アリウス生徒の奮闘記 (名無しのキヴォトス人)
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1章 〜ジュブナイルファミリー〜
おバカな少女と苦労人の少女


エデン条約編4章を見たら衝動的に書いてしまった。

アリウススクワッドの4人には幸せになって貰いたい。


 

 

「ねぇ」

「……なに?」

「弾丸って美味しいかな?」

「……気になるなら食べてみれば?」

 

 薄汚れたスラムを歩く、二人の少女。

 一人は肩に届く程度の焦茶色の髪を揺らしながら瓦礫の中を漁っているものの、その表情はどこか不満気だった。頭上に輝く琥珀色のヘイローも、心なしか弱々しい。

 対するもう片方の少女は、長い黒髪の上に水色のヘイローを浮かべている。同じように瓦礫の中を漁っているが、茶髪の少女と違い動きに淀みない。

 

「お、みっけ」

 

 朽ち果てた机の上から薬莢を取り出すと、茶髪の少女はスンスンと匂いを嗅いでいる。

 それを見つめ、またいつも奇行が始まったとでも言わんばかりに呆れた様子で首を振る黒髪の少女。

 

「火薬くさい。多分美味しくないわ」

「当たり前でしょ。むしろ何を想像してたの?」

「なんというかこう……スパイスっぽい香りがするのかと」

「少なくとも『刺激的』じゃ済まない気がするけど」

「何事もリスクは付き物だよ……!」

「分かった、早くご飯見つけてあげるから口に入れようとしないで。ほら、ぺってして、ぺっ」

 

 いくら銃弾が直撃しても「痛い」で済むキヴォトスの住人でも、流石に鉄の塊を口にしようとは思わない。

 爪楊枝のように咥えている相方の口から薬莢を取り上げると、遠くへ放り投げた。流石に本気で食べるとは思っていなかったが、この相方ならやりかねない。

 

「お腹すいたなぁ……」

 

 可愛らしい鳴き声を上げるお腹を押さえながら、茶髪の少女が不満げに呟いた。

 

「荒れ果てた街の中、幼い子供が二人っきり。ご飯すら見つけられない悲しい現実に、思わず涙が出ちゃいそうだよ……」

「…………」

「そもそもこんなところにご飯なんて無いと思うなぁ」

「…………」

 

 相方の愚痴を努めて冷静に無視する黒髪の少女。

 しかし構ってくれない事に不満なのか、反応を見せない彼女にもたれかかるように、茶髪の少女は小柄な背中に抱きついた。

 

「ねぇもうご飯食べちゃおうよ。もうこれ以上我慢するとどうにかなりそうだよー」

「…………」

「こうなったらサオリを先に食べちゃおっかなぁ。この世は弱肉強食! サオリちゃんも美味しそうだねぇ」

「…………ッ」

「ねぇ何か言ってよー。サオリー! サオリ姉さーん! サオリの姉御──」

「──ああもう! 集中できないでしょうが! 少しは静かにしててよレンゲ!」

「いたァ!?」

 

 サオリと呼ばれた黒髪の少女はダル絡みしてくる茶髪の少女──レンゲを自分から引き剥がし、ゲンコツを落とす。

 頭を抱えてうずくまるレンゲを見下ろしながら、サオリは深いため息を吐いた。

 

「言ったよね? もう食料が残り少ないんだから出来る限り節約するって。人は一日ぐらい何も食べなくても死なないの」

「うぅ……サオリのケチ」

「ッ! 元はと言えば! レンゲがあの時、食料ごと家を爆破したからでしょ!」

「いひゃい! ほっへひっはららいでー」

 

 無駄にモチモチする頬を伸ばしてやると、間抜けな顔を晒しながら目に涙を浮かべるレンゲ。

 「うなぁ……」と猫のような謎のうめき声を上げる彼女を見つめながら、サオリはこの少女と行動を共にする自分の判断を段々と後悔し始めた。

 

──どうしてこうなった。

 

 頭を抱えるサオリが思い返すのは、ほんの数日前に起こった出来事。

 きっかけはまったくの偶然で、交通事故のように唐突に始まった二人の関係。しかし残念ながら、それはサオリがレンゲと否が応でも引き合わせてしまった。

 

 飢えて動けなかった彼女を、このふざけた茶髪の少女が助けたのだ。

 

 

 

 

──この世に地獄があるとすれば、私は今まさに地獄の中にいる。

 

 震える手で水筒を口に運びながら、サオリは漠然と周囲を見回した。

 

 朽ち果てたボロボロの小屋の中には家具らしいものは存在せず、片隅に擦り切れた数枚の布が申し訳程度に積まれているだけ。窓は割れ、外の冷たい空気が素肌を撫でる。辛うじて屋根が残っているのが唯一の救いか。

 

「……お腹すいた」

 

 もう一度水筒を傾け、空っぽの胃の中に申し訳程度に水を流し込む。

 

 最後に何かを食べたのはいつだろうか。

 食糧も見つからず、探しに行く元気すら最早ない。本来ならこの幼い少女の世話をするはずの(おとな)も、サオリの記憶の片隅にすら残っていない。膝を抱え、ただ自分がこの小屋のように朽ち果てるのをじっと待つだけだった。

 

 しかし、こんなスラムで自分のような子供に手を差し向ける人間などいない。

 

 弱肉強食。

 食べ物を見つけられる者が生きて、見つけられない者が死ぬ。

 そんなシンプルな生存競争に、彼女は負けたのだ。

 

「……はは」

 

 乾いた笑みを浮かべながら、彼女は割れた窓から月を見上げた。

 

 虫の鳴き声一つと聞こえない、どこか心地良ささえ感じる静かな夜。

 果てるには、ちょうど良いのかもしれない──。

 

「……?」

 

 その時、遠くから響く()()の音が、朧げだった彼女の意識を引き戻した。

 

『──!!』

 

 誰かが叫ぶ声と、続け様に響くいくつかの発砲音。

 治安などの概念が無いスラムでは決して珍しくない喧騒だが、真夜中となっては流石に目立つ。

 

 気がつけば、サオリは懐に置いていた自身のハンドガンを握りしめていた。

 幼い子供には似つかわしくないそれは、黒い光沢を放ちながらゆっくりとスライドが引かれ、チャンバーに弾丸が装填される。

 

『ま──れ──!』

『だれが──バ──!』

 

 警戒するサオリを他所に、その声と発砲音は徐々に近づいてきている。

 いや、むしろそれは彼女がいる部屋へ真っ直ぐ近づいてくるような──。

 

「うぉぉ開いてた! 助かったー!」

「ひッ!?」

 

 次の瞬間、目の前で扉が凄まじい勢いで開け放たれ、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

 

 続け様に無数の弾丸が曝け出された夜のスラムから飛び込んできて、サオリは咄嗟に身を屈めながら壁際まで退避した。

 

 静かな夜が一瞬にしてぶち壊される。

 

「いッ!? いってぇなクソが、あんなバンバン打ちやがって! いくらなんでも怒りすぎでしょ! 幼気な幼女を虐めて楽しいか!」

 

 小屋に飛び込んできた人物は口汚く悪態吐きながらも慌てて扉を閉め、同様に身を低くしながら壁際まで後退する。

 

 肩に届く程度の焦茶色の髪に、琥珀色のヘイロー。

 背中に大きなカバンを背負った少女の手には、サオリのそれと似たハンドガンが握られていた。

 

 少女は銀色の光沢を放つ無骨なハンドガンを震える両手で握りながら、銃口を扉へ向けている。

 

「へへ、こっちへ来てみな。一発で眉間をぶち抜いてあげるよ……! 9ミリの味をたっぷりと堪能しながらあの世で──」

 

 そこでようやく少女は自身に向けられた視線に気づいたのか、隣で目を見開きながら自分を見つめる少女と目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 交差する視線。

 時間が止まったような静寂。

 

 いつの間にか外からの銃撃も止まっていて、小屋の中の二人の間でなんとも言えない無言が続く。

 

「……へい大将。この宿やってる?」

「この状況でよくふざけられるね!?」

 

 真夜中のスラムに、空腹も忘れた一人の少女の全力の叫びが木霊した。

 

「勝手に人の家に飛び込んできてどういうつもり!? しかもヤバそうな人も連れてきてるし!」

「えへへ……これにはすごーーーく深い事情があってね。あれはついさっきの出来事だった。私は──」

「銃を置いて手を上げて。撃たれたくなかったら私の質問にだけ答えて」

「おっと。まぁ落ち着きなって、そんな物騒なもの向けられたらビビって話もできやしない。ここはひとまず穏便に──」

 

 少女の言葉を遮るようにサオリの銃口が火を吹き、一発の銃弾が少女の頬を掠めた。

 何が起こったのか一瞬理解出来なかった少女はじんわりと痛む自分の頬をさすっている。

 

「ふぇ!?」

 

 ようやく撃たれたという事実を理解したのか、慌てて自分が持つ拳銃を放り投げて両手を上げた。

 その無駄にキレのある動きで自分を制圧しようとしないのか、とサオリは内心困惑しながらも、顔には一切出さずに銃口を向けている。

 

「待って! 撃たないで! なんでも言うこと聞くから許して!」

「えぇ……」

 

 「従順すぎる」や「もう少し抵抗しないのか」など言いたい事は沢山あったものの、ここで聞いたら面倒臭くなりそうだと直感したサオリはそれらをなんとか心の中に押し込む。

 

「と、とりあえず名前は?」

荻野(おぎの)レンゲ! このへんを適当にふらついてるただの子供です!」

「外の奴は?」

「私がちょっと喧嘩売ったらめちゃくちゃその喧嘩買ってきたチンピラ!」

 

 チンピラ、という言葉にサオリは首を傾げた。

 スラムでは自分のような身寄りのない子供以外にもチンピラと呼べるような年上たちもいるが、大体は自分と同じハンドガンを装備している。とてもでは無いが今外にいる人物のようにフルオートでライフル弾を叩き込めるような装備なんて持っているはずがない。

 自身のハンドガンの銃口はレンゲと名乗った少女に向けながら、サオリは穴だらけになった窓から外の様子を覗いた。

 

 月明かりに照らされて、一人の人物が夜のスラムに浮かび上がる。

 

 グレーのコートを身に纏い、顔は無機質なガスマスクによって覆われている。手に持っているアサルトライフルに新しくマガジンを装填させながらも、視線は真っ直ぐサオリたちのいる小屋へ向けている。

 明らかにチンピラの類ではない。

 

「なに、あいつ……?」

「ねっ! 見るからにヤバそうでしょ! 私よりもまず先にあの不審者をどうにかした方がいいと思うよ!」

「私からすればあなたも十分不審者なんだけど」

「くっ、正論すぎて言い返せない……!」

「自覚はあったんだね……」

 

 一人勝手に項垂れるレンゲを一旦無視し、サオリは再度視線をガスマスクの女へ向けた。

 洗練された動きでアサルトライフルをリロードしている姿は、素人とは程遠い、明らかに訓練を受けた類の戦闘員。

 

「そういえば……」

 

 彼女の脳裏に過ぎるのは、他のスラムの子供から聞いた噂話。

 

──曰く、彼女たちが住む『アリウス自治区』は内戦状態にある。

 

──曰く、衝突中の勢力はどちらも自身こそが本物の『アリウス分校』であると主張している。

 

 そして、その戦闘員たちは全員()()()()()を着用している。

 

「まさかあの人、アリウス分校の生徒……?」

 

 チンピラどころの話では無い。

 あのガスマスクの女は歴とした戦場で戦う兵士だ。

 

「一応聞きたいんだけど、さっき言ってた『ちょっと喧嘩売った』って具体的にどういうこと……?」

 

 嫌な予感がする。

 恐る恐る聞くと、レンゲはケロっとした顔で言い放った。

 

「ん? あぁ、あの人が郊外で食料輸送車を運転してるのを見てね。チャンス!って思ってこっそり食料根こそぎ全部盗んできちゃった」

「ちょっとどころか思いっきり喧嘩売ってる!? しかも普通にバレてるし! もうちょっとやりようあったでしょ!」

「無かったからこうなってるんでしょうが!」

「逆ギレするな!」

 

 とんだ貰い事故だった。

 しかも、よりによってサオリが身を潜めていた小屋に犯人(レンゲ)が飛び込んできたせいで、あのアリウス生徒からしたらサオリも共犯者だ。子供(サオリ)の言い分も聞くとは思えない。

 相手は小銃を装備し、対するこちらは速度も口径も劣るハンドガンのみ。

 

 勝てる要素など、どこにもない。

 

「……潮時かぁ」

 

 どうせなら終わりかけていた自分の命、ヘイローが壊されるか餓死するかなんて些細な違いでしかない。

 その時、諦めにも似た感情で乾いた笑みを浮かべるサオリの顔を何者かの両手がパシリと挟み込んだ。

 急な衝撃に目を見開くサオリを他所に、その人物の声が小さな小屋に響く。

 

「そんなことないよ!」

 

 次いで視界に映り込んでくる、頭上に浮かぶヘイローと同じ二つの琥珀色の瞳。

 

 綺麗だ、と思わず零しそうになった。

 

「あんな奴、私たちでボコボコにできるよ! いや、むしろ負ける要素が無い! だって一人ならまだしも、今は私たち二人が揃ってるんだから!」

 

 人懐っこい笑みを浮かべながら、レンゲはあっけらかんにそう告げた。

 

「……私たち初対面なんだよ? お互い信頼もしてなければ、連携だってしたことない。それなのにどうして──」

「わかんない! でも、()()()()()私と君が一緒なら勝てる気がするの。それに自分で言うのもアレだけど、私って結構強いんだよ?」

 

 あまりにも曖昧な返答に、サオリは思わず言葉を失ってしまう。

 なぜそんなに自信満々なの? なぜ初対面でここまで馴れ馴れしいの? なぜそこまで自分を信頼しているの?

 

──どうして敵が怖くないの?

 

 サオリは今まで、隠れながら生きてきた。

 年上からは身を隠し、同年代の子供すらも避けながら。無我夢中で食料を探し、その日その日を食い繋ぐ。手に持っているハンドガンも、そんな日々の中でたまたま拾ったもので、誰かに向けて撃ったのも数える程度の回数しかない。

 

 誰かと正面から戦うなんて、考えたことも無かった。

 

「はは……なにそれ」

 

 しかしレンゲの言葉を聞き、サオリはその全てがバカバカしくなった。

 いつの間にか向けていた銃も下ろしていて、呆れたように小さく笑い声を漏らしてしまう。

 

「えへへ、大丈夫。私を信じて」

 

 そんなレンゲも釣られるように笑うと、二人は笑顔のまま見つめ合う。

 

「レンゲって信用されるような事したっけ?」

「もう! こういう時は素直に頷いてよ! 人の心を抉るような正論をぶつけないで!」

「ごめんね、あまりにも可笑しくてつい。でも、うん……今は外のあいつをどうにかしないといけないね」

「じゃあ──」

「ただし!」

 

 歓喜に目を輝かせたレンゲを遮るように、彼女はビシッと人差し指を向ける。

 

「あの人から盗んだ食料の半分は貰うから。私は勝手に巻き込まれたんだし、それぐらいいいでしょ?」

 

 先程まで空腹で動けず思考も鈍っていたとは思えないほど、スラスラと言葉が出てくる。

 我ながら無茶な要求はしていると言った直後で後悔したが、レンゲはそんなサオリの言葉に一瞬の躊躇いもなく満面の笑みで頷いた。

 

「そんなの幾らでもオッケーだよ。なんなら終わってから君がお腹いっぱいにまるまでご飯をご馳走してあげる!」

 

 二人の少女はそのままゆっくりと閉じられたドアへ向かって歩み寄る。既に銃弾で蜂の巣にされているソレのドアノブにサオリが手を伸ばす寸前、レンゲがサオリの手を掴んで止めた。

 首を傾げるサオリに向かって、先程までとは打って変わってモジモジと恥じらうようにレンゲは呟いた。

 

「名前、教えてくれると嬉しいかな」

「……錠前サオリ」

 

 そういえば名乗っていなかったな、と今更ながら気づいたサオリは特に気にすることなく自身の名前を告げた。

 レンゲはそんな彼女の名前を噛み締めるように数回ほど呟くと、満面の笑みを浮かべながらサオリへ拳を突き出した

 

「サオリかぁ……よろしくね、相棒!」

 

 意味が分からず目を点にしながらその手を見つめたサオリだが、その意味を理解した瞬間再び笑みを浮かべた。

 

「相棒って……今回だけでしょ……」

 

──変な気分だ。

 

 目の前のこの焦茶色の髪の少女とは今日初めて会うというのに、その突き出された拳に悪い気はしなかった。

 これから初めて正面から敵と戦うというのに、今の自分には恐怖心が全然感じられなかった。むしろ、安心感さえ感じられる。

 

 誰かと一緒に戦える──誰かと一緒にいる。

 そのたった一つの事実が彼女の足を進めた。

 

「まぁ……短い間だと思うけど宜しくね」

 

 目の前に突き出された小さな拳に自分の拳を合わせる。

 

 それを合図に、レンゲはボロボロの扉を蹴り飛ばし、二人の少女が夜のスラムへ駆け出した。

 

 

 





幼女でも当たり前のように銃を持ってる世界、キヴォトス

・レンゲ
今作の主人公。頭が残念。知能に行くべき部分が全部身体能力に持っていかれたタイプ。

・サオリ
苦労人枠。まだヴァニヴァニ言ってない。普段の無骨な口調と幼少期の女の子っぽい口調のギャップに俺先生はやられた。しかもミサキとヒヨリから姉さんって呼ばれてるのも尊すぎるしアツコからさっちゃん呼びされてるの見て先生の脳内は完全に(ry


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子供の戦い(1)

戦闘シーン下手すぎてもう代わりにAIに書いて貰いたいと思い始める2話。

前回は沢山のお気に入り登録、ありがとうございます!


 

 

「あのクソガキ……ふざけやがって……!」

 

 愛銃に新しくマガジンを装着しながら、ガスマスクの少女は小さく舌打ちした。

 目の前のボロ小屋の中に飛び込んだあの忌々しい少女の事を考えると、今にも腸が煮えくり返りそうな怒りが込み上げてくる。それこそ、あの生意気な少女を自分の手で縊り殺さなければ治らないだろう激情。

 穴だらけの扉に小銃を向けながら、一瞬でも顔を出せば眉間をぶち抜けるようトリガーに指をかけておく。

 

 そもそも、なぜ彼女のようなアリウスの生徒がスラムにまで来ているのか。

 そのきっかけは、彼女にとってはあまりにも屈辱的なものだった。

 

 もう既に空が夜に染まりきった時間。

 アリウス自治区の外からかき集めた物資を仲間から受け取った彼女は、そのまま物資をトラックの荷台へ載せて自分達の司令部へ向けて発進させた。

 積まれているのは武器や弾薬の他にも、アリウスでは貴重な食料など。内戦を戦う自分達にとっては必要不可欠なものだ。

 

 しかも今は、()()の指令もある。

 

 車両を運転しながら脳裏に浮かぶのは、司令部で自分の帰還を待っているであろう異形の姿。

 突如現れた彼女は自分たちを導く『大人』であると名乗り、様々な知識を授けた。これまでただがむしゃらに戦うだけだった自分たちに『戦術』と『統率』を教え、拮抗していた戦場は一気に傾いた。

 

 長く続く内戦に摩耗しきっていたアリウスにとって、彼女はまさしく救世主だった。

 そして、そんな彼女をアリウス生たちは敬意を込めて『マダム』と呼んだ。

 

 マダムはこの内戦を終わらせると告げた。しかし、そのためにはいくつか必要なものがあるとのこと。

 

 一つは、物資。

 内戦が終わればアリウスは統一される。統一されれば面倒を見る必要がある生徒が一気に増えるため、物資は最優先で必要らしい。

 

 もう一つは、兵力。

 内戦が終われば対抗していた勢力が一気にマダムの元に降ることになるが、それまでは手持ちの戦力で戦うには限界がある。だからマダムは物資の調達と共に戦える者を集めるよう、各地でバラバラになっていた勢力を続々と取り込んでいる。

 最初は連中も抵抗していたが、マダムに会えばその全員が嬉々と加わっていった。

 

 そして最後一つが、彼女たちアリウス生にとっては一番の悩みの種だった。

 

 それは、今アリウス自治区に身を潜めているであろう『ロイヤルブラッド』を捕らえること。

 

 そもそもロイヤルブラッドが具体的になんなのか、どんな人物が該当するのかはマダムは言わない。

 ただ、マダム自身は目星が付いているようで、「時が来れば教える」と告げるだけだった。

 

『その時が来たら、私たちはただ従うだけだ』

 

 トラックを走らせながら、彼女は一人呟いた。

 この内戦さえ終わらせてくれるのなら、どんな素っ頓狂な命令であろうと従うつもりだ。そしてそれは彼女だけでなく、マダムに忠誠を誓っている仲間全員の認識でもある。

 

 だが今はまず、目先の物資を届けることが最優先だ。

 

 思考の海から抜け出し、改めてハンドルを握り直す。

 トラックの速度を速めながら、ふと彼女は何気なくバックミラーから荷台を覗き込んだ。

 

『なッ!?』

 

 ミラー越しに映った光景に、思わず自分の目を疑った。

 

 置かれた弾薬や銃器の影から、一人の幼い子供が一心不乱に何かを鞄の中に詰め込んでいた。

 目を凝らしてそれを見れば、鞄の隙間からプロテインバーやレーションなどの外装がはっきりと分かる。間違いなく自分が司令部に届けるはずの食料だった。

 

『お前、そこで何をしている!』

『うわぁ!? 見つかった!』

 

 窓から身を乗り出して荷台に座る子供へ向かって叫ぶと、子供は驚きの声を上げて彼女を見上げた。

 

『我々の物資を盗もうなど……許さないッ!』

 

 懐に手を入れ拳銃を引っ張り出すと、セーフティを外して子供へ向ける。あのようなコソドロなど、生かしておけない。

 自身に向けられた銃に一瞬身構えた子供だが、突然子供が目を見開いてアリウス生を見つめた。いや、視線の先はむしろ彼女というよりも彼女の後方へ向けられているようで──。

 

『ば、バカ! ちゃんと前見て運転してよ!』

『へっ……? あっ』

 

 何事かと思わず彼女も後ろを振り向く。

 

 目の前に大きな壁が広がっていた

 

『『うわァァァ!?』』

 

 慌ててハンドルを握るも時既に遅し。

 幼い子供と共に悲鳴を上げながら、トラックはトップスピードで壁に激突し一瞬にしてスクラップと化した。

 そして、車外に投げ出されるガスマスクの少女とコソドロの幼女。

 

『うぐぅ……!』

『あばばばば』

 

 体に染み付いた訓練の成果か、ガスマスクの少女は咄嗟に体を丸めて受身を取る。対する子供の方は大きなリュックを背負っていたこともあり、珍妙な鳴き声を上げながら地面を転がった。

 建物が崩れ落ちる音と、トラックのエンジンが停止する間の抜けた音がスラムに響き渡る。

 

『けほっけほっ……もう! 運転中によそ見するからこうなるんだよ!』

『……は?』

 

 幼女の言葉を聞いた瞬間、彼女の中で何かがキレた。

 

『──へ?』

 

 ズドンという音と共に、何かが幼女の頬を掠める。

 

『この……クソガキィ……!』

 

 あまり頭が良くないことを自称する幼女──レンゲでも、この時ばかりは一瞬で察した。これはやばい。

 ガスマスク越しからでも分かるほどの殺気をぶつけられ、レンゲは一目散に背中を向けて走り始めた。背中に自分の身の丈ほどもありそうなリュックを背負っているというのに、その動きは異様に機敏で素早い。

 

『ご、ごめんなさいー!』

『謝って済むならヴァルキューレもSRTもいらないんだよ! 待ちやがれッ!』

 

 夜のアリウス自治区に響き渡る情けない悲鳴と怒号。

 7.62ミリの弾幕を合図に、二人の鬼ごっこが始まった。

 

──そして今に至る。

 

 自身の身の丈はあるであろうリュックを背負いながらも驚異的な速さで逃げ続けたレンゲを、ついに目の前のボロ小屋まで追い詰める事ができた。

 本来ならこのまま突入しあのメスガキを蜂の巣にしたいところだったが、彼女とてマダムの教育を受けたアリウスの生徒。子供であろうと、銃を持った相手が潜んでいる建物に無策で突っ込むなど愚の骨頂。

 

 幾分か冷静さを取り戻した彼女は燃え上がる怒りを抑え込み、レンゲがボロ小屋から出てくるのを待ち続けている。食料を盗んだ挙句、貴重な物資と車両を破壊した子供に年上の怖さを刻み込むために。なお、自分の前方不注意による事故という事実は棚上げされた。

 

 先程まで微かに小屋から聞こえていた話し声が止み、再び静寂が訪れる。あの子供もいよいよ覚悟を決めたらしいと、改めて小銃を握りしめた。

 出てきた瞬間が、あの子供の最後になる。

 

 しかし、小屋から出てきたのは、彼女が予想だにしない物だった。

 

 確かに、何かが小屋から飛び出してきた。だがそれは、明らかに幼い子供ではない。

 彼女の頭ひとつ分以上は大きい木製のボディに、中心から横へ少しズレた位置に取手が付けられている。幼い子供特有の色白の肌でもなく、どこか薄汚れた腐りかけのグレーの色合い。

 

「な、なにィ!?」

 

 明らかにあのボロ小屋のドアが、真っ直ぐ自分に向かって飛び出してきた。

 

 

 

 

「えぇ……」

「何ぼーっとしてるの! ほら、行くよサオリ!」

 

 それは外にいるアリウス生だけでなく、私ですら言葉を失う光景だった。

 いざ覚悟を決めて扉を蹴破ったレンゲだが、その扉が文字通り()()()()()

 スラムの片隅で同年代の子供がボール遊びをしているのを見かけた事があったが、まさにその時のボールのように扉が金具から外れ吹っ飛んでいった。しかも、進路上には丁度あのアリウス生徒が。

 

 「うぉ!?」と声を上げながら地面を転がるように扉を避けた敵が、もはや不憫にすら思えてしまう。

 

「なんて馬鹿力なの、もう!」

 

 同じ年頃の子供とは思えないイカれた光景に思わず頭を抱えそうになるも、私も慌ててレンゲの後に続いて外へ飛び出した。

 レンゲは向かい側の空き家の影に、私は目の前の廃車の後ろにそれぞれ身を隠した。

 しかし、アリウス生も最初こそ驚いていたものの既に体勢を立て直していたようで、小銃をこちらへ向けていた。

 その狙いは私──ではなく、家の影から顔を覗かせていたレンゲ。

 

「うわぁ!?」

 

 嵐のように放たれる銃弾に咄嗟にレンゲは顔を引っ込めると、体を丸くして耐え忍んでいる。私なんて眼中にないようで、執拗にレンゲを狙っている。

 心当たりは……あり過ぎて分からない。

 

「昼間ならともかく夜中に銃をぶっ放すな! 非常識だよ!」

「コソドロが常識を語るな!」

「確かに!」

 

 壁の裏から抗議の声をあげるレンゲをアリウス生は一言で切り捨てる。

 いや、なに敵に論破されてるの。

 

「さ、サオリ! へるぷみー!」

 

 言われるまでもない。

 今のところ敵はレンゲを目の敵にしているようで、私の存在にすら気づいていないようだ。

 今もなお銃をぶっ放し続けるアリウス生に気づかれないようゆっくりと車の影から出ると、ハンドガンの銃口を向ける。

 

「的が小さい……人に当てるのってこんなに難しいんだ……」

 

 始めて()()()撃つ事で自覚する、銃という武器の難しさ。

 あんなに小さく感じていたハンドガンは思った以上に大きくて重いし、少ししか離れていないはずの(ターゲット)はあまりにも小さかった。

 

 でも、()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

 

 力強い反動と共に、数発の銃弾が発射される。

 

「ぐぅ! そこにもいたかッ!」

 

 一発目は狙いを外れアリウス生の後方へ抜けたけれど、残りはしっかりと腹部へ命中したらしく、相手は小さく呻き声を上げた。

 

 でも、彼女が身に纏うコートは見かけだけではないらしく、それほど大きなダメージが入ったとは思えない。

 

 小銃の銃口がようやくレンゲから外れ、今度は私へと向けられる。

 慌てて車の影に身を隠すと、追いかけるように車体へ叩き込まれる激しい銃撃。背中越しに揺らされる車体が、今は私の生命線だ。

 

「体に当てても効果は薄い……狙うとしたら頭かな」

 

 ガスマスクしか防具らしいものは無いし、少なくとも体に当てるよりは効果はありそうだ。

 的は小さくなってしまうけれど、一度撃ったおかげで感覚もなんとなく()()した。

 

 次は外さない。

 

 地面を転がりながら車の影から出ると、即座にアリウス生のガスマスクに向けて照準を合わせる。

 

 もう一度スラムに響き渡る、9ミリの発砲音。

 

「がッ!? こいつ、なんて精度をして……ッ!」

 

 よし、今度は全弾命中した。

 二発の弾丸は狙いを外れる事なくガスマスクに直撃すると、アリウス生は頭を大きく仰け反らせてよろめいた。

 

 今ならハンドガンも手に馴染む。

 

「クソがッ!」

 

 もう一度私に銃口を向けようとするアリウス生。

 でも、どうも彼女は忘れているらしい。

 

 この場にいるのは私だけでは無いという事に。

 

「隙ありィ!」

「ッ!?」

 

 突如彼女の目の前に現れる、小柄な茶色い人影。

 既に懐深くまで入っていたレンゲは、強烈なタックルでアリウス生を押し倒した。アリウス生も完全に不意を突かれた形で、なす術もなく二人は揃ってゴロゴロと地面を転がる。

 

 『結構強い』と自称するのも頷けるほどの、子供離れした馬鹿力だ。

 

 それに今の衝撃で小銃も手放してしまったようで、今の相手は完全に無防備だ。レンゲはポケットに仕舞っていた自分のハンドガンを取り出すと、呻き声を上げて動かないアリウス生へと向けた。

 

 これで勝負アリ。

 私も後を追うように車の影から出て、二人の元へと歩き始めた。

 

 しかし、この時私たちは思い知らされた。

 結局私もレンゲも、まだ子供だという事に。

 

「──舐めるなァ!」

「かはッ……!?」

 

 パンッという乾いた銃声と共に、苦しそうに表情を歪めるレンゲ。

 お腹を抑えて蹲るレンゲを他所に、アリウス生はフラフラと立ち上がる。その手に握られているのは、一丁の拳銃。

 

 この人、もう一丁銃を隠し持ってた……!

 

「所詮は戦場慣れしていない子供か。相手が完全に再起不能になるまで油断しないよう教わらなかったのか?」

「うぐっ!」

「レンゲ!?」

 

 蹲るレンゲの頭が容赦なく蹴り飛ばされる。

 鈍い音と共に地面を転がるレンゲ。苦痛に顔を歪ませた彼女はもはや抵抗する気力すら無いようだった。

 

 そして、ダメ押しのように彼女に向けられる銃口。

 

「うぅ……」

「マダムの崇高な行いを妨げたその行為、後悔しろ」

「や、やめてッ!」

 

 このままじゃレンゲが……!

 

 慌ててハンドガンをアリウス生徒に向けると、ありったけの銃弾を浴びせるように放った。

 

「戦場で毎回落ち着いて敵を狙えると思わない事だ。咄嗟のエイムで敵に当てられなければ、()()なってしまう」

「な、なんで……さっきまで外さなかったのに……」

 

 しかし、銃弾は一発もアリウス生に当たる事なく、全てが見当違いの方向に飛んでいった。アリウス生もそれを予測していたのか、避ける素振りすら見せず私を嘲笑うように見下ろしている。

 

──このままじゃレンゲが危ない。

 

 それなのに、何度トリガーを引こうとハンドガンから銃弾が出てくる事はなかった。

 

 どうして……こういう時に限ってどうして……!

 

弾詰まり(ジャム)か。無茶に撃つと銃も悲鳴を上げる。これでお前も丸腰という訳だ」

 

 呆然としながら自分の銃を見つめる私を鼻で笑うと、アリウス生は銃口を私へと向けた。

 

「ひッ……」

 

 私と変わらないハンドガンを持っているはずなのに、今はそれがとてつもない凶器にすら感じられる。

 逃げたいのに、体が縫い付けられたように動かない。

 

「まずはお前からだ」

 

 初めて肌で感じる明確な殺意。

 心の奥底まで支配される、「死」への恐怖。

 

──あぁ、自分はここで終わるんだ。

 

 なんとなく、そう思った。

 

「ッ!?」

 

 でも、凶弾は私に届く事はなかった。

 

 突然視界がひっくり返ると、気がつけば私は地面を転がっていた。一瞬撃たれて倒れたのかと思ったけれど、痛みはない。

 そして、視界の隅に映る焦茶色の髪。

 

「ひえー、危ない危ない。あの人、意外と力あってビックリしちゃった」

「れ、レンゲ……!? 大丈夫なの!?」

「いてて……大丈夫だよ、多分」

 

 倒れていたはずのレンゲがいつの間にか私を抱えて、私が先程まで身を隠していた車の影まで連れてきてくれていた。お腹を撃たれて頭を蹴り飛ばされたというのに、信じられない身のこなしだ。

 

 先程まで苦痛で歪んでいたはずの顔が、最初に出会った時のような人懐っこい笑みへ戻っている。

 

「ん、まだ普通に見えてるし、体も動く。モーマンタイ!」

「でも、頭から血が……」

「ヘーキだよ、あまり痛くないし」

 

 そう言いながらサムズアップしているものの、レンゲの頭から流れる血に混じって大粒の脂汗が流れている。息遣いも心なしか荒い。明らかに痩せ我慢だ。

 そんな状態で、レンゲは私を抱えながら最初に隠れていた廃車の影まで戻っていたのだ。

 

 私はそれが理解出来なかった。

 

 なぜ会って間もない自分を身を挺してまで庇った?

 

 あのまま私が撃たれていれば、自分が逃げ出せる隙ができたのかもしれない。私を囮に使って、あのアリウス生に攻撃出来たかもしれない。なのに彼女はそのどちらも選ばず、身を挺して私を助けた。

 

──私を信じて。

 

 ドアを蹴破る前にレンゲが告げた言葉を思い出す。

 

 最初は軽く考えていたけれど、今なら分かる。

 レンゲは本気で初対面の私を信頼している。二人一緒に戦えばあのアリウス生を倒せると。だからあの時も私を助けてくれた。

 

 異常だ。

 どこまでも単純で、どこまでも無防備。

 

 そしてそれは、自分一人のためにスラムで生き続けた私にとっては眩し過ぎた。

 

「……私たちが別々で戦ってもあの人には勝てない」

「悔しいけど、そうだね……ちくしょー、あんな銃を隠し持ってなきゃあのままボコボコにしてやったのに」

 

 考え込むレンゲを他所に、私は既にどうするべきかは頭の中に浮かんでいる。でも、それを口に出すことができない。

 それはある意味、レンゲが私を信頼していること前提だから。

 後はそれを私自身が認めるだけ。

 

「うっ……はぁ……はぁ……」

「ッ!」

 

 流血する頭を押さえ、息が荒くなるレンゲ。

 その姿を見た瞬間、私の中の迷いが消えた。

 

 レンゲを助けたい。

 

「レンゲ、一つ頼んでいい?」

「ん?」

「レンゲの銃を貸して欲しいの」

 

 意を決して、私はレンゲに頼んだ。

 キヴォトスの住人にとって銃は欠かせない存在。中には自分の半身とすら扱う人もいる。

 その銃を私は「渡せ」と告げたのだ。

 まだ出会ったばかりの少女に対して。

 

「うん!」

 

 でも、レンゲは一瞬も考えることなく自身の銃を渡してくれた。

 今までの私の迷いはなんだったんだと笑いそうになる。

 

 もう使えなくなった自分の銃を投げ捨てると、私は銀色の光沢を放つそれを恐る恐る受け取った。

 なんだか、さっきまでの自分の銃以上に手に馴染む気がした。

 

「じゃあ、私の仕事は決まってるね。よーし、もうひと頑張りするぞー! 任せたよ、サオリ」

 

 そして、そんな私にレンゲも瞬時に自分の役割を理解する。

 既に負傷しているレンゲに一番酷な役割を任せる事実に震えそうになる。でも、絶対無駄にはしない。

 一刻も早くあのアリウス生を倒して、レンゲを助ける。

 

 だから──。

 

「──()()()()()、レンゲ」

「……えへへ、もちろん!」

 

 生まれて初めて、私は誰かのために生きたいと思った。

 

 

 




今開催中のイベントが美味しすぎてずっとやっていたい。

・レンゲ
記念すべき初怪我。初対面なのにめっちゃ懐いてくるワンコみたいなもの。

・サオリ
無条件に信頼してくるワンコに困惑している。

・アリウス生
前方不注意ネキ。免許返納しろ。でも残念ながら治安が世紀末なアリウスでは免許なんていう概念はない。


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子供の戦い(2)

明日からウサギさんが実装されますね。
酷い目に遭う事が多いという意味では、今作の主人公とキャラが似てる。


 

 

 両手の震えが止まらない。

 レンゲとは違いあのアリウス生とはほとんど直接戦っていないはずなのに、呼吸が苦しくて息をするのにも苦労する。今まで感じた事のない恐怖に、私の体は明らかに耐えられていない。

 レンゲに堂々と信じろと言ったのに、いざ自分の状況を自覚すると、情けない話だが緊張でどうにかなりそうだった。

 

 私が失敗すれば、レンゲは死んでしまうかもしれない。

 

 その事実に、私は体の震えを抑える事ができなくなった。

 

「大丈夫。私はサオリを信じてるから」

 

 そんな私を見かねてか、レンゲの両手が私の頬に添えられた。ほんのり柔らかな暖かさが、私を包み込んでくれる。

 

 震えが止まった。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「……うん」

 

 頭から血を流して、きっとレンゲも苦しいはずなのに、彼女は柔らかい笑みを浮かべるとそのまま駆け出した。

 狙いは勿論、こちらにハンドガンを構えていたアリウス生徒。

 

「ッ!?」

 

 突如車の影から飛び出したレンゲの姿にあのアリウス生も驚いたようで、慌てて後ろへ下がろうとしている。

 

 でも、それ以上にレンゲが速かった。

 

 猛スピードで肉薄するレンゲにアリウスの生徒も避けきれないと理解したのか、力強く踏みとどまるとハンドガンのトリガーを引いた。

 

「レンゲッ!」

 

 このままではモロに喰らってしまう。

 思わず目を背けてしまいそうになるも、次の瞬間、私の目に信じられない光景が飛び込んできた。

 

「なッ──」

 

 三発放たれた銃弾。それら全て()()()()()

 まるで銃弾が見えているように最低限の動きで躱し、止まることなくアリウス生に肉薄している。あれほどの至近距離で撃ったはずの弾丸が外れて、目の前のアリウス生も目を見開いている。

 出鱈目なまでの反射神経。

 でもその出鱈目さが、相手の隙を作るには十分すぎた。

 

「おりゃぁ!」

 

 駆け出しながら、レンゲが()()を蹴り飛ばした。

 

「ッ!?」

 

 それは最初にレンゲが蹴り飛ばした扉だった。

 あのアリウス生よりも大きな木材の塊が猛スピードで迫る。当たればきっと一溜りも無いそれを転がるように避けたものの、今の彼女は無防備そのもの。

 

「ぐふッ……」

 

 駆け抜ける勢いそのままで飛び上がると、レンゲの右足がガスマスクに突き刺さる。

 

「凄い……まだここまで動けるなんて……」

 

 傷と疲労の影響で倒れていてもおかしくないはずなのに、凄まじいとしか言いようがない身のこなし。つくづく同じ子供とは思えない。

 

 レンゲの渾身の一撃が直撃したガスマスクは少し前に私に銃撃されていた事もあり、まるでガラスのように砕け、アリウス生の顔から弾き飛ばされた。

 ついに見えるようになったアリウス生の顔は、思っていた以上に幼かった。それこそ、私たちとそこまで大きく変わらないぐらい。

 

 レンゲとアリウス生の二人が一緒に倒れ込む。

 

「えへへ……充電切れー……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私は背筋が震え上がった。

 先程の銃弾を避けるという離れ業に、渾身の蹴り。既に疲労が限界を超えているレンゲは、その場で座り込んでしまった。

 

 フラフラと立ち上がるアリウス生の目の前で。

 

「…………」

 

 口の端から血を流しながら無言で銃を構える。

 私も慌てて車の影から出ようとするも、レンゲに無言で制される。敵の注意が完全に自分に向くまで待て、と。

 

 もういいはず。

 ここで私があの人を撃てば勝てる。

 

 なのにレンゲは頑なに合図を出そうとしない。

 

 これがレンゲの考えた作戦。

 彼女がアリウス生の注意を限界まで引き付けて、相手が完全に油断してから私が銃で倒す。

 最初は二人で連携しながら戦おうと私は言ったけれど、それだと私が狙いにくいからという理由で却下された。事実レンゲがアリウス生に反撃されていた時に全弾外していた私は、反論の余地も無かった。

 

 「私が頑張れば今のサオリは絶対外さない」の言葉でレンゲは囮役を引き受けた。

 

 そんなレンゲの覚悟を無駄にしないためにも、私は必死に自分を押さえつけながら好機を探していた。

 

 でも、そんな私の決意も、目の前のアリウス生の顔を見たら一瞬で折れそうになった。

 

「ひっ……!」

 

 まったくの無表情。

 目が血走り、理性のカケラも見受けられない。あまりに濃密な殺意に思わず悲鳴を漏らしてしまう。

 なのに、レンゲからはまだ合図が出ない。

 

 ゆっくりと、アリウス生はレンゲに向かって歩き始めた。

 今のレンゲにはもう、逃げる体力すら無い。

 

「うぐッ! ゴホッゴホッ……」

 

 一発目の銃弾がレンゲの胸に当たる。

 胸を押さえて激しく咳き込むレンゲを見て、アリウス生の口角が少し上がる。

 

 まだ合図は出ない。

 

 二発目の銃弾は少し外れ、レンゲの左足に当たる。

 ついにレンゲが地面に横たわる。それでも痛みを堪えながら、視線だけで私に来るなと告げる。声を出そうとする自分の口を必死で抑えながら、私は頷くしかない。

 

 三発目……は飛んでこなかった。

 カチカチという音がアリウス生が弾切れを起こしたという事実を告げ、小さな舌打ちと共に彼女は銃を投げ捨てた。

 そんな彼女を挑発するように、レンゲは苦しみの中で無理やり笑みを浮かべた。

 

「へへ……そっちも銃無くなっちゃったね……」

「お前こそ、銃はどうした?」

「さぁ……? 野良猫にでも取られたのかもね……どっかの誰かに大事なもの盗られちゃったお馬鹿さんみたいに……」

「ッ! お前が盗んだのはマダムに渡すはずのものだ! マダムは内戦を終わらせてくれると言ったんだ、全ては虚しいこの世界で私たちに生きる意味を与えてくれるんだ! お前はそれを台無しにするのかッ!?」

 

 無表情だったアリウス生の顔が徐々に激情に駆られる。

 

「やめて……もうこれ以上怒らせないで……!」

 

 届くはずがないと分かっているのに、必死にレンゲを止めようとする。だって、これ以上怒らせたらあの人は本当に……。

 

「ごめん、私頭悪いからよく分かんないや……そのマダムって人が誰か知らないけど……君はとんだ()()を教えられてるみたいだね……」

「──ッ!」

 

 ついにアリウス生の両手がレンゲの首を捉えた。

 押し倒され、首を絞め上げられているレンゲの瞳から徐々に生気が無くなり始める。弱々しく抵抗していた両手も、今はもうアリウス生の腕に添えられているだけ。

 それでもまだ、アリウス生は首を絞め続けた。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

レンゲを離せぇぇぇ!

 

 挑発で意識が完全に私から外れたその瞬間、レンゲからの合図を待たずに私は無我夢中に駆け出した。レンゲに馬乗りになったアリウス生を突き飛ばすと、その眉間に銃を突きつける。

 

 目の前の女が憎い……!

 やっとできたレンゲ(繋がり)を断ち切ろうとするこいつが、絶対に許せないッ!

 

「この距離なら外さないッ!」

「がッ……!?」

 

 一発、二発、三発。

 何度も何度も、頭めがけて銃弾を叩き込む。今ままでの恐怖を、自分の弱さを、全て吐き出すように何度も。

 

 気がつけば、銃のスライドがロックされ銃口から弾が出なくなる。

 それでもトリガーを引くのをやめられない私の指が、カチカチと銃を鳴らす。もう銃弾は残っていないと気づき、漸く私は銃を下ろすことができた。

 

 目の前には頭から血を流しながら横たわるアリウス生。

 胸が微かに上下している。

 

 つまり、この女はまだ生きてる。

 

「けほっけほっ……もういいよサオリ! この人もう動けないから」

 

 拳を振り上げる私の腕を何者かが掴むことでようやく、私は我に帰った。

 首を摩りながら苦しそうに咳き込んでいるけれど、しっかりと自分の両足で立っているレンゲ。私を見つめる琥珀色の瞳と、頭上に同じ色のヘイローが彼女が無事である事を示していた。

 

 気がつけばレンゲの胸に飛び込んでいた。

 両目からはとめどめなく涙が溢れる。

 

「おっと。よしよし、よく頑張ったねサオリ」

「レンゲが死んじゃうかと思った……! 首を絞められて段々と動かなくなるのを見てると……怖くて怖くて……!」

「えへへ、心配してくれたの? 私たち初対面なんだけどな〜」

「うるさいッ……!」

「いてて……ごめんって。ちょっとからかってみただけだから。ハグしてくれるのとても嬉しいんだけど君って結構力強いね。あれ、サオリさん? 段々と力が強くなって──いだだだだ! ごめんって! 私が悪かったってば! ぎぶ! ぎぶあっぷ!」

 

 渋々レンゲを解放すると、背中を押さえながら「止め刺されるところだった……」と呟いているものの、元の柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「ハンカチ……は無いけど、サオリもすまいるだよ、すまいる! あのチンピラを倒したんだから! もう今後どんな敵が来ても、私たち二人ならなんて事ないね! そしていつかは毎日お腹いっぱいご飯が食べられるような場所に行くぞ!」

「だからチンピラじゃなくて……」

 

 それでも未だに実感が湧かない。

 子供(私たち)があのアリウスの生徒を倒したんだ。

 

「──お前たちもすぐに分かる」

 

 歓喜に湧く私たちの足元から、今一番聞きたくない声がした。

 

「ひッ……!?」

「わぁ、凄いねー。君、まだ意識あるんだ?」

 

 仰向けのまま夜空を見上げているアリウス生徒。

 マガジン一本分の弾丸を頭に叩き込んだのにまだ意識があるなんて……。

 しかし流石に起きられるほどの力は残っていないのか、動く気配はない。

 

 最後の負け惜しみ……とは少し様子が違う。

 

「私たちアリウスの人間に未来なんてない。希望なんてない。この世はただ虚しいだけだ。終わらない内戦、飢える子供、壊される自治区。スラムで生きてきたお前たちなら嫌というほど見てきたんじゃないか? お前たちもいつかは理解する時が来る。

 

── Vanitas vanitatum。Et omnia vanitas」

 

 その言葉を最後に、アリウス生は糸が切れたように動かなくなる。

 でも、最後に残した言葉が、異様に私の頭の中を渦巻いて離れない。

 

 全ては虚しい。

 

 なら、私たちが必死になって生きるのに、一体何の意味があるのだろうか。

 

「部屋に戻ろっか」

 

 パン、と手を合わせたレンゲによって現実に引き戻される。

 どこかぎこちない雰囲気を残したまま、フラフラと小屋に向かって戻り始めるレンゲを慌てて追いかける。

 そうだ、今はこの人の言葉に気を取られる訳には行かない。

 

「よっこいしょ。良かった〜、鞄は無事みたい」

 

 壁に立てかけていたままだった無傷のカバン見て、レンゲは大きく息をついた。あの様子だと、中の食料も無事のようだ。

 

「それより、頭見せて。血を止めないといけないでしょ」

「ううん。多分もう止まってるよ。そんなに深い傷じゃないし、見ての通り私頑丈だから。銃で撃たれたところとか首はアザになりそうだけど」

 

 半信半疑でところどころ赤く染まったレンゲの髪をかき分けると、確かにもう血が出ている様子は無かった。あれだけ流れていたはずなのに、改めて見るととんでもない頑丈さだ。

 でも、先ほどの言葉の中に聞き捨てならないものが聞こえた。

 

「ひゃう!? な、なんで急に脱がそうとするの!?」

「アザになってるところがあるんでしょ? 見せて」

「どこにあるかぐらい自分で分かるよ! それにアザは自然に無くなるものだから!」

 

 必死に抵抗するレンゲに渋々引き下がる。

 でも大丈夫、寝てる時に確認すればいいだけだ。

 

「なんだか悪寒が……そ、それより! はい、サオリが一番お腹減ってたでしょ? これ一番美味しいからあげる!」

 

 そう言いながらレンゲが渡してくれたのは、薄くて長い板のようなものだった。何か書かれているけれど、残念ながら私は文字が読めない。本当にこれが食べ物なのかすら怪しい。

 もしかしてからかわれてる?

 

「何これ?」

「チョコレート!」

「え、チョコレート!?」

 

 スラムで時々別の子供が話しているのを聞いた覚えある。とても美味しくて、一度食べたら忘れられない味だって。

 恍惚とした表情で語るあの時の子供を見てから、私も心のどこかでは諦めながらもいつか食べたいと思っていた。

 そのチョコレートが目の前に……!

 

 包装を破ると、中から茶色の板のようなものが出てくる。

 固くて食べられそうにないけど、これがチョコレートなんだ……なんだか思っていたよりも美味しそうじゃない。色も食べ物とは思えない色をしてるし。

 

 しかし固さに反してそれほど頑丈ではなかったのか、少し力を込めたら簡単に折れた。

 

「あ、思ったより簡単に割れた。はい、これレンゲの分」

 

 手渡したチョコレートを割って半分渡すと、レンゲは目を丸くしてそれを見つめた。

 

「え、くれるの?」

「くれるも何も、元々レンゲのだし。そ、それに言ったでしょ! 食料は半分だけ貰うって……だから……あーもう! 早く受け取って!」

「……えへへ、ありがとっ!」

 

 押し付けるようにチョコレートをレンゲに渡すと、レンゲはそれ以上は聞く事もなくへにゃ、と笑うそれを口へ運んだ。

 うぅ……恥ずかしいからそんな目で見ないで!

 生暖かい視線を振り払うように私も残り半分のチョコレートを口に放り込んだ。

 

 そして私とレンゲは同時に目を輝かせた。

 

「ん〜やっぱり一番美味しい! あのなんちゃってチョコレートのレーションとは大違い! サオリは初めて食べるの? これはハマるよ──めっちゃがっついてるし」

 

 気がつけば全部お腹の中に消えていた。

 言いようがない満足感に思わず一息つく。あの子供が恍惚とした表情を浮かべていた理由が今なら分かる気がする。それに、ちょっとだけしか食べてないのにお腹も一気に満たされているようだった。まるで欠点が存在しない。

 

 美味しくて食べ応えもあってお腹も満たせる。

 きっとチョコレートは完成された最強の食べ物に違いない。

 

「分かった、分かったからそんなに凄い目で見つめないで。次はもっと美味しいものを──」

『いたぞ! あそこに誰かが倒れてる!』

 

 レンゲがカバンの中から別の食料を出そうとしたその時、外から何者かの声が響いた。続け様にいくつもの足音がこちらへ向かってくる。

 私たちは目を見合わせると、恐る恐る穴だらけの窓から外を覗いた。

 

『おい、しっかりしろ! 誰の仕業だ?』

 

 ガスマスクを被った何人もの女が、先程私たちが倒したアリウス生を囲んでいた。

 

「通りすがりのガスマスク集団……なわけないよねぇ……」

「言ってる場合じゃないでしょ! 明らかにあいつの仲間だよ!」

「まぁそうだよねー。早くドア閉めてやり過ごさないと!」

「レンゲが蹴り飛ばしたんでしょうが!」

 

 いつまで経っても戻らない仲間を探しにきたのか、アリウス生徒の集団が小屋のすぐ外まで来ていた。

 全員が小銃を装備していて、おそらく私たちが倒したアリウス生とそう変わらない強さを持っている。

 この状態で相手にできるはずがない。

 

『リーダー、あの小屋から話し声が聞こえました。確認しますか?』

『3人連れてクリアリングしろ。残りは外で待機』

「サオリが騒ぐからバレちゃったじゃん!」

「どの口が……!」

 

 歓喜から一転、絶体絶命に陥った私たち。

 なんとか脱出できないか頭を抱える私を他所に、レンゲはなぜか楽しげな笑みを浮かべている。この状況でも気楽すぎる!

 

「えへへ、もう仕方ないねこれは。よいしょ、しっかり捕まっててね」

「わっ!? れ、レンゲ!?」

 

 突然私を背負うと、レンゲはゆっくりと助走し始める。

 狙いはアリウス生徒たちがいる玄関とは反対側に位置する、まだ唯一無事だった窓。

 

「え、ちょっと待ってレンゲ。体は大丈夫なの?」

「チョコ食べたら元気百倍! 飛ばしていくよー!」

 

 私が返答する暇もなく、レンゲは全速力で矢のように駆けると、そのまま窓に向かって飛び上がった。

 

 ガラスの砕ける音とドタドタと複数人が小屋に入ってくる音が同時に響く。

 

「いたぞ! 逃すな、撃て!」

 

 その直後、突入してきたであろうアリウス生徒たちから放たれた無数の銃弾が降り注ぐ。

 まさに間一発という状況に冷や汗が流れるも、レンゲはまだ気が済んでいないらしい。懐から何かを取り出すと、ピンを抜いてそれを窓から室内へ放り投げた。

 あの小さなボールのようなものはまさか……。

 

「あの人から頂いておいたものだから、返すね!」

「ちょ、中にはまだ食料が──」

「ひゃっはー、逃げろ〜!」

 

 直後、爆発音と共に小屋が揺れ、立て続けの銃撃とトドメのグレネードについに耐えきれなくなったのか、大きな音を立てながら崩れ始めた。

 

 あの大量の食料が入っていたバッグと一緒に。

 

「後から取りに戻ればよかったのに! 少しは考えてよ!」

「あはは、ご飯ならまた探せばいいでしょ。大丈夫、私たち二人なら上手くやれるよ。だから──」

 

 背負っていた私を下ろすと、レンゲは私に向かって拳を突き出した。

 

「これからも宜しくね、相棒(サオリ)!」

 

 その拳を見つめる私の答えは、既に決まっている。

 今度は迷いなんてなかった。

 

「もちろん、宜しくね相棒(レンゲ)

 

 私も力強く拳を重ねると、そのまま崩落する小屋を背に私たちは駆け出した。

 

 あの人が言ったように、この世は虚しいだけなのかもしれない。

 

 でも、レンゲと一緒なら、生きる意味も見つかるかもしれない。

 

 どこか確信めいた想いで隣を走るレンゲを横目で見つめながら、私たちは夜のアリウス自治区を走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ〜もう無理ぃ〜」

「やっぱり大丈夫じゃなかった……!」

 

 しばらくして当たり前のように限界が来たレンゲを私が抱える羽目になったのは、言うまでもない。

 

 

 




頭に銃弾を10発喰らっても死なないのがキヴォトス人。
スピンオフでは社長のライフル喰らっても効果なしの風紀委員長とかもいるので、多少はね?

・レンゲ
自分が頑丈なのを自覚しているせいでギリギリまで合図を出さなかった。サオリからしたらたまったもんじゃない。

・サオリ
この時からブチギレたら周りが見えなくなる。この日から銃の手入れを欠かさなくなった。


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ある夜の朝明け

コユキ天井しました。
俺は陸八魔アルを絶対に許さない。


 

 

 

 私──荻野レンゲには一人の相棒がいる。

 

「サオリ、そっちに何かあった?」

「ううん、ガラクタだけ。そういうレンゲの方は……あ、こら! 気になるからって口に入れないの! 赤ちゃんじゃないんだから毎回食べて確認するのはやめて!」

 

 名を錠前サオリ。

 私と違ってしっかりしていて頭も良い、とても頼りになる女の子。たまにぶたれるのが痛いけど、大体は私のせいだからあまり気にしてない。少し口うるさい時もあるけど、私の事をいつも気にかけてくれる自慢の相棒だ。

 

 今もいくつかちょっと怪しげな缶詰の入った箱を見つけたら一つだけ食べてみたら、サオリが慌てて取り上げた。

 ちょっとぐらい食べても大丈夫なのに……サオリは心配性なんだから。何か新しい食べ物を見つけると全部私が毒味してるけど、今までお腹を壊したことなんて一度もないし。

 

「何かあってからじゃ遅いの! 私が匂いとかチェックするから、何か見つけても食べないこと! いい?」

「ええー……」

「返事は『はい』か『イエス』で答えて」

「いえす、まむ!」

 

 とりあえずこの缶詰は大丈夫だったから、持ってきたカバンの中に放り込んだ。なんのお肉かはあまりの分からなかったけれど、美味しかったから多分大丈夫。

 

 今私たちは、真っ暗な倉庫の中を探索していた。

 辺り一面埃だらけで電気も通っておらず、廃棄されてからそれなりの年月が経っているのが分かる。それでも缶詰は残っているんだから、保存食って凄い。

 当然夜の探索になるから、窓から差し込む月の光が唯一の道標だ。

 

 夜目になれば見えない事もないけれど、サオリ曰くみんなが私のように五感が人間離れしていないとのことで(まるで私が人間じゃないみたいで心外だ)、移動する時はピッタリとサオリが私の腕にくっついて移動している。

 これは暗いところで移動するのは危ないっていう理由もあるけど、一番の理由は実は別にある。

 

「こ、こっちで本当に合ってるのかな……ねぇレンゲ、何かいる……?」

「何もいないと思うけど」

「も、物陰とかにも何かいたりしない……? お、お化けとか……」

 

 何度かこういった倉庫を探索してるうちに気づいたけど、サオリは見ての通り暗いところが苦手だった。どうも暗闇から何かが出てきそうで怖いらしい。

 私は目が良いから何か出てくるかなんて見れば分かるから、あまりそういう恐怖は感じない。でもサオリみたいな普通の人には暗闇って怖いところらしい。

 

「ひっ……! 今、何か聞こえなかった!?」

「ぐえ、待ってサオリ、抱きついてくれるのは嬉しいけど急にだと息できなくなるから。これじゃ私がお化けになっちゃうから」

 

 どんな小さな物音でもビックリしちゃうから、まるで猫ちゃんみたいだ。これはこれで可愛いけど、抱きついてくる時の力があまり可愛くない。

 

 何度か同じようなやり取りを続けているうちにようやく次の部屋に辿り着いた。ついでに私も何度かお化けになりかけた。

 

 重そうな鉄製の扉が目の前に広がる。

 上部分に貼られたプレートに何か書いてあるけど、私もサオリも文字が読めないからここが何の部屋なのかも分からない。これでどちらか一人が文字が読めると食糧庫とかがすぐ見つかるんだけど……。

 新たな部屋を見つけ、サオリも仔猫ちゃんモードから真面目モードに切り替わる。それでもまだ怖いらしいけど、それ以上にご飯を見つける方が大事だから我慢してるらしい。それでも結構頻繁にSOSが飛んでくる。

 そもそもお化けなんているはずがないのに、サオリは怖がりなんだから。

 

「うんしょ……重い〜」

「うぅ……早く月が見たい……」

 

 錆と劣化で重くなった扉をなんとかこじ開けて、二人揃って部屋へ足を踏み入れる。サオリの望み通りこの部屋には窓があったようで、月明かりにより大分明るく照らされている。サオリも安心したように大きく息を吐いた。

 

「ここは……誰かが住んでたのかな?」

「毛布が他と比べてまだ新しい。それに、最近食べたような空き缶もある。多分、最近まで誰かがここに住んでたんだと思う。レンゲ、何も口に入れないようにね」

「も〜! 分かってるよ」

 

 空き缶を一つ手に持った瞬間、またサオリから睨まれてしまう。

 もしかして私、自分が思ってるほど信用されてない?

 

「あれ、奥にもう一つ部屋がある……なんだろ、ここ?」

 

 乱雑に置かれた毛布の中を調べるサオリを背に、部屋の奥へと進んだ私はもう一つの扉を見つけた。今までは部屋の中にもう一つ部屋があることなんて無かったから、思わず扉に耳を当てて中の様子を窺ってみる。

 

「これは……ロープが軋む音……? それに混じって何かが聞こえるような」

 

 サオリを呼ぶことすら忘れ、私は鉄製の扉のドアノブを恐る恐る回した。外の扉とは違いすんなりと回ると、ゆっくりと扉を開ける。

 

 中は物置のようだった。

 先程まで月明かりのある場所にいたせいか、暗闇に目が慣れずまだあまり見えない。でも、いくつかの棚のようなものだけは微かに見える。

 

 そして先程から響いている、明らかにロープのようなものが軋む音。

 両目が暗闇に慣れ始め、中の様子が徐々に鮮明になってくる。

 

 目の前に両足がぶら下がっていた。

 

「……へっ?」

 

 最初は意味が分からなかった。

 なんで目の前に足が見えてるの? 普通足って浮いたりしないよね?

 

 でも目の前には誰かの足がある。足があるということはその持ち主もいるはずで……。

 

 恐る恐る、私は視線を上に移した。

 

 二つの赤い瞳と目が合った

 

みぎゃああああああああ!?

 

 おそらく人生で一番大きな悲鳴と共に、私は生まれて初めて恐怖で失神した。

 

 

 

 

「レンゲ!?」

 

 ずっと静寂が続いていた倉庫に、今まで聞いた事のないような大きな悲鳴が響いた。慌てて後ろ振り向くと、奥にもう一つ部屋があったようで、既に扉が開けられた状態になっていた。

 

 もしかしてレンゲの身に何か……!

 

 ハンドガンを抜き、私は慌てて奥へと走り寄った。

 

「れ、レンゲ……? 大丈夫……?」

 

 なんと、レンゲが泡を吹いて倒れていた。

 銃で何発も撃たれても気絶しなかったあのレンゲが気を失っているなんて、中に一体なにが……?

 

 意を決して、私は銃を構えた状態で中を覗き込んだ。

 

「なッ!?」

「うぅ……けほっ……」

 

 その光景に思わず目を見開く。

 

 天井から吊り下げられたロープに誰かが首を通した状態でぶら下がっていた。一瞬死体だと思ったけれど、苦しげに歪む赤色の瞳とその頭上に浮かぶヘイローがこの人が生きた人間だと物語っていた。

 

「早く助けないと……!」

 

 銃をロープの根元へ向ける。

 微かな月明かりを頼りに狙いを定め、私はなけなしの銃弾を数発ほど天井に撃ち込んだ。

 

「うっ」

 

 元々が古びた建物だったおかげでロープが吊るされていた箇所はあっさりと崩れ、ロープごと首を吊っていた人物が重力に従い落ちてきた。

 途端に呼吸が復活し、落ちてきた人物が激しく咳き込む。

 

「ゴホッゴホッ! ハァ……ハァ……」

「だ、大丈夫?」

 

 よく見たら、その人物は私たちと同じ子供だった。

 短い黒髪の上に赤いヘイローが浮かんでいて、弱々しく点滅していたそれが段々と輝きを取り戻す。

 

 良かった、命に別状は無いみたい。

 

「どうして……」

「え?」

 

 背中を摩りながら女の子の顔を覗き込むと、突然鋭い目つきで私を睨みつけてきた。

 

「どうして止めたの? あと少しで死ねたのに……この肉体から解放されたのに……」

 

 女の子の声は、覇気というものがまるで無かった。

 この世の全てに疲れ切ったかのように弱々しくて、今にも消えてしまいそうなほど物静かで。それでも、その声色は明らかに私を非難していた。

 

「苦しみしかないこの世界に生きる意味なんて無いんだから。大人しく自由にさせて」

「で、できるわけないでしょ! 目の前で人を見殺しにするなんて間違ってる!」

 

 少し前の私では考えられないセリフが思わず口から溢れてしまう。

 どうやら思ったより私はレンゲに毒されているらしい。それこそ、目の前の見ず知らずの女の子を放っておけないと思えるほど。

 

「随分と酷いこと言うね。私に生きて苦しみ続けろって言うの? 肉体という器に閉じ込められていろって言うの? そんな事、初対面の人に言われる筋合いは無い」

「ッ……!」

 

 それはまるで鏡の中の自分を見ているようだった。

 

 Vanitas vanitatum

 

 あの日、アリウス生徒に言われた言葉。

 世界はただ虚しく、どこまで行こうと救いなんて無い。

 

 ずっと頭の片隅に引っ掛かり続けたその言葉が、目の前の女の子の言葉で一気に込み上げてきた。

 

 確かに、彼女の言う通りだ。

 私もレンゲも、ただ当てもなく毎日スラムを彷徨うだけ。食料を見つけることすらままならず、生きるだけで精一杯の日々。

 果たしてこれは、胸を張って生きていると言えるのだろうか。

 

 少なくとも、足元で呑気に気絶している彼女に出会う前の私なら、この問いに答えられずにいたかもしれない。

 

「苦しみしかないこの世界に生きる意味なんてあるの?」

「無いかもしれない」

「は?」

「生きる意味があるかなんて分からない。もしかしたら今まで積み上げてきたものは全部無駄だったかもしれないし、結局生きて続けても最期まで何も成し遂げられず、誰にも記憶されないまま果ててしまうかもしれない。でも──」

 

 レンゲと共に過ごす日々。

 食料を探しに自治区の色んな場所へ行ってみたり、時には敵と遭遇したり。そこで今まで食べた事がないご飯を見つけて二人で騒いだりして。見た事がない景色を見つけて二人で目を輝かせたり。

 毎日が同じ事の繰り返しだけど、その中で常に新しい発見がある。

 

「──『生きる』のって、最高に楽しいよ?」

 

 この子はきっと、まだそれを体験できていないだけ。

 

「だから、私たちと一緒に来る?」

 

 ポカンと口を開けている彼女に向かって手を差し出す。

 あの日レンゲが私にしてくれたように、今度は私が誰かを助けたい。

 

「この世界に意味は無くても、毎日のちょっとした奇跡を見つけるだけで『生きてて良かった』って思えるはず。もし見つけられなかったら、私たちが一緒に探してあげる。私たちが一緒に生きる意味を考えてあげる」

「……あなたたち二人に、見ず知らずの私にそこまでする理由なんてある?」

「無いよ。だからこれはただのお人好し。それに、そこで呑気に寝てる相棒(バカ)も、きっと同じ事をしてたと思う」

「随分と信頼してるんだね、その子」

「言うと調子に乗るからあまり口には出せないけどね」

 

 横目で未だ気を失ったままのレンゲを一瞥すると、大きくため息を吐いた。まるで自分の口から出そうになった言葉を覆い隠すように。

 

「……縁とか繋がりとか、そんなのまやかしに過ぎない。人は孤独に生まれて、孤独に生きて、孤独に死ぬ。結局あなたとその子との繋がりも、いつかは切られて消えるだけ。だからあなたのその信頼も、いつかは無駄になるはずだよ」

「たとえいつかレンゲと離れ離れになっても、今まで一緒に過ごした時間は消えない。思い出は無かった事にならない。『繋がり』ってそういうものだと思うよ」

「そんな仮初の繋がりなんて──」

「でも私は断言できる。私はずっとレンゲと一緒にいるし、レンゲもずっと私と一緒にいてくれる。決して見捨てないし見捨てられない。そしてそれは貴女も同じ」

 

 決して目を逸らさず、真っ直ぐ彼女を見つめる。

 

 そしてあの日、レンゲが私に言ってくれたように、私もその言葉を告げた。

 

「私を信じて」

 

 初対面で言う言葉ではないし、目の前の女の子がこの言葉に頷くなんて思えない。それでもこれが、今の私にできる精一杯だ。

 

「ッ……! どうして……!」

 

 今まで無表情を貫いていた女の子の顔が、歪んだ。

 ()()()()()()()()()()自分の体を抱き、声を震わせて蹲っている。

 

「いつもこうなる……! 肉体から解放されようとするといつもこの世界は逃してくれない……! だから今回は漸く自由になれると思ったのに、こんな時にあなたみたいな人と会ってしまう……!」

 

 ポタポタと、雫が落ちる音が響く。

 声を震わせながらこちらに体を預けてくる彼女を、私は黙って抱き止めた。

 

「寂しかった……!」

「うん」

「この世界には私一人しかいないんだと思った……! 痛くて……苦しくて……もうこれ以上生きる理由なんて無いんだって思った……!」

「大丈夫、私も同じ気持ちだったから。でも、これからは私たち3人は家族だよ。一緒に生きる意味を探せばいい」

「うん……!」

 

 何度も頷く女の子の頭を、私はずっと撫で続けた。

 

──これが3人目の家族、戒野(いましの)ミサキとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

「……んぁ? あれ、私どうして……」

 

 どこか重苦しさの残る頭を摩りながら、私はフラフラと起き上がった。体についていた埃を払いながら、辺りを見回す。

 

 そもそもなぜ私は倒れていたんだろうか。

 

 サオリと一緒に倉庫の中の部屋を探索していたところまでは覚えてる。部屋の中でもう一つドアを私が見つけて、開けて中を覗いて──ダメだ、その後が思い出せない。

 でも、確か恐ろしいものを見たような……。

 

「あ、起きた」

「全く……随分とぐっすり寝てたね。探索中に寝落ちするってどういう事?」

「あー、サオリか。ごめんね、なぜか知らないけど気を失ってたみたいで──」

 

 聞き慣れた相棒の小言が聞こえその方向へ視線を向けている途中、どこか違和感があった。あれ、声が一つ多くない?

 声の方向へ体を向けると、予想通り呆れたように首を振るサオリの姿があった。

 そして、その隣に座る赤い目の女の子の姿も。

 徐々に蘇る、あの時物置の中で見た光景。

 

 私はその場でひっくり返った。

 

「うにゃあああ!? お化け!?」

「は?」

「お化けなわけ無いでしょ!」

「痛い! あ、でも確かにちゃんと床に座ってて浮いてない……」

「当たり前でしょ……サオリ姉さん、この子はほんとに話の中の人と同一人物なの?」

「い、一応ね……」

 

 思わず悲鳴を上げた私に向かってゲンコツが振り下ろされ、私は否が応でも現実に引き戻された。

 よく見ればこの赤い目の女の子の頭の上には同じ色のヘイローが浮かんでいる。生きている証拠だ。でもなぜかさり気なくディスられた気がするするけど、それも多分私の気のせいだ。

 

「あれ、『サオリ姉さん』?」

「レンゲが寝てる間に色々あってね。これからはこの子……ミサキも一緒に行動する事になった」

「へぇ! いいねいいね! 『家族』は沢山の方がいいから! 私、荻野レンゲ!」

「私は戒野ミサキ。レンゲの事はサオリ姉さんから大体聞いて──」

「ねぇ、ミサキって何歳!? 好きな食べ物は!? 最近はあまり美味しいものとか見つけられてないけど、欲しいものがあればなんでも言ってね! 私のレンゲレーダーで探してあげるから!」

「あの──」

「ずっとここに住んでたの!? 一人で寂しかったでしょ! でも、もう大丈夫! これからはずーっと一緒だから!」

「えっと──」

「そうだ! 折角だし、今日はご馳走様にしよっか! 最初だし、きっとサオリも許してくれるよ! 私が長い間蓄えたとっておきの缶詰を大盤振る舞いしちゃうぞ〜!」

「…………」

「諦めて。テンション上がったらいつもこうだから」

 

 いそいそとカバンの中から缶詰を取り出そうとすると、なぜか二人から白い目で見られてしまった。

 折角家族が増えたのに何もないのは寂しいと思ったから……。

 渋々一袋ずつレーション(エナジーバーのような棒状の食べ物。とてもパサパサしてて美味しくない)を取り出して、それぞれサオリとミサキに渡す。宴はまた今度。

 

 三人並んで窓から夜空を見上げながら、もそもそとクッキーみたいな食感のレーションを食べる。やっぱり缶詰が良かった。

 

「あ、見て! お日様が見えてきたよ! 綺麗〜」

 

 いつの間にかもう夜明けの時間になっていたようで、建物の影からゆっくりと太陽が顔を見せた。暗闇に包まれていたスラムの街並みに徐々に光が差し込み、いつもの風景がどこか幻想的に見える。

 

「ねぇ、ミサキ! 一人で見る夜明けも良いけど、こうして家族と見るともっと綺麗でしょ!」

 

 思わず隣に立つミサキに抱きつくと、ミサキは困ったように小さく笑みを浮かべる。今でこそサオリもよく笑うけど、その仕草はどこか昔のサオリを思い出す。どうも二人は似ているらしい。

 

 でも、慣れない手つきで頭を撫でてくれるのはサオリより優しい。

 

「うん、そうだね」

 

 もう一度朝日を見上げると、ミサキは小さく呟いた。

 

「悪くない、かな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばサオリの事は姉さんって呼ぶのに私の事は姉さんって呼んでくれないの?」

「なんで歳下を姉さんって呼ばないといけないの……」

「え? 私サオリと同い年だけど」

「「え……? 嘘でしょ?」」

「二人揃ってぶっ飛ばすぞこの野郎」

 

 




ミサキの絆ストーリーが良すぎて脳が破壊されました。

・レンゲ
実はこれ以降暗いところが少し苦手になった。

・サオリ
サオリお姉ちゃん誕生。自分が思っていた以上に主人公の影響を受けていた。幼い彼女はそれが依存だと自覚していない。

・ミサキ
ちっちゃい頃から捻くれてそう。


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動き出すアリウス(1)

今回は難産かつ短め。



 

 

 

「……ふぁぁぁ」

 

 パチリと目が覚め、私は大きく背伸びしようとして……出来ない。

 視線をすぐ隣へやると、やはりというべきか、サオリが毛布越しに私の体をガッチリとホールドしていた。あどけない表情を浮かべながら、良い夢でも見ているのか口許が少しニヤけている。

 いつもは頭上に浮かんでいるヘイローもまだ姿を現していないから、どうやらまだ夢の世界にいるらしい。

 

 なんとなく目の前のサオリの顔を覗き込む。

 

「こうして見ると、サオリも子供っぽくて可愛いのにね」

 

 まぁ、サオリはいつでも可愛いけど。

 

 どうにか抜け出そうと体を捻ると、機嫌悪そうにサオリが身じろぐ。

 良い加減離してくれないとご飯の準備ができないんだけど……。

 

「わぷっ」

 

 さらに強く体を捻って無理矢理抜け出そうとすると、なぜかさらにそれ以上の強さで引っ張り込まれて今度は頭が思いっきり抱き抱えられてしまった。これ絶対起きてるでしょ。

 でも、相変わらずヘイローはまだ姿を表していない。

 

 寝るたびに()()なるから一度サオリに文句を言った事があるけど、曰く「レンゲは体温が高いから気がつけばこうなっちゃう」とのこと。私は湯たんぽか何かかオイ。

 

「サオリー、いい加減起きる時間だよー? 寝坊助さんはご飯抜きだよー?」

「ん……?」

 

 ツンツンと顔を突っつきながら声をかけると、頭の上でヘイローが徐々に点滅しながら浮かび上がる。無駄にもっちりしたほっぺをしやがって、このまま食ってやろうか。

 

 ゆっくりと瞼を上げ、サオリの綺麗な青色の瞳がようやく姿を表した。まだ意識自体は覚醒しきれていないのか、どこかポワポワした雰囲気を醸し出している。可愛すぎる。

 

「おはよ、サオリ。もう()だよ」

「ふあ……おはよう、レンゲ」

 

 やっとサオリの抱擁からも解放され、大きく背伸びをして体を解す。背中越しで分からなかったけど、ミサキも同じようにサオリに抱きついて寝ていたらしい。つまりミサキ→サオリ→私という状態。私にも誰かに抱きつかせてくれ。

 でも、ミサキはサオリにこそ懐いているみたいだけど私とはまだ少し壁を感じる。姉さんとも呼んでくれないし、話しかけても反応がイマイチ。かと言って何か反応をくれても、あのダウナーな雰囲気の中に少し棘が見え隠れする。これが私とサオリの人望の差とでもいうのか。

 

「ミサキも起きて。外もすっかり真っ暗になっちゃてるし、早くご飯食べて移動しないと」

「ん……大丈夫、もう起きてる」

 

 サオリの背後で寝ていたミサキにも声を掛けると、少し遅れて返事が返ってくる。

 声はまだ眠そうだ、と思いたいけどミサキは起きてる時もずっと眠そうにしてるからあまり違いが分からない。

 

 街灯一つ機能していないアリウス自治区は夜になると月の明かりが唯一の道標になる。幸いにも今日は満月のおかげで、絶好の探索日和と言える。

 

 私たちの活動時間は基本的に夜だ。

 身を隠しやすく、人が少ない時に行動するのは、私たちのような子供にとっては必要不可欠。一人二人ならまだしも、スラムでは集団で行動する年上たちも少なくない。そんな人たちと鉢合わせしてしまったら、武器も人数も少ない私たちはなす術もなくやられてしまう。だから基本的には、今のように昼夜逆転した生活を送っている。

 

 二人が起きたのを確認すると、毛布を回収してきちんと畳んでから丸めてカバンの中に突っ込む。そして代わりに缶詰とフォークを三つ取り出すと、サオリとミサキにそれぞれ渡す。

 

 渡された缶詰見て、サオリは僅かに眉を顰めた。

 

「また缶詰……缶詰は貴重なんだから、もっと大事に使わないと」

「だって寝起きであのレーション食べると口の中の水分全部持ってかれるんだもん。(あさ)ご飯ぐらい良い気分で過ごそうよー。ミサキもそう思うでしょ?」

「別に。ご飯なんてお腹の中に入れば一緒」

「ほら、ミサキも缶詰食べたいって言ってる!」

「勝手に解釈しないで! ミサキもダメな時はちゃんとダメって言わないと。甘やかすとレンゲの教育に悪いから」

「サオリ姉さんがそう言うなら……レンゲ、めっ」

「うぅ……裏切り者ぉ!」

 

 そもそもミサキは大体サオリの言うことを聞くからこういう時はいつも私が負ける。多数決なんて横暴だ!

 

 抗議の意味を込めて二人を睨んでいると、しばらくしてサオリが深いため息を吐きながら首を振った。

 

「はぁ……今回だけだよ?」

「やったー! サオリ大好きー!」

 

 私の粘りの泣き落としのおかげでなんとか快適なご飯を手に入れる事ができた。こうして偶には私の意見も聞いてくれるところが憎めない。

 

「……サオリ姉さんが一番レンゲを甘やかしてる」

 

 ミサキも何かを小さく呟いてから缶詰に手を伸ばした。

 表情は相変わらずの無表情だけど、きっと内心狂喜乱舞しているに違いない。

 

 るんるん気分で鼻歌を歌いながら、私たちは缶詰の蓋をゆっくりと剥がす。中からなんとも言えない匂いと茶色の物体が顔を見せる。匂いはともかく味に関しては美味しいはずだ。

 

 外の絵を見ず適当に選んだけど、今日の缶詰は何かのお肉みたいだ。少し硬くて食べづらいけど、私が一番好きな奴だ。

 

「うへへ〜大好物〜」

「食べ終わったらすぐ出発するよ。ここにはもう何も無いみたいだし」

 

 ウキウキでお肉にフォークを突き刺す私を他所に、サオリは既に食事を済ませて荷物をまとめていた。

 既に探索を終えているこの空き家に長居する理由なんてない。だからサオリのようにさっさと食べて移動するのがベストなんだけど……ご飯ぐらい味わって食べたい。

 

「まったく……ゆっくり食べないとちゃんと育たないよ?」

「レンゲが遅すぎるの」

「フッ、これじゃあ将来どっちがナイスボディな大人のお姉さんに育つか明白だね」

「そういうのは私より身長が高くなってから言った方がいいよ」

「こいつ、超えちゃいけないラインを超えやがったな……!」

 

 これは立場を分からせる必要があるみたいだ。

 お肉を掻き込み、サオリに飛び掛かろうと立ち上がると、視線の端で未だに缶詰を握ったままの黒髪ダウナー系女の子が目に入る。

 

「あれ、どうしたのミサキ? ちゃんと食べとかないと体力持たないよ? 毎日のご飯は元気の源! ミサキもしっかり食べて大人のお姉さんになろう!」

 

 ご飯にも手を付けずジッと私たちを見つめているミサキに、思わず首を傾げて声を掛けてしまう。

 それはミサキ本人も無意識だったようで、慌てて視線を私たちから外してご飯を食べ始めた。

 

「……別になんともない。ただ、誰かとご飯を食べるのがまだ慣れないだけ。今までずっと一人で生きてきたから」

「えへへ、でもこういう賑やかなのも楽しいでしょ?」

「……分からない」

「そっか」

 

 黙々とご飯を食べ始めるミサキをなんとなく眺めてみる。

 決して多くは語ろうとしないけど、彼女も彼女なりに私たちとの生活に思うところがあるらしい。

 

 それを良いことか悪いことか決めるのは、ミサキ自身だ。

 

 でもいつかはミサキ自身の口から「楽しい」っていう言葉が聞けると、私もサオリもきっと嬉しい。

 

「しっ、二人とも静かに」

 

 穏やかな雰囲気を貫くように、突然サオリから発せられる鋭い呼び声。次の瞬間、私とミサキは同時に息を潜めて姿勢を低くした。こういう時に考えるより先に体が動くのは、スラムに住む子供の悲しい習性だ。

 同じく姿勢を低くしながら窓の外を警戒していたサオリは、険しい表情を浮かべている。どうも外に嫌なものが見えたらしい。

 

 足音を響かせないようジリジリとサオリが覗き込んでいた窓へ近づくと、外に見えた光景に思わず顔を歪めた。

 

「アリウスの生徒があんなに……戦線から離れた地域なのに」

「わお、凄い数だね。こんな夜中に何してるんだろ? きもっ」

 

 外をゾロゾロと歩くのは、ガスマスクを被ったいくつもの集団。見慣れてしまった分厚いコートに、統率された動き。私とサオリが遭遇したくない敵堂々の第一位に居座っている、アリウス分校の生徒たちがすぐ目の前で十数人ほど闇の中を蠢いていた。

 全員が銃を抱えながらゾロゾロと歩き回っている。

 

「戦ってるっていうより、何か探してるみたい。普段と様子が違う」

 

 同じく外を覗いたミサキが呟いた。

 確かに彼女たちの動きはどこか忙しなく、まるでしらみつぶしに空き家を一つ一つ探索しているようだった。

 つまり、何か──もしくは誰か探している。

 

「早くここを出るよ。私たちは関係ないと思うけど、見つかったら面倒な事になりそう。レンゲ、先行できる?」

「当然。しっかり着いてきてね」

 

 缶詰の残りをミサキが掻き込むのを見届けてから、私は部屋の隅に置いていたリュックを背負った。ズッシリとした重さが背中から伝わるけれど、この程度なら動くのに問題はない。

 

 三人の中で私の役目は荷物持ちと索敵。大きなカバンを背負いながら動き回れるのが私しかいないから、役目は自然と決まった。いち早く敵を発見し、後ろのサオリとミサキに伝えるのが仕事だ。

 

 そもそも銃を持っているのがサオリとミサキだけで、私はサオリに持っていた銃を渡してから一度も拾えていない。銃ぐらいそこら中に落ちてそうなのに、運の巡り合わせが悪いのか未だに私は丸腰だ。

 

 早急に銃を拾いたいところだけど、今は無いものねだりしても仕方がない。今は自分の役割をきっちりこなすだけだ。

 

 二人にここに待っているよう告げ、アリウスセイアたちがいた方角とは反対側に位置する窓枠に手を掛ける。

 

「よいしょ……うん、ここは大丈夫」

 

 窓から外へ出ると、五感全てを集中させて周囲に誰かいないか確認する。

 人の気配は無し、足音や呼吸音も無し。暗闇に紛れた人影も見当たらない。確認事項を一つ一つ消し、全て問題なしと確認が取れ、私は家の中で待っているサオリたちに合図を送った。

 

 これぞ名付けてレンゲレーダー。

 

「ミサキ、銃のロックは外しておいて。いざという時は私たちでレンゲを守らないといけないから」

「分かってる」

 

 背後から銃を構えながら窓から出てくるサオリとミサキ。

 ただ、場慣れしているサオリはまだしもミサキは少し表情が硬く動きもぎこちない。いつもの仏頂面だけど、どこか雰囲気も不安そうだった。

 

 初めてのアリウスとの遭遇に、あの子もあの子で緊張しているようだ。初々しくて可愛いねぇ。

 

「安心してミサキ、その気になれば銃弾ぐらい避けられるから」

「普通の人に出来るわけないでしょ……レンゲやサオリ姉さんじゃあるまいし」

「私だって出来ないよ! レンゲがおかしいだけ」

「人を変人みたいに言うのやめてー」

 

 マトモな奴は私だけのようだ。

 

「でもなんだか、さっきから見られてるような気がするんだよねー」

「ちょっとレンゲ、怖いこと言わないでよ」

 

 軽口を叩き合いながらも確かに感じる何者かの視線。

 さっきも確認した通り周囲に人影なんていないはずなのに、背中を刺すように突き抜けてくる言いようのない()()()

 

 その刹那、凄まじい悪寒が私の中を駆け巡る。

 

──二人とも伏せて!

 

 私は力の限り二人に向かって叫んだ。

 サオリは咄嗟に姿勢を低くするも、隣のミサキは反応が遅れているのか目を丸くしたまま動かない。

 

 まずい、このままじゃ()()()()……!

 

「いッ!? いってぇ!」

 

 無我夢中でミサキに飛び掛かり、勢いそのまま地面に押し倒した。

 同時に、車で撥ねられたような衝撃が脇腹を襲い、痛みで思わず顔をしかめる。

 

 悲鳴を上げる体に鞭を打ち、未だ状況が把握しきれていないミサキを引きずって近くの建物の影に放り投げた。短く呻き声を上げるのを見届け、私も慌てて近くの物陰に身を潜める。

 隣では既にサオリも同じように隠れていた。これでどうにか三人の安全が確保できたみたいだ。

 

 それにしても、撃たれた脇腹がまだ痛い……。

 

「大丈夫レンゲ!?」

「めっちゃ痛かったけどモーマンタイ。それより気をつけてサオリ、向かい側の交差点の奥から右手3番目の建物にスナイパーがいる。撃たれた時の痛さから多分7.62ミリぐらいのライフル弾」

「あの一瞬でそれだけ分かるなら大丈夫そうだね……」

 

 矢継ぎ早にある程度把握できた情報をサオリに伝えると、サオリは呆れたような安心したような、なんとも言えない表情で頷いた。

 ただ、残念ながら敵があの建物の何階にいるかまでは把握できなかった。撃たれた時の銃弾の角度を考えれば、多分3階か4階辺りだろう。地の利で言えば、こちらが圧倒的に不利だ。

 

「レ、レンゲ……私のせいで……」

「今は言ってる場合じゃないよミサキ。それより、早くあいつをどうにかしないとまずい。今の銃声を聞いたのは私たちだけじゃないはず」

 

 顔面蒼白といった様子で声を震わせるミサキを手で制す。

 今は泣き言を言ったところで意味はない。そもそもこの程度痛いだけで重傷でもないけど。

 

 それにしても、まんまと嵌められた。

 家の向かい側で多くの人員を配置して、いざという時に反対側に監視用のスナイパーを置いておく。そして相手が油断したところを奇襲するというわけだ。

 その銃声を合図に、そこら中のアリウス生徒が集まってくるはず。

 

「ここからだとハンドガンじゃ狙えない。迂回しないと──」

「レンゲ、何分でやれる?」

「五分ぐらいかな」

「分かった。それまで持ち堪える」

 

 狼狽えるミサキを他所に、私とサオリの中では既にどうするべきかは決まっている。階数は分からなかったけれど、建物の位置さえ分かれば十分だ。

 背中に背負っていたカバンをサオリに渡し、軽く準備運動をする。

 

「さ、サオリ姉さん……?」

 

 どうするつもり、と言いたげにミサキはサオリを見つめている。

 まぁ、これだけじゃ流石に分からないか。

 

「今からレンゲがあのスナイパーを倒しに行くから、私とミサキはあいつの注意を引きつけるよ。いくらレンゲでもライフルを何発も避けるのは難しいから」

「というわけでよろしくねー。大丈夫、すぐにあいつの息の根を止めてくる!」

「は?」

 

 これはある意味レースのようなものだ。

 銃声を聞いたアリウス生たちが集まってくるのが先か、私がスナイパーを倒して道を切り拓くのが先か。

 怖くないかと聞かれれば怖いに決まってる。私が間に合わなかったらサオリたちはアリウス生たちに捕まってしまう。

 

 だから、今の私は全力で進むしかないし、怯えてる暇なんてない。

 準備運動を終え、私は大きく背伸びする。

 

「レンゲ一人で大丈夫なの?」

 

 まだ一緒に戦った事がないミサキは、半信半疑で私を見つめている。

 本当に任せて大丈夫なのか、という不安がここからでも感じられ、思わず苦笑してしまう。

 

「私、そこまで頼りなさそうかなぁ?」

「今までの行いを振り返ってみればいい」

「ぐふっ……」

 

 ミサキからの正論が、さっき銃で撃たれた時よりも痛い……。

 

「安心して、絶対三人でここを切り抜ける。だから、私を信じて?」

 

 気を取り直して、どうにか安心させようと精一杯笑みを浮かべる。

 これ以上は何を言っても無駄と悟ったのか、ミサキは深いため息を吐き頷いた。

 

 さて、かっこいいところでも見せちゃいましょうか。

 

「……そういうレンゲも気をつけて」

 

 意気揚々と出発しようとする私の袖を掴むサオリ。

 (ミサキ)がいても、心配性なのは変わらない。

 

「えへへ、ありがと。少しの間だけ辛抱しててね」

 

 そんなサオリに向かって拳を突き出す。

 絶対に約束を破らないという、私とサオリだけの合図。

 

 サオリも不安げな表情を引っ込めて、凛々しく頷いてくれた。

 

「──頑張ってくるよ、相棒(サオリ)

 

 

 突き合わせた拳を合図に、私たち三人は飛び出した。

 

 

 




スナイパー……一体誰なんだ。

・レンゲ
特技は撃たれた時の銃弾の種類を当てること。二人からはドン引きされてる。

・サオリ
なんだかんだ身内には甘い人。

・ミサキ
初実戦で緊張気味。



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動き出すアリウス(2)

体調不良で昨日は投稿できず

沢山の感想をありがとうございます! とても励みになっています!


 

 

「うわぁ……あの人なんで平気なんですか……? きっと辛くて苦しいはずなのに……」

 

 建物の影から飛び出してきた三人の人影をスコープ越しから確認すると、少女は困惑した様子で呟いた。ボルトを引いてを薬莢を排出し、すぐさま代わりの弾丸を流れるような動作で装填する。

 淀みない一連の動作を行うものの、少女は顔を顰めながら手に持った狙撃銃を見つめた。

 

「うぅ……やっぱり扱い難いです。ボルトに変な感覚がありますし、狙いも外れる……こういうのを粗悪品って呼ぶんですかね……えへへ、まるで私の人生みたいです……」

 

 人知れず自己嫌悪に陥り人知れず泣く少女。

 ライトグリーンの髪を揺らしながらも、狙いは先程から狙撃を続けている三人の人影を捉えたまま。泣きながらも標的は外さない、ある意味で凄まじい精度だった。

 

「よく見たら私と同じ子供ですし……」

 

 少女は自身が見下ろしている三人の人影に、どこか憐れみすら感じていた。

 

 少女自身、物心がついた時から日々の飢えを凌ぐような毎日を送っていたが、つい最近謎のガスマスクの集団に捕まってしまい、こうして雑用に駆り出されている。

 幸いにも少女には狙撃の才能があったため、前線で使い捨てられるような事はなかった。

 

 だが、毎日のようにガスマスク集団と共に後方支援に駆り出せるほど少女は体が強くない。毎日の重労働に徐々に体が動かなくなっていくのが分かる。

 それでも、少女には服従する以外の選択肢はない。

 

「でも、従わないと私が殺されちゃうので……へへ、恨まないで下さいね……」

 

 スコープ越しにもう一度狙いを定め、トリガーを引く。

 

 青いヘイローの人影を狙った弾丸は僅かに外れ、近くの建物の窓を粉砕する。パラパラとガラス破片が宙を舞うのを眺めながらも、少女は努めて平静さを保ちながら機械的に薬莢を排出する。

 

「わっ、撃ってきた……」

 

 もう一度スコープを覗こうとした瞬間、自身が身を潜めている空き家の壁に数発の弾丸が直撃する。どうやら居場所がバレたらしい。

 

「えへへ、でも正確な位置は分からないみたいですね……」

 

 しかし、少女が隠れる空き家に届く弾丸はまばらだった。

 隣の部屋に打ち込まれたと思えば、一つ下の階に当たるものもある。建物はバレてもこの様子なら、心配する必要はない。

 

 再びスコープ越しに外の様子を覗くと、夜のスラムに二つのヘイローが浮かんでいるのが見えた。

 青色のヘイローと赤色のヘイロー、それぞれの主が銃を構えながら必死に乱射している。無論、それらは当たる気配は無い。

 

「辛いですよね、苦しいですよね……きっと必死になって私を倒そうとしてる……それが無駄な足掻きだなんて分からないまま……」

 

 ならせめてもの情けは、その苦しみを終わらせてあげること。

 青色のヘイローの人影へ狙いを定め、静かに息を止める。これまでの射撃で今持っている銃の軌道もある程度修正できた。次の一発はきっと外れない。

 

「えへへ、私の事は恨まないでくださいね……」

 

 相手の苦しみに満ちた人生を終わらせようとトリガーに掛けた指に力を込める──。

 

「──はろー、良い夜だね」

「●△⭐︎⊆◇X!?!?!?!?」

「ちょ、せめて人間の言葉で喋ってってば」

 

 次の瞬間、突然スコープ越しの視界一杯に琥珀色の瞳が映り込んだ。

 声にならない悲鳴を上げ、全力で後退する少女。

 

「ふぅ……いやー走った走った。こんなに全力でダッシュしたのはいつかの鬼ごっこ以来だよ」

 

 いつの間にか気配もなく近寄っていた、焦茶色の髪をした自分と同じ年頃の少女。悪戯が成功したと言わんばかりの笑みを浮かべながら、ジリジリと自分へ歩み寄ってきている。

 そういえば最初に狙撃した時は三人だったはずの人影が一人減っていたなと今更思い出し、少女は顔を青く染めた。

 彼女がここに来た目的など、考えるまでもない。

 

「ひぃ!」

 

 咄嗟に少女は手に持っていたライフルを向け、無我夢中に引き金を引いた。高速で発射された弾丸は無防備な相手へ直撃する──はずだった。

 

「え……?」

「あっぶね! 急に撃たないでよも〜。危うく当たりそうだったよ」

 

 いや、普通は当たるんですが……。

 少女は心の中で悲鳴を上げるものの、それを聞く者は誰もいない。もしかして自分はとんでもない人たちに喧嘩を売ってしまったのだろうか?

 

「じゃあ……死のうか?」

「あわわわわ……お、お慈悲を……」

 

 目の前の人物は人懐っこい笑みを浮かべているはずなのに、両手をポキポキと鳴らしながら近づいてくる。表情と言動が一致していない。

 笑顔は威圧の意味もある、と以前教わったのを思い出した。

 

「ご、ごめんなさい……! 通る人全員に発砲しろと無理矢理命令されて……ほ、ほら! この通りもう戦う意志はありませんから!」

 

 恥も誇りもかなぐり捨て、少女は銃を投げ捨て仰向けに寝転がった。

 以前褒美で貰った雑誌では、動物はお腹を見せる事が降参の意思表示と書いてあった。そのためこれが彼女にとって精一杯の降伏の意思表示だったが、目の前の化け物がそれを理解してくれているかは怪しい。

 

 しかし、にじり寄っていた茶髪の死神はそのまま少女をじっと見つめながら動きを止めた。いつの間にか笑顔も消えていて、二つの琥珀色の瞳が無表情で床に横たわる自分を見つめている。少女は恐怖で気が狂いそうになった。

 

──この人なんで急に止まるんですかめっちゃ見てくるしせめて何か言ってください助けて神様。

 

「あぁ……私はこのままこの人にめちゃくちゃにされるんですね……雑誌で読んだ『オトナのオシオキ』とは比べ物にならないような凄惨な仕打ちをされて、そのままボロ雑巾のように捨てられる……あ、私元々ボロ雑巾みたいなものでしたね……」

「可愛い……」

「もう終わりです……うわぁぁぁん!」

 

 相手が何か呟いた気がするが、今は命乞いに必死でそれどころじゃない。しかしそんな彼女の願いも虚しく、化け物はさらに一歩近づいてきた。

 死神の鎌の如く、茶髪の少女がついにこちらに向かって手を伸ばして──。

 

「……よしよし、もう大丈夫だよ」

「……?」

 

 だが、その手は少女に襲い掛かるでもなく、仰向けに寝転ぶ少女の頭を優しく撫で始めた。

 来るべき暴力の嵐に身構えていたはずの少女は、目を丸くして相手を見つめた。身の毛もよだつほどの無表情を浮かべていたはずの怪物は、いつの間にか慈母のような微笑みを浮かべている。

 あれ、お前さっきと雰囲気変わってね?と少女は困惑した。

 

「私は荻野レンゲ! 君、名前は?」

槌永(つちなが)ヒヨリです……」

 

 レンゲと名乗った少女のあまりの変貌に敵であるにも関わらず、ヒヨリは思わず素で名前を教えてしまう。

 

「ヒヨリもずっと一人だったの?」

「は、はい……えへへ、道端に転がっている小石のような生き方でなんとか毎日を乗り越えていました」

 

 今振り返っても惨めとしか言いようがない日々。

 だが、それも今の生活と変わらないのかもしれない。申し訳程度の食事の支給が貰えるが、代わりに毎日のように雑務に追われる。空腹とどちらがマシかと聞かれたら、ヒヨリは答えに詰まってしまう。

 

 自分を利用している年上たちが言っていた言葉──この世に意味はなく、全ては虚しい。

 

 そんな言葉に縋りたくなる自分がいる。

 

「そっか、じゃあ私たちと同じだね」

「え……?」

 

 隣に座り込んで渇いた笑い声を漏らすレンゲを見て、ヒヨリは目を丸くさせる。

 

「私含めて他の二人も、みんな一人ぼっちで生きてきて。だから家族になったの。苦しみも痛みも、家族がいれば少しは和らぐかなって思って」

「家族、ですか?」

「そう! 私とサオリ──あの青いヘイローのおっかない女の子がお姉ちゃんで、三人目のミサキが妹! みんな仲良く……かどうかは置いといて、結構楽しいんだよ? ご飯も食べられるし!」

「……他人同士なのに助け合って生きてるんですか?」

「うん。不思議でしょ? 孤児(わたしたち)にとって他人なんて、食料を奪い合う敵でしかないはずなのに。でもね、その他人が自分のことを家族って呼んでくれて優しくしてくれるのが、たまらなく嬉しいんだぁ。こんなクソッタレな世界をもう少し生きてみようかなって思えるぐらい」

「ッ……!」

 

「だから、ヒヨリも一緒に家族になろ?」

 

 目を輝かせながら手を伸ばすレンゲ。

 ある意味では苦痛しか存在しないこの世界を受け入れている考え方。それを『家族』という名目の『依存』で少しでも()()にしようとしている。

 

 ヒヨリはそれが健全だと思えなかった。

 結局苦痛である事に変わりはない。

 

「うぅ……」

 

 それでも、ヒヨリには伸ばされたその手があまりにも眩しすぎた。

 

 一緒に苦しんでくれる人がいるだけで、彼女にとってはその手を取る理由には十分だった。

 

「うわぁぁぁん!」

「おうふっ」

 

 手を取らず抱きつく事で、ヒヨリは自分の意志を示した。

 

 初めて感じる他人の人肌は、ほんのり暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「弁明を聞こうか、レンゲ」

「まぁ落ち着いてサオリ。そんな怖い顔したらヒヨリが怖がっちゃうでしょ?」

「五分で終わると自信満々に言いながら合図が遅れたのはひとまず置いておいて、その子はどうしたの?」

「拾ってきた。うちで面倒見ていい?」

「さっきまでアリウスの仲間だったんでしょ? 元にいた場所に戻して来て」

「私が責任持ってお世話するから!」

「うぅ……もはや人扱いすらされない仕打ち……やっぱり私は畜生以下の存在なんだ……うわぁぁぁん!」

「どうでもいいから早く喧嘩はやめて……」

 

 うっかり忘れていた合図を出してサオリとミサキにこの空き家まで来てもらって早々、私はサオリに問い詰められた。

 ヒヨリはアワアワとしながら私とサオリを交互に見つめ、少し離れた場所でミサキは呆れたように首を振っていた。どうやら私に味方してくれる人はいないみたい。

 

「大体、レンゲはこの子に撃たれたんだよ? そんな奴を迎え入れるなんて……」

「あれー、おかしいなぁ。サオリにも会って早々撃たれた気がするけど」

「あの時の状況だとレンゲのこと警戒するに決まってるでしょ! それにそもそも当たってない!」

「当たらなかったんじゃなくて私が避けただけですぅー、避けてなかったら頭に当たってましたぁー」

「この……ッ!」

「やんのかゴラ!」

 

 ついに取っ組み合いの喧嘩をおっ始める私たち。

 これはサオリにどちらが正しいか身をもって教える必要がありそうだ……!

 

「あ、あの……外に敵が──」

「大体サオリは頑固すぎるよ! ミサキの時は私、事後報告だったけど特に反対もしなかったじゃん!」

「ミサキの時とは全然違う! ミサキと違ってこの子はさっきまで敵だったんだから、少しは私にも相談するべきでしょ!」

「あの……レンゲ姉さん──」

「そうやってすぐミサキを庇おうとする! どれだけ溺愛してるの!」

「庇うも何も事実でしょ! レンゲはいつも危機管理が無さすぎる!」

「誰も聞いてくれません……うわぁぁぁん!」

「諦めて。この二人がこうなると言葉じゃ止まらないから」

 

 床を転がりながらお互いの頬を引っ張っていると、視線の間に黒色の髪が映り込む。間に割り込んだミサキにより、私とサオリは呆気なく引き剥がされた。

 

「二人とも落ち着いて。ヒヨリ、外にいる敵は何人ぐらい?」

「この辺りを哨戒していた部隊が帰ってきたみたいです。確認できる限りではおそらく十人ぐらいかと……」

「多分銃声を聞いて戻ってきたんだろうね。サオリ姉さん、どうする?」

 

 隣でスコープ越しに外を覗いていたヒヨリから届いた情報に、流石の私とサオリも頭が一気に冷やされる。

 最後に私を一度睨んでから、サオリは渋々ヒヨリが覗いている窓から同じように外へ視線を移す。

 

「あの数じゃここから見つからず逃げるっていうのは難しい……」

「ならボコすしかないね」

 

 辺りを警戒しながら移動するガスマスクの集団を見て、サオリは険しそうな表情を浮かべる。予想通り、ヒヨリの銃撃が合図になってしまったというわけだ。

 本当ならヒヨリを倒して速攻でこの場を離れていれば良かったんだけど……。

 

「ごめん、サオリ……私が遅かったから……」

 

 私がヒヨリを家族に迎えようと時間を忘れてしまったせいで、あの部隊が戻ってくる時間を与えてしまった。

 

 明らかに私のミス。

 

「……レンゲの性格的にこの子を見捨てられなかったのは分かるよ。私の方こそ、無理に一人で行かせてごめん」

 

 いや、あれは一番運動神経が良い私がする役目だから、サオリは悪くない。それに、色々と作戦とかを考えてくれるサオリと違って、私にはこういう事しかできない。

 さらに反論しようと口を開きかけるも、サオリに無言で制されてしまう。サオリの力強い眼差しが「この話は終わりだ」と告げていて、私は従う他ない。

 

「今は、あの人たちをどうにかするよ」

 

 サオリの睨みつけるような視線の先にいる、アリウス生徒約十人。

 対するこちらは銃を持った子供三人と、素手の子供が一人。

 

 正攻法からじゃ、勝てない。

 

「サオリ、もう分かってるよね?」

「ッ、でも!」

「大丈夫。私にできるのは()()()()()しかないから」

「……待って。姉さん、もしかしてレンゲは──」

「さっきと逆、私があいつらを引きつけてくるよ。だから掃除はお願いね」

 

 先程はサオリとミサキがヒヨリを引きつけて、私がヒヨリを倒した(というか手懐けた)。

 今回は私があのアリウス生徒たちを引きつけて、残りの三人が倒す。

 

 これが銃を持っていない私にできる最善策なのは、サオリが何より理解している。

 それに囮役とか単独行動はもう慣れてる。

 

 何も答えないサオリを見て、ミサキの表情が若干歪んだ気がする。

 

「姉さん嬉しいよ、まさかミサキが心配してくれるなんて」

「……心配なんてしてない。どうせいつかはみんな死ぬんだから、それがここになるのか何十年後になるのかの誤差に過ぎない」

「はいはい、ありがとね」

 

 ミサキがまた何やら難しい言葉を言っているけど、頭が悪い私ではあまり理解できない。でも、多分心配してくれているっぽい。

 

「レンゲ姉さん……」

 

 ヒヨリが同じく心配そうに準備運動を続ける私を見つめている。

 でもヒヨリの事だから、多分私の心配というよりも私がいなくなったらサオリに虐められちゃうから怖いんだと思う。まだサオリもヒヨリのことを警戒してるっぽいし。

 

「えへへ、モーマンタイ! 大船に乗った気持ちで待っててくれていいよ。あんな奴らに私が捕まる訳がない!」

「それ絶対捕まるパターンだからやめて」

 

 隣から浴びせられるミサキの手厳しい指摘。

 それでも、あんな奴らなんて片足ケンケンしながらでも逃げられそうだ。全員重装備であまり素早く動けなさそう。

 

「……ふぅ」

 

 何かを堪えるように大きく息を吐くサオリ。

 三人は銃に弾を込めると、姿勢を低くして窓枠の影に隠れた。

 

 つまり。

 

「──作戦開始」

 

 私の出番だ。

 

 

 

 

 

 

 統率された動きで夜のスラムを進む武装集団。

 歩幅は正確で乱れなし、各部隊員が互いの死角を補いながら周囲を警戒。厳しい訓練を乗り越えた、紛れもない兵士たちだ。

 

 しかし、家族たちから少し離れた別の空き家の屋根からその集団を見下ろしているレンゲにとって、どれだけ訓練を積んでいようと大差ない。

 訓練で受けた事がないような予想外なことをすればいいだけだから。

 

 屋根から飛び降りて猫のように音もなく着地したレンゲは、気配を殺して集団へ歩み寄る。暗闇に紛れる小柄な彼女に集団が気が付く様子はない。

 

 ある程度アリウス生たちに近づくと、一気に速度を上げる。

 

「こんばんは!」

 

 そして、そのまま無防備にも集団の目の前に躍り出た。

 

「なッ!? 誰だお前!」

「待て。ここに置いていたヒヨリの銃声は、多分こいつを狙ったものだ」

 

 アリウス生の一人が咄嗟に銃を構えるも、中央のリーダー格がそれを制する。

 

「どこの誰か知らないが、見られたからには逃す訳には行かない。一緒に来てもらうぞ」

「あー、やっぱりそういう感じ? 私なんて役に立たないと思うけど」

「使えないガキでも、マダムは今一人でも多くの人手を欲している」

「マダムマダムって、君たちそればっかりだね。馬鹿らしい」

「……大人しく投降するつもりは?」

「答えはノーって事だよ! やっちゃって、みんな!」

「ッ!?」

 

 突然集団の背後を指差すと、レンゲは大声で合図を送る。

 慌てて全員がレンゲの指差した方向へ向き、銃を構える。その淀みなく素早い動きは確かに洗練されていて、全員の練度の高さを物語っていた。

 

 しかしそれも、結局は教科書通りの反応。

 

「……どういう事だ? まさか──」

 

 弾丸一つ飛んでくる気配すらない静かなスラムに隊員たちは首を傾げる中、慌てて再度レンゲの方へ振り返る部隊長。

 

あはは! ばーかばーか! こんなのに引っかかるなんて恥ずかしくないの? このロリコン変態ガスマスク集団め! 幼女に騙されてどんな気持ち? ざまぁ見ろ! お前らなんてゴリラに襲われてボコボコにされちゃえ!

 

 目の前を腹を抱えて笑いながら走り去る茶髪の少女。

 

 この時、部隊全員の気持ちが一つになった。

 

「……リーダー、指示を」

「ヘイローを破壊しろ」

 

 アリウス生とレンゲの決死の鬼ごっこ。

 参加者が若干増えた第二ラウンドは、こうして幕を開けた。

 

 

 




まさか何年も後にアリウスの生徒が本当にゴリラに襲われる日が来るなんて、言った本人も思っていない。

・レンゲ
ヒヨリを見て初めて母性本能をくすぐられた。

・サオリ
ワンコが捨て犬を拾ってきたことに頭を抱える飼い主。

・ミサキ
まともなのは自分だけかもしれないと思い始めてる。

・ヒヨリ
ワンコその2。書いてて一番楽しいです。



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私が頑張る理由

今回はちょっと長めです。


 

 

 私は今、風になっている!

 お月様が優しく見守る中、全速力でスラムを駆け抜けている。瓦礫を乗り越え、朽ち果てた車を避け、へし折れた電柱をくぐり、荒れた街並みを堪能している。

 もう私を止められる人なんて、誰もいない……!

 

「いたァ!? これは5.56ミリ!」

 

 と言いたいところだけど、残念ながら背後から追ってくるガスマスクたちがそれを許してくれない。道を塞ぐ電柱を飛び越えようとした瞬間、一発の銃弾が背中を直撃する。

 当たった箇所は動きに問題はないけれど、痛いものは痛い。

 

 なおも無数の銃弾が嵐のように私の周囲の地面を抉り、近くの瓦礫が弾け飛ぶ。障害物を使って精一杯避けてはいるものの、数が多いとやっぱり当たってしまう。

 

「ひえっ、こうして見ると意外と数が多い……」

 

 走りながら後ろを振り向くと、5メートルほど後ろから追いかけてくるガスマスクの集団。普通にホラーだ。

 

 サオリたちが待ち構える空き家まではそこまで離れていない。全力で走れば多分五分もかからない。

 でも、真っ直ぐ走れば私はあっという間に蜂の巣にされてしまう。

 こうして道を曲がったりあえて瓦礫の上を登ったりとパルクールしてようやくある程度弾丸を避けられている。

 

「うぐっ……!」

 

 それでも、全ての弾を避けられる訳ではない。

 脇に銃弾が突き刺さり、思わず息が漏れる。ふらつきながらも、なんとか速度を落とさず体勢を整え、近くの交差点を曲がった。

 

 最初に当たった時に分かったけど、アリウスの人たちが持っている銃の性能が上がっている。初めて遭遇した脇見運転の人は命中精度が悪い小銃を使っていたようだけど、今回に限ってはかなり正確にこちらを狙ってくる。

 これがあの時の7.62ミリの銃だったらまだ避けやすいのに……。

 

「いい加減諦めてよ……! もうそろそろ疲れてるんじゃないの……?」

 

 なおも背後から追いかけてくるアリウス生たちに聞くも、返ってくるのは銃弾だけ。どうやら会話するつもりは無いらしい。

 

「あ、まずっ」

 

 会話は諦めて再び前を向いた瞬間、私は思わず目を見開いた。

 建物の影から二人のガスマスクがこちらに銃を向けていた。完全に挟まれている。

 

「クソ!」

 

 咄嗟に隣の建物の窓を突き破り、中へ退避する。同時に外から響き渡る大きな銃声と弾丸が地面を抉る音。

 

「はぁ……はぁ……なかなかやるじゃない……」

 

 正直に言って、甘く見ていた。

 重装備なら直ぐに引き離せると思ったし、走りながらなら相手も狙いが悪くなるから銃撃もまず問題ないと思っていた。

 

 でも蓋を開けてみれば、確かにあいつらは引き離せたけれど、予想以上に正確な銃撃でこちらも逃げきれずにいるし、あれほどの重装備でも全然疲れている様子はない。こちらは丸腰でもう息切れしているというのに。

 

「早いところここから出ないと──ッ!」

 

 なんとか息を整え立ちあがろうとした瞬間、割れた窓から何かが家の中に投げ込まれる。

 コロコロと足元に転がってきたものが緑色のボールのようなものだと認識した瞬間、爆発と共に全身に激痛が走った。

 

「うぅ……けほっけほっ……」

 

 痛みで消えそうになる意識をなんとか繋ぎ止める。

 あいつら、グレネードなんて投げやがって……!

 

 悲鳴を上げる身体に鞭打ち、グレネードが投げ込まれた窓と反対側に位置する窓から、なんとか外へ這い出る。

 

 でも、アリウスは私に一息つく暇すら与えてくれない。

 

「こっちだ! 撃て!」

「ッ!」

 

 目の前で待ち構えていた一人のアリウス生。

 小銃の銃口が向けられた瞬間、私は無我夢中に駆け出した。この方向がサオリたちのいる方向かは分からない。でも、今はもう正しいと祈るしかない。

 

 視界の端では腕や顔から赤いものが流れている。グレネードの破片に体が刻まれたようで、一歩踏み出す度に激痛が走り赤い雫が地面を汚す。

 

 痛みで身体が言う事を聞いてくれない……。

 

「いッ!?」

 

 ダメ押しのように左足がバットで殴られたかのような衝撃に襲われる。倒れそうになる身体を気合いと根性で起こすも、ついに左足の動きが鈍くなり、痛みや悔しさで思わず乾いた笑みをこぼしてしまう。

 片足ケンケンで逃げれるとは言ったけど……流石にこの状況じゃ無理だ。

 

 そもそも、今私はどこにいるんだろう。

 無我夢中に走り続けて、気が付けばサオリたちの位置すら見失ってしまっている。もしかしたら完全に見当違いの場所にいるのかも知れない。

 

 そしたら……サオリには悪いけど、ミサキとヒヨリを連れて逃げて欲しいなぁ。

 

「はぁ……はぁ……このぐらいかな……」

 

 近くの瓦礫の山に腰を下ろす。

 もう逃げる余力なんて残っていない。

 

 すると、スラムの奥からゾロゾロと銃を構えたガスマスクの集団がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。どうやら全員集合したようで、元の十人に戻っている。

 せめてこいつら全員を引きつけておきたいところだけど……あまり時間は稼げそうにない。

 

「……全員周囲を警戒しろ。こいつにはまだ聞きたい事がある」

 

 隊長らしき人の一声で、周りの隊員たちは一つも意見することなく散開していく。うへぇ、全員が同じ感じに動いててなんだか気味が悪い。

 

 ゾロゾロと隊員たちが離れ、この場には私と隊長の二人きりになる。

 

 重苦しい沈黙。

 なんだかとても気まずい。

 

「相変わらず逃げ足が速い」

「はぇ?」

 

 まるで私の事を知っているような言い草に、思わず首を傾げる。

 はて、私はこの人と知り合いだったのかな? ガスマスク着けてるせいでアリウスの人は全員クローンに見える。

 

「はぁ……声だけじゃ分からないか」

「ぐへっ……あ、いつかの脇見運転の人!」

「もう一度首を絞め上げてやろうかクソガキ……!」

 

 乱暴にガスマスク外し私に向かって投げつけてきた。

 もう躱すのも億劫な私はそれをモロに受けるも、マスクの下から出てきた顔に思わず目を見開いた。

 

 サオリと出会った日に二人でボコボコにしたアリウスの生徒だった。

 

「やめてよー、あの時めちゃくちゃ苦しかったんだよ? あの後もヒリヒリしてずっと痛かったし、首のアザも何日も消えなくてサオリに心配されるし」

「殺せなかったのが惜しいな」

「今殺せるからいいでしょ」

 

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せてるところとかも変わらない。

 まだ半年ぐらいしか経ってないのに懐かしく感じてしまう。

 

「でも元気そうで良かったよー。しかも昇進してるじゃん」

「随分と馴れ馴れしいな。自分の状況を理解してるのか?」

「理解してるからこうして君と話してるんだよ。どうせなら最後ぐらいお喋りしたいでしょ? 相手がちょっと残念だけど」

「奇遇だな、私もお前となんか話したくなかった」

 

 仮にも顔見知りなんだから少しぐらいは手心を加えてくれても良いと思うんだ。

 

「で、私に聞きたい事ってなに? おススメの缶詰なら10個ぐらい答えられるけど」

「ロイヤルブラッドについて話せ」

 

 ロイヤルブラッド。

 スラムでも聞かない言葉に、私は思わず肩を竦めた。

 

「知らない。美味しいパンか何か?」

「それはブレッドだろ。くだらない誤魔化しはやめろ」

「あ、そうなの……でもその『ロイヤルブラッド』ってだけ言われても分からないよ。せめてなんなのか教えて。そこそこスラムを歩き回ってきたから、もしかしたら何か知ってるかも?」

 

 しばらく腕を組んで考え込んだ隊長さんは、ゆっくりと口を開いた。

 

「子供だ」

「子供? 私みたいな?」

「お前とはまるで違うがな。高貴な血筋を持った子供だ。かつてアリウスを統治していた生徒会長の末裔がスラムに身を隠しているらしい。私たちはその子供を捕らえ、マダムの下へ連れて行く必要がある」

 

 なるほど。

 話を聞く限りだと、マダムって人はそのロイヤルブラッドの子を利用して何かしようとしてるようだ。

 

 また子供を利用しようとする、反吐が出るような行為。

 

「はえー、なんだかよく分からないけど随分とその子が大事なんだね。だって、こんなに沢山のアリウス生徒を使って探してるんだもん。その子使って何するつもり?」

「これ以上は語る必要はない。知ってるのか? 知らないのか?」

「知らないし、知ってても君になんか教えないよーだ」

「……どうやら本当に知らないようだな」

 

 隊長さんは呆れたように首を振ると、手に持っていたアサルトライフルを構える。

 銃口の先は……私の額。今の状態で撃たれれば、きっと無事では済まない。

 

「えーもうちょっとお喋りしようよー。今度は私にオススメの缶詰10個語らせてよー」

「……なら、最後に一つ聞く」

「およ? えへへ、まさか本当に続けてくれるとは思わなかった」

「うるさい。このまま頭をぶち抜かれたいのか?」

 

 てっきり問答無用で頭をぶち抜かれるのかと。

 でも、どうも先程からこの隊長さんの雰囲気が変だ。最初に会った時と違って、私を見ても怒りに囚われている様子がない。自分で言うのもどうかと思うけど、我ながら前回よりもかなり煽ってるつもりだ。

 

 なのに今回はなんというか……ぎこちない。

 

「お前、囮だろ?」

「ふぇ!? な、なんの事かな……えへ、えへへ……」

「どんだけ目を泳がせるんだ」

 

 唐突に図星を突かれ慌てる私。

 サオリからもよく考えが顔に出ると言われるけど、今ほどそれを憎んだ瞬間はない。

 

「待って! 違うの、私は──」

「この際お前が囮だろうがどうでもいい。大方お前と一緒にいたあの黒髪のガキのためにまた囮になったんだろ? でも私の方は、いつかもう一度お前と会った時に聞きたかった事がある」

 

 額から銃が降ろされる。

 

「Vanitas vanitatum。Et omnia vanitas──全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ」

 

 どこか遠い目をした隊長さんは私と話しているのに、どこか私以外の遠く……いや、まるで自分に向けて話しているようだった。

 こんな会話をしている自分を嘲笑うような自虐的な笑み。

 

 その表情を見て、私はどうしようもなく悲しい気持ちになった。

 

「あの時言ったはずだ。私たちアリウスの人間に生きる意味などない、未来などない。お前のこの決死の陽動ですら、結局のところ意味なんてない。どうせお前の大切な仲間もいつかは救いのないこの世界に打ちのめされ、絶望し、生きる意味すら分からなくなる」

「今の君みたいに?」

「フッ、否定はしない。だが、今のお前こそどうだ? お前は救いのない絶望に向けて仲間を逃しただけで、ここで終わりを迎えようとしている。そこに意味なんてあったか? 救いはあったか?」

「…………」

「それを知ってもなお、なぜお前は()()()()()んだッ……!」

 

 縋るように問いかけてくる隊長さん。

 子供みたいに──いや、本来あるべき子供に戻って。

 

 私たちよりずっと年上だけど、結局アリウスの生徒たちもまだ子供なんだ。

 

「ここからは私の独り言だからオフレコにして欲しいんだけど……」

 

 だから私も、()()()()()応える。

 

「私、君と初めて出会った頃って死のうとしてたんだよね」

「……なに?」

「生き急いでたって言えばいいのかな? とにかく危険なことばかりしてさ、生きれば次の日に再チャレンジ、死ねば儲け物って感じで。自分で死ぬのは怖いから、誰かに殺されれば楽だなぁって、なんとなく思ってた。だから君たちアリウス分校にも喧嘩売ったりしてたの」

「やってる事はまだしも、考え方は典型的なアリウスの子供だな」

 

 孤独な日々を送る毎日で狂ってしまっていた頃の私。

 自分で死ぬ勇気がないから誰かに殺されようと思ってそこら中の人に喧嘩を売りまくっていた。その結果がどうなったのかは、今私がここにいるという事実が物語っている。

 

「君もご存じの通り私って運動神経は良いけど身体自体は弱くてさ。たかがグレネード一発喰らうだけで見ての通り死にかけるぐらい。だからすぐに死ねるって思ったんだけど、これがなかなか上手く行かなくてね」

 

 キヴォトスでは銃は鈍器みたいなものだ。撃たれたぐらいでヘイローが壊れる人なんてほとんどいない。目の前のこの人だって頭に銃弾10発を0距離でぶち込まれたのに、今こうしてなんの後遺症もなく動けている。

 

 でも、私にとって銃弾はまさしく凶器。

 ダメージは確実に蓄積しているし、そう遠くないうちに私に牙を剥く可能性が高い。

 

 それでも私は死ねなかった。

 

「ただ、そんな時に私はサオリに出会った」

 

 その結果が、この人も知るあの日の出来事。

 

「傷ついた私を心配してくれて、危ない事をすれば叱ってくれるようなヒトが隣にいてくれるようになった。

 

──私はそれに救われた」

 

 あの日以来、私は死のうという気持ちは無くなった。

 いや、もしかしたらあの日以来、私の命はサオリのものになったのかもしれない。

 

「これが私と君の違いだよ。さっき私のやってきたことは全部無駄に終わるって言ったよね?

 そんなこと絶対にあり得ない。だって私がこうして囮になることで一分でも一秒でもサオリが笑顔で過ごせるのなら、私のやった事に意味はあるんだから。サオリだけじゃない、ミサキとヒヨリもそうだよ。『家族』を少しでも長く幸せにできるのならこんなちっぽけな命なんて犬にでも食わせてあげるよ」

「……たとえその幸せが一時的なものでも?」

「たとえ一瞬でも、私が身体を張るのには十分だよ」

「歪んでるな」

「心配しないで、自覚はある」

 

 これが私の頑張る理由。

 

 この世が虚しいだけで救いは無いなんて、少なくとも私は信じていない。

 だって他でもない私自身が既に救われたのだから。

 

「大切な家族を見つけられたおかげで、このクソッタレな世界にも救いがあるって分かった」

「……ガキらしい、夢見がちな考え方だな」

「当たり前でしょ、子供(ガキ)なんだから」

 

 隊長さんは否定も肯定もしない。

 

「で、どう殺す? この前みたいに首でも絞める? 苦しいのイヤだからせめて一思いにやって欲しいんだけど。あ、でもその方が時間稼げそうだしやっぱり首ぎゅーってしてくれる方がいいかな?」

「殺され方にすら注文するのはお前ぐらいだ」

 

 そして、私は()()()()頑張らないといけない。

 

「ま、実はまだ死ぬのはゴメンだけどねっ! ほい、これヒヨリからのプレゼント!」

 

 ずっと懐に隠していた『それ』を、私は躊躇なく隊長さんへ投げつけた。

 

 一瞬身構えた隊長さんだが、私が投げつけたものの正体に気づいた瞬間、目を見開く。

 

「さっきのお返し!」

 

 空き家で投げ込まれたものと同じ緑色のボール──グレネードが、私と隊長さんの間で弾け飛ぶ。私は咄嗟に地面に伏せたお陰でそこまで被害は無かったものの、モロに喰らった隊長さんは片膝をついて蹲っている。

 これでおあいこだ。

 

「あばよ脇見運転さん! 悪いけど私は家族を幸せにするまで死ねないの! お喋りに付き合ってくれてありがとね、おかげでちょっとは元気になれたよ! じゃ、そういうことで!」

「くっ……」

 

 走り去る私を悔しそうに見つめる隊長さん。

 

 正直なところまだ全身が悲鳴を上げたくなるほど痛いし、ここまで気合と根性で動かしていた左足も限界を訴えている。

 でも、そんなボロボロの身体に鞭を打ちなんとか一歩ずつ前へ進む。

 

 少しでも気を抜けばそのまま意識が持っていかれそうだ。

 

「リーダー!」

「私は放っておけ! あのガキを捕らえてここに連れて来い!」

 

 散開していたアリウス生徒が戻ってきたようで、背後から何人もの足音が迫ってくるのが聞こえる。

 

 振り返ればあの見飽きたガスマスクが並んでいそうだけど、残念ながら今は振り返る余裕すら無い。

 どこかに隠れてやり過ごさないと……。

 

「あっ……」

 

 しかし、どうやら私も悪運尽きたらしい。

 

 普段なら見向きもしないであろう小さな段差につまずき、私は無様に転んでしまった。受け身すら取れず身体を地面に打ちつけ、思わず小さく悲鳴を上げてしまう。

 

 両足ももう動かない。

 

「かはっ……」

 

 それでもなんとか両腕を使って身体を引きずろうとするも、何者かに背中を踏みつけられる。胸が地面に押しつけられ、呼吸が苦しい。

 

「ず、随分とお早い到着で……ねぇ、お喋りとかは……」

「黙れ」

 

 隊長さんと違ってこの子はまるで相手にしてくれない。

 きっとご飯食べる時とかもお喋りせず黙々と食べるタイプだ。

 

「リーダー、対象を確保しました。これより──うぐっ」

 

 その時突然、私を踏みつけていたアリウス生徒の声が不自然に途切れる。背中に感じていた圧迫感が無くなったと思ったら、私のすぐ隣にドサっと倒れ込む分厚いコートを着込んだガスマスクの女が。

 

「ス、スナイパーだ! 全員伏せ──ぐぁ!?」

 

 唐突に倒れた仲間を見て、別の隊員が大声で叫ぶ。

 が、その人も喋り終わる前に一発の銃弾が額に叩きつけられ、そのまま動かなくなってしまう。

 

 慌てて地面に伏せる残りの隊員たち。

 

──別の脅威が背後から忍び寄っているとも気づかずに。

 

「姉さんの狙い通り……これならやりやすい」

 

 見慣れた黒髪が夜の闇に浮かび上がると、地面に伏せて無防備となった隊員たちに襲い掛かった。抵抗すらできないままガスマスクごと頭を蹴り飛ばされ、後頭部に銃弾を叩き込んでいる。

 

 さらなる奇襲に隊員たちはすぐさま伏せたまま銃をミサキに向けるも、もう彼女たちが反撃できる隙なんて残っていなかった。

 

 何者かが銃を蹴り上げ、ミサキへ放たれた銃弾は夜空へと消えていく。続け様に胸ぐらを掴み上げ、その隊員を別の隊員に向けて放り投げる。悲鳴と共に激突した二人の隊員はもう動く気配はない。

 

 だが、精鋭のアリウス生徒もただでは倒されない。

 

 一人のアリウス生が乱入してきた人影──サオリへと銃を向けた。

 

「サオリッ!」

 

 響き渡る銃声。

 ハンドガンとは明らかに違う大きさの発砲音が、その威力を物語っている。

 銃弾は容赦なくサオリを牙を剥いた……はずだった。

 

「もうこれ以上家族を傷つけさせないッ!」

「な、なにッ……うぐっ」

 

 今まで聞いた事がないサオリの咆哮。

 明らかに銃弾が命中したはずなのになおも進み続けるサオリに、残ったアリウス生は慄いてしまい──それが致命的な隙となった。

 

 二発目の銃弾を撃つ暇もなく、強烈なタックルで再び地面に叩きつけられるアリウス生。すかさず額に銃弾が撃ち込まれ、最後のアリウス生が沈黙した。

 

 何かに取り憑かれたような凄まじい気迫に、私は言葉を失った。

 

「さ、サオリ……?」

 

 フラフラと幽鬼のように振り返る相棒。

 助けられたはずなのに、なぜか私までやられそう……。

 

 サオリはジッと私を見つめたまま動かない。

 

「え、えへへ……助けてくれてありがと。待ち伏せポイントまで誘導しようとしたんだけど道が分からなくなって。サオリたちを危険に晒しちゃって、ごめんなさい。えへへ、私失敗してばかりだね……」

「ッ……! またそうやってレンゲは自分の事を──」

「抑えて、姉さん。見たところ重傷っぽいから」

 

 また叱られると思って思わず身構えると、ミサキが爆発しそうになっているサオリを抑えてくれた。

 でも今回ばかりは助け舟を出してくれた。

 

 おぉ、ついに(ミサキ)(わたし)を庇ってくれた!

 

「言いたい事があれば手当てしてからたっぷり言えばいいから。サオリ姉さんも──私も」

「なんでぇ!?」

 

 訂正、どうやらミサキもまぁまぁ怒ってるらしい。

 

「れ、レンゲ姉さん! 大丈夫ですか? いや、大丈夫じゃないですよね……痛いですよね……苦しいですよね……もし楽になりたいなら私が……」

「おー、ヒヨリもありがとね。私はもう大丈夫だから銃は降ろしてくれていいよ」

「そのあと私も後を追いますから……」

「心中はやめてー。てか、そんなに躊躇なく介錯しようとしないで。少しは悩んでよ」

 

 遠くから援護していたヒヨリも合流。

 なんだか危ない事を呟いてた気がするけど、聞かなかった事にする。

 

 呆れたように首を振るミサキ。

 目に涙を溜めながら介錯しようとしてくるヒヨリ。

 未だに無表情で私を見つめるサオリ。

 

 三人の家族に見下ろされ、ようやく私も緊張の糸が切れる。

 倒れたまま大きく息を吐き、夜空を見上げる。今日も月が綺麗だ。

 

「いや、現実逃避しようとしないで」

「だってミサキ……サオリの目がまだ怖いんだもん……」

「当たり前。これでも姉さんは我慢してる」

 

 正直に言えば今すぐにでも土下座して謝りたいところだけど、一気に疲労感が襲ってきて身体が動かない。つまりサオリからももう逃げられない。現実は非常だ。

 

「うっ……」

 

 ついに私に向かって手を伸ばすサオリ。

 このままぶたれるのかと思い、私は思わず目を閉じて身構える。

 

 せめて優しくして下さい……!

 

「え?」

 

 倒れたままだった私は起こされると、そのまま暖かい感覚が身体を包み込んだ。

 

「さ、サオリ?」

「ごめんなさい……レンゲばかりこんな事をさせて……ごめんなさい……!」

 

 声を震わせながら何度も謝るサオリ。

 ようやくサオリが怖い顔をしていた理由を理解し、私は思わず笑みをこぼしてしまう。相変わらずサオリは心配性だ。

 

「これは私が望んでやった事だよ。私にしかできない事なんだから、サオリは何も悪くない」

「でも、こんなにボロボロになって……」

「サオリが私を行かせてくれなかったら、みんなこうなってたかもしれないんだよ? サオリはよくやったよ。家族を守ったんだから」

「うぅ……」

 

 私を抱きしめたまま涙を流すサオリ。

 ミサキとヒヨリからの生暖かい視線を受けたまま、私はそんなサオリの頭を苦笑しながら撫で続けた。

 

 

 どこまでしっかりしててカッコよくても、サオリはまだ子供だから。

 

 

 




実は主人公が一番スクワッドにクソ重な感情を抱いていたというお話。

・レンゲ
能力は良くても耐久は紙というAC北斗の聖帝みたいな性能。

・脇見運転ネキ
あのやらかしから努力して部隊長になった実は凄い人。でも運転する度に隊員にビビられてる。

・スクワッド
姉二人は放っておくと危ないという共通認識が妹二人にできた。




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悪い夢

某スポーツの世界大会に熱中しすぎて遅れてしまいました。
殺してやるぞ陸八魔アル…



 

 

 

──これは夢だ。

 

 目の前を二つの人影が横切った瞬間、私はこの光景が現実ではないと漠然と理解した。

 自分自身は実体が無いのか、体が見えない。でも、目の前の光景だけは映像のように鮮明に映し出されている、不思議な感覚だった。

 

 人影たちがいるのは、見覚えのない廃校の中だった。

 

 荒れ果てた教室、粉々に破られた窓、崩れ落ちた天井。

 かつて子供たちで賑わっていたであろう場の無惨な姿は、あまりにも痛々しい。

 

 人影の一人は見覚えの無い、黒い帽子を被った少女だった。帽子のせいで表情は見えなかったものの、両手で構えたアサルトライフルと身のこなしから只者ではない事は分かる。

 もう一人の人影は、腰まで届く焦茶色の髪を揺らしながら懸命に走っていた。見慣れない学校の制服を着た少女の顔は恐怖で引き攣っており、必死の形相で黒い帽子の少女から逃げている。

 そして、その顔は自分にとってはあまりに見慣れたものだった。

 

──レンゲ?

 

 私──錠前サオリにとって唯一の相棒、荻野レンゲの姿だった。

 自分が知るレンゲよりずっと年上のようだけど、面影は強く残っていた。今のレンゲの10年後ぐらいの姿と言われれば間違いなく頷ける。

 

 そんな彼女が、謎の黒い帽子の少女から必死に逃げていた。

 

 しかし、やがて彼女は廊下の突き当たりまで辿り着いてしまい、逃げ場を失ってしまう。振り向いたレンゲはスカートのポケットから銃を取り出し帽子の少女へ向けようとするが、帽子の少女が構えた銃から放たれた弾丸により彼女の右手ごと銃を弾き飛ばした。間髪入れずもう一発の銃弾がレンゲの足を打ち抜き、レンゲは苦痛で表情を歪ませながら床に倒れ込んだ。

 

 後ろは行き止まり、前は襲撃者。逃げ場は無い。

 

 二人は何か話しているようだが、なぜか声が聞こえない。

 まるで音だけが意図的に抜き取られたような、奇妙な光景。しかしレンゲの足から流れる赤い液体が嫌に生々しく、夢だと分かっていながら私は恐怖で全身が震え上がった気がした。

 

 立ち上がれないレンゲは襲撃者から逃れようと必死に這って移動しているも、そのささやかな抵抗も虚しくすぐに背後の壁に阻まれてしまう。

 

 壁にもたれながら力無く笑うレンゲ。

 そんなレンゲを見て、帽子の少女の体が一瞬大きく震えた。

 

 そして、これまでずっと俯いていたその人物が漸く顔を上げた。

 

──そんな……なんで……。

 

 あらわになった顔を見た瞬間、私は言葉を失った。

 

──なんで『私』がレンゲを……?

 

 その人物は紛れもなく私だった。

 大粒の涙を流しながらレンゲに銃を向けている私。その視線には怒り、憎悪、殺意といった、あらゆる負の感情が込められている。そんな視線が他でもないレンゲに向けられているという事実に、私は訳が分からなかった。

 

 満身創痍のレンゲに近づくと、『私』はレンゲの額に銃口を押し付けた。

 

──待って、やめて、レンゲが死んじゃう!

 

 目の前の『私』に向けて叫ぶ。

 でも、声が届いている気配はない。まるで録画された映像のように、目の前の光景は無情にも進む。

 

 レンゲが何かを言っている。

 その瞬間、『私』が吼えた。頭を抱え銃口を震わせ、それでもなお狙いをレンゲから狙いを外さない。

 顔を歪めて取り乱す『私』に向けて、レンゲは優しく微笑んだ。

 

──やめてッ!

 

 衝撃音、そして鮮血。

 血溜まりに沈む相棒を、私はただ見つめる事しか出来なかった。

 

「──ッ!? はぁ……はぁ……」

 

 次の瞬間、私は凄まじい勢いで()()()()()()

 

 ボロボロに朽ち果てた天井、そして壁から吹き込む肌寒い隙間風。そして何より、震えが止まらない自分の身体。

 

 あの恐ろしい悪夢からようやく逃げ出す事ができたと自覚した瞬間、私は大きく息を吸った。

 

 動悸が止まらない。胸が苦しくて、心臓はこれでもかと激しく鼓動している。あの光景を振り払うように首を振り、私はもう一度ゆっくりと天井を見上げた。

 

 今でも鮮明に覚えている。

 他でもない私自身が大切な相棒を手にかける光景。

 

 あの夢は一体なんだったんだ。どうしてあんな夢を私は見たんだ。

 

 隣でまだ寝息を立てている家族の姿を食い入るように見つめる。

 

 普段の仏頂面とは違って穏やかな寝顔を浮かべているミサキ。そんなミサキに抱きついて寝ているヒヨリ。いつの間にか二人は随分と仲が良くなったみたいだ。

 

「ふへへ……汚物は消毒ぅー……」

 

 そして反対側では、同じく気持ち良さそうに眠っているレンゲ。

 寝言が意味不明だけど、いつもと変わらない様子。

 

「…………」

 

 あの時の、恐怖で歪められた表情を浮かべていたレンゲが脳裏を過ぎる。今の彼女からはまるで想像が付かない。

 

 人懐っこくて、誰にでもフランクに接するレンゲ。

 そんな彼女に負の感情を向けられるなんて、想像しするだけでも耐えられそうにない。

 

「人の気も知らないで……」

 

 あんな夢を見て震えが止まらないというのに、この子がこうして気持ち良さそうに眠っているのがなんだか腹が立ってきた。

 もちろんレンゲは何も悪く無いんだけど……八つ当たりしたくなる気持ちが抑えられない。

 

「ん……」

 

 硬い床に寝転ぶと、私はレンゲの身体を抱きかかえた。

 一瞬身じろぎしたレンゲだけど、すぐにまた寝息を立て始める。

 いつもはこうすると文句を言われるから我慢してるけど、今日ぐらい良いよね?

 

 心地よい暖かさが身体を包み込む。

 止まらなかった動悸も徐々に収まり始め、身体の震えも消えていく。

 

 レンゲは生きてるんだ。

 

 あんな光景なんてただの夢だ。私がレンゲを……家族を傷つけるはずがない。

 

 徐々にまた眠気が顔を見せる。レンゲを抱きしめ、ミサキ側にも少し寄りながら、ゆっくりと瞼を閉じる。

 

「……お休み、サオリ」

 

 視界が暗転する寸前、隣から優しい声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

「うおおおおお完全復活!」

「ちょっと、まだ傷が全部治ったわけじゃないんだからあまりはしゃがないで!」

 

 自由になった身体を伸ばしながら、私は拳を突き上げた。

 後ろからサオリの呼ぶ止める声が聞こえるけど今は関係ない。

 

 やっと……やっっっっっっと私は蘇った!

 

 アリウスの部隊丸々一つ相手に大立ち回りを演じたあの夜。

 あの時受けた傷のせいで私はサオリからしばらく絶対安静を言い渡されていた。

 

 特に左足の治りが遅く歩く事すらままならなかったせいで、移動する際はサオリに肩を貸して貰いながらゆっくりと移動していた。いつもは二、三日すれば大体の傷は治ったのに、今回に関しては妙に治りが遅かった。

 

 でも、そんな日々も終わる。

 

 あの日からどれほど時間が経ったかは覚えていないけれど、ついに左足がまともに動くようになった。

 

 もう一人で探検しに行けるし、お手洗いに行く度にミサキに「どこ行くの?」って詰め寄られる事も無くなる。今思えばミサキが監視役だったのかもしれない。

 

「よ、良かったです……レンゲ姉さんの傷がちゃんと治って……うわぁぁぁん!」

「ヒヨリ〜!」

 

 泣いて喜んでくれるヒヨリをぎゅっと抱きしめる。

 あぁ、やっぱりヒヨリだけが私の味方だ。

 

「でもサオリ姉さんの言うことはちゃんと聞いて下さいね?」

「あ、はい」

 

 訂正、我が妹もサオリチームだったらしい。

 

「まだ包帯も全部取れてないんだから、そんなに無理しないで。私も何回も貸せるほど包帯を持ってる訳じゃないから」

 

 ゾッとするような無表情で私を見上げていたヒヨリに固まっていると、横からため息を吐きながらミサキが言う。

 ジトっとした目で見つめてくる彼女にも、私は頷くしかない。

 

 あれ、いつの間に妹二人がサオリ側に……?

 

「えへへ、道端に捨てられたお菓子の包装紙みたいな私でも、何かお役に立てる事があったんですね……」

「役に立つとか立たないとか、関係ない。結局は最終的な結果が全てなんだから、過程なんて意味はない。こうしてレンゲも大丈夫だったんだし、ヒヨリももう気にしない方がいいよ」

「私はミサキさんと違って強くないですから……」

 

 相変わらず偏屈な事を色々と言ってるミサキと、今日も可愛いヒヨリ。なんだかこの二人を見てると全力で抱き締めてあげたくなっちゃう。

 この前我慢できず抱きついたらミサキに凄く鬱陶しがられたけど。

 

「いてっ」

 

 ミサキの言葉にアワアワしてるヒヨリを眺めながら適当な瓦礫に腰を下ろすと、唐突に髪を引っ張られた。何事かと後ろを振り返ると、ちょうど瓦礫の隙間に髪が挟まれていた。

 

 そういえば、もうずっと髪切ってないっけ。

 いつもは肩ぐらいの長さに切ってたけどサオリと会ってからはそんな暇も無かったし、最近は身体も満足に動かせなかった。

 

 そのせいか、気がつけば普段は肩までしかない髪が腰辺りまで届いている。

 

「そろそろ髪も切らないとなぁ」

「似合ってると思うけど」

「長すぎると弾避けるのに邪魔になるでしょ?」

「いや、そんな『普通分かるでしょ?』って顔されても私は弾避けられないから分からないよ……」

 

 それに長いと色んな物に絡まっちゃいそうで怖い。

 近くにちょうど良さそうなガラスがあれば即席のナイフで切れるんだけど、こういう時に限って周りは瓦礫ばかりでガラスが見当たらない。

 

「でも、なんだかサオリ姉さんと似てますね。サオリ姉さんも髪が長くて綺麗ですし」

「え!? 私がサオリとお揃い? えーそうかなぁ……? えへ、えへへ……」

「うわ、凄くだらしない顔してる」

 

 そっかぁ、サオリとお揃いかぁ。

 髪を伸ばすのもなんだか良い気がしてきた。

 

「サオリはどう? 私も髪伸ばした方がいいかな?」

「ッ! 私は昔の方が好き……かな」

 

 サオリにも意見を聞いてみると、なぜか顔を逸らされてしまった。

 

 どうも今日は様子がおかしい。

 夜中目が覚めた時は震えながら私に抱きついてたし、朝起きてからも何故か異様に視線を感じる。かと言って目を合わせれば直ぐに視線を逸らされるし、なんだか釈然としない。

 

「うぅ……ヒヨリ〜! サオリがなんだか冷たいよー!」

「わふっ。あぅあぅ……」

 

 八つ当たり気味に隣にいたヒヨリの頬をこねくり回す。ミサキはめんどくさい空気を感じとったのか、既に避難していたせいですぐ隣にいたヒヨリに矛先が向く。近くにいた君が悪い。

 

 ひとしきり妹の頬を堪能してから、もう一度空を見上げた。

 

 雲一つ無い綺麗な()()。まさに絶好の探索日和だ。

 

「それにしても、まさか内戦が終わるなんてねー」

「元々この自治区が内戦状態なのすら、私たちスラムの人間からすればあまり実感が無いけど。サオリ姉さんもレンゲも、実際の戦場は見た事ないんでしょ?」

 

 長く続いたアリウス自治区の内戦が終わる。

 

 それこそが、私たちが夜中ではなく日中に行動を始めている理由だ。

 

 最初に聞いたのはまったくの偶然だった。

 いつものように真夜中に探索を始め、周囲を動き回るアリウス分校の生徒から隠れていた時。何人かの生徒の話し声が聞こえてきた。

 

 敵対勢力がついに降伏した。

 ようやくアリウスは統一される。

 これも全てマダムの力だ。

 

 最後はともかく、物心ついた時から続いていた内戦が終わるという事実に、私たち四人は耳を疑った。スラムに住む私たちにとって戦場なんて関係のない遠い存在だったけれど、この内戦が自治区を蝕んでいるという事実はなんとなくだけど理解できた。

 

 内戦のせいで私たちは毎日お腹を空かせている。

 内戦のせいで私たちは身を寄せ合いながら、外敵に怯えて暮らさなくちゃいけない。

 

 それがようやく終わるというのだ。

 

 そして、そのニュースは私たちだけでなく、スラム中にも広がっていたようだ。他人を襲うことしかしてこなかった年上たちは私たち子供を気にしなくなったし、毎晩のようにスラムを巡回していたアリウス分校の生徒たちもいなくなった。もう真夜中に行動する必要が無くなったんだ。

 

 そう考えると、内戦を終わらせた『マダム』って人も案外良い人なのかもしれない。

 

「私たちもついにお腹いっぱいご飯を食べられる日が来るんでしょうか……辛くて苦しい毎日も終わるといいですね……」

「きっと終わるよ! そしたら毎日美味しいものが沢山食べられるし、ヒヨリが好きな雑誌とかも毎日読めるかも!」

「ま、毎日ですか!? この前読めなかった『キヴォトスの美味しい屋台特集』とか『この夏きっと流行るグレネード型花火ベスト10』も……?」

「そりゃもちろん!」

「うぅ……やっと私たちも平穏に暮らせるんですね……うわぁぁぁん!」

「まだそうと決まってる訳じゃないから……」

 

 盛り上がる私たちを冷めた目で見つめるミサキ。

 そんなこと言うと君をグレネード型花火の餌食にしてやるぞ。

 

「でも、私たちが平穏に暮らすにはまずこの行き当たりばったりなその場凌ぎの生活をどうにかしないとね。いい加減お家が欲しい!」

 

 探索している時に倉庫とかで一晩泊まることはあっても、そこで永住しようとはあまり思わなかったからね。物資を集め終わった時点でそこはもう用済みだし。

 

 でも、良い機会だしそろそろ永住できるような家を探したい。

 

「サオリはどう思う? やっぱり家は欲しいよね?」

「私の住んでた家はレンゲに爆破されたけどね」

「たかがグレネード一発で壊れるボロ家が悪い」

「…………」

 

 なんだその、『お前のせいで爆破する羽目になったんだろ』とでも言いたげな表情は。

 

「……でも、うん。確かにそろそろ私たちも住む場所を探した方がいいかもしれない」

 

 ずっと難しい顔をしていたサオリがようやく私たちへ向き直ってくれた。まだ表情は少し硬いけど、いつもの頼れるリーダーに戻っている。

 

「この先に川がある。そして川沿いなら、きっと住めるような家があるはず。そこを狙うよ」

「もし誰か住んでたら?」

 

 期待を込めた視線を送ると、サオリはニヤリと口を吊り上げた。

 

「引っ越してもらう。もちろん拒否権は無い」

 

 ヒャッハー! そうでなくちゃね!

 

 

 

 

 

 

 スラムから外れた遺跡地帯。

 かつてまだアリウス自治区がトリニティの分派の一つに過ぎなかった頃の建物がいくつか並ぶその地域には、アリウスでは数少ない小川が流れている。

 

 スラムから外れた街並みの中を静かに流れる川は、知る人ぞ知る貴重な水資源。

 

 そんな街の中を、四つの小さな人影が移動していた。

 

「前方に家発見。今回は住めそうな雰囲気してるかも?」

 

 先頭を歩くのは、未だ腕や頭に包帯を巻きながらもその探索能力に衰えを感じさせないレンゲ。

 

「周囲にも人影はいないよ、姉さん。いるとしたらあの家の中だけ」

 

 そのすぐ後ろで銃を構えながら周囲を警戒しているミサキ。

 

「了解。ヒヨリ、あの家の中に誰か見える?」

「すみません、窓に板か何かが打ち付けられているみたいで、ここからだと中の様子が分からないです……」

 

 前二人からの情報をもとにサオリは最後尾を歩くヒヨリへ指示するも、ヒヨリから返ってくるのは難しい声のみ。唯一長距離の射撃ができるライフルを持っているものの、スコープ越しでも目に入るのは塞がれた窓のみ。

 一瞬考え込み、すぐさまサオリは前方で進み続けるレンゲとミサキへ指示を出した。

 

「突入するしかない。まずは私とミサキが家の中に入る。その後でレンゲが続いて、ヒヨリは玄関から私たちをサポート。全員敵の可能性に気をつけて。特にレンゲ! まだ傷も治ってないんだから、絶対無理はしないこと!」

「心配しなくても大丈夫だってばー。それにアリウス分校の連中じゃなけりゃ素手でも十分だよ。いい加減銃も欲しいけど」

 

 ドアまでたどり着いた四人はそれぞれ位置へ着く。

 全員が頷き、正面に立っていたミサキがゆっくりとドアノブを捻った。

 

「あれ……開かない……!」

 

 ドアノブこそ回ったものの、まるで前に壁があるかのようにびくともしない扉。鍵もかかっている様子は無い扉に、ミサキは思わず首を傾げた。

 

「もしかしたら板か何かが打ち付けられてるのかも。姉さん、ここは違う入り口を探して──」

「レンゲ、()()()

「よし、待ってました! 諸君、派手に行こう!」

「は?」

 

 険しい表情で扉から離れるミサキを他所に、レンゲへ一言のみ送るサオリ。

 満面笑みを浮かべながら扉の正面に立つレンゲに、ミサキは嫌な予感がした。これはまためんどくさくなるパターンだ。

 

「おりゃあ!」

 

 勇ましい掛け声と共に、扉が蹴り飛ばされる。

 

「やっぱりそうなる……!」

「ひえっ、突入ですか……?」

「ヒヨリは言われた通りそこで待機。私は姉さんたちをサポートしてくる」

 

 短く悲鳴を上げるヒヨリを横目に、ミサキは既に突入している姉二人の後を追う。本来ならレンゲはミサキ後に突入する予定だったが、久々の突入にテンションが上がったのか「ヒャッハー!」という言葉を残して家に飛び込んでいった。

 

「ッ! 敵襲!」

「なんだお前ら!?」

 

 中では既にサオリが交戦していた。設置されていた家具を使って身体を隠しながら、部屋の奥に向けて銃を撃っている。

 数は三人、全員がガスマスクは被っておらず、この自治区では珍しくアリウス分校所属ではないらしい。装備も心許無く動きもぎこちない。

 

 なら、恐れる事は何もない。

 

「ちっ、もう一人──」

「邪魔」

 

 一人に銃を向けられるも、既にミサキは矢の如く駆け出していた。

 銃口を掻い潜り懐へ潜り込むと、持っていた拳銃をそのまま無防備になっていた腹部へ押しつけた。

 

「かはっ……」

 

 三発の銃弾が撃ち込まれる。

 腹部を襲う凄まじい衝撃と共に意識を手放し、一人が倒れる。

 

 これで残りは二人。

 

「ガキめ──うわぁ!?」

「やらせません……!」

 

 あっという間に仲間の一人を失った残りの二人が慌ててミサキへ銃を向けるも、突如と飛来してきたライフル弾が額に叩き込まれ、ミサキを狙った銃弾は大きく狙いを逸れて天井に突き刺さった。

 

「ナイスだよヒヨリ! ゴラァ! うちのみーちゃんに何してくれてんだお前!」

「みーちゃんって呼ばないで」

 

 生まれた隙を見逃さず、すかさずレンゲが身を隠していた物陰から飛び出して敵の一人に飛びついた。

 

 銃を未だに持たない彼女には素手で立ち向かうしかないのだが……ミサキはその心配はすぐに無用だと気付く。

 

 腹部に強烈な膝蹴りを叩き込んで強制的に姿勢を低くさせると、続け様に腕を大きく振りかぶって肘を首に振り下ろした。一呼吸置き、倒れ込んだ相手の頭に止めの蹴り。

 

 まさに瞬きした時には既に終わっていた、と言わんばかりの攻撃。

 

「レンゲ、残りの一人を抑えて! ミサキ、用意!」

「へい、リーダー! おら、今度は君の番だ!」

 

 サオリの指示と共に、間髪入れずレンゲは呆然と立ち尽くしていた最後の一人にも飛び掛かった。

 後ろに回り込んだ小柄な少女に慌てて振り返ろうとするものの、それ以上の速さで握っていた銃ごと両腕を抱え込む。

 完全に無防備になった敵に、ミサキは慌てて銃口を向けた。

 

「ぐっ、がっ、やめ──」

 

 一発、二発とハンドガンから9ミリの弾丸が放たれ、敵が苦しげな声を上げる。しかし、弾倉を一つ撃ち尽くした頃には最後の一人も意識を手放していた。

 

「ふぅ……クリア」

 

 全ての敵の沈黙を確認し、ミサキは大きく息を吐く。

 

 視線の先には気絶した敵を放り投げてブイサインをしているレンゲ。

 鮮やかな一連の流れを完治していない身体でやってのけたレンゲに、ミサキは改めてその身体能力の高さに感心した。まだ身体が痛むはずなのに表情一つ変えずサオリの指示を聞き、遂行している。

 

──こういう時は頼りがいのある姉さんなんだけど……。

 

「ふぅー! やったぜ! やっと良さげな家が手に入ったよ! もう適当な道端で寝る生活ともおさらば──」

 

 一発の銃声が歓喜に湧くレンゲを遮る。

 

「ふぇ……?」

「はぁ……こういうところが詰めが甘いんだから」

 

 笑みを浮かべたまま固まるレンゲを他所に、大きくため息を吐くサオリ。

 煙が立ち上る銃口の先では、見知らぬ一人の少女がゆっくりと倒れ込んだ。

 

「最後の伏兵を警戒するのは当然の事だよ。ミサキも注意してね」

「う、うん」

「すみません、もう一人の存在に気づいた時にはもう死角に入ってしまって……」

 

 へなへなと力なく座り込むレンゲを横目に、ヒヨリが慌てて三人へ駆け寄る。

 

「ううん、大丈夫。流石にもうこれ以上伏兵はいないよ。ヒヨリもよくやった。やっぱり射撃の腕に関しては私たちの中で一番だね」

「そ、そうですか……? えへへ……」

 

 頭を撫でられへにゃ、と笑うヒヨリを見て、サオリとミサキからようやく緊張が無くなる。レンゲがヒヨリを溺愛している理由がなんとなく分かった気がした。

 

「ミサキもありがとう。ミサキのサポートが無かったら誰かが怪我してたかもしれない。おかげで完璧な突入ができた」

「別に。私はただサオリ姉さんに言われた通りにやっただけ」

 

 頭を撫でようと手を伸ばすサオリの手を振り払い顔を逸らすミサキ。

 子供扱いするなと言わんばかりに顔を顰めているものの、ほんのり顔を赤く染めているその姿はどこか満更でも無さそうだった。その愛らしい姿に、サオリはクスリと小さく笑みをこぼした

 

 最後に、ぺたりと床に座り込んだままのレンゲへと視線を向ける。

 期待のこもった琥珀色の瞳が真っ直ぐ自分を見つめていた。

 

「この人たち運び出すよ」

「私も褒めてよぉ!」

「最後に油断して一人見逃してた人は褒められない」

「うぐぅ……」

 

 自覚があるのか、唸るだけで反論しようとしないレンゲ。

 呆れたように肩を竦めながら、サオリは立とうとしないレンゲの両脇に両手を差し込んだ。

 

「ほら、早く立って。このままじゃこの人たちも目が覚めちゃうよ」

「あ、あはは……ちょっと腰が抜けちゃって」

「弾なんていつも避けてるでしょ」

「反射で避けても怖いもんは怖いの! 顔面スレスレに銃弾が飛んできたらビビるに決まってるでしょうが!」

「大丈夫、レンゲなら避けてくれるって信じてたから」

「えぇーそうかなぁ? えへへ……」

「チョロすぎるでしょ……」

 

 一瞬にしてサオリに言い包められたレンゲにミサキは思わず本気で心配してしまう。これでも純粋な戦闘能力で言えば四人の中でトップなのだからタチが悪い。

 

 なんだかんだで直ぐに立てるようになったレンゲと共に、四人はゆっくりとかつての住人たちを外へ運び始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……安心して、家族は私が守るから。絶対に

 

 そんなサオリの呟きは、誰に聞かれる事もなく虚空へ消えた。

 

 

 




おうちができたよ、やったね!
2周年pvに出てきたあの家です。

・レンゲ
抱き締めると湯たんぽみたいな気持ちよさがある。でも本人は嫌がる。

・サオリ
家族が増えてリーダー感が出てきた。レンゲとの意思疎通はばっちり。

・ミサキ
苦労人枠が徐々に自分に移りそうになっているのに危機感を覚えてる。

・ヒヨリ
現時点では末っ子みたいな立ち場。家族全員から可愛がられてる。


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アリウスのお姫様誘拐作戦(1)

自分でも驚くほどのスランプです。
書きたい場面は沢山あるのにいざ書こうとすると全然筆が進みません。


 

 

 

……よし、ここなら大丈夫。レンゲ、ミサキ、ヒヨリ、こっちだよ

さ、サオリ姉さん……大丈夫でしょうか……?

しっ。声は小さく。もう少し頭も低くして

「わぁ、凄い行列だねー。まるでお祭りみたい」

レンゲは少し黙ってて

「『黙れレンゲ』。略して黙レンゲだねっ」

「…………」

ちょいちょいちょい! 無言で殴ろうとしないで! ごめんって、静かにしてるから

姉さんたちが一番うるさい……

 

 今日も今日とて物資探しに勤しむ私こと荻野レンゲと愉快な家族。重苦しい空気をなんとか明るくしようと軽い冗談を言ったつもりがリーダーに怒られちゃった。今も空気読めって言いたそうに私を睨んでる。だからごめんて。

 

 でも、ここで私たちが騒いだところで気にする人なんていない。原因は私たちのすぐ横にある。

 

 瓦礫と化した廃屋の隙間から大通りを覗くと、ゾロソロと十人ものガスマスクが行進している。部隊丸々一つのようで、相変わらず動きが同じで不気味だ。

 

「……オッケー、ここまで来れば安全だよ。もう普通の声で話していいよね?」

「はぁ……もう話してるでしょ」

 

 呆れながらも、サオリも抑えていた声をいつも通りに戻している。

 やっぱり気持ちよくお喋りさせて貰えないともどかしい。

 

「それにしても、あれは一体なんなんでしょうか? なんだか雰囲気がピリピリしてます……」

「さぁ? 今はまだ内戦中だからパトロールでもしてるんじゃないの? みんなおっかない顔してるし」

「いや、顔見えないでしょ──姉さん、中央に誰かいる」

 

 ミサキの言葉に全員の視線がアリウス生たちをかき分けて中央へと注がれる。

 

 ガスマスクの集団に混じって、確かに()()はいた。

 

「わぁ、とても綺麗な人ですね……」

 

 ヒヨリの言葉に私も頷いた。

 綺麗な洋服に身を包んだ一人の少女がアリウス生たちに混じって歩いていた。艶のある薄紫色の髪はまるで花のようで、肉付きも至って健康的。

 

 薄汚れたスラムの人間しか知らない私たちは、その子に思わず見惚れてしまう。

 

「本当だ。スラムの人間じゃないのかな?」

 

 首を傾げるサオリ。

 確かに、スラムを出て直ぐの大通りに入っただけなのに、こんなに住んでいる人が違うものなのかな?

 そもそも内戦状態だったアリウス自治区でこんなに綺麗でいられるなんて、まるで誰かに守られていたみたい──。

 

「あ……」

「どうしたの、レンゲ?」

「あの子、もしかしたら噂の『ロイヤルブラッド』なのかもしれない」

 

 いつかの部隊長さんが教えてくれた言葉が頭を過ぎる。

 

「ロイヤルブラッド……聞いたことない。サオリ姉さんは?」

「私も知らない。少なくともスラムでは聞かない言葉だよ」

「なんでも昔のアリウスの生徒会長の血を引いてるんだって。要するにお姫様って感じじゃないの?」

「お、お姫様!? お姫様なんているんですか!?」

 

 適当に分かりやすく例えたつもりが、なぜか随分と食いついてくるヒヨリ。

 

「あ、あくまで例えだから。本当にあの子がお姫様とは──」

「きっと飢えたりしなくてボロ小屋でも寝たりしないんですね……底辺の私たちとは違います……」

 

 ヒヨリは感銘を受けたように目をウルウルさせていた。

 底辺で悪かったね……。

 

「痛くて苦しいだけのこの世界でも幸せに暮らせる人がいるなんて……私なんだか感動しました……うわぁぁぁん!」

「なんでそこで泣くの! わ、私たちだって家族一緒なら同じぐらい幸せだよきっと」

「はい……私には勿体なさすぎる幸せです……でも違った形で幸せな人を見つけられるなんて……うわぁぁぁん! うわぁぁぁん!」

「二人とも静かに! バレちゃうでしょ!」

 

 幸せな人を見て感動で泣くというよく分からない理由で騒ぐヒヨリを宥めようとしていると、私たち二人揃ってサオリに怒られてしまった。今回ばかりは私悪くないと思うんだ。

 

「でも、案外幸せっていう訳では無さそうだよ」

 

 そんな風に騒ぐ私たちを横目に、ミサキが目を細めながら呟いた。

 

「アレ、お姫様を守るパレードっていうより捕虜を護送するためのものだよ」

 

 言われて初めて、私もあのお姫様の両腕に枷が付けられているのに気づいた。小柄な身体に取り付けられた大きな鉄の塊は、綺麗な女の子にはあまりにもミスマッチだ。

 

「多分敵側の偉い人だったんだろうね。内戦が終わるから、きっと敵側に引き渡されるんだと思う。これからは独房に入れられて残飯でも貰えればラッキーな人生を送るはずだよ」

「あ、あぅ……」

「やめなよミサキ! ヒヨリが怖がってるでしょ!」

 

 物騒な事を言うミサキにサオリが声を上げる。

 

 捕虜と言われると、あの時の部隊長の言葉を思い出す。

 

 件のマダムって人が追っているらしい、ロイヤルブラッド。

 目の前の女の子がそのロイヤルブラッドなら、彼女はこのままマダムのところへ連れていかれるかもしれない。

 

 かつてのヒヨリの扱いを見れば、そのマダムって人が彼女を丁寧に扱うとは思えない。

 

「レンゲが何考えてるのか分かるよ。あの子を助けたいんでしょ?」

「ッ……!」

 

 見透かされたような視線を送ってくるサオリに、私は言葉を返せなかった。

 

「ああいう子を放っておけないもんね、レンゲは」

「で、でも……」

「『私たちを危険に晒したくない』って言いたいの? どうせそうやって私たちを置いて一人で助けに行くつもりだったんでしょ。それはいくらレンゲでも許さないよ」

「ぬふぅ……」

 

 完全に思考を読まれている。

 私ってそんなに顔に出やすいかなぁ……。

 

 何も言い返せない私はサオリから視線を逸らすしかない。

 

「うへぇ」

「こっちを見て」

 

 でも、サオリに頬を掴まれて無理矢理目を合わせられた。

 綺麗な二つの水色の瞳が真っ直ぐ私を射抜く。

 

「レンゲがいつも言ってるでしょ。私たちは『家族』なんだ」

「でも今回は完全に私の自分勝手な──」

「自分勝手でも関係ない。それが『家族』のやりたい事なら、私たちはそれを助ける。苦しみしかないこの世界で私たちが決めた事でしょ?」

「サオリ……いひゃい!」

 

 唐突にぐいーっと私のほっぺを引っ張るサオリ。

 なんとか引き剥がそうと抵抗するも、なぜか妙に力が強くて外せない。よく見たら、彼女は良い笑顔を浮かべている。

 

 これは私をいじめて楽しんでる時の顔……!

 

「あばばばばば。いひゃいってば! ゆるひて!」

 

 私の命乞いもなんのその、私の頬をいじくり回している。

 ミサキとヒヨリにも助けを求めようと視線を送ったら露骨に目を逸らされてしまった。薄情者め。

 

 最後に一際強くぐいーっと伸ばされ、ようやく私は解放された。

 ちぎれるかと思った。

 

 おそらく赤くなってるであろう頬を摩りながらいじめっ子を睨むと、当の本人はクスクスと笑っていた。鬼だ。

 

「これで許してあげる。だからレンゲももう泣かないで」

「な、泣いてなんかないやい……ありがと」

 

 そもそもこれは頬を引っ張られて泣いてるだけだ。

 それでも、心はなんだかスッキリした気がする。

 

「わぁ、サオリ姉さんが凄く楽しそうです……」

「レンゲがあんなしおらしくなってるのも初めて見た。アレ、楽しいのかな?」

「なんでそこで私を見るんですかぁ!? わ、私を虐めても楽しくないですよ……? ひえ、ミサキさんの目が獲物を狙うようなものに……!」

 

 妹二人にもカッコ悪いところ見せちゃったなぁ。

 

「ほら、そこの二人も遊んでないでこっち来て。作戦会議するよ」

 

 なぜかジリジリとヒヨリに詰め寄っているミサキを呼び寄せ、四人で静かに会議を始めた。ヒヨリは涙目で私の背中に隠れたけど、まぁいつものことだから特に気にならない。

 

「どこかの荻野さんが勝手に突っ走ろうとしたけど、ひとまずアイツらを襲う方法を考えようか」

「君、意外と根に持つタイプでしょ」

 

 ごめんってば。

 

「あの人数相手に勝算はあるの?」

「元々襲うためにここまで来たんだから。勿論あるよ」

 

 ミサキの疑問に、サオリは自信ありげに答える。

 

「相手には護衛対象がいるから下手に動けない。だからそこを狙えば一気に叩ける」

「いつも通り私が突っ込んで残りの三人で後ろから奇襲する方が簡単だと思うけど」

「今回は相手にバレてないんだから無理に囮を使う必要はないよ。そもそもそんなに簡単に囮作戦を使おうとしないで。あれは本当にどうしようもない時しか使わないから」

「にしては頻度が多いような」

「なにか言った?」

「ナンデモアリマセン」

 

 不安げに私は懐から一丁のハンドガンを取り出した。

 我が家を手に入れる時に先住民のお姉さんから盗ん……譲って貰った念願の銃。普段ならとても心強い武器なのに、小銃で武装したアリウスたちを見ているとこれがオモチャに見えてきてしまった。

 旧式だけどスナイパーライフルを装備したヒヨリと、ハンドガンを装備した残りの三人。本当にこれでアイツらを倒せるのかな……?

 

「心配しないで、今回は()()を使うから」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、サオリは懐から見慣れた球体を出した。

 ミサキもヒヨリも驚いたように目を見開いている。反対に私の心はウキウキに盛り上がっていた。

 

 今までずっと節約してきた『アレ』がついに使える。

 

「痛い出費だけど背に腹は代えられない。まぁ、いざという時は()()調()()もできるからね」

「サオリもなかなか分かってきたじゃん」

 

 サオリに向かって拳を突き出すと、サオリも満面の笑みで自分の拳を合わせてくれた。

 

「アリウスの人たちに子供(わたしたち)の怖さを見せつけてやろう」

 

 今日は花火大会だ!

 

 

 

 

 

 

『こちら1-4(ワン-フォー)、現時点では異常無し』

1-1(ワン-ワン)了解。引き続き警戒を続けろ」

 

 報告を受けたアリウスの生徒は無線を切ると、大きく息を吐いた。

 

 現在周囲を警戒している9人もの部隊員を率いる隊長として、随時状況報告の連絡が彼女に向けて飛ばされている。瓦礫が崩れてきた、物音がした、不発弾が落ちていた、等々。重要な報告から些細な報告まで、全てが彼女へと送られる。

 

 休む暇もなくそれを精査している彼女は部隊長としての自身の腕を存分に発揮しているものの、やはり精神的にかなり疲弊する作業でもあった。

 

 銃を構えながら周囲に展開している部下は頼もしい。

 護衛対象も今回は一人だけ。

 

 これが普段と変わらぬ任務だったならばどれほど楽だっただろうか。

 

「ロイヤルブラッド、ねぇ……」

 

 マダムから直々に命じられた今回の任務。

 内容は『一人の少女の護衛』という至ってシンプルなもの。

 

 しかしその護衛対処を目にした瞬間、彼女自身を含め部隊全員に緊張が走った。

 

 紫色の髪の少女。

 

 噂に聞くロイヤルブラッドを初めて見た彼女たちアリウス分校の生徒たちは、言葉を失った。

 

 綺麗な洋服に身を包み、優しい眼差しで自分たちを見つめてくる。これから()()としてマダムの下へ連れて行くというのに、抵抗する素振りすら見せない。

 

 そして何より、その目はあまりに強かで、希望に満ち溢れていた。

 

「……? どうかしたの?」

「…………」

 

 今もこうして自分に話しかけてくる護衛対象のお姫様。

 首を傾げながら不思議そうに自分を見つめる少女をなんとか無視しているが、彼女にとってはその視線すら居心地が悪かった。

 

 この世界は虚しく、生きる意味などない。

 

 マダムに教えられた真理に真っ向から背く少女の存在を、彼女自身が心の底で拒絶している。

 

──今は少しでも早くこいつをマダムへ引き渡したい。

 

『1-1、こちら1-7。応答願います』

 

 もう一度口を開きかけた少女の声を遮るように、無線が慌ただしく鳴り響く。

 今ばかりはこの喧騒に感謝しながら、部隊長はインカムへ話しかけた。

 

「こちら1-1。状況を報告しろ」

『前方の廃屋から不審な音を1-6が確認しました。指示を願います』

「1-5を連れて1-6と確認しろ。残りは全員待機」

『了解。1-7向かいます』

 

 前方を歩く三人の部隊員が正面の建物へゆっくりと近づいていく。

 残りの隊員たちへ停止を告げ、彼女は扉に手を掛けた仲間を静かに見守っていた。

 

 どうせまたネズミなどの小動物だろうと、その時は深く考えていなかった。

 

『ッ!? ブービートラップだ! 戻れ──』

 

 無線越しに悲鳴が上がり、目の前の家から耳をつんざくような爆発音と共に衝撃が襲い掛かる。その瞬間、部隊長の楽観的思考は文字通り消し飛ばされた。

 

 仲間三人が一瞬にして爆風に吹き飛ばされ、意識を失ったのかヘイローが消えている。

 

奇襲(アンブッシュ)だ! 全員警戒しろ!」

 

 慌てて叫ぶも、既に状況は最悪の方向へ転換しているのだと思い知らされた。

 

『前方にグレネード! 退避を……ってこっちにも!?』

『周りトラップだらけだ! いつの間にこんなに──』

 

 続け様に響く爆発音に、仲間からの通信が一つずつ消える。

 

「やられた……! こちらの進路を予測し、先回りして罠を仕掛けるなんて……内戦は終わったんじゃないのか!?」

 

 頭を抱えたくなる部隊長だったが、彼女は嘆きの声をなんとか飲み込んだ。

 今彼女の隣にはマダムから直々に任された護衛対象がいるのだ。

 アリウスの生徒として、マダムの命に背くなどあってはならない。

 

「おい、お前! 私の側から──って、いない!? おい、誰だお前!?」

「ふぅー、奇襲成功! あはは!」

「馬鹿! 煽ってないでさっさと逃げるよ!」

 

 なんとか体勢を立て直してロイヤルブラッドへ視線を向けると、ほんの数秒前まで立っていたはずの少女が消えていた。

 

 聞きなれない声を耳にし後ろを振り向くと、見慣れない二人の幼い少女が猛スピードで走り去るのが見えた。そのうち、焦茶色の髪の少女の腕の中には、件の護衛対象がキョトンとしながら抱き抱えられている。

 

 一瞬、思考がフリーズする。

 

「……あのガキ二人を追えェ! デッド・オア・アライブじゃない! デッドだ! 絶対に逃すな!」

 

 未だ耐えず巻き起こる爆風を避けながら、彼女はなけなしの隊員全員を引き連れて二人を追い始めた。これほどの失態、マダムに許されるはずがない。

 血走った目で銃を抱え、アリウスにとっても命運とも呼べる少女の奪還に向かう。

 

 

 ここに、アリウスのお姫様誘拐作戦(命名 荻野レンゲ)が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「サオリ姉さんたち、合流ポイントとは逆方向に行ってしまいましたね……」

「あの二人なら大丈夫。それより、早く後を追うよ。万が一のことがあれば、私たちが姉さんたちを助けに行かないといけないんだから」

 

 あっという間に視界から消えていったサオリとレンゲを見届け、瓦礫の影に身を潜めていたミサキは大きくため息を吐いた。

 隣で心配げにこちらを見つめてくるヒヨリの頭を撫でながら、彼女は思考する。

 

 サオリとレンゲ──二人の姉が揃っているのなら、余程の事が無い限り大丈夫だろう。作戦とはまるで違う方向へ走り去ってしまったが、元々彼女たちの作戦が上手く決まったことなんてない。

 

「み、ミサキさんは二人を信頼しているんですね……」

「……分からない」

 

 あの二人に対する感情は未だに自分でも理解できていない。

 二人の言う『家族』がなんなのか、まだよく分かっていない。

 

「えへへ、私だとどうしても不安になってしまって……姉さんたちが捕まってしまって、雑誌に書いてあるような辛くて苦しい事をされないか心配で……二人は無事に戻ってくるのでしょうか……?」

「戻ってくるよ、絶対に」

 

 震える声で俯くヒヨリの言葉に、気がつけばミサキは即答していた。

 

「サオリ姉さん達は絶対に帰ってくる。私たちを置いてどこかに行ったりはしない」

 

 約束したのだ。

 

 あの夜、サオリに拾われた瞬間から。

 

 もう決して自分に地獄(こどく)を見せないと。

 

「行くよ、ヒヨリ。まだそう遠くには行ってないはずだから」

 

 力強く立ち上がったミサキは、未だ不安を感じているヒヨリを引っ張りあげる。

 

 銃を構え周囲を警戒しながら、ミサキとヒヨリはゆっくりとサオリたちが走り去った方角へ向けて進み始めた。

 

 起爆された無数のグレネードにより地面が抉られ、多くの気絶したアリウス生が地面に横たわっていた。改めて見ると、たった四人で凄まじい戦果だ。

 

「……これは」

 

 そんな中、ミサキは倒れ伏すアリウス生の隣に転がっている()()に目を奪われた。ハンドガンをポケットに戻して、自分の身の丈以上も大きさがあるその物体を思わず拾い上げた。

 

「み、ミサキさん? どうしたんですか?」

「これも武器みたい。今まで見たことがないくらい大きいけど」

「わぁ……私たちが持っている銃より大きいですね。まるで自分の人間としての小ささを見せつけられているようです」

 

 相変わらず後ろ向きな発想をするヒヨリをスルーし、ミサキは筒のような形状になっているそれを肩に担いだ。

 

 ズッシリとした重さを感じさせる。どんな武器なのか分からないが、きっと重さに見合った威力の高さを持っているのだろう。

 

 そして何より、この武器がどこか()()()()()()

 

 長年使ってきたハンドガンよりも、初めて触れ合うこの武器が驚くほど馴染み深さを感じさせる。

 

「これなら……サオリ姉さん達を助けられるかも」

「も、もしかして持っていくんですか?」

「当たり前。ヒヨリも運ぶの手伝って」

 

 流石に持って歩くには大きすぎたのか、ミサキは先端部分を肩に乗せ、反対側の取っ手の部分を返答を聞くまでもなくヒヨリの肩に載せた。

 

 一瞬呻き声を上げ傾きかけるも、「ふんす!」という掛け声と共に体勢を持ち直すヒヨリ。

 

「重い……でも、私なんてこれよりもっと足枷ですし、そう考えればへっちゃらですね……」

「重いのか重くないのか……とりあえず、先を急ぐよ。このままじゃ姉さん達に追いつけない」

 

 新たな武器を手に入れ、ミサキとヒヨリは再び歩き始めた。

 

 今度は姉二人に守られるのではなく、守る側として。

 

 

 

 




幼女が幼女を誘拐する事案。

・レンゲ
念願の銃を手に入れた。射撃の腕はまた次の機会に。

・サオリ
珍しくレンゲに頼って貰えてテンションが上がってる。

・ミサキ
自分でも知らないうちに家族に情が移っていた。

・ヒヨリ
本物(?)のお姫様に出会えてウキウキ。ミサキ以外のスクワッド全員変なテンションになってる。




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アリウスのお姫様誘拐作戦(2)

彩鮮やかに塗られたビナー君をゴリラの一撃で粉砕できたので初投稿です。
torment難しすぎる…


 

 

 

 銃弾が飛び交う街中をサオリと共に駆け抜ける。

 もう帰り道なんて関係なくひたすらフルスロットルで走り続けているけど、女の子一人を抱えているせいであまり追っ手を引き離せずにいる。

 普段ならこのままジリ貧になって捕まっちゃうけど、今回ばかりは違う。

 

 なぜなら、隣に頼れる相棒がいるから。

 

「あはは! どこ狙ってるの君たち! そんなんじゃ虫も殺せねぇぞ!」

「煽ってる暇があったら走って!」

 

 そんな相棒(サオリ)から怒声が飛ぶ。

 背中越しに銃を撃ちながら全力疾走する私に着いてきて、なおかついつも通り怒るなんて、サオリもなかなか侮れない。

 

 今私はお姫様をお姫様抱っこしてるわけだけど、どこか儚い見た目通りこの子はかなり軽い。多分普段持ち歩いてるカバンの方がまだ重いぐらいだ。

 

 もしかしてこの子、病弱とかだったりする……?

 

「ねぇお姫様、急に誘拐しちゃったけど大丈夫? どこか痛くない?」

「ううん。でも誘拐されるのって初めてだから、なんだかワクワクする」

「やだ、この子なんでテンション上がってるの……?」

 

 まぁ、流石に自分から「病弱です」って言う変な人なんていないか。

 

 腕の中でキラキラした視線を送ってくるお姫様は一旦置いておいて、早急に逃走経路を確保しなければいけない。

 

「ねぇサオリ、まだグレネード残ってないの?」

「持ってきた分は最初の爆発で全部使っちゃった。もう銃弾しか残ってないよ」

「なんで残しとかなかったのさ!? これじゃあ追ってくる奴らを倒せないじゃん!」

「だ、だって……派手にやった方が良いと思ったから……」

「たまにこういう抜けたところがあるよね君ぃ!」

 

 普段はかっこよくて頼れるリーダーなんだけどね!

 

「誘拐犯さん、前からも誰か来てる」

「え? うぉぉぉ!? サオリ、正面正面!」

 

 後ろにしか意識を向けていなかった私たちは、お姫様の言葉でようやく前方からもアリウス生徒が迫っていることに気づいた。

 数は三、四人程度。両手が塞がってるから私は撃てないし、サオリの銃だけでは対処は難しい。

 

 それなら!

 

「サオリィ!」

 

 お姫様の背中に回していた腕を一瞬だけ離し、ポケットの中に入れていた()()()()をサオリへ放り投げた。

 

 それを苦もなく受け取ったサオリは、二丁のハンドガンを真っ直ぐ前方のアリウス生たちへ向けた。まるでマシンガンのように断続的に銃声が響き、一人また一人と倒れていくアリウス生。

 

 この距離で片手でこの命中精度。

 相変わらず物凄い射撃の腕だ。

 

「カッコいい……!」

 

 腕の中でお姫様も目を輝かせてる。

 てか、君はもう少し怯えたりしないの? 私たち仮にも誘拐犯だよ?

 

「弾も無限じゃないよ! このままじゃジリ貧になる!」

 

 器用に二つの銃をリロードしながらも、サオリの表情は優れない。

 今回は襲撃するために弾倉を多めに持ってきたけど、そのほとんどは荷物担当のヒヨリが持っている。今こちらの手持ちは私とサオリが携帯していた弾倉数個分のみ。

 弾を拾いに行く余裕も無いし、銃弾が尽きるのも時間の問題だ。

 

「これならヒヨリからもっと弾を貰っておけば──ッ! 十時の方向から二人!」

「くっ!」

 

 苦々しい表情のまま二丁拳銃を撃つサオリ。

 彼女が的確に急所を狙うおかげで銃弾の消費は最小限に留まっているけど、それでも残弾数は心許ない。

 

 なかなかにやばい状況になってきた。

 

「てか本当にこっちで良かったの!? 全然知ってる道に出ないんだけど!」

「レンゲがこっちの方に走り出したんでしょ!」

「私が方向音痴なの知ってるじゃん! ああもう、助けてミサキー!」

 

 今この場にミサキがいたら、「馬鹿みたい……」って呆れてるところだろう。私も自分が情けない。

 

「ん? おぉ! ちょうど良さそうな家発見!」

 

 何度目になるか分からない交差点を曲がった瞬間、ちょうど右手側に現れた一件の家。他とは違い特に壁が崩れていたり屋根が吹き飛んだりしていない、なかなか小綺麗な空き家だ。

 

 まだ追手に見つかってない今しかない!

 

「サオリ、パス!」

「わぁ……!」

「え、ちょっと待って──ぐふっ」

 

 抱えていたお姫様をサオリに投げ……じゃなくて渡して、窓に向かって飛び上がる。突き出ていた窓のフレームに手を掛け、振り子のように自分の身体を大きく宙に浮かせて──

 

「お邪魔しまーす!」

 

 両足で窓を突き破って突入した。

 

「ほら、サオリたちも早く!」

 

 肝心のサオリはお姫様を受け止めきれなかったのか、女の子に下敷きにされたまま立ち上がれずにいた。軟弱者め。

 

 キョトンとしながらなぜか退こうとしないお姫様に手を伸ばして、なんとか家の中に引っ張り上げる。ガラスは私が入る時に全部粉々に蹴飛ばしといたから安心だ。

 

「もー、そんなところで寝てないで早く上がってきてよ! このままだと見つかっちゃうよ?」

「は?」

「ひえっ」

 

 サオリにも手を貸してあげると、なぜか睨まれてしまった。

 

「ふぅ……これでようやく一息つけるね。あいつらもなんとか撒けたみたいだし──いてっ!?」

 

 床に座り込んで大きく息を吸い込んだ瞬間、何か硬いものが私のおでこに投げつけられた。じんわりと痛む頭をさすりながら投げつけられた物体を見ると、それは私の銃だった。

 

「返すね。助かったよ」

「もっと優しく渡してよぉ……」

「銃弾も一緒に返してあげようか?」

「ありがとうございますサオリお姉様!」

 

 銃を返して下さり、ありがたき幸せ。

 

「よしよし、誘拐犯さんはよく頑張ったね」

「どうしようサオリ、この子めちゃくちゃ可愛いんだけど」

「真顔でなんてこと言うの……」

 

 膝を抱えて蹲る私の頭を撫でてくれるお姫様。

 優しすぎて思わず泣きそうになった。腕に枷が付けられてるから鉄の部分が当たって痛いけど。

 

「あ、そういえばそれ外してあげないとね」

「え? いつの間に鍵なんて──」

「むんっ!」

「すごい、外れた」

「えぇ……」

 

 お姫様の綺麗な手をできる限り傷つけないように力を込めたけど、手枷は割と素直に壊れてくれた。もしかして元々脆かったのかな?

 

 ドン引きした様子のサオリを無視して、私とお姫様は「いえーい!」と手を合わせた。この子意外とノリが良い。

 

「ところで、誘拐犯さんたちは誰なの?」

 

 お祝いもそこそこ、今更のように首を傾げながら聞くお姫様に、私とサオリは思わず顔を見合わせてしまった。

 

 この子からすれば、敵の捕虜になりかけたところを見ず知らずの子供二人に唐突に爆破テロされた挙句拉致されただけだからね。考えてみるとなかなかぶっ飛んだ状況だ。

 

「私はレンゲで、こっちのおっかない方がサオリ。別に怪しいもんじゃねぇですぜ、お嬢さん」

「その喋り方やめて。それにおっかないって言うな!」

「ほら、こうやってすぐ怒るから君も気をつけてね」

「レ〜ン〜ゲ〜!」

「ほわぁ!? いででで、騒ぐとあいつらにバレちゃうよ! あ、その関節はそっちに曲げると……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 少しからかいすぎてしまったみたいで、サオリにもみくちゃにされる私。相変わらず激しいスキンシップだぜ。でも関節技キメるのはやめて。

 

 喧嘩(という名の一方的な暴力)する私たちを眺め、お姫様はクスクスと笑っている。

 

「仲が良いんだね、二人は」

「勿論だよ、なんせ相棒だからね! 私たちは会った時から運命共同体みたいなものだったから」

「……?」

「話せば長くなる」

 

 不思議そうにこちらを見つめるお姫様を見て、サオリがげっそりとしながら呟いた。

 これじゃあまるで私との出会いが苦労話みたいじゃないか。

 

「でも……羨ましいな。私はレンゲたちみたいに話せる人がいなかったから。ずっと守られてばかりで……」

「お姫様って本当だったんだ……てっきりレンゲが適当に言ってるのかと思った」

 

 適当とはなんだ。我ながらなかなか良い例えだったと思うけど。

 でも、守られていたって事は、よっぽどこの子は大切な人だったのかな。あるいは、大切な()として扱われてたのか。

 

「あまり間違ってないかな。周りの人は私の事を『姫様』って呼ぶから。でも……それがなんだか寂しかった」

 

 どこか遠い目をしながら、目の前の女の子は微笑んだ。

 

「あなた達は私でどうするつもり? はっきり言って私自身、自分がどういう存在なのかは分からない。でも、何か目的があって私を攫ったんでしょ?」

「目的? あはは、あまり深く考えてなかったかな。強いて言うなら君とお友達になりたかったから、とか?」

「え?」

 

 私もサオリも、彼女からの問いに思わず肩をすくめてしまう。

 

 そういえば特に理由なんて考えてなかった。ただこの子が辛そうだったから、()()()()()()()()から、放っておけなかったのかもしれない。

 

 言い出しっぺの自分がこのザマだけど他の家族は誰も反対しなかったから、多分全員同じ気持ちだったんだと思う。

 

 目の前のこの少女は自分達と同じだ、って。

 

「私とお友達になりたいから……? だからあんなに沢山の人を敵に回して、私を誘拐したの……?」

 

 ポカーンと口を開けて私たちを見つめる女の子。

 そんなにおかしな理由だったのかな。

 

「本当はもうちょっと上手くやるつもりだったんだけどねぇ。どこかの錠前さんが調子に乗ってグレネード全部使っちゃうから」

「うぐっ、それは忘れて! もぉ、あの時の私はなんで……」

「珍しくテンション高くて可愛かったよ!」

「うぅ……うるさい!」

 

 プルプルと震え始めたお姫様を他所に再び喧嘩をおっ始める私たち。

 

「フフ……あはははは!」

 

 すると突然、目の前の女の子が声を上げて笑い始めた。

 今までどこか大人びた不思議な雰囲気を持っていたお姫様が、年相応の子供みたいに笑っている。

 その姿は、今まで見た中で一番可愛らしい。

 

 彼女はやがて笑いすぎるあまり目に溜まった涙を拭き、数回ほど咳き込んだ。

 

 その表情は、なんだか憑き物が取れたように晴れやかだった。

 

「ごめんなさい、なんだか分からないけど可笑しくて……フフ」

「ほら、しんこきゅーだよお姫様。ひっひっふー」

 

 確かヒヨリに読んでもらった雑誌にこの息の吸い方が人を落ち着かせるって書いてあった気がする。私は文字が読めないからヒヨリ頼みだけど。

 

 この呼吸法を知ってたのかは定かでは無いけど、ようやくお姫様は最後に小さくクスクスと笑い、大きく息を吐いた。

 

(はかり)アツコ。私の名前だよ。お友達になってくれると……うん、嬉しいな」

「やった! これから私たちはお友達……ううん、『家族』だよ!」

「家族?」

「私とサオリがお姉ちゃんで、今ここにはいないけどミサキとヒヨリが妹! だからアツコは末っ子だね!」

 

 目を丸くしたアツコは何度か「家族……」と呟く。

 まるで噛み締めるかのように、何度も。

 

「……なんだか素敵な響き。えへへ、良いかも」

 

 目を輝かせ、へにゃりと優しく笑った。

 うん、可愛い笑顔だ。

 

「虚しいだけのこの世界でも、家族と一緒なら耐えられる。だからアツコ、今日から宜しく」

「それは違うよ、サオリ」

 

 サオリもまたアツコに向けて手を伸ばすも、彼女はその手を拒絶した。「え?」と固まるサオリを他所に、アツコは言葉を続ける。

 

「たとえ虚しくても、耐えるだけじゃ何も変わらない。この荒れた世界から出られるのは、自分から動いた人だけだよ」

「ッ!」

「…………」

 

 ただの箱入りお姫様だと思っていたアツコの思わぬ言葉に、サオリは息を呑んだ。

 

 あまりにも強く希望に満ちた眼差し。

 

 そもそも考えた事も無かった。

 サオリはある意味この虚しい世界を受け入れていて、こんな世界を家族と耐え抜こうとしている。私もそんなサオリを手助けして、家族全員が幸せに暮らせるようにするのが自分の使命と思っている。

 結局どちらも、()()()()()()()完結している。

 

 だからアツコの言葉は、この小さな世界でしか生きたことがない私たちにとってはあまりにも衝撃的だった。

 

「きっと世界はとても広いよ。私たちが知らないだけで」

「わ、私たちも見れるのかな……その『世界』が」

「それはサオリたち次第だよ」

 

 拳を強く握るサオリ。

 

 一方はスラムで生きて、この世界に絶望している子供。一方は姫として守られながらも、この世界に希望を見出して進もうとしているお姫様。

 

 対照的な二人の少女が見つめ合っている。

 

「ッ! この音は……! サオリ、アツコ!」

 

 そんな中、外から響く無数の足音が私たちを現実へと引き戻した。

 数からして十人どころの騒ぎじゃない。軽く数十人ぐらいはいるはずだ。

 それにこの濃密な火薬の匂い。

 

 その正体に気づいた瞬間、私は慌てて二人を押し倒そうと手を伸ばす。

 

「二人とも伏せて──」

 

 次の瞬間、家全体を揺らす衝撃と共に、爆風が私たちを包み込んだ。

 

 肌が焼けるような熱さが全身を襲い、床に身体を叩きつけられる。今まで感じた事のない衝撃に自分自身の脳の処理が追いついていない。

 

 これはグレネードとかそんな生優しいものじゃない。

 

「けほっ、けほっ……二人とも大丈夫!?」

「私は大丈夫! それよりサオリが……」

 

 アツコの声は聞こえる。

 でも、私が何より聞きたかった人の声がまだ聞こえない。

 

 煙が晴れ、めちゃくちゃになった家の中を見た瞬間、私は自分の全身が震え上がったのが分かった。

 

「さ、サオリ……?」

 

 アツコを庇うように横たわる、一人の黒髪の少女。

 頭から赤い液体が流れ、床に染み込んでいる。

 ヘイローが消えている。どうして?

 

 これは一体なんだ。

 

「そんな……」

 

 守るはずの家族が倒れている。

 

 私は何をやっていたんだ。

 

 私が気づくのが遅れたから?

 外を警戒していなかったから?

 二人を庇いきれなかったから?

 

 いや、それだけじゃない。

 

 すぐ外にいるじゃないか、()()()()()が。

 

ぶっ殺す

 

 頭が真っ白になり、私の理性という名の枷が外れた。

 

 

 

 

 




主人公、キレる。

次ぐらいで幼少期編ラストです。
やっとタイトル詐欺から抜け出せる…

・レンゲ
「素晴らしい提案をしよう。お前も『家族』にならないか?」

・サオリ
アツコにカルチャーショックを受ける。果たして無事なのか。

・アツコ
昔から芯の通った強い子というイメージ。まさにスクワッドにとっての希望。ノリが良い。

・アリウスの皆様
奪還対象のアツコがいるか分からないのにロケランぶっ放すガバ。



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アリウスのお姫様誘拐作戦(3)

今回で幼少期が終わると言ったな、あれは嘘だ。

立て続けに重装甲の総力戦が続いてうちの完凸フルパワーゴリゴリミカちゃんが1145141919回ぐらい祈ってる。


 

 

 

 アツコは目の前で激昂()()()()レンゲに目を見開かせた。

 

 常に人懐っこい笑みを浮かべ、揶揄う中でも確かな愛情と優しさを持ってサオリと接していたはずのレンゲが、まるで人が変わったようだった。

 

 全くの無表情。

 

 つい先ほどまで浮かべていた憤怒の形相すら消え、感情を削ぎ落とした能面のような無表情で窓から外を覗いていた。

 

 これが怒りで顔を歪めていたのならまだ理解できる。あれほど大切と語っていた家族を傷つけられれば、誰だって怒り狂うはずだ。だが、今のレンゲからは一切の感情が読み取れない。

 

 外にいるアリウスの生徒達を見つめる視線のあまりの冷たさに、アツコは背筋が震え上がる。

 

「アツコ、ちょっとの間だけサオリを頼んだよ」

 

 気を失ったサオリに一瞬だけ目を向けたレンゲは懐から拳銃を取り出しながら告げた。

 機械のような、恐ろしく平坦な声。

 

「落ち着いて、レンゲ。いくらレンゲでもあの人数を相手に一人なんて無理。ここは逃げるしか──」

「アツコ」

 

 一言、自分の名が呼ばれる。

 それだけで、もう目の前の少女には何を言っても無意味なのだとアツコは悟った。

 

「やっぱり私、何やっても上手く行かないなぁ。サオリを……家族を守るのが私の役目なのに」

 

 血管が浮き上がるほど強く握られた拳銃に、新たな弾倉が装填される。

 

 最後に一度、アツコの腕の中で気を失っているサオリへ振り向いた。

 

「一体なんのために私は生きてるんだよ。家族を守ることが生きる理由なのに……あはは、これじゃあ私が生きてる理由無いよね」

 

 今にも涙が瞳から溢れ落ちそうなほど、その表情は歪んでいた。

 

「安心して。すぐ終わるから」

 

 凄まじい速度で割られた窓から飛び出し、一瞬にしてレンゲの姿が見えなくなってしまった。

 残されたアツコは、それでもなおレンゲが飛び出した窓を見つめ続ける。

 

「レンゲ……」

 

 自分のせいで、この幸せな家族を狂わせてしまったのかもしれない。

 彼女たちが自分を助けようとしなければ、この二人は傷つく事は無かったのかもしれない。

 

 しかし、彼女には最早どうする事もできない。

 

「どうか無事に帰ってきて、レンゲ」

 

 サオリの頭から流れる血を拭き取って自身の膝の上に乗せると、アツコは静かにレンゲの無事を祈った。

 

 今の自分にできるのは、レンゲが戻ってくるのを信じるだけだから。

 

 

 

 

 

 

 背後からアツコの視線を感じながら、息を殺して家の影に潜る。

 目視できる範囲で確認できた敵の数は23人。いや、ロケットランチャーを打ち込んだ敵がどこかにいるのを考えると、最低でも24人はいる。そこから後方支援や指揮を行なっている生徒も含めると、合計30人程度。

 人数的には……相手にできなくはない。ただし私も五体満足では済まないだろうね。それはそれで構わないけど。

 

 隙を伺いながらこちらへ歩み寄ってくるアリウス生徒たちを眺めていると、微かにあいつらの話し声が聞こえる。

 

「誰も出てきませんよ、1-1」

「まぁ落ち着け、1-2。メスガキ共があの家にいたのは確かなんだ。どうせ直ぐに痺れを切らして飛び出してくる」

「しかし、ロイヤルブラッドは傷つけないようマダムから厳しく言われていたのでは?」

「『可能な限り』傷つけるなというご命令だ。反抗の意思を見せればその限りではない。奴は抵抗する素振りすら見せず連れて行かれたんだ、きっとグルに違いない。全く……ナメた真似をしてくれる」

「いや、それでもほんとはダメですよきっと……」

 

 集結している部隊から数歩ほど離れた位置でこちらの様子を伺っている、二人のアリウス生徒。

 どちらもガスマスクに白いコートという基本的なアリウスの戦闘員の姿をしているけど、うち一人は特徴的なインカムを装備している。

 

 どうやらあいつが指揮を行っているらしい。

 

「だからって開幕早々ロケランをぶっ放して良かったんですか? これでロイヤルブラッドが重傷になれば、マダムになんて言われるか……」

「心配しすぎだ。ロケット一発でヘイローが壊れるはずがない、しばらく身動きが取れなくなるのが精々だろう。そこを我々が確保すれば、全てが丸く収まる」

「なんでそんな自信満々なんですか……まぁ、問題なくそうなってくれると良いですけど……」

 

 ()()()()そうさせないために私がいるんだけどね。

 

 でも、変な気分だ。目の前の敵を全員皆殺しにしたいぐらい腹の中が煮え返ってるのに、頭は妙に冴えている。今ここで突っ込めば無駄死にだと、私の中に残る微かな理性が語りかけてくる。

 

 この人数が相手では文字通り骨が折れる。

 

 どうにかして撹乱できれば……。

 

「……あれは」

 

 インカム越しに何か指令を出している指揮官の生徒の胸元で揺れる、細長い缶ジュースのような物体。最初はただのグレネードだと思ったけど、表面に書かれている文字の形に見覚えがあった。

 

「ヒヒッ、あれなら使える」

 

 撹乱の糸口を見つけた。

 

 思わず笑い声を漏らしてしまい、咄嗟に口を押さえる。

 ここで見つかってしまえば難易度は一気に上がってしまう。それでも歓喜に震え上がる自分の身体を抑える事が出来なかった。

 

 これでこいつらをめちゃくちゃにできる。

 

「ふぅ……」

 

 全ての神経を研ぎ澄ます。

 身を低くし、徐々に両足に力を込める。

 

 銃は既にセーフティを外してある。弾倉は残り二つ。そして現時点で装填されているマガジンに残っている銃弾は7発だから、合計で27発。かろうじて全員分は残ってるか。

 

 後は──自分次第か。

 

「やりますか」

 

 両足に込められた力を解放し、私は飛び出した。

 こちらに向けて進軍していたアリウス生徒も置き去りにして、全速力で駆け抜ける。

 

 狙いは、未だインカムで指令を出していてこちらに気づいた様子がない、敵の指揮官。

 

「ッ!? 1-1、敵襲です!」

「なに!? どこ──」

 

 隣の副官らしき人に気づかれるも、もう遅い。

 

 腹に力を込めて飛び上がり、その指揮官の顔をガスマスクごと踏み潰した。砕け散るガスマスクと、悲鳴をあげる暇すらなく昏倒する指揮官。

 

 これで残り23。

 

 そして、ここからが本番だ。

 

「お前……!」

 

 慌ててこちらに銃を向ける副官には目もくれず、私はピクリとも動かない指揮官の胸元から例のジュース缶を奪い取り、ピンを抜いた。同時に響く数発の銃声。

 

「なっ、外した!?」

 

 この距離なら簡単に避けられる。

 

 迫り来る銃弾を最低限の動きで躱し、奪い取った缶を地面に叩きつけた。

 

「各位、リーダーがやられた! 至急応援を求む!」

 

 完全に作動し切るまで大体15秒ぐらいと言ったところかな。

 それまでに耐えればやれるはずだ。

 

 蹴りの衝撃で吹き飛ばされたインカムに向かって何かを話している副官へ、同じように全力で駆け出す。

 

「クソッ!」

 

 インカムを投げ捨て、再度こちらに発砲してくる副官。今度はセミオートではなく、無数の弾丸がこちらに凄まじい勢いで迫ってくる。

 それが全て無駄だと知らずに。

 

「そんな……どうして当たらないんだ!?」

 

 相手の銃口の向き、指の動き、腕の動き、そして自分の勘。

 それさえ分かれば、たとえフルオートだろうと避けられる。

 

 混乱する副官の懐に潜り込み、自分の拳をめり込ませる。大きく息を吐き出し蹲ったことであらわになった彼女の後頭部に、容赦無く銃弾を叩き込んだ。

 

 22。

 

「そ、そんな……リーダーと1-2が……」

 

 一歩遅れて到着する残りのアリウス生徒たち。

 向こうから来てくれるのなら、こちらとしても好都合だ。

 

 徐々に立ち込む()()()を見て、私は思わず口元を吊り上げた。

 

 今日が無風で良かったよ。

 

「スモーク……? 一体誰が──」

 

 既に大きな雲のように辺りを包み込んでいた煙が、私含め全員の視界を塞いだ。

 

 相手はガスマスクを付けているから目眩しにしかならないけど、重要なのは相手がこちらの姿が見えない事だ。

 

「ぐぁ!?」

「どうした!?」

 

 煙の中からアリウス生徒を見つけ出し、足払いでバランスを崩す。無防備な状態で倒れ込んだ相手の額に銃口を押し付け、引き金を引く。

 

 21。

 

 お互い相手の事は見えないけど、私はあいつらの事が()()()()

 

「この煙の中だ! 注意して──うぐっ!?」

 

 それなら囲んでリンチされる心配がない。

 

 残り20。

 

「どこだ!? 誰か分かるか!?」

「いいや、何も見えない!」

 

 混乱しているアリウス生徒たち。

 指揮官を失い、その代理となるはずの副官も倒れた。後は統率が取れていないこいつらを各個撃破するだけ。

 

 あらぬ方向へ銃を向けているアリウス生徒の背後から近づき、全力で後頭部を殴りつける。衝撃により意識が朦朧としているのか頭上のヘイローが点滅する。そんなアリウス生徒の懐を弄り、見慣れた緑色のボール見つけた。

 

 すかさずピンを抜いてグレネードを元のポケットに突っ込み、別の突っ立っているアリウス生徒に向けてその人を押しつける。

 

「おい、しっかりしろ! 相手はどこに──」

 

 そのままグレネードが爆発し、二人のアリウス生徒が衝撃で地面に叩きつけられた。

 

 18。

 

 たとえ無風でも煙が続くのは精々2分程度が限界だろうか。

 それまでにこいつらを可能な限り減らす。

 

「誰一人逃がさない……」

 

 一人、また一人と煙の中にいるアリウス生徒へ襲い掛かる。

 まだ年齢が二桁にすらなっていない小柄な私と、既に成人近い年齢になっているアリウス分校の生徒。視界が悪い中そんな私に気付けと言う方が酷だろう。

 

「ハァ……ハァ……これで残り12……」

 

 銃口を顎の下から突きつけて弾丸を叩き込むと、声を上げることもなく敵が倒れた。

 

 ようやく半分。

 しかし、息も上がってきたし体力も限界が近づいているのが分かる。音を頼りに敵を見つけるというのは予想以上に疲れるようだ。

 

 そして、私にとっての生命線とも言うべきスモークも段々と晴れてきた。残された時間は少ない。

 

「え?」

 

 あともう一踏ん張りと気合を入れようとした瞬間、何かが煙の中に打ち込まれた。

 

 銃弾とは少し違う、重い何かが地面に落ちてくる音と、風船から空気が一気に解放されるような──。

 

「ッ!? がッ……」

 

 喉から燃えるような激痛が走り、息が出来なくなる。

 まるで小さな虫に首を食い荒らされているような感覚で、思わず何度も咳き込んでしまう。

 薄くなっていたはずの煙が再び濃くなっていくのが見えたけど、直ぐに視界も一気にぼやけて見えなくなる。

 

「なに、これ……?」

 

 息が苦しい。

 呼吸をしたいのに、すればするほど苦しみが増す地獄。

 

 これは……催涙ガス……ッ!

 

「けほっ、けほっ……うぇ……」

 

 今まで私を守ってくれていたはずの煙に牙を剥かれ、私は無我夢中で走り出した。

 

 微かに見える視界を頼りに、太陽の光に向かって半ば転がるようにして飛び込む。背後に立ち込める色がどこか濃くなった煙が、辛うじて私があの地獄から抜け出せたことを教えてくれる。

 

 新鮮な空気を何度も吸い込む。

 

 今まで感じたことのない苦痛は、これまで銃の痛みに慣れてきた私でもあまりにも耐え難いものだった。

 まさかアリウスが私一人を止めるためにここまでするなんて……。

 

「ゴホッ……ゴホッ……」

 

 まだ視界は不明瞭だし、喉も痛い。

 それでも身体に鞭を打ち、フラフラと立ち上がる。

 

 私にはまだやらなきゃいけない事があるんだ。

 

「いたぞ! こっちだ!」

 

 煙の中から何かが出てきた。

 咄嗟に銃を向けるも、あの変な煙のせいでまるで銃を持つ手が震える。

 

「あークソッ!」

 

 当たらないと分かりきってるなら貴重な弾薬を使う意味は無い。

 悪態つきながら銃を下ろし、ぼやけた視界の中を無我夢中に進む。

 

 今のままじゃ銃弾も避けられない……だったら撃たせる暇すら与えない!

 

「うぐッ!?」

 

 飛び出してきた一人のアリウス生の鳩尾に渾身の頭突きを突き刺す。短く呻き声を上げてくの字に体を曲げたアリウス生の頭を抱え、渾身の力で体を宙に浮かせる。

 

「堕ちろッ!」

 

 そのまま宙に浮いたアリウス生を全力で地面に叩きつけた。

 

 地面に横たわりピクリとも動かなくなったアリウス生の頭上からヘイローが消えるのがぼんやりと見えた。

 

 これで残り11……。

 

「ハァ……ハァ……けほっけほっ……」

 

 あまりの息苦しさに思わず片膝をつく。

 もうガスの中にはいないはずなのに、まだ呼吸するだけで痛みを感じる。疲労も苦痛も既にピークに達していた。

 

 でも、当然ながらアリウスはそんな私に休む暇すら与えてくれない。

 

「いッ……!?」

 

 煙の中から複数の足音がこちらに向かっていると気づいた時には、ついに一発の銃弾が肩へ直撃する。

 でも、それは当然のように一発では終わらない。

 

 続け様に何度も身体に衝撃が叩きつけられた。

 頭、胸、腕、足。ありとあらゆる場所に銃弾が直撃し、私は声にならない悲鳴を上げた。

 

「打ち方やめ!」

 

 永遠にまで感じられた暴力の嵐がようやく終わる。

 糸が切れたように、私はその場に力無く倒れ込んだ。

 

 あはは……身体中の感覚が無いのに、めちゃくちゃに痛いことだけは分かる。こういう時に限って痛覚というのは的確に働くらしい。

 痛いしまだ息苦しいし、一周回って笑えてくるよ。

 

 そして、ダメ押しのように近づいてくる足音たち。

 

 銃を構えながらも倒れた私に向かってゆっくりと近づいてくるのが見える。

 

 そんな彼女たちに向けて、一言短く呟いた。

 

「ヒヒヒ、助かったよ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 暴力の嵐の中でも決して手放さなかった銃を先頭のアリウス生徒に向ける。

 

「うぐっ!? こいつ、まだ動けるのか!」

 

 震える腕でもここまで近づいてくれれば外さない。

 放たれた銃弾はガスマスクに直撃したのか、撃たれた生徒の首が後ろへ仰反る。

 

 当然のように、真正面から撃ってもハンドガン程度じゃ大したダメージにはならない。

 

 それでも何度も何度も引き金を引く。

 反動すら抑える力すら残っていないのか、最初に放った一発以外は全部が明後日の方向に飛んでいき、掠る気配もないまま消えていく。

 

 やっぱりサオリみたいには行かないか……。

 

 やがてスライドがロックされ、ついには引き金を引くことすら出来なくなる。あと一つ弾倉が残ってるけど、リロードする気力すらもう残っていない。

 

「ッ……」

 

 返答代わりにアリウス側から一発の銃弾が右腕を撃ち抜き、衝撃で銃がこぼれ落ちる。カラカラと地面を転がる愛銃を、私はまるで他人事のように眺めていた。

 

 あーあ、ここからは素手かぁ。

 

 自分でももう戦えるような体じゃないと分かってるのに、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 目の前に迫り来るアリウス生徒たちを、今はただぼんやりと見上げる事しかできない。

 

「こんなガキ一人に、ここまでやられるなんて……」

 

 一人が私を見下ろしながら何かを呟いている。

 私としては全滅させるつもりだったんだから、その言葉は心外だ。

 

 普段ならここで煽りの一つでも入れてるだろうに、なんだか今回はそんな気持ちにもならない。何より、悔しくて悔しくて堪らない。

 

 サオリも守れなくて、敵を潰し切ることもできない。

 

 やっぱり私がやる事はいつも上手く行かないみたいだ。

 

「マダムのところへ──」

「こんな危険なガキをマダムのところに──」

「でもマダムは戦力を──」

 

 目の前で何かを話すアリウス生徒たちをぼーっと眺める。

 一旦逃げるチャンスかもしれないと一瞬思ったけれど、肝心の身体がもう言うことを聞かない。もう少し頑丈な身体があれば、こいつらも倒せたのになぁ……。

 

 思い返せば、私のやる事全てが失敗続きだった。

 

 最初は誰かに殺されたいと思ったのに死ねず。

 

 今は家族を守りたいと戦ったのに守れず。

 

 いつも家族の優しさに甘えていて何一つ恩返しも出来ていない。

 

 サオリ、ミサキ、ヒヨリ、そして新しく入ったアツコ。

 いつもワガママばっかり言ってるけど、せめて最後のワガママとして──みんなで一緒にご飯が食べられたらなぁ……。

 

「……?」

 

 朦朧とする意識の中、アリウス生徒たちの話し声に混じって何かが微かに聞こえた。

 

 意識を向けないと聞こえないぐらいの小さな音が、徐々にこちらに近づいてくる。ほんの数分前にも聞いた。まるで何かが風を切るような音。

 

 やがてそれはアリウス生徒たちの耳にも入ったのか、全員が慌ただしく周囲を見回し始めた。

 この音は……もしかして──。

 

「なッ、全員退避しろ──」

 

 アリウス生徒の言葉は最後まで続かなかった。

 

 耳をつんざく大きな爆発音。

 間髪入れず襲い掛かる衝撃に、朦朧としていた私の意識が一気に現実へと引き戻される。アリウス生たちの真後ろで何かが爆破され、衝撃と共に全員が吹き飛ばされる。アリウス生に庇われるような形で、私はその爆風から身を守ことができた。

 

「ゴホッゴホッ……! 一体何が……」

 

 黒煙が晴れると、辺りにはヘイローが消えたアリウス生徒が何人も倒れていた。

 

「どうして……?」

 

 今のは明らかにアリウス側が持っていたロケットランチャーからの攻撃だ。

 なのにどうしてそれは私をかろうじて外し、あろうことか味方のはずのアリウス生たちを吹き飛ばしたの……?

 

 予想だにしなかった事態に、脳が混乱する。

 

 誤射か? でも、瀕死の子供(わたし)一人に向けてロケットを撃つとは思えない。

 

「レンゲ姉さんッ!」

 

 混乱する私の耳に響き渡る、この場にいるはずのない声。

 でも、同時に誰よりも聞きたかった人の声。

 

「ミサキ……ヒヨリ……」

 

 大切な家族二人の姿に、思わず目を見開いた。

 

 見慣れたライフルを抱えながら周囲を警戒しているヒヨリと、その小さな肩にアリウスのロケットランチャーを乗せたミサキ。

 

 まさかの助けに思わず笑みを浮かべそうになるも、同時に言いようのない罪悪感が襲いかかってくる。

 

 今の私にこの子たちに合わせる顔なんてない。

 

「ご、ごめんなさい……私……」

「今は喋らないでいいから。それよりも傷を手当しないと」

「そ、そうですよ! このままじゃ姉さんが──」

「違うの……私……サオリを守れなくて……ッ!」

 

 この二人にとっても大切な人なのに、私は──。

 

「……はぁ。こんな状態になるまで戦ってくれたのに私たちが怒ると思う? サオリ姉さんがどうなったのかは知らないけど、姉さんは守られないといけないような人じゃないのはレンゲが一番よく分かってるはず。だから……えっと……泣かなくてもいいよ。サオリ姉さんならきっとそう言うよ」

 

 あまりにも不器用に励ましてくれるミサキ。

 それがどこまでもミサキらしくて、でも今はそのらしさがどこまでも心に染み渡る。

 

 立ち上がれない私を抱き抱えてくれたミサキの胸に、気が付けば顔を埋めていた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「み、ミサキさん……ど、どうすればいいのでしょうか!?」

「落ち着くまで待ってるしかない。ヒヨリ、援軍が来ないか警戒してて」

「はい……でも、レンゲ姉さんのこんな姿を見るなんて……うわぁぁぁん!」

「ヒヨリまで泣いてどうするの……」

 

 結局私はまたこうやって、家族に甘えてしまう。お姉さん失格だ。

 

 それでも私は流れる涙を堪えきれず、声を上げて泣き続けた。

 

 自分の情けなさを噛み締めるように、何度も何度も謝りながら。

 

 




ちょっとだけ無双する主人公が書きたくなり、気がつけばこうなっていた。今の主人公ちゃんだと結局は身体能力のゴリ押ししかできませんが。

ちなみに催涙ガスは喉や目の痛み以外にも身体中の穴という穴から汁が流れるらしいですが、透き通るような世界のブルアカではちょっと描写できないのでこの世界では目や喉にダメージを与えるものになっています。常時ガスマスク付けてるアリウスならこれぐらいはやりそう。

・レンゲ
ブチ切れモードでバフが掛かってるおかげでここまで戦えた。お前が曇るんかい。



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ジュブナイル・ファミリー

今までで一番の難産でした。

章を終わらせるのはこんなに難しいんですね・・・。


 

 

 

「お見苦しい所をお見せしました……」

「レンゲはいつも見苦しいから大丈夫だよ」

「また泣くぞ?」

 

 どれぐらいの時間が経ったか分からない。

 数分かもしれないし数十分かもしれないけれど、なんとか落ち着いた私はようやくミサキから離れる事ができた。相変わらずミサキは私に対して辛辣だけど。

 

 フラフラと立ち上がろうとする私を横から慌ててヒヨリが支えてくれる。重そうなカバンを背負ってるのに、なんだか罪悪感が凄い。

 でも身体はまだ重いし視界はボヤけたままだし、正直に言えば今でも泣き叫びたいぐらい全身が痛い。今まで分泌されていたアドレナリンが切れたのか、一気に疲労が襲ってきた。きっと一瞬でも気を抜けば一気に夢の世界に捕らわれてしまうだろう。

 

「ごめんねヒヨリ」

「い、いえ! 私に出来るのはこんな事だけですから……そ、それにレンゲ姉さんはとても軽いので! 道端に落ちてる雑誌の切れ端みたいなものですから!」

「それ褒めてくれてるの……?」

 

 なんとも反応に困る言葉を投げかけてくれるけど、流石にこれ以上負担を掛けるのはまずい。確かに全身が悲鳴を上げてるけど歩けないほどじゃない。

 

 無理矢理ヒヨリを引き剥がそうと力を込め……られない。

 

 な、なんだかガッチリとホールドされてるんだけど。しかもわざわざ持っていたライフルを肩にかけてまで全身を使って支えてくれている。

 

 なんとなく顔をチラッと覗いてみると、思いっきり目が合ってしまった。なんだか視線が怖い。

 

「ダメですよ、レンゲ姉さん」

 

 まるで私の考えを読んでいるかのように告げるヒヨリ。

 

 普段のオドオドした様子は行方不明。こちらがゾッとするような目で真っ直ぐ見つめながら静かに解放を拒否された。レンゲ姉さん、こんなヒヨリ知らないんだけど。

 

「ほら、早くサオリ姉さんのところへ行きましょう。レンゲ姉さんの事は私が支えますから。えへへ……」

「ちょ、ちょっと待て。離せコラ! 私は大丈夫だから! み、みーちゃん助けて……」

「みーちゃんって呼ばないで。ヒヨリ、絶対に離さないように」

 

 みーちゃんにも見捨てられ、結局大人しくヒヨリに肩を貸してもらう形で最初の空き家へと戻った。ま、まぁ、妹に甘えられてるって考えればいいか。

 

「けほっ、けほっ! うぅ……まだ喉が痛い……」

「大丈夫?」

「うん、平気。ちょっと変な煙吸っちゃっただけだから」

 

 まだ若干ボヤけている視界を頼りに、私は二人へ「ここ」と崩れ掛けた空き家を指差した。ロケットランチャーを打ち込まれた空き家は壁の一部が崩落していて、全体が今にも倒れてしまいそうなほど心許ない。

 

 ほんの数分前まで小綺麗だったのに……まるで今のアリウスの惨状そのものだ。

 

 瓦礫を避けながらゆっくりと空き家へ入るも、私の足取りは重い。

 

 最悪の結果なら何度も頭をよぎった。想像するだけで自分のヘイローを破壊したくなるぐらい、残酷な結果。

 

 私にはそれと向き合う勇気がない。

 

 サオリに会いたい。無事なのを確認したい。

 なのに両足が言うことを聞いてくれない。全身の震えが止まらない。息が苦しい。

 

 自分の弱さがもたらした結果と向き合う事を身体が拒絶している。

 

「大丈夫ですよ、レンゲ姉さん。私たちが着いていますから」

 

 そんな私の手をぎゅっと握る、暖かい感触。

 

 隣のミサキも、小さく頷く。

 

「……ありがとう、ヒヨリ。もう大丈夫」

 

 あぁ、今日は妹に甘えてばかりだ。

 

「──アツコ、いる?」

 

 意を決して、私は部屋の奥に呼びかけた。

 

「レンゲ? 無事で良かった……無事そうには見えないけど」

 

 奥の部屋からひょっこりと顔を出す紫色の髪の女の子。

 顔は煤で汚され、綺麗だった服もボロボロになっているけど、目立った怪我は無さそう。アリウスの部隊に突撃する前に見たアツコそのままだ。

 

 そして──。

 

「……そこで隠れてたらレンゲたちも安心できないよ、サッちゃん」

「ま、待って、まだ心の準備が……」

 

 アツコに部屋の奥から引っ張り出された、見慣れた黒髪の女の子。

 

「あぁ……!」

 

 そんな声にもならない声が私の口から漏れる。

 

 頭から血を流しててアツコに肩を貸してもらいながらも、しっかりと自分の足で立っている。

 

「──ははっ」

 

 その姿がなんだか今の自分と似ていて、それがなぜかとても可笑しく思えて、でも無事だった事に安心したのか全身の力が抜けて。

 

 目の前の光景に頭の中がぐちゃぐちゃになっている。

 これが現実なのか、狂った私の妄想なのかも分からなくなった。

 

 ヒヨリをゆっくりと押し退けると、先程まで頑なに離してくれなかったヒヨリも今は素直に私を自由にしてくれた。

 

 フラフラと、目の前の女の子に近づく。

 

「その、心配かけてごめんなさい……アツコを庇った時に上手く爆風を避け切れなかったみたいで──」

「うわぁぁぁぁ!」

 

 気がつけばサオリに抱きついていた。

 

 

 

 

 

 

「ぐふっ」

「うへっ」

 

 お互い重傷者同士、支え合えるはずもなく、そのままレンゲが押し倒す形で二人の少女は床に叩きつけられた。サオリを支えていたはずのアツコはいつの間にか逃げていた。

 

 鈍い痛みに顔を顰めるサオリ。

 

 そんなサオリの胸に顔を押し付け、レンゲは大粒の涙を流していた。

 

「良かった……! 無事で本当によかった……!」

 

 上擦った声で肩を震わせるレンゲ。

 困ったような笑みを浮かべ、そんなレンゲをサオリは強く抱き締める。

 

「ごめんね」

「謝るのは私だよ……! 私、サオリとアツコを守れなくて……」

「なんでレンゲが私たちを守らなきゃいけないの。今回は私が弱かっただけだから、むしろ謝るのは私の方だよ。ごめんね、いつもレンゲにばかり負担を掛けて、こんなになるまで戦わせて」

 

 顔を上げたレンゲの涙をそっと拭う。

 

「これからは私も強くなるから。一緒に家族を守れるぐらい、レンゲに負けないぐらいもっと強くなるから」

「一緒に……?」

「当たり前でしょ。だってミサキもヒヨリもアツコも、()()()の家族なんだから。レンゲ一人が頑張らなくてもいいの」

 

 レンゲを抱き締めながら、サオリは気づいた。

 凄まじいまでの戦闘能力に誤魔化されていたが、レンゲもまた彼女が守るべき家族一人なのだと。誰かが彼女を守らなければならない、と。

 たとえそれが、彼女よりずっと弱い自分であったとしても。

 

「今までありがとう、レンゲ」

「……うぁぁぁ!」

 

 今まで自身の中で巣食っていた感情を吐き出すように、レンゲは声を上げて泣いた。

 おバカで、強くて、頼れる相棒としてではなく。

 彼女たちと同じように『家族』に飢えていた一人の少女として。

 

「うわぁぁぁん!」

「ヒヨリも釣られて泣かないで……」

「もしかして、レンゲが言ってた『ミサキ』と『ヒヨリ』?」

 

 そんな二人の姉を見守る、三人の家族(いもうと)たち。

 

「私がミサキ、こっちの泣いてるのがヒヨリ」

「私はアツコ。二人の事はレンゲから聞いたよ。とても大切な妹だって」

「その姉二人がこんな様子だけど」

「ううん、大丈夫。『家族』ってあまりよく分からなかったけど……とても素敵なんだね」

「……さぁね」

 

 アツコの言葉に、ミサキは首を振った。

 『家族』がどういうものなのかはまだ分からない。姉二人との繋がりを自分が既に受け入れているのかも分からない。

 

 人は孤独に生まれ、孤独に生きて、孤独に死ぬ。

 

 今も変わらぬその言葉を胸の奥に秘めているが、彼女はその考えの意味を時々見失う事があった。

 

 本当に人は孤独なのだろうか。

 苦しみしかないこの世界に肉体という牢獄に閉じ込められる意味なんてあるのだろうか。

 

 サオリは意味なんて探せばいいと言った。

 

 少なくともミサキはその意味を見つけたとは思っていない。

 

 しかし、本気で家族のために身体を厭わず傷つき続ける姉二人の姿に、彼女とて思うところがないはずが無かった。

 

 不器用な彼女にそれを口にする能力は無いが。

 

「でもレンゲ姉さんを見つけた時、ミサキさんも『レンゲ姉さん』って呼んで──」

「うるさい」

「いひゃい!? いひゃいれすみひゃきしゃん!」

 

 何かをこぼしそうになったヒヨリの頬を無表情で引っ張るミサキ。

 心なしかその表情はほんのり赤く染まっているが、本人は自覚が無いようだ。

 姉たちを他所に戯れ始めた二人を見て、アツコは笑みを深めた。

 

 この『家族』を選んだのは、やはり間違いではなかった。

 

「『家族』ってとても暖かいんだね、サッちゃん」

 

 

 

 

 

 

 アツコを先頭に私たち五人はようやく潰れかけの空き家を出た。

 私はヒヨリに、サオリはミサキに支えられながら、ゆっくりと全身を続けている。私の大暴れとミサキの爆破のおかげで周囲にアリウス生徒の気配は無いけど、いつ増援が襲いかかってくるか分からない。

 

 私もサオリもこんな状態だと戦うのも儘ならない。

 いつにも増してゆっくりと、慎重に前を進む。怪我で動けないけど今だけはレンゲレーダーも全開で稼働させている。

 

「……っ!」

 

 なんだか横からサオリの視線を感じるけど、私はどうにかそれをスルーしようと周囲の警戒を続けている。顔が段々と熱くなってきているのが自分でも分かる。

 

 あんな、子供みたいにサオリに抱きついちゃって……恥ずかしくて死にそう……!

 

「そ、それにしてもアツコ! 『見せたい場所』って一体どこなの?」

 

 おそらく真っ赤になっているであろう自分の表情を誤魔化すように、私は上機嫌に鼻歌を歌いながら先頭を進むアツコに問いかけた。

 

 あのあと私たちは我が家に戻るつもりだったけど、アツコから「みんなに見せたい場所がある」と前を歩き始めた。

 早く帰らないと危ないとミサキは乗り気では無かったけど、よほど大切だったのかアツコの表情は真剣そのものだった。それが『家族』のやりたい事なら、私たちに拒否する理由は無い

 

 結果、今の私たちは建物の影や瓦礫の山、壊れた自動車などのいつものアリウスの町風景を利用しながら少しずつ自治区の奥へと進んでいる。

 

「それは……えへへ、見てからのお楽しみ」

 

 ルンルンと私たちに道案内するアツコの姿は、まるで悪戯を仕掛けようとしている子みたいで可愛い。この子はやることがいちいち可愛い。可愛いの擬人化か? お姉ちゃん本気で好きになっちゃうよ?

 

 しばらく歩き続けると、彼女は二つの崩落した建物を指差した。

 正確には、その二つの壁に挟まれた細長い路地を。

 

 薄暗くて奥が見えない、どこか不気味な場所。

 

 銃声と爆発音が日常音なアリウスでは珍しい、小鳥一匹の鳴き声すら聞こえないとても静かな空間だ。とてもお姫様が行くようなところとは思えない。

 

「まだアリウスの人たちにお世話して貰ってた時、よく抜け出してここに来てたの。全てを忘れて一人になれる、私の秘密の場所」

 

 路地裏へと進むアツコを私たちは追った。

 

 なんだかナニカ出てきそうな雰囲気だ……こういう場所が苦手なサオリは全力でミサキに抱きついてて、ミサキも苦しそう。

 その気持ち分かるよ。サオリはお化けを怖がる癖に私たちをお化けにしようとしてくるからね。

 

 同じく不安げに震えているヒヨリの手を握る。

 

「怖がりさんが多くて困っちゃうねミサキ……ミサキ?」

「い、今はちょっと話しかけないで。うぅ……狭いところ……

 

 ミサキの様子も少しおかしいけど、まぁサオリに抱きつかれて苦しいだけだろう。

 

「もう少しの辛抱だよ」

 

 アツコが正面を指差すと、路地の奥にかすかに光が見えた。

 

 あそこがアツコが嬉しそうに語っていた秘密の場所。

 

 心無しか歩くペースを上げたミサキの背を見つめながら、私たちはその光の中へと潜り──。

 

「──わぁ……」

 

 その光景に言葉を失った。

 

 大きさにして私たちが住む家の部屋一つ分程度。

 しかしその小さな空間が一面、沢山の花で覆われていた。色鮮やかに咲いている花は風に揺らされ、まるで初めて来た私たちを一礼で出迎えているようだ。

 

 コンクリートと瓦礫しか見たことが無い私たちが初めて見る、彩に溢れた世界。

 

 よく見れば奥にさらに多くの木々が生い茂っていて、小さな森が出来上がっている。そしてその境目を流れる静かな川。

 

 こんな小さな大自然のような空間がアリウスにあったなんて、想像もしていなかった。

 

「ここ、元々住んでた人が一部を開発せず自然をそのまま残していたみたい。この奥へ行くとカタコンベに出るから、ここがアリウスの先端ってことになる」

 

 アツコの解説が入るも、あまりの光景に私たちは相槌も打てない。

 あのミサキすら、言葉を失ったように口をパクパクさせている。

 

「ここは本当にアリウス自治区なのでしょうか……雑誌でも見たことが無いような場所が現実にあるなんて……」

「あはは……ごめん、私も言葉が見つからないや」

 

 今まで見てきたどんな景色よりも、どんな場所よりも綺麗で──。

 

「ミサキ……泣いてるの?」

「ッ! ち、違う、泣いてなんか……」

 

 目元を拭いながら、ミサキはそっぽを向いた。そうだね、私の見間違いだったよ。

 

「世界は広いでしょ? サッちゃん」

「うん、そうだね──」

 

 ミサキから離れ、自分の両足で立ったサオリは一言短く溢した。

 

「──世界はこんなにも綺麗だったんだね」

 

 サオリの言葉に、アツコも笑みを浮かべる。

 

「その通りッ!」

 

 そしてサオリのその言葉に、私ももう喜びを隠せない。

 抱えられていたヒヨリごとサオリに向かって飛びつくと、サオリとその隣に立っていたアツコが巻き込まれ、四人揃ってお花畑に転がる。

 

 お花のお布団に包まれながら、私たちは綺麗な青空を見上げた。

 

「ほら、みーちゃんもおいで!」

「だからみーちゃんって……はぁ」

 

 期待の眼差しで見つめる私たちについに折れたのか、ミサキも渋々と私たちの隣に寝転がった。

 

 家族五人、綺麗なお花に包まれながら雲ひとつない青空を見上げる。

 なかなか乙な時間だ。

 

「ねぇ、レンゲ」

「うん? どうしたのサオリ?」

「私たちがもっと大きくなったら、アリウス(ここ)を出よう。もっと世界を知りたい。良い……かな?」

 

 どこ不安げに聞いてくるサオリだけど、私の答えなんて決まっている。

 

 それが家族の願いなら、選択肢なんて一つしかない。

 

「もちろん! どこまでも着いていくよ、相棒!」

 

 目の前に寝転ぶ相棒に向かって、拳を掲げる。

 

 半ば予想していた答えだったのか呆れたような笑みを浮かべながらも、同じく拳を合わせてくれるサオリ。

 

「ありがとね、相棒」

 

 アツコが嬉しそうに笑い、ミサキが気づかれないように小さく笑い、ヒヨリが遠慮気味に笑った。

 

 私たち家族はこれからも一緒だ。

 

 たとえどんな場所へ行こうと、バラバラに別れてしまっても。

 

 たとえ血は繋がっていなくても、ただの身寄りのない子供の集まりでも。

 

 私たちが『家族』だという事実はずっと変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、変わらないはずだった。

 

 これからも五人で支え合って、まだ見ぬ世界の中できっと見つけられる幸せを目指して生きていくはずだった。

 

──()()()と出会うまでは。

 

いいえ、それはなりません

 

 この美しい花畑に相応しくない、この世の『悪』を集約した醜悪な声色が響く。

 

──この時から、私たち家族の運命は大きく歪められてしまった。

 

「ッ!?」

 

 顔の半分を扇子で隠し、頭部から幾つもの目を覗かせた異形。

 丁寧な口調に反してこちらを見下すような視線に、私は咄嗟に起き上がり銃を構えた。

 

「ロイヤルブラッドをお渡しください。さもなくば、全員の()()をここで終わらせて差し上げましょう」

 

──後悔してもしきれない。

 

 ここで引き金を引かなかったのも、一瞬でもこの女を信頼してしまったのも、()()の言葉を疑わなかったのも。

 

 

 

 結果、私の全てが目の前の異形──ベアトリーチェに狂わされるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 




公式の曇らせ大好き愉悦おばさんがついに登場。
次回からちょっと鬱展開的な要素が出てくるので苦手な方はご注意ください。でもこの小説はちゃんとハッピーエンドで終わらせます!

・レンゲ
実はメンタルよわよわ系主人公。やらかしやミスをいつまでも引きずるタイプ。身体能力以外クソ雑魚すぎないですかね…

・サオリ
イケメン幼女。男の子でも女の子でも間違いなく惚れてしまう。

・アツコ
アリウス唯一のロイヤルブラッドなのに一番アリウスらしくない。

・ミサキ
自分が信じてきた人生哲学を疑い始めている、そんな矢先にベアおば登場。

・ヒヨリ
愛を向ける人に対してはめっちゃ重そうという勝手な想像。泣きながら尽くしてくれそう。泣きじゃくるヒヨリのお腹をわしゃわしゃしてあげたいです。


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2章 〜アリウススクワッド〜
プロローグ


本当はアリウス入学まで何話か日常パートを挟む予定でしたがいい加減入学しないとタイトル詐欺と言われそうなのでカット


 

 

「あなた方がするべき事はただ一つ。ロイヤルブラッドをこちらへ引き渡し、大人しく投降する事です」

 

 多数のアリウス生徒を引き連れて現れた、この世のものとは思えない異形。その頭部から覗くいくつもの瞳に見下ろされた少女たちは恐怖のあまり立ち尽くしていた。

 

 ただ一人、拳銃を抜き銃口を向けたレンゲ以外は。

 

「とんだ珍客だね。宇宙人さんか何か?」

「強がりは結構。ですが銃口が震えているのは見間違いでしょうか?」

「ッ……気のせいじゃないかなぁ」

 

 しかし、彼女とて初めて相対する人外。

 同様に恐怖を感じないはずがなかった。

 

 銃口を向けるレンゲを見て、目の前の異形を守るように何人ものアリウス生徒が立ち塞がる。人間では無い何かを守ろうとする彼女たちが、レンゲにとっては酷く不気味に思てしまった。

 

──仮にも同じアリウス自治区の人間なのに、なぜこの怪物に付き従う?

 

 額から冷や汗を流しながら、レンゲは心の中で問いただす。

 ガスマスクのせいで表情すら見えないアリウス生徒たちの考えが、彼女には理解できない。苦し紛れに後方で佇む異形を精一杯睨みつけながら、銃を握る手をさらに強めた。

 

「オマエが噂に聞くマダムってワケね。手下を沢山連れちゃって、随分と偉そうだね」

「噂ならあなた程ではありませんよ? ()()()()()

「ッ!?」

 

 さも当たり前のように自分の名前を口にする異形に、レンゲは目を見開いた。

 

 アリウスの生徒には名乗った覚えはない。

 家族以外が自分の名前、ましてや苗字まで知っているなどあり得ない。

 

「あなただけではありません。錠前サオリ、戒野ミサキ、槌永ヒヨリ。この四人の噂は常々私の耳にも入っています」

 

 先程とは違う、得体の知れない恐怖が襲い掛かる。

 スラムに住む子供などアリウスでは珍しくない。少しスラムを歩き回れば道端に寝る子供の姿など嫌でも目にする事になる。そんな中、彼女は的確にレンゲたち四人の名前を言い当てたのだ。

 異様な見た目以上に、その事実が何よりも恐ろしかった。

 

「先程の戦いは見させて頂きました。錠前サオリの的確な指揮による奇襲、戒野ミサキと槌永ヒヨリの撹乱、そして荻野レンゲの殲滅。ロイヤルブラッド奪取まで、実に見事な流れでした。流石は()()()が見定めた神秘を持つ者たち、と言ったところでしょうか」

「何が言いたい?」

「……疑問に思った事はありませんか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 異形の言葉に、レンゲも息を呑んだ。

 

 考えたことなど、一度や二度ではない。アリウスに住む者なら誰もが一度は疑問に思ったほどだ。

 

 なぜ自分達ばかり苦しんでいるのだ?

 

「……確か、アリウスは元々別の学校と敵対してて、その敵対してた学校に負けたって聞いた気がする」

 

 ミサキの言葉に異形はゆっくりと頷いた。

 

「そう。かつてアリウスも陽の光の下に生きる歴とした学園の一つでした。しかしそれは、今はトリニティ総合学園と呼ばれる者たちの迫害により奪われてしまった」

 

 異形が語るアリウスの過去に全員が言葉を失った。

 曰く、トリニティ自治区には元々多数の学園が存在し、アリウスもその一つだった。しかし最大勢力の一角を担っていた三つの学園がトリニティの統一を目指し、やがて一つの巨大な連合を作り上げた。それが後のトリニティ総合学園。

 

 だが、それまで敵対していた勢力が素直に手を取り合うなどありえない。

 

 その統合に反対姿勢を見せたのが、アリウスだった。

 

「結果は見ての通り。アリウスは連合に敗れ、トリニティ自治区からも追放され、荒廃した地獄の中を生きる羽目になった。そう、全てはトリニティの身勝手な統合のせいで」

 

 これまで知る機会すらなかった、アリウスの真実。

 あまりにも残酷な過去に彼女たちの中で湧き上がった感情はただ一つ。

 

 怒り。

 

 アリウスがただただ貧しいだけの自治区だったのならまだ納得ができた。だが、この地獄を作り出した根源が存在するのなら話は別だ。

 

 サオリもまた、その事実を目の当たりにし歯を食いしばっていた。

 

「レンゲも、ミサキも、ヒヨリも……みんなの苦しみも全て……!」

「全ての原因はトリニティにあります」

 

 広げた扇子の内側で、人知れず異形は嗤った。

 

「私はそんなアリウスを救うためにここに立っています。荒廃し内戦を繰り返すこの自治区を生徒会長として治め、この悲劇の引き金を引いたトリニティへの復讐を手助けするために」

「復讐……?」

「錠前サオリ、あなたは憎くないのですか? 苦しみしか存在しないこの世界に自分たちを押し込んだトリニティが、今も光の下で暮らし続けるトリニティ総合学園が」

 

 煽るように畳み掛ける異形の言葉に、これまで静観を続けていた周囲のアリウス生徒も声を荒げる。

 

──憎い。

 

──復讐したい。

 

──報いを受けさせる。

 

 怨嗟の言葉が繰り返し彼女たちから発せられる。

 

 あまりにも濃密な人間の悪意に、ヒヨリは思わず小さく悲鳴を上げた。

 なぜ顔も名前も分からず特定の人物でもない者たち相手にこれほどの憎しみを向けられるのだろうか?

 

 恐れ慄くヒヨリを守るように抱き寄せ、ミサキは静かに首を振った。

 

 同じ立場でありながら、全員が彼女たちのように『家族』に恵まれているわけではない。むしろこの苦しみしかない世界を孤独に生きた人間がほとんどだ。

 

 そんな彼女たちにとって、異形の言葉はまさしく救いだった。

 

「私はアリウスの復讐の手助けをするつもりです。そしてそのためには、あなた方が奪ったロイヤルブラッドの存在が必要不可欠なのです。さぁ、ロイヤルブラッドをこちらへお渡し下さい。あなた達の復讐心もこの私──ベアトリーチェがお預かりしましょう」

 

 ベアトリーチェと名乗った異形が歩み寄り、サオリへ手を差し出した。

 

 あまりに甘美な誘い。

 

 この手を取ってアツコを渡せば、芽生えた彼女たちの復讐心を解消してくれるというのだ。理不尽な暴力に支配されたアリウスを救うと、ベアトリーチェは……()()()言っているのだ。

 

 いくつもの瞳が自身を見下ろしている。見定めるように、覗き込むようにベアトリーチェの異形な姿がサオリの前に来た。

 

 徐々に手を伸ばし始めるサオリ。

 

 その小さな手がベアトリーチェに触れる寸前。

 

「待って、サオリ」

 

 レンゲがサオリの手を掴んだ。

 

「……アツコが戻ったら、君たちは彼女に何をするつもりなのかな?」

「それを知る意味などありません」

「大有りだよ。君たちがアツコを傷つけるつもりなら、残念だけど私は抵抗させて貰うよ」

「その傷でこの人数相手に抵抗できるおつもりですか?」

「試してみる? 君たちも無事で済ませるつもりはないけど」

 

 銃を握るレンゲの手に力が込められる。

 血に塗れた手が視界に入り、先ほどまで()()()()()()()サオリはハッと我に帰った。

 

 彼女たちの要求の中にはアツコを渡すことが半ば必須条件となっている。実質アリウスの支配者となり兵力もほぼ全て手中に収めているはずのベアトリーチェが、幼い少女一人にここまで執着している理由はなんだ?

 

 アツコがアリウスの生徒に連れられていた時、彼女はまるで囚人のように枷が付けられていた。そして今までのベアトリーチェの言動からして、彼女はアツコが一人の子供である事をまるで考えていない。そんなアリウスがアツコを手に入れた時、彼女がどういう扱いを受けるかなど想像するまでもない。ましてやアツコは長年敵対していた勢力の姫なのだから。

 

 レンゲもそれに気付き、思考を放棄して手を取ろうとする自身を止めたのだろうか。

 

 普段はふざけていながらこういう時は察しの良い相棒に、サオリは内心苦笑する。

 

 殺気を発しているレンゲをサオリが「もう大丈夫」と宥め、サオリは改めてベアトリーチェと向き合った。

 

「あなたの目的にアツコは必要不可欠。でも、その目的は教えられない。この認識で合ってるかな?」

「…………」

「でも、アツコを傷つけるつもりなら、私たちはその手を取れない。だからあなたと取引がしたい」

「ほう?」

 

 『取引』という言葉にベアトリーチェは小さく眉を顰める。

 

「私がアツコの代わりになる。あなたの命令ならなんでも聞くし、なんだってやってみせる。だからアツコを……家族を見逃して欲しい」

「ふ、ふざけないでサオリ! 君一人を差し出すなんて、そんなのできるはずがない! それなら私だって!」

「レンゲまでいなくなったら誰が家族を守るの! 私一人だけで家族を助けられるなら考えるまでもない!」

「『一人で背負うな』って私に言ったのはどこのどいつだよ!」

「分からず屋!」

「頑固者!」

 

 目の前で口論を始める少女二人を尻目に、ベアトリーチェは興味深そうに腕を組んでいた。

 

 サオリの指揮能力とリーダーとしてのカリスマ性は子供ながらアリウス随一と言っても過言ではない。部隊を一つ任せられれば、彼女の指揮の下で大きな戦力として確立できる。

 それにこの様子ではおそらくレンゲも着いてくるだろう。彼女の身体能力と戦闘のセンスはキヴォトス全域を見渡しても一、二を争うほど高い。戦闘訓練を受けていない段階でこのレベルなら、磨けばあるいは……。

 

 何より、この二人はあの男が特筆するほど興味深い『神秘』を持っている。

 

 この二人の加入により手に入れられる戦力と、アツコを()()()()諦める事に対する影響を天秤に掛ける。

 

 彼女の計画に多少の遅れは生じるが、今となっては誤差の範囲に過ぎない。

 

「私は認めない……! サオリ一人を差し出して逃げるぐらいなら、今すぐこいつら全員差し違えてでも皆殺しにしてやる……!」

 

 荒い息を吐きながらベアトリーチェを睨みつけるレンゲに、サオリは思わず言葉を詰まらせてしまった。

 

 再び銃口を向けるレンゲに周囲のアリウス生徒たちもすぐさまマダムの前へ躍り出る。

 

「貴様……!」

「およしなさい。私は今、この者たちと話しているのです」

「ま、マダム? しかし──」

下がりなさい

「ひっ……! も、申し訳ございません……」

 

 たった一言ベアトリーチェから告げられたその言葉に、アリウス生徒たちは慌てて下がり始めた。

 

──これだとまるで飼い犬と主人だ……。

 

 つい最近まで凄惨な内戦を繰り広げていたはずのアリウス生徒たちの変貌ぶりに、サオリは思わず眉を顰めた。これほどまでにベアトリーチェはアリウスで圧倒的な『力』を掌握しているのだろうか。

 

「レンゲも落ち着いて! 今ここで争っても意味なんて──」

「だったら一人で行こうとしないでよ……もう、サオリがいないと私は……」

 

 生きていけない、と続く言葉を寸前で飲み込む。

 

「ベアトリーチェ……オマエもそれで良いでしょ? 私もサオリみたいに何だってしてあげるよ。どんな汚れ仕事だって完璧にこなして見せる。だから、私も一緒に連れていけ」

 

「……良いでしょう。ただし、任務一つ失敗すればこの取引は無いものと考えなさい。貴女たち二人を、アリウス分校は受け入れましょう」

 

 サオリの時とは比べ物にならないほど殺気立つアリウス生徒たちを見て、レンゲもまた負けじと睨みつけた。文句があるなら目の前の異形に言え、と目で語っている。

 

 そんなレンゲを宥めながら、サオリはベアトリーチェを見上げる。

 

「……あ、ありがとう……ございます」

 

 踵を返すベアトリーチェと共にサオリも立ち上がる。

 自身を睨みつけるレンゲの視線を必死に無視しながら、おぼつかない足取りでベアトリーチェの下へ──アリウスの下へ歩み寄る。

 

「──私も行く」

 

 しかし、そんな彼女にまたしても待ったを掛ける声。

 サオリもベアトリーチェも歩みを止め、その声を発した人物へ視線を向ける。

 

 件のロイヤルブラッド──アツコが力強い視線を二人へ向けていた。

 

「あ、アツコ……?」

「サオリたちが無理だったら結局私を捕まえに来るんでしょ? そして今度はミサキとヒヨリが傷つくかもしれない。それなら、初めからあなた達のところにいる」

「で、でも……」

「これで文句は無いよね、マダム」

 

 アツコの言葉にベアトリーチェは答えず、くつくつと嗤うだけ。

 答えはそれで十分だった。

 

「……勝手に決めないでよ」

 

 立て続けに家族がアリウスへと進む姿に、絞り出したような声でミサキは呟いた。

 

 二人の姉に始まり、今日出会ったばかりの新たな妹さえ、自分たちを守ろうと更なる『地獄』へ飛び込もうとしている。

 

 これではまるで、生贄に差し出されているようではないか。

 

「急に自分たちを犠牲にするみたいに言って……私たちを守るため? 私たちの気持ちも考えないでそんなこと言って欲しくなかった……」

「み、ミサキさん……」

「なんで一緒に来て欲しいって言ってくれないの……?」

 

 沈痛な面持ちで語るミサキに、ヒヨリも目に涙を浮かべる。

 それは紛れもなく、戒野ミサキという少女の本音だった。

 

 真っ直ぐ自身を見つめるミサキに、サオリはゆっくりと歩み寄る。

 

「もう……独りにしないでよ……!」

「ごめんね、ミサキ」

 

 そんなミサキを、サオリが優しく抱き締めた。

 

 結局は自分もレンゲと同じ間違いを犯してしまったと、内心苦笑した。

 サオリ一人がその身を犠牲にしても、残される者がいる。常に仏頂面で表情の変化が乏しいミサキでもこれほど自分を『家族』として見ていてくれたという事実に、心の中で小さな喜びすら浮かんだ。

 

 レンゲと二人で作った家族は、決して無駄ではなかった。

 

「一緒に来てくれる、ミサキ?」

「うん……」

 

 もはや聞くまでもない問いに、ミサキは頷いた。

 

 最後にミサキは、残るもう一人の家族と向き合った。

 

「ヒヨリ」

「えへへ……私にも聞いてくれるんですね」

 

 困ったような、なんとも言えない表情を浮かべているヒヨリ。

 

「姉さんたちが行くのなら、私はそれに従います。それに……」

 

 ヒヨリはチラリと、未だベアトリーチェへ銃口を向けたままのもう一人の姉を見やる。

 

「こんな私を拾ってくれたのはレンゲ姉さんですから。だから私は一番近くでレンゲ姉さんを支えたいです。えへへ……」

 

 ヒヨリの言葉に、サオリも静かに頷く。

 

「フフフ……良いでしょう。あなた達五人をアリウス分校は歓迎致します」

 

 ベアトリーチェもまたその光景を眺めながら、笑みを深めた。

 

 彼女の中では既にどのようにしてこの『家族』を()()するかが目まぐるしく交錯する。

 自身の思い描く『崇高』への道筋が確固たるものへと昇華し始めている。

 

──やはりアリウスは『素材』が尽きませんね。

 

 三日月のように口を歪めながら、彼女は嗤う。

 今でも自身に向けられたままの銃口から発せられている殺気を全身に浴びながら、彼女はその感覚の心地良さに目を細めた。

 

「本日よりあなた達は一つの部隊としてアリウス分校へ加入して頂きます」

 

 彼女の目指す崇高──その尖兵として、少女たちに告げる。

 

 

「これよりあなた達をアリウススクワッドと呼称します」

 

 

 この時、あまりにも残酷な運命が少女たちへ課せられた。

 

 

 

 

 





・レンゲ
レーダーがベアおばに対して危険信号を発している

・サオリ
家族を助けるのに無我夢中

・ミサキ
家族のせいで孤独への耐性がバキバキに破壊された。家族とか恋人にはドロドロに依存しそう

・ヒヨリ
レンゲ介護士1級

・アツコ
自分のせいで無関係の家族を巻き込んでしまった罪悪感が。でも作中で公言した通り四人は元々目をつけられていたためどの道時間の問題だった



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アリウス日和

仕事が忙しすぎて週一投稿しかできてない…ユウカ、仕事を手伝って…



 

 

 

「……んなぁ」

 

 朝、ジメジメとした空気と共に目を覚ます。

 固まった身体をほぐしながら一つ大きな背伸びをして、私は窓から外の景色を覗いた。変わり映えしないどんよりとした空に荒れた街並みは、まるで今の私の気分を表しているようだった。

 

 ベッドの脇に置いていた懐中時計が示す時間は午前六時。目覚まし時計なんていう文明の利器は存在しないものの、遅刻する度に殴られ続ければ自然とこの時間帯に起きられるようになっていた。

 

「未だに一人っていうのは慣れないなぁ……」

 

 ベッドから起き上がり部屋を見回し、思わず呟く。

 

 今この部屋を使っているのは私一人だ。

 正確には二人部屋なんだけど肝心のルームメイトは私が寝るまで部屋に戻らないし起きる前に部屋を出ているようで、顔合わせどころか名前すら知らない。唯一分かる事と言えば、部屋に落ちていた髪の毛を見る限り彼女は白髪だという事だけ。ベッドのシーツはきちんと畳まれているから几帳面な性格なのかもしれない。寝るためだけに帰ってきて起きたらすぐ出て行くなんてストイック過ぎないか。

 

 今までは固い床の上を家族と引っ付きながら毛布に包まっていたからか、こうしてベッドで一人というのは随分と違和感がある。

 

 稀にサッちゃんが全力で抱きついてきて永眠しそうになってたけど、今はそれすら恋しい。

 

「こうなったら謎のルームメイトを捕獲してベッドに引き摺り込むしかない……」

 

 壁に掛けていた黒いパーカーに袖を通しながら決意する。

 今日こそは謎のルームメイトの正体を暴く!

 

 毎回眠気に耐えられず寝落ちしちゃうけど。

 

「はぁ……人肌恋しい」

 

 沈んだ気持ちのまま、ドアを開けて部屋の外へ出る。

 一歩踏み出す度に木製の床が軋み、いつか崩れて下の階に落ちそうで怖い。でも、毎朝階段を降りて下に行く必要が無くなるから便利なのかもしれない。

 

 自分がいた2階から1階へ、そして1階から宿舎の外へ出る。

 

『おはようレンちゃん』

 

 未だ眠気でおぼつかない足取りで歩く私に気づいた一人の女の子が近づいてくる。()()()()()()()、手に持ったノートに文字を書き込んで私に見せたその女の子に、私も笑みを浮かべる。

 

「おはよ、姫ちゃん!」

 

 我慢しきれず、私はその女の子を力強く抱きしめた。

 あぁ……久しぶりの人肌……。

 

「ぬぉぉぉ寂しかったよぉぉぉ!」

 

 抱きついているせいで文字が書けないのか、アツコは優しく私の頭を撫でてくれている。

 もうアツコだけが癒し……アツコしか勝たん……。

 

「いや、昨日も会ったばかりでしょ」

「知ってるみーちゃん? ワンコにとって一晩は実質二日以上なんだよ?」

「レンゲはいつ犬になったの……後、みーちゃんって呼ばないで」

 

 ミサキから私たちに送られる冷ややかな視線。

 今日もみーちゃんは手厳しい。でもそれが可愛いね!

 

「おはようございます、レンゲ姉さん」

「おぉ、ヒヨリもあんな年中仏頂面のみーちゃんなんてほっといてこっちにおいで」

「えへへ……私なんかで良ければ」

 

 遠慮がちに、でもどこか羨ましそうにこちらを見つめているヒヨリにも手招きし、私とアツコの間に挟み込んで二人でぎゅっと抱き締めてあげる。ヒヨリサンドだ。

 

「えへへ、暖かいです……ここに来た時は不安でしたけど、こうして変わらず一緒にいられるなんて……うわぁぁぁん!」

 

 ミサキが年中仏頂面なところを否定しない辺り、ヒヨリも段々と強かになってきたのかもしれない。

 

 三人でわーきゃー言いながらおしくらまんじゅうしてる私たちを見て、ミサキは呆れたようにため息を吐いた。お前も引き摺り込むぞ。

 

「こんなところでも呑気なもんだね。まぁ、どこ行っても変わらないのがレンゲらしいって言えるけど」

「とか言いながら実は混ざりたい癖に〜。ほら、お姉さんたちが受け止めてあげるからバッチこい!」

「…………」

「いでででで! いひゃいってば!」

 

 アツコと二人並んで両腕を広げていたら、なぜか私だけほっぺをぐいーってやられる。理不尽だ。なんだかんだミサキもアツコには甘い。

 

「朝から騒がしいね……」

 

 家族とのスキンシップを満喫していたら、紙の束を抱えたサオリが戻ってきた。どうやら『大人』たちから今日の指示を受け取ってきたらしい。

 

 しかし、今日のサオリはなんだかいつもと見た目が違った。

 

「あれ、なんで帽子なんて被ってるの?」

 

 なぜか今日は黒色の帽子を目深に被っていた。

 カッコいい系のサオリだから似合ってるけど、唐突に被ってきたそれに思わず驚いてしまった。

 

「べ、別に……帽子ぐらい良いでしょ」

 

 顔を覗き込もうとすると露骨に顔を逸らされてしまった。

 でも残念だねサオリ、レンゲアイは誤魔化せないよ。

 

「うわ、凄いクマだけど大丈夫? ちゃんと寝てる?」

「……なんともないよ。昨日は少し寝付きが悪かっただけ」

 

 観念したサオリはようやく顔を上げてくれたけど、その目の下にはくっきりと濃い影が刻まれていた。

 明らかに大丈夫そうじゃない。

 

「えへへ、もしかして私と一緒じゃないから寝られなくなったとか?」

「なっ……そ、そんなわけないでしょ! 本当にただ寝付きが悪かっただけだってば!」

 

 まぁ、実際は参ってるのは私の方だけど。

 

「そんな珍しいサオリには……はい、笑って〜」

 

 懐に隠し持っていたそれをサオリへ向けると、パシャリと一瞬眩い光がどんよりした朝を彩る。写真の出来は……サオリがビックリしてる顔が収まっていてなかなか良い。

 

「ちょ、急になんなのさ!?」

「えへへ、この前の行軍訓練の時に拾ったの。なかなか良いでしょ? これでみんなの成長記録が取れるぜ」

 

 見せびらかすようにカメラを掲げると、サオリは呆れたように首を振った。このカメラウーマンレンちゃんの誕生に言葉も出ないようだ。

 

「はぁ……どうせ怒られて取り上げられるだけだよ」

「みーちゃんも笑って〜! お、良い感じに撮れてる! 見て、姫ちゃん」

「この……!」

「えぇい無駄な抵抗はよせ! これからみーちゃん成長記録を作るんだから!」

 

 どうやらミサキも私のカメラが気に入らないようで、一枚しか撮ってないのにすぐにそれを取り上げようとした。照れ屋さんなんだから。

 

 お遊びもそこそこに、サオリは「オホン」と声を正した。その眼差しは先程とは違い、鋭い。

 

 私もミサキとのじゃれあいを一旦やめ(ミサキはまだ私を睨んでるけど)、背筋を正してサオリへ向き直る。

 

「第八分隊、今日も行動開始する。戦闘訓練は任せたよ、()()()

「あい、了解だよ()()

 

 アリウススクワッド改め、アリウス分校第八分隊。

 そんな私たち五人の日常がまた始まった。

 

 

 

 

 

 

 あの日、ベアトリーチェ──マダムの手を取ってから、私たちは新設の『第八分隊』としてアリウス分校に迎え入れられた。サオリが隊長で私が副隊長。

 

 あの女のことだから即行で戦闘訓練をさせられると思ったけど、意外にも最初は読み書きを教わった。まぁ、文字が読めないと色々と不便だとマダムも思ったんだろうね。

 

 私たちの中で読み書きが出来なかったのは私、サオリ、ミサキの三人。アツコは元々お姫様だったから教わってみたいで、ヒヨリは雑誌を読むために独学で覚えたらしい。何気にヒヨリが凄い。

 

 読み書きの練習と戦闘訓練。環境にさえ目を瞑ればある意味では充実した毎日と言える。

 

 でも、そんな中で私は未だに納得できない点がある。

 

 一つは私だけ他のみんなと別部屋になった事。こればっかりは人数が奇数だからしょうがないけど。

 

 もう一つは今私の目の前にいる。

 

『レンちゃん、ここはどうすればいい?』

「えっと……ああ、ここはナイフを刺してきた相手の腕を躱して、そのまま関節を極めればいいよ。そうすればナイフも落とすから。避けるコツとしては相手の体全体を見ること。それだけ気をつければ銃弾だって避けられるよ」

『それはレンちゃんだけ』

 

 アツコから見せられたメモを辿々しくも読み取り、アドバイスを伝える。こんな難しい文章も読めるようになったし、もしかしたら私は天才なのかもしれない。

 

「ほら、実際にやってみた方が分かりやすいよ。ほら、こうやってナイフを避けて……おっけー、そこから後は私の腕の関節を極めれば……うん、それだと抱きついてるだけだから、ちゃんと関節を──もっと強くぎゅーって抱きついても駄目だから。てか可愛すぎかよふざけんな」

 

 おっといけない、私の関節を極めたつもりでぎゅっと抱きついてくるアツコが可愛すぎて思わず本音が漏れてしまった。これで顔が見えていたら完全にノックアウトされてたに違いない。

 

『難しいねレンちゃん』

 

 新たなメモを見せてくれるアツコに私も頷く。

 

 これが一番の不満点だ。

 マダムはアツコの身分を隠すために、アツコに常にマスクを被り声を出さないよう命じた。要するに筆談だけで会話しろという事だ。

 こういう事情もあってか、私とサオリとミサキは死ぬ気で読み書きを覚えている。

 

 アツコの可愛い顔が隠されるのは大変不本意だけど、アツコの「大丈夫」の一声で私たちは黙らされた。そこら辺はロイヤルブラッドにしか理解できない事情があるんだろう。

 

「姫ちゃんは優しすぎるからこういうの苦手そうだねぇ。もっとサオリみたいに冷酷で容赦なくやらないと。姫ちゃんは可愛いからあんなにおっかなくならなくていいけど──」

「へぇ、なら折角だしお手本を見せてあげる」

「ほわぁ!? 貴様はさっきまでミサキとヒヨリを虐めてたはず!? た、助けてアツコ──あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛!?」

 

 相変わらず一言多い私。

 そんな私を制裁するサオリ。

 それを見てクスクスと笑うアツコ。

 呆れたように首を振るミサキ。

 アワアワと見守る(けど助けてはくれない)ヒヨリ。

 

 アリウス分校に来てからでも変わらない部分があるというのは、私たちにとってはある意味で安心させてくれる点だった。

 

「おい、貴様ら! 何を騒いでいるッ!」

 

 でも、やはりここはあのアリウス分校。

 『安心』なんていう言葉とは程遠い場所だ。

 

 ()()から怒声が飛び、私たちは一斉に姿勢を正した。

 

 大股で歩いてきたその大人は整列する私たちを見て舌打ちを漏らす。随分と機嫌が悪いみたいだ。

 

「まぁ落ち着きなって。私たちはただ訓練してただけ──」

 

 その言葉を私は言い終わることは無かった。

 大人から飛んできた拳が頬に突き刺さり、気が付けば私は地面を転がっていた。銃弾に比べればなんてことないけど、それでも痛い。

 

「黙れ、第八分隊副隊長」

 

 せめて一言言ってから殴って欲しい。

 

 でも、私が殴られても他の家族は一言も発しない。いや、発せない。余計なことを言えば私みたいに殴られるから。

 誰か一人でも庇おうものなら全員が()()()()に送られてしまう。それだけは避けなくてはいけない。

 

 大人は最後に大きく舌打ちをすると、背を向けて去っていく。何しに来たんだお前は。

 

「いてて……まさかちょっと騒いだだけで殴られるなんて、よっぽど虫の居所が悪かったんだろうね」

 

 いつもなら訓練さえしていれば多少は騒いでも特にお咎めなしだったのに。まぁ、今日はたまたま機嫌が悪かったんだろう。あいつらの機嫌次第で殴られるこちらの身も考えて欲しい。

 

「だ、大丈夫ですかレンゲ姉さん……?」

「えへへ、あんなの猫パンチみたいなもんだよ。全然大丈夫」

 

 顔を殴られて若干フラつく私を支えてくれるヒヨリ。心配そうにこちらを覗き込んでいる彼女の頭をワシワシと撫でる。あんな奴の暴力なんて獣がじゃれついてきたとでも考えればいい。

 

「でも……大人たちが来る度にレンゲ姉さんが……」

「向こうはあまり良い印象を抱いてないんだろうね。まぁ、それはお互い様だけど」

 

 肩を竦めて「しょうがない」と苦笑を浮かべる。

 ここに来て分かったことだけど、アリウス分校は私に対して異様に厳しい。今みたいに理不尽とも言える理由で暴力が飛んでくるほどだ。

 

 でも、原因には心当たりがある。

 

 元々私の態度があまり良くないっていうのもあるけど、一番の原因は私が昔アリウスの生徒に喧嘩を売りまくってた事だろう。

 サオリと出会う前、荒れに荒れていた頃の私のほろ苦い過去。アリウス分校の生徒を重点的に狙って喧嘩してたせいで、当時のアリウス分校では私はちょっとした噂になっていたらしい。誰かが情報を漏らしたのか、その噂の主が私だと広まってしまった。

 教官役をやっている今の大人たちは全員元々はアリウス分校の生徒。当時の私の悪名だって知ってるだろう。

 

 その結果が今出ているという訳だ。

 

「でもこれでサオリたちは殴られないし良いじゃん」

「良くないッ! 前にも言ったでしょ、『私たち』で家族を守るって」

「ご、ごめん……」

 

 なんとなく漏らしてしまった言葉がサオリに一喝されてしまう。

 事実、大人連中は私を殴って満足するせいでサオリたちへはまだ魔の手が届いていない。サオリはそれをかなり気にしているようだけど、私からすれば家族に暴力が及ばないに越した事はない。サンドバッグが一人必要なら私以外に選択肢なんてない。

 

 家族を守れるなら自分なんてどうなってもいい

 

──なんて、気が付けばこんな思考に陥ってしまう。

 

 大人連中が私を目の敵にしてるのを好都合と思っている自分がいる。

 こればっかりは少しずつ直していくしかないけど、サオリに何回も怒られるのは堪える。

 

「姉さん」

 

 なおも食い下がろうとするサオリの肩に手を置き、ミサキは首を振った。たまにこうして庇ってくれるからミサキは可愛い。卑しい妹め。

 

「ほら、また訓練しておかないとあいつらに文句言われるよ!」

 

 なんだか不味い空気になってきたから、大袈裟に手を叩いてみんなの注意を逸らす。暗い雰囲気なんて私たちに似合わない。

 

 今度は相手を変え、ヒヨリと向き合う。格闘が一番苦手なのはヒヨリだし、一番重点的に鍛えないといけない。

 

「よーし、どこからでも掛かってくるがいい!」

「…………」

 

 あれ、なんか様子がおかしいよヒヨリ。

 なんか目が怖いんだけど……もしかして怒ってる? なんか言ってよ。

 

「えへへ……レンゲ姉さんが無茶をするなら無茶をできない状態にすれば……」

 

 物騒なことを言うんじゃない。

 

「うぉ!?」

 

 どこからでも来いと言った手前受け止めない訳には行かず、普段からは考えられない力強さで飛び込んできたヒヨリに思わず声を上げてしまった。

 

「な、なかなか良いタックルだね。ちゃんと腕も極められてるから私も全然動けないや。うん、おっけーだからもう離れていいよヒヨリ。おーい、ヒヨリさーん。あれ? 聴こえてないの? なんか段々と力が強くなってるんだけど──いでででで!? ストップ! ストップ!」

 

 急に近接最強にならないで欲しい!

 しかも関節を極められてるせいで下手に動けない……。

 

「サオリ! ミサキ! ヘルプ! あばばばばばば」

「良い薬だよ」

 

 サオリはそんな私を楽しそうに眺めてるし、ミサキなんか無視してる。さっきは庇ってくれたくせに。

 

「姫ちゃん!」

 

 こうなったら最後の希望、我らが末っ子のアツコしかいない。

 

 そんなアツコは(多分)ニッコリと微笑みながら、私に一枚のメモを差し出した。

 

『ごめんねレンちゃん』

 

 やっぱりこの世は虚しい。

 

 

 

 

 

「うぅ……関節外れるかと思った……」

「す、すみません! 私、気が付けばあんなことを……やっぱり私は皆さんにご迷惑ばかり掛ける夏の蚊のような存在です……」

「大丈夫大丈夫! 最後は正気に戻ってくれたでしょ?」

 

 無事?に朝の訓練を終えた私たちは宿舎に戻り、食堂で念願の朝ご飯を食べていた。なんだかんだマダムは朝と夜の計二食を私たちアリウスの生徒に与えてくれる。

 

 貰えるのはパンと缶詰一つでスラムにいた時とあまり変わらないけど、探す労力が必要ないから実質プラスとも言える。

 

 ただ、周りの他のアリウスの生徒を見ていると、全員が死んだ魚のような目で与えられたご飯を食べていた。吹けばそのまま飛んでいってしまいそうなほど弱々しく、儚い。この宿舎には私たちと同年代の子供しかいないはずなのに、全員がまるで疲れ切った老人のようだった。

 

「……私たちもいつかそうなるんだろうね」

 

 同じように周りを眺めていたミサキの呟きに、全員が口籠る。

 否定したいのに、ここに来てからの大人たちの理不尽な暴力を目の当たりにしていると言葉に詰まってしまう。

 

 でも、そんなこと絶対にさせない。

 今よりずっと強くなって、必ず皆一緒にこんなところなんて抜け出してみせる。

 

──もっと世界を見たい。

 

 あの日サオリが語った『夢』を叶えるために。

 

「──ひゃ!?」

 

 思考の海に囚われていると突然、食堂の扉が凄まじい勢いで開け放たれた。銃声のような音に思わず私も声を上げてしまう。

 

 何事だと入り口へ目を向けると、そこには一人の女の子が両手にパンと缶詰を持って立っていた。どうやら両手が塞がっているから入り口を無理矢理蹴り開けたらしい。随分とワイルドな人だ。

 

 自身に注がれる視線など気にすることなく、その女の子はズカズカと空いている席へ着き、一人パンを頬張り始めた。もはや作業のように食べ物を口へ運んでいた他の子供とは違い、彼女は文字通り貪るようにご飯を詰め込んでいる。乱れた短い白髪から覗く目がギラギラと光っていた。

 

「……あの子、顔がボコボコだ」

 

 ミサキの呟きの通り、アザだらけになって彼女の顔はあまりにも痛々しかった。きっと本来は可愛らしい女の子だったろうに、血が滲んだ包帯が乱雑に巻かれているせいでその全貌すら見えない。

 

 でも、その子の姿は他人とは思えなかった。

 

 なぜか感じる強い違和感と懐かしさ。彼女の姿をどこかで見た事があるような、そんな気分。でも、私の記憶の中にこんな子なんて──。

 

「あぁ、やっと分かった」

「どうしたの、レンゲ?」

 

 ストンと心の中でパズルのピースが嵌まった。

 苦笑しながら彼女を見つめる私にサオリは首を傾げている。

 

「──あの子、昔の私そっくりだ」

 

 今となっては記憶の片隅に置いておいた、サオリと出会う前のかつての私。

 

 見た目は全然違うしギラギラした感じはまるっきり正反対だけど、あの白髪の女の子はそんな当時の私の生写しのような雰囲気を纏っていた。

 

 自暴自棄で死のうとしていた、かつての私のように。

 

 

 

 

 




謎のルームメイト、一体誰なんだ…

・レンゲ
カメラウーマンレンちゃん。

・サオリ
この頃から帽子モードへ突入。

・ミサキ
毎日色んな意味で胃が痛い。

・ヒヨリ
思考が段々と危なくなってる。

・アツコ
姉妹の中で一番表情豊か。


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幻想の巡礼者

今回は短めです。
いわゆる『曇らせ』のタグをいい加減つけた方がいいのか悩む今日この頃。



 

 

「み、ミサキさん……どうすればいいのでしょうか……」

「……姉さんたちがいない以上、こっちで勝手にやるしかない」

 

 不安げに自身を見上げるヒヨリに、ミサキはため息を漏らす。

 これがサオリやレンゲなら気の利いた言葉の一つでも掛けられるだろうに、残念ながらミサキは自分に誰かを安心させられるような言葉が思い浮かぶほどの語彙力が無いと自覚している。

 

 「うわぁぁぁん!」といつものごとく泣き声を上げるヒヨリは一旦無視し、隣で同じく自身を見上げるアツコへと視線を向ける。仮面に隠された顔からは感情は読み取れない。

 

「姫もそれでいい?」

『大丈夫。今日はみーちゃんがリーダーだね』

「私には荷が重いけどね……後、みーちゃんって呼ばないで」

『でも可愛いよ』

「かわっ……!? そ、そういう問題じゃないから……」

 

 レンゲからは散々「みーちゃん可愛い!」と言われているのに、改めてアツコに言われるとこそばゆい。

 自身の顔が熱くなるのを務めて無視し、ミサキは再度大きくため息を吐いた。

 

 徐々に慣れてきた朝の訓練だが、いつも一番最初に来ているはずの姉の姿がなぜか見当たらない。直前までアツコと一緒にいたのを唐突に大人に呼び止められ、そのままどこかへと連れられてしまった。そのためアツコは珍しく一人で宿舎を後にする羽目になった。

 

 レンゲに関してはいつも一番最後に訓練場に来るものの、必ず訓練開始前には間に合っていた。それが定刻になっても姿を現さないのだから異常と言わざるを得ない。

 

 頼れる(レンゲは若干怪しいが)姉二人の失踪に、流石のミサキも不安を隠しきれない。

 

「とにかく、訓練を始めないと大人の方々に怒られますよね……でも、どうすればいいんでしょうか……」

 

 そんなのこっちが聞きたいとミサキは嘆きたかった。

 朝は近接戦闘の訓練がメインとなっているが、肝心の教官役の副隊長(レンゲ)は行方知らずで、この場にいるのは小動物にしか見えないお姫様となぜかレンゲ限定で猛獣になる図々しいスナイパー。

 

 あわあわとこちらを見つめるヒヨリと不思議そうに首を傾げているアツコを見て、ミサキは決意した。

 

「射撃でも練習しようか。少なくとも私たちが出来るのはこれぐらいだし。ヒヨリ、頼んだよ」

「わ、私ですかぁ!?」

 

 幸いにもヒヨリは天性の射撃スキルを持っているため教官役には困らない。

 

「うぅ……私なんかがお二人に何かを教えるなんて……もういっそ私が隊長になります……」

「自信があるのか無いのか……」

『頼もしい』

「頼もしいかな……?」

 

 時々アツコのセンスが分からなくなる。

 

 だが、なんだかんだやる気(?)を見せて銃を構えたヒヨリの背後から、小さな人影がこちらに向かってくるのが見えた。

 

 背中まで届く焦茶色の髪を揺らしながら走る少女は、この場にいる三人にとっては見慣れた顔。

 

『レンちゃんだ』

「ごめんごめん! えへへ、ちょっと寝坊しちゃって」

 

 ようやく姿を表したレンゲに心なしかアツコも嬉しそうにしている。やはり姉コンビのうち一人はいないと纏まりがないな、とミサキは改めて実感した。リーダーの役割は自分には似合わない。

 

「もしかしたらどこかに行ってしまったのかと……うわぁぁぁん!」

「ッ……! あ、あはは……そんな泣くほどじゃ無いでしょー? 私はどこにも行かないってば」

 

──この時、ミサキは小さな違和感を覚えた。

 

 いつも通り泣きながら自身に抱きつくヒヨリを受け止めた時、普段なら喜んで受け止めるはずのレンゲの顔が一瞬歪んだ気がした。しかしそれはほんの一瞬の事で、瞬きする間には既に普段の人懐っこい笑みを浮かべていた。

 

 果たしてこれは見間違いだったのか。

 

 だがそれ以外は彼女に特に変わった様子はなく、今もワシャワシャとヒヨリの頭を撫で回している。いつもと変わらない、ちょっと頭が残念なのになぜか頼れる姉だ。

 

「気のせい、かな。レンゲ、いい加減訓練を始めないとまた大人連中に殴られるよ」

「……そうだね。あれ、サオリは? てっきりもうとっくに来てるものだと思ったけど。もしかしてサッちゃんもついに寝坊助さんに?」

「いや、サオリ姉さんは大人たちと一緒にどこか行った。すぐ戻るとは言ってたけど」

「連れて行かれた? 一人で?」

 

 ミサキの言葉にレンゲの表情が険しくなる。どうやら副隊長のレンゲにすらサオリの行き先は伝えられていないらしい。

 

 レンゲの見慣れた人懐っこい笑みが一瞬にして能面のような無表情へと変わり、ミサキたちに緊張が走る。彼女が腰に下げているハンドガンの黒色の光沢が妖しく光り、今にも牙を剥きそうだった。

 

 だが、レンゲは一度大きく息を吸い、首を振った。

 

「……安心して、サオリならきっと大丈夫だよ。なんせ私たちのリーダーなんだから」

「……『安心して』って言ってるレンゲが一番安心してないみたいだけど」

 

 てっきり銃を片手にサオリを探しにアリウス自治区を暴れ回るのかと思ったミサキは、レンゲが矛を収めたのを見て思わず冷や汗を流した。以前なら確実にそれを実行していたはずだ。

 

 あの時のように怒りに我を忘れない辺り、この姉も成長しているのかもしれない。

 

「あはは……ごめんね、私すぐ顔に出ちゃうから。でも、きっと今後の予定とかについて大人連中に呼ばれただけだよ。すぐ戻ってくる。うん、絶対大丈夫……大丈夫だから……」

「…………」

 

 まるで自分に言い聞かせるように何度も呟くレンゲ。

 その様子を訝しげに見つめるミサキに気づく事もなく、彼女は再度大きく首を振り、元の笑顔を貼り付けた。

 

「さ、とりあえず射撃場に行こうか! ここに残ってても仕方が無いし、サオリもそのうち来るよ。いやー今日の教官役はヒヨリだから楽しみだなー! 宜しく頼むよ!」

「わっ、引っ張らないで下さい〜!?」

 

 そのままヒヨリを連れて射撃場へと向かうレンゲを見て、ミサキは眉を顰めた。

 

 やはり、明らかに様子がおかしい。

 

「レンゲの遅刻とサオリ姉さんが連れて行かれたのに何か関係があるのかも……姫はどう思う?」

 

 アツコにも意見を聞こうと振り向くと、アツコはまだレンゲの背中を見つめていた。表情が読み取れない仮面の奥から、見定めるように姉を見つめている。

 

「……姫?」

 

 もう一度声を掛けようとしたミサキへ、一枚のメモが差し出される。

 

 そこに書いてあった言葉を読んだ瞬間、ミサキは思わず息を呑んだ。

 

『レンちゃんの体にアザがあった』

 

 

 

 

 

 その日、サオリは朝の訓練に向かっていたところを呼び止められ、一人自治区の奥へと連れて行かれた。せめてアツコ達に一通り訓練内容を伝えようとする事すら聞き入れて貰えず、大人に連れられ奥へ奥へと進み続ける。

 

 そこかしこにガスマスクを装備した生徒たちが屯している。

 子供の自分とは違う、アリウスの正規の生徒だ。

 

 年上たちに囲まれて少なくない居心地の悪さを感じるも、肝心のアリウス生徒たちはまるでサオリの事を気にする様子が無い。それどころか存在すら認識されているか怪しい。

 

 ただ機械的にその日自分に振り分けられた役割を遂行するだけ。

 

 改めて見るアリウス生徒たちの実情に、サオリは一人冷や汗を流す。

 

──いつか私たちもこうなってしまうのだろうか。

 

「おい、遅れてるぞ。もっと早く歩け」

 

 前を歩く大人に急かされ、彼女は慌ててアリウス生徒たちから視線を外した。

 足に付けられた足枷を鳴らしながら、周りのアリウス生徒から逃げるように大人の背中を追う。

 

 やがてサオリの目の前に飛び込んできたのは、聳え立つ巨大な建造物。どこか教会のような見た目でありながら禍々しい空気を纏っていて、今にも自分を飲み込んでしまいそうな感覚が襲ってくる。他の建築物の例に漏れずこの建物も多くの部分が瓦礫と化しているが、それすらこの禍々しい雰囲気に拍車をかけていた。

 

 ここがアリウス分校の校舎。

 

 彼女たちの住む宿舎とは違う歴史ある建物に、サオリは既に圧倒されていた。

 

 そんなサオリなど眼中にない大人は迷うことなく扉を開け、サオリに中へ入るよう促す。内装も教会のように作られたこの校舎はかつて学舎としてはさぞ栄えていただろうに、今となっては武器の製造や物資の保管、生徒たちの宿舎程度にしか使われていない。

 

 『学校』なんて知らないサオリにとってはそれほど違和感は無いが。

 

 校舎へ入ってからもさらに深部へと連れられたサオリは、やがて一つの大きな扉の前までたどり着いた。荒れ果てた内装とは打って変わり真新しい木材で作られ塗装まで丁寧に施されている。

 

 本能的にサオリは「あぁ、()()がいる部屋だ」と理解した。

 

「マダム、例の子供です」

 

 二度のノックの後、扉越しに大人が伝える。

 そして答えを聞かぬまま、大人はサオリを残して一人歩き去ってしまった。

 

「え……?」

 

 まさか一人にされるとは思っていなかったサオリは思わず固まってしまう。

 

「……もしかして中に入れってこと?」

 

 この扉の反対側には間違いなくあの異形がいる。

 自分たち家族をこの世界に閉じ込めた、()()が。

 

「ッ……」

 

 意を決してサオリは大きく聳え立つ扉をゆっくりと開けた。

 

「待っていましたよ、錠前サオリ」

「マダム……」

 

 予想通り、部屋の中でサオリを出迎えたのは赤色の人外。

 広げられた扇子の奥からいくつもの瞳を覗かせながら、ベアトリーチェはサオリを見下ろしていた。

 その姿に思わずサオリは息を呑んだ。

 

「アリウス分校へ()()して既に1ヶ月。随分と大人しいようですね?」

「暴力で従わせておいてよく言う……! レンゲの噂を流したのも貴女でしょ……!」

「おや、新入生の素性の確認を怠らないのも生徒会長の役目ではなくて? あれほどの危険人物が入学してきたのなら教員に周知させるのは当然です」

「そのせいでレンゲがどれだけ大人たちから目の敵にされてると思って──」

「過去の行いは常にその人物に付き纏う。あの境遇も全て荻野レンゲ自身の『責任』ですよ。言うならば身から出た錆、あるいは自業自得とでも言いましょうか」

「ふざけないでッ! 私たちも……レンゲも……ただ必死に生きてただけだ!」

 

 キッと睨むサオリにも取り合う事なく、ベアトリーチェは肩をすくめた。

 

()()の貴女にはこの件に関する問答は無駄と見ました。本題へ入りましょう」

 

 広げていた扇子を畳み、全ての瞳がギョロリとサオリを睨みつける。

 

「アリウススクワッド。今でこそ『第八分隊』の形式を取っていますが、いずれはアリウス分校唯一の特殊部隊としての運用を計画しています」

「特殊部隊?」

「主に秘匿性の高い潜入任務や危険地帯への強襲任務。一般的なアリウスの生徒では遂行できない作戦をこなすのがスクワッドの役割です」

「つまり……その任務を完璧にこなせば、私たちは解放されるって事?」

「フフフ……ええ、その通りです。もっとも、貴女たち自身がアリウス分校を離れることを選べば、ですが」

「……何が言いたい?」

 

 揶揄うように口を三日月に歪めるベアトリーチェを、サオリは忌々しく睨み付けた。

 そもそも彼女たちがアリウス分校へ()()したのも、アツコを守るためだ。お役御免となれば彼女たちが残る理由など無い。それはベアトリーチェとて理解しているはずだ。

 

 なのに、目の前の異形は心底可笑しいと言わんばかりに嗤っている。

 

「貴女だって今も忘れられないのではなくて? 今までの苦しみが全てトリニティによってもたらされたものだと。貴女の中のトリニティに対する憎しみが消えたとは言わせません。私はそんな貴女たちに復讐の機会を与えられます」

「ッ……!」

 

 図星だった。

 ベアトリーチェに真実を伝えられたあの日から、サオリの中で渦巻く一つの感情が彼女の心を大きく蝕んでいた。

 

──今まで家族が味わってきた不幸は全て、トリニティに原因がある。

 

 顔も知らないトリニティを激しく憎悪してしまう自分がいる。

 だが、彼女はそのメラメラと燃え上がる憎しみの炎を必死に押さえつけていた。

 

「……トリニティなんて関係ない。全てが終わったら私たちは出て行く」

 

 一言だけ言い残し、サオリはベアトリーチェに背を向け部屋を後にした。これ以上ここに居ると彼女の中で何かが変わってしまいそうだった。

 

──復讐なんかより、私は家族を守りたい。

 

 相棒(レンゲ)と交わした約束がそんな彼女の心を繋ぎ止めてくれている。

 

 退出したサオリを見届け、ベアトリーチェもまた大きくため息を吐いた。

 

「まだ自らの運命を受け入れていないとは……やはり精神的支柱は荻野レンゲですか。全く……問題児が()()とは、厄介な」

 

 彼女が施している()()に真っ向から反発する生徒が、現時点では荻野レンゲを含め二人いた。どちらも彼女にとっては現状最も大きな悩みの種となっている。

 特に荻野レンゲに関してはサオリだけでなくあの『家族』全員に影響を与えている。

 

「早急に処分したいところですが……」

 

 だが、あの戦闘能力を手放すのが惜しい。

 低い耐久力を補うような高い身体能力に加え、こと『戦闘』に関しては多くの知識を一瞬にして吸収してしまうほどのセンス。

 

 荻野レンゲはアリウスの最高傑作になり得る。

 

「フフフ……これはどうやら『再教育』の必要がありそうですね」

 

 彼女の中で描いていた計画に修正を加える。

 思いの外あの家族の掌握するペースが遅いのなら、強硬手段に出る他ない。

 

 子供は黙って大人に搾取されるべき弱者。

 

 しかしそんな弱者の僅かな抵抗を踏み躙る時こそ、『大人』としての己を一番強く実感出来る。

 

「全ては崇高へ至るために……」

 

 そのためにも、危険分子は排除しなくてはならない。

 

 彼女の手に握られた端末に表示された二人の少女。

 人懐っこい笑みを浮かべた焦茶色の髪の少女と、感情が読み取れない無表情を浮かべた白髪の少女。

 

 どれほど抵抗を続けたところで、結局は大人に利用されるだけの子供に過ぎない。

 

 笑みを深めたベアトリーチェは、そのまま端末を停止させた。

 

 

 




ベア「お前、変わらんかったな」

3回ほど丸ごと書き直した今までで一番の難産。
GW中は投稿頻度を上げたいです。




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問題児

いつも沢山の感想や評価頂きありがとうございます。
お陰様で拙作もお気に入り1000を超えることができました。

これからもアリウススクワッドのみんなが幸せになれるよう主人公ちゃんには頑張って貰います。


 

 

 今日も変わらず訓練を終えて帰路につく私たち。

 ただひたすら実戦形式の組み手や射撃訓練を繰り返すだけの日々は流石に体に堪えるようで、特にサオリに関しては目の下の隈が日に日に濃くなっている。

 

 5人全員、フラフラとした足取りでアリウス自治区内を進んでいた。

 もうすでに日が暮れているせいか、周りに他のアリウスの生徒がいないのがせめてもの救いか。

 

「ふへへ……辛いですね、苦しいですね……ふへ、ふへへ、あはは……」

「ちゃんと真っ直ぐ歩かないと危ないよ。あと少しで帰れるから」

「どうして人生はこんなにも苦しいのでしょうか……えへへ、でも私には一緒に苦しんでくれるミサキさんがいますから……」

「……なんでヒヨリはこうなるといつも私に絡んでくるの?」

 

 後ろではミサキがぶっ壊れモードに入ったヒヨリに肩を貸しながら歩いている。

 肩を貸してるミサキを至近距離でガン見しながらにへらと笑ってるけど、口から出てくる言葉は中々に刺激的。妹二人のある意味微笑ましいやり取りに、疲労で気分が沈んでた私も自然と笑みを浮かべてしまう。

 

 ヒヨリがこうして壊れるのも今となってはお約束みたいなものだ。本当にヤバい時は一切喋らなくなるから、喋れる時のヒヨリはまだ余裕が残っている。だからかミサキもそれほど心配はしていないようで、呆れた表情でヒヨリを見つめていた。

 

『大丈夫? お水飲む?』

 

 反対側からアツコもヒヨリに肩を貸す。

 一番小柄で歳も下なのにヒヨリと比べるとまだまだ元気そうだった。お姫様でも意外とタフなのかもしれない。

 

「いえ、大丈夫ですよ姫ちゃん。いくら水を飲んでもこの苦しみは洗い流せませんから……」

『頑張って。シャワーで一緒に洗いっこすれば水に流せる』

「そ、そうですね……でも最近シャワーの時レンゲ姐さんの視線が怖いというか、こっちを睨んでくるというか……」

 

 それは最近色んなところが立派に成長し始めた自分に聞いてみるんだな。

 

 思わず隣のミサキにも視線を向けると目が合ったから、とりあえず頷いておいた。ミサキは呆れたようにため息を吐いているけど、お姉ちゃん知ってるよ。君だって持たざる者の一人だ。

 

 でも、アツコの言う通りみんなでシャワーを浴びる事が私たちにとって唯一安心できるひと時になっていた。大人の監視も無い、私たちだけの時間。

 

──だけど。

 

「……ふぅ」

 

 生憎と私には、ほんの僅かな時間すら許されないようだ。

 

 妹たちの微笑ましいやり取りを他所に、私は最後方で気難しそうな表情を浮かべているサオリに歩み寄った。

 

「……? どうしたの、レンゲ?」

 

 不思議そうに首を傾げるサオリに、私は努めて普段通りに笑みを浮かべながら告げた。

 

「ごめん! ちょっと訓練場で忘れ物しちゃった。探すのにちょっと時間かかりそうだから、先にみんなでシャワー浴びちゃってて!」

「わ、忘れ物……? どうせならみんなで探そうよ。その方が早く見つかるだろうし、別にレンゲ一人じゃなくても──」

「いや、今からじゃ時間も遅くなる。私だけなら見つからず部屋に戻れるから大人の奴らに怒られる心配も無いし。それに、もうサオリも限界でしょ?」

「ッ……!」

 

 そっとサオリの頬に手を当て、隈が色濃く刻まれた目の下を優しく撫でた。図星だったのか、サオリは小さく眉を顰めながら言葉を詰まらせた。

 

「今日はゆっくり休んで、早く元気になって。そんな痛々しい隈ができてたらサオリの可愛い顔が台無しだよ? まぁ、サオリは今でも十分可愛いけど!」

「……はぁ。絶対早く帰ってきてね。私もアツコも待ってるから」

「ダメ。良い子は寝る時間だよ」

「まるでレンゲは良い子じゃないみたいな言い方だね」

「あはは……私は問題児らしいからね。少しは夜更かししても大丈夫だよ。じゃ、アツコたちは頼んだよ」

 

 最後にサオリの頭をわしゃわしゃと撫でると、私はサオリたちとは反対方向へと進み始めた。背中越しにサオリがアツコたちに事情を説明しているのが聞こえてきて、決して小さくない罪悪感が心に浮かぶ。

 

 ごめんね、サオリ。

 でもこればっかりは()()()()だから、できれば許して欲しい。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私はその大人と共にアリウス自治区のさらに奥へと進んだ。

 

 

 

 

 虫の鳴き声すら聞こえない夜のアリウス自治区。

 住民のほとんどが寝静まっている中、とある宿舎の一室でその女は拳を振り上げていた。

 

 地面に横たわる小柄な人影の胸ぐらを掴んで無理やり立たせ、何度も拳を振り下ろす。華奢な体に拳が叩きつけられる度に感じる骨が軋む音と少女の呻き声が彼女の中の嗜虐心を刺激し、女はさらに笑みを深めた。

 

 体から手を離すと、目の前の少女は血の混じった咳を零しながらその場に座り込んだ。

 受け身すら取れないまま剥き出しのコンクリートの地面へ横たわる少女を、女は口元を歪ませながら見下ろす。

 

「うぅ……」

 

 窓の一つも無い薄暗い一室。本来扉があるべき場所には鉄格子が打ち付けられ、それはまるで囚人を閉じ込める牢獄のような空間だった。

 

「(牢獄もあながち間違いではないがな)」

 

 倒れ込んだ少女の体を踏みつけながら、女は改めてこの部屋とも呼べない場所を見渡した。

 コンクリートが剥き出しになった大きな部屋に置かれたいくつもの檻。そのうちの一つに彼女たちは入っていた。正確に言えば入れられていたのは少女の方で、女の方は少女と『面会』しに来ただけだが。

 

 苦痛に顔を歪ませる少女──荻野レンゲを見下ろし、彼女はこの()()を与えてくれたマダムに心の中で感謝を述べる。

 

『荻野レンゲが反抗的態度を見せている。指導を行え』

 

 それがマダムからの伝令。

 

 アリウスで『指導』が何を指しているかなど、ここに住む者なら考えるまでもない。

 

 殺してはいけない。

 たとえその対象が問題児であろうと、マダムが見定めた戦力をわざわざ削る意味などない。

 アリウスでは『殺し』の技術を文字通り叩き込まれる。如何にして相手のヘイローを破壊し命を奪うかに関しては、どの自治区よりも圧倒的に長けている。

 しかしそれは逆に、()()()()()()()()()()()()()に関しても感覚レベルで把握できていることを意味する。今も追撃すれば流石に危ないと感じた女は、こうしてレンゲに休む時間を与えている。

 

 それとは別に、このままレンゲのヘイローを破壊したい衝動に自分が駆られているのを女は自覚していた。

 

 荻野レンゲの噂は彼女も予てより先輩の幹部から聞いていた。

 

 曰く、かつて彼女たちが大人ではなくまだアリウスの生徒だった頃、一人の子供がまるで通り魔のごとくアリウス生徒を襲っていた。

 曰く、相手は子供のはずなのに仲間が次々と餌食になった。

 曰く、子供とは思えないほど冷酷な人物だった。

 

 半ば都市伝説のような存在になっていたその子供がマダムに連れられ入学した荻野レンゲその人だという事実は、自治区内で広まるのに時間は掛からなかった。

 

 正直に言えば、その女はレンゲに対して特に憎悪など抱いていなかった。自分がアリウスの生徒だった時はその通り魔の被害も特に受けず、あれほど先輩たちがこの少女を憎悪している理由もよく理解出来なかった。生徒から幹部へと変わった時もそれは変わらない。

 

 だが、レンゲを一目見た瞬間、彼女はレンゲに対して凄まじい嫌悪感を抱いた。

 

 あまりにも希望に満ちた瞳。

 希望も未来も無いはずのアリウスの中にいてもなお失っていない輝き。

 

 最初はその輝きもすぐに消えるものだと思っていた。

 一週間もすれば自分たちのように、トリニティへの復讐心のみを携えた、暗く淀んだ瞳へと姿を変えるはずだった。

 

 だが変わらなかった。

 

 一週間、二週間、一ヶ月。

 

 どれほど時間が経っても少女の輝きは失われることはなかった。

 

 ふざけるな。

 そんな目はアリウスに相応しくない。

 

 お前も私たちと同じになれ

 

 自分でも驚くほどの黒い感情が自分の中に渦巻いていた。

 

 だからマダムからこの指令が下された時、彼女は心の中で狂喜乱舞した。

 

 ついにあの光を、自分の手で穢すことができる。

 

「立て」

「うぐっ……!」

 

 再度胸ぐらを掴み、小柄な体を背後の壁に叩きつける。

 

 希望に満ちたはずの彼女の瞳には、今は確かな恐怖が宿っている。

 

 だが、まだ足りない。

 まだまだこの光を曇らせたい。

 

 全ては虚しいだけだ。

 それを身を持って実感させなければ。

 

 彼女と相対した当初、女は激しく抵抗される事を予想していた。先輩たちから聞く噂が本当なら、荻野レンゲはきっと悪鬼のような人間なのだろうと。いくら彼女がアリウス分校所属になったとはいえ、このような『指導』に反抗しないとは思えない。

 

 だが、そんな心配もマダムから伝えられたたった一言で杞憂に終わった。

 

──少しでも抵抗すれば、お前の大好きな家族もどうなるか分からないぞ。

 

 くだらない家族ごっこに興じている荻野レンゲ相手だからこそ通じる言葉。

 

 このたった一言で、最初こそ反抗の素振りを見せていた少女も一瞬にして顔を真っ青に変え、完全に機能停止へと追い込まれた。

 

 この惨状を見た女は、噂に聞く問題児とはかけ離れた姿を嘲笑った。

 

「まぁ、元はと言えばお前が昔ヤンチャしてたからだがな。こうなる事は仕方ないとは思わないか?」

「ッ……」

 

 もう一度拳を振り上げる女だが、背後から肩を叩かれる。

 折角楽しんでいたのに、と不満を隠そうともせず後ろを振り向くと、そこには見張りを頼んでいたアリウスの生徒が佇んでいた。ガスマスク越しに見える表情はアリウスらしく、どす黒く濁っている。

 彼女が来たと言うことは、()()()の時間らしい。

 

「はぁ……時間か」

「……?」

 

 唐突にそう呟いた女に、それまでただ無抵抗に耐えていたレンゲは首を傾げた。

 

 彼女の長すぎる夜が漸く終わりを告げるのだろうか。

 

 だが、そんな彼女の仄かな期待は早々に裏切られる事になった。

 

「夜も遅い。お前もそろそろ寝ないと、なッ!」

「かはっ……!?」

 

 女の両手がレンゲのか細い首を掴み、小柄な体が壁に叩きつけられた。

 

「ぁ……やめ……て……」

 

 女の腕を引き剥がそうと腕を掴むも、繰り返された『教育』によりその抵抗はあまりに弱々しく、それは却って女の嗜虐心を刺激するだけだった。

 徐々に目が虚ろに変わるレンゲを見つめながら、女はこれまでにないほど笑みを深める。

 

──もっと強く。もっと……もっとッ!

 

「おい、そこまでにしろ。それ以上はそいつ、本当に死ぬぞ?」

 

 抵抗を続けていたレンゲの両手が落ちると同時に、檻の外から気だるげな声が響いた。

 『反省部屋』の監視を任された同僚の声にようやく女は我に帰ったのか、慌ててレンゲの首から両手を離した。

 

「ッ!? けほッ! けほッ! うぅ……」

 

 受け身すら取れないまま地面に倒れ咳き込むレンゲを眺めながら、女は肩を竦めた。

 

「別に殺すつもりなんてない。楽しむぐらい良いだろ?」

「どうだか。私が止めなきゃ、お前あのままヘイローが壊れるまで離さなかっただろ」

「それこそ心外だな。私はマダムの指令を間違えたりなんてしない」

 

 食ってかかるその同僚を睨み付けながらも、女は晴れ晴れとした気分で横たわるレンゲを見下ろしていた。惜しいのは()()()()のせいでもう彼女に今回のような機会が訪れない事か。

 

 Vanitas vanitatum。

 

 この一連の指導を終えれば、荻野レンゲも……()()()()()()()も身に染みて理解するだろう。

 

 救いなどない。

 

 どこまで行こうと、全てはただ虚しい。

 

 

 

 

 

 

「けほっ……首の骨折れるかと思った……あいつヤバすぎでしょ……」

 

 アリウスの大人がいなくなったのを確認してから、ようやく口を開く。

 

 今夜の記憶がただの悪夢ならどれだけ良かっただろうか。

 でも身体中に走る激痛がそれを否定している。

 

「痛いなぁ……あの人容赦無しかよ……変態ドS女め……」

 

 私を殴る度に笑ってたあの大人の顔が浮かぶ度に腹が立つ。

 

 サオリが私をイジメる時もたまに笑ってるけど、あいつのそれとは全然違う。それにサオリのはただのじゃれつきの延長だし私も満更じゃないから良いけど、あの女はガチだ。絶対私をボコボコにするのを愉しんでた。性癖は人それぞれだけど、私で発散するのはやめて欲しい。

 

「サオリたちは大丈夫かな……」

 

 あいつは私が抵抗しない限り家族には何もしないと言っていた。

 約束を守ってくれるかは分からないけど、少なくとも反抗すれば100パーセント家族に手を出されるなら、残念ながら私は何もできない。

 

「これ全部私のせいだし……」

 

 昔の自分のやらかしのせいで今の自分の首を絞める事になるなんてね。文字通り。

 

 ただ、私のせいで家族が傷つくのだけは絶対に嫌だ。考えるだけで死にたくなる。

 

 これならもうちょっと良い子にしてれば良かったなぁ……。

 

「お、目を覚ましたか。随分と派手にやられたな」

「うぉ、誰!? いてて……」

「慌てるな。相変わらず騒がしい奴だ」

 

 随分と気さくに掛けられた声に、私は思わず後ろを振り返った。ついでに早く振り返りすぎて体に「やめろ」と文句を言われた。

 

「あ、脇見運転さん。久しぶりー」

「いつまでそのネタ擦るんだよ。私だって運転上手くなってるんだぞ」

「ならちゃんと今日まで無事故に終わった?」

「……ここは反省部屋だ。私語は慎め」

「自分から声かけてきたのに!?」

 

 私が入れられていた牢屋の目の前に置かれた机に座っている一人の人物。

 それはアリウスとの喧嘩を繰り返しているうちになぜか顔見知りになってしまった、いつかの脇見運転事故お姉さんだった。なぜかいつものアリウスのガスマスクは着けていないけど。

 

「部隊長さんにまでなったのに、今はただの看守さんなの?」

「もう私はアリウスの生徒じゃないよ」

「え!?」

 

 その言葉に私は目を見開いた。

 

 もしかしてこの人、ついに危険運転が仇になって退学になったのか。

 

「おい、お前が考えてることなんて分かるぞ。私は退学になったわけじゃないからな。卒業だよ」

「あ、そうなんだ……卒業ってなに?」

「はぁ……スラム出身だし知らないのも無理はないか」

 

 首を傾げる私に大きなため息を吐くと、彼女は割と親切に教えてくれた。

 元々三年生だった彼女は3月にアリウス分校を卒業し、幹部になったらしい(月日の概念はアリウスに来てから知ったからあまりイメージできないけど)。

 

 まぁ、幹部とは言ってもピンキリで、彼女みたいな新入りの幹部は実質下っ端のようなものらしい。だから今もこうして看守みたいな雑用もさせられていると。

 

「へぇ、君らアリウスにも色々あるんだね」

「他人事かよ。お前ももう私たちと同じアリウス分校なんだぞ。未だに信じられないが」

「えへへ、結構割とそれなりに凄く不本意かもしれないと思うけどね」

「めちゃくちゃ不本意そうだな」

 

 未だ激痛がマラソンのように走り続ける身体を引きずり、なんとか後ろの壁へ寄り掛かる。これで大分マシになった気がする。

 

「お前も会う度にボロボロになってるな」

「お陰様でね。昔の君といいさっきの変態ドS女といい、アリウスの連中は私の首絞めるの好きなの? 苦しいの嫌いなんだけど」

「いや、私に言われても分からないよ……強いて言うなら生捕りに便利だから、とかか?」

「その割にはあの時の君は私を思いっきり殺そうとしてたけど」

「あれはお前が散々私を煽ったからだろ」

「え、そうだっけ?」

「こいつ、天然の煽りカスだったのか……」

 

 なんかよく分からないことを言ってる脇見運転の人は一旦無視し、とりあえず自分の身体の状態を確かめる。

 

 幸いなのか自分が無意識にそうなるようにしていたのか、顔はあまり殴られなかった。顔だとサオリたちに隠すのが大変だから、これは助かる。

 その代わり手足とかお腹は凄い事になってそうだけど、ここらへんは長いズボンとか普段着てるパーカーで誤魔化せる。

 シャワーの時間も少しずらさないと一発で痣とかバレちゃう。みんなで洗いっこできて楽しいけど……背に腹はかえられない。サオリとヒヨリの色んな意味での成長具合に落ち込む事も無くなるって考えよう。後は私が痛みを我慢すればバレる心配はない。

 

「……お前、この事は仲間には黙ってるつもりか?」

「仲間じゃなくて『家族』ですよー。話す理由も無いし、別にいいかな」

「相変わらず歪んでるな。ここまで変わらずにいるのは逆に安心できるよ」

「やめてよ、褒めてもオススメの缶詰しか教えられないよ?」

「フ、そうだな。ある意味褒めてるかもしれないな、これは」

「お姉さんに褒められるなんて……こんな珍しい光景はこうだ!」

 

 ポケットに入れていたカメラを取り出し、目を丸くして驚いているお姉さんをパシャリと一枚。なかなか珍しい表情が撮れて、良い写真だ。

 

「うわ、お前いつの間にカメラなんて……」

「ずっとポケットの中に入れてたよ? あの人が私をボコボコにするのに夢中で気づかなかっただけで」

「はぁ……私じゃなかったら取り上げられてもっとボコボコにされてたぞ?」

「大丈夫大丈夫。私とお姉さんの仲だから」

「殺し合った仲か?」

「悪縁も縁のうちってね」

 

 今までカメラで撮った写真を見返してみる。

 大半が家族の写真で、一部が風景とかそこら辺に落ちてた面白いものが保存されている。我ながら統一感があまり無い。

 でも、この写真はいつか実際に紙として印刷とかはできるのかな?

 やり方が分かれば是非とも印刷したい写真が何枚かあるんだけど……少なくともアリウスなんかじゃできなさそうだ。

 

 そのままお姉さんと他愛もない世間話みたいな事を続けていると、大きな物音と共に反省部屋の扉が開かれた。

 ついに私もお勤めが終わりなのかと期待するも、入ってきたアリウス生徒たちは脇に私ぐらいの小さな子供を抱えていた。どうやら囚人をもう一人入れに来ただけらしい。

 

 私の真正面の牢屋の鍵を開けると、その生徒は子供を放り投げるように牢屋へと入れた。もうちょっと丁寧に入れてあげてもいいのに。

 そのまま私には一度も視線を向けることもなく、アリウス生徒たちは部屋を出ていった。おしゃべりも無しなんて、相変わらずつまらない連中だ。

 

「はぁ……もう一人の問題児もお出ましか……」

 

 お姉さんは新入りの子供を見た瞬間深いため息を吐いていたから、どうやらこの子のことを知っているらしい。

 

 肩に掛かる程度に切り揃えられた薄汚れた白髪に、同じく汚れが目立つ白色の翼。きっと本来は綺麗な純白のはずだろうに、私と同じく()()を受けたのか、今はボロボロにされている。

 

「わぁ、君も随分と派手にやられたねー。大丈夫?」

「…………」

 

 試しに声を掛けてみるも、その子は背を向けたまま横たわっていて微動だにしていない。

 

「無駄な抵抗はやめろー。ヘイロー消えてないから起きてるのはバレてるぞー。ねぇ、お喋りしようよー! もうこの脇見運転お姉さんとお喋りするの飽きたの」

「おい」

 

 お姉さんから睨まれるも、やっぱり色んな人とお喋りする方が楽しい。この子とはおそらく初対面だし。

 

「おーい! 天使ちゃーん! あ、ちなみに天使ちゃんって呼んでるのは天使みたいな真っ白な翼を持ってるからだよ」

「…………ッ」

「天使ちゃーん! エンジェルさーん!」

「──うるさい!」

 

 根負けしたのか漸くその女の子は振り向いてくれた。

 アザや血の跡が痛々しく残る顔はそれでも見ただけで可愛らしいと分かる。こちらを睨みつけてくる鋭い瞳はどこか刺々しくてギラギラしているけど、その瞳の奥に僅かに見える優しさを隠しきれていない。きっと根はとても良い子なのだろう。

 

 私と同じ黒い服の上から黒いパーカーを着ているから、この子も同じくアリウス所属の子供。

 

「お、やっと振り向いてくれた。さて、早速お喋りでも──」

「アリウスの生徒と馴れ合うつもりはない。私には構わないで」

「いや、君もアリウス所属だと思うけど……あ、ちょっと! こっち向いてよー!」

 

 短く私にそう告げた天使ちゃんはそのまま再び私に背を向けた。

 くっ、これはなかなか手強そうな相手だ……!

 

「やめとけクソガキ。あいつはいつもああなんだ」

「え?」

 

 もう一度声を掛けようとすると、お姉さんが呆れたように首を振りながら肩をすくめた。

 

「あいつは誰とも交流を持たないし、会う奴全員に敵意を振り撒いてる、お前とは違うベクトルの問題児だ。アリウスの幹部たちにも反抗的だってよく殴られてここに連れて来られてるよ」

 

 食堂で見かけた時と同じだ。

 

 死んだ魚のような目しかしていないアリウスの子供たちの中で、ただ一人生命力に溢れていた子だ。あの時はまだ半信半疑だけど、お姉さんの話を聞いた今確信した。

 

 あれは自暴自棄になった人の目だ。

 

 かつての自分そのままで、思わず苦笑してしまう。

 

「ねぇ、君。名前教えてくれないかな?」

「…………」

「このままじゃずっと天使ちゃんって呼ぶ事になるよ。そしたら食堂とか訓練中に見かけたら『うおおおおお天使ちゃーん!』ってめっちゃハイテンションで声かけるよ」

「……白洲(しらす)アズサ」

 

 流石に全力の天使ちゃん呼びは恥ずかしかったのか、渋々といった感じでアズサは私に自分の名前を教えてくれた。なんというか、今の私って凄くめんどくさそうな子になってるかもしれない。

 

 でも、この子だけはどうしても放っておけない自分がいる。

 

 かつての私とあまりに重なりすぎて、彼女が私と同じ失敗をやらかしそうで。初対面でお節介かもしれないけど、どうしても構わずにいられない。

 

「アズサ、君がどうしてアリウスを目の敵にしてるかはあまり分からないし、初対面の私になんか話そうとは思わないだろうけど……」

 

 それでもあくまで、彼女の方から歩み寄ってくれるまで気長に待つ。

 ミサキの時みたいに。

 

「気が向いたらお喋りしようね?」

「…………」

 

 アズサは何も答えない。

 

「ふぁぁぁぁ、なんだか眠くなってきちゃった」

「そんな牢屋の中でよく寝ようと思えるな」

「暇だししょうがないじゃん。あー、身体もあちこち痛いし、明日の訓練行きたくないなぁ……」

「行かなかったらまたここに戻ってくるだけだぞ」

「その時はお姉さんがお喋り相手になってくれるんでしょ?」

「あのなぁ……本当なら反省部屋(ここ)はアリウス生徒全員が恐れる場所なんだぞ? 私みたいな奴が毎回看守だと思うな」

「ま、その時はその時って事で。おやすみ〜」

 

 お姉さんに呆れたような視線を背に受けながら、私は硬い牢屋の中で寝転んだ。身体中が痛いけど、それ以上に眠気が襲ってきた。どうやら思った以上に体力が限界だったらしい。

 

──明日の訓練はサオリたちにバレないといいなぁ……。

 

 そんな他人事のようなことを考えながら、私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前に何が分かる……!」

 

 

 

 

 

 

 




流石にもう付けないとまずいと思ったので、曇らせタグを追加しました。

ですがあくまでこの小説はハッピーエンドを目指します。
かわいそうなのは抜けない。


・レンゲ
一番怖いのは自分のせいで家族が傷ついてしまうこと。お気楽な性格がアリウスではマイナス方向で目立ってしまう。

・アズサ
全方位に敵意マシマシの頃。原作でもスクワッドには最後まで心を開かなかったらしい。

・脇見運転ネキ
適度なルーズさを覚えた。真面目ちゃんだった生徒時代の反動でだらしなくなってる。


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お節介は受けるもの

投稿が大変遅れてしまい申し訳ございません。

数年ぶりの重い風邪を喰らって死んでいましたが、ユウカの献身的な看病でなんとか復活しました。



 

 

 

 今日も今日とて訓練日和〜……とまでは行かず、相変わらず空はネズミのように薄暗い雲が覆っていた。

 ここ最近悪天候が続いていて、屋外訓練も何度か中止されている。その時は一日中暇になるのかというとそうでもなく、主に座学などを重点的に教わる。まぁ、座学とは言っても人体の急所とかサバイバル知識とか、色々と物騒な事しか学ばない。

 頭が悪い私でも分かるぐらい偏った内容の歴史の授業(主にトリニティの悪いところや私たちにしてきたこと等)もあるけど、私は話半分に聞き流してる。

 

「顔も知らない連中の事を恨めって言われてもねぇ……」

 

 トリニティに対して何か思うところは確かにある。

 でも、だからって直接見たこともない人たちの悪いことを沢山言われて「こいつらを恨め」って言われてもちょっと無理がある。まぁ、これは私の性格の問題だけど。

 だからって「真面目に聞け」って殴るのはやめて欲しい。

 

「もう十分殴られてるんだし……」

 

 初めて『反省部屋』に放り込まれてから、定期的に同じような()()を受けるようになった。頻度は週に一度か二度ぐらいで、ぶっちゃけ大人連中の気分次第。気絶するまでボコボコに殴られるのは嫌だけど、正直サオリたちに隠すのが一番大変だ。

 

 今も昨晩ボコボコにされてフラフラになった足取りでサオリたちの待つ訓練場へ向かっている。アズサにも一緒に行こうって誘ったけど誘う前にどこかに行ってしまった。

 一人は寂しい。

 

「ククク……随分とマダムから歓迎を受けているようですね」

「うん?」

 

 訓練場ってどこだっけ、と頭の中の地図を思い出していると、突然背後から声を掛けられた。サオリからは知らない人とは話しちゃダメって言われてるのになぁ……。

 やれやれと首を振りながら後ろを振り向くと、私は言葉を失った。

 

「貴女も興味深い神秘をお持ちで……一目見ようとお伺いさせて頂きましたが、なるほど……マダムの『計画』が貴女の神秘にどのような影響を及ぼすのか実に気になりますねぇ」

「ッ!?」

「おっと、これは失礼致しました。ですが私は貴女に危害を加えるつもりは一切ありません。ククク……」

 

 『黒い人』。

 その異形を説明するのにこの三文字でしか言い表せない。

 

 黒いマネキンに申し訳程度に目のようなものが描かれていて、上品な黒いスーツを着ている。口調も声色も丁寧なのに、その異形はこちらを見定めるような……()()()()()()()()()()()視線を送ってきていて全身に鳥肌が立った。

 

 何より、頭上に何も浮かんでいないところが、この異形がキヴォトスの存在ではない事を語っている。

 

 構えたハンドガンの銃口が震えている。

 

 間違いない、こいつはマダムと同類だ

 

「オマエ……マダムのお友達か何か?」

「ふむ……『お友達』という概念は我々には少々理解し難いものでして。『同志』とでも言った方が宜しいでしょうか。もっとも、マダム本人はそうは思っていないようですが──」

 

 異形の言葉を遮るように私の銃から一発の銃弾が放たれる。

 しかし、寸分の狂いもなく異形の頭を撃ち抜くはずだった銃弾は、まるで()()()()()に阻まれたかのように、異形の目の前で弾かれた。

 

 半ば予想していた光景に思わずした舌打ちをこぼしてしまう。

 

 マダム同様、こいつに銃は効きそうにない。

 

「仮にも『同志』なら仲良くしなきゃダメだよ? まぁ、マダムの性格じゃ他人と仲良く、なんて天地がひっくり返ってもできなさそうだけど」

「ククク……私に銃弾を打ち込みながら何事も無かったように話を続けるその胆力。やはり貴女の神秘も興味深い……質問に対する答えですが、誰もが貴女の『家族』のように他人同士で仲睦まじく過ごせる訳ではありません。時には思想や価値観がまるで相入れない人物と肩を並べなければならない事もあります。『大人』であればあるほど、それが顕著になる」

 

 まるで私の事を知っているかのような口振り。

 当然のように語るその異形に私はもはや驚きもしない。きっとマダムから聞いたのだろう。こんな辺境の自治区の小娘一人に興味を持つなんて、マダムといいこいつといい、何が目的なのかさっぱり分からない。

 

 それがあまりにも不気味すぎる。

 

「で、そのマダムの『同志』さんが私に何か用?」

「いえ、先程申しました通りキヴォトスでも()()な神秘を持つ貴女と直接お会いしてみたかっただけですよ。本来なら貴女も私の『計画』へ組み込みたかったのですが、マダムの『計画』に支障をきたすのは私も本意ではありません。それに……ククク、『暁のホルス』の方が私の計画に都合が良いようです」

「はえー、そうなんだ。なんだかよく分からないけど頑張ってね」

 

 黒い人は色々と話してくれているけど、私の頭が悪いからなのか子供には分かりにくい話だったのか、あまりよく分からなかった。そして黒い人本人も私があまり理解できていないのを知っているのか、特に気にする様子は無い。

 

 要するに、私に「こんにちは」って言いにわざわざアリウス自治区まで来たって事? 大人ってすごい。塵ほども歓迎したいとは思わないけれど。

 

「ふむ……どうやら我々に対してあまり良い感情は抱いていないようですね。ククク……その銃口から貴女の恐怖が手に取るように分かりますよ?」

「むしろ良い感情を抱くと思ってたの? 問答無用でその変な頭をぶち抜かなかった事を感謝して欲しいぐらいだよ。大人ってみんなオマエやマダムみたいな人なの?」

「いえ、我々に対する貴女の憎しみはご尤もでしょう。『大人』と『子供』は決して相入れぬものなのですから。支配者と隷属者では立場があまりにも違う」

 

 ナチュラルに子供(わたしたち)を奴隷みたいに思ってる時点で、こいつも丁寧なのは口調だけのようだ。そういうところまでマダムに似ている。

 

「ふむ。では最後に『大人』として、一つ貴女に助言を与えましょう」

 

 黒い人もこれ以上の言葉は無駄だと悟ったのか、肩を一度竦めると一本の指を立てた。

 

「『名』とは他者より与えられた記号に過ぎません。多くの場合は名に意味はありませんが、時として『名』は対象の生き様そのものとなり得る。まるで写真のように、そのものの特徴となる。貴女はご自身の名──蓮華(れんげ)の意味をご存知ですか?」

 

 黒い人の言葉に、私は思わず銃を下げた。

 

「……アツコから聞いた覚えがある。花の名前なんでしょ?」

 

──レンちゃんはとても綺麗なお花の名前なんだよ。

 

 アツコは花が大好きで、よく色んな花の話をしてくれる。

 だからそんなアツコが大好きな花と同じ名前だと知って、とても嬉しかったのを覚えている。

 

「ええ、その通りです。ですが花にはそれぞれ意味があるのはご存知ですか?」

「意味……?」

「誰が作ったのか、いつ頃作られたのか、正確な詳細は不明です。ですが、全ての花にはその名に込められた『言葉』があります」

 

 でも黒い人はそれ以上は語らず、こちらに背を向けて歩き始めた。

 

「ククク……自らの名に取り込まれないよう、どうかご注意を」

 

 そんな意味深な言葉を残して、黒い異形は文字通り姿を消した。

 まるで初めからそこに何もいなかったような静けさが、無人になったアリウスの街を延々と木霊している。白昼夢かと思いたくなったけれど、震えが止まらない全身があの異形が現実の存在だったという事を如実に語っている。

 

 マダムの関係者。

 本人すらあのザマというのに、その仲間は勝らずとも劣らず不気味で規則外だった。

 

「自分の名前の意味……」

 

 考えた事もなかった。

 でも黒い人は結局詳しくは教えてくれなかったから、自分で調べろという事だろう。親切なのかそうじゃないのか。

 

「できれば良い意味であって欲しいなぁ」

 

 なんとなくそんな事を漠然と考えながら、私は再び歩き始めた。

 ていうか、早く訓練場に行かないとマダムにまた怒られちゃう!

 

 気持ちを切り替えて、先程の黒い人のことは忘れよう。

 

 そもそも『教育』明けのボロボロな時でも訓練に遅刻するなって理不尽な話だ。ダメ押しも良いところでしょ。

 

「急げ! 急げ! いててて……」

 

 気持ち早めにダッシュしながら歩こうとするも、全身に走る激痛によりそういえば私は教育されたばかりなんだと思い出す。早く行きたいのに走れないというもどかしさ。今回ばかりは虐待お姉さんたちを恨むぞ。

 

 えいさほいさと未だ荒れ果てたアリウス自治区の街中を走る。

 マダムはアリウス自治区のために動いてるって言ってるくせにこういいところは直そうとしないんだから、本当に仕事してるのかも怪しい。これを口に出そうものならヘイローが壊れるまで集団リンチ刑に処されそうだけど。

 

 角を曲がり訓練場まで一直線となったその時、視界の隅に真っ白な何かが落ちているのが見えた。

 

「おっとっと」

 

 その存在があまりに見知った存在で、咄嗟に急ブレーキして、Uターン。

 

「アズサ、こんなところで寝てたら訓練に行けないよ?」

「うぐっ……うるさい……!」

 

 野生の綺麗な白髪と翼を持った女の子が生き倒れていた。

 なんとなく顔を覗き込んでみると、二つのアメシストの瞳に睨まれる。でも本人がとても可愛らしいせいであまり迫力はない。マダムに比べればこんなの仔猫に睨まれたようなものだ。

 

「綺麗な目だねー、まるで宝石みたい。私もよく目が宝石みたいって言われるから、お揃いだねっ!」

 

 琥珀(アンバー)紫水晶(アメシスト)でまるで違うけど。

 

 でもサオリはよく綺麗だって褒めてくれたし、私もなんだかんだ気に入ってる。何気にヘイローとも色がお揃いだ。

 

「わ、私に構わないで……」

「でもそんな状態じゃ立てないでしょ。ほら、肩貸してあげるから起きて」

「来るな……!」

「ほーら捕まえたー! さ、一緒に行こっか」

 

 彼女も私同様にマダムからの熱烈な挨拶を受けたのか、既に満身創痍といった様子だった。大方一足先に外へ出たものの気力が持たず、ここで行き倒れのような状態になっていたんだろう。まったく、こんな子供にも容赦ないなんて、マダムも酷いことするよ。

 

 地面を這いながら逃げようとするアズサの体を抱き上げ、彼女の腕を自分の肩に回す。支えてみて実感したけど、彼女は恐ろしく体重が軽い。こんな小さな体でアリウスの虐待紛いの訓練に耐えれているなんて信じられないぐらいだ。

 

 そんな彼女を抱き上げた時点で私の全身からも悲鳴が上がっているけれど、なんとか顔には出さず我慢できた。私も身体の貧相さは人の事を言えないからね。

 

「最近食堂でも見なくなったけど、ちゃんと食べてるの?」

「……お前には関係ない」

「そんな君に私からのプレゼント!」

 

 ちょうどポケットに入っていた昨日のご飯の残り物のエナジーバーをアズサに手渡した。これあまり美味しくないから好きじゃないんだよね。スラムにいた頃はそんな贅沢も言ってられないから食べてたけど。

 

 しかしアズサは特に苦手意識は無いのか、目を白黒させながらそのエナジーバーを見つめている。心なしか目が輝いて見える。

 でもなんとかご飯の誘惑に打ち勝ったのか、プイと顔を逸らした。

 

「ッ……いらない……」

「私のご飯が食えないっていうのかァ!」

「む、無理矢理食べさせようとするな! あ、待って──」

 

 めんどくさい事を言う口を塞いでやる。勿論エナジーバーで。

 

 ようやく観念したアズサはそのままムシャムシャと咀嚼し始めた。

 素直になれない子には強引に行かないといけない。

 

「……美味しい」

「あはは、ただのエナジーバーだってば。ほら、全部食べちゃって。どうせ碌にご飯も食べてなかったんでしょ?」

 

 もう一度エナジーバーをアズサの口元に持っていくと、アズサは一瞬それに視線を奪われかけるも、じっと私の方を見つめている。

 

「どうして私に構うんだ……ずっと邪険にしてたのに……」

「んー? なんでだろうね。なんというか、君が私に少し似てるからかな。それで放っておけないのかもね」

「自分の事なのに分からないのか?」

「むしろ自分の事だからこそ分からないんだと思う。自分で見る自分っていうのは、案外大きなバイアスが掛かってて本質が分からないかもしれない。他人に客観的に見てもらって初めて、『自分』っていうのが何者か理解できるんじゃないかな」

「…………」

「で、私から見た君はどこか見覚えのある雰囲気でね。だから鬱陶しいかもしれないけどお節介を焼かせて貰ってるよ」

「……随分とお人好しだな」

「世の中には見ず知らずの他人を心配してくれるようなお人好しが沢山いるんだよ。私然り、どっかの相棒(バカ)然り」

「そういうものなのか?」

「そういうものなの。だからまぁ、面倒だとは思うけど、たまには人のお節介を素直に受けてみるのも悪くないよ」

「……そういう考えもあるんだな」

 

 アズサは何も答えず、顔を背けてしまう。

 ただ、隣から聞こえたポリポリという咀嚼音が、なんとなく嬉しかった。

 

 やっぱりこの子は根は良い子なんだろう

 

 

 

 

 

 

 

「──ふぅ」

 

 息を吐き、狙いを定める。

 視野が一気に狭まり周囲の音も消え、意識の全てを目の前の的へ振り絞る。人体を模したそれの狙うべき場所は……頭、心臓、ヘイロー等──急所と呼ばれる命を奪うための場所。

 

「ッ!」

 

 トリガーに掛けた指を引く。

 まだ幼い身体には少し大きいアリウス制式採用のアサルトライフルから放たれた弾丸は吸い込まれるように的へ命中すると、さらに続け様にトリガーを何度も引く。マガジン一本を撃ち切ってようやく、彼女は銃を下ろした。

 

「そこまでッ!」

 

 監視していた教官からも射撃中止を伝えられ、少女──アツコはその場から一歩下がった。

 

 アツコを置いて的を確認しに行った教官は、その惨状に息を呑む。

 

 全ての弾痕が頭と心臓の部分に集中していた。

 

 まるで引き寄せられたようにそれ以外の部位には汚れ一つと見つけられず、三十発分の弾丸を全て人間にとって最大の急所となる部位へ叩き込んでいた。一切の非の打ち所がない、理想的と呼べる結果。

 

「ちッ……隊のところへ戻れ」

 

 コクリと頷き背を向ける仮面の少女に、教官役の大人は不機嫌さを隠そうともせず舌打ちをする。

 

 新設されたという第八分隊。

 

 マダムからの特例で独自に訓練を行う事を許されたその部隊は、教官の不在に反してメンバー全員が高い能力を発揮していた。

 

 抜き打ちで行った今回の射撃試験などそれが顕著に表れている。

 

 先程のアツコ以外にテストを行ったのは部隊員のミサキとヒヨリ。

 その二人もアツコと大差無い結果を叩き出している。

 

「私たちは必要ないって言いたいのか?」

 

 だがそれは彼女たち教官役の大人からすれば、『生意気』と見えてしまう。しかし結果を残している以上、介入できる余地は無い。

 

 非常に面白くない。

 

 そんな苛立ちを胸に、その教官は次の部隊を呼び出そうと歩みを進めた。

 

──一方、そんな件の第八分隊(スクワッド)のアツコも、試験を難なく突破したというのに、仮面の裏に隠された表情は優れない。

 

 同じ隊の家族も、そんな彼女の様子に直ぐに気づいた。

 

「お帰りなさい、姫ちゃん。試験は……も、もしかしてダメだったんですか!? うぅ……きっと辛いですよね、苦しいですよね……で、でも! 何があっても姫ちゃんは私たちが守りますから──」

『試験は大丈夫だった』

 

 先走っていつものネガティブ思考を発揮するヒヨリを見て、アツコは慌ててメモを見せた。途端に「良かった……」と深いため息を吐くヒヨリに、彼女は思わず苦笑を浮かべる。スクワッドには心配性が多い。

 

「私たちと一緒にサオリ姉さんに教えられてるんだから、姫なら心配いらないでしょ」

「で、でも、もしかしたら今日は体調が優れなかったり、たまたま教官が意地悪な方かもしれないじゃないですか! そしてそのまま理不尽な減点をされて、公園の蟻みたいにめちゃくちゃにされるんです……うわぁぁぁん!」

 

 なんだかよく分からないが泣き始めたヒヨリを、アツコはヨシヨシと撫でる。こういう時はとりあえず撫でればいいと他の家族から学んでいた。ミサキはそんな二人を見て呆れたように肩を竦めている。

 

『レンちゃんはまだ?』

 

 いつの間にかふにゃっと柔らかい表情を浮かべているヒヨリを撫でるのもそこそこに、アツコはメモをサオリへ渡した。

 

 メモを受け取ったサオリもまた、大きくため息を吐いた。

 

「知らない。昨日の夜から見てないよ。きっとまたどっか行ったんでしょ……一人で」

 

 最近レンゲの単独行動が増えている。

 

 それは彼女たちスクワッドにとって最近の悩みの種だった。

 

 朝に部屋を覗きに行っても既におらず、かと言って訓練場には一番最後に来ている。理由を聞いても「散歩」や「冒険」のような言葉で誤魔化され、そのまま一日の訓練をこなす。夜、一緒にご飯を食べたらみんなでシャワーを浴びるのが彼女たちスクワッドにとって唯一の楽しみだというのに、そのシャワーすらも彼女たちとは別で済ませている。ご飯だって一緒に食べない日も珍しくない。

 スラム時代はあれほど食い意地の張っていたあのレンゲが。

 

 明らかに何かを隠している。

 

 そしてそれは十中八九、以前アツコが見つけたという身体のアザが関係しているはずだ。

 

「どうせまた私たちの知らないところで傷ついて、知らんぷりして私たちに隠してるんでしょ……」

 

 サオリの口から出たとは思えない棘のある言葉に、アツコは思わず面食らってしまった。あれほど家族想いの長女が苛立ちを隠そうともせず、もう一人の長女に対する不満を露わにしている。

 

 帽子から覗く目の下には相変わらず、色濃くクマが残っている。

 

「落ち着いて、姉さん。今日こそあのバカに問いただすんでしょ?」

 

 微妙な空気になりつつあるこの場をミサキが宥める。

 すかさずアツコもメモを書き、サオリの前に掲げた。

 

『大丈夫。レンちゃんにもきっと事情があるんだよ』

「……うん」

 

 それでもサオリの中での不満は大きいのか、渋々といった様子で頷いた。

 

「うぉぉぉい! みんなお待たせー!」

「耳元で叫ぶな!」

 

 噂をすれば、と言わんばかりに遠くから聞き慣れた声が訓練場に木霊する。

 

 ようやくターゲットお出ましだ、とサオリは指をポキポキと鳴らした。特に殴ったりするつもりは無いが、なんとなく雰囲気でそうした。

 

 片手を振りながらこちらへ歩みを進めるレンゲと、そんなレンゲの肩を借りている一人の白髪の少女。サオリはそれが食堂で見た例の少女だと直ぐに気がつき、思わず首を傾げた。接点は無いはずのこの二人がなぜ一緒にいる?

 

「いやー遅れてごめんね。道端で行き倒れの猫ちゃんを拾っちゃってさ」

「それは私の事なのか?」

 

 関係性は……一目では判断できない程度。レンゲは相変わらず馴れ馴れしくしているが、白髪の少女の方にはまだ壁を感じる。傷だらけの身体のせいで仕方なくレンゲの力を借りているという様子だった。

 

「この子はアズサっていって、口はちょっと悪いけど根はとても良い子なの。まぁ、ミサキっぽい子だよ」

 

「おい」「ちょっと」

 

 レンゲの言葉にアズサとミサキ双方から抗議の視線を送る。

 だがそんな視線もどこか吹く風で無視し、レンゲはサオリに向けて笑みを浮かべた。屈託のないいつも通りの人懐っこい笑みに、サオリは先程まで自分の中で沸々と湧き上がっていた毒気が抜けるのが分かった。

 

 やはりこの相棒には敵わない。

 

「ねぇサオリ、しばらくこの子の──」

「お前たち! 今までどこで何をしていた!」

 

 だが、レンゲの言葉は突如飛来した怒声により一瞬にして掻き消されてしまった。

 

 あまりにいつも通りの様子だったためサオリすら忘れていたが、レンゲたちは『遅刻』してきたのだ。

 

 そんな()()を、アリウスが見逃すはずがない。

 

「ぐッ……!」

 

 レンゲたちの姿を発見するや否や、先程まで射撃試験を監視していた教官が大股で二人に近づくと、すかさず無防備になっていたレンゲの身体を蹴り飛ばした。呻き声を上げ、アズサごと崩れ落ちるレンゲ。

 

「うぅ……いってぇ……」

「れ、レンゲ……?」

 

 普段のレンゲなら軽口の一つでも零しながらすぐ立ち上がっていたのに、今は表情を歪ませて倒れたまま動かない。大量の脂汗を流し、歯を食いしばって痛みに耐えている。

 

 そんな姿に、サオリは思わず目を見開いた。

 

──こんなに弱ってたなんて……!

 

 だが、それで止まってくれるほど、アリウスの大人は生優しくなかった。

 

「……ふざけないで。誰のせいで遅れたと──」

「お前ッ!」

「待って!」

 

 大人がもう一度拳を振り上げようとした瞬間、サオリは既に走り始めていた。

 

 両手を広げ、レンゲとアズサを守るように二人と大人の間に立つ。

 

「ヘイローを壊す気なの!? これ以上やるとこの二人が死ぬよ!」

「黙れ! 歯向かうならお前も同じ目に遭わせるぞ、第八分隊長!」

「兵士を減らすのはアリウスも不本意のはずでしょ!」

 

 なおも矛先を収めようとしない大人に必死に食い下がる。このままでは本当に二人のヘイローを破壊しかねない勢いだった。

 

「うぅ……もうやめてください……このままじゃ本当にレンゲ姉さんが……」

 

 背後から聞こえるヒヨリの啜り泣く声。

 その声を聞き、サオリはより一層気持ちを高めた。ここで自分が折れるわけには行かない。

 

「──私が指導する」

「なに?」

「ミサキもヒヨリもアツコも、私が指導した。みんな成績が良いし、問題行動も起こしてないでしょ? だからその子……アズサも私が指導すれば、これ以上問題行動を起こすことは無くなるはず。レンゲに関しても、私たち四人が徹底的にストッパーになる。それでいいでしょ?」

「…………」

 

 サオリとアリウスの幹部。両者睨み合ったまま動かず、緊迫した空気が場を包み込む。

 

「……良いだろう。ただし、次問題行動を起こしてみろ。この部隊全員分の罰をお前自身に受けさせると思え」

「望むところだ」

 

 だがそんな硬直状態も一瞬、アリウスの大人は踵を返して立ち去った。

 

 緊張が解け、サオリは大きく息を吐いた。

 これでしばらくは幹部たちも大人しくなるはずだ。

 

「レンゲ、しっかりして。ほら、今指何本立ててるか分かる?」

「うぅ……みそスープ……」

「うん、大丈夫そう」

『あなたも大丈夫?』

「メモ……? これぐらいなんともない」

 

 背後ではミサキがレンゲを、アツコがアズサを介抱していた。

 レンゲは少し言動が怪しかったが、ミサキが大丈夫と言うのならきっと問題ないのだろう。

 

 アズサからの視線を感じ、サオリは苦笑を浮かべた。この警戒心も初めてミサキと出会った時のような、どこか懐かしいものだった。

 

「私は錠前サオリ。この第八分隊の隊長をやってる。レンゲとは……顔見知りみたいだね」

「本当に顔見知りなだけだ。むしろ助けて貰える理由が理解できない」

「目の前で誰かが殺されるのを見たくないだけだよ」

「……人殺しを作ろうとしてるアリウスの人間の言葉とは思えないな」

「そこで転がってる相棒(バカ)の影響だよ。でもおかげで、私たちはまだ人殺しじゃなくてただの人で居られる」

 

 地面に座り込んだままのアズサに、サオリは手を差し伸ばした。

 

第八分隊(スクワッド)へようこそ」

 

 成り行きとはいえ同じ部隊所属となったのだ。

 サオリなりの歓迎の意味として、彼女はアズサの手を握った。

 

 そのまま素直に引っ張り上げられたアズサはジッとサオリを見つめると、観念したように首を振った。サオリもまた、レンゲと同じ人種なのだと理解したのだ。

 

「あいつの言う通り、お人好しというのは案外いるものなんだな」

 

 呆れたようにスクワッドを見回すアズサ。

 

 

 

 だがその表情は、どこか困ったような苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 




アズサが原作より早めにスクワッド加入。

なおこのイベントのせいでレンゲのアザ追及イベントは有耶無耶になった……と思いきや、次回やります。


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スクワッドの日常

過去最長になりました。
ついでに今回を最後にしばらく日常(?)回はお留守に。


 

 

 

「サオリ、この作戦に関して少し聞きたい事がある。この状況に陥った場合、どう行動するのが正解なんだ?」

「見せてみて。あぁ、この作戦ね。こういう時は──」

 

 アズサが第八分隊に加入してから既に……何日経ったんだっけ。最近曜日の感覚が薄れてきて困っている。とにかく、それなりの時間は経っているはずだ。

 

 急遽部隊を移したアズサは私たちともそれなりに仲良くやってる……とは言い難い。やはり家族と比べるとアズサは壁を感じるし、決して私たちにも心を開こうとしない。『家族』ではなく、ひたすら『部隊員』としての関係を徹底させている。それが少し寂しく感じるけど、無理矢理家族にするのは流石に良くない。

 

 ただ、一つ不満があるとすれば──。

 

「なんで私よりサオリの方に懐いてるの……!」

「懐くって……あれは少し違うと思うけど」

 

 隣でミサキが呆れたように首を振ってる。

 

 そう、何を隠そうアズサは私を差し置いてサオリにばかり話しかけている。やれ「このポジションの敵を奇襲するにはどうすればいい?」とか「この期間だけ籠城する場合に必要な物資について」など小難しいことを延々と話している。サオリも長年スラムで培った知識を広めるのを悪く思っていないのか、結構ノリノリでアズサに教えている。

 

 非常に面白くない。

 

 そもそもアズサと最初に知り合ったのは私なのに! なんでサオリの方が仲良くなってるのさ!

 

「ね、ねぇアズサ! 私も色々と知ってるよ──」

「レンゲ、今はサオリと大事な話をしてるんだ。後にしてくれ」

「んなぁ……」

 

 絡みに行っても今みたいに冷たくあしらわれてしまう。

 やっぱりこの世は虚しい……ばにたすばにたーたむ。

 

「うぇぇぇぇぇみーちゃん慰めてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 隣のミサキに思わず抱きつく。

 もう私に残されたのはみーちゃんだけだ。

 

「みーちゃんは私の味方だよね……みーちゃんしか勝たん……」

「チッ……」

「ほら、今もチューしてくれた!」

「今のは舌打ちだと思いますが……」

 

 ヒヨリから告げられる残酷な現実を受け入れられない。サオリを寝取られた今、もう私に残されたのは家族だけだ。

 

『大丈夫だよレンちゃん。サッちゃんは新しいお友達ができて喜んでるだけだよ。やっぱりサッちゃんにとってレンちゃんが一番だから』

 

 しかし、そんな哀れな私にも救いの女神はいる。

 

 アツコはクスクスと笑いながらも、私の頭を撫でながらメモを見せてくれた。姫からの優しい言葉にボロボロに破壊されていた私の脳も修復されていく。

 

 妹からの優しすぎる言葉に、私は思わずがっちりとアツコに抱きつく。未だ鬱陶しそうにしながら私から逃げようとしていたミサキごと。

 

「うわぁぁぁん! やっぱり姫ちゃんだけは私の味方だぁぁあぁああ!」

「耳元でヒヨリみたいな泣き声出さないで……! ヒヨリも見てないで助けて──」

「サオリ姉さんとレンゲ姉さんが喧嘩してしまったら、私たちはどうなってしまうのでしょうか……うわぁぁぁん!」

「お前もか」

 

 最近ミサキのツッコミが辛辣になってきてる気がする。

 理由はまるで心当たりが無いから、きっと反抗期なんだろう。

 

「はぁ……これだけ騒いでたら訓練にならないでしょ……みんな、休憩はもう終わり。移動するよ」

 

 ギャーギャーと騒ぐ私たちを見て深いため息を吐いたサオリは、アズサとの会話を一旦区切ると荷物をまとめ始めた。私たちもそんなサオリを合図にじゃれ合いは一旦やめ、それぞれ武器や物資を背負い歩き始める。

 

 そもそもこれだけ騒いでなぜ大人にぶん殴られないのか。

 理由は、今私たちがサバイバル訓練を行なっているからだ。

 

 それぞれ部隊ごとに分けられ、限られた物資だけ持たされて荒れ果てたアリウス自治区に放り出される。両手足に付けられた枷によって居場所は特定されているものの、大人たちの監視から解放される数少ない訓練だ。

 

 「生き延びろ」以外に指令らしきものは出されていないこのサバイバル訓練は本来なら食料の確保などでかなり過酷な訓練のはずだけど、そこはスラム出身者がほとんどの第八分隊。探索や食料の確保はお手のものだ。だからそんな私たちにとって、このサバイバル訓練は()()()()()貴重な時間でもある。

 

「これから○○地区に向かう。あそこは元々内戦の激戦区で不発弾がたくさん残されてるから、きっと物資もかなり残されてるはず。今回のサバイバル訓練はそこで凌ぐよ」

「はーい。ただ、地雷踏まないように気をつけてね。あれ踏むと結構痛いから」

「うぅ……昔間違えて踏んでしまった時の事を思い出します……あの時は姉さんたちにもご迷惑をおかけしました……」

「ヒヨリが初めて大怪我したからね。サオリ姉さんもレンゲもあんなに慌ててたのは珍しかった」

 

 かつての懐かしい記憶に、私も思わず苦笑してしまう。

 今となっては失敗すら良い思い出に感じる。

 

「サオリたちはスラム出身なのか?」

 

 アズサが首を傾げながら聞いてくる。

 

「アツコ以外は全員スラム出身だよ。みんな一人ぼっちだったところをちょっとずつ増やしていってね。今は全員家族になっちゃった」

「そうだよー家族はいいぞ〜! だからそんなアズサも私たちの家族になろう!」

「……考えておく」

 

 絶対に考えてなさそうな無表情で答えるアズサ。

 これは手厳しい。

 

 世間話もそこそこに、私たちは一列に並んで行進を再開した。先頭は地雷探知用に私が、その後ろですぐ指示が出せるようサオリが控えている。あとはアズサ、ミサキ、アツコ、ヒヨリの順。先頭は家族を守っている感じがして好きだ。いざとなれば私が矢面に立てるし。

 

 徐々に会話も減り、ピリピリとした緊張感が場を支配する。

 

 静かなアリウスの街並みに響くのは、私たちの足音だけ。

 

「──前方二時の方角から不審な音を確認。おそらく足音で、数は6、距離は80メートル程度。このままだとあの交差点で鉢合わせになるよ」

「了解。各位その場で待機」

 

 でも、この静けさのおかげで僅かな音も把握する事ができる。

 

 私たちの足音に混じって響く別の方角からの不審な音を即座に伝えると、サオリはすぐさま停止を指示した。

 

「敵は私たちにまだ気づいていない。ここは奇襲を仕掛けるよ」

 

 そう、これは()()()()()訓練だ。当然他の部隊の子供も参加している。そして、他の部隊と遭遇した場合は戦闘する事が義務付けられている。いわば子供同士で行う擬似的なゲリラ戦だ。

 

 幸か不幸か、今回も私たちは別の部隊と遭遇してしまったらしい。

 

「ヒヨリはあの建物の中から敵部隊を狙撃。攻撃開始のタイミングは任せる。ヒヨリの狙撃と同時に私たちも行動を開始する」

「りょ、了解です……」

「大丈夫。ヒヨリならやれる。今までもそうだったでしょ?」

 

 不安げに頷くヒヨリの頭をサオリが撫で、ヒヨリも覚悟を決めたのかそのまま一人でサオリが指差した建物の中へと入って行った。彼女も決める時はきっちり決める子だから、心配は無い。銃だって昔のような劣悪品ではなく、ちゃんとしたアリウス製のライフルを支給されてる。

 

「レンゲとアズサは左から、ヒヨリが撃つまでその場で待機して。ミサキとアツコは私と一緒。あのことについても相談したいし

「了解。さ、景気良く行こうね、相棒」

 

 私もサオリからの指示に頷くと、サオリに向けて拳を突き出した。

 

 いつもと変わらないルーティン。

 なのにサオリはしばらく私の事をジッと見つめると、ゆっくりと拳を合わせてくれた。普段は凛とした表情に今は緊張が目立つ。

 

「……無茶はしないでね」

「のーぷろぶれむ。安心して」

 

 いつまで経ってもサオリは心配性なんだから。

 少しは私を信用してくれてもいいと思うんだ。

 

 そのままアズサを連れて、私たちは道路の反対側へと渡った。

 建物の影に隠れながら気配を殺し、いつでも発砲できるようにアサルトライフルのセーフティも外してある。

 

 サオリに指示されたポジションに到達すると、そのまま息を殺して待つ。ヒヨリが撃つまで姿を隠しておかないといけない。まるで木の中で寝てるナマケモノのように、気配を消さなければ……。

 

「……足音が近づいてくる。距離は50メートルってところかな。そろそろ姿が見えるかもね」

「よく分かるな。私には何も聞こえない」

「耳が良いからね。私のレンゲレーダーの射程距離は1キロもあるよ!」

「い、1キロもあるのか……私もまだまだという事か」

「……っていうのは流石に冗談だけど、大抵の相手なら姿が見える前に音で居場所が分かる程度かな」

 

 最近は聞こえる範囲がなぜか低下してるけど。

 

「つまり、レンゲさえいればこうしたゲリラ戦は圧倒的に有利に立ち回れる訳か。凄いな」

 

 まぁ、銃と身一つで放り出されるこのゲリラ戦想定のサバイバル訓練で、私たちだけレーダーを持ってるようなものだからね。他の部隊からしたら溜まったものじゃない。

 

 あれ? もしかして私って結構凄い?

 

「私がただのお喋りネタキャラお姉さんだと思ったら大間違いだよ! どう、見直した?」

「ああ。ただ、私には真似できない」

 

 苦笑しながら言うアズサは、少し落胆気味に肩を落とした。

 こればっかりは技術云々以前に、生まれ持った感覚の問題だからコツとかを教える事もできない。私のレンゲレーダーは一子相伝だ。

 

「まぁ、サオリから他にも色んな事を教わってるんだから、私なんかよりもサオリに頼った方がいいよ。最近仲良いみたいだしぃ〜?」

「……? 最近サオリとはよく話すが、それはゲリラ戦や戦闘技術についてだ。特別仲が良いとは思っていない。それにサオリはいつもレンゲの話ばかり──」

「シッ! 声を落として。そろそろ接敵するよ」

 

 なぜか若干ジト目でこちらを睨んでくるアズサを無視して、私たちは姿勢を低くし息を殺した。あっという間に静寂が支配する空っぽな街並みから、複数の足音がこちらに近づいてくる。

 足音のパターンかた人数は先程と同じ6人。ちょうど部隊一つ分の足音だから伏兵の可能性もない。

 

 やるなら今だ。

 

「ッ!」

 

 一発の銃声が響くと同時に、私たちは一斉に隠れていた場所から顔を出した。

 既に最初のヒヨリの一撃で倒されているのか、私たちと同じ黒いパーカーを着た子供がヘイローを消した状態で地面に横たわっていた。残りの五人は突如倒れた仲間に動揺は見せているものの、それぞれが近くの物陰に伏せている。スナイパーに襲われた時の教本通りの動きだ。

 

 目の前に私たちがいなければ話だけど。

 

「エンゲージ!」

 

 遠くから響くサオリの号令に、私とアズサも一斉にアサルトライフルのトリガーを引き絞る。単発のセミオートではなく、一斉掃射のフルオートで銃弾の嵐を叩き込む。

 

 残りの五人はセオリー通り高所に構えた狙撃手(ヒヨリ)から身を隠そうと地面に伏せた。しかし、そんな状態はすぐ近くに地上で待ち構えていた私たちにとっては格好の餌食だ。無防備になったその背中に遠慮なく無数の銃弾をプレゼントする。

 

 一瞬にして全員のヘイローが消え、五人の子供は動かなくなる。

 

「射撃中止! 敵の沈黙を確認」

 

 再び響くサオリの指示に全員が銃を下げた。

 敵は指一つ動く気配が無いし、何よりヘイローが消えている。これ以上にないほど完璧な奇襲だ。

 

「流石サオリ、鮮やかなアンブッシュだったよ! ね、アズサ?」

「ああ。いつも教わっている事を実際に目の当たりにして、参考になった」

 

 勤勉なアズサらしい褒め方だ。

 でもサオリも満更じゃないのか、少し頬を赤く染めてそっぽを向いた。

 カッコいい姿から一変、あまりに可愛い姿に私も自然と頬が緩む。

 

「……私はただ、レンゲが見つけた敵を狩ってるだけだよ」

『サッちゃん可愛い。みーちゃんもそう思う?』

「そ、そこで私に振らないで! あと、みーちゃんじゃないから」

 

 アツコからのまさかのキラーパスに珍しく顔を赤くして慌てるミサキ。なんだ、ここには可愛い奴しかいないのか?

 

「み、皆さん無事で良かったです! あれ、どうしたんですか?」

 

 そこへやってくる何も知らないヒヨリさん。

 不思議そうに首を傾げているのがこれまた愛らしい。どこぞの浮気者じゃなくてやっぱり我が妹たちが一番だ。

 

「なんでも無いよーヒヨリー!」

「わふっ。えへへ、くすぐったいですよレンゲ姉さん」

「私も巻き込むな」

 

 隣に立ってるアズサごとヒヨリに抱きつき、頭をワシャワシャと撫でる。さっきも見た気がするジト目をアズサはこちらに向けてくるけど、近くにいた君が悪い。

 

 こういう時こそアレよ!

 

「はい、笑ってー!」

 

 愛用のカメラを取り出して、レンズを自分たちに向ける。唐突に取り出したカメラにアズサは困惑しているものの、隣のヒヨリは苦笑いのまま控えめにピースサインを作ってくれた。そのままパシャリと一枚。ヒヨリの雑誌でも書いてあった、いわゆる『自撮り』って奴だ。

 

「うーん、良い写真だ」

「いや、私はなんとも言えない表情のままだけど……」

「こういうのはありのままの姿が良いんだよアズサ。これが分からないんじゃアズサもまだまだだねぇ」

「…………」

「ちょいちょいちょ! 拳をパキパキするのやめてー。照れ隠しがサオリに似てきてるよ」

 

 サオリも恥ずかしくなるとすぐ手が出るんだから。

 呆れたように首を振ってるよ、突然ヌッと背後から両手が伸びてきて、私の頬を摘んだ。

 

 あっ、これは……。

 

「へぇ、誰に似てるって?」

「いひゃひゃひゃひゃ!? ひょういうとこらよサッちゃん!」

 

 でもこのじゃれあいもなんだか久しぶりな気がする。

 大人連中のあの理不尽な折檻じゃなくて、こういうのでいいんだよこういうので。

 

『お餅みたいだね』

「成る程、こういう制圧方法もあるのか。だが対象の両腕が自由なのが気になるな」

『レンちゃん限定の制圧だよ。サッちゃんの得意技で、スクワッドのみんなもできるよ』

「そうなのか。アツコ、後で私にも教えて欲しい」

 

 いや、冷静に分析してないでそろそろ助けて欲しい。このままじゃほっぺちぎれるって。

 

 結局私は愛するべき妹たちからの生暖かい視線を受けたまま、サオリが満足するまでお仕置きを受け続けた。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、やっと帰ってこれた。こんなクソったれな場所でも住めば我が家って感じがするね」

「……私は寝るためだけに帰ってるから、あまり実感が無いな」

 

 既に日が暮れ、夜の帷がおりたアリウス自治区。

 丸一日を要したサバイバル訓練を終えたレンゲとアズサは二人で宿舎への帰路を進んでいた。先程までシャワーを浴びていたせいか、火照った体に当たる冷たい風が心地良い。普段は鬱陶しいはずのアリウス特有の冷たい風に感謝し、レンゲは上機嫌に鼻歌を歌いながら宿舎の扉を開けた。

 

 今回の訓練で彼女たち第八分隊の成績は上々。3部隊を倒した上で被害らしい被害もなく(強いて言うならサオリからの折檻ぐらいか)、ゲリラ戦をほぼ理想的に戦い抜いたと言える。

 忌々しげに自分達を見つめる他の部隊や大人たちの視線も無視し、レンゲたち第八分隊は堂々と帰還した。

 

「みんなと一緒にシャワー浴びれなかったのは少し残念だけど……」

「いつまで隠すつもりなんだ? こんな姑息な方法だといつか必ずバレるよ」

「いや、まだまだ大丈夫でしょ。サオリたちも今日は全然怪しんでなかったしね。後は大人連中が飽きるまで我慢すれば何も問題は無い。それに、サオリたちと洗いっこできなくてもアズサと一緒にできるからね!」

「……レンゲが勝手に押しかけてきただけだろ」

「一人で寂しく済ませようとしてもそうは行かない。へっへっへ、私から逃げられると思うなよ」

「その言葉、そっくりそのまま自分にも当て嵌まるぞ」

 

 最近は一人寂しくシャワーを済ませている自分を棚上げにするレンゲに、アズサは呆れたように首を振った。

 多少強引なレンゲのアプローチも、今となってはそこまで苦ではない。「そういうもの」だと受け入れられる程度には彼女も慣れきってしまった。

 

 だが、レンゲがいつまでも大人たちからの()()を他のスクワッドのメンバーに隠し通せるとは思えない。むしろアズサの見解では、既に8割程度はバレている。

 

──あれほど血走った目でレンゲを見つめてたからな。

 

 ふと思い出す他のスクワッドの面々の表情。

 特にサオリに関しては「怪しんでいる」というレベルを通り越した表情でレンゲを見つけていた。敵の気配には敏感でもスクワッドの仲間からの視線にはまるで気がつく様子がないレンゲもレンゲだが。

 

 歪だ、とアズサが感じた。

 

 アツコを除くスクワッド一人一人が互いに依存し合っている状況。それが特に顕著なのがレンゲの存在だった。

 バカで抜けたところだらけなレンゲだが、歪な共依存で構成されているスクワッドを上手くまとめ上げている。本人にそんな自覚はまるで無さそうだが。

 

 逆に言えば、(レンゲ)が崩れた瞬間、このスクワッドは一気に決壊するかもしれない。

 

 この『家族』に決して心を許さず取り入ろうとしないアズサだからこそ分かる。今のスクワッドの状態は危うすぎる。

 

「レンゲはスクワッドの中での自分の責任を自覚するべきだ」

「自覚してるつもりなんだけどなぁ……だって私は一応副隊長なんだから!」

「そういう意味ではないんだが……」

 

 不思議そうにコテンと首を傾げるレンゲを他所に、アズサは自室の扉に手を掛けた。彼女からレンゲに伝えてもきっと無駄だろう。

 

「あれ、そこ私の部屋なんだけど」

「いや、私の部屋でもあるだろ」

「……もしかしてずっと謎だった私のルームメイトってアズサ?」

「気づいてなかったのか……」

 

 今更のように目を見開くレンゲ。

 

 だが確かに部屋の中で会話した記憶はアズサの中では無かった。

 自主練や反省部屋で夜遅く帰ると既にレンゲは間抜けな表情を浮かべて寝ていたし、朝起きて自主練に行く時もレンゲは寝たまま。最近では反省部屋で一緒に一夜を明かす事も増えたため、部屋に戻る回数も少ない。

 

「言われてみれば気づく要素は無かったな……」

「水臭いじゃんアズサ! それならそうと言ってくれればいいのに」

 

 腰に手を当てて頬を膨らませるレンゲに、流石にアズサも申し訳ない気持ちになる。

 

「……すまない」

「いーや許さないね! 罰としてアズサには今夜私の抱き枕に──」

「レンちゃん」

 

 なんだか恐ろしい事を言い出そうとするレンゲの声を、突然何者かが遮った。夜空に消えてしまいそうなほど小さなそれは、しかし確実に自分達へ……否、レンゲへ向けられていた。

 

「レンちゃん」

「むむ……この独特な心地よさで脳がとろけそうになるウィスパーボイスは……」

 

 二人は声がする方向──自分達の部屋の直ぐ隣の部屋の入り口へ視線を向けた。

 

「ひっ……!」

「あ、姫ちゃん!」

 

 思わず小さく悲鳴をあげるアズサを他所に、レンゲは笑みを浮かべた。

 

 半開きになった隣の部屋から、見慣れた紫色の髪の少女が顔を半分覗かせていた。普段は付けている仮面も外し、赤色の瞳が妖しく輝いている。

 

 普段は独特な感性を持つ心優しい少女なのに、なぜかアズサはなんとも言えない寒気を感じた。

 

「声出してるなんて珍しいじゃん。どうしたの?」

「レンちゃん、サッちゃんが呼んでるよ」

「え、サオリが? こんな夜中にどうしたんだろ」

 

 おいでおいでと手招きするアツコに何の疑いも抱かず、レンゲは身体の震えが止まらないアズサを置いて隣の部屋へと向かう。

 

「ごめんアズサ、先に寝といていいよ。罰ゲームはまた明日だからね!」

 

 そんな言葉を最期に、レンゲはアツコと共に隣の部屋へと消えた。

 

 呆然と立ち尽くすアズサ。

 

「……寝よう」

 

 とりあえず見なかった事にして、アズサも自室へと戻り布団を被った。

 

 

 隣の部屋からどったんばったんと悲鳴が木霊したのは、言うまでもない。

 

 

 

 

「来たよサオリ。こんな夜中にどうしたの?」

「待ってたよレンゲ。姫、二人きりで話したいからミサキたちの部屋に行っててくれる?」

「うん、分かった。サッちゃん、頑張って」

 

 アツコに言われるがままに私はサオリとアツコの部屋に来た。

 呼び出した張本人のサオリは窓から夜空を眺めていて、表情が分からない。ていうか、頑張れってなんだ?

 

 そのままアツコが部屋を出て行くと、この場には私とサオリだけになった。

 

「……サオリ? どうしたの?」

 

 でも、サオリはこちらに背を向けたままそれっきり一言も喋らない。

 開いた窓から肌寒い風が吹き、サオリの長い髪を揺らしている。こういう沈黙は苦手だからなんとか言って欲しい。

 

「サオリ?」

 

 沈黙に耐えきれなくなった私は、思わずサオリに歩み寄って肩を叩いた。

 

「ひぇ……」

 

 ゆっくりと振り返ったサオリの表情を見て、私は思わず後退りしてしまう。

 

 笑ってた。ただ目がまったく笑ってない。それどころかこちらを覗き込む目にはハイライトさんが留守だった。

 

 これはまさか……ブチギレモードのサオリ!?

 

「ちょいちょい待てって。そんな怒ってどうしたのさ? 別に前回みたいにサオリのチョコを勝手に食べたりしてないでしょ?」

 

 あの時もブチギレモードになったサオリは私(とついでに共犯者のヒヨリ)を地獄の果てまで追いかけてきて粛清した。あれは完全に私が悪かったけど、今回に関しては本当に心当たりがない。

 

 一歩、また一歩と後退する私と、そんな私を追いかけるように一歩ずつ近づくサオリ。ちなみにまだサオリは一言も喋ってない。

 

「うぇ!? か、壁?」

 

 しかしこんな狭い部屋でスペースなんてあるはずもなく、あっという間に私は壁際まで追い詰められてしまった。目と鼻の先まできたサオリの薄暗くなった両目が真っ直ぐ私を見つめる。

 

 そのままサオリはドン!と両手で私の顔の横の壁を叩いた。

 

「ぴっ」

 

 思わず情けない声を出してしまう私。

 

 こ、これは……ヒヨリの雑誌に載ってた壁ドンってやつ!?

 

「ど、どうしたのさ? ほ、ほら、そんな怖い顔してちゃビビってはにゃしもできやしない」

 

 怖すぎて声が震えてるのにこの状況にちょっとワクワクしてる自分がいる。いや、私は人を振り回すタイプだからこんなの何ともないのに──。

 

「脱げ」

「ふぇ!?」

 

 ようやく口を開いたサオリから発せられた一言に私は思わず声を上げた。

 

 ちょちょちょ待って欲しい。え? もしかしてそういうこと? もしかして私襲われようとしてる? ヒヨリの雑誌に載ってた大人のえっちなこととかされちゃうの? いやいやいや私たちまだ年齢が二桁になったばかりなんだからまずいでしょ。まずいですよ! 相手がサオリなら私も満更じゃないというか全然オッケーというか一番嬉しいけどもっと雰囲気とかシチュエーションとかあるだろうが。しかも壁薄いから隣の部屋の妹たちに聞こえちゃうかもしれないけどサオリってそういうこと気にしなさそうだよね。あ、でもこうやって半ば無理矢理なシチュエーションもちょっと良いかも。私もいよいよサオリと一緒に大人になる時が来たんだばっちこいサッちゃん自分がリードすると思ったら大間違いだよ私は反撃もするからね──。

 

「あざ」

「……へ?」

 

 しかし、一人脳内で興奮する私とは裏腹に、サオリから続け様に放たれた言葉に私は一気に青ざめてしまう。

 

「あざ、出来てるでしょ? 見せて」

 

 な、なぜバレた……身体に付けられたあざは全部服で隠してたし、痛がる素振りも極力見せなかったはず。ならなぜ……?

 

「どうして?って顔してるね。鏡で見てないの? 髪に隠れて見えにくかったけど、()()()()()()()()()()()()()()()

「あっ……」

 

 失敗した……!

 身体に付けられたあざには注意してたけど、首の方は髪に隠れて見えなかった。何度もあの教育を受けてるはずなのに、一度も気づかないなんて……。

 

「あ、もしかしてあの時私の頬をぐいーってやってたのも……?」

「うん、あざが無いか確認してた。本当は姫が先に見つけたんだけどね」

 

 まさかの姫ちゃんが策士だった。

 

「で、レンゲ。どういう事か説明してくれる?」

「あわわわ……」

 

 半ば確信めいた問いかけに、私は返す言葉は見つからない。

 観念した意味も込めて、私は両手を挙げた。

 

「降参、全部話すよ」

 

 もう誤魔化す意味も無いし、私は包み隠さず全てを話した。

 ここ最近ずっと大人連中から教育という名の暴力を受けていること、私がスラム時代にやらかした事に対する報復であること、そして連中がマダムの命令で動いてる事。

 話してる間も壁ドンされたままだし、目の前にドス黒いサオリの両目があるから怖いったらありゃしない。

 

「……成る程、わかった。それがマダムのやり方なんだね。なんで黙ってたの?」

「そ、それは……サオリたちに迷惑掛けたくなくて……それに告げ口すればサオリたちにも同じことするって言われて……」

 

 正直に言うと何度も助けを求めようと思った。

 でもサオリたちが理不尽な暴力で蹂躙されるのを想像しただけで足がすくんでしまった。家族が自分のせいで苦しむと考えるだけで自分の喉を掻き切ってヘイローを破壊したくなる。

 結局、私は家族が傷つくのを根本的に恐れているんだ。

 

 口をつぐみ俯いていると、ふわりと優しい匂いが花を抜けて全身を心地よい暖かさが包み込んだ。サオリが私の背中に手を回して抱き寄せてくれたおかげで、サオリのサラサラした髪が頬を擽る。

 

「大丈夫だよ、レンゲ。一人で傷つく必要は無いし、私たちも一緒にいる。一緒に傷ついてあげる。だから、自分で抱え込もうとしないでね? そのための『家族』なんだから」

「……そうだね」

 

 やっぱりサオリには敵わないなぁ……。

 

「これからはもっと私たちと一緒にいること。私たちが一緒にいれば大人連中も手を出しにくくなるでしょ?」

「うん……」

「あと、何かあればすぐ私たちに言って。自分一人で我慢しようとしないで」

「うん……」

「ついでに傷が治るまでこの部屋から出さないから。大人たちには感染症にでもなったって上手く納得させるから、ずっとここにいる事。言っておくけど、逃すつもりは無いよ」

「うん……うん?」

 

 ちょっと待って、最後変なのが混ざってた気がするんだけど。

 もしかしてそっちパターン?

 

「あの、サオリ? 別にそんな事しなくても私は全然普通に動けるから──」

「ダメ。どうせまた無理して傷ついて、傷の治りが遅くなるんだから。ただでさえ最近のレンゲは傷の治りが遅いのに」

「いやいや、そんなの偶々だって。アズサも待ってるんだし、もうそろそろ帰るね──いや、力つよ!? ちょ、離せコラ!」

 

 抱きしめたままのサオリの腕を外そうにも、ガッチリ私を抱きかかえていて全く外れる気配がない。しかも、絶妙な力加減のおかげでなぜか痛くもないのが逆に怖い。

 

「姫、ミサキ、ヒヨリ、ミッション達成。これよりフェーズ2に移行する」

「お疲れ様、サッちゃん」

「やっとレンゲが白状したんだね……姉さん、準備は万端だよ」

「えへへ、ちゃんと完治するまでお世話するので安心して下さい」

 

 いつからスタンバってたのか、サオリの合図で続々と入ってくる妹たち。てか、ヒヨリの表情も最初のサオリに負けず劣らず怖いんだけど。

 

 ジタバタと暴れる私を他所に、まるでゾンビのように私に群がってくるアツコたち。

 

「ちょっと待って! 離せコラ! やめろ何すんだお前ら!」

「ほら、暴れないでレンゲ」

「なんだかお泊まり会みたいでワクワクする。久しぶりにみんなで一緒に寝られるね、サッちゃん」

 

 普段は優しいはずのアツコが今では悪魔に見えてしまう。ていうか、一番ノリノリだ。こういう時はストッパーになってくれるミサキですらちょっと楽しそうにしている。

 この場に私の味方はいない。

 

「だ、誰か……アズサ、助け──」

「大丈夫ですよレンゲ姉さん。先程アズサさんにもお話ししたところ、それは良いと喜んでくれましたよ? きっとアズサさんも心配だったんですね」

 

 天使はいなかった。

 

「みぎゃああああああ!!!」

 

 

 結局サオリの許しを得るまで、私は出して貰えなかった。

 

 でも昔みたいにみんなと一緒に過ごせてちょっと嬉しかったのは、自分だけの秘密だ。

 

 

 

 




この後めちゃくちゃ(ry
どんな『お世話』をされたのかはいつか番外編にでも書きます。

・レンゲ
何がとは言いませんが受けタイプ。最近サオリのお仕置きがクセになってきた。

・サオリ
だが奴は弾けた。傷が増えるばかりのレンゲについに怒りが爆発。

・アズサ
あくまで部外者としてスクワッドと接しているつもり。




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トリニティ偵察任務(1)

いつの間にか今回も1万文字を超えてしまった。
個人的な理想は7000文字前後なんですが、キリの良いところまで進めようとするとなかなか上手く行きませんね…


──その日は唐突に訪れた。

 

 訓練したり、勉強したり、演習したり。

 変わり映えのない毎日は退屈な時もあったし、アリウスに来てからは苦しい時の方が多い。大人からの理不尽な扱いを我慢して必死に耐えて、来るべき出動の日に備え続けた。

 

 そんな毎日も家族と一緒なら乗り越えられる。

 いつか皆でアリウスを抜け出して、外の世界を肌で感じようと夢を見ながら、目の前の困難に立ち向かい続けた。全てはサオリの夢を叶えるために。

 でも変わらぬ毎日を過ごしていくうちに、いつしかそれは新たな日常と化していた。

 

 今思えば、アリウスでの日々に()()()()()()()のが間違いだったのかもしれない。

 

 私がマダムから呼び出されたのは、そんな変わり映えしない一日だった。

 

 

 

 

 

 

「入学の時以来でしょうか。見違えましたよ、荻野レンゲ」

「そういうマダムも元気そうで良かったよ」

「眉を顰めながら言う言葉ではないでしょうに。何を考えているか手に取るように分かりますよ?」

「おっと、ごめんごめん。ほら、私って顔に出やすいから。それに昔の私ならマダムからのお誘いなんて無視してるんだから、少しは成長を喜んで欲しい」

 

 アリウス自治区の奥地に聳え立つアリウス分校の校舎。

 その一室でレンゲはマダム──ベアトリーチェと対峙していた。

 

 アリウスへ入学して数年。少しは態度が軟化していると期待していたベアトリーチェの前に現れたのは、初対面時と変わらず敵意を隠そうともせずこちらを睨みつける二つの琥珀色の瞳。しかしその視線から感じる殺気はあの時のレンゲと比べても、より鋭く洗練されている。

 

 その僅かな変化に人知れず扇子の奥で口元を歪めながら、ベアトリーチェは目を細めた。

 

「あ、そういえばずっと言いたかったんだけど、()()()()()をしてくれてありがとね。私もアズサも熱いおもてなしを十二分に味わえてとても満足したよ」

「一体何のことなのか分かりかねますね。私はあくまで生徒たちに()()()()()の存在を教えたまでですよ? そこからどのように対応するかは生徒たち次第です」

「自主性の尊重ってやつ? 責任を取りたくない『大人』が使う常套句だね。反吐が出る」

「責任を自覚しない『子供』の相手をするのはこちらも苦労します」

 

 一触即発。

 二人の間で交わされる言葉の応酬を一言で表すなら、まさにその言葉通りだった。

 

 普段の人懐っこい笑みも隠し、アリウスの最高権力たるマダムを前にして敵意を見せつけるレンゲ。そんなレンゲを見下すように笑みを浮かべながら見つめるベアトリーチェ。二人の間に『友好』の二文字が塵ほども存在しないのは明白だ。

 

 肩をすくめたレンゲはこれ以上は無駄だと言わんばかりに首を振る。

 

「お互い悪口を言い合っても日が暮れるだけだよ。で、わざわざ私をこんなところまで呼び出した理由は? 早くミサキの成長記録を更新しないといけないんだけど」

「ふむ、貴女との問答を続けるのも悪くはないと思っていましたが」

「私にとっては時間の無駄だから。君と話すぐらいならその辺の石ころと雑談する方がマシだ」

「フフフ……貴女がそこまで言うのなら、私も本題に入らなくてはなりませんね」

 

 ベアトリーチェは広げていた扇子を畳むと、その先をレンゲへと向けた。

 

「荻野レンゲ。貴女に()()()()を命じます」

「偵察任務?」

 

 予想外の言葉に首を傾げるレンゲに、ベアトリーチェは続けた。

 

「アリウスの目的はただ一つ──トリニティへの復讐。しかしそのためにはまず敵の戦力をある程度把握する必要があります。それが今回の偵察任務です」

「……私一人で?」

「今のアリウスに貴女以上の適任はいません」

「サオリたちはどうするのさ。わざわざ同じ部隊で教育しておいて使うのは私一人なの?」

「偵察任務は少人数で行うのがセオリーです。それに、『スクワッド』を動かすにはまだ準備が足りない」

「で、使い捨てにもできる私を向かわせるのが一番だと?」

「使い捨てなどとんでもない。入学時に錠前サオリと(わたくし)が交わした()()を忘れたのですか?」

 

 無論、レンゲとて忘れてなどいない。

 アリウス入学時に条件としてサオリが突きつけた、『全ての役目を終えれば彼女たちスクワッドは解放される』という約束。この日までベアトリーチェはその約束を破ることなく、スクワッドに衣食住を与え今日まで生かし続けた。

 

 思わず舌打ちを漏らすレンゲ。

 事実、その点のみに限れば、彼女もベアトリーチェに感謝していた。

 

「貴女がこの任務を断れば、それは我々が交わした()()へ真っ向から違反する事になります。そうなれば一番苦しむのは貴女の家族ではなくて?」

 

 口元を歪め、嘲笑うように目を細めるベアトリーチェにレンゲは言葉に詰まった。

 明確な脅し。しかし言っている事は彼女が正しい。スクワッド全員がベアトリーチェと契約を交わしている以上、彼女に従う他ない。

 

 目の前の大人を睨みつけながら、レンゲはゆっくりと首を縦に振った。

 

「……私がいない間、家族には絶対手を出すな」

「フフフ……ええ、約束しましょう。この私、崇高の探求者ベアトリーチェの名に誓い、スクワッドへ一切手出ししません」

 

 ベアトリーチェの言葉に一先ずは納得できたレンゲは、深いため息を吐いた。仮にもここまで約束を守り続けたベアトリーチェだ、少なくとも自分の留守中にスクワッドが謂れのない扱いを受ける心配は無い。

 

「いいよ。トリニティでもゲヘナでも、どこへでも行ってあげるよ」

「むしろ喜ぶべき事ではないですか? 貴女たちが夢見た()()()()()()へ送ろうというのに──」

黙れッ!

 

 遮るようにレンゲはハンドガンを抜き、銃口をベアトリーチェへ向けた。血管が浮き上がるほど強く握られたグリップが軋む音が響き渡り、今にも銃弾を吐き出そうと震えている。息を荒げて目の前の大人を睨みつけながらも、引き金を引こうとする自分の右手を僅かに残った理性で押さえつけている。

 

「お前がサオリの夢を語るなッ……!」

「これは失言でしたね。謝罪しましょう」

 

 まるで悪びれる様子もなく告げるベアトリーチェに、レンゲは渋々銃を下ろし、腰のホルスターへと戻した。これ以上この大人と話していると自分の精神が保たない。

 

 踵を返し、入口のドアへと手を掛けた。

 

 

「期待していますよ? 荻野レンゲ」

「……君のためじゃないよ、マダム」

 

 

 

 吐き捨てるように言い残し、レンゲは彼女の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

「──というわけで、私だけ仕事を任されちゃった」

 

 あの怪物のような大人の部屋から出て私が一直線に向かったのは、愛する家族たちが待つ訓練場。かつてアリウスがまだトリニティから迫害される前に使っていた校舎の跡地を再利用した、なかなか趣のある遺跡だ。

 

 トリニティへの単独任務を告げられたと家族へ報告すると、当然のように反応は宜しくない。ミサキやアズサは神妙な表情を浮かべ、アツコは心配そうにこちらを見つめ、ヒヨリはあからさまに視線を泳がせている。

 

 しかし誰よりも動揺を見せたのは、やはりと言うべきかサオリだった。

 

「ど、どうしてレンゲだけなの……? 私たちはずっとスクワッドとして訓練してきたのに……」

 

 今にも泣き出しそうな表情で詰め寄ってくるサオリは普段の凛々しくてカッコいい姿とは正反対。最近ようやく目の下のクマが取れたというのに、こんなに悲しい表情をされると私も行きたく無くなってしまう。

 

「マダムに聞いてみれば? どうせ『まだ戦う顔をしてない』とかよく分からない理由で誤魔化されると思うけど」

「そ、それでも! レンゲ一人じゃ危険すぎるよ!」

 

 そんなサオリを落ち着かせようと、私はサオリの頭に手を置いた。いつの間にか抜かされてるぐらい身長も大きくなったのに、心配性なのは治る気配が無い。そういうところも含めて大好きなんだけどね。

 

「大丈夫だって! トリニティなんて所詮キヴォトスのお嬢様学校に過ぎないんだよ? 私たちが毎日戦闘訓練に明け暮れてる間、向こうは紅茶キメながらお菓子食べてるような連中なんだから。『正義実現委員会』とか『シスターフッド』とかもどうせお飾りだし! トリニティにヤバい奴なんて絶対いるわけないよ!」

「あわわわ……レンゲ姉さんが全力でフラグ構築してます……み、ミサキさん! どうにかならないんですか!?」

「ならない。今の私たちにできるのはサオリ姉さんを少しでも安心させる事ぐらいだよ。見て、姉さんのあの表情。あのままじゃレンゲを拉致監禁してでも引き止めようとするよ」

 

 そ、それは流石にやめて欲しいかな……。

 初めて痣の事がバレた時に完治するまで監禁されたけど、あれ軽くトラウマになってるんだからね? てか、君らも割とノリノリだったでしょ。

 

「大丈夫だヒヨリ。あれでもサオリは私たちの隊長なんだ。きっとレンゲの言葉も信じて送り出してくれるに違いない。私たちはレンゲがいない間も訓練を積んで、次の任務の手助けになれるようにすればいい」

「アズサちゃん……」

 

 そんなヒヨリを励ますようにアズサが声を掛ける。アズサもうちの部隊に入ってからヒヨリの扱い方に慣れてきているようで、手慣れた様子でヒヨリの頭を撫でている。肝心のアズサは……心配しているようには見えないけど、どちらかと言うと『悔しい』という表情を浮かべている。勤勉なアズサだから、自分が任務に呼ばれていないのを気にしているのかもしれない。

 

 でも、ある意味これは私にとっても好都合だ。

 アリウスの外がどうなっているか、家族を危険に晒す事なく自分の目で確かめられるし、これからの敵がどういう存在なのかも見れる。

 

 それに……外の世界を見れることに気分が高揚していないと言えば嘘になる。

 

「あ! せっかくだしみんなで写真撮ろうよ! もしかしたら外の世界なら現像も出来たりするかもしれないし!」

「観光しに行く訳じゃないんでしょ? そんな暇があるの?」

「甘いねみーちゃん。時間が無ければ無理矢理作るのがプロだよ」

「なんのプロなの……あと、みーちゃんじゃないから」

 

 なんとかサオリの気分を落ち着かせようと、全員に集まるよう手招きする。なんだかんだ全員集合してる写真って撮った事ないからね。

 

「折角だし姫ちゃんも仮面外しちゃいなよ。姫ちゃんの可愛い顔がないと寂しいから!」

『怒られちゃう』

「へーきへーき! どうせ誰も見てないよ。ほら、没収ー」

 

 てこてこ歩いてきたアツコの顔から仮面を外すと、ほんのり頬を赤く染めながら彼女ははにかんだ表情を浮かべた。

 うん、仮面が無い方が百倍可愛い。

 

「ほら、アズサも何してるの。早くこっち来て」

「……いや、私はあくまでスクワッドの一員だ。サオリたちの家族写真に入る訳には──」

「私、アズサにも一緒に写って欲しいな。サッちゃんもきっと喜ぶ」

「なっ、アツコ!?」

 

 一歩離れた位置で私たちを見守っていたアズサを、アツコが腕を掴んで引っ張り込む。アツコも仮面を取って吹っ切れたらしく、そのままぎゅっとアズサの腕を抱きしめた。逃がさないという強い意志を感じる。

 

「よーし、これで全員揃ったね」

「あれ、でもレンゲ姉さんが撮ってしまうとレンゲ姉さんが写りませんよ? レンゲ姉さん無しの家族写真は……寂しいです……」

「えへへ、安心してヒヨリ。なんとこのカメラ、実はタイマー機能が付いてるのについ最近気づいたの! 設定すればグレネードみたいに一定の時間が経過してから撮影できるみたい」

「わぁ……凄いです!」

「何年も使っといて最近気づいたの……」

 

 素晴らしいと目を輝かせるヒヨリとは対照的に、隣のミサキはジト目をこちらに向けてくる。

 気づかなくて悪かったね。でもマニュアルとか何も無いから許してくれ。

 

 全員の準備が完了したのを確認すると、私はカメラのタイマー機能を設定し、近くの瓦礫の上に置いた。そのまま慌ててサオリたちの元へ戻り、カメラに向かってピースサインを作る。

 

「はい、3、2、1!」

 

 パシャリと一瞬眩い光が目を照らす。

 

「オッケー! 向こうで現像できたらみんなにもあげるね!」

 

 カメラに記録された写真を確認すると、私は自然と笑みをこぼしてしまった。

 

──どこか気まずそうに佇むアズサ

 

──そんなアズサの腕を抱きながらもう片方の手でピースサインを見せるアツコ。

 

──二人のすぐ後ろで、ミサキとヒヨリを抱き寄せながら微笑むサオリ。

 

──サオリに肩を抱かれてほんのり頬を赤く染めながらも、いつも通り仏頂面なミサキ。

 

──控えめにピースサインを作りながらも、嬉しそうに笑顔を浮かべているヒヨリ。

 

──最後に、アツコの隣で満面の笑みを浮かべながら両手でピースしている自分(レンゲ)

 

 

 きっとこれ以上の一枚は撮れないであろう、大切な家族を写した最高の写真。眺めているだけで胸の中がポカポカしてくる。

 

 同時に、私は心の中で決意した。

 

「何がなんでも絶対無事に帰る……!」

 

 家族を守るために、絶対に。

 

 

 

 

 

 あれからまたサオリが引き止めようとしてきてもう一波乱あったけれど、なんとか指定された自治区の出口へと辿り着く事ができた。というより、あの演習場のすぐ近くだった。

 

 いつも教官たちの目があって気がつく事が無かったけど、こんなところに()()()()()の入り口があったなんてね。

 

「よっこい……しょ!」

 

 重たいマンホールを持ち上げ、カタコンベへ続く道を開放する。

 

 アリウス自治区が長年その存在をキヴォトスから隠し通す事ができた最大の理由が、このカタコンベだ。

 

 迷宮のように幾つもの道筋が入り組んだ地下通路であるカタコンベは、なんと時間経過でその内部構造が変化する。どんな原理でどんな風に変化しているかは全くの謎。でも変化する度に入口と出口も当然のように別の場所に変わるから、内部の構造や変化のパターンを把握していないと一生彷徨い続ける事になる。

 

 つまり、アリウスの人間以外は決してアリウス自治区に入る事ができないし、それどころかアリウスの人間ですら補助がなければとてもではないけど行き来する事なんてできない。

 

 流石の私もここでふざけられるほど図太くない。

 

 体の中からじわじわと湧き上がってくる緊張感を押さえつけながら、今一度自分の装備を再確認する。

 

 メインアームはオーソドックスなアリウス製のアサルトライフル……ではなく『バトルライフル』。アサルトライフルとの違いはあまりよく分かってないけど、サオリとアズサ曰く「簡単に言えばアサルトライフルとスナイパーライフルを足して2で割ったような銃」らしい。

 サオリの銃と比べると確かにバレルが長いしスコープも付けられているから、その説明で割と納得できた。どちらの性質も持っているから、単独任務にはピッタリな銃かもしれない。

 

 サイドアームは黒色の塗装がされたアリウス製のハンドガン。

 特に変わったところは無い、アリウスに来てから使ってるものだ。

 

 弾薬も十分持ってきているし、いざという時のグレネードも数種類リュックに詰め込んでいる。

 

 そして初任務という事もあって、いつもの黒一色の服からも着替えている。というよりあんな格好じゃお嬢様学校のトリニティでは目立って仕方がない。見つかるつもりは無いけど、見つかった時にせめて言い訳ができる格好でないといけない。だったらトリニティの制服ぐらい用意してくれよって話だけど。

 白色のワイシャツに黒色のスカート、そして黒色のネクタイ。その上からアリウスの証である白色のコートに袖を通している。初めて選べた自分の()()()で、結構気に入ってる。ちなみにあのガスマスクも貰ったけど流石に断固拒否した。多分リュックの奥底に押し込まれたままだと思う。

 

「あ、そういえばあれも貰ってたんだっけ」

 

 いざカタコンベへ足を踏み入れようと一歩前へ出ようとしたその時、マダムの部屋から出た時にアリウスの生徒からインカムを貰っていたのを思い出した。確か作戦開始時には絶対付けておけってかなりキツく言われてた気がする。

 

「危ない危ない。開幕早々にガバをやらかすところだった」

 

 カバンの中にガスマスクと一緒に押し込んでいたインカムを取り出し、ヘッドセットのようになっていたそれを耳に当て、マイクを口元まで引っ張る。あとは電源を入れて……。

 

《やっと電源入れやがったなクソガキ。お前絶対忘れてただろ》

「うひぃ!? な、なに!?」

 

 回線が開通した瞬間、不機嫌そうな声が耳元で響いた。

 しかも、その声は随分と聞き覚えのあるものだった。

 

「もしかして脇見運転のお姉さん? 流石に色んな仕事受けすぎじゃ無いの? あ、運転関係以外は、だね」

《いい加減私の運転ネタを擦るのやめろ。それに今はお前のカタコンベ突破のサポートだ。あまり舐めた口をきいてると……一生カタコンベから出れなくするぞ

「ひえっ……」

 

 ごめんて。

 いつかの脇見運転兼部隊長兼看守のお姉さんの声に、思わず笑みを浮かべてしまう。特に仲が良いというわけでもないのに、知った声を聞くだけでなんだか嬉しくなってしまう。

 

《とりあえず私の指示に従って動け。カタコンベは12時間前に変動したばかりだ。しばらくはそのままのはずだが、万が一もある。迅速に行動することを心がけろ》

「ラジャー。私死ぬほど方向音痴だから誘導はしっかり頼むよ」

《こっちが不安になる事を言わないでくれ……ほら、さっさと中に入れ。いつまでもカタコンベの入り口を開けておくわけには行かない》

「了解っと」

 

 最後に一度、アリウス自治区を眺める。

 苦しい記憶しかない場所なのに、改めて離れるとなるとどこか感慨深いものがある。

 

 未練を断ち切るように首を振り、私はゆっくりとカタコンベへ続く梯子を降り始める。途中で入口を塞いでいたマンホールも元に戻したせいで、辺りは一気に薄暗くなった。まさに洞窟の中という感じだ。

 

《フラッシュライトは点けておけ》

「いや、これぐらいなら無しでも見える。電池は節約しておかないとね」

《そ、そうか……なら、そのまま真っ直ぐ進め。30メートル先の分かれ道を西の方角だ。カタコンベはアリウスでもまだ全てを把握できた訳じゃ無いから、慎重に──おい、どこへ向かってる! 真っ直ぐって言っただろうが! そっちは反対方向だ!》

「真っ直ぐって言ったのはそっちじゃん!」

《だーもうめんどくせぇ奴だな! 北だ! 北の方角に進め!》

 

 方角で言ってくれないとこっちもわからないでしょうが。

 

 コートのポケットからコンパスを取り出し、指針を頼りにゆっくりと進む。カタコンベは人どころか動物一匹といないはずなのに、その異様な雰囲気は思わず息苦しさを感じるほどの緊張感がある。自然と足取りも重くなり、額に微かに汗が滲む。

 あまりの重苦しい雰囲気にこちらが先に参ってしまいそうだ。

 

「ねぇ、しりとりしようよ」

《ぶん殴るぞクソガキ》

「えー……暇なんだもん。あ、それかいつかの時に言いそびれた私オススメの缶詰の紹介を──」

《黙れ。今回ばかりは私も遊んでられないんだよ。なんせ、アリウスにとって()()()()()()()()()なんだぞ》

「……それを君の言うクソガキな私に任せていいの?」

《今のアリウスでお前より強い奴はいない。だからお前以上に適任がいないんだよ……癪な話だがな》

「ねぇ、スカートって初めて履いたんだけど足がなんだかスースーするね。でも女の子!って感じがするしアツコも可愛いって褒めてくれたから好きになりそうかも」

《会話のキャッチボールぐらいしろ。私はバッピじゃないんだぞ、話題を場外ホームランしてどうする》

 

 声色からして明らかに強張っていたお姉さんの緊張をほぐそうと私なりの頑張りだったのに、お姉さんはあまりお気に召さなかったらしい。でも緊張自体はちゃんと解けたのか、お姉さんは深いため息を吐いて普段の気だるげな口調で続けた。

 

《こんなんでこの任務は大丈夫なのかよ……》

「安心しなって。私以上の適任者はいなかったんでしょ?」

《その肝心の適任者がお前だから不安なんだよ》

「酷いなぁ。私ってそんなに信用できない?」

《普段の自分を振り返ってみろ》

「ぬふぅ……」

 

 自覚があるせいでお姉さんからの正論パンチがボディブローのように突き刺さる。

 

《にしてもネクタイは邪魔じゃないのか?》

「フフフ、お姉さんもまだまだだね。こういうのが仕事ができる女って感じがするってヒヨリの雑誌に書いてあったんだよ。職を転々としてるダメ女なお姉さんには分からないだろうけど」

《うるさい、人が気にしてることを気安く言うな。そもそもネクタイの結び方なんて知ってるのか?》

「勿論……アツコにやって貰ったよ!」

《だろうな》

 

 なんだかんだ雑談を続けながら、私たちはゆっくりとカタコンベの奥へと進み続けた。こうして見てみると、なんだか絵本に出てくるダンジョンみたいでちょっとテンションが上がる。

 

《止まれ。そこから半径5メートル以内に梯子があるはずだ。そこを登れば外に出られる。位置的には……今回の出口は少し山の上にあるみたいだな》

「……そっか、漸くかぁ」

 

 探すまでもなく、目的の梯子は目の前にあった。少し錆びついたそれは天井まで伸びていて、アリウスから出た時と同じようにどうやらマンホールのようなもので塞がれているらしい。

 

 一歩ずつ、梯子に足をかけて登る。徐々に、しかし確実に……外の世界へと近づいている。

 

「ん……よっこらせっ……!」

 

 出口を塞いでいたマンホールを退かすと、眩い太陽の光が薄暗いカタコンベの中を一気に照らす。どんよりとした雲が覆う日が圧倒的に多いアリウスの空とはまるで違う、見惚れるほどの綺麗な青空だった。

 

 銃を肩に下げ、足に取り付けたホルスターからハンドガンを取り出し申し訳程度に周囲を警戒する。

 

 ようやく重たい身体を引きずってマンホールから這い出ると、すぐさま両手にライフルを握り周辺を見回す。見る限り立派な木々が立ち並んでいて、人の気配はしない。荒廃したアリウスではまず見かけない、緑豊かな自然の中にいる。

 

「……クリア。無事カタコンベを突破した」

《よくやった、クソガキ。すぐに偵察任務に当たれ。トリニティの地形、戦力、情勢……あらゆる情報を持って帰るんだ。偵察任務中は痕跡を残さないために無線も切れ。次に接続するのは帰投する時だ。分かったな?》

「了解。これより任務を──」

 

 ふと何気なく木々が途切れたスペースへ視線向けた瞬間、私は言葉を失った。

 

 

 

「──綺麗……」

 

 

 その一言しか思い浮かばなかった。

 山の上で自治区を見下ろすような形になった私の目の前に広がっていたのは、美しいトリニティの街並みだった。

 

 豊かな自然に囲まれたおとぎ話のような街並み。

 

 周囲一帯を透き通るように青い湖が囲んでいて、上空の青空を鏡のように映している。

 

 そんな自治区を歩く、アズサと同じような綺麗な翼を持った生徒たち。

 

 何もかもがアリウスと違いすぎて、本当にかつては同じ学校だったのかと信じられないぐらいで──。

 

──私たちが味わった苦しみを思い知らせてやる。

 

「ッ!?」

 

 待って、私は今()()()()()

 

 初めて目にするトリニティの姿を前に、何かが脳の奥底から湧き上がってくる。まるで自分が自分じゃないようで、思わず一歩後退りしてしまう。

 

《あまり取り込まれるなよ》

 

 そんなお姉さんの言葉に、ようやく我に帰る。

 そうだ、今はトリニティに魅了されている場合じゃない。

 

「ごめんね、お姉さん。もう大丈夫」

《……そうか。なら私はもう行く。幸運を祈るぞ、クソガキ》

「そこはレンゲって呼んでよ」

《アホ、百万年早いわ》

 

 そんな辛辣な言葉を残してプチっと通信を切ったお姉さんに、私は思わず苦笑する。最後ぐらい優しさを見せてくれてもいいのに。

 

 頭に付けていたインカムを外し、リュックの奥に押し込む。

 

「さてさて、改めてトリニティ自治区の様子は、っと」

 

 その場でうつ伏せに寝転がりライフルに取り付けられたスコープからもう一度自治区内の様子を覗き見る。

 

 スコープによってより鮮明になったトリニティの姿は、やはり目眩がするほど眩しい。徐々に速くなる鼓動を抑えながら、確認できる内容をできる限りメモに残す。

 

「自治区全体が湖の上に作られてるみたいだ……入り口は二箇所で、当然のように正実の生徒が監視……外からの侵入はなかなか難しそうだ……となると、無理にでもカタコンベを突っ切って中から攻めるのが最善かな……」

 

 うーん、頭を使うというのはどうにも慣れない。

 ここからトリニティと全面戦争になった場合の敵の戦力の振り分け、防衛拠点、作戦司令部の場所などを全部自分で予測して、書き記す必要がある。特に戦力の見極めが重要で、こればかりは山に篭っているだけでは限界がある。つまり、トリニティの内部に侵入する必要がある。

 

 敵の本拠地に単身乗り込むという考えるだけで震えそうな任務だけど、どうにも思ったほど緊張感が無い。

 

 というのも、中央の広場に集まっているトリニティの生徒たちを見る限り、誰も戦闘訓練を受けている様子がない。笑顔を浮かべながら友達とお話するばかりで、銃すらろくに撃った事が無さそうな子しかいない。今朝サオリに言ったように、やっぱりトリニティに戦えそうな人なんている気配がない。

 

 平和ボケ、と呼べばいいのだろうか。

 いや、ただ単純に私たち(アリウス)がおかしいのだろうか。

 

「私たちも何かが違えば、ああやって過ごせたのかな……」

 

 明日を迎えられるかに怯える事もなく、大人の理不尽な暴力に曝される事もなく、家族と一緒に毎日を生きる、そんな生活が──。

 

「あれー、こんなところで何してるの?」

「くぁwせdrftgyふじこlp!?!?!?!?!?」

「あはは、変な声! ごめんね、驚かせるつもりは無かったの」

 

 突然スコープいっぱいに広がる、綺麗な金色の瞳。

 

 思考の海に囚われていた私の脳が一気に覚醒し、思わず声にならない悲鳴を上げながら飛び起きてしまった。

 

 こんなに接近されてるのに気づかないなんて……なんだかトリニティに来てから変な気分になってる。

 

 問題は目の前のお客さんだ。

 

 広場にいたトリニティ生が着ているものとはどこか趣が違う、白を基調にした見慣れない制服。背中から顔を覗かせている大きな翼はアズサのそれに勝らずとも劣らずの綺麗さ。そして何より目を惹くのは、綺麗に整えられた桃色の長い髪。

 

 綺麗な人だと素直に思った。

 

「で、あまり見かけない顔だけど、こんなところで何してるのかな⭐︎」

 

 笑顔を浮かべているのに圧倒的な威圧感をぶつけてこなければ、どれほど安心できたことか。

 

 

 

 ごめんサオリ、やっぱりトリニティにもヤバい人いたよ。

 

 

 

 




別名、トリニティボスラッシュ編。

果たしてレンゲは無事生還できるのか。


・レンゲ
ボスラッシュにチャレンジする人。なお、初っ端からラスボス級に遭遇してしまう不運。愛銃のモデルはHK417。
設定も段々と出せてきたので、近いうちにキャラ設定を投稿するかも。

・ベアトリーチェ
自分の名に誓ったので、レンゲの留守中はきっとスクワッドには手出ししないでしょう。

・アリウススクワッド
監督に「戦う顔をしてない」と言われたため今回の任務はスタメン落ち。素晴らしいマダム。



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トリニティ偵察任務(2)

密かに目標にしていた20話投稿をようやく達成できました。
まさかここまで続けられるとは自分でも思っていませんでしたが…。

記念に後書きにレンゲのキャラプロフィールのようなものを書いてみました。

今後も30話目、40話目と投稿できるように頑張ります!


 

 

「ねぇ、黙ってちゃ分からないでしょ? お名前教えてくれると嬉しいかな! あ、私は聖園(みその)ミカ! 高等部の一年生だよ⭐︎」

 

 目の前のヤバそうな人──聖園ミカと名乗った女の子を前に、私は滝のように冷や汗を流していた。

 眩しすぎる笑顔を浮かべながらこちらに問いかけてくる姿は、見慣れない子を遊びに誘うような優しさに見える。でも、これは間違いなく()()だ。

 

 それもそうだ。見慣れない生徒がスコープ越しに自分の自治区を覗いていたら、誰だって怪しむ。ただでさえリュックとか背負ってていかにも「偵察に来てます」って見た目をしてるのに。

 

 でも私に焦りはない。ここは冷静に対処し、穏便に帰って貰おう。

 

「こここここここんなところで会うなんて奇遇ですね! いやぁ、こんな山奥に私以外の人がいるとは思わなくてちょっとビックリしちゃいました。よ、よく来るんですか?」

「ううん、今日はちょっと気分転換も兼ねてお散歩がしたくなったの。で、貴女は誰で、ここで何してるの?」

 

 話題転換もダメ。にっこり笑ってるけど、目つきが「お前を逃すつもりはない」と如実に語っている。

 でも、さっきこの子は高等部の一年生って言ってた。つまり進学したばかりで、まだ同級生の顔も全員把握できてないはずだ。それなら上手く誤魔化せそう……なんだかあまり頭が良く無さそうな雰囲気してるし。

 

「実は私、今年からトリニティに転校して、まだ右も左も分からなかったんですよ! だからこうして高いところに登って自治区全体を見てみたくなって」

「すごーい、今年から転校したんだね。トリニティの生徒って大体が初等部からいる子が多いから、転校生って珍しいかも?」

「そ、そうなんですよ! いやぁ、それにしてもトリニティはとても広くて綺麗ですね──」

「じゃあ()()()()転校してきたか教えてくれるかな⭐︎」

「…………」

 

 まずい、ミカの話に乗ってみたは良いけど、私トリニティ以外の学園なんて知らない……トリニティのことばかり気にしていたせいで、授業で習った気がする他の学園のことなんてすっかり頭から抜け落ちてる。

 

 だからといってバカ正直にアリウスって答える訳にも行かないし、トリニティ以外の他の自治区といえば……。

 

げ、ゲヘナ! 私、実はゲヘナから転校してきたんですよー!」

 

 トリニティと同じく、アリウスにとっては復讐対象であるゲヘナ。

 あまり名乗って気分の良い学園ではないけど、今はこれで切り抜けるしかない。なんだかめちゃくちゃ嫌な予感がするけど、きっと気のせいだろう。

 

「……へー、貴女ゲヘナから転校してきたんだ」

 

 しかし、その学園を口にした瞬間、私は猛烈に後悔することになった。

 

 『ゲヘナ』というたった三文字を伝えた瞬間、それまで表面上は友好的な笑顔を見せていたミカから一気に感情が抜け落ちた。能面のような無表情を浮かべ、金色の瞳から光が消える。そして何より、声のトーンが一段低くなった。

 

 その姿を見て、私の直感がこう告げた。

 

──あ、これ地雷踏んだ奴だ。

 

 徐々に体が震え始める私を他所に、ミカは特に何かする訳でもなく、後ろで手を組んで山の上からトリニティを見下ろしていた。

 

「……お名前は?」

「タカシです」

「あはは、もう少しマシな偽名を名乗ろうよ。でも、今はもう貴女の名前なんて関係ないよ」

 

 くるりとお上品にスカートを翻しながら振り返るミカ。

 

 その手にはいつの間にか、キラキラと輝くサブマシンガンが握られていた

 

「ねぇ、知ってる? トリニティの中にはゲヘナを良く思わない人が沢山いるの。中には『今すぐゲヘナと戦争しよう!』って思ってる人も少なくないの」

「へ、へぇ。それは物騒ですね。私も気をつけるようにしま──」

「ちなみに私は『ゲヘナなんて潰しちゃおう』派の筆頭だよ⭐︎」

「…………」

「あれ、どうしたの? あはは──顔が青いよ?」

 

 ゆっくりと掲げられる銃口。

 ただのサブマシンガンのはずなのにまるで戦車の主砲のような威圧感を持つそれは、真っ直ぐ私へと向けられた。

 助けてサオリ。

 

「もう一つ言うと、ここはトリニティ自治区内でもカタコンベの入り口があるって噂されてるから立ち入り禁止なの。もちろんトリニティの生徒なら誰でも知ってる校則だし、入学する時にも進学する時にも鬱陶しいぐらい強く言われるから知らないはずがない。わざわざ()()ゲヘナから転校してきたんだし、これぐらい分かるよね?」

「……忘れてました。ちゃんと入学式の時に注意されました」

「あはは、見え透いた嘘だね。ちなみに実はそんな校則なんて無いし、立ち入り禁止区域なのは本当だけどそもそも誰も立ち寄らない場所だから、わざわざ学園も注意したりはしないよ」

 

 訂正、この子普通に頭良いわ。

 

「それじゃあ──とりあえず一緒にナギちゃんのところに行こっか⭐︎」

「謹んでお断りさせて貰うよ!」

 

 ミカがトリガーを引くより先に、私は手に持っていたライフルを構えて躊躇なく指に力を込めた。

 7.62ミリの弾丸は真っ直ぐミカへと向かい、無防備な額を容赦無く撃ち抜く。

 

 そしてこの銃撃を合図に、私の長い長い一日が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけは幼馴染との些細な喧嘩だった。

 今となってはなぜ喧嘩したのかも、どういう内容だったのかも思い出せないが、とにかくミカは幼馴染のナギサと喧嘩してしまった(今思えばティーパーティーの補佐になったナギサが自分に構ってくれなくて不満を抱えていたのかもしれない)。

 結果、ミカはそのままトリニティ自治区の郊外へ飛び出した。

 

 ちょっとした気分転換も兼ねて自然に満ち溢れた山道を歩き、新鮮な空気を存分に楽しみ、いつしか幼馴染に対する怒りも消えていた。やはりたまには行った事のない場所へ足を運んでみるものだ、と彼女は満足げに頷く。立ち入り禁止区域を散歩しているという事実は、彼女にとってはどうでも良い事だった。

 

 目の前の怪しげな少女と遭遇したのは、そんなお散歩の最中だった。

 

 背中まで届く程度の長い焦茶色の髪に、トリニティでは見かけない白いコートに袖を通している。その隣には大きなサイズのリュックが置かれ、いくつかのサバイバル道具が取り付けられているのが見えた。

 その上、立ち入り禁止区域で銃に取り付けられたスコープ越しにトリニティ自治区を見下ろし、何かを熱心にメモしている。少なくともトリニティの生徒が間違え迷い込んでしまったとは思えない。

 

 ミカが迷わずその怪しげな少女に声を掛けると、その少女はあっさりとボロを出した。どうやら根本的に嘘が苦手な人物らしい。

 

 あたふたと慌てた様子で言い訳を並べる少女を横目に、ミカは考えた。

 

 彼女自身、自分をゲヘナからの転校生だと語っていた。バレない嘘を吐く時は一部だけ真実を織り交ぜるのが一番良いと、以前ナギサが得意げに語っていた気がする。

 その説を信じるならば、彼女はゲヘナのスパイか何かだろう。

 

 ならば、五体満足で帰す理由など欠片も無い。

 

 彼女とてトリニティの生徒会──ティーパーティーの一員。政治には疎くても、持ち前の『強さ』でトリニティに貢献できる。

 

 結果的にミカの予想は、自身の額を撃ち抜かれたおかげで確信へと変わった。

 

 衝撃で仰け反りながらも、その口元は獰猛な笑みを浮かべている。

 ゲヘナが相手なら、完膚なきまで叩き潰しても良心は痛まない。捕まえるのは両手足をへし折って、動けなくしてからでも問題は無いはずだ。

 

──目の前の少女が一体誰を敵に回したのか、骨の髄まで思い知らせる。

 

 そして仲直りの印として、このスパイの身柄をナギサに引き渡そう。

 

 そんな想いを胸に、ミカは愛銃のセーフティを外した。

 

 

 

 

 

 

 

 先手必勝とばかりに、私はミカの頭を撃ち抜いた。

 狙いは寸分の狂いもなく、手応えも十分。脳を揺らされた彼女はこのままなす術もなく昏倒するはずだ。

 

「いったーい⭐︎ もう、急に撃つからビックリしちゃった」

 

 しかし返ってくるのは、まるで痛がっているように聞こえない明るい声。

 

「えぇ……」

 

 まるで効いてないんですけど……。

 

 私の渾身の一撃を軽く流した彼女は、仰け反った状態からゆっくりと身を起こした。額には確かに銃弾が叩きつけられていたようで、少しだけ赤くなっている。でもその表情は、まるで獲物を見つけた捕食者のように、歪に歪んでいた。

 

 背筋を冷たい汗が流れる。

 

 サオリ、この子ただのヤバい奴じゃなくてめっちゃヤバい奴っぽいよ。

 

「それならッ!」

 

 ハンドガンに持ち替え、彼女に肉薄する。

 急接近する私を牽制するように彼女のサブマシンガンから銃弾が襲いかかってくるものの、()()()()()()()()()()()()。弾は当たる事なく背後の木々に命中し、数本ほど薙ぎ倒したのか何かが崩れる音が聞こえる。サブマシンガンが出して良い威力じゃない。

 

 目の前で驚いたように目を見開く彼女の表情が見えた。彼女の鳩尾にハンドガンの銃口を押しつけ、迷わずトリガーを引いた。

 

「うっ……!」

 

 ようやくミカから苦悶の声が漏れる。

 しかし彼女もただではやられないようで、目の前に綺麗な拳が迫ってくる。咄嗟に首を逸らすと、凄まじい速度で振るわれた拳が頬を掠めた。その拳自体が既に弾丸のような威力と速度を持っていて、思わず冷や汗が流れる。

 これは一発でも喰らったら確実にノックアウトされそうだ……!

 

 口角を釣り上げたミカと目が合う。

 挑発的な笑みを浮かべているミカの目が「それで終わり?」と語っているのが分かる。

 

「んな訳ッ!」

 

 ミカの伸ばされた腕を抱え、関節を逆方向へ曲げようと力を込めた。本来ならここで腕を折れるというのに、ミカの細腕はまるで鉄骨のような硬さでびくともしない。

 

 こんな華奢な腕のどこにこんな力があるんだ。

 

 だったら!

 

「うぉりゃッ!」

「わっ──」

 

 勢いそのまま、私はミカを背中に背負うようにして持ち上げると、抱えていた腕ごと地面に叩きつけた。体重だけは見た目通りの女の子らしい軽さだったのが幸いだ。

 

 投げられながらもしっかりと受け身を取っているミカだが、今の彼女は無防備にも体を曝け出している。仰向けに倒れた彼女の額に銃口を押し付けると、今度はマガジンが全て空になるまで引き金を引いた。

 

 乾いた音と共にいくつもの銃弾が打ち込まれ、ミカの頭が大きく仰反る。

 

 最初に急所に打ち込んだ上に、頭にマガジン一本分吐き出したんだ。流石の彼女ももう立ってはいられな──。

 

「ぐぁ……!?」

 

 勝利を確信した私の目の前にあの金色の瞳が飛び込んできたかと思ったら、鈍い衝撃と共に私は地面を転がった。

 

「まさか弾を避けられるなんて、凄いね! でも、それだけ?」

 

 私を嘲笑うように、目の前の怪物は額から流れる血を手で拭き取りながら立ち上がった。多少の血は流しながらも疲れどころかダメージ一つ負っている様子はない。

 

 ふむ。

 

 なるほど、理解した。

 

「こいつまともに戦ったらダメなタイプだ……!」

 

 咄嗟にスカートのポケットからグレネードを一つ取り出し、迷わず目の前の怪物に投げつける。そのまま爆発を見届けないまま置いていたリュックを回収し、全速力で走り始めた。

 

「無理! 無理無理カタツムリだよこんなの!」

 

 あの子はきっと絵本の中から間違えて出てきちゃった魔物に違いない。若しくはヒヨリの雑誌で特集されてた地球外生命体とか。いや、じゃなきゃ説明が付かない。

 

 しかし背後から迫ってくる足音が、全力で現実逃避するそんな私を無情にも現実世界へ引き戻した。

 

「あはは、鬼ごっこは私も好きだよー! 頑張って逃げてね? 絶対に逃がさないから

 

 あの子にとってグレネードは水風船でも投げつけられたようなものなんだろうか。背後から恐ろしい言葉が聞こえてくる。

 

 幸いにもそれほど足が速いわけではないみたいで、リュックを背負った状態でも適度に距離を離せている。あるいはわざと追い付かない程度に走って私が逃げ惑うザマを楽しんでるか。荷物という重りがある以上、私でも完全に振り切ることは難しそうだ。

 

「うわっ、うへっ、ひえっ、狙いも、正確すぎる、でしょ!」

 

 しかも走りながら撃っているというのに、彼女から飛んでくる銃弾はどれも的確に私を狙っている。サブマシンガンという銃の性質上、精密射撃なんてできないはずなのに……しかもどういう原理か威力がライフル並みだ。

 

 徐々に山を降りてトリニティ自治区へ戻っているというのに、背後から飛んでくる銃弾を勘と気合いで避けながら、私はなおも全速力で足を動かし続ける。捕まったら八つ裂きじゃ済まない。

 

 自然に溢れていた山中から古びた建物が並ぶ街並みに入ってもなお、この鬼ごっこは終わる兆しがない。

 

「待てー⭐︎」

「ハァ……ハァ……誰が待つか……てかなんであの子は疲れてないの……?」

 

 そろそろ息も上がり始めた。

 向こうはまだまだ余裕があるみたいで足を緩める気配もない。捕まるのも時間の問題か。

 

「……こうなったら!」

 

 近くに並ぶ古い建物を見つめ、私は覚悟を決めた。

 

「よっこい……しょ!」

 

 目の前の壁を蹴り上げ、勢いよく飛び上がり屋根を掴んだ。

 古いながらも大きい作りになっているのが幸いしてか、ただジャンプするだけでは届かない位置にある屋根の上になんとか体を引っ張り上げることができた。

 

 逃げても逃げても追ってくるなら、届かない場所まで逃げればいい。

 

 実際、ようやく立ち止まった追跡者(ミカ)はキョトンとした表情を浮かべながら私を見上げていた。流石にこの身軽さは真似できないだろ!

 

「ハァ……ハァ……バァカバァカ! ザマァみろ! もう君は私を追ってこれないでしょ! あはは! いい気味だ!」

 

 恐怖とストレスでなんだかテンションがおかしい事になっているせいか、気がつけばそんな暴言が口から飛び出してくる。これでも長時間も死の鬼ごっこに付き合わされたんだ、文句の一つも言いたくなる。

 

 しかし、ミカは私の言葉が耳に入っていないのか、表情を変えず建物の壁を触り、なんどかトントンと叩いている。ていうか、いつの間にか完全に無表情になっていて、これはこれでなかなか怖い。

 

 どうするつもりか分からないけど、後は屋根伝いに逃げれば晴れてこの化け物から解放される。

 

 あばよ、通りすがりの怪物さん!

 

 意気揚々と、私は彼女に背を向け一歩踏み出した──。

 

「えいっ⭐︎」

「は?」

 

 下からそんな気の抜けた声が聞こえたと思ったら、突然建物が大きく傾いた。思わずバランスが崩れそうになるのをなんとか耐えながら、私は慌てて視線を下に向けて──絶句した。

 

 壁の一部が崩れていた。

 

 砂埃が舞い、綺麗な石造りだった壁が見るも無残な姿で崩壊していた。

 

 その隣で拳を振り抜いた姿勢で停止している少女を見れば、誰がこれをやったかは一目瞭然。

 

「いやいやいやいやいや! そんなのおかしいでしょ! いくらなんでも素手で壁壊すなんて──」

「えいっ⭐︎ えいっ⭐︎ よいしょ⭐︎」

「ああああちょっと待って! タイム! トリニティの生徒なのにそんなにほいほい建物壊しちゃいけないでしょ! うぉぉぉっ!? く、崩れるあああああああッ!?」

 

 必死の引き留めも虚しく、私を支えていた建物はあっという間に壁を壊され、瞬く間に崩落してしまった。

 

「ぐへっ」

 

 瓦礫と共に地面に叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出してしまう。

 

 不審者一人を捕まえるために躊躇なく自分の自治区の建物を壊すなんて……頭おかしいんじゃないの……?

 

「す、すぐに逃げないと……」

逃がさないって言ったでしょ?

 

 そんな私の耳元で、ゾッとするほど冷たい声が響いた。

 

 顔に拳がめり込んだと感じた次の瞬間には、私は隣の建物の壁を突き破って倒れていた。

 

 意識が飛びかけた。いや、実際数秒ほど気絶していたと思う。

 気が付けば私は見知らぬ建物の床に倒れていて、ようやく私はミカに殴られたんだと実感した。実際はトラックに撥ねられたような衝撃だったけど。

 

 殴られた左半分の視界が暗く閉ざされている。

 身体中が激痛で悲鳴をあげていて、身じろぎ一つするだけでも思わず悶絶しそうだ。それでもなんとか自分の体に鞭を打ち、フラフラと立ち上がる。

 

「はは……こっちは何発も銃弾を叩き込んだっていうのに、向こうは一発殴るだけでここまでなんてね……」

 

 ポタポタと頭から流れる赤い雫が木製の床にシミを作る。

 

 幸いにも骨はどこも折れていないようで、まだ両手足は動く。それなら、まだ戦える。

 

「ッ!?」

 

 おそらく私が突き破ったであろう壁の大きな穴から、ダメ押しのように銃弾が嵐のごとく殺到する。咄嗟に近くの柱に身を隠すと、先程まで立っていた場所をいくつもの銃弾が抉った。

 

「いってぇなぁ……」

 

 乱れた息をなんとか整えながら、私は唯一見えている右目で外にいるであろう怪物を睨みつける。大穴の外にはあのピンクの怪物がいて、それ以外の出口は見当たらない。

 袋の鼠って訳か。

 

「どうしよっかねぇ」

 

 まだ任務も終わらせていないし、何より捕まれば捕虜としてティーパーティーに引き渡されるのは明らか。いくらアリウスが忘れられつつある存在でも、ティーパーティーのホストがその存在を知らないはずがない。つまり、捕まればアリウスのスパイとしてトリニティの独房にぶち込まれてしまう。

 

 何より、マダムが失敗を許すはずがない。

 

 サオリたちに……家族(スクワッド)に迷惑を掛けることになる。

 

「それだけは死んでも嫌だなぁ……」

 

 なら、どうする?

 目の前の怪物は今の満身創痍な自分で止められるのか?

 万全の状態で戦っても勝てるか分からないのに?

 

 今までアリウスの生徒や教官とは何度も戦ってきたのに、()()()()()()()()()()()と戦うのは初めての経験だった。

 

 家族もいないし、援軍も来ない。

 

 こんな状況でどうすれば……。

 

──殺せ

 

 ナニカの声が頭に響く。

 

──トリニティの生徒に復讐しろ。

 

 なんとなく、それはマダムの声なんだろうと思った。

 

──眼球を抉れ。心臓を握り潰せ。喉を掻っ切れ。ヘイローを破壊しろ。

 

 語りかけるように、頭の中でマダムが命令する。

 

──アリウスが味わった苦しみを、トリニティに思い知らせろ。

 

 うるさい。

 

──アリウスの憎しみを忘れるな。

 

 うるさいうるさいうるさいッ!

 

「私は違う……! 人殺しになんかならないッ……!」

 

 誰かを手にかけたら、私はきっと家族と同じ場所に居られなくなる。サオリの夢を自分の目で見れなくなる。

 

 今まで積み上げてきたものが全部無駄になってしまう。

 

 マダムの言葉を振り払うように、私は肩に掛けた愛銃を強く握った。念のためマガジンを抜き、新しいマガジンを装填する。セレクターもセミオートからフルオートに変えた。

 

 同時に、目の前の大穴からゆっくりと人影が現れる。

 

「鬼ごっこはもうおしまい? それとも、もう諦めたの?」

「ふざけんな……」

 

 柱から顔を出し、渾身の力を込めてトリガーを引く。

 

「くッ……!?」

 

 それまで余裕を持って銃弾を受けきっていたミカの表情が初めて歪む。慌てて大穴から外に出て、建物の外壁へと身を隠した。

 

「私には帰りを待ってる家族がいるの……! 君に捕まってる訳には行かないんだよ……!」

「家族……?」

「トリニティに住む君には一生分からないだろうけどねッ!」

 

 柱の影から飛び出し、矢のようにミカへと駆け出す。

 飛び出してくるとは思っていなかったのか、ミカが銃を構え直すのに一瞬だけ遅れが生じる。

 

 でも、その一瞬でも十分だ。

 

「うォォォォッ!」

 

 銃床でミカの頭を殴りつけると、彼女は小さく呻き声を零して地面を転がった。しかし、彼女もただでは転ばないらしい。身を起こした時には、既に銃を構えていた。

 

 互いの銃が同時に火を噴く。

 

「うぅ……!」

 

 まったく同じタイミングで放たれた銃弾は容赦なく互いの身体に襲いかかった。

 ミカは口の端から僅かな血を流し、苦しげに顔を歪めた。

 

 でもそれ以上に、私の体が限界だった。

 

 凄まじい威力の銃弾を全身に受けた私は、抱えていたはずの愛銃が力を失ったように地面に落ちる。もう銃をまともに持つ力すら残っていない。

 

「ごめんね、サオリ……」

 

 愛銃が転がる無惨な光景を見届けて、私の視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 ようやく気を失ったレンゲを見下ろし、ミカは険しい表情を浮かべていた。

 敵の前では余裕を見せるようにしていたが、彼女とて歴とした生身の人間。体力は無限ではないし、正直に言えば今も疲労困憊と言っても過言ではない。

 

「痛いなぁ……」

 

 口から溢れた血を手で拭き取り、銃撃された箇所に視線を送る。

 そのほとんどが彼女の急所を的確に撃ち抜いていて、最後の一撃だけが心臓を辛うじて外していた。

 

 人体を弾丸程度が貫通するはずがないが、それでもミカは冷や汗を流さずにはいられなかった。最後の最後まで、目の前の少女は全力で抗い続けたのだ。

 

「家族、かぁ……」

 

 指一本動かす気配がないレンゲを眺めながら、ミカはどうしたものかと唸る。

 

 まず、ゲヘナのスパイという可能性は完全に消えた。彼女はあまりにも()()()()()()()()。誰よりも憎んでいるからこそ誰よりもゲヘナの特徴を理解しているミカだからこそ、目の前の少女はゲヘナの生徒ではないと確信できた。

 

 ならば他の学園のスパイか?

 

 一年生ながらトリニティでも指折りの実力者であると自負している自分と、仮にも真っ向から戦うことができたほどの相手だ。あの身のこなしは少なくとも()()()の生徒だとは思えない。

 

 しかし、キヴォトス最大級の規模を誇るトリニティ総合学園に敵対する勢力など、それこそゲヘナ学園以外に存在しない。それに他の学園のスパイなら素直に投降すれば、精々尋問を受けてから母校へ強制送還されるはずだ。勿論、その学園からたっぷりと賠償を貰いながら。

 

 だが、彼女は文字通り『死に物狂い』に抵抗した。

 

 そこまでして投降を拒否する理由、それに『家族』に対する異様なこだわり。かなりの()()()に違いない。

 

 この子をこのまま捕まえちゃダメ。

 

「あはは……ごめんね、ナギちゃん?」

 

 バレたら小言では済ませないであろう幼馴染に謝りながら、彼女は懐からスマホを取り出した。幸いにもここまでの戦闘でも壊れていない。

 

 政治からも距離を置いていて、それでいてレンゲを治療できる人物なんて、彼女の知り合いの中では一人しかいない。

 

 連絡先の中から蒼森(あおもり)ミネの番号を探し出し、通話ボタンを押した。

 

「あ、急にごめんね⭐︎ ちょうど()()が必要な子を見つけたからミネちゃんに頼もうかと思って──あ、すぐ来てくれるの? ありがとっ!」

 

 二つ返事どころか言い終わる前に了承してくれた知人の変わらない様子に、ミカも思わず苦笑してしまう。でも、今はこれでいい。

 

「元気になったその時は、いっぱいお話できるといいな⭐︎」

 

 気を失ったままのレンゲに向かって、ミカは楽しげに笑みを浮かべながらそう告げた。

 

 それは先程までの獰猛な笑みではなく、まるで友人に語りかけるような、優しい笑みだった。

 

 

 

 




あまりにもミカとの相性が悪すぎたレンゲ。
ゴr……強靭な肉体を持つミカと身体能力と速度で翻弄するレンゲではタイプが違いすぎた。例えるなら某格ゲーの聖帝vs拳王。




キャラプロフィール

名前──荻野(おぎの)レンゲ
学園──アリウス分校
部活──アリウススクワッド
年齢──14歳(20話時点)
誕生日─9月4日
身長──153cm(20話時点)
趣味──写真撮影、家族の成長記録の作成

アリウススクワッド副隊長。リーダーとして部隊を纏め上げるサオリと違い、言動は基本的に軽く、自由奔放。軽率な発言でよくサオリからも制裁を受けているが、部隊の精神的支柱としてアリウス自治区での生活を支えている。
ヘイローはいくつもの小さな十字が一つの大きな十字を形成している、ようはヒヨリのヘイローを○から+にしたような見た目。

なお、スクワッド内の身長は以下の通り。
サオリ>ミサキ>アツコ>レンゲ>ヒヨリ>アズサ

名前の由来は作中で言及した通り花の蓮華。
苗字の元ネタは作者が千葉の某球団のファンなので、一番の推し選手から取りました。偶然にも怪我しがちなのも似ている(ファン的には複雑ですが…)

ちなみに作者の推しはヒヨリです。


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トリニティ偵察任務(3)

かなり遅れてしまい申し訳ございません。
他の方々のブルアカ作品が面白すぎて自分の作品に手が付きませんでした…。

これも全て陸八魔アルって奴の仕業なんだ。


 

 

 

「うぁ……?」

 

 全身を駆け巡る激痛と共に、レンゲの意識は徐々に覚醒した。

 身体が鉛のように重く、指一本動かすだけでもとてつもない労力に感じた。まるで糸の切れた人形のような気分だ。

 

 気を失っていたということは、自分は負けたのだろう。

 

 これが夢ならどれだけ良かったか。目を開ければスラムに戻っていて、隣にはサオリたちがいて、アリウスなんて関係無い、そんな光景が広がっているのかもしれない。

 

 しかし、現実逃避しても無駄だ。

 

 今の自分は捕虜だ。

 これからトリニティによる凄惨な拷問と共に尊厳は踏み躙られ、アリウスの事を徹底的に吐かされるのだろう。アリウスにいた頃と大して扱いが変わらないという事実に若干の虚しさを覚えながらも、レンゲの心はあのアリウスの空のように曇っていた。

 

 だが希望は捨てない。

 必ずこの状況を切り抜け、家族の元へ帰るのだ。

 

 来るべき悪夢のような日々と向き合うべく、レンゲはゆっくりと瞼を開け──。

 

「あ、やっと起きた⭐︎」

 

 目と鼻の先でこちらを覗き込んでいたガスマスクと目が合った。

 

「みぎゃああああああああああああ!!!???」

 

 悲鳴を上げ、尻尾を踏まれた猫のように飛び上がるレンゲ。

 先程まで指一つ動かすのにも億劫だった人間とは思えないほどの軽快な動きだった。

 

 懐に手を伸ばしてハンドガンを取り出そうとするも、ホルスターの中に入れていたはずの銃は当然のように取り上げられている。ならばとスカートのポケットから手榴弾を取り出そうとし、それも当然のように無くなっている事に気づく。

 

 顔が恐怖で引き攣り一気に青ざめる。

 目の前のガスマスクはシュコーと息を吐く音を漏らしながら、じっと自分を見つめていた。黒色のマスクから覗く桃色の髪のアンバランスな風貌が不気味さを増幅させている。

 

「あわわわわ……お、お慈悲ぃ……」

 

 先程までの決意は粉々に砕け散り、ついに命乞いまで始める始末。

 

 そんな彼女を見て、ガスマスクの女(髪の長さからそう判断した)はゆっくりとマスクに手を掛けた。

 

「ぷはぁ。ごめんね、ちょっと驚かせようと思ってマスク借りちゃった。でも元気そうで良かったよ!」

「み、聖園ミカ……!?」

 

 マスクの奥から姿を見せたのは醜悪な処刑人などではなく、可憐な少女の顔だった。いや、処刑人という意味ではあながち間違いではないのかもしれない。

 ケラケラと笑いながら、つい先程まで死闘を繰り広げていた相手──聖園ミカが自身を見つめていた。

 

「一体どういうつもり──いッ!?」

 

 思わず身構えようとして、身体中から激痛が発せられ思わず顔を顰めてしまう。

 

「あ、安静にしてないと駄目だよ! 結構重い怪我だったんだから」

「お陰様でね……」

 

 腰に手を当てながら頬を膨らませるミカを、レンゲは激痛を堪えながら睨みつけた。そもそも、彼女がなぜこの場にいるのかも理解できなかった。

 

 彼女がティーパーティーの一員なら、自分を捕獲した時点で役目を終えているはずだ。後は正実などに引き渡せばいい。

 

 なのにどういう訳か彼女は治療を施され、上質なベッドの上に寝かされていた。周囲の窓に鉄格子も備え付けられていなければ、拘束もされていない。その気になれば今にもミカに襲い掛かる事ができる。

 頭に巻かれた包帯にそっと手を置き、さらに困惑を深める。

 

「ほら、ちゃんと寝てないと──」

「触るなッ!」

「あっ……」

 

 その混乱からか、自分に向かって手を伸ばしたミカを一喝してしまう。しかし、口にした瞬間自分の胸がチクリと痛んだ事にレンゲは気づく。

 あくまで敵意もなく友好的に接してきている相手を強引に振り払ってしまった。その事実が、彼女の心に重く伸し掛かった。

 

 やはり自分の中にも、トリニティに対する偏見が眠っていたのだろうか。

 

 人のお節介は受けるべきとアズサに言った張本人なのに、お笑いだ。

 

「ご、ごめん……でも今はそっとして欲しいの。まだちょっと状況が整理できてないから」

「……そうだよね! ごめんね、私ったら急に馴れ馴れしくて! ミネちゃん呼んでくるからそこで待ってて!」

「待ってても何も、動けない……あ、行っちゃった」

 

 答えも聞かず部屋を出てしまったミカに、レンゲは深いため息を吐いた。明らかに善意を持って接してきたミカを拒絶した自分自身に、彼女は言いようのない苛立ちを覚える。

 

 力無くベッドに倒れ込むと、心地良い柔らかさが背中越しに体を包み込んだ。綺麗に整えられた木製の天井はボロボロに朽ち果てたアリウスのそれとはまるで別物で、別世界にでも迷い込んだようだ。

 

「……あったかいなぁ」

 

 一目見た時からトリニティの美しさに目を奪われたレンゲ。

 今自分はそのトリニティの中にいるのだと、徐々に実感が湧いてきていた。

 

 視線をベッドの横に向けると、先程までミカが被っていたガスマスクがリュックの上に無造作に置かれていた。彼女が今回の任務に持ち込んだものだ。隣には愛銃も置かれている。ただ放置されているそれらの武器は、持ち出せばすぐにでもこの部屋から出て行く事ができる。

 流石に不用心すぎるのでは、とレンゲは苦笑した。

 

「うぐっ……!」

 

 なんとか身を起こそうと両腕に力を込めると、再び痛みが全身を駆け巡る。感覚からどこも骨折していないのは分かるものの、鉛のように身体が重い。普段なら激痛さえ我慢すれば動けたはずの自身の体の異様な反応に、レンゲは困惑した。

 

 今回ばかりは体の様子がおかしい

 

「……まぁ、あんな強烈な一撃を貰ってればこうなるよねぇ」

 

 思い返すのは、ミカに殴られた時の記憶。

 まるでトラックに撥ねられたように吹き飛ばされた際の衝撃を思い返し、背筋が震えた。あんな一撃を何発も貰っていたらと考えると、命がいくつあっても足りない。

 いつか体が癒えてトリニティから脱出する際は、絶対に避けなくてはならない相手だと改めて再認識した。ミカはあまりにも規格外だ。

 なお、銃弾を見てから避けて接近戦を仕掛ける自分の事は棚上げにした。

 

「ッ!?」

 

 一人ミカの戦闘力に改めて戦慄していると、先程件の彼女が退室した扉が静かに開き、思わず顔を強張らせてしまう。

 しかし、戻ってきたのはミカだけではなかった。

 

「お目覚めのようですね。お身体の具合はいかがですか?」

 

 空色の髪は床にまで届きそうなほど長く、背中から広がる勇ましくも美しい青色の翼がその存在感を示していた。何より目を引くのは、帽子に描かれた十字架のマーク。

 医療道具などが隙間から顔を覗かせている鞄を肩から下げながら、その人物はレンゲのベッドの横へ歩み寄った。背後では部屋の外から遠慮がちにミカが中を覗いている。

 

「救護騎士団、蒼森ミネと申します。まだまだ未熟の身ではありますが、この度貴女の治療を担当させて頂きました」

「救護騎士団……」

 

 ゲヘナの救急医学部の対となる、トリニティ最古の部活にして唯一の医療機関。

 専門的な治療はおろか手当すら期待していなかった中での予想外な人物の登場に、レンゲは目を見開いた。

 

「……どこの誰かも分からない私の事を助けてくれるなんて、随分とボランティア精神溢れる団体なんだね」

「貴女がどの学園に所属していても関係ありません。『救護が必要な場に救護を』。この言葉の通り、救護が必要であればどこへでも駆けつけるつもりです! 私自身、まだまだ団長には遠く及びませんが、それでも私は自分に出来ることを精一杯させて頂きます」

 

 思わず漏らしてしまった皮肉にも顔色一つ変える事なくミネは言い放った。そのあまりに真っ直ぐな瞳に思わずレンゲもベッドの上で後退りしてしまう。彼女は自分にとって少し苦手なタイプなのかもしれない。

 

「貴女は……タカシさんで宜しかったでしょうか?」

「ぶふっ!? れ、レンゲでお願いします……」

 

 そんなミネの口から出てきた名前に思わず息を詰まらせると、レンゲは思わず自分の名前を伝えてしまう。咄嗟に名乗って適当な偽名の、まさかの奇襲だった。部屋の外からも笑いを堪えるような声が聞こえる事から、ミカも冗談半分であの偽名を伝えたのかもしれない。

 まさかそれを一切疑う事なく信じてしまうとは、ミカ自身も思っていなかったが。

 

「では、レンゲさんと呼ばせて頂きます。レンゲさんの治療は完了していますが、まだ安静でいる必要があります。決して激しい運動はせず、しっかりと休養を取って下さい。完治までが『救護』なのです」

「は、はい……」

 

 丁寧な口調の中に確かに混じっている有無を言わせぬ雰囲気に、敵対している学園の人間相手のはずが思わず頷いてしまった。自身の勘が目の前の少女に逆らうなと告げている。そして悪い方に対する自分の勘は大体当たる。

 

「では、私は今日はこれで失礼します。また明日、傷の状態を確認させて頂きますので、くれぐれも運動などは控えるように。救護が必要な場に救護を!」

 

 再度釘を刺すように告げてから、彼女はレンゲに背を向け部屋から退室した。救護が必要な場に更なる『救護』を届けるために。

 

「あ、ちょっと待ってミネちゃん──!」

 

 嵐のように立ち去るミネをミカは慌てて呼び止めようとするも、早々に別の救護の連絡を受けていたミネは既に窓を突き破って退室していた。彼女の中に玄関から出るという周りくどい選択肢は無い。

 

 レンゲを前に一人取り残されたミカはドア越しからじっと部屋の中を覗き見る。入りたい、でもさっきの事もあって入りづらい、そんな彼女の葛藤が滲み出ていた。

 

 だが、ここで退いては一生彼女に寄り添う事ができない。

 

 意を決してミカはレンゲのベッドへと歩み寄った。

 

 ミカの姿を確認したレンゲはピクリと身体を震わせるものの、今度は拒絶する様子はない。恐る恐る、口を開いた。

 

「なんというか、凄い人だったね」

「あはは……ミネちゃんはトリニティでも結構有名だからね。私と同じ一年生なんだけど、もう救護騎士団の次期団長として期待されてるんだって」

 

 むしろ彼女以外が団長になるとは思えないほど様になっていた。

 おそらくミカとは違った意味で問題児なのだろうと、レンゲは顔も知らない騎士団の現団長に対して黙祷した。あれの扱いは絶対骨が折れる。

 

「あの子、妥協しなさそうだもんね。今の団長の苦労話を聞いてみたくなるよ」

「私はレンゲちゃんのお話を聞いてみたいかな」

「悪いけど君に話すことは何もないよ。私はこれでも拷問への耐性を付ける訓練を受けてきたんだ、そう簡単に口を割るとは思わない事だ──」

 

 自信に満ち溢れた表情で告げるレンゲを遮るように、小さなカエルのような声が鳴り響く。当然のように、音源は目の前で顔を徐々に赤く染める哀れな捕虜。

 

「…………」

「……何か食べよっか」

 

 固まるレンゲを見かねてか、クスクスと笑い声を零していたミカはレンゲのベッドから離れると、奥のキッチンへと向かった。

 棚の中からカップを一つ取り出し、手慣れた様子で何かを注ぎ始める。どこか優雅さも感じる背中を眺めながら、レンゲは改めてミカを見つめた。

 

 腰まで覆うほどの長い桃色の髪の先端はよく見れば青く彩られていて、彼女の翼も相まってまるで空を飛んでいるような美しさだった。制服から伸びる両手足はお姫様のように華奢で、とても建物を粉砕した腕とは思えないほど細い。

 

 総じて、まるで絵本に出てくるお姫様のような綺麗な少女だった。

 それこそ、敵であるはずのレンゲも思わず見惚れてしまうほど。

 

 しばらくして、暖かい湯気が立ち上る一杯のカップを持って戻ってきた。

 

 カップの中を覗き込んだレンゲは、黄色に輝く液体に思わずゴクリと喉を鳴らす。

 これはもしや、ヒヨリの雑誌の中でしか見たことがない『スープ』というものではないのだろうか。優しくて甘い匂いが鼻をくすぐる。

 

「はい! これ飲むと身体も温まるよ。私も一人の時はよく飲んでるの」

 

 手渡されたカップを凝視するレンゲ。

 よく見ればコーンや小さくカットされたじゃがいもなども入っていて、見るからに食欲をそそられる。

 

 だが、レンゲは思わず口に運びそうになる両腕をなけなしの理性で抑えつけ、カップをミカへ突き返した。

 

「悪いけど、何か仕掛けられてるかもしれないものを貰うわけには行かないよ。こ、これでも訓練を受けた精鋭なんだから! 一週間ぐらい何も食べなくても問題ないんだよ!」

 

 しかし、彼女の言い訳などミカの耳に届いていなかった。

 なぜなら──。

 

「(す、凄い涙目でプルプル震えてる……さっきからずっとカップもガン見してるし)」

 

 言葉とは裏腹に、レンゲの本心がどうなっているかは火を見るよりも明らか。幼子のような表情でカップを見つめるレンゲを見て、ミカの中に眠る()()()が告げる。こんな少女からご飯を取り上げるなど、できない。

 

「大丈夫、何も変なの入れてないから。それにレンゲちゃんをどうこうしようと思ってるならそんな周りくどいことじゃなくて、直接やってるよ」

 

 軽くシャドーボクシングをすると、レンゲは「ひえっ」と悲鳴を漏らしながらカップを引っ込めた。言われてみれば、確かにミカなら毒を盛るよりも直接殴った方が早いし確実だ。

 

 隣から柔らかい笑みを浮かべながらこちらを見つめるミカの視線を感じながら、レンゲはゆっくりとそれを口へと運んだ。

 

「いただきます……」

 

 一口頬張った瞬間、目を見開いた。

 

「(あ、甘い……チョコレートとは全然違った優しい甘さ……このよくわからないやつもホクホクしてる……)」

 

 今まで感じたことがない濃厚な味わい。

 食べ慣れたエナジーバーや缶詰などとは訳が違う、身も心も温まる本当の意味での『食事』だった。

 

「美味しい……」

「本当? 良かったぁ……あれ、レンゲちゃん、もしかして泣いてるの……?」

「へっ?」

 

 ミカの言葉に、レンゲは慌てて自分の頬に触れる。小さな雫が手を伝う感触に、彼女は思わず息を呑んだ。

 

「あれ、なんで……? おかしいなぁ、もしかして湯気が目に染みちゃったのかな……?」

 

 ゴシゴシと荒々しく目を拭うも、とめどめなく溢れてくる涙。

 徐々に口を歪め、体が震え始める。

 

「ち、違うの! これは別にそういう意味じゃ……ただ湯気が目に染みて──」

「大丈夫だよ」

「あっ……」

 

 狼狽えるレンゲを遮るように、ミカは彼女を抱き寄せた。

 初めて触れた体はあまりにも華奢で、今にも折れてしまいそうだった。そんな少女の抱擁を、レンゲは拒絶することなく受け入れた。

 

「不安だよね、怖いよね。私は貴女の事なんて何も知らないけど、きっと凄く辛くて悲しい思いをしてきたんだよね?」

「君に私の何が分かるッ……!」

「ううん、私は何も知らない。だから教えて欲しいの。何が貴女をここまで必死にするのか。()()()()()()()()()()()()()()

「…………」

 

 見つめ合う二人の少女。

 美しく輝く二つの黄色い瞳に射抜かれたレンゲは思わず息を呑む。

 

──この子になら少しは話してもいいかもしれない。

 

「……私のカメラを取ってきてくれるかな? リュックの前ポケットに入ってるはず」

 

 何かを決心したかのように、彼女は壁に立てかけられた自身のリュックを指差した。漸く落ち着いたのか、体の震えは治まっていた。涙の跡が痛々しく頬に残されている。

 

 静かに頷いたミカがレンゲから離れると、レンゲは思わず名残惜しそうに手を伸ばしてしまう。慌てて手を引っ込めるも、既にその光景を見ていたミカは苦笑した。これではまるで弱みにつけ込んでいるようだ。

 

 リュックに前ポケットには確かに小さなカメラが入っていた。

 ところどころ傷が見受けられるものの汚れは一切なく、大切に使われている事が窺える。

 

「はい、大事なものなんでしょ?」

 

 ミカにカメラを手渡されたレンゲは、それを一度強く胸に抱きかかえる。

 

「……これには私の家族との思い出が詰まってるの」

「家族って、あの時レンゲちゃんが言ってた……」

「そう。そして、これが私の戦う理由」

 

 カメラを起動したレンゲは、1枚の写真をミカに見せた。

 レンゲ以外に5人の少女が写った写真。大なり小なり全員が幸せそうに笑顔を浮かべているそれは、ミカは素直に素敵な写真だと思った。確かに、政治と陰謀が渦巻くトリニティではあまり見かけない光景だ。

 

「この緑の髪の子はヒヨリ。少しネガティブな考えを持ってるんだけど、いざとなったら家族のためになんだってする頑張り屋さん」

 

「反対側の黒髪の子はミサキ。物静かであまり自分の事は話したがらないし、私にも色々と手厳しい事を言ってくるけど、実は誰よりも家族の事を考えてるとても優しい子」

 

 一人一人指差しながら語り始めるレンゲの言葉を、ミカは静かに聴く。

 

「端っこの白い髪の子はアズサ。とても勉強熱心で、いつも家族のために何か新しい事を学ぼうとしてるの。本人はまだ私たちの事を家族とは呼んでくれないけどね……」

 

 誇らしげに、まるで自分のことのように説明するレンゲ。

 その言葉の全てが、写真に写る家族への愛情で溢れていた。

 

「真ん中の子はアツコ。私たちは姫ちゃんって呼んでるの。とても感情豊かなお茶目さんで、面白そうな事があればすぐ冒険しに行く子。家族の末っ子で、みんなから可愛がられてる」

 

 最後に、レンゲは中央に写る少女を指差した。

 

「この子はサオリ。一番付き合いが長くて、いつも家族の事を第一に考えてくれる、私たちの頼れるリーダーで──私のただ一人の相棒」

 

 カメラに表示された写真から目を離し、真っ直ぐミカを見つめるレンゲ。

 

「みんな、私にとってかけがえのない家族で、()()()()()()()。この子たちのためなら、トリニティの全てを敵に回しても構わない。彼女たちのためにも、私は何がなんでも任務を遂行しなくちゃいけない」

「レンゲちゃん……」

「ありがとう。スープ、とても美味しいよ。でもごめんね……私と君は、何があっても決して相入れない存在なの」

 

 これほどまでの覚悟を一人の少女が背負っているという事実に、ミカは言葉を失った。

 

 一体彼女をここまで駆り立てる学園とは、なんなんだ。

 

 だが、ここまで語った彼女はそれでもなお、自分が所属する学園を明かそうとしなかった。

 

「……ありがと、ここまで話してくれて! もう疲れたでしょ? それ食べたら、ちゃんと休んでね?」

「あっ、ミカ──」

「じゃあ、私も今日はもう帰るね! また明日も来るから!」

 

 逃げるようにミカはその場を後にした。

 困惑した様子で呼び止めようとするレンゲを背に、ミカは扉を閉じて背中からもたれかかった。

 

 今日はもう彼女から所属する学園の事を聞き出せそうにない。

 

 でも、ある程度信頼関係を築けば明日には──。

 

「私、聞いてどうするつもりなんだろ……」

 

 聞いたところで、レンゲの抱えている事情はあまりにも深刻すぎる。いくらティーパーティーと言えど、彼女は所詮補佐の一人。ナギサのように現代表の一人と近しい訳でも無ければ、政治的手腕に長けてもいない。むしろ彼女の苦手とする分野だ。

 

「私にできること……」

 

 かつてナギサに言われた言葉が彼女の脳裏を過ぎる。

 ミカはミカの得意とする分野で、ナギサはナギサの得意とする分野でそれぞれ活躍すればいい。無理にお互いに干渉しようとせず、自分のできることを最優先でこなすのがベストな選択肢だ、と。

 

「……そうだ!」

 

 閃いた。

 彼女の頭上で電球が浮かび上がるのが見えた。

 

 やはり無理にナギサの得意分野に足を踏み入れようとするのは良くない。大切なのは、自分ができる事をすることだ。

 

「レンゲちゃんッ!」

「うひゃあ!? って、ドア……」

 

 今すぐにでもレンゲに伝えたいと、彼女は加減も忘れてドアを開けてしまい、衝撃でドアが壁に叩きつけられてしまった。壁に大きな亀裂が走り木片が飛び散るも、肝心のミカはそんな些細なことに気づいていないのか、その光景に目も向けずパタパタとレンゲのもとへ歩み寄った。

 

 目を丸くしているレンゲの手を掴み、満面の笑みを浮かべる。

 

明日、私とデートしよっか⭐︎

「…………ふぇ?」

 

 あまりにも突拍子の無い言葉に、レンゲは返す言葉が見つからなかった。

 

 だがその反応もまたレンゲの本心が見れたと、ミカはさらに笑みを深めた。

 

 

 

 荻野レンゲのトリニティ偵察任務は、思わぬ方向へ進路を変えていく。

 

 

 

 




ミカに手懐けられる回。

・レンゲ
実物トリニティに衝撃を受ける+突然クソ強いゴリラに襲われる+敗北したはずなのになぜか手当された上にめっちゃ優しくされる。
これは流石に情緒壊れる。堕ちたな(確信)。

・ミカ
裏切る前、要するにアリウスと手を組む前のミカはとても良い子だしみんなのお姫様。ゲヘナじゃなければ親切にしてくれるし困ってれば助けてくれる。

・ミネ
「お前も救護してやろうか?」
政治が不得意な武闘派という意味ではミカと似ている人。



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トリニティ偵察(?)任務改

水おじが2天井しても来ない。

俺は陸八魔アルを絶対に許さない。


 

 

 

「み、ミカ……嘘だよね?」

 

 対峙する二人の少女。

 一人は真新しいセーラー服に身を包んだ焦茶色の髪の少女、レンゲ。目に涙を浮かべながら、まるで縋るように少女を見つめている。

 

 だが、もう一人の少女であるミカは、そんなレンゲを嘲笑うかのように一歩前へ踏み出す。

 

「レンゲちゃんが悪いんだよ? 今まで散々ひどいこと言ってきて、あんなに私をからかってきたんだから……」

「ひっ……」

 

 息を引き攣らせて悲鳴を漏らすレンゲ。

 

「ダメだよミカ! そんなことされたら私死んじゃうよぉ……」

「それでも……私は迷わないよ」

「お願い、許してぇ……今までのこと全部謝るからぁ……」

「だ〜め⭐︎ 罰だから」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、ミカは手を伸ばした。

 

「お仕置き確定だよ、レンゲちゃん」

 

 

 

 

 遡ること数時間前。

 

 ベッドに横たわるレンゲは小鳥の囀りにより穏やかに意識を覚醒させた。アリウスで時折感じていた頭痛や眩暈なども無い、久しぶりの気持ちの良い目覚め。昨日あれほど感じていた体の重さも消え、一言で言うならば『完治』したと言っても過言ではない。

 

 流石はトリニティが誇る救護騎士団だと、レンゲは素直に感心した。

 

 大きく背伸びをしてゆっくりと瞼を開ける。

 

「おはよー、レンゲちゃん!」

 

 二つの黄色い瞳が目の前に飛び込んできた。

 

「みぎゃあああああ!!??」

 

 どこかデジャヴを感じながらベッドから飛び上がり、部屋の隅まで後退する。当然とも言うべきか、下手人は昨日同様の桃色の髪の少女。

 

 クスクスと笑うミカを、レンゲはジト目で睨みつける。

 

「わお、今日は元気だね」

「お陰様でね! ていうか、私に寝起きドッキリを仕掛けるのはやめてってば! こういうのに弱いんだから!」

「ごめんね。でもレンゲちゃんがとても気持ち良さそうに寝てたから我慢出来なかった⭐︎」

 

 サオリといいミカといい、なぜ周りの人間はこうも自分をイジメたがるのだろうか。トリニティでもアリウスでも変わらない理不尽な扱いに思わずため息を吐きたくなる。これがアリウスの大人たちと違い悪質ではないのがせめてもの救いか。

 自分を納得させるように首を振り、レンゲは改めて自分の体に視線を移した。

 

「痛いところは無い……体が重いってわけじゃない……うん、まぁ予想通りかな……」

 

 顔を上げてミカを見つめたレンゲは、思わず苦笑してしまう。

 

()()()()()()()……改めて現実を見るとなんとも言えないね」

 

 レンゲの言葉にミカは首を傾げるも、レンゲは「なんでもない」と肩をすくめた。

 

「もしかして、まだどこか痛いの?」

「ううん。大丈夫、どこも変な感じはしないよ。まぁ、変な感じがしないからこそちょっとショックを受けてるんだけど」

「……?」

「要するに気にしなくていいって事だよ。うん、私は健康そのもの!」

 

 どこか釈然としない様子のミカから視線を逸らし、レンゲは両手を上げて笑みを浮かべた。少なくとも今の状態なら昨晩ミカが言った『デート』とやらにも付き合える。

 訝しげな眼差し向けてくるミカをなるべくスルーしながら、硬くなった身体を少しずつほぐす。そして最後に日課の背伸び。両腕を突き上げて全身を伸ばすこの体操をやればいつかサオリの身長も抜かせると、ヒヨリが以前読んでいた雑誌に書いてあったのだ。

 

「私だってサオリみたいに大きくなる……!」

「でもレンゲちゃん私とあまり変わらないよね? 十分大きいと思うけど」

 

 唸るレンゲの頭に手を置きながら、ミカは自分の身長と比較する。

 ヒールの高い靴を履いているためか若干レンゲよりは高いものの、素の身長はおそらくほぼ同じ。幼馴染のナギサより少し小さい程度か。

 

「ぬふぅ……私だってお姉ちゃんなのに……今じゃミサキにもアツコにも抜かされちゃったし……」

「あはは、でも今の方が私は好きだよ? こうしてくっつきやすいし!」

「うへぇ!?」

 

 項垂れるレンゲを思いっきり抱きしめると、腕の中で素っ頓狂な声を上げる。まるで仔犬のようにポカポカと暖かい体温が心地よく、思わずさらに強く抱き締めてしまいそうになる。ナギサとはまた違う、どこか癖になる抱き心地だった。

 

「ぬおー離せい! 私をハグしていいのは家族だけだ!」

 

 まるで軟体動物のようにミカの腕から脱出すると、歯を剥き出しに威嚇するレンゲ。

 

「むぅ、ケチ」

「そもそも君だと背骨へし折られそうだから怖いの……」

 

 そんな事ないと反論したかったミカだが、幼少期に力加減を間違えてナギサを絞め殺しそうになった苦い記憶がそれを妨害する。ちなみにあれ以来、ナギサは一緒に寝てくれなくなった。

 

「で、そもそも君はなんでこんなに朝早くからここにいるの? 授業はどうしたのさ」

「あれ、知らないの? 今日は日曜日だから学校は休みなんだよ?」

「生憎とうちの学校は休みとは無縁のところでね。24時間365日ずっと『お勉強』なの」

「でもその割にレンゲちゃんってあまり頭良くなさそうだよね」

「その言葉、そっくりそのまま返してあげようか?」

 

 一瞬見つめ合った二人の少女は、弾けるように笑い声を上げた。

 こうして()()()()()()()()()軽口をぶつけ合うのは、互いに初めての事だった。

 

 ほんの一日前は死闘を繰り広げていたというのに。

 

「じゃあ、お出かけしよっか! あ、でもその前に……」

 

 ようやく本題を切り出したミカは、なぜか満面の笑みを浮かべながら手を合わせた。いつの間にか壁に立てかけてあった紙袋に手を伸ばすと、ガサゴソと何かを取り出している。

 

「ちゃんとこれに着替えてね!」

 

 ミカの取り出したそれに、思わず苦笑するレンゲ。

 差し出されたのは白を基調としたセーラー服にターコイズブルーのスカート、そして黄色のリボン。ミカの着ているものとは大きく違うものの、歴としたトリニティ総合学園の制服だった。

 

「えぇ……」

 

 困惑を隠しきれないレンゲは、ただただ苦笑するしかなかった。

 アリウスの生徒である自分がトリニティの制服に袖を通すなど、なんて皮肉なことか。ミカに対する偏見は消えたものの、やはりトリニティに対して複雑な感情を抱いているのは否めない。だからか、彼女は素直にトリニティの制服を手に取る事ができなかった。

 

「サイズは私と同じぐらいのを選んだけど、多分入るよね? ちなみにレンゲちゃんのスリーサイズってなんだっけ?」

「打率.310、5本塁打、27打点」

「野球の話は聞いてないよ」

 

 なんとか誤魔化そうとするレンゲを一言で切り捨てるミカ。制服を手にジリジリと滲み寄る。

 

「まぁ落ち着け。そんな怖い目で見られちゃビビって話もできやしない。別に制服なんて着なくてもお出かけぐらいできるでしょ?」

「うーん……でもトリニティってよそ者は結構目立つ陰湿なところだからその格好だと目立っちゃうよ? こっちの事なんか気にしないでもいいのに、みんな暇人ばかりみたいで口うるさくちょっかい出してくるし」

「自分の自治区なのにそこそこ口悪いね……」

 

 少なくともレンゲがスコープ越しに見た光景はそんな雰囲気は無かったが、これがトリニティの実態なのだろうか。

 

「そうなの! みんな私のこと『トリニティの生徒らしくない』っていつも文句言ってくるんだよ? ナギちゃんに言われるならまだ分かるけどあいつらってただ単に私が気に入らないってだけで色々と言ってくるし。あはは、他にする事ないのかな? だからレンゲちゃんも下手に目立たない方がいいと思うよ。立ち場的にも、ね?」

 

 そこまで言われるとレンゲにこれ以上反論する余地は無かった。

 確かに彼女の今の立場上、なるべく目立たないように行動しなければならない。そういう意味では、トリニティ自治区内ではこの制服は完璧な迷彩服になり得る。

 渋々といった様子でレンゲは差し出された制服を手に取った。

 

「あ、折角だしおめかしもしよっか! レンゲちゃんは今も可愛いけど、きっともっと可愛くなれるよ!」

「え、いやちょっと待って。流石にそこまでされるのは申し訳ないというか──おい、服を脱がそうとするな離せあああぁぁぁぁ……」

 

 圧倒的パワーのゴリ押しでなす術もなくミカに弄くり回されるレンゲ。先の戦闘で汚れていた仕事着は脱がされ、着方が分からない制服を着せられ、最後に背中まで届く長い髪も梳かされた。

 

 ぶつぶつと文句を垂れるレンゲだが、鏡の前に立たされた瞬間思わず「うわ」と声を漏らしてしまった。

 

「ほら、もっと可愛くなったよ⭐︎」

「ミカ……これってミカが手に付けてた──」

「いいの。他でもないレンゲちゃんだから使って欲しいの」

 

 真新しい綺麗な制服に身を包み、長い髪も黒色のシュシュで一つ結びに纏められている。それはミカが常に身に着けていたもので、大切なものだと昨晩のお喋りの時に語っていた。

 

 それを自分に渡したという事実にレンゲはギョッとする。

 

「大切にしてくれると嬉しいな」

 

 優しく微笑むミカに。レンゲは恐る恐る着けられたシュシュに触れる。とても柔らかく、触れているだけで心が暖まる気がした。

 

「ありがとう、ミカ。絶対に大事にするね」

「うん!」

 

 それは家族以外から貰った、初めてのプレゼントだった。

 

 

 

 

「わぁ……凄い、周りが全部綺麗だ。うわ、まぶしっ……」

「あはは、そんなに凄いの? いつも見てる景色だからあまり自覚がないなぁ」

 

 トリニティの制服に身を包んだ私こと荻野レンゲは、そのあまりの光景に思わず目を覆った。

 

 見渡す限りの綺麗な街並みと、ところどころ顔を覗かせている豊かな自然。街中に立つ木の一本から手入れが届いていて、まるで絵本の世界に迷い込んだ気分だ。

 

 ここがトリニティ自治区。

 

 私たちアリウスにとっては憎むべき場所なのに、心を奪われている自分がいる。

 

「あそこにお店も、色んなパンも売ってる……! あっちにはお菓子もあるし、こっちには可愛いアクセサリーまで……ね、ねぇ? ここってトリニティの中心部みたいな場所なの?」

「ううん。ここは校舎からちょっと離れたところで、生徒が少なめな場所なの。最初は人が少ない方がレンゲちゃんも楽かな〜って思って。中心部のトリニティ・スクウェアはもうちょっと歩いた場所だよ」

 

 ここだけでも十分圧倒されてるのに、まさかまだ中心部じゃないとは。この部分だけでもアリウス自治区全体より栄えてる気がする。

 

 周りの景色に目を奪われながらも、前を歩くミカになんとか着いていく。油断するとずっと眺めていそうだ。それぐらい、トリニティという場所は私の想像を遥かに超えていた。

 

 こんな場所にいられたら、どれほど良かったか。

 

 サオリたちと一緒に学校に行って、帰りにお菓子とか買って行ったりして、夜はみんなで洗いっこしながら一緒のお布団で寝る。これほど贅沢な生活があって良いのかな?

 

 命を奪われる危険もなくて、突然誰かに襲われる心配もなくて。

 

 なんて、思考の海に囚われて完全に油断しきっていた私は──。

 

「あ、ちょっと待ってレンゲちゃんッ!」

「……ん? え゛っ!?」

 

 横から発進してきた黒塗りの高級車に撥ねられた。

 

「ぐへぇ」

「レンゲちゃーん!?」

 

 地面を無様に転がり、思わず汚い声を漏らしてしまう。

 

 油断してた……突然襲われる心配は無いって思ってたけど、なるほどこれはトリニティのやり方なのか。

 幸いにも法定速度を守って走っていたのか、40キロぐらいしかスピードが出てなかったおかげで私に怪我は無い。ミカに殴られた時と比べたらこんなの仔猫に頭突きされたようなものだ。

 

 フラフラと立ち上がり、服についた汚れを払う。

 

「だ、大丈夫ですか。私ったら、なんて事を……!」

「あはは……大丈夫だよ。車に撥ねられたぐらいで怪我なんてしないって」

「それでも、もしかしたら痣になっているかもしれません! もし宜しければ救護騎士団の方を呼びに──」

「あーっと! 別にいいよ、怪我も無いし!」

 

 放心状態に陥っていた運転手が慌てて車から降りてきた。

 なんだか目はぐるぐるで軽くパニック状態になっているみたい。電車ならまだしも、車に轢かれたぐらいで怪我をする人なんていないのに。

 

 危ない、ここで救護騎士団を呼ばれたら身元の説明をしなくちゃいけなくなる。ミネならまだしも、他の騎士団の人もあれほど救護に人生を捧げているとは思えないし。

 

「もう、ダメだよレンゲちゃん! 赤信号はちゃんと止まらないと!」

 

 なんとか運転手さん落ち着かせようと手で制していると、ミカも慌ててこちらに歩み寄ってきた。頬を膨らませ、両手を腰に当てながら私をジト目で見つめている。

 

 いや、信号なんてどこにも無かったような……。

 

「ほら! ちゃんと信号が赤になってるでしょ? 赤は止まるって意味なの!」

「あ、そんなところに信号が……」

 

 ミカは私から見て左手側の街灯の上に設置されていた信号を指差していた。

 

 うん、確かに見やすい位置にあった。

 

「ごめん、見えてなかった」

「ちゃんと注意しないとダメだよ? じゃないとこうやって──」

「ミカさん?」

 

 これまでパニック状態だった運転手はミカが現れた瞬間、目を丸くさせながら驚いていた。もしかして顔見知りなのだろうか。よく見れば着ている制服もミカとおなじ、ティーパーティーのものだ。

 

「あれ、ナギちゃん?」

「ナギちゃんって……じゃあこの子がミカが言ってた……」

 

 同じティーパーティーに所属する、桐藤ナギサさん。

 ミカの幼馴染だ。

 

 まさか交通事故に遭った相手がミカの幼馴染なんて、世間は意外と狭いものだ。

 

 腰まで届く長い髪に、気品を感じさせる立ち姿。

 パニック状態ではなくなった今だからこそ分かるけど、同じティーパーティー所属でもミカとは全然違うタイプの人だ。

 

 ミカはお転婆なお姫様って感じだけど、この子は気品溢れるお嬢様って感じがする。

 

「こんなところでどうしたのナギちゃん?」

「いえ、今日は私がお迎え役で……そういうミカさんも、こちらへはどういったご用件で? それにこの方は……見たところティーパーティー所属ではないようですが」

「新しくできた友達とデートしてたの⭐︎」

「お友達、ですか?」

 

 怪訝そうに視線を私に移すナギサ。

 私と目が合った瞬間、その表情が一瞬険しく歪んだのを私は見逃さなかった。

 

「見覚えのない方ですが、普段はどちらにいらっしゃるのですか? ティーパーティー所属として少なくとも同級生は全員把握していたつもりですが、どうも私の記憶に無いようで」

「……もう、ナギちゃんったら! いくらナギちゃんでも見覚えのない生徒の一人や二人はいるでしょ。急に変なこと言うね」

 

 ミカが誤魔化してくれなければ、正直ボロを出していたと思う。

 こちら側を品定めするような冷たい視線。それがあまりにもマダムに似ていて、全身から冷や汗が吹き出すのが分かった。あいつみたいに滲み出る悪意は感じられなかったけれど、その瞳の奥から見え隠れする敵意は変わらない。

 

 もしこの場にミカがいなかったら、私はナギサに襲いかかっていただろう。

 

「──失礼致しました。ティーパーティーに所属していると、初対面の方はどうしても……非礼をお詫びします」

「……私こそ、初対面の方にはまず挨拶するべきだったね。荻野レンゲです。ミカさんとは……お、お友達をさせて貰っています」

「ええ、そのようですね。ミカさんが他人に自分のアクセサリーを譲るなんて、初めて見ました」

 

 彼女の視線が私の髪に着けられたミカのシュシュへ向けられる。

 ミカがくれた、大切な贈り物。それがなんだか褒められている気がして、思わず顔が熱くなるのが分かる。

 

「これからもミカさんを宜しくお願い致します」

 

 頭を下げるナギサに私も慌てて頭を下げる。

 礼には礼で返すのがトリニティの流儀だった気がする。その裏にはどす黒いものが無数に渦巻いているはずだってアリウスの教官は言ってたけど。

 

「あはは、なんだかナギちゃんがお母さんみたい」

「こんなに手の掛かる子供を産んだ覚えはありません」

「ぶーぶー、ナギちゃんのいけず。ちゃんと認知して」

「ど、どこでそんな言葉を覚えたのですか……!」

 

 二人の軽やかな応酬を眺めながらも、私は思わず首を傾げた。

 

 『にんち』ってなんだろう?

 アリウスに帰ったらサオリに聞いてみよう。

 

「そういえばナギちゃん、今急ぎじゃなかったっけ?」

「──は!? わ、私としたことが、時間を忘れるなんて……! 申し訳ございません、失礼します!」

 

 そんなミカの何気ない一言に目を丸くさせたナギサは、慌てて乗ってきた車に戻っていった。

 そういえば急ぎっぽいところを私に追突したんだった。あの脇見運転のお姉さんといい今回のナギサといい、私は交通事故と縁があるのかもしれない。そんな不穏な縁よりも美味しい缶詰との縁の方が欲しいけど。

 

 閑話休題。

 

 車に乗る寸前で一礼したナギサは、そのままスピードを上げて車と共に走り去っていった。

 

 なんというか、ミカの幼馴染って聞いてたからもっとお茶目な人だと思ってたけど、ミカとはまるで正反対な人だった。これはミカとの馴れ初めが気になるところだ。

 

「うーん、最近のナギちゃんはなんだか忙しないね。私と違ってちゃんとティーパーティーのお仕事も頑張ってるみたいだし」

 

 忙しないとは言っても、生徒会に所属している幼馴染が得体の知れない奴と仲良くしてたら誰だってあんな反応をするだろう。私だって、例えばアツコがどこの馬の骨かも分からない奴とデートなんてしてたら発狂する自信がある。

 

「それより……」

 

 突然ガバっとミカが私に抱きついてくる。

 不意打ち気味のスキンシップに、アツコが寝取られるのを想像して脳が破壊されかけていた私の頭が一気に覚醒する。

 

 毎回この子はスキンシップが激しい!

 

「私のことお友達って言ってくれるなんて、嬉しい⭐︎」

「お友達……? 私たち、お友達なの……?」

 

 思わず首を傾げる私にミカは「当然!」と両手に腰を当てて胸を張った。

 

「アクセサリーを渡し合ったり、一緒にお出かけしたり、もうレンゲちゃんは私の大切なお友達だよ!」

「そ、そっかぁ……私たち友達なんだね……えへへ」

 

 なんだか改めて言われると少し恥ずかしい。

 

 でも、考えてみれば『友達』なんてできたのは初めてかもしれない。

 サオリ達は家族だから友達とは違うし、アリウスの人で家族(スクワッド)以外と喋ることなんてほぼ無い。そう考えると、ミカは私にとってお友達第一号になる。

 

「それじゃあ、もっといっぱい遊ぼっか!」

「あ、待ってよ!」

「あはは、私はこっちだよ〜⭐︎」

 

 私を置いて駆け足で進み始めるミカを慌てて追いかける。

 自然に囲まれた自治区の中を、お姫様が軽やかに走り抜ける。まるで絵本の中の場面のような幻想的な光景に、またしても目を奪われてしまう。

 

 唯一持つことを許されたカメラをポケットから取り出し、パシャリと一枚。

 

 どうやらトリニティには、私が知らない風景がまだ沢山あるらしい。

 

 

 

 

「ふぅ……疲れた……」

 

 どれほど歩き回っただろうか。

 ミカに連れられトリニティの隅から隅まで見て回ったレンゲは、その多くをカメラの中に収めていた。

 

 中央広場の噴水の前で二人で撮った写真。

 可愛いアクセサリーを見つけては二人で撮り合った写真。

 歴史を感じさせる大きな図書館外観の写真(この時は図書委員らしきダウナー系の生徒に追い出され長居は出来なかったが)。

 

 何もかもが輝いて見えた。

 

 これこそ、本来あるべき学園都市なのだと深く理解できた。

 

「だからこそ、アリウスの惨状が悲しくなってくるけど……」

 

 全てにおいて対極に位置するアリウスを思い浮かべ、思わず苦笑してしまうレンゲ。一度この輝きを知ってしまった自分は、果たしてアリウスに従うことができるのだろうか。そんな漠然とした不安が今になって押し寄せてくる。

 

「ごめんね、待たせちゃったかな?」

「ううん、まだ注文した奴が届いてないから」

 

 レンゲの座るテーブルの向かい側に腰を下ろすミカ。

 休憩も兼ねて喫茶店へと足を運んだ二人だが、先程までミカは数分程度席を外していた。何か取りに行った訳でも無さそうだが、ほんのわずかな間の離席だったため、レンゲは深く考えなかった。

 

 ミカが戻ってくると同時に店主(毛並みが素敵な老猫だった)がケーキと紅茶を二つずつテーブルに置いた。どうやらミカが戻ってくるまで気を遣わせたらしい。二人で一緒に軽く会釈すると、店主も満足げに頷きカウンターの奥へと消えた。

 

「えっと……これってなに?」

「これはロールケーキっていうケーキなの。とってもふわふわしてて甘くて美味しいよ!」

 

 まるで小さな丸太のような形状のケーキに思わず困惑しているレンゲを見て、ミカはクスクスと笑みをこぼした。

 

 ミカのお気に入りのスイーツだが、確かに初見からすれば少しおかしな見た目なのかもしれない。

 

「い、いただきます」

 

 あまりにも小さすぎるフォークを使って恐る恐るケーキを切り分けると、そのあまりの柔らかさにレンゲは目を見開いた。

 

 切り分けた小さな切れ端を口の中へと運ぶ。

 

「〜ッ!?」

 

 口の中に一気に広がる優しい砂糖の甘さに加え、濃厚なクリームのまろやかさ。味覚の情報量の暴力が、スイーツなんてチョコレートでしか経験していないレンゲに襲い掛かる。

 

「お、おいひぃぃぃぃ……」

 

 幸せそうな笑みを浮かべながら、ケーキどころか肉体まで崩れ落ちてしまいそうになるレンゲ。今まで味わったことのない未知の甘さ。彼女の貧相な語彙力では決して表すことができないが、一つだけ確かだとレンゲは確信した。

 

 自分はこれが好きだ。

 

 一瞬にしてスイーツの魅力に取り憑かれたそんなレンゲを、ミカは楽しげに眺めていた。ただひたすらロールケーキを口運ぶ彼女の姿を見つめながら、自分は紅茶を楽しむ。

 

 しかし、そんな彼女の脳裏を過ぎるのは、今朝ミネから告げられたいくつかの信じ難い事実。

 

──慢性的な栄養失調です。今回ミカさんから受けたダメージだけでなく、今まで酷使してきたであろう身体の負担が一気に押し寄せてきたのです。

 

──こ、酷使?

 

──きっと我々にとっては想像もできないほど過酷な環境で彼女は育ったのでしょう。私にもっと力があればそんな方々も救護できるというのに……!

 

 悔しさに拳を握りしめるミネの姿がひどく印象的だった。

 

 目の前で幸せそうにケーキを頬張っているこの少女が、あの時どんな想いでトリニティを見ていたのだろうか。

 

 果たして自分は本当に彼女の友人で居られるのだろうか。笑顔の裏で、そんな不安がミカに押し寄せてくる。

 

「んなぁ……美味しかった。やっぱりトリニティは凄いや」

「あはは、これぐらい他の自治区にもあるよ。美味しさはここが一番だけどね!」

「でも、友達と一緒に食べると更に美味しくなってる気がする。ありがと、ミカ」

 

 思わずテーブル越しにレンゲを抱きしめたくなるも、寸前で我慢する。ここでお店のものを壊してしまったらまたナギサから小言を言われてしまう。

 

「そうだ! せっかくだし、少しゲームでもしてみよっか」

 

 言うや否や、カウンターの奥でグラスを磨いていた店主へ駆け寄るミカ。しばらくすると、店主は快く棚の奥から箱のようなものをミカへ手渡した。

 

「じゃーん! チェスでもやろっか!」

「ちぇす?」

 

 テーブルに小さな箱を広げると、幾つもの小さなマスで覆われた盤面が姿を現した。袋からは白と黒の小さな物体が取り出され、それぞれが盤面に並べられていく。

 

 これが幾度となく雑誌で見た『ゲーム』なのか、とレンゲは一人関心していた。

 

「ルールは結構簡単だからレンゲちゃんもすぐにできるようになるよ。まずは──」

 

 それぞれのコマの動かし方、どうすれば勝ちか、さらには一部のコマの特殊な能力についてなど、大まかなルールがレンゲへ伝えられていく。途中で頭が噴きそうになるも、なんとか最低限コマの動かし方までは把握できることに成功した。

 

「サオリが好きそうなゲームだなぁ」

 

 戦略を立てながら的確にコマを動かすサオリの姿が目に浮かぶ。

 

 一通りの説明を終え、ようやく二人はゲームを開始させた。

 最初ということもありミカからの助言や解説なども挟みながら、ゆっくりと動かされる盤面。

 

 そして──。

 

「やった! 勝った!」

 

 初勝負はまさかのレンゲの勝利で終わった。

 

「わぁ、レンゲちゃん凄い!」

「でもミカに手伝って貰って勝てたみたいな感じだから。次は真剣勝負にしよ!」

 

 意気揚々と盤面を戻し始めるレンゲに、ミカはクスクスと笑みをこぼした。すっかりゲームの楽しさにも虜にされている。

 

 そのまま始まる第二ラウンド。

 

 今度はミカからの助言もなく進められたが、しばらくすればまたしてもレンゲの勝利で終わっていた。

 

「えへへ、もしかして私は天才なのかもしれない」

「初めてなのに凄いね! ナギちゃんともたまに遊ぶけど、もしかしたらレンゲちゃんが一番かも?」

「えー、そうかな? えへ、えへへ……」

「それじゃあ、最後はもうちょっと楽しくしよっか!」

 

 得意げに腕を組むレンゲだが、ミカの目が一瞬光ったことに気付く事ができなかった。

 

「勝った方が負けた方の言うことを一つ聞く、っていうのはどうかな?」

「え、いいの? じゃあ私が勝ったらどうして貰おっかなぁ〜」

 

 ここまで順調に勝っていたレンゲはこれを快諾した。

 その判断に直ぐに後悔する事になるとも知らずに。

 

「やったー、クイーン貰っちゃった⭐︎」

「あれ?」

「はい、ルークとビショップもゲット⭐︎」

「え、あの……」

「ポーンが端っこまで辿り着いたから、クイーンに昇格するね⭐︎」

「なにそれ知らない」

 

 あれよこれよという間に次々とコマを取られるレンゲ。

 そして僅か数分後。

 

「お願い、許してぇ……今までのこと全部謝るからぁ……」

「だ〜め⭐︎ 罰だから」

 

 泣きながら命乞いをするレンゲを、ミカは冷たい笑みを浮かべながら見下ろしていた。

 

「お仕置き確定だよ、レンゲちゃん。チェックメイト⭐︎」

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」

 

 圧倒的戦力差により蹂躙されたレンゲは、気がつけば机に突っ伏していた。

 

「……謀ったね、ミカ」

「んー、なんのことかな?」

 

 レンゲから一言だけ小さく抗議されるも、ここまでの対戦でミカが手加減していたという事実を見抜けず条件を飲んだ自身の自業自得だったためか、それ以上は追求することはなかった。

 

 レンゲは深いため息を吐くと、両手を上げた。

 

「降参。もう煮るなり焼くなり、なんでも言ってくれていいよ」

「やったー。それじゃあ──」

 

 ミカに悩む要素はなかった。

 対戦が始まる前から──否、今日のお出かけが始まる前から決めていたお願いを、ミカは淀みなく告げた。

 

 

私と一緒に()()()に行って欲しいな

 

 

「……大聖堂?」

 

 聞き慣れない場所に、レンゲは首を傾げた。

 

 

 その場所が彼女の中の()()()を決定的に変えてしまうとも知らず。

 

 

 

 




実際のレンゲのチェスの腕前はクソ雑魚ナメクジ。
そこら辺の小学生にも劣るレベル。

・レンゲ
まるで海外初体験の観光客。実際似たような状況ですが。
銃弾も避けられるはずなのになぜ今回の車には反応が遅れたんでしょうか。

・ミカ
最初は飴を与えてから自分に有利になるよう進めるトリニティムーブ。
毎日ロールケーキ健康生活は流石にやばい。

・ナギサ
一年の頃はまだ落ち着きが無いイメージ。どこの馬の骨かも分からない人間がいつの間にかミカの友人になってて怪しんでいる。後に自分も似たような事を123にもする事になる模様。



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間話 あなたの生まれた日

なんとかサオリの誕生日に間に合いました。

ハッピーバースデーサオリ。フォーエバーサオリ。


 

 

 

「ねぇ、サオリ。サオリって何歳なんだっけ?」

 

 夏の厳しい暑さがまだまだ残るある日。

 いつも通り物資を探す私たちの間に、ふとそんな話題が上がった。

 

 レンゲと行動するようになって既に数ヶ月。背中を任せられるほどの信頼関係はできたけれど、今思えばお互いに関して何も知らない、そんな奇妙な時間だった。

 

 まだ家族すらいない、私たち二人だけの時間。

 

「急にどうしたの?」

「なんだかんだ私たち一緒にいるけど、まだ全然自分のこと話してないでしょ? 良い機会だし自己紹介と行こうか」

「自己紹介って、今更な気もするけど……」

「いいからいいから! ほら、私から行くね! 荻野レンゲ、年齢は多分8歳! 好きなものは美味しい缶詰で、嫌いなのはあんまり無い! 特技は撃たれた銃弾の種類当て!」

 

 頭のぶっ飛んだ特技以外は意外にも当たり障りの無い自己紹介。

 常に笑顔を絶やさない性格も相まって、つくづくアリウスの子供とは思えない。

 

 その性格に救われている自分がいるのも確かだけど。

 

「……錠前サオリ。年齢は多分同じ8歳」

「へぇ、私と一緒なんだ。てっきり年下だと思ってた」

「私の方こそレンゲが年下だと思ってた。ほら、私の方がしっかりしてるし大人びてるし?」

「寝言は寝てる時に言うから寝言って言うんだぞ」

「寝てないのに夢見てるのはどっちだ」

「は?」

「あ?」

 

 出会った時から頭のネジが何本か抜けてるとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった。

 

 睨み合うこと数秒。

 これでは埒が開かないとレンゲが口を開く。

 

「誕生日は?」

 

 そう、誕生日さえ分かればどっちが年上なのか分かる。

 今思えばこの馬鹿げた争いもこれで終止符を打つことができる。

 

 ただ一つ問題点があるとすれば──。

 

「……知らない」

「あ、そりゃそうか……」

 

 私……というより、アリウスに住むほとんどの子供は自分の誕生日なんて知らない。

 

 それもそのはず、私たちは皆孤児だし、誕生日なんて祝われた事も祝おうと思った事もない。レンゲも聞いてから気づいたのか、しまったと言わんばかりに顔に手を当ててる。やっぱり馬鹿だ。

 

「うーん、でもこれじゃあどっちがお姉さんなのか分からないね」

「そもそもそれ大事なことなの? 今までずっと問題なかったけど──」

「大有りだよ! だって私がお姉さんじゃないとサオリに甘えて貰えないじゃん! 私は人肌恋しいの、サオリに甘えて貰いたいの!」

「いや、仮にレンゲがお姉さんでも私は甘えないと思うけど……」

 

 そもそもレンゲみたいな人に甘えろって言う方が無理だ。どちらかというとレンゲの方が仔犬っぽくて誰かに甘えてそうなイメージがある。

 

「私が死にかけた時は泣きながら抱きついてくれたのに……」

「あ、あれは忘れて! あの時は私も色々あって変になってただけだから!」

 

 あの時はレンゲに抱きついた時にポカポカと暖かい体温に涙腺が刺激されただけだから。決して、レンゲなんかに安心感を感じてしまったとかではない。

 

「でも、誕生日が分からないっていうのはなんだか寂しいね。折角一緒にいるんだし、これからは祝うようにしようよ」

「その肝心の誕生日を知らないから困ってるんでしょ」

「うーん……それじゃあ、サオリの誕生日は今日にしよっか! というわけで誕生日おめでとう! これで多分9歳だねっ!」

「雑すぎでしょ!」

 

 絶対考えるのがめんどくさくなったでしょ。

 

「いやぁ、誕生日が決まって良かったね。これで毎年お祝いができる!」

「勝手に人の誕生日を決めないでよ……ん? ちょっと待って。そもそも今日って何月の何日だっけ?」

 

 そもそも私たちには日付の感覚なんて無い。寝て起きて物資を探して、の繰り返しでそこに今日の日付は必要ない。

 レンゲの方で把握していたのだろうか。

 

「…………」

 

 しかし、肝心のレンゲは笑顔のまま固まって動かない。

 

「……ねぇ、まさかとは思うけど」

「一番大事な部分忘れてたぁ! 今日って何日だっけ!?」

「あほちん! 今までの会話はなんだったのさ!」

「いたぁ!? ご、ごめんさいぃ……」

 

 泣きながら謝るレンゲに、私はただただ深いため息しか出なかった。

 

 

 

 

「──というわけで、今日が何月何日なのかを探す旅に出ます」

「まだ諦めてなかったの?」

「いや、私は諦めないよ! ちゃんとサオリの誕生日を祝うまでは!」

「別に祝わなくてもいいって──」

「よし、行くよサオリ!」

 

 探索もそこそこに、私たちは先程まで身を隠していた廃屋から出て珍しく日中に外に出ていた。普段は夜中にしか出歩かないから太陽の温かみがなんだか新鮮だ。

 

 眩しくこちらを照らすお日様の光を浴びながら、私は先を急ぐレンゲを慌てて追う。

 

「そもそもどうやって日付なんて確認するつもりなの?」

「……フフフ、私が何も考えてないとでも思ったの?」

「思った」

「ぐぅ……そこは即答するのやめて。とりあえずそこらへん適当に歩いてればどっかに書いてあるでしょ」

「つまり何も考えてなかったんだね」

「ええい黙れ! こうなったら意地でも見つけてやるぅぅぅ!」

「あ、ちょっと待って!」

 

 まるで車のように猛スピードで走り去るレンゲ。こういう時に運動神経の良さを発揮しないで欲しい。

 

「もう! 待ってよレンゲ!」

 

 あっという間に遠くなるレンゲの背中を必死に追いかける。

 そもそも今日はレンゲ曰く私の誕生日なのに、なんで私まで苦労しなくちゃいけないんだろう。

 

 スラムを駆け抜けるレンゲがようやく足を止めたのは、普段から見慣れている廃工場の前だった。錆びついて穴の空いた屋根に、変色している壁。私たちの前に大きく聳え立つ鋼のお城は、普段探索するそれとなんら変わった様子はない。

 

「ここにあるかもしれない」

「ここって……いつもと同じ廃工場じゃないの?」

「甘いね、サオリ。工場って人が昔働いてたらしいよ。つまり、何日働いたか分かるように日付が書いてある機械とかが残ってるかもしれない」

「でももう何十年も使われて無さそうな場所だよ? 戦争してるアリウス分校の人たちですら再利用してないなら、中の機械も動いてないと思うけど」

「物は試し! さ、中に入ってみようよ」

「わっ、ちょっと押さないでよ!」

 

 渋る私の背中をレンゲは無駄に強い力で押してくる。

 そもそも廃工場に入るのはあまり好きじゃない。だって中は……。

 

「うわぁ、まだ日が高い時間なのに真っ暗だね」

「ひっ……」

 

 大体の場合、真っ暗なことが多いから。

 

 ところどころ何かを作るための機械が残っているけれど、廃工場の中は日中とは思えないほど暗闇に包まれていた。穴の空いた屋根から漏れる光がところどころ照らしている以外は全然見えない。

 

 思わずレンゲの腕にしがみつく私を、レンゲは苦笑しながらも受け入れてくれる。

 

「足元に気をつけてね」

「う、うん」

 

 たとえ日中でも暗闇の中は精神的に疲れるせいか、私たちの間も会話が減る。コツコツと二人分の足音が空っぽの工場の中を木霊する。

 

「ここは作業場みたいだから、あるとしたら2階の方かな」

 

 私と違い怯える様子を見せないレンゲがあっけらかんに言う。

 こんなに暗いのになんでそんなに平気なんだ。お化けとか出てくるかもしれないのに。

 

「どうする? サオリは外で待ってる?」

「……一緒に行く」

「そっか」

 

 暗闇でも見えるらしいレンゲは特に迷うことなく階段を見つけ、二人並んでゆっくりと登り始める。

 

「……悪いね、私のわがままに付き合わせて」

「急にどうしたの? レンゲらしくないけど」

 

 顔が見えなくても、声色で今のレンゲが神妙な顔つきになっているのが分かる。

 

「サオリの誕生日を祝おうとしてるのに、ほんとは迷惑なんじゃないかって思っちゃって。ほら、今みたいにサオリが苦手な工場の中に入ってるし」

「……ふふ、いつもはそういうの気にしなさそうなのに」

 

 時々、レンゲはこんな風にしおらしくなる。

 普段は我が道を行くお馬鹿さんなのに、たまに気弱で臆病な顔も覗かせる。最近はこのしおらしい姿が可愛く感じ始めた。

 

「でもレンゲが私の誕生日を祝いたいって言った時、実は嬉しかったんだよ? 今までは毎日を生き抜くのに必死で、誕生日なんて考えた事も無かったから。だから、ありがと。レンゲが祝ってくれて、私は凄く嬉しい」

「……えへへ、良かった」

 

 漸く階段を登り切った私たちは、予想通り事務所になっていた2階へとたどり着いた。少しの机と捨てられた書類が床に散らばっているけど、1階の作業場と比べたらまだ綺麗と言えなくもない。部屋の暗さは相変わらずだけど。

 

「うーん……何も無さそうだね」

「この場所を捨てる時にみんな持っていっちゃったのかもね」

 

 残されたのは不要になった机と少しばかりの筆記用具。パソコンも無ければ、なんなら使えそうな物資も見当たらない。

 

「あはは……無駄足になっちゃったかな?」

 

 どこか寂しそうに呟くレンゲ。

 

「しょうがないよ。食べ物と同じで、探しても見つからない時があるんだから」

 

 項垂れるレンゲの頭を撫でながら、私も思わず苦笑してしまう。探してるのは私の誕生日なのに自分の事のように落ち込んでくれるレンゲがなんだか可笑しくて、それでいてとても愛おしく感じてしまう。

 

 まだ出会って半年も経ってないのに、随分と私も入れ込んでしまったものだ。レンゲの方はどう思っているのか気になるけど、生憎とそれを聞く勇気はない。

 

「ん……? あれ、なんだろ……」

 

 その時、漸く暗闇に慣れ始めた私の目は、壁に貼り付けられた何かの存在に気づいた。まだ落ち込んだ様子のレンゲの手を引き、その何かの元へ足を運ぶ。

 項垂れていたレンゲも顔を上げ、壁に取り付けたれたそれを見て首を傾げた。

 

「これ……何かの機械みたいだね」

 

 画面に文字が羅列されたモニターのようなものだった。上部に取り付けられていたランプが弱々しくも点滅しているから、驚くことにまだ稼働しているらしい。

 残念ながら私もレンゲも文字が読めないから何が書いてあるのかさっぱりわからない。唯一数字だけはなんとか読み取れるけど。

 

「うへぇ、文字がいっぱいで頭が痛くなりそう。年上の人たちってみんなこれが読めるのかな?」

「こんなに沢山あるんだし、きっと年上の人でも読めない部分があるんだよ」

 

『打刻』とか『出勤』とか『退勤』っていう文字が一番多く書いてあるけど、私たちにはそれが何を意味するのか分からない。一番多く書かれてあるのだから、きっと大切な言葉なんだろう。

 

「あ!」

 

 しばらく画面を眺めていると、唐突にレンゲが声を上げる。

 

「サオリ、ここだよここ!」

 

 レンゲが指差したのは、画面の中心部分だった。

 読めない文字は視界から外し、なんとか数字だけを抜き出す。

 

「0……9……0……3……20XX? これがどうかしたの?」

「これ絶対今日の日付だよ! まだサオリと会う前にガスマスクの連中が今は20XX年だって言ってたの覚えてる!」

 

 レンゲの言う通りこれが日付で、0903って事は……。

 

「9月3日……」

 

 今日は9月3日。

 つまり、この日が私の誕生日になる。

 

「私の誕生日は……9月3日……?」

 

 何度も繰り返し頭の中で呟かれる言葉。

 私にもやっと誕生日ができたんだ。今日を生きる事にすら必死で生まれた意味も分からなかった私が、『自分が生まれた』という事を祝えるなんて……。

 

「やったねサオリ!」

 

 どこか呆然と立ち尽くす私に、レンゲが抱きついてくる。

 あの時と変わらないポカポカと暖かい体温が徐々に私の中を満たしてくる。戸惑いながらも、私は震える両腕でレンゲを抱き返した。

 

 

 

改めて、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがと、サオリ

 

 

 

「……レンゲこそ、ありがとう。最高に嬉しいよ」

 

 我慢するまでもなく、涙が溢れてくる。

 肩が震えているから、レンゲも多分泣いてる。

 

 誕生日ってめでたい日にはずなのに泣くなんて、可笑しいかもしれない。ケーキとかプレゼントとかも無いし、絵本で見るような綺麗な家でもない寂れた廃工場の中だけど。

 

 誰よりも大切な人になった相棒と一緒なのが、一番のプレゼントだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きろ、第八分隊長」

「かはっ……!」

 

 突如襲い掛かる腹部への衝撃に、私は思わず息を吐き出して蹲る。幸せだったはずの光景は一瞬にして崩れ去り、私は再び()()へと戻された。

 

 幸せのはずだった。

 荒廃したスラムの中でも確かな幸せを感じていた頃の記憶の残照は、目の前の大人によって掻き消されてしまう。

 

()()()()の中で呑気に寝るとは、随分と調子のいいことだ」

「よく言う……お前たちが気絶させたくせに……」

 

 目の前の大人──アリウス分校の幹部からの冷たい視線に、私は精一杯の力で睨み返す。しかし、そんな私のささやかな抵抗すら、大人たちは許さない。

 

「反抗する気か? まぁ、その時はお前のスクワッドに罰を受けて貰うだけだがな」

「ま、待って! 私には何をしてもいい! だ、だから家族だけには──」

 

 そんな私の言葉を遮るように、再び大人が私を蹴り付ける。

 

「だったら、素直に、従え!」

 

 もう吐き出すものも残っていない私の口から空気だけが溢れる。

 

 レンゲがトリニティに向かってすぐのことだった。

 私たちスクワッドは突然大人たちに捕らえられ、全員がバラバラに自治区各地の反省部屋へと送られてしまった。

 

 アツコも、ミサキも、ヒヨリも、アズサも。

 抵抗する暇もなく、全員が離れ離れにされてしまった。私が守ると約束したはずの、かけがえのない家族が。

 

 激しく咳き込む私を大人は下劣な笑みを浮かべながら見下ろしている。まるでこの日をずっと待ち侘びていたように。

 

「不思議だろうな。今までずっと好き勝手できてた第八分隊がこんな仕打ちに遭うなんて。だが、何も私たちはお前らが気に入らないからこうしているわけではない」

 

 大人は私の胸ぐらを掴み上げ、無理やり視線を合わされる。

 

「お前たちに裏切りの疑惑が浮かんでいる」

「……は?」

 

 裏切り?

 スクワッドの私たちが?

 

 ありえない。そもそもマダムとの契約がある以上、私たちは裏切りたくても裏切れないはずだ。

 

「まぁ、疑惑を持たれているのはお前ではなく副隊長──荻野レンゲの方だがな。要するに、お前たちもグルじゃないか見張ってるって事だ」

「ふざけないで! レンゲが家族を置いて裏切るなんてありえない!」

 

 レンゲは誰よりも家族のことを大切に想っているのは私が一番理解している。いくらマダムに反抗的でも、レンゲが私たちを残してアリウスを裏切るなんてあるはずがない。

 

「だが、マダムと契約しているのは()()()()だよな? 他の隊員はお前に付き添ってるに過ぎない。つまり、その気になればいつでも裏切れるって事だ」

 

 しかし大人の告げる言葉に私は思わず言葉を詰まらせてしまった。

 なぜなら、それは紛れもない事実だから。

 

「な、なら、なんで今回の任務でレンゲだけを……」

「選別のためだ。本当に私たちアリウスを裏切るのか、忠実に任務を遂行するのか。そのためのトリニティへの単独任務だ」

 

 言葉を失う私に畳み掛けるように大人は続ける。

 

「しかしお前たちも不幸だな。反抗的な態度を見せる荻野レンゲのせいでこんな理不尽とも呼べる疑惑を吹っかけられるなんて。でも、結局この世はこんな虚しさしかないんだよ」

「……違う。レンゲは裏切りものなんかじゃ──」

「最後に一つ教えてやろう。お前が寝ている間、荻野レンゲは一度も定期連絡を行わなかった。こちらから連絡しようにも通信も途絶えている。つまり奴はもう捕まったのか、あるいは……」

 

──(トリニティ)に寝返ったのかもな。

 

 最後にそう言い残すと、大人は私を投げ捨て反省部屋から出ていった。

 

 受け身すら取れずに硬い地面に叩きつけられるも、それ以上に私は伝えられた情報を整理しきれず思わず目眩がする。

 

 家族の安否も分からず、大切な相棒に掛けられた容疑を伝えられ、今まで経験したことの無い感情が胸の内で渦巻く。

 

「連絡が途絶えて……でもレンゲが簡単に捕まるなんて思えない……もしかしてレンゲは本当に私たちを置いて……なら今の状況は──」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこまで思考が至った事に気づいた瞬間、全身の鳥肌が立つのを私は感じた。そして、咄嗟に床に思い切り頭を打ちつける。激痛と共に額から生暖かい何かが流れるのを感じながら、大きく息を吐く。

 

 ありえない。

 レンゲが家族を見捨てて自分だけ裏切るなんて絶対にない。

 

「約束だもんね……レンゲは絶対に帰ってくる……絶対に……」

 

 

 だって、もうすぐ私たちの誕生日なんだから。

 

 

 




誕生日に曇らせ展開を持ってくるなんて、人間の屑がこの野郎。
レンゲに通信切っとけって言いながら連絡付かないというガバガバ集団(なお意図的)

・サオリ
誕生日は9月3日。アリウスの生徒って全員自分の誕生日と実際に生まれた日はいっちしてないと思う。

・レンゲ
誕生日9月4日。あの後自分の誕生日も知らないと気づき適当に翌日にした。なおそれだとサオリが上になってしまうと気づき後悔した。



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