私の使い魔は最後の人類 ([ysk]a)
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*【ゼロの使い魔×B★RS The GAME】のクロスです。

・ネタ投稿&息抜きなので、例のごとく超不定期です。
・原作一巻分はやります。その後は……
・ゲーム、「ブラック★ロックシューター TheGAME」より、一週目エンド後のステラ(孤独エンド。白熊が走ってるのをステラが独りで見つめているエンド)をルイズが召喚。
 ⇒ステラ以外の人類が絶滅し、長い年月、星の再生と人類の復活を試みていた、という設定です。
・ゼロ魔のキャラ、設定には、筆者独自の解釈を加えている場合があります。
・なお、上記のいずれかの項目のうち一つでも無理だ、と思われた&感じられた場合、即座にブラウザバックされることを、読者皆様方の精神上の安定及び健康のためにも強く推奨いたします。
・また、原作における描写と、ネット上で検索した限りのゼロ魔設定情報によって地理情報等を構成しています。おかしい箇所が多々あるとは思いますが、脳内補正をどうか……どうか……!
・少しでも興味を持ってくれた方が、ゲーム板BRSに興味を持ってくれますように頑張ります。クソゲーって言わないで!!
・最後に――――


 故ヤマグチノボル先生に、その早すぎる逝去を悼むと共に、ゼロの使い魔という素晴らしい作品を世に生んでくださった事を讃えると共に、心より感謝致します。


 かつて、戦争があった。

 とある星において、最も繁栄していた種族"人類"と、強大無比な力を持った"異星人"との戦いである。

 戦いは異星人による虐殺とも言うべきワンサイドゲームに終わるかに思えたが、人類の"最後の希望"――――あるいは、希望が残した"最後の人類"である少女の手により、戦争は終焉を迎える。

 戦争で荒れ果てた星は、さらに砕けた衛星の影響も加わった天変地異により、砂塵と瓦礫の灰色と慈悲なく吹き荒れる滅びの風に覆われた。

 勝者は誰であったのか。そもそも、あの戦いにどんな意味があったのか。それは、生き残った只一人の人類である少女にもわからない。

 だから、その答えを探すために少女は独り、再びこの星に命を芽生えさせようとした。

 少女の身は異星人の技術と、彼女自身の手により歳をとることがなくなっていた。

 それは不老ではあるが、不死ではない。

 "捕食/ネブレイド"と呼ばれる異星人由来の特性により、その命の火は焼べる薪の数だけ続いていく。

 故に、少女は焼べる薪が絶えれば死ぬ。

 ほとんど死の星となりかけていたとはいえ、少女独りが生きゆくには十二分にすぎる命が周囲に満ち溢れていたことは果たして、幸運だったのか。

 狩りをして、その日の糧を得る。

 シンプル極まりないその生活は古代における狩猟民族のソレに近いものであったが、焼べる薪の数だけ歳月を生きる少女にとって、狩りとは孤独な日々における数少ない生の充足を感じられる一時でもあった。

 志半ばに身が朽ち果てる心配はなく、またかつて数十億といた人類が築き上げた物資/知識を世界各地から集め、工房を構えて研究を繰り返す。

 万全の態勢を整え、少女は孤独な復興の道を歩み出していた。

 

 そして、久しくない時が流れ、その目的の半分/世界の再生は成し得たと言えるだろう。

 だが、終ぞその究極は成し遂げられなかった。

 数えることすら愚かしい程の長い時間。来る日も来る日も研究室で理論を構築し、実験を行い、結果を検証し、反省を繰り返す日々。

 そうして、ついに灰色の星がかつての青を取り戻す頃。

 荒れ果てた大地を緑が覆い、吹き荒れていた砂塵の風は花の蜜の香りを含む甘やかで柔らかい風となった。

 そこに至るまでどれほどの時を経たのか、少女にもわからない。

 だがどれほどの心血と歳月を注ごうとも、神と呼ばれる存在が己の姿を模して創り上げた存在を生み出すことは、できなかったのだ。

 

 

 

――――――貴様には無理だ。

 

 

 

 まるで、そうとでも嘲笑われているかのようであり、しかし自身の身の上を思い出して、彼女は自嘲する。

 確かに、とんだ思い上がりであったのかもしれない。

 模造品から創られた"劣化品/デッドコピー"でありながら、その"生みの親/オリジナル"を生み出そうなどと。

 それでも彼女は挑戦し続けたのだ。

 孤独に。静かに。縋るような思いで。

 純粋無垢なその思いが、砂塵と死で覆われていた星に緑と青の溢れる世界を実現するまで。

 

 外へ出る。

 

 彼女の目の前に広がる世界には、かつて死の惑星であった面影は、今やどこにもない。

 もしかしたら初恋と呼ぶべき情を抱いた相手と、その仲間達から送られたトライク(忘れることなく、彼女は修理とメンテナンスを欠かさずにいた)に跨り、彼女は目的もなく走り出す。

 

 星に刻まれた傷跡を完全に覆い隠すように繁殖した緑の世界と、命の香り溢れる青の星。

 大地に花が咲き、野を獣が駆け、空を鳥が舞い、海と川を魚が泳ぐ。

 いつしかたどり着いた崖の上、バイクに跨ったまま無限に広がるかのような大海を少女は見下ろす。

 記憶の片隅に転がる、神が作ったとされる世界に最も近い光景が、そこには再現されていた。

 だが、そこにあって欲しい存在は……彼女が最も望んだ命は、どこにもない。

 

 

 

「――――ごめんなさい」

 

 

 

 彼女は謝るほかない。そうする以外に、どうすればいいのかわからないのだ。

 約束したはずだった。己の心に住まう彼ら彼女らに。

 それなのに、力及ばずこの体たらく。誓いも果たせず、これ以上の孤独に悲鳴を上げ、終にはその命を燃やす薪すらも最後の一欠片となりつつある。

 このまま"捕食/ネブレイド"をせずに生きれば、おそらく少女はそう遠くない未来、その火を絶やしてしまうことだろう。それでいいと、思ってしまったのだ。

 

 

 

――――――よく頑張ったよ、お嬢さん。

 

 

 

 振り返る。

 風に乗って聞こえてきたその幻聴。

 もはや忘れかけていたその声音。

 どこか恥ずかしさを含み、それでいて心の根からじんわりと暖かくなる、彼の声。

 頬を、熱い何かが滴り落ちる。

 風が吹いてその濡れた頬を撫で、冷たく凍えそうであった彼女の心を温めた。

 そして、再び風が吹いたとき。

 終に、その世界から"人類"は途絶えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





漫画版のステラやシズとカーリーも大好きですが、クールなステラが思い入れが深いのでゲーム板がベース。
でもちょくちょく漫画版の設定も輸入。


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【流浪の黒姫】の章
一節


 世の在り方に疑問を持つことはない。幼い頃よりそういうものだと躾けられ、それが当然であると認識していたが故に。

 だが、己に与えられた境遇を恨事と思うかと問われれば――――応と答えよう。

 由緒あるヴァリエール家の三女に生まれたのは……まぁ仕方ない。望んだわけではないが、しかしその事実については、誇りに思っている。

 問題は、魔法を使う技量こそが格の象徴であるこのハルケギニアの貴族社会において、肝心要である魔法の才能がゼロであることだ。

 何を唱えても、何を試しても、何を努力しても、その全ては失敗と無駄に終わる。失敗に失敗を重ね続けて、付いた字は"ゼロ"のルイズ。

 公爵家に生まれながら、その家名に恥ずべき存在。それがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 そんな己が遣る瀬なくてならない。情けなくてならない――――つまり、ルイズは自分が嫌いなのだ。

 

 それでも、この度の魔法学院進級試験とも言える"使い魔召喚の儀式"には、並々ならぬ覚悟を持って臨んだ。泣き言を言う前に、まず努力する。それが彼女の道であったから。

 数ヶ月も前から下準備と予行演習を重ね、常人の五倍は努力していたと自負できる。

 過去に召喚された使い魔の種類と召喚者の傾向から考えられる予測や、効率的な呪文の詠唱スピード、タイミング、杖の振り方、魔力の込め方、陣に立つ位置、召喚した使い魔毎における契約までの行動、暴れられた際の対処法、契約後の世話――――エトセトラ、エトセトラ。

 ともすれば、それだけで王都のアカデミーに論文として提出できそうな膨大な資料と予行演習を重ねた末での、まさに一世一代の大勝負であった。

 

 結果は――――進級できた。

 

 そう、進級"は"できたのだ。

 それはつまり、召喚に成功し、使い魔との契約にも成功したことを意味するのだが……ルイズにとってはどこか釈然としない結果であった。

 

 それが昨日のこと。

 

 召喚の儀式から一夜明けた午前。

 ぼんやりと、ルイズはそのまま背中と腹がくっついてしまいそうなひもじさを抱えながら、授業――内容は既に聞き流しできるレベルで習熟済みの水系統、秘薬生成についての授業である――を聞き流し、今頃どこで何をしているのかも定かではない、朝の問答の後忽然と姿を消したままでいる己の使い魔について――――その召喚から今まであった出来事を回想する。

 

 

 召喚の儀式が昨日の昼。回りまわってきた召喚順序のトリ。意を決して臨んだ一度目の召喚が、予定調和のように失敗するところまでは想定済み。

 それから数えるのが嫌になる回数の爆発を経て、これでダメなら自決してやる覚悟で臨んだ最後の一回。

 結果は―――――ついに成功。

 召喚されたのは、それまで幾度となく顕現した爆破の衝撃ではなく、まるで神話にあるような禍々しい黒鉄の馬に跨る、どことなく神秘的な目をした一人の少女であった。

 腰まで届く黒髪を二つに結わえ、見たこともない装束を身に纏い、腰には用途不明の鉄の塊――それは、どことなく鳥の翼のようにも見える――が目に付く。

 最初はその小さい身なりと特異な出で立ちから、何か理由でもある騎士の少女なのかとも思った。

 だが、騎士の如き出で立ちであるが華奢な体躯から剣を振り回すようにも見えず、ましてや帯刀もしていない。

 杖を隠し持っているとすれば、メイジの娘である可能性も考えられる。最悪、鋼の馬に刻まれた紋章のようなものから察するに、どこかの貴族の少女を召喚してしまった可能性もあるかもしれない。

 一瞬でそこまで判断して、ルイズは動揺を押し殺し、自身が召喚したその少女を再び見やる。

 黒ずくめの怪しい少女は、状況が飲み込めていないのだろう。キョロキョロと忙しなく周囲を見渡し、空を仰ぎ、また慌ただしく周囲をぐるりと見回して、最後にルイズを食い入るように見つめてくる姿を見て、そう推察した。

 同時に、心の中で落胆する。

 贅沢を臨んだつもりはなかった。

 だが、少なからずとも、自身がこれまでに重ねてきた下調べ等の苦労を鑑みても、グリフォンやマンティコア程度なら召喚できるはず。そう、思(いあが)っていたのだ。 

 確かに、目の前の少女が騎士なりメイジ(つまりは貴族)なりであれば良い結果と言えたかもしれないが、しかしそれはそれで非常に面倒なことになるのが目に見えている。

 それなら、雑多な面倒事に煩わされることもない、普通の動物の使い魔の方がはるかにマシというものだ。

 ……結局、そんなルイズの予想というか妄想というか杞憂は、斜め上方向にかっ飛ぶ現実によって粉砕爆破されることとなったが。

 

 

 

 無事に(その後、召喚した少女が突然大泣きを始めてなだめるのが大変だったことが些事であれば、だが)使い魔の契約を終えて知ったことであるが、ルイズの使い魔となった少女は、ここハルケギニアとは全く異なる世界の住人であり、ましてや騎士でもなければメイジでもない。そして、彼女は彼女の故郷において唯一生き残った人類だった、とも。

 

 いざ自身が召喚した使い魔がどんな存在なのか、どうにかして少女からルイズが聞き出したことをまとめると、そういうことになる。

 あまりにも荒唐無稽な話に、ルイズはしばし我を忘れた。

 おまけに、口数は少ないくせに異様なまでに好奇心旺盛で、話の途中幾度となく話題が脱線したりして、とにかく話を聞き出すだけでも非常に苦労した。苦労した挙句が、そんな結論だったのである。

 他にも小難しいことやよくわからないことを(タバサみたいに無表情で淡々と)しゃべくりまくっていた気がするが、それよりもルイズはショックが大きすぎて話のほとんどを聞き流していた。

 無理もないことである。

 せっかく使い魔を召喚して契約までこぎつけることができ、これで安心して進級できると思っていたら、その正体が実は物狂い一歩手前(最悪そのものかもしれない)のアブナイ小娘だったのだ。

 つまるところ、ルイズは己の使い魔―――ステラ、と名乗った――の話を九割九分九厘、信じちゃいなかったのである。

 

 そうして一夜が明け、寝坊した挙句に無表情無言無愛想の三拍子揃った使い魔と起き抜けに沼に木の杭を打ち込むような問答を繰り広げ、根負けした末にほとんど朝食を食べる暇もなかったのでパンを一欠片口に放り込み、今やいつ暴動を起こし出してもおかしくないお腹の虫に戦々恐々しながら昼食兼使い魔との懇親会である昼の懇親会を待ち遠しく思っている今である。

 ……考えてみれば、昨日の召喚からこっち、ケチが付きまくりではないか。進級できた喜びと相殺どころか思いっきり下方修正である。

 そもそも、あの無口無表情のタバサ――同学年の少女。鉄面皮の優等生――みたいな使い魔が、こっちの言うことさえきちんと聞いてくれれば良かっただけの話だというのに――――あんのアホ猫ときたら、言葉がわからないのかそれとも無視してるのか、あるいはたまに反応したかと思えば洪水のような質問攻め。しまいにはご主人様を放置してどこかに出かける始末。

 召喚してからこっち、まったく主人の言うことを聞かない使い魔に、そろそろルイズの堪忍袋の緒も耐久力が心許なくなっていた。

 しかし、その怒りを素直にぶつける気にもなれない。

 なにせ、召喚直後から大泣きをかまし、かと思えば物狂い一歩手前かのような意味不明なことを無表情に、しかも真顔で淡々とのたまっていたのだ。その不気味さが、普段であれば怖いもの知らずなほどに気が強いルイズをさえ萎縮させていた。

 下手に藪をつついて蛇を出したくない気持ちと、しかし今後――もしかしなくとも、生涯を――共にする使い魔/パートナーなのだから、という葛藤がルイズを悩ませる。

 

 

 

「……でも、いい加減躾はしっかりしないとダメよね」

 

 

 

 カリカリと、羊皮紙に今後の課題をリストアップする。

 相手とどうコミュニケーションを取るかを第一に、主従関係の自覚、使い魔としての自覚、貴族社会のある程度の常識、その他教え込まなければならない事柄を簡潔に箇条書きしていく。

 いつまでも使い魔に好き勝手させていては、メイジの、ひいては貴族としての沽券に関わる。早急に問題を解決しなければ。

 

 

 

「さて、これにて本日の授業は終了。しばしの休憩時間後、二年生の皆さんはスズリの広場にて使い魔との懇親会があります。各自遅れぬように」

 

 

 

 ちょうど、そんな問題を解決するのにぴったりなシチュエーションも用意されている。

 ここは一つ、主従の関係というものを、あの薄ぼんやりとした無表情小娘――とは言っても、身長はルイズよりも頭1つ分ほど大きいのだが――にわからせてやるわ!

 ルイズは、その小さな胸の前で拳を握り締め、大きな決意を抱くのであった。

 

 

 

 

 

★ 

 

 

 

 

 

 

 さて、とあるピンクブロンドのご主人様が、言うことを聞かない使い魔をどう躾けるか内心で炎を燃やしている頃。

 当の使い魔である少女―――ステラは、古めかしくも頑丈かつ堅牢に築き上げられたトリステイン魔法学院が火の塔の頂上、その屋根の上で風を感じていた。

 流れる白い雲は眩しい陽光を適度に遮り、青臭くも暖かな臭いを孕んだ風が肌を撫でる感触がひどく心地良い。

 ステラの暮らしていた星でも、この世界と変わらぬほどに緑は溢れていたが、やはりどこか違う。それはきっと、人類という存在の有無という決定的な差だ。

 風になびくフードを手で押さえながら、眼下でせわしなく動き回る使用人――女性がほとんど。メイド、という役職だ――や、本塔とよばれるこの学院中央の塔で授業を受けている生徒達を目で追うステラ。

 どれもこれも、研究所のデータベースの映像記録でしか見たことがない。それでいて、どのデータベースの情報にも合致しない。そんな不思議な光景に、ステラの胸がドキドキと弾む。

 

 この異世界に召喚されて一日が経った今でも、ステラは目の前の光景が信じられずにいた。

 夢にまで見た、たくさんの人間が生きている世界。自分以外に人類が歩き、呼吸し、会話をする世界。

 夢か幻か。でも、この肌を撫でる風と鼻腔をくすぐる匂い、色鮮やかな風景に他人の声は紛れもない現実である。

 それがどれほどステラにとって感動的で、絶望の淵にあった心を救い出してくれたことか。

 乗っていたトライク――フェンリルという名である――ごとこの異世界に召喚された時には、目の前の出来事が信じられず、思わず涙してしまうほどであった。

 

 たった一日で、これまで経験したことのないような情報の奔流に晒されていたステラであったが、ある程度の情報収集と推測を経て、今は従来の落ち着きを取り戻していた。

 あれこれと考えることはまだまだたくさんあるが、なによりも、あれほどまでに夢を見た"人類"の生きている世界であることは、間違いない。

 それだけで、ステラは十分だった。現金な話だが、もう少し生きてみようと、思えるようになった。

 人がいる。それだけが、ステラの消えかけた心の火を、再び灯してくれた。

 

 さて、そうやって折れた心を立て直し、絶えず流れていた涙を拭うと、ステラはようやっと自身の置かれた立場、というものを認識した。

 

 召喚、使い魔、契約、ハルケギニア、二つの月、そして―――――魔法。

 

 どれも、ステラの世界においては存在しなかった――いや、概念自体はあった――モノだ。

 こと、魔法という現象は、ステラにとって不可解極まりない神秘である。

 詳しい原理がどうなっているのか知りたい、という好奇心が沸々と湧き上がってくるのはもちろんだが、ひとまずはそれらは置いておく。

 

 肝心なのは、自分がそんな不思議極まりない"異世界"へと"召喚"されたという事実。

 

 あのピンクブロンドの気難しい少女――ルイズ、といったか――がステラを召喚し、使い魔の契約なるものを流れで行ってしまった。

 その証拠が、今は手袋をしているせいで見えないが、左手の甲に刻まれたルーン文字である。ちらりと、見えないそれを透視――しようと思えばできる――するかのように見やる。

 異世界であるというのに、いくつかステラの世界との類似性が見られるのは興味深い。ルーン文字があるということは、ここは北欧やその近辺の文化圏に近いということだろうか。あるいは――――ちがうそうじゃない。また思考がズレた。

 頭を振って、改めて思考のレールを整える。

 

 端的に、かつステラの知識内の定義に当てはめれば、契約をなして使い魔となったステラは、ルイズという少女の従僕、という身分が適している。

 その事実に、意外にもステラは嫌悪感を覚えることはなかった。

 単純に、自分にその概念が理解しきれていないからなのか。あるいは、どんな形であれ、"他人"と共に生きることができるだけで満足なのか。

 いずれにしても、今後、ステラがルイズと共に生きなければならないことには変わりない。

 で、あるならば。

 

 

 

「……どうしよう?」

 

 

 

 ぽつりと溢れるその言葉は、戸惑いの表れ。

 数える事すら億劫になるほど長い年月を、ただ独り孤独に過ごした少女にとってソレはひどく困難極まりない難題であった。

 ふと、眼下がにわかに騒がしくなってきたことに気づき、その音の方へと視線を投げる。

 ステラの居る火の塔から本塔を見るようにして右手側、隣の土の塔との間の広場に、次々に使用人達が集まってなにかの準備を始めている。

 外食用のテーブルからイスその他諸々をどこから持ってきているのか不思議な勢いで並べ立て、次いでその喧騒に誘われるようにして、本塔から生徒達がぞろぞろと集まりだした。

 羽織るマントの色から、それがルイズの所属している集団の一群であると推測。同時に、彼ら彼女らが様々な生物/使い魔を連れていることからも、ステラは確信を深める。

 おそらく、これから彼処で使い魔を交えた何かがあるのだろう。それも、ルイズの所属する集団が。

 ならば、彼処で待っていればルイズにも会えるかもしれない。

 丁度いいチャンスだ。ご主人様と親睦を深める―――あるいは、今後のことについて話し合いたいと考えていたステラにとって、この流れは渡りに船であった。

 だが、それには一つ、分厚く大きな壁がステラの前に立ちはだかっていた。それをどうにかしない限り、親睦を深めるなど夢のまた夢。バンクにもあったように、ヘタをすれば武力による外交的対話に発展する可能性もある。

 由々しき事態だ。

 時は一刻の猶予を争うというのに、今のステラにはその問題の明確な解決手段が見いだせていない。このままでは朝の問答の二の舞になるのは明白である。

 解決手段を検索したくとも、ここは研究所でもなければ端末を持っているわけでもない。正直なところ八方塞がりであった。

 そんなステラを悩ませまくっている問題は何か――――至ってシンプルな話である。

 すなわち、

 

 

 

「…………コミュニケーションって、どうすればいいのかな」

 

 

 

 その発言は、ステラという少女が仙人レベルの引き籠もりであったことの、何よりの証左である。

 そうして屋根の上で悩み苦しみ悶えている間にも、広場には次々に生徒達が集まってきている。無論、その中には探していたピンクブロンドの小柄な少女の姿もあった。

 未知との真なる対話は、すぐそこまで迫っている。

 ステラは覚悟を決めると、その身を翻して塔を飛び降りたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインという国のみならず、ここハルケギニアにはいくつかの魔法学院が存在する。

 元はその名のとおり魔法を探求する輩達が、お互いの知識と技術を切磋琢磨するために、あるいは既存の魔法の更なる探求やかつて始祖が用いたと言われる魔法の研究のため、そして今の技術を更に極める修行のために集まってできた"施設"であった。

 そこは"魔法を極めし者/ウィザード"を目指して国中からメイジが集まる魔法使い達の学び舎であり、同時にその学院を抱える国の戦力をも意味していた。

 学院から優秀なメイジが輩出され、他国との戦いにおいて目覚しい活躍をすれば自然と学院の名声は他国へと轟く。

 

 

―――其の者、彼の魔法学院に有り。

―――彼のメイジを抱えし某の国と学院に、栄光在れ。

 

 

 優秀なメイジが国を救い、国は優秀なメイジを得ようと学院を援助する。

 戦争が利潤を産み、利潤が規律を産むように、学院を卒業したメイジが国の要職に就くようになると、いつしかメイジが貴族と言われるようになった。

 それは、同時に彼らメイジ達の意識の変革でもあった。

 手段であった"魔法"が"権威"へと変わり、魔法を扱うものこそが貴族という魔法という存在の変質。

 いつしか魔法学院は、魔法を学問としてではなく、貴族としての教養として扱うようになる。

 そうした変化を脈々と受け継ぎ、時代とともに変化、定着していった末が、今日の魔法学院なのである。

 中でもこのトリステイン魔法学院は、他国におけるソレとは比較にならない歴史を誇る学院であった。

 名のあるメイジの多くに限らず、かつてはここトリステインの王族もその素性を隠し教えを請うために入学したと言われている。

 なればこそ、その学院長ともなれば、さぞや偉大な人物なのだろう――――というのが、主に国外におけるトリステイン魔法学院学院長、オールド・オスマンの外聞である。

 果たして、トリステインの貴族のみならず、世界各地からも入学したいという貴族を集めるその学院長とは、一体どれほど偉大なメイジであるのか。

 その正体を知るトリステイン魔法学院が学院長秘書、ミス・ロングビルは鼻で笑う―――――ただの変態ジジイだ、と。

 

 

 

「――――ところで、ミス・ロングビル」

「はい、学院長」

 

 

 

 トリステイン魔法学院が本塔、その最上階に位置する学院長室にて、ロングビルはいつものように書類作成や帳簿整理、あるいは生徒の両親貴族から送られてきた手紙類を片付け、今は昨日行われた新二年生達が召喚した使い魔の報告書を確認しているところであった。

 そんな仕事熱心なロングビルに、やたらとシリアス極まりない重々しい声をかけたのは、件の"偉大なる"学院長、オールド・オスマンである。

 ロングビルは内心煩わしく思う感情を押し殺し、営業スマイルと共に顔を上げて学院長に向き直った。

 

 

 

「本日の下着の色は黒かね?」

「っ―――――さぁ? どうでしたかしら?」

 

 

 

 

 引き攣りそうになる頬を無理やり笑みに変え、ロングビルはそうはぐらかした。

 しかし、そんなロングビルをオスマンは鋭い眼光で睨めつけたままだ。

 豪奢なデスクの上で口元を隠すように両手を組み、背後の大窓から差し込む陽光を背負っていることも相まって、とんでもないプレッシャーを放っている。

 なるほど。

 確かにこの姿を見れば、この耄碌しかけている変態ジジイを偉大な魔法使いだのなんだのと思ってしまうのも仕方ないのかもしれない。

 だが今しがたそのしわくちゃの乾燥した口から零した言葉通り、このジジイは偉大な魔法使いではあるだろうがそれを打ち消し上書きし帳消しにしてしまうレベルで変態だ。端的に言えば淑女の敵である。

 こんなしょうもない変態ジジイが偉大だなんだと言われているのだから、世の貴族共の程度も知れるというものである。

 

 

 

「隠しても無駄じゃよ。儂は全てお見通しじゃ」

「――――"錬金"」

 

 

 

 

 目からハイライトを消し、冷徹と冷酷さを持ってロングビルは素早く杖を引き抜き、この部屋の床、そのとある地帯に魔法をかける。

 瞬間、甲高い小動物の鳴き声――というより、悲鳴だろうか――が短く木霊する。

 それに慌てたのは、誰であろうオスマンだ。

 

 

 

「み、ミス? 今、何を錬金したのかね?」

「あら、ご安心ください学院長。少々、不埒極まりない害獣を仕留め損なっただけですわ♪」

 

 

 

 見事な営業スマイルを一本。

 震え上がるオスマンは、チラリと部屋の端を横切る何かを見やる。 

 そして安堵したかのようにほっと溜息を吐くと、やれやれと大仰な様子で言った。

 

 

 

「ふぅ、突然錬金なぞするから何事かと思ったわい。で、話は戻るがミス。やはり儂は、黒の下着というものは些か清純さに欠けると思うのじゃよ。なにせ黒とは誘惑の色。始祖ブリミルをも恐れぬエルフの如き魔の色じゃ。多くの魅力を孕みはするが、同時にそこには毒をも喰らう危うさを秘める。然り、時にはそのスリルの味も美味であろうて。じゃがのう、やはり儂は、ミスのような清純な乙女には黒よりも―――――」

「……学院長?」

「なんじゃねミス。今儂はお主にとって大切―――――な」

 

 

 

 相も変わらず軽口を叩こうとした翁は、その口を噤まねばならなくなった。

 それは肌を潰すような圧迫感。あるいは、喉を締め付ける万力のような攻撃の意思。

 ハッ、と面を上げれば――――そこには、表情無き竜の化身が佇んでいた。

 

 

 ┣¨┣¨┣¨┣¨ ┣¨┣¨ ┣¨┣¨……

 

 

 その背後に正体無き圧迫感と、全身から溢れ出る比類なき覚悟の精神を携えて、私が上、貴様が下と言わんばかりの傲然とした態度で立つミス・ロングビルがそこにいる。

 確かに、彼女は今でこそ貴族としては没落した身であるが、その身に刻まれた高貴なる者の血は絶えてはいない。

 優雅に、それでいて絢爛に。

 教員ではないためどの階級をも表さない質素なマントをゆったりと翻し、静かに、しかしそのマホガニーのデスクにヒビを入れるほど力強く右手を置き、左手に腰を当てて学院長を睨み据える。

  

 

 

「確かに、世の殿方にとって、気になることでしょう。乙女の秘密、翻る布の最奥。火に群がる羽虫のように、例えその気がなくとも目を惹かれる――――悲しいことですわねぇ?」

「う、うむ。そうじゃな。実に悲しい男の性じゃ」

 

 

 

 有無を言わさぬその迫力に、オスマンはただ頷くしかない。

 

 

 

「ところで―――」

 

 

 

 さらにヒビが入るデスク。派生して、そこからいつの間に魔法を唱えたのか、オスマンの顔を、"錬金"によって創られた短剣長剣槍鋸その他数え切れない程の金属の刃が、その柄を蔦のようなものに掴まれて十重二十重に囲んでいた。

 内心、オスマンは舌を巻く。おそらく、今の技量を考えれば、土の系統に関してのみ言うならば、彼女はどの教員よりも"手練"である。だのに、一秘書という役職に甘んじるしかない彼女の立場を、とても残念に思うのだ。

 ……それはそれとして、ロングビルの話はまだ終わっていなかった。

 

 

 

「こんな話はご存知でしたかしら? 昔々、樵にその命を助けられた白鳥が、人の身に化けてまで恩返しに来た――――そんな御伽話ですわ」

「も、もちろん知っておるとも。その樵が白鳥の秘密を覗き見た末、生涯子供が作れなくなったという話じゃな、うむ」

「フフ……そう、そうですわ学園長。さすがはオールド・オスマン。アルビオンの御伽話にも精通してらっしゃる……」

「ほ、ほぅ!?」

 

 

 

 ツツツ、とロングビルの白魚のように白く細長い人差し指が、オスマンの服越しにその胸を下へとなぞっていく。

 その顔には、嗜虐の愉悦に浸るかのような、怖気を覚えるほどに凄惨な笑みを浮かべていた。  

 

 

 

「であればこそ。学院長もおわかりでしょう……?」

「ふむ、何をじゃね?」

「紳士たるもの――――いいえ、男であるからこそ、触れてはならない領域。放っておくべき花園、というものを……ねぇ……?」

「――――」

 

 

 

 オスマンは何も言えない。言うことが許されていない。

 その周囲を取り囲む刃の森は、間違いなくその矛先をオスマンの男の象徴へと向けていた。これにはさすがのオスマンも肝を冷やす。

 もはや言葉はいらない。目の前のサディスティックな笑みを浮かべた秘書は、言外にこう言っているのだ。

 

 

――――次はその粗末なナニを切り落とす。

 

 

 下手なことを言えば、次の瞬間老人と老人のマイサンがオ・ルヴォワールしてしまう。かといって、このまま沈黙していても結果は同じ。

 どうすればいい。どうすればこの状況を振り出しに戻し、再びあの桃源郷を巡るめくるめくような興奮を求めることができるのじゃっ――――!

 この期に及んでも、考えていることは変わらず目の前のサディスティックウーマンのパンツの色であるあたり、やはりこの爺は大物なのだろう。

 そう、この期に及んでいるからこそ、この期に及ばせることができているからこそ、このオールド・オスマンは楽しくて仕方ないのだ。

 

 それが、ロングビルは腹立たしくてならない。

 

 確かに表面上は焦り、驚き、脂汗をダラダラ流す情けない姿ではある。だが、その目の奥。変態という名のヴェールに隠された賢者としての知性は、今のこの状況すらも楽しんでいるのがわかる。

 いっそ本当にこの場で命を絶ってやろうかという危ない考えが鎌首をもたげるほどに、この耄碌爺の目は、ロングビルという個人の全てを見通しているかのように見える。

 だが脅しは本気だ。

 今日まで何度も我慢してきたが、はっきりいって仕事の邪魔である。数え切れない程の邪魔とちょっかいにいい加減堪忍袋の尾が切れたのだから、ここで一度はっきり釘を刺しておかなければならないのだ。

 しかし、ロングビルは知ってしまった。

 今のこの状況すら、この爺の目論見通りの"暇つぶし"に付き合わされているに過ぎないということを。

 腹立たしさを通り越して呆れすら覚えるほどに、自分は弄ばれている。脅されていることすらも、まるで可愛い孫に拗ねられただけのような、そんな軽さで。

 かといってこれ以上何か打開策があるわけでもなく、まさか本気でこの耄碌爺の粗末な何を串刺しにするわけにも行かず、どうしたものかと内心で悩み始めるロングビル。

 

 

 

―――――コンコン。

 

 

 

 そんな膠着し始めた空気を切り裂いたのは、二度のノックであった。

 ロングビルはため息を一つ吐いて、軽く杖を振り全てを"元通り"にすると、スタスタと作業机に戻っていった。

 オスマンもまた楽しいやり取りであったと言わんばかりににんまりと微笑みを浮かべ、次いでどこからともなく取り出したハンケチーフで汗を拭った。心なしか本気で安堵しているように見えるのは気のせいかも知れない。もぞもぞと腰を動かすさまは非常に気持ちが悪いが。

 そして、再び二度のノックが聞こえたところで、オスマンは威厳たっぷりに「入り給え、ミスタ・コルベール」と言った。

 

 

 

「失礼いたします学院長火急の要件がありまして!」

「わかったわかった、じゃからそう顔を近づけるでない暑苦しい!」

 

 

 

 盛大に学院長室の扉を開け放って、礼儀もなにもなく入ってきたのは、この学院随一の奇人教師こと、ジャン・コルベールであった。

 その泡を食ったかのように焦る様はロングビルをも驚かせるほどで、道中にあった椅子を蹴飛ばしながら、コルベールは右手に何かの写書きを携え凄まじい剣幕でオスマンへと詰め寄った。

 

 

 

「いいえ学院長これは一大事ですぞ一大事なのです! とにかくこれを!! 昨日の使い魔召喚の儀にて生徒達の召喚した使い魔に刻まれたルーンの一覧なのですが!」

「……火の系統教師は皆こうなのが珠に傷じゃな。べっぴんさんなら言うこと無しなんじゃがのう」

「が・く・い・ん・ちょ・う!?」

「ええい分かっておるわ! だからその暑苦しいハゲヅラを摺り寄せるでないっ!」

「……あぁそうでしたわ。学院長、私そろそろ塔内の見回りに行ってまいりますわねそれではごゆっくり~」

「む、いや、待つのじゃミス! せめてこの空間に華がなければあまりのむさくるしさに儂は……! ミス、ミス・ロングビルーーーーっ!!」

 

 

 

 空気を読んで華麗に去りゆくロングビルの背中に、オスマンは暑苦しく迫り来るコルベールの髭面を押しやりながら手を伸ばす。

 だが無情にも、その背中はオスマンに振り向くことはなく、ましてやその懇願を阻むかのように、勢いよく扉が閉まるのであった。

 

 

 

「悲しいのう……最近の若者は老人に酷く冷たいわい」

「学院長ぉおお!! これを、このルーンがッ……!」

「わかっとるわかっとる、じゃからその顔を退けてくれんと事は始まらんのじゃミスタ!」

 

 

 

 無情にも締まってしまった扉を恨めしげにみやりつつ、オスマンは抑える手に構わずなおも顔を近づけ用としてくるコルベールに強い口調で懇願する。

 美女にこうやって迫られるのであればいくらでもばっちこいなのだが、暑苦しいハゲのオッサンに迫られて嬉しい要素など微塵もあるはずがない。

 なぜかごっそりと生気を持ってかれたような徒労感を覚えながら、オスマンはようやくのいてくれたコルベールを半眼で睨んだ。 

 

 

 

「……コホン。これは失礼」

「まったく……興奮すると周りが見えなくなるのは君の悪い癖じゃと言っておろう」

「お恥ずかしい話です……ですが、事は重大なのです!」

「重大な事なぞこの世には在りはせんよ。在るのは総じて些事ばかりじゃ。そして、その些事の積み重なりが――――」

「そのお話は耳タコなのでまたの機会に! それよりもこちら! このルーンをご覧ください!」

「……老人の箴言にも耳を貸さぬとは悲しい時代じゃのう。仕方あるまい、一体何を騒いでおるんじゃ」

 

 

 

 元々このコルベールという男は、その年の割に子供のような心を持った男である。

 何か興味深い発見や閃きを覚えると、今みたいに周囲を顧みず大はしゃぎする悪癖があるのだ。

 なので、今回もまたよぅ訳のわからないことで騒ぎ立てているのであろう。そう思いつつ、先程からやかましいくらいに見ろ見ろとしつこく見せてくるルーンの一覧表を見やる。

 そして、さすがのオスマンも、その軽口を止める他無い事態が起きつつあることを知る。

 

 

 

「……コルベール君。この事は?」

「無論、私しか存じません。偶々だったのです」

「良い判断じゃ。しかし、良くもまぁこんな古いルーンを見つけ出したものじゃのう」

「"始祖ブリミルの使い魔たち"は確かに古い文献になるかもしれませんが、使い魔という概念を遡れば必ずたどり着く文献でもあります。思えば、真っ先にこれを見るべきでした」

「……その時間でたるんだ貴族から学費を上手く徴収する方法を見つけてくれればもっとよかったんじゃが?」

「それは私ではなくミス・ロングビルにお願いするべきです」

「……彼女ではやりすぎになってしまうからいかん。もう少し手柔らかに且つ穏便な――――いや、そうではない。それも大事ではあるが、ひとまずおいておかねば」

「言いだしたのは学院長ですぞ」

「しかし"ガンダールヴ"とは――――召喚したのは誰かね?」

 

 

 

 話題の強制転換は慣れたものである。

 コルベールは、一度小さくため息を吐き、ズレた眼鏡を直しながら、しかし慎重にその名を口にした。

 

 

 

「……ミス・ヴァリエールです」

「ほう。"彼女"か」

「……はい。"彼女"です」

「―――――ほっほ。面白い娘じゃとは思っておったが、うむ。やはり期待通り面白い娘じゃな。胸がちっさいのが非常に残念ではあるがのう。夫人と次女の姉は実に素晴けしからんボデーだったのじゃが……」

「学院長」

「……ぅおっふぉん」

 

 

 

 ヴァリエールという名を知らぬ者は、このトリステインのみならず諸外国の貴族にも居はしないであろう。

 特にこの魔法学院において、彼女は嫌が応にもその名を知られている。

 曰く"ゼロ"のルイズ。"無能"のヴァリエール。

 どれもが実技に対する悪名であるが、しかし一方でその座学の成績が入学当初からこの学院のレコードを塗り替える勢いで首席に立ち続けていることも、オスマンとコルベールは知っている。

 故に、そのアンバランスさからある程度の危惧はしていたのだ。

 

 

 

「何かやらかすとは思っておったが、まさか斯様な大事を引き起こすとは思わなんだ。長生きはしてみるもんじゃて」

「……重大な事など在りはしないのでは?」

「無論。これとて瑣末な事象の一欠片に過ぎん。じゃがのう、もしその欠片がとあるパズルのソレであったとすれば? ましてや、そのパズルの完成図が途方もなく大きなものであったとすれば、どうじゃ?」

「……なるほど」

「そういう意味で、"コレ"は重大じゃ。しばらくは、儂らで事の成り行きを見守る他あるまい」

「よろしいのですか? もしこのルーンが間違いでなければ、ミス・ヴァリエールの使い魔はかの"ガンダールヴ"ですぞ」

「ふぅむ……色々と理由はあるんじゃが、大きな理由はアレじゃな」

「と、申しますと」

「暇を持て余しとる王宮の連中に、大事な生徒を供物にしてやる程儂は奴らが好かん」

「は、はぁ……」

「それにの、コルベール君。よくよく考えてみるのじゃ。仮に君が見つけてきたその文献と現状が一致しているとすれば、同時に、それはミス・ヴァリエールの立場をも暗喩しておる。じゃからこそ、静観じゃ。わかるの?」

「……はい」

「ほっほ、何、心配する程の事ではないわい」

 

 

 

 楽しそうに、子供のような無邪気さと、孫を見守る祖父のような暖かさを湛えて、オスマンは笑みと共に水晶を取り出した。

 そして一言二言、聞き取るのが難しいほどの早口で呪文を唱えると、水晶にはスズリの広場を遠方から写している光景が映る。

 それが、風の系統の魔法の応用であることをコルベールは知っている。それも、スクエアクラスの"偏在"にも勝る複雑且つ高等な魔法であることも。

 手を何度か動かし、その視界をある程度操作し、オスマンは手早く件の少女へと合わせた。

 同時に、水晶に映るピンクブロンドの少女が会話している相手――――黒衣に身を包んだ、この学院の生徒ではない少女を見るなり、オスマンは微かにその顔に驚きの色を浮かべた。

 しかし、それはほんの一瞬。コルベールすら気づかないその些細な表情の変化は、次の悪戯小僧じみた笑みに溶けて消えた。

 

 

 

「今の時間は、なるほど――――懇親会の最中じゃな?」

「はい。スズリの広場で行われています。特にトラブルは起きていないようですが、やはり"彼女の使い魔"がどう動くかでそれも大きく動くでしょう」

「人間を召喚し、使い魔と成すか―――――ほっほっほ。それも"彼女"のようなモノをのう」

「が、学院長、何かわかったので?」

「いやいや。何もわからんよ。儂はただ長生きしているだけの小狡い学院長に過ぎん。世の阿呆共が担ぎ上げるような偉大なる全知全能の賢者なんぞでは断じて無い。しかし、そんな儂でも、長生きするが故にわかることもある。いや、感じ取れる、と言ったほうがより正確かの」

「と、おっしゃりますと」

「――――――ほっほ」

 

 

 

 神妙に聞き入るコルベールに向き直り、その老獪なる賢者は笑った。

 水晶には、変わらず件の主従が映り続けている。その主たる少女から、使い魔の少女が離れていくのと同時に、広場のどこかから喝采のような騒ぎが聞こえてきた。

 コルベールは何事かと振り返るが、オスマンは更に楽しそうに、嬉しそうに、それでいて若干の憂いを込めて水晶を見やる。

 現世に蘇りし始祖の使い魔/ガンダールヴ。そのルーンを宿す黒衣の少女は、いつしか身なりの派手なキザったらしい金髪の少年と向かい合っていた。グラモンとこのバカ息子だろう、とオスマンは内心ほくそ笑む。

 そして、オスマンは小さく万感の意を込めて呟いた。

 

 

 

「――――――聞こえてきたぞい、若き"ガンダールヴ"よ。世界が大きく動く、その大きな足音がのぅ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*誤字修正をしました。ご指摘感謝致します。
*姉のボデー、修正しました。ご指摘感謝いたします。
 オスマンのおっぱいせいじん!


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二節

 どうしてこんなことに。

 先程からルイズの思考を埋め尽くすその言葉に、答えはない。

 気がついたら、というか、いつの間にか、というか。

 とにかく、ルイズの全く意図していなかったこの事態は、おおよそ最悪に近い状況と言って良かった。

 スズリの広場。昼食と使い魔との懇親を兼ねたそのささやかな食事会は、当初予定通りに恙無く進行していた。

 ルイズにとっても、それまで行方知れずであった使い魔の方から出向いてきたことや、軽くではあるが互いにコミュニケーションを図れたのは願ってもいない展開であったし、ある程度自分の使い魔である少女―――ステラの為人を知ることができたのは非常に大きな収穫であったと言える。

 

 だが、気がつけば、目の前の乱痴気騒ぎである。

 

 ステラと、とある一人の少年貴族を中心に、その周りを懇親会に出席していた生徒達のみならず、騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬達が十重二十重に取り囲んでいる。

 中央で対峙する二人は、これから決闘を行わねばならないのだ。

 これは、この状況は。

 ルイズにとって到底許容できるものではないし、ましてや黙認するなどできるはずもないのに、周囲はその"水差し"を決して認めてはくれなかった。

 今やこの場にいる大半の生徒達は、まるで大量の薪をくべられて燃え盛る炎のように、これから行われる決闘という非日常的な行事に沸いている。もはや、この勢いを止める事はたかが"落ちこぼれ"一人の力では到底無理な領域にまで及んでいた。

 

 

 

「負けるなよギーシュ!!」

「貴族の礼儀を叩き込んでやれー!」

 

 

 

 事情も知らずに好き勝手喚く外野に、ルイズは頭痛に加えて目眩すら覚える。どうしてこうも脳みその足りないバカどもしかいないのだろうか。

 いや、例えまともな人間がいたとしても、この喧騒にわざわざ水をかけるような真似はしないだろう。藪をつついて蛇を出すなど愚者の行為なのだから。

 証拠にあのツェルプストーや、鉄面皮のタバサを始めとした"賢明な思考"の持ち主達は、熱に浮かされている輪から一定の距離を保って離れており、事の成り行きを静かに、しかし興味深そうに見守っている。

 その判断が間違っているとは思わない。むしろ、賢明な思考の持ち主であれば誰だってそーする。自分だってそーする。

 そう思えばこそ、藪どころか蛇そのものを足蹴にしたと言っていい己の使い魔の所業に、ルイズはどうしようもない苛立ちを覚える。

 つい先程までは平和極まりなかった懇親会が、どうしてこのような乱痴気騒ぎへと変貌したのか……。 

 事の切欠は、実に――――実に些細極まりない事であった。

 

 

 

 

 

 午前の授業の間から昼食の時間、その短い間に懇親会の準備は主にメイド達によって密やかに進められていた。

 新二年生だけとはいえ、その準備の量は決して少ないものではない。ましてや、昼食の準備を進めながら懇親会の準備を並行して行うというのは、おおよそ過剰労働とも言える領域だ。

 それでも、ルイズ達が軽く食事を摂り終えるまでに準備を整えてのけたのは、さすがといえよう。

 準備の疲れをおくびにも出さないメイドに案内されて、会場であるスズリの広場までやってきたルイズ含む新二年生達は、到着するなり各々好きなようにグループを作り、誰が何を言うでもなく懇親会という名のお茶会を始めている。

 無論、トリステイン魔法学院におけるボッチ代表ことルイズ・フランソワーズ嬢は、そんじょそこらの凡百貴族とは違い群れることを好まないがために、あえて―――そう、あ え て、会場の隅っこ、それもなるべく人目が避けられる場所に一人陣取り、優雅に紅茶を嗜んでいる。

 見た目は優雅その物。まさに大貴族の令嬢としてこれ以上ない程淑やかに、それでいて雅やかな物腰は、魔法の才能という一点にさえ目を瞑れば、おそらく男共からの引く手は数多であったことだろう。残念ながらそれは妄想であり、現実は非情であることをルイズは身を以て知っているが。

 

 さて、そんなルイズであるが、見た目こそ淑女バリバリあたくしこれでも貴族ですのよオーラ全開であったが、内心は王都の裏通りのゴロツキ共とて及ばない、黒々とした怨念を渦巻かせていた。

 何のことはない、昨日召喚し、今朝方ふらりと姿を消した己の使い魔の行方が、とんと掴めないのだ。

 故に、これからどうやってあの気まぐれわがまま猫のような、非常にめんっどくさい使い魔を見つけ出したものかと悩んでいたのである。

 まぁ、この場に使い魔を連れていないからと彼方此方でヒソヒソと何か言われていたりしても気にはしない。慣れきっているのもあるし、今は何よりも、あのアホ猫を見つけ出すことのほうが重要だからだ。

 ともあれ、お茶会の会場にやってきて、何もせずに去るのは忍びない。せめて紅茶の一杯でも頂いてから探すとしよう。

 そう心に決め、今に至る次第。

 

 ソーサーを片手に、カップを傾け紅茶の香りを楽しむ。甘い芳醇な香りと、澄み切った濃い目の紅色は、この紅茶を入れた使用人の腕前の良さを表している。

 使われている茶葉の等級は、恐らくブロークン・オレンジ・ペコーだろう。

 この懇親会を準備する時間はそれなりにあったであろうが、生徒達が揃い、スイーツを配るのに合わせて紅茶を振舞うとすれば、できるだけ抽出にタイムラグのないものがいい。そういう意味では、大きめの茶葉よりも抽出時間が短くて済む細かい茶葉が向いている。

 ただ、慣れていない者が淹れると、蒸らしすぎやあるいはその逆の理由で失敗してしまうこともままある。微妙な判断力と経験が必要であるという点では、扱いがやや難しいと言えるだろう。

 そして無論のことながら、ここ/トリステイン魔法学院の使用人に当然そのような粗忽者は存在しない。万が一存在しようものなら、七面倒な事態になるのが目に見えているのだから。

 フフン、それでも実家のソレとはレベルが落ちるけど、などとちょっとだけ優越感を覚えるルイズは、その紅茶が醸す芳醇な香りを楽しみながら、次いでゆっくりとその濃紅色の液体を口に含む。含んでしまった。

 

 

 

「見つけた、ルイズ」

「ぶーーーーッ!!!?!?」

 

 

 

 口に含んだばかりの紅茶をはしたなく吹き出してしまったのは、どうしようもない。不可抗力である。定められた運命という名の悪戯である。

 今の光景を母上に見られなかったことを始祖ブリミルに感謝しながら、ルイズは汚れた顔をハンケチーフで拭いながら振り返った。

 振り返った先に立っていたのは、つい今さっきまでどう探したものかと思案していた件の人物。いや、使い魔。

 

 

 

「なな、あああな、なぁああ!!」

「? どうしたの、ルイズ?」

「あんた!! ステラ!!!」

「なに?」

 

 

 

 言葉にならない震えをどうにか制御して、やっとの思いで使い魔の名前を叫ぶルイズ。

 そして、それをきょとんと小首を傾げながら、いかにも不思議そうな表情で返事を返す使い魔/ステラ。

 その能天気な受け答えっぷりに、ルイズの顔がたちまち手に持つ紅茶の色に負けず劣らず、真っ赤な色へと染まっていく。

 しかしルイズはそこで深呼吸をすることにした。ゆっくりとカップとソーサーをテーブルに戻し、落ち着け、落ち着くのよルイズ。ヴァリエールの淑女は狼狽えない。決して狼狽えたりなんか――――。

 

 

 

「ッ~~~すぅ~……はぁ~~………」

「どうかした?」

「どうしたもこうしたもあるもんですかこのアホ猫!!」

 

 

 

 しかし無理でした。ヴァリエールの女は癇癪持ち。それは誰もが知っているし、誰にも変えられない。

 元来怒りっぽいルイズがここまで我慢できただけでも奇跡なのだ。周囲で何事かと見守る生徒諸君からしてみれば、むしろ「おお、あのルイズが一瞬我慢した」と感心するほどに。

 だが、結局は"一瞬"の事。次の瞬間には犬歯を剥き出しにしてうがぁあ!!と、ルイズは噛み付かんばかりの勢いでステラの着る黒衣の襟元を掴み詰め寄る。

 それに対し、ステラは更に無表情なのに不思議そうという高等な感情表現をしてみせた。

 

 

 

「猫?」

「あんたの事よこのアホ使い魔!? 一体今までどこほっつき歩いてたの! 私がアンタをどう探そうかどれほど悩んでいたことか―――ッ!」

「…………あぁ」

「理解したようね。まったく、アンタね、私の使い魔のくせに主人をほったらかしてほっつき回るなんて、使い魔としての自覚が――――」

「寂しかった?」

「な――――にがっ! どうしてっ! そうなるのっ!! 違うに決まってんでしょーがっっ!!」

「……違うんだ」

 

 

 

 一言一言力強く吐き出しながら怒鳴り散らすルイズを、しかしステラはどことなく寂しそうな雰囲気で迎えた。心なしかツインテールがしおれているような気がする。

 なぜそこでしょんぼりする。ルイズはとことん目の前の使い魔の考えていることが理解できなかった。

 その落ち込み様はまるで急転直下の落差であり、何故だかそのまま傷心自殺でもしそうなほどの悲しみを背負い始めている。

 そのあまりにも予想外な反応に、沸騰していたルイズの頭は強制的に瞬間冷却されてしまった。

 さすがにいかなルイズといえど、雨降りしきる中捨て置かれた子猫のような目をする少女に対し、それ以上の追撃を行うのは憚られる。

 仕方ないので、ひとまず咳払いを一つ。次いで、掴んでいた襟を離し、一歩距離を取って再び椅子に座る。少しでも主人としての威厳を示そうとささやか極まりない胸を張り、自分より頭一つ分身長が高い使い魔を見上げる。それぐらいしかできなかった。

 

 

 

「それで、アンタ今まで一体どこで何してたワケ?」

「……私?」

「他に誰がいるのよ」

「そうだね」

 

 

 

 少しだけ、先ほどのネガティブオーラが弱まったような気がする。心なしか、笑っているように見えなくもなくもないような気がしないでもない。

 というか、今の問答のどこにホッとする要素があったというのだろう。

 やっぱり、この使い魔の考えていることはさっぱりわからない。ルイズは気が重くなった。

 

 

 

「観察してた」

「観察?」

「うん。この建物、周囲の地形、星の配置。あと――――この世界の人間」

 

 

 

 なんでわざわざそんなことを。

 反射的にそう問いただしかけて、ルイズはすぐに思いとどまった。

 代わりに、端的な問を投げかける。

 

 

 

「…………それで?」

「……」

 

 

 

 既に、ルイズはこのステラという少女が物狂いの類ではないことを理解していた。

 奇人変人の類ではあるかもしれないが、それでも学院のあちこちに転がっているような貴族の風上にもおけない"擬き"共よりはるかに聡明で、その蒼い瞳の奥に深い知性を湛えているのを読み取っていたからである。

 真に賢しい人間とは、その瞳の奥に澄み切った宝石を持つ。対照的に、愚昧で下劣な人間の瞳はドブのように濁りきっている。

 幼い頃から貴族社会の、それも超上流階級の世界に入り浸り、加えてその"才能"により畜生の糞便よりも汚らわしい人の暗黒面を見てきたが故に、ルイズは望まずともそういった"審美眼"を養っていた。養わざるを得なかった。

 そして気がつけば、ルイズは一目その人物の瞳を見れば、その本性が"賢人"か"愚者"かを判別することができるようになっていた。

 その審美眼が告げるのだ。この少女は、決して愚者などではない、と。

 故に、その次に継げられた言葉に、ルイズは言葉なく納得する。

 

 

 

「――――すごいね。たくさん人間がいるって、本当はすごい事なんだって――――そう思った」

「……」

 

 

 

 その言葉は、決してふざけているものではない。

 真面目に、純粋に、ステラはそう思ったからこそ、端的にそう述べたのだ

 

 

―――――「着飾る美人は美しい。だが、飾らぬ美人に勝ることはない」

 

 

 とある高名な、ガリアの肖像画家(無論、裸婦画がメインである)の残した言葉であるが、ルイズはその言葉に大きな感銘を受けた。

 言葉も同じで、あれこれと余計な修飾の混じった言葉よりも、ただ一言の本心から溢れる賛辞こそが本質なのだ。そして、本質である言葉に勝る美辞麗句はない。それが、ルイズの持論である。

 ステラはただ一言、感極まった面持ちで"すごい"とだけ言った。

 その一言には、言葉通りの"万感"が込められている。

 同時にルイズは、目の前の少女が、ここハルケギニアとは異なる"異世界"からやってきた"最後の人類"であることを思い出す。

 どう考えても誇大妄想甚だしい妄言であるが、そういう背景があると仮定すれば――――いや、違う。

 彼女の語った言葉は、正しい。正しいがゆえに、今の短い一言がこんなにも胸に強く突き刺さるのだ。

 もし、仮に。

 

 このルイズ・フランソワーズが、ここハルケギニアで"ただ独り"の存在となったことを想像してみる。

 

 …………それは、とてもとても、恐ろしい世界だ。

 怖いとか、寂しいとか、そういった感情を全てかき集めても表現しきれないほど、恐ろしい世界だ。

 幼い頃、あのヴァリエールの城で独り取り残された事があったが、あの時の孤独感を思えば――――それすらも上回る孤独を想い、ルイズは考えるのをやめた。

 そんな世界を、目の前の使い魔は本当に独りで生き抜いてきたというのか。

 ……バカバカしい。そんなこと、あり得るはずがない。

 単に、人の極端に少ない田舎で暮らしていただけだ。そうに違いない。

 

 でも、ちょっぴり。

 ほんのちょっとだけ。

 

 この使い魔の言葉を真面目に捉えてあげてもいいのかもしれない――――そう思えるくらいには、ルイズは目の前の使い魔を受け入れ始めていた。

 ただ、聞いておいて黙っているのも失礼なものである。ルイズは、ひとまず(ルイズにとって)当たり障りのない言葉を返すことで、内心の戸惑いを誤魔化した。。

 

 

 

「アンタ、ほんとに田舎者なのね」

「?」

「……ま、いいわ。とりあえず、そっちに座ったら? 今後の事でいろいろ話さないといけないし」

「うん」

「そこの貴方、ちょっといいかしら?」

 

 

 

 素直にルイズの指示に従って対面に座るステラ。

 合わせて、ルイズは近くを通りかかったメイドを呼び止める。ちょうど下げ物を片付けようとしていたところらしく、手で引くキッチンワゴンには食べ残しや空の皿が載っていた。

 立ち止まったのは、そばかすがうっすらと残る、この学院では非常に珍しい黒髪の少女だ。引いていたワゴンから手を離し、姿勢よくルイズ達のテーブルまで近づいてくる姿には、長年この学校で過ごしてきた慣れが感じられる。

 どこの地方から奉公に来たのかはわからないが、"悪趣味"な貴族に目をつけられようものなら、そのまま"お持ち帰り"されてしまいかねない容姿だな、とルイズは心の端で思った。 

 

 

 

「タルトを二人分お願い。あと、こっちの子にこう「ミルク、ある?」…………ミルクをお願い」

「かしこまりました」

 

 

 

 受け答えはしっかりしたもので、深々とお辞儀をすると、静かにその場から去って行った。

 なお、その間ルイズは終始そのメイドのとある部位を白い眼で見ていたのだが――――そのメイドが立ち去るや否や、ルイズはその記憶を(無意識に)抹消。思考をすぐにもう一つの案件へと移した。 

 

 

 

「……アンタね、なんでまたミルクなのよ」

「飲んでみたかったから。変?」

「別に、変ってわけじゃないけど……飲んでみたかったって、もしかして飲んだこと無いの?」

「違う。ここの文化様式から、牛乳が飲料食品として普及しているのか気になったから」

「? 変な事気にするのね、アンタ」

「そう?」

「自覚がない時点で十分変よ」

「そうなんだ」

 

 

 

 ルイズは、自身の考えとステラとの考えに食い違いがあることに気付かないまま、ステラを"相変わらず変なことを言う使い魔"という程度にしか受け止めていなかった。

 そのすれ違いはステラにも言えたことであり、この時ステラが考えていたのは"文化様式と実際の発展度合の参考に、元の世界の史実は信憑性に欠ける"というものである。

 つまるところ、この世界の見た目と、ステラの知識が一致していないという事実を確認するためであったのだ。

 ステラのいた元の世界において、牛乳が飲み物として当たり前になったのはおよそ19世紀の半ばより終わり。それも、ようやく普及し始めたという程度で、一般家庭の日常の飲料として広まるにはもう少し時間が必要であった。

 しかし、先ほどステラがざっと周囲を観察して見たところ、転々とではあるが、テーブルの上に牛乳と思われる飲み物の存在が確認できた。

 この世界の見た目――つまり、予想文化発展度――と、それに類するステラの時代のソレと比べた場合、まだ飲料物としての牛乳は普及していないはずだ。

 だが、現実にはほぼ一般的といえるレベルで流通しているらしく、おおよそ元の世界における文化発展度との類似点は、それほど当てにならないと考えていいだろう。そういう結論に達したのである。

 当然のことながら、それを一々ルイズに説明するステラでもなく、こうしてお互いに認識の食い違いがまたしても生まれてしまったのだが。

 

 

 

「それはそうと、アンタの言動を見ててものすごく不安になったから聞くんだけど……アンタ、貴族の意味わかってる?」

「君主から社会的特権を与えられた、特定の領地を支配する階級の人間」

「君主を始祖ブリミル、社会的特権ていうのを魔法に置き換えたら、まぁ概ねそんなところかしら……なんでか辞書っぽい説明にそこはかとなく不安を覚えたけど。ついでに補足しておくと、魔法を使えるかどうかは貴族足りうるための大前提よ」

「魔法が使えないと、貴族じゃない?」

「当然でしょ。というか、むしろソレが先にあったから、メイジは貴族になったの。隣のゲルマニアはちょっと違うけど、基本的にココ/ハルケギニアじゃ、魔法が使えなきゃ貴族としてはどうあっても認められないわ」

「逆に、魔法が使えても貴族とは限らない?」

「――――っ」

 

 

 

 するっと、抑揚なく尋ねられたその言葉に、ルイズは一時息を呑む。今の少ない説明で、そこまで理解してもらえるとは全く思っていなかっただけに、その鋭い考察の一言に、ルイズは驚かざるを得なかった。

 だが、それを悟られるぬよう表情を崩さず、少しだけごまかす意味を伴ってすっかり冷めてしまった紅茶を一口含んだ。

 

 

 

「…………その通りよ」

「なら、この学校は魔法が使えて、貴族になるための施設なんだね」

「ご明察。ま、そのうち何人が"真の貴族"足り得ているかは知らないけど」

「"真の貴族"?」

 

 

 嘲るつもり半分、自嘲を半分こめて、ルイズは嘲笑し、ステラが首を傾げて問いかける。

 別に、自分こそが"真の貴族"だと豪語するつもりはないが、しかし、外面ばかり気にして中身が伴わない"貴族擬き"ではないことだけは確信を持って言える。

 魔法が使えない以上、それは譲れぬ最後の矜持だ。由緒あるヴァリエールの娘として、栄えあるトリステインの公爵家の娘として、その程度の教養は持っているつもりである。だが、その一点故に、ルイズ・フランソワーズという人間は決して"真の貴族"足りえることはできない。それが、酷く歯痒い。

 それを目の前の使い魔の少女に言ったところで、理解してくれるかどうかはわからないので口にはしなかったが。

 

 そこで、メイドがルイズの注文した品を運んできた。

 

 今度は先ほどとは異なり、食器類を銀のトレイに載せている。

 手際よく、それでいて品よくトレイの上の物をテーブルに並べ、最後にタルトの乗った皿を置くと、再び静かに「何かあればお申し付けください」と残し、去っていった。存在は奇妙な程に印象的なのに、意識的に見ていなければ印象に残らない立ち振る舞いは、ルイズから見てもメイドとして良く洗練されているように見えた。

 

 

 

「資格だけじゃない。誇りと責任、そして覚悟を背負っている貴族の事よ」

「……よく、わからない。私は、まだこの世界の――――ルイズのいう"貴族"が何かわからない」

「そんなに難しいことじゃないわ。ま、アンタもしばらくここで暮らせばおいおいわかるでしょ。なんせ貴族しかいない魔法学院でしばらく暮らすんだし」

「そう。じゃぁ、そうする」

「少なくとも、私はそうあろうと努力しているし、実技はともかく座学は学年首位よ。…………でなきゃ、みんなに合わせる顔がないもの」

「ルイズは、努力家なんだね」

「とーぜんっ。由緒あるヴァリエール家の三女ですもの」

「小さいのにすごいね」

「むかっ」

 

 

 

 意外に飲み込みの早い使い魔だし、最後に主を褒めるあたりはそれなりに躾ができたような気がする。でも最後の余計な一言は無視できない。

 それは、ルイズの怒りが一瞬で沸点に達するには十分すぎる理由だった。特に最後の余計な一言が。

 ゆえに、我慢しようにも我慢できなかった怒りをぶちまけるのに、間は必要なかった。

 

 

 

「うっさいわねちっさいからってぬわんなのよ!?! そう言うあんただってちっさいでしょ! 身長ばっかりおっきいけど胸は私と同レベルじゃない!」

「? ごめん、ルイズが何で怒ってるのか理解できない」

「!?」

 

 

 胸の大小を気にしていない……ですって……!?

 これまで遭遇したことのないその価値観に、ルイズは刹那、頭を横殴りにされたかのような衝撃を覚えた。

 行く先々で、魔法が使えないことを笑われ、そこから派生して毎回と言っていいほどこの幼児体型すらも笑われ、もはや魔法の才能と併せて体型すらもコンプレックスその物になっていただけに、今のステラの発言には理解しがたいものがある。

 加えて、ステラは終始真顔だ。無表情に真剣さを貼り付け、それでいて馬鹿正直にその本音を吐露するものだから、その淡々とした迫力にルイズは自身の価値観に疑問を抱いてしまう。

 おっぱいは大きいほうが正義。それは誰が言ったか覚えてすらいないが、事実だと思っていた。

 それは、あのエレオノール姉さまが尽く婚約話を破談にされる中、必ずと言っていいほど不満に上がる問題点の一つでも在るのだ。なんど姉さまが「にくい。あのやまのような脂肪の塊がにくい」と呪詛を唱えていたことか―――思い出すだけで身震いがする。

 なのに、その世界の真理を打ち壊して余りある説得力が、この使い魔にはあr―――――

 

 

 

「ってちっがーう!! なんでそんなアホな事を真剣に考えだしてるの私!?」

「どうかした?」

「あんたと話してると頭がおかしくなるってことよ!」

「価値基準が深刻なレベルで違うからだと思う。だからこうやって擦り合わせをしている」

「……はぁ」

 

 

 

 相変わらず無表情なままバカ真面目にそんなことを言われては、ルイズはそれ以上怒鳴ることができなかった。

 空になった皿をどかし、ぐでーっとテーブルに突っ伏する。

 たった数分会話しただけでこれだけの疲労度だ。このアホ使い魔がルイズの価値基準に"擦り寄る"までの苦労を想像して、もう一度、しかし今度は今さっきのとは比較にならない大きな溜息を吐く。

 

 

 

「はぁあああ~~~~~~………なんだってアンタみたいなのが召喚されちゃうのよ」

「……迷惑だった?」

 

 

 

 ドキッとするほど、悲しそうにそんなことを聞かれる。

 ルイズは少しだけ、軽率だった自分の発言を反省するが、誤魔化すようにそっぽを向いて、小さく「……………そうね。でも、感謝してるわ」と呟く。

 ただ、それだけで終わらず、「アンタでも召喚されてくれなかったら、私今頃退学させられてただろうし」と憎まれ口風にもごもごと呟いてしまうのが、ルイズらしいといえばらしい。

 ステラは少しだけ微笑んで、しかしはっきりと言った。

 

 

 

「私は、ルイズに召喚されてよかった。そうじゃなかったら、今頃死んでたから」

「……だから、真顔でそんなぶっ飛んだことを淡々と言うのやめなさい」

 

 

 

 冗談じゃないだろうから心臓に悪いのよ。

 つまるところ、目の前の少女は、ちょっとばかし――と言っていいものか悩みどころではあるが――思考が予測不能な方向にぶっ飛んでいるだけであり、ついでに価値観がこちらと全く違うだけなのだ。それが元々暮らしていた"世界"とやらでの影響なのか、少女が元々備えていた素養なのかはわからないが、少なくとも常人を相手するというよりも、何も知らない赤ん坊を相手にすると考えたほうが、精神衛生上いいのかもしれない。 

 また、何事もバカ正直に受け止めて、それが虚偽なのか戯言なのかの判別ができない。だから、言うこと全てが嘘も偽りもごまかしもなく、全てが本音なのだ。その癖に、妙な具合に頭の回転が――それも恐ろしく――早い。

 たった一日に満たない時間、しかも会話を交わしたのは半日にも満たないにもかかわらず、ルイズは持ち前の洞察力で、目の前の使い魔の少女/ステラをそこまで分析していた。

 

 だが、そんな自身の観察が正しいとして。

 ステラの言う、今の言葉。

 

  "今頃死んでいた"

 

 それはつまり。

 本当に本気で、死のうとしていたのだろうか……?

 

 

 

「……」

 

 

  

 再び考えるのは、先ほど思考することを中断した"孤独な世界"の事だ。

 もしも本当に、世界でたった一人の生活を続けていたのだとしたら、ステラが言った言葉に理解が及ばないわけではない。

 何年も広大な世界でたった独りで暮らし続け、自分以外に誰もいない―――――いっそ、死にたいと思えるほどの孤独。

 

 ぶるり、と。

 

 ルイズは思わず背筋を這うような寒気に襲われ、勢いよく頭を振ってその思索を投げ出した。やはり、考えたくない。

 代わりに、この少女を召喚した事実について考える。

 今のところ召喚したメリットが"二年への進級"しかない以上、素直にこの出会いを喜ぶこともできない。ヘタをすれば、デメリットが上回りかねないのだから。

 たしかに人間を召喚したのはすごいことかもしれない。ルイズの記憶が正しければ、有史以来、ハルケギニアにおいて人間を召喚した事例など数える程しかないはずだ。

 ―――少しだけ、そのことに引っ掛かりを覚えるが、今は無視した。

 それよりも。

 いくら自分が希少な事例を引き当てたとは言え、召喚したのが自身と対して年齢の変わらない、ましてやメイジでもない平民の少女というのは、あまりにも醜聞につながりかねない事実である。

 できれば、他の使い魔なんかにはないような特技でも持っていてくれると、それだけでも慰めになるのだけれど……。

  

 会話は一旦そこで止まる。

 ルイズは体を起こして、いつのまにか入れ替えられた湯気が昇る紅茶を飲み、ステラはようやく思い出したかのように、目の前で若干温くなっていたミルクを飲んだ。

 しかし、ルイズの驚きは、ここから始まる。

 ことり、と小さく音を立ててカップをおいたステラは、次に皿の上のタルトを、目の前にあるフォークとナイフを無視して、鷲掴みにした。

 ぎょっ!とルイズが目を見開く。あまりの事態に、驚きすぎて声が出ないのだ。

 ルイズが驚く間にも、ステラはそのまま鷲掴みにしたタルトを口へと運び。

 

―――――あむ。もっきゅもっきゅもっきゅ…………ごっくん。

 

 と、一口で平らげてしまう。

 一瞬の出来事だった。唐突すぎる行動だった。想像のはるか斜め上を行くその蛮行に、ルイズは絶句するしかない。礼儀作法という言葉が羽をもってどこかへと飛び去っていく音がした。

 しかし、ルイズは後に後悔する。どうしてこの時、このアホ使い魔の頭をド突き回してでも止めなかったのか、と。

 無表情に8分の1カットされたタルトを一口で平らげたステラは、一瞬だけ惚けたようにぼーっとしたが、しかしすぐに我を取り戻したのか、静かにルイズに問いかけた。

 

 

 

「……ルイズ。もっと食べていい?」

「……へ?」

「もっと、食べて、いい?」

「え、ええ……それは、いいけど……」

 

 

 

 妙な迫力があったせいで、思わず頷いてしまうルイズ。ステラの瞳が爛々と輝いているのは決して気のせいではないだろう。

 そして、ルイズの承諾を得たステラの行動は、まさに電光石火だった。

 先程ルイズがそうしたように、その左手を高く挙げる。

 数刻とおかず、すぐさま先程タルトを運んできたメイドがやってきた。

 

 

 

「御用命でございますか?」

「さっきくれたこれ、まだある?」

「は、はい」

 

 

 

 どうやらメイドも、ステラの迫力に押されたらしい。若干声が震えていた。

 

 

 

「もっと食べたい」

「おいくつ、お持ち致しましょう?」

「あるだけ全部」

「―――」

 

 

 

 メイドが絶句する。

 縋るようにルイズを見るが、ルイズもどんな表情をしていいか分からず、傍から見ていればメイドと同じような表情でメイドを見返していた。

 どうしましょう?

 どうしたらいいのよ?

 そんな心の会話が聞こえてくるようである。

 しかし、ステラはそんなメイドの沈黙を別の意味で捉えていた。

 

 

 

「?? 言い方が違うのかな。今持ってきてくれたの、あるだけ全て。私が食べる」

「で、ですが、全てと言われますと、さすがにそれをお一人でというのは……」

「食べれる。持ってきて。可及的速やかに」

「……か、かしこまりました」

「ん、お願い」

 

 

 

 冷や汗を流しながら、メイドが静々と下がる。

 ステラはそれを見送りながら、なぜか何かをやり遂げたかのように、無表情のドヤ顔でルイズを見た。

 まるで「きちんとできたよ、褒めて褒めて」と催促するか子供のようである。 

 だがルイズは相変わらず石のように固まって絶句したままだ。

 そうしている間にも、先ほどのステラの注文を受けて、メイド達がガラゴロとキッチンワゴンを押しながらワラワラとやってきた。

 その数十三。そんな異様すぎるにも程がある光景に、ルイズ達のテーブルへ好機の視線が次々に集中する。

 ルイズは続々とテーブルの周りに到着するキッチンワゴンの群れを無言で眺める他ない。

 

 一体何だ、何が起こっている。

 

 奇しくも、その胸中で思うことは、今現在周囲すべての人間が抱くものと全く同じであった。

 一通りワゴンの群れが集まり、そしてルイズ達の座るテーブルに隙間なく、置けるだけのタルトを配膳したメイド達は、ひとまずその場から離れていった。

 完全に去ったわけではなく、空いた皿を下げる役と補充役が残った形である。その全員が、"本当にこのすべての量を食べきるつもりなのか"と一様に不安を顔に描いていた。無理もない。

 既に、ルイズの目の前にはタルトの森が出来上がっていた。

 

 

 

「はっ!?」

 

 

 

 い、いけない。思わず想像だにしなかった展開のせいで我を忘れていたわ!

 知らずと忘我の彼方へと飛んでいた事に戦慄しつつ、どうにか意識を現世へと引き戻せた自分を内心で褒めるルイズ。

 そして、再び目の前の惨状を目にして、意識がどこかへと飛び立ちそうになるのをどうにか押さえ込む。呆けている場合ではないのだ。 

 

 

 

「――――ちょっと待ちなさいこのアホ使い魔ッッ!!!」

「もきゅ。なに、ルイズ?」

 

 

 

 タルトの森の向こうから、心なしか不機嫌そうな声が返ってくる。つい今しがた持っていたはずのタルトは、すでにその手にはない。

 己の出自と環境故に、優雅にかつ上品に早食いするという奇妙な特技を会得しているルイズではあるが、それにしても、このステラの早食いには遠く及ばないだろう。そもそも咀嚼しているのか。タルトは飲み物ではない。食べ物のはずだ。

 そんな非現実的な光景を信じたくない気持ちがどれだけ強かろうと、現実は非情であり、ましてや時は無情である。

 再び反応がなくなったルイズを無視して、タルトの森を侵食する黒髪の腹ペコ少女。その勢いはさながら村を飲み込む土石流。あれは本当に飲み込んでいるんじゃなかろうか。にわかには信じがたいが、夢ではないのだ。

 ほんの数秒の戸惑いのうちにも、タルトの森はその一角の樹木を消滅させていた。この時点で、既にワンホールクラスのタルトが、少なくとも三つは消えている。

 そんな重爆撃級の火魔法でも叩き込まれた跡地を作り上げた少女は、更に戦禍を広げつつあった。

 手近にあったルイズの好物でもあるクックベリーパイを、あろうことかケーキナイフも使わずに手でもぎ取り、「行儀? いえ、知らない子だね」とばかりにそのまま口へと放り込む。

 

 もっきゅもっきゅもぎゅもぐ。ごくん。

 

 リスのように頬を大きく膨らませ、きらきらと無表情なのに幸せそうという奇妙な表情を生み出しながら、その口の中のものを即座に腹の底へと落とし込むステラ。無論、その手は止まることを知らない。

 それを呆然と眺めるルイズにようやく気づいたのか、ステラはまたしても右手で鷲掴みにしたタルト(今度はクォーターサイズ相当)を丸呑みにして、左手に掴んでいたもう一個を掲げながら言った。もはや、ルイズはマナーがどうのという気にもなれなかった。

 

 

 

「……ルイズも食べる?」

「いらんわッ!?」

 

  

 

 脊髄反射で淑女らしからぬ返答をしてしまう。慌てて咳払いを一つ。

 そして一度、二度とルイズはその慎ましやかな胸を大きく膨らませては萎――――もとい、深呼吸をして荒波に揉まれた心を鎮める。

 だが、ステラはそんなルイズの様子をどう勘違いしたのか、ほんの少しだけ逡巡の様子を見せると、口に放り込んだタルトを"飲み込みんで"言った。

 

 

 

「食べるならたくさんあるよ?」

「食わないって言ってんでしょ! アンタわざとやってんのッ!?」

 

 

 

 まるでわざとやっているかのような、ルイズの怒りという火に油を注ぐようなステラの言動。

 それに対して、条件反射的に噴火する火山のごとく怒髪、天を衝いてしまうのはルイズの悪癖故だ。

 どうにか思考をクールダウンさせようと努力しようにも、この無知な使い魔は己のしでかしていることをまるで理解していない。それが、心底腹立たしい。何故自分の使い魔が、こんなにも愚かなのか、と。

 

 

 

「? ルイズ、時々私はあなたの言っている言葉の意味が理解できない」

「私はあんたの価値観がつくづく理解できないわよッ!」

 

 

 

 ルイズはそう叫びながらテーブルを殴りつけたい衝動を必死にこらえる。やってしまえば、大惨事が生まれることは明白であったからだ。

 

 

 

「大丈夫。さっきも言ったけれど、それはこれからわかり合えばいい」

「その前に私の神経が擦り減ってなくなりそうなんですけどォ……ッ?」

 

 

 

 ぴくぴくと、こめかみの震えを全力で抑える。貴族として優雅たるためにも努力は欠かさない。

 しかしながら、この頭の悪いジョークを連発している小娘、多分――――いや間違いなく本心だ。本音だ。嘘偽りのない本気の言葉だ。

 なまじ相応の知恵と教養を持ち、一方で圧倒的に日常における常識が欠如しているが故に――――つまりは、やることなすこと全てに邪気がないせいで、ルイズもそれ以上怒ることができなかった。

 それでも見過ごすわけにはいかない。

 何より彼女/目の前の暴食娘は、このルイズ・フランソワーズの使い魔なのだ。その使い魔がこんな常識知らずの無礼者では、他に示しがつかないどころか"ゼロ"以上の汚名を頂きかねない。

 

 

 

「あんたね、いくらなんでもコレ/テーブルを埋め尽くすタルトはありえないでしょうが! しかも、手掴みって! せめてナイフとフォークを使いなさい!」

「なんで?」

「なんでって……あんたがどれだけ大食いなのか知らないけど、それでも物事には限度ってもんとマナーがあんのよ! 趣味と感性の腐った成金貴族じゃあるまいし、こんなのはその店の料理がうまいからって無理やりシェフを引き抜いていく暴挙と同じよ!? ましてやテーブルマナーは常識!! 手掴みで食べるなんて論外ッ!!!」

「……ダメなの?」

「ダメなんですッ! だから片付けてもらいなさい」

「……いま?」

「い ま す ぐ に ! 食べていいのはあとワンホールだけ!」

「……」

 

 

 

 それでもワンホールを残していいと許可したのは、ルイズとしては相当譲歩した判決であった。だが、それはあくまで、同じ価値観を共有する同類にだけ通用するものでしかなかったのが、敗因とも言うべきものになるだろう。

 しゅん、と落ち込んだように少しだけ俯くステラ。心なしかツインテールも萎びているような気がする。ステラにとって、ルイズの恩情甚だしい判決は、どうやら極刑に等しい宣告であったらしい。

 だが、裏腹に手に持つタルトを離す気配は全くない。というか、むしろソレとルイズをちらちらと見比べている時点で、未練が垣間見える。端的に言えば「それでも食べたい」と無言のうちに主張していた。

 いくら、淑女にとって甘いものは別腹という言葉があるにせよ、人一人が食べられる――それも一般的な――量には限度というものがある。

 そして、ステラのソレは既に一般的範疇を十二分に超えている。少なくとも、ここトリステイン魔法学院に、彼女を超える胃袋を持つ淑女は存在しな――――いや、例外が一人、心当たりがある。が、それはさておき。

 一体どこからそれほどの執着心と食欲が湧いて出てきているのかさっぱり理解できないが、同時に雨打たれて野ざらしになっている子猫のような無表情でこちらをちらっちらと見てくるステラの姿に、ルイズは多少なりとも罪悪感のようなものを呼び起こされる。

 最初は腕を組んでそっぽを向き、ステラの無言の抗議を無視していたのだが、しかしいつまでたってもステラはタルトとルイズとの間の視線往復運動をやめようとしない。あまつさえルイズを見つめる時間を長くしたり、タルトを見ては深々と溜息をついたりと小細工まで弄してきた。あ、結局大皿にタルトを置いた。

 今度はじーっとテーブルの上のタルトの森を眺め、ときおり、今度ははっきりと恨みがましく三白眼になってこちらを睨め上げてくる。この小娘、まったくもって譲る気はないらしい。

 このまま放っておいても、恐らくステラは自分から目の前の惨状を片付けようとはしないだろう。

 しばしの逡巡を経たルイズが、仕方なく現状の半数程度ならまぁ、許してやってもいいかもと思い始めた時である。

 

 

 

「先程からなんの騒ぎかと思えば――――また君かい、"ゼロ"のルイズ?」

「うげっ」

「?」

 

 

 

 横合いから、どことなく鼻につく――――というより、無理やり格好をつけて高い声を出している感じの嫌味な物言いが飛び込んできた。

 振り返ったルイズが思わず淑女らしからぬうめき声を漏らし、ステラはその姿を見て小首をかしげた。ただし表情は大事な話し合いを邪魔されたことに対して不満を覚えているのか、微妙に不機嫌そうであったが。

 

 

 

「なるほど。タルトを頼んでも届かないはずだ。こんな婉曲的かつ地味な嫌がらせを思いつくなんて、さすが"ゼロ"だね。いやはや座学首席の深謀遠慮には恐れ入る」

 

 

 

 嫌味がたっぷり載せられたギーシュの言葉は、大変喜ばしくないことに、現状が相応に面倒な状況に陥っていることを語っていた。

 おそらくは、今このテーブルにあるタルトは、先程ステラが注文した通り"あるだけ全部"だったのだろう。

 であれば当然、他のテーブルで注文が入っても届くことはない。

 そして今は懇親会の最中であり、甘いものやデザートに喧しい"自称"淑女連中がわんさかといる。問題にならないはずがない。

 その事について思い至らなかったわけではないが、こうも早く行動に移されるとは思っていなかった。

 それも、この服飾センスが壊滅的極まりない、軍人貴族グラモン伯爵家が四男坊――――、

 

 

 

「だが、その悪行もこれまでさ。この、ギーシュ・ド・グラモンが来たからにはね!」

 

 

 

 間抜けのギーシュに絡まれるとは。

 口にバラを模した短杖を咥え、ばっさぁ!とマントを翻らせながら決めポーズを決めつつある少年は、目を瞑ったまま非常に満足そうな笑みを浮かべている。

 そのむかっ腹の立つ笑みを、自慢の失敗魔法で爆破してやりたい衝動に駆られながら、しかしルイズは思わず頭痛で悲鳴を上げる頭を片手で抱え、盛大な溜息を吐いた。

 そう、この見るからに頭にスポンジか鳥の糞だかが詰まってそうなクラスのバカ大将筆頭、女好きのナルシストことギーシュ・ド・グラモンに難癖をつけられるとは、思いもよらなかったのだ。

 予想としては、クラス内でもルイズの次に座学の成績の良い、比較的まともな頭を持っているレイナールや、あのクソ忌々しいツェルプストー、そして学院一の小さな大食女/プチ・グルートンあたりかと踏んでいたのだ。それを見事に裏切られたことと、裏切られた相手がアレであることで、自身の見通しの甘さというか無様っぷりというか、諸々の事に怒りすら覚える。

 大方、現在口説いてる真っ最中の女の子からタルトが食べたいだのなんだのと言われたのだろう。

 当然ながらその品は現在、ルイズの使い魔が買い占めしたせいで品切れだ。そしてその原因を調べてここまでやってきて、今に至る。まぁそんなところに違いない。 

 

 

 

「君の嫌がらせのせいで、今、可憐な一輪の花がその花弁を萎れさせようとしている」

「……それは、あっちで座ってる過剰な巻き毛のモンモランシーのこと?」

「わかっているなら話が早い。それに、彼女だけの話じゃないのだよ。周りを見てみたまえ」

 

 

 

 言われて周囲を見渡してみれば、ちらほらとこちらへと視線を向けていて、かつ手元の皿が空の女生徒が何人か見受けられた。

 さもありなん。こうなることはわかっていたので、ちょっぴり申し訳なく思わないでもないが、普段自分が受けてきた嫌がらせを思えば、少しだけ溜飲が下がるところでもある。

 だが、そんなせせこましい優越感など一瞬のことで、次には即座に投げ捨てていた。

 

 

 

「わかっていただけたかな?」

「あー、うん、そうね。たしかに迷惑をかけたわ」

「ふふん、わかってくれたなら幸いだ。無駄な手間が省ける。さぁ、占有したタルトを返してもらおうか"ゼロ"のルイズ!」

 

 

 

 迷惑をかけているのは事実だ。それを肯定し、すぐにでも占有したタルトを返すことを告げようと、なるべく穏便な言葉を選んで口にしようとした時であった。

 

 

 

「――――ごぶッ?!」

「動くな」

 

 

 

 突然、それまで沈黙を保っていたステラが、疾風を伴って割り入った。

 蹴倒された椅子がけたたましい音を立てるのと、砂塵と土埃が舞うのはほとんど一緒だった。ルイズはそう認識している。周囲で決して小さくない悲鳴が上がっているが、どうでもよかった。

 気がつけば、先程までナルシスト節全開であったギーシュが大地と熱烈なキスをし、それにステラがのしかかるように、かつその首筋――恐らく、頚動脈――にフォークの先端を突きつけていた。

 考えるまでもなく、ルイズはステラを止めるべく声を張り上げる。だが、それはほとんど悲鳴のようなものだった。 

 

 

 

「ステラ!? やめなさい!!」

「三度目は必然。彼は三度、ルイズに敵意を向けた。だから、敵と判断した」

「え……は……?」

「敵? アンタ、一体何言って――――!」

 

 

 

 組み伏せられた本人は、何が起きたのか理解できていないのだろう。

 言葉にならない何かを呟くギーシュは、そこでようやく自身が地面に叩きつけられたことを悟る。同時に、右手を後ろ手にひねり上げられ、何故だかまったく身動きがとれなくなっていることにも。

 対して、ステラは至極平静に、足元でじたばたと暴れだした貴族の少年を手馴れた様子で取り押さえ、かつ淡々と自身の行動の所以を語る。

 誰もがステラの言葉の意味を理解できなかった。

 いや、言っていることはわかる。意味を咀嚼することはできるのだ。だが、飲み込めない。

 何が三度なのか。一体何を持って敵意と判断したのか。そもそも、何をどうして平民が貴族を取り押さえているのか。

 ただはっきりしているのは、今この瞬間、とんでもない事態が起きているということだ。

 

 

 

「いた、いたたっ!!? なんだ、何が起こってる!?」

「ダメよステラ! ギーシュを放しなさい!」

 

 

 

 ルイズの制止の声に、しかしステラはちらりと一瞥するだけだ。

 ギーシュを抑える姿勢は崩さぬまま、まるで感情のないゴーレムのようですらある。

 その寒々しい様子に、つい寸刻前までの大食漢で常識知らずな小娘の印象は欠片も残っていない。まるで、この一瞬で人が入れ替わったかのような豹変ぶりであった。

 

 

 

「ステラ、主の命令よ! 今すぐにギーシュから離れてっ!!」

「………どうして?」

 

 

 

 氷のように冷たい問いかけに、思わず言葉を飲み込みかけるルイズ。だが、ここで押し黙っては、きっと取り返しのつかないことになる。直感がそう告げる以上、そしてなによりも、彼女の主として、ルイズは声を張り上げる。

 

 

 

「やりすぎよ! そこまでする必要がない!! 早く離れなさい!!」

「彼は敵」

「違うわ!! アンタの"価値観"じゃどうなのかしらないけど、私にとっては違う!! だから離しなさい!!!」

「…………わかった」

 

 

 

 ルイズの剣幕に押されたのだろうか。あるいは、ルイズの意図するところを解したのか。

 ともあれ、ステラは長い逡巡の末、ギーシュの上から降りる。

 すかさずステラから逃げるようにして立ち上がり、無理にひねり上げられていたために痛むであろう肩を抑え、貴族にあるまじき薄汚れた形でこちらを睨めつける少年を、しかしステラは表情一つ変えることなく真正面から受け止めていた。

 あるいは、それはギーシュという"敵"に対する威嚇であったのかもしれない。フォークを握る手に適度に力が入り、それでいて自然体を装うその姿は、ルイズからしてみればいつでも攻撃できるように身構えているとしか思えなかったからだ。

 

 

 

「くっ、一体なんのつもりだ、"ゼロ"のルイズ!」

 

 

 

 ヒステリックに喚くだけならまだ可愛げがある。ましてや、杖を抜かなかった点は評価できるだろう。

 意外ではあったが、彼が普段から婦女子には決して手を上げないことを自評してやまないでいた事を考えれば、なるほど納得がいく。一応、貴族としての誇り―――ベクトルがどこに向いているかはこの際無視して―――を持っているのは、同じ同級生として感心できる美点だ。

 だが、状況は相変わらず悪いままであることに変わりはない。

 事の発端は自分の使い魔。手を出したのも自分の使い魔。相手に全面的に非がないとは言い切れないものの、どう状況を鑑みても、悪いのはこちら側だった。

 

 

 

「なんのつもりも何も、この子が過剰に反応しちゃっただけよ。それは謝るわ」

「そんな誠意のない謝罪で事が済むのならば、決闘という文化は育たなかっただろうね」

「……アンタ、本気で言ってるの?」

 

 

 

 ……前言撤回。やはりこのバカは救いようのないバカだった。同級生として感心? いえ、存じ上げませんわね。

 服の土埃を払いながらこちらを睨めつける少年の文句に、ルイズは思わず言葉を飲み込んでしまいそうになる。

 無論、内心では、普段から自分のことを"ゼロ"だのなんだのと虚仮にしくさってくれているナルシストが痛い目を見てざまぁみろと言いたいところなのは言うまでもない。だが、ここでその思いを吐露すれば尚更事態は悪化するだろう。少なくとも、その未来が想像できるくらいには、現状の空気が読める。

 そういう意味では、ルイズは今この状況をどうにか穏便かつ当たり障りのない方向へと持っていく考えではいたのだ。いわゆる平和的な解決手段、というものである。

 だというのに、この脳みそ御花畑の色狂は、自分のメンツを気にかけてとんでもない馬鹿をのたまっている。

 

 決闘? たかだかこの程度のトラブルで?

 

 あまりにも突飛すぎる馬鹿げた考えだ。まだステラの言う"人類の滅んだ世界"の方がマシに聞こえる。

 たかだかタルトを占有されて、それを注意して地面とキスすることになった程度で決闘だなんだと騒ぐその神経が、ルイズは心底理解できない。少しでも見直した自分が愚かで滑稽で、羞恥で顔が真っ赤になるのがわかるほどである。そもそもからして、こいつらは"決闘"の持つ本当の意味を、真に理解しているのだろうか。

 ……理解していないのだろう。だからこそ、こうも短絡的に"決闘"だのと口にできる。今この場にルイズの母がいれば、周囲一体が竜巻の刃によって切り刻まれ、その身に文字通り教育を刻み込まれていたことだろう。

 だが、さすがは学年首席のいじめられっ子、ルイズ・フランソワーズと言ったところだろうか。

 内心今すぐにでも杖を引き抜いて、見るのも忌々しいグラモン家のアホ息子に向かってお得意の"失敗魔法"をぶっぱなしてやりたい気分になるが、ルイズはもはや本日何度目になるかもわからない我慢でもって押さえ込む。代わりに、気持ちを少しでも落ち着けるために、周囲に気づかれないように深呼吸をする。

 

 本来――――いや、従来、と言ったほうがいいだろう。

 こういったトラブルが今までなかったわけではない。言い換えれば、こんな戯けた阿呆を相手に、事を穏便に済ませるやり方は心得ているのだ。今回も、それに類する程度の些事である。

 癪ではあるが、これ以上騒ぎを大きくしたところで自分にとって不利益があるだけであるし、多少の恥を被ろうとも穏便に片付けよう。

 そう、思っていたのに。

 

 

 

《――――――なっ!?!!?》

 

 

 

 

 その場にいた、漆黒の使い魔の少女を除くすべての面々が絶句した。

 パサり、という軽い布のぶつかる音。乾いた風に、さわさわと草花が控えめに詠う。

 抜けるような蒼穹に比例するかのように、その場には背筋が震えるような寒さが広がり、誰もが目の前で繰り広げられた出来事を信じられないでいた。

 少年ギーシュの顔にへばりついていた黒い手袋は、紛れもなく"ゼロ"の使い魔のもの。

 そして、平民が貴族に向かって"手袋"を"顔に向かって"投げつけるというのは、前代未聞の醜聞。平民の、貴族に対する最悪の形での侮辱。

 これを受けて平静でいられる貴族など居るはずがない。

 貴族とは、貴い血による特別な階級である。翻せば、その下には従える平民という名の階級があり、彼らに侮られるようなことは、決してあってはならないのだ。

 端的に言おう。

 今この瞬間、この場所で。

 ギーシュ・ド・グラモンという名の貴族の名誉は、よりにもよって"ゼロ"の使い魔である平民によって地に落とされた。

 誰もがそう捉え、誰もが確信したのだ。

 故に、その蒼空に、激昂した貴族の少年による、高らかな"決闘"の宣言が吸い込まれることとなり、冒頭へと至ったのである。 

 

 




ひとまず、改訂済みまで。

*エレオノールお姉さまのおっぱいを修正しました。ぼくわるくない!


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三節

 ご感想、有難うございます。
 執筆の励みになる事はもちろん、少しでも楽しんでいただけたのだと思えば作者冥利に尽きるものです。
 不定期ではありますが、今後とも宜しくお願い致します。


 

 

 

 

 

 ステラの驚愕の行動の後、周囲の騒ぎっぷりはもう、それはそれはひどいものであった。

 一人の叫びを皮切りに、それに同調したのか、あるいは野次馬根性によるただの便乗なのかわからないが、周囲にいた貴族の少年少女は興奮に沸き立ち、あれよあれよという間にここ、ヴェストリの広場へと集まってしまった。

 その流れは洪水のようなもので、とてもではないが、ルイズ個人の力でどうにかできるようなものではなかったのは、述べるまでもない。

 慌てたルイズがいくら大声で馬鹿なことはやめろと声を張り上げても、一度頭を沸騰させた馬鹿共には決して届かず、対極的に冷静な者からは、皆面倒事はゴメンだとばかりに無視される。

 

 面倒事。そう、これは紛う事無く面倒事そのものだ。

 

 教師達には既に知れ渡っていて、今なおこの騒ぎを止めようと野次馬の輪の外郭で奮闘しているのが遠目に見て取れる。言うまでもなく、バカ騒ぎが好きな一部の生徒達によって阻まれているが。

 事が終わった後、どうなるかは想像に難くない。

 学院内で起きたトラブル。学則で禁止されている決闘騒ぎ。挙句、その渦中にいるのが実技能力"ゼロ"の落第生とその使い魔。

 どうあっても、ルイズが糾弾される流れを変えることはできないだろう。そう結論付けることができてしまった時点で、ルイズはもう、この騒ぎを止めることを放棄したくなった。

 だが、今回ばかりは――――止められない理由/ワケがある。

 事を起こしたのが例え出会ってからまだ一晩しか経っていない使い魔であろうと、召喚した者として、また契約を交わした主として、その使い魔を見捨てる真似など、到底できようものか。それは、貴族の風上にも置けない愚行だ。魔法の才能がゼロだろうがなんだろうが、その愚かしい真似だけは、決して―――決して、貴族として踏み越えることがあってはならない分水嶺であると、ルイズは信じている。

 故に、その小さな体に精いっぱいの虚勢と、最大限の威風を纏って、ルイズは彼の愚か極まりない同級生に毅然と立ち向かったのだ。

 

 

 

「ギーシュ! 馬鹿な真似はよしなさい! 生徒同士の決闘が学則で禁じられているのは、いくらバカなアンタでも知ってるでしょ!」

「やれやれ……君は一つ、勘違いをしているよ、"ゼロ"のルイズ」

 

 

 

 静止の声を張り上げるルイズに対し、小馬鹿にしたような態度を取るギーシュ。

 そのやり取りを傍らで見守っていたステラが、静かにその表情を強ばらせたようにみえた。

 同時に、確かにルイズは感じ取った。尋常ならざる、心臓が縮み上がるほどの寒々しさを。

 それが、ルイズの不安を加速させる。ギーシュの嘲りの言葉などどうでもいい程に。

 

 

 

「禁じられているのは"生徒同士"による決闘だ。生憎、君の使い魔は"生徒/貴族"じゃない」

「詭弁よ! そもそも、こんなくだらない事で決闘騒ぎを起こしている事そのものが、恥ずかしいとは思わないの?!」

「“くだらない”? ……君は、本気でそう言っているのかい?」

「なんですって……?」

 

 

 

 不愉快そうに鼻を鳴らして言うギーシュの言葉に、ルイズは眉を顰める。

 彼の言わんとしていることが理解できない。

 たかだか地面に組み伏せられたぐらいで何を言っているのか。その程度の事で決闘騒ぎを起こしていたら、今頃ルイズはこの学院における生徒達の半数以上と決闘していたことだろう。

 そう、これは“ルイズにとって”その程度のことでしかない。だから、こんなくだらない理由で自身の使い魔/平民の少女が殺されていいはずがない。らしくもなく身を挺してでも庇い立てするのは、そういった理由からだ。

 しかし、ルイズは失念していた。

 

 ルイズ・フランソワーズは例えその身に青い血が流れていようとも、未だこの学院において―――ひいては今ある貴族社会という枠組みにおいて、紛う事無く"異端"の存在であることを。

 

 それは何も、魔法の才だけの話ではない。

 育ってきた境遇。培ってきた経験。ぶつかってきた試練。そして、独りの人間としての価値観。

 何もかもが、一般的な貴族の生き様から外れているものだ。

 いくら両親が一般的かつ最上級の教育を与えてくれても、どれだけ他者より貴族たらんと努力していようとも、"魔法の才能がゼロ"というただ一つの事実によって、それらは正道から外れた邪道となる。

 故に、ギーシュという極めて“模範的”な一般貴族というカテゴリに属する少年は、そんな"規格外"の無能貴族たるルイズへ助言でも与えるかのように講釈を垂れるのだった。

 

 

 

「わかりやすく言おう。いいかいルイズ。今回の事は、平民が、貴族に手を上げたんだ。まさか、この事の重大さがわからないわけではないだろう?」

「それは謝罪したはずよ。彼女はただ、私の身を案じただけ。その結果乱暴なことに成っちゃったけど、それだって今後は―――」

「ならば聞くが、君は自分を組み伏せた平民を、なんの罪科もなく許せるのかい?」

「……理由次第だわ。そして、この場合においては、正当な理由があるのは明白じゃない!」

「だが、その後わざわざ手袋まで投げてよこした。平民が、貴族に向かって、手袋を、だ」

 

 

 

 一言、一言。

 噛みしめるように言葉をつなぐギーシュは、心底腹立たしそうに顔を歪ませている。

 と、ルイズは頭の片隅でささやく己の声を聴いた。

 間違っていない。あのバカは、確かにバカであるが、このハルケギニアにおける貴族として、至極全うなことを言っている――――と。

 だから、彼の行動に可笑しいところは別段ない。決闘を止めるだけの理由が、こちらにはない。

 反論が浮かばず、そのまま押し黙るルイズを、ギーシュは得意げな笑みを以て嘲笑った。 

 

 

 

「―――――ほら、決闘をするには十分に過ぎる理由だろう?」

「っ……馬鹿言ってるんじゃないわよ! その程度の事で決闘なんて、貴族の名折れだわ!!」

「まだわからないのかい? ならば、君と僕らじゃ価値観が違うってことになるね。なにせ、君は"ゼロ"で、僕達は"貴族"だから」

「なっ―――――!!?」

 

 

 

 それは、ルイズの人生にとって最も辛辣で、そして最も最悪な侮蔑の言葉。

 ギーシュの言葉を聞いて、周囲に漣のような嘲笑が響き渡るが、それすらもルイズの耳には入ってこなかった。

 彼は言外にこう言っている。

 

 貴族だからこそ、示しが必要なのだ、と。

 そして、それが理解できない君は、貴族では無い、と。

 

 思わず視界が真っ赤に染まるほどの怒りを覚える。今すぐこの場で杖を引き抜き、あのボンボン貴族の小僧に向かって、いつかの母のようにウインドカッターを叩き込んでやりたい衝動にかられる。十中八九、ウインドカッターではない爆発が起きるだろうが、構うものか。

 だが、その凶悪なまでに危険な衝動を、ギリギリと、震えるほどに拳を握り締めて耐え抜き、多少伸びた爪が肌にくい込む痛みでもって、強制的に怒りを抑えつけた。この侮辱に対して決闘を挑まなかった己の自制心を自画自賛したい程の我慢だったと言えよう。

 悔しい、などという生易しいものではない。むしろ、それすら通り越して己を殺したくなるほど、ルイズ・フランソワーズは自分を情けないと思った。

 貴族として馬鹿にされるならまだいい。魔法の才能がないのは事実だし、この世界では魔法の才能と青い血、二つ揃って初めて貴族として認められる。

 だが、その青い血すらも否定されるのは、耐えられない。

 鼻の奥がツンとして、途端に目尻が熱くなる。

 そして、あと少しでソレが、普段は分厚く構築している堤防をぶち破り、勢いよく溢れそうになった時だった。

 

 

 

「大丈夫」

「っ、ステラ……?」

 

 

 

 そっと、いつの間にか傍にやってきていた黒髪の少女が、その両手でルイズの目尻を撫でる。

 主人よりも頭一つ程背の高い漆黒の使い魔は少しだけ膝を曲げ、相変わらず無表情なまま、しかしはっきりとした意思をもってルイズの目を見た。

 

 

 

「負けないから」

 

 

 

 その言葉を聞いた時の心境を、ルイズは生涯忘れない。

 もとはと言えばアンタの所為だとか、こんな馬鹿な真似は今すぐやめろとか、殺されちゃうとか、言いたいことはたくさんあったはずなのに。

 何かを言いたいのに思考はまとまらず、だが、こちらの目をしっかりと見ながら、それでいて力強くそう断言する使い魔の言葉が、幾度も脳内で繰り返される。

 でも、どれだけ力強くそんなことを言われても、ルイズの目の前にいる使い魔は"平民の少女"なのだ。理性は、その事実を忘れることができない。

 

 

 

「負けないって、だって、アンタは平民じゃない! 勝てるはずないでしょ!」

「うん。私はあなたの使い魔/ステラ。だから、私がルイズを守る」

「バカっ! 平民じゃ貴族に勝てないの! 死んじゃうかもしれないのよ!?」

「大丈夫。こういうのは、慣れてる」

「は? 慣れ……って、ステラ!」

 

 

 

 それだけを言い残し、ステラは踵を返す。

 どんな言葉をかければいいのか、あるいは先程のように、無駄と知りつつも止めるべきであったのか。

 そうしてルイズが判断に迷っている間にも、場の流れは止まることを知らず移ろいでいく。

 広場の中央では、漆黒の少女と気障な少年が相対し、それを囲むようにぐるりと円を描く野次馬達が見守る。

 その場にいる野次馬の誰もが思う。なんと愚かで哀れな少女だろう、と。

 平民の身でありながら貴族に逆らう愚を犯すだけでなく、その貴族との決闘に徒手空拳で挑むなど、狂気の沙汰だ。それをここにきてもなお、理解できていない様子は愚かとしか言いようがない。まさに道化の極みだろう。

 これ以上の見物はないし、日々娯楽に餓えている貴族の少年少女達からしてみれば、学院という閉塞した環境内で知らずと溜まっていく鬱屈したストレスを、存分に吐き出す絶好の機会でもあった。

 

 故に、異様だった。

 

 本来であれば、あの愚か極まりない"ゼロ"の使い魔に罵詈雑言が投げつけられて然るべきだ。それなのに、現状はその真逆。

 深、と静まりかえった広場には、雑言どころか嘲笑一つ聞こえない。

 静かで、重い空気が満ち満ちていた。

 今この場に広がっている、愚かしくも嘲笑一つ洩らそうものならばその場で窒息しそうな、あるいは目に見えない錘で全身を縛られているかのような重圧がなんであるか――――戦場に立った者であれば容易く理解できたであろう。

 残念ながら、それがなんであるか理解できたのは極一部の生徒のみであった。

 それでも、黙りこくる周囲とその場の空気に怯むことなく、それまでの居丈高な姿勢を保ち続けたギーシュという少年は、もしかすれば大物なのかもしれない。

 

 一方で、そんな渦中の当事者たるステラは、実のところ、すでにこの件についての関心を、全くと言っていいほどなくしていた。

 

 ほとんどその場のノリでこんな厄介極まりないもめ事を引き起こした自覚は、一応ある。同時に、そのことに責任も感じていたし、だからこそ収集をつけるためにも(ステラの"知識"の中では)最もこの時代に適当な解決手段を選んだつもりだ。そういった意味では、この件に関する責任感というべきものは最低限持っている。

 だが、それだけだ。

 かつて、短い期間ではあったものの、それでも命がけの壮絶極まりない殲滅戦争を思えば、"魔法"という懸念事項こそあるものの、あの"A級"や"総統"に比肩するようなものがそうそうあるとも思えない。いや、仮に目の前の軟弱極まりない少年がそんな存在であれば、それはそれで興味深い事ではある。

 だが、およそステラの経験と知識から察するに、摸造花の杖を気障ったらしく振り回して悦に浸っているような少年が、かつてのPSS部隊隊員のような実力を持っているようには、到底見えなかった。

 故に、今起きているこの事態は、ステラの命どころか主たるルイズをも脅かすものではない。

 

 "そんなこと"よりも。

 

 今のステラにとっては、自己分析による自身への"違和感"の方がよほど重要な案件であるといえた。

 今回の件は、ルイズが馬鹿にされたことと、"三度"という基準を満たす敵意を感じたので行動を起こしたものだが、それにしたって、己の事ながら疑問を抱いてしまう程短絡的に過ぎるものだった。これほど自制が効かない状態に陥ったことに、自分でも驚くくらいに。

 本来であれば、もっと"上手に"やれたはずだ。なにも今この場で―――それも態々"データベース"から知りえた中世欧州における決闘の風習を真似てまで騒ぎを拡大させる必要は、全くなかった。

 何度自己分析しても、この自分の行動にはまったくもって合理性が見当たらない。直情的で実に人間的な、自分からは最も縁遠い(と、ステラ自身は思い込んでいる)非合理的な行動だ。

 直接的な原因はともかくとして、なぜそれに激発されてしまったのか。

 

 ―――――わからない。

 

 ルイズへの忠誠心? 使い魔としての矜持? 

 

 ―――――いや、どれも違う。

 

 確かにステラはルイズに好意的だ。ステラにとって、ルイズは地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようなものでもあったのだから、それ相応の感謝と好意を抱くのは当然の帰結である。

 なにせ、死ぬつもりであったところを拾われたばかりか、他世界とはいえ、念願であった人類と再び巡り合わせてもらったのだから、使い魔として仕える程度の恩返しは安いものだ。

 そういった意味で、ステラは非常に大きな恩義をルイズに感じている。

 だが、それらは自身の行動の原因足りえるかといえば――――否だ。まだ、そこまでの段階ではないと、断言できる。

 無心の内に己の命を賭しても守りたいと思えるほどの、かつて、遥か昔、この身を引き裂かれそうなほど哀しい想いを抱くことになったあの"暖かいモノ"では、未だ無いからだ。

 これはもっと外因的で、かつ強制力の働いた“何か”ではないか。そう分析する。

 

 ともあれ。

 

 もはやこの段階まで来てうだうだ悩んでも仕方がない。やってしまったことはやってしまったことであり、それでもなお、ステラの"ルイズを守りたい"という気持ちに迷いはない。

 ならば、この"茶番"を早く片付けてしまおう。

 ステラにとって、今起きているこの"騒動"は、結局その程度の事だったのだ。

 

 

 

「算段はついたのかい?」

「……決闘なら、懸けるものがあるはず」

「なるほど。道理ではあるね。では、君が負ければどうするつもりなのかな」

「私の首をあげる」

 

 

 

 間髪をおかずにそういってのけるステラに、場がどよめいた。

 ステラが自身の命をあっさりと投げ出したことに対する驚愕と、同時にそのあまりにも軽々しい扱い方に動揺したのだ。無論、ステラにそんな気などさらさらあるはずもなく、ましてや負ける気など塵芥ほどもあるわけがないが故の発言だ。

 しかし、そんなステラの思惑などわかる人間がいるはずもない。故に、どよめいた。

 誰であれ、己の命は惜しいものだ。

 例えばそれが、崇敬する主を持つ騎士候等であったならば、その主のために命を投げ出すこともあろう。

 だが、周囲から見れば、ステラはルイズと出会ってからまだ一日しか経っていない。どんな劇的で運命的な出会いであろうとも、たったの一日でそれだけの信頼関係を築き上げるには、常識的に考えて不可能だ。事実、ルイズ自身も、どうしてステラがそんな事を言い出したのか、理解できなかったのだから。

 

 ルイズは思う。

 

 たかだか出会って一日程度。使い魔の契約だって殆ど成り行きで、お互いのことはほとんど知らない。ましてや命を投げ捨てるほどの信頼関係など、構築できていようはずもない。

 それなのに、あの黒髪の少女はためらいもなく己の命を擲った。

 彼女は騎士でもなければメイジでもない。ただルイズに成り行きで召喚された平民の少女が、この"無能"のために命を擲ったのだ。

 それはもしかしたら、"ルイズに召喚されていなければ死んでいたかもしれなかった"からなのだろうか。いや、むしろそう考えたほうが辻褄が合う。でも、それにしたって、この命の投げ捨て方は、あまりにも常軌を逸している。

 

 そして、ギーシュは、不覚にも目の前の少女に臆した自分を、内心で恥じた。 

 

 

 

「……冗談のつもりなら、全く持ってナンセンスだね」

「? 冗談じゃないよ。本気。ただし、私が勝てば、ルイズに謝って」

「……いいだろう」

 

 

 

 ステラの目を見て、ギーシュは彼女が虚偽なく本気であることを知る。

 であれば、もはや進めるしかないだろう。

 無論、ギーシュとて本気であの少女の首を貰おうなどとは考えていない。せいぜい地面に這いつくばらせて謝罪をさせる程度で終わらせようと思っていたのだ。

 それが、どれほど愚かしく暢気な考えであったか―――――ギーシュは生涯に渡り、忘れることはない。

 

 

 

「では、ルールを説明しよう。とはいっても、至極シンプルなものさ。僕は君に“参った”と言わせる。君は、僕からこの"杖"を奪うか、“参った”と言わせる――――どうだい?」

 

 

 

 手に持つバラの造花をこれ見よがしに見せつけつつそう問いかけるギーシュに、ステラは一瞥しただけで即答した。

 

 

 

「構わない」

「よろしい。では、始めようか。君の相手は、この"青銅の"ギーシュが創り上げた至高の戦乙女、ワルキューレが相手しよう!!」

 

 

 

 そう言って、ギーシュは模造花を勢いよく――かつキザなポーズを交えて――振るった。

 模造の花弁がひらひらと舞い落ち、地面に達するや否やまばゆく輝きだす。

 そして次の瞬間、バラの花弁は精緻な装飾に彩られた金属の騎士へと変貌を遂げていた。

 これには、さすがにステラも驚きを禁じ得ない。

 見た目では、間違いなく原子変換の類だ。それなのに、周囲の空間において質量変動による揺れや、あの質量から推測されるエネルギーの余波がまるで感じられない。ステラ自身が行う武器変換に似ているが、しかし間違いなく別物である。

 "眼"で見ても詳しいことがわからないため、ステラに今起きた事象をこれ以上深く考察する方法はなかった。となれば、すぐさま思考を切り替えるのがステラという少女である。

 

 敵性個体1。脅威度―――測定不要。

 

 改めて状況把握をするまでもない。遥か昔に相対したエイリアン共とは比べるべくもない相手だ。

 そんなステラの内心など露程も知らないギーシュは、解り難いものであったが、表情を少しだけ驚きに染めたステラを見て機嫌を良くしていた。なんだ、所詮は平民の少女ではないか、と。

 鉄面皮の無表情な少女が見せたわずかな驚きの表情から、ギーシュはステラが内心動揺しているに違いないと思い込んだ。

 貴族の魔法を見て驚くなど、想像も及ばない僻地で育った田舎娘なのだろう。であれば、ワルキューレ一体でも過ぎた相手と言うもの。適当にあしらって、早々に終わらせてしまおう。

 ある意味それは、この世界の貴族として、また一般的な平民を相手にした場合における貴族の心理として、至極全うな物であった。

 しかし、ギーシュは今まさに失念している。

 自身が相手しているのが、あの"異端児"の象徴である"ゼロ"のルイズ、その使い魔であることを。

 であれば、自身の図る常識がどうして通用しようか。

 "異端児"とは、すなわち常識から外れ、理解しがたい存在であるからこその異端であり、その埒外の存在が呼び寄せたものが、またどうして常識の枠内に収まる存在であると断じれるのか。

 残念なことに、ギーシュはそれに気づくことができぬまま、目の前で己の作り出したゴーレムが大地に叩き伏せられるのをただ見ている他なかった。

 

 疾風が踊り、轟音が響く。

 

 ひしゃげた青銅が派手に砕け、大地には土埃と決して小さくない罅割れを爪痕として残している。

 立っているのは、誰もが予想していなかった存在。

 長いツインテールの黒髪を翻し、黒衣の裾についた埃を払いながら、非常に億劫そうな仕草で面を上げる少女。

 

 

 

「……これだけ?」

 

 

 

 ステラの、あまりにもつまらなさそうなその一言は、深と静まりかえる広場に寒々しく響き渡った。

 

 

―――――それは、一瞬の事だった。

 

 

 杖を振るわれ、ギーシュご自慢のゴーレム、ワルキューレが突撃をしたまではいい。この場にいた誰もが理解できるし、しっかり把握している。

 だが、そのゴーレムが、少女を横殴りにしようと手に持つ槍を振るった瞬間。その一瞬から先、ギーシュを含め、その場にいた誰もが理解しがたい現象を目の当たりにした。

 槍が少女に届く寸前、突如として少女は黒い旋風となってしゃがみこみつつそれを避け、避けた際の勢いはそのままに、突き上げるような踵によってゴーレムの顎を打ち抜いたのだ。

 そして、顎を蹴り上げられ、槍を空振った為に体勢を大きく崩したゴーレムの首へと流れるように巻きついたかと思うと、ぐるりと少女が飛び上がりながら回転。次の瞬間には、ギーシュご自慢の青銅製のゴーレムは頭から地面へと叩きつけられ、行動不能なまでに上半身を破壊された。

 その正確な動きを把握できたのは、皮肉にも広場の遠くで静観していた一部の生徒と、絶賛覗き見中の教師二人だけ。

 他は全員、少女が黒い旋風となって動いたようにしか見えなかった。

 そして。

 土埃が風によって払われ、上半身が残骸と成り果てたゴーレムの傍らで、ステラは身を起こしながらゴーレムの手から槍を奪い取る。

 

 

 

「?」

 

 

 

 拾った槍を軽く振り回しては感触を確かめたステラが、ふと小首をかしげた。

 武器を持った瞬間、それは起きた。

 左手の甲、あの"契約のルーン"とやらが刻まれた手の甲が淡く輝いている。同時に、"眼"の力を解放した時のような、すさまじいまでの身体的能力の強化現象を自覚する。

 ともすれば、それは自身の限定解除のアレに等しいもので、一種の全能感に近いものすら感じられた。

 体は自分の意思、思考、想像する"そのまま"に動くだろう。振るう一撃は万軍を砕き、どんな攻撃だって当たる気がしない。

 圧倒的だ。

 この力があれば、あの時、奴らの"総統"とすら互角に戦えただろう。それほどまでに、圧倒的なまでの"力"が、ステラの内から―――いや、手の甲から生まれているのがわかる。

 ひょっとしたら、これがルイズとの契約の効果なのだろうか。

 いや、そうなのだろう。

 確かにステラ自身の力として、この"力"に匹敵するものを引き出すことはできる。だが、それには大きな代償が伴うし、おいそれと使えるようなものではない。

 だが、これは――――この恐るべき"力"は、ただ武器を持つだけでステラを包み込んだ。

 同時にささやく声がする。

 耳のすぐ後ろ。あるいは遠いどこか。決して見ることはかなわないのに、しかしはっきりと聞こえるそれ。

 

 

―――主を守れ。汝は剣。汝は盾。主の絶対的力。

 

 

 ステラは、ざりっ、と大地を踏みしめた。言われるまでもない。

 足元のゴーレム"だったモノ"の残骸をどかし、ギーシュへと向き直りながら、片手に持った槍をくるくると回す。

 主だとか、使い魔だとか、そんなのは関係ない。

 私は、ルイズに助けてもらった。

 だから、私はルイズを助ける。守る。この命に代えても。

 決意を新たに、ステラがその槍を構えた瞬間。

 

 

 

「ッ――ワルキューレェっ!!」

 

 

 

 それまでただ驚き固まっていたギーシュが、あらん限りの声を張り上げ、全力の錬成を行った。

 もはや衝動とすら言っていいその圧迫感に押され、ギーシュは出し惜しみなどという馬鹿な考えは捨て去った。

 背筋を駆け抜ける、氷のような悪寒。あるいは、それこそが恐怖そのものだったのかもしれない。

 舞い散る花弁は六枚。現れるゴーレムもまた六体。

 錬成された青銅のゴーレムは、主を守らんと2-3-1の順に隊列を組み、突撃してくるステラを迎え撃つべく前衛が前に躍り出る。

 ギーシュとて、二つ名を持つ人間として、ゴーレムの指揮はそれなりの修練を積んでいる。

 少なくとも、同学年内で自分ほどゴーレムを多数操れ、かつ同時に六体の指揮を執りえる存在がいないくらいには、修練を積んだつもりだった。

 それは密かな自慢であり、また矜持でもある。

 グラモン家四男としての誇りと、また美しき貴婦人を守る騎士として、その存在に足る技量を磨き続けてきたつもりだ。つもりだったのだ。

 

 

 

「遅いよ」

 

 

 

 迫る黒髪の少女は、短くそういって、瞬く間に二体のゴーレムをたたき伏せた。

 一体の胴が貫かれ、そのまま横に振りぬかれた拍子にもう一体のゴーレムが叩き潰される。同時に、その衝撃に耐えられなかったのか、ステラの持つ槍も砕けた。

 ギーシュがその隙を見逃すものかと、三体のゴーレムを立て続けにけしかける。

 個別に行ってもだめだ。反撃の隙を許さず、数で押しつぶす。

 無論、その数としては圧倒的に足りないが、しかし三体のゴーレムによる同時攻撃を、そうそう簡単にさばけるとは思えない。熟練のメイジとて、三体のゴーレムを同時に相手にするのは至難なことなのだ。

 だが、それは、あくまで一般的なメイジにおける話である。ギーシュは相変わらず、己が相対する敵がどんな存在であるかを失念していた。

 鶴翼の如く、ステラを押しつぶすように襲い掛かる三体のゴーレム。手に持つ武器はそれぞれ同じ槍だ。

 今度は手加減などしない。焦りと得体の知れない圧迫感、そしてなによりゴーレムを二度もあっさりと退けられた屈辱から、ギーシュは当初の目的を忘れ、本気でステラを殺すつもりになっていた。

 振るわれる槍は、すべてがステラを刺し貫こうと狙い、どれもステラのような細身が受けようものなら貫かれるだけでは済まない威力を持つ。それが三つ、ステラを逃さぬよう、圧倒的な質量の幕となって襲い掛かる。

 避ける空間はない。

 ゴーレムを砕き、槍を失い、それでも突撃してきたステラの退路を塞ぐように、ゴーレムらの槍がステラを狙っていたからだ。

 サイドステップをするにはあまりにも勢いが付きすぎている。逆にとまって避けようものなら良い的になるだろう。

 どれかを避ければ別の槍が襲い、槍を受ければただでは済まない。ギーシュ渾身の迎撃態勢は、ある意味で美しく、そして非常に合理的な戦術から成り立っていた。

 どこかで悲鳴が響いたような気がした。あるいは、ステラの名だったのかもしれない。であれば、ルイズだろうか。

 ステラはぼんやりとそんなことを考えながら、しかしその唇の端にうっすらと笑みを浮かべる。

 心配させるのは、よくないことだ。

 だから、早く終わらせよう。

 槍が、ステラを貫く。

 

 

―――ように、見えた。

 

 

 次の瞬間、三体のゴーレムが砕け散った。

 一体は腹部から粉砕され、一体は半身が吹き飛び、一体は腕をもぎ取られ地に伏せる。

 そして、黒い旋風が、青銅の残骸を蹴散らしてギーシュへと迫る。

 ほとんど本能的なものだ。ギーシュが杖をふるい、最後の一体を自身の目前に立たせる。たとえそれが、無意味極まりない行動だと理解していても。

 予想通り、旋風は青銅の壁をものともせず砕き、散らし、すさまじい風圧でもってギーシュを叩きのめす。

 それが、少女の持っていた槍が振るわれたが故の衝撃だと気づくことはなく、ギーシュは無様に背後へと吹っ飛ばされ、派手に転びながら地に伏せた。

 思考が回らない。だが、視界はぐるぐると回る。

 一体何がどうなったのか正確に把握できないまま、ギーシュはなんの考えもなく、普段そうするように起き上がろうとして、気が付いた。

 自分を覆うように被さる黒い影。

 頬に感じる、ひんやりとした感触。

 目の前に見える、うっすらと土に汚れた黒いブーツ。

 そして、そのブーツの足元には、砕けた自分の薔薇の杖があった。

 ゆっくりと面を上げ、自分を見下ろすその存在を見て、ギーシュはようやく思い至る。

 

 

 

「……まだ、続ける?」

「―――――――参った」

 

 

 

 あぁ、自分は、負けたのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スズリの広場の中央、彼の決闘騒ぎからは外れた木陰の下。

 二人の少女が興味深そうに騒動の中心を眺めていた。

 

 

 

「あらまぁ、ルイズの使い魔が勝っちゃったわ」

「……」

「まさかタバサの言うとおりになるなんてね。どうしてわかったの?」

「……見てればわかる」

 

 

 

 豊満な肢体を惜しげもなくさらすように、わざわざ制服を着崩している褐色の肌の少女は、その紅蓮のような紅い髪をかきあげながら傍らの少女に問いかける。

 対して、タバサと呼ばれた少女は、自身の伸長を上回る長い杖を持ち、この国では珍しい青銀の髪を揺らして端的に答えた。

 杖を持つ手と反対の手には、分厚い書物。ページの合間に指が挟まっているのは、騒ぎの途中から今までずっと読みふけっていたからに他ならない。

 喧騒の匂いを連れてくるかのような風が吹き、二人の少女の顔を撫でていく。

 タバサの答えに満足いったのか、あるいはわからずともどうでもよかったのか、問いかけた赤毛の少女は嫣然とした笑みを浮かべた。

 

 

 

「そんなものかしら。でも、確かにすごいわね、あの子」

「……」

 

 

 

 ここから騒ぎの細かい様子は伺うのは難しいが、しかし輪の中で何が起きたか位は見ていてわかる。

 それはつまり、ギーシュの作り出した六体のゴーレムを、あの黒髪の少女が一方的なまでに蹂躙していた様子も、見ていたことに他ならない。

 

 

 

「メイジ殺しか何かかしら?」

「違う」

「どうして?」

「対処が雑。メイジ殺しなら、もっと合理的」

「ふぅん?」

 

 

 

 メイジ殺しとは、その名の通りメイジを相手取り、殺すことを生業とする者達、あるいはその技術を有する者を指す。

 だが、そういった連中はとかく合理的だ。決して己にとって不利となる要素は作らず、メイジに魔法を使う隙を与えはしない。例え魔法を使われたとして、それに対抗するための"有効な"手段を用意しているものだ。

 それが、あの少女にはまったく見られない。というか、完全にパワーに物を言わせたごり押しだ。あんなのは、とてもではないがメイジ殺しとは呼ばない。

 

 

 

「……キュルケ、楽しそう」

「私が? ふふ、確かにそうね。おもしろくなってきたかな、とは感じてるわ」

 

 

 

 キュルケと呼ばれた赤毛の少女の笑みが深まる。

 それは、獲物を見つけたような―――いや、楽しいおもちゃを見つけたといったような、実にコケティッシュな笑みだ。

 普段からあの使い魔の主にちょっかいをかけ、楽しそうにしているキュルケの姿を知っているタバサは、しかし何も言わず一つ嘆息だけ残し、その場を去る。

 

 

 

「あら、もういくの?」

「読書。ここはうるさい」

「ふふ、そうね。じゃ、私もついていこうかしら」

「……好きにして」

「んふふ~、素直じゃないんだから♪」

「……重い。離れて」

 

 

 

 普段から一人を好み、暇さえあれば読書にふける文学少女に抱き付きながら、キュルケはちらりと喧騒の中心をみやった。

 確かに、周囲の喧騒はやかましい。

 野次馬の輪の中央では、件の主従が――というか、その主が――姦しく騒ぎ立てているし、それまで野次馬に阻まれていた教師達が次々に輪を蹴散らしては生徒達に説教を始めている。

 騒ぎが落ち着くまで、もうしばらく時間はかかるだろう。

 なにより、この場にいたらとばっちりを食うのは目に見えていた。それを避ける意味でも、キュルケはタバサについていく。

 ただ、キュルケもタバサも、その意識のどこかにあの使い魔の少女の事がこびりついていた。

 学院きっての落第生、"ゼロ"の使い魔。

 平民にありながら、平民に非ざる力を持つ不思議な少女。

 そんな不可思議な主従といずれ深い関係になろうとは――――この時の二人は、欠片ほども思い描いてはいなかった。

 

 

 

 







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四節

 うららかな日差しと、窓から流れ込むそよ風に白亜のヴェールが揺れる。

 長閑と言ってもいいその風景は、様々な薬草の香りがミックスされた独特の空気さえなければ心やすらぐ空間としての役割を十二分に担っているだろう。

 学院内に滞在する人々を癒す場所。心身ともにその治療を行うためのトリステイン魔法学院、医務室。

 決して小さくない、というより、下手な宿屋よりも大きく壮麗な寝室といっていいその一角で、怒号が破裂した。

 

 

 

「ほんとにッ…………ほんっとーーーーにっ!! バッッッカじゃないのッッ?!!」

「…………ごめんね?」

「"ごめんね?"―――――じゃねーーーわよこのアホ使い魔ッ!!」

 

 

 

 桃色の怒髪が天を突き、憤怒に震える顔はそれでも可愛らしさを損なわず、それどころか耽美な艶やかさとなって彩られている少女が、淑女らしからぬ罵声を放つ。

 室内を震わせる気炎は、言うまでもなくこの学院一の問題児、ルイズ・フランソワーズのものだ。

 となれば、怒鳴られてるその相手は、昼の一件で瞬く間に有名人となった"ゼロ"の使い魔こと黒髪の少女ステラで間違いなく、いじらしくも、ベッドの上で両足を畳み、両の手を軽く握り膝の上に載せるその姿は、主からのお叱りを受ける従順な使い魔そのものである。一部の人間が見れば、その頭にしなだれた犬の耳を幻視するだろう。くたくたに萎れた尻尾も見えれば上級者である。

 少ないとはいえ、ステラの体の数カ所に刻まれていたかすり傷――恐らくは、槍が掠めた痕だろう――に軟膏を塗りつけ、乱暴に包帯を巻きながら、ルイズは鼻息荒く目の前の向こう見ずで考えなしな使い魔を叱り続けていた。

 

 

 

「掠り傷程度で済んだからよかったものの、下手すれば死んでたのよ!? ご主人様の言うことも聞かず、挙句決闘までけしかけて騒ぎを大きくして、しんp―――気を揉ませやがってからにぃい~~!」

 

 

 

 その掠り傷が、実は本気で回避するのが億劫だったため、必要最小限の動きで回避した結果だとは言えない。

 言えばどうなるか――――その程度を察することができるくらいには、ステラはルイズを理解し始めていた。

 

 

 

「いひゃいひょ、ふいふ」

「うっさい! アンタのせいでこちとら寿命が十年単位で縮んだ思いをしたんだからね!」

 

 

 

 包帯を巻き終え、それでも怒り冷めやらぬとばかりにステラのほっぺたを両手でつねりあげるルイズ。かつて上の姉からよくやられていた折檻手段だが、やはり効果は覿面らしい。

 普段無表情な少女が、うっすらと涙目になりながら許しを請う姿はどことなく被虐心をくすぐられるものがある。

 スズリの広場での決闘騒ぎが終わってから、そんなに経ってはいない。

 決闘が終わり、ようやくといった鈍間具合で場の鎮圧にかかった教師達から尋問を受け、ステラが掠り傷とはいえ傷を負っていることを理由にこの医務室まで避難してきて、まだ数刻といったところか。

 医務室に常在している医師はおらず、大抵は水魔法を担当している教師が呼ばれて飛んでくる形になっている。

 ステラの傷が深ければ迷うことなくそうしていたところだが、あろうことかこのアホ猫は、あれだけさんざんご主人様に気苦労をかけておきながら、たいした傷は負っていなかった。

 本来ならば、それは喜ばしい出来事である。だが、ルイズ・フランソワーズという少女は、ちょっとばかし面倒な性格をしていた。

 自分はあれだけ気を揉んで心配して翻弄されていたというのに、この使い魔ときたらケロッとした表情で「ごめんね?」ときた。

 そのあまりにも脳天気な様子に、ルイズは生来のプライドの高さとか心配性だとか自分の使い魔の強さへの誇らしさだとか自覚無自覚様々な感情をミックスして、結局どうしていいかわからないまま―――いつも通り癇癪玉を弾けさせた訳である。

 それでいながら、きちんと治療を行うあたりはルイズの性格の現れだろう。

 ちなみに、ルイズはある程度の怪我なら自分で治療することができる。己の忌々しい才能――爆発魔法――のせいで、ほぼ毎日生傷が絶えないからだ。

 貴族の淑女としてあるべき姿からは程遠い結果として身についた技術だが、それがこんな時に役立つとは、人生とはどうなるかわからないものだ、と幼い身ながらに達観的な感想をいだいてしまう。

 そして、一通りステラを叱り、叩き、頬を引っ張り、怒鳴り散らしてようやく気が済んだのか、ルイズはその小さな肩を大きく上下させながら、ステラの対面へと座り込んだ。

 ステラは、赤く腫れた頬を撫でながら、この一連のルイズの行動の裏にある感情を、ほぼ性格に読み取っていた。

 故に、対面に座ったルイズに向かって臆面なく問いかける。

 

 

 

「心配してくれたの?」

「っべ、別に!? そ、そそ、そもそも悪いのはアンタだし? 私の言うことひとっつも聞かないで騒ぎを大きくしたアンタの自業自得だし? でも私はアンタの主だから、主は使い魔のことに責任を持たなくちゃいけないわけで――――」

「ありがとう、ルイズ」

「――――っ~~~はぁ…………そういうの、ズルいわよ」

 

 

 

 にへら、と。

 心底嬉しそうに、それでいて思わず庇護欲を掻き立てられるような純真爛漫な笑みが、ルイズを直撃した。

 てっきり、このアホ猫使い魔はどっかの留学生みたいに鉄面皮な無表情娘かと思っていただけに、この予想外からの攻撃にルイズは完全に毒気を抜かれてしまった。

 

――――なによ、笑えるんじゃない。

 

 素直にそう思ってしまっては、もはや怒る事などできようはずもない。完全に毒気を抜かれてしまった。

 ルイズは一つ、大きく溜息を吐いて意識を切り替えた。

 

 

 

「大体、なんであんなことしたわけ? 直接ギーシュが私に何かしたわけじゃないでしょ」

「敵意を向けられた。二回までなら偶然の可能性もある。でも、三回は必然。彼は、明確に敵意を持ってルイズを攻撃した」

「……攻撃って」

「何も直接的な手段だけを指さない。間接的な攻撃手段はいくらでもあるよ」

「それは、まぁ、そうだけど……」

 

 

 

 思い当たる節というか、心当たりというか、とにかくそういった"まだるっこしい"やり方というのは、ルイズ自身、身を持って知っている。というか、貴族という人種のお家芸だ。

 最近は件数が減っているから油断していたが、今後その辺りについても対策しておかないと、今回のような事件がまた起きかねない。そして、次もまた今回ほど"穏便"に片付くとは限らないのだ。

 ルイズは冷や汗を流しながら、とりあえずステラに今後また、今回みたいな事にならないよう注意をする。

 

 

 

「でも、それにしたって過剰よ。普通、あんなこと程度じゃ命の遣り取りなんてしないわ」

「……ごめんなさい」

「…………はぁ。いいわよ、もう」

 

 

 

 もはや何度目かも数えるのが馬鹿らしくなってきたため息を一つ吐いて、ルイズは肩を竦めた。ただ、それは安堵したという意味であり、同時に感謝の意味の現れでもあった。

 曲がりなりにも、使い魔として主人を守ろうとしたのだ。

 その手際こそ褒められるものではなかったが、心意気は、少なくとも必死にニヤニヤしそうになる頬の筋肉を全力で押さえつけたくなるほどには、嬉しい。

 無論、そんなことはおくびにも出さないよう必死に努力しつつ、ルイズは努めて尊大になるように振る舞う。

 

 

 

「でも、次からはこういうのは禁止。手を出すのは、手を出されてからよ」

「……賛成出来ない」

「なんで?」

「そのせいで、人類は滅びた」

「…………ぁ~」

 

 

 

 至極真面目な無表情でそう嘯く己の使い魔の言葉に、ルイズは思わず額に手を当てて唸ってしまう。

 あぁ、そういえばそんな"設定"があったわね……。

 一から全部嘘だとは思わないが、さすがに"コレ"をまるっと信じる事は難しい。

 確かに、領地争いや隣国との戦争などでも、先制攻撃を許して敗退するなどザラだ。しかし、それをたかが貴族の子供同士の喧嘩程度にまで持ち込むのは大げさすぎる――――わけではないが、まぁしかし、ステラの場合は大げさにあたるだろう。

 なまじ、先ほどの強さを見てしまった分、今後彼女の尋常ならざる力が振るわれた結果、どんな最悪の事態を招くのか、ルイズですら予想がつかないのだ。

 つまり、なんというか、ルイズがステラと出会ってから常々思っていたことだが、この使い魔はいちいち想定スケールがバカみたいに大きすぎるのだ。大抵の前提条件が"人類すべて"とか世界規模の有様だ。これでは日常会話でも齟齬を来すのは当然だろう。そして、その盛大な食い違いが、決定的な事態を引き起こすのは間違いない。それを正すのもまた、主の役目であると、ルイズは弁える。

 

 

 

「あのね、ステラ」

「なに?」

「アンタはまず、解釈の尺度を世界規模から個人に縮めなさい」

「……? ルイズの言っている意味がわからない」

「シンプルな話よ。まずは、相手を殴ったら、殴った相手が怒るって程度に納めろってこと。人類規模まで考えなくていいから」

「……もっと単純/シンプルに?」

「そういうこと」

 

 

 

 理解力が悪くないのは救いなのか。それにしたって、この"ズレ"はちょっと常軌を逸している。先ほどの戦闘力も含めて、付き合えば付き合うほど、謎が深まる使い魔だ。

 そう……先ほどの決闘。あの時のステラの動きは、文字通り常軌を逸していた。

 ゴーレムを相手取るとして、たとえ単体であろうと平民では逆立ちしても勝てない。

 熟練の騎士や傭兵ならまだしも、戦闘も経験したことのないような平民では手も足も出ないのが"常識"だ。

 加えて、相手は"あの"ギーシュだったのだ。

 彼はああ見えて、実はゴーレムの操作及び指揮能力に関しては、学年のみならずこの学院においてもかなりのレベルを持っている。

 二つ名とは決して伊達ではなく、秀でた何かを持つ者に送られる誉れだ。

 無論、中には自称する恥知らずもとい身の程知らずもいるが、そういう輩は魔法を使わせればすぐに地金が現れる。そして、あのギーシュというグラモン家の女好きは、二つ名に相応しき地金を持っている。

 つまり、非常に遺憾であり、かつ忌々しいことだが、ルイズはかの少年の実力を認めていた。

 そんなギーシュが操るゴーレム、それも都合七体を苦もなく駆逐してのけたあの強さは、どうあっても"たかが平民"のものではない。

 見た目は奇妙な風体であるが、しかしどう見ても荒事に慣れているようには見えない少女の平民であるというのに、このちぐはぐさは一体何なのだろうか。

 まさかステラの話した事が全て真実であり、事実、人類最強の存在であったことなど知るはずもないルイズには、文字通り理解不能な話だった。

 そして、深まる疑問に追い立てられるように、続けて先ほどの戦闘のことについて問いかけようとしたルイズの疑問は、しかし医務室に響き渡る声に遮られた。

 

 

 

「ミス・ヴァリエール。こちらにいらっしゃいますか?」

「はい!」

 

 

 

 しっとりとした、それでいて落ち着きのある女性の呼びかけに、思わずルイズは背筋を正して答える。

 石畳の床に、ヒールの音を響かせてやってきたのは、緑髪の美しい美人、ミス・ロングビルだった。

 手には書類の束を抱えており、おそらくその処理の途中にルイズの呼び出しを承ったのだろう。それでも、少しも嫌そうな顔をせず、真摯に働いている姿は好感に値すると、ルイズは常々思っている。あと、その淑女らしい佇まいや、特にスタイルには非常に妬ま―――もとい、憧れるものがあった。

 

 

 

「何か御用でしょうか、ミス・ロングビル?」

「ええ、学院長がお呼びですわ。理由は、ご説明するまでもないでしょう?」

「……はい」

 

 

 

 来てしまったか。

 ルイズはわかりきっていたことをあえて聞いて、答えがその予想通りであったことに、胸中で嘆息する。

 あれだけの騒ぎを起こしたのだ。当然、呼び出されるのは覚悟していたこと。しかし、それがまさか学園長直々にとは思いもよらなかった。

 下手をすれば退学とまでは行かないが、実家に連絡が行くくらいの沙汰は下されるかもしれない。そうなった場合、その後に訪れる阿鼻叫喚の地獄を思い描いて、ルイズは胃がキリキリと痛むのを自覚する。

 だがまぁ、どうあっても逃げられない以上、腹をくくるしかないだろう。いや、腹ならもうくくったのだったか。

 あの広場での決闘。ルイズの制止を気にも止めず、悠々と決闘に赴く使い魔の背中を見送った時から。

 使い魔があれほどの覚悟を見せたのだ。主たる自分がこんなんでどうする。

 そう、胸中で己を叱咤し、ルイズは気合十分とばかりに立ち上がる。

 

 

 

「ステラ、行くわよ」

「うん」

 

 

 

 こんな時、素直に頷いてくれるステラの存在が、言葉に出来ないほど頼もしかった。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「とまぁ、大層な覚悟を持って足労もらったところ申し訳ないんじゃが、お咎めはナシじゃ」

「……は?」

「納得行かぬかの?」

 

 

 

 意を決して学院長室にやってきたはいいものの、待ち受けていたのはニコニコというよりはニタニタといった笑い方で、先の決闘騒ぎについて一蹴する学院長と、その後方に侍る、やれやれと深くため息をつく禿頭の教師、コルベールの二人だった。

 勢い勇んでやってきたルイズからしてみれば、ひどい肩透かしである。

 

 

 

「いえ……ですが、学則で禁じられていた決闘をしてしまった以上、何もお咎めがないとは思っていませんでしたので……」

「今回の件で、お主は規則を破ってはおらぬしのう。幸いなことに学院側への被害も無い」

「……」

 

 

 

 微かにむくれるルイズ。

 翻せば、毎度毎度学院側に(主に物理的な)ダメージを与えていることへの痛烈な皮肉でもある。

 反論する余地もないので黙っているが、この爺にはいつか絶対、将来目にもの見せてくれようと固く決心した。

 

 

 

「それに、子供の喧嘩ごときでいちいち目くじら立てておったら、今頃お主の実家とアホ貴族の間で戦争がおっぱじまっとるわい」

「……はぁ」

 

 

 

 オスマンが述べた予測は、何も一から十がデタラメというわけでもない。

 どうも学院の生徒達のみならず、一部の教師にも言えることだが、ルイズが第三女とはいえ、由緒正しき公爵家の令嬢であることを失念している者が多すぎる。

 そもそもが、第三女とはいえ、トリステインにおいても並びうる家格が片手で数えて足りるほどしかないヴァリエール公爵家の令嬢に対し、やれ"ゼロ"だの"無能"だの罵れば、それがヴァリエール家に対する侮辱と取られ、家同士を巻き込んだ大事になってもおかしくはない。

 だというのに、学院長オールド・オスマン曰く"学院内の怖いもの知らず/身の程知らず"達は、"学院内"という特殊な状況であることやルイズが大人しいのを良い事に、好き放題これまでやらかしてきたわけである。将来己の首が締まっても構わないのか、はたまたそこまで考えが及んでいないのか。どちらにせよ、頭の足りていない貴族子女の増加は、学院が今抱えている問題の一種でもあった。

 無論、ルイズ自身もこんなくだらないことで一々家柄を持ち出したくないという思いがあって、今まで恥辱に耐え忍んできたのだが、実質、学院内最高家格を持つルイズが今まで我慢してきたというのに、それより遥かに家格で劣るグラモン家"如き"が決闘まがいのことで騒ぎ立てるというのも片腹痛い話なのである。

 ましてや、従来こういった騒ぎにおいて、ルイズへの糾弾の矢となっていた学院側への物理的ダメージもない。

 つまり、学院側からすれば、今回の"決闘騒ぎ"はあくまで生徒間のいざこざであり、それだけのこと。

 ダメージもない、クレームもないとなれば、学院側からお咎めがあろうはずもない。

 確かに規則で禁じられた決闘を起こしてしまったのは問題かもしれないが、それとてギーシュが言っていたように、問題なのは貴族対貴族であった場合だ。今回は貴族と使い魔の決闘であった以上、その規則からは外れていることもまた、お咎めナシという結論に至った論拠でもあった。

 そして、一石二鳥という形になるのか、今回の一件で、よほど頭がおめでたいことになっている者を除いて、迂闊にルイズとその使い魔であるステラの両名に喧嘩を売ろうなどと考える輩はいなくなることだろう。

 喧嘩を売れば返り討ちにされ、それに対して文句を言おうならば、最悪の場合公爵家との全面戦争を覚悟しなければならない。割に合わないにも程があるというものだ。

 

 

 

「では、私達が呼び出されたのは、一体どんな要件ですか?」

「無論、君が召喚した、そこの使い魔ちゃんじゃよ」

「……私?」

 

 

 

 それまで物珍しげに学院長室を見回していたステラが、突然水を向けられたことで小首を傾げた。

 

 

 

「ステラのルーンについては、そちらにいらっしゃるコルベール先生が直々にスケッチされていたので、ルーンの模写の提出は必要ないと思っておりましたけれども……」

「うむ、その件については問題ない。実際に、問題がないからこそ進級が成っておるわけじゃからの」

「……では、一体?」

「それについては、私から説明しましょう」

 

 

 

 ルイズの疑問に声を上げたのは、それまで神妙に佇んでいたコルベールだった。

 生徒の中では禿頭の変人教師と、実に不名誉な渾名で呼ばれているが、八割ほど真実である。

 それ故、この学院においてよくよく面倒事を押し付けられる立場でもあり、なにかと問題が起こるとその後始末に回ることが多い。そのせいでその頭部は滅びゆく草原となってしまった、などという実に不敬な噂が流れるほどだ。

 今回は、ルイズの召喚の儀に立ち会った事と、そんな背景があってオスマンに呼ばれたと言える。まぁ、実際はステラのルーンを報告したことで、体よく問題/厄介事を押し付けられた格好であるが。

 ともあれ、コルベールは一度、その眼鏡の位置を直し、咳払いをした。

 

 

 

「コホン。いいですか、ミス・ヴァリエール。あなたが召喚した使い魔は"人間"です。学院史上前例がなかったため召喚の場では先送りにしましたが、その意味はわかりますね?」

「……はい」

 

 

 

 ルイズとて阿呆ではない。コルベールの指摘したその問題点については、召喚した晩に相当に悩んだ事だ。

 

 

 

「いくら平民といえど、人間一人を召喚してしまったというのは、事情を知らぬ人々からしてみれば誘拐と同義。その補償はこちらで行わねばなりません」

 

 

 

 本来であれば、召喚してしまった使い魔/人間を故郷へと一旦送り届け、その家族に事情を説明するのが筋だろう。

 そして、形なりなんなり相手側の了承を取り付ける事が肝要だ。

 貴族の中には平民などそこらの家畜程度にしか捉えていない輩もいるが、事は使い魔という一大事に係る件である。迂闊で杜撰な方法を取れば、どういった問題が起きるか考えるのも馬鹿らしい。

 ましてやルイズの家は公爵家だ。

 そこらの木っ端貴族のような無様な真似をしてはならないし、かと言って不必要に平民に対して謙る事も許されない。その塩梅について、ルイズはうまくやれるのか。

 コルベールのその深い智性を湛えた瞳の奥では、密かに目の前の不器用な落第生を心配する光が揺らめいている。

 だが、そんなコルベールの心配を他所に、ルイズは内心安堵していた。

 というよりも、そういう問題点を全く気にせずとも良い使い魔を引いたのは、確かに運が良かったのかもしれない、と都合のいい解釈すら覚える。

  

 

 

「ミスタ・コルベール。その件については昨晩彼女と話し合い、既に結論が出ています」

「ほう?」

 

 

 

 コルベールが少し驚いたように応える。まさか召喚当日に解決できる問題とは思っていなかったのだ。

 彼としては、ルイズに対し特別休暇を与え、召喚した使い魔の少女と共にその故郷へ向かわせる算段も立てていたのだが、目の前の少女が自信満々にそう答えるのを聞いて、無用の心配であったかと嬉しくなる。

 ルイズは背後に控えていたステラに振り向くと、小さく頷いてみせる。

 その意図を察したステラは、一歩前に出てルイズの隣に立つと、相もも変わらず感情の色が乗らない平坦な口調ではあったが、はっきりとその意志を口にした。

 

 

 

「私は、このままルイズの使い魔でいる」

「ですが、一度故郷に戻るべきでしょう。報告はしておくべきです」

「必要ない。もともと、独りで暮らしてた」

「……流浪の身であったということかの?」

「そんな感じ」

「ステラっ」

 

 

 

 敬意もへったくれもない物言いに、思わずルイズは肘でステラの脇腹をど突く。涼しい顔で受け止める使い魔の、その無表情なようでほんの少し得意げな顔にチリッと苛立ちを募らせる。まるでダメージはないようだ。

 そんな二人に、オスマンは「よいよい、ミス・ヴァリエールも楽にするとええ」と手を振った。

 ステラは空気を読むことなく――というより、ルイズの圧力ある視線など意に介さず話を続ける。

 

 

 

「私に家族はいないし、帰る家もない。だから、このままルイズの使い魔を続ける」

「……まぁ、本人がそう言うのでしたら、その意志を尊重しましょう。そうなると、今度は貴方の立場が問題となります」

 

 

 

 召喚に伴う問題がクリアされたとなれば、次はステラのこの学院における立場という問題が浮かぶ。

 無論、使い魔として召喚された以上それなりの待遇は与えられるが、なにせ"人間"という前例のない存在だ。

 これが幻獣の類の一般的な使い魔であれば、それ相応のノウハウがあるのだが、今回のような例外においては全く持って参考資料がない。

 前例がない以上ある程度特例を認めなければならないのは当然で、肝要なのはその線引であった。 

 

 

 

「立場?」

「然様。本来、使い魔は人間を想定しておらん。となると、どういった待遇で扱われるべきか。それが問題となるんじゃよ」

「具体例で言えば、寝床や食事でしょう。そもそも、このトリステイン魔法学院は、貴族の子女が利用することを前提とした施設です。身分故にその権限は明確に区別されていて、使い魔とは言え"貴族ではない"以上、学院内の各施設への立ち入りや利用にかなりの制限が出ることになります」

「制限?」

「例えば寝所ですが、学院寮ではいらぬ面倒が生じます。無難なのは、離れにある使用人達が暮らしている寮になりますが……」

「大丈夫。寝床はルイズと一緒の部屋でいい」

「私も構いません。その件についても、既に昨晩話し合った事です。私は彼女を使い魔として受け入れると同時に、私付きの侍女に類する立場で扱うつもりです。学院内でも、そのようにお願いしたく思います」

「なるほど、侍女ですか。良い案です」

「そうじゃのう。確かに、侍女に類する立場であれば面倒も少なかろう。寝床が一緒という事に騒ぐ輩がおるかもしれんが、まぁ問題あるまいて」

「ただ、一つだけ、お願いしたいことがございます」

「重要。これだけは、ルイズと話してても結論がでなかった」

 

 

 

 ルイズは苦虫を噛み潰したような微妙な表情で、そしてステラは無表情の中にはっきりとした真剣さを帯びて、教師二人に向かって言った。

 

 

 

「食事の件です。昼の一件でお分かりかと思いますが、おそらく今後も彼女を連れて食堂で共に食事をすれば、またいらぬ諍いが起きないとも限りません。かといって、彼女を普通の使い魔達のところへ向かわせるのも……」

「なるほど……」

「その辺りは、小うるさいボンボンが多そうじゃしの。確かに問題じゃ」

「ですが、妙案が浮かばず……最悪、料理を包んでもらって、彼女には私の部屋で食事をさせようかと思っておりますわ」

「悪くはない考えですが、手間が多くなりそうですね。一度や二度なら問題ないでしょうが、今後毎日となると……」

「使用人達と一緒に食事を取るのはどうかの? 昼の一件で、食堂の連中には歓迎されること間違いなしじゃろう」

「あぁ、それでしたら、食堂の料理長であるマルトー殿とは個人的な親交があります故、そちらの使い魔殿の食事を個別に用意してもらうようお願いしてみましょう」

 

 

 

 願ってもない提案に、ルイズは少し目を見開いて驚く。

 そこまで好待遇扱いをしてもらえるとは思っていなかっただけに、オスマンとコルベールの提案は非常に有難いものだった。

 

 

 

「よろしいのですか?」

「構わんとも。むしろ、これまでミス・ヴァリエールが被ってきたトラブルに対し何もできずにいた事の償いの一端と捉えてくれれば良い」

「生徒同士の諍いに、安易に手を出すと更に大きなトラブルを招いてしまいますからな」

「お察し致しますわ」

「ミスが聡明で助かるわい。というわけじゃ、話はコルベール君の方から通してもらうとしよう」

「承りました」

「ステラも、いいわね?」

 

 

 

 話が纏まったところで、肝心の当事者へとルイズは水を向ける。

 ステラは、それに対し間髪をいれずに答えた。

 

 

 

「ん、構わない。ここの食事は美味しい。たくさん食べられるならそれで満足」

「ステラ、アンタね……」

「ほっほ。良い良い。ならばその旨も、料理長に伝えておくとしよう」

「お気遣い、有難うございます、オールド・オスマン」

「助かる」

「だからアンタは一々態度がでかいのよ! ほら、しっかり頭下げる!」

「むぎゅ」

 

 

 

 今にも破裂しそうな堪忍袋の緒をどうにか締め付けながら、ルイズはぼんやりと立つステラの頭を押さえつけて無理やり下げさせた。

 その様子を楽しげに眺めるオスマンと、微笑ましく見守っていたコルベールだったが、二人の主従の遣り取りが一段落ついた頃を見計らって、コルベールは抑えきれない何かを堪えた様子で、しかしゆっくりと問いかけた。

 

 

 

「ところで使い魔殿」

「ステラ。ステラでいい」

「では、ステラ君。ずっと、ずっと尋ねたい事があったのだ」

「何?」

 

 

 

 小首を傾げるステラ。その無礼な口調にもはや文句を言う気も起きないルイズは、しかししっかりと半眼で隣の使い魔を睨みつけている。

 しかし、コルベールは全くもってそんなステラの態度は気にしていない。いや、違う。肩が震え、眼鏡が陽光を反射して怪しく煌めいていた。

 何事か、とルイズが疑問を覚えたその時、ついにコルベールが弾けた。こっそりとオスマンが両手で耳を塞いでいたことに、ルイズは後になって気付く。

 

 

 

「き、きき、君が召喚されていた時に乗っていたあの鉄の馬はなんだね!? 一体どういった技術で成り立っている!?」

「……鉄の馬?」

「あぁ、あの時ステラが跨ってた……」

「フェンリルのこと?」

「フェエエエエエェンリルッッ!!! フェンリルッッッ!! イイ、実にッ! イイッ!! 素晴らしい名前だ! かの伝説の幻獣の名は、あの黒鉄の躯体にまさにぴったりです!!」

「あ、あの、ミスタ・コルベール……?」

 

 

 

 コルベールの豹変にドン引きしているのはルイズだけでない。オスマンもまた、尋常ならざるコルベールの様態に絶句していた。

 ちなみに、ステラは状況を理解できていないのか相変わらずぼんやりとした表情で、エキサイトするコルベールを見つめている。

 

 

 

「一目見て理解した。アレは技術―――馬のように、しかし馬ではない何かを目指した境地の一端であると! つまりあれは馬の力を用いない個人用の馬車なのだろう!? 車輪はわかる、その軸をつなぐ機構も予想はついた! しかし最も疑問なのはその車輪を駆動させる動力がわからないッ! 以前馬車を引く馬を他の要素で行うことはできないかと試行した際車軸と車軸をつなぎそれを歯車を通じて人力で回転させる機構を思いついたのだがステラ君のアレを動かすにはあまりにも非力すぎるのだよしかしあれはそういった人力ではなくなにか別の力を用いている違うかねいや正しい私の推論は正しいはずだそしておそらくはその力の源は火だろう間違いない絶対だなぜならあれだけの重量を動かすには相応のエネルギーが必要でありそのエネルギーをもっとも効率よく生み出すには火―――すなわち爆炎! 爆炎の威力ならばアレと同重量を吹き飛ばすことも可能だそれは裏返せばそれだけのエネルギーを生み出す素養がその現象にはあると言え同時にその現象を応用すればどんな巨体であろうとも動かすことが――――そうか! つまり、あの鉄の馬はあの体内で爆発を起こしている! そうか、そういうことか!! つまり、爆発を連続させそのエネルギーで歯車を回しあの超重の巨体を動かす!! そうでしょう、ステラ君!?」

「……うん。概ね、その理解で正しい」

 

 

 

 一息でとんでもない演説を繰り広げたコルベールに対し、ほとんど戸惑うことなく返答するステラ。

 その瞳には、目の前で狂喜乱舞する禿頭の男への大きな敬意が現れている。

 あの短い間の観察だけで、まさかトライクの本質に至るなど只者ではない。ステラは、目の前の興奮のままに喋くりまくるコルベールという男が、間違いなく天才の一種であることを確信する。

 トライクが馬ではない何かの力で動くことや、そのために必要な機構を思いつくまではいい。だが、そこから一足飛びに"燃焼機関"という発想に至るのは、常人ではありえない。

 ステラは、この世界がよくて中世ヨーロッパ程度の文化水準しか無いだろうと、この学院における生活様式とルイズの説明でおおよその検討をつけていた。

 となると、ステラが乗っていた鋼の馬――――三輪駆動のトライクのような、機械仕掛けの駆動車輌といったものは存在しないだろう。せいぜいが魔法を使って動かす馬車がいいところに違いない。

 事実、その予想は間違っておらず、隣にある大国ガリアでは、お国柄ということで王家や貴族の乗る馬車にガーゴイル――魔法で動く偶像だ――を用いていたりもする。

 だが、それもトライクとは根本を異にするものだ。

 発達しすぎた科学は魔法と区別がつかない、とはステラの世界におけるとある作家の言葉であるが、同じ魔法という括りに囲むことができても、その発想の土台から異なっている。

 言うなれば、立つ位置が違うのだ。

 ステラの世界が標高数千メイルの山の頂であるとすれば、このハルケギニアは海抜0メイルの平地に等しい。

 だが、コルベールは、その平地にいながらステラの世界の頂における風景を幻視したのである。

 それがどれだけすさまじいことなのか。

 人の可能性の偉大さを目の前で魅せつけられたことが、ステラは嬉しくてたまらなかった。

 

 一方で、コルベールもまた、未知の技術をひっさげてやってきた使い魔の少女に、得も言われぬ嬉しさを覚えていた。

 時代を一つ跨ぐほどの発想力は、ともすれば周囲から奇人変人の類で見られる。事実、コルベールはそういう扱いを受けていたし、これまでそれを理解してくれる存在は、せいぜいがオスマンくらいだったのだ。しかも、完全に理解してくれているわけではなく、どちらかと言えば見守ってくれているというものであり、正確には理解者など誰もいなかったのである。

 それが、ここに来て"真の理解者"が現れた。

 話が通じる。議論が交わせる。

 研究者にとって、これほど嬉しい事はない。

 もはや、コルベールの興奮は絶頂に達していた。

 

 

 

「ッ――――素晴らしいッ!! アレを思いついた者はまさしく天才だッッ!! おお、考えれば考えるほどなんと瀟洒で合理的な手段か!!! そして何故いままでその方法を思いつかなかったのか己の愚鈍ぷりが恨めしくも呪わしく思う!!」

 

 

 

 ひとしきりエキサイトしたコルベールの言葉が途切れてすぐ、静寂が訪れた。

 コルベールを見つめるオスマンとルイズは、もはや筆舌に尽くし難いなんとも言えない表情でもって、トリステイン魔法学院が教師の一人を眺めている。

 二人共、コルベールが変人だというのは重々承知していたのだが、ここまでエキサイティングするような人物とは思っていなかったのだ。

 ましてや、オスマンはその長い付き合いの中でも、今日のように弾けに弾けたコルベールを見るのは初めてである。その胸中の驚きや察するに余りあるだろう。

 そうしてひとしきりはしゃいでいたコルベールだったが、意を決した様子でステラに向き直ると、胸に秘めた情熱を投げ打つような勢いでステラに迫る。

 

 

 

「ステラ君、君にぜひともお願いしたいことが――――」

「だめ。断る」

「ちょ、ステラ!?」

 

 

 

 頬を仄かに紅潮させ、自分が今どんな状態なのかもわかっていないであろうコルベールの願いを、ステラは最後まで聞くことなく断った。

 そのあまりにも無碍な態度に、隣にいたルイズは目を剥いて焦った。

 せめて最後まで聞くくらいは、と思うと同時に、今の使い魔の態度で気を悪くさせてしまったのではと焦る主の心情など露知らず、ステラは更に追い打ちを掛ける。

 

 

 

「"コレ"は、貴方が解かなければならない"扉"。私は答えを知っているけれど、それはきっと、間違ってる」

「――――あぁ」

 

 

 

 短い言葉だった。

 だが、それで十分だったのだろう。

 己の使い魔の不敬を正そうと目を吊り上げた主など放っておいて、ステラは目の前の禿頭の男をじっと見つめる。

 見つめられた男は、その上がりきったテンションを瞬間冷却させ、紅潮していた頬も普段の落ち着きを取り戻していた。

 興奮と歓喜に彩られていた瞳にも理性が戻ったのか、深く大きな呼吸を一度だけ行い、居住まいを正して苦笑を浮かべる。

 

 

 

「――――そうですね、たしかにその通りだ。いや、お恥ずかしい」

「気にしなくていい。私は貴方を尊敬する」

「そう言っていただけると、有り難いですね」

「ヒント程度の助言はできる。いつでも聞いてほしい」

「それは助かります! いやぁ、実は独りで研究するというのも中々進展に難しい物があったのです。心強いアドバイザーを得られる事ほど嬉しい事はありませんな」

「見たいなら、見てもいい。ガレージを作ってくれれば、そこに置いておく」

「それは、つまり、君のフェンリルを!?」

「うん。整備もしないといけないし、保管場所は欲しかった」

「で、ででで、では学院の離れに私の研究室があります! そちらに!!」

「わかった。世話になる」

「いやいや、こちらこそ! ステラ君も、なにかあれば遠慮なく相談してきなさい! 微力ながら力になりましょう!」

「うん、コルベール―――さん?」

「先生でも構いませんよ。いや、どちらかといえば私がそう呼ぶべきなのでしょうが」

「ううん、ルイズの先生なら、私にとっても先生。よろしく、コルベール先生」

「はは、こちらこそ。いやはや、全くもって最高の使い魔を召喚したものですな、ミス・ヴァリエール!」

 

 

 

 トントン拍子に話を進めていく二人に、全く話についていけない二人。

 対照的な空気をそれぞれ纏いながら、話はようやく元のもの――ステラの処遇について――に戻り、今度こそ話は恙無く終わるのであった。

 

 

 

 

 




今回は短め。
次回は幕間を挟み、【土塊の盗賊】編へと入る予定は未定。
また、少なくとも次回更新はリアル事情により8月5日以降です。ご容赦を。


*誤字修正いたしました。ご指摘有難うございます。
 今後とも注意しますが、もし見つけられましたら、随時ご指摘くださると幸いです。


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幕間

 校長室での一件も終わり、ようやく騒動の渦中から開放されたと言っていいルイズとステラは、その後授業に遅れて参加してはトラブルに見舞われるなど慌ただしい一日を過ごした。

 特に、ミス・シュヴルーズの授業――土系統の錬金についてが中心――では、彼女がルイズという問題児を初めて受け持ったこともあって、洗礼というか恒例というか、教室を爆発で揺るがすという珍事が起きたが、まぁいつも通りといえばいつも通りだったといえる。

 座学はトップでも実技は底辺。

 使い魔を召喚した後でも変わらないその事実に、結構な衝撃でもって心の根を凹ませていたルイズだったが、ステラの空気を読まないピントのズレた慰めや、宿敵ツェルプストーとの口論を経て、夕食の頃にはいつもの調子を取り戻していた。

 なお、その夕食についてはオスマンの言葉通り、ステラの食事を厨房の一角に用意してもらい、そのとんでもない健啖ぶりに厨房の職員一堂を驚愕せしめたり、昼間の騒ぎもあってか厨房の親方とも言えるトリステイン魔法学院が抱える料理人達の総大将たるマルトーに心の底から気に入られたり、給仕として料理の世話をしていたとあるメイドと仲良くなったりと、実に様々なことがあった。

 そして、日々は流れ、双月が昇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 使い魔召喚の儀式より数日経ったとある夜のこと。

 その夜は、雲の多い夜だった。

 まばゆく輝く双月は、その分厚い灰色の幕に覆われ、薄暗い闇を照らすのは心許ない蝋燭の光である。

 そんな闇夜に滲む様に屹立する石造りのトリステイン魔法学院の本塔には、重要な施設が集中している。

 学生達が多く集うことになる食堂や大講堂は言うまでもなく、パーティ等の催し物に充てがわれるホール、他にも職員が作業をする"職員室"や"学院長室"といったものがその代表だろう。

 ただ、そんな本塔にあって異質な存在感を放つのが、本塔最上階学院長室の真下の階層に存在する"宝物庫"だった。

 文字通り、このトリステイン魔法学院において貴重、重要、高価と三拍子揃――わないものもあるが、まぁそういったアレやコレやを"適当に"放り込んである倉庫である。

 とは言え、中身の実体がどうであれ"宝物庫"という名を冠している以上、そのセキュリティには万全を期さなければならない。

 そう、彼女からしてみれば、この上なく厄介なくらいに。

 

 

 

「ほんと、お貴族様にしちゃ、万全すぎて腹立たしい事この上ないわね」

 

 

 

 重厚な扉と、いかにもなイカツイ錠前をぶら下げる宝物庫の扉を前にして、一人の女声が舌打ちを交えてつぶやいていた。

 腰まで流れる艶やかな緑髪に、怪しく輝く眼鏡の縁。

 佇むだけで絵画のように映え、漏らす溜息は妖しさを秘めた蠱惑を色を持つ。

 この学院において、このような色香を放つ大人の女性は一人しかいない。学院長秘書のミス・ロングビルだ。

 そんな普段の淑女の姿からは想像もつかない粗野な雰囲気を纏う彼女の片手には、この"下見"に備えた擬装用の書類が抱えられ、もう片手には、腕の裾に隠し持っていた杖が握られている。

 

 

 

「ま、"アンロック"程度でどうにかなれば苦労はしないんだけどさ」

 

 

 

 その言葉通り、彼女は既に目の前の錠前に対してアンロックの魔法を行使した後だった。

 目的は無論、宝物庫の中身である。

 罠を警戒し、最新の注意を払って――まぁ、できたらラッキー程度の気持ちではあったが――相当な魔力を込めて、何より盗賊御用達とも言われる錠前解除の魔法を行使してみたのだが。

 さすがは、トリステインが誇る魔法学院の宝物庫。そのセキュリティは伊達ではなかった。

 幾人ものスクウェアメイジによってあらゆる防犯対策が取られたこの宝物庫の堅牢さは、"一介のトライアングルメイジ"でしか無い彼女一人の力でどうにかするには、厚く硬すぎた。

 故に、先ほどの独白につながる。

 この学院に来てから既に二ヶ月。

 "いつも"決めている残留期間まで後一ヶ月といったところだ。時間は限られているし、残り少ない。

 就職環境としては、日々のセクハラさえ目を瞑れば言うことなしの給金の良さだが、しかしここは反吐が出る"貴族"の溜まり場である。言うなれば日当金貨一枚で肥溜めの掃き掃除をするようなものだ。一日でも早くこんなクソッタレな職場を離れたいのが彼女の本音である。

 次の標的はまだ決めていないが、そろそろ"村"の方も気になってきた頃だ。物資も心許なくなる頃であろうし、"差し入れ"ついでに様子を見に行くのも悪くない。

 そこでしばらく骨休めをして、次の標的を探すなりすればいい。

 そのためにも、"目的"を果たすための下準備はぬかりなく行わなければならない。

 この宝物庫に来たのも、その一環だった。

 

 

 

「……これはちょいと、長丁場に成るかしらねぇ」

 

 

 

 想定していた通りではあるが、現状手も足も出ないため止むを得ない。

 翻せば、これだけ強固な守りの奥にはどんなお宝が眠っているのか。想像するだけで身震いが止まらない程のものがゴロゴロ転がっていることだろう。

 

 

 

「特に、噂に名高い"破壊の杖"は、是非とも貰って行きたいところだけど……」

 

 

 

 夜分のこの時間、本塔の、それもこんな宝物庫周辺にまず人は来ない。それ故の独白であったが、直後、彼女は己の迂闊さに肝を冷やすことになった。

 

 

 

「おや? そこにいらっしゃるのは、ミス・ロングビルですかな?」

「ッ!?」

 

 

 

 らしくもなく、彼女はこの学院で通っている名を呼ばれたことで、その肩を大きく震わせた。

 慌てて振り返ると、そこには禿頭に眼鏡が特徴的な学院一の変人教師、コルベールがカンテラも持たずに佇んでいる。

 闇に溶けこむようなその姿は、ともすれば怪談話にでも出てきそうな出で立ちだ。

 

 

 

「(気付けなかった!? こんな近くまで!?)」

 

 

 

 己の失態以上に、こんな至近距離まで接近されたことに気づけなかった自分に驚く。

 仮にもロングビルは、このトリステインのみならず、ハルケギニア全土でその名を轟かせる大怪盗だ。人の気配には一際敏感であるし、何より自身の背後を取られるような間抜けな事は、"仕事"において一度たりともない。

 それはつまり、この学園一の変人教師がそれだけの手練ということになり――――いや、まさか。単に、自分が大きく油断していただけだ。

 こんなハゲ頭の中年オヤジに自分が遅れを取るなどありえるはずがない。あまりにもこの学院のお貴族様が腑抜けばかりだから、自分が考えている以上に気が抜けていただけだ。

 ならば、気を引き締め直すだけである。切り替えの巧さは盗賊の嗜みでもあるのだから。

 

 

 

「あら、ミスタ・コルベール。このお時間にどうされました?」

「いえ、学院長に届ける資料があったので伺ったのですが、どうやらいらっしゃらないみたいでして……いやはや」

「学院長でしたら、少し前に食堂に向かったはずですわ。確か、マルトー料理長にお酒をねだりに行く、とか……」

 

 

 

 その際に、あからさまに尻を撫でられたのを思い返して、ロングビルは意図せず険しい口調になる。

 それだけで何かを察したらしいコルベールは、少しだけ同情するかのような視線を投げ寄越すと、次にはその禿頭を撫でながら困ったように笑った。

 

 

 

「なるほど……どうやら入れ違いに成ってしまったらしい。いや、かたじけませんな」

「まぁ、この程度の事。お気になさらず」

「そういえば、ミスはこんな夜分遅くまでお仕事ですか?」

「はい。宝物庫のリスト管理なのですけれど、うっかり学院長に解錠していただくのを忘れてしまいまして。途方に暮れていたところですの」

「はっはっは、それは大変だ」

 

 

 

 朗らかに笑って、自然な足取りでこちらへと近づいてくるコルベール。

 一瞬、ロングビルは警戒の現れで足を引きかけるが、鋼の精神を持ってそれを抑え込んだ。

 ひょいと、ロングビルの持っていた帳簿を見て、コルベールは渋面を浮かべて唸った。

 

 

 

「失礼――――やや、差し出がましいようですが、ミス。この量ですと、これからかかりっきりになっても、少なくとも朝日を二度は拝んでしまいますぞ」

「まぁ、そんなに?」

「ええ、以前私も経験していますので、断言できます。悪いことは言いません、今日はもう、下でへべれけになっている年寄りに一言断りを入れるなりして、お休みになるべきです」

「そうですわね……ミスタがそう仰るのでしたら」

「なにより、その量は一日ではなく、数回に分けて行うべきですからな。作業でしたら、私も時間があればお手伝い致しましょう。経験者がいれば、作業も捗るというものです」

「では、その時は是非ともよろしくお願い致しますわ」

「喜んで」

 

 

 

 内心の警戒はおくびにも出さず、ロングビルは自慢の営業スマイルを浮かべ、さりげなく書類の束を下ろしてコルベールの視線から外した。

 コレ以上話を続けていては、何か悟られかねない。

 そんな直感を信じて、ロングビルは素直にコルベールの言葉に従うことにする。

 

 

 

「では、私は学院長を探しに食堂へと向かうことにしますけれど、ミスタはいかがされます?」

「ちょど良いので食堂までご一緒しましょう。私も、直接資料を渡すつもりでおりましたので」

「フフ、では、エスコートをお願いしても?」

「お任せください」

「有難うございます、ミスタ」

 

 

 

 互いに笑顔の応酬を交わしながら、連れ立って宝物庫を後にする。

 一瞬だけ、ロングビルは後ろ髪を引かれるように背後の宝物庫を振り返ったが、しかしすぐに意識を切り替えると、この隣をあるく奇人であっても知識量は豊富な教師から情報を聞き出すべく、己の"武器"も交えながら攻め立てることにするのだった。 

 

 

 

 

 

 

 また別の在る日の夜。

 その日は、ステラが学院のとあるメイドとの親交を深めた夜で、その際に洗濯の手際の良さに驚かれた日でもあった。

 綺麗に畳まれ、文句のつけようもないほどの仕事ぶりを見せつけられて、思わずルイズが「ぐぅ」と唸ってしまうほどであったのは余談だろう。

 もともと、ステラの引き篭もりであったが故の知識量と、それまで暮らしていた間における"家事"の基本的な経験は、おそらくこのハルケギニアにおいても並び立つものはいないだろうから、当然の帰結ではあったのだが。残念なことに、それを知るものは誰も居ない。

 無論、半ば八つ当たりのようにルイズに押し付けられた掃除も文句のつけようもないほどにこなしてのけ、ふくれっ面になったルイズの頬をステラが突いて怒られる一幕があったりもしたのだが、これも余談だ。

 

 そんなとある一日の、双子の月が空を紫紺に彩り、瞬く星々が静かに映える夜空の下。

 トリステイン魔法学院の一角で、二人の少女が闇夜に紛れて何事かに取り組んでいる。

 言うまでもなく、ルイズとステラだ。

 二人が立つのは、学院をぐるりと取り囲み、五つの塔をつなぐ城壁の傍――――つまりは、寝静まった宿舎から離れ、ある程度の騒音を出しても大丈夫な場所である。

 そこは、ルイズにとって秘密の魔法特訓所だ。

 入学して一月どころか一週間と経たずにルイズが見つけ出した場所で、その代価として宿舎塔周辺に警戒兼監視目的の使い魔が常駐するようになってしまったのは、宿舎等周りのセキュリティを強化することの礎となったと考えるべきか迷うところである。

 ともあれ、ここならば誰にも文句を言われず――ただし、物理的損壊があれば別――に魔法を練習できるのだ。

 無論、今この場にいるのも魔法の練習のためであり、同時に、ルイズはある種の希望を抱いていた事と、使い魔に主の勇壮たる姿を魅せつけるためという緊張感に満たされていた。

 

 

 

「それじゃ、いくわよ」

「うん」

 

 

 

 ルイズが使い慣れた杖を取り出し、淀みなく目の前に掲げる。

 既に体に染み付いた反復行動。

 一辺の迷いも、一切の躊躇もない。

 ただ、不安という唯一の負の感情を押し殺し、すべきことを為す。

 唱えるは発火のルーン。

 至極シンプルな、指定する一定点を発火させる現象の顕現。

 行程は単一。

 火を起こす、というシングルアクションは魔力消費も少なく、またその"わかりやすい"現象故に最も練習しやすい属性魔法の基本とされる。

 少なくとも、先日教室内で大爆発という惨事を引き起こすことに成った"錬金"という魔法に比べれば、難易度も被害も遥かに下回る、基本中の基本とも言える魔法だ。

 大別して属性魔法/エレメンツと基礎魔法/コモンに分かれる魔法の種類だが、生憎とこのルイズ・フランソワーズにとってはどちらも違いはない。

 であれば、わかりやすい成果が得られ、かつ練習において慣れに慣れ親しんだ"発火"を選んだのは、無難とも言える選択肢であった。

 

 

 

「《ウル・カーノ》!」

 

 

 

 その赤桃の唇から零れ落ちた詠唱が僅かに震える。

 あるいは、それが原因だったのか。

 結果として発火はならず、"いつもの如く"爆発だけがあった。

 ドカン、と軽く空気が振動し、そう弱くはない衝撃が二人の少女を撫でた。

 残されたのは、月夜の晩においてもそうと分かるほど黒く焦げた大地だけ。

 予定調和としか言いようのない己の"失敗"に、ルイズは忘れていた諦観を思い出す。

 

 

 

「やっぱりダメね。サモン・サーヴァントができたから、ひょっとしたら、なんて甘い考えを持ってた過去の自分を殴りに行きたいわ」

 

 

 

 自嘲の笑みを浮かべながら、ぷらぷらと手に持った杖を揺らすルイズは、恥ずかしさと悔しさから、興味深そうに現場を検証する己の使い魔をまともに見ることができなかった。

 そのまま感情に任せて杖を投げ捨てたい思いに駆られるが、かろうじてとどまる。

 なによりそれは、メイジとして恥ずべき行為であるし、同時にこの杖が、両親から与えられた愛情そのものであることを思い出したからだ。

 アルビオンにある樹齢四百年に匹敵する宝樹の樫から、力強くたくましい部分の枝をベースに、マンティコアの鬣を芯とする逸品。

 しかも、マンティコアは母と長年苦楽を共にしてきた騎獣から採取したもので、母の想いがそこに全て込められていることがわかる。

 樫の枝だって、わざわざ父がアルビオンへ直々に採集に行ったのだ。採取にあたって必要な諸々の手続きその他の全て自身でこなしてまで、というところに父親の過保護さが感じ取れる。

 そんな出生の秘密を持つ、こんな不出来な娘のためにそこまで骨を折ってもらって両親から賜った杖を、投げ打つような真似はできない。

 故に、溜息を一つ、盛大に吐き出すことで誤魔化した。

 ルイズがそうして悶々と懊悩している間も、ちょろちょろと現場検証を続けていたステラが、突然少しだけその声を弾ませ、主の名を呼んだ。

 

 

 

「ルイズ」

「……なによ」

「もう一度やって」

「……………」

 

 

 

 心なしか、ルイズを見るその目が輝いてるような気がする。

 いや、月明かりしか無いこの暗闇の中ではっきりと分かるほどに、今のステラは興奮していた。

 だが対するルイズの心境はもはや地に埋まって穴を掘る勢いである。

 ひょっとして、この使い魔は遠回しにこの自分を嘲笑っているのだろうか。

 わざわざたった今、目の前で魔法の失敗を見せてやったというのに、それをもう一度などと――――卑屈に物を見れば、無様な姿をもう一度見たい、と言われたに等しい。

 ……いえ、さすがにそれは穿ち過ぎよ、ルイズ。

 当初の目論見――カッコつけたかっただけともいう――が完全に崩れ去り、予想していたとはいえ全く持って喜ばしくない結果を受け止めていただけに、今のルイズは何かアレばすぐにネガティブな思考に陥りそうになっている。

 それを自覚しているのは幸いだろう。

 同時に、てててと態々ルイズの傍まで寄ってきては「はやく、もう一度」と急かす使い魔を見れば、先ほど自分が邪推したような考えなど含まれていないことがわかる。なによりこのアホ使い魔は、文字通りアホなのだから。そんなに深いところまで考えているはずがない。例えそれが、ルイズのステラに対する偏った見識であったとしても。

 

 

 

「……はぁ。わかったわよ、ちょっと下がりなさい」

「うん」

 

 

 

 尻尾でもあれば千切れんばかりに振っていることだろう。

 そんな機嫌の良さをにじませながら、ステラはルイズからやや離れ、対象となる座標を指定する。

 

 

 

「向こうの小石にお願い」

「はいはい。《ウル・カーノ》」

 

 

 

 気怠そうに、そして先程とは打って変わってぞんざいな態度で魔法を発動するルイズ。

 普段、どんな状況であれ魔法の行使には毎度毎度真剣に取り組んでいる姿からは想像もできない投げやり具合である。

 内心としては、失敗することがわかりきっているだけに真剣にやることに意義を見出せないが故だが、これは期待していた分その期待が裏切られた反動が本人の想像以上に大きなダメージとなっていたからだ。

 無論、その"期待"を裏切らず、発火の魔法は小規模な爆発と成って現れ、運良くステラの指定した小石を爆砕した。

 もはや溜息すら出ない程に意気消沈する主とは対照的に、何がそんなに面白いのか、使い魔/ステラは爆発現場をしきりに検証している。

 

 

 

「……ステラ。そんな爆発跡見て何が面白いわけ?」

「PDCAサイクルって知ってる?」

「ぴ、ぴーでーし……なに?」

「計画、行動、評価、改善の四つの行動を継続して繰り返すこと」

「それがどうしたっていうのよ」

「ルイズの魔法は爆発を起こす。そしてそれは意図したものじゃない。どうして?」

「そんなの、私が知りたいくらいだわ」

「うん。だから、それを調べてる」

「……つまり、私の魔法の結果を"評価"してる、ってこと?」

「うん」

 

 

 

 ひいては、その評価に基づいて改善策を考えよう、ということなのだろう。

 その考え方が無いわけではないが、意識して行っているのは、例外なく優秀な人間であることをルイズは知っている。明確にどれがどの行動かはわからなかったが、身近にわかりやすい例がいたのだから。

 幸いではなく災いであるのは、その"評価"という行動において痛みを伴うことが多く、また"改善"という項目においても様々な意味で痛みを伴っていたため、ロクな思い出がないのだが。

 しかし、それを知っているということは、ステラは非常に高い教育を受けていることの裏返しでもあるということに、ルイズは気付く。

 ある程度賢ければそこに自分自身の足で踏み込めるのかもしれないが、少なくともそういう状況に置かれているということは、ある程度の学を持っていることが前提だ。

 だが、今現在のステラの行動は、言うまでもなく無駄な努力だろう、とルイズは内心で苦笑する。

 既にどれほどの試行錯誤が行われ、また湯水の如く金と権力が使われたことか。その結果が今の状況だ。

 

 

 

「生憎だけど、検証したって無駄よ。原因がわからないんだもの。改善のしようがないわ」

「視点を変えて」

「……視点?」

「どうして、ルイズの魔法は爆発するの?」

「どうしてって……」

 

 

 

 言われて、ルイズは言葉に詰まる。

 そんなの、わからないからに決まってるでしょう。

 だが、今ステラが問いかけている問題の答えとしては、そういうことではない、という確信がある。

 改めて考えてみる。

 ステラは"視点を変えてみたか?"と聞いている。では、今までのルイズの視点ではなく、別の視点で物事を考えてみなければならない、ということだ。

 今まで見ていた視点――――魔法を行使するにあたって、ごくごく"当たり前"とされてきた、貴族の視点における常識、所作、手順、方式。

……どれも、間違っていない。それは断言できる。

 では、何が"間違っている"のだろうか。

 

 

 

「全てをひっくり返してみた?」

「は?」

「ルイズは、今まで"正しい"魔法の使い方をしていた。でも、それで失敗する。なら、その前提をひっくり返す」

「――――全部、間違ってる?」

「そういう視点」

 

 

 

 あぁ、なるほど。

 思わず膝を叩きたくなる考えだ。

 であれば至極簡単なことで、ルイズは直ぐ様、先ほどのステラの問への答えを導き出す。

 

 

 

「二つ、考えられる」

「何?」

「一つは、全て正しいけど、なにか足りない」

「多分、それが一番可能性が高いと思う」

「もうひとつは――――あまりにも突拍子がないけど、そもそも、私の場合、辿るべき手順が一般的なものじゃない場合」

「そもそも、"ルイズが"取るべき手順が、常識はずれのもの」

「……あんまり言いたくないけど、そういうこと」

「それも、可能性が高い」

「なんでよ」

「アレ」

 

 

 

 ステラ示すのは、二回の爆発によって黒焦げになった爆心地だった。

 砕けた小石と焦げて黒く変色した地面は、決して小さくない爆発があったことの証左だ。

 同時に、どう考えてもあり得ない現象の残骸でもある。

  

 

 

「ルイズは、爆発がどうして起きるか知ってる?」

「そりゃ、私の魔法が失敗したから――――って、アンタね、嫌味言ってるわけ?」

「違う。魔法じゃなくて、現象としての爆発」

「……いいえ、知らないわ。秘薬の硫黄を使えば簡単に爆発なんて起きるもの。言い換えれば、"爆発"っていう現象はそういった限られた方法でしか起こせない。だから、火の魔法は攻撃面において最も効率的って言われてるのよ」

「じゃぁ、ルイズの魔法は火の系統?」

「違うわ。確かに今は発火の魔法を試して爆発したけど、これはあくまでコモン・マジック。系統魔法には分類されない」

「でも、ルイズの説明だと、爆発は火の系統だよ」

「そうだけど……でも、この前みたいに土系統の錬金でも爆発するし、水系統の凝縮でも爆発した以上、その可能性はないわね」

「だからこそ、ルイズの爆発には大きな意味があると思う」

「?? もっとわかりやすく言って」

「爆発は、本当にざっくり言ってしまえば、急激な体積の膨張によるもの。そして、体積の膨張は分子運動の一種で、ルイズはそれを制御していないだけ」

「??????」

 

 

 

 淡々としたステラの言葉に、しかしルイズは頭上でいくつもの疑問符でワルツを躍らせる。

 その様子を見て、ステラは自身の言葉による説明を諦めた。潔いにも程がある。

 代わりに、今のルイズが納得しやすい言葉を思案し――――思いついた。

 

 

 

「つまり、魔力や術式の問題じゃなくて、あくまで"想像"と"理論"が定まっていないから失敗する。引き起こしたい現象に対する理解と、明確な想像力を鍛えて」

「えーっと、ようは、修行不足ってこと?」

「……そんな感じ?」

「なんで疑問形なのよ!?」

 

 

 

 最後の最後で梯子を外され、ルイズは思わずその場に突っ伏しかける。

 せっかく自分の失敗魔法に光明が見えたのに、結局は"努力不足"で片付けられた挙句、それも疑問形なのだ。内心の落胆たるや、先ほどの失敗魔法を見た瞬間のそれに匹敵する。

 というか、途中までとてつもなく真面目かつ実りある議論ができていたというのに、何故に最後の最後でいきなりチェス盤をひっくり返すような真似をしてくれるのか。

 考えれば考えるほど、ルイズは目の前の使い魔の脳天気さに腹が立ってくるのを自覚する。

 無論、八つ当たりだ。

 しかし、ルイズはルイズ・フランソワーズであり、あの"ラ・ヴァリエール"なのだ。

 母も、姉(長女)も、その筋どころか貴族界隈においては知らぬものはいない、火に油ならぬ硫黄に爆炎に等しい危険物扱いをされている女性貴族の一員であり、しかもその上第三女である。八つ当たりのないラ・ヴァリエールの女など、アルコールのないワインと同じとさえ揶揄されていることを、知らぬは本人達ばかりなのだが――――おそらく、一生知ることはないだろう。知らないほうが幸せなことだって、人生にはあるのだから。

 とまれ、ルイズはそんなラ・ヴァリエールの女なのだ。すべからくして、その八つ当たりには意味がなく、また意義は在る。

 

 

 

「ステラ」

「なに?」

「前々から思ってたのよ、私」

「何を?」

「アンタ、私の使い魔よね?」

「うん? そうだよ?」

「じゃぁ、アンタのご主人様は?」

「ルイズ」

「……使い魔は、基本的にご主人様に従うものよね?」

「そうだね。たぶん」

 

 

 

 淡々とした対話の末、悲しいことに、また一つ、ラ・ヴァリエールの堪忍袋の緒が千切れ消し飛んでしまった。

 

 

 

 

「どぅあからぁッ!! なっっんでアンタはいつも肝心なとこで疑問系になるのよッ!! つーかたぶんじゃなくて確定! 事実!! 当然なの!! 義務なの!!!」

「……」

「そんな渋い顔したって無駄よ! いいステラ。アンタは私の使い魔。私はアンタのご主人様。使い魔はご主人様の下僕! はい、復唱!!」

「………やだ」

「ッ――――ほ、ほほ、ほっほーう? い、いいい、いい度胸じゃない」

 

 

 

 ルイズの目から、光が失せる。同時に、その据わった目が、ぷいっと顔をそむけて頬を膨らませる己の使い魔を睨みつけた。

 声が震えているのは、決して泣きそうだからなどではない。フリとかそういうのではなく、一切断じてそんなことはない。

 では何故かと言うと――――まぁもはや言うまでもないことだが。

 

 

 

「ご主人様を敬わない使い魔には、し、ししし、し躾が大事よね。躾は、罰を以って為すのが適当よね」

「!?」

「ステラ、アンタ明日ご飯抜き」

「まっ! 待ってルイズ!」

「マルトーさんにも話は通しておくから。あと、あのメイド。確かシエスタ、だっけ?」

「ごめん! ごめんなさい!」

「無駄よ! 無駄無駄! 今更謝罪したって、お、おお、遅すぎたわね!! アンタは、私を、怒らせたッッ!!」

 

 

 

 烈火の如く怒り狂い、その舌っ足らずな喋りが震えるほどに憤怒に染まる主に、ひたすら平服低頭する黒髪の使い魔の少女。

 最後にはその主の短いスカートにしがみつき、挙句脱がせてすっ転ばせて、さらにお仕置き/飯抜き期間がもう一日伸びてしまったのは、まぁ……おそらく、余談なのだろう。

 

 

 

「ルイズぅ……」

「ダメったらダメーッ! ずぇえったいに許さないんだから!!」

 

 

 

 寝静まる学生寮であることすら忘れて、自室に戻るまで散々喚き合う二人の少女達。

 紫紺の帳に浮かぶ双月が、そんな主従に苦笑いするように瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




提督業が忙しかった(言い訳

E-6 が くりあ できません(^q^)
ばけつ が E-6 だけで 300 へりました(^q^)
しげん は かんがえたく ありません(^q^)
くりあ したら つづき が かける と おもいます(^q^)



まぁ冗談(真実です)はともかくとして。
そんなこんなで幕間の短い話となりました。
プロットを作っている上で、なんか前回の話の終わりが、想像以上にキリがよかったので、このまま第二章に移行することに。
今回は一章にで保管しきれなかった主従のいちゃいちゃっぷりと、次章への下準備です。
ミス・ロングビル……彼女ハ一体ナニモノナノデショウネ(棒読み


9月からまた忙しくなりますが、それでも頑張って更新し続けます。
そんな「のいはの」を今後とも生ぬるく見守っていただければ幸いです。
読者の皆様への感謝に打ち震えながら、それではまた、次の更新に。



*誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます(白目


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【土塊の大怪盗】の章 上
一節


本来であれば、一日の仕事全てを一節とするところだったのですが、長くなった(色んな意味で)ので、分けて投稿することに。
 遅筆でもうしわけありません……。


 

 

 

 

 今世に詠われる、一人の怪盗がいる。

 闇夜に乗じて悪事を成し、さりとて晴天に翻るを臆すること無し。

 東に宝石あらば屋敷を砕き、西に宝冠あらば影の如く頂く。

 北も南もなんのその。

 堅牢盤石な警備を食い破り、宝の代わりに土塊を土産とするその者を、人々はこう呼び習わす。

 

 

―――大怪盗"土塊のフーケ"と。

 

 

 耳触りの良いその称号は、今や王都トリスタニアのみならず、ハルケギニア全土に轟渡っている。

 こと、日々貴族達から辛酸を舐め続けさせられ、代わり映えのしない貧相な日々を送る平民からすれば、その存在はある種の英雄に等しい。

 

 何故か?

 

 決まっている。

 殺されそうなほど鬱屈で退屈な日常を彩ってくれるからだ。

 ましてや、その被害があの鼻持ちならない"貴族ばかり"とくれば、殊更であろう。

 無論、命知らずの愚か者でなければそのようなこと、貴族の目の前で口にはすまい。

 だが、一度夜の帳が下り、酒屋の灯りが煌々と輝き、貴族のいない酒場で下品な笑い声に陽気な口が開けば、そんなことはお構いなしだ。

 

 

 

「土塊に乾杯! 悪党貴族に天誅あれ!」

 

 

 

 誰もが叫ぶ。彼もが喜ぶ。

 無味無臭で退屈な日々にまぶされる一摘みのスパイスは、それだけで黄金に等しい価値がある。

 それは、言うなれば平民では手が出ない香辛料が、突然天から降り注ぐようなものだ。

 そんな平民達にとっての英雄も、狙われる貴族達からすれば不倶戴天の敵であり、いまや王都中にお触れが出まわるほどの目の敵ぶりである。

 実際のところ、狙われているのが貴族だけというのは誤報で、かなりの規模の商人も狙われており、王都のみならず、国内の流通や治安に深刻な影響が現れ始めたため、政府の重い腰が上がったのが真相なのだが、平民達にとっては"んな細けぇこたぁいいんだよ!"というわけだ。

 ようは、ムカつく貴族が痛い目を見て、自分達にはなんにも害がない。これを楽しまずしてどうするか。そういう話なのだ。

 そして今日もまた、そんな大怪盗の活躍で、トリスタニアのとある酒場は盛り上がっていた。

 

 

 

「いっやぁ~、またやってくれたな、"土塊"は!」

「あぁあぁ! まったく他人の不幸で飯がうめぇとはこのことだな!」 

「お、なんだなんだ、またやらかしたのか"土塊"のやつ」

「なんだよおめぇ、知らねぇのか。昨日の夜、マイヤー子爵の屋敷からグリーンウッド夫人のスティップリング・ゴブレットが盗まれたんだよ」

「?? なんだそりゃ。なんでマイヤー子爵の家に、グリーンウッド夫人がいるんだ?」

「ばぁか。グリーンウッド夫人本人じゃねぇ。つーか、おまえ、マジでグリーンウッド夫人知らねぇのか」

「てめぇバカにしてんだろ。それぐらい知ってらぁ。女だてらに芸術家気取ってた大昔の貴族じゃ――――って、あれ? なんでそれが昨日まで生きてるんだ?」

「……こいつやっぱりバカだぜ」

「本人じゃねぇっつってんだろぉが。盗まれたのはゴブレット。その大昔の貴族が作った、時価ン十万エキューもするすげぇガラスのゴブレットだよ」

「ほぇ~。たかだかガラスのゴブレットが? んなにすんのか。」

「ただのゴブレットじゃねぇ。ガラスに絵を彫って、魔法もかけた逸品らしくてな。なんでも光に透かすと彫られた天使の絵が踊りだすんだと」

「そいつはすげぇ。で、今度はそれが盗まれた、と」

「おうよ。マイヤー子爵の屋敷をお得意のゴーレムで叩き潰して、正面からかっぱらってった、って話だ」

「獲物までぶっ壊れること考えねぇのかよ」

「ガラスのゴブレットだぜ? 当然、厳重に保管してたんだろうよ」

「なぁるほどな。それで、あらかた"掃除"してから悠々と持ち帰った、と」

「大枚はたいて手に入れたのに、屋敷までぶっ壊されて大損こいた子爵は泣きっ面だったとさ」

「あっはっは!! ざまぁねぇや!!」

「"土塊"の仕事に乾杯!」

 

 

 

 盛大な笑いが爆発し、続いて木製のジョッキをぶつけあう音が軽快に鳴り響く。

 ローブの奥に隠した素顔は誰も知らず、その由来すらも知られていない素性不明の大悪党は、しかし、国中に手配書が回された貴族の敵だ。

 人々が飲んで騒ぐ酒の肴にするには、それだけで十分であった。

 

 不満とは、毒だ。

 

 傷口がなくとも体に積もりゆき、最後には内から腐らせて死に至らしめる病となる。

 人々―――こと平民達にとって、その毒を抜く存在と成る"何か"とは、すなわち"薬"を意味し、果ては"英雄"となるのだ。

 それはある種の偶像であり、また、平民達の心の奥底にくすぶる不満を都合よくぶちまけてくれる、民衆の代弁者とも言い換えることができる。

 故に、誰もがその身の内の毒を吐き出す機会を得て、思っただろう。

 

――――この祭りに乗り遅れるのは勿体無い、と。

 

 退屈極まりない毎日や、苦渋を舐めさせられる貴族との区別、決して超えられない"階級"という壁の内側に積もりに積もった鬱憤と、まるで"誰かが背中を押した"かのような愚かな群集心理に突き動かされ、人々はただ"土塊"へと興味を集めてしまう。今まさに、すぐ隣りの国で、ハルケギニア全土を揺るがす陰謀が蠢いていることなど、誰一人として知る由もなく。

 

 人々は、警戒すべきであったのだ。

 

 何時だって、何処だって。

 "風あるところに、嵐有り"であるのだから。 

 

 酒場の外で、煌々と輝く双子の月が見下ろす中、一陣の風が街を通り抜けていく。

 春へと移りゆく肌寒い風は、その腕に一枚の羊皮紙の切れ端を抱いて遊んでいた。

 ひらひらと宙を泳ぐそれが、束の間大地へと降り立ち、双月にその面を晒す。

 そこに描かれた絵は、昏く暗く、闇のようなフードの奥底で、惡魔が微笑むような禍々しい笑みを浮かべた大怪盗。

 まるで双月を嗤うように、その絵は遥か天としばし向き合い、そしてまた、風に乗って去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズが使い魔の少女――――ステラの朝は早い。

 

 まず日の出前に目を覚まし、同じベッドで眠る――召喚されたその日に、同衾は許可されている――幼い容姿の主の寝顔をしばし眺める。

 むにゃむにゃと言葉にならない寝言を紡ぐ少女をひとしきり鑑賞し、時折その餅――研究所のアーカイブの情報を参考に作ったことがある――のような頬を突っついたり、おもむろに脇をくすぐってみたり、挙句の果てにはぺろりと耳をなめたり甘噛したり頬と頬を合わせてこすりつけてみたりくんかくんか匂いを嗅いでみたりと……とにかくまぁ、主/ルイズが起きない程度にひとしきり"スキンシップ"を行い、その反応を楽しむ。後半はとある島国のサブカルチャーの悪影響が如実に現れていたが。

 そして、少しずつ東の空が明るくなりだした頃、ステラはベッドから静かに抜け出し、上下ともに黒いホットパンツにタンクトップ――というより、ビキニ水着と形容したほうが近い――を脱ぎ捨て、ルイズから支給されたお仕着せに着替える。

 これは、学院で働く侍女たちの服をベースにして、ステラがそのままでは動きにくいという理由/言い訳のもとに好き勝手に改造したものだ。

 

 下は、くるぶしまで届いていたロングスカートを太ももの半ばまで切り捨てられたミニスカートへ。なお、切断部はその跡を隠す意図も含めてレースを使って彩りを加え。

 上はそれほど大きな変更点こそ無いものの、使用人を表す胸元のブローチは、かつてステラが所属していた人類最後の"部隊"のエンブレムに代わっている。

 それによって、ステラが学院の使用人ではなく、あくまで"ルイズの使い魔"であるという立場を明確に示し、学院内での使用人との混同を避ける助けにもなっていた。

 

 とはいえこの時代において、ステラの召喚当初の格好はあまりにも異質であったことは言うまでもなく、ましてやその当人の美的センスたるや、ここトリステインのみならず、ハルケギニア全土においても異質極まりないものであることはいうまでもない。

 そんなステラが施したお仕着せの魔改造は、そのあまりにも大胆な露出の仕方に、ステラの侍女姿が公開された当初、実にセンセーショナルな衝撃を学院へと叩き込むという珍事を引き起こした。

 曰く女性陣からの"はしたない"との声が多数上る一方、年頃のとある方面への関心が強い小僧共からは大絶賛され、終いには校長の鶴の一声により"アリ"とお墨付きを貰ったため、騒ぎはその日のうちに沈静化したのだが。

 ともあれ、妥協策として、ミニスカートによる太ももより下のあられもない露出をストッキングで覆う結果に落ち着いたわけであるが、しかしそれが却って"そこはかとないエロス"を醸し出しているともっぱら上方に評価されてしまっているのは、女性陣には理解できない現象だっただろう。

 奇しくもその姿は、ステラの世界においてはるか昔、とある島国で一時期及び特定の趣味を持つ層の間でやたらと流行っていたという使用人モドキの格好であったのだが、無論、誰一人としてその事実を知るものはいない。

 

 そんな奇異独特な風貌となったステラは、最後に使用人の象徴とも言えるヘッドドレスを被り、クローゼットの前に無造作に置かれた籠を抱え上げる。

 中には、前日までの――主にルイズの――洗濯物が無造作に投げ込まれており、これを洗うのが、ステラのその日の最初の仕事であった。

 

 

 最初、ルイズに「使い魔としての仕事の一つが洗濯よ」と言われた際、ステラは戸惑った。

 "洗濯"という行為がどんなものであり、またどういう意義をもっているのか、くらいは知識としてはある。

 やらなければ不衛生な状態を引き起こし、最悪様々な病気を誘発する。それを防ぎ、なおかつ"身だしなみを整える"という主目的のために行う、人類の代表的な生産的活動行為。

 おおまかに、原始的な手洗いと、機械式の洗濯あり、どちらも方法は知っているし、後者に至っては、材料さえあればこの場で拵えることもできる。

 だが、ステラが疑問に思ったのは、そもそも何処で洗えばいいのか、ということだった。

 洗濯方法の知識はあるものの、では具体的にそれを"どんな場所"で行えばいいのかわからなかったのだ。この辺りに、ステラの知識の偏りが見て取れる。

 もともと、ステラの暮らしていた"研究所"では手洗いなどする必要は皆無だったし――言うまでもなく、それ専用の施設があったからだ――、そもそもこんな場所/学院で洗濯をする際のノウハウなんぞ知っているわけがない。

 その辺りの事をご主人様の少女に尋ねたところでわかるはずもなく、最初の日はやや途方に暮れながら、最悪フェンリル――この世界に召喚された際に乗っていたトライクである――に乗って川を探しに行かなければならないかもしれない、と壮大かつ無駄極まりない決意をしかけたものだ。

 

 

 

「あら、おはよう、ステラ」

「うん、おはよう、シエスタ」

 

 

 

 そんな困惑と不安に翻弄されていたステラに助け舟を出してくれたのは、今しがた挨拶を交わした少女―――シエスタだった。

 学院所属の使用人を示すブローチと、この学院が支給するお仕着せを纏った、純朴な少女である。

 纏う雰囲気は温和そのもので、体型をあまり強調しない服のため分かり難いが、おそらく学院内でもトップレベルのスタイルの持ち主。

 特にステラとその主が持たない胸囲と、そこから腰と臀部にかけてのラインは艷麗とすら言える。

 顔にややそばかすを残してはいるが、それとて成長するに連れて消える程度のものだ。顔の作りは疑いようもなく、ステラの知る基準からしてみても、十分に美人と呼べる範疇に在る。

 また、その使用人としてのスキルも高いものがあり、この学院に奉公に来て数年、ある種の古参扱いもされているというのだから、右も左もわからずオロオロしていたステラを助けてくれたのは、実に運が良かったと言える。

 "故郷"では、合わせて十二人と一人という非常に少ない人間としか触れ合ったことがないステラにとって、困っていたところで手を差し伸べてくれただけでなく、その後も色々と面倒を見てくれたこのシエスタという少女は、十代半ばの少女であるという事実を差し引いても、ステラにとって初めて遭遇する"ティーンエイジャー"というものであり、ある種の憧れと尊敬を抱くに足る存在であった。 

 有り体に言えば、ルイズとは全く違うベクトルの"触れ合い"にひどく感動させられたのだ。

 少なくとも、初対面とは思えないほどにステラが懐いてしまうほどには。

 

 

 

「ねぇ、シエスタ」

「なぁに、ステラ」

「今日の朝食は?」

 

 

 

 ステラのこの問は、無論、朝食の献立のことだ。

 先日、そうとは知らず「まだ食べてないわ」といった返事をしたところ、小首を傾げられてしまったのは記憶に新しい。あの時は顔が熱くなるほど恥ずかしい思いをしたシエスタは、しっかりと学習したのだ。

 

 

 

「もう、ステラったら。まだ日も登り切っていないのよ?」

「……」

 

 

 

 からかうシエスタの言葉に、頬をふくらませてそっぽを向く少女。その姿が微笑ましくて、シエスタは笑みをこぼした。

 

 

 

「今朝は少し冷えるから、昨日と同じ白パンにフォンデュ、それにステラが話してたドレッシングを使ったサラダを作るみたい。来る途中、食堂の方からチーズの香りがしたもの」

「量が不安」

「大丈夫よ。サラダって言っても、たくさん種類があるもの」

「そう……マルトーのご飯は美味しいから、楽しみ」

「昨日みたいに食べ過ぎちゃダメよ?」

「あれでも6分目だよ?」

「……ステラ、食べ過ぎは本当に良くないと思うの」

「まだまだ余裕」

 

 

 

 鼻息を荒くして、勇ましくも自信満々に言ってのけるステラ。

 シエスタは昨日のステラの健啖ぶりを思い出し、悩ましげにため息を吐いた。

 

 

 

「……そんなに食べても太らないなんて、羨ましいわ」

「そう? 私は、シエスタみたいな肉付きの方が、好かれると思う」

「に、にくっ……もうっ、ステラ!」

「?? なんで怒るの?」

 

 

 

 顔を真っ赤にして怒るシエスタの様子に、ステラは本気で首を傾げる。

 短い付き合いではあるが、ステラがそういう"天然気質"であることを身をもって知っているシエスタは、その生来のお節介ぶりを存分に発揮し、洗濯をする間ずっと、ステラに"女性のタブーその他一般常識"について懇々と説教するのであった。

 

 

 

 

 

 

 さて、ステラ達が洗濯を終える頃になれば日がいい具合に登り、俄に学院のあちこちが騒がしくなる。

 朝早くから魔法の特訓に勤しむ生徒もいれば、殊勝にも図書館に赴く生徒もいる。あるいは、朝食までの僅かな時間を使って使い魔と交流を深めたりと、様々だ。

 そんな学院の目覚めの中、ステラはシエスタ達学院付きの使用人らと共同で大量の洗濯を行った後、乾いた洗濯物を入れた籠を持って、ルイズの眠る女子寮へと引き返す。

 無論、寝坊助な主を叩き起こすためだ。これが、ステラの一日の内、二番目の仕事となる。

 部屋に戻るなり、ステラは籠をクローゼットの近くに置いて、わざと大きめな足音を立てて窓辺に寄る。

 そして思いっきりカーテンをどけて窓を開け放つと、途端に吹き込む風に目を細めた。

 季節は春真っ盛り。

 吹き込む風は清涼極まりなく、吸い込むと芳醇な自然の香りが鼻腔一杯に広がる。

 気持ちのいい朝だ。

 雑多で豊富で、生命の力に満ち溢れた素晴らしい朝だ。ステラは心からそう思う。

 同時に、こんな朝なら、布団に包まってゴロゴロするのも悪くない。そして、そのまま気が済むまで微睡みに身を委ねて、波の上で揺蕩うような一日を過ごすのも良い。

 だが、生憎そうするにはちょっとばかり無理な事情があった。

 なにせ彼女/ステラの主は、かなりの寝坊助だ。今起こさないと、朝食が終わるギリギリまでベッドでアルマジロとなっていることだろうし、何よりステラが楽しみにしている朝食にありつけない。 

 

 

 

「ルイズ、朝だよ。起きて」

「むにぅ……」

 

 

 

 ステラはベッドに上がり、ゆさゆさと、だらしなく口を半開きにして眠る主の肩を揺さぶった。

 だが、日差しが眩しいのだろう。窓から顔を背けるように寝返りを打ち、更には布団を頭まですっぽりとかぶってしまうピンク色の小動物。

 さて、ここでステラは二つの選択肢を思い浮かべる。

 一つ、このまま寝かせないためにも、強制手段の執行―――すなわち、掛け布団を剥ぎ取りベッドから落とす。

 一つ、今朝の"スキンシップ"で思い出した、とあるサブカルにあった"由緒正しき起こし方"の実践。

 思考すること三秒。

 前者の場合のデメリット/飯抜きの可能性と被害の大きさを鑑み、即座に後者を選択。ステラの行動は早い。

 

 再び寝返りをうつ主を尻目に、ステラは窓から躊躇なく飛び降りた。

 落下しながら寮棟の壁を蹴り、掴めそうな場所に手をかけ、速度を殺しながら華麗に着地。

 そして、体勢を起こしながら踏み出した足が大地をえぐり、その一点を中心とした盛大な地割れが周囲を舐める。

 途端、爆発のような音と噴煙が後方に向かって吐出され、ステラは弓から放たれた矢のごとく走りだした。

 文字通り風のような早さで駆け抜ける黒と茶色の疾風に、すれ違う学生達が何事かとぎょっと目を丸くするが、無論、ステラは気にも留めない。

 目指すは本塔の食堂―――――の厨房。

 滑りこむように到着したステラの姿を見て、もはや描写するのも煩わしいほどに典型的な反応で驚く厨房のコック達。

 だが、その中で一人だけ、巌のような顔を顰めて、やってきた少女を睨めつける男がいた。

 

 

 

「やいやい、我らの黒姫。なんだ朝から騒々しい。悪いが、今は相手できるほど暇じゃねぇぞ!」

 

 

 

 ぐつぐつ煮立つ鍋をかき回しながら、そうステラに怒鳴りつける男。

 彼こそが、このトリステイン魔法学院の厨房を取り仕切る職人、マルトーであった。

 男らしさにあふれた巌のような顔つきに、丸太のように太い腕。

 まるでゴーレムがそのまま人間にでもなったかのようながっしりした体格に、腹の底まで響く低い声。

 だが、意外にも細やかな気配りと部下思いである彼のような男を、いわゆる"親方"と呼ぶのだろうとステラは思う。

 なにより、これまで食べたこともないような美味しい食事を、その逞しい腕でいくつもいくつもつくり上げるその腕前は、ステラからすれば立派な魔法使いだ。

 その事を言ったら、ますます美味しい食事をくれたので、ステラの中で彼に対する好感度はルイズの次に位置しているといえば、どれだけ懐いているかわかるだろう。

 

 

 

「おはよう、マルトー、みんな。唐突だけど、おたまと鍋を貸してくれる?」

「いきなりなんだ、全く。おい、黒姫に使ってない奴貸してやりな」

「へい!」

 

 

 

 およそ貴族達に料理を提供する立場の者とは思えない粗野な遣り取りであるが、もともと、マルトーは貴族嫌いを公言して憚らない男だ。

 出会った時から「魔法如きで威張り腐るのが気に入らねぇ」と貴族をこき下ろし、それどころか「奴らに俺以上にうまい飯が作れるなら頭を下げてやるがな」と豪語するほどの貴族嫌いである。

 それが何故、よりにもよって貴族ばかりがいるこの魔法学院で料理の腕前を振るっているのかは謎であるが、それでも己の職/食に誇りを持って仕事をしているのだから、誰も文句は言えないのだろう。

 腕前は述べるまでもなく、これまでステラが食べてきたどんなものも、全部が全部食べ物と称することすらおこがましく思え、もはや彼の料理なしに生きるのは壮絶な拷問とすら言っていい。

 大胆かつ繊細、剛毅にして繊細。まるで炎と氷のように真逆のものを極限のバランスの中に落としこむ様は、ステラに思わず「魔法みたい」と言わしめた。

 それが、マルトーが一発でステラを気に入る殺し文句となり、こうして突然現れては無茶苦茶な頼み事をされても返事一つで応えてあげる状況につながっている。

 

 

 

「そんなもん、なんに使うつもりだ我らの黒姫よ」

「ルイズを起こすの。これが由緒ある起こし方なんだって」

「……まぁいい。後できっちり返しに来るんだぞ。あと、壊すなよ!」

「うん。ご飯、楽しみにしてるね」

「おう、たんまり用意しておいてやる!」

 

 

 

 腕を組んで漢臭い笑みを浮かべるマルトーに軽く頭をさげ、ステラは元来た道を引き返す。

 生まれる疾風の余波に飛ばされぬようコック帽を抑えながら、ステラの残したセリフに嬉しさを堪え切れない様子で、マルトーは口元を緩ませるのだった。

 

 

 再び、寮棟の壁を駆け上るという非常識な方法でルイズの部屋へと戻ってきたステラは、案の定布団にくるまってスヤスヤと睡眠という惡魔に囚われたままである主の姿を見て、改めて覚悟を決める。

 "やり過ぎて"借りてきたものを壊さないように最新の注意をはらい、鍋とお玉を頭上に掲げる。

 そして、一息を吸い込むと。

 

 眠れるグリフォンですら慌てふためいて飛び起きるような、とんでもない騒音が部屋を満たした。

 

 これまで聞いたこともない、その金属と金属の大合唱に、さしものルイズとて安穏と朝の惰眠に浸り続けることはできなかったらしい。

 くるまっていた布団を蹴っ飛ばし、寝間着が捲れる事にも気づかず飛び起きると、近くにあった枕を抱き寄せてキョロキョロと忙しなく首を巡らせる。

 半分眠気眼だが、しっかりと状況は認識できているらしい。ようやく騒音の現況である己の使い魔の姿を見ると、一瞬だけギョッと目を見開く。

 ステラもまた、ルイズと目が合ったことを合図に、盛大にかき鳴らしていた鍋とおたまを下ろした。そして、狙いすましたかのように小首を傾げて一言。

 

 

 

「おはよう、ルイズ」

「…………えぇ、素敵な朝ね、このアホ使い魔!!」

 

 

 

 しばしの沈黙を経て、脳が状況を正確に把握したのだろう。見開いた目がすぅっと細められ、そしてヒクヒクと口角を痙攣させながら、ルイズは素敵なオーケストラを披露してくれた使い魔にたっぷりのリップサービス/嫌味を載せて返す。

 しかし、その婉曲的な主張を、コミュニケーションにおける経験値が圧倒的に不足しているステラが汲み取れるはずもなく、むしろルイズから褒められた&朝のお仕事を果たせたのダブルコンボで内心満足感でいっぱいである。

 得意満面とばかりに、その普段の無表情さを忘れさせるほどにんまりと笑みを浮かべる使い魔に、ルイズは二の句が継げなかったのは言うまでもない。

 

 

 

「ルイズ、着替えは昨日と同じのでいい?」

「えーもーすきにしてちょーだい」

「下着も? ……でも、こんなにスケスケなの、ルイズには似合わないよ?」

「うぁらっしゃぁ!!?」

 

 

 

 淑女にあるまじき声が漏れた気がするが、気のせいである。

 電光石火の早さでベッドから飛び降り、使い魔の手から"何か"を奪い去った気がしたが、それも気のせいである。

 ふーっ、ふーっと鼻息を荒くし、顔を熟れに熟れた林檎のように真っ赤にしながら布団を引っ被る主の姿にも動じないステラは、ある意味従者の鏡といえるだろう。

 まぁ、それとてピントのズレた感性によるものであり、従者の理想とされる心境からは程遠いものであるのだが。

 ともあれ、"アレ"はダメだ、と判断できるくらいの理解力は持っている。ステラはこんもりと妖怪じみた何かとなった主を尻目に、今度はなるべく"おとなしめ"の下着を探した。

 

 

 

 

 

 

 一騒動あったが、残念ながらステラの召喚からこっち、ルイズの朝は毎日このように慌ただしい。

 ステラとしては不本意な結果になってしまっているが、どうにもまだ"ルイズとの間にある価値観の齟齬について、まだ摺合せできていないのでは"とあらぬ誤解をしている辺り、平和な朝の訪れはまだまだ先と言えた。

 ともあれ、それでもきっちりと仕事をこなすあたりがステラの気質の現れだろう。

 ルイズに言われた通りのことをこなし――程度や手段がアレではあったが――て、毎日"使い魔/従者"としての役目は全うしているのだ。

 故に、ルイズもあまり大きな態度で非難することはできずにいた。それが日々、小さな発散不可能のストレスと成って、夜の大爆破へとつながっているのは自覚している。

 まだまだ、一人前のメイジには程遠い己の姿に、ルイズは毎朝大きな溜め息を吐くのだった。

 

 さて、もはや恒例とかした朝の出来事を経て、主が糊の効いた真っ白なブラウスに、ステラのソレに負けず劣らずの挑戦的なミニスカート、貴族の証であるマントと学院生を表すブローチという標準的なトリステイン魔法学院生の格好になれば、その日におけるステラの朝の仕事は終わったと言ってもイイ。

 この後、食堂へと向かい朝食。そして、それからが"昼"の仕事だ。

 

 陽光が廊下を満たし、やわらかな暖かみが徐々に朝の静謐な空気を塗り替える。

 そんな人の匂い溢れる空間を歩くだけで、ステラはその慎ましい胸のうちに言葉にしがたい何かが満たされるのを感じる。

 ソレがいったい何なのかは未だに分からないが、だがそれは心地良いものだった。あるいはコレが、平穏というものなのかもしれない。

 そんな思考を走らせる使い魔を忌々しげに睨め上げるのは、言うまでもなく主のルイズである。

 此処数日、この使い魔のせいで気の休まる隙がないルイズにとって、こうして脳天気に日々を謳歌している使い魔は、その、なんというか腹立たしくもあった。

 

 私がこんなに苦労してるのに、こいつときたら……!

 

 それがただの八つ当たりであることは理解しているし、口にもするつもりはないが、それにしたって少しくらいはこの不幸を分けあってもいい気がする。だって使い魔だし。使い魔は主と一心同体っていうじゃないの。

 ふと、ルイズは先日の一見を思い出し、そのことについて注意してなかったことも含め、ここでしっかりと言い含めておくことにする。

 

 

 

「ステラ、今日もミスタ・マルトーに食事をもらうだろうけど、こないだみたいなみっともない真似は絶対にしないこと!」

「ご飯は残したらダメだよ?」

「食べ切れるだけ食べてるから私はいいの!」

「でも、マルトーはせっかくご飯を作ってもみんな残すって怒ってた」

「そういう輩との違いもしっかり考えなさい。それよりも、アンタよアンタ!」

「私? しっかり食べてる。マルトーも喜んでた」

「そうじゃなくて――――だいたいね、アンタは遠慮なさすぎ! いくら学院長が許可したからって、モノには限度ってものがあるのよ。使用人達の食事まで食べ尽くしかけたって聞いて、私卒倒しそうに成ったんだから!」

「でも、マルトーは全部食べていいって言ってたよ?」

「それでも皆の分まで食べちゃダメ!」

「……ダメ?」

「だ・め・で・すッ! 当たり前でしょ! アンタが食べたいように、周りの皆も食べたいかもしれないって考えないの?」

「……そっか。うん、そうだね」

「それが気遣いだし、その程度の気遣いもできない人間はただの礼儀知らずだわ。アンタはこの私、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔なんだから、ソレに相応しい礼儀と気品を身につけてもらわなきゃ困るの。今後気をつけなさいよね」

「気をつけてるんだけど……難しいね、人間の文化って」

「……どこの山奥からやってきたのよホントにっ」

「研究所/ラボは地下だから、山奥じゃないよ?」

「バカにしてんのアンタ!?」

 

 

 

 ……と、まぁ、そのような他愛のないことを考えて歩く主従二人であったが、どちらも自分達を客観的に見た場合の事は何も考えていなかった。

 ルイズは、黙ってさえいればまさに妖精の姫と称してもなんら大袈裟ではないほどに可愛らしく、また美しい。

 緩やかなウェーブを描くストロベリーブロンドに、ステラの無駄に高度な知識と無駄に洗練された技術によって此処数日磨きに磨きぬかれたキューティクルは、わずかに射し入る陽光を浴びて天使の輪を描き出す。

 鋭い眦とツンとした鼻、意志の強さを感じさせる鳶色の瞳に引き結ばれた淡く桃色に彩られた小振りな唇と、その幼い容姿の魅力を十二分に引き出す様は、本人がいくら望んでいなかろうと可愛らしいお姫様といった風情を醸し出してた。

 対するステラは、お世辞にもコケティッシュとは言い難いが、それでもどこか息を呑むような涼やかな雰囲気を持つ美少女といえる。

 どこか眠たそうな無表情に、スラリと伸びた手足。佇まいはどこか茫洋としているのに、しかしどこにも"隙"というものがない。その姿は、言うなれば無垢な水晶のようであった。

 迂闊に触れれば壊れてしまうのでは、と思わせる儚さの中に得も言われぬ魅力を孕んでいて、さらには時折見せる無邪気さ、あるいは無垢さが、人の奥底に眠る庇護欲を逆なでするのだ。

 揃って部屋を出て、食堂へと続く廊下を、他愛のないボールのぶつけあいを交わしながら歩くルイズとステラは、それぞれ"動"と"静"という対照的な美を持った、お似合いの主従といえた。 

 黙っていれば、二人共溜息が漏れるような佳人なのだ。

 それは、道行く生徒達――の中でも男子生徒の連中が、たとえ相手が学院一の問題児であろうと一度は視線を奪われるほど。そして、少なからずの生徒が、それでもとルイズに羨望の思いを抱いているのもまた事実で、二人が廊下を歩くだけで、あちこちから衆目を集めてしまうのは当然といえよう。

 確かに、ルイズは学院においても屈指の問題児だ。

 "魔法の成功確率ゼロの落ちこぼれ"が代表的な称号であるが、しかし裏を返せば、ソレ以外においては他の陰口が出ないほど優秀である事を意味する。

 翻してしまえば、"結婚相手"として鑑みれば、ルイズは相当な狙い目といえるのだ。

 なにせ家格は最高峰の一家、であるが魔法の才がない故にその"価値"はかなり低く、それでいて基礎的なスペックは非常に高い。

 無論、魔法の才能がゼロであることや性格、体格などマイナスとなりうる要素もあるが、それとて個人の趣味嗜好の範疇だ。

 故に、ルイズの性格を知らない連中や、知った上で惹かれている物好きなどの視線は、悪意ある連中とともに常日頃から在るのである。多くが逆玉的な下心を土台としたものであるが。

 そんなルイズの傍に、春の恒例行事以降、主人に負けず劣らずの美貌を備えた少女が付き従うようになれば、否応にも注目度は高まるのもまた道理。

 ただ、そんな話題の渦中にある主従二人は、揃いも揃って噂話に疎く、また、他人の視線というものに無頓着であった。

 ルイズは言うまでもなくその唯我独尊な性格からであるし、ステラの場合は単純に気が付けないだけである。

 特にステラは、なにせ数えるのが馬鹿らしくなるほど長い間、コミュニケーションレスだったのだ。そもそもが、人間が普段どういったコミュニケーションを取るのかさえ理解しきれていないのに、況や噂話をや、である。

 ここまでくればお分かりだろう。

 この二人、とんでもなく近寄りがたいのである。

 触れれば否応もなくそのピンク頭の問題児に爆殺されそうな――――それは言い過ぎにしても、とにかく何か近寄るのを躊躇わせる雰囲気が二人の周囲にはあり、ソレがあたかも防波堤のように機能しているためだった。

 そういうわけで、周囲からの好奇な視線に晒されながらも誰も近寄らない、まさに傍から見れば腫れ物扱いである二人に近付く人間は、誰一人として例外なく勇者とされる。

 そしてふたりの朝には、決まって一人―――あるいは二人の勇者が現れるのだった。

 

 

 

「あらぁ、イイ朝ね、ヴァリエール?」

「……ええ、そうね。いまついさっきまでは、だけど」

 

 

 

 声に惹かれてステラが顔を上げれば、その視界を紅蓮一色が染め上げた。

 そうと形容する他ない、見事な赤髪を翻らせてルイズの前に立ちふさがる人影が一人。

 立ち止まるその反動で二つの豊満極まりない、いっそ暴力的とすら言える果実がたぷんと幻聴さえ伴って揺れ、隣の芝生効果に加えて互いの家柄関係も加味して、ルイズの思考を憤怒に染めかける。

 褐色のスラリと伸びた肢体は肉感に溢れ、まるで殿方の視線こそが栄養と言わんばかりに、惜しげも無くその素肌を晒している。

 だが、そのアピールはどれも下品スレスレで、決定的な一線を超えないもどかしさを以って、この学院の男という男の血潮滾らせる。そう、誰一人として例外なく。それが、彼女の自慢の一つでもあった。無論、トリステイン貴族の少女達に大きな反感を買っているが、知ったことではない。

 たしか、名はキュルケ。

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。

 ルイズ曰く、"淫靡が布を纏って歩くような存在"という、ステラに大きなカルチャーショックを与えた人物。

 何故か、毎朝ルイズの前に立ち塞がり、軽口を交わしながら食堂へ向かう不思議な間柄の女性。

 それが、ステラの持つキュルケという人物像だった。

 どうやらこの日も、例に漏れず日課をこなしにきたらしい。

 そして、ステラがこれが"友達"というのだろうか、と変な方向に思索を飛ばしている間にも、二人の"恒例行事"は続いていた。

 

 

 

「なによ、素っ気ないわねぇ。こんなにイイ朝なんだからもっと爽やかにいかなきゃ」

「うっさいわね。用がないならどいてツェルプストー。その無駄な脂肪の塊みたいに邪魔なのよ」

「フフン。持たざるものの僻みはみっともなくてよ、ヴァリエール。そんなことだから、ウチのご先祖様にことごとく恋人を捕られるのよ」

「はぁ!? 淫売の恥知らずの家が偉そうにッ! 横恋慕なんて卑しい真似を堂々とやるだけでなく、次から次へと取っ替え引っ替え異性に尻を振るような尻軽一族が随分と上から目線で言ってくれるじゃない!」

「あら、殿方なら好色は立派な甲斐性だし、女性ならそれだけ魅力的であることの証左でしてよ? どこぞのどなたみたいに、尻を振っても振り向いてくれないヒステリック一族には理解できないでしょうけれどぉ?」

「ぬぁんですってぇ?!」

 

 

 

 勇者、ツェルプストーと呼ばれた赤毛の美女は、その豊満な胸を魅せつけるようにして、実に楽しそうにルイズを煽る。ルイズは、意図も容易くその煽りに乗せられて、既にその顔は恥辱と憤怒で目の前の怨敵の髪と同じくらい真っ赤に染まっていた。

 彼女、キュルケはルイズの級友であり、故あって古くからルイズの実家と対立しているツェルプストー家の娘だ。

 元はゲルマニア出身であり、現在は留学という形でこのトリステイン魔法学院に在籍している。

 当初は二人の関係を知る貴族達からすわ戦争かと心配されたものだが、さすがに二人の実家共々そこまで阿呆ではない。冷戦状態に等しい小康を保ちつつ、しかしながらこの学院という小さな戦場においては、幾度と無く矛を交える――ルイズから見て――不倶戴天の怨敵。

 そんな二人が、なぜこうも毎朝飽きもせず舌戦を交わすのかといえば――――何の事はない。同じく食堂に向かう道すがら、たまたま合流してしまうだけのこと。

 まぁソレ以外にも、キュルケ自身がルイズをからかうのを楽しんでいるという面も大きいのだが。

 ともあれ、こうなると長いのは、ステラも此処に来てから短い期間であるが、経験上よく理解している。

 なので、手短に「ルイズ、私先に行くね」と伝言を残し、激しい舌戦を繰り広げる主従を残し、一人足早にその場を去るのだった。

 

 

 

 

 



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二節

 

 

 

 

 

 朝食をマルトーら使用人達と共に終え、その日の授業の始まりを知らせる鐘が鳴れば、ステラのささやかな昼の仕事が始まる。

 なお、この日は先にルイズに言われていたことを守り、食べる量を控えめにしたら、やたらとマルトーに心配された。

 理由を話せば「そんなつまらない事気にすんな! 昼からは腹いっぱい食え我らの黒姫!」と盛大に背中を叩かれた。

 なので、ちょっぴり機嫌がいいステラは、あまり好きではない昼の仕事にも、それなりに楽しく励むことができたといえる。

 

 朝食を終えて寮まで戻ってくれば、言うまでもなくルイズの部屋の掃除だ。

 ベッドの乱れたシーツ類を取り替えて手早くベッドメイクを行い、バケツとモップ、雑巾にその他もろもろを用意して、年季の入った部屋を隅々まで掃除する。

 この時大きく活躍するのが、先日シエスタから貰った小瓶だった。正確に言えば、その中にある半透明の液体である。

 ひどく頑固な汚れがあれば、そこにこの液体を一滴垂らし、後は布で擦るなりするだけで直ぐ様新品のような美しさに戻るのだ。

 木材に効果が無いのが残念といえば残念だが、それを補って余りある利便性が在る。 

 シエスタの話を聞く限りではそれなりに高価な代物のようだが、この学院での給金の良さを鑑みれば大したことはないらしい。ある意味、この学院における必需品でも在るのだから、使用人の皆は必要経費と割り切っているのだそうだ。

 ともあれ、貰いっぱなしが良くないことは、ステラの知っている数少ない常識に含まれている。

 そんな気を使わなくていいと、頑なに返礼を拒むシエスタに対し後日必ずお返しをすることを約束しているステラだが、実のところその返礼の品をどうすべきかは、まだ決まっていないのだが。

 

 そうしてアレコレと思案しながらも、ルイズの机周りや衣装棚の整理、今朝持ってきた洗濯物を収納し、おおよそ使用人が為すべき仕事のほとんどを行うと、掃除の仕上げに濡れた箇所の乾拭きを終え、最後に掃除中に学院の警備課から届けられたルイズ宛の郵便物を整理して机の上に置いておけば、昼の仕事は終わりだ。

 この後は、昼食まで自由時間である。

 ステラは掃除の後始末を終えると、身につけていた使用人の服から召喚当初の黒尽くめの格好へと着替え、いつもの様に"窓"から外へと飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麗らかな日差しの下、さて何をしようかと思案するステラ。

 昼食まで、まだ数時間は在る。

 それまでの間、ステラがすべき事で特にコレと決まったものはない。

 ルイズの授業にひょっこりと顔を出すこともあれば、使い魔達が集う場所に行って交流を図ったりもするし、気まぐれにシエスタの手伝いや、学院の屋根でひたすら日向ぼっこをすることもある。

 つまりは、単純にその日の気分次第であり、その気まぐれっぷりからいつしか、ステラは学院のあちこちで"ヴァリエールの黒猫"と呼ばれつつあった。

 そんな黒猫様の本日の行動は、今まですっかり忘れていた愛車/トライクのメンテナンスである。

 先ほどの掃除中にふと、召喚日の翌日にコルベールに預けたままずっと放置してきたのを思い出したのだ。

 色々とカルチャーショックやら人類との出会いで浮かれきっていたこと等、様々な要因があったので仕方ないといえば仕方ない。

 とはいえ、あまり長い間メンテナンスを怠るのは良くないし、召喚による影響がないとも言えない。実のところ、召喚されてからは文字通り放置していたため、試運転もまだなのだ。それ故に、今日は愛車の様子を見るついでに軽くメンテンナンスをしようと思い立ったのだった。

 

 ステラがやってきたのは、学院の五つの塔のうちの一つ、火の塔――――の脇にある掘っ立て小屋だ。

 家主はここトリステイン魔法学院きっての変人教師、ジャン・コルベールである。

 普段は生徒の誰一人として寄り付かない独身教師の城だが、春の使い魔召喚の儀式から来客が一人増えた。言うまでもなくステラである。

 

 

 

「先生、いる?」

 

 

 

 立て付けの悪い扉を遠慮無くノックして、ステラは抑揚がないのによく通るという奇妙な声で訪問を告げた。

 ややしばらくして、バタバタと慌ただしい物音とともに何かが崩れる音、短い悲鳴、さらにもう一度物音がして、ようやく扉が開く。

 いつの間にかコルベールに対して先生と呼ぶようになっているが、これはステラ自身、コルベールという人間に敬意を払っているからだ。 

 ルイズ達のようなこの学院の生徒達が呼ぶ儀礼的な意味ではなく、真の意味での"人生"の先達に対する純粋な敬意から来ている。

 そのため、当初は戸惑うばかりであったコルベールも、その真意を聴いてからは快くその呼称を受け入れていた。

 

 

 

「おや、ステラ君。いらっしゃい」

「今、大丈夫?」

「あぁ、ちょうど調合が終わってね。今は成分の抽出中なんだが……」

「入っても平気?」

「はは、やや散らかっているがね。さぁ、入り給え」

 

 

 

 最近覚えた儀礼的な挨拶をたどたどしく返しながら、ステラはコルベールの案内にしたがって、掘っ立て小屋の中へと入っていった。

 コルベール自身、小屋の中を散らかっていると表現したが、事実、小屋の中は実に"雑然"としていた。

 控えめに言っても散らかっている、で済むだろうか。

 足の踏み場が無いとまでは言わないが、しかしそこかしこに書物や物が散らばり、積み上がり、押し込められている。仮にこの部屋のスケッチを頼もうものなら、画家の毛髪をものすごい勢いで擦り減らした挙句筆を折らせてしまうかもしれない。そのくらいに、酷く散らかっていた。

 ただ、ステラはそれを気にした風でもなく、ひょいひょいと障害物を華麗に回避して、ちゃっかりと自分の座るスペースを確保している。実に慣れたものだった。

 無論、どうして慣れているかなど言うまでもないだろう。さらに補足すれば、ステラはこの小屋に来るのはまだ三回目であり、この学院の生徒がその程度でこの雑然としたお手製迷路をスイスイと動けるかと言われれば、誰もが否定するのは間違いない。

 コルベールは、最初こそ申し訳無さそうな顔をしたものだったが、しかしなんら気分を害した様子のないステラを見て、小さく安堵の息を漏らした。

 それは微苦笑と成って現れ、同時に客人に対してなんのもてなしもないのは人として、ひいては生徒に対する教師としていかがなものかと思い立ち、自身が普段愛飲しているお茶を用意する。

 

 

 

「独特な風味で少し飲み辛いかもしれないが、飲むかね?」

 

 

 

 茶葉をビーカーに入れ、軽く振りながら尋ねるコルベール。デリケートさが欠片も無いその気遣いは、しかしステラが相手であった事が功を奏した。

 

 

 

「うん、飲む」

「カップがないので、ビーカーでも大丈夫かね? あぁ、無論これは飲料用だが」

「平気。私も普段、それで飲んでた」

「そうか。それは―――うん? 普段?」

「私も、召喚される前は研究所で暮らしてた」

「ほほう」

 

 

 

 研究所、という言葉に敏感にコルベールが反応したのは、至極当然だろう。

 意味合いとしては二つあるが、端的に言えば好奇心と仲間意識だ。

 無論、ステラもそれを感じ取ったからこそ、コルベールが先を促すよりも先に話を続ける。その間、コルベールは手際よくお茶の準備を進めている。

 

 

 

「意外?」

「否定すれば嘘になる。詳しい事情を聴いても?」

「研究内容の詳細は話せないけど」

「それは残念だ。しかし、事情くらいは知っておきたい。なにせ、ステラ君はミス・ヴァリエールの使い魔であるし、今は私にとっての生徒であり、同時に大切な仲間だからね」

「……」

 

 

 にへら、と。

 コルベールの言葉の何が嬉しかったのか―――ステラははっきりとわかるほどに、無言で相好を崩す。

 それはあどけなく、無垢で、そしてなにより喜色に溢れたものであったからか、コルベールは一時見惚れてしまった。

 

 そこで、極短い時間でお茶が出来上がる。水はもともと沸かしていたものがあったのと、そのお茶があまり長い時間蒸らすような種類ではなかった故だ。

 慌てて茶葉を取り除くコルベールだったが、その際、勢い余って普段のように魔法を使わず、熱せられたビーカーを直に触ってしまった。

 「あつっ」と慌てる姿を見て、ステラが今度は静かに笑いを零す。嫌味のない、子供が嗤うような純粋なものだった。

 それに気分を害することもなく、恥ずかしいところを見せてしまった事への苦笑を浮かべつつ気を取り直したコルベールは、今度こそ慎重に魔法【レビテーション】を用いてお茶をビーカーへと注ぐ。

 普通のお茶であれば、もう少しゆとりをもって準備できるのだが、コレは先ほどコルベールが言ったように独特の風味があり、通常のお茶のように淹れてしまえばそれが殊更得も言われぬエグミとなってしまう。そのエグさは愛飲しているコルベールでさえ渋い顔をするほどである。

 まぁつまるところ、このお茶を上手(飲めるよう)に淹れられるのは、この学院でコルベールただ一人なのであった。それを披露する相手がステラしかいないというのが、実に寂しいし、せっかくのその機会だというのに、カッコ悪いところを見せてしまって残念極まる。

 意気消沈するコルベールだったが、ステラはその"作業"を眺めながら構わず話を続けた。

 

 

 

「私は、世界の環境を再生したかったの」

「環境――――それはまた、なぜ?」

「当時は壊滅的だった。生態系がグチャグチャで、絶滅した動物も多かった。それを何とかしたくて」

「……詳しく聞いてみたいところだが、それは今度にしよう。しかし、それはとても時間がかかることだと思うが」

「時間はたくさんあったから。でも、成功はしなかったかな」

「……中断させてしまったのならば、ミス・ヴァリエールを責めないで貰えないかね?」

「ううん、そうじゃない。もともと、できなかったの。だから、諦めてた。生きることも」

 

 

 

 コルベールを見つめる青い瞳には、ただ悔恨の一文字しか無い。

 昏く、冷たく、凍えそうな青い瞳の語る"苛み"が、その絶望の片鱗をコルベールへと叩きつける。

 それは、彼にとっても身に染みてよく分かる心理だった。故に、彼女に返す言葉を持たない。

 人が生きる事を諦めるというのは、言うほど簡単なことではない。

 本能というものは、訓練しなければ到底制御できるものではないし、それとて完全ではないのだ。ましてや幼い――外見だけの話ではあるが――ステラであれば、とコルベールは嘆息する。同時に、このような少女がそうなってしまうというのは、一体どれほどの挫折と苦悩を味わったのかと。

 見た目にそぐわぬ経験が、まさかその年齢に比例したものだとは気付けないコルベールであるが、それでも薄っすらと、目の前の少女はもしかすると、あのオールド・オスマンと似たような存在―――長い年月を過ごした存在なのかもしれない、と感じ取る。

 

 

 

「……そこを、ミス・ヴァリエールに召喚された、と」

「うん。だから、ルイズには感謝してる。彼女のお陰で私は、また頑張ろうって思えたから」

「それは、また何故?」

「もう一度、人類に会えた」

 

 

 

 間髪を入れずにそう応えるステラ。

 その瞳には、今度は喜色が灯る。

 先ほどの仄暗い深淵の底のような青ではなく、揺蕩う篝火のような微睡みの青だ。

 今はまだ、それでいいのかもしれない。いつしかそれが、天を照らす太陽のように暖かくなることを、コルベールは切実に祈るしかなかった。

 

 

 

「うん――――ぅぇ」

「はは、少し苦味が強かったかな。慣れると、これが癖になってね」

 

 

 

 顔を盛大にしかめて舌を出すステラが微笑ましく、コルベールは思わず笑みをこぼす。

 もっと詳しい話を聞いてみたいところでは在ったが、それは今度にすべきだろう。そこに至るにはまだ、ステラとコルベールの間にはもどかしい距離があった。

 代わりに、コルベールは思い出したように話を変える。そもそも、当初の目的は別のことだったはずだ。

 

 

 

「そういえば、今はミス・ヴァリエールは授業中ではなかったかな?」

「フェンリルを見に来たの。メンテナンスしてなかったから」

「おお、そうか。それは失礼したね」

「ううん。お茶、ありがとう。でももういらないや」

「はは、それは残念だ」

 

 

 

 おどけるように、「うぇっ」と舌を出しながら顔をしかめるステラ。時折こうして見せる無邪気な仕草が、コルベールにとっては好ましい。

 二人は連れ立って小屋を出ると、その裏手に回る。

 そこには簡易の倉庫のようなものが作られており、扉を開ければ中には鋼の馬―――ステラが乗ってきたトライク"フェンリル"が安置されていた。

 コルベールがすぐに近くにあったマジックランプに魔力を込めると、部屋には淡いクリーム色の光が灯った。

 全部で四つ。部屋の四カ所に設置されたそれらは、まんべんなく倉庫中央にあるトライクを照らし出す。

 久しぶりに見る愛車の姿は、ステラの想像していたものとは随分違っていた。

 車体にはあちこち泥や汚れがあって、かなりの年季を感じさせるモノだったはずなのだが、見た目には新品同様に綺麗になっている。

 さすがにフレームやパーツごとに欠けた部分、凹んだ部分など直しようもない部分はあるが、それでも全体的に光をまばゆく反射し、見る角度によっては新車そのものだ。

 

 

 

「あれ? 全然汚れてない?」

「あぁ、外装は【コンデンセイション】と【ウインド】を使って掃除させてもらったよ。内装に影響がないようには気をつけたのだが、まずかったかね?」

「ううん。土砂降りの中走っても全然平気だから、掃除くらい問題ない。バラしてなければ」

「なら大丈夫だろう」

「どのくらい見たの?」

「いや、まだ簡単に外装を取り外せた部分を観察しただけだ。下手に触るとまずいかと思ったのでね」

 

 

 

 コルベールが言った二つの魔法は、前者が大気中の水蒸気を集約したり、あるいは水分そのものを集める魔法であり、後者は文字通り風を吹かせる魔法だ。

 二つを応用して洗車したというのなら、これだけ綺麗なのも頷ける。もしかしたら、ステラが持つあの半透明の液体のような洗剤のようなものも使ったのかもしれない。

 とりあえず、外装に異常はないようなので、ステラは軽く車体の確認を済ませ、早速てきぱきと愛車のメンテナンスに取り掛かった。

 バックコンテナからアレコレと必要なものを取り出しては床に広げ、手際よく外装を剥がし、とたんに黒い鋼の馬を丸裸にしていくステラを、コルベールは興味深そうに眺める。

 ソレに気づいたステラは、軽く振り返りながら尋ねた。

 

 

 

「作業、見る?」

「良いのかね!?」

「うん。簡単な原理とかなら、先生でもすぐ理解すると思うから」

「それはもはや答えを言うまでもないだろう!! 是非ともご相伴にあずかりたい!」

 

 

 

 使っている言葉がおかしくなっているが、言うまでもなくコルベール自身のテンションが最高潮近くまで高まったためである。

 その剣幕に少しだけ目を丸くするステラだったが、すぐに相好を崩して「じゃ、手伝って」と、鈍く輝く六角レンチを手渡すのであった。

 無論、この瞬間においてコルベールの脳内から、ステラが訪れる前に行っていた作業――とある魔法薬の成分抽出のこと――など思考の外へとはじき出されてしまっていることは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、午後の授業のために無い後ろ髪を引かれながらコルベールが小屋を去ってからも、ステラは黙々と愛車の整備を続けた。

 驚いた事に、トライクの状態はステラが想定したよりも―――というより、その想定が無駄になるくらい"綺麗"なままだった。

 召喚される前にある程度乗り回していたため、それによる消耗こそあったものの、こちらに来てから懸念していた消耗や故障はは何一つなかったのである。

 その理由として、コルベールがそれだけ丁重にトライクを扱ってくれていたからでもあるが、それに加えて掃除のついでにコルベールが【固定化】と呼ばれる魔法をかけたからであった。

 なんでも"物質の酸化や腐敗を防ぎ、あらゆる化学反応から保護される"という効果を持つらしいが、それが一体どういったプロセスでもって成り立っているのか、使っている側もよくわかっていないらしい。

 ステラはその場で数通りの仮説を思いついたのだが、深くは考えなかった。

 

――――だって魔法だし。

 

 ここ数日でステラが得た、数多くある教訓/常識の一つである。

 

 ともあれ、整備はなんらトラブルなく終わった。

 外装を全て元通りに装備し、軽く試運転を行ったところなんら問題はない。

 燃料は――――さほど心配するほどのことでもない。極端な話、水さえ確保できればそれでどうにかなる。

 

 油で汚れた顔を布巾で拭いながら片付けを終えた頃になると、既に太陽は地平線の向こうへ沈む方向に傾き始めていた。

 そして、朝に別れて以来顔を見ていないルイズのことを想い、ステラは決して小さくない寂寥感を覚える。

 作業に没頭していたが故の結果であるが、感情はそれで納得できるものではなかった。

 唐突に胸に去来する切なさは、この世界に召喚されてから頻繁にステラを蝕む。

 それは徐々に我慢のきかない欲求と化し、ステラの手を若干どころの話ではない勢いで加速させる。

 しっかり後片付けを終えたステラは、大急ぎでコルベールの小屋を後にする。もはや、居ても立ってもいられないほどに、ルイズに会いたかった。

 

 だが、扉を開け、一目散に本棟の方へと駆け出さんとしたその時である。

 

 ステラは踏み出した足を止め、素早く振り返った。

 視線―――敵意はないが、何故かこちらを観察するような様子で見られている。

 ソレが何であるか確かめるべく視線を投げるが、既にその犯人はいなかった。

 その場に隠れたのか、あるいは既に移動したのか。

 慎重を期すならば確認しに行くべきであろうが、敵意はない。それ故に、今のステラにとって最も優先すべき事項と天秤にかけた時、その警戒心はあっさりと払拭される。

 ここ数日の暮らしで自分がある程度関心を持たれているのはわかっていることだ。今回もそれに類するものだろうと思えば、特段気にするほどのことでもないのかもしれない。

 そう心のなかで言い訳を残し、ステラはあっさりとその場を離れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズはその日、風系統魔法学基礎の授業で、"いつも通り"に失敗魔法による爆発を起こした事により、かなりの量の課題を背負うことに成ったため、それなりに憂鬱であった。

 幸いであったのは、ステラの助言をきっかけに始めた訓練の成果が現れていることが、はっきりと確認できたことだろう。

 一番顕著であったのは、何より"規模を小さく"という"想像"がうまく反映されたことだ。

 普段であれば、地面を抉るなど生易しい規模の失敗を引き起こす【エア・ハンマー】の魔法が、少なくとも大地を軽く焦がす程度に抑えられたのは、望外の喜びと言っていい。

 いままで欠片も認識できなかった"成長"という事実が、如実に現実に成った瞬間だったのだ。

 これが嬉しくなくて何が嬉しいのだろう。

 確かに、未だに自分は系統魔法どころか基礎魔法ですら成功したことはない。例外的にサモン・サーヴァントこそ成功したが、それは文字通りに特別の例外というやつなのだろう。

 ステラが示唆したのは二つ。

 ルイズが行使する魔法の"威力"を操作すること。そして、行使する"対象"をしっかりと補足すること。

 考えてみれば、至極当たり前の話だった。

 何を行うにしても、その"仕事"には"大きさ"と"行う場所"が必要である。

 それすら覚束ないというのに、仕事の内容がうまくいかないと嘆くのは贅沢というものだ。まずは足場をしっかり、土台を固めることから始める。

 ただまぁ、その代償として他の生徒とは比較にならないほどの課題をぶん投げられたのは、その上機嫌を相殺してややマイナス方向に傾かせるに十分な不幸と言えた。

 

 

 

「仕方ない……そろそろステラを捕まえておかないといけないし、一緒に連れてくしか無いか」

 

 

 

 放っておけば何をしでかすかわかったものではない己の使い魔のことを想い、ルイズは一際大きな溜息を吐く。

 悪い子ではないのだが、根っからのトラブルメーカーなのだ、あのステラという使い魔は。

 午前中こそ仕事を押し付けているからある程度大人しくしているものの、午後は文字通り自由の身。幸いにしてここ数日は問題行動がなかったのでルイズの胃がダメージを受けなかったが、精神的に苛まれてしまうのはどうしようもない。

 有り体に言えば、あの常識知らずの小娘が心配で仕方ないのだが、ルイズはそれを意地でも自覚しようとはしない。強情で意固地、という点では実に似通った主従である。

 

 ともあれ、課題をこなすためには資料が必要だ。その資料は本塔の書庫にあり、ルイズ一人で夕食まで篭もるのがベストであるが、使い魔が気になりすぎる。

 であれば、その使い魔の首根っこを捕まえ一緒に書庫まで連行するのが次善の策だろう。

 そう考え、準備を終えたらそのまま捜索に赴くことを脳内の予定に付け加えつつ、しかしその捜索時間が課題をこなす時間よりも多くならないことを切に願わずにはいられない。

 ただ、それは杞憂であったのだが。

 

 課題の内容を示した羊皮紙の紙片を手に、寮棟の自室の扉を開いた瞬間、ルイズはナニか黒い風に煽られ、同時に抱きすくめられていた。

 それが何かを理解する前に、ぐりぐりと頭に何かが擦り付けられる。

 それが額であり、またさらさらと流れる宵闇のような髪を見て、ようやくルイズは自身がステラに抱きつかれているのだと気付く。

 

 

 

「ちょっ、ステラ!?」

「……ルイズ、おかえり」

「い、いいから離しなさいって!」

 

 

 

 慌てて拘束を振りほどき、乱れた髪もそのままに逃げるように距離を取る。

 最近わかったことだが、このステラという使い魔は、スキンシップが過剰だ。それもルイズにだけ。

 下手をすれば唇を奪われるのではないかという危惧すら覚えるほどに。

 悪気があってしているわけではないのが、なおさら質が悪い。

 ともあれ、心配されていたというのは素直に嬉しい事だし、突然のことに戸惑ったとはいえ突き放したままというのもルイズの挟持が許さない。

 気を取り直したように咳を一つ。

 

 

 

「コホン。あのね、ステラ。淑女たるもの、行動には慎みを持たなきゃダメなの。こんな、いきなり相手に抱きつくなんてはしたない真似はやめなさい」

「私、使い魔。淑女じゃないよ」

「ソレ以前の話よ!」

「大丈夫。みんな気にしてない」

「アンタだけだってば! 周りは見てるし、ひいては主人の私がバカにされるの、わかる!?」

「好きにさせればいいのに」

「貴族はそうもいかないって、この前も話したで しょ う がッ!」

「いひゃいふいふ」

 

 

 

 ああ言えばこういう生意気極まりない使い魔の餅のような頬を抓りあげながら、ルイズはとにかく自室へと入った。

 まだ後ろでぶーぶー文句を垂れる使い魔を無視して、まずは必要な道具を集める。

 それを鞄に詰め込んで、ルイズは一度ステラの頭を羊皮紙を蛇腹に折って作ったハリセンで引っ叩き、手を引いて部屋を後にする。無論、鍵はかけ忘れない。

 ちなみに、何故ルイズがハリセンなるものを持っているかといえば、ステラに聞いて実際に作ったからだ。

 ステラがアホ(あるいはトンチンカンな事)を言うたびに手で叩くのは、少女としての慎みのみならず、物理的な反射ダメージがバカにならない。

 かと言って、鞭で打つには憚るし―――と悩んでいたところに、何の気なしにステラが教えたのだ。

 ある程度個気味の良い音(ストレス緩和に有効)であり、それほど痛くなく、かつ明確に相手を叱るにぴったりな代物――――ハリセンの存在を。

 例によってステラが元いた世界にある研究所のデータベースから得た知識であるが、ルイズは存外に気に入ったらしい。ステラを連れているときは必ず常備し、何かステラがおかしなことを言うorすれば、どこからともなく取り出したそれでもって容赦なくステラの頭を叩き倒すのだ。

 あまり痛くはないが、しかしポンポン叩かれるのはあまり気分がイイものではない。

 当然、ルイズに対する物理的な反撃などステラが思いつくはずもなく――時折精神的な反撃は試みるが――、自然とステラはそのハリセンを恐れてか、喜ばしいことに"自粛"という言葉を無事辞書に書き加えることができたのだった。

 

 閑話休題。

 

 その後、向かう先が本塔の書庫だと知って、それまで不満たらたらだったステラが熱い手のひら返しをしたのは、まぁ当然といえば当然だろう。

 ステラは、惚けた普段の様子からは程遠いほどに、とある事に関しては好奇心旺盛だ。

 それはこの世界における常識であったり、歴史であったり、あるいは文化様式であったり多様であるため判別がしにくいが、大別するなら"人類"に対する興味が非常に高い。

 そのため、書庫における数多くの文献はステラの知識欲を刺激してやまないし、無論ステラから見れば、書庫の書物の山は文字通り宝の山に見えた。

 というのも、ステラの世界においては、異星人/エイリアンとの戦争によって多くの文献が失われ、物体としての書物はそのほとんどが灰となっている。

 長い年月をかけて集めたものも、恐らく平和だったその時の量とは比較にもならないほど少量のものだった。

 言い換えれば、その知識の多くは電子の海から引き上げたものであり、書物から得られた知識は数少ない。

 故に、本を読むという行為そのものが楽しくて仕方ない事と、その内容がこの世界における"人類"に関わる事となれば、下手をすれば書庫で暮らしかねないほどに、ステラは書庫を気に入っている。

 初日はそれでひと騒ぎ起こしたため、ルイズ同伴でなければステラは書庫入室厳禁という特例が出されたほどだ。ルイズに叩かれまくってにゃーにゃー喚いていた黒猫が、猫撫で声で甘えだすのも無理は無い。

 

 

 

「さて、私は課題をやんなきゃいけないから、その間静かに本でも読んでなさい」

「うん。わからない所があったら、聞いてもいい?」

「あんまり頻繁じゃなきゃね」

 

 

 

 驚くことに、ステラは既にこのトリステインにおける公用語の読み書きがある程度できつつあった。

 トリステインで使われている公用語を学習し始めたのが、召喚された翌日。

 文字をその日の内に覚え、翌日には意味がわからずとも短文を読めるようになっていた。

 しっかりとした"言語"とは未だ言えないが、しかし、少なくとも幼年期の子供程度の語彙力は既に持っている。

 端的に言って異常であった。学習能力が高いという次元の話ではない。

 確かに、言葉が通じるという点において、これほど異文化言語を学ぶのに最適なアシストはないだろう。

 文法なり単語なり、わからない部分を聞けば理解できるというのは、未知を知る上ではカンニングに等しいとも言える。

 ステラは、そのアシストを最大限に用いると同時に、己の特性をも利用して常識外れの速度で公用語を学んでいたのである。

 残念なことに、もとより秀才であったルイズの下にいるため、その異常さがあまり正しく認識されていないのだが。

 というのも、使い魔が使い魔なら、主であるルイズもまた特殊なのだ。座学主席の肩書は伊達ではない。ただ、実技がそれに伴わない不運に見舞われているだけなのである。

 

 書庫の一角にある机を専有した二人の主従は、それぞれの用事をこなすために別行動を取る。

 ルイズは言うまでもなく魔法学に関する、それも風系統及びソレにまつわる論文を。

 ステラは、かたっぱしから目についた童話や伝記類を積み上げていく。

 言うまでもなく、司書長が嫌そうな顔でそんな本の虫になった二人の主従を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバサ、という少女が、影では"小さな大食女/プチ・グルートン"だの"図書館のネズミ/ラ・ド・ビブリオテック"などと呼ばれているのは、公然の秘密である。

 前者はともかく、後者は暇さえあれば書庫に入り浸る事と、その矮躯でちょこまかと本を探しまわる姿から名付けられたのだが、翻せば書庫の常連という意味でもある。

 となれば、その日もまた、タバサは授業を終えると同時に、常連らしくお気に入りの書庫の一角を陣取り、庶民の年間所得にも匹敵する高価なイスに半分埋まるような形で、ゆったりと本を読んでいた。

 隣にその背丈を上回る古木の杖を立てかけ、ペラリ、ペラリとページを捲る音だけが周囲に響く。

 言うなれば聖域。

 心穏やかで満たされる空間。

 タバサは本を愛している。ひいてはこの書庫をも。

 トリステインが誇る魔法学院のソレは、彼女の故郷に在る国立図書館にも負けない蔵書量を持ち、魔法学に関する書物のみならず、世界中の物語に類する書物も数多く収められている。

 特に英雄譚や冒険譚を好むと同時に、とある魔法薬に関する情報を求めるタバサにとって、この書庫がどれほどの価値を持つかなど言うまでもないだろう。

 故に、"あのヴァリエールの主従"が入ってきた時、思わず顔を顰めてしまったのも、無理はない。

 特にその使い魔は、以前決闘騒ぎを起こした上、この書庫でも結構な騒ぎを起こした子だ。警戒せずにはいられなかった。

 

 しばらくして、読みかけていた本から視線を上げ、それとなく書庫の一角を見やる。

 思わず溜め息が漏れた。

 案の定、と言うべきだろうか。

 一心不乱に課題か何かに取り組んでいる主の方はまだいい。必要と思われる資料を平積みにしているとはいえ、それは数冊だし、仕方のないことだ。ソレに、彼女は後片付けはしっかりする人間である。

 問題なのは、その対面に座る使い魔の少女である。

 乱雑に積み上げられた本の山。果たして中身を理解しているのかどうかすら疑わしいハイペースで、その山はなおも高くなっていく。

 以前の事件で懲りたのか、あるいは主に指導されたからのか。本を投げるような真似こそしないものの、読み終わった本をただ乱雑に積み上げていくのは、見ていて気分がイイものではない。

 あれで後片付けまでしっかりするなら良いだろう。だが、前科故にタバサはまるで信用していない。事実、使い魔の少女は持ってきた本を全部読み終わるやいなや、今度は別の棚から山のように本を集めてきたではないか。

 それを叱り飛ばす主の少女が最後の良心だろう。しぶしぶと周囲に平積みにしてあった本を書架に戻しに行くが、見てみるとその戻し方も乱雑だ。

 ジャンルごとに分けて入るものの、索引を完全に無視した感じで手にしたものを次から次へと片っ端から放り込んでいく。その悪行は、残念ながら自分の作業に再び没頭した主に気づかれてはいない。

 見れば、司書長もまた、額に青筋を浮かべていた。

 本を大切に扱わないこともそうだが、脚立を使わず書架に足をかけて登るなど、常識外れも甚だしい。

 

 もはや、見てはいられなかった。

 

 おもむろに本を閉じて立ち上がったタバサは、立てかけてあった杖を手に取り歩き出す。

 向かう先は言うまでもなく、書架という神聖な大木を無遠慮に穢し続ける不埒者の元だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラとしては、自分なりに片付けているつもりでは在った。

 記憶にある本の並びを懸命に思い出しながら――正直な所、あまり気にせずに本を抜き取っていたのでよく覚えていない――書架へと並べていたのだが、どうやらそれはあまり褒められる片付け方ではなかったようだた。

 

 

 

「それは隣の棚の13段目。この棚じゃない」

「……こっち?」

「そう」

 

 

 

 なんの前触れもなく、いきなり指示を投げかけてきたのは、ルイズよりも更に小さい、青い月光に染まる雪のような少女だった。

 蒼銀の髪に人形のように整った相貌。

 手には背丈を上回る古木の杖を携え、紅いアンダーフレームの眼鏡の奥から、どことなく眠たそうな青い瞳に小さくない怒りを灯している。

 つまるところ、その少女はステラを睨んでいたのだ。

 何故だろう、と悩むと同時に、今さっき指摘されたことを思い出して得心する。

 素直に指示を再度仰げば、鷹揚に頷かれた。

 やっぱり、と内心自分の名推理っぷりを褒めつつ、言われたとおりに本を仕舞う。

 

 

 

「じゃぁこれは?」

「その前に、ルールから教える。下りて」

「……うん」

「返事は"はい"」

「はい」

 

 

 

 有無をいわさぬ迫力は、ともすれば怒り狂うルイズに匹敵している。ステラはソレ以上反論一つすることなく、主よりも小さなその巨人のご高説を、正座しながら甘受するのであった。

 

 

 それからしばらくして、棚の配置の法則、本の並び、書庫における基本的なルール/常識、さらには本の扱い方や本そのものがどれだけ貴重であり、なおかつこの書庫にあるものがどれほどの希少価値を持つのかといった様々な事柄を、文字通り小一時間程に圧縮して詰め込まれたステラは、今や目をグルグル回しながら頭から煙を吹きかねない有様だった。

 己がどれほど無知であったかを思い知らされたという意味もあるが、ソレ以上に平坦な声で滔々と説明するこの小さな巨人の語りぐさの何たる催眠誘導ぶりか。

 思わず眠りかけると容赦なくその手に持つ古木の杖で頭をぶっ叩かれ、強制的に覚醒させられるのだ。拷問とみなしてもなんらおかしくないそれの陰で、後半三十分程は全く眠気を覚えることなく聞き終えることができたのだが。

 ともあれ、小一時間も説教したことで、その小さな巨人は満足したらしい。

 

 

 

「今度から気をつけて」

「はい」

 

 

 

 短く、それでいてはきはきとした返事に満足したのだろう。

 後は自分でやれ、と言外に注げるかのように踵を返すと、少女は静かに歩き出す。

 だが、ステラはその背中を見てふと大事なことを思い出して、気がつけば"本の鬼"――今しがた、ステラの中で決まった彼女の二つ名である――を呼び止めていた。

 

 

 

「あ、ねぇ」

「……なに?」

「教えてくれて、ありがとう」

「……本を大事にして欲しいだけ」

 

 

 

 きっと、この小さな"本の鬼"は、ステラがあまりにも常識知らずで、本を大切にしないから怒っていたのだろう。

 小一時間もの長い間、しかし懇切丁寧に様々な常識を教えてもらったことからも、それは容易に理解できた。

 だが、そういったことをやってくれる人間というのは、そうそういないのだということをステラは知っている。

 無論、そこには何かしらの打算や思惑があるのかもしれない。"人間とはそういう生き物だ"とはかつて教わったことだし、たとえ人間でなくとも、戦争をした異星人/エイリアンでさえそういったことはあったのだ。

 そして、無駄だとか、面倒だとか、普通はやりたがらないことを、それでも積極的にやってくれるというのは、とても有難いことなのだということも、ステラは知っている。

 ましてや目の前の少女は、本が好きだから、ソレを正すためにわざわざステラを叱りに来たのだ。

 

 誰かが、自分のために本気で怒ってくれる。

 

 それはとてもとても素敵で、大事で――――"人間的"なことなのだと、ステラは嬉しくなる。

 だから、ステラは純真に、何の忌憚なく知りたいと思ったのだ。

 この世界で、こんなにも"自分"を見てくれた少女のことを。

 

 

 

「私、ステラ。貴方は?」

 

 

 

 小首を傾げつつ――無論正座は継続中である――そう尋ねるステラに対し、少女は軽く振り返ったまま、じっとステラを見つめた。

 

 

 

「タバサ」

「タバサか。よろしくね」

 

 

 

 雪風の二つ名を持つ少女に、黒猫のような使い魔は屈託なく微笑む。

 この出会いが、いつか、そう遠くない未来において。

 一人の少女を救うための種火であったことを―――――まだ誰も知らない。 

 

 

 

 

 




 あけましておめでとうございます。
 前回の更新から三ヶ月近く間があった?
 いえ、しりませんね、そんなこと(白目

 ともあれ、長らくお待たせしました。
 とはいっても、今回からまだ次回にかけて“溜め”とも言えるお話であるため、なかなか盛り上がりに欠ける静かな話と成ってしまいました。

 次回からはようやく、この物語において外すことのできない“彼”が出る予定です。活躍はまだまださきになってしまうでしょうけれども。ええ、うん、しかたないね。

 次回もまた間が開いてしまうかもしれません。そういうものなのです。ガイ◯ーとかバス◯ードとか狂戦士とかのファンになれば理解いただけるはず。

 次回の更新を今しばらくお待ちいただければ……。
 なお、誤字脱字ご感想は随時お待ちしております。遠慮呵責なく投げつけてしまってくださいませ。
 そして、読者の皆様方に良き幸せの多からんことを。
 



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三節

 ……待たせたな。

 以前、4月末に投稿すると言ったな?
 すまん、ありゃ嘘だ。
 


 ステラがハルケギニアにやってきて、また、ルイズの使い魔というよりも侍従としての仕事を多くこなし始めてから、およそ二週間が経過した。

 この頃にもなると、ステラの存在は学院内のあちこち―――より正確に伝えるなら、"知らぬものはモグリ"と言われるまでに知れわたっていた。

 その特異なミニスカメイド服姿もそうだが、なにより一番の宣伝力に結びついたのは、その常識外の仕事振りだ。

 というのも、ステラは基本的に、先述した基本的なルイズの身の回りの世話の他に、ちょこちょことシエスタの仕事を恩返しという名目で手伝っていたからだ。

 シエスタは言うまでもなく学院に雇われた使用人であり、その仕事はほぼ学院中に転がっている。仕事の量はどれだけ片付けてもなくなることはないくらいで、そんなシエスタを手伝っている内に、有名になったのだ。

 

 学院における使用人達の仕事は、大きく二つに分けられる。

 給仕と家政がそれであり、料理は使用人達ではなく専任のコック達の仕事だ。

 ただ、ここは普通の貴族の屋敷ではなく、魔法学院という特殊な場所でも在る。

 そのため、仕事の割合としては家政が圧倒的に多く、所属するメイドも主にハウスキーピングを経験している者達が数多く集められていた。

 

 給仕―――つまり学院内における運営その他は、主に上級使用人達の仕事であり、彼ら彼女らの多くは貴族出身の者達で占められている。

 このハルケギニアにおいても家督相続権は基本的に長男長女であり、その下――つまり次男次女以下は家ごとに扱いは異なれど、基本的に自分の食い扶持は自分でどうにかしなければならない立場の者が多い。

 そういう者達にとって、ここトリステイン魔法学院の使用人、それも上級ともなる地位というのは、決して侮れるようなものではなかった。

 基本的に給金が良く、仕事としての地位も一定以上に位置している。ソレは無論、ハルケギニア全土において名の知られた学院であり、数多くの貴族が集うことから、うまくすれば繋がりを持つこともできなくはないという意味も含まれている。

 一番手っ取り早いのが、相続権を持つ貴族と結婚することである以上、そのチャンスを作れる可能性がある学院は、他の職業に比べれば圧倒的にアドバンテージが有るといえるだろう。

 そして学院にとっても、貴族の子息女を生徒として預かる立場にあっては、下手な使用人を雇うにはリスクが高過ぎる。

 その点、貴族出身の者達であれば、教養や作法にある程度精通していることから、生徒達への対応にも粗相を犯す可能性を可能な限り排除できる。

 つまり、互いにとってメリットが多いのだ。

 ましてや、トリステインにおける貴族は、殊更階級意識が強く、下手な平民を宛てがおうものなら面倒極まりないトラブルが起きるのは明白である。そのリスクは、下手をすれば内戦すら引き起こしかねないのだ。慎重にもなろうというものであり、またオールド・オスマンの悩みの種の一つでもあった。

 そういった背景もあって、学院における給仕を司る使用人達は、貴族の次男次女以下の者達から構成され、言うまでもなく、彼ら彼女らは学院の使用人として一定の立場を得ていた。

 無論、仕事は苛烈を極める。

 なにせ相手にするのは、道理を弁えた大人――中には、そうは言えない者達もいるのだが――ではなく、まだケツの青い我儘三昧反抗期真っ盛りの子供達だ。

 加えて、中には大貴族の子供までいるのだから、下手な粗相をすれば文字通り首が落とされかねない。

 その心労は壮絶を極め、また仕事内容も決して楽なものではないため、基本的に長くとどまれて三年と言われており、ソレを超えれば軍の古参兵じみた扱いを受けることになる。

 救いなのは、少なくとも一年は務めた事があれば、よそにおいても概ね"優秀な人間"と受け取られる事が多いことと、一年という短い間でも貴族の誰かに顔を覚えられ、取り立てられる可能性が決して少なくないことだろう。

 その弊害として、一定数は必ず一年という短い間でいなくなるものがいて、かつ三年も続くような"物好き"は本当に極稀という下地が出来上がってしまったことか。

 当然、そういった"古強者"は給金も待遇もよく、学院長からの信頼も得られるとあって、そんじょそこらの木っ端貴族よりは裕福な生活ができる。ただし、彼ら彼女らに共通する悩みは、悲しい事に"金があっても使う隙がない"ということなのであった……。

 

 次に家政だが――――言うまでもなくその大半の仕事が学院内の掃除及び洗濯である。

 故に、総合的な仕事量で見れば給仕のソレとは比べ物にならず、また過酷度は肉体的な意味で軽く上回る。

 重労働に長時間の作業は当然、住む環境や待遇こそ都の家政メイドなぞ比べ物にならないほど良いとはいえ、それでもかなり過酷な労働環境は、半年で使用人の半数が入れ替わると言われているほどだ。

 そのため学院の家政メイド枠は常に人員を募集しており、防犯やその他の問題含めて、学院人事も担当している教師たちの毛根を日々死滅させ続けている。

 そして、対外に向けて発表されている基本的な採用条件は、至ってシンプルだ。

 

 どんなことでもくじけない鋼の精神と、強靭かつ健康な肉体を以って、貴族に奉仕する事を誇りに思える者。

 

 無論、後半は取ってつけたようないいわけである。本音はその前文全てだ。

 なにせ、掃除と一言で片付けるには、ここトリステイン魔法学院における仕事量は膨大にすぎる。それこそ、下手をすれば王都の軍隊の基礎教練のほうが鼻歌交じりにこなせるくらいに。

 各種施設が集中する本塔は言うに及ばず、その周囲を囲む五つの塔での清掃量は、とてもではないが筆舌には尽くしがたいものがある。

 無論、それら全てを一日でこなすなどあらゆる意味で不可能であり、当然のごとく家政メイドらの間でローテーションが組まれているのだが、万年人手不足ということもあって、これが中々に過酷であった。

 特に、家政メイド達のこなす仕事の中でも最も重労働であり、かつ作業量が膨大と成るのが洗濯である。影では家事手伝いで有名な妖精に倣って"ブラウニー"などと呼ばれ、主に学院内における女性使用人の大半がこれに属していた。

 在籍する生徒達の衣類を含む洗濯物は、稀に実家から連れてきた使用人に任せるものがいるものの、基本的には学院側で行っている。

 言うまでもないことだが、洗濯するのは生徒達の衣類等のみではない。

 学院内で大量に使われるシーツやリネン類は言うに及ばず、食堂で多く使われるクロス類はその量も相まって数多くの使用人達の筋肉を痛めつける。

 中でも汚れの酷いモノは毛嫌いされており、高価な魔法薬――以前ステラがシエスタから貰った魔法薬等。もちろん自腹――を使わなければ落ちないような汚れは、それを提出した者に対して凄まじい悪評が吹き荒れ、酷い時には陰湿な嫌がらせという報復まであるのだ。

 過去、それで何度かトラブルが起きたものだが、使用人側で解雇された者はもちろん、中には逆に退学に追い込まれた学生がいる等と実しやかにささやかれる噂によって、"酷い汚れ物を洗濯に出すときは、必ず心づけを供にすること"と生徒間で暗黙の了解が広がることになったという裏話もある。

 

 そして話は冒頭の、ステラが学院中によく知られるように成った理由が、そこ/洗濯につながるのだった。

 

 

 朝、日が昇る前に起きたステラは、いつも通り朝のスキンシップをこなし、しかし全く起きる気配がないルイズに一応の準備だけ整えておいた。

 そして、手早く、もはやトレードマークとなっているミニスカメイド姿に着替えると、シエスタの仕事を手伝うべく、ステラが起きた頃には既に戦場となっていたであろう水の塔へと向かった。

 

 この日、虚無の曜日の朝は、この一週間において最も洗濯物が集中する日であり、その作業量は膨大だ。

 学院の家政メイドの過半数がこの作業にかかりっきりになり、残りは出来うる限り学院内の清掃にとりかかる。そして、午後はシフトに入っている全員で徹底的に掃除をこなすのだ。トリステイン魔法学院の家政に休みはないのである。

 そんな文字通り週に一度の修羅場にステラがやって来ることになったきっかけは、些細な事だ。

 シエスタの仕事を少しでも手伝えれば、それだけでも恩を返せるのではないか。そんなシンプルな考えを口にして、少しだけ申し訳無さそうな顔をしたシエスタに釣れられてきた。それだけである。

 そして、先週初めて、学院中から集まった洗濯物の山を見た際には、文字通り目を大きく見開いて驚いたものだった。

 

 入り口に入った瞬間、ステラの顔は非常にねっとりとした熱風にあおられ、そこに交じる洗剤や様々な汚れの綯い交ぜに成ったなんとも言えない匂いに、一瞬とはいえ目眩を覚えた。

 二度目でも、これは慣れない。

 ステラは渋い顔で中に踏み入り、軽くあたりを見回してシエスタの姿を探す。

 

 水の塔の一階と、さらに外側に拡張された洗濯場は、誰もが口をそろえて"鉄火場"と評する。

 入ってしばらくすると、人間が十人近く入れそうな大釜がいくつも並び、その下には大量の薪が火にくべられ、燃え盛る炎によってぐつぐつと大釜の中の水が沸いていた。  その大釜の口元、さながらステラの世界における工事現場でよく見られたキャットウォークのような足場の上で、必死の表情でもって大釜を櫂のような長い木の棒でかき混ぜるメイドの腰には、誤って沸騰する大釜に落ちないように命綱が結んである。傍らには、杖を持ったメイジのメイドも待機しており、いざという時に備えて誰もが万全を期していた。

 落ちれば大火傷じゃすまないのだから当然の処置であり、しかし、たとえ保険があっても怖いものは怖い。よって、かき混ぜるメイド達は誰も彼もが必死の形相で滝のような汗を流していた。

 やや離れた場所には、学院中から集められた洗濯物が詰まった籠が山のように積み上がっており、それぞれどの持ち主のものか、あるいはどこの部署、どこの場所、はたまたどんな目的で使用されるものかなど様々な条件で分類され、トラブルがないように対策が取られている。

 軽く見渡しただけでもこの有様なのだから、ステラは人間の生命力の発露を直に見たような気がして、嬉しいやら恐ろしいやら、非常に複雑な心境に至るのだった。

 なお、不幸にもこの日のシフトを任ぜられた彼女らは、揃って、丸一日がこの布の山によって潰されるという事に怨嗟をあげ、時には呪いの言葉を口にして世界を罵りながら洗濯をこなしている。それもまた、ステラに畏怖を覚えさせる要因にもなっていた。

 働く女の人、怖い。素直にそう思ってしまっても、無理はない。

 

 虚無の曜日は基本的に誰もが休息を取る日と認識されてはいるものの、それは自営業を営む庶民や貴族に限った話であって、屋敷勤めはもちろん、ここトリステイン魔法学院の使用人達には虚無の曜日は働く日である。

 そのため、使用人達の間ではローテーション制が敷かれ、最低でも隔週に一度は虚無の曜日に休日を取れるように調整される。

 今日、この日集まっている彼女たちは、運悪くシフトに配置されてしまった者たちであり、裏返せばその大半は翌週に休みが取れることを約束されていた。

 それでも、目の前の憂鬱の山はなくならないのである。例え翌週に休みが約束されていようと、目の前の厄介事への恨みつらみはどうしても吐き出さずに入られない。

 

 

 

「まったく、今週もまた随分とたまったものね」

「本当に。これみて、ひどい汚れ」

「ひとまず、汚れが酷いものをより分け―――キャァ!?」

 

 

 

 洗濯物をより分けようと、一人のメイドが手にとった衣服が、べっとりと紅い何かで染まっている。

 

 

 

「まさか血? って、これマクドネル様の籠じゃない」

「そういえば、上級生のマクドネル様とジロッド様が殴り合いをされたとか聞いたわね……」

「またぁ? 原因も?」

「ミス・ツェルプストーの取り合い」

「罪作りというべきか、魔性というか……」

「尻軽でしょ」

「……アンタ、実家たしかヴァリエール領だっけ」

「そうよ! もう! 灰汁薬(*)高いのに!」*灰汁薬:ステラがシエスタに貰った、大抵の汚れが落ちる魔法の液体

「仕方ないわよ。ほら、ぶつくさ言わないで手を動かす」

 

 

 

 山となった洗濯物があつまる洗濯室は、鉄火場であり戦場だ。

 集まった洗濯物をよりわけながら、その汚れの酷さを嘆くものもいれば、ただ黙々と手を動かすもの、対極的に働く様があちこちに見て取れる。

 共通しているのは誰も彼もが必死であること。

 そんな中で、黙々と汚れが酷いものとそうでないものをよりわけているメイドがいる。

 ショートのブルネットに、うっすらと残るそばかす、そして生地の厚い使用人服の上からでもわかる豊満な体が特徴的な少女―――シエスタだ。

 

 

 

「シエスタ、おはよう」

「まぁ、ステラ! 本当に来てくれたのね!」

「約束したから。手伝いにきた」

 

 

 

 シエスタは、作業の手を止めると、感極まった様子でステラに抱きついた。

 その豊満な体を余すこと無く押し付けられ、ステラは少しだけ気恥ずかしい気持ちになる。

  

 

 

「じゃぁ、一緒に仕分けしてもらえるかしら。やり方は大体覚えてる?」

「うん。大丈夫。間違ってたら教えて」

「ふふ、ステラは優秀だもの。きっと大丈夫よ」

 

 

 

 根拠の無い信頼だなぁ、とは思うものの、そう思ってもらえることに悪い気はしなかった。

 誰かに信頼されて、そして頼りにされるというのは―――とても、暖かい気持ちになれた。

 そして、しばらくステラはシエスタとともに、果てなど無いのではと思わせる仕分け作業に従事した。

 主に二人が行うのは、衣類の仕分けだ。

 その種類は、いくらこの世界の文明レベルが中世ヨーロッパ程度とはいえ多様極まる。

 その生涯において数える程度の服しかきてこなかったステラにとっては、まさにカルチャーショックとも呼べる種類で、またしても人類の凄さというか欲求のとどまらなさというか、自身が想像していたよりも遥かに"深い"存在なのだな、と今更ながらに痛感する。

 

 

 

「あ、ダメよステラ。ネッカチーフとハンカチは違うものだからきちんとわけないと」

「これは?」

「同じタイツだけど、ウールはこっち。綿はこっちの籠よ」

「……同じじゃないの?」

「見た目は同じでも材質が違うから気をつけないと」

「わかった」

 

 

 

 シエスタの指示に素直に従いつつ、凄まじい速度で次々に洗濯物を選り分けるステラ。無論、隣のシエスタも負けてはいない。

 傍から見れば仲睦まじい姉妹とも言えるその姿だが、それは本来"あり得ない"光景だ。

 そもそもシエスタは学院に雇われた家政メイドであり――時折給仕の仕事も任されはするが――、この場にいることに何らおかしい点はない。

 だが、ステラは違う。

 ステラはあくまでルイズの使い魔であり、その割り振られた仕事も、基本的にルイズの身の回りの世話であって、間違っても学院の家政メイド達に混じって洗濯をすることではないのだ。

 たとえそれがステラの好意故のボランティアであったとしても、本来であれば許されない。

 その大きな理由としては、それぞれの仕事には領分というものがあり、それを侵すというのは侵された側の仕事を奪うに等しいからである。

 この時代、働くだけでも大変なのだ。ましてや大抵がその仕事振りに対して報酬をもらうのであり、楽して働いてる姿を見られようものなら容赦なく減給をくらってしまう。

 故に、大抵の人々は自身の仕事に手を出されるのを嫌う。

 だが、何度も繰り返すが、ここは特異極まりないトリステイン魔法学院である。人手は万年不足し、本音を言うのであれば、使えるならば生徒達の使い魔どころか本人達すらも動員してしまいたいくらいなのだ。

 そんな彼ら彼女らからして、善意でこのアホみたいな仕事量を減らしてくれるボランティアの存在は、まさにイーヴァルディの勇者のようなものなのである。

 ただ、理由としてはそれ以上に、ステラがとんでもなさすぎたのもある。

 もう下手な装飾をするより、ただただ一言、その仕事振りがすごいとだけ言えばいいくらいに、この水の塔においてステラの手伝う姿を見た者たちの心を鷲掴みにしてしまっていた。 

 

 

 

「おー、今週も手伝いに来たの、ステラ!」

「さすがステラ。仕事覚えるのが早いわねぇ」

「ありがたやありがたや……」

「ちゃーんと仕事したら、おだちんのスコーンあげるから頑張ってねー♪」

「シエスタもがんばんな!」

 

 

 

 通り過ぎるメイド達が、ステラとシエスタに次々と声をかけていく。

 全員ステラに友好的で、むしろその存在に感謝を捧げるほどだ。

 そして、その中に交じる"餌"に、ステラは時折ぴくぴくとそのツインテールで持って反応してみせるのだが――――まぁつまるところ、先週ただ一度の手伝いで、ステラはこの水の塔で従事している家政メイドらほぼ全員に顔を覚えられていた。

 なにせ、ステラがいるといないとでは、作業効率にとんでもない差がでるのだ。この学院におけるアホみたいな仕事量を体験した人間からしてみれば、歓迎する以外に選択肢がないほどに。

 

 

 

「よっし、仕分け終わり! みんな、大鍋準備出来てる―!?」

「「「「「ばっちりー!」」」」」

「じゃ、ステラよろしく!」

「うん」

 

 

 

 途中で合流した、シエスタよりも数歳年上のメイドに言われて、ステラは山になっている洗濯物が入った籠を、文字通り軽々と持ち上げる。

 通常、一人の使用人なら二つ、頑張って三つ、ガタイの良い使用人がどんなに頑張っても五つしか持てないのに対し、ステラは片手で十、両手を使えばその間にさらに十を挟んで三十もの籠を一気に運ぶことができた。

 一般的なのを基準に考えて、ステラ一人で単純計算すれば一五人分の労働力である。しかも体力無限。食べ物さえしっかり与えれば、どんな重労働でも鼻歌交じりにこなしてくれる。

 これで、家政メイド達の間で歓迎されないわけがない。

 

 籠を持ったステラが、あちこちに運んでは中身を大釜にぶちまける。

 そして魔法を使える使用人が水魔法でお湯を足し、櫂でかき混ぜ、温度を保つために火の番をする。

 手が空けば、その都度洗い終わった洗濯物も運び、八面六臂の大活躍をしてみせる。

 もはや誰も、ステラがルイズの使い魔だとか出身の知れぬ不思議な少女だとか思わない。ただ、仕事のできる超有能な救世主。それが、水の塔で働く使用人達にとってのステラなのだった。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 日が登り、気温は徐々に高くなる。

 朝露は既にどこにも見られず、わずかに靄に烟っていた朝は終わり、あと数時間もすれば昼食時となるであろう頃、水の塔の前の広場では、干された洗濯物が海のように広がっていた。

 数十名もの使用人が忙しなく、しかし決して土埃を立てぬように動きまわり、次々に洗い終わった洗濯物を干していく。

 ステラは、シエスタととともに並んで塔のそばにある石段に腰掛け、そんな風景を眺めていた。

 二人共、担当していた洗濯が終わったため、こうして水の塔の傍らで、他のメイド達が働くのを眺めながら休憩しているのだった。

 

 

 

 

「ありがとうステラ。今日も本当に助かったわ」

「気にしなくていいよ? 大したこと無いから。はぐ」

「普通なら、ここは謙遜なのだろうけれど……」

 

 

 

 事も無げにそう言ってのけるステラに、シエスタは苦笑するしか無い。

 なにせ、あの仕事量は大したこと無いではすまないのだが、事実、ステラは汗一つ掻くどころか、息一つ乱すこと無くこなしてみせたのだから、"大したこと無い"のだろう。

 そんなステラは、幸せそうにほんのりと眦を下げ、熱心にスコーンを貪っている。

 本日のステラの報酬であり、先ほど同じく働いていた同僚メイド達から差し入れで貰ったものだった。

 傍らにはバスケットに山のようにつめ込まれたスコーンと、十にも届くジャムの瓶。そして、小樽に波々と注がれたミルク。

 見ているだけでお腹が膨れそうな光景である。

 

 

 

「……あれだけ動けば、そんなに食べても太らないのも納得ね」

「ほぉ?」

「もう、食べながら喋らないの。ほら、ほっぺに付いちゃってるじゃない」

 

 

 

 甲斐甲斐しくステラの世話をするシエスタだが、影ではステラの養育係として認知されているのは、さすがに本人も知らない事実だったりする。

 結構な重労働でも、まるで朝飯前の日課のような気軽さでこなすステラの頼もしさは、尋常ではない。

 通り過ぎるメイドの多くが、ステラに対し手を振り、「また来週もお願いねー」と言葉を残して去っていく。

 ステラもまた、そうやって声をかけられるたびに手を振り返すが、言うまでもなく食べるのはやめなかった。

 そうしてしばらく。

 

 

 

「ごちそうさま」

「……あんなにあったのに、本当に食べちゃった」

「朝飯前」

「お、お昼、食べられる?」

「もちろん」

「そう……羨ましいわ」

 

 

 

 ある意味、淑女の理想的な体質ともいうべきステラの燃費の良さ(?)に、思わずシエスタの本音が漏れた。

 実際のところは、シエスタの想像するような燃費の良さとは真逆なのだが、無論当人は知らない。シエスタのみならず、ステラの食べっぷりとスタイルを良く良く目にする淑女の皆々にとって、"たくさん食べてもスレンダー"なステラの体質は、何を置いても欲しいくらいだ。

 シエスタとてソレは例外ではないし、ましてやほんの少しの油断が直ぐ様無駄な贅肉となって現れる身からすれば、いっそステラの体質は理不尽とすら言える。

 それはともかくとして。

 いつまでも、ステラはシエスタと一緒に仕事をしているわけには行かなかった。

 本来の役目は、あくまでもルイズの使い魔である。本分はご主人様の身の回りの世話―――というともはや使い魔というより侍女だが、とりあえず現在はそういうことになっているため、一日中学院の仕事ばかりをしている=ご主人様を放置するのはよろしくないのだ。主にステラの食事事情的な意味で。

 なので、虚無の曜日は午前中はシエスタの手伝いをして、用意された報酬をすべて平らげたらルイズの元へ戻ることになっている。

 今現在の時刻は、正午には届かないものの、それでも起床には十分寝坊といえる時間だ。そろそろ寝坊助のご主人様を起こさねば、昼食を食いっぱぐれる事になりかねない。

 ステラとしては、それは絶対に避けたい未来であった。

 

 

 

「それじゃ、行くね」

「ええ、今週も本当に助かったわ」

「また手伝いに来るから」

「いいの? ステラも忙しいでしょう」

「大丈夫。シエスタと一緒に働くの、すごく楽しいし」

「……ありがとう、それじゃ、次もお願いするわね」

「うん。またね」

 

 

 

 にっこり微笑むシエスタに手を振り、ステラはその短いスカートを翻して走りだした。

 ひらひらと、まるで尻尾のように揺れる二房の黒髪と後ろ姿を見やりながら、シエスタも小さく手を振る。

 元は、右も左も分からないステラを助けたことへの恩返しというのが始まりだったが、ステラの言葉ではないが、ステラと共に働くのが楽しくなっている事にシエスタは気づいている。

 大貴族の使い魔となれば、シエスタのような平民には雲上の存在だ。

 世話係にもなれば別だが、それとて貴族でなくともメイジの使用人が任される。

 正真正銘の平民であるシエスタには土台無理な話で有るし、そもそも遠くから眺めるくらいしか、その存在を認知できないような存在なのだ。

 それでも、ステラはこんな自分と同じ目線、同じ立ち位置で接してくれる。その事実が、シエスタの胸の奥をほんのりと暖かくしてくれる。

 シエスタの脳裏に、ステラの微かな、しかし無邪気な微笑みや、初めての体験に驚く姿が思い浮かぶ。

 まるで、手のかかる妹がもう一人、できたみたいだった。

 

 叶うならば、このままずっと―――ううん。いつか、友達になれたらいいな。

 

 今はまだ、お互いに壁があるような気がする。

 ……いや、それを作っているのは自分だ。本能的に、互いの立ち位置を意識してしまうからだ。

 うすうすと気付いているけれども、まだ確証が持てない。故に、シエスタは予防線を張ってしまっている。それが、とても失礼な事だとわかっていても、せざるをえないのだ。

 それは、この世界の根幹に根付く、どうしようもない"階級"という名の壁だ。

 シエスタはただ、臆病な自分を内心で叱咤し、祈る他ない。

 いつか、胸を張ってステラに言えるように。

 密かな夢を胸に抱いて、シエスタもまた、仕事に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洗濯場である南東の水の塔から、北の寮塔へ向かうには、反時計回りに向かうのが最も早い。

 それ故にステラはジョギング程度の軽い走りで、ヴェストリの広場を横切るところだった。

 

 

 

「……あれって」

 

 

 

 その途中でふとステラの目に入ったのは、六体の甲冑姿の騎士――――いや、ゴーレムが、忙しなく動きまわる様子だった。

 動きに人間臭さが欠片もないことや、どことなくぎこちない仕草からそれがゴーレムであると确信したのだが、ソレ以上にその鎧の造形に、ステラは見覚えがあった。

 視線をめぐらして、その操り主を探す。

 

 

 

「ギーシュ」

「おや、ステラじゃないか」

 

 

 

 はたしてそれは、此度は胸元こそ普通なものの、代わりに襟周りに動物の鬣のごとくフリルがあしらわれ、なんだか見ているだけで首周りが重くなりそうなシャツを着た少年であった。

 ギーシュ・ド・グラモン。

 ステラがこの世界ではじめて、直接的暴力を振るった人類/決闘をした相手である。

 ステラとの決闘騒ぎ以降、二股が噂されてたり、下級生に頬をひっぱたかれてる姿を目撃されてたりと、女に関するなんやかんやで話題が絶えない彼だが、紆余曲折を経てステラとは親しく接するほどの仲になっていた。

 もちろん、決闘の結果としてギーシュはルイズへの無礼を謝罪したし、ルイズもそれを恥ずかしそうにしながらも受け入れたが故だ。潔いことは嫌いではないし、なにより真っ直ぐな心持ちのギーシュが、なんとなくステラは気に入っている。

 それから幾度か、ギーシュのゴーレム操作の訓練を手伝ったりもしていたので、こうして外で訓練中に出会うのはさして珍しいことではなかった。

 

 

 

「今日も特訓?」

「無論のこと。いつまでも君に負けっぱなしでは、婦女子を守護する騎士としてあるまじき姿だからね。いつか、君に参ったと言わせてみせるよ」

「うん、頑張って」

「……君はもう少しアレだな、相手に張り合いをもたせる会話というものを学ぶべきだね」

「張り合い……えっと……」

 

 

 

 しばらくうーんうーんと頭を捻りながら悩んでいたステラだが、唐突に手のひらに拳をポンと落とし、おもむろにギーシュに人差し指を突きつけて言った。

 

 

 

「そのていどのじつりょくでわれにいどもうなど、せんねんはやいわ」

 

 

 

 まるで感情のこもってない煽り文句に、ギーシュは思わず項垂れてしまう。

 

 

 

「……間違ってはいない。間違ってはいないけど……ステラ、やっぱり君は無理せずそのままでいてくれたまえ」

「? うん、そういうならそうする」

 

 

 

 ステラは内心で、やはりコミュニケーションというのは難しいと思うのだった。

 それから、ステラは二つ三つ、いましがたのギーシュの訓練を見て思った事、つまりアドバイスのようなものを告げ、ギーシュはそれを神妙に聞きつつ直ぐに試してみたりする。

 やがて三十分程経ってそれなりに納得がいったのか、ギーシュは流れる汗をキザに拭いながら、ふと思い出したようにステラへと尋ねた。

  

 

 

「そういえばステラ。君は武器を持たないのかい?」

「武器?」

「あれだけ腕が立つんだ。槍捌きも素晴らしいが、剣の腕前も相当だろう?」

「うん。剣のほうが得意」

「なら、剣の一振りでも佩くといい」

「……考えたことなかった」

「僕が言えた義理じゃないが、まだ君たちは好奇の目で見られることも多いだろう? 今後、僕とやりあったみたいなことがないとも言えないからね。武器は持っておくに越したことはないと思うよ」

 

 

 

 ギーシュの言うことには一理がある。

 現状、ギーシュとの決闘を見ていて、かつ賢明な者達は、ステラという存在が文字通りルイズの守護者となっていることに気付いており、およそちょっかいを出そうなどという浅はかな事は露ほども思っていない。

 そして、賢明でなくとも、ステラの戦いぶりを間近に見て、どう足掻いても敵わないだろうと悟っているものも、静観を続けている。

 問題は、賢明でなく、それでいてステラの戦いぶりを間近に見ていても理解できない愚か者、あるいはそれを伝聞でしか聞いていない上で侮っているお調子者達だ。

 彼ら彼女らは、何一つとしてステラの恐ろしさを理解していない。ギーシュは溜め息混じりにそう思う。

 ギーシュがこうしてステラに助言をするのは、そうした愚か者たちへの間接的な牽制のためでもあった。

 学院で唯一、ステラと真正面から対峙したからこそ、ギーシュにわかることがある。

 今目の前で、のんきにギーシュの作ったゴーレムをぺたぺたと触って回る黒髪の少女は、"格"の異なる存在であると。

 たかだか実家での訓練と授業での"ごっこ"しか経験していないギーシュにとって、ステラという存在は、文字通りの常識外れだ。

 あの凄まじき体裁き、その華奢な体躯からは到底想像できない、恐ろしき力。

 そして何より、視線が絡まった瞬間に背筋から脳天を貫いた――――絶望的な恐怖。

 思い出すだけでギーシュは体が震える。そら、視線を落とせば、杖を持つその手が震え、バラの花弁が小刻みに揺れているではないか。

 ……一度頭を振って、ギーシュはだからこそ、と思い直す。

 この学院内で、彼女の恐ろしさを理解できている人間は、両手の手で数えて足りるだろう。あるいは、手を出すのが非常によろしくないことだとわかっている連中も、多くいるだろう。

 それはいい。彼ら彼女らは決してステラとその主であるルイズに悪意を伸ばさないであろうし、ましてやステラが激発するような馬鹿馬鹿しき事態を引き起こすなど決してあり得ない。

 だが、問題はその他だった。

 思い返すだけでも呆れ返ってしまう。今週だけでも、阿呆な事を考えている輩が幾人もいて、そういった阿呆共に蔑まれ嗤われ、挙句の果てには得意気に自分が仇を討ってやる等とのたまわれた時には、ギーシュはもう匙を投げ出したくなった。

 無論その全員が全員、ステラとルイズに悪意を叩きつけるわけではないだろう。だが、仮に一部でも、そういった空気の読めない輩が現れる可能性は、高い。

 だからこそ、ギーシュはステラに武装することを薦めた。

 帯剣していれば、覚悟の低いお調子者はビビって手を引くだろう。

 それでもつっかかるようなバカは、自分と同じように洗礼を受ければいいさ。

 ギーシュにそこまで考えてやる義理はないし、彼が守り、愛でるべき少女達にそのような愚か者はいない。極論、むさ苦しい野郎なぞ、どうなろうが知ったこっちゃないのだ。

  

 

 

「この後、寮棟に戻るんだろう? ルイズにでもねだってみるといいよ」

「たぶん、ルイズはまだ寝てる。昨日は徹夜してたから」

「そうか。まぁ、時間に余裕があれば、王都までいって買い物でもしてくればいいと思ったのだけれど……今からじゃ難しいから、来週になるだろうね」

「どのくらい遠いの?」

「そうだな……馬なら二時間から三時間、徒歩なら二日ほどの距離だね」

 

 

 

 既に正午近い今から王都に向かっても、帰ってくる頃は夕方だ。そして、日が沈むのは本当に直ぐのことなので、結果的に夜駆けで戻ることになる。

 いくら学院から王都までの治安は確保されているとはいえ、夜駆けは危険だ。

 ステラの実力は知っているが、どうにも不安が残るため、ギーシュとしてはあまり今日でかける事はおすすめしないと忠告をする。

 だが、しばらく何かを考えていた様子のステラからは、そんなギーシュの忠告を「大丈夫。たぶん」と実に不安を掻き立てる返事。

 不安感というか心配というか、そんなもやもやした感情がギーシュの中でまるで肺腑を満たすように広がる。また、変なトラブルを起こさなければよいのだけれども。

 

 

 

「ま、まぁ無理はしないように。別にいますぐ剣を持てという話ではないからね」

「ありがとう。お礼に今度シエスタのお手製ガレットあげるね」

「はは、期待しておくよ」

 

 

 

 そして、ステラは来た時と同じように、黒い旋風のごとく去っていく。

 その後姿を見送りながら、ギーシュはやれやれ、と嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラとギーシュが別れた頃。

 それを遠方から眺めている人影があった。

 キュルケとその使い魔、サラマンダー/フレイムである。

 相方のちっこい方/タバサは現在、自室で【サイレント】の魔法をかけてまで読書にふけっている。ああなっては、ちょっとやそっとの事では外に関心を示さないことを経験上理解しているキュルケは、学院寮から離れたここで、カワイイ相棒とともに気怠い時間を過ごしていた。

 というのも、暇すぎて死にそうになっていたところを、予想外の珍しい光景に出くわしたからである。

 言うまでもなくギーシュの特訓風景だ。

 常日頃からセンスのベクトルがどこかいびつな方向へと曲がりくねっているナルシストが、汗水たらしてゴーレムを操り、それでいて中々様になった訓練をしていたのである。

 普段からは想像もつかないその姿に、キュルケは望外の暇つぶしができて、少しだけ上機嫌になれた。

 そこへやってきたのがステラである。

 時間にしては三十分程度の短い間だったが、なにやらギーシュにアドバイスのようなものを与えていたらしい。

 その後のギーシュの特訓は、さらに洗練さが増し、時折キュルケですら声を漏らすような動きをするようになった。

 特に、それまでぎこちなかったゴーレム間の連携が、かなり厄介かつ洗練されたものへと変化するさまは、思わず柳眉を顰めてしまうくらいである。

 アレと対峙することになったら、と自分の身に置き換えて考えてみて、中々に手こずりそうだと舌なめずりする。

 ツェルプストーの血を引くが故に、その根底に髪の色が表すように好戦的な獰猛さを秘めているキュルケにとって、ギーシュの成長にはドキドキしてしまう。

 だが、ギーシュをそうさせたのは、あのペチャパイ爆発娘の使い魔/ステラだ。

 先日のギーシュとの決闘での戦いぶりもそうだが、なんとも、普段の眠たそうな顔からは想像もつかない、戦人のような気配を感じる。

 

 

 

「何者なのかしらね、あの子」

「キュル?」

 

 

 

 誰にともなくつぶやく主の言葉に、傍らに侍るフレイムが首を傾げる。

 それに微笑みながら軽く頭をなで、ステラの走り去った方を見やるキュルケ。

 その表情は、まるで楽しいおもちゃを見つけた子供のようであった。

 

 

 




 話が一ミリも進んでないのは気のせいでしょう。
 続きはまた近いうちに。
 とりあえず現在5千文字程度までは進んでます。
 今度こそ、今度こそアヤツを出してやる……!


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四節

今回は早めの投稿。
展開的にも字数的にも程よい感じだったので。
コレ以上になると、ちょっと長く掛かりそうだったのと、たぶん一万五千文字くらいまで行きそうかも、とかなり上方事故評価にどんぶり勘定で希望的観測故の戦略的投稿。
嘘です。
フーケをどう出すかで悩んでいます(白目


 

 

 

 

「で、なにがどーなって私はこんなところにいるワケ?」

 

 

 

 不機嫌さを微塵も隠さないしかめっ面で、腕を組んだルイズ・フランソワーズは淑女にあるまじき低音でそう呟いた。

 大抵はそれだけで見るものに不快な印象を与えるものだが、彼女の場合、どちらかというと背伸びをする子供のような可愛らしさが勝る。ソレは多分、まだ本気で怒っていないからなのだが。

 とはいえ、それでもルイズはその表情が表すように不機嫌なのだ。

 心地よく虚無の曜日の惰眠を貪っていたところを、例の如く死者でも目覚める騒音で己の使い魔に叩き起こされたかと思えば、わけもわからないまま服を着せられ、まるで荷物でも運ぶかのように肩に担がれながらここまで運ばれてきたのである。

 これで不機嫌にならないほうがどうかしているだろう。

 そして、その下手人たる彼女の使い魔―――ステラは、ルイズの文句など聞いてすらいないのか、ルイズを放っておいたまま、倉庫のような建物の中でごそごそと何かの準備を始めていた。

 先の呟きは使い魔へと向けたものだったのだが、当然のごとく聞こえていないのだろう。

 おかげでしばらく所在なさげに立ち尽くすルイズだったが、いつまでもそうしていてもバカバカしいので、仕方なく周囲を見渡してみる。

 そうしてようやく、ここがコルベールが使っている掘っ立て小屋の、傍にある倉庫であることに気付いた。

 学院内では悪い意味で有名な場所だ。所要もあって幾度か訪れたこともある。ただ、その時はこんな倉庫はなかったように思うのだが……。

 思い悩んでいたところへ、ようやく倉庫の中から聞こえてきた騒音が止まった。

 作業でも終わったのかと振り返ったルイズは、

 

 

 

「ルイズ、おまたせ」

「おまたせじゃないわよ。一体なにし……て……」

 

 

 

 脳天気極まりない己の使い魔の態度に怒りを爆発させかけて、しかしその不発弾を飲み込むように声をしぼませる。

 なぜなら、倉庫の中から現れた己の使い魔が"引いている"ソレに、目を奪われたからだ。

 

 高さこそ馬には及ばないが、総合的に見れば馬よりも大きい黒鋼に橙色のラインが走る躯体。

 前輪二つに後輪一つという奇妙な造りは、馬車のそれとは比べ物にならず、特にその後輪は異様なほどに太く、逞しい。

 また、前輪の両脇から突き出るようにして存在するその二つの幅広の突起は、あるいはそのまま大剣にでもなりそうで、さながら竜の牙のごとき存在感を示していた。

 

 獰猛さを象徴するかのような、猛々しいフォルムを以って圧倒的な威圧感を放つそれは、まるで――――小型の竜だ。

 

 ルイズはそれが、召喚当日にステラがまたがっていた鋼の馬であることに気付くまで、それなりの時間を要した。

 ステラはルイズの傍までその鋼の小竜を引き連れてくると、またしても何かの作業を始めてしまった。質問をする機会を逸して、ルイズは歯噛みする。

 何をどうしているのかルイズにはさっぱりわからなかったが、ステラは徐ろに鞍のような部分を持ち上げると――それが蓋の役割を兼ねていることにルイズは気付く――兜のようなものを取り出す。

 そして、ステラはそれをルイズへと投げてよこした。

 

 

 

「きゃっ―――ちょっ、アンタね、いきなり投げるなんてどういうつもりよ!」

「かぶってね、それ」

「は?」

「万が一もあるから。安全第一」

「かぶれって言われても、なによこ……れ……兜?」

 

 

 

 わけも分からず、ルイズは混乱する思考のまま受け取ったソレを見た。

 丸い兜である。

 表面は宝石のように艷やかな黒で、目元は透明なガラスのようなモノで覆われている。

 軽く叩いてみると小気味良い音がして、同時にそれが思っていた以上に軽い事に気付いた。

 この大きさ、この厚み。少なくとも、普通の兜であれば、ルイズが持つには重すぎる代物だろう。それが、普通の兜に比べてまるで羽のように軽い。

 内側を覗けば、見たこともないような柔らかな材質の緩衝材が敷き詰められていて、見ただけで頭を保護するためのモノであることが理解できた。おそらく、頭部をどこかにぶつけた際、その衝撃から守る役割を持っているのだろう。

 恐る恐るその兜を被ってみる。

 圧迫感はあるが、苦しいほどではない。頭全体を柔らかく包み、軽く外側から叩いてみても全くその衝撃は伝わってこない。

 ルイズはその事実に言葉にならない衝撃と感動を覚える。 

 そこへ、突如腹の底を震わせる咆哮が轟いた。

 慌ててその方へと向けば、それまで沈黙を保っていた鋼の小竜が、低く断続的に唸り声を上げている。

 ステラが手元で手綱のような何かを引き絞ると、再び轟く咆哮に、ルイズは知らずと後退る。

 もはや馬などとは思えなかった。ましてやグリフォンでもマンティコアでもない。これは、竜だ。竜に匹敵する何かだ。

 本能的にそんな恐怖を覚え、混乱をさらに加速させるルイズ。

 彼女の脳裏に嫌な予感が駆け巡る。

 召喚した時、ステラはソレに乗っていた。そして今もまた、ステラは唸りを上げる鋼の竜にまたがろうとしている。

 手綱のようなものに手を添えて、こちらに振り向く使い魔に、ルイズは肩を震わせて、体面を繕うことすら忘れかけるほどに慄いた。

 

 

 

「王都までの道、わかる?」

「え、は? なに、王都?」

「うん。買い物にいく。武器がほしいから」

「ちょっ、まって。まてまて待ちなさいコラ。話が見えないわ。ていうかすっかり聞くの忘れてたけど"ソレ"はなに!? なんでそんなの引っ張り出してきてんのよアンタ! 襲ってきたらどうするつもり!?」

「何言ってるのルイズ?」

 

 

 

 混乱が極まってしまったためか、思うままを口にするルイズを見て、ステラは小首を傾げた。

 アレは純粋に意味がわからない、という仕草だ。これまでの短い間に理解したステラの行動パターンから、ルイズはそう把握する。

 

 

 

「何って、ソレ、そんな雑に扱ってッ! 怒ったらどうするのよ!? ていうか怒ってるんじゃないの!? さっきからすごい唸ってるわよ!」

「……あぁ、うん。大丈夫だよ。ルイズがおとなしくしてくれれば」

 

 

 

 脅しかコイツッ!?

 茫洋とした表情で告げるステラ。しかしルイズは見逃さなかった。その口角がわずかに釣り上がったのを。

 

 

 

「嘘よ! アンタなんか隠してるでしょ!」

「隠してないヨ。ほら、こっちこっち」

 

 

 

 ひらりと鋼の竜の背にまたがり、その後ろをぽんぽんと叩くステラ。

 今、どことなく発音に違和感があったのだが、気のせいだろうか。ルイズはじとーっと猜疑心に満ちた目で己の使い魔を睨め据えた。

 だが、ステラは意に介さずじっと見つめ返してくる。言葉もなく、しかし発する雰囲気で"はよ乗れ"と語りながら。

 結局、ルイズは折れた。

 しぶしぶ、おそるおそる、そろりそろり。

 そんなおっかなびっくり、ステラに導かれるままに、その鋼の小竜の背中へとまたがる。

 心臓を震わせるような拍動が、不思議な手触りの鞍を通り越して伝わってくる。その力強さに、ルイズはわけもわからず興奮が胸を渦巻かせるのを感じた。

 ステラに目元のガラスのようなものを降ろされ、腰に手を回させられる。

 

 

 

『しっかり掴んでて』

「ほぇっ!?」

 

 

 

 突然、耳元で鮮明に聞こえたステラの声に、思わず素っ頓狂な声を上げる。

 ルイズが知る由もないことだが、ステラが手渡したのは、彼女の故郷である地球において、戦争末期に開発された多目的ヘルメットだ。

 頭部の保護からデータリンクを用いた各種情報をバイザーのHUDに表示したり、ヘルメット内部には友軍からの通信が聞き取りやすいように骨伝導式の音声再生システムが内蔵されている。

 今ルイズが聞いたのも、ステラが普段から首元につけているチョーカー―――咽喉マイクによる無線通信を拾ったものだ。

 とはいえ、そんな事をルイズが知る由もない。

 ただただ、密閉された状態にもかかわらず、はっきり明瞭にステラの声が聴こえることに驚愕するだけである。

 そして、その驚愕が収まるのを待つこと無く、二人が跨る鋼の小竜は高らかに轟いた。

 車輪が激しく回転し、土煙を巻き上げ加速する。

 そして、ルイズの常識を遥かに外れた、経験したことのない重圧がその意識を引き伸ばす。

 

 

 

『落ちないでね?』

「―――――~~~~~ッ?!!!」

 

 

 

 呑気な、そしてどことなく楽しそうな声音で告げるステラ。

 だが、ルイズは声にならない悲鳴を上げることでしか、それに答えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズの生涯の中で、此度程命の危険を覚えたのは、母からの折檻を受けて以来であった。

 まるで滝のように流れる脇の景色。

 肺腑が後ろへと引っ張られる恐怖。

 そして、吹き付ける壁のような風。

 どれもが初めてで、どれもが想像の埒外。

 馬の早駆けなぞ比べ物にならない。そんな先進文明の洗礼を受けたルイズは、王都【トリスタニア】の門前で危うく淑女として大切な何かを失いかけるという恐怖を経験するハメになった。

 色々と、ルイズはあの鋼の小竜について、己の使い魔に問いただしたいことがたんまりとあったのだが、現状それは許されない。

 

 

 

「ねぇルイズ。アレはなにしてるの?」

「屋台よ。あ、こらっ! あんな貧乏臭いものやめときなさい!」

「なんで? 美味しそうだよ」

「アンタは食えるものはなんでも美味しいって言うでしょっ」

「そんなことないよ。ちゃんと食べられるものだけ」

「結局食べられるならなんでも食べるんじゃない!」

「うん」

「この……ッ! とにかくっ! お財布スられないように気をつけなさいよね!」

「それは大丈夫。もう二人、指を折って撃退してる」

「…………なんでそんなところで無駄に優秀なのよアンタ」

 

 

 

 ルイズは今、ステラと連れ立ってトリスタニアの目抜き通りであるブルドンネ街を歩いていた。

 "トライク"の凄まじい速さにへろへろになっていたルイズに、ステラが「武器がほしい」と非常に熱心に強請ってきたためである。

 どうやら、この王都にいきなり拉致同然に連れて来られたのは、そのせいだったらしい。

 せっかくの貴重な虚無の曜日だというのに、と最初は不機嫌であったルイズだったが、よくよく思い返せば、色々と文房具に足りないものが出始めていた。

 羊皮紙の予備も少なくなっていたし、羽ペンも消耗が増えて残りが心許ない。加えて、ちょっとばかしお気に入りの店のクックベリーパイも食べたいな、と欲求がムラムラと溢れだす。

 その結果が現状なのだが、すこし早まったかもしれないと後悔する気持ちが鎌首をもたげていた。

 というのも、ステラが目につく端からあっちへふらふらこっちふらふらするのだ。

 屋台が珍しいのか一々寄っては買い食いしようとするし、露天商の口車に乗って危うくゴミを掴まされかけたり。まぁスリに関しては、本人曰く撃退しているようなので問題はない。

 とにかく五歳児でももう少し分別があるだろうに、と思わせるほど、ステラは落ち着かないのである。

 見れば、普段は半分眠たそうにしている目が、今この時に限っては可愛らしいアーモンド形に見開いている。キラキラと擬音をつければ完璧だろう。

 早い話が、やんちゃな小娘をお守りするかのような徒労感に襲われているのである。

 改めて思う。何故こんなことになったのか。

 改めて言うが、この隣のバカ猫が突然「剣がほしい」などと言い出したからだ。

 

 

 

「だいたい、なんでいきなり剣なんて欲しがるのよ」

「ギーシュが言ってた。万が一に備えて、武器を持っておいた方がいいって」

「……牽制ってことね。確かに、アンタとギーシュの決闘を見た連中はともかく、そうでないアホ共には効果的かもしれないわ」

 

 

 

 およそ、どういった意図でギーシュがそんなお節介を焼いたのかに思い至り、ルイズは溜め息を吐く。

 確かに、遅かれ早かれ対処せねばならなかった事だ。むしろ、早めに解決策を提示してくれた分感謝しなければならないのだが、釈然としない。

 ステラの強さは今更疑うまでもない。

 普段からして、部屋の入口からではなく窓から出入りするようなデタラメさだ。もはやステラにとって、出入口=窓であるのは疑いようもない。

 魔法が使えるのならば、百歩譲ってソレが有りだとしても、ステラは平民だ。魔法なんて使えるわけがないのに、あんな高所から飛び降りて一切無傷なんて、どうあってもただの平民ではない。

 そんなステラに、ましてや主であるルイズに喧嘩を売るのは、頭に栄養が足りていないバカ共だろう。

 もちろん、そんなバカどもに無駄に絡まれるより、回避できるなら回避するに越したことはない。

 そのための帯剣というのなら、それはかなりの効果を期待できるだろう。なにせ、学院の連中は基本的に態度がでかいだけのお坊ちゃんしかいないのだから。

 ただ、それとは別の観点で、ステラの強さには、少しばかり疑問が残る。

  

―――もしかして、あの強さは使い魔のルーンの効果なのでは?

 

 そう考えたのは、一度や二度ではない。

 無論、ステラに刻まれた左手のルーンがどんなものか調べては見たものの、過去に効果がはっきりと知られている記録の中にはなかった。

 そうなると、自分達でその効果が如何なるものかを調べなければならないのだが、いかんせんステラがでたらめすぎる。

 素手で岩を砕くし、メイド四人がかりで終わらせるような仕事を平気な顔をして一人でこなしてのける。

 これが一時的なものであるならば、ルーンの効果という可能性が一番高いのだが、恐ろしいことに常時そんな感じである。

 少なくとも、常識外れの力を常時発動し続けるようなルーンなど存在しない。

 仮にあれがルーンの効果なのだとしたら、その代価にはそれ相応のものが必要であるはずだ。

 ……もしかしたら、その代価こそが、放っておけば食堂の食料をすべて平らげかねない大食漢なのではないか、という荒唐無稽な考えが過ったが、それにしても釣り合いが取れていないので、この推論はかなり前に却下している。

 そんな常識外れの存在だというのに、文字通りに常識知らずかと思えば、ルイズの聞いたことのないようないろんな知識を持ち合わせ、そしてやたらとルイズに過剰なスキンシップを求めてくる甘えん坊の気分屋。

 ちぐはぐ極まりない。未だにルイズは、このステラという少女がどんな人間なのか、把握しきれていなかった。

 つまり。

 

 

 

「……考えるだけ無駄ね」

「何が?」

「アンタの馬鹿さ加減よ」

「……むぅ」

 

 

 

 不満そうにむくれるステラ。

 だが、ルイズはそれには取り合わない。するだけ時間の無駄だとわかっているからだ。

 

 

 

「ほら、寄り道しないでちゃっちゃと買い物済ませるわよ」

「えー」

「うっさい! 私だって買い物あるんだから、こんなにあっちこっち道草食ってたら日が暮れても終わらないわ!」

「ねぇルイズ」

「あによ」

「胸が小さいと、ケチなの?」

「しばくわよこの馬鹿猫ッ!?」

 

 

 

 ルイズが激昂し、軽く舌を出してからかうステラ。弾ける爆発。響き渡る悲鳴。

 結果、とばっちりで露天商数名が軽い怪我を負うことになり、周辺にいた王室衛士隊に厳重注意され罰金まで払うことになったのは、完全に余談である。

 

 

 

 

 

 

 とんでもない予想外のトラブルを乗り越え、若干軽くなった財布に物悲しくなりつつも、ルイズは頼りない記憶を駆使して、相変わらずふらふらするステラの首根っこを捕まえながら、ようやく一つの武具屋へと辿り着いた。

 名も無き看板には、わかりやすく剣の意匠が描かれており、ひと目で武具を取り扱っている店であることがわかる。

 ほえー、とマヌケな声を漏らしながら見上げるステラを一瞥し、躊躇なく羽扉を開けるルイズ。

 扉据え付けのベルが鳴り、店内に来客を告げると、どこからともなく店主と思しき男が現れた。

 場末の武具屋の店主らしく、それほど身だしなみは整っていない。

 だが、最低限の品位を保つのは忘れていないらしい。

 貴族であるルイズが見て、軽く顔を顰める程度であれば、下町の武器や野主にしては上々の出で立ちであろう。

 ただし、その身なりが表すように、店内は粗野の一言に尽きた。

 剣や槍、弓に盾とそれなりの種類の武器防具が乱雑かつ所狭しと広がっている。

 店内は薄暗く、昼間だというのにランプで灯りがついていた。恐らくは魔道具だろう。蝋でこんな真似をしていては、赤字ばかりに成るに違いないからだ。

 仮にも上級貴族であるルイズは、無論の事このような粗野な店に訪れたことなど無い。この店だって、授業で使う秘薬の材料を探していた時に偶然見つけただけなのだ。

 言い換えると、ここ以外に武具屋をルイズは知らない。

 もしかしたらここよりいいところがあるのかもしれないが、無いかもしれない。知らないのだから、ここに来るほかなかったのだった。

 ともあれ、突然現れた二人の主従に酷く驚いたらしい店主は、口に加えていたパイプを離し、額に冷や汗を流しながら分かりやすいくらいの猫撫で声で二人を出迎えた。

 

 

 

「こりゃぁ驚いた。若奥さまはお貴族様とお見受けしますが」

「そうよ。剣を買いに来たわ」

 

 

 

 居丈高に言ってのけるルイズ。なお、ステラは既に、好き勝手に店内を歩き回って見物している。

 店主は、大仰すぎる態度で驚きを示すと、その顎を撫で擦りながら言った。 

 

 

 

「おったまげた。そりゃまた、流行に乗るためですかい?」

「流行?」

「ええ。最近は、宮廷貴族でも下僕どもに武器をもたせるのが流行りなんでさぁ。先日も、どこぞの貴族の旦那がそれなりに買って行ってくださってね」

「ふーん。変な事が流行ってるのね」

「おや、若奥さまはご存じない。最近、とある子爵の家に盗みが在ったんでさぁ」

「そんなの何処にでもある話じゃない」

「いえいえ、その盗人っつーのがまたアレでしてね。なんと、あの"土塊のフーケ"っていうんですから、貴族の旦那様方は眼の色を変えてまして」

「"土塊のフーケ"ですって? ガリアからこっちにきたの?」

「そりゃぁ半年も前のことですぜ。その間被害がどこにもなかったのなら、ここトリステインに来ていてもおかしかありやせん。ましてや、襲われたのは結構な規模の警備隊を雇ってた貴族様ってんですから、貴族の方々は戦々恐々としてまさぁ」

「ふーん……ようは、盗賊騒ぎで繁盛してるってことね」

「へぇ、そりゃもうお陰様で」

 

 

 

 店主の物言いに、ステラがちらりと視線を送る。

 だが、すぐに興味を無くしたかのように、また武器の観察に戻った。

 

 

 

「とにかく、あの子が持つような剣を頂戴」

「予算はおいくらで?」

「えっと、新金貨で「五十」――――ちょっと、ステラ?」

 

 

 

 突然会話に割り込んできたステラを睨みつけるルイズ。

 だが、ステラはこちらには視線を向けること無く、相変わらず店内の武器をアレコレ見て回っている。

 無論、眉を潜めたのはルイズだけではない。

 内心、鴨がネギと鍋に薪まで抱えてやってきたと思っていた店主もだった。

 店主の見立て通り、ルイズはこういった店での買い物が上手ではない。

 今もあっさりと自分の手札/予算をバラしそうになっているし、ましてやどんな剣を買うかも店主にまるなげしようとしていたくらいである。

 そんなルイズから巻き上げられるだけ巻き上げてやろうと画策していただけに、ステラの横槍は当初の予定を邪魔されたようなものだった。

 しかも、口にした金額は、一般的な大剣の相場の四分の一。バカにしているのか、と内心店主は憤る。

 

 

 

「アンタね、勝手に割り込んできた上にそんな「――――買い物あるんでしょ?」……」

 

 

 

 ルイズの反論は、ステラの一言で一方的に封殺された。

 ステラの言うとおりである。此処で全財産を使ってしまえば、予定していたルイズの買い物ができなくなるのだ。

 そこまで頭が回らなかったのは、こんな場末の武具屋の店主ごときに舐められまいと考えた虚勢のためである。

 同時に、そのことに気付かされた羞恥でルイズの顔が真っ赤に染まった。

 

 

 

「自分で選ぶから大丈夫だよ。ただ、この店にはそんなにいいのがないね」

「なっ」

 

 

 

 絶句したのは、店主だ。

 仮にも王都に武具屋を構える者として、明らかに馬鹿にされて怒りが湧いたのである。

 かと言って貴族の使用人(?)に対して怒鳴ることもできず、彼もまた、ルイズと同じように憤怒で顔を赤く染め始めた。

 その時である。

 

 

 

「はっはっは! ざまぁねぇな親父! ボろうとしてあっさりポシャってやがる! 挙句、そんな小娘に馬鹿にされるたーイイザマだ!」

「え、なに、誰?」

「……」

「うるっせぇぞデル公! てめぇはだぁってろ!」

 

 

 

 突如響き渡る四人目の声に、その場が色めきだつ。

 ルイズが幽霊の類を警戒するのに対し、店主は店の一角に向かって泡を飛ばす勢いで怒鳴り散らした。

 それを、冷静に眺めるステラ――――いや、その視線は正確に一点、ちょうど店主が怒鳴り散らした一角に向いていた。

 

 

 

「つーかよ、小娘。てめぇが剣を選ぶ? 冗談じゃねぇ! 生意気言ってねぇで庭の掃き掃除でもしてな!」

 

 

 

 罵倒されながらも、ステラは静かにその声のする方へと歩み出す。

 そして、乱雑に置かれた武器の山から一振りの剣を抜き出した。

 

 

 

「おうおうおう、気安くこのデルフリンガー様に触んじゃ―――」

 

 

 

 ステラが抜いたのは、刀身に全体と言っていい範囲に錆が浮き、もはやまともに切れるのだろうかというレベルの粗悪な剣だった。

 ただ、それ以上の特徴として、誰かの声が聴こえるたびに、その鍔にある金具がカチャカチャと動くのである。

 ソレを見て、ルイズが目を丸くしながら驚いた。

 

 

 

「け、剣が喋ってる……まさか、インテリジェンスソード?」

「へぇ……その通りでさぁ若奥様。最初は物珍しさに仕入れたんですがね、見たとおりのゴミな上、事あるごとに今みたいにお客さまに罵声を投げるもんで閉口してやして」

 

 

 

 外野のそんな会話がある中で、ステラはただ静かに、手に持った錆ついた剣を眺め回していた。

 その間、騒がしくわめいていた剣は、終始押し黙ったまま。ステラは構わず、刀身から柄に至るまで細緻に観察する。

 そして、最後に右手にその剣を握ると、周囲に配慮しながら軽く振り回してみせた。

 すさまじい風切り音と共に、周囲を切り裂く風が鋭い衝撃を伴って店内を駆け巡る。

 目に捉えられない速度で振るわれる剣筋は、しかし錆色の軌跡を伴って美しい演舞を魅せた。

 時間にしてたったの数秒。

 だが、それを見ていたルイズと店主にとっては、その数千倍の長さにも感じられた一瞬。ルイズはもちろん、店主も、ステラのその演舞に心を奪われていた。

 店内に染みるようにして広がる静寂を破ったのは、それまで沈黙を保っていた錆剣だった。

 

 

 

「おっでれーた……小娘、てめ、ナニモンだ」

「私? ステラ。君は?」

「デルフリンガー様だ、ばぁろい」

「デルフリンガー……かっこいい名前だね」

「気に入ったぜ小娘。てめ、俺買え」

「うん、私も君が気に入った」

「いいねぇ、その即決即断。ますます気に入ったぜ」

「ルイズ。私、この子にする」

「へ? ちょ、ちょっとステラ?!」

 

 

 

 戸惑うルイズに、ステラはにっこりと、実に晴れやかな笑みを浮かべる。

 そして、それだけでルイズはソレ以上なにか言葉を重ねるのを諦めた。

 たった二週間しか経っていないが、それでも、ステラについて理解できたことはそれなりにある。

 その数少ない理解の中に、今現在ステラの浮かべている顔があった。

 いつも眠そうに半分目を閉じているのを更に細め、意見は聞くけど従う気はない、と言いたげな挑戦的な笑み。

 この顔は滅多にしないが、その分、一度してしまえば梃子でもその意志は変わらないことを、大変遺憾ながらもルイズはよく知っている。

 無論のこと、その数分後に、ルイズの財布から新金貨五〇枚が消えることとなったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 



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五節

大変ご無沙汰しております。
詳しいことは活動報告に後ほど上げさせていただきます。

また、今月は忙しいのが続いているので、落ち着くのは翌月からでしょうか。
それでもまだ、ちまちまと暇を見ては書き連ねております。
原作も完結の道筋がみえてきたことで、モチベが戻ってまいりました。
がんばりますので、皆様におかれましては、今後ともどうぞ、よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 双子月が宵闇を青と赤に彩る夜。

 夕暮れ時を以って王都を出発し、日が沈み切る頃に学院へと舞い戻っていたルイズとステラは、既に学園の自室に戻っていた。

 ルイズはネグリジェに着替えて、何を考えているのかゴロゴロとベッドの上で忙しなく悶えており、その床では、ステラが買ったばかりの剣の手入れに勤しんでいる。 

 

 

「うひゃひゃ! おい、こら、相棒! やめぅひゃひゃひゃ!」

「デルフ、ちょっとうるさい」

「つったってな相棒! こんなの、人間様が受けたら笑い死にしちまうよ! 俺ぁ剣だけどな!」

「頑固すぎる錆が悪い」

「仕方ねぇさな。うへぇへっへ! 俺っち、長生きだからよ」

「多分、私のほうが長生きだよ」

「すげぇな相棒。俺っちより長生きとか、人間やめてるぜヒャヒャヒャヒャ!」

 

 

 

 ステラがごしごしと、トライクに仕舞ってあったサビ取りの液体と、これまたどこかかから調達したウェスでもって、一振りの剣を磨きぬいている。

 その度に、磨かれている魔剣―――デルフリンガーは、なにがどうくすぐったいのかはわからないが、鍔をカチカチ鳴らしながら笑い声を上げていた。

 普段ならば、やかましいと怒鳴りつけてくるルイズであるが、今はどういうことか、ベッドの上でひたすらゴロゴロ転がりまわってるので静かだ。

 故に、ステラは遠慮なく盛大に、今日中にこの錆だらけの魔剣を磨き上げてやると息巻いていた。

 だが、不思議なことに、どれだけ磨こうともデルフリンガーに付いた錆は、欠片たりとも落ちる気配がない。

 かれこれ一時間近くもの間、あれやこれやと手を変え品を変え、その脳内に詰まった先進的知識を駆使しているステラであったが、最終兵器である酸化鉄分解酵素含有溶液――トライクの整備グッズの一つ――を用いても効果が無いとわかり、匙を投げることになった。

 

 

 

「……普通の錆じゃないみたい。なんだろう、これ」

「はぁ……はぁ……俺っち、随分長生きしてきたけどよ、まさか笑い疲れるなんて体験をするたぁ、思いもしなかったぜ」

 

 

 

 心なしか刀身がぐんにょりしているように見えるデルフリンガーを持ち上げて、矯めつ眇めつ観察するステラ。

 言葉通り、その刀身は、隈無く赤銅色の錆に覆われており、とてもではないが刃物として役立つようには見えない。

 これではせいぜい鈍器として扱うのが精一杯だ。物を切ろうなどとは間違っても考えられない。

 とはいえ、ステラの【技】を持ってすれば、それすらもどうにかなってしまうのだが――――つまり、切ろうと思えば切れるし、その際には切るという攻撃性よりも、切った後の傷による感染症で大変なダメージを与える魔剣ともなりうる。

 無論、あえてそれを狙ってデルフを振るうつもりはないのだが。

 そこまで思索を巡らし、同時にコレ以上の手入れは無駄だろうと結論づけたステラは、次いで、不気味なほどに―――というより、不気味そのものなのだが―――静かな主へと、ようやく意識を向けた。

 ベッドの上のルイズを見れば、枕を抱きかかえたまま、ごろりと寝転がって窓を眺めている。

 

 

 

「ルイズ、どうしたの?」

「うひゃぁっ!? い、いい、いきなりなにすんのよッ!!」

 

 

 

 怒鳴り声とほとんど同時に、数発もの小気味良い乱打音が室内に響き渡る。

 いきなり背後から抱きつかれた上、首を甘噛みされたルイズは、下手人たる背後の使い魔に、割と本気の怒りをぶつけた。具体的には、どこぞに隠していたハリセンを神業じみた速度で取り出し、ステラの頭を乱打したのだ。

 本人なりには、元気付けるためのスキンシップのつもりだったのに、返ってきたのは激しい拒絶。これにはステラもショックを隠し切れない。

 はたかれた頭を抱えながら、言葉無く、それでいて涙目になるという感情表現でもって、その傷心を訴えるステラ。

 ルイズはそれを直視してしまい、ややばつが悪そうな顔をしてそっぽを向いた。そして、再び枕を抱えてごろりと横になる。

 

 その思考のうちにあるのは、今さっきすげなくあしらった己の使い魔のことである。

 今日見せてもらい、また乗せてもらった小竜――――トライクの存在によって、ルイズの中にあるステラという少女が、わからなくなってしまったからだ。

 言い換えれば、それは不安なのだろう。

 思えば、ルイズはステラという少女の事を、知っているようで知らない。ぼんやりとした輪郭がその手の中にあっても、それはいわば、表面的な部分だけで、ふれれば弾けて消える泡のように、実態は曖昧だ。

 対象の理解度で言えば、隣国の王子が眉目秀麗の才色兼備なお伽噺にあるような御方だと噂に聞いて、実際に一目見ただけ――――それと、大して変わらない。

 輪郭も、その姿也もわかる。だが、それには"身"が伴っていないのだ。"ステラ"という少女の皮だけを持ち、ではその中身がどんなものなのか問われても、ルイズは首を傾げるほかないのである。

 当然の事だ。

 まだ出会って一年どころか半年も経っていない、たった一ヶ月足らずで全てを知るなど無理極まりない。

 故に、ここに至って思い出したのは、召喚したその日にステラの口から聞いた物語。少しでもステラの事を知ろうとするが故の、無意識の回想。

 荒唐無稽で、どんな物語も青臭く思えるような、とんでもない設定盛りだくさんの法螺話。そう、思っていた。

 一体誰が信じるというのか。

 ルイズが見る窓の先、双月の浮かぶ紺碧の夜空の向こう―――星の海の向こうからやってきたという存在との、最終戦争。

 鏖殺される人類。

 目覚めた時にはたった十二人。

 そして、最後の生き残り。

 どれも考えられない話だ。

 だが、その疑念は、あのトライクの存在によって揺らいでいる。もしかしたら、と。

 だからわからなくなった。盛りに盛られた与太話なのか。はたまた、真実であるのか。

 そして仮に、真実であるとしたら、あの娘は、いったいどれだけの……。

 わからない。なにもかも、全部が全部、わからなくなってきた。

 ウソを吐くような子じゃない。それはわかっている。結局のところ、狭量な自分があの子の価値観を理解しきれないだけなのだとも、理解している。

 ルイズは聡明な子だ。

 時には激しい思い込みや若さゆえの暴走があるとはいえ、物事を端的に捉えたり、客観的に自分を評価できるくらいには、己の分を弁えている。

 でも、だからといって、これまで培ってきた価値観から根本的に外れたものを、瞬時に理解することも、受け入れることも、簡単なことではない。

 それでも、努力しなければいけない。ルイズが信じる理想の"貴族"は、きっとそうすると思うからだ。

 

 ……実のところ、ルイズのようにわからないなりにも"未知"を受け入れようと努力する人間自体、このハルケギニアでは珍しい存在だ。

 たいていの貴族は、何処の国であっても己の地位と権益を守ることに腐心し、大きな変化というものを嫌う。ましてやそれが、自分の常識の埒外にあるとなれば尚更のこと。そういう意味では、ステラがルイズに召喚されたことは、この上ない幸運であったといえるだろう。

 そして、ルイズはそれら典型的な貴族でありながらも、その境遇からくる人格形成によって、半々の性質を持つ貴族として育っている。

 今日自分が見たものと、既に聞いたお伽噺と。果たしてそれらを、どう受け入れ、理解するべきなのか。

 

―――――貴族たるもの、その使い魔は己の半身と知れ。故に、使い魔はその主の鏡たらん。

 

 そう教わったからこそ、ルイズの葛藤は終わらない。半身を受け入れたくとも、身に馴染まない大きな違和感は、ともすれば胃を締め付けるような痛みすら伴っていた。 

 

 

 

「ルイズ」

 

 

 

 深みに陥りそうであった思索を打ち切ったのは、唐突にかけられた声と、お腹に回された手であった。

 気がつけば、いつの間にやら立ち直ったステラに、おもいっきり抱きつかれていた。

 主の気も知らず、妙に甘えたような声を出す使い魔の姿に、ルイズは呆れたような声音で疑問を投げかける。

 

 

 

「……さっきからなんなのよ」

「無視されたから抗議」

「抗議って……」

 

 

 

 ルイズの背中にグリグリと、まるで甘える猫のような仕草で頭を擦り付けるステラ。

 ぎゅっと、お腹に回された手に力がはいるのがわかる。ちょっと息苦しい。

 仕方なく背後を振り返ると、微妙にふくれっ面になったステラと目が合った。

 途端、ルイズは急に、今まで自分が真剣に思い悩んでいたことがバカらしくなって、思わず吹き出してしまった。

 

 

 

「もう、なによその顔。ちょっと考え事してただけでしょ」

「無視ってよくないよ」

「してないわよ」

「怒ってる?」

「なんで?」

「難しい顔してる」

「……考え事。大したことじゃないわ」

 

 

 

 ちょっとだけ、言葉尻が濁る。

 その真意を理解したのか、はたまた何か思うところがあったのか。ステラはじっ、とルイズを見つめる。

 とっさに目をそらしたのが失敗だったと気付いたのは、ステラが何かを決意したような顔をした時だった。

  

 

 

「ねぇ、ルイズ。散歩に行こうよ」

「……アンタね、今何時だと思ってるの」

 

 

 

 呆れを隠さず、少しだけ身を起こして、目を細めるようにして睨む。

 だが、ステラはそれを受けてもなお、固そうな意思を込めた目で見返してきた。

 気圧された、とまでは言わない。だが、その中にある何かを感じてたじろいだのは事実だった。

 そんなルイズの心の機微を悟ったのか、ステラは唐突に表情をゆるめ、薄い笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

 

 

「地球だとね」

「……アンタの故郷だっけ?」朧げながらも、以前聞いた身の上話から、その事を思い出すルイズ。ステラは一度小さく頷く。

「うん。そこにも、昔は月があったんだ。一つだけ」

「……」

 

 

 

 少し、感傷に浸るかのような物言いに、ルイズはマンティコアの尾を踏みつけた時のような気分になった。あの時は散々泣きわめく羽目になるわ母に折檻されるわと最悪な思い出である。

 同時に、己の不用意な発言を恥じ、後悔する。それでも、傾ける耳を逸らさなかったのは――――決して義務感からきたものではない。

 

 

 

「でも、戦争の所為で粉々に砕けちゃった」

 

 

 

 そして、さらりとこぼれたその言葉に、ルイズは文字通りに絶句した。

 恐る恐る、背後の窓の向こう、半分ずつ重なり合う双子月を見やる。ステラもまた、それに釣られるようにしてルイズの視線を追う。

 主従揃って静かに、窓の外に浮かぶ青と赤の光に、暫し魅入った。

 紺碧の夜空に君臨する、青と赤の双子月。

 昼の太陽が豊穣と命の輝きであるならば、宵闇を照らす月は慈愛と眠りの輝きだ。

 その月が砕かれる。一体、どのような魔法が――――いや、戦争だったというのか。

 ルイズには想像もつかない。あの慈しみに満ちた光が失われた、夜の世界など。

 そして、彼女の話を信じるならば。

 この少女は――――ステラは、そんな薄闇と天涯孤独の中、とても長い時を生きてきたという。

 果たしてそれは、いったいどれほど恐ろしい事なのか。

 

 

 

「……あんなに綺麗だなんて、知らなかったな」

 

 

 

 訳も分からず、ルイズは己の涙腺が緩むのを感じた。

 同情なのかもしれない。聞いた話が一から十まで事実であるならば、ステラの境遇は哀れと悲壮そのものだ。とても、自分如きが憐れむことができるような、生易しい人生ではない。

 だから、というわけではない。ただ、これ以上こんな辛気臭い話を聞きたくない。そう、思ったから―――月の輝きに感動している、己の使い魔に付き合ってあげるのも、主人の務めだと思ったからだ。

 

 

 

「……着替え、取って」

「――――うんっ」

 

 

 

 仕方ない。

 そう、本当に仕方のない、世話の焼ける使い魔なんだから。

 ぶすっと、わざとらしく頬を膨らませたりなんかして、ルイズはその心の内で言い訳をする。

 満面の笑みを浮かべ、喜色を隠そうともしない使い魔の後姿を、しっかりとその視界の端に収めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空をとぶための魔法に、"フライ"なるものがある。

 風の系統に属する魔法の筆頭で、多くのメイジが系統魔法の基礎中の基礎として習うものの一つだ。

 その本質は文字通り、空を飛び、飛行することにある。

 同一系統の似たような魔法に"レビテーション"があるが、両者の違いは詠唱に用いる"術式"、そして"対象を直接移動させるか否か"にある。ただまぁ、この場ではそれはひとまず置いておこう。

 そんな思考に耽るルイズは今、満点の星空と双子の月に淡く照らされながら、なぶるような風の中を泳いでいた。

 

 耳をつんざくような、甲高い吸気音。

 同時に、はためく髪とぶつかる風が奏でる風切り音。

 

 "フライ"なんぞメではない。

 己の特性/爆発魔法のせいでついぞ叶うことはないだろうと、心の中で密かに諦めていた経験の只中にありながら、ルイズはしかし、今はその感動を味わうような心の余裕を保てずにいた。

 

 

 

「よっ、と」

 

 

 

 軽い調子の掛け声は、今現在ルイズをお姫様抱っこしている使い魔―――ステラのものだ。

 流れるように過ぎ去っていった景色が急激に止まり、暴力のような風の海が緩やかな凪へと移る。

 ここにきてようやく、あえぐように空気を貪り、知らずと緊張と驚愕でしばらく息を止めていたことをようやく思い知るルイズ。

 

 ステラとルイズは今、空を飛んでいた。

 

 散歩に出よう、と誘われて外に出たら、空を飛んでいたのだ。

 無論、ルイズの魔法ではない。いまだにどんな魔法も爆発してしまうのだから、当然だろう。

 ではなぜか。

 

 

 

「うん、調子いい。整備してなかったけど、大丈夫みたい」

「ッ……」

 

 

 

 初体験に次ぐ初体験で、もはや絶句するしか無いルイズは、必死に己の使い魔にしがみつくほかなかった。

 ちらりと抱きついているステラの背後を見やれば、そこには竜の吐くブレスのような青い噴炎が、まるでステラの尻尾のように吹き上がっている。

 もっと詳しく言うなら、ステラの腰から繋がる鋼の翼と、その背部から噴き出る蒼炎の尾があった。

 黒き鋼の翼――――それは、ステラが召喚された当時、その身に纏っていたモノだ。

 

 最初は眉唾だと思っていた。

 散歩に行こうと決めてから、ステラが突然ガチャガチャと何かの準備を始めた時のことだ。

 召喚したその日、あの召喚の現場を離れて直ぐ、大事にルイズの部屋の片隅に置かれていた鋼の翼を纏うステラを見て、冗談まじりに「なにそれ、空でも飛ぶつもり?」と、ルイズは半ばバカにした口調で問いかけたのである。

 きょとんと首を傾げながら「そうだけど?」と返された時には、もはやため息しか出なかった記憶が恨めしい。

 

 なにせ、ご覧の有様だ。

 

 だって、こんな鉄の羽で空を飛ぶなんて、ソレこそコルベールの妄言と同類ではないか。

 だというのに、そんなルイズの愚かしい思い込みは、あっけなく砕け散ることになった。

 言い換えるなら、それはカルチャーショックとも言うのだろう。

 己の知らぬ常識に身を浸し、分を弁え、井戸の外の世界を知る。世界ががらりと変わって見えるというのは、この場合比喩ではない。

 事実、ルイズが今見る景色も、体験も、そしてその心臓が奏でる激しい鼓動も、これまでただ一度として経験したことのない"感動"だったのだから。

 

 

 

「どう? 空、飛べたでしょ」

「――――」

 

 

 

 月に一番近い場所。

 正確には雲を超えた先、気のせいでもなく息苦しい、コートがなければ凍えていたであろう未知の領域で、二人の少女は青い噴炎をなびかせながら遊泳する。

 ゆっくりと大きく弧を描きながら、二人の主従は言葉なく、青々と、赤々と輝く双子月と、その周囲で踊る星の海に目を奪われる。

 

 ステラは、胸が詰まる思いだった。溢れそうなもので胸がいっぱいになって、なぜだか無性に笑いたくなった。

 ルイズは、胸に支えていた何かが外れたような気がした。寒々しい空気を吸い込んでも、じんわりと暖かかった。

 

 二人は、互いに別のことを考え、そして同じ考えに行きつく。

 

 言葉にはしない。

 ただ、ゆっくりと。

 お互いに顔を見合わせ。

 そして、蕩けるような、月の輝きを思わせる微笑みを見せ合う。

 

 ルイズを抱く手に力がこもる。

 ステラの首に回された手に、力がこもる。

 

 小さな主従の夜の散歩は、それからもしばらく続き、ルイズのくしゃみによって終りを迎える。

 寮塔へと戻る頃、二人はどちらからともなく、互いのその小さな手を、しっかりと繋ぎ合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 黒い帳が青と赤にあでやかに染め上げられた静謐な時間。

 部屋の中央、大きなベッドの上では、一組の主従がすやすやと眠っている。

 帰ってきたときのまま、お互いに手を握り合いながら。

 人にあらざる身であるが故、何があったか、どんな変化が起きたのか、"彼"には知る由もない。

 が、それでも。

 

 

 

「やれやれ、今回のご主人様は、えれーヤッコだ」

 

 

 

 かちゃかちゃと、その口代わりの鍔が鳴る。

 人が発する声とは違う、金属音を含む独特な発声は、染み入るように夜の部屋の隅々へと染み渡った。

 その身を錆付かせ、もはや朽ちるのを待つばかりとなって幾星霜。まさか、こんな諦めが入った時に、こんな面白い使い手に出会えるとは。

 長き"剣"生を生きた彼であっても、予想だにしなかったことだ。

 彼は独り静かに思う。この度彼の使い手となった、黒髪の少女のことを。

 ……いや、果たして少女と呼べるのか。

 人で在らざるがゆえに。その身の上から、己を握る者の本質を看破し得る特性ゆえに。

 彼は薄っすらと、少女の奥底の"異様"に気づいていた。

 かつて、幾度も連れ添い、見てきた"神の左手"の担い手の中でも、今回の担い手はあらゆる意味で群を抜いている。

 果たしてそれが、"継承者"にとって吉と出るか凶とでるか――――彼にはあまり興味がない。

 あくまで、彼は武器なのだ。剣なのだ。手にとって振るい、武力を体現するための部品に過ぎない。

 そういう意味で、此度の担い手には大いに期待している。

 一体、どのように自分を使ってくれるのか。果ては、どの領域にまで辿り着くのか。

 

 

 

「楽しみすぎて、ちっとも眠れやしねぇや」

 

 

 

 俺様、剣だけどな!

 楽しげな鍔鳴りが、ほんのひと時宵闇の静寂を掻き乱す。

 己の存在意義に餓えていた一振りの剣は、今か今かと、己の出番を待つのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 







蛇足ですが。
後半、お空の遊泳中にルイズがぜんぜんしゃべっていないのは、その環境ゆえです。
すくなくとも、何の訓練もしていない一般人が雲の上で地上と同じように振舞うのは無理があるでしょう。
いうまでもなく、ステラはそこまで頭が回っておらず、ルイズはまたわけのわからない反骨心でそれを表に出さないようにしていましたが。
ルイズの意地っ張りもといかわいらしい面を少しでも紹介したく。

それでは、また次のお話で。


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六節

ご無沙汰しております。
仕事に忙殺されること2年。
その合間合間にちまちま書いていたものを、久々に投稿させていただきます。
のんびりいきますので、どうか末永くご愛顧いただきますれば、幸甚にございまする……


 

 

 

 

 

 

 虚無の曜日―――つまり、ルイズとステラが王都へ繰り出した翌日である週初めの日のこと。

 のどかな午前を過ぎ、うららかな陽気が満ち溢れる時分。

 学院を震わす知らせが、王都より届いた。

 

 

―――アンリエッタ姫殿下、7日後に来訪す。

 

 

 その日はちょうど、進級した新2年生が、召喚した使い魔の品評会が行われると同時に、同日夜には舞踏会が催される日だ。

 使い魔召喚の儀式に並ぶ、学院における毎年恒例の行事だが、今年はついに来たか、と教職員一同が気を引き締めなおした。

 というのも、品評会へ王族が参列するのは、先代トリステイン王が崩御されて以来。久方ぶりの王族の参列とあっては、栄えある魔法学院として最大限の持て成しをしなければ面目が立たないというものである。

 

 そもそも、なぜ魔法学院の一行事に王族が参列する次第となったのか。

 初めは、微笑ましい授業参観のごときお披露目イベントでしかなかったものが、いつしか上級貴族、軍務総監、果ては国王陛下と階段を上るように参列者の格が上がっていった、という経緯がある。

 というのも、忘れてはならないのだが、そもそも魔法学院の生徒とは、将来的な国家の戦力といっていい。

 最初こそただの授業参観であったが、そこから優秀なものが輩出され、国家の要職へとついたとなれば、誰だって目の色が変わるというものだ。

 そして、メイジにとって生涯をも左右する重要な行事である使い魔召喚の儀、ひいてはそれによって召喚された使い魔の品評会が何を意味するか―――それがわからない貴族はいない。ましてや、己の戦力を把握しない王がどこにいるか、という至極単純な理由から、王族の参列はもはや当たり前のこととなっていたのだった。

 無論、中には留学生を初めとした"国民ではない"存在もいるが、それとて貴重な情報だ、彼ら彼女らが国外へと戻るなりすれば、どれだけの戦力が"向こう"にいるかという情報のひとつになる。その逆もまた言えるが、そこはどの国もやっていることだ。外交の腕前が全てとなる。

 ただ、これらはあくまで政治の中心を担っている宮廷雀達の視点から見た側面であり、これが学院生徒達となると、またがらりと意味合いが変わってくる。

 無論、それは"将来の相手探し"という実に世知辛い理由だ。

 そもそも、貴族にとってパーティとは人脈確保の格好の機会である。学院はその予行演習や練習の意味合いも含めて、なるべく多くの催しを開こうと努力しているのであって、品評会はあくまでオマケ。学院側の人間(生徒、教師、その他諸々)にとって、本番はその夜に開かれる舞踏会である。

 二年生という新学年、加えて、残り二年しかない学院生時代。卒業すれば嫌が応にも社会の荒波に飛び込まなければならない以上、自身の伴侶ないしは"就職先"の確保は早ければ早いほどいい。それが長続きするかどうかはまた別だが、経験を積むことに損はないし、相手を選ぶ際に使い魔を基準にする、というのもアリだ。

 ましてや、今回はトリステインが誇る美姫、今は亡きアンリ陛下の忘れ形見たるアンリエッタ姫殿下がお越しになるとあれば、誰も彼もがその青い血を疼かせるというもの。

 …………なかには一部、身の程知らずな夢を見る生徒もいるとかいないとか。

 

 ともあれ、現在このトリステインに残っている王族―――数年前に崩御した先王の后であるマリアンヌと、その娘たる王女アンリエッタの親娘二人揃って、引きこもり癖を発揮していた中での吉報だ。素直に喜ばしく思うのが大半であり、久方の王族の参列となれば生徒職員双方ともに準備に力が入るというもの。

 

 そういった前提があって、冒頭の報せへと至る。

 

 その報せは、さながら雨の日に轟く雷鳴のごとく、半日と経たずに学院中へ知れ渡り、そこかしこが来る非常事態のために慌ただしくなった。

 使用人達は王族を出迎えるため、より一層その職務に励むことになり、準備も含めて普段の作業量が三倍以上にも増えたことで完全な人手不足に陥り。

 教師達は、出迎える王族への歓待と準備、また生徒達が粗相を起こさぬよう血眼になりながら教養と礼儀の詰め込みにやっきになり。

 生徒達は品評会とその後に開かれる舞踏会、ひいてはそのどちらの場にも現れるであろう姫殿下に憶えめでたくあろうと、衣裳棚と財布をひっくり返す連中と、あくまで堅実に学院内の生徒へターゲットを絞ったリアリストな生徒達に二極化している。ただし、極々少数派(マイノリティ)ではあるが、普段と変わらない生徒もいた。

 最近の学院における授業は軒並み教養と作法の特別講義へと取って代わられ、どの授業でも語られるのは"トリステインの貴族として相応しい振る舞いと教養を云々かんぬん"といった、既に不必要だったり興味がない、退屈な時間へと成り果てている。

 とはいえ、意外なことにルイズもステラも、悉く潰される魔法関係の授業を惜しく思いつつも、教養関係の授業を切り捨てるということはなかった。

 いつも通り真面目に出席し、静かに拝聴し、厳かに学ぶ。

 それまで時折発生していた局地的な爆発事故が無い分、まだ現状の方が平和と形容できるのは、非常に皮肉な話ではあったが。

 

 そんな、波風立たない凪のような日々が過ぎて数日。つまり、あと三日もすれば学校が待ちかねる王女殿下御来訪となる昼下がりの午後のこと。

 

 特別講義があれども、例外的にその影響を受けない使い魔との交流時間において、ルイズは重い悩みを抱えていた。 

 

 

 

「……あぁぁあぁ……」

 

 

 

 形容しがたい、ピンクな主人のうめき声である。

 そんな主を見て、今朝方使用人仲間(もはや、今のステラはそのカテゴリに入っている)から差し入れてもらったおやつであるミートパイをもっきゅもっきゅと頬張り、冗談か何か、はたまた奇術の類ではないのか疑いたくなるような量を、そのまま"飲み下した"ステラは、テーブルに突っ伏し、生者を呪う亡者の如く呻いている主へと問いかけた。

 

 

 

「急にどうしたの?」

「……思いつかないのよ……私としたことが……」

 

 

 

 頭を抱え、ぐでんぐでんと、彼女の姉がこの場に居たら説教2時間コースは確実な、実にはしたない格好で、ルイズは呻く。

 なお、現在はルイズの自室。主はそのベッドの上であられもない姿で痴態を晒している。

 本日の授業は早めに切り上げられ、各自一週間後のお祭りに向けての準備期間ということで早めの上がりとなったのだ。

 準備に余念のないものにとってはありがたい話であるが、一方で、準備したくともそれに取り掛かれないルイズのような者にとっては、ことさら拷問のような時間に思われる。

 刻一刻と期限が迫る中、遅々として進まない己の作業の進捗状況に頭を抱え、その無駄な時間すらも恨めしくなるという負のスパイラルだ。

 無論、事情を何も把握できていないステラは、要領を得ない返答に首を傾げざるを得ない。

 とりあえず更にもう一つ、ミートパイの隣にあったアップルパイを"飲み干し"て、さらに尋ねた。

 

 

 

「なにか大事なもの?」

「大事な行事よ」

「今噂の?」

「ええ。一応、前々から考えてはいたのよ。でも、あんたにいったい何をさせたら……」

「?」

「品評会なのよ? 自分の使い魔の紹介と同時に、何ができるのか、ひいてはそのメイジがどんな使い魔を引き当てたのかを見て、その評価をする場なの!」

「評価……」

 

 

 

 字面から連想できるのは、ラボのバンクにあった映像記録だ。

 何かしらの製品の合同発表会だったような気がする。そう、あれは"車"と呼ばれるものだったり、あるいは服だったりした。

 それらを大勢の前で披露して、その性能や姿、あらゆる意味でその存在感と価値をアピールする催し。

 認識はこれで間違いないはずだ。

 それが、三日後にあるという。

 しかも、対象となるのは、自分とその主だという。

 今更すぎる、という語句は禁句だろう。

 

 

 

「私が出るの?」

「主従揃って出るのよ」

「何ができるか、アピールする?」

「端的に言えばね」

「それで、周りの子達は練習してるんだ」

 

 

 

 窓から身を乗り出しては周囲を見回し、納得したように呟くステラ。

 確かに、ここ数日妙に何かしらの芸のようなものを練習する使い魔の姿が散見できた。

 その努力が披露される場があるのだと知って、内心楽しみに思う一方で、そこには自分も出なければいけないことに少しだけ悩みを抱く。

 危機感というか、焦りのような物はないが、果たして"どの程度"のものが許されるのか。悩みはそこだ。

 ただ、そんな使い魔の内心など露知らず、ルイズはむしろそれ以前の問題で悩んでいる。

 

 

 

「あぁもう……そもそも、使い魔が人間だなんてどう説明したらいいのよ……」

 

 

 

 ややもすると、能天気ともいえるような気楽さで、あれやこれやと披露できる"特技"を思い返していたステラは、そんなルイズのうめき声にふと我に返る。

 ルイズの口ぶりからすると、使い魔が人間であることになにか不都合でもあるのだろう。

 それは、これまでの自分の体験や、周囲の視線からなんとなく伺えていたことだった。

 が、実生活に影響があったわけではない。それはつまり、ステラの中で非常に優先順位の低い話題、ということだ。

 故に今まで気にかかりはしたものの、はっきりと意識したことはなかったし、ましてや"問題"と捉えるほどのことでもなかったのである。

 それがここにきて、きっちりと問題点を浮き彫りにしていた。

 なるほど。よくよく思い返してみれば、この学院内で"人間の使い魔"を従えているのは、ルイズただ一人だ。

 

 それがこの世界においてどういう意味を持つのか、ステラはまったくもって知らない。

 授業においてもまったく触れられてこなかったし、ある程度事情を知っているであろう教師陣には、それを聞き出す機会がなかった。

 コルベール以外にそれほど親しい友誼を持つ教師はいないし、当のコルベールもこれまで研究に没頭していたり、今は行事に向けて大忙しと、聞き出せるような状況ではなかった。

 そう考えると、まともな話ができる大人が回りにいないのも悪かったのかもしれない。

 しかしそれはもう過ぎたことだ。 

 大事なのは、これからどうするか。ルイズが自分に何を望んでいるのか、を知ることであると、ステラは考えた。

 

 

 

「いっそ、開き直る?」

「時折、あんたのその豪胆さは賞賛に値するわ」

「えへん」

「褒めてないわよ。ベリーパイ没収」

「あぁ……」

 

 

 

 目の前で、手を伸ばした先にあったパイを取り上げられて、実に切ない声と共に涙目になるステラ。

 ルイズはそれを丁寧に布で包み、バスケットにしまうと、厳重に封をした。

 最後に、ちらりとそのパイを見せつけるようにしてやったのは、些細な嫌がらせなのだろう。

 無慈悲である。ステラは一気に悲しくなった。だからその悲しみを癒やすべく、手近にあったミートパイを頬張る。

 

 

 

「一応聞いておくけど、アンタ特技とかないの?」

「特技……得意なこと――――あるよ」

「そう、まぁそうよね、あるわけ…………あるのッ!?」

 

 

 

 ほとんどノリツッコミのような体のルイズの驚愕に、しかし律儀に頷くことで肯定するステラ。すでに先程食べていたミートパイは飲み込んでいる。

 当然、手をのばすのは甘いジャムを塗りたくったガレット。ほのかなベリーの酸味と贅沢に投入された砂糖の甘味が愉悦をもたらす。

 その傍ら、ステラは己に何ができるのか順繰りに思い出しながら、ルイズへ説明するように話を続ける。

 

 

 

「洗濯、掃除、かんたんな料理、研究所の機材整備もできるし、新しい機材も作れる。材料と冶金技術があれば、トライクももう一台作れる」

「……使い魔の自慢じゃないわね。後半意味わかんないし」

「わかりやすいのなら、戦える。あ、大道芸の記録映像見て練習したことあったから、少しはできるよ。ちょっと自慢」

「…………却下。なんか嫌な予感がするわ」

「むぅ、ルイズはわがままだね」

「うっさいわね! 世界のどこを探しても、使い魔の品評会で使用人の自慢をするバカはいないのよ!」

 

 

 

 ルイズが求めているのは、あくまでこの世界の常識に照らし合わせて"使い魔として価値のある特技"であり、つまるところそれは、ユニークなスキルのことである。

 火を吐くだとか空を飛ぶだとかのポピュラーなものから、ビホルダーのような魔法威力を減衰させる光を目から発するだとか、コカトリスの物質を強制的に風化させる腐食息だとか、つまりはそういうものである。

 対してステラが提案したのは、どれも"人"の、それも生活習慣における特技だ。最後はちょっとアレだったが、使い魔という観点から見てはあまりよろしくない。

 端的に言えば、この世界における使い魔に求められているソレではない。

 

 

 

「まったく……もっと他にないの?」

「例えば?」

「そうねぇ……人間で、使い魔なら、占いとか?」

「占星術? 少し、難しい。私はまだ、この星の並びを全部覚えてないし、歴史も知らないから」

 

 

 

 厳密に言えば、ルイズのいう占いとステラの言う占星術は根本的に異なる。

 ステラの言う占星術とは、あくまで世界に起きうる事象をわかりやすく――といっても、その前提となる知識量が膨大にすぎるのだが――体系化した情報をもとに、統計学的な予測をたてるものであるのに対し、ルイズのソレは完全な超常的力を伴った予知だ。

 ただし、ステラ自身の才能としての"枷"を外せば、未来予知紛いのこともできなくはないのかもしれないが……アレはあくまで危機的状況における最終手段なので、出番はまずない。

 よって、望む回答が得られなかったルイズは落胆するしかない。

 

 

 

「そうね……まぁ、アンタが強いのは結構な人が知ってると思うから、何かと戦ってみせるのが一番手っ取り早いのかしら」

「相手はギーシュがいいと思う」

「……なに、なんでそこであのキザバカの名前が出てくるのよ」

「特訓に付き合ってる。あの子の名誉挽回にもなるし」

「バカ。あくまで今回の席は私達が主役なのよ。それなのに、なんであの馬鹿の名誉回復に協力してやらなきゃいけないの」

 

 

 

 ルイズの言葉は正論である。

 今回の行事は、あくまで主従の力量を測るためのものである。

 そのために協力を依頼するのはさして珍しいことではないが、それが主役を食ってしまってはいけないのである。

 いわば、皆ライバルなのだ。自分たちの舞台でライバルを持ち上げてどうする。そういう話である。

 とはいえ、ルイズ的にはソレ以上に思いつきようもない。

 もともと想定していた使い魔というのは、そのほとんどが幻獣等の類であって、ステラのような人間を紹介するなど予想だにしてなかったのだ。

 それが、今回の品評会でどのような特技を披露するのがウケが良いのかなんて、わかりようはずもない。

 どれをどう披露しても、その評価は使い魔ではなく人間に対してのものになりそうな気がしてならないのだ。

 さすがに、この間の晩の"空中散歩"は度肝を抜かれたが、しかし、それだってメイジなら誰でもできることである。"飛ぶ"という字面に限定すれば、だが。

 そもそも、人間の使い魔が、使い魔らしいアピールをする、というのがおかしい、とルイズは内心毒を吐く。

 確かに伝説上では何例か、人間の使い魔が存在したという話はある。しかし、それらはどれもおとぎ話レベルの不確かなものだ。イーヴァルディの勇者と同列とすら言える。

 今の常識は、使い魔=幻獣だというのに、その図式を無理やり人間に当てはめようというのが間違いなんじゃなかろうか、とついには今現在の社会の根底に存在する価値観にまで喧嘩を売るような思考が回り出すルイズ。

 さすがにそれ以上は、己のアイデンティティに関わることだ。

 一度、頭を振って意識を切り替える。

 どのみち、これ以上あーだこーだと悩んでも仕方なさそうなのもまた、間違いない。

 であれば、妥協が必要だ。

 問題は、その妥協点をどこに設定するか。

 一般人ができそうでなく、それでいて使い魔っぽい特技。

 ……ふと、ルイズの脳裏に、先日耳にしたフレーズが蘇る。

 あれはそう、いつだかの夜のこと。

 ルイズが復習のために夜遅くまで筆を走らせていた時。

 どこからともなく、とても耳に心地よい音色が聞こえてきた。

 筆を止めて振り返れば、窓際に腰掛けたステラが、思わず聞き惚れるような歌声で、しっとりとしたバラードを歌っていたのだ。

 おそらくは故郷の言葉だろう、意味はわからなくとも、聞いているだけで胸が締め付けられる、それでいて悲しさよりも慈しみを感じる歌だった。

 もう一度、聴いてみたいなと思う欲求と、どうしてか、それをお願いすることに大きな羞恥心と、言いようのない敗北感を覚えてしまうせいで、なかなか言い出せなかったのだが。

 でも、やはりよくよく考えてみれば、妙案のように思える。

 

 

 

「ねぇ、アンタ、歌得意でしょ」

「歌? どうかな、誰かに評価されたことなんてないから」

「……この間、夜に歌ってた」

「うるさかった?」

「べ、別にっ!? ただ、ちょっと、そうね……ちょっとだけ、ほんのちょっぴり、いいなって思ったから。他にないんだったら、それでいいんじゃない?」

「歌……うん、やってみたい」

 

 

 

 ステラが乗り気であることを、ルイズは意外に思った。

 提案としては、前言を翻すようなものであるし、そういった職業の人間でなければ、普通は恥ずかしがって嫌がる類の提案である。

 加えて、ステラは様々なことに好奇心が強く、初めてのことや、知らないことに関する知識欲は凄まじい。

 だが、それと普段における積極性とはまた別だ。

 言い換えれば、興味のわかないことに関してはとことんドライなのである。

 ルイズやシエスタといった親しい間柄の人間に関しては、鬱陶しいくらいに構ってくるが、キュルケやタバサ、その他の生徒達に対しては、時折寒気を覚えるほどのドライさを見せる。

 そのギャップと言うべきか、それともアンバランスと評すべきか迷うような無垢さは、美点でもあるのだが、欠点でもあった。

 そうした普段の様子から、歌などというありふれた娯楽の一つに興味を見出すとは思っていなかった。

 だが、乗り気なら文句はない。やる気になっているのだから、今のうちに話を固めてしまえ。ルイズの本能のような何かがそう囁く。

 

 

 

「じゃ、一曲披露するってことにしましょう。それなら、メイジじゃない人間の使い魔としては文句はないだろうしね」

 

 

 

 本音を言えば、その無駄にとんでもない身体能力を誇示して、観客らの度肝を抜いてやりたい欲求もあるのだが、その場合すごいのは使い魔のみと見られかねない。

 ルイズは相変わらずのへっぽこメイジで、コモンマジックですら未だに成功していないのだから。

 分相応という言葉を知っているからには、その知識を無駄にしない立ち振舞をする必要があるのも、残念ながら事実なのだ。

 そういう意味では、歌というのは案外良い着地点を選べたのではないかと思う。他のものは、どうにも極端にすぎるのだ。

 それからしばらく、品評会に向けての段取りと内容の打ち合わせを行い、ルイズとステラは別れた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





言い訳等は活動報告にて。
次回は未定ですが、アニオリのあの回をやってみようかなと思います。
フーケ?
……間の話と書いて間話だから平気サ!


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七節

お久しゅうございます、皆様。
諸事情あり、筆を折っておりましたが、この度奮起しまして、せめてこの物語だけでも、自分の納得行く形で終わりを迎えさせたいと、こうして恥を顧みず戻ってまいりました。

長く何も書いていなかったので、リハビリも兼ねた投稿となります。
そのため、乱文となり大変お見苦しく感じられるかもしれません。
自分が設定していたこと、原作の設定など確認しながらの投稿となりますため、あいも変わらず不定期とはなりますが、少しでもお楽しみいただければ幸甚です。



 美しい歌声だった。

 崩れ去った廃墟のような世界の中心で、その白は、まるでこの世は我が物とばかりに歌っている。

 

 白く、無垢で、純粋の象徴のような少女だ。

 

 腰まで伸びる、雪のように真っ白なツインテールの髪。

 スラリと伸びた四肢は、雪の結晶に化粧を施したかのように好き通るほど白い中、薄っすらと血の色を通わせて仄かに桃色に染まっている。

 貫頭衣のような見すぼらしい服すらも、そういうドレス(・・・・・・)なのではと思えるほどに、見目麗しく、無邪気さと妖艶さを振りまく、恐ろしい少女だった。 

 

 ゆらりゆらりと体を揺らし、そのたびに雪のような髪が踊る。

 喉から紡がれる調べは滔々と空へと溶ける祝詞として溢れ、周りのすべてがその歌声に聴き入っていた。

 

 そう、すべてが。

 世界が。

 生きとし生けるもの、死して尚たゆたう狭間の者共すらも、何もかも一切がその歌声に魅了された。

 

 それは、こうして夢であると認識しながらも傍観する他無い自分もまた同じで。

 同時に、気持ちが悪いほどの既視感を覚えた。

 自分の経験ではない。

 誰の経験でもない。

 でも知っているのだ。この光景を、姿を、歌声を。

 では、自分は誰だろう。

 今、こうして、彼女の直ぐ側で、世界の全てを愛していると高らかに歌い上げる彼女を見やる、この自分は。

 

 歌が響く。

 結末へと階段を登る。

 恋を歌い、愛を歌い、たどり着いた先に、どんな感情が待つのか期待する。

 

 その閉じられたまぶたの奥に、どのような瞳があるのだろう。

 開けばきっと、宝石すら霞む美しさに違いない。いや、その表現すらも陳腐であるに違いない。

 期待する。

 同時に切ないほどの息苦しさが襲う

 いまかいまかと、その目が開かれることに焦がれ。

 まだ、まだもう少しと、この恍惚とするような一瞬が続くことを祈る。

 

 あぁ、だめだ。

 もう終わる。

 もうすぐ見れる。

 

 世界の何もかもを魅了し、この心を掴んで離さない天上の調べが終わりを告げる。

 世界を静かに揺るがし、波紋を広げ、しかし徐々にその波が収束へと向かいながら。

 

 少女が、こちらを見て。

 

 見て。

 

 目を――――――――――――

 

 

 

 ▼朝の一幕

 

 

 

 はっ、と。

 ルイズは得も言われぬ感覚に襲われて目を覚ました。

 息が荒い。

 知らずと、自分ですら自覚していなかったようだが、まるで全力疾走をしたあとのような鼓動を心臓は叩き続け、額に滲んだ汗こそ僅少なものの、その質は十滴を一滴に圧縮したかのように重い。

 首を傾け隣を見れば、最近はもうお決まりとなりつつある、ルイズのベッドへと潜り込んできた、勝手気ままな黒猫(ステラ)が丸まって深い眠りに落ちているように見える。こいつ今日は朝の仕事サボったわね、と思いながら、頭をガシガシと、淑女らしからぬ所作で掻きながら思う。

 

 夢、だったのかしら。

 

 口の中から発することはなく、しかししっかりと転がした上で、呆然とした思考を無理やり動かし、いま寸前まで見ていたあの幻想()に思いを馳せる。

 

 ステラだと思った。

 でも違う。彼女は、無垢という言葉をそのまま体現したかのような白だった。

 

 同じようで、違う。

 

 ルイズはそう直感した。

 同じではない。アレは、あの少女(ホワイト)は、自分たちとも、自身の知るナニカとも、ましてやステラとも異なる、相容れてはならないナニカだ。

 聡明さと、その類まれな感性が導き出す答えに、答えるものはいない。

 だが、ルイズは答えを必要としなかった。なぜなら、自分がそう感じた(・・・・・・・・)のだから。

 

 『わけのわからないことや、自分にとって想像の余地も及ばないことがあったとき、そんなときは、自分の直感を信じなさい』

 

 それを教えてくれたのは誰だっただろうか。

 いつか、どこかで、誰かがそんなことを教えてくれた気がする。そして、ルイズは今、その言葉に感謝の念を覚えていた。

 

 ゆるりと上半身を起こして、そっと窓の方を見やる。

 今日は珍しく暖かかった。

 それは、まだ月が明るく空に佇む夜半の中であっても変わらず、カーテンをしていなくとも肌寒さを感じることはない。

 だが、ルイズは念のために(ゆっくりと、丸まった黒猫を起こさないようにして)ベッドから降りてカーディガンを羽織ると、ぺたりぺたりと足音を鳴らしながら窓辺へと近づいた。

 月が明るい。

 双子月が煌々と輝き、点を彩る数々の星が幻想的な美しさを拓げている。

 それなのに、今はその輝きが無性に怪しく感じられ、我知らずと体の芯から震えが発しているのがわかった。

 

 脳裏に、焼け付く、あの白。

 

 歌が響き、心が震え、そして恐怖した―――今、理解した―――あの瞬間。

 

 すべてが純白に染まる中で垣間見た、唯一の例外(赤い瞳)

 

 なんだかよくわからなけれど、でも決して忘れてはならないように感じられてならない、筆舌に尽くしがたい奇妙な夢だった。

 窓から踵を返し、ルイズはいそいそとベッドの上に登る。

 そして、ごそごそと毛布をひっぱり、丸まったステラの腰に抱きつくようにすると、二人が包まるように毛布をひっかぶった。

 

 

 

「ぅう……? ルイズ……?」

 

 

 

 寝ぼけたような、わかっているようでわかっていない、夢見心地といったような様子で、ステラが呻く。

 ルイズはそれに返事することなく、その細い両手を、華奢極まりない少女の腰へと回して密着した。

 背中に耳を当て、命の鼓動に耳を澄ませる。

 温かい音がする。

 あの心を震わせて、心胆寒からしめる壮絶な空間とは真逆の、にぶく、ゆるく、それでいて力強い鼓動の音が、ルイズの震えをゆっくりと解きほぐしてくれる。

 しばしそうしていると、ぐるりと少女の体が回った。

 同時にルイズは頭を抱きかかえられ、決して豊かとは言えない少女の胸にその顔を埋める。

 そしてそれは、なおのこと少女の心の臓が奏でる拍動を、耳に力強く届けてくれた。

 

 やけに冴え渡っていた頭は次第にまどろみを覚え、早鐘を打っていた心臓は、少女の鼓動に引っ張られるように落ち着きを取り戻していく。

 もう一度、ぎゅっとルイズはその細い腰を抱きしめた。

 離したくない、離してなるものかと言わんばかりに、力強く。

 

 そして、しばらくして、ルイズの意識はゆっくりと拍動の中に溶けていこうとする。

 

 でも、その時確かに聞こえた。

 焚火のような暖かさで。

 慈愛に色が灯ったような緩やかさで。

 途切れ途切れに、でも不愉快ではない、まるで縮れた心を解きほぐすような歌声が。

 

 あの(恐怖)と全く同じ、歌が。

 

 だが、もう震えはない。

 恐れもなく、得体のしれぬ感情に心が揺るがされることもない。

 

 ルイズは、まるでこの寸刻の出来事こそが夢であったと思いながら、その優しい子守唄の波に身を委ね、再び眠りに至るのであった。

 

 

 

 ▼夜が明けて、日々が過ぎ

 

 

 

 品評会用のお披露目内容が決まってから、あっという間に時間がたった。

 一曲歌を披露するということではあるが、特段練習の必要はないんじゃないかな、と思うくらいには、ルイズとしてはステラの実力に疑いはない。

 もともと、盗み聞きというと言葉は悪いが、時折耳が拾うその歌声には素直に称賛を送っていたし(心の中で、だが)、一度、何かのきっかけがあったら、その歌をじっくりと聞いてみたいと思ってもいた。

 インパクトはそれほど高くはないが、周囲が名だたるメンツ(風竜だのサラマンダーだの)であることを鑑みれば、なんとも芸のない催し物ではあるが、悪くはないだろう。

 加えて、自分の使い魔の特異さと、普通に公開したらヤバそうなあれこれをカモフラージュできるし、と「今回の私ナイスファインプレー!」なんてガッツポーズを取るくらいには、ステラの発案とそれを認めた自分の判断を称賛している。

 

 ともあれ、品評会が翌日まで差し迫った夜のこと。

 すでに、昼の段階で姫殿下は学院に到着しており、盛大な歓待式を以て学園中が前夜祭騒ぎに陥ったものだった。

 今でこそ夜も更けたことで落ち着きはしたが、しかし、どことなく学院全体が、明日の品評会に向けて落ち着かないような、微妙な緊張感に覆われているのを感じている。

 ランプでぼんやりと灯された室内の中、鏡台に映るルイズの顔は、どことなく疲労が色濃く現れているように見えた。

 少なくとも、化粧を施していない今は、目の下の隈がくっきりと見えているので、寝不足、あるいは疲労困憊なのは疑いようがなかった。

 もちろん、この日に至るまで、ルイズは平穏とは言い切れない日々を過ごしている。

 ステラとのあれやこれやの騒動はもちろんのこと、相変わらずな実技の授業の補習や、その過程で生じた爆発被害の後始末、深夜の特訓、さらに2日ほどばかし(主にステラの暴走のせいで)どこぞの貴族と独りの平民メイドの奪い合いをしたり*1と、正直この学院に入校して以来の目が回るような忙しい日々であった。

 特に、毎日深夜まで(正確には、魔力切れで気絶する寸前まで)庭の隅っこで意図的に失敗魔法を繰り返し、少しでも失敗による爆発の規模を制御しようとしていたのが、一番の疲労の原因なのかもしれない。

 

 ステラの騒ぎに振り回されることもしんどいといえばしんどいが、恐ろしいことにもはや慣れてしまったのだ。少なくとも、日常の一部として流せるくらいには。

 

 だが、魔法の特訓だけは、慣れない。

 以前ステラと話したこともあったが、"違和感"を拭えない作業を、なんのゴールも見えないまま、成果もほとんど感じられず、闇雲に繰り返すという苦行は、かなり精神的に負担がかかる。端的に言って、軽い絶望との戦いだ。

 日々の授業を経るごとに、周りのみんなはどんどん魔法の腕前を上げていく。

 そのなかで足踏みをすること、いや、それどころかみんなと同じスタートラインにすら立てていないことは、いくら座学主席という肩書を持っていようと、帳消しにしてさらにはマイナスのプレッシャーを抱え込むくらいには、深刻な問題である。

 そのため、毎日毎日、根を詰めて気絶寸前まで失敗魔法を繰り返し、決して晴れやかにはならない精神状態のまま、半ば気絶するように眠るのだ。

 その時、包み込むように抱きとめてくれるステラには、ほんのちょっぴりだけ、救われる気持ちになる。

 当然、そんな質の悪い睡眠のとり方では、体に疲労が積もり積もる悪循環を招いていた。

 よって、さすがに、明日の品評会の最中に無様を晒すわけにも行かないので、今日ばかりは深夜の特訓はなしにして早めに床に就こうとしたのである。

 

 なお、振り返ると、すでに寝る準備万端となったステラ(下着の上に持参していた黒いパーカーを羽織っただけ)が、ベッドに待機しながらシーツをこっち、はよこいとばかりにバンバン叩いている。鬱陶しいことこの上ない。

 普段の無表情が、少しだけドヤってるのがなんだか腹立たしい―――いや、寝不足とかその他諸々による八つ当たりかこれ。うん、そうに違いない。

 主の気苦労など塵芥ほども気にしてなさそうな自分の使い魔の様子に呆れ果てながらも、ルイズはランプを消してベッドへと登った。

 窓から差し込む月光は、双月の異なる明かりが混ざって、いつものことながら幻想的だ。

 それ故に、時折思い出す。

 あの、何日か前の夜、不気味で恐ろしい、それでいてひどく幻想的な夢を見た日のこと。

 その時に耳にした、二人の同じ歌。

 明日、ステラが歌を披露するからだろうか。

 未だに、「なんだか、恥ずかしいからやだ」という理由でどんな歌なのか教えてもらえていないステラだが、あの日のことを思えば、きっとそれはみんなの予想を裏切る結果をもたらすに違いない。

 それはともかくとして、相変わらず、ルイズはそのことで悩んでもいた。

 あの夢は、きっと、いや間違いなくステラに縁のあるモノだ。

 しかし、ルイズにはそれについて尋ねる勇気が、どうしても持てなかった。

 普段なら考えられない遠慮の仕方だが、しかし、ルイズは躊躇う。そこに、踏み込んで良い(・・・・・・・)のか。

 

 

「ルイズ、どうしたの?」

 

 

 ハッとすると同時に顔を上げる。

 知らず知らず手を重ねて握りしめていて、じっとりと汗が滲んでいるのがわかって気持ち悪い。

 「なんでもないわよ、バカ!」などと誤魔化しついでに怒って見せて、いそいそとベッドに寝転がる。

 ステラもそれに倣って、ルイズの横に寝転んだ。

 じーっと、なぜかルイズの瞳を覗き込むようにして凝視してくるが、ルイズはそれから逃れるように、きつく目をつぶって寝るふりをした。

 ルイズは、決して鈍いわけでも、察しが悪いわけでも、ましてや他人の感情を読むのが苦手なわけでもない。

 むしろ、それらはこの学院の中でも、一般的な貴族という範疇の中ではかなり洗練された感性を持っている。

 当然だろう。

 公爵家の三女でありながら落ちこぼれと揶揄され、それは学園に入学してから更に激しくなる。

 己がバカにされるばかりか、終いには実家の名をも汚す事になっている現状において、それらの機微へ鈍感に見えるようにしているのは、言うまでもなくルイズの無意識からくる演技だった。

 高慢で、高飛車で、高圧的で、いつもピリピリとしているくせに自身の身の程をわきまえない落ちこぼれ。

 だが、その一方で、ルイズはいつだって周りの評価を気にしては、しかし気にしないように自身に言い聞かせ、そんなことでうじうじするくらいなら一秒でも多く努力するべきだ、と奮起してきたのだ。

 故に、少女はあのささやかな幻から、これまで蓄えた様々な知識を下地に、最悪の場合を一瞬で想定する。

 

 『使い魔とその主人は、魔法的縁で繋がり(パス)が作られ、時折夢のようにして、互いの経験を垣間見る』

 

 確か、ルイズが読み漁った使い魔関係の文献に、そのような記述があった。

 幻獣であれば、人類とは明らかに異なる生態を垣間見て、同時にその生涯を共有することで、絆を更に深める。

 学術的にも、メイジとしても、それは喜ばしいこととして受け入れられる。

 だが、それはあくまで使い魔が幻獣であった場合だ。

 言葉は悪いが、メイジの常識の中で、使い魔に対して人と同等の権利を保証する、などといったことは存在しない。

 言い換えれば、その使い魔にとって知られたくないことや、秘密にしたいことなどは「存在しない」ものであり、仮にあったとしても、主である自身にそれを秘密にすることは、逆に使い魔との関係に悪影響があるとされている。互いの損得や、利害関係に基づいた行動が発生してしまうからだ。

 故に、真に素晴らしきメイジとは、身も心も、すべてひっくるめて使い魔と一つになること。人魔一体であるべし、というのが理想とされている。

 使い魔のものはメイジのものであり、また、メイジのものもまた、使い魔のもの。

 メイジは、己の使い魔のすべてを知る必要があり、使い魔もまた、主のすべてを知る必要がある。

 そうして、互いが真の意味で一体となっていることこそが、使い魔を従えるメイジである、という理想論(・・・)がある。

 言うまでもなく、そんなものを体現できているメイジなど、一握りしかいないのが実情だ。

 しかし、ルイズは真面目だ。頑固すぎるほどに真面目だ。

 

 それ故に、迷う。

 

 心の中では、もちろんこの気まぐれ極まりない、御するのに果てしない労力を必要とする(現に御しきれていない)使い魔の事を余すことなく知りたい(言うことを聞かせるための弱みを握りたい)と思っている。

 だが、幸か不幸か、ルイズの使い魔は人間だった。

 それも、ルイズの常識では測れない、未知の世界からやってきたという、前代未聞のイレギュラーである。

 過去の歴史を紐解いてみても、使い魔に人間を従えていた、などというのは始祖ブリミルくらいしかいない。

 そんなデリケート極まりない存在に対して、通常の使い魔=幻獣に対するように、無遠慮に踏み込んで良いものなのか、ルイズは踏ん切りがつかないのだ。

 

 同時に、ルイズは気づかないが、そこには恐怖心がある。

 

 どれだけ罵倒しようが、叩き倒そうが、ステラはルイズにとって、おそらく最初で最後の、世界で初めての理解者(使い魔)だ。

 本人に指摘すれば決して認めないだろうが、ステラによるルイズへの肯定は、同時にルイズにとって何よりも失いたくない宝物となっている。

 当然だろう。

 この歳まで、ただ一人以外、ルイズのことを認め、直視し、受け入れてくれた存在がいなかった。

 その一人とて、もう長い間言葉どころか顔すら合わせたことがない。

 だが、これまで頑張ってこれたのはその一人のおかげでもあるし、だからこそ、そこに加わってくれたもう一人であるステラの信頼関係を、ルイズは壊したくないのだ。

 繰り返すが、ルイズはあまりそうは見えないが、聡明な少女である。

 当然貴族的価値観により、一般市民とは異なった見方とはなるが、その身が修めた教養には、「自分がやられて嫌なことは、相手も嫌なこと(コミュニケーションのセオリー)」も含まれている。 

 仮に、ステラに無遠慮に心の内を探られたらどう思うだろう、と考えるのだ。

 もうほとんど知られているようなものだが、なぜ無能なのか、なぜ失敗するのか、それによって周囲からどう見られてきたか、どんな努力をしてきたか、それでも周りに認められず、実家の名を汚し、父母姉妹にどれだけの迷惑をかけてきたのか。

 前半はもう既に知られているから良いものの、後半に関しては、ルイズのプライドも相まって、決して、例え使い魔であろうと婚約者であろうと、軽々しく踏み込んでほしくない領域だった。

 そして、ルイズはステラに対して問いかけたいことは、それに等しいのではないか、と不安が鎌首をもたげる。

 あの夢は、それだけの意味(・・)があるものだと、ルイズは直感的に悟っている。

 

 白い廃墟の世界に、幻想的なまでに真っ白な少女。

 それでいて、ステラとはまるで真反対のような、表情豊か(・・・・)な少女の微笑み。

 

 故に、ルイズは口を噤んだ。

 何をどう伝えればよいのか、ルイズはその言葉を持たない。

 ただただ唇をぎゅっと噛み締めて、ステラのことを知りたいのに拒絶されるのが怖くて、でもなぜだか無性に、その夢のことは知らなければならないという強迫観念に襲われて、ぶるぶると手が震える。 

 

 さすがに、そんなルイズの様子をおかしく思ったのだろう。

 ステラが身を乗り出し、ルイズの額に手を当てる。

 

 

「風邪じゃないみたい……明日は大事な日なのに、そんなに苦しそうにしてて、大丈夫?」

 

 

 純粋な思いやりなのがよく分かる、実にステラらしい直接的な言葉だった。

 いくらお気楽で何も考えてなさそうと言われるステラでも、明日の品評会がルイズにとって大事な行事だということくらいは、理解していた。

 だから、こっそり深夜に起きては、学院の校舎の屋根の上で歌う予定の曲を練習したりもしたのだ。決して、ルイズに恥をかかせたくないがために。

 だが、目の前のルイズは顔を真っ赤にして、ブルブルと手を震わせている。

 それだけなら、何か怒らせたのかとも思うが、表情は思いつめたもので、同時に一瞬だけ見えたその瞳の奥には恐怖心が見え隠れしていた。

 ステラは、対人関係が乏しい。

 しかし、その生まれ故に、機微に関しては異常なまでに鋭いのだ。

 その結果、ステラは「ルイズが何かを我慢しているけれど、怖がっている」くらいにしか判断ができない。

 原因がさっぱりわからず、ましてやそれが自分のことだなんて思いも寄らないため、ステラは一体どうしたら良いのか、全くわからなかった。

 

 そうやって、二人が互いに互いを思いやり、それが故にそれ以上の一歩を踏み出すことができないまま、しばらくの時間が過ぎた頃。

 

 

「!」

 

 

 ステラが、飛び跳ねるようにして、音もなくベッドを走り下り、扉へと身を寄せる。

 一瞬の出来事に虚を突かれたルイズは、その行動を目の当たりにしながらも、頭が真っ白になる。

 ついで、一拍遅れてからの、独特なリズムでのノック。

 こんな夜更けに、一体誰が。

 漂白された思考に、もはや反射条件のようにして浮かび上がる疑問。

 同時に、この独特のリズムを、ルイズは知っていた。知っていて、それが何だったかを思い出す前に、時間切れが訪れる。

 

 それは、あの日のギーシュとの決闘の再現を思わせるほどに、あっという間の出来事だった。

 ステラが扉を静かに、かつ勢いよく開くと同時に、扉の向こうの闇へと手をのばす。

 次の瞬間、闇の中から一人の人物がルイズの部屋に引き入れられると同時に、その右腕をひねり上げて床に叩き伏せられた。

 もはや瞬きする暇もない。

 ステラは、その人物の首の頚椎に左膝を乗せ、左手でひねり上げた腕を固定し、その腕の脇へといつの間にか手にしていた右手の短剣をあてがっている。

 少しでも動けば右手のナイフが脇をえぐり、失血死を免れないだろう。

 しかし、動こうにも頚椎を抑えられ、かつ、絶妙にすべての動きを制限するように右腕を捻り上げられているため、叩き伏せられた人物はピクリとも動くことができない。

 

 

「い、イタイイタイ!!」

「あなた、誰? 目的は?」

 

 

 冷淡、とは少し違う。

 非常に甲高い、怪しいことをする人物とは思えないような悲鳴を上げる人物に対し、ステラは淡々と聞くべきことの最小限を尋ねる。

 当然、悲鳴はガン無視だ。追い打ちのように「これ以上騒ぐなら、脇の下を刺すよ?血がいっぱい出るからやめたほうがいいと思う」と脅しをかけるあたり、なぜだか非常に手慣れている。ルイズは、ますますこの使い魔が理解不能になっていた。

 とはいえ、さすがにルイズも慣れた(・・・)もの。

 ステラの突飛な行動に対して思考停止することは最悪手であり、事態改善のためには、必ず(・・)訳が分からなくとも自分が間に入らなければならないということを、この短い期間にようく心得ていた。

 

 

「はい、ストップ、待ちなさいバカ猫。抑えるのはいいけどナイフはどける!」

「……」

 

 

 無言で、しかし渋々とナイフをパーカーの下に潜り込ませてしまうステラ。そこに隠してたんかい。

 ため息を漏らし、ルイズは改めてその「侵入者」をみやった。

 体格は自分より上。しかし男性とは思えぬほどに華奢で、もはや「ひぐっ、えぐっ」と泣きが入っている。どう考えても少女だった。正直すまない気持ちでいっぱいになる。

 問題なのは、フード付きのローブで全身を隠し、顔も見えないことだろう。

 こんな夜更けに、一人で、しかも全身を隠すようにして訪れる。

 字面だけ見れば、暗殺にやってきた刺客のようにも思えるが、取り押さえられて泣き出すような間抜けはいないだろう。

 いや、そもそも、学院内ではいくら恨みや迷惑を買っては掛けているとはいえ、刺客を送り込まれるほどではない。と思いたい。

 しかし、では此奴は一体どこのどなたなのか……まさか実家からの連絡要員で、何か火急の用事が、とも思うが、それならそれで、顔を隠す必要がない。

 わけが分からず首をかしげるルイズだったが、ふと先程のノックのリズムが脳裏をよぎり、そして連鎖的に昼のどんちゃん騒ぎが駆け抜け、その中心で手を振って微笑んでいた人物を思い出す。

 

 

「あわ、あわわわ」

 

 

 ガクガクブルブル。

 そんな擬音がふさわしいほどの震えが、ルイズを襲った。

 

 

「ちょ、ちょっちょちょ、す、すすす、ステラ……!」

「まって、ルイズ。今尋問してる」

「バ、ばば、バカ猫……っ! バカねこぉっ!!」

 

 

 ステラは相変わらず、尋問するようにその人物をいじめている。

 えぐえぐ嗚咽をもらず「その御方(・・・・)」の腕をぐりぐりしながら、「ねぇ、いい加減名前教えて?」と、やべぇことをやべぇくらいに無表情にやらかしている。

 問いかけながら、左膝に力を入れたり、腕を捻ったり、何をどうしているかはわからないが、体のどこかしらを突いては、悲鳴が上がる。

 だめだ、これ以上はだめだ。

 ルイズは紫電のように閃き、結論に至ると同時に、この状況のヤバさに漏らしそうになりながらも、せめて、せめて少しでもこのやばい状況を終わらせなければと、もはや言葉を忘れて行動に移した。

 

 

「いいからやめなさいこのバカ猫ぉっ!!」

「おぐっ」

 

 

 ステラの脇腹に思いっきりドロップキックをお見舞いし、強制的に拘束状態を解除させる。

 同時に、甲斐甲斐しく倒れ伏していた人物を助け起こし、「姫様、大丈夫ですか、申し訳ございません、すみません、ほんとうにすみません」と、あーでもないこーでもないと容態の確認を行っている。

 当然、蹴り飛ばされたステラは意味がわからなかった。

 ふっとばされた先で難なく体勢を整え、いきなりドロップキックをお見舞いしてきた主の暴挙に異を唱えようとして、その光景の意味不明さに首を傾げる。

 

 

「ルイズ、知ってる人?」

「アンタも今朝お会いしている御方よ!!」

「??」

 

 

 何故か、泣きそうになっていた。

 ステラはさらに意味がわからず、もはや90度に近い角度で首を傾げる。腕を組むのも忘れない。

 

 

「い、いいのです、ルイズ。このような夜更けに、こんな格好で現れた私の不徳故」

「いいえ姫様、全ては主である私の不始末、誠に、誠に申し訳なく」

 

 

 いたわるようにその人物を助け起こすルイズ。

 その拍子に、フードが外れ、その隠れていた顔が顕になった。

 そこでようやく、ステラは自分が誰を取り押さえていたのかを理解する。

 

 

「姫様……いえ、アンリエッタ・ド・トリステイン殿下」

「お久しぶりね、ルイズ。壮健そうで、何よりですわ」

 

 

 現トリステイン王国第一王女、アンリエッタ・ド・トリステイン。

 ルイズは、思わぬ来客と嫌な予感に身を震わせながら、己の不運に対し、ひたすら内心で罵倒を並び立てるのであった。

 

  

*1
ジュール・ド・モット伯爵に、シエスタが買取されたため、ステラがそれを奪いに行った事件。交渉の末開放してもらったものの、ルイズは少なくない資産を失い、徹夜もするなど割と散々な目にあった




ルイズと姫様の会話って、本当ならもっと厳粛なはずなんですが、原作での会話を見ると相当フランクなんですよね……。
バランスを取るのが難しいですが、次話でようやく話がちゃんと動き出しそうです。


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