頑張っているからだろう。

 もちろん、ノノミとシロコだって慣れないラーメン作りを初めてから、たった数週間でここまで仕上がったラーメンを作れるまでに上達している。

 自分たちは素人だからと一切の妥協をせずに、寝る間も惜しんでラーメン作りの技術を磨き上げたのだ。

 

「セリカちゃんもアヤネちゃんも、すごく頑張ってるんですよ~? ラーメンの材料だって、私たちが用意できる予算の中で抑えつつ、それでも美味しい食材を卸してくれるところを探して揃えてくれてるんです」

「どうしても確保できなかったものは柴関ラーメンのご主人から伝手を紹介してもらってる所もあるけど、基本的な材料はだいたい2人が見つけてきた」

 

 そう言って、この場にはいない2人を褒め称えるシロコたちの表情はどこか誇らしげだ。

 それもそうだろう。アビドス高等学校は自然災害によって約9億もの借金を抱えており、日々生徒たちがアルバイトで日銭を稼ぐことで月々の利子や借金を返済するという苦しい生活を強いられている学校だ。

 当然、生徒たちの中にはその生活に耐え切れずに逃げ出した者も少なくなく……。そんな中でも、火の車となっているアビドスから去らずに自分たちと一丸となって借金返済を頑張ってくれている後輩が、こんなにも頼もしく金策を頑張っているのだ。

 シロコたちにとってセリカとアヤネは、もう自分たちが守り、導いてあげる必要のない立派なアビドス高等学校の学生となっていた。

 

「そっか」

 

 そんな彼女たちの様子を見て、先生も優しい微笑みを浮かべる。

 アビドス対策委員会は、先生が連邦捜査部シャーレの顧問になってから初めて本格的な活動を行った相手だ。

 セリカの誘拐やブラックマーケットでの銀行強盗、果てはゲマトリアの一員で先生と長い対立関係となる黒服との初対峙など、着任してから1年以上が経過した今でもつい昨日の事のように思い出すことが出来る。

 あの時に比べて、アビドスどころかキヴォトスを巡る様々な危機やトラブルを乗り越えた対策委員会の少女たちは、見違えるほどに成長していた。

 しかし、成長したといっても彼女たちはまだ子供。教え導く存在である先生から見ればまだまだ未熟な部分のある、大人が責任をもって守るべき生徒たちだ。

 

「うん、ラーメンについて私が言えることは無いかな。まだエキスポの開催まで時間がある今の段階でこんなにも美味しいラーメンを作れるんだ、きっと優勝だって狙えるよ」

「ん。もちろん、セリカたちやホシノ先輩の頑張りを無駄にしないためにも、狙うのは優勝」

「うんうん! みんなで頑張って、覆面水着ラーメン団の初陣を成功させましょう☆」

 

 それでも、生徒の成長を喜ばない先生はいない。

 先生の言葉を聞いて、シロコとノノミはやる気満々といった様子で好戦的な笑みを浮かべた。

 

「それに、いざとなったら秘策もある」

「秘策?」

 

 笑顔のまま首を傾げた先生に頷き、自信に満ちた表情のまま、シロコはハーフパンツのポケットから()()()()を取り出した。

 それを見た瞬間。

 先生の笑みは凍り付き、彼女の言う「秘策」の内容を完全に悟る。

 けれど悲しいかな、対策委員会の中でシロコの秘策について先回りして注意できる者は夢の世界に旅立っていて。

 

「──ん、他の店を襲うの」

 

 額に大きく「2」と刺繍されたお手製の青い目出し帽(2代目)を被ったシロコは、それが当然といった口調でそう宣言するのであった。

 

「いや駄目だよ!?」

 

 思わず大きな声でシロコに叫ぶ先生。

 その声に反応してか、ホシノが唸りながら寝返りを打ったが起きる気配は無く。

 先生の言葉に、目出し帽を脱いだシロコはどこか不服そうな表情を浮かべて反論する。

 

「でも先生、競争相手がいなくなれば必然的に私たちが1番になれる」

「そうだけど! そうだけど……色々と駄目だよ! ある意味銀行強盗より悪質だからね!?」

「そうなの……?」

 

 正にしぶしぶ、といった様子で目出し帽をしまうシロコ。秋の晄輪大祭でも徒競走のコースにロケットランチャーを撃ち込もうとした前科のある彼女は、競争相手を暗闘で勝負の舞台から引き摺り落とすことは互いに当たり前の手段として考えられている節がある。

 これで相手のラーメンに虫だの変な薬だのを入れると言い出さない辺り、キヴォトスにおいて最低限の倫理観は持ち合わせているのだから恐ろしい。

 先生はどうして止めないの、と言いたげな目でノノミを見るが、彼女は彼女でニコニコと笑顔を浮かべるだけ。

 競争相手に襲い掛かる非道さを理解してはいるものの、ノノミも必要に応じれば相手を襲う事になんの躊躇も無い──というより持ち前のノリの良さでシロコと一緒に相手を襲いだす生粋のキヴォトス人であった。

 さて、どうしてシロコに説明したものやら。先生が頭痛を堪えるように額に手を当てながらそう思い悩んでいると、

 

「シロコちゃん、それは駄目だよ」

「ホシノ先輩」

 

 いつの間にか目を覚ましていたホシノが、いつも通りの眠たげな瞳でシロコを見つめていた。

 左右で色の違う瞳に見つめられ、シロコは悪戯の見つかった悪童のように目を逸らす。

 

「せっかくセリカちゃんとアヤネちゃんが頑張ってお膳立てしてくれたんだし、ここはおじさんたちもエキスポのルールに則って、正々堂々と勝負しなきゃ」

「……分かった。先生とホシノ先輩がそこまで言うなら」

 

 静かに、ただしこれだけは譲らないという固い意志の感じられる声でそう諭され、シロコは遂に他店への襲撃計画を諦めた。

 思いのほかすんなりと説得が終わり、先生も安堵で胸を撫で下ろす。

 そんな彼を横目に、ホシノはぐぐっと背伸びをすると、うんざりした様子で大きなため息を吐いた。

 

「そう、正々堂々と勝負しなきゃなんだけど……。うへえ、まだ体の中を豚骨スープが循環してる気がするよ~。このままじゃおじさん、体の7割が豚骨スープになっちゃうかも」

「頑張ってください、ホシノ先輩。私とシロコちゃんでもっと美味しいラーメン、作りますから! 絶対優勝しましょう~!」

「ん。それじゃあ他の店を襲わなくても優勝できるくらい美味しいラーメンを作ろう。ホシノ先輩、試食と感想はお願い」

「ま、まだ食べないといけないの~? うへ、流石におじさんも飽きてきたよ~!」

 

 弱音を吐くホシノに、ニコニコ笑顔で彼女の退路を塞ぐノノミ。

 トドメにシロコから試食役の続行を告げられて情けない叫び声をあげたホシノを、先生は苦笑いと共に見守るのであった。

 

 

 キヴォトスラーメンエキスポまであと2週間。

 実地研修で接客技術を磨き、優勝するために試行錯誤を重ねて最高の豚骨ラーメンを作り上げた彼女たちは、とある強敵と相まみえるのだが……それはまだ少し先のお話。

 

 

 






 次回で初回のアンケート分は消化し終えるので、次のアンケートを取ります。
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第5話「ペロロ風肉まんと赤点少女たち」



 少しずつ感想や評価が伸びていて嬉しい作者です。
 もっといただけたら小躍りしながら喜びます。





 

 

「──重大発表があります」

 

 お洒落のためなら寒さも我慢する少女たちが耐え切れずに防寒具を身に着け始める、とある秋の昼下がり。

 トリニティ総合学園の校舎、その一室にて。

 いつになく真剣な表情を浮かべた少女、阿慈谷ヒフミの言葉に、彼女と同じ補習授業部に所属している生徒の下江コハルと浦和ハナコはごくりと唾を飲み込んだ。

 トリニティの現生徒会長、桐藤ナギサの策略による補習授業部退学の危機からエデン条約締結を巡る騒動、果てはキヴォトス存亡の危機にまで相対してきた彼女たちであるが、それらの出来事より遥かに突拍子も無く、そして()()なことを言いだすのが部長であるヒフミだと経験則から理解しているからだ。

 

「ああ、とても重要な案件だ」

 

 とはいえ、ヒフミも世間一般からしてみれば「普通」の域を脱しないただの女子生徒。

 そんな彼女の言葉にどうしてここまでの警戒を示すのかといえば……主にヒフミの隣で、したり顔で頷いている少女のせいだ。

 白洲アズサ。

 彼女もまたヒフミやコハルたちと同じ補習授業部の部員であり、あのエデン条約を巡る騒動では重要な立ち位置を担っていた転校生である。

 アズサはその特殊な生い立ちからキヴォトスに生きる一般生徒とは比べ物にならないほどの武力や特殊な技能(スキル)を身に着けており、それでいて世間知らずな彼女は親友であるヒフミのためにその力を振るっては騒動を大きくしてしまうところがあるのだ。

 もっとも、アズサの力を抜きに考えたとしても、ヒフミの特定分野に対する常軌を逸した行動力や謎に広い人脈が騒動の発端となることもままあり……今回のように2人が揃って真剣な表情をしている時はだいたいが「あのキャラクター」についてなのだとコハルたちは経験してきていた。

 

「これを見てください」

「なにこれ、チラシ?」

「キヴォトスラーメンエキスポ……ああ、復興の終わったD.U.シラトリ区で近々開催されるという、ラーメンがテーマのお祭りですね」

「復興が終わった記念にお祭りをやるのは理解できるけど……なんでラーメンなのよ」

 

 いつも肌身離さず背負っている鞄から一枚のチラシを取り出したヒフミは、それを4人の集まっていたテーブルの上へと広げる。

 そこに書かれていたのは『キヴォトスラーメンエキスポ』という題名と、開催される日時、そして会場となるシラトリ区の公園の名前だった。

 トリニティ自治区外とはいえ、それなりに宣伝のされている祭りなのだろう。SNSのトレンドなどで見た覚えのあったハナコは、自身の知るラーメンエキスポに対する知識を呟き、しかしあまり「あのキャラクター」と関係のなさそうな話題に、不思議そうな表情とともに首を傾げた。

 ハナコの知識が合っていたのだろう、何故か満足げに頷いてみせたアズサは「だが、それでは足りない」という言葉と共に、チラシの下半分に書いてあったやけに目を引く数行の文字列を指さした。

 復興の終わったシラトリ区のイメージ写真を背景に、SNS映えしそうなお洒落さのデザインが施された上半分とは対照的に、イラストソフトを初めて使った素人が数分で作成したような原色そのままの虹色フォント──俗に「クソダサフォント」と呼ばれる文字たちで構成された良く言えば手作りの温かみを感じるそれには、

 

『会場内の限定ラーメンショップにて、ここだけのオリジナル「ラーメンペロロ」ストラップを配布します!』

 

 という文言が書かれていた。

 ペロロ。

 そう、ペロロである。

 その3文字を見た瞬間にコハルとハナコは全てを察し、そして2人が逃れることの出来ない未来の騒動に想いを馳せて遠い目のまま何処かを見つめる。

 それは運命を受け入れた死刑囚のようであり、穏やかな諦観に満ちた瞳だった。

 

「私もまだ見たことがない、新しいペロロ様……! みすみすこれを逃すなんて、モモフレンズファンの端くれとして出来ません!」

「ああ。前回のペロロジラは残念な結果に終わったが……今回は違う。数量限定ではあるものの、ラーメンペロロストラップはこの店でラーメンを購入した全員に配られるらしい。確かな筋からの裏取りも済ませた、これは行くしかない」

「更にですね、このラーメンショップがエキスポで優勝した暁には、投票した人全員が対象のラーメンペロロ様の特製ぬいぐるみ抽選会も行われるそうなんです! だから私たちもこのお店の優勝に貢献して、ラーメンペロロ様のぬいぐるみをゲットしましょう!」

「ああ、うん。もう私たちがここに行くのは決定してるんだ……」

「ふふふ、コハルちゃん。時には諦めも肝心ですよ?」

 

 乾いた笑みを浮かべながら呟くコハル。

 ヒフミとアズサが言う「ペロロ様」とは、彼女たちが愛好するキモカワ……いや、ブサカワ系マスコットシリーズ「モモフレンズ」という中の一体なのだが、コハルとハナコは別にその名状しがたい外見のマスコットたちの事が好きでも嫌いでもないのだ。

 どちらかというと、()()()というネーミングに不健全な匂いを(勝手に)感じ取ったコハルは嫌いなまであるのだが、そんなこと2人のペロロ愛の前では塵も同然。

 補習授業部の4人で遊ぶことに関しては普段から乗り気なハナコがヒフミたちに反対するわけも無く、民主主義に則った多数決によって、補習授業部は今週末に開催されるというキヴォトスラーメンエキスポへ遊びに行くこととなったのだ。

 

 

 そして、週末。

 来たるラーメンエキスポ当日を迎え、ヒフミたち補習授業部の4人はトリニティ自治区を飛び出し、復興の終わったD.U.シラトリ区へとやって来た。

 キヴォトス存亡をかけた決戦の最中、突如出現した巨大怪獣ペロロジラと、同じく突如出現した巨大ロボットKAITEN FX Mk.(インフィニティ)との大激突によって崩壊したシラトリ区は、決戦後に行われた連邦生徒会主導による復興作業で元の平和な街並みを取り戻していた。

 あの赤く染まった空が幻だったかのように青く澄み渡る快晴の下、非売品かつ限定品であるラーメンペロロストラップを手に入れられる興奮で頬を赤く染めたヒフミとアズサは、2人仲良く並んで会場の公園へと向かい──。

 

「……こ、これは?」

「えっと……皆、エキスポに出店する方々なんじゃ……ないかな?」

 

 公園の敷地を大きく飛び出してずらりと並ぶ、大勢の客を目の当たりにした。

 時刻は午前7時。余裕をもってエキスポ開催の3時間前にやって来たヒフミたちだったが、エキスポの会場前にはそれすらも上回る熱量を持った人々の群れが出来上がっていた。

 休みの日に、ここまで早い時間に外出することなど無いのだろう。

 口をもごもごと動かし寝ぼけ眼のままフラフラと歩くコハルをそっと支えながら、ハナコは冷静に集まっている客層の分析を行う。

 

「いえ、彼らはエキスポに出店する方たちではなく……純粋に、このエキスポへラーメンを食べに来た方たちなのではないでしょうか?」

「純粋にラーメンを食べに来た人たち!?」

「ペロロストラップを貰いに来たのではなく!?」

「それメインで来ているのは多分私たちだけだと思いますけど……」

 

 まるで信じられないものを見た、とでも言うようにハナコの方へ振り返る2人。

 コハルがまだお眠なため、いつものように不健全な発言で場を賑やかすことも出来ず狂信者たちのツッコミ役へとなるしかないハナコを他所に、ヒフミとアズサは会場前にたむろする人々をじっと観察していた。

 だからだろうか、

 

「……待て、ハナコ。それは少し違うと思う」

 

 集まった人々の多くにあった「ある違和感」に気付いたアズサは、少し眉をひそめてその違和感を確信へと変えるべく更なる観察を行う。

 それに続き、同じく何かに気付いたヒフミも不思議そうな表情で首を傾げた。

 

「あのお客さんが持っているトートバッグ……日焼けでプリントが薄れてますが、確か数年前に廃刊になったモモフレンズクラブ増刊号の特別付録だったような……。あっ、あっちのお客さんが手首に着けているミサンガ、あれはファンの間で『幻のグッズ』として有名な正月限定ペロロ神社の!」

「ああ。ここに集まっている客の半数以上が、皆なにかしらのモモフレンズグッズを持っている。それも……今では入手の難しい付録や限定品ばかりだ」

「えっと、その……つまり?」

 

 ゲリラ戦の極意を叩きこまれ、相手の性格や癖を見抜くための観察眼を養ったアズサはまだしも、完全なるペロロへの愛でそれと同等の分析を行ったヒフミ。

 そんな彼女たちの言葉を受けて、ハナコの実は優秀な思考回路が一つの回答を導き出すものの……まさかそこまでモモフレンズが人気だとは夢にも思っていなかったハナコは、信じたくないような複雑な心境で2人へ問いかける。

 そんなハナコの問いかけに、これから補習授業部に待ち受けているだろう厳しい戦いに向けて闘志を燃やすヒフミとアズサは厳かな声音で告げる。

 

「ハナコ、これは厳しい戦いになるぞ」

「ラーメンペロロ様のストラップ、絶対にゲットしましょうね!」

 

 こうして、予想を遥かに超える高倍率の競争を戦い抜くこととなった補習授業部の4人だったが……現在午前7時を少し過ぎたところ。

 キヴォトスラーメンエキスポの開催は午前10時からのため、公園から仕込みを終えた各種ラーメンの良い匂いが漂う中、ヒフミたちは長い待ちぼうけを食らうのであった。

 

 

 それから3時間後。

 この日のために朝食を抜いてまで会場へとやって来たヒフミたちだったが、花も恥じらう女子高生といえど近隣まで漂ってくるラーメンの暴力的なまでに食欲をそそる匂いには抗うことが出来ず。

 午前10時を迎え会場である公園に入場する頃には、すっかり飢えた狼のように空きっ腹を抱えてしまっていた。

 本来であれば、ヒフミたちよりも前から開場待ちをしていた人々に負けぬよう、一目散にラーメンペロロストラップを確保しに行く予定だったのだが……ようやく入場できた会場は、あちらこちらから美味しそうなラーメンの香りが漂ってくる。

 ペロロへの愛が青天井なヒフミであるが、そんな彼女もヘイローをもつ普通の人間。三大欲求の一つである食欲から完璧に抗うことは出来ず、ちらちらと他の出店へと視線を散らせてしまっていた。

 それが命取りとなったのだろうか。

 

「すみません、ラーメンペロロストラップはもう無くなってしまってて……」

「そ、そんなぁ……」

「やはり、全ては虚しいものなのか……」

 

 お目当ての限定ラーメン店へとたどり着いたころには、既にラーメンペロロストラップの在庫が尽きているという残念な結果に終わってしまったのだ。

 見本として飾られていた、スープの入った丼に頭から突っ込み苦し気に藻掻くペロロのストラップを名残惜しそうに見つめるヒフミとアズサだったが、店員からは「そちらはあくまでも見本でして」とそれの配布を断られ、かつ1つだけストラップを確保出来たとしてもそこに意味は無く。

 結果、公園の隅で「どこまでいっても全ては虚しいものである」というかつての教えを呟くアズサと、絶望から膝をつくヒフミの姿があった。

 

「たかだかストラップくらいで、何を大袈裟な……」

「こーら、コハルちゃん。コハルちゃんも好きな官能小説を買い損ねたら悲しいでしょう?」

「べっ、別に悲しくないし! ていうか、私はそんなエッチなものなんて買わないんだから!」

 

 ようやく目を覚ましたコハルは呆れた表情でショックを受ける2人に声を掛けるが、その言い方を諫めるハナコの言葉に顔を真っ赤にして反論する。

 とはいえ、憎まれ口を叩きつつもコハルはしっかりとヒフミたちに朝から付き合っているのである。言葉とは裏腹に2人を心配していることは、この場にいる全員に伝わっていた。

 ハナコのからかいに反応してぎゃーぎゃーと喚くコハル。

 そんな少女たちのじゃれあいを背景に。

 

「……まだだ」

 

 絶望の淵に立たされていたアズサの瞳に、意志の炎が灯る。

 

「まだ挫折している場合じゃない。ヒフミ、まだ私たちにはぬいぐるみ抽選会がある……!」

「……!」

 

 アズサの言葉を聞いて、ヒフミもゆらりと立ち上がった。

 自分たちの油断から、愛は負けていないという慢心から、限定ストラップの確保には失敗した。

 けれど、そうだ。

 まだ自分たちには、優勝記念のラーメンペロロぬいぐるみ抽選会がある──! 

 ずり落ちていたペロロバッグを背負い直し、膝についた埃を払い落として。アズサとヒフミは失意の底から舞い戻った。

 全ては、あの限定ラーメン店を優勝させるために。

 全ては、限定ラーメンペロロぬいぐるみを手に入れるために。

 

「そうです。私たちにはまだ出来ることがあります……! アズサちゃん、ハナコちゃん、コハルちゃん。みんなで力を合わせて、この難局を乗り越えましょう!」

「ああ、もちろんだ!」

「ふふっ、面白くなってきましたね」

「私もうお腹ペコペコで帰りたいんだけど!?」

 

 コハルの抗議がヒフミたちの耳に届くはずも無く。

 民主主義に則った多数決によってぬいぐるみのために件のラーメン店の優勝を後押しすることとなった補習授業部は、売上への貢献も兼ねた腹ごしらえとして、先程の出店でラーメンを食べることにした。

 ……食べることにしたのだが。

 

「すみません、先程のお客様の分で本日の仕込みは売り切れてしまって……」

「ええっ!? も、もう売り切れちゃったんですか!?」

「……流石にそれは早すぎるんじゃないか?」

 

 先程のラーメン店へ赴いた補習授業部へ告げられたのは、つい先程ラーメンの在庫が切れてしまったという、無慈悲な宣告だった。

 優勝記念でラーメンペロロぬいぐるみの抽選会をやる、と宣言したわりには、あまりにもラーメンを売る気の無い店の様子に流石に違和感を覚えたのか、アズサは訝し気な表情で出店を切り盛りしているらしいロボットの店員へ問いかける。

 しかし店員の表情は変わらず、申し訳なさそうな声音のまま「とにかく、ラーメンの在庫はもう残っていませんでして……」と答えるばかり。

 その違和感は横から見ているだけのハナコにも伝わったのか、店員を不用意に刺激しないようそっと横から会話に入り込むと、断りをいれつつ問いかける。

 

「あの~、でしたら仕込みで出た食材の廃棄はもう済ませたのでしょうか?」

「はい? 食材の廃棄ですか? ……どうして貴方たちにそれを答えないといけないのですか?」

「いえいえ。少しだけ気になってしまったと言いますか~」

 

 腹を探られていると気付いたのだろう、少し険のある声になった店員を宥めるハナコ。

 態度の悪い店員に、曲がったことの許せない性格のコハルが一言物申そうとするが、後ろに立っていたハナコから口を塞がれ──ついでに、なぜか口内に指も突っ込まれたことによりもがもがと言葉にならない声を漏らすに留まった。

 

「ちょっと、流石に──もひゃもごっ!?」

「私たち、朝からここのラーメンを目当てに並んでいて……。出来れば、記念にラーメンでなくてもいいので何か食べ物を売ってもらえると嬉しいのですが」

「ああ、そうでしたか……。そんなに楽しみにしていただいていたのに、大変申し訳なかったです。ラーメン以外でよろしいなら、こちらの『ペロロまん』なんてどうでしょうか?」

 

 上手く話を逸らしたハナコの言葉に、再び申し訳なさそうな表情を作った店員。

 そんな彼は、なにか思いついた様子で背後に設置してあった業務用蒸し器──その中に陳列してあった『ペロロまん』なる食べ物を彼女たちの方へと差し出してきた。

 それを見たハナコは何かを悟った鋭い表情を浮かべたものの、すぐに笑顔の仮面を被り直す。

 そして、店員の言われるがままに人数分の『ペロロまん』を買うと、コハルの拘束を解き、どこか急いでいる様子で他の3人を連れて件の店を離れるのであった。

 

 

「ちょっと、口を塞ぐなら普通に口を塞ぎなさいよ! なんで指なんて入れてきたの、汚いでしょ! このヘンタイ! 淫乱ピンク!」

「あらあら、口を塞ぐ前にちゃんとアルコールのお手拭きで消毒していましたが……。それにコハルちゃんのお望み通りマウス・トゥ・マウスで塞いでしまうと、私が喋れなかったので……」

「だだだっ、誰がキスしろなんて言ったのよ!」

 

 数分後、エキスポのメイン会場から少し離れた芝生広場にて、補習授業部の4人は朝食とするには足りないペロロまんをもそもそと食べていた。

 さきほど口を塞がれた際に、ついでに指を突っ込まれ口内を探られたコハルがぎゃーぎゃーと騒ぐ中、ヒフミとアズサはどこか納得のいかない様子で、オーソドックスなペロロを象った肉まんを食べる。

 象った、といえどやはり製作過程で形は崩れるもので、膨らんだせいかいつものペロロから5割増しでグロテスクな見た目となったペロロまんの頭を貪りながら、ヒフミはぽつりと呟いた。

 

「……このペロロまん、少し前に期間限定で販売されていたものです」

「ああ。この味、この可愛い見た目。毎日食べていたあのペロロまんそのものだ」

「限定ショップということでリバイバルされた、というだけなら嬉しいで終わりますけど……流石にそれは」

 

 希望的観測が過ぎる。

 と、ヒフミは最後まで言うことが出来なかった。

 これまでの一連の流れ、そして長いブラックマーケット通いによって培われたヒフミのアウトローとしての勘が囁いている。──これは何かがおかしいぞ、と。

 けれど、ペロロまんを食べる手は止まらない。

 その見た目からSNS上では「極めてなにか食材に対する侮辱を感じます」だの「美食に対する宣戦布告と受け取ってもよろしいでしょうか」だの「絶対許さんぞ陸八魔アル」だの散々に言われたペロロまんだが、健気な企業努力の甲斐もあって味自体は通常の肉まんよりも上等な出来栄えに仕上がっている。

 使われている肉は利益の出るギリギリのコストを攻めた上等な牛肉で、ペロロのアホ毛や舌などの特徴的なカラーリングを再現するために着色料こそ使われているものの、ミレニアムサイエンススクールの新素材開発部謹製「美味しい着色料1680万色」を使用することによって使っている肉や生地の味を損なう事を回避していた。

 また、ペロロのディティールを再現するために肉まん自体のサイズも大きめで、少しお高めの値段に劣らないボリュームのある美味しさが味わえる、中々に良く出来た商品なのだ。

 割った時に断面から覗く()が、何故か臓物のように見えてしまうその見た目以外は。

 

「それにしても、意外に美味しいですね、このペロロまん。名前も素敵ですし……特に『ペロロ』と『まん』の所が♡」

「なんでそこを分けたのよ、このヘンタイ! エッチなのは駄目! 死刑!」

「あら? 私は単純にネーミングを褒めただけなんですけど……コハルちゃんは一体なにを想像しちゃったんですか~?」

「ぐっ……ああ言えばこう言ってぇ……!」

「あ、あはは……まあ、売り上げは悪くなかったはずなのに、何故か販売期間の途中でどこのお店でも売られなくなったんですけどね……」

 

 そんな意外に美味しいペロロまんに舌鼓を打った補習授業部は、食べ終わった後のゴミを捨てにエキスポの会場に設置してあるゴミ捨て場に向かった。

 腹ごしらえを終えたとはいえ、食べたのは肉まんひとつ。

 会場に漂うスープの香りが食べ盛りの少女たちの食欲をそそるが、それに従ってしまったが最後、翌日から体重計に乗ることが出来なくなるのは目に見えているため4人はかなり頑張って自らの胃袋を抑え込んでいた。

 それに、彼女たちにはエキスポで気になっていることがある。

 限定ストラップを配布すると言っていたラーメン店のことだ。

 ペロロまんのゴミを捨てた後、あの店について調べようと考えていた補習授業部が、会場を囲むようにいくつか設置してあるゴミ捨て場の1つに到着すると。

 

「……ん、ヒフミ? それと確か、補習授業部、だっけ」

「し……シロコさん……? いったい、そこで何を?」

 

 ヒフミの声が動揺した様子で震えるのも致し方ないだろう。

 そこには「2」と額に書かれた蒼い覆面を被り、何故かラーメンの容器をゴミ箱から出し入れしているシロコがいたのである。

 

 

「──なるほど、覆面水着団……いえ、アビドス対策委員会の皆さんもこのラーメンエキスポに参加されていたんですね」

「ん。ラーメンを売れば売るだけお金になるし、優勝したら賞金も出るらしいから」

「それとゴミ箱に容器を出し入れしていたのは、一体何の関係が……?」

 

 とりあえず、目的だったゴミ捨てを終えて。

 ヒフミたちは覆面を脱いだシロコに連れられて、アビドス対策委員会が出店しているラーメン店のバックヤードにやって来ていた。

 エデン条約を巡る騒動の中で知り合った、補習授業部とアビドス対策委員会。

 繋がりが出来たとはいえ、主にそれはヒフミを介してのもののため未だに距離感を測りかねているところがあるものの、騒動後もおおむね好意的な交流を彼女たちは行っていた。

 とはいえ、先程のシロコの奇行には彼女たちも理解しがたいものだったようで、何かしらの作戦行動か、と訝しむアズサからの問いかけに、追加のラーメンの仕込みを始めたシロコが何でもない様子で答えた。

 

「あれでラーメンの売り上げ数を嵩増し出来ないか試してた。ホシノ先輩は良い顔しないだろうけど、このままじゃちょっと雲行きが怪しかったから」

「えっ、いやゴミ箱に容器を出し入れするだけで魔法みたいに売り上げが増えるわけなくない……? なに言ってるの?」

「コハルちゃん!」

 

 バカを見るような目で正論を言ったコハルに慌ててヒフミが注意するものの、シロコはそれを気にした様子も無く首肯する。

 

「ん。確かにラーメンの利益自体は増えない。ただ、このエキスポで私たちが競っているのは『ラーメンを売った数』だから」

「……もしかして、容器に何かしらの細工がされていてゴミ箱と売り上げの集計システムが連動している、ということですか?」

「そういうこと」

 

 シロコの説明によれば、エキスポに参加している店で提供されるラーメンのカップの底には特殊な磁気塗料塗られたシールが貼られているらしく、特製のゴミ箱がカップを入れられた際にそのシールを読み取って、各店の売り上げを電子的に計測しているらしい。

 ということは、そのゴミ箱のセンサーの前で容器を出し入れすれば、その分だけラーメンの売り上げ数を伸ばすことが出来るのではないか──と考え、身バレ防止として覆面を被った状態であの奇行に及んだらしい。

 

「いや、思いっきり不正じゃない!!」

 

 元正義実現委員会所属として見過ごせないのだろう、怒りの声をあげたコハル。そんな彼女からの糾弾に、少しばつが悪そうな表情でシロコは視線を逸らした。

 

「ん、でも駄目だった。参加者は端末からリアルタイムで現在の集計結果を確認できるんだけど、同じ容器の磁気は記憶されるみたいで1回分しか嵩増し出来てなかった」

「むしろ1回は誤魔化せたんですね……」

 

 だとすれば、わざと空の容器を大量に廃棄すれば結果を操作できるのではないか、と考えたヒフミだったが、チンピラなどのテロ行為防止のため中身の見える透明なゴミ箱に新品の容器が大量に入っていればとても目立つ。

 かといって、各地のゴミ箱に分散して入れようにも監視の目となる客は多く、それこそ大勢の身内をサクラとして動員するでもしないと、そう大きく集計結果を嵩増しすることは出来ないだろう。

 考えればやりようはあるのだろうが、簡単には誤魔化せない。エキスポの集計システムは、大雑把ながらもそのような仕組みになっていた。

 

「ちょっと、シロコ先輩!? 話してる暇があるなら接客の方を手伝ってほしいんだけど! 先輩がトイレに行ってる間にも客は来てるんだからね!?」

「ん。ごめん、セリカに呼ばれたからちょっと接客の方に回るね」

「あ、はい。私たちも少し用事があるのでこれで──」

 

 と、その時。

 今はそれなりに繁盛しているらしいアビドスの出店、その接客からラーメンの販売まで八面六臂の活躍で働いていたセリカからの救援要請を受けて、シロコもそちらに回ることとなった。

 聞けばエキスポ開催からしばらくの間閑古鳥が鳴いていたため、作り置きのスープに麺と具材を入れて客に渡す接客担当としてセリカが、追加のスープの仕込みなど調理担当としてシロコが店に残り、他の委員会の面々は即席のチラシ配りや看板での宣伝に向かっているらしい。

 これ以上邪魔をするのもいけないと、シロコが接客に回るタイミングでアビドスの出店を後にしようとしたヒフミたちだったが。

 

「──うへえ、おじさんは別にサボってたわけじゃないんだけどなあ~」

「そんなこと言って、公園のベンチで船を漕いでたのは誰……って、あれ、補習授業部のみんな? ラーメンエキスポに来るなんて意外だね、どうしたの?」

『先生!?』

 

 脱走した猫でも捕まえたように脱力したホシノを抱えた先生がやって来て、その動きは中断されるのであった。

 

 

「先生こそ、このエキスポにどうして……って、ああ。ここはシャーレのオフィスからそう遠くなかったね」

「やあ、アズサ。うん、仕事の休憩と昼食も兼ねて、対策委員会のラーメンを食べにね。その途中で、ベンチでサボってたホシノを見かけたから拾ってきたんだ」

「あの後も散々ラーメンを食べて貢献したんだから、おじさんのささやかな休憩くらい見逃してほしいなあ!」

「アヤネやノノミ先輩が必死に宣伝してるのにサボらないでよ! ほら、ちゃっちゃと働く!」

「うへえ~!」

 

 ホシノのサボりを知ったセリカが般若の形相で彼女を接客へと連れだした後。

 アヤネとノノミの宣伝が功を成しているのだろう、忙しさの増した接客に悲鳴をあげるホシノの声を流しつつ、先生と補習授業部の4人はバックヤードで会話していた。

 シロコが連れてきたとはいえ、このまま何もせずに居座るのもばつが悪かったヒフミたちは、先生とおなじく対策委員会お手製のラーメンを食べて売り上げに貢献している。

 普段からよくラーメンを食べるわけではない彼女たちにとって、尖った味に仕上がった対策委員会のラーメンは手放しで褒めることの出来るものではなかったが、それでも美味しく食べることの出来る味だったため、とくに文句も無く全員ずるずると麺を啜っていた。

 

「うん。前に食べた時も美味しかったけど、そこからさらに美味しさに磨きがかかってる。みんな良く頑張ったね」

「ん。おかわりもあるからいっぱい食べていいよ、先生」

「せいぜい売り上げに貢献していってよね! 私たち、まだ順位で言ったら5番目くらいなんだから!」

「……うん? そんなに客が来ているのに5番目なのか?」

 

 セリカの言葉に反応したのは、アリウス時代に配給として食べたカップ麺以来のラーメンに舌鼓を打っていたアズサ。

 こういったイベントに参加したことが無かったためよく分かっていない彼女は、現在のアビドスの出店はエキスポで上から5番目の繁盛だとは思わなかったのだ。

 だが、それに関して違和感を覚えたのは先生も同じだったようで、対策委員会がエキスポに参加することを知っていたため他の店への客の入り具合を確認していた彼は、麺を啜る手を止めて自分の記憶を確かめるように宙へ視線を向けた。

 

「うーん、私が見た範囲だと、ここ以上に賑わっているのは玄武商会の店くらいだったはずだけど……」

「お疲れ様です、宣伝用のチラシを配り終わりました──あれ、先生と……補習授業部の皆さん? いらっしゃいませ、ラーメンを食べてくれてるんですね、ありがとうございます!」

「賑わってますね~! 私たちが頑張った甲斐がありました☆ これなら結構順位が上がったんじゃないですか? 狙い通りに優勝しちゃったりして!」

 

 と、そこで一通りの宣伝を終えたアヤネたちが戻ってきた。

 肌寒い冬とはいえ、昼下がりに会場を練り歩くのは中々に良い運動だ。すこし汗ばんだ額をタオルで拭いながら帰ってきた彼女たちの言葉に、在庫が少なくなってきたラーメンを仕込みに厨房へ戻ってきたシロコが首を横に振る。

 

「残念だけど、いまは5位。しかも結構な数で離されてる」

「え!? いろいろなお店を見てきましたけど……ここ以上に賑わっているのは、玄武商会の中華そば屋くらいでしたよ?」

「ああ、アヤネも見たんだ。凄いよね、あの繁盛具合」

「私も見ましたね~。なんというか、流石は本職の人たちって感じがしました!」

 

 だが、シロコの言葉にアヤネたちは驚いた様子で目を見開く。

 たしかに対策委員会の出店はエキスポが始まってすぐは閑古鳥が鳴いていたものの、宣伝を行ってしばらくしてからアヤネとセリカの狙い通り客足がかなり増えたのだ。

 現にアヤネたちが宣伝している間に確認した、自分たちの対抗馬である玄武商会の賑わいは今の対策委員会のそれを上回っていたものの、だからといって現在の対策委員会の順位がエキスポ内で5位というのは流石に低すぎる。それも、大差をつけられるほどでは絶対にないのだ。

 そういったアヤネとノノミの言葉に先生も同意し、少し眉を顰めたシロコ。

 彼女はスープを煮込む手を止め、端末を操作するとエキスポのランキング、その一番上に名前を刻む王者の名前を読み上げた。

 

「──っていう名前のお店らしい」

「……え、ええ!?」

「それは本当ですか、シロコさん?」

 

 それに強い反応を示したのは、他ならぬ補習授業部の面々だった。

 なぜならその名前は、彼女たちが朝早くから会場を訪れ、限定ストラップを貰おうとして品切れだと断られた、あのラーメン店だったのだ。

 驚くヒフミの向かい側で、すっと目を細めるハナコ。

 何かを確信した様子の彼女の問いかけに、シロコは肯定を示す。

 

「ん。だいたい私たちの今の売り上げの2倍……2位の玄武商会と比べても1.5倍くらい違う」

「それは……流石におかしいんじゃないか? だって、私たちがラーメンペロロを貰いに行ったときは売り切れだって……」

「ラーメンペロロ、ですか?」

「……はい。実は──」

 

 こういった物事には疎いアズサでも、流石におかしいと思ったのだろう。

 彼女が思わずといった様子で漏らした呟きに、アヤネは小首を傾げた。

 そんな彼女に、ヒフミは今日エキスポにやってきたあらましを説明する。エキスポ限定配布のラーメンペロロストラップを貰いに来たこと、朝一で会場入りしたのにラーメンが売り切れており、同じくストラップも品切れになってしまっていたこと。

 代わりにペロロまんを食べ、ゴミ捨てに行ったところ不審な行動をするシロコと出会ったということ……。

 

「……いや、待って。何か今、変な場面が混ざってなかった?」

「そんな事ない。先生の気のせいだと思う」

「……」

 

 真顔で言い切るシロコに、なんとも言えない表情を向ける先生だったが、しょうがないとでも言うように1つため息を吐くと、とにかく……と話を続けた。

 

「アヤネやノノミ、そして私の見てきた限りでは件の店が繁盛しているといった様子は見られないし、ヒフミたちの話からもその店が大量のラーメンを売り切ったとも思えない」

「朝から集まっていたという、大量のモモフレンズファンの方々がラーメンを買い切ったというのは~……」

「それは考えにくいと思います、ノノミさん。今のこのお店のように追加の仕込みで発生する廃棄の食材ゴミもなければ、お店の奥に空の寸胴鍋がたくさん置いてある、という事も無かったので」

「ということは……」

 

 恐る恐る、といった様子で最悪の予想をするアヤネの考えを、先生は残念だけどという言葉と共に肯定した。

 

「この1位のお店は、間違いなく不正をしているだろうね」

「あと、朝見かけた人たちはおそらくそのお店の雇ったサクラだと思います。ヒフミちゃんとアズサちゃんのいうことには、モモフレンズの限定品を身に着けていたようですが……。まさか、限定品を身に着けるほど愛が強いのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

「よく分かんないけど、それって……あの連中はあの店とグルだったってこと?」

 

 話の流れを掴めていないのか、どこか不安そうに口を開いたコハルの言葉にハナコは頷いてみせる。そして、それだけではなく──と最悪の想定を続ける。

 

「こちらの3位と4位の店。あとはこのような投票システムを用意したエキスポ運営の一部もこの件に噛んでいる可能性があります。先生方が揃って2つも賑わっている店を見逃すとは思えませんから」

「ですが、一体なんの目的で……。優勝賞金を狙ったとしても、わざわざ限定ストラップなんてものを売りにする必要なんてどこにも」

 

 ハナコの言葉を聞いて、しかし納得がいかない様子でアヤネが尋ねる。

 その疑問に答えたのはハナコではなく、どこか据わった眼をしたヒフミだった。

 

「限定グッズの転売……」

 

 その言葉を聞いて、思い当たる節のあったアズサはまさか、と言葉を漏らす。

 モモフレンズ教教祖であるヒフミの布教によって、モモフレンズの可愛さに目覚めたアズサ。

 そんな彼女は、日夜ヒフミと共にモモフレンズグッズのために東奔西走、時にはブラックマーケットにだって潜入し、貴重なペロログッズの情報や露店に流れ着いた限定品の確保に勤しんでいた。

 アリウス分校時代に学んだゲリラ戦を行う上で必要な「諜報能力」に、時として荒事となるのも厭わない「武力」を総動員していた彼女ですら、時として確保不可能な限定品が存在する。

 今は自分が世間知らずだと自覚しているアズサは、世の中にはそのようなグッズも存在するのだろうと自分を納得させて諦めていたが……。

 今思えばそういったグッズの大半が、ヒフミが「コンテンツの敵なので利用厳禁」と言っていたフリーマーケットアプリ──言い方を変えれば()()()()のアプリで高額の取引をされていたはず。

 

「限定品と謳い、しかし身内のみでその品を回すことで一般には流通させず、転売によってその価値を法外なレベルにまで釣り上げる……? それは、あまりにも」

「うん。褒められた手段じゃないね、かなり悪質な()()だ」

「まさか……優勝記念のラーメンペロロぬいぐるみも、最初から私たちに渡すつもりがない?」

「出来レースの抽選会、ですか……」

 

 トリニティで数々の泥沼を見てきたハナコでさえ眉根を寄せる「悪意」に、厳しい表情を浮かべる先生。彼の言葉にあった商売という単語に異議を唱えたのは、正義実現委員会のエリートとしてトリニティの悪意を前にしても素直な心根を見せたコハルだ。

 

「こんなのが商売なわけないじゃない! 別に私はモモフレンズが好きなわけじゃないけど……こんなの間違ってる!」

「でも、ここまで周到な計画で転売を行う相手に、どうやって立ち向かえば……」

 

 コハルの憤りは痛いほど分かる。

 しかし、ラーメンエキスポというモモフレンズとはほぼ無関係なお祭りを転売の踏み台にするという大規模な仕掛けを行うような相手に、そういった権力は一切持たない少女たちがどうやって立ち向かえばいいのか。

 この問題に対して、シンプルかつこの場において最も効果的な答えを出したのは。

 静かに話を聞いていたシロコだった。

 

「簡単だよ、みんな」

「まさか、シロコ先輩……!?」

「ああ、うん。まあ相手は正攻法で相手取るには時間のかかる相手だろうし……行ってらっしゃい。いざとなったら、私が責任を取るから」

 

 立ち上がり、その場にいる皆に見せつけるように差し出すその手に握られていたのは──青い覆面。

 それを見て、彼女が何を言いたいのか察したアヤネは頬を引き攣らせたが、モモフレンズファンの端くれであるノノミはニコニコと笑顔を深め、今回のやり方に()()()()()を感じた先生は苦笑いを浮かべつつも生徒たちを見送る態勢を取る。

 当然、生徒たちを無責任に送り出すのではなく、自身もシッテムの箱とシャーレの権限を使って出来る限りフォローするつもりで。

 そして、先生の承認も得たシロコはどこか誇らしげな表情を浮かべながら。

 

「──ん、他の店を襲うの」

「不正をしているお店は、ぜ~んぶお掃除しちゃいましょう☆」

「やっぱり!? というか、先生も止めてください!?」

 

 覆面水着団の出動を宣言した。

 予想通りの展開となったことに対して諦め混じりの叫びをあげたアヤネ。

 いつも通りのフラットな表情を浮かべるシロコはともかく、彼女の提案を待ってましたとばかりのイイ笑顔で肯定するノノミからは、底知れない怒りのオーラが漂っている。

 アビドス対策委員会唯一のモモフレンズファンである彼女にとって、ファンの愛に付け込んで限定グッズを転売する者の存在は到底看過できるものではないのだろう。

 ──となれば、モモフレンズグッズを求めてブラックマーケットに通い、学校の試験をサボってまでペロロのゲリラライブに参加するヒフミの怒りたるや。

 

「……モモフレンズの限定グッズを、お金稼ぎに、不当な手段で転売……?」

「ひっ」

 

 ゆらり。

 ヒフミの背後から、正体不明の陽炎の如き揺らぎが見える。

 それはモモフレンズのためなら西へ東へ、補習授業部の皆を巻き込むことすら厭わない狂信者(ヒフミ)が虎の尾を踏まれたことによる、かつてない怒りの発露であった。

 隣で怯えたように身を竦ませるコハルの様子に気付いた様子も無く、ヒフミは静かに呟いた。

 

「許せません」

 

 ヒフミは激怒した。

 ヒフミには相手の事情が分からぬ。

 ヒフミは、普通のトリニティの生徒である。

 モモフレンズを愛し、モモフレンズのために暮らしてきた。

 だからこそ、モモフレンズを穢す邪悪に対しては人一倍敏感であった。

 

「──あれえ、なになに? おじさんたちが働いている間に、なんだか物騒な雰囲気になってるねえ?」

「あーもう、つっかれたぁ……売り上げが伸びるのは嬉しいけど、忙しすぎるのも考えものね……って、え? みんなどうしたの?」

 

 客の流れに一区切りついたのだろう、くたびれた様子でバックヤードへと戻ってきたホシノとセリカが目を丸くする前で、ヒフミは高らかに鬨の声をあげる。

 同時に抱えていたペロロバッグの中から取り出して、やけに慣れた手つきで被ったのは「5」と額に書かれた「5」の文字が特徴的な穴の開いた紙袋(ふくめん)──阿慈谷ヒフミの裏の顔、覆面水着団リーダー「ファウスト」としての正装だ。

 

「あちらがその気なら、こっちにだって考えがあります! 覆面水着団──出動です!!」

 

 その後。

 キヴォトスラーメンエキスポの店舗一覧から、いくつかの店の名前が消えた。

 そして、ラーメンの代わりに例のペロロまんを提供……もとい在庫処分していたラーメン店は、襲い来る覆面少女たちからほうほうの体で逃げ出した先で、美食の鉄槌を受けたとか、受けていないとか。

 

 

『──えー、複数の参加店舗が爆発四散するなど、様々なアクシデントに襲われたキヴォトスラーメンエキスポでありましたが……それらを乗り越え、みごと優勝の栄光を掴んだのは玄武商会の「元祖山海経そば」です! おめでとうございます!』

「ま、そうなるよねえ。ただでさえ売り上げで負けてたのに、おじさんたち最後の方は暴れちゃったから」

「あうう、ごめんなさい、私たちの事情に巻き込んでしまって……!」

「ん、でも不正してた店は全部潰せたし、2位にはなれた。初めてラーメンを作ったにしては上出来」

 

 ちなみに、覆面水着団と補習授業部の活躍によって不正に売り上げを伸ばしていた店が全て消えた結果、エキスポで優勝を飾ったのは、やはりと言うべきか玄武商会の店だった。

 対策委員会も頑張ってはいたのだが本場の味には勝てず、最終的な売り上げは玄武商会と対策委員会で2倍ほどの差が生まれている。しかし対策委員会は売り上げ第2位を獲得し、優勝賞金こそ逃したものの、普段のアルバイトよりも潤沢な利益を得ることに成功していた。

 

「ま、優勝出来なかったのは残念だけどお金は稼げたし、結果オーライって感じね」

「今月の利子は余裕を持って返済出来そうですね、良かったです! 食堂を貸したり、応援に来てくれたりした先生にも感謝ですね」

 

 今回の発案者のセリカと参謀役だったアヤネは、優勝を逃した事よりも狙い通りにお金を稼げたことにホクホクとした笑顔を浮かべている。ちなみに、先生は覆面水着団たちの戦闘支援を終えた後、不正に一枚噛んでいた転売団体の調査のためシャーレへと帰還していた。

 この調子でセリカがちゃんとした金策をどんどんと提案してくれたら……とアヤネは密かに願っていたが、悲しいかな、それが儚い願いであることは他でもない彼女自身が良く分かっていた。

 そんな後輩たちの隣で、良い事を思いついたと朗らかな笑みを浮かべたノノミが手を合わせる。

 

「そうだ! 先生が帰ってしまっているのは残念ですけど……補習授業部の皆さんも一緒に、これから柴関ラーメンで打ち上げしませんか~? 私たちにラーメン作りを教えてくれた人の経営してる屋台で、セリカちゃんもそこでバイトしてるんです☆」

「ってちょっと、ノノミ先輩! 今日はバイトお休みだしもう充分働いたから、行っても私なにもしないからね!?」

「とか言っちゃって~、いつもの癖で接客しちゃうんでしょ? おじさんたち知ってるよ~?」

 

 和気藹々とした対策委員会からの誘いに、申し訳なさそうだったヒフミも笑顔になる。

 

「あはは、私は大丈夫ですけど……アズサちゃんたちはどうですか?」

「私は大丈夫。動き回ってお腹も空いて来たし、丁度良いと思う」

「たまにはラーメン尽くしの一日、というのもいいですよね♡」

「わ、私も別に大丈夫だけど……」

 

 3人の了承も得て、肩を並べて戦い、絆を深めた対策委員会と補習授業部の少女たちは、皆で連れ立って打ち上げへと向かう。

 こうして、キヴォトスでの平穏な一日が過ぎていくのであった。

 

 







 その後、再び覆面水着団とヒフミ──加えて今度は補習授業部全員との関係が噂され、カップを持つ手が震えるナギサの姿が見られたとか、見られていないとか。




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第6話「春の七草粥とアウトローな少女たち」



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 学園都市という呼び名が示す通り、住人のほとんどが学生で占められているキヴォトス。

 ゲヘナ学園やトリニティ総合学園、ミレニアムサイエンススクールなど様々な学校が集まっているこの都市だが、全体を見てみれば連邦生徒会を頂点としたひとつの巨大な学園と見ることも出来る。

 さて、そんなキヴォトスでは、世間一般の学生がそうであるように日頃から勉学やスポーツなどに勤しむ模範的な生徒もいれば、自分の所属する学校に通う事もなくひたすらに迷惑行為をし続ける不良生徒もいる。

 悲しいかな、生徒の母数が多いキヴォトスでは必然的に不良生徒の数も洒落にならないほど多く、その数に目を付けた悪徳業者や企業が彼女たちを囲い込み、連邦生徒会ですら介入出来ないほどの巨大な裏社会を形成するまでになっていた。

 もちろん、連邦生徒会をはじめ各学校の生徒会も対策に乗り出してはいるのだが、一度生まれてしまった闇を消し去るのは中々に難しい。

 キヴォトスの経済を司り、更には学園間の政治すらこなしてしまうといってもまだ子供である生徒たちが、悪意を以て契約や規則の穴をつき、自らの思惑に沿った形で事態を動かしてしまう「大人」に対抗するのはかなりの無茶だと言える。

 そういう事情もあって、キヴォトスの裏社会は弱肉強食、生き馬の目を抜くような熾烈な競争が日夜繰り広げられている過酷な場所なのだが……そんな裏社会にはいくつかの「関わってはいけない存在(アンタッチャブル)」が存在していた。

 それはキヴォトス一の大企業である「カイザーグループ」を始めとした大人ではなく、悪辣な彼らすらも食い物にしてしまうような恐ろしい犯罪者集団。

 例を挙げるとすれば、あのエデン条約事件にも暗躍が噂される「覆面水着団」。

 たった5人でカイザーグループの経営する闇銀行を襲撃し、前々から綿密に計画されていたとしか思えない鮮やかすぎる手際で、たったの5分で1億以上を奪い去ってしまった最凶最悪の強盗団だ。

 リーダーであるとされる「ファウスト」に至っては、カイザーPMCの元理事を戦車の砲撃で消し飛ばしただの、たった1人でトリニティの正義実現委員会を半壊させただのという信じられない所業から、彼女が空を指させば天候を操り雨が止むなどという眉唾物の伝説まで、もはや神話の登場人物と言っても過言ではない滅茶苦茶な噂で溢れている。

 そんな伝説的な強盗団に並び、裏社会では知る人ぞ知るなどと言われている生粋のアウトロー。

 それが、

 

「──何を隠そう、私たち便利屋68よ!」

 

 部長改め社長の陸八魔アルが率いる、便利屋68だ。

 メンバーは4人。アルの他には、課長の鬼方カヨコ、室長の浅黄ムツキ、そして平社員の伊草ハルカが所属しており、社長の掲げる「一日一惡」をスローガンとして日夜裏社会で暗躍している……はずなのだが。

 

「はい。ありがとうございます、便利屋の皆さま。それでは今日もノルマ以上の()()を期待していますね。その分報酬は弾みますから!」

「……えっ、ええ! 私たちに任せてちょうだい! 完璧な仕事を見せてあげるわ!」

「ありがとうございます! では、私はこれで!」

 

 ニコニコとご機嫌な笑みを浮かべた雀の女性は車に乗り込み、自分の職場へと向かう。

 その場に残された少女たちの前に広がるのは、鏡のように太陽の光を反射して輝いている薄く水の張った田んぼ。

 視界の端には山が連なり、畦によって区切られながらもその山の裾野まで田んぼが広がっている様は、少女たちに茶色の海を想起させた。

 そんな広大な田んぼの前に、これから植える予定の苗代を片手に立つ便利屋の少女たちは。

 

「今日も田植えかぁ、まあ仕事が見つからない中アルちゃんが頑張って取ってきた仕事だし頑張るけど……流石に()()()()()は飽きてきたかも?」

「そもそも機械を使って田植えをしていた場所らしいから、人力でやるのは時間がかかるのは必然だね。まあ、それにしたって広すぎるとは思うけど」

「わ、私はこういったお仕事好きですから苦じゃないですけど……。ま、まあ、毎日中腰になり続けて少し腰が痛むのはありますが……」

「さあ、何をしているのかしら? 私たちの力でこのめんど──やりがいのある仕事を早く終わらせるわよ! ……出来ればそう、今日中に!」

 

 雑草が好きなハルカ以外、先程まで客の手前にこにこと笑顔を浮かべていたアルを含め、うんざりとした様子を隠すことなく佇んでいた。

 そう、彼女たちの言う通り、便利屋68が目の前の田んぼを相手に田植えを行うのは今日で7()()()。その証拠に、彼女たちの背後には前に広がる田んぼ以上の面積で、青々とした苗が顔を覗かせる田植えの終わった田んぼたちが広がっている。

 彼女たちが受けた依頼の内容は──百鬼夜行連合学院自治区にある田んぼ、その全てで田植えを終わらせることだった。

 

(──いつになったら終わるのよおおおおおおお!?)

 

 拳を握り、意気込みを示すアル。しかし彼女の心の中では社員たちに見せる姿とは真逆の、この仕事を受けた後悔が渦を巻いていた。

 

 

 キヴォトスの存亡をかけた「色彩」との決戦からしばらくの時間が経って。

 連邦生徒会の自治区であり、激戦区として深い爪痕が残されたD.U.シラトリ区の再開発を皮切りにキヴォトス中で都市の再開発ブームを迎えた今、学園都市の闇に蠢く裏社会の住人達はというと──。

 彼らもまた、キヴォトス中に巻き起こる再開発ブームに乗っかり、肉体労働に励んでいた。

 裏社会に身を置き日頃から抗争や陰謀に勤しんでいた所で、きちんとした報酬が貰えてきちんとした労働環境が保証されている職場があるのならばそちらで働いた方が日銭を稼ぐうえでは効率が良いのは自明の理。

 そこに加えて、連邦生徒会が復興支援金を出して後押ししているのがトドメとなった。日頃は勢力拡大のためにいがみ合っているグループも、今ばかりは肩を並べて土建屋として働いている。

 とはいえ、被害を受けたのはなにも都市ばかりではない。

 決戦の際に「色彩」が呼び出した軍団が各学校の自治区郊外に現れたところもあり、そういった場所で農業を営んでいた者は命こそ助けられたものの、激しい戦闘によって商売道具である農作機械が駄目になってしまったという例も少なくない。

 住んでいる生徒たちの性質上、キヴォトスでは戦車やトラックといった乗り物こそ需要が多いものの、一度買ってしまえば事件に巻き込まれない限りあまり壊れることのない農作機械は需要が少ない。

 そして唯一農作機械を売っていたカイザーグループも、売り物として利益があまり見込めないものを在庫として確保しておく企業ではなかったため、農作機械に関しては完全受注生産の体制となっていた。

 よって、農作機械の壊れた農家たちはカイザーグループに新たな機械を注文したのだが、いかんせん「色彩」が襲来した時の騒動にカイザーグループが加担しており、その隠蔽工作や、より利益の見込める都市の再開発が始まるなどで、納品が遅れてしまっていたのだ。

 しかし、時間は待ってくれない。

 カイザーコーポレーションからの納品を待っている間に、気候や育てる品種の関係から百鬼夜行自治区では既に田植えの時期になっていた。

 

「機械があればすぐに終わるんだがなあ」

「儂らが田植えをやるには、ちとキツい広さじゃしのう」

「百鬼夜行連合学院の生徒さん達も手伝うとは言ってくれていますが、流石にキヴォトスの復興で忙しいのに手伝ってもらうわけにもいかないですしね」

 

 百鬼夜行の農家たちは寄り合いを開き、アレコレと頭を捻っては考えを話し合った。

 農家として長年活動しているとはいえ、彼らは既に老体。長時間中腰を維持しなければならない田植えは彼らにとっては酷な作業であるし、米の一大生産地であるここの田んぼはかなりの面積を誇る。

 当然、手作業で田植えをするとなればかなりの拘束時間を必要とし、新年となり春の温かさが訪れた今でも復興作業に勤しんでくれている少女たちに迷惑をかける訳にもいかない。

 となれば、どうするべきか。

 やはり多少無理をしてでも自分たちで田植えをするべきだ、という意見にまとまりかけた時、ある1人の女性がポンと翼を打った。

 

「そうだ! 確か風の噂で、お金を払えばなんでもやってくれる凄腕の仕事人たちがいるらしいのよ! その人たちに頼んでみるのはどうかしら?」

「おお、それだ!」

「早速依頼を持ち込もう!」

 

 彼女の言葉に希望を見出した農家たちは、さっそく行動を開始。

 全員で金を出し合って、相場以上の額とともに便利屋68の扉を叩いたという訳だ。

 

「──だからって、何でもかんでも仕事を受けるのは考えものね……」

「あはは! なーにアルちゃん、今頃後悔してるの?」

「べ、別に後悔なんてしていないわ! ただ、今回の仕事はあまりにもアウトローらしくないと感じただけよ!」

「普段から草むしりとか猫探しやってるのに、今更でしょ」

 

 休憩がてら4人横並びで畦に転がり空を見上げながら、これまでの経緯を思い出したアルはポツリと呟いた。

 確かに今回の報酬は普段受けている仕事よりも高く、そして1日のノルマとして設定された面積以上に田植えを終わらせれば追加報酬も上乗せされる。

 いわばボーナスステージ的な依頼ではあるのだが、いかんせんやっていることがあまりにも「アウトロー」らしくない。これではただの農業系の部活動だ。

 ムツキのからかうような言葉に、泥に塗れた自分の手のひらを見つめながら言い返したアル。

 しかし、カヨコが言う通り、普段から便利屋68が遂行している依頼というのはだいたいが草むしりやゴミ拾い、猫探しといった「便利屋」の言葉通りのものばかり。

 当然、アウトローとして裏社会からの依頼もこなしているのだが……アルの信念として「手付金は貰わない」という方針で動いているためただ働きになる事も多く、どうしても収入の大半は便利屋稼業のものになっていた。

 

「で、でも、もう田植えは終わりましたし……今回は、かなりの稼ぎになるのではないでしょうか」

「うん。というか、昨日までの報酬で先月私たちが稼いだ利益以上の金額を貰ってるし、今月は家賃も食費も気にしなくて良くなるかも」

「そんなに稼げてたの!? ……あ、ごほん。ま、まあ今回の雇用主はきちんと一日ごとにボーナスも含めた成功報酬を支払ってくれているし、なにより──仕事終わりに彼らがご飯を振舞ってくれる、というのがいいわね!」

「今日の夜ご飯はなにかな? アルちゃん! 昨日のきんぴらごぼう、美味しかったよねー!」

「わ、私は山菜の天ぷらが美味しかったです……!」

 

 アルの言葉を皮切りに盛り上がる便利屋一行。

 泥だらけになりつつも残りの田んぼ全てに苗を植え終わった彼女たちの関心は、これから食べられるだろうご飯へと向けられるのであった。

 

 

 とはいえ、彼女たちが予定していた終業時間にはまだ早い。

 疲れた体も休め終わり、余った時間をどう使おうか悩んでいたアルは、畦道の端でなにかを引っこ抜いているハルカを見つけた。

 

「ハルカ? ……何をしているのかしら?」

「あっ、アル様! これは、その……かわいい雑草を見つけたので、連れて帰ってあげようかと……」

「ふーん……? あら、本当ね。白くて小さい花が可愛いじゃない」

 

 ハルカの手にあったのは、茎の先にいくつかの小さな花が集まって咲いており、その下には神社などで見かける手持ちの鈴のように3角形の葉のようなものが生えている草だった。

 そのかわいさは、普段雑草に気を留めることのないアルでも感じるほどで、連日の肉体労働から解放され気分の良くなっていた彼女の心にふと染み込むような温かさをもたらした。

 と、2人のやりとりを聞いていたのだろう。いつの間にか起き上がっていたカヨコとムツキもハルカが持つ草を見に集まって来る。

 そして草をみたカヨコは、普段から便利屋の参謀役として働くその博識さから、ポツリとその名を呟いた。

 

「それ、ナズナ?」

「ナズナ、ですか……?」

「あー、ぺんぺん草」

 

 カヨコの呟きを聞いて、ムツキも気が付いたのだろう。

 ハルカの持つ草──ナズナの俗称を呼びながら、自分の足元に生えていたナズナを引き抜くと、玩具の太鼓を鳴らすようにナズナの茎を回してみせた。

 

「あれ? 鳴らないなぁ」

「それ、実に付いてる茎を全部折ってからぶら下がった状態にしないと音がしないよ。そもそもの音が小さいっていうのはあるけど」

「へー、そうなんだ! まあそこまでして音を聞くのはいいかな、ハルカちゃんこの子も連れて帰ってあげて!」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 ぺんぺん草の俗称の通り「ぺんぺん」と音が鳴るのだろうか、と気になって音を鳴らそうとして見たムツキだが、どうやらやり方が間違っていたようだ。

 カヨコの説明を聞いて正しい音の鳴らし方を知ったムツキだったが──その隣でナズナを愛でるハルカをちらりと見ると、音を鳴らそうとはせずに彼女へとナズナを手渡すのであった。

 嬉しそうにはにかむハルカ。そんな彼女の手元にある2本のナズナを見ながら、アルはふと己の記憶の底に沈んでいた記憶を掘り起こそうとしていた。

 ナズナという草の名前。これをどこかで聞いた覚えがあったのだ。なんなら、どこかで食べた覚えすらある。

 

「ナズナ、ナズナ……何だったかしら。ここまで出かかっているのに……!」

「『春の七草』の一つだよ、社長。多分、前にゲヘナの給食で食べたんだと思うけど?」

「そう! それよ! セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ!」

「それだと五草だけど? スズナとスズシロも加えて、春の七草だから」

 

 トントン、と己の喉に手を当てて()()()()を表現するアルにカヨコが正解を教えると、喉に閊えた小骨が取れた時のような爽快感のある表情で、彼女は自分の記憶にあった春の七草の名を諳んじてみせた。

 だが、肝心の2つの名前が欠けており、カヨコが溜め息を吐きながらローテンションなツッコみを入れる。

 ちなみに正解は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」の7種類である。覚え方としては短歌のリズムでこれらの名前を順に唱えた後「これぞ七草」と付け加えるのが一般的だろう。

 そんな春の七草に関連する食べ物といえば、とムツキは少し考え、ゲヘナの給食部が春先にだけ献立にしていたとある料理を思い出した。

 

「それって、春の七草粥ってやつ? あー、確かに給食部が作っていたような、作ってなかったような」

「確かに、給食でお粥しか出てこない日がありましたけど……もしかして、アレの事ですか?」

「そう。まあ作り方はお粥に七草を刻んで入れて煮込むだけだし、毎日4000人規模の料理を作る必要のある給食部にとっては便利なメニューだったんじゃない?」

「美食研究会が騒いでたけどね~!」

 

 ケラケラと笑いながら当時の事を思い出すムツキ。

 大量生産に向いている、と言えば聞こえはいいが、大鍋で煮込むとなるとどうしても煮え方にムラが出来たり()()()が出来たりする。

 それに目くじらを立てた美食研究会が給食部に襲い掛かり──あとはもう、ゲヘナの学生であれば誰もが知っている通りだ。

 簀巻きにされ「눈_눈」としか表せない表情で美食研究会に拉致される給食部部長のフウカは、アルたち便利屋68も知る、もはやゲヘナ学園の風物詩ともいえる光景だった。

 と、古巣の話に花を咲かせていたムツキたちの横で、アルはカヨコに尋ねる。

 

「カヨコ、貴女、春の七草を見分けることは出来るかしら?」

「え、うん。まあ、スズナとスズシロ──いわゆる大根とカブ以外はここら辺に生えるような草ばかりだったはずだし、いざとなれば端末で検索すれば見分けることは出来ると思うけど」

「よし、まだ終業時間には余裕があるわね──全員、春の七草を集めなさい! せっかく農家の方々に料理を作ってもらえるなら、少し時期は遅いけれど私たちが集めた七草で七草粥を作ってもらおうじゃないの!」

「おっ、いいね~アルちゃん! 今年は初詣以外なんだかんだ季節のイベントっぽいことしてなかったし、本当に美味しい七草粥も食べてみたいしね!」

 

 春の七草のほとんどをこの周辺で集められるだろう、というカヨコの予想を聞いて、今晩の賄いに七草粥を作ってもらう事を思いついたアルは、春の七草を集めるように命令を下す。

 大根とカブをどうするかについては、特に考えていなかった。

 そんな訳で、急遽春の七草探しを行う事になった4人。偶然ながら先んじてナズナを確保していたハルカは、控えめにその2本をアルに差し出す。

 

「で、では、この子たちもその食材に加えて……」

「いいえ。それは摘んだ貴女が責任をもって世話しなさい、これは社長命令よ」

「アル様……! 分かりました!」

 

 だが、アルはハルカのナズナを受け取ることを拒否。彼女が持ち帰って世話をしたいと言っていたのを覚えていたのだ。

 その気遣いに気付いたのだろう、ハルカは感動したように目を潤ませると、ナズナがくたびれないように自分の水が入ったペットボトルへとその根を漬ける。

 汗水垂らす時間は終わったとはいえ躊躇いなく自分の分の水を飲めなくしたハルカに、社長命令を下したアルは「違う、そうじゃない」と言いたげな表情を浮かべたものの、気を取り直して自分も春の七草を集めに向かった。

 

「──あらまあ、それでこんなにも沢山集めたの? 田植えの後なのに、大変だったでしょう?」

「ふふふ、心配ご無用。私たちプロフェッショナルはこれくらいで音を上げるような()()じゃないわ」

 

 それから1時間ほど。

 空は夕焼けの赤に染まり、カラスが物悲しい鳴き声を響かせながら山奥にある巣へと飛ぶ。

 そんなノスタルジーを感じさせる風景を他所に便利屋68は黙々と春の七草を集め続け、迎えに来た雀の女性が車で到着したときには、スズナとスズシロ以外こんもりと山が出来るほどの七草が集まっていた。

 ただでさえ田植えを終えたばかりなのに、これほどの七草を集めたという便利屋に驚きの表情を浮かべた雀の女性だったが、一流のアウトローとして弱った所など見せる気の無いアルは余裕そうな表情を浮かべてみせた。

 

「まあまあ、それならもしカイザーから田植え機が納品されなかったら、来年も頼んじゃおうかしら?」

「……ええ、任せてちょうだい!」

「いま一瞬ためらったね」

「肉体労働のキツさと報酬を天秤にかけたんだろうね」

「迷いなく即答するなんて、流石はアル様です!」

 

 そんなアルの言葉を真に受けたのか、嬉しそうな表情で放たれた雀の女性の言葉に、一瞬返答を詰まらせるアル。

 すぐに猫を被り直し、自分で自分の首を絞めるような返事をしてみせるいつものアルを、ムツキとカヨコは苦笑いで見つめていた。

 その後、アルたちのお願いを快く聞き入れて今晩の賄いの献立は七草粥になった一行は、雀の女性の運転で彼女の自宅へと招かれていた。

 

「お邪魔しまーす!」

「お邪魔します」

 

 百鬼夜行自治区の中でも伝統的な形式を保つその家は、長年積み重ねてきた歴史がそうさせるのか、日夜暗闘に明け暮れる裏社会を生き抜くアルたちですらどこか落ち着く雰囲気を醸し出している。

 外の水道で手足についていた泥を落とした彼女たちは、ジャージから普段の服装に着替え、ここ数日世話になっている家の客間へと通された。

 それぞれここ数日で定位置になりつつある座布団へと座ると、すぐに温かいお茶を淹れてきた雀の女性が彼女たちの前に湯飲みを置いて立ち去る。先述の通り、賄いとして七草粥を作りに行ったのだ。

 

「……」

「……ほぅ」

 

 かたん、という音とともに閉められた襖。

 その音が響くほどに、便利屋68の4人の間には会話が無かった。

 それぞれ自分の端末を確認していたり、ちゃぶ台の上に置いてあった煎餅を齧りながらお茶を啜ってみたり、縁側から見える庭の景色をなんとなく眺めてみたり。

 会話こそないものの、それはここに来るまでに4人の間に不和が訪れたのではない。

 言葉もいらないほどに彼女たちはリラックスできていたのだ。

 まるでぬるま湯に浸かっているかのような、陽だまりの中で微睡んでいるかのような、温かくてのんびりとした時間。

 その空気に誘われたのか、田植えと七草集めの疲れもあってうとうとと船を漕いだアルは、ちゃぶ台に伏せて軽く眠ろうとして──。

 

「──いや、駄目じゃないのよ!?」

「ゲホッ!? けほっ、うわっ、びっくりしたあ!? どうしたのアルちゃん!?」

 

 ふと、自分たちの状況を客観視してガバリと起き上がった。

 唐突なアルの行動に驚いたムツキが、齧っていた煎餅を喉に詰まらせて苦しそうな咳をする。

 そして恨めしそうな表情でアルを見たが……当の彼女は、ムツキの視線に気付いた様子も無く頭を抱えていた。

 

「何をのんびりしているの私たちは! 便利屋68はハードボイルドでキヴォトス一のアウトローを目指していたはずよ! なのにどうしてこんなに平和でのんびりとした時間を享受しているの!?」

「別に今日くらい良いんじゃないのー? 私たちも頑張ったんだし、ねえ、カヨコちゃん?」

「まあ、今の私たちがアルの言うハードボイルドかって言われると違うだろうけど。別に、きちんと働き終わった後くらい良いんじゃない? ブラックマーケットからの依頼を終えた後だって、オフィスで休むこともあるんだし」

「わ、私はアル様がご不満なら、今からでも新しい依頼に行ってきますけど……」

 

 とはいえ、アルの言葉に賛同するのは彼女の信奉者であるハルカのみ。

 カヨコの反論を受けて、しかしアルは毅然とした態度を崩すことなく言葉を続ける。

 

「オフィスとこことは場所が違うわ! 常日頃からアウトローたれと己を律することの出来るあの場所でなら、私たちはハードボイルドに休憩が出来ているはず! けれどここはダメ! 平和過ぎて思わず完全にリラックスしてしまうのよ!」

「ハードボイルドに休憩って……」

「あはは! まあアルちゃんらしいと言えばアルちゃんらしい意見じゃない?」

 

 アル曰く、便利屋68はハードボイルドでアウトローな集団。故にこのように平和で温かい空間でぬくぬくと過ごしていると、腕が鈍ってしまうのだとか。

 無慈悲に、孤高に、我が道の如く魔境を行く。そのようなポリシーを掲げたアルを呆れた表情で見るカヨコと、そんなアルだからこそ面白いと笑みを浮かべるムツキ。

 そして、アルの信奉者であるハルカはというと。

 

「分かりました、アル様!」

「……え?」

 

 アルの言葉に感銘を受けて、懐から1つの機械を取り出した。

 それは、便利屋68の面々が(やむを得ず)良く知るものであり、ハルカが事あるごとに「掃除」と称して多用している爆弾の起爆スイッチだった。

 

「アル様の志を邪魔するというのなら、この家を──消します!」

「ストーーーーーップ!! ハルカ、ストップよ!!」

 

 何の躊躇いも無く起爆スイッチを押そうとするハルカを慌てて止めるアル。

 ここまで世話になっておいて、自分たちにはそぐわないから、などという自分勝手な理由で爆破なんてしたら、それはただの悪逆非道である。

 アルの慌てぶりにケラケラと笑うムツキの声が客間に響く中、何も知らない雀の女性は家を爆破される事なく七草粥を作り終わり、お盆に乗せて持ってきたのであった。

 

 

「それじゃあ皆、手を合わせてちょうだい。……いただきます」

「「「いただきます」」」

「はい、どうぞめしあがれ」

 

 アルがハルカの凶行を止めてから少しして。

 雀の女性も含めた5人は食前の挨拶を済ませ、七草粥を食べ始めた。

 ほかほかと湯気を立てるお粥は出来立てではあるものの、食べたアルたちが口を火傷しない程度の熱さになっており、匙で多めに掬っても食べやすいように調整されている。

 そしてお粥として米が漬かっている汁の部分は、普通のお粥であれば水に適量の塩のみで味を調節するところを出汁を使って煮込むことによって、アルたちが食べたことのあるお粥とは違う深い風味と旨味が生まれていた。

 

「美味しーい! こんなに美味しいお粥初めて食べたかも!」

 

 七草粥の味に本気で感動した様子のムツキがそう言って、他の便利屋の面々も首を縦に振ることで同意を示す。

 美味しいものを食べると無言になるというが、まさに今の彼女たちがそれであった。

 

「私、話を聞くまではいつもの雑草だと思ってたんですけど……ちゃんと料理すれば、ここまで美味しく食べられるものなんですね……!」

「塩だけに味付けを頼るんじゃなくて、出汁も使って、それで味がとっ散らかることなくまとまっているのは凄いと思う。うん、本当に美味しい」

「うふふ、こんなにも喜んで食べてもらえると、私も張り切って作った甲斐があったわ~。便利屋さんたち、いつも美味しそうに料理を食べてくれるんですもの、作り手としてこんなに嬉しいことはないわね」

「私たちの方こそ、田植えの報酬に加えてこんなにも美味しいご飯をご馳走してもらって。この仕事を引き受けて良かったと、心から思っているわ」

 

 お粥の柔らかい食感と温かい熱が、疲れた体に染み渡っていく。

 刻んで入れられている七草も、その食感で七草粥をただ出汁と塩の味がするだけのお粥とは違ったものに演出している。

 雀の女性が好意で入れてくれたのだろう、大根やカブはきちんと煮込まれたことによって独特の甘味を生んでいて、お粥と一緒に口に含めば更なる味の変化を楽しむことが出来る。

 しかし、その味の変化も優しいもので、病気で弱った時などにこの味を食べることが出来ればどれほど救われるか、と思うほどだった。

 

「あらあらあら! なら本当に、来年も貴女たちに田植えを依頼しちゃおうかしら! もちろん、報酬と賄い付きで!」

「えっ!? え、えーっと……」

 

 アルの返答が嬉しかったのだろう。翼を頬にそえてそんな事を言った雀の女性に、今日までの肉体労働の日々を思い出したアルはギクリと頬を引き攣らせたが──。

 

「……ええ。来年の依頼も待っているわね」

 

 最後には優しく微笑むと、彼女の言葉に頷いてみせた。

 

「あれー? いいの、アルちゃん? さっきアウトローにはこんなの似つかわしくない~とか言ってたのに」

「そっ……それは、言ってみただけよ! 金払いが良くて、こんなに美味しい賄いまで出る依頼を断るわけないでしょう!?」

「それ、依頼主の前で言っちゃうんだ」

「隠すことなく全て正直に言ってのける、流石はアル様です!」

 

 すかさず飛んで来たムツキからのからかいの言葉に、少し恥ずかしそうに頬を染めて反論するアルだったが、肝心の言葉があまりにも素直過ぎるせいでカヨコは頭痛を堪えるように額に手を当て溜め息を吐いた。

 けれど、アルの言葉に気を悪くした様子もなく、雀の女性はニコニコと笑っている。彼女も、この数日間の関わりでアルの心根の優しさを理解していたのだ。

 

「それに……たまには、こうしてのんびり働くのも悪くないのかもしれないわね」

「は、はい……! アル様がそうおっしゃるのなら、そうなんだと思います……!」

「ま、アルちゃんにはトラブルに巻き込まれるのが似合ってるけど! たまにはこういう一日で終わるのも悪くないよね」

「そのトラブルに私たちまで巻き込まれるのはごめんだけどね」

 

 少女たちの視線は、次第に薄暗くなってきた空に向けられる。

 きっと、明日からはまたトラブル続きの毎日が続くのだろう。

 それは便利屋68が発端となったものなのか、それともアルがいつものように巻き込まれたものなのか……そこまでは分からない。

 けれど、そんな忙しない日々を送る中でも、こんな風にのんびりリラックス出来る日があるとするならば。

 

 ──真のアウトローとしては赤点だけど、そんな日があっても良いのかもしれない。

 

 便利屋68を率いる社長として、社員たちの柔らかな表情を眺めながら、陸八魔アルはそんなことを考えるのであった。

 

 







 ラーメン屋が爆発したり、賽銭箱が爆発したり、依頼先を爆破したりと普段から忙しない便利屋68だけど、たまにはこんな感じの落ち着いた一日があってもいいんじゃないかなって思った次第です。
 次回は第7話「パウンドケーキと兎の恩返し」です。




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第7話「パウンドケーキと白兎の恩返し」



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「恩返しをしたい……?」

「えっと、はい」

 

 新学期の始まる季節となり、生徒を見守るシャーレの「先生」として忙しさが増してきたとある日の昼下がり。

 今日の当番としてミレニアムからやって来た黒崎コユキから持ち込まれた相談に、先生は困惑した表情を隠せないでいた。

 ヘイローを持ち、肉体的には常人を遥かに超えた力を備えているとはいえ、精神的にも経験的にもまだまだ未熟な「子供」によって運営されている学園都市キヴォトス。

 その外からやってきた「大人」として、そしてなによりシャーレの先生として、生徒たちの相談には真摯かつ誠実に向き合う事を信条としている先生だが……まさか「恩返し」などという単語がコユキの口から出てくるとは思いもしなかったのだ。

 そして、本人にもその自覚はあるのだろう。

 どことなく座りの悪い表情を浮かべながら、コユキは先生に事情を説明する。

 

「ほら、その……ユウカ先輩やノア先輩って、私のことをよく怒るじゃないですか。せっかくセミナーに入ったのに、誰にでも出来るような雑用ばっかり私に押し付けてくるし、反省部屋から出たらC&Cの先輩方を使って追いかけてくるし」

「コユキの認識と私の認識は少し違うけど……うん。コユキがそう考えているのなら、ひとまずはそうしておこうか」

 

 開口一番、自分の先輩である早瀬ユウカと生塩ノアの愚痴を漏らしたコユキに、先生は苦笑いを浮かべる。

 先程までの発言から分かる通り、黒崎コユキという生徒は他の学校に比べると問題の少ないミレニアムサイエンススクールの中でもトップクラスの問題児だ。

 常人離れした暗算能力を以てセミナーの会計を務めるユウカや、瞬間記憶能力を有し、セミナーの書記や特許関係の弁理士業務を一手に担っているノアと同じ様に、セミナーに所属しているコユキにも「あらゆるセキュリティシステムを直感的に突破する」という常人とは違う特異な才能があった。

 問題は彼女自身がその才能に対する自覚を一切持っていないということで、ユウカやノアは彼女の摩訶不思議な演算能力をあてにして仕事を割り振っていたのだが、当のコユキ本人は人の役に立ちたいというモチベーションとは裏腹に「こんな雑用しかさせてもらえない」とそれをストレスに感じていたのだ。

 そのストレスが引き金となり、ミレニアムを抜け出したコユキが起こした騒動によってセミナーは危うく破産の憂き目に遭ったのだが……それはまた別の機会に話すとしよう。

 ともかく、自分の才能に自覚がなく、それでいてその才能を行使することに何の躊躇も無いコユキは、世話焼き気質なユウカが手を焼く立派な問題児へと成長してしまった。

 風の噂によると、最近のミレニアムでは問題行動を起こしたコユキを追いかけるユウカの怒鳴り声が聞こえない日は無く。

 物理的にも機械的にもミレニアムの中で最高のセキュリティを誇る反省部屋すら鼻歌交じりに脱走できるコユキの笑い声と断末魔は、チャイムよりも聞きなれたメロディーになりつつあるとか。

 

「でも、先輩たちは時々……ほんっとうに時々なんですけど、私が早めに仕事を終わらせたときなんかに褒めてくれたり、四葉のクローバー探しを手伝ってくれたりして……」

 

 そんなコユキだが、なんとユウカやノアに対する好感度は低くない──むしろ高いようで。

 ユウカとノアの人となりを考えれば、意味も無く蛇蝎の如く嫌われるということは無いだろうが、コユキが常日頃から彼女たちに叱られているのであれば反抗的な感情を抱いていてもおかしくはないと考えていた先生にとって、コユキのその言葉は更なる驚きをもたらすものだった。

 

「その、色々やってユウカ先輩たちを怒らせたりしてますけど、私も別に先輩たちに嫌われたくてやってるわけじゃないというか……。それで、先輩たちも私の事を見捨てずに構って──い、いや、相手してくれるというか! だから、その……」

「……うん。いいんじゃないかな、恩返し。きっと2人も喜んでくれると思うよ」

 

 けれど、先生はコユキの想いに驚きこそすれ、その想いを否定したり馬鹿にしたりする気持ちは微塵も無かった。

 コユキが抱いた純真無垢な想い。

 先生はそれを肯定し、恥ずかしさからあと一歩を踏み出せないでいる彼女の背中を押してあげた。

 

「大丈夫。あの2人ならきっと、コユキの感謝の気持ちを分かってくれるよ。あとはコユキが勇気を出して、行動するだけ」

「……そう、ですかね?」

 

 普段の無邪気な明るさが鳴りを潜め、しおらしくなったコユキに先生は言葉を重ねる。

 不安げにしていた彼女も、先生からのお墨付きを得て少し前を向けたのだろう。徐々に表情も明るくなり、いつもの調子を取り戻してきた。

 

「にははっ、そうですね、そうですね! そうと決まれば善は急げです! シャーレでお手伝いする今日の仕事は終わってますし、これから私はユウカ先輩たちに日頃の恩返しをしてきたいと思います!」

「良いと思うよ、頑張って!」

 

 先生の声援をうけて、意気揚々とシャーレのオフィスを飛び出し母校へと帰っていくコユキ。

 彼女のおもちゃを買ってもらった子供のような無邪気な笑顔を思い出して微笑んだ先生は、珍しくやる気に満ち溢れた様子で自分の机に向き直り──コユキがやり残していったシャーレの業務を終わらせていくのだった。

 

 

 そして、コユキがユウカたちに「恩返し」をすると言ってから一日が経った。

 コユキの恩返しの顛末を気にしていた先生は、当のコユキ本人からの連絡によってミレニアムサイエンススクールへ呼び出され──何故かミレニアムの反省部屋に来ていた。

 

「うわあぁああああ──なんで──!」

「恩返しをしたんじゃなかったの、コユキ……!?」

 

 反省部屋に備え付けられていたクッションに顔を埋め、何があったのか所々焦げ臭い制服姿でぴーぴーと泣き喚くコユキを前にして、先生も困惑を隠せない様子。

 流石にユウカたちが理不尽に怒り、問答無用でコユキを反省部屋に入れたということは無いだろうから、先生はコユキに昨日何をしたのか、どうして反省部屋に入れられることになったのか、詳しい経緯を聞くことにした。

 

「シャーレから帰った後、さっそく『恩返し』をしようと思って連邦生徒会の予算管理システムにアクセスしたんですが……。ミレニアムに対する補助金やら予算やらを前年比の100倍まで増やしたところでユウカ先輩にその現場を見られてしまいまして」

「待って。色々と待って」

 

 が、初手から色々と単語がおかしい。

 頭痛を堪えるように額に手を当てて一旦話を中断しようとした先生だが、コユキはコユキで鬱憤が溜まっていたようで、ボスボスとクッションに怒りの拳を叩きこみながら話を続ける。

 

「前に先輩が『このままじゃセミナーが破産する~』って言ってたから予算を増やしてあげようとしたのに……! 『コユキのせいでセミナーどころかミレニアムが取り潰しになったらどうしてくれるのよ!?』って言いながらC&Cの先輩方と一緒に追いかけてきて、私を反省部屋にぶち込んできたんですよ!? 酷くないですか!?」

「それは……仕方のないことなんじゃないかな、というかちゃんと元に戻した?」

「先生もユウカ先輩たちの肩を持つんですか!?」

「いや、肩を持つとかではなく……」

 

 流石の先生でも、この所業を擁護することはできなかった。

 まさかの方法でユウカたちに恩返しをしようとしていたとは思わず、先生は苦笑いを浮かべることすら出来ない。

 だが、コユキの価値観からすれば今回のハッキングは特に問題行動だったという意識は無いらしく、どうして完全なる善意からの行動で叱られたのか本当に理解できていないらしい。

 その意識の()()が彼女を問題児たらしめている原因なのだが……。

 ──悪さをしたコユキを叱る役目はユウカとノアが果たしてくれているようだし、自分は彼女の行動をちゃんとした方向に導く形で動くとしようか。

 生まれてから今まで培ってきた価値観というのは、そうそう変えられるものでは無い。キヴォトスに来てから直面した様々な騒動を経てそう結論付けている先生は、今からでもコユキの価値観を矯正しようとは思わずに、彼女の情操教育をユウカたちに任せることにした。

 先生からきつく言い含めれば、根は善良……というよりも「純粋」なコユキは不平不満を漏らしながらも従ってくれるだろう。

 しかし、それでは意味がない。それはただの「価値観の強制」に過ぎないからだ。

 その果てにある一つの結末を見たことのある先生としては、そのような方法に訴えるのは最後の手段──それこそコユキが誰かの命を左右するような、取り返しのつかない大問題を起こした時くらいだろう。

 では、先生が今取るべき方法は何か。

 

「──コユキ」

「な、なんですか? まさか、先生も……怒ってます?」

 

 コユキからの糾弾に声を荒げるでもなく、静かに語りかけた先生。

 先生の様子にただならぬものを感じたのか、コユキはまるで怯えた子犬のような雰囲気で怒っているかどうかを彼に聞く。

 怒られること、叱られること、嫌われること。

 彼女は別に、そういうことを求めて問題行動をするわけではないのだ。

 ただ、彼女は世の中の道理や倫理、価値観といったものをまだ理解することが出来ていない「子供」で、だから自分の判断とそれに対する他人の評価とのギャップに苦しんでいるだけで。

 

「ユウカたちに恩返しをしたいって気持ち、まだ変わっていないかな?」

「にはは、恩返しはしたかったですけど……。それで散々怒られたし、私なんかは何もしない方が良いんじゃ……」

「それじゃあ、家庭科の授業をしようか」

 

 ならば、先生が取るべき手段はひとつだけ。

 

「……えっと、授業、ですか?」

 

 コユキに、自分がどういった行動を取れば「恩返し」が出来るのか、その成功体験をさせる。

 そのための計画を組み立て始めた先生の言葉に、コユキは拍子抜けした様子で呟くと、こくりと頷くのであった。

 コユキからの同意を得て、さっそく行動に移る先生。

 端末からチャット形式のトークアプリ「モモトーク」を開くと、ズラリと並ぶ生徒たちの名前からお目当ての少女のアカウントを呼び出した。

 いったい何をするのか、そわそわと先生を見つめるコユキの視線を他所に、彼はひとつのメッセージを送る。

 

『今日、もし良かったらセミナーの仕事が片付いたらシャーレの食堂に来てくれない?』

『コユキのお菓子作りを手伝ってほしいんだ』

『出来れば、ノアも一緒に来てくれないかな』

 

 先生がメッセージを送った相手のアカウント名は──早瀬ユウカ。

 ユウカともう一人、コユキの手綱を握れる数少ない相手であるノアも含めて、先生はコユキにお菓子作りをさせようと画策していた。

 

 

 それから数時間後。

 なにか問題が起きれば自分とシャーレが責任を取る、という名目でコユキを反省室から連れ出した先生は、彼女と共にシャーレオフィス1階に併設されているコンビニエンスストア「エンジェル24」で必要な材料を買い揃えた後に、居住区の食堂へとやって来た。

 

「えっと、先生。お菓子作りって……またなんでですか? 家庭科の授業っていうのもよく分かりませんし……」

「うーん、そうだなあ。なんて説明したらいいのか」

 

 エプロンに三角巾を着け、食堂の厨房へと入った2人。

 普段は訪れることのない空間が目新しいのか、興味津々といった様子で辺りを見渡すコユキからの質問に、先生はどう答えたものか悩んでいた。

 正直に恩返しのためのお菓子だ、と言うのは簡単だが、そうやって伝えたところで今の彼女ではそれが恩返しになるとは理解できない可能性がある。

 とりあえず、恩返し云々は伏せておくことにした先生は、完成したお菓子はユウカたちに渡すように、とだけ伝えることにした。

 

「どうしてですか? まあ、先生が言うなら渡しますけど……」

「うん。でも、渡す時の理由はコユキ自身で考えてみてね。私から渡すように言われたから、じゃなくて」

「ええ、それってとてもめんどくさいような」

 

 付け加えて伝えた指示にコユキは渋い表情を浮かべたものの、頑張ってみて、とだけ応援してその指示を撤回するつもりはない先生の様子に、彼女は諦めたように渋々と頷く。

 2人でそんなやり取りをしながら買ってきた材料を広げていると、にわかに食堂の入り口付近から声が聞こえてきた。

 待ち人の登場だ。

 

「言われたから来ましたけど……先生、コユキと一緒にお菓子作りだなんて一体どういう風の吹き回しですか? あとコユキ、先生に迷惑かけてないでしょうね?」

「ふふ、そんなこと言って。シャーレに向かう電車の中ではあんなに楽しそうにしてたじゃないですか、ユウカちゃん?」

「ノア!? わ、私は別に楽しそうになんてしてなかったけど!?」

「いらっしゃい、2人とも。忙しかっただろうけど、ありがとう」

 

 なにやら言い合いながら食堂に入って来たのは、先生からの要請を受けてやってきたユウカとノア。

 彼女たちの姿を見て、昨日散々叱られたことを思い出したのだろう。

 慌てて先生の影に隠れるコユキの姿に苦笑いを浮かべつつ、先生は厨房を出て2人を出迎えた。

 普段からミレニアムで起こった事件や事故の後処理で激務なセミナーではあるが、今回は本当に後処理が大変だったようだ。

 ユウカは少しくたびれた様子であり、ノアもいつもに比べるとユウカに対するからかいが控えめな気がする。

 

「コ~ユ~キ~? 先生を盾にせずに出てきなさい?」

「ひぃっ、こ……こんにちはです、ユウカ先輩、ノア先輩……」

「反省はしてくれているみたいで何よりです、コユキちゃん。それで、今回はお菓子作りを一緒にするのだとか?」

 

 笑顔で般若を背負うユウカに、思わず息を呑むコユキ。

 そんなユウカの気配にも笑顔を崩さないノアからの問いかけに、先生は頷くと共に「でも」と言葉を付け加えた。

 

「2人とも疲れてるみたいだし、あまり無理はしないで。お菓子は私とコユキで作るから、食堂で休んでていいよ」

 

 どうにも疲れを隠しきれていない2人の身を案じての言葉だったが、ユウカは腰に手を当てて大きなため息を吐くと、無言で近くに置いてあった食堂のエプロンを着け始める。

 ノアもそれに倣ってエプロンと三角巾を着けると、心配そうな表情を浮かべる先生に対して、大丈夫です、と言ってみせた。

 

「確かに疲れてはいますが、無理をしている訳じゃありませんから」

「それに先生、ちゃんと料理が出来るんですか? コユキは料理なんて言葉すら知らなさそうなのに」

「……にはは! ユウカ先輩、それは流石に私を過小評価しすぎというものですよ! 私だって手料理の1つくらいできますから!!」

 

 訝し気な表情のユウカに、何故か自信満々といった表情で薄い胸を張るコユキ。

 これまで料理をしている所なんて一度も見なかったけれど、と驚く先生を他所に、ユウカはどこか挑発的な笑みを浮かべてコユキに問いかける。

 

「ふうん、じゃあ聞くけど、得意料理は?」

「ドン・カレーです!」

「それ、レトルトカレーじゃない!?」

「え? あれも立派な料理ですよね?」

 

 自信満々にレトルトカレーのパウチを煮れると胸を張っていたコユキに、思わずツッコむユウカ。

 彼女の言葉に心底不思議そうな表情をするコユキを見て苦笑いを浮かべる先生にも、ユウカの疑惑の矛先が向いた。

 

「先生! 私、先生が料理をしてる所なんて1回も見たことありませんけど、こんな体たらくのコユキを指導するならちゃんと作れるんですよね!?」

「それはもちろん。そのために、初心者でも作れそうな簡単なレシピを選んだからね!」

「あ、怪しい……! 一体何を作るんですか、そのレシピ見せてください」

 

 だが、先生はユウカからそう問い詰められることを予測していた。

 先生が自信満々に差し出したレシピをのぞき込むユウカとノア。

 そこに載っていたのは「初心者でも安心! 簡単! しっとり食感のパウンドケーキ!」という()()()()な題名とこんがりと程よい焼き目のついたケーキの写真に、必要な材料たち。

 手順はたった数行「材料を上から順に混ぜて焼くだけ!」と書いてあるだけだった。

 

「あら、パウンドケーキですか? 確か、アレは材料を上手に乳化させるには少しコツがいるお菓子だったと思いますが……?」

「先生……パウンドケーキって材料が単純で他のケーキよりも難易度が低めなだけで、きちんと作るにはそれなりに難しい部類なんですけど」

「えっ、そうなの!?」

 

 ノアとユウカ、2人からのダメ出しに驚きの表情を浮かべる先生。

 必要な材料も少なく、手順も単純すぎるくらいのものだったため、てっきり誰でも作れるようなお菓子だとばかり思っていたのだが……。

 そんな先生の様子を見て、不安が的中したとばかりにユウカは溜め息を吐く。

 

「はぁ……今回はコユキが主役としてパウンドケーキを作るんですよね? だったら私たちでサポートするので、先生は食堂で待っていてください」

「え、いやでも、私が言い始めたことだし……」

「大丈夫ですよ、先生。キチンと私たちでコユキちゃんをサポートしますから。それに……セミナーの皆で集まってお菓子作りだなんて、中々無い機会ですから。ね、ユウカちゃん?」

「どうして私に聞くの、ノア? ……とにかく、さっさと作るわよコユキ! 料理もお菓子作りも、結局はレシピに従って作る数学みたいなものだって教えてあげるから!」

「えっ、いやちょっと待ってください! 先生! 助けてくださいせんせえぇええええ──!」

 

 とんとん拍子に決まっていき、話に割り込む隙も無くユウカとノアに両腕を掴まれ厨房へと引き摺られていくコユキ。

 生徒から戦力外通告を受けた先生は、昨日の今日で未だにユウカたちへのトラウマの拭えないコユキの断末魔を聞きながら、南無、と合掌し彼女の無事を祈るであった。

 

 

 さて、そんなやり取りから暫くして。

 厨房に備え付けられているオーブンの前では、焼き上がり膨らんでいくケーキの生地をじっと見つめるコユキと、それを背後から見守るユウカとノアの姿があった。

 そもそも、パウンドケーキの作り方自体は非常に単純だ。

 材料は名前の通り1ポンド(pound)で揃えたバター、砂糖、卵、そして薄力粉。

 これらを順に混ぜ、そして焼くだけ。

 もちろん、焼いた時に良く膨らむようにベーキングパウダーをいれたり、甘さを引き立たせるために少量の塩を混ぜたりするが、基本的には混ぜて焼くだけと言えるだろう。

 ただし、逆に言えばただそれだけの工程で味の全てが決まってしまうともいえる。

 美味しい塩むすびを作るのが難しいように、単純な工程で出来る料理というのは作り手の真の実力が現れるものだと言っても過言ではない。

 

「それにいきなり挑戦しようだなんて、まったく先生も無謀というかなんというか……」

「まあ、今回は先生もパウンドケーキの作り方をよく知らなかったからだと思いますけどね」

「それにしたってよ。普通にクッキーくらいで留めておけばいいのに」

 

 呆れた様子で首を横に振るユウカと、彼女の言葉に応えつつ笑顔でコユキを見つめるノア。

 ユウカの持ち前の計算能力……が今回のお菓子作りで役に立ったのかは分からないが、ノアの記憶していたパウンドケーキの作り方やコツ、それらを踏まえたアレンジの仕方は大いに役立っていた。

 

「それにしても、なんで先生は私たちまで呼んだのかしら。確かに、先生とコユキたちだけじゃ大惨事になっていたでしょうけど……別に、昨日から揉めていた私たちをわざわざサポート役に選ぶ必要だってないじゃない?」

「……ふふっ、さて、どうでしょう?」

 

 昨日の夜から今日にかけて散々迷惑をかけられたコユキには一言二言、いや百言くらい言いたいことはあるのだが……先生が何の考えも無しに彼女にお菓子作りをさせ、なおかつそれをユウカたちに手伝わせる訳がない。

 現に、ユウカたちの指示にコユキは珍しく素直に従い、想像していたよりもあっさりとパウンドケーキを焼く段階まで進んだのだ。

 どこか訝しむユウカの隣で、ノアは1人何かを悟った表情を浮かべて、オーブンの中でもりもりと膨らむパウンドケーキに瞳を輝かせているコユキを見つめた。

 

「わぁあ……」

 

 実のところ、ノアはユウカと共にシャーレに呼び出された時から大体の事情を推測出来ていた。

 というよりも、コユキが何故昨晩、連邦生徒会のデータベースにアクセスしてミレニアムの予算を増やそうとしていたのか、その理由も昨日の内からおおむね予測出来ていたのだ。

 ただ、恩返しだと知ると情に甘いところのあるユウカが、コユキの処罰を緩めてしまうかもしれない。

 それは今回コユキのしでかした所業に対して絶対にかけてはいけない温情であったし、なにより「恩返しとはこうすればいいのだ」とコユキが学んでしまうのはもっと駄目な事態だった。

 だからこそ、今回のコユキの行動とそれに対する処罰に関して少し複雑な思いがあったノアだったが──先生はどうやらそれを解決してくれるようで。

 

「……ケーキ、焼き上がりましたね」

「そうね。……コユキ、いつまでも眺めてないでそこから退いてちょうだい。火傷するわよ」

 

 よって、ノアは知らないふりを続けることにした。

 仕事を終えたオーブンが焼き上がったことを知らせるジングルを流し、ミトンを着けたユウカがオーブンの中からパウンドケーキを取り出す。

 しっかりと竹串を刺して火が通っていることを確認すると、型から外して食べごろの温度になるまで冷ました。

 

「にはは! これで完成です! いやあ、初めてでこんなにも上手に作れるなんて、実はお菓子作りの才能があったりして!?」

「あんまり調子に乗り過ぎないでよ。今回は私とノアが隣で見張ってたからきちんとしたものが作れたって事、忘れないでちょうだい」

「うっ……」

 

 しっかりとユウカから釘を刺され、笑顔を引きつらせるコユキ。

 そんなやり取りを挟みつつ、片付けも終わりケーキが程よく冷めた頃。

 コユキによって4等分に切り分けられたケーキは、他ならぬ彼女の手によって食堂へと運ばれるのであった。

 

 

 結局のところ、材料を買っただけでユウカたちにおんぶにだっこという形となってしまった先生は、最初完成したパウンドケーキをうけとることに消極的だったが、コユキの強い願いもあって一緒に食べることに。

 

「それじゃあ、いただきます」

 

 手を合わせた先生がフォークを手に取り生地に沈めると、しっとりとした感触の生地はほとんど抵抗なくフォークを受け入れ、簡単に切り分けることが出来た。

 美味しいケーキによくある期待の出来る感触に先生は少し眉を上げると、期待に満ちた表情でケーキをフォークで刺して口へと運ぶ。

 口の中に広がる優しい風味を楽しみ、咀嚼したときの柔らかい食感に舌鼓を打ってから一言。

 

「……うん、美味しいね! 流石はユウカとノアの監修だ」

「ちょっとー、先生、私も作るの頑張ったんですよー?」

「もちろん。コユキの頑張りもあってのパウンドケーキだよ、ありがとう」

「にははっ、うーん美味しい!」

 

 先生からの賛辞を受け、満面の笑みを浮かべてケーキを頬張るコユキ。

 一口食べると、堪らないといった様子で美味しそうにケーキをパクつく彼女の隣で、先生から手作りの味を褒められたユウカはまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。

 

「あら? ユウカちゃん、なんだかとっても嬉しそうですね?」

「はっ……はぁ!? いやっ、べつに、嬉しくない訳じゃないですけどっ……ああもう!」

 

 そこにすかさず飛んでくるノアのからかい。

 実はこっそりと(ノアにはバレバレだが)先生に想いを寄せているユウカにそのからかいの効果はてきめんで、瞬時に顔を真っ赤にした彼女は照れ隠しで乱暴にフォークを刺すと、そのしっとりとした触感を感じること無く口の中に放り込んだ。

 

「……あら、けっこう美味しいわね。流石は私たちで作ったパウンドケーキ、かんぺき~」

「ふふっ、記憶通りに作れてなによりです」

 

 そして、想像よりも美味しかったパウンドケーキの味に驚いた表情を見せた。

 ノアも3人で作ったケーキを美味しそうに食べており、この場の全員から好評を博した。

 

「ケーキが美味しかったのはなによりですけど、先生。どうして今日は、コユキのお菓子作りにわざわざ私たちを呼んだんですか?」

「……あれ、コユキ、まだ言ってないの?」

「うっ……」

 

 かといって、ユウカの中にあった疑問が消えるわけではない。

 コユキの家庭科の授業、もといお菓子作りに、どうして自分たちを呼んだのか。

 その言葉を受けて、先生はケーキの完成を待っている間に気が付いたコユキが言っているのではないかと思っていたため、思わず彼女にそう問いかけた。

 そして、実際のところ気が付いてはいたのだろう。ばつが悪そうな表情で先生たちから目を逸らしたコユキは、やがて観念したのか俯きながらポツリと呟いた。

 

「……です」

「え? なに、コユキ。もう一度言ってくれないと聞こえなかったんだけど──」

「恩返しですっ!!」

「ひっ、なに? え、恩返し!?」

 

 突然の大声に肩を揺らすユウカ。

 恩返しという言葉の意味を理解できていない様子のユウカの姿が見えていないのだろう、顔を真っ赤にしたコユキは捲し立てるように叫ぶ。

 

「本当は昨日ユウカ先輩が口癖みたいに『セミナーが倒産する~』とか言ってたんで、ミレニアムの予算を増やしてあげようかと思ったんですけど!! 当のユウカ先輩本人からは怒られるし、ノア先輩はめちゃくちゃ怖かったし反省部屋に入れられるしでどうすればいいのか分かんなくて!! それで、それで、先生がお菓子作りをしようって言ってくれて、その時は私、まだ気付いてなかったんですけど……ええっと、その……えっと……!!」

 

 言っているうちに、自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたのか、目をぐるぐるとさせながら自分の言いたいことを必死に探していたコユキは。

 

「に、にははははっ!! いつもありがとうございましたああぁぁ──!」

「あっ、ちょっと! コユキ!?」

 

 そう叫ぶと脱兎のごとく駆け出して、シャーレから逃げ出したのであった。

 残されたのは、唖然とした表情でコユキの出ていった食堂の入り口を眺めるユウカと、とてもイイ笑顔を浮かべて困惑するユウカを見つめるノア。

 そんなノアの様子から、彼女は全てを知ったうえで今回のお菓子作りに協力してくれたのだと悟った先生は心の中で感謝しつつ、未だに理解の追い付いていないユウカへコユキに代わって事情を説明することにした。

 

「──という訳で、連邦生徒会の予算管理システムをハッキングしたのも、今回のお菓子作りも、全部ユウカたちへの日頃の恩返しのつもりだったんだよ」

「な、なんですかそれ……」

 

 先生からの説明を受けて、頭痛を堪えるように額に手を当てるユウカ。

 そんなユウカの隣で微笑むノアに気が付いたのだろう、彼女は恨みがましそうな視線をノアに向けた。

 

「さては全部気付いてたわね、ノア!」

「ふふっ、真実がどうかはユウカちゃんの想像にお任せしますが……仮にコユキちゃんのハッキングが恩返しだと知って、ユウカちゃんは厳しい態度を貫けますか?」

「それは……!」

 

 ノアから質問を返され、それに応えることが出来ず詰まるユウカ。

 恩返しのつもりで行った行動が()()だというのはにわかには信じられないが……しかし、あの行動が実は恩返しのつもりだったのだと聞いた状態で、自分はコユキに厳しい処罰を与えることが出来たのか? 

 分からない。

 けれど、もし温情を与えるようなことがあれば、それはコユキのためにもならない上、迷惑をかけた連邦生徒会や常日頃から政治に勤しむ他の学校に付け入る隙を与えることになってしまっただろう。

 それはセミナーの創立者であり、ミレニアムの生徒会長でもある調月リオが失踪している今、絶対に避けなければいけない事態だ。

 

「……でも、ズルいじゃない。あんな、常日頃から迷惑行動ばっかりで私の仕事を増やしてばかりの子が『恩返し』だなんて……」

「はは、ユウカは優しいね」

 

 途方に暮れた様子のユウカに、つい先生は微笑んでしまう。

 普通の「子供」なら、同じ子供相手に責任を負う必要のない子供たちなら、いくら才能があったとしてもあれだけの問題児はとっくに見放されているだろう。

 だというのに、ユウカやノアはコユキを見捨てることなく逐一その問題行動を叱り、時にはC&Cの手も借りつつ、どうにかして彼女を正しい方向へ導くことが出来ないか試行錯誤していた。

 おそらく、先生がキヴォトスの外からやってくるその前から。

 そして、往々にしてそういう気持ちや接し方というのは本人に対して伝わるものだ。

 問題児としてミレニアムで過ごしている日々の中で、コユキはユウカたちが自分に対して真摯に接してくれているのを本能的に理解していたのだろう。……その接し方に本人が納得していたかは別として。

 だからこそ、こうして「恩返し」という行動に出た。

 

「ノアも、今日はありがとう。これからもコユキのことをよろしくね」

「はい。お任せください、先生。コユキちゃんはしっかり、ユウカちゃんと一緒に育てていきますから」

「……ちょっと! 私はあの子の母親になったつもりはないんだけど!?」

 

 再び始まったユウカとノアのじゃれ合いを眺めつつ、先生は今日の一連の流れを思い返す。

 善意から始まって、途中怪しい行為こそあったものの、最後も善意で終わるこの巡りあい。

 これこそが己の目指す「生徒が幸福であれる世界」の一つの形ではないかと、先生は思う。

 先生は、まだ一口だけ残っていたパウンドケーキを頬張って。

 

「──うん、美味しい」

 

 この甘さがいつまでも続いてくれればいいのにと、願うのであった。

 

 






 後日、先生の秘密を探ろうとして普通にトラブルを起こしたコユキはユウカからこってりと絞られたのだとか。



 次回は第8話「救護の精神とうどん戦争」です。


 4/19追記
 ちょっと次の話からが難産気味で、書き上がったものも自分では投稿できるようなクオリティではないと思うのでしばらく投稿をお休みします。
 完成次第投稿を再開するのでお待ちいただけると幸いです。



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