おとうとはセカイのバグ (カタカタタカタ)
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X.ちょっと先の話

 

空気が冷えはじめたある秋の日。

 

異世界に転生し。

無事魔力を手に入れた僕――影野ミノル、改め、シド・カゲノーはいつものように盗賊を収穫しに来ていた。

 

 

「ちょっと、遠くまで来すぎちゃったかな……」

 

 

これも盗賊が悪いのだ。

 

もっと近くを根城にしてくれていればよかったのに。

 

前回ここらへんに来たときに収穫した、いくつかの廃村は、相変わらず廃村のままだった。

なんで、建物や畑がそのまま残っているのにここを根城にしないんだ。

 

生き残りはいませんよ、って一目でわかるように死体を村の入り口に置いていたんだけどな。

部位ごとに分けて箱詰めにしたのがダメだったのかな?

野ざらしにしておいたら野犬とか鳥に持っていかれそうだったんだよね……。

 

おかげで、収穫のために遠征することになってしまった。

 

 

睡眠時間は、魔力を使ったスーパーショートスリープをするから問題ない。

だとしても、まがりなりにも、僕は貴族の子息だ。

 

何かのきっかけで寝床にいないことが露呈(ろてい)したら。

さらには、屋敷のどこにも見当たらないなんてことになったら大騒ぎである。

 

 

貴人の眠りを妨げるなんて首飛んで当然。

みたいな考え方があるから、起床時間になるまでは使用人に気付かれる心配はない。

 

けど、急ぎの用事があったりすると、家族の命令で早朝に叩き起こされることも、まぁまぁあるのだ。

夜の内に届いた伝令を朝一番に報告を、勉強のために()()()()もそれに付き合わせる、みたいな感じで。

 

 

だから、できれば日の出までには帰っておきたい。

 

 

夜空を見上げれば、月がもう結構、西に傾いている。

 

僕は走り出そうとして――

 

上弦(じょうげん)の月……か」

 

――なんとなく、月がきれいで。

踏み出した足を戻した。

 

瞬時に口調を切り替える。

 

「ほぅ、美しいな……」

 

なんか、いいよね。

月を眺めながら感嘆のため息を吐く仕草って。

わかる人間って感じがする。

 

陰の実力者は当然、この世界の隠された真実を余すことなく把握しているレベルでわかる人間だからね。

それほどのわかる人間力(にんげんりょく)があれば、ありふれた自然の光景の中にも美を見出すものなのだ。

 

 

 

そうして、しばらく陰の実力者ロールをしていると。

 

――ふと、背後に違和感(いわかん)がある、ような気がした。

 

バッ、とここで後ろを振り返るのは三流のやること。

おばけなんていない~、と歌いながら振り返らずに手だけ回して後ろを(なぐ)るのは二流。

 

真の実力者はこうするのだ。

 

 

「何者だ? それで、隠れているつもりか?」

 

「…………」

 

よしっ、決まったーっ!

 

これぞ、それでも隠れているつもりかバレバレだぞムーヴ。

 

いつか言ってみたい陰の実力者的セリフの一つ!

いつか本当に使ってやるぞ、絶対!

 

 

そのとき、物音も立てずに、

 

「……」

 

スッ、とこれまで影の一部だったかのような自然さで。

幼い女の子が視界の端に現れた。

 

腰に刀を差した黒髪の子だ。

 

 

「……」

 

(――うわっ、本当にいた!)

 

なんとか気合いで叫ぶのをこらえた。

 

僕は動揺(どうよう)を悟られないように、ゆっくり月から女の子に視線を移す。

 

 

幼いとは言っても、今の僕よりはたぶん年上だ。

パッと見では九歳か十歳くらい、二つくらい上だな。

 

しかし、油断(ゆだん)はできない。

 

どっかの剣術道場の娘さんだろうか?

(たたず)まいが武人のそれだ。

隙がない。こうして目の前にしても気配をほとんど読めない。

 

(――強い)

 

 

「なぜ……わかった?」

 

――来たっ!

 

殺気(さっき)がだだ漏れだ」

 

「殺気……」

 

僕は条件反射(はんしゃ)で、なぜわかったか、の問いに答えていた。

いやもう、これははずせない問答(もんどう)だろう。

 

このタイミングではこれしかない、っていうくらい陰の実力者のテンプレ受け答えだね。

 

なんだ、わかっているじゃないか、この子。

 

 

「息も熱も音も魔力も、自然に()けこませたつもりだったが……」

 

今宵(こよい)の月にはあまりにも、無粋(ぶすい)にすぎた。ただ、それだけのこと……」

 

「月……」

 

風情(ふぜい)の中に野暮(やぼ)がある。それは、()()()だろう?」

 

「っ! 心を読んだ、というのか……?」

 

僕はそれに意味深に笑った。

いや、心とか読めるわけなくね?

 

 

「名は……なんという? 私は……()()()、という」

 

女の子が名前を聞いて来た。

 

ふむ、本名を名乗るのは面白くないな。

かといって、まだ修行中だから、えっと。

 

「名か……そうだな。――るろうに……るろうにミノル、と名乗っておこうか」

 

今宵の僕はるろうにミノル。

さすらいの剣客(けんかく)だ。

 

道場の娘がエンカウントするのは、チンピラかさすらいの剣客のどちらかだと相場(そうば)が決まっているんだ。

そして、僕はチンピラじゃない。

簡単(かんたん)な消去法である。

 

 

流浪人(るろうにん)ミノル……ミノル……」

 

女の子もそれで納得してくれたみたいだ。

名前を教えてもらったことにちょっとうれしそうにしている。

 

 

そうだろう、そうだろう。

 

今は忘れ去られし()き一般モブの名前だが、将来の陰の実力者の思想に大きな影響を与えた人間の名前だからね。

いわば、陰の実力者誕生のきっかけになった人物、みたいな。

 

あ、いいなこの設定、これからも使おう。

 

陰の実力者の誕生の秘密。

それにはある男の死が関係していた!

 

 

一手(いって)仕合(しお)うてもらえまいか」

 

「ほぅ……」

 

女の子が刀の柄に手を置いて、軽く殺気を飛ばして来た。

 

――(するど)い殺気。何もされていないはずなのに一瞬、斬られたような錯覚(さっかく)を覚えた。

 

――初めから感じていたことだけど、初めから感じていた以上に、この子、強いな。

 

 

「わかった。いいだろう」

 

僕の手はまったく意識することもなく、腰の剣に手をかけていた。

 

殺気、殺気とさっきから言っているけども。

この子が明確(めいかく)戦意(せんい)をあらわにした瞬間に、身体が勝手に臨戦態勢(りんせんたいせい)を取っていた。

それほど、この子の殺気は()()まされていて強い。

 

 

剣を抜く。

 

 

ちょっと、時間に余裕がないけど。

陰の実力者ロールプレイを抜きにしても。

 

(――この子とは、ふつうに戦ってみたいな)

 

と、僕も思ったから。

 



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幼児期・上
1.悪魔憑き


 

焦点(しょうてん)がずれたようにブレていた視界がはっきり定まったとき。

はっきりと自己の異常(いじょう)認識(にんしき)した。

 

なにが起こったのか冷静に(さぐ)(ひま)もなく、次から次に思い出される一歳の子どもにはあり得ない記憶の数々。

 

わき上がる激情(げきじょう)。あるいは、激情とは真逆の虚無感(きょむかん)

激しく突き上げる衝動(しょうどう)が、途方(とほう)もない脱力感に食いつぶされていくような。

心に穴が空きそうな、いそがしい情動(じょうどう)が己を襲っていた。

 

 

「****? ****っ?!」

 

「**っ! ****!」

 

めちゃくちゃにわめき立て、頭を抱えてのたうち回る自分に、異国の言葉が浴びせられる。

 

 

男と女……。

顔つきがメリケンを思わせる、知らぬ男女――いや知っている。

この言葉も、聞き覚えが――いや生まれて一年間親しんできた言葉だ。

 

 

――もしや、生まれかわった、というのか?

 

 

「ぱぱっ、ままっ……」

 

 

自分の身体から勝手に(うめ)きが漏れた。

慣れ親しんだ語彙(ごい)をとっさに口走ったようで、助けを求めるような感情が(あふ)れるのを感じる。

 

 

「クレア、どうしたっ! 頭か! 頭が痛いのかっ!」

 

「落ち着いて、あなたっ! 不用意に近づいたらいけないわっ! これは――

 

――悪魔憑き――

 

――よ」

 

「そんなっ……!」

 

 

自分はいまなにが起こっているのか判然と理解できていない。

が、目の前の男女――どうやら自分の両親のようだ――二人は混乱(こんらん)しながらも理解しているらしい。

理解はしていても歓迎(かんげい)はしていないようだが。

 

 

悪魔憑(あくまつ)き、か。

 

それがなにを表す言葉なのか知らないが、おそらく()み子のような意味合いがあるのだと、状況や両親の様子から(さっ)した。

 

 

ありもしなかった記憶がいきなり(きざ)まれたから、頭に痛みがあるのだと思っていた。

しかし、いまは頭だけであった痛みは、首に胸に肩に腹にまで広がっている。

 

幻痛、というわけではない。

ブチブチと骨に響いて聞こえてくる音は、確かに生前、聞き慣れた筋肉がちぎれる音に相違(そうい)ない。

 

 

「せ、聖教会に、至急(しきゅう)つかいをだせっ!」

 

「はっ、はい! かしこまりました、旦那様!」

 

「でもあなた! クレアが――――」

 

「俺たちにはどうにも――――」

 

 

これは……あの御方(おかた)の血を分けていただいたときに似ている。

あの御方の無間地獄(むげんじごく)(さじ)ですくって来たような血を、流しこまれたときの感覚。

 

あのとき私はどうやってそれをしのいだのだったか……。

 

 

――わたしの役に立て

――力をつけろ

――人を食え

――鬼を食え

――鬼殺隊を殺せ

 

 

そう、あのときは暗冥(あんみょう)の中にあの御方の意思が声となって聞こえたのだった。

灯火のようだった。

当時の私はその灯火に(すが)りつくように、あの御方への忠誠をより一層深め、なんとか理性を保ったまま鬼になったのだ。

 

 

ならばこの身体を(むしば)む痛みと異常も……

 

 

――“お労しや、兄上”

 

 

ふいに。

生前の弟の声が思い出された。

 

何百年経とうとも耳から離れなかった声が集中をかき乱し、一瞬のすきを突いたように視界が暗闇(くらやみ)(おお)われた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

息を吸う。

身体に(めぐ)らせる。

息を吐く。

 

 

また。

息を吸う。

身体に巡らせる。

息を吐く。

 

 

断続的なゴトゴトという()れも。

時折、()ねるようなゴトンという大きな揺れも。

この身を蝕む呪いに比べれば些事(さじ)

 

 

息を吸う。

身体に巡らせる。

息を吐く。

 

少しずつ。

少しずつ。

身体の流れを、人として正常なものへと戻していく。

 

 

呼吸術。

鬼狩りは全集中の呼吸などと呼ぶことが多かったか。

人だった頃から、鬼になってからも、前世の私に深く染みついた技術である。

 

 

 

(かろ)うじて意識を保っている中で状況を確認する。

 

異国風の男女――今世の両親の前で悪魔憑きというものになったことで、肉体はめちゃくちゃに歪み、ついに見えていた目も肉塊(にくかい)につぶされた。

 

縁壱(よりいち)の声を思い出し、少し気を抜いてしまったせいで肉体の変形が早くなったようだった。

 

気を抜かなければ目がつぶれなかったわけではなかったかもしれないが、気を張っていたことで肉体の変形を遅らせられていたことは確からしい。

思い返してみると、前世の記憶を思い出してから、無意識に呼吸術の常中(じょうちゅう)を使っていた。

それが肉体の変形を遅らせていたのだと思われる。

 

 

幸運だったのは気道が確保できていたこと、肺が無事だったことだ。

目がつぶれてから慌てて呼吸術を再開し、最低でも現状維持できるように息を身体の届くかぎりに巡らせた。

意識が落ちてしまわないように慎重(しんちょう)に。

 

その間、この身体は何者かに運ばれ、荷車(にぐるま)かなにかに()せられたようだったが、そのときはそれどころではなかった。

 

 

そして、しばらく呼吸に集中し、身体の維持(いじ)と意識の維持が安定すると、次は身体の形をもとに戻す作業に入った。

この“悪魔憑き”なる症状の進行を呼吸術で遅らせることができ、維持することまでできたのだ。

ならば、回復させることもできるだろう、と(こころ)み始めていまに(いた)る。

 

 

やることは簡単だ。

呼吸術を応用した回復は前世でも常用していたから、それを行う。

そう時間はかかるまいとやり始めたときには思っていた。

実際に、始めてからしばらくは手応えがあった。

 

しかし、なにかがおかしい。

 

 

視界を確保するくらいまでは肉体を回復させることはできた。

ただ、あるときから壁にぶつかったみたく進展(しんてん)がない。

 

異常な息の流れを感じることはできる。

どんな風に流れているのかもわかる。

正常な息の流れを類推(るいすい)することもできている。

なのに、流れを戻せない。

 

なにか、別の流れに(はば)まれている。

直接感じとることはできないが、不自然な力の流れから、そう結論付けた。

 

 

この流れを直接感じ、操作できれば……。

 

そう思いながら、集中すると、視界が開けたように明るくなった。

 

朝か、それとも次の町についたのか。

この荷車がどこへ向かっているかわからないが、もしかしたら目的地に着いたのか。

と、(いぶか)しんだが景色は変わっていない。

 

言うなれば、これまで見えていたのに認識していなかったものを認識できるようになった心地(ここち)

 

 

まさか、と自らの内側へ意識を向けると、さっきまでわからなかった不自然な力の流れが明確に知覚できた。

(あやつ)ろうと考えると、わずかではあるが流れに(みだ)れが生じる。

 

間違いない。

この感覚を拡張し、鍛えれば、息を阻害(そがい)している力の流れを整えられる。

 

ならば、そうしよう。

 

 

目的地に到着するまでどれくらい時間があるかわからない。

目的地に到着して何をされるのかわからない。

 

一刻も早くまともに動けるようになる必要があるだろう。

 

 

少しでも深く、力の流れに集中するために瞑目(めいもく)する。

 

時間との戦いだ。

 



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2.正体不明質料

 

どうやら、流れを絶やしてもならないらしい。

 

息の流れを阻害(そがい)していた不自然な流れへの干渉(かんしょう)を試みてわかったことだった。

 

 

――この不自然な流れがなければ、呼吸術で全身に息を行き渡らせることができる。

そうすれば、最低限、身体を復元(ふくげん)することは可能だ。

 

 

なにしろ、残り時間がわからない。

 

だから、まずは手っ取り早く自力で動けるくらいにはなろう、と。

 

不自然な流れの全容(ぜんよう)をあらかた把握(はあく)した時点で、その流れの排除(はいじょ)を実行した。

のだが、これはよくないことのようだった。

 

 

不自然な流れを止めて、つぶした組織から、ほろほろと(くず)れていったのだ。

 

私は(あわ)てて、不自然な流れを元に戻した。

すると、組織の崩壊(ほうかい)は止まった。

 

安堵(あんど)した。

慎重に端から手を付けてよかった。

 

 

組織が崩れた一瞬。

 

感覚的に、()()は普通に生きるために、必ずしも必要なものではないという気がしたが。

 

かといって、いまの、おおよそ生きるのに適さない肉塊(にくかい)の状態の私は、普通は生きていられない。

 

この不自然な流れは、まさしく、いまの私の命の(つな)そのものであり。

これを絶つとそのまま死んでしまうようだった。

 

 

この直感はたぶん正しい。

 

前世において、生死の境界(きょうかい)曖昧(あいまい)な鬼として生きた経験が語っている。

 

これ以上やれば死ぬ、これこれこのようにして死ぬ、と。

 

 

であるから、横着(おうちゃく)せずにこの不自然な流れ――言いづらいから今後は呪いとでも呼ぼう――呪いの流れを調律(ちょうりつ)する必要があるようだ。

 

息の流れや、あるいは、血の流れを操るように。

 

把握した範囲では、息よりも血よりも細やかな流れを持っているようで、面倒くさそうだった。

 

だが、ほかにすべはない。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

三日ほど経っただろうか?

 

呪いの流れは大まかに制することが、できるようになったと思う。

 

 

――呪いは血肉との相性がいいらしい。

 

試行錯誤(しこうさくご)を続ける中でそれに気がついてからは、血の流れに(から)めるようにして呪いを制して行った。

 

しかし、血の流れでいうところの毛細(もうさい)血管、細かな流れの制御にまでは行き届いていない。

 

そのためか、いまだ肉塊の状態を脱しきれないでいる。

 

 

まったく意味がなかったとは思えない。

 

成果は確実に出ている。

 

その証拠に、ガタゴトと振れる荷車の揺れがいまははっきり体感できる。

 

少し前まで、平衡(へいこう)感覚が鈍く、視覚的な類推で荷車に揺られていることを辛うじて知ることしかできなかった。

 

その揺れを、いまははっきり感じることができる。

 

 

確かな手応えがある。

 

あと少しで人型を取り戻すくらいはできそうだ。

 

 

 

異変があったのはそんなときだった。

 

 

おそらく宿のために、町から出てそう時間を置かずして急に荷車が停まる。

 

ゴトン、と、急制動で転がった我が肉塊が鉄の格子に激突する。

 

……痛覚も少しだけ回復しているようだ。

 

 

 

「何事だ?! なぜ停まった?!」

 

先頭(せんとう)で何かあったようです! 御者殿(ぎょしゃどの)は念のため荷車の中へ!」

 

「襲撃ぃ! 襲撃ー!」

 

「誰だ、矢を()ったのは?! 聖教の馬車だぞ?! 聖教の馬車と知っての狼藉(ろうぜき)かぁー?!」

 

 

何者かの襲撃に遭っているらしい。

矢を射かけられたようだ。

 

 

「やっべ! これ隊商(たいしょう)じゃねぇじゃねーか!」

 

「うぇっ?! 聖教の馬車?! 聖教の馬車なんで?!」

 

「聞いてた話とちげーぞ!」

 

「ちくしょー、インチーキのヤツ、裏切りやがったなぁ?!」

 

「クソが! いつか裏切ると思ってたぜ、あいつ!」

 

 

聖教。

それが荷車のぬし、私を運んでいる者たちの名か。

 

 

「いや、ちがう! インチーキが言ってた町で見た商人の馬車は、御者台(ぎょしゃだい)に緑の布がかかった馬車だ!

あの馬車の御者台にかかっているのは、干した薬草だ!」

 

「干した薬草だと?!」

 

「あ、謝ったら勘違(かんちが)いだったってことで、どうかなりやしやせんかねぇ?」

 

「バカヤロー。なるわけねーだろーが。先頭の御者が死んでんだぞ?!」

 

 

「丸聞こえだぞ! 賊ども! その林の中にいるな?!」

 

「出てこい! 聖教に弓引いた罪を(あがな)わせてやる!」

 

「たかが盗賊が舐めやがって!」

 

 

…………。

 

 

計画を失敗した盗賊と、それをこれから迎え討つ“聖教”という組織の対立。

 

外の様子を直接見ることはできないが、会話を聞いている限りでは、その結果は明白(めいはく)――のように聞こえるかもしれない。

 

 

しかし、これは……。

 

 

「クソが! もうこうなったらヤケだ! やるしかねぇ!」

 

「やるったって聖教ですよ?! 強そうですしぃ! 勝ってこねぇ!」

 

「うるせぇ! 聖教に目をつけられたらもう町にも入れねぇんだ! やるしかねぇ!」

 

「くっ、おぉおおお!」

 

「野郎ども! 突撃だぁ!」

 

 

「来るっ――がぁ!」

 

「来い! 賊ども! そして死――ぐぅぁ!」

 

「一体なにが――ぁが!」

 

悲鳴がする。

 

血のにおいがする。

 

聴覚も嗅覚(きゅうかく)も無事に回復しているとわかる。

 

 

悲鳴を上げ、血を流しているのは、聖教という組織の者たち。

 

ヒュンヒュン、と、さっきまで賊の声が聞こえていたのとは“逆から矢を射ているのは”、おそらく盗賊たち。

 

 

「よっし! 今度こそ突撃だ、野郎ども!

死に(ぞこ)ないと臆病者(おくびょうもの)どもに(とど)めを刺してやれ!」

 

「「「うおぉおおおお!」」」

 

 

矢が射かけられる音が続いて、悲鳴も上がらなくなったところで、ドドドドド、と無遠慮な足音が荷車に駆けよる。

 

その足音もやはり、(ぞく)の声が聞こえていたのとは逆だった。

 

 

「はっはっはっ、聖教への(みつ)ぎもんは一体、いくらで売れるんだろうなぁ!」

 

「お偉い騎士様が持ってる剣も高く売れるぜぇ! ミスリル製だからなぁ!」

 

「ばっか。武器は回収して俺たちで使うんだよ!」

 

「そうだったか? ははは! アーティファクトさまさまだ!」

 

 

矢の雨の中でも、運よく死んでいなかった者らの鼓動(こどう)が聞こえなくなっていく。

 

 

遺跡(いせき)の罠で死んだインチーキもきっと喜んでんな!」

 

(うら)んでるの間違いだろぉ!」

 

「ちげぇねぇ!」

 

「ひぃっ、ひぃいいい、お助けくださぁ――っが!」

 

「おいおい! 神父サマが俺たちみてぇのに命乞いしちゃあ、ダメだろっ! って」

 

「ぎゃはははは!」

 

 

荷車の中や陰で(おび)えて隠れていた者たちも、次々に殺されていった。

 

私が乗る荷車にも乗り込んできて、また一つ息吹きが()せるのが檻越(おりご)しに見えた。

 

 

と、荷車で泣き叫ぶ御者を殺した(ひげ)の男が私のほうを向く。

目があった。

 

「ちっ、悪魔憑きか……商人使ったらサバけるか?」

 

たったそれだけ吐いて捨てて、髭の男は出ていった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

頃合(ころあ)いか。

 

 

たき火が焼ける音。

火の(ばん)をしている男のあくびの音。

 

酒のにおい。

どこから連れてきたのか、女を抱いたあと特有の獣臭(けものくさ)さ。

 

 

土のにおい。草のにおい。木のにおい。

森のにおい。

 

 

いびきが聞こえる。

虫の声が騒がしい。

火の番をしている男以外はみな寝静まっている。

 

 

逃げるならいまだろう。

 

私はさっきまで状態維持に留めていた、呪いの流れの操作と息の巡りの操作を、人型への復元(ふくげん)に切り替えた。

 

 

 

襲撃を無事に成功させた盗賊たちは、めぼしいものを回収し一つの荷車にまとめた。

 

慣れた動きで一番丈夫そうな荷車に荷物を詰めこみ、林で待機していた仲間と合流。

 

そのまま林を分け入り、隠してあった道を通り奥へ奥へ。

 

鬱蒼(うっそう)としげる森の手前で荷車を停め、そこからは荷物を下ろし、住み()洞窟(どうくつ)まで運んだ。

 

 

その下ろした荷物の中に私もいた。

もっとも、洞窟には運び込まれずに森際(もりぎわ)に放置されているが。

 

 

「こりゃあ。悪魔憑きじゃねぇか。誰だー、これ載せたやつ?」

 

「へい! もともと載ってたやつでさぁ。悪魔憑きは高く売れやすから、こりゃもしかしたら一番高くなるかもなって――いでぇ」

 

「バカヤロー! 売るっつったって聖教だろうが! 誰が売りに行くんだよ!」

 

「でも、商人を使ったら売れるかもしれねぇって、アニキが――」

 

「足元見られるに決まってんだろうが!

売れても二束三文、面倒ごとも付いてくんだから、赤字だ赤字。あーあ――ったく面倒なもん持って来やがって」

 

「な、なにか、まずかったでやすか?」

 

「悪魔憑きのことになるとしつこいからな、聖教は。こりゃ明日にはとんずらしなきゃな」

 

「そ、そそそ、そんなに急がなきゃならねぇんで?」

 

「試したいなら試してもいいぞ。ここでお前だけ、優雅(ゆうが)に一人暮らしだ」

 

「つつつ、付いて行きやす!」

 

 

もっとも、歓迎されていないようだったが。

 

ちなみに、私をここまで運ぶことを決めた三下(さんした)口調の男は、そのあと火の番を命じられていた。

 

 

盗賊たちの口ぶりから、悪魔憑きの売買(?)はあまり珍しいことではないこと、それを中心に立って行っている組織が聖教という名前だということが、わかる。

 

 

話の内容から判断するなら、私が別になにもしなくとも、盗賊らは明日にはここを去るつもりであり。

さらに都合がいいことに、その理由が私の存在にあるということで、おそらく置き()りにされる。

 

 

ならば、それまで待てばいい気がする。

しかし、聖教という組織がどれほどの力を持つ組織かがわからない。

 

いまこの瞬間に、盗賊らを討つための追手(おって)が現れてもおかしくない。

 

 

そこに来て呪いの流れの操作が一段落(いちだんらく)し、呼吸術による息の巡りの操作とのかみ合わせも済んだ。

 

戻れる、という確信を二刻(にこく)も前に得ている。

 

そして、盗賊たちは大半が寝静(ねしず)まっている。

 

 

逃げるには絶好の機会。

 

ここでこの機会をふいにして、あとあと()やむことになったら目もあてられない。

 

やれるときにやるべきだ。

 

 

 

呼吸を深めて、身体の循環を人として正常なものへと戻して行く。

 

数日前、呪いに阻まれて通らなかった息が、カチカチと、カチカチと、()み合って行く。

 

 

ある程度進んだところで、呪いの流れも血流や神経(しんけい)沿()わせながら、(よど)みをなくしていく。

 

こちらは、どう流れるのが人として正常かわからないため、乱れをなくすように調整(ちょせい)して行く。

 

どうとも言いがたい、わからないところは、直観(ちょっかん)で流れをつくる。

 

 

ミチミチ……ミチミチ……。

 

プチプチ……プチプチ……。

 

 

肉体を変形させる音が鳴るが(かす)かしやかしやかなもの。

虫の声に負ける。

 

呪いの流れをそれらしいものに整えると、なぜだか、傷が勝手に治っていく。

血肉が、細胞が、呪いの流れに従って再生する。

 

 

 

そして。

 

私の身体は肉塊になる前の、一歳の女児のものとなった。

 



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3.ぅゎょぅι゛ょっょぃ

 

「すぅ……、はぁ……」

 

吸って、吐くと、(なめ)らかに息が巡って行く。

二度、三度繰り返せば、()まりや(よど)みもなくなった。

 

 

「ぅむ……。もんだぃなぃ」

 

 

とりあえず、人の形は取り戻した。

しかし、たった一歳の女子の身体に大した力はない。

前世の人間の身体で同じ状況に立たされていたなら、途方(とほう)()れていただろう。

 

問題ない。

解決する目算(もくさん)はすでに立っている。

 

 

一つ。

肉塊(にくかい)から肉体へ戻るのに、呼吸を使ったからだろう。

この身体は、もしかすれば前世の鬼狩りをやっていた頃より、呼吸術に馴染んでいる。

細い樹木(じゅもく)くらいならば素手でへし折れるほど、力強く拳を握れる。

 

 

二つ。

必死になって制御した呪いの流れ。

これも何がしかのエネルギーであることは間違いない。

たとえば、このエネルギーを腕に集めて集中させれば、ヒュッと風を切る速さで右手が振れた。

外に出せば()ってしまうが、表面にまとわせるくらいは可能で、ぺちぺちと叩いた肌は石のように硬い。

力を出せるし、耐久性も問題ない。

 

 

この二つがあれば、この鉄の(おり)を破壊することくらい容易(たやす)いだろう。

 

私は右手を手刀に構え、旋回(せんかい)

放った斬撃がスパンと、檻の全周(ぜんしゅう)()いだ。

 

 

――キン、ヒュンッ……。

――カラン。

――カラン、コロン、カラン……ドサッ。

 

 

「誰だっ?!」

 

「っ! 襲撃か!」

 

「とっ討伐隊か?!」

 

 

「……おもったよりかるい手ごたえ……。力かげんが、むつかしい……」

 

あと、喋りづらい。

舌が発達していないのだ。

 

 

呪いの力は想定したよりもずっと強力だった。

 

檻を上下に斬り分けて、静かに立ち去るつもりだったが、思ったより威力(いりょく)が高い。

横へ振ったときに生じた風だけで、斬り分けた上半分の檻が宙空(ちゅうくう)へ吹き飛んで行ってしまった。

 

そのせいで、それなりに大きな物音がなった。

 

それが、まず火の番の男を、そして、火の番の男の叫びに反応した多くの盗賊の目を覚ました。

 

まだ落下音がした森の奥に気をとられ、こちらに気が向いていない。

だが、それが斬り分けられた檻だと気付き、檻を放置した場所に気が向くのは、時間の問題だろう。

 

 

「おらっ、起きろ!」

 

「襲撃だ!」

 

「火ぃ、()けぇ!」

 

「ためし斬りにはちょうどいい、か……」

 

 

この小さな身体で正面戦闘は不安だったが、これだけ力があるならなんとかなるだろう。

 

相手は力尽(ちからづ)くで(うば)うことを生業(なりわい)にする者。

 

遠慮(えんりょ)はいるまい。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「っぁ、だずげでだずげでだずげぇっ――」

 

「あぐま゛ぁ゛――」

 

「こんなものか。……たあいない」

 

 

相手の裏をかいたり、無抵抗の相手を殺すのにばかり慣れていたのだろう。

 

盗賊たちは意外なくらい弱かった。

 

血のにおいがそれなりに()い者もチラホラ見受けられたのだが。

 

 

たかが盗賊ということか。

脇が甘く、詰めが甘く、立ち回りがまずかった。

 

 

これなら呼吸術だけで皆殺しにできただろう。

もっとも、十日近く食事を摂らなかったにしては、不自然に体力が満ちていた。

おそらく、呪いの力が作用しているのだろう。

これなしではこちらの体力が切れていた。

 

 

さて、本気で戦うということはできなかったが、本気で攻撃することはできた。

 

盗賊から奪った剣を何度か振るうちに、力加減ができるようになった。

ひいては、力の扱いに最低限慣れた、と言えるだろう。

 

おかげで、鬱蒼(うっそう)とした森にあった小さな広場は、仕事が雑な開墾(かいこん)現場のように荒れている。

 

 

せっかくだから、盗賊の(たくわ)えを確認し食糧をいくらかもらっていこう。

 

盗賊の住み処は洞窟のはずだから、もうこの広場には用はない。

 

が――

 

 

「食りょうはもらっていく……。あとは、好きにしろ」

 

「っ」

 

悪魔憑きというよくない立場で運ばれていたことだし、これからしばらくは森に隠遁(いんとん)するつもりだ。

 

で、ある以上は、食えもしない装飾品(そうしょくひん)(たぐ)いはかさばるだけで価値はない。

 

武器と、いずれ使うかもしれない金銭はいくらかもらっていくが、かさばらない範囲でだ。

 

 

だから、私が立ち去ったあと。

盗賊の(なぐさ)み者になっていた女たちが、洞窟からなにか持ち去ったとしても、関知(かんち)するところではない。

 

 

死んだフリをして震えていた女らを一瞥(いちべつ)だけして、私は見晴らしがよくなった広場を去った。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

外套(がいとう)があったが、どれもこの身体には大きい。

腕は自由に使えるようにしておきたいの

で、身体に巻きつけるのは却下(きゃっか)

できるだけ質がいい布に穴を空けて、頭を通し、腰をひもで(しば)って服とした。

 

 

いくらかの食糧、見慣れない図柄(ずがら)の硬貨、使い勝手がよさそうな銅の匕首(あいくち)麻袋(あさぶくろ)に入れて。

他に何枚かの麻袋も詰め込み。

 

たっぷり中身が入った水袋と一緒に、肩に袈裟懸(けさが)けにする。

 

盗賊から奪った短剣は逆の肩にかけて、これで準備はいいだろう。

 

 

追っ手がいつ来るのかはわからないから、出発は早いほうがいい。

身体を休めるのならこの場から離れてからにしたい。

 

幸いまだ、身体は動く。

 

 

私はせめて体力の足しになればいい、と蓄えられていた黒色のパンを咀嚼(そしゃく)しながら、盗賊の洞窟を後にした。

 

 

 

森に這入(はい)れば、この小さな身体は背が高い草に()もれる。

痕跡(こんせき)はあまり残したくはないため、草はそのままに、軽くかき分けて進んでいく。

においと気配で辺りを探って、通りやすい道を辿(たど)っていく。

 

 

獣や獣のようだが少し違う気配をいくつも感じる。

これらをいまは、移動することを優先して極力避ける。

 

 

しばらくそれを続けて、辞めた。

 

あまり、意味がない。

このままだと。

 

 

「なんのつもりだ……?」

 

ついて来る者がいる。

森に入ったときからずっと。

 

 

正体もわかっている。

目的ははっきりしない。

 

ただ、目的が何にせよ、ついて来るなら邪魔だ。

いないほうがいい。それははっきりしている。

 

 

(――斬るか)

 

背中の短剣に手をかける。

 

斬り殺そう、そう思いながら剣を抜――こうとした。

剣を抜こうとして、剣を抜く手が動かなくなった。

 

 

(――剣が抜けない……?)

 

 

なぜだ? なにかの術にかけられている感じはしない。

未知の何かか、いや、自分の意思で抜かないように腕を止めている。

 

 

――躊躇(ためら)っているのか? なぜ?

そういえば、慰み者になっていた女らを殺さなかったのはなぜだ?

追っ手を警戒(けいかい)するなら、目撃者は皆殺しにするべきだ。

 

(――これは…………誰の意思だ?)

 

 

「あぅあっ、てきっ、敵じゃないっす! 

ほんとっす! 何か企んでたとかじゃねぇっくて!

ごめんなさい、許してくださいっす!」

 

 

私が己の行動と感情に戸惑っている間に、背後、(しげ)みから私を尾行(びこう)してきた者が姿を現す。

両手を挙げて抵抗しないとアピールしている体勢。

古布を着た、いまの私で三人分くらいの背丈(せたけ)の女だ。

 

 

においからも、盗賊に慰み者になっていた女の一人で間違いない。

 

 

「盗みではないのか? ()いったところや、つかれたところを、盗ろう……という」

 

「とんでもない! そんなことしないっすよ! 命知らずな!」

 

 

「では、なんだ……? もし町へかえりたいのなら、私は森のおくへむかっている。……ぎゃく向きだ」

 

「いやいやいや、町とかは、あ~」

 

 

「町でないなら、ものごいか……? 賊のすみかからは、大したものは持ちだしていないが……」

 

「そっちは否定できないかなぁ~。当たらずとも遠からずっていうか」

 

なるほど。

斬るか。

 

「あっ、いや、待ってくだせぇっす。食べものとかお金とかくれってことじゃなくって。行くあてがないから、付いていかせてほしい、っていうことっす」

 

「いらん」

 

「そういわずに一人より二人のほうが」

 

「じゃまだ」

 

 

「きっと役に立つっすから。こう見えて、けっこういろいろできるっすよ」

 

「いらん。――手に職があるなら、それで食えばいい。それとも、できないわけが、あるのか……?」

 

「あははは……」

 

問いに、女は目をそらして曖昧に笑った。

誤魔化そうとする感情を感じる。

 

なるほど。

 

 

「賊に、かたんしていたか……」

 

「あ~と、っすねぇ」

 

斬ろう。

賊なら躊躇う必要はない。

 

今度こそ腕は思ったとおりに動いた。

 

躊躇っていたのは、あくまで罪なき、あるいは、害なき相手を手にかけることだったようだ。

躊躇いの理由は後ほど考えよう。

 

 

短剣を少し傾けながら、滑らかに音なく剣を抜く。

 

刀とは勝手が違うが、前世、両刃の剣の使い手は何人も相手にした。

使い方に問題はない。

 

いつかは刀を振りたい。

()も握りにくいことだし。

拠点(きょてん)を決めたら、刀を(こさ)えよう。

算段(さんだん)は付いている。

 

 

そうして、足をかけて女の体勢を崩し――

抜いた剣を――

余計な抵抗をされる前に、余計な痛みを感じるより先に死ねるように――

振り抜――

 

 

「ピッチピチの若い女奴隷! いまならたったの500万ゼニー! 服も靴も付いてくるオプション付き奴隷だー!」

 

そんなことを(さけ)ぶ女の姿に。

 

首に触れる直前の剣を私は止めた。

 



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4.むなしい

 

「ピッチピチの若い女奴隷! いまならたったの500万ゼニー! 服も靴も付いてくるオプション付き奴隷だー!」

 

 

いくら混乱しているからってこれはない。

何言ってるんだろ、あたし。

 

頭のまだ冷静な部分で、これ終わったわ、と諦念(ていねん)の声を上げる。

 

そんなことをするのも、本日三度目のことだった。

 

 

 

一度目は、アナコンダ盗賊団を仕切るアニキが「女が足りねぇ」と言い出したとき。

 

最近、増えた団員の相手をするのに女が足りないから、下っ端のあたしが相手をすることになった。

 

あたしの盗賊団での役割は、あの手この手を使って町で情報を集めること。

うまそうな獲物を見繕(みつくろ)い、討伐隊が派遣されそうになってないか警戒し、それらをアニキに報せることだった。

 

だから、一人二人相手にするなら問題ない。

女の身体はそういう方法で情報を集めるのに向いているから、慣れている。

 

でも、三人四人五人、そんな数になれば無理だ。壊れる。

 

実際に壊れた女は何度も見たし、()()もした。

 

 

だから、宴の最中、「女が足りねぇ」と言い出したアニキと目があったとき。

 

これ終わったわ、と人生の終わりを(さと)った。

 

 

 

二度目は、なんとか男どもの()めをしのいで、(ぼう)と倒れていたとき。

 

あたしって意外と丈夫(じょうぶ)だったんだな、とかいらんことを考えていて(まわ)りのことが目に入っていなかった。

 

だから、気付くのが(おく)れた。

 

 

「……っめ、っくしょっ! …………!?」

 

「――っぁぃじゃ! ぁっ?!」

 

 

あたしが気付いたのは、ボシュッ、と音がして生温(なまぬ)い何かの(えき)がかけられたときだった。

 

なんだ? まだ続きやってるやつがいたのか? と液が飛んできたほうを見ると、上半分がないひとが立っていた。

 

上半分がないひとが立っていた。

 

 

「なんだってんだ! このくそがぃぁ゛?!」

 

「ぃあ゛あ゛あ゛!!」

 

 

また、ボシュッ、と音がしてそっちを見た。

あ゛あ゛あ゛、と汚い悲鳴を上げながらアニキがお腹を押さえて――そのまま腰から下だけ残して地面に落っこちる場面だった。

 

 

それを為したのは、アニキの手前に立っている小さな影だろうか?

手、のようなものを構えて、目を赤く光らせている。

 

 

悪魔だ、と咄嗟(とっさ)に思った。

悪魔なんて見たことないけど、きっとこれが悪魔だと。

 

 

その赤く光る目が一瞬、こっちを向いた。

目があった。

 

これ終わったわ、とあたしは今度こそ死を確信した。

 

 

しかし、悪魔は言葉を残して、その場を去っていった。

 

死臭(ししゅう)(ただよ)う荒らされた広場には、(なぐさ)み者になっていた女たちとあたしだけが残っていた。

 

 

 

三度目は、いま味わっている。

 

一度目と二度目はどうにか助かったんだから、三度目も助からないかな。

いや無理だなこれ、だってもう殺意しかないもの。この悪魔さん。

 

 

あぁ、こんなんだったら、一か八か町に向かってたらよかったな。

 

でも、さんざんアニキたちに(おか)されていた女たちは、私が盗賊の下っ端だって知っているからな。

しかも、他の心を壊した女を処分する様子も目の前で見せているし。

 

 

恨まれていないわけがない。

 

町に着いたら、間違いなく盗賊の生き残りとして捕まって処刑(しょけい)コースだろう。

 

そうじゃなくても、悪魔が広場を去ってから起き上がった女たちの、あたしを見る目はヤバかった。

 

あのままだと正直、町まで無事にたどり着けたかも怪しい。

 

 

だから、一縷(いちる)の望みを(たく)して悪魔さんに付いてきたんだ。

やっぱり、無理だったけど。

 

 

初め、言葉を交わせたから、これは行けるかもしれないと期待した。

しかし、ドジを踏んでしまった。

あたしが盗賊の一人だったと知られてしまった。

 

 

まぁ、それならやっとくか、みたいなノリで悪魔さんはあたしを殺そうとしている。

 

 

あぁ、なんでこんなときに反射的に出てくる言葉が、ずっと聞いてた奴隷商人の言葉なんだ。

もっとなんかあっただろ、あたしの最期(さいご)の言葉だぞ? これ。

 

 

「としは?」

 

「へっ? とひ」

 

 

知らず閉じていた目を開いた。

 

まだ、首に冷たいものがあたっている。

 

 

「としはいくつだ……?」

 

「とし……歳……? じゅういちれふ……」

 

口がうまく回らない。

 

こわい、死にそう。でも、どっちにしろ死ぬ。

ああ死にそう。

 

(ふる)え声で悪魔さんの質問に答えると、首から冷たい感触が消えた。

 

 

「え……?」

 

 

剣を引いた?

どういうこと?

 

 

「ものに罪はないか……権利(けんり)もないが」

 

悪魔さんがつぶやいた。

 

心底(しんそこ)(あき)れたように剣を(さや)に納めて、背を向けて草を分けていく。

 

 

「え?」

 

 

もしかして、助かった?

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

奴隷、という言葉を、今世で使っている言語で初めて聞いた。

が、金銭を出して取引できる道具とか、しもべといった意味だろう、と文脈(ぶんみゃく)からおおよそ理解した。

 

 

これで成熟した大人なら、主とともに()ね、と。

もしくは、賊ではなく大名(だいみょう)などのきちんとした集まりに(ぞく)していたならば、後顧(こうこ)(うれ)いをなくすために去ね、と。

 

殺すところだ。

 

 

しかし、奴隷とは家畜のようなものだろう。

しかも、訊ねてみれば、歳は十一。

 

肉体は成熟しているように見えるが、そう言われて“よく穿(うが)って観察”すれば、たしかに心臓が若い。

 

――内臓を少し悪くしているな。なにより、……、……………。

 

 

嘘を()いている風でもない。

 

おそらく、本当にまだ11歳の子どもなのだろう。

 

 

そこまでわかったところでもう、殺す気は失せていた。

 

意思決定の権がない道具。

善悪の区別も、世のこと人のことにも(うと)い子ども。

 

そんな子どもを意味もなく殺すことに意義を感じない。

 

 

多少邪魔になったところで。

森にあふれる無数の気配に、珍しい獣が一体増えたと思えば、許せる。

 

 

(――鬼ではないから、食えば強くなるわけでもなし)

 

 

私は剣を退()き、鞘に納めて森歩きを再開した。

 

 

後ろから足音がついてこない。

 

 

「ついてこないのか……?」

 

「ぇ、ぁ、ぅぅ、行くっす」

 

女は面食(めんく)らいながら、カクカクと首肯(しゅこう)する。

 

再び歩みを進めていくと、後から足音は付いてきた。

 

 

 

「どこに向かってるっすか、これ?」

 

後ろを付いて歩く女が訊ねてくる。

 

 

「ふっ」

 

「っ?!」

 

私は短剣に手をかけ、振り向きざまに抜き放った。

 

 

振るった剣から赤い斬撃が女へと飛ぶ。

 

赤い斬撃は、女――の頭上を()り返りつつ上昇。

大口をあけたヘビの頭を落とした。

 

 

「ヒィッ!! なんすかなんすかなんすか!」

 

「川だ」

 

 

力をなくして落ちてくる頭を遠くへはじき飛ばす。

まだにょろにょろと動いている胴を、木の枝から引きずり下ろす。

 

 

「かわぁ?! なにが?! いや川か!

違う! そうじゃなくて、ヘビ! 剣! あっぶな! え? あっぶな!」

 

「ながれる水の音がする、においも。おそらく、川だろう」

 

 

動いていても、頭がなければ()め殺すくらいしかできない。

巻きついてくる胴は無視してよさそうだ。

 

切り口に爪を立てて、皮を()いでいく。

 

 

「はぁ……えっと、魚でも獲るんすか?」

 

「いれば獲る。が、まずは水をあびる」

 

「ああ……。(くさ)いっすもんね、あたしら。もう、鼻がイカれてわからないっすけど」

 

 

皮を剥ぎ終えた。

 

短剣の剣先をむき身になったヘビに立てて、腹を開く。

 

 

「そのヘビ、どうするんすか?」

 

「団子にして魚かねずみのえさにする」

 

「食べるんすかね? そんなもん」

 

「食わせる。毒があれば死ぬだろう。死ななければ、残りは焼いて食う」

 

 

一直線に開いた腹から、内臓をこそぎ出して地面へ捨てる。

においという意味では手遅れだが、一応、雑に土をかけて埋めた。

 

 

「……あぁ。毒見なんすね。()()とかじゃなく……」

 

「ヘビの肉は精がつく……。このあたりの香草(こうそう)には、くわしいか?」

 

「香草っすか……? アカヨモギならよく使うっすけど……」

 

「どこにある……?」

 

「これっすね。木の根っこに、必ずといっていいくらいに生えるんっす」

 

 

女に示された赤いまだら模様の葉を持つ草を採取する。

土や虫が付いていないのを確認。

 

 

開いた腹に香草を()りつけて、大まかな汚れを落とす。

これを三度繰り返して、新しい香草を開いた腹に挟み、木の枝にぐるぐる巻きにする。

 

剥いだヘビの皮をねじり、ヘビの身を木の枝に縛りつける紐にする。

 

でき上がった棒を、新しい麻袋に詰めた。

 

 

「行くか」

 

「あっ、持つっすよ」

 

 

重くはないが荷物が増えると動きづらい。

 

女の提案はありがたいので、同意して、ヘビが入った袋を投げて渡した。

 

 

「盗まないっすよ?」

 

「当たりまえだ……」

 

また、歩みを再開した。

 



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5.魔力

 

「さっきの赤いやつ、なんすか? ヘビ、斬ってましたけど。その剣、アーティファクトなんすねぇ」

 

「あーてぃふぁく?」

 

「アーティファクト、っすよ。魔力込めたり込めなかったりして、なんか出てくる道具っす」

 

 

「まりょく……?」

 

「あれ? 急に頭悪くなったっすか?

魔力っすよ。ぎゅっとしたらバッと出てくるやつっす。いや、出てこないひともいるっすけど?」

 

「???」

 

私は女が連発する聞きおぼえがない言葉に首を傾げた。

 

 

アーティファクト。魔力。

何を指しているのか不明だが、私がさっきヘビを仕留めた、血の斬撃(ざんげき)に関連している口調だ。

 

 

「ほら、こういうやつっすよ。――ふんがっ」

 

女はおもむろに手を上に開いて力んだ。

すると、(てのひら)からキラキラと青っぽい光が湧き、暗い森をほのかに照らす。

 

 

「それが魔力……。このかんじは……呪いとおなじ。いや、魔力という名なのか?」

 

私は確認するため、女を真似た。

手を上に開いて、そこから、いままで呪いと呼んでいたものを外に放出する。

 

森がざわめいた気がした。

 

それは噴水のようにあふれて、一瞬にして真っ赤な光が一帯を照らした。

女とは比べものにならない量の光だった。

 

 

「うわぁ。すげー魔力っすねぇ! 悪魔ってみんなこんな魔力あるんすか?」

 

「これが魔力、なのか?」

 

「ん? 魔力じゃないんすか?」

 

「いや……。そうか魔力という名なのだな……」

 

 

勝手に呪いと名付けて呼んでいたが、話を信じるなら、魔なる力――魔力という名で呼ばれているらしい。

 

言い得て妙。

 

普通ではあり得ない魔に属する力、また、あふれて輝く魅了されるような魔性(ましょう)の力。

魔力と呼ぶにふさわしいものかもしれない。

 

私もこれからは魔力と呼ぶことにしよう。

 

 

「では、あーてぃふぁくと、というのはなんだ?」

 

「アーティファクト、っていうのは、それっすよ。魔力を流したりしたら、変なことが起こる道具っす」 

 

「……剣のことか?」

 

「そうっすけど、そうじゃなくって、特別な力がある剣っす。さっきのヘビを斬ったみたいなやつっす」

 

「血のざんげきか……? この剣でないと飛ばせないのか?」

 

そんなことはないと思ったが。

 

 

私は試しに左手を手刀にして、さっきの呪い――改め、あふれた魔力に引きよせられてきたらしい、二足歩行の狼の化生(けしょう)へ斬撃を放った。

 

 

――シュッ。

 

 

「キャィンッ」

 

 

果たして、手刀(しゅとう)からは赤い斬撃が放たれた。

よだれを垂らして前傾姿勢(ぜんけいしせい)を取った狼の胴を袈裟斬(けさぎ)りにして、はじき飛ばした。

 

 

「むっ、浅かったか。やはりまだ無駄(むだ)がおおいな……()りもあまい……」

 

 

一刀のもと、斬りふせるつもりだったが、思いのほか斬撃が浅い。

 

衝撃が狼の化生をはじく結果となってしまった。

 

 

もう一度、手刀を振るう。

――シュッ、と飛んだ斬撃が今度こそ(のど)に深く食いこみ、首を落とした。

 

 

……あれは解体するのに時間がかかりそうだな。

()まった肉体は()()がなさそうだ。

 

放置でよいか。

 

 

「えーっと。もしかして、ただの剣っす、それ? じゃあ、離れたところをどうやって斬り飛ばしてるんす? 魔力っす?」

 

「呪い……魔力、だけでも可能かもしれぬ。が……魔力は体外に出すとまたたく間にきえていくのをかんじる」

 

 

肉塊になっている間にさんざん試したが、魔力は肉体の内側でなら消化される時間はゆるやかだ。

しかし、これを肉体の外へ出すと、(かすみ)のようにどこかへと消えてしまう。

 

もちろん、無茶をすれば辛うじて体外でも操作できるが、ほとんどできない。

 

 

「っすよねぇ」

 

「だから、血とねって外へだしている」

 

「血と……?」

 

「体内ならば立ち消えない……。ならば、肉体をのばせばよい……と、かんがえた」

 

 

幸いにして前世ではさんざんやったことだった。

 

血を練って血鬼術を放つのも、血肉を練って刀をつくり出すのも。

 

この魔力というエネルギーは、血肉との相性がいいようであった。

そのため、形にするのはわりかし簡単だったのだ。

 

 

魔力を血と練って、循環させながら、斬撃として飛ばす。

 

血鬼術(けっきじゅつ)ですらない技術だが、そもそも鬼ではないため、いまの私に血鬼術は使えないだろう。

 

 

技術としての練度が甘く、無駄が多いことが課題(かだい)である。

 

 

「血……。肉体……? はい、あたしにはできそうもないっすね」

 

「……」

 

 

口に出して説明したが、うまく伝わらなかったようだ。

 

女は理解を諦めていた。

 

まぁ、それでいいのかもしれない。

魔力が少ないようだし、血を流し過ぎれば回復に時間がかかるだろう。

習得しても、割にあわないものになる可能性がある。

 

 

 

私は歩みを止めた。

後ろの女も。

 

 

森を歩くこと一刻半。

空が明るくなり、紫も抜け、日の出を目前に控えたころ。

 

川に到着した。

 

 

「朝…………か」

 

「うわ、ほんとに着いたっすねぇ、川」

 

 

間もなく、日の光が差しこんだ。

(きし)の岩にぶつかり跳ねる水しぶきに、キラキラ反射する陽光(ようこう)

 

 

ジョロジョロと夜と変わらぬはずなのに、朝の訪れを喜ぶかように、水流の音がなんとなく清々(すがすが)しい。

 

()き通る水の先で小魚が群れて泳ぐのが見える。

 

夜の虫の声が()りを(ひそ)め、鳥の声が(さわ)ぎ出す。

 

 

(――こうして、外で朝を迎えるのは、久しぶりだな……)

 

 

 

「たずねてなかったが……名は?」

 

「名前っすか? あたしはヴェラっすよ、悪魔さん。あ、悪魔さんに名前とかあるんすか?」

 

 

「……悪魔でいい」

 

「りょ、っす」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

(――魔力とは不思議な力だ)

 

 

ここ数日間で試した範囲(はんい)でもやれることは多岐(たき)(わた)る。

 

身体能力の強化。

魔力を込めたものの耐久力(たいきゅうりょく)の強化。

振るった剣の斬撃能力の強化。

殴打(おうだ)したときの衝撃(しょうげき)の強化……。

 

 

何かを強化する方向で魔力を使わなくてもいい。

 

たとえば、(てのひら)を樹木に張りつけた状態で、その掌から魔力を放出する。

すると、肉体にはなにも力を込めていないにも関わらず、その樹木は折れて倒れるのだ。

 

まったくの無挙動(むきょどう)でありながら、魔力を放出させるのみで木が倒れた。

つまり、魔力単体で物理的な力が発生したことになる。

 

このことから、魔力自体にエネルギーが宿っていることは間違いないだろう。

 

 

それらはあくまで一例に過ぎず、おそらくは、魔力の本領(ほんりょう)真髄(しんずい)にはほど遠い。

 

(――魔力とは本当に、不思議で、面白い力だ)

 

 

――本領も真髄もわからないけれども。

対象や座標、環境や条件を選ばず、身体のどこからでも発生させ、自由に操作できる力。

 

それだけでも、十二分に便利なものだと実感する。

 

 

というのも、この二尺(にしゃく)と少しの身体では、(さわ)()み入るにしても、少し底が深ければ胸まで沈みんでしまう。

 

そうすると、水圧で腕は動かしづらくなり、ちょっと(かが)めば頭まで(しず)む。

それで、泳ぐ魚を捕まえられなくなるほど感は悪くないし、身体能力も低くはない。

 

でも、それで魚が()りづらかったのはたしかだった。

 

 

そこで身体の表面に魔力をまとわせると、それだけで水から感じる圧力は軽減(けいげん)された。

 

さらに魔力を込めると、もはや、地上で動くのと変わらなくなった。

 

魔力が、水圧や川の流れが生み出す圧力に反発(はんぱつ)し、相殺(そうさい)されたということらしかった。

 

 

さらに微調整を重ねれば、身体が水に沈む力すら相殺させ、水面の上に立つことさえ可能となり。

これで、川の足が届かないところにも踏み入れるようになった。

 

 

おかげで、川での魚獲(さかなと)りは、スムーズにできるようになった。

 

水面に立って先を尖らせた木の枝で刺すのも。

沢に入って泳いでいる魚を手づかみするのも。

水中に(もぐ)って岩間の(かめ)(かめ)(ひろ)うのも。

 

まるで問題にならない。

いいことだ。

 

 

そのような具合で。

 

魚獲りとキャンプを繰り返しながら、川をたどって登ること数日。

 

 

道中、元盗賊の女――ヴェラに教わり、この辺りに生える山菜(さんさい)根菜(こんさい)、食べられる果物を覚えた。

襲ってくる獣や化生(けしょう)――魔物や魔獣やモンスターと呼ぶらしい――を返り()ちにし、その(さば)き方も教わった。

 

 

そして、深い谷の底の川岸(かわぎし)を進んだ途中に見つけた洞穴(ほらあな)

 

姿は見えないが、遠くから水が落ちる大きな音が聞こえる。――(たき)があるのだろう。

 

それとは別に、川の流れる音は常に聞こえる。

 

砂利(じゃり)が荒く、岩盤(がんばん)がむき出しになった、落ち着くには良さそう場所だった。

 

 

私たちはここをとりあえずの拠点(きょてん)として、しばらく身体を休めることにした。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

うりに似た果物をいくつか()んでから、拠点に帰る。

 

 

洞穴の手前では(けむり)が上がっていた。

私が森へ行っている間に、ヴェラが食材の調理(ちょうり)を行っているのだ。

 

 

(みずか)ら、自分は便利と主張(しゅちょう)するだけあって、女は露営(ろえい)するために必要なことはだいたいできた。

 

食材の毒のあるなしの区別。

食材の調理。

獣や化生の解体方法。

どの素材がなんの役に立つか。

などなど。

 

 

人売(ひとう)りのもとにいるときや、(ぞく)(した)()をやっているときに身に着けさせられたものらしい。

 

器用(きよう)なほうだった、と女は言う。

 

そんなものなのだろうか?

 

 

ただ、戦うことだけができない。

 

うさぎや鳥を狩るくらいはできる。

しかし、狼や怪鳥(かいちょう)、大ウナギやそれらに似た化生など。

これらが(おそ)ってきた際は、悲鳴を上げるだけで、役には立たなかった。

 

(いわ)く、森の深くまで這入(はい)らなければ、戦う必要がない相手だという。

 

 

だから、この洞穴に着くまでの道中(どうちゅう)も、もっぱら私が()りと戦闘、ヴェラが調理と洗濯で役割分担(ぶんたん)することが多かった。

 

拠点にいる間もあまり変わっていない。

 

 

「おかえりっす」

 

「かわりないか……?」

 

「おかしなことはないっすね。おっ――」

 

 

と、そこでヴェラの影に隠れていた茶色のかたまりが顔をのぞかせる。

 

 

しっぽが平たく板のようになり、よく見ると手に水かきがある、茶色い大ねずみ。

 

それが、てこてこと近づいてきて、私の足にすり着いてきた。

 

 

「ビビンバもおかえりって言ってるっす!」

 

「フスッ」

 

「…………」

 

 

ヴェラが言うには、ビーバーという動物らしい。

 

 

初めは、毒見(どくみ)のためだった。

 

 

ねずみを探していたとき、ちょうど川岸にこいつがいたのだ。

 

思っていたより大きかったが、その前歯が突き出た顔はまさしくねずみのそれだった。

 

 

さっそく、と私は捕まえた大ねずみにヘビを食べさせる。

 

しばらくして、毒がないのを確認すると、私はその大ねずみを屠殺(とさつ)して肉にしようとした。

しかし、それに待ったをかけたのがヴェラだった。

 

待ったをかけた、というより、我が子のように必死に大ねずみの助命(じょめい)嘆願(たんがん)したのだ。

 

 

どうやらヘビの肉を与えた結果、大ねずみはヴェラと私に懐いたらしい。

 

懐かれても私はなんとも思わなかったが、ヴェラは母性のようなものが働いた。

捕まえてから数時間、屠殺しようとした段階ではなんと名前まで付けていた。

 

 

仕方なく私は大ねずみ――ビーバーのビビンバの屠殺をやめ、毒見役兼もしものときの非常食として飼うことになった。

 

 

吐く息に違和感を感じ、詳しく“穿(うが)ち見てみる”と、どうやら(のど)を悪くしている個体のようで、鳴き声が出せないらしい。

 

ヴェラが言うには本来、ビービーと鳴く生きものだという。

 

鳴くことができないせいで、群れから追い出されたのではないか、と女は言った。

 

 

ビビンバというのは、ヴェラが付けたビーバーの名前だ。

 

初めてその名前を聞いたとき、その単語をどこかで聞いたことがあったような気がしたが、いっこうに思い当たる(ふし)はなかった。

 

気のせいだったのだろう。

 

 

「もーすぐ、スープも出来上がるっすから待ってるっすよー」

 

「フスッ! フスッ、フスッ!」

 

「わっはっはっ。(あわ)てるなっすよ。ビビンバは()いしんぼさんっすねぇ」

 

「フスッ!」

 

「…………」

 

 

(うれ)しげに()ね回るビビンバに、ヴェラは鍋の(しる)をかき回しながら笑う。

 

毒見役としても非常食としても、同じ飯を食べさせることはおかしくない。

 

そのはずなのだ。

 

 

――なぜ、私は当惑(とうわく)しているのだろう。

 

 

その光景を食事時に見るたび、奇妙(きみょう)な感じがしてしまう。

 

そのうち()れるのか?

 

 

ちなみに、鍋は大きめの亀の甲羅(こうら)を使っている。

 

大人が持つにちょうどいいくらいの(どん)ぶりの、大きめのやつくらいの大きさだろうか。

 

それを三つ吊して、たき火の火に当てて調理を行っている。

 

一人一杯ずつ、一匹にも一杯で、三つだ。

 

 

三つの甲羅の鍋を、木製のさじが行き来するのを(のぞ)き込むと、なるほどたしかに、団子(だんご)にした魚の肉が白く()えているのが見えた。

 

塩が見つかっていないから、うさぎの血などを調味に使っているため、味は期待できないが。

 

(かて)があるのはそれだけでありがたいことか。

 

 

私は()ってきた果物を敷いた布の上に置く。

 

麻袋(あさぶくろ)をあさって、パンも取り出した。

 

 

 

()むところも決まって、これでとりあえず、落ち着けるっすね」

 

「カフッ、カフカフッ、カフッ」

 

しみじみと言って、ヴェラは()んだ石に置いた甲羅の器からスープをすくう。

ズズズと音を立ててすする。

 

 

隣では、同じくビビンバが甲羅の器に顔を突っ込んで、スープを犬食(いぬぐ)いしている。

 

 

「となると、冬に(そな)えて食べもの集めたり、薪集めたり、毛皮集めたり、とかっすか?」

 

「カフ?」

 

呑気(のんき)にヴェラは提案するが、そうはならない。

 

 

「いや、ここにとどまるのは、ながくて一月……。持ちはこべる食糧と防寒着(ぼうかんぐ)をつくるくらいだろう……」

 

「え? なんでっす? べつにあたしはここで不満はないっすよ」

 

「カフッ」

 

「そうもいかん……。ここは水辺(みずべ)、冬になれば冷えるだろう。それに、あれだ」

 

 

「あれ? ……どれっす?」

 

「カフ?」

 

「あなが空いた岩かべに、こけが()している」

 

「そりゃあ、川の岸なんだからこけくらい生えるでしょーけど……あっ、なんか妙にはっきりした境目があるっすね」

 

 

「――川がはんらんした、あとだろう」

 

 

「はんらん……って、あそこまで水が上がってくるってことっすか? ダメじゃねーすか?」

 

「ああ……雨のぐあいによっては、私の腰までつかることになる……。

それなりに、こけが(しげ)れているのだから、そんなにはげしいものではないだろうが……」

 

「なるほどー。だから、長くはいられねーって。冬までいるなんて、ますますあり得ねーってことなんすね」

 

「休んで、つかれを回復させることが、目あてだ……」

 

「りょーかいっす」

 

 

と、話ながら食べ進めたら、あっという間に(わん)(から)になった。

 

 

「ちそうになった」

 

手を合わせ礼をする。

 

人間らしい食事の感覚を大分(だいぶん)、取り戻してきたんじゃないだろうか。

 

 

「早いっすねぇ。いつも思うっすけど、その小っちゃい体のどこに入ってるんす? 

あたしでも結構多いと思うくらいっすよ?」

 

「フスッ、フスッ、フスッ!」

 

「あ、はいはい、ビビンバのほうが早いっすよね! いいこいいこっす!」

 

「フスゥー!」

 

 

得意げに鼻息を吐くビビンバには、森を見て回ったときに採ったうりの形の果物――そのまま甘うりという名前だという――を(くわ)えさせる。

 

 

私も皮を()いでかじり付いた。

 

 

「魔力を肉体にめぐらせると、血肉が修復されたり、活発になったりする……。それを(もち)いて、魔力で腹のはたらきをたすけている」

 

 

臓腑(ぞうふ)(はたら)きを活発にし、食べたものの消化と吸収、さらに吸収した栄養の(めぐ)りを助けているのだ。

 

結果的に、消化と吸収が普通の人間よりも早くなる。

 

身体の各所(かくしょ)に適切に栄養を分配(ぶんぱい)する手段は、一段(いちだん)と強く硬い体を作るために、鬼になってから試行錯誤(しこうさくご)したものだ。

(なつ)かしい。

 

 

「う~ん。あたしには理解もマネも無理そうっすね」

 

「フス……フス……? フス! フスッ!」

 

「ほう……初めてにしてはうまいものだ……。そうだ、それでいい……。血のめぐりにも魔力をのせろ……」

 

「フスッ!」

 

 

「うそっ! ビビンバできるんすか?! あたし、ビビンバ以下っすか?!」

 

「魔力のあつかいについては、そうなる……」

 

「うへぇ……」

 

 

野生(やせい)の動物であるから、感覚的な力の扱いに長けているのかもしれない。

 

 

ただそもそも。

こちらの言葉が通じていることやその内容を理解する知性があることが、獣としては異質(いしつ)過ぎないか……?

 

 

「化生ではあるまいな……?」

 

「フスッ?」

 

「まぁ……どちらでもよいか……」

 



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6.虚哭神去(きょこくかむさり)

 

それから一カ月。

 

 

拠点(きょてん)の洞穴は、岩を()んでその上に細い丸太を並べて床を作った。

これで、川の氾濫(はんらん)をしのげるようにした。

 

いまは夏。

水面が、足のすぐ下にせり上がって来てもこごえることはない。

じめじめして、不快ではあったが。

 

 

意外でもないが、肉体には疲労(ひろう)()まっていたため、この一ヶ月間で十分に休めた。

ついでに、呼吸と魔力で手を加えて、動きやすくわずかに調整(ちょうせい)しておいた。

 

 

とはいえ、まったく休むのに使ったわけではない。

 

拠点の周辺を探索(たんさく)し、安全確保とともに、食材や服の素材になるものを見つけては持ち帰った。

 

 

 

この一月の成果は次のようになる。

 

 

まず、食料。

 

一つ。

魚とうさぎの保存食。

 

拠点へ着くまでの道中も、毎日食べた川で獲れる魚の開き、これと癖が少ないうさぎの肉を解体して、燻製(くんせい)にした。

 

これは保存食として、盗賊の()()から持ってきた麻袋の一つに限界まで詰めてある。

 

 

二つ。

いもと豆の保存食。

 

拠点から(がけ)を登って広がる森の中に、ざらに成っている里芋と枝豆に酷似した食材。

里芋のほうは知っているものより甘く、枝豆のほうは知っているものより固い。

ヴェラに名前を訊ねると、いもと豆、と答えが返ってきたため暫定的(ざんていてき)にそう呼んでいる。

 

これらは両方とも天日干(てんぴぼ)ししたのちに、魚の油で()った。

こちらも保存食としてそれぞれ麻袋に詰めてある。

 

魚の油のにおいが気になるが、背に腹はかえられない。

保存性優先だ。

 

 

次に、服。

 

三つ。

オオオオカミとオオグマの毛皮の服。

 

使い道があるかもしれないから、と拠点に落ち着いてから溜め続けた毛皮。

その中から、狼の化生ものと熊の化生のものを使った。

数ある中からそれらを選んだのはヴェラの提案。

理由は一番、高級な素材だからだそう。

 

この二つの毛皮は加工するにも大きすぎるため、まず部位ごとに切り分けた。

そして、何度か燻して干してを繰り返して、虫を落とした。

そのあと、樹皮を煮詰めてなんとか作った(にかわ)らしきものを、(いぶ)した毛皮に()り、(かろ)うじて使えるくらいの毛皮が出来上がった。

 

この加工方法に、雑すぎる! とヴェラは(おこ)ったが、そういうヴェラ自身も正しい加工方法を知らないようだった。

どうにもならない。

 

それから、毛皮に空けた穴に麻ひもを通して結ぶという工程を経て、貫頭衣(かんとうい)洋袴(ズボン)、それに(そで)頭巾(フード)が付いた外套(コート)が出来上がった。

さすがに服をつくるときのヴェラの手さばきは目を見張(みは)るものがあった。

針仕事(はりしごと)は死ぬほどやらされたから上達しているそう。

(すさ)んだ目で語っていた。

 

 

四つ。

怪鳥の羽根と(きぬ)寝袋(ねぶくろ)

 

盗賊の住み処から持ってきた一番上等な布――ヴェラが言うには絹――を格子状(こうしじょう)()って作ったブロック状の袋の中に、怪鳥の羽毛をしこたま詰めた布団。

これを、くつ下のように袋の形に縫い合わせたた寝袋だ。

 

持ち運ぶときは、くるくる巻いてひもで縛り、服を作った(あま)りの毛皮を上から巻き、寝袋が簡単に破れないようにする。

使うときは、ほどいた毛皮を()いた上に寝袋を()せれば、地面からの断熱も期待できる。

 

 

以上四つ。

この拠点で(こさ)えられたのは、だいたいこれくらいだった。

 

一月でやったにしては、かなりの成果といえよう。

 

私一人では、ここまで手際(てぎわ)よく身のまわりのものは整えられなかったな。

 

この恩の分は最低でも報いよう。

 

 

 

と、最近のことを振り返りながら、私は毎朝の日課(にっか)を終える。

 

 

振るのに使っていた短剣を下ろし。

ふぅー、と長く息を吐き出す。

 

ゆるやかながら力強い吐息(といき)が川面に当たり、ピチャピチャとしぶきが上がった。

 

 

目を閉じ意識を集中させ、普段常中(じょうちゅう)で使っているよりも、深く細かく呼吸する。

そうしながら、剣を振るのだ。

一刀一刀を、前よりも鋭く、前よりも隙がなく、前よりも速くなるように(みが)いていく。

 

これが前世での日課だった。

 

 

今世では、ここに魔力が加わり。

肉体と剣の隅々にまで魔力を巡らせて、行うものになる。

まだ、この力への理解が浅い。

だから、どうすればこの魔力を()かせるか、試行錯誤(しこうさくご)の時間にもなる。

 

 

おおむね、前世、鬼になってから行った血液の操作と血鬼術(けっきじゅつ)の操作と同じように使えた。

血に魔力を練り、血を肉体に練り、血を剣に練る。

そう扱うことで、戦闘能力を向上させることに成功している。

 

 

(はた)から見ている者がいれば、同じではないかと(あき)れたのではなかろうか?

 

そう、結局前世で、鬼になってからやっていた修行と変わらないものになってしまった。

 

戦い方といえばこれ、と意識に馴染んでいるからかもしれない。

今世での経験が浅い現段階では、別の戦い方を思いつくはずもなかったのだ。

 

 

おそらく、今世には今世なりに、()った戦い方がある。

 

魔力は、血の操作よりも呼吸術よりも、扱いが柔軟(じゅうなん)だ。

 

あまり肉体から離れなければ、自由に力を発生させることができるし、肉体の活性化や再生にも使える。

 

いまは魔力について深く研究する余裕がない。

けれども、魔力への理解を深めた先にさらなる高みがあるのかと思うと、(がら)にもなく楽しみに思うのだ。

 

 

「ためしてみるか……」

 

魔力を血の操作に使い、血鬼術のように扱えることがわかった。

 

ならば、そろそろできるのではないか?

 

 

「きょこく、かむさり……」

 

 

筋繊維(きんせんい)をほどき(たば)ねる。

細い血管を走らせ、まとわせた血を圧縮(あっしゅく)凝血(ぎょうけつ)させる。

そして、(はがね)にも(おと)らぬ(かた)さに固める。

 

これを幾たびも幾たびも、繰り返し。

血の流れに(よど)みができれば一度ほどいて束ねなおし。

硬く(かた)く、(するど)(なめ)らかに、命と同じ精度で刀を()んでいく。

 

 

「はぁ……、ふぅ……」

 

やがて、私の右手に深い青ざめた色の直刀(ちょくとう)が出来上がった。

 

この身体でも振りやすいように、刀身は二尺(にしゃく)に届かない。

貫頭衣のへそを縛るひもに()せば、地面に届かない程度。

 

 

「さすがに……しょうもう、する……」

 

 

魔力で血を操れば、血鬼術を使えずとも斬撃を放てる。

ゆえに、かつてつくり出していた虚哭神去(きょこくかむさり)のように()にも刀身にも、目は開いていない。

 

刀身に並んだ切れ目から血が流れ、その血を利用して、斬撃として飛ばすことになる。

 

感覚が、前世の虚哭神去とは若干異なるだろう。

だが、この選択は間違っていなかったと確信した。

 

 

思った以上に消耗(しょうもう)が激しい。

血も魔力も、三分の二は使っただろうか。

 

肉体を活性化させて、現在進行形で血は補充しているが、それでも肌は青くなっている。

魔力の回復のためにも、早めに食事を()らなければなるまい。

 

 

これで、眼球を作り出し、その維持まで行わなければならなかったら、どうだっただろうか?

 

作ろうとしても上手くはいかなかったであろう。

無理に作ろうとすれば、倒れるか、死んでしまっていた。

 

そして、仮に作成と維持が可能だったとしても、身体に力が入らずまともに振れなくなっていた。

 

 

切れ目が入った(みゃく)()つこの刀が、

 

「いまの私の、限界……」

 

のようだ。

 

 

そろそろ洞窟に帰ろう。

 

――その前に。

 

私は虚哭神去を腰に構える。

 

月の呼吸 弐ノ型――

 

「ホオオオ……」

 

――珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)

 

 

――ザザッザンッ、と。

 

 

前、後ろ、前。

前方の川の水面と後方の川原(かわら)の地面に、大きな爪跡(つめあと)をほぼ同時に三本、(きざ)んだ。

 

刀から放たれた弧状(こじょう)の斬撃が、水面と地面に(きず)を付けたのだ。

 

 

その斬撃は、血を()精製(せいせい)したもの。

質量があるためすぐには立ち消えず、揺らぎながらも歪曲(わいきょく)した力場(りきば)を、しばらくその場に残す。

 

大きな斬撃の周りでは、遊ぶように小さな弧の斬撃が石や水を細かく斬って回る。

刀の切れ目から流れた、細かい血のしずくから作ったものだ。

これが、本命の斬撃に追従して追撃(ついげき)を仕掛ける。

 

十五を数える間、それは続いて、谷に風が吹き抜けたとき、斬撃は溶けて消えた。

 

ィィンと、高い残響(ざんきょう)を残して。

 

 

「はぁ……、ふぅー……。……無駄がおおいな……。一月まえよりはマシ、だが……」

 

 

(きり)砂煙(すなけむり)がたくさん立ち上っているのが、無駄が多い証拠だ。

 

真に鋭い斬撃ならばこうはならない。

 

 

(あら)があるから、中途半端な切断面から細々(こまごま)とした飛沫(しぶき)(ちり)が舞う。

粗があるから、こぼれた余波(よは)が水や砂を()らかす。

 

 

ただやはり。

 

「魔力のぶんだけ、だんちがいに強い……。体の力も刀のふりも……」

 

 

その分だけ、振り回されないように修練が必要だ。

 

 

ふと。

縁壱(よりいち)なら、どうだろう、と考えた。

 

 

すぐに答えは出た。

 

魔力という初めて触れる力を手にして、縁壱ならば――誰に習わずとも誰よりも使いこなし、少なくとも修練が足りない今の自分を越している。

 

そう確信する。

 

 

前世の弟が、自分より優れている。

それを素直に認めている自分を自覚して。

 

 

「ふふっ」

 

私は久しぶりに笑った。

 

苦笑だった。

 

 

 

 

「フスフスッ!」

 

「おかえりなさい、っす? なんすかその刀」

 

「つくった」

 

「作った?」

 

 

洞穴の手前ではいつものように、ヴェラが朝げの支度(したく)をやっている。

 

 

今日は保存食の味見も兼ねて、燻製肉と炒り豆の余りを使ったスープと、炒ったいもはそのままパンの代わりに食べることになっている。

山いちごのジャムは、いもに塗って食べる。

 

 

もちろん、私、ヴェラ、ビビンバの三人前だ。

 

よし、慣れたな。

食卓(しょくたく)畜生(ちくしょう)がいることに。

 

 

「っていうか顔色悪くないっす? 悪魔でもかぜって引くものなんす?」

 

「フス?」

 

「腹がへっているだけだ……。食えばなおる」

 

「ふーん。まっ、それなら張り切らなきゃっすね!」

 

「フスッ」

 

 

当然、これだけでは消耗した分では足りない。

 

(さや)もつくらなければならない。

 

食後は刀を慣らすついでに、森で食料を調達するとしよう。

 

 

補給し、鞘をつくり、休憩したあとは、改めて荷物確認を行い、また休憩。

 

そして、今日は早めに就寝する。

 

疲れを明日に残してはいけない。

 

 

この拠点を出発するのは明日なのだから。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「よしっ。これでこの穴ともお別れっすねっ」

 

「フスッ」

 

 

翌日。

あらかじめ昨夜、準備(じゅんび)していた荷物をもう一度確認して、洞穴を出た。

 

 

ヴェラが麻袋三つ。

ビビンバが麻袋二つ。

私が麻袋一つ。

 

それぞれ、括りつけている。

 

身体の大きさの順だ。

 

 

「なーんか、変な感じっすねぇ。一月(ひとつき)しかいなかったはずなのに、ずっとここに暮らしてた気がするっす」

 

「フス?」

 

「忙しかったから、記憶がこいのだろう……」

 

「そんなもんすか~。……ん?」

 

と、ヴェラが首を傾げた。

 

 

「なんか……なんすかね? 大事なことを忘れてる気がするっす?」

 

「準備できるものは、可能なかぎり準備したが……」

 

「そうっ……すよね。んー?」

 

「フスゥ?」

 

そこで、ぐぅと、腹の虫が鳴いた。

 

私ではなくヴェラの腹だ。

 

 

「あー……。最近、みょーに腹が減るんすよねー。せいちょーき、ってやつっすか。

でかくなるのも考えものっすね」

 

「……けっきょく、昼まえになったな……。朝のうちに出るつもりだったが……」

 

「フスッ、フスフスッ、フスッ」

 

「あっはっは、ビビンバはいつも腹ぺこっすねー」

 

「フスゥッ」

 

「……会話、しているのか……?」

 

 

「あっはっは。何言ってるんすか、悪魔さん。冗談なんて珍しいっすね!」

 

「フスフスゥッ」

 

「それはどちらの意味で……。いや、いいか……。

それより、腹ごしらえをしてから()つとしよう。体力を使う道のりになる」

 

 

「お気遣い、もうしわけねぇっす。まーた、出発が遅れるっすねー」

 

「フスゥ」

 

「いたしかたない……」

 

 

ああ、仕方ない。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

いつも食料を調達するときや探索するときは、川原の(がけ)()け上がって這入(はい)る森。

それも、ヴェラが同行するとなれば、遠回りする必要がある。

 

背負って崖を登るということも考えた。

しかし、かなりアンバランスになるため縄かなにかで固定する必要がある。

ヴェラの身体に負担(ふたん)を強いることは()()いだ。

 

 

遠回りとはいえ半日程度。

 

考えた末、背負って登るよりも、比較的平坦な道を遠回りすることにした。

 

いまいる崖の下――谷の底の川原を歩いて、川の下流方向へ下り、まず谷の入り口まで戻る。

 

谷の入り口をくるりと回って、崖の上――谷のふちを通る道に入り。

そこを左手に谷を見ながら、上流方向へ向かって歩く。

 

まっすぐその道を歩いていくと。

やっと、いつも食料を調達している森に行き当たるのだ。

 

 

「なんで、わざわざ、谷から出たんす? 川をそのまま上に登っていくんじゃダメなんすか?」

 

「川をのぼると、(たき)がある。大きな滝が、横からふりそそいで、川原のみちはなくなっていた」

 

「へー。それで、わざわざ来たとき通った道を戻ってるんすねー」

 

 

「フスッフッス」

 

「あっ、それは……えーっと?」

 

「フスッ、フスッ」

 

「あぁ、ビビンバが来るとき食べたカニの(から)っすね! 風とかに流されずにここに残ってたんすか!」

 

「フスゥー!」

 

 

「やはり会話している……?」

 

 

 

道のりは順調に。

 

無事、谷の入り口を迂回(うかい)し、森の入り口にたどり着く。

 

そのときには、もう夕暮れが近かった。

 

 

「今日はここで、野宿っすね。森が目の前っすけど……何か出てきたりしませんかね?」

 

「めしの調達が、はかどるな」

 

(しび)れるセリフっすねぇ」

 

「フスゥ」

 

 

「今日は、わたしが火のばんをしよう」

 

「あっ、じゃああたしは後半の番がいいっす」

 

「いや、なにが出るかわからない中での見張りは、やめたほうがいい……。

番のこうたいは、森に慣れてからにしよう……」

 

「それまではどうするんす?」

 

 

ここの森は何度も立ち入っている。

その経験から言うならば。

慣れていない内は、何が起こったかわからずに死ねる。

 

 

獣や虫なら、警戒していれば(そな)えられるだろうが、ときどき私でも不意(ふい)を突かれることがあるのだ。

 

事前に察知することが容易い獣の化生以外に、植物の化生や、生きものと呼んでいいのか迷うものがそれなりに現れる。

 

 

「眠りながらでも、わたしなら、問題なくみはれる」

 

「痺れるセリフっす!」

 

「フスゥ!」

 

 

鼓動(こどう)があるもの、熱があるもの、魔力があるもの、においがあるもの、息があるもの。

そして、自然の流れに(した)わない動きをするもの。

 

そういうものがあるとわかれば、眠りながらでも察知することができる。

 

 

ヴェラがこの森の生態系(せいたいけい)把握(はあく)し、警戒を払えるようになるまでは、私が夜の番をするのが安全だ。

 

 

「じゃあ、よろしくお願いしますっすねぇー」

 

 

こういうときに遠慮を覚えないのがヴェラという女なのだと、ここ一月、生活する中で知った。

 

さっそく初めて使うばかりの寝袋を準備する姿を横目に、私は(まき)を森から集めに行く。

 

 

「フスフス、フスゥッ!」

 

茶色の大ねずみが鼻を擦りつけてくる。

 

何を言っているのか、はっきりとはわからないが、激励(げきれい)されている気がした。

 

私もいつか会話できる日が来るのかもしれないな、と思うとため息が出た。

 



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7.ウワバミ

 

「っていうか、結局どこに向かってるんす? 川の上流を目指してることはわかるんすけど……」

 

「む。せつめいしてなかったか……。いまは川をのぼった先の山をめざしている」

 

「フズァッ?!」

 

 

森に分け入って三日のこと。

 

疑問をヴェラがぶつけてきた。

 

これは、説明していなかった私が悪い。

 

立ち止まって話を続ける。

 

 

「いまは? ってことは他にも行く場所があるんすか?」

 

「あてがはずれれば、別の場所をさがす。……いい場所があればいいのだがな」

 

「ブズゥゥッ」

 

 

私は腰の水袋を外し、樹皮(じゅひ)樹液(じゅえき)でテカっている一本の樹木へ近づく。

 

 

「あて、っていうことは何か探しもの?」

 

「あぁ……。あたたかくて、暮らしやすいところをな……。できれば冬もあたたかいところがいい。

けものが襲って来にくく、水や食べものを調達しやすい場所なら、なお好ましい」

 

 

樹木の根もとには大きなこぶが出来ていた。

 

それはその木の幹よりも明るい茶色。

ぶるっ、ぶるっ、と震えているこぶ。

 

その正体は、木の樹皮に顔をくっ付ついて()がれなくなった、一匹のビーバーである。

 

 

「そんでもって、他人に見つかりにくいところ、っすかねぇ……。暮らしやすいって言ったら……」

 

「あぁ、それがいいだろう」

 

 

ビビンバの顔が剥がせなくなっているのは、樹木から分泌(ぶんぴつ)されている粘着質(ねんちゃくしつ)な樹液によって()り固められたせいだ。

 

 

私は(かが)みこみ、木の樹皮とビビンバとの間に流し込むように水を()してやる。

 

すると、ペラッと、これまでビビンバが暴れても(かたく)なに剥がれなかった顔が、あっさり引き剥がれたではないか。

 

 

ビビンバも驚き首を右に曲げたり、左に曲げたりしている。

 

 

「あるんすかね。森の奥に、そんなとこ」

 

「どうだろうな……。

川の石に、穴だらけの軽いやつがたくさんあったから。冬でもあたたかいところは、あると思ってるが……」

 

「穴だらけの石ぃ?」

 

 

私は頷いた。

 

ビビンバが自分の体の無事を確認し終えたようなので、歩くのを再開する。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「っていうか、マジで魔境っすね!

さっきビビンバが引っかかった樹、なんすか?! あたし、あんな木、見たことも聞いたこともねぇっすよ?!」

 

「のりの木……と、わたしは呼んでいる。貼りついた、けものやとりをこぶにして、土の()やしにする」

 

 

あのまま放っていたら、分泌される樹液に全身が覆われてこぶになっていただろう。

 

そのあとは、息ができずに死に至る。

 

死体が()んで(くさ)れば水気(みずけ)(しょう)じ、さっき私がやったように粘着質な樹液はあっさりはがれ落ちる。

 

そうして、のりの木の根もとに土の肥やしの出来上がる。

 

そんな性質だから、森の中でも(かわ)いたところにしか生えていない樹木だ。

 

 

「こわっ! 積極的すぎでしょ、木なのに!

大人しく鳥のフンなり虫の死骸なりが土にかえるのを待ちましょうよ! なんで自分から()りに行ってんすか?!」

 

「フスッ! フスッ! フスゥゥッ!」

 

「あの樹はまだおとなしいほう。この森の植物にはもっと…………――」

 

 

「あれで大人しいって……やべぇ、思ってた百倍魔境じゃねぇっすか。あたしが死にそうになってたら助けてくださいっすね! 見捨てちゃヤっすよ?」

 

「…………」

 

「ちょっと、なんすかその意味深(いみしん)沈黙(ちんもく)! 黙らないでくださいよ、悪魔さん!」

 

 

「…………。――おおきいな……とても。しずかなのは……む、魔力ですべっている? のか?」

 

「はい?」

 

 

北、風下、木から木を(すべ)って渡って、滑って渡って。

 

――(もう)スピードで、ここを目指して直進する、巨体。

 

 

「おそらく、大蛇(だいじゃ)!」

 

 

――太陽を隠す森の高木の間から、突き出た頭の、その縦に割れた目と目が合った。

 

 

「はいぃいいいイイイ?!」

 

 

と、絶叫するヴェラの襟首(えりくび)(つか)んで、思いきり()ぶ。

 

高木の枝に着地――と同時にさらに上へ跳ぶ。

 

枝を跳んで枝を跳んで枝を跳ぶ。

 

そのまま、見上げる樹木のてっぺんまで跳んだ。

 

 

「ィあっ!」

 

手荒(てあら)になった。すまない」

 

「フス!」

 

 

「なーんすかあれ! なーんすかあれ! なーんすかあれぇ!!」

 

「ビビンバも無事だったか」

 

「フスッ!」

 

ヴェラの足に掴んでいたようだ。

 

水かきが付いた手で、器用な。

 

 

無視(むし)しないでぇ! なんすかあれ!」

 

「ヘビだろう」

 

「そんなん見ればわかるんすよぉ!

でかいでしゃお!? どう見てもでかいでしゃお!

頭だけであたし五人分くらいあったっすぅ!」

 

「二階建ての(くら)くらいはあったな……」

 

「そーですねぇー!」

 

「そうだな」

 

 

そして、魔力を感知する限りは胴体は百尺(30メートル)を超えていた。

 

あんなものと遭遇(そうぐう)するのは、この森でも初めてだ。

 

 

「ウワバミ、とは、ああいうもののことを言うのだな」

 

「なんかわからんけど、感心(かんしん)してる場合じゃないっすよー。

風がびゅーびゅー吹いてこわいっすよ、これ。いつまでこうしてれば――ん?」

 

「――ふむ?」

 

 

――ギシィと、(きし)む音がする。

 

重いものに()えようとする木の悲鳴だった。

 

踏んでいる枝が()れた。

 

 

私一人なら斬り甲斐(がい)がありそうだと、挑みかかったところ。

しかし、いまは護衛対象がいる。

 

ならば仕方ない。

大人しく、この木の上で大蛇――仮称(かしょう)、ウワバミが興味をなくすまでやり過ごそう。

 

そう考えていた。

 

 

「ヘビはしつこいと、知っていたが」

 

 

この木を下から這い上がってくる、巨体を見るまでは。

 

 

(たい)して(はら)のたしにならないだろうに。ここまでとはな」

 

「ぴぃえぇえええ!!」

 

 

さびのような赤茶色の体皮(たいひ)日射(ひざ)しに光る。

 

まだ、はるか下だか、かなりハイペースで木を登っている。

 

 

静かなのが気になり、足もとを見るとビビンバが震えてうずくまっていた。

ヴェラの足に鼻を()りつけている。

 

 

「やるか」

 

このままここにいても事態は好転(こうてん)しない。

 

震える大ねずみを抱えあげて、ピーピーわめくヴェラに渡す。

 

 

「ゆれるかもしれん。持ってるといい」

 

「なにする気っす? さすがに悪魔さんでもあんなでっかい――」

 

「では、行ってくる」

 

「――ああっ?!」

 

 

木の幹を絞め殺す勢いのヘビの頭。

そこを目がけて私は飛びおりた。

 

ちょっと、目をはなした隙にずいぶん、近くまで登って来ている。

おそろしい速さだ。

 

 

ウワバミのほうも飛びおりたと同時に、反応し、大口を開けて私に食らいつかんとしている。

 

自由落下に身を(まか)せ、居合(いあ)いの構えに。

 

ヘビの頭の手前(てまえ)に来たところで。

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

直刀を(さや)から抜き、最速の基礎(きそ)を抜き放った。

 

 

血が噴き出る。

 

私の(ほお)に青緑色の粘液(ねんえき)が付いた。

 

 

「――っ! 浅い!」

 

 

ぬるり、と体表(たいひょう)で、刃筋(はすじ)()らされた感覚!

 

それでも、体皮の奥まで押し込んだ刀に伝わった硬い鉱物(こうぶつ)を斬りつけた感覚!

 

(――なにより、私自身の腰が入ってなかった!)

 

 

見れば、ウワバミは(かお)に大きな裂傷(れっしょう)を作り血を流している。

が、地上に落ちる私のことをしっかり睥睨(へいげい)していた。

 

その貌の口は閉じられている。

 

斬撃が食いこむ直前で、咄嗟(とっさ)に閉じられたのだ。

 

驚異的な反応速度で。

 

 

()めがあまい……。なんと、みじゅくなことか……!」

 

 

自分への怒りに震えながら、刀から斬撃を生み出し、その力場(りきば)推進力(すいしんりょく)に、横へ飛ぶ。

 

直後、

 

 

――バッツン!

 

 

(あん)(じょう)、私がいた座標(ざひょう)的確(てきかく)に|大アゴが食らいついた。

 

 

私は、ウワバミが巻きつく樹木の、隣の木からそれを眺めていた。

 

 

幹に垂直に足を立て、踏んばる。

 

いい足場だ。

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 (はち)ノ型 月龍輪尾(げつりゅうりんび)歪曲(わいきょく)

 

 

幹から横へ突進。

 

空気を食って無防備(むぼうしさび)になっているウワバミののど――は通りすぎる。

 

私は、樹木に巻きついているウワバミの胴体へ。

 

 

樹木とウワバミの胴体の境目(さかいめ)に、刀を入れこむ。

(みき)に巻きつく胴体に沿()ってぐるぐると、下へ下へ斬撃を振り下ろしていく。

 

スパッ、スパッと、途中で何本も枝を斬っていくのを無視して、百尺を超える長大な胴体の下に斬撃を入れこむのに成功した。

 

 

樹木というよすがを失ったウワバミの(からだ)が、樹木から引き剥がされて落ちていく。

 

 

さらに、斬撃を発生させ、それを推進力に隣の樹木へ。

 

幹に足裏(あしうら)を付け、しっかりウワバミを見据(みす)える。

 

 

斬ってみて気付いたことがある。

 

ウワバミの躰。

あの躰は特殊だ。

 

まず、体表は常に魔力がうごめくように流れ、その躰に触れるものをぬるぬる、すべすべと滑らせる。

細かく、無作為(むさくい)に流れる魔力が受け流すのは物理的な衝撃だけではない。

魔力そのものも例外ではない。

あの体表に触れた瞬間に月の斬撃は魔力を()らされ、たちまち崩壊(ほうかい)していった。

 

 

さらには、その魔力のウロコを越えた先には、本物のウロコが待ち構える。

赤サビのような見た目に反さず、よく(きた)えた(はがね)のような硬さのウロコだ。

 

そして、減衰(げんすい)に減衰を重ねられて、やっと生身(なまみ)(とど)くことになる。

 

これは、腹のほうも同じ構造になっていることを確認した。

 

生半可(なまはんか)の攻撃では致命傷(ちめいしょう)を負わせられない。

 

 

月の呼吸 弐ノ型――

 

 

「ホオオオ……!」

 

 

――珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)挟搾連面(きょうされんめん)

 

 

下から上への強烈(きょうれつ)な斬り上げ。

 

 

放った三つの弧を描く斬撃が飛び、

 

 

――ジャキ、ジャキ

 

 

ウワバミの分厚(ぶあつ)く太い首の根に、刃を突き立て(はさ)みこむ。

 

 

さらに、続けて下から上へと斬り上げて、斬撃を生み出していく。

 

 

それらは、先の三つの斬撃と同じように斬撃同士、刃と刃の間にウワバミを挟みこみ、

 

 

――ジャキ、ジャキ、ジャキ、ジャキジャキジャキ、ジャキ、ジャキジャキジャキジャキジャキ、ジャキ!

 

 

無数のハサミとなって襲った。

 

 

深く(えぐ)れた首の根をさらに抉り。

胴体の(なか)ばを斬りこみ。

胴体の下方を斬りこみ。

 

 

震える尾の先を斬り落とし。

(さけ)びを上げたアゴを斬り落とし。

 

 

――再生しかけた首の根を、斬り分けた。

 

 

ウワバミの頭が落ちた。

 

首を失った胴体がデタラメに(あば)れながら落下していく。

 

それは、胴体からはずれた頭も同様に落ちていく。

 

 

「はぁ……。ふぅ……」

 

息を吐いて、肉体から力を抜いていく。

 

 

まだ、幼いこの身体は丈夫(じょうぶ)なれど、一度に(つい)やせる体力に限界がある。

月の呼吸の型の連発は、負担(ふたん)がかかりすぎる。

 

 

脱力(だつりょく)した身体を自由落下に(まか)せて、風を()びる。

 

火照(ほて)った身を、少しでも冷ます。

 

 

「ふぅ……。はぁ……」

 

目を閉じ、

 

「はぁ……。ホオオオ……」

 

目を開く。

 

 

地面はすぐ近くに。

 

 

ザンッ、と片腕で刀を振るって斬撃を生み出す。

――それを推進力にして自身の身体を弾き飛ばし、着地する位置をズラす。

 

 

――バッツン!

 

 

――やはり、私がいた座標に的確にウワバミは食らいついた。頭だけの状態で。

 

 

ぐるぐると、地面を削りながら身を回して、身体を弾き飛ばした勢いを受け流す。

 

 

しっかりと、踏んばり、

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮

 

 

刀を一閃(いっせん)

 

巨大なヘビの頭を縦に()った。

 

 

パリパリパリ、と半分に割れる。

真っ二つになったウワバミの頭の眼はいまだに、私をにらみ()えていた。

 

私もウワバミから目をはなさない。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

ウワバミの胴部が暴れる騒音(そうおん)を聞きながら。

 

無言でにらみ合った。

 

私は刀を構えたまま、いつまでもにらみ合いを続けた。

 

 

やがて、その割れた眼が(にご)りきったのを確認したあと。

 

 

「はぁ……。ふぅ……ふぅ……、はぁ……ふぅ……」

 

 

ゆっくりと、残心(ざんしん)を解いていった。

 

 

 

 

「ヘビはしつこいとは……ほんとうに」

 

ようやく呼吸の拍子(ひょうし)が戻ってきた。

 

 

青緑色の血が刀身に付いていなのを確認して、刀を鞘に収める。

 

 

――ずいぶん、手こずってしまった。

 

 

とりあえず、ウワバミの死体など、調べたいことは後回しに。

木のてっぺんの護衛対象を迎えに行こう。

 

 

 

「悪魔さん、マジパネェっす。ヤベェっす。マジパネェっす。悪魔さん、マジ――」

 

「フスゥッ、フスゥッ」

 

 

登った木からヴェラを下ろすと、木の下に広がる惨状(さんじょう)を眺め、似たような言葉しか出さなくなった。

 

壊れてしまったのだろうか。

惨状に驚くのは無理はないが。

 

 

主に頭を落とされたあとの胴部が暴れまわったせいで、高く太くそびえる丈夫(じょうぶ)な高木を除いて無事なものはない。

 

草もツタも土も低木も、荒らされている。

 

高木にも深い傷があった。

折れていないのは運がよかったためと知らしめるかのようだ。

相当揺れただろう、ヴェラが動じているのはそのためか。

 

 

加えて、ウワバミから流れ出た青緑色の血がちょっとした池の様相を(てい)している。

気色悪い。

独特の生臭(なまぐさ)さも悪さを助長(じょちょう)する。

 

 

「ここまであからさまに血のにおいが濃いと、かえってなにも寄りつかなそうだ……」

 

 

とはいえ、安全を考えるなら早めに場所を移したほうがいいだろう。

 

 

(はじ)けて転がっているひし形のウロコを(ひろ)いあげる。

 

 

あの(おか)のような巨体からは想像もできない、小さなウロコ。

 

二歳手前の子どもの両手の上に()せていられる、バランスが崩れない、と言えばどれほど小さいのかわかるだろう。

 

このキメの細かさも、防御(ぼうぎょ)能力の高さの原因の一つか。

 

 

重さはずっしりと重たい。

 

こつこつと爪を当てれば、チンッチンッと金属の音がした。

 

 

魔力を込めて見る。

 

「おっと」

 

ぬるっ。

と、滑って落としかけたウロコを慌ててつまみ直した。

 

 

もう一度、魔力を込める。

ぬるっ、と滑って落としかける。

 

 

試行錯誤。

手に()せ力を加えずに魔力を込めると、ようやく観察する余裕ができた。

 

 

魔力が当たると、布に水を()みさせたみたいに、ウロコの表面を魔力が流れて(おお)った。

 

覆う魔力は一所(ひとところ)(とど)まらずに、常に流転(るてん)し、まるで水が流れるように、ウロコの表面を()でてまわる。

 

 

試しに覆う魔力を指先で触れてみる。

ぬるっ、ぬるっ、とあまり力を入れていないのに横へ滑ってしまう。

 

 

「まさしく、魔力のウロコ」

 

この魔力の(まく)で私の斬撃を散らし、魔力を散らし、また、移動の際も物音が立たなかったのだろう。

 

 

魔力にはこんな使い方もあるのだな。

 

 

「ウロコだけでも持っていきたいな……」

 

 

重くても持てるが、袋が破れないかが心配だな。

 





捏造月の呼吸紹介

・月の呼吸 (はち)ノ型 月龍輪尾(げつりゅうりんび)歪曲(わいきょく)
……本来は一本の弧状の斬撃として放たれる月龍輪尾を、くねらせて別の形で放つ技。今回、樹の幹に貼りついたヘビを引き剥がすのに使用。

・月の呼吸 弐ノ型 珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)挟搾連面(きょうされんめん)
……珠華ノ弄月で放った、複数の斬撃の刃同士でたくさんハサミを作って、対象をジャキジャキ斬り分け続ける技。シュレッダー。


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8.魔境

 

結局、ウロコは麻袋一つに()められるだけ詰めて、寝袋と一緒にオオオオカミの毛皮で(くる)むこととした。

 

寝袋と毛皮にはさまれて、たぶん、(やぶ)れにくくなるはずだ。

 

 

せっせと、私がウワバミからウロコを()いでいる間にヴェラは回復したらしい。

 

正気(しょうき)に戻って、何を言い出すかと思えば、まず第一声が「()(たま)くり抜いてください……っす」だった。

 

私はこの女の正気が二度と戻らないことを(さと)った。

 

 

ひと思いに殺してやったほうが……と、私が刀に手を掛けたとき。

 

「わー、違うっす! あたしのじゃなくって、ヘビの目ん玉っす! ヘビの目ん玉!

ヘビのモンスターの目ん玉は高く売れるんす!」

 

「……なるほど」

 

 

私は勘違(かんちが)いを(みと)め、構えを解いた。

 

 

この森の奥地において。

売れるだの売れないだの、王都の貴族にマニアがいるだの。

そんな()(ごと)を言い出すあたり、私が知るヴェラという女で間違いない。

 

どうやら、正気を取り戻したらしい。

 

 

「なんかすげぇ失礼なこと考えてることは表情でわかるっすよ!

でも、ヘビのモンスターの目ん玉がすげー高いのは本当なんすよ! こんなでけーヘビの目ん玉、ぜってーめちゃくちゃ高く売れるっす!」

 

「売れると言ってもどこで売る……? 第一に、運ぶにしても大きすぎる」

 

「うーー、それは、その、なんかいい感じに運べないんすか?」

 

「すくなくとも、わたしにそんな手段はない」

 

 

「悪魔クオリティーでも無理っすかぁ。うーん……」

 

「悪魔くおりてぃ……」

 

 

また(みょう)なことを。

 

(たが)いさまか。

 

 

「じゃあ、(きば)! 牙、持っていきましょう!

ヘビの牙っていうと暗器(あんき)にしか使わないっすけど、これだけでっかけりゃ剣とか槍とか作れるっす、きっと!」

 

「ふむ。キバを剣に……それはたしかに、ありか」

 

「っすよ!」

 

 

半分になって転がる頭の片割(かたわ)れから、だらしなく舌が()れていた。

その半開きななった口からのぞく牙は、(からだ)相応(そうおう)に大きい。

 

あれだけ大きければ、太さも武器にするのに十分なものだろう。

毒がある(しゅ)だと、中に空洞があるかもしれないが、それを加味しても剣も槍も削り出せる。

 

 

「三つに折って、そのうちの一本を運ぶのが、げんかいだ」

 

重いだろうから、私が運ぶことになる。

 

背中に掛けている剣を下ろすにしても、一本、背負うのが限界だ。

 

 

「う。うーん、まぁそれは仕方ねぇっす」

 

 

そのようなわけで、ウロコに加えて牙も持っていくことになった。

 

 

ちなみに、ビビンバはヘビの肉に()らいついて倒れていた。

毒があったらしい。

 

そのまま、死ぬかと思いきや、麻袋に詰めるウロコの選別(せんべつ)が終わる頃には起きていた。

 

自力で解毒(げどく)したようだ。

 

すさまじい生命力である。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

左手の谷底を流れる川を上流方向へ(のぼ)る。

 

 

 

途中で、左手の谷に直角(ちょっかく)に合流する幅広(はばひろ)の川にぶつかった。

 

川の先は滝になっていて、谷底(たにぞこ)膨大(ぼうだい)な量の水を落とす様はまさに絶景(ぜっけい)だった。

 

せっかくなので、そこで休憩を取り出発。

 

 

谷底を流れる川は、どうやらこの幅広の川を源流(げんりゅう)にしているようだ、ということで。

進行方向を真横に変え、今度は幅広の川に沿()って川を上流へ上る。

 

方角でいえば、これまで北へ歩いていたところを、東へ方向転換したことになる。

 

 

 

森の多様な生態系に触れながら、()()のほうへ進むこと七日。

 

 

森の植生(しょくせい)に明確な変化が現れていた。

 

 

「森があざやかになっているな」

 

「え? 森……? あぁ、言われてみればカラフルになった気がするっすねぇ……。葉っぱとか」

 

「フスッ」

 

ヴェラは言われて初めて気がついたようで、キョロキョロと森の木々に目を配らせている。

 

対して、ビビンバは自慢(じまん)げに胸を張った。

野生動物の感覚か、言われなくても気付いていたらしい。

 

 

「わずかに、あたたかくもなっている」

 

「クソ暑いことしかわかんねぇっすよ?」

 

「わからないか……。まだ夏だものな」

 

 

 

さらに、三日、森を歩いてそこにたどり着く。

 

 

一日目。

 

東へ東へ、と歩を進めれば進めるほど、植生の変化はますます顕著(けんちょ)になった。

 

気温も徐々に高まった。

 

 

二日進む頃には、さすがに変化も(あか)らさまで、()だるような(あつ)さにヴェラもビビンバもくたびれていた。

 

最近、使えるようになった魔力による他者の治療(ちりょう)を寝る前に(ほどこ)したが、気休めにしかならなかった。

 

 

歩みを遅くしながらも三日目。

 

私たちがたどり着いたのは(みずうみ)だった。

 

ぼこぼこ、ぼこぼこと(あわ)が立ち、湯気(ゆげ)も立つ熱水(ねっすい)の湖である。

 

 

「ジャァアアア!!」

 

「ブズッァアアア!」

 

 

――ザンザンッ、ザンッ

 

 

熱水湖のほとり。

 

森から抜けた途端に襲いかかってきた巨大なザリガニに、尾が平たく板のようになった大ねずみが威嚇(いかく)した。

ビビンバだ。

 

ザリガニからはまるで相手にされていないから、意味もなく邪魔(じゃま)で仕方ない。

 

 

私はビビンバの後ろから斬撃を放った。

 

(ふし)に入った斬撃は、両肢(りょうあし)のハサミを落とし、(くび)の節にもきっちり入って斬り落とした。

 

 

ふぅ、と一息吐く。

 

 

「ほんとに地獄(ぢごく)ってあったんっすね」

 

「ここなら、冬でもあたたかそうだ……」

 

「夏はクソあちーし、安全のあの字も見当たらないっすよ?」

 

 

会話している間にも。

 

ザリガニの血のにおいに誘われたのか、トゲトゲしい(からだ)つきの三尺(1メートル近く)もあるアリが三体群れて寄ってきて――。

 

――次の瞬間には、横合いから飛び出てきた巨大なヘビに三体ごと丸呑(まるの)みにされた。

 

 

巨大なヘビはそのまま、湖の中へと飛び込んで消える。

 

 

「あのヘビは……」

 

「赤っぽかったっす……。見覚えがある色だったっす」

 

「ウワバミはここから()いてでたのだな……」

 

ウワバミは、さっきのヘビよりはるかに巨体だったが……。

 

 

おそらく活火山(かつかざん)が近い、熱水の湖。

 

あたたかく、水に困ることはなさそうだが、住むのには難儀(なんぎ)しそうだな。

 

 

「ほかを当たろう」

 

「でっすよね~」

 

 

 

熱水湖が住むのに(きび)しい。

 

しかし、なにも、あの湖のそばでなくてもいい。

少し離れた湖の周辺地域も、植生に変化をもたらすくらいには温暖化しているのだ。

 

冬場でも十分に暖をとれると見れる。

 

 

住む場所の探索は、熱水湖を中心にして回るようにして、行っていった。

 

 

 

まず、この熱水湖に来るために歩いた森に、住みやすそうな場所を探した。

住みやすそうな場所はなかった。

 

 

森は相変わらず、植物も動物も、土も水も風も、隙あらばこちらを殺しに来るような凶悪(きょうあく)な生態(?)をしている。

 

森を南に進んだところには、壁と見まがうような巨大な樹木がそそり立ち、そこに蜂の化生(けしょう)(あな)を空けて巣を作っている。

ヴェラ曰く、ビッグツリー・ビーズ。

 

魔剣士協会では、大樹蜂(たいじゅばち)とかいう略称(りゃくしょう)で呼ばれて、見つけたら絶対に刺激せずに協会に報告するよう言われているAランクのモンスター、らしい。

それがいくつもの群れを形成して、一つの巨大な樹木のあちこちに巣を作っている。

 

無論、そんな凶悪な化生のそばで安全な生活など望めるはずもない。

殲滅(せんめつ)するにしてもキリがない。

 

 

森の中で、蜂の巣がある南部のほかは、これまで歩いてきた西部、熱水の湖がある東部、川が横断して行き止まりになる北部。

 

 

この森に安全地帯はない、と結論した。

 

 

 

では、熱水の湖より東へ向かってはどうか。

 

それこそ、あの湖に熱水を湧かせている根源(こんげん)があるのではないか。

 

活動している火山があり、そこなら野生(やせい)の生きものも寄りつきにくいのではないか、と我々は考えた。

 

じゃあ、我々はそんな環境でどう生きていくのか。

そんな疑問はひとまず置いておいて、熱水湖の東に向かった。

住みやすそうな場所はなかった。

 

 

熱水湖の東は盛り上がった地層がむき出しになった岩石地域だった。

 

 

そこに生息しているのは主に二種類。

一種は、鉱物でできた(よろい)をまとった巨大な蜘蛛。

一種は、常に群れで行動し、付かず離れずの距離を保ちながら獲物が(つか)れるまで尾けて回(ストーカーして来)るオオトカゲ。

 

どちらも厄介だが、オオトカゲのほうは特に虎視眈々(こしたんたん)とこちらの隙を(うかが)い続ける。

与えられるプレッシャーから、ヴェラとビビンバが寝不足になったため、もちろんここに住むのも断念(だんねん)

 

 

岩石地帯に安全地帯はない。

 

 

 

よし、川を越えよう。

そう、ヴェラは死んだ魚のような目で言い出した。

あとは、川を越えた先にある森しかあるまい、と私は同意した。

仮称、北の森――川の先に住みやすそうな場所はなかった。

 

 

まず川を越えることが苦難だった。

 

ちょうどよく高い木があるのだからこれで橋を渡そう、と私が斬り対岸まで木を渡すと――。

――水面に触れた瞬間に、削り取られた。

 

川の中から体が透けた小さな魚。

――小さいが口を開けばノコギリのような歯が覗く、小魚の群れが水面に触れた樹木に食いついて豆腐(とうふ)のように食いちぎって行ったのだ。

 

無言でその光景を眺めていると、まもなく樹木の橋の残骸(ざんがい)は川に沈んだ。

そのときにはもう、残骸としか言えない状態だった。

 

私がヴェラを抱えて、水面の上を歩いて渡るのも明らかに危険だった。

手荒(てあら)になるが仕方ない。

川岸の木のてっぺんまで登って、対岸の木のてっぺんまで、私がヴェラを抱えて跳ねて渡ることになった。

 

途中、大口を開けて川から飛び出して来た赤い目の怪魚は、足から斬撃を飛ばして追い払った。

 

くつを()いていなくてよかった。

 

 

そして、肝心の北の森。

 

熊の群れ、猿の群れ、鹿の群れの三すくみ。

 

語る必要もない。

 

北の森に安全地帯はなかった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

私は認めなければなかった。

こんなところに安全地帯なんてあるわけがない。

 

 

熱水湖周辺。

 

このあたりの生きもののいいところは、何もせずともあちらから襲いかかってくるところ。

このあたりの生きものの悪いところは何もせずともあちらから襲いかかってくるところ。

 

返り討ちにし続ければ食べるものに困らないが、返り討ちにできなければ食べられる。

 

 

熱水湖の周辺地帯は無理と結論。

 

もう一回(ひとまわ)り遠い地域の探索に切り替えた。

 

 

今いるのは、高原(こうげん)地域。

 

蜘蛛とトカゲがいる岩石地域から山岳(さんがく)を隔てて北の山。

――つまり、熱水の湖から見て川を越えた先にある山。

その山の途中に、高原が広がっていた。

 

ここは熱水の湖から二回(ふたまわ)り遠い場所。

だから、湖からの熱は大分、(やわ)らいで届く。

それでも、標高を考えればかなりあたたかい。

ここなら、冬でも氷づけになるほど寒くならないと思いたい。

 

 

高原の野生の生きものが襲って来る頻度は、これまで回った熱水の湖の周辺と比べればはるかにマシだ。

 

 

生息しているのは、黒毛の獅子(しし)の群れと黒毛の大牛(バイソン)の群れ。

 

たまにぶつかることはありながらも、互いに牽制(けんせい)し合い、広い高原の中で距離を取って暮らしている。

 

他にはヤギやウサギも息づいているため、獅子は必ずしも大牛を狙う必要はない。

 

 

比較的、競争が穏やかで、積極的に(おそ)ってくることは(まれ)と言っていい。

 

仮に襲いかかって来ても、こちらのほうが強いと分かれば、逃走に切り替えられるだけの落ち着きと余裕(よゆう)がある。

 

 

住むならここだろうか。

 

 

高原の真ん中を流れる小川まで歩いて半刻(1時間)くらいのところにある大岩。

ウワバミの頭と同じくらいの大きさの、白くて滑らかな岩だ。

とりあえず、これを切り抜いて仮住(かりず)まいとした。

 

 

「手ごたえが(やわ)い……。ちゃんと住むには、補強がいるか……」

 

四角い穴が空いた岩を()でながら、私は言った。

 

 

「なんていうか……遠くまで来たっすねぇ」

 

そんな光景を、いつか見たよりもますます濁った目で眺めるヴェラ。

 

 

「フスゥー!」

 

ここ最近で一回り大きくなったビビンバは四角い穴を出入りしながら跳ねまわっている。

 

 

私はうむ、と頷く。

 

 

「湖までヴェラのあしで三日はかかる」

 

「そーいうことじゃないんすけど……。

っていうか、近くても、あんなおっかねー湖にわざわざ行きたくないっすよ」

 

(だん)をとるにしても、手前(てまえ)一人だけではあぶないか……。

この高原の冬が、けわしいものでないとよいが……」

 

 

「えらくこだわるっすねー、悪魔さん……。

そりゃー、あったかいのは大事っすけど。寒いのが悪魔の弱点だったりします?」

 

 

「いや……悪魔うんぬんはわからん、が……。

 

――身重(みおも)のときも、産後のときも、体をくずしやすい。

 

――だから、できるだけ、よいところで産むべきだろう……。

 

母も、生まれた子も、けわしい環境では辛かろうしな」

 

 

「…………。…………? ………………え?」

 



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9.カグツチ

 

それに気がついたのは偶然。

 

ヴェラの年齢を確認するために、内臓(ないぞう)見透(みとお)したとき。

(はら)に子が宿(やど)っていた。

 

 

 

会ったばかりのときは、まだ曖昧(あいまい)な形だった。

 

宿って、一月くらいだろうか。

 

流産(りゅうざん)(あや)ぶまれるのだから、自覚がなさそうなら教えてやったほうがよいことだっただろう。

 

だが、あのときは、あえてそれを指摘(してき)しようとは思わなかった。

 

なるようになるだろう。

あのときはその程度の、どうでもいいものとして認識していた。

 

子をおろすことになろうと、子を産むことになろうと、深く関わるつもりがなかったともいう。

 

 

 

変わったのは、ヴェラという盗賊の使(つか)(ぱし)りをやっていた女が、思いのほか有能だったから。

 

川原を(のぼ)谷底の洞穴(ほらあな)にたどり着くまでの道中、獣や化生(けしょう)(さば)き方を教わった。

捌いた食材を調理して、食べる方法を教わった。

調理したあとの料理を毎日、馳走(ちそう)になった。

 

人間の食事が体感、数百年ぶりだったのもある。

 

教わった分の恩、与えられた分の恩を返すべきだと思ったのは。

 

 

二月目。

 

胎児(たいじ)がだんだん人の形を取って行くのを見て。

子を産むのに(てき)した環境を整えるのがよかろう、それを恩返しにしよう。

と、私は決めた。

 

住みやすいところを求め、仮の拠点としていた谷底の洞穴を出発する日。

ヴェラは『何か忘れている』と、首を傾げていた。

 

あれは、いま思い返せば、月のものが来ないことを疑問に思っていたのかもしれない。

 

 

 

三月と半分ほど。

 

人の輪郭(りんかく)がはっきりし始めた。

 

今日、ヴェラに胎の子を産むならいい環境で産んだほうがいい、ということを()げると、くつのにおいを()いだときの猫のような顔をした。

 

 

そろそろ、腹の(ふく)らみくらいは自覚しているだろうに、本当に気が付いていなかったらしい。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

ギリギリ、家屋で呼べるものができるまで一週間かかった。

 

 

岩を積んで作ったから、壁も天井も分厚く、外から見る分には無駄(むだ)に大きい。

が、それは見た目だけであり、家屋(かおく)内の居住(きょじゅう)スペースは四畳半程度しかない。

 

 

ちなみに床はあえて分厚(ぶあつ)く作っている。

 

一つは、縁側(えんがわ)を付けて、返しの要領(ようりょう)で虫やねずみが上がって来づらいように。

 

もう一つは、冷気(れいき)が上がって来づらいようにだ。

 

 

出入口には、縁側に上がるための階段も設置した。

 

 

間取(まど)りは、前後左右上下の六面に断熱(だんねつ)のために皮を張った居間(いま)(かわや)

 

それに、まだ岩がむき出しの風呂と反対側に食糧庫(しょくりょうこ)

 

貯水(ちょすい)のための水槽(プール)は、家の横に備え付けられたくり抜いた岩がそれだ。

使わないときは、ホコリ()けのためにオオトカゲの皮で(おお)う。

縁側から直接、水を()める仕様(しよう)

 

 

暖炉(だんろ)煙突(えんとつ)、排水口をなんとかそれらしい形にするのに、一番苦労しただろう。

 

(けむり)(にお)いが極力(きょくりょく)、屋内に入ってこないように、何度も調整を重ねた。

 

 

 

「マジであたし、ママになるんすねぇ……」

 

はぇー、とまぬけな顔をするのは、やっと現実を受け入れ始めたヴェラだ。

 

 

ここ一週間ずっと、青い顔で震えて腹をさすっている姿は正直、痛々(いたいた)しかった。

 

 

「いまからでもおろせるが……」

 

「ほんとっすか?!」

 

 

漠然(ばくぜん)と、子が産まれるなら祝福(しゅくふく)するべきだろうと思い込んでいた。

 

が、最近のヴェラの様子を見れば、必ずしもそうではないのだとさすがに理解した。

 

 

いかんな。

 

前世は長らく鬼だったせいか、命に対する認識が疎か(ガバガバ)になっている。

 

 

産めるなら産んでおいたほうが得だろう、というようなことを考えていた。

 

誰が父親であろうとも。

 

 

「いや、でも……。産みますっす、この子」

 

「いいのか?」

 

「はいっす……」

 

 

これまでついぞ見なかった、ひどく深刻(しんこく)そうな表情(かお)で何を思っているのかはわからなかった。

 

 

 

とりあえず、家は完成。改装は一旦(いったん)後回し。

 

 

現在は、冬支度(ふゆじたく)の保存食作りを行っている。

 

 

なんといっても、熱水湖を探す最中に岩塩(がんえん)を見つけたのだ。

 

場所は、熱水湖をさらに東に行った岩石地域。

オオトカゲとオオグモがいる地域。

 

むき出しの地層(ちそう)をビビンバが()めていたことで発覚した。

 

薄桃(ピンク)色の層がすべて岩塩だった。

 

 

塩があれば食事が美味くなる上に、食糧(しょくりょう)の保存性が飛躍的(ひやくてき)に向上する。

 

山菜(さんさい)塩漬(しおづ)けにしたり。

干し魚や干し肉に塩をまぶしたり。

 

保存期間を大幅に()ばせるだろう。

 

 

まだ、動ける内に動く、ということで保存食作りはヴェラが請け()うそうなので、私は原材料調達に奔走(ほんそう)している。

 

 

 

ある日、岩塩に続く新たな革命(かくめい)を食卓にもたらすため、南の森を訪れた。

 

ここは大樹に穴を空けて巣にしている蜂の群れ――ビッグツリー・ビーズが頂点に君臨(くんりん)している領域。

 

 

そう、私が今回、調達しようと思ったのはハチミツである。

 

 

ここを探索したときから気になっていた。

 

 

あのときは、護らなければならない者がいる状態で全方位から襲い来る無数の蜂を相手にするのは()が悪い、と手を出さなかった。

しかし、内心はハチミツを手に入れるために走り出したい衝動に襲われていたのだ。

 

 

身体が栄養として糖質(とうしつ)を求めている可能性はある。

衝動の根源(こんげん)はそれかもしれない。

 

だが、前世の私はいかに()えていても、これほど甘いものへの渇望(かつぼう)は大きくなることはなかった。

 

 

そこで私は自分の状態を(かんが)みて、一つの結論を出していた。

 

 

――甘いものを求めるこの衝動は、身体の本来の主のものである、と。

 

 

 

この身体に(そな)わる本来の主の意思(いし)

 

それは、ヴェラと初めて相対(そうたい)したとき、特に顕在化(けんざいか)していた。

 

それ以前にも、盗賊の(なぐさ)みものになっていた女らを口封(くちふう)じに殺さず生かす、などの形で(あらわ)れていた。

 

 

罪なき者、悪でない者をむやみに(あや)めることを忌避(きひ)する気持ち。

 

ハチミツなどの糖質や味覚情報的に有益(ゆうえき)(はん)ずることができる甘味を求める気持ち。

 

 

仮に私の人格がこの身体を()りつぶしたのだとしても、この身体は前世の私のものではなく、この身体の本来の主のものだ。

 

ならば。

 

――砂漠(さばく)に、(はす)の花が()かぬように。

――砂漠に、仙人掌(さぼてん)()えるように。

 

土には土に合った植物が()えるように、身体には身体に合った意思が芽生(めば)えるのが、自然なことである。

 

 

いかに前世に積んだ“私”としての経験が強くても、記憶が()くても、いまの私の身体はこの二歳弱のものなのだ。

 

である以上は、この身体から発生するあらゆる欲求や心象は無視することができない。

この身体で生きていく以上は、私の心理や性質が変化していくことも、また、()けられないことなのだろう。

 

 

(――ハチミツがほしい)

(――甘いものがほしい)

 

 

たったこれだけのことだが、あらためていまの自分のことを見直す、いいきっかけになってくれたな。

 

 

(――つまり、甘いものは正義!)

 

 

最近、たまに変なことを考えている自分を、なんとか受けいれて、私は(さや)から直刀(ちょくとう)を抜いた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

高原に家を作っておおよそ、四ヶ月くらい。

 

 

日々(ひび)、体感で計っている日照時間(にっしょうじかん)が一番短かった日――冬至(とうじ)から、半月。

 

 

訪れた冬は、今のところは手に()えないほどの寒さではない。

 

一日だけ、高原全体をうっすら粉雪(こなゆき)がかかった日があったが、それ以外の日は肌寒い程度。

 

高原の草が()れ果てることもなかった。

 

 

温暖(おんだん)な場所を求めて弱い動物が移動して来るなど、ちょっとした騒ぎを()て。

 

現在はおおむね平穏(へいおん)

 

 

ヴェラの腹は、誰にでも一目でわかるくらい膨らんでいる。

 

あらためて実感するのだろう。

「ほんとにママになるんすねぇ」と、ヴェラはよく言葉にする。

 

 

 

寒くなってきてからは(つら)いようで外に出る機会は減り、オオグモの糸を使った編みものに没頭(ぼっとう)するようになった。

 

意識しているのか、意識していないのか。

そうしている姿を見ると、ああこの女は母になるのだなという実感が湧く。

 

会ったばかりのときの、落ち着きがない娘という印象からは想像もできない姿だ。

()みもの自体は前々から出来たらしいが。

 

 

「どんな女でも子ができれば、母になるものなのだな……」

 

暖炉で板金(ばんきん)の鍋をかき回しながら、しみじみと私は思った。

 

 

「失礼っすねぇ。『どんな女でも』って、どんな女だと思ってたんすか、あたしのこと?」

 

「すきあらば、欲にかられて、裏切る女」

 

「ぐぬっ! 否定できないっすけど……?

いや、必要以上にため込もうとまでは考えないっすよ?」

 

 

「たとえばここに、不老長寿のくすりが一本だけ――」

 

「あたしのもんっす!」

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

パチパチ。(まき)がはぜる音がする。

 

カッ、カッ。鍋をかく音がする。

 

 

フスッ、とヴェラにもたれ掛かって寝ているビビンバの鼻息が聞こえた。

 

 

「あ……悪魔のゆうわく、ってやつっすね。ただの人間のあたしには(あらが)いようがないっすよ!」

 

「……まぁ、人とは、持つべくして欲を持ってうまれるものだからな……」

 

 

欲に(おぼ)れることはよくないが、欲をかくことは生きるためだ。

 

仕方ないことだろう。

 

 

 

「それで悪魔さん、いいにおいしてるっすけど、これ」

 

「あぁ、高原の黒牛(バイソン)と取引した」

 

「取引? ()ってきたとかじゃなくっす?」

 

「ビビンバもそうだが、魔力をおおく宿す生きものは頭がいいことがおおい。

だから、取引をこころみた」

 

「へぇ~。そんなこと出来るんすねぇ~」

 

 

かき回していたさじを持ち上げると、白い液体がとろりと()れた。

 

ハチミツを混ぜて黄金色(こがねいろ)にテカっている。

 

牛乳だ。

 

 

「なんこうしたが、ビビンバを連れていって――」

 

()(にえ)っすか?」

 

「フスッ?!(寝息)」

 

「――対話(たいわ)をこころみたのだ。すると、驚くことに上手くいってな」

 

「草食っすもんね、あのウシ」

 

「フスゥ……(寝息)」

 

 

「肉食なら、そもそも連れていってないが……。

みずうみに生える薬草と交換で、これからも交換できる」

 

「おお! それはよかったじゃないっすか! ますます、ご飯がおしくなるっすね!」

 

「フスッ(寝息)」

 

 

今日は、いもと山菜、牛乳とハチミツを煮込んだシチュー。

 

冬になり、比較的外で活動する生きものが少なくなってからは、食事の用意は当番制になった。

 

 

このような環境での出産だ。

 

子が産まれるまでにできるだけ()やしておきたい。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

さらに半月。

 

ヴェラがかぜを引いた。

 

もう、子が産まれるまで一月あるかないかという時期のかぜ。

子も母も命が危うい。

 

 

温石(おんじゃく)で布団を温める。

食事は、いもと山菜をハチミツで煮た(かゆ)を。

のどが(かわ)けば水を飲ませる。

 

など、気を使ったが、上手くできたとは思えない。

 

看病(かんびょう)の経験にも知識にも(とぼ)しかった。

 

 

「なんか、焦ってる悪魔さんを見ると幼児いじめてるみたいで、変な罪悪感湧いてくるっす」

 

そんなうわごとを漏らされた。

 

いま言うようなことじゃあ、ないだろうに。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

加えて、半月。

 

もう、いつ産まれてもおかしくないことは、胎内(たいない)の胎児を見ればよくわかる。

 

 

しきりに胎を(のぞ)いている私を不審(ふしん)がり、「悪魔さんって――」とヴェラは切り出した。

 

 

「膨らんだおなかとか、好きなんすか?」

 

「? 好きもなにも、子をはらめば腹はふくれるだろう……」

 

「いやぁ、あぁ。今の反応でわかったっす」

 

「??」

 

 

「盗賊に(はら)んだ女の出っ張ったおなかを見ると興奮するって変態がいたんすよ。悪魔さんもそれなのかなぁって」

 

「断じてちがう。胎のなかの子を見ていただけだ。さいきん、よく足をかくようになったから」

 

「そんな早口で言わなくても……。

えっと、わかるんすか? そんなこと? おなかの中にいる赤ちゃんが足動かしたとか。

あたしはわかるっすけど」

 

 

「わかる……。そうだな、見る、に近いが。わかる、という言葉のほうが適切か」

 

「マジっすか。なんか、久しぶりに悪魔さんが悪魔らしいところを見た気がするっすぅ」

 

 

ヴェラはとても珍しいことに恥じらったよつで、布をかけただけだった腹を、布団の中に隠した。

 

冬だからか眠っていることが多いビビンバの頭を撫でさする。

 

 

ヴェラの体調は(かんば)しくない。

 

かぜを引いてからずっと、体に力が入らない様子。

一日のほとんどを布団の中で過ごしている。

 

昼間、外の空気を吸いに一度、起き上がれるだけマシだろうか。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

今日か、今日かと、毎日、気構えしながら、半月。

 

思った以上に産まれるのが遅くなった今日。

その日が来た。

 

 

湯を。

飲み水を。

寝床の暖を。

(よど)んだ魔力の循環を。

などなど、にわか知識で慌ただしく動き回って、ついに。

 

 

うまれた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「いや~……。マジで、死ぬかと、思ったっすね」

 

「笑いぐさにもならない」

 

「フスッ」

 

「ご心配おかけしましたっす」

 

 

ふぅ、と額の汗をぬぐう。

らしくもない、人間らしい所作(しょさ)を私はした。

 

 

一時は、心臓が止まることさえあったのだ。

死にかけたというのは、全然大げさな話ではない。

むしろ、何度か死んだ、といってもいい。

 

過酷な出産だった。

 

 

息が止まれば魔力を流して肉体を操作し、無理やり呼吸を維持した。

 

心臓が止まれば魔力を流しこみながら胸を叩いて、血流を維持した。

 

頭の血管が詰まったのを見て取って、血液を操作して血管を(ふさ)(せん)排除(はいじょ)した。

 

 

五度は死線を越えたと断言できる。

 

これまでかと、何度も思った。

 

 

結果はこのとおり。

 

羽毛(うもう)を詰めた布団の上で、ヴェラと赤ん坊が(となり)()っている。

 

現在、産後半月。

 

(おだ)やかに眠る赤子を見るヴェラの顔は満足気(まんぞくげ)だ。

 

 

「いつかの反省(はんせい)()かしてなんかそれっぽい最期(さいご)の言葉、かんがえてたんすけどねー。あのまんま死んでたら結局、言えずじまいだったっすねー」

 

「いま、聞こうか?」

 

「やめとくっす。言わなかったから生きれたのかもしれねぇっすし」

 

蘇生(そせい)しなければ、五度は死んでいたと思うが……」

 

「でも、生きてるっす。死ぬときは何しても死ぬっすよ。しぶとく生きあがけたのは、遺言(ゆいごん)言わなかったからっす、きっと」

 

「そんなものか」

 

「そういうもんっす」

 

 

死ぬときは死ぬなら。

 

最期の言葉を遺そうとしても、遺そうとしなくても、けっきょく死ぬときは死ぬということじゃあるまいか。

 

とかなんとか、これ以上は話がややこしくなるからやめよう。

 

 

ヴェラが言うことではないが、今現在、生きていることがすべてだ。

 

 

()えだちには気を付けねばな」

 

「飯の話っすか? じゃあ、ヘビの肉がいいっす。無性にヘビが食いたい気分っす!」

 

「フキを採ってくる。消化しにくいものはいま少し、ひかえたほうがよかろう」

 

「え~」

 

 

「フスッ、フスッ」

 

「ほら、ビビンバもヘビの肉がいいって言ってるっす」

 

「私にはなにを言ってるのかわからん。――行ってくる」

 

「行ってらっしゃいっす」

 

「フスゥ……」

 

 

今日の朝。

 

小川に水を汲みに行くと、野花がチラホラと花を咲かせていた。

 

冷えた水をかき分けて(およ)ぐ魚がぴちょんと水面を跳ねて、季節の(うつ)ろいを告げられたようだった。

 

 

春が近づいていた。

 

 





サブタイトルの理由はいずれ。

作者は上弦の陸の鬼が嫌いじゃなかったんです。


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幼児期・下
EX1.冗談半分で試してみた都市伝説が本当のことだったときに感じる恐怖は割とシャレにならないよねっていう


 

「はっはっはっ! こりゃーいい! 『悪魔(あくま)()きの肉を食べたら強くなれる』、まさかこの話が本当だったなんてなぁー!」

 

 

「おっおいっ! なんだよこれ?! どうなってんだよ?!」

 

「知らねーよ!」

 

「な、なんだ、この魔力量?! バカな! 落ちこぼれのグズロスがこんなに魔力持ってるはずがない!」

 

 

ミドガル王国、某市街、裏町(うらまち)路地裏(ろぢうら)にて。

 

そこは裏町ではありふれた、どこにも行きつかない、行き止まりの路地裏。

 

 

そこで、その日は――いや、その日も、魔剣士協会に所属する低ランクの若い魔剣士たちが集まってストレスの解消(かいしょう)を行っていた。

 

協会に登録してから何年経ってもうだつが上がらない、才能がない一人の魔剣士を他の魔剣士らがリンチにする。

 

いわゆる、弱いものいじめを行い、日頃(ひごろ)鬱憤(うっぷん)不満(ふまん)余所(よそ)へぶつけているのだ。

 

 

いつもならば、未だ最下位ランクから抜け出せない一番弱い魔剣士が、さんざん(なぶ)り倒されて、(ののし)り倒されて、最後につばを()かれて終わるはずだった。

 

 

「誰が落ちこぼれだってぇ?」

 

「ヒィッ」

 

 

 

 

きっかけは、いじめる側に立っていた魔剣士の一人が「あぁ、そういえば、こんな話知ってるか?」と切り出し、話し始めたことだった。

 

曰く、魔剣士が悪魔憑きの肉を食べれば強くなれる。

 

 

一体、どこからそんな頭がおかしい話を仕入れてきたんだと、同じくいじめる側に立っていた魔剣士たちは(あき)れた。

 

が、その呆れた魔剣士の中の一人が、いいこと思いついた、とばかりに手を打った。

 

 

――そういえば、ここらへんの浮浪(ふろう)(しゃ)のガキにひでぇこぶができて、それが悪魔憑きなんじゃねぇかって、娼館(しょうかん)女将(おかみ)気味(きみ)(わる)がってたぜぇ?

 

 

猿顔(さるがお)の魔剣士の男はニヤニヤ笑みを浮かべながら、ボロ雑巾(ぞうきん)みたいに転がる魔剣士を見る。

 

たったそれだけの所作(しょさ)で、他の魔剣士たちにも猿顔の魔剣士が何を考えているのか伝わった。

 

 

――おお、そりゃあ、大変だ。そうかぁ、あの娼館には俺も世話(せわ)になってるからなぁ。たまには人助けってのも、悪くねぇか?

 

――ま、万年(まんねん)金欠(きんけつ)クソザコ負剣士(まけんし)くんも、強くなれるかもしれねぇし? いいんじゃねぇの?

 

 

()にもあっさりと、非人道的な決断(けつだん)を下す魔剣士ら。

 

さもありなん。

まさかそんな話が本当のことだなんて思わないし。

その決断が、自分たちに破滅(はめつ)をもたらすものであるなどと、予想できるわけはなかった。

 

 

 

そして――。

 

裏町の中でも、(すみ)っこ、不法(ふほう)投棄(とうき)が多発するその場所にいた女の子。

 

黒い猫耳が特徴の10歳くらいの子どもを魔剣士たちは見付け出し、喜々(きき)として(なわ)(しば)り上げた。

 

ぐるぐると()遠慮(えんりょ)に、まるで燻製(くんせい)(にく)を作る下準備のごとく。

黒猫の子どもは当然抵抗するが、低ランクとはいえ複数の魔剣士に(かこ)まれて(かな)うはずがない。

 

 

黒猫少女はそのまま、服を(やぶ)かれて、背中にできた真っ黒いこぶを外にさらされた。

 

 

――うわっ、本当に悪魔憑きっぽい!

 

――ひっでぇこぶ。虫にでも刺されたか?

 

 

少女を縛る彼らは、まさか少女が本当に悪魔憑きだなどと思っていない。

 

悪魔憑きは()むべきものではあるが、同時に売ったら高い値段がつく高級品なのだ。

 

こんなごみ溜めに高級品なんかあるはずがない。

 

そんな先入観(せんにゅうかん)が彼らの目を(くも)らせていた。

 

 

――じゃっ、いただきます、しようかー?

 

 

黒猫の少女が悪魔憑きであろうとなかろうと、どうでもいいのだ。

 

彼らは、鬱憤や不満を吐き出せる先を求めているだけ。そこに面白いイベントが娯楽(ごらく)としてあれば、いい気晴(きば)らしになるというだけ。

ただ、それだけだった。

 

 

そうして、何年経っても安宿(やすやど)の生活を抜け出せない、落ちこぼれの魔剣士は。

 

少女から切り取られた血が滴る肉を口に突っ込まれ。

 

鼻と口をふさがれ、無理やり()み込まされて。

 

――覚醒(かくせい)した。

 

 

 

「おらぁああ!」

 

 

「ぐぁ!」

 

「おいっ、エンチ! よくもエンチを!」

 

「待て! 全員でかかるぞ! いまのあいつは強い! 囲んで急所(きゅうしょ)を狙え!」

 

 

才能があったのだろう。

 

剣の才能も、魔力の才能もなかったけども。

 

暴れる力を(おさめ)めるための(うつわ)としての才能が。

 

 

「――ぐっ!」

 

 

「よし! 聞いてるぞ! このまま押せ押せぇ!」

 

「おらっ、死ねや!」

 

「落ちこぼれ程度がちょーし乗んなよ?!」

 

 

白いところを探すのが困難(こんなん)なほど充血した目。

(ふく)れ上がった筋肉。(あふ)れんばかりの魔力。

 

この姿を見て、取るに足らない弱者であると(あざけ)る者は、この世界にはほとんどいない。

 

 

「っ!! あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 

「なんだこの魔力、どこから湧いてきやがる?!」

 

「お、俺は逃げるぞ! こんなのやってられっか!」

 

 

「にがずがぁ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 

「ぐぁあ!」

 

「レッチぃ! ぅあ゛?!」

 

 

かくして、その日、その街の裏町では一匹の化けものが生まれた。

 

 

「ぅぁあ! な、んでこんなことに……」

 

 

「ぅぁあああはぁははははは!! あーっはっはっはっはっは!!」

 

 

数年の虐待(ぎやくたい)の日々を()いられ続け、突然、強大な力を手に入れた青年魔剣士。

 

狂気的な哄笑(こうしょう)を上げる彼のことを――。

 

 

――黒猫の少女は光のない黒い瞳で見つめていた。

(あな)()くんじゃないか、というくらいじーっと。

 



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10.亡者の楽園


本日、連投です。

ご注意ください。


 

「見ざる、聞かざる、言わざる、と言ってな。ひとにより解釈(かいしゃく)が異なるが。

――悪いことを(みと)めるな、悪いことを聞き入れるな、悪いことを言いふらすな、という個人として(ぜん)であるための教えである、と父からは習ったものだ」

 

「はい、おねぇちゃん、『悪いこと』ってなんですか?」

 

「悪魔にも父親とかあるんすねぇ」

 

 

「よい質問だ、メラ。

悪いこととはすなわち、自らの(たましい)(けが)すことと他者の魂を汚すことを言う。

苦しみ、(いた)み、悲しみ、怒り、罪悪感(ざいあくかん)嫌悪(けんお)……。それら、負の感情を仕方ないものだと(あきら)め受けいれたとき、ひとは魂を汚す。

自らのもの、他者のもの、どちらでも。すすんで魂を汚した()てには、等しく破滅(はめつ)が待ち受けるものだ」

 

「たましい……? けが、くるしい? んんぅ……ぅぅ……っわかんない!」

 

「悪魔先生、あたしもよくわからんっす。第一、悪魔さんが悪とか善とか言っても説得力ないっす!」

 

 

教育とは難しいものだ。

 

地団駄(ぢだんだ)()んで、(さけ)ぶ黒髪の幼児(ようじ)を見ながらしみじみと思った。

 

 

 

3歳となると言葉もそこそこまともに喋るようになり、ぼちぼち物心(ものごころ)が付く頃合(ころあ)い。

 

この地平線(ちへいせん)を見渡せる、広い高原という環境(かんきょう)の中で、のびのびと育った子ども。

 

おかげで天真爛漫(てんしんらんまん)な子になった。

しかし、()じた環境ゆえに他者との(かか)わりが圧倒的に()りない。

 

私とヴェラ。

人間にこだわらなければ、未だしぶとく生き残るビーバーのビビンバと、取引を続けて近場に()むようになった搾乳(さくにゅう)用の黒牛(バイソン)くらい。

 

大問題である。

 

 

そこで、ヴェラの娘――命名(めいめい)、メラにひとの世の常識を教えようということになった。

 

なったが、まさか盗賊の常識を教えるわけにも、奴隷の常識を教えるわけにもいかない。

ビビンバと黒牛は論外。

 

消去法で、今世の常識がまったくわからないはずの私が常識を教えることになった。

 

どうしてこうなったのだろう。

 

 

 

要約(ようやく)すると、他人の嫌がることをするな、自分が嫌なことも()けるべきだ、ということだ。

ひとの世の価値は、自他の共存共栄(きょうぞんきょうえい)にあるのだからな。自らも他者も、より多くが納得する答えを模索(もさく)するのがいい」

 

だから私は、まだひとだった頃、父から聞かされた話を思い返し語っていた。

 

のだが。

 

 

「ぅぅううう! わっかんない! わっかんない! わっかんないぃいい!」

 

「ぁああ、悪魔先生がメラちゃんのこと、なーかーせーたー! いけないんだー!」

 

 

()(まわ)しが悪かったのか。

そもそも、実感がまったくないものを教えようというのが無理なのか。

常識を教え始めて、メラがまともに覚えた言葉は『ちくしょう』だけだ。

 

(はたら)かずに食っちゃ寝ばかりしているとひとは死後(しご)畜生道(ちくしょうどう)()ちる』という教えの『畜生(ちくしょう)』がなんなのか聞かれたとき。

ビビンバや黒牛のことだと教えたからだろうか。

自分と関わりがあるから覚えられたのだろう。

 

ただ、メラという幼児は『畜生』という言葉の意味を、少し取り違えて理解したようだった。

『畜生』とは、『働かずに食っちゃ寝ばかりしても許される(めぐ)まれた生きもの』というズレた見方(みかた)に行きつき、そのまま定着(ていちゃく)してしまった。

 

おそるべきは遺伝か。

メラは(よわい)3(さい)にして、怠惰(たいだ)なスローライフを最上級の理想的な生活として思い描いているようだ。

 

ある日、メラはヴェラを指して「今日のママ、ちくしょう!」と言って実の母親を泣かせていた。

が、あれは罵倒していたわけではなく、『幸せそうだねよかったね』と言祝(ことほ)いでいたのだ。

 

 

 

「今日はこれで(しま)いとする」

 

これ以上は教えても無駄(むだ)、と私はさじを投げる。

 

黒髪の幼児はずっと泣いていたのが嘘のように、パッと泣きやんで、はしゃぎ始めた。

 

 

「ぅえ? ほんと?! あそぼー、おねぇちゃん!」

 

「メラー、ママはー? ママもメラと遊びたいっすー」

 

「フススッ!」

 

 

「もー! ママもびんばばも、しかたないなー! メラがなかまに入れてあげるー!」

 

「わーい! ありがとーっす、メラー!」

 

「フスゥー!」

 

 

だらしなく笑うヴェラたちも、キャイキャイと高い声を上げる。

 

元気なことはよろしい。

 

 

「あまり家から離れぬようにせいよ。私は()りに行く」

 

「え! おねぇちゃん、あそぼうー?!」

 

「あれ? 昨日のイノシシ、(くさ)らないうちに食べるって言ってなかったっす?」

 

 

「昨日、森に行ったとき気になることがあった。それの確認と、ついでに山いちごを摘んでくる」

 

「おねぇちゃん!」

 

「そっすか~。心配ないでしょうけど、気を付けて行ってきてくださいっす」

 

 

「あぁ、行ってくる」

 

 

私は立ち上がって、石にはまった木の扉を開けて、家を出る。

……ここ三年でだいぶん、生活環境も充実したな。

幼子(おさなご)がいると気をまわすことが多いのだ。

 

 

「あそぶぅーぅ!」

 

「こら、メラ。悪魔さんのお仕事みたいなもんっすから、邪魔したらダメっすよー」

 

「おしごとー?」

 

「そうっす。うちの大黒柱っすからねぇ。

頼りにして仕事を増やすならともかく、邪魔して仕事を減らしちゃダメっすよ~。

仕事がなくなったら、あたしたちも干上がっちゃうんすから~」

 

「おしごと、ふやす、はいいの?」

 

甲斐性(かいしょう)甲斐(かい)は、生き甲斐の甲斐っす。

感じのいい美人のためなら、なんだかんだ理由をつけて男は喜んで働くものなんだって、母ちゃんが言ってたっす!

だから、いいんすよ!」

 

「メラも、かんじの、びじんー?」

 

「メラはとびっきりっすよ~」

 

「かんじのびじん~。えへへ~」

 

 

閉じた扉の向こうから、親子の会話が聞こえた。

 

 

「……親から子へ、子から孫へか……。……教育に悪いな」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

今日の私の目的地は、高原から川を越えた先の森にある。

 

今回は、川を()びこえるのとは別の道をたどって行く。

 

修行の一環として、凹凸(おうとつ)激しい山から山への直通路ちょくつうろ()を走る。

 

 

常中(じょうちゅう)でいつも使っている呼吸を、気持ち精密(せいみつ)(あやつ)るように意識。

魔力も、()()(さい)()り全身余すことなく循環させるよう(つと)める。

 

(よど)みも(あら)もなくし、力の無駄をなくすことを心がけて身体を動かす。

 

 

跳ねたり、体をひねったり、縦に回転したり、垂直(すいちょく)壁面(へきめん)を走ったり、と色んな体勢をとりながら精緻(せいち)な呼吸術と魔力循環の維持(いじ)を心がける。

 

 

そうしていると、呼吸と魔力が肉体に馴染み、変質(へんしつ)し、ふとある確信を(いだ)くことがある。

 

が、あまりにも不安材料が多い。

 

だから、まだ実行には移さない。

 

気づくたび後回(あとまわ)しにしていた。

 

 

 

高原を下り、森を抜け、山と山の間の谷にさしかかる。

 

 

その谷は、高原の山から流れる川と、熱水湖の山から流れる川との合流地点にできた谷。

 

二つの川の温度差で水蒸気(すいじょうき)が上がり、しかもここにそれなりの滝まであるせいで水しぶきが加わり、深い(きり)とそれを流動させる乱気流(らんきりゅう)が発生している。

 

 

このまるで視界が通らない谷を、私は花留(はなど)めの谷と呼んでいた。

 

その理由は、この水の地獄(ぢごく)のような霧の中に入れば実感できる。

 

 

「シィッ」

 

――キンッ、キンキンッ、キンッ!

 

私が()ける勢いそのままに、霧の中に突っ込むと、どこからか飛んでくる攻撃。

刀で弾き飛ばすと、硬いもの同士が弾ける音がする。

 

霧の中、刺叉(さすまた)のような影が不気味に浮かぶ。

 

 

――キンッ、キンキンッ、キキキンッ、キンッ!

 

さらに、それは正面からだけでなく、後背(こうはい)から、左足もとから、頭上から、方向を問わず襲ってくる。

 

それらの姿は霧に隠れて、攻撃の直前まではまったく見えない。

それらから事前に感じとれるのは、ヒュという小さな風の音と、かすかな魔力だけ。

 

 

仮に攻撃をしのげても、浮かび上がるのは、刺叉のような影だけであり。

それを弾いても、二弾目、三弾目と次々に方向を問わず攻撃が襲いかかる。

 

ならば、その攻撃手段の刺叉のような影自体を破壊すればいいのではないか、と刺叉の破壊を実行してもキリがない。

 

 

この霧の中に入った獲物を、花を生ける剣山(けんざん)がごとき無数の刺突(しとつ)仕留(しと)めることから、私はここを花留めの谷と呼んでいる。

 

 

(――初めて来たときは不覚(ふかく)を取ったものだ)

 

 

ちなみに、この無限の刺突、刺叉のような影の正体は、キノコだということがわかっている。

 

斬り取った刺叉を拾って、霧の外に持ち出して観察してみてようやくわかった。

 

石のような、陶磁器(とうじき)のような(かた)(から)を割って中身を取り出すと、ぶにぶにと水っぽい肉質の繊維(せんい)()まっている。

鹿の角かなにかじゃないかと(かん)ぐりながら、よく調べてみると辛うじて胞子(ほうし)のようなものが(したた)る水の中で泳いでいるのが見えた。

 

さらに、刺突の攻撃をたどって根もとを突き止めると、谷の崖面(がけめん)から直接刺叉のような影が生えて(うごめ)いている姿を確認して、予測は確信に変わった。

 

 

この山道を花留めたらしめているのは、深い霧の中で群生(ぐんせい)している攻撃性が強いキノコなのだ。

 

ヴェラに聞いても名前がわからない魔境の生きものである。

 

刺叉茸(さすまただけ)、と呼んでいる。

 

 

――キンッ、キンキンッキンッ、キキキキンッキンッ!

 

 

と、いちいち刺叉の攻撃を破壊していても、キリがない――そもそも生息数(せいそくすう)が多く、また、少しの水分と魔力で再生するため、本当にキリがない――ため全方位からの不規則な刺突を(さば)きつつ。

時々(ときどき)足場にしながら。

 

ほぼ垂直の崖面を下りて上って、花留めの谷を踏破(とうは)する。

 

 

 

それから登った山を下り、蜘蛛とトカゲの岩石地域を抜け、ぶち当たった熱水湖を()きでる毒ガスを解毒(げどく)しながら突っ切って。

 

奥地(おくち)大樹蜂(たいじゅばち)の巣がある、南の森に這入(はい)り、またしばらく森の中を進む。

 

 

 

目的地は南の森の只中(ただなか)

いっとう、まがまがしい気配を(ただ)わせている場所。

 

四年前はこんな気配はなかった――そう、この魔境を進むときに通った森の途中だ。

 

 

ちょうど、巨大なヘビの化生(けしょう)、ウワバミを()った場所だった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

それはなんと表現すればいいのか。

 

きっと、黄泉(よみ)の国があるならば斯様(かよう)な光景が町の外にあるのだろう。

 

 

そこは腐肉(ふにく)の沼だった。

 

黒い瘴気(しょうき)に満ちていた。

 

 

頭や腹を失って。

胸に穴が空いたまま(ふさ)がらず。

下半身が()(わか)れして見つからない。

――そんな、一目で死んでいるとわかる獣の屍体(したい)が動いている。

 

 

なにが面白いのか――ギャハギャハ、ギャハギャハ、(かわ)いた音の笑い声。

 

跳ね回る狼の屍体が岩塊(がんかい)に突っ込んで――ぶちゅう、と水っぽく(つぶ)れて黒い()みを作った。

 

 

「………………」

 

言葉を口にすることもはばかられる。

 

 

四年前、ウワバミを殺したそこは、死んだ獣たちが死してなお(おど)(くる)う沼になっていた。

 

 

「…………っ」

 

(――ヘビはしつこいと知っていたが……!)

 

 

そして、沼の中心でとぐろを巻く巨躯(きょく)を見て、この沼ができた原因(げんいん)を確信した。

 

 

(――いち、に、さん……六本か……)

 

 

頭首が六つ。胴体は太く長いヘビだった。

 

こぶから流れているとろとろの液体は、血なのか(うみ)なのか。

 

漆黒(しっこく)の皮の(からだ)は、あのときのウワバミより一回(ひてまわ)り小さい。

 

 

「…………力が増すと厄介(やっかい)か」

 

 

今この段階でも油断(ゆだん)ならない気配を漂わせている。

おぞましい、という意味でも、単純に強大という意味でもだ。

 

 

この黄泉の領域が広がれば、森にまともに食べられるものはなくなるだろう。

 

さらには、足が届く範囲(はんい)に大きな脅威(きょうい)が現れることになる。

 

 

後者は修行になるからいいにしても、前者は歓迎(かんげい)できる事態ではない。

 

さらに成長する前に、あの多頭のヘビは殺すべきだ。

 

 

結論(けつろん)付けて、刀に手をかける。

 

呼吸のリズム、魔力の循環をより深くしなやかに(ととの)える。

 

 

進む先は、黒い瘴気が満ちる黄泉。

 

まともに呼吸ができるとは思えない。

 

 

魔力と血液を()る。息をいつもより多く吸い、練った血液に空気をストックする。

 

加えて、魔力による超活性により、血液の生産(せいさん)と循環および栄養の精製(せいせい)と循環を加速(かそく)させる。

 

もちろん、疲労(ひろう)の回復は、呼吸術と魔力操作の両面で常に実行する。

 

これらで、ガス欠や消耗(しょうもう)による活動限界(かつどうげんかい)をできるかぎり遠ざける。

 

呼吸・魔力統一式戦闘態勢。

 

この状態でいまの私が、無呼吸で月の呼吸を使い続けるとしたら……持つのは一刻(2時間)といったところか。

 

1歳のときから比べれば大幅に成長した。

 

 

最後に一吸い、

 

「ホオオオ……」

 

沼の中心へ一直線に飛び込んで、

 

 

月の呼吸 伍の型 月魄災渦(げっぱくさいか)

 

 

多頭ヘビをも巻き込んで。

 

前後広域(こういき)三連撃、三つの巨大な月の斬撃にて、跋扈(ばっこ)する生ける屍どもをなぎ払った。

 

とぐろを巻いていたヘビの皮にも大きな傷が入った。

しかし、辺りに飛び散った生ける屍の肉片が(うごめ)き傷口にあてがわれると、たちまち黒い皮の胴が復元(ふくげん)された。

 

 

 

「「「ジャアァアアァ!!」」

「「「ジャアァアアァ!!」」」

 

悲鳴か怒号かあるいは、宿敵(しゅくてき)(あい)まみえた歓声(かんせい)か。

 

多頭ヘビが六つすべての頭で、おぞましく()えた。

 

魔力が乗った声はそれだけで、指先や耳の奥の細かな神経(しんけい)にダメージを与えてくる。

 

呼吸と魔力で肉体を強化していなければ、神経や筋繊維(きんせんい)がズタズタになっていてもおかしくない。

 

(するど)金切(かなぎ)り声。

 

 

(――これは、どんな攻撃をしてくるか、予想が難しいな……)

 

 

相手は、生きものの(わく)を外れた理外(りがい)の怪物。

 

隙を見せれば足をすくわれるだろう。

 



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11.修羅道


原作キャラと世界の設定捏造があります。

苦手な方はご注意ください。


 

エルフにとって大自然(だいしぜん)――森とは、崇拝(すうはい)の対象である。

 

森を(とうと)び、森を守り、森と共に生き、森と共に死ぬ。

それがエルフという種族のあるべき姿である。

 

昨今(さっこん)は、貴族の間でも、いまどき古臭(ふるくさ)い思想だと笑われることが多いが。

少なくとも、王族として生まれたベアトリクスは、幼い時分(じぶん)から父よりそういった話を聞かされて育った。

 

もっとも、ベアトリクスの年齢を考えればその幼い時分とやらも、十分に昔と呼べるだろうが。

 

 

ベアトリクスというエルフ個人の意見として、森は(あが)めるべき対象であるかと聞かれれば、(いな)と答える。

 

別に、古臭い思想に嫌気(いやけ)がさしているわけでも、森という環境に(うら)みがあるわけでもない。

かといって、(うやま)っているわけでもない。

 

(――森は森だ)

 

つまり、ベアトリクスには思想だとか崇拝だとか、古いとか新しいとかはどうでもよかった。

 

 

ただ、ベアトリクスは森のことが嫌いではない。

ともすれば、ライバルか親友に向けるような(した)しみを広大な大森林に対して抱いている。

 

――武神(ぶしん)ベアトリクス。

 

ベアトリクスはそう呼ばれるようになって、おおよそ対等(たいとう)に自分と渡り合う者がいなくなっていた。

正確には、それよりもしばらく前から、ベアトリクスに(かな)う者などいなくなっていたが。

 

そのときはまだ、自分より上の使い手がいる、自分としのぎを削れる者がいつか現れる、という希望があった。

 

その希望が(つい)えたのは、ブシン祭――当時はまだ別の呼ばれ方をしていた、ミドガル王都で開かれていた武闘大会で()(とな)えてからだ。

 

――世界一の称号(しょうごう)を手にしてしまった。

 

それ以降、彼女に敵う者はおろか、彼女に挑もうという者すらほとんど現れなくなった。

 

 

大森林の奥の魔境(まきょう)へ足を運んだのは、そんなときだった。

 

魔境には、自分が知らない生きものがたくさんいた。

魔境には、自分が予想もできないような戦い方をする魔獣がひしめいていた。

魔境では、自分を食い殺そうと挑みかかってくる存在が、絶えることなく次から次に湧いて出た。

 

当時のベアトリクスは、そのことに大きな喜びと感動を覚えた。

足しげく、大森林に分け入るようになり、また、武神と呼ばれるその剣の腕を(さら)に向上させた。

 

 

 

その日、ベアトリクスは大森林の奥地へ来たのは、しばらくの別れを告げるためだった。

また、(おとず)れるようになるかもしれないが、しばらくは退屈(たいくつ)しなさそうだったから、その間はここを訪れる機会(きかい)は減るだろうと踏んでいた。

 

 

妹が産んだ娘。

すなわち、ベアトリクスの(めい)

 

現在3歳の、幼き日のベアトリクスにそっくりな女児に、ベアトリクスは新たな希望を見出していた。

期待と言いかえてもいい。

 

ベアトリクスにはわかったのだ。

姪は、自身よりもさらに()く英雄の血を引いていることが。

姪の身体つきや身体の動かし方から、自身を超える才能の持ち主であることが。

 

だから、決めた。

 

(――この子を私より強くしよう)

 

剣を教え、戦い方を教え、相対して磨き、経験を積ませ。

そして、いつか自分を倒すくらいの魔剣士に育て上げる。

 

姪とお馬さんごっこをしながら、ベアトリクスは胸に(ちか)ったのだ。

 

 

 

「おかしい」

 

一歩、魔境の土に足を付けて異変を感じとった。

 

明文化(めいぶんか)できる感覚ではない。

しかし、たしかな違和感(いわかん)がベアトリクスを襲った。

 

 

「森で何が……」

 

森で何かが起きている。

 

とんでもない災厄(さいやく)のようなものが、蠢動(しゅんどう)している。

直感だけで、ベアトリクスはそれを確信した。

 

 

トンッ、と。

 

音がしたときには、次の木の枝へ飛び移っている。

 

あまりに自然に、あまりに速い動きに普段(ふだん)、森を跋扈(ばっこ)する魔獣ですら反応できない。

 

 

ベアトリクスは異変が何なのか、魔境で何が起きているのか確認するため、魔境の奥へと這入(はい)っていった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

地から吹き上がる黒い瘴気が体表(たいひょう)を撫で回っている。

まとった魔力に(はば)まれ肉体を(おか)すことはないが、生身(なまみ)で受けたら無事じゃすまないのではないだろうか?

 

瘴気(しょうき)からは、生きとし生けるものを(むしば)まんとする、おぞましい意思を感じる。

 

 

頭上から突撃してきた屍鳥のくちばしを(かわ)す。

 

躱した先で待ち受けていた、屍狼の()れの連携(れんけい)攻撃をしのぐ。

 

その間に一周して戻ってきた屍鳥のくちばしをまた躱し、今度はカウンターに滅多(めった)()りにする。

 

追撃(ついげき)の屍狼の群れも同様に、拍子(ひょうし)をズラして連携を崩し、滅多斬り。

 

 

――屍狼のうち一頭だけ心臓を斬り()ねた。

 

ベチャッ、と屍狼が自らはじき飛ばした心臓が、(ただよ)う瘴気を吸収し、どんどんと全身を再生させていく。

 

(――泥人形のようだ)

 

 

心臓に斬撃を飛ばし、斬り()ける。

 

すると、それが(とど)めになって、屍狼の再生は止まり、瘴気に()けて消えた。

 

生ける屍は、頭と心臓を同時に破壊(はかい)しないかぎり再生する。

そういう性質をもっているようだった。

 

 

――刀を横に振り、放つ斬撃を推進力(すいしんりょく)に、一気に十歩ほど横へ移動。

 

――バツンッ!

 

直後、さっきまでいた場所に、いつかのように食らいつくヘビの頭の一つ。

 

(――クセは変わっていないようだな……)

 

 

気配は違う、力の質も違う。でも、わかる。

このいやらしさ、このしつこさ、この()意地(いぢ)

 

間違いない。

 

姿形(すがたかたち)は違えど、この多頭のヘビはウワバミのなれの果てだ。

 

 

――まさか、死してなお、浮世(うきよ)執着(しゅうちゃく)するとは……。

 

 

躱した頭に刀を振るう。

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

基礎の壱の斬撃が、ヘビの頭の一つを、縦に割った。

 

 

(――他者(ひと)のことは言えないが。これで残り五頭……ん?)

 

私自身の斬撃の威力が上がったのもあるが、それにしても手応(てごた)えが薄い気がする。

 

ウワバミのウロコはもっと硬かったような……。

 

 

斬撃の手応えを私が考えている間にも、当然、生ける屍となった獣や化生(けしょう)から猛攻(もうこう)があるので、それを(さば)き続ける。

 

チラ、とさっき斬ったヘビの頭に目を向けると、生ける屍らがそうであったように、再生を始めていた。

 

 

(――斬られても問題にならないほどの再生力か……?)

 

 

どうやら、この多頭のヘビにはウワバミにあったようなウロコによる防御能力はない。

しかし、それの代わりなのか、(きわ)めて高い不死性(ふしせい)と再生能力を持っている。

 

 

――バツンッ! バツンッ、バツンッ!!

 

今度は一つ、二つ三つ、と躱す余地(よち)(うば)うように、多頭を()かした食らいつきの攻撃。

 

 

それを私はまた躱し、

 

 

月の呼吸 弐ノ型 珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)

 

カウンターに三つの頭を同時に斬り落とし、

 

――バツンッ!

 

さらに()()ちを仕掛(しか)けてきた四つ目の頭を、上に()ねて(ちゅう)に逃れることで躱す。

 

そのとき宙空(ちゅうくう)から見えた、初めに斬り別けた頭は、再生を終えて私を(にら)んでいた。

 

 

(――なるほど、これは厄介(やっかい)だ)

 

 

口端(くちは)(ゆが)むのを感じる。

 

 

極めて高い不死性と再生能力。

多頭を生かした、隙間(すきま) 詰()めるような攻撃。

生ける屍たちの()え間ない攻撃。

息もできない、身を蝕む黒い瘴気。

 

 

(――斬り甲斐(がい)がある……っ!)

 

 

久方(ひさかた)ぶりの死闘(しとう)に私は心を(おど)らせた。

 



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12.修羅道2

 

この黒い瘴気(しょうき)の領域内の、生ける(しかばね)はあらかた殲滅(せんめつ)した。

 

たが、だからといって多頭のヘビのみへの攻撃に集中できるようになったわけではない。

 

なぜなら――

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

「ギャァアアア!!」

 

――減った分の生ける屍を補充するように、眷族(けんぞく)が増えるからだ。

 

 

一刀のもと斬り落とした頭から血があふれる。

その血は辺りに飛び()り、黒い瘴気と融合(ゆうごう)するとそこから、小さな黒ヘビが形をとって生まれた。

 

この黒ヘビは、どうやら多頭ヘビの眷族かなにかのようで、本体から独立して瘴気の(きり)を泳いでまわり攻撃を仕掛けてくる。

 

これがあるから、生ける屍を殲滅しても、敵の数が減った気がしない。

 

攻撃手段は、濃縮した瘴気を浴びせる毒攻撃と噛みつきの二つのみで、対処はしやすい。

だが、小さな(からだ)を活かした奇襲攻撃は全方位へ警戒を強いられる。

 

厄介(やっかい)だ。

 

 

月の呼吸 ()ノ型 落天(らくてん)崩月(ほうづき)

 

 

全周(ぜんしゅう)へ、複数の斬撃を同座標(ざひょう)(たば)ねた圧縮(あっしゅく)斬撃を、四連続で放つ。

 

 

――圧縮斬撃は、月の呼吸の型の中でも、二回しか使わない特殊な斬撃。

束ねられた斬撃同士が反発を起こして、離れた場所で刃の風車(かざぐるま)を複数個、同心円(どうしんえん)状に展開する性質を持っている。

 

 

肆ノ型はそんな圧縮斬撃の仕組みを利用した型だ。

 

放った四本の圧縮斬撃は、私から少し離れたところでそれぞれ四つずつに分裂(ぶんれつ)し十六の斬撃になり、さらに離れた場所ではまた分裂し六十四の斬撃となる。

離れていく(ごと)に、さらに四倍、さらに四倍と分裂して数を増やしていく。

 

そうして、分裂を()り返し増えながら、全方位を斬撃で制圧(せいあつ)する。

 

それが肆ノ型、落天・崩月。

 

 

当然、分裂するたび威力が落ちるため、一定以上の実力を持つ相手にはまず使わない。

だけども、いまの状況にはおあつらえ向きだ。

 

私から放たれ、無限にも思えるほど数を増やしていく斬撃が、そこら中を泳ぎまわっていた黒ヘビを文字通り(こな)みじんにしていく。

 

 

さらにダメ押しに――

 

 

月の呼吸 肆ノ型 落天・崩月

 

月の呼吸 肆ノ型 落天・崩月・水月(すいげつ)

 

 

――崩月の二連続(わざ)を加えることにより、徹底(てってい)的に眷族の黒ヘビを殺し尽くす。

 

 

「「ジャァアアィァアアアア!!」」

 

続いて、(てん)から(はさ)み打ちに(せま)る二つの頭と、地を(もぐ)り下から仕掛(しか)けて来る一つの頭、合計三つの頭を――

 

 

月の呼吸 弐ノ型 珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)微睡(まどろみ)

 

 

「「「ァアア!」」」

 

――斬撃の推進力を利用した変則(へんそく)軌道(きどう)の移動で(かわ)しながら。

頭の数と同じ三つの強力な斬撃を放ち、斬り落とす。

 

落とした頭、三つ。これであと頭、三つ。

 

 

「「「ァアァアアゥィアアィアア!!」」」

 

また、続けて迫る三つの頭によるヘッドバッドによる叩きつけの(めん)攻撃を――

 

 

月の呼吸 (はち)ノ型 月龍輪尾(げつりゅうりんび)

 

 

「「「――――――ッ!!」」」

 

――三つまとめて、巨大な斬撃で斬り飛ばす。

 

加えて頭、三つ。これでもう、頭は残っていない。

 

しかし、頭を落とされた首は動きを止める様子はない。

 

(――わかっている。

この六つの頭を落としただけでは、この多頭のヘビは死なない。

これまでも、何度も試したことだ)

 

 

月の呼吸 拾壱(じゅういち)ノ型 月下微睡(げっかまどろみ)

 

 

ゆえに、刀から連続で放つ斬撃のほとんどを推進力に変えて、多頭ヘビの首の根もとへ。

 

落とした頭から生まれた眷族の黒ヘビたちの攻撃も、致命傷(ちめいしょう)になるものだけを斬り飛ばして、ぐんぐん進む。

 

 

多頭ヘビが頭を再生するとき、魔力の流れが、その首の根もとに(たん)(はっ)していることはわかっていた。

 

この領域を()たす黒い瘴気が、ヘビから吐き出されるものではなく、何かものを経由(けいゆ)して流れ出ているわけでもなく、大地から直接()いているものだとわかっていた。

 

 

(――あれか。多頭ヘビ、いや、この領域の(かく)は……!)

 

 

頭を(うしな)った多頭ヘビの首と眷族のヘビの猛攻(もうこう)突破(とっぱ)し、行きついた多頭ヘビの首の根もと。

 

 

それは、どくん、どくん、と(みゃく)()っていた。

 

それは、ヘビの皮のような色っぽさと()()()()()()()()()図太(ずぶと)さの両方を持ち合わせていた。

 

それは、動物の心臓にも見えたし、植物の根塊(こんかい)にも見えた。

 

 

多頭のヘビのその根もとには、本来あるはずの()はなく、四年前はここにあったはずの()()()()()もなく。

 

――樹木の()(かぶ)に、ヘビを癒着(ゆちゃく)させて融合(ゆうごう)させたみたいな奇怪な物体が存在した。

 

 

「――っ!!」

 

(はっ)せられる膨大な魔力に一瞬、威圧(いあつ)される。

 

 

あの植物質の心臓が、大地から魔力を吸い上げ多頭ヘビへ供給(きょうきゅう)し、再生させ。

また、あそこから発せられた異質な魔力が瘴気となり地下を通り、大地から湧き出ているのだろう。

 

(――とても、まがまがしく、(おぞ)ましい)

 

 

月の呼吸 陸ノ型 常夜孤月(とこよこげつ)無間(むけん)

 

月の呼吸 陸ノ型 常夜孤月・無間・水月

 

 

一刻(いっこく)も早く、異常を取り除くべく、(さい)()状の斬撃を連続で重ねて放った。

 

陸ノ型は本来、足を()ろうとする地を這う斬撃を、相手が避けようと飛び跳ねたところを縦の斬撃で斬り()く技だが。

今回は少し工夫して、縦横の斬撃を均等に並べて、細かい賽の目状にした。

 

肉片(にくへん)一片(いっぺん)すら残してもいいことはないと、本能がうるさいのだ。

 

 

しかし、その隙間がない斬撃の面攻撃は、

 

『『『ァアア゛ァアア゛ア゛ア゛!!』』』

 

 

心臓から大地へと根を張っていた、紫色の木の()っこ。

ただ地面から魔力を吸い上げていたはずのそれらが起き上がって、百を超える黒いヘビとなり、斬撃をかき消した。

 

 

(――まだ(ねば)るか……!!)

 

 

大技を()(れん)(がま)えで放ち、隙だらけの私に後ろか多頭ヘビの頭が突撃してくる気配(けはい)

もう、再生を終えてしまったようだ。

 

まだ宙空(ちゅうくう)で中途半端な姿勢でいる私に、食らいつこうとする眷族の黒ヘビたち。

前後左右上下、方向を()わず、距離は間近(まぢか)(かわ)すことはできまい。

 

 

(――まさか、畜生(ちくしょう)相手に抜くことになるとは……!!)

 

「ハァ……ッ」

 

私は大きく息を吐き出した。

 

 

一瞬、(つか)を強く握り、刀へ全意識を集中する。

愛刀、虚哭神去(きょこくかむさり)に走り、流れる、(きん)繊維(せんい)一糸一糸(いっしいっし)、血液の血球(けっきゅう)一粒一粒(ひとつぶひとつぶ)まで把握(はあく)する。

 

自身の身体の血肉(さいぼう)を、血を、血管を、神経(しんけい)を、筋繊維を、魔力で繊細(せんさい)に操作。

 

 

 

今朝(けさ)、メラにあんな話をしたからか、なんとなく思い出すことがある。

 

それは前世の父の言葉だった。

 

 

――武士にとって、体は(いのち)、刀は(たましい)

 

――決戦に(のぞ)むなら、命よりも魂を(とうと)ぶのだ。

 

――刀が折れそうになるなら、身を(てい)してでも刀を守れ。

――腹を斬られることよりも、腕を斬られることを(おそ)れろ。

 

 

――一人でも多く敵を殺せ。一振りでも多く刀を振るえ。

――命が()てるときまで、(けん)()らずに、戦い抜け。

 

 

――武士が刀を抜くとはそういうことだ。

 

――魂のために死ぬ(刀よりも先に死ね)

――命よりも大切な、魂を()けることを決めるということだ。

 

 

いかにも乱世(らんせい)の武士らしい、父の言葉だった。

 

 

 

「――ハッッッ!」

 

抜刀(ばっとう)

 

気合(きあ)いと共に刀の形を変える。

 

直刀の刀身を(みき)として、枝分かれし、(また)をつくる()った刃の刀身を数本()やす。

 

青ざめた刀身が、もっと深く暗くなった。

 

 

五歳の身体に消耗(しょうもう)()いられる。

 

しかし、強烈な喪失感(そうしつかん)と脱力感は、裏腹に湧き上がる久しぶりに味わう全能感と解放感に上書きされる。

 

 

全方位から食らいついて、濃縮した瘴気の毒で肉体を腐らせる黒ヘビたち。

 

 

「「「ィァアアアアァアアア!!」」」

「「「ァアアアアアアゥァアアアア!!」」」

 

ようやく宿敵(しゅくてき)を食い殺せる(よろこ)びに、この日一番の高い声を上げる多頭のヘビ。

 

 

(――私も、同じ気分だっ……!!)

 

刀を構える。

 

 

(――敬意を表する)

 

(――いまの私が弱いことを認めよう)

 

(――貴様が魂を()けるべき相手であると認めよう)

 

 

(――だから……)

 

 

月の呼吸 (じゅう)()ノ型 兇変(きょうへん)天満繊月(てんまんせんげつ)

 

月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月・水月

 

月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月・三夜(さんや)

 

 

(――私の(かて)になって死ね)

 

 

自らを中心に。

天上(てんじょう)から地底(ちてい)まで、前後左右()てしなく。

 

巨大な斬撃を三百本、らせん状に(つら)ねて重ねて解放する。

 

 

「「「ァ?!?!?!?!」」」「「「?!?!?ィ!?ァ!?!」」」

 

 

超高密度の斬撃が物も命も空気も殺し、発生した力場(ちきば)が空間を(きし)ませる。

 

食いついていた子ヘビらも、大口を開けて笑っていた大蛇の頭も、断末魔(だんまつま)すら(きざ)む。

 

代わりに届いたのは、キィキィと耳障(みみざわ)りな空間の悲鳴であった。

 

 

 

「はぁ……ふぅ……! はぁ……ふぅ……! はぁ……」

 

 

ふらつきそうになる足でなんとか、深い地面に降り立つ。

 

 

残心。

 

勢いを殺しきれず、よろけかけても周囲に気を(くば)り続ける。

 

 

クレーター。

 

もともとあった(けが)れた大地はめちゃくちゃに。

()がれ、壊され、攪拌(かくはん)されて、斬り刻まれて、地をくぼませていた。

 

何かが()げるにおい。

何かが()けるにおい。

何かが()けたにおい。

 

そこここから煙が立ち(のぼ)って熱い。

 

 

「はぁ……、ふぅ……! はぁ……、ふぅ……。はぁ……、ふぅ……。ふぅ…………。はぁ……、ふぅ……」

 

 

ゆるやかに肉体をほぐす……。

 

息と共に力を抜いていく……。

 

 

 

「ふぅ……。はぁ……、ふぅ……。はぁ……ふぅ……。

すぅーー……はぁ……ふぅ……。すぅーー……」

 

身体に溜まった悪い空気(にさんかたんそ)をあらかた吐き出し終わったところ。

いい加減、窒息(ちっそく)しかけている身体に新鮮(しんせん)な空気を供給する。

 

 

「すぅーー……はぁ……ふぅ……」

 

 

また、しばらく、まともな呼吸を続けてやっと、脈拍(みゃくはく)と意識と感覚が安定していく。

 

過剰(かじょう)なものから平常なものへ戻る。

 

過熱(かねつ)高揚(こうよう)過敏(かびん)が冷えて(おさ)まる。

 

 

納刀(のうとう)

 

シュゥーーッ、と枝分かれした刀の刃も、一本の直刀に納まった。

 

 

「はぁ……ふぅ……。すぅーー。はぁ……ふぅ……」

 

 

そして、私は残心を解いた。

 





捏造月の呼吸紹介

・月の呼吸 肆ノ型 落天(らくてん)崩月(ほうづき)
……斬撃と斬撃を重ねて放って、斬撃同士を反発させて、離れた場所で刃の風車を展開させる、圧縮斬撃とかいう捏造した謎の技術を利用して放つ技。
放った斬撃が、離れるごとに四倍ずつに増えていって、斬撃で空間を制圧する技。
原作に登場していないけど、()ノ型と拾参(じゅうさん)ノ型って番号の不吉さからして、絶対発動してたらやばい型だっただろ、って思ったらこんなんなった。
今世では魔力で超強化されているけど、前世での血鬼術としての出力は低く、柱レベルの剣士が剣を振れば風圧だけである程度防げた、という設定。

・月の呼吸 拾壱ノ型 月下(げっか)微睡《まどろみ》
……移動技。移動の障害になるものを斬り飛ばしながら、打ち出した斬撃を推進力に高速移動する技。
原作登場初期の善逸が繰り出す雷の呼吸の壱ノ型と同じくらいの速度。
今回は致命傷になる攻撃(障害)以外をすべて無視して、その分のリソースを推進力に回したため、それよりも速い。

・月の呼吸 ○ノ型 ○○○○・微睡(まどろみ)
……○ノ型を、斬撃を推進力にした高速移動を行いながら放つ技。

・月の呼吸 ○ノ型 ○○○○・水月(すいげつ)
……一つ前に繰り出した型と同じ型を続けざまに放つ技。二連撃目。
水月とは、水面に映った月のこと。つまり、同じ景色に月が二つ現れることになるから、二連撃目に採用。
普通に、○○○○・二連、って感じでまとめればいいじゃんと思ったけど、黒死牟さんなら無駄に格好いいネーミングしそだな、と思ったらこうなった。強いていうなら、前の型に続けて次の型を放つ(二連)というよりも、前の型の隙間を埋めるように次の型を重ねて放つ(水月)から、二連とは別のもの扱い。

・月の呼吸 ○ノ型 ○○○○・三夜(さんや)
……一つ前に繰り出した型と同じ型を続けざまに放つ技。順番が違うだけで、水月と内容は同じ。三連撃目。
三夜とは、三日月の夜のこと。また、三夜さま、は月読神社の祭礼。三、という語が入っていて、なにかと月と関わりが深い言葉だったから、三連撃目に採用。


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13.闘争の愉悦

 

ベアトリクスが森を這入った先で見たのは、陽炎(かげろう)を上げる大穴だった。

 

深い森中にぽっかり隕石(いんせき)が落ちてきたような穴ができている。

 

しかし、それははるか上空から鉱物が降ってきたことでできた穴では決してなく。

 

 

「――っ!」

 

大穴の中心に、小さな人影が見つけた。

 

 

目にした瞬間にベアトリクスは走り出していた。

 

 

その人影がまだ子どものもので、こんなところにいるのは危険だから――ではない。

 

 

(――あれは危険)

 

 

その子どもの人影が手にしている不気味な紫色の(けん)から、強烈な血のにおいがしているからではない。

 

その子どもの顔にまるで悪魔の烙印(らくいん)のような、どす黒い()が浮かんでいるからではない。

 

 

第六感ともいうべきものが、それのあまりに異質な気配を読み取ったから。

 

それが持つ力の濃さ、強さ、大きさに底知れないものを感じたから。

 

 

ベアトリクスは躊躇(ためら)いなく剣を抜いた。

 

 

――カキンッ!

 

 

「――っ!」

 

 

果たして、その判断は正しかったのだとベアトリクスは確信した。

 

躊躇いなもなく、最速で抜き放った彼女の剣閃(けんせん)はあっさりと防がれた。

 

握る細剣の切っ先を(はば)むのは、人影が手にしていた刀の柄。

 

 

即座にくるりと反転した勢いのままに、人影の足を切り落とすつもりで放った剣閃も、

 

――ヒュッ

 

と、空気を斬った()(ごた)えだけがベアトリクスの手に伝わった。

 

そして、

 

(よど)みのない……いい、剣を振るうな」

 

人影はいつの間にか、細剣を振り抜いた姿勢のベアトリクスの(ふところ)の内側にいた。

 

顔のすぐそばにある、赤い瞳と目が合う。

 

 

「見たところ、化生(けしょう)といった風情(ふぜい)ではないが……。取りあうのなら、同じこと」

 

 

――死ね。

 

 

人影が声に出さずに、口を動かした瞬間、咄嗟(とっさ)に携帯しているアーティファクトに魔力を流しこんだ。

 

滅多(めった)に使わないどころか、存在自体忘れかけていた、あくまでアクセサリーとして気に入っていたから身につけていたアーティファクトだ。

 

それを、この極限の状況で思い出し、起動してみせたのだ。

 

 

――バリンッ!!

 

 

起動した障壁(しょうへき)のアーティファクトは、首を落とすはずだった斬撃をきちんと防いでくれた。

 

そして、その鋭すぎる斬撃に障壁が大破したのを理解しながら、このときを逃さじと人影の心臓へ細剣を突き込む。

 

勝利するチャンスがあるとするなら、これが最後だろうと確信した渾身(こんしん)での一突きだった。

 

 

それは、

 

「――見事。痣が出ていなければ、刺さっていただろう」

 

それすらも、空気を貫くばかりで、人影は半身をズラすだけで避けていた。

 

 

(きみ)は……何?」

 

 

――これは死ぬ。

 

ベアトリクスは自身の死を(さと)って、一番気になったことをせめてと、(たず)ねた。

 

 

人影は意外そうな顔をした。

 

そこでようやく、この人影も人間らしい顔を持っていることをベアトリクスは認識した。

 

あまりに異質で、異常な気配に目に映る情報を一切、信用していなかった自分に気が付いた。

 

 

「――鬼、かもしれんな……」

 

そんな、渇いた、けれど、とても幼い声を聞いて。

 

ベアトリクスの意識は(やみ)(しず)んでいった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

残心を解いてから、毒を解毒していた。

 

同時に、身体損傷を回復させるため魔力を巡らせて、意識を集中して細かに身体の不具合(ふぐあい)を確認し修復して行っていた。

 

 

(――ん、これは…………)

 

 

顔が焼け付くような感覚が、なんなのかは理解していた。

 

ああ、ならば私はまた前世と同じ道を歩むことになるのかもしれないな、とどこか俯瞰(ふかん)した視点で自分のことを考察していた。

 

 

そんなとき、巡らせている魔力の淀みがほんのわずかな違和感を(うった)えかけた。

 

それは極めて微細(びさい)な違和感で、集中していなければ認識からこぼれ落ちそうな(つゆ)ほどのもの。

 

しかし、微細だからといって無視できるものではない。

その違和感は顔の(あざ)の周りだけに留まらず、身体全体にびっしり(おお)()くしていたのだ。

 

 

(――まるで、(いそ)のフジツボを見たときのような嫌悪感(けんおかん)……。これは、損傷している……?)

 

 

身体全体、隅々(すみずみ)まで、組織が損傷している。

 

目を閉じて、身体の状態を入念に観察してわかったことだった。

 

そして、それは顔の痣を中心にして、広がっているようだった。

 

 

(――これが寿命を縮めるのだとすれば、この損傷を修復できれば、あるいは……)

 

 

 

――カキンッ!

 

 

極めて深い瞑想状態にあっても、幾百年に渡り()(かさ)ねた経験が攻撃を反射的に防ぐ。

 

 

(――人間の女……? いや、耳が長い……。しかし、構造は明らかに人間……)

 

 

防御することで刀の柄にかかった、重さはふいに無くなり、次の瞬間には女の剣は足があった場所を()いでいた。

 

それよりも前、女が体勢を変えながら身体を回す間に、私は女の死角に入っていたが。

 

 

「淀みのない……いい、剣を振るうな」

 

 

私は女の懐に入り込んでそう言った。

 

刀に手をかける。

 

 

「見たところ、化生といった風情ではないが……。取りあうのなら、同じこと」

 

――死ね。

 

 

先刻(せんこく)(さや)に収めた刀を、私は抜いた。

 

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

 

首を()ろうとした一太刀が、魔力の壁のようなもので防がれたときは驚いた。

 

腰に()してある飾りから発生したということは、もしやこれがヴェラが言っていたアーティファクトというものか?

 

 

そして、そのあとに繰り出された耳長の女の刺突も。

多頭のヘビと対峙(たいじ)する前の私、つまり、痣が出ていなかった私だったら避けらなかったと断言できる。

それほど速い刺突だった。

 

 

さて、そのあと耳長の女を殺そうと思ったのだが。

反射的なものなのか、上半身と下半身を分断するはずだった一刀は、耳長の女の突き出した剣の鞘とその向こうの脚に防がれた。

 

魔力を集中させたのだろう。

鞘を握った左腕も、鞘と身体の間に(はさ)んだ脚も、深い創傷(そうしょう)(きざ)まれてひどい有り様だ。

皮一枚でつながっている、というところか。

 

 

それでも、

 

「二度も、とどめを、防がれたな……」

 

まだ、耳長の女は生きている。

 

 

このまま、()めるのはたやすい。

 

だが、()しい、と思う気持ちがある。

 

 

久しぶりに死闘というものを味わった影響かもしれない。

 

自身とまともに張り合える者と相対することは、自身の力を再確認するのと同時に、さらなる高みへと(みちび)いてくれるものだと思い出した。

 

 

闘争の中でしか得ることができない愉悦(ゆえつ)

 

たとえ命を落とす危険があろうとも。

力を振るい、次の手を読み合い鍛錬の集大成を形にし、(みが)き上げ。

一瞬の(ひらめき)きが相手の意表を突き、そして――勝利する。

 

その快感を思い出してしまったから、この耳長の女を殺すことを、惜しいと感じるのだ。

 

「生かせば、また――戦えるか?」

 

 

実力差はある。

しかし、耳長の女にはまだ伸びしろがあるように思える。

 

 

(――呼吸術も習得していないようだったし……)

 

 

ちょうど、物心が付き始めたヴェラの娘、メラにも、そろそろ呼吸術を教えようと思っていたのだ。

 

 

「持って帰ろう」

 

 

私は、耳長の女を()()()()()()()()()()()ことを決め、その()(てい)の身体を回復させるために魔力を込めた。

 



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14.月下(げっか)語合(かたらい)

 

「ひっ、人さらいっすー!!」

 

「すぅー!」

 

「フスッ?」

 

 

耳長の女を持って帰って来ると、やたらとヴェラがうるさかった。

 

それに追従してメラも騒ぐものだから、やっぱりうるさかった。

 

 

とりあえず、耳長の女を縁側(えんがわ)に置いておく。

 

 

以下、ヴェラと私の問答。

 

 

「どこで拾って来たんすか! 返してきなさい!」

 

「森」

 

「もり? 遭難(そうなん)っすか?」

 

「知らん」

 

「じゃあ、もう町の近くに置いてくるだけでいいっすから」

 

「町の場所も知らん」

 

「あれ? そうなんすか? うーん、じゃあ――」

 

 

「んっ。……んん?」

 

と、そこで耳長の女が起きた。

 

 

家までの移動も含めて、結構な時間が経過したから自然に目が覚めたのだろう。

 

 

「ここは……?」

 

「小高い山の高原だ」

 

「ちょっと悪魔さん、あたしの足だと下りるのに一日はかかるんすけど。小高いってほど、低くないっすよ?」

 

 

「――っ!」

 

「剣なら私が持っている」

 

「ぉぅぇあわぁっ?!」

 

 

私が言うと、耳長の女は躊躇(ためらい)いなく手を拳にして殴りかかってくる。

 

私はそれを(かわ)し、同時に伸ばされていた殴打(パンチ)とは反対の手に、あえて持っていた剣を握らせてやった。

 

隣でヴェラが尻もちをついているが、耳長の女がそちらに手を出す様子はない。

 

 

「――っなぜ? 私に剣を渡した?」

 

「気が付くか。さり気なくやったつもりだが……。いいカンをしている」

 

「答えて」

 

耳長の女は警戒している。

 

意識が向かう先は、私と私から取り返した剣か。

 

ふむ、罠かなにかを仕掛けられていないかの確認をしているようだな……。

 

 

私は挑発するように(わら)った。

 

 

「剣がないと不安だろう?」

 

「――っ! ()めないでもらいたいっ」

 

「では、どうする……?」

 

「今度は――」

 

 

「あのぅ~、殺し合いなら余所でやってもらいたいんすけど? メラが見てるんで、巻き込まれたら危ないっす」

 

 

たしかに、縁側を降りたところで行う私と耳長女のやりとりを、縁側から状況について行けていない顔でメラが見ている。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

先に緊張を解いたのは私だった。

 

間もなく、()(まど)いながらも耳長女も剣の柄から手を下ろす。

 

 

「話し合う必要がある」

 

 

私が言った言葉に耳長女は(うなず)いた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「私の名前は、ベアトリクスという。――先ほどは失礼なことをした。申し訳ない」

 

 

「へ~、それはまた、すげー名前っすね」

 

「すげーなまえー?」

 

「どういう意味だ、ヴェラ?」

 

 

家に上がって(すわ)って向き合う。

 

まずは、自己紹介をした耳長の女――ベアトリクスに、名乗られたからには、名乗り返そう。

そう口を開いた矢先(やさき)に、ヴェラの発言が気になった。

 

 

「あれ? メラはともかく悪魔さんもっすか? ベアトリクスなんて名前、普通は子どもに付けられないっすよ?」

 

「んー? なんでー?」

 

「おそらく一般知識なのだろうが、私はそういうのに(うと)い」

 

 

「そうなんすねぇ~。じゃあ説明するっすけど――」

 

 

ヴェラの話を、細かいことを端折(はしょ)って説明するならば、ベアトリクスという名前から連想される者がこの世界には二人いる。

 

一人は、聖教という宗教団体が(あが)める女神ベアートリクス。

神にちなむという意味で縁起はいいのかもしれないが。

そのままベアトリクスというのはあまりにも(おそ)れ多いため、普通は子どもに付ける名前ではないという。

 

もう一人は、ブシン祭という武闘大会の初代優勝者、『武神(ぶしん)』ベアトリクス。

こちらも、子に強く育ってほしいという願いを込める意味では理解できるが。

やはり『武神』と呼ばれるほどの実力と名声を持つ魔剣士の名を、そのまま子に付けるのは畏れ多いこと。

 

らしい。

 

 

「改めて自分のことを他人の口から聞かされると、()れていいやら。負かされた身としては、()じていいやらだな」

 

と、ベアトリクスはヴェラの話を聞いてうなじを()いた。

 

 

「へ? 自分のことって?」

 

「ああ。改めて自己紹介しよう。一応、世では『武神』と呼ばれている、ベアトリクスというただの魔剣士だ」

 

「え゛っ――」

 

 

そのあとの騒ぎについては割愛(かつあい)する。

 

ヴェラが耳をつんざくほどの(さけ)びを上げて、メラを泣かせてしまい、慌てふためき。

なぜか、ベアトリクスまでメラを泣き止ませるのに参加して。

けっきょく、まともな話し合いはできなかった。

 

自己紹介も済まないまま、日が暮れて。

 

話し合いは明日にしよう、ということでベアトリクスは(うち)に泊まることとなった。

まぁ、もともとそのつもりがなければ、こんなところにまで運んで来なかったが。

 

 

 

 

夜。

 

縁側に出て、月を眺める。

 

こうして月光浴をしていると、前世のことを思い出して感傷的な気分になる。

 

なんとなく嫌な気分で、なんとなくいい気分で。

そんな感情の波に乗っていると、いまの自分がきちんと人間をやれている気になれるのだ。

 

 

(――気、気、気……と、曖昧(あいまい)なものばかり追っているな)

(――悪くない)

 

 

()きたいことがあるんだ」

 

「…………」

 

 

ごく自然に、月光が降りる高原の空気を損ねずに、正面に立つ影。

 

縁側に座る私のほうが視点が高く、女を見下ろすことになる。

 

 

「あのメラという子は……なぜ、生きている?」

 

「…………」

 

「気のせいかとも思った。でも、気のせいじゃなかった。

この石の家の中では外の余計な音が入ってこない。だから、聞こえたんだ。

――あの子の心臓の鼓動(こどう)が二つあるのが」

 

「なるほど、いい耳だ」

 

 

長く伸びているのは、伊達(だて)ではないらしい。

 

大きさは違っても、拍子(ペース)を合わせているのだから、重なって聞こえるはずだ。

それなのに、二つの心臓の鼓動の音を聞き分けるとは。

 

 

「メラの心臓が二つあるのは、生まれつきだ。大きいのと小さいの直列(ちょくれつ)でな……。

生きているのは、魔力で操作して拍子を合わせているからだ。大きいのが一つ打つ間に小さいのが二つ、というように……」

 

 

拍子がズレて、反発が生じれば、周りの血管に負荷(ふか)がかかり(やぶ)れかねないし。

 

片方の心臓だけが拍子を打っているときに、もう片方はただの血管の(かたまり)として血液の通りをよくしていないと、負荷がかかり破裂(はれつ)する。

 

 

「そんなこと、できるものなのか?」

 

「できたのだから、それがすべてだ」

 

「そうか……」

 

 

草地に立っているベアトリクスに、こいこい、と手を(まね)く。

 

私が縁側の自分の隣を指すと、素直に応じて縁側に座った。

 

私と違って長い脚が縁側から()れてぶらつく。

 

 

「――生まれたばかりのときは、付きっきりで私が操作せねばならなかった。

 

これは、成長して、言葉を覚えたら自力でできるように教えなければな……。

と、あのときは思っていた。

 

しかし、私は人間というものを軽く見ていたらしい。いや、わかっていたことだが、思い知らされた。

 

あの子は、習わずとも、覚えていったのだ。まだ赤子の身で、私が魔力で心臓を操作するのを……」

 

 

――そして、いまでは完全に心臓の操作を自身のものにして、自分で生きている。

 

私がそういうのをベアトリクスは静かに聞いていた。

 

 

「そうか。大切に想ってるんだな……。意外だ。人情や情熱みたいなものを嫌っていそうな雰囲気(ふんいき)なのに」

 

「否定はせん。何かあれば最後は(おの)()(とうと)ぶだろうよ……私は」

 

 

他ならぬ自分自身が知っている。

 

他者に優しくできるのは、片手間で可能な範囲までだ。

 

致命(ちめい)(てき)な何かがあれば、最後には自分以外のすべてを捨てる。

 

 

「では、もう一つ。なぜ――ヴェラというあの子は、生きている?」

 

「…………」

 

 

ベアトリクスがさらに訊ねた問い。

 

それに対する答えを、私は持ち合わせていない。

いや、それらしい解答はできるか。

 

そのまえに、確認しておかなければならないことがある。

 

 

「どこまでわかる?」

 

「どこまで、とは?

私には――あのヴェラという子に(きみ)の魔力が流れていることと。

あの子自身の魔力を一切感じられないことしかわからなかった」

 

「わかっているじゃあないか……」 

 

 

もう、私が語るべきことが無くなってしまったぞ。

 

この場合、私の口から語るから意味があるのかもしれないが……。

 

 

「メラを産んで以来、ヴェラの身体は魔力を精製(せいせい)しなくなってしまった。

――そして、魔力を()やすと、各臓器が機能を停止してしまう体質になっていた」

 

「そんなことが――あるから、ああなってるのか……。

信じざるを得ない、というわけだな。

でも、それじゃあ――」

 

「魔力を循環させ続けなければ死ぬ」

 

「!!」

 

「いまは私が供給して、ヴェラ自身が操作している。できるようになるまで、大分(だいぶん)苦労した……」

 

 

なにせ、出産直後から母子(ぼし)ともに付きっきりが必要な状態で。

魔力と呼吸で回復するとはいえ、消耗はするし疲労もするし、他にもやることがたくさんあったのだから。

 

眠る(ひま)もありはしなかった。

 

 

手前(てまえ)には、なにか心当たりはないのか? ヴェラのあの反応、名の知れた者というのは、本当なのだろう?」

 

「残念ながら、ない。魔力が精製できなくなり、絶やすと死ぬ、なんて。

たぶん、そんな人がいたら、もう死んでいると思う」

 

「そうだろうな……」

 

 

他者に魔力を供給するだけならまだしも、供給された他者の魔力を操作するなど、私でもできるかどうか……。

 

それができるようになったのは、ヴェラという女にその手の才能があったのと。

()()でも生きるという意思によるものなのだろうな……。

 

 

魔力が自力で精製できなくなり、魔力を絶やすと死ぬ。

(あん)(じょう)、外部にも治療法どころか前例もはなさそうだ。

 

これは、治療法を探しに人の世に()り出しても無駄そうだ。

 

(――いや、そう結論付けるのは早計(そうけい)か?)

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

月を眺める。

 

ほぅと息を吐いて、夜空を見上げれば、ベアトリクスも私にならった。

 

しばらく、そうしていた。

 

 

仕合(しあ)うか……」

 

「――勝つ」

 

 

存外(ぞんがい)、息が合うのかもしれない。

 

いきなり、私が刀を()って立ち上がっても、女は当たり前のように呼応(こおう)して剣に手をかけた。

 

 

 

「――私はベアトリクス。ただのエルフの魔剣士」

 

「私は、クレア。(けん)に狂ったなれの果ての、そのまた、なれの果て……」

 

 

夜は長い。

 

自己紹介は済んだ。

 

では、話し合い(斬り合い)を始めよう。

 



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15.テンプレートてきなシティ

 

翌々日。

 

ベアトリクスとの話し合いは済んだ。

 

 

私がベアトリクスに、呼吸術と魔力による血液操作を教える。

そして、定期的に仕合(しあ)うこと。

 

代わりに、ベアトリクスは私をここから一番近い流通が整った街へ案内し、買いものに協力する。

あと、メラに世の知識、常識を教えること。

 

ちなみに、流通が整った街とは、盗賊団にいた頃のヴェラが拠点にしていた町――とは別の少し離れたところらしい。

 

 

もともと、ただ一方的に鍛えて遊び相手を作ろう、と思って(ひろ)って来たため、そのことに対価はいらない。

のだが、それでは教えられるが納得しない。

ということで、ヴェラの提案で、どうしてもいまの環境では調達できない生活用品の入手に付き合ってもらうことになった。

 

メラ(とヴェラと私)の常識の教育にも。

 

行く行くは、街にメラを連れて行って、人の世で生きる(すべ)を身につけさせたいところだ。

 

 

 

街へ行くなら、距離の関係上、最低でも一泊することになる。

その間、家を開けることが心配だ。

 

そのことを、ヴェラに相談すると、

 

「あ~、あくまさんが、よそのおんなに、ねとられる~~~。のうが……ふるえる」

 

と、棒読みで言ったあとに。

 

喜々として街で買ってきてほしいものを、もらった紙に書き付け始めたので、たぶん大丈夫なのだろう。

 

 

 

「では、行ってくる」

 

 

「行ってらっしゃいっす~!」

 

「おねぇちゃん、気を付けてねー!」

 

「フスッ」

 

 

家にいる者に総出(そうで)で見送られて、山を下り始めた。

 

 

 

街までは、ベアトリクスの脚で走って半日。

魔剣士協会の中堅レベルの脚で走って、三週間以上かかる距離だそうだ。

 

 

我々は半日のペースで()く。

 

私が初めて踏み入る場所もあるようだが、ここら一帯(いったい)のことを知り尽くしているベアトリクス曰く、私なら大丈夫とのこと。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

(――思えば、今世に生まれてからこれほど多くのひとが、一所にいるのを見るのは初めてだ)

 

街のそばに着いたところで歩きに切り替え、(なら)された道を辿(たど)ってきた。

 

石の外壁に空いた出入り口へ続く列に、並びながら感嘆(かんたん)の息をこぼした。

 

 

(――人間、ちゃんと、生きているのだな……)

 

当たり前なのに、妙に感心させられてしまった。

 

 

(――あれが話に聞いていた獣人か。あれがエルフ……本当にベアトリクス以外にも耳が長い人間がいるのだな)

 

 

あちこち見回す私を、隣でくすりと笑う気配は気にしない。

 

 

あっという間に、出入り口の門まで列が進む。

 

門では、槍を手にした男が数名立っており、全員が同じ装いに身を包んでいた。

門番だ。

 

 

「通行料は鉄貨で3枚」

 

と、門に到着する寸前(すんぜん)でベアトリクスに耳打ちされた。

 

門では別れて、別々の門番に通行の手続きを行ってもらう。

 

 

「次、通行料は300ゼニーだ、払えないならガキだろうと通さん」

 

 

私は言われた通りに背負い袋から取り出した財布から、鉄でできた硬貨を三枚取り出し、門番の男に渡した。

 

男は引ったくるように受け取り、手にした硬貨を()めつ(すが)めつする。

 

 

「偽物ではないようだな」

 

 

それでやり取りは終わりになり、無事に街に入ることができる、と思ったのだが、

 

「いい剣、持ってんな。どこから()ってきたんだ? ガキ?」

 

と、やぶ(にら)みをし始めた。

 

 

面倒なことになるのを、私が予感していると、

 

「その子の剣はその子のものだ。私が保証する」

 

隣の門番とのやり取りを終えたベアトリクスが、腕を突き出した。

 

 

私と門番との間に伸ばされたベアトリクスの手には、金属でできた(カード)(つま)ままれている。

 

 

「こっ、これは失礼しました! どうぞ、お通り下さい!」

 

「うん。行こう、クレア」

 

「……?」

 

 

札に軽く目を通した途端に、門番は態度を改めて、震えながら道を(ゆず)った。

 

 

「なにを見せた?」

 

「これ」

 

 

私が()うと、ベアトリクスはさっき門番に見せた(カード)を示す。

 

いや、それは、わかっているのだが……。

 

 

「なんと書いてある?」

 

「あっ、そっか……文字も帰ったら教えてあげよう」

 

 

入ったばかりの広場の(にと)()みを抜け、ベアトリクスは立ち止まり、街の西側へ目を向けた。

 

 

「これは、魔剣士協会の登録証。……あんまり依頼を受けることはないんだけど、旅するなら何かと便利なんだ。

さっきの門番にやったみたいに、身分証にもなる」

 

 

そして、うん、と(うなず)く。

 

 

(きみ)も登録していたほうが便利かも」

 

「できるのか? 公的な(せき)などはないが……」

 

「そういう人がたくさんいる場所だから、大丈夫。そうだね、先にそっちに行こうか」

 

 

仮にも身分を(あか)せるものが手に入るのなら、それはありがたいことだ。

 

ベアトリクスが西へ向けて歩き出しかけて、すぐに止まり、

 

「迷子になるといけない」

 

と、差し出された手に、私も手を差し出した。

 

……迷子になることを心配はしているわけじゃないが。

子どもだけで歩いていると、面倒事に巻き込まれやすいと判断しただけである。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

魔剣士協会の建物は、古びた石の丈夫そうな建物だった。

 

三本の剣の絵の看板が掛かっているが、その下に書いてある文字は読めない。

 

 

開けっぱなしの扉を通ると視線が集中する。

 

戦いを生業(なりわい)にしている者の(さが)だろう。

会う者の力や(よそお)いを反射的に確認してしまうのは。

 

 

「おいおいおい、細い女とクソガキが何の用だぁ? ここは天下の魔剣士ギルドだぞぉ?」

 

視線の中でも特に荒っぽいやつを向けていた男が、前屈みの姿勢でベアトリクスに突っかかる。

 

 

「この子の登録に来た」

 

かなり威圧的な態度で睨む男のことを気にもせず、ベアトリクスは正直に(おう)じる。

 

 

(やなぎ)に風、か」

 

 

まさか嫌そうな顔をされもしないと思わなかったのか、男は少し面食らい、ゴキッと首を鳴らしてこちらへ顔を近付けた。

 

 

「登録だぁ? こんなガキを登録してどうするってんだ? 肉壁にもなんねぇぞ? (おとり)か?」

 

「いや、この子は私より強いから、囮になるなら……どうだろう? 状況次第かな」

 

「はぁ? 何言ってんだ、あんた?」

 

 

ベアトリクスの発言に、男はまた意表を突かれて、バカを見るような目をベアトリクスへ送った。

 

ベアトリクスに気にした様子はない。

 

 

数秒の沈黙があって、首傾げるたびにゴキッ、ゴキッ、と鳴る男の頭が後ろから(たた)かれた。

 

 

「イデッ?!」

 

「何やってんだ! 見るヤツ見るヤツに(から)んでんじゃねぇよ、ボケ!」

 

「カラんでねぇよ! 魔剣士ナメてんじゃねぇって教えてやってただけだ!」

 

「それを絡むっていうんだよ、アホ」

 

「イデッ!」

 

 

男の頭を叩いたのは、二十半ばくらいの女。

腰に剣と手斧を下げた、おそらく女の魔剣士なのだろう。

太く鍛えられた二の腕が、革の服の上からでもわかる。

 

 

魔剣士の女はシッ、シッ、と突っかかっていた男を、隅のテーブル――たぶん、待ち合わせのためのもの――へ追い払う。

 

 

我々に向いて、口を開いた。

 

 

「すまないね。あいつも、悪いやつじゃあねぇんだ。最近、調子くずしてるだけでさ」

 

「そう。じゃあ私たちは登録に――」

 

「あれは、そう、始まりは(むご)い殺され方の死体が裏町で見つかったことだった」

 

「――長くなる?」

 

「心臓をくり抜かれた死体でさ。殺されてたのは立ちんぼの娼婦(しょうふ)だったんだけど。その子があいつのお気に入りで」

 

 

魔剣士の女はこちらが訊ねてもいないのに、何事か語り出した。

 

要約(ようやく)すると。

ここ一ヶ月くらい、この街で。

心臓をくり抜かれた惨殺(ざんさつ)死体が、相次(あいつ)いで発見されているという事件。

 

最初に見つかったのは、裏町で拠点を持たずに娼婦をしていた女。

それから次に、事件の調査に乗り出したこの街の衛兵(えいへい)の死体が、同じ状態で発見され。

これはただ事ではない、といち早く解決するために街長から協会に出された依頼を受けた魔剣士の死体が、また同じ状態で発見された。

 

そのあとは、数日おきに、娼婦だったり魔剣士だったりの惨殺死体が発見されているのだという。

 

 

女はただ語りたかっただけなのだろう。

 

話を終えると、すっきりした表情で魔剣士協会の建物から出ていった。

 

 

話の途中から、さっき突っかかってきた男が着いているのと、同じテーブルの椅子に腰掛けていたベアトリクスはあくびして一言。

 

「長かった」

 

と、だけ言った。

 

 

 

 

「申し訳ない。まさか、年齢に制限があったとは」

 

「身分証明はできるのだから、十分ありがたい」

 

 

少し気落ちした様子のベアトリクスと、魔剣士協会の建物を出る。

 

 

魔剣士協会の登録条件の一つ、15歳以上というものに引っかかり私は登録できなかったのだ。

 

実績と実力があれば、例外措置が認められ早くから登録可能らしいのだが、それも11歳以上という条件が付く。

 

私の年齢は、前世を入れなければ5歳。

言われてみれば、なるほど、戦いを生業にする職に()けるわけがない。

 

 

ただ、後見人や保証人がいるのなら、その弟子というか小間使いのようなものとして、仮登録なるものができるという話だったので。

ベアトリクスはそれに了承(りょうしょう)

 

魔剣士見習いクレアとして、仮登録証が発行され。

身分を証明する(すべ)を手に入れる、という目的は達成した。

 

 

依頼を受けることはできないが、素材の売買などはできるらしいから、十二分とも言える。

 

ちなみに、仮登録のときにベアトリクスが世に名の知れた『武神』であることに受付が気が付いて大層(たいそう)な騒ぎになった。

本当に、有名なのだな、と私は感心させられた。

 

 

「それで、買いものとは、何を買うんだ?」

 

「それなのだが」

 

 

訊ねられて、出発前、ヴェラに渡された紙を取り出す。

 

他ならぬベアトリクスから譲り受けた上質な紙に、買って来てほしいもの(おそらく)が書き(つづ)られていた。

 

 

「読めるか……?」

 

「あぁ、なるほど、貸してほしい」

 

 

ベアトリクスに渡すと、紙の上から下まで目を通し、ん? と首を傾げた。

 

 

「本当にこれを全部、買うのか?」

 

何が書かれていたというのか?

 

 

「内容を教えてもらえるか?」

 

「まず、ダイヤモンドの――」

 

「やっぱりいい。生活に必要そうなものだけを挙げ(ピックアップし)てもらえるだろうか?」

 

「わかった。じゃあ……」

 

 

それから、ベアトリクスが読み上げたものから、確かにいまの生活環境に必要と思われるものだけを残していく。

 

 

「先に宿を取っておこう」

 

という助言に賛成し、宿の部屋を確保してから市場(いちば)へ買いものに繰り出した。

 



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16.事件のにおい


柱合会議で伊黒さんが炭治郎にやったやつ↓


 

太陽が沈み、すっかり暗くなった街。

 

市場から宿屋へ、近いからと北の区画を経由して戻る。

 

 

その途中、

 

「…………っと、ごめんなさい」

 

通りすがりにぶつかる外套の影があった。

 

 

私は、その外套の者が会釈(えしゃく)して立ち去るのに、足をかけて

 

「――っえっ」

 

その背中にひじを当て、そのまま押し倒した。

 

 

――ドスッ!

 

 

「ぐぇっ」

 

 

(したた)かに打ちつけられ、ひじで押さえつけられた外套の者が(うめ)く。

 

その隙に肩を(はず)して、さらに圧力を強くする。

 

 

「な、に、をす」

 

「財布」

 

「盗ってな、い」

 

「嘘を吐くなら身ぐるみを(あらた)めて殺す。自供(じきょう)するなら身ぐるみを検めるだけで許す。

――好きなほうを選べ」

 

「やれるもん、な、ら――あ゛っ゛」

 

「殺してから身ぐるみを検めたほうがよさそうか?」

 

「ぅぐぅっ!」

 

 

体躯(たいく)の大きさはあちらのほうが上だ。

そんな状態で、殺さずに取り押さえ続けるというのは、正直に言えば難しい。

 

だから、早く背負い袋からすり盗った財布を返してほしい。

力加減を誤ってしまいそうだ。

 

 

「クレア、もう、それくらいでいいだろう?」

 

 

成り行きを静観していた女――ベアトリクスが外套の者の懐に手を突っ込んで、巾着(きんちゃく)袋――私の財布を取り出して、ひょいっと放る。

 

 

「――っぅ! 覚えてろ!」

 

 

私が放られた財布を受け取るために片手を放した(すき)に。

押さえつけていた外套の者は、くにゅんとやたらと(やわ)らかく身体をくねらせて拘束を逃れた。

 

脱兎のごとく迷いなく北へ逃げていく。

 

 

「いまの()、濃い血のにおいがした……」

 

 

私も、財布をすり盗られたくらいで、過剰(かじょう)に報復をやったりはしない。

 

取り押さえてから、すぐに殺すという選択肢が浮かんだのは、あの外套の内側からとても濃い血のにおいがしたからだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ああはならない。

 

 

「血のにおいくらいさせるさ。誰もが(ゆた)かな暮らしを送れないのだから」

 

 

ベアトリクスもその血のにおいを()ぎ取った上で、見逃すことを決めたらしい。

 

(せつ)なそうに、もう人影がない北の路地を見ていた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

宿に泊まって、翌日。

 

予定通りならば、今日中に街を出発する。

 

残りの買いものを済ませるため、魔剣士用の比較的丈夫な服を扱う、服屋に(おもむ)こうと宿を出たのだが。

 

おすすめの服屋を聞くために訪れた魔剣士協会は、不穏(ふおん)な空気に包まれていた。

 

 

「何があったんだ?」

 

ベアトリクスが受付に訊ねたところ、昨日、女の魔剣士に聞いた話の続きだった。

 

また、心臓をくり抜かれた死体が見つかったのだという。

それも、魔剣士協会に所属していた中堅どころの魔剣士が3人。

同じ現場で見つかったのだとか。

 

 

協会員が3人も死んだこと、その3人が中堅どころの慎重で確かな実力の者だったこと、同じ現場で発見されたこと。

これら三つの事柄から、犯人の戦闘能力はこれまでに想定していたものより、大幅に上回るものである。

 

そう結論が出されて、危機感や不安から不穏な空気になっているらしい。

 

 

さもありなん。

これまで見つかった惨殺死体は、娼婦と魔剣士ばかりというのだから、不安がるのは仕方ない。

 

 

服屋の場所を聞いて、建物を出たあとも、二人して沈黙していた。

 

 

 

「昨日の外套、事件に関係あると思うか?」

 

やはり、気になるのはそこか。

 

私は首を縦にも横にも振らなかった。

 

 

「わからない。手がかりというには曖昧(あいまい)すぎる。しかし、心当たりではある」

 

「遅くなると、今日中に街を発てなくなるぞ」

 

「一日遅れるくらいは、想定している。問題は、ない」

 

「そうか。――この事件、なんだか気になるんだ。少し、寄り道させてほしい」

 

「わかった」

 

 

かさばる服の購入を明日に回し、引き払った(チェックアウトした)宿の部屋を、改めて取り直して。

我々は街の北区画、裏町がある地区へ向かった。

 

 

 

 

「あの(むすめ)の血のにおい……濃厚ではあったが独特ということはなかった。しらみつぶしになる……」

 

「いくら裏町でも、毎日、そう何人も人死(ひとじ)にが出るわけじゃない。

しらみつぶしでも十分に探し出せるはず。

新しい血のにおいから辿(たど)っていこう」

 

 

殺されたのは娼婦と魔剣士のみということで、裏町でも一番大きい娼館の従業員に話を聞いてから、捜索を始めることにした。

 

 

運よく捕まえられた掃除係の男から聞いたところでは。

 

惨殺死体で発見されたこの娼館の娼婦は全員、娼館の外に部屋を借りる余裕がある、人気のある高級娼婦。

他に殺された娼婦たちは、余所の娼館の娼婦かどこの娼館にも所属していない野良の娼婦。

ということで、たぶん、娼館からの帰り道を狙ったのではないか。

わざわざ、外に出るまで待って襲っている様子から、内部犯の可能性も小さいのではないか。

 

とのこと。

 

 

思ったよりもしっかりした証言が取れた。

 

おかげで、事件の犯人の足取りが追いやすくなった。

 

 

 

「少なくとも、娼館の出入りを監視する必要があるわけだ」

 

「今朝、見つかったのは、魔剣士の死体だったが?」

 

「直近で被害に遭った娼婦の身元を調べよう」

 

 

予定変更。

西区画の魔剣士協会へ再訪し、情報提供を要請する。

 

『武神』の二つ名、ベアトリクス自身が最高位ランクの魔剣士であることで、協会はむしろ積極的に事件の情報を提供してくれた。

 

最後に娼婦の死体が見つかったのは三日前。

北区画の西寄りにある娼館の娼婦だった。

 

この手がかりをもとに実際にその娼館へ足を運んだ。

 

そこにあるいくつか新しい血のにおい。

 

 

「だが、娼館の監視は、殺すまえのはずだが」

 

「いや、話によれば、死体はどれも心臓を抜かれていた。犯人は大量の血を浴びたはずだ。

そんな血のにおいが、そう簡単に落とせるとは思えない」

 

「なるほど。と、なれば、真新しすぎる血のにおいは外れ、か?」

 

「かもしれないけど、無視はできない。犯人のものかもしれないから」

 

 

――だからやはり、しらみつぶしになる。

 

 

血のにおいを辿(たど)って、今度こそ本格的に捜索(そうさく)を開始した。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「ここか」

 

 

(くだん)の娼館を中心にして、新しいほうから血のにおいを辿り、夕方ごろに着いたのはごみ溜め。

 

北区画の隅。

鼻が曲がりそうな悪臭だった。

 

 

「わかりにくいけど、ここの血のにおいが一番濃い」

 

 

ここに足を運ぶまでわからなかった。

悪臭に紛れた、むせ返るような血のにおい。

 

 

「行こう」

 

「あぁ」

 

 

何も言わなくても、目的の場所はわかった。

 

ごみ溜めの奥、街の厚い外壁に空いた穴。

 

そこから漂う血のにおいが、一際濃かった。

 

 

 

大人が屈めばギリギリ入れるだろうか。

驚いたことに、(せま)い入り口の奥に少し空間があるようだ。

 

 

剣を抜き、ベアトリクスが慎重に踏み入る。

 

私もあとに続く。

 

 

そして、穴の真ん中にあった血にまみれたボロ布の前で二人、立ち止まり。

 

――背後から飛んできた二本の槍を斬り払った。

 

――次の瞬間、カチリと音が鳴り、頭上を無数の剣や槍で埋め尽くされた。

 



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17.鬼の才能


残酷な描写MAX

苦手な方はご注意ください。

本当に


 

「やった」

 

 

罠の天井を落とした影響で、穴の中の空気が押し出される。

 

その空気で生まれたり風を浴びながら、少女は笑った。

 

思いきり槍を投げてまだ(しび)れる腕をぐっと握り、喜びを表現する。

 

 

暗く光がない瞳。

黒い髪、猫の耳。

 

 

「やった。――やった、やった、やった」

 

 

裏町の端、ごみ溜め。

少女が真の意味で人生を始めた、あるいは、やめた場所で。

 

また二人、獲物(えもの)仕留(しと)めたことに、少女は笑った。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

少女は孤独だった。

 

 

親の顔は知らないし。

 

自己を俯瞰(ふかん)できる歳になるころには、もう浮浪(ふろう)の身だった。

 

同年代の子どもとは、エサを取り合う関係で、同類とは思えこそ、仲間とは思えない。

 

 

毎日が、街という野生の中で、食うか食われるかの生存競争。

 

少女は、ひとらしい暮らしを知らなかった。

 

 

 

 

少女自身は数えていないが、10歳の初夏、転機が訪れた。

 

少女の背中にできた黒いこぶ。

 

昨今(さっこん)、悪魔憑きとして忌まれるこれが、少女に光明(こうみょう)をもたらした。

 

 

 

「はっはっはっ! こりゃーいい! 『悪魔(あくま)()きの肉を食べたら強くなれる』、まさかこの話が本当だったなんてなぁー!」

 

 

(――なにが、たのしいんだ……?)

 

 

10歳のある日、とりわけ身体が怠かった日。

 

背中にこぶを作ってから、少女の体調は悪くなる一方だった。

その日は前日の雨を引きずって湿度が高く、住み処にしているごみ溜めのにおいが最悪だったのもあるかもしれない。

 

クラクラする頭で、それでもその日の(かて)を得るためにごみを(あさ)っていた。

 

 

そんなとき、突然、若い魔剣士の集団に捕まる。

 

(――しまった、油断した)

 

普段ならこんなヘマはしなかった。

 

朝から妙に怠いのと、こんなごみ溜めの奥にわざわざ来るやつなんて、少女と同じ浮浪者くらいしかいない。

ごみを漁らなきゃ生きていけない程度の浮浪者なら、どうとでもなる。

 

そう思っていたから周囲の警戒を(おこた)った。

 

 

少女が心の中でどれだけ言い訳を重ねても、起こったことは変わらない。

 

取り返す機会なんてない。

 

生きるか死ぬかの生存競争の中では、失敗が()()()死につながる。

 

 

少女の命運は、魔剣士らに捕まった時点で、()きる――はずだった。

 

 

 

「ぅぁあああはぁははははは!! あーっはっはっはっはっは!!」

 

 

魔剣士の集団の中で(しいた)げられていたらしい、青年魔剣士が覚醒しなければ。

 

 

(――なにが、おもしろいんだ……?)

 

 

自らの死を一度、(さと)り、それがあっさり覆されるという経験を経て。

 

絶望的な状況をひっくり返す力を見て。

 

少女は初めて、他者に興味を持った。

 

希望を見つけた気がした。

 

 

すごい、と素直に思う心があった。

 

つよい、と(あこが)れる心があった。

 

かっこいい、と()れ惚れする心があった。

 

――うらやましい、と欲しがる心があった。

 

 

 

(――ワタシも)

 

 

未だ、哄笑(こうしょう)を上げる魔剣士の青年は、自分の背中のこぶを食べて力を手に入れた。

 

そうして、絶望を切り(ひら)いた。

 

ならば、自分は何を食べればいいのだろうか?

 

こぶ? 背中?

血? 肉?

他人? 自分?

 

どれを食べれば、自分はあのように力を手に入れて、強くなれるのだろう?

 

 

(――すごく、つよく、かっこよく、なれるかなぁ)

 

 

全部、試せばいい。

 

シンプルで確実な解答に従い、少女の小さな手は、魔剣士の一人が落とした剣を握った。

 

何かの拍子に(ゆる)んだのか、縛っていた縄はほどけていた。

 

 

(――まずは、あの背中から)

 

 

それは少女渾身(こんしん)の一振り。

 

少女自身も意識しないまま、悪魔憑きの膨大な魔力を込めて剣は振り抜かれた。

 

――ザシュッ!!

 

 

「あ゛あ゛ん?! なんだぁ――ぁ?!」

 

(――あ、行きすぎた)

 

 

剣は背中を突き破って、心臓を貫き通して、胸から切っ先が生えていた。

 

 

(――まぁいいや、刺さったやつ全部、食べよう)

 

 

剣に刺さった肉をできるだけ地面に落っことさないように、中身を()()()()()()()剣をひねりながら抜き。

その剣にくし刺しになった心臓にかぶりついた。

 

 

「ぁああああ゛!! がえ゛ぜ、俺のじん゛ぞう゛!!」

 

 

魔剣士の青年の声は聞こえていなかった。

 

 

(――おいしい)

 

 

少女は、初めて食べるひとの肉の味に、感動に打ち(ふる)えていたのだから。

 

 

 

 

そして、化けものは誕生した。

 

 

人の肉の味を覚えた少女は、人を狩ることを覚えた。

 

 

どうやれば狩れるか、どうやれば効率がいいか。

どう解体するのがいいか、どう保存するのがいいか。

どこを食えば美味いか、どこを食えばより力を得られるか。

どの獲物が美味いか。

 

 

どこを食えば美味いか、どこを食えばより力を得られるかは、初めて食べた魔剣士たちでだいたいわかった。

――心臓が特に美味いし、特に力がみなぎる。

 

狩りのやり方は、いなくなっても誰も気にしない自分の同類を狩って覚えた。

――ものをすり盗ってゆっくり逃げてやったら、だいたい追いかけてくる。そうしたら、人気のないところに誘い込んで狩る。

一月(ひとつき)そんなことを繰り返して、狩りのことが露見(ろけん)してからは、開き直って確かな身分がある者も(ねら)った。

 

どう解体するか、どう保存するかは、これらの過程で覚えた。

――心臓をくり抜くなら脇腹から刃を入れるのがいい。保存は利かないから狩りやすそうな獲物を()(みつくろ)っておくのがいい。

 

どの獲物が美味しいかは、いろいろ食べて比べて調べるつもりだったけど。

その段階になると、こいつは美味そうだ、こいつは不味そうだ、と()ぎ分ける嗅覚(きゅうかく)が発達していた。

――一番は魔力が多い美人の女、二番は魔剣士の女、三番は男の魔剣士。美味いほど、たくさん力がみなぎる。

 

 

気が付けば、悪魔憑きになりずっと続いていた怠さは消えていた。

 

背中は相変わらず真っ黒けだけども、こぶはしぼみ、痣のようなものになっていた。

 

 

それだけではない。

 

人を狩るようになってから、少女の生活は充実した。

 

 

人の血肉にはひとに必要な栄養がすべて備わっている。

ガリガリの身体には肉が付き、体力も筋力も付いた。

 

英雄の血が濃く(あらわ)れた者の肉を食らい続けたことで、少女の魔力もどんどん成長していった。

 

覚醒した青年が持っていたものをはるかに超える、力を収める器としての才能を、少女は持ち合わせていた。

 

 

体力があり、筋力があり、魔力もある。

怠さがなくなり、頭も()えている。

 

できることは増え、活動範囲は広がった。

 

それ以前の生活とは、雲泥(うんでい)の差。

 

食うか食われるかの野生は、食えることが当たり前の生活になった。

 

 

(――あぁ、これが人間なんだ)

 

 

食えることは、当たり前。

 

なにを食うか、どう食うか、どれだけ食うか、数ある選択肢の中から選んで、食卓につく。

 

単に食うだけでなく、余裕を持って食うことを楽しめる。

 

 

(――これがひとらしい暮らし(ぶんめい)なんだ)

 

 

少女は、(どうぞく)食いという、ひととして最大の禁忌を犯して、ひとらしい暮らし(ぶんめい)を手に入れた。

 

ごみ溜めで魔剣士らに捕まったあの日、少女は人生をやめて、同時に、人生を始めたのだ。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「やった」

 

 

ときは戻る。

 

 

ごみ溜めで。

黒猫の少女はとびきりの獲物を二人、仕留めた喜びに拳を握る。

 

拳の手の甲には、背中からずいぶんと広がった黒い痣のようなもの。

 

これが何なのかはわからないが、これが広がるほど力が増す。

そのため、力の証のようなものと少女は(とら)えている。

 

 

「やっ――t ?」

 

 

視点が低くなった。

 

なぜ、と傾げた首がころんとそのまま転がった。

 

()ばそうとした手はもう、胴体とつながっていなかった。

 

 

「おそろしいほどの異臭。なぜ気付かなかったのか……。

異質な魔力、おかしな血の動き。もしや、これは……血鬼術(けっきじゅつ)、か?」

 

 

転がっていく頭の耳が聞いた声は。

 

昨夜聞いた、さっき仕留めたはずの幼い獲物の声だった。

 



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18.鬼

 

ころころと、純黒の髪の頭が転がった。

 

夕日のもとで、真っ暗な瞳が空を見上げるが、それは何も映さない。

 

 

十五に()かれた少女の身体は、間を置いて、思い出したように血を吹き出す。

 

 

「太陽に……()きつくされる様子はない、か……」

 

 

(――では、鬼ではないのか……?)

 

 

「まだ子どもだったな。やったことは許されないけど、何があったんだろうな」

 

 

外壁の穴を脱出してから、共に隠れて娘の様子を(うかが)っていたベアトリクスも出てくる。

 

 

私は、黒猫の娘が我々を殺そうとしたのだということを態度から確信した時点で、殺すことを決めたが。

 

ベアトリクスならばどうしただろうか?

 

 

いや、それよりも。

 

 

「この娘のおぞましげな異臭、斬るまではわからなかった……。加えて、この異質な魔力と血の流れ……心当たりは?」

 

「わからない。ただ、魔力の感じは吸血鬼に似てる気がする。――いや、やっぱり気のせいかも」

 

「どっちだ……?」

 

 

ベアトリクスは、黒猫娘の異質な魔力に何か心当たりがありそうだったが。

どうにも正体を(つか)(そこ)ねているようで、答えがはっきりしない。

 

 

(――血鬼術とは別のものと見ていいのか……?)

 

 

「『魔力には無限の可能性が宿っている』……って、ラワガスで会った研究者が言っていた」

 

「ふむ?」

 

 

しばらく考えて、ベアトリクスはそんなことを口にした。

 

「太古の魔女は、魔力を使っていろいろなことができたらしい。

魔女は魔獣のようなものだったとも言われているけど。

その研究者は、太古の魔女は私たちとあまり変わらない生きものだったんじゃないか、って主張してた。

――私たちも、どうにかすれば魔女が使った魔術を使えるようになるかもしれない、って」

 

「なるほど」

 

 

森の化生(けしょう)を観察すれば、魔力を発端(ほったん)にしていろいろな現象を起こしているのがわかる。

 

だから、魔力には無限の可能性が宿っていると仮定。

ならば、その魔力を保持する人間も、方法次第ではもっと様々な現象を引き起こすことができる、と。

 

 

「この娘も魔女の魔術を発動していた、と?」

 

「そこまではわからない。話を聞いただけで、詳しくは知らないんだ。

私では、魔術かどうかも判断できない」

 

 

「ではたとえば、不死身になる魔術、のようなものに心当たりはあるか……?」

 

「不死身……魔獣の生命力は(のき)()み高いけど、やっぱり吸血鬼かな。魔術じゃなくて特性だけど。

――やつらは高位になると、心臓を潰さなきゃ死ななくなる」

 

 

「そうか……。節々(ふしぶし)で斬りわけるだけでは、足りなかったか……」

 

 

私のその言葉を待っていたわけではないだろうが。

地面に広がる血が波を打ち、転がる頭の瞳がぎょろりと動いた。

 

 

「……っ! なるほど、本当に吸血鬼みたいだ」

 

ベアトリクスも気が付き、剣を鞘から抜く勢いに任せ、転がる胸部を真一文字に一閃(いっせん)する。

 

 

果たして、神速の一閃は剣筋(けんすじ)通りに通った。

 

黒猫娘の胸の真ん中を上下に別けたが、

 

「――なっ」

 

「いよいよ、(あやかし)じみて来たな……」

 

 

とろり、と肉が溶け、血溜まりと融合する。

 

剣閃(けんせん)などなかったみたく、(きず)も体もない状態となった。

 

 

溶けた血溜まりがまた波を打ち、血の赤から暗い黒に色を変える。

 

その光を失った瞳に似た黒が、こちらをじっくり観察しているように思える。

 

 

「あはははっ! なんで生きてんのワタシ?!」

 

黒い水たまりを作る黒液(くろえき)が形を変え、無数の剣や槍に形を変える。

 

「なんで動くの、手も足も! どんな状態なの?! これ?!」

 

黒液から生み出された槍剣(そうけん)が伸び上がり、全周から私たちを襲う。

 

(――速度はそこそこ、問題ない)

 

型を使わずに、それらを斬り払う。

 

斬り払う際に、届く範囲で細切れにしてみるも、

 

「あはははっ! なにこれ! なにこれ! なにこれ! すごい! つよい!

ワタシ! かっこよくない?!」

 

形を変えて液体状になり、斬ったこと自体がなかったことになる。

 

再生と表現してもいいものか。

黒猫娘の声に(こた)えた様子はないが。

 

 

ベアトリクスも、同じようなことを(ため)して、無駄そうだとため息をこぼしている。

 

 

「あはははっ! 効かない、効かない、効かないっ! ねぇー美人さんたち、早く諦めてワタシに食べられちゃいなよ!」

 

 

「切りがない……」

 

「どうだろうな。吸血鬼なら、魔力が少なくなれば再生力は落ちるが」

 

「ならば、斬りつづけるか……?」

 

武神(ぶしん)としては、街の中に現れた脅威(きょうい)を無視できない」

 

 

ベアトリクスは撤退するつもりはないらしい。

 

私も、この黒猫娘の状態が如何(いか)にして成立しているのか、興味がある。

 

 

そういう意味では、願ったり叶ったりか。

 

 

「あはははっ! あはははっ! さぁ、もっと! もっとつよく!――死ねぇ!」

 

 

「いろいろと試せばよいか……ホオオオ」

 

「その構えはっ!!」

 

 

月の呼吸 参ノ型 厭忌月(えんきづき)(つが)

 

 

「あははa――?!!」

 

黒猫娘の笑い声が途切れる。

 

 

「ぁa Aaaaぁ?! いたぁ?! なんで?! いたいなんで?! なんでなんでなんで?!」

 

 

「これが、クレアが言っていた、呼吸術と血液操作による型という技か。すさまじいな。――ん?」

 

「…………ん?」

 

 

どうせ無駄だろう。

 

いくら同時に斬る数を増やしたところで、大きさを変えたところで、変わらないだろう。

 

それでも、ものは試しにと放った月の呼吸が――効いている?

 

 

「くそ! ころす! ころすころすころすころすころすころすころす!!」

 

 

また、広がる黒液が槍剣を大量に作って、突撃して来る。

 

 

私は刀を構える。

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 (ろく)ノ型 常夜弧月(とこよこげつ)無間(むけん)

 

 

広範囲を蹂躙(じゅうりん)する、細やかな斬撃の()れが、黒い水たまりを駆逐(くちく)する。

 

 

そうすると、

 

「ぁっ、ぁaaAAAああああ!!」

 

やはり、苦悶(くもん)の悲鳴が上がった。

 

 

どこから、声を出しているのかわからない。

しかし、痛苦(ダメージ)を与えているのは間違いなさそうか?

 

このガラスが割れるような悲鳴が、演技だとしたら大したものだ。

 

 

「む、どういうことだ……?」

 

「もしかしたら――クレア、この技は血を使うと言ってたけど、本当か?」

 

「あぁ。無駄をなくすと色が抜けて、わかりづらいが……血を、斬撃にしたものだ」

 

「じゃあ、もしかしたら、クレアの攻撃があの子の攻撃と同じ性質だから、ダメージを与えられているのかもしれない。

この黒い水も、もともとはあの子の血だろ?」

 

「そんなに単純なものか?」

 

「他に考えつかない」

 

「……攻撃できるなら、よいか。――ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 ()ノ型 落天(らくてん)崩月(ほうづき)

 

 

「あa Aaあぁあああ!!」

 

 

 

 

ベアトリクスの仮説が当たっていたのか、別の要因か。

 

呼吸の型で斬り続けた結果。

 

こちらを害そうと、度々(たびたび)、攻撃が激しくなるが、総合的には少しずつ攻撃の勢いは弱まっていた。

 

大きく広がっていた黒い水たまりの範囲(はんい)は明らかに(せば)まり、黒液の総量も減っているように感じる。

――圧縮しているのではないのなら、減っているのだろう。

 

 

黒猫娘の声も、悲鳴から怒声、怒声から呪詛(じゅそ)、呪詛から咆哮(ほうこう)推移(すいい)した。

 

それでも、型を使って斬っていると、咆哮は慟哭(どうこく)へ変わり、慟哭から悲鳴に一周回って戻って来る。

 

 

そして、ついに。

 

 

「ホオオオ……」

 

「ゃぁああごべん゛な゛ざい゛!! ワタシ、わる、がっだがら゛、ごべん゛な゛ざい゛!! ゆるじで!!」

 

 

許しを請うようになった。

 

 

月の呼吸――

 

「ストップだ、クレア。もういい、もうやめよう」

 

 

(とど)めを()そうとした私と、すっかり小さくなった黒い水たまりの間に、耳長の女が立つ。

 

身を(てい)してでも守る構えだ。

 

 

「はっ偽善者め、死ね!!」

 

ベアトリクスの後ろから、黒い槍が高速で(せま)る。

 

 

「大丈夫。これくらいで私は死なない」

 

その攻撃を、ベアトリクスは見もせず防いだ。

 

 

「うん。君にもう私を殺せるほどの力は残っていないし、クレアじゃなくて私でもたぶん魔力ですり潰せる、気がする」

 

「あっ、あっ、ぁぅぅ」

 

 

「だから話してくれないか、君のことを」

 

「ぅえ?」

 

「ずっと気になってたんだ」

 

「?」

 

「君と初めて会ったときも。君に罠にかけられたときも。君のバラバラになった死体を見たときも。君と戦ってるときも」

 

「?!!!」

 

 

(――そういえば、そんなことを言っていた気がする。

あれはてっきり、同情から黒猫娘の事情に寄り()おうとしたのだと思っていたが……)

 

 

そういえば、かわいそう、などの憐憫(れんびん)の言葉は一言も聞いていない。

 

 

「私は君のことが気になって殺せそうもないんだ。その間、私は君のことを殺せないし、クレアの攻撃からも守る、全力で身命(しんめい)()して」

 

 

(――本当に、とても気になっていただけなのか?)

 

 

「だから、君のことを話してくれないか?」

 

 

 

――のちに、ベアトリクスは語った。

 

――興味が向くと熱中してしまってね。

――つい、やり過ぎてしまうんだ。

 

と。

 





緊張感が薄いのは過剰戦力だから

ベアトリクスだけでも時間をかければ殺せますし、逃げたり無力化するだけなら短時間で可能でした


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児童期・上
EX2.ょうじょうじょうじょうじょ


 

「ご主人さまっ! ミーコの中にご主人さまの熱~いとろとろのやつ、たっぷり出してほしいにゃ☆」

 

「…………」

 

 

街に降りられるようになり、そこで食べものや道具を買うことで、充実(じゅうじつ)した生活環境。

 

ものが増えて手狭(てぜま)になり、拡張した家。

私に当てられた部屋にて。

 

 

入り口の扉を開けた先で。

十歳くらいの黒い猫耳の少女が、「あ~ん」と開けた自分の大口(おおぐち)をゆび指して言った。

 

 

「……その服は?」

 

「奥さまに()ってもらいました~」

 

 

――異国の女中風の洋服(メイド服)を身にまとって。

 

 

 

あれから、四年。

 

街で出会った連続殺人鬼をけっきょく、(ひろ)うこととなり。

 

ベアトリクスの指導により、世の中の常識と一般知識を身に着けた黒猫の少女は敬語を使うようになった。

 

名前はミーコ。メラが付けた名前である。

 

そして、なぜか、私をご主人さま、ヴェラを奥さま、メラをお嬢さま。

いまはもういないが、ベアトリクスのことは先生と呼ぶ。

 

 

 

「ご主人さまに従順なメイドとして、これからもエサをタカり続けてやる(末永くお仕えさせていただきますっ)

 

 

なお、いくら口調が丁寧になったところで、性根(しょうね)は変わっていないことは把握済みだ。

たまに、本音と建前を言い間違える。

 

 

「だからご主人さまっ! 血液(ごはん)ちょーだいっ☆」

 

 

てってってっ、と小走りで寄って来て抱きついてくる。

 

 

()になったことで、四年前から身体的に成長していないミーコと、()()()()人として成長していた私の身長は同じくらい。

 

抱きつかれて密着されると、顔が間近(まぢか)になる。

 

 

私は首を傾けて、首筋をさらす。

その上で、指を背中側へ向けた。

 

 

「私は書きものをする。邪魔だから背中にまわれ」

 

「わーい☆ 食べ放題だ~☆」

 

 

ミーコは合理的な生きものだ。

自分の欲望に正直であり、自分の欲望を叶えるためならどんな手段もいとわない。

 

 

ベアトリクスがここを去ってからは私に取り入ろうと、こうして愛嬌(あいきょう)を振りまくことが多い。

――(ほだ)されようものなら、比喩(ひゆ)ではなく()い殺されることは目に見えているので、相手にしない。

 

 

私は部屋の書きもの台に着き、さっきまで書きかけだった羊皮紙(ようひし)に向き直る。

 

 

「何を書いてるんですか~?」

 

 

指図(さしず)した通りに、抱きついたまま私の背中側へまわったミーコが、(たず)ねてくる。

 

 

「鬼化と血鬼術について、文字の練習を()ねて、まとめていた」

 

「おぉ~。ワタシのことを(すみ)から隅まで調べてわかったことですね~」

 

「おかげで、この世界での鬼のことが詳しくわかった」

 

「マジメな返し~。でも、そういうトコ好きですよ~」

 

にゃははっ、と笑ってガブッと私の首に()みつく。

(あふ)れ出る血を、のどを鳴らして飲みはじめた。

 

これで、しばらくは静かになるだろう。

 

 

 

私は羊皮紙にすでに書き記した内容にザッと目を通して、おさらいする。

 

 

 

〇街で拾った黒猫族の獣人、ミーコについて調べてわかったこと。

……子の(こう)では、明らかに人を逸脱(いつだつ)した特性を有する変異生命体、ミーコについて調べてわかったことを箇条(かじょう)書きにする。

 

 

・1.特性:曖昧化

……ミーコは、魔力を感知できる者ならすぐにわかる異質な魔力と、おかしな血の流れ、本能的に忌避してしまうおぞましい異臭をその身に宿している。

で、あるにも関わらず、どれだけ感覚が鋭い者でも、感じ取ることができない特性を持っている。

また、血液に肉体を融合させて黒い液体に変化することや、やらせてみたら霧になることや顔から目だけを無くすことなども出来た(肉体の一部もしくは全部以外のものに対しては発動させられなかった。例えば手に持ったリンゴなど)。

ミーコ当人曰く、これらはすべて「自分のことを融かして無くす感じ」で操作すると発動させられる、とのこと。

当人が同じ感覚で発動していることから、とりあえず、これらの特性はすべて同じ法則によって実現していると仮定。

この特性を――自身の肉体に由来する形や構造、においや熱などをぼかして曖昧なものにする特性――曖昧化と名付けた。

弱点は、検証でわかったことだが、一定以上の密度の練り上げられた魔力ならば、根底(こんてい)の法則に直接干渉可能であること。これは血液操作技術全般に関して同じことが言える。

 

 

・2.特異な食性

……拾った当初は本人も自覚していなかったが、栄養の摂取に不具合が生じていた。

結論から言えば、近似種族すなわち人の血肉でしか栄養補給をおこなえなくなっていた。

人が普通に食べるものも食べることはできるが、どうやら栄養として吸収することができなくなっているらしく、拾ってから人の普通の食事を与え続けていたミーコは日に日に飢えて衰弱していった。

せっかく拾ったのに死なせてはもったいないと、何がほしいか訊ねると人の心臓と答えたので、人肉食しかできなくなっている可能性を考え再生が利く私の血肉を与えると飢えは解消された。

このことにより、ミーコは普通の人の食事から栄養を摂取することはできず、近似種族の血肉から栄養が摂取できない身体になっていると結論付けた。

現在は、後述する人化の訓練の結果、血液だけを飲んでいれば飢えは満たされるようになった。

 

 

・3.高い不死性と再生能力

……1の特性とは別に、ミーコ自身が特に意識しなくても高い不死性と再生能力が備わっていることがわかった。

試せないためどこまでできるのかはわからないが、不意打ちで頭を潰されても、心臓を潰されても、全身を潰されても死なずに放っておけば再生することが、魔境の探索中に判明している。

 

 

・4.太陽光への弱性

……太陽の光を浴びれば()き尽くされる、というほどの弱性ではないが、太陽の光を浴びれば弱体化し苦痛を覚えるくらいの弱性はあることがミーコ本人の証言でわかった。

実際に太陽の光を長時間浴びると肌がただれ、体内の肉がむき出しになるのを確認。陽光下では、短時間の活動しかできないということがわかった。

 

 

〇観察、考察、習得、検証等からわかったこと。

 

 

・1.ミーコの身体はどのようにして変質したか。

……実はこの内容については、ミーコに出会うまえから心当たりはあった。

それは、私自身が血液操作により斬撃を作り出し、月の呼吸を研鑽する中で、いつしか気が付いたこと。

すなわち、“血液操作を用いた技術――私でいえば月の呼吸――を使うために肉体を変質させ、極端に最適化”させれば、私は鬼化するのではないか、ということ。

これは、ミーコを研究したことでおおむね不安材料を解消することができたと判断した上で、実際に私が鬼化することで確定した。

ミーコに起こった変質も、彼女が“無意識に行っていたと考えられる血液の操作に最適化する形で、生来の本能や反射を上書きするほどの深度で肉体を変質させた”結果、起こったものと思われる。

 

※以後、生来の本能や反射を上書きするほどの深度で肉体が変質することを『鬼化』、『鬼化』により変質した生命体のことを『鬼』、『鬼化』するほどに濃密に洗練された血液操作技術のことを『血鬼術』と呼ぶこととする。

 

 

・2.人の消化吸収と鬼の消化吸収の比較から推測する鬼の食性の原因。

……人の消化吸収の様子と鬼の消化吸収の様子を、私自身の目で深く穿(うが)ち見て、比較してわかったことは“鬼は自力で栄養を精製できていない”ことだ。

どういうことかというと。

人は食事すると腹の中で食べたものを溶かし極めて微細な単位の栄養に分解し、吸収され、血液などによって全身に巡らせることにより、栄養の摂取を行っている。

しかし、鬼の腹の中に入った食事は溶けはすれども、栄養に分解することなく食事などなかったかのように消却されるのだ。栄養は精製されずに、当然吸収されず、全身に栄養が巡ることもなく、そのままでは飢えてしまう。

観察すれば、鬼の腹が、まったく人の食事から、栄養が取れていないというわけではない。わずかに食事に含まれる、分解せずとも初めから分解されていた栄養は、鬼の腹から吸収させ、全身に巡っていた。

つまり、“口に入るよりもまえから、微細な単位の栄養の状態に分解されていれば、鬼は栄養を摂取できる”ということである。

結果、“すでに分解された状態で、人体(鬼化するまえのベースとなった種族の体)に必要な栄養を大量に保持している人の血肉を食べることが、鬼にとってもっとも効率的な栄養摂取の方法”になってしまう。

このことが、鬼の食性の原因になっている可能性がある。

 

※ただ、明らかに飢えとは別の(じく)として、“これを食えば強くなれる。だからこれは旨い”というような判断基準があることも、ミーコ本人が語る所感(しょかん)から(うかが)える。

 

 

・3.不死性と再生能力はどのようにして実現しているのか。

……正確にはわからない。

ただ鬼の体は人の体と比較して、血液を始めとした体液の循環速度が極めて速いことは、観察することにより判明している。

それが不死性や再生能力、さらには身体能力の向上や環境適応能力の向上になんらかの形でつながっているのかもしれない。

 

※なぜなのかは不明ながら、“鬼の肉体は部位で切り離しても、ある程度は自律して生存し続けることが可能であること”、“本体からの操作が可能であること”が確認されている。

非常に危険なことであるが。

これを応用して、“鬼の血肉を、鬼になる前のベースとなった同族もしくは近似種族へ与え、体内から同調・操作することで鬼化させることが可能である”と思われる。

本当に可能なのかはわからない。

対象の肉体を乗っ取ってしまう、対象を捕食し尽くしてしまう、切り離した血肉が意思的にも自律してしまう、などの危険性があるため、まだ試していない。

 

 

・4.太陽光への弱性の、感覚的考察。

……今世鬼になって感じたこと・気が付いたこととして、鬼になると人のときと比べて“目が(あら)くなる”――肉体の細密度が低くなる――ようだった。

これは魔力という、極めて微細な単位の質料を扱っていたから、気が付けたのだろう。

肉体を構成する血肉の一粒一粒が、鬼のものは人のものに比べて大きく、構造も人より鬼のほうが大雑把にできている。

だから、鬼は、太陽の光の()けつくような目が細かい熱に、弱いのではないだろうか?

ツボを人間、カゴを鬼、太陽の光を水として。ツボで水が漏れるのを防げるが、カゴで水が漏れるのを防げないようなもの。

鬼は、肉体の目が粗くなり、目が細かい光の熱を防ぎ損ねて、それがダメージになっているのではないだろうか?

憶測でしかないが。

 

 

・5.鬼から人に戻ることは可能なのか。

……可能である。

むしろ、人に戻ることが可能であると確信したため、鬼化に踏み切った。

呼吸術の痣による人体の損傷を、二年以上もかけて修復。それにより、人体と人体の修復手段への理解を深めた結果、“鬼化し肉体が変質しても、人体を再構築すれば戻れるはず”という確信を抱いた。

そして、実際に私は鬼化し、人体を再構築し人間に戻る、ということを何度も行い成功している。

鬼化と鬼から人間に戻る(以後、人化)感覚を忘れないように、鬼化と人化の反復訓練を行っていると、思わぬ効果があった。

一体どこに記録されているのかわからないが、鬼化と人化を繰り返し行っていると“癖のようなものができて瞬時に鬼化と人化を切り替えられる”ようになったのだ。

これは嬉しい誤算だった。

 

※以後、鬼が人体(もとのベースとなった種族の体)を再構築して人にもどることを『人化』、『鬼化』と『人化』を反復経験し、癖ができて『鬼化』と『人化』を瞬時に切り替えることができるようになった者のことを『鬼人(きじん)』と呼ぶこととする。

 

 

〇備考・注意

 

 

・鬼化による精神作用

……いまのところほぼ確実に、同族や近似種族への捕食欲求が生まれるため、意図して鬼化を行う際は鬼化する者よりも圧倒的に強い者の立ち合いが必要。

一生、同族食いを続けたくないのならば、鬼化するよりままえに、自らの肉体とその修復手段について高い理解と実行できる能力が必要。

 

 

・鬼化の副作用

……鬼化をすると、自然に歳を重ねなくなる。より正確に言うのなら、はっきりとした寿命がなくなるようだ。

死ぬまでが寿命で、死んだときが寿命、といった具合。それまで、幼い姿だったり老いた姿だったり、それぞれの個性にあった姿を取るのだろうと思われる。

強いてやらなければ、鬼化したときの肉体年齢のまま、成長もしないし老化もしない、若返りもしない。

これは、『鬼化』の癖が付いた『鬼人』もおそらく同じ状態にある。

 

 

・『血魔術』と『超覚醒』

……ベアトリクスが『血鬼術』と『鬼化』という言葉はなんか使いにくいから、と言って代わりに『血魔術』と『超覚醒』という単語を提案してきた。

由来を訊ねると、『血魔術』は、血を使って伝承の魔女の魔術みたいな超常現象を起こすから。

『超覚醒』は、たまに現れるちょっと強い刺客が自分のことを、覚醒者、覚醒者と呼んでくるのに頑なに覚醒者が何なのか教えてくれない。鬱陶(うっとう)しいから、これからは自分から覚醒者を超えた『超覚醒』者を名乗ろうと思うから。

好きにすればいいと言っておいた。私は『血鬼術』と『鬼化』のほうが馴染み深いため、そちらを使おうと思う。

ちなみに、そんなことを言い出すだけあり、ベアトリクスはあっさり『鬼化』と『人化』を習得して、『鬼人』になっている。

 

 

 

「うむ。あとは、単語の一覧をつくろうとしていたのだったな」

 

「ぷはぁ! ぅえへへへ……やっぱご主人さまの血やべぇうめぇ……。

これずっと飲めるなら、鬼サイコーじゃん。人化習得とかマジカス……やる気でねぇ……」

 

 

食事を終えたミーコを適当に床に転がして、羊皮紙の最後に一項だけ書き足す。

 

 

 

〇単語一覧

 

・『鬼』……『鬼化』により変質した生命体のこと。

肉体を成立させている魔力以上に高い密度で練り上げられた魔力ならば、不死性や再生能力を阻害可能。

さらには基本的に、太陽の光や微細に震える熱に弱くなる。

食物からの栄養の精製がほとんど自力でできなくなる。

 

・『鬼化』/『超覚醒』……血液操作技術を極めた上で、生来の本能や反射を上書きするほどの深度で肉体を変質させること。

血液操作技術への極端な最適化。

 

・『血鬼術(けっきじゅつ)』/『血魔術』……『鬼化』するほどに濃密に洗練された血液操作技術のこと。

血鬼術を成立させている魔力以上に高い密度で練り上げられた魔力ならば、根底の法則に直接干渉可能。

どんな血鬼術も無敵ではない。

 

・『人化』……鬼が人体(もとのベースとなった種族の体)を再構築して人に戻ること。

 

・『鬼人(きじん)』……『鬼化』と『人化』を反復経験し、癖ができて『鬼化』と『人化』を瞬時に切り替えることができるようになった者のこと。

 





まとめ

・黒猫獣人(鬼化済み)が仲間になった。

・クレア成り代わり転生黒死牟さんが『鬼化』を習得し、自力で人間に戻る『人化』も習得して、ハイブリッドな生命体になった。

・ベアトリクスが『呼吸術』と『血鬼術』、『鬼化』と『人化』をあっさり習得して、故郷に帰った。


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EX3.そんなことが可能なのか?(1/3)


誤字報告、ありがとうございます。



 

魔剣士協会は基本的に15歳以上でないと、依頼を()けることができない。

 

実力者に対して例外を認めることがあるとしても、限度がある。

例外を認めたとしても、ある程度は信用や責任能力が必要になるため、11歳以上でないと依頼を請けられない。

 

 

それでも、現在9歳の私が魔剣士協会の依頼を請けることができるのは、ひとえに『武神』ベアトリクスのおかげである。

 

 

ベアトリクスが故郷に帰るまえに、

 

――「この子、しばらく一人で修業するから。依頼を受けさせてあげてくれないかな?」

 

と、協会と直接交渉してくれたおかげだ。

 

嘘は言っていない。

言いまわしが誤解を(まね)くだけで。

 

 

おかげで、『武神の弟子』という二つ名が付いてしまったが、低ランク~中ランクの依頼を請けることができている。

 

保証人の件といい、いろいろと世話になり過ぎている気がする。

 

いつか、この恩を返せればいいのだがな。

 

 

 

「はい。では、依頼名『クィモーノ領に深夜に現れる盗賊退治』を、ベアトリクス様名義で代理人クレア様が受諾。手続き完了しました」

 

「うむ、今夜中に済ませて来る」

 

「ご武運を」

 

 

ニコニコと笑顔で見送る受付に背を向けて、魔剣士協会の建物を()る。

 

 

このように、ベアトリクスがまだいたときも含めて、たいていの討伐依頼は(なん)なくこなして来たため、依頼手続きはスムーズに完了する。

 

いまさら、実力を疑われることはない。

 

 

ただ、『武神の弟子』という二つ名を得たことによるものか。

 

私が剣を振るうときに用いる呼吸術やその型、血液操作や血鬼術。

それらの技術が、『武神』が弟子にだけ教えた秘伝(ひでん)の技術ということに、いつの間にかなってしまっている。

 

 

これについては、何度も違うと訂正(ていせい)を試みているのだが、

 

――“はいはい、わかってますよ。『武神』が習得していることを明かすことすら禁止されているほどの、秘伝なのですね。”

 

みたいな反応をされて、取り合ってもらえない。

 

 

呼吸術は縁壱(よりいち)が、血鬼術(けっきじゅつ)はあの御方(おかた)開祖(かいそ)であることを知る身としては、とても歯痒(はがゆ)い。

 

こちらもいつか、どうにか訂正したいものだ。

 

 

 

あれこれと、考えながら街を出て、道なき道を走り、目的地へ一直線へ向かった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

依頼内容は、決まって一週間に一度の深夜に、どこからともなく現れる盗賊を退治してほしい、というもの。

 

盗賊らの本拠地(ほんきょち)を突き止め、殲滅(せんめつ)まで済ませたのならば、追加で報酬(ほうしゅう)を出すとも書いてあった。

 

 

まずは、依頼にある盗賊を探すところから始めなければならない。

そのため、深夜、事前情報で得た最近盗賊に襲われたという村の周辺を、注意深く走り回っていた。

 

 

のだが。

 

 

(――大量の、血のにおい)

 

 

(くだん)の襲われたという村――いまは廃村――から、走って一時間くらいのところで足を止めた。

 

 

耳を()ますが、騒がしいということはない。

むしろ、草木まで何かに(おび)えるように静かだ。

 

 

(――手遅れだったか……?)

 

 

ほぼすべての者が息絶えている。

そして、おそらく生きている者は片手の数で数えられるほどしかいない。

――つまり、盗賊はすでに襲撃を済ませ撤退(てったい)した。

 

 

大量の血のにおいと死臭、異様な静けさからは、そういったことが想像できた。

 

 

(――依頼は失敗か……。せめて、襲撃に()った村の様子だけでも調査して報告せねば……)

 

 

「はぁ……」

 

私は依頼の失敗を(さと)り、血のにおいがするほうへ静かに走った。

 

 

 

 

死んでいたのは盗賊だった。

 

 

統一性がない防具と剣。

 

衛生面に一切、気を(つか)っていない身なり。

 

奪うことに慣れた(ゆが)んだ顔立ち。

 

 

おそらく、盗賊のものと思わしき死体が、林に(かこ)まれた集落(しゅうらく)無造作(むぞうさ)に転がっていた。

 

死体の(きず)の切り口からは、かなり鋭い斬撃で殺されたことが(うかが)える。

 

 

私はそれに気が付いた時点で、自身ができる最大の隠密を行った。

 

ミーコが曖昧化(あいまいか)の血鬼術で行う隠密を参考に、技術に落としこんだ隠密。

 

息も熱も音も魔力も自然の流れに溶けこませれば、気が付く者はまずいない。

 

 

その状態で、この集落の中で唯一の生きた人間の気配がある場所へ向かう。

 

 

上弦(じょうげん)の月……か」

 

 

近付いて、声が聞こえたとき、内心ではビクリとした。

もちろん、表には出さないが。

 

 

上弦の月。

それは私がクレアになるまえの、前世の私に付けられていた称号だ。

 

偶然だろうが、このタイミングで口に出されたことに、わずかに動揺(どうよう)してしまった。

 

 

(――まだまだ、未熟よな……私は、いつまで経っても……縁壱(おまえ)にかなわない)

 

 

見上げれば、なるほど、その者の言うとおり、背中を()かせた月が西のほうに浮いている。

 

上弦の月だ。

 

 

「ほぅ、美しいな……」

 

独り言なのだろう、心底から感嘆(かんたん)したような声を()らした。

 

 

(――()しき者ではなさそうか……?)

 

 

そういった態度や、(おだ)やか気配にそう判断する。

 

賊を殺めたのは彼で間違いないのだろうが、それはむしろ(たたえ)えられるべきことだ。

 

(とが)めるようなことではない。

 

 

(――事の経緯を()いて、同意が得られるのなら協会に同行を願おう)

 

 

そう、声をかけようと、ごくわずかに気を抜いたところを狙ったかのように、

 

「何者だ? それで、隠れているつもりか?」

 

(――ッ!!)

 

その者が振り返りもせずに、背後へ向かって意識を向けた。

 

そう、声をかけようとして、その者の背へ一歩目を踏み出した私に向かってだ。

 

 

(――気取られている? これほど、緻密(ちみつ)に重ねた隠密を?)

 

 

私の内心の動揺に気が付いているのか、いないのか、その者はこちらへ意識を向けたまま動かない。

 

 

(――背後を取られているというのに、なんという胆力(たんりょく)……)

 

 

いくら、意識を向けているとはいえ、正面でないということは、もしも私から攻撃を仕掛けられたとき、対応するのに一刹那の遅れは避けられないだろう。

 

それがわかっていてなお、まるで微動(びどう)だにしない。

 

 

(――それほど自信があるということか)

 

 

これほどの剣士。

 

ここで隠れたまま立ち去るほど、私は()ちていない。

そうありたい、と思っている。

 

 

「……」

 

 

私は、彼の正面に回って、隠密を解いた。

 

彼は、当然とばかりに軽くうなずくだけで、私に焦点(しょうてん)を合わせた。

 

 

「なぜ……わかった?」

 

誰にも看破(かんぱ)されることはない、と思っていた私はつい(たず)ねてしまう。

 

 

殺気(さっき)がだだ漏れだ」

 

「殺気……」

 

 

殺気が漏れる、とは言っても、それは本当に身体の内から心や感情が漏れているわけではあるまい。

 

動きや立てる音、息遣いなどが荒々しかったり、なんとなく(かた)かったり、そういったものをひとは殺気と呼ぶ。

――はずだ。

 

前世で関わった、闘気を察知できるという鬼でも、一切無駄がない動きをする者の闘気が読めないという弱点があった。

 

 

「息も熱も音も魔力も、自然に()けこませたつもりだったが……」

 

 

少なくとも私はそういう認識であった。

 

まだ、隠せていないものがあったのだろうか?

 

 

今宵(こよい)の月にはあまりにも、無粋(ぶすい)にすぎた。ただ、それだけのこと……」

 

「月……」

 

 

(――影でもどこかに伸びていたのか……?)

 

 

風情(ふぜい)の中に野暮(やぼ)がある。それは、()()()だろう?」

 

 

(――いや、この言い分、まさか、本当に?)

 

 

「っ! 心を読んだ、というのか……?」

 

 

その者は、まだ十歳にも満たないだろうに。

幼さに不相応な、(あや)しい笑みを浮かべた。

 

 

殺気が漏れる、という言葉通りに。

本当に漏れている殺気(こころ)を感じられる者がいたというのか?

 

 

――“お前が存在していると、この世の(ことわり)(くる)うのだ” 

 

 

ふと、なぜだか、前世の自分の情けない声が聞こえた気がした。

 

 

それとこれとは別だろう。

 

 

「名は……なんという? 私は……クレア、という」

 

「名か……そうだな。――るろうに……るろうにミノル、と名乗っておこうか」

 

流浪人(るろうにん)ミノル……ミノル……」

 

 

流浪人ミノル。

 

(――それが、私が知らぬ術を持つ、私が知らない世界を見ている者の名か)

 

 

一手(いって)仕合(しお)うてもらえまいか」

 

「ほぅ……」

 

 

気分が乱高下(らんこうげ)しているからだろうか、自分でもよくわからない感情の歯止めが効かない。

 

この者――ミノルから感じられる、どこか(なつか)かしいにおいも、私の心を(みだ)している要因かもしれない。

 

 

敵意なのか、殺意なのか、悪意なのか、好意なのか、敬意なのか、愛なのか。

 

 

とにかく、戦わなければならない、と全身全霊が(わめ)いていた。

 

 

「わかった。いいだろう」

 

 

ミノルはゆるりと腰の剣を抜いた。

 

速くなくても早い。

洗練された最短の動き。

 

音もなく抜く所作は達人じみている。

 

 

わかっていたが、やはりかなりの使い手のようだ。

 





ちなみに、転生黒死牟さんのコミュ力とか語彙力とかは日々、成長しています。

ベアトリクスに言葉や文字を習って
饒舌になったり、横文字を普通に使うようになったり、三人称に「彼」とか「彼女」とか使うようになったりしています。


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EX4.いや待て、もしも縁壱ならできてもおかしくない。(2/3)


クレア視点→シド(ミノル)視点


 

「まずは、軽く……」

 

「ウォーミングアップと行こうか」

 

 

軽く振るわれた剣筋に、私も抜いた刀で応じる。

 

 

――ィッ、ッィッ、ィッ

 

 

互いに手の読み合い、手の(つぶ)し合い。

 

受け流してカウンター、ペースを上げていく中でも相手の隙を突くのはやめない。

 

 

体勢を変える。

 

リズムを変える。

 

足を半歩前に出して。

 

位置を微妙にズラして。

 

 

より相手の意表を突く。

 

余白(よはく)を詰めて、逃げ場を奪う。

 

 

――ッ、ィッ、ィッッ、ッ

 

 

まだ、つばぜり合いには足りない。

 

鋼がこすれる音だけが連続する。

 

 

ミノルの剣を一言で言い表すなら、合理の剣、だろうか。

 

 

身体の姿勢、身体の動かし方。

剣の構え方、剣の振り方。

目の配り方、意識の配り方。

吸う息の量と吐く息の量に呼吸のリズムまで。

 

構成するすべてが、合理を体現(たいげん)している。

 

 

いまを確実にしのぎ、次の手また次の手につなげることを考えて、構築された極めて合理的な剣術。

 

 

一瞬、一瞬が布石(ふせき)(かたまり)

いつでも、攻めにも守りにも逃げにも入れるように、布石を集約(しゅうやく)させた剣だ。

 

 

途切れることなく、次手(じて)(つむ)がれていき、流れるように戦闘が展開される。

 

 

(――美しい。そして、おそろしい)

 

(――あくまで無機的に相手を追いつめる。けれど、何も考えないわけではない。こちらが慣れるや否や、その慣れを突いて切り(くず)しにくる)

 

(――一体、どんな頭があって、鍛練をして、経験を積めば、こうなるのか)

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

戦いは、ギリギリを攻めればいいってものじゃない。

 

 

攻撃のために守りを捨てて、守りのために攻撃を捨てて。

 

それゃあ、そうしたほうが威力や防御力は出せるんだろうけども。

 

実際は、そんなに極端に比重を(かたよ)らせれば、深みがなくなり、対応しやすくなる。

崩しやすくなるのだ。

 

だから、戦いは(がけ)っぷちを歩くのが最適解なんて、単純な話ではない。

 

 

――ィッ、ッィッ、ッィッ、ィッ

 

 

けれど。

それでも、限られたリソースを割り振るからには、どうしてもギリギリを攻めるほうが速く、早く、強くなる。

 

 

道場の娘さん――クレアの剣は、このギリギリを攻めるという点において、間違いなく僕よりも格上だ。

 

 

上手い。

隙がない。

洗練されている。

 

確かに技はすごい。

けど、それ以上に、立ち回り方に尋常(じんじょう)ではない経験値を感じる。

 

 

鍛練だけでは技を(みが)くことはできても、カンを磨くことはできない。

 

術理に落とし込めない、細かな立ち回りに、一朝一夕(いっちょういっせき)では身に着けられないカンの良さを感じる。

 

 

――ィッ、ィッッィ、ッィッ

 

 

対する僕は、前世の世界の長い歴史の中で発展した、現代のあらゆる武術を複合した剣。

 

交流と多様性、競争(きょうそう)と進歩、淘汰(とうた)と選定、理屈と科学を重ねて研鑽(けんさん)された人類の叡智(えいち)(こう)する。

 

 

――ィッィッ、ッィッィッ、ッィッ

 

 

が、正直、このまま速さを上げられてしまうと、遠からず対応できなくなる。

 

早い話が負けが見え始めているのだ。

 

 

研究中、検証不足、経験不足、時間不足。

 

いくらでも言い訳は()いてくるけども、そのどれも情けなさすぎて笑えない。

 

 

(――陰の実力者が弱いことに理由があるか? 否、そんなものはない。なぜなら、陰の実力者は弱くないからだ)

 

(――陰の実力者が負けることに理由があるか? 否、そんなものはない。なぜなら、陰の実力者は負けないからだ)

 

 

言い訳なんてもってのほか。

 

 

つまり、弱いのもあり得ないし、負けるのもあり得ないのだ。

 

 

(――勝機(しょうき)見出(みいだ)せ、シド・カゲノー――いや、るろうにミノル。

まがりなりにも実力者っぽい名前を名乗ったからには、相応の実力を示せ)

 

 

(――観察する。

何かないか)

 

 

――ィッィッッ、ィッッィ、ィッン!

 

 

クレアの刀を(はじ)いて間を開けて、足もとに転がっていた盗賊の剣を()り飛ばす。

 

剣はくるくる回転しながら、クレアへ一直線に向かった。

 

 

――キンッ! キン!

 

 

その剣をクレアが弾き返すときには、すでに僕は他の盗賊産の剣をクレアへ向かって蹴っ飛ばしていた。

 

 

そのまま、クレアから目を離さないように、されど距離を取りながら、盗賊の剣を蹴り飛ばすのを繰り返す。

 

 

(――観察する。

クレアのあの身体能力、本当に魔力だけのものか?)

 

 

クレアと一瞬、目が合った。

 

 

――『卑怯(ひきょう)とは言うまい?』と、僕。

 

――『無論』と、クレア。

 

 

アイコンタクトでそこまではっきり意思疎通ができたかわからないけど、クレア的にもルール違反ではないと判断してくれているようだ。

 

 

林の(きわ)を、ステップを踏んで駆けまわり、盗賊の剣を蹴り飛ばす作業を続ける。

 

 

――キンッキンッ、キンッ!

 

 

クレアは僕を目で追いつつ、そのすべてを斬り払う。

初めは意表をつけても、すぐに慣れた様子で、クレアは飛んでくる剣を容易くあしらっていた。

余裕ができて、そろそろ攻勢に転じてきそうな感じ。

 

 

(――観察する。

純粋な身体能力か……いや、何か違う。なんだろう、これ?)

 

 

――キンッキンッ、キンッキキキンキン!

 

 

盗賊の剣の残弾も少なくなったところ。

 

クレアの姿勢が若干、前のめりになる。

次の瞬間には、僕へ向かって走り出しているだろう。

 

 

僕はクレアが攻勢に出ることを察知して、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

魔力を通した鋼糸(こうし)は、林の樹木の幹をスパッと斬りわけ、さらに広場の中心――攻勢に出ようとしていたクレアへ向かって高速で引っ張られる。

 

僕が、林の際を走りながら仕掛けたトラップ。

林の樹木を斬り倒し、広場の中心に猛スピードで突撃する、鋼糸を使ったトラップだ。

 

 

クレアに(せま)る数十本の丸太。

 

(――観察する。

やっぱり、魔力じゃない何かで身体能力が飛躍的に向上している……)

 

 

もちろん、これでクレアほどの剣士がどうにかなるとは思えない。

けれども、迎撃なり回避なりで必ず手を取られる。

 

僕はそこを突く。

 

それも、ただ樹木の隙間から攻撃するのでは、クレアの想定内だろう。

 

だから、僕は()()()()()()()()()()()()()()()()、クレアへ迫る樹木のまえへ身を(おど)らせた。

 

 

「――っ?!」

 

 

これには、さすがに驚愕したようで、出会ってからずっと鋭く細まっていた目を見開いた。

 

 

僕はそんなクレアの驚愕にも、背中に迫る丸太にも構わず、クレアを本気で斬り殺すつもりで剣を振るう。

 

 

僕に対応すれば、あとから来る丸太への対応が遅れる。

丸太に対応すれば、僕はその隙を突いて君を斬る。

 

(――さぁ、どうする?)

 

 

そんな僕の策を、クレアは、

 

 

「ホオオオ……」

 

 

刀を構えて、

 

 

(――観察する。

息……?)

 

 

月の呼吸 伍の型 月魄(げっぱく)災渦(さいか)

 

 

一蹴(いっしゅう)した。

 



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EX5.つまり、“ 弟”ならできてもおかしくない?(3/3)


弟ガチャSSR、二連発

シド視点→三人称→クレア視点


 

百回くらい木が折れる音と、骨が折れる音を聞いた気がする。

 

咄嗟(とっさ)に、剣と魔力を使って全力防御したけど、口が()けても無事だなんて言えない。

 

右腕はあらぬ方向を向いているし、足は両方ともくるぶしから先がぐにゃってなっている――たぶん潰れている。

 

 

「いたたた……容赦ない――」

 

なぁ……、とつなぎかけた言葉は周りの惨状を見て引っ込めた。

 

 

並ぶ切り株、大地に刻まれた爪跡(つめあと)

 

あぁ、これ直に食らっていたら、致命傷だったな。

 

 

「――でもないか。手加減された上でこの()(さま)……」

 

 

クレアの足音が聞こえる。

 

歩いてこちらに向かってきているようだ。

 

 

もう、僕が抵抗できないと思って油断しているのか、それとも――

 

 

「これじゃあ、ぜんぜん、陰の実力者じゃない……」

 

 

――まだ、僕に何かあると思って期待しているのか。

 

 

「じゃあ、その期待を上回るくらいじゃないと、陰の実力者じゃないね」

 

 

魔力による全力回復、アンド、オーバードライブ。

 

いよいよ近付いて来ていたクレアに()()()()()

剣は吹っ飛ばされたときに、どっか行った。

 

 

「やはり、まだ手はあったか」

 

「持て余す力は(みにく)い、っていうのが持論、なん、だっ!」

 

「むっ、強い」

 

 

ハイになっているからか、口が軽い。

クレアのほうも、さっきまでの静寂(せいじゃく)の中での斬り合いをやめたようだし。

 

 

 

オーバードライブはこの7歳の身体には負担が大きく、長持ちしない。

 

いや、そもそも、負担が大きくてバックダメージが入るから、オーバードライブなんて名前をしているわけだけれども。

 

ともかく、短期決戦用で無駄が多いこの技を、このタイミングで使いたくなかったけども、負けたら意味がない。

 

 

身体能力を上げて格闘戦に持ち込む。

 

これなら、まだ可能性があるんじゃないかと思ったけども。

 

そう、一筋縄じゃいかない。

 

 

「フッ、フッ! やっぱり! これでもっ! ダメかっ!」

 

無手(むて)心得(こころえ)まであるのか……」

 

 

パンチ、キック、ひざ、ひじ、タックルも(かわ)されるか受け流される。

 

 

(――観察する。

ポイントは息。もう少しで何かを(つか)めそうだ)

 

 

「こちらからも、行くぞ」

 

「……っ!」

 

 

――カインッ!

 

 

クレアが振るった刀を、僕は()()()()()()()()黒い棒でギリギリ弾く。

 

 

「棒? どこから……?」

 

「さぁねっ! 企業秘密、さっ!」

 

 

――カインッ! カインッ、カインッ!

 

 

黒い棒を振るって、どうにかクレアの刀を(さば)く。

 

 

きっと、決着を着けようと思えば、いつでもあちらは決着を着けられるんだろう。

 

それをしないのは、僕にまだ引き出しがあると思っているからだ。

 

 

(――そんなものはない、って。

これが戦いの場でなければ、るろうにミノルなんて名乗ってなければ、言ったんだけどなぁ……)

 

 

本命本番の陰の実力者ではないにしろ、修業中擬似的な陰の実力者ムーヴをかましたのだ。

 

たかが、ごっこ遊びと笑うなら、初めから陰の実力者を目指してはいない。

 

 

ぜったいに、勝つ!

 

 

(――観察する)

 

 

見ろ。

 

「みろ……っ」

 

「……?」

 

 

――カインッカインッ! カインッ!

 

 

見ろ、ミノル。

 

「みろ」

 

見て習得しろ、ミノル。

 

「みろっ!」

 

 

いまこの場で成長するんだ!

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

直刀と棒が打ち合う中、

 

 

――カンッ!!

 

 

いっとう強く、黒い棒が直刀を弾いた。

 

 

「…………?」

 

 

すぐに距離を詰めようとしたクレアは、ミノルの様子にかすかに首を傾げる。

 

 

(――力を抜いている……)

 

 

ミノルは距離を取って、棒を下ろして、脱力していたのだ。

 

立ち姿には、さっきまでの気迫(きはく)はない。

 

 

(――諦めたのか……? 違う。そうとは思えない)

 

 

外面上は、まるで、もう戦う気が失せたようなミノルの姿。

 

だけれども、クレアはそれを見て直刀の柄を握り直した。

 

 

直感がこれから始まる激闘を予知していた。

 

 

ミノルはまだ、諦めていない、戦いをやめてもいない。

 

 

(――何をする気だ?)

 

 

おそらくは、ここからが本当の戦い。

 

そうなる、予感をいまのミノルからクレアは感じ取った。

 

 

果たして、本当の戦いは

 

 

「カハッ!」

 

 

ミノルの吐血(とけつ)から始まった。

 

 

「 ミ エ タ 」

 

 

クレアは飛んできた、赤いそれを頭を傾けることで避ける。

 

横目で見えたそれは、赤い針。

においから、血でできた針とわかった。

 

 

(――吐血した血液を針にして飛ばしたのか)

 

 

クレアも血液を使った攻撃をよく使うので、正体はすぐにわかる。

 

 

(――? この、血のにおい……?)

 

 

それよりも、クレアが気になったのは血のにおい。

 

鬼化を習得してから、もともと鋭かった嗅覚はさらに鋭くなり、特ににおいに対しては敏感になっていた。

 

その嗅覚が、ミノルの血のにおいとクレアの血のにおいの相似性を(うった)える。

 

 

(――まさか……!)

 

 

クレアが衝撃の事実に気が付こうとしていたとき。

 

 

夜の静けさにまぎれる(かす)かしやかさで、それは響いた。

 

 

 

「ィァァァ……」

 

 

高い呼吸音。

 

それは、ミノルの口から発せられていた。

 

小さいのに、夜の闇に警鐘を鳴らすような高い音だった。

 

 

人間(ひと)の呼吸 其の一 一刀(いっとう)

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

激闘を予感していたことが幸いした。

 

ミノルが黒い得物(えもの)を手に突進してくるのに、クレアは最速の型で(むか)え撃った。

 

放たれた弧状の斬撃が、ミノルが持つ()()()に斬り別けられるのを見て、その判断が正解だったことをクレアは確信した。

 

 

「刀……?」

 

 

斬り別けられた。

 

器用な者なら、手刀でも何かを斬ることは可能かもしれないが、ミノルの手にはちゃんと斬るための得物が握られていた。

 

柄も刀身も真っ黒な刀だ。

 

 

「これ……失敗作でさ。強度は高くなったけど、柔軟性も魔力浸透率もダメダメなんだよねぇ……」

 

 

ふぅ、と息を吐きながらミノルは軽く黒い刀を振るう。

 

それは、彼が研究中の、武器と防具を兼ねた万能装備の失敗作だった。

 

 

「おかげで、刀にするのに時間かかったよ」

 

 

ミノルは、ははっ、と軽く笑って。

 

 

「ここから本気ね」

 

と、言った。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

(――いまのは、型、なのか……? それにしては……)

 

 

「ホオオオ……」

 

「ィァァァ……」

 

 

月の呼吸 弐ノ型 珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)

 

人間の呼吸 其の一 一刀・三連

 

 

(――構えが無さすぎる)

 

 

「ホオオオ……」

 

「ィァァァ……」

 

 

月の呼吸 参ノ型 厭忌月(えんきづき)(つが)

 

人間の呼吸 其の二 暖簾(のれん)

 

 

この受け流しもそう。

 

(――前触れも名残(なごり)もない)

 

(――予兆も余韻(よいん)もない)

 

 

余計なものを一切、排除した剣。

 

 

必要なものだけを選びとり、それ以外を切り捨て、我がものにしてしまう、傲慢(ごうまん)の剣。

 

 

「ホオオオ……」

 

「ィァァァ……」

 

 

月の呼吸 肆ノ型 落天(らくてん)崩月(ほうづき)

 

人間の呼吸 其の三 心眼(しんがん)

及び

其の二 暖簾

 

 

(――目的のために手段を選ばず、聖域を暴き、神の(むくろ)すらも俎上(そじょう)にのせる)

 

(――その(さま)は、美しく、おそろしい)

 

(――まるで、人間のようだ)

 

 

「ホオオオ……」

 

「ィァァァ……」

 

 

月の呼吸 伍ノ型 月魄(げっぱく)災渦(さいか)

 

人間の呼吸 其の四 神速(しんそく)

及び

其の一 一刀

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮・水月(すいげつ)

 

 

「ィァァァ……」

 

 

人間の呼吸 其の一 一刀

 

 

何より、おそろしいのが。

 

(――洗練されていっている、力強くなっていっている。戦いながら、成長している……!!)

 

 

その剣は徐々に鋭くなり、呼吸の速度や質が安定し始め、身体は無駄を無くして行っている。

 

まだ、余裕を持ってしのげているが、このまま技が磨かれ続ければ、わからなくなる。

 

 

そもそも。

 

(――呼吸はもともと習得していたのか? それとも、いましがた、習得したのか? 本当に?)

 

(――私と戦いながら? 私の呼吸を見て?)

 

(――そんなことが、可能なのか?)

 

 

「ホオオオ……」

 

「ィァァァ……」

 

 

月の呼吸 陸ノ型 常夜(とこよ)孤月(こげつ)無間(むけん)

 

人間の呼吸 其の三 心眼

及び

其の四 神速

及び

其の二 暖簾

 

 

(――では、このまるで、赤子が産声を上げたときのような輝きをどう説明する?)

 

 

「ィァァァ……」

 

「ホオオオ……」

 

 

人間の呼吸 其の五 百連(ひゃくれん)

 

月の呼吸 拾壱ノ型 月下(げっか)微睡(まどろみ)

 

 

 

(――縁壱(よりいち)……)

 

 

先ほど血のにおいを嗅いで気が付いたこともあってか。

私の予想をはるかに超えてくるその姿に、前世の弟を重ねてしまう。

 

 

 

縁壱。

 

もし、この少年の立場に縁壱がいたとしたらどうだろうか。

 

 

想像してみよう。

 

 

仮に前世、縁壱が生まれつき呼吸術を使っていなかったとして、さらに縁壱よりも先に私が呼吸術を開発し習得したのだとする。

 

縁壱なら後天的に呼吸術を見つけてもおかしくないし、前世の私にそれほどの才能はなかったが、奇跡的にそんな状況になったとする。

 

 

その上で、ある日初めて、私が習得した呼吸術の型を、自慢(じまん)げな顔で縁壱に披露(ひろう)したとしよう。

 

 

さて、どうなるだろうか?

 

 

その術理を私が説明するまでもなく、縁壱は一目見ただけで呼吸術を理解し、容易く習得するだろう。

 

翌日には、私以上に扱いこなせるようになっているのではないだろうか?

 

 

見てもいないのに、その光景が鮮明に想像できるのは、なぜだろうか?

 

 

その日、初めて見た呼吸術を見るだけで理解し、習得し、磨き上げる。

 

 

たしかに、縁壱なら可能なのだ。

 

 

(――つまり、“弟”ならできてもおかしくない? ?? ???)

 

 

 

「ィァ……ッ、ガハッ、ゴホッゴホッゴホッ」

 

 

呼吸のために息を吸う途中で、ミノルは()き込む。

 

見れば、三度(みたび)、血反吐を吐き出し、刀を支えに辛うじて立っている状態だった。

 

上手く息ができないのだろう。

 

意識も朦朧(もうろう)としているのだろう。

 

身体がゆらゆらと揺れて、私を睥睨(へいげい)する(まなこ)はひどく虚ろだ。

 

 

「ホオオ……ほぉ、ふぅ……。身体の限界か……ミノルよ」

 

「ハァ……ハァ……ハァ、ゴホッゴホッゴホッ、ァゴホッゴホッゴホッ」

 

 

血反吐の量はさらに増して、咳き込む姿が痛々しい。

 

顔色も青くなり、いよいよ死を目前に(ひか)えているように見えた。

 

 

その姿は、寿命以外で命脈(めいみゃく)()らいだことさえなかった縁壱とは、似ても似つかない。

 

 

いまの私よりも年下の、意地を張った少年だった。

 

 

(――私は、何をやっているのだ……。バカじゃないのか?)

 

 

「勝負なし、と言いたいところ……」

 

「カハッ。まだ……やれる……」

 

「その矜持(きょうじ)に敬意を表して――」

 

 

私は早くこの仕合いに決着を着けるべく、ミノルの前へ一足で()んで。

 

 

――ザスッ

 

ミノルの刀が私の腹に刺さるのを、構わずに。

 

 

――コツッ

 

柄頭(つかがしら)でその額を打った。

 

 

「ぁぅ、ぁ…………」

 

「――決着はもらおう」

 

 

倒れてくる小さな身体を抱きとめる。

 

 

「いつか、この雪辱(せつじょく)()たしに来い。――我が弟よ」

 

 

意識を失った身体に、まずは生命維持のため魔力を流し込んで、治療を開始する。

 




〇オリ呼吸、人間(ひと)の呼吸紹介
……シド(るろうにミノル)が戦いの中で、生み出した呼吸。現代武術の多くに共通する概念を、より効率よくより高い出力で引き出すための呼吸。
呼吸だけで戦わなければならない、という縛りがない環境・状況で生み出したため、呼吸と魔力を合わせて使う前提で型を作っている。けど、呼吸だけで型を繰り出そうと思えば繰り出すことは可能。

・其の一 一刀(いっとう)……身体能力の超強化、武器の耐久力の超強化、攻撃威力の超強化。振り方は自由。一言で言えば、めっちゃ強力な攻撃をする型。

・其の二 暖簾(のれん)……身体の超柔軟化、あらゆる攻撃の受け流し。受け流す方向は自由。一言で言えば、どんな攻撃も受け流す型。

・其の三 心眼(しんがん)……五感の超強化、反射神経の超強化。一言で言えば、感知能力と反応速度をめちゃくちゃ向上させて副次的に体感時間も加速させる型。

・其の四 神速(しんそく)……身体の超柔軟化、身体の靱性の超強化、移動速度の超向上。移動するときの軌道は自由。一言で言えば、とても柔らかくてとても弾むゴムみたいにになって高速移動する型。

・其の五 百連(ひゃくれん)……武器の耐久力の超強化、攻撃威力の超強化、反射神経の超強化、身体の靱性の超強化。振り方は自由。一言で言えば、すごく速くたくさん斬りまくる型。


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19.新流派の産声


ほとんど会話の回


 

魔剣士協会の盗賊退治の依頼で訪れたクィモーノ領。

 

しかし、私が盗賊らを見つけたときにはすでにその者らは亡骸(なきがら)と化していた。

 

代わりに、ただならぬ力量をうかがわせる男――少年が一人(たたず)むのに遭遇(そうぐう)

 

どこか懐かしいにおいがする彼と、私はいくらかのやり取りを()わす。

 

そして、その底知れない実力を知りたくなった私は、彼に一つの頼みをする。

 

 

――「一手、仕合(しお)うてもらえまいか」

 

 

彼――ミノルはそれを了承。

 

 

初めは私が優勢だった戦い、実力を(はか)るために手加減をしていた私。

 

だが、ふとしたときミノルの雰囲気が変わる。

 

次の瞬間、これまでにはなかった太刀筋(たちすじ)で斬りかかってきた。

 

彼はなんと、戦いの中で呼吸術を習得し、自分なりの型を()み出し、私と渡り合い始めたのだ。

 

 

激化する戦いの中で、だが、一日(いちじつ)(ちょう)がある私のほうが有利だった。

 

ミノルの身体が幼いこともあって、長く続く戦いに体力と耐久力が限界を(むか)え、今回の戦いは私の勝ちとなった。

 

しかし、あえて言うのならば、これほどの才能。

あと数年もすれば、本気の私と互角(ごかく)の力を得ていても不思議ではない。

 

彼からはそれほどの才能と気迫(きはく)を感じた。

 

 

 

そういった経緯で私はいま、戦いの果てに倒れたミノルの治療を終わらせ――ついでに自分の治療も終わらせて――、(たたん)んだ(ひざ)に寝かせている。

 

 

ヴェラが膝枕と呼んでいた姿勢だ。

 

『世の男の誰もが喜ぶ、最高級の枕を体現する姿勢』らしい。

 

 

変なニュアンスを感じるが、まぁいいものならいいだろう。

 

 

「この血のにおい……やはり、姉弟か。遠くとも、いとこだろう」

 

 

戦いの中で気が付いたこと。

 

どこか懐かしいにおいを仕合(しあ)うまえから感じていたが、血のにおいを()いで懐かしさの正体はわかった。

 

 

最近、鬼化を試みて、さらに鋭くなった嗅覚が、私の血とミノルの血のにおいの相似性(そうじせい)を嗅ぎ取った。

 

これほど、似通った血のにおい。

かなり近しい関係だ。

 

最低でもいとこ、おそらく私たちは姉弟。

 

 

それが、こうして邂逅(かいこう)することとなるとは、なんとも因果(いんが)なものだ。

 

 

(――今世での弟との関係。因果だとするなら、前世での善因に心当たりがないから、悪因悪果となるのだろうか……?)

 

 

できることなら、今世でまで前世のような愚行(ぐこう)を重ねたくないのだが。

 

 

「ん……んん……。ん、あれ?」

 

 

私が答えの出ない考えを巡らせていると、膝の上のミノルが目を覚ました。

 

 

「あ。あ~……これ、もしかして、負けた?」

 

「勝った、私が」

 

「マジかぁ……マジか。うわ、マジか、うわぁ。負けたかぁ……ぜんぜんダメだな、僕」

 

「発展途上だな……修業が足らんかった。あと、身体の成長も足らんかった」

 

「ずけずけ言うね。同意だけど」

 

 

ミノルは目を覚ましてから、雰囲気や口調が変わった。

 

かしこまった場とそうでない場で、態度を分けているのだろう。

 

 

「前途ある者にとって、()びしろはありがたいものだ」

 

 

成長する余地(よち)があるというのは、天井に頭を打つよりはよほどいい。

 

 

「ああ、うん。今回の君との戦いで新しい戦術も得られたしね。あの息を使った能力強化って――え?」

 

 

ミノルは言葉の途中で、空を見上げた。

 

東から明るくなり始め、もう間もなく太陽が姿を見せるだろう。

 

 

「やばっ、帰らないと!」

 

 

がばり、とミノルは起き上がる。

 

その顔には(あせ)りが見えた。

 

 

「用事か?」

 

「そうとも言うし、そうじゃないとも……いや、うん、用事用事! ほぼ用事! だから、僕もう行くね!」

 

 

言って、ミノルは起き上がり、走り出そうとするが、

 

「っとと」

 

「平気か?」

 

 

小さな身体がふらつく。

 

私は彼の身体が倒れないように、支えた。

 

 

「ふらついている。急ぐなら、私がお前を抱えて運ぼう。――どこだ?」

 

「え? カゲノー男爵(てい)だけど。いいよ別に、これくらいなら一人で帰れるから」

 

「頼みを聞いてもらった礼、もしくは、補償(ほしょう)だ。これくらいさせてくれ」

 

「うーん。いや、いくら、いまの僕が子どもだからって、女の子におんぶされるのは――」

 

「では、行こうか」

 

「――は? (たわら)(かつ)ぎ? あっ、景色が流r――」

 

 

ミノルを肩に抱えた私は、ミノルの目的地らしいカゲノー男爵領へ向かって走り出した。

 

 

幸いカゲノー男爵領は、その隣の領地に足を運んだことがある。

 

 

カゲノー男爵領の領都や男爵邸がどこにあるかまで把握していないが、それは男爵領に入ってからミノルに聞けばいいだろう。

 

 

私は、朝焼けが()す荒れ果てた林を背にした。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

走っている途中、肩に抱かれる体勢は辛いからと変えて、背中におぶった。

 

 

「言いそびれていたが、礼を言う。この度の仕合(しあ)い、受けてくれたことに感謝する」

 

「どういたしまして。僕もとても有意義だったよ、ありがとう」

 

 

私は背中のミノルに礼を言った。

 

ミノルはそれに応えて、あっそういえば、と続ける。

 

 

「さっき、聞きそびれたんだけどさ。あの息を使った能力強化って、一子相伝(いっしそうでん)の技とかだったりする? 僕が習得してるとまずいとか……」

 

「協会の者たちのようなことを言うのだな」

 

 

ミノルの()いに協会の者たちのことを思い出し、苦笑いする。

 

みな、同じことを考えるものなのだろうか?

 

 

「そんなことはない。習得したいなら習得しても構わん。いまの私にそれを(はば)む理由はない」

 

「いまは、ってことはまえはあったの?」

 

「昔のことだ」

 

「あったんだ……」

 

 

前世のことだ。

 

あの御方の命で、日の呼吸の剣士を狩っていたからな。

 

 

今世でそんなことをする理由は、いまのところない

 

 

「『私たちはそれほど大そうなものではない』」

 

「なにそれ?」

 

「この呼吸術を開発した、いわば呼吸術の開祖(かいそ)の言葉だ」

 

「へー、あの能力強化、呼吸術っていうんだ。そのまんまだね。で、大そうなものではない、ってどういう意味?」

 

「いまも世のどこかで、その開祖すらもしのぐ才能を持つ者が生まれている。

だから、いずれ自分たちと並び、さらには超える者が現れる、という意味だ。

――自分たちがいなくなったのち、呼吸術を(あつか)いこなせるものが途絶えないか。などと、傲慢(ごうまん)な物言いをする開祖の兄へ、開祖が(おく)った言葉だ」

 

 

――“いつでも、安心して、人生の幕を引けば良い”

 

 

あとを(たく)して安心して死ぬ、ということを私はやろうとは思わないし、できそうもない。

 

が、才能うんぬんに関しては、前世の私をくだした者たちやいま背負っているミノルを見れば、同意できなくはない。

 

 

(――縁壱に届くのかは疑問だが……)

 

 

「開祖がそのような者であった以上、見習うべきだろう。――呼吸術を習得しているからと言って殊更(ことさら)ふんぞり返るようなこともなければ、才能ある者に教えるのを拒むものでもない」

 

「ふーん……」

 

 

「と、カゲノー男爵領だ。男爵邸にはどう行けばいい?」

 

「おっ、早いね。じゃあ、えっと――」

 

 

カゲノー男爵領の境界をまたいでから、ミノルの案内に従って道を進む。

 

 

とは言ってもこのあたりは自然豊かな田舎。

 

馬車やひとの通行の(あと)があるだけで、整備はされていない道は、複雑に入り組んでもいない。

 

大雑把な指示だけもらえば、あとは走るだけである。

 

 

「協会では、『武神』の秘伝と誤解(ごかい)されているのだがな……」

 

つい、ぼやく。

 

魔剣士協会でされている、呼吸術の開発者が『武神』ベアトリクスであるかのような誤解に。

 

 

「さっきの開祖の逸話(いつわ)とか広まってないの?」

 

「呼吸術は『武神』が開発したのではない、と何度も説明を試みているのだが、聞く耳を持たれない。

――いまのところ、『武神』と私しか使い手を見ないからか。秘伝と思われて、触れてはならないもののように扱われる」

 

()されてると思われているがゆえに、秘されていないことを伝えることもできない、かぁ……。

律儀(りちぎ)だねぇ、みんな」

 

「律儀?」

 

「だって『武神』? っていうひとの秘伝とかさ。知れる機会(きかい)があるなら、ぜひ知りたいと思うじゃん。覚えるかどうかはともかく。

僕なら知りたいし、覚えたくなると思う」

 

 

戦いをなりわいにして、力を求めている者なら知りたがるほうが自然に思える。

 

前世の私がその最たるものだったから、理解できる。

 

 

「む……たしかに。では、なぜ(いま)だに知ろうとする者も、覚えようとする者も現れない……?」

 

「それは、たぶん現れてるけど、(あきら)めてるが正しいんじゃないかなぁ」

 

「現れている?」

 

「そうそう、クレアや『武神』ってひとが戦ってる姿とか見て、秘伝を知ろうとしたし覚えようとしたけど。知ることも覚えることもできね~、ってなったんだと思う。

――そんで、表向きは秘伝って話が広まってるんでしょ? 直接聞けないから、ほら、諦めるしかない」

 

 

なるほど。

 

(――ならばやはり、ミノルのような、戦いながら、見るだけで理解し習得するような者は、そう多くないのだな……。

少し安心した。情けないことだが)

 

 

 

そんな話をする内に、地平線に街の外壁が見えた。

 

あれが領都か。

 

もうひと走りだな。

 

 

「誤解を解きたいなら、もっと積極的になってもいいかもね。――さっきみたいな逸話を広める……のは難しいって話だから。

え~と、実際に君と『武神』以外の使い手が現れれば、秘伝じゃないって言いやすくなるんだけど……」

 

 

私とベアトリクス以外の使い手。

 

 

メラを前面(ぜんめん)に出すのは、人生の選択肢を狭めることになるし、ミーコを目立たせるのも過去の罪が明らかになってしまいかねない。

 

 

使い手として喧伝(けんでん)するなら、関わりが薄いものが望ましい。

 

 

ならば、

 

「そうか、道場を開けばいいのか。それで私たち以外に使い手を育てれば、秘伝ではないことの証明になる……」

 

「そうそう。秘伝じゃなくて、新しい武術流派とか、護身術とかって言って教えればね。とりあえず、教えることはできるでしょ(たぶん)」

 

 

道の先の街の外まで着いた。

 

木陰(こかげ)になっているところに、ミノルを降ろす。

 

 

「と、ここでいいよ。ありがとね、送ってくれて。戦いとか、楽しかったよ。――次は勝つね?」

 

「こちらこそ、改めて礼を言う。また、会う機会があれば仕合おう。――歓迎(かんげい)する」

 

 

じゃっ、と手を()げて立ち去ろうとしたミノルは、あっと思いついたように足を止めた。

 

 

東の空を眺めながら、語り出す。

 

 

「?」

 

「――ときは太古(たいこ)の昔。まだ、夜がひとのものではなかった時代。

ある強大な種族に人類は支配されていた。

――それは、人の血肉をむさぼる夜の鬼(ヴァンパイア)。人類が到底、(かな)わぬ超越生命体」

 

「?!」

 

「人類は彼らに一方的に捕食され、たまに気まぐれで見逃される。そんな家畜(かちく)のごとき生活を送っていた。

 

彼らはあらゆる面で、人類の上を行く。

魔力の量では敵わない。

もちろん素の身体能力でも敵わない。

再生力も寿命の長さも人類よりもはるかに優れる。

人類は彼らに敵わない。

太陽という弱点はあるが、それはつまり、夜に出会おうものならその者の最期であるということだ。

 

――だから、魔力に頼らない能力強化の方法が、彼らを殺し尽くすための技術が、人類には必要だった」

 

「?!!」

 

「――そこに、まるで人々の願いを受けて生まれた救世主であるかのように、一人の奇跡的な天才が現れる。

彼こそがそう、呼吸術の開祖……」

 

「?!!! どこでっ、それを……?!」

 

 

「なんてね! ひとに覚えてもらえる話って、面白さも大事じゃん。

開祖を覚えてもらうには、流派の由来みたいな、それっぽくて面白い話があったほうがいいと思ってさ。

――じゃっ、改めて送ってくれてありがとね!」

 

 

今度こそ、笑顔でミノルは街へ走って行く。

 

朝日に照らされた後ろ姿がどんどん小さくなる。

 

 

「…………底知れぬな……」

 

 

一体、どこまで知った上で先程の話をしたのだろう。

 

(――私のことについてはわかって語った、と見ていいか?

わざわざ私に向かって語ったのだものな……)

 

 

すさまじい。

 

 

「また、(おり)を見て会いに来よう」

 

 

新しい武術流派というアイデアももらったのだし。

 

昨晩も、仕合いに付き合ってもらったのだし。

 

次、会いに来るときは何か礼の品を持って来たいところだな。

 



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20.カグツチ2

 

魔剣士協会で、盗賊はすでに何者かの手によって殲滅(せんめつ)されていた(むね)を報告する。

 

調査隊を現地に派遣して、報告内容が正しかったかを確認するまで依頼は一時中断というので、これ以上私にやれることはない。

 

 

魔剣士協会がある街から出て、私は帰路(きろ)についた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

高原に到着するころには、朝も終わりを迎える頃合(ころあ)い。

 

昼が近かった。

 

四年前は、この高原から街までの道のりに半日もかかっていたのだと考えると、だいぶん足が速くなったものだ。

 

 

外から見ればもう屋敷か要塞(ようさい)にしか見えない、大きな岩でできた建物――家に帰りつく。

 

 

 

「おかえり、お姉ちゃん」

 

 

家の入り口の手前では、もう7歳になったメラが文字を刻んだ石の前に座り込んでいた。

 

手には白い花。

ふちに布をかけたバケツが横に置かれているのを見れば、自然と何をしていたかはわかる。

 

 

「ただいま帰った。変わりないか?」

 

「お母さんが今朝はちょっと元気で、朝ごはん作ってくれた」

 

「そうか。それは、よかったな……」

 

「うん。まぁ、いまは疲れて寝てるけど」

 

 

身体の機能は正常に稼働しているはずなのだがな……。

 

魔力を操作し続ける精神的疲労もあるだろうし、それては別にどこかに、無理があるのだろう。

 

根本的に魔力を精製できる体質に戻せなければ、人並みの健康は望めないか。

 

 

「ミーコは看病(かんびょう)か?」

 

「んや、ビビンバと狩りに行った」

 

「ほぅ、それはありがたいことだ。では、私は……一先(ひとま)ず、ヴェラの様子を見に行くか」

 

 

起きていたなら話したいことがあったが、眠っているなら無理か。

 

 

それは、もっと早く持ちかけることもできた提案。

 

しかし、この世界で血鬼術の根底を構築しているのは魔力によって操作された血液。

 

魔力を自力で精製できない体質というのは大きすぎる障害に思えた。

 

 

十中八九、失敗すると踏んでいる。

 

それでも、可能性はあるから提案することにする。

 

 

「うん。わたしは――あっ、そうだ。お姉ちゃん」

 

「何だ?」

 

「あとで、稽古(けいこ)つけて」

 

「? あぁ、わかった……。ヴェラに異変がなければ、また外に出る」

 

「じゃあ、わたしはお墓の掃除してるから」

 

 

そうして、メラはバケツの雑巾(ぞうきん)で、文字が刻まれた石――墓石を拭き始めた。

 

墓石には、

 

『   種を越えた愛を持つ

   愛情深き、母なる黒き牛

 

        ここに 眠る』

 

と、刻んである。

 

 

まだ、赤ん坊だった頃のメラの命を、薬草と交換したミルクでつないでくれた黒毛の大牛だ。

 

一年前に寿命で死んだ。

 

ずっと牛乳を提供していてくれたのだし、()みついていたのもあって、メラにとっては乳母みたいなものだったのだろう。

 

死んだときは、それはもう、この世の終わりのようにメラは泣き、暴れまわっていた。

 

 

野生には生きものの死は(あふ)れかえっているから、死そのものを理解できないわけではなかったろう。

しかし、家族の死を受け入れるのは難しかったようだった。

 

 

いまもこうして、毎日、墓参りをするくらいにはかの黒牛の死を(いた)んでいる。

 

 

(――自分以外の何かの死を悼む心……。私が、他者の死に感傷を覚えなくなったのはいつからだったろうな……)

 

 

心の内を素直に外に出す子どもを見ていると、人間の本性を思い出し(なつ)かしく思うのと同時に、自分の心がどれだけすり切れているのか実感する。

 

 

私は墓を拭うメラの姿から目を切って、玄関に続く階段を上がった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

案の定、ヴェラは寝ていたので、魔力の流れが正常に巡っているのだけを確認して着替えをして外にで出た。

 

 

 

メラは剣を提げて、墓の前に立って待っていた。

 

掃除はもう終えたらしい。

ぼんやり、墓の文字を眺めている。

 

 

「待たせた」

 

「……あ、お姉ちゃん。どうだった、お母さん」

 

「安定しているように見えた。しばらくは、良いだろう」

 

「よかった。お姉ちゃんがそう言うなら、大丈夫だね」

 

 

メラが自分から稽古をつけてほしいと言い出すのは珍しい。

 

 

身を守る術として、三日に一度くらい、呼吸術と血液操作を用いた剣を教えている。

 

かなり才覚があるのだが、いかんせん、メラはやりたいことだけやりたがる気質のため、鍛練は最低限で済ませてしまう。

 

 

それに関して、とやかくは言わない。

 

十分、戦えるくらいの力は得ているから、あとは本人の自由だ。

 

 

だから、三日に一度の稽古以外で自発的に剣を振るのは、うさぎやはぐれの獅子(しし)を狩るときくらいだった。

 

 

それが、自分から稽古を望むとはどういう風の吹き回しなのか。

 

ほぼ間違いなくヴェラのことなのだが、とりあえずそれは口には出さず、稽古をつけることにする。

 

 

稽古をつけると言っても、もう呼吸術も血液操作も実戦で使っているほどだから、やるのは打ち合いだ。

 

 

そもそもこの二つの技術は、個々人により千差万別、一人前以上になればあとの修練は自問自答じみたものになる。

 

他人の立場からできることは、気が付いたことを指摘、参考になりそうなものを提示、打ち合いの相手になる、くらいのもの。

 

 

 

 

家を遠くに見ることができる、岩の舞台(ぶたい)

メラと向かい合う。

 

 

「ジィィィ……」

 

 

陽炎(かげろう)の呼吸 壱ノ型 熱波(ねっぱ)揚々(ようよう)

 

 

(だいだい)の瞳が、陽炎《かげろう》のように揺らめく。

 

わずか7歳の幼子が低姿勢で駆けよって来て、剣を手に、はしゃぐようにくるくると舞い上がる。

 

 

――カカン、カカン、カカカンッ!

 

 

回転しながら振るわれる刃を防御するたび、独特の振動が私を襲う。

 

骨がギシギシと音を立てて(いた)み、神経がジリジリと悲鳴をあげて(しび)れる。

 

 

訓練のために強度を落とした身体は、しかし、魔剣士協会でも上澄(うわず)みの魔剣士レベルの強度。

 

剣を打ち合ったときに生じる微妙(びみょう)な振動は、精鋭クラスの肉体にすら、確実にダメージを与える。

 

 

「ジィィィ……」

 

 

陽炎の呼吸 参ノ型 夏日(かじつ)のうわつき

 

 

――カコンッ、カコン、カコンッ!

 

 

続いて軽く剣と刀を打ち合わせて鳴った音を聞いた瞬間、くらりと、のぼせるような目眩(めまい)を覚える。

 

 

視界が一瞬暗転し、すぐに晴れるが、晴れた視界にメラの姿はない。

 

 

気配からメラの居場所を察知し、背後に剣を置く。

 

 

「ジィィィ……」

 

 

陽炎の呼吸 弐ノ型 終日(しゅうじつ)晴天(せいてん)炙羅(あぶら)()

 

 

ガゴン、と背後に置いた剣に強い衝撃。

 

あえて衝撃に逆らわずに、力が加わる方向へ跳ねて移動。

 

一振りだけメラに空振(からぶ)りさせて、その間に私は体勢を直す。

 

 

空振りから続けざまに振るわれる剣が、私を追いかける。

 

 

――ガゴン、ガゴンガゴンッ、ガゴンガゴンガゴンッ!

 

 

防御する私の刀に、力強くて独特な振動を伴う衝撃が、連続で打ちつけられる。

 

剣を伝うのは赤い水――それはまぎれもないメラ自身の血。

私の刀と打ち合う度に、魔力で超圧縮された血液が爆発を起こし、振動と衝撃を生む。

 

超圧縮による爆発、メラが主に使う血液操作による技だった。

 

 

メラの剣から私の刀へ、私の刀から私の身体へ。

 

振動と衝撃が伝わり、また骨がギシギシと傷んで、神経がジリジリと痺れる。

 

いくつかの骨にひびが入り、いくらかの神経がちぎれるのがわかった。

 

 

また、聞こえる音が、私の意識をくらくらと揺さぶる。

 

 

――これがメラの剣。

 

行きすぎた太陽の(めぐ)みは、ときに(やく)となって襲いかかる――陽炎の呼吸。

 

 

メラの剣から発生する独特の振動が身を苛み、音波が意識を撹乱する。

 

さらに、爆発する血液により、それらの威力は強化される。

 

 

「ジィィィ……」

 

 

陽炎の呼吸 ()ノ型 突沸(とっぷつ)血潮(けっちょう)裂焦(れっしょう)

 

 

――ジュッ!

 

 

血液操作を最大活用して伸長させた剣。

 

そこに宿る大量の血液を超圧縮し爆発、爆発の衝撃を余すことなく斬撃の威力に変えて振るわれる、最大威力の一太刀(ひとたち)

 

 

さすがに、これを強度を落とした身体で受けるのは危険なので、

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

月の呼吸を使って相殺した。

 

 

 

「っ――はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、ふぅー……しのがれたー」

 

「今日の剣は迷いがなかった分、荒かった。要所(ようしょ)要所での粗が目立った、な……」

 

「うん。わかってる、ふぅはぁー」

 

 

メラは剣を抜き身で持ったまま、舞台の上で寝転(ねころ)がる。

 

汗だくになった額を雑に手で(ぬぐ)った。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、ふぅはぁー……」

 

 

 

メラは大の字の仰向けで空を眺める。

 

 

「ねぇ、お母さん、死ぬの?」

 

 

荒い息遣いが整って静かになったころ。

 

剣を思いきり振るって、ある程度は気が晴れたからだろうか。

 

これまではっきり言わなかったことを、メラは(しぼ)り出すように口にした。

 

 

ヴェラの死。

 

私には具体的にいつそれが訪れるのか、わからない。

けれども、このままだとそれが近いことはわかる。

 

メラも同じようにわかっているだろうに、訊ねるのは否定してほしいからか。

 

 

「できる手は打つ。ただ、上手く行くかはわからない」

 

「死ぬかもしれない?」

 

「…………九割九分、上手く行かずに死ぬと見ている」

 

 

「お母さん、死ぬの?」

 

 

「…………あぁ、そうなると思っていい」

 

「やだ」

 

 

がばり、メラは身を起こす。

 

うつむき、再び、やだ、と口にする。

 

 

「死ぬってなに? なんで死ぬの? なんで死ななきゃなんないの?」

 

「…………」

 

「ねぇ、お姉ちゃん――クレアお姉ちゃん、なんでお母さん死ぬの? なんでクロウシは死んだの? なんで?」

 

 

なぜ、と訊かれても、黒毛の大牛は寿命で死んだし、ヴェラが死に向かっている原因は私にはわからない。

 

魔力は私が供給しているし、ヴェラが(よど)みなく循環させている、身体の機能は正常に働いている――なのに、ヴェラは死に向かっている。

 

だから、なぜ、と訊かれても正確にすべてを答えられない。

 

 

しかし、メラが疑問を(てい)しているのはそこではないのだろう。

 

この子が疑問を呈しているのは、もっと根本的なところ――。

 

 

「死ぬから死ぬ。それ以外は、わからん……」

 

 

――生きものがなぜ死ぬのか、という点だ。

 

 

生まれてきたから死ぬ。

 

増えた分だけ減らなければならない。

 

劣化した形質(けいしつ)が血を汚すのを防がなければならない。

 

もっともらしい理屈は語れるが。

 

それは『死』がこの世に存在するから、『死』を理解しあるいは受け入れるために正当化した、後付けの理由に過ぎない。

 

 

(――なぜ、死があるのか。その問いには、あるからある、ただそういう現象がある、以上のことは言えない)

 

 

「お姉ちゃんでもわからないの?」

 

「神ではないからな……」

 

「神さま? 神さまって女神さま? じゃあ、女神さまならわかる?」

 

「あぁ……いや、どうだろうかな、わからん」

 

「わからんのかぁ、お姉ちゃんでも……」

 

 

メラの橙の目が、遠くに建つ石の建物を映す。

 

建物の中で、いまは眠っている者を見つめるように。

 

 

「おかしい」

 

 

(かわ)いたのどからあえぎが()れる。

 

 

「おかしいよ」

 

 

カリ、カリ、と指が細い首筋を()く。

 

 

「おかしい」

 

 

ジリジリ、ジリジリ、苛立(いらだ)ちが周囲の空気を焼き()がす(さま)を幻視する。

 

 

(――これは……この感じは……似ている。あの御方に……)

 

 

「なんで? なんで死ななきゃいけないの? なんでみんな嫌なのに、みんな死ななきゃいけないの? おかしいよ、おかしい」

 

 

カリ、カリ、カリ、カリカリカリカリ。

爪が突き立つ首からはついに血が流れる。

 

それでもメラは首を搔くのをやめない。

 

 

「みんな嫌がること――無理やりやらせるなんて――こんなの――こんな世界――間違ってるよ」

 





〇オリ呼吸紹介

陽炎(かげろう)の呼吸
……行きすぎた太陽の恵みは(やく)となって降りかかる。発生する特殊な振動波や音波により、剣を合わせている相手に神経の麻痺、骨への負荷、意識の撹乱(かくらん)などの効果を与える。日の呼吸の派生で、系統としては雷の呼吸に近い。
ちなみに、メラは両刃の剣を使っている。


・壱ノ型 熱波揚々(ねっぱようよう)……くるくる回りながら、下から上へ斬り上げる型。剣を合わせた相手に独特の振動を伝え、神経の麻痺と骨の疲労を生じさせる。無防備に防御し続ければ、神経がちぎれたり、骨が疲労骨折したりする。

・弐ノ型 終日晴天(しゅうじつせいてん)炙羅照(あぶらで)り……剣が何かに当たった瞬間に、剣に伝わせた魔力を込めた血液を超圧縮し爆発させることで、振動に衝撃の上乗せ、斬撃の威力の上乗せを行って相手にダメージを与える型。身体を左右に揺らしながら(ときどき衝撃を逃がすために身体を回しながら)、斜め前もしくは横への斬りつけを連続で行う。

・参ノ型 夏日(かじつ)()わつき……剣をどこかに打ったときに発生する独特の音波が、意識を揺らす。立ちくらみする。

・肆ノ型 突沸(とっぷつ)血潮(けっちょう)裂焦(れっしょう)……剣に伝わせた血液に魔力を込めて、超圧縮し爆発させる。込められた魔力を制御し、爆発で生じた威力をすべて斬撃に回す。必殺の一撃。


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21.カグツチ3


死亡フラグを立てまくっているのに、けっきょく死なないヒロインっぽい存在を書きたかった


 

「ご主人さまーお嬢さまー、ただいま帰りましたー!」

 

 

不穏(ふおん)な空気になっていた場に、高い声が届く。

 

 

「――っあっ、ミーコ。おかえりー!」

 

 

ふっ、と尖っていた気配が(ほど)けて、メラは遠くから歩いてくる特徴的な外套――フードに猫の耳の飾りが付いている――へ手を振る。

 

 

目いっぱい手を振る姿は、7歳の女の子。

 

あの御方ではない。

 

 

掻き(やぶ)られて血を流していた首の傷も、見る間に治っていく。

 

心臓を操作する過程で血液に魔力を込めているメラの再生力は、鬼化を習得していない現段階でも高い。

 

 

「ふぅ……」

 

ため息を吐く。

 

知らず、入っていた肩の力が抜けた。

 

もう一度、ふぅ、とため息を吐く。

 

 

(――ダメだな。弟のことといい。どうにも、前世の記憶に引きずられている。最近は、特に……)

 

 

生活に余裕が出てきて、これまで落ち着いて向き合うことが出来なかった記憶を、頭が勝手に整理しようとしているのかもしれない。

 

もしくは逆に、“私”にとってヴェラの存在が思いのほか大きくなっていて、心が乱れているのか。

 

この身体にとっては一歳のときから、人生の大半を共に過ごした相手なのだから、あり得ない話ではない。

 

 

「わっ、どうしたんですか、お嬢さまっ! ウマそうなニオイさせやがって(そんなっ、首からたくさん血がっ)

 

「フスッ、フスッ」

 

 

思わずといった様子で舌なめずりするミーコの後ろにには、雨がっぱを着た茶色の大ねずみ――ビビンバが着いて来ている。

 

 

ビビンバの背中には、縄で縛られくくられたオオトカゲの死体。

 

岩石地域に生息しているやつだ。

 

 

どうやら、川を越えた先の隣の山に行っていたらしい。

 

どちらとも、強くなったものだ。

 

 

「うん? あっ、ミーコは血がごはんだもんねっ。――()めていいよ?」

 

「マジで?! いいんですか!」

 

「舐めるだけね?」

 

「わー☆ いただきまーすっ!」

 

 

「仲がいいな、相変わらず」

 

「フス?」

 

 

それまでまともな名前がなかった黒猫の獣人に、ミーコという名前を付けたのはメラだ。

 

 

だからなのか、メラとミーコはとても仲がいい。

 

よく二人で何かしている姿を見る。

 

ミーコの態度には多分に打算が含まれているのだろうが、おそらく、それだけではない。

 

本人に自覚があるのかはわからないが。

 

 

「れろ、れろ、れろ」

 

「んゅ」

 

 

「私たちは先に帰るか」

 

「フスッ」

 

 

ミーコがメラ首筋に残った血を舐めとる様に背を向ける。

 

 

二人はそっとしておこう。

 

そのうち、帰って来るだろう。

 

 

とりあえず帰ったら、身体を洗うことにしよう。

昨夜からいまにかけて、戦いで溜まった汚れを落としたい。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「ミーコ、お母さん死ぬって。ほんとに死ぬの?」

 

 

いたずらに高原を荒らさないように、作られた石の舞台の上。

 

 

片や夏の暑さの中で外套を着込む黒猫の少女、片や袖がないワンピースを羽織る黒髪の少女。

 

二人、座って向き合った状態で、つないだ両手をぶらぶら揺らしながら、会話をしていた。

 

 

「さぁ~……どうでしょう。ご主人さまは~?」

 

「どうにかするって。――でも、できないかもって」

 

「あぁ~……ついに、やるのですね~」

 

 

黒髪の少女――メラが口にした『どうにかする』方法に、心当たりがあった黒猫の少女――ミーコはそれを思い浮かべる。

 

 

(――いくら自力で鬼化できないからって、鬼の血を飲ませて直接鬼化させるなんて、それこそムリだろ)

 

 

それをやるくらいならば、もっと別の空想じみた方法。

世に伝わるおとぎ話のような手段を探したほうが、まだ可能性がある。

 

と、他でもないクレア本人が先送りにし続けた方法だ。

 

 

「ミーコはお姉ちゃんがなにするのか、知ってるの?」

 

「はい。話を聞いただけですけど……」

 

 

ミーコは、クレアが鬼について調べるために様々な検査や検証の対象にされた、被検体であり実験体だ。

 

 

そのとき、鬼の血を他者に摂取させ、直接その対象を変質させることで、鬼化させることができる可能性を口にしていた。

 

 

他にも、血液(ごはん)をもらいに部屋を訪れたときなどに、独り言を漏らしていることがある。

 

そのとき、ミーコが(たず)ねれば、隠してもいずれ気が付くだろうと判断して、内容を聞かせてくれるのだ。

 

――眷族を作るなら責任は取れよ、眷族の罪は主が負うことになるぞ、と(くぎ)を刺されて。

 

 

「お母さん、たすかる?」

 

たぶん(さぁ~)そのまま死ぬよな、理論上?(ワタシにはなんとも……)

 

「やだっ! お母さん、死んじゃやだっ!」

 

「あっヤベッ」

 

もっとも言葉に気を付ける場面で、ミーコの悪癖(あくへき)が発動した。

 

本音と建前を言い間違えて、本当のことを言ってしまった。

 

つないだ手を放したメラに、肩を(つか)まれて、前へ後ろへ揺さぶられる。

 

 

「お母さん、死ぬのやだよっ! やだ! どうすればいいの?! ねぇ、どうすればいいの、ミーコ!」

 

「ヤ、まだ死ぬって、決まったワケじゃないですよ~。

――そりゃー、魔力を練り込んだ血を根幹(こんかん)にしている鬼に、魔力精製できない奥さまが、なれるワケないですケド」

 

「血? 鬼?」

 

「ヤベッ」

 

 

メラも鬼の存在は知っている。

 

血液操作の技術を(みが)いているメラは、なりたいならいつかなれるようになる、と。

その素質はある、と。

 

言われていた。

 

 

しかし、いまの練度では、鬼になるとなかなか人間に戻れなくなる。

 

そのため、あと数年間はなってはならない、と止められていた。

 

 

「鬼になれれば、お母さん死なないの?」

 

「ア~、でもそれは、ほぼ不可能っていうか、机上空論ですらないカケっていうか~……ネ?」

 

 

対象に、主の血を飲ませて、直接身体を操作し、変質させれば鬼になる。

 

しかし、それはあくまで鬼になる手助けをするだけ。

鬼になったあと、その鬼の身体を維持(いじ)するのは、鬼にされた対象自身なのだ。

 

魔力を練り込ませた血――鬼の血ともいうべきものを命の根幹に()えている鬼は、自らで鬼の血をつくり出し鬼の身体を維持しなければならない。

 

 

だが、いま会話の主題となっているヴェラは、自力で魔力が精製できない体質である。

 

自力で魔力が精製できないヴェラに、血と魔力が必要な鬼の血をつくり出すことは不可能であり、ゆえに理論上、ヴェラは鬼になることができないのだ。

 

 

「え~と、え~と、そうだっ。ヒトとして生きてヒトとして死ぬのも選択のひと――」

 

「ミーコ」

 

威圧感。

 

それは天性のものか、十に満たない幼子が発するには不相応(ふそうおう)な焼け焦がすような威圧感。

 

 

常人なら少し浴びるだけでくずおれるほどのそれが、メラから全方位に放たれていた。

 

 

「はい」

 

「 お し え て 」

 

 

元来、臆病(おくびょう)な気質のミーコは、正面から詰め()られるのが苦手だった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

浴室で水浴びを済ませると、ヴェラの部屋へ足を運んだ。

 

 

個人の私室の中では一番、居間に近い。

 

 

扉を開けると、ヴェラはベッドの上で上半身を起き上がらせて、いつものように縫いものをしていた。

 

 

「悪魔さん、お帰りなさいっす」

 

「もう、大丈夫なのか?」

 

「まぁまぁ大丈夫じゃねぇっすねぇ。縫いものくらいしかできねぇっす」

 

「休みは取れよ?」

 

「言われなくても、疲れたら寝てるっすよー。趣味で寿命、縮める気はないんでー」

 

 

木製の戸を開けて、部屋に風を通す。

 

 

吹き込む夏風に涼しげに目を細めた。

 

 

風に消されたロウソクの煙が、高い位置にある採光(さいこう)(まど)から抜けていく。

 

 

「ヴェラ、お前は……生きたいか?」

 

「悪魔さん? なんすか、いきなり?」

 

「日に日に、体力は落ちている、体も動かなくなっている。――死が見えるだろう」

 

「そりゃあ、そーでしょーけど……はっきり言われると、クルものがあるっすねぇ」

 

あっはっはっ、と軽く笑う。

 

自分でも、なるべく深く考えないようにしているらしい。

 

 

「例えばひとを辞めてでも、生きたいと思うか?」

 

「ひとを……? あぁ、悪魔さんたちがやってた鬼になるってやつっすか……? あれは、あたしには、どうやってもできなかったんすけど……」

 

 

ヴェラの言うとおり、魔力が自力で精製できない体質を改善する可能性に()けて、鬼化の習得を試みたことがあった。

 

魔力の操作能力は明らかに必要水準を超えていたので、あとは魔力と血液を練り、身体を変質させれば鬼化が可能なのではないかと期待した。

 

 

結果は、失敗。

 

ヴェラはどうやっても、魔力と血液を練ることができなかった。

 

本人の所感と傍から見た感想から、何が起こっているのか推測するなら、魔力と血液が反発している。

 

私やベアトリクス、メラやミーコでも起こらなかった現象で、魔力と血液が水と油のように()け合わない関係になっていた。

 

 

検証してわかったことは、おそらく他人の魔力と自分の計画を練り合わせることはできない、ということだった。

 

 

「たしかに、自力での鬼化は成せなかった。が、鬼化には別の方法がある」

 

「別の方法? 別の名前じゃなくて? そんな都合のいいこと、あるんすか?」

 

「ある。都合はよくないが、可能性としてだ……」

 

「可能性ぃ?」

 

 

胡散(うさん)(くさ)げに首を傾げるヴェラ。

 

実際、これからする話は、上手く行くとは自分でも思えないようなことなので、その反応は間違っていない。

 

 

(――間違っていないが、なぜか腹が立つ表情だな……)

 

 

話を続ける。

 

 

「先に言っておくと、上手く行かない確率が高い。ただ、活路があるとすればそれしかないというのが、色々と探しまわった結論だ」

 

「治療法が見つからなかった、ってことっすね?」

 

「端的に言えば。

正確には、資料に存在が記されているだけの、古代のアーティファクトや幻の秘薬にも可能性があった。が、手に入れられる見込みがな……」

 

甲斐(かい)(しょう)が足らんかった、ってことっすね」

 

 

(――死ぬまえに、一回くらい殴っていいのでは?)

 

 

「……とにかく、この方法で鬼化を試みれば、生きれる可能性は皆無(かいむ)ではない。失敗すれば死ぬ。

――どうする?」

 

「ん~~」

 

 

私の問いに、ヴェラは窓の外をしばらく眺めた。

 

そして、一つ、(うなず)いた。

 

 

「じゃあ、死にますよ、あたし」

 

 

意外な言葉だった。

 

私がこれまで(せっ)して来た、私が知るヴェラなら、何がなんでも生きのびようとすると思っていたからだ。

 

可能性がどれだけ少なかろうとも。

 

 

(――偽物……? いや、気配もにおいも動きも、ヴェラだ……)

 

 

「意外そうっすねぇ、悪魔さん。――あたしも意外っすよ」

 

「なぜ?」

 

「なぜって訊かれても、わかんないっす。困るっす。

なんかわからんけど、最近になって、もう死んでもいいんじゃないかな、って思うようになったんすよ」

 

 

ヴェラの、娘のメラにも引き継がれた橙の瞳と目が合う。

 

とても澄んだ、これまでで一番透き通った瞳だった。

 

 

(――あぁ、この目は……。本当に昨日今日で、前世を思い起こす出来事が多すぎる……)

 

 

「悪い気分じゃないのに、もう死んでもいいって思う。こんなこと、初めてっす。

じゃあ、この機会を逃す手はないじゃないっすか。

 

――この機会を逃したら、もとの死にたくないあたしに戻るじゃないっすか。

 

――そーすると、この先ずっと、死んでもいいって思えるタイミングが来なくなるかもしれないっす。

 

――それで、最期(さいご)には、死にたくない死にたくないって、泣きながら死ぬことになるんすよ。

 

――じゃあ、気が変わらないうちに死んどいたほうがいいじゃないっすか」

 

 

「………………」

 

 

「だから、死にますよ、あたし」

 

 

ふぅ、と言いたいことを全部吐き出し終えたように、満足げに息を吐くヴェラ。

 

 

「そうか……」

 

と、声に出すしか私にはできなかった。

 

 

 

そこに、

 

「お母さん!」

 

 

突然、部屋のドアが開けられて、なぜか猫耳を生やしたメラが飛び込んで来た。

 

 

猫耳は黒い色で、毛並みが少し荒い。

 

 

(――あの毛並みは、ミーコの耳……?)

 

 

 

飛び込んで来た勢いそのままに、ヴェラに(つか)みかかるメラ。

 

ベッドの上のヴェラはギョッとして――いや、「かわわわ」と口から聞こえる――メラの猫耳に目が行って外せなくなっているようだ。

 

 

ヴェラが実の娘に魅了(みりょう)されている間にも、私がなぜメラにミーコの耳が生えているのか首を傾げている間にも、事態は進行する。

 

 

(――ん? メラのにおいがしない。同じ部屋にいるのに……まるで、ミーコのように……?)

 

 

「生きて!」

 

「んんん?!」

 

 

掴みかかったヴェラの身体を押し倒し、その口に(くちびる)を重ねるメラ。

 

なんのつもりか、動揺するヴェラ。

 

 

「?! まずい! ヴェラ、吐き出せ!」

 

「んんん?!」

 

 

()()が、メラの口からヴェラの口内に入ってようやく、気が付いた。

 

 

(――血のにおいっ!)

 

 

においから、その血はメラの血だ。

 

それは確実だけれども、これまでのメラの血とは決定的に異なる異質な魔力が血に流れているのを感じる。

 

ミーコと同じ、私が鬼化したときと同じ、ベアトリクスが鬼化したときと同じ。

異質な魔力。

 

 

(――つまり、いまのメラは鬼化しているっ!)

 

 

ボォッと、炎が上がった。

 

それはベッドの上から、ヴェラがいた場所から上がった。

 

 

ボォッ、ボォッ、ボォォオッと、執拗(しつよう)に燃やし尽くす。

 

普通とは違う、橙色一色の明るすぎる炎。

 

 

メラは炎が上がったときに発生した風に吹き飛ばれされて、転がった壁際の床から呆然(ぼうぜん)とその光景を見ていた。

 

 

永遠にも思える、たったの数秒。

 

橙の炎はヴェラのベッドの上で燃え続けた。

 

 

そして、そのあとには、

 

 

「お母さん……?」

 

 

ベッドの上には、黒い炭のかたまりがあって、さっきまであったヴェラの姿はそこにはない。

 

 

橙色の炎、流しこまれた血、鬼化しているメラ。

 

すなわち、これは、

 

 

「血鬼術か……」

 

 

メラが発現させた血鬼術なのだろう。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「お母さん……? お母さん……、おかあさーん!」

 

 

炭のかたまりに、あるいは、部屋のどこかにいるかもしれないヴェラに呼びかける声。

 

 

だんだんと悲痛なものになっていく。

 

 

そんなメラに生えた猫の耳がぐにゃん、とつぶれて、団子になってメラから外れる。

 

ワンピースの内側、尻のあたりからも猫のしっぽのようなものが落ちてきて、さっきの団子と合流した、

 

 

そして、メラのにおいが(あら)わになった。

 

そのにおいはもう人間のものではない。

 

魔力も異質なものであり、血の流れ方も異常である。

 

 

「鬼になったのか……」

 

 

メラから外れた黒い団子がぐにゃんと変形して、一度、猫の形になった。

そして、またぐにゃんと変形し、人の形をとる。

 

それは、黒猫の耳としっぽの獣人――ミーコだった。

 

 

「血鬼術 化け猫モード・融合形態、解除……っと。ハァ、マジか……」

 

「お前が鬼にしたのか……?」

 

 

もう、大方の種は割れた。

 

ミーコは、彼女は彼女なりに鍛練なり経験なりを積んで、力を磨いていたらしい。

 

血鬼術を、自分だけでなく他者に(ほどこ)す技を編み出していた、ということのようだ。

 

 

「成り方を教えたのはワタシデス……。眷族化したわけじゃないですヨ? お嬢さまは自力で鬼になりました。

それで、奥さまの鬼化に協力することになって。ご主人さまがためらうようなら自分がって……。

まさか、こんなことになるナンテ……」

 

「そうか……」

 

「冷静デスネー、ご主人さま。ワタシの見立てではもっと動揺すると思ってました」

 

「いや、動揺している……。同時に納得の気持ちが大きい……」

 

「なっとく?」

 

 

「メラの心臓はヴェラのものだったのか……と。

あぁ、そういえば――

 

――前世でも、こんな鬼がいたな――

 

と」

 

 

(――たしか、妓夫(ぎゅう)太郎(たろう)堕姫(だき)だったか……)

 

 

「ぅぁあああ!! ぁああああ! ママぁーー!!」

 

「なんすかー?」

 

 

「ん?」

 

「ママぁあぁ――ん?」

 

 

ビリッ、とメラの服が破れた。

 

ぺちゃ、と床に落ちたのは肉塊、脈打つそれは心臓の形をしていた。

 

メラの身体から、服を破いて心臓が飛び出てきたのだ。

 

 

「?!!」

 

「?!!」

 

 

心臓からは血が流れ出て、この血は床に広がらずに、糸のように編み込まれていった。

 

さっきのミーコと似た光景。

 

編まれた血は、やがてひとの形をとる。

 

 

グー、パー、と手を開閉するそれはさっき燃え尽きたはずのヴェラ。

 

その身は鬼の気配を放っているが、たしかにヴェラのものだった。

 

 

「ママ?」

 

メラがおそるおそる声をかける。

 

 

「なんすか、メラ」

 

ヴェラはそれに(やわら)らかく応えた。

 

 

「ママぁ! ぁああああ!!」

 

 

気持ちがあふれ出したメラが、その胸に飛び込んだ。

 





〇オリ血鬼術紹介

・血鬼術 熾火(しか)贈火(ぞうか)
……メラが発現した血鬼術。
自分の魔力を練った血液を材料にして、他者の魔力もしくは血液に着火する。
一度、これで火を着けられると、高密度の魔力で消火するか魔力を練った血液で隔離するなどの対処を取らない限り、炭になるまで燃え続ける。


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22.鬼人(きじん)

 

九割方、推論になるが、何が起こったか説明すると次のようになる。

 

 

まず、魔力を精製するための中核、もしくは魔力を発生させる座標(ざひょう)のようなもの――これを仮に魔力座標と呼ぶとして。

 

出産するまえのヴェラは、体内のどこかにこの魔力座標を保持(ほじ)していた、あるいは、構築(こうちく)していたものとする。

 

 

しかし、何らかの要因で、出産時か出産直前に、ヴェラの魔力座標は実の娘であるメラに移った。

 

 

これにより、自分のものと母親のもの、魔力座標を二つ抱えることになったメラの体内では、別々の魔力同士が反発するような事態が発生。

 

その反発による問題に対処するために、母親の魔力座標に心臓という形を与えて、半ば隔離(かくり)することで、どうにか安定させた。

 

 

そして、その鬼化したメラがヴェラに血を飲ませ、眷族化したことで、メラの身体とヴェラの身体は肉体的・魔力的に接続。

 

メラが体内に保持している二つの魔力座標の内の片方――すなわち、心臓は本来の(あるじ)と接続したことで、融合。

 

 

結果、ヴェラは、メラの二つある心臓の内の一つに宿ることになった。

 

そういうものだと推察し、とりあえずの結論とした。

 

 

メラの血鬼術が突然発現・発動したのは、メラ本人の素質と、ヴェラが融合したことにより鬼としての力が急激に増大したことが原因と思われる。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「うわー、よく燃えてるっすねぇ、あたしの()(がら)

 

 

あっはっは、とベッドの炭を指をさして笑うヴェラ。

 

 

「さすが、あたしの娘、天才っすね」

 

嬉しそうに頷く。

 

ずっと、抱きつきっぱなしの娘の頭を()でた。

 

 

「ママ、ママぁ! ごめん、ごめんなさい!」

 

 

それに対して、慟哭(どうこく)を止めないメラ。

 

 

「何がっすか。あたしはこうやってピンピンしてるっす。謝るようなことなんて、ないじゃないっすか」

 

 

「死ぬとこだった!」

 

「結果よければ、ってやつっすよ。よかったんだから、よかったでいいんすよ、メラ」

 

 

「運がよかったんだよ!」

 

「じゃあ、それでいいじゃないっすか。もしも、こうだったらとかは、気が向いたとき、(ひま)なときに、考えればいいっす!」

 

 

「でもでもでもっ」

 

なおも言い(つの)ろうとするメラから、くぅと腹の虫が鳴く音がする。

 

 

「おなか空いたぁ……」

 

くしゃくしゃの泣き顔で、つい漏れたという風のメラのつぶやきに、

 

「ぷはっ、あっはっは! そりゃ大変っす、泣いてる場合じゃないっすね! あっはっは!」

 

「むぅぅ?」

 

笑ったヴェラにメラが不満げに(ほお)(ふく)らませて、空気が自然なものに戻った。

 

 

とはいえ、いまのメラは鬼化している。

 

たかが腹が減っただけ、と言うには、その内容は不穏(ふおん)なものだ。

 

 

「……お姉ちゃんおいしそう」

 

「……とりあえず、血だな。足りなければ、足りない分だけ肉だ」

 

 

メラの魔力操作、血液操作の練度から『人化』を習得するには二、三年の月日を有するだろう。

 

それまで、鬼としての食事を行うことになる。

 

 

とりあえず、ミーコがやっているのと同じ、プログラム。

 

少しずつ、自力で精製(せいせい)する分の栄養の割合を増やしていき、いずれ『人化』の完全習得を目指す、食事での訓練をやって行こう。

 

 

メラが、ヴェラの胴に回していた腕を解いて、私の首に手を回す。

 

離れていくとき、あぁ、とヴェラが(さび)しげに声を上げた。

 

 

「えっと、どうすればいいの?」

 

「ガブッ、と本能のままかぶり付いちゃってヘーキですよ~、お嬢さま。

ご主人さま丈夫なので、まず死にませんしィ。傷の具合も、こっちが飲みやすいようにチョーセイしてくれますから~」

 

と、ミーコがメラにアドバイスする。

 

ふふん、と得意げだ。

 

 

「じゃあ、いただきます」

 

「ゆっくり、飲め」

 

 

「――ガブッ、んっ……ん、ん、ん……んゃ?」

 

「一旦、飲み込んだほうがいい、(あふ)れている」

 

 

私に言われ、メラは口を離し、その(はし)から垂れている血を(ぬぐ)った。

 

ペロリと指に付いた血を()め取る。

 

 

「ぅん、ん……。もう一口」

 

「好きにしていい。まずは、どれくらいで自分が満足するのか、確認するのがいい……」

 

「うん――ガブッ、んっ、んっ、ん……」

 

 

(――しかし、メラまで鬼になってヴェラもメラと融合、となると、いよいよ私しか人間の血肉を供給できなくなったな……。

ミーコが『人化』を習得するには、もうしばらくかかるし……)

 

 

ただ、逆に言えば私だけが普通に食事を摂れていれば、ミーコとメラとヴェラには私の血肉を与えればいいということでもある。

 

かえって、食事の用意にかかる手間は減った、と言っていいだろう。

 

 

前世では自分がそれをやりながらも、人食いという行為に(おぞ)ましいという感想を抱いていた。

が、こうして見ると、鬼というのは一種類の食物だけで満足する、謙虚(けんきょ)な生きものに……いや、見えないな。

 

やっぱり、悍ましい。

 

 

「ご主人さま~ワタシも~☆」

 

メラに血を吸わせているのとは逆、後ろから黒猫が抱きつく。

 

(――猫なで声のお手本のような声だな……)

 

 

「お前は反省しろ」

 

「そんな無体な~」

 

 

メラはヴェラが許したので、私から何か言うことはするまいが、ミーコが不用意(ふようい)にヴェラの鬼化に協力したことは別だ。

 

 

いろいろな要素が重なって奇跡的にいい結果になったが、何か一つでも欠けていれば、ヴェラは普通に死んでいた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

ヴェラが鬼化したメラと融合し、ヴェラの健康面での問題も一応は解決した、それから一年。

 

 

日射しに弱いとはいえ、身体が自由に動くようになったヴェラは、しばらく続いた不自由な生活で溜まった鬱憤(うっぷん)を解消するかのように活発に動きまわっていた。

 

 

(はかな)い様子で、死んでもいい、とか言っていたのが嘘みたいに、生命力に溢れている。

 

 

「じゃあ、じゃあ、お母さん、これやってみて! ヘビ! ヘビ!」

 

「ヘビっすかぁ、やたら、しぶとそうっすけど、合成素材としてはどうっすかねぇ」

 

「お母さん、がんばって!」

 

「おっしゃあ! メラが応援するなら百人力! やってやるっす!」

 

 

最近は、ヴェラも鬼の力に慣れて『なんか最初っから使えた』という血鬼術を使っていろいろな実験を行っている。

 

 

ヴェラの目前で縛られているのは、岩石地域のオオトカゲと夜になると飛びまわる普通のコウモリ。

どちらも生きている。

 

さらにそこに、メラがいま捕まえて加えた、こちらもこの辺りではざらに見かけるヘビ。

 

 

(――オオトカゲとコウモリ……前回はここにカメを合わせて、失敗したのだったか……)

 

 

(ひかえ)え目に言って命を(もてあそ)ぶ行為だが、これも経験か。

 

実験結果という(かて)は得ているから、無為(むい)に殺しているというわけではない。

 

 

(――殺されるほうからしたら、同じだろうが……)

 

 

「んじゃ、行くっすよー!」

 

 

血鬼術 天依(てんい)融縫(ゆうほう)魄魄(はくはく)合一(ごういつ)

 

 

ヴェラの指から赤い血の糸が伸びる。

 

 

伸びた糸は、まずオオトカゲ、次にコウモリ、最後にヘビ、に(まとわり)わり付き、

 

「ガッ」「ギィ!」「シィャッ」

 

その(からだ)の中へ侵入する。

 

 

「ここを、こうして……腕はコウモリの骨格でオオトカゲの肌で膜を薄く大きく……」

 

 

三体の生きものに侵入した血の糸をヴェラは操って行く。

 

初めは不規則に(から)んでいた糸は、だんだん規則性を感じるものになり、三体の生きものの躰をつないでいく。

 

 

そして、血の糸に引っ張られて、オオトカゲとコウモリとヘビが一つに合わさって、

 

「クゥァアアアア!!」

 

あとには、前脚が翼になった、トカゲに似た生きものが一体だけいた。

 

 

咆哮(ほうこう)を上げて、自分をこんな風にしたヴェラに攻撃を仕掛けようとしたので、頭を地面に叩きつけて大人しくさせておく。

 

 

「やった成功っす!」

 

「ぉおおおお! すごい! ドラゴン? ドラゴン! すごい!」

 

「ドラゴンっていうよりワイバーンっすかねぇ、意識したのは。いやー我ながら天才すぎるっす、あたし~。才能ありすぎてこわいわ~」

 

 

血鬼術、天依(てんい)融縫(ゆうほう)

 

血の糸で、生きもののパーツを縫合し、融和させる血鬼術。

バラバラになった身体をつなぎ合わせて修繕したり、他者の臓器を接合して移植したりも可能。

 

その応用でいまやって見せたように、別の生きもの同士を融合させて、新しい生きものを作り出せる。

 

かなり強力な血鬼術だ。

 

 

天才、と自分で自分のことを呼んでいるのを、何も否定できない。

 

 

「あぁ~、でも、やっぱり糸の耐久、低くなっちゃうすねぇ、三体だと」

 

「ぁぁっ……ドラゴンがぁ……」

 

 

ただ、この血鬼術は強力だが、明確な弱点があって、

 

「クャアァァ……!」

 

 

血の糸が太陽の光に極端に弱いことだ。

 

 

西日に当たった合成獣――ヴェラが言うにはワイバーンが躰の(いた)るところから血を噴き出す。

 

血を噴き出したところには裂傷ができており、まるで布が裂かれたみたいにほつれた糸のような繊維(せんい)がそこから飛び出ていた。

 

 

それは夕日を浴びた場所を中心に全身に広がっていき、ついには裂傷と裂傷がつながって躰の部位が分裂するようになる。

 

最後には、バラバラになった死体が転がった。

 

 

「完全に融合してたら、血の糸が解けても無事なんすけどねー。今回も失敗っすかー」

 

「いつかドラゴン、作りたいねー」

 

「そうっすねー」

 

 

私は素振りをしていた手を止めて、バラバラになった死体に軽く、手を合わせた。

 

少し哀れである。

 

 

「ご主人さま~! ご飯できました~! 早く食べてワタシたちの血液(ごはん)くださ~い!」

 

 

そのとき、家からミーコの声がする。

 

 

私はそれを聞いて、

 

「メラ、片付けを」

 

「はい! お姉ちゃん!」

 

 

血鬼術 熾火(しか)贈火(ぞうか)

 

 

メラに後片付けを頼んだ。

 

自らの魔力を練った血液を材料にして、他者の魔力もしくは血液へ、()()()()血鬼術。

 

一度、火を着けられたら、圧縮した高密度の魔力や魔力を練った血液でしか消せない、呪いの火だ。

 

 

こちらはこちらで、わかりやすく強力な血鬼術だった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

メラが鬼化して、主に身体の状態の確認や食事への慣れなど、しばらく家から離れられない期間を経て。

また、街へ下りる日々に戻った。

 

 

目的は、生活用品の調達と魔剣士協会での資金稼ぎだが、久しぶりに街へ訪れた日からここに話の流布(るふ)が加わっていた。

 

 

ミノルをカゲノー男爵領へ送る際、彼から受けた助言を形にするためだ。

 

 

そのため、私は呼吸術と血液操作技術を教えるための武術流派をでっち上げて、流布し始めた。

 

 

呼吸術と血液操作技術を教える武術流派――その名を、鬼人(きじん)流。

 

縁壱が、鬼狩りのために技術として体系化した、すなわち人間のための『呼吸術』。

 

そして、あの御方が、鬼としての奥義として発現させた『血鬼術』、それの入門段階である『血液操作』。

 

この二つを教える流派、ゆえに、鬼人流。

 

 

私はこの鬼人流を、この世界での人々でもわかりやすいように、

 

『――生まれながらにしての剣の天才である剣祖(けんそ)ヨリイチと、

――生まれながらにしての魔術の天才である血祖(けっそ)ムザンの二人の天才が、

お互いに相手を()えんと、しのぎを(けず)った結果、生まれた流派である』

 

と、半分くらい虚偽が入ったエピソードを()えて、言いふらした。

決して、『武神』の秘伝ではない、と。

 

 

このエピソードを考案する際に、相談しに行ったミノルは言っていた。

 

――「みんなが幸せになるなら、嘘は罪じゃないさ」

 

と。

 

 

口だけで言っても、信じてもらえるかわからなかったため、一週間に一度の頻度(ひんど)で、下町の子どもやタダで教えてもらえるならばと習いに来た大人に呼吸術と血液操作を教えたりもした。

 

幸いなことに、いわゆる天才というものがこの街にもいたおかげで、約一年経った現段階で、呼吸術と血液操作の習得者は二人いる。

 

これによりやっと、待望の『武神』の秘伝ではないことの証明ができた。

 

 

そういった一年間の努力の結果、『武神』も習得している武術の流派ということで、鬼人流の名はこの街の魔剣士協会では多くの者が知るところとなった。

 

 

ただ、あまり流行りはしていない。

 

基本的にかなり(きび)しい鍛錬をしなければ習得できない呼吸術と、血液を操作する関係上どうしても傷を作らなければならない血液操作。

 

前者は言うまでもなく魔力で身体能力を強化したほうが手っ取り早いし効率がいい、後者は誰でも自傷に抵抗を覚えるし継戦能力に難がある。

 

受けがよかったのは、呼吸術と血液操作以外の、剣の振り方や立ち回り、身体の動かし方と言った部分ばかりだ。

 

 

まぁ、『武神』の秘伝だという誤解が解け、開祖の名前が少しでも知られるようになったのだからいいだろう。

 

とりあえずはこれで目的は達成、と納得していた。

 

 

だから、鬼人流の話がこの街の外にまで伝わり、こんな依頼が発行されたのは意外なことだった。

 

 

依頼名『王都の孤児院の子どもたちへの剣術指南』

指名:魔剣士見習いクレア

期間:半年

場所:ミドガル王都聖教会 南地区第三教会

依頼主:ミドガル王都聖教会

報酬:………

 

 

「どういたしますか、クレア様? クレア様は魔剣士見習いですので、この指名依頼を拒否(きょひ)することもできます」

 

「王都の、とあるが。これは、王都に移り住め、ということなのか?」

 

「移り住むというより、逗留(とうりゅう)ですかね。孤児院ですから、宿舎(しゅくしゃ)を提供するような形になるのだと思います」

 

「むぅ……それは、困る……」

 

 

剣術指南をすること自体はいい。

 

しかし、半年も家を離れるわけにはいかないし……。

 

 

「では、指名依頼を拒否するということでよろしいでしょうか」

 

 

いや、そろそろメラを街に連れて行ってもいいか、と思っていた頃合(ころあ)いだ。

 

ヴェラの問題も片付いたのだし……。

 

話し合いだけしてみるか。

 

 

「考えさせてくれ」

 

「はい、では、保留ということでよろしいですか?」

 

「ああ」

 

「承知しました」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「行きましょうっす、王都!」

 

 

と、口にしたのはメラだが、言葉にしたのはヴェラだろう。

 

メラの心臓の片方と同化しているヴェラは、メラが抵抗していなければメラの身体をある程度、動かせる。

 

その言葉は、つい飛び出してしまったといった具合の勢いだった。

 

 

「王都って、どうなとこなの?」

 

 

そして、これを同じ口で言葉にしたのは、メラ本人だろう。

 

ややこしい。

 

「王都はでかくて、ごみごみしてて、何でもあるところっす!」

 

これがヴェラ。

 

「でかい、ごみが、何でも?」

 

これがメラ。

 

 

「お前たち、ややこしいから、ヴェラは|分裂(ぶんれつ)して、しゃべってくれんか?」

 

 

「そっすね」

 

 

血鬼術 天依(てんい)融縫(ゆうほう)膚織(はたおり)

 

 

メラの襟から血の糸が()い出てきて、形を作りヴェラの身体になる。

 

血の糸だけで中身がスカスカの身体の形を作る、ヴェラの血鬼術だ。

 

外に出るために、いちいちメラの服を破くわけにはいかないからと、考え出したと言っていた。

 

 

「メラにひととの関わりさせなきゃいけない、と思ってたことっすっし、いいタイミングじゃないっすか?」

 

「でかい、ごみが、なんでも、ひとなの?」

 

 

情報量が多いからか、さっきからメラの認識が暴走している。

 

 

「ちがいますよ、お嬢さま。ひとは肉です、ごみじゃあありません」

 

「でかい、ごみが、なんでも、ひとで、ひとは肉……」

 

 

そこにミーコが加わって。ますますメラは混乱していた。

 

 

魔剣士協会の指名依頼の話を始めてから、いつの間にか居間からいなくなっていたミーコ。

外に出て行っていたのか、外套を羽織っている。

 

腕に抱えられている茶色のぬいぐるみは……ん?

 

 

「それは?」

 

「ビビンバです」

 

「ビビンバ?」

 

 

言われてみれば、たしかに、ビビンバのにおいがぬいぐるみからしている。

 

 

「フスッ」

 

「ビビンバ、ちっさくなったっすねぇー――なんで?」

 

ヴェラが首を傾げる。

 

 

「ビビンバ! 抱っこさせて!」

 

「はい、お嬢さま」

 

 

メラはぬいぐるみ――小さくなったビビンバを受け取った。

 

 

「わぁ、ビビンバがちっちゃい! かわい――くはないっ! あははっ、ビビンバだもんねっ!」

 

「フスッ」

 

――『どういう意味?!』

 

と、ビビンバの声が聞こえた気がした。

 

 

 

「すっかり忘れていたが……鬼化していたのだったな、ビビンバも……」

 

「え? 鬼って、え? ビビンバが? っすか?」

 

「あぁ、その特異な特性からすっかり意識することがなくなっていたが……」

 

 

 

あれはミーコを拾って、鬼について研究し、私自身も鬼化を試み成功した――その翌日のこと。

 

ビビンバの気配が変化していたので、確認してみると、なんと自力で鬼化していたのだ。

 

 

おそらく、ミーコを見て鬼がどういったものなのか理解し、私を見て鬼になる方法を知ったのだろう。

 

ビビンバは鬼化していた。

 

 

私も、畜生から鬼になった存在を見るのは、初めてだった。

 

だから、ビビンバのことについてはそれなりに調べた。

 

 

ビビンバの特性――つまり、血鬼術に名前を付けるのなら悪食(あくじき)

 

ビビンバらしいその血鬼術は――薬でも毒でも、有機物でも無機物でも、生物でも非生物でも、なんでも構わずに捕食し消化・吸収できる、というものだった。

 

文字通りなんでも食べることができ、もっとも特異な点として“どんな食物からでも栄養を得ることができる”。

 

つまり、ビビンバは鬼でありながら、同族もしくは近似種族を捕食しなくても、栄養を獲得することができる。

 

鬼化するまえと、まったく同じ食事を()るだけでも、問題なく生きていけるのだ。

 

 

その特異性を知った当初(とうしょ)は、すばらしいものだと興奮したものだが、鬼化と人化を繰り返し鬼人になってからはあまり興味がなくなっていた。

 

手軽にひとに戻れるのならば、ひとに戻ってからひとの食事を摂れば栄養を得ることができる。

 

 

そのようなわけで、ビビンバ自身の食生活に気を(つか)う必要がないのも加わり、すっかりビビンバが鬼化しているという感覚が抜けていた。

 

 

 

「肉体を操作して、小型化しているわけだな……。自分も王都へ行く準備はできている、と……」

 

「フスッ!」

 

「ほっといたら、いつの間にか、置いてかれそうなカンジでしたからネ~」

 

 

「さすがに、それは……」

 

(――出会ってから、九年。ずいぶん、大きくなったからな……。留守番を任せるくらいはしたかもしれん……)

 

 

「……それで、王都行きはメラ以外、賛成ということでいいのか?」

 

 

「フスッ」

 

「ワタシは、そのつもりでビビンバちゃんを連れてきましたからネ~」

 

「あたしは初めから賛成っすね」

 

 

ビビンバ、ミーコ、ヴェラのはっきりとした賛成は得られた。

 

あとは、メラだ。

 

 

「メラは初めて行く、ひとの集まりだが……行きたいか?」

 

「ん~、お母さんとお姉ちゃんは行くんだよね?」

 

「メラが行きたいなら、行くって話っすよ。正直に答えていいっす。ここの暮らしは普通に楽しいっすからね」

 

 

「じゃあ、行ってみる」

 

 

メラの賛成も得られた。

 

 

ということで、半年間。

今世では一歳のころ以来の、ひとのまちでの暮らしを始めることとなった。

 





・血鬼術 天依(てんい)融縫(ゆうほう)
……ヴェラの血鬼術。血の糸で、生きものと生きものを縫合して融和させる血鬼術。
バラバラになった部位の接合や代替部品を使った身体の修繕、生きものと生きものの同化などに使える。
血の糸が太陽の光に極端に弱く、血の糸で縫合したもの同士が完全に融和していなければ、簡単に解けてしまうという弱点がある。

・血鬼術 天依融縫・魄魄合一(はくはくごういつ)……血の糸で、別々の生きもの同士を融合させることに特化させた血鬼術。

天依(てんい)融縫(ゆうほう)膚織(はたおり)……血の糸を織って外皮を作る。耐久力は普通の人間程度しかない。


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23.浮かれるとやらかすタイプ

 

「ついに――ついに! あたしは帰ってきたぞ、王都ー!!」

 

 

ヴェラはメラの心臓として同化してればいい、ビビンバは私が持ち運べばいい、として。

ミーコとメラのペースに合わせなければならないため、移動は半月かけて行われた。

 

 

半月間でいろいろあったけども、その間の一番の成果はメラがひとが多くいる場所に慣れたこと。

 

宿に泊まるため、初めて町に入ったときなどは酷かった。

 

「たくさん(たか)ってて気持ち悪いね」「ちょっとくらい狩って(ころして)もバレないよね?」「あの女の人、おいしそうだね」。

 

王都に来るまえに、法という人間の群れの(おきて)を理解させられたことに、ホッとしている。

 

 

王都に入るまえに、大人がいたほうが面倒事が少ないということで、ヴェラに出てきてもらい、四人と一体で王都に入った。

 

 

街に入るなり、ヴェラが、目深(まぶか)(かぶ)ったフードの奥から叫んだので、

 

王都(ここ)の生まれだったのか?」

 

と私が聞くと、いや、とヴェラは首を振った。

 

 

「足を踏み入れるのすら初めてっすよ?」

 

「ならば帰って来たというのは?」

 

「なんとなくっす。ウン年ぶりの都会って感じの場所っすから」

 

 

ということらしい。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

初めて訪れるまちでやることと言えば、まずは宿を取ること。

 

 

この半月で何度もやったことで、問題なく済ませることができた。

 

 

今回、問題がなければしばらく泊まることになる宿は、商人が長期間逗留(とうりゅう)するのによく利用される宿だという。

 

市場で話を聞いてまわっていたヴェラが選んだ。

こういうところは、さすがだ。

 

 

そして、宿の部屋で金銭を四等分にして、宿のまえで(わか)れる。

 

 

「じゃあ、決めてた通りに、別行動っすね」

 

「あぁ、しばらくは、なるべく相互(そうご)干渉(かんしょう)はしない――と言っても、(めし)の関係で同じ部屋だが、な……」

 

 

「お姉ちゃん、依頼がんばってね」

 

「夜には帰ってきてくださいね、ご主人さま。血液提供(あ~ん)してくれないと、浮気しちゃいますからネ~」

 

 

ここからはしばらく別行動だ。

 

今日だけではなく、これから半年間、必要以上にお互いの生活に干渉しないようにする。

 

 

 

“王都についたら、しばらく別行動を取る”。

 

王都に来るまえに、話し合って決めていたことだ。

 

 

私たちの関係が何か、と訊ねられると、はっきりと何なのか、これという言葉を考えつかない。

 

 

ヴェラは成り行きで行動を共にすることになった元盗賊で、メラはその娘。

ミーコは(ひろ)った凶悪犯で、ビビンバは(なつ)いた動物。

 

 

家族と呼べるほど、信頼し合っていないのは確かだ。

 

メラを除いて、各々が自分以外の誰かがいなくなった場合のことを考えて、備えている。

 

 

たとえば、ミーコなら、ビビンバと行動する機会を増やしていた。

私という食事(えさ)がいなくなったときに自分が()えないように、悪食の血鬼術によってあらゆる栄養を体内に精製できるビビンバと仲を深めていた。

 

たとえば、ヴェラなら、時間があれば()いものをしていた。

あの、ひとの集落から離れた環境では、手に入れることが難しい衣服の供給により、自分の価値を示し続けた。

 

ビビンバと私は言うまでもない。

いつも孤立した場合を想定して、単独でも生きれるように備えている。

 

 

歪な関係である。

 

 

だから、一旦距離を取って、自分が何者なのかはっきりさせよう、関係を整理しよう、ということになった。

 

 

自己の存在を証明できれば自分の価値がはっきりする。

自分の価値がはっきりすれば、他者との関わり合いにおける自分のスタンスもはっきりさせられる。

 

 

血を提供する関係で同じ部屋で暮らすが、それ以外ではなるべく関わらない。

 

メラはさすがに幼いからヴェラと行動を共にするし、ミーコも放っておくには不安だから、しばらくは二人と行動を共にするが、徐々に依存度合いを低くしていく予定だ。

 

宿代(やどだい)以外の必要金銭は自分で稼ぎ、買いたいものは自分の金で買う、行動も自分で決める。

 

 

小難(こむずか)しい話を抜きにして簡潔(かんけつ)に言うと、王都に滞在する半年の間でそれぞれ自立をしようということだ。

 

 

 

ということで、私は魔剣士協会へ、ヴェラたちは仕事を探しに表通りへ、足を進めた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

王都に複数ある魔剣士協会の建物の一つで、依頼証と仮登録証を提出して、依頼の手続きをした。

 

依頼の目的地である、聖教の教会の場所を聞き出して、そこへ向かった。

孤児院は、そこに併設(へいせつ)されているらしい。

 

 

その建物は、王都の中でも市民の住居が多く集まっている区画の、近くに建っているように見えた。

 

 

王都の中には聖教の教会はいくつもあるらしいが、市民が通うならかなりいい立地なのではないだろうか?

 

 

両開きの扉を()けると、ズラリと並んだ長いすに、その奥にある女神と三人の英雄の像。

 

 

「ひとの気配は……ないな」

 

 

いまは昼時、食事のために休憩でも取っているのだろうか?

不用心だが。

 

 

「子どもの声……孤児院のほうか?」

 

 

この教会の裏手(うらて)に、煙突(えんとつ)が突き出た赤屋根の平屋(ひらや)がつながっていた。

 

こことは違う雰囲気の建物だから、おそらくあれが孤児院だろう。

 

 

また、扉を空けて外に出ると、裏手に回った。

 

 

カコン、カコン、と棒を打つ音がする。

 

赤屋根の平屋の庭から聞こえているようだった。

 

 

「スーパーウルトラバーニング最強ソード!」

 

「ダークドラゴンスケイル無敵バリア!」

 

 

カコン、カコン。

 

 

少年たちが呪文のようなものを唱えながら、木の棒と木の棒を打ちつける。

 

活発に動きながら、格好をつけて打ち合う様子から、どうやらチャンバラごっこをやっているらしい。

 

 

意気(いき)はあるようだな……」

 

 

技術とか心構えとか経験とか、当然のことながらないのだろう、まるで剣術の稽古とは呼べない。

が、やる気があるなら、私の依頼がやりやすくなる。

 

いいことだ。

 

 

「いけー! トロール召喚!」

 

「あ! ずりー! いわ、たてにすんなしー!」

 

 

棒を打ち合っていた少年の一人が、庭にある岩の裏に隠れた。

 

どうやら、あの岩を“トロール”と呼んでいるらしい。

 

 

「いわじゃないですー! トロールですー! ほら、おれのトロールは無敵だ! 倒せるなら倒してみろ!」

 

「はー?! この! この! この!」

 

 

もう一方の少年は、回り込めばいいのに、律儀(りちぎ)に盾にされた岩を突破しようと棒を打ちつけている。

 

 

「ふむ……目標があったほうがやる気は出るか?」

 

 

パフォーマンスというやつである。

 

 

私は、閉まっている門を()びこえ、平屋の敷地へ侵入する。

 

岩に棒を打ち据えている少年の隣に着地すると、その肩を叩いた。

 

 

「うん? なに?――は? おまえ、だれだよ?!」

 

「棒を()りるぞ」

 

「だれが――あれ? ない! どこだ!」

 

「イメージとしては、薄く細く物体(もの)のすき間を通すように。エンチャントする魔力は常に流動(りゅうどう)させることで、表面に(すべ)って反発する力場(ひきば)を発生させ続ける。

――この状態で余計な力も剣筋もなくして、振るうと――」

 

言いながら、少年の手から(うば)った棒で、岩を()ぐ。

 

 

使っている魔力はほんのわずか、魔境でもない草原にいる野ねずみ一匹が、たまに持っている程度の量。

 

ウワバミのウロコの魔力の流れを参考に作った、ぬるぬる滑る魔力を、物体の粒子(りゅうし)のすき間に滑り込ませて、斬ることに特化させた技術。

 

 

果たして、私が振るった棒は抵抗なく、岩を通り過ぎた。

 

 

「――魔力が込められていない、たいていの物体は斬ることができる」

 

「え……?」

 

「うそぉ……」

 

 

指で押すと、さっきの棒の軌跡に沿って岩が上下に別れて、ドス、と地面に落ちた。

 

 

「すっ――すげー!」

 

「最強ソード?! 最強ソードか?! その棒!」

 

 

少年たちは何度も斬り別けられた岩と、私とを見比べて、ぴょんぴょんと跳んで、キラキラした目で私を見た。

 

 

「二人も、がんばればできるようになる、いずれ」

 

「まじで?! うそぉ?!」

 

「ほんとにできる?! ぜったい?!」

 

 

「魔力はあるようだから、できるようになるはず……いずれ」

 

 

かなり練習しても難しいかもしれないが、理論上はできる技術だ。

 

 

「あの~、よろしいでしょうか?」

 

と、少年二人がはしゃいでいるところに声をかけてくる、老人。

 

 

白い装束に身を包んだ、聖教の司祭らしき老人だ。

 

彼が教会の管理者だろうか。

 

 

「もしや、魔剣士協会の依頼でいらっしゃった、『武神の弟子』のクレア様でしょうか?」

 

「うむ。初めて会う。剣術指南に来たクレアだ」

 

「あっ、そうですか。ボクは、この孤児院を運営する教会の司祭をしています。ホロ・オセロと申します。よろしくお願いします。

それにしても、本当に子どもで……そんな歳でもう、立派でいらっしゃる」

 

「歳は関係なく。称号も関係なく。ただの魔剣士として接してくれれば、助かる」

 

「あっ、はい。これは失礼しました。ならば、ええと、ただの魔剣士のクレアさんに訊ねたいのですが……――その石碑(せきひ)は直るのでしょうか?」

 

「せきひ……? ふむ……?」

 

 

なんとなく、地面に目を落とす。

 

上下に別れた、上半分の岩、さっきまで見えなかった岩のあちら側。

 

そこには文字らしき――いや、たしかに文字が()られていた。

 

 

『ミドガル王都聖教会 南地区第三教会

   祝 孤児院開院30周年   』

 

 

「…………。…………ふぅー」

 

 

私はため息を吐いた。

 

 

同行者がいる王都までの道のりで、知らず疲れが溜まっていたのだろうか?

 

力をひけらかすなんて、らしくない。

 

 

「……弁償(べんしょう)しよう」

 

「はぁ……」

 

 

私の降参(こうさん)の言葉に対して、司祭は困惑(こんわく)の反応で返した。

 



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24.特別司教

 

「あたち、ネネ! はちさいです!」

 

 

とりあえず、分断された上半分の岩――石碑と下半分の石碑の分断面を、布で覆って保護していた。

 

そこに、女の子が大きな声で話しかけて来た。

 

 

「おなまえ、なんてゆんですか!」

 

 

自己紹介をし合いたいらしい。

 

 

「クレア」

 

「クレアちゃんってゆうんだ! かあいいね!」

 

 

女の子――ネネは、満面の笑みで手を取って握手した。

 

 

「どこのへや?」

 

「部屋?」

 

「あっ、はい。そうですね。まずは、宿舎にご案内しましょう。半年間、住むことになる場所です、何かありましたら遠慮なく――」

 

「いや、すまない。宿を取っているから、寝泊まりはそこでする」

 

 

「ほぉー、そうでしたか。本当にしっかりしていらっしゃる」

 

「剣術指南は、明日から、ということでよいか?」

 

「はい。明日から、昼まえか、昼過ぎ、夕方ごろに来ていただければ」

 

「明日は昼過ぎ以降になると思う」

 

「かしこまりました」

 

 

まだ、王都に来たばかり。

 

慣れていないから(いそ)しくなるだろう。

 

 

「クレアちゃん、どっか、行くの?」

 

「また明日、来る」

 

「そうなんだー。わかった。げんきでね!」

 

 

ネネが手を振るのに、軽く振り返して平屋――孤児院の門へ。

 

 

「では、また明日」

 

「はい。お気を付けてお帰り下さい」

 

 

無事ではないながらも、初日の挨拶(あいさつ)を終えた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

剣術指南のために孤児院に通うようになって一月。

 

 

孤児院にはまだ言葉をしゃべれないくらいの幼児から、成人一歩手前の児童、青年まで年齢幅は広い。

 

その中でも、剣術の習得に熱心なのが、もうすぐ孤児院を出る子どもたちと剣を振るのに(あこが)れがある一部の子どもたちだ。

 

 

今世では意外なことでもないのかもしれないが、剣に興味があるのは男子だけではなく女子もだった。

 

 

たしかに、男子は素の身体能力は高いが、魔力を宿しているのなら、男女の肉体的能力の差はあってないようなものだ。

 

『武神』を始めとした、名が知れた女の魔剣士も数多く存在する。

 

 

その結果、剣に憧れを持つ者は、男子だけではなく女子にも一定数存在した。

 

 

呼吸術の訓練は、()びはねさせながら行う方法を取った。

 

 

息を常に止めさせずに、一定のペースでの息遣いを保ちつつ、跳びはねさせる。

 

そうすることで、吸うこと・巡らせることができる息の量を増やし、どれだけの息の量が自分にとって適切(てきせつ)かも自覚させる。

 

また、全身にまんべんなく、息を巡らせる訓練にもなる。

 

 

一定のペースでの息遣いを(たも)ったまま、跳びはねさせながら、何か運動を行う。

 

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、走らせる。

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、剣を振らせる。

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、拳を振らせる。

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、脚を振らせる。

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、いろんな体勢を取らせる。

 

一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、子ども同士で剣の打ち合いをさせる。

 

 

息遣いに乱れがあったり、姿勢に歪みがあったり、身体の動かし方に歪みがあったり。

そうして、息の流れ・巡りに(よど)みや(かたよ)りが生まれていたら、その都度指摘(してき)し修正させる。

 

 

だいたい30分ずつ、合計三時間くらい。

 

 

ヘトヘトになったところで一旦、休憩を取る。

 

 

そして、最後に、跳びはねさせず、地に足を着けた状態で行う模擬戦。

 

息を吸い、全身に巡らせ、吐き出すという深呼吸を一定のペースで行いながら、子ども同士での剣の打ち合いをする。

 

 

この際も、息遣いや姿勢や動き方に、乱れや淀みや偏りがあったのならば、いちいち指摘して修正させる。

 

 

私との打ち合いは、希望するなら訓練が終わったあとに可能ということになっている。

 

なかなか負けん気が強い子どもが多くて、訓練後一時間くらい、ひっきりなしで子どもたちと打ち合うことになる。

 

 

しめて五時間くらい、ほぼ毎日、昼過ぎからみっちり呼吸術の訓練を実施している。

 

 

そうやって呼吸術を教え込んでいる。

 

 

 

この一ヶ月で、私は『地獄の鬼』と呼ばれるようになった。

 

『スパルタ教官』→『鬼教官』→『鬼』→『地獄の鬼』と、呼び方が変化して行ったのだ。

 

半年後の依頼終了時には、何と呼ばれるようになっているのだろうか。

 

 

こうやって、本格的に呼吸術の指導を行って実感することがある。

 

それは、前世に比べてこの世界には、剣の才能を持っている者が多いということだ。

 

 

まだ教え始めて一月であるにも関わらず、もう呼吸術を習得しかけている者が、二十人の中に二人もいる。

 

 

これは前世で言うならば鬼才と呼べる者が、無作為に集めた二十人の中に二人もいる、という異常事態なのだ。

 

 

しかし、王都に来るまえの、もといた街の下町の子どもなどに訓練を(ほどこ)していた私は知っている。

 

このレベルの才能の持ち主は、探せばいる程度であると。

 

 

剣の才能を持つ者が、子々(しし)孫々(そんそん)とその才能を引き継ぎ、()くして行ったのだろうか?

 

何が原因なのかはっきりとわからないが、この世界には剣の才能を持つ者が多いらしかった。

 

 

 

それと、呼吸術とは別に魔力を宿している者には、剣にエンチャントすることを課題として、魔力の操作を教えている。

 

 

単に剣に魔力を込めるだけではなく、まんべんなく行き渡らせたり、表面に薄くまとわせたり。

()にだけ魔力を流させて斬撃を強化させたり、剣と身体とで魔力を行ったり来たりと循環させたり。

 

 

緻密(ちみつ)さに、重きを置いた魔力操作を訓練させている。

 

 

いずれ血液の操作を教えるために必要な過程だ。

 

人体をいじる関係上、大雑把(おとざっぱ)な魔力操作では大事故につながる。

 

だから、魔力操作は緻密さを追求する形で訓練を行っている。

 

 

この緻密な魔力操作が、鼻歌を歌いながらこなせるようになったら、血液操作の訓練に移る予定だ。

 

こちらは、暇があれば、いつでも剣のエンチャントをやるように、言い渡してある。

 

そして、三日に一度、上達具合を確認している。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

孤児院に到着すると、

 

「こんにちは」

 

その日は、見慣れない細目の司祭風の男が立っていた。

 

 

「よい日和(ひより)で……」

 

「ハイ、ほどよい日射(ひざ)しで過ごしやすいですな」

 

 

細目を歪ませた男が、言葉を返してくる。

 

 

そこから特に話を展開するということはなさそうで、にこやかにしているだけだったので、私は軽く会釈(えしゃく)をしていつもの庭の真ん中に足を進めた。

 

 

(――背中に視線を感じる……。観察されているな……)

 

 

少し気持ち悪く感じながらも、私は今日も集まった子どもたちに剣の訓練を施した。

 

 

 

 

「――ハイ。では、本日はお(いとま)させていただきます、オセロ司祭」

 

「はい。ご足労いただき、誠にありがとうございます、メッセージ司教」

 

「では、また」

 

 

子どもたちの剣の訓練を終えたのち、散らかった庭を片付けて。

教会の司祭――オセロ司祭に挨拶しに行くと、あちらも細目の司祭風の男と別れの挨拶をしているところだった。

 

 

子どもたちの訓練中、ずっと私を含めた子どもたちの様子を観察していた、あの細目の男も帰るらしい。

 

オセロ司祭に背を向けると、護衛と思しき鎧を着た連れの男と共に、教会まえの馬車に乗り込み、去って行く。

 

 

「あの男は?」

 

私は走り行く馬車に眺めつつ、オセロ司祭に(たず)ねた。

 

 

「――これは申し訳ないことをしました。言っておりませんでした。彼はメッセージ特別司教。聖地リンドブルムの教会からの視察(しさつ)です」

 

「視察……?」

 

「はい。毎年のことなのですよ。聖地リンドブルムから、ミドガル王国の各地方の教会へ視察が訪れて、きちんと務めを果たしているのか、悪事を働いていないか、確認する」

 

「なるほど……」

 

「それだけ聞くと、なんとなく気後(きおく)れしてしまいそうになるものですが、困ってることや要望なども聞いて下さる機会でもあるのですよ。ありがたいことです」

 

「それで、訓練を見ていたのも、悪いことでないのかの確認のためということか……?」

 

 

品定(ひなさだ)めしているように見えたが……。

 

 

「はい。そうですね。それもあるかもしれませんが、おそらくは聖地への“(むか)()れ”のために子どもたちを見ていたのでしょう」

 

「聖地への迎え入れ?」

 

「はい。毎年、視察の際には、将来有望な素質や才能がある子どもを見つけ出し、聖地リンドブルムに迎え入れるのです。――より高度で、専門的な教育や訓練を受けさせて、未来の聖騎士や高位の聖職者を育てるのです」

 

「それでか……」

 

 

品定めしていたのは、まさしく子どもを評価していたわけだな。

 

 

「実は、クレア様をボクに(すす)めて下さったのも、先ほどのメッセージ司教だったのですよ」

 

「私を……?」

 

「はい。メッセージ司教が子どもたちのいい刺激になるのではないか、と幼くして魔剣士として活躍(かつやく)しているクレア様のことを教えて下さったのです」

 

「そうだったのか……」

 

 

たしか、依頼主の名義はミドガル王都聖教会――このミドガル王都の聖教会を取り締まっている、本部だったな。

 

 

聖地リンドブルムに所属するメッセージ司教が、オセロ司祭に私を薦めて。

オセロ司祭が上層部に確認を取り、上層部の許可が出て。

そのまま、上層部が魔剣士協会を通して私に依頼を出した……といったところか。

 

 

(――おかしなことではない……か? 遠回りで……何か違和感があるが……)

 

 

 

 





一定のペースでの息遣いを保ったまま、跳びはねさせながら、~。


竈門家は神楽で呼吸を受け継ぎ続けたのだから、こんな感じの方法でも呼吸術を習得できるんじゃないかな、と


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25.浮かれるとやらかすタイプ×n

 

冬。

 

王都に来てから五ヶ月のこと。

 

 

「はい。特例規則による15歳以前の魔剣士の魔剣士協会本登録、手続きが完了しました。――おめでとうございます、クレア様。本日から正式に協会所属の魔剣士となります」

 

「……ん。礼を言う」

 

「こちら、登録証です。すでに十分な実績と実力が証明されているため、中位ランクからでの登録となります。よろしいですか?」

 

「問題ない。たしかに登録証は受け取った」

 

 

「はい。それでは、本登録手続きは以上になります。魔剣士協会職員として、これからも活躍を期待しています」

 

「うむ。では、改めて礼を言う」

 

 

誕生日はいつだったか、覚えていないので、とりあえず年が明けたら一つ歳を数えるようにしている私は、11歳になった。

 

 

魔剣士協会の本登録は15歳からだが、十分な実績と実力があれば11歳から特例での登録が許可されている。

 

それを覚えていた私は、王都の魔剣士協会の一つで本登録の手続きを行った。

 

 

これで、正式に魔剣士協会所属の魔剣士となり、できることが大幅に増える、らしい。

 

『武神の弟子』という称号で、これまでさんざん特別扱いを受けてきたので、あまり変わりは感じられない。

 

本来なら請けることができない討伐依頼を請けていたし、本来なら請けることができない指名依頼もいまこなしている真っ最中だ。

 

できるようになったことと言えば、金を借りることと、高ランクの昇格への挑戦くらいだろうか?

 

必要になったらやるだろうが、いまのところ必要性は感じない。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

孤児院での剣術指南を始めて、数ヶ月の間に珍しい客が訪れるようになっていた。

 

 

「こんにちは! 今日もよろしくお願いします!」

 

 

炎のように紅い髪に勝ち気な表情。

彼女こそは、ここミドガル王国の現国王の娘――第一王女のアイリス・ミドガル。

 

 

そして、彼女よりも背が高く、年齢が上なのにも関わらず、常にアイリスの一歩後ろを付いて歩くのが白銀の髪の少女。

 

 

「お邪魔します。よろしくお願いします」

 

 

ペコリ、と頭を下げる十代半ばの少女は――ミリア・オルバ。

ブシン祭の本戦出場経験者を父に持つ、子爵令嬢。

 

父親の縁でアイリスと関わり友人になって、ここには毎回、アイリスと共に訪れている。

 

 

そして、

 

「本日もお世話になります」

 

きちんと姿勢を正して挨拶をしたのが、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の大柄の男――騎士グレン。

 

アイリスとミリアの護衛をしている騎士である。

 

 

この三人がここ数ヶ月、ここに通って剣術の訓練を受けるようになったメンバーだ。

 

 

思いのほか高くついた石碑(せきひ)修繕(しゅうぜん)費用を立て替える()わりに、剣術を指導することになった。

 

 

指導する人数が増えることに問題はない。

 

子どもたちもはしゃいで、(うわ)つきながらもいつもよりやる気を出すから、こちらも良し。

 

 

(ことわ)る理由はなかった。

 

 

 

「よろしくおねがいします!」

 

 

と、今日はそこにさらに一つ、小さな人影があった。

 

年齢的にはメラと同じ、9歳くらい。

 

白銀の髪は光をつやつやと反射して、色合いは同じながらも、ミリアよりも明るい。

 

 

「クレア! 今日は妹を連れて来たのよ。ほら、アレクシア」

 

「初めまして! アレクシア・ミドガルです!」

 

9歳くらいの白銀の髪の女の子――王女、アレクシア・ミドガルは、そう気張(きば)って自己紹介をした。

 

 

(――たしか、第二王女だったか……?)

 

 

自己紹介に応える。

 

 

「魔剣士協会の依頼で、ここで剣術指南を行っている。魔剣士の、クレアと言う」

 

「く、え?」

 

 

私が自己紹介をすると、アレクシアは鳩が豆鉄砲(まめでっぽう)を食らったような顔をした。

 

ギョッとしているようにも見える。

 

 

「あっはっはっは! 驚くわよね、アレクシアも! クレアったら、誰に対しても丁寧な口調なんてしないんだから!」

 

アイリスが笑う。

 

 

これを見ると、気持ちがいい性格をしているように見えるかもしれない。

 

だが、初めて会ったときは、

 

――「目上の者に対しての礼儀作法も知らないようね。この国の王女として看過(かんか)できないわ。

――戦いましょう。上に立つ者が誰なのか直接身体に教えてあげるわ」

 

 

気持ちがいいくらいに喧嘩腰(けんかごし)だった。

 

……そのときから、気持ちがいい性格ではあったか。

 

 

「今日はこれで全員、か……?」

 

私は庭にいる子どもたちに声をかける。

 

王女たちが来てから、私たちが会話するのを遠巻(とおま)きにしていた孤児院の子どもたちは、一斉(いっせい)(うなず)いた。

 

 

「では、今日も訓練を始める」

 

「「「はい!」」」

 

「えっ? あっ、はい!」

 

 

私が訓練の開始を宣言(せんげん)すると、アイリスもミリアも、孤児院の子どもたちも力強く返事をした。

 

(おく)れて、初めて来たアレクシアの返事も。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「打ち合い、止め。――休憩」

 

「「「っはぁー……っ!」」」

 

 

走り込み、剣の素振り、拳の素振り、脚の素振り、体操(たいそう)、打ち合い。

これらを、一定のペースの息遣いを保ちつつ、跳びはねながら行う。

 

今日もこの、呼吸術の基礎訓練を一通りこなして、あとはペアを組んでの模擬戦――となるまえに、いつも通り休憩を取る。

 

 

休憩を宣言すると、訓練参加者全員が各々の姿勢で身体の息を、一気に吐き出した。

 

はぁーっ、はぁ、はぁああ! と音は様々だが、誰もが()れなく、陸に打ち上げられた魚のように必死に口をパクパクさせている。

 

 

「あたま……おかしい……。ばかでしょ……こんなん……」

 

常人には聞こえないような、かすれる声で(うめ)くのは、今日初めて参加したアレクシア。

 

 

彼女の体力も肉体も、もうとっくに限界を超えている。

 

訓練中、何度も倒れながらも、すさまじい精神力で、動けるようになる度に訓練に復帰(ふっき)していた。

 

 

土煙(つちけむり)(くもら)らされた白銀の髪が、ボロ雑巾(ぞうきん)のように庭に転がっていた。

 

 

「大丈夫ですか、アレクシア様?」

 

白銀のボロ雑巾に声をかける、もう一人の白銀の髪。

 

ミリアがアレクシアを抱き起こして、服や髪の土の汚れを(はら)った。

 

 

さすがに、三カ月以上やっているだけあって――前世基準ではおそろしい早さだが――回復が早い。

 

こちらの白銀の髪はあまり曇っていなかった。

 

 

()れタオルです。よかったら、お使いください」

 

「はぁ、ふぅ、ふぅはぁ……。ありがとうございます、ミリアさん。使わせてもらいます」

 

 

ミリアが差し出した、水筒(すいとう)の水で湿(しめ)らせたタオルを受け取るアレクシア。

 

 

「……あっ」

 

「おっと」

 

しかし、指に力が入らないのか、アレクシアの手から受け取ったタオルが落ちる。

 

ミリアは、それが地面に着くまえに、(つか)まえた。

 

 

「私が拭かせていただきますね」

 

「ごめんなさい、たのみます……」

 

 

いまのアレクシアでは自力で身体が拭けないと踏んで、ミリアが捕まえたタオルを使ってアレクシアの髪や身体や服などを拭き始めた。

 

 

「ああしてると、歳が離れた姉妹みたいでしょ?」

 

こちらも短時間で身体を回復させたアイリスが、話しかけて来る。

 

ミリアに身体を拭かれる、アレクシアを見遣(みや)りながら。

 

 

たしかに、白銀の髪は微妙に明るさが異なるが、遠目(とうめ)に見るとわからない。

 

いまは特に、砂煙で曇っているから同じ色に見える。

 

パッと見ると、血のつながりがあると判断する者は多いかもしれない……。

 

 

「実の姉としては、複雑(ふくざつ)か……?」

 

妹が、他の者を姉のように(した)うのは。

 

 

「まさか。ありがたいことよ。

あの子は自分を()(つくろ)うところがあるから、なかなか他人に甘えれないのよね。

ミリアみたいに甘えれる相手は貴重(きちょう)だわ」

 

そう語るアイリスの目は、優しげで、温かく二人を見守っているようだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

今日の訓練を終えて、私との打ち合いを望む者のみが孤児院の庭に残る。

 

 

アイリス一行は、アレクシアの体調もあって、帰った。

 

 

これから、子どもたちと打ち合いをするというときに、彼は現れた。

 

 

「ミナサン、お疲れさまです。少し、よろしいですかな?」

 

 

いつぞや、聖地リンドブルムから視察のためにここに訪れていた細目の聖職者――メッセージ特別司教だ。

 

 

「メッセージ司教……」

 

「おや、ワタクシの名前を覚えて下さっていたのですか。確か剣術指南役の――クレアサン」

 

 

(――相変わらず、品定めするような視線……いや、あのときよりずっと明らさまか……?)

 

 

「実は、今年の視察は早めに行われることになりましてね。こうして、年が明けてまだ一月の本日、王都に到着したのですよ」

 

「……別に(たず)ねてないが……」

 

「おや、ワタクシがなぜここにいるのか気になったのではないかと、説明したのですがな」

 

 

ペラペラ、ペラペラと楽しそうに、メッセージ司教は口をまわした。

 

 

顔は笑顔だが、細目の(おく)の瞳は冷たく、私の身体から目を離さない。

 

 

「本日は提案があってこうして、声をかけさせていただきました、クレアサン」

 

 

なぜだろうか、この司教に名前を呼ばれると嫌悪感が()く。

 

 

「これから、子どもたちと打ち合いをすふとこだったが……」

 

「それはちょうどいい!」

 

 

まだ、剣術指南が終わっていない。

 

それで断ろうと思ったが、この司教の反応を見るにどうやら無理らしい。

 

 

「本日はね、ぜひ、クレアサンの実力を見たい、ということで。ワタクシの護衛に付いて来た彼と、模擬戦をしてもらいたいのですよ!」

 

 

司教は、連れの、鎧を着た聖騎士をまえに押し出した。

 

おお、と庭に残った子どもたちから、驚きと感激(かんげき)歓声(かんせい)が上がる。

 

子どもたちにとっては、メッセージ特別司教は聖地リンドブルムから訪れた人材発掘家――彼に実力を試されるということは、将来要職(ようしょく)に就くための切符(きっぷ)を、手に入れるためのチャンスなのだろう。

 

 

「聖騎士になるつもりも、聖職者になるつもりも、ないが……」

 

貴様(きさま)、それは聖教に対する侮辱(ぶじょく)かっ!」

 

 

ただ、実力を測っても勧誘を受けても、私は宗教家になるつもりはない、と言っただけ。

 

なのだが、メッセージ司教が模擬戦の相手に、とまえに出した聖騎士の反感を買ったようだ。

 

 

「怖じ気づいたなら、素直にそう言って、謝ればいいものを! このような栄誉(えいよ)な機会を無下(むげ)にするとは、何事かっ!――俺様が叩き斬ってくれる!」

 

一方的にまくし立てた聖騎士の男は、宣言通りに腰の剣を抜く。

 

(あふ)れる魔力を、黄色く光らせて斬りかかって来た。

 

 

「死ねや、クソガキがぁあああ!」

 

「開始の合図もないのに、斬りかかるのは――」

 

 

聖騎士の男が放つ無駄にたくさん溢れる魔力を、高速循環する魔力を表面にまとわせた手刀(しゅとう)で斬り払う。

 

 

斬り払い、()いた魔力のすき間に身を(すべ)り込ませ、

 

「なっ」

 

「――実戦、ということでよいのか?」

 

 

男の剣を身をそらして(かわ)して、すれ違い様に手刀を脇に入れて、片方の腕を斬り落とした。

 

 

「ぅ、っ、ぅぁああああ?!」

 

 

付け根から斬り落とした腕は、まだ、剣の柄を握ったまま、ぶら下がっていた。

 

 

聖騎士の男は、ぶらんぶらんと振りまわされる腕を地面に落とすまいと、もう片方の腕で必死に抱え込もうとしている。

 

 

「ぅぁあ、ぅああ、ぁああああ!」

 

「戦意喪失、か……」

 

 

男は、腕を抱えて叫び()らすだけ。

 

さっきのような敵意も害意も、もう、ない。

 

 

唖然(あぜん)とする子どもたち。

 

何も言わない特別司教。

 

 

「メッセージ司教、これは、どういう扱いになる……?」

 

 

私が声をかけると、メッセージ司教はハッとした。

 

 

そして、わざとらしく、

 

「おーっとっと! これは大変ですねー! ワタクシの大事な護衛が、もう戦えそうにない!

いや、クレアサンは悪くありません! 安心して下さい!」

 

(さわ)ぎ出した。

 

 

(――笑っていたな……。声を上げずに、でも、心の底から楽しそうに……)

 

 

「悪いのはこの――」

 

司教は、落ちた腕を肩の切り口に押し当ててつなげようとする男の背中を、踏み付けた。

 

ぐぇ、と男がうめき声を出す。

 

 

「――聖騎士もどきですからぁ! 本当にっ、模擬戦開始の合図もないのに斬りかかるとはっ、聖職者でも騎士でもないっ!」

 

 

ゲシッゲシッゲシッ、と容赦(ようしゃ)なく男への踏み付け。

 

もはや、その男を聖騎士とは認めないらしい。

 

 

「いやー、『武神の弟子』と聞いておりましたが、まぁ、名に()じぬ実力ですなぁ! 本当に、申し訳ないことをしました! このような賊が聖教に(まぎ)れ込んでいることに気が付かなかった、ワタクシの不徳(ふとく)です!」

 

「…………それで? 子どもたちの訓練に戻ってよいか?」

 

「えぇ、えぇ! よろしいですとも!――あっ、そのまえに一つ、よろしいですかなぁ?」

 

「……手短(てみじか)に、済むならば」

 

 

「では、一言で済ませましょう――クレアサン、聖騎士になる気はありませんかな?」

 

「断る」

 

「たっはぁ! やはりですか!」

 

 

私が聖騎士の誘いを断ると、子どもたちが信じられないような顔をして、メッセージ司教は(あん)(じょう)といった反応をした。

 

司教は、たいして(くや)しくはなさそうだ。

 

 

「用は、これで終わりか」

 

「ハイ! もちろん今回の本題は、クレアサンのことでしたとも! ハイ! では、ワタクシは賊を牢屋(ろうや)に入れないといけませんからぁ! お暇しますねぇ!」

 

 

メッセージ司教は最後まで騒がしく、何が一番の原因か、ぐったりして動かなくなった男を引きずって、門へ歩いて行った。

 

 

「あぁ! 気が変わって、聖騎士になりたくなったら、いつでも、ワタクシに――王都聖教会の本部に滞在している、ワタクシにぃ、おっしゃって下さいねぇ!」

 

 

門の向こうでそんな声が聞こえて、馬車が走り去る音がした。

 

 

今度こそ、いなくなったようだ。

 

 

「きな臭くなって来たな……」

 

 

ちなみに、聖騎士の男が流した血で汚れた庭で、打ち合いをしたいという子どもは、いなかった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

翌日、泊まっている宿に、魔剣士協会からの使いが来た。

 

 

至急(しきゅう)、伝えなければならないことがある、と言うので魔剣士協会の建物へ向かう。

 

 

すると、

 

「ミドガル王都聖教会様から、指名依頼が取り下げられました。依頼は中断となります。――依頼主側からの一方的な取り下げということで、依頼の達成報酬として支払われるはずだった100万ゼニーが、違約金として支払われています」

 

剣術指南の依頼が取り下げられていた。

 





ミリアとアレクシアを見ながら、

アイリス「ああしてると、歳が離れた姉妹みたいでしょ?」


いずれ、血がつながった(注入された)姉妹になるなんて……

まぁ……愉悦ってやつですかね


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26.鬼になればいい


クレア視点一人称→ミーコ視点三人称

めちゃくちゃ長くなったけど、ほとんど閑話。
ミーコ視点からは読まなくても問題ない話。


 

ミドガル王国、王都に訪れてから五ヶ月間、順調にこなして来た剣術指南依頼。

 

しかし、前日に斬りかかって来た聖騎士の腕を斬り落としたことがよくなかったのか、依頼主のミドガル王都聖教会から依頼を取り下げられてしまった。

 

 

100万ゼニー――金貨十枚が、違約金として支払われる。

これは、依頼を達成したときに支払われるはずだった、成功報酬と同じ金額だ。

 

私としては何も損はしていない。

 

 

中途半端に終わった気持ち悪さはあるが、まぁいいか、という思いが強い。

 

 

たった五ヶ月でも、呼吸術と血液操作を習得したと言える者は十人を超えたし、開きたいなら道場を開く許可も出した。

 

私自身も、訓練を施す過程で発見はあったし、いい経験にもなった。

 

 

これで終わりならこれでもいいな、というそれなり達成感すら感じる。

 

 

「取り下げられた指名依頼の代わりに、同じ依頼主から新たな指名依頼が出されています。

――クレア様は、正式に魔剣士協会に登録した中位の魔剣士ですので、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

こちらをご確認下さい」

 

 

 

依頼名『ミドガル王国王都から、聖地リンドブルムへの道中の護衛』

指名:魔剣士クレア

期間:出発日(○○/○○)から4日~6日(+聖地リンドブルムからミドガル王国王都への復路に4日~6日、復路の交通費用支給)

場所:ミドガル王都聖教会(本部)~聖地リンドブルム 第六聖教会

依頼主:ミドガル王都聖教会

報酬:………

 

 

 

達成感は吹き飛んだ。

 

(――まさか、狙ったのか? 私が本登録して、指名依頼を断れなくなるタイミングを……?)

 

 

出発日の予定は翌日。

 

備考には、昼まえの集合と書かれている。

 

 

魔剣士協会の使いが、()かしてくるのも頷ける。

 

今日から明日の朝までに旅の準備をしなければならないのだから。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

翌日。

 

 

集合場所は、ミドガル王都聖教会の本部――つまり、この王都の聖教会を統括(とうかつ)する場所。

 

そんな場所が、立地的に王都の隅のほうにあるわけもない。

 

その建物は、貴族以上の階級の者しか立ち入れない――いわゆる貴族街と下町を(へだ)てる壁に、融合(ゆうごう)する形で建てられていた。

 

貴族街側からも、下町側もからも、門を(たた)くことができる構造だ。

 

 

当然、下町側から王都聖教会の本部を訪れた私は、門前で待っていた細目の聖職者に(むか)えられた。

 

 

「おぉ、クレアサンではないですか?! どうしたのですかな!

ちなみに、ワタクシはこれから、王都で見つけた子どもたちを連れて、聖地リンドブルムへの帰途(きと)につくところなのですがな!」

 

「……指名依頼で、護衛を頼まれた、魔剣士のクレア」

 

「おぉ、もしや! もしや、もしや! 聖地への帰途を護衛して下さる、大そう腕が立つ魔剣士とは、クレアサンのことだったのですかな?!

それはいい! クレアサンほどの実力者なら、とても安心だぁ!」

 

 

(――いけしゃあしゃあと……)

 

 

私の受け答えにいちいち大げさに反応するが、ほぼ間違いなく、この指名依頼を出すように王都聖教会に指図(さしず)したのは、この特別司教だ。

 

 

何が狙いなのかわからない。

 

が、この司教の今日、私の姿を見つけたときの高揚(こうよう)は異常なものだった。

心臓や筋肉の動きでわかる。

 

 

(――やはり、きな臭いな……ヴェラたちを巻き込まないようなことならば、いいが……)

 

 

昨晩、ヴェラたちには言ったが、場合によっては私と同じ宿の同じ部屋に()まっていた彼女たちにも、何らかの影響が(およ)ぶだろう。

 

 

いま、私がそれを心配しても仕方ない。

 

切り替えて、教会の門扉のまえに並ぶ純白の馬車の列に、視線を向けた。

 

 

「それで、あの馬車の中には子どもが?」

 

「ハイ! 今回は(つぶ)ぞろいでしてな! 前回から半年足らずなのにも関わらず、いい子たちがたくさんいました!」

 

「そうか……」

 

 

(――まるで、食べごろになった果実をたくさん()めた、みたいな口上だな……。穿(うが)ちすぎか……?)

 

 

純白の箱馬車には、屋根の下に(あな)が空いているのみで、中はうかがい知れない。

 

 

「それでは! 出発まで、もうしばらくかかりますゆえ、あちらに掛けて、お待ち下さい! 共に護衛に()く聖騎士の方々も、おりますゆえ! ハイ! 出発まで親交を深めるのがよろしいかと! ハイ!」

 

「では、そうしよう」

 

 

未然に()けられる面倒事は避けるために、関わる者のことは最低限、把握(はあく)しておこう。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

肉片(にくへん)一つからでも再生・復活する鬼の血には、肉体の情報すべてが(きざ)まれている。

 

 

栄養さえ獲得すれば、刻まれている情報をもとに肉体の復元(ふくげん)を行い、五体満足で(よみがえ)るのだ。

 

 

ある種の群体の性質を持っている、と言ってもいいだろう。

 

脳として、心臓として、腕として、脚として、いつでも情報を復元し、役割を果たすことができる微小(びしょう)な生きものの集合体。

 

一つの個体としての姿形を保っているのは、ダムが川をせき止めるみたく、情報を復元するのを(はば)んでいる、ストッパーのようなものが(そな)わっているから。

 

 

そういった性質を持っている、鬼の血を(あいだ)()いて、契約(けいやく)を行えば、その契約は絶対のものとなる。

――すなわち、鬼の血を飲ませて鬼化させた眷族に、“名付け”を行えば、その名が血に刻まれて『血の記憶』となり。

――すなわち、鬼の血を飲ませて鬼化させた眷族に、“約束”をさせれば、その約束は血に刻まれて『血の呪い』となる。

 

『血の記憶』は、どれだけ忘れたくとも忘れることができない、絶対の記憶。

『血の呪い』は、どれだけ破りたくとも破ることができない、絶対の約束。

 

 

 

王都に来て、五カ月。

 

この間に、ミーコは鬼化させた眷族を使いさまざまな実験を行い、その結果、鬼の血の有効活用法を見出(みいだ)した。

 

 

鬼化させた眷族といっても人間ではない。

 

ひとによっては嫌悪感を抱き、ひとによっては激怒する行いではあろうが、ミーコが王都に来てから行ったのは動物実験のみである。

 

 

ミーコが眷族にすることができる種族は、人類だけではない。

 

 

いくらか試した結果、彼女自身の手で眷族にできる種族を三種類発見している。

 

まず、王都に到着(とうちゃく)するまでの道中、襲いかかってきた盗賊で試した、人間。

次に、猫獣人なのだからできるのではないか、と思いつきで試した、猫。

最後に、魔境での暮らしの中で、偶然飛び散った血を吸収されて鬼化し発見した、スライム。

 

ミーコはいまのところ、この三種類の生きものを、手ずから鬼化させることに成功している。

 

 

王都に来てから行った実験の、主な対象は猫である。

 

鬼化したスライムには、おおよそ意思と呼べるものが存在しなかったため、今回の鬼の血を利用した契約の実験には使えなかった。

魔力だけを与えていれば死なないし、特性も便利なものではあるのだが、今回の実験には向かなかった。

 

 

実験後、無事な猫は、それぞれに名前を付けて、王都の街の情報収集に使っている。

 

体毛の色から取って、(アイ)(ハイ)(チャ)(クロ)の四匹だ。

 

今日も街中の、ミーコが探してほしいものがありそうな場所を、見てまわってくれた。

 

 

ここ数ヶ月、ウエイトレスとして働いている食事処の裏口のまえ。

集合した四匹の猫の頭を撫でまわしながら、彼女たちが街を見てまわった記憶を回収する。

 

 

「フム……フム、フム。フム……ムム?」

 

と、記憶を探っている中で、特に気になるものを見つけて、それを深く(もぐ)って見てみる。

 

 

――『ああ、ボクは聖職者失格だ……っ! このような――』

 

 

とある教会に侵入(しんにゅう)して得たその記憶を、吟味(ぎんみ)して、

 

「アハッ」

 

ミーコは嬉しげに笑った。

 

 

(――金よし、立場よし、思想よし。交渉の余地あり。ターゲット、ロックオン)

 

 

 

 

その日の夜。

 

宿の部屋にて。

 

 

――「きな臭くなった」

――「迷惑をかけるかもしれない。これは迷惑料の先払いだ」

――「私がいない間の食事は、これで我慢してくれ」

 

 

と、二日ほどまえの夜。

ミーコの飼い主(とミーコは認識している)が、一人につき一セットずつ置いていった、金貨一枚(10万ゼニー)と血が密閉されたガラス瓶が十本。

 

そのうちのガラス瓶のフタを外して、ミーコはその中身をコキュコキュと飲んでいく。

 

ふはぁっ、と瓶の半分まで飲んだところで、息を吐く。

 

そして、

 

「なんか違う、ものたりねェ……」

 

と、微妙そうな表情で言った。

 

 

それ以上、瓶の中身を飲む気が()せたのか、キュッキュッと、コルクを詰め直してテーブルに置いた。

 

 

小さな身体でベッドに飛び込み、リラックスする。

 

 

「『我慢してくれ』って言われたって、ムリムリ……。ワタシは宣言通り浮気しますよぉ……。

ネトラレたくないなら、いますぐ戻って来てください、ご主人さま~……なんつってネ……ムフフ」

 

ベッドに顔を()めたまま、ボソボソと独り言をつぶやき、笑う黒猫の少女。

 

冗談めかした文言(もんごん)ではあったが、その声はどこか色っぽい。

十歳程度の幼さに不釣り合いな色気(いろけ)があった。

 

 

しばらく、ベッドに()せて独り言をつぶやき、くぐもった声を部屋に響かせていたが、あるときピタッとそれが止まる。

 

 

トントントントントン、軽くちょこちょことした足音が聞こえた。

 

 

ミーコはベッドから起き上がり、服のホコリを払う。

 

髪を軽く整えたところで、部屋のドアが空いた。

 

 

「ただいまー、ミーコ」

 

「おかえりなさいませ、お嬢さま!」

 

 

なるべく、お互いの生活に干渉しないように取り決めたとはいえ、同じ部屋で眠るミーコの飼い主のお気に入りの一人(とミーコは認識している)である。

 

関わり合いにならないわけにはいかないし、関わるなら礼を(しっ)するわけにはいかない。

 

だから、ミーコは飼い主のお気に入りの二人――メラとヴェラには、王都に来るまえと同じ態度で接している。

 

 

「ミーコ、あげるこれー!」

 

「わぁ、くれるのですか? ありがとうございます、お嬢さま~☆」

 

と、メラの手からミーコに差し出される、肉質(にくしつ)の物体。

 

 

もちろん、礼を払うべきお嬢さまからの贈りものを、無下(むげ)にするわけにはいかない――ミーコは丁重(ていちょう)にそれを受け取った。

 

 

「――ところで、これは~、なんでしょうカ~?」

 

「おめめーっ!」

 

「お目々(めめ)ェ、ですか~。アッハッハ、人間のお目々に見えますね~」

 

「人間さんのおめめだよ! もう、ミーコったら、失礼でしょ! 人間さんに!」

 

「アッハイ。申し訳ありません。失礼しました~」

 

 

たしかに、その肉質の物体からは人間の血肉のにおいが濃厚に発せられており、ミーコも一目で人間の目だとわかった。

 

しかし、あえて目を()らす倫理観が、いまのミーコには(そな)わっていた。

 

それがいけなかったらしい。

 

 

一部とはいえ、人間の肉体に対して、人間のものなのかどうか疑う、というのはお嬢さま的に“失礼な行為”に当たるようだ。

 

たしかに、言葉にすると、とても失礼なように感じる。

 

 

「それで、え~と、これはいったいどういう経緯で、えっと、もらって来たのでしょうか~?」

 

ミーコが首を傾げると、メラはよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに、胸を張った。

 

この呪物を手に入れるまでの過程を語る。

 

 

「これはねー、街の真ん中のほうの壁の近くに――」

 

喜々(きき)として説明するメラに、ミーコは遠い目をした。

 

 

 

王都に来てから、ミーコが動物実験だけで自重(じちょう)していたのに対して、メラはがっつり人体実験をしていた。

 

頻度(ひんど)はそれほど多くない。

 

多くても月に二人。

 

王都の、いわゆるスラムと呼ばれる区画を中心に。

いなくなっても誰も気にしなさそうな、死にかけの浮浪者を、母親兼心臓のヴェラが選び出して、実験体にする。

 

その実験の成果物を、こうしてたまに持ち帰ってきてミーコやクレア、ビビンバなどに自慢(じまん)げに見せるのだ。

 

 

そう、これは親子ぐるみの犯行なのだ。

 

 

もともと死にかけだからなのか、実験の内容が過酷すぎるのか、あえて後腐れをなくしているのか。

いまのところ、生存率はゼロである。

 

いや、生存率は()()()()()()

今日までは、そうだった。

 

 

 

「でね、お母さんが、人間だったときのおめめを、鬼になったあとのからだと()()()()の!

そしたらね、鬼になってからムキムキになってたからだがね、しゅるしゅるしゅるって、人間の形に戻ったんだよ!」

 

「お話の最中に申し訳ありません、お嬢さま。このお目々、脈打(みゃくう)ってるように感じるのですガ?」

 

「うん! そうそう、なんだよミーコ! その子、まだ生きてるんだよ!」

 

「その子? この目ん玉をその子……? というか、やっぱり生きてるのですか……?」

 

「うん! なんか、お日さまに当てたら、人間さんだったころのおめめだけ残ってさ。お母さんの血鬼術が解けたのはわかるんだけど、なんでそこだけ残ったのか、わかんないの!」

 

「ハァ……」

 

 

ミーコはメラの(げん)に対して、困惑するしかない。

 

正気でいられる許容量を若干、超えている。

発狂しないための防衛反応として、頭がなるべく理解しないようにしているのだ。

 

 

深く理解することを避けて、メラの話の要点を()()まむと次のようになる。

 

 

貴族街と下町を隔てる壁の近くで、死にかけの青年を拾った。

 

→死にかけの青年から目ん玉をくり抜いた。

→死にかけの青年を鬼化させた。

 

→鬼化させた死にかけだった青年に、人間だったころの目ん玉を融合させた。

→青年の、鬼化して巨大化していた肉体が、人間だったころの大きさに戻った。

 

→青年を日光に当てた。

→日光により血鬼術ガ解けたが、なぜか残ったのは、鬼の肉体ではなく人間だったころの目ん玉だった。

 

 

こういった経緯で、メラは生きた目ん玉という珍妙な物体を手に入れて、持ち帰ってきたという。

 

 

「なるほど。実験内容と結果だけ見たら興味深いですネ~。それに、これからやろうと思ってることに、ちょうどいいカモ……」

 

「これからやろうとすること……?」

 

「はい。お嬢さまは、いま王都でやってるお仕事、面倒くさいナって思いませんカ~?」

 

「そうだね? でも、お金はおしごとやんなきゃ、もらえないよ?」

 

「ソコをどうにかしよう、ってコトです。――名付けて『真祖さまを崇めよ! ~どうにもならんモノはとりあえず(まつ)っとけ~計画』~」

 

「??」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

ミーコには確信があった。

 

 

過去、悪魔憑きになったことがあるミーコ。

そのときの経験と感覚、そこから導き出される悪魔憑きの性質と治療方法と利用方法。

 

さらに、血のにおいから、大なり小なりほぼすべての人類が、悪魔憑きの素質を持っているという事実。

 

飼い主(クレア)に拾われて、教え込まれた呼吸術と血液操作が悪魔憑きに及ぼすだろう影響。

その二つの技術が世に流布することによって発生する事態。

 

 

――鬼が人類の中から自然発生するようになる。

 

素質があり、少しの才能があれば、鬼人(きじん)流を(おさ)めて自然に鬼になる者が、それなりに現れるだろう。

 

 

なろうと思わなくても鬼になり、人知れず力を付け、強大な力を得て君臨(くんりん)する鬼。

 

そんな鬼が、これからどんどん増えていく。

 

 

それに気が付いたとき、ミーコは、

 

 

(――後輩に偉そうな顔でふんぞり返られるのムカつくな……。なんか、マウントとる方法ないカナ……。こう、ワタシのほうが偉いんだぜっていう感じで……)

 

 

面白()()()ことになる予感がした。

 

 

自分を脅かす存在が多数現れることになる、という未来に、危機感(ききかん)も覚える。

 

 

(――偉そうにふんぞり返られるとムカつく……カ。いっそのコト、ふんぞり返らせる、カ?)

 

 

ミーコは考えついた。

 

自然発生する鬼、自然発生ではない鬼、どちらも駒として利用する方法――の、可能性。

 

最低でも、監視か制御をする方法。

 

 

(――鬼の、鬼による、鬼のためのコミュニティ。鬼を作れる存在、鬼の力の根源――真祖を頂点とする組織)

 

 

 

せっかく力があっても、それを振りかざす場に恵まれなかったり。

 

自分ではどうにもならない足りない部分があったり。

 

そういった強い力を持つ鬼や便利な力を持つ鬼を崇拝の対象にして、そのサポートを行う組織。

 

 

崇拝する側、つまり、信者が所属する目的はさまざま。

 

崇拝対象である鬼により力を与えられることだったり。

寿命を与えられることだったり。

あるいは理想的な支配を望んだり。

純粋に鬼への信仰心から奉仕するのもを望んだり。

 

 

そんな、鬼と人、教祖と信者のつなぎ役を担う組織を起ち上げる。

 

 

そして、ミーコはそのつなぎ役を担う組織の運営の立場に収まるのだ。

 

 

(――つなぎ役として、双方を監視し、誘導し、操作する……)

 

 

絶大な権力と、信者はもちろん教祖側の鬼に対しても一定の発言力を確保できる運営の立場、

――鬼を頂点として崇める組織の中でもっとも力を有する、

――実質的な鬼の王にミーコがなるのだ。

 

 

 

という構想を、王都に来るまえからミーコは立てていた。

 

 

さすがに、鬼の王という役割はミーコの(がら)ではないから、代役を立てるが。

 

 

 

 

深夜。

 

王都のとある教会。

 

 

女神像へ向かって頭を()れる、白装束の聖職者がいた。

 

 

彼の名はホロ・オセロ。

 

つい先日まで、クレアが剣術指南のために訪れていた孤児院を運営する、教会の管理者。

 

オセロ司祭である。

 

 

オセロ司祭は頭を垂れたまま、懺悔(ざんげ)する。

 

 

「こんな世界、間違っている……。いや……間違ってない……。間違ってるのはボクだ……あぁ……」

 

 

自らの弱さを、自らの(みにく)さを、自らの(ぬぐ)えぬ反感を、罪深いものとして懺悔していた。

 

 

「今朝、パン屋の店主の、バタコンさんの訃報(ふほう)が届きました。明日、葬儀(そうぎ)を上げます。

バタコンさんが作るロールパンは、王都一おいしいと評判で、訃報を聞き、たくさんの方がその死を悲しんでいました」

 

 

オセロ司祭は、女神像のまえに置かれた(ひつぎ)に対して、痛ましげな顔で手を置く。

 

 

その表情は取り(とりつ)ったものではなく、本気でこの教会に通う信者の死を(いた)んでいるようだった。

 

 

「女神ベアートリクス様。間違ってるとわかるのです、わかっているのです。ボクは聖職者失格です。

――それでも、傲慢(ごうまん)と知りながら思ってしまうのです……。ベアートリクス様はどうして、こんなにも残酷な運命を、我々に人間に()すのだ、と……。どうして……」

 

 

どうして、と(なげ)きながら、ついにオセロ司祭はくずおれる。

 

 

次の瞬間、(こら)え切れなくなって、司祭は叫んだ。

 

 

「――どうして、人間は不老不死じゃないんだーー!!」

 

 

「そりゃあ、聖職者失格だワ……」

 

 

「誰ですかっ!!」

 

 

思わず漏れたつぶやきのせいで気が付かれたが、そろそろ話しかけようと思っていた。

 

 

黒猫の少女――ミーコはオセロ司祭のまえに姿を現す。

 

 

そのあとに続く、橙の瞳に黒髪――メラ。

 

足もとに、小型犬サイズにまで身体を小さくしたビーバー――ビビンバ。

 

 

「貴方がたはいったい……」

 

 

「――おじいちゃん、悲しいの?」

 

 

ここからしばらくはメラの出番だ。

ミーコは司祭の正面の場所をメラに(ゆず)る。

 

 

(じゅん)な橙色の瞳が、老人の顔をのぞき込む。

 

 

「不老不死、ってなに?」

 

「不老不死とは、永遠に生きる、ということです」

 

「ずっと生きる、ってこと」

 

「はい。まだ、幼い貴方にはわからないかも知れません。

――死ぬことは悲しいのです。死なれることも悲しいのです。

だから、人間が不老不死であったならよいのに、と思ってしまうのです」

 

 

「わかるよ。悲しいよね。苦しいよね。嫌だよね。当たりまえだよね、無くなっちゃえってなるよね」

 

「わかってくれますか……そうですか……。貴方は、お優しいのですね」

 

 

「うん。わたしは優しいよ!」

 

 

「…………」

 

 

 

ミーコは、二人の会話に口をはさまない。

 

 

 

前々から立てていた構想に実現するに当たって、金があり、立場があり、そして、思想が合致(がっち)する人物だ。

 

 

ミーコの、ではなく鬼の王として仕立て上げることになる、メラの思想と合致する人物。

 

――すなわち、“大切なひとの死を異常なほど嫌い、憎み、無くすべきものである”、という思想。

 

 

メラのほうは人体実験なども行っているあたり、“さすがに世界すべてから死を無くすべき”、と本気で考えているわけではなさそうだったが。

 

母親のヴェラが死にそうになっていたときなんかは、そんなぶっ飛んだ思想に走りかけていた。

 

 

オセロ司祭はたぶん、過去メラのようにぶっ飛んだ思想に走りかけて、そのままぶっ飛んだ思想に突っ走ったなれの果てなのだろう。

 

メラと違って力がなかったため、たいしたことはできなかったようだが。

 

 

だから、ミーコは二人を対面(たいめん)させた。

 

オセロ司祭が、メラと足並みを(そろ)えられる、計画の(かなめ)に置くに相応(ふさわ)しい人材であると判断して。

 

 

 

「ずっと生きれるかもしれない方法、知ってるよ?」

 

 

「それは、(なぐさ)め……ではないのですか?」

 

「うん! ずっと生きたいなら、鬼になればいいんだよ!」

 

「鬼……?」

 

 

「うん、こういうやつ!」

 

「なっ?!」

 

 

突然だった。

 

手持ち無沙汰(ぶさた)になっていたミーコの頭が、メラの拳によって吹き飛ばされる。

 

常人には予備動作を感じとれない、達人の拳がミーコの頭を肉片に変えた。

 

 

「もうっ、お嬢さまっ。いきなり、頭飛ばさないでくださいよーっ」

 

「なっ?!」

 

 

しかし、その肉片が液状になり、頭があった場所に集まると、そこにさっきまであった黒猫の少女の頭が再生する。

 

 

まともな人類にはあり得ない再生能力だった。

 

 

「これが鬼! なかなか死なないし、歳も取らない。絶対じゃないけど、人間よりずっと死ににくいんだよ!」

 

「これが鬼……」

 

 

「だから、鬼になればいいんだよ!」

 

 

「なれるのですか? 不老不死に」

 

「わたしが鬼にしてあげる!」

 

 

まだ、状況の変化について行けていない。

それでも、希望を見出したような表情をしているオセロ司祭。

 

 

メラは、老人の半開きになった口に、血を(したた)らせた指を入れようとする。

 

 

「お嬢さま、お待ちくださいませ」

 

「ん? あっ、そうだった」

 

 

あと少しで、オセロ司祭に鬼の血を飲ませられる、というところでミーコが待ったをかけた。

 

 

待ったの声に、メラは素直に応じて、手を引っ込める。

 

 

オセロ司祭も、ハッとして、正気を取り戻して行った。

 

 

やっと出番だ、と意気(いき)揚々(ようよう)とミーコはまえに出る。

 

ここからは、ミーコがオセロ司祭に語りかける番だ。

 

 

「鬼になるまえにアナタには宣誓(せんせい)をしていただきます。――鬼になるまえに、これからワタシが言う誓約(せいやく)を、復唱してくださるだけで構いません」

 

 

「何が、目的なのですか?」

 

 

「目的がなんなのカ、そう訊かれると。テキトウな、その場限りの答えしか返せません。意思も心もブレブレですからネ。

――強いていうなら、やりたいことをやりてぇっ、てコトです」

 

「それはつまり、好き勝手をしたい、ということですか?」

 

「はい。まさしくその通りデス」

 

 

まさか、肯定されるとは思っていなかったのか、オセロ司祭は面食(めんく)らう。

 

 

「働くのが面倒くさい、楽をして稼ぎたい、何もしなくてもご飯が手に入ればいい。

力を好きに振るいたい、力を認めてほしい、力を尊んでほしい。

チヤホヤされたい、持て(はや)されたい、(あが)(たてま)られたい。

かわいそうだから、苦しいから、かなしいから。

面白そうだから、楽しそうだから、やってみたくなったから。

 

ちなみにワタシは、

寿命が短くて死にやすい人間を眺めて、

下等生物と内心で(わら)う遊びにも、もう()きてきたので、

もっと楽しい遊びがしたい、

といったところです。

 

――ワタシたちは、やりたいことがやりたい。力がある分だけ好き勝手に振る()いたい。

 

目的を強いて述べるならそうなります」

 

 

「…………」

 

オセロ司祭は唖然(あぜん)としていた。

 

 

あまりにも、道徳も正義もなさすぎる主張。

そこに、忌避(きひ)驚愕(きょうがく)を通り()して、(おそ)れを抱き始めていた。

 

 

ミーコの隣では、橙色の瞳――メラも、ミーコの『やりたいことがやりたい』という言葉に(うなず)いている。

 

 

「交換取引です、オセロ司祭。

ワタシたちはやりたいことをやる。

アナタは、そこに勝手に救いを見出せばいい。

そして、救われた分だけワタシたちの助けになればいい。

そのための組織を作りたい。

――さぁ、アナタの望みはなんですカ?」

 

 

「ボクの望みは……不老不死。そして、誰も死なない世界」

 

 

「はい、ワタシたちの組織を大きくしていけば、自然と鬼を増やすことになるでしょウ。――より多くの人類が、不老不死に近い生命力を手に入れることになります。

――でも、それじゃあ、アナタの望みには足りませんヨネ?

お嬢さま、全人類みんなまとめて不老不死、できるのでしょうカ?」

 

ミーコがメラに問いかけると、メラは首を横に振った。

 

わからない、と。

 

 

「そんなの、わかるわけないじゃん。――でも、ずっとやれば、そのうち、みんな鬼になるんじゃないの?」

 

なんとも曖昧(あいまい)で、確実さも説得力も一切ない答えだった。

 

しかし、裏表がない答えだった。

 

 

オセロ司祭はそれに対して、

 

 

「あぁ……。あっ、はっ、はっはっはっはっは! あっはっはっはっはっは! はっはっはっはっは!」

 

笑った。

 

腹を抱えて、手を叩いて、行儀(ぎょうぎ)悪く笑った。

 

 

笑って、笑って、笑い。

 

ひとしきり笑ってから、安らぐように息を()いた。

 

 

「神は、ただありのままにあり、自らの楽園を築くのみ。ほしいものがあるのなら、自分の足で探し、自分の手で作り出すべきである。

――あぁ、なるほど。道を拓くのではなく、世界を拓く。救世とは、そういうものなのかも知れませんね……」

 

 

オセロ司祭は、解を得た、と口に出して姿勢を正した。

 

 

深くメラに向かって頭を下げる。

 

 

「何とぞ、ボクを鬼にして下さい。ボクに理想のための可能性を」

 

「うん、いいよ!」

 

メラはためらいなく(うなず)き、指の先、爪の皮ふの間から血を()らす。

 

慣れた動作だった。

 

 

「じゃあ、手をおわんにして、血を入れる、んだったよね?」

 

 

ここに来るまえにミーコに言われたこと、それをメラの手で実行するための手順を確認する。

 

 

「はい。直接触れていれば、鬼になるまえの段階で『血の呪い』をかけれるはずです」

 

 

ミーコの指示通りに、オセロ司祭は手をお(わん)の形にして、メラはそこに血を注ぐ。

 

 

人の肉体を本能的に捕食する鬼の血である。

オセロ司祭の掌に触れた瞬間から、食指(しょくし)を動かし、鬼の血が掌を侵蝕(しんしょく)し始めていた。

 

 

「うっ、ぐぅ」

 

一滴(いってき)たりともごぼしてはいけませんよ?

――では、ワタシたちは鬼の真祖、鬼の力の根源を成す者……」

 

堪えるオセロ司祭。

 

ミーコは淡々(たんたん)と続けた。

 

 

「鬼の力を得たいなら、復唱(ふくしょう)しなさい。――誓約は次のとおりデス。

――ホロ・オセロは、主を裏切らない。

――ホロ・オセロは、許可なく主のことを他者に漏らさない。

――ホロ・オセロは、主の名指しの命令には絶対服従。

――ホロ・オセロは、許可なく人を食い殺さない。

――ホロ・オセロは、許可なく人を犯さない。

――ホロ・オセロは、人間の構造(かたち)を忘れない。

――以上です」

 

 

痛みに意識が朦朧(もうろう)とする中で、オセロ司祭はミーコが言った誓約を一言一句、違えずに復唱した。

 

 

「では、飲みなさい」

 

 

その言葉に、掌で作ったお(わん)の中の鬼の血を、一気に飲み()した。

 

 

同時に、肉体が作り変わって行く。

 

 

そして――。

 

 

 

「かわわわわ」

 

「わっ、かわいいっ」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「こういう結果になるとは……何が原因でしょウ? 本人が若さを願っていた? 全盛期の肉体の状態を再現した? お嬢さまの血と同調した結果?」

 

「女のひとだったのかな?……おちんちんはちゃんと付いてるね。それ以外、女の子なのに」

 

「お嬢さま、ダメです、司祭の服に潜らないでください。絵図がアウトです」

 

 

鬼化したオセロ司祭(?)の服に、頭を潜り込ませて中身を確認しているメラの身体をミーコは引かせた。

 

仰向けに眠る男の服に潜って、股間(こかん)を覗き込む幼女という図は、教会という場にあっていい光景ではなかった。

教会でなかったとしても、よくない。

 

 

「『血の記憶』と『血の呪い』の作用を利用して、鬼の血に人間の構造を記憶させて、初めから『人化』を習得させた状態で鬼にする実験……。見たところ……なんとも言いがたいですね~」

 

「すごく鬼って感じはしないよ?」

 

「でも、姿形がこうまで変わったのは確かですカラ……」

 

 

今回の目的はもちろん、鬼を頂点として崇める組織の要となる人材を勧誘すること。

 

鬼の血の性質を利用して、誓約に『人間の構造(かたち)を忘れない』という項目を入れることで、初めから『人化』を習得させた状態で鬼にする実験。

これは次いでだったが、興味深い結果となった。

 

 

いま、女神像のまえで、横たわっている司祭服を着た人間――いや、鬼は、とても可愛(かわい)らしい顔立ちをした少女のような容姿の少年。

 

状況や身に着けている服から見ても、間違いなくオセロ司祭なのだが、鬼化するまえとあとであまりにも変わりすぎている。

 

 

「鬼のにおいはするので、とりあえずは吞ませましょうカ、栄養玉」

 

「フスッ」

 

 

ミーコの言葉に、これまでじっとしているだけで、退屈(たいくつ)そうにしっぽを揺らしていたビーバーが応と鼻息を吐き出す。

 

 

ビーバー――ビビンバのまえの床にミーコがハンカチを置く。

 

ビビンバはハンカチに向かって口を開けると、

 

「カァー、ペッ!」

 

コロン、と赤く(にご)った石を吐き出した。

 

 

「ちょくせつ、ビビンバが呑ませてあげたら、よくない?」

 

「さすがに、それはワタシでも気がとがめるというか……発想がさすが、お嬢さまというか……」

 

 

ミーコはビビンバが吐き出した石を、()いたハンカチで包んで、ぬるぬるとした体液を(ぬぐ)った。

 

これをそのまま、誰かに呑ませるというのは、さすがにミーコでもためらう。

 

 

「人間――鬼に必要な栄養がぜんぶ詰まった、栄養玉。これで、数日は()えることはないでしょウ」

 

ミーコは石を、少女のような少年の口に入れて、あごを(かたむ)けて呑み込ませる。

 

鬼の生命力を信じて、窒息(ちっそく)させることも()さない行為だった。

 

 

オセロ司祭が目を覚ましてから、とりあえずの栄養を与えたことは教えよう。

ただ、その正体を詳しく教えるつもりはミーコにはない。

 

世の中には、知らないほうが幸せなこともあるのだ。

 





巌勝(みちかつ)鬼化イベント『ならば、鬼になれば良いではないか』のパロディ

および

獪岳(かいがく)鬼化イベント『一滴たりとて、(こぼ)すこと(まか)り成らぬ』のパロディ

回収(満足)


魔剣士協会の指名依頼を請けたくない場合は
「自分を雇うには安すぎる」とか、「依頼内容に報酬が合ってない」とか
なんだかんだとごねて、うやむやにするもの、というのが協会内の暗黙の了解になっている。
という設定

もうちょっと人付き合いがあれば、クレアサンも知っていたかもしれない


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27.慣れないことはするものではない


誤字報告ありがとうございます。
助かります


 

王都と聖地の間の道はよく整備されている。

 

全面石畳(いしだたみ)ということはないが、しっかり土が固められていて雑草も少ない。

 

馬車がスムーズに進んでくれる。

 

 

王都を出発してから三日。

 

旅路(たびじ)は順調だった。

 

 

 

今回の王都から聖地リンドブルムに運んでいるのは、メッセージ特別司教が視察の際、各教会の孤児院(こじいん)で見つけ出した素質や才能がある将来有望な子供たち。

 

 

その中には、私が知っている顔もあった。

 

 

一人は、今年で9歳になるのだったか、剣術指南で初めて孤児院を訪れたとき、私に話しかけて自己紹介をしたネネという少女。

 

もう一人は、こちらも初めて孤児院を訪れたとき、チャンバラごっこで、岩もとい石碑(せきひ)に棒を叩きつけていた少年

 

 

この二人が知り合いで、他の子どもたちは余所(よそ)の孤児院から集められた、全員未成年の子どもたち。

 

 

どういう基準で選んでいるのか、目で見るだけではわからない。

 

が、魔力を感知してみれば、どの子も王都の人々の平均よりも多いことがわかる。

 

そこを基準に選んでいるのだろう。

 

 

 

「あぁ、クソ、なんでこんな寒い中、山登りなんかしなきゃなんねぇんだよぉ」

 

「仕方ねぇだろ? リンドブルムは高地にあるんだから、どっかで登らなにゃ到着(とうちゃく)しねぇ」

 

「ハッハッ。王都の聖騎士にはわからないかもしれないが、今日はかなり暖かいほうだぞ。雪も少ない」

 

 

「マジで、これで少ねぇの?」

 

 

ザック、ザックと雪を踏みながら、ゆるやかな長い坂を護衛たちが登る。

 

車輪にトゲを付けた馬車がそれに併走(へいそう)する。

 

馬はただの馬ではなく、化生の類(モンスター)を調教しているようで、雪も坂もものともせず進む。

 

 

「クレアさんは、平気ですか? 寒さとか体力とか」

 

「問題ない」

 

 

護衛の聖騎士の一人が、まだ年齢的には11歳の私を気にかけるのに、短く返す。

 

 

そうですか、とあっさり聖騎士は引き下がり、正面に視線を戻した。

 

 

このように、私のほかの護衛たちとも良好な関係を築けている。

 

主に『武神の弟子』という称号に目を付けて、仲良くなろうとして来ているみたいだが、険悪(けんあく)よりはずっといい。

 

 

ちなみに、私のほかの護衛は全員、聖騎士だ。

私だけ特別扱いで護衛に参加させられているらしい。

 

もはや、何か狙いがあることを隠す気はないようだ。

 

 

 

 

三日目昼。

 

 

長い長い坂の途中で、休憩(きゅうけい)となった。

 

 

坂道から()れた道の先の広場。

 

小屋と厩舎(きゅうしゃ)も建てられていて、休めるようになっているそこは、休憩所として作られたものだそうだ。

 

 

「えらく人気(ひとけ)がないな」

 

と護衛の一人。

 

 

「いつもは一、二台は()まってるのに、(めずら)しい」

 

とある護衛。

 

 

「この先の橋は二台ずつしか通れないから、順番待ちになるもんな」

 

と別の護衛。

 

 

「血のにおいがする」

 

と、私は言った。

 

 

「「「え?」」」

 

 

次の瞬間、魔力が私の身体を通過(つうか)する感覚。

 

その魔力は広場全体に広がり、(まく)のようなものを作って広場を(おお)った。

 

 

魔力が広場を覆い終えたときにはもう、私以外の護衛は全員倒れていた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

おそらくは魔力の結界だが、それだけではない。

 

この魔力自体にも何かの効果があるのは間違いない。

 

 

倒れている護衛たちは死んではいない。

全員、気を失っているだけだ。

 

 

気配を探ってみれば、馬車の中の者たちも、床に()している。

 

こちらも死んではいない。

()()()()()()、全員、気絶しているだけだ。

 

 

意識がない者たちの中には、息遣いから眠りが浅いとわかる者がいて、彼彼女たちは魔力の量が比較的多い。

 

どうやら、魔力量が多いほど効きづらいもののようだ。

 

 

私は、鍛練を()ねて(つね)に、ウワバミのウロコを参考にした、高速循環する魔力の(ころも)(まと)っている。

 

そのため、先の魔力による干渉(かんしゃう)はそれで弾いたが、何もしなくても身体に支障(ししょう)はなかったかもしれない。

 

 

と、いまの状況を把握(はあく)し、じっくり考えられるくらいには、しばらく何も起こらなかった。

 

 

 

「ようやく、お出ましか……」

 

 

広場を囲むのは黒いローブの集団。

 

数は見える範囲に15人、見えない場所に待機しているのが8人。

 

合計23人。

 

随分(ずいずん)、大掛かりな襲撃だ。

 

 

「タッテル、モノヲ、コロセ」「タッテルモノヲコロセ」「「タッテルモノヲコロセ」」

 

 

「正気ではない、みたいだな……」

 

 

黒いローブの集団が斬りかかって来る。

 

魔力を込められた剣を(かわ)すと、別の黒ローブが躱した私に斬りかかって来る。

 

その剣を、刀で受け止めて受け流してみる。

剣を受け流した黒ローブの腹から剣が生えて、私を刺そうとした。

 

 

「やはり、正気ではない……」

 

 

空気の動きでわかることだが、剣を受け流された黒ローブの腹を、別の黒ローブが後ろから刺し(つらぬ)いて、私に攻撃を仕掛けたのだ。

 

 

仲間をためらいなく串刺(くしざ)しにし、串刺しにされた黒ローブも痛みに(うめ)き声も上げていない。

 

 

また、斬りかかって来た剣を躱して、今度はすぐに、黒ローブの剣を持つ両腕を斬り落とす。

 

「ガァ!」

 

両腕が落とされたその黒ローブは、すぐに剣での攻撃を諦め、フードの奥から()みつきを仕掛けて来た。

 

刀の柄であごを打ち、その首を斬り落とす。

 

 

噴き上がる血から距離を取り、さらに別の黒ローブの相手へと意識を切り替えた。

 

 

「もはや、魂がひとを()めているな……」

 

 

できるだけ殺さずに無力化したほうが、あとの処理(しょり)面倒臭(めんどうくさ)くなさそう、などという考えは捨てたほうがよさそうだ。

 

たぶん、死ぬまで戦うように調教(ちょうきょう)されている。

 

 

私は刀を構え、

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 (ろく)ノ型 常夜(とこよ)孤月(こげつ)無間(むけん)虚擢(うろぬき)

 

 

無数の斬撃を放ち、――私に攻撃を仕掛けている黒ローブ、広場の外縁に残って(かこ)んでいる黒ローブ、広場の外の草むらに待機している黒ローブ――黒ローブ姿の()()を縦横、サイコロ状に斬り別けた。

 

 

月の呼吸の虚擢(うろぬき)という技はは、多くの障害物が存在する中で、狙った対象だけを斬る技だ。

 

 

最近、開発した技で、コントロールが難しいことと、観測できていなければ当てられないこと、少し威力(いりょく)が落ちることが欠点である。

 

 

いまのように、斬ってはいけない障害物が多くある中で、数が多い敵を殲滅(せんめつ)するには都合がいい。

 

 

 

黒ローブが全員、肉片になったまま生き返ったりしないことを確認して、私は一旦、刀を降ろした。

 

(さや)(おさ)めはしない。

 

 

 

――パチパチパチパチ。

 

手を叩く音がする。

 

 

それは広場に()めた馬車から。

 

馬車のドアが()いて、拍手する男が姿を現した。

 

 

「すばらしいぃ! 本当にもう、すばらしい! 相手にならないと思ってましたが、まさかこれほどとは!」

 

 

男は細目の聖職者。

 

私をここに連れてきたと思しき、胡散臭(うさんくさ)い司教。

 

 

「メッセージ特別職司教……」

 

 

魔力による干渉(かんしょう)――おそらくアーティファクトによるもの――により、子どもたちが気絶する馬車の中で、気絶していなかった男。

 

 

「――それに比べて、不甲斐(ふがい)ないですねぇ、うちの手駒(てごま)は……」

 

「認めるのだな……」

 

「もちろん、お見通しでしょうからぁ」

 

 

冬の季節の馬車の旅。

 

当然、防寒(ぼうかん)を整えているメッセージ司教は、白いコートを身に着けていた。

 

 

その白いコートの内側から、シュルシュルと紐状(ひもじょう)の長いものを引っぱり出す。

 

それは黒く()られて、ツヤが消されているが、金属でできた(むち)だった。

 

細いワイヤーを数十本、(たば)ねて作られた(なわ)の鞭だ。

 

 

警戒(けいかい)して正解でしたなぁ。なにせ、本気を出すまえに死んでしまっては、元も子もない!」

 

 

さらに、(ふところ)からガラス(びん)を取り出し、フタを空けて、(てのひら)にひっくり返す。

 

 

三錠(さんじょう)、血のにおいがする赤い錠剤が掌に転がる。

 

 

「ワタクシは、油断しません。ずっと、対面するまえから、貴方を警戒していた! 『武神の弟子』の称号に()じぬ実力ならば、歳も常識もなんの判断基準にもならない!」

 

 

メッセージ司教が錠剤を三錠まとめて、口に放る。

 

 

「最初から全力でお相手しましょう!――クレアサンーっ!」

 

 

錠剤を()(くだ)した瞬間、魔力の量がはね上がり、あふれる魔力に身を任せるがまま私へ突進して来た。

 

 

――ヒュン!

 

 

手にした鉄の鞭が振るわれる。

 

軌道(きどう)から身をそらすと、膨大(ぼうだい)な魔力が込められた一閃(いっせん)が地面を()ぎ取る。

 

束ねられたワイヤーがヤスリのようになり、地面を削ったようだった。

 

 

さらに司教の鞭は、私に近付きながらも振るわれる。

 

 

「まだ、まだ、まだぁああ!」

 

 

――ヒュン、ヒュン、ヒュンヒュンヒュン!

 

 

つま先やかかとを土に突き立て、ステップを踏み、(おど)るようにくるりくるりと身体をまわす勢いを乗せて、鉄の鞭は振るわれた。

 

 

それらを私は、小柄な身体を活かして、すべて躱す。

 

 

(――力任せではない……。たしかな技術を感じるな……)

 

 

空間から、余白を無くすことを意識して振りまわされる鞭撃は、力任せでは生まれない。

 

修練したのか、はたまた実戦経験の中で磨かれたのか、相手を追いつめるための術理(じゅつり)がそこにあった。

 

 

八歩手前まで近付いて来たとかろで、横に()ねるメッセージ司教。

 

私を中心に円を()きながら鞭を振るう。

 

 

――ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!

 

鞭の速度が上がっていく。

 

 

――ジュッ、ジュッ、ジュジュジュッ!

 

それに従って、鞭の勢いも上がり、削ぎ取られて出来る地面の(みぞ)も、深く広いものになって行っていた。

 

 

ただ、早いから鞭撃の威力が上がっているわけではない。

 

鞭に込められている魔力の流れに無駄がなくなり、量と密度も増している。

 

 

「慣れて来ている、か……」

 

 

錠剤を呑んで上昇した魔力が、さっきまではだだ()れで、霧散(むさん)するばかりだったのに。

 

いまははっきりとした形を成して、体表に沿()って分厚く肉体を(おお)っている。

 

 

――ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!

 

 

(しか)りぃ! この暴れ狂う魔力も、無限に増殖する細胞もぉ! 魔人の力ですら、呼吸術と血液操作を(もっ)てすれば、飼い慣らせるぅ! 貴方のおかげでなぁ!」

 

「ほぅ……」

 

 

言われて、荒々しい息遣いの中に、呼吸術特有の、肉体の隅々(すみずみ)にまで息が通る音があるのに気が付く。

 

 

型を使っているわけではないようだが、呼吸術を使っているのは、たしかなようだ。

 

 

――ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!

 

 

「この呼吸術! そして、血液操作! すんばらしいぃ! すばらしい技術だぁ!

――呼吸術で魔力を使わずに肉体を強化することで、暴れる魔力に対する耐久力を大幅に上げぇ! さらに、血液操作で無限に増殖する細胞を制御し、攻撃に変えてみせるぅ!

――こんな風に!」

 

 

血のにおい。

 

 

――ヒュバンッ!!

 

 

司教の手から鉄の鞭の先まで、一瞬で血液が伝って、振るわれた。

 

鞭から、複雑にかつ不規則的に(から)まった血の糸が吐き出されて、空気も地面も斬り(きざ)む。

 

 

呼吸術だけではなく血液操作も、しっかり習得しているようだ。

 

 

「まだ、まだまだまだ、まだまだまだまだまだぁ!」

 

 

――ヒュバンッ、ヒュバンッヒュバンッヒュバンッ、ヒュバンッヒュバンッヒュバンッヒュバンッヒュバンッ!!!

 

 

超高速で鉄の鞭が振るわれ、絡まる糸が予測困難な軌道で空間の余白を刻んで行く。

 

絡まった糸に当たったら大きな衝撃があるだろうことは、深く削れた地面を見ればわかる。

 

 

「なぜ……っ」

 

 

――ュバンッヒュバンッヒュバンッヒュバンッヒュバッ!!!

 

 

「なぜ、当たらないっ?!!」

 

 

――ッヒュバンッヒュバンッヒュバンッヒュバンッ!!!

 

 

「すき間が、あるからだ……」

 

「すき間ぁ?!!」

 

 

「すき間がある、すき間ができる、攻撃に……。だから、そこに肉体があれば、当たる道理はない……」

 

「そんなバカなぁ! この不規則な軌道を、すべて見切っていると?! その上でそれを躱せる場所に常に身を置いていると?!! そう言ってるのかぁ?!!」

 

 

――ヒュバンッヒュバンッ、ヒュバンヒュバンヒュバンヒュバンヒュバン、ヒュバヒュバヒュバヒュバ、ュバババババババ!!!

 

 

もはや、振るわれる鞭と鞭の間に、時間的な(へだ)たりはなくなり、一瞬(ひとまたた)きごとに、空間を()める攻撃の位置が変わる。

 

問題ない。

 

この小さな身体を入れられるくらいの、すき間の数は、十個を下回らない。

 

 

「そんなぁ!! そんなバカなことがあるかぁ!!!」

 

 

メッセージ司教は、さらに鞭を速く強く振るい、空間の占有率を上げようとする。

 

しかし、それでも、空間を埋め()くしてはいなかった。

 

 

「底が()れたな……」

 

 

これ以上は戦っても、先がなさそうだ。

 

 

そう判断して、ただ一振り、

 

 

「ホオオオ……」

 

 

月の呼吸 ()ノ型 落天(らくてん)崩月(ほうづき)虚擢(うろぬき)

 

 

刀を()いだ。

 

 

放たれた斬撃が、まず、四つに分かれ増える。

さらに、分かれた先で、四つずつに分かれ合計十六に増える。

さらに、四つずつ分かれて六十四に、さらに四つずつ分かれて二百五十六、と。

 

四倍ずつ増えて行く斬撃が空間を制圧する。

 

 

「なんだこれは?! なんだぁ?!」

 

 

歪曲(わいきょく)した斬撃の群れ――崩月(ほうづき)は、空間を走る絡まった糸を、一つ残らず粉微塵(こなみじん)に刻む。

 

あとには何も残らない。

 

 

「なんだぁこれはぁ?!!!」

 

 

メッセージ司教も抵抗して、今日一番の鞭の()えを見せるが、魔力の密度も血液の濃度も、攻撃の精度も威力も違いすぎる。

 

絡まった血の糸はことごとく消し飛ばれ、何度も振るっては弾かれた鉄の鞭は、ついに、

 

――ブチィッ!!

 

鈍い断末魔(だんまつま)を上げてちぎれる。

 

魔力も血液も失った、ちぎれた鞭の半分は崩月に触れて、血の糸同様に消し飛んだ。

 

 

「ぁっ…………」

 

 

心が折れたような吐息が、メッセージ司教の口から出て、斬撃に呑み込まれた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「なぜ……生きてるのです、ワタクシは……」

 

 

「私が、攻撃と魔力だけを、斬ったからだ……」

 

 

「そうですか……。いえ、そうではなく」

 

 

すっかり荒れた広場の一角。

倒れているのは、メッセージ司教。

 

その身体には大きな傷はない。

 

あるのは、砂利が()ねて付いた、かすり傷くらい。

 

 

「なぜ、剣を降ろしてるのです?」

 

「護衛対象に死なれると、困る……」

 

「はぁ……?」

 

 

メッセージ司教は、しかめ面で私を見て、

 

「はぁ……」

 

ため息を吐いた。

 

 

ペチンッ、と顔を手で強く(たた)いた。

 

 

「本気で言ってますねぇ、クレアサン。ワタクシ、他人の心を読むのが得意なのですよぉ」

 

「?? いま、何を呑んだ……?」

 

 

「あら、気が付かれましたか?」

 

 

見事な手捌(てさば)きだった。

 

自然に過ぎて、口からこぼれる声の違和感に気付いてようやく、わかった。

 

 

(――顔を手で叩いたときかっ! あの、血のにおいがする赤い錠剤を、口に入れたのは……っ?!)

 

 

さらに気が付く、とても濃い血のにおい。

 

 

一錠や二錠ではない。

 

それこそ、(びん)に入っていたすべての錠剤を口に入れなければ、こんなにおいにはならない。

 

 

――ミヂィミヂィミヂィ!

 

 

血のにおいが、鬼のにおいに取って代わる。

 

 

「喜ぶとよろしいですよ。今日から貴方は、護衛対象を皆殺しにした、凶悪犯なのですからなぁ!!!」

 

「っ!」

 

 

メッセージ司教は腕を振るう。

 

その腕は、もう人間の(なり)はしていない。

腕と手の指が異常に伸びて、血管が絡まった鞭の形になっていた。

 

 

「ホオオオ」

 

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 

嫌な予感がして、その鞭を無数の斬撃で粉々に刻む。

 

けれども、

 

 

――フュゥゥウッ。

 

 

一つ、細かな血の糸くずが舞う、風が吹いた。

 

 

私にではない。

 

 

倒れて気絶している護衛たちのほうへ。

 

子どもたちが倒れている馬車のほうへ。

 

戦いの巻き添えにならぬように、距離を置いていたそこへ。

 

風は吹き抜けた。

 

 

鬼のにおい。

 

 

「ガァアアア!」「ゥヴァア!」「ァアアアアアア!」

 

倒れていた護衛が起き上がり、雄叫(おたけ)びを上げる。

 

 

「ャアアアア!」「ワァ!」「クァアアィイイ!」

 

馬車から、異形と化した子どもたちがエサを求めて、飛び出して来る。

 

 

――ミヂィミヂィミヂィミヂィ!

 

 

「あぁ……すばらしい! これが真なる覚醒! 魔人の力!

――人間を、簡単に下僕(げぼく)にしてしまう! これが真に自立した魔人!」

 

 

「鬼の血を使った、眷族化……」

 

 

その方法をあらかじめ知っていたのか。

 

直感的にできると確信したのか。

 

メッセージ司教は、私以外の生きた人間全員に、鬼化を(ほどこ)したらしい。

 

 

――ミヂィミヂィミヂィミヂィ!!

 

 

肉体が弾ける、赤い目がギョロつく。

 

 

気配が禍々(まがまが)しく、(おぞ)ましいものに変わる。

 

 

鬼のにおいが、より濃厚なものになって行く。

 

 

――ミヂィミヂィミヂィ!!!

 

 

「あぁ、しかし、耐久力が足りないっ……残念だ。やはり、器としての耐久力が、ワタクシには足りなかった……っ!」

 

 

鬼化がさらに進行するに従って、肉体は悲鳴を上げ、皮ふは黒く(くさ)って行く。

 

 

「何がしたい……っ!」

 

「下っ端が下克上(げこくじょう)を狙う機会など、一度きりしかないのですよ! ラウンズへの道は、今日の敗北によって絶たれた! これはっ、せめてもの、腹いせだ!」

 

「腹いせ……」

 

 

メッセージ司教は鞭になった腕をめちゃくちゃに、振るう。

 

 

――ヒュバッ、ヒュバッュバッュバッュバッュバッュバッ!!!

 

 

私はそれをすべて斬り払った。

 

 

「アッハッハッハッハッ!!!」

 

 

メッセージ司教の身体が崩れていく。

 

 

もう胴体には大穴が空いているのに、司教は哄笑(こうしょう)を上げるのを止めなかった。

 

 

「ハッハッハッハッハ……ハ…………」

 

 

笑い声を上げるあごも、ついに塵になって、消える。

 

顔も頭も崩壊(ほうかい)し、メッセージ司教は風に吹かれて消えた。

 

 

 

残るのは、鬼化された護衛と子どもたち。

 

 

「オオオオオ!」「ァヴア!」「ィィガァ!」

 

「ヤヤィィ!」「ニャワァ!」「ィイイ!」

 

 

主が死んでも残っている。

 

 

ということは、司教は鬼の力のすべて――力の根源(こんげん)を、ここにいる誰かに流し込んだのだろう。

 

それは、においを嗅ぎ分ければ、誰だかわかるだろう。

 

 

「なんとも、まぁ……。締まらない、な……」

 

 

――「今日から貴方は、護衛対象を皆殺しにした、凶悪犯」

 

メッセージ司教の言葉。

 

 

「依頼は失敗、どころか、妥当(だとう)なところで犯罪者、か……?」

 

 

もし、あらかじめ、手をまわしているのなら、潔白(けっぱく)の証明をしようがない。

 

 

手をまわしていなくても、護衛対象全員死亡という結果は、確実に疑いを生むだろう。

 

 

「慣れないことを、やるものではない……」

 

 

主の性質が眷族にも引き継がれているのか、腕を鞭にして振るって来る鬼化した聖騎士。

 

その攻撃を躱し、カウンターに四肢(しし)を斬り別ける。

 

 

さらに攻撃を仕掛けてきた、他の鬼化聖騎士も同じようにバラバラにする。

 

子どもたちも同様にした。

 

 

「敵は殺しておいたほうが、後腐れがなくていい、な……」

 

 

心臓も脳も首も斬っていない。

 

鬼だから、これくらいなら死なないだろう。

 

 

そう思っていたら、鬼化した子どもの一人が崩れて(ちり)になって消えた。

 

 

――「あぁ、しかし、耐久力が足りないっ……」

 

 

また、メッセージ司教の言葉を思い出す。

 

 

「耐久力が足りない……鬼化に、肉体が着いて行っていないのか……?」

 

 

また一人、子どもが塵になる。

 

 

「どうしたものか……他者の手による『人化』は、不可能ではないと思うが……」

 

 

自分ではなく、他人の肉体だ。

 

 

初めから神経が通っている自分の腕と同じように、神経が通っていない土から作った粘土(ねんど)を、動かすことはできない。

 

よほどその道に通じていない限り、必ずどこかに取りこぼしが出るだろう。

 

 

人間に戻せたとしても、後遺症(こういしょう)は避けられない。

 

 

「それでもやるか……」

 

 

また一人、今度は鬼化聖騎士が塵に変わった。

 

 

「時間との戦いだな」

 

 

全員は無理として、まず――。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

人間に戻せたのは、二人だけ。

 

 

あらかじめ顔見知りだった、ネネという少女と、石碑に棒を叩きつけていた少年。

 

 

なぜこの二人を人間に戻せたのかといえば、要因は三つある。

 

 

一つは、ネネという少女が――おそらく、ミーコと同じ鬼の才能があるタイプ――“器の耐久力”とやらが()で高かったらしいこと。

 

一つは、少年が呼吸術を習っていて、“器としての耐久力”が上がっていたらしいこと。

 

最後の一つは、私が優先順位を付けて、知り合いを優先して人間に戻したこと。

 

 

この二人をなんとか人間に戻した時点で、他の鬼は、子どもも聖騎士も塵になっていた。

 

 

「少し、(つか)れたな……」

 

 

これからのことを考えると、気が重たいのもある。

 

 

王都に戻ってヴェラたちと密かに合流。

 

話し合いを行い、最低でも私は、王都を離れることになるだろう。

 

 

「はぁ……」

 

 

もっとやりようはあったな。

 

まぁ、失敗なら失敗なりに、いい経験にもなったような気がする。

 

 

総評として、慣れないことをするものではない。

 

これからは、どうしても、というときやもの以外は、自分のありのままに、やりたいように行動するのがいい。

 

 

そう、思わされるものだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

人間に戻した二人に負荷(ふか)がかからないよう、走ること半日。

 

 

その間、二人は目を覚まさなかった。

 

 

夜。

 

王都の外の、外壁の物陰(ものかげ)に到着したところで、ヴェラたちに合図を送る。

 

血のかたまりを(ちゅう)に浮かせて、パシャンッ、と破裂(はれつ)させる。

 

これで、薄く広く血が拡散し、ヴェラたちならにおいを嗅ぎ取れるはずだ。

 

 

 

「おかえりー、お姉ちゃん」

 

「お疲れさまです、ご主人さま。――そのお二方は?」

 

 

「迷惑をかける。二人は、生き残りだ……そちらは?」

 

 

果たして、ヴェラたち――メラとミーコとめいぐるみサイズのビビンバはすぐにやって来た。

 

 

しかし、もう一つ、知らない影があった。

 

 

少女――のような少年か。

 

においでギリギリ、男だとわかる。

 

 

(――鬼のにおい……メラの血のにおいもする……。ん? いや、わかりづらいが。このにおい……)

 

 

「オセロ司祭?」

 

「わかりますか、クレア様には」

 

 

少年は頷き、深く頭を下げる。

 

 

「この度、主様の手で、鬼にしていただきました、ホロ・オセロです。これから、真祖様方のサポートに尽力(じんりょく)させていただきます。――よろしくお願いいたします」

 

「??」

 

 

オセロ司祭(?)の言葉に首を傾げる。

 

 

「詳しいことは~、あとで説明しますので勘弁してください、ご主人さま~。――それよりも、生き残りってなんなんです~?」

 

「下手を打ってな。やはり、はめられていたようで――」

 

 

ミーコの問いかけに、今回の護衛依頼で起こったことを、簡単に説明した。

 

 

私個人の所感(しょかん)として、聖教の王都本部もグルであった可能性を口にすると、オセロ司祭がビクリと身体が跳ねさせた。

 

 

「ボクがこれまで信じてやって来たことは、偽りの救いを循環させる行為だったのかも、しれませんね……。――たいへん罪深いことです」

 

 

あぁ、と思い当たる節でもあったのか、何かを(さと)った声を()らした。

 

 

「お二人はボクが(あずか)かりましょう。嗅ぎつけられるのは、時間の問題かもしれませんが。これでも長生きして来たので、当てはあります」

 

 

私はミーコに目配せした。

 

ここで預けても平気か、と。

 

 

ミーコはうん、と頷き、メラに声をかけた。

 

 

「お嬢さま、オセロ司祭におねがいごとをできますでしょうか?」

 

「いいよ。“オセロ、死んでもその子たち、守って”」

 

「“はいっ”!」

 

 

メラがオセロ司祭に命令すると、身体の隅から隅まで服従するような素早さで、オセロ司祭は直角に頭を下げた。

 

 

「眷族への命令、か……」

 

「さすが、ご主人さま~。わかるのですね~」

 

 

絶対に破れない、鬼の血を介した命令は、前世であの御方もよく使っておられた。

 

主が粉々に斬り刻まれて、再生を(いちじる)しく阻害(そがい)されるようなことでもない限り、眷族は命令に背くことはできない。

 

 

オセロ司祭は、メラの命令通り、死んでも子どもたちを守るだろう。

 

 

「それで、私は王都を離れるが……」

 

「あっ、それなら、ワタシにいい考えがあります~」

 

 

ヴェラたちはどうするか、聞こうとしたが、ミーコはそれよりも早く提案した。

 

 

「無法都市に拠点を移しませんか~?」

 





〇捏造月の呼吸紹介

・○ノ型 ○○○○・虚擢(うろぬき)
……間引きという意味の虚抜きから。
傷つけてはいけない障害物を傷つけずに、狙った対象だけを斬る技。
欠点は、少し威力が落ちること、対象を観測していなければ斬れないこと、コントロールが難しく思考と集中力を割かなければならず片手間ではできないこと。


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児童期・下
EX6.だから、ドーピングはダメなんだって、あれほど(言ってない)/救われない運命



誤字報告、ありがとうございます。
助かります


 

その話が、教団の幹部に伝わったとき、意見が割れた。

 

 

そんな便利なものがあるはずがない、と切って捨てる者。

 

本当にそんなものがあるのならば、極めて危険だ、排除すべきだ、と否定する者。

 

本当にそんなものがあるのならば、良質な実験材料が手に入る、良質な人材を簡単に作ることができるようになるかもしれない、と肯定する者。

 

 

 

情報の出所(でどころ)はどこだ? と、誰かが訊いた。

『強欲』の手駒(てごま)が研究していた内容だ、と誰かが答えた。

 

 

その手駒は信用できるのか? その手駒の話の根拠(こんきょ)はなんだ? と誰かが訊いた。

従順に仕事をこなして来たチルドレンだ、死ぬ直前まで研究していた研究資料が残っている、と誰かが答えた。

 

 

つまり、文書があるだけでそいつの妄想かもしれない、確たる証拠も証人もないということではないか、と誰かが笑った。

 

 

 

本当にそれで覚醒できるとしたらどうする? と誰かが訊いた。

 

そんなことがあるわけがない、

排除するべきだ、

放置しておいしいところだけもらうのがいいだろう、

独占するべきだ、

とそれぞれが違うことを言った。

 

 

 

本当に覚醒できるのか? そのキジン流とやらを(おさ)めるだけで。

 

けっきゃく、最後には、議論はそこに行き着いた。

 

これが事実であるかどうか? それがわからなければ、どうとも結論が出ない。

 

 

 

――では、作ってみよう、我々の手で。

 

ちょうどいい実験体に心当(こころあ)たりがある、と一人がそう言った。

 

その実験体が、本当に覚醒するのか、

覚醒するとしたらどのように覚醒するのか、

実験材料としてはどれくらいの価値があるのか、

まずは調べよう、と。

 

 

そういうことならば、この話は次に見送り、と議論は一旦終了した。

 

 

呼吸術と血液操作というキジン流の技術をすでに修めており、ブシン祭本戦出場者の父親の才を受け継いでいて才能面での問題もない。

偶然、遭遇(そうぐう)したチルドレン3rdの集団を殲滅(せんめつ)した実績があり、能力も問題ない。

 

何より、魔剣士学園の生徒という、観察しやすく、こちらから干渉(かんしょう)しやすい立場にいる。

 

 

――そんな少女を実験体として、覚醒の実験を行う、という決定を(くだ)して。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

幼いころから、戦うことが苦手だった。

 

才能がないということではない。

 

ただ、ひとと争うこと、ひとと(きそ)うこと、ひとと(いさか)うことなど――ひとと対立することが苦手だった。

 

 

それよりも、庭に咲いた花を眺めながらお茶を飲んだり、お菓子を食べたり――そんなことを、何人かいる友だちと一緒にやるほうが楽しかった。

 

 

 

ミドガル王国でも上澄みの腕を持つ魔剣士の父には、娘として申し訳なく思った。

 

 

父は、そんな自分の頭を()でて、それでいい、ミリアはミリアでいい、と笑った。

 

 

それでも、申し訳ないことには変わりなかったし、戦うことが苦手なのにも変わりなかった。

 

 

 

それが変わったのは、ブシン祭に出場した父が、本戦にまで勝ちあがったものの、一回戦で敗退した日のこと。

 

 

負けた父にかける言葉が見つからない自分へ、ブシン祭の本戦に出場することはそれだけでとても名誉ななのだよ、とカタルシス父。

たくさんのひとが望みながらも、手に入れることができない名誉だ、と。

 

その父の、無理して笑った顔と震える声を見聞きした自分は、たまらない気持ちになった。

その夜、部屋から抜け出した。

 

 

 

ただ、意味もなく、剣を振った。

 

ただ、目標もなく、剣を振った。

 

何の解決にもならないのに、ただ、剣を振った。

 

 

自分の気持ちがわからない。

 

なぜ、自分が剣を振っているのかわからないのに、剣を振るのがやめられなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 

汗が服を濡らして、身体に熱がこもって、息は荒くなり、酸欠で目眩(めまい)を起こした。

 

指先も震えている。

 

 

そうまでして、やっと剣を振るのをやめた。

 

 

ひたすら剣を振り続けて、身体の中の空気が新鮮なものに入れ替わって、何かを成し()げられたような気分になった。

 

 

「はぁ……ふぅ」

 

 

そして、感じるのは(むな)しさ。

 

 

満たされるような達成感と相反する、何も成せていない現実。

 

 

空っぽになった心で、無意識に、夜空を見上げていた。

 

 

「上弦の月の夜には、いつも昔のことを思い出す」

 

「っ!!」

 

 

それはいつの間にか、隣に立っていた。

 

音もなく、気配もなく、静かな月のように、ミリアの隣。

 

 

「友と語らったあの夜のこと、ただ(くや)しかったあの夜のこと……」

 

 

薄手の外套(がいとう)を風になびかせ、顔は狐を模した面を付けている。

 

腰には、無骨な黒い刀を()いている少年だった。

 

 

「だれ……?」

 

「ふむ……名乗るほどの者ではない、では納得が行くまい。るろうにミノル、名乗っておこうか」

 

「ルローニ・ミノルー……私はミリア、です。ただの魔剣士の、ミリアです」

 

「ただの魔剣士……ならば、我も、ただのしがない剣士だな」

 

 

ルローニ・ミノルーは、夜空の月を見上げて、もう一度、本当にあの夜のことを思い出す、とつぶやいた。

 

 

「それで隠れているつもりか?」

 

 

ルローニ・ミノルーが物陰(ものかげ)へ声をかけた。

 

ぬるりと現れる、黒いローブを着た集団。

 

それがミリアとルローニ・ミノルーを囲んでいた。

 

 

ためらいなく剣を抜き、斬りかかって来た。

 

 

「っ!!」

 

 

剣を抜いて、応戦しようとするミリア。

 

 

「やれやれ、気が短いことだ。――ィァァァ」

 

 

人間(ひと)の呼吸 其の七 (てん)

 

 

――バタン。バタン、バタン、バタバタバタン。

 

 

ルローニ・ミノルーが何かした。

 

そのあとには、斬りかかって来ていた黒ローブは全員、上下に別れて倒れていた。

 

死んでいる。

 

 

「――っ?!!」

 

 

激しい運動をしたあとに超集中状態になっていた上に、迎撃のために意識を()()ませていたおかげで。

何が起きたのか、奇跡的に理解できた。

 

 

迫る攻撃を受け流し、その受け流しの力を利用してカウンター、的確に相手の(どう)を上下に分断した。

 

それを全方位の攻撃に対して、行った。

 

 

一切の迷いなく無駄もなく(よど)みなく、最高効率で、刀は振るわれた。

 

天に吐いたつばが主へ返るように、当たり前のように。

 

 

「すごい……」

 

「目がいいのだな。いまのが見えるか……」

 

ルローニ・ミノルーがミリアに言った。

 

 

感心した様子で頷きつつ、刀を納める。

 

ミリアに背を向けて、闇に溶けるように去っていく。

 

 

「あっ!」

 

ミリアは、なぜそうしたいのかもわからずに、手を伸ばして呼び止めようとした。

 

 

それに、

 

「また、会うこともあるかもしれぬ、ないかもしれぬ。(はげ)むといい……」

 

そんな言葉を、ルローニ・ミノルーは残して姿を消した。

 

 

あとには、静寂(せいじゃく)と黒ローブの死体が残った。

 

 

 

しばらくして、ミリアがルローニ・ミノルーを呼び止めようとした理由は、彼ともっと話していたかったからだと気が付いた。

 

恋心――ではないが、あの、ただ愚直に剣を求めたような純粋な剣(さば)きに、それを振るうルローニ・ミノルーに(あこが)れたのだ。

 

 

 

その後、ブシン祭にて父を負かしたアイリス王女と友人関係になる。

 

ある日、どこからか新しい剣術流派の話を聞きつけたアイリス王女が、それがどんなものなのか剣術指南の様子を見に行くというので、付いて行った。

 

そして、出会ったのは呼吸術。

あの夜、ルローニ・ミノルーが振るっていた剣と、同種の剣だった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

ミドガル王国王都、ミドガル魔剣士学園。

 

敷地内に数ある武道場の一つの裏手にて。

 

 

「フゥゥゥ」

 

剣が踊る。

 

滑らかに、柔らかに、突っかかりのない剣筋(けんすじ)で舞い踊る。

 

 

それはまるで、花が咲くように、あるいは、花が散るように、ミリアの剣は振られた。

 

 

「フゥゥゥ」

 

さらに咲くように舞い、

 

「フゥゥゥ」

 

さらに吹かれて散るように舞い、

 

「フゥゥゥ」

 

花吹雪のごとく剣を舞わせた。

 

 

ぴたりと、剣を振り終えたときの姿勢を、(しば)し維持して、剣を降ろす。

 

 

息と力を抜く。

 

 

「はぁー、ふぅー……」

 

 

息を吐き、整えながらミリアは剣を納めた。

 

 

「精が出るね、ミリア・オルバ君」

 

 

そこに声をかける、眼鏡をかけた温和そうな顔の男。

 

 

「副学園長っ?! こ、こんにちは!」

 

 

どうしてこんなところに?! と(あわ)てて、姿勢を正して挨拶(あいさつ)する。

 

 

それに対して、男――ルスラン・バーネット副学園長は、いい、いいと手を振った。

 

 

「あぁ、驚かせようというわけでは、なかったんだよ。ただ、珍しい剣だったものでね。思わず、声をかけずに見入(みい)ってしまった。――(ぬす)()のような真似(まね)をして申し訳ない」

 

「あっ、いえっ、そんな、ぜんぜんいいです! ありがとうございます!」

 

「お礼を言うのは私のほうだ。いい剣を見せてくれて、ありがとう。いまのが最近、広まっているという呼吸術かな?」

 

「はい、まだ未完成ですけど、何とか形になって来たと思います……」

 

 

それでも、実戦で使えるかどうか不安なんですけどね、とミリアは苦笑いした。

 

 

「そうかい? 十分に実戦で使えるもののように見えたがね」

 

「副学園長にそう言っていただけると、光栄です。私、ブシン祭で優勝することが目標なんです」

 

「それはまた、大きく出たね」

 

 

カチャリと眼鏡の位置を直して、副学園長は感心した表情をする。

 

 

「副学園長は、ブシン祭での優勝経験があるのですよね。その副学園長の目から見て、どうでしょうか、私の剣は」

 

「ふむ……ブシン祭でどこまで通用するか、ということか。そうだな――」

 

 

副学園長は少しの間、考えて口を開いた。

 

 

「今年のブシン祭にも、アイリス王女は出場するのだったね」

 

「はい、そう聞いています」

 

「無論、再来年のブシン祭にも、アイリス王女殿下は出場する」

 

「学園に入学しますからね」

 

 

「――それでも、勝ちたい、と?」

 

「――はい」

 

 

「なるほど」

 

 

ミリアの揺るぎない返答を聞き、副学園長はますます感心したように笑った。

 

 

若者ならそうでなくては、と頷く。

 

 

「私が知るアイリス王女殿下なら、勝ち目はあるだろう」

 

「本当ですが?!」

 

「しかし、私が知る殿下の剣は、二年前のものだ。当然、二年の間に成長しているし、殿下も呼吸術を習得していると聞くよ」

 

「あっはい」

 

 

それはミリアも、いやもしかしたら誰よりもミリアが知っていることだ。

 

アイリス王女の剛剣は一度、クレアという年下の剣士に負かされ傲慢(ごうまん)さが消え、(おごそ)かさが残った。

 

この時点で、クレアと出会うまえとあとでは、剣の強さ、隙の無さが違う。

 

そこにさらに呼吸術と血液操作による、人外じみた強化が加わる。

 

 

二年前とは、別ものだろう。

 

 

ミリアの表情を読み取ったのか、副学園長は言葉を続けた。

 

 

「その様子だと、心当たりは、多分(たぶん)にあるようだね」

 

「正直、勝てるビジョンが浮かばないです……」

 

「それでも、ブシン祭に優勝することを望むのかい?」

 

「はい、もちろん。決めたことですから」

 

 

「よろしい。ならば、私からの激励(げきれい)だ」

 

 

副学園長はミリアの決意を受け止めると、(ふところ)から袋を取り出した。

 

その袋の中から、一個だけ小さな紙の包みを取り出すと、包みの端を(つま)まんで開けた。

 

 

包みの中身は飴玉(あめだま)だった。

 

 

「と言っても、大したものではないのだがね。薬草が練られていて、少しだけ疲れを取ってくれる効果がある」

 

 

副学園長は飴玉を口に入れた。

 

眼鏡の奥の目が細められる。

 

 

「あと、甘くて元気が出る。訓練したあとにでも、食べるといい」

 

「いいんですか?」

 

 

副学園長は、飴玉がたくさん詰めこまれた袋を、そのままミリアに渡す。

 

ミリアは遠慮(えんりょ)しようとしたが、副学園長に押し付けられてしまった。

 

 

「他の子には内緒だよ。(うらや)ましがっちゃうからね」

 

「はい、あっ、えっと、ありがとうございます! 大事に食べます!」

 

「本当に大したものではないよ。適度に食べるといい」

 

「はい!」

 

 

では、がんばりなさい、と声をかけて副学園長は去って行った。

 

 

ミリアはもう一度、ありがとうございます、と感謝の言葉を伝えた。

 

 

さっそく、袋から飴玉を一つ取り出して、ほおばる。

 

 

「あまい」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

数週間後。

 

 

ミリアは、ミドガル魔剣士学園でのブシン祭出場選手を決めるための選抜大会を、順調に勝ち進んでいた。

 

もうすでに、選抜大会四位以上は確定しており、ブシン祭出場の学園枠にあと少しで手が届く。

 

 

ミリアは、その日の試合を終えて、(りょう)への道を走っていた。

 

今日は少し、急ぐ用事があるのだ。

 

 

先日、寮に手紙が届いて、それは父からのものだった。

 

 

もうすぐ、仕事で王都を訪れることになるから、表通りの喫茶店で会って話をしようというもの。

 

そのもうすぐが今日だった。

 

 

だから、ミリアは寮に戻り、急いで身なりを整えて街へ繰り出す。

 

まだ、日が高い、十分に時間があるだろう。

 

あちらの都合次第ではあるが、久しぶりに剣の稽古(けいこ)を付けてもらきたい、と。

 

ミリアは魔剣士学園の剣を携えて、指定された喫茶店を目指した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()お店と、学園生の間で最近、話題になっている喫茶店。

 

テラスで紅茶を飲む父の姿は、すぐに見つかった。

 

 

「パ――お父さん!」

 

「おっ、ミリア! 久しぶりだな。元気にしてたか?」

 

「うん! 久しぶり、もうずっと元気だよ。お父さんも元気?」

 

「あぁ、身体が資本(しほん)だからなぁ。そういえばミリア、学園の剣術大会、順調に勝っているそうじゃないか。今年のブシン祭は――」

 

 

もともと親子の仲はわるくなく、久しぶり会った二人は、会えなかった期間に起こったことの報告を中心に、話は弾んだ。

 

 

紅茶がおいしいことにも、注文したパンの詰め合わせのバターロールがとてもおいしいことにも、話が移り、親子間のコミュニケーションは進んだ。

 

 

一、二時間、語り合って、そろそろ退去しないと喫茶店にも迷惑がかかるな、というところで。

ミリアがお願いごとを口にした。

 

 

「お父さん、剣の稽古を付けてくれない?」

 

「それも、久しぶりだなぁ。無理してないか?」

 

「ううん、全然。なんで?」

 

「昔は苦手だっただろ? そういうのは。だから、無理してるのなら、無理しなくていいんだぞ?」

 

 

「あぁ、うん。ありがとう、お父さん。無理してないよ。私は、私が振りたいから剣を振ってるの」

 

「そうか……。じゃあ、お手並み拝見(はいけん)と行こうかな」

 

「うん!」

 

 

親子連れ立って、王都の公園へ向かう。

 

広いスペースを確保できる、人気が少ない公園だ。

 

 

 

そこに行きつき、荷物を置き、髪を()い直す。

 

地面に置いたカバンの中に、ポケットの中のもとを収めてと、ふと飴玉が詰まった袋が目に入った。

 

 

(――そういえば、今日は一個も食べてない)

 

 

何気なく、袋を持ち上げ、中身を摘まみ出す。

 

 

「それは?」

 

父がミリアに、取り出した小さな紙の包みについて(たず)ねる。

 

 

ミリアは紙の包みを広げて開けて見せた。

 

 

「飴玉か……」

 

「うん。学園でもらっ――っ?!!」

 

「ミリア?」

 

 

ミリアが飴玉をほおばって、言葉を続けようとしたが、身体に衝撃(しょうげき)が走る。

 

 

その衝撃は内側からだった。

 

 

――どくんっ!

 

 

「あづっあ」

 

 

――どくんっ、どくんっ!

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛?!!」

 

 

――どガッ、どガガがガガガッ!!

 

 

鼓動(こどう)がめちゃくちゃに暴れて、血流が嘘みたいに速くなる。

 

人間が、およそ耐えられるはずがないデタラメな内臓の動き。

 

損傷と再生を繰り返し、それでも治まらない血液の暴走に、肉体は変質と変形という解決法を取る。

 

 

「ミリア!!」

 

 

父は娘の異変に大声を上げて、その娘の肩を抱く。

 

何が起こっているのかわからないが、何かできることはないか。

 

そうして、娘の身体に触れる父の手を、

 

 

――パシンッ!

 

 

ミリアは振り払った。

 

 

「あ゛め゛! にげで! わだじがわだじじゃない、ぐなる!」

 

「ミリア、大丈夫だ! 父さんは近くにいる! 大丈夫だ!」

 

 

――どガガガガ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!

 

 

「あ゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

「ミリアぁ!!」

 

 

身体が、心が、作り変わる。

 

ミリアは今度こそ理性を失い、正気を失い、人間であることを忘れ――

 

――鬼になった。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

ミリアの右腕が長く伸び、ブレる。

 

オルバは、反射的に持っていた剣で防いだ。

 

ガゴッ、とおそろしい衝撃がオルバを襲い、後ろへ弾かれる。

 

しかし、オルバとてミドガル王国でも上位の魔剣士。

 

地面を足で削りながら、減速して、また娘の様子に目を()った。

 

 

――さっきまでいた場所には、誰もいない。

 

 

右側から殺気。

 

オルバは剣を縦にして横に置き、反対の手を剣に添えた。

 

衝撃。

 

 

また、弾かれるが、今度は衝撃が来ることがわかっていたため、初めから強く地面を踏みしめて後退は最小限に(とど)められた。

 

 

「ミリアぁっ!!」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

異形の怪物は、まだわずかに残る人間だったころの心を刺激する言葉に、雄叫びを上げ、

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

血鬼術 冬厨(とうちゅう)夏粽(かそう)

 

 

さらなる進化を()げた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

ブチブチと、肉を食む感触、繊維を食いちぎる感触。

 

 

「…………え」

 

 

鉄の味わいに満たされる食欲の中で、ミリアの正気は取り戻された。

 

 

「え」

 

 

手には肉。

 

口の中には肉。

 

自分の足もとにも肉。

 

 

肉…………――。

 

 

「え」

 

 

「ミ………リ……」

 

「あ……あ、あ、いあ」

 

 

肉が、血だまりに(しず)むバラバラになった肉が、(うめ)き声を上げた。

 

 

「あぃああああああ?!」

 

手に持った、鈍い銀糸が(から)んだ肉を放り投げる。

 

ミリアは言葉にもならない悲鳴を上げた。

 

 

だが、その悲鳴も、

 

「あああああ――あ゛っ??!!」

 

背中から腹に(つらぬ)かれた剣によって中断させられる。

 

 

ミリアの視界の端には、どこかで見た覚えがある黒いローブの姿。

 

 

一人ではない。

 

十数人の黒ローブがミリアを囲んでいた。

 

 

「――あ゛っ――あ゛?!――あ゛??!!」

 

その黒ローブたちは、すでに腹を剣で貫かれているミリアへ、容赦(ようしゃ)なく追撃を加える。

 

 

右肩、右脚、また腹、左肩、左脚。

 

とにかく、心臓と頭以外に隙間があれば()めてやれ、と剣が刺さって行く。

 

 

ミリアには何が何だかもう、わからない。

 

 

「あ゛っ!――あ゛っあ゛っ!――あ゛?!――あ゛あ゛あ゛!!」

 

 

わからないが、ぐつぐつと煮えたぎる激情だけが、剣で刺される度に()き上がってきた。

 

 

自分にもこんな感情があったのか、それともさっきこんな感情が生まれたのか。

 

 

それは憎悪(ぞうお)

 

 

それも、理屈ではない、ただただムカつくから死んでほしい、邪魔だから消えてほしい、腹いせに滅んでほしいという、ある意味で純粋な憎悪だった。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

血鬼術 冬厨(とうちゅう)夏粽(かそう)

 

 

ミリアの身体から血管が四方八方へ伸びる、それは黒ローブの服を貫いて、肉体に刺さり、そこから内側の血肉を吸収する。

 

黒ローブたちは抵抗するが、剣で斬ろうとしても血管は斬れず、逆にその手の皮ふに触れたところが血管と癒着(ゆちゃく)する。

 

 

――とくん、とくん、とくん。

 

と、血管から黒ローブの血肉が流れ込むにつれて、ミリアの欲求が満たされる。

 

 

(――おいしい。おいしい? 私、なにしてっ?!!)

 

 

ミリアがハッとすると、その身体から伸びた血管が解ける。

 

 

――バタッ、バタッバタッ。

 

 

無理やり血管で立たされていた、黒ローブたちが倒れた。

 

そのローブの内側から生気は感じられず、ほとんどの者が死んでいる。

 

 

「わた、私っ、ああっ……」

 

 

この場所の惨状(さんじょう)が、見たくない現実が嫌でもミリアの目に入る。

 

 

そして、ミリアは――逃げ出した。

 

 

夕焼けに染まり始めた王都の街を、暗いほうへ暗いほうへ。

 

自分の姿さえも見えなくなるほどの闇に呑まれるのを望むように。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

報告。

 

 

実験方法。

実験体に、未精製の悪魔憑きの血液を混入させた飴玉を、毎日1~3個ずつ与え続けることにより、覚醒を促す。

通常この手段では、体内に入ったあるの血液は蓄積(ちくせき)はせず、排泄(はいせつ)されるだけに終わるはずである。

このような方法で覚醒はしない。

 

 

実験体は本当に覚醒したか?

覚醒した。

 

 

実験体はどのように覚醒したか?

覚醒直後は人の形を失い理性を失い人食いを行っったが、人食いを20分ほど続けたのちに急に理性を取り戻し人の形も取り戻した。

その後、チルドレンの干渉により観測された再生能力と不死性から覚醒した、と結論。

とりわけ注目するべき点は、実験体はただの魔剣士には使い得ない特殊な術を行使したこと。

実験体の魔人としての力のようなものと考えられる。

 

 

実験材料としてどれくらいの価値があるのか。

回収された実験体が落として行った、三本の腕と二本の脚。

これを解析、ディアボロスの雫を精製するのと同じ工程を(ほどこ)すことで、劣化ディアボロスの雫と呼ぶべき薬が出来上がった。

効果は、ディアボロスの雫の1/4。一年の1/4の期間を老いずに過ごすことができる。

これは実験体の腕一本から精製されたものである。

すなわち、回収した五本から合計5個、一年と1/4年分の不老不死の薬を製造できるこたが確認された。

 

 

キジン流を世から根絶(ねだ)やしにするべきである、という意見は教団内からなくなった。

 

 

ディアボロスの雫の¼の期間とはいえ、不老不死の効果が本物であるのならば、その材料の価値は計り知れない。

 

そもそも、腕一本で1/4の効果が一つ、精製できるのならば、両腕両脚で一人あたり、最低でもディアボロスの雫一個分の薬が精製できる。

手足が再生するのだとすれば、もっと多い。

 

 

一年で12個しか精製されない、ディアボロスの雫。

放っておけば勝手に増える、キジン流の技術習得者。

 

これらの事実は、キジン流を根絶やしにするには、あまりに魅力的過ぎた。

 

 

では、技術を独占したほうがよいのではないか、危険であることに変わりはないぞ、と誰かが言った。

薬の素材は勝手に増えたほうが楽だろう、危険であるなら監視してればいい、と誰かが反論した。

 

 

どうやって監視するのだ、と誰かが訊いた。

教団で手をまわす、キジン流を応援し、積極的に流布させて、味方として実質的な支配下に置く、と誰かが答えた。

 

 

つまりいつも通りということでないか、と誰かが言った。

その通りだ、と誰かが答えた。

 





〇オリ血鬼術紹介

・血鬼術 冬厨(とうちゅう)夏粽(かそう)……身体から血管を伸ばして、他者の肉体にぶっ刺し、血肉と魔力をまとめて融《と》かしながら吸い上げる術。
厨は台所=食材の調理をしてくれる場所、粽はチマキ=血巻き。冬虫夏草の虫と草に当て字。
だいたい、フィーリングで作った名前。



ストック切れているので、次はたぶん、何日かあとになる


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EX7.だから、ドーピングはダメなんだって、あれほど(言ってない)/救われない運命2


誤字報告ありがとうございます。
助かります。

短い。でも、これが書きたかった


 

「四分の一の効果、ねぇ……」

 

 

ミドガル王国王都の夜。

 

とあるホテルの一室。

 

 

「不自然ここに(きわ)まれり。――これまで(かたく)なに安全策を打ってきた教団が、安定して覚醒者を生み出せる手法を放置するなんて」

 

 

少年が腰掛ける椅子は窓際に置かれ、月光が差しこむ。

 

 

ベッドの上には少しまえまで生きていた、何かの残骸。

 

 

「不老不死を手に入れた私たちは、魔人の力を求めて来た。ならば、魔人の力が得られたならば、その次に求めるのは――さらなる力だ」

 

 

少年は椅子から立ち上がる。

 

 

「普通の人間より悪魔憑き、悪魔憑きより同じ鬼。食えば食うほど、鬼は強くなる。――ラウンズの中に、鬼になったやつが何人いるのだか」

 

 

部屋の惨状(さんじょう)(かえり)みることなく、退室する。

 

 

「決別のときは近い、か」

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

人間、特に貴人の治療を行うために、運営されている施設(しせつ)

 

 

庭に()わった樹木のまえに、車いすに(すわ)る男が一人。

 

 

男の包帯が巻かれた両腕の先は、不自然に短い。

 

男の右脚があるべき場所には、ズボンの布がひらひらと揺れるのみ。

 

首も頭も包帯まみれで、わずかにのぞく肌の色は悪い。

 

 

樹木を見上げる男の目は(うつ)ろ。

 

 

男は死にかけだった。

 

身体も、心も。

奇跡的に生きているだけで、いまにも死にそうだった。

 

 

男の名はオルバ。

 

 

ある日、妻を失い、

 

ある日、娘を失い、

 

ある日、未来を失った、

 

このミドガル王国の貴族である。

 

 

 

「あ……」

 

半開きの口から声が漏れる。

 

 

ぼーっとしているとふいに思い出す、()()()()に打ちひしがれているのだ。

 

突然、化けものになり、暴走し、自分を負かして血肉を()らい――()()()()()()()()()()娘の最期(さいご)を。

 

 

虚ろな目から涙がこぼれた。

 

流れた涙はすぐに包帯に吸われ、姿を消す。

 

 

 

そんなオルバに近付く者がいた。

 

 

「――どうやら、私は長く生き過ぎたらしい。そのせいで、遺伝子が劣化(れっか)していたんだ」

 

 

オルバに近付く少年が喋り始めるが、オルバは反応しない。

 

 

風に揺れる樹木のほうが大事とばかりに、目を向けさえしない。

 

 

「鬼になってから、太陽の下に出られなくなってしまった。(ただ)でさえ鬼になれば遺伝子が劣化するのに、それをもとから劣化した遺伝子で鬼になったものだから、さもありなん」

 

 

オルバの無反応を少年は気にしない。

 

独白するがごとく、語り続ける。

 

 

「だが、希望はある。血にね、記憶が宿るんだ、鬼になると。――(しか)るべき()(しろ)があれば、生まれ変われる」

 

 

少年の腕が形を変える。

 

(にご)った血の色の、剣の形を取った。

 

 

そこでようやく、オルバはピクリと少年に目を()った。

 

 

「ただの依り代ではダメだ。私の存在が大きすぎて、食らい()くしてしまう。――最高の依り代が必要だ」

 

 

ついにオルバにたどり着いた少年に、オルバは反射的に構える。

 

 

しかし、オルバが構えた両腕には剣はなく、手もなく、魔力は(かろ)うじて弱い光を放つのみだった。

 

 

少年の剣の形の腕が、オルバの頭を正面から向こう側へ(つらぬ)く。

 

 

「さて、お前は、与えられるこの血の量に耐えられるかな?」

 

「もう、どうでもいい、すべて、が……」

 

 

いざ、殺されてしまえば、オルバは簡単に命を手放せた。

 

生きていてもいいことはない、生きていたいわけではない。

なら、死んでいいではないか。

 

オルバの心には、(あきら)めだけが満ちていた。

 

 

「報告では、お前の娘は大そう丈夫で、鬼になってすぐ術を発現した逸材(いつざい)だったらしい。――()しいことをしたよ。どうせ与えるのなら、私の血にすればよかった」

 

 

「ぁ……ミリ、ア……」

 

 

少年の言葉に、力なく()れていたオルバの腕が持ち上がるが、それもすぐにだらんと落ちた。

 

 

「そうすれば、真祖教のやつらに回収されることも、なかっただろうに。まったく」

 





狛治(はくじ)猗窩座(あかざ))鬼化イベント『お前は、与えられるこの血の量に耐えられるかな?』のパロディ

回収


『ミドガルの悪鬼』鬼化


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EX8.いいぞ! もっと治安悪くなれ/救われる運命


アルファ(予定)視点三人称
→オルバ視点三人称
→シド視点一人称
→オルバ視点三人称
→アルファ(予定)視点三人称


 

素質も才能も、努力も能力も少女にはあった。

 

世に、どうにもならないと言われている悪魔憑きの症状を(しず)め、御するだけの力が備わっていた。

 

 

なかったのは心。

 

いかに大人びていても、神童とうたわれようと、年齢相応の幼さも少女はきちんと持ち合わせていた。

 

 

不幸、不運、悲劇、惨劇。

 

そういった衝撃が幼い心を(さいな)み、やがて(くだ)けた。

 

 

――少女は鬼になった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

『オルバ、仕事だ』

 

「はっ!」

 

 

うなじで一本にまとめた銀髪。

 

(くだ)けて割れた結膜(白目)

 

身体中に浮き出た黒い(あざ)

 

 

いつも通り、己が力を(みが)いていたオルバの頭に声が響いた。

 

 

声の主はこの場にはいない。

 

オルバの中にある、細胞――オルバを鬼たらしめている力の核を通じて、声を届かせているのだ。

 

 

『出所不明の、元エルフと思しき鬼が確認された。クィモーノ領の付近だ。現れた場所から、断言はできないが――』

 

「…………」

 

 

オルバは、声が頭に響いた瞬間に手を止めていた。

 

仕えている主の言葉だ、一言一句、聞き逃すわけにはいかない。

 

 

『――行方不明になっていた『英雄の子』、()()()()()()()の可能性がある。余ってる雑魚鬼は全部使っていい。なんとしても回収しろ』

 

「はっ!」

 

 

そして、聞き終えたのならば、その言葉の通りに、命令を遂行するのみである。

 

 

オルバは振っていた剣を降ろし、遠征の準備を始めた。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「月が明るい。今日は、るろうにミノルの日だっ!」

 

 

ということで、今日はさすらいの剣客(けんかく)ごっこの気分の日である。

 

 

カゲノー領からダッシュで二時間、馬車で三日か四日くらいのところ。

 

 

僕はいつも通り、盗賊狩りに来ていた――今日は当たりだ。

 

盗賊というより害獣かな。最近たまにポップするようになった人外だ。

進化したゾンビの上位種みたいな見た目をした、もっぱら人肉を食うために行動する――鬼に行き当たった。

 

 

「貴様、いつの間に俺様の後ろにいやがるぅううう!」

 

「我はるろうにミノル……さすらいの、ただの剣士……」

 

「食ってやるるるる!」

 

「ィァァァ」

 

 

人間(ひと)の呼吸 其の二 暖簾(のれん)

 

 

飛びかかって来た顔、というより頭に口しか生えていない鬼の、食らいつきをあしらう。

 

 

「なっ、いねぇ?! いた! 貴様何をしやがった?!」

 

「ィァァァ」

 

 

人間の呼吸 其の一 一刀(いっとう)

 

 

髪も目も鼻も耳もない、頭にパカッと開いたやかましい口に斬撃を叩き込む。

 

 

「ギャァア!」

 

特にこれ以上手があるとか、力を隠しているということはなかったようで、あっさり鬼の頭は上下に分断された。

 

 

「なで、な、で、ざいぜいじない?!」

 

「練りが甘い、魔力も血も」

 

 

斬られた頭が再生せずに、それどころか創口(きずぐち)から黒く体組織が(くず)れて行くのに、戸惑(とまどう)う鬼。

 

それに対して僕は短く、的確に原因を教えてあげた。

 

 

鬼は再生力が強く、やたらとしぶといが、無敵(むてき)ではない。

 

一見、隙がないように見えるその不死身の肉体。

 

だけど、その肉体を維持している魔力や血液の流れを絶ち切ってやれば、ダメージを与えることは可能だ。

 

魔力の密度を高めた斬撃を叩き込むと、原理は不明だけど、しばらくは再生しなくなる。

 

 

そして、それが致命的な部位で起こった場合、そのまま死ぬ。

 

致命的な部位というのは、鬼によって違うけど、大抵は心臓や頭や首など、人間にとっても重要な器官であることが多い。

 

 

今回は頭で正解だった。

 

一番、魔力密度が高かったもんね。

 

 

「クソァアアアァ………」

 

 

というわけで無事、口だけデカかった鬼は(ちり)になって消えた。

 

後片付けとか――いつも考えてないけど――考えなくてもいいのは、いいね。

 

 

 

「ふぅ。さてと」

 

 

僕はたっぷり、雑魚にも油断しない感じの武士っぽさを出しながら、残心(ざんしん)

 

そのあとで、刀を降ろした。

 

 

 

鬼は素晴らしい生きものだ。

 

何と言ってもお金にほとんど興味がない。

いや、人肉への興味がありすぎる、といったところだろうか。

 

 

まがりなりにも、二足歩行していることが多いにも関わらず、その精神性は獣そのもの。

 

人間の言葉を(しゃべ)っていることに違和感を覚えるほど、本能に忠実(ちゅうじつ)で、浅慮(せんりょ)だ。

 

 

そんなのだから、ひとの町に上手く()け込むことが彼らは下手くそ。

 

そして、溶け込めないのなら、お金なんて使う機会がない。

 

 

だから、彼らは基本的に金銭には手を付けないということだ。

 

お金なにそれおいしいの? 人肉のほうがおいしいよ。って感じ。

 

 

「金に汚くないのは、鬼にある数少ない美点だね」

 

 

どんどん湧いてほしい。

 

 

「おかげで、僕みたいなどうしてもお金がほしい、まともな人間がお金を手に入れることができる――っと」

 

おっと、つい素が出てしまった。

 

いまは狐のお面を付けて、なんとなく旅人っぽい薄めの外套を――薄くないと、なかなか格好よく風になびかないのだ――羽織(はお)っているんだった。

 

 

いまの僕はさすらいの剣客。

 

そんな(ぞく)っぽいことは言わない。

 

 

「村人たちが(のこ)したもの。せめて、我が役立ててやろう」

 

ん? なんか違うな?

微妙に悪役っぽいぞ?

 

 

「村人たちが遺したもの……か。フッ、遺す気などなかっただろうがな……」

 

皮肉げに笑いながら、鬼が荒らした民家で金目のものを(あさ)る、さすらいの剣客。

 

んん?

セリフとやっていることが()み合っていないような気が、しないでもないような……。

 

 

「まぁ、いいか」

 

 

誰も見ていないし、実はひとが見ていないところで努力している、みたいなものだろう。

 

うん、いけるいける、

 

 

 

「けっこう、あったな」

 

 

一番大きな家だったとはいえ、そこそこ田舎(いなか)のこの村の、家一軒(いっけん)にある金銭としては、なかなかの額があった。

 

景気がよかったのだろうか。

 

 

これは、ほかの家も期待できるかもしれない。

 

 

「っ?」

 

 

――と、村にあるほかの家も探ろうとしていたとき、魔力の圧、のようなものを感じ取った。

 

 

かなり遠い、けども、確かに強い力の揺らぎを感じる。

 

目を向ければ、その方向の夜空が不気味に赤く染まっている。

 

まちの光が空に映っているとか、何かの気象現象とか、というのとは違う気がする。

 

 

「これは、陰の実力者的イベント……」

 

そうに違いない。

 

 

村人が(たくわ)えたお金は惜しが、陰の実力者イベントを逃してはいけないだろう。

 

 

(――余裕があったら、あとで取りに戻って来よう)

 

 

バサァッ、と僕は薄い生地の外套をひるがえし、赤い夜空のほうへ向かって走り出した。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

そこそこ大きな町だったのかな?

 

モンスターでもないただの獣なら、乗り越えるのが難しそうなくらいの、7~8メートルくらいの壁。

それで囲まれた町。

 

 

日常生活を送る人間の気配はなく、ゴーストタウンの寂れた雰囲気と、いま起こっているナニカによる物騒な雰囲気が混在(こんざい)している。

 

 

物騒な雰囲気、と曖昧(あいまい)な言い方をしたけど、原因はだいたいわかっている。

 

 

「鬼が群れている……?」

 

 

こんなことは初めてだ。

 

 

鬼というのは大抵単独でいる生きもの。

集まって何かをしているのは、共食いしているところしか見たことがない。

 

 

同族は敵もしくはエサ、それが鬼の生態。

そう思っていたのだけど、違ったのだろうか?

 

 

(――気配を探る限り戦っているのは二人。それをほかの鬼が囲んでいる……?)

 

 

「それに、この赤い霧……もやか? 魔力を感じるが……」

 

 

ゴーストタウンに立ち込める煙。

 

重たい動きで、かたまりになって揺蕩(たゆたう)う様は、霧と呼ぶには違和感がある。

 

 

「? 魔力を吸収しているのか、この赤いの」

 

 

赤いもやに触れた身体の魔力が薄まった。

 

何度か魔力を放って、その赤いもやに浴びせたり、注入したりしていると、だいたい性質はわかった。

 

 

触れた魔力を吸収して、成長しているみたいだ。

 

成長した赤いもやは流れて、ゴーストタウンの中心へ向かっている。

 

 

「ふむ」

 

 

僕は、そんな赤いもやとゴーストタウンの様子をしばらく観察して――決めた。

 

 

「赤いもやの発生源はあそこか」

 

 

突然現れて、圧倒的な実力を見せつけて、立ち去る。

 

陰の実力者たるもの、まずは物事の中心地に降り立つものだ。

 

 

 

 

「なんとなくわかってきた」

 

 

赤いもやの発生源、ゴーストタウンの中心へ向かうに連れて、赤いもやの密度は上がる。

 

触れなければ何ともなかった赤いもや。

しかし、物理的に、触れなければ前へ進めない場所が増えてきた。

 

何回か赤いもやにぶつかっている内に、対処の仕方もわかって来た。

 

 

対処の仕方は、四通り。

 

一、もやの質量が軽いから、風で飛ばす。

 

二、もやの魔力の密度を越す密度で魔力を練って、もやを斬る。

 

三、もやの魔力の密度を越す密度で魔力を練って、体表にまとわせる。

 

四、大まかにしか魔力を吸収できないみたいだから、細かく緻密に魔力を操作する。

 

 

ここはあえて、三かな。

 

 

場所を荒らさずに渦中(かちゅう)に飛び込んで、いつの間にかそこにいた感を出すとしよう。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「この赤いもや、想像以上に厄介だったが、私レベルの鬼ならば斬ることができるらしいな」

 

「ぐっ、ぅぅ」

 

 

――ガギャン! ガギャン!

 

と、乱暴に剣を叩きつける音がする。

 

 

それは剣が爪に受け止められる音。

 

 

片や、太い腕の先に分厚い剣を生やして、叩きつける男。

片や、叩きつけられた剣を、伸ばした爪で受け止める幼い少女。

 

 

その周りには、身体のどこかが人間とは違う異形の鬼が、数十体も倒れていて、(うめ)き声を上げている。

 

 

「しかし、それにしても優秀だ。我が主もお喜びになるだろう。貴様を持って帰れば、なっ!」

 

「っぅあ!!」

 

 

男の剣が、少女を爪の防御ごと()いで吹き飛ばす。

 

 

吹き飛ばされながらも、少女は即座に受け身を取り、転がってから起き上がる。

 

 

「私、は……あなたたちのものにはならない……従わないっ!」

 

「なぜ、(こば)む? 正義だなんだと言うつもりか? 貴様も鬼だろう? 人を食わなければ生きていけない、鬼だ」

 

「私は、進んで鬼になったわけじゃない!」

 

 

少女が手刀を作って、爪で男の胸を貫こうとする。

 

太い剣を挟むことで、男は爪を防いだ。

 

ギュリギュリと、爪が剣に(こす)れて音を立てる。

 

 

「進んで鬼になったわけではないとして、それがどうした。行方不明になって今日まで、貴様はどうやって生きてきたのだ?」

 

「っ!!」

 

男の問いかけに、少女は痛ましげに顔を(ゆが)めた。

 

 

「私は、鬼しか――」

 

少女が苦しい言い訳をしようと口を開いたとき、男――オルバの両腕が地面に落ちた。

 

 

「――ぇ?」

 

「は?」

 

 

あったのは無骨な黒い刀。

 

いたのは、少年と思しき身長の狐面の人間。

 

 

――刀を構えた黒衣の剣士が、少女とオルバの間に入り込んでいた。

 

 

血を()()らしながら飛び退くオルバ。

 

 

「何者だ?!」

 

「我はるろうにミノル……さすらいのただの剣士……」

 

オルバの問いかけに、黒衣の剣士は静かな声で答えた。

 

 

「ルローニ? そんな名前――どこかで聞いたような――っう、頭がっ?!」

 

 

黒衣の剣士の名前に、何かを思い出しそうになり、しかし思い出せないオルバ。

 

生やした剣ごと切断されたままの腕で、頭を押さえた。

 

 

だが、すぐに頭を振って気を取り直す。

 

 

「まぁいい。これほどの力。どこの勢力の者かはわからないが、見られたからには、生かしておけん」

 

 

切断された腕から分厚く太い剣を再び生やす。

 

まるで、何の痛痒(つうよう)でもない、と言わんばかりに黒衣の剣士へ剣を振った。

 

 

「ィァァァ」

 

 

人間の呼吸 其の六 (やなぎ)

 

 

オルバが振った両腕の二本の剣が、黒衣の剣士の刀に触れてピタリ、と止まった。

 

ヒュー、と剣が起こした強い風だけが、黒衣の剣士の後ろへ吹き抜ける。

 

黒衣の剣士にはまったくダメージはない。

 

 

「ふむ、再生ではない……この剣は、変形した腕ではない。本当に生やしてるのか……」

 

「ど、どうなっている?! なぜ、剣が進まない?!」

 

 

オルバが体重をかけて、剣を押し込むも、黒衣の剣士の刀はビクともしない。

 

黒衣の剣士は、オルバの腕の半ばから生える剣を見て、冷静に考え事をしていた。

 

 

「すごい……」

 

思わずという風に、黒衣の剣士の後ろで少女が声を漏らした。

 

 

さっきまで少女自身が苦戦していたから、オルバの膂力(りょりょく)も剣の技術も知っている。

 

技術では、少女のほうが勝っていたが、それでも並の腕前ではなく。

膂力は、少女ではまるで歯が立たず、圧倒的にオルバが上だった。

 

だから、その恐ろしいほどの怪力を正面から受け止めるのを見て、驚愕していた。

 

 

「ぉらぁあああ!!」

 

 

剣を押し込むのは不可能と判断したオルバが、剣を一度引き、黒衣の剣士の頭に勢いを付けて振り下ろす。

 

が、

 

「ィァァァ」

 

ピタリ、と刀に受け止められて、そこから先へ進まない。

 

 

「ぉら、おら、おら、おら!!」

 

「ィァァァ」

 

 

オルバが連撃を叩き込むも、すべてが音もなく剣を止められる。

 

まるで、そこに見えない壁があるみたいに、剣が進まない。

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!!――おい、雑魚ども! 起きろ!」

 

 

オルバは連撃を叩き込みながら、叫んだ。

 

 

周りで倒れて呻いていた異形たちが、オルバの声で一斉に起き上がった。

 

そのうちの何体かは(ただよ)う赤いもやに触れて、身体を崩壊させたが、構わずに動く。

 

 

「ガキどもを殺せぇ!」

 

オルバが連撃を叩き込み、黒衣の剣士を(くぎ)()けにしながら、命令する。

 

数十体の異形が、黒衣の剣士と、ついでにその後ろの少女にも、一斉に襲いかかる。

 

 

「私のことはいい! あなたはあなたを守って!」

 

少女が叫ぶ。

 

いかに優れた剣術があったとしても、腕は二本、刀は一本だ、全方位から同時に攻撃されては一溜(ひとた)まりもない。

 

もちろん、他者を守る余裕もないだろう、と少女は(あせ)った。

 

一時とはいえ自分を守ってくれた者のために、黒衣の剣士に襲いかかる異形を、一体でも多く倒そうと爪を伸ばした。

 

自分の身も(かえり)みずに。

 

 

しかし、黒衣の剣士は冷静だった。

 

脅威(きょうい)ではないからだ。

 

 

「ィァァァ」

 

 

人間の呼吸 其の八 剣界・熱水

 

 

「っあ……なん……だと……?」

 

 

――ビチャビチャビチャ。

 

 

襲いかかっていた異形、すべてが微塵(みじん)切りになっていた。

 

小指の先ほどの肉片が、地面に散らばっていた。

 

 

「ぐ、ぁっ、ぁ」

 

 

それはオルバも例外ではなかった。

 

無事なまま立っていたように見えた身体は、実際は肉片が辛うじて人間らしい形を保っていただけ。

 

鬼の血がしぶとく、肉片同士をつなぎ止めようと足掻(あが)いていただけ。

 

 

少し揺れただけで、とっくにバラバラになった身体が崩れていく。

 

 

「ぁぁ……」

 

 

もはや、喋ることもできなくなって、滅びていくオルバ。

 

何も言わず、油断もしない黒衣の剣士。

 

すぐに、その姿も見えなくなる。

 

 

ただ終わりを待つだけの暗闇に放り込まれた、オルバの心に浮かぶのは、

 

 

(――ミリア……)

 

 

鬼になってから忘却(ぼうきゃく)してしまっていた、実の娘のことだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

剣を腕から生やした鬼を筆頭とした、鬼の集団。

 

彼らが細切れの肉片となり、それすらも塵となって消えた場所。

 

ゴーストタウンの中心。

 

 

残った動くものは、狐面をかぶる黒衣の剣士と爪を伸ばした金髪の少女だけだった。

 

 

「助けてくれて……ありがとう……」

 

 

少女がかすれた声で剣士に礼を述べた。

 

とても、悲しそうに、苦しそうに。

 

 

黒衣の剣士は何も言わない。

 

 

「でも、私は鬼よ」

 

 

無言の剣士に、少女の爪が繰り出される。

 

 

当然、その爪は剣士の刀に止められる。

 

 

「せっかく、助けてもらったけど、ごめんなさい。――もう、終わりにして」

 

「…………」

 

 

剣士はやはり、何も言わなかった。

 

ただ、刀を少女の首に突きつける。

 

青紫色の魔力が渦を巻く。

 

 

「何から何まで、あなたに押し付けて、ごめんなさい」

 

少女は抵抗せずに、身体から力を抜いた。

 

 

「リカバリー・アトミック・お(ため)(ばん)

 

 

青紫の光が、赤く染まった空を塗り替えて、少女に一つの奇跡をもたらした。

 





本当は、鬼化オルバさんはグレンと戦わせて、「鬼にならないか」「ならない」問答とかしたかったんだけどね。
書いてみたら、シドくんが強すぎて鬼化オルバさんが死んでしまった。
逃げることもできなかった。


〇オリ呼吸紹介

人間(ひと)の呼吸 其の六 (やなぎ)
……武器耐の耐久力の超強化、体表の摺動性(しゅうどうせい)の超強化、身体の超柔軟化、あらゆる攻撃の全方位受け流し。
一言で言えば、受ける衝撃のすべてを自分以外に受け流す技。
原理は違うけど、あの水の呼吸最強の型、凪とほぼ同じ結果をもたらす。

・人間の呼吸 其の七 (てん)
……武器の耐久力の超強化、反射神経の超強化、体表の摺動性の超強化、身体の靭性の超強化、身体の超柔軟化、あらゆる攻撃の全方位受け流し。
一言で言えば、どんな衝撃も吸収・操作してカウンター攻撃に転用する技。

・人間の呼吸 其の八 剣界(けんかい)・熱水
……武器の耐久力の超強化、攻撃威力の超強化、五感の超強化、反射神経の超強化、体表の摺動性の超強化、身体の靭性の超強化、あらゆる攻撃の全方位受け流し。血液操作で飛ぶ斬撃or魔力操作で飛ぶ斬撃(飛ぶ打撃や飛ぶ刺突でも可)。
一言で言えば、魔力を含めて、範囲内で少しでも動くものの運動エネルギーを、吸収・操作してカウンター攻撃に転用する技。魔力か血液操作を使わないと、範囲がかなり狭くなる。
無職転生ファンのひとなら、水神の剥奪剣界を少し攻撃的にした感じ、と言えば伝わるかも。


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EX9.いいぞ! もっと治安悪くなれ/救われる運命2


連投。

本日二話目です、ご注意ください。



 

鬼は、もともとひとだった。

 

つまり、なんか色々あって、ひとが突然変異を起こした存在が、鬼なのだ。

 

――ってことを、クレアが言っていたのを、なんとなく思い出した。

 

鋭く爪を伸ばした金髪エルフの女の子――みたいな見た目をした、鬼を見つけたときに。

 

 

それで僕は考えたわけだ。

 

ひとから鬼になったんだから、鬼からひとに戻すこともできるよね、と。

 

僕が信じる不思議パワー(まりょく)なら、それくらいやってのけるよね、と。

 

 

やることは、研究中の、魔力を使ったなんでも全回復を試すだけなんだけども。

 

 

まぁ、もともと死にたがっていたし、いいだろう。

 

かわいそうだから、最善を尽くすけどね。

 

 

 

で、無事に(たぶん)、金髪エルフの女の子(鬼)を金髪エルフの女の子(人)に戻せた。

 

 

うむ、一件落着だな。

 

 

ちょっと強い鬼とその下僕っぽいやつらに圧倒的実力を見せつけられたし。

金髪エルフの女の子も助けられた(?)し。

 

 

さて、ところで。

 

この子、どうしようか?

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

(うち)を聞いても、「帰れない」。

 

名前を聞いても、「なくなった」。

 

 

目を覚ました金髪エルフの女の子に、さぁ鬼じゃなくなったよ、君は自由だよ、と故郷へ帰そうとしたら(こば)まれた。

 

 

その日の夜は、とりあえずカゲノー領の、とある廃村に作った秘密基地で寝かせた。

 

 

そして、翌日。

まる一日考えた僕は、断固として郷帰(さとがえ)りしないというロックな彼女を、配下役にすることに決めた。

 

 

陰の実力者の配下A。

 

なんか助けてもらった恩を返すとか言っているし、デキる女って感じのオーラがあるし、補佐役にぴったりだろう。

 

 

「覚悟があるなら、受け取るといい。――アルファ。それが君の新しい名前だ」

 

「わかったわ。今日から私は、アルファ」

 

 

ということで、仲間ができた。

 

しかし、ここで満足はしない。

 

 

かねてより考えていた、陰の実力者的設定をここで披露(ひろう)して、アルファを深遠なる陰の世界へ招待するのだ。

 

 

陰の実力者ごっこやりながら、アドリブで設定を考えるのも楽しいんだけどね。

 

やはり、ここは先輩陰の実力者として、温めていた設定を明らかにしなければ。

 

 

「君の仕事は――世界の支配を目論(もくろ)む、新たなる魔人を滅ぼすことだ」

 

「新たなる魔人……?」

 

 

「君にはわかるだろう? 鬼のことだよ」

 

「?!」

 

 

「突然、そんなことを言われても、わからないだろう。まずは始まりから話さなければならない――」

 

 

「――始まりは遥か昔。

 

魔人――魔人ディアボロスの力を、我がものにしようとした人間たちが行った、実験だった。

 

彼らは、魔人ディアボロスの肉体を研究し、

魔人の力を自分たちのものにしようとする過程で、

多くの人々を()(にえ)にしながら、

たくさんの実験を行った。

 

 

そうした研究と実験の果てに生み出された実験体――それが、鬼と英雄だ。

 

 

実験体の中でより深い魔を持つ者を鬼と呼んだ、そして、より人に近い者を英雄と呼んだ。

 

 

そう、この二者はもともとどちらも、魔人ディアボロスの力を宿して作られた、実験体。

 

だから、鬼は英雄に、英雄は鬼になれる、素質があったのだ。

 

 

アルファが鬼になったのも、きっとそのせいだろう。

 

条件さえ満たせば、英雄の子孫は鬼になることができる。

 

 

あるいは、この二者はこうも呼ばれる。

 

鬼はヴァンパイアやグール、英雄は悪魔憑き、とね。

 

鬼の血に耐えられなければ人はグールになり、英雄の血に耐えられなければ人は悪魔憑きになるんだ。

 

 

これがこの世界の真実さ」

 

 

「鬼……英雄……。ヴァンパイアと悪魔憑きにそんな歴史が……」

 

 

僕の長々とした説明を律儀(りちぎ)に聞いてくれていた、アルファ。

目から鱗が落ちた、というような顔をしている。

 

 

うん、いい子だね。

 

正直、こんな長い設定いきなり話されたら、僕なら逃げる。もしくは、寝る。

 

アルファにはそんな様子はないし、まじで頭いいんだな。

 

 

年齢はいまの僕と同じ10歳って言っていたから、絶対故郷で神童とかって呼ばれていたタイプだね。

 

 

これなら、陰の真実第二章に進んでも問題なさそうだ。

 

といっても、一章ほど長くないんだけど。

 

 

「歴史じゃあ、ないんだ」

 

「え?」

 

「いま語った世界の真実は、歴史じゃないんだよ、アルファ」

 

「歴史じゃない? お伽話(とぎばなし)ってこと?」

 

「違う」

 

陰の実力者的設定だ。

 

口には出さないけど。

 

 

「おかしいとは思わないかい?

――彼らは、魔人の力を我がものにするための実験をしていたんだ。

――まがりなりにも、その魔人の力を体現させることに成功した実験体を、野放(のばな)しにするなんて」

 

「?!」

 

()()()()()()()()()()()()

 

「?!!」

 

 

「彼らは実験体を野に放ち、鬼は鬼なりに、英雄は英雄なりに。力を付け、数を増やし、どのような変化を起こすのか、ずっと観察をしている。――この世界という箱庭(はこにわ)の中で」

 

 

「?!! まさか……そんなこと……どれほどの権力や組織力があれば……ハッ! 

――英雄の子孫……悪魔憑き……。まさか……でも、それなら大陸中を観察できる……!」

 

 

アルファは僕の話を聞いて、ハッとして、何かに気が付いた様子を見せる。

 

 

どうやら、いい刺激になったようだ。

 

自分の中でどんどん陰の実力者的設定が構築されていく、得も言われぬ感覚に身を(ふる)わせている。

 

 

「さっき、僕は鬼のことを、新たなる魔人と呼んだ。けど、それは正確ではないんだ。鬼は未完成だったんだ、彼らにとっては、魔人として」

 

 

馬鹿だもんね、鬼って、基本的に。

 

まともに会話ができそうな鬼に会ったのは、アルファとアルファと戦っていた鬼が初めてだ。

 

 

「だから、実験を続けている。魔人の力を、真に我がものにするために。

そして、彼らが本当の意味で魔人の力を手に入れたとき。そのあとに待ち受けるのは――」

 

「新たなる魔人による世界の支配?」

 

 

「そう。彼らはもう、あと一歩のところまで来てしまっている。

だから、新たなる魔人――鬼の誕生の阻止(そし)、そして、誕生してしまった鬼の討滅(とうめつ)

――アルファ、君にはそれの協力をしてほしい。できるかい?」

 

「あなたがそれを望むなら」

 

 

よし、これで、エンカウントした鬼を倒すときのモチベーションはMAXだ。

 

 

「彼らは、ディアボロス教団。魔人ディアボロスの力を我がものにして、いずれ魔人による世界の支配を目指す者」

 

「ディアボロス教団……。それが聖教の裏に潜む闇……」

 

ん? アルファのセリフの後半部分が小声すぎて、聞き逃した。

 

 

まぁいいや。

 

 

「野良の鬼は目くらまし、もしくは、(おとり)首魁(しゅかい)は表舞台には決して出て来ない。だから、僕らも陰に潜むんだ。

――我らはシャドウガーデン。陰に潜み、陰を狩る者」

 

「シャドウガーデン。いい名ね」

 

 

そうだろう。

 

前世から、熟考(じゅっこう)に熟考を重ねて来た名前だからね。

 

前世の僕と今世の僕、実質僕二人分の知恵が詰まった、パーフェクトなネーミングだ。

 

 





ということで、シドくんは無事にアルファを拾いました。

ちなみに、鬼からちゃんと人(エルフ)に戻ったし、奇跡的に後遺症はなし。

やったね。


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EX10.たぶん、あと2000年くらいは研究しないと、廻戦できない


『呪術廻戦要素?』タグを追加

呪術関係をこの先、掘り下げるかはわかりません。
いまのところは、小技程度。


 

〇『呪術』について

……これは鬼の力の、さらなる利用方法の開拓(かいたく)を目的に開発した『呪術』について。現時点でわかっていることを、真祖教特別序列(運営)所属の『化猫(ばけねこ)』ミーコが、まとめたものである。

 

 

1.『呪術』とは何か?

……『呪術』とは、鬼の血に備わる『血の記憶』と『血の呪い』の性質を利用した、血液および肉体の操作技術のことを、そう定義する。

 

・『血の記憶』と『血の呪い』とは何か?

……『血の記憶』は忘れたくても忘れられない、絶対の記憶。『血の呪い』は破りたくても破れない、絶対の約束。

→鬼の血は、その一滴(いってき)一滴が腕であり脚であり胴であり、そして、脳である。

そのせいで、鬼の血を間に(はさ)んだ状態での、知的生命体間での物事の取り決めなどは反故(ほご)にすることができない。“取り決め”をした時点で、その鬼の血を宿した知的生命体は、“取り決め”を文字通り全身全霊をもって、遂行(すいこう)しなければならなくなる。

→例えば、「次に浮気をしたら、右手がねじ切れる」と“取り決め”て、『本当に浮気をしたら、本当に右手がねじ切れた』、という風に。

この例に挙げた、「次に浮気をしたら、右手がねじ切れる」という、“取り決め”を鬼の血に記憶させている性質のことを『血の記憶』(絶対に忘れられない記憶)、『本当に浮気をしたら、本当に右手がねじ切れた』という、“取り決め”を鬼の血に遂行させた性質のことを『血の呪い』(絶対に破れない約束)と呼ぶことができる。

 

・『血の記憶』と『血の呪い』による、血液もしくは肉体への条件付け。

……上記に例示したように、「~~したら、……する(なる)」という風に、『血の記憶』と『血の呪い』を用いて自らの鬼の血に条件付けすれば、本人の意思や意識を無視して、血液および肉体(鬼の血のかたまり)を操作することができるということ。

→例えば、1.「自分の肉体の状態情報を常に記録し続けて、その記録を一時間、保持する(血の記憶)」&2.「自分の特定部位を手でさすりながら、アブラカタブラと唱えたら、その部位の一時間前の状態を再現する(血の呪い)」、という風に。条件付けを利用して、利になる効果を引き出すことも可能。

→こういった『血の記憶』と『血の呪い』による条件付けを利用した技術のことを、『呪術』と定義し、呼称(こしょう)するものとする。

 

 

2.鬼化スライムの特性と『呪術』における利用方法。

……条件付けによる利があるが、同時に不利やリスクもある『呪術』を行使する上で、もっとも都合がいい媒体(ばいたい)の一つが鬼化したスライムである。

 

・なぜ、『呪術』を行使するのに不利やリスクが、あるのか?

……『血の呪い』を利用されて操られるもしくは、『血の呪い』により弱点が生まれそれを突かれる可能性がある。

→例えば、「流した血液が、指をさした方向に射出される」という『呪術』を作っていた場合、あらかじめ血が射出されることを知っていれば、あるいは指をさした方向に射出されることを知っていれば、対策のしようはある。

血液のにおいに注意を払うとか、行使者の指を注視するだとか、行使者の指をすべて切り落としておくとか。

 

・鬼化したスライムとは何なのか?+鬼化スライムの特性。

……鬼化スライムとは、そのまま、鬼の血を用いて、鬼にしたスライム。

いまのところ、どんな種族由来(ゆらい)の鬼の血でも、スライムの鬼化が可能なことを確認している。

→鬼化スライムの特筆すべき点は二つ。

一つは、鬼であるにも関わらず、魔力だけで生存可能であり、また、わずかずつではあるが再生する点。

もう一つは、鬼としての特性『劣化複製』。鬼化させた血の主の肉体のデッドコピーを作り出し、主の身体能力や血鬼術をも劣化した状態で再現できること。

この特性を用いれば、単純に手数を増やせる上に、魔力だけで劣化血鬼術を発動することができる点。

→大きな難点(なんてん)は、意思が存在しないため、主が直接操作をしなければならないこと。

 

・鬼化スライムの何が『呪術』の媒体に都合がいいのか?

……『血の記憶』と『血の呪い』を押し付けた状態で『呪術』を使わせることができるから。しかも、自分と同じ性質の血液と肉体を媒体にした『呪術』を発動させられる。

→例えば、後述するホロ・オセロなら「自分の血液に触れた相手に対して、血鬼術『廻顧録』を発動し、相手の記録を破壊する」という『血の呪い』を自分に課す。

すると、強力だが使える血鬼術の幅が狭まるし、日常生活で気を付けなければならないことが増えすぎる。

→しかし、ホロ・オセロが鬼化スライムを作成し、その鬼化スライムに前記の『血の呪い』を課せさせることに成功すれば、強力で使い勝手がいい武器となる。

夢のアイテムの完成である。

 

・鬼化スライムに『呪術』を覚えさせるために、クリアするべき難題。

……上述したが、鬼化スライムに『呪術』を覚えさせることは容易ではない。

鬼化スライムには意思がない。

意思がないから、認識能力がない。

認識能力がないから、言葉で言っても覚えられない。

だから、鬼化スライムに『呪術』を覚えさせるには、まず、概念から覚えさせなければならない。

「これが魔力」「これが血液」「これが血液の射出という動作」「動作とは、A時点からB時点までの肉体の動きのこと」という風に。

 

 

3.『廻顧(かいこ)』の鬼、ホロ・オセロの血鬼術と『呪術』における利用方法。

……ホロ・オセロに発現した血鬼術『廻顧録(かいころく)』を用いた、『呪術』のコピー。

 

・ホロ・オセロに発現した血鬼術はどういうもの?

……血鬼術『廻顧録』。

生きもの、もしくは、死んで間もない死体の脳から記録を引き出し、編集し、上書き――そうして、引き出した情報をなぞるだけの、生きても死んでもいない人形を作り出す血鬼術。

→『廻顧録・半生(はんせい)』は、まだ生きている者に対して行い、記録の引き出しのみが行える術(編集、上書きすると死ぬらしい)。

→『廻顧録・終生(しゅうせい)』は、基本的に死んだ者に対して行い、記録の引き出し、編集、上書き――そして、死体の加工を行う術。ここで死体を加工して出来上がる人形は、生前を模した代謝を行うが、決して意思はないし、生前に行った試しがないことは行えない。生きてもいないし、死んでもいない、命名、ノスタルジック・ゴーレム。

 

・鬼の血を対象にした血鬼術『廻顧録』と『呪術』のコピー。

……血鬼術『廻顧録』を利用すれば、引き出した記録を、他の死体やノスタルジック・ゴーレムにコピーすることができる。

これは、鬼の血を対象にも発動することができる。鬼の血から記録を引き出し、編集し、鬼の血にコピーすることができる。

→つまり、ある鬼の血から引き出した記録から『呪術』に関わる『血の記憶』と『血の呪い』を抽出し、他の鬼の血にその『呪術』に関わる『血の記憶』と『血の呪い』をコピーすることができる。

→一見、最強の血鬼術のように思えるが、これを通すには、肉体に流れる鬼の血の魔力密度を、血鬼術『廻顧録』の魔力密度が凌駕(りょうが)する必要がある。

 

 

4.『呪火』の鬼、メラが人体実験で作り出した『呪物』を利用した、『血の記憶』と『血の呪い』の移植と転写。

……『呪火』メラが人体実験により発見した、“人の肉体の一部に圧縮した鬼の血を融合させる”ことで作り出される『呪物』、これをを利用した『血の記憶』と『血の呪い』の人もしくは鬼への移植と転写。

 

・『呪物』を発見した経緯。

……1.実験体の眼球をあらかじめ鬼化するまえの人の状態で摘出した上で、2.実験体を鬼化、3.『呪火』メラの心臓である『天衣』ヴェラの血鬼術『天依(てんい)融縫(ゆうほう)』により、人のときの眼球を鬼化した実験体に移植し、4.実験体に陽光を浴びせる。

→すると、鬼化した肉体が()けて(ちり)()し、移植した人の眼球だけが()()()()()で灼け残った。これが、“圧縮した鬼の血が人体に融合した”ものだった。

これを『呪物』と定義し、呼称することとする。

 

・『呪物』の性質と利用方法。

……『呪物』を人(『呪物』の材料になったもとの種族の肉体の)に移植すると、癒着し、融合していくことがわかっている。

→これを利用し、『呪物』に宿る鬼の血の『血の記憶』と『血の呪い』を移植し、『呪術』を習得させることが可能だった。

→また、『呪物』が完全に融合していない状態でも、移植された者の意思で発動は可能だった。その場合、『呪物』からしか発動はできなかった。

つまり、鬼化していない人間に『呪術』が使えた。

→鬼になってふんぞり返っているバカどもを、効率よく人類に殲滅してもらうための大きな武器の一つになるだろう。

問題は、どうやって移植して、どうやって広めるか。まだまだ課題は多い。

→ご主人さまに対して使うには、小技すぎる。意表を突くくらいしかできないだろう。ご主人さまを倒す日は遠い。

 

余談.ホロ・オセロが絶対になんかやらかす。

……この『呪術』という技術、さらに依り代として都合がいい鬼化スライム、これらはホロ・オセロの血鬼術『廻顧録』と相性がよすぎる。

→あーあ、絶対になんかやらかすよ、アイツ。だって実験の最中、目をすげーキラキラされてたもん。

ワタシは知らんからな。

すでにいくつかの村や町の住民すべてが、人間の記憶を転写した鬼化スライムとすり替わっている――とか見てない見てない。

これこそが不老不死、これこそが楽園、って叫んでたホロ・オセロの声――とか聞いてない聞いてない。

知らない。ワタシに責任とかない。

 





ちなみに、ミーコの狙いは鬼と鬼狩りのわかりやすい対立構造を描いて、自分が裏から操作することです。

鬼の数を減らしたり、鬼狩りの数を減らしたり、邪魔なやつを消したり、厄介なやつ同士をぶつけたり。

そのために鬼狩り側の戦力足りなくない? みたいな理由で、いろいろ研究している最中。

もともと、勝手に湧いて出る鬼をどうにかしよう、ってところから行動しているからね。


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