ナギサ様の脳を破壊し隊 (あみたいと)
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ナギサ様の脳を破壊し隊
記憶の切れ端


 

 

 

「凄い……広い……!」

 

 晴天の如く見渡す限り広がる敷地、そのなかに堂々と天を裂くほど聳え立つ宮殿……と見間違える程荘厳な校舎を中心に様々な建物が並んでいる。その壮観さは1つの首都レベルだ。そしてその景色に馴染むように、周りには全体的に白色を基調とした制服を纏う沢山の女の子達が……皆麗しく、例外なく全員頭部から天使のような輪を浮かばせ、背や腰、頭部から羽が生えていたりと特徴的な者も居る。少女達はまだ早朝ということで、時間に余裕があるのか雑談をしたり備え付けのベンチで読書をしたりと、各々自由に過ごしている。

 

「いい?はぐれないように手は離さないようにね。これからトリニティ総合学園初等部の生徒としての所作を、お姉ちゃんが手取り足取り教授してあげるから、しっかりと聞くこと」

 

 圧巻とも言える風景に見惚れていると、落ち着いた――しかし芯のある強さが籠った声に引き戻される。

 握られた手の先を見上げるとそこには……梳いた淡いブロンドのロングと春風に揺られる純白の羽を持った少女――桐藤ナギサがいつになく真剣な眼差しを向けていた。

 

「……っ!」

 

 どうしてもこれには慣れない。この()()()()()()これをやられると、自然と背筋が伸びて竦んでしまう。

 

「ナギちゃんそんな硬いこと言わない!ナズちゃんが緊張しちゃうでしょ?」

 

 と、そこへ助け舟がやってきた。桜を想起するピンクの髪をサイドに結んだお団子と、半袖にして露出した陶磁器のような二の腕、そして例に漏れず腰から生えた羽――聖園ミカが空いていた片側の手を取り、()をナギサから引き剥がす。

 

「ミカさんが弛み過ぎなんです!いいですか?もう私たちは下級生ではないのですよ?中級生として……」

 

「あーはいはい。中級生として自覚を持ち、トリニティ総合学園の模範的生徒としての手本~……でしょ?いくらなんでも早すぎるよ?まだ上級生じゃないのにさぁ」

 

「いえ、早すぎるなんてことはありません。だいたいですね」

 

「わかったわかった!……あっ!じゃあさ私も案内するよ!この学園の先輩としてね」

 

 話を無理矢理切り上げ、任せなさいと自信満々に手を当てながらも……その顔にはニヤニヤと妙案、いや企みが湧いた笑みを浮かべている。

 

「いえ、まずはナズサの姉である私がその責務を……ナズサいいですか?まずは勉学の基本である教室から……」

 

「はーい!じゃあまずはオススメの売店を案内しちゃいまーす☆ナズちゃん付いてきて!」

 

 そのままナギサから逃げ出すように手を引っ張り、グングンと距離を離していく。

 

「ナギちゃん置いてっちゃうよー!」

 

「待ってください!ミカさん!」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 皆さんはブルーアーカイブというゲームをご存知だろうか?

 

 透き通るような世界観の学園都市キヴォトスを舞台とし、様々な学園の個性豊かな生徒達が銃火器片手に繰り広げる群像劇。王道の青春の物語だ。

 

 その物語の中に一つ、エデン条約編というものがある。あらすじとしては、キヴォトスの三大学園であるトリニティ総合学園とゲヘナ学園が、過去の因縁を払拭し、無意味な争いを避けるために不可侵条約を締結する。と、青春の二文字からはかけ離れたドロドロの政治が舞台になっている章がある。

 

 その物語を織りなすキャラクター達は本当に魅力的で、全員が主人公と言っても過言ではない。

 今までの日常を舞台にした物語とは一変。様々な思惑を胸に動く平和を願った条約。阻止しようと追ってくる過去の因縁。陰謀に巻き込まれていく無辜な少女達。迎える最悪な顛末、何処までも続く怨嗟と絶望……しかしそこでは終わらない。諦めない。一人の“大人”が動き出したことにより、物語は続き()()した。

 そして気付く。忘れていたごく当たり前の、しかして難しく尊い大切な想い。苦難を経て、生徒と先生が掴み取る最高の未来(ハッピーエンド)。そこにあったのは王道な、青春の物語だった。

 

 そのギャップ、裏切らない胸熱展開の均衡を上手く調和した物語はブルアカ屈指のストーリーと言えるだろう。

 

 本当に素晴らしいんでぜひやってください。

 

 

 

 そんなエデン条約編に俺には一人推しキャラクターがいる。あ、もちろん全員が推しではあるのだが、そこは自重し敢えてここでは1人だけPUしたいと思う。

 

 

 

 桐藤ナギサ。

 

 トリニティ総合学園の生徒会長ティーパーティーのメンバーであり、エデン条約の締結を担う重要な人物。

 穏やかな口調と性格。趣味は茶葉収集とお菓子作り、庭の手入れとTHE お嬢様と言った出で立ちの彼女は、条約を阻止しようと企むスパイの情報を嗅ぎ付け、やがてその責任感の強さと大義、そして疑心暗鬼に支配されやがては悪辣な手段も辞さなくなってしまい……大切な友を傷付けてしまった。

 

 はっきり言ってしまうと、エデン条約編でのナギサは恐らく多くの人があまり良いイメージを抱かなかったと思う。疑わしき者を集めた補習授業部をゴミ箱呼ばわりし、横暴と言えるような手段を講じて徹底的に補習授業部の邪魔をしてきた。その姿は悪女にも見えただろう。

 

 しかし、先生と、友と、幼馴染にもう一度向き合うことで。信じるという大切な事を思い出し、未来へ踏み出すことができた……のだが、ひとつ彼女は大きな傷を……PTSD(トラウマ)が刻み込まれてしまった。

 それは大切な友である……阿慈谷ヒフミ。桐藤ナギサの数少ない友であり寵愛しているその人物だ。原因は、とある()()によってヒフミに対してもスパイの容疑がかかっており、疑心暗鬼に取りつかれたナギサは容疑にかけた生徒を退学させるために創部した補習授業部へ入部させ、退学一歩手前まで追い詰めてしまったことにある。諸々の事件が解決した後に、ナギサは補習授業部全員に謝罪をし、和解出来たのだが……1つだけ問題が。

 

 

 ナギサがスパイに狙われているとの情報を掴んだ補習授業部は、その日諸事情により独り身になっていたナギサを助けに向かった。

 そんなことを知る由もないナギサが、現れた補習授業部のアズサとハナコに指揮官は誰かと問うた時にハナコが伝言として放った一言。

 

 

「あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ」

 

 

 その口調は阿慈谷ヒフミのものだった。

 

 ナギサは本心として、ヒフミだけはスパイではないと思っている節があった。

 確かに容疑はかかっているが、あんなにも優しくて頼りになるヒフミが……そんなハズ……。

 

 

 実際、それはハナコによるただの意趣返しのようなものであり、その後誤解も解けたのだが。その衝撃的なセリフはナギサ様の脳を破壊してしまった。

 

 お茶を嗜んでいる時にふと、「あはは……」とヒフミの笑い声がフラッシュバックした時には、思わず含んだお茶を吹いてしまうほどには症状は深刻だった。

 

 それを機に一躍悪役キャラから早変わり、気品さを持ち合わせながらもお姫様(ゴリラ)に並ぶ脳筋さを持ち合わせ、ヒフミに片思いをするも空回りし、そのヒフミはᓀ‸ᓂに取られてしまった挙句、トラウマを植え付けられたちょっと不憫なお嬢様となった。

 しかも、実際に彼女が疑いをかけた補習授業部は、誰一人として裏切り者ではなく(スパイはいたが裏切り者ではない)真犯人が判明した際の顔は……ちょっと余りにも可哀想(可愛い)で……ぜひブルーアーカイブやってください。ストーリーだけならすぐに読めますので!

 

 

 

 ……そこで俺は気付いてしまった。

 

 

 女の子には笑顔が似合う。それには異論は一切無いが……それと同時に曇った顔も似合う、と。

 

 重く暗い曇天があるからこそ青々とした晴天が輝くように。笑顔の添えに曇れば曇るほど輝きは増す。

 

 エデン条約編はこれを絶妙なバランスで兼ね備えているからこそ、人々を魅了しているのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな一般性癖オタクだった俺は、あろうことかブルアカ世界にTS転生した。

 

 

 

 

 

 しかも、桐藤ナギサの妹として……となったらやることは1つしかない。

 

 

 

 

 

 そう、これは神が告げている。

 

 

 

 

 

 すこーしだけナギサ様をいぢめて、すこーしだけ曇らせて……ナギサ様の脳を破壊せよ。と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そんなに膨れっ面しないでよ~悪かったって」

 

「許しません……私の話を聞かずに妹を勝手に連れ出して……挙句、まず最初に教えるのが娯楽だなんて……いいですか?私たちはここで学びを」

 

「え~でも、美味しいよ?ね、ナズちゃん」

 

「うん!ミカちゃんありがとう!とっても美味しい!」

 

 春になり、遂に今年からトリニティ総合学園に入学した妹、桐藤ナズサに姉としての良いところを見せようと張り切ったものの、幼馴染のミカにその出番を奪われたナギサは、にこやかにパンケーキを頬張るナズサを複雑な心境で眺めていた。

 

「ナギちゃんも食べよ?」

 

「私は結構です。既に朝食を済ましてますので」

 

 黄金色のハチミツを垂らし、バニラアイスとふわふわのパンケーキを頬張る2人を見ていると食べたい気持ちは山々なのだが、そこはナギサのプライドが許さなかった。

 しかも今日は朝から張り切って二人を叩き起こしたので、時間もまだまだ余裕があり急かす事も出来ず、二人がゆっくりと食べ終わるのをひたすらに待つしかない。

 

「あ、走り回ったから髪が乱れているわ……ほら、ナズサ。お姉ちゃんが直してあげる」

 

 漂う焼きたてのパンケーキの匂いに、素直に食べれば良かったと後悔していたら――折角いつも以上に気合いを入れてセットした、ナズサのお団子ハーフアップが崩れている事に気が付いた。

 

 最近のナズサは幼馴染のミカの自由奔放な言動や仕草に影響されて、性格も似てきてしまっているのがナギサの悩みだった。それらをこの入学を機に改めさせ、もう一度自分を手本にさせようと計画していたのだが、初日からこれでは先が思いやられる。

 

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 

 ……そんなに邪気のない笑顔を向けられると叱るものも叱れない。

 

「……動かないで。もう少しで終わるから」

 

 肉親の証である自身とそっくりの、少しくせ毛のついたブロンドを梳く。お団子に関しては、ミカが勝手に作った際ナズサが気に入り、以降必ずセットするようにしている。絹を扱うよう丁寧に慣れた手付きで結いながら、ナズサとミカと送るこれからの学園生活に思いを馳せる……ミカだけでなく、元々そういう節があったのか、ナズサも最近はそういった面が目立ってきた。そんな二人に振り回されるのが容易に想像出来る。……苦労するだろう。そしてそれ以上にきっと楽しい。それも悪くはないかもしれな…………。

 

「ホント、シスコンだねぇ」

 

 前言撤回。やはりこのままではダメだ。この人に妹を任せてはいけない。というか、ナズサだけでなくミカさんもしっかりと教育して矯正しなければ。

 

「……ミカさん?そのパンケーキ私が食べさせてあげましょうか?」

 

「ヒエッッ……な、なななんでもないです!」

 

 

 

 

 

 

 

 そこからの生活は本当に楽しかった。

 

 

 三人でのお茶会やショッピング、集まって試験対策の勉強。何でもない当たり前の学生としての生活が続いていた。

 

 

 偶に些細なことで喧嘩に発展したり、案の定問題行動を起こした二人を叱ったりと、決して良いことばかりではなかったが、それでも一緒に居て楽しかった。

 

 

 大切な友達も出来た。どうしても硬い言い回しになってしまい、距離感を置かれがちな私にも優しく接して、時には相談にも乗ってくれる努力家で可憐な友達。

 

 

 

 

 

 最近はエデン条約の件で業務に追われる日々が続き、なかなか時間が取れずゆっくりお茶会を開くことすら出来ていないが、それももう少しの辛抱。この条約が締結されればまた元の日常に戻れる。

 

 そしたら今度はセイアさんも誘って、折角仕入れたのにまだ使えていない特製の茶葉とお菓子で迎えて、みんなでゆっくりお茶を楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 そんな機会は訪れないとは露知らず、当たり前だった日常は、なんてことない子供心、信心を疑わざるを得なくなり深まる誤解、そしてただ救い救われたかったひたむきな情と、芽生え積み重なった怨嗟によって瓦解した。

 

 

 

 這いよる昏い翳に取りつかれた少女達は、前提を疑い、相手を疑い、思い込みを疑い、真実を疑うような……悲しくて、苦しくて憂鬱になるような。それでいて後味だけが苦い未来へ向かっていた。

 

 

 



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悪戯心

 

 

 

 時間が流れるのは早く。気が付いたら既に15歳。今年から桐藤ナズサこと俺は高等部に進級した。

 

 ということでですね。待ってたぜェ!! この瞬間(とき)をよぉ!!

 

 はい。遂に来ましたエデン条約編。ここから忙しくなりますよ。

 ゲームではエデン条約編がどの時期なのかはハッキリしていませんでしたが、1つだけ確定しているものとして、ナギサ様&ミカが3年生に上がってからの物語。

 判明している情報はこれだけですが、それさえ分かれば充分。ナギサ様が3年生になるまでに色々と準備と計画を練り、目標を定めてきました。

 

 

 改めて宣言しましょう。この世界で俺が成すべきこと。それは……ナギサ様の脳を破壊すること。そして原作の名シーンを生で見ること!

 

 

 

 ……はい。

 

 やっぱりね、せっかく転生したのならば原作の名シーンを見たいのがオタクの性。

 

 しかし、エデン条約編は一分一秒全てが名シーンと迷シーンで溢れかえっており、全てを追うことはこの世界で肉体を持ち生きている以上は物理的に不可能。更に高等部に進級したと同時に、半強制的にティーパーティーであるナギサ様の妹として、次期ティーパーティー候補としてナギサ様の付添人に任命されてしまった。おかげで自由に動ける時間が目に見えて少なくなってしまい、もうすぐエデン条約も来るので更に忙しくなる。

 

 ですので、苦渋の選択の末に可能な限りで絶対に見納めるシーンを列挙してきました。

 

 

 ・ロールケーキをぶち込みますよっ!

 ・補習授業部のプール掃除。

 ・ミカのわーお。

 ・アズサとモモフレンズの出会い。

 ・コハルのエロ本バレ。

 ・補習授業部の水着パーティー。

 ・ハナコによって明かされる黒幕(大嘘)

 ・ミカが裏切り者の姿として正体を明かし、アリウスの生徒を引き連れて先生に立ち塞がる。

 ・脳を破壊された後遺症によりお茶を吹くナギサ様。

 ・ヒフミによるタイトル回収。

 ・ミカとサオリの一騎討ち。

 

 

 これが第一目標達。

 

 大分篩にかけてしまいました……もっと色々見たいよぉ……。美食研究会の助けでゲヘナ自治区を切り抜けるシーンとか、アズサvsアリウススクワッドの対決とか、先生に甘えるヒナとか……。どれもエデン条約編を語るには大切なシーンなのに……断腸の思いではあるが仕方がない。せめて列挙したものは必ず見逃さないようにしなければ。

 

 

 

 そして第二目標ナギサ様の脳の破壊に関してですが……。

 

 

 

 具体的な方法としては、ミカと一緒にトリニティを裏切ります。

 

 

 と、言ってもただ裏切るだけでは味気ないので、こんなシチュエーションを計画しました。

 

 

 大切な友達すらも信じられず疑いをかけた者を纏めて追い込んだナギサ、然しそこには誰一人として裏切り者はいなかった。その後、誠心誠意謝罪し和解することは出来たものの、ナギサには深い傷が残ってしまう。そこへ降りかかる残酷な真実。真の裏切り者は幼馴染のミカだった。

 エデン条約調印式当日……突如飛来した巡行ミサイルによって通功の古聖堂は崩れ落ちた。混沌に陥る会場。その最中にナギサの目の前でもう一人の裏切り者が現れる。そう、裏切り者は二人居たのだ。その正体はずっと傍にいた妹であるナズサだった。彼女は見せつける様に瓦礫を踏み付け『それなりに楽しかったですよ。ナギサ様との姉妹ごっこ』と吐き捨てた……。

 

 

 

 ……これが俺の考えた最強最高のナギサ様の脳破壊方法です。

 

 ちょっとやりすぎかもしれないが、きっと大丈夫。ブルーアーカイブには先生がいる。彼、あるいは彼女がいる限り、決してバッドエンドには向かわない。全員に救いがある。それがこの物語(青春)のルールだから。

 

 

 こちらもしっかりと達成できるよう計画を練ってきた。その為の()()も既に用意済みだ。

 

 

 裏切り者になるということは、エデン条約を阻止(正確には利用)を目論むアリウス分校の生徒達と接触する必要がある。そして、その為には避けて通れない道がある。文字通り。

 

 アリウス分校の説明するに当たって、まずはこのトリニティ総合学園の歴史について触れなければならない。

 トリニティ総合学園は元々パテル、サンクトゥス、フィリウスという3つ学園を中心に、幾多ある学校間の紛争を避けるため連合となった学園であり、かなり血生臭い歴史が創立に関わっている。その軋轢が僅かではあるもの今も確かに残っている。

 

 因みに、この時に各校の代表が話し合う為に設けられた場がティーパーティーと呼ばれ、現在も生徒会がその名を冠して残り続けている。

 

 

 しかし、当時その連合の創立に反対した学園があった。

 

 それがアリウス分校。

 

 ただ、平和の為の統合に反対するものの末路は火を見るよりも明らかだった。平和の為に築き上げた連合は、徹底的にアリウス分校を迫害し追放した。今やその名を知る者すら少ない。

 そしてアリウス分校は、とある道を通じないと辿り着けない秘境へ身を潜めた。しかし、その時には既に学園としては機能していなかった。その後も、外部とは一切の接触を憚り続けたアリウス自治区は、やがて内戦が乱立し陸の孤島と化していた。

 

 そこへ一人の大人が訪れた。エデン条約編の諸悪の根源と言っても過言ではない、主役どころか敵役にすらなれなかった存在ベアトリーチェおば……ベアトリーチェお姉様である。彼女は唯一無二の大人として、絶対の支配者として振る舞いアリウス自治区を乗っ取り、更には己の計画の為にアリウスの生徒達を半ば洗脳に近い教育を施し、捨て駒として育てている。

 

 字面にして書くととんでもない畜生だな。他のゲマトリアは多少なりとも、人情らしき物があるのに……あるよね?

 シャーレの先生とは真逆の大人、絶対に相容れることはないな。

 

 

 そして、エデン条約編はプロローグよりも前身、第0章とも言える部分がある。

 

 ミカがアリウス分校の生徒と接触し、些細な悪戯心がきっかけになり、ティーパーティーの一人、百合園セイアを殺害してしまったことだ。実際は殺害には至っておらず、セイアを守る為に敷かれた情報統制だったのだが。これにショックを受けたミカは、計画を止められなくなりやがて、罪悪感と自己嫌悪の連鎖の末、魔女として暴走してしまう。

 

 ここで今大切なのはミカがアリウス分校と接触出来たこと。アリウス分校の自治区は、古聖堂の地下にあるカタコンベの先にあるのだが、このカタコンベが厄介なのだ。全体像を把握できないほど張り巡らされており、出口に繋がる道が変わるという性質上辿り着くのは困難極まりない。

 

 

 つまり裏切り者になるには、アリウス自治区へ辿り着き、現地の生徒と接触出来たミカに自治区へ連れていって貰う必要がある。

 

 余談だが、俺も自分なりに古書館でそれっぽい文献を漁ったり、シスターフッドの教会の立ち入り禁止区域に侵入したりと、手掛かりを探したものの徒労に終わった。しかも、シスターフッドに目を付けられ、完全にブラックリスト行きになってしまい、教会から出禁を喰らう快挙まで成し遂げた。

 

 幸いにも、ミカはいつも何か企みが浮かんだ時は必ず話を持ち掛けてくる。

 勿論それは今回も例に漏れなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ナズちゃん。私、遂にアリウス分校の自治区への道見つけちゃった☆」

 

「マジか……」

 

 聖園ミカにとって桐藤ナズサは幼馴染であり、可愛い後輩であり、唯一無二の悪友と言える存在だった。

 初等部、中等部では二人で色々な事をした。キヴォトス全域で話題になってたゲヘナ自治区のスイーツ店にこっそり忍び込んだり、帰り道結局バレて絡んできたゲヘナ生徒を返り討ちにしたり、命を削る本気の一夜漬けをして赤点をギリギリ回避したり、誕生日にサプライズと称してナギサにケーキ爆破を仕掛けたり、その度にナギサから叱られるのがお決まりであった。

 

 高等部に進級してからは、ミカはティーパーティーに選ばれ、ナズサも次期ティーパーティー候補としてナギサの付添人になり、お互い立場上の関係で派手なヤンチャはできなくなってしまった。

 

 そんなある日、ティーパーティーの定例集会にてミカが放った一言――アリウス分校とも仲良くできないのかな?確かにそれは、思いつきで言ったのものだったが、紛れもない本心でもあった。しかし、それを聞いたセイアとナギサはまた適当な事を……と怪訝な顔付きをしていた。それに心底腹を立てたが、その中でもナズサは流さず真剣に話を聞いてくれて、更に協力するとまで言ってくれた。その顔は、あの二人で悪戯を仕掛ける時によく見せていた笑みだった。時間が経って立場が変わっても、二人の関係性は変わっていなかった。

 

「リスク冒して色々やったけど……やっぱりこうなったかぁ」

 

「というわけで、今度のティーパーティーでの給仕よろしく~☆」

 

「趣味悪いぞ、ミカァ……正義実現委員会にパワハラで訴えようかな」

 

 それは高等部に進級してからの話。

 悪友であるあのナズサが、今まで一緒に問題ばかりを起こしてきたナズサが、乱れることなく清楚に制服を着こなし、姉であるナギサに給仕をしている姿を初めて見た時にミカは大爆笑した。更に自身もティーパーティーだからと、あまり使わないティーパーティーとしての権限をとことん使い、ナズサに給仕をさせていた。更に何処から仕入れたのやら、メイド服等昔のように着せ替えさせたりと好き放題やっていた。途中、ナギサに苦言を呈されてからは自重しているが、普段は対等な相手に、一方的に命令出来るアレはなかなか癖になる。

 

「それで、何時行く?」

 

「そりゃ勿論、今からでしょ!」

 

「オッケー、準備してくるわ」

 

「え、即答?……いいの?誘っといてなんだけど、今はナギちゃんの付添人でしょ?」

 

「まぁお小言は貰うと思うけれども……そんなんで日和るナズサさんではないよ?」

 

「……ふふ、やっぱり変わらないなぁナズちゃんは。私も人の事言えないけど」

 

 

 

 

 

 景色が全く変わらないカタコンベを突き進みながら、この先で待ち受ける未来を思う。

 最初は上手くいかないだろう。積み重なったアリウスの憎悪は、そう容易いものでは決してない。それでも、隣にいる悪友と生真面目すぎる幼馴染、少し気に食わないけど、自分よりもずっと賢くて聡明な友達。みんながいればきっと乗り越えられる。手と手を取ることが出来るはずだ。

 

 

 

 歩き続けて数十分。外の光が漏れこむ出口の先に……崩れ落ちた寺院の跡のような場所へ出た。

 

「要件だけ言え。トリニティ」

 

 出迎えはすぐさまやってきた。黒いキャップと黒いマスク、その眼は侵入者を撃退せんと鋭く睨み、手には何時でも構えられるようにARが握られている。

 

 ……まずは一歩足を踏み出し手を差し出す。決して銃口を向けにきた訳ではない。ファーストインプレッションは大切だ。

 

「初めまして☆ 誰だか知らないけど、あなたがアリウスの生徒だよね?私は聖園ミカ!こっちが桐藤ナズサちゃんで……」

 

 

 始まりは複雑なものでなかった。

 

 

 どこにでもいて、どこにもいない。

 

 

 なんてことないただ一人の女の子の、純粋な想いから物語の幕は上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう、どうしようナズちゃん、私どうしたら...」

 

 とある夜。

 寝静まった校内のとある場所。

 そこに2人の少女がいた。

 

「私、セイアちゃんを殺すつもりだなんて……こんなつもりじゃ……」

 

 吐露する。己の罪過を確認するように。誰かに届ける訳でもなく。

 

「あれ? どうして私、セイアちゃんを襲撃してって命令したんだっけ?」

 

「私は……私は……」

 

 自分でも支離滅裂を言っていると理解は出来ている。それなのに頭が、思考が纏まらない。

 

 ただ手を取り合いたかっただけ。ただ嫌いだっただけ。ただ少しだけ意地悪がしたくなっただけだったハズなのに……。

 

「取り敢えず落ち着いてミカちゃん」

 

 後悔と焦燥に押し潰され、自分の存在すらも不明瞭になって――握られた手は暖かかった。

 目の前には、いつもと変わらない笑みを浮かべた友が居た。

 

「安心して……大丈夫。私も付いてるし、それに……ミカちゃんには救いがあるから」

 

 

 一体何を根拠に……それは、ただの気休めにすらならない物。それでも。全てを理解しながらも。変わらずそこにいた友を見てミカは安堵した。

 

 

 

 それと同様の深い絶望と後悔も襲ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ。どうしてこうなったんだろう。何を間違えて、何がいけなかったんだろう。もう私には何も分からない。

 

 

 

 

 

 ……でもひとつだけハッキリ言えることがある。

 

 

 

 

 

 ……ごめんね。ナズちゃん。私があんな事を言わなければ。誘わなければ。巻き込まなければ。君も傷付けて……。

 

 

 

 

 

 ……私って最低だ。それでも隣にいてくれるナズちゃんに喜んでいる。

 

 

 

 

 

 だから……せめて裏切り者は……みんなに嫌われる魔女は私だけでいい。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 アリウス自治区の最奥、生贄の祭壇。バシリカ。

 そこでは領主であるベアトリーチェ以外は、基本的に誰も足を踏み入れることは許されていない。しかし現在、ステンドグラスから伸びる斜陽には2つの陰が映し出されていた。

 

 

「それで一体貴女は何者なのでしょうか?如何にして私の存在を掴み……()()。その言葉の意味をどのようにして知ったのか。教えて頂けますか?」

 

 確かにカタコンベを抜けて、アリウス自治区へ辿り着いた者は初であった。しかし所詮はそこ止まり、羽虫が1、2匹紛れ込んだ程度どうということでない。利用出来そうならば使うだけ、その程度の認識だった。

 しかし1匹、蛇が紛れ込んでいた。ベアトリーチェは領地であるアリウス自治区の状況は全て視え聴こえる。その能力はアリウスの生徒すらも知らない……が、それを眼前で跪くトリニティの少女は、ベアトリーチェの存在を了知しているだけでなく、その能力までも察知し……絶対に見過ごせない――――色彩を持ち出してきた。

 

「まずはこの聖地にお招きいただき誠にありがとうございます。そして、どうか領地内での狼藉をお許し下さい」

 

「……いいでしょう。私の領地へ不法に侵入したことは不問とします。それで?」

 

「御厚意痛み入ります……申し遅れました私、桐藤ナズサと申します。単刀直入に申し上げますと、実は……私には未来が視えます」

 

「……!!」

 

 一見荒唐無稽に見えるナズサの発言……それは決して軽視できるものでなかった。

 そう、既に未来を読めるものはキヴォトスに存在している、ベアトリーチェはその対策も打っていた。しかし、その相手は目の前の少女ではなかった。

 そして自身に探知されることなく、ここまで突き止めてきた事にベアトリーチェは僅かながらも恐怖を覚えた。

 

 最悪の状況だ。その一言に尽きる。ここにきて新たな予言者の出現とは。

 この少女は恐らく……ゲマトリアの存在は勿論、自身が目指す”崇高”の全貌までも把握している可能性がある。

 そして阻止する為の勝算があるからこそ、態々単独でここまで出向いてきたと考えるのが妥当だろう。アリウススクワッドを呼び出せるように警戒レベルを引き上げる。

 

 だが、それは杞憂に終わった。

 

「……そこで……視えてしまったのです……」

 

「……?」

 

「キヴォトスを破滅に導く……神を。ベアトリーチェ様が……色彩が……」

 

 少女は嗚咽に震え、破滅を齎す存在(大人)を前にただの無力な少女となっていた。

 桐藤ナズサはこれから訪れる未来を予見し、抗うのではなく服従の選択肢を取ったのだ。

 

「そう……ですか」

 

 ……口端が吊り上がる。

 

 そうだ。何を焦っていたのか。私の計画に狂いはない。完璧で正しい。

 敵対者とも言えるシャーレの先生も、私の崇高の前で敗れ去ったのだろう。

 

 その勝利の証と言っても過言ではない未来を読み解くこの少女の存在が、私の計画をより一層強固で盤石な物にする。

 

「それで? ただ私に未来を伝えに来たわけではないのでしょう?」

 

 約束された勝利を前に、ベアトリーチェは上擦んだ声音を隠そうともせず尋ねる。それで貴様は一体何を望むのか。と。

 

「……はい。私が持つ色彩の情報の提供、必要とあらばトリニティの古書館、シスターフッドの暗い秘密。なんでもします。一生仕えます。ですのでどうか……私の姉である桐藤ナギサと、今日一緒に訪れていた聖園ミカだけは……2人の命だけは奪わないでください」

 

 

「お願いします……」

 

 

 涙を堪え、消え入る声を振り絞り、震える体を抑えながら切実な願いと共に、恥も外聞も捨てて頭を垂れる。

 

 

 ……なるほど。これは使()()()

 

 

 自身の立場を正しく理解し、折れた聡明なこの少女。桐藤ナズサ。こんなにも御しやすく、長期的に使える有用な駒を態々捨てる訳がない。

 

「分かりました。崇高へ頂いた暁には二人の生命は保証しましょう……ただし、一生仕える……その言葉を忘れないでくださいね?」

 

「!……はい。ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 

 契約とも言えないようなこんな口約束程度で、歓喜し涙している様は……未来が視えても、聡明であっても所詮は子供という事実の証左だった。

 

 

 ……さて、精々酷使してあげますから、しっかりと働いてくださいね?

 

 

 




「ギヴォトスを破滅に導く(反転した)神を。ベアトリーチェ様が(呼び寄せた)色彩が(ギヴォトスを認識してとんでもないことに)」




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騒がしい茶会


ブクマ、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。励みになります。

感想は返せていませんが、ありがたく全て読ませて頂いてます。



 

 

 

 皆様方、ごきげんよう。

 

 次期ティーパーティー候補兼、ナギサ様の付添人兼、ベアトリーチェお姉様の犬。桐藤ナズサです。

 

 

 いやぁ上手く事が運べた~。

 

 ミカとは裏切るタイミングをずらす理想のシチュを実現する為には、古聖堂の襲撃に参加しなければならない。その計画に組み込んでもらうには、洗脳教育を施されたアリウス生徒の様に、絶対に逆らわず一方的に仕える忠実な駒となる必要があった。

 しかし俺は外部の人間。そんな人間が得体の知れない相手に理由もなく、一方的に仕えるなど不可解極まりない……そう、理由さえ作れば良いのだ。

 

 そこで原作知識の出番。

 これから起こること全てを悟り、絶望の末に慈悲を乞い、自ら人質という名の頑丈な手綱を主に握らせる。

 結果、晴れてベアトリーチェお姉様に絶対逆らう事ができない忠犬となれた。

 

 まぁ……こんなにもとんとん拍子で進めたのは、ベアトリーチェお姉様の嗜好――性根と言いましょうか。アリウス分校の生徒はもちろん、恐らくゲマトリアでさえも対等に見てはいない。

 先生だけは別かもしれないが……お前モテモテだな。

 

 そして、個人的ベアトリーチェお姉様の名言「子供は大人に搾取されるべき存在」そんな事を言う人間?の前に、哀れな存在が仕える代わりに、大切な人だけでも見逃してくれと懇願してきたら、嬉々として利用するのは目に見えていた。実際、俺が泣いてる時嗤ってたし。

 ……少しだけ気が合いそう。まぁ俺はハッピーエンドを望んでいるので、どう転んでも相容れることはないが。

 

 とにかく、首尾は上々。無事に鬼門であったビジネスパートナーを確保出来たことだし、次の計画に移ろうと思う。

 

 

 

 原作の名シーンを生で見る。

 

 その中でもやはり、補習授業部は絶対に見逃せない。

 

 エデン条約編を語るにあたって補習授業部は外せないだろう。

 陰謀に巻き込まれ、退学に追い込まれる4人。全員何かしらの問題を抱えていて最初はバラバラだったけれど、やがて距離が縮まっていきみんなで1つの目標に向かって、ひたむきに走る姿は心揺さぶられること間違いなし。王道には王道と呼ばれる所以があるのだと再確認した。

 

 ……そんなの転生したら間近で見るほかないよなぁ!?

 

 

 そこで俺はナギサ様に立案して、補習授業部の監督に任命してもらった。

 先生やヒフミ元帥よりも、贔屓目なしで厳しく監察できる。と、それっぽい理由を添えて熱弁したら渋々ではあったが納得してもらえた。

 

 因みにヒフミの元帥の意味は「ナギサ様の脳を破壊し隊」最高権力者である為俺が勝手に付けた。

 

 隊長がハナコ。副隊長がアズサ。

 

 俺はただの一般歩兵。

 

 

 閑話休題。

 

 

 ただし、付添人としての業務も疎かにしない。危険な行為は決してしない。という約束で俺は監督になった。

 

 

 

 ……えぇ。もちろん()()()()()()()()()()()()は、危険な行為などしないですよ?俺は約束を破ることはないですから。

 

 

 こうして俺の肩書きは次期ティーパーティー候補兼、ナギサ様の付添人兼、ベアトリーチェお姉様の犬兼、補習授業部の監督となった。……過労死不可避だろこれ。まともに寝れなさそう。

 

 

 ……果たして最後まで残るのは一体どの肩書きなんでしょうかね?

 

 

 

 ***

 

 

 

 何でも屋になりつつあるシャーレに、トリニティ総合学園の生徒会であるティーパーティーからの依頼がきた。

 詳細は直接会って説明したいとの内容だった為、学園へ訪れた先生だったが、そこへ1人の少女が出迎えてきた。

 

「初めまして、先生。桐藤ナギサ様の付添人をさせて頂いております。トリニティ総合学園高等部1年生、桐藤ナズサと申します」

 

 ティーパーティーの関係者の証、純白の制服を羽織った少女。

 ナズサは――清浄な羽を律儀にピッタリと折りたたみ、長いブロンドヘアを纏めた高い位置にあるお団子とハーフアップを揺らしつつ、90度ピッタリの礼はそのまま額縁に飾れてしまえるほどに鮮やかだった。

 

 今までも沢山の依頼を受けてきたが、ここまで丁重にもてなされるのは初めての経験であったため新鮮で、思わず見惚れてしまう。

 

「初めまして。まさかお出迎えを用意してもらえるとは……ありがとう。……出来たらでいいけど、もう少し楽になっていいよ」

 

 しかし、常にこの所作では毎回気後れしてしまう。もちろん、様々な事情を抱えた生徒がいるので、あくまでもナズサのスタイルを否定せずに「出来たら」と付け足したのだが……。

 

「いやぁそういってもらえると助かります~。お姉ちゃん、失礼の無いようにしろーだのうるさくて……」

 

 ……全くの杞憂だった。重厚がありつつも、羽毛のような柔らかさを孕んだ厳然とした振る舞いは霧散した。そこに居たのは至って普通の女の子だった。

 

 まぁ、楽になってくれと言ったのは確かに自分ではあるが……まさかの落差に拍子抜けしてしまう。

 ……少しだけ損をしたのかもしれない。

 

 

 

「それじゃ、案内をしてもら――」

 

 気を取り直し、ナズサに付いて行こうと踏み出す。

 瞬間、瞬きにも満たない速さでナズサが駆け出した。そのスピードに一般人である先生は反応など出来るわけがなく、気付いた時には文字通り、目と鼻の先にその端正な顔が覗き込んでいた。

 

「っ!? ナズサ?」

 

「…………先生って()()()なんですかね?」

 

 身長差の関係上こちらが見下ろしている構図のせいか、琥珀色の見開かれた眦は、昏く深い谷の底を彷彿させ引き込まれる――そんな錯覚を覚えた。

 その眼は先程の荘厳さと敬い、好意の調和が取れた眼ではなく……腹を探るような、敵愾心に近いなにかが見え隠れしていた。

 

 そして反芻するナズサの言葉。

 ハッキリ言うと意味が分からない。ただ、脈絡が全く無いこの問いは決して安易に返してもいいものではない、これは彼女の根幹の何かに関わるもの。そう直感した。

 

「あ。すみません」

 

 どうしたものかと頭を捻っていると、あっさりとナズサは引き下がった。

 

「先生を困らせるだけでした。忘れてください」

 

 そして何事もなかったかのように笑う。その裏の潜む陰を無理矢理隠すように。

 

「ナズサ、今のは……」

 

「いえ、ホント、気にしないでください。それよりお姉ちゃんが待っています。案内しますので着いてきてください、先生」

 

 ……ならば今は無理に詮索するのは止めよう。

 生徒には様々な事情を抱えていて、それぞれの距離がある。いつか、その心の裡を話せるようになるまでは、静かに寄り添い待つのも大人の役目。それが先生の信念だった。

 

 

 

 

 

 ナズサと世間話をしながら案内されたのは、ティーパーティーと従者、そして招待された人間のみが足を踏み入れられる、本校のとある一角に在るバルコニーだった。

 

 

「こんにちは、先生。こうしてお会いするのは初めまして、ですね。ティーパーティーのホスト、トリニティ総合学園高等部3年生、桐藤ナギサと申します」

 

 清浄な羽、腰まで下したブロンドヘア、気品のある所作でティーカップを口に運ぶ、絵画から飛び出してきたと勘違いしてしまうほど絵になっている。

 桐藤ナズサの姉、桐藤ナギサ。トリニティの生徒会長であり、今回の依頼人。

 

 ……デジャブを感じる。

 

「えっと……。もう少し楽になってもいいよ……なんて、あはは……」

 

「? ラク……とは?」

 

 言葉の意味がイマイチ掴めないのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になるナギサ。

 ……ナズサと瓜二つの顔が優雅にティーカップを口に運ぶ姿の違和感は半端じゃなく、出会って間もないのに脳がバグるくらいには、ナズサ……”桐藤”のインパクトに浸食されていた先生は気を使ってしまった。

 それが大間違いだとすぐに知ることとなる。

 

「ぷっ……せ、先生、お姉ちゃんはコレがデフォルトだから……くくっ……」

 

「えっ……? あ、ごめん。ナギサ、決して悪気があったわけでは」

 

「……いえ、先生大丈夫です。……それよりナズサ? 私、あれだけ失礼の無いようにと言いましたよね? 今日はあなたが初めて迎えるお客様であり、初めてこのティーパーティーに、トリニティの外の方が招待される事の意味を――」

 

「いやいやいや、先生が楽にしていいって」

 

「それは本音と建前と言ってですね――」

 

「あーはいはい、すみませんでしたー。以後気を付けますー」

 

「……っ! だいたい――」

 

「ほらほらストッープ。もう、ナギちゃん? 先生の前でお説教なんてやめよ?」

 

 徐々にヒートアップしてきたお茶会は、1つの明るく弾んだ声音によって落ち着きを取り戻した。

 

「こんにちは☆ 先生。私はティーパーティーの聖園ミカ! よろしくね」

 

「……こちらこそ、よろしく」

 

 まだ始まってもいない茶会の幸先の悪さに、一抹の不安を覚える先生だった。

 

 

 

「……コホン、失礼いたしました。それでですね、今日先生をご招待したのは少々お願いしたいことがありまして……」

 

 軽く咳払いをし、すぐさま切り替え余裕を持って話を進める姿は、流石トリニティの生徒会長といったところか……。

 

「おぉ! ナギちゃんいきなり本題に入っちゃう!?」

 

「お姉ちゃん。まずは、少し小粋な雑談で緊張を解くのがホストとして相応しいのでは?」

 

「そうそう! せっかくこうして紅茶とお菓子も用意したんだしさ!」

 

「それともお姉ちゃん。まさか紅茶の一杯すらも先生に飲ませず帰すつもり? ……実はこのお茶とお菓子を独り占めしたいとか?」

 

「ナギちゃん、こだわり強いもんね~」

 

「…………そういったことはお二方がホストになった際行ってください。今回は私がホストとしてこの場を設けたので、それに従ってくださいな」

 

「それと憶測でものを語るのはやめましょうね? あらぬ誤解が生まれるので」

 

「「……………………」」

 

 笑顔でお喋りな2人を黙らす威圧感は、流石トリニティの生徒会長といったところか……。

 

 ……何となくだが、3人のパワーバランスが垣間見えるやり取りだった。

 

「まぁ、お客様の前でこのような論争を広げるのもまた、望ましい姿ではないのは確かですね……そうですね。ここは少し話の方向性を変えましょうか…………紅茶もぜひ飲んでください」

 

 独り占め――地味にその言葉が引っかかったのか、本来の役割である付添人のナズサにではなく、自分で紅茶を淹れ「どうぞ」とやけに圧を感じる笑みを浮かべながら差し出してきた。

 ……断ったら、どんな目に合うか分からないので素直に受け取る。

 

「ありがとう。……あなたたちが、トリニティの生徒会なんだよね?」

 

 そういえば、と1つ疑問に思っている事があったので質問したのだが……。

 この茶会に、ナズサとミカ。2人が揃っていたのが先生の運の尽きだった。

 

「先生の方から空気を読んでくれた!」

 

「流石です、先生。お姉ちゃんも見習うべき」

 

 明らかに悪戯っ子気質な2人が、ナギサと先生で雑談を始めたらどうなるのか、それは火を見るより明らかだった。

 

「……はい。私たちがトリニティの生徒会長たちです……『生徒会長たち』というのは聞きなれないかもしれませんね」

 

「あれ? ナギちゃん? 無視? 無視なの? 無視かな? おーい」

 

「お姉ちゃん。都合の悪いことから目を逸らすのは良くないよ……」

 

「昔……「トリニティ総合学園」が生まれる前――――」

 

「ぐすん……本当に無視した。ナズちゃ~ん。ナギちゃんが無視するよ~」

 

「ミカちゃん。可哀想に」

 

「パテル、フィリウス、サンクトゥス、それらの――――」

 

「私たち、一応10年来の幼馴染だよ? それを完全無視なんて……今までも結構あったけど……」

 

「これだからお姉ちゃんは……何気ないものが如何に大切なものなのか、忘れてしまったのかい?」

 

「その後から、トリニティの生徒会は『ティーパーティー』という通称で――――」

 

 プツンと、何かが切れる音がした。

 

 

 

「ああもう五月蠅いですね!!??」

 

「ひぇっ……」

 

「きた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、私が説明しているんですよ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それなのにさっきからずっと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横でぶつぶつぶつぶつと……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしても黙れないのでしたら、その小さな口に……」

 

 

 

 

 

 

 

「ロールケーキをぶち込みますよっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それとナズサ!!」

 

「えっ!?はい!」

 

「公の場での『お姉ちゃん』は禁止と何度言ったら分かるんですか!? あくまでも今は主と従者。それを忘れてはいけません!」

 

「…………ごめんなさい」

 

 

 静寂に包まれる茶会。先生が紅茶を啜る音が響く。

 淹れたての筈の紅茶はやけに冷たく感じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 聞きましたか?皆さん!

 

 

「ロールケーキをぶち込みますよっ!?」

 

 

 いやぁ、遂に始まったんだなーと実感しますね!

 

 改めて思ったけど確かにアレはうるさい。やられてる側からしたらクソうざいだろうね。

 確実にぶち込み宣言を引き出したくて援護射撃したら、俺まで一緒に怒られるとは思ってなくてガチビビりしたが。唐突に詰められると普通に怖いです。ナギサ様。

 

 

 そして遂に先生登場。

 

 ブルーアーカイブ最大の謎の1つである主人公(プレイヤー)であり、性別、容姿共に不明。様々な考察が飛び交ってはいるが、未だ全貌は明らかになっていない。

 ただ一つ確かに言えることがある。彼がいる限りキヴォトスと生徒は安泰ということ。先生の存在のお陰で、俺も安心して好き勝手にできているから感謝しかない。

 

 

 それに、先生と会うのは結構楽しみだったんですよね。

 

 メタ的な話だが、先生の性別や容姿はプレイヤーの数だけ存在している。しかし、今この世界はゲームであってゲームではない(某SAO並感) 皆が肉体を持って生きている。

 

 つまり、俺はこの世界に転生した者として確認する責務があった。

 

 それはこの世界の先生の性別を暴くという禁忌。

 

 

 

 

 

 ……結論から先に言わせて貰うと。

 

 

 先生の性別は分かりませんでした。

 

 

 はい。そうです。ただただ、本当に()()()()()

 

 容姿は……何というか筆舌に尽くしがたい程絶妙で、眉目秀麗の男性とも、麗人にも見える。

 

 だったら直接聞けば良いと思ったのだが、ここで問題発生。

 

「先生の性別ってどっちですか?」

 

 そう問おうとしたら、何か大きな力が働いて言葉が()()()()()

 

 

 結果分からずじまい。

 

 もしや、先生を守るシッテムの箱の恩恵、それが性別の問いにも適用されたのか。おのれアロナ、一筋縄ではいかないか。

 

 取り敢えずどうしようもないので今回は先送り。

 

 大事なのは先生の存在が確認出来たこと。これでもう遠慮も憂慮も必要ありません。心置きなく破壊活動に専念出来ますね!

 

 

 



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補習授業部

 

 

 

「み、見てくださいナズサさん。この『学園制服特集』……色々な制服があるんですね……」

 

「なかなかに前衛的な服装もチラホラあるね……。このゲヘナの行政官の制服とかモロ横乳はみ出してるじゃん」

 

 キヴォトスはその膨大な土地の広さ故に、長年放置され手をつけられていない区画が多々ある。

 ここ、トリニティ自治区にひっそりと佇むとある廃墟もその一つ。人々の記憶からは忘れ去られた場所には、また人々から忘れ去られた人間が集っていた。

 

 アリウス分校の特殊部隊、アリウススクワッドのアジトである。

 ベアトリーチェによって育まれた、トリニティへの憎悪の炎を燃やす彼女達ではあるが。現在その根城からは、お菓子を食べながら机に雑誌を広げ、和気藹々と年相応の歓談が響いていた。

 

「……ナズサ、なぜお前がここにいる」

 

 リーダーである錠前サオリは、その弛んだ空気を払拭せんと、この場に居合わせる馬鹿(ナズサ)を睨みつける。そもそも本来ならば、敵同士の関係なのだ。馴れ合うつもりなど毛頭ない。

 

「ヒヨリちゃんが読みたがっていた雑誌を届けに。あと、お菓子とか飲み物も持ってきたよ」

 

「……はぁ…………」

 

 しかし、屈託のない笑顔で堂々と間抜けな回答を返されると、怒る気力も失せる。

 

「リ、リーダーも雑誌どうですか? 他にもキヴォトス最強和菓子特集とか、キヴォトス最強水着特集とか……」

 

「ヒヨリ……」

 

 完全に絆されたヒヨリを尻目に、どうしてこうなってしまったのか思い返す。

 

 

 突如マダムに協力者として紹介されたのは、あの日、聖園ミカと一緒にカタコンベを抜けて、自治区へやってきたもう1人の少女、桐藤ナズサだった。

 マダムには、ナズサはミカと違いエデン条約の作戦にも参加すること。アリウススクワッドの部隊以外には、作戦実行までナズサの存在を明かさないこと。ナズサもまた、生徒会長の血を引いており、アツコの負担を共有できること。そして、そこまでの信用に足る理由は明かせないが、私が保証する。と説明を受けた。しかし、そう簡単に信用など出来るわけがない。何か不審な動きなどしたら、ヘイローを破壊するのも辞さないつもりだった。

 

 しかし、そんなこっちの気を知ったことかと、ナズサはガンガンと距離を詰めてきた。

 

 いつの間にかアジトまで特定し、マダムから呼び出された帰りに必ず寄ってくる。

 最初は他のメンバーも警戒していたが、こいつの馬鹿さ加減と餌付けに陥落した。

 

 

「まぁ……勝手にさせとけば、リーダー。別に害は無いし、食料や飲料水はあればあるだけ損はない」

 

 部外者には一番厳しいと信じていたミサキも諦めており。

 

 (スッスッ……)

 

 アツコまでも「楽しそうだから、いいじゃない」と、マスク越しに見守っている。

 

「………………」

 

 何のメリットがあってナズサは協力しているのか、その理由はハッキリとしていない。確かに馬鹿ではあるが、聖園ミカ程にゲヘナを憎んでいる訳でもなく、古聖堂の襲撃の意味を理解していないわけでもない。それにアツコと同じ生徒会長の血を引いている……何か裏がある。それは全員が気付いていた。

 

 それでも――ただ仲良くしたい。一緒に喋りたい。対等の過去の蟠りを気にしないナズサの姿に嘘はなかった。

 

「サオリちゃんもどう? お姉ちゃんのこだわり抜いたお菓子、結構盗って……頂いてきたからさ!」

 

 vanitas vanitatum et omnia vanitas.

 全ては虚しい。どこまで行っても、全てはただ虚しいものだ。

 

 それが、大人から……マダムから教えられたこの世界の真実、摂理。

 

 

 ……そのはずなのに、今、この瞬間の。たとえ泡沫であっても。虚しいものでも。

 

「……甘い物は苦手だ……」

 

 この陽だまりと甘さを享受したいと、本当に思ってはいけないのだろうか?

 

 

 

 ***

 

 

 

 無事に先生がナギサ様からの依頼を承り、翌日である今日から補習授業部が始動することとなった。

 そんな記念すべき日、俺はこのキヴォトスでも1、2を争う程にバカデカい本校を疾走していた。

 

 どうも。初日から早速遅刻している補習授業部監督、桐藤ナズサです。

 

 いや、これには明確な理由があるので聞いて欲しい。

 今日のスケジュールは朝、ベアトリーチェお姉様の呼び出しに始まる最高のスタートだった。アリウススクワッドと軽く親睦を深め、その後急いで通学し通常通りの授業と、ナギサ様の給仕を兼任……までは良かった。問題は放課後、どっかの立て籠もり犯(アズサ)のせいで、面倒な事後処理の書類作業が待ち受けていた。

 

 ……完全に失念していた。あの日、副隊長(アズサ)は正義実現委員会を相手に、3時間に渡る攻防を繰り広げていたことを。

 

 こうやって尻拭いをする立場になって実感したことだが、キヴォトスの治安維持組織の職員は過労死しても全く不思議ではない。

 トリニティは他校と比べても、公共物の破壊など表立ったトラブルが少ないが、一歩外に出るとあら大変。

 いつの時代だとツッコミたくなる絡まれ方をされる治安、揉め事に発展すれば銃火器、戦車のオンパレードだ。そんなトラブルなど日常茶飯事のキヴォトスで、その度に動いている人がいるのだと思うと感謝してもしきれない。

 

 ですので、感謝しながら全力で正々堂々と真心を込めて古聖堂とナギサ様の脳を破壊する。と、ここで改めて決意します。

 

 

 そんな地獄をなんとか処理しきり、やっとこさ部室へと向かえていた。

 

 本当は、先生とヒフミ元帥と一緒にメンバー集めに参加したかったが仕方ない。自己紹介までには間に合わせなければ。

 

 そして、副隊長には一言…………。

 

 ――あれ? ナズサ様じゃない?

 ――おーい、ナズサ~。なに急いでるの?

 ――また何かやらかしてナギサ様から逃げ出した?

 ――流石、トリニティの2大問題児。

 

「いやいや! 今回に関しては完全に被害者だから!」

 

 すれ違う生徒から次々と飛んでくる野次を捌く。

 一応従者とはいえ敬われてもいい地位なんだが? まぁ俺自身が立場などは一切気にせず接しているので構わないが。

 

 ……うん。でも言われて今までの行動を振り返れば、確かに俺には責める資格なかったわ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナギサから渡された名簿と、補習授業部の部長に指名されたヒフミを頼りに、補習授業部の部員を見つけ出した先生は、補習授業部の部室として割り当てられた教室に集めた。

 何故か水着になっているハナコを制服に着換えさせたり、教室で立てこもりを計画するガスマスクを装着したアズサを引き留めたりと、ひと悶着はあったが無事に軽い自己紹介を済ませ、この部が発足された理由……3回ある特別学力試験に全員で合格することで、落第を防ぐ救済措置であること。それまで放課後はこの教室で勉強する旨を説明した。

 

 心当たりはあるのか、納得の表情を浮かべている各々だったが、1人頑なに現実を認めない少女がいた。

 

「つまり私は今まで、本当の実力を隠してたってこと!!」

 

 レベルの高い上の学年のテストを受けたから落第しただけ。そう豪語する彼女の名は下江コハル。補習授業部唯一の1年生であり正義実現委員会のメンバー。コハルは、その誇りの高さゆえ事実から目を逸らし、この空間に居ることが恥だと感じていた。

 

「今度のテストはちゃんと、1年生用のテストを受けるから! そうすればちゃんと優秀な成績を収めてはい終わりってわけ。分かる?」

 

「えっと、個人で優秀な成績を出したとしても、それでこの部を卒業できるわけではなくって……」

 

 先程の説明を聞いていなかったのか……不安を覚えるヒフミは意にも介さず、コハルは羅列する。

 

「じゃあね、精々頑張って!」

 

 そして勝利の宣言をしたコハルは、そのまま堂々と真っ直ぐに扉へ向かい……。

 

「すみません、遅れました!」

 

「あいたっ!?」

 

 颯爽と扉を開いた闖入者によってその道は阻まれた。

 

「いたた……」

 

「あ、ごめん。大丈夫?」

 

 なにしてんの!? と、文句の1つでも口に出そうとしたが、素直に謝罪し手を差し出された事で、根は真面目であるコハルの怒りは沈み……。

 

「は!? ナズサ!?」

 

「およ? コハルちゃん。ひさしぶり」

 

 桐藤ナズサ。

 次期ティーパーティー候補で現ティーパーティー桐藤ナギサの妹。それはコハルの友達であり、積年の相手だった。

 

「ん? コハルちゃん? もしかして何処か痛めた?」

 

「………………」

 

 コハルは俯いたまま動かない。それもその筈、コハルの灰色の脳細胞は今、急激に活性化し1つの疑問を解いていた。

 

 なぜナズサがこの教室に来たのか。

 

 間違えて入室した? いや違う。通常時この教室は使用されていない。そして、ナズサは開口一番に「遅れました」と、確かにそう言った。つまり補習授業部に呼び出されていた……。落第一歩手前の集まりに……。

 

 ふっ……っと、コハルが吹き出す。

 

「ははは! 落ちたものね! 桐藤ナズサ! 次期ティーパーティーとして恥ずかしくないの!?」

 

 差し出された手を払い除け、自身の立場は棚に上げ高笑い、水を得た魚の如くここぞとばかりに煽る。

 

「それに遅刻だなんて。危機感はないの? ナズサ”様”?」

 

 積年の恨み果たしたり。そう言わんばかりに胸を張り、腰に手を当てながらドヤ顔を見せつけ、勝利の甘美に浸るコハル。

 

「………………」

 

 ナズサは反論する素振りをみせずにただ俯くだけだった。

 

「彼女は一体何者なんだ?」

 

「桐藤ナズサさんって、あのティーパーティーの……」

 

「あぅ……あ、あのコハルちゃん。ナズサちゃんは……」

 

 ヒフミが止めようとするも、コハルは更にヒートアップし徐々に枷が外れていく。すると、やがて冗談のラインも緩んでしまい……つい、滅多に言わないことまで言ってしまう事故、なんてことは少なくないだろう。

 

「どう? 見下していた存在になるのは!? いい気味ね!」

 

 要領が悪く勉強は苦手で人見知りの自分と、問題ばかり起こしているけど将来有望で、周りからも慕われているナズサ。同い年に見せつけられる残酷な差。人見知りのコハルとも仲良くしてくれて、友達になってくれたナズサに秘かに感じていたコンプレックスを吐き出してしまった。

 

 

 ……言い過ぎた。

 

 ナズサは優劣など気にしない、誰にでも平等に接していてそれが嬉しかったのに……自分から壊すような真似を……。

 集まる視線と空気にコハルは、自分が何を言ってしまったか自覚するも既に後の祭り……。

 

「そんなこと絶対にしないよ、コハルちゃん」

 

 諭すように優しい声音が響く。

 全く動かずに俯いていた顔が上がり、その双眸は後悔で泣き出しそうになるコハルを捉えていた。

 

「見下してなんかいないよ。コハルちゃんは大切な友達なんだから……大好きだよ」

 

 そのままコハルの左手を、柔らかな両手で包み込んだ。

 

「は……は、はぁぁぁぁぁ!!? ななな、なに言ってるの!?」

 

 唐突に真っ直ぐな好意を臆面もなくぶつけられ、赤面したコハルの顔は茹でダコのように赤くなり、頭からは湯気を発していた。

 

「あら♡あらあらあらあら」

 

「?」

 

 黄色い声を上げるハナコ、その意味がイマイチ分からないアズサ、事の成り行きを見守る先生……。

 

「なにって、なにが?」

 

「す、好きって……」

 

「うん、好きだよ?」

 

「あ、あわわわわ……」

 

 そして、()()を察し顔面蒼白のヒフミは恐る恐る口を開いた。

 

「あ、あのコハルちゃん。その、実はですね……ナズサちゃんは補習授業部の部員ではなくて、監督として呼ばれたんです」

 

「……えっ? 監督?」

 

 突如降ってきた新情報をコハルの脳が理解を拒む。

 

「そう。先生をサポートして、みんなが勉強に取り組めるよう手助けするんだ」

 

「なっ……!?」

 

「それでねコハルちゃん……とっても大切なことなんだけどさ。私、好きな子はいぢめたくなるタチなんだ」

 

 と、コハルを優しく包み込んでいた両手がガッチリと握り締められる。

 

「へ? な、なにを言って」

 

「勉強、頑張ろうね……しっかりとその脳髄に叩き込んであげるから」

 

 先程の澄み渡り慈愛に満ちた瞳から一変、それは獲物を追い詰めた捕食者の眼をし、口端が僅かに吊り上がっていた。

 

「あぅぅ……ナズサちゃん、手加減してあげてね?」

 

 ヒフミはご愁傷様です。と、合掌し、ハナコはどこか尊いものを眺める視線を流し、アズサはナズサのオーラの緩急に感心していた。

 

「ご、ごめん悪かったからさ、そ、その、手を離して、いや……こ、怖い! は、離して! 助けて!」

 

 自分が一体何に火を付けマーキングされたのか、コハルは本能的に感じ取った。が、時すでに遅し。

 

 

 その後第一次特別学力試験までの一週間、めちゃくちゃ勉強した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一次特別学力試験

 

 

ヒフミ:72点
アズサ:32点
コハル:52点
ハナコ:2点

 

 

 

 

結果は不合格。補習授業部の合宿が決定した。

 

 

 






最終編第4章が更新されるので、次回は遅れるかもしれません。




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合宿、開始!


遅れると言ったな。あれは嘘だ。



 

 

 

「プレゼント……ですか?」

 

「えぇ、日々奮闘するナズサにささやかなものを……ね?」

 

 ブラック企業も顔を顰めるレベルの早朝5時からの定例報告。週に3日程度なのが救いだが、最近はエデン条約が控え、補習授業部の活動も始まったことで、本格的に睡眠時間が削られてきてちょっとしんどい。

 

 それでも弱音を一切吐かず、多忙の中でも常に5分前行動を心がける僕の鑑、桐藤ナズサです。

 

 今日はそんな俺を労う……鼻で笑いたくなる建前を皮切りに、ベアトリーチェお姉様から賜ったのは、ちょうど両手のひらで抱えられるサイズの木箱だった。

 

「開けてみなさい」

 

 促されるまま蓋を開くと、緩衝材に包まれ鎮座していたのは、所謂ドミノマスクと呼ばれる、顔の上半分を覆い隠す仮面だった。

 ただ普通のそれとは違い、視界を確保する為の穴はなく、一切の装飾品も施されていない文字通りの鉄仮面であった。

 

「私の……そうですね、利害関係といいますか。とある人物に貴女の血液や皮膚を提供する代わりに造らせました」

 

 はい。この人最近やたらと研究材料だとかで、俺に採血やらなんやらやってきていたんですが……良かった、しっかり使っていたんですね。てっきり、そういった物を集める趣味かと……いや、待てよ。そもそも俺の体を取引に造らせたなら、プレゼントもクソもなくね?

 

「もう1人のロイヤルブラッドは、下手に傷付けることが出来ませんからね……そういった点でもナズサ、貴女には感謝しているんですよ?」

 

 うーん。この俺になら何してもいいと思っている鬼畜っぷり。

 でも……この腕や背中に付けられた傷を、いつかナギサ様に魅せつける日が来ると思うと……フフュッ、存外悪くはないですね。感謝すべきは俺の方でした。

 

「勿論、唯のマスクではありません。それは()()()()()を、使いこなす為に装着してもらいます。それと、貴女を外敵から守る為の機能も備わっているので、作戦に参加する際は必ず装着するように」

 

「承知いたしました……しかしその、お言葉ながら視界を確保する為のスペースが見当たらないのですが……」

 

「それに関しては問題ありません。試しに付けてみなさい」

 

 妙にニヤニヤとしながら、命令してくるベアトリーチェお姉様。完全に遊んでいますねこれ。まぁ、逆らう理由もないので取り敢えず付けてみますか。

 

 

「…………」

 

 凄い。どういう仕組みなのかは定かではないが、視野が全く狭まらずマスクを付けている事に、違和感を感じさせない程の視界が広がっていた。

 それに意外と着け心地が良い。外側は冷たく金属のような素材だったが、内側には肌に優しい柔らかさと温かみを兼ね備えたクッションが、敷き詰められている。けれども、そこに仮面を付けている事実を確認させる重さも確かとしてある。アイマスクとしても便利かも。

 

 これを裏切る時にナギサ様の目の前で付けろと……流石です、ベアトリーチェお姉様。裏切り者としての振る舞い、ベタではあるが闇堕ちみたいなこの仮面……悪役のノウハウを完璧に理解(わか)ってる。

 

 感謝と感激で泣きそう。てか泣いた。この御方が先生の敵対者に相応しくないわけがない! 一生付いていきます!

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしましたか?」

 

 

 わざと、あからさまにとぼけた明るい声を出す。

 最善の未来を掴み取る為に全てを裏切り屈服した、忠実であり、有能であり有用でもあり、そして愚か者でもある弱者に対して。

 

「い、いえ。なんでもございません。あ、ありがたく頂戴します」

 

 声を震わせ感謝を述べるナズサ。

 

 ……あぁ、やはりこの少女は面白い。

 

 ベアトリーチェはナズサを気に入っていた。

 絶対に裏切らない保証があり、一般生徒どころか先生すらも辿り着けない情報を掴み取る頭脳と明晰、訓練されたアリウススクワッドに比肩する戦闘能力、現生徒会直系の血縁者としての立場と、その血に秘められた力。定例報告には一度も遅れることはなく、一言命令すればその肌を晒し、採取という名の暴力の苦痛に顔を歪めても不満の1つも吐きやしない。

 

 そして何よりも見ていて飽きない、面白い。

 

 

 今回の贈り物、秤アツコの物と似た性質のそれは、確かに作戦遂行に必要なものだ。しかし、ベアトリーチェはこれに1つの趣をつけた。

 

 それは目元だけを覆い隠すということ。

 

 何もかもをかなぐり捨てて裏切り傷付け破壊する。その行為を、大切なたった2人の為という大義に目を背けるナズサへの皮肉。

 しかし、決して己の行った罪からは逃がさない為に、隠れることが出来ないように、全てを欺いたその口だけは曝け出す。

 

 そんな回りくどいアイロニーにも、この少女はその聡明さから気付き予想通りの反応を示した。

 

「えぇ。それは常に携帯しておいてください」

 

 それを常時持ち合わせることで、完全にナズサはベアトリーチェから、罪の意識から逃げられない。

 学校や友との時間、現実から目を背けていた唯一の心の安寧を無くしたナズサは、仮面越しに、あれだけ傷付けても決して流さなかった涙を流していた。

 

 

 

 

 

 崇高に手が届いた暁には処分するつもりでしたが、ここまで献身的なら飼ってもいいかもしれませんね。

 

 

 

 ***

 

 

 

 第一次特別学力試験が不合格だった補習授業部は、一週間の強化合宿が決定し、その合宿所となる離れに放置されていた校舎へ訪れていた。

 

「ようやく着きましたね、ここが私たちの……」

 

「はい、合宿の場所です。ようやく着きましたね、ふぅ……」

 

 一先ず館内にあった4人部屋へ向かった一同、備え付けのベッドに腰を下ろし持参した手荷物を整理しながら、この後のスケジュールを立てる。

 そこに偵察をしていたアズサが帰ってきた。報告によると設備は充実しており学び舎となる教室、トイレやシャワーは勿論、地下食堂、体育館や備え付けのプールまであるという。

 

「うふふっ。みんなで食欲を満たし、睡眠欲を満たし、そしてみんなが欲する目標へと向かって脇目も振らず手を動かす……良いですね、合宿」

 

「……うん。そうだね……あ、でも任務は確実に遂行する。きちんと勉強して、第二次特別学力試験にはどうにか合格する。その目標のためにここに来たんだ」

 

 トリニティの中心部とは違い、青々とした緑に囲まれて空気は澄み渡り、自分たちしかいない空間。そこでこれから送る同い年との共同生活に、少し旅行のような気分になるも、すぐに気を引き締めるアズサ。

 

「私はずっとここには居られないけど、毎日来るし何か欲しい物があったら言ってくれれば持ってくるよ」

 

「ナズサちゃんは他の業務もありますもんね。でも私たちがここにいる間、先生は一緒にいてくれる予定ですので、何があっても大丈夫だと思います!」

 

「うん。任せて」

 

 率先して話の進行をするヒフミは、既に立派な部長となっていた。

 

「ありがとうございます。えっと、通路を挟んで向かい側にもお部屋があるのですが、先生は――」

 

「ダメっ、絶対ダメ!! 同衾とかエッチじゃん!!!! 死刑!!!」

 

 先生は向かい側の部屋、その言葉を聞き何かを発言しようとしたハナコを牽制するコハル。

 

「えっと、コハルちゃん? 私、まだ何も言っていませんが……?」

 

「何を言い出すのかだいたい分かるわよ!! ダメったらダメ! そういうことはさせないんだから!」

 

「コハルちゃんは厳しいですねぇ」

 

「コハルちゃんは厳しいなぁ」

 

「ナズサぁ! あんたなに同調してるの!?」

 

「みんなで交流を深めておいて。何かあったら呼んでくれれば」

 

 このままだと、生徒と一緒に寝る事となりそうな勢いなので先に断っておく先生。それにハナコは素直に了承したのだが、何故かナズサが訝しむ視線を投げかけてきたことには、気付かなかったことにした。

 

 

 それでは早速、と勉強に取り掛かろうとするヒフミ――そこにハナコからストップが入る。

 これから長期的に滞在するにあたり、衛生面は大切。それにどうせ勉強するなら気持ちの良い環境の方が捗って効率的。と。

 

 かくして汚れても良い服に着替えて、10分後屋外に集合することとなったのだが……。

 

 

 

「アウトーーーーーー!!!」

 

 トラックに響き渡るコハルの怒号。

 そこには、アズサ、ヒフミ、コハルは各々持参したジャージ姿で現れたなか、モデル並みに堂々と1人水着で参戦するハナコがいた。

 

「あら……?」

 

「おお! これが噂のハナコ先輩の水着!」

 

「何で掃除するのに水着なの!? バカなの!? バカなんでしょ!? バーカ!! あと、ナズサはなんでテンション上がってんの!? やっぱりバカなの!?」

 

「いや、やっぱり一度はハナコ先輩の水着姿を拝んでこそ、真のトリニティ生徒、ひいては次期ティーパーティー候補として――」

 

「こいつの水着はそんな高尚なものじゃないわよ! 勝手にトリニティの象徴にしないで!」

 

 意味不明の理論を展開するナズサを黙らせ、変わらず反省していないハナコを体操服に着換えさせたコハルの奮闘は、正に正義実現委員会として相応しいものだった。

 

 

 

 まずは建物周辺の雑草を引き抜き、ある程度終わった後は館内の清掃へと移った。

 アズサは床の埃掃除や水拭き、モップがけ。コハルは窓の縁や家具の隙間などの細かい部分の掃除。ハナコは寝具類の洗浄……と、それぞれ役割分担し掃除を進めた。

 

 そうして半日をかけて教室、トイレ、地下食堂、体育館、寝室と主要となる部屋は全て掃除しきり、来る前とは明らかに見違えるほど綺麗になった。

 

 そこで終わりと思いきや、もう一か所大事なものがあると言い出したハナコに、連れられてきたのは屋外プール。

 試験とは関係ないものではあるが、ここだけ掃除をしないのも気持ちが悪い、こうして折角みんなで来たのだから今のうちに遊んでおこう。ということになり、濡れても良い服に着替えて取り掛かることになった。

 

 なったのだが……。

 

 

 

「待て待て待てっ!!」

 

 鬱蒼と茂る樹々に木霊するコハルの怒声。

 そこにはアズサ、ヒフミ、コハルは各々持参した水着姿で現れたなか、動かざること山の如しと言わんばかりに、制服のまま掃除に取り掛かろうとするハナコがいた。

 

「どうしましたか?」

 

 なぜ声を荒らげているのか、皆目見当も付かないといった顔のハナコ。

 

「あんた掃除の時は水着でどうして今度は制服なの!? 本当にバカなの!?『濡れても良い服』ってあんたが言ったんじゃん!?」

 

「これが『濡れても良い服』ですよ?」

 

「もうあんたが何言ってるか分かんない! 制服が濡れても良いの!?」

 

 そこには絶対的に埋められない見識の相違があった。

 

「コハルちゃん、これは各々の美学の問題かもしれませんが……」

 

「え? 美学……」

 

 一体何のことか。このやり取りでなぜ「美学」などという単語が出てくるのか。わけがわからないが、コハルに嫌な予感が襲ってくる。

 

「水着と制服、どちらの方が濡れた時に「良い感じ」になると思いますか?」

 

「は、はぁっ!?「良い感じ」って何よ!」

 

「そしてナズサちゃん、まだ出会って間もないですが……あなたは「これ」が分かるのでは?」

 

 そのままコハルの隣に立つ「理解者」へ目を流すハナコ。

 疑問符を付けてはいるがハナコは確信していた、彼女は理解る側。と。

 

「いや、わかるぅー!」

 

 返ってきたのは力強いサムズアップと満面の笑みだった。

 

「ですよね! 今度2人で『美学』について語りませんか!?」

 

「ダメだこいつら……早くなんとかしないと……」

 

 コハルの苦労はこれからも続く。

 

 

 

 

 

「見てください、虹ですよ! 虹!」

 

「ひゃっ!? ちょっ、ハナコちゃん冷たいですよぉ!」

 

「ど、どうしてこんなことに……」

 

「こちらのブロックは完遂した。続けて速やかにそちらへ向かう」

 

 湖から引っ張ってきた水をかけあったり、ブラッシングの競争をしたりと補習授業部たちの和気藹々とした声が響き渡る。

 

 それを陰ながら見守る者が約2人……ナズサは水着を持って来ておらず、先生もまた同様の理由により、仲良くフェンスに並びもたれかかりながら見学していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「制服が濡れるのは美学じゃないの?」

 

 いたずらっぽく笑う先生。因みに表立って言わなかったが、先生もハナコの「美学」には共感できる部分が多々あった。

 

「ははは……似合うかどうかは別ですよ先生、この後業務も控えているんでね。……それに私は、ハナコ先輩みたいに綺麗じゃないですから」

 

「そうかな……?」

 

「そうですよ……はは」

 

 その乾いた笑いは、謙遜のようなものでは一切なく、ただ自虐的に感じる笑みだった。

 

 そんなことはない。ナズサも十分……なんて言ったらセクハラになってしまうだろうか。益体もないことを考えながら、ナズサを横目で見る。ぶらぶらと前後に動くたび、ガシャンとフェンスの揺れる音が背中に響く。その目は何処か遠い眼をしていた。

 

「楽しそう……だね」

 

「はい……とっても尊いものだと思います」

 

 

 ……先生は悩んでいた。ナズサの考えを聞くべきなのか。

 それは、昨夜ナギサに呼び出され告げられた真実。

 

『補習授業部は退学させるために作ったもの』

 

 その理由は、エデン条約締結を阻止するためのスパイが紛れているから。補習授業部はその疑いがかけられた人を集めたもの。

 そして、監督役であるナズサ。その真の役割は裏切り者の炙り出しだった。それに先生も協力して欲しいと頼まれたこと。

 

 あの夜、先生はそれを断った。私は私のやり方で、その問題に対処する。と。

 

 しかしナズサはナギサの妹であり従者。こうして見学している今も、見極めているのではないか。それは……辛いことなのではないのか。

 

 

「先生」

 

「ん?」

 

 そんな自分の考えを読み取ったのか定かではないが、ナズサが声を被せてくる。

 もしかしたら……最悪の未来も想像したが、それは杞憂に終わった。

 

「……補習授業部をよろしくお願いします」

 

「……それはどういう……」

 

 その続きは出なかった。隣にいたナズサは……真っ直ぐに前を見つめながらも、瞳に涙を溜めていた。

 その涙の意味は分からない。ただ、それはスパイを探し出す敵意に満ちたものではなかった。寧ろ逆――。

 

「それと、お姉ちゃんとミカちゃん、セイア先輩を頼みます」

 

「…………」

 

 ()()だ。それは初めて会った時に見た……陰を隠すように繕った笑顔。

 聞きたいことは沢山ある。しかし、それより先はきっとナズサが許してくれない、まだ……駄目だ。

 

「……それじゃ、そろそろ時間ですので私はこれで。明朝にまた来ます」

 

 そのままくるりと身を翻し、夕陽に彼女は溶けていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あっぶねぇ~~。

 

 補習授業部のプール掃除とかいう、第1章屈指の名シーンに浄化されて泣き出しそうになったぁ。

 いやズルでしょあんなん。透き通りすぎだろ。一瞬ナギサ様の脳を破壊とかそんな酷い行為やめようかと思ったよ。思っただけだけど。

 流石にみんなや先生の前で泣き出すわけにはいかないから、逃げだしてしまったけどもう少し長居すれば良かった。

 

 ここから合宿が始まるんだよなぁ。いいよなぁ、合宿。

 女の子達が目標に向かって共同で生活、一緒に食事をし、勉強して、風呂に入り同じ部屋で寝る……。なんて素晴らしい。君たち一生そこで暮らさない?

 

 そして、先生の性別は相変わらず分からん!

 生徒と一緒に寝るのを躊躇うのは、大人として当たり前……当たり前だよね? この世界では、生徒と教師の恋愛は禁止されていない的なこと聞いたけど……。それとこれとは話が別だよね?

 

 今度、風呂でも覗いてナニがあるのかどうか見てやろうかな。

 

 

 





お気に入り、評価、感想ありがとうございます。励みになります。
次回は本当に遅れます。




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それはとても貴い日々


4章ヨカッタ、ハヤクツヅキヨミタイ……
4章が良すぎたので筆が進みました。



 

 

 

 

 

 補習授業部学力強化合宿 1日目。

 

 結局、昨日はプールに水を張ったところで陽が落ちてしまったので、遊ぶことは出来なかったが充分に親睦を深めることは出来た補習授業部。

 ならば、次にやることは決まっている。1週間後に控える第二次特別学力試験へ向けて、みんなで協力して勉強に取り掛からなくてはならない。

 

「おはよう!」

 

 朝一番に挨拶を放つアズサ。その目はやる気に満ち満ちており歯磨き、シャワーを済ませ、バッチリ制服に着替え終わっていた。

 

「おはようございます、アズサちゃん。朝から元気ですね♡」

 

「おはよう。ハナコ先輩、アズサ先輩」

 

 しかし、返ってきた返事はアズサよりも早く身支度を済ましていたハナコと、本校から歩いてやってきたナズサだけだった。

 

「あうぅ……アズサちゃん……10分……あと10分だけ……」

 

「んん……もう朝……?」

 

 部長であるヒフミは一晩を越え、プレッシャーから解放されたのか、まだ疲れが溜まっていた様子。コハルの方は単純に朝が弱かった。

 

「?……ナズサ、なにをしているんだ?」

 

「ヒフミ先輩の寝顔を撮っています」

 

「いや、それは見れば分かるが……」

 

 機を逃さんとばかりに、いつの間にか取り出した一眼レフカメラで、悪びれる様子もなく堂々と盗撮を実行するナズサ。的外れな返事で誤魔化そうとするも、表情が読み取りにくいだけで、意外にも好奇心旺盛なアズサは簡単には逃がしてくれない。

 

「なんで撮っているんだ?」

 

 なんでなんで? 一体どういった目的が? と、その純粋無垢な眼で近づいてくるアズサに、ナズサはバツが悪そうに顔を顰める。

 

「あー……。みんなの活動を記録しようと思いまして! 思い出として振り返れるように……と」

 

「なるほど、確かにそれは大切だ」

 

「いいですねそれ。人気のない合宿所で行われた秘め事……その全てを余すことなく記録する……♪」

 

「ははは……」

 

 この写真を取引材料にして、ナギサに休暇を貰おうと企んでいることは、桐藤家の名に関わる問題なので黙っておくことにした。

 

「そ、それよりさ、コハルちゃん起こさなくていいの?」

 

「あ、そうだな。コハル、朝の支度を始めよう。まずはシャワーだ」

 

「ん……。え? ちょ、まって」

 

「あらあら、ふたりで仲良く洗いっこですか?」

 

 まだ寝ぼけまなこのコハルを引っ張り出し、シャワールームへ連行するアズサ。しばらくもしない内にコハルの悲鳴が木霊する。

 

「あら^~」

 

「良いですねー、裸の付き合い♡ ナズサちゃん、これも記録しないんですか?」

 

「……ハナコ先輩。それだけは許されない。あの園に自らの意思で立ち入る、それがどれだけ罪深いものか、貴女なら理解る筈だ」

 

「……じょ、冗談ですよー、あははは……」

 

 ちょっと揶揄うつもりだったが、目を濁らせ底冷えするトーンの返事が返ってきた。ハナコは底知れぬ深淵の一端を覗いてしまったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 その後朝食を済ませ、教室に集合した。

 

「みなさん! 聞いてください!」

 

 教壇に立ったヒフミは、この限られた一週間をどのように過ごすべきか説明をした。

 

 まずは、第二次特別学力試験を想定した模擬試験を行い、現状の実力を再認識。そして効率的に勉強する為のアプローチとして、1年生の試験であるアズサ&コハルを、ヒフミとハナコが勉強を教えることになった。ハナコに関しては元々1年生は成績が良かったので、何故現状に至ってしまったのか、その問題を一緒に模索していくことに。定期的に行う模擬試験は、先生とナズサが過去問から作ることになった。

 

 更に、良い成績を残せた人にはなんとご褒美まで用意したという。

 

 一同が期待に膨らむなか、ヒフミが自信満々にバッグから引き出したのは――――。

 

「良い成績を出せた方には、この『モモフレンズ』のグッズをプレゼントしちゃいます!」

 

「モモフレンズ……?」

 

「何それ?」

 

「……っ!!」

 

「でたわね」

 

 モモフレンズ。それはキヴォトスの一部のマニアに、絶大な支持を得ているファンシーキャラクターブランド。

 

 しかし、ハナコは街で見かけたことがあるかも? と要するに存在すら知らず、コハルに関しては完全に気味悪がっており、ヒフミの推しキャラクター「ペロロ様」に対して、卑猥な名前と辛辣な見解を示し、どちらも反応は微妙なものだった。

 

 だが忘れないでほしい。先程も言ったがモモフレンズの独特なキャラクターデザインは、人によっては深く心に突き刺さる魅力がある。

 

 そしてここに1人、運命の出会いを果たした少女がいた。

 

「アズサちゃん? どうしました?」

 

 無言で目を細めながら、ヒフミにゆらゆらと近づくアズサ。

 積み重なったモモフレンズ達の一歩手前までやってくると、フリーズしぷるぷると肩を震わせ――。

 

「か」

 

「か?」

 

「可愛い……!!!」

 

 補習授業部の活動が始まって以来、とびっきり一番の花を咲かせたアズサだった。

 

 

 

 見事にモモフレンズに見事喰いついたアズサに、一人?一匹?ずつ懇切丁寧にモモフレンズの詳細な説明をするヒフミ。

 

「この長いのは? イモリ……いや、キリン?首に巻いたら温かそうな……!」

 

「それはウェーブキャットさんです!いつもウェーブしてて――」

 

「これは? この小さいのは?」

 

「それはMr.ニコライさんです!いつも哲学的なことを言って――」

 

 最終的にアズサのモチベーションは爆上がりし、ヒフミは貴重なモモフレ仲間が出来てご満悦。正に一石二鳥だった。

 

「あら、何だかヒフミちゃんが楽しそうに、と言いますかお人形さんと同じような表情に……♡」

 

「モモフレ仲間ができて喜んでるのかな……?」

 

 その様子を微笑ましく見守るハナコと先生。

 

「あぁァァ……脳が……脳にっ!……満たされていくっ!」

 

「ちょっと……ナ、ナズサ!? 落ち着いて……!? いや、目が怖い!」

 

 頭を抱えて悶絶するナズサを必死に宥めるコハルに目を瞑れば、そこには透き通った光景が広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 お見苦しい所をお見せしてすみません。桐藤ナズサです。

 

 

 ヒフアズか、ヒフナギか。どちら派なのかと聞かれたら、俺は躊躇うことなくその愚問を投げかけた者を殺す。

 

 ずっと訓練漬けの毎日で、普通の学生としての生活を知らなかったアズサ。しかし、トリニティに転入して補習授業部になり、そこで学ぶことの貴さと楽しさを。初めての友達を、共通の趣味を持ったアズヒフ。

 

 中々人に本音を打ち明けられず、その気品に満ちた所作から話しかけづらいと評されているナギサ様。そんな彼女にも、ヒフミが優しく包み込む様な姿勢とコミュ力で陥落させ、寵愛を受けることとなったヒフナギ。

 

 これらを比べること自体烏滸がましく、万死に値する。

 そこには、どちらも言葉に尽くせない、女の子の曇り顔とは別ベクトルの「崇高」があるのだ。

 

 ただ……少し個人的な話になってしまうんだが、俺は言わずもがなナギサ様が好きだ。だからちょっとだけ……ヒフミがアズサと仲良くしている様を見て、脳が破壊されるのを見てみたい気持ちがややある。いや、あるだけだよ?

 

 

 兎に角、2人の距離が更に縮まる要因になったモモフレンズとの出会い。

 俺はこの瞬間を見届けることが出来て幸せです。

 

 

 ただ、まだ終わりではない。今日はもう1つ目標としていたものが訪れる……。

 

 陽は既に傾き、時計の短針が6時を回った頃。それは起きた。

 

 コハルと同じ1年生の範囲を勉強していたアズサが、1つコハルにこの問題はどうしたらいいのか、と質問され見事解決した事が始まりだった。

 普段は教えを乞われる側になることが無かったコハルは、質問され、あまつさえ素直に感謝されたことで得意げになり、聞きたいことがあるなら何でも聞いて、と調子に乗ってしまった。

 

「コハル。この問題も教えて欲しい」

 

 結果、コハル自身も分からない問題を質問されることになった。さっきあれだけ大口を叩いたのに答えられないのは恥ずかしい。

 少し待って、とバッグから参考書を取り出そうとした時に、音もなく()は現れた。

 

「んしょっ」

 

「……? これは?」

 

 コハルが満面の笑みで取り出したのは――全体的にピンクを基調とし、男女が見つめ合う表紙。デカデカと右上に表記されたR-18のマーク。端的に言えばエロ本だった。

 

「この参考書に載っているのか?」

 

「うん。この参考――あれ?」

 

「エッチな本ですねぇ」

 

「この電子の時代に紙媒体とは趣があるなぁ」

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

「うわあぁぁぁぁぁっ!? な、なんでっ!?」

 

 赤面し光速でバッグにしまい込むも、時すでに遅し。

 

「コハルちゃん、それってエッチな本ですよね? まあある意味参考書かもしれませんが。隠しても無駄です、『R-18』ってバッチリ書いてありましたよ?」

 

 そんな可愛い(面白い)瞬間をハナコが見逃すわけなかった。ここぞとばかりに矢継ぎ早に舌を回す。

 

「ち、違う! 見間違い! とにかく違うから! 絶対に違う!!」

 

「私の目は誤魔化せませんよ、確実にアレなことをする本でした。それも結構ハードな……」

 

 

 はい。来ました。エロ本イベント。

 やっぱりむっつりじゃないですかやだー。本人はずっと押収品だと訴えていたけど、真相はどうなんですかねぇ?

 

 そうして2人が口争……まぁ勝敗は決しているが。それをこのまま見ているだけでも面白いが、折角この場に居合わせるならやることは決まってるよなぁ?

 

 その本の中身を、コハルの真髄をこの眼に焼き付ける。

 というわけで、早速ですがエロ本を少々拝借させて頂きます。

 

 

「……Oh」

 

「はっ!!?? ナズサ!? なに勝手に見てるのっっ!?」

 

 あぁ、取り上げられてしまった……。

 

「ナズサちゃん、どのような内容でした? 迅速かつ丁寧な説明をお願い致します!」

 

「あ、あああぁ……」

 

「世界は……広かった……」

 

「……っ!? ナ、ナズサちゃん!? 一体なにを見て……!? しっかりしてください!」

 

 

 意識がぼやける……声が遠くから聞こえる……俺は……なにを……。

 

 

 あぁ、そうだ。確かコハルのエロ本を読んで……。

 

 

 内容は……コハルの名誉を守る為に……墓場まで持っていきます。

 

 

 

 ***

 

 

 

 補習授業部学力強化合宿 2日目。

 

 

 先生はナズサに屋外プールへ連れられて来ていた。曰く「先生と会いたがっている人がいる」と。

 

「わあっ、水が入ってるー!」

 

 その待ち人は水面に反射する陽光へ当てられ、無邪気な声を上げていた。

 ティーパーティー、聖園ミカである。

 

「ミカちゃん、連れて来たよ」

 

「えへへ……ありがとう。こんにちは☆ 先生!」

 

「……お待たせ。用件を聞いても良いかな?」

 

 これは先生本人も気付いていないことだが、生徒の挨拶を返さずにすぐ話の本題に入ろうとする、というのはとても珍しいことで、どれだけミカのことを警戒しているのかを言外に語っていた。

 

「にしてもナギちゃん、ずいぶん入れ込んでいるみたいだねー。こんな施設まで貸し出しちゃって……ところで、合宿の方はどう? 遠いのを良いことに、何か楽しそうなことしてたりしてない? 例えばみんな水着でプールパーティーとか!」

 

「………………」

 

 明るくおちゃらけた性格で生粋のおしゃべり好きのミカは、話題を提供して先生の警戒を解こうとするも、逆効果のようだった。

 なにせこの場には、補習授業部の真実を知る人間しかいない。そこにこうして呼び出されたのは、ソレに関するものだと察した先生は、自分からは切り出さずミカの出方を窺う。

 

「……そこまで警戒されちゃうのは心外だなー。私こう見えても繊細で、傷つきやすいんだよ? ……ところでここ、食事とか大丈夫? ナズちゃんがいるから美味しい料理とか作ってもらってるだろうけど、ケーキとか紅茶とか送ろっか?」

 

「………………」

 

「……ふふっ、ごめんね? 先生もあんまり長い前置きは好みじゃないかな?」

 

 ここまで無視されると、さすがのミカでも引かざるを得ない。素直に本題に入った。

 

「先生、ナギちゃんから取引とか提案されなかった?」

 

「……取引?」

 

「例えば、そうだなぁ……『トリニティの裏切り者』を探して欲しいとか?」

 

 その言葉を聞き先程から一言も喋らないナズサを見る。

 ナズサは薄い笑みを貼り付けたまま、事の行く末を見守っている。

 

「その反応やっぱりかー、ナギちゃん相変わらずなんだから」

 

 話を続ける――ミカはナズサの監督役の意味を理解しているようだった。

 

「理由とか、目的とか、どうして補習授業部がこうしたメンバーで構成されてるのかとか、詳細なことはナギちゃん教えてくれなかった?」

 

 裏切り者に関するアレコレを聞いてくるが、先生は詳細など一切聞いていない。否、取引は断ったと。もちろんミカは問う、何故断ったのか。それに対し先生はハッキリと答えた。私の役目ではないから。と。

 

 その答えにミカは納得した。シャーレは本来トリニティと無縁の第三者の立場。トリニティが世界の中心の自分とは違う。

 

 ただ、それなら1つ疑問が残る。

 

「もしトリニティの味方じゃないんだとしたら……ゲヘナの味方? 連邦生徒会の味方? それとも、誰の味方でもない……とか?」

 

 少し意地悪な質問、一体どんな答えが返ってくるのか興味本位に。

 

「私は、生徒たちの味方だよ」

 

 それは真っ直ぐな想い、先生の信念だった。

 

「……そ、そっかー。それは予想外だったなぁ」

 

 何処か恥ずかしそうに頬を搔きながら、「ならさ」と、ミカはまたしても意地悪に聞く。

 

「先生は一応、私の味方でもある……って考えても良いのかな? 私も一応この立場とはいえ、生徒に変わりはないんだけど……」

 

「もちろん、ミカの味方でもあるよ」

 

 自信を持ち胸を張って言える。全ての生徒に分け隔てなく寄り添う、と。

 

「……わーお」

 

 興味本位から始まった問答は先生の圧勝だった。

 ただ敗北したとはいえ、それは陰惨なものではない。

 普段の爛漫さとは一転。目を見開き赤らめたまま固るミカの姿は、まるで運命の王子様と出会ったお姫様だった。

 

 

 

 ………………パシャリ。

 

 この場には似つかわしくないシャッター音が鳴り響く。

 その音でミカは引き戻され思い出した。この密会の場にはもう1人、親友が居ることを。

 

「……はっ!? ちょ、ナズちゃん!? なにニヤニヤしてるの!?」

 

「べっつにぃー……。いやー、ええものですなぁ、カメラ持って来て良かった良かった」

 

「ちょっと!?」

 

 長年の付き合いで気の置けない親友が、照れている顔を見たら――どの世界でも同じことが起こるだろう。そこまで難しいことではない。ただ普通と少し違ったのは、この少女はそれを既に予見し、用意周到に準備していたことだった。

 

「ちゃーんと撮れてるね。やっぱデジタルカメラは、スマホにはない良さがあるよねぇ」

 

「ナ、ナズちゃん!」

 

 だが、ナズサは忘れていた。先生は全ての生徒の味方であることを。それに自分も含まれて居ることを。

 

「ナズサも忘れないでほしい。私は君の味方でもあるからね」

 

「……お、おぉぉ」

 

 安全圏から引きずり降ろされ、狼狽えるナズサ。

 

 そのチャンスをミカは逃さなかった。

 

「ナズちゃんだって人のこと言えないじゃん! そのカメラ貸して! その顔、撮るから」

 

「や、やめろ離せ! 力じゃ勝てるわけないだろ!」

 

「……なにそれ? どういう意味かな? ナズちゃん?」

 

「そりゃもちろん……あ、待って、笑顔が怖い! た、助けて先生! 味方なんでしょ!?」

 

 ……それと同時にミカの味方でもある。これに関しては全面的にナズサが悪いので、助けは聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 穏やかな時間はすぐに過ぎ去った。

 

 本題――その告げられた真実はどれも重く衝撃的なものばかりだった。

 

 

 百合園セイアがヘイローを破壊されたこと。

 

 ナギサが探している『裏切り者』は白洲アズサのこと。アズサはアリウス分校の生徒で、ミカがトリニティに転校させたこと。その理由は、アリウスとトリニティの希望の象徴になってほしかったからだという。そして先生にはアズサを守って欲しいと。

 

 更に真の裏切り者の可能性……ナギサがエデン条約を結ぶことで、強大な軍事力を手中に納めることが可能と語った。それを使って何をするか定かではないが……。

 

 因みにナズサはミカに協力していて、二重スパイのような役割だと明かされた。

 

 

 そして、ナギサを信じるか自分を信じるか。最終的な判断は先生に任せる。そう言い残してミカは去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 もしもあの時、先生がミカとの会話で抱いた僅かな()()()の正体にさえ気付けていれば、この後に待ち受ける最悪の事態は避けられたのかもしれない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 学校を代表する立場になると校内に私室が与えられる。これはその一室で、ナギサが夕食後の一杯を嗜み、安らぎのひと時を過ごしていた時の出来事。

 

 

 部屋への自由入室を唯一許可しているナズサが、蹴破る勢いで扉を開く。

 

「おねーちゃん!」

 

 ナズサが猫なで声で『お姉ちゃん』と呼ぶときは、大抵何かを頼み込む時か後ろめたい何かを隠す時……それはナギサの経験則から判断できることだ。

 要するにろくなことではない。

 

「なに?」

 

「一週間の休暇が欲しいんだけどさぁ。補習授業部の合宿に付き合うため――」

 

「却下します」

 

 取り付く島もなかった。

 

「言ったでしょう? 付添人としての業務が優先と。そもそもナズサがどうしても監督をやりたいと嘆願してきたから、仕方なく配属したのですよ」

 

 全く何故分かり切っていることを……呆れながら茶菓子を放り込む。

 

 しかし、今回のナズサは一味違った。合宿になにがなんでも参加する為、()()()を用意していたのだ。

 

「そうと思ってね……お姉ちゃん、これ」

 

 テーブルに差し出されたのは1枚の紙切れ。

 

 何がしたいのやらと捲ると……。

 

 

 

 そこには、ヒフミがペロロ様人形を抱きしめている寝顔写真があった。

 

「っっっ!!!??」

 

 瞬間、ナギサに衝撃が走る。手に持つ紅茶の水面は波紋を浮かべ、額には汗が滲み出て、自慢の羽が忙しなく音を立てる。

 今まで数々の交渉、外交をこなしてきた自慢のポーカーフェイスが崩れ落ちた。

 

 これは……限りなく黒に近いグレーだ。

 ゴクリと唾を飲み込み写真とナズサを交互に見る。

 

 どうする? と、ナズサは静かに視線を送っていた。

 

「分かり、ました……」

 

「ふふっ、まいどあり~」

 

 それじゃ早速荷造りしてきまーす。と部屋を出ていくナズサ。

 

 

 ……しかし、ただで転ばないのが桐藤ナギサ。そこにはティーパーティー、そして姉としての矜持があった。

 

「ところで! 話が変わるんですが……」

 

 その言葉の強さは修羅場をくぐり抜けてきた鶴の一声。思わず背筋が伸び足が止まるナズサ。

 

「最近、やたらとストックしていた茶葉やお茶菓子が()()()()()()()んですよね……」

 

 場の流れが変わった。何かマズイ。

 そう察知した時には、既に逆転の攻勢は始まっていた。

 

「その無くなってしまった物の中にはですね、キヴォトス随一の職人様が作ったお茶菓子や、私が個人的に仕入れたこだわりの逸品もあって……。そうですね。どれも軽く10万はくだらないかと……?」

 

 心当たりがあり過ぎる。

 元々、こっそり拝借することは多々あった。だが、本当に少しだけだったのでお小言レベルで済んでいた。

 しかし、最近アリウススクワッドの為に……割とガッツリ盗んでいた。

 どうせ忙しいしバレていないだろう。と調子に乗っていたツケが回ってきた。

 

 

 昔聞いた言葉を思い出す。

 

 切り札は先に切った方の負け。

 

 ナギサは大人のカードに匹敵する、盤面そのものを逆転させる切り札(ジョーカー)を伏せていた。

 

 

 振り向かずにナギサを窺う。

 

 今なら水に流してあげますよ……ナギサの眼がそう語っていた。

 

 

「……これからも誠心誠意業務に努めさせて頂きます」

 

「えぇ、よろしくお願いしますね。ナズサ」

 

 勝利の美酒、ならぬ紅茶を戦利品と共に味わうナギサだった。

 

 

 





沢山の評価、感想、ブグマありがとうございます!本当に励みになります。


それで、存在しない記憶シリーズの感想を読んでいた時に、そういえばまだナズサの詳細なプロフィール書いてなかった。と今更思い出したのでゲーム風に書いてみました。



名前 桐藤ナズサ
年齢 15歳
身長 156cm
趣味 人の笑顔を見ること 写真撮影

武器 AR 固有武器 amo tÆ Â 元銃 FA-MAS G2


トリニティ総合学園所属、トリニティを構成している生徒連合「フィリウス」の次期リーダー候補。生徒会「ティーパーティー」であるナギサの妹で従者でもある。

いつも何かと問題を起こし、その度にナギサに叱られている様は、もはやトリニティの名物と化している。しかし、偏見や立場を一切気にしない振る舞いと、誰にでも平等に接する言動から人望は厚い。いつも校内を縦横無尽に走り回っており、彼女に話しかけられたら妙に高級なお菓子を貰えるらしい。


武器に関しては、自分の力では上手く描写出来ず、また元ネタの銃名を作品内で書いていいのか分からなかったので、ここに記載しておきます。



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それはとても甘い日々


4章最高でした……OSTを早く聞きたいでござる。



 

 

 

 

 

 今日も一日補習授業部の合宿活動が無事終了した。

 

 早速合宿の成果は現れ始めており、コハルは遂に合格ラインである60点に到達し、アズサもあと一歩と言ったところだった。ハナコは一応前回から2倍の8点になった。……元が低すぎるのでまだまだだが。

 

 途中シスターフッドのマリーが訪ねてきて、アズサが設置していたブービートラップに引っ掛かり、大爆発が起きたがキヴォトスにおいては些細なことだ。

 

 完全な貰い事故を喰らったマリーの用はその爆発魔であり、煤塗れになりながら伝えられたのは、前にアズサが助けたイジメられていた生徒のお礼だった。

 因みに補習授業部発足時にアズサが、正義実現委員会と3時間に渡る攻防戦を繰り広げていたのは、アズサに懲らしめられた犯人が報復として、嘘の情報を正義実現委員会に流したのが原因だった。それに対しアズサは、特に気にしていない様子で、寧ろどのようにしたらもっと道連れを増やせたのか、別の意味で反省していた。

 

 それに――――

 

「いつまでも虐げられてるだけじゃダメ。それがたとえ虚しいことであっても、抵抗し続けることを止めるべきじゃない」

 

 アズサが示したそれは少々手厳しいものであったが、何よりアズサ本人が大切にしている信念だった。

 

 

 

 

 

 そして就寝時間の現在、先生に割り当てられた部屋にはヒフミ、ハナコ、そして先生の3人が密会(比喩)していた。

 

 元々合宿が始まってから部長であり、部員の中で唯一補習授業部の真実を知っているヒフミとは、2人きりで話し合うことが多々あった。そして今回も相談したいことがある、と言われ待っていたのだが、いざノックが鳴りドアを開いた先には、もはや見慣れつつある水着姿のハナコがいた。

 

 ただし、深夜にいきなり押しかけ、心構えをしていない状態での邂逅は流石に心臓に悪いが。

 

 実はハナコもアズサのことで先生に相談があったらしい。そこに予定していたヒフミがタイミング悪く登場し、一種の修羅場になりかけた……というよりかは、ハナコが喜んで(?)仕立てあげようとした。

 

 

 ハナコからの相談とは――アズサが毎晩何処かへ出かけているらしく、帰ってくるのも夜明けまでという生活が続いており、このままではいずれ倒れてしまう。事情は分からないがこのまま放っては置けない。というものだった。

 ただ、そこでハナコが「試験も大切ですが、ただ落第というだけです。身体の健康と比べられるようなものではないと思いませんか?」その一言についヒフミは、落第だけじゃ済まされない、あと2回の試験が不合格だと退学になってしまう。と補習授業部の真実の一端を話してしまった。

 

 ヒフミの暴露に最初は困惑していたハナコだったが、先生に補習授業部が特殊であり、退学がシャーレの力で可能であることを説明され納得した。そしてハナコは今まで本当の実力を隠していたことを謝罪し、これからの試験は真面目に取り組むと約束した。

 

 更には卓越した自前の洞察力で補習授業部という存在を考察し、このシステムを作り上げたのはナギサであり、エデン条約を阻止せんとする者の容疑をかけられた集まりであることを見事に的中させた。

 

 

「……そうなると、ナズサちゃん……監督である彼女は私たちの監視をしている、というわけですか?」

 

「えっ!? そ、そうなんですか?」

 

 ヒフミとハナコに緊張が走る。

 ハナコは自分の勘の良さをこれほど憎んだのは初めてだった。補習授業部のみんなと同じく、本当の自分をさらけ出すことが出来た数少ない友人。そんな彼女のことを冷静に監視官と判断できる自分の冷たさに。

 

「確かに監視の為とナギサには言われたけど……ナズサ本人は違うみたい」

 

「どういうことでしょうか? ナズサちゃんは命令で……」

 

「理由は分からない。ただ、ナズサは補習授業部を大切にしてくれて、試験の為に惜しまず協力している……信じられるよ」

 

 確信めいた先生の返事にホッと胸をなでおろす2人。

 

「そうなんですか……良かったぁ」

 

「ごめんなさい。こんなこと聞いてしまって」

 

「大丈夫だよ。それじゃあ、夜ももう遅いしそろそろ寝ようか」

 

 

 その後2人が先生の部屋から出た時、ちょうどトイレに向かうコハルと出会い、とんでもない誤解が生まれたのはまた別の話。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さぁでは記念すべき第1回、補習授業部の水着パーティーを始めます♡」

 

 何故か肌が普段以上に艶やかになり、恍惚とした顔のハナコが開催を宣言する。

 

「あうぅ……」

 

 困惑しつつも動じない所に肝の強さを感じるヒフミ。

 

「…………」

 

 変わらず冷静沈着な表情のアズサ。

 

「なんで、どうしてこんなことに……」

 

 早く着替えたいと縮こまり、赤面を浮かべるコハル。

 

 窓に激しく雨が打たれ、時折閃光が迸る。真っ暗闇の広い体育館に集う4人のスク水戦士たち。

 

 

「いやぁ~眼福眼福。先生もそう思いますよね?」

 

 傘をさすだけでならず、レインコートを二重に羽織り、フードを深々と被り、更には撥水スプレーをかけて万全を期していたナズサ。

 

「色々とすごい光景だ……」

 

 唯一の生存者、スーツ姿の先生。

 

 雨合羽の重装備の不審者と1人の大人が、スク水姿の少女たちを一列に並べている光景は、控えめに言ってただの事案だった。

 

 

 

 それは遡ること1時間前。

 予報になかった雨が降ってきたことにより、干しっぱなしにしてた洗濯物が完全に使い物にならなくなってしまった一同。しかも洗濯物を回収する際に着ていたジャージも濡れ、着替えが無くなってしまった。下着のまま勉強する訳にもいかない為、仕方なく洗濯物が乾き終わるまでの間、部屋で待機していると、更に不幸が続き、まさかの停電が発生。洗濯機が停止するだけでなく蓋も開かなくなり、結果こうして水着に着替え体育館でパーティーが始まった……。

 

「いや待って! 流されないわよ!? 水着パーティーって何なの! 卑猥!! 授業もできないし着る服も無いところまでは同意だけど、だったらおとなしく部屋で休めばいいでしょ! 普通に考えて!」

 

「あら、ですがこういう時間こそ合宿の花だと思いませんか? みんな寄り添って、お互いの深い部分をさらけ出し合う……雨も降っている上に停電で何も見えませんし、雰囲気は最高です!」

 

「あはは……た、確かに合宿の定番という感じはしますね」

 

「なるほど、それがこの水着パーティーか」

 

 合宿、突如のトラブルでの停電、そしてパジャマパーティーならぬ水着パーティー。これらの要素が混ざり合い特別な環境となった現在、コハル以外の面々はテンションが完全に舞い上がっており、コハルの訴えも虚しく散るだけだった。

 

「ふふっ♡ 私こういうこと、すっごくしてみたかったんですよね。なので、ちょっとテンションが上がっていると言いますか……」

 

 饒舌に語るハナコは、年相応のお喋りが大好きな少女だった。

 

 それに当てられたのか、アズサも普段の読み取りにくい表情が和らいでいた。

 

「気持ちは分かる。私も何なら、補習授業部に入って以来ずっとそういう気持ちだ」

 

「あら、そうなんですか?」

 

「うん。何かを学ぶということも、みんなでご飯を食べることも、洗濯も掃除もその一つ一つが楽しい」

 

「あら……♡」

 

 そこから語られたアズサの素直な感謝。

 若干の気恥ずかしさがあるのか、頬を僅かに赤らめながらも、こういった特別な場だからこそ言えることだった。

 

「コハルと一緒に勉強するのも楽しい」

 

「っ!? きゅ、急になに!? 何でそんな急に恥ずかしいことを!?」

 

 好意を真っ直ぐにぶつけてくる相手に弱いコハルは、先程までの文句はどこへやら。

 

「ま、まぁ私みたいなエリートと一緒に勉強して、タメになることは多いと思うけど?」

 

 満更でもなさそうにニヤニヤと口角を上げていた。ちょろい。

 

「あらあら……♡」

 

「あっ……」

 

 尚、その一部始終に1人の心肺が停止しかけたが。

 更に追い打ちは続く。

 

「アズサちゃん……最初はあまり表情の変化も読み取れなくて心配でしたが……良かったです」

 

「もちろんヒフミもだ。本当にいつもお世話になってる、ありがとう」

 

「っ!!? あ、アズサちゃん!! うわーん!!」

 

 補習授業部が始まってからずっとアズサのことを気にかけていたヒフミ。最初はガスマスクを付けて警戒心MAXだったアズサの成長に、感極まったヒフミは思わずギュッとアズサを抱きしめる。

 

「ひ、ヒフミ、少し苦しい」

 

 

「あがっ…………」

 

「っ!? な、ナズサ?」

 

 レインコートの塊が突然胸を押さえつけ蹲る。

 ガサゴソと擦り合わさる音とヒューヒューと掠れた呼吸をするナズサに駆け寄る先生。

 

「大丈夫?」

 

「いえ、お構いなく。唐突の供給に身体がびっくりしただけですから」

 

「供給……?」

 

 ナズサの言っている意味は把握出来なかったが、その顔は幸福感に満ちていたのでそれ以上は踏み込まない事にした。というより、あのハナコが焦燥を浮かべていたので、何かがマズイと判断した先生は速やかにナズサから距離を取った。

 

 

 

 そこからは他愛のない話が始まり――――

 

 

「そういえば今トリニティのアクアリウムで、『ゴールドマグロ』という希少なお魚が展示されているらしいですね」

 

「あ、私もそれパンフレットで見ました! 『幻の魚』と呼ばれているんですよね?」

 

「はい、どうやら近くの海で発見されたとか、見に行きたいのですが、入場料も安くはないので……」

 

「海、か……そういえば一度も行ったことないな」

 

「そ、そうなんですか!? 1回も……?」

 

 最近話題になっている時事や流行の話や、いつかは補習授業部で海にも行ってみたいと、夢を膨らませたり……。

 

 

「それでとっくに潰れたアミューズメントパークなのにも関わらず、夜になると何やら騒がしい音が聞こえてきて……」

 

「そ、そんなわけないじゃん! 聞き間違えよ!」

 

「まぁ、私もそういう噂として聞いただけですが……」

 

「いやだっ! 絶対嘘! 全部誰かの悪ふざけ!」

 

「あ、あはは……」

 

 雰囲気に乗じて噂になっている怪談なんかを語ってみたり……。

 

 

「世の中には2種類の人間がいる。水着を着る側と観る側だ。ハナコ先輩、分かりますよね?」

 

「むぅ……やはりナズサちゃんとは、一度腰を据えて話し合わないといけませんね」

 

「あんたたち何言ってるの!? エッチなのはダメ! 死刑!!」

 

 水着に着替えようとハナコに提案されたナズサが、美学を語りだし譲れない戦いが始まったりと、過ぎ行く時間はあっという間だった。

 

 そうしてパーティーも半ばと言ったところ、ハナコがずっと心配していたことを口にした。

 アズサが夜あまり寝られていないことを。本当は抜け出して何処かへ出かけていることも知っていたが、それはあえて黙っていることにした。

 

 アズサは、夜中に敵が侵入してきそうなルートに罠を設置していたという。しかしそれはみんなが大切であり安全を守りたい、という不器用ながらもアズサなりの優しさだった。

 

 ただ、最後にアズサが発した言葉。

 

「この世界は、全てが無意味で、虚しいものだ。だから、もしかしたら……私はいつか裏切ってしまうかもしれない……みんなのことを、その信頼を、その心を」

 

 その覚悟にも似た何かに引っ掛かりを覚えたハナコだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夜――もはや深夜の域に入った学校に人の気配はない。

 

 静まり返った長い廊下を1人の少女が身をかがめ、忍び足で歩いていた。

 未だに明かりが灯っている部屋の前まで辿り着くと、そっと扉の隙間から中の様子を窺う。

 

 部屋の中央で、テーブルを広げ泰然とティーカップを口に運ぶナギサが、待ち人来たらずと鎮座していた。トリニティ生徒の筈なのに頭から角が幻視できる。それは正に鬼。妙に笑みを深めているのが余計に不気味だった。

 

「うっわ……めっちゃ怒ってる……」

 

 まだ寝てなかったのかよ。と悪態をつくナズサ。

 

 エデン条約を控え多忙に追われてる今、最近は家にも帰らずに学校で寝泊まりをする日が多い。幸いにもトリニティは施設が充分に備わっているので、生活する分には何も不便はないのだが……。

 本来ならば付添人にも与えられる個室が、セイアの襲撃があった手前安全を配慮して2人で同じ部屋――ナギサの部屋で過ごす事になってしまっていた。

 

 つまり帰宅時間が完全に把握されるのである。

 

 

 このままだと状況は悪化する一方、意を決して扉を開く。

 

「た、ただいまー……」

 

「おかえりなさい、ナズサ。待ってましたよ」

 

 いつもと変わらない穏やかなトーンなのが背筋を凍らせる。

 言い訳の余地なし。ナズサは素直に謝ることとした。

 

「ごめんなさい」

 

「……はぁ。こんな夜遅くまで出歩いたことは一旦置いておきましょう。私が今聞きたいのはゲヘナ生と戦闘をした……これは事実ですか?」

 

「はい……」

 

 実はここまで遅くなったのは、水着パーティーが終了した後に補習授業部と商店街で食べ歩きをしていたからだった。

 それだけならまだしも、偶然にもゲヘナの美食研究会がゴールデンマグロを盗み暴れている場に鉢合わせ、彼女達の暴走を食い止め、ゲヘナの風紀委員に引き渡すまで付き合ってしまった。

 

「あれだけ危険は冒さないようにと言ったじゃないですか!」

 

「…………」

 

 部屋どころか、学校中にも響き渡る程の怒声。

 ただそれも一瞬の出来事だった。

 

「怪我は……していないのですね?」

 

 その声はとても弱々しく、不安げなものだった。

 

 世話が焼け困らされることも多いけど、いつも周りに気を配っている優しい妹。

 しかし最近のナズサは、偶にふと何処かへ消えてしまうのではないか、そんな漠然とした雰囲気を纏っていた。付添人となり一緒に居る時間は増えている筈なのに、拭えない不安は増すばかり。

 

 そこに入った補習授業部の監督の嘆願、そして今日の出来事。

 幸いにも先生が送ってくれたと報告が入ったお陰で落ち着けたが、いつまで待っても帰って来ないのは本当に心臓に悪かった。

 

「ごめんなさい 次からはちゃんと連絡もする」

 

「……はい、頼みますよ。ナズサ」

 

 

 

 

「それじゃあさ! ケーキ買ってきたんだけど、どう?」

 

 湿っぽくなった空気を払拭するように明るい声を上げるナズサ。

 

「……こんな時間にですか?」

 

「まぁまぁ、たまにはさ? いいじゃない。最近お疲れのようだしさ!」

 

 ナズサが取り出したのは、お土産としてハスミを誘惑に堕とした例の店のケーキだった。

 

「お姉ちゃんこれ食べたいって言ってたでしょ?」

 

 確かにそう言った覚えはある。ただ、最近はそもそもプライベートの時間すらまともに取れず、スイーツ店を巡るなど以ての外だった。自分ですらも忘れかけていたことを、態々覚えて気を配ってくれる、こういったところが本当に憎めなかった。

 

 

 2人分、小皿に乗せて向かい側にナズサが座る。

 

 羽のように軽いスポンジがフォークを簡単に通し、口内に入ればたちまち溶ける。絶妙な甘さと苦味を兼ね備えたチョコが、喉を通り抜けていく。疲れた身体に染み渡っているのがひしひしと感じられた。

 

「お、美味しい……」

 

「良かった」

 

 いたずら成功といった表情で笑うナズサに、謎の敗北感と羞恥心に襲われ顔を背ける。

 

「……また、こうやってみんなとお茶したいね」

 

 ふと、ナズサが呟いたそれはとても切実なものに聞こえた。

 ハッとなり正面を見据えると、暗い陰を帯びたナズサがいた。

 

「……出来ますよ。全てが終われば。きっと」

 

 それになんと答えたらいいのか分からなかった。だから月並みな言葉しか出てこなかった。

 

 

 

 

 

 久しぶりに2人きりで食べたケーキはとても甘く、そして今は苦い思い出だった。

 

 

 





沢山の感想、評価、ブグマありがとうございます!



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本心


イロハの絆エピソード1より抜粋。

「もし表面上だけニコニコして近づく存在がいたら、普通嫌じゃないですか? 自分が利用されそうだなと思いませんか?」

「そんなトリニティみたいなやり方、気味悪くありません?」


……トリニティにはそんな人がいるのかぁ……こわいなぁ……。



 

 

 

 斜陽が照らす教室、響き渡るはペンが紙をなぞる音。

 教壇に先生、隣にナズサが座り真剣な眼差しを向けている。

 

 第2次特別学力試験まで残り2日。

 ラストの仕上げへ追い込む為の第3次補習授業部模試が行なわれていた。

 

 

「そこまで」

 

 先生の合図と共に終了のチャイムが鳴り、ペンを伏せる。そのままナズサが答案用紙を回収したところで、やっと緊張が解け息をつけることができた。

 

 

 

「先生……結果をお願いします!」

 

 採点が終わりみんなの心の準備も完了したところで、ヒフミの合図に頷きテストの結果を告げる。

 

「それじゃ発表するね……ハナコ69点、アズサ73点、コハル61点、ヒフミ75点!」

 

 先生から告げられた結果は、合格ラインである全員一致60点代のボーダーを超えていた。

 

「や、やりました……!?」

 

「ほ、本当っ!? 嘘ついてない!?」

 

「……!」

 

「あらあら♡」

 

 一拍の静寂が訪れる、そしてすぐさま歓声に切り替わった。

 

「すごいです! アズサちゃん、60点どころか70点を超えてしまいました! 本当にすごいです! 頑張りましたね……!」

 

「……うん!」

 

 誰よりも先に反応したのは部長としてみんなを引っ張ってきたヒフミだった。自分のことのようにはしゃぎながら、遂に合格ラインを突破したみんなを褒めたたえる。

 

「コハルちゃんも! ギリギリでしたが、これは紛う方なき合格です! すごいです、やりましたね!」

 

「ゆ、夢とかじゃないよね……? ほ、本当に……!」

 

 ヒフミに肩を揺さぶられ現実を認識できたコハルの表情と声が、どんどんと晴れ渡っていく。

 

「あはっ……こ、これが私の実力よ! 見たか!!」

 

「はい! これぞ正義実現委員会のエリートです、さすがです!」

 

 そして今まで一桁代だったハナコ。実際は実力を隠していただけなのだったが、それでも素直に喜べるところがヒフミの長所だろう。

 

「それに、ハナコちゃんも……」

 

「運が良かったですね、うふふ。良い感じの数字です♡」

 

「本当に……ハナコちゃんに以前何があったのか、何を抱えているのかまだ分かりませんが……でも、良かったです……」

 

「ヒフミちゃん……ありがとうございます。そしてごめんなさい。心配をおかけしてしまって……」

 

 かくして遂に希望の光が見えたことに士気は向上、油断せずに体調管理にも気を配りながら、ラストスパートに取り組む補習授業部だった。

 

 

 

 

 

 ――――とその前に1つ決して忘れてはならないことがある。

 

 

「うーん……どの子にしよう……」

 

 結果を出せた――つまりヒフミの用意したモモフレンズのご褒美がアズサを出迎えたのだが、選べるのは一匹だけという苦渋の選択を強いられ、アズサはうんうんと頭をひねらせていた。

 因みにハナコは謹んでお断りし、コハルも同様……なんなら未だにヒフミの趣味だけは看過できずにいた。

 

「私には無理だ……ヒフミが選んでくれ」

 

 デフォルメされた髑髏の仮面を着け、ツノが生えた黒いカバのような容姿のスカルマンと、眼鏡をかけたペロロ様――ペロロ博士の2種類まで絞れたが、そこから決めきれないようで決断はヒフミに委ねることとした。

 

「……ではこちらの、インテリなペロロ博士はどうでしょうか!」

 

「……! よし、じゃあこの子だ!」

 

「実はこのペロロ博士は、物知りで勉強もできるという設定なんです。まさに今お勉強を頑張って、すごい成長している真っ最中のアズサちゃんにはぴったりかなと!」

 

 ちょっとだけ勉強しすぎたせいで、少しおかしくなっているという裏設定も、ちょいちょいズレた奇行に走るアズサと少し似ていた。

 

「良かったね、アズサ」

 

 ご褒美を手にし、ご満悦なアズサに賛辞を送る先生。

 

「うん、気に入った。本当に可愛い、好き。えへへ……」

 

 いつものポーカーフェイスを崩してだらしなくニヤニヤと笑い、ペロロ博士を抱きしめながら頬擦りをするアズサは少し幼く見えとても愛おしいもので、その破壊力は1人の命を奪いかねないものだった。

 

「あ、あああぁぁぁ……」

 

「またなってるし……」

 

 もはや恒例となりつつあるナズサの限界化。コハルは既に抑えつけるのを放棄していた。

 

「な、ナズサちゃんもどうですか? モモフレンズグッズ」

 

「へっ!? 私!?」

 

 唐突に投げかけられたヒフミの提案に、ペロロ様並にイッてた焦点が戻るナズサ。

 その顔には動揺が浮かんでいた。

 

「はい。ナズサちゃんも毎日ここまで来てくれて、賄いとか模擬試験の用紙作成を手伝ってくれたりしてくれましたから」

 

「え、あ。えっと……ど、どうしよう……」

 

 普段は全く迷いがなく思い切りのいいナズサが、歯切れ悪くどこか対応に困っている様は滅多に見ないものだった。

 

「あ、ごめんなさい。もしかして、ナズサちゃんはあまりお気に召しませんでしたか?」

 

 目尻が下がり、不安気に尋ねるヒフミ。

 モモフレンズは人を選ぶ。だから遂にできたアズサという同志に舞い上がって、少し押し付けるような形になってしまったことを悔いていた。

 

 たがそれは杞憂に終わる。

 

「いや、そういうわけではなくて……。私()()()が貰って良いのかなって」

 

 恥ずかし気に赤らめた頬を搔きながら、消え入るような声で心情を打ち明ける。

 

 その様相を見たヒフミはいけると判断し押していった。

 

「はい! ぜひ貰ってください!」

 

「うん、ナズサも沢山頑張った。モモフレンズを受勲する権利がある」

 

「わ、分かった分かった。……じゃあこの子でお願いします」

 

 眼を輝かせながら詰め寄る2人を宥めながら選んだのは、アズサが悩んでいたもう一匹のモモフレンズ、スカルマンだった。

 

「ありがとう、ヒフミ。これは一生大切にする」

 

「ヒフミ先輩ありがとうございます」

 

 獲得したモモフレンズを優しく抱きしめるアズサとナズサ。

 アズサは初めての友達のプレゼントであり、これをヒフミだと思い大事にする。ナズサは桐藤家の家宝にする。と、それぞれの思いを口にした。

 

「そ、そこまで言っていただけるとちょっとビックリしてしまいますね……!? ですが、私も嬉しいです。それはアズサちゃんとナズサちゃんの努力の証ですから!」

 

 そんな重い告白をも受け止め喜ぶヒフミの度量はまさに部長に相応しいものだった。

 

「うーん……趣味の世界は広いですねぇ」

 

「………………」

 

 果たして人の事は言えるのか、世界の広さに呆気としているハナコ。相変わらずの見てはいけないものを見る眼になっているコハル。

 

 

 

 そんな和気藹々と盛り上がるなか、一歩後ろに引いて傍観していた先生……と、ハナコは気付いてしまった。

 

「……本当に、ごめんなさい」

 

 抱えたぬいぐるみに霞むように謝罪し、喜悦とは別の……罪悪感を秘めた眼をしているナズサに。

 

 

 

 ***

 

 

 

 私の罪深き行いをお許し下さい。桐藤ナズサです。

 

 

 ……仕方ないだろ!!! ヒフミ元帥からモモフレンズを頂くなんて、許されざることだと頭では理解していても欲しいじゃん!! 神も許してくれるだろ! てか許せ!

 

 重々承知しておりますとも、何やってんだと。

 滅茶苦茶悩みましたよ? この世界に転生してあの瞬間が一番脳ミソ使ったと思う。

 

 モモフレンズはヒフアズを象徴するものだ。

 あれを受け取ったのがアズサだけだったことで、2人の距離は更に縮まったと俺は思っている。

 

 そんな特別なものを俺が貰うなど言語道断、散々語った禁忌である“挟まる”行為にほかならない。

 

 

 …………でもさ、あんなにヒフミ元帥が申し訳なさそうな顔したらさ。無理やん? 忘れないで欲しいけど、俺は女の子に似合うのは笑顔が一番だと思ってるから。

 

 それにアズサからも、あんな風に言われた手前……このままヒフミ元帥のご尊顔を曇らせるわけにはいかないので、受け取っちゃいました。

 

 その時のヒフミ元帥とアズサの顔ったら……やっぱり笑顔はサイコーだな!

 

 

 まぁそれでも罪の意識は消えないですが……この業は一生背負う覚悟です。石を投げつけられても何も言いません。

 

 

 

 

 

 そうして昨日が終わったわけですが……。

 

 第2次特別学力試験が明日に控えた今現在、絶賛先生とナギサ様がバトってます。まぁ静かな戦いですが。

 

 ナギサ様に呼び出された先生をテラスまで案内し、模範に則った礼儀ある順序を踏んで挨拶を交わした所までは良かった。

 

 火蓋が切られたのは、ナギサ様がいつの間に仕入れてきたのやら、ミカが接触したという情報を皮切りに、それはもう寒気が走る程の満面の笑みで「トリニティの裏切り者は見つかりましたか?」と問いただしたとき。

 

 対して全く動じなかった先生の返答は、誰かを疑うことに時間は費やさない。補習授業部が報われるように最善を尽くすだけと、変わらない信念を突き通しているものだった。

 その答えにナギサ様は顔を顰め、何故補習授業部があのメンバーなのか改めて説明した。

 

 

 そして出てくる彼女――ヒフミのこと。

 

 ナギサ様はヒフミを好いている。しかし、耳にしてしまった犯罪集団のリーダーであるという噂。それが誤解であることは先生は分かっているが、証明はできない。

 

 ヒフミの優しさをナギサ様は痛いほど知っている。それでも、どれだけ信じていても本心は分からない、心の中身など、証明できるものではない。所詮は()()なのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

「所詮他人だなんて……そんな言い方はやめてほしいな、お姉ちゃん」

 

 加熱していく議論のなか、傍観に徹していたナズサが口を開いた。それは裏切り者を追及するものでも、先生を尋問するものでもなく。ただ切実な願いだった。

 

「っ……」

 

 その言葉にハッとしたように目を見開くナギサ。

 

 瞬間、先生は合宿初日にナズサが言っていた言葉、お姉ちゃんを頼みます――を思い出しその意味を理解した。

 憶測でしかないが……信じていても本心は分からない。それはナギサ自身への免罪符であり、自罰でもあったのだろう。

 

「分かったかもしれない。……ナギサ。今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中にいる」

 

「……はい? 疑心暗鬼の、闇……?」

 

「見たいものだけを見て、信じたいことだけを信じてるんだと思う」

 

 ナギサは口を噤み眉間に皺を寄せる。

 

「君を、そこから出してみせる。そして絶対に、補習授業部のみんなを合格させる」

 

 それは決意表明であり、宣戦布告であった。ナギサは静かに紅茶を一杯啜り、先生を見据える。

 

「……つまりお話はシンプルになったということですね……承知しました。どうか頑張ってください、先生」

 

 要するに喧嘩は買ったということだ。ナギサは笑みを貼り付けたままナズサへと顔を向ける。

 

「私は、私なりに頑張りますので……手始めにナズサ、あなたは明日本校からの外出の一切を禁止します」

 

「……!?」

 

「お姉ちゃん、どういうこと?」

 

「その内分かります。これはティーパーティーとして、あなたの主としての命令です」

 

 その眼は険しく、意志の固さを感じるものだった。

 横暴ではあるが、その話をするなら既に補習授業部という存在自体が横暴である。つまり付添人の拘束程度は造作もない。

 

「ナギサ……!」

 

「先生、そもそもナズサは私の従者です。なにか?」

 

「そう言うならナズサは補習授業部の監督でもあり――――」

 

「違います、ナズサはあくまでも貸しているだけです。本来の業務ではありません」

 

 そもそも監督は本人の志願によるものであり、筋はナギサが通っていた。

 

「それに明日限定です、別に監督を解雇しても良いのですよ?」

 

 ……それは困る。もちろん生徒は信じているし、明日無事に合格するつもりではあるが……ナギサの対応を見ると万が一もあり得る。

 ナズサの存在は補習授業部にとっても欠かせないものになっており、彼女の賄いや模擬試験作成の手伝いにどれだけ支えられてきたか。

 

「……それではここらへんでお開きとしましょう。ナズサ、見送ってあげてください」

 

 今回の話し合いの行く末は……決裂に終わってしまった。

 

 

 

 

 

「ありがとね、先生」

 

 校門まで見送りに付いてきたナズサが先生の背に声をかける。

 振り向くと……夕陽に照らさたナズサの表情は全く見えなかった。ただその声は鈴のように跳ねていて――――

 

「まぁこれから先も大変だろうけど……ね? 先生」

 

 またもや、暗い陰を感じさせるものだった。

 

「ナズサ、君は――」

 

「じゃ! 補習授業部のみんなにもよろしく!」

 

 そしていつも踏み込む前に消えてしまう。出会った当初から時折見せる不安定な()()

 今回も続きを聞く前に、ナズサは羽をなびかせ去っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 翌日、ゲヘナ自治区で行われた第2次特別学力試験は、全員が答案用紙を紛失したことにより不合格となった。

 

 

 





感想、高評価、ブグマありがとうございます!



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ラストスパート

 

 

 

 第2次特別学力試験。それはナギサの横暴ともいえる権力が、振りかざされた事で徹底的に妨害された。

 

 試験会場がまさかのゲヘナ自治区で行われ、更に開始時間は深夜3時。

 道中はゲヘナの風紀委員、温泉開発部のショベルカーやブルドーザーに追い掛け回され、行路には大量の地雷が仕込まれていた。

 

 しかし幸か不幸か、一種の恩があった美食研究会と偶々遭遇し、相変わらず拉致られていたフウカの車で案内をしてもらい、何とか開始時刻までに会場へ辿り着くことは出来た。

 

 そうして無事(?)に試験を開始したのだが……そこへ何処から仕入れた情報か、会場の真下に温泉源があると嗅ぎ付けた温泉開発部が、会場を木っ端微塵に爆破した。

 

 結果、解答用紙は跡形もなく燃え尽き、試験は用紙紛失として処理された補習授業部は戦うことなく敗北してしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう嫌っ!!」

 

 教室に響き渡るコハルの慟哭。

 補習授業部は振り出しへと戻っていた。いや戻されていた。

 

「こんなことやってらんない! 分かんない! つまんない! めんどくさい!」

 

 ひたすらに浮かんだ言葉を羅列していく。

 補習授業部が始まって以来、再三勉強に苦しめられてきたコハルだったが、今回ここまでコハルが弱音を吐き出すのには理由があった。

 

 それは第3次特別学力試験の合格ボーダーラインが全員一律60点以上から、90点以上に引き上げられたこと。

 つい最近、やっと60点を超えることができたコハルにとって、それは途轍もなく強大で高き壁。しかも残り期間は僅か一週間という茨の道のセット。

 

「あ、えっと、その……こうして集まっているのは、そもそも退学せずに済むようにするためですし……」

 

 コハルを落ち着かせるヒフミ。

 部員の気持ちがバラバラになりそうな時、幾度となく纏めるのも部長としての役目だった。

 

「取り敢えずその、今はみんなで知恵を寄せ合って、何か良い方法を探さないと……このままじゃ、一週間後には本当に仲良く全員退学、なんてことに……」

 

「『知恵を寄せ合う』……なるほど。悪くはないのですが、あまりグッと来る感じではありませんね。もう少し、こう何か……」

 

 と、確実にどうでもいいところにこだわりを抱くハナコ。

 

「ここは例えば、そうですね……『弱くて敏感な部分を寄せ合う』、という形でいかがでしょう?」

 

「? どういうことだ?」

 

「い、いきなり何言ってんの!? 下ネタはダメ! 禁止! 死刑!! び、敏感な部分って、何をどう寄せ合おうってわけ!?」

 

 あまりにも不穏な他意を感じる言い回し。その意味をアズサは相変わらず捉え切れてはいなかったが、ある意味同類であるコハルはしっかりと理解していた。

 

「ああ、ちょっと分かりにくかったですか? では、実際にやってみせましょうか。もう少しこう、脚を開いていただいて……」

 

 じりじりとにじり寄ってくるハナコ、知らず知らずのうちにコハルは壁際まで追い込まれてしまった。何かデジャヴを感じるコハル。それは補習授業部初日にナズサに詰め寄られた時と同じ……いやそれ以上の貞操に関わる危機を。

 

「わっ、私が悪かったです先輩相手にタメ口ですみませんでした!もう許してやめてっ、それはまだ嫌ぁーーー!!!」

 

「なるほど、そういう制圧術もあるのか。白兵戦で使えそうだ……勉強になった。ただ、無駄な動作が多い気がするな。私ならあと2テンポ前の段階で、関節をきめてる」

 

 ハナコに覆いかぶせられ悲鳴をあげるコハル。一見すると完全に事案なのだが、萎えて気分が落ちていたコハルを励ます、ハナコなりの少しだけ激しいスキンシップだった。

 

 ハナコはただ性的な発言をしてしまうだけの女ではない。空気が読めて自然とフォローに回れる腕利きの痴女であり女傑なのだ。

 

 まぁ、コハルにやっていることは半分くらい……いや7割ぐらい楽しんでやっていることだが。

 

 そんなハナコをズレた視点で感心するアズサは、このままでいて欲しいとこの場の誰もが思ったことだろう。

 

「先生ぇ……」

 

「……うん、私も頑張るね」

 

 ただ、いつもなら笑っていられたが、今はもうそんな余裕も刻一刻となくなっている。

 

 あの後、ナギサとは会うことはかなわずミカも同様に連絡が付かなかった。

 そしてナズサもまだ謹慎を喰らっていると聞いた───

 

 

「すみません! 遅れました!」

 

 聞きなじみのある声と共に勢い良く扉が開かれる───先に立っていたのは額に汗を滲ませ肩で息をしたナズサだった。

 

 瞬間、先程までの喧騒はどこへやら、試験中にも劣らない静寂が教室を包み込んだ。

 

 ナズサはゆっくりと教室内を見回して、アズサ、ヒフミ、先生。

 そしてハナコに襲われるような姿勢のまま固まり、涙目になったコハルと目が合う。

 

「……続けてください」

 

 ただ一言、沈黙を切り裂いたのはナズサだった。

 

「は……!?」

 

 『続ける』その意味を理解したコハルは崖から落ちるような感覚に似た絶望を覚えた。そうだった。こいつ(ナズサ)はずっとあっち(ハナコ)側だったことを。それは補習授業が始まってから嫌というほどに思い知らされた。 

 

「はい♡ 分かりました」

 

 一方了承を得た(本人のではない)ハナコは、満面の笑みでここぞとばかりに攻め込んでくる。

 

「待って! お願いだから!! なんでナズサはそんなにニコニコしてるの!! 怖い!! だ、誰か助けて──────」

 

 

 木々で羽休めしていた鳥たちが、逃げ出すほどの悲鳴が館内に轟いた。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。お姉ちゃんがあそこまで躍起になるなんて……」

 

 一段落ついたところでナズサは頭を下げてきた。

 

 それは昨日のこと。

 ゲヘナ自治区での開催のみならず、ありとあらゆる妨害を駆使し最終的には会場爆破。更に合格ボーダーラインの引き上げと、それら全てがあからさまな悪意による工作であり、試験会場にあったボイスメッセージからその犯人は自明であった。

 

「あ、謝らないでください! ナズサちゃんも大変だったでしょうから」

 

「そうだ。それにどんなに邪魔が入ろうとも諦めない」

 

「私だって……確かに凄く難しいけど、頑張るもん!」

 

「はい! それにハードなほど盛り上がりますし……ね?」

 

「ナズサは何も悪くはないよ」

 

 補習授業部の温かさに迎え入れられたナズサは、潤んだ目を堪えながら、残り期間最後まで付き合うと宣言した。

 

 

「ところで……ナギサは───」

 

「すみません先生、今朝からお姉ちゃんとは会えていなくて……というか抜け出してきたんで」

 

「そうか……いや、気にしないでくれ」

 

 決してナギサの行為は許されることでないが、それでもここまでの行動に至ってしまうナギサの心配をしていた先生。

 皆の前で彼女を庇うようなことは言えなかったが、それでもどういった状態なのか気になり───

 

「ん? 抜け出した?」

 

 ナズサの付け加えた一言、それは見過ごしてはならないものだった。

 言い方から察するに、やはり未だナズサの謹慎は解けてはいないと思える。それは時勢と立場的に大問題に発展するのでは……。

 

「はい。まぁ大丈夫でしょ!」

 

「え、えぇ!? 本当に大丈夫なんですかそれ!?」

 

 ヒフミの心配などどこ吹く風、本人はケロッとしていて罪悪感の欠片もなかった。

 

「ナズサさんは、トリニティでも指折りの問題児でもありますから、きっと許されますよ」

 

 ハナコのフォローになっていないフォロー。思わずどの口がと突っ込みたくなるがそれは置いといて。

 

 補習授業部での活躍で忘れていたが、そもそもナズサはかなりの問題児であると聞いていた。それを知ったのは、ナギサの依頼を受けた日にシャーレに帰った後だったが。

 

 曰く、ゲヘナ自治区で暴れまわったやら。曰く、毎日のように公共の施設を破壊していたやら。

 

 お嬢様学校と知られるトリニティには、あまりにも似合わず姉であるナギサとは正反対であると。

 

 しかしそれも中等部までの話だとも聞いていた。

 高等部に進級してからはすっかり落ち着き、確かに少々はっちゃけている部分もあるが今までと比べると可愛いものになったと。

 

 

 ……もしかしたら、ここにナズサが隠す暗い部分のヒントがあるのかもしれない。

 確かに歳を重ねて成長し落ち着いたとも捉えられるし、自身の立場を考えるようになったとも思える。

 

 ただ、どこかナズサは我慢しているように見える。

 そういった悪戯心を抑えるというよりかは、何か別の……もっと重大なものに囚われて……。

 

 

「先生、大丈夫ですか?」

 

 覗き込むヒフミに、思案の海に潜り込んでいた先生が戻される。

 

「ん? あぁ、少し考え事をしていて……」

 

 ……そうだ。まずは目の前に居る彼女達を助けなけらばならない。

 

 自身の使命を改めて確認し、気合いを入れる先生だった。

 

 

 

「ところでアズサ先輩。さっきのハナコ先輩の“技”試してみませんか? 具体的にはヒフミ先輩に!」

 

「私!? な、ナズサちゃん!?」

 

 鼻息を荒くしながら詰め寄り妙な提案をしてくるナズサ。

 それに何故か寒気を覚えたアズサは、大切な友達を傷つけることなど出来ないと、もっともすぎる正論を叩きつけて回避した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 補習授業部学力強化合宿 12日目。

 

 第3次特別学力試験まで残り2日。

 

 

 トリニティの教室には趣を重んじて、蛍光灯ではなくシャンデリアが吊るされている。それは離れにあるこの合宿所も、トリニティの施設であるからには例外ではない。

 

 夜は既に更け時計の短針は9時を超えており、カーテンが閉め切られた教室内には、その光が煌々と2つの影を映していた。

 

 この5日間で補習授業部の力はメキメキと上がっていき、5回目の模試試験は遂に全員90点を超えることができた。

 

 そして明日は実質的に最終日。

 その為に最後の仕上げに入る6回目の模試試験の作成、予定されている範囲の過去問の洗い出しを先生とナズサは行っていた。

 

「ふぅ……先生、コーヒーでも飲みますか?」

 

 一旦の区切りがついたのか、伸びをしながらナズサが尋ねる。

 お願いするよ、と死にそうな返事をはーいと間延びした声で返し、ナズサが持参し設置したエスプレッソマシンを起動する。

 

 やがて漂うコーヒーの香りが鼻腔をくすぐり、先生もひとまず手を置いた。

 

「ありがとう」

 

 零さないよう丁寧に、しかし迅速に運ぶナズサから受け取る。

 あちっ、と思わず声が漏れ、ふーふーと冷ます先生とは対照的に、隣で遠い目をしながら顔色1つ変えずに、ゆっくりと両手で抱えたカップに口をつけるナズサ。

 

 こういった偶に垣間見える細かい所作が、ナズサが本来は従者であることを思い出す。

 

 

 ……そう、本来はナギサの付添人。ティーパーティー側であるのだ。

 

 ナギサからの命令……いや、志願と言っていた。裏切り者を探し出す監視役。しかし本当はミカと協力しており、アリウス分校から転校してきたアズサを守っている。そうなると先生のことをあまり頼りにせず、自分で見守っているとも考えられたがそれは違った。ナズサはあのプールの時もトリニティから見送った時も、補習授業部を頼むと言っていた。

 

 ならばどうして彼女はここにいるのか。

 その疑問はナズサに対する無礼ではあるものの、当然の帰結であった。

 

 確かにミカとは違いまだ学校を代表するトップではない為、ある程度は自由に動けるのかもしれない。

 だが多忙であることは変わりはなく、そんな限られた時間の中で何故ここまで親身になってくれるのか。

 

 恐らくそれを聞くチャンスは今しかない。

 そう判断した先生は一歩踏み込み───

 

「あらあら♡ ‬2人っきりの夜の教室、教壇で一体ナニをしているんですか?」

 

 そこへいつも通りの揶揄いをしながら、ハナコが教室に入ってきた。

 

 なにかを思いついたのか、笑みを浮かべながらゆっくりと教壇へ近づくハナコ。その仕草はまるで誘蛾灯のように引き込まれる謎の引力を兼ねていて……。

 

「あーダメですダメです! 今問題作っているんですから!」

 

 割って入るナズサ、ただ身長の関係で立ち向かう構図は絶望的な格差を感じた。…………どことは言わんが別のところでも。

 

「あ、でもハナコ先輩ならいいか。ね? 先生」

 

 必死になっていたナズサが急に冷静になる。

 

 実際ハナコは、補習授業部のなかで一番勉強の心配がいらず、もちろん試験に関しても同様。

 

 きっと昔のハナコだったら、このナズサの発言に傷付いてしまっただろう。しかし成長し本当の友達が出来た今の彼女には問題なかった。

 

 なによりナズサもまた、ハナコにとっての友達であり、今のは信頼の言葉であると理解していた。

 

 

 

「それで先生? ナズサちゃんに何か聞こうとしてましたよね?」

 

「え? そうなんですか?」

 

 心が見透かされているのではないか。そう錯覚してしまう程の鋭さを感じる。

 

 ハナコの洞察力が優れていることは理解していたが、まさかここまでとは……本当は2人きりで聞きたかったが、観念した先生はナズサへ踏み込む。

 

「うん……失礼を承知の上でずっと聞きたかったんだ。ナズサ、どうして君はここまでやってくれるのか」

 

「っ、そ、それは…………」

 

「君は別の……他の理由があるんじゃないかな?」

 

 普段飄々としているからこそ目立つ明らかな動揺。

 ナズサは目を泳がせて答えに詰まっていた。

 

「………………」

 

 俯き黙るナズサ。

 

 それに返答は急かさず、ナズサの心持ちを静かに待つ先生。そして質問の意図を察したハナコも、真剣モードに切り替えナズサの答えに耳を傾ける。

 

「ふふっ……それはもちろん自分の為ですよ!」

 

 長い沈黙を破ったのはナズサの不敵な笑いだった。

 宣言するように、この世界にアピールするように右手を上げて人差し指を立てるナズサ。

 

「自分の?」

 

「為ですか?」

 

 まさかの回答に疑問符が頭に浮かぶハナコと先生。

 

「そうですよ! 私が補習授業部の監督として名を馳せて! トリニティの人望集めて! やがてはティーパーティーのトップとなる野望の為ですよ!」

 

 はーはっはっは。と腰に手を当て高笑いする様は、まるで企みを暴露する三文芝居の悪役のようだった。

 

 ただ震えた声により格好は付いていなかった。

 そう、それはあからさまなナズサらしい冗談……いや“嘘”だった。

 

「ナズサちゃん……」

 

「ナズサ……」

 

「まぁそういうことです! 私悪いでしょう?」

 

 胸に手を当て、自慢げに笑うナズサ。

 いや違う、それは自身への嘲笑だ。高校への進級と補習授業部、この2つがナズサの抱える何かを掴めるヒントだと先生は感じた。

 

 ハナコも同様だった。ナズサが時折見せる自傷的な部分。特に顕著だったのが、モモフレンズを手にした時に涙を堪えていた顔。それは嬉しさからではなく悼ましいものだった。最後に発した謝罪が、なによりの証左。

 自分と同じように晒け出せない……いや、晒してくれないナズサに少しだけ悲しみと、それ以上の悔しさを感じた。

 

 

 

「そういえばハナコ先輩、他のみんなは?」

 

 話はここまで。ナズサは言外にそう言うようにハナコへ話を振る。

 こうなった以上は素直に詮索は止め通常営業へと戻るしかなかった。

 

「今はお風呂に入ってますね~」

 

 お風呂、そのワードに反応するようにナズサの眼が見開く。

 

「っ!! もしかしてみんなで入っているんですか!?」

 

「ふふふ、どうでしょうか?」

 

 きっとこっちのナズサも本当の姿なのだろう。だってこんなにも生き生きと、楽しそうにしているんだから。

 

「何故か私だけは最初に入れさせられる……コハルちゃんに『あんたが最後だと怪しいからダメ!』と言われまして……」

 

 

 

 

 

 その後、いつの間にかハナコも先生たちの手伝いをしていた。

 結果として作業ペースは格段に捗り、予定よりも早く終えることは出来たのだが、時間は既に10時を回っていた。

 

「ありがとうハナコ、ナズサ……。あ、そういえば時間は大丈夫なのか?」

 

 机に突っ伏すどころか、溶けているナズサへ声をかける。

 今更すぎることだが、ナズサがこの時間まで居ることは初めてだった。

 

 因みにハナコは全く疲れた様子が見えない。いくら途中参加とはいえども流石といったところか。

 

「あ、あぁ……そういえば伝え忘れてました」

 

 液体から固体に凝固したナズサは、姿勢を正し2人に向き直る。

 

「明日からはここに来れないです……すみません」

 

 どうやら本格的にエデン条約が動き出し始め、ここに通う時間すらもないのだという。

 

「そんな訳でどうせ最後だし、門限ガン無視しちゃいました」

 

 お姉ちゃんに締められるなぁ。と、若干青ざめながらも満足気に綻ばせるナズサ。

 

「そっか……みんなに伝えておくね」

 

「ナズサちゃん、ありがとうございました。試験後にまた会いましょう」

 

 できる限りの時間余すことなく助けてくれたナズサに感謝し、別れを告げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夜の帳が落ち、暗闇が支配したトリニティ本校。

 その一角にある教室……それは奇しくも補習授業部が始まった教室に2人の少女がいた。

 

「それでミカちゃん、大事な話って?」

 

 ナズサは何かを確信しつつも、疑問を送る。

 ミカの……決意と言ってはいけないそれを引き出すために。

 

「うん……ごめんね。ナズちゃん」

 

 脈路のない唐突なその謝罪の意味は、ナズサしか知り得ない。

 

「私がバカだから……何にも考えなかったから……ナズサちゃんに甘えて……巻き込んじゃった……」

 

 涙を零し、一言一言紡いでいく。

 

「私は……もうとまっちゃいけない。やめちゃいけない」

 

 支離滅裂に聞こえるミカの言葉。しかしナズサはその真意を……ミカ本人すらもまだ自覚できていない気持ちだけでなく、そこへ至ってしまった原因も理解していた。

 

「私はナギちゃんを……」

 

 だからミカがこれから実行する――告げたものにも驚くことはなかった。

 

 

 





感想、評価、ブグマありがとうございます!!励みになります。

6000字ほどあったデータが消し飛んで心が折れてました。
これも全て陸八魔アルって奴の仕業なんだ……。


そういえば全く関係のない私事ですが、初めて総力戦でEX倒せました!
ミカ、お前がナンバー1だ。

ナギサ様ももっと活躍させたい……!



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こくはくと告解

 

 

 

「私はナギちゃんを襲撃して、エデン条約を破棄させる」

 

 深夜に呼び出したナズサへミカが告げたもの──それは企んでいた、クーデターの計画内容だった。

 第3次特別学力試験の妨害工作として、会場に『エデン条約に必要な重要書類を保護する』といった各目で戒厳令を敷き、更には正義実現委員会を総動員させたナギサ。

 そうして校内ががら空きとなった隙に、アリウス分校の生徒複数人でナギサに襲撃をかけて拘束し、失脚させた後に自身がティーパーティーのホストになる。

 

 そしてナズサも……一緒に拘束するというものだった。

 

 

 そこに至った経緯をミカは矢継ぎ早に続ける。

 憎きゲヘナとの馴れ合いなど許容できない。それなら、アリウス分校と協力し関係を深めた方がいい。……そして人殺しとなった今、もう引き返すことは許されない。

 

 ミカの語りは文脈が滅茶苦茶で、心情全てを余すことなくナズサへとぶつけているようだった。

 

 だが、それも仕方がなかった。

 

 懲らしめるつもり──ほんの些細な悪戯心で仕掛けた、アリウス生徒を使ったセイアへの襲撃。その結果はセイアの死亡という形でミカに伝えられた。

 そこからミカは精神状態が非常に不安定になり、今こうしてナズサへ話した内容もどこか自身に言い聞かせている節があった。

 

 実際、暗闇に包まれミカの表情は窺えないが、その声は涙混じりになっており震えており、この矛盾した行動がその証左であった。

 

「……はは……私、何言ってるんだろう……」

 

 濁流の如く伝えきれることを伝えたミカは自虐的に笑う。

 もう自分でも何をして、何を成したいのか分からない。ミカは暗い森の中をずっと彷徨い、足元が見えなくなっていた。

 

 恐ろしい計画を企てているのにも関わらず、なにより()()を一番恐れているミカは、軽蔑されて怒鳴られるのも覚悟し目を瞑りナズサの反応を待つ。

 

「そっか……」

 

 しかし一言、ナズサから返ってきたのは否定でも肯定でもなかった。

 拍子抜けしたミカは顔を上げる、月明かりが差し込み僅かに映ったナズサには、軽蔑や怒りなどは微塵もなく、ただただ悲しげに目を下げていただけだった。

 

 あぁ、そうだった。と、ミカは思い起こした。

 かけがえのない親友であるナズサは、いつも自分の味方でいてくれたこと、セイアの襲撃の結末を知った時も、何も言わずに隣にいてくれたことを。

 

 今もそうだ。

 何よりもまず先に、ナズサは自分の心配をしてくれている。自分が何を言って、何をする気なのかを理解していながらも。

 

 そしてそんな彼女が何を言うのか、それは自明であった。

 

「……ミカちゃん、私も……」

 

「ダメ!!」

 

 ナズサの言葉を遮る。その先を言わせてしまったらミカは、どうにかなってしまいそうだった。

 

 ……いや、分かっていた。そう、心の何処かで分かっていたからこうして呼び出した。今もなおみっともなく、ナズサに縋り甘えようとしている自分に嫌気が差してくる。

 

「これは……全部私のせいだから……」

 

 だからダメなんだ……。

 

 

 

 

 

 ()()()は一体なんだったのか。それをミカが見つけ出すことが出来るのは、まだ先の話である。

 

 

 

 ***

 

 

 

 補習授業部学力強化合宿 13日目。

 

 遂に第3次特別学力試験を明日に控えた補習授業部一同は、先生の部屋に集まり話し合っていた。

 

 それは第2次特別学力試験の時と同じように、今回もナギサからの妨害が入っていたからだ。

 試験会場……いや本館全域に戒厳令が敷かれ、大量の正義実現委員会が派遣されている。その鉄壁の守りをどうやって突破するのか、頭を悩ませていた。

 

 そしてそんな場で、アズサはずっと抱えていたある秘密をこくはくした。

 

 ナギサが探しているトリニティの裏切り者は自分であること。百合園セイアを襲撃したこと。そのセイアは生きていること。この学校にはナギサのヘイローを破壊する任務を受けて、潜入していたこと。

 

 ……そして、ナギサの襲撃は明日──試験当日であり、自分はナギサを守らなければならないことを。

 

 その一見矛盾しているアズサの行動、その理由を話していた。

 

 ナギサがいなくなってしまったら、エデン条約が取り消されてしまう。そうなるとキヴォトスの混乱が更に深まってしまいその先で、またアリウスのような学園が生まれてしまう可能性がある。

 

 平和を願う優しいアズサらしいものだった。

 

「……とっても甘くて、夢のような話ですね。今回の条約の名前と同じくらい、虚しい響きです」

 

 それに苦言を呈するハナコ。

 彼女にしては珍しい、厳しい視線をアズサに向ける。

 

「アズサちゃんは嘘つきで、裏切り者だった……」

 

 確認するように、アズサの耳に痛い事実を明言していく。

 

「トリニティでも本当の姿を隠し、アリウスでも本音を隠していた。アズサちゃんの周辺には、アズサちゃんに騙された人たちしかいなかった、ずっと周りの全てをだましていた……そういうことで合ってますか?」

 

「ハナコちゃん……」

 

 捲し立てるようにハナコは言葉を紡いでいく。

 若干の言い過ぎな気もするが、しかしそれを責められる者はこの場にはいなかった。

 

「……いつか言った通りだ。私はみんなのことも、みんなの信頼も……みんなの心も、裏切ってしまうことになる、と」

 

 いつか言った──水着パーティーの終わり際に、アズサが懺悔するように言ったもの。

 

「アズサ、ちゃん……」

 

 ずっと傍にいた友達が抱えていたものを知ったヒフミは何も言えずにいた。

 

「だから、彼女が探している『トリニティの裏切り者』は私。私のせいで補習授業部は、こんな危機に陥っている……。本当にごめん。私のことを恨んでほしい。今のこの状況は全て、私がもたらしたことだから……」

 

 頭を下げるアズサの身体は震えていた。

 それは抱えていたものの重さからではなく、積み上げてきた友情が崩壊してしまう恐れからだった。

 

「それは違うよ」

 

 そんなアズサを諭すように、優しさを帯びつつも、ピシャリと空気を変える力強さを秘めた先生の声音が、補習授業部を包んでいく。

 

 

「ナギサがもっとヒフミを、ハナコを、アズサを、ハスミとコハルを信じていたら」

 

 

「ミカがもっと、ナギサのことを信じていたら」

 

 

「もっとお互いがお互いを深く信じられていたら、こんなことにはならなかった」

 

 

 それは最も初歩的なことであり、誰もが持ち得ながらも困難であり、人として大切なことだった。

 

「……そうですね、そうかもしれません。今のナギサさんのように、誰も信じられなくなってしまった人を変えることは難しいです。誰かを信じるということは、元々難しいですし」

 

 先生の言葉に少し頭が冷えたハナコは、もう一度、改めて自分にも確認するように続ける。

 

「ですがアズサちゃんは、私たちにこうして本心を語ってくれました。黙り続けることもできたはずなのに、謝ってくれました」

 

 先程までの厳しい視線は既に霧散し、そこにはいつも通りの慈愛に満ちたハナコがいた。

 

「ごめんなさい、先ほどのは何と言いますか、どうしても意地悪したくなってしまったんです。アズサちゃんの真っ直ぐな顔を見ていると、何だか心が落ち着かなくなってしまって」

 

「…………」

 

 さりげない新たな性癖の暴露に、折角のいい雰囲気が少しだけ引きつるも、それもハナコらしい和ませかただった。

 

「補習授業部はちょっと変わった意味で、ある種の舞台のように注目を浴びる存在として生まれました。本来ならアズサちゃんのような『スパイ』は、こんな注目されるところに長くいてはいけないはずです。誰にも気づかれないように消える……そういう手段やタイミングは、今までいくらでもあったはず」

 

 そこまで語ったハナコは一拍、わざとらしく深呼吸を置いて。

 

「……しかしアズサちゃんは、そうはしませんでした」

 

 何より大切である、アズサが残した厳然たる事実を述べた。

 

「その理由を、私は知っています。……補習授業部での時間があまりにも楽しかったから。そうではありませんか?」

 

「……!」

 

「みんなで一緒に勉強したり、ご飯を食べたり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり……何をしても楽しいことばかりだったから……目標に向かってみんなで努力すること……そしてヒフミちゃんとコハルちゃんと先生と、みんなで知らなかったことを学んでいくことが、楽しかったから……」

 

 違いますか?と聞くハナコにアズサは黙ってしまう。けれど、それは答えに詰まり苦しんでいる沈黙ではなかった。

 

「いや……うん。そうかもしれないな」

 

 みんなで何かを学ぶ、みんなで何かをする。その時間を手放すことが出来なかった。

 そして海やお祭り、遊園地など行きたいところも、知りたいことも、やりたいこともまだまだたくさんある。

 

「何だか知ったような口をきいてしまいましたが……分かるんです、その気持ち。何せ……はい。同じように思った人が、いたんです」

 

 その人は、ただ要領が良く何をしても周りからおだてられてしまうような()()の人だった。

 その人は、常に周りからの期待に応えていった。それが出来てしまっていた。

 

 結果として、皆その人を特別視し。誰一人として自分の本心、本当の姿を見ようとも、知ろうともしてくれなくなっていた。

 

『それは、寂しくはないかい?』

 

 その人にとってトリニティ総合学園は、嘘と偽りに飾り立てられ、欺瞞に満ちた空間。そこで送る生活は監獄と変わらず、やること全ては無意味で……そんな学校を辞めようとしていた。

 

 しかし、その人とアズサには違う点があった。

 アズサは普通の転校生ではない。書類を偽装して潜入したスパイであり、最終的には古巣のアリウスも裏切るアズサには、帰る場所も、戻る場所も無い。

 その人は試験をわざと台無しにして、学園から逃げようとしていたのに、アズサはそれを理解していてもなお、短い学園生活の──補習授業部の活動に一生懸命だった。

 

 vanitas vanitatum(全ては虚しいもの)それがアズサの口癖であった。しかし同時にこうも付け足していた。

 

『たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない』

『たとえ全てが虚しいことであっても、抵抗し続けることを止めるべきじゃない』

 

 アズサの言葉にその人はようやく気が付いた、学園生活の楽しさに。

 自分をさらけ出せる人たち……“浦和ハナコ”を視てくれる友達との何でもないよくあることを、全力で取り組むことの楽しさに。

 

「アズサちゃん、もっと学びたいでしょう? もっと知りたいんでしょう? みんなで色んなことをやってみたいって、あの時話したじゃないですか。海に遊びに行くとか、ドリンクバーで粘って夜更かしとか…………それらを諦めてしまうんですか?」

 

 諦めたくない……アズサだけではない、みんなが思っていることだ。

 しかし──

 

「……何も諦める必要はありません」

 

 ずっと求めていたその言葉を、ハナコは言い放った。

 

「桐藤ナギサさん……彼女を、襲撃から守りましょう。そして私たちは私たちで無事に試験を受け、合格するのです」

 

 ナギサを守る、堂々と試験を受けて合格する。それが補習授業部に残された道、欲張りに両方を選べばいいのだ。

 だが、それが始めから出来ていれば苦労はしない。そんなことは物理的に不可能だと、アズサは言い出すが……。

 

 ハナコにはしっかりと考えがあった。

 

「これまで様々な嘘や策略の中で弄ばれてきましたが……今度は私たちの方から仕掛ける番です」

 

 やられっぱなしはごめんだ。

 地味に負けず嫌いな側面があるハナコは、みんなを奮い立たせる。

 

「何せ今ここには正義実現委員会のメンバーと、ゲリラ戦の達人と、ティーパーティーの偏愛を受ける自称平凡な人と、トリニティのほぼ全てに精通した人がいます」

 

「……?」

 

「へ、偏愛……!?」

 

「……?」

 

 ハナコにとってこれ程頼りになり、信頼できるメンバーはいない。

 なお、部長を除いた他2人はその肩書きをイマイチ理解できていなかったが。

 

「その上、ちょっとしたマスターキーのような「シャーレ」の先生までいるんですよ?」

 

「ま、まぁ……」

 

 そして反則とも言える先生。

 法外な権力だけでなく、前に美食研究会と戦闘になった際実感したが、その完璧な指揮は正に百人力だった。

 

「……それに現地には私たちの監督も居ますしね♪」

 

 この組み合わせならトリニティくらい半日で転覆できると、ウィンクしながら悪戯っぽく笑うハナコ。言っている内容は悪戯で済むレベルではないが。

 

「何をするも何も、試験を受けて合格するだけです♡」

 

 作戦は任せて欲しいと前に出たハナコは、声高く宣言する。

 

「さあ、今こそ力を合わせる時です。行きましょう!」

 

 そして、補習授業部の反撃の狼煙が上がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 深夜3時を回った現在。

 ティーパーティーからの戒厳令が敢行されたトリニティの本校には、深夜なのも相まって不気味な程に閑散としており、風がなびく音のみが響き渡っていた。

 

 

 そんな校内のとある一室。

 常夜灯が灯るナギサの私室には、お馴染みの2人が待機していた。

 

「あと6時間で全てが終わる……」

 

 リラックス効果のあるハーブティーを片手に、そわそわと何度も備え付けてある時計を確認するナギサの姿は、いつもの泰然自若な様ではなかった。

 一方ナズサの、妙に不吉な雰囲気のあるアイマスクを被りながら、定位置であるソファに寝転がりながら口笛を吹いている様子は、緊張とは無縁のようである。

 

 普段ならば夜更かしをするのはいつもナズサであり、この時間まで起きていたらナギサの雷がとっくに落ちているが……今回に限っては違った。

 1ヶ月近くに渡る裏切り者との戦い……その決着が間近に控えたナギサは寝付けず、ナズサはそれに付き合っていた。

 

「……………………」

 

 時計の秒針が進む音のみが、会話が全く起きない2人の間を流れていく。

 いつも積極的に話しかけてくるナズサはソファから動かず、ナギサも緊張から喋れずにいた。

 

 ナギサはナズサと2人きりになって気まずいと感じたのも、長時間何も喋らず同じ空間にいるのも初めてのことだった。

 

「……ナズサ……どうしてあなたは何も言わないんですか?」

 

 耐え切れず口を開いたナギサから出たのは、ずっと疑問に思っていたこと。

 

 関係のなかったシャーレの先生を利用し、疑いをかけた人物を強制的に退学させるシステムを構築。

 そして大切な友達であったヒフミにも容赦をしなかった。どれだけ彼女を傷つけてしまうのか、分かっていながらも。

 

 自分がやっていることが横暴だと、許されることではないと心の奥底で感じていた。それでも噛み潰してここまできた。

 

 ナズサは補習授業部の監視という各目で配属したが、彼女が職務放棄をして肩入れをしていることをナギサは把握していた。

 にも関わらず見逃していたのは、一種の罪滅ぼしのようなものだった。それがただの自己満足で矛盾した行動だとは理解している。

 

 こんな自分をナズサがどう思っているのか想像に難くはない。

 それでも何も言わずに付き合ってくれたことは、正直に言ってしまうとありがたかった。

 

 だが、それ以上に申し訳なさも感じていた。その気持ちをナギサはずっと隠していたが、佳境に入った今思わず吐露してしまった。

 

「……そんなの決まってるよ」

 

 位置関係からナズサの顔は見えないが……いやだからこそ、その真剣さが伝わった。

 

「これでも妹ですから。私ぐらい味方にならないとお姉ちゃん、ぼっちになっちゃうでしょ」

 

 偶に見せる年上のように包むようなトーンと、余計な茶化しがセットになった答え。どこまでも底抜けに明るくて、世話が焼けて、そして優しいナズサらしいものであり、それは深くナギサの心に染み込んでいった。

 

 そうだった。今更になってやっと気が付けた。

 振り返ると、ナズサは一度もナギサを責めることは無かった。

 それは疑心暗鬼に憑りつかれたナギサの苦しみを察していたから。だから何も言わずにずっと付いてきてくれた。

 

「……ありがとう、ナズサ」

 

 少しだけ緊張が解け、綻ぶナギサ。

 久しぶりに素直に感謝を述べた気がする。

 

「いいよ……全てが解決したらちゃんとみんなに謝ってね」

 

 それはどういう……?

 

 ナズサの言葉に違和感を覚えた次の瞬間、扉が蹴破られた。

 

 

 





感想、評価、ブグマ、誤字脱字報告ありがとうございます!


ブルアカ、メンテで出来なくてツライ……殺してやるぞ陸八魔アル!!






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裏 切 り 者


某ゾンビゲーに夢中になって遅れました。申し訳ないです。




 

 

 

 

 

「……可哀そうに、眠れないのですね」

 

「──っ!? あ、あなたは……!」

 

 扉を蹴破りコツコツと足音を鳴らし、暗闇の廊下から常夜灯に照らされたのは浦和ハナコだった。

 

「どうしてあなたがここに……!?」

 

 疑問を送る形にはなっているものの、ナギサの脳内は至って冷静であり、概ねの察しは付いていた。これはあくまでも時間稼ぎ、問答の合間にこの状況を切り抜ける最適解を探る方向へシフトしていた。

 

「それはこのセーフハウスをどうやって知ったのか、という意味ですか? それはもちろん、全て把握しているからですよ。合計87個のセーフハウス、そしてそのローテーションまで……ふふ♡」

 

「なっ……!?」

 

 時間稼ぎのつもりで振った話題、その返答は想像以上に驚愕的で信じ難いものではあったが、嘘だと断言することは出来なかった。いや、彼女ならば全く不思議ではない。

 

 そもそもナギサは補習授業部の中では、ハナコを一番に警戒していた。ティーパーティーの候補に挙がる程の明晰な頭脳を持ち合わせながらも、2年生に進級してからわざと成績不振のフリをし、更には突如として如実に表れたトリニティどころか、キヴォトスでも類を見ない変態性。

 

 人は理解出来ないものは本能的に恐怖する。

 動機が全く読めないハナコはまさしくそれだった。

 

「動くな」

 

 周り巡るナギサの思考を遮るよう低く端的に発し、カチャリと銃口を突きつけるガスマスクを被った少女。

 

「白洲アズサさん……!?」

 

「あぁ、もちろんここまでの間に警護の方々は全員片付けさせていただきました。だからこそこうやって堂々と来たわけですが」

 

 裏切り者は2人……予想だにしていなかった。

 密かに配備していた警護を倒し、堂々と正面から侵入してきたハナコを囮に、背後へ回り込む……熟達したその動きには、一切の無駄が無かった。

 

 完全に詰みだ。

 こうなってしまったからにはもう、ナギサが出来ることは1つだけ。

 

「……っ! ナズサ、逃げなさい!」

 

 自分よりも高い身体能力を持ち、逃げ延びられる可能性が最も高く、そして大切な妹であるナズサを逃がす為、撃たれるのも覚悟の上で胸元に忍ばせていた拳銃を取り出す。

 

 実戦で使うのは初めてだが、最低限の訓練はしてきた。少しだけでも時間を稼ごうと構えて──

 

「…………え?」

 

 掲げた腕に小さな手が優しく添えられ、拳銃をゆっくりと下ろさせられる。

 

 錆びついたロボットのように、ぎこちなく右側へと顔を向けるナギサ。

 

 その先は……黒いアイマスクを被ったナズサの姿が──片手でアイマスクを外し微笑む。

 

「ナ、ズサ……?」

 

 何をしてるの?……その言葉は出なかった。

 

 この状況下での、ナズサの笑みと行動、余裕さを鑑みた答えは自ずと1つしか出ない。

 

 ずっと裏で糸を引いていたのは、妹であるナズサ……そんな最悪の想定外がナギサの頭を過る──

 

「あなたが……?」

 

「お姉ちゃん、違うよ。私なんか下っ端も下っ端……ですよね? ハナコ先輩?」

 

 それは否定された……しかし安心は出来ない。更なる衝撃と最悪がナギサを襲う。

 

「……ふふっ、はい。単純な思考回路ですねぇ♡ 私もアズサちゃんもナズサちゃんも、ただの駒に過ぎませんよ。指揮官は別にいます」

 

「……っ!? それは、誰ですか……!」

 

 トリニティの女傑であるハナコ、高い戦闘能力を保有するアズサ、そしてナズサを手中に収める恐るべき指揮官。

 

 その存在を明かす前にハナコはナギサに問う。

 

 ここまでやる必要があったのか?

 それはもちろん、居るかも分からないスパイを追い込む為に、疑わしき者を強制的に退学する措置を作り、シャーレの先生まで巻き込んだことだ。

 

「最初から怪しかった私や、アズサちゃんは仕方ありません。ですが……ヒフミちゃんとコハルちゃんに対しては、あんまりだと思いませんか?」

 

 大切な友達であったヒフミ。彼女も例に漏れず追い込み傷つけた。

 コハルに関しては完全に無実である。ナギサが疑っていた正義実現委員会のハスミへの牽制の為、後輩であるコハルを人質のような形で補習授業部へ入れさせた。

 

 

 ナズサだけが特別だっただけだ。

 

 ずっと逃げてきた──自身の行いと向き合わされる日が来た。

 

「……そう、ですね。ヒフミさんには悪い事をしてしまいました……」

 

 それでも、と自身に言い聞かせるように続ける。

 

「ですが、後悔はしていません。全ては大義のため。確かに彼女との間柄だけは、守れればと思っていましたが……私は……」

 

 正面に立つハナコを睨みつける。

 

「……ふふっ♡」

 

 そんなナギサの視線を意にも介さないように微笑むハナコ。

 

「では改めて私たちの指揮官からナギサさんへ、メッセージをお伝えしますね」

 

 本能が警鐘を鳴らしているが、それでもハナコが紡ぐ言葉に耳が勝手に傾いてしまう。

 これ程までに用意周到に、ナズサにまで手を出していた指揮官の言葉を……。

 

 

 

 

 

「『あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ』……とのことです」

 

 

 

 

 

「──は……? そ、へ? ……ま、まさか……!?」

 

 

 ハナコからの伝言。その口調は寵愛していた()()()のものだった。

 

 その真実は耐え難いものであり、常人なら拒んでしまうものだ。しかし、だてにナギサはティーパーティーのホストをやっていない。持ち前の頭の回転の速さから嫌でも、瞬時に自然と辻褄を合わせてしまう。

 

 ありえないとどこかで信じていた()()の容疑、浦和ハナコと白洲アズサとの繋がり、そして監督であったナズサとの繋がり。

 

 

 

「──あ、あぁ……」

 

 

 親愛なる友と妹の裏切り、幸せに感じていた友達との時間は、単なるごっこ遊びに過ぎなかった……。

 

 

 それらの情報を脳が処理した瞬間、視界が滲み自分すらも聞いたことない情けない声が喉から漏れていく。

 それに呼応するように左手に携えていたティーカップが割れ、ナギサの意識は遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校内を徘徊しているアリウス生徒に発見されない為、隠密行動を徹底しながら屋外へ出たハナコ、アズサ、ナズサ。

 

 肝心の要人であるナギサは、ナズサが背負っていた。

 

「いやーまさか卒倒するとは。アズサ先輩が気絶させるまでもなかったね」

 

 ほぼ同じ体重のナギサを背負いながら、かなりの距離を走っても汗一つ流していないナズサが、先程のやり取りを掘り起こし笑う。

 

 その体力の底知らずさを示す余裕さは、訓練してきたアズサも感心するほどだった。

 

「ナズサちゃん、ナイスファインプレーでした♡」

 

「お褒めに預り至極光栄です」

 

「……ところで、さっきのあの最後のセリフ、必要だった?」

 

 事前の計画では、直ぐにアズサが撃って気絶させる予定だったが……。

 

「あぁ、あれはヒフミちゃんの頑張りの分、勝手な仕返しと言いますか……ちょっとくらいはショックを受けてもらおうかと」

 

「フヒヒ……お姉ちゃんのあんな声と顔、初めてだったなぁ……」

 

 ささやかなプレゼントを送り、ニヤニヤと笑うハナコとナズサ。

 特にナズサは恍惚としていた。更に吊り上がった口端からは涎が垂れ、件の被害者を力強く抱き、背負う姿は完全に通報案件だった。

 

 そんなナズサの一面、見てはいけないものを見たアズサに悪寒が走る。ナズサと一緒に居ると時たま発生するものだ。こういった場合は、すぐさま撤退するか話題を逸らすかに限る。

 

「ナ、ナギサは大丈夫? 途中で目覚める可能性はない?」

 

「あぁ。アズサ先輩、それは心配ご無用です。もしも目を覚ましたら私が撃って気絶させるんで」

 

「そ、そうか……」

 

 補習授業部の前では気を使い、本人は隠しているつもりではあるが、ナズサは姉思いを通り越してシスコンの域に達している。それは補習授業部に限らず、周知の事実であった。

 

 しかしながら得意げにサムズアップし、姉への躊躇いが一切見えないナズサに、何とも言えなくなるアズサ。いや確かに躊躇われて、そのまま助けを呼ばれたりしたら困るが。

 

 

「そういえばナズサは何も知らなかったのだろう? もしかしたら私たちが本当に襲撃しにきた、とは思わなかったのか?」

 

 そう、ナギサ襲撃の話はナズサには一切届いていない筈だ。にも関わらずいきなり押しかけた自分達に、阿吽の呼吸で合わせてくれたナズサ。もちろんハナコもアズサも、ナズサなら話せば分かってくれると信じてはいたが、まさか何も言わずとも察してもらえるとは思ってなかった。

 

「……ははは。それはありえないですよ」

 

 一瞬言葉に詰まったが、すぐさま断言するナズサ。

 その確信は一体?とアズサが聞くも、適当にはぐらかさてしまう。

 

 ただ、その薄く笑う横顔には翳りが滲んでいた。

 

「……じゃあ一旦ここで。後でまた、合流地点で会おう。ナズサはさっき言ったセーフハウスで待機してて」

 

 そして、チェックポイントにて陽動の為にアズサとハナコ、ナギサとナズサで別れる。

 本来ならハナコがナギサを避難させる予定だったが、その役目は協力してくれたナズサになった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「……んふっ……んふふふふふふ」

 

 周囲に誰もいないことが確認できた途端、堪えていた笑いが吹き出す。

 

「むふふふふ、ふひひひひ」

 

 

 

 

 

『あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ』

 

 

 

 

 

 あぁ、ヤバい。何度も脳内再生してしまう……。

 

 なんて酷いことを言うんだ!

 ヒフミ元帥とハナコ先輩に人の心はないんか!?

 

 まぁ厳密にはヒフミ元帥は一言も言っていないし、思ってもいないのだが。いわゆる言ってないセリフってやつだ。

 

 ホント、みんなの前でニチャらなかった俺を褒めたい。

 よく頑張った俺の表情筋、えらい。

 

 

 

 それにしても……ナギサ様の反応良かったなぁ、想像の100倍可愛かった……えがったえがった……。

 

 拍子抜けした間抜け顔からの現実を受け入れられない表情への乱高下、しかし本能では否定しても残酷な程に冷静な理性が正確に情報を飲んでしまうんだよねうんうん分かる分かる。

 

 

「クヒュっ、くひひひひひひっ……」

 

 

 やばい、完全に決壊して止められない。

 

 もー本当に大好きですナギサ様因果応報と言ったら言葉が強いかもしれないけど仕方ないよね、疑心暗鬼に憑りつかれて色々な人達を巻き込んじゃったもんね。大丈夫みんな許してくれるし私も一緒に謝るからさだからもっとその御顔を見せておくれ。

 

 

 

『……は……? そ、へ? ……ま、まさか……!?』

 

 

 

『──あ、あぁ……』

 

 

 

 

 

「うへへへへへ……」

 

 

 原作ではアズサに撃たれて気絶してしまったので、分からなかったナギサ様の反応。

 

 どんな事件が発生しても冷静に受け止め、最適な対処を行うナギサ様が、固まり困惑しそして半泣きになったあの顔……。

 

 

 

 ────あ、ヤバ、クる……。

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅ……。

 

 大変失礼いたしました。桐藤ナズサです。

 

 もはや説明は不要でしょう。遂にナギサ様が脳を破壊される歴史的瞬間が訪れたのです。

 

 良かった……ここまで長かった……。

 

 

 

 しかし、まだ終わりではありません。ここからも目が離せないものばかりが続きます。

 

 そんな訳で俺は現在、合流地点であり決戦の地である体育館、その天窓に張り付いて覗き込み、ミカがアリウス生徒を率いて登場するシーンを待ち構えてます。

 

 ゲームでもあったアリウス生徒をバックに、人差し指をしーっと立てるスチルが表れたシーンは絶対に見逃せない。

 

 ナギサ様を安置に置いて急いで駆けつけて、時間的にギリギリだったがそろそろくるはず……。

 

 

 

 おほふっ。ふ、ふつくしい……。

 

 

 

 ティーパーティーの象徴である制服と、自慢の桜色の髪をなびかせニヤリと笑うミカ。

 みんな……特に先生は驚いて声も出ていない様子ですねぇ。俺も初見時はかなり衝撃を受けた記憶がありますよ。

 

 そして悪役らしく企みを明かすミカ、所々冗談を交えたり無邪気に笑う姿が愛くるしい。

 

 らしくなく悪者ぶっちゃってさぁ……。

 下手だなぁ。ミカは良い子なんだよ。本当の悪ってのは最後まで誰にもバレず、ずっと美味しい思いをするもんなんだぜ?……ん?どこか心当たりが……ま、いっか。

 

 そんなミカはセイアの言っていたことだが、後先の事を何も考えずに衝動的で、欲張りで、時に自傷的な()()だ。

 

 今回の事件の発端も元を辿れば、ミカがアリウス生徒と仲良く手を組んでわだかまりをなくしたい、という呆れる程におめでたく彼女らしい優しい思いから始まった。

 

 それがいつの間にか、わるーい大人の陰謀と育まれた怨嗟、そして彼女の──子供らしい些細なものによって酷く歪曲し、ミカはその中心に立たされてしまった。

 

 だからこそやっぱりね、ミカは先生とくっついて欲しいんですよ。

 いや、理解してますよ?なんならこの骨身に染み付いています。この世界には名前を挙げたらキリがない程の、魅力的な強豪が居てその道は苦難を極める事を。恐らくナギサ様の脳を破壊するより、1000倍は難しいでしょう。

 

 俺はこの世界の人間が例外なく全員大好きだ。それでも長い付き合いのミカを贔屓して応援しちゃうのは許して欲しい。

 

 

 

 およ?なんだかズンズンと、地鳴りのような足音が聞こえて────あ!来た!シスターフッドだ!かっけぇ~。

 

 “覚悟”さんことサクラコを筆頭にマリーやヒナタ、数多のシスター達が足並みを揃えて行進する姿は圧巻だぁ。

 

 

 遂に2章も佳境か……へっ!??ちょ、まっ、そこで爆発させな……やばっ!足が滑っ───

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 追ってきたアリウス生徒を鎮圧し一息ついたのも束の間、すぐさま大隊単位の増援が押し寄せ、更に正義実現委員会の動く気配も見当たらず、窮地に立たされた補習授業部。

 

 

 そこに現れたのはティーパーティー聖園ミカだった。

 

 

 ()()のトリニティの裏切り者。

 

 そう名乗ったミカは、先生達が抱える当然の疑問に答えていった。

 

 ナギサを襲撃した理由、エデン条約を阻止する理由、それは至極単純どこまでも恣意的なものだった。

 

 

 

『ゲヘナが心の奥底から嫌いだから』

 

 

 

 アリウスは同じゲヘナを憎む同志、利害が一致したミカとアリウスは手を組んでおり、アズサは全ての罪を着せる生贄であった。そしてナギサを失脚させホストへ昇進し、いずれはゲヘナをキヴォトスから消し去り、穏健派のトリニティ生徒の席をアリウスで埋めると。

 

 つまりあのプールで語っていた、ナギサが条約を軍事利用する可能性があるという話は真っ赤な嘘であった。

 

 

 

「ミカさん、2つ聞かせてください」

 

 ハナコが一歩前に出る。

 主導権を握っているミカは余裕綽々といった様子で、どこか上機嫌に鼻歌まで奏でていた。

 

「……ナズサちゃんはどこまで知っているんですか?」

 

「っ! ハナコ……!」

 

「…………」

 

 ハナコの核心を突く質問にミカが固まる。

 

 

 ミカとナズサは繋がっていた。つまりナズサはもう1人の裏切り者の可能性が高く、もしもそうならナズサが隠していた暗い翳り、その正体が掴める。

 

 ハナコだけでなく、皆が固唾を飲みミカの答えを待つ。

 

「ナズちゃんは……何も知らないよ。みんなと同じで私に騙された人」

 

 返ってきたものは否定だった。それに少し安堵する補習授業部一同。

 ただ謎は深まるばかりであり、ハッキリ言ってしまうと裏切り者の方が楽ではあった。しかし、今はこれ以上考えても仕方がないとハナコは頭を振り、もう1つの質問を投げかける。

 

「……もう1つは、セイアちゃんを襲撃したのも、あなたの指示だったんですか?」

 

 その質問にミカは一瞬目を見開き──一言一言を抱えるよう丁寧に答えた。

 

「うん、私の指示だよ。セイアちゃんってば、いつも変なことばかり言って。楽園だのなんだの、難しいことばっかり」

 

 しかし1つ、ミカは否定した。

 決してヘイローを破壊しろとは言っていない。元々は卒業まで檻に閉じ込めておくつもりだったと。

 

 そして自虐的にミカは笑い、アズサへと追求する視線を向ける。

 

「セイアちゃんがあんなことになっちゃったのが、ここまで事態を大きくなったきっかけなんだよ?……そこからもう色んなことがどうしようもなくなっちゃったわけだし……ねぇ、その辺りどう思う?」

 

「そ、それは……」

 

 しかしアズサが言葉に詰まった瞬間、爆発音が鳴り響いた。同時にアリウスの生徒の1人がミカへ伝令を送る。

 

「大聖堂からです! シスターフッドが向かってきています!」

 

「……っ、浦和ハナコ……!」

 

 まさかここまでのは時間稼ぎ……!ミカは思惑に気が付くも時すでに遅し。

 

「……まぁ、ちょっとした約束をしましたので」

 

「約束……?」

 

「あなたは知らなくても良いことですよ、ミカさん」

 

 

 

「──ぐあっ!!」

 

「なんだこいつら!? 本当にシスターなのか!?」

 

 扉ごと豪快に吹き飛ばし、侵入してからも攻撃の手を緩めないシスターフッド一行。

 

「けほっ、今日も平和と安寧が、みなさんと共にありますように……けほっ」

 

「す、すみません、お邪魔します……」

 

「シスターフッド、これまでの慣習に反することではありますが……ティーパーティーの内紛に、介入させていただきます」

 

 先頭に立つサクラコが、傷害教唆及び傷害未遂でミカの身柄を確保すると突き付ける。

 

「……あはっ。流石にシスターフッドと戦うのは初めてだなー。なるほどね、これが切り札ってこと? どうやったのか知らないけど、あの子たちが何の得もなく動くはずが無いよね……? ねぇ、()()()()()()()?」

 

「…………」

 

「ま、いいや。どうせホストになったら、大聖堂も掃除しようと思ってたところだし──」

 

 ガシャンと、戦場となった体育館に爆発音とは違う、けたたましい破砕音が響き渡る。

 

 その音の先……誰もが天井を見上げる──天窓が割れ、差し込む月光を反射し煌めく硝子の破片を紙吹雪にして、1人の少女が舞い降りてきた。

 

 ガラスが砕け散った際とは打って変わり、猫の如く静かに、水面に散る花びらのように着地する少女。

 

 ティーパーティーの関係者の証である制服、肩甲骨のちょうど下から伸びている純白の羽、プラチナブロンドのお団子ハーフアップ、特徴的な形状の……5.56ミリ弾の突撃銃。

 

 

「「「「ナズサ(ちゃん)(さん)!?」」」」

 

 

 補習授業部だけでなくシスターフッドの面々、更にはミカまでも突然の闖入者に驚きを隠せず、この一瞬だけは全員が同じ気持ちになっていた。

 

 

「──あ」

 

「……ナズちゃん」

 

 それは偶然か必然か。ナズサはミカの目の前に降り立ち、補習授業部を庇うような構図となっていた。

 

「ナズサ……何故君がここに?」

 

 そう問う先生の声音は独特だった。

 警戒をしつつも敵愾心は含まれておらず、優しく生徒を叱り諭すようにも聞こえる。

 

「……先に謝ります、すみませんでした。もう察しは付いていると思いますが」

 

 ナズサはミカへ顔を向けたまま振り向かずに答える。

 

「私は始めから全部──」

 

「ナズちゃんは何も知らない!!」

 

 その先を言わせまいと、駄々をこねる子供のようにミカが声を荒らげる。

 

「ナズちゃんは私に騙されたの!」

 

 しかしミカが否定すればする程、その真実の信憑性が増しナズサの行動を裏付けていく。

 そんな泥沼と化していることに気が付いたミカは、重く溜息をつく。

 

「……もう私は、行くところまで行くしかないの」

 

 据わった眼のまま低く呟き、愛銃であるデコレーションが施された短機関銃のコッキングレバーを引く。それに合わせるようナズサも、無骨ながら真っ白に塗装された突撃銃のコッキングレバーを引いた。

 

 ガスマスクを被ったアリウス生徒の軍勢を率いるミカと、補習授業部を背に相対するナズサ。

 2人ともが純白の翼を広げ短機関銃と突撃銃、互いの得物を構える姿は不謹慎ながら、まるで聖戦を描いた絵画のようだった。

 

 と、当のナズサがゆっくりと首だけ先生へ向ける。

 

「せ、先生。こんなかっこよく参上したとこ悪いんだけどさ~……私、ミカちゃんとの撃ち合いの勝率2割ぐらいだから、指揮の方よろしく頼むね……」

 

 冷や汗を流しながら無理矢理笑顔を取り繕っているナズサ。

 さっきまでの頼もしさと緊張感はどこへやら、その温度差から思わず転げそうになる一同だった。

 

 

 





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ちょこちょこコメント欄でナズサが邪悪呼ばわりされてるの笑う。

夢に向かってひたむきに努力している姿の一体どこが邪悪なんだ!?






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少女たちの決戦

 

 

 

 

 

 シッテムの箱

 

 一見するとただのタブレット端末にしか見えないそれは、現代技術では再現不可能なオーパーツの1つだ。

 搭載されているパワーは凄まじく、科学技術の英傑達が集うミレニアムのコンピューターにも匹敵する演算能力を誇り、どんな戦況でも瞬時にリアルタイムで把握することができる。

 他にも先生と繋がりのある生徒に、一時的なバフ(能力向上)を付与し生徒の潜在能力を引き出したり、キヴォトスに埋まっている他のオーパーツを起動出来たり、メインOSであるアロナのアシストによって、とある兵器のハッキングを阻止したり、所有者である先生の身体に影響を及ぼす外的要因を探知した途端に、防御シールドを展開するといった意味不明な能力まである。

 

 

 

 だか如何に優れた道具であっても、使いこなせなければ宝の持ち腐れ。

 

 そもそもシッテムの箱は、先生しか起動することができない。そのオーバースペックとも言える性能の真価も、先生の技量が合わさることで初めて発揮することができる。

 

 

 

 

 

 先生はシッテムの箱を()()として、この状況を打破する為に起動する。

 1秒のロードも挟まずに点灯した画面には、現在の戦場を俯瞰した映像と敵性反応の示すアイコン。そして先生と共に戦う絆を深めた生徒たち──ヒフミ、アズサ、ハナコ、コハル、マリーの名前があり、それぞれの詳細な能力が確認できる。

 

 

「ほっほっほ……」

 

 準備運動の一環である跳躍をしているナズサ。

 かなり切羽詰まっている筈なのに緊張感を感じさせず、余裕を兼ね備えどこか抜けている態度は少しミカと似ていた。

 

 

 ……ナズサは謝罪をしてきた。つまりは()()()()()()なのだろう。その真実にはショックを受けたし、思うところが全く無いと言えば嘘になる。聞きたいことも山ほど残っている。

 

 それでも、何よりこの場に駆けつけて来たことが純粋に嬉しかった。

 

 それは先生だけではない。補習授業部みんなも同じだ。

 だから、今はその気持ちだけを込めて端的に一言だけ──

 

「行くよ」

 

「……はい!」

 

 力強い返事と同時に、手元の画面に『ナズサ』の文字が浮かび上がる。

 

 

「っ──!」

 

 ナズサが10回目の跳躍をした瞬間、筒音と聞き間違える程の豪快な音が鳴った。

 

 目の前で突如発生した轟音と風圧に怯む先生。

 すぐさま体勢を立て直して確認すると、さっきまでナズサが立っていた木目の床が、手榴弾が爆砕した後のように割れていた。

 

 一体何が起こったのか……周囲を見渡すと、それはすぐに分かる。

 

 前方にて、ミカとナズサが互いの得物で───刀のように鍔迫り合いをしていた。

 

「ぐぐ……」

 

「──っナ、ズ、ちゃん……!?」

 

 20メートル程の距離を瞬く間に詰めたナズサ。不意打ちとも言える肉薄に遅れることなく反応したミカ。

 

 それはたった一手で両者の実力の高さが窺えるものだった。

 

「聖園ミカ、援護する!」

 

 しかし目の前においそれと突っ込んできたナズサは、ミカの周囲を取り囲むアリウス生徒の格好の的だった。

 一糸乱れぬ素早さで、同時にナズサに向けて構える。

 

「あ、待って──!」

 

「ぐぐぐ……ぐっ! やっぱ無理~!!」

 

 ちょうど5秒の競り合い。

 甲高く情けないセリフをナズサが挙げた途端、アリウス生徒の一斉射撃が火を吹く。

 

 

 

 ……が、それは標的を捉えることは無かった。

 

 

 

 トンッ、とナズサは空高くジャンプ──バク転で上方向に逃げ攻撃を回避した。それは傍から見れば分かるものの、当事者であるアリウスの目には突然ナズサが消えたように映る。そうして目標を見失い混乱に陥っているアリウス生徒へ、空中での無茶な体勢から的確に速射し次々と無力化していく。

 

 そんな曲芸にも眉一つ動かさず冷静に応戦するミカ。空中にて身動きが取れないナズサへ銃口を向け撃ち放つ──しかし両者の間で火花が散るのみで、決定打にはならず。更に僅かにすり抜けてきた弾丸も、ナズサは浮きながら上手く身体を捻って躱し、ミカは一歩も動いていないのに、まるで銃弾が避けていると錯覚する程掠ることすら無かった。

 

 

 追い込まれた自分達を守るように天井から乱入しミカと対峙、からのとんでもない勝率の低さと弱音の暴露、と思いきや目で追えない程の速さで肉薄。そして潔い諦めの早さと大ピンチに陥るも、とんでもない技で切り抜ける。

 

 二転三転するナズサにひやひやし、思わず叫びたくなる先生だったがそれはまだまだ続く。

 

 

 見事帰還してきたナズサはキメ顔で、至って冷静に端的に鷹揚なくハッキリと一言。

 

 

 

「うん。勝てる気がしない」

 

 

 

 今までのおちゃらけたイメージとかけ離れた──いや、そういった部分を残しながら、見せつける身体能力の高さのギャップに愕然とする先生……え?

 

「いや諦めるの早すぎない!?」

 

 着地点はナズサらしいものだった。

 

「だって! 今の先生のバフも乗っかった割と渾身の一撃だったんだよ!? それを難なく受け止めてさ! その後の射撃も上手く力を乗せれたのに、ミカちゃん虫を叩き落とす感覚で撃ち落としたんだよ!? やっぱり確定会心はズルいって!!」

 

「な、なんて? 確定?」

 

 矢継ぎ早に語るナズサ。先生からしたらどっちも充分ヤバいのだが、ナズサからするとミカはもっとヤバいらしい。

 

「……でも諦めてはいないよ。ただ、ミカちゃんだけで手一杯なのに、あの人数を相手はキツイなぁ~って」

 

 嘆きならもその眼の闘志は衰えることなく、一瞬たりともミカへの視線は離していなかった。

 

 ナズサ曰く、ミカの戦闘能力はこの場の誰よりも──勿論ナズサよりも上だと言う。ただシッテムの箱の力と先生の指揮があれば、何とかギリギリ綱渡りではあるが戦える。……しかし相手はミカだけではない。大隊規模のアリウス生徒も同時となると確実に勝機はない。

 

 

 

 それがナズサ1人だけの場合は。

 

 

 

「ナズサちゃん」

 

 いつもピンチを切り開いてきた部長の一声が。

 

「私たちも戦います。ナズサちゃんは1人じゃありません!」

 

 そうだ、忘れてはならない。この戦いは彼女たち──補習授業部の戦いでもあるということを。

 

「多人数相手は慣れている」

 

「そ、そうよ! 私たちの存在を忘れちゃ困るんだから!」

 

「ここまで来て、1人だけでイクなんて水くさいじゃないですか♡」

 

 ここまで共に時間を過ごしてきた仲間達。元を辿ればきっとそれは歪な関係性なのだろう。それでも彼女たちは、温かく手を差し伸べていた。

 

「……ごめんなさい」

 

 しかしその手を取るのには勇気が必要だった。

 素直に歓喜することは憚られ、拒絶してしまう。

 

「ナズサ、ここは感謝だよ」

 

 そんなナズサを優しく後押しする先生。

 

 その言葉を受けて、中々に拭えない罪悪感をはにかみながらナズサは笑った。

 

「ありがとう、ございます」

 

 

 

 

 

 

 

 補習授業部、シスターフッド、そしてナズサの指揮を先生が執り始めてから、攻勢は目に見えて逆転し始めていった。

 

 シスターフッドが参戦したとはいえ、全体数では未だに負けている。

 しかし、地形と補習授業部の能力を上手く噛み合わせた戦術、アズサが予め仕掛けておいたトラップ、シスターフッドとの連携によって、次々とアリウス部隊を各個撃破していった。

 

 

 

 そうした援護の甲斐もあって、ナズサはミカとの1vs1へと持ち込めていた。

 

 その戦いは全くの別次元のものであり、個と個のぶつかり合いだった。

 

 室内という3次元空間を存分に利用し、自慢のフィジカルで床や壁、天井までも蹴り縦横無尽に飛び回るナズサ。上下左右、様々な方向から飛んでくる銃弾を的確に撃ち落とし、更にはナズサの次の着地点を予測し偏差撃ちをしているミカ。

 

 何故こんなにもアクロバティックなものになっているのか。

 それはナズサの銃がARでありミカはSMGであるので、出来る限り距離を離して少しでも自分の武器の有利を押し付ける為、必然的にこういった戦いになっていた。

 

 ……と言っても、このキヴォトスにおいては元の銃種の有効射程は当てにならない。

 

 ヘイローを持つ全ての人間に備わっている───神秘、崇高、神の力、芸術、テクスト、スキル……様々な呼称をされるそれらの()は、銃弾や砲弾を喰らっても『痛い』で済むほどに肉体の強度を上げ、普通の人間には不可能なレベルの動きを可能にする、身体能力の恩恵をもたらしている。

 

 そしてそれは例えば……全力疾走する時の脚のように、思いっきり握り拳をつくるように、滑らかにペンでものを書くように、銃へ()を込めることが出来る。

 

 すると銃の威力が元の何倍にも、人によっては数十倍にも跳ね上がり、勿論有効射程にも影響を及ぼしている。

 

 特にミカは後者の──数十倍にも跳ね上げるタイプであり、小口径と侮るなかれ、一発の被弾が致命打になるものだった。

 

 なのでこの対策も言わば悪足掻き、やらないよりはマシといったものだ。しかも時々隙を見つけては、川を泳ぐ鮭を捕える熊のように俊敏に詰め寄り、拳を突き出してくる始末。

 それでも最大限の努力をしなければ勝機は見出せない。そのぐらいミカの実力は凄まじいものだった。

 

 因みに今のところミカパンチは全て避けているが、勢い止まらず空振った先の壁や床は無惨に砕け散っていた。ぶっちゃけ言うと銃よりそっちの直撃の方が怖い。

 

 

「あははっ☆ㅤ 















ㅤナズちゃん、ヒーローみたい」

 

 皮肉気に笑うミカ。その心は矛盾に満ちていた。

 

 ナズサにはこのまま被害者として、悪者は自分だけにするつもりだった。そう覚悟は決めていた。だから、補習授業部とシスターフッドと……先生と結託して、自分に立ち塞がる。その形はある意味理想的なものだった。

 

 その筈なのに……ナズサに裏切られたと、ズルいと一瞬だけでも思ってしまった。やっぱりナズサだけは味方でいて欲しかったと。昨日自分からそう言ったのに、やっぱり辛いって……。

 

 そして昨日ナズサへ言ったこと、決めた覚悟がもう折れそうになっている自分が、嫌になっていた。

 

「……そんなのじゃないよ。私だって立派な裏切り者。それも補習授業部と先生とお姉ちゃんと……ミカちゃんを裏切った最低のね!」

 

「っ! やめて──ッ!!」

 

 ()()だ。そんなことを言わせるつもりじゃ……そんなつもりじゃなかったのに。

 

 ぐちゃぐちゃになりそうな感情をそのまま乗っけてナズサへ放つ。その威力は今までの人生の中でもトップクラスのものだった。

 しかしどれだけ強力な攻撃も当たらなければ意味が無い。捉えきれなかった弾丸はそのまま入口へとぶち当たり爆音が鳴る。開放感抜群の玄関へと突貫工事が完了した。なお、雨ざらしになり靴箱等は一切無い模様。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 今までも何度かナズサと撃ち合いまでの喧嘩に発展したことはあったが、ここまで苦戦したのは初めてだった。

 いくら先生の力添えがあるとはいえこれは──高等部になってからは一度もそういったことがなく気付かなかったが、いつの間にか明らかにナズサの地力が上がっていた。

 

 最初にナズサが仕掛けた特攻……ナズサは難なく受け止められたと言っていたが、そんなことはなかった。あのスピードは完全に不意を突かれたし、身体が自然に反応したから良かったものの、鍔迫り合いの力勝負は若干ではあるが、初めて押された。もしもアリウスの援護がなかったら、どうなっていたか分からない。

 

 それにこんなにも激しく動き回りながら銃弾を避けつつ、攻撃の全てに()を込めている……にも関わらず、息切れの1つもしていない。ナズサの常軌を逸したタフさに辟易しつつあった。

 

 更にミカのコンディションは最悪であり、特にメンタル面の不安定さから、普段通りのパフォーマンスを出し切れてなかった。頼みの綱であったアリウス生徒も分断され次々と鎮圧されており、全滅も時間の問題だった。

 

 

 もう悠長にやっていられない。

 次のリロードのタイミングで決着を付けると決めたミカは、浴びせられる銃弾に構うことなく不動となり、ナズサの発砲音を数えて機をうかがう。

 

 そしてそれはすぐに訪れた。

 

「────っ!」

 

 床が軋み砕け散る程に一気に踏み込み、飛び回っているナズサへ突貫する。その形は奇しくも、ナズサが最初に仕掛けたものと同じ構図だった。ただ違ったのが、その速度はナズサの数倍のものであり到底目で追えるものではなく、周囲に人が居たならば、吹き飛ばしてしまう程の衝撃波を放っていたこと。

 

 

 

 そして瞬く間に眼前まで迫り、銃口を向け────

 

「────え?」

 

 ナズサの銃が淡い光を纏っていた。

 

「悪いけど……我慢してね!!」

 

 そう叫ぶナズサが、弾が尽きている筈の銃の引き金に指を掛けると──マズルから暗く輝く琥珀色の弾丸がミカへ襲い掛かる。

 

「ぐっ、あぁっ!!」

 

 ドドド、と容赦なくそして()()()ことなく鳴り響く。

 それは弾丸という外的要素を用いないで行う、純粋なエネルギーの固まりの放射だった。そんな芸当が可能な人物は、キヴォトス内に於いても限りなく少なく、勿論ナズサも今までそんなことは不可能だった筈。

 

 隠していた切り札を真正面から喰らったミカは、そのままステージへ吹き飛ばされる。それでもナズサは攻撃の手を緩めず、土煙へ向かってひたすらに撃ち続けた。

 

 1分程の連射。通常のARではありえない量……LMG並みに撃ち切ったナズサは着地した途端に膝をついた。

 

「はぁはぁ……や、やったか……!?」

 

 古今東西、そのセリフがどれだけの“効果”を持つのか、ナズサが知らない訳がない。しかし必死になりすぎて完全に忘れていた。それに実際にこういった場面に出会すと、思わず口にしてしまうものである。

 

 

 

「何これ、洒落にならないなぁ……」

 

 煙が晴れる。その中から1つのシルエットが、能天気な、されどいつもとは違う焦燥感を含んだ声音。

 あれだけ撃たれたのにも関わらず制服には多少土汚れが付いただけ、その陶器を思わせる美しさと健康的な瑞々しさが両立した肌には、多少の擦り傷があるも──少しはしゃぎすぎた子供のように感じるものだった。

 

「……洒落にならないのはどっちだよ、ははは……」

 

 一方ナズサは今ので大分体力を持っていかれた様子。苦笑している顔には汗がダラダラと流れ、滅多な事をした副作用か鼻血が噴き出し、珍しくぜぇぜぇと肩で息をしている。

 

 決着は一目瞭然だった。

 

 

 

 しかし──

 

 

 

「ナズサ!」

 

「あ、先生……」

 

「ナズサちゃん鼻血が!」

 

 時間切れだ。先生とヒフミがナズサへ駆けつけ、遅れてハナコ、コハル、そしてアズサが到着する。

 ナズサがミカを引き受けている間、補習授業部とシスターフッドがアリウス生徒達の完全鎮圧が完了したようだ。

 

 

「……どうして?」

 

 ミカのそれは──自分へ向けて問いていた。

 

「セイアちゃんが襲撃された時だって、動かなかったのに……今このタイミングでシスターフッドが介入するなんて、冗談にもほどがあるよ。……何を見誤ったのかな?」

 

 一つ一つ反省会をするように、ミカは言葉を続けていく。

 一体何が()()となったのか。

 

 浦和ハナコ……警戒すべき存在であったことは知っていた。しかしいつの間に無害な存在になっていた。

 白洲アズサ……ただの操り人形に過ぎなかった彼女が裏切ろうとなかろうと、なにも変わることはなかった。

 阿慈谷ヒフミや下江コハルこそ、変数になるような存在ではなかった。

 

 ならば桐藤ナズサ……親友であり唯一自分の計画を知っていた彼女。しかしナズサはミカを裏切らなかった。誰一人にも、計画を話すことはしなかった。

 

「………………」

 

 数多の無言の視線に晒される中、1人の大人の存在を改めて思い出す。

 

「……そういえば、一番大きい変数を忘れていたね」

 

 シャーレの先生。彼を利用し巻き込んだ時点でミカの敗北は決定していたのだ。

 

「はぁ……ダメだなぁ、私」

 

 自虐的に笑い、萎れた花のように小さく呟く。

 

「ミカさん、セイアちゃんは……」

 

『セイア』ハナコから出たその名前にミカの顔が曇り、懺悔と後悔が入り混じり噛み潰すように紡ぐ。

 

「……本当に、殺すつもりじゃなかったの。今の私が何を言っても言い訳になるけど……」

 

 

「……セイアちゃんは無事です」

 

 

「っ!?」

 

 目を見開き、初めて動揺を見せるミカ。

 

 セイアは実は生きていて首謀者が判明するまで、安全の為に死を偽装していた。現在はトリニティの外の病院で療養しており、まだ目は覚ましてはいないが、救護騎士団の団長──ミネ団長が傍に付いていると。そしてセイアを助けたのは……。

 ハナコが告げる衝撃の真実に、最初こそ疑っていたものの、彼女の真剣な眼差しを受け、やがてミカの胸の裡は一杯になった。

 

「そっか、生きてたんだ…………良かったぁ」

 

 それは安堵だった。

 泣き出しそうな声と共に、プツンと糸が切れたように身体が弛緩し、その手からするりと銃が零れ落ちる。

 

「……降参。私の負けだよ」

 

 あっさりと宣言したミカは、両手を上げて降参の意を示す。

 

「おめでとう補習授業部……そして先生、あなたたちの勝ちってことにしておいてあげる」

 

 ミカはその重荷から解き放たれ、吹っ切れていた。

 

「もう何でもいいや、好きにして」

 

 そして、いつもの彼女からは想像も出来ない諦観の笑みを浮かべ──アズサへと向き直る。

 

「アズサちゃん。自分が何をしているのか、その結果この先どうなるのか。それは分かっているんだよね?」

 

「…………」

 

 その厳しい言葉は……アズサを責めるように聞こえていたが、その実は自責の念が含まれていた。

 

「……トリニティが、あなたのことを守ってくれると思う? これから追われる日々がずっと──それに、サオリから逃げ切れると思う? アリウスの出身ならもちろん知っているよね、et omnia vanitas……」

 

「……うん、分かってる。それでも私は最後まで足掻いてみせる、最後のその時まで」

 

「……そっか」

 

 アズサの言葉を噛み締めるように眼を瞑る。数秒、何かを納得したのか、ミカは普段通りの優しい声音に戻っていた。

 

 

 

「……さて、お縄につきますか」

 

 鼻血を拭い立ち上がるナズサが見やる方向には───粉々に吹き飛び躯体が剥き出しになった玄関に、規則の象徴、漆黒の制服を羽織った生徒が散見される──連絡を受けた正義実現委員会が到着していた。

 

「ナズちゃ──」

 

「最後まで付き合うから。友達として」

 

 何かもの言いたげなミカへきっぱりと言い放つ。それには今度こそ、ミカは俯くことしか出来なかった。

 

 

 そしてナズサは補習授業部の面々へ振り向く。

 

「みなさん。私が言えた義理じゃないですが……最後の試験、頑張ってください。応援してます」

 

 既に夜は明け、太陽が顔を覗かせ始める。

 朝焼けに照らされたナズサの顔は、薄明のように淡く澄み渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ミカ……」

 

 正義実現委員会に連行され、憂いを帯びている猫背に声をかける。

 

「今はちょっと、先生からは何も聞きたくないなぁ……」

 

 バツが悪そうに笑うミカ。

 

「やっぱりシャーレを巻き込んだのが、私の最大のミスだった」

 

 

 

「うん、でも──

 

 

 3週間前。鮮緑に囲まれ、燦燦と降り注ぐ光を反射し、宝石のように輝いていたプールでのやり取り。

 先生を騙そうと画策していた自分に送ってくれた言葉、ちょっとした意地悪のつもりだった。

 

 

 

『もちろん、ミカの味方でもあるよ』

 

 

 

 ……あの言葉を聞いた時は本当に、本当に嬉しかったんだ」

 

 

 何の迷いもなく愚直に先生はそう言った。

 その時の純粋な──まるで運命の王子様と出会ったようなときめきと、そんな自分をからかった親友を思い出し、少し頬を赤らめる。

 

「あの時、もし……」

 

 その続きを言うことは出来ない。

 

「ううん、やっぱり何でもない。……バイバイ、先生」

 

 思い付いた言葉を振り落とすように首を横に振り、手のひらを先生へ向けるミカだった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして実行犯であるミカ、事情聴取としてナズサが連行され、取り敢えずは一件落着……とはならない。

 

 そうある意味ではここからが本番だ。

 

 戦いの疲れを癒す間もなく、決戦の地へと赴く。

 

 長いようで短かった3週間。思えば始まりはバラバラのボロボロだった。

 それが合宿を経て──協力しながら勉強をして、時には遊んで、食卓を囲み、一緒の部屋で寝て、その絆は深まり、実力もグングンと伸ばしていった。

 

 泣いても笑ってもこれが最後。これまでの努力の成果を発揮する時が来た。

 

 

 

「では第3次特別学力試験……開始!」

 

 先生の合図と共にペンを走らせる。

 

 その姿は3週間前とは別人だった。

 

 過酷な道のりを歩みやっと着いた会場を試験用紙ごと爆破されても、途方もないほどに合格ラインを引き上げられても……何度も何度も模試をして、お互いを信じて支え合い、不可能と思われたミッションもクリアし、挫けずにここまでやってきた────

 

 

 

 

 

 

 

 

第3次特別学力試験 結果

 

 

 

ハナコ 100点

 

アズサ 97点

 

コハル 91点

 

ヒフミ 94点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

補習授業部──全員合格

 

 

 

 

 





評価、感想、ブグマ、誤字脱字報告ありがとうございます。

投稿ペースが落ちてて申し訳なく候。自分の遅筆さが憎い……これも全て陸八魔(ry

予想以上に感想を頂けて驚いています。一つ一つ全てニヤニヤしながら拝見しています。本当に励みになります。



ここから余談というか妄想の垂れ流しです。

今回の話、原作のゲーム内だとヒフミ、コハル、アズサ、ハナコ、マリーが編成されていてミカやアリウス生徒達と戦闘するんですが……この世界のゲーム内では、アリウス生徒だけでミカとは戦闘しないんですよね。正確には、1ウェーブ、2ウェーブとアリウス生徒を倒していって、最終ウェーブの体育館のステージに入る所までは同じなんですよ。そこでミカとナズサが戦っていて、いざ加勢しようとした瞬間、ナズサが『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』と塗りつぶされたEXスキルをミカに撃ち、バトルが終了する。今回はそんなイメージが少しでも伝わったらいいなぁ、と思いながら書きました。

因みに、最後ミカが倒れてリザルト画面に移行する一瞬、ナズサのHPゲージが確認できるんですが、何故かさっきまで満タンだったHPゲージが、4割ほど無くなっているんですよねぇ……。






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【ブルーアーカイブ】 桐藤ナズサってさ 【エデン条約編第3章配信日決定!】


本編()突入前に幕間としてやってみたかった
あくまでもネタ回なので読まなくても支障はないです。




 

 

 

 

 

1:名無しの先生 ID:qc+dYimZI

補習授業部で唯一全裸になってないよなぁ!!?

 

3:名無しの先生 ID:ggLiVJG5J

それな

 

7:名無しの先生 ID:Ghm2RNBfK

全裸ではない定期

 

9:名無しの先生 ID:tpv9AWV6R

スク水の変わりにニチャ顔と雨合羽とアイマスクと鼻血差分がある女

画像

 

14:名無しの先生 ID:66TjqYG4X

>>9

鼻血姿エッッッッ!!!

 

16:名無しの先生 ID:DPpwk3noL

>>14

決してそういう趣味ないけどちょっと興奮したわ

ブルアカの負傷差分はどれも本気で捻じ曲げに来てるから危険

 

18:名無しの先生 ID:HvO62F80F

>>9

カッパまじでTDN不審者だな

 

21:名無しの先生 ID:UaxqIx8Ol

>>18

フード被って顔面見えない立ち絵出た時一瞬新しいゲマトリアかと思った

 

22:名無しの先生 ID:e0lJAst6m

授業部のみんなを後方腕組みしながらニチャニチャしてるナズサを後方腕組み親面したい人生だった…

 

27:名無しの先生 ID:t3mh88G4E

でも裏切ったならそれなりの代償と誠意を見せるのが“筋”ってもんでしょうよ…!

 

31:名無しの先生 ID:fWRIM0a9M

ナズサァ!逃げるなァァ!!!スク水から逃げるなァァ

 

32:名無しの先生 ID:kRco/5vwZ

>>31

また意地でもナズサにスク水着せたい民湧いてる……

 

34:名無しの先生 ID:UgPVIkA/E

ミカァ!お前もだぞ!

 

36:名無しの先生 ID:khTzYyTJA

ミカはともかくナズサって超天才清楚系病弱美少女ハッカー並だよね

 

39:名無しの先生 ID:vrGVt2p7Z

>>36

頭脳が?(すっとぼけ

 

41:名無しの先生 ID:lRtjCFdC/

>>41

胸が

 

44:名無しの先生 ID:WHTVSnMa+

ま、まだ何も確認してないから…(震え声

 

48:名無しの先生 ID:GUQKEq292

存在しないものをどうやって証明するんですか?(五つ目の古則並感)

 

51:名無しの先生 ID:qQdTXjWRu

ないからそこいいんダルルォ!?さてはアンチだなオメー

 

53:名無しの先生 ID:vBuZjLNIJ

なんだかんだギャグっぽくしてるけどナズサが頑なに肌見せないの意味ありそう

 

58:名無しの先生 ID:ozNv+x6pf

>>53

ただの考察というか妄想なんだけどナズサってリスカしてるんじゃないかな。

プール掃除の時に浮かべてた涙とかちょいちょい見せる暗い陰とかモモフレ貰った時の謝罪、忙しいのに毎日学校から通って積極的に協力してくれたのも全ての原因の一端である自分の責任と自己嫌悪と罪悪感に押しつぶされそうになってて、罪滅ぼしのつもりだったのかなぁなんて。そしてそこまで思い詰めてたらそういった事をしててもおかしくない。

もしもそうだとすると「ハナコ先輩みたいに綺麗じゃない」って発言も、彼女みたいに傷一つない身体って意味ともみんなを欺いて陥れている穢れた心の持ち主って意味とも捉えられて辻褄が合う。

 

59:名無しの先生 ID:LWv9Z6+k4

>>58

うーん、なんて透き通った考察なんだぁ…(白目

 

63:名無しの先生 ID:mzEpEfSd0

なお、内容は全く透き通っていない模様

 

64:名無しの先生 ID:asWmr0uZb

最終日に先生になんでここまで協力してくれるのかって聞かれた時も珍しく答えに詰まってたもんね

気丈に振る舞ってたけど声が震えていたし案外当たってそう

 

65:名無しの先生 ID:XYCA25iEv

>>58

あの天真爛漫なナズサが裏では自傷行為に走ってるって想像すると…なんていうか……その…下品なんですが…フフ……勃起……しちゃいましてね………

 

66:名無しの先生 ID:d6n4M4w0i

>>58

ハナコ、体はともかく心は真っピンクに穢れてるけどな

 

68:名無しの先生 ID:V3XYgtV+1

>>66

どちらかというとハナコよりコハルの方が穢れている希ガス

 

70:名無しの先生 ID:drjKk7ZbA

でもこれって正直自業自得じゃね?全部自分が蒔いた種じゃん

 

74:名無しの先生 ID:5hPlMQ3s4

>>70

人の心エ…

 

79:名無しの先生 ID:WorLvHCVO

>>70

多分本当にどうしようもなかった理由があったと思われる

ナズサがクーデター起こすほどゲヘナ憎しだったら美食研究会が暴れた時とかガチギレしてるでしょ

だけどそんな様子どころかマグロ盗みに来てたって知って大爆笑してたし、怪我無く無力化するだけに留めてわだかまりができないように先生を介してゲヘナ学園に引き渡す程には理性的だった

あの時やろうと思えばエデン条約台無しにできたよ

 

82:名無しの先生 ID:PE9MsEPUi

つかナズサも結局裏切り者で確定なの?ハナコの質問にミカが騙していたって答えてたから混乱してる

 

85:名無しの先生 ID:kaRDp3ypP

>>82

せやで。確定

 

90:名無しの先生 ID:UykBKt1rJ

クーデターの為のブラフって普通に分かるだろ

 

92:名無しの先生 ID:sWmZbUpJR

>>90

ブラフじゃなくて単純にナズサを巻き込みたくなくて庇ったのでは?

 

97:名無しの先生 ID:TYACvSLqB

>>92

いやいやナズサは本来別行動で何か仕掛けるつもりだったんだろ

ただ最終的にナズサはミカを裏切って先生側についたってだけで

 

102:名無しの先生 ID:+MEgiCEWg

>>92

巻き込みたくなくてってなんだよ

ナズサはクーデター仕掛けるの最初から分かっててミカと協力してたのに意味が分からん

 

105:名無しの先生 ID:ot4Ai2Pbl

>>102

ミカはセイアを殺すつもりはなかったって言ってたから、それで取り返しがつかなくなって元々の計画から大幅にズレたんじゃねーの

第一セイアが生きてるって知った時呆気なく降参したし

 

107:名無しの先生 ID:0gU34Ne5L

>>105

だったらなんでナズサがセイアが生存してるって知ってたんだよ

 

110:名無しの先生 ID:2+5jA3+ia

そんなこと言ってたっけ?

 

114:名無しの先生 ID:FGXGXc1Y3

>>110

直接言ってはいないけど匂わせるような発言はしてる

プール掃除の時に『お姉ちゃんとミカちゃん、セイア先輩を頼みます』って死亡してると思ってたら少し変な言い回しになってる

 

115:名無しの先生 ID:ciNZzkmT6

ミカはセイアの生存を本当に知らなかったっぽいしナズサが知ってたら情報の齟齬が起きてる

 

118:名無しの先生 ID:k4mdDfnwY

まぁもうひと悶着はあるだろうな

 

122:名無しの先生 ID:Tz9/kmYHk

マジレスするとプロローグでも2章のエピローグでも終始セイアが不穏なこと言ってるからな

 

127:名無しの先生 ID:Pax9djfXf

>>122

あれって夢の中の出来事みたいになってるから先生には届いてないのかな

 

132:名無しの先生 ID:F0a7EMHx3

>>127

どちらかと言うとナレーション的な?

物語の進行に必要なプレイヤーに語りかけている感じじゃないか?

 

135:名無しの先生 ID:y0W+HauR1

ナズサに残っている謎

 

・初対面時の『先生ってどっちなんですかね?』という質問になってない質問の意味

・セイアの生存を匂わす発言

・ナズサが裏切りに加担した理由

・EXスキルが意味深に塗り潰されている意味

・なぜ意地でもスク水を着ないのか?

 

136:名無しの先生 ID:Kad9sYMHA

>>135

最後欲望透けてますよ

 

140:名無しの先生 ID:ODef07oMZ

まー裏切り者としてはミカと比べてインパクト薄いからこれらが後々出てくるやろ

 

145:名無しの先生 ID:bTMsyMkUy

散々「ナズサがトリニティの裏切り者」ってドヤ顔で考察してた奴大量に居たのにこれで終わったらクソワロタwww

 

147:名無しの先生 ID:E9IvHLkxF

ナズサが裏切り者って言われてたん?

 

151:名無しの先生 ID:rfQT3kGVQ

>>147

せやで

元々トリニティ自体が「三位一体」っていうキリスト教の教えが元ネタになっているんやがその辺の詳細はようつべにあるから見てくれ

そんでもちろんティーパーティーの代表である3人にもそれぞれモチーフがあるって考察されてて

セイア→ガブリエル

ミカ→ミカエル

ナギサ→ラファエル

が今んとこ一番有力説

 

で、そうなるとナズサのモチーフは恐らくサリエル

根拠としてはサリエルはラファエルの右腕として働いていたって考えられていて、ナズサもナギサ(ラファエル)の付き人として働いてそこが通じてる

そしてサリエルは堕天使とも考えられてるからナズサも……?みたいな

 

156:名無しの先生 ID:E9IvHLkxF

>>151

はえーサンガツ

 

161:名無しの先生 ID:2qnhGrEKu

メタ的なあれだけどアリウススクワッドがまだ出てきてないからそこと絡みそう

 

164:名無しの先生 ID:fvP5Q3Ox4

実装は……まだないな、うん

 

166:名無しの先生 ID:u8I5pbbc+

3章PUにもいなかったしね

 

170:名無しの先生 ID:T06Nl62xe

>>166

あっ……

 

175:名無しの先生 ID:WJNwolDHS

ナズサどこ…ここ…?

 

177:名無しの先生 ID:5M+U1kJzi

ナズサ…いるか……?

 

180:名無しの先生 ID:Pm1zv51Kj

ナジュサ……ナジュサ……

 

181:名無しの先生 ID:bD/KkQBe+

また這い回ってら

 

184:名無しの先生 ID:WLt4t+7Ox

アレは一体なんです?

 

187:名無しの先生 ID:rjAefB3Pt

>>184

ナズサを求めて彷徨っている亡者だ

通称ナズサゾンビ

 

188:名無しの先生 ID:J42JWxkjs

ヘッドショットされても死ななそう

 

191:名無しの先生 ID:9Of+14Gks

タイラント並の耐久力がありそう

  

197:名無しの先生 ID:RRxrl3rp4

そういやナズサが言ってたミカの攻撃が確定会心ってメタ発言よね?

 

198:名無しの先生 ID:BKt2CMZ44

>>197

ギャグシーン特有の第四の壁破壊するやーつ

 

199:名無しの先生 ID:R/EKOJ/JS

あれ少しネットで荒れてたな

 

202:名無しの先生 ID:A6k4lhtag

それよりもミカが本当に確定会心なんて持って実装されたら絶対ぶっ壊れだろ

 

205:名無しの先生 ID:ixh8+1w73

代わりに倍率とか攻撃力が低くなってトントンになってるやろ

 

210:名無しの先生 ID:itI4N7KE4

さりげナズサの性能もやばくね?

あの塗り潰されてたスキル撃った瞬間半分くらいHP減ってたわ

 

212:名無しの先生 ID:VAn5YQJG0

>>210

え?どうやって見んの?

 

216:名無しの先生 ID:V3wI9Huvv

>>212

リザルト画面に移行する一瞬見える

 

221:名無しの先生 ID:sK1H51KSA

ほんまや

自傷ダメある代わりにとんでもない火力で実装されそう

 

223:名無しの先生 ID:ggoqTf0eG

こういうのってプレイアブル化したら変わるイメージだけどな

 

225:名無しの先生 ID:eJFpzhjfm

美食研究会との戦闘時にはスキル一つもなかったけどなんでやろ?

 

228:名無しの先生 ID:FHMXHE4Kk

>>225

単にモーション作れてなかったんじゃね

 

229:名無しの先生 ID:YXhYDBBnJ

>>228

SDキャラ出来上がっててそれはないだろ

 

233:名無しの先生 ID:/e6LOb7RL

ナズサもミカもSDキャラ確認できてるしその内実装されるっしょ(鼻ほじ)

 

234:名無しの先生 ID:p7omwjaeU

>>233

やめるんだ

その無責任な一言が彼らに希望を与え新たなゾンビを生み出し、そして絶望へ誘っている事を自覚するんだ

 

236:名無しの先生 ID:60wCrMqEK

>>233

あなたを詐欺罪と器物損壊罪で訴えます!理由はもちろんお分かりですね?

 

238:名無しの先生 ID:zkfRBROlT

いつの間にやらそろそろメンテが終わるな

 

240:名無しの先生 ID:VyPcTfh04

ほなそれでは……

 

 

 

 

 

 





感想、評価、ブグマ、誤字脱字報告ありがとうございます。

掲示板形式初めて書いたんですが難しいですね……面白く書ける人本当に尊敬します。
最初は書くつもりなかったんですけど、どうしても一回だけでいいからやってみたかった。後悔はしていません。

でも次があるとしても、完結までいけた後に気が向いたらおまけとして書くぐらいになりそうです。


追記

ミカゼミも登場させたかったのですが、自分の調べた限りだとミカゼミネタの発祥が、3章の前編が配信されてから(?)ぽかったので時系列的に使えず…やっぱり○○セミ系は、ミカを元祖にしたかったのでナズサゼミはお蔵入りとなりました。
ミカゼミ発祥について詳しい事を知ってる方が居ましたら教えてください。






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後片付けと支度

 

 

 

 

 

 ふと先生が気が付くと、そこはかの始まりの場所、ティーパーティー御用達のバルコニー……にあるティーテーブルには大きなケーキスタンドが佇み、それを囲む二つの椅子……その一席に腰を掛けていた。

 

 「一体どうしてここに?」と疑問に思いながら辺りを見渡すと──同じようにテーブルを囲む少女が目の前に座っていた。

 

 先生の腰ぐらいまでの身長、頭部から上へピンと張っている狐を彷彿とさせる二つの耳、淡く輝く金色の腰まである髪の毛、センターで分け露出しているおでこはシミひとつない。そして纏う制服は、純白な生地と所々に張り巡らされた幾何学的なブロンドのライン、その特徴は少女がティーパーティーの一員であると証明するもの。

 

 瞬間、先生の記憶が何故今まで忘れてしまっていたのか不思議なくらいに鮮明に蘇る。そう、このバルコニーで彼女と邂逅するのは始めてではない。

 

 あの問答────五つ目の古則『楽園の証明』について。

 合宿の時、ハナコが言っていたソレに何処か既視感を感じていたが……そうだった、それはこの少女が最初に振ってきたものだった。

 

 しかし先生は答えなかった。いや、正確には()()()()()()()()

 この空間では何故か先生の声が出ない。まるで真空空間かのように音が全く伝わらない。

 

 それは今回も例外ではないらしく……戸惑う先生を一方に、少女は鈴が跳ねるような綺麗な声音で朗々と語っていく。

 

 ナギサから呼び出されたあの日からの先生の軌跡。補習授業部が如何にして始まり合格へ至ったか、そしてこれから彼女達一人一人の心変わりと歩んでいく道。この事件の発端となったミカとナギサの顛末を。

 

 

 ──── ()()()()()()を避けるようにして。

 

 

 そうして少女は「ここまでは、よくできたお話」と区切ると、今の今まで浮かべていた慈しむような表情とは一変し、険しく諦観の表情を浮かべた。そして先程までの語りとは違う……半ば投げやりになったような、でも何処か捨てきれない“何か”を抱えて言葉を続ける。

 

「でもまだエンドロールには早すぎる。なにせ君が見守るべき結末は、まだその全貌を現していない」

 

 少女は一歩たりとも動いていないのに、大きく眼前へと迫っていると先生は錯覚するほど、少女からは凄みが滲み出ていた。

 

「このお話がたとえどんな風に転がっていこうと…………全ては、破局へと収束していく」

 

 しかし同時に、年相応に見える弱々しい様相も孕ませており。

 

「……暗雲。誰の手にも負えないような、二度と太陽を拝めるとは思えなくなるような……そんな暗雲が、今ゆっくりと押し寄せてきている」

 

 本人は自覚せずとも少女もまた、誰かに手を差し伸べて欲しい一人であった。

 

「まだ残っているものがある、これで終幕じゃない……そのことは君がきっと、誰よりもよく分かっているだろう?」

 

 問いかけに対し先生は未だ何も返せない。

 それは少女も分かりきっているのか、先生に追求することはなかった。

 

 

 ……時間も終わりか、覚醒が近づいてくる。

 徐々に景色に白みがかかっていき、瞼が落ち始めてきた。

 

 

「…………すまない」

 

 ポツリと口にした謝罪。それは先生へ向けたものであると同時に、この場に居合わせない“誰か”に送っているようものだった。

 

 先生は浮上していく意識を気合で無理矢理引きとどめ、瞼を開き少女の言葉に耳を傾ける。

 

 

 

「もう抗いようのないことなんだ」

 

 

 

「知り得た頃には何もかもが手遅れで……」

 

 

 

「雁字搦めとなり、毒牙にかかり、決して抜け出せない歯車と果て」

 

 

 

()()の──動機も経緯も全くの不明瞭ではあるが、その確固たる強靭な意思と覚悟によって齎される惨憺たる景色は、今まで観てきたどんなものよりも強大で絶望的で……そして“確定的”だ」

 

 

 

「しかも更に……更に深い絶望の谷が続いている……よりにもよって、残酷なことにそれだけは確信してしまった」

 

 

 

 少女の顔は無力に打ちひしがれ、潰えてしまいそうな程に憔悴しきり……そして懺悔と悔恨に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………せい?」

 

 肩を揺さぶられ耳元に優しい声音が響く。

 

「先生?」

 

 眩い光が差し込み眼を細めながらも、段々と眼が慣れてくると……広がっていた光景は、黒いベールから覗き込む薄い紅眼、シスター服に身を包み、腰まである銀灰色の髪が特徴的な少女だった。

 

「……ごめん、ちょっと寝てた」

 

 どうやらいつの間にか眠りこけていたらしい。

 生徒の前───サクラコに失礼を働いてしまったと謝罪する先生。

 

「……お忙しいのは存じておりますが、もう少々集中していただけますと」

 

 シスターフッドの長らしく、たとえ先生であろうと厳格に苦言を呈するサクラコ。

 しかし先生は知らない。実は先生に溜まっている心労を考慮して、10分ほど仮眠を取らせていたことを。ましてやサクラコが微笑みながら先生の寝顔を見守っていたことなど、この先誰も知ることはないだろう。

 

 

 

 

 眠りこけていた先生の為に今一度サクラコはここまでの出来事を簡潔に並べ、そして本題へと入った。

 

 それはセイア襲撃事件の詳細な情報の擦り合わせである。

 

 セイアが襲撃されたのは夜中の3時、一番に駆けつけたのは救護騎士団のミネだった。ミネはセイアの安全を確保する為に、ティーパーティーへ「ヘイローを破壊された」と嘘の情報を流し、騒動に紛れて行方を晦ました。その所在は救護騎士団のメンバーさえも知らされていなかった。

 

『ヘイローを破壊された生徒』が狙われるはずがない。ミネ団長視点では誰もが容疑者であった以上それは最善の判断であり、事実犯人であったミカはその落とし穴に引っ掛かっていた。

 

 そして現在、セイアの怪我は既に回復しているものの、未だに意識が戻らず眠り続けており、原因はミネも分からないという。

 

 

「おおよそといった形はありますが、この辺りが百合園セイアさんが襲撃された件についてのお話です」

 

 一旦の区切りを付け、用意していた飲み物で唇を湿らすサクラコ。

 それに倣って先生も目の前に置かれていたマグカップを運ぶ。

 

 ふぅ、とお互いに一息つく光景は、どちらも何かしらの苦労を抱えている似た者同士に見える。

 

「次にですが────」

 

 そしてサクラコが次の話へ進めようとした瞬間、遮るようにガチャリと扉が開かれた。

 一体誰が……?と音が鳴った方へ視線を向けると……。

 

「ハナコ!」

 

 ひらひらと手を振るハナコ。見知った少女の登場に先生の顔が明るくなり、決してサクラコとの会話が息詰まっていた訳ではないが、一定の緊張感が走っていた空気が良い意味で緩む。ハナコにはそういった部分の才があった。

 

「あまり面白くないサクラコさんに捕まって苦しんでいるのではないかと思い、先生を助けに来ちゃいました。ふふっ♡」

 

「……冗談を言うタイミングではありませんよ、ハナコさん」

 

 むぅ……と眼を細めハナコを睨みつけるサクラコ。しかし浴びせられている当の本人はどこ吹く風。

 因みにサクラコは地味に「面白くない」というハナコの一言が刺さっていた。それも彼女が顔を顰める要因なのであった。

 

「サクラコさんは相変わらずですねぇ……今度一緒に、ちょっと過激な本でも読みませんか♡ 何となくですが、サクラコさんはそういった方面に免疫が無さそうですし……うふふ♡」

 

 微笑むハナコのそれはサクラコが見せるような慈愛の笑みではなく、ターゲットをロックオンした獣に近いものだった。

 

 しかしサクラコは意趣返しかのように気にすることなく話題を変える。

 

 …………実は過激な本の意味がイマイチ理解出来なかっただけであるが。もしもハナコの発言の意味を汲み取れていたら、恐らく取り乱していただろう。

 

「……ハナコさん。あの時の約束、忘れていませんよね?」

 

「……もちろんですよ」

 

 今までシスターフッドは政治事の争いには介入することは無く、それは変わらないと思われていた。

 

 しかしあの晩長い間貫いてきた沈黙を破り、ナギサを助ける為、ミカを止める為にシスターフッドは助力した。

 それはもちろんタダのボランティアではない。ハナコとの間で交わされた取引に応じたのだ。

 

 そして今、その代償が支払われる────

 

 

「『登校時の制服には、裸のみを認める』……そんな校則を作り、トリニティを『裸の楽園』へと変える計画に手を貸してほしい……そういうことでしたよね?」

 

「ええ、そうで────はい?」

 

「まさかシスターフッドがこんな陰謀を企んでいたなんて……さすがサクラコさん、謎に包まれた秘密主義集団の長ですね」

 

 神妙な顔付きになり、妙に芝居かがった口調でハナコは続ける。

 

「それにあの例外に関する条項、『原則は全裸。ただしシスターフッドのみ、登校時にベールの着用を認める』……流石の私も慄きましたよ。裸にベールだなんて、何という新しい世界……」

 

 慄いたという言葉とは裏腹に満面の笑みを浮かべるハナコ。

 

「はい……っ!?」

 

「ですが、今の立場では協力せざるを得ません……そしてやるからには、必ずや成功させてみせます!」

 

 まるで敵に屈服し歯痒く仕方がないと言わんばかりの台詞回しだが、その眼はメラメラと闘志に燃えていた。

 

「しかしそのベールの件はズルすぎます。ですので私から提案ですが、『原則は全裸。ただし全生徒、靴下だけは着用可能とする』というのは如何でしょうか!」

 

 一体何がズルくて何処が提案なのかサッパリだが、ハナコとしても譲れないもの(性癖)があるらしい。

 

「これを飲んでくださるのなら、その計画に協力しましょう!」

 

「さ、さささサクラコ様!? そ、そんな計画を……!?」

 

 敬虔な信徒の一人であり可愛い後輩のマリーが、頬を赤らめ戸惑いと抗議の視線を送る。

 

「違いますよ!?」

 

 ただでさえ誤解されやすいサクラコに、更に謂れのない風評被害が発生しかけたのであった。

 

「そんな……」

 

 本当に心底落胆しショックを受けた顔をするハナコ。

 

「『そんな……』ではありません! いきなり何を言っているのですかあなたは!」

 

 そんなハナコをキッと睨み付けるサクラコ。

 

「『私たちがハナコさんの頼みを聞く代わりに、ハナコさんも私たちからの頼みを一つ聞く』、そういう約束でしょう!?」

 

「あぁ……そんなお話もありましたねぇ」

 

 

 

 閑話休題。

 

 サクラコとハナコの間で交わされた取引。それは無干渉主義から体制が変わっていき、これから政治事にも加担していくことになるであろうシスターフッドが、その際にハナコの力を借りるというものだった。

 

 その話を聞き、一瞬先生の顔が曇る。

 

 ハナコはその才から会う人全員に特別視され持ち上げられ、それに嫌気が差しわざと退学になろうとしていた。

 しかし補習授業部に出会い、一切のフィルターを通さずに自分を見てくれて、本当の自分を曝け出せる友達を作れたことにより、ハナコは立ち直ることができた。

 勿論今は当時とは違う状況ではあるが、それでもハナコがまたこうやって介入していく事を先生は心配していた。

 

 だがそれは幸いにも杞憂に終わった。

 

 マリーやサクラコはハナコの心情を尊重し、約束の内容はあくまでも『手伝い』の範疇である。決して無理やりといった手段は取らないと。

 

 それは生徒達の成長であり、少しずつではあるがこの学園が更に良い方向へ向かっていってるのだと思えるものだった。

 

 

 

 

 次の談論はセイア襲撃の実行犯である白洲アズサ、そして真犯人の一人であった桐藤ナズサの処遇について。

 

 テスト終了後アズサは正義実現委員会によって取り調べを受け、詳細な事件の裏側を偽りなく語った。

 襲撃の間にあった空白の一時間、そこで行われたアズサとセイアのやり取り。アズサがアリウスを裏切ってまで守りたかったものを。

 

「……そうですね」

 

 サクラコは手元の用紙から目を離し先生へ向き直ると、また二人の間に緊張が戻る──が次の瞬間には霧散した。

 

「とにかく白洲アズサさん……彼女がトリニティに転校してきて、そして実際にナギサさんを守り抜いた。そのことは明白です。更にその過程で様々なことがあったとはいえ、特別学力試験にも合格。補習授業部は彼女を含めて全員、明確な結果を残しています」

 

 怜悧なサクラコが柔らかく微笑む。

 

「文句の付けようなど無いでしょう……彼女の書類は、私が正式な物にしておきます。もちろんそれはシスターフッドが保証しましょう。誰にも、異議申し立てなどさせません」

 

「……ありがとうございます、サクラコさん!」

 

「本当にありがとう」

 

 ホっと胸をなでおろす先生。ハナコは既に知ってはいたが、改めてサクラコへ礼をする。

 こうしてアズサはシスターフッドの助力もあり、正式にトリニティの生徒として迎え入れられ堂々と門を歩くことができるようになった。

 

「そして桐藤ナズサさん、彼女の処遇も決定しました」

 

 サクラコは続けてもう一人──ナズサの名前を出す。しかしその笑みを崩すことはなかった。

 

「ナズサさんはミカさんの計画に加担さえしてはいましたが……この事件の被害者であった補習授業部への献身的なサポート、アリウス生徒達の襲撃からナギサさんや先生を守り、自らミカさんを止める為に尽力し、説得も心掛けていたところから随所に情状酌量の余地があると判断されました。それなりのペナルティを受けることにはなりますが、今後の学園生活に支障はきたさないでしょう」

 

「そっか……良かった」

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「……ヒフミさん」

 

「こんにちは、ヒフミ先輩」

 

「ナズサちゃん……元気そうで良かったです。な、ナギサ様は……少し痩せられましたか? だ、大丈夫ですか?」

 

 例のテラスへ招待され、出迎えた二人の姉妹にヒフミは若干の困惑をしていた。

 一般の生徒ならばティーパーティーの茶会に招待される事自体が稀有であり、緊張や戸惑いを覚えることはおかしくない。

 

 しかしヒフミはこうした機会が初めてではない。

 

 にも関わらず反応に困っている理由……それは珍しく制服ではなく給仕服を纏い、一切の無駄話をせず淡々と茶を淹れるナズサの姿。そして普段は威風凛然としているナギサが、まるで叱られた子供のように萎れ、眉毛は下がり琥珀色の瞳を震わせながらヒフミを見つめていた。

 

「……ヒフミさん、どうか謝らせてください」

 

 そうして沈痛な面持ちのまま切り出したナギサは──頭を下げた。

 

「私は、ヒフミさんのことを疑いました」

 

「えっ、あっ……」

 

「これまでヒフミさんが理不尽に負った傷を考えると、私はこの場で紅茶をかけられたとしても何も言えません」

 

 全ては誤解であり、ナギサもまた騙されていた被害者でもあった。

 だが、だとしても親愛なる友人を追い詰めた事実は変わらず、そんな己をナギサは許せる訳もなく……こうしてケジメの一つとして謝罪の場を設けた。

 

「ヒフミさんが、水着姿の犯罪者集団のリーダーだなんて……私はどうして、そんなことを……」

 

 神妙な顔付きのまま突如として出てきた“真実”に肩が跳ねるヒフミ。

 確かにナギサが行ったことは非道な過ちではあるが、これに関しては純然たる真実である。

 

 しかしそんなことをナギサが知る筈も無く……どんどんと自分を追い込んでいくナギサの姿は少々気の毒なものであり、更には言えばヒフミはナギサを許すどころか、恨んですらいない。

 

 ……余談ではあるが、妹の方が肩をプルプルと震わせている事に、二人が気付くことはなかった。

 

「私を許してくださいとは言いません……許されるとも、思っていません。ですが──」

 

「そ、その、ナギサ様。私は大丈夫と言いますか……も、もちろん大変な時もありましたが……何よりもまず先に、これだけはお伝えさせてください」

 

 ナギサにはそんな顔はしてほしくないと、ヒフミは遮るように切り出す。

 

「私はナギサ様を憎んだりなんて、そんなこと考えたこともありません。ですからどうか、これ以上は謝らないでください……」

 

 優しいヒフミらしい──優しすぎる、それと同時にヒフミの併せ持つ強さが垣間見える言葉だった。

 

「……私だったらきっと、許せなかったと思います。ヒフミさんは、どうして……」

 

「ど、『どうして』と言われましても、何でもでしょうね……? あ、()()()……」

 

 その強さを本人は自覚していないが。

 

 

 一方、ヒフミの一言一句を噛み締めるように瞼を閉じるナギサ。

 

 そんなヒフミの慈愛が詰まった言葉の中に一つ、あの晩を想起させるものがあった。

 

 

「(あはは……)」

 

 

 襲撃者を前にニッコリと微笑んだナズサ、ハナコからの伝言にあったあの笑い。

 

 

 

『あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ』

 

 

 

 全てを操っていたボス、阿慈谷ヒフミ。

 数少ない友人とのかけがえのない時間を楽しんでいたのは自分だけ。彼女はそれを『ごっこ』と呼び、穏やかな笑みの裏側で弄ばれていた。

 

 

 

 

 

「ごふっ! ごほっ、けほっけほっ!」

 

「な、ナギサ様……!?」

 

 もちろん誤解である。しかしハナコのささやかな仕返しは、ナギサの脳へしっかりと刻みこまれ(トラウマ)ていた。

 

「けほっ、けほっ……こほん。いえ、その、お気になさらず……」

 

 涼しい顔に切り替える早さは流石ティーパーティーというべきか。……片手に携えているティーカップは、ガタガタと音を鳴らしているが。

 

「クッ……ククク……」

 

「ナズサちゃん!? 大丈夫? お、お腹痛いんですか?」

 

 ナギサが吹いた茶を、有無も言わせない熟達のスピードで拭いていたナズサが突如として蹲る。

 

「ブフッ、あ、あの、ちょっと……すみません、お手洗いにいってきます……」

 

 そのままヒフミとナギサが声をかける間もなく、速やかに退出するナズサだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「といったことがあったみたいです。……誤解はもう解いたのですが、少しやり過ぎてしまったみたいですね……」

 

 まさかここまでとは……と苦笑しながら若干反省するハナコ。先生にはナギサのメンタルケアという新たな仕事が降って湧いたのだった。

 

 先生への報告事項を済ませたサクラコとマリーは、シスターフッドとしての通常業務に戻る為部屋を退出し、部屋に残された先生は同じく残ったハナコから近況報告を受けていた。

 

「そういえばナギサさんは、どうやら他の方にも直接頭を下げに行っていたらしいです。私も謝られました、酷いことをしてしまった……と」

 

 やはり根は優しく真面目なのだろう。だからこそ疑心暗鬼の闇に囚われてしまったのだから。そしてそれも少しずつ抜け出せつつある。

 

「にしても……そういったところを見ると、やっぱり姉妹なんだなって感じますね」

 

 それはまだナズサに具体的な処罰を下される前……一時的に地下室に拘束されていたナズサに、補習授業部一同で面会した時のことだった。

 開口一番に「ごめんなさい」と泣きながら謝罪し、更に第3次特別学力試験の結果──全員合格という最高の報告を受けたナズサは、「良かった」「ごめんなさい」の二つしか喋らないマシーンと化していた。

 

「……私、やっぱりまだ何かあるんじゃないかなって思っているんです。ナズサちゃんが裏切るだなんて……」

 

 取り調べに曰く、ナズサはゲヘナが憎くミカと結託してエデン条約を阻止しようと企んでいたらしい。

 

 しかしハナコも先生も、このナズサの動機は嘘なのではないかと睨んでいる。

 もしもそこまでゲヘナを憎んでいたならば、美食研究会と邂逅した際にもっと怒っていたはずだ。しかし拘束された彼女達には好意的に接し、あまつさえゲヘナの生徒であるにも関わらず打ち解けていた。

 

「……先生はミカさんの動機に関してはどう思いますか?」

 

 ミカに関しても……正直に言うとまだ深くは関わっていないから断言は出来ないが、本当にゲヘナが憎くて……それこそ友達であったセイアと親友であるナズサの姉であり、幼馴染のナギサを殺そうとしたとは思えない。

 

 それに──

 

 

『ナズちゃんは何も知らない!!』

 

『ナズちゃんは私に騙されたの!』

 

 

 涙目になりながら叫んでいたミカ。

 それは明らかにナズサを庇うような言動であり、先生はそれがずっと引っ掛かっていた。もしかしたらナズサは……いやミカも本来は巻き込まれてしまった立場なのではないか。

 そこに今回の事件の発端が隠れている。そんな気がしてならない。

 

 

 とにかく問題はまだ山積みであり、全ては解決していない。

 

 取り敢えずナズサに会いに行こう。

 個人的にも彼女には聞きたいことがあるのだから。

 

 

 

 

 





感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

最近諸事情が重なり執筆出来ていませんでした、すみません。
久しぶりの投稿がほとんど原作の書き起こしで申し訳なく候。でもどうして必要だったんや……実はこれが難しくて筆が止まっていたのは内緒。

でもあたい……止まらへんから!ヘイローに誓います!ナギサ様の脳を破壊するまで、絶対に!止まるんじゃねぇぞ……。






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差し出す手、伸びる影

 

 

 

 

 

 ティーパーティーからシャーレに依頼が届き、この事件に関わり始めてから出会った生徒の中では、ナズサとはいつの間にやら一番長い付き合いになっていた。

 

 しかし思い返すと何度かナズサと二人きりになる場面はあるも、どれも補習授業部の手伝いやティーパーティーの業務上ばかりで、一対一の対面で腰を据えて話す機会は中々なかった。

 

 

 毎日校舎から通い、テスト対策の洗い出しやプリント作成、賄いなども用意して常にみんなを気遣っていたナズサ。

 

 そんなナズサは裏切り者であり、今回の騒動の裏側に大きく関わっていた。

 

 勿論それには驚いたが、更に衝撃的だったのは彼女の戦闘能力だった。

 

 初めてナズサの指揮を執った戦闘──美食研究会との邂逅の際は、補習授業部と正義実現委員会のハスミが居たので、大して違和感を覚えることは無かった。

 

 だがあの晩。体育館でのミカとの戦いで先生はナズサの真髄を見た。

 室内で壁や天井を蹴って飛び回るアニメや漫画のような戦い方。ヘイローのある生徒達は確かに身体能力が高いが、それでもあんな事が出来る人間は限られているだろう。更に出来たとしても、実戦で使えるのはまた別の話だ。

 

 しかもそんな四方八方から飛んでくるナズサの攻撃を、涼しい顔でミカは全て見切り、的確に銃弾を銃弾で防ぐという離れ業を披露していた。

 

 二人とも明るくはしゃいでいるイメージが強かった分、戦闘時の切り替え模様とキヴォトスでもトップクラスだと思える力のぶつかり合いのギャップに────先生はそれで偏見を覚えるような人間では無いが、色々な意味でショックだったのも事実であり。

 

 そして今回の肝である今まで……否、今もずっと引っ掛かっている違和感とあの言葉。

 

 とにかくそういった様々な要素が絡み合った結果。先生は生徒(ナズサ)と話すというただそれだけの事に、アロナに心配される程度には緊張していた。

 

 

 そう、緊張……していたのだが。

 

 

 その当の本人であるナズサはというと……。

 

 

 

「あっつぅ〜い……暑くて干からびそう……」

 

 トリニティ総合学園の敷地には、校風を彩るに相応しい花壇達が敷き詰められている。

 その一角にしゃがみこんでいる背中は──紺の生地に白のラインが施されたトリニティ総合学園指定のジャージを、雲一つ無い青々とした快晴の下燦々と日光が降り注ぐ中で、律儀に長袖は勿論のこと、作業用の為ボトムスもしっかりと着用し、首の真下までしっかりとチャックを締め。

 

「動いているから暑ぅいよぉ~」

 

 いつものリボンで纏めた一房の団子とハーフアップとは打って変わり、下ろしている髪も含めてサイドに、シュシュで二つの小さな団子に纏めて揺らし。

 

「でも動かないと怒られるよぉ〜」

 

 妙に耳に残るうにゃうにゃとした口調で文句を垂れ流しながらも、ぶちぶちと雑草を抜いては隣に置いてあるビニール袋へ投げ込んでいた。

 

 

『それなりのペナルティを受けてもらいますが……』

 

 

 サクラコが言っていたのはこれかと納得する先生。

 まぁ恐らく他にも何かあるのだろうが、その一環のひとつとしてボランティア活動と……。

 

 の割には随分と杜撰な態度にも見え、先生としてもひとつ言わなければならないこともあるが──そんな注意も彼女をしっかりと注視すると違うと分かる。

 

 ここに来るまで通った花壇の状態、付近に置いてある大量のパンパンに雑草が詰まったゴミ袋、土と汗にまみれ背中に大きく滲んでいる染みは、ナズサがどれだけの時間作業していたのか伺い知れるものだった。

 

「はぁ……クソアチ」

 

 どうやら集中して先生の存在に気が付いていないらしい。

 お嬢様学校にあるまじき言葉を発するナズサに、少しだけ悪戯心が沸いた先生は、こっそりと後ろまで近付きトントンと軽く肩を叩く。

 

「やぁ、ナズサ。お疲れ様──え?」

 

 ゆっくりと振り返ってきたナズサの表情は予想の斜め上だった。

 

「んあ? あ、先生~」

 

 先生に気付いたナズサはその顔に花を咲かせた。

 それは全然良い。寧ろ先生としても嬉しいことだ。

 

 問題なのはナズサの目元、ぎらりと輝く漆黒の眼鏡────サングラスをかけていること。

 妙に様になっているそれは、もしも銃を構えてココアシガレットでも添えたら、完全にブラックマーケットの住人だった。

 

「そ、そのサングラスは一体……?」

 

「ふっ……先生。こんな猛暑日にはグラサンは欠かせないから……だぜ」

 

 確かにこんな陽射しの強い日にサングラスをかけるのは分かる。

 

 だが軍手に長袖ジャージ、サングラスという奇天烈な服装に、人差し指と中指を重ねてサングラスをクイッと上げ、謎のドヤ顔をするナズサは不審者そのものだった。

 

 それに言葉使いとテンションもさっきからおかしい。こんな暑苦しい服装で長時間の作業……もしかしたら暑さにやられてしまったんじゃないかと心配になる。

 

「失礼な! 私は至って冷静で正常ですよ!? それにグラサンをかけると作業効率がおよそ1.3倍になるという統計学に基づいたデータがあるんです!」

 

「…………」

 

 やっぱり暑さにやられている。早急に救護騎士団を呼ぼう。

 

「ちょちょちょ先生!? そんな目で見ないでくださいよ!」

 

 ……まぁ作業効率うんぬんかんぬんは置いといて、意識は大丈夫そうだ。

 

 ただ熱中症の危険があるのは事実なので、先生としてはナズサにはもう少し涼しい風通しの恰好をして欲しい。年頃の少女ではあるし、汚れてしまったり日焼けしてしまうのが嫌な気持ちは分かるが。

 

 あと非常に言いにくいのだが、ジャージを貫通するほどの汗が背中に染みを作っているのがこう……ハッキリ言って気になってしまう。

 

「せめて水分補給はしっかりと……ん?」

 

 注意を促しながら、花壇の縁に置かれてある水筒へ目をやる。

 

 橙色のトリニティ総合学園のエンブレムが刻印されている750mlの水筒。何故そんな事細かく把握しているかというと、それがナズサのマイ水筒で合宿所に訪れた時もよく持参してきていたからだった。

 

 更にもう一つ、絶対に外せない話があった。

 

 それは何故標準の500mlの水筒じゃないのか聞いた時のこと。

 

『実はこれ、小さい時にお姉ちゃんから誕生日に貰ったんですよ! それでですね? 私って当時はよく外で遊んでいたのと、結構汗をかきやすい体質なのを踏まえて少し量が多めの750mlにしてくれて、しかもここ見てくださいよ! ココ! 私の名前が刻印されているんですよ!』

 

 貰ったばかりかの如く、飛び跳ねる勢いで嬉しそうに自慢していたナズサ。そして随分と使いこまれてはいたが、丁寧に扱っているのが分かる輝きを放っていた水筒を見ると、ナズサがどれだけ姉と水筒と大切にしているのかが窺え、それはとても微笑ましく印象深いものだった。

 

 

 

 だからこそ一瞬分からなかった。

 

 

 

「それ、ナズサの水筒……だよね?」

 

 嫌な予感が過る。

 もしかしたら見間違えかもしれない。似ているだけの別のものかもしれない。

 

「っ!? あっ、そうですよ?」

 

 先生の質問。いや“指摘”にナズサは慌てて水筒を拾い上げ後ろ手に隠す。

 だが時すでに遅し。それを先生が見逃す訳もなく、なによりもその反応は───

 

「その“傷”はどうしたの?」

 

「…………いやぁ~、足元に置いてあるのに気付かず蹴っちゃって、零しちゃった挙句傷まで付いちゃったんですよ~あははは」

 

 違う。あのナズサがそんなミスをするとは到底ありえない。

 

 仮にそうだとしてもだ。あれを傷だと言ったが正確には()()()だった。それも間違えて蹴ってしまったり、落としてしまった時にできるようなものでもない。

 

 ナズサの水筒は特別なものだ。それはナギサからの贈り物であったり、印字ではなく刻印である点もそうだが、シンプルに耐久性が抜群に高く質感もかなり上等なものだった。

 

 要するにへこむぐらいの衝撃を与えるには、()()に力を加えなければならない。

 

「ナズサ」

 

 サングラスの先にあるナズサの目を見つめ、予想が確信へと変わり思わず語気が強くなる。

 

「…………私って自分で言うのもなんだけど、トリニティの中では珍しいタイプの人間でさ」

 

 そんな先生に観念したのか、訥々とナズサは語り出した。

 

「ここでは出る杭は打たれるのが鉄則だけど、お姉ちゃんとミカちゃんのおかげ……運もあるのかな。みんな結構受け入れてくれてたんだ」

 

 代々の伝統と文化を重んじるトリニティでは、自由気ままなナズサは問題児寄りの生徒ではあった。しかし同時に芯のある真面目さや優しさを持ち合わせており、そんな性格のナズサはトリニティに新たな風を吹かす存在でもあったのだ。

 

「だけどね先生。そんなわがままは今まで大きなやらかしをしていなかったから見逃されていた訳で……一度ラインを越えちゃったからにはもう……ね?」

 

 サングラスをおでこに上げて、レンズ越しではなく肉眼で歪んだ水筒を見つめるナズサ。

 

「でも私、感謝してるんです。この程度の罰で……ミカちゃんより先に拘束を解かれて。今回の事件にお姉ちゃんは無関係だって弁明してくれて」

 

 『この程度』そんな軽く聞こえる言葉を、ナズサは戒めるように深く深く自身へ染み込ませる。

 

 そして数秒、沈黙が流れた後、ナズサは諦観した薄い笑みを浮かべて先生に向き直った。

 

「仕方ないですよね! 結局、どんなものもいつか壊れてしまうんです」

 

 決して強がりなどではなく、これが罰なのだと、世の摂理なのだと、仕方のないことなのだと割り切り。

 

「vanitas vanitatum et omnia vanitas. それでも残された最善の道があるなら、なんであっても私は構いません」

 

「…………」

 

 顧みず堪えて突き進んでいくナズサの姿が────それが“強さ”であると先生は絶対に思えなかった。

 

「あ、あとこの事はみんなには内緒にしてください」

 

「っそれは──」

 

「ホントに大丈夫ですから。それにこの水筒も穴が空いてしまった訳じゃないので、まだまだぜーんぜん使えます!」

 

 ニコリと微笑む今のナズサは、抱えている水筒のように、傷付き空っぽにひしゃげてしまっているように見えた。

 

 

 

 

 

 ピピっと電子音が鳴ると同時に自販機が微かに震え、直後に落下音が鳴り響く。

 一区切り仕事が終わったナズサは、先生と休憩を挟んでいた。

 

 取り出し口からキンキンに冷えた一本の缶コーヒーを片手に、先生は隣で腕を組みながら自販機を睨むナズサに、「好きなの選んで良いよ」と笑みを向ける。

 

「うーん。悩みますね……」

 

「そ、そんなに? もしかして好きなやつ無かった?」

 

「いえ、そうではなくてですね。貴重なジュースなんでどれにしようかと」

 

「ティーパーティーには紅茶しか飲んではいけないみたいな誓約でもあるの……?」

 

「いや単に私がいつも金欠なんで。それこそジュース一本買う余裕も無いんですよ」

 

「え、えぇ……?」

 

 まさかの告白に困惑が漏れる先生。

 

 そこまでナズサは生活に切羽詰まっているようには見えない……というか、昔からよくスイーツ店をミカと巡ったりしていたと聞いていたが?

 

「先生。それは私の緻密な金銭管理の下、捻出された貴重なものなんですよ」

 

「そ、そうなの?」

 

 あんなにも優雅なティーパーティーだからといって、お金持ちとは限らないのか……。

 

「毎月発生するサブスク……」

 

「……ん?」

 

 今聞き間違いでなければナズサはサブスクと言った。

 先生の中でのサブスクの意味はサブスクライブ──毎月一定額の料金を払えば音楽や動画等が見放題のサービスであるアレしか知らないが、もしかしたら他の意味があるのだろうか?

 

「兼任している三つのソシャゲのガチャ課金、マンスリーパッケージ。週間誌。月刊誌。単行本。新作映画。ラノベ。ASMR。絵師のファンサイト……くっ! どれも諦めるなんて出来ない……!」

 

「…………」

 

 とんでもない出費である。確かに緻密な金銭管理を行わないと、すぐに尽きてしまうだろう。

 だがジュース一本買う余裕も無いのは、流石に強欲過ぎるのではないだろうか?まだ彼女は学生の身だ。あまり口出しはしたくないが、もう少し節度を守った使い方を────

 

「あるぇ? それを先生が言っちゃうんですかぁ?」

 

「っ!?」

 

 わざとらしくトーンを上げ、ニヤニヤと意地の悪い笑みで先生に詰め寄るナズサ。

 

「風の噂で聞きましたよ? どうやら先生は“趣味”にお金を使い過ぎたせいで、暫くの間モヤシ生活になったことがあるとか。しかもそれをとあるミレニアムの生徒にバレて、こっぴどく叱られた挙句財布の紐を握られてしまったとか?」

 

「うぐっ……」

 

 一体何処で仕入れてきたのか不明だが、実際何も言い返せない純然たる事実であった。

 しかもギリギリであるとはいえ、しっかりとナズサは管理を出来てはいる。残念ながら仕掛けた時点で、先生の敗北は決まっていた。

 

「あ、私これにします」

 

 ダメージを受けて大袈裟に蹲る先生を気に留めず、ナズサが指を差したのは『キヴォトスサイダー!!!!!!』と、数えるのも億劫になるほど謎に主張の激しい一本。250mlで強気の税込180円だった。

 

 

 近くに備え付けてあったベンチに二人で座り、同時に缶を──カコっと蓋を開ける心地良い音と、ゴクゴクと喉を鳴らす音が重なる。

 

「ぷはー! 生き返るぅ~」

 

 溶けるような勢いでベンチにもたれかかり、空を見上げるナズサ。

 ナギサが居たらお小言不可避のだらしない姿勢ではあるが、長時間労働の後の一杯が染み渡る感覚を、痛いほど理解できる先生は特に言及はしなかった。

 

 先生はいつ話を切り出すべきか悩んでいた。

 本来訊こうと思っていたことは、かなりデリケートな内容だ。しかも今のナズサは……。

 

「……先生。一つお願いしてもいいですか?」

 

「ん? なんだい?」

 

 すると、ジュースを両手で握り姿勢を正したナズサが、真剣な面持ちで先生に話を振ってきた。

 

「もう聞いていると思いますが、私はエデン条約調印式の場に出席出来ません。当たり前ですけど」

 

 トリニティの歴史の転換期である重要な場に、本来ならばナギサの付添人であるナズサも出席の予定であった。

 しかし件の事件でナズサは『桐藤ナギサの付添人』という役職は剥奪され、一応現在もティーパーティー所属ではあるものの、その立場は一番下となっている。ティーパーティー所属の人間は、極力参加が義務付けられているが、首謀者の立場に近かったナズサにその席は設けられていない。

 

「だから先生。どうかお姉ちゃんの傍に居てあげて守ってください」

 

「……うん、分かった」

 

「ありがとうございます、先生」

 

 『守ってください』その言葉に思うところが無いと言ったら嘘になるが、なにせ長い間いがみ合っていた両校だ。偏見を持っていないナズサでもやはり心配なのだろう。

 

 先生の返事に安心したのか、ほっと胸を撫でおろしたナズサは、ちびちびと缶ジュースを口につけていく。

 

「ん、すみません、もう一つ大切なお願いがありました」

 

 ピタリと動きを止め、両手を足の間へ持っていくナズサ。

 そのまま目を伏せ虚空を見つめたまま呟いた。 

 

「どうかミカちゃんを嫌いにならないでください、支えてあげてください」

 

 紡がれたのは切実な願いだった。

 今のミカは自暴自棄になっている。直接会うことは叶わなかったが、ハナコの話から推測は出来た。

 

「私は生徒の誰も嫌いになんてならないよ。みんなが大切で大好きだからね」

 

 先生の言葉に安心したのか、胸を撫で下したナズサはそのままグイっと一気にジュースを飲み干す。

 

 

 ただ、まだ先生の話は終わっていない。

 

 

「……もちろん、ミカのことは私も最善を尽くすよ。だけどねナズサ、これには君という存在も──」

 

「私じゃダメなんです。私はダメなんです」

 

 空缶が潰れる音と共に断固としてナズサは否定してきた。

 

 

 怒りが沸々と湧いてくる。

 

『ダメ』とはなんだ。そんな考えこそ先生にとっては『ダメ』だ。

 

 

 ……天真爛漫に気丈に振る舞っているから気付きにくかったが、ナズサは自分を()()()()()()

 

 

 補習授業部としても。

 

 ティーパーティーとしても。

 

 親友としても。

 

 

 ──姉妹としても。

 

 

 ナズサはどこかの枷が外れている。

 人を大切にすることと、自分を大切にしないことはイコールではない。

 

 

 

 

 ここで今、一歩踏み込むしかなかった。

 

 

「ナズサ。本当は何か別の理由があったんじゃないの?」

 

 ナズサには……脈絡もなく強引に突き付けて悪いが、こうでもしないとはぐらかされてしまう。

 

「……先生?」

 

「私にだけじゃない。ミカにも言えなかった、違う理由が」

 

 ナズサの性格なら、もしも本当にミカが『ゲヘナが嫌い』という理由でクーデターを起こしたなら、始める前から絶対に説得して止めていたと先生は思っている。

 

 この事件の動機は……何かが欠如している。何かが矛盾している。

 

 実は二人共、誰にも言えない、もしくは自覚出来ていない理由があったのではないかと。

 

 そしてそれを裏付けるヒントが、これまでの二人の言動に隠されている。

 

「ナズサ。君はミカとナギサ、そしてセイアを頼むと言ってきた。その言い方はまるで────」

 

「そんなこと言いましたっけ?」

 

 若干の早口で先生の言葉を遮るナズサ。その冷え切った声に一瞬先生は怯む。

 

 瞬間風がなびいた。

 

 先生は様子が急変したナズサの表情を窺おうとするも、俯く横顔は目元が隠れていた。

 

「……言った。合宿の初日、みんながプール掃除をしているのを眺めてた時に」

 

「言ってません」

 

 キッパリと断言するナズサ。

 

「今みたいにこうして二人でもたれかかりながら」

 

「言ってません」

 

 子どもの駄々のように、白々しく頑なに認めない。

 その姿に先生は──焦燥もあったのだろう。少しムキになってもう一度言おうと。

 

「ナズサ!────」

 

 

 

 

 

「言ってません」

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 地響く程に深く低い声音の否定と共に俯いていた顔が勢いよく持ち上がり、カクっと不自然な角度で──その顔は表情が抜け落ち、口は一文字に閉じられまるで能面のようだった。眦が裂けるほど見開かれた瞳には、一切の光が届いておらず、琥珀色の虹彩は濁りドロドロと黒いなにかが渦巻いていた。

 

 

 目を離せない、声も出ない。唾が喉を通ることも叶わない。爪まで総毛立つ感覚に陥る。

 

 

 

 それは究極の拒絶反応──恐怖だった。

 

 

 

 ナズサは先生の言葉に恐怖していた。

 濁流した感情が真正面から衝突し、恐怖の対象であった先生でさえも共鳴させて恐慌させる程異常に。

 

 

『やってしまった』

 

 

 先生は軽率な行動を取ってしまったと悔いた。

 

 子どもを不安に陥れ、怖がらせる。ましてやそれが生徒から先生に向けたものなどあってはならない。更に先生()が彼女を恐れてどうするというのか。

 

 

「…………」

 

 石のように硬直した先生とは裏腹に、緩慢に立ち上がったナズサは、覚束ない足取りで夕陽の中へ吸い込まれていく。

 

 

「──なっ!!」

 

 

 ここで動かなかったらダメだ。

 

 震えを無理やり大人の気合で押さえつけ、硬直した筋肉を動かして立ち上がり。

 

 

 

 

「────っ!」

 

 

 

 その左手を、力強く握りしめた。

 

 

 

「……へ?」

 

「ごめん……ナズサごめん。悪かった」

 

 

 彼女の力なら先生の手など容易く振り払える。

 

 しかし突然のことで状況が理解出来ていないのか、ナズサが振り払うことは無かった。

 

 

「でもナズサ、お願いだからこれだけは忘れないで欲しい」

 

 

 その隙を逃さない。

 

 先生はどうしても絶対に──もう一度伝えたかったあの言葉を贈る。

 

 

「先生は、私はいつだって全ての生徒の──ナズサの味方だよ」

 

 

 少しだけ腕の力を抜き、優しく包むように手を握る先生。

 一方ナズサは、さっきまでの表情とは打って変わって、半開きになり呆けた顔のまま固まっていた。

 

 

 

 ……あれ?聞こえなかったのかな?

 

 

 

「私はいつだって──」

 

「へぇっ!? ちょ、ちょ先生!? 聞こえてます! 聞こえましたから! 二度も言わないでください!」

 

 ここで強引に来るとは予想していなかったのか、明らかに狼狽え頬を赤らめながら腕を振り払うナズサ。しかし決して嫌悪で逃げるようなものではなかった。

 

「そうだった……先生はこういう人だった……」

 

 諦め半分嬉しさ半分が混じった溜息を吐き。

 

「……ありがとう。先生」

 

 まだ赤味を帯びた表情で、消え入るように呟いたそれは、この日初めて──いや、出会ってから初めてナズサが心から安堵して笑えていた気がした。

 

 

 





ナズサ「やばいバレるどうしようやらかしたまじでおわるおれなにいってんだ」



評価、感想、ブグマ、誤字脱字報告ありがとうございます。


tip!

ナズサのアクセサリー等の類は全てミカかナギサから貰った物



05 17

一部加筆修正しました。




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差し出す手、伸びる翳


前話のジュースを買った後のやり取りを少し加筆しました。
短い内容ですが結構大事なので一読して頂けると幸いです。

あと最後にアンケートがあるので良ければ答えてください。



 

 

 

 

 

 黄昏の斜陽が降り注ぐトリニティの敷地に、一つの影が伸びていく。

 

 

「……この先ですね」

 

 再確認するように呟く。厳かさと柔らかさを含んだ声音。胡散臭いとも言える。

 

 整然と漆黒のスーツとネクタイ、相反する純白のシャツを着こなし、コツコツと心地良い革靴の音を鳴らしているのは──右目にあたる部分が銀色に輝きながら燃え盛り、そこから顔全体へ亀裂が走っている。更に口と思われる部分も同様にひび割れ銀色の耀が覗き、その形は微笑みにも嘲笑にも見え……着服する黒よりも闇い長身のマネキンであった。

 

 彼の名は『黒服』

 

 ……と言ってもこの名は彼が自称しているだけに過ぎず、それが本名なのか否かは彼のみぞ知るが……便宜上として、更に彼自身もこの名を気に入っている為、本名など些事でしかない。

 

 重要なのは黒服が先生と同じキヴォトス外から到来したヘイローを持たない“大人”であり、ゲマトリアのメンバーであること。

 

 そんな彼が──二足歩行の犬や猫型の人やロボット達が闊歩するキヴォトスでも類を見ない様相、そして先生以外の大人である彼が学生達の花園に乗り込んだ暁には、どんな目で見られ何が起こるかなど、言うまでもないだろう。

 

 

 

 しかしこの場に彼を咎めるどころか、正義実現委員会に通報する者も、奇異の視線を浴びせる者すら誰一人として居なかった。

 

 

 

 時刻は時計の短針と長針が対極に位置する夕暮れ時。平日であれど年頃の学生達にはまだまだ遊び足りない時間帯。

 

 黒服は不自然な程に人が払われたメインストリートを抜け、この広すぎる学園のとある一郭へと進んでいく。

 

 

 トリニティ総合学園の膨大な敷地には、まるで城のように聳え立つ本校舎は当然のこと、シスターフッドの大聖堂や校舎にも劣らない部室会館。数々の伝統の品が並ぶ美術館や音楽堂、天井まで届く膨大な数の書棚が立ち並ぶ古書館と様々な設備が整っている。

 

 そして学生が英気を養うには必須の──校外にある店にも負けず劣らずのクオリティを提供する売店。

 

 昼休みなどには店内には勿論、備え付けられたテラス席や、巨大な噴水を一望できるベンチなどで、昼食を頂くのがこの学校の生徒達の日常だ。

 それは昼休みだけに限らず、放課後に雑談の場として利用されることも少なくない。

 

 

 が、あらゆる売店が立ち並ぶそこには、たった一人の少女しか存在していなかった。

 

 サイドに二つ、シュシュで自慢の清廉なブロンドヘアを団子にし。なにか作業をしていたのだろうか?猛暑日だった今日には合わない()()()()()()()()()()()()、長袖の体操服は()()()()()()()()()()()()

 

「お! きたきた~」

 

 そんな活発さの化身のような少女は、黒服を認識するやいなやその端正な顔に花を咲かせ、琥珀色の瞳を輝かせながらぶんぶんと大きく腕を振っていた。

 

 それはまるでデートの待ち合わせ場所に訪れた恋人を迎え入れるような無邪気さで────

 

(クックック……やはり貴方は歪んでますね……)

 

 黒服の好奇心を満たし、そして頭痛を加速させるには十分すぎるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「こうしてお会いするのは初めてですね」

 

「はい。噂はかねがね聞いております」

 

 無事に少女──桐藤ナズサと合流出来た黒服。

 

 軽い挨拶を済ませ、そのまま立って話すのもなんだと言いあるスイーツ店のテラス席に腰を掛け向かい合った。

 

 片や黒いスーツの長身のマネキン、片やキヴォトスの花の女子高生。

 状況だけ見れば、仲睦まじくデートをしているとギリギリ言えなくもない。

 

「改めまして。桐藤ナズサさん、私のことはどうか『黒服』とお呼びください」

 

「わかりました、じゃあ黒服さんで……あの~因みになんですがコレって本当に大丈夫なんですよね?」

 

「勿論です。現在の私達の会合は誰一人として“観測”出来ません」

 

 今宵の話し合い場を設けたのは黒服だった。

 ナズサの都合に合わせて自分の使えるあらゆる手段で隙を、死角を生成することで校内に堂々と侵入し二人きりになれる状況を作り出した。

 

 ただここに至るまで果てしない労力がかかっており、普通ならばあまりにもコストに釣り合っていない。

 

「それに万が一露呈してしまった場合、文字通り私の首が飛びかねないので」

 

 ナズサの心配をクックックッと他人事のように笑う黒服。それは自信の裏返しであった。

 

 ゲマトリア間で結ばれている不可侵の掟。

 黒服が現在行っている事案はこれに反する行為であり、しかも相手はあのベアトリーチェ。更にそんな彼女が最近()()にしているモノであるナズサとの接触。首が飛ぶと笑ったが、全くもって冗談などではなかった。

 

 だからこそ、たった一度の密会に見合わないコストを掛けたのだ。

 それだけの価値と()()()がナズサにはあると黒服は踏んでいた……否、確信していた。

 

「そっか……良かった。実は私も一度黒服さんとお会いしてみたかったんです!」

 

 ニコリと微笑むナズサを滴る汗。しかしそれは不衛生とは真逆の──彼女を彩るパーツに過ぎず、その姿はたとえ同性であっても思わず目を見張ってしまう程に扇情的だ。

 

 しかし、彼女の背景を知っている黒服だからこそ、その笑みはとても不気味に見えた。

 

 何故“大人”である自分に対してそんな顔を向けられるのか。何故あれだけ忌避していた肌の露出を、自分に限って余すところなく魅せているのか。

 

「でも取り敢えず! 黒服さんのお話とやらをお伺いたいです!」

 

 ちらりと、勘づかれないように机上に置かれているナズサの腕を盗み見る。

 

 夥しい。一般人ならば思わず目を背けたくなる、手首から二の腕にかけてまでの様々な“痕”。それは表面に現れているものだけでなく、彼女の華奢な身体全体に広がっている。

 

「では早速ですが……単刀直入に申し上げると、桐藤ナズサさん。私と契約を結びませんか?」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ゲマトリアは互いの目的や利害が一致すれば、時に他のメンバーが保有する能力や技術を利用することもある。

 勿論黒服とベアトリーチェも例に漏れず。特にここ最近はベアトリーチェの計画が本格的に動き出したことで、顔を合わせることも度々あった。

 

 そんなある日、ベアトリーチェからある話が持ち掛けられた。

 

 しかしソレは今までと一線を画す荒唐無稽……無謀とも受け取れるものであり、流石の黒服も苦言を呈した。

 確かに理論上は可能とされている。しかしソレに耐え得る肉体と精神は存在せず、実行したならば崩壊してしまうのが常であると。

 

 貴重な生徒を……神秘を無駄に犠牲者にしてしまうだけだと。

 

「勿論分かり切っています。ですがそれが唯の有象無象ではなく、“ロイヤルブラッド”ならば?」

 

 耳を疑った。

 ロイヤルブラッドは彼女の計画に必須であり、この神秘が満ちて蔓延するキヴォトスに於いても指折りの存在だ。

 

 しかも黒服がベアトリーチェに協力したのは、そのロイヤルブラッドが来たる儀式までの安全と保険の為であり、今までの行動と矛盾しているのだ。

 

 そんないきなりの方針転換に困惑する黒服だったが、どうやらそれはベアトリーチェの期待通りの反応であったようで、愉快そうに笑いながらわざとらしくとぼけた。

 

「あぁ、言ってませんでしたね。実はもう一人、新たなロイヤルブラッドを入手したのですよ。なのでその子は贄としてではなく、兵器として運用しようかと」

 

 驚いた。

 それは新たなロイヤルブラッドを手中に収めたことでもあるが、一番はそれが彼女の領地でありアリウスの生徒ではなく、トリニティの──現役の生徒会の肉親であると。

 

 正直疑問……いや、疑念はあった。

 

 しかし続けたベアトリーチェの言葉に黒服は──黒服だからこそ頷く以外の選択肢は無かった。

 

「安心してください。サンプルなら()()()()()差し上げますので。それに彼女なら最悪潰してしまっても構いません」

 

 喜色満面に意気揚々と出された提案に、使い潰すという彼女の割り切りには同調は出来ないものの、黒服はそれを自覚しながらも釣られることとなった。

 

「まぁ“アレ”に耐えきった彼女なら潰れはしないでしょうが」

 

 ただベアトリーチェの小さな呟きが僅かに引っ掛かっていた。

 

 

 

 

 

 数日後、約束通りサンプルは届いた。それもオーダーした量より遥かに()を付けて。

 

 そのことに思うところが無かった訳でもないが、彼もまたゲマトリア。

 同情しつつも今まで入手困難だった宝を前に、高揚し逸る気持ちを抑えながら検証を開始した。

 

 

 

 それがパンドラの箱であると理解するのに時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 桐藤ナズサ。

 資料に記載されていた過酷な実験を耐え切る神秘と精神力、生徒会の血を引くキヴォトスの中でも稀有な存在。

 

 更にベアトリーチェは濁していたが、あれは懐刀として仕立て上げるつもりだ。

 あの傲岸不遜な彼女が子どもを()()、贔屓するとは。

 

 興味は確かにあった。

 だがそれだけの理由では不可侵の掟を破るまでには至らない。

 

 

 そう、今回の密会へと踏み出す決め手となったものがある。

 

 

 ベアトリーチェから渡された皮膚や血液、髄液、唾液等のサンプルを徹底的に調べ上げた先で待ち受けていたもの。

 

 桐藤ナズサのデータを映すモニターを前に、黒服は誰に聞かせる訳でもなく独り呟いた。

 

「ベアトリーチェ、貴方は己がナニ(地雷)を抱えているのか正しく理解しているのですか」

 

 震えているのは掻き立てられる研究者としての興味か。ゲマトリア(探求者)としても曲がりなりにも感じる世界の危機からか。

 

 

 

 

 桐藤ナズサの存在は──その魂は酷く歪んでおり、その在り方はキヴォトスではなく“外側”から来たモノである。

 

 

 外の存在。

 それはキヴォトスに置いても一際目立つ存在であり、例として先生やゲマトリアが当たる。

 

 しかし彼女の場合は少々語弊がある。

 

 同じ“外”であっても大きな違い。

 キヴォトスという箱庭の外界ではなく。

 

 桐藤ナズサの持つ外の意味は──別宇宙、別次元、またはパラレルワールドといった類だった。

 

 実在はするが観測は決して出来ない外側。

 

 つまりは桐藤ナズサは、我々ゲマトリアがいずれ打破すべき『狂気』その一端でもある。

 

 

 外の存在といっても、それがキヴォトスにどのような影響を齎すかはその後の当人次第だ。

 

 しかし彼女は──彼女達は違う。

 

 神秘と奇跡の絶妙なバランスの上で成り立っているこの世界で、存在するだけで全てを滅ぼすに値する力を秘めている。

 

 勿論最初は信じられなかった。

 

 何より矛盾点が多すぎる。

 

 まず第一に奴らは自らこの世界を観測し、干渉出来ない。正確には可能であるが、それは砂漠の中から一本の針を見つけるようなもの。

 

 次に奴らは解釈されず、理解されず、疎通されずが基本的な本質であり──だが今のナズサはどうか?そんなものとは無縁の生徒になっている。

 

 そうだ、生徒だ。

 桐藤ナズサは生徒として、神秘と恐怖を兼ね備えている。

 不可思議、不可解な──反転とも違う現象。

 

 それらから考えられることは一つだった。

 

 桐藤ナズサはなんらかの要因で外側からキヴォトスに漂着した。そして本来ならばそのまま世界を滅ぼす厄災と成っている筈だったのだが、それは違った。

 何を思ったのか、どのような理論を用いてなのか全くもって不明だが、キヴォトスという箱庭に自身が生徒として変質することで適応し共存したのだ。

 

 研究者としてこれ程敗北的に感じ、好奇心と興味を唆られる事はないだろう。

 

 だがまだ掟を破るまでには至らない。

 

 トドメとなった決め手。

 それはナズサがベアトリーチェの実験台として──崇高への試作として利用していたのだ。

 

 黒服はそこで初めてベアトリーチェの計画の全貌を察知した。

 

 “色彩”

 ソレもまた外側の存在であり、神秘を恐怖へと反転させる性質を持つ。

 

 ベアトリーチェはソレを利用することで崇高へと辿り着けると考えたらしい。

 

 それはまだいい。彼女の計画に口出しすることはしない。

 

 だが桐藤ナズサと色彩の接触、これは看過することは出来なかった。

 

 元外側の存在からキヴォトスの生徒として在り方を歪曲、そこにまた別の外側の狂気──それもキヴォトスの生徒の特効とも言える色彩のトッピング。

 

 目には目を歯には歯を、狂気には狂気を。蠱毒、闇鍋……もはや桐藤ナズサに相応しい表現は残っていなかった。

 

 もはや規模はキヴォトスだけに留まらない。

 この星すらも破壊し尽くすに足る地雷と化していた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「つまり私を助ける為にスカウトに来たと?」

 

 相変わらず眼を輝かせたままのナズサが、小首を傾げ黒服が話した内容を纏める。

 

「はい、もちろん貴方の大切な人はしっかりと保護させて貰いますよ。それも貴方の管理下で」

 

 ────しかしナズサは今にも暴発する地雷かと問われれば、そうでは無いのも事実だった。

 

 更にナズサの力は余りにも唯一無二であった。余りにも歪であり、尚も適応し続ける彼女だからこそ可能な荒業。

 通すべき筋を倫理を因果を理を、改竄し上書きし捻じ曲げ破り正面から堂々と突き通す。なんなら新たなレールすらも造ることが可能。

 

 我々(ゲマトリア)は、常日頃から敷かれたレールの上で小賢しく狡猾にグレーゾーンを攻める“大人のやり方”を得意としている。

 確かに悪と言えるだろう。ありとあらゆる姑息な手段を用いてルールの穴を掻い潜り、純朴な少女達を騙し誑かし陥れるそれは邪道であり非道だろう。

 ただそれは()()であっても()()()ではない。

 

 何よりもここ最近ナズサの行動を監視し、ベアトリーチェに付き従う理由を詮索した結果。どうやら本人は自身が何者であり、何を秘めているのか自覚していないようだった。

 

 故に見極める必要があった。

 桐藤ナズサは我々、ひいてはキヴォトスにおいての災禍となるか、それとも福音となるのかを。

 

 そしてあわよくば────

 

「それに貴方の身体はかなり危険な状態です。このまま進み続ければいずれは命さえも失ってしまう可能性があります」

 

「まぁ私の身体のこと私以上に知ってますもんね!」

 

「…………」

 

 ここ笑うところですよ。と全く笑えないブラックジョークを笑顔で飛ばすナズサ。そこを突かれると少々耳が痛い。

 

 だがこのまま進めば命を落とす。それは決して嘘ではなかった。

 不眠不休で馬車馬の如く働く彼女を()()()為、ナズサ専用にと投与させているベアトリーチェ謹製の薬。

 

 勿論唯の栄養剤などではなく、いわばドーピングのようなものである。

 

 それを過剰な──ただでさえ歪な彼女へ腕に痕が残る程接種しているが、現状彼女の身体に大きな異常は見当たらない。

 ただしこのまま続けていけば、いずれ命の危険を伴う“可能性”は確かにあるのだ。それにナズサの身体が別の意味で“危険”なことに変わりはなく、嘘は決して言っていない。

 

 軽い脅しに近いもの。

 しかしナズサが紡いだ言葉は思惑に反したものだった。

 

「ごめんなさい。お言葉は嬉しいですが丁重にお断りさせてもらいます」

 

「……理由をお聞きしても?」

 

 ナズサの返答に黒服は眼……と思われる部分を細める。

 

「……これはとっても大切なことなんですが黒服さん、貴方は大きな勘違いをしています」

 

「勘違い?」

 

 まさかの言葉に思わずオウム返しをする黒服。

 それに頷いたナズサは人差し指を立てた。

 

「私は……現状がさいっっっこうに愉しくて満足しているんですよ」

 

 瞬間、鳥肌が総毛立った。

 突如として、これまでのナズサが見せてきた無邪気な笑みとは一変。ニタァと表現するのが正しい、愉悦と喜悦と邪悪に満ちた笑みへ切り替わる。

 

「はい……?」

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 大好きなこの世界。

 その妙な言い回しの意味を反芻した黒服は、自身がとんでもない思い違いをしており、最悪の事態であることを悟った。

 

 

 

 桐藤ナズサは己の存在を自覚し理解していた。

 

 

 

「あらゆる神秘があって、あらゆる奇跡があって、あらゆる愛があって、あらゆる青春があって、あらゆる感情があって……」

 

 

 

 ゆっくりと、しかし嫌に耳に残り、着実に蝕んでいく語りから始まった。

 

 

 

「シャーレが連邦生徒会がアビドスがトリニティがゲヘナがミレニアムがアリウスが山海経が百鬼夜行がレッドウィンターがSRTがヴァルキューレがクロノスがゲマトリアがヘルメット団がカイザーが土が風が海が空が宙があって!!!」

 

 

 

 ヒートアップしてくナズサは両手で身を抱き抱え震え始める。その眼は既に焦点が合っておらず、昏い狂気が渦巻いていた。

 

 

 

隣にはお姉ちゃんが! 大好きなナギサ様とミカが居て! フヒッ、ふふふ、あははははは!! 大好きで、大好きな、大好きなんですよォ!! この世界に生まれて幸せで幸せで幸せで……

 

 

 

 成程。と本性を現し始めたナズサに臆することなく観察していた黒服は、彼女の根本……その狂気の一端を理解する。

 外側の存在でありながら色彩とは違いこのキヴォトスという箱庭を、愛おしく想っている。それが少々強すぎるだけで、ただ在るだけで破滅に導くようなものではない。

 

「ですがこのままでは、恐らく貴方はそれらを全て失い、二度とその眼で視ることが叶わなくなりますよ」

 

 ならばまだ彼女の手を取れる道筋が残っている。

 

 しかし一拍置いて続けたナズサに、黒服は彼女が所詮は狂気であると理解(わから)させられた。

 

 

 

「……でもね黒服さん、私が一番見たいのはね」

 

 

 

 それこそが彼女の本質であった。

 

 

 

「冷静沈着で厳然としていて優雅な仕草から近寄りがたくて、器用な筈なのに不器用な面もあって、そして厳しくもとっても優しくて美麗で清廉な大好きなお姉ちゃんがね」

 

 

 

 

 

 

「埃と曇天と炎が舞う青春とはかけ離れた絶望の谷へぶち落とされて、裏切られて、砂煙と涙でぐちゃぐちゃに歪めた大好きなお姉ちゃんのご尊顔なんです」

 

 

 

 

 

 

 ばさばさと両翼を激しく扇ぐ音が、けたたましく響く。ねっとりとした口調で()()()を一回。

 

 

「──っあはっ! ふひひ、フヒュ……はぁはぁ……」 

 

 

「──────」

 

 絶句。

 声が出てこないとは正にこの事だった。

 

 世界の美しさと尊さを、大好きな人を理解し語っておきながら、それら全てを壊したい絶望させたいという酷く歪で醜悪な精神破綻さ。

 挙句の果てそれらに性的興奮を覚え、語りだけで眼前に人が居るのにも関わらず()するなど。

 

 いっそベアトリーチェへ同情の念すら湧いてきた。

 彼女もまさか自分の計画が、こんな願望の為に利用されているなど露程にも思っていないだろう。

 

「………………」

 

 少々気が落ち着いたのか、身を抱えたまま顔をテーブルへと俯かせたまま固まるナズサ。

 

 そんな姿に黒服は完全に取引を諦めていた。

 本人が言った通り『現状を愉しみ、満足している』のだ。本能で動いてる現在のナズサは梃子でも動かない。

 

 更に厄介なのがナズサは現在、本質たる狂気を哀れな姉へ向けているが、それがいつかはこのキヴォトス全体へと向けていく可能性が大いにある。

 

 つまりナズサに対する対応策を早急に講じる必要性が出てきた。この神秘が溢れる箱庭を我々は失う訳にはいかない。

 

 

 

 ────確かにこのままでは彼女は厄災のままであっただろう。きっと黒服とも袂を分けていた。

 

 

 

 しかし忘れてはならない。

 

 

 

 同時に桐藤ナズサはキヴォトスの生徒でもあることを。

 

 

 

 

「そして信じているんです、先生を」

 

 

 

 唐突に、キヴォトスにおいても、黒服にとっても特別な意味を持つその名称が飛び出る。

 

 (まさか、先生も狂愛の対象に……!?)

 

 身構える黒服だったが、それは杞憂に終わった。

 

「先生、ですか?」

 

 恐る恐る、なるべく刺激しないよう穏便に尋ねる。

 

 

 すると黒服の返事をどこか嬉しそうに受け取ったナズサは、先の邪悪さに満ちた様相とは一変。まるで恋焦がれる少女のように手を握り合わせた。

 

 

 

「……はい。地獄の真っ只中に放り込まれた全ての生徒たちを、我武者羅に突き進み、隣で励まし支え時に叱り、大切なものをがんがんと拾い上げ、汚泥の沼に囚われたら掬い上げ、臆し踏み出せないならば優しく送りだして、常に灯火として導きとなる」

 

 

 

 噛み締めるように、想い人を謳うように。

 

 

 

「疑心、疑念、憤怒、怨嗟が跳梁跋扈する絶望の淵からでも生徒と心を通わせ、一緒に曇る昏き闇を切り開き、眼を覆う程の、しかして決して見離すことは出来ない透き通るような奇跡へ、ハッピーエンドへと昇華させていく青春の物語(ブルアカ)を」

 

 

 

 望んでいるのはハッピーエンド。

 それも彼女の個人的な解釈としてではなく、キヴォトス全ての生徒たち、大切な姉である桐藤ナギサ、そして先生にとっての結末だった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 黒服はナズサを手中に収める目論見は破棄し、また敵対する意思も消え失せ──彼女の行く末を見届ける選択肢を取ることにした。

 

 半分は先生へ寄せている一方通行の信頼から…………もう半分はナズサの“友達”として。

 

 

 

 

 

 それは『今回持ち掛けた話は無かったことにしてください』と、ナズサとの交渉を切り上げ退散しようとした時のこと。

 

「あ、待ってくださいよォ……まだ私のお話を聞いてないじゃないですかぁ……」

 

 興奮冷めやまらぬといった口調のまま、席を立とうとした黒服を引き留めたナズサ。

 そういえばと、会合時のナズサの言葉を思い出し椅子に座り直しながら、失礼しました、と一言置いて『それで一体どのような?』と尋ねると、ナズサは身を乗り出し右手を差し出してきた。

 

「私と、友達になってくれませんか?」

 

 ただただ純粋な好意、一周回って最初に見せていた無邪気な笑顔が帰ってきた。

 

 友達……ともだち。

 勿論言葉の意味としては知っている。しかしナズサの言っている意味が分からない。どうしてこの流れでそうなるのかと。

 

「今更なんですが、貴方達生徒から見て私がどのような存在かご存知ですよね?」

 

「はい」

 

 即答。

 だが決して適当な返事ではない。彼女は正しく理解している。何せ目の前で大人の餌食となっている子どもを見ているのだから。

 

「だからなんですか?」

 

 そして切って捨ててみせた。

 

「ええそうでしょう。きっとこの世界では先生がああ(主人公)である限り、貴方たちがそう(悪役)であり続けるのでしょう」

 

 侮辱とも受け取れるナズサの言葉。しかし黒服は不快感を覚えるどころか、彼──ゴルコンダと似ている()りに既視感を感じていた。

 

「それが友達になってはいけない理由であると? そんなもの、私にとってはわだかまりにすらなりません」

 

 理解していて尚も変わらず、友好を深めたいと、屈託のない見惚れてしまいそうなほどに美しい笑顔で、隣人と手を取り合うように手を差し伸べる。

 

「それに私たち、一つ共通点があるじゃないですか」

 

「共通点?」

 

 年相応の得意げな表情になり、悪戯をしかける子どものように黒服の眼前へ迫った。

 

「暁のホルス」

 

「────」

 

 小鳥遊ホシノを冠する二つ名。しかし現在そう呼んでいるのは黒服だけであり、しかも一切の関わりを持たないナズサが何故それを知っている。

 

「──に纏わる事件で……さっき語ったモノ──黒服さんも直接見る……どころか体験しましたよね? そして見入ってしまった。先生の“輝き”を」

 

 そこでナズサに抱えていた違和感が腑に落ちた。

 

 どうして彼女はあそこまで先生を信じられるのか。まだ先生が秘めている力を視ていない筈の彼女が。

 

「……桐藤ナズサさん、貴方は一体どこまで()っているんですか?」

 

 黒服が問いた瞬間、世界がやけに静かになった。風が囁く音のみが場を支配する。

 

「……私には絶対に許せないものが三つあります」

 

 するとナズサは突然立ち上がり、呑気に伸びをしてから口を開き始めた。

 

 

 

「一つはこの青春の物語(ブルアカ)のバッドエンド」

 

 

 

「一つは百合の間に挟まる男」

 

 

 

「最後の一つは────」

 

 

 

 夕陽を背景に蠱惑的に口端を吊り上げ、口元に人差し指を立てる。

 

 

 

 

 

「ネ タ バ レ です」

 

 

 

 

「あぁ、やはり貴方はどうしようもなく歪んでいる……」

 

 

 少女は全てを識り、狂愛している。

 そこに善も悪も関係ない。

 

 その豪胆さ──いっそ生意気とも言える傲慢さが、桐藤ナズサという存在だった。

 

 

 





ナズサ『あの〜今更ながら、どうかこの事は内密に……」

黒服「クックックッ、勿論です。”友達”の夢を邪魔する不粋な真似は致しません」

ナズサ「黒服……!」



評価、感想、ブグマ、誤字脱字報告ありがとうございます。

なんかどんどん存在しない記憶見てる人増えてない?大丈夫?もしかしてこの小説ってそういったヤバい作用でもあるの?



tip!

ナズサはタイトルコール時、『ブルア……ブルーアーカイブ!』と略称を言いかけている。




『それなりに楽しかったですよ、ナギサ様との姉妹ごっこ』の言い方に関してなのですが自分の中でも、恐らく感想欄の中でもヒフミの伝言()みたいに『あはは……(後略』と静かに名乗り上げるのと、『あはは!!(後略』と狂ったように思いっきし大爆笑しながらの告白の二つに別れていると思うんですよ。

自分も悩んでいて一応両パターンとも思い浮かんではいるんですが、良かったら皆さんはどっち派かアンケートでお答えください。

P.S.あくまでも参考なのでご了承ください。




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一歩、先

 

 

 

 

 

 クーデターを仕掛けた主犯格として補習授業部達に立ち塞がり、そして敗れた聖園ミカはシスターフッドによって捕らえられ、正義実現委員会との尋問を経た末トリニティ内に設置されている拘置所へ軟禁されていた。

 

 しかし拘置所と言っても、ベッドや個室の手洗い場はもちろんのこと。シャワーや洗面台、テレビやソファなどイメージされるような独房とはほど遠い……ホテルの一室、それも極上のスイートルームと見間違えてもなんら不思議ではない豪奢な部屋であった。

 

 その上ミカ本人が囚われていることをまるで気にする素振りも見せず、看守へ小間使いの如く注文を付けて完全に軟禁生活を満喫しており……寧ろ以前よりも無理難題な注文が増えているがそれは置いておいて。あらゆる訪問者との面会ものらりくらりと躱し……その心中は考慮せず、生活だけの点で見れば充実はしていた。

 

 

 

 だがこの日……ここでの生活で軟禁されてから初めて、ミカは苦虫を噛み潰したような苦悶の表情を浮かべていた。

 

 

 

「はぁい。なんだか久しぶりだね、ミカちゃん」

 

「………………」

 

 

 僅かな怒気が含まれた視線の先には……ネズミ一匹も入れない程に厳重に警備されている拘置所に、さながらスパイ映画の如く換気扇を突き破り侵入してきた下手人──ひらひらと手を振る桐藤ナズサだった。

 

 既に深夜の時間帯、妙な物音に目を覚ましたら格子越しの天井から降ってきた親友。驚きはしたものの、付き合いの長さからこうして無茶な行動に理解は及んだ。

 

 しかし今のこの状況は決して普段の()()で行っていいことではない。

 

「どうして、ナズちゃんがここにいるのかな……」

 

 様々な葛藤と困惑と負い目、そして悪戯な笑顔を浮かべるナズサへの安堵と怒りに声が震える。

 

「そりゃ、不法侵入したからね」

 

 そんなミカに気付いているのかいないのか、悪びれる様子もなく至極当然の事実を述べるように肩を竦めるナズサ。

 

 飄々とした態度はわざとなのか、それとも現状の立場を把握できていないのか。いやしかし、ナズサはそんな頭が回らない人ではなく────ふつふつと苛立ちが募っていく。

 

「……もう夜遅いじゃん、迷惑なんだけど」

 

「ごめんね? さすがに警備が厳しくってさ、この時間じゃないと無理だったんだよぉ」

 

 ぶっきらぼうにあしらい冷たく突き放すミカ。しかし相も変わらずナズサは、たははと笑い普段の軽口へと持っていく。

 

「……そもそも私、面会拒否にしてたんだけど」

 

 今度は濁すことなくハッキリとナズサを拒否する。ミカ自身がナズサと顔を合わせたくないのだと。

 ナギサやセイア、アズサや補習授業部の面々。多くの方面への罪悪感と自己嫌悪の中でも、特に負い目を感じていた先生とナズサには面会拒否を告げていた。

 

 

「そうだよー、心配だったんだよ? ミカちゃん────」

 

 

───っ、なんでっ!!

 

 

 怒声と共に鉄格子を鳴らし、ナズサの言葉を遮る。向けるミカの視線は鋭く、今にも掴みかからんとする勢いだった。

 

「ミ、カちゃ……」

 

 親友のこれまで見たことも向けられたともない感情に、ついに流石のナズサも息詰まり狼狽えていた。

 

「……なんで来たの? 意味が……分かんない、ナズちゃんは被害者で……私なんか放っておけば……」

 

 言いたいことは沢山あるのに言葉が詰まる。これ以上巻き込みたくない、大人しくしていてほしい。自分なんか見捨てて欲しい。でもこうして心配して会いに来てくれていることに、喜んでいる自分が居るのも確かだった。

 

 身勝手で我儘な矛盾。覚悟は決まっている筈なのに、やっぱり────そして更に膨らんでいく自己嫌悪。

 

「あの時だって、ナズちゃんはいっつもそう! どうして……」

 

 

 

 ───私を憎んでくれないの?

 

 

 

「もう、帰って」

 

 乱雑にナズサへと突き付ける拒否。ミカは俯くことしか出来なかった。

 

 

 別にこんな格子を破ることなど、ミカにとっては造作もない。

 しかし決してそれを行うことは出来ない。許されない。

 

 隔てられた先に居るナズサへ言葉を交わすこともその手に触れることも、彼女の視界に入ることも禁忌として戒めるように。

 誰にでも暖かく照らしてくれる太陽を、これ以上穢して曇らせてしまわないように。

 

 

「……そっか。分かった、今日は帰るね。いきなり来てごめん」

 

「……っ」

 

 しゅんと萎れたナズサの声音に、自身が突き放したにも関わらず歯噛みしてしまう。

 

 だけどこれで良い、これが正しい────

 

「でも」

 

 隔てた先からの伸ばされた両手が、格子を握り締めるミカの拳を包み込む。

 

「私は絶対に諦めないし、放っておくなんてもってのほかだから」

 

 その手を振りほどくことはできず、そして自然とナズサが紡ぐ言葉に……その瞳を見入ってしまう。

 

「だって私は……ううん、私()知ってるから」

 

「なに、が…………」

 

 琥珀色の瞳に湛えられていたのは憐憫や同情ではく真っ直ぐに真剣な、何処までも透き通っている純粋な想いだった。

 

 

 

「確かに少しワガママな一面もあって、それに振り回されたりコイツーってムカついて喧嘩したりもするけど」

 

 

 

「でも短慮であってもその裏には必ずどこまでも純粋な優しさがあって、こうやって空回りしたら自分を責めちゃう良い子だって知ってるから」

 

 

 

「だからミカちゃんなら何度だってやり直せる」

 

 

 

 その言葉をどこかで望んでいた。

 いつもそうだった。ナズサはいつも欲しい言葉を投げかけてくれてた。そしてそれは“あの人”も同じだった。だからミカは────

 

「無理、だよ……あんな最低なことをした、みんなからの嫌われ者の魔女が許されていい訳ないじゃん……」

 

 しかしそれでもミカは自分を許せない。認めることができない。

 包み込まれた両手を──鉄格子からゆっくりと離れ、暖かい陽光から逃げるように目を伏せる。

 

 

 友を殺そうとし、その姉も殺そうとした。周りを騙して陥れた最悪の魔女なのだから。

 

 

 そんなミカの懺悔……いや自傷を余すことなく正面から受け止めたナズサは、一度()()()()()ように目を瞑り、そして悲しげな笑みを浮かべた。

 

「……まぁこれ以上は()()ってやつかな」

 

 紡がれた言葉には、決してミカを諦めない意思の固さと……それとは別の絶望的な諦観が混在していた。

 

 そのちぐはぐな違和感を、ミカは確かにこの時感じることができたのだが、心の余裕の無さと気まずさに押され、口に出すことが出来なかった。

 ふと表れたあの諦観が何処へ、一体誰に向けられたものだったのか。この時ナズサがどれだけ傷付き抉られていたのか気付けたのならば、もしかしたら惨劇は回避出来たのかもしれない。

 

 

「……あ、それとミカちゃんにこれを預かっていて欲しいんだ」

 

 と突然、空気を払拭するようにわざとらしくトーンを上げたナズサは、首にかけていたカメラを差し出す。

 ミカやナギサと出掛けた時には必ず持ち歩いている一眼レフの上物。ついこの間、赤面したミカを激写した因縁の一品。

 

 胸元へ押し付けられたカメラを落とすわけにもいかず自然と受け取ってしまうミカ。突然の行動に疑問符しか浮かばなかったが、「お願い」と必死に懇願されはぐらかされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 一週間。

 それは三日に一度は食料や飲み物、嗜好品を抱えてアジトに突撃してきていたナズサが来なかった期間だ。

 

(ナズサちゃん大丈夫かな……)

 

 ベアトリーチェの呼び出しにアリウス自治区の離れにあるバシリカへ足を運ばせながら、アツコはここ最近訪れないトリニティの生徒を気にかけていた。

 

 

 ベアトリーチェ──マダムが突然引き入れたもう一人のロイヤルブラッド、桐藤ナズサ。

 

 

 ある日突然やってきたトリニティの生徒。彼女はアリウススクワッドに小さな幸せを運んできた。それは誰もが享受して当たり前のものであったが────しかしこの閉じ切ってしまい、困窮にあえぎ明日の食料を食い繋ぐのに精一杯だった世界(アリウス)では、なによりも困難なささやかで贅沢な幸せだった。

 

 なにより決して押しつけがましいものでなく、そこには所属する学校も過去の因縁も一切の介入の余地がない、メンバー全員それぞれの近すぎず遠すぎない適切な距離感で接しており、ナズサ自身がみんなと関わりたいという誠実さが表れていた。

 

 

 そんな定期的に必ず訪れていたナズサがぱったり急に来なくなった。エデン条約が間近へ迫ったこの時期に。

 

 

 

 市街地を抜けると背の低い草が並ぶ広々とした空き地へ出る。その中心には堂々と佇む聖堂。マダムに見初められた者のみが、立ち入ることを許されるバシリカへ辿り着く。

 

 深淵へと誘う巨大な扉は大きく口を開けており、慣れた足取りでアツコは講堂内へと入っていく。

 

 見上げる程の天井には皮肉なほどに眩い光が降り注ぎ、大理石の柱が何本も連なる姿は一見すれば大聖堂の有様だった。

 しかしふと、講堂内に雷鳴のような異音が轟くと同時に────しばらくすると焼き付くような焦げた匂いがアツコの鼻腔に届いた。

 

(これは……?)

 

 それは呼び出し人であるマダムが位置する最奥から漂って来ており、嫌な予感と焦燥感に駆られたアツコは自然と早歩きになっていく。

 

 

 一歩一歩進む度に重くなる気配を乗り越えて抜けた先に在ったのは────

 

 

「────ナズサ、これはあなたの軽率な行動が招いた結果ですよ」

 

 それはそれは心底残念そうに呟く、この地の絶対的な支配者である、毒のように禍々しい鮮血の大人に。

 

「あ、う、ぐぅぇ……」

 

 陽だまりのような底抜けな明るさを放つ少女が、見る影もなく漏れる嗚咽を必死に抑え、肌をさらけ出して小さく跪く姿だった。

 

 そして先程の異様な匂いは────丸く蹲るナズサから、じゅわじゅわと焼き付き薄い煙を上げているものからだった。

 

(あれは……そんな……!?)

 

 だがそれ以上の……はだけた背中から、ナズサの笑顔の裏に隠されていた衝撃的な事実が襲う。

 仮面越しのアツコの顔が歪み、声が出ないとは正にこのことだった。

 

「常々、あなたの一挙手一投足に姉と親友の運命がかかっていることをゆめゆめ忘れないように」

 

「は、い……申し訳ございません」

 

 深々と地に頭を付ける勢いで、謝罪の言葉を拙く発した彼女の表情は誰も知らない。

 

 

 

 



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エデン条約調印式

 

 

 

 

 

 遂に辿り着いたエデン条約当日。

 空は歩み寄る両校を祝福するが如く雲一つない快晴であった。

 

 カーテンの合間を縫って差し込んだ陽光と枕元のアラームが響き、モゾモゾと布団の中でうごめき寝ぼけ眼を擦りながら起き上がるナギサ。

 その姿はティーパーティーの重役として決して人前に晒してはいけない体たらくであったが、ここにはそれを咎める者は誰一人居ない。

 

 天蓋付きのキングサイズベッドにちょこんと鎮座するナギサ。ティーパーティーの重役となってからはあまり家に帰宅することはなく、与えられた部屋で泊まり込むのが日常となりつつあった。

 

「…………」

 

 いつからだろうか、ベッドの領土を奪い合わなくなったのは。()()()にと用意したこの広さの本領は、結局ただ一度として発揮される機会は訪れなかった。

 

 それは当たり前の成長である筈なのに……と、僅かな物寂しさを意識したとたん妙な気恥ずかしさに襲われ、衝動的に洗面台へと赴き振り落とすように冷水をぶっかけた。

 

 

 

 洗顔を済ませ寝間着のままリビングへ出るとそこには……未だに見慣れない給仕服に身を包み、ワゴンに並べられた朝食を配膳をするナズサの姿があった。

 

「あっ……」

 

 ナギサの起床に気付いたナズサが可細い声を上げた。

 目を合わせたまま無言が続く。外からちゅんちゅんと鳴く鳥の鳴き声が、やけにうるさく感じた。

 

「……おはようございます」

 

 3回目の鳴き声が聞こえると同時に、一切の気まずさを感じさせない所作で恭しく一礼をし挨拶をするナズサ。

 一瞬粗相があったものの、それは付き人として散々注意してきたあるべき理想の姿であった。しかしナギサは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、深々と頭を下げるナズサを素通りして席に着いた。

 

 

 本来ならば付き人であるナズサは、主であるナギサの食事が済むまでは自身の食事を控えるのが通例であるが、ナズサはそんなことお構いなしにと毎朝一緒に朝食を摂っていた。

 それはトリニティの生徒として────ティーパーティーとしてのしきたりを重んじ、しょっちゅう叱りつけてくるナギサに正面切って喧嘩を売るような行為であったが……この毎朝の営みだけは一度たりとも小言を貰うことは無かった。

 

 ナズサの言葉に静かに頷き、時に返しながら進む一日の始まりを感じさせる少し騒がしくて暖かい朝。そんな何気ない日常の1ページから、ナギサはどれだけの英気を養っていたのか知らなかった。

 

 

 

 ────カチャカチャ、とナギサによるホローウェアとカトラリーの心地よい音色のみが場に流れる。椅子に着き純白のテーブルクロスの上に並ぶ食事達を口に運んでいるのは、ただ一人だけ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ナズサは部屋の隅で瞼を閉じ、静謐にナギサの食事の終わりを待機する。二人の間に会話は生まれない。そこに在るのは姉妹ではなく主と従者だった。

 だがそれは至って当たり前のことだ。ここではこれが伝統であり普通だから。ナギサもそれを重々承知していた。なのにいつまでも自由奔放な二人組に何度も何度も言い聞かせて、それでも中々に正そうとしないナズサとミカに辟易して────しかし結局残っていたのは居心地の悪さだけだった。

 

 

 食事を終えたナギサは身支度へと入る。時間はまだまだ余裕があったが備えあれば憂いなし。それに今日はトリニティにとって……ナギサにとっても重大な日だ。普段よりも更に身なりに時間を割く必要がある。

 

 とは言っても特別なことはしない。だが問題があった。

 事前にクリーニングへ出していたビニール袋に包まれている生徒会(ティーパーティー)専用の制服に袖を通し、左の襟にカップの紋章が入ったバッジを付ける。姿見で皺の有無や羽の付け根などを確認したら、ヘアスタイリングの為に化粧台の前に控えているナズサの元へ……。

 

「…………」

 

 すっすっ、と櫛で髪を梳いていく。あのクーデター以降二人の間には険悪とまではいかずとも気まずい空気が流れており、こうして鏡の前で密着し女の命とも言われている髪を触らしているも、二人の距離は離れていた。

 

 ナギサは妹と幼馴染の裏切りに……ただただショックであり、そして怒っていた。

 不安に駆られていた自分にかけてくれてた言葉は嘘だったのか、どうして一度足りとも自分に相談してくれなかったのか。なにか一言でも言ってくれれば────

 

 

『どう足掻いたって私たちは所詮、他人ですから』

 

『私たちは他人だから……ね、分かるわけないじゃん?』

 

 

 しかし過去に先生へ向けた言葉、そして懲罰房の先で放ったミカの言葉が突き刺さる。誰よりも人を疑い、友を裏切り、あまつさえ無辜の生徒までも陥れたのに自分が後ろ指を差していた。

 痛くて、悲しくて……悔しい。行き場のない怒り、踏み出せなかった後悔が悶々と頭の中を駆け巡る。そしてこれは子供のような意地ではあるが、今まで反省したら素直に謝っていたナズサが全く謝らないことが……気に食わなかった。

 

 そういった要因が絡み合い、こうして意固地になってしまったナギサは他の付き人にする選択肢もありながらナズサを付け、微妙な雰囲気のまま毎朝を過ごし今に至る。

 

 

「終わっ……終わりました」

 

 最終工程である花飾りが施されたカチューシャをそっと被せ、ナズサが終了を告げたことで負の濁流から引き上げられたナギサ。姿見に映っていたのは朝起きた時とはまるで別人、完璧に仕立てあげられたティーパーティー桐藤ナギサの姿があった。

 

 だがナギサの目に映るのは、後ろに佇むナズサ。

 相も変わらぬ所作と固い声音のナズサへ不満が溜まっていく……ナギサはただ一言────

 

 その時、鏡越しではあるものの久しく見ていなかったナズサの表情を見た。

 

 映っていたのは……昔からなんら変わらないナギサ()に叱られて、罪悪感に苛まれた年相応の子供()の顔だった。

 

 ────ああもう、やめです。

 

 その瞬間、張っていた頑固も意地の悪さも一気に吹っ切れどうでもよくなった。

 

「ナズサ、少しそこに座りなさい」

 

「……え?」

 

 突然話しかけられたナズサは全く知らない言語で声をかけられたかのように、目をぱちくりと瞬きさせて固まる。すると数秒、ナギサの言葉の意味を理解すると今までの厳かな所作は何処へ。ショッピングモールで迷子になった子供のように困惑した顔を浮かべ狼狽えはじめる。

 

 そんな姿に焦れったくなったナギサは、「時間が少ないので早く」と急かし保護者のように手を引きながら鏡の前へナズサを着席させた。

 

「あ、えっと……」

 

 そして相変わらず自分で整えるのは苦手なのか。若干バランスの悪いお団子を解き、まずはナズサから取り上げた櫛で髪を梳いていく。鏡には相も変わらず鳩が豆鉄砲を食らったような、呆け顔のナズサがでかでかと映っていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 とはいってもいざ行動に移してみたが、焼き直しかのごとくお揃いのブロンドが櫛と指の間を液体のようにすり抜けていく音だけが流れていく。(ナギサ)(ナズサ)のことに関してだけはどこまでも不器用だった。

 更にナズサの髪を10年以上に渡って結んできたナギサは、あまりにも慣れた手付きで無意識のうちにリボンを巻き付け、あっという間にセットアップ完了。唐突に空気を無視して髪を結びあげた奇行と言ったところに着地してしまった。立場逆転。今度はナギサが狼狽える番となり、より一層目を覆いたくなる空気と化して────

 

「ふふっ……」

 

 鈴の鳴るような、思わずこぼれた笑いが一気に払拭した。

 

「ナズサ……?」

 

 ゆっくりと頭越しから鏡を見やると、四隅に咲く花のよう淑やかに微笑むナズサがいた。

 

「いや……こうしてお姉ちゃんに結んで貰うの久しぶりだなって」

 

 言われてみれば確かにそうだった。幼い頃は毎朝髪を結んでいたが中学、高校と進級する毎にその頻度は減っていき、ナズサがティーパーティーの一員となってからは一度も無かった。

 だが、それでも変わらないものがあった。それは同じ髪型なのにいつも飽きず嬉しそうに微笑みながら結ばれた髪を撫で────

 

「お姉ちゃん、ありがとう。大好きだよ

 

 決まって真っ直ぐ屈託のない笑みを向ける。普段なら適当にあしらっていただけだったが、様々な事件を経て緊張が高まりつつあった今日、そしてナズサのその表情を引き出せた安堵と自負から恥ずかしさに襲われたナギサは、咳払いをして話を切り上げ纏めた荷物を手に足早に扉へ手をかけた。

 

 失ってしまったものもある。未だ山積みになっている問題もある。これから沢山の壁が立ち塞がるだろう。

 それでもナズサはナズサのままであって、彼女が隣にいる限り何度だって進んでいけるはずだ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 豪奢なファンファーレが鳴り響く。三大学園としても、長い犬猿の仲の歴史があることでも有名な両校の歩み寄りは、キヴォトス全土から注目の的であった。そのため両校の生徒だけに留まらず、歴史的な瞬間を一目見ようと押し寄せた野次馬、クロノススクールを含めた大量の報道陣がごった返しており、両校の代表として選抜されて生徒達が睨み合う一触即発な空気も相まって、調印式の場である通功の古聖堂にはこれ以上ない程の熱が支配していた。

 

 通功の古聖堂は第一回公会議が行われ、過去にはそこで定められた戒律を厳守する「ユスティナ聖徒会」が守り続けていた地でありトリニティ自治区に当たる為、必然的にトリニティの生徒達が現地に先入りしてゲヘナの主要人物達を出迎える形となっていた。

 

 

 

 平和の為の式典ではあるが、それでも両校の確執は早々に無くなるものではない。聖堂内で待機しているトリニティの正義実現委員会とゲヘナの風紀委員会が、お互いの銃を抜こうとする場面が何度も起きた。だが勿論、全員がそういった敵意を抱いていないのもまた事実であり、問題が起きそうならばシスターフッドのヒナタや正義実現委員会のツルギ、そしてこの調印式のキーパーソンと言っても過言ではない先生が率先して制止していた。

 

 

 ツルギによって少し場の熱が冷え落ち着きを取り戻したので、この機会にと先生はヒナタに古聖堂を案内してもらっていた。

 この古聖堂は元々廃墟であり、今回の調印式を機に大々的な修理が行われたこと。噂ではあるが古聖堂の地下には大規模なカタコンベが存在すること。その昔、ここで設けられた戒律を神聖視する守護者、破ったものに罰を与える武力集団────シスターフッドの前身であるユスティナ聖徒会なるものが存在していたこと。どれも興味を引き立てられるものばかりだった。

 

 

「あれ? ナギサさん、お早いですね」

 

「あら、ヒナタさん。それに先生も」

 

 偶然にも、予定よりも早く到着したのか同じように聖堂内を歩いているナギサとばったり会った。そのまままだ時間が余っていたので三人で、歩幅を合わせてゆっくりと歩く。

 

 そして道中、先生はナズサから頼まれた旨を悪戯気に笑みを浮かべてナギサに伝えると、若干頬を赤らめここには来られない妹に文句を垂らしつつ、それでもそんなナズサの思いにも報いる為にと改めて引き締めるナギサを見て、この姉妹は本当にお互いのことを想い合っているんだと改めて先生はそう思った。

 

「……やっぱりお優しいですよね、ナズサさん。私も何度か喋りましたが、とても物腰柔らかな方でした」

 

「え、もしかしてヒナタはナズサと絡みがあるの?」

 

 と、まさかの繋がりに先生が訊くと少し歯切れ悪くヒナタは言う。

 

「あ、えぇ、まぁ、その…………何度かシスターフッドの教会に忍びこんで来て、その時に……」

 

「…………」

 

 先程までの暖かい雰囲気は霧散し、一気に眉間に皺が寄るナギサ。どうやらヒナタの温情で見逃されていたらしく初耳だった。

 

「……ヒナタさん、それミカさんも同行してました?」

 

「? いえ、ナズサさんだけでしたよ?」

 

 青筋を立てながらも、至って平常に訊ねる。だが想定していた最悪の回答は免れたことで胸をなでおろすナギサ。いや次期ティーパーティー候補であったナズサも十分問題ではあるが、現役のミカがやっていたら更に大問題だった。なんなら二人セットだったら超大問題だった。まぁどっちにしろ帰ったら説教コースは確定だが。

 

「ははは……あ、サクラコ様が到着されたみたいです。そろそろ行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリニティ総合学園からティーパーティー、正義実現委員会、シスターフッド

 

 

 

ゲヘナ学園からパンデモニウム・ソサエティー、風紀委員会

 

 

 

そして連邦捜査部S.C.H.A.L.Eから先生

 

 

 

 

 

 

今、ここに錚々たる主要人物達が遂に集結したことで

 

 

 

 

 

 

崩壊と絶望の始まりを告げる爆雷が轟く

 

 

 

 

 





やめて!巡航ミサイルで、通功の古聖堂を焼き払われたら、このエデン条約を脳と時間を削って手繰り寄せたナギサ様の精神まで燃え尽きちゃう!

お願い、死なないでナギサ様!

あなたがここで倒れたら、ミカやナズサとの約束や説教、三食ロールケーキはどうなっちゃうの?

ライフはまだ残っている。ここを耐えれば、平和は訪れるんだから!


次回「ナギサ様 (の脳)死す」デュエルスタンバイ!






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ナギサ様の脳を破壊し隊


Happy birthday to you,

Happy birthday to you,

Happy birthday, dear 桐藤ナギサ,

Happy birthday to you.




 

 

 

 

 

「ぐっ……い、一体なにが……!?」

 

 最初にナギサが感じたのは酷く脳内に響く耳鳴りだった。次に理解したのは全身を鞭打たれたような衝撃に襲われたこと。そして積み重なった瓦礫の隙間に閉じ込められていることだった。

 

「ナギサ、怪我はない!?」

 

 と、暗闇で気付かなかったが僅かに差し込む光に目が慣れてくると……妙に狭苦しいと思っていたら先生に抱きかかえられる形で閉じ込められていることに気が付く。

 

「せ、先生!? 私は大丈夫です、先生の方こそお怪我はありませんか?」

 

「うん、なんとかね……でも」

 

 身動きが取れないと苦悶の表情の先生。

 奇跡的にもナギサと先生は瓦礫の隙間に挟まれたおかげで怪我はしなかったが、その代わり一切の身動きが取れないでいた。

 

「私なら内側から瓦礫を押し上げることも出来ますが……」

 

 キヴォトス人ならばこの程度造作もない障害だ。しかし先生はヘイローを持たない外から来た人間であり、銃弾一発でも致命傷になり得る可能性がある。つまり下手に瓦礫を動かしてバランスを崩してしまい、瓦礫に押し潰されようものなら……最悪の命の危険まである。だが空気が通る孔はほとんどなく、このままではいずれ酸素が足りなくなる危険性もまたあった。

 

 そうして一体どうしたものかと考えていた時────

 

「先生、ナギサさん!」

 

 外から必死に先生達を探すヒナタの声が聞こえた。

 

「ヒナタ!」

 

 負けじと呼応する先生にヒナタの声が近づく。

 

「良かったです、辛うじて瓦礫の隙間に……。待っててください、すぐに私が……!」

 

 外側から慎重に瓦礫を除け、ヒナタの手を掴み立ち上がる両名。

 

 そこで初めて何が起こったのか理解した。

 

「そんな……!?」

 

 瞼を開き光に目が慣れると────辺り一面には数分前とは似ても似つかない焦げ付いた瓦礫の山、轟々と炎が立ち上っている箇所もある。それらが古聖堂であったモノだと認識するに時間はかからなかった。

 

 そして見渡す限りに広がるのは決して瓦礫だけではない。耳が慣れやっと煩わしい耳鳴りが収まったかと思ったら、今度はひたすらに悲鳴が木霊する。

 空は舞った埃達が灰色に覆い尽くし、今朝の快晴は既に亡きものになり僅かに覗く蒼がそこに空があると示していた。

 

 

 襲撃をかけられた。

 

 

 一体誰が?ゲヘナが?いやだとしたら自分達の学園を代表する重役までも巻き込むとは考えにくい。となるとトリニティの反対派が……?または全くの第三者の介入……。

 

「先生! ご無事でしたか!」

 

「せ、先生……!」

 

 逡巡する思考の最中、正義実現委員会のツルギとハスミが合流する。そこで改めて理解したが自分達はとんでもなく幸運だったらしい。皆大なり小なり服が裂けたり擦り傷ができていたが、先生とナギサはほんの少し服が汚れただけだった。

 

 こうしてツルギやハスミ、ヒナタと現状の認識の摺り合わせと戦力の状況を────

 

「っ!? 今の音、は……」

 

 決して遠いとも言えない距離からの爆発音。続く悲鳴にいち早く反応し見やったハスミの顔に困惑が浮かぶ。それに倣ってツルギ、ナギサ、先生……そしてヒナタが振り向くと。

 

「■■■■■■ォォォォ……!!」

 

 幽鬼の如く紺の炎を揺らめ、罅が行き渡るヘイローを掲げて修道服を靡かせる信徒達。

 それは伝承に伝わるかつてのシスターフッドの前任に当たる組織であり、規律と戒律の権化ユスティナ聖徒会そのものだった。

 

「数百年前に消えたはずの『戒律の守護者たち』が、どうして今ここに……!?」

 

 目を見開き、信じられないといった様子のヒナタ。シスターフッドとしてその歴史に精通している者だからこそ衝撃は凄まじく、事態の重さを把握していた。そしてそれはヒナタだけではない。

 

「それにこの尋常ではない数……周りに数十、いえ数百人規模の……」

 

 瓦礫の山から見下ろす聖徒達。それは彼女達の血に塗れた凄惨な過去を知らずとも、その脅威を知るには充分すぎるものだった。

 

「っ、来る……!」

 

「先生とナギサ様は下がってください」

 

 ツルギ、ハスミの呟きと共に数十の聖徒が突貫して来る。だがこちらの戦力もトリニティ有数の者達。

 真正面から二丁のショットガンを構えるツルギ、カバンからグレネード等の爆発物を取り出し迎撃の姿勢を取るヒナタ、そして二人を援護する的確なハスミによって第一波は難なく処理された。

 

 

 ────しかし

 

 

「きえぇぇぇぇぇっ!」

 

「キリがないですね。それにまるで手ごたえを感じない不思議な感覚……」

 

 第二波、第三波と次々に襲い掛かる聖徒会。何度も凌ぎ倒しても一向に減る気配……どころかゲームの無限湧きかのごとく増え続けていく。

 つまりは最高峰の力を持つ彼女達も人である以上疲労は溜まっていき、僅かに生まれた隙を縫って一人の聖徒がナギサと先生へ襲い掛かった。

 

「「「先生!!」」」

 

 ツルギ達の悲鳴にも似た呼び声。しかし聖徒は止まらない。一切の感情を窺わせないマスクは真っ直ぐに先生を見据えていた。

 

「先生、私の後ろに!」

 

 だが最後の防波堤が立ち塞がる。

 非戦闘員だがそれでも先生よりは戦いの心得を得ているナギサが、懐から一丁の拳銃を取り出し構えた。

 

 しかし向けられた銃口を気にも留めず更に加速する聖徒。

 

 だがナギサの目に怯えは無い。聖徒と同じように迫る戒律の守護者を見据え────そして人差し指を引き金に掛けたその瞬間。

 

 

 

 眼前に迫っていた聖徒の頭が砕け散った。

 

 

 

「は…………」

 

 地面を勢いを保ったまま滑り転がる聖徒。やがて足元へ届くと同時にその形は影すらも無くした。

 

 

 何が起きた。

 

 

 ナギサは引き金を引いていない。辺りを見渡すもツルギ達は今ちょうど相手を取っていた他の聖徒達を倒したところであり、焦燥に満ちながらナギサの元へ向かっているところだった。ならばと背後に振り向くも、居るのは口を半開きにして驚愕している先生だけ。勿論銃など所持すらしておらず、それどころか両手にタブレット端末を抱えている先生が攻撃など物理的に不可能だった。

 

 

 ならば一体誰が……その時だった。

 

 

「うわぁーこりゃヒドいね」

 

 

 怒声や悲鳴、銃声や爆発音が轟く混沌の渦が満ちた戦場に────相応しくない能天気で優しく明るい聞き慣れた声は自然と耳に入った。

 

「…………え?」

 

 それは決して声高に張り上げたものではなかったものの、どんな音よりも響き渡っているようで。

 

「ふふっ」

 

 高く積みあがった瓦礫の上に、ピクニックでやってきた丘のように軽い足取りで立ち、バスケットのごとく真白の小銃を携える少女。

 

「ナズサ……!?」

 

 ふわりと揺らめくブロンドのハーフアップとリボン。剥奪されたはずの純白の制服を纏い、曇天の元に輝く琥珀を湛えた二つの眼。子供らしい得意げな微笑みを浮かべた口元。

 

 

 トリニティ総合学園一年生、そしてかつての次期ティーパーティー候補を想起させる桐藤ナズサの姿がそこに在った。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 呆気に取られたヒナタ、ナギサは完全に戦闘態勢を解いていた。

 

 だがここは戦場。一瞬の油断が命取りになる危険を骨の髄まで染み込ませているツルギとハスミは、ナズサにも気を配るがそれ以上にユスティナ聖徒会の動きを注視する。しかし何かの予兆なのかゆらゆらと蠢く修道服とは裏腹に、彫刻のように聖徒会は不気味にピタリと動きを止め、更に全員が一斉にナズサへと視線を向けていた。

 

「…………」

 

 肝心のナズサは動かない。依然として笑みを浮かべたまま。それは愛しい人を見守る穏やかな目にも、機を窺う獣の目にも見えた。

 

「ナズサ……どうして君がここに……」

 

 沈黙を破いたのはいつの間にかナギサの隣に立っていた先生だった。それは至極当然の疑問であり、この場全員が抱えていたモノだ。そもそも桐藤ナズサはエデン条約調印式には出席しない予定であり、今朝の会場にもその席は無かった。次に彼女は現在奉仕活動中であり、この時間帯は学園にいなければならない。仮に襲撃をニュースで知り駆け付けたのだとしても、ここから学園までの距離を計算するに確実にまだ間に合わない。

 

 しかし、それら数々の疑問はたった一つのジェスチャーによって返された。

 

「そうだなぁ……これで伝わる人()には伝わるかな?」

 

 たんっ、とナズサは翻ると細くしなやかな人差し指を突き立て、口端を吊り上げ小さく白い歯を覗かせながら流し目で見下ろす。

 

「──あ」

 

 漏れ出た声は先生だった。

 重なるのはあの晩、あの体育館での光景。それは奇しくも後ろに控える深い紺の生徒もとい聖徒達、選ばれた者のみが羽織ることを許される制服までも合致していた。

 

「デジャヴ、感じた?」

 

 一瞬、今まで何度も見せてきた悪戯な笑顔をニコリと浮かべたナズサはそのまま先生達へ背中を向ける。

 

「見てて……」

 

 すると吹き荒れる怨嗟の風に乗るように両手を、両翼を目一杯広げて天を仰いだ。

 最大限の手向けとして。最大限の晴れ舞台として。

 

 

「────今から曇るよ」

 

 

 ナズサの宣言が告げられると共に、上空で揺らめいていたパンデモニウム・ソサエティー自慢の飛行船が爆発した。

 遅れて爆風が地上に届く。それにナズサは抗うことなく、ただただ全身にその祝福の風を受け、纏められてもいまだその長さの存在感を魅せつける艶やかな髪をはためかせた。

 炎に包まれた飛行船はやがて高度を落として往き、徐々にエンジンの轟音が遠く遠くへと轟かせ墜ちていく。

 

 

 

 そして燃え盛る黒煙により僅かに覗かせていた青空が────今、塞がれた。

 

 

 

 

 

「私が……トリニティの裏切り者だよ」

 

 告げられた衝撃の真実……にしては反応は薄かった。

 それもその筈、ナズサがクーデターに一枚噛んでいたのは既に周知の事実であった。桐藤ナズサと聖園ミカは手を組んでいて、しかし罪悪感から巻き込まれた補習授業部をサポートしたり、暴走するミカを止める為に身体を張って戦った────結果、情状酌量の余地があると判断が下されたというのが、一連の事件の流れだと伝わっている。

 

 そのナズサが再度、宣言した。なんてことない日常を語るように。

 

 桐藤ナズサは二度、裏切ったのだと。

 

 

「なにを、言って……」

 

「お待ちください、ナギサ様」

 

 一歩、前に出たナギサを粛々とした声で制止させるツルギ。普段は奇声を上げまるで理性の無いようにも見える仕草をしているが、その実は戦闘能力だけで正義実現委員会のトップに立っている訳ではなく、こと戦闘に置いては誰よりも冷静に状況を分析できる頭脳の持ち主だ。

 

 その事実を知っている人間が限られているのが若干の課題だが、ナギサは知っている側の人間でありツルギの進言に足を止める。

 

「────さすが、ツルギ先輩」

 

 おぉー、と感嘆の反応を見せ、ただ純粋に褒め称えるナズサ。そして相変わらずの凄惨な戦場に似合わない笑顔を更に咲かせ────

 

「うん。少しでも変な動きをしたら追加のミサイルをブチ込むから気を付けてね」

 

 屈託のない笑みとはかけ離れた単語を羅列する。それは脅しであると同時に、彼女の正体を決定付けるには充分過ぎるものであった。

 

 だがそれでもまだ信じられない。

 何か誤解があるんじゃないか。何か齟齬が起きているんじゃないか。

 頭の何処かで諦めていながらも、それを分かっていても尚、希望を捨てきれない。

 

「ナズサ、なぜこんなことを……」

 

 ツルギとハスミは周囲を警戒し、ヒナタとナギサは愕然とし声が出ずにいた。

 よって最初にナズサへ問いかけたのは先生だった。

 

 先生の鋭い視線がナズサに突き刺さる。それは普段の柔和な慈しみの籠ったものではなく、本気で生徒を想い叱りつける────先生がキヴォトスに訪れて以来片手で数える程しか向けたことのないものだった。

 

「……なぜ? 何故と聞きましたか? 先生」

 

 

 先生の質問を復唱するナズサ。

 そして何が可笑しいのかぷっ、と吹き出し────

 

 

「なぁーに言ってんですか先生? そんなの教える訳ないじゃないですか、ばぁーーーか!」

 

 んべっ、と小さな桃色の舌をちらりと見せつけ、目袋を軽く引っ張るナズサ。そのまるで事の重大さを理解していない立ち振る舞いと、今まで自由奔放でありつつも誰に対しても礼儀は欠かさず品のあった身振りではない、ただただ侮辱し嘲笑する礼節を欠いた仕草に息が詰まる。

 

「あぁ、でも」

 

 だが先生達の動揺とは裏腹に、当の本人はそんな変貌など些事でしかないと言葉を続ける。

 

 

 

「聖園ミカと補習授業部はいい隠れ蓑になったよ」

 

 

 

「…………は?」

 

 初めてだったかもしれない。先生が反射的にそんな攻撃的な反応を示してしまったのは。

 

「まぁ途中すこーし計画がズレたけど、最終的には上手く転んで容疑者の線から完全に消えたし? 結果オーライってことで」

 

 そうだ。ナズサはあの晩、危機に陥った先生と補習授業部の前に現れて、その身で親友の暴走を食い止め、そして自身の罪を告白して────

 

「やっぱ保険と心証は大切だよねぇ……一回それっぽく反省したらだーれも疑わないんだもん。ダメだよ? 危ない奴はしっかり牢に閉じ込めて隔離しなきゃ」

 

 瓦礫をステージにナズサは踊るよう浮足立ちながら、ライブのMCのように流暢に声を弾ませる。

 

 全てはこの日の為に。

 トリニティでの天真爛漫な振る舞いも。離れの校舎を掃除したのも。一緒に作成したテスト対策した毎日も。夜遅くまで勉強するみんなに賄ったご飯も。アリウスの生徒を率いたミカと戦ったのも。炎天下でも毎日真面目に行っていた奉仕活動も。ベンチで一緒にジュースを飲んだあの日も。

 

 振り撒いていた好意の一切合切が、無意識にナズサを警戒の外へ置かせる為の布石だったのだと。

 

「つーわけで結局のところ誰一人として私……()()こそが真の裏切り者だと暴けなかったですねぇ」

 

 皮肉にも、それらを謳う顔は今までとなんら変わらない満面の笑みであり、もしもここが本物のステージだったならば今この瞬間にクラッカーが鳴っていただろう。

 

 

「ふざけ、ないで……」

 

 

 すると、ここまで沈黙を貫いていたナギサが口を開いた。

 それは燃え盛る炎よりも遥に小さいものだったが、その両の眼には確とした想いが宿っており、天上にて笑うナズサをハッキリと映していた。

 

「いい加減にしなさい!! ナズサ!」

 

 今度こそ、一歩前に出る。

 その響き渡る怒声はお嬢様学校とも言われるトリニティ総合学園の────ましてや学園を代表するティーパーティーとして相応しくない所作であっただろう。

 

 だがそれを誰よりも重んじ敬っているナギサだからこそ、どれだけの想いが込められているのか如実になった。

 

「まずそこから降りてきなさい、ナズサ。今回ばかりは()()()()()、本気で怒っています」

 

 自然と出た一人称。それは昔……具体的にはナズサがトリニティへ入学する前に使っていたものだった。

 まるで悪戯を働いた子供を叱りつけるような────児戯では済まされないこの状況には不相応にも思えるものだったが。しかしそれはナズサとナギサという関係性だからこそ何よりも重いものだった。

 

 多くの人を傷付け、巻き込んだ。歴史的な建造物も木っ端微塵に破壊した。嘘も沢山ついていた。なぜこんな行為に及んだのか疑問だってある。また裏切られた悲しみもある。

 

 だがそれ以上にナズサ自身が大切にしていた親友を、紡ぎあげてきた関係を、あんなにも人を想い大切にして、その尊さを教えてくれたナズサ自身が卑下し侮辱するのは絶対に許せなかった。

 

 今までのナズサの笑顔を否定させない。

 今までのナズサが感じていた幸せを否定させない。

 

 

 だから────

 

 

 

「……“お姉ちゃん”、ねぇ……」

 

 

 

 本気で怒られて、項垂れて落ち込んで、そしてまたいつものように隣に立ってくれていると。

 

 

 

 

 ナギサはきっと間違ってはいなかった。

 

 

 

 ただ知らなかったのだ。

 

 

 

 隣の彼女の底知れぬ闇を。

 

 

 

「はぁ、まだ思い違いをしているとは」

 

 

 

 それはこれまでの16年間共に生きてきた全てを拒絶する程の底冷えた声音だった。

 

「────あ……な、何を言ってるの?」

 

 ナズサから向けられる感情の正体がわからない。

 憎悪?違う。憤怒?違う。殺意?違う。恐怖?違う。

 

「いつまで()()を続ければいいのかって話ですよ」

 

 イマイチ要領を得ない言い回し、されどどことなく不気味な──これ以上聞いてはならないと本能が警鐘している。

 

「……そういや何時ぞやに言ってましたね、『公共の場でお姉ちゃんと呼ぶな』と」

 

 どうして今、そんなことを言い出すのか。

 

「えぇ、えぇ。その節はご無礼を働き誠に申し訳ございませんでした。そしてこの際だからハッキリと言わせてもらいますね?」

 

 ナズサはゆっくりと瞳を閉じて軽く息を吸うと、噛み締めるように、味わうように──妖しく輝く瞳を開きその敬称を付けて呼ぶ。

 

 

 

 

「────ナギサ様?」

 

 

 

 

 思えばナズサがナギサに「様」を付けて呼んだことは終ぞなかった。

 その度に何度も注意して……しかし結局いつまで経っても、何処にいても「お姉ちゃん」と呼んでいた。

 

 半ば諦め──いや、本当は心の奥底では確かに嬉しかった。姉であることに誇りを持っていた。

 

 

 

 風が吹いた。

 

「あはっ!」

 

 短く笑ったナズサの顔は見えない。

 だがそれを皮切りに徐に空いている左手を掲げ、魅せつけるように後頭部へと持っていく。

 

 その先程までの言葉使いとは真逆の……不気味な程の秀麗さを兼ね備えた所作に誰もが目を奪われていく。

 

 

 やがて細い指はナズサのトレードマークへ。

 

 

 そして一息に……今朝、自慢に仕立て上げた髪型が、これからのナズサとの関係を示唆するかのように────解けた。

 

「…………あ」

 

 

 浮かんだのはせっかく結んだのに、なんて呑気な感想。

 

 そして目の前に落ちたリボンを見て、ナズサは本当に手の届かない所に行ってしまったと今更に気付くという絶望だった。

 

 

 

「────オレはなぁ……ナギサ様」

 

 

 

 先生が何かを叫んでいる。でもノイズとなって聞こえない。ナズサの声だけが耳朶に響く。

 

 

 

「あんたのことがなぁ、生まれた時から…………いや、“生まれる前”から」

 

 

 

 私のことが……?

 

 

 

「ずっと……」

 

 

 

 ずっと?

 

 

 

「ずっと……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅーーっと!!!」

 

 

 

 

 

「大っっ()いだったんだよォォォ!!!!」

 

 

 

 

 

 

      

 

          

 

  

   

     

 

          

 

      

 

     

 

        

 

 

 

 

 

 何かがひび割れた音がした。

 

 

「ククク、アハハ!! アハハハハハハ!!!!」

 

 

 ナズサは笑う、嗤う。世界に知らしめるように、歌を轟かせるスターのように声高く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クッ、ククク……だけど、まぁ……」

 

 下した髪がナズサの顔に貼りつく。間から覗く煌々と輝く瞳に射抜かれたナギサは、足の力が抜け落ちぺたんと座り込むことしか出来なかった。

 

「あはっ! それなりには楽しかったぜぇぇぇ!!?」

 

「──ナズサァァ!!!」

 

 やっぱり先生は叫んでいた。でも間に合わない。

 

 その愛らしい笑顔で、いつも愛を伝えていた口で────今、明かされる衝撃の事実。

 

 

 

 

 

 

「ナギサ様との姉妹ごっこォォォ!!!!」

 

 

 

 

 

 世界から色が失われていく。そんな錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「これで心すっきりだ」

 

 曇天の真下、狂気的な嗤いは鳴りを潜め爽やかな表情で無情に告げるナズサ。

 

「ナズサ……!」

 

 先生はこれまで見せたことのない慨然とした険しい眼つきでナズサを見やる。しかし悪い意味で普段通りの──飄々と気にする素振りすらナズサはしない。いや、寧ろ質の悪いことにそんな先生の反応を愉しんですらいた。

 

「さて……」

 

 と、突然神妙な顔付きになったナズサは懐に手を伸ばす。

 皮肉なことにその仕草は、ナギサが先生を守る為に拳銃を取り出した時と酷似していた。

 

「オレの仕事に移るとしましょうか」

 

 取り出したのはシンプルな構造ながらも禍々しい異彩を放ち、絵の具をべた塗したような全ての光を吸い込む漆黒の仮面だった。

 

 ナズサは手に持つそれを撫でながら一呼吸置き──そして両目を覆うように装着する。

 

 補助していた左手を下し、口元だけを露出させたナズサ。

 

 すると小さく、その呪いの言葉を呟いた。

 

「vanitas vanitatum et omnia vanitas.」

 

「っ!?」

 

 瞬間、気を抜いたら押し潰されるような、天から巨大ななにかが覗いているような圧迫感が先生達を襲う。

 

 だがそれ以上の──キヴォトスの常識を覆し、理を破く現象が起こった。

 

「せ、先生! あれは……!」

 

 いち早く異変に気付いたのはヒナタだった。先生はそのヒナタが指差す方へ目を向けると────

 

「なっ!?」

 

 周りを囲いこみ、彫刻のように固まっていたユスティナ聖徒会が突然宙に浮きながらゲームのバグのように痙攣し始め、やがて紺と水色のツートンカラーが白と橙に呑み込まれ変化していく。更に聖徒達の顔を覆っているガスマスクが剥がれ落ちていき──そこにはまるでのっぺらぼうのように宇宙が広がっていた。

 

「あ゛、あ、ア゛ア゛ぁぁぁ!!!」

 

 と今度は瓦礫の山から、喉が裂けんばかりのナズサの叫喚が轟く。

 

「な、ずさ……」

 

 虚空を見つめたまま動かなかったナギサが反射的に声を漏らす。朧げな視界の先には両腕を抱えて脂汗を流すナズサの姿。

 

 ナズサが苦しんでいる、助けなければ。そう思い手を伸ばそうとした時だった。

 

「き、たぁあぁぁ……は、ハハハ」

 

 風化していくように純白の制服が──肩から腰の近くまでを扇状に、続いて横腹、二の腕が崩れ落ちていく。幾何学的な模様は染物のように塗り潰され、そこにはただ()()()()()()()のみが残った。

 

 バックドレスに様変わりした制服、白以外の他の色を許さないそれは、翼を広げるナズサの風貌と併せて花嫁のようだった。

 

「…………ぁ」

 

 遂に言動だけでなく、姿までも面影を無くしていくナズサは、ナギサの心を折る決定打には過剰とも言えた。

 

「ふひっ」

 

 すると、そんなナギサを見下ろしていたナズサが、たんっ、と一息に下界へと降り立つ。

 そして目にもとまらぬ速さでツルギ、ハスミ、ヒナタと先生の間を駆け抜けてナギサの元へ。

 

「ナズサぁ!」

 

 だがそれを逃す先生達でもなく、一足遅れながらもナギサへと近づき──

 

「…………は?」

 

「これって……!」

 

「そ、そんな……!」

 

「………………」

 

 足が竦んだ。

 

 改造され露出されたナズサの──うなじから肩甲骨にある羽の間を通って腰まで続く一本の線。所々に散らばる切り取られたかのように色が薄い肌。病的なまでに白い二の腕には……思わず目を背けたくなる注射の痕。

 

 その華奢な身体に背負いきれない程の夥しく、呪いのように張り巡らされた傷だった。

 

「ん? あぁコレですか。汚いでしょう? 醜いでしょう? でも意外なことに()()痛くも痒くもないんですよねぇ~」

 

 何が可笑しいのか。他人事のようにからからと笑うナズサ。

 ハンマーで殴られたような衝撃が積み重なる。先生達は正しくどう反応したらいいのか分からなかった。

 

 そんな風に足が止まっていた時だった。

 

「っ、先生、まずいです」

 

 不安気なヒナタの声で気が付いた。

 変貌したユスティナ聖徒会が動き出し、また先生達をぐるりと囲っていることに。

 

 マズイと冷や汗が背中を伝う……しかしそれは幸か不幸か、予想だにしない展開が起きた。

 

「撃つな」

 

 言い放ったナズサの命令にユスティナ聖徒達が向けていた銃口を下ろす。

 なんとか一難去ったものの、ナズサの命令一つで一斉に攻撃することが可能であると暗に示しており、再び先生達は身動きが取れなくなった。

 

「な、なず、さ……」

 

 一方ナギサは全くの別方向からの新たな真実を前に──遂には呂律すらもうまく回っていなかった。

 

 そんなナギサを見つめるナズサ。

 するとまるで壊れ物を扱うように、優しく慈愛を込めてナギサの顔を包み込んだ。

 

 硝煙が昇る阿鼻叫喚の地獄の最中。白と白。淡いブロンドを靡かせ毛並みの良い翼を湛える瓜二つの少女達。

 鼻が触れ合う距離まで覗き込む姿は、近づき難い神聖さまで感じる構図だった。

 

 

 しかし────

 

 

「その顔が見たかった……」

 

 片方の天使が、その様相は変わらずとも堕天する。

 

 ニタァ、と口端を耳まで裂けんばかりに吊り上げ、ナギサの脳へ染み込ませるように囁く。

 

「オレは見たかったんだ、桐藤ナギサの絶望に歪んだその顔がぁ……」

 

 そして絶対に壊してはならないと。慎重に丁重にナギサから手を離し────

 

 

「くくっ、あはっ、あははははははは!!!!」

 

 

 笑う、嗤う、哂う。

 

「──せんせぇ、やっぱ教えてあげますよぉ。なんでオレがこんなことしたのか」

 

 並び立つユスティナ聖徒会の間を縫って先生の元へ。身長差の関係でナズサが覗き込む形となり、仮面の先にある昏く深い谷の底を彷彿させる琥珀色の双眸を先生は幻視した。

 

「ただやりたかったんですよ。オレは。生まれた時からずっと」

 

 それは奇しくも初めてナズサと出会ったあの時と全くの同じだった。

 

 

 

 

 



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エ ピ ロ ー グ


今回閲覧注意と解釈不一致注意です。




────え?いつもそうだって?




 

 

 

 

 

 脳が痺れる。

 

 震えて覚束無い右足を前に出す。そしたら次に左足を前に。ひたすらに、ひたむきにそんな作業を続けて───辿り着いた、ここはどこ?てか私は誰?

 

 

 私は、俺は、オレは───桐藤ナズサ。

 

 

「あへっ」

 

 記憶が、混濁して、よく分からない、落ち着かなければ。

 

「ふー、ふふふ、ふーっ、」

 

 整理、そうだまずは整理しよう。

 

 ……今日は朝から年々可愛さと色気を増して16年間全く飽きさせないナギサ様の寝間着を見て、その小動物のように小さなお口と、陶器のように美麗な細腕を駆使し見惚れるほどの所作で朝食を頂くナギサ様を見て、絹のように滑らかな髪を堪能しながら整えて、その後超久しぶりに髪を結んで貰って……。

 

 

 

 ────あ、口元がヤバい隠さなきゃ。

 

 

 

 そんでそんで焦土と化した通功の古聖堂に行って襲われてたナギサ様を助けて、俺のあいきゅーにひゃくの神アドリブでツルギ先輩達の動きを封じて、そーして迫真のネタばらしをして、そしたらお姉ちゃんに怒られてちょっとビビって───

 

「あはっ! あへ、うへへへへへ」

 

 名残惜しみつつも髪を解きながら、この世界(ブルアカ)に向けて、ナギサ様に向けて堂々と声高らかに大()いだよって叫んで…………叫んで叫んで叫んで叫んで!!!

 

 

『それなりには楽しかったぜぇぇぇ!!? ナギサ様との姉妹ごっこォォォ!!!!』

 

 

 言っちゃった言っちゃった。遂に言っちゃった。積み上げてきたもの──信用、信頼、親愛、友愛、敬愛、全部ぶち壊しちゃった。そしてその時のお姉ちゃんったら、ナギサ様ったら。

 

 

「あぁぁ! ナギサ様はかわいいなぁ!」

 

 

 ゆっくり、ゆっくりと状況を事態を真相を──裏切りを理解して星の軌跡のように変わりゆくあの顔はとってもとっても素敵でした。

 

 

「ナギサ様はかわいいなぁぁ!!」

 

 

 大事なことなので二回言います。爆発に見舞われても、砂埃と硝煙に塗れても、慟哭すら出来ない程に打ちのめされても気高く美しい。

 

 

「ナギサ様はかわいいなぁぁぁ!!!」

 

 

 二度あることは三度ある。愛なんてなんぼ伝えたっていいですからね。

 

 

「ナギサ様はかわいいなぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 やっぱもっかい叫んじゃう。だってここにはそれを咎める者は居ないのだから。俺の声と翼をはためかせる音だけが響き渡る。

 

 そうだった。俺は成し遂げたんだ、辿り着いたんだった。16年間……いやそれ以上か。とにかくずっと待ち望んでいたあの頂き──『崇高』へと。

 ほんで想像以上の快楽に腰が抜けそうになってやばかったから、地下にあるこのカタコンベへ逃げ込んだんだった。

 

「うはっ! フヒュッ、うへへへ……」

 

 ダメだ、ヤバい。今絶対人に見せちゃいけない顔しちゃってる。

 

「あへへ、あははっ!」

 

 脳髄に染み込ませたあの光景を、あの表情を思い出すだけで……えぐいえぐいえぐい、まじでクる。てか、イく。

 

 

「あっ…………」

 

 

 

 

 

 ふぅ…………。

 

 ヨシ!落ち着いた。

 

 ──というわけで、ここでナズサちゃんクーイズ!!……の答え合わせの時間がやってまいりました。

 

 いつぞやに言ってた最後まで残る肩書きは一体どれかなクイズ。みんなは正解出来たかな?

 

 答えは────ドゥルドゥルドゥルドゥル……どん!! 『ベアトリーチェお姉様の犬』でした!とんでもない難問でしたねぇ〜。見事正解した方にはナギサ様の写真1万枚を贈呈します!あ、脳破壊されたナギサ様は、俺の心の中のメモリアルロビーのみに保管されてるので諦めてください。

 

 うん。やっぱなんかテンションがおかしい気がする。いつもなら一回()すれば落ち着くのに。まだなんか夢心地というか余韻が有り余っているというか。

 

 でもそれも仕方ないですよね!?だってだって……ふひっ。

 あぁダメだ。また昂ってきた。なんで本当にあんな素っっ敵な表情を見せてくれるんでしょうかナギサ様は。罪な女ですよ、ホント。

 

 それに嬉しい誤算というか──先生って()()()()を向けることも出来るんですね。

 補習授業部のみんなを穏やかに一歩引いてまるで親のように見守ったり、出会った時から二人で雑談した時に見せる子供みたいな無邪気さだったり、俺を気遣ってくれていた時の優しい目をしていた先生が“初めて”見せた────俺を貫くように真っ直ぐ射抜く鋭い目。

 

 正直あの先生に睨まれたってのと、俺がソレを引き出したって事実を理解した途端に……なんかこうすっごい気持ちよくなっちゃって。しかも憎悪の感情は一片足りとも混ざってなくてさぁ……つい必要以上に煽っちゃった。でも先生が悪いんだよ?

 

 だって先生ってナギサ様とはまた違う興奮を覚えさせてくれるんだもん。ちょっと下品なんですがナギサ様だとこう……下腹部がキュンとする興奮を覚えるんですが先生だと背筋、いや違うなもっと深い……脊髄の内側からゾクゾクってキて、意地悪い笑みが勝手に浮かんじゃうんだよねぇ。なんか新しい扉を開いてしまった気がする。メスガキ側の愉しさが少し理解ってしまったかもしれない。

 

 それに天はどこまでも俺の味方をしてくれるらしい。最後にあんなサービスを賜ってくれるとは。

 俺が退散しようとした際に訪れた──ゲヘナの風紀委員長、キヴォトスでも指折りの実力者、だけど本当は先生に甘えたがりの年頃の少女、空崎ヒナを拝謁できるなんて!!

 

 最後に会ったのは美食研究会を引き渡す時だったかな。あの時はあんまり話せなかったし、今回も全く話していないけどやっぱり可愛い!

 所属する学園と立場でどうしても会う機会は限られているから出会えたら嬉しいし、出血しながらも一途に先生の元へ駆けつけてユスティナ聖徒会を蹴散らす姿はかっこいいなぁ。あ~、一回でいいから吸ってみたい。

 

 戦闘で言えばツルギ先輩、ハスミ先輩、ヒナタ先輩の動きと連携も素晴らしかったなぁ。

 トリニティの戦略兵器と名高いツルギ先輩の圧倒的な暴力。ヒナタ先輩の「そのカバンのどこにそんな量の爆薬が?」とツッコミたくなる火力。そして確実にヘッドショットを決めて援護するハスミ先輩。先生の指揮が無くてもあんなに凄いとは……一瞬頭を抱えそうになったもん。どうやってこの三人を抑えてナギサ様の脳を破壊しようかって。

 

 あー、それにこの衣装もめっちゃ良かったなぁ。なんか気が飛びそうになるくらいの激痛が走ったり、ボロボロ制服が剥がれて落ちる演出だったり、露出が激しすぎて恥ずかしくないと言ったら嘘になるけど、この『ザ・闇落ちヒロイン()』って感じ~?流石俺のビジネスパートナー、いやお姉様!ほんとリスペクトっす。

 でももうアコのこと横乳呼ばわりは出来んわな……。あとサクラコ先輩はマジで同情する。同じ覚悟(笑)を纏った同志として、もしも会えたらそれとなくフォローしてあげよう。まぁ、多分叶わない夢だろうがな!ははっ!

 

 はーヤバい。振り返ったらまた興奮してきたわ。脳内麻薬がガンガン分泌されていっているのが分かる。これ最早ベアトリーチェお姉様から支給された薬よりヤバい代物だろ。特殊な訓練を受けた俺でも依存症不可避。ほんまナギサ様と先生は責任……取ってよね?

 

「あへはっ。うふ……」

 

 まぁ長々と語ってまいりましたが、とどのつまり何が言いたいのかと言うと────

 

 

 

青春の物語(ブルーアーカイブ)、最高……!」

 

 

 

 この一言に集約されている訳です。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 地上では未だに混沌が蔓延っており、阿鼻叫喚の地獄の真っ只中であったが、その地下────迷宮のように張り巡らされた通路────カタコンベには、一つの嬌声……否、狂声が轟いていた。

 

「うへ、うへへへへ……」

 

 その光景は異様であった。

 狂声の源である仮面を被った少女が両手で口を覆いながら蹲り、極力声を抑えようとしているがその努力は意味を成さず。

 そして付近にはまるで彼女の護衛のよう……と呼ぶには少々警戒心、いやまるで自我がない人形と表現した方が正しいか。変わり果てたユスティナ聖徒会だったものが、ナズサの周りを囲んでいた。

 

「クックックッ……ご機嫌ですね。ナズサさん」

 

 そこへ岩陰から文字通り一つの黒が愉快そうに喉を鳴らしナズサの前に現れた。

 

「ウヒュ……やぁ黒服。私、ついに成し遂げたよ……!」

 

「えぇ、しっかりと見届けさせて頂きました。友達として無事に悲願が達せられたことを祝しましょう」

 

 黒服は右目に当たる銀色の炎をより煌々と滾らせ、小気味の良い拍手を鳴らす。

 それに対し一応は照れくさそうに笑みを浮かべるナズサの姿は、一旦容姿と内容に目を瞑れば至って健全な友人関係に見える……が、未だに余韻が引いていないナズサはすぐさまびくびくと身体をくねらせる通報不可避の事案案件へ移った。

 

「ところで……“それ”の調子はいかがですか?」

 

 そして黒服も特に気にすることもなく話を進める。

 出会った当初は流石の黒服とあれど困惑を通り越してある種の恐怖すら覚えていたが、会うたびに強烈な性癖の毒電波を浴びせられていた為既にナズサの奇行には慣れていた。

 

「────あっ、くぅっ。…………ふぅ。あぁ、これね、最高だよ。着け心地良いし、夏だと冷たくなるし、ホント、アイマスクとして重宝してるよ」

 

 勿論ナズサも黒服の前では粗相を一切躊躇わない。そしてあからさまなボケを真面目な顔でかます。

 ツッコミ不在の恐怖とは正にこのことだった。

 

「……ご満足頂けたならば幸いです。とは言ったものの私は防衛機能と品質にしか噛んでいませんが」

 

「うそうそ、冗談だよ。あ、アイマスクとして使ってんのはホントだけどね。黒服が言ってんのは彼女達のことでしょ?」

 

 軽口も程々にと笑いながらナズサが指を差す彼女達を黒服は興味深そうに目を細める。

 

「えぇ。この神秘が溢れるこのキヴォトスという箱庭では規則や戒律、ルール等といった物は“外”以上に特別な意味と絶大な効力を持ちます。それを真正面から……あの『戒律の守護者』相手に自治区の少女達のように抜け穴を通す訳ではなく、確として()()、更には()()()()()まで行ってしまうとは。確かにナズサさんならば理論として可能ではありましたが……いやはや本当にやってのけてしまうとは」

 

「恐れ入りました」と続けたその言葉は、まるでナズサの行為を大罪として語るものであったが、その単語の意味とは裏腹に含まれていたのは彼なりの賛美だった。

 

「でもどうしよう……これってマエストロさんに全力で喧嘩売ってない?」

 

 散々やりたい放題やってきて、ここで急に版権元への不安を募らせるナズサ。

 

「そうですね……」

 

 予想外のナズサの心配事に黒服はしばし考え込む。

 

「私も彼とはあまり深く関わっていないのでこれはあくまで私の所感ですが……」

 

 生気を一切感じない、根源的な恐怖を想起させる果てしない小さな宇宙を浮かべた『神秘』へと見やり──

 

「ナズサさんが従えている“彼女達”は既にユスティナ聖徒会に非ず。それは彼の『複製(ミメシス)という技術で生み出したユスティナ聖徒会を剽窃した』、と見て憤慨しているかもしれません。しかし言うは易く行うは難し。そのユスティナ聖徒会を、例え一部であろうとも自分の色に塗り潰して染め上げる行為がどれだけ困難で無謀で無茶な事か、彼自身が一番に理解しているでしょう」

 

 無残に身体中に傷痕を這わせるナズサを一瞥した。

 

「故にナズサさんの技術と努力、そして秘めたる神秘は認めてくれると思いますよ」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「ですがいつまでも“彼女達”と呼称するのも忍びないので、何か名称を付けませんか?」

 

 説明した通りナズサが率いている彼女達はユスティナ聖徒会とは別の存在と成った。つまりは新たな名が必要だと黒服は提言する。

 

 名は体を表す。このキヴォトスでは尚更その意味は大きい。

 それは利便性もさることながら黒服自身が、ナズサが一体どのような名を与えるのか興味があった。

 

「確かに。でもうーん、そうだなぁ……」

 

 囲むよう疎らに配備した彼女達を、ナズサは顎に手を付けながらぐるりと見回す。感情を持たない筈の彼女達が固唾を飲んで見守っている、そんな錯覚を僅かではあるが黒服は覚えた。そんな気がした。

 

「あっ!」

 

 そして数秒、うーんうーん、と頭を捻っていたナズサに天啓が降りる。

 

「おや、思いつきましたか?」

 

「我ながら忘れていたよ。私の原初を……!」

 

 ほう、と息を漏らして関心を示す黒服。

 桐藤ナズサの原初。キヴォトスでも指折りの異端である彼女の始まりとは一体……?

 

 

「彼女達の名は……『ナギサ様の脳を破壊し隊』で!」

 

「…………」

 

 もはや安堵すら覚え始めた黒服。どこまでも桐藤ナズサは桐藤ナズサであり、欲望の赴くまま、底無しの愛に生きている人間であったのだと。

 だが彼女達もといナズサ命名『ナギサ様の脳を破壊し隊』に、感情を持たないのっぺらぼうの彼女達に、確かに訴えの感情が灯っているのを知覚した。

 

「──ナズサさんらしい名ではあると思いますが、先生達の前では何かと不都合が起きてしまうのでは? せめて略称にするのはいかがでしょう?」

 

「む、確かに…………じゃあ、『ですとろいやーず』で」

 

 喉元まできた溜息をグッと堪える黒服。

 だが安直過ぎるのでは、と遠回しに指摘してみるも更に酷いネームが出てくるばかりだった。

 

 そうしてあれやこれやと捻りだすこと数分。

 

 彼女達の名称は原初に還り『ヴェリーシーミリス』、外の世界では愛を伝える意味を持つ。

 

「うへへ、敵同士になってもまだお姉ちゃんに愛を伝えられるなんて幸せだなぁ」

 

 更にそれは召喚の合言葉となり、元の呪いの言葉よりも悪趣味で悪辣で悪質で────遅効性の毒が()()()側へと襲うことになった。

 

 

 

 

 

ナギサ様の脳を破壊し隊 ~fin~

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ところで話は変わりますがナズサさん。これからはどうやって過ごしていくつもりで?」

 

 それは黒服が一番に尋ねたかったもの。

 彼女は『生まれてきた目的』を達成した訳だが……それでもナズサの人生はまだまだ続いていく。

 

 しかし致命的なことにその悲願は自身の居場所を悉く破壊するものであった。

 当初は下手に触れたら『暴走』という形で、最悪の場合キヴォトスが滅びてしまう可能性もあったが、無事(?)に終えた今ならばと黒服は今後について踏み込む。

 

「あ~、実はまだやり残したことが二つ程あってね。まぁそれが終わったらボチボチてきとーにキヴォトスの端っこで隠居しますわ」

 

 返答は予想外のものだった。

 桐藤ナズサは確かに異端だ。愛している姉を絶望の淵へ叩き落し、その表情を見たがっている邪悪な人格破綻者だ。

 

 だが彼女が心の奥底から姉を愛し、またその破壊した居場所も、何気ない日常を尊んでいるのもまた事実だった。そのちぐはぐさが余計にナズサの異常性を引き出しているのだがそれは置いといて。

 

 兎も角何が言いたいのかと言うと……ナズサはまたあの場所へと帰るプランを立てているものだと思っていたのだ。

 

「口を挟むようで悪いのですが……それで良いのですか?」

 

「そりゃもう会えないのは寂しいけど……本来私は()()だし」

 

 しかしナズサの考えは帰らないことだった。それが意味するのは姉との訣別であり────彼女が嫌悪する三つの事項『バッドエンド』に他ならないのではないか?

 

「確かに少し引きずってはくれると思う……でも大丈夫! 私()()()が居なくても世界は回る! お姉ちゃん達も幸せになれる!」

 

 その時黒服は────恐らくナズサ自身も真に自覚していない、根底に根付いている“それ”を見出した。

 

 桐藤ナズサの異常性は魂の在り方でも、悪質極まりない性癖でも、型破りな神秘でもない。

 

 桐藤ナズサは本当に自分の存在を認めていない。肯定していない。

 皆に愛し愛されていると認識しておきながら一方、まるで大好きなゲームの世界に迷い込んだ異物として、自身を扱い嫌悪していた。

 

 桐藤ナズサは本気で信じている。自身の存在が無くなっても絶対に『ハッピーエンド』は訪れると。

 

 

 

 散々掻き回した挙げ句に雲隠れ。散らかした玩具を片付けずに逃げ回る子供。流石に先生達には同情する。

 

 しかし悪の組織(ゲマトリア)の一員である黒服は何も言えない。何も出来ない。

 

 

 

 

 ────だが“友達”としてはどうか?

 

 

 

 

 それに語弊を恐れずに言うならば……ナズサは先生を少し侮っている。

 

 あぁきっと、先生の輝きを見てはいるのだろう。知ってはいるのだろう。

 

 

 

『しかしそれは脳に焼き付けたものなのか?』

 

 

 

「クックックッ……」

 

「……? 黒服?」

 

 唐突に笑みを深めた黒服は、引き締まったスーツを乱すことなく踵を返す。

 

「では私はこれで失礼します。ナズサさんの更なるご活躍をお祈りいたしております」

 

「なーんか企んでない? 黒服」

 

 訝し気な視線が黒服に突き刺さる。

 

「クックックッ、忘れてはいけませんよナズサさん、そもそも私は悪い大人であり、常に日頃から権謀術数を巡らしているのですから」

 

 相変わらずの要領が掴みにくい、物腰柔らかに婉然とした口調で軽口を叩く黒服。しかし今回は本当に後ろめたいことなどない。

 

 

「ククク……なに、自分の好きなものの真の価値を共有したい。それは友達として至って当たり前の感情でしょう?」

 

 

 それは友達に触発されたものか、悪戯な笑顔を浮かべる黒服だった。

 

 

 

 

 





次章『ナズサの脳に焼き付け隊』

キャッチコピーは「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」


詳細を活動報告の方に載せておきます。






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閑話
述懐



前編

なんてことない、オチもなく退屈かもしれないおはなし




 

 

 

 

「コハルちゃん、おはようございます」

 

「うみゅぅ……もう朝……?」

 

 合宿が開始してから一週間が過ぎ、徐々にこの生活にも慣れてきた補習授業部。

 アズサ、ハナコ、ヒフミの順に起床し。三人の内誰かが朝に弱いコハルへ声をかける。今朝の当番はヒフミだったらしく、無事に落ち着いた朝を迎えることが出来た。

 

「あ、ヒフミちゃんに先を越されてしまいました……」

 

 そこへ平和を脅かす影が差し込む。眉を下げ非常に残念そうな笑みを浮かべるハナコの登場に、寝ぼけ眼だったコハルが一気に覚醒する。

 

「ふ、ふん。もうあんたの好きなようにはさせないんだから!」

 

 アズサの場合一番に風呂へ、それも一緒に入れられ身体の隅々まで洗われ更には着替えまで面倒を見られてしまう。だがそれはまだ事務的なものであり、確かに忙しなく恥ずかしいが効率的で合理的な動きである為まだ理解は出来る。納得は出来ないが。

 

 問題はハナコの場合だ。『私もコハルちゃんと洗いっこしたいです♡』などと宣った暁には、じっとりねっとり身体中をまさぐられ、抵抗しようにも体格差によりねじ伏せられ、一日の始まりからどっと疲れることとなった。

 

 だが見ての通り今朝起こしてくれたのはヒフミ。それは前日の夜、予めヒフミに依頼してのことだった。

 無事に訪れた平穏な朝に、今日はとっても有意義に勉強が捗りそうだと期待を胸に抱えてベッドから降りるコハルだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 腹が減っては戦ができぬ。そして勉強とは即ち戦である。

 着替えを済ませ寝室から食堂へと繋がる廊下を雑談しながら歩く、これも一種のルーティンとなりつつあったが今日は少し様子が違った。

 

「ん? この匂いはなんだ?」

 

 異変を真っ先に察知したアズサが怪訝な顔を浮かべる。

 

「あら……これは」

 

「なんだかすごくいい匂いがしますね」

 

 アズサの言葉に倣ってハナコとヒフミがすんすんと鳴らす。すると微かに、しかし確実に食欲をそそる豊潤な香りが漂っていた。

 

 香りの元はもちろん食堂。となると思い浮かぶのは先生だったがそれだと些か妙だ。

 普段昼食や夕食は時間があるので先生とみんなで協力して作っているが、朝食はパンなどをトースターで焼く簡易的なもので済ませている。

 

 先生は決して料理が出来ないという訳ではないが、朝から一人で本格的な調理をするには流石に時間が足りず気力もいる。

 

 

 となると一体誰が……。

 

 

「まさか……侵入者!?」

 

 最悪を想定したアズサの一言により緊張が走る。

 目配せをし、各々の銃器を構えて扉へと足音を立てないよう忍び足で近づく。

 

 扉に耳を当てると中からは水道を流す音と鼻歌が聞こえた。

 

「まだ気付いていない……今がチャンス」

 

 そしてアズサのハンドサインで一斉に突入すると────

 

 

 

「ん? あ、おはよう!」

 

「…………なんであんたが朝から居るのよ」

 

 そこには台所にてエプロンを装着したナズサが、今しがた使い終わったのであろう包丁などの調理器具を洗い、その手前で先生が食器をテーブルへと運んでいる光景があった。

 

「ふふ……今日は完全オフの日なんだ~」

 

 コハルの据わった視線に全く動じることなく、グッとサムズアップをするナズサ。今朝抱えた期待は半日すら持つことはなかった。

 

「おはよう、もう用意は出来てるから席について」

 

 テーブルを前に先生が柔和な笑みで挨拶をしながら椅子を引く。その振る舞いは後ろで控えているナズサの姿も相まってまるで親のようだった。

 若干、いやかなり呆気に取られながらもおずおずとテーブルの前へ近付く。

 

「え、これ全部ナズサちゃんが作ったんですか?」

 

 と広がる朝食に眼を見開き、思わず口に手を当てるヒフミ。

 

 湯気が立ち昇りツヤツヤと輝く白米。彩やかな金色の焼き加減に仕上がった鮭の塩焼き。廊下にまで漂っていた鼻腔をくすぐるお味噌の香りが、僅かに残っていた眠気を吹き飛ばし腹が勝手に鳴ってしまう。

 

「ですよ~。どうです? 美味しそうでしょ?」

 

 ふふん、腰に手を当ててドヤ顔を披露するナズサ。そんな余りある自信もその筈。この場いる誰もが喉を鳴らし釘付けになっていた。

 

「そんじゃ冷めちゃう前に食べましょ」

 

 エプロンを解きながら席に座るナズサの声掛けに釘付けだった意識が戻る。6人での食事はこれが始めてだった。

 

 

 

「身が程よく引き締まって、でもプリプリとした柔らかい食感も混在していてとても美味しいです」

 

「お米が雲みたいにフワフワしていて不思議な感覚だ……世の中にはこんなのもあるのか」

 

「そう言ってもらえると作った甲斐があって嬉しいですねー」

 

 花丸満点のハナコの食レポ、純粋無垢なアズサの反応にご満悦なナズサ。

 

 実際ナズサの料理はかなりレベルが高い。

 絶妙な塩加減の鮭とお米の相性は抜群に良く、そこにほっと一息つける味噌汁のコンボは正に最強。小食なコハルも思わず箸が進みおかわりをしてしまう程だった。

 

 

 

「そういえばさ、ナズサって賄いでもおにぎりをよく持ってきてくれるけど、もしかして和食が好きなの?」

 

 お椀三杯目に突入し、二切れ目の鮭へ手を出し始めた先生が雑談の一環として気になっていたことを尋ねる。

 

「確かに……こう言ってはなんですが、トリニティの――それもティーパーティーの方々は朝から紅茶に始まり、昼に紅茶、昼下がりに紅茶で夜に紅茶なイメージなんですが……」

 

 それに便乗するヒフミ。一応補足するとヒフミの言葉はまだマイルドに濁した方である。正確には『ティーパーティーの面々は一日最低三回紅茶を摂取しないと死ぬ』『茶葉を奪われたならば武力も厭わない』『ペットボトルの紅茶を敵視している』等散々の噂や憶測が飛び交っていた。

 

「私の場合はそれがお米です。一日三回摂取しないと死にます」

 

「そ、そこまでなんですか……」

 

「はい。これは私の内なる日出ずる血なので抗おうとも決して不可能なのです……そう、ヒフミ先輩とアズサ先輩がモモフレンズの魅力に抗えないように!」

 

「っ! それは仕方ないですね!」

 

「なるほど理解した」

 

「分かってくれますかヒフミ先輩、それにアズサ先輩も……!」

 

 ナズサの言葉に即答した二人は謎に結託し堅い握手を交わす。それはここには居ないかの姉が見ようものなら血涙ものだった。

 

「いや、あんた生まれも育ちもトリニティでしょ……」

 

 そんな二人を冷めた目で見つめながら鮭を口に運ぶコハル。

 

「でも周りが見えなくなってしまう程に熱中してしまうことがあるのは、とても素敵なことだと思いますよ?」

 

「な、なんで私を見ながら言うのよ!?」

 

「いえ、コハルちゃんも“夢中”になれるものがあって羨ましいな……と」

 

「言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ!?」

 

「良いのですか? 声高々に言ってしまっても?」

 

「……や、やっぱり駄目!!」

 

 ここにきて判明したナズサの好物がまさかの和食。

 諸々の問題が解決したらお礼に百鬼夜行の名店へ案内してあげよう、とひっそりと心に決めてご飯を頬張る先生だった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「…………」

 

 春草が咲き誇る白色の花壇のメインロードにて。

 コハルはポツンと一人木偶の坊となっていた。

 

 今年――今日から中等部へと進級を果たしたコハルはこれから訪れる新生活に期待を寄せていた。

 

 圧倒的に広がる活動範囲、本格的な部活動、そして……まだ見ぬ友達に。

 

 しかしその希望はあっけなく打ち砕かれてしまう。

 始業式当日であるのにも関わらず、既に周りにはグループが形成されており進級祝いこれから遊びに行こう、食事に行こうなどの歓談が響き渡っていた。

 

 そして人見知りなコハルがそのグループ達へ入っていける勇気は無く。スタートダッシュに遅れてしまったコハルは、こうして一人帰路へつこうとしていた。

 

 ……ただ誤解して頂きたくないがコハルは強い。

 例え今は砕けてしまおうとも彼女は決して折れない。暫しの間は寂しくともコハルはいずれ“憧れ”を見つけ、かけがえのない友を得る。

 

「やべ〜、どこいったかなぁ?」

 

 だからこれは少しだけ違った世界(過去)

 彼女との出会いで少しだけ、いずれは花開くコハルの笑顔が少しだけ早まっただけの話。

 

 

 

「マズイ、このままじゃ確実にお姉ちゃんに怒られる……」

 

 帰路への足が止まった先には恐らく同じ中等部への進級生の少女。

 コハルよりも僅かに高い背と白い翼。腰ほどまである淡いブロンドの髪はリボンで団子に纏め、周りの目も気にせずトリニティ指定のバッグを背中に背負っている姿は彼女の活発さを表していた。

 

 ただなによりも目立っていたのは……慌ただしく独り言を呟きながら花壇を覗き、そして頭を抱えて蹲っている姿だった。

 

 明らかに困っている。

 しかし周りは同じく進級し、これからの生活や予定に浮かれた生徒達ばかりで誰にも気に留めない──悪意なき無慈悲が少女を襲っていた。

 

 葛藤は過った。恐怖もある。

 それでもコハルに動かない選択肢は無かった。

 

「あ、あの!」

 

「がちでやばい……ん?」

 

 消えてしまいそうか微かな声、しかし少女には確と届いた。

 蹲っていた少女が顔を上げその琥珀色の双眸と合う。

 

 吸い込まれてしまいそうな程真っ直ぐに――先程のハッキリ言って情けない声音が出ていたとは信じられない、同級生の中でもかなり凛々しい端正な顔立ちにファーストコンタクトには相応しくなさすぎる距離で見つめられ思わず声が詰まる。

 

 ぶっちゃけ怖い。

 

「────あ、が、こ、こはっ!? こ、こここここ!?」

 

 が、コハルの緊張は完全に無に消えた。

 ぐにゃりと表情を変化させた少女は、鶏の真似事のような言葉になっていないものを発し始めた。

 

「え!? ちょっと大丈夫!?」

 

 人は己の精神状態よりも遥かに悪い者を見た時、自然と落ち着いてしまうものである。

 

 

 

「それでね、こんぐらいの折り畳み式の財布を落としちゃって」

 

「な、なるほど……です」

 

 なんとか鶏と化した少女を人間へ戻すこと恐らく成功したコハル。正気を取り戻したかと思いきや、今度は挙動不審にコハルの様子を伺い始めた時は、本格的に救護騎士団に連絡しようか迷ったが本人の希望でそれは回避した。

 

 そして改めて一体何を探しているのか尋ねてみると、どうやら少女は財布を落としてしまったらしく両手の人差し指でサイズ感を描く。

 

「よ、よければ一緒に私もお探し、します」

 

「え! ありがとう、コハ……ごほん、失礼」

 

 コハルの手伝いの申し出に先程までの泣き言から一変、目を輝かせながら少女は右手を差し出す。

 

 突然の行動に疑問符が浮かび上がるコハルだったが、僅かに上にある少女の目線へ合わせると──

 

「私は桐藤ナズサ、よろしくね。同級生だし敬語はいいよ!」

 

 ニコリと微笑み自己紹介をした。

 

「────うん! よろしく、私は下江コハル!」

 

 そして少女――ナズサの右手をゆっくりと握った。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「とまぁ、これがコハルちゃんとの出会いです」

 

「とっても素敵でした。コハルちゃんとナズサちゃんとの馴れ初め♡」

 

 午後の勉強に突入してから約3時間半。

 

 休憩に入った補習授業部はナズサが持ち込んだティーセットを使用し、教室の繋ぎ合わせた机で軽いティータイムを送っていた。

 

 女三人寄れば姦しい。

 アズサも加わったヒフミのモモフレンズ再布教、先生が趣味にしているカルチャー、ハナコが考える新たなる美学の時間など、ころころと移り変わる雑談はやがて補習授業部発足前から関係があった一年生ズであるコハルとナズサの関係の話になっていた。

 

 困っていたナズサに声をかけて助けてくれたコハル。

 無事に財布は見つかり、それがきっかけに生まれた二人の友情。特にこれといったオチは無かったが、それは変わらないコハルの根っからの善性が垣間見える――本人は全く自覚していないのが尚のこと──温まるエピソードだった。

 

「あ、でも私の学生証を見て驚いてたコハルちゃんは可愛かったなー」

 

「ちょ! ナズサ!?」

 

 もちろん今のコハルちゃんも可愛いけどね、と付け足してナズサは続ける。

 

「コハルちゃん『桐藤』の字見て狼狽えちゃってね、急にしおらしくなってビックリしたよー」

 

 当時、頭角を現して話題にもなっていた『桐藤ナギサ』。既に中等部での生徒会、ひいてはティーパーティーでの期待をかけられていた少女の名は広く知れ渡っており、またナギサの妹の存在も囁かれていた。

 

「てかさコハルちゃん。確かに私は気にしてないけどそれでもあん時は敬愛を向けてくれてたよね!?」

 

 ぶーぶーと口を尖らせるナズサ。

 

「それはあんたとの付き合いが長くなるほどに消えていったわ。もはやあれは黒歴史よ」

 

「ひどい! ミカちゃんやお姉ちゃんと対応が全然違う!」

 

 死んだ目で返ってきたのは無慈悲な通告だった。

 そんなコハルを大袈裟にわざとらしい泣き真似をしながら肩を揺するナズサだったが、なされるままに面倒くさそうに無視するコハル。

 

「ねーあの時呼んでくれた『ナズサ様』もっかい聞きたいなー?」

 

「……絶対にいや」

 

「えー、一回でいいからさ? ね?」

 

「無理!」

 

「お願い……先っちょだけでいいからさ……」

 

「──っ!? エッチなのは駄目! 死刑!!」

 

「えー? なにがエッチなんですかー?」

 

 待ってましたと言わんばかりにニヤニヤとダル絡みするナズサ。それを赤面で押しのけるコハル。

 

 そんな二人を眺めて意地悪気に口角を上げる少女に、誰も気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 補習授業部の監督としての業務は、みんなへの勉強の指導、過去問から洗い出しての模擬試験の作成と採点が主。

 

 そして現在、俺はその後者である模擬試験の採点を行っていたのだが……。

 

「ハナコ先輩……」

 

「どうかしましたか?」

 

 じと、と自覚するぐらいには据わった目でハナコを見やるも、当の本人は飄々と躱しニコニコ……いや、ツヤツヤとした笑みを浮かべている。

 

 俺の眼前には並べられた全教科迫真の69点の答案用紙達。右を見ても69点、左を見ても69点。

 例えどんな配点をしようとも絶妙なケアレスミスや凡ミスで穴をつき、何度採点してもこの結果に辿り着く。

 

 ……うん、原作ではサラッと流されてたけどこれ“やってる”よな?

 いやね?確かに問題はないわけですよ。現在のボーダーである60点は越えてますし、マジレスするとハナコがその気になったら満点すらも余裕だし、勉強面に関しての心配は一切無い。

 

「ハナコ先輩、この69点って狙いましたよね?」

 

「んー? 一体何のことですかー?」

 

 ただこうも69点ばかり見せつけられると抗議の一つも上げたくなるわけで。

 

「ハナコ先輩、これって新手のセクハラになりますよ……」

 

「――私にはよく分からないんですけど、この数字にナニか意味があったりするんですか? ナズサちゃん」

 

 ……俺は自身の失言に気付いた。もしかしなくてもこれロックオンされてる?

 なるほど、なるほどね。カマをかけたわけですか。

 

 だがねハナコ隊長、それは甘いよ。

 

「コハルちゃーん、助けてー、見てよこれー」

 

 この場には正義実現委員会でありエ駄死警察のコハルが居るのだよ。

 つーわけで模擬試験の間違っていた問題を復習して机にぐてーと溶けているコハルへ、援護を求めてハナコの答案用紙を見せつける。

 

 これでヨシ!コハルのエ駄死は全ての因果を断ち切る最強のカードだからこれで()()()()に終わって――。

 

「……え? な、なに? なんのこと……?」

 

「……え?」

 

 まるで全く知らない言語で話しかけられたかのように、困惑した表情でコハルは俺と答案用紙を交互に見てくる。

 

 ……な、なぜだ!?何故、「エ駄死」判定が出ない……!?

 

 

 

 ────いやいやいや、まさかあの……()()下江コハルに限ってそんなこと……え?

 

 

 

「こ、コハルちゃん……うそだよな?」

 

「え? ホントになに? ちょ、ちょっと顔近いって!?」

 

 待って、待って、待ってくれ。俺はただ描写されなかっただけで、きっと行間の間に69点でひと悶着あったと思っていたんだが──コハルはただ知らなかっただけ?

 

「ふふっ、一体先程から何を焦っているんですか? ナズサちゃん」

 

 後ろから聞こえた声にピシリと身体が固まる。吹き出る汗が止まらない。

 ゆっくり首を回すと、細めた捕食者の目付きをしたハナコがにじり寄ってきていた。

 

「ま、待ってくれハナコ先輩、誤解、誤解だ」

 

「誤解だなんて……私はただ教えて欲しいだけなのです」

 

 誠に遺憾すぎる。このままじゃコハル並、いやそれ以上のむっつりの烙印が押されてしまう……!

 だが周りを見渡しても相変わらず困惑顔のコハル、ばにたす顔で疑問符を浮かべているアズサ、あはは……と笑ってさり気なく安全圏を確保しているヒフミと先生。

 

「手取り足取り教えてくださいね? まだまだ夜は長いので、ナズサちゃん♡」

 

 この後めちゃくちゃエ駄死された。

 

 

 





プレナパテス短編は次回になります





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ナズサの脳に焼き付け隊
爪痕



誤字脱字報告、ありがとうございます。




 

 

 

 廃屋の曇った窓ガラスから覗き込む東雲は、皮肉なほどに美しい。

 遂に決戦の日を迎えたアリウススクワッド達は、改めて作戦の最終確認を行っていた。

 

 欠けた木製のテーブルの上に広げた地図を見下ろす4人(アリウススクワッド)1人(ナズサ)を中心に、ガスマスクを着用した多くの生徒達が囲み、全体を指揮するリーダーのサオリから各小隊長へ再度認識のすり合わせを行う。

 

 これまでアリウススクワッド以外には秘匿されていた存在であるトリニティの生徒の参入に、一般のアリウス分校の生徒達に混乱が発生したものの、サオリからの説明と預かったマダム(ベアトリーチェ)からの伝言、そして何よりもナズサ自身が発する()から、完全に払拭された訳ではないが、一応の落ち着きを取り戻したことで最終確認の作戦会議は滞りなく進んだ。

 

「────以上で作戦会議を終了とする。開始時刻まで各々最終確認を怠るな!」

 

 そうしてサオリが告げた終了と共に(みな)、無言のまま散らばっていく……その中に、桐藤ナズサの姿もあった。

 

「………………」

 

 廃屋に残されたアリウススクワッドには沈黙と困惑が流れていた。

 それは大一番の集大成に取り掛かる緊張感からか……否、これまで訓練を積み重ねてきた彼女達は覚悟を決めている。

 

 問題は全く別ベクトルの話だ。

 普段のアジトに来ては喧しく騒ぎ立てる溌剌とした様とは一変し、作戦会議中も常に肌を突き刺すピリピリとした威圧感を吹き出していたナズサ。

 

 それはナズサの任務を鑑みれば至極当然のものであるが……同時に余りにもかけ離れた。波及して重く圧し掛かり、特に可愛がられていた(餌付けられていた)ヒヨリに関しては完全にたじろいでいた。

 

「リーダー……」

 

 ヒヨリが縋るような目で見てくる。

 こういう時のヒヨリは言動に似合わず強情だ。仕方がない、それに少しばかり気になっていることもある。

 

「……少し見てくる」

 

 だからこれは決して心配などといったものではなく、作戦の成功率や指揮を上げるためにも極力不安要素は排除しておくためだと、誰に向ける訳でもなく自分自身に念を押した。

 

 

 

 ナズサを見つけるのには全く時間はかからなかった。

 

 朽ちた校舎を利用したこのアジトは陽当りが良い。祝福の快晴の下、差し込まれる陽光を浴びながらナズサは玄関の支柱に背中を預けて森を眺めていた。

 表情は穏やかそのものであり、先程までの威圧感は見る影もなく霧散している。

 

 そしてサオリは瞠目する。

 陰になっている校舎から光が当たる玄関へ、一歩近付き一瞬の瞬きの後……光へ慣れたサオリに映った、その僅かに捲られた純白の制服から覗く前腕に刻まれた痕を。

 

 合点がいった。

 先日、バシリカからアツコとナズサが帰ってきた時に感じ取ったアツコの異変。例え仮面に包まれていても分かる。ナズサへ向けていた同級生にも関わらず親のような視線が、全く別の……恐怖や憐憫、そして罪悪感が混じったものになっていたことに。

 

「……っ! サオリちゃん」

 

 やっとこちらの存在に気付いたのか。一瞬目を見開き、さっと袖を戻すナズサ。

 

「あー見ちゃった?」

 

 そして照れくさそうに頬をかきながら笑う。

 

 キヴォトス、特にサオリが育ってきた環境は戦いと訓練が多く占めてきた。怪我や傷など日常茶飯事で、多少のものでは動揺などしない。それは『姫』であるアツコもだ。

 だからこそ分からない。それは……その傷は()()()()()一体どうしたらできるのか。

 

「でも任務には支障はないから大丈夫だよ」

 

 無駄に高いコミュニケーション能力。

 サオリが来た理由を察していたナズサは、健康体であることを示すように伸びながらストレッチを始めながら、サオリへと向き直る。

 

「……本当にやれるんだろうな」

 

「もちろん! 『正義実現委員会とシスターフッド、及びティーパーティーの足止め及び排除』でしょ? 任せてって!」

 

 ニコリ、と屈託のない笑みで古巣への宣戦布告をするナズサ。

 そういえば終ぞナズサがトリニティを裏切るその理由は明かされなかった。

 

 ────得体の知れないものがサオリに湧き上がってくる。

 

「それがどういう意味か、分かっているんだろうな……!」

 

 抑えられない。衝動となったそれはサオリを突き動かし、ナズサの胸倉を掴む。

 

 なにかが溢れそうになる。心の奥底からの呼び声────()()()それを言うのか?この状況を、この傷を付けたのは誰だ?

 

 うるさい。振り払う。雑念は捨てるんだ。そう全ては所詮────

 

「vanitas vanitatum et omnia vanitas.」

 

「…………は、?」

 

 その呪いの言葉の意味を知っている。散々叩き込まれた私たちの象徴。

 だがそれがナズサの口から漏れたこと。

 

 それが痛かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ただやりたかったんですよ。オレは。生まれた時からずっと」

 

 口端を吊り上げ覗き込む。覗き込まれる深淵。琥珀色の渦が先生を捉えて離さない。一秒が長く、長く引き伸ばされていく錯覚が先生を包み込んでいた。

 

 この構図は、明らかに仲が良い生徒と先生。それこそまるで恋愛作品にありそうなワンシーンは、しかして今しがた目の前で裏切りを名乗り多くの生徒を親しい人を傷つけて敵対した、この場に置いて最も危険な人物との距離感ではなく、更にはヘイローを持たないという特別な存在である先生は文字通りに生殺与奪を握られていた。

 

 しかし、周りの生徒は動けない。それは困惑や動揺などではなく────例外として一人、完全に消沈した者が居るが────先生を囲むツルギ、ハスミ、ヒナタ……を囲むように配置された聖徒だった者たちを動かさないために。

 

 聖徒だったものは現在沈黙しているがそれはナズサが命令を下したから。下手に刺激すればナズサが一声かけて通常の聖徒とは異なり、統率を取りながら徹底的に一斉射撃を行うだろう。そうなればいくらツルギ達であろうと先生を守り切れるかは怪しい。しかし、このままではナズサ自身が直接先生に危害を加える可能性があるのも事実。

 

 ジレンマが広がる。

 

 先生も見るからに動揺し冷や汗も流している。だが一歩も引かない、目を背けない。離れてしまったら負けなのだと、野生動物同士の威嚇のように本能のどこかで感じ取っていた。その一見無意味なプライドがきっとこの膠着状態を保っている要因だった。

 

 しかし、この状況もいつまで続くかは分からない。生徒達がこの困難な状況をどう切り抜けるか頭を回していた瞬間、先生が口を開いた。

 

「“……ナズサ、君は────”」

 

 だが、バランスの綱引きの何かが結びつけられそうな瞬間、先生が言葉を発する前に────

 

「先生っ!!!」

 

 一心に思い叫ぶ闖入。

 その声はその少女の生涯で最も大きな声だった。しかし、彼女自身はその声の大きさや身の振る舞い方を気にしている余裕はなかった。

 

 

 ──ズガガガガガ!!!

 

 

 一発一発が地面を抉り取る威力の弾丸が誇張なしに雨のよう降り注ぐ。

 勿論誤射など言語道断。聖徒と聖徒だったものを、容赦なく的確に撃ち取っていった。

 

 同時に膠着していた事態も急変。

 ヒナの登場にナズサは不敵に微笑みながら、先生とは最後まで目を離さずに後退。ツルギ達も言葉を交わさず瞬時に役割を分担しハスミは聖徒達、ヒナタはナギサの保護に、ツルギは真っ直ぐ先生へ向かう。

 

「正義実現委員会、先生をこっちに! 今は時間が無い!」

 

「ヒナ……!」

 

 額から流れ出る血をも拭うことなく、際限なく沸いてくる聖徒を薙ぎ倒し、瓦礫の山を駆け下りながら手を伸ばすヒナ。

 

「…………」

 

 ハスミの目が険しくなる。

 過るのはゲヘナとの切っても切れない因縁。結ぶはずだった条約。そして調印の直前までの両校の生徒達の表情。

 

「……分かりました」

 

 決断は迅速だった。

 

「先生、ここは私が敵を止めます。後はあの風紀委員長がきっと何とかしますから急いでください!」

 

「“ハスミたちは!?”」

 

 ハッキリ言ってこの問答をするまでも無く、先生はハスミ達が何をするのか分かっている。

 だがそれでも先生の矜持がそれを認めたくない。

 

「私たちは先生の退路を守ります」

 

 視線はナズサから逸らさず、割って入ったのはツルギ。その目には随時戦闘の際に灯す殺気とは違う覚悟が宿っていた。

 

「先生、今トリニティの首脳陣はほぼ壊滅状態です。シスターフッドもティーパーティーも動けない今……先生にまで何かあっては、本当に収拾がつかなくなってしまいます!」

 

 ハスミの言葉は痛いほどに正論だ。恐らくゲヘナ側の上層部も麻痺している今、この混沌は両校だけに留まらず最悪の場合キヴォトス全土まで広がってしまう可能性がある。

 そもそもこのエデン条約自体がシャーレが……先生も担っている一端がある以上、いち早く安全圏に避難し事態を整える責務がある。

 

 確かにツルギ達は強い。先生なんかよりもよっぽど身体能力も高く、銃弾の一発や二発如きで命を落とすこともない。

 しかし相手は未知の神秘の塊、古聖堂を破壊しつくしたミサイルが控えている可能性もある。そして……ナズサの存在が────

 

「先生、ナギサさんをお願いします」

 

 振り向くとヒナが現れたのと同時に、ナギサの保護に回っていたヒナタがナギサを連れて帰ってきていた。

 ヒナタに腕を引っ張られる形で連れてこられたナギサの目は虚ろにして何も映しておらず、応答は確認できずただひたすらにかくかくと首が船を漕ぎ、まるで眠気に襲われた幼子のよう。普段の毅然とした様相とはかけ離れた、辛うじて立っているだけの人形になっていた。

 

「“ナギサ……”」

 

 返事はない。

 交錯する感情を噛み締めてツルギが構える方向へ見やると、集合させた白と橙の聖徒達の前で笑みを絶やさないナズサの姿。

 

「先生の無事を祈ります。その道は、私たちが守ってみせますから!」

 

「……先生!」

 

「先生、急いで!」

 

「お、お願いします! 今は行ってください、先生……!」

 

「…………っ!」

 

 逸る気持ちを抑えて、生徒達の思いと覚悟を無駄にしないため、未来へ向かうため────ナギサの手を取った。

 

「風紀委員長……! 先生を、ナギサ様をよろしくお願いします!」

 

 その言葉はトリニティの、正義実現委員会の彼女にとって最大限の誠実と決意だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 しかし、現実は無情だ。

 戦線を離脱するまであと少しのところで現れた援軍。四人の少女達が先生の前に揃う。

 

「ゲヘナの風紀委員長、ようやく倒れた」

 

「や、やっとですか……痛かったですよねぇ、よくあの傷でここまで……」

 

「“ヒナ……!”」

 

 倒れこんだヒナに駆け寄る先生。ヘイローが確認出来る事から意識は失っていないものの、声を上げるどころか指一本動かすことも叶わないのか、愛銃のLMGを肩へかけたままに手放す姿は痛々しい。

 そもそも巡航ミサイルの奇襲で既に大ダメージを負っていたなか、先生とナギサを単独で護衛しつつ、湧き出る聖徒達に大立ち回りしていた時点で他とは一線を画していた。

 

 しかし彼女も一人のヘイローを持つ人間だ。いずれ限界は来る。

 

 残されたのは直接的な戦闘能力を保有しない先生と、俯き動くことすら出来なくなってしまったナギサ。

 状況は絶望的、詰みと言っても差し支えないものだった。

 

「“……君たちがアリウススクワッド?”」

 

 ならばここで先生が行える最善策。それは時間稼ぎであり悪足掻きであり……()()との対話だった。

 

「……ああ、そうだ。私たちが『アリウススクワッド』。ようやく会えたな、先生」

 

 紺のキャップとマスクが特徴的な少女(サオリ)が頷く。それは先生を前から認知していた反応だった。

 それもその筈、アズサは元々アリウススクワッドと連絡を取って適宜、自身の環境やトリニティの動きを報告していた。勿論その仔細は既に事情聴取で済ませている。

 

 つまりこの襲撃はアズサにも秘匿されていたものであった。

 そしてサオリは語った。この襲撃の真の目的を。

 

 かつての分校としてエデン条約に調印という形で参加し、楽園の名の下に条約を守護する武力集団、『エデン条約機構(ETO)』を掌握。トリニティとゲヘナの双方を戒律の守護者と共に、鎮圧対象として文字通りキヴォトスから消し去ると。

 

「そして丁度いい、邪魔者が……それも特にマークしていた二人がここに居る」

 

 問答の終了を告げるようにカチャリ、と銃口が向けられる。先生の命が握られた。

 

「……どうやらナズサはしくじったようだしな」

 

 引き金に指がかかるその瞬間、本当に瞬きの間だったが先生の背後に座る少女を一瞥し、ボソッと漏れ出た呟きに僅かな安堵が含まれていたことを、先生は見逃さなかった。しかし時は止まらない。暗いトンネルの先が輝きだして────

 

 

「ああぁあぁぁぁぁっ!!!」

 

 

 同時に喉が裂けんばかりの絶叫が轟いた。

 

 ────ガンガンガン!

 

 銃弾が弾け、合金同士が衝突したような異音が鳴る。それはサオリの銃弾を先生からヒナが身体で庇えたことの証左だった。

 

「セナっ! こっち!」

 

 脇にナギサを抱えて空へ合図を出す。瞬間、地面を削るようなドリフトを決めながら、一台の救急車がサオリ達を横切った。

 

「先生! 手を!」

 

 そのまま速度を落とすことなく真っ直ぐに先生達へ向かい……ヒナは最後の力を振り絞り、躊躇うことなく開かれたドアへ飛び込み、先生は車から乗り出している一人の生徒、氷室セナの手を掴んだ。

 

「逃がすかっ!!」

 

 が、一気に加速していく救急車へサオリが狙いをすませて……一発。

 

「がっ……!?」

 

 タン、とこの戦場では余りにも静かな一発は、先生を貫いた。

 

 

 





ナズサ「俺もばにれた...かっけぇ...」

お久しぶりです。

プレナパテス短編削除について、Twitterで詳細を上げました。
https://x.com/Uplay4321/status/1718788790750474586?s=20




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こわしかた、こわれかた


あけましておめでとうございます




 

 

 

 思考が纏まらない。意識が覚束ない。光の届かない深海で浮いているような、ナギサの五感はそんなあやふやなものになっていた。

 

 その中でただ反芻するにわかに信じ難い情景と彼女の告白。

 清涼感のある声色と変わらない子供じみた笑み。舞い踊る羽のよう自由気ままに動く体躯と、併せて揺れる今朝結んだ自慢のブロンド。

 

 それらが唐突に、目の前で変貌……いや、それこそ()()した。

 

 常に相手を慮り時には冗談を、時に姉である自身に甘えていた喉から破滅を叫び。彼女の十八番でもあった無条件の好意を示す笑みは、敵意と悪意に満ちた獰猛で凶悪なものに。今まで一度たりとも向けた事は無い銃を構え、紡いできた関係を解くかのように結んだ髪を解く様をありありと見せつける。

 

 そんな彼女に対してナギサに沸いたもの――心配と怒り――相反するように見えるそれは、どちらも密接に関わるものであり同じ方向を向いているもの。

 そしてこれまで何度も何度も生み出してきたもので、きっとナギサにとってはそれは日常の一部だった。

 

 

 だが今回は今までとは決定的に違った。

 叱り付けた時に見せる表情は消沈したものでも、居心地悪げに『ごめんなさい』と謝る訳でもない。

 

『ずっと大っ嫌いだった』

 

『姉妹ごっこ』

 

 敵意と嗜虐に満ちた笑みを浮かべて紡いだ言葉は確固たる意志を持ち、明確にナギサを傷つけ突き放し何もかも一切合切を破壊するものだった。

 

 初めて聞く声音、初めて聞く一人称、初めて呼ばれた敬称。

 

 盤石のはずだった足場が粉々に崩れていき、世界から色彩が失われていく。

 嘘だ。理解ができない。したくない。言葉の意味を脳が拒絶する。

 

 しかし確として鼻腔に燻る硝煙の香りと微かに残る頬を包んだ温もり、煤と埃に塗れた新調したはずの制服が現実逃避は許さないと追い詰めてくる。

 

 何も見えず感じない海底へ叩き落され、そこでゆっくりと思考を繋ぎ止めて少しずつ浮上する。だがそうすることで見えてくる絶望の太陽光(記憶)。また沈み込み、やがて浮上する。この数十分間、ナギサはひたすらにその繰り返しから抜け出せずにいた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐっ……あ、あああああ!!!」

 

 そして不幸なことに────トドメとばかりに絶望の海からナギサの意識を引き上げたのは、また別の絶望だった。

 

「……あ、え?」

 

 響き渡る張り裂けそうな絶叫に、喉から息が漏れ間抜けな声が出る。ぼやけていた音と視界が鮮明になり、ただ開いていただけの眼に情報が映った。

 

「絶対に死なせませんから……!」

 

 脂汗を浮かべながらもその瞳に諦観は無く、一刻も無駄にせんと手際よく処置を施す生徒の姿。

 

「■■……■生!! いやっ……いやだ!!」

 

 今にも泣き出しそうな悲痛な面持ちの襤褸切れのような有り様の生徒――空崎ヒナの必死な呼び掛け。

 

 気持ち悪い汗が背中を伝い、心臓の拍動が早まる。

 無意識に目を逸らしていたソレに顔が勝手に向いていく。ダメだと本能が訴えるも背くことは許されないと理性が囁く。

 

「う、あ……?」

 

 ピッピッと無機質な電子音が鳴る先に……寝台からぽたぽたと滴る赤。それが湧き出る源泉は────酸素マスクを取り付けられ、苦悶の表情を浮かべながら声を荒らげる先生の腹部からだった。

 

「せ、先生……?」

 

 絞りきった雑巾のようにボロボロな震える声と共に一歩身を乗り出した瞬間、ぴちゃりと不快な音がした。

 ただの反射で視線を落とす。そこには煌びやかに輝く赤い水溜まりのなか、純白のローファーが儚い一輪の花の如く咲いていた。

 

「…………」

 

 それが一体何なのか、足が誰のものなのか。停滞していた思考に理解が追いついてくると……逃げるように足を動かす。

 しかし逃走は許さないとばかりに波紋が広がり……同時に跳ねた■が純白のローファーに禍々しい赫を施した。

 

 踏みつけた血溜まりには青ざめた自身の顔が映り……瓜二つの彼女を想起する。

 キヴォトスにおいて見えにくい概念であった『死』が()()急激にナギサへと迫ってくる。過去に起きた同級生の訃報――あの言葉に詰まった衝撃と、猜疑心に囚われる恐怖が蘇る。

 

 ただ一つ違いがあるのだとすれば。

 

 それを齎した人物は容疑ではなく確定的であり。あの日々をずっと味方で居て支えていた人。

 何よりも嫌悪するのは今の今まで混濁していた筈の思考回路が、やけに冷静で迅速に結び付けてしまう自身の謀略家な側面と、その矛先が大切な妹に向かって――――

 

 余裕などとっくに無くなっている決壊寸前のナギサには余りにも残酷なブレンドだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 古聖堂での事件による混乱は、既に両校内へも浸透していた。

 

 苛烈を極める戦場と化した古聖堂。現場から次々と報告、更新され移り変わる状況。不安に駆られて疑心に満ち起こる二次災害とその鎮圧。各上層部からの矛盾した指示に振り回される実働隊。

 

 それは共に歩んだ補習授業部の彼女達も例外ではなく。

 一人は元来の所属であった正義実現委員会として動き、一人はその洞察力と叡智を駆使して指揮を執り、一人は忽然と消えた親友の行方を探し……そして一人はかつての仲間達と対峙していた。

 因縁の持つ両校の架け橋のきっかけとなる筈だったエデン条約。その締結日の今日、情報が錯綜し入り乱れる現状は、楽園の名を冠するそれとは真反対の地獄絵図のような有り様。

 

 全てが見える。現実世界のみんなの動きがリアルタイムで、まるで物語を読んでいるかのような俯瞰した光景が脳内に直接流れ込む。

 それが超常的な現象であると違和感を覚えた途端、先生の意識は覚醒した。

 

「…………」

 

 声は出ない。辺りを見渡すとそこはティーパーティーの茶会の場として利用されるバルコニー。輝く星々がよく見える位置にある丸テーブルを囲む一席に先生が座り、対面にはティーパーティーの制服を纏った少女。

 その光景に既視感を覚えると同時に、救急車で搬送されている最中激痛で意識を手放したこと。これまでも何度かこの空間に訪れた……招かれていた記憶が蘇った。

 

「皮肉なことだ。もしかしたら……それも彼女は予見していたのかもね」

 

 諦念を帯びた少女は事件の顛末を語る。

 この襲撃の真の目的、それはエデン条約に介入しその内容を書き加えること。この条約が結ばれることでトリニティとゲヘナ間の紛争を担う“エデン条約機構”はアリウススクワッドが担うと。

 

 太古の御伽噺からもそうだが、約束や戒律、契約というものは重要な概念であり、この神秘が溢れるキヴォトスだからこそそれは変わらない。

 

「……今更な話かな。なにせ実際に君はそういった概念を利用して誰かを救ったことがあるはずだ」

 

 それと同じことなんだよ。

 

「そして今回は“各学園の代表者”が集い“特別な場所”で約束を結ぶ。これは明らかに“公会議”の再現だ」

 

 例えその存在を人々が忘却したとしても、決して抹消することは出来ない。

 戒律の守護者、ユスティナ聖徒会の助力を――正確にはその複製(ミメシス)であり、その専売特許はゲマトリアにあるのだが――つまるところ契約を曲解し、歪曲し、自分達の望む結果を捏造したことで起きた惨劇だと。

 

「取り返しのつかないほど膨れ上がった憎悪が発端となり……いや、発端という表しは適切でなかった」

 

 そこで少女は言葉を途切り俯く。僅かに覗けた表情は悲哀が広がっていた。

 そして数瞬の沈黙の後、今にも消え入りそうな可細い声を上げる。

 

「……先生、私はこれらのことを事前に全て知っていたわけではないんだ。あくまでも、君の夢を通じて観測しただけだ」

 

 ぺたんと力なく少女の耳が座った。

 それまで厭世的でありながらも、立ち振る舞いの一挙手一投足に兼ね備えていた優雅さが失われていく。

 

「だから……私と君が抱えている疑問は同様のものだ」

 

 一見脈絡が無いように感じる婉曲な言い回しと説明……それは認識の摺り合わせであり、不可欠なものだと先生は察した。

 

 桐藤ナズサについて――

 

 アリウススクワッドは組織ぐるみで動いていた。

 エデン条約を締結する今日に巡航ミサイルを撃ち込み両校の主戦力を分断し、何らかの方法を用いて強大な軍隊を手に入れた。そしてナズサも恐らくそれには加担していることは、本人の言動やリーダーと呼ばれていた生徒の言い回しから予想できる。

 

 形式や結果はともかくアリウススクワッドには権利があった。動機も『ゲヘナとトリニティを文字通りキヴォトスから消し去る』という発言と、第一回公会議の結果弾圧されて追いやられた過去から汲み取れる部分がある。

 

 彼女達の辻褄事態は合うのだ。

 だからこそ……あの場に現れた歴としたトリニティの生徒に、何処か継ぎ接ぎのような歪な違和感を感じる。

 

「…………私の、せいだ」

 

 その言葉が啖呵を切ったのか。

 ふやけてしまった紙のようにほろほろと、振る舞いから順に崩れていく。

 

「未来を背き眼を逸らしていた罰が……そんな言葉すらも烏滸がましい」

 

 眉根が下がり切った瞳は濁り虚を見つめる。

 

「結局、私が脆弱な臆病者であったが為に……だめだ、こんなものただの……」

 

 理路整然と語っていた口調は感情を直情的に吐露し、強い責任感に駆られた自罰へ変わっていく。

 

 トリニティとゲヘナだけではない。

 大切な友人達に、あの姉妹に不幸が訪れると()っていたはずだった。だがそれでもまさか“あんな姿”に変貌してしまい――そんなこと口が裂けても言う資格など無い。直視することから逃げて、()()()()()して諦観したのは他でもない自分自身だから――

 

「すまない……すまない」

 

 そんなムシのいい謝罪は誰にも向けてはならず、決して届くこともない。

 それでも言葉にして出さずには居られなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 両手で身体を抱きかかえて縮こまる姿は今にも砕けてしまいそうで。

 

 先生の前に居たのはただ一人の“生徒”だった。

 

 

 





誤字脱字報告ありがとうございます。
お気に入り、感想、ここすき励みになっています。

書き方を完全に忘れていて今回はかなり短いです。すみません。
これからは出来るだけ短いスパンで投稿出来るように頑張って、最低でも年内には完結を目指していきたいので、どうかこれからも読んで頂けたら嬉しいです。

今年もよろしくお願いします。




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夢幻泡影

 

 

 

 聳え立つビルに映るクロノスによる臨時ニュース。見上げる聴衆の間を脇目も振らずに掻い潜り、突き進む。

 

『このまま終わりではない』

 

 そんな纏っていた予感が確信になった時には、既に手遅れであり──アズサは駆け出していた。

 

 自身に課せられていた任務。百合園セイア及び桐藤ナギサの暗殺とトリニティに編入してのスパイ活動以外にも、自分に伝えられていない別の計画の存在は察していた。

 勿論その情報は正義実現委員会からの聴取の際に共有し、自身にいつ何が起きても動けるように備えてはいたが……まさかあんな物(巡航ミサイル)を用意して、厳重に敷かれた警備のなか行われていた調印式の現場を急襲するなんて……!

 

「……っ!」

 

 悔し気に歯噛みするアズサ。

 脳裏に反芻し響き渡るは『vanitas vanitatum et omnia vanitas.』

 この世の全てはただ虚しいだけ。

 

 それでもアズサは抵抗する道を選んだ。

 

 トタン屋根一枚の下、穴の開いた壁から吹き通る風に震えながら眠ることも。飢えや傷に苦しみながらひたすら反復する訓練を行うことも。

 全てはこの先自分と同じ苦しみや悲しみを、過ちを繰り返さない為に。絶対に抵抗することを諦めないと。

 

 何よりこの数週間。補習授業部の仲間と共に様々な学びを、体験を、とても大切な時間を過ごした。そしてこれからも大切にしていきたい。

 ただ真っ直ぐな……眩い程にひたむきで淡い気持ちを胸に進む。

 

 

 

 しかし現実は余りにも無常で冷たく、少女の願いを捻り潰すかの如く突き付けてくる。

 

 辿り着いた式場。隆起した瓦礫の山を乗り越え、眼前に広がっていたのは……悲鳴と銃声が木霊する戦場だった。

 空は黒煙に呑まれて青さを失い、硝煙の匂いが鼻を刺し、並び立つビルのガラスは全て砕け、歴史ある古聖堂は崩れ去って土となり所々で火を上げている。

 

 

 その願いはとても甘くて優しい……この条約(エデン)の名のように。

 

 

 自身の正体と目的を明かした際のハナコの言葉が過った。

 それはハナコの意地悪な──確かに手厳しく的を射てはいたが、本心であると同時にアズサを慮ってのもので第一にハナコはアズサを否定することは無く、寧ろそのアズサの姿勢のおかげで変われたと言ってくれた。

 

 だが急速にその言葉がアズサに重く圧し掛かり膨れ上がっていく。

 

「く、うっ……!!」

 

 自分が今どこに立っているのか、曖昧になりそうな程沸々と湧き上がる物を抑え込む為に強く歯噛み愛銃を握り締め、強く瓦礫を踏みしめて一歩一歩進む。

 分かっている。これに身を任せるのは視野を狭くするだけであり、状況を俯瞰しゲリラ戦を主軸に戦うアズサにとってはただの悪手だ。

 

 でも……それでも。

 

「っ、あああぁぁぁぁっ!!」

 

 共に訓練に明け暮れた旧知の仲であり、この襲撃を指揮するリーダー……錠前サオリの姿を目にした瞬間、技術も技能もかなぐり捨てて吶喊していた。

 

 

 

 

「……相変わらず未熟だ」

 

 しかし情動に任せて動いただけで奇跡や魔法が起こり、都合が良くなるのならばこんな惨状に陥ることもない。何処までも現実は現実のまま少女に降りかかる。

 声を張り上げながらの奇襲など意味を成さず、正面切っての単純なフィジカル勝負ではサオリに軍配が上がる。

 

「何も考えずに突撃とは正気か、アズサ?」

 

 短く嘆息したサオリは、蹲りながらも毅然と睨むアズサに目を細め辛辣に言い放つ。だがそれは至極当然の……長く苦しい訓練を共に過ごし、互いの能力を熟知しているからこそのもの。アズサに反論の余地はなくただ痛みを堪えることしかできなかった。

 

「まぁちょうど良い、お前がわざわざ来てくれて手間が省けた。何が起きているのか教えてやろう」

 

 これまでアズサに隠していた計画……真の目的をサオリは告げた。

 エデン条約に介入して書き換えることで、アリウススクワッドが『エデン条約機構』となり、戒律の守護者ユスティナ聖徒会を複製(ミメシス)したものを使いゲヘナとトリニティを消し去ると。

 

 荒唐無稽な話だと言い切れたのならばどれほど良かったか。幾百にも及ぶ不死身の軍隊。しかも過激な武力集団としてその名を馳せていた伝説だ。

 

 現に今、戦場は彼女達が暴れ回っており混乱が収束する兆しは見えない。

 

『アズサ、今からでも──』

「……アツコ、それはできない」

 

 仮面を被ったアツコが手話でアズサに伝える。

 

 アツコはいつもそうだった。アリウスで共に育ったみんなに手を差し伸べて家族のように優しく接する。裏切った今のアズサにでさえ変わらずに。

 それを振り払うのはとても心苦しかったが、決して譲れないものがあるアズサは躊躇うことはしない。

 

 こうなった場合のアズサは梃子でも動かない。アツコは手話を解きサオリへ顔を向ける。

 

「やめておけ、姫。今は無駄だ。あいつの意地を折るのはそう簡単じゃない……前々からそうだろう?」

 

 そんなものは見越していると半ば諦めのような──そこで止まればよかった。

 サオリは続ける。アズサが裏切りここまで固い信念を持ったのは、傍で都合よく煽り、真実を隠し、事実を歪めて嘘を教える悪い大人が居たからだと、ただ事実を並べる検察官のように──

 

「まぁ、その先生も既に()()()()。だから後はもうゆっくり教え直せば良い」

「…………っ!!」

 

 一言。そこには何の感情も感慨も挟まずに粛々と告げた。

 言葉を受け止めきれず固まるアズサへ、一歩ずつサオリは詰め寄っていく。

 

 思い出せ。所詮この世は全て虚しい。

 トリニティで得た大好きな人が、白洲アズサを受け入れて一緒に過ごすのはさぞ楽しかっただろう。正に甘美な夢のように。

 

 だがそれは唯の夢。眉唾物だ。

 そのせいで真実から目を逸らし、都合の良い優しく甘い嘘に目が眩んだ。それこそアズサの弱さであり、結果としてこうして惨状の真ん中で敗北している。

 

 アリウス自治区で育ち学んだ『白洲アズサ』を理解して受け入れてくれるのは、ここだけなんだと。

 私達を本気で止めたいのならば、ヘイローを破壊してみろ。私達を騙してまで綺麗な場所に残ろうとする、そんな都合の良く事が運ぶことなどない。『殺意』を研ぎ澄ませろ。

 

 紡ぐ度に強くなっていく語気。蒼い眼光が逃がさんとばかりにアズサを射抜く。

 迫られたアズサは詰まっていた。だがそれは答えが決まっていないからなのではなく────

 

「サオリちゃーん!」

「…………え?」

 

 悲鳴と怒声が木霊する戦場に、コロコロと軽やかに鳴る鈴のような、一種の清涼感を覚える声が聞こえた。

 

 全身の筋肉が硬直し、身動きが取れない。

 例えセイアに本心を見抜かれた時も、ミカがアリウスを引き連れて現れた時も、巡航ミサイルが着弾したニュースを見た時も、衝撃や動揺を覚えはしたもののこんな感覚には陥らなかった。

 

「ごめんごめん。とりま一仕事終えたけど、桐藤ナギサが逃げちゃってそっちに来てな……お?」

 

 まさか、そんなはずは無い。だって彼女は……。

 まずは眼で、それから徐々に緊張が解けだした首を傾ける。

 

 ブロンドの長髪をなびかせて、大胆に肩口が開かれた純白のドレスを纏う一人の少女。

 様相は変わり果て、目元を覆い隠す仮面によって表情は窺えないが、露出している口角の上がり方と聞き馴染みのある溌剌な語彙。

 

「おやおや、これは奇遇ですね♪ アズサ先っ輩!」

「──どういう、こと」

 

 隠されていたもう一人の真実。この世界に置ける最大変数であるジョーカーカードがアズサに舞い降りた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 怜悧な顔立ちでありつつも、あくまで彼女も年頃の少女であることを感じさせる童心が籠る透き通った薄紫の双眸が、動揺の色へと曇り震えながらはち切れんばかりに見開かれていく。

 

 “敵”を目の前にしながら、警戒心よりも情報の整理がキャパオーバーしちゃって普段なら絶対に有り得ない隙だらけのアズサ。

 

 

 っっっあーーー!ヤベぇわこれ!!

 どんどんどんどん修羅場になってくぅ〜!これじゃ復学なんて夢のまた夢だよ~!ていうかアズサ先輩のそのお顔、かぁいいねぇ〜〜〜!!!

 

 

 ……いやホントにね。別にアズサ先輩と会うつもりはなかったんだよ?ガチの偶然。

 正実とシスターフッドの足止めに一区切り付いたから報告に向かおうとしただけで。

 

 だから普通にビックリしちゃったわ。ほんでここは良き後輩たるもの、しっかりと気さくな挨拶を送っただけなのに……。

 

 何なんですかー!?まるでこの場に居合わせない筈の……それこそ亡霊を見たかのような表情は!?素敵過ぎます!!

 まぁある意味では過去の遺産である複製(ミメシス)されたユスティナ聖徒会とか、それらを掠め取って引き連れてきたこの娘達は亡霊みたいな超常的存在ですけれども。あ、でもそう言うと俺も本来ならばこの世界に存在しない筈のモノだから少し似ている部分があるか!はは!

 

 ……いや、この世界(ブルアカ)の過去に居た存在と、初めから存在していない俺を似ていると言うのは余りにも烏滸がましかったわ。今のは訂正でお願いします。

 

 

「ナズサ……なんで、なんで君が。それにその姿……なんで、だって、あんなにもみんなの、補習授業部の為に──!」

 

 瞠目し呆然と固まりながらも、こちらを見据えて問いただす。そこに困惑はあれど焦りはなかった。

 

 こと戦闘に於いての思考の速さと柔らかさは、このキヴォトスのトップに君臨するツルギ先輩や、ゲヘナシナシナモップ(空崎ヒナ)にも引けを取らないアズサ先輩の数ある長所の一つだと思っているんだけど、同時に少女然というか年相応の未熟な部分もあるんだよね。

 

 彼女はもう既に俺を裏切り者の敵と認識はしている。でも感情が受け入れていない、だからこんな意味の無い問答を行ってしまう。

 必要なのは冷静に無慈悲に割り切って即断即決、それをアズサ先輩は持ち合わせておらず……そこがまた彼女の長所。

 

 個人的な解釈だけど白州アズサというのは、先生と精神性のベクトルがかなり似ていると思うんだよね。全ては虚しいと教え込まれたアリウス自治区の、エデン条約編という荒野に咲く、一輪の花の如く逞しくて真っ直ぐなヒーローだと思ってるんだ。

 だからこそ諦観を決めて厭世的な振る舞いをして絶望に耽っていたセイアも、そんなアズサに無意識に触発されて選択肢を与えたんだと思っている。

 

 だけどさっき言った通り彼女はまだ十六の少女。

 時には路頭に迷い、自身の選択を悔み、罪悪感を募らせて進めなくなる事もある。まぁそれでも必ず起き上がり、たとえ間違った道だとしても歩を進めてしまう強さと危うさがあるんだが。

 

 そこに寄り添うのがそう!我らがファウスト!補習授業部部長!阿慈谷ヒフミ元帥その人である!

 

 補足というか、誤解を招かない為に言わせてもらうけど必要なのはヒフミ先輩だけではないよ?補習授業部の仲間であるハナコ先輩とコハルちゃん、先生も大事な存在さ。

 ただあえてね、あえて一人上げるのならばそれはやはりヒフミ先輩なんだよ。貴重なモモフレンズを通して急接近した同士で、夏には戦車をかっぱらい海にも行った。お泊まり会や一緒に映画を見る約束もしている。それにこの後訪れる色彩によって出現したヤツの────これ以上はネタバレになりますね。

 

 まぁ何が言いてぇかっていうと────

 

 

 ヒフアズてぇてぇ

 

 

 これなんすわ。

 きっと一人でも立ち上がれてしまうアズサ先輩を、昏い沼へと進んでいけてしまうアズサ先輩を!思いっきり引っ張り上げて声高らかに宣言する。王道にして正道。透き通った世界観を売りにしてるゲームは流石だなぁ!

 

 

 ────だからこそにやける。ニチャる。ヤバい、抑えないと……あ、でも今は()()()()なら笑っても大丈夫か。

 

「くヒュッ……ははは! アハハハハ!!」

「────っ!?」

 

 ちょっとだけ、先っちょだけのつもりだったのに。あかん、俺の蓋がガバガバすぎて溢れるの止まらん。

 

「っぱりですねぇ……“先生”も同じこと言ってましたよ!」

 

 だってだってだって……。

 だんだんと、どんどんと困惑の色が強くなっていくアズサ先輩のお顔が。驚愕とは違う、苦虫を噛み潰したよう僅かに目尻に涙が浮かんで見開いていくその眼が!

 

 あー!解釈一致です!解釈一致です!お客様困ります!あー!あーーー!!!

 

 

 

 ……ふぅ。

 

 まぁあんまりアズサ先輩に酷いこと言うのは、流石の俺も良心の呵責があるというか。リスペクトしているヒフミ元帥に顔向けできないのでここはマイルド(当社比)にしておきましょうか。

 

「アズサ先輩、必要なのはそれですか? 私はサオリちゃんと手を組んでいたんですよ。ね! サオリちゃん!」

 

 アズサ先輩は人殺しの道に堕ちることはない。それはヒフミ先輩達と先生が保証してくれている。

 ならば今だけ、今だけ思いっ切りアズサ先輩の殺意を引き出そうとしても良いですよね?

 

 つーわけでサオリちゃんに便乗して詰め寄ろうとしたんですが……。

 

「……?」

 

 同意でも拒絶でも。何かしらのレスポンスがあると思っていたのにやけに静かだった。というか沈黙だった。

 てかさっきからずっとアズサ先輩のお顔ばかり拝見、どころか視界がそれだけになっていて本来の目的である報告が完全に忘れてた。

 

「サオリちゃんなんか言ってよー!」

 

 なんか滑った感じがして恥ずかしさを紛らわす為にもツッコミを入れようとしたら……アズサ先輩と同じく、困惑の色を浮かべて瞠目しているサオリちゃんのお顔があった。というか冷静になって周りを見たら、アリスク全員一致で俺を見ていた。

 

 ……あ、そうだった。まだ()()()の説明をしてなかったもんね。あとでベアトリーチェお姉様の意向と実験だと説明しておかねば。

 

 

 それにしても、うん。やっぱりお顔が良すぎるサオリちゃんとアズサ先輩が並んでいると絵になるね!

 

 

 





誤字脱字報告、かんしゃ~
評価、お気に入り、感想もありがとうございます。励みになります。

ナギサ様のお陰でヒエロニムスくんとカイテンジャーのTROMENTクリア出来ました……!
みんなももうすぐ来るであろう復刻を引こう!!




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背くことは許されない

 

 

 

「なんでこの子達はエデン条約の(しがらみ)に囚われない、いわば傭兵みたいなもんで。これはベアトリーチェお姉様から与えられてたオレのもう一つの仕事だったんだ!」

 

 今朝の昏い表情は何処へ。未練など微塵も無い、やり切ったとばかりの快活に告げるナズサの笑みが戦場に花開く。

 

 思えば、彼女はいつも唐突だった。

 長く孤立し外部との接触を断っていたアリウス自治区へ現れ、『アリウスと和解したい』などと宣ったと思ったら、翌日には何時の間に接触しどのようなやり取りを交わしたのか、ベアトリーチェからの通達によりナズサは仲間となった。

 

 そこからは疾風怒濤の勢いだった。

 スクワッドの根城に転がり込み、見たこともないモノを持ち込んで振り撒ける。何度も追い払おうとしてもしつこくて、結局ミサキと同じく諦めて放置するか、ヒヨリのように甘んじて享受するか……あって無いような選択肢を突き付けられて。埃が被っていた教室に彩りが加わり、置いてあるだけだった本棚が埋まり、知らなかった味を覚えていった。

 

 そんなただ率直で馬鹿な少女だと。その時は本気で思っていた。

 

 だが……そんなものは言い訳に過ぎない。

 

 後ろから囁き、差してくる指を。自覚を、自責を無視することしかできなかった。

 

 無意識の自衛。

 そうしなれけば足が止まってしまうから。今まで自分の積み上げてきた全てが、存在ごと砕け散ってしまいそうだったから。

 

 

 サオリが厳しい言葉と視線を送りながらも微笑みを崩さないナズサ。

 アシンメトリーな様相は一見文字に表せば、お決まりとなりつつあった二人の関係性。立場も性格も何もかもが違いながら、たとえどんなに小さくても確かに築かれていた絆。

 

 それが今、壊れていく。

 

「……今、ベアトリーチェって、言った?」

 

 真っ先に反応したのはアズサだった。

 

「うん! ……ってあ、やべ」

 

 登場してから一度も反応を貰えていなかったナズサが嬉々として応えた瞬間、ハッとして口を抑える。

 

 その反応は不可解なものだった。

 ()()()()()()()ベアトリーチェの名を知らぬ者は居らず、例えナズサが繋がっているのが判明したとしても、この状況下では何の不利益どころか、その事実は彼女らしい絶望的な力を持つものであるにも関わらず、ナズサはこれまで先程までの溌剌とした態度とは一変して明らかに動揺している。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 両手で口元を覆い、間からぶつぶつと呪詛のように流れ出されたものは、謝罪の形を成してはいるものの、到底言語と呼ぶに相応しいものではなかった。

 

「……クヒュッ!」

 

 と思えばだ。それはスイッチが切り替わったという表現以外が見つからない程の早さだった。

 

「くふふふふ、あはっ! ……すいませんね。ちょっとイロイロあって勝手に笑いが込み上げてきちゃって……ふふっ、あははははは!!」

 

 一周回って冷静に心配になる程青ざめていたのとは一転、正に発狂と言わざるを得ないそれは、『笑う』と本人は言っているが……それが――悪意と狂気が富んだ声はかつてのナズサとはかけ離れているもので。

 

「ところでサオリちゃん。ここは一旦退いた方が良きじゃない?」

 

 狂声がピタリと止むと、一切の感情が含まれていない平坦な声音で、人差し指を立てて世間話を持ち込むかのように提案した。

 

「……なに?」

 

 眉を顰めた端的な返事。

 そんなやり取りはこれまで数多くナズサと交わしてきたものであったが、そこに以前まで込められていた力強さは無く、この有利な状況下での撤退の提案の困惑と、明らかに情緒が不安定なナズサへの恐怖。そして、まだ自覚してはならない一握りの悲しみがあった。

 

 そんなサオリの心境とは裏腹に、ナズサはなんてことない普段通りの会話のように進めていく。

 

「だって――」

 

 瞬間、紡ぐ言葉を遮るには余りにも過剰な砲撃がナズサを飲み込んだ。

 

「っ!? 逃げる気か、アズサ!!」

 

 同時に生まれた隙を逃すアズサではない。続く砲撃と噴煙に紛れ、サオリの声を背中に浴びながらも突き進む。顔だけ振り向かせると、土煙の間から仮面が覗き込んでいた。

 その変わり果てた彼女の姿に、この惨状を作り出したかつての仲間を止められなかったことに、ただひたすらに歯噛みすることしか出来なかった。

 

 

「リーダー、予想以上に動きが早い。ここは退いた方がいいと思う」

 

 一時砲撃が鳴りやんだ隙に駆け付けたミサキから、ティーパーティーの傘下と風紀委員が動き出している旨の報告が入る。

 ユスティナ聖徒会も確保した今、あとは例の木偶の坊が用意した『戦略兵器』さえあれば憎きゲヘナも……トリニティも()()出来る。

 

「うんうん、ここは戦略的てったーい!」

 

 呑気な返事と同時だった。

 ぶわりと風が舞い、砲撃の直撃を受けたナズサが霧散した土煙から姿を現す。

 

 ティーパーティー傘下の砲撃部隊、彼女達が使用するL118牽引式榴弾砲の威力と精度は、キヴォトスにおいても折り紙つき。並大抵の生徒ならば直撃など即気絶もの、上澄みと称されるような生徒であってもその脅威は確かなものであり、出来れば直撃などは免れたい。

 

 そうその砲撃の直撃をナズサは確かに受けた。

 

「だって……トリニティの砲撃術は優秀だから、ね?」

 

 佇んで居たのはナズサを中心に取り囲む、傷一つない『聖徒会だったモノ』達だった。

 そして肝心のナズサ本人の純白のドレスには埃すらも付かず、撤退を促した時と同じ鼓膜にへばりつくような平坦ながらも妙に耳に残る声音と、同様に立てたままの人差し指。吊り上がる口角は、何度も見てきた無垢に振り回す子供(ナズサ)にも、何度も見てきた策謀を企てて含み笑いする彼女(マダム)にも映っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アリウススクワッドが撤退してからも、混乱は収束することはなかった。

 ただでさえキヴォトスでも稀な規模の事件。更に舞台となってしまったのは、因縁ある二大学園の、それも歴史の転換点となる場面での大事件。

 

 怪我人の搬送一つで揉め事が起こり、それどころか新たな怪我人が出る始末。根も葉もない噂が不安を煽り、疑心暗鬼に飲み込まれていく一般生徒。一部の生徒は絶好の機会だと暗躍を画策し、一部の生徒は抑止力である風紀委員が機能していない今がチャンスだと街へ駆り出す。

 

 当然その混乱の波は補習授業部にも押し寄せていた。

 権力の垣根が染み付いてしまっている現在のトリニティにおいて、組織に所属しておらずかつ知略に長けるハナコは、この状況を指揮するに不可欠な存在。コハルもまた正義実現委員会として、実動員として駆り出されたものの、情報が錯綜する現場の荒波に揉まれていた。

 

 

 そうして時間が過ぎるのはあっという間で。

 一先ずの怪我人の搬送、現場の事態を収束する頃には夜空が掛かり煌々と輝く星々が照らす下、一人の一般生徒が高架橋へと駆けていた。

 

 舌を出した少し奇怪なキャラ物のバッグを背負い、クリーム色の二房をなびかせた少女。

 補習授業部の部長、阿慈谷ヒフミ。

 

 彼女がこの場に訪れたのはあるメッセージを受け取ったからだ。

 動物の名を用いたコードネーム、端的に座標と時間だけを伝えたメッセージ。

 

 この数週間で一番距離を縮めた友達。

 

「アズサちゃん、私です。どこにいるんですか……?」

 

 瞳を揺らめかせながらもその名を呟く。人影が一切無い、電灯が照らしきれない闇の中へと声が吸い込まれていく。

 それでも何度も、何度も呼び続ける。

 

「……ヒフミ」

 

 やがて聞きなじんだ少し幼さが残りながらも、淑やかな力強さを感じる筈の声音と共に暗闇から一つの影が姿を現した。

 ヒフミより僅かに低い、スズランの花束のような少女。

 

 今朝、補習授業部みんなで集っていたカフェから襲撃が発生したと同時に突如姿を消したアズサ。

 ずっと気懸かりだった彼女の姿を見てまずは一安心するも、聞かなければならないことが山積みだった。

 

「良かった無事で……アズサちゃん今までどこに居たんですか? 今学園が大変なことになっていて……」

「うん、知ってる」

 

 食い気味に返ってきた端的な返事に、戸惑いと嫌な予感がヒフミの背筋を渡った。

 

「これを、誰かが止めなくちゃいけない」

 

 アズサは眼を合わせようとしない。その言葉は誰にでもなく、自分自身に言い聞かせているようだった。

 

「それは、どういう……どうしてそんな顔で……」

 

 一秒一秒過ぎていくごとに、瞼を閉じて沈痛な面持ちのアズサが昏くなっていく。

 それがただ心配で、悲しくて、寄り添おうとヒフミが一歩踏み出した時だった。

 

「来ないでっ!!」

「……!!」

 

 今まで聞いたことがなかった張り裂けそうな声から送られたのは明確な拒絶。

 だけどその顔は……しかしさっきまでの泣き出しそうな顔が更に歪んだように見えた。

 

「……ありがとう、ヒフミ」

 

 そしてやっと眼が合った。

 その顔はヒフミが大好きな綻んだ笑顔だったのに……胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

 どうしてか、こういった予感程当たってしまうのは。

 

「でもここまでだ。ここから先には来ちゃいけない。ここから先は私の居場所。ヒフミみたいな善良な人は来ちゃいけないんだ」

「アズサちゃん……何の、お話なんですか? 私じゃ、何がダメなんですか?」

 

 まるで子に諭す親のように優しく、本当に残酷な程に優しく言葉を紡いでいくアズサ。

 だからと言ってもそんなのじゃ理解できない、納得なんてできない。

 

 どう見たって苦しんでいる友達を助けないなんて選択肢は、それこそ善良なヒフミには無い。

 

「アズサちゃん、私は……!」

 

 また同じように拒絶されようとも手を差し伸べる。

 そう願って踏み出した足は、この世界においても絶対な壁によって阻まれる。

 

 

「人殺し」

 

 

「……え?」

 

 たった一言、されど一言。

 足が竦む。言葉が詰まる。視界が歪む。

 

「人殺しになった私は、もう友達ではいられないだろう?」

 

 どうして。

 ヒフミの胸中はただその一点のみ。

 

 滔々と並びたてられる無情な言葉とは裏腹に、アズサの面持ちは一輪の花のような……とても美しくて力強く、そして吹けば飛ぶ儚さを湛えていた。

 

「だって、だってアズサちゃんは……」

「私のせいでみんなが傷ついて……先生が、撃たれた」

 

 そこに綻んだ笑みは消えていた。

 怜悧な顔付きはあどけなさの鳴りを潜め、仮面のように冷たくヒフミを射抜く。

 

「正義実現委員会も、ティーパーティーも、シスターフッドも、ゲヘナの人たちも、セイアが昏睡状態になったのも、学園がここまで破壊されたのも……」

 

 一言一句、自身に突き刺すように言葉を紡ぐアズサ。そんな心の自傷行為をとても見ていられなくて、とにかくまずは止めなきゃという一心で――

 

「ナズサがあんな風になってしまったのも」

「ナズサちゃん、が……?」

 

 びくりとヒフミの肩が跳ねる。その名前は余りにも予想外なものだった。

 確かに彼女の姿は学園に戻ってからも確認出来なかった。ただまさか今回の襲撃に関わっているなんて、ましてやそれがアズサのせいだなんて。

 

 そんなことはない。そう言おうとした時にはもう……。

 

「全部……私のせいなんだ」

 

 呪いの言葉が絞り出されていく。

 

「そ、それはアズサちゃんのせいではありません……それは」

 

 感情が散らかってしまって、手探りに探してみるも言葉が見つからない。

 渡したい言葉の意味と感情は理解している筈なのに。

 

「だ、大丈夫です。せ、先生は……先生もきっと、すぐに目が覚めるはず、ですし、ですから……」

「ヒフミ。そんなハッピーエンドは……この世界には無いんだ」

 

 何か言わなければアズサは道を違え、消えてしまう。でも自分の言葉が見つからない。

 だから例え今は引き合いに出すだけの気晴らしでしかなくても……何より頼りになる大人である先生。きっとあの人が居れば……。

 

 その思いはマスクを被ったアズサに切って落とされた。

 

「今から私はサオリのヘイローを『壊し』に行く。私はこれから人を殺す」

 

 籠った声に宿るのは凍りつく殺意。

 それが当たり前の場所で、それが当たり前だと教わり、それが当たり前に動けるように訓練された存在。これが本当の私なんだとアズサは告げた。

 

「こんな私が、ヒフミと同じ世界になんていられない」

 

 そこで言葉を切ったアズサは、一度マスクを外した。

 

「ヒフミ。私を友達だと思ってくれてありがとう。『アズサちゃん』と呼んでくれてありがとう」

 

 モモフレンズのぬいぐるみをあげたこと。海に行ったこと。可愛いもの、綺麗なもの、知らないものがあるって教えてくれたこと。補習授業部での毎日を過ごせたこと。たくさんのことが学べたこと。

 過る全ての思い出は眩いもので、かけがえのないものだった。

 

「少しでも補習授業部の生徒でいられて良かった」

 

 最後にニコリと微笑むアズサ。それはヒフミにとって何よりも喜ばしいものなのに。

 その言い方はまるでもう終わりみたいで。今だけはアズサの言葉を受け取りたくなかった。

 

「ありがとう、ヒフミ。さようなら」

 

 ゆっくりと踵を返すアズサ。足音がやけにうるさく聞こえる。

 走るどころか、踏み出すだけで追いつけるのにヒフミの足は動かない。

 

「だめです、待って、待ってください……」

 

 手を伸ばしても届かない。

 

「きっと、他に方法が……せ、先生が、みんなが……」

 

 ハッピーエンドなんて存在しない。

 

「『次はみんなで一緒に海に行こう』って、約束したじゃないですか……まだ一緒に、ペロロ様の冒険アニメだって、見れてないじゃないですか……」

 

 一緒の世界にいられない。

 

「アズサちゃん……だめです、行かないで……待ってくださいアズサちゃん……」

 

 

「アズサちゃん!!」

 

 

 願いも祈りも、友達も。

 全ては闇夜に溶けていった。

 

 

 





アニメもしかしてワンチャンナギサ様出る可能性があることに気付いて踊ってました。

ちなみにL118牽引式榴弾砲の解釈は、直近の総力戦や大決戦の活躍、現在戦術対抗戦での大暴れぶりを見ての解釈です。




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肥大化する爆弾

 

 

 

 慟哭と少女が闇夜へと溶けていって幾許か。膝を付いて涙を零していた少女も立ち上がり去った時。

 

「フヒュ……いやまさかここにも立ち会えるなんて思ってもみなかったよ」

 

 純白と漆黒が現れた。

 

 恍惚とした笑みを湛えて身体を身震いさせるのは、エデン条約を大混乱に陥らせた要因の一端を担う裏切り者。片や控えるように一歩後ろで、変わらぬ罅割れた銀色の炎を湛えて様子を伺うゲマトリアに所属する悪の大人。

 性別も体格も立場も年齢も、何もかもがアンバランスな二人組は、アズサとヒフミからすれ違うように高架橋に降り立つ。

 

「あぁ良い! 凄く良いよ!! 人殺しの道へ進む覚悟を決めたアズサ先輩がヒフミ先輩に出会えた感謝の言葉と今生の別れを送る。ヒフミ先輩も本当は止めたかったんだよね。でもこれまで見せたことなかったアズサ先輩の『人殺しの顔』を見て足が竦んじゃって頼みの綱である先生も正実もシスターフッドもみーんなボロボロで……」

 

 今この瞬間までヒフミが座っていた場所に近づくと――あくまでも近づくのみで、決して触れることはなく――経典を読み上げるかの如く、読点付けずに一切噛むことなく捲し立てるナズサの語り、それを粛々と浴びる黒服。

 

 それはもはや様式美と化しているものだった。

 

 ……実を言うと流石の黒服でも若干辟易してはいた。

 誤解されないように補足しておくと黒服には決してナズサのような加虐趣味は無い。ただ自身の崇高の為に手段を選ばないだけであり目的ではなく、それが要因で先生とも敵対関係にあるだけだ。

 

 だがこれは一種のガス抜きに近い行為であり、万が一にもナズサが暴走しない為の必要事項だと自負していた。

 

 そう、元を辿れば黒服にも要因がある。

 独りで完結できていたナズサに接触を図り、奇しくも彼女の本能を暴き立ててしまい、計らずともその夢という名の欲望を語らう相手になってしまった友達。

 

 一度でも孤独を離れたら、人は耐えることができない。

 

 勿論当てはまらない例外も存在するが、ナズサがそれであると決め付けるのは楽観視が過ぎている、リスク管理をしておくに越したことはない。

 

 それはある意味では――“大人の責任”のようなものなのかもしれない。

 

 だが決して義務感などだけではなく、好意に近いものを持って彼女と行動を共にしているのもまた確かだった。忘れてはならないが彼女の邪悪な部分だけでなく、現役の女子高生としての面も確とあり何気ない会話はコロコロと変わる表情も相まって、ナズサとの会話には好感触を覚えていた。

 

 何よりキヴォトスを箱庭と認識し解釈し、透き通る程に不純で純粋に此方(ゲマトリア)の話題に興味を示す生徒の存在は何にも代えがたい。

 

「しかし……この流れは良くないのでは?」

 

 震えるナズサを余所に、闇夜に途切れている高架橋の先を黒服は見つめる。

 それはアズサが進んでいった人殺しの行き着く先――どう足掻いてもナズサが忌み嫌うバッドエンドに他ならない。

 

 はっきり言い切ってしまえば、彼女達の結末など黒服には微塵も関係のないことであり、更に言うならば黒服のその言葉は質問というよりも確信を得るための確認に近いものだった。

 

「それは大丈夫!」

 

 そんな黒服の思惑通り、邪悪な笑みを深めていたナズサが純朴に瞳を輝かせて振り向いた。

 

「理由をお尋ねしても? ……いえそれは――」

ネタバレ、だよ?」

 

 黒服の言葉に底冷えする声振で被せた瞬間、突如としてナギサ様の脳を破壊し隊――が点々と顕現する。

 奈落へ落下、吸い込まれていく錯覚を覚える根源的な恐怖心を煽る顔面、白と橙のツートンカラーで構成された聖徒会だったモノ。

 

 そして輝く――純朴な光とはまた別の、邪悪な黒が幾重にも重なることで放たれる光を宿した()()()()

 

 それが意味することはただ一つ……今のナズサは仮面を外していた。

 あの仮面は色々と多機能かつ高性能だが、一番の目的はプラグインの役割を持つこと。

 

 と言っても誰でも使えばETOやミメシスに干渉出来る訳ではないが――兎も角としてあれが無ければ、例え片手で数える程度であれど彼女達を召喚することは不可能。

 にも関わらず彼女達は現れた、それが意味することは――

 

「まぁまぁ、全ては明日になれば分かるよ!」

 

 僅かばかりの沈黙の後、ニコリとナズサが微笑み瞳に琥珀色が戻る。すると彼女達もほろほろと崩れるように霧散していく、それにナズサは気にかける様子……そもそもナギサ様の脳を破壊し隊を召喚していたことに自覚すらしていなかった。

 

「だから古聖堂周りの……そうだな、唯一崩れてなかったクソデカ電光看板があるビルの屋上に集合ね! 期限は雨が晴れるまで! 絶対に来てよ!?」

 

 そんなこんなであれよあれよと約束が取り付けられ、『んじゃオレは場所確保しとくんで』と言い残してナズサは去っていった。

 ポツンと高架橋に残された黒服はくつくつと沸いてくる笑いを抑える。

 

「変わらず嵐のような友達ですね……それにしても」

 

 新たな疑問と懸念事項が湧くも一つ確信を得た。

 

 桐藤ナズサは未来を識っている。

 

『暁のホルス』を把握していた件に関して、当初は圧倒的な情報網を保有していると加味して尋ねた『どこまで識っているのか』という質問、それに対して彼女は“ネタバレ”と答えた。

 あの時妙に噛み合っていないように感じたのは、ナズサが質問の意図を間違えていたのだろう。自分が行った計画と目的をどれだけ知っているのか?という質問ではなく、どこまで()のことを知っているのか。

 

 そして今の『見れるとは思っていなかった』との発言と、『雨が晴れるまでに集合』という妙に具体的かつ曖昧な時間、そしてナズサが過信とも言えるソレを持っていることに関して、少し()()をかけた質問に……予想通り『ネタバレ』と返した。

 

 やけにナズサを気に入っていることが腑に落ちた。恐らくベアトリーチェはナズサのこの能力を既知しているだろう。

 

 まぁただナズサの秘密を暴いたからと言って、これを利用してナズサに何もする訳ではない。これは単なる好奇心で暴いただけで、ゲマトリア(研究者)としての性のようなものだ。

 

 だけども――――

 

「クックックッ……ベアトリーチェには教えて、友達である私に対して隠してるなんて、少し妬けてしまいますね」

 

 久しく覚えていなかった感情と、大人げなく思い付いた()()()()に心底面白可笑しく笑う黒服だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「チェックメイトだ、アズサ」

 

 ぱらぱらと、舞った埃に囲まれた中で口端の血を拭いながらも睨み続けるアズサを冷たい銃口と視線が見下ろす。

 

 サオリとアズサの間には実力差がある。体格差の有無だけでなく、射撃術、体術、格闘術にそれぞれ程度はあれど明確な差があった。

 更には相手は4人……最悪それ以上の5人の可能性があり、まともに正面から挑めば古聖堂の二の舞になることは言わずもがな。

 

 勿論そんなことはアズサ自身が重々承知している。

 サオリ達の拠点に忍び込み、ブービートラップを始めとしたあらゆる罠を設置。サオリ達が帰還した際に先手を仕掛け狙撃手であるヒヨリを落とす。次に上階に仕掛けた手榴弾を起爆することで崩落させ、ミサキ達の身動きを取れなくする。

 

 そうしてサオリと1vs1の状況へ持ち込み、罠を張り巡らせたエリアへと誘い、屋内の柱などの遮蔽物を駆使した戦闘を繰り広げた。

 しかしアズサに銃器の取り扱い方などの戦闘の基礎から応用、思考はサオリが教え込んだもの。彼女の戦術は手に取るように分かり切っており、遥かなアドバンテージだった。

 

 よってアズサの全ての抵抗は……最初から無駄で無意味に――

 

「いつからアリウスは巡航ミサイルやあんな不思議な力、『ヘイローを壊す爆弾』なんて物を……?」

 

 アズサの眼光がより鋭くなっていく。

 

「いつからナズサと……!」

 

 恐らくは時間稼ぎであるとサオリは読み切っていた。

 だが良い機会だとして、ここでアズサを徹底的に否定して、潰すことを目的にその企みに乗った。

 

「アズサ、どうしてお前が勝てないのか分かるか?――――弱いからだ」

 

 殺意の有無。それさえあれば道具は関係ない。重要なのは意志だけ。

 全ては虐げられてきた“恨み”を証明する()()でしかない。

 

 道具、何もかも道具に過ぎないんだ。

 そう口にした時と同時に過る。

 

 本当?

 その声はどこからか、足を引っ張るように――

 

「いつから?」

「……!?」

 

 サオリの肩が跳ねる。

 そう、いつから。

 

「もう一度聞く、『いつから』だ? その恨み、私はただあそこで『習った』だけだ……その恨みは、一体誰の――」

虚しい(うるさい)

 

 アズサの言葉を遮るように引き金を引く。

 

「弱いな、白洲アズサ。その弱さがお前を縛り付けているんだ」

 

 これは弱さ。弱さなんだと。

 いつまでも縋り付き、意地でも抵抗するその姿勢が虚しいと。

 

「そう、こんな状況でも離そうとしないその人形のように」

 

 サオリが見やる大切に抱えている少し奇怪なキャラ物の人形。

 そんな取ってくだらない物がアズサにとっての(希望)、それがトリニティで過ごした連中との■しかった大切な思い出――私はそれを知っている。知っている?

 

 マスクの下、サオリの顔が誰にも……本人すらも気付くことなく歪んでいく。

 

 

 アズサはトリニティで沢山の■せを得た。

 

 

 そんなものは存在しない。これはただの弱さだ。

 

 

 本当?

 

 

『くヒュッ……ははは! アハハハハ!!』

 

 

 どうしてこうなってしまったのか、今まで決して浮かべなかった問いが過った。

 

「虚しい」

 

 撃つ、撃つ。

 

虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)虚しい(認めない)

 

 マズルフラッシュが眩く度に過る彼女の姿。

 

「虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい虚しい」

 

 1マガジン分を撃ち終え、大量の薬莢が転がる音と硝煙が漂う。

 そこまで撃ちこみ、痛みに喘ぎながらもアズサの闘志は揺るがない。アズサは終ぞ、意地の強さを魅せつけて屈することはなかった。

 

 ならば――

 

「友情……その無駄で虚しいものから壊してやろう。たしかヒフミ。だったか?」

 

 退くことは許されないサオリにある選択肢は一つだった。

 

「…………」

 

 とそこへ、駆け付けたアツコがサオリに手を添えた。

 手話も言葉も用いず、仮面越しではあるもののアツコの感情――心配、不安、そして悲しみ。

 

「姫。心配しなくても、手加減してる。こいつのことならよく分かって――」

 

 サオリは最後の感情には目を瞑り、アツコに言い聞かせようとした時。

 懐に忍ばせていた手榴弾を起爆しアズサが逃走を図った。

 

 勿論逃がす訳にはいかないと、サオリもその後を追いかけて煙の中を突き進む……が、すぐに足を止めた。

 

「……まぁ良い、どうせまたあいつはやって来る」

「……?」

 

 何かを拾い上げ確信を持って呟くサオリに首を傾げたアツコが近付くと、その手には少しだけ煤で汚れているアズサがずっと抱えていたあの人形があった。

 

「なにせ大事な『友情の証』を落としていってしまったからな。あいつは必ずこれを取り戻しに来るだろう」

「…………」

「こんな……こんなつまらない物が、アズサの心を支える光なんだろう」

 

 手にした人形に対して忌々し気に言葉を並び立てるサオリだったが、アツコにはその眼にサオリ自身も自覚できていない感情があるように見えた。

 

「また捕まえた時に、あらためてこの世界の真実を教えてやる……そう、無理やりにでも」

 

 ――ピッ、ピッ

 

 その時だ。

 

 薬莢が転がる音でも、手榴弾の爆発によって崩れる建物の音でもない。

 等間隔に鳴る機械音の存在に気付く。音源に耳を澄ませば目の前の……手のひらの中からだった。

 

「何だ? 中に……」

 

 ナイフを取り出し人形へとあてがう。……その一瞬、僅かだがサオリの手が止まったのをアツコは見逃さなかった。

 繊維を破き綿を取り除くと、何か固い物にぶつかった。

 

 ――ピッ、ピッ

 

 ケータイ電話が粘着テープによって巻き付けられ、そこから伸びる赤と緑の配線。

 紛れもなく爆弾であった。

 

 だがこれは――

 

「これはセイア襲撃の時に渡した……!」

 

 ヘイローを破壊する爆弾。

 

 

「逃げろ、姫っ――――」

 

 

 

 ***

 

 

 

 曇天から降りつける雨は人殺しを成し遂げた者への祝福のシャワーなのか、今朝までの青き空はその顔を見せることはない。

 

「…………」

 

 トリニティ、古聖堂跡地。その路地裏にアズサは蹲る。

 爆発音を背に聞き届けてからのアズサの記憶は曖昧で、何故、どうやってここまで辿り着いたのか覚えていない。いや、そんなことなどどうでもいい。

 

 ただ在るのは、残ったのは『人殺し』という圧倒的な絶望だけ。もう二度とあの光へと帰れない絶望だけ。

 

「ごめん、ヒフミ……ごめん」

 

 

 

 

 虚空に消えていくように思えたその言葉は――届けられる。

 

 夢を通して見ているかの人(先生)へ。

 

 

 





アニメのOPにナズサが映り込んでいたの気が付きました?

https://x.com/takaharu_RH/status/1777162435704877220

という素晴らしい幻覚が顕現した絵を書いて頂いたので見てください!!




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プロローグ

 

 

 

 そこから見える景色は楽園とは程遠いもの。

 この世界でも類を見ない、不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めたくなる最悪の光景だった。

 

 楽園の名を関する調印式の物語は――悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような。それでいて、ただただ後味だけが苦いだけの、残酷な真実のみが残った。

 

 その真実を――セイア自身が告白した、諦観という未来を選んでしまった自罰から――まるで自白するかのように、夢を通して先生に見せていく。

 

 

 かつての仲間を手にかけようと友達から貰ったプレゼントを殺人の道具として利用し、その絶望から謝罪の言葉を並べて蹲るアズサ。

 

 そしてその決死の奇襲は、幸か不幸か実ることはなかった。

 しかし爆発に巻き込まれたサオリは怪我こそしたものの命に別状は無かったが、サオリの大事な人であるアツコが巻き込まれた。

 幸いアツコも軽い怪我で済んだが、彼女に危害が及んだことをサオリは許さない。更に一時的にユスティナ聖徒会は多少の力が弱まったが、依然として戦力として健在のまま。

 

 古聖堂での搬送が完了し、戦場の混乱は落ち着いたものの、ナギサ、ツルギ、ハスミ、サクラコが重体として動きが取れないトリニティは混乱の渦の中。

 各地で起こるトラブルの対処に追われる中、元々上層部では謀略や疑心が跋扈してしまっている校風。混乱に乗じて不安を煽る者、ホストの座を狙った企み、そしてゲヘナへの憎しみが指揮を執っているハナコへ襲う。

 

 だが彼女達の企みも一筋縄ではいかなかった。

 現在のトリニティで動ける上層部の人間はミカのみ。ゲヘナへの侵攻を目論む彼女達にとって、それはとても都合の良いことに思えたが肝心のミカは『気分が乗らない』の一点張りで動かなかった。

 元々ミカに対して多かれ少なかれ不満を募らせていた彼女達にとって、それはとても屈辱的に憎たらしいことであり……爆発した暴力がミカを襲っていた。

 

 この日の為にずっと頑張り続けてきたのはゲヘナも同じ。

 特に風紀委員長であり、ゲヘナでは珍しい程に勤勉かつ生真面目、しかしその実はとても繊細な少女である空崎ヒナの心は既に限界を迎えており――その行方を晦ました。

 

 

 

 移り行く調印式の物語の結末の旅が終わり、視界がバルコニーへと戻る。

 覗く夢の空は変わらず夜のままだった。

 

「これが……結末だ。楽園から追放された私たちにふさわしい結末で、私が選んだ……結末だ」

 

 幕を下ろす言葉を告げると共にぽたぽたと、淡い金色(こんじき)の瞳に湛えた涙が漏れていき、やがてただ静かに、音無くぽたぽたと垂れた雫は純白の袖へ染み込んでいった。

 これにてこの話はお終い。あとはただ絶望だけが待つエピローグへと向かうだけ。

 

 

 それは誰に言っても分からないだろう。第一に当人である先生ですら説明は出来ない。

 奇跡か、偶然か。セイアの力が発露されたのか。ただの先生の勘違いの可能性だってある。

 

 だがそんなものはどうだっていい。ただ必要なのは――

 

 詮無く溢れていく、その内の一滴に――ゆっくりと垂れていく雫に、あの時の光景が映し出される。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 山奥に設置された少しだけ寂れた合宿所。備え付けプールに木霊する補習授業部の声、ブラシを擦る心地良い音、ホースから飛び出した水が燦々と降り注ぐ太陽光を乱反射しきらりと照らす。

 いつまで見ても見飽きない、ちょっとだけ不思議な縁で結ばれた青春の一幕を、フェンスに寄りかかって2人で眺めた夕焼け。

 

 

『お姉ちゃんとミカちゃん、セイア先輩を頼みます』

 

 

 視線は合わせずにポツリと零すように、けれどハッキリと。僅かに眼を細め、黒いリボンを靡かせる。ごく自然の日常を慈しむようにも、何かを隠し取り繕う為のようにも見える微笑み。初めて出会った時から何度か覗かせていた表情。

 

(――やっぱり言っていたよね)

 

 ここに居ない彼女へ向けた胸中と共に、言葉を一旦仕舞い込む。

 勿論この言葉の意味の真相は必ず解き明かさなくてはならない。

 

 しかし今は急を要する。

 仮に今この事をセイア達に伝えたとしても混乱を招いてしまうだけだろうし、先生もナズサがこの発言に至った経緯と理由に多少の憶測はあれどあくまでその域を出ない。

 

 けれどもこれだけは言える。

 

「“……うん。分かった、セイア”」

 

 優しい、楽観的にも捉えられるような、同時に芯を感じる張りのある声音で――開けなかった先生の口が自然と動く。

 

「“君も、その後はどうなったのか、まだ見ていないんだね?”」

「それは……だが見る必要が、あるのかい?」

 

 セイアにとって先生のその言葉は予想外だったのか僅かではあるものの、涙に濡れた小さな瞳はセイアが思っている以上に大きく見開かれた。

 

「こんな悲しいエンディングの後、更に続くエピローグを見たところで悲哀が増すだけ、苦しみが連なるだけだ……いや、それこそが私が受けるべき罰――」

「“違うよ”」

 

 先程の柔和な声音とは打って変わってきっぱりと、セイアの言葉に被せるように少しだけ厳しい視線と共に否定する先生。

 そして数秒、ふっと溶けるように微笑を浮かべた。

 

「“この後のお話を確認するのは怖かったよね”」

「……」

「“だから夢の中に隠れて起きられず、ずっと彷徨っていたんだね”」

「……あぁ、そうだ。そうなんだ、先生」

 

 そこで一度区切るとセイアは俯く。

 涙はなんとか堰き止まってはいるが、その眼は変わらず虚をぐるぐると渦巻きながら見つめていた。

 

「そして『七つの古則』から既に導かれていたことだった。宿命である『七つの古則』からは人々が(のが)れることは不可能なんだ……!」

 

 どれだけ逃げようとしたところで楽園の存否は人々の宿命。そして宿命から人々は逃げられない。

 これまで彷徨っていた時間で古則という名の答えを突き付けられたセイアの眼は、悲しいことに力強いものだった。

 

「“……そっか、うん。セイアと会えて良かった”」

 

 しかしその視線を受けても先生は柔和な笑みを崩さない。

 

「“確かにセイアは怖くて逃げてしまったのかもしれない。そしてセイアなりの答えを得て……それが現実として立ちはだかって、挫けてしまったのかもしれない”」

 

 改めて――それもあの先生の言葉として、現実に再認識してしまったことでセイアの顔に翳りが生まれていく。

 

 だが先生の言葉はここで終わりなんかではない。

 間髪入れずに「でもね」と続けて――

 

「“セイア、君は今こうして私に話してくれた”」

 

 微かに……自身は自覚せずとも小さくではあるが、セイアの肩がぴくりと跳ねた。

 

「“責任と罪悪感から話したってのいうのもあるかもしれないけれど……でも、それはとても勇気がいることだと思うんだ”」

 

 ゆっくりとセイアの顔が持ち上がる。

 そこに在ったのはテーブル一つ挟んだ向かい側――遠すぎず離れすぎず、それは正に“先生と生徒”の距離であり、とても安堵感を覚える形に自然となっていた。

 

「“だったら、それには楽園の証明に関わらず答えなきゃね”」

 

 次の言葉を先生は変わらず直ぐに、なんてことないこと至って平坦で平凡な……それこそ古則以上の当たり前な現実だとでも言うかのように続けた。

 だがそれはセイアにとっては、果て無く長い溜めを経てこの透き通った辛い世界に刻み込むような大声量で全力の声明だった。

 

 

 

「“私は先生だから”」

 

 

 

 これまで巨大な壁として立ちはだかった答えも。これから訪れるであろう遍く困難も。全て承知した上で、夜の茶会に眩し過ぎない心地良い光を放っていた。

 

「……先生、それは違う。それこそが楽園の証明に他ならない。だってただ信じたところで、何も変わりはしない。何の意味も……!」

 

 しかし、セイアだって簡単にここに至った訳ではない。

 何より彼女はキヴォトスにおいても長い歴史を持つトリニティ総合学園の三大分派サンクトゥス派のリーダーかつ、この学園の三人の生徒会長からなるティーパーティーのメンバーだ。秀でた聡明かつ叡智に溢れた頭脳と慧眼は、キヴォトスでも随一に並ぶものであり――

 

「“水着も下着だと信じれば下着だから”」

「…………え、は? 下着?」

 

 その牙城を崩すのはあまりにもあんまりな、でも確とした先生なりの大人の“答え”だった。

 

「い、一体何を……水着、下着……? それはどこの古則の、いやそんなの聞いたことが……」

 

 ここまで見てきた惨状と独白、得たはずの現実に全く似つかわしくない、唐突に現れたダークホース過ぎる単語の登場に一旦意味の咀嚼を挟むも、何度噛み砕こうと『下着』は下着の意味で『水着』は水着の意味のまま。そしてあの先生がその単語を口にしたこと、自分がその単語をぶつぶつと何度も口にしていることに理解が追い付くと、自覚するほど顔が赤らみ体温が上昇する。

 

 対して先生は満足そうに微笑み、「うん」と頷いて独りでに何故か何かに納得している様子だった。

 ちなみに補足しておくが、これは断じてセクハラなどではない。断じてだ。

 

「“やっぱりまずは信じることから始めてみるよ。というか何度でも言うけど私は先生だから、信じないと始まらないというか……”」

 

 よし、と一息ついて先生は立ち上がる。

 

「“待っててね、セイア”」

 

 視線は合わせたまま、首を僅かに傾け翻していく先生。

 そして数秒立つと影も形も光の粒子となって消え、一人の少女が残された。

 

「……行ったのか、先生。この先のエピローグへ向かう為に」

 

 だがそこに残されたのは、これまで独り未来を識り絶望に打ちひしがれて諦観を選んだ少女ではなく。

 

「分かった、先生。私も見届けるとしよう」

 

 あの大人が指し示す光に並び、そして未来に動き出すための勇気の一歩を踏み出した少女だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 この混乱に乗じて一部のティーパーティー傘下が、ミカの軟禁室へ訪れ彼女のティーパーティー権限を利用し大義名分を得てゲヘナを襲撃しようと目論んでいた。

 しかし肝心のミカが動くことはなかった。気分が乗らないと言い張る彼女に対して、やがて痺れを切らした少女達はこれまで密かに抱えていた不満が爆発し、暴力へと走りたてて――

 

「そこをどきなさい! 今の状況が分からないの!?」

「緊急の事態なのよ!?」

 

 昏い飾られた軟禁室に甲高い怒声が響き渡る。

 その矛先が向けられているのはミカではなく――黒い制服を羽織り、小さな両翼を四つ持つ小さな少女、下江コハルだった。

 

「い、嫌っ! ……私はバカだから分からないけど……でも、い、いじめはダメっ! こんな大勢で寄ってたかるなんて違う! 絶対にダメ!!」

 

 偶然にもミカに暴力が振るわれている現場に居合わせてしまったコハル。

 衣を着せずに言ってしまえば、彼女はミカのせいで退学の窮地へと追いやられてしまった被害者だった。しかし正義実現委員会の中でも一際心優しいコハルが暴力を見逃す理由にはならない。

 

 例え圧倒的に不利であろうと、多くの強い憎悪の視線を浴びようとも臆することなく立ち塞がる。

 

 しかし一触即発の険悪な膠着状態は続かない。

 単純な人数差は勿論、今朝から続く混乱によって興奮状態に近い彼女の気は大きく短い。

 

「だったらこいつで……!」

 

 カチャリと、ミカへ向けられていた銃口がコハルへと向く。そして憎悪の視線と共に引き金に指をかけ今引こうとした瞬間だった。

 

「“コハルは補習授業部の、私の生徒だよ”」

「――せ、先生っ!?」

「……!?」

 

 まさか過ぎる人物の登場の反応は動揺であれど正に三者三様だった。

 

 短くない付き合いを経て、本人には告げずとも確かな信頼を持って頼りにしていたコハルはその安心感から僅かに頬が緩み。

 貶めたはずの自分を庇うコハルに驚くのを精一杯抑えて取り繕っていたのに、ダメ押しの先生が現れたことでらしくなく大きく目を見開いてポカンと口が閉じずにいるミカ。

 キヴォトスで無二の権力を持ち、現在のホストであるナギサと提携を結んでいる『シャーレの先生』の登場で、一気に状況が不利に傾いたティーパーティーの傘下達は冷や汗を浮かべていた。

 

「“お願いだから、まず暴力をやめてほしい”」

 

 決して怒鳴っている訳ではない、命令口調をしている訳ではない。しかしただ淡々と確固たる意志を持った大人の声音と見たこともない表情にたじろぐ。

 やがて銃口を下した少女達は、蜘蛛の子を散らすように早足に去っていった。

 

「“コハル、ミカ、大丈夫?”」

「せ、先生……先生、先生っ!」

「……先生」

 

 ミカを守る為にコハルは立ち向かう勇気と優しさがあるが、それと同時に怖かったのも事実。目尻に涙を浮かべ、確認するようにしきりに先生と呼ぶコハルに「よく頑張ったね」と労いの言葉を送り頭を撫でる先生。

 そして次にミカへ目線が向けられると、ずっと開けていたままだった口に気が付いたミカは、切り替えるかのように笑みを浮かべて挨拶を交わした。

 

「“ミカ、君はどうしてさっき……”」

 

 ゲヘナへの襲撃命令を下さなかったのか。

 先生が疑問を言い切る前に「聞かれちゃってたか」と、汲み取ったミカはその理由を語る。

 

 語ろうとした……けれど。

 

「……あれ? なんでだろ。絶好のチャンスだし、今でも嫌い、なんだけど……どうしてだろ……私にも、よくわかんないな……」

 

 言葉尻が窄んでいくと同時に視界が潤む。やがて呟きとなったそれは誰にでもない自分へ向けた言葉へとなっていた。

 

 元々の始まりはアリウスと仲良くなれないかと、ティーパーティーの茶会で言い出したこと。

 その意図を、政治的な利益はあるのかーとか考えなしだーとナギサやセイアに詰め寄られて呆れられる一幕。それはよくあることだったけど、なんかその日はむっときて、唯一手放しに賛同してくれた親友とこっそり――本当に悪戯のつもりだった。

 

 けれど気が付いたらセイアが殺された――殺してしまったと知って分からなくなった。

 

 セイアが死んで……だったら、ここまで来てしまったらやりきらなくちゃいけない。

 そうだ、ゲヘナとの平和条約なんて意味分かんないこと許せない。絶対に。セイアも未来が見えているはずなのに、どうして……いつも『しっかりと考えて行動しろ』って言っていたのに、どうして。

 

「ごめんね、セイアちゃん……ごめんね、ナズちゃん……」

 

 ぽろぽろと、崩れていく。

 

「どうしてこんなことになっちゃったのかな……」

 

 そんなもの分かり切っている。全部自分がバカだったせいだ。

 

「先生、私、セイアちゃんに会いたい……」

 

 いつも口煩くお小言を漏らす、ちょっと生意気な友達に。

 

「ナギちゃんに、もう一度会いたい……」

 

 姉みたいに面倒くさくて、大切な幼馴染に。

 

「ナズちゃんに、ちゃんと謝りたい……」

 

 あの時突き放してしまった親友にもう一度。

 

 

 

 

 

 この時先生は未だかつてないほどの選択を迫られていた。

 

 

 ミカにナズサの裏切りを伝えるのか。

 

 

 不幸中の幸いか、この情報が錯綜する混乱化のお陰でナズサの離反は現場に居合わせた……それもあの襲撃を耐え抜いた一部の生徒にしか知られていない。そして更に本当に嫌なことだが……隠れ蓑というナズサの言葉は真実のようだった。

 

 だが同時に見えてくる希望と……考察の余地が深まったのもまた事実。

 

 

 だから先生は……今は、今だけはまだ伝えないという選択を取った。

 

 けれどどうか責めないでほしい。

 

 この事実は爆弾だ。それも時限付きかつ既に起動済み。どう転んでも最悪の物となりミカに襲い掛かる。

 勿論絶対に処理する問題だ。ただ残酷なことに、騙すような形で酷だろうとも、どうしても今だけは後に回さなければならない。

 

 

 

 先生は微塵も思っていないことだが、全ての原因は■■■なので悪しからず。

 

 

 





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桐藤ナギサPU中!!
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