光と殻 (すからぁ)
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まえがき

ある、一人の少年が居た。

 彼は元々ごく普通の生活を送る人間だった。ただ、その容姿は軒並み少女と瓜二つで、初対面の人間には悉く少女に間違えられる、少年。

 金色の髪に青い眼。襟足まで伸び、すらりと長いその髪にまるで猫のような二重瞼はやはり少女に間違えられる。

 だが、彼は紛れもない“少年”だ。人に会う度に彼は少女に間違えられる。彼は、それが苦痛だった。

 彼は今、オーストラリア、ダーウィンにて語学留学をしている。元々モントリオール出身の彼は多くの人の為に役立つ為に医療者になりたいという夢を見て、単身で留学をしている。

 それは、世界が平和だからこそ出来る事と呼べるだろう。平和でなければそのような事は難しい。例えば世界の一部でも何らかの戦争行為が起きた場合、その周辺国への立ち入りは難しいものとなる。それが留学をするとなった場合、より困難を極める事になる。状況によっては諦めざるを得ないものとなるかも知れない。

 

 

 

 かつて、この世界は大きく歪んでいた。過去に、宇宙にある一つの帝国と、地球は戦争をしていた。地球は宇宙の帝国と百年以上も戦った。

 その果てに帝国は敗れ、その力を失う事となった。だが地球はその戦争を経て、新たな指導者を生み出し、その存在が平和となった筈の地球をより混沌とした状況に陥れていった。

 軍備増強の徹底を続けた世界。それに反対する者もいる中で、地球は勢力を伸ばし続けた。かつての帝国のような脅威が居ない世界を作る為に。

 この世界には人型の兵器があった。百年以上前、地球側が最初に開発した、全高約18メートル程度の人型の兵器。その兵器が一人の指導者によって大きく普及する事となり、世界は混迷を極める事となったのだ。

 元々地球には二つの軍があった。だがそれらは大きく衝突する事は無く、表向きは協力関係を築いていた。しかし、やがてその両者は地球上で対立する事となる。それにより、更に世界は混迷を極めていく事となった。

 戦争状態となった地球。そこに迫るのはかつての帝国の残党。そして、戦争状態が進むに連れて更に勢力が作られた。合計四つ巴となったその戦争は、かつての戦争に迫る程の規模となっていったのだった。

 激戦の果てに、その戦争は終わった。あろうことか、かつて地球と対立していた筈の宇宙の帝国が、地球のある勢力と停戦協定を結ぶという形で幕を閉じたのである。

 これにより、大きな戦争状態はなくなった。世界は、平和となったのだ。

 

 

 

 話を戻していく。その、女顔の少年はその戦争に参加していた。その人型兵器に乗り、戦っていた。そして、生き残ったのだ。彼はその中で最大の敵と呼べる存在を倒した。これだけ聞けば、彼はまるでアニメやゲームの主人公のようだ。

 彼は、それ自体が夢物語なのではないかとさえ思う。本当になった平和な世界の中で、本当にあれは事実だったのかとさえ、思うのだ。

 こうした背景を聞くと、この少年は“ごく普通の少年”とは言い難いだろう。しかし、彼は紛れもなくごく、普通の少年だった。この“壮大な経験”をするまでは。

 彼はこの経験の中で、“力”を付けて行った。その力は従来の人間には理解されない力だった。そして、彼自身受け入れたくない力だった。

 普通の人間でありたいと願った少年はこの壮大な経験を経て、人ならざる力を得た。常人よりも治癒能力に優れ、空間認識能力にも優れ、死の危機に直面するか、怒りを覚えた時に眼の色が変色するという現象。果ては自身が碧色の光を放つという。

 その力を持つ存在の名前。それは、“アドバンスドタイプ”。それだけ聞けば、彼は超人と呼べる存在だ。そのような力を秘めている人間が、今は語学留学をしている。本当に平和になった世界で、その平和な日常を謳歌しているのだ。

 彼はその事を学校に通っている、誰にも話していない。知れば誰もが羨むかも知れないその力。だが何故彼は誰にも話していないのか。信じて貰えないから?違う。痛々しい人間に思われるから?それも、違う。

 答えは一つ。話す必要がないからだ。話しても何にもならない。自分の夢の為に日常を送る彼には必要のない、力だ。その力はもう使う事は無い。役目を終えたスーパーヒーローの如く、彼は人間社会の中で生きている。今まで通り、ごく普通の生活を送っているのだ。

 

 

 

 これは、アドバンスドタイプと呼ばれる力を宿し、かつて大きな戦争を生き延びたとされる、美しい少年が経験した、日常の一部。もう使う事が無い筈の力は、彼にどう影響を与えようと言うのか――

 




話が出来次第更新していく予定です。


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第一話 レイ・キレス その1

 その日、レイ・キレスは自宅のアパートで目を覚ました。手元に置いているデバイスツールである、Eフォンの目覚まし機能によって目を覚まし、スイッチを押して眠気を覚ます。

 今は12月。オーストラリアは南半球である為、温暖どころか熱帯とも呼べる気候となっている。エアコンを夜通し付けていた為然程暑さを感じる事は無かったものの、窓を開けた瞬間に外の熱気との差で気分が悪くなりそうになる事があった。

「……暑い……」

思わずレイは呟く。それと同時に部屋に置いていた時計をちらと見た。時刻は8時。朝日が照り付ける中、彼はその光を肘で覆ったのだ。

「そうだ、二限目から授業だ。行かないと……」

語学留学をしているレイ。そこで彼は授業を受ける。

 それは常に朝から出席しなければならない訳ではない。必須となる単位や選択科目を受け、試験に受かれば進級出来るという仕組み。だがそれにはそれ相応に勉強しなければならない。だが勉強する事自体、彼は得意だ。将来なりたい仕事の為に勉強をする事も苦ではない。

 同じく語学留学をしている学生がいる。恐らく彼等もレイと同じく志を持って勉学に励んでいる筈の人間だ。

 しかし人間と言う生き物は誘惑に弱い。入学して間もない頃はきちんと授業に出席している人間も居るのだが、12月という時期になると授業をサボる様になる人間も見受けられるようになった。

 真面目に授業を出ているレイは学校で知人となった人間に代返を任される事が、しばしばあった。何故その人間の代わりにそのような事をしなければならないのだろうとさえ思う事はあるが、その人間の自由ならば知った事ではないのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 レイはアパートにバイクを置いている。バッテリー内蔵型の、特殊なバイク。ガソリンと呼ばれる燃料が希少な存在となっている時代ではこうしたバッテリー内蔵型のバイクが主流だ。最も、バイク自体が最早趣味の乗り物のようなものだが。

 彼はフルフェイスヘルメットを被り、バイクにまたがる。やがてスイッチを押し、バイクを起動。そのまま道を走らせた。彼の通う学校へは片道30分程度。その間の道は、比較的緩やかだ。

 彼はこの時間が好きだ。風を感じる事が出来る瞬間である。時速60キロ程度のスピードで走る際の風の心地良さ。彼はそれを感じながら走る。ヘルメットからはみ出す金色の髪はレイという少年の美しさを象徴しているかのようだ。

(あれは、やっぱり夢だったんじゃないだろうか……)

バイクを運転する中で、彼は思い出す事がある。

 

 

 

 それは、かつて起きた戦争の事。この世界は今、平和維持隊と呼ばれる存在が地球上や地球圏の平和を守っている状態。この平和維持隊を統括しているのが新平和国連盟と呼ばれる組織である。

 それはかつて存在していた平和国連盟が新しくなった形だ。その代表議長が、ギア・ジェッパーという人物。かつての戦争で元々存在していた平和国連盟の存在に疑問を抱き、新しい勢力を作り出し、先の戦争を生き残った。レイは当時、ギア・ジェッパーが宣言した組織である“FPB”と言う組織のメンバーとして戦っていた過去がある。

 それまでごく普通に、ジュニアハイスクールの生徒として過ごしていた彼だったが先の戦争はその、彼の運命を大きく変えた。

 かつて、この世界には人型の兵器の存在があった。それらは多くの場所に配備され、正規軍やテロリスト等に用いられていった。

 レイはこの兵器に乗って戦った事がある。それは成り行きだ。しかしその中で多くの出会いを果たしていった。その果てが、先の大きな戦争という事だ。

 この戦いの中で、レイはある、力を宿す事になる。それは人を遥かに凌駕する力。彼は一度、この力に苦悩し、悩んだ事があった。望んでいない力を得た事で、彼はどうすれば良いか分からないでいた。

 しかし戦いの中で彼はこの力を受け入れる事が出来た。それはレイ自身をより、大きな存在へと成長させるのに十分な事と、呼べたのだ。

 

 

 彼は先の戦いの果てに、強大な存在を倒したその敵は、彼と同じ力を宿していた。

かつての宇宙に存在していた帝国が、最強の兵士を作り出す為に生み出された存在、アドバンスドタイプ。その母と呼べる存在が、過去にいた。意思を持つ機械である、その名前はEVE。かつての帝国が火星に建造した機械である。レイが倒した敵は、そのEVEの意思をそのまま受け継いだ存在だったのだ。

 EVEは帝国の命ずるままに、アドバンスドタイプの力を持つ子を産み落とした。しかし成体になるのに15年という月日を要し、尚且つ成体になってから地球圏に向けてカプセルを発射するという、無謀なプロジェクト。どう見ても、それは失敗以外の何者でも無かった。

 故にEVEは悲しんだ。そして、悲しみを増やしては行けないと思った。戦争があるからこのような悲劇が起こるのだ。だったら、それは止めなければならない。

 この世界には常人を凌駕する力を持つ人間がいるとされる。それは戦闘に於いて生存能力を発揮するのに十分な力と呼べた。だが、その存在こそが戦争の潤滑油であると、EVEは言った。

 ある時、EVEが産み落とした最強のアドバンスドタイプの男は、力を持つ存在の抹殺を試みた。力を持ちつつも、ごく普通の生活を送っている人間がいるにも関わらず、躊躇なく殺めていった。

 しかし一方で、そのアドバンスドタイプの男は人を愛していた。力を持つ存在を殺める使命を持っている傍ら、人を愛するという矛盾を抱えた存在は自分の中でそれらの感情を統合させ、ある、一つの答えを導いた。

 それは、地球にいる人類の数そのものを減らすという事。人間を愛していた彼は、戦争行為を起こす事にも絶望していた。他者を労われるのが人間なら、その一方で人を殺める事も出来るのが人間。男が出した結論は、やがて実行されようとした。

 しかし先の戦争で力を身に付けていたレイは男と直接対決をした。同じ力を宿した人間同士が対決し、その死闘の果てに彼は男を破った。

 

 

 

 しかし、今生きるレイにとって、そのような事自体が絵空事のように感じられた。今、こうしてバイクに乗り、風を感じながら移動していて生きているのを感じているものの、やはりあの時の事を思うと不思議でならないのだ。

 その際、彼はふと、視線を左側にやる。そこにあったのは、人型の兵器の存在。推定全高18メートルはあろう、その鉄の塊は既にスクラップとして廃墟となった建造物に重なるように残されている。頭部の一つ目のカメラらしきものが露出しており、コクピットらしきものも剥き出しだ。そして、シートの部分は赤茶色に染まっているのも分かる。

 これは紛れもなく戦争があった事の証拠として、残っている。これは豪州が敢えて残しているものであり、戦争の悲惨さを後世に伝える目的で各地に、綺麗な形として残っているのだ。最も、それが本当に綺麗であると呼べるのかはまた別問題ではあるが。

(あれが戦争の爪痕ってやつなんだろうな……僕も、それを体験した。不思議な体験だったと思う。)

何気なくレイは思った。彼は昨年までその、人型兵器に乗っていた過去を持つ。

 今となってはその人型兵器は新平和国連盟の意向により、兵器としての運用は禁止されている。現在ではそれらはインフラ整備や災害地派遣で用いられる程度に留まっている。最も、それは表向きの話。

 実際はその監視の目を潜り、現在も一部のテロリストが平和の脅威として存在しているのは変わりのない話。最も、それは今のレイには関係ない話ではあるが。

平和になった世界で彼がこうして学業に励む事が出来るのは、何よりもありがたい事であり、彼にとっての、失われつつあった学生生活での青春を謳歌するのには十分と呼べるのだ。

 



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第一話 レイ・キレス その2

「おはようー」

「てか、こんにちはじゃね?」

とある講義が始まる前。レイは空いていた席に座り、コンピュータを開く。予習していた内容の再確認だ。

 教授が来るまで時間がある。こうした取り組みを、彼は欠かさない。

 レイはこの学校では決して一人ぼっちと言う訳ではない。純粋に、同じクラスメイトが多過ぎるのだ。このキャンパスには二千人程度の学生が居る。皆がそれぞれ学び、時間を謳歌している。同じ授業で一緒になる知人がいればその人間とは交流を取る。しかし一人しかいない場合、彼は一人、こうして予習した内容の確認をする。

「なあ、滅茶苦茶可愛くない?」

「ヤバい……可愛いってか綺麗じゃん……」

その時、彼の耳に何やら男子学生の声が聞こえてきた。気になった様子のレイだが、敢えてそちらに顔を向ける事はしない。

 だがそれらの声は次第に大きくなっていき、やがてレイ本人に聞こえてきた。

「ねえ、隣良い?一人で受けるの?」

「バカ、いくら何でもファーストコンタクト下手糞過ぎるだろ!」

「良いんだよ、声を掛けられるの待ってたんだろ?可愛いよなぁー、ホント。」

またか……と、彼は思った。

 確かにレイの容姿は麗しく、美しい。金色の髪に青く澄んだ眼は人を捉えて離さない。それ程に少女と間違えられても仕方のない容姿をしている。年月を掛ければ少しは男性ホルモンの片鱗を見せるかのような成長をするのかと思っていた彼の身体はそれとは真逆……本当に、女性のような成長をしていった。最も、彼は性別は男であり、乳房もない上、女性器もない。当たり前の話ではあるが。

 彼は少しでも自分を男子学生に見てもらおうとジーンズ姿やライダージャケット姿で登校をするのだが、それでも容姿自体は少女のものと変わらない。自分でもこの容姿が時に嫌に思う事がある程だ。

 とは言えレスラーのような逞しい印象を持つ顔貌になりたいのかと言えば、そうでもない。所見、印象というのは難しいものだ。本人が受け入れなければならないとしても、それが受け入れられない時がある。

「ごめんなさい、僕……男なんです。」

彼にとってはいつもの台詞だ。女子学生と勘違いして、仮に男子学生と正体を明かしたらどのような反応をするのだろうか?

「嘘言うなよ、こんな可愛い子が男?いやいや、何言ってんだよ?」

異様に馴れ馴れしい様子だ。その男子学生は知人でもない。今、知り合ったばかりの関係だ。

「よく、間違えられるんで……ごめんなさい。」

別に謝らなくて良いのに。しかし何故か、レイは先に謝る。そうすれば場が落ち着くからなのだろうか。

 そう言った後、男子学生達は何故か舌打ちをし、レイから離れていく。もしレイが本当に女子学生だったならば、恐らく何らかの話をしようとしていたに違いない。

 だが彼はそのような遊び心など持っていない。相手をその気にさせるような色香を漂わせている訳でもない。

 彼は真面目だった。そして、自分の容姿が嫌になる時も度々あった。少女と変わらぬその美貌。それに寄って来る男子学生。男と知った時に離れる人間達。何だろうか、この落差というのは。

 彼は学ぶ為にこの学校に留学して来た。確かに、知人も出来た。だがその関係というのは、所詮は表面上の関係に過ぎないのだ。

 レイには秘密がある。余りに大きな秘密。人智を超えた力を持っているという、秘密。学校の人間に話したところで絵空事と言われるような秘密。

 その事で彼は悩んだ事があった。その力によって自らの命の危険にさえ及び掛けた事もあった。しかし、今はそれらを受け入れている。そして、二度とその力は使われる事は恐らくないであろう環境に、身を投じている。

 だが、人間は一度こうした壮絶な体験をしてしまった時、大きな体験をしていない人間と共に新たなる人間関係を築くのは非常に難しい。彼の知人達はそれなりに目的意識があってこの学校に留学している。2000人以上もの学生がいるキャンパスだ。それ故に多種多様な人間がいるのは当然と呼べる。

 しかしレイは自らの力の事や、体験した事を話せないでいる。それを言ってしまっても、所詮絵空事のように扱われるだけだからだ。

 それは分かっていた。分かっていたが故にレイはどこか、それに対して寂しさを感じていたのだ。本心から自らの事を語り合えない知人達。

 更に彼を寂しい気持ちにさせたのはキャンパスの環境だ。学生によって受ける授業は異なる。無論、同じ授業を受ける人間もいるのだろうが、所詮は顔見知り程度。そこから深い仲になれるかと言われれば、そうでもない。

 ジュニアハイスクール時代はいつ、いかなる時も同じクラスメイトがいた。それ故に友情を深めるのに一役買う事が出来たのだ。それが幸いし、レイは今でもテレビ電話等で故郷の友人と連絡を取る事がある。

 しかしこのキャンパスでは彼は本当に語り合える友人というのが存在していないのが現状。それが、彼を寂しくさせた。挙げ句の果てには先のように容姿のみで声を掛けてくる軽薄な男にナンパをされたりもしている現状。

 一見すればそれは幸福な学生生活と呼べるのかは甚だ疑問ではある。しかし、彼が以前に体験した壮絶な出来事と比べれば、間違いなく今の時間は幸せな時間と呼べるだろう。

 日常と非日常という状況を経験した、レイ。今この場で多くの事を学び、その上で生活を送っている事は間違いなく幸福と呼べるだろう。いや、そうに違いない。

 

「~であるから、この内容はこうであって――」

教授の声が教卓から聞こえる。抑揚のない声はどこか退屈で、その授業は学生からも人気がない。一応必修と呼べる科目ではあるが、魅力のない授業を聞き続けるのは酷な話と呼べる。大切な授業である事は、分かっている筈なのに。

(……皆は、どうしてるんだろう……)

ふと、彼は過去を振り返る。この退屈と呼べる授業を聞く中で、彼は過去を思い出した。

 

 レイは非日常に身を置いていた。それは成り行きだった。レイは、現在では配備が禁止されている人型兵器に人一倍関心を抱いている少年だった。雑誌やネット上のサイト等でそれらの情報を集めたりしていた。

だがジュニアハイスクール2年の冬頃、ある軍人同士の話を小耳に挟み、彼はそこから最新鋭の人型兵器の存在を耳に挟む。それが、彼の運命を大きく変えた。

過去を振り返れば、それは本当に物語の一ページのようにさえ感じた。この出来事をきっかけに、レイは軍属でないメンバーと合流する事となった。そこは美人の艦長をはじめとした個性的なメンバーが集まっていた。

レイは彼等に世話になっていた。そこから多くの出来事を経験していき、やがて戦争に巻き込まれていった。何度か故郷に帰る事もあったが、運命は彼を戦場に引き寄せて行ったのだ。

先の戦争で生き残ったメンバー達は、それぞれの人生を歩んだ。幸い彼の持つEフォンにはメッセージアプリでやりとりをする事自体は可能ではあるが、今更何を連絡するというのだろうか。

艦長の名前は、エリィ・レイスと言った。彼女は同じ戦艦内のメンバーだったネルソン・アルビュースと結婚をしている。どこかでジャンク屋を経営しているという話だ。しかし学問に励む彼は彼女達夫婦に会う事も出来ていない。どうしているのだろうと、思う。

他にも彼は多くの人間と出会っていた。彼等は、今何をしているのか。どこで、どうしているのか。自分は、この平穏とも呼べる世界の中で勉強をしているというのに。

(こうして学校に行って勉強が出来るのも、思えばあの時僕が戦う事を選択したからなんだよね……でも、こんなに差を感じるとは思わなかったな……)

平和。そう呼べるのならばそれは幸せな事だ。無意味な犠牲も出ない、誰もが平穏で安心して暮らすことが出来る世界。それは何よりも理想である。

 レイはこの平和な日常を守った人間だ。彼が先の戦争で戦わなければ、どうなっていたか分からない。

 彼が戦った、“最大の敵”は地球の人類を減らそうという壮大な計画を立てていた。これを阻止出来なかった場合、地球上の人類の大半は死滅していた可能性が高い。

 過去に地球の軍の統率者がいた。名は、レヴィー・ダイル。若き軍の総司令を担っていた人物だ。戦況が追い込まれる中で、月面からエレシュキガルと呼ばれる大型の要塞を展開し、これを巡り、四つの勢力が死闘を極めた。

 最大の敵はこの、エレシュキガルを利用しようとしていた。それから展開される強大な砲台は最大出力で地球に向けられれば、大勢の命が失われた。地球を守るという壮大なミッションの果て。レイは称賛こそされていないが、この、かけがえのない日常を守った人間と呼べるのだった。

 

 だがそれも過去の話。今の彼は学生だ。仮にこの話を誰かにしたとして、信じる人間がいようものか。絵空事と言われるのが関の山だろう。

 それは、分かっている。分かっているからこそ、どこか歯痒い気持ちもある。それは人間故なのか。

(けど、それで良いと思う。僕は普通を望んだ。そして、本来あるべき形で人に貢献したいから勉強している。)

レイはこの授業の中でこうした事を考えるようになっていた。本当ならば人知を超えた力を持っている、レイ。だが過去にあった壮大な出来事と今の状況とでは、余りに乖離が過ぎるのだ。

 別に英雄と言われたい訳じゃない。称賛されたい訳じゃない。彼は穏やかに生活を送りたい。それで、良いのだ。

 ふと、彼は周囲を再び見渡した。授業を真面目に聞いている人間は数名いるが、大半の人間は視線を下に向けていたり、なにやらEフォンをいじっていたり、ひそひそと話をしている。教授はこれに対して注意をする様子を見せない。

 彼はどこか、この状況に対して呆れている様子を見せていた。確かにこれは、勝ち取った平和なのだ。だからここに居る学生達は授業を受ける事が出来るし、教授も授業をする事が出来る。本来“学ぶ”と言う行為は金銭も掛かる、崇高な事だ。なのにここの学生の大半は学ぶ権利を自ら放棄している。その事にレイは一人、複雑な心境を浮かべるのだ。

 別に自分が偉い人間になった訳ではない。ただ、望まぬ力を持っているだけ。神でも何でもない、普通の人間として過ごす日々。それで良い。この複雑な感情を、どう言い表せば良いのだろうと考える。

(やっぱり、体験というのは人を変えてしまうのかな……皆がどのような体験をしたのかは分からないけれど、どうしても僕にはあの人達が壮大な体験をしているようには見えない……)

自分の事を棚に上げる訳ではないのだが、彼自身が経験した事を思うと、どこかレイはやるせない気持ちで居たのだ。

 故にこの学校で心から分かち合える友と出会えずにいた。自分の事を話してもそれは絵空事。彼は取り付くように当り障りない話をするばかり。出身の事やこの学校に入った動機等。それらに目立った特徴は、ない。強いて言えば彼の容姿が余りに少女のようで麗しいという事ぐらいか。

 



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第一話 レイ・キレス その3

 講義を受け、学生達はそれぞれの目的の為に移動する。90分間の講義は長いようで短い。欠伸をし、うんと伸ばす人間が大半だった。

 レイはコンピュータを片付け、学食に向かう。時刻は昼の12時半。空腹がピークになる頃だ。

 彼には目標があってこの学校に留学してきた。だが、卒業までの日々と言うのは、余りに長い。それ故にどこか、退屈に感じてしまう所もあるのだ。多忙の中の退屈といった所か。

 その度にレイは過去を思い出してしまう。それをしたところで、何も変わらないというのに。

「ふぅ」

一人レイは溜息を吐き、学食のサンドイッチを購入した。その後学生達がにぎやかにしている中、空いている席に座り、Eフォンを見ながらサンドイッチを口に入れる。

 卵とトマトが入っている、オードソックスなその組み合わせは彼の舌を酸味とまろやかさで包み込み、喉を通していく。この味に不満は無い。特別な異常を感じない。美味とさえ、感じる。

 レイはアドバンスドタイプの力を持っている人間であれど、その五感は恐らく常人と変わりないものだと思っている。彼は紛れもなく、人間だ。こうして学生生活を送る事が出来るのも、平和があるからこそ。この平和があるから、皆がこうして時間を謳歌出来る。それに過剰な見返りは求めない。そう、それで良いのだ――

 

 

「隣、良いかな?」

その時、レイは声を掛けられた。甲高く、愛らしい印象を持つその声に反応したレイはすぐに視線をその方向にやる。

 そこに居たのは少女だった。銀色のロングヘアーで、朱色の眼をしている。豊満と呼べる胸元に、男を誘うかの如くの程よく割れた腹筋に、臍。どこかタイトな黒いスキニーを着用している。紛れもない、美少女と呼べる存在。所見で分かる、色香漂うその少女。

 レイは不思議な感触に包まれた。これは彼が力を持っているからという訳ではないと思う。恐らく、声を掛けて来たこの少女の存在に何か、魅力を感じたのだろう。この感覚は、彼が生きてきた中で初めての感覚だった。

「あ……えと……はい。」

どこか緊張している様子のレイはその、青い眼をすぐにサンドイッチの方にやった。

 直後に少女は席に座る。長い髪を細い指で捲し上げ、流し目をレイにするのだ。

「奇麗だね……」

「え?」

レイはこの言葉に、反応した。

「君の、顔。男の子は思えない程に綺麗。」

彼女とは初対面だ。なのに、彼の事を“男”と見破った。普段から少女に間違えられるレイにとって、これは僥倖であり、喜ぶべき事と言える。

「あ、ありがとう……ございます。」

目のやり場に困るレイ。初対面の少女に突然褒められたのだ。男として嬉しくない訳がない。彼女のその美貌はレイにとっては紛れもなく、“好み”と呼べた。

「そんな、謙遜しなくても良いよ。気軽に接してくれて良いよ。」

少女は笑みを浮かべる。それもどこか、魅力に感じられてしまう。

「ま、強いて言えば歳は君より一個上のお姉さんではあるけれども。」

「え、どうして僕の歳、分かるんですか?」

何故かレイの歳を知っている、この少女。この学校は皆が私服であり、学年を決める制服などはない。その上で個人情報のセキュリティも強固なものとなっている。身分証明書としての生徒手帳もEフォンデバイスに搭載されているのみであり、学校側しか学生の個人情報の把握が出来ていないようになっている。情報漏洩防止や、国籍や人種の偏見、差別問題に配慮したやり方と呼べる。

それ故に個人間のやり取りは、個人に任せている仕組みだ。故に、初対面の人間の歳など調べたりしない限りは分かる筈がない。

なのに、彼女はレイの歳を理解している様子で振る舞う。何故なのか。

「さあ。なんででしょう。」

少女の振る舞いは初対面の人間に対する態度に見えなかった。何故か柔らかく、それでいて手慣れているような感覚。人生の先輩のつもりなのだろうか。

「けど、躊躇う顔もホントに女の子みたいだね、君。」

少女は笑みを浮かべ、言った。麗しい少女が見せる笑顔はまたしても魅力に感じられる。

「えと……その……僕、よく女の子に間違えられるから……この顔は父さんと母さんが残してくれた大切な顔だから、それを否定する訳じゃないけれど。」

顔の話は話題として広げ辛い。とりあえず自分の両親に感謝する様子を見せるレイ。

「容姿が良い事は得だよ。男の子でも、女の子でもそれは同じ。」

銀髪の少女が微笑する。

「男が容姿を褒められるって、やっぱり変な感じだ……僕が本当に女の子ならそれは嬉しい事なんだろうけど。」

「前にも言われた事があるような言い方だね。」

「まあ……うん」

事実だ。過去にレイが壮大な経験をしている中で出会った、とある一人の人間にその容姿を褒められた事がある。歳上の少女。勝気で彼の事を奴隷という扱いをした妙な関係ではあるが、恐らくレイに好意を抱いていたのではないかとされる少女。

 彼女も、今何をしているのか。確か、人型兵器とかの整備士をやっていた。今も続けているのか?

ふと思い出したか一時を振り返りつつも、そして、もう一つのサンドイッチを取ろうとした時――

 

「ああ、そう言えば、私お腹空いてるんだった。」

 

まるで思い出したかのようにその台詞を吐く少女。空腹だから学食に来て、今から食事を摂るのではないのかと、レイは疑問を抱く。

 しかしレイはそれを敢えて言わず、サンドイッチを取ろうとする手を止め、言った。

「じゃあ……食べる?」

「え、良いの?ありがとう!」

彼の購入したものではあるが、レイは少女に譲った。これだけ見れば、まるで少女は乞食のように見える。とはいえ相手の容姿は麗しい。それだけでも許せてしまう自分がどこか、情けないような気さえしてしまう、レイ。

 少女はその、白く細い指でサンドイッチを手に取る。卵とトマトが挟まっているそれを口元に運び、小さな口を開いて食べる。食べ方も綺麗な印象を、レイは受けた。

「美味しい。君も、同じ味を感じているんだよね。」

「え?あ……うん、多分。」

突然の言葉にレイは僅かばかりたじろぐ。今の台詞は何を示しているのか。同じサンドイッチを食べているのだから、当然と言えば当然だろう。

 それから数十秒後。彼女はそれを食べ終えた。口元には卵の白身やトマトの粒も一切残さず、その美貌を保ったままレイの方を見るのだ。

「ご馳走様。そうだ。私も学食、注文しに行こ。ちょっと待ってて。」

サンドイッチだけでは足りなかったのだろうか、少女は席を立ち、その場を去った。荷物を、残したまま。残されたレイは、サンドイッチを入れていた容器を見て呆然とするばかり。

 3分程度して少女は戻って来た。彼女はローストチキンの入ったサラダをお盆に乗せて戻って来た。彼女は健康志向なのかと、レイは思う。

「さっきのお礼。食べて良いよ。」

「え?あ……うん。」

と言いながらローストチキンをフォークに刺し、そのままレイの口元に運ぶ、少女。

「じ、自分で食べるよ!そんな事、しなくても!」

まるで恋人同士が食べさせるような形で少女はチキンをレイにやる。それが、妙でならない。初対面の筈なのに、どこか距離感が近いのだ。

「あの子達仲良いねー」

「レズカップル?」

「友達同士って感じにも見えるし、違うようにも見えるな」

「友達同士にしては親密過ぎじゃね?」

「てか、どっちも可愛いし、綺麗……」

「姉妹?顔は似てないけれど」

ひそひそと話し声が聞こえる。レイはこれが恥ずかしく感じられた。そして、自分が少女に間違えられているのを僅かに感じていた。

「良いじゃない。サンドイッチくれたお礼だもの。」

サンドイッチを欲していたのはそちらの筈なのに、そのお礼が恋人同士がしそうなこの光景。

明らかに初対面の人間がやるような事ではない。彼女は一体、何者なのだろうか。

 理解に苦しむ行動をするその少女に躊躇う様子のレイ。彼女の厚意と思い、仕方ない様子でローストチキンを自身の小さな口に含む。淡白で、どこか油気のある味がレイの喉を通過した。

「私達、周りからどう見られてると思う?」

「え!?」

レイがローストチキンを咀嚼している最中、突如少女が言った。まるで、彼を揶揄うような発言だ。

 突発的な台詞は彼の表情を変える。咳込む様子をレイは見せた。

「姉妹かな?仲の良い友達?それとも恋人?君は女の子みたいだから、レズビアンカップル?純粋な男女のカップル?どうだろう?」

初対面とは思えない台詞を吐く少女。彼女は右示指を口元に寄せ、揶揄うかの如くレイに視線を送る。

「僕は、男だよ……それに、君とは初対面だし……」

「フフ、躊躇う姿は可愛いね。本当に女の子みたい。いじめたくなるような……そんな雰囲気をしているよ、キミ。」

再び少女は微笑する。レイはこの時、隣にいる少女に対してどのような呼び方をすればよいか、分からないでいる。

「大体、君の名前はなんて言うの!?いや……ごめん、“君”って言い方をするのは良くないのかな……」

「どうして?」

「さっき言ってたでしょ?貴方は、“年上”だから……」

レイは目上の人間を謙遜する人間である。親しい人間であれど、その呼び方に対して慎重になる人間だ。

 少女はレイよりも一つ上の歳を重ねている。それを知っている彼は、彼女の年齢の事に気を遣うのだ。

「その……名前を……教えて欲しいんだ。」

レイは静かに口を開いた。

「良いよ」

と、少女は笑みを浮かべる。

「シィナ」

「え?」

「シィナ・ソンブル」

銀髪の、妖艶で愛らしい印象を持つ少女の名前が分かった。シィナ・ソンブル。それが少女の名前、どこかレイを揶揄うような印象を持つ、奇妙で美しい少女。

 レイの容姿の好みと呼べる人物は、初対面である筈のレイを揶揄うかの如き対応を取るのだ。

「シィナさん……なんだ。僕は――」

「レイ・キレス」

「え?」

レイの青く、猫の如き二重瞼が見開かれた。何故、彼女はレイの名前を知っているのか。

「知ってるよ。女の子のような綺麗な顔貌の男の子。とても特徴的だから、分かるもの。」

彼の顔貌は少女のようだ。そう言う意味では特徴的と呼べる。

 だからと言って名前まで分かるのか。この学校の個人情報が漏れたのか?いや、何かの際に彼の名前を知ったのかも知れないが、レイはこの学校で特別目立った事をした訳ではない。あの戦争の後で学びたい事を学ぶ為に学校に来ているに過ぎない。その中でのスクールライフを送っているに過ぎないのだ。

「それだけで、僕の名前を?」

「さあ、どうしてでしょう?」

また、シィナは揶揄うように振る舞った。

「それよりも私、レイとお話がしたい。せっかくこうして隣の席でご飯を食べているんですもの。何気ない話とかしてみたい。」

今度は彼女の欲求だ。それは特別な事ではない。レイも当り障りのない話ならばできる。

 最も、彼の真相と呼べるアドバンスドタイプの話は出来ないだろうが。その話は彼の事を本当に理解している人間にしか話せない事であり、レイという人間を間違いなく壮大な存在に仕立て上げるものである。

「……うん、良いよ。」

「嬉しい。お話、しようね。」

これが、レイとシィナのファーストコンタクト。奇妙ではあるが美しい少女と、女顔の美貌を持った少年との出会い。

 

「部活動、やってるんだ」

「運動不足になるのは避けたいと思って。水泳部に入ってる。試合とかに出る程ではないけど。」

「私も何かしようか迷うな」

「部活はやってないの?」

「色々と回って見ている最中。スポーツ系は確かに面白いけれど、どれもにわかだし。」

レイが思っている以上にシィナとの会話には然程違和感を覚えなかった。最初の接触は何だったのかと思える程に。あの違和感を除けば彼女は喋っていて不快な印象を持たない。それどころか、気軽に言葉を交わす事が出来る。

 不思議な感触。まるで心から会話をする事が出来ていなかったレイにとってはシィナの言葉は本当に、自然に感じられるのだ。会話内容自体は、当たり障りのないものの筈なのに。

「学校が終わったらバイトも入ってる。と言っても、仕送り以外のちょっとしたお小遣いを稼ぐ為だけど」

何気なく、レイが言った時――

 

「……それ、レイがやる必要あるのかな」

 

シィナの朱色の眼がしかめているように見えた。この時、レイは彼女に対して僅かばかりの違和感を覚えたのだ。レイは彼女の言動に対して目を何度か瞬きさせている。

「……ああ、ごめん、何でもない!大変だね、忙しそう。」

レイの表情を見て言葉選びをしたシィナ。

「でも、部活とかバイトをして学業も出来るのって、本当に素敵な事なんだと思う。これが、平和なんだなぁって感じる事があるんだよ。」

去年までは地球圏は戦争状況だった。だからこそ言える、この台詞。

 この時レイは戦災被害者のような言い方をしているが、彼の場合は戦争に参加し、地球を守ったという裏の顔がある。そして、アドバンスドタイプという顔。それも、過去の話ではあるが。

「レイは色々な経験をしているんだね。」

シィナが優しげな笑みを浮かべた。

「うん、まあ……ね。」

これ以上は踏み込まれたくない内容。出来れば何があったのかを聞かないで欲しいと、レイは願う。

「でも、お話を聞いていて思ったのは、レイは本当に真面目に学校に来て勉強してるんだなって思ったって事。理想的な過ごし方だと思う。」

確かにそうだ。しかしその背景には自身の体験が大きく影響していた。自分のやりたい事が明確にある。その上で彼は学生生活を謳歌したい。せっかく手に入れた平和を噛み締めたいのだ。

「私ね、ここの学校の学生達を見て思う事があったりする。」

「何を?」

「皆、傍にある平和に甘え過ぎてるんだって思う。だから本当に必要な筈の勉強もやらなくなるし、

だらけて生きちゃう。去年まで大変な状況だったのにね。」

最もらしい事をシィナは言った。彼女も、彼女なりに思うところがあるのだろうかと考える、レイ。

 彼女の事は不明だが、恐らく戦争に巻き込まれたりした可能性があるのかも知れないと、レイは考えている。

「なんか、ギャップを感じちゃった。」

「え、何に?」

「レイの可愛さと、意見のギャップに。素敵だと思うな。」

シィナは再び笑みを浮かべた。どこか照れ臭く、こそばゆい感覚にレイは陥る。

「ねぇ、連絡先教えてよ。Eフォンのメッセージアプリで学校の情報とか交換していこうよ。」

今度はシィナからレイにその提案をした。どこか一方的な印象を持つが、レイとしても悪い気はしない。

 彼自身全く知人がいないという訳ではないが、一人でも知人が増えるというのはどこか、嬉しいものがある。新たなる人間との出会いは心が踊るものだ。最初に会った印象はどこかミステリアスで奇妙なものではあったが……

 

 やがて彼等は連絡先の交換をし、シィナはその場から去った。さらりと伸びた銀髪を掻き揚げ、レイに対して手を振って去って行く。

 シィナ・ソンブル。不思議な印象を持つ少女。歳は一つ上。何故レイの名前や年齢を知っているのかは分からないが、彼はこの学校にて新たな知人と知り合う事となった。



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第二話 シィナ・ソンブル  その1

『また会おうね。もっとレイの事を知りたいな』

シィナ・ソンブルからのメッセージ。これに対してレイは当たり障りのないメッセージを送り返す。

『うん、またね』

と。彼は気取らずに返信した。初対面だった人間に対し、余りに凝った内容を送るのも妙だと判断した為だ。

 シィナ・ソンブルという名の少女と出会ったレイはこの日の夜、学校から帰って来てからシャワーを浴び、休息している間、ふと、Eフォンを開いた。

 彼女の事がどこか気になっている様子のレイは彼女の情報を調べようと、SNSアプリを開いた。

 SNSアプリは当該人物の実名を検索した場合、候補者が幾つも上がる。その中でもし、当人の顔写真などが載っていればそれは紛れもなく本人であり、第三者が当該人物がどのような生活を送っているのか、どのような発言をしているのかと言う事が一目で分かるようになっている。

 彼は正直、気が引ける所もあった。まるでストーカーのような事をしているような気さえしたからだ。だがシィナ・ソンブルのその麗しい容姿、眼、彼を揶揄うような態度等、今の学校生活を送るレイから見れば魅力的に見えてしまったのだ。それ故の、好奇心なのだろう。

「顔写真、上げてるんだ……」

ベッドに横たわるレイは瞬きをする。自身の情報を載せている事に、彼は驚いた。

 彼女のプライベート情報が羅列している。何を食べたのか、どこへ行ったのか。誰と過ごしたのか。まるでそれは年相応の少女のよう。自身の情報を上げないレイとは対照的にさえ感じた。

 その中に、今日の昼間の食事の写真が上がっていた。学食のローストチキンサラダ。いつの間に撮ったのだろうか。それ程目立つような内容でもないのに、いつの間に……?

「多分、普段は友達も多い人なんだろうな。でも、どうして僕の名前を知ってたんだろう。歳だって……」

シィナと話していた時、不思議に思う事が多々あった。初対面とは思えないような慣れている様子の接し方や、どこか世の中を冷めた目で見ているかのような印象を持っている事。しかしその一方で自分はSNSに写真を上げて、まるで人生を謳歌しているかのような自己顕示欲を見せ付けんとしている写真の数。これはまるで、矛盾だ。

 彼女に会った印象も、“派手”という印象は持たなかった。寧ろ神秘的で、どこか大人びているような印象。彼女の事が、どこか読めない。

「また会う時があるんだろうな、うん。」

呆然と、レイは部屋で過ごしている。部屋に置いているコンピュータからはジャズ・ミュージックの緩やかなBGMが部屋に流れ、一人の時間を過ごす。

 この、自分一人が謳歌出来る時間は好きだ。知人は増えど、この部屋に誰かを呼んだ事はない。無理もなかった。キャンパスまでバイクで30分離れている環境にわざわざ来る人間がいるとは思えないからだ。

 時に寂しいとさえ感じる時はある。だが部屋のBGMがレイをどこか心地良く癒していく。緩やかな旋律は耳触りが良い。シャワーで汗を流し、下着姿で過ごしているこの時間は彼自身を癒していくのだ。

「……寝よう」

レイの眼が閉じられようとしている。今日の体験はレイにとっては良い刺激と言えた――

 

 しかしその時、Eフォンから着信音が聞こえてきた。特有のメロディを聞いたレイの眼は開かれ、すぐに反応する。

「もしもし?」

電話に出た。相手の声が、聞こえる。

「もしもし、レイ。あ、ごめん、寝てた?」

「あ、ううん、大丈夫だよ。」

電話の主は、リルム・エリアスと言った。レイの幼馴染。故郷、モントリオールで共に過ごした仲。愛らしい表情を見せる少女。

 彼等は戦争中、実は様々な体験をしている。レイが経験した壮大な体験の中に、リルムの存在もあった。現在リルムはかつての軍が使用していた人型兵器の工学を学ぶ為のハイスクールに居た。レイと同様、親元を離れて一人暮らしをしている。

「学校はどう?友達とかもいるの?」

「うん。まあ、それなりに。」

当たり障りのない話から両者の会話が始まる。

 一見すれば微笑ましい幼馴染同士の会話。しかし、彼等は一度壮絶な体験をしている。

 元々レイとリルムは恋人同士だった。しかし、幼馴染の期間が長すぎたが故に、レイはリルムと接吻や性交を重ねる関係にはなり得なかった。

その中で、レイは自らの力の真相に気付き、大きく悩んだ事があった。その力を誰にも打ち明けられず、苦悩していた時に、彼は今は亡きリルムの姉、ヒューナに優しく諭され、身体を交わった事があった。

 この衝撃的な出来事により、両者の縁を切る事となる。だが時が経った時に、あろうことかリルムからレイに連絡をしたのだ。それも、レイが決戦に向かう前の時に。

 それは、幼馴染と言う縁が結んだものと呼べるだろう。普通の男女の関係ならば恐らく永遠に交わる事のない関係。それらを乗り越えた、幼馴染の関係。彼等の関係は修復しつつあった。

 だが幼馴染と言う関係は彼等にとっては安定の関係の外にならない。切っても切れない関係というべきか。遠ざかる事もないし、接近しすぎる事もない。故に今の電話の関係が、一番彼等にとっては楽な関係と呼べるかも知れないのだ。

 互いの学校の近況の話でその場は盛り上がる。何があったのか、どうした事を学んだのか。他愛のない会話。それが幼馴染の会話。

「けれど……本当に信じられないって思う時がある。」

リルムが会話の中で、言った。

「それは、何?」

「レイがこうして普通に留学して、私と連絡取ってるって事。宇宙に行って、戦争をするって聞いた時は本当にびっくりしたんだからね……?」

それはレイが最終決戦に向かう時、リルムから連絡をした事だ。縁が切れたものとばかり思っていたレイは、彼女からの連絡に驚愕したのである。

「でも、それだけ平和になったっていう事だと思う。良い事だよ。本当に……」

安寧の表情を浮かべるレイ。壮絶な体験をしたレイだからこそ、言える事なのだ。

「あと……その……レイの力の事って、学校の人は知ってる人いるのかな?」

「いないよ。うん。僕は僕だから。僕なりに、生活はしているから。」

リルムはレイの秘密を知る数少ない人物だ。今現在連絡を取る人間関係では、リルム以外では両親や彼の姉、妹ぐらいか。

レイにとって余程信用出来る人間でなければ秘密は明かせない。そして、今彼が自らの力の話をしたからと言ってそもそも信じて貰えない。仮にそれを見せつけた所で何にもならない。今はもう、戦争がない平和な時代だ。この力も使う事は無い。

 レイは、力を持っているごく普通の人間なのだから。

「なんか、ごめんね。変な事聞いちゃったかな。でもレイが気にしていたら嫌だなーって思ったし、もし何か嫌な事があったりしたら遠慮なく言ってね!」

リルムは声越しに明るく振舞っているのが聞こえた。彼女自身も色々な事があり、大変だろうに。レイは静かに息を吐いた。

「そういえば――」

レイが口を開いた。

「今日、ちょっと不思議な人に会った。」

「不思議な人?」

「奇麗な人、だった。僕が名乗った訳じゃないのに僕の名前を言い当てたんだ。それで、早速連絡先を交換した。」

思わずリルムにシィナの事を言ってしまった。

「その人は、男の人?」

「女の人。なんか、分からないけど、不思議な感じの人……」

抽象的な言い方しか出来ないのが自分でも歯痒い感覚に陥る。

「なんか面白そう!レイはその人が、好きなの?」

リルムは咄嗟に聞いてきた。

「そ、そんなのじゃない!なんだろう、ちょっと話したくなった……それだけ。ごめん、変な事言ったね。」

自分でも、何をやっているんだろうと思った。シィナの事を話して何になるのか。別に何になる訳でもないのに。馬鹿だなぁと自分で感じた。

 もしかすればそれ程自分は寂しいのかも知れない。せっかくの学生生活、一人暮らし。なのに知人の誰も部屋に上げた事がない。それはそれで、どこか寂しい。その事が関係したのかも知れない。

「まあ、またその人の事聞かせてよ!じゃあね!」

と言って、電話は切れた。

 レイはこの時、手の力が抜ける感覚に陥った。Eフォンは充電される事もなく、レイの瞼が静かに降ろされていく。

 やがてレイの眼は完全に閉じられ、彼の金色の髪がふわりと、シーツに落ちた。

 

 

***

 

 

 

 レイは夢を見た。それは、彼がかつて倒した男の夢。

 しかし何故今になってその夢を見るのかは分からない。彼の中で男の存在はやはり、大きなものとして存在していたのだろうか。

『戦争のない時代で力を持たない人間はどのように生きるというのだろうな』

男の姿は暗闇の中で白いシルエットとして存在している。直接的な顔は見えない。ただ、声自体は男が生きていた時の声、そのものだ。

『お前は確かに今の日常を謳歌しているかも知れない。だが忘れるな。お前の力は本来戦争の為にある力。その平穏な日常が崩れ去った時に他者を圧倒する力となる事をな』

まるで忠告するかのような言葉。白いシルエットはレイに語りかけてくる。

 今になって何故その夢を見るのかは不明だ。レイはこの時、シルエットに対して暖かな感情と、どこか奇妙な感情を同時に感じ取っていたのである。

(どうしてこの人が今になって現れたの?)

 



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第二話 シィナ・ソンブル その2

昨夜見た夢は何だったのだろうかと、思う。彼が戦争の果てに倒した存在。それが今になって亡霊の如く現れた。奇妙な体験と、言えた。

 この日、彼は授業後に部活動に励んでいた。彼は今水泳部として活躍している。運動する事は嫌いではない。何か、運動をしたいと思うレイの意志がそうさせるのだろう。

 今、彼は50メートルの自由形泳いでいた。自由形と言えば何を泳いでも良いとされる競技ではあるが、大半の人間はクロールを泳ぐ。レイもその一人だ。

「29.54!ちょっと調子悪いか、キレス。」

そう言うのは一人の男子学生。ノレッド・アルバ。レイと同い年の少年。茶色の短髪が特徴的な少年である。

 この学校に於ける数少ないレイの知人。部活動を通じて知った間柄だ。

「うん、そうなのかな……」

昨夜の夢などが関係していたのかは分からないが、彼の中では記録としては今一つな様子だった。彼は選手として出場する事もしばしばあるが、全体で見ればレイの成績は優秀とは呼べないものがあったのだった。

 

部活動が終わり、レイは何気なく一人でプールを泳いでいた。記録が伸びなかった事を悔いていると言うわけでもない。分からない感情を拭いたいと言う気持ちでレイは泳いでいだ。50メートルのプールを、何度も、何度も。

 その頃になれば部員は誰も居なかった。最後の一人になったレイは一人、シャワーを浴びる為に移動する。

 キャップを取り、水滴を浴びる。長い金色の髪が濡れており、身体を伝って床に落ちる。

 顔貌を見る限り、レイは少女そのものだ。しかしそれを否定しているかの如く、レイの身体は華奢ではあるが男性だ。競泳用の水着の存在が、何よりもその証明と言えた。

 去年までのレイとは全く異なる生活。平和そのものの生活。かけがえのない日常を送るレイ。こうしてシャワーを浴び、身体への爽快感を残して家に帰る事が出来るのは幸運な事なのだろう。

 

 だが、その時だ。レイの近くでもう一つ、シャワーが流れる音が聞こえた。どう言う事だ?今、ここには自分一人しかいない筈。なのに何故音が聞こえるのか?

 疑問を抱いたレイはそっと視線を左側にやる。すると、そこにいたのは――

「わぁ!?」

レイは思わず感嘆の声を上げた。と言うのもそこに居たのはスレンダーな身体を持つ少女であったからだ。

 黒地の競泳水着を着ているその少女は余りに彼女に似合いすぎている。すらりと長い脚線美に豊満な胸、そして麗しい顔貌。伸びた銀髪に朱色の綺麗な眼。

いや、待て。この少女はどこかで会ったような……

「あれ……?レイだ。」

疑問を抱いたと同時に、レイは少女に声を掛けられた。

「シィナさん……!?」

まさか、ここでシィナ・ソンブルと出会うとは思いもしなかったのだ。

「え、どうして!?なんで!?部活動やってるとか言ってなかったよね!?」

たじろぐレイ。

「うん、けどあれから体験入部してみたよ。なんかジロジロ見られるけど、泳げるっていいね。スッキリする。運動不足の解消は大切だね。」

レイとは対照的に自身の事を語るシィナ。ぐそして、この状況は余りに偶然にしては出来過ぎている。

「レイは練習をしていたの?」

「う……うん。ごめん、出るね……知らなかったから……」

流石に男女が同じシャワー室内にいるのはまずいと判断したレイは、急いで部屋から出ようとするが――

 

「出ちゃダメだよ」

シィナの柔らかくも強い言葉が、シャワーの滴る音よりも先にレイの耳に聞こえた。

「な、何を言って――」

恥じらうレイだが、シィナの手が彼の腕を掴み、離さない。突然の出来事にレイは戸惑っている。

「せっかく2人きりなのに、嫌だな。」

何を言っているのだろうか。彼女とは昨日知り合ったばかりなのに何故そのような発言をするのだろう。そして、何故自分は彼女に止められている状況を嬉しく思っているのだろうか。

「なんか、不思議だね。」

シィナが口を開いた。

「昨日知り合ったばかりの関係なのに、次の日になればもう裸に近い付き合いになってるって面白い関係だと思わない?」

確かに今は互いに水着姿だ。それを脱ぎ捨ててしまえば互いに生まれたばかりの姿となってしまう。

 互いに顔貌は美麗ではあるが、身体はそれぞれの特徴となっている。シィナは麗しい少女らしく、そしてレイは少年から大人の男性に近づきつつある身体。 

「そんなの偶然だよ……それよりこんな状況を誰かに見られた方が大変だよ……」

「別に見られたって良いと思うな。人間はいつか誰かと共に過ごしていくんだから。誰かがしている下らない噂話なんて気にする事ないよ。犯罪をしている訳じゃないし」

それはそうなのかも知れないが、やはりこの場では気恥ずかしさ以外の何者でもないのだ。

「それよりもレイは私を見て、どう感じてくれてるの?」

シィナの言葉が続く。何故これ程にレイに関心を持っているのかは不明だ。

「まだ、分からない……知り合いとして見てはいるけれど……」

「知り合い程度、なんだ」

シィナはどこか寂しげに言った。

「私はレイともっと仲良くなりたい。」

「そりゃ、僕だって、仲良くはなりたい……でも、ちょっとアプローチが過激というか……」

「じゃあ、どうしたら良いと思う?」

分かる筈がない。目の前にいる美麗な少女に対し、どう振る舞えば良いか分からないのだ。それも当然の事。レイは彼女を知って2日しか経っていない。知る筈がないのだ。

「分かる訳ないよ……」

自分の言葉を言った。

「そっか。でもね、私は思うのだけれど、一つ言える事があるとすればね、もっとスキンシップを増やしたりするのも一つの手段なのかなって思う事があるんだ。」

と言った時、ひたひたと水滴を弾く音を鳴らし、レイの距離に近付いて来た。

 金髪の少年と銀髪の少女の距離が、一気に縮まる。シャワー室の一室で、裸に似た格好の少年少女が共に居る状況だ。

「スキンシップって……?」

レイは躊躇いながらも話をする。

「身体の触れ合いとか。」

自らの示指を口元に立てて、レイを見る。何故この少女はこれ程にレイに関心を抱いているのか。その妖艶な印象は彼を捉えている。

「例えば赤ちゃんって言葉でコミニケーションは取れないけれど、あやしたりマッサージしたりして意思疎通が何となく図ったりするじゃない?」

確かにそうなのだが、今のこの状況で言われてもどこか違和感しかない。彼女がレイに「何か」を求めているようにも見える。

「もっと、別の形でも良いと思うんだ……いきなり触り合いなんて言い方するのは正直、びっくりする……」

「何か、私に期待しちゃったりして?」

くすりとシィナが微笑する。

「そんなのじゃない!ここで話をしなくても、外に出て、喫茶店とかで話をしたら良いと思うんだよ!」

恥じらうレイは言った。この場で意味深な言葉を言うのはやめて欲しいと願う。意味ありげな彼女の視線はレイを捉えて離さない。

 が、一方でレイの方もシィナを見ている。彼女の麗しい姿はレイを虜にしているのもまた、事実なのだ。

「私ね、知りたいものがあるとその人の多くを分析したいって思うんだ。どんな性格なのか、どんな事が好きなのか。それが、スキンシップだったりコミニケーションだったりする。それが、その人との繋がりに繋がる。」

彼女は何を望んでいるのか、レイにはこの時理解出来ないでいた。今その話をする理由も分からない。

 すると、シィナはレイの頬に触れた。細い指に、白い肌。そして滑らかな感触がレイの頬を伝う。シャワーの水滴の感触も相まって、妙な心地よさを生み出しているのだ。

「レイは今、こんな風に触られて嫌に思う?」

嫌じゃない。だが躊躇うのだ。

「レイはこんな風にされるの、慣れている感じみたい。経験はあるんだね。余り緊張している感じでもなさそう。」

彼女が何故これ程に饒舌にレイと話すのかが分からない。興味がある対象と見ている割にはどどこか達観しており、まるでレイを口説くような言い方をしている。

「シィナさんは一方的だよ……僕はまだ、シィナさんを理解出来ていないのに……」

彼女のペースに飲まれては行けないと思い、レイは反論した。

「じゃあ同じようにすれば良いよ。レイも私の頬を触って。」

指示されて触るのと、自らの意思で触るのとでは差が生まれる。それで彼女は人を理解しているつもりなのか?

「それでシィナさんは僕を理解出来るの?」

「少なくとも、何もしないよりは良いと思う」

即答だった。レイは疑問に抱きながらも彼女の指示に従う。まるでそれは彼女のペースに乗せられているかのようで……

「肌の感触、触れられた感覚とかはこれで分かるよ。これで、互いに素肌の感覚を理解出来た訳だよ。」

これを理解と呼ぶのか不明だが、彼女なりの解釈をしたのだろう。

「何もしないよりは良い……か。」

レイはこの時、自らの過去を思い出した。

 

 彼はかつて人型兵器のパイロットだった。成り行きで乗ったそれに乗り、人の役に立ちたいと思い、無我夢中で行動した事があった。

 ある時、レイが危機的状況に陥った事があった。その際にレイは助け出された事がある。

 彼は助けてくれた恩を返したいと思っていた。そうした原動力があり、結果的に彼は行動し、活躍したが後で叱責を受けた。

 この時彼が言葉を選ばずに言った台詞。それが……

 

「何もしないより、何かをする方がましだから!」

 

今は状況が違う。命を賭していた時と、平和な日常での奇妙な一場面。この対比をレイは感じていた。

「レイは、何かを思い出していたみたい。それは私にはない経験だよね。」

それは当然なのだがシィナは何故か物悲しそうにしている。その理由は不明だ。

「じゃあ、「その先」のコミニケーションはどうなのかな?」

「先って……?」

「親密になる為には段階があるって言うよ。頬を触れた。次は口唇でのスキンシップかな。」

「そんなの……!?」

彼女は何を望んでいるのか、理解が出来ない。仲良くしたいと言う事にしては、少々過激な印象を持つ。

「ほっぺとかへのキスは初めて?」

シィナは更にレイに近付き、その、口唇を頬に近付けていく。

「そう言う訳じゃ、ないけど……」

「へぇ、ちょっぴりヤキモチ。だけど良いよ。」

実際、彼は接吻の経験はある。あの壮大な体験の中でレイは何人かと接吻を交わした。確か、いずれもが歳上の女性だった。そして、彼は全てリードされている。やはり彼の容姿や雰囲気などが、影響しているのかも知れない。

しかし今回の場合、まだ出会って2日しか経っておらず、尚且つ2回目の出会いの少女に突然親密過ぎるスキンシップを求められている。

 それが、違和感でしかない。妙な感覚以外の何者でもない。なのに、レイは彼女とのスキンシップに対して嫌な感覚は覚えなかったのだ。

 その証拠が、今の行為。シィナはレイの頬にそっと口唇を当てた。柔らかな感触はレイに伝わる。頬からの表在感覚は過敏だ。彼女の行動にレイは顔を赤め、恥を感じているようだ。

「はぁ……」

思わず溜息が出る。妙な感覚はレイを翻弄するかのよう。

「レイは本当に、女の子みたいだね……可愛いよ、レイ。」

シィナのペースに飲まれている。彼女の朱色の眼がレイを捉える。

「ねえ、今度はレイの唇、欲しい。」

次にシィナはレイに自らの頬を口唇で触れさせるように促す。魅惑的な容姿はレイを捉えていく。

「経験があるのなら、自分からやってみてよ。受け身じゃなくて。」

彼は確かに異性との交友では受け身になりやすい。リードされる事が多いのだ。それが彼にとっては合っているのかも知れないが……

「……ごめん……ちょっと、分からない……」

これ以上の関係は分からないと判断したレイはシィナから視線を逸らした。彼女のスキンシップが、どこかエスカレートしていくような気がした為である。

「どうして?」

シィナは寂しそうに、レイを見る。

「こういうのは、まず付き合ったりとか……それからした方が良いと思うんだ……だから……」

これ以上、彼女のペースに乗る訳には行かない。レイは思い切って言葉を発した。彼女の意図が分からない以上、迂闊な事は出来ないと判断した為である。

「……ごめん!」

困惑していたレイはそのままシャワー室を去った。妙な体験をしたレイは、ただ、彼女に翻弄されてばかりだった。

 残されたシィナは、レイの去った後の姿を見て静かに笑みを浮かべていた。



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第二話 シィナ・ソンブル その3

結局シィナは何がしたかったのかが分からなかった。彼に興味があると言ってはいたが、何故彼女はレイにあのような振る舞いをしたのか。

 この日の夜、レイは自室のベッドの上であの、シャワー室の事を思い返していた。

(確かに今まで僕はたくさんの経験はしてきた……けど、普段の日常の中であんな、妙な人に会ったのは初めてかも知れない……)

レイは女性の経験もある。特殊なケースではあったが。しかしだからと言って人はすぐに冷静に対処出来る訳ではない。特に、シィナのように翻弄されてしまってはかつての戦争を生き抜いた経験があれど彼は困惑する。いや恐らく誰もがそうだろう。

 この学校にきて初めての体験。向こうから妙なスキンシップを求められるレイ。妙な感覚はレイの脳裏に焼き付くのだ。

 この事を幼馴染のリルムに相談しようかと、レイは思う。しかしこれは恐らく男女の関係のような話。リルムに話すのは違う気がすると、レイは思っていた。

(もし学校でシィナさんに会ったら……駄目だ、どう接したら良いのか……)

普通の日常の中の妙な体験はレイを困惑させる。学校から離れている筈のプライベート空間であるこの部屋でも彼はシィナの事が気になってしまっていたのだ。

 まるで童貞のような感覚。しかしこれは紛れもない現実。男というのは何故、こうも単純なのだろうと思ってしまうが、それでも彼女の事が気になってしまう。そのような自分が情けないと、彼は思うのだ。

 

「あれ……着信?」

その時レイのEフォンに連絡が。名前を見たら、そこにはシィナ・ソンブルの名前があったのだ。

『レイ、今日の事はごめんね困惑させちゃったね』

シィナが開口一番謝罪してきた。特別不快な思いをした訳ではないのだが、彼女なりに思う所があったのだろうか。

「あ、うん……全然大丈夫だよ……」

『良かった。でね、お詫びも兼ねてレイをちょっと友達とのクリスマスパーティに誘おうと思ってて。どうかな?』

シィナからの提案。彼女の友達とはどのような人物なのか。想像が出来ない。

 だが、彼女のSNSを密かに見ていたレイは彼女の情報は知っていた。恐らくそこに映っていた誰かが彼女の友人なのだろう。

「ありがとう……誘ってくれて。でも、大丈夫かな?僕、男だし……こういうのって同性の友達とかの方が良いんじゃないかな?」

気を遣うレイ。しかしーー

『ううん、レイはレイのままで良いんだよ。ただ、ちょっとだけ。その「格好」だけ気になるかな。』

「え?」

『だから、またちょっと会って欲しい。大丈夫、2人きりじゃないから今日みたいな事はないよ。じゃあね。』

と言われ、電話は切れた。シィナからの謝罪からの、パーティの誘い。彼女と出会ったからどこか奇妙な青春が動き始めたような気がしたレイだった。

 この妙な感覚を落ち着かせようと、レイはコンピュータの電源を付け、ジャズ・ミュージックを流す。この緩やかな曲調はレイの不安定な心境を落ち着かせる効果があるのだ。

 シィナ・ソンブル。美麗で神秘的ではあるがその意図が分からない、レイに関心を抱いている様子の少女は今のレイを困惑させるのに十分な魅力を秘めていたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 翌々日。この日は学校が休みの日。レイはシィナと連絡を取り、彼女の友人の家に向かう事になっていた。

 土地勘が分からないレイはシィナが来るまでバイクの前で待っている。いつものライダースーツは少女の風貌をしているレイをせめて男らしくさせる効果を持っているのだ。

 

「お待たせ」

 

まるでドラマのワンシーンの如く、シィナが現れた。銀色のロングヘアーはポニーテールに束ねられており、黒いタンクトップ、ズボンは水色のホットパンツという、どこか過激な印象を持つシィナ。背中にはリュックを背負っている。それでいても彼女の姿は綺麗に見えてしまう。

「レイの格好は変わらないね。けど、髪型はそれで良いよ。」

「うん……まあ。今日はバイクで来たから。」

それを聞き、シィナは口元に指を置いた。

「ねえ、ちょっと時間ある?」

朱色の眼がレイを捉えた。

「バイク、乗ってみたい。レイの後ろで。」

「え、でも待ち合わせは?」

「まだ30分あるよ。少しだけ良い?海沿いを走って欲しいな。」

甘えるような声。どこか自分勝手な印象を持つシィナ。

 だがそれでもレイは彼女の要望に従ってしまう。それは何故なのかは分からない。少女の欲求を飲むのは男のサガなのだろうか。

 

 バイクのエンジン音が掛かり、レイはシィナを後ろに乗せ、バイクを走らせた。

 妙な関係性が出来た……と、レイは彼女を乗せながら思った。3日前までは学食で少し喋る関係なのに、もうバイクを後ろに乗せている。この車体にレイは今まで誰かを乗せた事は無かった。愛車の後ろに乗ったのは、シィナが初めてである。

 側から見れば美少女同士がバイクで二人乗りをしているように見える光景。実際はレイが運転しており、シィナは景色を見ているだけだが。

「綺麗!」

海岸線を走るバイク。レイはそれを見つつ、前を見る。金色の髪が靡く。その間、シィナはレイの肩を持ち、身体が車体に翻弄されないように固定している。

 その中で、あるものが彼女の目に映った。それは、青系統の色で彩られた人型兵器である。

 ここ、オーストラリアのダーウィンでは去年に大きな戦争があった。当時地球内の軍は二つに分かれており、それぞれの勢力がぶつかり合った過去がある。

 一見美しいように見える沿岸沿いではあるが、現実は違う。激戦の跡が所々見えている。

 この戦いが行われていた時は避難勧告が出されており、直接的な被害者は最小限で済んでいる。だが全高約18メートルの人型兵器同士の戦闘は被害の爪痕を残した。レイ達が乗るバイクはこの海岸線を走る。肩部にスパイクのような突起物が残っている人型兵器はその、名残だ。頭部のカメラは一つ目。ギリシャ神話の巨人、サイクロプスのような存在がこうして朽ちた姿を見せているのだ。

「あれを除けば戦争があったなんて、嘘みたい!」

高揚しているシィナに対し、レイは言った。

「実際にあったんだよ……戦争。けれど、これだけ復興が進むなんて……やっぱりギア・ジェッパーさんの力が強いのかな。」

運転しながら呟くレイ。

 今の新平和国連盟の議長であるギア・ジェッパーは元々豪州に於いて影響力を持つ人物であった。そして、彼が混沌としていた地球圏の中で新たなる勢力を決起するきっかけとなった。

 そうした関係もあり、豪州の復興は一年で驚く程に進んだ。時折存在している人型兵器の残骸はあれど、それでも人々が日常を送る上で何の影響も与えていない。環境汚染と呼ばれるものはあれど、生活が成り立っている事に変わりはないのだ。

「難しい事、知ってるんだね。」

「そんなの、現代事情を知ればこれぐらいは分かるよ。」

「レイは頭も良いんだ。可愛くて頭脳明晰って素敵。」

「ううん、僕は馬鹿だよ。世間知らず過ぎた。平和ボケしてたから……」

彼は先の戦いでは日常と非日常の行き来をしていた事があった。非日常の光景を経験しているからこそ、日常のありがたみを理解出来ていた。

 彼なりには多くの事を経験し、学んだ。だがそれは所詮、一部に過ぎない。だからこそ彼は出来る事をしたいと思い、勉学に励んでいる。今はこうして、知り合ったばかりの一つ上の少女とバイクを乗せ、遊んでいるかのようには見えるが。

 すると、シィナはまるで自らの胸を押しつけんとばかりにレイの背中に体重を乗せた。突然の行動にレイは一瞬だがハンドルを奪われそうになった。

「危ないよ!」

と、レイは声を荒げる。

「これ、男の人は喜ぶのかなって思った。」

シィナは呆然とした様子で言った。

「しっかり持ってて欲しい……シィナさんを怪我させたくないから……」

運転するには責任が伴う。怪我のリスクは常に付き纏うから。故に、レイは彼女の事を気遣う。

「優しいんだ、レイ。」

「そんなの。当たり前の事をしているに過ぎないよ。」

やはり彼女の事が分からない。彼女のアプローチは好意と捉えるべきなのか?

 愛らしいようでどこか悪戯をしているように見えるシィナのレイに対する態度は、まるで以前彼が出会ったエリィ・レイスに似ているような感覚だった。小悪魔的というのか、小さな悪戯をしてレイを困らせる事を好むのだろうか。

「レイみたいな人がもっと増えたら良いのに」

どこか寂しげなシィナの言葉が聞こえた気がした。

「何か、言った?」

「ううん。別に」

まるではぐらかすかのようにシィナは振る舞った。

 バイクで走る水平線の光景は風も相まって美しい。その幻想的な光景を見る為にライダーが時にツーリングをしている姿も見かける。ドライブをする車の姿も数台見かけた。

 これが、平和。あの歪んだ世界からこれ程変わった。今、レイは平和を謳歌している。奇妙で麗しい少女を後部座席に乗せながら。

 



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第三話 奇妙なクリスマスパーティ その1

二人の時間は瞬く間に過ぎた。この間25分。レイにとって瞬く間の時間だった。彼は、珍しく充実感を持って過ごす事が出来た様子だった。

「楽しかった!ありがとう。レイに乗せてもらって私、嬉しいな。」

銀髪が風で靡く、シィナ。彼女の言葉からは明らかに嬉しさを込めているようだ。

「僕も、楽しかった。人を乗せて走らせた事はなかったから……」

「レイなら私、いつでも良いよ」

朱色の眼は青色の眼を見つめる。彼女は何故レイをこれ程に誉めているのだろうか。

「レイという可愛さと、バイクという男らしい乗り物のギャップが、また魅力なのかも。」

彼女の言葉はレイを誉めてばかり。この事に疑問を抱くレイだが、それ自体は悪い気はしないのだ。

「あの、約束の時間は……?」

「ああ、そうだった」

まるで友人とのパーティに関しては余り興味が無さそうな印象を持つシィナ。

「あのね、レイ。これを渡すから、着替えて欲しい。」

すると、今度は持参していたリュックから紙袋を取り出した。どこかの服屋で買ったのだろうか。リュックに入れられた為にやや、皺が目立つその紙袋。人に対して渡すにしては見栄え的には良くない印象は持つ。

 だがレイはそれを気にする事なく受け取った。

「あ、ありがとう。プレゼント……かな。」

「少しだけ早いけど、クリスマスプレゼントだよ。」

シィナは笑みを浮かべた。確かに今の時期は12月。オーストラリアの12月は北半球と違い、真夏だ。それでもクリスマスを祝う習慣があるのは変わりない。

 気になった様子のレイは紙袋の中身を見る。そこにあったのは――

「え、これは……」

「フフ、レイに似合う服。」

それは、白地のワンピースだった。明らかに女性が着用するようなものを、彼女はレイにプレゼントしたのである。

「麦わら帽子もついでに。あとはサンダル。」

「え……ええ!?」

それは、一夏の草原などで少女が着るようなファッション。麦わら帽子に白いワンピース、そしてサンダル。しかもワンピースのスカートは脚が丸見えである。

 レイは今まで何度か女装をさせられた経緯がある。いずれもおふざけの中で。今回、まさかシィナによってそのような服装をチョイスされるとは思わなかったのである。

「なんで、こんな格好を!?」

レイの声が高揚している。明らかに恥じらいを感じているのだ。

「うーん、だって私友達を呼ぶとは言ったけれどレイの事を男として呼ぶとは言ってなかったもの。」

「そんな!今すぐにでも訂正してよ!」

「ふふ、嫌。だって男の子が来るって知ったら良い顔をしないかも知れないから。」

意地悪だ。その中でシィナは微笑している。

「レイは女の子みたいに綺麗な顔立ちですもの。それも違和感なく着られると思う。夏服の少女、レイ・キレス。キミは女の子として友達とのパーティに参加してもらう事になるの。」

と言いながら、シィナはレイの額に示指を突き付けた。

「私ね、ちょっと試したい事があったの。レイのような綺麗な男の子が女の子の格好をしてパーティに参加したら、違和感なく溶け込めるのか……みたいな?」

彼女の意図が理解出来ない。何をしたいのかが、謎すぎる。

「どうして、僕はこんな役回りばっかり……」

とはいえもう、シィナがレイの事を女の子として友人に紹介をする気でいるのならば従うしかない。そこへ男の自分が来たら妙な事になりかねないからだ。

「フフ……」

と、揶揄うシィナ。やはりレイを弄んでいるのだろうか。

 

 

 3分後、物陰からレイはシィナが渡した服を着て彼女の前に現れた。ライダースーツを着ていたレイはどこへ行ったのか。

 麦わら帽子はレイの特徴的な金髪をより美しく際立たせている。白いワンピースも、レイの華奢な腕と、細いが色香のある脚が違和感なくシルエットを描いている。サンダルも、同じ。

 これだけ見ればレイは全く少女と言っても違和感がない。自分でも、何故これ程に女装が似合ってしまうのだろうと嫌になる程だ。

「素敵だよ、レイ。」

と言いながらシィナはEフォンでレイの姿を撮った。

「じゃあ、行こう」

と言って、シィナはレイの手を繋いだ。彼女のペースに乗せられるレイは、ただ、違和感を覚えながら彼女の友人のクリスマスパーティに向かうのだった。

 思えば、あの壮大な出来事の最中でもレイは何度かそのような経験をしている。戦いの合間の話ではあるが、どうしてもレイは女装をさせられやすい。

 彼はノーメイクだ。しかしその顔貌はメイクをした女性と何ら変わらない程に整っており、尚且つ美しい。自覚はないとはいえ、レイの容姿はよく誉められる事が多い。故に歪んだ方向に何度か襲われそうになったりもした。

 ある意味の楽しみではあるのだろうが、結局は彼自身のアイデンティティが失われているような気がしてならないのである。

(僕の役回りって、いつもこんな気がするなぁ……)

学校生活内ではどこか冷めていた印象を持つレイも、今はシィナの言葉に支配されているかのよう。レイにはそのような気質があるのかも知れない。誰かにリードされるという、気質が。

 



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第三話 奇妙なクリスマスパーティ その2

「宜しくねー!レイ・キレスさん!」

「可愛い。白ワンピ凄く似合ってる、うん。」

シィナの友人宅にて、レイは歓迎された。彼女はレイの事を友人に“大切な友達”という言い方をしていた。故に、彼女達は受け入れたのだ。

ここにはシィナを含め、3人の少女と1人の少年がいる。シィナ以外の少女。1人は赤毛、ツインテールの少女。名はモーナ・ジルム。二重の垂れ目、泣きぼくろが特徴的な少女。

 もう1人は黄緑のショートヘア、眼鏡を掛けている。少し上がった吊り目が特徴的な、少女。名は、ミャン・スー。いずれもがシィナの友人。彼女のSNSに映っていた人物。

 少女達がいる環境の中、1人男のレイ。最も、彼女たちにとって今のレイは少女にしか見えていないが。

 ある意味、“レイ”という名前が幸いしていたのかも知れない。男性にも、女性にも取れるその名前は中性的で、どちらと名乗っても違和感がないのだ。

 今、この4人がいるのはミャン・スーの住むマンション。ミャンとモーナはよく、この家に出入りする事が多いのだと言う。

「レイさんはシィナとどこで知り合ったの?」

「同じ学校で……はい。」

レイは声も甲高く、少女と間違えられやすい。つまり彼は身体的な男性の特徴以外は服装さえ身に纏えば女性としても本当に問題なく行けるのだ。

 後は喋り方。普段“僕”と喋っているから、この場では“私”と自称を変えれば良いだけである。

「皆さんはシィナさんとは知り合いなんですか?」

今度はレイが聞いた。彼女達が何者かを知る為だ。

「まあー、知り合いっちゃ知り合いだよー!SNS繋がりの!」

明るく、モーナが言った。

「SNS上で連絡取る内に知り合った仲間だね、うん。」

ミャンが言った。この様子から、シィナとは以前からの知り合いの様子だ。それも、SNSを通じて知った仲のようだ。

「結構、それで連絡とったり会ったりする事って多いんですね……」

レイは普段SNSを多用する人間でない。故に、そうした事には鈍感だ。

「けれど、それで怖いって思ったりした事ってないんですか?」

何気なくレイは聞いた。彼女達は元々顔見知りでない関係。つまりは赤の他人だ。どのような人間がいるか分からない環境、それがSNS。その中で友人を探すという事は、レイには理解出来ない事と言えたのだ。

「えー?ワクワクしない?退屈じゃないじゃん!」

人によって価値観は異なるのだなと、レイは感じていた。

「まあ……ちょっとだけ暗い話をすると、私達皆戦争で家族亡くしてるんだ。その中でSNSを通じて知り合ったのが皆って訳、うん。」

「そう……なんだ」

モーナの能天気のような印象とは裏腹、彼女達は彼女達で悩んでいたのかも知れないと、レイは感じた。

「私達はかれこれ1年ぐらいの間柄になるのかな、うん。」

つまり、その間彼女達はここ、ダーウィンの地に居たという事になる。という事は、約1年前にあったあの激戦の後に知り合ったという事なのだろうか。

「シィナはあんまり家族の事とか言ってくれないんだよねー。ま、皆訳アリだしまあ気にする事はないけどね!」

戦争により家族を失い、居場所がない者がいる。モーナとミャン。この2人がそれらに該当する。家族がいない寂しさを埋めようとした結果、SNSを通じて知り合ったと言う訳だ。

(シィナさんには家族がいるという事なのかな……)

2人の事情は分かったが、やはりシィナの事が分からない。彼女に関しては謎が多いと言える。

 

 

「で、あの事が話題で。うん。」

「うん、そうそう!それでー」

「あー、それ分かる!」

女子の会話が始まった。紅茶を用意しているのはミャンだ。その中でクッキーなどの菓子類が籠の中に入っている。

 更にこの日はクリスマスパーティという事もあり、ケーキを手作りするという事になっていた。材料は既に購入されており、後は作るだけ。

 レイはこの状況を見て、楽しいと感じていた。いつしか自分も少女のような感覚でいたのである。

 だがその時、1人の少女がとある瓶ボトルを取り出した。そこに記載されている「14%」の文字を見た時、レイは目を疑った。

「さー、今日はパーティ!飲みましょ!シャンパン!」

と、言いながら用意していたグラスにそれを入れる。黄白色のその液体は炭酸特有の泡立つ音を立て、瞬く間にモーナの体内に入っていった。

「それ、白ワインでしょ。また酔って潰れるのが目に見えてるんだから。うん。」

と、ミャンが冷静な様子で言った。

 いや、冷静にそれを言う事自体がおかしい。白ワインを、未成年が飲んでいる。レイはこの光景に疑問を抱くのに数秒時間を要した。

「え……お酒……ですか!?」

彼の青い眼が見開かれた。明らかに手慣れている光景に、レイは驚愕しているのだ。

「え、レイさんまさかお酒飲んだ事ないとか!?真面目すぎん!?」

「レイさん、見た目は正統派美少女だけど、やっぱりお酒ぐらいは解禁したら良いと思う、うん。」

これが普通の光景なのか?いや、絡む人間によっては有り得る光景なのかも知れないが真面目なレイにとってはどうなのかとさえ、考えてしまう光景だ。

 この間にもモーナは酒を飲む。既に2杯。早い。早過ぎるペースだ。

「あー、一応聞くケドぉ、レイさんSNSやってる?絶対アップしちゃダメだよぉ!こう言うの世の中の歪んだ大正義マンが徹底的に叩きだすから要注意ね!バレたら学校退学とかフツーに有り得るから!」

「世界中に写真が発信されるから、情報知ってる人間が特定とかするから……そしたら人生終わっちゃう、うん。」

「まー、要はバレなきゃ良いのよ!アハハ!!だからリテラシー大切ね!つーか酒ぐらい許せっつーの!せっかくのクリスマスなのに!人様に迷惑かけてる訳じゃないのにさぁ!」

それは事実なのだが、レイにとっては違和感しかないように感じる。この光景をシィナはただ、笑って見ているだけ。その当人は白ワインに手を触れていないのが確認出来た。

「結局さぁ、あーいうのって所詮やっかみなんだよぉ!ちょっとしたヤンチャに対して罵詈雑言言いまくるヤツってのはさぁ!」

モーナの愚痴が始まった。酒故の本音なのかも知れない。

「そいつらはよぉー、親にも恵まれてよォ、選択肢も多い人生を歩んでるクセにさぁ、なんか知らんけど充実した人生送ってないからってちょっとしたヤンチャに対して目鯨立てちゃってさ!その結果未来ある若者の人生をぶち壊して何が楽しいんだっつーの!」

モーナの頬が赤い。明らかに酩酊している。

「つーか死んだ親だっておんなじだ!自分達だって若い時ヤンチャしてた癖によぉ!自分勝手に生きて金なくなったからって子供に迷惑掛けて勝手に死にやがってよーって話よ!」

最早ヤケ酒。明らかに出会った時と印象が違い過ぎる。

「まあ、それって度合いによるよね、うん。あんまり公共の場でやらかしたら多分ダメだと思うけど。」

ミャンの方は酒を飲んでいても比較的落ち着いている印象がある。

「ここはうちのプライベートルームじゃあ!そこに女の子4人が集まってのクリスマスパーティ、女子会!それぐらいええやろがい!」

モーナとミャンは酒に酔っている。そして、モーナから出る台詞は彼女の事情を反映しているようにも聞こえた。それを傾聴するミャンも、もしかすれば似たような境遇なのかも知れない。

「んで、レイさんは酒飲まねーの?」

初対面である筈のレイに対してもやや乱雑な呼び方になっている、モーナ。酒は人相を変えるとは聞くが、人間としての距離が近いように見える。

「僕……いや、私は良いです。下戸だから……ちょっと、お酒は……ね?」

分かりやすい嘘を、レイはついた。

「えー、つまんな!シィナも相変わらず酒、飲まないしさぁ!まあ良いや!ミャンみたいに飲める人が飲んだらええねん!」

と、言いながら白ワインを飲むモーナ。だがレイは一連の言葉を聞き、明日感じていた。彼女は暗い過去を持っているのではないかと思い、興味本位で聞いてみた。

「あの、モーナさんは両親の事とかで過去に何かあったんですか?」

普段自らの話をしないレイだが、人の話を聞く事に関しては興味を抱く。この様子を、シィナは側で微笑しながら見ているだけだ。

「えー?聞いちゃう??まぁ良いやー!アレはねー、デウス動乱って戦争が終わった頃時だったかなぁー!……私両親に売られた事があったんよー!金ないからっつーて怪しい組織に!確か氷河族って言ったっけぇ。」

“売られた”。その言葉はレイに衝撃を与えた。そして、“氷河族”と言う言葉。この言葉もレイは知っている。まさかこのような所でその存在の名前を聞くとは、思いもしなかったのである。

 氷河族。かつて起きた戦争、デウス動乱後の混乱期の中で生まれた犯罪組織。戦後瞬く間に裏社会を牛耳る存在となり、数多の構成員を生み出した組織。その内容は多種多様であり、基本的には反社会行動を起こす事が多い存在とされる。

 現在その元締めとなる存在は行方不明となっている。一説によれば死亡したと言う話もあるが、詳細は謎の中だ。

 彼等の狂ったビジネスの一つに人身売買がある。それら未成年を狂った軍人や金持ち等に売るという非道。旧世紀でも起きていたその異常な現象ではあるが、デウス動乱という戦争の後では未成年の存在は希少価値が高いとされ、戦後の混乱もあって闇ビジネスが横行してしまっていたのである。

 モーナはこの被害者だ。しかも、親が彼女を売ったと言うのである。

「戦後の戦争被害を受けて金がないからっつーて娘を養えなくなったから娘を売ったんだよねぇ!そんな、胡散臭い存在にさぁ!」

と、言いながら更に酒のペースが進む。愚痴の内容が平穏とは言えないものだ。彼女は相当大変な人生を歩んできたのだろう。

「その結果ね、狂ったクソみたいな男の相手をさせられまくってさぁ……う……思い出しただけで吐き気が……!うぶっ……!」

その時、モーナは口元を手で含み、急いで立ち上がり、走り出したのだ。その際の彼女の眼は、明らかに恐怖が蘇っているかのような状態に見えた。恐らくそれは、酒で見せる陽気な彼女ではない、本当のモーナの表情なのだろう。一瞬ではあるがその表情は印象的に思えたのだ。

 

 数分後モーナは戻る。そっと溜息を吐き、相変わらず酩酊している様子だ。

「親はクズ、男はやばいヤツ……その中で親が何らかの戦闘に巻き込まれたって話聞いて死んだって!私思わず笑っちゃったよォー!あーははは!」

彼女の暗い過去とは思えない程、モーナは何故か笑っている。この場が女子ばかりと言う彼女の認識が、そうさせるのかも知れない。

「あー、色々語りすぎたぁ。なんかレイさん初対面なのにぃ、聞き上手っつーか!?ねー、そんな感じよねぇ!」

別に聞き上手と言う訳ではない。言葉を出す事が出来ないだけだ。

 氷河族という言葉を知っているだけでなく、実際にそのような組織に連行された事もある。所謂人身売買の被害に遭いかけた事もある。だからこそ、レイは彼女の話を真剣に聞いた。聞かざるを得なかったのだ。

「モーナ、大変だったんだぁ。うん。」

ミャンも少し、酒が回ってきている様子だった。

 恐らくら彼女達はこうした暗い状況を体験した上で、今に至るのだろう。そこからSNSを通じてこうしてどうにか人との繋がりを得られたという事なのだろうか。

「ミャンは比較的両親はまともだったんだよねぇ?」

酔った勢いでモーナが言う。

「いやいや、どこが。あれがまともな訳ないよ、うん。うちは戦争状態から来る不安煽りに負けた親がある宗教にゾッコンでハマって。近所から嫌われてたのにも関わらず“お布施が足りない”とか言ってるの。生活費も全てそこに注いで。所謂2世問題ってやつ。うん。」

ミャンも別の闇を抱えているのだろう。モーナ程では無いにしても彼女も酒に逃げているのが何よりの証だ。

「あー、そっち系かぁー。親は子供の為に救いを求めてとか抜かしてる系ねぇー。何となくだけど、分かるぅー」

家族に売られたと言う事と比べるとまだ親がいる分良いと言う解釈もあるかも知れない。だが、現実はそうではない。最初、親は恐らく子供の為に頑張っていたのかも知れない。だがその努力の方向性を誤った。結果的に宗教に多額を貢ぐ事になり、破産した。暴力こそは振るわれなかったが、ミャンはある種の虐待を受けていたのだ。

 そのストレスも相まって、彼女の心は壊れつつあった。彼女の場合はモーナと違い、戦闘に巻き込まれたのではなく、親の自殺によって天涯孤独となったのである。途方に暮れていたその中で、彼女はモーナ、シィナという少女達と出会ったという訳なのだ。

 この時点でレイはある事に気付く。ここにいる皆は何らかの事情を抱えている少女ばかりが集まっていると言う事に。

「まぁー、所謂毒親持ちって損やねーって話さね!まぁこんな世の中だから?親もロクでもないのが増えるんだろーけどさぁ!?」

「こんなになるのならいっそ地球なんて壊れてくれれば良かったって思う、うん。」

彼女達はある意味狂った世の中の犠牲者なのかも知れないと、レイは感じた。

 確かに世界は平和になった。だが、その爪痕はまだ大きく残っている。人類の大半が死滅した世界でも人間というのは様々な問題を抱え過ぎているのだ。

(なんだろう、僕はまだまだ世界を知らな過ぎる気がする……僕は所詮、あの戦いを生き残っただけに過ぎない……)

レイは家族に恵まれていた。その中で去年までの戦争状態だった世界情勢を生き残った。

 彼の行動は世界を守った。もし彼が、“最大の敵”を倒していなければ地球はどうなっていたかも分からない。

 だが今、ミャンが言った台詞は本人からすれば切実な思いなのかも知れない。エゴな台詞とはいえ、地球が壊れて欲しいと願う。そして、未成年の飲酒。それ程に心が壊れていたのかと、レイは感じたのだ。

「こんなのになるのなら、いっそ大昔の人がAIの普及をしっかりとしていけば良かったんだと思う、うん。人間なんてAIに監視されてるぐらいが丁度良いんだよ、うん。不完全な存在のクセに法律だーとか規則だーとか偉そうに作って。それを司る政治家連中が腐ってるのに。うん。」

彼女の言葉はまさに世の中への批判だ。不幸な自分が生まれ、自分と同じような境遇の人間と集まり、傷の舐め合いをしている状況。

 それ自体に生産性はない。しかし彼女達はそれでも生にしがみついている。やはり人は仲間を求めている生き物なのかも知れない。

「でもAIには形がないからねぇー、仮にAIに励ましてもらうってなってもぉ、あんな形ないロボットに励ましてもらうんかって話よー」

「外見は人間に出来たりするって話、うん。」

「けど触れ合いがないじゃん。」

いつの間にかモーナとミャンが会話の中心となっている。この間、レイはただ、2人の話を聞くしか出来ていない。自分が守った地球ではあるが、こうした人間がいると言う事にやや、衝撃を持っている様子だったのだ。

 

「てかさぁー、レイさんいつまでその格好でいてんのー!?」

すると、突如モーナが目線をレイの方に向けたのだ。

「ふぇっ?」

不意打ちのような言動にレイは思わず感嘆の声を上げてしまう。

「なんか色々語り過ぎて疲れたぁ。レイさん、ねぇ、その純情そうな白ワンピ脱いで私と一緒に裸になろうよぉー!」

と言った時、モーナは突如自らの服を脱ぎ始めたのだ。瞬く間に上下薄紅色の下着姿になるモーナ。余りに突然の事に、レイは困惑する。

 何がどうなっているのか?酒に酔った勢いというやつか?それにしては何故レイの方に視線が向くのかが分からない。

「今日ここに集まったってことはさぁー、“慰め合い会”も兼ねてるって事なんだよねぇー!?レイさん!?」

「え、ええ!?何ですかそれ!?」

モーナが最早何を言っているのかが分からない。何だ、それは……?

「文字通り、女の子同士が慰め合う会。うん。」

ミャンが冷静な様子で言った。その言葉は、明らかにただならぬ雰囲気を匂わせているように見える。

「そんなの、聞いてないですよ!?」

「じやあ尚の事レイさんを脱がしちゃうからぁ!清純貧乳女子でも裸になれば皆一緒なんだよぉ〜!」

モーナはすっと立ち上がり、レイの側に来た。突然訪れた危機。もしレイの服を脱がされたら彼が男だと発覚してしまう。そうなった場合、この場はより混乱する事になる。

 先のモーナの男に対する拒絶反応は明らかにトラウマによるものと推定すれば、レイが男と判明するのはまずい。どうにかして守らなくては!

 しかしモーナは両手指を屈曲させてレイに迫る。レイの後ろは壁。逃げ場がない。脱がされたら本当にまずい。

(こんな……こんなのって……!)

予想外の危機がレイに迫る。どうすれば良いのだろうか……

 



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第三話 奇妙なクリスマスパーティ その3

「止めなよ、モーナ」

それを止めたのはシィナだった。モーナの手を把持し、彼女の行動を止めるのだ。

「なんで!?シィナ!あんたもお楽しみに来たんじゃないの!?」

「この子は巻き込んで欲しくないの。私の大切な友達だから。」

「じゃあ連れてくるんじゃねぇよ!」

冷静なシィナと、酩酊状態のモーナ。何やら雲行きが怪しい様子だが……?

「お楽しみなら“ミャン”として……ね?」

シィナの朱色の眼がモーナを睨む。酩酊状態のモーナではあったが、シィナのこの眼がどこか恐怖に感じられたようで、彼女は自らシィナの手を払ったのだ。

「つまんねぇーの!まぁーいいやぁ……あー、なんか眠たぁ……」

すると、モーナは大きな欠伸をし始める。その後で、まるで力尽きたかのように床に眠り始めたのだ。

 ふと、レイが視線をミャンの方にやっても、彼女も眠ってしまっている。酒の効力がここに来て効いたのかも知れない。

「びっくりした……」

と、驚愕するレイ。服を脱がされる事はあってはならないというのは彼が想像していたよりも衝撃と言えるのだ。

「ごめんね、レイ。モーナは酔っちゃうとあんな感じで誰これ構わず襲っちゃうの。この子は女の子が大好き。とってもね。」

意味深な様子で話す、シィナ。

「さて、2人とも眠っちゃったし。ケーキ作りでもしようかな。」

まるで気が変わったかのようにシィナは上腕のストレッチを行いながらケーキの話をする。そうだ、ケーキ作りをする予定だったのにいつの間にか酒を飲んで、2人の過去の話を聞いて……いつしか2人は眠ってしまって。妙な状況が続いたので肝心な事を忘れてしまっていたのである。

「あの、僕も手伝うよ。」

「え?レイはケーキ、作れたりするんだ?」

「ちょっと趣味程度でお菓子作りとかしたりした事あるから。」

シィナは瞬きをした後、すぐに笑みを浮かべた。

「へぇ、それは良いね。じゃあ、一緒に作ろうか」

レイ自身、この混沌とした状況を払拭したいという気持ちがあった。妙な所に来てしまったような感触。それを、ケーキ作りをする事で忘れたいと、彼なりに感じていたのでいる。

 

 

 

***

 

 

 

冷蔵庫を開け、材料を取り出す2人。本来ならば4人でケーキを作る予定だったのだろうが、2人は酒を飲んで酩酊状態である為、作れる状態ではない。

 一見すれば4人の少女がクリスマスパーティをするというのは華があり、微笑ましいように見える。だが実際はレイという少年が1人、そして酒を飲んでいる少女が2人。それも事情を抱えている人間がいるという状況だ。

 その中でシィナは終始冷静な様子である。そのまま、黙々とケーキ作りの作業に取り掛かっている。

 やがてスポンジ部分が出来上がり、後はクリームを塗り、苺等の果物をセットするだけの状態になった。

「上手に出来たね。レイ、やっぱり才能がある。」

「そんな事ないよ。材料が揃ってたから出来たようなものだから。」

椅子に座る両者。この際、シィナはカップにコーヒーを入れ、レイに渡した。ミルクか砂糖がいるのかを確認し、レイは僅かばかりそれらを入れ、啜り、やがて飲み干した。

 それからコーヒーを飲み終えた後、2人は会話を続ける。

「レイは、あの2人がお酒飲んで酔っ払っているのを見てびっくりした?」

シィナが突如口を開いた。

「正直言うと……うん。」

レイは静かに答えた。

「未成年でお酒を飲んでいる人を見た事が無いわけじゃないけど、皆それだけ思い詰めてるんだなって思って……」

レイはこの時、ヒューナ・エリアスの事を思い出していた。

 ヒューナ・エリアス。幼馴染であるリルムの姉。彼女はレイにとっての性交渉の初体験の相手だった。だが彼女はレイとの交わりの後、自死を遂げてしまう。彼にとってはその事は大きなトラウマとなっており、故に酒を飲む少女の存在を見るとどうしてもヒューナの事が想起されてしまうのだ。

「レイ、何かトラウマでも抱えてるのかな。」

見破るようにシィナは言った。その事にレイは内心びくりと反応する。

「いや、そう言うわけじゃないよ」

取り繕う、レイ。しかし――

「なんかレイに色々と気を遣わせたみたい。ちょっと、楽しんでもらえたらって思って誘ったんだけど、あんまり良い思い出がなさそうなんて思わなかったから」

「けど、誘ってくれたのは嬉しいよ。なんか、こうして色んな人とパーティとかするのって本当に久し振りというか……なんて言うか。」

留学して以来、家に友人を呼んだりと言う事をした事がないレイにとっては刺激的な事と言えた今回の事。それは素直に喜ぶべきと、彼は考えている。

 

「ね、レイ。気になった事があるの。」

朱色の眼がレイの眼を見る。透き通っている色に、レイの眼が反応した。

 

「レイはどうして自分の話を全然してくれないの?」

 

その言葉を聞き、レイは瞬きをする。何を言っているのか……と、感じていた。

「そんな事ないよ。」

「嘘だ。私にはレイは本音で何かを話そうとしていないように見える。」

図星である。レイは本当の事を言えないでいる。表面を取り繕う事しか出来ない。何故ならば、彼は去年、普通の生徒ではなく、人型兵器のパイロットとして生き残ってきたから。そして、アドバンスドタイプという未知なる力を宿しているから。誰に言っても理解されないその力を、言ったところで何になるというのか。

 しかし気になるのは、何故シィナがこれほどにレイの事を見透かしているのかという事だ。

「出会った時から思っていたけど、レイは本音で人と話をしていない。それが私は気になるな。」

人間話したくない事はある。そればかり追求されているのが少しばかり嫌に感じたレイは、表情をしかめる。

「それは、個人の自由だと思うんだ。誰だって秘密の一つや二つはあるよ。」

それは間違いない。しかし、妙な様子を見せるのはシィナの方だ。

「私はレイと仲良くなりたい。けれどレイは私と仲良くなりたくない?」

こうした縁は大切にしたいと思っている。彼女はどこかミステリアスな印象を持つ。それだけでない魅力を、シィナは持っている。

 だからと言って自分の秘密を喋る必要はあるのか?それが、レイには分からない。

「仲良くしたいとは思う。」

「本当に?」

シィナの表情が変わった。

「仲良くなりたいと思うなら、秘密は話すものだと思うんだ。モーナやミャンみたいに。まあ、あの2人は酒を飲んでいたけれど。」

シィナは脚を組み、レイを見る。脚線美が彼を魅了するが、レイはそれでも彼女の眼を見るのだ。

「仲良くなるっていうのは、それぞれが持っている秘密を喋ったりだってするものだと思うんだ。私はレイの事をもっと知りたい。だから。」

彼は自らの壮大な体験を話したくないと思っている。もう、あれは過去の事だ。平和になった今の世であの体験は不必要な存在だ。今はごく普通の学生。それで良いのだ。

「僕の事を知った所で、何も出て来ないよ。」

あくまでも自分には何もないように振る舞うレイだが――

「それは違う」

即答でシィナが言った。

「レイは無自覚な魅力を持っている。だから私は貴方の事を知りたいと思う。だからこんな風に貴方を呼んだ。そして、レイも仲良くなりたいって言ってくれた。」

彼女の言葉は全てが意味深であり、理解が出来ない。何かを知っているようで、彼女の方が取り繕っているようにも見える。

 この、シィナのはっきりとしない様子にレイは苛立ちを感じてしまっていた。自分に関心があるのは良い事だ。だが、レイの事を知りたいと思う反面、自身の事を語らない彼女は何なのか?

 レイは自身の事を本当に理解している近親者にしか自らの事を言わない。シィナはまだ知って間もない存在。なのに積極的に話をしろと言われても困惑するに決まっている。それはまるで誘導だ。

 そのフラストレーションはレイの中で次第に大きくなっていき――

「いい加減にしてよ!それを言ったところで何になるって言うの!?」

遂に立腹するレイ。だがこの様子を見て、シィナは笑った。

「アハハ、レイが感情を出した!うん、その怒った顔も素敵だよ。でもその姿で怒っても説得力がないな。可愛いだけだよ。」

彼女の言うように、純白の白いワンピースはレイに余りに似合い過ぎている。だがレイは男だ。それなのに、その格好この光景だけを見れば少女同士が話をしているようにしか見えないのだ。

「茶化さないで!シィナさんの目的が、分からない、分からないよ!」

感情を見せているレイ。それとは対照的に揶揄うシィナ。互いの感情は余りに違っている。

「大体、こんな格好をさせて何の意味が!!僕はシィナさんの玩具じゃないよ!」

「モーナを刺激しない為だよ。あの子は男の子に対してトラウマがあり過ぎるから。貴方のその綺麗な顔は彼女も違和感なく受け入れてくれてるの。」

冷静な様子でシィナが言った。それは、彼女の表情を見てある程度把握はした。だからこそ、レイは更に怒る。

「じゃあ、最初から誘わなくて良いじゃないか!僕を女装して、女の子の中に入れて揶揄う事が目的なのなら僕は帰るから!」

揶揄われてばかりと判断したレイは、ここを去りたいと思っていた。彼女の厚意と思って女装までしてパーティに参加したのに、ただ、揶揄われていただけ。レイとしても怒るのは当然と言える。

 

 

「嫌だ……帰らないで……」

すると、シィナは目元に涙を浮かべて言った。突然の涙に、レイの表情は戸惑いへと変わる。

「嫌なの……レイ、ここにいて……じゃないと、私……!」

と言った時――

 

「えっ……!?」

シィナがレイの側に近付く。そして、彼の胴体をそっと、抱き締めるのだ。

「うん、やっぱり身体は男の人なんだ……可愛いのに逞しい。レイってホント、魅力を感じる……素敵な、魅力……」

まだ、彼女と出会って四日しか経っていない。なのにシィナはレイに触れ、抱き締めた。この、妙であり心地良い感覚はレイを困惑させる効果を持つ。

 明らかに人としての距離が近い。あの、シャワー室内で彼が体験した距離よりも、今は遥かに近いのだ。

「シィナさん……!?あの……?」

「レイの事が良いって思ってるから、するんだよ。他の人にこんな事、しないんだから……」

それは、少女同士がしているように見える抱擁。だが実際は違う。レイは少年であり、シィナは少女。その違いを表すには、実際に接触しなければならない。

 少女に限りなく近い容姿をしている少年を判別する方法は、ただ一つ。レイに触れる事。そしてその場所は……

 

「ひぁっ!?」

あろうことか、シィナはレイの秘部に触れ始めた。突然の奇妙な感触に彼の動きが止まる。

「レイは女の子みたいな格好をしていても、身体は男の子なんだよ……レイにいて欲しい。なのに、離れるなんて言わないでぇ……」

シィナはレイを困惑させる。一見すれば銀髪の少女が金髪の少女を後ろから抱擁している様子。だが、実際は金髪の少年が銀髪の少女に秘部を触られていると言う奇妙な状態。それを体験し、レイは困惑しない筈がないのだ。

「離して……離してよ……!!」

「嫌。離したくない。レイは、私といて欲しいの。お願い!」

妙な状況。レイは口頭では話して欲しいとは言うが、彼の象徴は反応しつつある。彼女の目的が理解出来ない中で、レイは躊躇うばかり。その間も彼女はレイに触れている。彼を求めんとする行動だ。

「こんなの、おかしいよっ!」

レイは力づくで彼女の抱擁と、官能的行動から振り解いた。これによってシィナの腕から身体が解放される。何故、このような事をするのか?レイは呼吸を激しく荒げながら、シィナに言った。

「シィナさんは何がしたいの!?そんな、いきなりそう言う事をしたいとか言うの、意味が分からない!そんな事されて喜ぶ訳がないよ!痴女のつもり!?」

美麗な女性からのアプローチは人によっては羨ましいとされる事かも知れない。だが、レイは彼女の事をよく知らない。なのに彼女はレイを求めてきている。それが奇妙に思えて仕方がないのだ。

「こんなの、破廉恥だよ!他に女の子達がいる状態で、僕をたぶらかして!」

レイは精一杯声を荒げる。彼女の事が理解出来ないが故の苛立ちが、彼女にぶつけられる。

「困らせたいの、レイを!貴方が可愛すぎるから……だから……!」

それだけなのか?それだけの為に、何故このような事を?理解が全く出来ない。

「迷惑だよ!大体僕が男って分かったらモーナさんがショックを受けるって知っててこんな事をするの!?女装させて、こんな事して!?意味が分からないよ!」

レイから感情が溢れ出す。嫌だと、レイははっきりと伝えるのだ。だが――

「その事だけどね……夜になったら分かる。もし、真相が知りたいのなら今日はここに泊まって。」

“泊まって”と、彼女は言った。その言葉自体がおかしい。そもそもここはミャンのマンションだ。彼女がそれを決める権利があるのも理解が出来ない。

「泊める、泊めないのを決めるのはここに住んでいるミャンさんじゃないの?シィナさんは関係ない筈だよ!?」

「ううん。関係あるよ」

どう言う事なのか。

「この家は私の父親がミャンに貸している家だから。」

「貸している、家……?」

この瞬間にレイが得た情報の一つ。それは、彼女には父親がいると言う事。何の情報も得られてなかった中でレイは一つ彼女から情報を得る事が出来た。それでも、シィナ・ソンブルが何者なのか分からない事に変わりはないが。

「彼女、天涯孤独状態で住む所に困ってたから家を貸してあげてるんだよ。優しいでしょ。」

先程まで寂しげな表情をしていた筈のシィナは微笑している。この表情の変化にレイは僅かながら違和感を覚えていた。 

「シィナさんは、何者なの……?」

「フフ、レイともっと親密になったら、分かるかも。」

レイは困惑している。彼女の事が少し分かったとはいえ、未知なる部分が多過ぎる為だ。それに、彼女も自身の事を秘密と言っている。これ自体がそもそもおかしい。矛盾そのものだ。自分がレイに秘密を明かすように言っておいて、自分は明かさないのはおかしいだろう。

「だから最終的な決定権は私にあるの。家を貸している以上、ミャンは私に指図出来ない。彼女とは友人だけれど、決定権は彼女にはないってワケだから。」

それは果たして友人と呼べるのかとレイは僅かに疑問を抱いた。

「それよりも私は、レイと一緒が良いの。貴方の事を知りたい。レイは私に興味無い?」

シィナに興味自体はある。だが、問題はシィナのスキンシップの取り方だ。彼女はレイに痴女のような行動を取っている。それがどこか恐ろしく感じるのは無理もない話と言えるのだ。

「分からないよ、全く……」

「じゃあ、大丈夫……すぐに“分かるようになる”から。」

「え――」

シィナの言葉が聞こえた、その3秒程した時――

 

 レイは、力が抜けてしまった。彼の眼は閉じられている。そして、シィナは白い清純な衣装を纏うレイを抱え、静かに笑みを浮かべるのだった。

「眠たくなっちゃったんだね……ごめんね、ちょっと手荒だけど、私、レイの事が“好き”だから。」



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第四話 シィナの誘惑 その1

※一部性描写注意


 レイは、いつの間にか眠っていた。彼が気がついた時、既に窓の外は暗闇に包まれていた。

 確かシィナと話していた時に急に眠気に襲われたような気がした。彼女がレイに対して官能的な行動をし、レイはそれを拒否した。そこまでは覚えているが、そこからどうなかったのかは分からない。

 問題は今、自分がどこにいるのかと言う事だ。目覚めたばかりの眼では今自分がどこの部屋にいるのか全く理解出来ないでいる。

「眠ってたの……いつの間に……?」

と、自身の眼をこすり、起きようとした時――

 

「あ、起きたね」

側に、シィナがいた。

「うわっ!?」

と、思わず声を上げてしまうレイ。

「シッ、静かに。」

それに対してシィナはレイの口を塞いだ。全てが余りに突然の出来事であり、理解が出来ない。一体どうなっていると言うのか。

「ちょっと、良い声が聞こえるよ。フフ……」

何を言っているのか分からない中で、レイは彼女の言葉に耳を傾ける。良い声とは、何なのか?

 

『んあっ……んうぅ……!』

『あぁっ……!』

 

それは、少女が出す嬌声だった。壁越しにそれが聞こえるのが分かる。

 聞き覚えのあるその声。隣の部屋にはモーナとミャンがいる?これは、どう言う事なのか?

「これって……!?」

「そうだよ。あの2人は今、お互いに求め合ってるの。可愛い声を出して。」

壁越しではあるが、間違いなく2人は何らかの行為をしていると推測出来た。

 少女同士が行う淫らな行為と推定出来る。聞こえてくる嬌声はこの場にいる2人にも何かしらの影響を与えているようにも見える……

「人間って不思議なんだよ。いくら人生に絶望していても、結局は人を求めちゃう。SNSとかで知らない人間に会っても嫌に思わず、寧ろ安心しちゃう。だからあの2人はこうして家に入り浸って、酒を飲んで寂しい気持ちになったら互いを慰め合うんだ。可愛いでしょ。まるで兎さんみたい。女の子同士の人間の慰め合い。だからあんな甘い声が出せちゃう。お互いを許しているから。」

シィナがどこか官能的に状況の説明をしている。それはモーナとミャンの行動を楽しんでいるかの如き対応だ。

 

『あぁっ……ん!』

『ふぅ……ぁぁ!』

 

再び聞こえた嬌声。この、明らかに異様な状況の中、シィナはただ、レイを見るばかり。

「人が甘い声を上げるとね、それに影響される事だってあるんだよ。人同士のエッチなやり取りを見てる人は互いにそれに似た行動を取ろうとしてしまうんだよ。」

と、言いながらシィナは自らの服を脱ぎ、下着姿になる。銀髪がベッドに落ち、暗闇ではあるが上下黒揃いの下着がレイの眼に映るのだ。

「待って……それって……!?」

レイの視線が泳いでいる。シィナは、レイをどうする気なのか。

「レイ、私は所謂オードソックスな手順を踏まなくても人間は知っていける関係になれると思うんだよ。出会ったばかりの人間だって人は交わったり出来るんだ。人の背景因子とか、そんなのなんて幻想に過ぎない。人は経験から人を知っていけると思うから。」

遠回しに聞こえる言葉。だがこの状況でレイに対して言いたい事。それは、一つ。

「僕と、するって事……?」

と、言った時、シィナがレイを押し倒すかの如く、ベッドにのしかかった。彼女の柔い身体がレイの身体に触れる。

「待ってよ……!いきなり過ぎるよ!こんなのって!」

レイは混乱している。状況の整理が出来ていない。しかし相手はその行為をせんと、レイを求めている。その理由も全く、理解出来ない。

「けれど、隣で2人は既に愛し合ってる。私達もそれに便乗して愛し合っても良いと思うんだ。」

確かに嬌声は聞こえる。とはいえ自分達がする理由はあるのか?

「大丈夫。レイはその容姿も、声も女の子にしか見えないから。私達が交わっても2人は盛り上がっているようにしか見えないよ。あの2人は女の子しかいない環境に安心しているから。」

それがおかしいのだ。知り合って間もない人間が何故そのような行為に及ぶのか?レイには理解出来ないのである。

「シィナさん……僕はそれを望んでないよ!」

焦る、レイ。しかし――

 

「ウソツキ」

 

シィナは朱色の眼をレイに向け、冷たく言い放った。

「男の子は分かり易いよ。だって勃ってるじゃない。レイだって今、シたいんでしょう?だから興奮してる。」

不思議な感覚だ。乙女が着るような純白の衣装を纏っているのに彼の象徴は、紛れもなく反応している。シィナと言う名の奇妙で美しい人間に翻弄され、レイはその誘惑に囚われつつある。

「私で欲情してくれてるの、嬉しい。レイは私を求めつつあるんだね……」

心と身体は乖離しているようで異なる。レイは困惑しつつも彼女に身体を触れられるのを望んでいるのか。

 それらを含めてシィナはレイを翻弄する。その目的も分からぬまま。

「私はレイを知りたいの。今からする事が、レイにどんな影響を与えるのかとか、知りたいな……」

と、言った時、シィナはレイの口唇に接吻を行った。

 彼女との初めての接吻は柔い感触だった。口唇の柔さと滑らかな感触。それがレイを包んでいくのが感じられる。

 接吻自体の経験はある。しかしこのようにされるのは、初めてだった。奇妙な状況で、知り合ったばかりの少女にレイはリードされ、されるがままの状態だ。

「ん……むぅ……」

「はぁ……む……」

舌が絡んできた。シィナがレイを我が物にするかの如き対応だ。

 

「しちゃったね、キス。舌を絡めちゃった、大人のキス。」

接吻の後、レイは呼吸を荒げている。

「はぁ、はぁ……」

顔が赤い。濃厚な接吻を経験したレイは更にシィナに求められていく。

「んあっ……!」

彼女はレイの首筋に口唇を当て、優しく触れた。そのまま、レイの股間部に触れていく。銀髪の美女がまるで遊女の如き動きをしている。

「レイを理解するなら、いっそセックスから入る関係でも良いと思うんだ。レイのその、声を聞いて……私、もっと好きになれそうだから。」

そのままシィナはレイの身に纏っていた衣装を脱がし、やがて彼は下着姿のみになる。互いに裸に近い姿で、過激に求め合うのだ。

「ふぁぅ!ああっ……!」

シィナは更にレイを求める。彼は自らの秘密を知られるかのように嬌声を上げる。

「レイの秘密の声、聞けた……私、嬉しいよ……!」

人間の秘密はそれぞれだ。しかしそれら様々なものがある。レイの場合は過去の事や、自らの力の事。しかし今は性的な状況。

 彼がその行為の際に善がった顔を見せたのはリルムの姉、ヒューナにのみ。しかしその顛末は余りにも残酷なものであった。

 

「え……?」

独り善がりにレイを弄んでいたシィナだったが、一方のレイはヒューナの事を思い出してしまっていた。あの体験の想起は今のレイの活動を止めてしまったのである。

「……レイ。どうしたの?」

ヒューナ・エリアスの事がどうしても忘れられないレイにとって、今の行為はレイを満たすものとは呼べなかった。ただ、シィナによって翻弄されるだけの行為。故にレイの象徴は段々と反応し無くなって行ったのだった。

「……ごめん、僕……」

性行為も、コミュニケーションだ。シィナはレイを求めたが、今のレイはそれが出来ない。過去の体験が大きく関与している為である。

「……そっか、「今」は駄目なんだね。」

それは精神的なものなのだろう。性交渉は精神的に安定していなければ行えない、生きる事に直結する行為だ。それを求めて人は本能的に動く。それそのものが、人の目的と言っても過言ではない。

 しかしその過程は人による。全ての人間が同じとは限らないのだ。

 



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第四話 シィナの誘惑 その2

「……ね、レイ。少しをお話ししようよ」

「話……?」

するとシィナはレイに触れるのを止め、レイに近い距離で、顔を見ながら話をし始めたのだ。

「私の事、一方的だって思ってる?」

その、行為の事だろう。確かにそれは一方的だ。互いの事を知らないのにシィナはレイと交わろうとしているのだから。

「急すぎるよ……いきなりそんな事をされて、困るだけだし……」

「そっか」

と言った後、シィナはうんと伸びをし始めた。

「差し支えがなければ聞かせて欲しいのだけれど、レイと以前シた人はどんな感じだったの?」

本当ならば言いたくない事だ。彼女は彼女で悩んでいた。家族との事で悩んでいた。

 一方でレイは自らの力の事で悩んでおり、それを打ち明ける事で互いに交れた。それは勇気に変わった。しかし、彼女は死んでしまった。故の、レイの中のトラウマ。

 いくら彼が戦争を生き抜いた存在とは言え、彼は人間だ。その過去は拭えない。多くの事を経験しても、天才的な力を持っていたとしても、人は割り切ると言うのは難しいのだ。

 しかし今、シィナはレイの事を聞きたがっている。この、性交渉をするかも知れない状況で。だからレイは口を開いた。彼は彼女に対して初めて、“秘密の一部”を、話した。

 

「そっか、その人は相当悩んでいたんだね。」

優しい、シィナの言葉が聞こえた。何故彼女はこれ程にレイに優しいのだろう。それが、彼には分からない。

「だからその人の事が忘れられないんだ。」

「……うん」

2人きりだからこそ言えるのだろう。こうした事情を。いつしか彼は秘密の一部をシィナに話してしまっている。しかし、それ自体は嫌な気がしない。誰かに聞いてもらう事が何故か安心するのだ。

「私も少し秘密、話しちゃうよ。」

シィナが口を開いた。

「実はさっきのコーヒーに睡眠薬、入れちゃった。だからレイは眠たくなったんだよ。」

彼女は秘密を明かした。内容としては全然異なるが。

「そんな事まで、しなくても……それは大袈裟すぎるよ……」

「人によっては嫌に思われると思うけれど。でもレイは嫌じゃないの?」

嫌だと言えば、嫌だ。しかし今の彼女を嫌になれないのは何故だろうか。

「僕も色々と聞きたい事がある。」

と言って、レイはくるりと180度シィナの方向を見た。

「どうしてこんな、回りくどい方法を取るの?」

「何が?」

まるでとぼけるようにシィナは言った。

「睡眠薬とか、隣で2人がしている時にここでしようとか、僕に対するアプローチが遠回しすぎる……僕自身の理解が追いつかない……から。」

レイはレイなりにシィナを理解しようと努力している。だが彼女の行動は不可解と呼べるものが多い。故に混乱し、錯乱する。彼女が理解出来なくなる。

 

「……私、空っぽなんだ。」

突如、シィナが言った。

「空っぽ?」

「卵の殻のようなものなんだよ、私。」

言葉が噛み合っていないように見える。どう言う意味でそれを言うのだろうか。自らの事を「殻」と揶揄する彼女。

「人間として生まれた筈なのに、どうしてか、私は常に卵の殻の如く、空っぽなんだ。何をしても満ちない。分からないんだ、自分でも。」

「空っぽって、どう言う意味……?」

「満たされないって意味で空っぽって事だよ。私はね。」

何が、満ちていないのか。それが全く、理解出来ない様子のレイ。

「人間って生きている内に多くの事を経験すると思うんだ。そこから何か感じたり、感想をもったりして生きていって充実感を得ると思うの。だけど、私は満ち足りない。だから自分の事を語る気になれない。自分が何者なのか全く分かっていないから。」

その言葉をどう捉えれば良いか分からない。彼女は何を言っている?

「それが、空っぽって事?」

「そう。卵の殻の如く、殻。物心付いた時から私は満ちる事なく今まで生きてきたから……。」

そう言う、シィナの表情は目元に涙を浮かべている。彼女にとって、「満ちる」定義が分からない。分からないからこそ、レイは困惑している。

「僕も詳しくは分からないけど、それには答えはなさそうだなって思う……難しいよ。自分が空っぽと言われても、人それぞれの指標とかあるから分からないよ……シィナさんの悩みは難しすぎる気がする……」

レイ自身、戦争を生き抜いた人間であり、尚且つアドバンスドタイプと呼ばれる人間。だからと言って彼はそれを誇示する事なく生きている。それを知られたくないとさえ、感じている。もう二度と使う事のない力だから。

「それは、私を知らないから難しいと言えるんだよね。」

彼女の背景因子を知らない以上、レイも多くは語れない。自分の考えの予想を上回る事は難しいのだ。

「だからこそ、私はレイの事を理解したいと思う。そうすれば、私は殻じゃなくなるような気がする。こうしてレイに自分の事を話せるだけでも私、ドキドキしてる。嬉しいんだ、私。」

喜びを感じてもらえる事は、彼自身嬉しさを感じる。好意を持ってもらえている為である。

しかし、ここで疑問が生じる。何故、彼女はこれ程にレイに好意を抱くのか。

「シィナさんは僕の事を褒めてくれるのは嬉しいけど……どうしてそこまでしてくれるの……?」

「言ったじゃない。レイには大きな魅力があるって。」

そのような事を言われても分かる筈がない。彼女の言葉は意味深長であるが、理解が出来ない。

「けど、私は自分が満ちていないのに相手を満たす方法は分からない。だから、人間の本能を振り返る事にした。」

「本能って……?」

レイの言葉に、シィナは少しばかり考える素振りを見せた。

「……本能は、一時的とは言え満たされる事がある三大欲求。睡眠薬を導入したのはレイにしっかり眠って貰いたかったから。そして、この状況を選んだのはレイの情欲を掻き立てたかったから。」

それが彼女なりの、レイへの配慮だと言う。レイへ好意を持つが故の、不器用とも言えるアプローチ。

 シィナは美少女と呼べる風貌をしてこそいるが、もしかすれば人慣れをしていないのかと、彼は思っていた。

 しかしそうだとしたなら、あのSNSの写真は何なのか。モーナとミャンと一見仲良さそうに写っていたあの写真は一体?

「ねえ、シィナさん……その……僕、シィナさんのSNSを見たんだ。」

そっと、聞いてみた。どのような反応があるのか気になるが、それでも気になったレイは聞いた。

「あの2人と仲良く映っているのを見た。凄く楽しそうに見えるけど、それでも満ちないっていうの?」

人によって満ちる定義は異なる。彼女は一見すれば順風満帆な人生を送っているように見える。しかし――

「あんなのは諧謔だよ。ただの戯れに過ぎないよ。友人って言っても所詮他人だもの。」

冷たい言葉が出た。それはシィナの本音なのかも知れないと、レイは思った。

「友人はいた方が良いとは言うけれど、私は分からない。何を持って友達なのかなんて、分からない。実際、あの2人は女の子同士で慰め合ってる。それで性欲を解放しているもの。」

「関心がないって事……?」

「関心はある。だから一緒にはいる。だけど所詮、他人だもの。最悪あの2人がどうなろうと知った事じゃない。」

再び冷たい言葉が出た。これも彼女の本音なのだろう。

「でも、レイは違う。レイにある魅力は間違いなく本物。キミを他人として見なしたくないよ。一緒に生きたいとさえ思える程に。」

他者に関心を抱かず、“満ち足りない”とばかり嘆いている彼女はレイにのみこれ程関心を抱く。その理由が分からない。嬉しさの反面、動揺がレイには見られるのだ。

「ね、レイ。好きなの。好きな人と私、満ちたい。多分レイといれば私、満たされると思うから……」

この時、レイ自身の気持ちに変化が出てきていた。

 学校に入って以来、多くの人との交流を避け、必要最低限の交流しかしなかったレイはこのような形で人と話す事がなかった。その相手は、自身に好意を示してくれる少女。

 彼女のアプローチは不器用ではあるが、それが彼女の魅力としているのかも知れない。妙な感触ではあるが、レイは目の前にいるシィナに触れたいと、考えるようになっていた。これが気持ちの変化というものなのだろうか。



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第四話 シィナの誘惑 その3

※性描写注意


「ね、触ってみる?」

シィナが官能的な声を出し、レイを翻弄している……同時に、自らの乳房を強調するかの如く近付くのだ。

「少しお話しして、お互いにスッキリ出来たと思うんだ。レイの過去の人、忘れられたら良いと思った。」

「……うん……」

レイはシィナにリードされていく。彼女の言葉に乗るように、自らの手を乳房に当て、彼なりの触り方で彼女に刺激を与えていく。

 その行動自体がレイに刺激を与える。彼女の優しい吐息、言葉遣い、視線は今のレイを魅了する。

 互いに下着姿。そして、隣の部屋では2人の少女が愛し合っている環境で、いつしかレイもその興奮に呑まれつつあったのだ。

「良いね……大きくなってるよ。反応してる。」

レイの反応を見て微笑するシィナ。こうした行動も、慣れているというのだろうか。

「は……ぁ……」

下着越しに反応する象徴はシィナを求めているかのよう。彼女の誘惑に、レイは飲み込まれて行く。

「フフ……」

今度はシィナがレイの秘部に手をやる。その官能的な動きはレイの動きを止め、彼は少女のような嬌声を上げるのだ。

「んあぅ……!あっ……!」

先は彼女の行為を否定したレイだが、今は違う。シィナ・ソンブルという名の少女が引き起こす誘惑は1人の美しい少年を飲み込む。彼女の本当の目的は分からないが、レイはシィナによって翻弄されるばかりなのだ。

「私を受け入れてくれるから、レイはそんな声を出すんだよね……特別な人にしか聞かせないその声を、私は聞けてる……嬉しいよ、私、幸せだからぁ……!」

「んぁッ!」

シィナが激しくレイを動かす。こうした演技は興奮している人間を更にその気にさせて行く。人は仮に演技であったとしても人間に求められる事を欲しているのだ。

 彼女の甘い声は、更にレイを情欲に掻き立てて行く……

「ああっ……!こんなッ……!」

激しく動く、シィナの手。それは彼を快楽に追いやる美しい動き。

「良いよレイッ!我慢しないでッ!!思い切り出して良いからぁッ!!!」

シィナはレイの秘部に触れ、彼の象徴を何度も愛でる。得体の知れない快楽に、レイの交感神経は次第に翻弄されていく。

 アドバンスドタイプと呼ばれる人種であるレイとは言え、彼もまた、普通の人間と同じなのだ。秘部に感じているオルガズムも、今シィナとしている行為も、恐らく人間であればコミュニケーションの一環で行われる性的な触れ合い。そして、触れ合いがエスカレートしていく先は――

 

「ふあぁッ!」

 

レイは果てた。象徴から出る白濁液はレイの欲望を解放したのだ。

 僅か4日前に知り合った少女によって、レイはリードされ、性的行動、そして絶頂に至ったのである。

「はぁ、はぁ……!」

息を荒げる、レイ。顔だけを見れば、陵辱された少女のような姿そのものに見えるのだ。

「凄く、良かったんだね……」

「……う……ん」

果てた後は言葉が上手く出ない。その様子を彼女はまるで、笑っているかのよう。

「……ね、ここまで来たらいっそ……ね?愛し合おうよ。もう、私達は先に行っても良い関係なんだから……!」

シィナは更にレイを求める。レイの耳をそっと舐め、彼を我が物にせんと触れて行くのだ。

「んあッ……!だめぇ……!」

果てた直後のレイをシィナが弄ぶ。彼を揶揄い、翻弄する。

「嫌、止めたくない……最後までシたいよ……!」

「そんな事……ふあっ!」

若い男女が一つのベッドにいて、それを理性で止める事が出来ればそれは良いのだろうが、そうは行かないものだ。人を超えた力を持つ人間であるレイとは言え、彼は“人”である事に変わりない。故に、性行動の誘惑には抗えない。逆らう事は出来ないのである。

 

 

 金髪の少年と銀髪の少女が、交わっている。一見すれば少女同士の慰め合いに見える光景だが、彼等の秘部は直に当たっており、そのままで性行動を行っている。レイの象徴を包むゴムの膜越しに、シィナは彼を優しく包み、受け入れる。

 体位を変える事もあった。正常位、騎乗位、そして後背位。人の本能による行動は無我夢中にさせるばかりなのだ。

 

「レイ……!良いの……良いのぉ!」

「シィナ……さん……!!はぁ、ふぅ……んんッ……!」

「可愛いよ!可愛くて逞しいよぉ!あァゥゥッ!」

「ダメ……もう……!イ……くぅ……!あぁッ!!」

 

彼女の誘惑に翻弄され、レイは腰を振り続け、やがては果てる。シィナ・ソンブルが放つ色香はレイを快楽に追いやり、秘めていた“彼自身”を開放させたのである。

 

 

 彼等は行為を終えた。隣にシィナがいる状況で、レイはただ、激しく呼気と吸気を交互に繰り返す。掛けられている一枚のシーツのみがレイの身に纏っている状況。それは、シィナも同様なのだ。

「シちゃったね、私達。」

彼女は窓側を見るレイの背中柔いタッチでに触れる。

「……レイ、素敵だったよ。とても可愛くて綺麗だった……」

朱色の眼はレイの後ろ姿を見る。彼女はレイの背中に触れながら、金色の髪がベッドに触れているのを、シィナはそっと触れ、優しく指を這う。

「凄かった……としか、言えない……」

レイの率直な感想が出た。

「そんなに、感じてくれたんだ。嬉しいな。レイの綺麗な声を聞けて、私は本当に幸せだよ。」

シィナの柔く白い指が、更にレイの身体に絡む。彼女は、本当にレイの事を想っているという事がこの一連の仕草で分かるのだ。

「ね、レイ。」

脱力気味のレイに対し、シィナが耳元で囁く。

「付き合おうよ。私達。」

「付き合う……?」

身体を重ねた関係というのはある意味大義名分になりやすい。シィナからのリードではあるが、彼等は紛れもなく、身体を重ね、交わってしまった。互いに身体も、心も許している状態。そうとなれば、交際に至るのは容易な話だ。

「付き合ってしまえばもう、レイの事に気を遣うことも減ると思う。もっと互いに知っていって、理解し合いたい。私、凄く幸せ。レイの魅力を感じる事が出来るのなら、とても。」

「……ごめん、分からないよ……」

シィナがレイの後ろ姿を見る中で、レイは暗い窓を見ながら呟いた。

「分からないって、どういう事?」

「シィナさんの事、よく分からないのに付き合えるのかなって……。」

行為を終えた後とはいえ、レイは混乱している状態だった。つまり、これは、彼女からの一方的なアプローチと言えたのである。

「肉体を交えた仲なのに、付き合えないんだ」

シィナの指がレイに触れるのを止めた。

「整理が出来てないだけだよ……色々と……」

確かにシィナとは交わった。それは事実。しかし彼は妙な感覚に陥っている。彼女との交際に至るのかと言えば、それは別問題なのだ。

 

「……じゃあ、私達はこれからセックスフレンドとして付き合おうよ。」

「え……!?」

突然の彼女の提案に、レイは驚愕する。何故そのような発想になるのか、理解が出来ない。

「レイが私との付き合いを躊躇うのなら、肉体を交える関係から入っても良いと思う。そこから互いを知っていけるのなら、私はそれでも歓迎だよ。」

「けど、そんなのって……?」

レイは真面目な人間だ。故にそうした人間関係を知らないでいた。

 まさか、四日前に知り合った美少女と性交渉を目的とした友人関係になっていくなど誰が予想出来ようか。確かに今日の出来事はレイにとって衝撃と呼べるものではあるが、更にその先の関係まで続いて行くとは思いもしなかったのである。

「人間の本能は時に解放しなきゃいけないと思うんだ。抑え込んでしまうから、その感情が暴走してしまう。だから1人でそれを抱え込んだらやがては病気になったり、合意なしのセックスをしたり、何の判断も出来ない未成年に手を出してしまって犯罪者になってしまうんだ。」

それは、彼女なりの哲学なのだろうか。

「だから人が生きて行くにはパートナーが必要なんだよ。だけど、レイがまだ困惑しているのなら、レイの中で整理出来るまで、私はキミとの関係を続けたいと思うから。フフ……」

シィナ・ソンブル。ミステリアスな雰囲気を醸している美少女。彼女は性に奔放な少女でもあった。レイが今まで生きていて見た事のない人間。彼は更に、翻弄されて行くのかも知れない。




少しばかり過激な内容になってしまったかも知れないです。一応R15ですが……てかR18との線引きが分かってない……


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第五話 秘密 その1

あの出来事から1週間が過ぎた。シィナに誘惑され、彼女と交わった日。その日以来彼等は交際という関係でない、奇妙な関係を築いている。

 シィナは学校内ではそれなりに立場を弁えている。人前でレイと密接に絡むような事はしてこない。あくまでもレイに対して関心を抱くのは2人でいる時のみ。

 シィナはその容姿故、異性からのアプローチが多い。彼女よりも高身長で、尚且つスポーツでは優秀な成績を修めている男子学生や、成績優秀であり尚且つ親が資産家の学生等が彼女にアプローチをしている。所謂、スクールカーストでは上位に該当する人間達だ。だが、こうした人間達に対して必ずシィナはこう言うのだ。

「タイプじゃないの、ごめんなさい」

と、相手の眼を見て必ず言うのだ。その際の相手の表情はどこか曇っていたり、舌打ちをしている者が大半だという。皆、自分に自信を持っていたからこそ拒否された時の反動が大きいのかも知れない。

 この1週間の内にレイはシィナが他の学生に言い寄られている光景を見た事がある。その際も彼女は交際を断っている。その直後にレイと学校で擦れ違う時、彼女はレイに対してはその眼で視線を送り、密かにウインクをするのだ。

 ある意味異性を虜にする魅力を持っている人気者であるシィナと、金銭等の利害があってのやり取りではなく、向こうからのアプローチで肉体的な関係を持った事は彼にとっては誇らしい事なのかも知れない。所謂マドンナのようなポジションの人間が一人の少年に対して関心を抱いているという状況は恐らく誰もが憧れを抱く状況と呼べるだろう。

 しかし、レイはそれに対して特に自慢げに思う事は無い。ただ、彼女は人気者なのだとばかり思うだけ。彼女に対してアプローチを仕掛ける人間達はいくら実績が優秀であれ、所詮は若い男というだけ。レイは特に、そこまで何らかの関心を抱いている訳ではないのだ。

 表立っては分からない関係。しかし実際は彼とシィナはある種の特別な関係。何故彼女がレイにこれ程拘るのかは不明なまま、奇妙な学生生活が続いているのだ。

 

 

 

 ある学食の時間にて、レイは次の授業でグループ学習をする為のメンバーと話をしていた。部活動も一緒の知人学生のノレッド・アルバと女子学生2人。彼等の交流はレイにとっては大きなものではない。いずれも授業で顔合わせする程度の関係。ノレッドは部活動が同じ関係。

 女子学生は特別美人という訳ではない。1人は少しばかり二重顎が目立つ。もう1人は痩せてはいるが一重瞼で饒舌な印象を持つ。

「キレス君ってなんか女の子みたいだよねー」

「最初ホントに女の子に見えた!」

「いつも思うんだけどさ、スカートとか似合いそうだよな、キレスって。」

いつもの内容。その容姿故にレイはその話題をされやすい。これは最早レイにとっては通過儀礼のようなものであり、いつものように苦笑いをしながら対応するのだ。

 日常とは人々の血肉によって成り立っている。それは彼が元々去年終わった戦争に参加していたからこそ身をもって理解している事。だが、いざ日常に身を置けばこうした事がどこか、退屈に思えてしまうのは贅沢な事なのだろうか。しかしこの贅沢な時こそがかけがえのない時間であり、貴重な時間である事に間違いは無いのである。

 故に周りの学生の会話は余りに虚無で、悲惨な会話に聞こえない。もしかすれば各々の人間はそれぞれ複雑な家庭事情を抱えているのかも知れないが、彼は深く介入する気にはなれない。ただ、一人を除いては。

 そして暫く他愛のない話をしていると、女子学生の噂話が始まるのだった。

 

「そう言えば奇麗な人いたよね!すごく澄ましてる女の人」

「銀色の髪の人?あー、知ってる。けどお高く留まってるって感じじゃない?」

「確か名前はシィナ・ソンブルって言ったっけ」

「上級生とかスポーツ優等生の告白を軒並み断ってるらしいって。」

「うわ、それってなんか嫌なヤツじゃん。完全にお高く留まってるやつだよそれ。」

「美人か知らないけどなんかヤな感じ。高飛車っやつ。私は貴方達とは違うんですって感じ?」

「教授とも関係持ってるって噂だよ。なんかああいう自意識過剰系の女ってなんでおっさん連中と関係持ちたがるんだろね?」

「どう考えても単位でしょ。教授に色目使って単位を貰うってよくある話だし。」

「あー、なるほどね!しかし美人って得だよねー。だから勉強なんてアホらしいってなるんだよね。」

「確か成績は優秀だけどそういう噂があるから一概に信用出来ないとか!色目使って点数取ってるってやつよ!」

「やだーそれぇ!」

彼女の事を全く知らない人間が、勝手な憶測を立てて噂を流している。女子学生特有の噂話。それで円滑なコミュニケーションが測れるならそれはそれで良いのかも知れない。当の本人を除いては。

 本人からすれば明らかな名誉毀損であり、下手をすれば訴訟にさえなり得る話。それを平気で行うのだから平和な時代の人間というのは贅沢なのだと、レイは感じている。

彼はこの2人の女子学生とレイは仲良い訳でもないし、深い関係でもない。しかしこうした憶測でしかない噂話を流している時点で人間性というのは知れてしまうものなのだ。

 結局はやっかみなのだろう。しかしそれを受け入れられない人間は当人の事を知らないで、いつまでもそれを言い続けるのだ。そして心の奥底にある嫉妬を行うのである。

(確かな僕もシィナさんの事を全て知っている訳じゃない。でも、あの日間違いなく彼女と交わったのは覚えてる……彼女が他の学生の告白とかを断っているその真意は分からないけれど。)

内心でレイは思っていた。シィナの事について。彼がこの学校で他者の事に関心を抱くのは、初めての事だったのである。

(仮に教授とかと関係を持っていたとしてもそれは聞かない方が良い理由なんだろう。僕はシィナさんに対してそこまで触れる気はない。)

彼は彼なりにシィナに気を遣っている。気を遣わない関係が良いと彼女は言っていても、それの実現は難しいのだ。

 このように学生達の噂となっているミステリアスな美少女、シィナ。レイが彼女の事を知らなかったのは、余り多くの学生と交流を図らなかったが故なのかも知れない。

「にしてもキレス君、ホント女の子みたいだよねー!男の子だったら多分告白されまくってるんじゃない?」

「え?いや、そんな事ないよ……?」

謙遜するレイ。

「でも女性ホルモン多そうだから女の子から言い寄られたりはしないかなー?」

「言えてる!」

「気を付けないとゲイとかに襲われたりするかも!それぐらい可愛い顔してるから!」

はっきり言って余計なお世話だ。褒めているのか貶しているのか分からない。レイはこの間も苦笑いをし、対応していた。

 

 

 

 結局その後グループワークは一応の形にはなった。彼はシィナの噂話をする2人とはある程度の距離を置こうと考えていた。

 やがて女子学生と解散した際に、ノレッドがレイに言う。

「あーいう分かりやすい嫉妬するヤツって損だよな。その内SNSとかでアイドルとか女優に対して嫉妬して攻撃するの目に見えてんだよなぁ。」

実際SNSを使って著名人に対して誹謗中傷する事はこの時代に於いても起きている。匿名性故に人は自分の意見と合わない人間に対したり、人生が輝いて見える人間を攻撃してしまい易い。自分自身が否定されているかのような感覚に陥るからだ。

 根底にあるのは嫉妬だろう。何らかのコンプレックスが大きな役割を果たしているのだろう。

「キレスも余計な事言われたな。あの2人は今後関わりたくねぇな」

ノレッドは頭で腕を組み、言った。

「今後グループワークをする時は、仕事仲間と割り切るのもアリなのかなって思ったりして。」

ある意味彼の本音が出た。

「あー、成程ね。社会に出たら人間選べないからな。愛想よく振る舞うのって大事だよなぁー。」

ノレッドは割り切る事が得意な人間なのかも知れないと、彼は思った。同じ部活動でたまに行動を共にする人間ではあるがこうした一面を見たのは初めてかも知れない。

 

「なあ、キレス」

突如、ノレッドが視線をレイの方に向けた。

「どうしたの?」

「その……さ。ちょっと時間ある?」

急にノレッドはどこかよそよそしい様子を見せる。レイはこれに対し、僅かに疑問を抱いていた。

「いや……あのさ……実は俺、最近入部したソンブルって見たんだけどさ……滅茶苦茶綺麗すぎるってか……なんて言うか……というか……前にお前とソンブルが一緒にいるところ見たって言うか……」

「え?」

それはもしかすれば、学食の際の出来事かも知れない。その場面をノレッドは見ていたのだ。

「美人って噂は知ってるけど、まさかキレスと一緒にいてるのはびっくりしたって言うか……なんて言うか、知り合いなのか?」

何故これ程にノレッドが緊張している様子なのかは分からないが、レイは学食の事なのかと思い、言った。

「たまたま相席になっただけだよ。うん、それだけ。」

言える訳がない。彼女の過激なアプローチがその4日後に行われる事など。彼等の関係が特殊な関係である事など……

「そ、そうなのか?なら、良いんだけどさ……」

何故これ程に表情を変えるのかは不明だ。もしかすれば彼はシィナに対して関心を抱いているのではないかと、レイは思うのだった。

「あ、悪い!次授業だ!行かないと!」

余りに分かりやすい様子でノレッドはその場から去っていった。この時、レイはシィナが改めて人気者であると言う事を体感した様子だった。

 シィナの存在がこれ程に人に影響を与えていた事を今になって知るレイ。彼は学校内の事情に関しては余りに疎いのかも知れない。他者との関わりを最低限に留めている彼からすれば、それも当然の事と言えるが。

 



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第五話 秘密 その2

シィナは部活動に参加している時と、そうで無い時で差がある。彼女は誰かと共に行動しているところは余り見かけない。ある意味一匹狼のようなところがあるのかも知れない。

 だが彼女はその全てが麗しく美しい。事実、レイも第一印象は彼女の虜になりそうになった程である。スポーツ関係に関しては“にわか”と言っており、確かに彼女は運動に関しては特別秀でている訳ではない。

 しかしそのプロポーションはやはり目立つ。部活内では彼女の話題が絶えない。この事は、正直レイにとっては学校では生活し辛さを感じていた。

 何せ彼女とは特別な関係。視線を送られたりする事もある。しかしシィナは目立つ。もし何らかの形で2人の関係が発覚するのは居場所の問題になる可能性がある。幸いなのは彼女が積極的に学校内で話しかけてこない事だけ。それは、良い事なのだが……

 やがて部活動が終わった頃、学内に人が少なくなった時、レイは図書室に向かっていた。もうすぐ始まる定期考査の勉強の為だ。

 水泳による適度な疲労は勉強する上で少しばかり眠気に囚われそうになるが、それでも彼は勉強をしておきたい。アパートでは恐らく眠ってしまうだろうと彼は考えていたからだ。

 レイが図書室の一室に座り、コンピュータを開き、授業の内容を確認している、その時――

 

「レイだ」

シィナが居た。銀髪の美少女が彼の視界に入ってきたのである。

「シィナさん……?」

一瞬視線が合った後、レイはすぐに視線を逸らした。どこか恥ずかしさを感じていたのだろうか。

「学校じゃ、なかなかお喋り出来ないね。人の目って嫌になる。変な噂とか広められたりしてるみたいだし」

昼間のグループワークの事を、レイは思い出していた。

 2人の女子学生が彼女の事であらぬ噂をしていた。シィナの事を知らないのに適当な噂。それがどこか、レイの中で不快に感じられたのだ。

「今の時間は人も殆どいないし、一緒に勉強出来るね」

と、言いながらシィナは彼に断りを入れる事なく隣の席に座った。

「レイは真面目だね。部活の後でも勉強なんて偉いよ。」

「要領が悪いだけだよ。でも、やれる事はやっておこうと思ってる。」

と言いながら視線を合わせず、コンピュータに集中する。

「部活、お疲れだね。塩素の匂いがする」

レイから僅かに漂うその匂いを、彼女の嗅覚は感じ取っていた。

「私もレイを見習って勉強、しようかな」

と、言いながら彼女は持ってきた本を取り出し、本を読み始めた。勉強をするのでは無いのかと疑問を抱くレイだが、今はシィナに構わないようにしている。彼女の事を意識するのはここでは避けたいと、彼は思っていた為だ。

 だがその時、シィナはEフォンのデバイスに触れ、それと同時に耳輪部に輪っかのようなものを掛け出した。それはデバイスを通じて音声を流す、機械。彼女は今、音楽を聴いている。

 レイはこの時、彼女が聴いている音楽が何かをそっと見てみた。Eフォンの画面に映る、1人の麗しい女性の写真が姿がそこには居た。

「シィナさんは……ジャンヌ・アステルが好きなの?」

ジャンヌ・アステル。デウス動乱と呼ばれる戦争が終わった後で活動していた絶世の歌姫。彼女は地球と戦争していた国の貴族であり、荒れ果てていた地球に少しでも癒しを与える為に歌を歌っていた。その影響力は地球圏に及び、世界で一番売れたアーティストとして名高い存在である。

 また、彼女は女優でもあり、尚且つテニスプレイヤーでもある。世界選手権で優勝の経験がある。それ以外にも芸術分野に於いても優秀賞を何度も収めた事がある、まさに才色兼備と呼べる人物だ。

「大好きだよ。あの人の歌は元気を貰える気がするから。」

音楽を聴きながらシィナは答えた。

「でも、2年ぐらい前から活動、辞めちゃった。スキャンダルか何か発覚したって話。それでSNSとかで凄いバッシングがあって、そこからあの人の音楽活動は無くなっちゃった。」

「確か、そうだったような……」

と言いながらレイは天井を仰いだ。

 普通の会話ならば有名人のスキャンダルは大抵、大した話題にならない。所詮はスキャンダルなど日常生活に大きく影響を与えない為だ。

 だがレイは違った。ジャンヌ・アステル。彼女の存在はよく知っている。何故ならば、彼女のもう一つの顔である、アステル家の令嬢という立場のジャンヌ・アステルを知っているから。

 ジャンヌ・アステルはアステル・システムズという名の軍事産業を経営する当主、ジンク・アステルの娘である。表向きは世界的歌手の彼女だが、実際は軍事関連の人間という事だ。

 そして、ジャンヌはレイに人型兵器を与えた。混迷の世を変える為の力として。それが、レイを戦いの道に走らせたのだ。

 彼女とは様々な事で揉めたりした。だが結果的に彼等は和解した。こうしたエピソードがあるのも、レイが過去にそれらを全て経験しているからだ。

 そのような秘密など、語れる筈がない。どう考えても夢物語。世界的歌手と共に、あの戦争を戦い抜いたなど、言えない。それにはそれ相応の理由があるのだ。

 だからレイは日常上での、歌手としてのジャンヌの話をする。これもまた、表面上の話なのだ。シィナと特殊な関係になったとは言え、そのような話が出来る筈がないのだ。

「ファンの掌返しはいつ見ても嫌な気持ちになるよ。アイドルとか俳優を自分のモノと勝手に錯覚しているから、本来なら喜ぶべき事に対してもバッシングをする。そう言うの嫌い。」

これもまた、シィナなりの考えなのだろう。

「そして、仮にアーティストが何らかの形で不手際を起こしても曲を愛する事が出来るのも大切な事だと思う。アーティストは過ちを犯したとしても、曲に罪はないから。それが文化なんだと思う。ジャンヌ・アステルのファンはあれで離れたっていうけど、そんなファンは離れて当然だよ」

この台詞から、シィナはジャンヌ・アステルの本当のファンである事が分かる。それは去年にジャンヌと戦争に参加していたレイにとってはある種の誇りに思えた。

 そして、ジャンヌの事を知っているレイはシィナに対して言うのだ。

「ジャンヌさんは今も平和の為に動いているんだと思うよ」

何気なく出た言葉。それは、余りにごく自然に出過ぎた言葉。

 

「“ジャンヌさん”?」

 

シィナがずいとレイの顔に近付く。今先程レイが言った言葉に、違和感を覚えたのである。

「あのね、レイ。有名人とかの話をする時って、大抵は“さん”付けするか、フルネームか愛称で呼ぶ事が多いと思うんだ。だけど、レイの今の呼び方は明らかに知人関係とかその辺の関係に見えた。あんなにごく普通に、自然にジャンヌ・アステルを“さん”って呼び方はしないと思うのだけど。」

それはレイにとって迂闊だった。彼にとってあの壮大な経験はごく普通の学生生活を送る上で本来人に話すべきものではない。だから彼は他者とは最低限の交流に留めていた。

 しかしその経験をした彼は、蛇口を撚れば出る水の如く、ジャンヌ・アステルの事を知人のような感覚で喋ってしまったのである。

 それにシィナは反応した。彼女はレイに対して関心を抱いている。彼女がもしごく普通の女子学生ならジャンヌの事に対して然程反応はしない筈。なのに彼女は反応した。何故、そこに反応したのだろうか。

「えと……そうそう、コンサートに行ったんだ!そこで平和について考えてる人って印象を受けたから、それで!」

慌てて誤魔化す。本当の事を言ってしまうのは避けたかったからだ。信じて貰えないと言うのではなく、純粋に、レイは過去の話を忘れたいと考えていたのである。

 

「ウソツキ」

 

シィナは示指を口元に運び、言った。

「レイはやっぱり、隠し事をしてる。私と関係を持っているのに隠し事されてる。それって悲しい事だな」

悲しい事と言われても、それを話して何になるのか。話したくないことを話さなければならないのは嫌な事だ。自分が戦争に参加していたと言って、何になる?それに、その話はしたくない。いや、“してはいけない”のだ。

 レイはシィナに関心を抱いている。しかし彼が経験した事は余りに現実離れし過ぎている。彼女の事もまだ全然理解していないのに、それを話して何になる?

「シィナさんは秘密を知ろうとし過ぎるよ。それをされて嫌に思う人間だっているんだよ。」

混乱しているレイは逆上するように言った。シィナの言葉は意味深長である。明らかにレイの事を見透かしているような言葉で、彼を翻弄するのだ。

「じゃあ、レイには秘密があるんだね。今の言葉はそれを認めた事になるよ。」

確かにそうだ。レイは戦争を経験している。だがその事は、基本的に誰かに明かしてはいけない事。それには、理由があるのだ。

 



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第五話 秘密 その3

 あの戦争が終わった時、レイは故郷に戻る際にジャンヌに言われた言葉がある。それは、今後の彼の生活に於いて非常に重要な言葉であった。

 

『レイ、貴方はもう戦う必要はありません。この先は貴方の望む未来の為に生きて行けば良いのです。ただし、この戦いの事は誰かに決して誰かに伝えては行けません。世界は表向きは平和になったとは言え、その力を欲する人間がいる状況なのもまた、事実。人がいる限りは何らかの形でテロ行為等が横行する事でしょう。貴方がその事を口に出さなければ、貴方は平和な人生を送る事が出来ます。どのような人間がこの世界にいるかは分かりません。消して、それを打ち明ける事がないように……』

 

ジャンヌ・アステルが戦後に言った言葉。レイはこの言葉を忠実に守っている。実際、いくら平和になった世の中とは言えどのような人間が潜んでいるのかは分からない。彼自身が人型兵器のパイロットを二度としないようにする為には、己の秘密は隠さなければならないのだ。

 

『それは貴方がアドバンスドタイプである事を公表する事も同義です。力を持つ人間は何らかの形で争いの種になってしまう可能性があります。特に貴方はそれに該当する可能性が高いのです。貴方はもう、何も関係ない世界で生きていく身。貴方はその過去を隠し、生きていく必要があります。力の誇示は新たなる争いを生む事に繋がるのです。』

 

口約束ではあるが、彼はジャンヌと別れる時に聞いた、彼女からの教えを守りたいと思っていた。もう、あのような戦争は起きて欲しくない。自分が何かに利用されたり、戦うような事はしたくない。レイは心からそれを誓っている。だから誰かにこの事を言いたくない……いや、言えないのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 人は何らかの秘密を抱えて生きている。それは人によっては墓場まで持って行きたいものでもあるだろう。レイも、秘密を抱えつつも日常を送る人間だ。この秘密が何らかの形で他者に広まった場合、自分だけでなく、他人を巻き込む危険も有り得る。世の中の人間と言うのは皆が利口な人間ではないからだ。

 シィナにも秘密がある。それは間違いない。だが、彼女は多くを語らない。レイに対して異様な関心を抱き、肉体接触を行う。今、レイとシィナは肉体関係が形成されている状態。それ自体も秘密の一つ。だがそれ以上の秘密がシィナにはあるのかも知れない。

「レイの秘密は何なのかな。私とセックスすれば、少しは明かされるのかな。」

彼女の誘惑が始まった。一度交わった関係とは言えそれを武器にしてくるのはレイとしては不快な感触に感じられたのだ。

「やめてよ……そう言うの、良くないよ……」

戸惑うレイ。

「私はレイの事が好きなんだよ。だけどレイが整理出来ていないから肉体関係でレイを留めているんだよ。」

迫る、シィナ。朱色の眼がレイを捉えていく。

「僕に魅力なんて、ないよ……」

「違う」

シィナは即、断言した。

「私はレイから“大きな魅力”を感じてる。レイだからこそ私は接触したいと思った。結果、セックスする関係になったもんね。」

「やめて……」

「だから私はまた、レイを求めたいな。ね、この後帰り道に……ね?」

シィナは更に迫る。コンピュータを触るレイの指に、シィナの白い指が絡む。

「やめてよ!」

バンと、レイはコンピュータを閉じた。彼女のスキンシップが過激だった為か。

「こんな、学校で破廉恥だよ!場所を考えてよ!」

息を荒げるレイ。シィナの誘惑がレイを翻弄しているのは間違いない。彼女の色香がレイを困惑させ、躊躇わせる。

「……じゃあ、プラトニックな環境でレイと色々と話がしたいな。学校でレイとばっかり話していると変な噂立てられちゃうから。」

シィナは読んでいた本を閉じた。そして、着けていたイヤホンを外す。

「レイ。今度の休みの日、予定はあるかな?」

予定はない。バイクでどこかへ移動しようと考えていた為だ。

「いや、無いけど……」

「ホント?じゃあ、お願いがあるの」

シィナは両手を叩き、微笑してレイに近付いた。

「今度ね、ボランティアスタッフとして児童施設に行くんだ。だけどそこはスタッフが不足してるんだ。だからレイも来て欲しい。」

「ボランティア?」

彼女の言葉から、“ボランティア”という言葉が出た。予想外の言葉にレイは戸惑っている。今までのどこか妖艶な色香が漂っているシィナの台詞とは思えない、“ボランティア”。それは何を示すというのだろうか。

「レイは、子供は嫌い?」

「そんな事は無いよ……寧ろ、好きだよ。」

「そっか、それは良い事を聞いたよ。」

何故かこの時、シィナはどこか嬉しそうな表情を浮かべていたのだった。

「じゃあ、今度の休みに一緒に行こう?楽しみにしてるよ。じゃあね。」

シィナは銀色の髪を掻き揚げ、レイに視線を送った後にこの場から去って行った。彼女はどこか、生き生きとしている印象をレイは受けた。

 シィナの言うボランティアとはどのようなものか。児童施設と言っていたが、彼女はそれ程に子供を大切にしているのだろうか。ある意味、彼女の秘密の一部を理解するチャンスなのかも知れないと、レイは思っていたのだった。

 



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第六話 ボランティア その1

 休みの日になり、レイはシィナの言うように児童施設のボランティアスタッフとして活動する事となっていた。

 その具体的な内容は児童施設に預けられている子供達の世話をする事だ。戦後の世界ではこうした子供達を預ける施設は圧倒的に人手不足である。故に有志のボランティアに協力を求める事があるのだ。

 シィナ・ソンブルもその内の1人。そして、彼女はボランティア活動に協力的な学生である。

 今回の児童施設に預けられている子供達は0歳児から8歳程度の幅広い年齢層が揃っている。

 皆、それぞれ事情を抱える子供達ばかりだ。戦災孤児もいれば、何らかの親のエゴで預けられた者もいる。望まぬ妊娠、経済的な問題、家庭内暴力等、それぞれの子供達が抱える闇は多種多様。

 故に打ち解けるというのは難しい。実の親ならばまだしも、所詮は他人。血の繋がりのない人間を愛するというのは余程の覚悟がなければ難しい。「可愛い」というレベルで済む問題ではないのだ。

 だから戦争の問題以外でここに預けたり、子供を捨てる親は自らも成熟していない。基本的な道徳概念等が備わっていない人間によって子供達は犠牲となっている。それは本来、あってはならない事なのだ。

「こんにちは」

シィナが礼儀正しく挨拶をした。施設長らしき中年女性が彼女に対して笑顔で言う。

「あらシィナさん、いつもありがとうね!そちらの方は?」

「“友達”です。とても優しくて子供が大好きな子ですよ。」

彼女はレイを讃えるように言った。彼女の挨拶に合わせ、レイは静かにお辞儀をする。

「随分可愛らしい女の子ね!お名前は?」

ここでもレイは少女に間違えられた。

「クラーラさん、この子は男の子ですよ。確かに女の子みたいに綺麗な顔付きしていますけど……ね?」

シィナがフォローをした。そして、改めてレイはその女性に対して頭を下げる。

「あー、ごめんなさいね!男の子だったのね!失礼したわ!えっと、お名前は?」

「レイ・キレスです。今日は宜しくお願いします。」

と、丁寧な様子でレイは挨拶した。

 この児童施設の規模は小規模であり、住宅地の一角にある環境である。職員と呼べる人間はここで住んでいる子供に対して僅か3人。人手が圧倒的に足りていない状態だ。

 こうした状況もあり、レイの通う学校はボランティアを募っている。しかし大半の学生の目的は内申点を稼ぐ為にボランティアに参加しているに過ぎない。

「シィナさんは4月からずっと週一回ここに来てくれてるの。本当にありがたくて。」

「子供達と一緒に過ごす事は自分にとっての勉強にもなりますので。」

綺麗な言葉だ。シィナの容姿も去る事ながら、彼女は楽しそうにここに来ている。余程、子供と接する事が好きなのだろうか。

「自己紹介がまだだったわね!私はクラーラ・ネイン。ここの施設長をしています。1人でも子供達に関心を持ってくれる人がいるのはとても嬉しい事だわ!」

施設長、クラーラ。40代の女性。細身の女性。年相応のほうれい線が少し目立つ印象の女性だ。

「お茶でも淹れましょうか。キレスさんにここの詳細をお伝えしないとね!」

やがてクラーラはレイとシィナを誘導し、施設の奥に案内した。

 

 廊下を歩いていると見えるのはスタッフらしき人間が子供達と戯れている姿。推定4-5歳の子供だろうか。それ以外では0-2歳の子供のオムツ交換やミルクの授乳、そして玩具遊びの様子を見ているスタッフの姿もある。

 一見すれば微笑ましいように見えるが、理不尽に泣いたり、欲求に忠実な子供も多い。故にスタッフは困惑するのだ。特に0歳児は話が出来ない。故に対応が難しい事が多いのだ。

 

 クラーラはティーポットからティーカップに茶を入れ、茶菓子と一緒にシィナとレイに振舞う。テーブルは対面式で、クラーラが対面に、レイとシィナが2人並列して座っている状態。シィナは慣れている様子で茶を啜っている。慣れていないレイは彼女の動作に合わせるように茶を飲む。

「ここの子供達は様々な事情を抱えている子達ばかりなの。戦災孤児は勿論だけど親の事情とか……ね。経営とかも国から補助金が出ているけどなかなか大変な状態。もっと人員増やしてほしいとか思ったりしてて……だからシィナさんには感謝しているの。」

クラーラがシィナを褒める。それは、彼女の人間性の一部が合間見えた瞬間だった。

(そうだったんだ……)

この場面だけ見れば、彼女は優しい少女に見える。その一場面を見る事が出来たのは、レイにとってはある意味有意義と言えたのかも知れない。

 

 人手が少ない施設では様々な事を行なっていく。0歳児はミルクを与えたり、玩具を与えたり、危険行動の監視等。理由なく泣く事もあったりする中でこれらをこなしていく。

 子供は思いがけない行動を取る。常に目を見張らせなければならない。これらに慣れているシィナは全て綺麗にこなしている。彼女の子供好きが伝わるかのようだ。

 その中で、レイは4-5歳児の相手をする事にした。最初、皆が物珍しそうにレイを見ている。彼の初見の印象から、子供達からも

「女の人だ!」

「お姉さんのお友達?」

「かわいい!」

と言われる。彼等の第一印象としての掴みは良いのだが、彼の中ではどこか複雑なのだ。

「やっぱりレイはその方が良いよ。怖がられるよりそう言って貰える方が子供達も安心するから」

側でシィナが優しく言った。こう言われても、レイは複雑な心境である事に変わりはないが。

「実は僕、男なんだ。今日は宜しくね。」

と、自身の自己紹介をする。シィナが居てくれるお陰でどうにか打ち解ける事は出来そうだ。

 

 幸い、レイは子供と接する事に慣れている。自身に妹がいると言うのもあるが、彼は去年経験した壮大な体験の中でとある姉妹と出会い、その妹の子守りをした事があった。その子供はレイの事を気に入っており、そうした事もあり、彼は受け入れられやすかったのだ。

 子供達との触れ合いとは一見簡単に見えるが実際は難しい。前提としてあるのは、皆がそれぞれ複雑な背景を持っている者達という事。戦災孤児は勿論、親の都合で棄てられた子供も中にはいる。

「“おとこお姉ちゃん”。あのね、お姉ちゃんはどこから来たの?」

1人の幼女がレイに聞いた。

「僕はモントリオールから来たよ。けど四月からオーストラリアに留学に来てるんだよ。」

と、当たり障りのない話をする。

「お父さんとかお母さんいたから留学出来てるの?」

確かにそうだ。両親がいるから今がある。自分と言う人間がいるのは、紛れもなく両親のお陰だ。

「うん、そうだよ。」

と、言った時。幼女の表情が変わった

「あのね、うちのお父さんは戦争で兵隊さんやってて、もう禁止されてるロボットを操っていたんだよ。だけど、死んじゃった。でも、お母さんはあんまり泣かなかった。それからね、お母さんは良い子にしてなさいって言ってそのままいなくなっちゃった。先生がお母さん代わり。だからお父さんお母さんって分からない」

両親を知らないで育った幼女の台詞が、今の台詞。レイの表情が変わった。そして、それ以上何も言う事が出来なかったのだ。

(兵隊さんって……)

レイはこの時、自身の経験した事を思い出していた。

 



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第六話 ボランティア その2

レイは戦争を生き残った人間である。しかしその最中、多くの人間を殺めて来た。

 彼が戦う理由の一つとして、“守る為に戦う”というものがあった。自身を守る為、大切な人を守る為、自分を助けてくれた人を守る為。それらの為にレイは戦って来た。無我夢中だった。

 しかし彼は人を殺めている。自分に迫る敵を倒さなければ自分が生き残れないからだ。その中で殺された兵士の数は数え切れない程。

 もしかすれば、目の前にいる1人の幼女はその中の1人なのかも知れない。壮絶な戦争がある中で、レイも生きる為に必死だった。

 今でこそ日常を謳歌しているレイだが、この十字架は消えないだろう。幼女の言葉は、レイの過去を抉る効果を持っているのだ――

 

 

 

***

 

 

 

「お父さん、お母さんって何?分かんない、分からない……お母さん、いつ帰ってくるの?」

この幼女の背景因子は恐らくもっと根深いものなのだろう。レイは、気の毒に思えて仕方がなかったのだ。

 戦争後の世界では、大半が戦争によって親を亡くしたと思われがちだ。だが彼女の場合は母親が行方をくらましているという。消息が経っている状態ではどうなっているのか等、分かる筈がない。

 もしかすればあの戦争で殺してしまった兵士の娘がこの子なのかも知れないという罪悪感がレイを襲う。生きる為に必死にやっていた事が、もしかすればこのような子供を生み出したのではないかと考えたのだ。

 そう考えた時、彼はただ幼女の頭を撫でるしか出来なかった。自分と立場が違う事が、これ程苦しいものだとは思わなかったのである。

 確かに戦争は終わった。しかし、戦争の爪痕というのはこうした形で残っている。レイは確かに地球を救った。救った後でもまだ、こうして親なき子達がいる現状に、彼はただ、罪悪感と虚無感に駆られているのだった。

 

 

 

 休憩時間。シィナはまだやる事があると言って休憩を取っていない。レイは先に休憩させて貰っていた。その際、施設長のクラーラが彼に声を掛ける。

「レイさんは子供達に好かれて本当にありがたいわぁ、また是非来て欲しいと思うわ!本当に!」

喜びの声を上げるクラーラ。しかしレイは虚な様子で言った。

「僕はあの子達の立場になれないなって思いました……僕はこうして留学させて貰ってるのも両親の理解があるお陰なんです。それに今が平和になっているからこそ、勉強ができるんです。だけど、あの子達は平和とされる筈の世の中なのに、肝心な親がいないなんて……」

親がいない、或いは戦争で亡くしたという同世代の少年少女と知り合いだった事はあった。だからこそ、自分の立場というのは如何に恵まれているかは理解している。それ故に子供達の現状を見て、彼は憂う。その親が兵士だとすれば、それを殺めてしまった可能性がある事を考えると気が気でないのだ。

「だけどね、こうして誰かが来て遊んでくれたり勉強を教えてくれたり、人としてのマナー、在り方を教えてくれるのは本当にありがたい事なのよ?立場とかは私は余り関係ないと思うの。大切なのは、その気持ち。シィナさんは良い人を連れて来てくれたと思うわ。」

クラーラの言葉がレイに響く。自分は情けないとさえ思うのだが、こうした言葉にレイはどこか救われた気持ちになる。

「レイさんは真面目なのね。それでいて色々と経験をしている……そんな気がする。」

クラーラは特別な力を持つ人間と言う訳ではない。だが、まるで見透かされたかのような感覚に陥った、レイ。

「多分その経験があるからそうやって人を見れるんじゃないのかなって思うのよね、私。」

「……。」

ごく普通の生活を送っていた筈の少年はいつしか戦争に巻き込まれ、やがては自らの意思で戦う事を決めた。彼はただ、無我夢中で戦い抜き、平和を勝ち取れた。  

 しかし自分には親がいる。平和そのものの人生を歩んでいる。目の前にいる子達は親がいない。どのような事情かは分からないが、彼は彼女達に立場を変わってやる事は出来ない。

 そして、レイは生きる為に敵を殺して来た。その積み重ねを繰り返したレイは、自分がこのような子供を生み出しているのではないかと考えてしまう。

 それを可哀想と言うのは易いが、それを言ってしまってはいけないと考える。

 では、何をすれば良い?自分に出来る事はシィナのように子供達に対してボランティアをする事が良いのか?見て見ぬ振りは出来ない筈だ。

「どうして、そんなに悲しい顔をしているの?」

クラーラの優しい言葉がレイに響く。

「どう、反応したら良いか分からなくて……」

様々な感情が渦巻いている。レイは今、混乱している。戦争に参加していたのは事実。もう、過去の話の筈。しかし今はその過去がレイに迫るのだ。

「レイさんは多分恵まれてると思うのよ。なら、それに甘えたら良いと思う。恵まれてるから経験もいっぱい出来るし、それに対して何か罪悪感を覚える必要は無いと思うのよ」

クラーラが再び言った。確かに恵まれているのだろう。あの戦争が終わった後でもこのように学校に学びに行けるのだから。

「……すみません、僕……」

レイはティーカップに入っている茶に手を付ける事が出来なかった。ただ、視線を落として目の前にある茶を見る事しか、出来ないのだった。

 



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第六話 ボランティア その3

夕刻になり、一日のボランティアは終了した。レイはそこで多くの子供達との交流を果たすことが出来た。

ボランティアの帰り道、二人は喫茶店に寄った。そこでシィナはコーヒーとサンドイッチ、そしてフライドチキンを注文した。この時、レイはシィナが思いの外食欲がある人間であると感じていた。

「どうだった?ボランティア。」

「うん、とても楽しかったよ。大変な中、皆が元気で生きているのを見るのは嬉しいから。」

シィナは週に一度この児童施設に来ている。その度に彼女は感謝されている。シィナの一面を知ることが出来たと同時に、自身の在り方に悩んでしまっていたのだった。

子供達の立場になれない事や、様々な事情を抱えている子供達。皆が大人によって人生を狂わされている者ばかり。それにはフォローが必要だ。誰でも良い、親になる人間が必要なのだ。

「クラーラさん、優しい人だったでしょ」

シィナがうんと腕を伸ばし、言った。

「うん、とても。」

自分の過去の事で落ち込んでいた時にクラーラに言われた言葉を振り返る、レイ。

 

 

――多分その経験があるからそうやって人を見れるんじゃないのかなって思うのよね――

 

 

彼の“経験は”決して人には言えないもの。だが彼の過去にその事実があった事に変わりはない。変えられない過去、語れない過去。それらによってもしかしたら苦しめられている子供がいるかも知れないと言う事はレイを気負わせる。

 やがてシィナがテーブルに用意されたメニューを一つずつ口に運ぶ。丁寧な食べ方。口元の動きや素振り。それらの全てが綺麗で、シィナ・ソンブルという人間を映し出している。

 レイはこの時、タイミングを見てシィナに聞いた。

「シィナさんはどうしてボランティアに参加しているの?」

クラーラはシィナの事を非常にリスペクトしている。その事を思い出したレイ。

「私、子供が大好きなんだ。だからボランティアに来ているっていうのもある。」

コーヒーを一口飲み、シィナが言った。子供好きという一面を知ったレイ。これもまた、彼女を知る事に繋がったと呼べるだろう。

「子供って、人類の宝なんだよ。なのに大人の都合で蔑ろにされてしまう事が多いんだ。あの子達はまさにその被害者。戦災孤児とかならまだしも虐待とかネグレクトとかされてきた子だっている」

「そんな……」

レイは愕然とした。その事実は知らなかった為だ。

「レイが喋っていた女の子もその1人。父親が軍の兵士だったけど母親と仲が余り良くなくて、父親が死んだ事を皮切りに別の男と繋がって、娘を捨てたんだ。」

シィナは淡々と述べていく。その事実はレイを困惑させていく。

「本当に子供達が安心して暮らせるようになるには本当は国とかの仕組みが機能しなければならないんだよ。なのに肝心の大人達は子供達を利用する事しか考えてない。世の中がダブルスタンダードばっかりなのも正直嫌になるって時がある。」

世の中を憂うシィナ。この時の彼女の朱色の眼は美しさを際立たせている反面、寂しげに感じられる。

「建前では子供を支援するって言って、本音ではそんなもの全く考えてない人ばっかりなんだ。本来ならしっかりするべき立場の政治家とかがエゴイストが多いからあんな、民間の児童施設の子供達みたいなのが必要になるんだ。」

それもまた、事実なのだろう。レイは彼女の事を少し理解出来た気がした。

「僕は、本当に現実を知らなさすぎたって思った……」

シィナが食事を口に運ぶ中で、レイがふと、呟いた。

「僕は両親もいて、こうして学校にも行けている。それがどれだけ幸せな事かを考えないと行けないなって感じたよ。」

「綺麗な言葉だね。」

シィナが微笑した。

「その通りだよ。本当は子供には他人じゃなくて“実の親”が必要なんだ。子供は多くの人間達と協力して育てていくものだし、比較するものでもない。個々の能力の違いでマウントを取る大人の道具なんかでもない。だけど本質的に人を育てるのは“実の親”だと思う。だから親が子供を捨てたり異常な虐待、ネグレクトなんて歪んだ贅沢も良いところだよ」

ミステリアスな少女は子供について強く語る。彼女に何か、あったのだろうかとさえ感じる程に強い言葉だ。

「本来ならレイみたいに恵まれてて余裕がある人間が子供を育てる事が良い循環を作ると思う。人間は余裕が必要だよ。その為には欲求が満たされる状態が必要なんだと思うから。」

彼女の独自の思想が語られていく。それに耳を傾け、レイは聞く。

「何を持って人は満たされるのかは分からないかも知れないけど、せめて私は本能的に満たされる事はしたいなって思うんだ。そしたら子供だっていつかは育てられると思うから。自分が卵の殻じゃなくなるような気がするんだ。」

以前も彼女は言っていた。本能を満たす事が大切と。それ故にレイに過激なアプローチをした事がある。

「シィナさんが子供が好きなのは、もしかしたら母性本能があるからなのかな……なんて、思ったりして。」

本能というワードからそれを想起したレイ。

「有り得るかも。それを満たす事も大切なのかなって。」

シィナは微笑した。

「あのボランティアね、私以外にも何人か参加してた事があるんだ。だけど大半の人間は小論文の為だったりとか単位の為だったりとか就職活動の為だったりとかばかりだった。結局子供達はその踏み台に使われてた。」

シィナに残されたコーヒーが、なくなっていく。出された食事は既に彼女の胃の中だ。

「確かに病気した人とかを研究した学会で発表したりするっていうのは人間の発展の為に必要な事だけれど、その事に拘りすぎて肝心な事を見失っている人間、多いんだよ。それ以外だと、私目当てでボランティアに参加している人間もいたし。」

「え、それって……」

「文字通りの意味。子供が好きっていう建前で本音は女子と交際したいとか、そんな事を考えている浅はかな考えの男の子とか。男の子ならまだしも一回り下の年齢に接触を持ち掛ける人間だっていたよ。自分に子供がいるのにそんな事をしてる人間だっているんだよ。偉い人か何か知らないケド人間の本性なんてそんなものだったりするよ」

語る、シィナ。ボランティアに参加する中で彼女は様々な人間に出会って来た。

 大半は、純粋なボランティアで参加している人間はいなかった。学校の単位ならまだしも、彼女目当ての人間も居たという。

 シィナは美少女だ。その容姿故に異性からのアプローチは絶えない。しかしそれは、彼女にとっては浅はか過ぎると言えるのだ。

 

 今回の事でシィナの一面を知る事が出来たレイ。それは、肉体関係のみで理解出来ていなかったシィナを知るのに十分な事と言えた。プラトニックな環境で人を知る事の大切さ。それを彼は学んだのだ。しかし――

 

「私、今度はレイをもっと知りたいよ。」

 

シィナが突如言い出した。

「レイを知る為にはどんなところに住んでいるのかとか知る必要があると思うんだ。ね、レイ。お家に行きたい。私を連れて行ってよ。」

「え……!?」

誰かを家に入れる。それは、今の彼はした事がない事だ。

 増してや異性を招き入れるなど、レイにとっては驚愕としか言いようがないのだ。

「レイは私の事を知ったじゃない。だから、今度は私がレイの事を知る番。レイのお家に遊びに行きたい。良いでしょ?だって、もう私達はキスもその先もしている関係なんだから。レイさえ良ければお付き合いしたいのに。」

再び、彼女の色香漂う言葉が出た。シィナは何故レイにこれ程拘るのだろう。彼の事を何故、欲しているのか。それは全く理解出来ない。

「このまま私を連れて行って。レイのお家。」

シィナと2人で家に行く。そうなれば、どのような事になるのか。レイはこれを断る訳には行かないと考え、渋々、縦に頷く事にしたのである。

「嬉しい!とても楽しみだよ。」

この時、シィナは満面の笑みを浮かべていた。これがレイにとっても不思議でならなかったのである。

 



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第七話 ホーム・コンタクト その1

 レイはシィナを乗せ、バイクを走らせた。ボランティア活動をしてそのまま解散とばかり考えていた為、彼女の予想外の言葉に動揺している状態だ。

 人を家に入れた事はない。それは自分の空間であり、ある種の聖域のようなものだから。それにシィナとは交際に至っていない。だが、彼女はレイの家に行きたいと懇願する。

 恐らく大半のケースだと男性側から誘う事が多いのだろう。一人暮らしの男の家に行くなど性的接触さえ期待する者が多いのもまた、事実。

 彼女の願いを断れなかったのはシィナが自らの話をしてくれたから。レイは秘密を話す事が出来ない立場。恐らく彼女はレイの事を知りたがるだろう。自分の家という、最も安らぐ事が出来る筈の環境で話を聞こうとするだろう。

 シィナとプラトニックラブな関係なら他愛のない会話をして終わるぐらいだろう。だが、実際は違う。彼等は肉体を交えた事のある関係。互いに何らかの意識はしている筈だ。

 やがてバイクはレイのアパートに着く。その間、心地良い風が2人を包んでいるようだった。ヘルメットを外し、家に入っていく。レイは美少女を連れながら。最も、レイ自身も美少女に間違えられる外見をしており、側から見れば友人関係なのだろうと思われるだろうが。

 

「これがレイの部屋なんだ。」

彼の部屋は片付けられている。一人暮らし用の小さな部屋。風呂場、トイレ、台所、リビング兼寝室という部屋。

「男の子の匂いがする」

シィナはそう言いながらベッドに座った。

「ね、お願い。少し寝かせて欲しいな」

「え?う、うん。良いよ。」

突然少女が懇願して来た。眠気が来たのだろうかと考える、レイ。

 しかしその発言から3秒程度時間が経過した時、いつしかシィナは寝息を立てて眠ってしまっていたのだ。疲れていたのかも知れない。

「すぅ……」

彼女の寝姿を見たのは二度目。一度目は性行為をした時。その彼女が家に来て眠っている。シィナの寝姿は綺麗で有り、無防備だ。

 部屋が暑いのでエアコンを付ける。そのままではエアコンによって部屋が冷えて風を引くかも知れない。だからレイはブランケットを彼女に掛けてやり、自分はシャワーを浴びる事にした。

 

 まさか、自分が異性を部屋に連れ込む事をするなど予想するしかなかった。と言ってもこちらから言った訳ではない。相手からの懇願である。一見すれば彼女の我儘の印象を受けるが、それを承諾しているのもレイだ。

 とはいえ、この家は異性の為のリラックス出来るような環境という訳ではないと思う。彼自身がどこか退屈な学校生活を癒す為の唯一の空間。それがここ。その際に時折リルムをはじめとした人間と連絡を取ったりするぐらいだ。

 遠く離れている環境とは言え、連絡を取れる人がいるというのは有り難い事である。時に感じる寂しい気持ちはこうした連絡によって気が紛れる時がある。

 “寂しい”。力を持つ存在であるレイにもそのような感情があるのだ。シィナを家に上げる事に決めた理由の一つに、彼自身が心から打ち解けられる人間が周囲にいないという事も関係しているのかとさえ思う。

(あの人に会ってから、何だか翻弄されてばかりな気がする……好きとか言われるのは嫌じゃないけど、僕にあそこまで関心を抱くのはどうしてだろう……)

あの戦争で多くの経験をしている筈のレイだが、こうした日常を経験しているとそれはそれで新たな発見はある。そして、それらに全て共通しているのは常に死が隣り合わせではないという事だ。

 平和な世界であるが故に、こうしたさ事を謳歌出来ると考えるべきなのだろう。

 

 シャワーを浴び終えたレイは用意していた服にそのまま着替えようとする。

 やがて黒い下着を身に纏い、就寝用の寝具に着替えようとした時だった――

 

「一緒にシャワー、浴びたかったのに」

 

シィナの色香がレイの嗅覚を刺激した。そこには既に下着姿となっているシィナがいたのだ。

「起きてたの?」

「レイのシャワーを浴びる水滴の音で目が覚めたよ。あのベッド、良いね。レイの匂いが染み付いてて好き。」

彼女の意味深長な台詞が口から出る。

「だけど身体は洗わないとダメだね。見た目だけじゃなく、汚れもない綺麗な身体でいる方が良いと思うから。」

と、言ってからシィナは纏っていた下着を取った。まるでそれは、レイに全く気を遣っているように見えなかったのだ。

 シィナの肢体は見る者を魅了する。裸姿となった彼女の姿を見てレイは僅かに躊躇う様子を見せた。

「見せつけなくて良いから……!」

「どうして?レイに私の身体を見て欲しいのに。そんな、童貞君みたいな反応しなくても。」

「エチケットとしてだよ!誰これ構わず裸でいるのは違うと思うんだ!」

恥を感じたレイはそのままベットのあるリビングに向かって行った。シィナはそれを見届け、密かに笑うのだ。

 

 やはり彼女は分からない。まるでレイを誘惑している様子のシィナ。確かに一度肉体を交わらせてはいるが、だからと言ってそれで全てが理解出来る訳ではない。

 気分を変えようとレイはEフォンを起動させ、音楽を掛けようとした。

「あれ?」

ふと、レイは連絡情報を見る。そこで彼は自身の眼が震える感覚に陥ったのを覚えたのだ。

「あれ……あれ!?データがない!?皆のデータが!?どうして!?」

彼が何故これ程に慌てふためいているのか。それは、リルムを始めとした知人のデータが全て無くなっていた為である。

 予期せぬ事態にレイは動揺している。何故?どうして?このままではリルムとも連絡が取れない。退屈ではあるが、故郷の人間と連絡を交わす唯一の手段である連絡先が消えている事はレイにとっては非常事態以外の何者でもないのだ。

 端末のあらゆる情報を見ても、やはり消えている。コンピュータ・ウィルスによる仕業なのかとも考えたが、どうやら違うようだ。

 Eフォンの端末セキュリティは本人の生体認証のみにしか反応しない。所謂バイオメトリックス機能が搭載されている。遠隔操作でそれを行う事は不可能とされる。強固なセキュリティは一個人のハッキングで破る事は不可能とされる程だ。

 更に厄介なのはEフォンに内蔵されているバックアッププログラムまでもが消されているという所だ。これは当事者しか出来ないようになっている筈なのだが、何故かそれらも消えてしまっている。

 外部からの犯行は不可能に近い。個人にすら掛けられる強固なセキュリティ。外部の脅威から晒される事はない筈。

だが、Eフォンには致命的な弱点があった。あくまでも強固なセキュリティは外部からのものであり、直接人間が接触した場合ならば話は変わってくる。この数日間でレイに接触したのはシィナのみ。まさか……?

「そんな……そんな訳ないよね!?」

慌てふためくレイ。だが、どう考えても容疑者はシィナ以外に考えられない。何故彼女はそのような事をするというのか。彼の知人の連絡先を消すなど……

それは、今までレイが出会って来た人間関係を消滅させるよう行為。人は離れていても連絡を取る事が出来るようにコミュニケーションツールを発展させて来た。それは去年までレイが非日常の状況を共に生き抜いて来た人間達の情報もそこに含まれていた。

 それらを全て消されたのだ。レイは途方に暮れる。想定外の事態にただ、悲しみに暮れる。

「……あれ?」

ふと、連絡先の一つを見た。そこにあるのは、なんと、シィナ・ソンブルの名前のみ。これが示すもの。つまりそれは……

「どうして、どうして……!?」

確信した。シィナが彼の繋がりを消した。何故そのような事をするのか、理解が追い付かない。



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第七話 ホーム・コンタクト その2

※一部性描写注意


「上がったよ」

 

背後からシィナの声が聞こえた。バスタオルを胸、鼠径部に巻いている。ロングヘアーは括られており、魅惑的な姿を見せている。

 しかし今のレイに彼女を見惚れている余裕はない。自身の連絡先を消された事は、レイを感情的に追い遣る。

「どうして消したの?」

レイの抑揚のない声が部屋に響いた。

「何の事?」

シィナが惚けた。

「ふざけないで!どうして連絡先を消したの!?「みんな」との連絡先を!」

感情的になるレイ。すると、シィナは静かに笑った。

「それはね、レイに振り向いて欲しいと思ったからだよ」

彼女も、抑揚のない声を出す。その言葉は彼女がレイの連絡先を削除した事を認めた事になる。レイにとっては余りに予想外の出来事に、困惑せざるを得ない。

「いつの間に、消したの……?」

「レイがシャワーを浴びている間。疲れてたんだね。ロックも掛けないでシャワー浴びちゃうから。連絡先、消しちゃった。」

人の繋がりを彼女が消す権利はない。レイは憤る。シィナという美少女に対し、怒りを剥き出しにするのだ。

「訳が分からないよ!そんな事をして何になるの!?僕を困らせてどうしたいの!?」

すると、シィナは――

 

「その顔が見たかったの。レイの怒る顔。それも魅力だから」

 

と、彼女はレイを褒め始めた。だがこのタイミングで褒められても何も感じない。怒りのみが溢れるだけだ。

「ふざけないでよ!何がしたいのか分からない!僕の事が好きだって言うなら、困らせる事をしないでよ!」

シィナは何故レイにそのような事をするのだろう。彼のプライベートルームの筈のこの空間で、レイはこれまでにない程に怒っている。しかしシィナは彼の言葉に対して笑みを浮かべるばかり。

「レイ。人間関係って何月が経てば変わっていくんだよ。いつまでも同じ人間関係に囚われるのは合理的じゃないんだよ。ステージが進めば、新しい人間関係を構築していくんだ。今のレイは私との人間関係を構築していけば良いんだから」

彼女のエゴだ。何を言っているのかが理解出来ない。

「シィナさんに僕の人間関係を介入される覚えはない!出て行って!こんな事をする為に家に来たのなら、出て行ってよ!」

「嫌……!」

「何で!?ここは僕の家だ!」

「嫌なの!レイとが良いの!お願いだからぁ!」

と、言った時、シィナはレイを抱擁し始めた。唐突の行動ではあるが、レイは今、怒っている。彼女の余りに身勝手な行動を非難している。

 その筈なのに、何故、レイは怒りつつも躊躇うのだろうか。

「抱き締められても、嫌なものは嫌なんだ……!」

こうした行動を取る人間に対しては様々な対応をする人間がある。ある時は暴力を。ある時は罵詈雑言を。とにかく当人を否定する言葉を言う。だが、心優しいレイはシィナに対してこれらを行う事が出来ない。

 

「ウソツキ」

 

「え……!?」

シィナは朱色の眼でレイの青い眼を捉えた。

「どれだけ感情を吐露しても、結局は私を求めようとしてくれてるんだね。レイのが大きくなってる。私の裸を見て、欲情してくれてる……」

「そんな訳、ない!」

レイはシィナを突き放そうとする。だが、シィナの眼が彼を離さない。何故?彼女は非道な事をした。なのにレイは動けないでいる。

「やっぱりレイは人間なんだ。こう言う事をされたら怒るし、困惑もする。でも、「極限の怒り」じゃないんだよね。だって、私をどこかで許そうとしてるから」

彼女の誘惑はさらに加速する。レイはシィナにいつしか翻弄されそうになっている。

「それにレイは怒っても説得力がないよ。だって、女の子みたいだもの。ホントに、その全てが可愛いの……」

すると、シィナは彼をベッドに押し倒し始めた。彼女の色香に負けてしまったのか?それは分からない。ただ、レイは困惑してばかり。混乱と動揺が同時に迫ってくる。

「レイ、ね?シようよ。怒りなんて全て忘れられるよ?私がレイを満たしてあげたい。そして、私も満ちたいのぉ……!」

正直、否定したいと思っていた。だが彼女の行動はレイを困惑させ、思うように身体を動かさせない。レイに迫るシィナの色香は彼に抵抗させる意欲を失わせるのだ。

「何かやらかしてしまった事に対して、身体でお詫びするのはいつの時代もある事だよ?それに、私はレイと交わる事を望んでいるもの。」

完全に、シィナのペースに飲まれている。駄目だ、このままでは……

「こんなの……こんなのって……!」

「こんなのとかじゃ、ないよ。レイの匂いのするこの空間で私、レイと交われるんだ。幸せだよ。とっても、とっても……ね?」

シィナが、レイの鎖骨部に触れる。そこから指を伝わせ、首筋、頬に触れていく。

 彼女の誘惑がレイを飲み込んだ。直後に再び2人は接吻を交わした。レイの中の怒りの感情が収まっていく。絡み合う舌はレイを興奮させる。同時に、シィナも更に欲情させていく。

「む……んぅ……」

「はぁ……んぅ……!」

 

一方的と思われたシィナからの舌使いはレイを巻き込んでいく。両者の唾液が糸を引き、接吻は一度中断する。

「レイの唇はホントに柔らかくて気持ち良い……」

「は……ぁぁ……」

官能的なシィナの動きに惑わされる。そのまま彼女はレイの乳頭部を指で触れ、更には口唇で触れる。柔い感触はレイの吐息を掻き出していく。

「んぅ……ああッ……!」

やがて、シィナはレイの秘部に指を絡め、纏う下着を指で下ろし、レイの象徴を出現させる。

 そこから行われる口唇での行為はレイを快楽に追い遣っていく。自分しか知らない筈のベッドの上で、銀髪の美少女が彼を翻弄し、彼に嬌声を上げさせる。

「んあッ……!ふぁぅ!」

官能的で情けない声。だがシィナはこの声を聞き、更に行動をエスカレートさせる。

 魅惑的な肢体はレイを包む。美少女同士の交わりに見える光景。1人の少年が眠っていたベッドの上で、2人の美しい人間達は身体を預け合っていく。

「レイの味だね。けど、不思議な味。ほんのり甘い感じ」

彼女の感想なのだろう。しかし今のレイにそれを聞く余裕は、全くない。

「ふぁっ……ああッ!」

口唇による行為はエスカレートする。柔らかくこそばゆい感覚はレイを更に追い込んでいくのだ。



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第七話 ホーム・コンタクト その3

※一部性描写注意


シィナの誘惑はレイを翻弄し、彼の怒りは完全になくなっていた。レイを想う彼女は彼の為に身体を使い、レイの上で腰を振っている。それは、彼にしか見せない筈の姿。揺れる乳房は視覚的な刺激としてレイに見せるのだ。

 

「はぁ……はぁぁッ……!」

「イイの……イイ……!レイ……気持ち良いよ……」

「シィナ……さん……!んあッ……あぅぅ……!」

 

騎乗の如く動くシィナ。彼女の姿に翻弄され、秘部に感じる刺激は一枚の膜を隔てていても感じるものであり、ある種の麻薬のような快楽を生み出している。

 人間は快楽に勝てない。その状態を求める為に何らかの依存をする。これが人間の中に存在している本来の麻薬のようなものならば、人がこうした行為を報酬として動くのも納得が出来る事だ。

 それからレイはシィナを、犯し続けた。対面座位では彼女と接吻をしながら腰を振り、後背位では彼女が身体を伸展させているところに秘部を当て、腰を振り続ける。それから得られる快楽は最早言い表す事が出来ない……

 

「あっ……ああッ……!ンあッ……!」

「レイ……イク……?イクの……?」

「イク……!イクぅ……!あッ……ああッ!」

 

レイは果てる。白濁液はゴムの膜内で包まれ、欲望の象徴としてベッドに落ちていく。

 何度もシィナを犯したレイはベッドの上でぐったりとしてしまった。完全に、勢いではあったが2人は再び交わった。性交渉を目的とした関係は2人をいつしか興奮状態にさせ、快楽に導いたのだろう。

「セックスフレンドの関係なのにキスして、何回もするなんて。本当にレイは私を求めてくれてる。私、それが嬉しいんだ」

朱色の眼がレイを見る。レイは彼女の視線を直視出来ない。見るのが恥ずかしくて堪らないのだ。

「嫌だよ……僕はあんな情けない声を上げたくなかった……」

無我夢中で上げた嬌声はレイを辱める。

「情けなくない。とても可愛くて魅力的な声だよ。」

何故シィナはレイをここまで肯定するのか。褒められる事自体は嫌いではないが彼女の場合は事前にしている事が余りに残酷すぎる。

「レイは相手を理解しようとして、必死に腰を振ってくれてるなら気持ちよくなって、あんな声が出せるんだよ。これだけレイは女の子みたいな顔をしているのに、私に腰を振る姿は本当に男の子なんだ。だけど、それが素敵。」

「やめて……言わないで欲しい……」

彼女のアプローチは一方的。レイの事を考えているようで考えていない。

 本当に好きならば連絡先を何故消すような真似をするのか。そこまで考えられなかったのか。レイの頭の中は混乱している。もう、何が何か分からない状態。何故シィナは彼に拘るのか。何故これ程に求めてくるのか。何の見返りがあるのかも分からない。

 肉体関係を結ぶのは両者の合意があれば誰でも結べる。だがその先に行くにはまだ、互いに理解し合えていない。

「僕の何が魅力なの?僕は別にお金持ちとかそんなのじゃないし、交友関係も多い訳じゃない。そもそも交友関係はシィナさんに消されたし……」

やや恨み節を抱えてレイは言った。

「自分で気付かないんだね。レイはとても魅力ある存在なのに」

また、はぐらかされる。やはり理解出来ない。

「さっきまで怒ってたのに、セックスをしたらレイから怒りを感じなくなった。

私とシて気持ち良かったんでしょ?お口でも感じてたし、ナカでも感じてたじゃない――」

「それ以上言わないでよ!」

レイが言葉を挟み、言った。これ以上の言葉を聴きたくないと思っていたからだ。

「いやらしい!そんな言葉を言われても嫌なだけだ!僕はそんな言葉を聞きたくない!」

痴女の如くシィナはレイを翻弄していく。口唇から出る言葉は明らかにレイを誘っている。淫語というやつか。

「シィナさんはデリカシーがないよ!もうそんな事言わないで!」

レイは、シィナと目を合わせるのを止めた。彼女を直視する事が出来ないでいたのだ。卑猥な言葉を発し、レイを挑発する様子はレイには刺激が強すぎる。だがその様子すら、シィナは笑って対応する。所謂小悪魔的な様子のシィナ。その容姿も相まって彼女はレイを虜にしようとするのだ。

「恥ずかしがっている姿、凄く可愛いよ。ね、レイ。今晩はずっと愛し合おうよ。明日は一緒に過ごせば良いよ。」

「勝手に決めないでよ!」

「どうして?私の事、嫌なの?そっか。データ消しちゃったもんね。そりゃ嫌か。」

嫌に決まっている。彼女の言葉は余りに身勝手だ。彼の関心を引く為に酷い行為をし、その上で一方的に迫ってきてレイと交わった。

 家に行きたいと言うのも彼女の一方的な依頼だ。それを受けたのはレイではあるが。

「だけどレイ。私はキミの家に来たってコトはね、キミが居る空間に招き入れられたってコトになる。つまり、これってどう言う事か分かる?」

「それって……?」

「フフ、世間の捉え方って幾らでも変えられるってコトだよ。つまり、私はレイの被害者にも成り得るってコト。男の人が女の子を連れ込んでイカがわしい事をするって話はよく聞くじゃない。もしレイが私を連れ込んでるって知られたら学校で居場所なくなっちゃうカモ。」

この瞬間、レイは更に憤る。やはりシィナは悪魔的だ。

「この事をバラすって事!?そんなの!シィナさんが僕にお願いしたのに!?そっちが僕のみんなとの繋がりを消したのに!?」

レイは視線を合わせた。再び両者の眼が合う。青色と朱色。金髪の銀髪。互いに対極であるかのような印象を持つ2人。

「そんな事は言ってないよ。だけど私は女で、レイは可愛くても男の子。私達は既に交わってる関係。」

シィナの笑みが、再び。示指を口元に運ぶ。

 

「だから、レイの秘密を教えてよ」

 

彼の秘密。それは二つある。かつての戦争を生き残った人間である事、そして、アドバンスドタイプという事。

 これらは他者に知られる訳には行かない。力を持つ存在という事実は争いの源となる可能性が高い。相手が例えシィナであれ、言う訳には行かないのだ。

「そんな風にしてまで聞く理由が分からない……」

「好きな人の事を知りたいと思うのは当然じゃないかな」

と、言いながらスキンシップの如くシィナは彼の肩に触れ、指を這わせる。そっと首筋に触れ、レイの吐息がシィナに伝わっていく。

「僕に秘密なんてない……シィナさんが僕の事を好きなら脅すような真似はやめて欲しい……」

 

「ウソツキ」

 

シィナの言葉が、再び。

「じゃあ、どうしてレイはそんなに大きな“魅力”を持っているの?私はそれに引き寄せられたようなものなのに。」

「魅力の意味が分からない!そんなもの、僕にはない!」

「あるよ。レイは明らかに普通の人と違う。容姿だけじゃない、“魅力”が」

何故、シィナはこれ程にはぐらかすのだろう。その言葉が何を示すのかを彼女は語らない。何かを隠しているのか?それも謎だ。彼女が言い続けるレイの“魅力”の正体。それが分からない以上は会話を広げようがない。

「それを言わないって事はずっと平行線のままだね。露骨にジャンヌ・アステルと知り合いって言ったり、さっき“みんな”って事を言ってたのに」

秘密を知られて不快になるのは当然だ。その秘密を知って、彼女は何を得る?いっそ、喋る方が良いのか?喋れば彼女は納得するのか?

 なら、もう喋ってしまおう。仮にシィナが口が軽い人間だったとして、これは2人だけの話。与太話で終わるだけだろう。

「分かったよ。言う。僕の事を……」

レイは覚悟を決めた。自分の話をする事にした。語りたくない過去を、話す時が来たのだ。



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第七話 ホーム・コンタクト その4

レイ・キレスは成り行きで人型兵器に乗り込み、それ以来様々な戦場を戦い抜いた過去がある。ただ、必死に生きる為、守るものを守る為に戦ってきた。彼が経験した体験は短文では明かせぬ程の壮大な物語である。

 人型兵器が世を支配していた頃、世界は混沌とし、歪んでいた。その世界を知らない状態だったレイは人型兵器のパイロットの経験をして、世界の歪みを知った。地球を統治する軍がそもそも歪んでおり、その統率者のレヴィー・ダイルは犠牲者を出しつつも軍備増強を徹底してきた。

 それだけでない。かつて地球と戦争していたデウス帝国の残党を名乗る勢力も現れた。その陰では反社会組織による非道。それらにも地球の軍備は流通し、世の地球軍に対する反対勢力に行き届く事もあった。人型兵器の存在が多くの人を不幸にした。多くの人間が死に、家族、友人、恋人が奪われたりした。

 レイは成り行きとは言え歪んだ地球の統率者率いる軍と戦った。そして最大の敵を倒した。それは、彼と同じ力を持つ人間。他を圧倒し、人の心を読み、危機的状況になれば身体が光り、身を守る。そのような、常人を逸脱している能力を持っていた。

 これが、彼の過去。戦争に参加して生き延びた人間の過去。そこで、表向きでは世界的歌手とされている、ジャンヌ・アステルとも出会っている。彼女の事についても話さざるを得なかったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

「僕は戦争を経験してきた。去年までの話だけど、今の生活とは180度違う生活を送ってきた。漫画やアニメのような、本当の話。これが僕の秘密だよ。」

開き直る様子で言った。その際、シィナは朱色の眼をレイの方に向けた。

「じゃあ、レイは人を殺してきたんだ」

言われたくなかった言葉。事実ではあるが、認めたくない事。それをシィナは踏み込んできた。だがこれに関しても答えなければならないと、レイは思っている。

「うん……そうしないと、僕自身だったり、僕にとって大切な人を守ったり出来なかったから。」

それはあくまでも、人型兵器に乗って戦っていた時のみ。今はそれとは無関係な生活。

「人を守る為に、敵を殺したんだね。」

何故だろう、シィナは余り驚愕している様子を見せていない。与太話と認識したのか?彼女がどのような感想を抱いたのかは分からないが、レイはそれが気になってしまう。

「……そうだよ。僕は既に人を殺して来てる。相手が迫って来るから、倒さざるを得ない。不殺なんて奇麗な事は僕には出来なかった……」

レイの手が震えている。平和な日常の中で言いたくない事を言った事に対する拒否反応なのかも知れない。

 レイは内心苦しんでいる。心の奥底で隠していた、誰かに言いたくない事を言う行為は彼が思っていた以上に苦しい。段々と、呼吸が早くなる。精神的な苦痛なのかも知れない。それが身体の現象として現れたという事は、明らかに彼は過去の自分の行動を恐れているのだ――

「レイ……怖いの?大丈夫?」

シィナが優しく聞く。だが大丈夫な筈がない。彼はこの間、昼間にボランティア活動で訪れた児童施設での幼女の言葉も、思い出していたのだ。

 

―お父さん、お母さんって何?分かんない、分からない……お母さん、いつ帰ってくるの―

 

自分がその父親を殺めたかどうかなど、分からない。だが可能性はゼロではないのは確か。自分や仲間を助けるのに必死だったレイは、今になって戦争が引き起こした悲劇を悔いている。それをシィナに発言する事で、更に苦悩するのだ。

「……ごめんなさい……僕はもしかすれば……あの子のお父さんを殺しちゃったのかも知れない……!」

いつになくレイは錯乱している。眼が震えている感覚。自身の行動に恐怖している感覚。あれから一年以上の時が流れたとはいえ彼の中で封印していた戦争の記憶が目覚めた時、レイは自らの行為を改めて思い、恐怖したのだ。

 

「レイ……」

すると、シィナはレイを抱き締めた。銀髪がレイの肩に触れている。彼女の色香が漂う。

「辛い事、思い出しちゃったんだね。レイは必死に頑張ってたのに、罪悪感が産まれちゃったんだね。」

シィナは彼の言葉に対して否定はしなかった。何故なのか。レイが辛そうにしている事に対して同情しようとしたのか。

「じゃあ、私が連絡先を消しちゃった人達はレイのその事情を知ってる人達だったんだね。」

レイは静かに、頷いた。皆との繋がりが消えた事はレイにとっては大きなショックであった。その直後にシィナと交わり、怒りは収まっている状態。だが今度は自身が行った罪であり、その上での仲間達との記録が無くなった事でショックが隠せないでいたのだ。

 

「大丈夫、これからは私がレイを慰めるよ。」

 

急に何を言い出すのか。戦争に参加していた事や、人殺しをしていた事実を述べ、その上でシィナは何を思っているのかが分からない。

「何を言ってるの……?僕の事は軽蔑してくれたって構わないんだよ?シィナさんが魅力って言ってた人間は人を殺して、戦争を経験してきた人間なんだよ?」

「ううん。そんな体験をしているレイを否定なんてする訳がないよ。私にはない体験。レイの体験があるから、魅力が秘められているのかも知れないね。」

彼女の言う“魅力”とは、レイの壮大な体験の事を指しているのかは分からない。しかしこの事を褒められてもレイは良い気分がしない。

 語りたくなかった過去。必死に戦ったあの経験は人に対して自慢出来る内容の筈がない。

「やめてよ、そんなのを魅力なんて言わない……あの時はただ、必死だった。だけど、それを肯定しないで……」

「でもレイを否定したくないよ。そんな体験をしているレイは本当に、素敵。」

すると、シィナはレイの首筋を口唇で触れた。突然の行動にレイは思わず反応してしまう。

「ひあっ!?」

「今、感じた?さっきまでシリアスな感じで戦争の事を語っていたレイが今は女の子みたいな声を上げているんだよ。不思議だね。」

「それとこれとは話が違う……!やめて……僕はそれを望んで無いよ……!」

「ううん、それで良いんだよ。人間らしいもの。その反応も含めてレイはレイなんだよ。」

「僕は、僕……?」

「そう。だから、自分を責めないで。キミはやれる事をやって来たから。否定しちゃダメ。私がレイを慰めるから。」

優しい言葉。この時、レイには彼女の言葉が何故か染み入るように感じられた。

 精神的に不安定な時は人間はふとした優しい言葉に癒され易い。レイは苦しんでいた。自らの行動に対して。だがシィナの言葉が彼の何かを解放したかのように見えた。

「私も美人局みたいな酷い事言っちゃったな。レイを通報する事はしないよ。だって、レイの事が本当に好きだから。」

秘密を知り、シィナはレイに更に好意を示したようだ。

 環境が変わってからレイは退屈な日常を送っていた。そして、奥底に隠れていた秘密を、レイに好意を抱く少女に話した。

 秘密を話す時、それを理解されたら人は何故か安寧の表情を浮かべてしまう。理解してもらえたと言う安心がどこかであるからなのかも知れない。

 

「……だけど、レイはそれ以外にも“魅力”を感じる。それは一体、何なのかなって思う。」

ふと、シィナが言った。彼が戦争を生き延びた事を魅力と捉えているとばかり思っていたレイは驚愕している。

「シィナさんは多分、自分にないものを持っているのを見て、“魅力”って言ってるだけじゃないのかな……」

「さあ、何だろうね。それは分からないケド、レイの事を想い続けるのに代わりはないからね。」

レイは彼女に港の連絡先を消された。しかし、何故今は彼女を許してしまっているのだろう。

 それはシィナ・ソンブルという少女が見せる顔の一つなのかも知れない。この少女はレイの心を癒す力を持っているようにも感じられる。

 しかしシィナは何故これ程にレイに関心を抱くのかは分からない。そして、レイ自身も何故彼女に妙な安心を抱くのかも謎だ。

「ね、レイ。私のコト、シィナって呼んで良いんだよ。“さん”付けなんてしなくて良いから。」

シィナの歳は一つ上。故にレイは彼女に対して尊敬の意を込めて丁寧に喋っていた。しかしこれ程にシィナが迫ってくるのを見ては、彼も呼称を変えざるを得ないのだ。

「……じゃあ、シィナ。」

レイの彼女に対する呼び方が、変わった瞬間だった。

「ありがとう、レイ。私達、付き合えるよね?だって、レイの人間関係はもう私だけなんだから」

「……そうなの、かな……」

「そうだよ。レイ。私、レイの事を聞いてもっと好きになれたよ。」

そう言って、シィナはレイと接吻を交わす。もう、2人は肉体関係を形成している仲。そしてレイは連絡先が消えている。

 更には彼の過去もシィナは知っている。こうとなれば、もうレイは何かに頼らなければならないのかも知れない――

「……じゃあ……宜しく。」

「フフ、私、嬉しい。」

一風変わったカップルが、ここに成立した。

 



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第八話 カップルの危機 その1

 朝になった。あの後レイ達は同じベッドで一緒に眠っていた。この日は休みであり、2人共寝坊して起きる。

 朝の暑さにうなされ、レイは目を覚ます。隣には下着姿で少しばかり汗を掻いているシィナ。まさか自分が裸姿で目を覚まし、裸の少女を置いているシチュエーションを体験するなど、思っても見なかったのである。まるでアダルトドラマのワンシーンのようだ。レイのような少年には似合っているとは言えないシチュエーションだ。

「おはよう、レイ。」

レイの次にシィナが目を覚まし、レイの頬にキスをする。そう、2人は昨夜から交際に至った。殆ど、シィナからのアプローチのような気はするが、レイは彼女の熱意に負けて交際を開始した。だが、まだ彼は実感が湧いていない。

「あのね、昨日レイが言ってた戦争の話を聞いて、思い出した事があるの」

シィナが突然言った。

「噂話だけど、戦争の中で一定数空間認識能力が覚醒した人間がいるって話。聞いた事あるかな?」

聞いた事があるも何も、レイはその人間達を見て来た。自分自身も最初はそれらに該当する存在と思っていた。結果的に彼はアドバンスドタイプと呼ばれる人種という事が判明した訳だが。

「……都市伝説みたいな話だね」

当事者であるレイはそれをはぐらかす。

「なんか、戦争する事で脳が活性化するのも変な話な気がするな。そう言うのは違う事で発揮出来れば良いのに……なんて思ったりして。」

「……そうだね」

レイはベッドから起き上がり、端座位姿勢となった。

「レイは戦争に参加した中でそんな人を見た事があるの?」

話を振る、シィナ。

「……分からないよ。」

と、濁した。当事者ではあるがその事まで言いたいとは思わなかった為である。

「もし、普通に暮らす中でそんな人がいたら面白そうだよね。案外近くに居たりして。」

レイの後ろ姿を見ながらシィナは微笑する。

「多分、人間って科学的なものだけじゃ分からない所って多いと思う。けど結局は戦争でそういう力が発揮するのなら、平和な世の中になった今はそんな力なんて要らないと思うんだ……って何となく思う事はあるよ。」

それはレイが当事者故に言える言葉。戦争がない世の中なら、力を持つ存在は別に力を使わなくて良い。穏やかに生きられればそれで良いのだ。

 レイは顔を洗う為に洗面台に向かう。上半身裸の下着姿まま移動するのはせめて男らしくあろうとする意地なのか。

 

「私、少しだけ気になる事があるよ」

 

シィナの言葉がレイを止めた。

「もし、そうした人間って一般的に言われている人間と何が違ったりするんだろうって思う事はあるんだ。身体的な特徴で違いとかあるのかな?筋肉の構造とか脳神経の構造とか臓器の構造とか違う所ってあるのかな?なんとなくだけど、この前の身体解剖生理学の授業を受けて思ったりした。」

戦争の中で覚醒した人間。それらはシンギュラルタイプと呼ばれる人種。だがレイはそれらを上回る存在、アドバンスドタイプ。

 確かにシィナの言うように、一般的な人間との違いとは何なのだろうかと思う事はある。しかしそれは考えてもキリがない話だ。

「そういう話はしない方が良いと思う。なんか、マッド・サイエンティストとかがそういうのに関心持って人間を使った怖い実験をしたりする事に繋がると思うから……」

と、言いながらレイは顔を洗った。鏡に映る自らの顔はやはり少女に見える。しかし身体は少しではあるが、男性の身体になりつつあるのだ。

 そして、彼は自ら発した言葉に対して少しばかり寒気を覚えている。複雑な表情はそれを物語っているのだ。

「旧世紀のある国では囚人に対して医学的な人体実験を行って、それが医学の発達とか人体の神秘の解明に繋がったって医療倫理の授業で習った事があったな。結構怖い内容だったけれど。」

シィナの言葉に対し、レイは言う。

「人の尊厳を踏み躙るような人体実験は実験なんて言わないよ。それで明らかになった事もあるだろうけど、それを認めたら人間を否定する事になっちゃう……!そんなの、嫌だ……!」

彼が何故、寒気を覚えているのか。

 

 

 

***

 

 

 

 それは、彼は過去にアドバンスドタイプを自称する医学博士の男によって生じた、突然変異とも呼べるアドバンスドタイプである為である。

レイはごく普通の健常児としてこの世に生を受けた。しかし彼が新生児の時にその医学博士の男がアドバンスドタイプにのみ存在している特殊な細胞物質である、“ディヴァインセル”を移植し、その結果彼はその物質を取り込み、以降彼は潜在的にアドバンスドタイプの力を得る事となった。

最初レイはその力に気付く事は無かった。だが成り行きで人型兵器に乗り込み、それ以降生命の危機の状況に陥る事が続いていく内に、その生存本能が彼の力を次第に開放していく。

戦いはレイの潜在的に秘めた力を解放していった。それが最終的にアドバンスドタイプと呼ばれる人種に覚醒するまでには時間を要した。この事実を医学博士の男がレイに語り、彼はその存在に苦悩した。しかし先の壮大な経験はレイを成長させるに至った。

 

今は戦争のない日常。その力は使う必要のないもの。だが彼の中に紛れもなく、存在している。ディヴァインセルは非日常に於いて活性化するもの。それは今、使う事は無い。

 だが彼が経験した“事実”は変わらない。医学博士の男によってアドバンスドタイプに仕立て上げられていた事実は変わらない。レイはこの事を想起する事がある。シィナの言葉がきっかけとなり、今、レイは寒気を感じているのだ。完全に克服出来たとされるトラウマは、時間が経過したとある時に蘇る時がある。人間とは、不完全だ。だから時に何かに逃げる事もしなければ生きられないように出来ている。

「なんか、本当に色々あったみたいだね。」

いつの間にかシィナはベッドで端座位姿勢を取っている。レイの方をじいっと見つめ、彼が服を着替えるのを見ている。

「レイは実験とか研究を恐れてる人?」

「時と場合による。大切な事だって事は知ってるけど、された方は怖いって思う事もある。」

彼女の言葉に、レイは答える。

「難しいね。だから医者とかはインフォームドコンセントとか必要になるんだけど、大昔はそんなものなくても人体実験とかあったっていうしね。今でもその、空間認識能力の研究は進められてて、色々と実験をしてるみたい。」

それは事実だ。レイはあの壮大な体験の中で経験をした事があるのだ。

「だけど研究、実験って人間皆が興味、関心を抱く事だと思う。論文の査読とかみたいな難しい事じゃなくても、動画投稿とかで実験してみたとかで一定数の視聴者が見てくれたりする。研究は人間の欲の果てなんだなって思う。私はそういうの、大切だと思う。」

それはあくまでもシィナの意見。レイはそれを快く思っていない。

「……そうだね……」

と、レイは目の前にあるシャツを取ろうとする。

 

「ね、レイ。お話を変えるね」

 

シィナはレイの表情を見て、言った。それは、レイが半袖のシャツを羽織ったタイミングであった。

「……何?」

「せっかく付き合ってるから、デートしようよ。外は良い天気だし。バイクに乗って遠くに行きたいな。市内の方でも良いよ。シアターとかプールとかでも良い。レイと一緒にお出かけしたい。」

銀髪の少女はどこか我儘で、自分勝手な印象がある。しかし時に見透かされるような感覚に陥る時もある。彼女が一体何者なのかは分からない中で彼等は交際に至った。

 それは性交渉が功を成したと呼ぶべきか。肉体関係を結ぶ事はやはり距離を近付ける効果があるのだろうか。付き合い、進んでいく段階は変わってしまったように感じるが彼等は交際している立場。故に、レイは彼女の言葉に耳を傾けるのだ。

 レイ自身も彼女の事を意識している他ならない。そして、シィナはレイの連絡先を自身のもの以外全て消去している。今のレイが多くの事を話せるのはシィナ以外にないのだ。ある意味、これは彼女の作戦とも呼ぶべきか。

 しかしシィナは何故これ程にレイの事に関心を抱いているのかは未だに不明である。その真意が不明な中で、レイは彼女と交際に至っているのだ。

「……うん、良いよ。」

レイは固い表情のまま頷いた。

「ホント?嬉しいな!レイとデート出来るなんて幸せだよ!」

レイの承諾を得た時、シィナはまるで無邪気な子供の如く喜ぶ。そして、まだ下半身が下着姿のレイに抱擁を行うのだ。

「ちょっと!まだ着替え中!」

「関係ない!大好き!もっとキスしたい……良いよね?」

嫌とは言えない。しかし何故彼女はレイにこれ程に夢中なのかが分からない。それ故に楽レイはどう対応すれば良いか分からないでいるのだ。

 それはまるでレイを独占しているかのよう。連絡先を消したのは彼女のみを見て欲しいという独占欲故なのかも知れない。

 再び昨夜の彼女の行為が思い出された時、レイは口を開いた。

「ねぇ、シィナ。」

頬を口唇で触れようとする彼女は寸前で止まる。

「連絡先の話だけど、例えば家族から連絡があったりすれば、その番号が表示されるから、相手が分かればまた登録すれば良いと思うんだ。だから、完全に消したって訳じゃないんだよね。」

Eフォンには相手からの着信があれば番号のみが表記される。だが、登録していなければそれは誰かは分からない。だから、電話に出るしかない。

 つまり、ある程度やり取りをしているリルムや家族とならば最低でも連絡先を取り戻せるという事になる。無論、それ以外の人達とは向こうから連絡が来ない限りは不可能になる訳だが。

「僕はシィナとは付き合っているけど、それ以外の人間関係に介入はしては行けないと思う。形成した人間関係をシィナが壊す事はしないで欲しい。だから連絡が来たらまた登録する。それ以上は触れさせないからね。」

「うん、“家族さん”なら大丈夫だよ。あれは私もやりすぎたかなぁって思ったから」

反省しているようには見えない、彼女の澄ました顔は何を意味するのだろう。それは綺麗ではあるが、意図が見えないのだ。

「それよりデート!デートしようよ!レイのバイクに乗って!楽しみだな!アハハ!」

彼女は気分を変えるかの如く、レイとのデートを進めようとする。彼としては連絡先の件が気になるが、今はシィナの言う事を聞こうと考えていたのである。



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第八話 カップルの危機 その2

夏場の市街地は皆が暑さを少しでも避ける為に露出の多い格好をする者が多い。街には様々な人間が歩いている。友人同士、家族連れ、カップル、同性カップル等。

 あの戦争があったとは思えない程の復興は見る人によっては驚愕する程だ。レイもその内の1人。過去にこの地であった大規模な戦闘に参加し、勝利に貢献したのは紛れもなく、レイの力が大きいのだ。

 今、レイは隣にシィナという恋人を連れて歩いている。背丈もレイよりもやや高く、スレンダーな印象を持つシィナと、女顔の少年、レイ。一見すれば不釣り合いな印象を持つ彼等だが、シィナからのアプローチが彼等を恋人同士にした。

 人間の縁とは不思議なもので、ほんの数日前までは全くの赤の他人だった人間でも何らかの形で交際に至る事もあり得る話なのだ。シィナとは同じ学校の一つ歳上のクラスメイトというだけの存在だった筈なのに、レイの新たな恋人となっている。それが不思議でならない。

「服見たい!レイの為に服見るの!」

今のシィナは年相応の少女に見える。余りこうしたデートの経験がないレイは、彼女にただ翻弄されるばかり。

 

「どうかしら?」

と、シィナがレイに見せるのは青地のドレス。胸元が開けており、側腹部が大きく露出している。脚元の形は美麗と呼べ、町を通る男性陣を魅了している。

 ある意味誰もが羨むルックスをしているシィナを恋人にしているのはどこか、自慢出来るような感覚に陥る。とは言え彼女の事はまだまだ分かっていない事も多いが。

「似合ってる……と思う。」

実際、彼女は綺麗だ。しかし、レイはどう褒めたら良いか分からない。

「反応が薄いよ!もっと褒めて欲しいな」

頬を膨らませ、シィナは迫る。しかしレイは困惑した様子でふと、自らの姿を鏡で見るのだ。

「あのね……デートって言うのなら、僕にこんな格好をさせないでよ!!」

何故、レイの表情が固く、シィナへの反応が薄いのか。その答えは、彼がシィナによって白いワンピース姿で歩かされている為だ。余りに似合いすぎているその姿を見てシィナは笑っているのだ。

 以前クリスマスパーティの際にレイに着せた衣装を、彼女は異様に気に入っている。思い描くデートとはかけ離れた状況に、彼は困惑していたのである。

「だって、そっちの方が可愛いもの。レイの事は大好きだけど、ちょっと変わった形のカップル像を見せつけてみるのもありかなーって思って。」

「シィナの趣味に付き合う気はないよ!」

「と言いながらも着替えてくれるんだからレイは本当に可愛いな。フフッ……」

一見すれば仲の良い少女同士が戯れているようにしか見えない光景。だが実際は男女のカップルである。この、妙な構図を作り出しているのは紛れもなくシィナの思惑だ。

「ただのカップルじゃつまらないもの。側から見たら友達同士か、或いはレズカップル。ケド実際はきちんと性器が付いている異性のカップル。フフッ……着替え、一緒に手伝ってくれる?レイは見た目は女の子だから大丈夫だよ」

挑発しているように見えるシィナに翻弄される、レイ。

「やめてよ!こんな公衆の場で!」

「クローゼットの中はプライベートルームだよ。側から見たら同性同士が衣装の確認をしているに過ぎないもの」

人の外見というのは重要だ。それだけで印象が決まる事が多い。よく人の印象の9割が見た目で決まると言われているが、まさに今の状況がそれに該当しているのかも知れない。

 レイの容姿はそれ程に少女に見える。店員も怪しむ様子を見せず、違和感なく対応している。胸の無さは発達の過程と見做されるので誰も注目しない。一方のシィナはスタイルの良さが際立つ為、男性陣の注目の的となってはいるが。

 

「なぁ、あの2人滅茶苦茶可愛くね?」

「銀髪の方はスレンダー過ぎるけど、俺はどっちかと言えば銀髪の方が好みかな。」

「お前はあれか?貧乳好きか?」

「別にどっちでもいいだろ!」

 

ペアの男性がレイとシィナを見て噂をしている。互いに麗しい容姿の持ち主であり、やはり少女に見えるのだろう。実際は異性同士である事など誰も気付かないのだ。

 

 2人のデートは続く。だが、実際にイニチアティブを握っているのは彼女の方だ。白いワンピース姿のレイはシィナに翻弄されるばかり。彼女の爛漫で読めない性格は何なのだろうとさえ思う。

それは、レイの過去を認めた上で行動しているようにも見える。戦争を生き延びた経験をしているレイ。シィナは彼の事を認めた上で付き合っているのだ。

 あるショッピングモールを、2人は歩く。女性物の下着を見に行ったり、カフェでの時間を堪能したりと、ごく普通の日常を送る。レイにとっては女装しながらという、特殊な例になるのだが。

「じゃあ、次はシアターでも行こうか?話題作、見たいし」

「う、うん」

行き先などもシィナが決めている。ある意味プランを考えなくて良いというのは楽ではあるが、彼女のペースに飲まれている感覚に、完全に陥っている。

 よくデート等では男性が女性をリードする為にプランを立てたり気を遣うという事があるが、今回はシィナが全て行きたい場所へ行っている。全てはレイに好意を抱いているが故の行動。

 モテているという感触というのはこういう感覚なのかと思う、レイ。自分がかつて好きだった幼馴染のリルムは“その先”の関係にはなれなかった。それは、幼馴染という関係が長過ぎた事が大きく影響していた。互いを知り過ぎたが故に肉体関係に至れなかった。

 シィナとは知り合って間もない。だが交際に至っている。何故なのかは分からない。そして、彼女が自分にとっての将来のパートナーとかになり得たりするのかなど、思う事は何度かあるが今は深く考えないようにしている。

 それからシアター内の券売機に並び、2人がチケットを購入しようとした時――

 

 

「動くな!!!」

 

 

突然怒号が響いた。



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第八話 カップルの危機 その3

何があったのだろうと振り返る2人。そこには、機関銃を持った屈強な男が5人、居た。穏やかな日常が覆った瞬間だったのだ。

 男達は皆が迷彩柄の軍服を着ている。その風貌はまるで大昔のゲリラの軍人のよう。

 サバイバルゲーム好きなコスプレイヤーならばこの場にいる誰もがごく普通の日常の一部として処理される事なのだろうが、明らかに異常なのは男が大声で、この場にいた誰もに対して怒号を発したという事だ。その上で機関銃を持っている。大抵の人間はそれらに対して警戒をするのは至極当然と言えるだろう。しかし――

 

「びっくりしたー、映画の撮影?」

「演技力すごー」

「けどそんな予定ってあったっけ?」

 

一部の人間が、普段通りの会話をしている。無理もない。何故ならば今までごく普通に流れていたショッピングモールでの時間が突然変わるのだ。皆がそれを受け入れられる筈がないのだ。

 その中で、1人の中年女性が男に対して言葉を発した。突然の出来事に対する怒りの声だ。

「あのね!ちゃんと許可取ってんの!?でかい声出さないでよ!びっくりするわホントに!」

普通、イベントというのは施設内のポスターや電光掲示板で告知しておくものだ。だが今回はそれすらなく、突然の迷彩柄の服を着た男達の登場。

 一見すれば来場者を驚かせるイベントにしては少しばかり悪質な印象を持つこの件だが、今回は様子が違った。

 

「……ぁ……」

 

中年女性は、機関銃によって腹部を撃ち抜かれていた。空気を弾丸が弾ける音が響く。それに合わせて倒れる女性。腹部は血液の色で染まっていた。大量出血によるショック死だった。

 この光景を見た人々は驚嘆する。この場にいた誰もが衝撃を隠せない様子でいる。逃げ惑おうとする者、警察を呼ぼうとする者もいる。しかし――

 

「動いたらこいつみたいになる!死にたくなければ動くな!!」

女性を撃ち殺した男が再び周囲の人間に対して怒号を浴びせた。この言葉で、周囲にいた人間達は黙ってしまうのだった。

 日常に於ける非日常。それが今、レイ達の目の前で繰り広げられている状況。平和なショッピングモールの一場面が突如出現した謎の男達によって大きく変化する事となってしまったのである。

 血とは無縁の環境で血が流れれば、それは明らかに異質なものである。ここは民間人の憩いの場。なのに銃声が響くと言う事自体が本来あり得ない事だ。彼等は一体何者なのか。何故このような惨劇を起こそうとするのだろうか。

「よし、お前達はお利口だな……」

1人の男が動く。金地の短髪の、屈強な褐色肌の男。機関銃を持ちながら1人の男がこの場に対し、言葉を放つのだ。

 

「お前達はここに居合わせてしまった哀れな羊だ。だが言い方を変えれば選ばれし人間という事にもなる」

 

 場は静まり返る。異様な緊張感。穏やかな時間の流れはどこへ行ったのか。シアター前は緊迫した空気と化した。

この状況から考えられるのは、彼等はテロリストであるという事は明確だろうと言う事だ。

 平和になった筈の世界。だが何故この場にテロリストが出現するのだろうか。余りに突然の出来事に、この場にいた誰もが戦慄している。彼等の目的も、何もかもが分からない中で、シアター前にいた十数名が事実上の人質状態となった。

 シアターから逃げようにも、逃げるにはエレベーターしか移動手段がない。非常階段は封鎖されている。シアター内には観客がいるが、今の惨状に気付いていない状態。職員は3名。彼等は中に状況を上手く伝えられないかと模索している最中だ。迂闊な事をすれば撃たれる為、下手に動けない。

 そもそもテロリストの目的が不明だ。このシアターには政府要人のような人間はいない。この場にいるのは紛れもない、一般人のみ。なのに、テロリストが彼等を狙う理由がない筈だ。

 そこで考えられるのは無差別テロである。民間人を巻き込み、犠牲者を増やす事を目的とするのならば話は変わってくる。彼等は偶然居合わせた被害者となる為だ。

 

「この腐った世界を変える為にも、哀悼の意を込めてお前達には犠牲になって貰う。選ばれし生贄としてな。」

 

何を言っている?生贄?何を捧げると言うのか。何の組織かも分からない中で、明らかに異常な発言をするその男。

 何の事情かは知らないが民間人を巻き込んでいる時点で論外だ。このようなテロ行為が許されて良い筈がないのだ。

(まさか、こんな状況に追い込まれるなんて思いもしなかった……こんなのって……!)

レイ達も当然巻き込まれている被害者だ。しかし、何故彼はこの状況でパニックにならずに冷静でいられるのだろう。

 それは、あの戦争を経験している事が関係しているのかも知れない。

そして、隣にいるシィナも何故か表情に怖さを感じない。側にいるレイは彼女の表情を見てどこか違和感を覚えていた。何故彼女は目の前で血飛沫が人から飛び散っている光景を見て、表情を変えないでいられるのか?もしかすれば、彼女もそうした現場を見た事があるのか……と、思った時――

 

「嫌……嫌だよ……怖いよ……!」

 

シィナの表情が突如変わった。身体が震えているのも見えた。この状況に対して怖さを感じているのだろう。恐らく突然の出来事に恐怖の感情が遅れてきたのではないかと思われる。

 言い方は悪いが、それが本来の正しい姿と思われる。十七歳の、こうした経験がない少女が突然のテロリストの襲撃に驚愕するのは至極当然だ。

 幸いテロリストの視線から彼女の顔は見えていない。隣にいたレイはシィナを庇うように腕を覆い、伏せさせる。予期せぬ異常な状況に、レイは身を守るように促すのだ。

 思えば似た状況を経験した事がある。その時も側にいた少女をレイが庇った事があった。迫る悪意から身を守った事があった。今はその時を思い出し、目の前にいるシィナを守ろうとレイは動く。この状況に恐怖している少女を守らなければと、レイの中の正義感が動く。

 今は自らの格好を恥ずかしがっている場合ではない。テロリストが迫っている状況だ。いつ、自分が撃たれるかも分からない。外見こそ少女そのものではあるが、今のレイはこの状況を冷静に分析している。とにかく、目立たないように。その上でどうにか突破口を開かなくては行けないと考えているのだ。

「大丈夫……静かにして、様子を見て……」

レイがシィナに、静かに言った。テロリストに聞かれないように。とにかく、目立たないように。

 シィナはこれを聴き、コクリと頷く。レイの意図を把握したかのように。

 

 テロリストの男達は機関銃を構え、シアター入口周辺を歩いている。すぐにここにいる人々を銃殺する気は無さそうではあるが、どう動くのかは検討もつかない。彼等の目的も不明な状況で、迂闊に動くのは危険以外の何者でもない。

 訪れた危機をどう乗り越えるべきかと、レイは考える。突然訪れた非日常は確かに今までレイに試練を与え、その都度乗り越えてきた。

 しかし長らく平和に過ごしてきたレイにとってこれは余りに不利だ。戦争をしていた時の感覚など、忘れてしまって当然である。レイは生身での戦闘能力は持たない。彼が力を発揮していたのは人型兵器に乗っている時のみだ。それ以外では彼はひ弱である。

 今、仮に生身で飛び出し、テロリストから機関銃を奪って反撃する事が出来ればなんと格好が良い事だろう。しかし現実はそうはいかない。俊敏な動きをイメージしても、機関銃で撃ち殺されるのが目に見えている。レイはどうする事も出来ないのかと、少しばかり絶望する。

 そもそもこの平和になった筈の世の中で何故こうしたテロリストがショッピングモールを襲撃するような事をするのか?予期せぬ事が起きた時、人はイメージしていたり知識で得ていたとしても実際に行動する事は難しい。しなければならないと分かっていても、止まってしまう。この状況を打開出来るのは余程の非常時の訓練を受けている人間ぐらいか。平穏な日常を過ごしている人間にはこの状況を覆す方法は、ない――

 

「死にたくないぃぃぃ!嫌あああ!」

 

だが、恐怖に震えていたシィナが思わず声を上げてしまったのだ。余りに最悪のタイミング。彼女の甲高い声は当然ながらテロリストの耳に入るのは当たり前であり、機関銃の重い鉄の音と同時に足音を立てて迫ってくるのが耳に聞こえるのだ。

「叫ぶんじゃねえ!」

怒号が再び鳴る。周囲の民間人は恐怖するだけで何も出来ない。厄介な事に、テロリストはこの2人を完全に標的に捉えたのだ。

「へぇ、女2人か。随分粒揃いだが……不運だな。まあ、2人仲良く死ねるのなら本望だろう。」

金短髪の男が機関銃を構え、言う。シィナが震えている状況に対し、レイは男の眼を見る。その姿は少女が威嚇しているようにしか見えないのだ。

「気に入らない眼だな。お前の眼。何でか知らないが全然怯えているように見えない。何故そんな眼をしている?」

自分でも分からない。危機的状況の筈なのにレイはテロリストを恐れていない。不思議な感覚だ。撃たれて殺されるかも知れないのに、何故彼は冷静なのか。

 それは、非日常の中で覚醒したとある力が関係しているから。彼は特別な訓練は受けていない一般市民だった。しかし彼が経験したあの壮大な体験は自らの中に刻まれている。

 今は日常を過ごしていてそれを使う事がなかったが、状況が一変し、変わったのならば話は変わる。今は隣にいるシィナを守り、自らも生きなければならない。

「ま、どうでも良いか。死ぬんだからな。」

屈強な男が、機関銃を肩に乗せ、言う。



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第八話 カップルの危機 その4

「僕から離れて……」

その時、レイはシィナに対して静かに呟いた。男に聞こえないように、本当に僅かに……だ。

「え……でも……!」

「良いから……!」

僅かな会話。それを聴き、シィナはレイから離れる素振りを見せる――

 

「何をやっている!?」

 

動きは男達にすぐに分かってしまった。この瞬間に、1人の男が機関銃で威嚇射撃する。シアター入り口前のカーペット等に穴が空いてしまった。

 しかし、それでもレイは動じる様子を見せない。シィナを守らなければならないと言う使命感もあるが、何よりも彼は自らの事を再確認する必要があった。

 生きる為の本能。レイは自らの“力”を使わなければならないと考えたのだ。もう、使われる筈のない力。だが突然訪れた非日常はレイの中にある生存本能を解放させる絶好の機会と言えた。

「お前から死んでもらおうか、金髪のお嬢ちゃん。」

ゴクリと唾を飲む。やがて銃口がレイに向けられる。男は少女のように見えるレイ相手でも容赦しない。そもそもの目的が分からない、無差別テロ。これに果敢に立ち向かうレイ。

 全てはあの時の経験があるから。もし何も出来ない人間ならば震えていただろう。だがあの経験はレイを強くした。それは、目の前で銃口を向けられている状況でも大きな恐怖を感じない程に。

「小便臭いメスガキだが、そのツラは本物だな。美女になる素質はある。正直殺すには惜しい。側に居る銀髪のガキも同じくだ。」

そのまま接近する、男。この状況を作り出しておいて容姿に惹かれたと言うのか。民間人を殺している残酷なテロリストが人間の容姿を褒め称えているようではたかが知れていると言うものだ。

「……殺す気ですか……?」

レイは口を開いた。緊迫した空気の中で喋るのは危険だ。それは分かっている。

 しかしレイの中に秘められた力を使うには、彼に標的が向けられる方が良いのだ。

「最終的にはな。ケド俺はツラの良い女が悶絶するところを見るのが楽しくってなァ。特に、お前みたいな気に入らない眼をしている女はよォ」

「え――」

 

レイの眼が開かれる。と、同時に彼は腹部を殴られた。致命傷とは行かないものの、屈強な男が繰り出す拳の威力は普通の成人男性が出す拳の威力と比にならない。

「う……ぁう……!」

悶えるレイ。その場で彼は姿勢を崩した。

「そうそう、こう言うのが良いんだよこう言うのがよォ」

悪趣味な男だ。すぐにでも銃殺をしようと思えば出来る場面でそのような事をしない。このような男が民間人相手にテロ行為をしているという事自体が滑稽ではあるが、誰もそれを止める者は居ない。勇敢に立ち向かえば自分が殺される事は明白であるからだ。

 だから一見少女のように見える少年が男に殴られている姿を見ても誰も助けない。ただ、嵐が過ぎるのを神に祈るしか出来ない。それは別に非情という訳ではない。人間ならば至極当然だ。自分の命が大切なのは当然。表向きでは可哀想と言っても、誰もそれを止めない。止められないのだ……

「誰も助けてくれないねぇ!お嬢ちゃんッ!」

膝を付くレイに、更に男が蹴りを入れる。

「ああっ!」

レイの甲高い声が響く。蹴られ、痛みに悶えている。

「良い声で鳴くじゃねえの!だけど止めないぃ!」

レイは別に、男達の誰からの恨みを買った訳ではない。この男達に暴力を振るわれる覚えは一切ない。だが男は明らかに楽しんでいる。美少女に見えるレイを蹴る事を。それが男の愉悦なのか。

 理不尽な状況ではあるが、レイは反撃も出来ない。自分の腕力では叶わないと知っているからだ。そして、対抗出来る武器も持っていない。

この惨い光景を見せつけられ、シィナは何も出来ない自らの状況に絶望している。自分の恋人となった筈の少年は男に殴られ、ただ、それを見るしか出来ない状況かと、思われたが――

 

「その子はもう、放してあげて……!」

 

シィナが言葉を発した。先程まで死の恐怖に怯えていた筈の少女が動き出したのだ。

「シィナ……?」

どう言う風の吹き回しなのか。何故シィナは急に動き出せたのか。疑問には残るが、彼女の行動を、今は見守るしか出来ない。

「銀髪のお嬢ちゃん、悪くはねぇな?お友達を守るってのか。」

「……ええ。」

シィナが静かに頷いた。彼女の中で、心境の変化が起きたと言うのか。

 それでも危険すぎる。男達は何をするか分からない。最終的にはここに居る人間を抹殺しようと考えているテロリストだ。なのに、何故シィナは動くのか。先程感じていた恐怖はどこへ行ったと言うのか?

「じゃあ、こっちに来い」

彼女の行動を面白く感じた男が笑みを浮かべ、手指を屈曲させてシィナを呼ぶ。すると彼女は立ち上がり、男の側に寄る。それは、レイの側に近付いた事を意味した。

「随分と物分かりが良いじゃねえか。表情は変わっても、身体が震えているのは丸分かりだぜ、お嬢ちゃん?」

シィナは恐らく、勇気を出して動いたのだろう。レイが危機的状況に陥っている。その事を、感じて。

 しかしシィナをこれ以上巻き込みたくないとレイは感じている。レイは戦争の経験もあり、こうした非日常の状況の経験はある。故に大きく恐怖を感じていない。しかし彼女は何の経験もない十七歳の少女だ。怖くない筈がない。

「じゃあ……」

すると、男はシィナの唇に向け、突如接吻を交わし始めたのだ。大衆がいる前での突然の行為。テロリストの行為にしては余りに下劣。自分の物にしようとしているつもりなのかは分からないが、この場でするには余りに不適切極まりないと言える。

「んう……ン……」

レイはもう、見ていられなかった。明らかに嫌がっているのが分かる。それを止めたいという気持ちが一杯だ。シィナは醜い男によって唇を奪われている。テロリストの行動が理解出来ない。どういう目的でそれをしていると言うのか。

「ハハ、自分から舌を使ってきやがった。とんだ売女だな!えぇ?金髪のお嬢ちゃん、お前の友達は淫乱売女だぜぇ!?」

最早状況が滅茶苦茶である。突然のテロリスト襲撃に、レイは暴力を振るわれ、その上でシィナは接吻を交わされる。理解出来ない状況の中、レイは恋人となったばかりの彼女を助け出す事が出来ていない。

 彼は殴られた痛みを感じている。しかし一方で、テロリストの男と恋人が接吻した行為に対し、心の奥底ではどこか憤りを感じているのを実感した。彼はシィナの事を深くは知らないが、一夜を共にし、自分に好意を抱いているといった少女が違う男と接吻を交わしているという、極めて稀な状況。それに対する怒り。

 そもそもこの怒りの根源は、何か。テロリストが襲ってきた事に対する怒りか。それとも恋人が目の前で男と接吻を交わしているという怒り……つまりは奥底の嫉妬か。分からない。シンプルな種類の怒りではないのは確かだ。

 レイは今、胸の奥がグッと押し付けられるような感覚に陥っている。この感情の正体は分からないが、今、彼は動かなければならないという使命感に駆られている。シィナを助け出すという事と、テロリストに対する怒り。それが同時に込み上げて来たのだ。

 そう思った時、レイは立ち上がる。それを見た男は、レイに銃口を向けるのだ。

「なんだ?歯向かう気か?」

男はシィナの肩を持ち、レイに対して銃を向ける。だが、レイはその眼を男に向け続けるのだ。

「楽しもうと思ったがもう、やめだ。死ね」

男は明らかに気分を変えている。シィナとの接吻の悦楽は消え、ターゲットをレイに変えて銃口を彼の眉間に向け始めた。

 だがそれでも彼の眼はテロリストを見る。まるで動じているように見えない様子だ。それを気に入らないと感じていた男がどこか苛立ちを覚えている様子で、一度舌打ちを打つ。

そして引き金が、引かれる。機関銃の弾が発射されていく――

 

 

 

――――――――――――――――――ドクン―――――――――――――――――――

 

 

 

 眉間に銃口が向けられ、引き金が引かれるという事。それは死を意識するという事だ。死を意識した瞬間、レイは碧色の光を放ち始めた。その光は、周囲にいる人間を包む光。この光が放たれた時、周囲の人間達は次第に意識を失い始めていく。

 特に、テロリストに対しては効果があった。戦意、殺意を持っている彼等はこの光を浴びた時、たちまちその闘争本能が消失していく。

「なん……だこれ……!?」

「ぐ……おおお……!」

この光は強力な輝きを放ち、テロリストどころか民間人をも巻き込んだ。それを受けた人々は次第に気を失っていく。

自らを守る為の碧色の光。名は、イズゥムルートと言った。ユーラシア大陸北部の研究者、アリヴィアン・トゥーロフという人物が初めて名付けたもの。アドバンスドタイプ内に備わっているミトコンドリア内に存在しているディヴァインセルが、本体の死を意識した瞬間に発動する光。

レイはこの光を、あの戦い以来久し振りに発動させた。もう使わないであろうアドバンスドタイプの力を、よもやこの非常時に使わざるを得なかったのだ。

この光に寄り、テロリストは皆が倒れた。しかしその反面、シアター入り口前にいた全員が意識を失うという結果になったのだ。アドバンスドタイプ以外の人間は光を受ければ意識を失う。この絶望的な状況を覆す唯一の手段が、レイの中に備わっているディヴァインセルを活性化させる事しかなかったのである。

 

「……はぁ……」

光が収まった時、レイは疲労感を訴える事なくその場に立っていた。この力が発動した時、最初は強烈な疲労感がレイを包んだ。しかし身体が馴染んでくるに連れ、これに翻弄される事はなくなったのだ。

 今回は久し振りに発動したが、それでも彼は何の影響もなく過ごせている。これが、レイに備わっている特殊な力。彼が望んでいなかった力は、彼を助ける事となった。

「そうだ……シィナは!?」

彼は肝心な事を思い出した。シィナ・ソンブル。彼女も巻き込んでしまっているではないか。盲点だった。恐らくシィナがテロリストと接吻を交わしている光景を見せつけられ、奥底にある奇妙な感情が暴走した結果なのかも知れない。恐らく彼女は倒れている筈だ。そう思い、急いでレイはシィナを起こそうとする――

 

「やっぱり、私の予想は正しかったね」

 

シィナの声が、聞こえた――



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第九話 シィナのナゾ その1

「え――」

レイが後ろを振り返ると、そこにはシィナの姿があった。

「クス……何を、驚いているの?」

彼女の姿を見てレイは驚愕する。いや、驚愕せざるを得ない。当然だ。

 何故ならば、先のレイが放った光によって気を失っている筈の彼女が全く動じる様子を見せずに立っているのだから。

「そんな、どういう事……?」

あの光を受ける人間は、戦意を喪失し、皆が気を失う。“アドバンスドタイプ”を除いては。

 レイが放った光は、強力なものだった。シアター入り口のフロアに居た人間達を全て包む程の光。だが、何故シィナは立っているのだろう。それも、まるで何事もなかったかのように平然とした様子で。

「奇麗な光だったね、レイ。」

シィナは全く動じる様子を見せていない。寧ろ動じているのはレイの方だ。

「待って!意味が……意味が分からない!シィナ!君は一体……」

「フフ、そんな可愛い恰好で言っても全然説得力が無いよ」

「そう言う問題じゃないよ!意味が分からない!」

「さっきから、何を言ってるの?」

何を言えば良いか分からない。正確には、言うべきなのかという所だ。

 無理もない。彼が隠している最大の“秘密”。それが今、発揮されたのだから。そして、彼女はまるでその“秘密”を理解しているかのような表情をしている。これは、一体……?

「だって……その――」

「“光”のコトだよね」

シィナが遮るように言った。

「なんで……それを知ってるの……?」

知る筈がないと、思っていた。アドバンスドタイプの事など誰にも話してはいけないと思っていた。

 話す事でそれに関心を抱く者が現れた時、周りの人間に被害が及ぶ可能性も考えられた。それはジャンヌ・アステルがレイに対して戦争後に言った事。だが彼はこの非常時に力を発揮してしまった。

 それで彼女が気を失っていれば、何かしら言い訳は出来ただろう。“幻覚”“夢”。そうした言葉で誤魔化せたかもしれない。

 だがシィナは知っている。間違いなく知っている。今、レイに対して見せている全ての反応が何よりの証拠。彼女は分かっている。分かった上で、レイと話している。

「そりゃ、知ってるよ」

シィナが示指を口元に持って行く。その艶やかな動作は見る者を虜にするが、今はそれどころではないのだ。

 

「だって、私もレイと同じだから」

 

シィナの口から出た言葉は彼を更に翻弄する。“同じ”。この事が意味するのは、ただ一つ。

「同じって……まさか……?」

レイの眼が震えている。

「うん。“アドバンスドタイプ”と言う事だよ」

出来れば聞きたくなかった。そのような真実があってなるものかと、彼は思った。

 シィナ・ソンブル。彼女の事が良く分からない中でレイは彼女と交際に至った。そして交際に至った翌日のデートの中で、彼はその真実に気付くのだ。

「ごめん……理解が出来ない……シィナが何を言っているのか、全然……」

 

「ウソツキ」

 

シィナがレイに近付く。朱色の眼はレイを捉える。

「そんな訳ない。理解しているに決まってる。」

「なんで!?どうしてシィナがその言葉を知ってるの!?」

「逆に聞くよ。“どうして分からないと勝手に解釈していた”の?」

質問を質問で返され、レイは困惑する。彼女がアドバンスドタイプという事が分かった。だがまるでレイの事を知っていたかのような反応を見せる。

「レイは多分答えないと思うから、私が言うね」

シィナが先に口を開いた。

「私、ずっとレイから魅力を感じるって言ってたでしょ」

「……うん」

静かに、レイは頷く。

「そう。その魅力は確かに見えないもの。勘のようなもの。だけど強烈に焼き付く、力。多分この人達のような人間には感知すら出来ない力。だってこの人達は力を持っていない人種。俗にいうオールドタイプという存在。」

銀髪をそっと掻き揚げ、レイの眼を更にじいっと見る。

「だけどレイ。キミは私のような人間からは途方もない、巨大な“感覚”を持っていた。こんな、女の子のような男の子がどうしてこんなに巨大な感覚を持っているのか、理解が出来なかった。だからこそ、興味が湧いた。」

抽象的な表現。しかしそう言わざるを得ない。眼に見えず、尚且つデータで表現出来ないものなのだ。無理もない。

「そしてキミに接触した。綺麗な顔を持っていて、その仕草の一つ一つがどこか可愛い男の子だなって印象はあった。だけど、これ程巨大な力を持っている理由が分からなかった。だからもっと知りたいと思った。仲良くなって、真相を知りたいなって思った。」

語られる事実に、レイはただ、驚愕するばかり。

「そして接していく内に、私の中で1つの仮説を立てることが出来た。それはレイが昨日言ってくれたコトが関係しているんだよ。」

言った事というのは、何か。

「それって……?」

「そう、キミがかつての戦争を生き延びたという事だよ」

どういう事か。何故アドバンスドタイプである事と壮大なあの体験が合致すると言うのか。

「レイはずっと戦争を経験した事を隠してきた。だけど私がレイと接触する事でそれを言ってくれた。そして今、レイは光を放った。それも、非常に強力な光。これ程の光はね、私じゃ発揮出来ない。だって、レイのような経験がないから。卵の殻のような、満たされない人間だから。」

「経験が、光を強くしたって事……?どう言う事なの、分からない……分からないよ……」

シィナの言っている事が分からない。理解出来ない中で更にシィナは語り続ける。

「私はね、生まれてからずっとアドバンスドタイプとして育ってきた。その事を知ったのは数年前。だけど私はレイのように戦争を生き延びたとか、そんな経験なんて全くなかった。何も知らないで育ってきたから。」

今まで語られなかったシィナの過去が、少しずつ明らかになっていく。

「だけど私はある時に死に近い経験をした事がある。その時かな、自分が光ったのは。だけど、私はそれを知って寧ろわくわくした。多分、少し違う人間なんだと思った。」

これは感性の違いなのだろうか。自らが光るという奇妙な体験をして、何故彼女は喜ぶのだろうか。

「そこから色々と調べたりした。論文を読んだり、あらゆる情報を調べた。医者に言っても全く信じて貰えなかったから。その中である情報を得たの。それが、光る仕組みとかアドバンスドタイプの遺伝の秘密とか。」

「それで、アドバンスドタイプの事を知ったと言う事……?」

「そう。そこで自分の体の中にディヴァインセルという物質が存在しているという事を知ったの。だけど、それを知ったからと言って全く満たされなかった。自分と同じ人間がいなかったし、それがどういった存在なのかも分からなかったから。ただ、その事を知っていただけ。」

そして、シィナは笑みを浮かべ始めた。

「だけどね、私はこれ程強力なアドバンスドタイプに出会えた。それがレイ。レイは特別な経験をしているアドバンスドタイプ。そこで私は思った。やはり経験がその力を増幅すると言う事に。これは運命だと思ったよ。力を持つ存在って不思議だね。こうして偶然にも居合わせる事があるんだね。今や、その人間同士のカップルが誕生しているなんて凄く素敵な事だと思うよ!」

“力を持つ存在は惹かれ合う”。レイはかつてこの言葉を聞いた事があった。

 それは共に旅して来た戦艦の艦長である、エリィ・レイスの台詞だった。彼女はシンギュラルタイプという、力を持つ存在。アドバンスドタイプと比べ、戦場で多く見られる事のあった存在とされる。

「レイはその戦争を生き延びた人間だから、こうして凄い力を宿した状態で私の前に現れたという訳だね。それが、私がレイを好きになった一つの理由でもある。そして、テロリストの襲撃が改めてレイがアドバンスドタイプという事を知らしめてくれる良いきっかけとなった訳。」

それはまるで、先程までテロリストの事を恐れていた少女の反応とは思えない。寧ろその存在を有難がっているかのように見える。レイには、これが違和感に思えて仕方がなかった。彼女は一体、何を言っているのか。

「僕も、シィナに聞きたい事がある。」

「何?」

挑発するように、彼女はレイに視線を送る。

「さっきの言い方を聞くと、テロリストが襲って来たのをまるで待っていたかのような口ぶりだよ。それって、どう言う事――」

確かにそうだ。先の襲撃で恐怖していた筈のシィナ。だが今ではその事に感謝をしているようにも見える。その、彼女の本心が全く分からない。どういう事なのだろうか。

 レイがその事について尋ねようとした時――

 

「状況の確認に当たれ!」

エレベーターの方から声が聞こえた。軍服を纏っている兵士らしき姿が6名。いずれもが銃を構えている。ちらと見えるバッジを見ると、そこには特徴的な鳩のマークが記載されている。

 それは、新平和国連盟の直属の軍である平和維持隊の証明。テロ事件が勃発した事を受け、平和維持隊が動き出していたのだ。

「倒れている人間は十数名……内五名が銃を持っている……そして、立っているのは二人の……少女?」

一人の兵士が言った。やがて兵士はそのままレイの方に近付き、声を掛ける。

「大丈夫だったか?一体何があった?」

確認する兵士に対し、レイは言った。

「……はい」

そして、もう一人の兵士がシィナにも聞いた。

「無事でしたよ。ちょっと、大変でしたケド」

と、おどおどしている様子を見せるシィナ。そして、彼女はレイの耳元で静かに囁く。

 

「怖かったね」

 

その声色は、まるでこの状況を理解し、その上で弄んでいるような印象を受けた。例えるならば遊園地のホラー・アトラクションを体験した少女のような感想。それを、レイは感じていたのだった。

 



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第九話 シィナのナゾ その2

一連の事件はメディアで報道された。しかし、その内部の状況に関しての詳細の公開は控えられた。ただ、民間人1人が銃撃で殺害されたという事実のみが伝えられた。市民への不安を煽ってはならないと新平和国連盟が判断した為だろう。

 あの後レイとシィナは事情聴取を受けたが、特に尋問などはなく、数時間後に解放される事となった。

 逮捕されたテロリストの詳細はメディアで公表されなかった。強いて言えば、「過激派」とだけ言われたに過ぎない。だが何故このテロリストが民間人しかいないショッピングモールを襲撃したのか、それは全くもって分からない。無差別テロという事以外、分からないのだ。

 レイとシィナはあの事件があってから学校に呼び出され、注意を受けた。その上で、口外しないように言われた。下手に不安を煽る事は避けなければならないと学校側が判断した為だろう。

 今回のような無差別テロはどこで発生するか分からない。万が一それが広まり、学校がテロリストに襲われる事があっては目も当てられない事になる為だ。

レイとシィナは互いにそれに合意した。

だが、それから暫くしてシィナは学校に来なくなった。今回の件でレイはシィナに感じて疑問を持つようになった。彼女はアドバンスドタイプであると言う事。この事実は彼にとっては大きな衝撃と呼べた。

 それが発覚したからなのかは不明だが、彼女の姿を学校で見る事は無くなった。レイは彼女に連絡を取る。しかし、メッセージは返ってこない。あれ程彼に関心を抱いていた筈の少女は、全く見なくなってしまったのだ。

 彼女はどこで、何をしていると言うのだろうか。交際に発展した筈の関係であるシィナだが、何故学校に来なくなり、レイとも連絡が付かなくなったというのか。真相が分からない。それ故に憶測する事しか出来ない。

(どうして、あれからシィナと連絡が取れないんだろう……あの人の事が分からないまま、こうして時間を過ごすのも変な感じだ……)

彼女と過ごした時間はそれ程多いものではない。だが、レイの中に確実に印象に残っている人物の1人としてシィナは存在していた。

 彼女からの申し出により、性交渉を前提とした友人関係から交際相手にまで距離を縮めた筈の彼等。なのに、その肝心な彼女がいない。理由も分からないままいなくなってしまった為、レイとしては複雑な心境になるのは至極当然だ。

 しかしそれでも時間は進む。学校の講義は通常通りに行われる。1人の人間が学校に姿を見せなくなったとしてもそれは世の中には大きな影響を与えないのだ。

 彼女に関心を抱くというのは、やはりレイはシィナの事を心の何処かで気にしているのだろうか。秘密を知りたがった結果、レイから二つの秘密を知った少女、シィナ。その中でレイも彼女の秘密を知った。

 シィナはアドバンスドタイプ。つまり自分と同類という事。そういう事も、レイが彼女を気にしている理由の一つなのかも知れない。

 だが、それ以外にも謎が多過ぎるのがシィナだ。レイに関心を抱き、肉体を交えた少女、シィナ。彼女の身勝手な行動に翻弄されたりはしたが、いざ突然へ行方も連絡先も分からないとなると、困惑するのは当然の話と呼べるだろう。

 そうなってしまえば講義の内容に集中出来る筈がない。このような、中途半端な状態で連絡が取れなくなったのだ。好意を抱いている以前に何故そうなったのか、はっきりとして欲しいと思うのが人間、思うところだ。

 講義を受けたり学食を食べている中で、レイはシィナの噂を聞く事がある。学生同士の信憑性もない、噂。彼女の事に対するバイアスが含まれ過ぎている、下らないとさえ思える噂。

 

「最近あの銀髪の人来なくなったよね」

「男の家に入り浸ってるんじゃないの?ふしだらそー」

「前に声掛けたけどスルーされて嫌になった」

「貴方達とは違うんです!って感じだよねー、お高く止まってんじゃねーっての」

「噂じゃパトロンから支援受けてたりするって話だよ」

「あり得るー。夜の仕事やってそうー」

「んで、男を見下してるんでしょ?性格悪ぅ」

「あーいう人って大概そっちだよねー」

「まー、美人の特権だよねー得だよね、ちょっと媚びたらお金貰えたりご飯連れてって貰ったりとか最強じゃん」

 

もしかしたらシィナは、男性に対してふしだらな印象はあるのかも知れない。テロリストとの接吻を見てしまっているが故に、レイは一瞬だがそう思ってしまった。

 しかしそれを除いてもシィナの事で勝手な憶測で陰口を叩いているのは論外だ。彼女の事を本当に知らないのに、勝手に憶測上のシィナという偶像を作り出し、サンドバッグにしている。SNS上で自分の気に入らない人間や著名人に対して罵詈雑言を浴びせる人間と何ら変わらない。

 レイはそれに嫌気が刺した。これが平和な日常の一部なのかとさえ、思った。自分が死に物狂いで守った日常は、彼が思っている以上に奇妙な嫉妬や悪口、噂話等で渦巻いている。正直、下らない。自分と価値が合わなくなっている。その人間を知らないのに憶測で話をして勝手に膨らましている。

 レイがこの学校で仲間を作りたがらないところの一つが、こうした学生達の憶測話ばかりが流れているというところだ。本当の人を知らないのに勝手に人を悪く言っている。その光景が嫌で堪らない。そして、この状況に合わせないといけないと言うのもどこか辛い。勉強に励むべきなのに、こうした人間が目につく。嫌だとさえ、思う。

 そして彼は戦争を経験している人間であり、アドバンスドタイプという人種。本当の事を話せる人間は、この場に於いては最早シィナしかいない。いつしか、レイはシィナが自分の拠り所になりつつあったのだ。アドバンスドタイプという人種だったという事は、レイの中でどこか安心を覚えたのだろう。ある種の帰属意識というやつか。

 多くの事が想起され、ナイーブな心境になるレイ。すると――

 

「キレスじゃん」

 

同じ学年であり、部活動も同じノレッド・アルバがそこにはいた。恐らく部活動後なのだろう。塩素の特有の匂いが嗅覚に感じられる。

「1人で飯食べてんの?一緒に食おうぜ」

彼の事は別に嫌ではない。だが、深い関係にはなれない。ただ、それだけの関係だ。

「うん……良いよ。」

レイはどこか冷淡な様子で言った。

 

 ノレッドはそのまま学食を平らげる。何気ない会話が彼の口から出る。世間話や学校の事。当たり障りのない話。

「つーかあのショッピングモール、暫く立ち入り禁止だってよ。調査中とかなんとか。何があったんだろうなー。」

あの時の話題が出た。レイはノレッドに合わせるように言葉を選ぶ。

「うん……そうだね。」

と、レイは返事した。

 まさか自分がテロに巻き込まれた当事者など、言える筈がない。こういう時、誰か共通の仲間が欲しくなると言うものなのだろうか。

「あとさ、話変わるけどさ……」

ノレッドはどこか、視線を泳がせているように言った。

「最近、あの……シィナって人、見ないよな。キレス、何か知ってるか?」

「え……いや、分からないよ?」

一緒にいる所を見られている為、聞いたのだろう。そう言えば以前もノレッドはシィナの事について聞いてきた。

 恐らく彼はシィナに関心があるのだろうと、レイは思った。とはいえ、実はシィナと交際している仲と、言える筈がないが。

「そっかー。そうかー」

明らかに挙動不審な印象を持つ。ノレッドはシィナに関心……それも、好意を抱いているのではないかと、レイは察した。

「あのさ……キレス。今日講義の後時間あるか?」

「え?う、うん。」

「じゃあ、ピロティーで待ってるわ」

この学校の一部分はピロティーと呼ばれる広場があり、そこは学生達の集まりの場として存在している。何故そこにわざわざ呼び出されるのかは分からないが、シィナの存在が分からない以上はノレッドの話でも聞こうかと、レイは思っていた。

 



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第九話 シィナのナゾ その3

講義の後、レイはノレッドに呼び出されてピロティー広場に来た。この時間になると学生の数は少ない。少数、男女のグループが会話をしていたりカップルが座って雑談を交わしたりしている。その中でレイは1人、この場所に来た。

「おー、来てくれたかー」

ノレッドが来た。だが、その服装にレイは少し違和感を覚える。

「随分と小綺麗だね。」

率直な感想を述べた。レイの言うように、ノレッドの服はまるでパーティ等出来るような正装を纏っている。これから何かのパーティでもあるのかと思ったレイだったが……

「あのさ……そのさ……お前に言いたかった事があるんだよな。」

「?」

何故、ノレッドは改まった様子なのか。それが理解出来ない。

 

「俺さ、お前の事が……好きだったんだよな……!」

 

顔を赤める、ノレッド。

 

 レイの二重眼が猫の如く大きく開かれた。衝撃を受けたような感覚に陥った。

 今、何と言った?”好き”と言った?しかも、この場合の”好き”というのは明らかに好意を持っていると言う意味だ。彼は何度も瞬きをし、顔をそっと近付ける

「……え?」

確認するように、レイは言った。

「だから!好きなんだよ!ラブってやつ!だから付き合ってくれっての!」

確定した。ノレッドはレイに恋をしていた事がここで明らかになった。衝撃の、事実である。

「いや……その……付き合ってくれをゴリ押しするのは良くないのは、分かる!価値観を押し付けるは良くないからな!だけど、俺はお前と一緒にいて、その……可愛いって思ってたんだよ!お前の女の子みたいな顔なのに、性別が男な所とか、部活でも水着は男のやつを履いているのに顔は女の子なところとか、とにかく可愛くて堪んなかったんだよ!なぁ!!!」

聞いてもいないのにノレッドはレイの好きになったポイントまで言ってきた。これは間違いなく、本気の告白だとレイは感じた。

 だがこれに対してレイはどう答えれば良いか分からない。分かる筈がない。

 ノレッドはLGBTなのかと、ここで分かった。別にそれ自体は否定する事ではない。だが問題は自分にそれが向けられたと言う事だ。

 レイは異性との交際を望んでいる人間。現実問題、彼はシィナと交際している。今は連絡が取れないが。そうした背景もあり、レイはどう解釈し、理解すれば良いか混乱していたのだった。

「え……ええと……僕、男なんだけど……」

「だから、男だから良いんだよ!俺は好きって伝えたかった!それだけだよ!!どう答えるかは、お前次第だけどさ……!」

何だ、この状況は。もう理解が追い付かない。訳が分からない。

 シィナの事ですら悩んでいると言うのに、まさか同級生、しかも性別が男の人間に告白をされると言う状況。レイはもう、目眩がしそうな気持ちにさえなっていた――

 

 

「“私の”レイに告白なんて、しないでよ」

 

 

聞き覚えのある事のある声が聞こえた。

「え?」

レイとノレッドはその方向を見る。すると、そこにいたのは銀髪の美少女、シィナだったのだ。

「シィナ・ソンブル!?な、なんでここに……?」

驚嘆するノレッド。それとは対照的に冷静な様子のシィナ。

 学校に来ておらず、連絡も取らなかった彼女が今になって現れた。それも、ノレッドがレイに告白していると言う奇妙な状況で。一体、何だこれは?

「男の子が男の子を告白したり性交渉をする関係になるの、私は別に自由だと思うけど、生憎レイは私とお付き合いしているの。もう身体だって知ってる関係なんだよフフ……」

「な……んだと……!?」

ノレッドに傷を付けんとするばかりに、シィナは事実を述べていく。

「キレス……マジなのか!?マジなのかよ!?シィナ・ソンブルと……そうなのか!?」

事実である為、レイは視線を泳がせながら、静かに頷いた。正直、恥ずかしい。

「だ、だとしても!俺は諦めないからな……!これだけ勇気を出したのに、諦められるかよ……!」

と、言うノレッドではあるが彼の表情は、どこか弱気だ。シィナとレイの関係を知り、やはり動揺しているのだろう。

 

「交際している関係に立ち入るんだ。不愉快だよ。消えて欲しいぐらいに」

 

シィナは朱色の眼をノレッドに向けた。その表情は、まるで虫を見るかの如くの表情をしている。冷徹で、残忍。そのような印象を持っていた。

「な……んだよ……こんな……の……嘘……だ……!!」

ノレッドはショックと同時に、シィナに対して恐怖の感情を抱いている。そして、本能的に彼はこの場にいてはいけないと判断したのか、彼は猛スピードで去っていった。好きだと思っていた同級生。それも同姓への告白は、銀髪の美少女によって打ち砕かれたと言う事である。

 

「レイはとてもモテるね。誇らしいよ。とても素敵。だからこそ、付き合っているって自覚出来て私は嬉しい。」

先程の冷徹な表情はどこへ行っただろうか。相変わらずミステリアスな印象を持つシィナ。今はそれ以前の問題だ。

 あの事件以来姿を見せなかったのに、何故今になって現れたのか。それも、この奇妙なタイミングで。

 レイは何を聞けば良いか分からないでいる。聞く事が多過ぎるが故に、整理が出来ていないのだ。

「レイは混乱してるんだね。連絡取れなかったのに突然私がこの場に姿を現したから。」

図星だ。しかし敢えて言語化される事でどこか整理出来ているような感覚さえ陥る。

「どうしていたの……今まで。あれから学校にも来なくなって、どうして今になって現れたの?」

「レイに会いたくなったから、来た。」

それだけ?それだけで連絡もなく来たのか?やはり彼女の心理が理解出来ない。

「理解出来ないよ!あれから塞ぎ込んだんじゃないかなって思ったんだから!」

「それは、私の事を大切に想ってくれているから出た言葉なんだよね?」

そうだ。そうでなければ言葉を荒げる筈がない。

「普通はそう思うよ!あんな事があって、学校にも来なくなって、突然連絡が取れなくなって!心配するのが当然だよ!ショックを受けたんじゃないかって!」

今まで連絡を取り合ったりしていた人間とコンタクトが取れなくなれば、当然心配すると考えるだろう。それも、一日二日の問題ではない。暫く時間が経ったのだ。無理もないのだ。

「レイが心配してくれてるのを知れて、私は嬉しいな。」

だが彼女はそれを喜ぶのだ。それが、異質に感じられてしまう。彼女の本質が見えない。何を考えているのかも、分からない。

「まさか、心配を掛けたかったとでも言うの!?」

それが理由なのなら、彼女の思考は稚拙だ。親に対して気を引き、構って欲しい子供と変わらない。

「そう言う訳じゃない。でも、レイから私に関心を持ってくれたのはとても嬉しいんだ。」

思えばシィナと知り合ってから殆ど一方的なアプローチを受けてきた。その結果レイは流れるままに彼女と肉体関係を築き、交際に至った。

 今、彼は初めてシィナを心配している。その事を彼女は喜ぶのだ。

「そう言えば……」

レイは彼女との出会いを、一旦振り返り、考えた。

「じゃあ、どうして連絡が取れなくなったの!?僕はそれを知る権利がある筈だよ!」

確かにそうだ。何故ならば……

「僕達は交際してるんだ!だからシィナの事情を聞いたっておかしくない筈なんだ!」

思い切って、言った。それを聞いた時、シィナは白い歯を見せ、笑顔を作ったのだ。

「うん、100点満点の言葉が出たね」

その、一つ一つの言葉は艶やかであり、意味深長である。そして、彼女はレイの言葉に対して喜びを感じている。

「レイからその言葉が出るって言うのは、完全に私達はカップルだって認めてくれているってコトだよね。素敵な事だよ。とっても。フフ……」

交際しているのだから、当然ではある。

 だがこれまではシィナの事が分からないのもあり、レイの口から直接彼女との交際の話はしなかった。

 何故、そうなったのだろう。あの時の事件が契機なのは間違いない。彼女がアドバンスドタイプと知ったから?それとも、あの事件後に連絡を取れなくなったから?レイ自身も何がきっかけなのかは分からない。いつしかシィナに関心を抱くようになっているのは事実だ。

 

「じゃあ、レイ。今度の休みの日に私の家に来て」

 

突如、シィナが口を開き、言った。確かにレイはシィナの家に行った事はない。どのような場所なのかも分からない。

 彼女は彼を招いている。自分の家に。そこはどのような場所なのか、何があるのか。見当もつかない。一つ言えるのは、シィナ・ソンブルに関係する“何か”が明らかになるのではないかと言う事だ。

 彼女には謎が多過ぎる。その中でレイはシィナと交際に至ってしまった。いつしか、レイは彼女の事を知らなければならないとさえ思うようになっていた。彼女の家に行けば、秘密が明らかになるかも知れない。

 シィナの秘密の一つ、彼女が力を持つ人種、アドバンスドタイプと言う事は分かった。だがそれを抜きにしても謎が多い美少女、シィナ。不思議な魅力を持っている美少女はいつしかレイに関心を抱かせるようになっていたのだった。

「……うん。良いよ。」

レイの甲高い声が僅かに聞こえた。



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第十話 殻の中の闇 その1

 シィナ・ソンブルはアドバンスドタイプだ。それはレイが持つ力と同じ力。本来ならば戦争行為に於いて力を発揮する人種。他者を凌駕する空間認識能力に、特化した自己治癒能力。そして、生命の危機に瀕した時には碧色の光を放つ存在。

 常人を超えたその存在は都市伝説の噂程度でしか知り得ない存在。誰に話しても嘘偽りと呼ばれる存在。だが一部の人間はこれを研究していた。レイをアドバンスドタイプに仕立て上げた医学博士の男がこれに該当する。

 男の目的はアドバンスドタイプを量産し、やがては彼の祖国である、デウス帝国の戦力の為にこうした人間を増やしていくと言う野望があった。レイは元々特別な力を持たない両親の下で生まれたのだが、新生児の時に男によってディヴァインセルを移植され、どう言う訳かこれを受け入れた。それによって生じた、言わば突然変異のアドバンスドタイプである。

 彼の経緯は複雑なものではあるが、レイとシィナは互いに同じ人種である事を認識した。しかしそれが分かったのは、レイがシィナと交際してからの事であった。

 何故レイは今、彼女の事が気になっているのだろう。いや、交際相手ならば気になるのは当然だろうか。その、交際相手がアドバンスドタイプであるという事実が判明した事はレイにとってよ更なる関心を抱かせるのに時間を要さなかった。

 更にはシィナはあの事件の後で学校にも登校しなかった。そして、レイとも連絡が取れなかった。その事も含め、心配になるのは当然だろう。結果的に彼女は学校に現れた。それも、レイが同級生のノレッドの告白をされているという絶妙なタイミングで銀髪の美少女は姿を見せたのである。

 そして、少女は自分の家にレイを招いた。今日はその日だ。彼女から位置情報をメッセージで送って貰い、バイクの目的地をそこに指定する。

 彼女の家に行くのは初めてだ。交際しているとは言え実際に彼女が住んでいる家に行くのはどこか緊張するものがある。

 そもそもレイはシィナの家族構成を知らない。一人暮らしなのか、家族と同棲しているのかも分からない。その中でバイクを走らせるのはやはり不安の割合の方が大きい。

 彼女の事をよく知らない中で彼等は交際に至っている状態。デートも数回しかしていない。彼等は、性交渉から発展した仲という奇妙な関係。

 シィナはレイに好意を抱いているが、それもどこか一方通行な印象を待つ恋だ。美少女に言い寄られるのは一見すれば羨ましい状況に見えるが、相手の素性が分からない上でのアプローチはレイとしても困惑するのは至極当然と言える。

 

 やがてレイは丘の上にある、一軒家に辿り着く。彼女が言うにはそこが自宅とのこと。

 住宅地に点在している居宅よりも敷地が広い印象を持つ、二階建ての家。彼女は恐らくここで家族と暮らしているのだろうかとレイは考える。1人で住むには余りにも広いと思った為だ。シィナはアドバンスドタイプという事を除けば女子学生。彼女が一人暮らしをしているとは思えない。

 それと同時に様々な事も考える。これ程の敷地の家ならば親は厳格な性格なのかも知れないとか、門限とか厳しいのではないか……等。もし以前にレイの家に泊まった時の事を考えると、彼女は親に反抗して家を出たかったのではないか……と、彼は思ったりもした。

 レイはバイクを止め、そのまま丘を上る。家のインターホンを押し、シィナの所在を確認する。

 

『入ってきて下さい、どうぞ』

 

女性の声が聞こえた。シィナの声ではないのは確かだ。母親かと思われたが、それも違和感がある。何故なら、若い女性の声が聞こえたからだ。

 彼女の声を聞き、レイは扉を開ける。鉄製の凝った造りをしている扉は、その家の大きさや異質さを物語る入り口としては十分な役割を果たしている。

「おじゃまします……」

と、小さな声を出し、レイは中に入っていく。この中にシィナ・ソンブルがいる。彼女の秘密が、少しでも分かるかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

 家の中に入った時、レイは周りをキョロキョロと見回す。外見のような印象は受けない、上り框や靴箱等が用意されている、至ってシンプルな構造の玄関。

 だが、レイは違和感を覚えていた。何故ならば出迎える人間がいないと思った為である。

 そこにシィナの姿がなかった。それと、インターホン越しに聞こえた若い女性の声も聞こえない。この、妙な静けさが気になって仕方がないのだ。

「何だろう、どうして誰もいないのかな……?」

違和感を覚えるレイ。すると――

 

「レイ・キレス様ですね」

 

「うわあ!」

背後から聞こえた若い女性の声に思わず反応する。

 その女性はシィナと同い年か少し上か。紫色のローブのような衣服を纏っている。丁寧な印象を持つが、どこか暗い印象も持つ。

 朱色のロングヘアー、どこか遠い目をしている、その少女。まるで表情に抑揚がない。

「あ、あの……貴方は?」

「私はミリナ・エインスと申します。シィナ様の従者を務めさせて頂いております。」

シィナの事を、“様”と呼んだ。この事から、おそらくシィナは資産家か富豪の娘なのかと想像する、レイ。

「従者の……方ですか?」

「はい」

淡々とした印象を、レイは受けた。

「こちらへ」

すると、そのままミリナと名乗る女性はレイを誘導する。彼はこのような経験は初めてであり、どこか、違和感を覚えていたのだった。

 

 やがてレイはミリナに連れられて階段を上がり、廊下を移動する。長い印象を持つ廊下。その間、何の生活音も聞こえない。本当に人が住んでいるのかとさえ思える程に妙な感覚。この家にシィナは住んでいるのは、間違いないのだろうがやはり違和感しか覚えないのだ。

 そして、ミリナは何も喋らない。何かを喋ろうかと考えるが、レイは敢えて黙った。相手が分からない以上、迂闊な事は言えないと思った為である。

「どうぞ」

やがて2人は一つの部屋の前に着いた。恐らく部屋の中にシィナは居る。だが、何故わざわざ従者の女性に案内をさせるのだろう?彼女の意図が全く読めない。

「あ、ありがとうございます」

レイが静かに頭を下げると、ミリナも同じく頭を下げた。すると――

 

「レイ!」

 

突如扉が開いた。それと同時にミニスカート姿のシィナが満面の笑みを浮かべ、レイに抱擁する。余りに突然の出来事に彼は動揺している。

「し、シィナ!?」

「レイが来てくれた!私の家に!嬉しい!嬉しいの!!!」

いつになく激しい抱擁。目の前でミリナが見ているのにも関わらず、更にシィナはレイの口唇に対して柔い接吻を行ったりする。

「ちょっと……!この人が見てるのに!?」

「ミリナは良いの!彼女は平気だから!さあ、部屋に来て!ミリナ、案内ありがとう!」

寡黙なミリナと違い、シィナは明るい。そして、半ば強引にレイを部屋に招く。彼の腕を引っ張り、部屋に入れるのだ。

「ごゆっくり」

ミリナの淡々とした声が僅かばかり聞こえた。と、同時にレイの視界からミリナの姿が消えた。瞬く間に視界が変化したのである。

 



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第十話 殻の中の闇 その2

シィナの部屋。それは彼女の趣味嗜好等の情報収集をするのに適した情報材料の一つ。彼女の事を知るにはやはり部屋を見るのは大切なのかも知れない。最も、今回はレイが彼女に誘われた形になるが。

 シィナの部屋は彼女の印象とは違い、棚には熊や兎のぬいぐるみ等が飾っている、思いの外ファンシーな印象を持つ部屋と呼べた。だが一方でベッド周辺等は特に目立った物も置いておらず、綺麗に片付けられている印象を持つ。あと気になるとすれば、置かれているテーブルの上にやや大型のディスプレイのコンピュータが置かれているぐらいか。

 来賓用に片付けをしたのかも知れないが、レイは何故かこの部屋の様子に対して違和感を覚えていた。

「部屋の中に男の人を入れたのはレイが初めてだよ。」

「そう、なんだ……」

それはある意味嬉しい事ではある。交際相手として認めてくれているが故なのだろう。

「あのね、シィナ。その……さっきの人は誰なの?従者って言ってたけど……」

まず、レイはミリナの話をした。独特の雰囲気を醸し出している寡黙な印象を持つ女性。一体シィナとどのような関係があると言うのだろうか。

「そのままの意味だよ。私にとって“信用”出来る従者。だから一緒に住んでいるの。私の身の回りの世話をしてくれる人。」

意味深長な台詞が出た。身の回りの世話をしているという、ミリナ。やはり彼女は資産家か富豪の娘なのだろうと、レイは感じていた。

「単刀直入に聞くけど、シィナって……その……お金持ちの人だったり……する?」

少し言い辛そうにレイは言った。金銭に関係する話題というのは本人から言い出さない限りは余り聞き辛い。いくら恋人同士の関係とは言え、センシティブな話に踏み込む事になる為である。

「え?うーん、お金は基本的に自分で稼いだりしてるかな。お父さんの資産もあるにはあるけれど」

「お金を、稼いでる……?」

レイにはこの時、彼女の言葉が理解出来なかった。彼女は働いているのだろうか。

 仮に働いているとするならば、色々と妙な点が多い。女子学生が従者を雇う為に働いているというのも変な話だ。それ以外とすればこの土地の維持費?それも妙だ。女子学生が稼ぐ事が出来る額など知れている筈だ。

 生活苦の印象は受けない。寧ろ彼女の振る舞いを見る限り、学校内では一匹狼の印象を持つがどこか余裕がある印象がある。

 となれば、彼女は学内で噂されているパトロンからの支援があるのかと考えてしまう。レイと交際している事を考えると、それは複雑な心境だ。

「お金はね、色々な手段で稼ぐ事は出来るよ。ネットとかSNSを使って稼ぐなんて当たり前の話。特に今は経済状況が不安定だから、目先のお金を欲しい人が多い。そうした人達ってとても動かし易いの。若い人が多い印象かな。」

この内容に、レイは違和感を覚えた。彼女の稼ぐ方法を言っている筈なのに、話がどこかおかしい。

だが構う事なくシィナはベッドに腰掛け、脚を組んでから引き続き口を開く。

「その中で私は反社会組織の名前を借りてちょっとしたビジネスをする事にしたよ。その名前を借りれば大抵の人は恐れ慄くから都合が良いんだ。」

「なんか、言ってる事が物騒だよ……?」

レイの額がやや汗で濡れている。シィナの言葉に対する違和感は更に強くなる。

「そんな事ないよ。SNSなんて匿名だし、幾らでも情報は盛れるから都合が良いんだ。そうした組織の名前を出せば、大抵の人間は言う事を聞いてくれる。それだけ影響が広がってるから」

何を言っているのか、理解が出来ない。それを言うシィナの言葉は怖さを含んでいるようで、抑揚がない。奇妙としか言いようがない。

「反社会組織って言うけど、そんな名前を使って大丈夫なの?すぐにバレる嘘になるし、何よりも下手したらその組織からメッセージが来たりするんじゃないの……?」

虚偽の内容はリスクしかない。特に反社会組織と偽って発信すれば悪質な場合は組織からの制裁を受ける危険性だってある。

 誰が見ているか分からない場所で、そうした発信をするのは危険極まりないのだ。

「多分レイも聞いた事がある名前だと思うよ。それは」

「反社会組織の名前……それは……?」

シィナの口元が僅かに緩む。

 

「氷河族」

 

レイの眼が見開かれた。猫のような、いや、それ以上の大きさを今のレイの眼は形成している。

「それは……危険すぎない?いくら悪戯でも危ないよ……あれって良い噂聞かないし……」

レイは氷河族と呼ばれる組織の悪業を目の当たりにした事があった。かつえの壮大な出来事の中で、それらを名乗る組織と戦った事があった。それらによって危険な目に遭いそうになっていた人間を助け出したりもした。

 故に彼はシィナから出た言葉に驚愕している。そして、彼女は組織の名前を笑いながら言うのだ。

「あの組織の名前は凄いんだ。誰もが黙って言う事を聞いてくれる。指示通りに動いて、きちんと仕事してくれる。ネームバリューって凄いんだ。特に大した素材を使っていなくてもブランドだけで市場価値が約束されるようなものなんだ。」

シィナは再び脚を組み直した。彼女の言葉が、レイにとってどこか恐ろしく、奇妙に感じられたのだ。

「私、ここまで自分の事を言うのは初めてだよ。それはレイだから言える事だから。キミが私と交際している上で、アドバンスドタイプという同じ人種という事もあるからね」

「それは嬉しい事だけど、そんな危ない橋を渡る必要なんてないよ!氷河族なんて名前は使わない方が良いんだ……」

自分が経験しているからこそ、言える事だ。組織の存在は絶大であり、多くの人間を不幸にしてきたからだ。

「どうして?」

「シィナが危ない目に遭うかも知れないからだよ!」

彼はシィナの為に言葉を発する。危険な目に遭って欲しくないという純粋な優しさだ。

「心配してくれてる。嬉しいな。」

と、言うシィナの表情からは本当の嬉しさを感じていない。どこか他人事のように感じるのだ。何故、彼女は恐怖しないのだろう。この状況で笑っていられるのだろう。レイにはそれが全く理解出来ないのだ。

「どうしてシィナはそんなに人事のように語るの?最悪な話、いつか、殺されてしまうかも知れないんだよ!?怖くはないの?あの時テロリストに襲われた時だって怖がっていたのに!氷河族とかだってテロリストと殆ど変わらないよ!危険な人間しかいないんだから!」

レイの懸命な心配に対し、シィナは右示指を口元に運ぶ。あざといように見える仕草もレイからすれば違和感しかない。その上でレイは彼女を心配するのだ。

「レイの心配の仕方は明らかに“経験”がある心配の仕方をしてるね。少なくともある程度氷河族の事を知ってるような感じだよ。ネットの知識とか、評論家の知識とか、体験記を鵜呑みにしたものとかそんなものじゃない、実際に感じた印象を述べてるって感じかな」

と、言いながらシィナはすっと立ち上がった。

「だからこそ、その心配の価値は凄くあるよ。それはね、私にとってはとても嬉しい事なんだよ。私はそんな人に心配されてるんだ。とっても、とっても幸せ。」

何故、彼女の言葉はどれも意味深長なのだろう。その振る舞いや動作。全てが何らかの意味ありげな行動をしている。

 それがシィナ・ソンブル。ミステリアスな印象を持つ少女なのだ。

「シィナがさっきから、何を言ってるのか分からない……」

「敢えて分かりにくく言ってるんだよ。レイはとても賢いから、私の言葉の意味を把握してくれると信じてるから。」

すると、シィナは立ち上がってからそのままレイのいる方向に歩き出す。レイは彼女の動作に対して後退りをしてしまうが、後は壁。故にどこかに行く事は出来ない。

 そのままシィナはレイの顔に触れる。柔いタッチは顔の表在感覚全体に鳥肌を作り出す。

「ねえ、レイ」

「何……?」

シィナとの距離が近い。レイは彼女の言葉に翻弄されつつある。

「レイの心配だけど、私は絶対に安全なんだよ。だから安心して良いんだ。」

「え……それは、どういう事……?」

またしても意味深長な台詞だ。

「だって、私はその発信をしたからと言って“組織”に殺される事はないよ。組織に恨みを持つ人間がいて、私を殺そうとしても、私は絶対に殺される事はないよ」

彼女は自信満々な様子でそれを語る。氷河族という組織は崩壊して来ているという話は聞くものの、まだその影響力は強いという話はある。

 噂ではボスと呼ばれる人物が行方不明となったが、そのボスに忠実に仕えていた人間が氷河族の存在を残し、束ねようとしているという話もある。

 故に、氷河族という存在が表向きには力が衰退しているとは言えまだまだ組織の影響力は残っていると言えるのだ。

 だが、問題がある。彼女は何故これ程に氷河族の事を語り、それも堂々とにレイに語っているのかが分からない。

「何を、言ってるのかが分からない、分からないよ……どうしてそう言い切れるの?」

と、言った時――

 

「だって、私は組織から大切にされてる人間だから」

 

「え――」

レイの眼が再び見開かれ、そのままシィナを見続けた。焦点が合っていないような感覚に陥ったのだ。

 



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第十話 殻の中の闇 その3

※一部性描写あり


「それって、どう言う意味……?」

「そのまんまの意味だよ。私は組織に大切にされてる人間。だから氷河族の名前を使っても構わない。虚偽に当たらないし、組織から消されるとかそんな物騒な話はあり得ない。」

と、言うシィナは更にレイに接近する。これ以上距離を空けられないほどに、彼を包み込もうとする程に。

「そして、組織に敵対する人間が私の情報を特定して私を殺そうとしても無意味。だって、私はアドバンスドタイプ。死にそうになる経験をすればレイみたいに光り輝くの。そしたら相手は意識を失っちゃう。私は殺される事はないの。」

と、言った後でシィナはレイを抱擁した。そして、そのまま静かにレイの唇を塞いでいく。

 それはまるで、驚愕しているレイの緊張を少しでも解そうとせん限りの行動と呼べるのだ。

 最初はソフトな口唇でのタッチ。だがそこからシィナの舌が侵入していき、へレイの舌に絡まる。一方的に見える行為だが彼女が舌を絡ませる事でレイ自身もそれを受け入れざるを得ない状態になってしまう……

 

「ン……むぅ……」

「ア……む……」

 

舌を絡める行為は10秒程度行われ、互いに口唇を離す。唾液による糸がこの時に引かれ、すぐに切れた。

「また、レイとキスをした。やっぱりレイのキスはとても気持ち良いよ」

微笑するシィナ。

「シィナは……氷河族の人間なの?組織に所属しているの?そんな、そんなのって……」

驚愕の事実。彼女は組織の人間だったのだ。その上で名前を使い、何らかの方法で金銭を得ていたのだと言う。

「でも、シィナはお金を持っているでしょ!?そんな事をする必要はないよ!お金に困って犯罪行為をするって言う話は聞くけど、シィナがそれをする必要はない!」

「どうして?」

わざとらしく、シィナは振る舞う。

「こんなお家にいて、さっきの従者の人まで雇ってるのに……学費とかを稼いでいるって言うの?」

「うーん、違うな。簡単なお小遣い稼ぎだよ。そしてそれを還元してる。すぐにお金を欲している人達にね。」

「何の為に……?」

「戦後の経済困窮者を救う為だよ」

それはどう言う意図で言っているのかは分からない。反社会組織である氷河族に所属しているとされる人間が、何を言っていると言うのか。

「レイ。世の中の政治家達やトップの人間って言うのはね、ダブルスタンダードで物を言う人間ばっかりなんだよ。」

ダブルスタンダード。二重規範。政治家等がよくこうした事例を作る事が多いとされる。自分達が都合の良いような世の中を作り出しているのが政治家と呼ばれる人間。国民の事を思っている政治家というのは本当に存在しているのか不明とされ、それに対する皮肉を込めてダブルスタンダードと呼ばれる現象が生じる。

「例えば戦争があって親を亡くしたり親から捨てられた子供達を預かる児童施設って確かに国がお金を出してはいるけどその額って充分じゃないし、何よりもスタッフが足りてない。それを補填する為の人員さえいない状態。その中で民衆に対して子供を救おうって言って建前を言って、本音はそれを利用した利権が絡んで発生する金銭を得て、結果的に子供達に還元されない状態が続いたりするんだ。そして、不幸な子供達はやがては人身売買の犠牲となっていくんだよ。政治家がダブルスタンダードでいる限りは安寧なんてあり得ないんだよ。」

そうかも知れないのだが、そもそもその人身売買をしているのは氷河族だろう。それに所属している彼女が政治家批判をするのはおかしい話と言える。

「人身売買は氷河族がやっているんだよ!子供達が売られたりするのなんてどうかしてる!シィナはボランティアをやってて子供達のお世話をしているのにそんな組織に所属してるなんておかしいよ!」

レイの言葉は間違っていない。彼女が氷河族の人間ならば、ボランティアの行動は明らかに矛盾しているのだ。

「一部の人間がやってるかも知らないけど、悪いイメージが残るだけだ!あの子供達だってシィナが氷河族に所属してるって知ったら悲しむよ!」

レイは懸命に言う。すると、シィナは眼を瞬きさせ、笑みを浮かべ始めた。

「レイは私のコト、やっぱり心配してくれてるんだね。」

突然の言葉にレイは言葉を失う。

 

「だからこそ、“本当のコト”を言ってアゲル……」

 

本当の事。それは何を示すのか。シィナは何を語ろうと言うのだろうか。氷河族に所属している事以上の事が、あるとでも言うのだろうか。

 

「知っての通り、私にはお父さんがいる。だけどお父さんの顔は一度も見た事がない。声しか聞いてない。お父さんとはEフォン上でしかやり取りをしてない。」

当然シィナは自身の父親の話を始めた。一見すれば先程の話とは全く関係ないように聞こえる、言葉。

「お父さんは私に色々と援助してくれた。こんな家も用意してくれたし、ミリナも用意してくれた。お父さんはとてもお金を持ってる。だからミャンにお家を貸してあげられる。顔を見たことがなくても、お父さんは凄い人なんだよ。」

シィナの言う、“お父さん”とはどのような人間なのかは分からない。ただ、彼女を裕福にするほどの資産家なのだろう。

「だけどね、お父さんとはもう連絡が取れない。もう1年ぐらいになるかな。去年に何かがあったのは間違いないけどね。それと同時に氷河族という組織の勢いが少し弱くなっていったって話。それでも氷河族の存在は大きなものである事に変わりないケドね。」

示指を口元に持っていき、レイを舐めるようにシィナは見つめ、言う。

「そして、お父さんは組織で絶対的な立場にある人間。誰も逆らえない、立場にいる人間なんだ」

この意味深長な台詞にレイは思考を巡らせる。シィナには父親がいて、彼女に資金援助をしていた。しかし約1年前から連絡が取れない状態だったという。それと同時期に氷河族が勢力を弱めた。

 これを聞き、レイは、ある仮説を立てる。それは彼自身考えたくもない仮説だった。

「待って……もしかして……シィナのお父さんって……嘘……嘘だ……!こんな……こんなのって!?」

レイは耳を疑った。まさか、彼女は“只の”氷河族の構成員という訳ではないという事実が重く圧し掛かるのだ。

「シィナのお父さんは……氷河族の幹部って事……?」

恐る恐る、聞いた。

「うーん、惜しい。もっと上の立場って言うべきかな」

「え……それって……?」

レイは何故か、寒気がした。彼女は恐ろしく大きなものを背負っているような、どこか得体の知れない怖さを感じ取ったのだ。

 

「私のお父さんは氷河族のボスなんだ」

 

衝撃の言葉がシィナから出た。

 



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第十話 殻の中の闇 その4

氷河族のボスと呼ばれる人物は姿を公に見せず、組織の中でも特に信用している人間にしかその姿を見せないとされている人物である。その卓越した頭脳を活かして多くの人間を動かし、反社会活動をはじめとしたあらゆる活動を行ってきた。

 全ての元締めとも呼べる存在。それがボス。シィナはその娘だという、衝撃の事実。レイはただ、この事実に困惑するばかりだ。

「なんで……どうして!?シィナがそんな、そんなの、おかしい!」

「おかしくなんてないよ。お父さんが氷河族の元締めだったってだけの話だよ。」

シィナの眼がレイを見つめる。美しい容姿をしているシィナだが、彼女の秘密を知ってしまったレイの身体は震えている。恐怖さえ感じている。

「人間の出生なんてそれぞれだよ。そこから確かに格差はあったりする。どこの地で生まれたのか、誰から生まれたのか。周囲の環境とかもそう。恵まれたのか、そうでもないのか。優しい親か、毒親か。時代も関係しているかな。結局は運が絡むところが多いんだ。」

淡々と語る、シィナ。

「ねえ、レイ。どうして震えてるの?私が怖いと感じたの?氷河族のボスの娘って分かったから、それが怖いの?」

恐怖はある。反社会組織の娘と知ってしまった以上、それに怖さを感じない筈がない。

 偏見という見方もあるかも知れないが、今はそれどころではなのだ。

「そっか、受け入れられないんだね。だけど大丈夫。これから、少しずつ受け入れていけば良いんだよ。最初は怖いって思っていても理解していけば怖くなんてなくなるからね。」

シィナの言葉は優しさを含んでいる。しかし彼女の真実を知ったレイにとっては優しさを感じる事など、ない。

「ダメだよ、レイ。私達は付き合っているのにそんな風に震えないで。怖がらないで。大丈夫だから」

「……!」

そうは言うが彼女の言葉を聞いて戸惑うのは当然だ。

「シィナが氷河族のボスの娘……そんな、そんなのって……!」

 シィナの事を知ってしまい、レイはどう対応すれば分からないで困惑している。その時――

 

「レイ、酷いよ……何の為にレイとキスをしたのか分からない。セックスだってした仲で、恋人同士なのにその反応は酷い……互いに秘密を知っていけた事は……とてもね、良い事なのに……」

 

突如、シィナは目元から涙を流し始めた。氷河族のボスの娘という立場の人間が流す涙。

 それは何を示しているのか分からない。しかし、シィナの涙は例の感情を変える力を持っていた。先程感じた恐怖に似た感情は次第に変化をしていく。

「泣いてるの……?」

「レイにそんな顔をされるの、嫌だから……せっかく秘密を喋って、それを嫌がるなんて、酷いよ……うぅ……!」

更にシィナは涙を流す。止まらない、涙。目元を手で覆い、本格的に泣き始めたのだ。

 これを見て、レイはどうするべきか。彼女の為に行動するべきという感情以外に何があろうか。あくまでもシィナとは恋仲である以上、レイとて行動すべき事がある筈だ。彼なりに考える。

 今は、1人の少女としてシィナを見なければならないと、考えるのだ。

「ごめん……僕……」

と言いながらレイはシィナを抱擁する。ぎこちない様子で、レイから抱擁したのだ。

 よく、レイは女性の方から抱擁されていた。それからレイの容姿故にリードされる事が多かった。今回は、彼なりに考えた結果での行動なのである。

「嬉しい……レイから抱き締めてくれるなんて……」

シィナは嬉しそうに喋る。涙は止まり、笑みが溢れている。

「そうだよね……シィナはシィナだ……関係なんてない筈なんだ……」

「うん……そうだよ……その言葉、待ってたんだよ……」

「僕、考え直すよ……そうだ、関係ないのにこんなの、よくないから……」

「良かったよ……これで、レイと一緒に過ごせるよ……ずっと、ずっと……永遠に」

「永遠……え……?」

レイは自らの耳を疑った。今、彼女は何と言ったのだろうか?

「そのままの意味だよ。ここで、一緒に暮らすんだよ。私と、永遠にね。」

「え……?」

「レイ、これからずっと愛し合おうよ……ね?」

「な……に……え……?」

レイは突如、全身に違和感を覚えた。特に四肢の動きが次第に重くなるのを、感じていた。

 これはまるで彼があの壮大な体験の中で感じた時のようだ。その時で彼は身動きが取れなくなり、敵に我が物のように振る舞われた過去があった。そして、彼は光を初めて放った。

 今も同じ状態に陥っている。恐らく……いや、確実にシィナはレイに対して何らかの薬を移した。それも、彼女の舌を使って。

 先の柔く、それでいて暖かな感触の中でレイは思い出した。間違いない、シィナは薬を含ませ、そしてレイに与えたのだ。

「ああっ……こんなの……!うあっ……!」

重く、怠い。姿勢が保てない。レイはそのまま膝から床に崩れる。姿勢を変えようにも、身体が言う事を聞かない。

「ごめんね、レイ。だけど安心して。その薬の効果は一時的なものだよ。手術とかで使われる、ごく微量の筋弛緩薬。持ち出しは禁止って言われてるけど私の立場ならこんな事だって出来るんだ」

と、言いながらシィナはレイの身体を背臥位姿勢に戻し、起こしていく。そのまま彼の肩を持ち、ベッドに運んでいく。

 四肢の随意的な動きが取れない状態で、レイは僅かに動く口を開け、シィナに言った。

「どうして……こんな事をするの……?」

苦しい様子でレイは言う。

「レイの全てを見たいし、これからも一緒に居たいと思うからだよ。私達はこれからこの家で暮らせば良いの。お金も困らないし、身の回りはミリナがやってくれるよ。」

それは余りに身勝手だ。一緒にいたいから、この家で暮らさせるというのは自分勝手すぎる。そこに愛情などない。歪んでいる。歪んだ愛情と言うべきか。

 レイはそれを望んでいない。なのに、彼女は強引に一緒に住もうと提案する。その事自体があり得ない事だ。

「やめ……てよ……こんなの……」

いつしかベッドに運ばれたレイは、身動きが思うように動けない中でシィナに懇願する。

 だがその時、シィナはレイの白く細い右示指を見て、突如口唇でそれを覆い始めたのだ。

「はむっ」

こそばゆい感触がレイを包む。突然の事に驚愕するレイだが、それを抵抗する事が出来ない。

「あっ……!?」

シィナはレイの指を口に含み、もごもごと動かす。この行為に何の意味が何かは不明だ。舌を絡ませるどこか官能的な動きは身動きが取れないレイにとってはより刺激となり得るのだが――

 

「ああああッ!」

 

すると、シィナはレイの指に対して歯を立て始めた。八重歯の部分を思いきり噛む。痛みの余り手を放したいと思うのだが、それが出来ない。

 何故ならば、彼の四肢は力が抜けてしまっていて思うように動かせないからだ。間違いなく、指からは出血している。シィナはレイの指を噛み、血を流させた。更に、あろう事か彼女はその血を飲んでいる。そのまま口から指を離し、まるでレイに見せ付けるかの如く喉を鳴らしている。彼の血を、飲んでいるのだ。

「フフ……甘い。レイがアドバンスドタイプである証の一つだね。」

血を飲むという行為を、彼女は平気で行う。まるで、レイを挑発するかの如く。

「ケド大丈夫だよ。アドバンスドタイプならすぐに傷は癒えるから。私だって同じだから……」

すると、シィナは自らの左示指を咥え、そのまま歯を立てた。自ら傷を付け、血を出したのである。

「ンぅっ……!」

僅かに滴る血液が床に落ちる。すると、そのまま彼女はレイの口に指を運び始めたのだ。

「む……ン……!?」

身動きが取れないまま、シィナの指を舐めさせられるレイ。妙な構図に戸惑う事しか出来ない。

 だがこの混乱の中で、一つ確実に分かった事がある。それは彼女の血液の甘さだ。突然の指の侵入に対して抵抗が出来なかったレイは思わずシィナの血を飲んでしまう。この時に感じた甘さは紛れもなく、彼女が特別な力を持っている証の一つとして成り立っているのだ。

(やっぱり……シィナはアドバンスドタイプ……)

彼女の言葉だけでは不明な部分も多かったが、実際に行動に移されて理解が出来た。

 それは恐らく、互いに交際しているが故の愛情表現のつもりなのだろう。最も、これが愛情と呼べるのかは甚だ疑問ではあるが。

「お互いの血、舐めたね。甘かったでしょ?私もレイと同じ力を持つ人間っていう証明なんだよ」

と言いながらシィナは指を引く。レイの口から出た唾液が糸を引いている。

確かに、分かった。それは良い事かも知れない。だがこの状況では素直に喜べるとは言えないのだ。

 



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第十話 殻の中の闇 その5

「シィナ……やめてよ……こんな事、僕は望んでないよ……!」

懇願するレイ。四肢が動きにくい中で、懸命に訴える。

「さっきの涙は、何だったの……こんな事、やめて……!」

レイはシィナの事を振り返る。彼女の涙の意味は一体何だったのか。何を示していたというのか。それが理解出来ず、ただ、納得出来ないのだ。

「レイ、演技って生きていく上でとっても大切なんだよ。人は皆ペルソナを持って生きている。そして場面によって使い分ける。特に反社会組織とかは粗暴な印象を持ってその場の劇場を演出する。茶番のように思えても、白身の演技があれば全ては本当に見える。そして利益を得る。俳優と反社会組織の組員は紙一重なんだ。」

「何を……言ってるの……?」

彼女の言葉が理解出来ない。レイは困惑するばかりだ。

「演技をする事で人はそれに魅入られていく。だから人は演技する。その演技という名の嘘に翻弄されていく。それは私の最愛の人の確認をするのにとても有効だったの。デートしている中で突然テロリストが襲ってくるなんて舞台を整えるのには、とても理想的な形だったから」

「待って……それって……?」

嫌な予感が過ぎる。まさか、シィナは先日のテロリストと何らかの関係があると言うのか……?

「そうだよ。私が雇ったんだ。テロリストをね。そして演技をした。怖がる1人の女の子を演じた。そしてレイが頑張ってくれて、アドバンスドタイプの力を発揮した。そして、確信したの。嬉しかったな、あれで真実が分かって。」

次々と語られる、事実。シィナはあのテロリストを呼んでいたのだ。恐らくそれは、彼女が氷河族のボスの娘という立場であるが故に出来た事と言えるだろう。

「“こんな”立場だから、舞台装置だって作れるんだ。政府に不満のあるテロリストだって氷河族と提携してる存在。そこに何かしらの援助があればすぐにでも動いてくれる。そして私を“襲う”フリをしてくれる。その中で、レイが守ってくれる。」

「だけど!そんな事したらシィナが疑われるよ!?」

「それはないよ。だって、テロリストだって知ってるもの。氷河族の恐ろしさを。いくら勢力が衰えたとしてもその影響力は変わらない。新平和国連盟になっても、そこへの捜査は及ばない。氷河族という組織自体が、多額の納付金を納めてくれてるからね。」

つまり、彼女の立場は万全極まっていると言えるのだ。それ程にシィナという少女の影響力……いや、氷河族の影響力が強いと言えるのだ。

「だから私は何も発覚しない。証拠も残らない。元締めは私だとしても、そんなものは関係ないの」

語られていく真実はレイを精神的に追い遣る。何故このような状態になったというのか。シィナは何が目的なのか。

「あれで……人だって死んだのに……こんなのって……!」

「舞台装置を作るには犠牲者だって必要なんだよ。よりリアリティを増す為に。」

実際、あのテロリスト襲撃時に犠牲者がいた。何かの撮影と勘違いしていた女性が武装勢力に対して声を掛け、そのまま銃殺された。罪なき女性が殺されたのだ。

 それの指示をしたのもシィナと言うのならば、これは余りに間違いすぎている。彼女は歪んでしまっている。

「さて、ここまで私の事情をレイは知った。つまり、秘密を知った事になる。秘密を知るって事はその人を知ると同時に、相手の事をずっと想い続ける事にも繋がるよ」

朱色の眼がレイを見つめ、捉え続ける。笑顔すら見えないこの眼に、レイは明らかに何らかの意味があると考えるのだ。

「それって……?」

「さっきも言ったでしょう?レイは私と永遠にここで暮らす。互いに添い遂げる者同士だからこそ秘密を知っていった。誰にも話していない秘密を、キミは知った。物語で言えば核心に迫った場面になるよ。」

レイは本能的に察した。逃げなければならないと。彼女のレイに対する愛情はどこか歪んでいる。闇を抱えている少女のそれだ。

 だが逃げられない。四肢が動かし辛い状態で彼女から逃れる術はない。レイはシィナの策略に嵌ってしまったのだ。

「ケドレイは私と添い遂げるから、関係ないよね。互いに秘密を知った者同士が今後愛し合うってどんな感じなんだろうね?」

彼女の狙いは、レイの秘密を知る事。そして、自分の秘密も明かし、その上で愛し合う事が目的と言うのだ。

「ダメだよ……こんなの……おかしいよ……こんなの、愛情なんて言わない……やめて……お願いだから……」

懇願するレイ。しかしシィナはそれを許そうとしない。

「イヤ。おかしくないもの。私は殻。それがレイによって満ちるのなら、とても嬉しい事だから。」

シィナの言葉。暗く、闇が蠢いているように聞こえる言葉だ。

 やがてレイから感じる途方もない「魅力」に惹かれていく。その正体は、レイ自身の力だった。そこからシィナは動いていった。彼との性交、親密な関係になる事で交際関係に至った。

やがて彼女は仮説を立てる。彼の魅力は恐らく人智を超えているものだと。だからこそ、危機的状況を作り出した。氷河族のボスの娘という立場を利用した、テロリストによる舞台設定。これによってレイがアドバンスドタイプであると言う事が確定した。

 それからシィナはレイを誘う為に自らの家に招き、自分の事を明かした。秘密を明かす事で、レイが逃げられない状態に仕立て上げたのである。そこを、2人の愛の巣にする為に。全ては彼女の計画という訳なのだ。

 今は完全にシィナにイニティアティブを取られている。抵抗など、出来る筈がないのだ。

「レイ、これから“ずっと”宜しくね。」

シィナ・ソンブル。彼女は殻。そして、殻の中は底なしの闇。殻の中の闇は広く、深い。

 彼女の殻はただの卵の殻とは違う。いくら注いでも満ちない。彼女は本能的な行動を好いている。食欲、睡眠欲、性欲。これらを中心とした生活を送るのがシィナという人間なのだ。それでいて好奇心も旺盛だ。故の、レイに対する行動は明らかに異常と呼べる。

 闇は光を包んでいく。光は抗えない闇に、堕ちて行こうとしていたのだった――




十一話の更新は未定です。
公開日が決まれば近況報告にてお知らせします。
育児の為執筆が遅れてしまっていますがご了承下さい。


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第十一話 虜 その1

※性描写注意


シィナ・ソンブルはアドバンスドタイプと呼ばれる人種であり、氷河族のボスの娘という秘密を持っていた。それは、レイしか知らない秘密。誰かに知られては行けない秘密。

 それらを知ってしまったレイは、シィナの家に閉じ込められた。彼女と接吻を交わした際に体内に入れられた軽度の筋弛緩剤は彼の身動きを封じる効果を持つ。レイを愛するが故の行動は明らかに常軌を逸しているようにしか見えない。

 

 レイが弛緩剤を飲まされてから1週間が経過した。その頃には弛緩剤の効果も薄れてはいるものの、やはりシィナに支配さられている状態である。

 レイに好意を抱くが余りに暴走した彼女の感情は、留まる事を知らないのだ。

 彼女の家の浴室にて、レイは浴槽の中で視線を落としている。清潔感のある、大人が2人入れそうな広さのある特別な印象を持つ浴室。その背後には、シィナの姿もあった。彼女が少し動けば、張っている湯の弾ける音が響くのだ。

「レイが私の家のお風呂に居てくれるなんて私、とても幸せだよ」

笑顔のシィナ。しかしレイは明らかに表情が対照的だ。

「シィナ……もう、こんな事やめようよ……良くないよ……」

「どうして?」

「これは恋愛じゃない!独占だよ!恋愛は対等じゃないと行けないと思うんだ!一方の愛情だけじゃ、ダメだと思う!」

彼なりの考えを述べる。しかしシィナは聞く耳を持たない。

「可愛い顔でそんな事言っても私には通用しないからね」

と、言いながらシィナはレイを背後から抱擁し、更に耳垂を口唇で触れる。その感触はレイを更に困惑させ、戸惑わせる。

「ふぁぁッ!」

「そんな声を上げるのに嫌がるなんて、矛盾してるね」

シィナの行動は更に過激さを増す。耳の中に入っていく舌の感触のこそばゆさと違和感はレイの身体を震わせていく。

「どんなに建前の言葉を言っても、結局レイは私と交わる事を望んでる。腰を動かしたくて堪らないんだよね?既に私達の関係は“その先”を行っているのだから。」

あの時シィナの誘惑に乗ってしまった事はレイにとってはしては行けなかった事と言えるだろう。彼女と一線を越える関係を作ってしまうのは、彼女にとって都合が良い事と言えたからである。

 一度知ってしまえば抗えない快楽はレイを貪り、言葉では困惑しつつも身体はシィナを求めるようになってしまっているのだ。

「あぁッ……!」

シィナの官能的な手付きがレイを誘惑していく。優しく、その上で迫る刺激がレイを包み、彼に嬌声を上げさせる。

「レイは本能のままに居て良いんだよ。その為に私がいるんだから。ね。レイ。私と交わろう、ね?」

何故、これ程抗えないのだろう。シィナが魅せる闇はレイを取り込んでいる。

 彼女の言葉に何故か引き込まれ、そして堕ちていく感覚。それを誰も止めない。従者のミリナも見守っているだけなのだ。

 

 シィナは本能のままに従順だ。特に家という空間の中では躊躇いなく行動する。

 浴室という、本来ならば身体を温めて癒す空間の中ですら異性を入れ、そのまま受け入れる。

 後背位で行われる交わりはまるでヒト以外の哺乳類の交尾のようであり、レイは彼女の綺麗な肢体や声、そして秘部に感じる快感に押されて行こうとしているのだ。

 

 

 

「ンあっ……ああッ……んんんッ!」

 

「シィナ……ふぁぅッ……!」

 

「素敵だよ……レイぃ……!スゴっ……激しッ……もっと……もっとぉ!」

 

「あふっ……ん……あァッ……!」

 

「良いの……!この格好……動物が交尾してるみたいッ……!んああぅ!」

 

「ふぁぁッ……ぅ……気持ち……良い……!」

 

「嬉し……私で感じて……くれてる……んううっ!」

 

「あぅッ……!」

 

「ね、レイ……私の事……好き……?」

 

「んああ!好き……だよ……」

 

「どれ……ぐらい……?」

 

「とてもぉ……!ふぁッ……」

 

「んふっ……すてき……んぁッ!」

 

「あぁっ……んうッ……うぁッ……」

 

 

 

最早見境がない。シィナに魅入られたレイは浴室にて彼女との行為を勤しんでしまう。互いに乱れ、欲情している。

 彼女との関係は交際相手ではあるがシィナはレイを支配しようとしている。その美貌、口調、身体。そして独占欲。その中に秘める脅迫。いつの間にかレイはシィナを求めてしまう。彼女には抗えないのだ。この矛盾した感情を払拭せんとばかりに、レイは動き続ける。それに呼応するようにシィナも声を荒げる。レイは彼女の腕を掴み、ただ、全てを忘れるかの如く無我夢中に腰を動かし続け……

 

 

 

「ダメ………シィナ、僕……もう……!」

 

「んぅぅぅ!レイッ!良いよォ!イク時の声を聞かせてぇ!!」

 

「んあッ……ふあぁッ!」

 

 

 

レイは果ててしまった。同時に嬌声を上げ、姿勢を崩す。欲望の象徴はそのまま湯と共に流れ落ち、彼は放心状態となっていた。

「はぁッ……はぁッ……はぁッ……はぁッ……」

「ふぅ……ん……」

欲を解消し合った両者。それによって放心状態のレイ。シィナはその状態のレイに対し、静かに耳元で囁く。

「素敵な声だったよ、レイ。」

果てる時の嬌声を聞かれる事は恥以外の何者でもない。彼はただ、顔を赤めて戸惑うだけ。言葉すら出せない状態だ。

「お互いの事情を知ったならこそ、より気持ち良くコンタクトが取れたんじゃないかな。それって、とても幸せな事じゃない?」

確かに彼は悦楽を感じた。だが、その傍で戸惑いが隠せない。

「だからって、こんなの……」

「私とシておいて拒否なんておかしな話だよ。私はキミを離したくない。ずっとここにいてよ。大好きなレイ」

独占欲は次第に強くなる。人の欲は果てないとは言うが、シィナの欲はそれらを上回っている。

 彼女は闇。氷河族と言う組織を率いたボスと呼ばれる人間の娘。その存在という立場や、巧みな話術は話す者を虜にする。レイはその虜になっていきつつあった……




※しばらくは3日に一度の更新となります。次回、23日21時更新です。


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第十一話 虜 その2

互いに裸の姿でベッド上にいる状態。レイの眼はシィナを見てはいるが、どこか虚ろだ。

何故ならば、今レイは学校に通う事が出来ていないからである。この1週間、レイは外に出る事すら出来ていない。いや、正確には彼女を置いて外に出られないと言うべきか。その間、毎日のように彼等は行為を続けているのだという。

 シィナの真実を知り、彼女はレイを我が物にはしている。その傍らでレイは彼女の事をより一層意識するようになってしまった。

 シィナのアプローチは過激であり、危険に思える。実際、レイはコーヒーに睡眠薬を入れられた上に筋弛緩薬まで入れられている。普通に考えれば恐怖を抱くのが当たり前だろう。しかし、何故だろう。シィナの側を離れなければという意識は、いつしかなくなっていたのである。

「レイは私の事を好きになってくれてるんだね」

隣にいたシィナが言った。いつもの、朱色の眼。その様子は演技をしていないようにも見える。

「私はレイの事を監禁なんてしてない。いつでもここは出られるし、出入りも自由。なのにレイはここに居る。それって、私の事をホントに好きだって証拠だよね。さっきシてる時も好きって言ってくれてたものね。」

「……うん……僕は……シィナが好きだよ……」

それは、シィナ・ソンブルという闇が作り出した誘惑にレイが嵌ってしまった事の、何よりの証であった。

「レイ、私はレイの為にお金だって稼ぐよ。そして一緒に愛し合える。私は今、満ちているの。こんな可愛くて逞しくて、素敵な子と一緒に過ごせるのが、とても愛おしいの。」

シィナに好かれるのは嬉しい。しかし彼女のアプローチは余りに危険だ。彼女の金の稼ぎ方は反社会組織を動員する方法。それを使っての金稼ぎ。

 先日のテロリスト襲撃もシィナの仕業。つまり、彼女がその気になれば何らかの事件を起こし、そうした所から金銭を得るという仕組みが出来る。

 それはやっては行けない。彼女の事は好きではあるが、明らかに間違っている。

「だけど……シィナは明らかに悪質な事をしてるよ……そんな風にお金を稼ぐのは良くない……シィナのような人が、そんな……」

彼なりのフォローを入れる。だが、シィナは――

「それを決めるのは、誰?」

と、とぼけるように言った。

「誰って……」

「そう、レイはこれに答えを出せていない。何故ならば誰にも咎められないし、世論が味方をするからだよ。」

シィナの持論が展開されていく。彼女なりの哲学が、再び。

「世の中がダブルスタンダードで出来てるって言ったでしょ。その結果不幸になっている人がいる。だからこそ、私はそれを利用した上でビジネスを行うの。世に不満を持っている人を、氷河族と言うブランドを使って動かせば良いの。顔がなくても成り立つビジネス。お父さんも多分そうやってきたんだと思う。」

その結果が先日のテロリスト襲撃である。彼等はシィナによって雇われた存在。連行されても氷河族が裏にいるという事実がある以上、彼等がシィナの事をリークする事はないのだ。

「そして、私はそれを咎められる事は無い。何故ならば氷河族のボスの娘だから。その立場でSNSを通じて世に不満を持ってる人とか、金が欲しい人を募るの。そして、インセンティブを得る。これが私のビジネスなんだよ。これだって発覚する事はない。政府にお金を払えば、それすらも揉み消せる。平和戦争以前から氷河族はそうして来たからね。」

氷河族は地球圏を統一している勢力を始めとした組織に金銭を払い、その活動を黙認させている。故に被害者は減らない。組織の存在は絶対となっているのだ。

「シィナはそれに対して罪悪感とかないの……?お金を払えば何でも許されるなんて、間違ってる……」

レイの意見。だが、その言葉もどこか弱々しい。

「お金さえあれば大半の事は許されるよ。幾ら倫理的に問題がある行為とかしたとしても、旧世紀のある国では税を納める事でそれを揉み消すケースだってあったんだって。まあ、表向きは税としても所謂裏金だよ。」

自分と交際している相手の正体が氷河族のボスの娘であり、その立場を利用してビジネスを繰り返している。元の資産も去る事ながら、彼女のビジネスは巨万の富を築くのに十分と言えた。そして、彼女は自らも力を持っている。

 ある意味、シィナは無敵とも言えた。彼女を敵に回すのは危険極まりないのだ。

「レイが私の事を仮にリークしたとしても無駄だよ。そんなものはすぐに揉み消しちゃう。」

レイは自分の背筋に、何か寒気のようなものを感じた。

「それって……僕を消すって事?」

レイの言葉に対し、シィナは微笑する。

「クスッ……そんな事は絶対にしないよ。」

 この笑みの裏には怖さがある。レイは彼女の言葉を聞いて少しばかり安心した様子だった。

シィナは反社会行動を動かして得た金で人を従わせている。その行動は、彼女の父親である氷河族のボスと変わらない。レイが関係を持ってしまった人間は、これ程に恐ろしく、闇が深い人間。なのに性交渉をしているという妙な関係。

 そして、それはレイという少年を虜にしてしまっている。シィナもレイを好きになっている。一見すれば相思相愛の関係。側から見れば幸せに見える関係。

 しかしレイは違和感を覚えている。その上でシィナと交際している。その違和感の正体は、彼女の奔放な性格ではなく、氷河族のボスの娘という立場と、それを利用しての反社会行動を行なっているという事。それが大きく関係しているのだ。

「私の事を一杯知ったレイは、もう私の事を愛する以外に選択肢はないんだよ。その上でお金だって入る。そして、私と交われる。いくら戦争が終わって表向きは平和とされてるけど、実際はまだまだ狂ってる世の中で、レイは今、しがらみから解放されている天国にいる気持ちでいると良いんだよ……」

人間の幸福とは何か。レイは別に金銭に恵まれたいとかそういった感情は持ち合わせていない。あくまでもごく普通の生活を送る事が出来ればそれで良いという人間。多くは望まない。

 だが現実は彼を非日常に追い遣った。それが去年まで経験してきた壮大な体験。それからは、どこか退屈ではあるが普遍的な日常を過ごす事が出来ていた。

 しかしシィナと出会って彼は予想外の闇に囚われてしまっていた。レイに好意を抱く少女。彼と交わり、やがて交際に至る。

 少女は恐らく大多数の人間が羨むものを全て持っていた。反社会組織のボスの娘いう立場で、界隈では恐れられる存在であり、金銭にも困っていない。彼女に何らかの捜査の手が及ぶ事はない。そして、誰もが羨み、時に嫉妬さえ抱く事のある美貌。その少女に好かれ、性交渉をする関係を経て交際する関係となったレイ。

 それはある意味完璧と呼べる人間との交際と言えた。彼女の性格に於いて欠点と強いて言うならば、レイに対する独占欲が強いというところか。

 シィナはレイの秘密を知っていった。そしてレイはシィナの秘密を知る。その秘密の内容が彼にとって驚愕の事実だったのだ。

 アドバンスドタイプである事と、氷河族のボスの娘。これらが合わさった、明らかに非日常的な人間。それがシィナ・ソンブルなのである。

(確かに僕は地獄のような経験はしてる。だけど、どうしてこれ程にシィナの事が気になってしまうんだろうか……)

それが、不思議でならない。あの壮大な体験を経験しているレイにとって、シィナの存在は危険な存在と言える筈なのに、彼女の虜になりつつある。危険な行動をしているシィナを、本来ならば止めなければならないのに。

 それは、もしかすれば同族という事が関係しているのかも知れない。アドバンスドタイプと呼ばれる人種。本来ならば滅多に見られない存在。だがシィナはそれに該当する人間。その人種。

 それは、どこかうだつが上がらず、どこか平穏で本心を言える友がいないレイにとってはある意味僥倖と呼べる存在なのかも知れないのだ。

 



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第十一話 虜 その3

するとその時、レイのEフォンの着信音が鳴った。誰からの着信なのかは、シィナが情報を消してしまって為に分からない。つまり、相手を確認する為には手当たり次第電話に出るしかないのだ。

 それを手に取り、レイは電話をする。そして、静かに口を開けるのだ。

「もしもし?」

その次に、聞き覚えのある声が聞こえて来た。

『レイ!最近連絡なかったから連絡してみたよ。』

その声は、間違いない。幼馴染のリルムだ。シィナと知り合って以来、Eフォンでの会話をしていなかったレイはこの声がどこか懐かしく感じられたのだ。

『今は、家にいるの?』

リルムからの何気ない会話。しかしシィナ以外の人間と喋る事の懐かしさを感じている。

 だが、今彼がいるのはシィナの家だ。故に言葉がに躊躇いが生じる。

「うん……まあ、ね。」

『じゃあ、モニター映して良い?何となくレイの姿を見たくなったから!』

「えっ!?」

リルムからの提案はレイを困惑させた。

 無理もない。自分の今の姿を見せる訳には行かないからだ。何故ならば、今の自分の姿は裸であり、尚且つシィナと一緒にいるという状況の為である。

 どうすれば良いかと躊躇うレイだが、すぐにEフォンの画面にリルムの姿が映し出された。この時、レイは幸いにも顔のみが画面に映っている状態であった為に彼女から妙に思われる事はなかった。

 

『なんか、久し振りだね!私も学校が忙しくてなかなか連絡出来てなくて!そっちは順調?』

「う、うん……順調だよ。なんとか……ね。」

順調とは言えない。何故ならば、レイは今シィナ・ソンブルという名の闇に囚われてしまっているのだから。

 だが、シィナの存在を意識しているのは間違いない。今のレイは、シィナによって生活は保たれている、異常な状態なのだ。

『なんか、元気がないみたいだけど……大丈夫?風邪?』

レイはすぐに表情に出やすい。それは彼の性格上の話だ。リルムはそれを知っている。故にすぐに聞く事が出来るのだ。

「な、なんでもないよ!ごめん、僕も課題があって忙しくて!ごめん!また今度!」

と言って、レイは電話を切ってしまったのである。

 今の状況をリルムに見られるのはまずい。もし見られてしまえば彼女との関係は終わってしまう。

 シィナに魅入られてから彼は過去の誰とも連絡が取れない状態だった。そのつ数少ない過去の繋がりの一つがリルムである。様々な経験をして来た人間の1人、リルム。それすら、今の状況によって転覆されかねないのだ。

「レイの幼馴染の子だよね」

シィナの眼がレイを見て言った。

「……うん」

レイが静かに頷く。

「もう、レイは過去に戻らなくて、私という未来に生きてるのにまだ連絡を取るんだ」

シィナの目付きが変わったように思えた。それはまるで、レイに対する感情を露わにしているかのよう。

「連絡って……向こうから掛かってきたらそれは登録するって約束でしょ……?」

どこか怖さを感じるレイだが、シィナには意見をする。

だがその時、シィナは突如レイの首筋に対して爪を立て始めた。爪の力は強く、皮膚に食い込む。突然の出来事にレイは驚愕し、痛みを訴えた。

「あぁッ!?」

その勢いは強い。まるでレイに対する嫉妬を剥き出しにしているかのようだ。

「レイは私だけ見ていれば良いのに、良くないよ。何の為に連絡先を消したのか分からなくなる。」

淡々と述べるシィナだが、表情に笑顔がない。そのまま勢い付けて爪を食い込ませる。

 既にそこからは血が出ている。それはシィナの静かな怒りを表している他ならないのだ。

「やめ……てぇ……!ああッ!」

「アハハ。レイってどうしてそんなに可愛く声を上げるの?まるで演技をしてるみたい。女優か、声優さんだね」

少女の甲高い声すらも、眼は明らかに笑っているように見えない。その様子が、恐ろしく感じられるのだ。

 レイはかつての戦争を生き延びた少年。しかし日常に於いて経験のない出来事は、その壮大な経験も役に立つとは言えないのだ。

 それは何故か。一つはレイの優しさが影響している。彼は常に何かを守る為に戦って来た。それ故の強さがあった。

 もう一つはシィナという少女とある意味の相思相愛関係が影響していた。彼女は独占欲が強い人間だが、一方で彼女の事が気になってしまっている。それ故の人間関係。それは、この平和になった時代に於いて過去の壮大な出来事は役に立たないのだ。

「ホントにレイは可愛い。そんな、過去の体験をしているとは思えない程に。」

シィナは爪を立てるのを止めた。食い込んだ皮膚には血の色が生々しく彩られている。

「だけどね、私に嫉妬させたのは良くないよ。私とレイの家族だけの人間関係で良い筈なの。だから連絡先も全部消したのに、まだ過去に拘るの?」

彼女に人間関係を勝手に整理される覚えはない。そして、レイの言葉を無視し、彼女はレイを独占しようとしている。シィナは余りに身勝手だ。

 今回も、リルムからの着信なのにそれすら彼女は怒る。そして、レイを翻弄し、傷を付ける。彼女の独占欲は底知れない。まさに闇そのもの。

「でも、レイを傷付けてしまったのは良くないな……。綺麗な身体を傷付けるなんて、勢いって怖いね。ごめんね、レイ。」

シィナは突然レイに謝り、優しく傷口に触れた。この態度の豹変ぶりも、違和感しか生まない。

 更にシィナはレイの傷口を舐めるような仕草をする。まるで猫が舌を使い、毛繕いをするかのように。その感触と痛みが同時に伝わり、レイは

「ひゃあぅぅ!?」

と声を上げてしまうのだ。

 このような嬌声がシィナの嗜虐心を揺さぶる。レイ自身、わざとそのような声を出している訳ではない。なのに、相手にとってはそれが愛らしく感じてしまうという。その事が時に嫌に感じる時があるのだ。

「やっぱり、甘い」

シィナの感想が出た。

「シィナ……こんなの、良くないよ……」

レイの意見が出た。弱々しい様子ではあるが、彼は言葉を発する。

 シィナのやり方は肯定できるものではない。レイを我が物とし、彼の交友関係にも制限を掛け、自分1人が愛せればそれで良いという解釈。レイは、シィナのそれが嫌に感じているのだ。

「おかしくなんてないよ。大好きな人を独占したいのは普通だよ。そこで別の人間に連絡なんて取られたら嫉妬しちゃう。傷付けたいって思っちゃう。けど傷付けるのはやっぱり良くないよね。なんだろう、この矛盾した感情って。」

彼女はレイを独占している。しかし、レイはこの独占欲の果てない彼女をどうにかしなければならないと思っていた。

 その一方で、彼の心は彼女の虜となってしまっている。最早これは蟻地獄と言っても過言ではない。殻の中の闇。それは抜け出せない蟻地獄と呼べるものなのだろうか。

 



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第十一話 虜 その4

更に時間は流れた。既にレイがシィナと共に暮らすようになってから2週間余りが過ぎていた。

 この頃になればレイは学校にも行く事は出来ていた。学園内ではレイは何一つ変わらない生活を送っている。一つ変わったとすれば、ノレッドと距離が出来てしまった事ぐらいか。

 しかし今のレイにとってはそれすらも気にするような事ではない。ただ、シィナの事ばかりが気になってしまう。その上で追い討ちを掛けるように、シィナは正論を述べている。

 学内での生活は至って普通を装っている。シィナも積極的にレイとコンタクトを取ろうとしない。その辺りの配慮は出来ているのだ。公然とレイと一緒にいる事はない。

 だがその時間が終われば彼女が主導権を握る時間となる。レイを翻弄し、誘惑するシィナは個人の空間の中でレイを弄ぶのだ。

 この行動が続けば彼の感性も次第に変わっていくのが分かる。しかしレイには今、シィナ以外とは誰とも連絡が取れない状態。完全に心が彼女のものとなってしまっているのだ。

(シィナは困らせる訳には行かない……僕が側にいないとダメだ……僕がシィナを満たしてあげないと行けない……けど……)

 学校でも友人と呼べる人間がおらず、元々一人暮らししているレイ。その中でのEフォンでの繋がりをシィナに消され、向こうからの連絡ですら嫉妬される状態ではレイ自身何も出来ないのだ。

 今、シィナは満たされつつある。レイが常に側にいる環境で、彼を翻弄し、愛している状態だから。

 

 

 

***

 

 

 

 更に時が流れて12月31日。この日は学校も休みである。新年を迎える為の時期に入るからだ。

 この時、シィナはレイを家に残し、1人出掛けた。彼女の恒例行事、児童施設へのボランティアに行く為である。

「じゃあ、行ってくるね。レイ」

ウインクをしてシィナは去る。これ程に彼女はレイに好意を抱いており、そしてレイもシィナの虜となってしまっている。

 だが相変わらず彼女に対する違和感は残ったままだ。氷河族のボスの娘として反社会行動を行なっていたり、ボランティアスタッフとしての行動を行っていたり、レイを独占しようとする等、多くの面で謎が残る。

 レイは広いリビングにてミリナに用意された茶を飲んでいた。彼女は初対面の時のローブ姿を変えず、今も同じ服装で仕えているようだ。シィナの拘りなのだろうか。

 レイとシィナが様々な行動をしている中でも、彼女は寡黙な姿勢のまま、自らの意思を示す様子を見せない。今回、シィナがボランティアに出掛けている事もあり、彼女の事を聞こうとレイは思っていたのだ。

「あの……」

「はい」

レイの言葉はどこか、弱々しい。シィナに魅入られてしまっているが故なのかも知れない。

「シィナの事について聞きたい事があるんですけど……」

「何でしょうか」

レイは、3秒程度考えた後で、言葉を発した。

「シィナの過去について知りたいんです。ミリナさんなら何か知っているのかなと思いまして」

「どうしてですか。レイ様がシィナ様に好意を抱かれているからですか。」

それも一つだが、いくつか気になる点がある。それらを一つ一つ、レイは語っていく。

「シィナの僕に対する独占欲とか、シィナの氷河族の事とか……どうして彼女がそのような性格になってしまったのかを知りたいと思うんです。」

思えば、シィナからの情報は限定的だ。彼女は自分の事を確かに明かしたが、その経緯などに関してはレイに明かしていない。

 彼女に直接の身元引受人や肉親がいれば、そこから情報を得られただろう。だが彼女の父親は氷河族のボス。連絡も取れない存在。それ以外の人間関係も大きくは分かっていない。強いて言えば、以前レイと一緒に時間を過ごしたモーナとミャンぐらいか。

 だが彼女達をシィナが信用しているようには見えない。ならば、この場で聞ける人間はミリナしかいないのだ。

「彼女が僕を好きでいてくれるのは、正直とても嬉しい事だとは思っています……けど、あれでは独占欲が強過ぎます……」

ミリナにそれを語る。彼女はシィナの従者。何か、分かるかも知れないとレイは思ったのだ。

「シィナ様は昔から常に“何か”に満たされたいと願っていました。恐らくそれがレイ様なのではないでしょうか」

ミリナは茶を飲みながら言った。

「シィナ様はレイ様と一緒に居て、常に笑みを浮かべられております。自身の事を殻と言っていたあの人が、常に笑顔を見せて、まるで満たされている様子です。それは貴方の存在が大きく関与していると考えられます」

次にミリナがレイを褒めるような事を言った。それは従者故の言葉なのだろうか。

「シィナに好かれているのは嫌じゃないんです。独占欲はとても強くて、少し怖いとさえ思う時がありますが。」

「それでも、“今の”貴方はシィナ様を受け入れていますよね」

「……“全て”とは、言えないですけど……」

シィナからのアプローチではあるが、結果的にレイは彼女からの好意を受けて入れている。この家で過ごすに連れ、最初の彼女に対する異様な恐怖は無くなっていったのだ。

 だが、違和感だけは残る。それがレイにとって不快に感じる部分と言えた。

「多分、僕が彼女に惹かれるようになったのはシィナと僕は同じ人間というところがあるからなんだと思います。」

「アドバンスドタイプ……そう呼ばれる人間という事ですか」

予想外の言葉が出た。ミリナはその人種の事を知っていたのだ。

「ご存じだったんですか……?」

「ええ」

驚愕した――が、よくよく考えればミリナはシィナの従者である。彼女の事情を知っていてもおかしくはないのだ。

それと同時に、レイはミリナを責めた。当然だ。彼女はシィナを止められる立場にあった筈なのだから。

「じゃあ、ミリナさんはシィナがあんな惨劇を引き起こしたのを、分かっていたって事ですよね!?」

シィナが引き起こした、ショッピングモールでのテロリスト襲撃。ミリナはそれを分かっていた。その目的も、全て。

「ええ、そうなりますね」

と、悪びれる様子を見せずにミリナは言った。

「どうして止めなかったんですか!?一般の人も死んでいるのに!僕の力を確認する為にあんな事を引き起こさせるなんて!」

彼女が従者ならば、それを止める役割もミリナにはある筈だ。なのに、それを止めなかった。それがレイには理解出来ないのだ。

 しかし、ミリナは表情一つ変える事なく口を開いた。

「私はシィナ様の行う事を見守るだけです。私は従者に他なりません。その行動に対して何かこちらが物を申す事は私の仕事の管轄外です。」

冷めた言葉。そのような印象を受けた。

「そして、シィナ様の事を知ったレイ様は今、ここであの方と一緒に過ごされているではありませんか。」

と、今度はミリナがレイの青い眼を見て言った。

「シィナ様のレイ様に対する慕心は紛れもない物です。だからこそレイ様の事を知りたいと、常に言っておられました。ですから貴方を招いて、シィナ様は自らの事を語られました。そして、貴方と……」

この時、少しばかり言い辛そうな様子でミリナは言う。どこか恥じらいを感じているようにも見える彼女の仕草を見て、レイも顔を赤めてしまう。連想している事が理解出来た為だ。

(そんな事まで話してるなんて……)

普通秘め事を他者に話す事はしない。だが、ミリナは知っている。つまり、ミリナの存在はシィナにとっては信用に足る存在と言う事になる。でなければ秘め事を話す事など、まず有り得ないのだ。

「だとしても!やっぱり、間違ってますよ!あんな……いくら彼女が氷河族のボスの娘だからって……僕の事を好きでいるからって!氷河族として自分の都合の良いように犯罪を起こすなんて間違ってる!」

それは、彼女の行動の事だ。

 シィナはレイから魅力を感じていた。そこに至るまでに彼等は交際している。そして、シィナはレイの力を確認する為に氷河族のボスの娘という立場を利用してテロリストを呼び、レイの力を発揮させた。

 彼女の仮説は合っていた。レイが只ならぬ人間であるという事を、証明した。

「何故、レイ様は怒っているのですか」

突如、ミリナが口を開いた。

「他の人を傷付けてまで僕の事を知ろうとして、それを分かっていて止めないなんて!そんなのおかしいです!」

「では、レイ様はシィナ様から離れれば良いと思うのですが」

ミリナの提案は、極端だ。全か無かでしか語っていない。

 レイはシィナに関心がある。だが、一方でシィナのアプローチは過激だ。彼の事を知る為に民間人すら巻き込む。それを分かっていてもミリナは止めなかった。それが許せないでいるのだ。

「違うんだ……!シィナの事は、僕は好きなんだ……」

シィナの行動は容認出来るものではない一方で、彼女と同じ人種であったという事はレイにとっての喜び。これもまた、矛盾している感情と呼ぶべきだろうか。

「彼女の事は好きだけど、どうしても理解出来ないんです!シィナはボランティア活動とかで子供達と接するのが好きだと言っていたのに……その人が、氷河族のボスの娘だなんて……そして、それを利用しているなんて……一般の人まで巻き込んで!」

レイは今、悩んでいる。彼女の闇の中にある矛盾について。

 彼女の行動には一貫性がない。この矛盾に満ちた行動が、レイに理解出来ない。故に彼はシィナを知らなければならないと考えるのだ。

 氷河族のボスの娘であり、その立場を使って行う闇のビジネス。そして、一般人を平気で巻き込む出来事も行うという悪業。その一方で子供達を好きと言うもの。レイはこれが、理解出来ない。彼女を本気で好きでなる為にはその矛盾の真相を知らなければならないと、彼は考えているのだ。

 



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第十一話 虜 その5

「何故、理解出来ないのですか」

冷徹な印象を持つミリナの問いに対し、答える。

「……氷河族は子供の人身売買も平気で行う組織なんです。子供を想っているシィナがそれに加担してるなんて、矛盾してます。子供達が好きと言っておきながら子供達を不幸にするビジネスに絡んでる組織の立場を利用するなんて、間違ってる……」

この矛盾を起こすには彼女の過去を知らなければならないと考える。だから、ミリナに聞くのだ。

「レイ様、確認したい事があります」

ミリナが静かに口を開いた。

「え……?」

「もし、貴方が“本当”にシィナ様をご理解して行こうと考えているのならば、私が考えるシィナ様の事情についてお話をさせて頂こうと思います。仮に今から話す内容を何らかの形で外部に漏らす事が分かれば、レイ様にはそれ相応のペナルティが有り得ます。それを覚悟で聞かれるのならば、お伝えしましょう。」

その言葉には気迫じみたものを感じる。恐らくそれは、踏み入れてはいけない領域に入るような感覚なのだろう。

 だが彼は既にシィナの秘密を知ってしまっている。故に覚悟はある程度は出来ている筈だ。だがこの言葉にレイは僅かばかり言葉を失う。

「……」

ミリナの事を詳しくは知らないが、これ程に気迫じみた言葉を発する辺り、これがシィナに関係する事なのだろうと、レイは感じていたのだ。

「一つ言える事があるとすれば、レイ様がシィナ様を満たしている存在であり、常に好意を持っているという事を私は分かっています。それはつまり、レイ様がシィナ様にとって“信用”ある存在という事です。故にレイ様はシィナ様の事を知る権利があると考えます。」

彼女は自分を受け入れている。独占的な愛を感じる事はあるが、それでもレイはシィナの事が知りたい――

 

「……シィナの事について、教えて下さい。」

 

レイの言葉が、部屋に静かに放たれた。

「承知しました」

ミリナは静かに会釈をした。

「シィナ様は、過去に“ある”人物に会った事があり、それがきっかけとなり、今の行動に至ったのではないかと私は考えます」

ミリナから言葉が出た。

「“ある”人物?」

「ええ」

その人物とは、何者なのか。

「その方は、シィナ様のお父様と友人関係であったと聞きます。」

彼女の父……つまり、氷河族のボスだ。その人間と友人関係と言う事は、恐らく相当信用されている存在と考えても良いだろう。

「その人が、シィナとどういった繋がりになるんだろう……そう言えば、彼女のお父さんの名前って……」

ふと、レイは気になる事を言った。シィナの父親の名前についてである。

 シィナは父親に会った事が無いと言った。電話越しでしか声を知らないという。その際も“お父さん”としか言っていなかった。

「残念ですがシィナ様のお父様の名前は私にも分かりません。ただ、その友人の方は存じ上げていたそうです。シィナ様のお父様の名前について。」

「どう言う事ですか?娘がお父さんの名前を知らなくて、どうしてその人がお父さん……“氷河族のボス”の名前を知ってるって事になるんですか?」

確かにそうだ。肉親が名前を知るのは分かるが、肉親ですら父親の名前が分からないというのは奇妙な話である。

「それは私にも分かりません。ただ、その友人の方は“矛盾”についてシィナ様に言葉を残した事がありました。」

語られていく謎を解く鍵。氷河族のボスの友人がシィナに会い、その人物はシィナにどのような影響を残したのだろう。

「その人物は次の二つの言葉を残しました」

ミリナがそっと、口を開く。

 

 

 

『人は矛盾する生き物である。だからこそ愛おしく、だからこそ醜い。私の中にある矛盾は一体何なのだろうとさえ思う。だがそれは人であるが故の感情なのかも知れない』

 

『まさか、あの人の娘がよりにもよって“力”を宿しているとは思わなかった。私にも使命があるが、やはり人間の情が勝るか……これもまた、行動の矛盾故か』

 

 

 

この二つの言葉が、その“人物”が残した言葉だという。

 この情報をレイは統合した。いずれも聞き覚えのあるキーワードばかりが並んでいる。“矛盾”と“力”。これは彼が過去に経験した、あの壮大な体験の中での出来事が想起された。

この覚えのある感覚に対し、レイは何度か瞬きをする。

待て。もしかすれば、シィナが会った事のある人物は、“彼にとっても知っている人物”なのかも知れないという疑問がここで浮かんだのだ。

「待って……それって……?」

レイは更に考える。統合した内容を解釈する。自分に覚えのある経験は紛れもなく彼の思考に深く、根付いていく。

(いや……まさか……だけど……そんな事が……?)

レイは更に考える。まさか、そのような事があるとは思えない。

 しかしシィナが出会ったとされる人物の特徴と、レイが思い描く人物の特徴は余りに酷似している。似た人物ならばそれは他人の空似なのだろう。しかしレイはこれが他人の空似には感じられなかったのだ。

「ミリナさん、その人の名前って分かりますか?」

確認するように、レイは言った。名前ならば別に大きな秘密になるとは思えないと判断した為である。

「思い当たる節があるのですか?」

ミリナが確認をするように聞いた。

「いや……偶然かも知れないんですけど、可能性の話です。興味はありますので。」

偶然の一致があるかは知らないが、レイは今、非常に関心を抱いていた。もし自分が知る、“とある”人物とシィナの知る人物が一致しているとすれば……これは、最早偶然で済まされるべきものではないと考えた時――

 

「エファン・ドゥーリア」

 

レイの青い眼が大きく見開かれた瞬間だった。



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第十一話 虜 その6

その人間は、先の戦争の終盤でレイと壮絶な死闘を繰り広げた人間。レイと同じ力である、アドバンスドタイプの力を宿していた人間。アドバンスドタイプを量産する為にデウス帝国が火星に設立した、意思を持つEVEシステムが最後に生み出したアドバンスドタイプの男。

 男はEVEの使命である、力を持つ人類の抹殺を遂行した。だが時を経て人間を愛する感情を抱いていた。この矛盾の果てに、彼は地球人類の数を減らすという壮大な目的を掲げていた。

 レイはこの目的を阻止する為に動き、死闘を繰り広げ、男を打倒した。あの時の壮大な体験の果てにいた、最大の敵、エファン・ドゥーリア。まさかこの男の名をこの場で聞く事になるとは思いもしなかったのである。

 白いシルエットとして、夢にまで出て来たその男。ミリナが今言った事は何から何までエファンと行動目的や思想が酷似している。間違いない。シィナはエファンを知っているという事が今、分かった。

 

 

 

***

 

 

 

「その人物の事を、ご存知のようですね」

「知っているも、何も……」

レイはごくりと唾を飲み、言った。

 

「僕が、その人と戦ったから……」

 

それを聞き、ミリナは一度眼を閉じ、再び開いた。

「シィナ様が仰っていた、レイ様の過去である、戦争の経験の事ですね」

やはり彼女はミリナに言っていたのだと、レイは思った。

「そして、あの方もシィナ様と同じ人種」

その事も、ミリナは知っていた。

「そして、その人は……」

レイは数秒口を止めた後、静かに言った。

 

「僕が、倒した……」

 

エファン・ドゥーリア。レイにとって最大の敵。かつての戦争の果てにレイは男を倒した。その事を、今語ったのである。

 この時、冷静沈黙なミリナの眉がかすかに動いていたのを、レイは見逃していた。

「シィナにその事を言えば、何かが分かるかも知れない……エファンさんの話がシィナに関係してるのなら、聞いてみる価値はある。その事をシィナに言って情報を得られれば……」

と、レイが言った時――

 

 

 

「レイ様、それ以上の事は、何もされない方が良いでしょう」

 

突如ミリナの横槍が突き刺さる。一体何を言い出すのかと、レイは感じた。

今まで寡黙な印象だったミリナからこのような提案をする事自体が珍しい事と言えた為、レイにとっては余りにも新鮮な感覚だったのだ。

「エファンさんの名前が出たのなら、僕にとっても他人事とは思えません。あの人とシィナの関係を聞くぐらいは問題ない筈ですよ!?」

と、言った時――

 

「……シィナ様を、壊さないで下さい……」

 

今まで表情を僅かにしか変えなかったミリナが、表情を変える。それは、何故なのだろうか。

「え……どうして……?」

レイは聞いた。

「シィナ様は、“ある”出来事事をきっかけに常に何かに満たされないまま生きて来られました。その中で今のように生きるきっかけとなったのが、貴方が倒したとされる、エファン・ドゥーリアという男性。彼の存在はシィナ様の心の在り処として今までのシィナ様の行動の礎となっていました。やがてシィナ様は彼と同じ力を持つレイ様と出会い、ようやく満ちる事が出来たのです……」

シィナの心の闇は、単純なものではない事は薄々は分かっていた。しかしミリナの言葉がその複雑極まった殻の中の闇を更に混沌とさせているのだ。

「レイ様がエファン・ドゥーリア氏の事情をシィナ様に言ってしまう時、あの方は確実に壊れてしまいます……卵の殻が握力のコントロールを調整せず、勢いよく力を加えればすぐに割れてしまうように、シィナ様はとても、繊細なのです。」

ミリナの声が先程よりも大きくなっていった。

ミリナから得た情報は、レイを困惑させていく。シィナの行動を止めたいと言う一心で動いていた筈なのに、それが彼女の心を壊してしまうかも知れない。それは本当に良い事なのか?

「そんな……そんなのって……」

下手な言葉がシィナを壊すかも知れないと言う怖さを、レイは感じていた。ミリナの言葉にはそれ程に強い力が秘められているのだ。言葉に抑揚がなかった人間の声が大きくなっているのが何よりの証拠だ。

「私があの方の行動を止めなかったのは、あの方が壊れてしまうのを見たくないと言う理由があったからです。シィナ様は私に多くの事を語って下さりました。私は、ただそれに相槌を打つ事をしてきました。ですが、私の方から何らかのアドバイスをする事は一切して来ませんでした。もし、あの方の行動原理となっている“エファン・ドゥーリア”の事を言った時、シィナ様はどうなるのか……」

事象に対し、人から指摘される場合と自分で理解している場合では精神的な負担は大きく異なる。シィナはミリナに自身の事を語ってきたに過ぎない。そして、ミリナはそれをただ、肯定した。その背景にあるのは、シィナの心が壊れて欲しくないと言う純粋な想いが強かった為である。

「だけど、“誰か”が言わないとダメなんだ……シィナをあのままにしたくない!」

レイはシィナに変わって欲しいと言う一心でミリナに伝える。しかしミリナはシィナが壊れてしまうのではないかと言う恐怖を抱いている。

「レイ様はシィナ様が慕心を抱かれている方という事を理解した上で接しておりましたが、はっきり申し上げます。貴方は身勝手です。シィナ様と同じ人種で、あの方が慕っているという背景があるとはいえ、シィナ様を変えようという事をするのは許されざる事ではありません。」

それはミリナがシィナの従者を務めているが故の発言。それは確かに大切な事かも知れないが、レイから見ればシィナの行動を止めたいと思うのは当然だ。

「あのまま反社会行動を続けているのを、黙って見ておけって事ですか!?あんな事を続けてたら、いつかシィナ自体がいつか悲惨な目に遭うかも知れないのに……そんなの、おかしいです!」

行動の矛盾。レイはシィナにそれを止めて欲しいと言う。しかし従者のミリナはそれを止める。シィナを巡って意見が対立している。

 一方は、シィナからのアプローチによって交際関係となった少年。もう一方はシィナの従者として長年彼女の身の回りの世話をしてきた女性。

「シィナ様がレイ様に慕心を抱き、その方と添い遂げる事は私は否定しません。しかしそこからシィナ様の行っている事を否定する事は私は認めません。長年従者として側に務めていた私だからこそ、言わせて頂きます。」

「あのままシィナの行動が暴走する事の方が危険です!善意のある行動ならまだしも、氷河族の名前を使っての反社会行動を続けるのは行けないですよ!」

「それがシィナ様の生き甲斐であり、彼女が少しでも満たされる為に必要な事なのです。心の在り処がある上でシィナ様は行動されています!貴方の行動でシィナ様を壊させる訳には行かない!」

「だとしてもそれが子供達を巻き込む事に繋がります!子供達を使った人身売買にシィナが関与している可能性だってあるんですよ!あんなに、子供達の事を大切に想ってるシィナがそんなの、おかし過ぎます!」

シィナを巡り、互いの言葉が出続ける。レイとミリナ。シィナを理解しようとする者と、理解している者。

「交際されて1ヶ月程度しか満たない貴方がシィナ様を語るのは、滑稽としか言えません!」

「交際は短いかも知れないですけど、やっては行けない事ぐらいは分かります!」

すると、ミリナは握り拳を作った。冷静な様子を貫いていた彼女の表情が少しずつ変化しているのがレイには分かるのだ。

「シィナ様に貴方への慕心が無ければ良かったのに……毎晩お二人の秘め事の際の嬌声聞いていても私は何も感じませんでした……あの方が喜んでいたから!ですがその上で更に貴方はシィナ様を変えようとするのだけは納得出来ません!」

「な……そんなの、関係ないですよ!」

「関係はあります!シィナ様をよく知るからこそ、私は納得が行かない……レイ様の勝手な行動は許されません!シィナ様を変える事は許さない……この、私が!」

「どうしてそこまでシィナの行動を見守る事に拘るのかが分からないです!彼女が壊れる理由も分からない!何か、具体的なエピソードがあるんですか!?こんな事を続ける方がよっぽどおかしいです!」

両者は言い合う。シィナを巡り。互いにシィナを想うからこその口論。

 その中でミリナが口を開く。シィナにあったエピソードについて語ろうとしているのだ。

 

「ありますよ」

 

ミリナは小さな口を開き、レイを黙らせた。

「シィナ様は過去に心を壊した事があります。それこそが、当時地球圏の政府として君臨していたある政治家による、間接的なダブルスタンダードによって生み出された悲劇を目の当たりにしたからなのです。」

「シィナは、それをよく言ってたような気がする……」

レイはシィナの言葉を思い出した。

 

―――――――――ダブルスタンダードで物を言う人間ばっかりなんだよ―――――――

 

彼女はこの言葉をよく言っていた。薄々とは感じていたが、シィナの過去に関係する台詞ではないだろうかとは考えていたが、ミリナの言葉でこれがより具体的になったのだ。



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その1

今から7年前。それはかつて起きたデウス動乱と呼ばれる大規模な戦争が終結した頃。

 この時地球は戦争による傷痕によって荒廃している場所が多かった。

 しかしその中でシィナはそうした被害者に遭う事なく暮らす事が出来ていた。父親の顔を知らず、母親と父親の資産がある中で暮らして来た。

 父親の名前はエレグ・スウィード。反社会組織、氷河族のボスと呼ばれる人物だ。この戦後の混乱を経て地球に勢力を急激に拡大させ、世界中に構成員を作り出すに至った人物である。

シィナは父親と苗字が異なる。それは母親であるマーレ・ソンブルの姓が使われていたからだ。マーレに子供がいる事が発覚した時にエレグは姿を見せる事なく、資金のみ彼女に提供し続けたという。

 この時、エレグ・スウィードはマーレがアドバンスドタイプの力を持つ人間だと分かっていなかった。何故ならば、彼女の力を確認する事がなかった為である。故に娘のシィナはアドバンスドタイプの力を宿して産まれて来たのだ。

アドバンスドタイプの力は遺伝する。片親がその力を持っていれば、性交渉の相手に何の力を持たなくも関係なく遺伝するのだ。

 

 エレグの資金力もあり、裕福と言える家庭で育って来た2人。戦後の時代は貧困な家庭が数多く存在している中で、彼女達は側から見て恵まれている環境にあった。貧困とは程遠い環境で、衣食住にも恵まれている。それらすら許されていない、戦後の貧困層のいる環境とは雲泥の差と呼べた。

 何不自由なく暮らしていたシィナ。だが彼女は産まれてから父親の顔も名前もを知らないで育った。母マーレも娘を授かってからエレグとは一切会っていない。電話越しでの声だけだ。

 ある時、シィナとマーレは1人の政治家と知人関係になった。その人間は、当時地球を統一していた政府の上院議員と呼べる男だった。男は戦争によって荒廃した世界を復興する為の政治を行いたいという一心で動いている人間だったという。

 彼の掲げるマニフェストは戦争被害に遭った子供達を救い、被災した国民を救い、貧困の差を無くすと言う、綺麗なものだった。それは、戦災孤児や戦争被害に遭った人間達を救うものとして受け入れられた。極限の状態で、人は救いの光に弱い。そうした影響もあり、男は政治家として躍進を遂げる事になった。

 当時マーレとシィナが住んでいた地域は特に戦争被害が大きく及んでいた場所だった。故に大衆はその政治家に希望を託した。

 政治家の男の言うようにその国復興は始まっていく。貧困は減っていき、食べるものにさえ困っていた子供達の数は減っていったように見えた。食料の調達も当時地球圏を制していた組織が行い、人道支援も行われているものと考えられてきた。

 だが、その後で悲劇が起こる。ある日、街に暴動が起きた。それは当時蔓延していた人型兵器を使っての暴動。テロリストによる事件だ。

 それらは当時地球圏を統一していた勢力によって鎮圧された。だが、民間人にも大きな犠牲が出る事となった。

 復興した筈の街がテロの業火によって焼かれた。これは側から見れば一部の人間による仕業と見られがちではある。だが実際は違った。

 政治家の男がマニフェストを掲げた「実績」を残した上で利権を得る為にテロリストに根回しをしていたのだ。

 これにより、戦争によって荒廃していた中で政治家の手腕によって復興した街がテロリストに襲われるという悲劇が起きながらもそこから立ち上がると言う、綺麗なプロパガンダが出来上がった。全ては政治家の男のシナリオ通りと言う訳だ。この宣伝は男の躍進に大きく貢献した。全ては、貧困や戦後の被害に遭った人々や子供達を利用する為に仕組まれた事だったのだ。

 政治家の男は復興する資金を得る中で一方としてテロリストにも資金を横流しをし、結果的に莫大な資産を得る事に成功した。戦後の荒廃した環境に置かれていた民間人、子供達の犠牲を経て。

 政治家の男はマーレとシィナの父親がエレグ・スウィードである事を理解していた。それ故に彼女達に近付き、信用を得させた。政治家という立場は社会的信用は絶大である。故に多くの企業や人物とコネクションがある。故に信用をさせるのは易い。その裏ではエレグによる資金援助の存在も関係していたのだが。

元々氷河族のボスであるエレグは人型兵器の製造を行っている会社、クレーディト・メカニクス社の社長を務めていた事もあり、その上で政治家と密接に関わっていたのだ。その情報を知っていた政治家の男は直接会えないボスではなく、マーレとシィナに接触を試みた。当時のクレーディト・メカニクス社の社長である、エレグ・スウィードの名前を利用して。

 



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その2

このような悲劇があった中でもシィナは学校に通う事が出来る程の資金を持っており、その上でエレグ・スウィードの娘という立場もあり、ある意味守られている立場にあった。当の本人は政治家の男の成り上がりに利用されたというのに。

 壊滅的な被害を受け、復興を進めていこうとする街。その中で、被害を受けていない家が、シィナの家だったのである。

 その事に疑問を抱いた1人の人間がいた。政治家の男のダブルスタンダードによって住処を追われる事になった男である。彼はマーレとシィナの住む家が何故テロリストによる襲撃を受けていないのか疑問を抱いていた。

 いつしか、その疑問は疑惑、疑念へと変貌していき、もしかすれば、テロリストとマーレの家は結託していたのではないかという噂が流れるようになった。そこに根拠はない。だが街を焼かれ、子供達が犠牲になった中でマーレ達が裕福に暮らしている姿に疑問を抱く者が現れてしまうのにそう時間を要しなかったのだ。

 元々貧困層と富裕層が対立する様式になるのはよくある話で、貧困層の人間達の怒りは次第にマーレ達に向けられていくようになっていく。

 それは、一つのSNSでのキーワードがきっかけだった。テロリストとマーレ達が結託して街を襲撃したという、根も葉もない情報のみが流れ、それを見た人間達は情報の根源を調べず、上辺の言葉に踊らされて怒り狂うようになってしまっていた。

 怒り心頭の状態での情報の判断は人を過激にさせていく。平穏時ならば冷静に見極められる筈の情報ですら、非常時ではそれが残酷なものに変わっていくのだ。

 

 

 

「俺達は家を焼かれた!お前がテロリストと結託した!俺達があんな目に遭っているにも関わらずのうのうと暮らしているのが何よりの証拠だ!クソ女め!!」

「嫌……嫌ぁ!!やめて……やめて!!」

「それに、お前らは肉を食べている!俺達は水すらまともに飲む事が許されてない!なのにお前らは肉を食べている!」

「栄養調整の味のない、基礎代謝量のカロリーしか得られない固形物ばかりを食べ、無理やり生きている人間の気持ちなんざてめぇら富裕層には分かんねえよな!」

「俺達の生活は滅茶苦茶にされた!食料すらままならねえ状態なのに!お前らは裕福に暮らしてるってのかよ!許されねぇ!」

「そんなの、私は関係がない!」

「黙れよ!!!」

 

 

 

 マーレ・ソンブルはその後に殺されてしまう。男達に嬲られ、暴力を受けた。果てに家ごと燃やされてしまった。この時、シィナは学校に行っていて無事であったという。

 マーレはアドバンスドタイプである筈なのに何故この時イズゥムルートの光を放てず、男達にされるがままだったのだろうか?それは、死の淵に追い遣られる状況になかった可能性が高かったと考えられる。死の危機に直面する事がなければ、マーレも光を放ち、男達の戦意を喪失させる事が出来たのかも知れない……

 

「え……?」

 家に帰れば母親と家がない状態となり、シィナは大きなショックを受けた。テロリストによる襲撃ではなく、その被害者の根も葉もない噂話のみが広がり、その疑惑の目を何故かマーレに向けられ、彼女は酷い仕打ちを受けた。

 焼けた家の跡からは彼女の焼死体が見つかった。シィナはこれを見てしまっており、最初は誰かは分からなかったが、常に母親が着用していたネックレスを見て、その死体が母親のものであると理解するのに時間を要さなかった。

 

「お母さん……?これ……が……?う……あぁぁ……」

 

シィナの心は、この時に壊れてしまったのだ。卵の殻が握力によって粉々になるように、シィナの殻は一度壊れてしまっている。

 それから彼女は一時的に児童施設に預けられる事になったが、その際も誰とも喋る事がなかったという。

 



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その3

今の家に住むようになったのはこの後から。マーレの死を知ったエレグは従者としてミリナを派遣し、シィナの世話役としていた。

 ミリナはシィナの世話をし続けた。母親をこうした形で殺された悲劇の少女を、放って置けなかった為である。

 ミリナはシィナに献身的だった。その背景の一つとして、彼女もまた、エレグから援助を受けていた人間の1人であり、尚且つシィナがその娘という事が関係しているのかも知れない。

 エレグはこのような悲劇があったとしても、表立って姿を見せない。彼は組織のボスとして君臨し続ける必要があったからだ。

 それからはミリナの献身が幸いし、シィナの精神状態は少しずつ回復するようになった。会話も、僅かだが出来るようになっていった。

 しかし、ある時シィナはメディアを見ていた時に政治家の男の汚職が発覚した事を知る。そこから男の余罪が芋蔓式に発覚し、その内の一つにテロリストと結託して街を焼き、再生した街を復興させたという事実を知ってしまう。

それこそが、政治家が絡むダブルスタンダードによるもの。その結果が更なる悲劇を生み、謂れのない怒りを抱いた人間によって彼女の母親が殺された。

 この時からだろうか。シィナが自らを殻と言うようになったのは。こうした情報を得てから世の中の仕組みを理解し、自分の立ち位置が分かった時、彼女の心は再び砕けようとしていたのだ。

 

「結局お金があるところに絡もうとしたダブルスタンダードな政治家とか、それらが絡んできたからなんだ。結果的にそれで何も悪くないお母さんが殺されちゃった。もう、どうでも良くなった」

 

やがてシィナは自死をしようとする。部屋にあるナイフを自らの手首に当て、動脈の切断を試みるのだ。荒んだ精神状態での鋭利な刃物は危険極まりない。それこそが、今回シィナの自作自演によるテロリスト襲撃の際に言っていた“死に近い経験”なのだという。

だが、その体験はシィナの中に秘められていた力を解き放つ結果となる。それがアドバンスドタイプのきっかけ。自分は死の淵に陥った時に力を発揮し、光を放つという事実を知った彼女。

 皮肉にもその出来事がシィナの好奇心を刺激した。自分自身が何者なのかという疑問。やがてそれは彼女に生きる希望を与えていく。

彼女はアドバンスドタイプの関連の資料、文献を見ていき、自身の特徴を理解した。そして、他にも同じ人間がいるのではないかという考察をした。

 一度壊れてしまった殻は満たされたいと常に思うようになった。その知識欲は留まる事を知らない。際限ない欲が、今の彼女を作り出した。それ故に、彼女は満たされる事がなくなってしまった。

 その中で、シィナはある人物に出会う。それこそが彼女の今の矛盾に満ちた行動を行わせるきっかけとなった人物、エファン・ドゥーリアだった。

 彼はエレグ・スウィードの友人としてシィナとコンタクトを取った。シィナの前に姿を見せなかったエレグ。電話のやり取り以外でエファンの言葉から発せられる言葉がシィナにとっての希望となっていくのだった。その中で、彼女は父親の名前を知る事になる。

 

 

 

「シィナ・ソンブル。友人エレグ・スウィードの娘か。」

「お父さんの名前、知ってるんだね。」

「友人という立場故にな。お前には私自身が興味はある。友人の娘故にな。」

「そんなに、お父さんを信用してるんだ。」

「そうだな。関心はある。それ故に知りたいと思うのだ。」

「じゃあ、貴方からお父さんの事を聞いたりしたんだ」

「そうだ。お前のように知識を満たそうとするのも人の欲。それを知っていく中で人を理解していく。」

「私にすら名前を教えないお父さんの事を知れるなんて、貴方は凄いんだね」

「人を知りたいと願うのは特別な事ではない。だが、一方で合理的な判断が出来なくなるのもまた、人。人故に矛盾に満ちた行動をし、それらを試行錯誤していく。だからこそ醜く、そして愛おしい。」

「どうして矛盾しているのに愛おしいの?」

「私自身がそうであるからだ。お前は力を持っている。私と同じ、力。私の使命は本来ならお前を殺さなければならない。しかしお前は友人の娘。これは私に葛藤を生み出させる。そして、私の行なっている行動を振り返る。その時に私は思うのだ。これもまた矛盾。私は人を超えた力を持っていようと所詮は“人”なのだ……と。」

「哲学的だね、興味あるな。貴方の名前は?」

「エファン・ドゥーリア。私自身も時に迷う時はあるよ。この矛盾の行く末や、結論をどう出すべきなのか。人の矛盾は社会的地位の互い人間ですらあり得る話だ。例えるなら医者という立場の人間が患者に対して食事指導を行う傍らで自らが不摂生極まった生活をするという事もまた矛盾だ。また、それは国をはじめとした組織に絶大なる影響を与える特権階級の人間ですらあり得る話。ならば、それ以下の一般階層は余計に混乱をするだろう。それらにはいずれ答えを出さなければならんと私は思うのだ。」

「ケド、そんな人が選択を間違っていたらそこに至れない人間達は人間不信になると思うけれど?」

「私はそれを含めて愛おしいとさえ感じる時があるのだよ。そして醜く、憎悪を募らせる時がある。これもまた、矛盾なのだろうな」

「お父さんも、そんな感じなのかな?」

「彼は人に対する独自の美学を持っている。私は彼のそこに興味を持った。やがて、娘であるお前に会った。麗しい娘だと思ったと同時にまさか私と同じ力を宿しているとは思わなかったが。」

「アドバンスドタイプの力だね」

「それらをはじめとする力を持つ存在を、私は消さなければならなかった。それが私の中にある使命として残っているからだ。」

「使命?」

「私には役割がある。それは本来の私のすべき事。それに準じるのならば私はお前を殺さなければならなかった」

「私、貴方に殺されていたの?」

「人間特有の感情の情けというやつがお前を生かしているのだろう。よく特別扱いはするなというが、人である以上それは難しい事だ。友人の娘を殺す事は出来ん。」

「特別扱いは嬉しいけど、その使命に反して大丈夫なの?」

「それもまた、愛おしい事なのだとは思うよ。人故に。」

「不思議な人。矛盾している事を誇りに思うなんて。」

「人であるが故だよ。人は本来なら平等に扱うべきなのかも知れないが、現実は違う」

「うん、それは思うかな。特別に感じたらそれは特別だと思うから。だから不平等。」

「生まれも育ちも異なれば待遇も全て異なるからな。そして感情も込みで考えればそうなる。感情だけでない、金銭のやり取り等もあれば更に待遇も異なるだろう。貧困は冷遇され、富裕は優遇されるのは古来から至極当然」

「だからお母さんが殺されたのかな」

「嫉妬や妬みは時に行動する時の原動力となり得る。こうした感情は人の特権ではある」

「感情が、特権……か」

「それが人の大きな特徴だ。例えば民主主義の国家では法の下では人は平等。例えばその国家の下で政治家を1人殺めたとしてもすぐに判断は下されない。仮に死刑制度があった場合に死刑と決めるのは感情の先走りだ。最も、裁きを受けた後にその人間がどうなるのかは分からぬが。」

「人間特有の感情で、別の人間に殺されちゃうかも知れないんだね。お母さんが殺されたみたいに。お母さんは何も悪くなかったのに。」

「感情を持つが故に人は時に暴走する。許せないと思う事があればそれを暴走させて凶行に走らせる事もある。それが、例え自分に関係のない事だとしても……だ」

「結局人は何らかの形で特別扱いをしてるって事なんだ」

「感情があるが故にな。だから私はそれに従おう。お前を殺さぬ。人として扱う。それはあの人の娘であるが故だ。」

「それは貴方の行動に対する矛盾だね」

「だからこそ人間であると感じられるのだ」

「私、貴方と話していて思った。お母さんの死も受け入れて、そして動いていかないとって思った」

「それがお前の原動力なら、それもまた、一つだろう」

 

 

 

 

 矛盾した行動は人特有の行動。合理的に考える一方で違う事を行う事もある。その思想を愛おしいと判断したエファンはシィナの思想に大きく影響を与えていく事になった。

 人の業を目の当たりにして母親を失い、自らの立場を利用されて心が砕けていた少女は徐々に再生していく。そして、父であるエレグが氷河族のボスとして君臨している事も知っていく。

 その影響力が絶大である事を利用し、彼女は“ビジネス”を開始した。そして、彼女なりの考えで子供達を見るようになった。その傍らで氷河族が人身売買を行なっている事も、うすらとは分かっていた。それでも、彼女は止まらない。矛盾している行動が人間であり、愛おしいと感じたからだ。

 ミリナはシィナが、一度心が砕けた事を知っている。だからこそシィナを止めない。真相を知ってしまった時、彼女の心が砕けてしまう事を知っているからだ。

 矛盾に満ちた行動は更なる知識を掻き立てる。やがてエファン以外の自分と同じ人間が他にもいると思い、シィナなりにその人物を探したりしていた。それはある意味、同族を知りたいという欲がそうさせるのかも知れない。

 結果、彼女はレイに会った。彼が宿している強大な力は彼女にとっては間違いなく惹かれる魅力として映っていたのである。それは彼を特別扱いしている他ならないのだ。

 皮肉にも、彼女の愛した少年が憧れの存在だったエファン・ドゥーリアの仇だとは……

 

 



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その4

シィナの過去を知ったレイはただ、驚愕するばかりだった。全ては繋がっていた。氷河族も、エファン・ドゥーリアも。アドバンスドタイプの事に関しても。彼が体験した壮大な体験の果ての存在が、まさかシィナの行動の原点になっていたとは思わなかった。

「そうか……そういう事だったんだ……」

彼女の行動の矛盾。その理由。それらは全て、レイにとっての最大の敵と呼べた存在である、エファン・ドゥーリアが関係しているという、事実。

 ミリナからの話を聞き、レイは彼女の一連の行動を解釈する。

「シィナはエファンさんの影響を受けていたんだ……だからあんな、矛盾に満ちた行動が出来る……自分の事を殻だって言ってたけど、エファンさんの影響を受けて殻を満たそうとして、色々な行動をしていて……彼女なりに満たそうとしていたんだ……だけど改めて人間を省みて、本能を知る事にした。それが僕との出会いであって、僕との関係を築いたのだとすれば……」

全ては統合した解釈の仮説に過ぎない。だが、レイをこれ程に独占的な愛で支配しようとし、彼との関係を求める背景があるのならば辻褄が合う箇所が多い。

 レイとの共通点としてのアドバンスドタイプ。これはエファンもそうであった。その上での矛盾の行動もエファンの影響。人を愛しているという所もエファンの影響。

 彼女の今の行動の、ほぼ全てにエファンの影響が関わっている。それは、恐らく……いや、ほぼ確実と言って良い程に間違いないと言えたのだ。

「本来なら力を持つ人間である筈のシィナを、力を持つ人間を殺そうとするエファンさんが特別扱いする理由の一つが、彼女が氷河族のボスの娘なら、十分な理由となり得る。何故なら、エファンさんと氷河族のボスが友人関係だから。そうか……だから、シィナを特別な扱いをしたんだ……友人の、娘だから……まさか、こんな事が……氷河族とエファンさんが、こんな所で繋がるなんて……!」

エファンとシィナの過去が分かった。これが彼女の行動の動機の起源ならば、レイは理解が出来る。故に矛盾に満ちた行動も、彼女は行うのだ。

 だからこそ、レイは彼女に説得をしたいと考える。エファンを知っており、その本人をレイ自身が倒したのだ。その事実はシィナに伝えなければならないのだ。

「レイ様がシィナ様を理解しようとしているのなら、今の話を聞いて分かった筈です。人は矛盾して生きています。シィナ様はそれを正当化しています。それで良いのです。その上で貴方が側にいる。今のあの方にとって、それが一番の幸せなのです。貴方は余計な事をする必要はないのです。貴方はシィナ様の側にいて、彼女を満たす事が出来れば良いのです。その為ならお二人が夜な夜な愛し合う事さえ私は受け入れています。」

だが、それが本当に彼女の幸せなのか?矛盾故に人は愛おしいと思い込む事がシィナの幸せと、本当に言えるのか?

「あの人と対峙した僕だからこそ、言えます。あの人は人を思いやれる人間だと思います。ただ、その出生が特別で、自分の使命と人という存在と天秤を掛け続けて来た可哀想な人でした。」

「その言葉……やはり、貴方はエファン・ドゥーリアをご存じなのですね。直接体験したような感想。その肌で感じ取ったような感想を貴方は私に言っています。」

ミリナは関心を抱く。だが、それでも彼女の意見は揺るがない。樹齢が何千年も迎えている巨木の如き、固い意志だ。

「僕はあの人を悪人だとは思いたくありません。彼なりの哲学があったのも事実だと思います。ですが、シィナの考え方は明らかに悪い方に影響されてるだけです!いずれは多くの人を巻き込んで不幸にします!そして、自分にも振り返ってくる……」

偉人や成功者、メンターと呼べる人間の言葉は何も持っていない者に大きく聞こえるものだ。だが、その言葉には時に背景因子がある事がある。その言葉の背景が理解出来ないでその人間の思想を盲信した時、解釈の誤りが生まれる。それが暴走した時、人は判断を誤ってしまう。

 それを止める人間がいれば良いのだが、ミリナはシィナを肯定する立場。だからこそ、この場での話し合いは平行線を辿る以外にないのだ。

 



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その5

ミリナとレイが話し合いをしている時。シィナはボランティア活動を終えようとしている時だった。

 今日も子供達との触れ合いを経験出来たシィナ。そして、クラーラにも感謝される。一見すれば聖人君子そのものに見える彼女だが、その傍で彼女は氷河族の名前を使ってのビジネスを使っている。それはテロリストすら動員する事が可能であり、この対比がある種シィナの特徴となっていたのだ。

 矛盾に塗れた少女、シィナ。だがその実情を知る者はレイとミリナのみ。彼女の秘密を知る者はごく僅か。ある意味、魔性の女と呼べる彼女。それでも、行動は止めない。この矛盾に満ちた行動を、彼女自身は愛おしいとすら思っているのだから。

「今日もありがとうね、よいお年を。」

施設長のクラーラが言った。

「はい、良いお年を!来年もよろしくお願いします!」

それに合わせるように、子供達がシィナに対して手を振る。シィナも子供達に対して手を振り返す。

 人間は多くの場面で仮面を使い分けている。中にはその行動そのものが矛盾に塗れている人間もいるが、大抵の人間は綻びが出るものだ。

 しかしシィナは違う。完璧に仮面を使い分けている。本当に信用する人間にしか、その話をしない。シィナの行動は矛盾している。一方で子供達の為のボランティア活動をし、もう一方では氷河族の名前を借りて反社会行動を行う。それが時に子供達を危険に晒す事になろうとも、彼女は行動をやめないだろう。

 何故ならば、矛盾している行動そのものが人であり、それこそが愛おしいものだという価値観が、今の彼女を作り出しているから。エファン・ドゥーリアと出会い、知ったその価値観はシィナをここまで育て上げた。誰も止める事をしないまま、彼女は支配して来た。SNS等のツールを使い、人を都合よく操ってコントロールして来た。その傍らで善意も見せて来た。

 シィナの真実を知れば、それは理解出来ない存在そのものである。レイが止めようとしても、彼女は止まらない。最早、これは止める方法は無いのだろうか……

 

「……あれ?」

 

その時、シィナは後ろを振り向く。先程まで居た児童施設がある……筈だ。

 しかし何やら様子がおかしい。どこか騒然としている印象を持った。つい先程までは子供達が騒がしくとも穏やかに過ごしている場所だった筈なのに、何故?

 この時、シィナの中で嫌な「予感」が過ぎる。根拠とかデータとかそう言った類のものではない。純粋な、第六感のようなもの。だがシィナはアドバンスドタイプ。このようなセンシティブな感覚は人一倍優れているという。

 となれば、この予感はもしかすれば当たっているのかも知れない。彼女の中の感覚が閃き、そのまま施設の中に戻る為に踵を返し、戻っていく。

 

 戻った直後、彼女の“予感”が的中してしまっている事態が発生した。クラーラをはじめ、子供達が見知らぬ、人間達に人質に取られてしまっていたのだ。その数3人。内2人は男、1人は女である。だが、いずれもが屈強な印象を持つ。迷彩柄の服に引き締まった体躯。何らかの訓練を受けている軍人だろうか。だが児童施設を襲っている辺り、正規軍とは思えない。恐らくは反社会勢力だろう。

 当然ながらこれはシィナにとって予想外の事であり、この光景を見た彼女の表情はいつになく穏やかではない様子だった。

「みんな……?」

朱色の眼が震えている。瞳孔が狭窄している。一目で分かる非常事態に、どう対応すれば良いか、分からないでいるのだ。

「お姉ちゃん……」

怖がる、1人の少女の声が聞こえる。シィナに助けを呼ばんと声を震わせている。だが、その声を遮るように低い男の声が響くのだ。

「やかましい、クソガキ共!お前らはどの道お偉いさんに買われるんだからよ!」

この言葉を聞き、誰もが黙る。そして、それぞれ何らかの感想を抱くのだ。

 子供達はその意味が分からないで、ただ、恐れているだけだろう。クラーラはそれを聞き、彼等の目的を察している様子だ。施設長故にそれは許してはいけないという正義感に囚われる。

 では、シィナはどう感じたか。彼等の行動目的を聞き、どう感じたか。

(待って……よりにもよってどうしてここの子供達が!?)

シィナが感じたのは、その印象。それは、彼女が組織の行動に関与している何よりの証。

「こいつらは貴重な子供だ!こいつ等を売れば、俺等だって生活が潤う。悪く思うなよ。お前等は運がなかった、それだけだ。」

この台詞から、彼等も何らかの「凌ぎ」をしていると推測される。その手段の一つとして、このような下劣な行動に走っている。

 金銭に困るのは誰もがそうだ。しかしその中で、見ず知らずの子供を売るという外道は許されて良い筈がない。

 相手の装備は重装備という訳ではない。恐らく標的を子供達に絞ったが故に装備を最小限にしているのだろう。機関銃のような武器は持っていない。ただ、十分に殺傷するに値する拳銃やナイフを持っている。それらの存在はこの状況では圧倒的な脅威と呼べるのだ。

「させない……!」

だが、1人この状況でも果敢に立ち向かう少女がいた。シィナである。

 彼女はアドバンスドタイプ。万が一死に至る致命傷を負うものなら、彼女は自ら光を放って子供達を守る事さえ可能な立場にある。

 それを分かっている少女は、動く。当然ながら男達の注目はシィナに向けられるのだが――

 

 

 

「残念だが、終わりなんだよ」

 

 

 

女の低い声が聞こえたと同時に、シィナの朱色の瞳孔が縮んでいった。そのまま視線を下方に向けた時、自らの腹部が赤く染まっているのが確認出来た。

 周りの子供達は叫んでいるのかも知れない。彼女に“何か”があったのは間違いない。だがそれは何が起きたのかは全く理解出来ない。

 それから2,3秒程度時間が経った時、シィナの身体が自らの意思と関係なく倒れるのを感じ取ったのである。

 

「ぁ……う……」

 

そして、痛覚が彼女に突き刺さる。これまでの人生で感じた事の無い強烈な痛みはシィナを苦しめるのに十分と言えた。強烈な痛みは身体の姿勢を保持させる事すら許さない。無意識に倒れていく身体。支えられない自らの姿勢を保持しようと努めるも、無理な話だ。

やがて床に音が響いた。人が倒れる音だ。銀髪の美少女が倒れている。

余りに突然起きたその現象の正体は何なのか、この時のシィナには理解出来なかったのである。



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第十二話 パスト・オブ・シィナ その6

「お姉ちゃん!!」

 

1人の子供の声が響いたと同時に、男が威嚇射撃を行う。行動を止める効果を持つその射撃はより、子供達へ恐怖を植え付けるのだ。

 その傍ら、シィナは自らに起きた事を少しばかり理解した様子だった。下腹部から尋常では無い痛みを感じている。ただ、痛いで済まされるような内容とは言い難い。言葉で表すのは難しく、これ以上ない程の絶望。

問題は、これが何によって攻撃を受けたのかという事だ。

「息はあるみたいだなクソガキめ……」

武装した女が言う。彼女に言われる罵倒。肉体的に激しい損傷をしているのに罵倒をするという鬼畜。この男は何がしたいのかが分からない。

 更に女は倒れているシィナの頭を踏み付けた。明らかな鬼畜の所業だ。

「うあぁっ……!」

腹部からの痛みだけでなく、踏み付けられる屈辱も全て重なる。何故?突然このような状態になってしまったのかがこの時のシィナには理解が出来ないのだ。

「やめてよ!お姉ちゃんが何をしたの!?」

庇う子供達。当然だ。今までボランティアとして来ていた少女が怪我をして、その上で頭を踏みつけられている。余りに酷い仕打ちを受けているシィナを擁護するのは当然だ。

「丁度良い機会だな?お前の悪業を晒せるよォ」

彼女の頭を踏み付ける女が言う。何が悪業なのか?まるで事情を知っている様子の女。

「悪……業……何を言ってるの……?」

踏まれながらもシィナは疑問を抱く。彼女にも身に覚えのない事なのだろうか。何がどうなっているのかが理解出来ない。

「へぇ、無自覚って訳かよォ、人を操って犯罪助長して、その果てがこのザマなんだぜ?」

「こいつが一連の黒幕で間違いないんだよな?リーシャ」

女の名前はリーシャと言った。何の話をしているのかは分からない。ただ、シィナはこの女に痛めつけられているのに変わりはない。

「そうだよ。自分で手を汚さずに氷河族の名前を使って金に困った連中を動かして金を得てたクソガキだ。」

と、言いながらリーシャという名の女は更にシィナの頭を踏み付ける。それは、明らかに憎しみを込めて行っている行動だ。躊躇いを感じない。

「お姉ちゃんをいじめるな!」

そこへ、1人の果敢な少年が姿を見せる。相手は銃を持っているが、シィナに世話になっている彼は相手が武装勢力でも声を出す。

 だが身体は震えている。明らかな武者震いだ。

「へぇ、こんなヤツを庇うとはねェ。慕われてるじゃないの、なぁ、シィナ・ソンブルぅ!」

女はシィナの事を知っている。だがシィナは女の事を知らない。何者なのかも分からない。謂れのない暴力が彼女を襲うのだ。

「何者……なの……ぐぅっ……!」

シィナが苦痛に塗れている中で声を上げる。その状態のまま、覗き込むように彼女を見るリーシャ。

「てめぇの親父から受け継いだ資産をウチらに寄越すのなら命は助けてやっても良いぜ?氷河族の名前を使って散々ボロ儲けしたんだろうがよ!」

その口調は怒りなのか、興奮しているのかは不明だが、その後にシィナが再び暴行を受けるのに、そう時間を要さなかった。

「あァッ!」

今度は頭を踏まず、怪我をしている腹部を踏みつけた。激痛で蹲るシィナは身動きが取れず、ただ悶えるだけ。

「お姉ちゃんが何したってんだよ……!やめろ……やめろよ……!」

声を震わせる少年は恐怖しながらも女に声を浴びせる。目の前で苦しめられているシィナを懸命に言葉で庇うが、女はただシィナを睨むだけだ。

「ボーズ、良い機会だから教えてやるよ。」

「えっ……?」

少年の声が止まった。

「こいつぁな、ボランティアとか言いつつ別の所では今みたいな人身売買やってるクソ矛盾野郎なんだよォ!ここ以外の別のところじゃこのガキが人を動員して人身売買やってんだよォ!なぁ!シィナ・ソンブル!」

彼女の矛盾に満ちた行動を知っている女。怒りが込められているその怒号は彼女に浴びせられる。

 そして、それは子供達に衝撃を与える事になる。シィナが人身売買に関与しているとは、どういう事なのか。

「一方では氷河族の名前を使ってビジネスして金を得て、その傍らでボランティアかよ!クソ偽善者がァ!」

リーシャは更に言葉を浴びせる。それを聞きつつも、苦渋の表情で話をしようとする、シィナ。

「仮に……そうだとしても……貴方には関係ない筈だよ……?」

銀色の髪が血に染まりつつある。その状態で顔を辛うじて上げる、シィナ。

「関係は大アリなんだよなぁ!てめえが組織のボスの娘で、その立場を利用してビジネスしてんのも丸分かりなんだよォ!」

その台詞はその場にいた皆を驚愕させる。シィナが氷河族のボスの娘。そのような事実を反社会勢力の女から聞かされるなど、思っても見なかったのだ。

 

「だけどその氷河族ブランドも堕ちていってる!何故ならボスが死んだからな!」

 

突然出た言葉はシィナを翻弄した。ボスが「死んだ」。確かに彼女は父親とは連絡が取れなかったが、死ぬという言葉を聞いたのは今が初めてである。

「お父さんが……死んだ……?」

何を馬鹿な、と疑うのは当然。連絡が取れなくなったのは確かにそうだが、死んだという情報は聞いていない。

「ボスの死が広まれば当然その座を奪うヤツが現れる!だから下手に知られる訳にはいかねえからな!この情報も私らが必死になって得た情報だ!」

組織というものは規模が大きくなればなる程、より信用というものが大切になってくる。何故ならばボスの立場を狙う人間が少なからず存在するからだ。

 氷河族のボスが持つ莫大な資産。それを狙う人間は少なからず存在している。故にボスに近付く者がいる。その情報を知ろうとする者がいる。それもあり、ボスはより信用する人間以外には姿を見せる事はしなかった。それは、娘であるシィナも含めてである。

 シィナは父親であるエレグの顔と名前を知らない中で、彼女なりのビジネスを展開していた。矛盾に塗れたそのビジネスの終焉が今、リーシャによって齎されようとしていたのだ。

「こいつは父親の結成したブランドで多くの人間を動かしてきた!お前らみたいなガキが人身売買に遭ったとしても、関係なくこいつはビジネスをしてきた!そのクセにボランティアとかやってるのが滑稽なんだよなァ!クソガキがよォ!」

シィナの矛盾に満ちたビジネスの全貌を知る様子のリーシャは彼女を追い詰める。ボスの娘であり、こうした事を繰り返した少女への仕打ちは余りに惨いものだ。

 肉体的にも精神的にも追い詰められている状況のシィナ。父親の死の事実と、自らのダメージは苦痛に悶えるのに十分に思えたが……

 

「それで……お父さんの座を奪う為に……わざわざ私を見つけたってワケなんだ……お疲れ様……だね……」

 

あろう事か、シィナはリーシャを煽るような言葉を発したのだ。普通の少女ならばこの状況に絶望するのが大半だろう。

 しかし彼女は違う。どこか肝が据わっているように見える。レイのように戦争の経験こそないが、今自分を注目している子供達の眼差しが彼女を突き動かしているのかも知れない。

「てめぇ……父親が死んだんだぞ!?氷河族のボスがよォ!?」

「そうかも知れない……ケド……関係ないよ……貴方の怒りの矛先は私のハズでしょ……?」

「どれだけ煽ってんだ……このクソガキ……!」

リーシャの予想とは違い、シィナは心を折れる様子を見せない。この事が女の子怒りを更に駆り立てるのだ。

「何が目的か知らないケド……それを言って……私を精神的に追い詰めるつもり……なんだろうケドね……そもそも私の存在がね……貴方達に関係あるとは……思えない……ケド……?」

痛みに悶えながらもシィナは話す。まるでリーシャを煽るかの如く。

「あるんだよ!てめぇのせいで私の兄貴が新平和国連盟に連行された!あのテロの首謀者がテメェだって事は知ってるんだよ!!」

「それが……どうしたの……?」

「なにィ!?」

この状況であるにも関わらず、シィナはどこか口調が強気だ。まるでリーシャを揶揄うような素振り。自身が追い詰められているのに恐怖を感じない。

「私はテロの募集を……したに過ぎない……それに応募したのは……貴方のお兄さんだよね……端金を……得る為に……そこから……連行されようが知った事じゃないよ……」

自分のした事に対する罪悪感を抱く様子を見せないシィナ。自分の行動は当然と言わんばかりの言動。傷を負っていても、それは曲げない。それは彼女の意思の強さなのか、エファンの影響によるものなのか。

「いけしゃあしゃあと!!!」

だがこの言葉がリーシャを逆上させる。女はシィナの腹部を更に踏み付ける。

「ああァッ!」

この状況だけを見ればリーシャが非道に見える。しかしシィナが招いた種でもある。彼女の行動が結果的に自身に降りかかってしまった。しかも、シィナの父親であるエレグが死んだという情報まで連れて。

 真実を知るリーシャの怒りは収まらない。傷を負っているシィナを、執拗に蹴る。容赦のない暴力が襲う。

「どの口がほざいてやがる!ボスの娘の立場でぬくぬく守られて氷河族の名前を使ってテロリスト陽動してよ!!愉快犯のつもりかよクソガキが!!!」

「愛してる子の為に……やっただけ……だよ……」

「はぁ!?」

結局のところ、この状況はどちらも愚かである。シィナ自体はそもそもレイの力を確認するためにテロの陽動を行った。その動機自体は彼女のエゴそのもの。そして、彼女が報酬を払う代償としてテロを実行し、リーシャの兄は連行された。

 リーシャはシィナの事を調べて彼女の真相に辿り着き、今の現状を作り出している。シィナの行動も許されざるものとは言えないが、それを呼び水として彼女が起こしたテロと同様の事をするのもまた、愚かだ。愚が引き起こした負の連鎖と呼ぶべきか。

 だが状況としてはシィナは瀕死状態だ。それでもリーシャへの煽りは止めないのだ。

「そもそも……貴方が私を傷付ける理由は……ホントに……お兄さんの為なの……かな……?お父さんに関わる……何かを……私から欲しいだけ……じゃないのカナ……?」

煽りは止まらない。傷付き、痛みながらも黙るのを止めない。自分が何をされてもおかしくない状態なのに。

「黙れ……」

手を震わせるリーシャだが、シィナは口を止めない。

「お父さんが死んだとしたら……恐らくはお金目当て……遺産を……私が持ってるとか……そんな安易過ぎるおバカさんの……発想があった……んだろうね……お兄さんの為……とか言って……本音は……私利私欲……お笑い……だよ……」

何故、この状況でもシィナは煽る事が出来るのか。それは、彼女自身の力が関係しているからなのだろうか。

「うるせぇんだよ!!喋ってんじゃねぇぞ!殺してやる!ぶっ殺してやるよ!!!」

遂に女は激情した。そのまま女はシィナに対し、銃を構えた。身動きが取れないシィナは後頭部に銃口が突きつけられている。このまま引き金が引かれれば彼女の死は免れない。

 同時にシィナは“殺す”という言葉に反応した。死に直結する言葉は人に生を意識させる。生きたいという願望は人の本能。それに抗う事は出来ない。本能の力はアドバンスドタイプの力を引き起こす。これはつまり――

 

 

 

――――――――――――――――――ドクン―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

シィナは光を放った。碧色の光は辺りを包む。見る者を魅了する美しい色合いではあるが、同時に戦意を喪失させる効果を持つ光はたちまち武装勢力をはじめ、子供達までもが巻き込まれてしまうのだ。

 光を放つ時の感触は、最初に心臓部分が大きく拍動を打つ感触を本人が感じる。その後、その部分を中心として毛細血管内に存在しているディヴァインセルが碧色の光を放つのだ。一つ一つは大きなものではないが、人体規模でそれらが何兆にも細胞内のミトコンドリア内に存在している。それらが生命の危機を本能的に感じた時に発動するのだ。

 たちまち光は周囲を照らし、周囲の人間に影響を与える。特殊な光は人間の闘争本能を抑制し、気力を失わせる。メカニズムに関しては不明な点が多いが、その光はアドバンスドタイプ以外の人間に有効。周囲にいる人間を無差別に光で照らし、気を失わせる。

 そして、この光を放つ時は身体自体にも大きな負荷を掛ける。特にシィナのように、生命の危機に瀕する経験をしていない人間の場合はより一層、負担を与えるのだ。

「はぁ……はぁぁッ……!」

もう、彼女は周りを見る気力すらない状態だ。周囲にいた人間がどうなったのか、自分自身の力が出ない状態では確認のしようがない。

「久し振りだなぁ……この光……コレ……思ったより……辛いなぁ……レイは……平気なんだよね……凄いなぁ……もう……動け……ないよ……」

やがてシィナはそのまま意識を失った。碧色の光の発動は、彼女自身に負担を与える。自らを守る光が、自らを苦しめる結果となってしまったのだった。

出血多量の瀕死の状態で発動したイズゥムルートの光はシィナ自身にも大きな負担を与えた。周りの人間の状態が見えない中で、シィナの意識は次第に遠のいていく――




お知らせ:次回で最終話の予定ですが投稿は現時点で未定です。
7月中にはアップ出来たらと思います。確定次第近況報告にてお伝えします。


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第十三話 光と殻 その1

 シィナが目を覚ましたのは年が明けてから三日後の出来事だった。とある病院の白い部屋の個室内にて彼女はベッド上で過ごしている。

その頃になると既に傷口は塞がりつつあり、彼女自身の身体状態は大きな問題はないと、医師が判断していた。

 だが出血量や倒れていた状況から見てこれ程の回復力はやはり常人では考えにくいというのが医師の判断である。それ故に医療スタッフ達の中では彼女の事で話題となっていた。

 今、個室にはミリナが彼女の様子を見に来ている。彼女は保護者の立場。故に病院から彼女へ連絡が来たのである。

「搬送されたと聞いた時はどうなるかと思いましたが、ご無事で何よりです、シィナ様。」

病院の中では個人情報等は守られる。彼女が何者なのかという身元引き受け人に対する詳細な情報が聞かれる事はない。医療スタッフが万が一SNS等に情報を上げた場合、コンプライアンスを守る事が出来ない病院というレッテルを貼られ、評判を落とし、廃院となりかねないのである。

シィナのような少女の親代わりがミリナとなれば、一見すれば明らかに何らかの事情があると思われるだろうが、それに触れないのが医療スタッフの立場なのである。

「力に助けられたね。レイと同じ力。碧色の光が私を助けてくれた。」

「ボランティアに行ってから、反社会勢力に襲われた……という事ですね。」

「そうだよ。下手な事を知られると厄介になるから、あの件に関しては事前にミリナに手を回しておいて良かったよ。だから世間的には事故扱いで済んでる。」

シィナは保険を掛けていた。万が一自分が襲われてもすぐにミリナに連絡が行くようになっていたのだ。そこから彼女のコネクションを活かし、治安組織に事が発覚しないように上手く活用したのである。

 何せシィナ自体が氷河族の名前を使って犯罪を行っている立場。それ故に万全な状態でなければならないのだ。

「だけど、お父さんが死んだなんて……それは“少しだけ”ショックだな……結局お父さんの事分からないままだった。」

少しだが、俯くシィナ。だが本気でショックを抱いている様子ではない。この様子を見て、ミリナが寄り添うように言った。

「その様子ですとシィナ様はお父様の……エレグ様の死をある程度は把握されていたかのようですね……」

そうでなければどこか遠い目をするだけで済ませるとは思えない。彼女は氷河族のボス、エレグの死を分かっている様子だったのだ。

「お父さんとは連絡が取れなくなって、氷河族の勢いが弱まってきたって時点で何となくは分かってた。けど、それに付け込んで私の命を狙う人間が現れてしまうなんてね。」

まるでそれも分かっていたかのような振る舞いだ。シィナの中で、父親の死も理解していたかのよう。その上で彼女を襲った人間であるリーシャを煽ったのだろうか。

「シィナ様がご無事なら何よりです。どのような形であれ貴方が無事である事が何よりも大切なのです。」

ミリナはひたすらにシィナを肯定する。それ程に慕っている事が、会話から分かるのだ。

「私を襲った女の人は結構情報に精通していたみたい。けれどあの人、短気だったのが仇となったね。建前ではお兄さんの仇とか言ってるけど本音は私のお父さんが残した遺産を何らかの形で頂戴しようとしていたというのが丸分かりだよ。」

それを、冷めた様子でシィナは言う。まるでそれは、父親に対する愛情を感じていない様子だ。

「シィナ様の情報が知られてしまう事になるとは……やはり、エレグ様がお亡くなりになられた影響が出てしまっていますね。」

悔いる様子のミリナ。シィナに関する情報は、エレグの存在によって守られていた部分もあるのかも知れない。

 しかし、それでもシィナはエレグに対する愛情を感じている様子ではない。それは何故なのだろうか。

「となれば、氷河族の名前を使ったこのビジネスもそろそろ卒業しないといけないかな。まあ、それなりに稼ぐ事は出来たし、私としては十分な成果だよ。暫くはレイと一緒に暮らすつもりだから」

「……シィナ様がそう、仰るのならば」

この二人は父親であるエレグ・スウィードの事をまるで大きく信用しているようには見えない。莫大な資産を持っている父親である存在が死んだというのに、どこか他人事である。愛情を抱いていなかったとでも言うのだろうか。

「私にはね、レイと「あの人」がいてくれればそれで良い。心の支えがあれば、私は生きていける。ミリナは全てを肯定してくれるし、私にはもう、怖いものはないよ。」

シィナが天井を仰ぎ、独り言を呟く。その際だろうか、ミリナの表情が僅かばかり曇っているように見えたのは

「……どうかした?」

「いえ……」

気のせいかと思い、シィナは窓を見た。天気は晴れ。夏模様の濃い青色の空が僅かな雲と共に風で流れているのが見えるのだ。

「ところで、レイはどうしてるのかな?お見舞いに来てないけれど?」

ふと、シィナはレイの事をミリナに聞いた。だがそれに対し、ミリナが明らかに挙動不審な態度を示すのだ。

「それは……」

と、視線を泳がせた。シィナの朱色の眼が、ミリナを見るのだ。

「どうしてレイは来ないのかな?ミリナはレイに私の事伝えなかったの?」

ずいと、シィナはミリナの顔を見る。

「……申し訳ございません。レイ様にご心配を掛ける訳にはいかないと思いましたので……」

と、頭を下げるミリナ。これは彼女なりの配慮なのだろうか。だが、明らかに視線が泳いでいる様子にシィナは違和感を覚えているのだ。

「確かにそうだよね。あの子に怪我している私の姿を見せるの、嫌だな。私は“完璧”でいたいの。自分の綺麗な姿をあの子に見せたいから」

それを気にしつつもシィナは髪を掻き上げ、ミリナに対応する。彼女の事を信用するが故の余裕のある表情を浮かべるのだ。

「私は満たされ続けたい。一度得たこの感覚を忘れたくない。レイが居てくれて、全てが満たされている状態は私の至福だから」

自らの眼を静かに閉じ、語るシィナ。     

彼女の言動は全てが独善である。父親の死すら把握しており、それに動じない。氷河族の名前を使い、犯罪行為を行っている傍らでボランティア活動。矛盾極まっている彼女の行動は留まる事を知らない。

 そして、自らの行動を顧みない。シィナの独善的行動、エゴ。それを見守るだけのミリナ。

 

 

 

「それがシィナの考えなんだね」

 

 

 

そこへシィナにとって聞き覚えのある声が聞こえた。個室の入り口の方のドアを見る、二人。

 



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第十三話 光と殻 その2

 そこに居たのは金髪の少年の姿があった。華奢な体躯であり、少女に見間違えるような顔貌の少年、レイの姿がそこにあったのだ。

「レイ……!?」

この時、シィナの表情は喜びと同時にどこか戸惑いを感じているようにも見えた。

「貴方は……どうしてここに?私は貴方に場所は教えてないのに……?」

寡黙な印象のミリナが、明らかに狼狽している。この姿は、シィナ自体も見た事がない姿だ。

「シィナの場所が分かるようになりました。不思議な感覚です。まるでセンサーに新しい機能が追加されたような感じ……。」

それは、力を持つ人間特有の感覚なのだろう。だがレイは以前はシィナの存在を感じる事はなかった。だが、今は彼女の存在が分かる。それは一体、何故なのだろうか。

「それも、アドバンスドタイプと言う訳ですか……」

ミリナの表情に、余裕がない。寡黙な表情が崩れている。

「多分、これって科学的に説明とかは出来ないと思います。第六感のようなものがあって、それが僕とシィナを繋げました。出会った時は全くシィナからアドバンスドタイプの力を感じなかったのに。」

この言葉に対し、ミリナが口を開こうとした時、同じタイミングでシィナは微笑して言った。それを察したミリナは口を紡ぐ。

「フフフ……やっぱり、レイは私を意識してくれているんだね。だから私の事が分かる。実際、私は光を放ったんだよ。それで意識を失って今に至るの。もしかしたら、私自身、「死」を意識した経験をしたから、レイが私を認識するようになったのかも知れないね」

力を持つ存在同士は惹かれ合う。それは、レイがかつての戦争の中でエリィ・レイスに言われた台詞。その根拠などはないが、実際彼は多くの力を持つ人間と出会っている。

 今回のシィナもその内の一人。そして、最初は分からなかった彼女の事を把握出来るようになった。それら力を持つ者同士が引き合せた結果なのだろうか。

「レイが病院に来てくれたのは嬉しい。だけど正直、今の姿は見られたくなかったな。だって、こんな怪我している姿なんてキミに見て欲しくなかったから」

レイを好きでいるシィナは完璧であろうと振る舞う。彼を魅了する存在として、あり続けたいと願う。

「その言葉は自分で矛盾してるって気付かないの?」

今度はレイが言った。家の時と違い、どこか強い言葉だ。

「何が?」

「シィナは僕を傷付けて血を流して喜んでいる。僕だってシィナにそんなのを見られたくない。なのにシィナは僕にそれを見せたくないなんて不平等だよ。僕達は交際しているのなら、そういうのも受け入れる必要があると思うんだ」

シィナはレイの前では完璧を振る舞う。性行為をしたとしても、その容姿や声、独占欲等は彼に向けられたもの。だが、その全ては彼女の中で計算されたもの。それも含めて完璧なのだ。

 だがそれを完璧というのは違う。怪我をしている所を見せないというのは彼女の独善だ。

「確かに矛盾してるね。」

と、彼女は開き直るように言った。

「だけど矛盾は人だからこそ出来る感情の一つなんだよ。言ったでしょ?世の中はダブルスタンダード。結局矛盾だらけで出来ている。だから、それらを受け入れて行動するしかないの。」

髪を掻き上げてシィナは語る。自身の哲学を、愛する少年の前で語るのだ。

 

「それは、本当にシィナの言葉なの?」

 

レイの言葉に、シィナとミリナの二人がぴくりと反応した。

「何を言ってるのかな?」

シィナが朱色の眼を瞬きさせてレイを見る。

「僕を傷付けて、自分が傷付いている姿を見せたくないなんて矛盾も、ボランティア活動をしていて反社会行動をしている事も、全て矛盾していて、それらを受け入れた上で自分の美学、哲学として行動しているんだよね。その結果、恨みを買ってしまったんだね……」

憂いの表情を見せるレイ。それを見たシィナはやや、表情を曇らせている。

「そっか……聞いてたんだ。私が怪我をしてしまった経緯とか。ミリナと話していた内容、聞いてたんだね」

個室の前まで既に来ていたレイは、二人の会話を盗み聞きしていた。本来このような事はしたくないと思っているレイだが、矛盾に塗れたシィナの情報を知りたいと思うレイは耳を立ててタイミングを伺っていたのだ。

「だから僕は知っている。シィナが撃たれて怪我をした理由とかも、全て。」

レイはこの時、握り拳を作っていた。矛盾に満ちていつつもそれを正当化しようとしている彼女の一連の言動に、どこか怒りを見せているのだ。

「レイ、怒ってるの……?」

シィナがレイに聞いた。

「シィナがこんな事を繰り返していると、いつか大変な目に遭うんじゃないかとは思ってたんだ……それが今回起きた。その事が起きても、まだ矛盾している行動を美学としているシィナに僕は怒ってるんだよ!」

これも彼女を想うが故。レイのシィナに対する感情は本物だ。好意を持つが故にレイは怒っている。シィナの矛盾に満ちた行動は止めないと行けないと思っていたレイ。それ故に従者のミリナにも説得をしたが、それに応じない。

 どうすれば良いかと思った矢先に起きた今回の事件はレイが動くのに十分な機会と言えたのだ。

「こんな事を繰り返して、自分が怪我をしてもそれを省みないで正当化して!それで僕を愛するなんて独善を言って!それが本当の愛だっていうのならそれは間違ってる!!」

シィナの矛盾に対してレイは言葉を浴びせていく。それは彼女に関する真実を知っているからこそ言える言葉なのだろう。

「説得のつもり?だけど私には関係ないよ。レイ、すぐにこの怪我を回復させたらまた一緒に暮らせるからね。楽しみにしてて……」

言葉をはぐらかすシィナ。これに対し――

 

「シィナが矛盾に塗れるようになったきっかけ、僕は知っているんだよ」

 

この言葉を発した瞬間、ミリナの表情が大きく変わった。眼が見開かれている。

「何のコトかな?」

シィナは首を傾げ、レイに言った。

「シィナは“ある人”と過去に会っているでしょ。その人はシィナにとって重要な人間。」

これを口にした時、シィナは考える素振りを見せる。そして、ミリナの表情が青ざめているのが見える。

 ミリナはレイの発言に対して明らかに警戒している様子だ。やめろと言わんばかりの表情を浮かべ、そして、発する。

「やめて!!!」

寡黙な女性が豹変している。明らかに異様な雰囲気であるのはシィナにも理解出来るのだ。

「ミリナ、さっきから気になっていたけど、どうして貴方の表情は血相を変えているの?貴方らしくないよ」

シィナの抑揚のない声が部屋を伝う。ミリナは視線をシィナに僅かに向けて口を開く。

「それは……」

狼狽する事のなかった女性が、明らかに異変を察知しており、それに動じてしまっている。明らかな異常だ。それをシィナが見過ごす筈がない。

「良いよ、ミリナ。部屋を出て。レイと二人でお話ししたいから」

今度はシィナがミリナを部屋から出るように命じた。その言葉は、彼女をショックに追い遣るのだ。

「そんな!私はシィナ様と一緒にいます!」

「大好きな人と一緒にいるのがどうしていけないの?」

「行けない訳じゃありません!ですが!」

血相を変えてミリナはシィナを説得する。だが、肝心な内容が伝わらないのではその必死な言葉も通じる筈がないのだ。

「そんなミリナ、嫌いだよ。レイと私の間に入らないで」

冷ややかな言葉がミリナに浴びせられた。シィナの従者として存在していた彼女はこの言葉を聞き、どう反応するか。

 今、ミリナの中では何か物が突き刺さったような感触に襲われていた。シィナの事を大切に思っていた筈なのに、その肝心の少女に「嫌い」と言葉を浴びせられた。

 ミリナはシィナを大切に思っている。彼女の殻が割れた過去も知っている。

 故にシィナの言葉は常に肯定してきた。彼女の行動を肯定し続けた。その彼女に否定されたのだ。やはり並ならぬ衝撃があったのだろう。

「そんな……シィナ様!」

「私はレイと一緒に居たいの。貴方は恋人と二人でいたい時に勝手に秘め事を見続けるタイプなの?秘め事関連の事を話題に出すのと、それを直接見るのでは印象が異なるのは分かるよね?」

これ以上の言葉は何も出ないと、ミリナは思った。彼女の従者であるミリナ。だが彼女の事を想って発言をしている。それを、否定されてしまってはもう、彼女にはどうする事も出来ないのだ。

「……すみません……」

シィナの言葉に折れたミリナは、部屋を去ると言う選択肢をした。その際に彼女は僅かばかり、レイを睨むように見た。

その視線はレイに強い印象を残した。それが何を意味するものなのかは、レイも分かっている様子だったのだ。故に、彼は改めて唾を飲み、シィナと二人きりで話す事を決めたのである。

 



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第十三話 光と殻 その3

ミリナが部屋を出た個室内は、当然ながらレイとシィナのみがいる状態となる。だが人が一人減る事で、目に見えぬ雰囲気が変わるのは言うまでもない。

 互いに交際している関係ではあるが、シィナは独善的と言える歪んだ愛情をレイにぶつけていた。レイはそれに応えたいと思うが、彼女の矛盾に満ちた行動が腑に落ちずにいた。

 ベッドの上で病衣に身を纏っている彼女の姿も麗しく、美しい。銀色の髪に朱色の眼はレイを包むかのように魅了している。

 一方の少年も金色の髪、青色の眼を宿している。それは彼女に負けず、美しい。男性のような猛き者という印象を与えない麗しさだ。

 その両者は交際に至った。彼は彼女に翻弄されながらも、今、改めて二人で話す機会を得たのである。

「二人きりでいられるの、やっぱり嬉しいよ。ミリナの様子がおかしかったのは気になったけど、レイが居てくれるだけでも私、幸せなんだよ――」

「さっきの話の続き、させて貰うね。」

レイがシィナの言葉を遮った。それは、彼女に翻弄されてばかりだった少し前までのレイからすれば考えられない事だった。

 それ故に、シィナの表情が変わる。何があったのだろうかと、思ってしまう。

「過去にあった人の話?」

シィナの問いに、レイが頷く。

「今のシィナが矛盾に塗れた行動をとるようになってしまった原因となった人物……それは、エファン・ドゥーリアだ」

レイの言葉が個室内に響き、シィナの妖艶な印象を持った朱色の眼が見開かれた瞬間だった。

 何故、レイがその名を知っているのかと言わんばかりの表情の変化。驚嘆の表情は彼女の変化した心境を物語るのである。

「エファン……あの人の名前をレイの口から出るなんて思いもしなかったな……」

まさかと言った様子だ。しかしレイは言葉を止めない。彼女に確認しなければならない事があるから。それを彼女に聞き、真相を伝える必要があるから。

「ミリナさんから全部聞いてる。シィナがあの人過去に会っていた事も、全て知ってるから。」

「ミリナが……?」

それも、シィナにとっては予想外だったようだ。

「だから、彼女は慌ててたってワケか……そこまで慌てるような内容じゃないと思うのだけど……」

と、シィナは考える素振りを見せる。

「だけど、同じ人に会ってたなんて。凄い偶然だね。私、嬉しいな。」

と、喜びに満ちた表情を見せたのだが、レイはそれに対して真剣そのものの表情で言った。

「あの人は矛盾した行動を取り続けている人だった。だけど、あの人はあの人なりに色々な葛藤を抱えていたんだろうと、今になって思う。」

「それって、どう言う意味?あの人は今もいるんじゃないの?」

下手にはぐらかすのも良くはない。彼女には事実を知って貰いたい。シィナの過去の事情、今に至る矛盾に満ちた行動を止めるには、荒い方法もしなければならないと、彼は考えていた。

 それは恐らく戦争の体験をしたが故に、人に常に優しさを見せる訳にはいかないという価値観が生まれたのだろう。レイは元々温和な人間だ。しかし戦争が人を変える。彼の中にある価値観は体験した現実によって大きく変えられる事となる。

 それは言葉となり、シィナに放たれる。言葉は人を動かすのに大きな役割を果たす。物理的な効力以外にも大きな魅力を持っている。それは、関係性が出来ているのならば尚の事力を発揮する――

 

「僕が、あの人を殺した」

 

レイの口から言葉が出た。包み隠さない、紛れもない、直球の言葉。オブラートに包むという手段すらしない、レイの言葉がシィナによって浴びせられた。

 憧れの人間の死というのは大きな影響を与える。それが狂信的になればなるほど、現実を受け入れられないのが自然の摂理というものか。

 彼女も人間だ。エファンの存在が彼女の中で大きく存在しているのならば、尚の事衝撃を与えるだろう。

 今の行動のきっかけを作った人間であり、シィナにとっての憧れの人間。エファン・ドゥーリア。レイにとって最大の敵でもあり、彼との一騎打ちの果てにエファンは倒された……いや、殺されたのだ。

 言葉の意味合いは同じだ。エファン・ドゥーリアがレイの手によって葬られた事に変わりはない。だが、彼は敢えて「殺した」といつ言葉を用いた。それ程印象に残る言葉である為だ。

 「倒された」と「殺された」では印象が違い過ぎる。「倒した」だけでは相手の命はまだあるものと定義付ける事が出来る。しかし「殺された」となれば相手の命はないものと定義出来る。その事実はより絶望を与える事になるのだ。

「殺した……レイが……?」

シィナの表情が変化していく。朱色の瞳孔が縮まっている。明らかな動揺を彼女は感じている。強い言葉は人を追い込むのに持ち入りやすい。特に、レイのような、普段は温和な人間が強い言葉を述べる事は、より相手に大きな印象を残すのだ。

 シィナは余程の事がなければ動じない人間だ。先日の武装勢力に襲われた時ですら、彼女は自分を見失う事はなかった。テロリスト襲撃の時も、彼女は演技をした。常に演技を続け、人を魅了してきた彼女のペルソナがレイの言葉によって崩れたのである。

「う、ウソツキ」

声が震えている。

「レイが「殺す」なんて物騒な言葉言うワケない。戦争に参加してたのは事実でも、レイがそんな事言うワケないよ。それにあの人を殺したなんて――」

「事実だ。僕はあの人を殺したんだ。もうあの人はこの世にいない。僕が直接戦ったから。この手で、僕が殺したんだよ」

強い言葉は更に浴びせられる。レイ自身も本心ではない。シィナに対する嗜虐心からその言葉を選んでいる訳ではない。

 これは手段だ。彼の中で統合し、解釈した結果。それがこの強い言葉だ。

言葉は言う者の印象で大きく変わる。普段から同様の言葉を連呼している人間と、普段その言葉を言わない人間が言うのとでは説得力、印象が大きく異なる。それが人間という存在なのだ。

「もうあの人はいないよ。僕が殺したから」

「嘘を吐かないでよ……証拠がないよ……」

「証拠なんて出せない。だから誠意を持って伝えるしかないんだ。僕はあの人を殺した。あの人は本当に強い人だった。戦っていて僕がやられそうになった。だけど、辛うじて殺した。」

その臨場感のある台詞は恐らく本当なのだろうと、シィナは察していた。それと同時にシィナの表情が弱まっていく。信じられない。自分の支え、憧れだった人間は目の前にいる少年によって「殺された」という事実があるのだ。

「シィナはあの人の詳細を知ってる筈だよね。あの人が火星で生み出されたEVEシステムの意思を継いでるって話も全部。」

「え……うん……」

シィナの声が弱々しくなっていく。この彼女の姿はレイにとって今まで見た事がない。

 そして、エファンの事情を知っていると言うことはレイにとっても都合が良い事だ。当人を理解しているという事は、回りくどい話をしなくて済む。彼の身辺の話をし、事実を伝える。レイが成すべき事は、それだけ。その事が、今は大切なのだ。

「あの人とは僕が小さい時に一度会っていたみたいなんだ。その時は何も知らなかったけど、そこから再び会った時があった。お互いに兵器の中でだけど……ただ、怖かった。怖い印象しかなかった。」

レイはエファンの事について語る。シィナとレイの立場が少しずつ逆転していっているかのように。

「何度かあの人と会った。殺されそうになった事もあった。逃げたいと思う事もあった。だけど、あの人の出生とか自分の事実を知って行った時、僕はあの人の事を理解出来るんじゃないかって心の隅で感じた事があった」

シィナは自らの手を胸に当てて、話を聞き続けている。

「それがあの壮大な戦いの話。あの人はEVEの遺伝子を継いでいる。そして、僕もその遺伝子を人工的とはいえ引き継いでいる。つまり、あの人と僕は同じ遺伝子で作られている人間って事なんだ。」

事実だ。レイはEVEのディヴァインセルを新生児の時に移植させられて今の力を得た。突然変異とも呼べる力は今の彼を形成している。

「だからあの人は僕にとってのご先祖様のような存在と同意義だと思ったりもした。だけど、あの人は結果的に地球を滅ぼそうとする行動を取った。だから、止めなきゃならなかった。」

「だから……?」

「だから、殺した」

再び語られた言葉。シィナの震えが止まらない。視線が明らかに泳いでいる。レイからどこか、怖さを感じている。愛おしいと感じていた筈の人間から感じるこの得体の知れない恐怖は一体、何か。

「シィナにとって憧れの存在だったんだよね。だけどこの事実は変わらないよ。僕があの人を殺したという事に……」

淡々とレイは語る。まるでそれはいつもの穏和なレイの姿ではない。どこか残酷な、まるで敵を殺す時のレイの表情だ。

 戦争の時、レイは戦闘中の記憶が無くなる事があった。その際、彼の眼は真紅に染まり、敵を蹂躙していった。その原理は不明。その力は彼の敵であったエファンも持っている力とされている。

 今のレイはどこか、その時の表情をしているように見える。それがシィナにとっては恐ろしく感じられるのだ。

 レイに対する恐怖と、憧れの存在だったエファンの死。そして、レイから語られる事実は彼女の覆い隠されていた心の柔い部分を大きく刺激する事になっていき――

 

「嫌……嫌だ……私……私は……うあ……あああああ……あああああ……」

 

心が、砕けた。母親が死んだ事を知ったあの時のような感触に、シィナは陥った。

 



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第十三話 光と殻 その4

人間の心の柔さは幾ら人生経験を積んでも時に剥き出しになる事がある。巧みな話術や事実、自身のコンプレックス等を伝えられた時や弱みを握られた時、そして過去のトラウマ、フラッシュバック。それらは成長し、大人となって社会生活を送る事になったとしても影響する。心に残された大きな傷は塞がっているようで、塞がらない。こじ開けられ、抉られ、鷲掴みにされ、そして砕かれる。

 彼は彼女の心を敢えて壊した。それは今までのレイでは考えられない事だった。

 他者に優しく、穏和なレイの姿はそこにない。言葉で人を壊したレイの姿がそこにある。

 だがそれは相手に対する憎しみではない。シィナ・ソンブルを愛するが故の行動。彼女は好きだ。だが、彼女の矛盾に満ちた行動は彼女を不幸にしていく。そして彼女は自ら怪我をする事に繋がったが、それだけでシィナはショックを受けなかった。

 だが心の支えとなるものが崩れればシィナは脆い。レイはそれを理解していた。自分にも共通する人間であるが故に、レイは彼女の心を壊す事が出来たのだ。

「嫌……嫌……嫌……嫌……嫌……イヤ……イヤ……イヤ……イヤ……イヤ……私から大切なものを奪わないで……私はもう……壊れたくない……イヤ……イヤ……イヤ……イヤ……イヤ……私から大切なものを奪わないで……私はもう……壊れたくない……」

言葉が繰り返されている。まるでコンピュータゲームに出てくるNPCの如くシィナは同じ言葉を繰り返す。

 恐らく彼女の母親が死んだ時もこの状態だったのかも知れない。精神的なショックは彼女を大きく狂わせる。シィナ・ソンブルという殻の中の闇は光によって混乱している。光の言葉が強すぎたのだ。

「シィナは僕を好きでいてくれる。それは嬉しい事だよ。だけど、僕はどうしてもシィナの受け入れられない部分がある。それが、矛盾している行動なんだ。エファンさんはそれを肯定しつつもどこか、悩んでいるように見えた。だけどシィナはそれを誇りに思っている。それはシィナの良心を台無しにしてしまう。それはあってはならないんだ……。」

次に、レイはどこか優しい言葉を彼女に掛けた。その時のレイは、いつもの優しげな印象を持つ。

その言葉がシィナに伝わっているのかは分からない。だが、レイは語る。彼女の事について、とにかく語る。もう、過ちを犯して欲しくないから。

「矛盾は誰だってすると思う。実際、世の中の偉い人達がそれをしてるから、その下にいる人達が混乱してしまう。本当はあってはならない事でも、人間はやってしまうかも知れない。だけどそれを正当化して犯罪行為をするのは間違ってる!幾ら善の行動をしていたとしても、人間は負の行動を咎めるんだ……だから、そんな事をしたゃダメなんだ!子供達を想えるシィナがそんな事、もうやめるべきなんだ!」

光は殻に言葉を掛ける。精神論のようなものだが、今はこの言葉を掛け続ける。心が砕けている状態でも、レイは懸命に掛け続ける。自分の想いを伝える。それは今まで彼女にリードされ続けた事に対して反旗を翻すかの如く。

「国とか政府のトップの人間が都合の良いように世の中を導くなんて難しいのは分かる。シィナはそれに巻き込まれてしまった……僕も過去の戦争でそのような事情に巻き込まれたりした事もあった……だけど、だからってそれを繰り返して何になるの!?された事を人にしても良いの!?その人は何の罪もない人なのに!?自分がされて、それを正当化して犯罪行為を行なって、それが許されるって勝手に思い込むなんて間違ってる!」

「やめて……」

「世の中の事象はケースバイケースなのは分かる!だけどそれをどこかで止めないと全く関係のない人にまで影響が及ぶ!それを関係ないって見捨てるのは大間違いだよ!」

「やめて……!」

「その人達から不当な利益を得て使い捨てて自分は善人を振る舞っているのなんて!善人で有りたいのならその方向に努力していくべきなんだ!!!」

「やめてッ!!!」

シィナが叫んだ。この大声は個室内に響き、反響する。今まで聞かなかった彼女の悲鳴にも似た声。レイはそれを初めて聞いた。それは、シィナに寄り添った瞬間だった。

 レイは今まで他者に対して遠慮をしてきた。それは幼馴染であるリルムにも言えた。彼等は一度交際した過去があったがその先に行く事は無かった。それは、レイもリルムも譲歩し合う関係だったから。強い言葉を出せない関係だったから。

 今のレイは様々な経験をしてきている。壮大な体験。一言で言い表せない体験。その体験が彼に教えてくれたものは多くある。

 レイは成長した。人を見る事を改めて覚えた。シィナとの交際は当初こそ彼女に支配されるような生活が続いたが、今は違う。レイは自らを奮い立たせ、彼女を説得する。

 シィナが好き。シィナを愛したい。その愛の形はどのような形状をしているのかは不明だが、彼がここまで声を荒げるのには当然ながら理由がある。

 純粋な愛情。それがあるが故の、強い言葉。一度彼女の言葉を砕き、そこから叩き込む。

 以前のレイは自らの選択の過ちで相手に否定された事はあった。だが今のレイは自らの意思で相手から、普段聴く事のない言葉を引き出した。

先程のシィナの悲鳴は作り物ではない。紛れもない、彼女の本心なのだ。

「レイは……レイは私から支えを奪った……私は……私は……!」

エファンの死は彼女を動揺させる。だがこの言葉は、レイを怒らせるのに十分な言葉と言えた。

 

「違う!僕はシィナの新しい支えになる為に言ってるんだ!!!」

 

新しい“支え”。聞き慣れない言葉にシィナの悲鳴に似た言葉が閉じられていく。

「シィナは僕を支えてくれるって言ったよね。正直、嬉しかった。僕はシィナを理解して、寄り添って行って……それで、もっと理解しないといけないって思った!だからシィナに強い言葉を言うんだ。支えになりたいから!」

「レイが……支え……」

思えばシィナから見たレイはどのような存在だったのだろう。

 年齢も一つ上であり、大人びた印象を持つ彼女。美少女と呼べる妖艶な容姿。それでいて自由奔放な印象を持ち、他者を弄ぶ印象のある少女。

 その中でレイを好きになったのは、彼の魅力的な容姿も去る事ながら、自身と同じ力を持つ存在という事実も大きく関係しているのかも知れない。

「シィナは解釈を間違っているんだ!あの人は矛盾した行動を取りながらも人を愛そうとしていた!その結果が人を滅ぼしかねない事に繋がったから、止めなきゃならなかった!あの人の言葉は別に全てが悪い訳じゃない!だけど、シィナはそれを違う方向に勝手に解釈して、それを正当化している!それじゃあ不幸を生み出すだけなんだ!そんなの、間違ってる!だから僕は言い続ける!シィナの為を想うから!」

懸命な言葉がレイの口から響く。シィナはこれに対し――

 

「結局レイだってあの人と価値観が合わなかったから殺したじゃない。殺す必要なんて無かったのに……私はあの人が居てくれれば良かった……」

小さな、シィナの声が聞こえた。弱々しい声だ。

「レイは好きよ……だけどこんなのは余りに酷いよ……あの人は人生の指標だった……レイに抱く愛情とは違う、憧れの存在だった……だけどその人をレイが殺したなんて!それも、結局価値観が合わなかったが故じゃない!」

価値観の衝突は人間関係を構築していく上で確実に起こり得る事態だ。それが重なり合っていき、やがては戦争になり得る事もある。

 個人同士でもそれは当然あり得ており、本来ならばそれらの譲歩が大切とされるのだ。特例を除いては。

「シィナは地球に人が住めなくなっても良かったって言うの!?あの人は最後、地球の人に対して兵器を向けるように差し向けて人間の数を減らそうとしていたのに!?」

「仮にそうだとしても!レイがそれをする必要なんてないのよ!!!あの人とレイは戦ったかも知れないケド、あの人は私の支えだったの!どうしてこんな事に……!」

シィナの発言はエゴである。価値観が衝突し合う者同士、避けては通れない。何せ地球に住む人々が戦争で生み出された兵器によって多くの命が奪われようとしていた、一刻を争う状況。それを止めなければこの世界はどうなっていたかも分からない。

 それでも彼女はエファンを擁護する。その上で、レイを好きでいる。これをどう、浄化すべきなのだろうか。

「答えなんて、ないとは……思う……だから作っていくしかないよ。これからは。だけどシィナのその価値観はもう、これから生きる上では必要とは思えない……」

シィナは好きだ。だが彼女の憧れの人間を殺してしまったレイ。しかしその人間を殺さなければ今頃地球自体がどうなっていたか分からない。

 この迷宮のような思考に答えは見出せるのか?両者の意見は衝突し合う。恋人同士ではあるが、価値観がぶつかっている。

「レイは私の意見をおかしいって言うつもりなんだよね。だからそうやって言葉を出すんだ。」

「違う、おかしいって言うつもりはない……僕はただ、シィナにそれ以上の行動を止めて欲しいだけなんだ……!」

「じゃあ、私の意見って「悪」の意見なの?」

思想は自由の筈だ。それは間違っていない。そう言われ、レイはどう答えるべきなのか再び分からなくなる。

 それぞれの正義があって世界は回っている。しかしそれらが衝突した時に人は互いの意見をぶつける。それが平行線になる時もあれば、更に過激な行為に及ぶ事もある。

 その最も足る例が戦争だ。価値観の相違が繰り返された結果が大勢の人間を巻き込む戦争行為となり、多くの人間を犠牲にしてきた。

 今、彼等は武力を用いている訳ではない。言葉で話をしている。レイは過去の戦争で兵器を用いてエファンと戦った。今、彼はエファンを支持しているシィナと言葉でやり取りをしている。

 それはあの時は戦う手段でしか語り合えなかった状況とは全く異なる状態だ。彼女と武力を用いない対話を、彼はしているのだ。

「悪って決め付ける気はないよ!だけど、結果的にそれがシィナを不幸に追い遣ってるだけなんだ……」

「だけどね……私はあの人を支えとしていた!それっておかしい事なの!?あの人の事、レイは認めているんだよね!?」

「人間性を見るのと行動は違う!どんな人間でも変わってしまう事はある!僕だって迂闊に殺したくはなかった!けど、ああしなければ地球がどうなっていたのかも分からない!」

「だからってあの人を殺す必要なんてなかったじゃない!!」

シィナが感情を吐露している。レイも同じ。

 交際してから彼等が互いの意見を言い合った事はなかった。今回、彼等は話をしている。それも、それぞれの価値観に対して。対等な立場で。そのテーマは、彼等に影響を与えた共通の人間の行動についてだ。

「あの人の行動は地球に対するテロ行為そのものだった!それを止めなかったら大勢の人が死んでいた!そんなの、絶対にあってはならなかったんだ!」

「その結果、レイは私の支えを奪ったんだ!あの人を悪人として捉えて、正義を振り翳した!私はそれで心が乱れた!」

「シィナの住む地球だってなくなってたかも知れないんだ!いい加減にしてよ!人柄と行動は違うんだ……どんな人でも変わってしまうかも知れないなら、それを止めないと行けないんだ!それを放置なんてしたら多くの人がいなくなる!シィナは子供達を大切に思っているのに、それっておかしいと思わないの!?」

「私は直接人を殺していない!人を動かして利益を得ていただけ!必要とする人が生きていればそれで良いの!レイ、キミを含めて!」

「そんなのエゴの極みだ!」

「じゃあそれを裁くのは誰なの!?神様は世界にいないのに!?公平な存在なんて所詮人間が作り出したエゴなのに!?」

言葉の平行線は続いていく。だがこの時のシィナは、レイに対する感情を剥き出している。心は一度壊れたが、今はレイに対する反論を続けているのだ。

 ある意味これは彼女の心境の変化だ。レイが願った通りに、現実が起きつつあるのだ。

「シィナはもう、受け入れないとダメだよ……その行為が間違っているという事を……僕はあの人を倒さなきゃならなかった……あの人の矛盾を解放しないと、今に至らなかったから!僕だって人を殺すなんて、したくないよ!だけど……」

「そんなの、簡単に受け入れろって価値観を押し付けないで……」

シィナが表情を変える。今度は悲しみだ。朱色の眼から涙が溢れている。

 演技を見せていたシィナだが、今の彼女の表情の全てが本物だ。偽り、嘘を見せ、自らを作っていたシィナは今、レイの前で本音を晒している。

 彼に伝えた「真実」は、あくまでも彼女の立場の事。彼女自身の感情等ではない。今の彼女は紛れもなく、本物の感情だ。今までレイに見せていた嘘、演技の感情ではない。

「レイだって価値観を押し付けてるだけじゃない……あの人が死んだ現実を受け入れろって!価値観を押し付けておいて私に価値観を捨てろなんて!矛盾してるよ!」

「それなんだ!人間は絶対に矛盾するんだ!だからどこかで理解していかないと行けないんだ!全か無かで物事は語れないんだ!!!」

そう、全ての事象は極端な思考では語れない。矛盾している中にも詳細はある。人によって様々な意見があるように、それらの意見が入り混じり、やがて統合される。

 その極端な意見が反映され、それらに対して人は再び意見をする。だがその意見には正論に見える場面もある。しかし、許されない一面もある。

「あの人は、それに苦悩していたんだと思う……だから自分で考え続けた。その結果があの形だったんだ……だけど、それは止めなきゃならなかった!一人の思考で大勢の人が殺されるなんて間違ってるから!」

「理解した上で人を殺すって発想があり得ない!」

「シィナの行動だって人を不幸にしている!それを正当化して何になるの!?自分が経験した理不尽を人に押し付けて、自分に回ってきて!それでもシィナは続けるの!?こんな、犯罪行為を!」

レイは懸命に説得する。それはあの時の戦いの果てで、エファンに対して説得するように。

 あの時と違うのは、今がレイもシィナも兵器を用いていないという事だ。純粋な言葉だけで話を進めている。紛れもない、対話。彼等はそれを行なっている。

 それは、この両者の距離を縮めるのに大きく貢献している。シィナの独占的な愛情。少し前まではレイはそれを感じていた。だが彼女の詳細を知り、エファンが絡んでいると知った以上は彼も強気でいる。

 互いに知っている人物を交えての対話はより、両者の距離を縮める。それは恋愛という意味ではなく、人間と言う意味で。でなければ人は会話をしない。これ程に感情を吐露しない。

 感情が溢れ、そして互いに話をすると言うのは両者が理解を深めようとしている何よりの証。それが、レイが倒した最大の敵であるエファン・ドゥーリアが関与していると言うのは何とも言えない皮肉である。

「私はそれが貧困に喘いでいる人々を助ける手段と考えてる!腐った政府が人々を混乱させているからこんな世界になる!それが犯罪行為であれ、関係ない!それに乗っかっている人達を「私」は助けてるつもりだから!」

「助けてないよ!結果的に治安が悪化する要因になってる!」

「そうしたのは狂った政府のせいじゃない!戦争が終わったと思ったら武力増強とかしだして戦争被害に遭った人々を助けないで利権まみれの世界を作って、そればっかりに資金投入して戦争被害を全く顧みないで!だから氷河族が生まれた!そして私はそれに便乗出来る立場!ボスであるお父さんの娘だから!」

感情が出た結果、シィナは他責思考を露わにした。

「それじゃ負の連鎖を作り続けるだけだよ!永遠に終わらない!世の中がおかしいって分かっていて更におかしくなる事をして何になるの!?」

「その価値観がレイにあるから、レイはあの人を殺したんでしょう!?結局は自分の正義を押し付けてるだけじゃない!」

「あの人の行為は大勢の人を殺す!それがどれだけ危険な事か分かってないんだ!その思想は危険過ぎるんだ!あの人の行き着いた結論は全てを滅ぼす事に繋がるから、僕は止めざるを得なかった!」

「そういう価値観によって苦しむ人だっているって、分かってない!」

「だから理解をしていかないと行けないと僕は思うんだ!」

価値観を理解するのは並ならぬ努力が必要だ。自身の事のみを考えるのは楽だ。そう生きれば少なくとも大勢の人間に迷惑を掛けなければ比較的穏やかに生きられるから。

 しかし他者の思想を理解して生きるのは常人以上の努力を要する。レイは今、それをしている。シィナを理解しなければならないと思っているからこそ言葉が出る。

 シィナも同じ。レイに言葉をぶつけているが耳を貸し、確実に彼と討論をしている。

 しかしこの場での会話は最早平行線。互いに譲らない状態。このままでは話が落ち着かない。

「僕は、シィナを好きでいたい!シィナが僕を好きでいてくれたように!だから言葉を発する!僕はシィナに言い続けるから!」

この中でレイは想いを伝えた。自分を好きでいてくれた事に対する感謝の気持ち、そして彼女と同じ人種であり、彼女の事情を知ったが故の改めて感じる気持ち。それらをシィナにぶつける。

「だからだ!だから僕はシィナと分かり合いたい!これだって価値観の押し付けかも知れない!だけど、その為にはこんな話し合いは必要なんだ!独善的な愛情じゃなくて、互いの意見を伝え合う事が一番大切だから!シィナの事情を知った上で、僕はシィナを好きだと言うから!」

純粋で強い言葉。今までのレイからは考えられないような台詞。

 この強い言葉にシィナは次第に言葉を失っていく。彼は理性的でない。感情論で話を進める。だが今はそれも有効かも知れない。好きでいる彼女の行動を止めたい、ただ、その一心がレイを突き動かすのだ。

「……私、分からない……」

シィナの言葉が少しばかり、小さな口から出た。

「感情が滅茶苦茶に渦巻いてしまってる……レイの事は好きなのに、だけどあの人を殺したのもレイ……許せない筈なのに、でもレイは受け入れたい……訳が分からない……私はどうすれば良いの……?」

混乱するのも当然だ。矛盾している状態を受け入れるのは普通、難しい。無理と言っても過言ではない。

「シィナの全てを受け入れるから!僕はそう決めてる!だからもう、犯罪行為なんてやめるんだ!優しいシィナで居れば良いから!」

再び放った、強い言葉。それにシィナは更に揺れ動く。

「私は氷河族のボスの娘……今更それを受け入れるって言うの?レイも知ってるように、氷河族は反社会組織なんだよ……もう、私は後戻りが出来ない存在なの……レイが求めたとしても、所詮私はもう汚れてる存在だから……腐った政府によって生み出された組織の娘だから……」

この台詞からして、彼女は他責思想そのものだ。未だにそれが抜けていないのだ。レイはこれを聴き、立腹した。

「政府の怠慢や腐敗が多くの犠牲者を出したのかも知れない!だけどこの先を決めるのはシィナだ!氷河族を断ち切れば良いだけなんだよ!それをまだ人のせいにしてるなんて!」

氷河族を断ち切れば良い。それはそうかも知れない。だが、彼女は既に組織に染まっている。汚れたボスの娘として存在している。

 故に彼女は襲われた。ボスの娘。それは彼女を狙う存在からすれば十分に価値のある肩書だ。

「今更断ち切るなんて出来ない!既に私は狙われてる身!多分永遠に狙わられる!だけどそれは私は覚悟している!レイが本気で私を愛するのなら、それも受け入れてよ!氷河族という組織を!私を!私と一緒に汚れて行ってよ!!!」

彼女は組織を肯定している。それが間違いの筈なのに、それでも……

だが、次にレイが言った言葉は彼女を驚嘆させるのだった――

 

 

 

「じゃあ、僕はシィナと一緒に組織を作る」

 

 

 

朱色の眼が大きく開かれる。それを見るのは、青色の眼だ。

 



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第十三話 光と殻 その5

「何を、言ってるの……?」

当然の言葉。だがレイの眼は真剣そのものだ。真面目なレイが茶化した台詞を言うとは思えない。紛れもない、彼の言葉だ。

「氷河族が反社会組織で、シィナのお父さんがボスで……それを利用してビジネスをし続けて……その、悪いイメージが有り続けるのなら、僕はそれを受け入れる。そこから、組織の印象を変えるぐらい、やってみせる。」

氷河族を変革するという余りに無謀な事を言い出したレイ。この発言にはいつも冷静である筈のシィナですら驚嘆せざるを得ない。

 組織の改革をしようと言うレイ。それは、一つの国に所属している、知識も財力もコネクションも何もない人間が無謀な夢を語るも同然な事である。途方もない野望と言っても過言ではないだろう。

「誇大妄想も甚だしい!氷河族を変える!?レイ、気は確か!?」

いつもレイを褒める立場である筈のシィナが明らかに冷静さを失い、彼に聞く。これも互いの関係性の真の変化と呼べるだろう。

 しかし今のレイの発言は余りに常軌を逸脱していると呼べる。彼女を愛するが余りの過激とも呼べる発言なのだろうか?

「シィナが僕の事を、好きでいてくれるのなら出来ると思いたいよ。」

この自信はどこから溢れ出てくるのか。

 もしかすればそれは、去年までの壮絶な経験が彼を突き動かしているのかも知れない。あの戦争でレイは生き延びた。死の淵に立った事もあったが多くの人間に支えられ、今、こうして生きている。

 戦後になってシィナと出会い、彼女に翻弄される形になりながらも彼女の真相を知り、レイは行動しなければと感じていた。

 これはその結果なのかも知れない。シィナと添い遂げたい。だが彼女の思考を変えたい。そうとなるなら、自分が彼女を受け入れ、それらを変える意気込みが必要なのだと、彼は感じたのだ。

 シィナの心は非常に硬かった。レイに対する独善的な愛情は所詮は振る舞い。彼と出会い、彼の事を知り、真実を知る事でシィナの心境は変わっていく。本当の意味でレイを理解しなければと、感じていくのだ。

「……無謀。」

シィナが笑った。銀髪を掻き上げ、微笑する。

「レイの言葉とは思えない。可愛い男の子の台詞とは思えない。」

確かに無謀極まっている。だが、一つ言えるのは今、この発言によってシィナを笑わせる事が出来たと言う事だ。

「無謀かも知れないけど、僕は少しずつでもやっていこうと思っている。その為には人の力が必要なんだ。シィナが人を動かして犯罪行為を行なっていたように、それを違う方向にやって行ければ良い。」

シンプルな発言。だがやはり、現実問題それを行うのは問題が多過ぎる。

「氷河族は多くの業界や界隈、政界にもに影響を与えてる……その根は遥かに根深いの……忌み嫌われ、恐怖の象徴として存在している……だけどそれもある意味、信用。それそのものの印象を変えるって、出来るの?」

一度根付いた印象を覆すのは難しい。個人ですら難しいのに、組織となれば尚の事難しい。それが負の印象となれば、尚の事だ。

 その無謀な挑戦をレイはすると言った。それも、シィナと共に。

「不確かかも知れないけど、僕はシィナとそれをやっていきたいと思う。シィナが僕の事を好きで居てくれるのなら、僕はそれに応えていきたい。2人の力があれば、氷河族の印象だって変えられると思うんだ。」

レイの言葉は強い。弱々しい印象がない。

 これまでの経験は彼を成長させた。一度は彼女に翻弄されていたレイだが、共通の知人であるエファンの存在を経て、彼はシィナに意見をする事が出来ている。

 かつて地球に住む人類そのものを減らそうとしていた男はレイに大きな影響を与えた。男の行動は愚業であり、人類そのものに悪影響を与える。その傍ら男は人としての悩みの一部である、矛盾を抱えていた。

 矛盾を抱えた男はレイによって倒された。そして、その影響を受けている少女を目の当たりにし、レイはそれにも応じた。彼女を受け入れるという事は、エファンの思想の一部を受け入れるという事だ。

 その上で、彼は負の印象を与えている氷河族の改革を行おうとシィナに提案する。途方もない事は承知の上で、それを言うのだ。

「シィナが望みさえすれば、氷河族は変われる。僕はそれをフォローする。お父さんが死んだのなら、もう負の印象を拭えば良い。より、認められる組織へと変わるべきなんだ。シィナにはそれが出来る権利があるから……」

組織のボスの娘という立場。それは組織に大きく関わってなくても世間は肩書を見る。肉親である以上関係性を断つのは無理なのだ。

 だが、シィナは声を震わせながら口を開いた。

「氷河族には多くの人間が関与しすぎてる……お父さんの独裁で成り立ってる組織って訳じゃないの……一部の国の政界にも、他のマフィア、ギャング組織とか企業にも関係している……それって1人の独裁じゃ無理なの……氷河族の印象を利用して、それをビジネスに変えている所は幾らでもある……私がボスの娘だとしても、それはすぐに変えられる訳じゃない……」

肉親という立場であれ、ビジネスが絡めばそうは行かない。シィナはそれを言いたいのだ。現実問題、彼女はその立場を利用して犯罪行為を行なっていた。これから変えようにも、どうすれば良いのだろうか。

「だからこそ、人の力が必要なんだよ。シィナが望んでくれれば、氷河族そのものを変革する為に動く努力だって出来ると思うんだ。」

レイは青い眼で、真剣に彼女を見つめた。

「それは簡単じゃないわ……途方もない道のり……デウス動乱後に出現した氷河族は各方面に影響を与えすぎたの。その存在は多くの人間に知られるようになっていった……悪い意味で。」

負の印象を覆す事は誠実で居続けること以上に難しい事である。一度でも根付いた負の印象を変えるのは途方もない努力が必要だ。

「だったら、信用を得られるようにするしかない」

「信用……?」

「信用を得られるように、働き掛けて行けば良いよ」

信用は大切だ。それはシィナの父であるエレグが言っていた。

 しかしエレグの語る“信用”はあくまでも本人にとっての信用であり、それが強い人間でなければ彼の顔を見る事すら許されない。世間に対する信用とは異なる。

 結局、言葉は使う人間によって印象を変える。綺麗な言葉を言っていても行動が伴わず、真逆の行動をしていればそれは矛盾している行動と見做されるのが普通、普遍的な考えだ。エレグはその事を逆手に取り、男にとって都合の良い事を“信用”と言った。

 今度は、世界中の人々にとっての信用を得ていく必要があると、レイは言う。今の氷河族の印象を払拭するには、途方もない時間を要するが。

「僕はシィナを好きでいたい。だけど、シィナの行動は矛盾している。それも、悪い方向に。だけどシィナの良い部分はあるから、それをもっと活かして行ければ良いと思うんだ。子供達を想う事が出来るのなら、もっとそうするべきだよ!僕はそれに尽力するよ。シィナと、一緒に……」

と、言いながらレイはシィナに手を差し伸べた。その時の彼は、温和で優しい表情をしていた。

 人を殺したという、強い言葉を使っていたレイの姿はそこにはない。彼女を本心から受け入れ、共に歩んでいきたいと考える純粋な善意に満ちた少年の姿がそこにあったのだ。

「なんだろう……まさか、レイとここまで話をしたの初めてな気がする……」

弱気になっていたシィナが声を出し、そして、レイの手に振れる。

 今までもレイとは様々な意味で触れ合っていたが、レイの方から手を差し伸べる事はなかった。これも、両者の関係性に進展が起きたと言うべきか。

 互いの手が触れ合い、握手を交わす。これは、シィナの中で変化が訪れた何よりの証拠だった。矛盾を孕みながらも犯罪行為を行なっており、それを正当化していた少女はレイの説得に応じ、理解したのだ。

「氷河族を変える……それが無謀だとしても、凄い志だなって思った。」

「2人でやって行こう。壁があるのは間違いないけど、組織の印象を変えて行こう。シィナとなら、出来るから……」

レイの眼が綺麗に映る。朱色の眼がレイの青い眼を見つめる。曇り一つのない、純粋な眼はシィナの中にある曇った闇がない事を指していた。

 




エピローグは24日21時更新です。


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エピローグ

シィナと添い遂げる為に、氷河族と言う組織の変革を宣言したレイ。それは当然ながら途方もない道のりであるのは言うまでもない。

 シィナはボスであったエレグ・スウィードの娘という立場ではあるが、娘が組織のボスを務める事は不可能に近い。

 そもそも組織に入るには本来“印”が必要だ。身体に印を刻み、組織に忠誠を誓わせるのが元々の組織の在り方だった。それを最も、今はボスがいない状態である為にその定義も曖昧となっているが。

 レイはこの時の宣言の後で学校を辞める事を決意。彼はシィナの元を離れてから、戦争前に共に過ごした仲間達の所へ訪れる事を決めた。それは、戦争後の日常生活内で連絡を取る事がなくなり、どこか連絡を取る必要がなくなった関係性を払拭した瞬間だった。

 改革をするには人の力が必要だ。レイは少しでも氷河族を変える為にそれを説明する為、知人を訪れる事を決めた。レイと共にあの戦争を生き抜いた人間達との連絡を取り、自分の状況を説明するのだ。

彼は今、氷河族に所属している。目先の利益を得る為?違う。反社会行為を行う為?違う。組織そのものを改革する為だ。最愛の人間、シィナ・ソンブルと添い遂げ、氷河族を変えていきたいという強い意志があった為である。

 

「レイ君、久し振りに会えたのは嬉しいけど……その選択肢は間違いなく過酷な道を歩む事になるよ。愛情だけでは成り立たない事だって世の中圧倒的に多い。それでも、やろうとするの?」

ある、一人の女性がレイに尋ねた。それはレイにとって恩人も同然の人間である。

 エリィ・レイス。今は姓が変わり、エリィ・アルビューズ。かつてレイと共に行動し、あの戦争を生き抜いた人間の1人だ。

 レイはそれ以外の人間とも話をしている。彼の体験は、多くのコネクションを作り上げた。

「僕は決めたんです。本当に平和の為に出来る事として、それが僕の役目なのかなって思いましたから。」

そう言った時、側に居た1人の男が言った。

 ネルソン・アルジュース。エリィの夫。かつての壮大な体験の中で彼女と共に行動していた男性。人型兵器のパイロットと、医者を兼ねていた男性だ。

「氷河族を変革するという行動に至れるのは凄い事ではある。確かにあの組織は負の印象が強いが、レイの言葉を信用していきたいとは思う。大変だろうが、頑張ってくれ」

「はい、ネルソンさん。」

彼は知人を訪れ、そして会話をする。レイなりのコネクション。一度シィナによって消された連絡先ではあったが、エリィやネルソンの名前をSNS等で調べる事で連絡をする事が出来た。

 コンタクトを取る手段は様々。膨大に発達したコミュニケーション手段はその気になれば連絡を容易に取り易くする事が出来るのである。

 

 

ある時はレイが助けられたヒパック村の人間達を訪れ、彼は事情を説明した。

「まさか、君がそんな事を考えるなんてね」

かつて陸上戦艦の艦長を務めていた人物である、ゲイル・ゼノイア・バーダが言った。

「あんた、それってどれだけ大変か分かってて言ってる?」

整備士の少女、シャルア・ジェインが言った。

「僕が氷河族になった事でどのように見られるかは分からないです。だけど、僕は変えていきたいって思いました。それが世の中を変えていけるのなら、僕は行動します。これが戦争が起きた後の世界を変えるきっかけになると思うから……」

レイの言葉は綺麗だ。しかし綺麗な言葉はいつまで続くかは分からない。彼の行動は、始まったばかり。氷河族という負の印象を覆し、世の為に行動する。いくら兵器を全面的に禁止になり、表向きでは平和になった世界とは言えまだまだ闇が多い世界。それらを照らす光になり得るのかは分からない。彼はそれでも動く。行動し続けると、決意したのだ。

「れいなんか頑張るんか?」

側に居たのはシャルアの妹、メナンだ。約2年の時が経ち、彼女の容姿は成長してこそいるが、口調は相変わらずな様子だ。

「うん、自分の役目を果たそうと思うんだ。」

「よー分からんけど頑張れー!」

相変わらずの様子だが、この言葉もレイにとっては励みである。彼はもしかすれば、知人と会う事で自分自身を奮い立たせようとしているのかも知れない。

 

 

 

 レイが知人を訪れ、自らの取り組みを説明している頃、シィナはミリナと共に自宅に居た。その日の外は僅かばかり雲が見える晴天であり、日差しが穏やかに窓を照らしていた。

 シィナは今、外を見ている。その側を、ミリナが笑みを浮かべて見ている。

「今のシィナ様は非常に穏やかな表情をされています。あの方が貴方をここまで変えられるとは思いもしませんでした。」

ミリナの優しい声に対し、シィナが言った。

「あの子の熱意は本物だよ。本当の意味で、レイの事が好きになれた。ただ、可愛いだけじゃない。やっぱり平和を真剣に考えていたから、行動に移そうとしたのかな。」

「それを機にシィナ様は慈善事業の取り組みを始められましたね。それは素敵な事です。今の貴方ならば氷河族の改革を成せるかも知れません。」

「私だけじゃないよ。あの子との共同作業。そして、あの子の知り合った人々をはじめとした多くの人達。あの子は私を救ってくれた。本当の意味で。本当に今、私は幸せだよ。」

シィナの朱色の眼は空を見ている。窓の外は小鳥がさえずり、小さな羽を羽ばたかせて移動している。まるでそれは、絵になるような光景。

「平和な世界は、未来のためにも必要だもんね。私利私欲の世界はもう、ごめんだから」

以前のシィナからは考えられないような言葉。以前の彼女は腐敗し、ダブルスタンダードで成り立っていた世に対して歪んだ解釈をしていた。

 その上で出会ったエファンの存在は彼女の矛盾した行動を後押しした。しかしレイという名の光はそれを止めた。彼女の闇を照らしたのだ。

「シィナ様が幸せならば、私も幸せです。今、あの方は忙しそうですね。世界中を回って、行動されています。彼は世界中に知人がいるのですね。」

「私はレイを独占しようとしすぎてたな。レイさえいればそれで良いと思ってた。だけどそうじゃない。人は繋がって生きてる。そして、それは次の世代にも繋がっていくと思うから……」

シィナの優しい朱色の眼は視線をそのまま自らの下腹部にやり、そして、優しくそこをさすった。その後、青く澄んだ窓を見て、シィナは遠くにいるレイの存在を想うのであった。

 




 この度閲覧ありがとうございました。
レイのその後を描いた物語となってました。
もう少し短くまとめる予定でしたが色々と書いている内に長くなってしまいました。
育児などもあり、なかなか執筆するのに想定していた以上に時間を要してしまいましたが、どうにか完結させることが出来ました。
 これにてこの物語は終わりとなります。ありがとうございました。


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